負け犬達の挽歌 (三山畝傍)
しおりを挟む

本編
負け犬、餌にありつけなくなる


 メガバシャーモが倒れた。勢い余って地面にぶつかって、だ。ほぼ敗北が決まり、死んだ目をしていた相手トレーナーが途端に生気を取り戻す。あたしの手持ちポケモンはもう底をついている。審判の相手勝利を告げる声。観客席からの地鳴りのような罵声、吹雪のように宙を舞うハズレ投票券、投げつけられるゴミ。会場警備に当たるエスパーポケモンのテレキネシスで、ピッチ内にゴミが入ってくることだけはない。あたしが客席にいて券を買ってたら、ゴミを投げたくなる気持ちにもなるだろう。格下トレーナー相手に場を整えてあと一撃当てれば勝てるというところで負けたのだ。しかも、十連敗と来た。眩くピッチを浮かび上がらせる照明から目を背けるように俯き、あたしはピッチを後にした。

 

 もうすぐ日が変わろうとする時間だが、今日も試合は二十四時間ぶっ続けで行われることになっており、トレーナー控え室は試合前と変わらずごった返していた。モニタに映っていた試合を見ていたのか、あたしの顔を見て失笑する奴、目を逸らす奴、同情の目を向ける奴。顔見知りだろうがそうでなかろうが、全員の目線があたしに向かっているような気がした。小さなくすくす笑いも、自分に向けられているような気がして、頭を小さく振る。自分の試合もあるのに、全員が全員、そんな暇人な訳がない。乱暴にロッカーから荷物を引っ張り出したところで人に肘がぶつかった。

「すみません」

「こっちこそ、失礼……と、ユウケじゃないか。さっきはついてなかったな」

「何だ。あんたか。ツイてないのはいつものことだからね」

 男は同郷のトレーナーだった。あんまり負け戦でかっか来ているせいか、名前が思い出せない。別にこいつのせいで負けたという訳では無いが、今は誰とも話したくなかった。同情七割、苦笑二割、その他一割というところの顔を睨みつける。

「まあ、気を落とすなよ。次があるって」

「次も何も、次からあたしは実況落ちだよ。さっきの相手も、だいぶ格下だったしね」

「あー……そりゃ、ご愁傷様。元気出せよ。じゃ、俺、次の試合だから」

 あたしの普段より鋭いというか悪い目付きにか、実況落ちという言葉にか、顔を引きつらせながら、男は去って行った。世界リーグ戦――トレーナーの格付けがレートという数字で行われることからレート戦とも俗称されるプロリーグでは、概ね同程度のトレーナーが対戦するように調整される。世界リーグ戦に参加するトレーナーは概ね十五万人から二十万人いるといわれ、テレビ中継だろうがネット中継だろうが、実況がつくのはそれなりに上位のトレーナーに限られる。それが外れるという事は、まあ、そういうことだ。もっと格が低いと、そもそもスタジアムやイベントホール、あるいはジムの一角ではなく、インターネット上での試合になる。ポケモンという電子データとしても扱える生き物の特徴を生かした省スペースといえば聞こえがいいが、要は場所を使う価値も薄いということだ。格が下がればスポンサーも外れるし、リーグ主催からの報酬もぐっと少なくなる。あたし程度のトレーナーでも何社かスポンサーはついていたが、多分明日の朝には契約を切られるだろう。しばらく暮らしていくだけの蓄えはあるからすぐに飢えることはないが、収入が断たれるのは精神的にきつい。

 実況落ち自体は何度も経験しているが、不運が重なり続けての十連敗はさすがに今シーズンはもう駄目だなという気持ちを抱かせるに充分だった。選出も読みも命令も、どれも間違っていたとは思えない。いわなだれを六回連続で避けられたり、りゅうせいぐんを三回連続で外したり、相手のあくのはどうで三回連続で怯んだり、じわれを二回連続で食らったりした上で勝てるトレーナーはそうは多くないだろう。地鳴りのような歓声が漏れ聞こえるスタジアムをとぼとぼと出た負け犬の溜息が夜気に溶けて消えた。

 

 フレンドリィショップは二十四時間営業。荒んだトレーナーの心にはそう、カイリキーゼロだ。飲む福祉だの注入(たべ)るアルコールだの言われる安酒が、あたしは好きだった。幸い、ホウエン地方でも十歳以上は成年なので、あたしでも問題なく酒を買うことができる。カイリキーゼロのレモン味とアセロラ味、ナッシーの種(おかき)、スルメカラマネロ、適当に明日の朝飯のおにぎりを放り込む。カウンターに並ぶと、さっきのあたしの試合のVTRがカウンター後ろのTVに写っている。最悪だ。おまけに前のトレーナーカップルが「えっ、あれ外すんだ」とか絶句している。あたしの台詞だ。カップルの次にカゴを差し出したあたしに、顔馴染みになった店員が気の毒そうな顔を向ける。ああ、やめてほしい。あたしはただ、負けたくないだけだったんだ。誰かにこんな顔をされるために、リーグで戦ってきたわけじゃない。あたしは顔を背けて代金を支払って、そそくさと店を後にした。

 

 シングルルールでは最大レート千七百、全世界で三千番目かそこら、それなりのトレーナーが泊まるにしては質素なビジネスホテルだが、旅の中、ポケモンセンターか、もっと酷い小汚い宿に慣れきっていたあたしには充分贅沢な宿だった。お湯も出るし、異臭もしないし、変質者だかがドアノブをがちゃがちゃしないし、虫も沸かないいい宿だ。前金で今週末までは払っているが、ここを引き払ったらどこにするか。録画していたお気に入りのアニメも、好きな菓子も全然慰めてくれない。ただただ、カイリキーゼロの胡乱げなアルコールがあたしの頭を、屈辱感をぼんやりとさせていく。

「あたしの何が悪かったんだろう……」

 アルコールが熱した溜息が、がらんとした部屋の温度を下げていく気がした。

 

 滅多に鳴らないスマフォが、爆音でAC/DCの"Highway To Hell"をがなり立て、飲むだけ飲んで寝ていたあたしを叩き起こす。ベッドで寝ていただけ偉いと自分を褒めてやりたい。二日酔いで頭が痛い。やっぱりカイリキーゼロは駄目だ。最悪の目覚めといっていい。

「ユウケ?!あんた、昨日の試合見たわよ!っていうか、今も録画したの見てるけど。あんた髪切りなさいよ、何この落ち武者みたいなざんばら頭!髪の毛痛んでない?あと、目付きすごい悪いわよ!どんどん目付き悪くなってない?!」

「……母さん?何?あたしの目付きに用事なわけ?」

「そうじゃなくて、あんた、最近大丈夫なの?」

「大丈夫じゃないよ。十連敗して大丈夫なトレーナーはそんなにいない」

 アルコールが抜けていない上に、普段から寝起きの悪いあたしは、ナットレイの棘もかくやという口調をへらへらと冗談めいた響きに織り交ぜて返す。電話口の向こうで、しばしの沈黙。

「あんた、たまには帰ってきなさいよ。一回しか帰ってきてないじゃないの」

 下らない、と一蹴することも簡単だった。去年に一度帰ったはずだ。二年ばかり旅をして、一度帰っていたら上等だろう。これだけケチがついたらもう何ともならないだろうと、当分リーグ戦には出ないつもりだったし、あまり贅沢をしないあたしはそれなりに蓄えはある。まだ旅をしたことがないシンオウに行ってもいい。だが、自分の口からは意外な言葉が滑り出た。

「うん。そうするよ」

「うんうん、そうしなさい!あ、それとね、実家なんだけど、明後日からアローラに引っ越すことにしたから!」

「はあ?!父さんはどうするの?」

 離婚でもするのか、とはさすがに聞けなかった。別にあたしももう十歳を過ぎた大人だし、親が離婚しようが引っ越そうが、構わないのだが、母さんも父さんもカントーの出身のはずだ。だが、聞けば父さんが新設のアローラ支社へ転勤の予定に合わせて引っ越すはずだったのが、半年ほど支社の新設が遅れたせいで、母さんだけ先に引っ越すことにしたのだという。

「あんた今どこにいるんだっけ?ホウエン?それじゃアローラの空港で待ち合わせるのが一番ね!」

「はいはい……」

 飯はちゃんと食え、荷物の送り先はここそこだという話を適当に聞き流して、電話を切った。宿は元々引き払うつもりで荷物も旅から旅への暮らしで大したものはない。後は、育て屋のタマゴを回収するのと、馴染みへの挨拶くらいか。

「アローラ、か」

 アローラのポケモン自体は、リーグ戦で戦ったことも使ったこともある。だが、あまりに遠い地方でイメージが全然湧かない。ぼりぼりと後頭部をかく。そろそろ伸びて鬱陶しくなってきた髪も切るか。鏡に映ったクマと酒の残りでひどい顔を眺めつつ、頭の中でこれからの予定を立て始めた。人生そのものとは言わないが、上手く行かない何事かを、何かをやり直したいという漠然とした気持ちが叶うかもしれないという漠然とした希望も織り込みながら。

 

『本機はまもなく、アローラ空港に到着いたします。エアサンムーンのご利用、まことにありがとうございました。安全のため、機体の停止まで席からお立ちにならないよう――』

 空を眺めるのにも飽きて寝てしまっていたらしい。機外を眺めると、ギラギラと光を反射する広漠な海、四つの島と、そのうち二つの島の中央に大きな山が見える。アローラ地方。熱帯に来るのは初めてだ。思えば、寒い地方ばかり旅してきた気がする。心なしか、窓ガラス越しに眺める陽光も強いように思えた。

 

「あたしのポケモンが移送できない?」

「まことに申し訳ありません。お客様の書類ですと、タマゴの移送のみしか行えません。ですが、四日……えー、時差があるので五日ですね。五日後には全てのポケモンの移送手続きが完了します」

 カロス地方に行った時にも同じ手続きをしたから大丈夫だと思っていたのだが。ここで喚いても何かが解決する訳でも無く、バックパックと五つ分のタマゴが入ったモンスターボールを受け取る。ポケモンを持たずに出歩くのは、旅に出た日以来初めてだ。やったことはないが、全裸で歩いたならこんな気持ちになるだろう。丸腰の不安な気持ち。腰がすーすーする。まさか空港で襲われるなんてことはないだろうが、とにかく母さんと合流しなければならない。最低でも、ニャースだけは連れているはずだ。周囲のどこか浮かれたような雰囲気を余所に、待ち合わせ場所に向かって足早に歩き始めた。

 

 母さんが車を先に持ち込んでくれていたお陰で、徒歩や乗り合いバスで家を目指すなんてことにならなくて済んで助かった。

「あんた、髪切ったのね。ひどかったもんね。あの髪ね」

「……そんなに?」

 面倒だから切らずに放っておいただけなのに、ずいぶんな言われようだ。確かに相当軽くはなった。スプラッシュカール、とかいう髪型らしい。美容室で適当に決めた髪型なのだが、ひとまずは変ではない、らしい。異郷の夕日を眺めながら、母さんのどうでもいい話に相槌を打つ。それにしても、家族とこうやって下らない話に興じるのもたまには悪くないものだ。後ろのニャースも、見慣れぬ景色に夢中になっているらしい。植生もずいぶん違う。南の島というステレオタイプにぴったりの、だが、美しい景色が自動車の速度で流れていった。

 

 新居はずいぶんと小綺麗な家だった。あたし達が着いてわずか一時間後に引っ越し屋がやってきて荷物を運び込み始めるまでは。

「荷物、今日来るんだ……」

「早いほうがいいでしょ?全部やっちゃおうと思って」

 運転手の人間が一人とゴーリキーの助手が二匹、あっという間に荷物を運び込んでいく。二階のあたしの部屋にも懐かしい荷物が殺到し、カントーの香りをわずかに運んできた。自分のベッドで寝るのもずいぶんと久々だ。あたしはとりあえず、今日中に荷物を全部開けてしまおうと決意した。

 

 時差ボケを心配していたが、意外と影響はなく、朝食に久々の家庭の味を楽しんでいる最中、ドアホンが鳴った。

「ユウケ、出てちょうだい」

 ドアを開くと見知った男性が立っていた。思っていたより背が高いし、なぜか白衣を半裸の上に羽織っているがやたらと体格がいい。

「やあ、ユウケ。ネット通話以外では初めましてだね。ククイだよ。よろしく」

「はあ、どうも。ククイ博士」

 馬鹿みたいな返事をしながら、差し出された手を取って握手する。手もごつい。今まであった博士という人種と全然違う力強さに呆然としてしまったのが正直なところだ。ネット通話でもカメラはついていたので顔は見ていたのだが、こんな格闘家みたいな人だとは思っていなかった。ポケモン研究はフィールドワークも多いし、体格が良くても別におかしくも何ともないのだが。

「あら、ククイ博士!お久しぶりです!」

「ママさん、お久しぶりです。お元気そうで」

 母さんと何事か見に来たニャースに場所を譲って、あたしはご飯の続きに戻った。経験上、こうなると母さんの話は長い。ご飯を食べてお茶を淹れた辺りで話が終わるだろうと当たりをつけたあたしは、具だくさんの味噌汁と格闘を再開した。

 

 大人というのは何をそんなに話すことがあるのだろう、と不思議に思いながらお茶を飲んでいたらやっと声をかけられた。今日はまず、近くの町に住んでいるという、しまキングに挨拶に行くという話らしい。アローラ地方は王制なのかと思ったが、もちろんそんなことはなく、ジムリーダーの偉い人みたいな感じらしい。「忘れ物をしたから先に行っておいてくれ」というククイ博士の言葉に従って町を目指したが、草むらの前で立ち往生してしまった。

「タマゴ、孵ってないんだよね……参ったね、こりゃ」

 どんなポケモンがいるか知らないが、素手でポケモンと殴り合いをしたくはない。怪我で済めば上等だが、仮にガーディでもいようものなら、転居翌日に元プロトレーナー死亡、なんて記事が新聞に載りかねない。ククイ博士を待つか、ときびすを返したところで、ガサゴソガサゴソと草むらをかき分けて何かが走ってきた。飛び退いたあたしのいたところに、見慣れないポケモンが着地した。

「シャーッ!」

 茶色で体長の長い、見たことのないポケモンだ。強いて言うなら、細長いシルエットがマッスグマにちょっと似ている、か?目を逸らすと飛びかかられるので、じりじりと睨みつけながら後ずさりする。棒きれでもあれば、と思うが、何もない。諦めて大声を出して助けを呼ぼうとした時に、背中側から何かが駆けてきた。足下をするりとくぐり抜けて、三匹のポケモンがあたしと茶色いポケモンの間に割り込む。数秒間睨み合った後、数の不利を見てか茶色いポケモンは駆け去って行った。

「ユウケ!いや、急にその子達が走って行くからどうしたかと思ったよ!」

「草むらとかあるなら、先に言っておいてください」

 ジト目で見ても全く気にするそぶりがない博士に、内心溜息をつく。

「それで、この子達は博士のポケモンですか?」

「いや、君に一匹あげようと思ってね!ポケモン、連れて来られなかったんだろう?」

「もう何日かしたら来るはずなんですけどね」

 でも、ポケモンをもらえるのは嬉しい。見たことのないポケモンならなおさらだ。危ないところを助けてくれた三匹の顔を覗き込む。説明を聞くまでもなく、大体当たりがつくな。炎タイプ、水タイプ、草飛行タイプだろう。

「左からニャビー、アシマリ、モクローだ。炎タイプ、水タイプ、草・飛行タイプだ。どの子にする?」

 タマゴの中に、水タイプも草タイプもいるし、何より猫派のあたしは目が合った時からもうこの子にしようと思っていたのだ。ニャビーを抱き上げる。ふしょふしょとした手触り。にゃあ、と鳴く可愛らしい生き物。ぎゅうと抱きしめたいのを堪える。

「よろしくね、ニャビー」

 猫ポケモンをなでていると、半日くらいはあっという間に過ぎ去ってしまう。名残惜しいが、「また後でね」と声をかけてニャビーをモンスターボールに入れた。ジョウトみたいに連れ歩きが許されていれば。実際のところ、法律で連れ歩きが禁止されている地方でも、ポケモンの連れ歩きは黙認されることがほとんどなのだが、しつけのなってないポケモンが暴れる現場も見たことがあるあたしは、なるべく守るようにしている。あたし自身が法律やルールを守るのが得意かというと、怪しいところだが。ともあれ、腰のボールホルダーの最後の一個が動けるポケモンで埋まって一安心というところだ。リリィタウンまでいくつ草むらがあるかはわからないが、ポケモンさえいればきっと大丈夫だと思えた。

「いやあ、ユウケもそんな顔するんだね」

「……そんなに顔緩んでましたか」

「ポケモン好きなのはいいことだ!」

 それはそうかもしれないが、変な顔を見られてしまったのは油断したとしか言えない。気持ちが緩んでしまっているのだろうか。気を引き締めなければ。

 

 リリィタウンは思っていたよりずっと近かった。こぢんまりした町だが、生まれ故郷のマサラタウンよりはよほど大きいし、活気に満ちているのが村の入り口から見て取れる。マサラではめったに見かけない、成人したくらいとおぼしき男の子も走ってくるし――こっちに走ってきた。正確にはあたしではなくて、あたしの前にいる博士に対してだ。

「あー、博士ー!」

「よう、ハウ」

「博士ー!今日ポケモンくれるんでしょ?!」

「そうそう、水タイプのアシマリか草タイプのモクロー、どっちがいい?こっちのユウケは炎タイプのニャビーを選ん」

「モクロー!」

 食い気味に即答するハウ君という名前(多分)の男の子。目の前の他のトレーナーが選んだポケモンのタイプを気にするそぶりもなかった。どうしても戦うかは別として、相性がいいポケモンを選びそうなものだが。

「ずっと君と冒険したかったんだ!よろしくね、モクロー!」

 なるほど、前から決めてたわけか。あたしと被らなくてよかった。

「あっ、君が越してきたユウケ?俺、ハウ!よろしくね!」

「あー、ユウケです。どうもよろしく」

 アローラの人はみんなこんなにテンションが高いのだろうか?どちらかというとダウナー器質なあたしは合わせるのが大変かもしれない。

「じゃ、ユウケ!バトルしよーよ!」

 ちらりと博士の方を見る。あたしの名前は知られているし、博士はどこまであたしの経歴を話したのだろう?まあ、もらったばかりのポケモンで勝負するのに、腕もへったくれもないか。博士は何も言わずににこにこ笑っているだけだ。

「よし、では教育してやるか」

 ぼそりと呟いて、モンスターボールをホルダーから取り出し、安全装置を解除。アローラ初のバトルに、自然と笑みがこぼれるのを自覚する。

 

「ユウケ、すげー強いね!」

「ああ、大したもんだ!」

 まだろくに技も覚えてない状態でやったのだから、単純に相性の問題だと言いにくい雰囲気になってしまった。あいまいな笑みを浮かべて応えてから、埃だらけになったニャビーの毛皮を払ってやってから、ボールに戻す。

「それで、しまキングさんはどちらに?」

「あー、じいちゃん、さっき出かけちゃったよ」

 のんびりした顔つきの彼がしまキングの孫か。少なくとも引かぬ・媚びぬ・顧みぬ!みたいなタイプでは無さそうだと思って内心安堵する。強いトレーナーは変な性格の人が多いからな。もちろん、そんな思いはおくびにも出せないが。

「そうか、じゃあ出直すしかないな。でも、せっかくだし、ユウケは島の守り神にお参りしてったらどうだろう?」

「守り神、ですか」

「カプ・コケコっていうポケモンでね。リリィタウンの奥に祠がある。気まぐれな神様だから、会えるかはわからないけどね」

 神か。神のような力を持つポケモンと聞くと、俄然興味が湧いてくる。もっとも、タマゴを全部孵した上でも、今の手持ちなら遭遇したとしても何ともならないだろうが。あたしは頷いて、他の用事があるらしい二人と別れた。

 

 声をかけてくれる町の人達に挨拶しながら、祠を目指す。なるほど、一番立派な一本道を道なりに行くだけだから、誰かに道を聞く必要もないな。きっちり掃除されている山道を登り切ると、先に思っていた以上に立派な祠が見える。石造りの大きな建物で、祠というより、ちょっとした神殿というところだ。そして、その手前に女の子が立っていた。帽子から服まで白で統一された清潔な服装が目立つ。ただ、ぼんやり立っている姿は、どうも参拝者には見えない。見なかったフリをして横を通り過ぎていくのも感じが悪いので、声をかけた。

「どうかしましたか?」

 振り返る少女の顔を見て、どきりとした。プラチナブロンドの日光を弾く髪、繊細な眉、長いまつげ、水色の美しい瞳。鼻は高すぎず低すぎず、上品な唇、肌は衣服に全く劣らず、透き通るように白い。全身が輝いているように見える。美しいものを見た時に「雷に打たれたよう」という表現を陳腐だと笑っていたが、確かにそうとしか表現しようがない。心臓がばくばくして、空気が途端に薄くなった気がした。

 

「あ、あの、トレーナーさん、ですよね?」

 鈴を鳴らしたかのような美しい声に、我に返る。あたしに向けて話しているのだと認識するだけでも時間がかかる。

「あ、はい。そうですそうです。トレーナーですよ」

 馬鹿丸出しの返事、がくがくと頭を振る。

「お願いです。あの、ほしぐもちゃんを助けてください!戦える技も無いんです!」

 少女の指さす先には、ボロ橋があり、その真ん中あたりに、見たことのない青いポケモンがいる。頭上にはオニスズメが四匹。オニスズメのうち『ほしぐもちゃん』はどれでしょう。正解は飛べなさそうな青いポケモンだ。あまりに綺麗なものを見たせいか、頭がちょっとぼんやりしている。あたしは首をぶるぶると振って、現状の把握に努めようと集中した。あまり時間の余裕が無さそうなので、あたしは手頃な石を拾って、オニスズメのうち適当な一匹に向かって投げつけ、同時に叫ぶ。

「来い、コラァ!寄ってたかって楽しい喧嘩してんじゃねえ!」

 あたしは弱い相手に勝つのは好きだが、弱いもの虐めを見るのは嫌いなのだ。石が当たったオニスズメと、隣の少女がびっくりした顔でこちらを見た。あたしはモンスターボールの安全装置を解除してニャビーを出す。オニスズメは――石を食らった奴だけがこっちに来る!全部来てくれたら楽だったのだが、そう上手くは行かない。

「ニャビー!オニスズメの足止めお願い!」

 せめてもう一匹ポケモンがいれば、同じように石を投げて全部こっちに注意を向けてもいいのだが、オニスズメを仕留めるのが目的ではないし、騒いでいるうちにオニスズメやらオニドリルやらがやってきたら厄介だ。ニャビーはとりあえずオニスズメの相手をしてくれるらしい。あたしは突っ込んでくるオニスズメの横をすり抜け、ボロ橋を走る。ぎしぎしみりみりと不気味な音がするが無視。後三歩、二歩、橋の板がぎしりと音を立てて抜けた。舌打ちしながら、身を投げ出すように飛び込み、青いポケモンを体で庇う。三匹のオニスズメが背中を遠慮なく突いてくる。

「痛いな、こんちくしょう!」

 このまま突かれていても何も事態は進展しない。さっきの女の子に麓に戻ってもらって誰かを呼んできて――駄目だ、あたしはまだ生きていたとしても、この橋が落ちかねない。ポケモンを抱えて走って戻るしかない。三つ数えたら大声を上げて立ち上がって、走って戻る。

「よし、三、二」

 手元で抱きかかえていたポケモンが眩い光を発した。背中を好き放題突いていたオニスズメは弾き飛ばされたらしい。残念なことに、橋はこの光に耐えきれなかったようだが。ぶつりと断末魔を上げて橋が切れて、あたしとポケモンが放り出される。空が青い。オニスズメは諦めずにあたし達を追いかけて降下してくる。青いポケモンを抱きかかえて、下の川が深いことだけを祈って体を丸める。吐き気がする不快な落下感。

「コケェーッ!」

 聞き覚えのない、何かの鳴き声と同時に、オニスズメ三匹が黄色い何かに吹き飛ばされ、ついで肩口を強く何かに掴まれて、落下が止まった。フィルムの逆回転のように、あたしと抱えていた子が橋のたもとに放り上げられた。地面の感触がこれほどありがたいと思うのは久々だ。仰向けに寝転がったまま荒い息を鎮めながら、あたし達を助けてくれた何かがいるだろう方向を見る。そこに、トサカをもった黄色い何かがいた。おそらくポケモンなのだろう。目が合った気がした。多分、意図して助けてくれたのだろう。

「コケェーッコ!」

 もう一声鳴くと、物凄いスピードで空を飛び、そいつは姿を消した。礼を言いそびれた。とりあえず、あたしも、抱えているポケモンももぞもぞしているから生きているんだろう。安堵の溜息をつくと、背中の突かれたあたりが猛烈に痛み出した。トレーナーのもう一つの命である足は無事らしい。

「ぴゅいー!」

 抱きかかえていたポケモンが事態もどこ吹く風と嬉しげに鳴く。少女とニャビーが駆け寄ってくるのを見たのを最後に、あたしの意識は切れた。

 

 意識を失っていたのは大した時間でも無かったらしい。ニャビーのざりざりした舌が頬を舐めるのがくすぐったい。倒れ込んだまま、ニャビーを抱え上げる。

「大丈夫、ありがとうね、ニャビー」

 苦労しながら起き上がっている最中に、少女が呼んだらしい、町の大人らしき人と博士、ハウ君が来てくれた。事情の説明は大体のところ少女がしてくれていたらしい。ずいぶん恰幅がいい、黄色いアロハを羽織ったおじいさんが声をかけてくる。

「大丈夫ですかな?頭を打ったりは?」

「頭は平気ですけど、背中の方が……あー、その」

 肌を見られるのはちょっとな、というのを察してくれたのか、少女が背中の傷を見てくれる。

「血が出てますし、お医者さんに見てもらった方が」

 感覚的には筋も骨もやってないし病院は好きではないが、素人判断は危ないか。とりあえずで傷口をハンカチで塞ごうとする少女を制止する。

「血が出てるんでしょ?汚れるよ」

「でも、ほしぐもちゃんのためにしてくれたことですから」

 立ち上がろうとするあたしを制して、ククイ博士がお姫様抱っこの要領で抱え上げた。

「じゃあ、町の病院まで連れていくよ」

 まるで重傷の怪我人だ。大げささに顔が赤くなるが、好意には素直に甘えることにした。背中の傷より、橋から落ちた恐怖で腰が抜けかけているので歩けそうにないというのもあるが。

 

 道すがら、自己紹介をすることにした。博士に抱え上げられたままという間抜け極まりない姿勢だが、まるで瀕死の怪我人か死人を運ぶ葬儀のような雰囲気に当事者としては耐えられなかったのだ。

「昨日越してきたユウケです」

「そうでした。わたし、リーリエと申します。ユウケさんのことは、博士から聞いてます。さっきは本当にありがとうございました」

「ハラです。しまキングをさせてもらっております。勇敢な行い、立派でしたな。それと、黄色いポケモンに助けられたとか」

「ついてるな、ユウケ。それが守り神のカプ・コケコだ」

 川に転落死しなくて済んだという意味では、まさにそうだ。別に誰かのせいという訳でも無いし嫌味にしか聞こえないので、口には出さないが。カプ・コケコに内心で感謝しておいて、今度お供え物でも持って行くことにしよう。

 

 しまキングは守り神に任命されるが、カプ・コケコを見かけることは滅多にないらしい。気まぐれで好奇心が強く、しかも好戦的な神だという話と、神話をいくつか聞いている間に町医者に着いた。同性のリーリエと医者を除いて、カーテンの向こうに追い払われる男性陣。ここでも町医者はジョーイさんの一族だった。

「ジョーイさんの一族って、人間の医者もしてるんですね」

「昔はポケモンの医者も兼ねてたんだけど、近所にポケモンセンターができたから、人間専門になったの」

 呑気な会話に焦れたのか、リーリエが「それで、先生、どうなんですか」と尋ねている。もうすぐ死にそうな口調に笑いそうになってしまう。心配されている当事者が笑ってはいけないと思い、何とか笑いを噛み殺す。

「そうね、消毒もしたし、大丈夫でしょう。塗り薬と抗生物質も出しておくわ。力仕事とか、運動は今日は控えて。お風呂は入っていいけど、上がったらすぐ薬を塗るように。もし明後日以降にまだ痛むなら、もう一度来てちょうだい。ただ……」

「ただ?」

 聞いたのはあたしではなくてリーリエだ。

「傷跡は残るかもしれないわね」

 この世の終わりみたいな顔をするリーリエの肩をぽんぽんと叩く。どちらが怪我人か判らない。

「大丈夫大丈夫。旅で怪我は慣れてるし、他にも傷跡あるから。旅するトレーナーの勲章みたいなもんだし」

「で、でも、わたしの」

「わかった。じゃあこうしよう。今度、あたしのお願いを何かひとつ聞いて。それでチャラね」

 悪戯っぽい笑みを浮かべてみせると、やっと納得したのか、涙目の彼女は小さく頷いた。やれやれ、どっちが慰められているのやら。それと、あたしの名誉のために言っておきたいが、下心はない。いや、この時はなかった。

 

「どうだった?」

「全治二日ってところですね。入院も必要なさそうです」

 おどけて言うと、場がようやく和やかになった。

「ところで、ユウケ。鞄の中に、何か光るものが入ってませんかな?」

 特に入れた覚えがない。

「あの、さっき、カプ・コケコさんが。声をかけて鞄に入れたんですけど」

「ぼんやりしてて聞いてなかったのかな……。ごめんごめん」

 鞄をごそごそと探ると、確かに何か光っているものがある。石か。光る石というと、進化の石の類かとも思ったが、見たことのないものだ。

「ユウケくん、その石を貸してくれませんかな?何、明日には返します」

 どうぞどうぞ、と石をハラさんに手渡す。神様にもらったとはいえ、どうせ何だかわからない石だ。そのまま神棚に飾ったら怒られるか。明日もリリィタウンに来るのはいいとして、駄目だ、緊張の糸が切れた。あくびを噛み殺す。

「ずいぶん眠そうだね。送ってくよ」

 さすがにお姫様抱っこは遠慮するとしても、もう暗いのでお言葉には甘えることにした。

 帰った後、母さんに「また怪我をして帰ってきたのか」と延々お説教されたのがその日一番堪えた。

 

 家庭の味の朝ご飯にチャイム。既視感のある光景だ。ドアに向かうまでもなく、がちゃりとドアが開いた。

「おはよう、ユウケ、ママさん」

「あら、ククイ博士。おはようございます」

「おはようございます」

 鍵をかける家も滅多にないし、ククイ博士のキャラクタならまあ勝手に入ってくるだろうなという説得力から、あたしはご飯を優先することにした。当然のように椅子に座るククイ博士と、お茶を淹れる母さん。ツッコミ不在って悲しい。

「いや、昨日渡すつもりだったんだけど、色々あって渡しそびれてたからね」

「ポケモン図鑑ですか。それと……トレーナーパス。ああ、そういえば、ありましたね。トレーナーパス。ありがとうございます」

 どちらもあまりに見慣れていて、空気のようなものだったから意外感がない。反応の薄さに博士は若干がっかりしたようだ。

「他の地方のトレーナーパスだと単なる身分証にしかならないからね。図鑑もアローラ地方に対応しているタイプは珍しいしね」

 まあ、そうかもしれない。アローラは遠い。カロスも遠いが、あそこはまだ陸続きで他の地方にも行ける。アローラは海で隔てられているからな。

「それにしても、トレーナーパスは役所の書類だからわかるとして、何でポケモン図鑑って共通じゃないんでしょうね?今までのがそのまま使えてもいいのに」

「製造元が違うからじゃない?」

「多分そうだろうな」

「えっ、製造元違うの?!……です?」

「ポケモン関係の道具って、地元の企業が作ってることが多いから。ほら、シルフカンパニーの道具なんて、カントーとジョウト以外で見なかったでしょ?」

 母さんに言われた今の今まで、そんなこと気にしたことなかった。

「モンスターボールとかも仕様が微妙に違うからね。根っこの部分の仕様は同じらしいけど」

「へえー……」

 ボールホルダーのニャビーの入っているボールと、それ以外のタマゴが入っているボールを見る。色も形も一緒のようだが、製造元を見たら違うんだろうな。

 

 母さんと博士の雑談を聞き流しながらご飯を食べ終え、片付けている最中に博士から声がかかった。

「ユウケ、今日もリリィタウンに来てほしいんだ」

「昨日ハラさんと言ってましたしね。わかりました」

「僕は先に行ってるからね。モンスターボールときずぐすりを置いていくから、活用してほしい。道はわかるね?」

 方向音痴ではない方だと思う。あたしはボールときずぐすりの礼を言いつつ頷いた。ニャースを撫でてから出て行く博士を見送り、あたしも出発の準備をする。

「今日は怪我しないように帰ってきなさいよ」

「わかってるよ」

 あたしだって別に痛いのが好きなわけじゃない。昨日はリーリエの美しさというか、そういうものに当てられたんだと思いたい。

今のあたしは、彼女に向ける気持ちが何なのか、わかっていなかった。




頂いた挿絵を紹介させて頂きます。(第二話以降分)

虹色わんこさんに主人公ユウケの絵を描いて頂きました。

【挿絵表示】

虹色わんこさんのサイト・twitterはこちら。
http://iridescentdog.seesaa.net/
https://twitter.com/iridescent_dog

キヅキアヤサトさんにユウケを描いて頂きました。『祈る』勝利を。

【挿絵表示】

キヅキアヤサトさんのサイト・twitterはこちらです。
https://www.pixiv.net/member.php?id=2760072
https://twitter.com/sato_Ayasato

たまゆらさんにユウケを描いて頂きました。SDデフォルメです。

【挿絵表示】

https://twitter.com/tmyr_0206

だすぶらさんにユウケを描いて頂きました。手持ちポケモンのうち三匹(ヘラクロス・マダツボミ・ニャビー)とです。

【挿絵表示】

https://twitter.com/DusBla
https://www.pixiv.net/member.php?id=19071706

島根の野良犬さんにユウケとリーリエを描いて頂きました。第十七話終盤のシーンです。

【挿絵表示】


【挿絵表示】

https://twitter.com/_pyedog
https://www.pixiv.net/member.php?id=1451080
令嬢の雰囲気を優先して長髪白帽子の姿で描いて下さりました。

キヅキアヤサトさんにユウケを描いて頂きました。

【挿絵表示】

https://www.pixiv.net/member.php?id=2760072
https://twitter.com/sato_Ayasato

クリムゾン(キャット)さんにユウケとニャビーを描いて頂きました。

【挿絵表示】

https://fantia.jp/fanclubs/3492
https://www.pixiv.net/member.php?id=580581
https://twitter.com/yaogami_cat

ホウ酸さんにユウケとリーリエを描いて頂きました。本屋での一幕です。

【挿絵表示】

https://twitter.com/housandang

AC/DC - "Highway to Hell" (Official Video)
https://www.youtube.com/watch?v=l482T0yNkeo


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、学校へ行く

 今日もいい天気だ。今日こそタマゴを孵化させるという決意で歩き回りながら、道中でバトルを挑んでくるトレーナーを軽く撫でてやる。ポケモンを育て始めたばかりです、というのを顔に出すのはよしたほうがいいなと、死屍累々の道路を振り返りつつ考える。

 

 道すがら、見覚えのないポケモン、見覚えのあるポケモンを片端から捕まえる。キャタピーなんてげっぷが出るほど見ているし捕まえているはずなのに、新しい図鑑を持って捕まえると何だか気分がいい。リリィタウン手前の草むらでポケモンを追いかけ回しているうちに、見知った町の入り口に出た。時間の指定はされていなかったが、あまり待たせてもまずいだろう。町の手前で、あたしはピタリと足を止めた。妙な二人組が道ばたにいるからだ。コスプレだろうか、昔々の映画で見たことがある服装に似ている。そうだ、『ロボコップ』だ。あれがアローラ地方の伝統的な服装だったりしたら何かに詫びないといけない。声を聞くかぎり男性と少女らしい。盗み聞きは趣味が悪いと自覚しつつも、こっそり近付く。

 よくはわからないが、光が眩しいだのオーラがどうだの言っているのだけは聞き取れた。やっぱりコスプレイヤーなのだろうか?アローラは観光地としても有名だから、個別撮影とかいうやつなのかもしれない。肌が妙に白く見えたが、そういう化粧か何かかもしれないし、今は考えても特に意味はないだろう。とりあえずは深く考えないことにした。博士を探すとしよう。探しようがなくなるので、どこかの家に上がり込んでたりしなければいいのだが。

 

 心配しなくても、博士はすぐに見付かった。村の中央にある大きな土俵のそばだ。ハラさんとハウ君、リーリエもいる。

「ユウケー、こっちこっちー!」

 飛び跳ねながら手を振るハウ君。忙しいな。苦笑いして、小さく手を振る。

「主役の登場だね。それじゃあ、ハラさん」

「そうですな。それでは、これより、守り神に捧げる奉納ポケモンバトルを行う!」

 好々爺という言葉がぴったりだった第一印象と違い、威厳溢れる姿だ。しまキングの威厳ということだろう。素直に感心する。

「対戦者!かたや、カントー地方よりアローラに移住してきたトレーナー、ユウケ!」

 へえ、あたし以外にもカントーから越してきた人がいるんだ。そんな訳がない。聞いてない。キッとククイ博士を睨みつける。にこやかな笑顔。何が問題なのかもわかってない顔だ。先に言って欲しかった。

「かたや、しまキングの孫、ハウ!」

 少々驚いたが、ポケモンバトルが嫌いな訳がないので、構わないといえば全く構わないのだ。観客も、町の人が総出なのかというくらいいるが、この間の手酷い負け試合に比べたら全然少ない。緊張する要素は一つもない。

「今度は負けないからねー!」

 先に土俵に上がったハウ君が笑顔で手を振る。どうも毒気が削がれる。手招きでもして挑発しようかという気持ちも萎えてしまった。小さく笑って、あたしも土俵に上がる。

「それでは、奉納バトル、始め!」

 あたしとハウ君は同時にボールを投げた。

 

 昨日から手持ちポケモンが増えていたことと、それをちゃんと使いこなしていたことに若干驚いたものの、試合自体は終始あたしの優勢で、終わってみればニャビー一匹での勝ちだった。トレーナー歴二日の相手に負けたらさすがに山ごもりでもしないといけないところだった。

「ユウケ、やっぱり強いなー!次は負けないからね!」

「どうかな、あたしもうかうかしないようにするよ」

 がっちりと握手を交わす。ポケモンバトルで楽しいと思ったのは、そういえば久し振りだったな、なんて思った。リーグ戦では苦しい戦いだらけで、随分と心をすり減らした気がする。遠くから、カプ・コケコの鳴き声が聞こえ、町の人々が小さく好意的にどよめく。

「カプ・コケコも満足の素晴らしい試合だったということですな!ユウケくん、ハウ」

 そうだった。これは儀式だった。ハラさんに二人で礼をして土俵を降りる。和やかな雰囲気で、危うく忘れそうなところだった。終わってから、一つあたしがルール違反をしている事を思い出したが、誰も何も言わなかったし、あたしも忘れてたので、なかったことにしよう。まあ、大したことじゃない。

「それでは、新たにアローラに来た成人であるユウケくんと、今年十一歳の成人を迎えるハウに、島巡りの証を授けます」

 島巡り、って何だ。朝、全然関係無い雑談だけで終わらせたククイ博士を再度睨む。博士、OKサインじゃない。何がOKなのか一切わからない。

「それと、昨日預かった石を、Zリングにしたのでお返ししますな」

「ありがとうございます。島巡りとZリングって何ですか?」

 説明してなかったんかい、という表情が一瞬ハラさんの顔を過ぎったのをあたしは見逃さなかった。Zリングは現物が今出てきたからまあ良いとしても、そう思うよね、と妙な連帯感を覚える。

「島巡りとは、アローラ地方で伝統的に行われている儀式ですな。四つの島を巡り、キャプテンとしまキングの試練をこなすことで、成人として認められるというものですな」

 どこかの地域で行われているらしい、槍でカエンジシを倒す儀式みたいなものか。なるほど。トレーナーとして人並にはやってきたつもりだが、生身だとバットででかいラッタを追い払ったのが多分最大の実績のあたしは途端に不安になってきた。アローラのカエンジシは槍で倒せるのだろうか。そんな疑問を一切無視してハラさんは続ける。

「Zリングというのは、トレーナーの気力と体力をポケモンに与えて、ポケモンの覚えている技を、特別なZ技というものに変えて打つ技ですな」

「このリングがあれば使えるんですか?」

「これとは別に、技のタイプに一致したZクリスタルというものが必要ですぞ」

「なるほど、別売り……」

「売っているわけでは無く、試練をこなすことで手に入れるんですがな」

 豪快に笑うハラさん。今すぐ使えないというのは残念だが、島巡りをこなすことで同時にZクリスタルが集まっていって、出来る事が増えるというしくみか。そういえば、Z技という名前自体はリーグ戦のルール協議会の議事録で読んだ気がする。地域ローカルのものだから見送られたとかで、あたしも実物を見たことはない。

「さて、こんなところですかな?」

「はい、ありがとうございました。早速ですが、試練に挑戦したいんですけど、キャプテンというのはどこにいるんですか?」

「ハウオリシティだよ!ユウケがもう行くなら、俺も行こうかなー!」

「それじゃ、わたしも着いていっていいですか。ハウオリシティでお買い物もしたいですし」

 引っ越し初日に、車で通ったな。あの街か。あんな大きな街で人を探せるのだろうか。ジム的なものがあるのだろうか。行ってみればわかるか。

「じゃ、そうしよう。歩いて行ってもすぐだし、試練の内容だけ聞いて時間がかかりそうなら日を改めてもいいわけだしね」

 ジムからジムへ渡り歩くのではない旅というのは新鮮だ。新しいことをするのは、何かをやり直すことに繋がるかもしれない。何を、何が、かまではわからないけれども。

「ちょっと待った、ユウケ。実は僕から渡したいものがあるんだ。準備が終わってないから明日うちに来てほしい。ハウオリ行きはその後にしてほしいんだ」

 ククイ博士、微妙にタイミングが悪い人なのかもしれない。意外なところで水を差されてしまった。

「はあ。まあ、いいですけど」

「旅立ちの前に、ママさんやニャースと食卓を囲むのも悪くないだろう?」

 旅が日常になっている感覚から見ると、実家にいる時間というのはむしろ特殊なもので、わざわざ区切りを付けるという考えがなかった。それも悪くはないか。

「じゃあ、ハウ君、リーリエ。悪いけどそういうことらしいから」

「そっかー。じゃあマラサダは明日だね!」

「わかりました。それでは、ユウケさん、ハウさん、また明日」

「明日、ハウもうちに来てくれたらいいからね。面白いものを見せるよ!」

「じゃあ、ユウケの家に行ってからにしようかなー。家行ったこと無いし」

「別に何もないけど、それでいいなら歓迎するよ。母さんもきっと喜ぶしね」

 マラサダとは何だろう。試練に関係があるのだろうか。アローラの古語か俗語で槍とか銃とか弓とかそういうものなのだろうか。試練に対する好奇心と不安を抱えながら、あたし達はそれぞれ家路についた。

 

 夕飯は母さんの料理に加えて宅配のピザだった。ピザはなぜかアローラっぽい気がする。ピザとコーラ、かき氷。母さん曰く「引っ越しの荷物を片付けるのに忙しかったから」らしい。自分の部屋以外の片付けを全然手伝わずに出歩いているあたしがどうこういう資格も意思もないが、朝出かけた時とあんまり変わってない気がする。

「それで、明日からまた旅に出るってこと?」

「島巡りの試練っていうのがどこでやるかにもよるけどね」

「メレメレ島の中なら、帰って来れそうよねえ。帰ってきてご飯食べるなら先に電話入れなさいよ」

「わかった」

 母さんとニャースの顔もしばらく見納めか。ポケモンセンターから電話すればいつでも顔は見られるから、あんまりこうやってしみじみした記憶がない。

 

 奉納試合の翌日、家庭の味の朝ご飯にチャイム。既視感のある光景だ。

「ククイ博士なら勝手に入ってくるんじゃない?ユウケ、出てちょうだい」

 好物のうの花に未練を残しつつも、素直に玄関のドアを開ける。

「あ、ユウケさん。おはようございます。お怪我の具合は大丈夫ですか?」

 リーリエだった。朝日が眩しいのか、彼女が眩しいのか、あたしの目には良く判らない。思わず目をすぼめてしまう。

「ユウケさん?」

「あ、ああ、ごめんごめん。全然大丈夫。元気一杯。めっちゃ元気」

「あらあら、可愛らしいお友達!」

「あ、お母さま、初めまして。リーリエと申します」

 またこうなると長い。あたしはリーリエに小さくごめんねのポーズをしてから食卓に戻る。質問攻めで困るリーリエを眺めながら食べる朝食は美味しい。質問攻めにされてたじたじになっているリーリエを見ながらご飯の後片付けをして、母さんとリーリエ、あたしの分のお茶を淹れて、ニャースの皿に水を足してやっている最中に呼び鈴がまた鳴った。

「おはよー!潮風に誘われて、遊びに来たよー!」

「あらあら、いらっしゃい」

「あっ、ユウケのママさん?ハウです。よろしくお願いします!」

「あらあら、ユウケがお世話になって」

「あっ、カントーのニャース!こばんぴかぴかだー!」

「ンニャーオ!」

 まだかかりそうだ。ハウ君の分のお茶を淹れながらあたしは全員にお茶淹れたよ、と告げて腰掛けた。

 

 お茶を飲み終えてようやく腰を上げ、母さんから解放された二人と海に向かってのんびりと歩いている間、ぼんやりとした思考を捏ねる。ここ数日、人と話す機会は増えたのに、時間はゆったりと流れている気がする。これではいけないと焦燥感もあるが、何がいけないのかわからないという気持ちもある。慌てたところで、これから先に何があるというのだ。

「はい、ここが博士のお家、兼、研究所です」

「何とも……趣のある研究所だね」

 屋根が抜けたり壁が破れた跡を適当に板張りして隠してある。海際の家は傷みやすいとはいえ、限度があるだろう。おまけに、中からは何かを叩き付けるような音が聞こえてくる。

「いいぞ、イワンコ!もっとだ!僕の体はそんなにやわじゃないぜ!」

「ワォン!」

「ククイ博士は、ポケモンの技の研究家なんです。自分で技を試すから……白衣も、すぐ傷むんですよ。わたし、お裁縫するんですけど、得意じゃなくて」

「すごいよねー!」

 あの体格の良さはそういう理由もあったのか。あたしなら骨を何本折るか考えたくもなかった。島巡りというのは、やっぱり生身が必要なのだろうか?暗澹とした思いで立ちすくむあたしを引っ張りながら、二人と引きずられたあたしは当然のように鍵がかかってない研究所の扉をくぐった。

 

 犬ポケモンが博士に執拗に体当たりをしている。あれがイワンコだろう。ククイ博士の体の頑健さに改めて驚く。オニスズメにつつかれたくらいではびくともしないのだろうな、多分。

「やあ、ユウケ、ハウ!来てくれたんだな!リーリエもお帰り」

「はい、戻りました」

「「どうも」!」

 ぐるりと研究所を見回す。屋根と壁以外は意外とまともだ。ラブカスが泳ぐ大水槽、水族館好きとしては心が惹かれる。水槽内のラブカスはもちろん、近くに座っているブルーとニョロゾもまったく動じる気配がない。リーリエの鞄から飛び出してきたほしぐも――ちゃんも気にしてない様子だし、普段から慣れっこなのだろう。助手としてのこの子達がどんな技を博士にかけるかは知らないし、想像したくもないが。アローラ地方の人間は普通より丈夫なのかもしれない、という下らない想像を振り払い、あたしは博士に尋ねた。

「博士から、何かあたしにあると聞きましたけど」

「おお、そうなんだよ。ポケモン図鑑を貸してくれるかな?」

「はい」

 ポケットから図鑑を取り出して博士に手渡す。何か作業をしながら、博士はあたしにちらりと目をやった。

「すごい大荷物だね。何が入ってるんだい?」

「あ、それ俺も聞きたかった」

「わたしもです」

「何って、普通の旅用の荷物ですけど。ポケモン用の餌と私の食事と水分、テント、寝袋、着替えが三日分に雨具、後は常備薬とか、予備のお金とか……」

「歩いていける範囲でポケモンセンターがあって、泊まるのはもちろん、食事もカフェが併設されてるから大丈夫だよ」

 島巡りが一般的な成人の風習になってるなら、それはそうか。ポケモンがいなければ旅もできないし、そうなるとポケモンセンターも、希望的に考えれば街道もあるはず。道理でハウ君もリーリエも荷物が少ないわけだ。

「ポニ島だけは必要かもしれないけどね。最後に行く島だから、今からそんなに持って行かなくても大丈夫だと思うぜ」

「うーん……まあ、折角ですけど、普段からこれくらいは抱えて歩いてますし、途中で荷物が要らなさそうなら不要な分だけ送り返します」

「体験しないと納得しないタイプなんだな、ユウケは。っと、よし、できた。さあ、みんな注目してくれ!」

 博士の手元の図鑑を全員が注視する。背中に何か部品がついただけのように見える。博士が手を伸ばし、机に置いてあったモンスターボールを博士が開けると、何か光るものが図鑑の中に吸い込まれた。

「……ケテ?」

「今のは?」

 鳴き声には聞き覚えがある。この間までリーグ戦の手持ちに入れていたからだ。

「ロトム?」

「正解だ!これで、この図鑑はロトム図鑑になったわけだな!」

「ケテ!マイクのテスト中だロト」

「「「喋った!」」」

「これからよろしくロト、ユウケ!」

 ひょい、と飛び上がったロトムを手に取る。握手のつもりか、触れている翼が上下するので、あたしも軽く握って振り返す。

「う、うん。よろしくね、ロトム」

 ポケモンが喋るというのは驚天動地の出来事なのだが、他の二人は少ししか驚かなかったらしい。ポケモン図鑑の発声能力を使って翻訳しているだけといえば、そもそも人語を理解するポケモンが喋っても驚くには値しないのかも知れないが。

「まだ部品が届いてないから、先にユウケから渡すことにさせてもらうよ。年齢順ってことでね。ハウ、届いたら送るからね」

「ありがとー博士。楽しみー!」

「年齢順?ユウケさん、島巡りをされるから、同い年だとばかり……」

「あたし、今年で十三になるよ」

「へー、そうなんだ。俺より二コ上なんだー。って、ええっ?!」

 驚くところかな。いや、ククイ博士のことだから、下手すると引越先と名前と顔写真以外一切伝えてなかったんじゃないだろうか。

「えー、じゃあさん付けで呼んだ方がいいのかなー?」

「いいよ、今更だし。さん付けもなし、ため口でいいから。調子が狂いそうだし」

「そう?よかったー」

 年齢が上だから下だから、というのはあんまり好きじゃない。年齢より勝ち負けで敬われたり、その逆の業界でやって来たからだろう。揉めたくはないので、最低限の礼儀には気を付けているつもりだ。人当たりがきついらしいというのは、気にはしている。

「それと、ユウケとハウの二人にもう一つ、プレゼントだ」

 青いヘッドギアみたいな機械。これは見覚えがある。細部は違うが。

「がくしゅうそうちですか。ありがとうございます」

「そう、がくしゅうそうちだ。それがあれば、戦闘に出してないポケモンも育つ!」

 興味津々でいじり回すハウ君。スイッチ以外は触っても意味がないのだが、何となく意味深な形状をしているので、気持ちはわかる。多分、昔はポケモン一匹に被せて使える道具だったとかなのではないだろうか。

「それじゃ、気をつけて、島巡り頑張ってほしい。と、言いたいところだが」

 沈黙して博士の言葉を待つ。

「ユウケとハウは、トレーナーズスクールでまずはポケモン基本を学んでほしいんだ」

「おー!」

「いや、あたしは別にいいですけど」

「じゃあ、ユウケは生徒四人とのトレーナーとバトルでどうだい?バトルならしたいよな?」

「はい」

 バトルが嫌いなトレーナーはあまりいないだろう。ポケモン好きでバトル嫌いなら、大体はトレーナー以外の進路を目指すというのもあるが、トレーナーの目の前にバトルという餌をぶら下げられたら、嫌というはずがない。

「えー、俺もバトルしたいなー」

「ハウはちゃんと講座聞いておかないと、後で困るからね」

「ちぇー」

「それでは、わたしもユウケさんの方の見学に行っていいですか?」

「構わないよ。ニャビー以外のポケモンを見せることになるかは、相手次第だけどね」

 

 学生相手に元プロが本気を出すのは大人げないという人はいるだろうか。いや、あたしは接待バトルはしないし、相手を侮って手を抜いたりはしなかった。四人目の対戦相手、ホープだという――名前は忘れたが――彼は涙目になっていた。四戦とも、アローラ地方のニャースとベトベターを初めて見て驚いた以外は、特に問題のない勝負運びだった。

「積み技を使う時は、タイミングを考えないとね」

「く、まさか成績優秀者の僕が手も足も出ないなんて……」

 もっとポケモンを捕まえておいた方がいいよ、とおざなりなアドバイスを送ってから、あたしは戦利品の技マシンを受け取る。ふるいたてる、か。両刀ポケモンでもあまり使わない技だというか、昔々、ギルガルドとかいう忌々しい奴を安定して仕留めたくて両刀バシャーモを育てた時に検討した以来見る。白状すると使ったことのない技だ。コスモパワーなら耐久型とアシストパワーで使い勝手が良さそうな気もするが、ただでくれるものに余計なことは言わないでおこう。

「ユウケさんもニャビーさんもすごかったです」

「いや、まあ相手も一匹しかポケモン出してこなかったしね」

 たわいないおしゃべりを、アナウンスが遮った。

『ユウケさん、ユウケさん、トレーナーズスクールの二階までお越しください』

「何か、呼び出されることでもしたんですか?」

「いや、反則とかは……多分、してないよ」

 ジト目でリーリエに睨みつけられる。ジト目も絵になるな、この子は。

「ま、何だかわからないけど行ってくる」

 やましいこともないのに、どうもああいう目で見られるとどぎまぎしてしまう。ひらひらと手を振って、あたしは足早に校舎の二階に向かった。

 

 ククイ博士と、ここの教師らしい女性が、あたしに向けて手を振っている。一応後ろを見て、あたし以外の誰かに手を振ってないか確認してから、小さく頭を下げた。

「いや、さすがだね、ユウケ!」

「本当に鮮やかな試合でした。試合も見てましたし、ククイ博士からあなたのもらったポケモンも聞いています。なので、あなたの苦手なタイプのポケモンで勝負させてくださいね」

「わかりました。じゃあ、始めましょう」

 あたしと先生が、同時にボールに手をかけた。

 

 確かにあたしはアローラに来てから、ニャビーでしか戦って来なかった。しかし、ニャビーしか持ってないし育ててないとは誰にも言ってない。

「草タイプのポケモン持ってたなんて……」

「最初に『苦手なタイプを使う』って宣言されたら、そりゃあ違うタイプのポケモンを出しますよ」

 小さく苦笑いしてしまう。炎に有利なポケモンとなれば、水か岩、地面、さもなくば竜だと大体当たりがつく。炎に有利という言葉からそう思わせてもらいび持ちのポケモンも想定したが、それならそれで別のタイプのポケモンを出せばいいまでのことだ。

「しかし、何でマダツボミなんだい?」

「草と毒のタイプが欲しくて。フシギダネはもう四匹は育てましたから、そろそろ違う子が良いかなって。ナゾノクサとどっちがいいかは悩んだんですけどね。それに、こいつは隠し球も仕込んでますし、ね」

「へえ、それは楽しみだ」

 アローラ地方のガイドブックを調べて仕込んでおいた隠し球をいつ見せることになるか、そもそも使うかどうか、自分自身でもわからないが、上手く行けばきっと面白いはずだ。

 

 校庭に戻ると、座学から解放されたらしいハウ君とリーリエが喋っていた。

「大丈夫でしたか?」

「ユウケ、勝った相手にめちゃくちゃ言って怒らせたのかなーって言ってたんだよ」

「あたしってそんな口悪そうかな?」

 全員無言で大きく頷かれた。

「目付きがちょっと怖いです」

「技で例えるならへびにらみってところかな」

「何か怒ってそうだよねー」

 一部冗談なのはわかるし、目付きが悪いのは自覚していたが、そうか。こういう総ツッコミを受けた時にどういう顔をしたらいいかわからないの、という奴だな。今晩からもっと笑顔の練習でもした方がいいのかもしれない。

「ま、それはさておき。これでもう、今度こそ島巡りを始めても大丈夫ですよね?」

「そーそー、授業眠くてさー、起きてるの大変だったんだからねー」

「ああ、もう文句なしさ!今度こそ行っておいで!」

 博士と何やかやで見送りに来てくれたトレーナーズスクールの学生達に手を振り、あたし達の旅は始まったのだった。

 

 始まった途端躓くなんてことはよくあることだ。特にあたしの人生においては。具体的な蹉跌としては、野良だか逃げ出したのだかわからないケンタロスがハウオリシティへの進路を塞いでいたのだ。それなりに角に傷がついているから、若くて弱いポケモンだということは期待できなさそうだ。あたし達のポケモンで何とかなるかわからない。

「こりゃまた何とも、蹉跌の原因としては大きいし元気一杯だね」

「さてつって何ー?」

「つまづくこと、ですね」

 三人の先頭に立つ。格闘タイプのポケモンもいるが、まだ大して経験も積んでない子に、一撃当てられるだろうか?一撃当てれば引っ繰り返せると思いたいが。ケンタロスの目をじっと見つめる。ガンつけ勝負で人間に負けたなんて話を聞いたことのないポケモンだが、こけおどしで何とかならないだろうか。

 不毛で不利なにらみ合いは、後ろから掛かった声で中断された。

「おお、ケンタロス。ここにいたのですな!」

 狭い島だ。ハラさんのポケモンでもあまり驚かないが、この人は何タイプのエキスパートなのだろう。ケンタロス一匹をもって判断するのは危険だが、ノーマルタイプか。ノーマルタイプのジムリーダーは過去に戦ったことがあるが――まるくなるところがるのあのミルタンクを思い出して、少し気分が悪くなった。神様、あのときはよくもあたしのポケモンの技を外してくれたな。

「あれ、ユウケ、顔色悪くない?大丈夫ー?」

「はっは、ケンタロスに驚きましたかな。これは失礼」

 ぼんやりしてるところがあるようなハウ君も、結構人を見る目はあるらしい。これは過去のトラウマで、別にケンタロス自体は何てことはない。飼い主が現れてやや大人しくなったケンタロスと再度目を合わせる。

「ブモォ!」

「おや、ユウケに触ってほしいようですな。触ってやってくれますかな?」

 ケンタロス。こいつにはカントーのサファリパークで苦汁を嘗めさせられた記憶しかない。手持ちに入れたこともなかった。当然、触るのも初めてだ。おずおずとたてがみを撫でてやる。

「ブモオオ!」

「おお、喜んでおるようですな。ユウケくん、ありがとう!」

 いえいえ、と小さく首を横に振って、謎の歌を口ずさみながら去って行くハラさんとケンタロスを見送る。

「ユウケさん、ポケモンには好かれるほうなのでしょうか?」

「どっちかというと怖がられるかな」

 自慢ではないが、人様のポケモンに好かれたことはあまりない。胸を張っても仕方ないところだが。

「アローラのポケモンならなついてくれるかもしれないよー?」

 うん、きっとこれは根拠がないな。段々ハウ君がわかってきた気がする。まだアローラのテンションに馴染むまでは時間がかかるだろうが、多分、この二人とは上手くやっていける気がする。これも、何の根拠もないのだが。




カントー地方の東端からジョウト地方の西端まで徒歩が基本のポケモン世界でどれくらい掛かるのか、Googleマップで銚子から南港までと入力してみたところ、不眠不休で歩いて123時間かかるそうです。
なので、5つの地方を歩き回ってポケモンを育てたりジムやリーグに挑んだりするのも、1年ちょっとあれば何とかなると思います。多分。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、最初の試練に挑む

 人、人、人。行き交う観光客らしき人種も性別も年齢も様々な人々。団体客、個人客、バックパッカー、地元民。水着姿の老若男女。店の呼び声と、波の打ち寄せる音、歓声。ハウオリシティは、あたしの中の俗っぽいアローラ地方のイメージそのものだった。「マサラは真っ白、限界集落の白」と揶揄された地域の出身者には眩しい。人酔いするほどではないが、ふらふらといいにおいに引き寄せられてはぐれそうだ。

「ユウケー!こっちこっちー!」

 公設観光案内所、と大書された建物の前で、ハウ君とリーリエが呼んでいる。危うくモモンの実のシャーベットなんて買ってしまうところだった。

「観光じゃあないけど……ああ」

 入り口にでかでかと『ロトム図鑑の新パーツ、無料で差し上げます!』と書いてある。タダほど高いものはないというが、公営施設なら大丈夫だろう。多分。トレーナーの報酬を把握して課税してくるマルウェアなんかが入ってなければだが。

「いや、ちゃんと税申告はしてるからいいんだけど」

「税、ですか?」

「いや、独り言。ごめんごめん」

 温順なホウエンよりもさらに暑いからか、穏やかな雰囲気にあてられてしまっているのか、どうも口が軽くなってしまっていけない。

 観光案内所の中は冷房が効いて快適だった。よくある顔はめパネルもある。新パーツをロトム図鑑に付けてもらっている間に、隣の抽選所でがらがらを回した。当然、ハズレだ。三人とも外れたから、こんなものなのだろう。新しいパーツを受け取ると、係員さんが説明をしてくれた。要は、カメラらしい。見たことのないポケモンに遭遇した時には当然最初にポケモン図鑑を向けるから、スマフォのカメラよりポケモンが撮りやすいという話だ。無料なのも、元々は図鑑の費用に入っているかららしい。カメラパーツはスマフォやタブレットの売れ残りから転用されるから後付けになったのだとか。

「でもあたし、スマフォのカメラも使った記憶があんまないね……」

「ぽけったーとか、ががんぽんとか、いんすたやってないのー?」

「書くことないし」

「わたしも、そういうSNSですか。やったことないですね」

「せっかく旅するんだから、日記みたいにつけてみたらいいんじゃない?」

 一人で旅するトレーナーの日記なんて誰が読むんだ、と口にしかけたが、今回は一人ではないんだな。珍しく賑やかだと思った。

「っていうか、それだとボクのカメラの意味ないロト!」

 ロトム図鑑がぴょい、と飛び出し、ぱしゃっと気の抜けた音を発してからまたポケットに戻った。

「何でしょう、今の?」

「なんだろねー?」

 ああ、うん。使おうと思って覚えさせたけど、結局使わない技のような悲哀のかけらかもしれない。ずぼらせずに、気が向いたら写真撮ってやるか。

 

「あっ、俺ー、マラサダ食べたくなったー!ちょっと行ってくるねー!」

 言うなり駆け出すハウ君。自由だ。

「えっ、マラサダって食べ物だったの?」

「ドーナツみたいな食べ物ですね。甘くて美味しいですよ」

 また要らない恥をかくところだった。少なくとも試練で使う銛や槍でないことがわかっただけで、よしとしよう。甘いものは気になるが、先に試練の中身を知っておきたい。

「あっ、わたしもブティックに寄っていきますね。それと、この間お店でもらったこれ、差し上げます。わたし、同じもの持ってますから」

「これは一体……」

「コスメポーチと、レンズケースです。おそろいですね」

 笑顔にどきっとする。コスメポーチは昔買った適当な奴だが、今廃棄の運命が決まった。レンズケースもコンタクト派のあたしにはありがたいが、使うと惜しいな。どっちかは家宝にしておきたい。そんな悩みをつゆ知らず、彼女は「それじゃ、後でまた」と言い残してブティックに入っていってしまった。よく考えたら島巡りの試練なんて明日に回して、おきがリーリエショーを見ていくべきだったのでは?同性の強みを生かして試着室に入れるかもしれな――やめよう。通報されても文句が言えない。

 

 こんな大きな街で、島巡りの試練とやらを探すにはどうすればいいか。妥当なところで、ポケモンセンターか交番だろう。ポケモンセンターは回復待ちのトレーナーもいるだろうし、島巡り中の人間もいるかもしれない。ぶらぶら店を冷やかしながら、否、情報収集をしながら大通りを歩いて行くと、目当ての赤い看板の建物と、その横でポスターだか何だかを貼っている少年が見えた。公営施設のポケモンセンターにポスターなんて貼るんだな、と横を通り過ぎざまに見ると、金ぴかのド派手なシールだった。思わず、「えっ」と声を漏らす。後ろ姿を見ると若く見えるが、ひょっとして秘密結社きんのたまおじさんの一派か何かかと思ったのだ。あたしの疑念が多々混じった声に反応して、少年が振り返る。整った顔つきだが、既視感のあるスカした服装だ。

「おや、あなた、ひょっとして島巡りの人ですか?」

「はあ、まあ」

「トレーナーズスクールでの五連戦、見てましたよ。いい戦いっぷりでした!」

「はあ、それはどうも」

 アローラの人の距離感の詰め方がわからない。何だかあまりに会う人会う人がフレンドリーだから、一人暮らしが長かったあたしのコミュニケーション能力ががくっと下がっているのではと段々不安になってきた。

「失礼、初めまして、ですね。ぼくは、キャプテンを務めています。イリマといいます」

「どうも、初めまして。ユウケです」

 両手を大きく広げて円を描く彼に対し、ぺこりと頭を下げる。アローラ、の挨拶がまだ気恥ずかしくてできない。これもいずれ慣れるだろうか。何にせよ、キャプテンという役職の人間ということは、試練を管理しているはずだ。

「イリマさん、早速ですけど、試練を受けたいんですが」

「単刀直入ですね。そういう方、好きですよ」

「はあ。どうも」

 コミュニケーション能力を通り越して、自分の方が間抜けなのではという気がしてきた。

「試練を受けてもらうのは構いません。ですが、その前に」

「ヨーヨーヨー、イリマさんによそものさんヨー!」

「お話楽しそうですけど、ちょっといいスカ?よそものさん、僕達スカル団にポケモンくれませんか?」

「試練を受ける資格がユウケさんにあるか、確かめさせてください」

 ドクロのモチーフの帽子に覆面、黒いタンクトップのいかにもメキシコからやってきたチンピラ、みたいな二人組を完全に無視して続けるイリマさん。あたしも正直なところ、チンピラには関わり合いたくない。過去に何回この手の連中とやり合って面倒を引き起こしたか。一人一人が大したことなくても、組織力というものは恐ろしいものだ。短気は損気。イリマさんの陰に隠れてやり過ごそう。最悪、イリマさんが負けても、こいつらは消耗するわけだし。

「よそものさんは弱っちいからビビってんのかな?」

「ポケモンだけ置いてってくれたら大丈夫っスカら!」

 前言撤回。「トレーナーは舐められたら負け」という諺もある。

「ごめんなさい。ちょっとイリマさんとお話ししててよく聞こえなかったのですけど。二人がかりなのにキャプテンとやらにビビって、あたしにだけ的を絞って来たチンピラさん達が何ですって?」

「おっ、やる気出してきたか?」

「イリマなんて顔見飽きてるだけでスカら!ビビってませーん!」

 ガンを返す合間に、ちらりとイリマさんの方を見る。余裕の笑顔。ああ、これも完全スルーの構えだな。やり合おうがイリマさんの陰に隠れようがどっちでも構わないというわけか。

 歯をむき出して嗤い、くいくいと手招きする。

「二対一でよそものとやらに負けて恥かきたいなら、さっさとかかってきな!」

「なんだと!」

 こういう単純な奴らは、単純な誘導に弱い。二対一になっても、こっちも二匹出せば構わないし、サシでやるならそれはそれで上等だ。便宜上スカスカ言ってないほう、したっぱAだけがモンスターボールに手をかける。ボールホルダーにはボールが一つ。やれるな。あたしはボロ橋での一件以来、意識してさりげなく上着で隠したままのボールホルダーから、見えないようにポケモンを引き抜く。厳密に言えば『ボールホルダーは人に見せられる位置につけること』という法律に違反しているのだが。

 

 カッとなってニャビーだけでたこ殴りにしてしまった。どうしてこの手の連中は物理が弱いポケモンに物理攻撃をさせたがるんだろう。

「いやいや、お前強すぎじゃない?!」

「マジスカ?!相棒完敗っスカ!?」

「そこのスカスカ野郎もやるかい?」

 ニャビーはまだ元気一杯だし、他のポケモンも出せる。試練とやらの内容がわからない以上、ニャビーとトレーナーズスクールでイリマさんが見たであろうマダツボミ以外は出したくはないが。

 ぶんぶんと全力で首を横に振りながらフェードアウトしかけるしたっぱBの襟首を掴んで、耳元で囁く。

「イリマさんのポケモンは何のタイプか知ってるんだろ?言いな」

「こいつ目が据わってる!」

「ちょ、ぐえ、襟やめて」

「ノーマルタイプですよ。ぼくはノーマルタイプのキャプテンです」

 意外な助け船というか横槍にしたっぱBを解放する。どのみち腕力では勝ちようがないのだから、長いこと拘束しておくのは無理だったし、助かる。

「相棒がスカスカ言ってるのは記憶に残るためだからな!覚えとけよ!」

 知らんし忘れたけど。ポケモンバトルと見て集まってきた物見高い人垣が散っていく中に、さっきの連中の仲間がいないかだけ、あたしはニャビーをボールに戻さずに警戒していた。意趣返しに撃たれたり刺されたりしたらたまらない。何かの催し物と勘違いしたのか、観光客らしき一団からおひねりが飛んでくる。いやもらうけどさ。

 

 人垣が散った後にはイリマさんとあたししか残らなかった。ほぼ無傷とはいえ、殴り合いをしたニャビーを回復させたかったので、イリマさんを誘ってポケモンセンターに入ることにした。

「いきなりスカル団と事を構えるなんて、豪快な人ですね」

 この場合、ガン無視したイリマさんを責めるべきなのか、あたしの短気自身が責められるべきなのか。まあ、とりあえず置いておこう。何とか団も気にならなくはないが、地元のギャングなら、ハウ君に聞けばいいだろう。チンピラがお友達を連れて戻ってきたりする前に用事を済ませたい。

「試練の前に『試す』って言ってましたよね」

「はい。ぼくと勝負して、実力を証明してもらってから、試練に挑んでもらうことにしています」

「勝負って、ポケモン勝負ですよね?」

「勿論ですけど」

 よかった。時間内にポケモン何匹捕まえられるかとか、伝令を襲って密書を取れだとか、ホエルオーを銛でやってこいだとか、鉄くずを何トン集めろとかでなくて本当によかった。

「それじゃ、始めましょうか」

「ええ、喜んで」

 

 ポケモン勝負が始まる気配でまた人垣ができた。血飛び肉跳ねるポケモンバトルを見るのが嫌いな人間は少ないというのがよくわかる。目抜き通りにあるポケモンセンター前という立地もいいのだろう。ましてや、相手はキャプテンという有名人だ。人垣からイリマさんを応援する黄色い歓声が聞こえる。美形だし、そういうファンも多いんだろう。あたしには関係がないことだが。

「では、お手柔らかにお願いします。キャプテンのイリマ、行きますよ!」

 あたしは応えずにボールを投げる。加減なんてしていたら負けてしまう。初手はもちろん、ニャビーだ。

 

 ドーブルがみずでっぽうを覚えていてニャビーがやられそうになったこと以外は、特に問題がなかった。ドーブルを見た途端、ちょうはつを覚えているポケモンがいないから、ねばねばネットだのキングシールドだのおいかぜだのきのこのほうしだのを覚えていたらどうしようと思ったが、杞憂でよかった。もっとも、加減されていたのは間違いないので、本気の彼とやる時はそういうドーブルが出てくるのかもしれない。ドーブルは恐ろしいポケモンだ。ブーイングだの石だの腐った卵だのがギャラリーから飛んでこなかったのもよかった。

「お見事です!ですが、ドーブルを見た時にひどく動揺してましたね」

「いや、おいかぜからのきのこのほうし連発されたら不味いな、と思っただけです。水技があるなら、他のタイプの技があってもおかしくないですしね」

「はは、まさか。面白そうではありますけどね」

 イリマさんの目が嫌な光を帯びた気がする。余計な事を言ったかもしれない。

 

 肝心の試練そのものを行うのは、少し北に行ったところの茂みの洞窟という場所らしい。「向かいにポケモンセンターがあるから、鋭気を養ってもらって、明日にしましょう」というイリマさんの言葉に従って、ポケモンセンターに泊まることにした。イリマさん戦を見ていたリーリエとは早々に合流できたが、ハウ君はイリマさんと勝負するから先に行っておいてほしいという話になった。ハウ君には悪いが、リーリエと二人で夕暮れの街道を歩くのは最高だったとだけ言っておこう。雑談しただけで、特に手をつないだりとかそういう役得はなかったし、おまけにポケモンセンターのシャワーが一人ずつ入る個室型だったので、シャワーも全く味気なかったのは残念でならない。

 

 シャワーを浴びてから、カフェでリーリエと落ち合って夕飯を突く。ハウ君はまだ合流してこない。

「ユウケさん、イリマさんとのポケモンバトル、見てました」

「すごかったロトー!」

「ドーブルは何してきてもおかしくないポケモンだから、おっかなかったけどね」

「わたし、ポケモンバトルは苦手なんですけど。ポケモンさんが傷つくのが、ちょっと」

 意外な発言に、箸が止まる。年がら年中バトルに明け暮れてきたあたしみたいな人種とは対極的だ。

「でも、お二人と、お二人のポケモンもすごく楽しそうで」

「やってみる気になった?」

「そこまでは、まだちょっと」

 それもそうか。

「まあ、その気になったら教えてよ。ちょっとした手ほどきくらいはできるから」

「気が早いですよ」

 半ば困りながらも、くすりと笑うリーリエが本当に可愛らしいと思った。

 

 くたびれて早々に寝てしまったので、ハウ君とは朝のカフェスペースで顔を合わせることになった。ポケモンセンターの宿泊スペースは男女別なので、カフェスペースかどこかで頑張ってないと出迎えはどちらにせよ無理なのだが。

「ハウさんもイリマさんに勝てましたか?」

「うん、何とかねー」

 ねこだまし/キングシールド/おいかぜ、後何だったか忘れたけど、ドーブルの夢でうなされたあたしは、今日も絶不調な寝起きだった。旅慣れしているあたしではともかくとして、ハウ君とリーリエも何だかまだ疲れが抜けてない顔だ。

「あ、ユウケさん、おはようございます」

「おはよー」

 辛うじておはようと聞こえたであろう声で挨拶をする。

「あー、ごめん……あたし、朝弱くてね……しらふなんだけど」

 リーリエが苦笑い。椅子にがたっと腰掛けて、うめき声のような溜息をつく。それに釣られてか、ハウ君が大きくあくびをする。

「お疲れトリオだね、こりゃ……。ドーブルのせいだわ……」

「えっ?ドーブル?可愛かったけどなー」

 夢の話だと言うのも億劫で、話を合わせることにした。

「いや、あいつ、理論上は知られてる技を全部使えるからね」

「そうなんだー?」

 わかってない。まあ、そうか。まだよくわからないポケモンのよくわからない技を食らったことがないものな。悪いトレーナーに変な戦法でトラウマをすり込まれる前に、あたしが悪夢のような戦法を実演してみてもいいかもしれない。などと考えているのは当然誰にも伝わなかった。よかった。

 

 平和な朝食の時間がこのまま過ぎていってはいけない、ハウ君に何とか団の話を聞いておかないと気付いたのは、コーヒーを飲んだ時だった。あたしは太りたくないのでブラック、リーリエはミルクと砂糖を少々、ハウ君はミルクとコーヒーを一対一で割って砂糖たっぷり。人の味の趣味にケチをつける趣味はないが、あれはコーヒーの味がわかるのだろうかと思いながら啜る、アローラのカフェのコーヒーは、苦い。

「ハウ君さ、えー……何だっけ。ドクロの帽子被って覆面してる黒ずくめのメキシコ人みたいな奴ら知ってる?」

「メキシコ?」

「スカル団、ですか」

 助け船を出してくれるリーリエが眩しい。

「そうそう、そのドクロ島なんとか」

 一瞬、ハウ君が目を伏せたが、いつもの快活な表情に戻る。

「スカル団ねー。道路を勝手にふさいだりとか、人のポケモン取ったりとか、島巡りの場所を荒らしたりとか、島巡りの邪魔をしたりとかしてるんだってー。もともと、島巡りを諦めた人達らしいけど、人の島巡りの邪魔しても、自分が島巡りしたことにはならないのにねー」

「道路封鎖?お……ポリスは?」

「捕まえてるんだろうけどねー」

 また溜息。面倒臭いことになってしまった。あたしは面倒が嫌いなんだ。

「昨日、そいつらとかち合ったんだよね。多分顔は覚えられたし、島巡りの邪魔をする連中なら、またやり合う羽目になるんだろうな」

「ユウケ、強いから大丈夫だよー」

 小さく苦笑いする。本気で言ってくれてるんだろうが、一人一人は大したことがないにしても、ああいうのは組織力と、法律を守らないで済むっていうアドバンテージがあるから厄介なんだ。

「ハウ君は、まだあいつらと関わり合ってないね?」

「でもー、ユウケの言うとおり、島巡りしてたらぶつかるんじゃないかなー?」

「キャプテンかしまキングに押し付けるように。なるべくね。それと、リーリエも手持ちのポケモンがいないんだから、知ってる大人とか、あたしかハウ君、でなきゃしまキングとかキャプテンからは離れないように」

「ピュイー!」

 眉をしかめて真面目な顔をするあたしに、しぶしぶ、という感じでハウ君が頷く。リーリエも小さく頷いてくれたので、大丈夫だろう。抗議の声を上げているほしぐも――ちゃん、は無視。戦える技がないポケモンを前に出す性癖はあたしにはない。しかし、このしまキングをあてにする手、ハラさんなら家族が巻き込まれるから、メレメレ島だとあまり意味がない解決策だが、いまのところしかたない。冷めてしまったコーヒーをあたしは飲み干した。

「辛気臭い話は終わりにして、行こうか。ぼちぼちイリマさんとの約束の時間だしね」

 

 ポケモンセンターから徒歩一分、洞窟前、昨日と違うしゃらくさい服装。にこやかで爽やかな笑顔。イリマさんだ。

「はい、おはようございます!キャプテンのイリマです!」

「アローラ!」

「おはようございます」

「あー……おはようございます」

 リーリエとイリマさんは顔見知りらしい。何だか和やかな雰囲気で雑談をしていて、イリマさんへの謎の妬心が高まってしまう。この妬心は一体。視線で人が殺せたら、きっとイリマさんはそろそろ悶え苦しむであろうあたりで、しゃらくさい服装の正体に気付いて、思わず声を上げた。

「あっ、ミアレの服」

 どや顔をするイリマさん。ファッションにあまり興味のないあたしでも知っている有名なブランドだ。あたし自身、カロス地方にあまりいい思い出がないことは黙っておこう。ミアレシティ、ひとたび田舎者だと思われるとさんざんぼったくられたしな。

 

 雑談に一区切りついたのか、イリマさんが注目と、ぽんと手を叩いた。

「さて、試練の内容ですが、この茂みの洞窟の一番奥にある、Zクリスタルを取ってきてもらいます」

「俺とユウケで行ってもいいのー?」

「駄目です。一人ずつでお願いします。準備や都合もありますので」

「ちぇー。じゃ、どっちから行く?」

「こういうのは後で行く方が有利なんだよ。だから、あたしが先に行く。この試練の内容、後でハウに伝えてもいいんですか?」

 後半はイリマさんに。イリマさんは首を横に振る。

「表向きは、はいとは言えない立場です」

 それもそうか。今のご時世、それこそネットででも試練の内容が出てきかねないものな。多分、ハウ君はそんな小狡いことは思いつかないだろうし、あたしも自分はともかく、ポケモンの腕を信じてやるつもりだから、見てはいないが。

「ハウ君、映画とかのネタバレって嫌い?」

 唐突な質問にきょとんとするハウ君。

「えー、大丈夫だよー。それはそれで楽しめるかなー!」

「わかった、ありがとう」

 ハウ君の手持ちが何だったかわからないが、多分タイプは偏ってないだろう――とは思うものの、もしよっぽど手こずりそうならこっそりスマフォでハウ君にヒントを送ることに決めた。

「さてと、じゃあ派手にやるとしますかね」

 あたしの言葉に反応してぶるりと喜びに震える腰のボール、無反応なボール。小さく笑みを浮かべて、湿っぽいにおいの洞窟に足を踏み入れた。

 

 ざっと洞窟を見回し、襲ってくるコラッタをボールから出しっぱなしにしたニャビーで蹴散らしながら、慎重に奥に進む。見えない床だのテレポーターだの、二回踏んだら割れて転げ落ちる氷の床だの、人間大砲だのがあったら堪らないからだ。幸い、変な仕掛けがなかったので奥の出口らしきところに辿り着く。青いシャツのおじさんが立っているので、無言で横をすり抜けようとすると、体に似合わない素早いブロック。

「奥に用事があるんですけど」

「島巡りのお嬢さん。島巡りサポーターの僕だけど、今は君をサポートして通してあげることができない。君はまだ洞窟ですべき事が終わってないんだよ。ほら、ご覧」

 おじさんの指さす方を見ると、小さな巣穴からコラッタが『僕を見て、僕を見て、僕の中の前歯がこんなに大きくなったよ!』という顔をしてから引っ込んだ。なるほど、あいつを仕留めないといけないということか。しかし、おじさんの角度からあたしの動きが全部見えていたのか。疑問に思い振り返ると、入り口には笑顔のイリマさんがひらひらと手を振る。なるほど、二人いれば目標達成してるかどうかくらいはわかる、と。

 

 コラッタを追いかけながらもう一度地形を観察する。地下で繋がっているらしい巣穴の出口が三か所。誘ってくる割には出口に行くと違う出口に逃げるコラッタ。マダツボミのねむりごなを穴の中に送り込んでいぶし出すか、まだ使ってない子の技であぶり出すか。

「マダツボミがどくどくを覚えていれば、際限なく毒液を流し込んで確実に仕留められるんだけど、そういうのってありなんですか?」

「島の環境を荒らすのはほどほどにしてほしいところですね」

 走り込んできた何か、いや、誰かが二人。足音は聞こえていたが、通り過ぎていくと思っていたのに。

「あんた外道でスカ?!」

「何したらそういう発想が出てくるんだよ?!」

「試練中につき立ち入りお断りの札が見えなかったの?このトイレは今、掃除中だよ。『あんたの名前、公衆トイレ?』とか切り返してきたらニャビーに焼かせるから」

「ユウケさん、トイレではありませんが」

 二人してツッコミを入れてくるなんとか団の二人。イリマさんも含めて三人。

「部外者の立ち入りを何とかするのはキャプテンの仕事には入ってないんですか?」

「ユウケさん、例えばメレシーを捕まえに行って、横からヤミラミに取られてしまったとしましょう。その時、キャプテンだとか、ジュンサーさんだとかに助けを求めたりしますか?」

 イリマさんの目を見てぞっとした。昨日は単にスルースキルが高いだけだと思っていたが、この人は多分、本当にスカル団の、眼前にいるこいつらを存在しないものか、あるいは野生のポケモンだかなんだかくらいに扱っている。イリマさんの立場を考えれば、それが次善手くらいだとしても、それは――ちょっと怖い。

「へっ、俺らルール無用のスカル団でスカら!今からお前の試練の邪魔しまーす!」

「この試練、先にこいつよりポケモン捕まえちまえば何にもできなくなるかんな!」

 吐き捨てて奥に走って行くスカル団二名。賢い気もするが、あたしが倒さないといけないルールなんだろうか?いや、協力者は不可、というルールに引っかかるか。だとすると不味い。あたしも奴らの背中を追って走った。

 

 思ったより賢い奴らかと思ったが、やっぱり馬鹿だった。巣穴のどことどこが繋がっているかまでは知っているんだか覚えているんだかしたようだが、燻り出すか引っ張り出すかする手段がないらしい。それにしてもあの踊りと妙に韻を踏んだ話し方はなんだろう?ギャング文化と関わり深いらしいヒップホップだろうか。ヒップホップはDeath Gripsくらいしか知らないあたしは、とりあえず踊る阿呆を無視して、最後に残った巣穴の前に『あまいみつ』を置く。押して駄目ならもっと押せがあたしの信条だが、折角あいつらが他の穴を見てくれているのだから、いぶり出しより引っ張り出したほうがいい。出てきたコラッタの首根っこをニャビーが叩き付けて、はいおしまい。あたしのトムはジェリーより賢いんだよ。

「あっ、汚ねえ!」

「こうなったら俺がやってやりまスカ!」

 昨日やらなかったからね。あたしは舌なめずりをした。

 

 またニャビー一匹でカタがついた。

「昨日の反省を生かして、水タイプでも持ってくるかなって思ったんだけど」

「俺達には今日しかねっスカら!」

「昨日とかねえし!」

 何格好良いこと言ってるんだ。『明後日、そんな先のことはわからない』とか言ったら捕まえて締め上げるつもりだったが。

「へっ、お前のポケモンとイリマのポケモンまとめて分捕ってやろうと思ったけど、イリマのポケモンなんかいりませーん!」

「そーだそーだ!」

 捨て台詞を吐いて試練サポーターのおじさんをすり抜け、奥の出口に走って行く二人。もう苦笑いしかできない。

 

 奥に走って行ったスカル団したっぱ二人が戻ってきた。

「あの、奥、何かすごいのいるんですけど。お前も逃げたほうがよくないでスカ?」

 敵に忠告なんてするなと返事をする間もなく、とんでもないものを見たという顔で転がるように入り口に逃げていく二人を何とはなく見送ってから、あたしは今度こそ洞窟の奥、光さす出口に向かった。おじさんも今度は通してくれる。

 洞窟を一歩出ると、眩しい陽光があたしの目を刺す。洞窟内も明かりが要らないほど光が入り込んでいたが、遮蔽物がないとアローラの日差しは格別だ。一番奥の物々しい台座に置かれて光っているのがZクリスタルだろう。だが、ただで取らせてくれるつもりはないらしい。何かの強い視線を感じる。なるほど、これはヤバそうだ。えんまくか何かで煙に巻いて逃げるという手もあるが、それは最後の手に取っておくとしよう。ヤバい何かがいるということが、もう楽しみでならない。体がぶるっと喜びで震える。戦うのは好きだし、勝つのはもっと好きだ。だから、強い奴と戦って勝つのはもっともっと好きだ。

 

 台座に近付くと陽が一瞬陰り、馬鹿でかい何かがあたしめがけて降ってきた。ニャビーが何も命令せずとも迎撃に飛び出す。偉い、賢い。後で毛皮綺麗にしてやろう。バックステップで下がったあたしの目の前で、ニャビーと馬鹿でかいラッタがぶつかり、飛び離れる。

「ヌシャシャー!」

「ニャーッ!」

「あ、あれは――主ポケモンロト!」

「ぬし?ふん、でかけりゃ偉いってもんじゃないんだよ」

 コラッタを三匹と、ズバットを二匹ほど食っただけのニャビーならやれなくもない、普通のラッタならだ。だが、何だこいつ、光ってるように見える。でかいだけじゃないな。ねこだましかとんぼがえり、さもなくばまもるがあれば小当たりして様子を見られるんだが、無い物ねだりをしてもしょうがない。

「主ポケモンの能力上昇を感知ロト!」

「ニャビー、戻れ!」

 赤い光線がニャビーを引き寄せて戻す。悪タイプの定番、おいうちがあれば食われてしまうところだったが、幸い問題はなかった。かわりに、ラッタは天に向かい吠える。アローラのラッタがどんな技を使えるかあたしは知らない。おまけに、今の声に応えてか、あらかじめ待機させていたのか、手下らしいコラッタまでやって来た。この後に備えて隠しておきたかったが、しょうがない。あたしはニャビー、マダツボミに次ぐ三枚目の札を切ることにした。ボールの安全装置を解除、投擲。

「頼んだよ、ヘラクロス!」

「ヘラクローン!」

 虫・格闘タイプのポケモン、ヘラクロスが勢いよく飛び出す。かえんだまを持たせられていないが、充分だろう。しもべのコラッタが体当たりしてくるが、歯牙にもかけず跳ね返す。後ろの方でそっと見ていたおじさんとイリマさんの驚愕する姿がチラリと見えた。意識を正面に戻す。警戒していたラッタが突っ込んで来た!

「ヘラクロス、メガホーン!」

 タイプ一致、物理虫タイプの最強技。だがこの技は、タマゴ技として覚えさせることもできるのだ。悪タイプのラッタなら抜群を取れる。例え倍レベルが違っても、当たれば一発で戦闘不能に持って行けるはずだ。当たれば。そう、ポケモン協会の膨大な統計による命中率は八十五%。外すのだ。

 あたしの視力では全部が全部は見られなかったが、大体こんな流れだ。さっきヘラクロスが弾き飛ばして足下に転がっていたコラッタを、ヘラクロスが踏んづける。ヘラクロスが漫画のように滑る。コラッタが哀れな鳴き声をあげたが、同情するどころではない。ラッタがヘラクロスの上空をかっ飛んでいく。ヘラクロスの必殺のはずの一撃は宙をかすめるだけで終わった。

「ヘラクロス、立て!もう一回メガホーンだ!」

 目の前のラッタが笑ったような気がする。忌々しい。ラッタがその巨体を揺すり、飛ぶ。

「ヘラクロス、飛ばなくていい!着地点を狙え!」

 ヘラクロスは短時間なら空中戦もやってやれないことはない。ラッタよりはよほど上手にこなすだろう。だが、付き合わなくていい。飛べないポケモンは地面に足をつけるしかないのだから。応援に五月雨状に沸いて出るコラッタを片手間に弾き、ヘラクロスはラッタの着地点めがけ、再び強力な一撃を突き刺す。ラッタが高台の際に着地し、足下の石か何かが転げ落ちたのだろう、大きく姿勢を外して転落する。ヘラクロスのメガホーンが大地を抉り、小さくない穴を開けた。要はまた外したということだ。ラッタがヘラクロスに体当たりする。足下にまとわりつくコラッタのせいで躱しきれない。もろに食らうのは避けたが、小さくないダメージを負ったのは間違いない。だが、あたしのヘラクロスはそんなにやわじゃない。

「ヘラクロス、落ち着け!メガホーンを一発当てりゃ食える!」

 持ち前のパワーでコラッタを振り払い、間合いが近すぎるラッタから羽を広げて飛びさがるヘラクロスに、ラッタがおいうちをかける。使えるのにさっきはわざと使わなかったのか?だが、ヘラクロスの方が早い。食われに来てくれたようなものだ。ヘラクロスが羽を畳み、メガホーンのために着地し、誰かの捨てたのか捕獲に失敗したのかわからないモンスターボールの残骸に足を取られた。当然、メガホーンは宙を切る。足下に大穴が開いたのを警戒して、ラッタがヘラクロスから見て右方向に回り込む。コラッタがたたらを踏んだヘラクロスに群がりまとわりつく。ヘラクロスの足なら、もう一度先手を取って打てるはずなのに、邪魔だ。だが、コラッタは倒しても倒してもラッタの呼び声に応えて沸いてくる。雑魚をいくら潰しても意味がない。あたしのヘラクロスは変化技で足を止める器用なタイプじゃない。コラッタを水滴のように振るい飛ばす。ラッタのひっさつまえばを、腕をクロスさせてヘラクロスはガード。距離を詰めたままでいたいだろうラッタに競り勝ち、もう一度ラッタを弾き飛ばした。意地っ張りのヘラクロスが何度か殴っているので、それなりにラッタにダメージは入っているのだろうが、致命傷とは当然ほど遠い。もうあたしが命令するまでもなく、ヘラクロスはメガホーンで決めにかかる。脇の木の上から、さっき振るい飛ばして戦えなくなったコラッタがヘラクロスに転げ落ちてきた。ヘラクロスはわずかに、だが技としては致命的にバランスを崩した。角が木に突き刺さる。ヘラクロスは首を振って引き抜くが、弱っていたこの子にラッタがとどめを刺すのにはその一瞬で十分すぎた。ヘラクロスが前のめりに倒れる。倒れきる前に、あたしはボールで呼び戻す。

「よくやったよ、お前は……」

 信じられないような不運が続く。いつものあたしが、戻ってきた。アローラに来てからやっとせめて人並にはやれるようにと思ったのに。まだ戦える無傷のポケモンが五匹もいるのに、血の気が頭から引いたのか、目の前が真っ暗になってきて、体がふらふらする。奴があたしを嗤った気がする。

「ヌッシャアー!」

「ロト!ユウケ!次の子をロト!」

 駄目だ、あたしは、しっかり準備したこと自体にも、あたしのためにあたしを信じて頑張ったポケモンにも報いることができない。ヘラクロスが落ちてしまっても、ラッタとコラッタ、悪・ノーマルタイプのポケモンに勝てる筋はいくらでも思いつく。でも、その筋は全部、今みたいに不運が持って行くんだ。ポケモンを繰り出そうとしないあたしを、ラッタがまだ見ている。最初に飛び出してきた時も、さっきも本気であたしにぶつかってくる雰囲気はなかった。主という名にふさわしく戦う能力と意思を見極めるつもりなのだろうか。周りの音が遠ざかり頭ががんがんする。冷や汗が止まらない。今は真冬だっただろうか、寒くて吐きそうだ。トレーナーとしての反射神経が、ボールをまさぐる。普段あんなに頼もしいボールの感触が、わからない。

「ユウケさん!しっかりしてください!ニャビーさん達のために!」

 背筋が震えた。目の前のラッタとコラッタの群れも、突然の大声にびくりと反応する。

「ユウケさんは、強いトレーナーなんでしょう?!がんばって!」

「そうだよー!がんばれー!」

 振り向く。リーリエがいる。ハウ君も。リーリエも、ハウ君も、こんなに真剣な表情で。後ろのラッタを指さしている。こっちを見ている場合か、か。あたしは、左手の親指の腹を噛んだ。噛んで、食いちぎる。痛い。痛いに決まっている。痛みと共にあたしの気力が、意識が戻ってくる。血が溢れ、口中一杯に血の味が広がる。あたしは自分の肉と血を吐き捨て、右手で次のポケモンを繰り出した。

「マダツボミ、行ってこい!」

 ラッタはあたしのポケモンに意識を向けているが、コラッタはあたしの血のにおいに意識を取られていて、反応が一瞬遅れた。

「マダツボミ、コラッタどもにねむりごな!終わったらラッタの攻撃を受けながら、ねむりごな!」

 マダツボミは時間を稼ぐために繰り出した囮だ。貴重な時間を惜しんで道具を取り出して、瀕死のヘラクロスのボールに入れる。げんきのかけら。ヘラクロスが意識を取り戻す。マダツボミはあらかたのコラッタにねむりごなをかけ終えたところで、ラッタの執拗な攻撃を受けている。体をしならせて致命打をよく避けてはいるが、マダツボミはそんなに丈夫なポケモンではない。ラッタを眠らせられていたら理想だったのだが、そんな僥倖は望んではいけない。一匹もコラッタが寝てないなんてこともあり得たのだ。

「マダツボミ、戻れ!もう一回、頼む!ヘラクロス!」

 マダツボミが戻ってきたのと入れ替わりに、元気を取り戻したヘラクロスが再び飛び出る。だが、体力は半分だ。ヘラクロスは他にも使える技がある。かくとうタイプの技を打ってもいい。だが、あたしは勇気を振り絞って、命令する。

「メガホーン!」

 飛びかかってくるラッタに備えて、ヘラクロスは足をがっちりと地に食い込ませるように据える。受ける体制も取らずに一撃を角で受けて、耐えた。そのまま頭をしならせ、宙に浮いたままのラッタにメガホーンをたたき込む。肉を叩き付ける、凄まじい音。ラッタが吹き飛んで、地に叩き付けられた。ヘラクロスががくりと膝をつく。ラッタは――起き上がってこない。

「それまで!ユウケさんの勝ちです!」

「やったロトー!」

 こんなに緊張した勝負はどれくらいぶりだろう。あたしは、膝をついたヘラクロスに歩み寄って、抱きしめる。

「よくやったよ、ヘラクロス」

 もぞもぞと嬉しそうにヘラクロスが応える。あたしはきずぐすりを使ってやる。傷が塞がっていく。

「ユウケさん!」

「ユウケー!」

「二人とも」

 ありがとう、と素直に言いたかった。でも、あたしの性格がそれを許してくれない。

「リーリエはいいとして、ハウ君は何で入ってきたわけ?試練はどうなるの?」

 説教臭いことを言ってしまった。そうじゃない。笑顔でありがとう、嬉しかったって言いたかった。その葛藤が顔に出ていたらしい。ハウ君が、ついでリーリエが吹き出す。

「ユウケー、強がってるー」

「心配なのはわかりますけど。何も今言わなくても」

 そんなに笑わなくても。そんなにわかりやすい顔だったのだろうか。顔が赤くなる。

「ユウケさん、おめでとうございます。ですが、試練はまだ終わっていませんよ」

「ああ、やっぱりか。それで?『わからんのか?イレギュラーなんだよ。やり過ぎたんだ、お前はな』?」

 イリマさんがきょとんとした顔でこちらを見る。

「何の話ですか?Zクリスタルを取るまでが試練なので、あなたの手で、そのクリスタルを取ってくださいというだけですが」

 勘違いだった。さっきよりも顔が赤くなったと思う。赤さでオクタンと勝負できただろう。

 

 左手親指の怪我をリーリエに手当してもらって(包帯に頬ずりしていたら引かれた。家宝にしようと思う)から、あたしは台座に歩み寄り、Zクリスタルに手を伸ばした。不思議な光を放っている石が、たくさん入っている。その中の一つに手を伸ばす。手触りは、普通の石だ。うっすらと透き通っていて綺麗だ。

「おめでとうございます。これにて、イリマの試練達成です!素晴らしい技前でしたね!」

 リーリエ、ハウ君、イリマさん、試練サポーターのおじさんが拍手してくれる。何だか気恥ずかしい。

「ですが、Zクリスタルを受け取る時には、受け取り方があるのですよ。今から実演します。こうやって、こう」

 石を胸元に抱きしめるようにしながらしゃがんで、立ち上がって石を大きく掲げる。石がきらりと輝いた。

「人がやってる分を見るのはいいんですが……そう受け取らないと、Zクリスタルが使えないとか?」

「いいえ。大丈夫です。お約束だと思ってください」

 お約束、か。ちょっとあたしのキャラ的に恥ずかしいポーズだが、お約束と言われると心がなぜか揺らぐ。不思議なものだ。

「さて、ぼくがノーマルタイプのキャプテンであることから大体わかるでしょうが、これはノーマルZです。では、今からノーマルZの構えを伝授しますね」

 もっと恥ずかしいことが待っていた。

「言っておきますが、これはやらないとZクリスタルの力を引き出せず、Zパワーも発動させられません!」

 イリマさんのどや顔。この恥ずかしいポーズが、強くなるために必要な犠牲というわけか。Zクリスタル、違う意味で使いこなせる気がしなくなってきた。

「そう、それと。島巡りトレーナーとして、3番道路に行けるようになります」

「洞窟の北の、バリケードみたいなのを通れるってことですか」

「そうです」

「あれ、普通の観光客とか住んでる人は不便じゃないんですか?」

「島巡りトレーナー以外は普通に通してますよ」

 それ、島巡りの証を隠しておけば通れるのでは。特に意味が無いからしないが。

 

 ハウ君は今日試練を見てしまったせいで、明日に改めて挑戦ということになった。あたしが心配をかけなければ、ちゃんと弱らせた後で楽をさせてあげられたものを。それがいいかどうかはさておき。

 今日はハウ君の試練挑戦がお流れになってしまったので、もう一泊同じポケモンセンターの予約を入れて、イリマさんも含めてカフェで一息。余談だが、試練サポーターのおじさんは交代要員が来るまで、あの場所を離れられないらしい。主ラッタに何かされた(ナニカサレタ)ら困るだろうしな。

「ところで、ユウケさん。ぼくの試練に関して、二つお聞きしたいことがあります」

「何ですか。答えられる範囲でなら」

「一つ目は、なぜヘラクロスを最初のぼくとのバトルで使わなかったか」

 今までに見たことのない、イリマさんの真剣な眼差し。手を抜かれた可能性を考えれば、それもわからなくはない。

「試練の内容がわからなかったから、手札を隠しておきたかっただけです。多分、イリマさんともう一回勝負することになるんだろうなって踏んでましたし。ヘラクロスは、その時に使うつもりでした」

「なるほど。今度勝負するときは、対策を考えておくようにしましょう」

 ようやく彼の顔が緩む。

「もう一つは、なぜわざわざげんきのかけらを使ってヘラクロスをもう一回出したか、そして格闘技を使わなかったかです」

「この子の名誉のためです。勝てる勝負なら、勝たせてあげたかっただけのことです。自信を無くしたり、負け癖がつくのも心配ですから。メガホーンを打たせたのも、同じ理由です」

「ずいぶん先のことまで考えて勝負しているんですね。ますます、今度の勝負が楽しみになりました。……おや、失礼」

 二つ目の質問は、ハウ君にも印象的だったらしい。イリマさんは「急用ができた」と詫びて席を立った。キャプテンというのはジムリーダーみたいなものだと思うと、忙しいのも納得だ。しかし、もしイリマさんに「ああ、それからもう一つ、よろしいでしょうか?」と聞かれたらどうしようかと思った。特に身に覚えがない逮捕か死亡かを迫られてしまう。

 

 あたしの心配をよそに、ハウ君とリーリエがあたしの手を取って立ち上がった。

「え?やっぱり逮捕なの?」

 素っ頓狂な声を上げたあたしに、二人が怪訝な目を向ける。逮捕ではないらしい。

 

「来たいところって、ビーチ……?」

 アローラ地方にビーチなんて売るほどあるだろうと思ったが、そんな身も蓋もないことをいうと大体の物事はそうだ。ジョウトに寺が売るほどあるからといって、どの寺の価値も等しいということにはならないだろう。多分。

「昨日、モーテルの横にいたマケンカニに誘われて来たんだよねー」

「ああ……あの坂の上にいた子か……」

 がしっとハウ君の両肩を掴む。

「いいかい、ハウ君。これは忠告だ。あたしみたいになりたくなかったら、カントーのニャースが招きポケモンをやってるキャバレーにだけは行ってはいけない」

「えー、何それー」

「ぼったくりとかじゃなかったんだけど、おさわり自由だし、ポケモンフーズとか、魚とか、おごり放題だったんだよ。キャバレーのポケモンに。あたしはその時、人生で最初の『おだいじん』を……いや、この話はまた夜にしよう」

「何だか、いやらしい話してませんか?」

 リーリエの冷たい視線が辛い。断じていやらしくはない。多分。しかし、あの酒池肉林の場をどう説明すれば誤解が解けるものか。悩んでいる間にハウ君は海に駆け出していく。

「俺ねー、マンタインサーフやりたかったんだー!サーフボード以外でサーフィンするの初めてー!」

「サーフィンね。やったことないな。リーリエは?」

 リーリエも首を横に振る。マリンスポーツやってる肌の色じゃないよな、確かに。ハウ君の日焼けは納得だが。ポケモンに連れられてのなみのりとたきのぼり、後はダイビングか。ダイビングスーツ、持ってきたらよかったかな。捨てた覚えはないから、実家の押し入れを漁ったらあるかもしれない。使わなくなった道具はまとめて段ボールに入れているから、ダウジングマシンが欲しいところだ。

 

 ハウ君が戻ってきた。

「島巡りが一つは終わらないとダメなんだってー」

「マンタインに触れなかったのは惜しいけ」

 続ける前に、絹を裂くような悲鳴。

「だ、誰かー!マンタインを助けてー!」

「んじゃ、俺達勝手に乗りまスカら!」

 深い溜息。

「ちょっと、あんたら」

「何スカ。あっ、お前!」

 遅い。あたしはもうポケモンを出している。マダツボミに潮風をあまり浴びさせたくはないが、ちょっとくらいは平気だろう。

「マンタインはいただきまスカら!」

 

 手持ちのポケモンが変わらなければ、結果が変わるはずがなかった。海というロケーションを生かす戦術を使えるポケモンならまた別だったかもしれないが。

「通りすがりのトレーナーさん、ありがとうございます!」

「はあ、どうも……」

 周りのサーファーやらビキニのお姉さんやらの拍手喝采。気恥ずかしい。

「トレーナーさんもまだ島巡りの最中ですから、マンタインにはまだ乗れませんが、終わったら必ず乗りに来てくださいね!」

「あっ、はぁ……」

 マリンスポーツなんて柄じゃないし、普通に連絡船かなみのりポケモンで移動するつもりだったのだが、何だか断り切れない雰囲気になってしまった。いや、何日かすればきっと忘れてくれる。そう思いたい。

 

「ユウケ、おつかれさまー」

「さっき洞窟にいた人達ですよね」

「暇なんじゃない?」

 自分達もひょっとしてそのカテゴリに含まれるのでは、と気付いてしまった。自分の勘のよさが恨めしい。

「それにしてもさー、大勢の前だとユウケ全然キャラ違うよねー。作りすぎー」

「あれが本当のあたし。シャイで控え目、ツボツボのように静か」

「またまたー」

 流された。人前が苦手なのは本当なのだが。改めて思うと、よくプロトレーナーなんかやっていたな。バトル中は人の目なんてどうでもいいからだけど。

 

 ハウ君の目当てのマンタインサーフはできなかったし、スカル団のポケモンを殴るだけのためにビーチに来たみたいになってしまった。ポケモンをボールから出して遊ばせてやりたいが、結構このビーチに人が多いので諦めた。ああ、夕日が綺麗だ。夕日にきらめく海を背景に、野良らしいスナバァと戯れるハウ君、それを眺めるリーリエ。本当にあたしとリーリエは同じ人間なのだろうか、と不思議に思うくらい綺麗だ。リーリエがあたしの視線に気付いて振り返る。

「どうしました?」

「いや、夕日が、その、きれい」

 あたしは三歳児か。くすくすと笑うリーリエ。可愛い。

 

 そんな穏やかな時間を破るような、背後からの重々しい足音。さっきの連中の意趣返しだと洒落にならないので、さりげなく様子を見る。重々しい筋肉を覆う白衣。不審者か。

「やあ、みんな、探したぜ!」

 ククイ博士だった。筋肉は脂肪より重いから、筋肉質な人が重いというのは本当なのだろうな。遠い目をする。お空が綺麗。この博士、苦手ではないのだが、人間関係の間合いの詰め方があたしみたいな低血圧タイプにはちょっときつい。アローラの人、筋肉を除くと大体こんな感じの気がしてきたが。

「ユウケ、試練達成したんだって?おめでとう!」

「ありがとうございます。ポケモンのお陰で、まあ何とか」

「Zワザはもう試してみたかい?」

「ああ、ええ、一応は」

 野良ポケモンに協力してもらったが、あのポーズは恥ずかしかった。

「そうかそうか、じゃあ、明日からは3番道路を回って、それが終わったら大試練だな!」

「一応聞いておきたいんですけど、この島の大試練って、やっぱりハラさんとポケモンバトルなんですか?」

「そう。ハラさんは強いぜ!」

 そうだろうな。強そうな風格が漂っていた。でも、ポケモンバトルなら大丈夫。ハラさんとアローラ相撲で勝負です、と言われたらあたしは回れ右するところだった。

「ハウは今日、試練受けられなかったんだって?」

「ええ、ちょっとありまして。明日ですね。それが終わったら3番道路のほうを回ってみようかなと」

「イリマくんの試練は見られなかったけど、大試練でユウケのポケモンと技を見られるのを楽しみにしてるぜ。じゃあ、潮風で風邪引くなよ!やあリーリエ、ほしぐもちゃんは元気にしてるかい?」

 忙しい人だ。リーリエのほしぐも――ちゃんの様子も聞いて、ハウ君に明日の激励をして帰るというところだろうな。あたしはもう少し、夕日を眺めることにした。昼と夜のわずかな間にしか見られないこの時間帯があたしは好きだ。アローラのこの時間も、空も海もとても綺麗だった。




メガホーンは命中率85%、5回連続で外す確率は0.0076%です。

(twitter等にアップしている人もいるし大丈夫…か?)

【挿絵表示】

主人公の服装イメージはこんな感じです。目付きをブラックラグーン並に悪くすればユウケ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、意地を見せる

 街灯は遠くまばらだが、月明かりが十分あたしの視界を確保してくれる。涼やかな夜気が、日焼け止めでも守り切れずちょっと焼けてきた肌のひりつきに心地よい。見たいテレビ番組があるというハウ君と、他のトレーナーが来るまではほしぐも――ちゃんの世話をしたいというリーリエをポケモンセンターに残し、あたしは茂みの洞窟前のポケモンセンターからポケモンや木の実集めに出ることにしたのだ。断じて、このままポケモンセンター前に居座って宿泊しようとする女性トレーナーを追い返せばリーリエと女性用の宿泊スペースが貸し切りになるだなんて思っていない。ハウオリシティまでそこそこ距離があるし、ポケモン勝負に勝って無理を通すのは流石に冗談では済まないのはわかる。女性トレーナーは誰も泊まりに来ないのを祈るくらいはいいだろう。

 木の実を食べていたマケンカニをついでに捕獲して、木の実をがさごそと漁る。他の地方なら放っておいてこんなに木の実が生えるなんてことはなかった。植えてホエルコじょうろで世話をした木の実を誰かに盗まれて激怒した思い出、一つだけ足りなくて目当てのポロックが作れなかった悔しさ、野生のポケモンにあらかたついばまれていて落胆した思い出。やめよう。何でろくな思い出が出てこないんだろう。

「何の木の実だっけ、これ……」

「食べてみたらわかるロト?」

「辛いとか酸っぱいとかはわかるけど、効果を体感したりはできないんだよね。錬金術スキルが上がるわけでも無いし。ロトム、食べられる?」

「図鑑から出れば食べられるロト。でも、博士のお家の道具がないと出られないロトー」

「あはは、ごめんごめん。そんなしょんぼりしなくても大丈夫。センターの中の本で調べるから」

 努力値――正確には基礎ポイントだったか、を下げる実、オボンの実、カゴの実、ラムの実、後はヤチェの実くらいしか使った記憶がない。ヒメリの実と、自分で食べるモモンの実も旅の最中では重宝した気がするが、リーグ戦で技を撃ちきってポケモンが疲れるまで生きているなんてことは、速攻速決主義のポケモンを好むあたしのパーティではほとんど無かった。そうなる前にどちらかが全滅しているのだ。攻撃を二発もらうころにはどちらかがやられているし、耐えても先制技でどちらかがやっぱり落ちる。そういうスタイルだった。カゴの実はめいそうとねむるを覚えさせたあのポケモンに持たせてやって、目の前で使って絶望させてやるくらいだったが。ホウエンまでの相棒達がやってくるまで、まだ後三日はかかる。もっとも、アローラ地方ならではの面白いポケモンを手に入れるだとか、どうしても今のパーティでは対応できないだとか、そういったよほどの何かがない限り、あたしは手持ちのポケモンを入れ換える予定は無いが。役割を実際に果たせるか不安な子もいるが、ポケモンのタイプだけを見ればパーティとしては完成している。基礎ポイントも数少ない友人を頼って頼んだ一匹を除いては、旅の流れに任せるままでいい。リーグに復帰するなり何なりで鍛え直すのが必要なら、木の実を仕入れて食べさせてやればいいだけの話であるしな。

 

「よし、木の実もポケモンもこんなものかな。せっかく夜にぶらついてるんだし、三番道路を先に見に行こうか。二人には内緒でね」

「内緒ロトー?」

「事情通っぽくていいと思わない?それに、昼間にしか出歩いてないポケモンだとかトレーナーは、明日ハウ君が試練をこなしてからのお楽しみに取っておけるしね」

「じじょうつう!何だかカッコイイロトー!」

 ポケモンがいれば一人の旅で充分、と思っていたが、珍しくできた友達もそうだし、この陽気なロトム図鑑も悪くない。くすぐってやると反応が楽しい。ロトム自体好きなポケモンだし、ウォッシュロトムやヒートロトムにトラウマが無ければ、きっと普及してあたし以外にも気に入る人がたくさん出るだろう。先に道路を偵察しておくのは、リーリエやハウ君に危害を加えそうな奴がいたらあらかじめ掃除しておく目的もある。

 

 まだ二十時にもなっていなかったから、バトルを求めてうろつくトレーナーが結構いて、退屈することがなかった。ちょうど今も、勝負を挑んできた不良っぽいカップルをダブルバトルでのしたところだ。

「よ、四倍ダメージはんぱねえ……!」

「つ、強いし!」

「すごい音がしたね……ポケモンセンターに連れてってやってね。ところで、あなた達はスカル団?」

 首を横に同時に振る二人。これがリア充って奴なのか。謎の殺意を押し殺す。

「服装が似てるって言われるんだよな。服装変えっかなー」

「あいつらが着てる服も普通に売ってるやつだかんね。あたしらは群れるの嫌いだし、別にもう島巡りやめたー、ってわけじゃないしさ」

「そう、ありがとう」

「今度は負けないから!」

 求められるまま、ハイタッチをして別れる。ハイタッチなんて人生初めてなのでは。あたしはユウケ、陰気の国から来た女――。

 

 エリートトレーナーの男の子――あたしより年上かもしれないが――ががっくりと膝をついた。

「くっ、はねやすめを使えないまま負けるなんて!」

「そもそも、どくどくとかゴツゴツメットとか、そういうのが無いと回復してるだけじゃ押し切られるんじゃない?ま、氷タイプの攻撃を半減もできるから、出方を見るのに使えなくも無いけどさ」

「えっ!?そ、それは……?!」

 エリートトレーナーというのは、何を教わったらエリートトレーナーになるのだろう。チャンピオンロードで出会うエリートトレーナーなんかは確かに強いと思うけど、このトレーナーは、うん。あくまで地域による相対的なもので、この地域ではエリートだとか、トレーナーズスクールを首席で出たばかりだとかなのだろうか。そもそもエリートトレーナーの服って涼しそうだしどこで売ってるのか気になったが、「もう少し詳しく教えてください」と肩を揺すって真剣に聞いてくるお兄ちゃんに返事をしないと聞けないだろうと、あたしは溜息をついた。

「はいはい、これ以上は金取るからね。お触りも無しだよ。ああ、技マシンありがとね」

「そんな、先輩!」

 先輩になった覚えはない。振り払って逃げ帰る途中、明日この道路を通るのかと嫌になった。

 

 やるべきことは済ませたし、明日の憂鬱の種は一つ出来たとはいえ、悪くない散歩だった。時間は二十一時半。二段ベッドが並べられただけの殺風景極まりない宿泊スペースにノックしてから入ると、リーリエがほしぐも――ちゃんと戯れていた。そうすると、今日は女性用は貸し切りか。あたしみたいに夜行性のポケモンを求めて移動するトレーナーもいるから、まだ断言はできないが。

「ユウケさん、お帰りなさい」

「ただいま、リーリエ。それと、ほしぐも……ちゃん。も」

「ピュイ!」

 あまりほしぐも――ちゃんとは仲良くなれていないのだが、あたしは人のポケモンに好かれるタイプじゃない。小さく溜息をついて、リーリエの向かいのベッド、下の方を確保する。好みが分かれるだろうが、二段ベッドは断然下派だ。空調は下を基準に調整されているから暑いか寒いことが多いし、お手洗いに行く時にぎしぎし音を立てないか心配しないといけないのも嫌だからだ。人が少ないし構わないだろうと判断して、あたしはボールからニャビー、マダツボミ、ヘラクロスを出してやる。

「よーしよし、お前達、今日もよく頑張ったよ。さ、順番に並びな。ブラッシングとかしてやるから。お腹減っただろ?飯もお食べ」

 大きさだとか、まだ一度も出してないから隠しておこうだとか、そういう子にはボールの中にタイプ別ポケモンフーズのパックを入れてやる。ボールは不思議なもので、主戦で使ったげんきのかけらなんかもそうだが、一部のアイテムはポケモン並のサイズに小さくして中に入れてくれるのだ。まずはごろごろと喉を鳴らすニャビーにブラッシングをしてやる。ふしょふしょつやつや。満足な出来だ。

「ンニャオー!」

 ニャビーが体をすりつけてくる。よしよし、愛い奴め。よし、次はマダツボミだな。マダツボミを手招きすると、嬉しそうに足というか根っこというかで寄ってくる。タッツー霧吹きで水滴ができるくらい湿らせてやってから、ぽんぽんと水気を取り過ぎない程度にタオルで軽くはたく。少なくとも気持ちはよさそうだが、あたしはまだこの子のスイートスポットがわかっていない。顔を撫でると嬉しそうなのはわかる。

「ユウケさん、すごくポケモンにも優しいんですね」

「普通のトレーナーならこんなもんじゃないかな。人によるだろうけど、あたしは嫌いなポケモンとは旅をしないしね」

「でも、すごく顔が優しいですし、ふふ。それに、その霧吹き、トレーナーのお手入れセットとは別売りですよね」

「乾燥が苦手なポケモンもいるからね。本当はこの子、ちゃんと土のある植木鉢に入れてやりたいんだけど、荷物が重くなるから」

 すまないねえ、と頭をなでてやる。あんまりわかってなさそうだ。明日、時間があるなら土のあるところで出してやろう。

 ヘラクロスの手入れも終わって、あたしはじゃれあうほしぐも――ちゃんと、三匹のポケモン、そしてそれを慈母のような顔で見つめるリーリエをちらちら見ながら、戦利品の木の実を取り出す。木の実ポーチを買っておいてよかった。ポケモンセンターに置いてあった本と照らし合わせて分けていく。うーん、知らないというか記憶にない実ばかりだと思ったら、やっぱり使用頻度の低い実が多い。最近売り出されたポケモンお手入れセットに状態異常を治す薬が入っていたからなおさら頻度が下がりそうだ。戦闘中に薬の代わりに使えるから、懐には助かるとはいえ、状態異常なおし系の薬が買えないほど困窮はしていないので、ややありがたみが薄い。大地の恵みに感謝しなくてはいけないのだが。

「それ、木の実ですか?カラフルで美味しそうです」

 一種類一個は持っておきたいというこだわりを除けば、別に上げても全然構わないのだが、木の実のにおいからか、遊んでいる四匹がちらちらこっちを見ているのがわかるので、リーリエ一人に食べてもらうのはちょっとどうかな。捧げ物としてなら許されるだろうか。いや、切るなり割るなりすればいいのか。

「じゃあ、一つ食べてみようか。みんなで食べるから、切るからね」

 どれにしようか。オレンの実が三個あるから、二つを八個に切ったらいいか。あたしは味を知ってるから別に今はいいとして。鞄から薄いプラスチック製まな板と、腰から愛用のサバイバルナイフを出して木の実を切れ――ない。

「硬い……そうだった、この実、めっちゃ硬いんだった」

「ユウケさん、それ、ペティナイフですか?」

「んんん、この、切れろ、切れろってんだよこんちくしょう!この手に限らない!無理!え、これ?普通のナイフだけど?昔、大会の賞金で買ったんだよ」

 あの超有名名作映画『コマンドー』でメイトリクスが使った、"Jack Crain Life Support System 2 Commando"モデル。ハンドガード付きのベネットモデルにしようか、それとも原寸サイズの"System 1"モデルにしようか二日悩んだ覚えがある。あんまり大きいナイフは邪魔になりそうだと思ってこれにした。優勝賞金で四十万円ポンとくれたぜ。しっかり手入れはしているから、綺麗な状態だ。

「ナイフくるくる回すのは、不器用だからできないけどね」

「しなくていいです」

 ナイフを拭いて腰の鞘にしまう。ナイフは鞘にしまってろ、口は閉じておけ。無理に体重をかけて刃こぼれでもしたら目も当てられない。さてどうするか。木の実ジュース製造機がカフェスペースにあったが、二個では大した量が作れないし、多分貸してくれないだろう。あ、マダツボミがいる。

「マダツボミ、これを四つに切って。二個お願い」

 すぱすぱと器用に切ってくれるマダツボミ。まな板で受け止める。

「よし、じゃあ、切ったマダツボミはリーリエの次に選ぶこと。かじってみて美味しくなかったらあたしが食べるから、無理に全部食べなくていいよ」

 ほしぐも――ちゃん、ニャビー、ヘラクロス、リーリエ、マダツボミ、ボールに入った三匹分のポケモンをあたしが、めいめいに手に取る。一番大きく見えるかけらを大きい子、後は大体でボールに入れる。

「これはオレンの実。ポケモンの体力をほんのちょっぴり回復させる効果がある。持たせてると、ポケモンが弱ったら勝手にバトル中に食べてくれる。ポケモンは性格によって好きな実の味が、あくまで傾向的なもんだけど変わってくる。この実は癖は強くないから、嫌うポケモンはあんまりいないね」

 見渡すと、特に嫌がらずにみんな食べているようだ。口に合わないってことはなかったらしい。ああ、オレンの実ならまだたくさん手に入るだろうし、ハウ君にも持って行ってあげるとしよう。数がわからないから、七等分……七等分ってどうやって切るんだ。うん、明日とかに実拾ってからにしよう。

「何て表現したらいいんでしょう。複雑な味ですけど、美味しいです」

 あたしにとってはその笑顔がごちそうです。心の中で手を合わせる。

「あれ、ユウケさんの分は?」

「あたしは味知ってるから、いいよ」

「あっ、マダツボミさん。これを二つに切ってくれますか?」

 女の子の口に合わせて、もっと小さく切るべきだったか。あたしは柔らかい実だとかぶりつくくらいだから全然考えが及ばなかった。女子力って何だろう。めざめるパワーの技マシンをあたしが使ったら使えるかな?

「はい、ユウケさん。わたしが口付けた後でもうしわけないですけど」

「いやいや、とんでもない。ありがと。おっと、あたし、ちょっとお花をつんで」

 しっかりと手を握られる。リーリエさん?

「どうしてお手洗いに食べ物を持って行くんですか?それと、ユウケさんの手持ちポケモンに、氷タイプの技を使えるポケモンとかいませんか?」

 繰り出してないポケモンにいる。外で氷漬けにしようと思った。私はLです?

「リーリエ、本名はリーリエスパーとか?」

「違います。今食べましょうよ」

 凍らせて一生保存しようと思ったのに。渋々座り直して、オレンの実にかぶりつく。美味しい。リーリエと間接キスだと思うと、耳まで赤くなる自覚がある。ああ、オレンの実がこんなに美味しいと思ったのは初めてだ。皮まで食べよう。

「皮は食べられないのでは?」

「だから何でわかるの?」

 皮をそっと保存しようとして、ゴミ箱に捨てるまで監視されたのは言うまでもない。

 

 翌朝、試練に挑むハウ君を激励して、そっと洞窟の入り口から見守るイリマさん、あたし、リーリエ。手を出さない限り、一番奥まで着いていっていいという言質は取ってある。マダツボミをボールから出して、見張りを兼ねて根を地面に伸ばさせてやりながら様子を見ているが、何の危なげもない。主ラッタも、あれなら問題ないだろう。

「ふむ、さすがはしまキングの孫というところですかね」

 しまキングの孫、か。アローラにいたら、ハウ君はその肩書きとずっと向き合うことになるのだろうか。本人はどう思っているのだろう。あたしはハウ君を、しまキングの孫だからどうこうでなく、一人の友達として尊重したい。あ、最後のコラッタが倒れた。そうだね、二つの巣穴、自分のポケモンに見張りさせてもよかったんだ。直接的に始末してしまおうとしまうのが僕の悪い癖。

「言うまでもないでしょうが、お二人ともお静かに」

 ハウ君の精神集中を乱したくないから、言われるまでもないが静かに頷きかけたが、代わりに小声で告げた。

「あたしが応援しに行ってハウ君の運が逃げたら嫌だし、やっぱりあたし、見張りしてるからお二人でどうぞ」

「ユウケさん、今までどんな生活を。おいたわしい」

「ユウケさん、いいから行きましょう」

 あっ、リーリエが思ったより力が強い。手を握られる幸せ。手が温かい。リーリエに手を握られるとなぜか腰砕けになってしまい、がんばりきれなかった。結局そーっと奥まで着いていって、小声でハウ君を応援することになったが、幸いあたしのせいで運が逃げるなんてことはなかった。危なげなくコラッタをモクローのこのはで(かく)乱してから、ラッタに突進していくモクロー。急所に入ったな。

「そこまで!イリマの試練、達成です!」

 拍手するあたし達。おじさんは昨日とは別の人だった。

「あー、みんなありがとー!」

 Zクリスタルを取った時の例のポーズをノリノリでキメて、ハウ君が眩しい笑顔で駆け寄ってくる。ナチュラルにハイタッチするハウ君とイリマさん、ちょっとだけ反応が遅れたけど、楽しそうに応えてタッチするリーリエ。おずおずとテンポ遅れて反応するあたし。

「さあ、これで晴れて皆さん三番道路に行けることになりましたね」

「そうだねー。あー、試練楽しかったー!」

「あたしのせいでこのは五回連続で外すとかなくてほっとしたよ」

「過去に一体何があったんですか」

「応援に行った野球チームが、応援に行った試合で勝ったのを見たことない、とか、憧れのトレーナーの試合を見学に行ったらすごい負け方をしたとか、ずっと昔から行きたかった店にはるばる旅して行ったら店主病気で臨時休業からの廃業を決めたりとか、それからそれから」

「聞いたぼくが悪かったです」

 

 あたしのせいで皆の頭のうえにちいさなきのこでも生えそうな雰囲気になってしまったので、何とか方向転換を図って陽気な声を頑張って出そうとする。そう、あたしは今物理最速。

「マダツボミ、見張りご苦労!」

 普段出さない声だから上擦ってしまった。土から養分と水もたっぷり吸ってご機嫌なマダツボミを抱きしめてから、ボールにしまう。うん、失笑でも笑いは笑いだから、よしとしよう。

「俺ねー、もっかいビーチ行ってくるね!乗せてくれるかもしれないし!」

「いや、大試練が終わらないと駄目だってい」

 凄い勢いで坂を駆け下りていくハウ君。性格はのんきで特性はてんねんか何かなんだろうな。おまけに凄い足が速い。あたしの声では絶対に届かない速度でどんどんハウ君が小さくなっていく。ああ。まあ、別に行ったら危険極まりないとかでもないし、いいか。

「いや、面白いトリオですね。皆さん」

「あたしが年長な分、しっかりしないとと思ってはいるんですが」

「ユウケさんは流されて引きずられるタイプみたいですしね」

 いけ好かない服を着たお兄ちゃんに誤解されている気がする。リーダーシップと固い意思には自信があるし、そう、ここは第三者であるリーリエの意見を。あれ、いない。

「リーリエ、見ました?ハウ君と一緒に走ってましたか?」

「いえ、すみません。ぼくもハウくんの見事な走りに見とれていましたが、リーリエさんは一緒ではなかったと思います」

「おーい、イリマくーん、ユウケー!」

 暇な筋肉研究博士の登場がこんなにありがたいものだとは思わなかった、という失礼極まりない思いを表に出さないよう努めた。

 

 手分けして探すことになった。ハウ君にも一応メールは入れておいたが、走り回っていて着信に気付かないかもしれないし、しかたない。とにかく、リーリエを探さないといけない。ほしぐも――ちゃんが戦える技を覚えたという話も聞いていないし、何のポケモンなのか見当もつかない以上、完全に想像の域を出ないが、ふしぎなアメの類を大量に与えないと難しいのではないか。ともあれ、あたしは受け持ちの北側へ走る。あたしが当てにできる手持ちのポケモンに鼻が効いて追跡できるポケモンも、空を飛べるポケモンもいない。昨日の晩バトルしたトレーナーに目撃情報を聞ければ早いのだが、と、三番道路を見渡すが、見知った顔がいない。しょうがない。あたしは手近な対戦相手を探しているトレーナーに向かって歩き始めた。

 

「お嬢さん強いな!大したもんだ!島巡りだろ?」

「あ……どうも」

 じれったいが、話の腰を折って鼻白まれるのは本意ではない。別にバトルで悪印象があったわけでもなし、でも急いではいるのだ。せかしたくなる気持ちを抑える。

「それより、女の子を探しているのですが、見かけませんでしたか?白い帽子に白のワンピース、プラチナブロンドの長いストレートヘア、肌が透けるように白くて青い瞳が美しい、モンスターボールマークが印字された大きいスポルディングバッグを抱えた、多分天使が実在したらあんな感じという超絶美少女なんですが」

「お嬢さんそんな大声出るんだ?!しかも早口!よく舌噛まないね!」

 残念ながら見てないというおじさんに一礼し、次の獲物を探す。人に話を聞く時に便利だし、あんな写真やこんな写真を盗撮、もとい、一緒の写真でも撮っておけばよかった。後でSDカードが埋まるくらいこっそり撮っておこう。三番道路の先に行くべきか、それとも脇道か何かがあるのか?

「ロトム、地図お願い」

「まかせてロトー!」

 ひょい、と飛び出すロトム。GPS機能も嬉しい。西が海だが、この断崖を降りるのはポケモンの力でも借りないと無理だろう。高所恐怖の気がないあたしでも、崖から下を見ているとちょっとおっかない高さだしな。岩塊の上も同じ。そんなところに登る理由も無いだろうが。三番道路の先を見て戻ってくるより、先にこの花畑を見に行くべきだな。どちんぴらが少しでも彼女に触れていたら締め殺してからニャビーの火で焼いてマダツボミの消火液をかけたあと崖から捨てようと固い決意をして、あたしはお花畑の方向に歩き出した。

 

 メレメレの花畑、というらしい。一面の黄色い花が、風になびいてさあっと音を立てる。あまり花に興味のないあたしでも賞賛の溜息が漏れる、美しい場所だ。アブリーや、黄色い鳥ポケモンが蜜を求めてかうろうろしている平和な情景。だが、あたしの捜し物は今は名所でも見知らぬポケモンでもない。人を探しているのだ。急がなければならない。

 

 坂を下ると、そこに尋ね人がいた。真っ白な服とそれに負けない透き通った肌、風をはらんでなびく金髪が輝く。花の甘くよい香り。

「リーリエ?」

 リーリエが振り返る。後ろにボケて見える花畑の一面の黄、今日も機嫌よく晴れ渡る青空のコントラスト。初めて出会った時のようだ。そして、あのときのように誰かとはぐれて困った子供のような顔。

「ユウケさん、よかった。ほしぐもちゃんが、勝手にバッグから飛び出しちゃって、追いかけている間にはぐれてしまいました。ほしぐもちゃん、戦えないのに、花園の奥に行っちゃって……」

 ポケモンの子供も人間に負けず劣らず好奇心旺盛だが、モンスターボールがトレーナーの命令に一定従うようにという条件付けとあわせてこういった迷子を阻止する。ほしぐも――ちゃんはモンスターボールに入っていないし、リーリエも捕獲して手持ちにするのは嫌だというので、仕方がない。あたしは人に何かを命令するガラじゃないし、そんな権利も意思もない。かぶりを振る。

「リーリエ、次からは声をかけてね。ほしぐも……ちゃんが心配なのはわかるけど。あたし達だって手伝えることもあるよ」

「はい、ごめんなさい」

 頭まで下げなくていいのに、と苦笑いしてしまう。

「ともかく、ほしぐも……ちゃん、を連れて帰ってくるから。どうしようかな。待っててもらったほうがいいかな」

 頷く彼女。

「お花畑の中でなければ、ポケモンは飛び出してこないようですから」

 スマフォは当然のように圏外だ。徒歩で山の上となると、基地局も無し、か。

「何かあったら、電話は死んでるから、大声を出して。すぐ戻るよ。それと、これ」

 けむりだまを手渡す。誰かの落とし物だが、リーリエの役に立ったならきっと功徳になる。間違いない。

「万が一ポケモンとか、変な奴が絡んできたら、そいつを投げて。地面にね。ぶつけようとか思わないように。で、大声を出しながら逃げる。わかった?」

 くすりと笑って、こくこくと頷く彼女。何か変なことを言っただろうか。

「ユウケさん、お願いします」

「野良の珍しいポケモンだと思われてとっ捕まえられる可能性もあるしね。さっさと行ってくるよ」

 自分で言ってからその可能性に気付いた。ボールに入ったポケモンは、ボール自体の防護機能が働いて他のボールを自動的に跳ね返すのだが、ほしぐも――ちゃんには当然それはない。花畑にいるポケモンなら、大抵は虫か草、それを狙う飛行タイプの鳥ポケモンくらいだろう。あたしはニャビーをボールから出した。

「着いてきて、ニャビー!寄ってくるポケモンにはひのこ!」

「ナオー!」

 嬉しげに着いてくるニャビー。可愛い。あたしの全速力でもニャビーは充分着いてこられるようだ。大体の方角しかわからないががさがさと走る。静寂を乱されて何匹かのポケモンが跳ねる。悪いね。寄ってこない分のポケモンは無視して、あたしは走る最中、少しでも視界を確保しようと飛んだり跳ねたりする。花園の奥、左手に何か青いもの。花園の色に擬態してないポケモンは少ないはずだ。他のところは後回しにして、青い何かが見えた方向に走る。いた。意気揚々と小さな洞窟だろうか、穴に潜り込んでいくほしぐも――ちゃん。まずい。土地勘のないあたしは引き離されたら追えない。

「ニャビー!あの穴に入って、ほしぐも……ちゃんを探して、引き留めて!」

 弾かれたように走って行くニャビー。もちろんあたしも追いかける。もし他のポケモンが来たら、違うポケモンで対処するしかない。

 

 小さな穴と見えたものは、案外と大きな洞窟の入口だった。茂みの洞窟前から走ったりバトルしたり、会話したり、あたしの呼吸器系は限界を訴えていた。歩きは自信があるが、運動は得意なほうではない。もう少し、持ってほしい。ニャビーは賢い子だが、猫ポケモンは物凄く目や鼻が効くわけではない。ニャビーもほしぐも――ちゃんも見失ったら、ポケモンを一匹出しっぱなしにして迷子にしたうえで迷子になった間抜けのできあがりだ。ぜいぜいと喉が上げる悲鳴じみた呼気で耳が効かない。目も慣れるまで少しかかる。数秒、深く呼吸をする。目が慣れてくるころ、少しだけ落ち着いた。あたしは転ばないよう慎重に洞窟の奥へ足を進める。

 

「ニャー!」

「ピュイー!」

「ニャビー、よくやった!」

 じゃれ回るニャビーとほしぐも――ちゃん。ニャビーは無事足止めをしてくれていたらしい。でかした!笑みがこぼれる。笑みとは本来攻撃的なもので、獣が牙を剥く行為が原点らしいが、今はそういう意味はない。

 まだ息を整えたいあたしは、二匹のそばに座り込む。煙草やってないのにこの息切れ。洞窟の中の涼しさが、火照った体には気持ちいい。ニャビーがぴょんとあたしの膝の上に乗ってきたので、額を撫でてやる。

「偉いぞー。さすがあたしの可愛い子。本当、どうなるかと思ったよ」

 元凶たるほしぐも――ちゃんを見る。野良のポケモンもトレーナーもいるし、襲われた経験もあるだろうに、ずいぶんとのんきな子だ。悪気はないのだろうし、どうにも憎めないが、リーリエの困った顔は見たくない。

「さー、ほしぐも……ちゃん。帰るよ。あんたの女神様が心配してるんだからね」

「ピュイ?」

 少しずつあたしにも馴染んではくれたのだろうが、それでもリーリエの言うことを聞かないくらいなのだから、あたしの言うことを聞く雰囲気は薄い。あまり本意ではないが、抱きかかえて戻るか、それともニャビーにメモでも持たせて、虫除けスプレーを使ってリーリエに迎えに来てもらうかだ。

「遊ぶのはいいんだけど、リーリエのバッグの外には危ない世界があるんだよ。わかる?あんたを心配してる人が、少なくとも三人はいるんだよ」

「ピューイ!」

「ロトム、ほしぐも……ちゃんに、今の翻訳してくれない?」

「ビガガケテ!ケテケテケテ!ケテケテ!」

 全然わかってないし、ロトム図鑑の言葉も通じたのかどうか。

「スピーカーのせいか、あんまり通じてないロト……」

「ほしぐも……ちゃんが何言ってるかはわかる?」

「それもマイクのせいか、ボクから聞くと雑音だらけなんロトー」

 ロトムのせいではないが、もうちょっと何とかならなかったのだろうか、この図鑑の部品。もうちょっと説得して、駄目なら息が整いきった時点で担いで帰ろう。そうあたしが決心した時、あたし達が入ってきたのとは別の入口から足音と話し声が届いてきた。不味い。ほしぐも――ちゃんが誰のポケモンであるか、証明する材料が一つもない。ポケモンの捕獲は当然、取ったものの早い者勝ちだ。最悪、あたしがボールに入れるしかないか。

 逡巡する間にも、足音と会話が近付いてくる。

「この世界のモンスターボールを模した我々のボールはうまく機能したようだな」

「そうだね、でも、追いかけっこくたびれたよ。目標を……あれ?ダルス、人がいるよ?」

「そのようだな、アマモ」

 一人は男性、一人は女性、少女らしい。白と青の色を除けば、ターミネーターじみた服装の二人が、座り込んだままのあたしの前で立ち止まり、両手で四角を描く。挨拶、らしい。あたしも立ち上がって頭を下げる。挨拶は絶対だ。古事記にもそう書かれている。この強烈な印象の二人、同一人物かは知らないが、リリィタウン前で一度見た気がする。

「質問したいのだが、女性よ」

「答えられる範囲なら」

「そいつは、お前が所有権を持っているのか?」

 はいと言えば嘘だし、いいえならどうなるか、火を見るより明らかだ。あたしならボールを投げる。珍しいポケモンは、トレーナーから見たら宝石のようなものなのだ。ステータスであり、可能性であり、力にもなりうる。コスプレ観光客であっても、ポケモンを使う人間ならそう思うだろう。

「まあいい。お前はZクリスタルというものを持っているな。お前がそのポケモンを守ろうとするなら、その力があるかどうか、確かめさせてもらう!」

 男はそう言い、ボールに手をかけた。だが、ボールを外す動作がぎこちない。舐めるのは危険だが、呑んでかかれる相手だ。

 

 男が繰り出したのはトリミアン。特性はファーコート。技の範囲が広いし、それなりに足も速い相手だ。今のあたしのポケモンだと、先手を取られる。あたしはニャビーの目を見てから、命令する。

「トリミアン、たいあたりだ!」

「ニャビー、かわしながらひのこ!ひのこだけでいい!殴れそうでも殴るな!」

「トリミアン、つぶらなひとみ!」

 ワンテンポ遅い。もとよりトリミアン相手に物理攻撃で殴るつもりはない。物理攻撃が下げられようが、今の時点ではどうでもいいことだ。ニャビーはくるくると跳ね回りながら、ひのこを叩き込み続ける。

「む、いかん……トリミアン、たいあたり!」

「ニャビー、くぐって避けて、足にひのこ!」

 多分やけどになったのだろう、トリミアンの動きが怪しくなる。

「降参してください。それとも、まだポケモンはいますか?」

「む……わかった。負けを認めよう。戻れ、トリミアン。しかし、理解できない。ポケモン勝負、調べてはみたが、やってみるのとは大違いだな」

 ニャビーはトリミアンの攻撃を何度かかすめただけでほとんど無傷だった。偉い偉い。飛び込んでくるニャビーの体当たりがそろそろ受け止められないくらい、強くなった。元気一杯だ。よしよし、と頭を撫でてやる。抱き上げていたニャビーの体が突然重たくなった。あたしはニャビーをゆっくり地面に下ろしてやる。ニャビーの全身が光り輝いて、シルエットが一回り大きくなった。

「ンゴニャアー!」

「ニャヒートに進化したロト!おめでとロトー!」

「これが、進化?へー、すっごいねー!」

「いや、そうじゃないだろう。お前の強さ、認めよう」

 本題から脱線していたらしく、男は一呼吸して続ける。言葉を切ったから話の切れ目かなと、思わずしゃがみ込んでニャヒートを撫でていたので、男を見上げる。一瞬間抜けな雰囲気が漂う。ポケモンの進化といえば、ポケモンの一生にとって凄く大事なことだし、あたしが祝福しろ、進化にはそいつが必要だ――と思ってニャヒートと戯れてしまっても仕方ないのではないか。咳払いして立ち上がる。

「そいつは、危険を感じるとワープする能力を持つ。その時に開ける穴から、危険な連中を招きかねないのだ。だが、お前は強いらしい。お前がそいつを守っていれば、大丈夫だろう」

「あのお姉ちゃんはどうするの?」

「穴が不用意に繋がらなければ、俺らの調査には関係無い。行くぞ、アマモ」

「うん、じゃあね。アローラの人」

 四角を描く挨拶。あたしも小さく頭を下げた。

「何だったんだロト?」

「あのアマモという女の子、目元は見えなかったけど、ちょっと可愛かったな。そう思わない?」

「いやいや、そこロト?!」

 何だか噛み合わない会話で、どっと疲れが出た。ほしぐも――ちゃんを抱き上げる。抵抗しないから、合意とみてよろしいというところだな。疲労が溜息となって流れていく。

 

 こちらを凝視しているリーリエに向けて、ほしぐも――ちゃんを抱え上げる。あたしも、リーリエに何事もなくて一安心だ。

「ユウケさん、本当にありがとうございました」

「いいよいいよ。でもね」

 あたしはさっきの出来事をかいつまんで話した。

「そう、ですか……」

「ボールに入れなくても、首……いや、腕輪か何かで表示しておくってこともできなくはないんだけど。ボールの防護機能はついてないからね」

 相手の良心次第ということだ。ただ、相手に良心があったとしても、試しにボールを投げてみて「防護機能が働かなければ捨てられたポケモンであって捕獲してもいい」と判断してもいいというのが慣習だし、腕輪にそもそも気付かない可能性もある。逃げ出したポケモンの所有権を巡った裁判で何だかそんな項目があった気がする。だから育て屋さんは孵化したポケモンが直後に逃げ出しても防護機能が働くよう、生まれたタマゴの時点でボールに入れるのだとか。いや、思考が逸れた。

「ま、今すぐ判断しなくてもいい。考えておいて」

「はい。わかりました」

「じゃ、ククイ博士とイリマさんが探してくれてるから、戻ろう」

 

 アンテナが立った時点でククイ博士とハウ君に連絡して、イリマさんの連絡先は知らないのでククイ博士からの伝言を依頼した。

「さて、あたしはもう三番道路を下って行こうかなって思ってるんだけど」

「博士が迎えに来てくださるらしいので、わたしはここで待ってます」

「そう?それならあたしも博士が来るまで待ってるよ」

「大丈夫ですか?」

「別に急ぐ旅でなし、大丈夫大丈夫。折角だからここのポケモンも捕まえておきたいしね。あんま離れないようにはするけど。ほしぐも……ちゃんから目を離さないでね」

 こくりと頷くリーリエ。あたしはさっき見かけた鳥ポケモンを探しに行くことにした。

 

 博士にリーリエを任せて、あたしは一気に三番道路を下ることにした。ハウ君は「明日の昼まで、大試練に向けてイリマさんと特訓する。夕方にはリリィタウンに戻る」ということらしい。三番道路の先、どんなポケモンがいて、どういうトレーナーがいるだろうか。ただ、大試練はあたしも明日にしようと思った。

 

「ユウケ、あんた帰ってくるなら電話しなさいって言ったでしょ」

「ヌニャア!」

「あれ、ご飯要らないならいいんじゃなかったの」

「そうだったかしら?」

 帰ってきてかつご飯がいるなら電話せよ、という条件だったはずだ。どっちにせよ、昼も晩もご飯は携帯食料で済ませてしまった。

「そうよ、あんた、明日の朝ご飯食べていくんでしょ?」

「参りました。次からちゃんと電話します」

「わかればよろしい」

 一本取られたというか、迂闊だったな。つまらない意地を張るより、ご飯をちゃんと食べたい意欲が勝った。

 

 朝ご飯を食べて、のんびりとお茶を飲んでいる。手持ちのポケモンは、サイズ的に出せる子は全部あたしの部屋で放してやっている。あんまりどったんばったん大騒ぎはしてないが、ニャースも交えて楽しそうな雰囲気は伝わってくる。一匹だけ出せない子がいるが、許して欲しい。ここは豪邸ではないのだ。

「あんた、今日はどうするの?」

「夕方に、リリィタウンで大試練ってやつを受けてくるよ」

「それでだらけてるんだ」

「だらけてないし……すごいしゃんとしてるし……いつものポーカーフェイスだし」

「ソファに伸びてお菓子つまみながらテレビ見てだらだらしてるのはしゃんとしてるって言わないわよ。あと、あんた、ポーカーフェイスっていうか、表情が固いだけだから」

「えっ」

「えっじゃないわよあんた。あんたの試合、父さんと母さんずっとテレビとかで見てたけど、眉間の皺は深くなるばっかりだし、ただでさえ悪かった目つきはアーボックかサザンドラかみたいになるし、勝ってインタビュー受けててもヨマワール、負けたら瀕死のサマヨール、みたいな感じで、父さんなんか『本当に連れ戻したい』って言ってたんだから」

 嫌なことを聞いた。そんなに酷い顔だったのだろうか。

「でもね、あんた、まだ来たばっかりだけど、ちょっとは顔柔らかくなったわよ。やっぱり熱帯の気候のお陰かしら?」

 それはそれで、どうかと思う。むにむにと自分の顔を引っ張ってみる。表情筋、ちゃんと働いていると思っていたのだが。というか、目つきの悪さは生まれつきです。

「目つきはお父さんのひいおじいさん似らしいわよ。リングマとにらみ合って追い払ったことがあるなんて聞いたわ」

 嫌なことを聞いた。もうサングラスでもしようか。似合わないから嫌だな。

 

 大事な一戦を控えたトレーナーの行動は、大体だが三種類に分かれる。ギリギリまでポケモンを鍛える。ギリギリまでポケモンをリラックスさせる。現実逃避をして出たとこ任せにする。あたしは二番目だ。相手ポケモンや自分のポケモンの攻撃でできた段差に引っかかって攻撃が外れて負け、相手ポケモンの追加効果一割を必ず最初にくらい、こちらの三割は一切発生しないで負け、両壁を貼ったうえで交代させたポケモンが急所に当たりやすい攻撃でないのに急所一撃負け等々、確率の神というものがあるなら多分生まれた瞬間に糞団子かこやし玉でも顔面に投げつけたのだろう。というタイプのあたしは、ポケモンが機嫌よく戦ってくれるのを一番重視する。負けたらしょんぼりするし、焦燥感に駆られて訓練してもろくなことがないというのが、あたしの経験だ。もちろん、ギリギリまで鍛えるのが悪いとは思わない。あたしとあたしのポケモンの性には合ってないと思うだけだ。

 

 昼食を食べてからもソファでだらだらしていた。まだ早いけど、そろそろ出ようかなと思い始めたころ、玄関の呼び鈴が鳴る。シャワーズが三回くらいとけるを使った状態だったあたしは、ソファから体を剥がして座り直した。お客さんに丸見えだからだ。

「ユウケさんのお母さま、こんにちは」

「あらあらあら、リーリエちゃん!よく来てくれたわ!あの子、変なことしてなかった?」

 しばしの沈黙。黙らないで。沈黙が耳に痛い。くすりと笑うリーリエ。

「ええ、とっても頼りにさせていただいてます」

「あらあらあら!あの子、人付き合いが苦手だから、会話が成り立たないとかそういうのがひどかったら電話してちょうだいね!」

 最悪の協定が締結された気がする。やっぱりとけるを使いたい。あたしは頑張って気配を殺しながら、二階に上がった。ポケモンをボールに戻して出かける準備をするだけで、あまりに恐ろしい情報交換やこれ以上の協定が結ばれる恐怖に耐えられなかったからではない。断じて。準備を整える最中、思い立ってオーディオプレイヤーを立ち上げる。お気に入りの曲、そして験担ぎの曲を聴きたいと思ったのだ。流すのはもちろん、Megadethの"Kill The King"だ。あたしの音楽の趣味を知っているニャース以外は、ちょっと驚いた顔をする。そんなに驚くことかね。

 

 準備と験担ぎを終えて降りてくると、まだ話が盛り上がっていた。

「リーリエ、お待たせ。準備できたよ」

「『わざわざ迎えに来てくれてありがとうございます』くらい言えないの?!まったくもう、あんたって子は!親の顔が見たいわ!」

 そうですね。鏡よ鏡。リーリエもくすくす笑っている。あたしは帽子を深めにかぶり直して、ぼりぼりと後頭部をかいた。

「まあ、そろそろ時間だし」

「そうですね。それではお母さま。また興味深いお話を聞かせてくださいね」

「この子のアルバムとか用意して待ってるからね!」

 もうやだこの母さん。娘が「心が折れそうだ……」とかになったらどうする気なのだろう。「お前もそう思うだろう?フンッ……フッフッフッ……」いや、洒落にならないか。

 

 午後の一番暑い時間帯、入道雲がにょきにょきと立ち上がり、鳥ポケモンがさえずる。今日もアローラは絶好の島巡りびよりだった。

「大試練の内容は、ご存じですか?」

「しまキングであるところのハラさんとポケモンバトル」

「その、不躾な質問かもしれませんが、自信はありますか?」

「ある」

 即答したあたしに、リーリエは少し目を丸くした。あたしは笑う。

「基本的に、挑戦を受ける側、この場合はしまキングだけど、しまキングにせよキャプテンにせよ、何らかの制約があるんだよ。自主規制か法的に規制してるかわからないけどね。だってさ、普通に考えて、島巡りをするポケモン歴一週間とかの人間とそのポケモンが、ポケモン歴五十年とかの人が生涯をかけて育てて来たポケモンに勝てると思う?」

「なるほど、それで規制ですか」

「そういうこと。よその地方だとポケモンジムってのが設けられてるのは知ってるだろうけど、ジムリーダーも規制の下で新人(ターキー)とやり合うわけ。でないと勝てる訳がないからね。島巡りだって同じさ。さもないと、挫折者で島がパンクするよ」

「そうなんですね。安心しました。ハラさん、すごくお強い人だと聞いてましたから。怖いですけど、最後まで応援してます」

「ありがとう。ま、運がせめて敵をしなければ、やれるさ」

 もちろん、前提は正しい。ハラさんが加減ができない人間には見えないし、完全に偏見だが、ハラさんは多分格闘タイプか岩タイプ、さもなければ地面タイプの専門家だろう。まだ出してない切り札を使って、あたしは切り返すことができる。後は、あたしを単なる島巡り挑戦者として扱ってくれるかどうかだ。ククイ博士がどうあたしを紹介したのか聞きたい。今、リーリエに聞いてもいいのだが、藪からアーボ、噂が野火のように広がって「全力出してオッケーなやつ」というレッテルを貼られたら最悪だ。リーリエに限ってそんなことはないと思いたいが、彼女自身に話す気がなくても、人間何があるかわからない。

 そう、あたしは、あたしからは逃げられないから、だから、いつでもここから逃げられるようにしておかないといけない。

 

 大試練はリリィタウンの土俵でやると聞いていたので、町の入口の辺りで待つことにした。ベンチがあったので、リーリエの隣に腰掛ける。直射日光が当たらなければ、結構涼しいものだ。リーリエはほしぐも――ちゃんをバッグ越しに構ってやっている。狭い町とはいえ、出してやるわけにはいかないというのは同情する。詳しい事情を聞いていいものだろうか。いや、本人が話したくなるまで待つとしよう。話したくならないならそれはそれで構わない。あたしは知ってる範囲でできることをするだけでいい。

「あー、ユウケー!リーリエー!」

「おっ、全員揃ってるね!ユウケ、ハウ!今日の大試練、すごい技とバトルを期待してるぜ!」

「ありがとうございます、博士。やるだけやってみます」

「ずいぶん弱気だな。ユウケには実績があるんだから、大丈夫さ!」

 逆にそれが不安材料なのだが、わかっているのだろうか。わかっていない顔だな、博士。すごい失礼だが、悩み事が少なそうだ。

 

 あたしのことはもうしょうがない。もしハラさんが全力なら、あたしは二日後の相棒達の到着を待って、そこで再戦をするしかない。今のパーティは、単純に経験が足りていないのだ。パーティバランスがどうだとか、技構成がどうだとか以前の問題だ。悩んでもしょうがない。

「じゃーみんな、行こー!」

「待って、ハウ君」

 あたしはハウ君の目をじっと見る。疑心なくあたしを見返すハウ君。

「今日、ちゃんとポケモン達は仕上げてきたんだよね?」

「もちろん!じーちゃんの全力を引き出すためにねー!」

「わかった。この大試練なにゃ」

 噛んだ。大事なところで噛んだ。痛い。

「にゃ?」

「ごめん、やり直させて。噛んだ」

 深呼吸。あえいうえおあ。青を心に、一、二と数えよ。

「この大試練、あたしとハウ君、どっちが先に挑む?因縁っていうとおかしいけど、ハウ君は一番拘りがある相手でしょ?」

 ハウ君は、うんうんそれで、という顔をしている。

「あたしが先にやるなら、ハウ君は有利になる――かもしれない。ハラさんは当然二連戦なのがわかってるから、パーティの中身を変えてくる可能性はあるにしても」

「逆にさー、俺はずっとじーちゃんのポケモンバトル見てるから、ユウケが後のほうがいいんじゃないのー?」

「あたしは、どっちでもいいよ。前でも後でも、どっちでも勝つ自信がある。厳密にいうと、島巡り挑戦者相手に手心を加えないといけないハラさんになら、勝つ自信がある。だから、ハウ君が先に挑むか、後に挑むか、決めてほしい」

「うんー……ちょっとだけ、考えていい?」

「土俵の前までだよ。行こう」

 あたしは頷いて、前に立って歩き始めた。

 

 土俵の前で決めるといったが、あれは嘘だった。土俵の更に手前、町の通りでハラさんが待ち構えていたのだ。背中がものを言うという例えがあるが、まさにハラさんがそれだった。自分は強いが、自分を越えていけるかという問いかけを発する背中。

「背中だけで、ハラさんすごい強そうロトー!」

 しみじみ同意するが、あたしもそれなり以上には色々やって来てる。気圧されてはない。まだ。あたしはハウ君にちらりと目をやる。

「うん、決めたよ、ユウケ」

「どうする?」

「じゃんけんで決めよう!勝ったほうが先に挑戦で!」

 ある意味公正かもしれない。そうかもしれないが。ハラさんに精神攻撃が決まってないか?声が聞こえる距離だし、あたしはハラさんを少し心配してしまった。

 

 じゃんけんは三回あいこをした上で、あたしが勝った。

「ハラさん、あたしから大試練に挑戦させてください。よろしくお願いします」

「わかりました。では、行きますかな」

「見学は大丈夫ですか?」

「おお、構いませんぞ。町の皆も見に来ますでな」

 

 ハラさんの一戦となると、やはり見たい人が多いのだろう。それほど大きくもない町で、結構な人だかりだ。土俵に向かい合って立ち、お互いに一礼。これが二つ目のジムだとしたら、それほど緊張しない気がする。しかし、見知った人が旅の最中に必ず戦って勝たないといけない相手というのは初めてかもしれない。あたしがあまり対戦前に相手を煽るタイプでなくてよかった。ハラさんの腰のボールは、三つ。

「ユウケくん、君には孫がお世話になってますな。ですが、今あなたの前にいるのは、しまキングのハラ。私心なくまいりますぞ。このメレメレ島最後の試練にして、しまキングとのポケモン勝負。その名が大試練!」

 威圧するためでも、威嚇するためでもない、はっきりとした大声。腸に響く。この人は強い。強い人と戦える喜びから頬が緩みそうになる。

「では、まいりますぞ!大試練、はじめ!」

 お互いがボールに手をかける。

 

 あたしはもう出し惜しみしないことにした。勝てばこの島の試練は問題ないし、手も足も出ないほど負ける状況になるなら、それはそれで仕方がない。次のための偵察だと割切る。なら、小当たりしても仕方ない。

「行け、ハガネール!」

 ハラさんの先発は――マンキー。やれる。オコリザルが出てこないということは、制限下ということだ。

「ゴオオッ!」

 ハガネールの巨躯が、大質量が土俵を揺らす。いかにも強そうな外見にざわめきが起きる。ハガネールはタイプもだけど見た目で選んでいる節を自覚している。怪獣ポケモン大好き。

「へぇ、ハガネールか。ハガネールは鋼・地面タイプ。相性的には格闘タイプのマンキーには不利だな」

「わー、すっげー!かっこいー!」

「ユウケさん、初めて出したポケモンですね」

 あたしはいつも通りやることにした。こっちの数的有利は考えない。あたしのやりかたを押し通す。

「ハガネール、ステルスロック!」

「きあいだめ!」

「ステルスロックは見ての通り、場に尖った石をばらまいて、出てきたポケモンの体力を削る技だ。きあいだめは、次の攻撃が必ず急所に当たる技だね」

「どっちの技も、二回攻撃したほうがいいんじゃない?」

「ところが、そうでもないんだな。ステルスロックは除去しない限り必ず相手の体力を削るから、がんじょうとか、きあいのタスキとかを無力化するし、きあいだめは相手の防御が上がっていても急所に当てて無視してしまう」

 正直なところ、マンキーもオコリザルも使ったことのないポケモンでよくわからない。格闘技を持っていないわけがないし、こっちに相性のいい技は一つもない。あたしのハガネールは特性ががんじょうだから、一発もらっても耐えて返すことはできる。だが、確実に食える保証はない。石が土俵上にふよふよと漂ったのを見届けて、ハガネールを戻す。

「ハガネール、戻れ!頼んだ、ミミッキュ!」

 格闘技読み交代。交代読みで岩技を打たれても、最悪でも皮を剥がされるだけで済む。あたしならここはマンキーにがんせきふうじを打たせるが――。

「からてチョップ!しまった!」

「ミミッキュ!」

 ミミッキュは強力な特性と使い勝手のいいタイプ、器用さから世界リーグ戦でも人気の高いポケモンで、あたしも他のトレーナーとの交換で手に入れた一匹――の子供だ。元々の親は陽気だったが、この子は意地っ張り。ただ、タマゴ技で火力を上げられるようなものや、強力な技は残念ながら持ってない。

 アローラ地方では当然有名なポケモンなのだろう。ギャラリーもざわつく。

「ミミッキュ?!ゴースト・フェアリータイプのポケモンだ。相性は最高といっていいだろうね。それにしても、ユウケがアローラ地方の、それもメレメレ島以外のポケモンを出してくるなんてね。これは確かに意表を突けるよ」

「マンキーがすり抜けてったけど、どうなったの?よけた?」

「ゴーストタイプのポケモンに、ノーマルタイプと格闘タイプの技は基本的に当たらないんだ」

 ハラさんには悪いが、相性で押し切る。つるぎのまいかいのちのたま、でなければこだわりハチマキがあればもっと安心できるのだが。

「ミミッキュ、ひっかく!」

「みやぶる!」

「みやぶるを使えば、ノーマルタイプも格闘タイプも当たるようになる。でも、当然それだけ時間がかかるからね」

 みやぶる持ちか、だがそこまで硬い相手でもないと見え、ミミッキュの一撃でかなりふらついている。

「かげうちで仕留めろ!」

「からてチョップ!」

 ミミッキュの足下からずるずると影が這い出て、マンキーを吹き飛ばす。威力のない先制技とはいえ、一致技だ。

「マンキー、戦闘不能!」

 審判員の試練サポーターのお姉さんが宣言する前に、ハラさんがマンキーを引っ込めた。当然だが、ダメージに按分がついているということだな。ハラさんの二匹目は、マクノシタ。出てくる時にステルスロックが刺さるが、意に介した気配もない。こいつも押し切る。

「ミミッキュ、動き回りながらかげうち!」

「がんせきふうじ!」

「かげうちは先手を取れるゴーストタイプの技、がんせきふうじは相手の動きを遅くする技だ」

 こちらのかげうちが当たるが、タフなポケモンらしくそれほど効いているそぶりがない。がんせきふうじをもらって、ミミッキュのばけのかわが剥がれる。ミミッキュの足が鈍る。

「ミミッキュ、構うな、殴り続けて!」

「すなかけ!」

 もう一発。まだ倒れない。マクノシタがまき散らす砂がミミッキュの目に入る。もう一発、かげうち。影があらぬ方向に伸びる。マクノシタはふらついてはいるが動ける。再度すなかけ。

「ミミッキュ、三十度の方向にかげうち!」

 速度が落ちて、影の動きが鈍いせいで避けられたが、ぎりぎりかすめた。それでマクノシタは落ち――ない!

「はたきおとす!」

 足の遅くなった上に目の見えてないミミッキュはマクノシタの動きに反応できず、オレンの実が落とされる。拾う時間がない。マクノシタを仕留めさせる!

「はたきおとすは持ち物を持っている相手にダメージが二倍入る悪タイプの技だ」

「六十度方向にかげうち!」

 もろに入ってマクノシタが倒れる。もうミミッキュはほとんど目が見えてない状況だし、タイプ不一致でも木の実を持たせておいたことが裏目に出てかなり足に来ている。まだやれるなら、先制技をもう一発入れて、いや、駄目だ。ミミッキュがこてんと転ぶ。

「マクノシタ、ミミッキュ、ともに戦闘不能!」

 ミミッキュで全抜きするつもりだったのだが、技が足りてなかったか。はたきおとすも読めていなかった。

「ミミッキュ、よくやったよ」

 それでも二匹食ったのは小さくない。最後の一匹、残りの隠し球を投げるか?いや、この子は格闘タイプ相手には相性が悪すぎる。

「ニャヒート、お願い!」

「マケンカニ、行きますぞ!」

 タイプの相性的にはどちらも有利不利無し。一気に畳みかける。

「ほのおのきば!」

 ハラさんはポケモンに指示を出さず、奇妙な構えを――Z技か!かなり効いているはずだが、一撃を堪えたマケンカニが光を帯び、踏み込んできた。

「ニャヒート、右側に飛んで避けて!」

 ポケモンでも右利きのほうが多いはず。拳で打つ技なら、右に飛べば。マケンカニが尋常でない速度で突っ込んで来て、ニャヒートが巻き込まれる。

「ニャヒート、戦闘不能!」

 ニャヒートを戻す。Z技に不慣れとはいえ、あたしのミスだ。ミミッキュがいれば、無傷でスカせたのだから。

「ニャヒート、ごめん。ありがとう」

 もう一度、ハガネールを出す。タイプ相性は悪いが、こちらは無傷で頑丈持ちがいる。対して相手はステルスロックが刺さった上に、意地っ張りニャヒートのほのおのきばをもろに食らっている。少なく見ても三割は体力を削ったはずだ。咆吼を再度上げるハガネール。他に使えるポケモンがいるのに、あえて不利なタイプを最後に出す。普段のあたしなら、何かの技を誘う時にしかしない。

「ほう……あえて不利なポケモンを出すとは、三対三でやりたいということですかな?」

 あたしはハラさんをまっすぐ見据えて頷いた。

「ハラさんを馬鹿にしてるとか、そういうことじゃないです。あたしは、同じ数でやるっていうルールで生きてきましたから。それに、ハラさんのマケンカニはもう道具がないですし、体力も削れてます。それに、勝算ゼロの勝負はしない主義ですから」

 ハラさんは大きく笑う。

「その意地あっぱれ、ですが、勝負は最後までわからんものです。ハラハラさせますぞ!」

 積み技がないなら、ダメージレースで勝てる。せめて、逆風が吹かないことだけを祈る。この島の神、カプ・コケコはきっと勝負に恣意的なことはしないだろう。だから、あたしと、あたしの意地に祈る。お願い。せめて運の天秤を向こうに傾けないで。

「ハガネール、ヘビーボンバー!」

「グロウパンチ!」

「おお、僕としたことが、見とれて解説してなかったね。ヘビーボンバーは重量差で威力が変わる鋼タイプの技だ。グロウパンチは一発の威力は低いが、攻撃しながら攻撃力を一段階上げる技だぜ」

 リーリエとハウ君はもう無言だった。重低音が土俵を揺らし、土煙がもうもうと上がる。

 がんじょうはもう当てにできないが、タイプ一致でもグロウパンチなら半分も効いてない。充分耐える。

「ハガネール、もう一回ヘビーボンバー!」

「グロウパンチ!」

 土煙で見えない。ハガネールが先にもらって、そこからヘビーボンバーが当たった、はずだ。あの技は外さない、はず。土煙を空かして、大きく鉄蛇の影が持ち上がる。ハガネールは持ちこたえている。

「マケンカニ、戦闘不能!よって、ユウケ選手の勝ち!」

「……やった」

「はっはっは、これは一本取られましたな!」

 拍手が小さく、段々大きくなる。ジムリーダー戦でも、観客は結構入るので慣れてはいるつもりだったが、こんな大見得を切ったのは初めてだ。ハガネールを戻す。

「よくやった、ハガネール。あとでたっぷり撫でてやるから」

 あたしとハラさんは再度場に戻って一礼。

「お互い本気の全力で勝負できるのが楽しみですな。その時も同じ数のポケモンで付き合ってくださいますかな?」

「その時、考えさせてもらっていいですか」

 悪意の感じられない「そこは、『喜んで』じゃないのかー!」という野次が飛んでくる。ミミッキュが育っていれば、ハラさんの技次第だが六タテもできなくないので、根性無しと言われればそうなのだが。色々やってきたあたしでも、そこは断言できないくらいハラさんのポケモンは凄いと思ったのだ。

「はっはっは!それでは、挑戦者ユウケを大試練達成者とここに認め、カクトウZのクリスタルを授けます!」

「ありがとうございます」

 もう一度一礼して土俵を降りる。休憩を挟んでだが次の一戦がしまキングとその孫の一戦ということで人垣は崩れない。好意的な拍手、「やったな!」という声。「あっ、ど、どうも……ありがとうございます……」と小声で頭を下げながら通るあたし。なぜかポケットに詰め込まれるお菓子やポケマメ、木の実。ハイタッチを求める人に、こわごわと返しながら、リーリエ達の元へ。

「ユウケ、やったな!」

「ユウケー、すごいよー!じーちゃんに勝つなんてさー!」

「ユウケさん、すごかったです。ハガネールさんたちも」

 博士にハグを求められる。痛いです。見てわかる、触ってわかるすごい筋肉。これあれかな、このまま阿修羅バスターとか決められる奴かな。幸い殺人技とかはかけられずに解放された。

 ハウ君とハグ。マラサダかな?いいにおいがする。

「次、ちゃんと応援してるから」

「ありがとー。じーちゃんの本気出してもらうようがんばるよー!」

 おずおずと手を広げるリーリエに、あたしも何だかおずおずと、でもしっかりと抱きつく。

「おめでとうございます。本当に」

「ありがとう」

 ハウ君もお菓子のいいにおいがしていたけど、リーリエのこのいいにおい何なんだろう。香水か、それともシャンプーなのか。目が回る。ここに住みたい。

「あらー、よくやったわね、ユウケ!」

 至福の場所から飛び離れていつものポーカーフェイスを作り直すまで、主観時間一秒。

「母さんか。まあ、ハラさんは加減してくれてたからさ」

「あんたさっきすごい鼻の下伸びてたわよ」

「マジで?!」

 母という生物に指さして笑われている。カマをかけられたか。母さんには勝てる気がしない。母さんのちょうはつであたしは変化技が出せなくなった。

 

 とても大事なことを忘れるところだった。ハウ君を応援したいのは本当なので、あたしは全速力でポケモンセンターに走る。がんばれあたしの呼吸器。ぜいぜい言いながら、受付のジョーイさんにボールを渡す。

「お願いします」

「あら、さっきはおめでとう」

「あ、ど、どうも……」

 不意打ちだった。何でも、あたしの試合だけ見て帰りに立ち寄った人がいたらしい。

「ハラさんに勝つくらいのトレーナーさんですものね。これからもがんばってくださいね」

「あっ、はい、ありがとうございます……」

 何人かの他のお客さんがあたしを見ている、気がする。注目されるのはやっぱり恥ずかしい。ボールを受け取って、あたしは急ぎ駆け戻ることにした。

 

 さっきの勝者に敬意を表して、ということか、単に全力疾走してきたあたしの顔がアレだったのか、ククイ博士の横、最前列を譲ってもらうことができた。ありがたく見させてもらうことにする。

「おー、ユウケ。間に合ったな。よかった。それにしても、とびだすなかみ発動直前って感じだぜ?」

「結構、坂、きつい、です」

 走り込みが足りない。リーリエがさりげなくおいしいみずのペットボトルをくれる。礼を言って受け取る。残念、新品だ。ハウ君が準備運動をしている。いつもの柔和な顔が、明らかに緊張で硬くなっている。偉大な祖父と向き合う勇気の裏返しなのだろう。本人の心は、本人しかわからないから、確実なことは言えないけれど。あたしはさっき一番頑張ったミミッキュをボールから出して抱き上げてやる。

 

 一番気になっていたこの大試練が終わった今なら、あたしでも勇気を出せる、かもしれない。大きく息を吸い込んで、止めて、吐く。落ち着いて、冷静に。周囲の喧噪が今はありがたい。母さんはリーリエとおしゃべりに夢中だし、今が一番いいタイミングだ。ククイ博士にそっと耳打ちして尋ねる。

「あたしの経歴、どこまでしまキングとキャプテンに伝えたんですか?」

「えっ?持ってるバッジと、元チャンピオン防衛歴、それと世界リーグの成績かな」

 全部やんけ。めっちゃ素だし、悪意はないんだろうけど。悪意がないだけたちが悪いというやつでは。

「あの、ちなみにどういうルートで……?」

「島巡りの連絡会的な集まりがあってね、しまキングやキャプテンが集まるんだ。ぼくも用事があってこの間出席して、その時にね」

 全部やんけ。ククイ博士なら、ハガネールのヘビーボンバーでも耐えるのでは?一発くらいなら許されるのでは?

「大丈夫、ちゃんと『島巡りは一からやると本人から聞いているから特別扱いせず、そのつもりで前向きに善処してほしい』って言っておいたから」

 ヘドロウェーブとオーバーヒートで新しい合体技とか実験してみませんか、という言葉を必死に飲み込んだ。

「いや、でも楽しいだろ?さっきのハラさんだって、ちゃんと君のことを受け止めてくれたわけだしね!」

「ああ、やっぱり対策してたんですか」

「ゴーストタイプのポケモン自体はメレメレ島でも捕まえられるから、もともとハラさんも全然対策してないわけじゃない。僕はてっきり、ゴーストかフワンテ、ムウマくらいだとは思ってたけどね。ミミッキュは確かに、隠しておく価値のあるポケモンだよ」

「まあ、今日全部手札出しましたけどね」

「ん?後一匹、まだ見せてもらってないような」

「ああ、その……好きなポケモンなんですけど、いろいろと問題があるといいますか。そのうちお披露目します。可愛いあたしの子だし」

「それは楽しみだな。お、始まるぜ」

 

 さっきはあたし自身が舞台にいて、ハラさんと目の前のバトルに集中できていたからか、それとも祖父と孫の対決ということで注目度がより高いのか、ギャラリーの声がより地鳴りのように聞こえる。大勢の前では上手く動かない喉を必死に酷使する。

「ハウ君、頑張れー!」

「頑張ってくださーい!」

 ククイ博士と母さんは、どっちを応援するという感じでもなさそうだ。内心はともかく、あちらを立てればこちらが立たずというやつだろうか。

 ハウ君の顔見知りがあちこちにいるのだろう。緊張した面持ちながらも、あっちのほうに手を振り、こっちのほうにも手を振り。手汗をかいたのを察したのか、手(なのだろうか。親とは割と付き合いが長いのに、いまだにわからない)を握ってくれる。あたしもミミッキュの手(?)を握り返して、苦しくないように気をつけながら、ミミッキュを抱きしめた。ゴーストタイプのポケモンだからか、温かくはないけど冷たくもない不思議な感触が、あたしを少し落ち着けてくれる。

 

 ハウ君は終始優勢だった。フクスロー(モクローから進化していた)がタイプの優位を生かし、不利な時には引いて、ピカチュウで状態異常を撒いて、もう一度フクスローを出し、綺麗に決め、ハラさんのマケンカニが倒れた。どよめきが拍手に変わる。ハウ君が勝ったことは嬉しいし、戦いっぷりは確かに上手かった。上手かったが、ハラさんの出したのはさっき、あたしのポケモンと戦った子じゃない。確信はないがそう思った。これが自惚れか、気のせいであってくれれば一番なのだが。

 

 ハウ君がこっちに戻ってくるまでずいぶんかかった。友達や知り合い、親戚なんかも多い分、あたしよりはるかにもみくちゃにされていたからだ。遠くからもみくちゃにされている様がよく見えた。だが、その顔はほんの少しだけ浮かなさそうだった。

「おめでとう、ハウ!いい技出してたぜ!」

「おめでとうございます。上手く言えませんが、すごかったです!」

「あらあらー、ハウ君、よかったじゃない!」

「その……おめでとう」

「ありがとー。でも、じーちゃんの本気、出してもらえなかったなー」

 ハウ君もそう思ったか。

「ユウケと戦った時と違う子だったよねー。じーちゃん教えてくれなかったけどさー」

「ハウ君がもっと強くなったら、本気で戦ってくれるよ。ハウ君は強くなれると思う」

 不安げな表情を覗かせるハウ君。

「目標があって、ポケモンを好きでいられるなら、きっと大丈夫」

「そーかなー。うーん、そうかも。結局、本気になってもらうためには強くなるしかないもんねー」

「自分と、相棒を疑わないであげて。あたしが今言えるのはそれだけ」

 多分この場で、一番それを難しいと思い、ふらつくあたしが言うのは滑稽だけれど、きっと必要なことだと思った。少し強ばった表情のハウ君が、やっと相好を崩してくれた。

「そーだよね。ありがとー、ユウケ!」

 

 土俵の上から、ハラさんがあたしとハウ君を呼んでいる。

「なんだろーね?いこっか」

 自然にあたしの手を取って引き、先導してくれるハウ君。いい子だ。

「おお、ユウケくんにハウ。呼び止めてすみませんな。一つ、渡し忘れたものがありましてな」

 何だろう。あたしとハウ君に一つずつ。見たことのない緑色の機械。

「アローラ地方では、ポケモンに乗せてもらって旅を助けてもらうというのは知っていますかな?」

 パンフレットで見た。頷く。

「このライドギアとライドウェアがあれば、ポケモンに乗れるんですな。ユウケくんには、前に触ってもらったあのケンタロスを連れていってやってほしいんですな。彼もきみが気に入ったようですしな!」

 あの道路を塞いでいた子か。あたしとハウ君のどっちに着いていったほうが楽しいか、損得勘定が苦手そうなのが気に入った。鼻先を撫でてやる。

「ハラさん、ありがとうございます。よろしくね、ケンタロス」

「もちろん、ハウにもケンタロスを連れていってもらいますぞ!」

「わー、やったー!」

 

 ライドギア。ロトム図鑑に連携し、ボタンを押すと一瞬でライドウェアに早着替えしたうえでポケモンを呼び出せる便利アイテム。変身もののお約束で、早着替え途中に裸になったらどうしようと恐る恐る試してみたが、幸いそんなことはなかった。競輪の選手みたいな服だ。プロテクターも随所についているし、ヘルメットもしっかりしている。ポケモンに乗るならこれくらいは必要ということだろうな。

「あっ、これで今度こそマンタインに乗れるねー!ねー、ユウケ!」

 ハウ君の嬉しそうな笑顔に水を差したくはないが、正直なところなみのりポケモンか、連絡船で行きたい。

「次はアーカラ島だな。僕とリーリエは、ヨットで行くことにするよ。明日の朝……そうだな、九時にカンタイシティの港でどうだろう。マンタインなら三十分もかからないと思うぜ」

 苦笑いするリーリエ。

「あの船、大丈夫ですか?」

「ちゃんと修理してあるから大丈夫!」

 ぼろいらしいが、正直あたしもそれに乗せてほしい。マリンスポーツなんてしたら体が拒絶反応を起こして死ぬのではないか。

「わー、あんたよかったわねー!サーフィン楽しんでらっしゃいな!」

 ばんばんと背中を叩く母さん。その笑みは似合わなさすぎてウケるほうの笑み。完全にサーフィンとか無理なんで、って言うタイミングを逃した。相棒ポケモンに乗ってそらをとぶ?まだ届かない。明後日になれば届くが、明後日の何時かはわからない。

「ユウケ、じゃあ明日の朝八時にビッグウェーブビーチに集合しよー!茂みの洞窟の近くのビーチのほうねー!」

 仮病しかない。

「何が何でも叩き起こして追い出すから、任せておいて!あと、ハウくん、この子のサーフィンしてるとこの写真一枚お願いね!メアド渡すわね!」

「はーい!」

 あたしは死んだ。前門のエレブー、後門のケンタロスだ。

 

「そうそう、ユウケはもうハウオリシティのフォトクラブ行った?」

「フォトクラブ?」

「ポケモンとねー、一緒に写真が撮れるんだって!俺はこれから家族と宴会だから行けないけどねー」

「写真かー……ポケモンの写真は撮りたいけど、あたしの写真はどうでも……」

「あんたいつ死ぬかわからないみたいな顔してるんだから撮ってきなさいよ!」

 苦笑いする一同。あたしは久々に、母さんと他人になりたいと思った。

 

 ずいぶん長いこと試合をしていたと思ったが、まだ十八時過ぎ。写真を撮ってくるまで晩飯は抜きと宣言されたあたしは、皆と別れてハウオリシティのフォトクラブに――行く前に、リーリエに呼び止められた。

「あの、ユウケさん、お願いがあるんです」

「相棒のポケモンを譲ってほしいっていうお願い以外なら、何でも聞くけど」

「ありがとうございます。あの、ほしぐもちゃんのことで……この子は遠いところから来たポケモンなのです。危ない時にあたしを助けてくれたので、あたしはお礼として、この子を元いたところに帰してあげたくて。でも、わたし、トレーナーじゃないから……」

「遠いところって、具体的にどこなの?手がかりとか、ある?」

 首を横に振るリーリエ。手がかりなしか。

「でも、この子、遺跡に行きたがるので、何かヒントがあるのではないかと」

「なるほど。どうせ島巡りは絶対するわけだし、要はあたしがリーリエとほしぐも……ちゃんのことを守りつつ、遺跡にも寄ればいい。構わないよ」

 ぱああっと明るくなるリーリエ。可愛い。

「ありがとうございます!では、また明日、アーカラ島で!」

 握手してぶんぶんと手を振られる。そんな顔をされたら、あたしまで嬉しくなってしまう。もし、四つの遺跡を回ってもヒントがなければ、知り合いのポケモン研究をしている博士達に聞いてみてもいいか。ほしぐも――ちゃんのことを人に知られたがらないリーリエがうんと言えば、だが。他にああいうのに詳しいとなると、石マニアのホウエンの元チャンピオンとか、か。捕まればだけれども。

 

 リーリエと話がまとまった後、アローラフォトクラブ前にたどり着いて入口に気圧されてしまった。母さんには「トレーナーパスの証明写真を撮ったからそれでいい」と言い返すべきだったと気付いたが、もうここまで来たら入るしかない。店内のキラキラした雰囲気に一瞬で半死半生になってしまった。本当に開店したてらしく、新しいお店のにおいがした。

「いらっしゃいませ!お客様、そのクリスタルがお二つ……大試練達成、おめでとうございます!」

「はぁ、そのう……ありがとうございます」

「特別記念サービスとして、一枚無料で撮らせていただきますね!」

 そんな大事を成し遂げたのかという顔で、見知らぬ可愛い花冠のようなポケモンを連れた綺麗なお姉さんが振り返る。可愛いポケモンですね、なんて話しかける勇気はあたしにはないし、いますぐ撮りましょうすぐ撮りましょうという勢いの受付のお姉さんの話を切る勇気も当然あたしにはないのだった。

 

 左側で元気一杯にポーズを決めるニャヒートと、右手に引きつった笑顔のあたし。左側だけを見たらとてもいい写真だと思った。笑顔が硬いと五回くらい言われたのだが、あたしの努力を何とか認めてくれたらしく、こうして写真ができあがったのだ。諦められた可能性も否定はできないが。帰って母さんに見せたら、爆笑してニャースに見せたうえに父さんにその場で送られた。帰りたい。実家なのに。何だかよくわからない事象に打ちのめされたあたしは、サーフィンに備えてさっさと寝ることにしたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、海を渡る

 世界が回り、ぐるぐると揺れる。巨大な何者かがあたしを揺さぶっている。神の近い地方、アローラ地方の裁きなのだろうか。あたしが何をしたかはわからない。強いて言うなら、身の丈の合わないことに挑んだせいだろうか。立っていられなくなり、あたしは波打ち際にへたり込む。体が痙攣し、胃が蠢く。体が言うことを聞いてくれない。

 

 詳しい描写はあたし自身の名誉のためにしたくないが、盛大にマンタイン酔いした。乗り物には強いほうだし、遠足のバスで隣の子が戻しても全然平気だったので、無様にマンタインから転げ落ちるくらいで済むと思っていたのだが、想像以上だった。

「ユウケー、もう大丈夫ー?」

 嫌な顔一つせず(後ろは見えないから推測だけど)背中をさすってくれてくれていたハウ君本当に優しい。あたしが異性愛者なら惚れていたのではないだろうか。

「も、もう大丈夫かな……ひくっ、うっ、やっぱまだごめん」

 小魚ポケモンが元朝食だった何かに寄ってきていて、大自然のたくましさを感じる。申し訳なさそうな顔をするマンタインに、気にしなくていいというジェスチャーを、あ、内容物を見ていたらまだ酸っぱい何かが。

「そういうの意識するとよけい気持ち悪くなるから、景色とか見ておいたらー?」

「集合時間に遅れるから、あたしは置いて先に」

 ここはいいから先に行け、みたいなフラグを立てたせいか、胃が。そういえば使ったこと無いけど、きのみを食べたら使えるゲップって技があったような。

「AMSから光が逆流する……」

「もー、何だかわからないこと言ってるし、落ち着くまで一緒にいるから。ククイ博士とリーリエには連絡しとくからさ」

 

 十五分ほどして、やっと体が落ち着いた。

「ありがと、ハウ君」

「いいよいいよー。ほら、水」

 おいしいみずが焼けた食道を癒やしてくれる気がする。みっともない姿を見せた。もう今更と言えるが。

「やあやあ、初めまして。ククイ博士からポケモン図鑑をもらったトレーナーのお二人さん!」

 知らない――いや、知っている顔だ。いやに日焼けしているが。

「オーキド博士?」

「おじさん、だれー?」

「ああ、はじめまして。私は、ナリヤ・オーキド。お嬢さんとはお目にかかったことがありましたかな?」

「あ、いえ、カントーのオーキド博士とは何度か」

「これは失礼。カントーのオーキドとはいとこにあたります。お二人さん、よろしければ主ポケモンを差し上げましょう」

「えっ、くれるのー?」

「ヌシールはご存じですね。金色のシールを、キャプテンが島のあちこちに貼っています。あれをたくさん集めて、持ってきてください。まずは20枚から」

 ヌシール。ああ、あの金ぴかのシールか。あたしは引っぺがして持ってきた実物をハウ君に見せる。

「そう、それです。カンタイビーチにてお待ちしていますよ。では、また」

 立ち去るオーキドさんを見送りながら、ハウ君が尋ねる。

「ユウケー、オーキド博士って、あのポケモン博士の人ー?」

「そう。あの人の研究所が近くにあって。世話になったよ」

「へー。教科書に名前載ってる人と知り合いって、何だかすごいなー!」

「あんな人があんな田舎に住んでるってのが、奇跡的なだけだよ」

 口下手で無愛想な子供だと言われた――あたしはそうは思ってなかったのだが――あたしにも分け隔ての無い、近所の面倒見のいいおじいさんだという認識しかなかった。今思うと恐ろしい認識だが、子供からしたらそんなものだろう。

 

 待たせてしまうと心配していたのだが、予定の時間には何とか間に合ったらしい。

「ハウ、ユウケ!こっちだ!」

 港の外れ、観光地とは思えないほどあまり人気がない。寂れた場所には見えないから、連絡船が着く時間帯を外れているのだろう。博士とリーリエ、バッグから出されてはしゃいでいるほしぐも――ちゃん。後ろのその、雰囲気のあるヨットが博士のヨットなのだろう。とてもマンタインより早くは無さそうだが、あたしは飛んだり跳ねたりしなさそうなあっちのほうが、いい。

「ユウケさん、大丈夫ですか?」

「生きてる。一応は」

 げっそりしたあたしに苦笑いするリーリエ。彼女にあの酷い様を見られなくてよかったかもしれない。

「ククイ、あんたその白衣引っかけるのやめなって言ったよね」

 ほしぐも――ちゃんを声のした方から遮るようにさりげなく場所をずらす。バッグを開いてほしぐも――ちゃんを招き入れようとするリーリエ。

「リーリエ、ユウケ、この人達は大丈夫だよ。久しぶりだね、ライチ、マオ」

「あんたら、島巡りかい?しまクイーンをしてる、ライチだよ。よろしく」

 褐色に黒髪の迫力のあるお姉さん、プロポーション抜群で見とれてしまう。何故だろう。後ろのリーリエからじとっとした視線を感じるような。

「キャプテンをやってます、マオでっす!よろしくね!」

 緑の髪、ツインテールの元気そうな女の子。こちらも中々、いいスタイル。後ろの視線が段々痛くなってきたような気がした。何故だ。あたしが何だか失礼な態度を取っているのだろうか。真顔、真顔だぞあたし。

「どうも、ユウケです。よろしくお願いします」

 小さく頭を下げる。ライチさんが小さく眉を上げ「そうか、あんたが」と小さく呟いたようなのが聞こえた。隣のマオさんも何だか目が輝いた気がする。やっぱり期待値が上がっているのか。頭が痛い。おくびにも出さなかったハラさんは凄いのか、素が落ち着いているからなのか。

「ハウは久しぶりだね。ハラさんに勝てたんだ。よかったじゃないか」

「じーちゃん本気出してくれなかったし、まだまだだよー」

「いやいや、それでも大したもんっす!あたし達の試練も楽しみにしてるから!」

 意味ありげな視線をあたしに向ける二人。

「ユウケ、あんたは相棒のポケモンを連れてきたの?」

 タオルでさりげなく隠してあるボールホルダーを見せる。法令の限界数の六匹分のボール。

「今の相棒は。アローラに来てからもらった子と、タマゴを孵した子だけです。他のは、役所の手続きの都合で明後日には届くはずですが。今のところ、アローラで捕まえて育てるか、孵化させた子以外は試練で使う予定はないですね」

「いきなりの本気は無し、ってことか。あんた、焦らすのが得意なタイプ?」

 あたしはかぶりを振った。

「焦らすだなんて……他の地方でも、天災並の何かがない限りは、同じようにやってましたから」

「ふうん。ま、それもありかもね。新しい出会いもあるだろうし」

「さて、じゃああたしは用事があるからこれでね。二人とも、島巡り楽しんでね。また会えるのを楽しみにしてるよ」

「ハウはもう知ってると思うけど、ユウケさんには説明しておくと、この島では三つの試練があるっす。一つはあたしの試練。楽しみにしてるっすよ!じゃ!」

 立ち去る二人に小さく頭を下げ、これからどうしますかという意味を込めてククイ博士を見る。

「相変わらず素直じゃないな、ライチは。あれでも二人を心配してるんだよ」

 小さく苦笑いして頷くあたし。あたしに対しては心配四割、全力要求六割ってところだろうが。

「さて、じゃあ僕も用事があるから、失礼するよ。二人とも、島巡りを楽しんでくれよな!」

「俺もマラサダ食べてからリリィタウン目指すねー!ユウケ、リーリエ、リリィタウンで集合しない?」

 頷くあたし。

「あ、すみません。わたしはあそこの、ホテルしおさいで大事な人と待ち合わせがありまして」

 ハウ君と一緒に行く事自体は何の不満もないが、がっかリーリエだよ。

「そっかー、じゃあ俺先に行くねー。ユウケー、リーリエをよろしくねー」

 内心でグッジョブサイン。二人を見送り、リーリエを見る。何だか不機嫌なような。

「さて、じゃあ……ホテルしおさいってあれだよね。送っていくよ」

 何だか頬が少し膨れて不満げな様子だが。可愛い。あたしは何か怒らせるようなことをしただろうか。

「ちんぴらやらに絡まれたら不味いしね。……あの、リーリエ、さん?」

 渋々、という様子で頷く彼女。

「わかりました」

 

 観光案内所の微妙なおみやげを冷やかしたり、ブティックのウィンドウショッピングに付き合っている間に、リーリエは少し機嫌がよくなってきたらしい。よかった。

「ユウケさん、その、昨日のお願いの話なんですが」

「ああ、遺跡ね。大丈夫だよ。そっちの用事が終わったら付き合うから」

「ありがとうございます。アーカラ島の遺跡は『命の遺跡』という名前で、カプ・テテフさんという神が守り神だそうです。無邪気な神様だとか」

「ほしぐも……ちゃんの、何かヒントがあればいいんだけどね」

「そうですね。あ、あの方達は、トレーナーさんでしょうか」

 ホテルしおさいの前に、いかにも観光客然としたカップル。ボールホルダーも持っていて、トレーナーを探している様子。いや、何だか見覚えのある人達だが。

「そこのあなた、お待ちなさいな。トレーナーですわね?」

「やあ、これは失礼。僕はデクシオ」

「麗しいあたくしの麗しい名前は、ジーナ!って、あら?」

 知り合いだった。

「ああ……どうも。お久し振りです。デクシオさん、ジーナさん。ユウケです。こちらは友人のリーリエ」

「はじめまして、リーリエと申します」

「カロス地方で、ちょっとね」

 アローラの挨拶。すさまじい馴染みようだ。彼女達は有名人だし、あたしは別にそこまで長い付き合いでもなかった。むしろ、よく覚えていたなと感心すらする。

「いや、まさか知り合いに出会うとは、世間は狭いものですね」

「以前お目にかかったときより、目つきが悪くなってませんこと?積もる話はともかく、一戦いかがかしら?」

 手元をちらりと確認する。メガバングルはなし。カロスにいた時に、一度も手合わせした記憶がない。デクシオさんはエスパータイプ使いだと聞いたような気がするが…。

「やりましょう」

 昔の知り合いに負けたからどうということは無い。ある意味滅茶苦茶な人達だが、罰ゲームだの何だの言ってくるタイプではなかった。

 

 今の手持ちポケモンでは、経験の差で一蹴されるのも覚悟していたが、終わってみればあたしの一方的な勝ちだった。彼女達もこちらに来てからポケモンを育て直したらしい。

「ハガネールとは、ユウケさんにすごく似合っているポケモンですね」

「目つきとか、鋼タイプとか、ぴったりですわよ。そういえば、」

 褒められているのだろうか、判断に迷う。全く顔に悪意がないから、多分褒めているのだろう。そういえばこんな感じの人達だったな。曖昧に微笑む。

「カルムも会いたがってましたわよ。たまにはリーグに顔を出されては?」

「そうそう、元チャンピオンが返り咲くというのもいいものでは?」

「それでは、ボン・ボヤージュ」

「ボン・ボヤージュ」

「ええ、また」

 軽く頭を下げる。相変わらずマイペースの極みだ。

「お待たせ」

「あの、ユウケさん、元チャンピオンって……?」

 ああ、もう説明してもいいやと思っていたのに、完全にタイミングを逃していた。あたしはいつでも、肝心なところで言葉が足りない。あたしは恐る恐る問いかけの主、リーリエを見る。あたしの予想していた怒りではなく、疑問の眼差し。

「ああ……ごめん。ちゃんと話す。立ち話も何だし、冷房も効いているしね」

 ホテルに目をやる。ホテルしおさい、小綺麗だがそこまで大きいホテルではない。あたしにはドミトリーが似合いだが。

「そうですね」

 ベルボーイなんて普段あたしが泊まる宿ではまず見ることがない。中は程よく冷房が効いている。待ち合わせ場所はロビー横のラウンジでいいらしい。冗談のような値段のコーヒーを二つ頼む。コーヒーが来るまで、あたしにとっては重苦しい沈黙。

「言うのが遅れた。ごめん。タイミングが、その、なくて」

 率直に頭を下げ、バッグの裏をそっと開いてリーリエに見せる。

「どうして謝るのですか?……これは、ジムバッジ?えっ、すごい数……」

「言うのが遅れて、悪かった」

 リーリエは首を横に振ってにっこりと微笑む。

「気にしないでください。ユウケさん、そういうのを見せびらかすのが嫌いなかただと思いますし」

 ほっとするし、同時にちくりと胸が痛む。確かに見せびらかすのは好きではない。ただ、それはあたしが謙虚だからというからではない。あれはイッシュ地方のライモンシティだったと思う。『強いトレーナーはちゃんとバッジを見せて、初心者トレーナーにわからせないといけない。弱い相手を一方的に叩きのめすことになるからだ』というトレーナーの先輩の言葉を真に受けていたあたしは、カントーとジョウトのバッジをぶら下げて歩いていた。そうだ、カミツレさんと戦った後だから、ライモンシティで間違いない。ジムから出てポケモンセンターへ行く直前、トレーナーとして一番消耗している瞬間を襲われたのだ。勝って襲撃者をぶちのめしたあたしが聞いたのは『よその地域から来た強いトレーナーなら、強くて珍しいポケモンを持っているに違いない。だから奪おうと思った』という言葉だった。ポケモンは簡単に人を殺せることを十二分に承知している。請け負ったことはないが、ポケモンを使って人を殺す仕事があるのも知っている。でも、なぜ、どうして。歩いているだけで同じ人間に理不尽に敵意を向けられないといけない?強いというのは、同時にそれ自体が弱いことではないのか。あたしはそれから、よほどのことがない限りバッジを見せないようにした。怖かったのだ。希少なポケモンを見せびらかしたり、他の地方のバッジを大量にぶら下げている人間は正気の沙汰と思えない。自分のポケモンがいくら強力でも、ポケモンを全て失った後には、柔らかくて脆弱な人間しか残らないのだ。

「ありがとう。こういうもんは、見せつけるもんじゃないからね」

 でも、弱いことを見せることもできない。弱いこともまた、襲われることになる。目の前の可愛らしいこの子があたしの敵になるとは到底思えないけれども。弱いことを誰かに知られるのは怖い。弱いことを自分で認めるのは、もっと怖い。

「チャンピオン、というのもこのバッジの中に?」

 かぶりを振る。今この時点ではあたしはどこの地方でのチャンピオンでもない。額縁だったかに入ったあちこちの優勝記念品は実家の押し入れにしまい込んである。

「チャンピオンだった、っていうのが正しいね。カントー、ジョウト、イッシュ、カロス、ホウエンの地方リーグを制して、その時いたチャンピオンを倒したことはあるけど、他のトレーナーに負けた。今のあたしは『元』しか持ってない」

「それでも、すごいことだと思います」

 そうなのだろう。とはいえ、地方リーグは強烈に入れ替わりが激しく、下手をすると一日で何度もチャンピオンの称号が動くくらいだ。四天王が弱いというわけでは無論ないが、四天王はジムリーダーと同じく、一種の制約がかけられている。例えば俗にいう準伝説級以上のポケモン使用禁止なんかがそうだ。ポケモントレーナーの水準全体が底上げされてチャンピオンロードを突破するトレーナーが増えたこともあり、四天王職というのは溢れる挑戦者をさばくのに忙しすぎてそういうポケモンを探しに行くどころではないと聞いたこともあるが――いや、思考が逸れた。とにかく、謙遜するほどでもないが、空前絶後というほどでもないというのが正直なところだと思う。石を投げた程度では無理だろうが、隕石が落ちれば一人くらいは元チャンピオンに当たるのではないだろうか。

「ありがとう。それで、このことなんだけど、あんまり人には言いたくないんだよね。ククイ博士と、博士経由でしまキング、キャプテンは知ってるらしい。ハウ君も当然聞いてはいると思う。お爺さんがそうなんだからね」

 こくこくと頷く彼女。

「わかりました。わたしも、ユウケさんに秘密を守ってもらってます。だから、内緒ですね」

 指切りを求められる。子供だった頃も、指切りなんてしただろうか。少々手を震わせながら、小指を絡ませる。ひんやりした小指の感触が心地よい。

「嘘ついたらハリーセン飲ます、です」

「そのうち、知られることにはなると思うんだけど。ククイ博士、いい人だけどあんまり空気とかこっちの気持ちとか読んでくれるタイプじゃないしね。それで悪意がなくて顔が広いんだから、厄介なもんだ」

「ちょっと言い過ぎじゃないですか?」

 くすくすと笑う彼女は、表情で一部無言の肯定をしていた。怒られると思っていたが、という安心感と同時に、別に隠し事をしていても咎めるほどの相手でもないと思われているのも寂しいという矛盾した気持ち。小人の妬心(しょうじん としん)を上手く飲み込まないといけない。そんな深く付き合える相手を求めるのも、身の丈を過ぎている。

 

 コーヒーを飲み終えた。これ以上座っていると暑い外に出るのが嫌でねをはるを使ってしまいそうだし、

「待ち合わせ相手は、ポケモンを持って自衛できる人?」

「大丈夫です。その後、博士も合流すると聞いています」

 待ち合わせ相手が誰かは聞かないことにした。興味がないといえば嘘になるが。

「何かあったら電話して。すぐ行くから」

「ありがとうございます。あ、あの」

「コーヒー、貸しにしておくよ」

 伝票をさりげなく取って、冗談みたいな金額を支払い外へ。と言っても、そこまで懐が寂しいわけではない。過去の実績って奴(ポケモン協会から少なくない金額が定期的に支払われる)や対戦の報償金(これもポケモン協会から入ってくる。相手の収入や実績等を考慮したうえで翌月以降に入ってくる)から、それなりの収入は入ってくるのだ。世界リーグで蓄えたお金もほとんど手つかずだし。安宿を好むのは貧乏性が抜けないだけだ。

 

 オハナタウンを目指す最中、ピカチュウの谷で思う存分ピカチュウを愛でたり(人には見せられないくらい顔が緩んでいたと思う。このときばかりは一人でよかったと思った)、オハナ牧場でキャプテンのマオさんに再度出会って、ライドギアにムーランドを登録してもらうなどした。

 

 牧場の南端にその施設はあった。特に名所扱いされているわけでも無く、誰も特に教えてくれなかったので、うっかり通り過ぎるところだった。

「預かり屋……育て屋でなくて、か」

「そうなんです。ここはポケモンを預かる施設です。二匹預かると、タマゴができることがあるんですよ。育てない分、料金はお安くなっています。定額500円。ただし、一週間以上お預かりは追加料金がかかります」

 にこやかなお姉さんの説明を相槌を打ちながら聞くまでもなく聞き流す。ポケモンのタマゴは、やはりというべきかここアローラ地方でも発生する瞬間が観測されていないらしい。例えば監視カメラや人間が死角をなくして観測するとタマゴは生まれないというのはポケモンに少しでも詳しい人間なら常識だ。目を離すとどこからともなく生まれてくる。昔、タマゴの発生研究について協力し、X線やらでポケモンの体内を含めて観測していた時もそうだった。ポケットに入るとはいえ、モンスターと称される理由の一つにはこれもあるのではないかと、あたしは勝手に思っている。

「今のところはまだ用事がないけど、きっと世話になりに来る。その時はよろしく」

 喜んで、というお姉さんの営業スマイルを後に、あたしはオハナタウンに向かった。南へ向かう道路はウソッキーがへたり込むように座って封鎖しているから、それしかなかったというのもあるが。特に通りたい人もぱっと見渡した限りいなかったし、あたしも南に急いで出たい用事があるわけでも無いし。

 

 オハナタウンは、いかにも西部劇という雰囲気の町だった。東の大陸の開拓者がそのまま移住してきて作った町なのだろうか。ころころと転がる草――オカヒジキ属だったか、俗にタンブル・ウィードという草が視界を横切っていく。隣が大牧場だし、まさに西部劇という感じだな。何件かの雑貨屋のような店があるだけのそれほど大きくない町で、名所をネットで調べるとキャプテンであるカキさんの家だとか。有名人とはいえ、それはいいのだろうか。

「あっ、ユウケー!着いてそうそうだけど、勝負しよー!西部劇の決闘っぽいしさー!」

「わかった。先にポケモンセンターにだけ寄らせて。と、その前に一つ仕事だ。ちょっと待ってて」

 不思議そうな顔のハウ君に、町の西側を指さす。スカル団の女と男――カップルなのだろうか。つるむな。それだけで舌打ちしそうになる。アローラ地方特有の白い、リージョンフォームのロコンを追い詰めている。奥にトレーナーらしいおばさんがいる。しょうがない。

「ちょっと、あんたら何やってるんだい?トレーナーのいるポケモンに手を出すなって教わらなかったのかい?」

「ああ、悪いねえ、お嬢さん。あたしのポケモンじゃないんだよ」

「そーいうこった。あんたには関係ねえ」

「ちょっと待ちな、『黒にオレンジの帽子、オレンジに黒のシャツ、ダメージドジーンズ、登山靴。黒髪のスプラッシュカール、体つきが貧相なガキ、目つきがアーボのように悪い女トレーナー』……あんたが隣の島で仲間の邪魔をしたユウケかい?」

 服装はともかくとして最後の二つは何だ。

「人の名前を聞く前に、自分から名乗るのがマナーじゃないの?それと、あたしの名前はどうでもいい。そのロコン、野良ならさっさと捕まえなよ。町ん中で手負いのポケモンうろつかせるのは迷惑だろう」

「別にこいつ自体は弱そうだし、ボール買えないからいらねーんだよ!こいつはぎんのおうかんを持ってるから、それをよこせって言ってるんだ!おらっ、ぎんのおうかん出せ!」

「ポケモンを出してどろぼうでも使えばいいだろう」

「そんな技覚えねえし!」

 早い者勝ちの原則でいえば、ボールを投げてもいいが、あたしもアローラのキュウコンは持っているのだ。

「面倒臭いな。あんたら、あたしと勝負しな。負けたらこの子から手を引け。まとめてかかってくるなら二対一でも構わないよ。あたしみたいなガキにびびるならね」

「偉そうに、泣かせてやる!」

 女の方がボールに手をやる。ちょろい。

 

 典型的な捨て台詞を吐いて逃げていくスカル団員二名。結局名前は聞かなかったが、どうでもいい。

「ありがとうね、お嬢さん」

「町の真ん中でポケモンをいたぶるなんて正気の沙汰じゃないですし、構いません」

 強力な親ポケモンが怒り狂って町を襲ったり、窮鼠猫を噛む(鼠と猫のポケモンには諸説ある)という言葉もある。貴重なアイテムを手に入れるためにポケモンをどろぼうで乱獲したりすること自体はあたしもやったことがないかというと嘘になるので、そこは黙っておいた。話しているおばさんとあたしを横目に、ロコンは逃げていく。

「ああ、人間嫌いにならなきゃいいけど」

 それはそれで、仕方のないことかもしれない。あたしはあいつらも、人間が嫌いになるポケモンのことも責められない。

 

 待ってくれていたハウ君に詫びるジェスチャーをして、ポケモンセンターでポケモンを回復させてから、改めて街路の中央へ。隣島であっても、ハウ君は有名人らしく、「メレメレ島のしまキングの孫とトレーナーが一戦やるらしい」と聞いて、人垣ができてきた。

「ますます決闘っぽくない、これ」

「あたし達はどっちも悪党じゃないし、命の取り合いはしないけどね」

 苦笑いしながら頷くあたし。ハウ君の手持ちはどう変わっただろう。それも含めて楽しみだ。

「じゃあ、後ろを向いて三歩歩いて、振り返ってボールを投げる、っていうのでどうだい?」

 別に早く出したから劇的に有利になるかというとそうでもないが、心の余裕は違うだろう。

「いいよー!」

 一、二、三。あたしとハウ君が振り返ってボールを投げる。

 

 手持ちは特に変わっていなかったハウ君を、あたしは難なく下した。

「あははー、負けちゃったー。ユウケはやっぱり強いねー」

「まあ、年季が違うからね。最初はそんなもんさ」

 人垣を意識して、わざと頑張ってちょっと大きめの声。しまキングの孫なのに弱い、なんていう奴がいたらなるべく頑張って睨みつけてやろうと思ったが、幸いそういう奴はいなかった。しかし――なぜ、そこまであたしが彼を意識するのだろう。肩入れしすぎているのではないか。と、考えている間に散っていく人垣。ここは観光地域ではないのか、おひねりはなかった。残念。

「じゃー、俺ー、ポケモンセンター寄ってからスイレンさんの試練行ってくるねー!」

「あたしはのんびり行こうかな……まだポケモンセンターの中のお知らせとか見てないしね。フレンドリィショップも見たいし」

「わかったー!また後でねー!」

 早い。この暑いのにそこまで走らなくても。そういえば、ハウ君はそこまで汗をかいてないな。やっぱり慣れなのだろうか。

 

 ポケモンセンターに入る際に、イヤフォンを耳に突っ込み、音楽を聴き始める。知らない誰かに不意打ちで声をかけられたくないからだ。今日の気分は、うん、Ihsahnだな。"Frozen Lakes on Mars"。火星、宇宙か。あたしは見たことがないが、知り合いのトレーナーは、ポケモンに乗って見たことがあるらしい。地球は青かったそうだし、幸い空は自立兵器では埋まってはいなかったそうだ。今の用事には関係無いが。

 そういえば、カントー最強と呼ばれたあのトレーナーも、あたしと同じく会話が苦手だったらしい。だからというわけではないが、伝言板というシステムはポケモンセンターの情報板という形に変わって健在だった。ポケモンセンター内のお知らせを眺める。ポケモンセンターの予算にもよるが、アローラのそれはタッチパネル式で、利用者が多く補助金が潤沢であることを伺わせる。カントーの端のあるポケモンセンターでは、これはただの張り紙だった。単なる伝言や情報共有、トレーナーへの依頼が雑多に並んでいる。古い順に並べて見てみる。

 『飲食店でギター弾き語りを雇いませんか。ゴニョニョ付』あたしには関係無いな。

 『用心棒やります。反社会勢力はお断り。報酬30%及び弾薬費』マッハで蜂の巣にします。高いな。それに助っ人は要らない。

 『不明勢力排除』ボータウンを占拠している不明勢力を排除してほしい。報酬は前払い。……前払いという時点で騙して悪いが決定、無視。

 『灯台強行偵察』灯台の強行偵察を依頼します。ポケモンによって占拠されている本施設はもともと私たちの管理下のものでした。……命令だ死んでくれ、無視。

 『ポケモン撃破』単独でのポケモン撃破を行いたいが戦力が不足、報酬が多すぎる。……ディアハンターか。無視。

 『夜の墓地では、ゴーストポケモンに不用意に近付かないように!昼もゴーストポケモンには不用意に近付くと危険です!』当たり前すぎる。無視。

 『釣りクラブメンバー募集』ちょっと興味は湧いたが、つりざおを持ってない。

 『バンドメンバー募集』当方ベースとドラム、女子。ギターとボーカル募集。兼任可、電気ポケモンがいればアンプ代浮きます。Offspiringやザ・ドガースが好きです。ギターがない。

 『アルバイト募集、中華料理』店かキャプテンマオまで、賄い付き。マオさんの家は中華料理店なのか。お腹が空いてきた。まだ十秒間チャージのゼリーはあったはず。無関係。

 『パラディン募集』内容は読まなかった。ハックアンドスラッシュのチーム募集なら違法だし、前世のお友達捜しならどっちにせよ正気を疑う。コスプレ友達募集なら関係無いしな。

 『AC6対戦会やりませんか』ACは航空機の中でミサイルを製造する方ではなく、Armored Coreオフライン対戦。PS4コントローラだけ持って来てください。PS4持ってないので我慢。

 『やみのいし売ります』マリエシティにて、ライチさんの宝石店でも滅多に入らない貴重品、要事前連絡。ライチさんとは、あのジムリーダーだろうか。ロトム図鑑のメモ機能でメモ。

 『有害ポケモン駆除』農作物防護のため、トレーナーを雇いたい。格闘タイプ及び炎タイプ使い優遇。追加報酬有。拘束時間が長い。無視。

 『ポケモン図鑑情報提供希望、報酬有』これも使えそうだな、メモ。

 知らない人に話しかけるなんて――どうしても、ジムの情報やらを集めるためでもなければ――あたしには無理だ。イリマさんと戦う時には情報が足りず、ハラさんとは何となく事前情報なしでやりたいと思ったのだ。キャプテンの試練も、できれば誰とも会話せずに情報を集めたい。アーカラ島の島巡り情報誌。これだな。役所が作った雰囲気の、コピー紙をホチキスで留めただけの簡単なもの。奥付を見ると、改訂日が記されている。定期的に更新されるものらしい。試練の詳細は書かれていないが、それぞれが何の試練かを記してある。この間のラッタのように、必ずしも単独のタイプではないが、少なくとも一つが何のタイプかはわかる。アーカラ島の試練は、水、草、炎らしい。大試練は――キャプテンライチは、岩タイプか。おおまかな場所も記してある。せせらぎの丘、ヴェラ火山公園、シェードジャングルの順がお勧め、か。多分難度の問題なのだろうな。また嘘なのね、とかされないといいが、ひとまずそれで行こう。

「ロトム、ナビお願い」

「了解ロトー!まずはせせらぎの丘ロトね。北側の出口からまっすぐロト!」

「ありがとう」

 便利な時代になったものだ。方向感覚にはそこそこ自信があるが、不意の通行止めやら何やらで迷いがちなので、助かる。

 

 ポケモンバトルが終わった直後特有の緊張弛緩。ハウ君の背中には、それが見て取れた。

「あっ、ユウケー。負けちゃったよー。」

 ハウ君を倒すほどのトレーナーとはどんなものだろう。彼は経験こそ浅いが、あたし個人の見立てでいえば筋がいいと思う。お相手は――眼前のあまり雰囲気のよくなさそうなトレーナー。金髪に整った容姿、Rolling Stonesのアルバムが名付けられたスタンド使いのような、ジッパーだらけの服。容姿に関しては、誰かに似ている気がするのが引っかかるが、男だからどうでもいい。

「ユウケだと?そうか、お前がユウケか?」

「アローラだと、人の名前を聞く前に自分が名乗るようには教わらないのかい?」

 ふっ、と相手が笑う。格好付け野郎、いや、義務教育が十歳で一般的に終わる今、何故かあまり一般的ではない学年で呼ばれる病の持ち主なのだろうか。

「俺の名はグラジオ。今はスカル団の用心棒をやっている。お前、ハウとか言ったか。お前は強い。だが、本気を出していない。しまキングの祖父に追いつけない言い訳をするためにな」

 お前にハウ君の何がわかる、と同時に、それはあるかもしれないという相反する気持ちが湧き上がる。さっきもだったが、いくら友人とはいえ熱くなりすぎかもしれない。あたしが人の距離を測るのが苦手だからか、庇護欲的なものを掻き立てる何かがあるのか。

「えー?俺がー?強いー?」

 期せずして、あたしとグラジオが同時に頷く。

「俺はー、強いかどうかより、楽しいのが一番だって思うけどなー」

「力が、強さがなければ、何も守れない」

 どちらも正しいと思う。だが、どちらも今の自分にはないと認めてしまったあたしは、余計なことが言えない。

「ユウケ。お前はどうなんだ?お前、大したトレーナーらしいじゃないか?」

 こいつはどこまで知っている?スカル団からだけの情報か?

「力ってのは何なんだろうね」

 あたしはぼりぼりと後頭部をかいた。絶対的な力なんてものが存在しないのでは、と、何千戦も、何年も戦ってきて得られた唯一の漠然とした答えだった。

「あたしは、弱いからかな。その辺りがよくわからなかった。あたしでも大物食いをできることもあるし、格下に完璧にのされることもある」

 不審そうなハウ君と、侮蔑と怒りが入り交じったような顔をするグラジオ。

「御託は沢山だ。お前が弱いなら、俺に負けて礎になれ!」

 ふ、と鼻で笑うあたし。それが奴の怒りに油を注いだらしい。

「強い弱いなんてものは、相対的なもんさ。証明してみせよう」

 結局、あたし達トレーナーが語るには、これが一番だ。あたしとグラジオは同時にボールに手をかけた。

 

 向こうはボールが三つ、先発はズバット、こっちの先手はハガネール。

「行きな、ハガネール!」

 相性でいえば、こちらが圧倒的に有利だ。ズバットが何を持っていようが、がんじょう持ちのハガネールは一撃で落とせない。ともかくちょろちょろまとわりつかれてうろつかれ余計なことをされるのが一番厄介だ。あたしが相手ならあやしいひかりを入れて引くところだが、ハガネールの足が遅いし、どちらにせよちょうはつは覚えてない。一発や二発もらうのは覚悟して殴るしかない。

「ズバット、だましうち!」

「ハガネール、がんせきふうじ!当たったらステルスロック!」

 だましうちは確かタマゴ技で覚えたはずだ。あたしもクロバットを使っていた時に――は、技の中から外していたな。トレーナーの中では意見が分かれるが、あたしはポケモンに四つしか技を覚えさせないタイプだ。五つ以上の技を使わせるとポケモン自体の反応が遅れるし、技の精度が落ちる場合がある。ただでさえ運の向いてないあたしが欲張ると、命中率が九十五%とされる技でも連続で外しかねない。四つでもこおりのきばを二回以上連続で外したことがあるが。

 関係のないことを考えていてはいけない。一度目のがんせきふうじはズバットが逃げ込んだ木の枝に逸らされて外れた。あたしのポケモンだし、運に見放されているのはわかっているからこそ、当たったらという条件を付けて技を命じたのだ。正直なところズバットのだましうちが二度入ったところでハガネールは小揺るぎもしない。二度目のがんせきふうじがようやく命中したところで、ズバットが光に包まれる。交代ではないが――イリュージョン。ゾロアか。なるほど、毒・飛行タイプのポケモンに化けるというのはいい考えだ。同時に、相手がズバットを持っているというのも割れてしまうし、特殊技があればもっとよかったが。ハガネールが浮遊する岩をばらまき、グラジオは舌打ちする。ゾロアの動きも制限できるし、ハガネールは仮に当たってしまってもさほどの影響はない。向こうにはハガネールへの有効打がないのだろうし、引かせる気もなさそうで、だましうちを続けている。

「ハガネール、ヘビーボンバー」

 ゾロアはお世辞にも耐久力があるポケモンではない。奇襲効果が薄れては辛いだろう。予想通り、一撃でぶっ倒れた。

「くっ、行け、ズバット!」

 ステルスロックで傷を負いながらもズバットが出てくる。こいつもがんせきふうじで動きを封じて片付いた。

「くっ……ヌル!」

 やはりステルスロックで傷を負いながら飛び出す相手の最後の札。グラジオ、実際の年齢は知らないが、若いな。(あたしも正直なところ、あまり実践できている自信がなくなってきたが)余裕のない顔を勝負事の相手に見せてはいけない。切り札があると思わせないと。それにしても、何だ、このポケモンは。外見からもタイプが読めない。鉄仮面のようなものを被っているから、エスパータイプか?尻尾を見ると水タイプのようにも見えるが……。まあいい、ハガネールはまだ元気一杯だ。殴らせてみて手応えで考えよう。

「ハガネール、がんせきふうじで動きを止めて、ヘビーボンバー」

「ヌル!たいあたり!」

 向こうの方が早いが、ハガネールが遅いのは十二分に承知している。耐えて殴り返すポケモンはあまり使ってこなかったので、これも勉強というやつだな。普通・抜群以上の攻撃をもらってないから、まだまだ余裕だ。鋼タイプに格闘タイプが抜群というのは、こう、直接打撃を見る度に不思議に思う。相手のヌルは体当たりするだけで痛そうなのだが。

「小当たりするだけかい?抜群以上の技を持ってないなら、止めた方が良い。可哀想だろう」

 あたしの言葉を無視、か。ま、気持ちはわからないでもない。だが、相性が悪かった。あたしはどのタイプが相手でも穴を空けないようにパーティを組むのが好きなタイプだから、三匹しか持たずに挑んでこれば当然と言えば当然かもしれないが。ハガネールのヘビーボンバーが地面を再び震わせる。

「くそ、ヌル、すまん」

「よくやったよ、ハガネール。戻れ」

「おー、ユウケ、すごいなー!」

 視線で人が殺せるなら、あたしを半殺しにくらいにはできそうな視線を受け止める。受け止めるのはいいが、知らない人間と目を合わせるのは苦手だ。だが、目を逸らせない。強くなりたいと思う気持ち自体は理解できる。たまたま、今の天井があたしだったというだけだ。こいつも、折れたあたしよりは、この熱意を維持できるなら強くなれるかもしれない。

「……フッ、憎い奴だ。お前のようなレベルのトレーナーが、なぜ島巡りなんてことをしてる?」

「『郷に入れば郷に従え』って言うからね。それに、面白いよ。初めての場所、初めてのポケモン、初めての相手」

「俺はお前みたいな、わかったような口をきくスカしたタイプの奴が嫌いだ」

 あんたに言われたくないよ、と思ったが、大人げなさ過ぎる。売り言葉に買い言葉は結構。一呼吸。

「そりゃどうも」

「おいおいおい、あんだけでかい口叩いて、お前負けてんじゃねえか、グラジオさんよお!」

「こりゃ、あたし達が気合い入れてやるしかないね!」

「大体あんた、グズマさんのお気に入りらしいけど、本当は正式なスカル団員じゃねえんだぜ?そこんとこわかってる?」

 さっきシメた奴らだろうか、スカル団のカップルらしき二人。メキシコ人みたいな格好のせいで顔を覚えるのが苦手なあたしは本当に判別がつかない。ハガネールも元気だし、他の五匹は手つかずだ。二対一でも構わないと思った、が。

「止めておけ。俺にもかなわない奴が、あいつに勝てるわけがない」

 しばしあたしとハウ君をそっちのけにして睨み合うスカル団員二名と用心棒。内輪揉め大いに結構。長引きそうならそっとずらかろう、とハウ君の手を取って合図をしようとした時。

「けっ、やめたやめた」

「ヤミカラスが鳴くからかーえろ」

 きびすを返すスカル団員二名。肩をすくめるあたし。

「いいポケモンだな。お前達が旅をするなら、また会うこともあるだろう」

「あたしはもう揉め事は腹一杯なんだけどね」

 無視して格好を付けてから去って行くグラジオ。

「んー?ユウケー、どうしたのー?」

 ぎゅっと手を握られて飛び上がりそうになった。

「んんょあゎっ?!」

「今どこから声出したのー?変なユウケー」

 実際ちょっと飛び上がったらしい。奇跡的に言うことを効いた体が、嫌がってると思われない程度の速度で手を離す。

「あいつらが内輪揉めしてるなら、その隙にそっとずらかろう、って合図をしようとしただけだよ!」

「あーそっかー。ユウケー、そういうの得意そうだよねー」

「得意だよ。何であたしらが揉め事に鼻突っ込まないといけないんだ」

 トレーナーは自警団ではない。社会の要請とやらで、そういった役割を期待されているというのはよく知っているけれども。

「そうかなー?目の前に困った人とかがいたら結構割り込んでないー?」

「知らない。してない。行こう、次」

 あたしは自分と家族と、後は数少ない友達の面倒くらいしか見られないほうだと思う。あたしの手は小さくて短いのだ。

 

「ユウケ、さっきのグラジオって人、怖かったロトー!」

「そうだよねー」

「そうかい?」

 ギラギラした雰囲気が怖かったのだろうか。ああいった雰囲気の手合いは、自分を含めてよく見ていたから、そこまで怖いとは思わなかった。

「ああいう何かに一途ですって手合いは目当てのもんが一つならわかりやすい。カネだとか、強さだとか、異性だとか、権力だとか。あいつは強さだろうね。それなら自分が素直に相手より下って認めるか、勝ってわからせるかすればとりあえずの発作は落ち着くんだよ。他のは知らんけど」

「ほへー」

「へーロトー」

 落ち着くというよりは、厳密に言えば――止めておこう。別の感情に支配されるだけだなんて、言っても惨めになるだけだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、三つの試練に挑む

 せせらぎの丘前ポケモンセンター。オハナタウンの情報板にあった、サニーゴの図鑑データが欲しいというバイトのデータをいかにも研究者と書いてある風貌の人に引き渡し、臨時収入を得た。

「えっ、ユウケ、どうしたのそれー」

「ポケモンセンターの情報板……って、あたしは勝手に呼んでるんだけど、それに書いてあったよ」

 指さす先には、このポケモンセンターの情報板。

「えー、これってそんなこと書いてあるんだー?はじめて見たよー。ポケモンセンターで暇そうな人とお話して大体の話聞いちゃうからなー」

 何というコミュニケーション能力の格差か。よく知らない人に話しかけられるな。言葉は不要な情報板助かってるんだけど。

「ま、まあ、その場にいない人の依頼とかもわかるから?そういうのも平行して使ったほうがいいよねって」

 ちょっと声が震えた。興味深そうに情報板を眺めるハウ君に先に行くと一声かけて、ボールを預けてポケモンを回復してもらう。

「ハウ君、目はそのままでいいから聞いてほしいんだけど」

「なにー?」

 ちゃんとこっちを見てくれるハウ君。躾がいいというのはこういう事なのだろうな。

「次の水の試練は、どっちから先にやる?」

「あー、さっきあそこのお姉さんが挑戦して駄目だったって言ってたなー。どうしようかなー」

 数分の間に知らない人とお話しして情報交換を――何者だ。いやハウ君だけど。あたしなら話しかける勇気を出すだけで多分三十分はかかる。

「話は聞かせてもらいました。あなた達が、次の水の試練の挑戦者ですね?」

 知らない声が背中からかかったらびくりとしないだろうか?あたしはする。ハウ君はしなかった。あたしじゃなくて他の誰かに声をかけている可能性もある。動揺を抑えて振り返ると、青色の髪、そばかすが散った、だがそれが魅力を損ねていない可愛らしい女の子がいた。

「あー、スイレンさんー、久しぶりー」

「ハウくん、お久し振りです。そして、初めまして。島巡りのかた。わたしがキャプテンをしています、スイレンと申します」

「ど、どうも、ユウケです」

「ああ、あなたがあの!」

 大声やめてほしい。ただでさえキャプテンという有名人にセンター内の注目が集まっているのに、その人が「あの」なんていうから、何だかあたしにまで注目が集まっている気がする。

「水があったら入りたい、って顔をしていますね、ユウケさん」

「あははー、ユウケ、泳ぐの好きー?」

「どっちもあんまり……」

 可愛らしいこの子(あたしより年上かもしれないが)は、見た目以上の食わせ物らしい。あたしの反応を見て、注目を集めたほうがいいと判断したのだろう。あえて声を大きくしている。水は入りたくないが、穴には入りたい。

「お二人とも、ちゃんともてなす必要があります。水の試練、まずは、ユウケさんからでどうでしょう?」

 ちらりとハウ君のほうを見る。彼としては特に問題がなさそうだ。ならば。

「では、お願いします、スイレンさん」

 

 せせらぎの丘。せせらぎというより、小さな滝もあったり、急流のようなものも見えるが、まあいい。

「ところで、ユウケさん、わたし、ここで赤いギャラドスを釣ったことがあるんですよ」

「へえ。ここでも釣れるんだ。色違いは、遺伝子異常によるものらしいですけ」

 スイレンさんの目が怪しく光った。衝撃。肩を掴まれている。揺さぶられている。AP三十%減少。回避してください。掴まれているから無理だが。

「ユウケさん、赤いギャラドスお持ちなんですか?!」

「あーうん、昔、ジョウトで。っていうかス、いや舌噛みそう」

「失礼しました。おほん。赤いギャラドスは後で見せていただくとして、それならですよ、カイオーガも釣ったことがあるんですよ!」

 ノーリアクションを貫く。カイオーガも持っている。ホウエン地方の異常気象の時に協力したあいつは、カイオーガは倒すので精一杯、と言ったのだ。確かに、捕まえるほうが仕留めるより難しい。生死を問わず、というのは、死体にして運ぶほうが楽だからだ。あの事件の時、活性化していなかったのを好機と見てグラードンを捕まえていたから譲る気だったのだが、頑として聞かないあいつを説得する気力もなく、かといって、放っておくわけにもいかないので、奴と話合った末、あたしが捕まえておいた――のだが、一度もボックスから出したことがない。

 肩を掴まれた。さっきより激しく揺さぶられている。AP七十%減少。回避に専念しろ。掴まれているので無理です。

「ユウケさん、あなたもしかして!?」

「知らないわーカイオーガとか見たことも聞いたこともねーわー」

 必死で目を逸らす。あれだけは不味い。赤いギャラドスは別にいいとしても。カイオーガ自身、捕まえてからボックスに放り込んでそれっきりだ。はじまりのうみは不味い。

 

 十分ほど揺さぶられながらもしらを切り通したお陰で、カイオーガを見せろというのだけは免れた。赤いギャラドスは約束させられたが。

「言っておくけど、今日は多分見せられないよ。役所からは明日だって聞いてるし」

「別に構いません。さて、試練を始めましょう」

 そっちが先じゃないのか。あたしは口を開く気にもならなかった。

「さて、試練ですが、ヨワシを奥に追い込んでもらうことになります」

 ざばざばざば、と勢いのいい音。APが減って疲れたあたしは、敬語をやめることにした。

「疲れたから敬語をやめる。ヨワシか。何度か見たことがある」

「おや、ヨワシをご存じですか。では、特性も、単体ではこんな音を立てるポケモンではないということもご存じですよね?」

 頷く。

「もし、活きのいい海パン野郎が溺れていたら、救助をお願いします」

 知らない人間だから溺れ死んでおいてくれ、というほど薄情な人間ではないつもりだ。了承する。ライドギアにラプラスを登録してくれた。懐かしい。なみのりといえばこの子だった。優雅で美しいポケモン。昔は絶滅危惧種だったらしいが、今、特にアローラでは頻繁に見かけるポケモンだ。

 

 人間などどこにもいなかった。いたのはシズクモとヨワシ。どちらも、そんなに大きな音を立てるポケモンだっただろうか?大きな音を立てるというのは、普通は威嚇だったり、縄張りの誇示だったりする。群れたヨワシは確かに強いが、あれは自衛のための強さだ。縄張りを誇示するための強さではない。もっとも、試練という人為的な行為において、こんなことを考えてもしかたがないのだが。

 どん詰まりだ。滝がどうどうと流れ込んでいる。マダツボミから先ほど進化したウツドンを撫でてやりながら、あたしは滝の奥に目を凝らす。上から奇襲なんてされたら死にかねない。

「本当の本当に、これまでは活きのいい海パン野郎はいませんでしたね。ですが、最後の最後、あれこそが活きのいい海パン野郎かもしれません!」

 最初の『可愛らしい子』という評価は撤回だ。素で言ってるなら大したものだし、演技としては――いささか人を食いすぎている。まあいい。別に、キャプテンは演技力を問われるものではないのだろう。この島の神が、演芸の神だったりするなら別だが。カプ・テテフ。恐ろしい神だと、調べた限りでは思う。生命を司る神、調停者、無邪気にして全てを焼き尽くす神。黒い鳥役を兼ねる神か。はぁ、と小さく溜息をつく。

「さあ、人命救助のため、お願いしますね、ユウケさん!」

「はいはい」

 何だかこのスイレン――もう敬称もうんざりだ、の相手で疲れた。小汚い布団でいいから帰って寝たい。何とか気持ちを奮い立たせるべく、ぴしゃりと自分の両頬を叩く。酒があればベストだったが、アローラは今まで旅してきた地域の中では二番目くらいに治安が悪い。寒い地方ではないから、気付け兼保温用と称して持ち歩いていたスキットルと酒も家に置いてきてしまった。愛しのレッドラム、素敵な風穴よ。レッドラムはアローラに似合いそうな酒だと思う。アローラで何歳から酒が飲めるかはあえて確認してない。ダメ押しとばかりに雨が降り始めた。あたしは目玉が出そうな値段だったレインコートを羽織る。大枚を叩いたゴアテックス製だけあって、通気性は悪くない。調子に乗って走り回ると熱が籠もるが、旧世代や安物とは比べものにならない。命を預ける装備の一つだから、値段を惜しめなかったのだ。

 

 雨下という水ポケモン優位な環境下で、さきほどよりも大きな音、大きな水柱に相対する。こいつが主だろう。ポケモンの調子は良好。

「主ポケモンロト!……ヨワシじゃない、ロト?」

「らしいね、しかし、ちょいと予想外だった」

 現れたぬしポケモンは、オニシズクモだった。こいつも、あたしが育てたことのあるポケモンだ。特性はすいほう、水タイプの技が二倍、炎技が半減、火傷を負わないというおまけ付きの強力なポケモンだ。ただし、足は速くない。

「行け、ウツドン!」

 作戦は単純。ねむりごな、ねむりごな、そしてねむりごなだ。主と従者が呼んだポケモン一匹目を封じて、アシッドボム二回で片を付ける。

 

 今回は、運が少なくとも敵にならなかった。あたしはあっさりとオニシズクモを沈め、呼ばれたシズクモも片付けた。

「ユウケさん、さすがです!ヨワシを追いやったらオニシズクモになるというのは驚きでしたが」

 乾いた笑いが漏れる。

「それでは、試練達成の証を差し上げます。さあ、ポーズを!」

「Zクリスタルはいただきますが、ポーズは辞退します」

 ハウ君とかなら似合うかもしれないが、あたしみたいなのがやっても全然似合わない。誰もいないのを確認してから鏡の前で一度やったが、あれは酷かった。

 

 せせらぎの丘前ポケモンセンターへ。ハウ君は何かの飲み物を飲みながらフクスローを撫でていた。小さく手を上げる。

「おー、大丈夫だったー?」

「終わったよ。勝った」

「ささ、ユウケさん、早く早く」

 背中をスイレンに振り回される。AP90%減少。おい、マジかよ、夢なら覚め――可愛い女の子に肩を掴まれているのに全然嬉しくない。

「一応、念を押しておくけど、あたしのボックス内を覗き込まないように」

 覗き込む気満々だったらしい。舌打ちしそうな顔をしている。カイオーガだけじゃない、あたしが捕まえた天変地異級のポケモンは、あたし以外には誰も見せる気は無い。ポケモンのボックスを人に見せることなんて、ATMの暗証番号を見せるのと同じか、それ以上なのだ。普通なら覗き込まない。ましてや、キャプテンという社会的地位のある人間をや。

「減るもんじゃなし……」

「減るんだよ、あたしのボックスは。ほらほら、見世物じゃないよ」

 スイレンをハウ君の隣に座らせて、ハウ君に見張っておくよう頼み、念のためヘラクロスを出して見張らせておく。まだ一度も出してない切り札のポケモンは懐柔されそうだし、炎ポケモンのニャヒートは追い払われるかおやつに釣られそうだし、ハガネールは屋内で出せない。ミミッキュはトレーナーに意図せず害をもたらす可能性がある。体力的には回復したとはいえ、ウツドンにはさっきの試練の休養を取らせたいので消去法だ。ヘラクロスなら人力ではまず勝てないというのもある。

「信用ないですね」

 さめざめと泣き真似をする。可愛い女の子に弱いあたしの一部が見せても減らないと囁くが、駄目駄目。まずはボックスにアクセス。

 嬉しい驚きだ。なるほど、『遅くて五日』という空港係員の言葉は嘘ではなかったらしい。役所の手続きが終わったのだろう。あたしのポケモンが届いている。が、目当ての赤いギャラドスはなし。カイオーガはボックスに入っているが、こいつを出すのはそれこそグラードン級のポケモンが出てきた時だけだ。

 

 ボックスに目当てのポケモンがいない。となると、ポケモンバンクか。あたしはパソコンを操作し、ポケモンバンクに接続する。色違いポケモン用のボックスへアクセス。

「ああ、いたいた」

 色違いポケモン、実戦には向かない性格が多いのだよな。

「いましたか?!」

「悪目立ちするからやめて」

 全然聞いてない。効いてもない。席には辛うじて留まっている――というか、ヘラクロスとがっぷり組み合っている。何あの女の子。怖い。もう他人のフリをしたい。

 

 スイレンとハウ君に声をかけて、またポケモンセンター前。あたしは色違いのギャラドスを出す。

「おおー、本当に赤い……素晴らしい……。ユウケさんは、使ってない子なんですか?」

「すげー!色違い、初めて見たよー!」

「性格とか考えると、あんまり実戦向きじゃないんだよね」

 おうかんというアイテムがポケモンの能力を向上させると知られたのは、つい最近だった。性格と、場合によってはめざめるパワー。物理型のギャラドスなら、性格さえ問題なければいけるのだが。

「では」

「悪いけど、譲らないからね」

 彼女の顔にケチ、ドケチ、と顔に書いてある。

「色違いの希少性は知ってるでしょうに」

 あたしはギャラドスをボールに戻した。

「もし、余ったら……」

「まあ、まずそんなことはないと思うけど。その時は考えるよ」

 見る間に明るくなる顔。確かに可愛い。物理的にも精神的にも押しが強い子だから、あたしはちょっと遠慮したいところだが。

「じゃあ、ハウ君をよろしくね。ハウ君、頑張って。あたしは次の試練行くから」

「ありがとー、ユウケも気をつけてー」

「もちろん。キャプテンですから。それと、今度はやりましょう、本気で」

「そっちも楽しみにしてる」

 二人に手を振って別れる。スイレンの独特な間と押しの強さにはちょっと疲れたが、何だかんだ言って引き気味なあたしとは気楽に話せるという意味ではいいのかもしれない。わからないが。

 

 ロイヤルドーム、という施設があるらしい。あたしの目的地、ヴェラ火山公園に行くには、その前を通らないといけない。ロイヤルドーム自体はまあ、後でいいだろう。入口前、馬鹿でかいポケモン――多分ドロバンコというポケモンの進化形だろう――を連れた農家の作業服っぽい女の子と、スカル団の二人が揉めているのに出くわした。さっきの二人か?もう本当に見分けがつかない。何やら、人の持っているフワンテを奪おうとしているスカル団員とそれを阻止する女の子という図らしい。

「あんたら、暇なのかい?」

「お、いいところに来た。そこなトレーナー、わらわに手伝ってはくれんかの」

 わらわ、わらわ。一人称か。なりは可愛らしい女の子だが。あたしより背が低い、太眉が意志の強さを感じる、褐色の可愛らしい女の子。これがのじゃロリというやつか。認めようその力を。今この瞬間、君は美しい。

「あっ、お前?!」

「お前も暇なんじゃないの?!」

 スカル団員二名はやっぱりさっきの奴ららしい。

「あたしはさっき一つ試練を済ませて来たとこだよ」

「そんな早く終わるわけねーだろ!」

「ほほう、お主も島巡りか」

 スカル団員男の問いを完全に無視して、まあね、と頷く。ポケモンの所有権について真偽は問うまでもない。あたしは可愛い女の子の味方で、興味のない奴の敵だ。小悪党ならもっといい。

「やるんならさっさとやろうか。今失せるなら、見なかったことにするけど」

「スカル団が舐められてたまるか!」

「大口叩いたことを後悔させてやる!」

 見事なフラグだ。あたしは笑った。

「なら、教育してやるとしよう」

 

 鎧袖一触だった。あたしは早々に終わった後、隣の女の子のバトルを見ていたが、そちらも不安感のない勝負で、結果は言わずもがな。逃げていくスカル団員二名。既視感がありすぎる。

「そなた、気持ちのいい戦いっぷりじゃったな」

「そちらこそ。ああ、あたしはユウケ。あなたは?」

「おお、わらわはハプウという。またどこかで会いたいものじゃな!」

 どうですか、ここらでお茶でも――なんてことは、勝った後のハイ状態が切れたあたしには口が裂けても言えなかった。小さく頷き、彼女とバンバドロ(というポケモンらしい)を見送る。しかし、我ながら揉め事に巻き込まれやすいな。うんざりする。

 

 ロイヤルドーム前のポケモンセンターでポケモンを回復し、スーパーめがやすで安さを訝しみながら買い物をし、ロイヤルドームは入口の様子だけ見て後で先に試練と――しようとしたところ、客引きのポケモンに引きずり込まれるようにしてロイヤルドームへ。Noと言えないカントー人。悲しい。

「ユウケ、ユウケ!さっきの怖い人がいるロ!」

 小声で囁くロトム。怖いの――ああ、グラジオね。周囲の人の話を漏れ聞くに、ロイヤルドームでも有名人らしい。ロイヤルドームのシステムをぼんやり眺め、それはそれとしてさっさと出ようとしたところで、いきなり声をかけられて心臓が飛び出そうになる。

「そこの少女よ!」

「ひゃい?!」

 変な声を出してしまった。恥ずかしい。消えたい。声のする方向を向くと、いかにもプロレスラーという筋骨隆々な人物が――見覚えのある大胸筋と腹筋だ。

「ククイ博士?」

「私の名は、ロイヤルマスク!」

 肉グレートとかじゃないんだから、オーバーボディとかしたらどうですか。という言葉が羞恥心に負けて出てこない。

「そこな島巡り中の少女よ、バトルロイヤルには挑戦しないのか?」

「いや、あの……後でいっかなって……試練もありますし……」

 どんどん声が小さくなる。このククイ博、ロイヤルマスクも有名人なのだろう。注目がロイヤルマスクに、ついでに知り合いっぽさを醸し出しているあたしに向けられている。帰りたい。

「あー!ロイヤルマスクだー!」

 ハウ君が追いついてきたらしい。もうスイレンの試練をこなしてきたのか。まあ、ピカチュウがいるものな。

「よし、そこの少年!今入ってきた君!そして少女よ!バトルロイヤルの魅力を知るため、試しに一戦してみようではないか!」

 グラジオ、ハウ君、ロイヤルマスク、そしてあたしのバトルロイヤル。あたしだけ帰りたい。先に。そうだ、グラジオが「こんな素人どもとはやれん」とか言えばこの場は流れる。すがりつくようにグラジオに目をやる。ほら、早く「そんな素人どもが相手になるか、馬鹿馬鹿しい」とか言え。視線を受けて、グラジオはにやりと笑う。あかん、これは「やる気満々だな。俺の得意なフィールドでさっきの借りを返してやろう」みたいな表情だ。がっくりと項垂れたあたしの肩を抱きかかえるというか、押し込むようにドーム内に連れていくのだった。

 

 満場の熱気。大体七割くらいが埋まっているか。このドームのサイズだと、観客の収容人数は五~六千、概ね四千は入っている。世界リーグ戦はいつものことだったし、心構えができていたのだが、不意打ちのようなこれは、辛い。千人近い人間があたしを見ている可能性があると思うと、右手と右足が同時に前に出てしまう。実況に名前が呼ばれている。ちいさくなるが使えたら。無情にもゴングが鳴り、あたしはさっき読んだルールでの最善手であろうポケモン、ハガネールを繰り出した。グラジオはタイプ:ヌル、ククイ博士もといロイヤルマスクはイワンコ、ハウ君はフクスロー。ハウ君には悪いが、ちょうど四倍を突ける技がある。

「ハガネール、フクスローにこおりのキバ!」

「イワンコ、まもる!」

「フクスロー、イワンコにはっぱカッター!」

「ヌル、イワンコにおいうち!」

 技の優先度、次いで早い順にポケモンが動く。イワンコのまもるで二匹分の技が吸われ、最後に動いたハガネールのこおりのキバがフクスローを打ち倒し、試合終了。なるほど、これが三匹分続くのが本来の試合の流れか。まもる、みきり、ふういん、スポットライト辺りが必要になりそうだな。シングルだとあまり使わない技ばかりだ。

 

 観衆視線の重圧からようやく解放された。全然関係ないことで消耗しているあたしと何だか格好を付けているグラジオ、ク、もう面倒臭い、ロイヤルマスクにサインをせがむハウ君。応えるロイヤルマスク。自由すぎる。あたしは最低限の挨拶を済ませてその場を、去れない。

「先ほどの勝負、見させてもらいました」

 上半身裸の、燃えるような赤髪、褐色によく焼けた肌、鍛え上げられた肉体のお兄ちゃん。どちら様、と視線を向ける。

「失礼。俺はキャプテンのカキ!炎のように熱い勝負、見事でした!俺の炎の試練、是非受けに来てください!」

「ああ、どうも、はじめまして。島巡り中のトレーナー、ユウケです。今から伺おうと思ってました」

 また目立っている。目立っている中、頑張って声が出たほうだと思う。カキさんが、あたしのほうを見て、ああ、例の、みたいな鋭い目線を送ってくる。個人相手ならまあ、いいんですけど。はい。

「カキさん久しぶりー!後で行くからー!」

「フッ……」

 自由。屋内なのに、自由だ。アローラ――あたしはまだ、南国の開放感には浸れていないのかもしれない。

「では、ヴェラ火山公園で待ってます!」

 機敏な身のこなしで去って行くカキさん。何だか色々あって疲れたが、まだ休憩には早い気がする。今から回れば、夜までに試練三つともこなせそうだし、行くとしよう。今度こそ小さく頭を下げて、ドームを去る。

 

 ヴェラ火山公園、驚くほどの観光客がいる。せせらぎの丘のように、静かに試練をやるという感じではないな。おまけに暑い。バトルで勝った観光客曰く、キャプテンカキの踊り自体が凄いらしい。まあ、そうだろうな。あれだけ鍛えているのだから、踊りも相当鍛錬を積んでいるのだろう。というより、踊りが主で鍛錬は従なのかもしれない。山頂に着いた頃、丁度キャプテンカキの踊りを披露する時間に当たっていたらしく、人垣の端から何とか見ることができた。ファイアーダンス、というのだろうか。

「アローラに伝わる踊りをガラガラと共に学んでいます。カキでした。皆さん、ありがとうございました!」

 さっきドームから戻ってきたのは同じはずなのに、全く疲れを感じさせない流麗な踊り。全然踊りを知らないあたしにも、凄さが伝わってくる。BGMは――わからない。地元の伝統音楽だろうか。荘厳さはわかる。パートナーであろうアローラのガラガラとは息ぴったりだ。観光客の人垣に紛れて、あたしもお世辞ではない拍手をする。

 

 踊り終わった直後は疲れているだろうし、人目も気になるしで、この人垣がやや散ってからカキさんに声をかける――前に、カキさんから声をかけられた。

「おお、ユウケさん!さっそく、島巡りの挑戦ですね!これまでの試練とは一風違う内容ですが、受けられますね!」

 周りの人垣が、キャプテンの試練目当てか地元の風習目当てかでまた集まってくる。もちろん、とでも言うと思ったかい?この程度、想定の範囲外だよ。

「は、はい……」

「わかりました。では、キャプテンカキの試練、始めます!」

 やっぱり茶でも飲んでくるべきだったか。今日は厄日かもしれない。何か観光客っぽい人達からばんばん写真とか撮られているし。まあ、ポケモンバトルとかと同じと思おう。集中しないといけない。

「では、試練の内容を説明します。この試練は観察力を求めます。これから、パートナーであるガラガラにファイアーダンスを踊ってもらいます。二度踊る中で、違う点を見つけてください。よろしいか」

 動体視力にはそこそこ自信がある。記憶力にはあまり自信がないが。あたしは頷く。

「では、始め!」

 一度目の踊りと、二度目の踊り。

「その、ガラガラの最後のポーズが違いますね?」

「お、お見事!お見事ですから、おいでませ、ガラガラ!」

 なるほど、これで一戦目。アローラのガラガラも、数少ないツテに頼って使ったことがある。特性はひらいしんかいしあたま、採用率はあまり高くないと思うがのろわれボディ。タイプは炎・ゴースト。あたしはアローラに来て初めて繰り出す、最後の札となるボールを投げた。

「行け、サニーゴ!」

「ほう?サニーゴとは」

 訝しがるような、面白がるようなカキさん。あたしも、あんまり実戦向けのポケモンとは思っていないのだが、好きなのだからしょうがない。

「サニー!」

 基礎ポイントを考えてないと言ったな。こいつだけは嘘だ。サニーゴはとても好きなポケモンで、一度は旅に連れていきたかった。だが考えれば考えるほど正直なところ基礎ポイントと技を何とかしておかないと、何ともならないという判断があった。アローラの旅の途中で真っ先に交代する要員にはしたくなかったのだ。体力と特殊攻撃を育てたれいせいな子。技も全て有用で強力なもので充実させてある。卑怯とは言うまいね。ホネこんぼう、ホネブーメランはフォルムチェンジで不一致技になっているから何とか耐えられるはずだ。殴りかかってくるガラガラのホネこんぼうに余裕を持って耐えるサニーゴ。

「サニーゴ、ねっとう!」

 一撃。流石にこれでガラガラを食えなかったらやっぱり駄目かも――と思ったが。よかった。

「よくやった、サニーゴ!」

 初戦果に喜ぶサニーゴを褒めてからボールに戻す。

「正解に喜んだガラガラは戦いたくなるのです!」

 なるほど。倒れたガラガラに手早く薬をあげて回復させるカキさんを見ながら、内心頷く。

「では、早速次の問題、参ります!」

 ガラガラの目付き、骨、挙動。全てを見逃さないよう目を見張る。一度目、二度目。

「あの……」

「何ですか?」

「もう一度、というのは大丈夫ですか?」

「いいですとも!」

 快く応えてくれるカキさんとガラガラ達。一度目、二度目。あたしは目をこすって深呼吸。

「そ、その、山男、さん?」

「アローラ!」

 

 何故か勝負をしかけてきた、異様に敏捷な動きの山男をバトルで下す。

「サニーゴ、よくやったよ」

 人間の愚かさを知らずに微笑むサニーゴを撫でてやり、ボールへ。

「正解に嬉しくなった山男は戦いたくなるのです!」

 カキさんは真顔である。何だか嫌な予感がしてきた。

「では、三問目、これが最後の問題です。参ります!」

 一問目。当然のように混じっている山男は無視。二問目。頭を抱えて、現実をようく見てから深呼吸。キメで律儀に止まっている四匹のポケモンと、一人の人間。背後のカメラ撮影音が大きく聞こえる。四匹。あたしは震える声を絞り出した。

「ぬ、主のポケモン……?」

「正解です!正解ですから、おいでませ、主ポケモン!」

「ガラーラ!」

 でかい。

「でっかいロト!ユウケ、大丈夫ロト?」

「違う意味で大丈夫じゃないけど、行けるよ。頼む、サニーゴ」

「サニー!」

「わ、悪いけど、ロトム、協力お願い」

「頑張るロトー!」

 おうえんポン。ロトムの力を出したポケモンに貸してもらう力を、初めて使う。トレーナーであるあたしの動揺がサニーゴに伝わっても、ちゃんと戦ってくれるように。対する主のガラガラは初手みきり。おそらくだが、長期戦を避けるトレーナーなら、水Zを撃つという判断だろう。あたしだってそうしたかった。こんな大勢の前でZ技のポーズを取る勇気が出ないだろうという判断で、サニーゴには木の実を持たせている。主はみきりをスカされた事に特に動揺せず従者のポケモン、エンニュート――毒・炎タイプだったはず――を呼ぶ。どくどくは無いにしても、長期戦はますます不利。

「サニーゴ、ねっとう」

 ガラガラは受けて、倒れた。さすがに能力が一段階上がったサニーゴの一致ねっとうは耐えられなかったらしい。残るエンニュートがどくガス、ベノムショックを撃ってくるがサニーゴは耐えきって、ねっとう一撃で勝利。

「お見事でした!」

 カキさんは依然真顔。あたしはサニーゴに寄りかかるように、震える腹を抱えて膝をついた。

 

 あたしはツッコミ要員ではないはずだ。特に、何だかすごくいいものを見たねという観光客っぽい人達の拍手に包まれる中では。

「お見事でした。改めて、主ポケモンが守っていた、炎Zのクリスタルを授けます。俺達は踊りを続けます。人とポケモンの思い、Zパワーが何かわかるまで!」

 ああ、いい笑顔だ。改めて人垣から拍手。

「それと、ライドポケモンにリザードンを登録します。これで、リザードンの背に乗って飛べるようになります。他の地方で言うそらをとぶですね。今度は本気のあなたと戦ってみたい。それも、楽しみにしています!」

「ありがとうございます。何だか色んな意味で勝てる気がしませんけど、それでよければ」

 本音だ。多分、色々な意味で今まで会った人の中で一番腹筋力が強い人だと、あたしは思った。

 

 火山公園を出てすぐに変なおじさんに突然声をかけられた。歩きながら音楽を聞けない――要は対人防護装備であるイヤフォンを装備できない――路上は、あたしにとっては数多い苦手な場所の一つだ。音楽を聴きながら歩くのは危険、聴かずに歩くのも危険。

「私はモーンという。君、カキくんの試練を突破したんだね。おめでとう。君を強いトレーナーと見込んで頼みがあるんだ。アーカラ島外れにあるポケリゾートの開発を手伝ってほしい。それじゃ、頼むよ!詳しくは島で説明するから、リザードンで飛んできてくれ。座標は今、ロトム図鑑に送ったからね。待っている!」

 一方的な説明だった。うさんくさい。まあ、後にしよう、大至急という雰囲気ではなかったし。うん。あたしはそう決めた。まだ陽は高い。アーカラ島最後の草の試練に間に合うだろう。

 

 トンネル内は車も通っておらず、涼しくて気持ちがいい。

「えばぐりーん、えばぐりーん、あーあー、えばぐりーん、ふぁみりー、ふふふーん」

「ユウケ、ご機嫌ロトね!」

「まあね。うい、らい、えっばぐり」

 二つの試練を突破してご機嫌になり、鼻歌の一つくらい漏れてもおかしくはないだろう。トンネル内に誰もいないことが陽気さに輪をかけ――まずい、トンネルの出口に誰かいる。聞かれなかっただろうか。しかも例のコスプレイヤー二人組だ。ダルスとアマモ、だったと思う。

「エヴァーグリーンファミリーって何、アローラの人?」

 ばっちり聞かれていた。頭を抱えたくなる。

「ヴェニデとかシリウスに入ってないなら、気にしなくていい」

 頭に疑問符を浮かべているアマモを他所に、ダルスのほうが口を開いた。

「お前は、また試練を突破したのか。そのクリスタルの光……かがやきさまの光に似ているな」

 今回は別にやる気はないらしい。顔見知りだから声をかけたというところなのだろうか。かがやきさま?

「行くぞ、アマモ。これからこちらの世界の科学者の力を借りねばならん」

「向こうから来てくれたみたいだよ」

「やあやあ、私に聞きたいことがあるとか?」

 また人が増えた。変な髪型をした男性。あたしは関係無いし、さっさと行こうと思ったが、最後にやってきた男性にボディーランゲージで制止される。知らない人に声をかけられるのが多い日だな。嬉しくない。

 

 結局日陰に座り込んで、コスプレイヤー二人と変な髪型の男性の打ち合わせが終わるまで待たされていた。暇な間、ニャヒートと戯れていた。お前で28匹目、恐れるな、もふもふする時間が来ただけだ。ニャヒート可愛い。コスプレイヤー二人はどっかに行ってしまった。

「お待たせしました。あなた、島巡りのトレーナーですね?私はアクロマといいます」

「どうも、ユウケと申します」

「私は、ポケモンと人間の結びつきによって生じる力について研究しています。例えば、メガシンカや、Z技!そう、人とポケモンの力が合わされば、未知なる力が引き出される!それが、私の生涯の研究テーマなのです!」

 関わってはいけないタイプの人だった。後半、あたしの方を見てないし、早口だし。

「ともかく、私の研究に興味があれば、ぜひご連絡ください」

「はぁ、どうも……」

 またも一方的にロトム図鑑に連絡先データが送られる。メガシンカもZ技も、原理はいまいちわかってないし、確かに興味はある。Z技はそういえばまだ一度も使ってない。この目が危ない人と連絡するかはともかくとして、何かの役には立つかもしれない。今は、あんまり関わりたくはないが。あたしは小さく一礼してから足早にその場を去った。

「何だか、不思議な雰囲気の人達だったロト」

「コスプレの二人は何だかわからないから保留としても、最後の人、ありゃ不思議じゃなくてヤバいっていうんだよ。マッドサイエンティストってやつだね」

 

 ヴェラ火山公園からシェードジャングルまで行くだけで、ずいぶん疲れてしまった。知らない人と話すと本当に疲れる。今日はこの試練で終わりかな。さすがに日が暮れてから大試練は、受けるこっちもだが先方に迷惑がかかりそうだ。

 うっそうとしたジャングル。いかにも南国という感じだな。実際、植生を見てみると帰化植物なんかが多いのだろうが。

「あ、毎度!キャプテンのマオでっす!ユウケ、だったよね。マオの試練、受けてく?」

 頷く。港で見た時も思ったが、可愛い子だ。活発そうで、笑うと花が咲いたよう。スイレンの例もあるから、あまり油断してはいけないが。あたしは可愛い女の子に弱い。

「いい返事。じゃあ、試練の内容を説明するね。試練の内容は、あたしの料理に使う材料をこのジャングル内で探してもらうこと。ただし、ポケモンが狙っているのと同じ食材を持って行くと、ポケモンと取り合いになるかも。それを考えて、この材料袋に入れてね」

「なるほど。では材料は?」

「マゴの実、甘い蜜、大きな根っこ!」

「手持ちのだと駄目ですよね」

「もちろん、駄目。それだと試練にならないし、味も変わっちゃうよ」

 予想はしていた。野菜は土壌によって味が変わるという。蜜はもちろん、植生を直接反映する。納得の上頷く。

 

 三つの材料をポケモンとぶつかることなく集め終えたあたしは、マオさんの料理風景を眺めていた。何だかすごい臭いがしてきたが、大丈夫なのだろうか。

「マオさん?その、これは」

「マオでいいよー!さて、スイレンからもらった美味しい水を入れて、カキから借りた太い骨でかき混ぜて……っと!」

 背後からがさがさとすごい音がする。振り返らないと不味いやつだな。わかっていても体が素直に動いてくれるとは限らない。動け――動け――動いた!

「しゃらんしゃらんら!」

「主ポケモンロト!」

 確か、ラランテスだったか。この島特有のポケモンで、土産物に採用されたりもする――くらいしかわからない。まあいい。草タイプなのは間違いない。見た目からの偏見だが、多分、草・虫だと思う。

「行け、ヘラクロス!メガホーン!」

 

 期待通り、ヘラクロスは一発耐えて、お返しと打ったメガホーン一発でラランテスを食ってくれた。運が普段通りそっぽを向かなくてよかった。ニャヒートがいるから、多少突っ張ってもいけると判断したところもあるが。

「よくやったよ、ヘラクロス!」

「すごい!ユウケ、素材のよさを引き出しすぎだよ!しかも、ポケモンとぶつからないよう考えてくれたよね!」

 ええまあ、と曖昧に微笑む。飛び出して襲いかかってきたポケモンでない限りなるべく傷つけたくはない。

「それだけ、この子達が努力してくれてるお陰」

「またまたー。さあ、じゃあ、試練達成のZクリスタルを差し上げまっす!今度は、あたしとも勝負してね!」

 独特な臭いのする中身が大量に詰まった大鍋をひょいと担ぐマオ。

「じゃあ、あたし、これをライチさんに冷める前に持って行かないといけないから!またねー!」

「あ、ど、どうも……」

 ライチさんとは一度会ったきりだが、人死にが出るのは目覚めが悪い。ククイ博士かハウ君なら連絡先を知ってそうなので、とりあえず「マオさんが異物入りの鍋を担いでライチさんに食べさせようとしているのでライチさんに警告してあげてください。」――これでよし。

 

 着信音が真後ろでしたので飛び上がりそうになった。

「マオの試練無事達成したんだな。おめでとう!」

「ククイ博士でしたか。びっくりした……ありがとうございます」

「メールは今見たけど、大丈夫。マオの料理は何だ、独特な感性のものもあるけど、ライチはああいう味が好きだからね。マオもライチに褒めてもらおうと思って、ライチ好みの味に仕上げているから」

 あたしの感覚がおかしいのだろうか。あれは美味しくないと嗅覚と直感が告げているのだが。

「まあ、料理について僕が語ることはあまりない。コニコシティには行くんだろう?コニコ食堂がマオの家だから、直接味を確かめてみるといい。マオの発案料理は『Z定食』だったと思う。ユウケが胃が丈夫ならね」

 ククイ博士らしからぬ、微妙に歯にものが挟まったようなしゃべり方。遠慮しておこう。

「さて、カキの試練も終わったんだろう?悪いけど、カンタイシティの東の端までリザードンに一緒に乗せてくれないかな。案内したいところもあるんだ」

「構いませんが。博士、ライドスーツは?」

「鍛えてるからね!」

 寒くないかと聞いているわけではない。落ちたら危なくないか、と聞きたかったのだが、この人なら本当に平気そうな気がしてきたし諦めた。

「わかりました。落ちないようにしてくださいね。あたしもこの子乗るのは初めてですし、上手く空中で拾える自信はありませんから」

「二千メートルくらいまでなら大丈夫さ!」

 何だか冗談に聞こえないのがすごい。博士の体力を信じてリザードンを呼び出した。




余談ですが、特性『はりきり』A↑性格で努力値Aぶっぱのサニーゴに「もろはのずつき」を覚えさせて、いやなおとを当ててからイワZを打つとB↑性格HBぶっぱのクレセリアが乱数50%で落とせます。
Z技なので命中率低下も無視できますし、サニーゴはやればできる子。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、岩の試練を砕く

 空間研究所。物理学の研究施設なのだろう。あるいは、数学の研究所かもしれない。

「外から眺めていてもしょうがないぜ。さ、行こう、ユウケ!」

 頷いて博士に続く。白で統一された清潔な雰囲気の建物、エレベータのボタンは三階と一階のボタンのみが光っており、博士は当然三階を押す。二階は倉庫か何かなのだろうか。

 

 この手の研究所は来ると目眩がする。まだ三階なのに、バベルの塔に雷が落ちたような気分だ。同じ言語を話し、同じスクリーンを見ていても、知識の有無で違うものが見えるという現実を突きつけられることに由来する目眩ではないかと思う。

「それで、博士、ここであたしに何の用事が?」

「あの、わたしがお願いしたんです。ほしぐもちゃんのことで参考になりそうなお話がありまして」

 リーリエとほしぐも――ちゃんの姿。バッグから出ているということは、ここは安全な場所ではあるということか。ほしぐも――ちゃんの前でしゃがみ込んでなでてやる。あんまり嫌がられなくなった。ありがたい。そのまま、リーリエを見上げる。

「この子のことで?」

「はい。わたし、この子を……ほしぐもちゃんをどうしても助けたくて、この子を連れ出したんです。この子の力で、テレポートだと思いますが、した後、浜辺で倒れていたところを、バーネット博士に助けてもらったんです」

「バーネット博士というのが、ここ、空間研究所の所長にして、僕の奥さんだぜ!」

「ハイ、ダーリン。その子がユウケ?」

 立ち上がって小さくお辞儀した。銀髪に近い白い髪に日焼けした肌が見事なコントラストを描く。綺麗な人だ。ククイ博士も隅に置けないな。

「さっきリーリエから聞いたわ。凄腕のトレーナーらしいじゃない?」

 あたしは首を横に振る。

「別に、そこまで大したことは」

「またまた!それで、そのほしぐもちゃんだけど、空間に関係するポケモンなのではないかと思っているの。あたしは、ここでウルトラホールの研究をしているから、関係資料を見てもらったら、何か助けになるかなと思ってね。それに、リーリエが楽しそうに話す『凄いトレーナーさん』と一度は会っておきたかったしね」

 なるほど。リーリエの用事に付き合うなら、トレーナーの視点に、知識を加えたほうが見えてくるものが違ってくるということか。

「ありがとうございます。では、資料を拝見したいのですが」

「棚に入ってる資料に、青色の付せんを貼ってあるから。それを見てみて」

「お忙しいのに、何から何までありがとうございます」

 確かにいい人らしい。ずらりと並んだ資料を勝手に引っかき回すわけにもいかないし、向こうも困るというのもあるだろうが。

「バーネット博士は、ククイ博士の研究所のロフトまで手配してくださって……まるで、本当のお母様のようです」

 お母様、か。こういった事態で家族を頼れないというのは、何かあるのだろうな。話しづらいことだろうし、今、突っ込んで聞くことはできないな。

「あたしの母さんにも見習ってほしいもんだね」

 クスクスと笑うリーリエ。

「ユウケさんのお母様も、お優しいですよ」

「そうかな」

 苦笑いしつつ、資料を手に取る。ギラティナ、パルキア、ドータクンか。どれもボックスには入っていたはずだが、ほしぐも――ちゃんに見せてみれば何か反応があるだろうか。『やぶれた世界』そのものは、噂とポケモン図鑑でしか見たことがない。

「バーネット博士、ギラティナやパルキアは、この研究所にいるのですか?」

「まさか」

 そうそうあちこちに転がっていないから伝説のポケモンというのだが。

「しかし、そうなると……どれもアローラ地方にいないポケモンなのでは?」

「そう、ドーミラーも今のところ確認されてないわ。ここに研究所を構えているのは、アローラ地方に『ごくごく稀に空に穴が開いて、そこから怖いポケモンがやってくる』という伝承があるからです。ウルトラホール、と我々は呼んでいるけれども」

「空に穴、ですか」

「信じられない?」

「いいえ。似たようなものを、見たことがありますから。ホウエンのまぼろし島とか……」

「あれも興味深い事例ね。ややこしい説明をしなくて済むから、助かるわ」

「あたしも物理学は全然わからないので、経験でしか処理できないというのは申し訳ないですけど」

 二次元の生き物は、縦と横の二つしか認識できない。三次元に生きるあたし達は、縦と横、高さの三つを認識できる。二次元の生き物を線で閉じ込めたら、隙間がなければ抜け出すことができない。三次元の生物なら、高さがない線は跨いで通り過ぎることができる。四次元の生物であれば、三次元の生物を閉じ込める檻であっても、同じように認識できない動きではあるが越えることができる。ウルトラホールも、そういった現象なのだろうか。

 考えていたことが、口に出ていたらしい。

「四次元の四つ目の方向は時間だという説もあるけど、その辺りは実証されてないからなんともね」

 そうだろうな。余剰次元を含む他の理論であっても、実験で証拠が出ているわけではない。今後の研究にご期待ください、ということか。後は、一応連絡先を交換して辞去――しようとしたところで、面白いものを見てしまった。退屈していたのだろう、リーリエがほしぐも――ちゃんと戯れている。

「いけ、ほしぐもちゃん。はねる!です」

「ぴゅい?」

 トレーナーごっこというところだろう。

「ユウケさんの真似です」

 いいものを見た。でも、見られていたのに気付いたら恥ずかしがるだろう。その顔も見てみたい――と思ったが、自重する。さっき見た資料にもう一度目を通すフリ。わざとらしくパタンと閉じた。

「リーリエ、終わったけど、この後どうする?」

「バーネット博士に今日は泊まっていくように勧められているので、お言葉に甘えようかと」

 ククイ博士はいいのだろうか、と思ったが、ククイ博士も別件の用事があるらしい。夫婦で熱烈な――出歯亀はやめよう。あたしはリーリエに頷く。

「じゃあ、あたしはこれからコニコシティに行くから。命の遺跡には、明日でいいかな?」

「そうですね。明日、予定がわかりしだい連絡します」

「うん。じゃあ、気をつけて」

「ユウケさんも」

 リーリエには片手を上げて、研究所の他の研究員の人にはお邪魔しましたの意を込めて頭を下げて退出。

「ロトム、コニコシティに行くにはどうすればいい?」

「カンタイシティ南、ディグダトンネルを抜けるロト」

 車両用の道路が通ってないのか。海路で事足りるということか。まあ、あたしも原付やらバイクやら車やら戦車(クルマ)やらの免許は持ってないし、別に徒歩で構わない。

 

 ディグダトンネル。ディグダというポケモンは、どこでも穴を掘って、そこに住みたがる。ディグダ自身がどう思っているかはともかく、トンネルが一定の大きさになると、ズバットや他のポケモン、そして人間が住処や餌場、通路として使うようになる。このトンネルもそうだ。かなり人の手が入っているようで、既に照明や地均し、手すりも付けられている。これだけ整備されていれば、足回りがサンダルだったりする観光客であっても足をくじいたりはしないだろう。

 入ってしばらく歩いたところで、白ずくめの二人組に呼び止められる。どことなく、インスティチュート然とした雰囲気だ。モンスターボールでなくて人造人間リレーグレネードを投げてきてもおかしくない。実際に出てきたら絶叫してしまうと思うが。

「あ、トレーナーさん。こんばんは」

「……こんばんは」

「私達は、エーテル財団というポケモン保護に関わる職員です。ディグダトンネルでスカル団がディグダを怖がらせて暴れさせているという情報が入ったので、見に来たのです。コニコシティ側の出口はディグダ達が殺気立っているので、気をつけてください」

「ありがとうございます。その原因のスカル団員は見つかったのですか?」

 微妙な顔を見合わせる白ずくめ二人組。見つかっていないのか。それなりに広いトンネルだし、暗がりにでも潜まれたらわからないから無能だとは言えないが、コーサーの一人でも連れてきたらどうなのだ。コーサーがいるか知らないが。

「ご忠告、ありがとうございました。それでは」

「お気をつけて」

 あたしはインスティチュートが嫌いなのだ。オリジナルの人間を徹底的に尋問してから人造人間に置き換える組織なのに、何故か人気の高いところも含めて。だから、脳内でエーテル財団という団体に要警戒マークをつける。もちろん、偏見に過ぎないのはわかっているから、口には出したりしない。

 

 それで、出口であたしはスカル団員二名男女に絡まれているわけだ。

「袋叩きってわかります?トンネルで宴会しようと思ったらディグダに囲まれてストレス溜まってるんすよ」

「それで、お嬢ちゃんを袋叩きにしてストレスを解消したいってわけ」

 野良ディグダに勝てない奴が、ディグダトンネルを抜けて来たトレーナーに勝てると思うあたりがなかなか面白い。

「ユウケー!俺も一緒に戦うよー!」

 後方から思わぬ援軍。ハウ君を巻き込みたくはないが、もう

「こいつがユウケなのか?!」

「一般人にナメられたら終わりなんだ、やっちまえ!」

 三下道でも履修しているのだろうか。見事なまでの三下臭だ。あたしはハウ君と同時にボールを投げた。

 

 挨拶する価値もない三下だった。何だか捨て台詞を吐いていく連中をそっちのけにハガネールを撫でてやる。背が――足りない。ぷるぷるする。

「ハウ君、もう試練終わったんだ」

「終わったよー」

 やっぱり、大したものだ。

「どうする?あたしはこれからコニコシティに行こうと思うんだけど」

「俺はー、ディグダと遊んでこっかなーって」

 頷いて片手をひらひら振って、ハウ君と別れる。コニコシティへ。

 

 道を聞こうと尋ねた交番で人間と入れ替わっているメタモンと遭遇して、もう少しで下着の交換が必要になるところだった。メタモンは何にでも変身できるというのは知っていても、人間に紛れ込まれるのは不気味でならない。さっきインスティチュートっぽい連中と出くわしたし、ここはウェイストランドだったのだろうか。

 

 ともあれ、ぎりぎり醜態を晒さずにコニコシティに到着できた。チャイナタウンという風情だ。いいにおいがあちこちから漂ってくる。あちこちの屋台にふらふらと足を吸い寄せられそうになるのをぐっと堪えながら、まずはポケモンセンターへ。ポケモンセンターの宿泊スペースは無限にあるわけではない。当然、大試練の挑戦者ともなると、それなりに数がいる可能性がある。もう日が落ちているし、さっさと押さえておかないと野宿する羽目になる。どこかの宿に泊まってもいいのだが、貧乏性が無料宿泊を最優先にしたがるのだ。幸い、スペースはまだ残っていた。ベッドは二段目になったが、しょうがない。女性用宿泊スペースの下の人に小さく挨拶をしてベッドに荷物を放り込み、貴重品を取り出し、服を着替えてセンター内のコインランドリーに洗濯物を放り込んで、先にシャワーを浴びることにした。

 

 シャワーを浴びて、ようやく一息。シャツはお気に入りのバンドTシャツ(SlayerのツアーTシャツ)、下は白いハーフパンツ。至ってラフな格好だ。洗濯が終わるまで、録画しておいたお気に入りのアニメを見ることにする。

『馬鹿な、行き止まりとは……!』

『それはシュギ・ジキと呼ばれるパターンで、十二枚のタタミから構成されている。四方は壁であり、それぞれにはライオン、バタフライ、ゲイシャ、イカの見事な墨絵が描かれていた』

『姿を現すがいい、ナイトシェイド=サン……!』

 全世界三千万人の読者を誇るという名作小説がアニメ化された人気シリーズだ。小学生(義務教育)時代に図書館に当然のように並んでいたこのシリーズを読み始めて以来の大ファンである。メインストーリーは既に第二部まで進んでいるのだが、本編と同じく時折短編シリーズとして時系列から外れた本編の過去や逆に第三部、四部の短編エピソードがアニメになることがある。ファンの間では語り草となっている、ユウケの記憶が正しければ、シュギ・ジキシークエンス初登場のエピソードだったはず。

『サヨナラ!』

 敵の爆発四散に合わせたかのように、洗濯機が洗濯完了のアラートを鳴らす。あたしはハッと顔を上げた。

「ユウケ、アニメ好きなんロ?」

「そうだね、このアニメは特に好き」

 重金属酸性雨の降る暗鬱な都市の情景を思い浮かべながら、ほかほかの洗濯物を取り出す。ベッドの柵に糸を張って折りたたみハンガーに吊しておけば、明日の出発までには乾くだろう。

 

 旅は孤独になるための行為であり、旅は自分の孤独を浮き彫りにし、向かい合う行為である。あたしの好きな女性作家のエッセイにこんな趣旨のことが書いてあった。著者が同性愛者であるということを差し引いても、色々と共感するところがある。旅先で友はできる――こともある。だが、あたしは人の縁を維持するのが得意ではない。手入れしないと長持ちしないそれを腐らせてしまう。これは昔からそうだ。幼馴染み、小学生時代にできた数少ない友達。全然連絡を取ってない。忘却の彼方だろう。それでも構わないと、あたしは思っている。どうせ死ぬ時は一人だ。今回の旅は、思ったより同行者がいて忘れていたが、これがあたしらしい旅だと思う。異郷――といっても、もう隣の島に引っ越してきたのだから、住民になりつつはあるが――の夜はこういう寂寥感が好ましい。そして、誰もいないということはだ。

「飯と酒だね。ロトム、行くよ」

「ロト!」

 あたしは洗濯物、貴重品を確認してからポケモンセンターを出た。いい香り。そうだ、マオの家が食堂をやっているはずだ。

 

 コニコ食堂。幸い、そこまで混んでおらず、あたしは二人がけのテーブル席に通された。広々一人で使えるのはありがたい。メニューを眺める。幸い、宿のポケモンセンターは目と鼻の先だ。常軌を逸するほど飲むつもりは全くないが、宿が近いか遠いかは大きく違う。

「相席、よろしいかしら?」

 隣は相席らしい。そんなに混んでいるなら席を替わったほうがいいかとメニューから目を上げると、ニコニコと微笑む褐色の女性。美人だ。ライチさん。

「あっ、えっ、あの……」

「お連れがいるなら、遠慮するけど」

 あたしは首を横に振った。顔見知り程度の人と食事をするのは、正直なところあまり気が進まなかったが、明日大試練で島クイーンである彼女と対戦することになると聞いている。幸か不幸か、まだ酒を頼んでいない。何ならガッとご飯を食べて出てしまってもいい。今よく知らない人との食事を我慢するほうが、明日気まずい雰囲気で大試練に挑むよりマシだという消極的判断だ。ご飯食べずにサラダか何かだけ食べて、スーパーに寄ってもいい。それくらい腰が引けてしまっていた。

「ど、どうぞ」

「ありがとう。では、失礼するわね」

 想像していた以上に柔らかな微笑み。魅力的な外見だとは思う。あたしが人見知りでなければ、だが。

「それで、何を頼むかは決まったの?」

「いえ、何がいいかあまりわからなくて」

「あら、アローラに引っ越してきてからの旅の間は何を食べてたの?」

「携帯食料とか、ポケモンセンターのサンドイッチとか、後はカロリー摂取用のゼリーとか、ですかね……」

 そういえば、マラサダもまだ一度も食べていない。我ながら酷い食生活だ。サプリメントはちゃんと摂っているが、どうだろうか。

「駄目よ、そんな食生活じゃ。いくら若くてもお肌荒れちゃうわよ?」

 言われて自分の顔に手をやる。肌、荒れているだろうか。目の下のクマはようやく取れたはずだが。思い悩んでいる間に、ライチさんは店員を呼ぶ。

「いつものと、プリモビール」

「あ、あたしはこのロミロミサーモンと、ビールはライチさんと同じのを」

「ちょっとユウケ、あなた何歳?」

「え?十二歳ですけど。成人してますよ?」

「それはカントー地方ででしょう。アローラだと、二十一歳以上でないとアルコールは飲めないわよ」

 がーんだな。出鼻をくじかれた。じゃ、じゃあこのビッグウェーヴってビールを――駄目か。流石に元プロトレーナー、未成年飲酒で逮捕なんて書かれたら笑いものだ。

「お酒、飲めないのか……ああ、アローラの欠点じゃないのか、これは……。じゃあ、マゴスムージーお願いします」

「この世の終わりみたいな顔しないでよ。そんなにお酒好きなんだ、ユウケ」

「好きというか……うーん。好き、ですかね。生・老・病・死の四苦を洗い流したいというか」

 酔っ払いたい時専用のカイリキーゼロは別として、あたしは旅の先で飲む酒が好きだ。食と同じく文化の一部である酒を味わい、酩酊感を味わうのが好きだ。

「へえ、ユウケはブディストなんだ」

「あんまり熱心に信仰はしてませんがね。だから、カプ神を拝むのにも全然抵抗はありません」

 本当は宗教なんて信じてはいないが、仏教徒としておくほうが何かと便利だ。神道は説明しづらいし、そちらにも特に思い入れはない。無神論者は地方によっては本当に人間扱いをされないから、厄介極まりないのだ。

「そんなシャツ着てるから、無神論者なのかと思ってたわ」

「このバンド、ご存じなんですか?」

「ごめん、名前だけしか知らない」

 意外なところに同好の士がと思ったのだが。

「じゃあ、乾杯しましょ」

「ええ、アローラに」

「強い島巡りの子に」

「「乾杯」!」

 ちん、と澄んだ音。これで酒が入っていれば言うことなしなのだが。マゴスムージー甘くて美味しい。肌に効くだろうか。

「ユウケ、あなた、ククイから聞いてるわよ。すごいトレーナーらしいじゃない」

「そんなことないですよ。ククイ博士は大げさだから」

「ふふ、大試練もだけど、本気でやれるのを楽しみにしてるわ」

 あたしも強い人とリスクなくやれるのは楽しみではあるし、自然と顔がほころぶ。

「ああ、何だ。ちゃんと笑えるんじゃない。表情が硬いから、心配してたのよ」

 まあ、そうだろうな。今、意外と――というと、メレメレ島の島キングであるハラさんがおかしな人だったのかと誤解を招きそうだが――島クイーンが普通に話せる人だなと安心してきたところなのだ。感情をちゃんと表情に出すのが得意ではないのは、もう嫌というほど自覚している。酒は少なくとも陽気ではないほうのあたしを少しでもマシにしてくれるらしいから、その力を借りようという思いもあった。必要なさそうで安心した。

 

 頼んだ食べ物がきた。野菜たっぷり、魚もたっぷり。野菜が好きなのだ。肌への善し悪しは別として。

「ユウケ、いい食べっぷりだね。やっぱり肌とか気にしてるの?ほら、好きな子とかいるんじゃない?」

 さっきの柔らかな微笑みと違う、少し悪戯っぽい笑い。同じ釜の飯を食うと親しみが湧くというのは事実らしく、そういう表情も魅力的に思える。朝出会ったばかりでいきなりこんな話題なら、多分あたしは引いてしまっていただろう。

「好きな人、うーん……」

 記憶を探る。可愛い女の子は好きだ。自分が男の子が好きにならないと気付いたのはいつだっただろうか。幼稚園、小学校。小学校を卒業して、旅に出る直前に、あたしにちょっかいをよく出してきていた男の子に告白されて、それをフッた時だっただろうか。その後。その後――旅の記憶を呼び覚ます。あんまりあたしは人と関わってこなかった。カントー、ジョウト、イッシュ、カロスは一人でいたいあたしに優しい土地だった。深く誰かと関わったりなんてしなかった。ホウエンはまあ、色々あった。だが、ハルカは可愛かったが、隣に決まった相手がいたし、あたしもちょっかいをかけようとは思わなかった。アイドルと関わったこともあったが、綺麗なあの子はどうも先輩兼ライバルという感じだった。今は環境保護団体に転じたフレア団、アクア団の幹部に綺麗なお姉さんはいたが、あんまりあたしのタイプではなかった。世界リーグ戦では、周りは敵しかいなかった。時折話をする知り合いはいても、究極的には敵だ。我ながら酷い生き方をしている。

「港で会った時、結構いい雰囲気の子がいたけど?」

 悪意のない、でももっとからかってやろうというのが彼女の顔に書いてある。いい雰囲気。いつも通り、可愛い女の子にちょっかいを出してやろうくらいにしか思っていなかったあの子か。あたしは、リーリエが好きなのだろうか。初めて出会った時の印象は、好きというよりも、美そのものが少女の形をしていればああだろうという人を見たという感じだった。裸を見たいというのは、まあ正直なところ、下心だ。可愛い女の子と一緒に入浴したら、誰だってガン見するだろう。あたしだってそうする。助けてあげようと思ったのは、可愛い女の子と旅ができればいいよねという下心が半分、もう半分は単なる親切心だ。でも、リーリエの握ったあの手、柔らかくてひんやりしていてよかったな。いや、そうではなく。

「ユウケ?からかいすぎたかな。あ、ビールおかわり!」

 ライチさん、あんまりお酒には強いほうではなさそうだな。結構頬が赤くなっている。頬が赤くなっているのは、あたしも同じだが。いや、待て。なぜ、飲んでいないあたしがこんなに赤くなっている?明確に認識していなかったが、あたしは、あれか?リーリエに、その。

「おー。その反応は図星かね?ユウケ君。あの子はど鈍っぶいけど、裏表のないいい子だし、いいところの子だし、あたしが優良物件だって保証してあげよー!」

 おかわりのビールをぐびぐびと飲みながら、あたしの肩をばんばんと叩く。キャラ変わってませんか。まあ確かに、言っちゃ悪いがすごく鋭いというタイプでもないし、隠し事は下手そうだし、良家の子女という雰囲気ありありだしな。

「ライチさんは、あの子のことをご存じなんですか?」

 浜辺に倒れていたところをバーネット博士に助けてもらうまで、あの子はどこに住んでいたのだろう。そして、どういう暮らしをしていたのだろう。搦め手から聞くのは卑怯だと思ったが、今、無性に気になった。

「んー?そうだね。おしめを替えてやったこともあるくらいの仲だ」

「えっ、そんなに?!」

 思っていたより家が近いのだろうか。実家とトラブルがある様子だから、実家方面からは攻められないが。

「うむ。好きなものはマラサダ」

 まあ、甘いものは好きだろうな。アローラに住んでいたら、名物が好きになってもおかしくはない。

「尊敬するのはもちろん祖父で、お。大人の麦ジュースがなくなってしまった。これは困った困った」

「すみません、あ、マオ。お会計、あたしにつけてもらっていいから、ビールおかわり、ライチさんに」

「ユウケ、来てくれたんだ。ありがとー。ビールね。ユウケはなんか、飲んだりとかする?」

「酒が飲めないからな……悲しき熱帯だよ。そうだね、ソクノの実スムージーと、サイミン」

「うちは本格中華だから、サイミン以外もあるよ?」

「商売上手だね。ライチさん、何か食べます?」

「ライチでいいよぉー。あたしはビールあればいいかな」

「脂っこいのはちょっとカロリー気になるしな……棒々鶏、お願いしようかな」

「毎度ー!父さん、ビール、ソクノスムージー、サイミン、バンバンジー!」

 伝票を書き終えて、調理場に声をかけてから、マオがあたしにささやく。

「ライチさん、何杯目?」

「今二杯目飲み終えた。次三杯目」

「じゃ、悪いけど次ラストにしてあげて。水出すから」

「はいよ。ライチさんの家、近いの?遠いなら送っていくけど」

「大丈夫。隣だから」

「わかった」

 小さく笑い合うあたしとマオ。

「おー?あたしを置いて内緒話かー?恋バナかー?」

「えっ、ユウケの恋バナ?!」

「食いつき早いね。注文取りに行かなくていいの?」

「大丈夫。これでもプロだから」

 他の店員さんがビールとスムージー持ってきたが、いいのか。いいのだろうな。店員さんも笑ってるし、それなりに客は入っているが、まだピークタイムではないのだろう。ごまかしてもどうせライチさんがべらべら喋るに決まっている。あたしは諦めた。

「あたしは大人の麦ジュースと引換に、ライチさんから情報を引き出そうとしているところだよ」

「そう、ユウケちゃんはねー、笑顔が素敵な子に弱いんだってさー」

「えー、あたしも笑顔で評判の看板娘だよー?」

 ライチさんに聞こえないように、あたしは小声で囁く。

「ライチさんが本命なのに、そんなこと本人の目の前で言って大丈夫?」

 ボッ、と頭から煙を噴いて停止するマオ。甘いな。

「んー、そうそう。どこまで話したっけ?」

「ド、ドウシテソレヲ」

「尊敬する人は祖父、まで」

「おねしょをしなくなったのは四歳」

 個人的にはすごく嬉しい情報だが、ちょっとクリティカルではないな。

「ネエ、ゆうけ。ナンデワカッタ?」

「何でナニカサレタみたいなしゃべり方してるの。あたしにでもバレバレだよ。好みの人の胃袋を掴むってのは強い。応援してるよ」

 これも囁く。途中まではからかいの笑みを浮かべつつ、最後だけは真剣に、マオの目を見て言い切った。大してあたしにできることはないだろうけど、祈ってもいいだろう。

「あ、え、ああ、えええ、その。ありがと」

「かみなりの石が好きって聞いたよ。そう、おそろいのイヤリングとかどう?あたしの店で扱ってるんだよねー。麦のジュースがあったら半額にしてもいいんだけどなー」

「「それは駄目」です」

「ちぇー、けちー」

 かみなりの石が好き、か。プラチナブロンドの彼女の髪に似合うかもしれない。しかし、いきなりおそろいの何かって、重たくはないだろうか?

「いきなりお揃いのって、重たくないですかね」

「うーん、その、相手とどれくらい近いかだよね……」

 唸るマオと、突然どんよりとするライチさん。

「そういう質問はねー……ごめん、わっかんないわ……あたし、彼氏いたことないし」

 意図せず傷を抉ってしまったようだ。だが、それは逆にマオにとっての好機なのではないか。しかし、相手の性的志向を親しくなったとはいえ突っ込んで聞くわけにもいかない。

「ほら、マオがいるじゃないですか」

 こういうときは冗談めかして押してみる。どうだ。物理的にもマオの腰を押してやる。役得。

「うう、マオがもらってくれるならいいかも」

 またマオが固まった。ライチさん、気付いてないのだろうな。

「マオー、慰めておくれよー」

 マオも確かに愛らしい女の子だ。心に決めた相手がいる子に手を出す気は無いので対象外ではあるが。美女が美少女に抱きつくのを見ながら食べる棒々鶏とサイミンは美味い。

 

 ご飯を食べきって、マオがオーバーヒートを通り越して炎上する前にライチさんを引き剥がした。料理は美味しかった。

「また来るよ。美味しかった」

 これは掛け値無しに。

「ライチさん、今度、またご一緒しましょう。それと、明日朝、大試練お願いします」

「わかったー!お姉さんにどんと任せなさい!明日のねー、朝十時に、命の遺跡前ね!」

 べろべろやないか。

「マオ、任せていいんだね」

「うん、大丈夫。あっ、ユウケ、今日はどこに泊まってるの?明日はいつ出る?」

「向かいのポケモンセンターに場所取ってる。明日は、そうだね、八時半には起きて、九時過ぎには出るかな」

 お勘定を済ませて、ご馳走様でしたと店員さんに伝え、マオとライチさんに手を振る。ライチさんは見えているかわからないが。

「いやー、それにしてもユウケが×××××好きだなんてねー!」

 ×××の下りは、ちょうどあたしと入れ違いで入ってきたお客さん達の喧噪で聞こえなかった。すごく呆れた顔のマオが、窘めるように何かを囁いている。まあそうだろうな。ライチさん、いい人だし面倒見はいいけど酔っ払うとリトル厄介な人。ユウケ覚えた。唯一悔やまれたのは、昼の鍋を本当にライチさんが食べたか聞きそびれたことだ。

 

 あたしがリーリエに親切にしたりするのは、親切心と下心だけなのか、それともやっぱり惚れてしまっているのか。リーリエに明日の予定を送ってから、ベッドに寝転がって答えが出ないまま考えていた。途中でぐっすり寝入ってしまい、睡眠時間は充分、今日も好調だ。寝付きがいいのが、数少ないあたしの長所。野菜とスムージー、鶏肉が効いたのか、心なしか肌の調子もいい――かもしれない。生まれてこのかた、肌の具合なんか考えたことがなかったから、昨晩と比べてどうかなんてわからないが。命の遺跡までは、徒歩十分というところ。ロトムが優しく頬を突いて起こしてくれたので、朝食を食べて出ても全然余裕がある。洗濯物を取り込んで、ベッドを引き払う支度を完全に済ませた。といっても、「宿からは五分で逃げ出せるように」が信条のあたしは、洗濯物以外は寝る前に全部片付けてある。寝込みを襲われたり、ホテルが燃えたり、まあ色々あったのだ。

 

 カフェスペースで朝食を取ろうと思ったら、意外な先客がいた。緑髪で綺麗に日焼けした、活発な笑みが可愛い女の子。マオだ。

「ユウケ、おはよー!」

「おはよう。どうしたの?」

「昨日のお礼に、朝ご飯作ってきたんだ」

 お礼。何かしたかな。特に例を言われるようなことをした覚えがないが、結構たくさん食べたからだろうか。ビールをライチさんに奢ったからだろうか。まあ、ありがたくもらうとしよう。カフェスペースは、あまり裕福でないトレーナーが使うことも多いから、食べ物の持込も許されている。何も頼まないと嫌な顔をされるし、あたしも飲み物は欲しいから何か頼むが。

「お互い、がんばろう」

「そうだね」

 ハイタッチ。

「じゃ、あたし仕入れがあるから、またね!」

「ああ、今度はマオともご飯を食べたいね」

 社交辞令ではなく。こういうのも悪くはない。

「その時は、進展の情報交換をしよう」

「うん、ユウケの好きな人の話も聞きたいしね!」

 手を振って別れる。ライチさん、酒に弱いようだし、あたしならビールにウォッカか何か入れてべろべろにして、二階の自室にお持ち帰りが速攻なのだが、マオは多分そういう手を好まないのだろうな。偉そうにいうあたしも、素人相手には経験ないし。

 そんなあたしの思いは、返さなくていいように使い捨て弁当箱にあえて入れてある気遣いに改めて感謝したところが頂点だった。フタを開く。閉じる。フタを開く。もう一回閉じる。いやいや、あの変なのはポケモン用だからであって、料理店の手伝いをしているのだからまともな料理が出てくると油断していた。悪夢はフタを開けて閉じても消えてくれない。いや、変なのは見た目だけで、地元の料理としては普通なのかもしれない。そう、イッシュでも原色青色ケーキとか、見てくれはヤバいけど食べたらぎっとぎっと脂と砂糖全開な以外は普通な食べ物もあった。そうだ。そうに違いない。あたしは震える手をもう片方の手で押さえ付けて箸を伸ばす。

 五秒後、あたしは口の中のものを吹き散らかして怒られる羽目になった。掃除はたまたま近くにいた見知らぬトレーナーさんのベトベター(アローラのすがた)がやってくれました。ありがとう。半分は食べた。食べたというか、飲み込んだというか、流し込んだというか。残りは体が受け付けなかった。

 

 命の遺跡前。またしても、スカル団とインスティチュート――もとい、エーテル財団、二人ずつが睨み合っている。異物のせいで胃の具合が悪いし、早くどこかで休みたい。邪魔なので横を通っていきたい。

「支部長、何とかしてくださいよ!」

「おお?スカル団とやろうってのか?」

「しかしね、財団最後の砦である私に何かがあったら……おや、そこのトレーナー!我々を助けるという栄誉を与えましょう!」

「お断りします。急いでるので。それでは」

 そこのトレーナーというのは多分あたしだろう。だが、カチンと来たので無視することにした。何が栄誉だ。そんなものは求めてないし、インス、もとい何とか財団に表彰なりなんなりされても、ありがたいとも思わない。すがりつくような目で見てくるエーテル財団のお姉さんの表情はぐっと来たが、眼鏡のおっさんの態度が気にくわない。睨み合っている計四人の間をすり抜け――ようとしたところで、スカル団員二名が道を塞ぐ。

「ああ?!お前、やんのか?!」

 話を聞いていたのか、こいつは。

「やらないよ。何であたしが偉そうなおっさんを助けないといけないんだ。どいて」

「どけと言われたら、絶対どかないね!」

「どけ」

 イライラする。あたしは温厚なほうだと自負しているが、ムカつくおっさんに火をつけられて、この阿呆どもに油をたっぷり注がれてしまった。数秒のガン付けあい。勝ったのはあたしだった。

「ちっ、こんなポケモンもいらねーし!」

「バーカバーカ!」

 走り去っていくスカル団員二名。残されたヤドンと、あたし、エーテル財団の二人。大体の事情がわかった。ヤドンなんぞ自分で捕まえればいいものを。

「トレーナーさん、本当にありがとう!」

「このエーテル財団支部長たるザオボーの偉さを見抜いた上で、睨み合いだけで奴らを退ける胆力!お礼に、一トレーナーであるあなたを素晴らしいところに招待しましょう!」

「お断」

 あたしの口を手で塞ぐエーテル財団のお姉さん。いいにおいがする。もごもご。

「お願い。支部長はその……アレな人だけど。トレーナーさん、せっかく助けてくださったお礼もしたいですから」

 美人なお姉さんの頼みとあれば仕方がない。あたしは口を塞がれたまま頷いた。これで行ったら「戦闘は実弾を使用、なんでそちらが負ければ最悪死ぬけど、まあそのつもりで」とか言われてヘンなのが出てきたら、今度こそあたしはキレていいと思った。

「あたしの名前はトレーナーでもお前でもなく、ユウケです」

 聞いているんだか聞いていないんだか、尊大な態度で頷くおっさん。

「それでは、私どもはハノハノリゾートのロビーにおります」

「島巡り、がんばってくださいね、トレーナーさん」

 朝から疲れる出来事が多い。しかもお姉さんの名前を聞きそびれた。

「調子のいいおじさんだったロト!」

「ああ。面倒臭そうな奴だったね」

 溜息が出る。

 

 予定より少し早い時間に着いた。遺跡内は島キングもしくは島クイーンが許可しないと入られないらしい。あたしは遺跡手前の手頃な日陰に適当な石ころを持ってきて腰かけ、サニーゴをボールから出した。岩タイプが相手なら、この子かヘラクロス、後はハガネールで対応できるはずだ。サニーゴを撫でてやりながら胃をなだめつつ、ぼんやりと寝るまでの自分への問いの答えを探す。珊瑚のポケモンだからか、この子自身岩・水タイプだからか、結構ごつごつしている。くすぐってやってけらけら笑っているサニーゴ。可愛い。あの子も確かに可愛い。下心なのか、恋心なのか。初恋は幼稚園の女の先生だった気がする。その時、それが何であるか自覚はできなかったが。元気にしているだろうか。

「ユウケさん、来ちゃいました」

 一瞬、彼女のことを考えていたから幻聴かと思った。目を上げるとリーリエとバーネット博士が立っていた。もちろん、ほしぐも――ちゃんと一緒だ。

「正確にいえば、バーネット博士に連れてきてもらった、ですね。おはようございます、ユウケさん」

「おはよう、ユウケ。そのサニーゴ、ユウケの手持ち?」

「おはようございます。そうです。サニーゴ、挨拶しな」

「サニー!サニ!」

「ピュイ!」

 ぴょんぴょんと飛び跳ねて挨拶。よくできました。

「サニーゴさん、かわいいですね!」

「あんまりバトル向けの子じゃないとは思うけど、大丈夫なの?」

「この子は特別に鍛えてますから。大丈夫です」

 リーリエとあたしに撫でられて嬉しそうなサニーゴ。まあ、可愛い子に撫でてもらうほうがいいよな。サニーゴには悪いが、リーリエの顔を近くでまじまじと見つめられる好機だから、視線が完全に飛んでしまっている。穏やかな表情の彼女。すごくアップに耐えるどころか映える顔だな。ふと、あたしとリーリエの手がサニーゴの上で触れ合い、パッとほぼ同時に手を引く。

「あ、ごめんなさい」

「こちらこそ」

 いかんな。考えていたせいで意識しすぎた。逆に手を握るチャンスだったのに。不思議そうに見上げるサニーゴとほしぐも――ちゃん。あたしはごまかすようにほしぐも――ちゃんを撫でた。

 

 リーリエとバーネット博士は、あたしの後、ハウ君の大試練が終わるまで応援してくれるらしい。町外れだから、ギャラリーは美人と美少女だけで、しかもそれが応援してくれるとなると実にありがたい。

 などと思っていると、命の遺跡から歩み出てくる、颯爽とした立ち姿が目に入った。ライチさんだ。

「「「おはよう」ございます」」

「おはようございます。ユウケ、待たせた?ごめんね、カプ・テテフに呼ばれて遺跡の掃除をしてたから」

「勝手に先に来てただけですから。大丈夫です」

「この後、ユウケのいい人との予約が入ってるから、そろそろ大試練始めちゃおうか」

 いきなり何を言い出すんだ、この人は。遺跡の中を、リーリエに案内するということか?今ここで彼女の顔を見たら、不審がられる。あたしは表情筋をつとめて平静に保とうと努力した。何だ、ささやき戦術か。ライチさんがあたしに耳打ちする。

「あれ、ハウが好きなんでしょ?この後、ハウも大試練の予定なんだけど」

「えっ、全然。あ、いや、人間としては好きですけど」

 女の子なら多分かなりストライクゾーンだと思うが、残念ながら興味はない。

「あ、あれ?昨日の話は?」

「ライチさん、酔ってたから……」

「可哀想な人を見る目で見ないで……」

 何だか気が抜けてしまった。自分の頬を叩いて気合いを入れ直す。胃の調子も、そろそろマシになってきた。

「やりましょう。大試練、お願いします」

「え、ええ。そうだね。はい。大試練、始めます!」

 

 あたしは外に出しているサニーゴをそのまま一匹目として出す。

「頑張ってきな、サニーゴ」

「サニー!」

「ふうん……サニーゴか」

 言葉とは裏腹の油断のない目付き。岩タイプは弱点が多いから、何を相手にしても油断できないというのが正直なところだ。むろん、サニーゴの水技、地面技でもやられてしまう。島クイーンにとっての唯一の救いは、サニーゴ自体それほど強いポケモンではないということだ。

 

 島クイーン、最後の手持ちポケモンが倒れた。終わってみれば、サニーゴがわずかな手傷を負った程度だった。彼女が全力でないのを差し引いても、サニーゴはよくやった。

「すごいね、大したもんだ。あたしがここまでやられるなんて、久々だよ」

 あたしはかぶりを振った。砕いたのは小さい岩に過ぎない。本気のライチさんははるかに強いだろう。

「相性がよかっただけです」

「ユウケ、すごかったロトー!」

「それも含めて実力かな。大試練達成おめでとう。イワZのクリスタルを授けるよ。次は、お互い本気でやろう」

「ありがとうございます。楽しみにしてます」

 サニーゴを撫でてやり、ボールに戻した。

「ユウケさん、すごいです!」

「ユウケ、おめでとう」

 微笑んで頭を小さく下げる。ライチさんは微笑んだ後、ほしぐも――ちゃんに目をやる。

「それにしても、その、ほしぐもちゃん。本当に遺跡に来たがってるみたいだね」

「はい。どうしてなのかわかりませんが」

「普通、カプ神に会いたいなんてのは、大抵の場合は自分のほうがカプ神より強い、ってところなんだけど。まさかね」

「ピュイ?」

 ほしぐも――ちゃんは、己を守る技すらないとリーリエが言っていた。おそらく、それは事実だろう。それがそれぞれの島の守護神より強いというのはそう考えられるものではないが。

「ユウケさんは、この後どうするのですか?次の島に行くなら、次は連絡船で一緒に行きますか?」

「そうしたいのはやまやまなんだけど。さっき、エーテル財団の偉そうなおっさんを不本意ながら助けてね。そいつとハノハノリゾートホテルで会うってことになってる」

 エーテル財団、の語で、リーリエの肩がびくりと跳ねた。何かあります、と全身で語っている。

「エーテル財団に、何かあるのかい?」

「その、ええと……」

 話すべきか、話さざるべきか、というのが彼女の顔に書いてある。本当に隠し事が下手だ。

「言いたくなければ別に構わないよ。言いたくなったら言ってくれればそれでね」

「……ユウケさんは、優しいですね」

 優しいわけではなくて、単に人に踏み込めないだけだ。あたしは小さく頭を振った。

「ま、それじゃあ……ウラウラ島で合流、かな」

「そうですね。また到着時間がわかりしだい連絡します」

 遠くから走ってくるハウ君が見えた。

「わー!ライチさーん!大試練挑戦させてー!」

「いいよ。やろう、ハウ」

「ハウ君、頑張って。あたしは悪いけど、用事があるから先に行ってるよ」

「ありがとー!わかったー!」

 あたしは小さく皆に一礼して、その場を後にした。

 

 ハノハノリゾートホテル。金のないトレーナー、あるいはバックパッカーにしか見えないだろうあたしには不釣り合いな建物が眼前にそびえ立っている。ホテルしおさいよりベルボーイやら踊り子のお姉さんやらの数が断然多い。とはいえ、金銭的には別に泊まろうと思えば泊まれる――ドレスコードか予約の都合で難しいだろうが――ので、あたしは特に躊躇わずに足を踏み入れた。冷房の効いた馬鹿でかいロビーを見渡す。仰々しいホテルの案内板をちらりと見る。あたしは活字中毒者でもあるので、本題に全く関係のないこういったものをつい読んでしまう。『当ホテルは創業百云十年にして、世界中から訪れるVIPや観光客の皆様のみならず、各島の島キング、島クイーンも愛用する由緒正しいホテルです。また、プロゴルファーにしてトレーナー、カヒリ出身の地でもあります』キリッとしたちょっときつそうな美人のお姉さんの写真が小さく載っている。これがカヒリさんなんだろう。有名人なのだろうな。ゴルフは全然知らんからわからないが。後は壺やら美術品やら、この辺りは本物なのだろうか。受付の後ろならともかく、こんなところに本物を置いておいたら、子供やポケモンがいたずらをしないのだろうか。

 当初の目的を完全に忘れて、よくわからない美術品を眺めていたら、後ろから肩を叩かれた。びくっとする。

「ユウケー、驚いたー?」

 ハウ君か。驚いた。

「ちょっとね。大試練、大丈夫だったんだ」

「何とかなったよー」

「ザオボー……?ああ、あの黄色い眼鏡の?」

「そうそう。友達も一緒でいいかなーって聞いたら、ちょっと嫌そうだったけどねー」

「誰か他の連れを呼んだの?」

「ユウケのことだけどー?」

 微妙に話が噛み合ってない気がする。

「俺の連絡見て来たんじゃなかったのー?」

 スマフォにハウ君からのメッセージが来ている。なるほど、友達というのはあたしのことか。何だか、ちょっとだけ嬉しい。

「あー……ごめん、スマフォ見てなかった。あのお……ザオボー、さん、あたしも呼びつけてたんだよ」

「ああ。なんかおっかしーなーって思ったんだー」

「おお、そこのトレーナーの少女に少年!知り合いだったのですね!」

 お、ザオボーさんにぶんぶん手を振るハウ君と、小さく頭を下げるあたし。

「この唯一のエーテル財団支部長のザオボーを助けた褒美に、君たちをいいところに連れていってあげましょう!」

 生きていく中で、ムカつく偉いさんに何とか折り合いをつけることはしょっちゅうあった。だが、この全く具体性のないいいところとは何だ。今時人攫いでもそんな陳腐な言葉は口にしないと思うのだが。

「いいところ、とは一体?」

「科学の粋を尽くしたメガフロート、エーテル財団のエーテルパラダイスです!トレーナーとして、島巡り中の見聞を広めるのにもうってつけだと思いますよ」

 実物のメガフロートとなると、確かに興味はある。インスの本拠地というと、最後はリアクターのスイッチを押して過ちを繰り返しそうだが。避難勧告を出しても人工島なら間に合わないよな――もとい。もちろん、この申し出には単なるお礼だけではなくて、広報活動やあわよくば今後も活動協力を要請するつもりだろうが、そこは言質を取られなければよしとしよう。

「マンタインに乗ってでないなら、ぜひお願いします」

「連絡船で行きますから、そこはお任せください」

「わー!船だー!」

「ところで、朝いたお姉さんはどちらに?」

「ああ、彼女はアーカラ島での仕事がありますので。大丈夫ですよ。船中、この支部長のザオボーが財団の偉業を全て解説しますから!」

 エーテルパラダイス、可愛いお姉さんがいるといいな。あたしは心中溜息をついた。




Slayer - "World Painted Blood" (OFFICIAL MUSIC VIDEO)
https://www.youtube.com/watch?v=_wRH9esYgnk


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、人工島へ行く

 エーテル財団所有の連絡船は、小型だがよく整備された綺麗な船だった。乗員は船員を除けばあたしとハウ君、ザオボー支部長だけ。支部長というのはどれくらい偉いのか、と不用意な質問をしてから、どこからどこまでが事実なのかわからない自慢話に付き合わされるまではだ。結局よくわからなかったが、この男が自己顕示欲と出世欲の権化だということはよく伝わってきた。何とかエーテル財団の活動に軌道修正を試みたが、自慢率が十割から七割、財団の活動が三割になっただけだった。財団の活動の内容にしろ、うんざりする程空っぽだ。このまま下らない話を聞かされ続けるのだろうか。ハウ君はすっかり船を漕いでいる――といっても、この船がガレー船だとか、そういう話ではない。あたしも寝ているハウ君を見ていたら、眠たくなってきた。

「失礼、少し船に酔ってしまったみたいです。後ろの、空いている席で横にならせてもらっても?」

「ええ、ええ、いいですとも!」

 でたらめもいいところで、内燃機関付の乗り物では一度も酔ったことがないのだが、普段からこの世の終わりの二日前みたいな顔をしていると評されるあたしの顔が珍しく役に立ったのか、あるいは、この男も別にあたしに興味なんてものはないからかもだが、あっさり信じてもらえた。あたしは後ろの二人掛けの席を占領して横たわる。瞼越しにもアローラの陽光と、海からの照り返しが突き刺さる。小さく呻いて、黒いタオル(Opethロゴ入りタオル)を取り出し顔にかける。日光を浴びながらまどろむのは好きだが、少しこの昼前の日差しはきつすぎる。船の振動と潮の香りが心地よい。半分寝ているハウ君に返事を求めずに自慢とも説明とも独り言ともつかない話をし続ける支部長氏の声をBGMに、あたしの意識は暗闇に引きずり込まれた。

 

 ここはマサラタウン。マサラは真っ白、虚無の色。うんざりとしたほど見覚えのある景色。遠くに見えるはげ山は相変わらず除染だけされて放置されたクレーターを恥ずかしげもなく晒している。学び舎と我が家の間にある公園だか広場だかなんだかわからない場所で、あたしにちょっかいを出し続けていたいじめっ子の同級生男子が、いたずらの一環として家から持ち出してきたラッタをけしかけてきたのだ。ラッタはあたしを睨んでいる。十歳になっていない、つまり未成年でポケモンを携行していないあたしは、恐怖でへたり込む。下半身が生暖かくなった。遠巻きに同じような恐怖の表情を浮かべて見守るというか、眺めている上級生や下級生にそれを笑うものはいないし、割って入ろうとする勇敢なものもいない。当然だろう。大人であっても、ポケモンを持たずに敵対的なポケモンに遭遇すれば死んでも不思議ではない。ましてや、小さなあたしでは、抵抗する間もなく首を噛み切られて死ぬ。教科書の詰まった鞄を投げつけるが、当たり前のように躱された。恐怖に怯え、あたしは周囲を見渡す。右側、上級生の持っているバットを目にし、自分でも驚くような勢いで跳ね上がり、罪のないその人からバットをひったくった。絶叫し一切の躊躇なくラッタにバットを振り下ろす。躱された。振る。躱された。振る。掠めた。叩きつけた。頭にもろに当たり、柔らかいような堅いような何かが割れる気味の悪い感触がバット越しに伝わってきた。だが、まだ動いている。怒ったような戸惑うような目でこちらを睨んでいる。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。ぜえはあと何かがうるさい。あたし自身の呼吸器が獰猛な動物か、さもなくば壊れた空調機械かのような音を立てている。粘り着く何かが顔に、腕に、体にまとわりついて気持ちが悪い。いじめっ子が他のポケモンも持っているかも知れない。動かなくなったラッタから振り上げるように躊躇なくそいつにバットで殴りかかる。避けきれなかったのか防御しようとしたのか、左手首に当たり何かが砕けるような手応えがあるが、まだだ。まだこいつは動いている。少なくとも、動かないようにしないと。情けない悲鳴をあげて鞄を放り出し逃げる奴の頭めがけ全力でバットを叩きつけた。背中をかすめる。奴はあたしより足が速い。バットを投げつけるがかすりもせずにどこかに飛んでいってしまった。

 そこからどう帰ったか覚えていない。玄関に座り込んで泣きじゃくっていたのを仕事から帰ってきた母に見つかったところから、あたしという生き物は外部の観察を再開したらしい。顔中が血まみれ、下半身も失禁の跡があるあたしを見て、母が最初に疑ったのは性的暴行被害だったそうだ。泣きそうな母に事情を正直に説明したら、まずは病院に行くことになった。マサラに夜間診療なんて気の利いたものはないので、トキワだ。母は冷静さを取り戻したらしく、あたしの写真を撮ってから、服を着替えさせ、下半身だけ綺麗に拭いてからポケモンに乗せてくれた。普段は嬉しい『そらをとぶ』だが、このときは全く嬉しくなかった。引きずり込まれた病院では、外傷なしということで、ようやく一安心したらしい。

 父が帰ってきたら一緒に警察に行こうと、再びポケモンで帰宅したところで、件のいじめっ子とその母親が家の前にいた。季節は冬でもないのに顔面蒼白で立ち尽くしている。

「何か、ご用ですか」

「この度はまことに息子が申し訳ありませんでした」

 当事者なので神妙な顔をしておかないといけない、と思っていたが、あたしには全然理解できない話が続いていた。最終的に警察に一緒に行くことと、示談交渉は弁護士を通じて行うことになったらしい。話が終わるのを待っていたかのように帰ってきた父に母が再度事情を説明し、マサラの交番に父・母・いじめっ子母・いじめっ子・あたしの五人で向かった。

 交番に入るのは初めてでちょっと興奮したが、大人達の雰囲気がはしゃぐことを許してくれなさそうなので、あたしは神妙な顔を保っていた。普段は挨拶するだけのお巡りさんに内容を説明するのは苦労したが、何とか伝わったらしい。あたしの証言をお巡りさんが確かめ、バットの持ち主だったはずの上級生やトキワの警察署やらあちこちに連絡し、書類を作っている間、あたしは興奮の揺り戻しか泣き疲れたせいか、まだ暗くなったばかりなのに眠たくて仕方がなかった。

 

 他の町はどうだか知らないが、マサラタウンの小学校は集団登校だ。町の端から生徒が時間通りやって来て列に合流していく仕組み。町の中であっても、野良のポケモンはいるし、大勢であれば小さなポケモンは近づいてすら来ないので合理的ではある。既に昨日の話が出回っているのか、普段あたしが手を引いてやっている下級生が怖がって近づいてこないので、あたしは久々に一人で歩いていた。ひそひそと噂話をしているのが聞こえる。集団の中の孤独というのを、あたしは久々に思い出していた。群れは群れであって、仲間でも友達でもないのだなと。

 マサラは真っ白、過疎の町。学年別の教室などというものはない。一年生から五年生(カントー地方は十歳で成年なので、十歳の誕生日が来る年度まで小学校に通学する)までが一つの教室で勉強をするのだ。退屈極まりない授業中はまあどうでもいい。休み時間は昨日の噂で持ちきりだった。元々、あたしは友達というべき人物をほとんど持たない。かといって、あたしにちょっかいを出してきていたのは件のいじめっ子一人だけだったので、そいつが蒼白な顔をして座っている以上、遠巻きにされるだけだった。つまりは、いつも通りということだ。あたしは学校の図書室で借りた本、タマムシ大学の『海洋ポケモンの生態学』を開いた。本のリクエストは滅多に通らないので嬉しい。

 

 何日か後、未成年のやった初犯だったからかあるいはちゃんと示談が成立していたからか、件のいじめっ子は不起訴になったと聞いた。あたしはたくさんの本と、伸び縮みする警棒を買ってもらえて嬉しかった。ラッタは生きており、いじめっ子は左手首が折れていたらしかったが、後者はどうでもよかった。あれだけ殴っても死なないポケモンという生き物にさらに関心が強くなった。

「お前は強い子だ」

 父は嬉しそうな、でもちょっと複雑そうな顔であたしの頭を撫でた。

 

 自分の喉が鳴る音で夢から現実に戻ってきた。まだ船は止まっていないらしい。エンジンの重低音が微かに体を震わせる。ペットボトルを開けて水を一口飲んで、粗相をしてないか確認してから寝直すことにした。黒いタオルは遮光性はいいけど、日光で熱くなるな。船内は冷房が効いているからよしとしよう。夢見が悪くて疲れる。再び意識を投げ出す。

 

 あたしは本が好きだった。三歳の頃、母が平仮名と片仮名を教えてからは、毎日何かの本を読んでいたといっていい。一番好きな本は『フルカラー ポケモンのなぜなにふしぎ大図鑑』だった。父母の蔵書は大したことがなく、かといってマサラタウンに図書館などという気の利いたものはなかった。母がトキワの図書館で図書館カードを作ってくれてから、週末は母に連れられて朝図書館に行き、母の買い物が終わるまで借りる本を品定めし、帰ってからはそれを何度も読むという生活だった。他の子供は外で遊んでいるが、あたしは外より本を好んだし、父母もそのうち飽きるだろうと気にしていなかったのだ。

 初めてその生活が破られたのは、幼稚園に初めて通園する日だった。人見知りを熟成するのには十分な年月があったし、外で知らない誰かと触れ合ったりするなんて、あたしには未知の恐怖そのものだった。絶対に幼稚園に行かないとギャン泣きし、父にしがみつき、柱にしがみつき、玄関にしがみつき、幼稚園前では母の自転車にしがみついた。幼稚園に入っても、あたしは誰とも喋らず、絵本を読んでいた。幼稚園の蔵書ときたら本当に絵本しかなく、あたしは三日目にして子供用の本を読み尽くしていた。人見知りで恥ずかしがり屋の子供の面倒をつきっきりで見てくれる先生などというものは当たり前だが存在せず、気にして声をかけてくれる子にも返事をすることができなかった。自由に遊んでらっしゃい、と言われてもしたいことなんてなにもなく、ジャングルジムは落ちそうな恐怖で一杯だったし、ブランコの列に並ぶ度胸もなかった。砂場を掘ればポケモンが見つかるかも知れないという天恵が、あたしを砂場の住人にした。誰とも喋らず穴を掘っていたが、次の日になると穴が埋まっているのが不思議でならなかった。毎日毎日砂場に穴を掘り、埋め戻されているのに不思議を感じる愚かしい子供だったのだ。

「ユウケは、幼稚園で何して遊んだ?」

「穴を掘ってた」

 この問答が一週間ほど続いて、母は不審に思ったらしい。あたしを迎えに来た時に、母は先生に尋ねたそうだ。そして先生はこう言った。

「なかなかお友達ができないみたいです。ただ、砂場に穴を掘るのが好きみたいで。毎日埋め戻しているのですけど、楽しそうです」

 それを聞いて、あたしは物凄い癇癪を起こした――らしい。この辺り、全く記憶が無いのだが、薬缶が沸騰するような声で泣いて喚いて、もう幼稚園に行かないと宣言したとか。結局、母になだめすかされ二年通ったのだが、ただただ面白くなかったという記憶しかない。強いて言えば穴を埋め戻した先生が翌年に異動し、新しく来た先生(もちろん女性だ)に初恋をしたくらいだろうか。

 

 小学校に上がる時に、あたしはまた行きたくないと泣きわめいた。人間関係を構築できないながらも通い慣れた幼稚園から、未知の場所に行くのが嫌だったのだ。人が怖いのは、どうも諦めるしかないらしいという学習はできたものの、知らない人はやっぱり怖いに違いないというのも拍車をかけた。幼稚園の卒業自体は何の感慨もなかったが、小学校に行かないといけないというのが嫌で嫌で堪らなかった。母の殺し文句「小学校にも図書室がある」に騙されたようなものだ。

 初めての小学校登校の時には、最年少として最年長の児童があたしの手を引いてくれたのだが、ずっと無言で通した。クラスの自己紹介で先生に促されて渋々名前を名乗るまで、幼稚園であたしを知っていた子以外は、誰もあたしの名前を知らないくらい黙りだった。最初の休み時間はトイレと図書室を探すことに費やし、次の休み時間は自分の持ってきた本を読み、昼休みと放課後はようやく開いた図書室に入り浸る。愛想も可愛げも言葉も無い子供に話しかける奇特な子も何人かいたが、あたしの反応が芳しくなかったからか、その子達も離れていった。それでいいと思った。静かに本が読めるのが一番だから。

 とはいえ、何日かするとどうも全く人付き合いがないと何かしらの問題のようなものが生じるらしいというのが漠然とあたしにも理解できた。初めての体育の時間に「二人組を作ってください」というアレがあったからだ。体育なんてものを全く知らないあたしは、誰からも誘われないことは戻って本を読んでいいということだという都合のいい理解をした。

「先生、教室に戻ります」

「ユウケさん、待って!」

 首を傾げる。二人組が成立しないならば、私は参加する必要がないのでは、と信じ切っていたからだ。結局その日は先生と組んで前で体育の授業を受けることになり、恥ずかしかった。こんなことなら何も言わずに戻ればよかったと思った。

 何日かして、我が家に家庭訪問があった。担任――といっても、教師はこの先生しかいないのだが――の先生がやって来て、難しい顔で話をしていたのを覚えている。

「読書を好むのは大変いいことですが、ユウケさんは他の子と付き合いをないがしろにしてしまうところがありまして」

「本を読めないなら行かない、と泣き喚くので、本を取り上げるわけにもいかないので」

 その日の夜、何だったか、お説教をされた気がする。人に話しかけなさいだとか、人と会話しなさいだとか。今まで本を読んでいて褒められこそすれ怒られたことのなかったあたしは仰天した。しかし、泣いても喚いても柱にしがみついても結局学校に行かされるのだから、ともかく母が期待していることをやるしかないと思った。あたしは渋々、口を開いた。

「それで、誰と、どうやって、何の話をしたらいいの?」

 母は驚愕したらしい。そんなことは考えたこともなかったと。

「そ、そうね……好きな本は何ですか、って聞いてみるとか?」

 その頃あたしが読んでいた本は、既に小学校高学年以上向けの本ばかりだったから、本の話で誰かと意気投合しようとすれば、上級生しかない。図書室には本を読みに行っているのだから、あたしなら絶対話しかけられたくない。図書室にいる人を覚えて話しかけるしかないか。

 

 結局、上手くはいかなかった。わがまま放題だったあたしは、初めて親と周りの大人の期待『周りの子供と仲良くなってほしい』というものを意識し、それに失敗したのだ。だが、あたしを一人にした濫読癖が、高学年になってからあたしを救った。教科書も本のうち、と何年も前に読み終えていたからか、授業中にずっと先の方まで読んでいたからか、学業の成績は非常によかったのだ。そうすると、宿題を写させてほしいだの勉強を教えてほしいだのという取り巻きや友人らしきものができた。あたしが提供するのは、時間と労力、知能で噛み砕いた知識や知恵、その結果物。彼ら彼女らが提供するのは、あたしの孤独を隠すための偽装(カバー)と、あまり当てにならない応援。人間関係はギブアンドテイク。人間という生き物は自分の与えたものは大きく見え、受け取ったものは小さく見えるという心理学の研究結果を知っていたあたしは、惜しみなく与え、それほど受け取らなかった。

 その頃になるともう小学校の図書室の蔵書で興味のあるものはほぼ読み尽くし、後はトキワの図書館だけが頼りだった。

 

 小学校の蔵書に期待しなくなり、ラッタをけしかけられる事件があってから、あたしはますますポケモンに興味を持った。厳密に言えば、元々生物としてのポケモンに興味があったのが、ポケモンバトルにも興味が湧いた。あれだけ殺しにくい生き物を殺す手段。厳密に言えば瀕死であって死んでいないのだが。世界リーグ戦のテレビ中継に釘付けになるあたしを見て、微笑む両親。

「まるで男の子みたいね。でも、本以外に趣味ができてよかったわ」

「最近は女の子のトレーナーだってたくさんいるじゃないか」

 そう、あたし自身が戦闘に強いポケモンという、殺しにくい生き物を殺す手段を手に入れればあの恐怖から遠ざかることができるのではないか。人間という生き物の悪意。ポケモンという生き物の脅威。そのヒントを見つけるため、今日もあたしは目を皿のようにし、実況解説に耳を傾けていた。

 

 小学校最後の学年、進路相談。

「ユウケさんは素晴らしい成績です。入学してから今まで、ずっと首席ですからね」

「ありがとうございます。本ばかり読んでいて、体育のほうは心配なのですが……」

「体育は確かに、平均より少し下というところでしょうか。ですが、体格もありますし、そこまで悪いわけでも……」

 進路希望票なるものも提出しているし、親と教師の会話だけならもう帰りたい、と思っていた矢先。

「ユウケさん、進路希望票を見ましたが『ポケモントレーナー』でいいのですか?あなたの成績なら中学校もかなりいいところを狙えると思いますが」

「そうよ。うちは一人っ子だし、二人とも働いているから、勉強したいなら高校くらいまでは大丈夫なのよ」

 勉強はしたいし、例えばポケモンの生態研究なんかはすごく興味がある。だが、同時にこれ以上の人間付き合いは御免蒙る気持ちで一杯なのだ。一人になりたい。口を開けばやれ誰々君が格好いいだの、お洒落がどうだの、型にはまったような同じ事ばかり。もっと踏み込んだ話題を振ったりすればあるいは違ってくるかもしれないが、あたし自身にそんな能力も意思もない。それに、成績がいいのは単に予習復習をきっちりやっているからであって、特別に頭の回転が早くないことは自分が一番熟知している。

 トレーナーとして一人で旅をして、身を立てられそうでなおかつ学校に行きたければ後で行ってもいい。箸にも棒にもかからないなら、それまでの人間だったということだ。

「ポケモンの授業には特に熱心ですし、ご本人の意思が何よりですから……」

「家でも、ポケモンバトルの実況中継をよく見ていますし、本人の希望を優先しても……」

 マサラタウンには高等教育(中学校以上)機関は一つもない。働き口もほとんどないから、小学校卒業者のうち大体半分はポケモントレーナーとして町を出ることになる。今年の卒業者は確か六人だかそこらだから、単純に考えれば三人、おそらくそれ以上の人数が今年もトレーナーとして旅立つことになる。オーキド博士という偉大な研究者が研究機関を構えているからでも、レッドというマサラ出身の素晴らしい戦績を残したトレーナーが輩出されたからでもなく、単にこの町が貧しいからだ。

「勉強したくなったら、帰ってくるから。その時はお願い」

「わかったわ。あなたのしたいようにしなさい」

 保険をかけておくのも忘れない。ポケモントレーナーとして身を立てようとして、本人の希望しない仕事に就いたり、もっと酷い場合は街娼や犯罪組織(カントー地方だけではないが、いまだに復活を旗印に活動している元ロケット団の他、山のように犯罪組織がある)に身をやつす人間は多い。あたしは自分の才能なんてものに期待していないから、予防線を張っておかないと何もできない。昔、母に連れられて行ったニビシティで見た「1回1,000円」という看板を持った、今のあたしくらいの女の子を思い出す。あの時は何のことだかわからなかったが、今ならわかる。こんな時代に両親が揃って働いているだけでもありがたい。だからせめて大成しないならしないで自分に早く見切りをつけないといけない。

 

 卒業式はまだ肌寒い時期だった。大した感慨もなく、あたしは校舎を眺める。もう来る事もないだろうな。本は返してあるし、忘れ物もなかった。周りの卒業生(六人で合っていた)のうち何人かは泣いているが、あたしは思い入れのないもののために泣けるほど器用な人間ではない。

「な、なあ、ユウケ!」

「大声出さないで。聞こえてるわ」

 あたしに声をかけてきたのは、例のいじめっ子男子だった。当たり前だが、同級生だから今年卒業なのだな。あまりにどうでもよくて忘れていた。

「話したいことがあるんだ。校舎裏に来てくれないか?」

「嫌よ。ここでできない話なの?」

「そ、そうなんだよ」

「聞きたくないわ」

 卒業生も在学生も、あの事件を知っている生徒は皆頷く。

「じ、じゃあさ」

「手短に言って」

 聞いてやるだけ優しいと思え。別れの餞別というところだな。

「あの時は、本当にごめん!許してくれ!」

 そう、こいつは示談が成立してからも家に謝りに来たのだが、あたしは未だに許すという言葉を口に出していないのだ。単に許す必要を全く感じないからというだけだが。

「お前、トレーナーになって来週から旅に出るんだろう?」

「そうよ。それが?それと、お前だなんて呼ばないで。馴れ馴れしい」

「あ、あのさ、俺もなんだ。一緒に行かないか?」

「嫌」

 下らないことを、と眺める。あたしは一人になりたいから旅に出たいのだ。何を好き好んで、しかもよりによってこいつと行かないといけないんだ、という思いをたっぷり込めてそいつを睨んでいると、理由を知りたくて見ていると勘違いしたらしい。そいつが口を開く。

「お、俺!ずっとお前の事が好きで!それでさ!」

「あんた、好きな女にポケモンけしかけるわけ?」

「だ、だから!ラッタに何もさせなかったじゃないか!」

 あまりの馬鹿さ加減に涙が出そうだ。そうか、野生のポケモンなら命令なんかなしに襲うか、逃げるかするものな。ラッタはトレーナーの命令がなかったから避けて殴られるだけだったのか。可哀想に。あれがあたしの実力ではなかったということと、馬鹿なトレーナーに操られていたポケモンへの同情をあわせて深く溜息をついた。

「ラッタに謝るんだね。馬鹿」

 この時のあたしは、名前ももう忘れてしまったこいつを単に気持ち悪いとしか思わなかった。今なら、両足の骨を折っておくくらいしておいたと思う。ただ、あの空気であんなことを言い出す根性だけはいまだに凄いとは思っている。

 

 つきましたよ。つきましたよ。ついたよー。何がだ。射突型ブレードがか?04-MARVEか?あれは整流用であって銃剣ではない。

「ユウケー、エーテルパラダイスだよー!」

 そうだった。あの忌々しくも懐かしいマサラの夢。タオルを取り、身を起こす。ごきごきと首が鳴る。

「体調は大丈夫ですか?」

「ありがとうございます。おかげさまで」

 夢見が悪くて少し疲れたが、あたしの場合夢といえば大抵悪夢の類なのだ。誰がどうこうというわけではない。

「あらよっと!」

「ヨットだけに、ですか」

 アローラの駄洒落、あたしにはわからないな…。ありがたくない夢から、ありがたくない現実へ。

 

 メガフロートだから島より揺れるなんてことはもちろんなかった。白基調に清潔感を強調した施設。

「ポケモン保護のために、最新の技術をつぎ込んでおります。地下ではポケモン保護のために新しいモンスターボールを開発していたりもします」

「新しいモンスターボールを?それはまた……」

「それってすごいのー?」

「ええ、すごいですとも!」

 新型のボール開発なんてものはとんでもないカネがかかる。製造もここでやるのだろうか。ガンテツボールのような手作りのボールも尋常でない値段だが、新規設計の量産となるととんでもない額のカネが動くはずだ。この施設自体も目を剥くほどカネが注ぎ込まれているだろうが。

「まあ、エーテルパラダイス内ではモンスターボールは使えませんがね。ボールの捕獲機能を封じる妨害電波を出しておりますので」

 三角のエレベーター、床面積が減りそうだ。何か意味があるのだろうか。などとやくたいもないことを考えていたら、眼鏡の女性が下りてきた。柔らかい表情、優しそうな顔の美人だ。こうでなくてはこんなところまで来た甲斐がない。美人が口を開く。

「ザオボーさん、その方々ですか?」

「そうです。私はアーカラ島でのポケモン保護活動について代表に報告してきますから、この子達を案内してから、代表にお連れするように。それと、私の事は肩書きで呼ぶように。すごさが伝わりませんからね」

「はい、支部長」

「それでは、しっかり見学していってください」

「はーい!」

「どうも」

 ザオボーさんがエレベータで上がると、美人とあたしの口から同時に溜息が漏れた。くすりと微笑む美人。

「失礼しました。ビッケと申します。ようこそ、ユウケさん、ハウさん」

「はじめまして」

「アローラー!……って、何で俺達の名前知ってるのー?!」

 肩書付の人間がわざわざ連れてくる客を、事前に連絡してない訳がないだろうと思ったが、アローラはなんだかのんびりしてるからそういうこともあるのかなと黙っておいた。

「アーカラ島の職員から聞いていますから。ところで、お二人は島巡りをされているということは、十一歳なのですか?」

「そうだよー!十一歳になったら、やりたかったら島巡りに挑めるんだー!本気のじーちゃんに挑むために、島巡りをまずは楽しむんだー!」

「あたしはカントーから引っ越して来たので、十二歳です。余所者が馴染むには、通過儀礼をこなすのが一番かなと思いまして」

「そう、ですよね。皆さんくらいになれば、ご自分の考えで行動されますよね。トレーナーはポケモンの親ですし」

 どことなく寂しげな表情をするビッケさん。ここにはいない誰かの話だろうか。若く見えるが、案外子供がいたりするのだろうか。カントーだと三十歳で祖母という場合もあるので、何ともいえないな。そういえば、アローラだと何歳で結婚できるのだろう。

「では、一階受付……は見ていただいたらわかるとおり、受付ですので、保護区を案内しますね。ポチッとな」

「保護区ー!」

「カネのにおいがする……」

 広大な緑、水流、海辺を再現した快適な環境。天井が高い。ポケモン動物園か水族館として入場料をいくらか取れそうなレベルだ。あたし達の反応に苦笑いするビッケさん。

「ユウケさん、カントーから来られたのですね。私も昔はカントーを旅していたのです。ここではスカル団に襲われたポケモンや、サニーゴなど天敵の多いポケモンを保護しています」

 サニーゴの天敵というと、確かドヒドイデやその進化前のポケモン、ヒドイデだったか。

「自然には厳しい一面もあるってじーちゃん言ってたしなー。エーテル財団で、全部のポケモンを守れるのー?」

 なかなかずばずば歯に衣着せぬ言い方だ。

「自然のバランスもありますから、人がどこまで関わるか難しい問題ではあります」

「生物に一番影響を及ぼすのは人間の活動だし、ね」

「エーテル財団は何でアローラに来たのー?」

「さあ。代表は何を考えているかわかりにくい方ですから。代表のルザミーネは保護区におりますので、ご案内します」

 トップダウンで、あまりトップと現場の意思疎通が上手くいっていないようだな。あまり就職したくはない団体だ。むこうも別にあたしみたいな人間は必要とはしていないだろうが。

 

 ビッケさんも美人だが、案内された先にいたこの人もとんでもない美人だ。美しいプラチナブロンド、意思の強そうな瞳。どことなく、リーリエに似ている気がする。

「愛おしいポケモン達。あたくしが深い深い愛で守ってあげますからね」

 こんな美人ばかりの職場ならいいかもしれないな、などと下らないことを考える。インスティチュートっぽいから気にくわないと言っていたが、美人が多ければ許されるのだ。

「代表、お連れしました。ユウケさんとハウさんです」

「ご苦労様」

 ふくらはぎからお尻のラインが本当に美しい。美人は立っているだけで様になるな。

「ユウケー、よだれ出てるよー」

「えっ」

 慌てて口元を拭う。出てなかった。ハウ君を睨む。してやられた。

「……そんなだらしない顔してた?」

「うん」

 寝起きで油断していたかな。気をつけよう。

「ユウケさんにハウくんね。エーテルパラダイスへようこそ。わたくし、代表のルザミーネ。お会いできて嬉しいの。あなた達のような人もいれば、ポケモンを傷つけたりお金儲けの道具にする残念な人達もいる」

 完璧な笑顔だ。言葉を句切り、真剣な表情に。

「ですから、わたくしが可哀想なポケモン達の母となり愛情を注ぎ込むのです。アローラから遠く離れた世界にいるポケモンであっても、愛してあげるの」

 完璧な笑顔だが、どこかぞくりとする雰囲気。それだけ真剣味がある、ということだろうか。

「ルザミーネさん、若いのにすごいなー!」

「もう!ハウくんったら、お上手ね。わたくし、四十歳を越えてるのよ」

「えっ?!」

「へえ」

 飛び上がりそうになるあたし。

「って、えっえー?!」

 飛び上がるハウ君。これで四十過ぎとか犯罪だろう。クスクスと笑うルザミーネさん。

「それにしても、あなた達、ファッションが少し地味ね。今度、あたしが似合う服を選んであげる」

 ハウ君は地元民の普段着という感じだし、あたしもアウトドア用の頑丈さと快適さ以外完全に無視した服装なので、それも悪くないかも知れない。白はあたしには似合わないが、彼女の服装を見ると、白好みなのだろうな。

「ええー?ルザミーネさんみたいなの、リーリエにしか似合わないよー!」

 リーリエの名前を出した時、一瞬ルザミーネさんとビッケさんが驚いたような気がする。やに下がっている場合ではないな。ハウ君に口止めしておくべきだったか。しかし、口止めしたから逆に勘ぐられて、となっても敵わないしな。

「安心なさい。全てわたくしに任せればいいの。子供は大人の言うとおり……それが、幸せの近道です」

 あたしはもう成人しているし、大人でも間違えることはしょっちゅうある。もっとも、ここで彼女と議論するつもりはない。それよりお茶でも、と口を開きかけたとき。

 施設がずしんと揺れた。メガフロートの構造上、今のような突き上げる地震は確かに影響がある、はずだが。

「今の揺れ……地下からでしょうか?」

 地下、水面下か。

「まさかとは思いますけど、発電設備が吹き飛んだとか?」

「それは多分ですが……」

 首を振るビッケさん。びしりと何かの音が、会話を遮る。何もない場所に裂け目が――これが、空間の裂け目か。裂け目はみるみる開き穴になり、ドククラゲを脱色したような何かが飛び出してくる。

 ルザミーネさんだけが、一歩前へ出る。

「あなたが、遠い世界の?」

 出てきた何かは、もちろん答えない。いや、何か反応している。ハウ君がルザミーネさんの手を引いている。何かが不味い。どう見ても好意的な反応ではない。あたしは、ルザミーネさんの前に出た。

「なんか普通じゃないよー!さがろー!」

「可哀想に」

 あたしはボールに手をかけた。

「み、見たことないポケモンロトー!ユウケ、気をつけて!」

「こいつ、ポケモンなのか?」

 ルザミーネさんは下がる気配無し、か。とにかく、こいつはやる気らしいからボールを投げた。

「ハガネール、任せる!」

 触手が何となく毒っぽい、という山勘だ。

 

 幸い、恐らく岩・毒タイプだったのだろう。ハガネールで難なく追い払うことができた。テレポートか何かで消えるポケモンらしき生き物。あたしは舌打ちする。

「仕留め損ねたか。また来たら厄介だな」

「やはりあの子が必要ね……」

「ルザミーネさん、ユウケ、大丈夫ー?」

 頷くルザミーネさんとあたし。

「ウルトラビーストは初めてか?」

 言葉に振り返る。コスプレイヤー二人。ダルスとアマモ。

「空に開く穴を今見ただろう。ウルトラホールの向こうにあるウルトラスペースに暮らす謎の生物だ」

「空間に開く穴がウルトラホールで、その先がウルトラスペース?アローラに伝わる、怖いポケモンが出てきた伝承の一端ってこと?」

「そうだ。ウルトラスペースの先、我々の世界には光がなく、闇に包まれている」

「えー、何、その格好ー?!」

「ウルトラ調査隊の皆さんよ。わたくしたちにウルトラビーストのアドバイスをしてくださっているの」

「また会ったな。島巡りの者」

「ウルトラ調査隊は、ウルトラホールやウルトラビーストについて調査研究をしています。ダルスが隊長で、あたしがアマモ」

「かつて我々の世界はこちらと同じく光り輝く世界だったが、暴れ狂うポケモンであり光を与えてくれる存在、ネクロズマが光を与えてくれなくなった。このままでは、こちらの世界の光をも奪いかねない」

 我々の世界とこちらの世界。異世界から来たということか。冗談はコスプレだけにしてくれよ――という雰囲気では全くない。ダルスはいつでも大真面目だし、アマモも軽いとはいえ、冗談を言っているわけではなさそうだ。

 ルザミーネさんが一歩前へ歩み寄る。

「大丈夫です。アローラの光を守るために、エーテル財団は備えているのよ。ですから、あなた達は安心していてね」

 環境保護団体の守備範囲を広げれば、そうなるのだろうか。いかんな、あたしは美人に甘い。どうも、何かがおかしい気がするのだが。ボンクラの勘はあまり当てにならないし、今つつく根拠は何一つない。それでも、あたしはくさいと思っている。動機が見えないからだ。愛なんてものが大組織の動機になるとはあたしは思っていない。トップダウンのこの組織なら有り得るのか?ともあれ、やはり注意が必要だと思った。

「ビッケ。お二人は島巡りの途中でしたね。次の島までお送りしなさい」

「はい」

「わたくしは、保護している愛おしいポケモン達が無事なのか確認します。地下で何があったのか、ザオボーにも確認しないとね」

「恐らくですが、ウルトラホールを開ける実験が上手く行かなかったのでしょうが……。では、行って参ります」

 気になる事が多すぎる。ウルトラホールを開ける実験自体は、わからなくもない。向こうからは殴れるがこちらからは殴れないという状況は主導権を一切得られない。後手に回っては負ける。だから先に穴を開けて殺す、ということだろう。多分。

 あ、ルザミーネさんが手を振っている。笑顔に誤魔化されそうだ。静まれ、あたしの下心。

「でもー、別世界の人と会うなんて、驚きでいっぱいだねー!今度、バーネット博士に教えてあげよーっと!」

「あたしはただのコスプレイヤーだと思ってたよ。あいつら……」

「そう言ってもらえてよかった。私達も驚きましたから。そうそう、お会いした記念に、マラサダと技マシンを差し上げます」

 ビッケさん癒やしだな。ありがたくいただくことにした。

「大きいマラサダー!ありがとー!こういうの、みんなで食べるともっと美味しくなるから不思議だよねー!」

「ええ。食事は家族みんなで食べるのが一番ですよね」

「ありがとうございます」

「あなた達の島巡りが、素敵なものでありますように」

「ありがとー!」

「ありがとうございます」

 手を振ってくれるビッケさんに、あたしは頭を下げ、ハウ君は手を振って、次の島、ウラウラ島行きへの連絡船に乗り込んだ。

 

 行きと違い、帰りは結構混み合っていた。エーテルパラダイス、あたし達以外の見学者もそれなりにいたからな。

「あー、すごかったねー!別世界のポケモンに、別世界の人にー!次の島もきっと、すごいことがいっぱいあるよねー!」

「そうだね。美人多かったね」

「えっそっち?!」

「ウルトラホールも確かにびっくりはしたけど、美人の笑顔が最優先だよ」

「ユウケはある意味ぶれないなー。あー、お腹空いちゃった。マラサダ食べよー」

「ハウ君もね。あたしも食べるかな……」

 もらったマラサダは美味かった。美人の笑顔に加えて美味いものか。口封じには高すぎるかもしれないな。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、輩と出会う

 ウラウラ島はマリエシティ。まるでジョウト地方、特にエンジュシティのような街並み。この町でも結構観光客を見かける。小エンジュという言葉で形容されないのは結構あたし好みだ。エンジュシティのようなものを見たければエンジュに行けばいい。あくまでエンジュに似ているだけで、アローラの植生にも合わせる努力をしているのがなおいい。

「ねーユウケー、ポケモン勝負しよーよ!」

 ちらっとハウ君の腰を見る。ボールは五つ。ハガネールはエーテルパラダイスで回復してもらったから、問題はない。あたしは頷いた。バトルだと聞いて人だかりができてくる。

「何だかひさびさにやる気がするね」

「そうだっけー?」

 実際はそうでもないのだが。

 

 ライチュウ(アローラの姿)に驚愕した以外は、特に問題なく勝利した。なぜ相手のきあいだまは必ず当たるのだろう。自分のポケモンが使ったきあいだまは当たった記憶がないのだが。

「あー、また負けちゃったー!まあ楽しかったからいいよねー!」

「フクスローはそうでもない、かな?」

 どうもハウ君のパートナーはそうでもなさそうだ。あたし相手に白星を取れていないからというのもあるかもしれない。何だかジト目で見られている気もする。

「えー、フクスローは強くなりたい、のかなー?相棒とすれ違うのはやだなー」

「あなたは、昔の私と同じです。考えてください。何のために戦うのかを。……借り物の、言葉だけど」

 歌うように、あたしの口が借り物の言葉を紡ぐ。いや、こんなことを言う気はなかったのだが、つい。ハウ君とフクスローはちょっとぎょっとしたような顔をした。

「うん、ありがとー!フクスロー達とも相談してみるよー!」

 ホクラニ岳の上で、電気タイプの試練に挑むというハウ君を見送る。ああは言ってみたものの、あたしだって何のためにトレーナーをやっているのかなぜバトルをやっているか聞かれたら答える自信はない。一番の理由は、生活のためだが。死ぬのは怖いし、ましてや飢死なんて苦しそうな死因は御免蒙る。

「考えてください、か」

 例えば「何故生きるのですか」と同じような、考えても無駄なことのひとつではないかと思う、無責任極まる言葉。空を見上げ、自分の行為に溜息をついた。今日もアローラの空は快晴のいい青だ。

 

 スマフォを見ると、ククイ博士とリーリエから連絡が入っていた。博士からはホクラニ岳山頂が試練の場所が天文台であり、知り合いと話があるので先に行こうと思う旨。リーリエからは、マリエシティの図書館で予定時間これくらいで合流したいという連絡。あたしは両方に「了解しました」とだけ返信する。

 図書館、と聞いて気が逸る。それもかなり大規模な図書館らしい。あたしは本に目がない。庭園も少しは気になるが、別に後回しで構わないだろう。だが、まずはポケモンセンターだ。

 

 ポケモンセンターでポケモンの回復をしてもらい、情報板を眺める。さほど大したものはない。内心つまらんなと思う。反面、この地方がそれほど危険ではないということなのだろうが。

『トレーナー振付師の弟子募集』……振付?

『ジムオブカントー開店』……ジムなのに開店とはいかに。

「ま、図書館に行くついでに寄るか」

 

 ジムオブカントー。

「クチバジム、か。電気タイプのジムだったね、確か……」

「お客様、いらっしゃいませ。当店はカントーのジムを楽しめるサービスのことね。一回チャレンジ千円、サービスドリンク付きよ」

「サービス?要は、バトルできるってことですか?」

「そうね!ジムトレーナー四人と、ジムリーダーを倒したら素敵なおまけもついてくるのことよ」

 怪しげな片言が気になるが、参加費は賞金で取り返せるだろう。

「では、お願いします」

「はーい、お客様一名ご案内ねー!」

 ゴミ箱かと思ったら、ドリンクやらおつまみやらが冷やされている。これは別料金らしい。つまり、スイッチは探さなくていいと。よし。

 

 電気タイプ統一ちゃうやないか、という言葉を飲み込み、あたしはだいだいバッジを受け取った。そう、あくまでこれは店、サービスであって本物の、ポケモン協会公認のジムではない。だいだいバッジも特に意味のない記念品なのだ。ま、それはそれでよしとしよう。気持ちよく勝てれば、それでいい。

 そして遂にニャヒートが進化した。ガオガエン。人型かー。猫っぽいまま進化してくれたほうがあたし好みではあったが、別にガオガエンのせいではない。思い切りなでてやった。ついでにウツドンも進化させてやることにする。ライチさんの店でアクセサリーだけ買うのが恥ずかしかったので買っておいたリーフの石が火は吹かないが、役に立つ日が来た。こいつも思い切り撫でてやる。あまり草タイプを使わないから、独特の青臭さが懐かしい感じ。

 

 図書館。何とも心躍る施設だ。同行者がいたことと、島巡りが新鮮でメレメレとアーカラの図書館は立ち寄らなかったが、他の地方の図書館に劣らない大きな施設に身震いする。この身震いは歓喜、これは好機である。リーリエとの集合予定までまだ二時間ほどある。

「うふ、うふふ」

「ユウケ、嬉しそうロトー」

「本がね、あたしを呼んでるから。あ、悪いけど、ロトム、入ったら小さめの声でお願い」

「図書館では静かにロトね。わかったロト!」

 本に耽溺する人間に話しかけるという無粋な人間がいないとも限らない。万が一のこともある。あたしはイヤフォンを耳に突っ込む。今日は、カロス地方のバンド、Alcestの"Souvenirs D'un Autre Monde"にしよう。再生ボタンを押して、自動ドアをくぐる。図書館の古びた紙のにおい。あたしはこのにおいが大好きだ。二階建ての広々とした図書館。小説、漫画、それとも論文か。リーリエとは会いたいが、制限時間として二時間は少し短い。本を借りるのも悪くないが、旅の途中で本を借りるのは破損の危険がある。リーリエの目的はほしぐも――ちゃん絡みだろう。となると、生物、特にポケモンか歴史だな。どちらも好きなジャンルだがアローラ地方の図書分類法がわからないので、素直にフロアマップを見ることにした。

 

 『生物(ポケモン)』と、『生物(一般)』は隣接している。どちらもざっと見ただけだが、ほしぐも――ちゃんに類似した生物は見つからなかった。図書館司書に尋ねるという手もあるが、噂になってはかなわない。

 自分で探すことにした。安易すぎるが、まずは『伝説・幻のポケモン 改訂版』を手に取る。奥付を見て直近のものであることを確認し、ぱらぱらとページをめくる。伝説や幻のポケモンというと明確な定義は難しい。ポケモン協会だったかの出版物では『各地方で滅多に見ることの出来ない貴重なポケモン』という漠然とした書き方がされていた。世界リーグ戦で使用を禁止されているポケモンとすると、世界リーグ戦で使用可能なポケモン、例えば、ランドロスやボルトロス、サンダーはそうではないのかということになる。人間の管理下でタマゴを産まず、腕利きのトレーナーでも複数匹揃えるのが難しく、かつ強いポケモン、というところか。カントー地方のロケット団が壊滅してから製造技術が流出したらしいミュウツーや、渡りをしているらしいサンダーやフリーザー、ファイヤー等、複数の地域で見かけるポケモンも含まれているのが編集の苦労を感じられる。生息地は書いていないし、書いてあったところでそれを元に捕まえられるかというと、もちろんそんなことはない。なまじっかなトレーナーでは返り討ちに遭うこともしばしばだし、珍しく強力なポケモンはカネと力になるのでトレーナー間の競争も激しいから、そんなものを本を読んだ程度で捕まえられれば苦労はしない。目当てのポケモンの目の前でバトルに勝って競争相手を追い払ったこともあるし、そのポケモンの巣の近くに人間の死体が大量に転がっているのも目撃したことがある。思い出して気分が悪くなってしまったので、慌てて思考を元に戻そうとする。何だったか――そう、だから、一部の狂人や権力者を除いて、そういったポケモンを見せびらかすということはあまりないし、よほどの事がなければそういったポケモンを人前で使うことはない。

 あたしも使用禁止ポケモンを一揃いは捕まえているが、人に見せたことはない。あたしが世界リーグ戦で使っていたこの本に載っているポケモンはサンダー、ランドロス、スイクン、エンテイ、ユクシー、ヒードラン、クレセリア、ラティアス、ラティオスくらいだが、それでも手持ちポケモン目当てで何度か襲われたことがある。過去の恐怖が蘇り、文字通り身震いする。そいつらは警察に突き出したが、身の程知らずというのは世界には幾らでもいる。あたしの体感では、伝説や幻のポケモンというのは世界に何百匹かはいるはず――そうでなければ種として絶滅してしまうし、あたし程度のトレーナーが何匹も捕まえられるはずもない――ので、それを探したほうがまだ建設的だと思うのだが、労苦や費用を考えれば持ち主を殺したほうが安くて早くて確実なのかもしれない。等々、無関係なことを考えながらも目と指は動く。当然ながら、ほしぐも――ちゃんに関連しそうなポケモンはない。

 意外な収穫もあった。この本にカプ・コケコ、カプ・テテフ、カプ・レヒレ、カプ・ブルルの四柱のカプ神が記載されていたのだ。記述を見ると、捕まえた人間もそれなりにいるらしい。捕まえた後の守り神はどうなるのかというと、分霊(わけみたま)のように、新たにカプ神が現れるのだとか。強力なポケモンの例に漏れず気位が高いので、神が認めた人間でなければ捕獲できないと言われている、と注記されている。認められるとすればだが、あたしがカプ神を捕獲しても問題はないということか。世界リーグ戦のルールを見ても、カプ神は使用禁止枠に入っていないし、統計を見ると使用ポケモンとして登録しているトレーナーもいるらしい。あたしがたまたま当たったことがなかっただけなのか。ともあれ、今時点での調べ物の参考にはならなかった。

「生物からのアプローチはお手上げか」

 絶滅したと思われていたポケモンが再発見される例もあるが、ポケモン自体の種類がそれほど多くないことから、そちらのリストはざっと見たところ該当なし。

 モンスターボールにリーリエが入れていない――モンスターボールに収納されない、つまりはポケットモンスターに分類されない――生物の可能性もあると思ったが、過去の膨大な生物リストを見て匙を投げてしまった。有史以来の種の絶滅の大半は人間の活動そのものの犠牲であり、リストの大半は人間の罪の証人のようだ、などと思ってしまう。もちろん、人間が絶滅させたものだけではなく、ポケモンが非ポケモンを絶滅させる例もしばしばではある。両者が競合種となった場合、ほぼ間違いなく非ポケモンが絶滅する。ポケモンという生き物の攻撃性と攻撃能力は非ポケモンのそれを遥かに上回るからだ。交雑はほとんど起こらないとされており、非ポケモンの生息数や生存地域は年々減少の一途であり、生物多様性の観点からは問題視されている。人間とポケモンの活動が合わさり、「現在は地球史上六度目の大量絶滅期を迎えている」という説も出ている程に。

 ポケモンと競合し生き残った数少ない例外が、ホモ・サピエンスだ。一九二〇年代にニシノモリ教授によりポケモンが「発見」されてから今まで、いや、それ以前から人間とポケモンの関係は単純ではなかった、らしい。聖書や記紀を始めとする世界各地に残る神話に語られた神獣や魔物、脅威や災害のうちいくつかはポケモンだったのではという説もある。ポケモンの「発見」以前にポケモンが存在したのは恐らく間違いないのだろうが、「そうであれば具体的にポケモンを描くのでは」「恐怖心から描写を記録者が忌避したのでは」と諸説紛々で真偽のほどは定かとは言えないが。思考が逸れた。ともあれ、現時点ではホモ・サピエンスがポケモンに対し優位を守っている。もちろん、ポケモンが原因で命を落とす人間は少なくないが、種としての優位は確保していると言えるだろう。

 

 生物学の棚を諦めたあたしは、二階に上がった。

「面白い本、なかったロト?」

「面白そうな本はあったけど、ほしぐも……ちゃん、絡みのはなかったんだよね」

「なるほどロー」

 耳元に顔を出したロトムに小声で囁く。ロトムもあたしの言いつけを守って小声だ。イヤフォンをまた耳へ。

(生物が駄目となると、次は歴史か。ウルトラホール絡みはアローラ地方の民俗学、人類文化学、その辺りとしても。ほしぐも――ちゃんがウルトラホールと関係あるとも限らないのだよな)

 歴史と一様に言ってもとんでもなく広い。世界史、アローラ史、その他の地方史。どれから手をつけたものかな。きょろきょろと辺りを見渡す。紫の髪で前髪を髪結いで纏めた可愛らしい女の子と目が合った。服がつぎはぎのように見えるが、高価そうな腕輪もつけているし、単なる見えるファッションなのか、糞掃衣(ふんぞうえ)のような宗教的な何かなのかもしれない。リーリエを幼いカモシカに例えるなら、あの子は猫だろうか。あたしの視線に気付いたのか、ふにゃりと猫口の愛くるしい笑みを浮かべる。反射的に頭を下げた。いかんいかん、可愛らしい女の子を見に来たわけではない。あたしはかぶりを振って本を探し始めた。

 懐かしい歴史書の背表紙につい手を伸ばしてしまった。『戦争の世界史――技術と軍隊と社会、そしてポケモン』。古典的名著で、小学校の図書館にリクエストして入れてもらった覚えがある。在学中に何回も読み返した。著者はポケモンについて「発見」後しか取り上げない方針を示していたはず。ほしぐも――ちゃんの話は載っていないだろうと思いながらも本を開くと、読みやすさと面白さにたちまち引きずり込まれてしまった。

 

「第三次世界大戦は、ベトナム戦争に端を発した戦争である。ポケモンの軍事利用については、先に述べたとおり伝書鳩、軍用犬の置換という形で低水準で進んでいたが、米国が北ベトナムの兵站システムを破壊すべく、B-52爆撃機の爆弾倉の余剰スペースに、回収機構の省略されたモンスターボールに入れたポケモンを満載し『遭遇した全てのものを攻撃せよ』と命令を与えたうえで空中投下した。当初は爆弾のおまけ程度であったこれが人力や馬匹等に依存していた北ベトナムの兵站システムに極めて大きな打撃を与え、空爆の終盤においては爆弾とモンスターボールの積載比率が逆転するほどの評価を得、北ベトナムの早期崩壊に寄与した。一方、残存ポケモンが北進した米軍、南ベトナム軍及び同盟国軍に損害を与えた例も報告されている。北ベトナムの崩壊は、いわば逆ドミノ理論により冷戦が熱戦に転換する端緒となり、中華人民共和国及びソビエト連邦のベトナム戦争への直接介入という、西側の想定していない状況へエスカレートし、以後、戦争は欧州、朝鮮半島、台湾、ついで北極海へと拡大することとなる。どの国が他国中枢に対し最初に核兵器を使用したかは、国家というものが消滅してからも続いている議論、あるいは責任の押し付け合いの体をなしているが、米国が北ベトナムで、英国が西ドイツで戦術核を数発使用したことが核兵器使用への心理的ハードルを大きく下げたことは間違いない。一九七二年のワシントン及びモスクワへの核投下時刻はほぼ等しいが、その他目標となった主要都市の被攻撃時刻は異なる。(次ページ表のとおり)西側、東側のみならず、非同盟世界の都市、穀倉地帯、資源産出地域も核攻撃の対象となっており、世界人口はおよそ二億人(概算)まで減少し、大戦前の国家はほぼ崩壊、現在の地球連邦政府――地方政府体制が成立した。

 核攻撃による浮遊物及び放射性物質汚染の除去にもポケモンが多数使用され、核の冬と呼ばれる寒冷化の軽減に寄与した。地表の除染については非紛争地域においては約三年でほぼ核攻撃前の水準に戻り、海中の除染についても十年で規定値を下回る数値を達成した。(第三次世界大戦後の主要紛争地域については巻末資料三三を参照)」

 

 人類史上最大の核戦争(パイ投げ)、犠牲となった膨大な都市のリスト。文明が崩壊しなかったのが不思議なほどだ。クレーターを除染してから埋め戻した上で都市を再建するのは、利便性だけではなく死者と、人類の愚かさを埋めて忘れるためではないか、などと思ってしまう。義務教育の歴史の授業でも、このあたりはやらないのも、あたしの想像、否、妄想を肯定するような気がした。

 何年か続いた核の冬による餓死者を減らしたのは、皮肉でも何でもなくその前に大半の人間が死んでしまったからだ。肥沃な土壌、船舶や鉄道等の輸送インフラ、それらを支える製造工場。人類の富があらかた吹き飛び、それらをある程度再建するまで保ったのは、人類史上最大の口減らしだというのが何とも皮肉ではある。紆余曲折、どこに残っていたのか驚くほどの兵器群、兵器として前線で運用されるポケモン、そして権力の正当性を主張する生き残りによる外交により、紛争地域――完全に秩序が失われ、第二の未踏査地域とまで呼ばれる中央アフリカから東欧、中東、インドを経由し旧中華人民共和国奥地、中南米の一部――を除く一帯に連邦政府と、その下部組織である各地方政府が成立した。

 ポケモンという要素が、文明を半壊させる原因となり、同時に個人の武力を歴史上最大化することにより、政体としての民主主義を連邦政府に保証(強要)した。旧中華人民共和国の建国者の一人曰く「権力は銃口から生まれる」、あたしが誤用して引いているのはわかっているが、この言葉が一番適切な説明だ。一部の人間が独占していた権力を民が得たのは何故か。銃という暴力の前には人間は平等であるからだ。王が平民に撃ち殺されたくなければ、権力を委譲するしかなかった。乱暴かつ大雑把な言い方をすればこうなる。現代は、銃がポケモンに置き換わった状況である。一つの町を焼き尽くすような力を個人が持てる時代に、独裁権力の確立は困難であるということだ。富の集中においてもまた似たようなことが言えるだろう。それでもなぜ現実が理想郷になっていないのかというのは、失政であったり、戦争で富の総量が激減してしまったり、色々あるのだろう。加えて、トレーナー制度がガス抜きになっているというのもある。ポケモンさえ持っていれば、ポケモンセンターは無料で使用できるし、トレーナー向けの配給食というパンにありつくこともできる。そして、ポケモンバトルがサーカスの役割を果たす。そこからすらも転落してしまう人間がいるのも事実だし、それはここアローラでも変わらない。裏通りを覗けば、男女問わず娼婦が立っているし、犯罪組織であるスカル団が大手を振って歩いているというのもその証拠だ。テロや暴動等の反動はもちろんそこかしこで散発的に発生し、地方政府の警察力が弱いから我々トレーナーがその一翼を担う。つまり、自分は最悪の反動勢力の一員ということか。自分が秩序側の人間にいつの間にか組み込まれているというのは何ともかんとも、笑いすらこみ上げてくる。

「まるで喜劇(ファルス)だ」

 

 小声で呟くと同時に、ぽんと肩を叩かれて飛び上がりそうになった。そこまで大声を出していただろうか。悲鳴を噛み殺す。振り返るとリーリエがいた。

「び、びっくりした……」

「わたしもです。ユウケさんがあんまりにびっくりするから」

 イヤフォンを外してから小声で囁き、苦笑を交わす。

「一階の自然コーナーを調べてみてたんだけど、あたしが見る限り該当するのはなさそうだね」

「ククイ博士、バーネット博士と相談したのですが、『ほしぐもちゃんがカプ神の遺跡を好むなら、神話を調べてみてはどうか』と」

「神話ね……」

 ほしぐも――ちゃんに類似した存在が語られている可能性もあるか。ホウエン地方の神話を辿った結果の大騒ぎに巻き込まれた経験があたしに釘を刺す。並の強力なポケモンなら、リーリエを庇いながら逃げるくらいはできるだろう。それ以上もしくは天変地異をもたらすようなものなら上手く切り抜けられるか全く自信がない。それに、カプ神のこともある。神があれば禁忌もあるはずだ。

「カプ神を見るところ、恵みを与えるだけでなくて罰を与えることもあるらしいし、調べた結果、危ないなら止めるからね」

 小首を傾げるリーリエ。絵になる。可愛い。後、今更気付いたが、あたしのほうが背が低いのだな。

「ユウケさんが守ってくれるのでは?」

「できる範囲ならね」

「ユウケさんは、とても強いトレーナーさんですから、きっと大丈夫です」

 満面の笑顔と信頼が眩しい。主にお腹の下あたりがキュンと来ると同時に、胸に小さな棘が刺さる。あたしは、棘を溜息と共に吐き出そうと試みながら言葉を継いだ。

「……あたしは、そこまで大したトレーナーじゃない。それに、島一つ軽く吹き飛ばすようなポケモンだっているんだからね。あたしがヤバいと思ったら、連れて逃げるから」

「わかりました」

 あたしは可愛い女の子の笑顔に弱い。何だか、あたしの要求自体が押し戻された気がするが、逃げるだけなら大丈夫だろう。きっと。

 

 ぽんぽんと肩が叩かれる。もう驚かないぞ。結構体がびくんと跳ねた自覚はあるが。

「お姉さん達、この本を探してるんでしょ?読ませてあげる!」

 二階に来た時に目が合った女の子か。近くで見てもやっぱり可愛い。ほんのりいいにおいがする。なぜだろう。どこかからか鋭い視線が刺さってきているような。

「ありがとう。ええと……あたし、ユウケ、こちらはリーリエ。あなたは?」

「アセロラ。よろしくね、お姉さん達!」

「その、探している本というのは?」

「アセロラ、こう見えて大昔すごかった一族の娘なの。家に置いておくとポケモンに本をぼろぼろにされちゃうから、図書館に置いてもらってるの。はい、これ」

 彼女から差し出された本には『アローラの光』と書かれている。アローラを統一王国が支配していた頃の王族か貴族の末裔なのだろうか。

「お父さんが書いた本なんだよ。あ、あたしのことはアセロラでいいから」

「ありがとうございます。では、読ませていただきますね」

 リーリエの隣にちゃっかり座る。本を読む彼女を見ているだけで充分。な訳無いか。ちゃんと読まないと洒落にならなくなる。

 

 『月を誘いし獣、空から開いた穴から姿を現し、島の守り神を従える。王朝に闇をもたらし、生を終えた命を導く。歴代王朝は月輪の祭壇で太陽と月の笛を吹くことでそれに敬意を現していた』――か。

素直に読めば、ウルトラホールらしきものから出現するポケモンはカプ神を従えるほどのポケモンであり、月輪の祭壇太陽と月の笛という祭具を使って干渉できるということか。名前がわからないのが難だが、他の本に載っていたりするのだろうか。駄目元で当たってみる価値はありそうだ。

「ユウケさん、後はわたしが調べておきます。次の試練もあるでしょうし」

 少し躊躇う。不味いかどうかの下調べはしておきたいところもある、が。彼女は賢い。少なくとも、あたしよりも遥かに。危機感が足りないのは、まあ場数の差だろう。

「悪いけど、参考になりそうなところはコピー取っておいてもらえる?特に、危険性がありそうだとか、何をすると危ないかとかね」

「わかりました!」

「じゃあ、アセロラ。悪いけど、リーリエの調べ物を手伝ってもらってもいい?」

「大丈夫。任せて!次の試練は、ホクラニ岳天文台でしょ。頑張ってね!」

「頑張ってください。また後で連絡します」

「ありがとう、二人とも。それじゃあ」

 本と可愛い女の子二人との時間には後ろ髪を引かれるが、仕方がない。

 

 ホクラニ岳麓のバス停を眺めながら、やっぱり図書館で可愛い女の子二人と本を囲んで楽しい時間を過ごしておくべきだったとあたしは悔やんでいた。スカル団員男が二人と、きつめの美人が一人。美人は嬉しいが、残念ながらスカル団の関係者だろう。刺激的な服装に、ボディペイントがいい女という風情を出していて、個人的にも好みなのだが。

「それで、こいつをどうするって?」

「バス停をかっぱらって売り払おうかなって」

「でも重いな、これ」

「あんたらね……」

 あたしは息を吸って吐いて、連中に声をかけた。

「バスに乗らないなら、悪いけど通してくれない?」

「「あ、お前!」」

「……あんたがユウケかい」

「美人に名前を覚えてもらうのは光栄だけど、残念ながらナンパじゃなさそうね?」

「ああ。あたいはプルメリ。あんたはよーく知ってるだろうけど、こいつら馬鹿ばっかりでね。でもさあ、馬鹿だからこそ可愛いってことあるじゃない?だから、連中を可愛がってくれたお礼をしようかなって思ってね」

「お茶かディナーのお誘いだったらよかったのに」

「本気で言ってるのかい?」

「美人のお誘いなら大歓迎だからね」

 お互い言葉のジャブを交わしながら、腰のモンスターボールに手を伸ばす。向こうのボールは三つ。よし。

「後ろの手下は?」

「どっちみちあたいが勝てないなら役に立たないさ」

 あたしは鼻を鳴らして頷いた。それを合図に、お互いがボールを投げる。

 

 あたしのハガネールは、毒タイプ使いのプルメリのポケモンを順当に蹴散らした。

「はん!やってくれるじゃない!」

「相性が悪かったね。次は楽しいお誘いなのを期待してるよ」

「姐さんが負けるなんて……」

「どうでもいいけど、このバス停の重さ、ゴローニャ並だよ!」

 スカル団の組織化は相当なってないのか、まともに幹部の護衛も殿(しんがり)も務められないらしく苦笑いしてしまう。

 

 ホクラニ岳山頂行きのバスはさほど待たずにやって来た。なるほど、アローラ特有の、リージョンフォームのナッシーか。氷弱点四倍は栄華を極めたガブリアスやランドロスのためにどこからともなく飛んでくるれいとうビームやめざめるパワー氷やらのせいで使い勝手が悪いので、あたしは使ったことはないが、見たことはある。アローラの住民曰く、これこそが本物のナッシーの姿だとか。カントー地方生まれのあたしは、ずんぐりむっくりのアレの姿のほうが馴染み深い。などと考えているうちに山頂に着いた。寒い。標高が百メートル上がるごとに大体摂氏〇・七度下がるのだったか、などと考えつつバスを降りると見覚えのある屈強な半裸白衣の人。

「やあ、ユウケ!次は天文台での試練だな!」

「そうですね。博士、寒くないんですか?」

「いや、今の僕はニトロチャージのように熱いからね!」

 はあ、と曖昧な溜息のような返事をするあたしに構わず、博士は言葉を続ける。

「ユウケ、あの山を見てくれないか。神々しい山だろう」

 万年雪の積もるそびえ立つ山。そうか、飛行機で見た二つの山のうち一つが今いるここホクラニ岳で、もう一つが。

「ラナキラマウンテン。僕はね、あの山にポケモンリーグを招聘するんだ。今、工事中のクレーンが見えるかい?」

 頷くあたし。

「聖なる山の上で、かつて島キング達が全ての試練をこなした者に与えた大試練と同様に、神にポケモン勝負を捧げる。そのためにラナキラマウンテンの頂上を選んだんだ。島巡りを終えたアローラのトレーナーに挑んでもらい、トレーナーのレベル底上げを図る。そして、世界にアローラのトレーナーとポケモンの魅力を知ってもらいたいと思ってね」

 再び頷く。現役なら無論、元でもチャンピオンという肩書きは、それなりに価値があるものらしいから、トレーナー誘致にはさぞ役に立つだろう。あたしも金持ちの護衛だの空港警備隊だのに誘われたことはある。人付き合いが煩わしそうなので丁重にお断り申し上げた。

「ここまで言えばもうわかってもらえると思う」

「挑戦する分には、もちろん構いませんけど。もしかして」

 四天王に選ばれる、とかだろうか。余所者のあたしがそんなわけはないとは思うが。となると、四天王前の門番とかだろうか。

「そう!一番最初の挑戦者になってほしいんだ!」

「えっ」

「不服かい?他のリーグでも、初代チャンピオンは四天王を倒した上で認定されているはずだけど」

「いや、そうじゃなくて、アローラのポケモンリーグで初代チャンピオンがあたしってのはちょっと…」

「実力と実績を兼ね備えていて、アローラ在住。充分資格はあると思うよ」

「……少し、考えさせてください」

 過大評価だ。二代目、三代目以降なら構わない。しかし、最初に碑銘に名前を刻まれるのは重い。

「わかった。いい返事を期待しているよ。工事自体はもうほとんど終わっているし、リーグ開設日は君の返事次第だからね」

「……わかりました」

 なかなか重たい釘を刺してくれる。あたしはがっくりと項垂れた。

 

 ククイ博士とあたしを出迎えてくれたのは、金髪に眼鏡のお兄さんだった。

「やあ、我が親友ロイヤルマスク、久しぶり。そして初めましてだね。君がユウケくんかな。ロイヤルマスクから話は聞いているよ」

「ああ、久し振りだな、マーレイン。それと僕はロイヤルマスクじゃない」

「そうそう、ロイヤルマスク。忘れ物を渡しておくよ」

「僕はロイヤルマスクじゃないが、ロイヤルマスクに渡しておこう」

 ロイヤルマスクでしょ。

「初めまして、ユウケです」

「用事っていうのはこれか」

「ああ。例の件はまだ考えさせておいてくれよ」

「わかった。じゃあ、試練の手伝いもあるだろうし、僕はこれで失礼するよ。ユウケ、試練頑張ってくれ」

 立ち去る博士に頭を下げるあたしと、まだ笑っているマーレインさん。

「全く、面白い男だよ。我が親友は。……さて、待たせたね。今、キャプテンは僕の従弟のマーマネがやっているんだ。本来キャプテンは島キングが任命するんだが、この島はちょっと特別でね。さ、入ってくれるかな」

「お邪魔します」

 案内されるまま、天文台の中へ。試練というのは建物の中でやるらしい。室内でポケモンバトルをすると、散らかり方が尋常でなくなるのだが、大丈夫なのだろうか、とキョロキョロしながら着いて行き、奥の一室に通された。中にはあたしより小柄でちょっと太った男の子がいた。一瞬視線が合い、挨拶――をするタイミングを逃した。敵意はないが、微妙に気まずい沈黙が二人の間に流れる。

「「……あの」」

 同時に発言しようとして再度黙ったあたしとマーマネさんに助け船を出すようにマーレインさんが口を開く。

「おほん。ユウケくん、彼がマーマネだ」

「ありがとうございます。マーマネさん、よろしくお願いします」

「……試練だね。ちょうどよかった。さっき、主を呼び出す機械が完成したところなんだ。デンヂムシのご飯も終わってるし」

 試練の内容は、デンヂムシを並べて目の前の機械を動かして主を呼び出すということらしい。

 

 主ポケモン自体は問題なく倒せたが、呼び出しの過程にあたしは驚愕してしまった。そのうちこの天文台は焼け落ちてしまうのではないだろうか。

「電源ケーブルが抜けるなんてね。まだまだこいこいくんは改良の余地がありそうだ。それにしても、ユウケ、強いね」

「……火事だけには気をつけて」

「それと、電気Zのクリスタルを」

「マー君、デンキZのフォームを教えてあげないと」

「あ……そうだった。こうやって……こう」

 心持ち恥ずかしそうなマーマネさん。気持ちはわかる。

「ありがとう」

「次の試練は、マリエシティの南に下って、カプの村だからね」

「気をつけて。今度は、ぼくと勝負してほしい」

「ええ、マーマネさん。喜んで」

 あたしは頭を下げて、嵐の後のような状態になった研究室の状態を見ないようにしながら部屋を後にした。

 

 マリエシティのポケモンセンターでポケモンを回復し、あたしはマリエ庭園を覗いていくことにした。五重塔を遠目に眺めるだけで満腹という気持ちもあるが、折角だし庭園を眺めながら昼食のエナジーバーを食べようと思ったのだ。ざっと入口から覗いただけでもアローラの植生、ポケモン、そしてエンジュ調の建物と庭園、庭が調和するようによく整備されている。庭園の中央にかかる橋の前で、体格のよい男性四人が睨み合っていなければ尚更だ。庭園入口側にいるのはククイ博士、奥にいるのは――スカル団員男が二人と、その上役のような雰囲気を漂わせた白髪に金のサングラス、金のネックレスに金時計と金づくしのガラの悪い男。

「ポケモンリーグだと?正気かよ。キャプテンになれなかったあんたがか?」

「なれなかったんじゃない。夢のためにならなかったんだ」

「ケッ。下らねえ。ポケモンリーグも島巡りも何もかも下らねえよ」

「そうかな。グズマ君も変化を望んでいるんじゃないのか?」

「下らねえ。で、どうすんだ。やるのか?やらねえのか?バトルロイヤルもポケモン三匹を一気にぶっ壊せて悪かねえが、三対一じゃ面白かねえだろう。サシでどうだ?スカル団ボスのグズマとポケモン博士のククイのスペシャルマッチ!涎もののカードだろ?」

 奥のガラの悪い男が、スカル団のボスなのか。ロケット団残党やまだ非公然組織だった頃のアクア団、マグマ団辺りの幹部クラスと比べても覇気というか威圧感というか、そういうものを感じないな。そこらをたむろしてるチンピラのまとめ役、くらいの雰囲気だ。年齢が若く見えるからだろうか。それなり以上の規模の団体を仕切っているうえにククイ博士相手に臆さないところ、トレーナーとしては相当の腕前なのだろうが。

 それはそれとして、ククイ博士のバトルは確かに興味がある。これが三対一なら助太刀も考えたが、両者合意のうえでの一対一なら別にあたしの出る幕はない。完全に野次馬に徹する気だった。

「そうだな。僕がやってもいいんだが、僕より実績も実力もあるトレーナーに興味はないかい?」

「あ?」

「なあ、ユウケ?」

「ええ?あたし?」

 野次馬Cくらいのつもりだったのが、突然肩を博士に抱かれてぐいっと横に立たされて、あたしは混乱してしまう。

「ああ?」

「あっ、あいつです!グズマさん!俺達の邪魔をし続けるやつ!」

「ああ……てめえが例のユウケか。おいおい、お前、他所から来て正義の味方気取りか?」

 あたしはがりがりと後頭部をかいて、グズマを睨みつける。目を合わせると猛烈な嫌悪感が背筋を上ってくる。馬が合わないとか生理的に汚いとかそういうもの由来ではなく、恐怖でもない何か。組織の統率者としてではなく、こいつ個人への何だか、そう、猛然とした気に食わないという感情。何だかわからない嫌悪感を押し殺すためにぎりりと奥歯を噛み締める。熱くなっては負ける。冷静に相手の情報を掴もうとする。ボールは二つか。

 わざとらしく溜息をついた。中指を立てなかったのを褒めてほしい。一瞬の間を置いて言葉を吐き出す。

「無能な下っ端共の暇潰しだの小銭稼ぎだのに巻き込まれて迷惑してるだけさ。正義の味方なんてまっぴらごめんだね」

「へっ、いきがったガキとポケモンまとめて潰してやらあ。ブッ壊してもブッ壊しても手を緩めなくて嫌われるグズマ様がな!」

「やってみな。あたしとあたしのポケモンは堅いよ」

 お互い攻撃的な笑みを浮かべ、ボールに手をかける。

 

 グズマの初手は――見たことのないポケモンだ。あたしはハガネールを繰り出す。見た目は虫タイプっぽいが、複合タイプかもしれない。

「グソクムシャ、シェルブレード」

「ハガネール、ステルスロック!」

 水技となると、虫・水か?どっちにせよあまり相性はよくなさそうだ。ハガネールは悠々と一撃を耐え、空中に尖った岩を撒く。

「ハガネール、よくやった、戻って!行け、ミミッキュ!シャドークロー!」

 もう一発のシェルブレードをミミッキュは皮で耐え、布の下から影の爪を伸ばし斬り付ける。グソクムシャは耐えたが、グズマの命令を待たずにボールに戻っていく。だっしゅつボタンか、特性か?まあ、虫タイプなら交代するのはもう一回出てきた時にステロが刺さるから好都合だ。グズマのもう一匹は――アメモース。虫・飛行タイプなので、ステルスロックで大きく傷を負っている。大きな目に見える羽根の模様で「いかく」してくるポケモンだ。物理攻撃型のミミッキュには都合が悪い。グズマは虫タイプ使いか。

「ミミッキュ、戻れ!ハガネール、もう一回頼む!がんせきふうじ!」

 アメモースのエアスラッシュを悠然と耐えるハガネール。二回目のエアスラッシュにもさしてダメージは受けていなさそうだが、怯む。当てれば食えるので、命令を変更しない。呻くハガネールに三回目のエアスラッシュ。当たり所が悪かったのか、またハガネールが怯む。四度目のエアスラッシュは耐えてがんせきふうじ。岩が放物線を描く頂点で突風が吹き、本来当たるはずだった軌道が大きく逸れ、アメモースをかすめるだけで終わってしまった。アメモースは文字通り虫の息だが、まだやれるらしく、更にエアスラッシュ。ハガネールがよろめく。がんせきふうじの岩が、今度は庭園の木の枝に当たり散らばって一発も命中しない。エアスラッシュでハガネールが轟音を立てて崩れ落ちる。当たりさえすれば、ハガネールで全部食えたはずなのに。流れが悪すぎる。歯噛みしながらハガネールを戻す。

「もう一回頼む、ミミッキュ!かげうち!」

 恐らく先手を取れるはずだが、念には念を入れて先制技。ミミッキュの足下から伸びた影がアメモースを襲い、アメモースが地に落ちた。グソクムシャもステルスロックでダメージを受けている。

「ちっ、グソクムシャ!シェルブレード!」

「ミミッキュ、シャドークロー!」

 両者が刃を振るうがミミッキュのそれが先に届き、黒い爪が甲殻を薙ぎ払ってグソクムシャが崩れ落ちた。

「よくやった、ミミッキュ!」

 あたしはミミッキュを抱き上げてミミッキュを撫でてやる。ミミッキュを褒めてやりたいのはもちろんだが、後ろの下っ端が何か動こうとした時にミミッキュに対処させるというのもある。

 

 グソクムシャが倒れてから頭を抱えうなだれるグズマも下っ端も動かなかった。下っ端のほうは何かを恐れて動けないようだ。グズマが頭を上げ叫ぶ。

「何やってるんだグズマァァァ!自慢のポケモンにもっと破壊させてやれよぉ!」

 癇癪を起こしたかのように足下を蹴りつけるグズマ。ひとしきり蹴り終えるとあたしを睨みつけてきた。

「破壊という言葉が人の形をしているのがこの俺様だ……。次は、てめえも、てめえのポケモンもぶっ壊してやる!

……おい、行くぞ!」

 あたしは鼻を鳴らして応えた。あいつの後ろに従う下っ端は、あたしとグズマの両方を怖がっているようだった。

「よお、ハウじゃねえか。元気してたか?」

「グズマさん……」

「何だ、島巡りかよ。下らねえ。島巡りなんぞして何か見つかるもんじゃねえし、島キングの孫だからって無理にやる必要はねえんだぜ」

「俺は……」

「ふん。またな」

 

 グズマと取り巻きが立ち去ってから、あたしはミミッキュをモンスターボールに戻す。ククイ博士と周りの人垣から拍手が沸き起こる。あたしはククイ博士をジト目で睨む。

「ああいう場面で、あたしを出します?」

「ユウケの実力を信用してるからね!」

 この人は天然だとばかり思っていたが、ひょっとしてとぼけているだけで、今のはもしかして天文台前でのあの話の布石なのではないか。大勢の前でスカル団のボスを退けたとなると、それなりに名も知られるだろう。

「外堀を埋めていくつもりですか?」

「ん?いや、因縁深いスカル団のボスとの顔合わせも必要だろうと思ってね」

「あたしの好みのタイプじゃないですね」

 おかしそうに笑う博士。いや、あたしはおかしくないが。はぐらかされた気がする。

 

 あたしはもう一度ジト目で博士を睨んでから、ハウ君に声をかけた。

「あいつ、知り合いなんだ?」

「……うん。じいちゃんの弟子だったんだよ、グズマさん。すごく強くて。面倒見もいいトレーナーだったんだけど、何でかわからないけど、Zリングがカプ神からもらえなかったらしくて」

 ハウ君の辛そうな表情、初めて見るな。兄弟子か兄貴分か、まあそういうところだったんだろう。Zリングがもらえないことがあるのか。

「それで、今はスカル団のボスか」

 小さく頷くハウ君。こういうのはあたしのガラじゃないんだが、と思いながら、ハウ君の肩をぽんと叩く。

「別に、ハウ君のせいじゃない。ま、落ち込むのはわからなくはないけどね。それよか、アイスでも食べない?あそこに茶店があるじゃない。奢るよ」

 珍しく即答しないハウ君の手を無理に引っ張って、茶店のベンチを目指す。ガラじゃないよ。

 

 赤い和傘の下に据えられたベンチにハウ君とあたしの二人で腰掛け、半ば押し付けるようにソフトクリームを渡す。「しんどいなら話さなくてもいい」というあたしの言葉を遮り、ぽつりぽつりとグズマがハラさんのところにいたときの話と、今に至るまでの話を聞きながら、あたしは抹茶ラテを啜っていた。ありふれた挫折の話だ、と思った。自分自身が散々突きつけられているから陳腐に過ぎると思うが、『世の中は努力にも実力にも比例した結果なんてものがついてくるようにはできていない』という奴だな。確かにあいつは強いんだろう。そして、さっきの自分の感情に何となく察しがついた気がした。そっちは――蓋だな。うん。

「グズマさんの実力なら、キャプテンも島キングもなれるって、周りも、多分本人も思ってたと思うんだ」

「ま、理由なんてもんはそれこそカプ神にでも聞いてみないとわからないってところかね」

 憎らしいほどの快晴を仰ぎ見て、あたしは独り言を呟く。

神託(オラクル)は下らず、ドミナントではなかった。あいつも、きっと私も」

 不思議そうな顔をするハウ君にこれまた似合わない笑顔で返す。笑顔が強ばっているのは常ながら、引きつっていないことを祈りながら。




Alcest - "Les Voyages De L'Âme" (official music video)
https://www.youtube.com/watch?v=AgYkrDQYeZg
フランスの実在のロックバンド。作中で触れているアルバムとは違いますが、Officialでアップしているもの以外は紹介しづらいので。

タイトルの輩は「やから・ともがら」どちらの意味も含んでいます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、亡霊の影を捉える

 予定外の休憩を終えて、あたしはマリエ庭園を立ち、ラナキラマウンテン南側の麓、カプの村にたどり着いていた。そう、村だ。故郷のマサラシティより規模が小さい。ポケモンセンターを中心に、西側に家が数軒と、南東の海岸近くにへばりつくように建っている――廃墟があるというべきか――商業施設だったものらしい何か、そして北西にある真っ白い建物、東側に設置されている土木工事関係施設が今のところこの村の全てだった。神の名を冠した村にしては活気がなさ過ぎる。ラナキラマウンテン山頂へと伸びる山道の整備工事がなければ、ほぼ死に体の寒村といっていいだろう。

 ネットで「カプの村」で検索するだけで原因らしき記事がすぐ出てきた。

『カプ神の怒りによりスーパー・メガやす崩壊』

 死者はなし、カプ神の聖地を使用したことが原因と思われる――か。当時の島キングは引責辞任、島キングが筆頭となっていた島巡り支援団体は解散、メガやすは移転している。なるほど、神の怒りを買った土地に住みたいとは思わないだろう。ポケモンリーグができれば、チャンピオンロードの入口になるここはそれなり以上に賑わうだろうが。

 関連記事を見て息が詰まった。『島巡り支援団体に残っていた人員がグズマ氏をトップにスカル団を結成したとみられる』という記事があったからだ。カプの罰を受けた団体に、島巡りを達成できなかったりした人間が集まる。余所者のあたしにもわかりやすい。仮に何も悪行を働いていない状態であっても地元住民からしたら白眼視されるし、多分されたのだろう。(偏見)(不良)のどちらが先か問題だ。別に首を突っ込むつもりはさらさらないので、この島の守り神、カプ・ブルル神に「これ以上スカル団とは関わり合いになりませんように」と祈ることにした。祈りなんてものは届きもしないのはわかった上でだ。

 

 ポケモンセンターで情報板を眺めている最中に後ろから体当たりを受けた。監視カメラや他のトレーナーの目もあり、これ以上安全な場所を探すのが難しい環境というのもあって油断しきっていたのだ。ボールかナイフを抜こうにも完全にホールドされている。格闘の心得は当然ない。あたしにできるのは情けない悲鳴を上げることだけだった。

「うわひゃお?!」

「うふふー、そんなに驚いちゃった?アセロラだよ!」

 心臓が飛び出るかと思った。何とか呼吸を整えて振り返ると、満面の笑顔のアセロラと、苦笑いするリーリエが立っている。

「調べ物をした後、買い出しのお手伝いをしてきたところなんです。調べ物はデータにして送っておきましたから」

「ありがとう。後で見させてもらうよ。まだ日が落ちてないし、先にこの村での試練に挑戦したいから」

「あっ、試練挑戦する?するなら早速、スーパー・メガやす跡地に行こ!」

「あの廃墟、誰か住んでるの?」

「誰も住んでないよ。大丈夫。アセロラがキャプテンだから」

 キャプテンは十一歳から二十歳まで、とどこかで聞いた気がする。あたしはアセロラを爪先から頭のてっぺんまで眺めて、後頭部を掻いて小声で呟いた。

「……十一歳以上だったんだ?」

「アセロラさん、先に買った物をエーテルハウスに運んだほうがいいのでは」

 ああ、床に山盛りの買い物袋がそれか。あたしは袋を全部持ち上げる。

「手伝うよ。エーテルハウスってどこ?」

「北西の白い建物です」

「じゃあ、アセロラ先導よろしく」

「任せて!」

 十一歳以上、ねえ。あたしよりも背が低い。あたしも体格的には一切人のことを言えたものではないが。

 

 北西にある白い建物がエーテルハウスという名前で、施設としては孤児院兼ポケモン保護施設らしい。ポケモン勝負を挑んできた子供達を容赦せず一蹴してから冷蔵庫に買い物を入れていると、ホールから悲鳴が聞こえ、慌てて飛び出した。

「やめてください!」

「バッグが動いたから何か気になるじゃん?お小遣い稼ぎもしたいしよ」

 リーリエがスカル団員に絡まれている。関わりたくないと思った矢先にこれだ。

「小汚い手で触るんじゃないよ」

「女の子を助ける騎士様ってか?そんなカッコいいことさせるかよ!」

 相手のポケモンは即堕ちした。

「バーカバーカ!」

 ガキか。しっしっと手を払うように振った。

「ユウケさん、ありがとうございました。ほしぐもちゃんが勝手にバッグから出ようとしたところを見られたみたいで……」

「気にしなくていいよ。まさか建物ん中まで追いかけてくるなんてね。戸締まりできる部屋を借りて、留守番を頼める?」

「わかりました」

 手早く済ませる必要があるかもしれない。仲間を呼ばれたら厄介だ。

 

 アセロラに従ってスーパー・メガやす跡地前にやってきた。廃墟は好きだが、神罰でそうなった建物となると悍ましく見える。試練で立ち入った人間があたし一人というわけでもなし、怯えるのは馬鹿げているが。

「ユウケ、ロトム図鑑持ってるよね。貸してくれる?」

 頷くとロトムが勝手に出てきてくれた。楽でいい。

「ロトムは元々ゴーストタイプだから、こういうこともできるんだよね。これをこうして、っと。では、アセロラの試練を始めまーす」

 神妙な顔を作って頷く。

「試練の中身は簡単。この中で、ミミッキュの写真を撮ってくるだけ!」

「一応聞いておくけど、あたしのミミッキュの写真じゃ駄目だよね?」

「言わなかったらわからなかったのに。でも、ちゃんと中にいるミミッキュね!」

 くすくすと笑いながら首を横に振るアセロラ。あたしのミミッキュが戦っている勇姿でも許されるかな、と思ったが駄目だったか。

「じゃあ、行ってくるよ」

「頑張ってね!」

 ぴょんぴょんと跳ねながら応援してくれるアセロラがまるで小動物のようで可愛らしくずっと眺めていたいと思った。しかし、あまり時間も無いし、眺めていたら試練が終わるのかというと勿論何も進展しないのできびすを返して廃墟へ足を踏み入れた。

 

 ゴーストタイプのポケモンは好きだ。「空の彼方に連れ去る」だの「人間の魂を燃やす」だの、一癖ある有害さが特に気に入っている。ポケモンを連れていない状態では絶対に出会いたくないものだなと思う。廃墟というのは、なぜかゴーストポケモンを引き寄せるらしい。ゴーストポケモンは、元が人間であったとされるものも多いから、墓地は産地直送なのかと納得しやすいが、廃墟に多いのはなぜだろう。元人間だから、人が作ったものに惹かれるのだろうか。などと考えつつ、奇妙な動きをするガラクタとゴーストポケモンをなぎ倒し、廃墟の一番奥、部屋の手前まですいすいと歩いて行く。

 ここに来るまで多分主であろうミミッキュがいなかったのだから、右手に見えている扉の奥にいるのだろう。あるいは、二階があるのかもしれない。さっさと扉を開けて先に行きたいのだが、その前になぜか外にいたはずのアセロラが立っている。

「アセロラ?いつ来たの?悪いけどさ、その扉の」

「デテイケ」

 ざらついた声。あたしは眉をひそめた。

「出て行けも何も、あなたが決めた試練じゃないの?」

「デテイケ」

 がりがりとあたしは後頭部をかいた。

「出て行かないって。通して」

「デテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケデテイケ」

 思わず一歩跳び下がる。今の今まで呑気に話していたこの子は一体誰だ?

「あ、え、あ、アセロラ……?」

 背筋に氷柱を突っ込まれたような感覚にちらと後ろに目線をやる。誰もいない。もう一度前を見る――と、誰もいない。

「さいみんじゅつの類でもかけられたかね……?ロトム、今さっき、アセロラに声かけてからどれくらい経った?」

「ユウケは誰とも話してなかったロト?今ここで立ち止まっていたのは、一分くらいロト」

 あたしの頭がイカレた可能性も否定できないわけだ。誰はばかることなく溜息をつく。

 

 震える右手を左手で押さえ付け、あたしは扉を開いた。ピカチュウの写真やら絵やらがベタベタと貼られた小部屋、行き止まりだ。倉庫か何かに使われていたのだろう。そして奥にはミミッキュがいる。ロトム図鑑をそっと引っ張り出し、写真撮影。音を消せればいいのだが、あいにくそうは行かない。おまけにフラッシュまで勝手に炊かれてしまう。ミミッキュが気付いて、振り返った。

「ミタァー?!」

 あたしもボールを取り出す。

「主が相手でも、あたしの子達は引かないよ。行け、ミミッキュ!」

 ミミッキュを倒すに一番なのは、同じミミッキュをぶつけること。次点はスキルリンクのポケモンで(さもないと、あたしのポケモンだと二~五発当たる技は二発しか当たらない)殴ること。前者の札をあたしは切った。

 

 あたしのミミッキュは期待に応えて主のミミッキュを仕留めてくれた。主が呼んだ随伴ポケモンを落としきることはできなかったが、次に出したガオガエンが随伴ポケモンを食ってくれた。

「よくやった、ガオガエン。ミミッキュももちろんね」

 あたしはガオガエンを撫でてやってボールに戻してから、ミミッキュの入っているボールを撫で、廃墟を後に、待っていてくれたアセロラに声をかけた。

「終わったよ。はい、写真」

「どれどれ。うん、ちゃんと写ってるね。あの子、写真撮るの大変なのに、よく撮れたね!」

「まあ、一番奥の部屋は狭かったから、被写体に振り回されずに済んだってのもあるかな」

「奥の部屋?」

 小首を傾げる姿が微笑ましい。

「何そらっとぼけてるの?あなた、扉の前にいたじゃない。『デテイケ』なんて言ってさ。何あのノイジーな声。出し方教えて欲しいわね」

「あたし、ずっとここにいたよ?それに、この建物の部屋って、一フロアしかないけど」

 どうにも話が噛み合わない。頭を打った覚えはないのだが。あたしはこめかみに右手を添えた。

「な、何か寒くなってきたね……。そうだ、ユウケさ、もう泊まるところ決まってるの?今日、エーテルハウスに泊まってかない?」

 露骨に話を逸らす彼女にあたしも乗ることにした。病院を勧められるよりはマシだ。

「部屋取ってないから助かるけど、いいの?」

「いいよ。それに、この後に試練を受けたいって、ハウくんから連絡もらってるから、晩ご飯作ってもらいたいな~なんて」

 なかなかちゃっかりしている。小さく微笑む。

「大したもん作れないけど、それでいいなら」

「決まりだね!あ、そうだ。一番大事なものを忘れるところだった。ゴーストZのクリスタルを授けるね!ポーズは、こうやって、こう!」

 まさしく幽霊という感じだな。これなら――いや、あたしには似合わない、気がする。

「それじゃ、行こっか!買い物はもう済んだし、そろそろハウくんが来るしね!」

 夕焼けにも染まりきらない黒い浜。ここの砂浜の砂は黒いのか、などと特に意味のないことを考えながら楽しげに歩くアセロラに続く。一気に人間関係の間合いを詰められるのも偶には悪くないなと思った。

 

 夕暮れの優しく静かな時間をぶち壊したのは、またもスカル団だった。エーテルハウス前での鉢合わせ。キャプテン目当てか、さもなくばあたしだろうか。あたしは思わず溜息をついて呟く。

「優しく迎えてくれるのは、海鳥達だけなのか?」

 アセロラを庇うように前に出る。多分だが、あたしのほうが年上だろう。ましてや女の子だ。

「またあんたかい。ユウケ」

「今度こそディナーのお誘い?」

 プルメリだった。夕焼けで少し朱に染まったような肌が美しい、と思う。もっとも、その美しい肢体を見せに来てくれたわけでもないだろうし、ましてや好意的なお誘いでないのは明白だ。

「んな訳ないだろ。二度も邪魔をするなら、本気でやっちまうしかないね」

 あたしは言葉では無く、ボールに手をかけることで返事をした。

 

 一蹴だった。何しろ、相性が悪すぎる。

「せめて一匹くらいは倒したかった。やになるね」

 ハガネールとサニーゴで、ゴルバットとエンニュートを押さえきったのだ。

「あんたら、引き上げるよ」

「でも、姐さん」

「無駄なことはしなくていい」

 あたしはこっちを見向きもせず去って行くつれない美人に肩をすくめた。残念至極だな。

「アセロラ、このエーテルハウスって大人がいるの?」

「一番広い部屋が村の学校も兼ねてるから、先生が平日来るよ。土日はエーテル財団の人が来るけど。何で?」

「あいつら、多分近いうちにまた来るんじゃないかなと思って。まあ、それなら大丈夫か」

 甘かったと言えばそれまでだ。都合のいい恐怖は、世界の常であるというのに。

 

 夕餉のよい匂いが部屋を席巻する。普段は携行糧食の類で食事を済ませてしまうが、あたしは料理くらいはできるのだ。作っているのは寒い地域での野宿でよく作った鍋料理。大人数に提供するのには一番だし、夕暮れの潮風に当たって冷えた体にもいいだろう。鰹節はないが、ニャースのおやつ用の煮干しがあったのでそれで出汁を取った。ジョウトで覚えた昆布出汁も使ってみたかったが、アローラ地方でも昆布を使う習慣があまりないらしく買い置きにも見当たらず、出汁の素の類を追加することで妥協する。隣にはリーリエが立って、あたしの指示通り野菜の皮を剥いたり切ったりしてくれている。手つきがやや危なっかしいが、包丁を取り上げるほどではない。博士の助手として家事をしていたからだろうか。

「ユウケさん、お料理得意なんですね。普段、ゼリーとかでご飯済ませていると聞いたので、何だか意外です」

「両親が共働きだったし、旅の途中で料理することもたまにはあったからね。人に食べさせるための料理なんて何年ぶりかわからないから味は保証できないけど」

 リーリエに頼んでいた野菜の残りを取って、手早く皮を剥いて乱切りにする。肉は最初から細切れになっているものだから、これで下ごしらえは終わりだ。

「野菜はくたくたになるまで煮るのが好きだから、結構時間がかかるよ。もう休んでいいよ」

 何しろ人数が多いので、鍋の大きさもあたしの頭より大きく、火が通りきるまで時間がかかる。あたしの言葉に、リーリエは首を横に振った。

「いえ、一緒にいます」

「そう?」

 あたしはぐつぐつと鍋が煮える音が好きだ。温かい食べ物を自分で作ることが滅多にないからか、自分で放り出してきた家庭の残滓を感じるからか、穏やかな気持ちになる。横で彼女がふふっと微笑む。視線だけで何かと問う。

「ユウケさん、すごく穏やかな顔をされてますから。何だか、初めて見たような気がします」

「いつも明鏡止水を心がけているつもりなんだけどね。鍛錬が足りてないか」

 しばしの無言。普段なら気まずくなりそうな時間だったが、いい匂いのお陰か、隣にいるのが彼女だからか、あたしは悪くない気持ちだった。

 

 穏やかな静寂を破ったのは、アセロラとハウ君だった。

「ただいま!いいにおい!ユウケ、リーリエ、ありがとうね!

……ってあれ?ひょっとしていい雰囲気の邪魔しちゃった?」

 あたしは肩をすくめて苦笑いした。

「別に、想像してたようなことはなかったよ。あったら嬉しかったけどね」

 隣のリーリエはほんのり赤くなっている。これ以上からかうと怒られるかなと、ハウ君に水を向けることにした。

「ヤングースに噛まれてるのは、趣味?」

「そんなわけない……と思ったけど、何だかだんだん気持ちよくなってきたよー」

「ずいぶん斬新な趣味に目覚めたね。ま、性癖は人それぞれだし、試練は上手く行ったんでしょ?ご飯にしようか」

「そうだねー。これ、ユウケとリーリエが作ったのー?」

「そう。初めての共同作業」

 なぜかリーリエにちょっと怒られてしまった。

 あたしとリーリエ、アセロラ、ハウ君、そしてエーテルハウスの子供男女一人ずつの計五人。鍋は意外なほど好評だった。普段そこまで手間をかけて出汁を取らないからかもとはアセロラの言だった。たまには大勢で囲む飯も悪くはない。

 

 ご飯を食べた後、風呂を使わせてもらうことになった。ハウ君、リーリエ、エーテルハウスの男の子と女の子とあたし、アセロラの順で入ることになった。なぜか子供達に懐かれ、一緒に入りたいということになったのだ。

「わかったわかった、入るから。先に片付け手伝いな」

「わーい!」

「やったー!」

「やっぱり年上のお姉さんのほうがいいんだ。アセロラ、捨てられちゃった」

 泣き真似をするアセロラをどやしながら皿やら鍋やらを洗って片付けた。人数も多いしさしたる手間でもなく、手早く済んだ。あたしが子供達を肩車したりして遊んでやっていると、ハウ君が戻ってきた。

「上がったよー。ありがとねー」

「では、次はわたしが入りますね」

 髪を下ろしたハウ君を見るのは初めてかもしれない。まじまじとハウ君の顔を見る。

「んー?何かついてるー?」

「いや、髪下ろしたハウ君が新鮮だなって」

「あー、それでかー」

「お兄ちゃんも肩車してよー!」

「あー駄目駄目、せっかく風呂入ったんだから。ほら、肩車交代」

「えー、やだー!さっき代わったばっかだよ!」

「二人同時になんて抱えられないんだから、わがまま言わない」

「ユウケが体力あって助かるなー。アセロラじゃ肩車とかできないもん」

「あたしも二人は無理だよ……」

 子供の面倒を見るのもいつぶりだろうか。自分自身、子供に好かれるほうではないと自覚していたので、少し意外ではある。一番信頼されているであろうアセロラが連れてきた客だからというのも大きいのだろうが。

 

 あたしは床にへばりつくように伏せた。潰れたというほうが正しいだろうか。

「もー無理!無理!」

「お姉ちゃんケンタロスが倒れたー」

「がんばれー!」

 ケンタロスごっこなら二人なんとかなるかと思ったが、甘かった。動かないならともかくとして。

「お風呂、いただきました。あら」

「あ゙ー、リーリエ上がった?んじゃ入るか。ほれ、ガキんちょ共、風呂の時間だから、どいたどいた」

「「わーい!」」

「ぃよっこらしょっと。アセロラ、この子達の着替えと、タオルある?」

「洗濯機の上に着替えは二人分、タオルは三人分置いてあるよー」

「ありがと」

 

 それなりに広い風呂場、小さい子二人とあたしならまあ入れるくらいだ。湯船は子供二人を入れて、温まったら交代しないと厳しいかもしれない。それにしても、旅は自分を鍛えるものだ。滑りやすい風呂場で暴れないよう子供二人をがっちりホールドして、片方の頭を洗い始めた時に、あたしは自分の体の成長を実感した。残念ながら、身長や胸と尻は目に見えて進歩がないのが悲しいところだが。

「ほらちゃんと目瞑って。あたしがいいって言うまで目開かなかったら大丈夫だから。はい終わりー。ほら次、坊主座りな。お嬢ちゃんはそっちの椅子から立たないように」

 風呂一つでも子供達はきゃいきゃいと騒がしい。箸が転ぶどころか、箸の影が出てきただけで笑い出しそうだ。女の子のほうもそう髪は長くないので、さっと洗ってやる。よし、次は男の子のほうの体を洗ってやろう。からりと何かが開くような音が聞こえた気がしたが、男の子は目の前に、女の子はちゃんと風呂用の椅子に座っている。

「前はいっつもどうしてる?」

「いっつもアセロラ姉ちゃんが洗ってくれてるー」

「この間から自分で洗うようにって言ったでしょ?」

「しょうがないな。今日は洗ってや……え?」

 誰かが後ろから抱きついてくる。肌と肌が直接触れ合う感触。胸の大きさはあたしと同じくらいかな。あたしの薄い胸が鷲づかみにされ、喉が引きつって勝手に悲鳴を上げた。

「んにゃあ?!」

「ユウケの胸……いや、裸の付き合いだよ!」

「アセロラ、あんたね。あたしの胸ただで揉んでおいて悲しそうにするのやめてくれる?」

 男の子の体を洗ってやる手は止めないまま、闖入者であるアセロラに嫌味ったらしく返す。

「大体、あんただって大して変わらないでしょ」

「アセロラはまだ成長の可能性があるから」

「あたしもあるよ!」

 けらけらと笑うのにイラッと来ながらもさっと男の子を洗い終え、百数えるように言って湯船に放り込み、次は女の子に。洗ってやる手際の良さは、ポケモンを洗う手際の応用に過ぎない。女の子を同じように放り込んで、あたしも髪を洗い始めた。

「ユウケお姉ちゃん、アセロラも髪の毛洗ってほしいなー」

「は?」

 がしゃがしゃと手早く髪を洗い、ざっと流す。リンスは面倒臭いのでしない。アセロラのほうを見ると、上目遣いでニヤニヤ笑っているのが見えた。くそ、可愛いのは得だな。

「……先に体洗って。あたしはガキんちょ共の体拭いてやるから」

 百数え終わった子供達を湯船から抱き上げて出してやり、そのまま脱衣所へ。男の子のほうを先に拭いてやる。思ったより外がひんやりしているので、湯冷めしそうだな。あたしはリーリエに子供達の面倒引継ぎを頼むことにした。なるべく頑張って、あたしの出せる一番大きい声を出す。

「リーリエ!ごめん、ちょっと手伝ってー!」

 がしょがしょと拭いてやって、仕上げにもう一度バスタオルで頭をぽんぽんと軽く叩く。男の子用のパジャマと下着を持たせて、出口際に行くように押してやる。

「はい、何ですひゃあ!?」

 顔を出した直後、真っ赤になって引っ込むリーリエ。

「悪いんだけど、子供らが湯冷めするとまずいから、服着せてやってくれない?体はもう拭いたから」

「わ、わかりました。でも、ユウケさんもその、前を」

 前?前が――ああ。なるほど。子供達の世話で手一杯だったから気付いてなかった。あたしも顔が真っ赤になる。

「あー、貧相なものを見せて悪いけど、あたしもまだ体は洗ってないから、タオル巻けないんだよね。気にせず入ってきて」

「そ、そうですか……?」

 女の子のほうを拭いてやって、下着と服を着せてやる。何だかリーリエがちらちらとこっちを見ているような気がするが、気のせいだろう。多分。

「よし、終わり。ありがとうね、リーリエ」

「い、いえ」

「ほら、リーリエお姉ちゃんとハウお兄ちゃんと遊んでもらって来な。あたしはまだ風呂終わってないからね」

 あたしも湯冷めしないうちにさっさと風呂に戻らないといけない。顔だけは火照っているが、体は冷めてしまいそうだ。

 

 振り返るとアセロラはあたしの体をガン見していた。遠慮という言葉が微塵も無い。

「ちょっとは遠慮か誤魔化すかしなよ。カネ取るよ」

「レディを待たせたんだから、ちょっとくらいいいじゃない。それにしても、ユウケ、毛が生えて」

 あたしはチョップでアセロラを黙らせた。あたしもまじまじとアセロラの体を見る。確かに、そこだけは勝ったのかもしれない。あまり嬉しくはないが。

「ほら、髪洗って欲しいんでしょう。レディ。ったく、どこの世界に髪の毛を洗わせるレディがいるんだか」

「だってほら、アセロラ、すごかった一族だから」

「はいはい、わかりましたよ、お姫様」

 無警告でシャワーのお湯をかけて、埃を払うために彼女の髪の毛に手をかけた。

 

 彼女の髪を洗い終えて、自分自身の体を洗ってから、あたしは湯船に漬かっていた。あたしより気持ち小柄なアセロラを抱きしめるようにだ。そうしないと小柄なあたし達二人でも流石に入りきれなかっただけで、下心はあまりない。いや気持ちよくはあるが。

「今日はありがとね、ユウケ」

「別に。一宿一飯の恩くらいは返せたかな」

「うんうん。楽しかったよー。友達と泊まるのも久し振りだし、子供達の面倒も見てくれたしね」

 にひひ、と笑う彼女の頬を軽くつまんで引っ張る。もちもち。

「にゃー」

「あたしも、悪くなかった」

 その後アセロラに尻を揉まれなかったらもっとよかった、と言い添えておこう。

 

 来客用の布団がたくさんあるので一緒に寝ようということになり、大部屋に人数分の布団を敷いた。子供達ははしゃぎすぎたのか既に船を漕いでおり、あたしとアセロラが寝かしつけた結果アセロラを巻き込んで早々に布団に沈み込んだ。リーリエとハウ君も疲れたのだろう、うつらうつらしている。「寝たいなら早く寝なよ」と小声で二人に声をかけて、あたしも布団に潜り込む。あたしも慣れないことをしたからか、睡魔に囚われつつあったので、スマフォに何も連絡が来てないことだけを確認し、仮の宿の枕に意識を放り出した。




ユウケは
身長:141cm 体重:44kg
B68 W58 H67
産毛程度ですが生えています。何がとは言いませんが。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、獲物を攫われる

 旧ワルシャワ市街地から更に東、シェドルツェクレーター。緯度はカントーより高いとはいえ、真夏の快晴の熱暑は軽視できるものではなかった。世界のほとんどがそうであるように、ここも放射性物質は除去されているので、念のため持ってきたガイガーカウンター以外の放射性物質防護装備はトラックに積まれたままだ。クレーターの端には水爆の破壊を免れた廃墟や兵器の残骸が残存しているが、人は住んでいない。再建された他の都市圏から遠いため、強力なポケモンが多く生息し、また、何らかの事情で安全な都市圏に住むことのできない人間が徘徊している可能性があるからだ。しかも、再建された都市にはまだ人口受入余地が多量にある。世界人口が第三次世界大戦前まで戻らない限りは、ここは爆心地の姿のままだろう。あるいは、年に数回ポケモン生態調査隊や遺骨収集事業のために出入りする人間が炎ポケモンを使って草木を焼き払うことを止めれば、クレーターと廃墟を植物が覆い尽くし、営々と欧州人が行ってきた東部開拓の跡を留めなくなるかもしれない。

 欧州人ではないあたしがここにいるのは、トレーナーとしての腕を買われて生態調査隊の護衛として雇われたからだ。戦史跡の見学は好きだし、核攻撃のクレーターは再建された都市部ではほぼ埋め立てられて見ることができないのだ。チャンピオンロード等の都市部辺縁よりもはるかに危険な地域のポケモンにも興味があったし、報酬も悪くはなかった。あたし以外に十五人のトレーナーが雇われており、あたしはクレーター東端で見張りと、敵対的なポケモンがやってきた際の対処を担当しており、ボールから出したカイリューとフーディン、ヘルガーには既に見張りを命令してある。空からの目と超能力の感知、嗅覚と三段構えでの見張りだ。少し東側にある、東を向いていることから恐らく撤退中に撃破されたのであろうT-62の残骸内部にも何もいないことは確認済である。人間の目玉(Mk.1 Eyeball)のセンサーよりよりよほど信用できる。かくして、あたしは人間の愚行と恐るべき死そのものをクレーターの縁という特等席に腰掛けて眺める時間を得たのだ。クレーターの中央辺りに調査隊の人間と護衛のポケモンの姿が小さく見える。廃墟内にいるポケモンに襲撃された場合は張り付きの護衛が対処するし、それも困難なら持たされた無線機から救援要請が入るはずだが、この旅に出てからは一度もそんな事態は発生していない。

 ここから更に東、旧ロシア領内や南のバルカン半島の山岳地帯では、共産主義者と国家主義者の内戦が続いており、国軍崩れが独立宣言を発したり、匪賊化している等々の状況で調査隊は足を踏み入れることができない程の有様だが、この辺りは北大西洋条約機構(NATO)ワルシャワ条約機構(WPO)の主戦力が激突する戦場だったせいで核兵器が大量使用された結果無人地帯となったため、この程度の護衛でも特別な問題は起こらないのだ。

 調査隊の目的は放射性物質がポケモンに与えた影響や、ほぼ完全に人間の干渉を受けない廃墟に生息するポケモンの生態及び食性の変化、周辺の山林やクレーター群からのポケモンの移動状況等々多岐にわたり、特別な問題が発生しない限りは二週間の滞在が予定されている。あたしも含めた外周部の護衛トレーナーは別命がない限り現在位置に陣取ってテントを張り、食料や水は調査隊のトラックが巡回で毎日運んで来る手はずだ。護衛の任務さえこなしていれば寝ていようが本を読んでいようが構わない契約なので(酒と薬物は禁止された)あたしはクレーターを眺め飽きたら読書にいそしむつもりだった。

 昼は静かだったクレーター周辺も、夜になると夜行性のポケモンの生活音のざわめきが遠くから聞こえてくる――ような気がする。耳が痛いほどの沈黙ということはない。人間はわずかに五十人に満たないが、調査隊は夜も活発に活動している。カロス地方からわざわざ不整地に強いトラックを何両も持ち出してやって来ているのだから当然だろうが、驚くほど遠くから話し声が聞こえる。夜に強い見張りポケモンに交代させてから、昼の間にポケモンに集めさせた小枝をたき火に投げ込む。たき火の前でないと凍えるというほどではないが、それでもかなり温度が下がっている。ぱちり、と枝が弾ける快音と、揺らめく炎越しにクレーターを眺める。かつては人の生活とそれに伴う明かりと喧噪があったであろうそこは、投光器と懐中電灯の明かりを除けば、まるで月面のようだった。第一次世界大戦でも、味方の塹壕と敵の塹壕の間は砲弾で掘り返され、砲弾跡と死体しかない死の世界が月面を思い起こさせる様だったそうだが、都市一つを丸々飲み込んだクレーターは、見上げた月のそれと比べても遜色がないとあたしは思った。

 結局、二週間の間にあたしの担当した場所では遠巻きにあたし達を警戒するポケモンを見るだけで、調査隊全体としても大きな問題は何も起きなかった。。黄色や青色に発光するポケモンは、除染のお陰だろうが、幸か不幸か目撃報告はない。二週間読書に耽り、飲食料配給班に毎朝起こされ、快眠を享受する生活。旧日本でもこういった放棄された土地は多くあり、帰国してから護衛の仕事をするのも悪くないと思った。旧日本国内では、兵器群の残骸は鉄屑としてあらかた回収されてしまっているらしいが、シンオウ地方辺縁は元々の人口が少ないこともあって、旧ソ連軍と旧自衛隊兵器の残骸が散見されるという

 

 誰かがあたしを揺さぶっている。パン、米、水の時間か。いや、ここはカロスの東ではない。悍ましい、地球でありながら月面のようなあの地ではない。

「……ちゃん!」

「お姉ちゃん!」

 エーテルハウスの子供二人があたしを揺さぶっている。この子達はなぜ泣いているんだ。今は何時だ。少なくとも天井は寝る前に見た見知った天井だと思う。寝起きで喉に張り付いた舌を剥がして声を出した。

「どうした、ガキんちょ共」

「ヤンちゃんが!ヤンちゃんが!」

 子供の話だからもちろん要領を得ない。泣いている子供達を慰めて握りしめていた紙屑のようなものを受け取り、話を要約すると、「ヤングースがさらわれて、このメモが残されていた」らしい。身代金の要求かね、これは――と思いながら開くと『ユウケ一人でポータウンに来い』という乱雑な文字。連絡先も書いていないし、向こうもあたしの連絡先を知らないだろう。営利誘拐としては下手糞としかいいようがないな。あたしは手早く身支度をしてホールに顔を出した。ハウ君とアセロラ、リーリエが何ともいえない顔をしている。

「話聞いた?ポータウンってどこ?」

 深刻な顔を見合わせる三人。六つのオーブでも集めないといけないのだろうか。

「ポータウンは、ここからだと北西、海を渡らないといけないんだけど……」

「普通の人が住んでなくて、スカル団の町になってるんだよー」

 地上げか何かにスカル団を使ったら、他の住人も出て行ってスラム化したとかそんなところだろうか。

「忍び込んだりはできそう?」

「高い塀で住宅街が囲まれてるから、ちょっと無理かな」

 ゲーテッドコミュニティか。正面から力押ししかないということか。あたしは溜息をついた。

「お姉ちゃん、強いトレーナーなんだよね!ヤンちゃんを助けてくれない?!」

「お願い!」

 何だってこんなことばかりに巻き込まれるのか。泊まったのが不味かったのか、情が移ったのが不味いのか。

「わかったわかった。お姉ちゃんに任せな」

「ユウケさん、大丈夫ですか?」

「あんまりありがたくはないけど、こういう殴り込みは慣れてるんでね」

 あたしは一旦言葉を切った。

「ただし、あたしはヤバくなったら逃げるからね」

 堂々と言い切る。犯罪組織を相手にやり合う時には、絶対に退路が必要だとあたしは確信しているのだ。警察が期待できない以上自衛のために戦う必要は認めるが、殺した人間はポケモンに食べさせたら証拠一つ残らないのだ。殺人のハードルは限りなく低いと言っていい。情けないと笑いたければ笑うがいい。

 返ってきたのは嘲罵や軽蔑の眼差しではなく、心配と尊敬のそれで、あたしは内心溜息をついた。

 

 ポータウンへ行くために浜辺に出たところで、ここでは珍しい着流しの人に出会った。一方的にだが、見知った顔だった。

「ギーマさん、ですよね……イッシュの元四天王の」

「ああ。だが、今はただのサメハダーとマンタインサーファーだよ」

 四天王退職後の悠々自適の旅か何か、なのだろうか。

「今は、ライドギアにサメハダーを登録する仕事をしている。ただし、私に賭けに勝った人にだけだがね」

 元四天王がライドギア登録係――要は島巡りサポーターだろう――なのか。

「賭け、ですか」

「心配しなくても、勝てるまで付き合ってあげるよ」

「それは、助かります」

「では、今からコインを投げるから、表か裏か、当ててみるといい」

 コインを投げ、キャッチ。様になっている。

「では、裏で」

「……残念だね」

「……まあ、そうでしょうね。もう一度、お願いします」

 

 十七回目、いや、十八回目だったか。ようやく当たった。

「驚異的な運の悪さだね。ライドギアを出すといい」

「運が悪いのはよく知ってます。お願いします」

 ライドギアを差し出す。

「ところで、マンタインサーフは楽しんでいるかな?」

「……いえ、酔ってしまいまして……」

 微妙に気まずい沈黙。マンタイン酔いするのはあたしくらいなのだろうか。

「……サメハダーは酔わないと思うから、楽しんで」

「あ、ありがとうございます……」

「ポータウンに行くのだろう?ラプラスでは浅瀬に引っかかってしまうから、サメハダーに乗っていくといい」

「重ね重ね、ありがとうございます」

 あたしは頭を下げた。

 

 ライドウェアの中でも、水上用のライドギアは特に露出が不必要に多い気がする。特にへそ出しなのが本当に似合っていないと思う。今度アウトドアショップでも見に行くとしよう。少なくとも、そんなことを考えられるくらいには、サメハダーの乗り心地は快適だった。

 ポータウン、富裕層のためのゲーテッドコミュニティ、その夢の跡。今は犯罪組織が丸々占拠している。これも経緯をネットで調べたところ、スカル団を嫌った富裕層が出て行った結果無人化したのが正しいらしい。ポータウン前の交番は富裕層の自治体が招致したものだろう。

 リザードンに乗って、上空から偵察を行い、地図に敵戦力と通行可能と思われるルートをざっと落とし込む。塀の中にはバリケードを使った防衛線らしきものがある。塀の外には門番と、更に外側にずさんな警戒線を作るようにスカル団員が配置されている。今までの経験から言うと、スカル団はそれほど経済力のある組織ではないから、大きな地下施設だのは多分ないだろう。ポケモンを使った経験則上、敵の人的資源が無制限でないなら横槍や後ろから刺されないよう下っ端は無力化する必要がある。弱い奴でも一瞬の時間稼ぎはできる以上、多人数での喧嘩の原則「弱い奴からやれ」は基本的に正しい。トレーナーを殺害できれば一番楽なのだが、あたしはまだ直接人を殺した経験(童貞卒業)がないし、その予定も今のところはない。何も人道がどうだの、可哀想だのということではなく、単に人を殺したストレスが自分を蝕むのが怖いだけだ。ともかく、突入時に複数人トレーナーがいれば、一方で騒ぎを起こしてリーダー格を斬首という手も方法も使えなくはないが、あたしは一人しかいない。手持ちポケモンを陽動に裂いてもいいが、あたし自身の戦力低下は避けたい。

 あたしは小細工なしで門扉から一番遠い奴から片付けていくことに決めた。リザードンで偵察した以上、警戒態勢に移行される可能性もある。手早く徹底的に逆らう意思と能力を削がないといけない。情けや容赦をするとこちらが殺される。あたしは頬を叩いて気合いを入れ、鬱陶しい雨が降り始めた町に向かい合羽を羽織って歩き始めた。

 

 門扉を開くのに警察官の協力を借りる羽目になった以外は概ね想定内に片付いている。ざっと三十人、連携という言葉を知らないらしい連中相手にあたしのポケモンは期待に応え、手傷こそ負ったものの一匹もやられることなくポータウン最奥部の屋敷にたどり着いていた。奥まっていて安全で、しかも大きく権勢を誇りやすい。リーダー格というのはこういう場所を好む。集団をまとめるのには一番手っ取り早いからだ。お陰で締め上げる人数も最小限で済む。

「お、お前、いや、あんた。何でこんな」

 怯えた涙目でうずくまるスカル団員の女。少々やり過ぎたか。まあ、多分だがポケモンは死んでないはずだ。リーダー格に騒ぎが聞こえるであろう位置だったから、瀕死のポケモンを更に殴った(死体蹴り)までのこと。いわば挑発のダシにすぎない。

「ポケモンに愛着があるなら、さっさとポケモンセンターに連れて行くんだね」

 隣に呆然と突っ立っていた、屋内のセキュリティらしい男の胸倉を掴む。無様なほど狼狽し目が泳ぐスカル団員。

「おい。死にたくないなら黙ってあたしを通せ」

「え、いや、ここを通るには合い言葉がですね」

「口を閉じな。死にたいのか」

 合い言葉のメモは拾っているがより怯えをばらまかねばならない。組織が生き物なら、構成員は臓器や神経だ。苦痛を与えて注意を逸らし、混乱させ、引き裂いて分断し、毒を注ぎ込み麻痺させ、壊死させて弱らせ、そして頭を潰す。あたしの横に忠実に控えているガオガエンにちらりと目をやると、ガオガエンはグオゥと吠え、炎を小さく撒いた。

 ガオガエンの威嚇に怯えてようやく道を空けた男のモンスターボールをひったくって屋敷の外に放り投げる。このくらいの高さなら壊れはしない。小さく「あっ」と言葉を漏らした奴を睨みつけ、突き飛ばす。演出としてはまあ充分だろう。へたり込んだ男を無視してガオガエンをボールに戻す。あたしの偵察が正しければ、屋根の上に見張りがあと一人。リーダー格のいるであろう部屋まで後二人。

 

 わざと乱暴にノックをして返事を待たずに扉を開く。扉の前に控えていた二人は戦意を完全に失っていたので、さっきと同じようにボールをひったくって外に投げた。逃げるか戦うか即決できない様を見て、あたしは内心ほくそ笑む。カマしてやった甲斐があろうというものだ。中には下っ端と目当ての大将格、グズマだ。下っ端は笑いそうなほど怯えてしまっている。

「テメェ、俺様の部下に何をした?」

「ポケモンっていう過ぎた玩具を没収しただけだよ。さて、置き手紙通り一人で遊びに来てやったんだから、ヤングースを返しな」

 あたしは悠然と見えるように意識して振る舞い、笑みを浮かべた。挑発的に奴の目を覗き込む。相変わらずムカムカする面だが、少々暴れたお陰でこの間ほど腹立たしくはない。

「ッハハハ。テメェ、俺様が思ってた以上にイカれてるらしいな。ポケモン一匹のために本当に来やがるか、普通?」

「あたしとて修羅場はくぐっている」

 向こうも組織の長としてそれなり以上に肝は据わっているのだろう。あるいは、単に追い詰めたからか。

「電化製品がイカれたらどうする?俺ならぶっ叩いて直すね。お前、直してやらあ!」

「やってみな」

 それが戦闘開始の合図になった。ちらりと見えたボールは――三個。一匹増えている。

 

 さほど広くない部屋で対峙する奴のグソクムシャとあたしのハガネールが対峙する。前回と違うのは、屋内でハガネールが自由に身動きがとれないことだが、正直なところ何の問題もない。天井につかえたハガネールに命令を下す。

「ハガネール、ステルスロック」

「シェルブレード!」

 余裕で耐えきり、浮遊した岩をまき散らすハガネール。天井をこすっているが、これも無視。

「ハガネール、がんせきふうじ!」

 グズマは命令せず、グソクムシャは水の刃を再び振るう。これも耐えたが、次が限界だな。岩塊を打ち付けられたグソクムシャは、またも勝手に戻っていく。特性『ききかいひ』の効果らしい。あたしも躊躇なくハガネールを引っ込める。

「よくやった、ハガネール、戻れ。行け、サニーゴ!」

 グズマはカイロス。三匹目がこいつか。岩に傷を負った状態で、こちらは無傷。優位だ。

「カイロス、やまあらし!」

「サニーゴ、パワージェム」

 抜群技だが不一致の一撃、急所に貰いながらもサニーゴは頑強な殻で耐え、光線を撃ち込んだ。一撃でくずおれるカイロス。

「畜生、行け、アメモース!」

 同じことだ。傷だらけのアメモースもエアスラッシュを撃つが、さしたるダメージも与えられずにサニーゴのパワージェムで倒される。

 弱ったグソクムシャは、ステルスロックに傷つき、出てきた途端に倒れた。グズマはこれで片付いた。部屋の隅で震える下っ端に視線をやると、そろそろと逃げ出そうとしている。使えない部下だな。

「何やってんだぁああ!グズマぁああ!」

 ひとしきり喚いて椅子を殴りつけるグズマ。あたしはサニーゴを引っ込めない。とち狂って銃なんて出されたりしたらかなわないからだ。

「おい!攫ってきたポケモン、返してやれや!」

「は、はい!」

 あたしは警戒したままヤングースを抱きしめ、撫で回す。爆弾の類が括り付けられていたら粉微塵になるからだ。ありふれた爆弾テロ報道の一つになるのは避けたい。

「ユウケ!てめえは俺がぶっ潰す!あいつらの力を借りてでもな。おい、行くぞ!」

 去って行くグズマと転げるように走って行く下っ端。あたしは背中を警戒したまま、輝くZクリスタルに手を伸ばす。ムシZらしい。一つ、失敬することにした。グズマの座っていた椅子に座ってみたいという下らない欲求を抑えつける。まさかとは思うが、ブービートラップなんかがあったら笑いものだ。椅子の傷は、さっきのように殴りつけてついたものだろう。

「灯は陰り、王たちに玉座なし」

 あたしは呟いた後、電気を消して、人気の失せた屋敷を後にした。

 

 雨はまだ陰鬱に降り続いている。全くありがたくない天気だが、たむろしていたスカル団員がいないだけ景観的にはよくなっただろう。

「姉ちゃん、大したもんだな」

 さっきの警官が声をかけてきた。あたしは小さくかぶりを振って応えた。

「ポケモンも姉ちゃんも怯えちゃってまあ。しかし、ずいぶん人がいなくなったな。ボスがやられたらそうもなるか」

「沈む船に乗っていたい奇特な人間はそうはいませんからね」

「ま、そうかもしれんな。それにしても、ボールの中のポケモンと、ポータウンの中のスカル団、どっちが幸せなんだろうな」

「時と場合によるでしょう。ボールの扱いがここより粗略なら」

 遮るようにニヤリと笑う警官。

「お前さん、真面目なんだねぇ」

「どうでしょうか」

 もう行ってもいいか、と視線で問うと頷かれ、あたしは警官の横をすり抜けるように歩き出す。

「また会おうや、姉ちゃん」

「……ええ、またいずれ」

 あたしは振り返らなかった。

 

 エーテルハウスに戻ったあたしを出迎えたのは、悲喜こもごもという表情のハウ君、アセロラ、そして子供二人だった。

「何だ、死んだかと思ってたかい?」

「ヤンちゃん!」

「お姉ちゃん、ありがとう!で、でも」

「でも?」

 子供達の言葉をハウ君が遮る。血でも吐きそうな顔だ。この間の庭園で見た顔よりずいぶんと酷い。あたしは軽口で表情を和ませようと思ったが、そのタイミングは失われた。

「アセロラがいない時に、リーリエが、連れて行かれたんだ。スカル団にここが囲まれて。俺、トレーナーなのに……リーリエに守ってもらって……」

 耳の奥の血管が、轟々と音を立てる。吐き気がする。理解が追いつかない。言っていることはわかるのに、脳が言葉を咀嚼してくれない。鈍った脳がようやく働きはじめた時に沸いてきたのは殺意だった。ポータウンで、殺しておくべきだった。自身が怯懦だと思ったものを殺意が上書きしていく。

「なあ、そいつらがどこに行ったかわかる?」

 沈痛な顔で顔を横に振る二人。

「頭は誰だった?」

「プルメリ、って名前だったと思う」

 それなりに顔は売れている相手だ。島キングをはじめとした連絡網に情報提供と捜索を頼むとしよう。大事なものが手の中からこぼれ落ちる恐怖と戦うためには、動くしかない。立ち止まっていては、多分強くないあたしは耐えられない。

「ユウケ、その、落ち着いて。ね。アセロラでできることなら手伝うから」

「お、俺も……逃げないよ。だから」

 ハウ君を責めるつもりはない。友達だから、というのもあるが、集団とやり合うには場数を踏まないといけないことを、あたしは熟知しているからだ。アセロラとハウ君に何か返事をしようとした時、黒い誰かが駆け込んできた。

「くっ、遅かったか!まさか、コスモッグを匿っていたのがリーリエだったとは!」

 グラジオだった。

「あんた、何か知ってるの?」

「ああ、あいつらがどこに行ったのかもわかる!だが、その前に、ユウケ!守れなかった不甲斐ない俺と戦ってくれ!」

 一刻を争う状況ではない、ということだな。ならば。

「言葉は不要か」

 お互い射殺すような視線とボールを同時に投げた。

 

 グラジオのポケモンをあたしのハガネール一匹で蹂躙した。

「フッ……駄目だな。勝てないか」

「頭は冷えたかい?」

「お前こそ。今にも死にそうな顔をしていたぞ」

 露骨に聞こえるように舌打ちして強引に話題を変える。

「で、リーリエとほしぐも……ちゃん、いや、コスモッグはどこにいるって?」

「エーテルパラダイスだ。連絡船があるからそれで向かうぞ。ライドポケモンは迎撃される」

「俺も、行くよ!」

 ハウ君に頷いてから、あたしはアセロラに声をかけた。なぜそこなのかは、後で聞くとしよう。

「阿呆共がまた沸いてきたら困るから、アセロラは普段通りにしてて」

「で、でも」

「キャプテンなんだろう?ガキんちょ共のおもりと、村を守ってもらわないとね」

 キャプテンと家長としての責がこの細くて小さい子の双肩にかかっているのだ。なおも躊躇いを瞳に浮かべる彼女に、あたしは言葉を継いだ。

「それとも、あたしの腕が信用できない?」

 口をあんぐりと開けてから、大きく首を横に振る彼女。涙ぐんだ彼女にあえて背を向けて、手を軽く振る。

「また台所と風呂と、布団を貸してよ。ま、次はリーリエと風呂に入るけどね。この無愛想な奴の分は別になくてもいいけどさ」

 無事に帰ってくるという意を込めて。

「今度はもっとすごいことするからね!」

「おっかないね。それじゃ、またね」

「うん、また」

 今生の挨拶でないことを祈りながら。

 

 ククイ博士に「エーテルパラダイスにリーリエが連れて行かれたと思われる。ハウ君と向かう」と連絡してから、あたしはグラジオとの待ち合わせ場所である埠頭に向かった。これであたし達が行方不明者になったとしても手がかりだけは残る。

 スカル団の所有物であることを示すダサい髑髏のペイントをされた船が停泊しているので、多分あれが連絡船なのだろう。いや、こういう髑髏の柄のシャツ、好きな音楽のジャンル的によく着ている気がしたが、とりあえずそれは横に置いておこう。船の支度をしていたらしいグラジオが埠頭に立っている。このクソ暑い中、よく黒ずくめの服なんて着ていられるな、と呑気な感想を抱く。

「来たか。ハウは?」

「フレンドリィショップで準備してくるってさ」

「あいつは来るか?」

「来るさ」

「あー、お二人さん。いい雰囲気のところ申し訳ないんだが」

 ぎょっとして振り返る。ポータウンで会った警官だった。

「クチナシさん……」

「ユウケ、だったよな。姉ちゃん。おじさん、島キングなんだよ。強くなるための試練ってやつを与えるから、おじさんとポケモン勝負しよう」

「大試練ですね。お願いします」

 即答してボールに手をかけた。目の前の警官――クチナシさん、か。彼からだらけた雰囲気が霧散する。

 

 ミミッキュとヘラクロスで、クチナシさんのポケモン三匹を圧倒し勝った。

「ふ、やっぱ強いな、姉ちゃん。スカル団のアジトに殴り込みかけるだけあるよ。じゃ、アクZのクリスタルな。ポーズはこう」

 アクZのポーズを決めて、ニヤリと笑うクチナシさん。だらけた食えない人だという印象が戻ってきた。

「それじゃ、姉ちゃん。島巡り頑張ってな。

……それと、グラジオの兄ちゃん。強くなるためにスカル団なんぞ頼ってどうするよ?」

 それだけ言い捨てて去って行くクチナシさん。ハウ君が来たのは、それから五分後だった。今はこのダサいペイントの船が頼りだ。




地球救済センターを建造していますか? はい→ メタルマックス
↓いいえ
コジマ関連技術が開発されていますか? はい→ アーマードコア
↓いいえ
ポケットモンスターが存在しますか? はい→ ポケットモンスター
↓いいえ
Fallout


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、穴の向こうに獲物を逃す

 ミナモシティ北東海岸、アクア団のアジト。潮の匂いが饐えたような悪臭が漂う、薄暗く小汚い基地だった。下っ端を蹴散らし、幹部二人を下したあたしは、一対一でボスであるアオギリと対峙していた。ポケモン勝負自体はあたしの圧倒的優勢だった。

「ちっ、小娘!てめえは何度も何度も!何で邪魔をする!」

「気に入らないからだよ!」

 優勢とは勝利ではない。背後からトレーナーであるあたしを直接刺されたりすれば終わりだ。下っ端共のポケモンは全て無力化したはずだが、アジトに戻ってくる増援があって、組織で最強であるはずのボスの戦に横槍を入れる気概のある奴が邪魔をすれば、形勢逆転の可能性もある。そうなれば、殺されても全く不思議ではない。すり潰されて魚ポケモンの餌にでもされるだろう。

 無論、普通はそんなことは有り得ない。組織の面子そのものに関わる。特に武力や暴力を看板に上げた組織であればなおのこと、物笑いの種になりかねない。だが、狂人や例外はいつでも起こりうるものだ。長引けば長引くほど不利になる。あたしのボスゴドラが、クロバットを仕留めた。相手がポケモンを戻すタイミングでボスゴドラを戻し、次のポケモンを投げようとしたところで、恐怖から来る手汗がボールを滑り落とさせる。初心者トレーナー並のミスだ。ボールを拾わず蹴飛ばして最後のポケモン、デンチュラを出す。サメハダーと対面。

「大したタマだ。お前……ガキ、テメェ、何で泣いてる?」

「うるさい!うるさい!うるさい!デンチュラ、やれ!」

 恐怖が涙を流させる。自分で鑑みてもあたしの体は言うことを聞かなくなりつつある。恐怖があたしを完全に支配して身動きが取れなくなる前に仕留めなければならない。デンチュラのエレキネットがメガシンカしたサメハダーを絡め取った直後、爆音と振動が上のフロアから伝わってきた。部下や施設のことで動揺したらしいアオギリと、恐怖で敵のサメハダーとアオギリを睨みつけるあたし、対応が早いのは勿論あたしだった。あたしは――。

 

"oh,I'm scary.so I'm scary."(私は恐ろしい。私は怯えている。)

 

 二種類の揺れが、あたしの体を支配する。一つは――船の揺れか。もう一つは、あたしの肩を揺さぶる誰か。

「ユウケー。大丈夫ー?」

 起きたことを伝えないと。うめき声でそれに応える。

「あー、よかった。起きたー?すごいうなされてたよー」

 何かろくでもない夢を見たのだろう。あまり思い出せない。ハウ君が水のペットボトルを開けて渡してくれる。礼を言おうとするが、舌が喉に張り付いて何も言えない。水を流し込んだ。

「ありがとう、ハウ君。うるさかった?」

「うるさくはなかったけどー。あ。はい」

 モクロー柄の可愛らしいハンカチを手渡されてきょとんとする。ハウ君はニコニコしながら目尻を指さし、あたしは指で自分のそこに触れた。泣いていたのか。自分のハンカチを取り出して、ハウ君のハンカチを返す。

「ありがと。持ってるから、気持ちだけもらっとくよ」

「これからエーテル財団とやり合うのに、大丈夫なのか?」

「五分くらい時間があれば大丈夫。よくあることだし」

「そうか。まだ着くまではしばらくあるから、問題なさそうだな。それにしても、いい睡眠具合だったらしいな」

「運転手の眠気覚ましはハウ君がしてくれてたでしょ?」

「俺はお前にも聞きたいことがあったんだ。全然反応がないから、海にでも落ちたのかと思った」

「船底が抜けそうなボロ船なら有り得るけどね。で、あたしに聞きたいことって何?」

 押し黙るグラジオ。スカル団の用心棒とはいえ、彼に対して特に悪感情は持ってないので、なるべく威圧的でないように話しているつもりなのだが、そうは聞こえなかったのだろうか。どことなく気まずい沈黙。

「他の地方で、地方リーグのチャンピオンだったというのは本当か?」

「そうだよ。今は全部『元』付だけど」

「なら、聞きたい。強くなるにはどうすればいい?」

「あたしの経験でいいなら、そうだね。ポケモンと一緒に場数を踏むことかな。対戦指南とか、育て方とか、定石とかを読んで勉強するのも大切だけど、戦わないと身につかなかった」

 答えがあまりお気に召さなかったらしく、ふんと鼻を鳴らすグラジオ。

「案外、面白くないことを言うな」

「あたしは凡人で賢くないほうだからね。『賢者は歴史に学ぶが、愚者は経験から学ぶ』ってやつ」

「へー、ユウケって地方リーグのチャンピオンだったんだー……ええっ?!」

「えっ、ハラさんから聞いてなかったの?」

「聞いてなかった……」

「知ってるもんだとばかり思ってたよ。ごめん」

 三者三様の理由で沈黙する。

「そうだ、後一つだけいいか?ユウケ、お前何歳だ?」

「十二歳。もうすぐ十三歳になる。あんたは?」

「十四だ。お前……もっと年下だと思っていたが。まだ十代になっていないと思っていた」

「いやー、それだと島巡りできないからねー」

 グラジオはごたごたが片付いたら頭はたいておこうと思った。大人げないと思われたくない。あたしはまだ目を通してなかった、リーリエがくれた調査資料に目を通し始めた。

 

 ダサいペイントが効いたのか、船での侵入は驚くほど上手く行った。何らかの命令を受けているエーテル財団職員や単なる不法侵入者を排除しようとするエーテル財団職員を蹴散らしつつ、エレベーターまでは問題なく辿り着けた。

「さて、どこを探せばいいかだな……」

「この間来た時に、ウルトラホールが開いたんだけど……ホールの実験施設は、確か、地下にあると言っていたはず」

「とりあえず地下を見に行くか」

「とりあえずってまた言ったよー!」

「まあ、ヒント無いしね……」

 

 適当にエーテル財団職員を締め上げて動かしたエレベータで地下二階を荒らし回ってもリーリエとほしぐも――ちゃんの居場所、せめてヒントでもと思ったが見当たらなかった。ほしぐも――ちゃんことコスモッグがウルトラビーストの可能性があり、ウルトラホールを開ける力を持つこと、そのためにはストレスを与える必要があることがわかったのは収穫か。他にもタイプヌルの計画資料や例のおっさんのブログらしいものはある意味興味深かったが、今のところ必要は無い。

「事情を知らない職員だのポケモンだのがいなければ片っ端から燃やすか吹き飛ばすかすればいいんだけど」

「延焼はしないだろうがな」

「そこの少年少女達!この私、エーテル財団支部長にして最後の砦、ザオボーの前でこれ以上の狼藉は許せません!」

 黄色い眼鏡だかサングラスだかの調子のいいおっさんこと――誰だっけ。まあ、権限がありそうな人間が出てきてくれたのはありがたい。引き連れている手下の数が少ないのもね。

「リーリエとほ……コスモッグはどこにいるか知ってて、教えてくれるつもりはある?」

「いずれは代表も夢ではないわたくしに聞くのはいい着眼点です。が、もちろん教えるつもりも案内するつもりもありませんがね!」

「手持ちポケモンがなくなったら吐くしかないと思うんだけど。拷問大好きグラジオ君もいるしね」

「別に好きじゃないし、しないが」

「でも、ザオボーさんが出てきてくれてよかったよねー。隠れられてたら俺ら何もできないしー」

 ハウ君の指摘に動揺するザオボー。確かに、施設を壊して炙り出すにせよ時間がかかるからな。

「ええい、いずれにせよ私があなた方三人を倒します!」

 ボールは三個、部下もボールは三個か。

「あたしが相手をするか。時間も無いしね」

 

 ザオボーと手下をついでにのした。

「な、なな、何ということでしょう。わたくしがお子様相手に……」

「なるほど……ハウが言っていたように、一人ではできないこともある、か。悪くないな」

「さあ、三度の飯より拷問が好きなグラジオ君に爪剥ぎから始められたくなかったら、さっさと案内しな」

「いや、なあ。さっきの言葉を早速取り消したくなったんだが」

「グラジオ様、ずいぶん世間に揉まれて歪まれたようで……。リーリエ様とコスモッグは、屋敷です」

「どうもどうも。じゃ、さっさと行こうか。二人とも」

「おい」

「そうだねー」

「なあ」

 約一名が何だかうるさいが、屋敷への道は開いたのだから急ぐとしよう。

「ユウケ、お前な……」

「あのおっさん、下らない話をして時間稼ぐ気満々だったから」

「……お前、後でちゃんと誤解を解くのを手伝えよ」

「前向きに善処するよ。まだ何とかしないといけない奴らもいるらしいしね」

 

 うじゃうじゃとスカル団の連中がいる。手前の連中を片付けよう――という前に、グラジオが走り出した。先に首魁を叩く気らしい。あたしとハウ君は、手近なスカル団の下っ端を片付け始めた。

 

 下っ端共のあらかたを叩きのめし、グズマとグラジオの方を見ると、グラジオが負けていた。

「孤独と戦った日々、強くなっていなかったというのか……」

「お前のこと、割と気に入ってたんだがな。産みの親に逆らうなんて親不孝、叩き潰さないとな!」

 二人に割り込むようにグラジオの前に歩み出る。

「お前もぶっ壊されに来たのかよ」

「それよか、あんたは親孝行してんのかい?そんな顔には見えないけど」

 せせら笑うあたしと、ギリリと歯噛みするグズマ。

「てめえ、今度こそぶっ壊してやる!」

「後で思うよ。止めときゃよかったってね」

 

 ボールが四つ、四匹目はクワガノン。それがグズマの新手だった。こちらは面子の変更なく、ステルスロックを撒いた後のハガネールがグソクムシャとアメモースの二匹がかりにやられた意外は、何の問題もなかった。

「通りな。畜生。お前をぶっ壊すには、俺様をぶっ壊すほど追い詰めて自分を強くしないといけねえ……」

 ハウ君は後ろから沸いてきたスカル団の増援にかかりっきり、グラジオはまだポケモンの回復ができていない。

「先に行くからね!」

 あたしは二人に大声で呼びかけ、足を速めた。

 

 馬鹿でかい白い屋敷の扉を開ける。ウルトラ調査隊の二人が扉を塞ぐように立っている。まだ門番がいるのか。

「急いでるんだけど、通してくれない?」

「駄目だ。ウルトラボールを使えば、かがやきさまを制御できる。そのために、お前は通すわけにはいかない」

「コスモッグを心配して来たんだよね、島巡りの人。ごめんね」

 あたしは溜息をついた。結局、力押ししかないか。

「ポケモン勝負は年季がものを言うんだよ。ぶちのめされたくないでしょ。さっさとどきな」

「そうはいかん。我々とて、譲れんものがある。ベベノムで、勝つ」

 

 見たことのないポケモンだったが、毒タイプのポケモンではハガネールにあまりに相性が悪かった。

「Zパワーを使いこなせれば、何とかなったのか?科学のみでは、解決できないとはな」

 あたしはフンと鼻を鳴らす。力の裏付けのない理念など何の役にも立たない。崇高な何物かがあるのかもしれないが、今のあたしは蹂躙する側だ。

「島巡りの人、助けたいものがあるなら、後悔のないようにね」

 あたしはひらひらと手を振ってそれに応えた。

 

 いっそ馬鹿馬鹿しい程広い寝室。そこで探し人であるリーリエとルザミーネ代表の親娘が対峙していた。

「お母様、どうしてもほしぐもちゃんを、コスモッグを使ってウルトラホールを開けるというのですか」

「そうよ。世界を守るためにね。その過程で、コスモッグは残念なことになって死んでしまうかもしれないけど。それと、わたくしには子供なんていないわ」

 いきなり攻撃なんてされたら敵わないとそっと扉を開いたのだが、視界に思いっきり入っていたせいでルザミーネ代表はこっちに気付いてしまった。

「あら、ユウケさん。ふふ、素敵な友達ね。あの守りを破って友達を助けに来るなんて。リーリエなんかと仲良くしているのが、本当に残念だわ」

「もうちょっと兵隊は選ぶべきでしたね。あたし相手では、いささか力不足に過ぎました」

 あたしの声に驚愕して振り返るリーリエ。

「う、嘘……ユウケさんが、助けに来てくれるなんて……こんな素敵なこと、嘘です……」

「嘘じゃないよ。ま、囚われのお姫様を助けに来る騎士役としては、あたしはちょっとガラが悪すぎるけどね」

 背後からリーリエを抱き寄せて、ルザミーネ代表の間に割り込んで、後ろに庇うように位置を入れ換えつつ耳元で囁く。

「コスモッグは?」

「お母様が」

 ポケモンが全部やられた時の逃げの切り札、閃光発音筒(スタングレネード)でも投げてずらかろうという案はこれで没だ。

「あらあら、随分と仲良しですのね」

「これでも将来のことを誓い合った仲ですからね」

 少しでも動揺を引き出せればと思い軽口を叩く。抱きしめたままのリーリエの体温が急に上がった気がするが、大丈夫だろうか。

「ふふ、二人で仲良くして追いかけてこなければ、それが一番助かるのだけれども。そうはいかさなそうね」

 ルザミーネ代表が部屋の奥、転送装置らしきものに足を踏み入れて姿を消した。

「リーリエ、大丈夫ロト?」

「え、ええ、ロトムさん。ありがとう」

 リーリエをここで待たせて追うべきか一瞬悩むが、後ろからスカル団の応援が押し寄せる可能性を考えると連れていった方が安全だろう。あたしはリーリエの手を引いて代表の後を追った。

 

 転送装置の技術的な限界はよく知らないが、少なくとも地続きである必要はないし、階段を作る必要もない。施設を無秩序に増設しても通路は作れるし、身内相手でも隠すことができる。

「わたし、この部屋は初めて見ました」

「どうかしら?わたくし自慢のコレクションルーム。愛するポケモンを永遠に飾るの」

 氷の柱の中にいるのは本物のポケモンか。氷漬けであっても、ポケモンは蘇生可能ではある。ある、が。

「なかなかいいご趣味じゃないですか」

 あたしの挑発を無視し、ルザミーネ代表はすっと目を細める。

「光を奪われてしまったら、子供達を愛せなくなるでしょ?ですから、ウルトラホールを開け、光を奪うポケモンちゃん、ネクロズマちゃんをわたくしが捕らえてしまうのです!」

 転送装置が再度起動し、ハウ君とグラジオがやって来た。三対一ではあるが、全く気にしたそぶりもなく、ルザミーネ代表は肩をすくめた。

「ウルトラ調査隊には元々期待していませんでしたけど、グズマも案外だらしないですわね」

「わー、リーリエ、無事でよかったよー!」

「ウルトラホールを開けるのはやめてくれ。父さんみたいに誰かが消えたらどうするんだ!」

「忘れるものですか。あの日のことを……。わたくし、ウルトラホールを心の底から憎んでいます。ですから、わたくしが行くのです。誰であれ、手出しはさせません!エーテル財団に残されたコスモッグのガスだけで、ウルトラホールが開いたのです。コスモッグをまるごと使えば制御も自在です」

 転がされているケージの中からコスモッグの鳴き声がし、走り出そうとするリーリエの手をあたしは掴んだ。

「お願い……やめて……ほしぐもちゃん、力を使うと動けなくなるの……力を使いすぎたら、本当に死んじゃいます!」

 再び転送装置が動く音。グズマか。

「来たわね。始めるわよ」

 本当に嬉しそうに、邪悪としか言いようのない笑みを浮かべるルザミーネ代表。

「止めてくれ。母さんまで消えたら……」

「わたくし、ルザミーネなのよ?あなた方が思うよりずっと強いし、心配なんて無用よ。でも、()()とはいえ、心配させるのは本意では無いわ。そうね、ユウケさん、あなたが相手をなさい。この中で一番強いあなたに勝てば、ここにいる全員が黙るでしょう」

 ボールは五つ。あたしは無言でボールに手を伸ばした。

 

 ピクシー相手にハガネールを繰り出す。あたしは安定のステルスロックを指示。特性『がんじょう』『マルチスケイル』『はやてのつばさ』だろうが、きあいのタスキだろうが必ず殺すための一手。ピクシーはサイコキネシスを放つが、さして効果もなく、あたしのハガネールのヘビーボンバーで倒れる。

 ルザミーネ代表の二匹目はミロカロス。水技を読み、ハガネールからウツボットへ交代。一撃を余裕で受けたウツボットにねむりごなをかけさせ、眠ったミロカロスをそのままギガドレインで体力全快させつつ仕留めた。

 三匹目のキテルグマに引き続きねむりごなをかけ、ミミッキュに交代しじゃれつかせる――が、パッと目を覚ましたキテルグマに躱され、その後は削り合いとなった。特性『もふもふ』の効果だろう。本当に堅い。堅いが、ミミッキュが押し切った。

 四匹目のドレディアは草技を読んで再びウツボットへ。ウツボットのアシッドボムで片付いた。

 最後のミミロップは、ねむりごなで眠らせてからヘラクロスに交代。目を覚ますもヘラクロスのインファイトが一手早く、一撃で沈んだ。メガシンカされたら勝てなかったな、と内心冷や汗をかいた。

 わなわなとあたしを睨みつけるルザミーネ代表。

「……なんて、酷いの!」

 煽っても頑なになるだけだろうし、時間稼ぎだけならポケモンを回復させてやって来たであろうグズマができる。あたしは言葉を選んで慎重に口を開いた。

「今すぐ、ウルトラホールを開けないといけないのですか?ほし、コスモッグを使わなくても、ウルトラホールに行く手があるのでは?」

 くすくすと笑うルザミーネ代表。

「ユウケさん、あなた本当に強いのね。この調子で島巡りをこなすのよ」

 話を聞いてくれる気は無いらしい。眉をひそめた。

「不安にさせたかしら?でも大丈夫よ。あたしにはあの子もいるから。ね、グズマ。いらっしゃい。ネクロズマを捕らえに行きますよ」

 忠犬という面で嬉しげに頷くグズマ。よく飼い慣らされている、と思う。

「あたしと、二対一でやってもいいんですよ?」

 これは挑発ではなく事実だ。恐らく聞かないだろうし力尽くでやるしかないだろうから、挑発と取られても構わないように素直に。二人がかりで行くよりあたし一人を何か別の手で送り込んだ方が安全ではないかという妥協案。

 だが、ルザミーネ代表は無視して踵を返した。

「待ってくれ、母さん!俺の相棒、ヌルはビーストキラーだ!向こうで戦うために鍛えたんだ!」

「安心なさい。全てわたくしに任せればいいの!子供は大人の言うとおり。それが幸せの近道です」

 交渉決裂。あたしは自分の足の陰になるよう、ボールを手放しミミッキュを出した。ウルトラホールに飛び込む瞬間に、ミミッキュの触手で二人の体を掴んで止める。

 ルザミーネ代表がコスモッグ入りの檻のスイッチを押すと、眩い光を放ちウルトラホールが開く。光を背負い、両手を広げて思い詰めたように微笑むルザミーネ代表は、まるで光背(こうはい)を背負った菩薩のようだった。ぞっとするような美しさがあたしの注意を奪い、一瞬反応が遅れる。その一瞬で全てが充分だった。それがなくても、ルザミーネ代表が消えた直後に飛び込んだグズマだけしか止められなかっただろう。ホールは閉じ、あたしは時間稼ぎのための言葉を飲み込み、ミミッキュをボールに戻す。

 

 二人が消えた何もない空間。ウルトラホールが開いた残響が消え去った後の沈黙を破ったのは、リーリエだった。

「母様!どうして!」

 誰もがかける言葉を持たない。

「ほしぐもちゃん……?元気、ですか……?ほしぐもちゃん?」

 ほしぐも――ちゃんは、動かない。姿も変わっている。

「とりあえず、出よう。ここは落ち着かない」

 ほしぐも――ちゃんは、浮いたまま動かない。リーリエがまず手を伸ばし、触れる。次いで、あたしも触る。重さを感じないということは自力で浮いているということだろう。だから生きているかというと断言できないが、少なくとも連れ歩くことに支障はなさそうだ。リーリエのバッグに入れるよう促し、あたし達もコレクションルームを後にした。

 

 寝室に戻ると、ビッケさんとウルトラ調査隊の二人があたし達を待っていた。

「皆さん、ご無事で本当によかった」

 ビッケさんが労いの言葉をかけてくれる。ルザミーネ代表と、グズマはウルトラホールの向こうに行ったので、全員無事かというと何とも言い難いが。

「ああ、そう、だな。やることは山積みになってしまったが。ウルトラホールに消えた代表とグズマ、動かなくなったコスモッグ。あんな人でも母親だ。ネクロズマを捕らえるとはいえ未知の世界に放ってはおけない」

「ウルトラホールを自在に制御する、っていうほしぐも……ちゃんも、こっちにいる訳だしね」

 檻が無くなっていたので、ヌケニンとテッカニンのように、ほしぐも――ちゃん、ことコスモッグが二体に増えたという可能性もない訳では無いが。

「今の話は、本当か?ルザミーネは、約束を守らなかった。優しく振る舞いつつ、自分のことしか考えていなかったとは」

 あたしは肩をすくめた。

「何だ、何かの協定をあの人と結んでて、それで破られたって訳?」

「ああ、そうだ」

「力の裏付けが無きゃ、いずれ反故にされたと思うよ。ご愁傷様」

「自分のためなのか、責任感って奴なのかはわからないけど、組む相手を間違えたってことかな?」

「流石にこんなでかい団体仕切ってるだけあって、交渉事も向こうの方が上手だったみたいだね」

 同情はするが、それまでのことだ。自前の武力無しで交渉に挑むという時点で舐められるし侮られる。ウルトラホールの制御技術が完成した時点で、恐らくルザミーネ代表からすればこの二人は用済みだったのだろう。そう思えば、この二人が生きているだけルザミーネ代表は優しいと評価していいのかもしれない。

「問題が起これば、科学で解決するのが我々の方法だった」

「科学技術で、こっちの世界のポケモンを押さえ込めるならそれでよかったんだろうけど」

「かがやきさまも、こちらでも、それでは無理だったのだ。だから、強いポケモンを操れる強い人間を送り込む手筈だったのだが」

 あたしとウルトラ調査隊の会話にグラジオが割り込む。

「おい、あんた。人を送り込むと言ったな。他にウルトラホールは開けられるのか?教えてくれ」

 コスモッグを使う片道切符だとばかり思っていたが、他に手があるということか。あたしは思いつかなかった。これも複数人いないとできなかったことか。

 グラジオの言葉に一瞬逡巡する素振りを見せる二人。

「一度裏切られた我々が……どうすべきだと思う、アマモ」

「ダルス、どっちにせよ結果は同じだよ。それに、強いポケモンを使える人間がかがやきさまを押さえてくれるなら、あたし達にとっても結果は同じ。教えよう」

 ためらいを含みつつも、口を開くダルス。

「ポニの祭壇に現れる存在、月を誘いし獣。我々がアローラに来る時、その力を借りた」

「つまり、『月を誘いし獣』とやらがいれば、ウルトラホールの向こう、あんたらの世界に行けるってことだね」

「うん、そうなるね。でも、たった二人でかがやきさまに挑むなんて、そんなに自信があるのかな」

 あたしはぼりぼりと後頭部を掻いた。

「ポケモン勝負に詳しくないあんたらが知らないのは当然なんだけど、トレーナーがポケモンに命令しポケモンがその指示を聞く都合上、最大限のパフォーマンスを発揮させるのに相応しい数ってのがある。一人のトレーナーなら、一度に出すのは三匹が望ましい。複数のトレーナーが組むなら、三人が組んで一匹ずつ出すのが一番望ましい。一匹のポケモンであれ一つの群れであれ、一つの対象に挑むなら、一人と三匹、もしくは三人と三匹がベストってこと。次いで都合がいいのが、二対一の状況に持ち込むこと」

 あたし以外の全員が「知らなかった」という顔をしている。

「それならせめて、ビーストキラーのヌルを持つ俺を連れて行ってほしかった……」

「愛情って奴じゃないの。多分。あたしが代表なら、あんたは連れていかないよ。前の経緯ってのがあるみたいだしね」

「と、ともかく。島巡りの人。ネクロズマは今は休眠状態だけど、目覚めると食料として光を求めてアローラにやってくるはず。あたし達の世界には光は無いから」

「アローラの昔話では、光で闇を払ったというが、調査してもその光が何なのかわからなかった」

「こっちが調べた資料でも、具体的に光が何だってのはわからなかったね。ま、相手はポケモンでしょ?『血が出るなら殺せるはず』さ」

 その言葉を聞いてダルスは呆れたような顔を、アマモはにこりと笑みを浮かべて去って行った。

 

 それぞれが沈思し再びの沈黙が場を支配しかけた時、ビッケさんが口を開いた。

「あの、リーリエ様も皆さんも、休憩なさっては。職員の居住スペースにベッドを用意しました」

「ああ、助かる」

「俺もくたくたー」

「贅沢を言って申し訳ないけど、お風呂とかシャワーとか、借りられます?」

「大浴場があります。男女別……職員も入っていますが、それでいいなら」

「勿論。ただ、その前に、あたし達が最早侵入者扱いでないことをお知らせしてもらってもいいですかね」

 風呂場で殺されたらたまらないからな。笑顔で頷くビッケさん。

「わたしは、この部屋で。母様が何を思っていたのか、少しでも知りたいと思います」

「それは止めないけど、お風呂は入るよね?」

 リーリエは意外なことに頬を少し赤らめ、首を横に振った。

「シャワーがありますから」

「そう……。残念」

 あたしは落胆を隠す気なく、言葉を押し出した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、人工島での休養を楽しむ

 先程までの敵地で入浴というのは、旅の中でも初めての経験だ。ポケモン入浴禁止の項目が明示されていないことを広々とした脱衣所で確認すると、あたしはミミッキュをボールから出した。

「ミミッキュ、悪いけど護衛よろしくね」

「ミミッ!」

 シャンプーをしている最中に刺されたりしたら敵わない。さりとて大浴場の魅力には抗いがたい。であれば、護衛を用意すればいいというのがあたしの結論だった。職員ではない人間がいることへの好奇の視線を払いのけるように勢いよく服を脱いで大浴場に向かった。

 大浴場は清潔で明るく、大変使い勝手がいい。窓が大きく海側に向けて開かれているのも気に入った。温泉ではないのが惜しまれるが、湯船は海水を熱して使っているらしい。早々に髪と全身を洗い終えてミミッキュも洗ってやってから湯船に漬かり、あたしは疲れを解放する喜びのうめき声を上げた。ミミッキュは手桶に張った湯に漬かってもらっている。本体が体の下の方なのでどちらにせよ湯船には入れないが、流石にポケモン入浴可と書いていないところで一緒に入るのは憚られたのだ。

「あ゙ー……やっぱ風呂は大事だね」

 小声で独りごちる。ほんのり潮の香りがする湯が大変心地がよい。ミミッキュもふりふりと頭を揺らして気持ちよさそうだ。あたしはミミッキュの頭を撫でてやる。まだ混雑する時間帯ではないらしく、好奇の視線もしばらくすると無くなったし、誰かが近づいてくる気配もないので、大浴場から見える夕焼けに染まった海を眺めながら、存分に風呂を楽しむことにした。

 

 あまりに気持ちがよく、いささか長湯してしまった。上気した肌を扇風機の風で覚ます。肩に乗ったミミッキュもほんのり顔が赤い。やや熱を持った状態で扇風機前を開けて、持ってきた黒のTシャツ(Motörheadのシャツ)とゆったりしたハーフパンツを着た。無料のマッサージ機でコリをほぐしながら、スマフォを見るとハウ君からあたし、リーリエ、知らないアドレス――多分グラジオだろう――宛に「自分の部屋で食事をしないか」というメッセージが入っていた。あたしは「四人分のご飯と飲み物、おやつを買って行く。全員参加?」と全員宛返信。返事を待たずにスマフォをポケットに放り込み、お腹の上に乗せたミミッキュを適当に軽く揉んでやりながらマッサージ機に身を委ねた。十五分のコースが終わるまで楽しむとしよう。

 

 マッサージ機に別れを告げ、エーテルパラダイス内をぶらつく。かなりの人数の職員がいるし、他の島まで遠いからだろう、生活用の店舗が中々充実している。スーパーがあったので全員の夕飯を見繕う。あたし一人ならゼリーでも構わないが、他の三人は嫌がるだろう。結局リーリエだけは参加しないらしい。先に屋敷の方に行って食事を差し入れてからハウ君の部屋だな。リクエストに従いご飯と飲み物、後はあたしのセンスは程々におやつを買う。あたしの食べたいもので固めると酒のあてばかりになってしまうのだ。

「あっ、ユウケさん。先ほどはありがとうございました」

 惣菜コーナーで皆で突けるものを探しているとビッケさんに横合いから声をかけられた。

「いえいえ、こちらこそ手配をありがとうございました。お風呂、気持ちよかったです」

「うふふ、それはよかった。ユウケさんは、これから夕食ですか」

「ええ。リーリエはちょっと考え事があるということで不参加ですが、三人でご飯を食べようかと」

 優しい笑みを浮かべるビッケさんに、あたしは一つ聞きたいことがあるのを思い出した。あたしはカゴを抱えたまま居住まいを正す。

「そうだ、ビッケさん。一つお聞きしたいことがあるのですが」

「はい、何でしょう」

 ビッケさんも心持ち真面目な話なのだろうと察してくれたようだ。

「エーテルパラダイス内では、アローラ地方の法律が適用されるのですか?海域上、アローラ地方政府の管理下なのかどうかです。それとも船舶扱いなのでしょうか」

「犯罪行為についてどうなるか、ということですね」

 彼女の顔がやや曇る。あたしにとってもこれは大事なことだ。船舶であれば大戦前と同じく、登録された地方政府の法律が適用される。

「そうなんです。というのはですね。お酒が飲めるのが何歳かなのか」

 そう、とても重要なことだ。ビッケさんが吹き出す。

「ユウケさんは、カントー地方から越してこられたのですよね。わたしも、カントーを旅したことがあります。カントーは十歳で成人でしたよね」

「そうです。アローラ地方だと二十一歳からでないとお酒が飲めないから、酒を飲むあたしは肩身が狭くて」

「ユウケさんには残念ですが、エーテルパラダイス内でも二十一歳以上でないとお酒が飲めませんし買えません」

 小さいいたずらっ子を咎めるような笑顔。あたしはがっくりと肩を落とした。

「アルコールは抜きですけど、お食事会楽しんでくださいね」

「はは、ありがとうございます」

 まだ仕事があるらしいビッケさんに乾いた笑顔で頭を下げる。酒、飲みたかった。

 

 馬鹿でかい白亜の屋敷。あたしは無粋なドアノッカーを何度か鳴らす。インターホンではないのは、所有者の拘りだろう。ルザミーネ代表なのか、名前すら知らないその夫なのかわからないが。ノックしてから数分待つと、ドアが軋む音と共に少女、リーリエが顔を出す。太陽の輝きのような髪の色に似合わない、泣き腫らしたのが一目でわかる腫れぼったい瞼、頬には涙の跡。余計なことを言わずに弁当とジュースだけを差し入れて帰るつもりだったのに、あたしは反射的に手を取ってしまっていた。ぎゅっと彼女の手を握りしめた。大丈夫かなどと意味の無いことを言いそうになるのを堪えて口を開いた。

「一人でいるほうがいい?一緒にいたほうがいい?」

 答えを急かす気は全くなかった。ご飯を待っているハウ君とグラジオには悪いが、返事次第では買ってきた弁当も明日の朝昼ご飯にしてしまえばいい。ひんやりした彼女の手に、歩いた後のあたしの体温が染み渡るまで、二人して玄関に立ち尽くす。ある意味でそれは無駄の極地なのかもしれないが、あたしはそうは思わなかった。

「一人で、大丈夫です。ありがとうございます」

 あたしは頷いて、当初の予定を差し出した。牛丼とインスタント味噌汁、オレンジュースのペットボトル。彼女のリクエストはそれだった。あたしの独断でサラダとチョコレートを足してあること以外は逸脱していない。

「日が変わるまでは起きてるから、もし何かあったら連絡して」

 小さく頷くリーリエ。名残惜しくなりつつある手を離して小さく手を振った。応える彼女が可愛らしい。あたしはとうに暗くなった夜空を見上げてきびすを返した。

 

 エーテル財団職員寮の507~509号室。それがあたし達に貸し出された一晩の宿だった。ハウ君、グラジオ、あたしがそれぞれ一室を借りている。507号室のインターホンを押す。

「空いてるよー」

 扉を開ける。スムーズに音も立てず開く。中は清潔感漂う、エーテル財団らしい無機質な白い部屋。シングルベッドと液晶テレビ、机と椅子が二つ。ビジネスホテルのようだ。

「遅かったな」

「リーリエのところに先に行ってきた。あんた兄貴でしょ。様子見てきた?」

 考えもつかなかったらしく無言になるグラジオを無視して、あたしは三人分の食べ物を仕分けて渡す。

「はい、これがハウ君の。こっちグラジオの」

「ありがとー。いくら?」

「今回は奢るよ。貸し一つね」

「わーやったー」

 ハウ君は幕の内弁当とお茶、グラジオは惣菜パンが幾つかとブラックの缶コーヒー。どっちもあたしの独断で野菜惣菜と水のペットボトルを足してある。あたしはロコモコ丼に野菜。酒は無しなのでノンアルコールビールだ。乾杯など必要無いだろうし、めいめい勝手に食べたり飲んだりするだろう。そういう気軽な面子だと思っている。プルタブを立てるとプシュ、と心地いい音を立てて缶が開く。アルコールのないビールはいつ飲んでもつまらないが、もうビールという単語に耐えられなかったのだ。グビグビとノンアルビールを呷り、飲み干して握り潰す。

「不味い」

 握り潰した缶をゴミ箱に投げ込むと、思い切り外れて床に転がった。舌打ちして立ち上がり、拾ってからゴミ箱にたたき込んだ。

「ご機嫌斜めだな」

「酒が飲みたかったのよ」

「十三だと飲めないだろう」

「カントーでもジョウトでもホウエンでも飲めたのよ。カロスだと十六からだから飲めなかったけど」

「お酒って美味しいー?」

「美味いし、現実に棹させる。現実への麻酔にもなるしね」

「ふーん」

 納得がいったようないかなさそうな顔をしているハウ君と、ブラックの缶コーヒーをしたり顔をしているつもりの顔で飲んでいるグラジオ。こういう時間も悪くない。いつ、どこだったかは思い出せないが、ドミトリーに泊まった時を思い出した。

 

 飯や水分、菓子と断片的なコミュニケーションが穏やかな夜を流していく。明日からのことは明日話そうという釘を予め刺しておいてよかった。ハウ君の欠伸が解散の合図になった。あたしはゴミを適当にゴミ箱に突っ込んで、食べさしの菓子を二人に押し付け、手つかずのものを希望を募って仕分けていく。片付けが終わった時点であたしは小さく手を振って部屋を後にした。

 

 もう寝てしまってもいいかと思ったが、日が変わるまではまだ時間がある。あたしは歯を磨いてから旅のお供であるゲーム機を取り出した。頑丈さに定評のある花札屋製ではなく、元東通工の背面タッチパッド付(使ったことがない)携帯機、毎度の如く下位互換性を投げ捨てた最新モデルだ。あたしのやりたいゲームがこれでしか出てなかったので持ち歩いている。壊れてもデータさえ何とかなれば買い直すのには支障はないし、歩きながらプレイなんてしないので旧機種も含めて壊れたことはない。メモリに入っている大量のゲームの中から、何度もやった馴染みのゲームを選んで起動した。

『「代表」、見ているか。貴様の望みどおりだ!だがそれでも……勝ったのは我々だ!』

 世界観はよかったものの、オンライン対戦が売りなのに全然繋がらなくて放り投げたあのゲーム。オンラインを捨てて続編とセットで携帯機に移植されたので買ったこれを何度も遊んでいる。これに限らず、ポストアポカリプスもののゲームは大抵ポケモンが出てこない。当然だろう。核やロボットより、ポケモンの方が安くて早い。ポケモンがいれば大体の創作物は解決するか、より大きな破綻かのどちらかを選ぶことになる。

 思考が逸れた。――そう、『代表』だ。あたしは今日、実在の代表に負けてしまった。

 我々は救済されねばならない。我々は、まだ生きているからだ。そして我々は戦うべきだ。世界は、まだ死んでいないからだ。

 今日は勝負に勝って意思を貫けなかったあたしの負けだったが、次は勝つ。あたしはそう思いながら、携帯機の中で復讐(ヴェンデッタ)に蹴りを叩き込んだ。日が変わるまであたしは携帯機の中で全てを焼き尽くしていたが、リーリエからは連絡はなかった。短針が一時を指す前に、あたしは寝ることにした。

 

 地方政府によっては、秘伝技の使用を禁止しているところがある。例えばアローラ地方政府は、いあいぎり、そらをとぶ、なみのり、たきのぼり、ダイビングの使用を禁止している。ライドポケモンとその調教師の雇用維持と景観保護、事故防止が目的らしい。ただし、ダイビングだけは事情が異なる。ダイビングの使用を許可する地方政府は数えるほどしかない。使用可能地域としてダイビング愛好家トレーナーに人気が高いホウエン地方でも、一部の地域では使用が禁止されている。なぜか。最初にして最大の理由は、事故発生率の高さ。ダイビングウェアをケチったせいで行方不明になるトレーナーは極めて多い。二つ目は航行船舶との事故防止のため。三つ目は軍事上の機密保護のため。つまり、潜水艦だ。第三次世界大戦を生き残った化石のような潜水艦――バラオ級の生き残りすらいる――や、極めて低調ながら建造されている大戦後潜水艦の航行海域は全てダイビング禁止となっている。地方政府によっては何と、どこと戦い何を吹き飛ばす気なのかはわからないが、政治家や軍、官僚、そして地方政府の有権者が認めたうえでの原潜の核パトロール実施すらしている。ホウエン地方政府の海軍も練習用潜水艦は持っていたはずだが、特定地域でしか活動しないことからそこだけを立ち入り禁止とし、ダイバーの収入を選んだそうだ。最後の一つは、この話と合わせて話そう。

 あたしが潜っているこの海域は、旧日本政府領海、現ジョウト地方政府管理海域だ。あたしは遵法意識がお世辞にも高いほうではないが、事が国家絡みとなると別だ。つまりは、これは政府、厳密に言うとジョウト地方防衛庁の正式な依頼に基づく合法なダイビングである。依頼内容は第三次大戦で沈んだ旧日本海上自衛隊艦艇からの装備回収。時刻は十三時丁度、陽光とジョウト地方海軍艦艇の支援を受けながら、スターミーと共にホウエン地方で買った一時間潜行可能なダイビングウェアで冷たい海水をかき分けて潜っていく。ダイビング要員はあたしだけではなく、海軍から三人、トレーナーが五人雇われているが、全員が同じフネを目指す訳ではなく、三チームでの任務となる。軍の要員があたしの横に、雇われたトレーナー一人があたしの予備として後方を泳いでおり、万が一のことがあればあたしを回収する手筈になっている。戦没した艦艇が多いこと、回収対象の艦艇が二つあることからこの処理が取られている。

 余談だが、沈没した軍艦・艦艇の所有権は所属国家にあり、正統後継である地方政府の領海内にあれば地方政府がその権限を受け継ぐらしい。他国海域や公海で沈んだフネで地方政府が分立している場合――例えば、旧日本艦艇がフィリピンで沈んでおり、ジョウトとカントーの地方政府が所有権を主張した場合――は話がややこしくなるらしいが、今やっている仕事では特に問題はない。

 さておき、この仕事は正当性があり、税金で行われていることから、発見不能や強力なポケモンの縄張りになっていて排除不能である等の説明可能な理由で引揚げ失敗するのは許されても、適切なバックアップ体制を取らずに委託したトレーナーが事故死しました、では困るため、しっかりした体制が取られている。はっきり言って依頼料は激安だったが、特に忙しくなかったことと普段潜ることができないジョウトの海に潜れる機会に興味をひかれたこと、政府の仕事を受けられるほどのトレーナーという箔がつく利点に釣られて仕事を引き受けたのだ。何を引き揚げるかのブリーフィングを受けた時に止めておけば良かったと後悔した。

 潜り始めてから十分少々、深度計は七十メートルを指しており、陽光の恩恵は既にほとんど届かないが、スターミーの光で海底を照らすことができる。海底は近く、軍艦の墓場が一望できる絶好のダイビングスポットと言っていいだろう。会話は咽喉マイクと防水イヤフォンがあり、シームレスに可能である。あたしは海水を震わせて声を出す。

「こちらA班トレーナー1、目標艦甲と思われる艦を確認。左二十度」

「A班マリーン、目標を視認できない。スターミーに照らしてもらえるか」

 スターミーに指で指示し、光をビーム状にして当てさせる。

「A班マリーン確認した。同型なのは間違いないが、該当艦かどうかはここからは確認できない。接近しよう。A班トレーナー2、見えているか?」

「A班トレーナー2、見えています。軌道修正しながら接近します」

「A班トレーナー1了解。照射を継続しながら接近する」

 番号で呼んでいるのは機密保持やらのためではなく、単純に呼び間違い防止と、海面で指揮監督している司令部で把握しやすくするためだ。自己紹介でお互いの名前は知っている。あたし達二人とそのポケモンが接近すると、恐らく対艦ミサイルを食らったのだろう、船体に大穴の開いた魚礁と化しているフネからポケモンが逃げ出していく。釣りで見られないポケモンがいないか目を凝らしたが、特に珍しいポケモンは目に留まらなかった。水中での交戦を想定してはいるが、別に戦闘目的ではないので回避可能であれば助かる。

「A班マリーンよりA班トレーナー1、2へ。目標艦甲と思われる。A班トレーナー1、後方甲板上部よりミサイルランチャーを確認しよう。先行を頼む」

「A班トレーナー1了解」

 船体にフックを引っかけてからミサイルランチャーに向かう。装填されているミサイルは発射済か脱落したのかなし。

「A班トレーナー1、装填ミサイルなし」

「A班マリーン了解、ミサイルランチャー内部を確認する。切開開始」

 海軍作業要員である彼の連れているポケモン、ランターンが鋼板切断作業を行うため、あたしは目を逸らす。閃光で暗い水中に慣れた目が駄目になるのを防ぐためだ。

「切開完了。内部にポケモンなし。これより進入」

「A班トレーナー1、A班マリーンの後方を掩護する」

 あたしとスターミーはミサイルランチャー根元に開いた穴を塞ぐような位置に移動。あたしのバックアップ要員のトレーナーが上の方に陣取ったのが見えたので、確認のために両手を振る。相手も振り返してきた。

「A班マリーン、回収対象物四つ全てを確認。脱落ミサイル捜索の要なし。これより引揚げ作業を開始する」

 A班の全員が安堵の溜息を漏らす。沈泥を掻き分ける作業が別途必要になるか、他のポケモンを準備して捜索するかしないといけないという事態は免れた。あたしは彼から電波と青い光を発するビーコンを設置してから、彼が曳航用ユニットをつけた上で内部から搬出する回収対象物を受け取る。艦対艦ミサイル用核弾頭。信管がついていないとはいえ、怖くないといえば嘘になる。浮力を加味しても十二分に重い。軍艦という墓場の上で、文明を葬り去りかけた道具を扱うこの行為は、酷く冒涜的なものに思われた。

「A班トレーナー1、甲板上に回収対象物四搬出確認。曳航作業はA班マリーンが行う。予定通り浮上までの後方掩護作業はトレーナー1が実施」

「A班トレーナー2了解」

「A班マリーン了解」

 こちらの班の回収作業自体はつつがなく終了した。他の二班はトラブルこそなかったものの捜索が難航し、あたし達の班も休憩を挟んで応援に入ったがその日は見つからなかった。結局三日かけて目標物乙――これも核弾頭だ――を全部回収し、後日政府公式発表の官報と協力の礼がしたためられた手紙が送られてきた。

 そう、ダイビングが禁止されている理由の最後の一つが、海中に山ほど眠っているこの手の「お宝」だ。気が狂ったとしか思えない生産量の核・生物・化学兵器。軍艦・艦艇、航空機、戦車や歩兵戦闘車、兵員装甲輸送車、火砲。現場の将兵が多数死傷し、おまけに戦闘詳報を管理すべき各国の官公庁があらかた核で吹き飛んでいる現在、今回のように生還者の証言や予定行動等に基づいた検証の結果、政府が核弾頭を回収できたのは僥倖以外の何物でもない。確実に使用したことがわかるのは弾道ミサイルだけで、爆撃機は途中で撃墜されたのか爆撃できたのか事故で墜落したのかもわからない。未帰還の潜水艦も然りだ。ましてや火砲や歩兵が使用する核兵器など、どれくらい残っているのか誰一人見当がつかない始末である。更に加えて言うと、核弾頭も爆弾の一種である以上、不発が発生する。通常の爆弾は二~五%の確率で不発が発生するらしい。仮に千発(実際にはもっと多い)の核弾頭が使用されたとして不発弾が五十発は世界中にあるということだ。数年に一度、核兵器をポケモンに括り付けて放つ核テロが発生するのは、こういった下地があるからだ。核生産技術そのものは当然のように流出しているし、放棄された原発も山のようにある。二十年ほど前に地下鉄で起きた化学兵器テロはゼロベースだったそうだが。

 世界には過去の誰かが丁寧に品種改良をした恐怖の種が山ほどばらまかれている。誰かがそれを拾い直して育てるのは簡単な時代だ。あたしはそれが怖い。交通事故よりも、飛行機事故よりも確率は低いとはいえ、第二の太陽で焼かれて死ぬことを想像すると恐ろしくて仕方がない。

 

 寝汗をかくほどではなかったが、悪い夢を見たような気がする。ダイビングに関する怖い夢だったような――。あたしはダイビングは好きだし、事故に実際に遭ったことはないのだが、中にボンベが壊れる夢か、空気が切れかけたタイミングでポケモンに襲われて溺死する夢はよく見る。ありがたくないことに基本的に夢見がよくない人種なのだ。頭が痛むし急いで起きる理由を寝ぼけた頭が見いだせなかったので、あたしは時計も見ずに寝直した。

 朝は何時に集合、という話を全くしていなかったのに気付いたのはメッセージの着信音で目が覚めた時だった。時計を見ると十時を回っている。まだ誰も起きていないなんて時間帯でも無さそうだ。メッセージはリーリエから「部屋の前で待っています」とだけ。あたしは呻きながら起き上がり、顔を洗う前にドアを開けた。

「おはよう……ございます?」

 ポニーテールにミニスカート、リュックサック。白を基調とした服装であるのは変わらないが、大幅なイメージチェンジに目を丸くした。肌の露出が多い活動的なスタイル。生足が眩しい。可愛い。可愛い。抱きしめたい。じろじろと太ももから下を見てしまいそうな自分を強いて視線と、喉に張り付いた舌を引き剥がし声を出す。

「…………ごめん、今起きた。準備するから、入って座ってて」

「はい、お邪魔します」

 ざぶざぶと顔を洗う。落ち着かないといけない。頭を冷やさないと。落ち着いた。

 

 部屋に戻ると、リーリエがベッドに座っていて思わず押し倒しそうになった。深呼吸、深呼吸。椅子ではなくてなぜベッドに座っているのか。思考と視界が桃色に染まりかける。そうか、椅子にはあたしが鞄と着替えを置いてあるからか。何度見ても生足が眩しい。

「荷物どけてくれてもよかったのに。ごめん」

「こちらこそ」

 入ってくれといったのはあたしだから、着替えるから出て行ってほしいというのも妙、かな。さっと着替えるとしよう。何だか視線を感じる気がするが、気のせいだろう。同性相手に下着を見られても恥ずかしくはない。多分。

 

 着替えて荷物を持ち、忘れ物がないかだけ確認。よし。職員寮の下でハウ君とグラジオが待っているのが見える。小さく手を振ってエレベータへ。

「それで、リーリエ、その……服装、どうしたの?」

「勇気がなくて、マリエで買ったままの服を着てみました。ユウケさんに助けられてばかりで、わたしも勇気を出さないとと思ったのです。これが、わたしの全力の姿です!」

 そう言ってZポーズのようなものを決めるリーリエ。可愛い。天使というものがいれば、きっとこういう姿をしているだろう。鼻血が出てないか思わず確かめてしまった。

「う、うん。その……すごく似合ってるよ」

「ありがとうございます」

 少し頬を染めるリーリエ。可愛い。駄目かも知れない。ハウ君とグラジオがこっちに来てくれるが、もう少しだけ二人でいたいと思ってしまった。

「わー、リーリエ、その服どうしたのー?!」

「勇気と全力を出さないと、と思いまして」

 大きく頷くハウ君。

「俺もー、ルザミーネさん達を見てて、強さが足りないなって思ったし、強くなりたいっていうパートナーの、ジュナイパー達の気持ちとすれ違ってるのも困るから、それに向き合って頑張ろー!自分と、ポケモン達とを見つめ直してくるよー」

「ユウケ、ハウ。俺達家族に巻き込んでしまって済まないな」

「いいや、構わないよ。少なくともあたしは、トラブル体質らしいしね」

「俺もいいよー。じーちゃんが言ってたよー。人との関わり合いで人間は変わるんだってー」

「そうか。そう言ってくれると気が少し軽くなるな……。リーリエ、コレクションルームで見つけた太陽の笛を渡しておく。『月の獣』に捧げるというアレだな」

 人間性を捧げる必要がないかだけは見極めないといけないが、恐らく――伝承を読む限りは――大丈夫だろう。

「ユウケ、お前にはこれだ」

 見覚えのあるMマーク、紫のボール。

「マスターボール。なるほど、相手がポケモンなら、これ以上の切り札はないね。しかし、いいのかい?」

「構わん。迷惑をかけたし、恐らくこれからもかけるだろうからな」

 マスターボール。理論上はどんなポケモンでも捕まえられるボールだ。市場にほとんど出回らないのは尋常でないコストが原因に過ぎない。事実上、伝説や幻のポケモンと等価であり、需要も高騰し続けており買おうと思うと一つ何千万円とする代物なのだ。あたしの切り札がもし通用しないとしても、これを使えば「かがやきさま」とやらを抑えることはできる。保険としては最高だ。

「島巡りにせよ、『月の獣』にせよ、ポニ島には行くんだろう。連絡船は用意させてある。俺は母さんが大事にしていた財団を守るための仕事をしないといけない」

「助かるよ。ハウ君はどうする?」

「俺ー、いったんウラウラ島に定期連絡船で戻るよー」

「わかった。気をつけてね」

「ユウケとリーリエもねー」

「ありがとうございます。では、ユウケさん、行きましょう」

 手を振るあたしとリーリエ、ハウ君と格好をつけるグラジオ。こういう日常も悪くはなかったと改めて思った。




Motörhead - "Ace Of Spades" (Official Video)
https://www.youtube.com/watch?v=pWB5JZRGl0U
"You know I'm born to lose, and gambling's for fools
But that's the way I like it baby"
『負けるのはわかっている。ギャンブラーは愚か者ばかり。だがそれがいいのだ』

虹色わんこさんに主人公ユウケの絵を描いて頂きました。とても美人なので是非ご覧下さい。

【挿絵表示】

虹色わんこさんのサイト・twitterはこちらです。
http://iridescentdog.seesaa.net/
https://twitter.com/iridescent_dog


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、守るものを得る

 ポニ島行きの連絡船はあたし達以外は誰も乗っていなかった。エーテルパラダイスからの定期船は出ていないというのも納得の乗船率だ。そういえば、最初に旅に出るときに「ポニ島だけは野宿がいるかも」とククイ博士が言っていたな。ずっと背負ってきた概ね二泊分、五十リットルのバックパックがやっと役に立つ日が来たのかもしれない。

 あたしは適当な長椅子の窓際の席に腰掛け、リーリエがその隣に座る。ふわりといい匂いがする。いや、別に構わないのだが、沢山空いているから他の席に座ればいいのに。でも、他の席に座れと言うのは何だか嫌っているようでどうかなというのもある。

「ユウケさん、その……ありがとうございます。母様とは駄目でしたが、兄様とお話ししまして。兄様が出て行った理由も知ることができました。家族の事情に巻き込んでしまって……」

「いいよ、別に。美人の涙が最優先さ」

 リーリエは軽く俯いて、あたしの手を握る。少し震えている。昨日はあまりにも色々ありすぎた。一晩で何もかもを整理するのはやはり無理だったのだろう。ぎゅっと手を握り返す。

「無理に何も言わなくていい。疲れてるなら寝ててもいいから」

「……はい」

 顔を見られるのは辛いだろうと思って、窓の外を見る。海が後方に、船の速度で流れていく。リーリエの手が温かく柔らかい。あたしも、ちょっと眠たくなってきた。

 

 ポケモンは瀕死になった後どうなるか。ポケモンの瀕死と死亡までには断絶とまでは言わないがそれなりに間がある。トレーナーのポケモンならボール側の安全装置が作動し、自動的にポケモンが収容される。ボールの緊急排出装置を使用しない限りは再度ポケモンを出すことはできない。では、野生のポケモンはどうか?基本的には、野生のポケモンは瀕死になる直前に逃走を図る。瀕死になったとしても同じで、約十二時間程度の休養で回復する。というのが、義務教育及びポケモン所持免許講習での説明であり、基本的には間違っていない。実際に十二時間の休養が取れるポケモンがどれくらいいるかという説明を省略しているだけだ。普通のトレーナーは、この説明で満足してしまい、この先を知ることがない。政府の陰謀論だの隠蔽だのそういうものでもなんでもない。論文を探せば『ポケモンにICチップを撃ち込んでから瀕死にさせ、追跡調査する』という単純極まりない実験とその結果がすぐに出てくるのだ。実験の結果、十二時間後の生存率は二十七%。ほとんどは回復前に他のポケモンに襲撃されたり、そのまま力尽きて死亡したりしている。トレーナーはポケモンを殺している。知らないから、安心してポケモンを倒すことができる。自分への弁護をするために、知らないままでいた方がよかった。

 

 うつらうつらしていたらしい。目が覚めたのは到着のアナウンスではなく、こつんと肩に柔らかな重みが乗ったからだ。リーリエも同じく寝てしまったのだろう。起こさないよう気をつけよう――と思う間もなく、船による振動が進行方向に加わった。起きているあたしはともかく、眠っている彼女はそれに抗うこともなく、こてんと寝転がる。あたしの膝の上に。膝枕という奴だ。遺憾ながら友達が少なく、恋人なんてものはいなかったあたしにはかなり刺激的な姿勢だ。倒れ込んだ衝撃で目を覚ますかなと思ったが、そんなこともなく、すやすやと眠っている。無防備な顔を見ていると、僅かな劣情と、庇護欲――いや、これは、自分自身にあるかどうか疑っていた母性本能という奴だろうか。さらさらと陽光を弾いて輝く髪を撫でてあげたい。これは劣情由来ではなくて安眠促進だ、と、自分でよくわからない言い訳をしながら、恐る恐る指を伸ばし、さらりと髪を梳く。彼女の口から漏れる小さな声に起こしてしまったかとビクっとしたが、そうではないらしい。

「かあ、さま……」

 ブーストチャージを頭に食らったような衝撃。一呼吸してから、あたしは邪心なく彼女の頭をゆっくりと撫でた。

 

 本を取り出そうとしてリーリエを起こしたくなかったので、外をぼんやり眺めること体感時間十五分、船がポニ島に着いた。船着き場に多種多様な船が停泊している。今までの島で見たような、それぞれの島を結ぶ定期連絡船やフェリーでなく、ポケモンを模した船ばかりだ。膝の上で寝ているこの子を起こすのは忍びないが、この連絡船はあたし達二人のためだけに出してもらったものだし、降りなかったら不審がられるだろう。

「お客さん、終点ですよ」

「ううん……あと五分……」

 バックパックがなければ背負っていってもいいのだが。さすがにお姫様抱っこは無理だ。もうちょっと強く揺すった。

「……はっ……寝ていましたか?」

 ようやく起きたリーリエは口元を気にしてから、何を枕にしていたのか気付いたようだ。大丈夫、涎とかは出てない。出ていたらあたしはそこに見えるポケモンセンターで着替えて、今履いているズボンは永久保存するが。

「ごめんなさい……」

「疲れてたんでしょう。いいよ」

 船から先に下りて、リーリエの手を取る。寝起きだし、桟橋が結構低いので念のためだ。なぜかリーリエの顔が赤い。寒いのだろうか。

「ありがとうございました」

 連絡船の人に声をかけて頭を下げた。島キングを探さねばならない。

 

 見知らぬ人に「島キングがどこにいるかご存じですか」と聞けるかどうか。あたしは聞けない。そこで、あたしは「島キングやらキャプテンやらの連絡会議に出ていた」というククイ博士に電話をかけることにした。エーテル財団絡みの案件は、ハウ君から報告が行っているので大丈夫――なはずだが、自分で報告しておいた方がよかったな。

「ユウケじゃないか。またエーテル財団関係で何かあったのかい?」

「いえ、そちらはハウ君から連絡して以降、今のところ何もない状態ですね。別件でお聞きしたいことがありまして。今、ポニ島に来てるんですけど、島キングがどこにいるかご存じですか?」

「今は島キングがいないんだよ。空位という意味でね」

「それは……困りましたね」

「とりあえず、ハプウの家に行ってみてほしい。先代島キングが、ハプウのお爺さんだったんだ」

「ハプウさんって、大きいバンバドロを連れた背の低い、眉の太い意思の強そうな人ですか?」

「会ったことあったかい。そうだよ」

「わかりました。今、ポニ島の桟橋なんですけど、ハプウさんの家はどこですか?」

「北東に道なりにいけば着く。確か、ポニ島にある家はハプウ家の一軒だけのはずだ」

 ポケモンセンターと周囲の船舶群、民家一軒がポニ島の全てなのだろうか。まあ、人が少ないならそれはそれで構わない。

「わかりました。ありがとうございます」

「ああ。気をつけて」

 

 観光客らしい人と、その連れているポケモンらしいサニーゴと戯れていたリーリエに声をかけた。

「島キングに就いてる人がそもそもいないんだってさ」

「えっ。それは……困りますね」

 まあそうだよね。同じような反応をする彼女が面白いが、面白がっている場合ではない。

「ククイ博士に聞いたんだけど『ハプウさんの家に行け』、ってさ」

「ハプウさんって、ユウケさんと同じくらいの背の、バンバドロを連れた方ですか?知り合いの人かも……」

「……あたしの方が背が高いはず。だけど、多分、同じ人だよ。行こう」

 実際のところ、身長差は誤差なのかもしれない。在宅しているかはわからないが、まずは行って確かめよう――と思ったところで、遠くから声をかけられた。

「いらっしゃーい!どっちが試練の挑戦者かな?」

 船の上に人が立っている。女性だ。ちょっと遠いので近づく。フェイスペイントが奇抜だが、よく見ると綺麗な人だ。

「え、えーと、違います。いえ、違わないんですが。ユウケさんは島巡り中の挑戦者なんですけど、先に島キングに用事がありまして」

「あー、ハプウちゃんのところね」

「ユウケです。それが終わったら挑戦したいと思います。よろしくお願いします」

「そうそう、あたし、キャプテンのマツリカでっす。そっかー、気をつけてねー」

 二人で頭を下げてその場を後にした。なぜ船の上に乗っているのか、住んでいるのかは聞けなかった。

 

 人口密度が減れば減るほど、普通は野生のポケモンが強くなる。都市部の近くでは人間に衝突することが多いし、人間に慣れていないポケモンは都市の大きな生活騒音を好まないからだ。住宅地を開拓――人口が激減した大戦後には珍しい例だが――する時には、事前にトレーナーが大量に動員され、ポケモンは追い払われる。稀にはぐれた強力なポケモンが里の近くを彷徨くこともあるが、近くのジムトレーナー等に駆除依頼が出される。弱いポケモンしか連れていない都市部の人間には危険だからだ。

 そして強いポケモンが沢山いる場所には強いポケモンと戦ってポケモンを鍛えたがる人間が増える。ポニ島は修行場の体をなしていた。結果、有象無象のトレーナーを蹴散らす羽目になったが、ともかく目的地であるハプウ家らしき家にたどり着いた。

「無駄に疲れた。リーリエもよく着いてきてくれたよ。ありがとう」

「わたしは、ゴールドスプレーがありますし、ユウケさんがいてくれましたから。ポケモンの回復は、道具があれば大丈夫なのですけど」

「人間用のは疲労がポンと飛ぶのとかないからね。しかし、本当に民家無いんだね。トレーナーは売るほどいるのに……」

 よそ行きの顔。よそ行きの顔、と念じながらドアをノックする。「はーい」という声の後に現れたのは、やはりあたし達の見知った人物だった。

「おお、ユウケにリーリエか。よう来た。しかし、リーリエ、見違えたのう。全力という感じじゃ」

「やるべきことがありまして。全力の姿です!」

「ほほう。頑張るリーリエ。いわばがんばリーリエじゃのう!」

 ドヤ顔するハプウさん。ガッツポーズするリーリエ。いや、うん、嬉しいならいいけど。色々応用が利きそうだな。

「立ち話も何じゃ、入るといい」

「「お邪魔します」」

 ともかく、人違いでなくてよかった。込み入った話をしないといけないので初対面の緊張感を克服する時間も省けるのがありがたい。

 

 ハプウさんの祖母らしい人にお茶をいただき、手土産がないことに恐縮することしばし。あたしがまず口を開いた。

「ポニ島の島キングって、今はいないんですか?」

「うむ。先代はわらわの祖父だったのじゃが、今はおらん」

 あたしは後頭部を掻いた。

「参ったね。早急に島キングに会う必要があるんだけど」

「ふむ、なぜじゃ?」

 あたしはリーリエの顔をちらっと見てから、言葉を続けた。

「ウルトラホールの先の世界の世界に行った人がいて、その人を連れ戻したい。そのために『月の獣』に捧げる儀式をしないといけないんだけど、銀の笛って知ってる?」

「こういうものらしいのですが」

 リーリエが金の笛を出してくれる。しげしげと笛を見るハプウさん。

「ああ……ナッシーアイランドにある。あれは確かに島キングの管理するものになっておるからな」

 神に捧げるものを準備するために勝手に取りにいくわけにもいかないだろうな。そもそも場所もわからない。

「ユウケさん、どうしましょう」

「ちょいちょいっと借りるだけとか、何とかなりませんかね?」

「まあ、心当たりがないわけでもない。急ぐなら、今からでも彼岸の遺跡に行くとしよう。着いてくるといい」

 

 黒い砂浜を抜けた先に佇むのが彼岸の遺跡、カプ・レヒレを奉る遺跡だ。

「ここじゃな」

「カプ・レヒレさんは不思議な水で汚れを清めていたそうです。ほしぐもちゃんが元気になればいいのですけど」

「どう、かな……恩恵があればそれに越したことはないんだけど」

 この間の図書館で読んだ本には件の「水を求めてやってきた人間に失望して姿を見せない」ということが書いてあったはずだ。笑顔でやる気満々のリーリエにそれこそ水を差してもしょうがないし、人間ではなく困っているのはポケモンだと言えなくもない。ちらりとハプウさんを見ると、期待できなさそうな微妙な表情をしている。

「今度こそ、ほしぐもちゃんを助けたいんです。行きましょう、ユウケさん、ハプウさん!」

「暗いから、足下には気をつけてね」

 こっそりとあたしは溜息をついた。人ならぬものの思惑を読もうと思っても仕方がない。少なくともほしぐも――ちゃんに関してはこれ以上悪いことにはならないだろう。

 

 遺跡に入ると、あたしより背の高い馬鹿でかい岩が行く手を阻んでいる。

「『かいりき』の秘伝マシンなんか持ってないんだけど、どうしたもんかね」

「大きな岩ですね。よいしょ……ううっ!」

「おお、そうであったな。ライドギアを貸してくれ」

 ハプウさんにライドギアを渡す。

「いや、リーリエ。無理でしょ、それ」

「はあ、はあ。駄目です。言葉にできないくらい重くて……」

 いいものみたなあ、という気持ちにはなるが、このサイズの岩は絶対動かない。

「ざっくり縦横高さ二メートルとして、八立方メートルだから、八千かける……まあ仮に比重が二として、一万六千キログラムってところか。中ががらんどうとかでない限り、十六トンはあるからね、それ」

「こんな大きい岩、誰が置いたんだロ」

「……カプ神かな?」

 岩とあたしを交互に見て目を丸くするリーリエ。ハプウさんが小さく笑って、手元のライドギア操作を終えて返してくれた。

「家におるカイリキーをライドポケモンとして使えるようにした。試しに乗って見るといい」

「ありがとうございます」

「ああ、それと、敬語でのうてもええし、さん付けは何というか、くすぐったいから止めてくれんか。リーリエは誰に対しても敬語らしいが、ユウケはそうでもないんじゃろ」

「あー……うん。それは、助かる」

 喋りながら、ライドギアを操作。不明なポケモンが接続されました。現れたカイリキーに抱きかかえられるあたし。

「お、お姫様抱っこですか……!」

「これは結構恥ずかしいね……」

「そうか?収まりがよさそうじゃが」

「ボクもユウケを抱っこしたいロトー!」

「でんじふゆうで上に乗るとかならできるかもしれないけどね……」

 こんなに賑やかにしてカプ神に怒られないか心配になってきたので、あたしはカイリキーに岩を押させて、さっさと奥に進むことにした。

 

 守り神ポケモンは島の好きなところにいて、普通は会えないと本で書いてあった。遺跡で呼びかければ姿を見せてくれる可能性もあるらしいが、それも相手次第。何気にアローラ地方のカプ神の遺跡に入るのは初めてなので、興味がそそられてキョロキョロと周囲を見渡してしまう。

「遺跡に常にいるかわからない神の気まぐれを当てにしないといけない、ということですね」

 リーリエはほしぐも――ちゃんをバッグから出してやる。相変わらず石のように動かない。ハプウは遺跡の奥、祭壇へ。

「ほしぐも……ちゃんは、変化無し、か」

「残念です……」

 ほしぐも――ちゃんをバッグに戻す落胆したリーリエにどう声をかけようかと思いながら、奥の祭壇に目をやると、ハプウの奥に光る石――Zリングの元になった石が浮かんでいた。小さく、ハプウの声が聞こえる。

「確かに授かりました。島クイーンとして、人々とポケモンのため尽力します」

 島クイーン、もしくはキャプテンになるのには、Zリングが必要だとどこかで聞いた覚えがある。つまり、今、島クイーンの空位が埋まったということか。

「おお、見ておったか!島キング、島クイーンは守り神が鎮座する島の居住者から選ばれる。リーリエから聞いたが、ユウケは遠いところからアローラに来たばかりであろう。輝く石を授かるのは特別なことなのじゃ」

 自分のZリングをマジマジと見る。

「ホウエンから越してきた次の日にもらったんだけど、そんな凄いもんだったとはね」

「数年前に島キングだった爺様が亡くなってから、受け継ごうとしたんじゃが、選ばれんでな。島巡りのように各地を回って鍛え直した。リーリエよ、探しておった島クイーンはここにおる」

「は、はい!島クイーンさん!伝説のポケモンさんについて教えてほしいのです!」

 ドヤ顔のハプウと笑顔になるリーリエ。あたしもとりあえず一歩前進で一安心だ。

「月輪の祭壇に奉られるルナアーラのことかのう」

「ウルトラホールの先、遠い世界に行ってしまった母様を追いかけたいのです!そこに、ネクロズマさんという怖いポケモンさんがいるので……伝説のポケモンさんの力を借りたいのです!見知らぬ世界を行き来する、伝説のポケモンさんの力を!」

「ビーストのおる世界じゃな。爺様に聞いた。空に開いた穴の向こうから通じている世界のことかのう。知っていることを教えよう」

「助かるよ」

「ハプウさん!」

「というてもな。祭壇で行う儀式とは伝説ポケモンのため、二本の笛で音色を奏で、力を与える……というものでな。伝説ポケモンをわらわも自分の眼で見たことはない。まずは笛を取りにいくか。海の民の村から船を出してもらうとしよう。わらわも行く。島クイーンになったことを伝えんといかんでな」

「わかりました!」

「ありがとう。助かるよ」

 

 あたし達三人は海の民の村に戻って来た。マツリカさんを探さねばならない――すぐ見つかった。髪の毛の色でわかりやすいな。

「マツリカよ。ハプウが島クイーンになったでな」

「おー、おめでとう。っていうか、それまでクチナシさんがこの島の大試練の面倒を見てたのは、そういうことだったんだ」

「早速で悪いが、ユウケとリーリエの二人が、ナッシーアイランドに用がある。月の笛を取りにいかんといかんでな。船を頼みたい」

「ほいほい。団長さんに頼むよ。あー。団長さんってのは、この村の一番偉い人、かな。コイキング船の持ち主の人。マツリカ、先に行ってるから」

「「ありがとうございます」」

「では、気をつけてな。無事を祈っておるぞ」

「ハプウ、何から何までありがとう。助かったよ」

「ハプウさん、色々と助けてくださってありがとうございました!」

「何、気にするな。二人の友達のためじゃからな」

「友達……凄いトレーナーさんで、島クイーンさんのハプウさんと。嬉しいです」

「いや、本当にありがとう。今度は土産を持ってくるよ」

 ハプウを見送って微笑むリーリエと、何とか笑みを作ろうと頑張るあたし。表情筋が素直に言うことを聞いてくれる人は羨ましい。

 

 またも船の上から声をかけられた。船の上に今度はマツリカさんと壮年の男性とペリッパーが一匹。

「わしを呼んだな!」

「呼んだのはマツリカだけどね」

「話は聞かせてもらった!ナッシーアイランドは滅亡する!」

「いやしないけど」

「したら困りますね」

「困るね」

「冗談ですがな。ナッシーアイランドお連れしましょ」

「「ありがとうございます」」

「どえらいポケモンがおるところやけど、えー……トレーナーはどっち?」

「あたしです。ユウケと申します」

「ユウケはんか。ちゃんと相棒を守ったれるか?」

「ええ。最善を尽くします」

「ユウケさんは、今までもわたしを守ってくれた、凄いトレーナーさんなんです!」

「そうか。じゃあ、一緒に行っても大丈夫か。二人とも乗り。コイキング号でぼちぼち行くでな」

「「よろしくお願いします」」

 

 ナッシーアイランドまではさして時間がかからなかった。無人島の椰子の木に団長さんが舫い、あたし達も降りる。空がずいぶん曇ってきたのが気になるが、船に乗っている間に荒れなかったのでマシか。

「着いたで。何でも昔はここが試練の場所やったらしいな」

「椰子の奥に三匹ほど、でっかいのがいますね。あれがナッシーのリージョンフォームですか」

「せや。しかし、今日はえらいナッシーが騒がしいな。元から騒がしい奴らやから、問題ないとは思うけど。ともかく、頑張りよし!」

「ありがとうございます。おー、凄い元気そう」

「ありがとうございます……アローラのナッシーって、いつもあんな感じなのでしょうか……」

「首がブンブンしてるロト!」

 無人島だからといって、静謐なわけではない。人間の生活音の代わりに人間以外の生活音があるだけだ。あたし達という余所者が邪魔をしない限りは。

 

 単眼鏡で暴れているナッシー三匹の上の方を見ると、どの個体にもカイロスがへばりついている。樹液――体液か?目当てなのだろうか。捕獲したポケモンには基本的にポケモンフーズか木の実しか与えないあたしは、カイロスという馴染み深いポケモンでも何を食べて生きているのかわからない。ともかく、上から下まで眺めてみてもナッシーが暴れる原因はこれくらいしか見当たらない。ナッシー三匹ともにカイロスが付いているから、多分そうだろう。

「とりあえず、あのカイロスをはたき落としてみたらいいかな」

「お気をつけて」

「大丈夫大丈夫、やるのはハガネールだし。よろしくね、ハガネール」

 ハガネールの大きさなら問題なく届くだろう。

 

 三匹のカイロスをはたき落として仕留めたら、推測通りナッシー達は大人しくなった。急激に辺りが静かになる。ナッシーの異常に息を潜めていたであろう他の生き物達が動き出す気配がする。ハガネールを撫でてやって、ボールに戻す。

「片付いたかな。ご苦労さん、ハガネール」

「凄いです!」

「単に勘が当たっただけだよ。大したことじゃない」

「そうでしょうか……」

 大げさだなあと苦笑いしたところで、ぽつりと水滴が頬を濡らした。天候が崩れてきたらしい。合羽はゴアテックスのしっかりした奴と、予備の百円均一で買った合羽があるから、何ともならないわけではない――のだが、リーリエに手を握られた。

「ユウケさん、あそこで雨宿りしましょう!」

「へっ、あ、ああ、うん」

 指さす先に、確かに雨宿りによさそうな岩陰がある。ゆっくりと走り始めるリーリエに手を引かれるように走った。

 

 雨が降り始めた。岩陰に入る前に見た西の空は明るかったので、それほど時間はかからず止むだろう。

「スカートが濡れちゃいました」

 あたしはリュックからハンドタオルを引っ張り出して彼女に渡した。

「あっ、ありがとうございます。洗って返しますから」

 あたしは手で別に構わないと伝えた。何だったかのイベントでもらったタオルだし、別に構わない。やや不服そうな顔で仕舞われるタオル。バッグから紅茶のペットボトルと、チョコレートバーを差し出す。

「飲む?食べる?」

「紅茶、いただいていいですか。お腹は減ってないので大丈夫です。ありがとうございます」

 あたしはチョコレートバーを袋の中でへし折って一口大にしてから口に放り込んだ。二人でぼんやりと景色を眺める。

「アローラの雨、ですね。わたし、雨を見ると思い出すことがあるのです。小さかった頃、映画の真似をして雨の中、歌い、踊っていたら」

 うんうん、と頷いて続きを促す。映画か。雨の中、傘を差さずに踊る人間がいてもいい。自由とはそういうことだ。の、元ネタの『雨に歌えば』だろうか。

「驚いた母様が傘も差さずに飛び出してきて。母様……笑顔で一緒に歌ってくれたのです」

 記憶に微笑む彼女と、見知った人物像との落差に驚くあたし。

「ユウケさんも、意外ですよね。その後、二人で風邪を引いて、一緒に寝込むことになったのに。わたし、嬉しくて何度も何度も母様を起こしちゃって……」

 ずっとああいう感じできっつい抑圧的な家庭だったのかなと、うん。思ってしまっていた。後ろ頭をがじがじと掻く。

「でも、今は、ウルトラビーストとウルトラホールのことだけ考えるようになって……ヌルさんやほしぐもちゃんを……」

「特定の知識が、毒になることもある。解決策が一つしか無いと思う時はなおさらね」

 小さく頷く彼女。あたしは言葉を促すために、口を閉じて彼女の目を見る。エメラルドグリーンの綺麗な目が揺らぐ。

「わたし、何もできないから……困ってばかりでした。困った時に、ほしぐもちゃんが助けてくれて……。その後は、ずっとユウケさんが助けてくれました。でも、助けてもらってばかりではいけないなとも思うのです」

「あたしは、好きでやってるだけだから構わないけどね。ほしぐも……ちゃんも、多分だけど、リーリエが好きだから」

「えっえっ、ええっ……?」

 顔を真っ赤にしてリーリエが黙り込んだ。可愛い。何か変なことを言ってしまっただろうか、と思いながら続ける。

「ただ、ほしぐも……ちゃんもだし、あたしもだけど、いつでも力になれるとは限らない。そして、力が無い理想は無力だ」

「そ、そうですよね……。だから、わたしも、トレーナーさんになりたいと思うようになりました。ユウケさんもハウさんも、ハプウさんも、トレーナーさんは道を開く人達だと思ったんです」

「二人はともかく、あたしはそんなたいそれたもんじゃないけどね。あたしは……あたしは、ただの負け犬だ」

「そんなことないです!」

 リーリエ、こんなに大きな声が出せるのか。一瞬怯んでしまった。

「あたしを知らないから、そう思うだけだよ。あたしは……人付き合いから逃げるためにトレーナーになって旅に出たし、あちこちふらふらしているのもそう。ここに来たのだって、世界リーグの選手としてどうにもならなくなったからで」

「逃げていい時に、逃げたら駄目なんですか?ユウケさんは、逃げたら駄目なときには逃げない人ですよね」

 逃げていい時とそうでない時。そんなこと、考えたことがなかった。戦うか逃げるかの二択だけで、その前に逃げていいかなんて考えたことがない。アクア団との一件でも、関わった四人の中で、あたしが一番最初にビビったと思う。逃げなかったのは。

「初めて会った時もニャビーさんしかいなかったのに、必死で助けてくれました!あの時、オニスズメさんだけでもどうすればいいかわからなかったのに、橋まで落ちて……わたし、わたしは」

 泣きそうなリーリエを見て胸が痛む。でもこれは自分のせいだ。あまりにも彼女が眩しくて美しいから目がくらんでしまって、薄汚い巻いた尻尾と傷だらけの小汚い毛皮を隠してすり寄った負け犬の自分が言わなければいけない。言えばきっと失望されるだろうけど、隠したままでは、家族の野心や望まずつきまとう家柄、あるいは使命を受け入れて戦う彼女達と肩を並べることなんてできない。そもそも、そこにあたしの席は最初から無かったとしても。嘘で玉座を作ることはできるが、それを維持することはできない。

「あの時だって橋が落ちるってわかってたら見捨ててたよ。あたしはそんな奴」

「どうして!どうしてですか!?」

 その美しい瞳からぽろぽろと大粒の涙をこぼす彼女がいたたまれなくて、目を見られない。

「わたしは、わたしだって!大好きなユウケさんを馬鹿にされたら怒ります!それがユウケさん自身であってもですよ!」

 あっ、と口を抑える彼女。顔が真っ赤だ。怒ったことを恥じてだろうか。そうだな。彼女が本気になって怒るのは滅多にない。ましてや、ここまで赤くなって怒るなんて。期待と失望の差が大きいからだろう。ここまで話してまだ誤解されたまま、信頼で輝く瞳で見続けられるのは、きっと耐えられない。だからあたしは、彼女が怒ることをわかったうえで続ける。

「知られれば知られるほど、失望されるから」

「だったら、教えてください!わたしに、ユウケさんのことを。そう、そうですよ!そのために……トレーナーさんとしてのことをわたしに教えてください!前に言いましたよね。『トレーナーになりたいならいつでも教える』って!」

「リーリエが失望するまででいいなら、いつでも、いつまでも教えるよ。島巡りが終わってからの身の振り方はまだ考えてないけど、あたしがまた旅に出ることになって、付いてきたいなら来てもらっても構わないし」

「失望なんてしません!といいますか、それって……」

 一転してなぜか嬉しそうになるリーリエ。こんなのでも役に立つだろうか。それがいつ失望に変わるか、考えるだけで胃が悲鳴を上げそうだ。

「期限付の弟子みたいなもの、かな。お金も取らないし、嫌になったらさっさと見切りをつけてもらって構わないけどね」

 皮肉を込めて笑おうとする。上手く笑えているだろうか。

「あの……ユウケさん?」

「……何?」

 リーリエがにじり寄ってくる。岩陰の、出口ではなく岩の方にじりじりと追いやられるあたし。

「な、何……?」

「わたし、さっき、言いました。ユウケさんに怖がられたりしたくなかったので、本当は言うつもりがなかったのですけど」

 今の話の、どれがそうだ。困惑しながら記憶を検索する。発言の意味が不明です。怒られるのはわかる。失望され、幻滅されるのもわかる。だがあたしが怖がる要素がわからないし、今にじり寄られるのはもっとわからない。

「ユウケさんは臆病でヘタレでビビりだから誤魔化してるんですか?それともびっくりするほど鈍感なんですか?本当にわからないんですか?」

「ごめん。本当に……何が悪いか、悪いことしか言わなかったから、リーリエが怒ってるのか。それもわからない。それが、申し訳ないよ」

 追い詰められた。殴られるなら殴られるで仕方ないと思っているし、抵抗する気もないのだけれども、なぜ間合いをもっと詰める。インファイトか。これ以上は下がれない岩陰に背を預ける。顔が、顔が近い。真っ赤な顔で、リーリエは小さく言葉を押し出すように続けた。

「怒ってません。いえ、怒ってますけど。今怒っているのは、ユウケさんがユウケさんをけなすのと、あんまりに鈍いからです。わたしは、ユウケさんが好きです。Likeではなくて、Loveです」

 自分の顔が見られないからわからないが、多分、その日一番アローラ地方で頭の悪そうなぽかんとした間抜け顔大賞を決めるなら、あたしのそれになっただろう。

「え、何?その……リーリエが。あたしを?」

 真っ赤になりながら、それでもあたしの目を見てはっきりと言う彼女。

「そうです!ユウケさんが好きです!愛してます!」

 何か答えないといけない。ぱくぱくと口を開く。

「や、やっぱり……怖い、ですか?女同士なのに、って」

 恐怖と動揺を含んだ瞳で見つめられ、ぶんぶんと首を横に振った。

「あたしは、女性同性愛者(レズビアン)だから、別に全然」

「じゃあ、ひょっとして、もう誰か、いるんですか?」

「いや、いない。むしろ嬉しいけど……え、あの、もしかしてさ」

 ぎゅっと抱きしめられた。彼女は耳まで真っ赤になっている。きっと、あたしもそうなのだろう。

「『何かの罰ゲーム?』なんて聞いたら、もっと怒りますからね。ユウケさん、わたしと、付き合ってください」

「えっ、あっ、あの、はい。喜んで」

 背中に回された彼女の手がほどかれる。目の端に涙を溜めて真っ赤になりながら、それでも悪戯っぽく笑う彼女が眩しい。

「返事をもう一回、聞かせてくれませんか?」

 すぅ、っと息を吸い込んで、腹に力を込めてもう一回。

「あたしも、リーリエが好き。恋人になりたい」

「はい!」

 彼女が目を閉じた。あたしはもう間違えなかった。初めて彼女と合わせた唇は柔らかく、舌を絡めたりもしていないのに腰が抜けそうなほど気持ちがよかった。人生初の恋人とのキスは、紅茶とチョコレートの味がした。

 

 まるで話が終わるのを待っていたかのように雨が上がり、綺麗な虹が出た。

「大きな虹。綺麗なもんだね……」

「いいことありそうだと思いませんか?さっきいいことがあったのですから、もっといいことがあるのかも」

 確かに、凶事の前触れには見えない。白虹でもない。あたし達はごく自然に手を繋いで、島の奥に足を進めた。

 

 雨が降る前に助けたナッシーが、奥に行くのに橋渡しをしてくれた。ナッシーの首の上を歩くなんて初めての経験で、自然と笑みがこぼれる。

「何だか、得をした気分です。着いてきてよかった」

「そうだね。普通はできない体験だと思うよ」

 鬱蒼とした草むらをかき分けて歩みを進めると、祭壇にたどり着いた。銀の笛が台座に置かれている。

「これが、ルナアーラさんに捧げる儀式のための笛ですね」

 あたしは小さく手を合わせて、お預かりしますと呟いてから笛を手に取り、丁寧に鞄に仕舞い込んだ。

「それじゃあ、行こうか」

「はい!」

 握る手に守るべき暖かさ、その重みを感じつつ、それも悪くないと思った。あたしには相応しくないのではという不安と等価であるとしてもだ。




虹色わんこさんに主人公ユウケの絵を描いて頂きました。とても美人なので是非ご覧下さい。(1/12投稿分挿絵と同じです)

【挿絵表示】

虹色わんこさんのサイト・twitterはこちらです。
http://iridescentdog.seesaa.net/
https://twitter.com/iridescent_dog


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、思い出:ジョウトの湖畔にて

 人間は何を怖がるか。同じ知恵を持つもの――人間。また、未知なるもの。そして、自分達によく似ているもの。

 では、その三つを併せ持ったものがいるとしよう。宇宙人でも吸血鬼でも、悪魔でもまあ何でもいい。

 人間が類人猿を滅ぼさないのはなぜか。人間より愚かだからだ。

 人間がポケモンを滅ぼさないのはなぜか。人間より愚かだからだ。

 人間が類人猿もポケモンも滅ぼさないのはなぜか。どちらも人間とは区別ができるからだ。

 

 想像してごらん、人間と他の生き物の間に違いなんてないんだと。

 ほら、簡単だろう?

 地面の下には地獄はないが、地面の上に地獄は作り得るのだと。

 ああ、想像してごらん、皆が万人の万人に対する闘争をしているさまを。

 

 あたしがまだジョウトにいた頃の話だ。スイクン、エンテイ、ライコウの三匹を追いながら、飯の種を探していた。地方リーグの元チャンピオンとしてそれなりの費用を支給されていて服、飯、宿のどれにもすぐに困る状態ではなかったが、それなり――まあ、二週間ってところか――に時間がかかりそうだと踏んだあたしは、ポケモンセンターでついでにできる仕事を探しながらジョウトのあちこちを自転車、そして街中は徒歩で彷徨いていた。実際には一か月と少し、犬追物の真似事をする羽目になったが、まあそれはいい。

 目をつけたのは、というより、目についたのはでかい仕事だった。普通はポケモンセンターの情報板なんかに出す金額じゃない。なるほど、馬鹿共が集まりそうな話だった。

「『人間に化けたメタモンの殺害、もしくは捕獲。情報提供でも一定の謝礼あり』。人間社会に紛れ込んだそれを対象としている、か」

 メタモンは何にでも化けることができると言われる。ただし、一部例外がある。自分より知能の高いものに完全に化けきることができないのだ。例えば、人間だ。人間の外見を模すことはできるが、社会生活を営むことができない。昔読んだ論文では、メタモンの能力では、人間の脳の構造をコピーしきることができないために、例えばポケモンをコピーした際に記憶と技をコピーできるようにはいかないだとか。公式には、そうなっている。あたしの読んだ論文でも、学会でも、研究者の間にでも。

 噂だ。くだらない噂だけが、例外を伝えるのだ。都市伝説、怪談、民話、そういった類の与太話。

 曰く――突然変異のメタモンは、人間に完全に化けられる。

 曰く――死んだと思っていた祖母が帰ってきた。受け答えはできる。老齢のせいかと思っていたが、家で長いこと飼っていたガーディが狂ったように吠えかかる。モンスターボールを試しに投げてみたらボールが反応したので叩き殺したらメタモンだった。

 曰く、曰く、曰く。生物学の論文の箸休めに民俗学を紐解けばわんさか出てくる。ポケモン発見以前に伝わった山姥やら何やら、世界中に伝播する「人間に化ける何か」はメタモンが含まれるのではないかという論考もある。少なくともあたしは見たことはない。

 だが、この金額は、下らない与太にしては常軌を逸している。この金額であれば、おそらくポケモン協会に預託金を出しているはずだ。おまけに出資元がそれなりに有名な家なのも、信頼性らしきものの助けになっている。腕利きの信頼できるトレーナーでなく、ポケモンセンターの情報板を使うのも、人捜しに近いからだろう。ただ、現段階の情報では雲を掴むようなものだ。ジョウトの中でも北半分で伝聞に近い目撃情報のみ。

「下らない」

 あたしは頭の中からその依頼を放り出した。

 

 他のトレーナーを出し抜いて、エンテイを捕まえられたのは馬鹿げた依頼を見た二週間後だった。山に十日も籠もった甲斐があったというものだ。平押しする口先だけの連中のお陰で、エンテイはあたしが目をつけていた巣穴のうち一つに戻ってきたのだ。本命はスイクンだったが、あたしも大概コレクター気質だった。

 ポケモンセンターに戻って情報板を見ると、件の依頼内容が更新されていた。

「人間に化けて社会に溶け込んだメタモンは『エンジュシティ、キキョウシティ、チョウジタウンのどれかにいる』だって?」

 何でも情報提供を受けた後、別の人手を使って情報を洗っていたらしい。金持ちの道楽にしては手が込みすぎていると思った。思ったが、それだけだ。

「馬鹿じゃないの」

 その日はエンテイ捕獲祝いでフレンドリィショップでしこたま酒を買って、宿で飲んで寝た。

 

 ライコウを追い詰めて、そして捕まえたのは、三日後だった。

「ツキの無いあたしにも、やっと回ってきたかね」

 本命、あたしが一番欲しがっているのはスイクンだ。正直なところ、他の二匹は他のポケモンでも似たようなことができ、代用できる。だが、スイクンは必要だ。今日はもう間に合わないにしてもだ。あたしは最寄りのポケモンセンターの宿泊スペースで、誰にも邪魔されずに夢も見ずに寝た。

 

 マスターボール。後生大事に持っていた切り札が、スイクンを捕らえた。後は、地方リーグに行って、終わったら一旦帰省してもいい。長いこと帰っていなかった。

「二週間近い山ごもりは、応えた……」

 幸い、エンジュシティが近かったので、あたしは精進落としに夜の街に出たのだった。

 

 エンジュシティの馴染みの店でしこたま酒をきこしめたあたしが、スリに気付いたのは旅の有難くない経験のお陰だった。

「小僧、待ちな」

 あたしの真後ろで足を止めた、あたしのポケモンが止めさせたガキの肩に手をかけた。六、七歳というところか。

「な、なんだよ」

「あたしの財布をスろうなんていい根性してるじゃないか。今すぐ土下座したら許してやるよ」

「し、知らねえ」

「あたしのポケモンに殺されるのと、あたしの財布に入ってる分のカネを返すのとどっちがいい?ゲンガー」

 あたしの命令に従い、影に入っていたゲンガーがガキの前に姿を現す。

「わかった!返す、返すから!だから放してくれ!」

 財布の中身をちらっと見て盗まれてないことを確認してから、ガキに財布の中身を見せる。

「今、十五万円入ってる」

「そっ、それがどうしたんだよ」

「『あたしの財布に入ってる分のカネを返せ』って言ったね。十五万出しな」

「はあ?!」

「ならあんたの指で勘弁してやるよ。指一本飛ばしたら大体二、三十万ってところだろう。路上だから半額の一本で許してやる。どの指がいい?右手と左手から選ばせてやるよ」

「う、嘘でしょ……?」

「あたしは嘘が嫌いなんだ。十数える間に決めな」

「わ、わかった。有り金全部で許してくれよ。なあ」

「……金額によるね。ゲンガー、左手だけ動かせるようにしてやりな」

 ガキの左手が財布をポケットから取り出した瞬間、一緒に何かが転がり落ちた。あたしは慌てて飛び退いた。

「ゲンガー!あたしを守れ!」

 煙幕――けむりだまか!煙の中、あたしはあのガキと目が合ったような気がした。誰かに似たような目。追い詰められた獣のような、恐怖と生への執着に満ちた瞳。

「くそババア!くたばれ!バーカ!」

 逃げられたか。あたしは舌打ちした。向かいの路上酒場――公道での営業は当然違法だが、客の頭蓋骨を叩き割らないだけ大人しい――で飲んでいたおっさんがへらへらと野次を飛ばす。

「姉ちゃん、惜しかったな。あのガキ捕まえたのはあんたが初めてだけどな」

「あいつはいつでもこの辺で『仕事』をしてるの?」

 おっさんはビールを飲み干す。あたしは千円札を取り出して、ビールを二杯頼んだ。おっさんは当然のように差し出されたビールを飲む。

「ここみたいな表の方では普段やってねえみたいだな。俺があいつを見たのは昨日からだ。普段はもっと奥の方の通りで仕事をしてるらしい。何でもチョウジの出だとか」

「具体的には?」

 あたしもビールを飲みながら尋ねる。

「つまみが欲しいねえ」

「一品だけならね」

「おでんくれやあ!へへ、姉ちゃん話が早いな。俺が聞いた話では――」

 ジョウト通を気取りたがる間抜けがディープジョウトだのほざいてうろつく通りと筋が幾つかおっさんの口に上った。あたしはビールを飲み干し、つまみの代金を置いた。

「へへ、拘るね、姉ちゃん。惚れたか?」

「指を切り落としてやる約束をしたからね」

 おっさんの顔がへらりと歪んだ。

「程々にしとけよ」

 あたしは口では応えず、ひらひらと手を振ってきびすを返した。

 

 ライコウ、エンテイ、スイクンを追う時に使った情報屋に更にカネを出して、あたしは例のガキを探していた。実際のところ、あいつの指自体はどうでもよかった。ただ、あいつの目が気になったのだ。

 紫煙が染みついた雑居ビルの一室。煙への不愉快さを隠さないあたしと、それを嬉しそうに眺めながら紙巻を吹かす部屋の主、情報屋。

「ポケモン探しの次は人捜しか。あれか?例のメタモンか?」

「下らない。あんたまで本気なのかい?」

「おいおい。ジョウト中の情報屋と探偵がメタモンに夢中なんだぞ。元チャンピオン様は興味がないみたいだけどな」

 あたしは聞こえるように舌打ちした。

「その呼び方は止めな。金払い以上のもんをあたしに求めるなって言っただろう」

「悪かったよ。で、この依頼品はどうするんだ?」

「チョウジに行く。別口の用事もあるんでね。電話でいい」

「わかったよ。じゃあな」

 あたしは返事もせずに小汚い部屋を出た。情報屋の下卑た笑い声が背中を打った。

 

 チョウジタウン。いかりのみずうみと、忍者屋敷が売りの小さな町だ。リアルニンジャ――もとい、本当に忍者を輩出していた町らしいが、実在する忍者の子孫最後の一人はエンジュ大学で講師をしている。宿泊施設はいいところ民宿くらいなので、あたしは早々にポケモンセンターに引きこもった。去年くらいから噂になっている湖の主、馬鹿でかいギャラドスの顔を拝むために釣りでも行こうかと思ったのだが、湖近くの集落が放射性物質だらけになってから除染されるまでの間にスラム化したことを知っていたので億劫になったのだ。人が少ないのをいいことに、宿泊スペースを複数日予約した。寝転がって撮り溜めていたアニメでも見るとしよう。

『奪って絶望させるのですッッ』

『勘弁してくれッッ!俺の敗北()けだッッ!……ギブアッ』

『与えちゃいけないッ。……いいですかタツミ、私に勝利を与えられるのは神だけ。あなたは神の代理人じゃないでしょ』

 三大萌えさくらの最後の一角、CB(クライベイビー)さくらが遂にアニメ化。筋肉モリモリマッチョマンが画面狭しと動き回る。むさい。むさいが面白い。どうでもいいが、萌えって何だろうな。

『愛がある。悲しみもある。しかし……陵辱がないでしょッッ!!!』

 原作も当然読んでいるので知っているが、もうすぐクライマックスだ。

 

 ポケモンセンターの宿泊施設とロビー――清掃時間中は宿泊スペースが使えないので――を往復しながら撮り溜めていたアニメも見終えてしまい、ゲームをプレイすること三日目、ようやく情報屋から電話が来た。

「よお、生きてたか」

「ポケモンセンターの人達の目がきつくなってきたところよ」

「何だ、一歩も出てないのか」

「こんな田舎、何もないじゃない」

「まあな。で、あんたの捜し物、見つかったぜ。チョウジタウンのだな……」

 情報屋が読み上げた住所を書き留めてあたしはうんざりした。まさに湖近くのスラムだったのだ。

「一つ気になったのは、そいつの母親なんだが、一月ほど前に湖に漁に出て、行方不明になってる」

「ポケモンにでも襲われたんじゃないの?」

「二日ほどして戻ってきたらしい。舟じゃなく、着の身着のままでな。そのまま寝込んでるそうだ。病院にも行かずにな」

 ますます何かのポケモンに襲われて怪我でもしたのではとしか思えないが。病院は確かに気にならなくもない。半ば形骸化しているとはいえ、日本には公的医療保険も低額診療所もある。

「それともう一つ、これはサービスなんだが。例のメタモンも、チョウジにいるって噂だ。くさいと思わんか?」

 そんな偶然があるわけがない。あたしは心底くだらないと思った。それでも礼は言って、電話を切った。

 ポケモンセンターの情報板を見てみると、メタモンの件はまだこの間見た通りだった。

 

 大戦前の民家を移築したらきっとこんな感じだろうというバラック群を行くことしばし、目的の家が見つかった。表札がかかっていないが、あの情報屋は信用できる。インターホンもドアノッカーもついていないので、なるべく乱暴にならないよう意識しながら引き戸を叩く。反応がない。一分ほど待ち、もう一度。もう一分。

「仕事にでも出てるのかね」

 例のスリはイラクサという名前で、キブシという名の母と、ミズハという名の姉がいるらしい。疑われないよう持ってきた土産――といっても、さっきポケモンセンターの近くの和菓子屋で買ってきたものだが――を持ってきたのだが、空振りとなると重さも空しいだけだ。結局あいつをどうしてやろうかも考えがまとまらないというか、怒りが時間で薄れてしまったせいで決めかねていた。後頭部をぼりぼりと掻きつつ考える。

 未舗装の砂利道を踏む足音が聞こえた。道路に落ちる影の隣にもう一つの影。

「あの、どちら様でしょうか」

 振り返ると、年の頃は十四、五歳というところだろうか。儚げな雰囲気の美しい少女が立っていた。肩まで伸びた黒髪、気の弱そうな下がった眉と垂れ目の黒い瞳。白目と肌が黄色くなっているのが生来の美しさを損ねてはいるが、十二分に美しいと言っていい。あたしは一瞬息を飲んでしまった。

 情報屋の言に従えば、この娘は十三歳で、病気だ。肌と目に出ているのは多分だが黄疸だろう。

「ユウケと申します。イラクサくんのお姉さん、ミズハさんですね。弟さんに先日エンジュシティでお世話になりまして、お礼に伺わせてもらいました」

 すらすらと口から言葉が出る。一言も嘘は言ってないのがミソだ。

「あら、まあまあ。わざわざご足労くださって申し訳ありません。イラクサは今、仕事で出ていますが、もう帰ってきます。よかったら、あがってください」

 住所も間違いなかったらしい。想像以上に綺麗な子のうえに、あたし好みだ。誘いを断る理由がない。あたしは二つ返事で上がらせてもらうことにした。

 

 出してもらった茶にケチをつける訳にはいかないが、本当に不味い茶だった。淹れ方がどうこうではなくて、茶葉がよろしくない。あたしは無表情を貫いて、土産を差し出した。

「まあまあ、わざわざありがとうございます」

 不味い茶はさておき、ミズハの穏やかな人柄が言葉の端々から伝わってきた。不躾にならない程度に部屋を見回す。奥の部屋が寝室になっているらしい。茶が冷めると喉を通らない気がしたので一気に飲み干した。

「喉渇いていたのですね。どうぞ。今日はエンジュのニナ病院に行っていたもので。母は怪我で伏せっていて出られないものですから」

 茶を注いでくれるのに苦笑しそうになったのを何とか抑えた。ニナ病院は確か割と大きい病院で、低額診療をやっていたところのはずだ。幸い、旅の途中で重い病気にかかったことはないが、トレーナーなどという不安定な仕事をしているとそういう病院には自然詳しくなる。

 本当に申し訳なく思っているらしく目を伏せる彼女を見て、あたしは少し慌ててしまった。

「いえいえ、事前に連絡もせずにお伺いしたのはこちらですから。お構いなく」

「そう言ってもらえると嬉しいです」

 頭を下げたところで、がらがらと扉が開く音が聞こえた。

「ただいまー!ん?お客さん?ってうわ!」

 あたしは尋ね人、イラクサ七歳を見つけてニヤリと笑みを浮かべた。

「エンジュシティではお世話になりました。イラクサくん。あの時は名乗れなくてごめんなさい。ユウケと申します」

「な、な、な……」

 あたしはわざとらしく頭を下げて、言葉を継いで立ち上がる。

「おっと、電話みたいです。ちょっと失礼しますね」

 すれ違いざまにイラクサの耳元で囁いた。

「外で話すかい?」

 きっと面白い顔をしていただろうが、表情を見られなかったのが残念だ。

 

 外に出てきたイラクサは、膝が震えていた。顔面も真っ青だ。

「お、お前、お前、何なんだよ。警察か?」

 思わず吹き出してしまった。

「警察がちんけなスリなんぞわざわざ追ってくるわけないだろ」

 一瞬安堵した表情を見せた油断を突くように、追い討ちの言葉を告げる。

「おまわりの代わりに、あたしが事務所に呼びに来てやったんだよ。優しいだろ?」

 再び蒼白になるイラクサ。

「おっ、俺は!俺はどうなってもいいから!母ちゃんと姉ちゃんには」

 こいつの顔色を変えるのも面白いが、ここまで言われるとしょうがない。

「冗談だよ。あたしはただのトレーナーさ。チョウジに来たのは、あんたの落とし前をつけさせようと思ってだけどね」

「さ、財布は悪かったよ、その、ごめんなさい」

「わかったよ。ただし、あたし相手に二度と舐めた真似をしたら、次は指をもらう」

 あたしの声に冗談の含まれる余地はない。顔を青ざめさせて、イラクサは壊れた人形のようにガクガクと頷いた。

 

 押し黙った彼に口を開いた。

「ところで、あんた。最近の飯代はあんたの『仕事』で食ってるのかい?」

 悔しそうに唇を噛んで下を向く彼。参ったな。これ自体は別に責めようと思って言った訳ではなかったのだが。あたしは、別にあたし自身と親しい人に害が及ばないなら殺人強盗放火スリなんでも知ったことではないのだ。

「布団の空きがあるなら、あたしを泊めてくれないか?カネなら出す。いかりのみずうみの主の顔を拝んでやろうと思ってね。ポケモンセンターは遠いだろ。ここは湖に近い」

「俺から姉ちゃんに話す。たぶん大丈夫だと思う。それと、あんた……いや、ユウケ、トレーナーなんだよな?」

 あたしは頷いた。

「俺に、ポケモン勝負を教えてくれ!いや、ください!」

「はあ?」

 あたしの声がよほど大きかったらしい、心配そうな顔で扉を開けたミズハに小さく頭を下げた。

 

 家に戻り、不味い茶を再度啜りながらあたしはミズハに再度話をした。いかりのみずうみの主に興味があること、湖が近いこと。代金は付近の民宿の相場を参考に提示した。

「お恥ずかしい話ですが、今、私も母も体調が悪くて仕事ができず困っていたところですから、確かに助かります。イラクサがアルバイトをしてくれますが、雇ってくれるところも限られますし」

 花のように微笑むミズハ。この分だとアルバイトの中身は伝えていないな。それも当然だろうが。イラクサは目を背けていた。

 もっとも、あたしはミズハの仕事もそれほど褒められたものではないこと、多分家族にも伝えてないことも知っている。

「本当は、舟を出せれば一番よかったのですが、漁師の母も怪我を負ってしまいましたし、舟も沈んでしまって……」

 知っているが、それを表に出さないよう気をつけながら尋ねた。

「舟が沈んだ?」

「ええ。舟の残骸が先々週に流れ着きましたが、それも一部だけで……母が無事帰ってきてくれただけで、何よりです」

「なあ、母ちゃん、起きてる?」

「……ああ、起きてるよ」

 ふすま越しに声が返ってきた。ほとんど気配を感じなかったが、寝込んでいれば当然か。

「このユウケ、いや、ユウケさんを泊めてやりたいんだけど、いいよな?」

「……ああ」

「ありがとうございます。それでは、しばらくの間、よろしくお願いしますね。ミズハさん、イラクサくん」

「ユウケさん、敬語なんて結構ですよ。私はミズハと呼んでくれればそれで」

 あたしはぼりぼりと後頭部を掻いた。

「でも、年上でしょう」

「私、十三歳ですよ。ユウケさんはおいくつ?」

「次の誕生日で十一です」

「まあ!そうしたら、今年旅に出たところ?お言葉からすると、ジョウトの出身ではないのかなとは思っていましたけど」

「ええ、カントーです」

「うふふ。ま、気が向いたら敬語もやめてくださいね」

 あたしはもう一度、頭を掻いて頷いた。

 

 話の接ぎ穂で、隣のイラクサが肩を突いた。

「そうだったね。さっきの話がまだだったか」

「そうなんだ。俺、ちゃんとポケモン勝負で稼ぎたい」

 あたしは小さく溜息をついた。

「あんたね、弟子入りするならちゃんと師匠の実績を聞いてからにしな」

「え、じゃあ」

「言っておくが、あたしは元カントー地方リーグチャンピオンだ。ジョウトのジムバッジはまだ集め切れてないから、こっちのリーグは挑戦してないけどね」

「「チャンピオン?!」」

 二人とも驚いた顔をしていた。地方リーグの元チャンピオンとなるとそれなりに数がいるのだが、知らなければこういう反応が普通らしい。

「だから、その弟子がつまらないトレーナーに仕上がったら、まずあたしが面白くない。最初は……そうだね、主釣りの合間、上がった外道相手にポケモンバトルをあんたがやるんだ。いいね?」

 今度は喜色を顔に浮かべながら、イラクサは大きく何度も頷いた。

 宿泊三日目までの宿代は、トレーナー用品とポケモンの支度の現物払いということになった。バッジを持っていないととにかく言うことを聞かないから、ポケモンはタマゴで譲ってやることにした。もちろん、十歳未満のイラクサはカントーだろうがジョウトだろうがポケモン取扱の免許が取れないので、厳密にいえば違法だ。だが、スリをやるよりまだ無免トレーナーの方がマシだろう。

 

 ミズハ家に厄介になった二日目。あたしはいかりのみずうみで釣り糸を垂らしていた。主に興味がないといえば嘘になるが、正直なところ口実だ。どうもあたしは、ミズハに惚れたらしい。あたしは相手の個人情報を無断で暴くという、お世辞にも褒められたことではないことをしながら、彼女に恋愛感情を持ってしまった。彼女の仕事も知っているのにだ。

 流れ着いた廃タイヤをこれまた流れ着いていたロープで胴体に括り付け、タイヤの上にタマゴを乗せた状態で走り回っているイラクサが喚いた。

「ユウケー!これ本当に意味あんのかよー!」

「師匠と呼べとまでは言わないが、せめてさん付けはしな。意味はあるよ」

 トレーナーのポケモンのタマゴは人間が歩きか自転車で持ち運んでやらないと孵化にとんでもない時間がかかる。タイヤはついでの基礎体力作りだ。

「タマゴは聞いたけどさ、タイヤが!」

「トレーナーは体力商売だからね」

「意味ねーんじゃん!」

「体力って意味があるだろ。喚くな。魚が逃げる」

 あたしは今日二本目のビール缶のプルタブを引き上げた。

 

 次の日、無事タマゴは還った。あたしが譲ってやったのは余っていたヒトカゲのタマゴだった。メインで使っていくのには使い勝手がいい。人を乗せて飛ぶこともできるし、炎タイプは通りがいい。水タイプを相手にするのは辛いだろうが、最初はすぐにあたしのポケモンが変わってやれば問題ない。釣れない時間帯には座学をやり、釣れたらポケモンを捕まえ、時には仕留め、イラクサとヒトカゲはトレーナーとポケモンとして順調に育っていった。

 

 一週間。ヒトカゲがあたしが釣り上げた外道ポケモンを倒して経験を積み、リザードになるには充分な時間だった。だが、臆病なあたしはミズハとの距離感を詰められないままでいた。あたしは意識して敬語を何とか止めた物の、それ以外の進展はさっぱりといっていい。

 泊まっている間、料理は基本ミズハが作ってくれていたが、今日は仕留めたコイキング――のうち一部、残りはイラクサが漁協に持っていった――を使って鯉こくを作っていた。

「いい匂い!コイキング料理は母さんが飽きるほど作っていたけど、鯉こくは初めてです」

「鯉は肝臓にいい、っていうからね」

 コイキングは骨が多いので、手伝ってもらいながらゴリゴリと解体していく。鱗は落とすのがあたしの趣味。その日の晩も、楽しい夕食になった。

 

 風呂はないので、銭湯に通う。普段は三日に一度というので、残りの二日はあたしが奢るという形で一週間、毎日二人を連れて行った。そう、一週間、ミズハとイラクサの二人だけだ。別に三人分出しても構わないと言ったのだが。ミズハが食事を差し入れるので、顔を一度ちらりと見た以外は彼女らの母親を一度も見ていない。体は拭いているとミズハが言うので、あたしはそれ以上追求することを止めた。

 

 イラクサが余計なことを言ったのか単純に余所者が目立ったのか、噂が立ったらしい。あたしが腰を据えてから十日ほど経った頃、日中の日課である釣り兼トレーニングの最中にスラムの悪ガキ共が大挙してやって来た。悪ガキといっても、普通の町のそれとは訳が違う。食うや食わずの生活でそれなりに数がいて組織されており、ギャングや暴力団とも繋がりを持ち、親もいなかったりするこいつらは身を守る手段がなければ立派な脅威だ。イラクサはあたしの陰になるように控えさせた。

「余所者!誰に断って釣りしてるんだ?」

「湖の主かね。あんまり相手をしてくれないけど」

「舐めた口きいてんじゃねえぞ、チビ女!」

 二十人というところだろうか。先頭に立っているあたしより年下だろうガキが喚く。内心かなりムカついたがまだ見極めが終わっていない。あたしは溜息をついた。

「で、あんたらの望みは何?カネ?」

 何がおかしいのか、連中がげらげらと笑った。

「バイタの家に泊まってんだろ?余所者!お前もミズハみてえに股を開……」

 売女。口にしたこいつはちゃんと意味をわかって使っているのだろうが、どうも舌足らずに聞こえた。

 ミズハは隣のエンジュまで行って立っていたらしいが、狭い町中では噂になるのは避けられなかったのだろう。もっとも、事実であっても親しい人間を貶める言葉にあたし達の堪忍袋の緒を切るには充分だったが。

「おい!」

 あたしは横にいるイラクサ制止のために声を上げたのだが、遅かった。彼はボールを投げ、リザードが姿を現した。まだ、こいつらの頭らしい奴が特定できていないのだが、しょうがない。まだポケモンを六匹捕まえていないイラクサのポケモンは奴らに見せたくなかったのだが。

 

 あたしのネイティオが全員――といっても、ポケモンを持っているのは半分もいなかった――のポケモンを蹴散らし、その最中に見つけた頭分を捕まえて締め上げた後、泣いているイラクサの背中をわざと乱暴にはたいた。

「あたしの制止を聞かなかったのは減点だが、対人戦自体はよくやったよ。何で泣くんだい?」

「だって、姉ちゃんを……」

 男だからどうこう、女だからどうこう、というのはあたしも余り好きではない。ただ、泣かれるのは対処の仕方がわからないから困る。

「あたしも腹が立ったさ。ちゃんと二人でぶちのめしただろ。姉ちゃんにその顔見られたい?」

 首を横に振るイラクサ。もう一つ、あたしは特大の溜息をついて椅子代わりに使っている石に腰掛けた。

「隣、座ったら?落ち着くまで待ってやるから」

 黙って座ったイラクサの背中を、日が暮れるまで撫でてやった。

 

 噂が野火のように広がったのだろう。悪ガキ共ではなく、上にいたであろうその筋の連中もやって来た。あたしの顔は有難くないことに裏側でもそこそこ売れているらしく、黙って引き上げるのが四割、喧嘩を売ってくる奴が三割。残りは様子見というところらしい。あたしは無視を決め込み、望まない来客があれば座学に切り替えるようにした。

 後ろ暗い連中だけでなく、普通のトレーナーもやって来た。チョウジなんて田舎町に滅多に来ないレベルのトレーナーが来ていると評判になったらしい。トレーナー歴が浅くて弱そうな奴はイラクサに練習がてら勝負させ、あたしは結果が出た後の助言に徹していた。強そうな奴はあたしが全部食った。

 

 主の影も見ないまま、一か月が過ぎようとしていた。ヒトカゲがリザードンになるには充分だった一か月。いくら何でも長居しすぎたと自分でも思う。ミズハもイラクサも、目に見えて栄養状態がよくなったし、ミズハは「お医者さんにだいぶよくなってきたと褒められました」と喜んでいたし、悪いことをしたわけではない。だが、自分の思いに決着をつけないといけない。そろそろ旅に慣れた体が動きたがっている。

 

 イラクサが熟睡する時間帯。あたしもミズハも普段は一緒に寝るのだが、この日はあたしが頼んで起きてもらっていた。酒の勢いを借りたかったが、今は素面だ。どれだけ距離を詰められたか、人付き合いが苦手なあたしはいつも間違ってしまう。でも、それでも。

「それで、お話って?」

「あたしは小細工は苦手だから、正面から言わせてもらう」

 あたしの喉が、あたしの意思に従ってくれなかった。置きたくなかった二呼吸。

「あたしは、あなっ、ミズハが好き」

 困ったような顔をされた。そうだろうな。カントーでもジョウトでも同性婚は認められているが、そもそもの前提として異性愛者より人数が少ないのだ。彼女がそうであるか、あたしは今日まで確かめられなかった。小首を傾げ、彼女は聞いてきた。

「そのぅ。友人的な好きではなくて?」

「そう。いやそうじゃなくて。あたしは、女性同性愛者(レズビアン)だから……」

 ううん、と溜息をつきながら、困ったような顔で、それでも微笑む彼女。穏やかで柔らかい彼女のこの笑みが、あたしは好きだった。

「ねえ、ユウケ。嬉しくないというわけではないの」

 初めて会ったときより気持ち白くなった手であたしの震える両手を握ってくれた。

「でも、そうね。ユウケ。私も、ちょっと怖いの」

 何が、と彼女の黒い瞳を見て、視線で訊ねた。

「あなたは、知っているのでしょう?」

 心臓が跳ねた。事前に人の中庭を覗き込む下卑た行いを糾されているのだと。

「私が、街角で立っていたことを」

「そんなこと、あたしには関係無い」

 ふるふると黒髪を靡かせて首を横に振られた。

「強くて将来有望なトレーナーには釣り合わないわ」

「……釣り合うかそうでないか、決めるのは、お互いだけだよ」

 ああ。泣いてしまった。彼女の涙を拭いてあげたいのに、あたしの手はぶるぶると震えて言うことを聞いてくれないんだ。

「一日、明日の夜まで、お互い時間を頂戴な。二人とも、長く一緒に居すぎたと思うの」

 だから、と彼女は続けた。

「お互いの答えを、もう一度。答え合わせしましょ?今度は、鯉こくを私が作るわ。だから、そんな悲しい顔をしないで」

 あたしも泣いていたらしい。頬を伝う熱いものを拭わず、あたしは頷いた。

 

 朝ご飯を食べて、イラクサに「今日は自主練の日にする」と言い残してから、あたしは家を出た。泊まり用の荷物――といっても、歯ブラシくらいだが――はそのままだ。答えがどちらにせよ、今日まで泊まっていって欲しいと強くミズハに頼まれたからだ。あたしは、隣町のジムに挑戦することにした。

 

 フスベシティのジムを悠々制して戻ってきたあたしを迎えたのは、鯉こくの匂いではなく、燃え盛るミズハの家だった。野次馬をかき分け、ポケモンを出すのももどかしく家に踏み込んだ。消防車(119)はしたが、延焼のおそれが少ないこの家では、来るかどうかはかなり怪しいところだ。スラムが燃えて焼け出される人間がいても考慮されるかどうかとなると、来たとしても焼け落ちた後だろう。そんなものを当てにせず、タオルを口元に巻いて踏み込むことにした。

 玄関に土足で上がったところで、人にけつまずいた。

「イラクサ!」

「あっ……師、ごほ、ユウケ。ごめんよ、負けたよ、俺……。すげー強いトレーナーが三人くらいきて……」

「喋るな。煙を吸う……っ!」

 抱き上げたイラクサは、一か月前より軽かった。脇腹に大穴が開いていて、正視に耐えない。命の抜けていく気配が伝わってきた。とにかく外へ、病院へと、あたしはネイティオに乗せようとしたが、彼はそれを拒んだ。

「姉ちゃんが……奥の……助けて……し、師匠……」

 ひときわ大きく咳き込むと、不肖の弟子は動かなくなった。ともかく、ネイティオの念力で外に出させて、あたしは奥、襖の吹き飛ばされた寝室に急いだ。

 

 布団にすがりつくように倒れているミズハを見て、炎と煙に支配されていた視界が更に赤黒く染まった。奥の壁があったはずの場所が吹き飛んでおり、ヨルノズクとエアームド、そしてそれにまたがった人影が見えた。暮れかかる空に飛び上がるそいつらに目もくれず、ミズハに駆け寄った。

「ミズハ、ミズハ?!」

「ユウケ……?母さんが、母さんがね……」

 ミズハは全身が焼け焦げていた。昨日とは逆に、あたしが手を握った。どろりとした何かが彼女の手に貼り付いていた。

「母さん、帰ってきてくれたと思ってたの……でもね、違ったんだ……」

 トレーナー二人、帰ってきたと思った母親、メタモン。そうか。

「私、ね」

「喋らないで。病院に行こう。あたしが連れて行くから」

「ううん、私もね……ねえ、ユウケ。主のために一緒に暮らしてたの?それとも」

「ああ、そうだよ!ミズハのために!」

「えへへ、嬉しい、なあ。私もね……母さん、あたしも……」

 ミズハも、動かなくなった。あたしはミズハを背負って、燃え盛る家を後にした。

 

 この話には続きがある。メタモンを追っていたトレーナーに気付かなかったあたし。貧困層なら殺しても文句が出ないと雑な仕事をした名前も知らないトレーナー。そして死んでしまったミズハが握りしめていたメタモンの体組織。

 メタモンがミズハの母親に化けていたのは事実だった。だが、それは知能を持つほどではなかったのだ。簡単な質問にしか答えられない個体。あたしがいくつかの研究所に持ち込んだメタモンの体組織の分析結果と、情報板の依頼、そして、ジョウトの地方リーグチャンピオンになったあたし自身が、その肩書きを使って依頼元に質問して答えを出した。

 

 人に化けた、人並みに振る舞えるメタモンについての話は、あたしは知らない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、佳人と野営する

 誰かがあたしを呼ぶ声が聞こえる。悪夢の後のけだるさ、疲労感とまるで取れていない眠気が、呼び声に応えようとする気力とせめぎ合う。頭の下の柔らかく心地いい感触と、潮の匂いに混ざった甘くて良い香りがますます起きる意思を削ぎ、あたしは小さくうめき声を上げた。

 人間の精神と肉体は相互に影響し合う。肉体は肉体のみで生くるに非ず。精神も然り。精神が辛ければ、肉体も引き摺られてそうなる。少なくとも、あたしはそうなりやすい人間らしい。そんな人間が夢見が悪いというのは、もはや冗談めいた状態だ。日によっては寝て起きるだけでぐったりするということもしばしばある。体が資本のトレーナーとしては全くもってありがたくない。

 今回の起き心地は、頭の中を引っかかれつつ、煮え立った鉛を奥に流し込まれたというところだろうか。

 アローラに引っ越してくる前も夢見は悪い方だったが、引っ越してからは一日一回どころか複数回も悪夢を見る日もある。夢というのは、寝ている時に記憶を参照するだけではなく、外的環境にも左右されるという説を聞いたことがある。さっき見たばかりの悪夢は船上で聞く波音――というよりは水の音か――に記憶が引き摺られたのだろう。最後に墓参りに行ったのは、世界リーグ挑戦前だったな、と、とりとめの無いことを考えた。あれからずっと遠ざかっていた色恋沙汰も引き金になったのかもしれない。

 全く嬉しくない可能性として、参照される記憶、ひいてはあたしの人生そのものが悪夢の素である恐怖と後悔で埋め尽くされているという疑いも否定できない。「地獄からは逃れられない。だって、それは頭の中にあるのですから」という、小説の一節が頭を過ぎる。

 

 呼び声が気持ち大きくなり、肩をぽんぽんと叩かれた。ありがたくない夢のあとから、これまたあまり親切とはいえない世界へ向き合うために、あたしは大きく溜息をついて瞼をこじ開けるように開く。コイキング船の操縦席に座る団長さんの背中、彼の相棒のペリッパーが見える。

「ユウケさん、起きましたか。よかった。さっきからずっとうなされていたから」

 苦々しいものが呼び起こされたのは、現実のよすがになってくれるかもしれない、初めての恋人ができたという事実も影響しているのかもしれない。とはいえ、人に「お前のせいで悪夢を見た」だなんて馬鹿げたことを言うつもりは毛頭ないが。

 ましてや可愛らしい恋人を前に。否、上だ。リーリエが膝枕してくれていたらしい。そう、恋人――あたしからすると何とも物好きだと思うが――を前に、他の女の夢を見ていたなんてことが言えるだろうか。

 重力に逆らい寝返りの要領で体を転がして上を向くと、慈母のような穏やかな笑みを浮かべ、リーリエがあたしの顔を覗き込んでいた。

「ああ、おはよう、リーリエ。ごめんね」

「いえいえ。膝枕、一度してみたかったですし」

 最初は普通に寝ていたはずなのだが、行きとは逆の事態が起きたのだろうか。

「まだ眠いなら、もう少し寝ていても大丈夫ですよ」

 鉛の塊が押し込まれたように頭が重いので、それは正直なところとてもありがたい。先ほどの挙動一つ取っても、到底重力に逆らいきることができないので寝返りを打っただけで、決してこの柔らかく心地よい太ももから離れられないということではなかったのだ。意識した今は離れたくない。

「起きる……けど、もう少しだけ、このままでいい?頭が重い……」

「どうぞ」

 もう半分寝返りを打って、お腹に顔を埋めたら怒られるだろうか。同じ人間とは思えないようないい匂いがしているのだが。使っているシャンプーの違いだろうか。下らない事を考えながらもぞもぞしていると、リーリエにぐいっと肩を掴まれ、更にもう半分、お腹を向くように寝返りさせられてから抱きしめられた。

「ふあ」

「ふふ。何だかこっちを見たそうだったので」

「……何でわかったの?」

「ユウケさんのこと、見てますから。それに、顔が真っ青ですから……その、心臓の音とかがあったほうがいいと思いました」

 リーリエは凄いなと素直に感心した。あたしならお腹が減ってるのか、手洗いに行きたいのかくらいしかわからない。ふんすと鼻が鳴ってしまった。感激の余り呼吸が荒くなっているだけで、決して変な意味で深呼吸しているわけではない。ということにしておこう。リーリエは決して太っているというわけではないが、筋肉隆々というわけでももちろん無く、お腹が柔らかくて額をこすりつけると気持ちいい。悪夢がリーリエに移るのでは、なんて非科学的なことを考えてしまった。

 

 ずっと目を閉じていたものの興奮といい匂いとで結局寝付けなかった。だが、人肌の暖かさのと心音のお陰かかなり落ち着いてきた。とくり、とくりと人が生きている音がするのは安心に繋がるのかもしれない。ともかく、世界で何番目かには幸せな場所にいるのだからこれで具合が悪いままではどうしようもない。少しずつ顔が温まってきて初めて、自分の顔がずいぶん血の気が失せていたのに今更気付く。鏡もなかったのでしょうがない。いや、よく考えたら、リーリエにもらったコスメポーチに入っていた気がする。化粧もしないし、正直なところバッグで眠らせていた。髭がほとんど生えないから顔を洗うだけで済むのが、数少ないあたしの顔の美点だと思う。まああたしの顔はどうでもいい。目を開けると、リーリエも舟を漕いでいた。もう少し、このまどろみのような時間を楽しみたい。

 

 船が止まった衝撃があたし達を緩やかに揺らした。リーリエの膝の上という位置は本当に名残惜しいが、わざわざ出してもらった船の中でだらだらして時間を取らせるわけにはいかない。

「リーリエ、ありがとう。だいぶ楽になった」

 花のような笑顔が眩しい。

「顔色がよくなりましたね。よかった」

 自覚できるほどだったから、よほどだったのだろう。苦笑いしてしまう。

「団長さん、ありがとうございました。すみません、ずっと寝てしまっていて」

「ええよええよ、調子悪かったんやろ。ハプウちゃんとマツリカちゃんによろしくな」

「ありがとうございました」

 あたし達は頭を下げて団長さんに礼を言った。

 

 ナッシーアイランドから海の民の村に戻ってきた時点で、まだ日は高かった。マツリカさんに礼を言いたかったのだが見当たらなかったのでポケモンセンターに立ち寄り、回復待ち時間の間にポニ島の地図を見る。

「今あたし達がいる場所がここ、海の民の村。目的地はここから北東、大峡谷ってところを抜けて、月輪の祭壇に行かないといけない。ロトム、これってどれくらいかかるかわかる?」

「直線距離だと一時間ロト。大峡谷の中はジグザグの道だから、何一つ無くても四時間はかかるロト」

「四時間ですか。日が暮れてしまいますね」

「泊まるところなんて無いよね、大峡谷ん中は」

 地図を見ても山小屋の類は無さそうだ。あっても登山家ではないあたしには、今が登山シーズンで山小屋が開いているかどうかわからない。あたしは後ろ頭を掻いた。

「テント泊にするか、無理はやめて明日の朝早めに出るかだけど」

 リーリエの顔がぱあっと輝いた。元々綺麗な女の子がこういう表情をすると本当に、その、強い。幸福感がある。いかんな、語彙力が死滅していく。

「わたし、テント泊まったことないのです!」

 リーリエに尻尾があれば、間違いなくぶんぶん振られていると思う。もちろん、見ているのは微笑ましい。とはいえ、固くて平らでない地面の上にテントより、ベッドで寝るほうがいいに決まっている、と口にしかけて思い留まった。何事も初めてというのはあるし、あたしも野営慣れするまでは確かに楽しいという一面もあった。アローラ地方は島巡りを支援するためにポケモンセンターが宿場町のように機能しているから遠ざかっていただけだ。島巡りの最後の島だし、それも悪くはないだろう。

「よし、じゃあテント泊にしよう。あたしのテント、三人用だから」

「……何で三人用のテントなんですか?」

 ぷくぅとハリーセンのように――なんて言うと怒られかねないが、ふくれっ面まで可愛らしい。

「テントは定員マイナス一名が一番居心地がいいんだよ。あたしが寝てる間に見張りをするポケモンのスペースを一名分って考えて、三人用」

「あっ、な、なるほど……」

 恥ずかしそうにするリーリエも可愛い。

「誰かと泊まるのは初めてだよ」

 何というか、人間複数人を想定してない辺り、自分の旅がどんなものだったのか知れよう。それはともかく。

「リーリエ、シャワー浴びよう」

「え、えっ?!」

「いや、その……テント泊だから、川とかで体洗うとかより、先にシャワー浴びたほうがいいかなって」

「あ、ああ……そうですか……」

「その、ご飯と飲み物は、後で買おうね」

「はい……」

 しょんぼリーリエさせてしまった。コウノトリとキャベツ畑を信じているわけではないというのは、あたしとしてはむしろ好ましいところなのだが、人目もあるので素直に喜んでばかりはいられないのだ。

 

 シャワーを浴びて、先に髪の毛を乾かしたあたしは黒のバンド(Sleepのツアー)Tシャツにハーフパンツの格好に着替え、テレビを見ながらリーリエを待っていた。アニメの再放送が流れている。何年か前に放送していたものだったはずだ。むさい男二人が崖に伏せて偵察しているシーン。

『流石は聖栄光学園にごつ。綺麗な隊列じゃあ』

『チャリオットをあれだけ綺麗に並べられるのは、凄い練度でごわすな』

『こちらの矢では正面装甲は抜けんばい』

『そこは戦術と腕かのう』

 ネットで見ると評判自体は悪くなかったのだが、どうもこの男と馬と戦車しか出てこない暑苦しい絵柄が合わないのだよな。漢の武芸、死人が出ないチャリオット道か。勝手にチャンネルを変えるわけにもいかないし、単なる暇潰しなのでどうでもいいが。

 ぽんと肩が叩かれた。振り返ると笑顔のリーリエ。

「お待たせしましたか?」

「いいや、全然」

 あたしはひらひらと手を振った。実際、十分くらいしか見ていない。それに、風呂上がりの彼女の姿をゆっくり眺めたかったのだ。

 最近はポニーテールにまとめている髪を下ろした姿はやはり可愛い。シャワー上がりで上気した肌がその美しさを押し上げていた。服装は上は変わらず、下はやや長めの柔らかそうなスカートだ。どちらも白基調なので、黒基調のあたしと並ぶと真逆という感じがする。ずっと見惚れていると出発できないので、彼女を座らせて備え付けの安っぽいドライヤーで美しい金髪を梳きながら乾かした。どことなく彼女も心地よさそうだ。しかし、本当に全然手触りも違うな。

 

 彼女の髪を乾かし結う至福の時間を終えて、フレンドリィショップでご飯と飲み物の買い出しを済ませて、ポケモンセンターを出たところで、リーリエに手を握られた。もちろん嬉しい。

「暑くない?大丈夫?」

「本当は、ずっと繋いでいたかったんです」

 お互いが嬉しいなら、いいとしよう。こうして手を繋いで歩くのは柔らかく温かい掌の感触も相まってとても気分がいい。傾いてきた日に照らされたリーリエの穏やかな横顔をちらりと眺める。月並みな表現だが、ずっとこの時間が続けばいいと思う。

 歩くことしばし。ハプウに挨拶していこうと思った矢先。道が見慣れたありがたくない連中、スカル団員ざっと六人に塞がれていた。リーリエの前に出て握った手を離さないといけないというのが一番ありがたくない。うんざりしながら手を離そうとした時に、リーリエが口を開いた。

「スカル団の皆さん、わたし達に何かご用ですか?」

 リーリエが確かに変わろうとしているのだな、とあたしは感嘆する。明らかに揉めそうな雰囲気で手を繋いだままというのはどうかと思ったので、そっと手を離した。

「ヨーヨー、お二人さんよー。なんかいい雰囲気じゃない?」

「グズマさんをこれから助けに行くってのにいちゃついてんのか?」

「グズマさんを助ける覚悟と力があるのか、試しに来たんだよ!」

 眼前で死んだら確かに寝覚めが悪いかもしれない、くらいにしか正直思っていなかった。馬鹿正直にそんなことを言ってもしょうがないので、溜息と共に告げる。

「わかったわかった。まとめてかかってきな」

 あたしは獰猛な笑みを浮かべてボールに手をかけた。

 

 サニーゴ一匹で六匹のポケモンを圧倒した。

 家の前で物音を聞いて出てきてくれたハプウが加勢しようとしてくれたのを押しとどめたので、これで負けていたらまるっきり馬鹿だったので、一匹で勝てて面目を保てたというところだな。

「嘘だろ……実質六対一だぞ……」

「大したもんじゃな、ユウケ」

 実質も何も六対一だが、事実は覆らない。

「試す力がないと、試験しようがないよね」

 苦笑いする。

「では……」

「うん、そうだね。行っていいよね?」

「いや、ちょっと待ちな」

 まだいるのか。聞き覚えのある声に振り返る。プルメリだった。

「ディナーのお誘いならもう申し訳ないけど先約があってね」

 プルメリは肩をすくめてから、あたしに何かを下手で投げた。ゆっくり飛んでくるそれが何か、旅で鍛えた動体視力で見極めて受け取った。Zクリスタルだ。

「ドクZだよ。何かの役に立つんじゃないかなと思ってね」

「ありがとう」

 素直に礼を言ったのが意外だったらしく、目を丸くするプルメリ。

「何だか調子が狂うね」

「代金を請求されたら怒るところだったけど」

 リーリエがあたしの言葉に小さくくすりと笑い、プルメリは苦笑を浮かべた。ハプウはプルメリのことを知っているのだろう、警戒した顔つきを崩さない。

「ユウケ、あんたの腕は知ってるから、グズマの奴を頼む。あいつ、ルザミーネのことが好きなんだよ。自分の力が認められるのが嬉しかったんだろうね」

 努力した結果、選ばれなかった、実績が伴わなかった人間が、誰かに選ばれる喜びはあたしもよくわかる。あたしが同情しても同病相憐れむというところだろうが。

 

 物思いに耽ってしまったタイミングで、プルメリはリーリエの方を向いた。

「リーリエ、あんた顔つき変わったね……。それと、この間の事は悪かった。脅して無理に連れ帰るなんてね」

「いえ、もう過ぎたことですから」

 リーリエが許すなら、あたしも許そう――というより、アローラ地方の法ではリーリエはまだ成人ではないので、法的に見ると『家出した未成年を保護者のもとに連れ戻した』という状態なので追及しづらいのだ。脅迫も物的証拠がない。

「そう言ってもらえると嬉しいよ。じゃあ、ね。

あんたら、帰るよ」

 

 スカル団が引き上げて、あたしはハプウに頭を軽く下げた。

「家の前で騒がしくして悪かったね」

「何、気にするな。ここはトレーナーの往来も多いし、よくあることじゃ」

「ユウケ、すごかったロトー!」

「ちょっとだけはらはらしてしまいました」

「六対一はあたしも初めてだったけど、無様を晒さなくて済んでよかったよ。

そうそう、ハプウ。月の笛、借りてきたから。ありがとうね」

「何、構わん。しかし、そうすると今から遺跡に行くのか?日が暮れるぞ」

「はい。今日はユウケさんとテントでお泊まりなんです!」

 嬉しそうなリーリエに釣られて顔がほころぶあたし。ハプウもあたし達の様子に笑みを浮かべた。

「そうか。まあ、ユウケがおるなら大丈夫じゃろうが、何かあったら連絡をくれ。わらわとバンバドロが助けに行くからな」

「そういえば、あたしハプウの電話番号とか知らないな。教えてくれる?」

「おお。ええとも」

 がさごそと携帯電話を取り出すハプウ。中々年季の入ったフィーチャーフォンだ。nokiaの懐かしモデルだな。

 

 番号を出そうと悪戦苦闘しているハプウを見ていると、後ろから声をかけられた。

「久しいな、ユウケ」

「お久し振りー」

「ああ。何だかずいぶん経った気がするね」

「こんにちは」

 ウルトラ調査隊の二人だ。ハプウは二人のいでたちにだと思うが、目を丸くしている。まあそうだろうな。

「この道は月輪の祭壇と呼ばれる場所に繋がっているそうだな。ルナアーラに会いに行くのか?」

「そうだよ。儀式に必要な道具も揃ったしね。捧げる……」

「あれから少し考えたのだが……やはり、我々の世界のことは、我々自身の手で解決すべきではないかと」

 あたしは首をひねった。

「いや、それ自体は構わないけどさ。その、かがやきさま、だっけ。ネクロズマ」

「ああ。ベベノムと俺で、勝つ!」

「勝てない戦はしなくていい」

「ならば、試してみるか?」

 あたしは苦笑いした。確かに、あたしに勝てるならあたしが止める資格も権利も、そして必要もないだろう。だが、恐らくは無理だ。決意は容易い。戦力を育てるのはそうではない。

「力の差が理解できんと見える。ならばその証を見せてやろう。決定的な違いをな」

 言葉で理解を求めるつもりはない。あたしとダルスはボールを投げた。

 

 サニーゴは一切疲れを見せず、二発でベベノムを仕留めた。

「……強い!」

 あたしはかぶりを振って溜息をついた。

「かがやきさまとやらがどれくらい強いかわからないけど、無理でしょう。素直にあたしに任せなよ」

「だが」

「なあ、遠くより来た人よ」

 携帯は諦めたらしいハプウが口を挟んだ。

「アローラ地方の人々もポケモンも助け合って生きている。ユウケも助けてくれると言うておるんじゃから、素直に任せてはどうじゃ?」

「だが……」

「でも、現実的に島巡りの人……ユウケの方が強いんだから、しょうがないんじゃない?」

 沈思するダルス。

「いずれにせよ、あたしはそっちの世界に用事があるしね。ルザミーネさんもだし、グズマのことも頼まれたし。何もカネを取ろうって訳じゃなし」

 依頼料前払いは縁起が悪いしな。

「すまない。我々では、力が足りないようだ。改めて、協力してくれるか?」

「勝てない戦はしない主義でね。ヤバそうなら逃げるけど、それでいいならね」

 リーリエがアマモに何かを耳打ちしている。他の女に近づかないでほしい、という気持ちが自然に出てきて、自分にぎょっとしてしまった。あたしの目線に気付いたのか微笑むリーリエ。

「取ったりしないから、大丈夫だよ、ユウケ」

 にこにこと微笑むアマモを見て、そんなにわかりやすかったか、と目を伏せてしまった。存外、自分は嫉妬深いほうなのかもしれない。気をつけないと。

 

 山を登る。修行中のトレーナーやらポケモンやらを仕留めながら、それでも整備された山道はあたしにとってはマシな方だ。リーリエの手を引きながら、とにかく山を登った。

 登り切ったところで、頑丈そうだが手すりの無い木橋にぶち当たった。それを見て、リーリエが穏やかに手を離し、一歩前に出た。

「ユウケさん、橋ですよ、橋!」

 ぴょんぴょんと飛び跳ねそうなほど、嬉しそうな笑顔が眩しい。

「橋だね……」

 あたしには普通の木橋にしか見えないが。

「ユウケさん、見ててください!」

 引き留める間もなく、リーリエが走り出した。橋をてくてくと走って行く。夕陽に照らされた彼女の後ろ姿に見惚れていると、三つの影があたしの視線を遮った。ヤミカラスだ。あたしはボールに手をかけたが、まだ投げはしない。ヤミカラス三匹は、リーリエの行く手を遮るかのように、橋の前に着地した。リーリエも立ち止まり、睨み合いのような様子にになった。だが、ヤミカラスの様子を見ると別に何かしてくる雰囲気は無い。彼女もそれに気付いたのだろう、ヤミカラスの間を歩いて通り抜け、橋を抜けた後に大きくこちらに手を振った。夕焼けでやや朱に染まった笑顔が本当に美しい。

「ユウケさーん、やりました!」

 あたしはゆっくりと歩いて行き、三匹のヤミカラスの顔を覗き込む。顔が「何かくれ」と訴えかけているが、野生ポケモンの餌付けはまずいので、あたしは手を振るだけに留めた。

 リーリエに追いついて、抱きついてきた彼女を受け止めた。髪が乱れない程度に後ろ頭を撫でる。

「えへへ、やりましたよ」

「うん、リーリエ、頑張ってるよ」

「えへへ」

 まるでとても愛くるしい子犬のようだと思った。ポニーテールではなくて、ドッグテールだろうか。自分の顔が緩むのがわかる。

「じゃ、行こうか」

「そうですね!」

 まだ彼女を抱きしめていたいと思ったが、ここで日が暮れてしまうのはあまり良くない。せめて、平らなところにテントを張りたいのだ。あたしは再び彼女の手を取った。

 

 日が暮れて、ヘッドライトを取り出すかどうか悩んだところでセーブポイント前――というのは冗談だが、この先に試練の場所があり、それが月輪の祭壇を守るような位置になっている。キャプテンはいない、らしい。さっきハプウに(結局電話番号はリーリエに聞いた)電話して確かめた。何タイプの試練なのか想像もつかないし、ハプウもお楽しみだと言って教えてくれなかったが、今持ってないZクリスタルを考えると、飛行、氷、あるいは竜だろうか。あたしより先に挑戦者がいれば覗き見もできるのだが、考えても仕方がない。明日挑戦することにした。

「キャプテンがいなくても、試練はできるのですね」

「賢いポケモンなんロトか?」

「主が戦って、勝てばZクリスタルって感じのシンプルな内容なんだろうね。多分だけど」

 あたし達は好奇心に忠実に試練の場所を覗き込んだが、やはり今のところは何もなかった。

 

 試練の場所にもし挑戦する人がいれば邪魔になるうえに騒がしくて寝られたものではないので、入口からやや離れた場所にテントを張ることにした。木陰で風通しが良すぎない場所を見定め、あたしは手持ちのポケモン六匹――サニーゴ、ミミッキュ、ハガネール、ガオガエン、ウツボット、ヘラクロス――をボールから出した。ぱんぱんと手を叩いて、ポケモン全員の注目を集めた。

「今からテントの立て方を教えるから、見ててね。作業は……ガオガエン、お願い。リーリエも、手伝ってくれる?」

「はい、わかりました」

 ガオガエンはちょっと嬉しそうだ。ポケモン全員を出したが、この面子だとテント張りなんてガオガエンかヘラクロスしかできないな。後は、ミミッキュができるかどうか微妙なところだ。

 張り方といっても、そう難しくはない。まずはインナーテントという、内側の部分を広げて骨組みを通す。ポケモンに実際にやってもらうのはペグ打ちだけだ。ざっと言葉での説明をし、慣れないながらもリーリエも頑張ってくれて手早く済ませたので、何とか興味をなくされる前にペグ打ちまでたどり着いた。

「で、このペグ打ちをガオガエンにお願いしたい。四十五度で、あんまり力を入れすぎないように。完成例がこうね」

 四つ打つペグのうち一つを自分で打って見本にした。ガオガエンにやらせてみると。

「おお。一発で上手くいったね。偉い偉い」

 ガオガエンの喉の下を撫でてやる。ごろごろと嬉しそう。

「わたしも一本やってみていいですか?」

「わかった。じゃああたしが見てるよ。ガオガエン。後一つだけお願い」

 リーリエの手元をライトで照らしながら作業を見守った。あたしが初めてやったときより危なげもなくこなして安心した。

 後は、フライシートという外張りをつければ終わりだ。これはあたしとリーリエでさっくりと済ませた。

 経験的に言うとあまり器用ではないあたしとポケモンがやると大体三十分はかかるのだが、二十分もかからずに済ませることができた。

「わたし、初めてテントを立てました。すごいですね!」

「あたしが初めてやったときはもっと手際が悪かったから、リーリエは大したもんだよ」「ユウケさんが教えてくれたからですよ」

 テントの中に入ってみたい、と全力で主張している彼女の様子にちょっと吹き出してしまった。

「いいよ、リーリエ。先に入ってて。あたしはご飯の支度するから。中に荷物置いてきて」

「はい!」

 元気よくテントに飛び込んでゴロゴロするリーリエを微笑ましい気持ちで眺めながら、あたしは炊事用具を取り出した。お湯を沸かすのと、軽くつまめるものを炙るくらいしか考えていないが。うん?ゴロゴロ?まだテントマットを敷いてないが。

「……リーリエ、背中痛くない?」

「…………結構痛いです」

 あたしは空気を入れて膨らませるタイプのエア系テントマットが好きだ。まあ持ち歩きが面倒なのとアローラ地方は温かいので、空気が入って膨らむスポンジ系のマットを実際には使っているのだが。出して膨らませると、リーリエが目を丸くした。

「ユウケさんのバッグ、何でも出てきますね」

「三次元ポケットだけどね、これ」

 くすくすと笑い合う。

 

 小さく感嘆の声を上げながらマットの上をゴロゴロしているリーリエを眺めながらも、あたしはご飯のための作業をしていた。木の枝はポケモンが集めてきてくれるし、火はガオガエンに起こしてもらえるのですごく楽だ。生木でもガオガエンの火力ならあんまり問題にならない。火を眺めながら、ポケモン用のご飯を準備し、炙るものを串に刺しながら「ご飯だよ」とリーリエと、テントの中で一緒に遊んでいるポケモン達を呼んだ。

「すみません、テントに夢中になってました」

「いいよ、大した準備がいるものもなかったし」

 いただきます、と手を合わせる。真似をして手を合わせる彼女が微笑ましい。

「主への祈りとかするなら、そっちも合わせるけど」

「一応カトリックなのですが、家でもあまりしてなかったので」

 えへへ、と微笑む彼女が可愛い。一挙動ごとに自分の顔が緩んでしまう。ともかく、信仰心というものは大戦争を挟むごとに低下する傾向があるというし、そんなものなのだろうな。

 初めてのキャンプにはしゃぐ彼女とポケモン達と囲む焚き火は温かく、ご飯は美味しかった。

 

 大事な事を忘れていた。ご飯を食べ終えてお茶を淹れてくつろぎながら、あたしは鞄から月の笛と、リーリエが調べてくれていた資料の束を取り出した。

「ユウケさん、どうしました?」

「いや、ちゃんと笛吹けるかだけ確認しておこうと思って。明日には月輪の祭壇で吹くんだしね」

 ごくごく標準的な作りの――素材はいいものを使っているのが見て取れるが――横笛。横笛は得意では無いが、一応は吹ける。ポケモンの笛という道具が流行ったときに、縦笛タイプが手に入らなかったので練習したのがこんなところで生きるとは。

「リーリエはこういうの得意?」

「すごく得意というわけではないですが、大丈夫です」

 はにかむ彼女。あたしも微笑んで、リーリエに手元の資料を見せる。十年ほど前に採譜された儀式の譜面だ。そう難しくない運指だし、何とかなりそうだ。

 あたしは笛に口をつけ、吹き始めた。ぎこちない運指を鳴らすために、儀式のための曲ではなく、よく吹いた曲を。

「……綺麗な曲ですね。何という曲ですか?」

「"The Ecstasy Of Gold"って曲。五十年ちょい前の、西部劇の曲なんだけど。あたしの好きなバンドがライブ開演直前に流すんだよ」

 ぽちぽちとスマフォを弄るリーリエ。

「有名な曲なんですね。すぐ譜面が出てきました。わたしも吹いてみます」

 リーリエの運指は、あたしより遥かに確かだ。細くて長い、白魚のような綺麗な指が太陽の笛の上で踊り、二人の奏でる美しい音が夜と焚き火を彩った。

 

 使った紙皿や串を焼いて焚き火をサニーゴに消してもらった後、近くの小川で塩を使って歯磨きを済ませ、見張り役のミミッキュを除いてポケモンをボールに戻し、リーリエとあたしはテントに潜り込んだ。寝袋のチャックを全開にして大きく開き、二人分の掛け布団代わりにする。

「ユウケさん、その鞄、本当に何でも出てきますね」

「必要なものを必要なだけ入れてあるからね」

 二人で並んで寝そべり、所在なさげに手を伸ばす彼女の手を取った。

「ふえっ」

「……嫌だった?」

「嫌じゃ、ないです」

 ぎゅっと握り返される手が温かい。

 たわいも無いお喋りを楽しんでいるうちに、どちらともなく眠りに落ちた。

 

 ほのかな息苦しさ。額を誰かが突いている。奇襲?ミミッキュの見張りをすり抜けてか?有り得ない。ポケモンだろうが人間だろうが襲いかかってきたら反撃する音で目が覚めるだろうし、勝てない相手なら騒いで起こすように指示している。あたしは目を開けた。

 口元が塞がれている。これは、ミミッキュの触手だ。さすがに旅に出たばかりの素人トレーナーのようにポケモンに寝返られて殺されるような間抜けではない。あたしのポケモンはそんなことをしない。それに、寝ている間に殺すなら鼻も塞ぐだろう。つまりこれは、ミミッキュの「静かに起きて来てくれ」という警報だ。あたしはそっとリーリエの手を離し、静かに立ち上がった。

 

 テントを出ると、ミミッキュが試練の場所の方向を向いて立っていた。ミミッキュがあたしに気付き、嬉しそうに、だが声を立てずに小さく跳ねた。正解だったようだ。ミミッキュがもう一つの触手で指さす方向、試練の場所の奥に、一つ影が立っている。暗がりで辛うじて何かがいるとしかわからないが、しゃらしゃらと金属的な音を立てながらこちらを見ているようだ。目の光だけがらんらんと輝いて見える。

 恐らくだが、主ポケモンだろう。そして、あたしを――否、あたしとポケモンを誘っている。すぐに飛びかかってこないのを確信して、あたしは主から視線は外さないまま、しゃがみ込んでミミッキュを撫でてやった。見張りとして期待以上の仕事をしたのだ。本当はポケマメを食べさせてあげたいが、食事中は一番の隙になる。嬉しそうに身をよじるミミッキュが可愛らしい。

「朝からやるつもりだったけど、行くか。ミミッキュに先陣を任せるよ」

「キュッ!」

 ミミッキュを肩に乗せ、あたしは試練の場所に足を進めた。

 

 ジャラコ、ジャランゴ、ジャラランガ。タイプはわからないが、恐らく竜だろう。ばけのかわを利して剣の舞を踊った後のミミッキュが強烈な一撃を叩き込み、あっさりと主を下し、あたしはドラゴンZのクリスタルを手に入れた。

 

 傷薬を使ってミミッキュの傷を治してからまた見張りを頼み、テントに戻った。案外と大きな音がしなかったのか、ちゃんと距離を置いていたのがよかったのか、リーリエはまだ眠っていた。そっと横に潜り込み、あたしも勝利の熱を冷ましつつ、再度の眠りに身を委ねた。




キヅキアヤサトさんにユウケを描いて頂きました。『祈る』勝利を。

【挿絵表示】

https://www.pixiv.net/member.php?id=2760072
https://twitter.com/sato_Ayasato

Sleep - "Dragonaut"
https://www.youtube.com/watch?v=qMIS2BaDilY
祝初来日。最高の爆音。

Ennio Morricone - "The Ecstasy of Gold"
https://www.youtube.com/watch?v=PYI09PMNazw
Metallicaの開演SE。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、光輝を屠る

 転んだ間抜けの頭の横、床に安全靴の底を叩きつけるような蹴りを入れた。

「ヒッ!悪かった!許してくれ!」

 あたしが欲しいのは抽象的な謝罪ではない。あたし自身に害意を持っていた奴の誠意は具体的な物の形をしている。

「金庫はどこにある?それと、ネタは?」

「き、金庫はない!ね、ネタってのは……?」

 舌打ちが漏れた。金庫がないのは、こいつらのこの支部にはないということだろう。本部か会計部門が持っている可能性が高い。こいつの言葉の信憑性は高いと踏んでいる。リザードンの炎に皮膚を炙られながら平然と嘘をつける奴はそうそういないからだ。

「クスリだ。お子ちゃまじゃないんだ、それくらいわかるだろ」

 半泣きになりながら立ち上がる――何とかとかいうギャングの一員。他の奴は全員あたしのポケモンが叩きのめしたので脅威ではない。

 

 案内された隠し小部屋からあるだけのクスリを、間抜け自身の手で袋に詰めさせた。

「お、お前、こんなことしてどうなるか」

「ここが一つ目じゃない。わかるか、その意味が」

 少し静かにしているだけですぐ下らないたわ言をほざかれるので、あたしはうんざりした。リザードンに顎で命令し、尻尾が間抜けの後頭部に入った。ぶっ倒れた奴を無視して、リザードンに袋を担がせた。

 

 路上で突発開催、末端価格数億円の焚き火で暖まることなく、あたしはピジョットに飛び乗った。クスリを捌くルートがないわけではないが、売ったクスリでドンギマリした奴に後ろから刺されたくはない。コート泥棒と間違えられたくはないものだろう?

 

 マフィアやギャングを乗っ取って上手くやる奴、反社会勢力を中心に強盗まがいを働く奴、そんなトレーナーは散見される。あたしは器用でも剛毅でもないので降りかかる火の粉を払っていただけだが。戦力の底が見えない連中相手に火遊びはご免こうむる。別にあたしは警察官でもないし、ましてや正義の味方気取りではないので、殴って逃げるくらいで丁度いい。クスリを燃やしたのは、シノギを奪ってあわよくば枯死させるため。それ以上でもそれ以下でもない。

 しかし、そこまで場末でもないバーで酒を飲んでいるだけで揉め事になるとは思いもよらなかった。酒を飲む場所で、それ以外のナンパだの強盗だの恐喝だの殺人だのの行為をしないでほしいと思うのはあたしだけだろうか。おちおち酒も飲めないな。

 懸念を片付けた後の酒を飲むために、あたしとしてはかなり高い部類に入るバーを選んだ。揉め事を一つ片付けた後にまた揉めたら笑うに笑えない。いつも通り、コーラのジャックダニエル割を頼む。ジャックダニエルのコーラ割ではなく、酒が七でコーラが三。冷えたコップに口をつけ――ふにゃり、と柔らかい感触。コップが柔らかい?あたしは驚愕した。

 

 夢だったのか。仕事上がりの酒を味わえなかったのは無念極まりない。小さく呻き声を上げて身じろぎしようとしたが、体が動かない。柔らかくて温かい何か、いや、誰かに抱きつかれているのか。仲良くなっている瞼を引き剥がすように目を見開くと、可愛らしい少女に抱きつかれていた。顔が凄く近い。目を閉じていてもわかるくらいまつげが長い。寒かったのだろうか。左手だけを起こさないように気をつけながら抜いて、スマフォで時間を見るとまだかなり早い。まだごろごろしていてもいいかと、あたしは彼女の下ろした髪を撫でた。しばらく撫でていると、彼女が目を開けたので、起こしてしまったかと少し悔やむ。

「あ、ごめん。起こしちゃった……?」

 彼女は首を小さく横に振って、あたしの胸元に顔を埋める。

「寝られそうにありません。何か、歌ってください」

「歌、歌か……」

 子守歌の類がパッと出てきたらいいのだが、あいにくあたしは一人っ子で、子守の経験がない。何か、そうだな。

「Goodnight kiss in you nightgown.Blood and dirt in your bed...」(お休みのキスをナイトガウンに。血と汚れたベッドへ)

 残酷な世界を恐れるあたしが歌うのには相応しい歌、残酷な世界を取り除くことができないあたしには相応しくないかも知れない歌。本来なら強烈なリズム隊が入るところや強い抑揚は抑えて、あたしは左手で彼女の背中をとんとんと優しく叩く。彼女にとっては初めて対峙するであろう伝説のポケモンに対する緊張、不仲になってしまった母との再度の対峙、ネクロズマとの不期遭遇の可能性も含めると、緊張しないはずがない。小さく身じろぎする彼女を抱きしめながら、あたしは小さく穏やかに歌い続けた。

 

 いつの間にか二人とも眠ってしまっていたらしい。スマフォの通知音で目が覚めた。日光を嫌がってあたし達の間に潜り込んで来ていたミミッキュを見てちょっと笑ってしまった。ちゃんと触手がテント出口に伸びているのが、仕事を忘れてはいない証拠だ。

「ミミッキュ、見張りご苦労様。寝てていいからね」

「キュッキュ」

 あたしもミミッキュも、寝ているリーリエを気遣って小声だ。ミミッキュを撫でてやると嬉しそうに身じろぎした。彼女を起こさないようにそっと寝床から抜け出した。

 

 テントから這い出て、伸びをして全身をごきごき鳴らした後、ガオガエンをボールから出す。静かにね、と注意しながら昨日の残りの木の枝に火をつけさせ、湯を沸かし始めた。甘えてくるガオガエンの全身を撫でさすりつつきながら、湯が沸くのを待つ。

「甘えん坊なのは変わらないね。嬉しいけど」

「ガウガウ」

 撫でられるのに突然飽きるのも変わらないのだろうか。まあ、飽きたら飽きたで構わないのだが。

 

 静かめに戯れていたつもりだったのだが、音がしていたのだろうか。リーリエがテントから出てきた。ミミッキュが頭の上に乗っている。

「お。リーリエ、おはよう。眠いならまだ寝ててもいいよ」

「いえ、大丈夫です。おはようございます。ユウケさん、ガオガエンさん。……ポケモンとなら、いちゃついてもノーカウントですよね」

「え、何?」

 最後の方が聞こえなかった。

「いえ、何でもないです。それより、顔を洗いに行きませんか」

「そうだね。ガオガエン、火見ておいて。ミミッキュはそろそろボールに戻る?」

「ガウ」

「キュッキュッ!」

 二匹とも頷いたので、ミミッキュをボールに戻し、ガオガエンに火を任せてあたし達は小川で顔を洗いに行った。

 

「冷た……」

「川の水で顔を洗うの、初めてです!」

「飲んだりはしないようにね。上流に民家もないらしいから汚くはないとは思うけど、慣れないとお腹壊すから」

「それで、ペットボトルの飲み物を買ったのですね」

「そう。後は、ポケモンにここから汲んできてもらった水を、さっきおこした火で沸かしてるから。沸かしたら飲めるから」

「へえー。さすがです」

「そ、そうかな……」

 照れを誤魔化すためにもう一度冷たい水で顔を洗った。遠く川の下流で、ダダリンが跳ねているのが見えた。

 

 お湯はちょうどいい状態になっていたので、リーリエの分の茶を先に淹れてから、見張りを終えて寝ているミミッキュを除いたポケモンを外に出してやり、ポケモン用のご飯を準備した。ミミッキュの分はボールに入れておく。

 人間用のご飯は、昨晩同様に串に刺したりして炙っている。そのまま食べられるものから口をつけることにした。

「「いただきます」」

 味気ないご飯でも、ポケモンと食べると悪くはないし、人と食べるともっと美味しい。自分の分の茶を淹れながら、あたしは顔を綻ばせた。

 

 朝食を取って茶で一服してから、火をサニーゴに消させて、テントと道具を設置した時と逆の手順でしまい、ポケモンを全員ボールに戻した。

「あのテントがバックパックに入るなんて、魔法みたいです」

「モンスターボールみたいに、そのまま小さくなればいいんだけどね」

 目を丸くしたリーリエに、あたしは笑顔で返した。モンスターボールの収納機能はポケモン自体の小さくなる能力に依存しているので、現実性がない。いや、メタモンにテントに変身させればいいのか。「かわりもの」メタモンなら、対戦にも堪えうる――などと、愚にもつかないことを考えながら、あたし達は後片付けを済ませた。

 

 試練の場所で、リーリエが辺りをきょろきょろと見渡している。

「リーリエ?」

「あっ、はい。試練はどうなったのかなって……」

「昨日の夜中に主ポケモンからお誘いがあってね。その時にこなしちゃったよ」

 ぷう、と小さく膨れたリーリエが可愛い。

「起こしてくださったらよかったのに。戦うユウケさんが見たかったです」

「気持ちよさそうに寝てたから。ごめんごめん」

 膨れてはいるが、そこまで怒ってないのは見え見えだ。繋いだ手の甲を、逆の手でさする。小さく跳ねる彼女も可愛い。

「もう、今度は起こしてくださいね」

「わかったよ」

 試練の場所でいちゃついていたら怒られるかもしれないな、と思ったが、今日は主の視線を感じなかった。

 

 試練の場所を抜けると月輪の祭壇であった。雪は降っていない。馬鹿げた規模で連なる石段が天を貫くようにそびえ立っている。ところどころ欠落はしているが、あまり手入れされていない様子と相反するような状態の良さは、建造当時の質の高さを物語っているのだろう。

「おっきいロ!」

「これを登るのか……。見る分には、すごい素敵な建築物だけどね……」

「いよいよですね!」

 感心するロトム、うんざりするあたし、意気込むリーリエ。三者三様の思いを持ったまま、あたしはリーリエの手を強く握った。伝説のポケモンに出会う前に、ちょっとばかり汗をかく必要がありそうだ。

 

 リーリエの状態を見ながら、二回の休憩を挟んで登り切った。ふうふうと息を切らせるリーリエがとても可愛い。汗ばんだ首筋が艶めかしい。とはいえ、ここでリーリエに見惚れているわけにはいかない。あたしはタオルとペットボトルを差し出した。

「あ、ありがとうございます……。ユウケさんは、息、切れてないですね」

「ま、休憩挟んだしね」

 普段歩き回っているのがよかったらしい。全く汗をかかないというほどではないが。

「もう一回、休憩してからにしよう。息切らしたまま笛は吹けないからね」

「はい」

「ついに儀式ロねー。二人ともがんばってロ!」

 気持ちは嬉しいが、笛を吹く以上に頑張りようがないのだよな。その後、どうなるか、何を頑張る羽目になるかはまだわからないのだから。

 

 太陽の笛を吹く人間が左、月の笛を吹く人間が右に陣取るらしい。

「母様と、しっかり話をしたいと思います。一人で全部しようとせずに、みんなで考えるように……。ネクロズマさんのことも、そうです」

 腕試しなんてしている余裕も無さそうだからな。一対二でやるより、一対三でやった方が堅いのも間違いない。

 あの雨の日、はじまりのうみを思い出して恐怖で身震いする。あの時は、もう伝説のポケモンが目を覚まして動き始めた後だった。今回は、まだそうではない。あちらの世界の住人には悪いが、戦場がこちらではないというのは一面ではこちらの利になっている。光が少なくとも十パーセント以上食われれば、恐らくだが地球は数日のうちに雪玉(スノーボール)になってしまう。地球が凍り付かなくても、大規模な寒冷化で農業生産は滅茶苦茶になり、あちこちで戦争が始まるだろう。核の冬再びだ。時限を切られるのは、ネクロズマがこちらに来た時からだ。まだ慌てなくていい。

 あたしは深呼吸し、月の笛を吹く舞台に歩き出した。まずは、月の獣に協力してもらわないといけない。相手に別に利益があるわけでもない話をどう飲んでもらうか。説得も交渉も自信がないが、やるしかない。

 

 二人で笛を吹き始める。穏やかで厳かな音色が響き渡ると、両側の舞台の脇に満たされた水が光り始めた。光は足下の溝を伝い、大きな祭壇に至る。祭壇が輝き、中心が開いて光が溢れ始めた。

「わ……ほしぐもちゃん?!」

 リーリエのリュックサック、いや、ほしぐも――ちゃんが飛び上がり、溢れた光を受ける。

 数秒光を浴びたほしぐも――ちゃんが弾けるように大きくなり、翼を持った大きなシルエットに変わった。これは、進化か。呆然と馬鹿みたいに口を開けて驚いてしまう。

「マヒナペーア!」

 神を慰め、喜ばせるだけではなく、神が不在ならば何らかの力を引き出して、ポケモンに与える儀式でもあったのか。

「ほしぐもちゃん!すごいです!伝説ポケモンに進化させる儀式だったなんて……」

「進化する伝説ポケモンってのは、確かにあたしも初めて見るし、聞く話だね」

「わたしも、本でも読んだことないです」

 感嘆の溜息をつくあたし達。

「ルナアーラさん……いいえ、ほしぐもちゃん。わたし、母様に会いたいです。アローラを守るために、母様一人で全部しようとする必要はないですし、ネクロズマさんもそうです。お願い!」

「マヒナペ!」

 助かる、というのが正直な思いだった。彼……いや、彼女か。彼女は応えてくれるらしい。

 

 安堵の気持ちを吹き飛ばすように、何か、いや、誰かが落ちてきた。

「グズマさん?!ど、どうして……」

 グズマを追うように、もう一人落ちてくる。グズマの上に。ルザミーネ代表だ。

「母様?!」

「リーリエ、二人をお願い!」

 空に穴が、ウルトラホールが開いている。あたしは前に駆け出した。

「駄目!あなた達、お逃げなさい!あいつは化け物よ!」

 タイムリミットが、向こうからやってきたらしい。

 鋭角的なフォルムの、黒いポケモンがウルトラホールの前に現れた。

 

 リーリエはルザミーネ代表とグズマを助け起こそうと駆け寄る。

「母様……!」

「奴が、ネクロズマ……目覚めた途端に荒れ狂って、全てを一瞬で退けた……あいつは、強いわ。わたくしが思っていた以上に!」

 ルザミーネ代表はリーリエを睨んだ。

「お逃げなさい!あなたがいても邪魔になるだけ!」

 あたしと、そしてルナアーラが前に出る。あたしは敢えて、ふんと鼻を鳴らして笑った。

「邪魔になる、って言ったら、あたしとルナアーラ以外の全員が邪魔。あたしらが戦うから、早く下がって」

「マヒナペーア!」

 あたしがボールに手をかけた瞬間に、先を取られた。ルナアーラだけがその瞬間に対応し、銀と黒の軌跡が空に描かれる。あたしは前から考えていたとおり、ミミッキュを繰り出した。

 

 だが、相手の方が上手だったらしい。数合の撃ち合いで、ネクロズマがルナアーラを押さえ込み、鎧として纏わり付くようにルナアーラと一体化したのだ。今日進化して、初めての実戦となると、この結果もやむなしか。見ようによってはルナアーラが鎧を纏っているようにも見えるが、実際の主導権はネクロズマにあるのだろう。先ほどのルナアーラの温和な視線とは違う、あたしへの突き刺すような視線がそれを証明している。

 頼れる味方と思っていたルナアーラが敵の道具のような状態になったが、まだあたしの戦意は折れていなかった。元々、あたし一人でやるつもりだったのだから。

「これがファンタズマって訳?あたしは面倒が嫌いなんだよ!行け、ミミッキュ!黒いところだけを狙え!」

 ミミッキュが飛びかかり、影の爪で切り裂く。ミミッキュの方が早い。相手のタイプはまだわからないが、充分な効果を発揮しているのが見て取れる。大きくカギ裂きを体表に作ったネクロズマが吼え、光球が撃ち込まれる。あの技はパワージェム――こちらに手を見せるつもりがないのか、有効打がそれしかないのかはまだわからない。ミミッキュのばけのかわが一撃を受けた。ネクロズマがミミッキュから目を離し、あたしを見る。

「何だ?動きが悪いな。構わん、付き合う必要も無い。一気に畳んでしまえ、ミミッキュ!」

 押さえ込んだルナアーラの抵抗があるのだろうか、いやに動きが悪い。ミミッキュ自体は元気一杯のまま、もう一撃薙ぎ払う。痛打を受けたのか消耗を嫌ったのか、ネクロズマはルナアーラを押さえ込んだまま、ウルトラホールの向こうに姿を消した。

 あたしは小さく笑みを浮かべた。仕留め損ないこそしたが、ミミッキュのばけのかわを貫いて攻撃することは、今のところできなかったようだ。それなら、必ず勝てる。

 

 ミミッキュをボールに戻した直後、背後から足音が聞こえた。ウルトラ調査隊の二人だ。

「光を操るネクロズマが、アローラの光を食ったのか……」

「失った光を取り戻そうとしてるのかもしれないね」

 ほしぐも――ちゃんを助ける。ネクロズマを弱らせるためにも必要だ。

「どうすればいいのでしょうか。ほしぐもちゃんを助けたいのです。でも、ネクロズマさんも何かを求めているように、苦しそうに見えました」

 リーリエの手にすがるように立ち上がったルザミーネ代表が、小さく笑った。

「ネクロズマのほうまで気にするなんて、あなたは優しくて、優しすぎる。そのせいで、コスモッグを持ち出したというのね。馬鹿な子……」

 言葉とは裏腹に、優しげな笑みを浮かべるルザミーネ代表を見て、あたしは違和感に眉をひそめる。親子和解の可能性が見て取れるのは嬉しいが、ウルトラホールの向こうで何かあったのだろうか。

 

 ウルトラホールを開けるためのガスはもう無い。コスモッグ――今はルナアーラだが――もあちらの世界に連れ去られてしまった。そうなると、蜘蛛の糸になりうるのは、眼前のウルトラ調査隊の二人か。

「あんたらも、ポケモンでこっちの世界に来たんでしょう?」

 それならと口を開きかけたあたしに被せるように、ルザミーネ代表が言葉を発する。

「あなた達の力を貸してほしい。いくつもの世界を行き来する、あなた達の力をね」

「今更、お前がそれを言うのか。我らを欺いて物事を解決しようとしたお前が。大した代表だ」

「やめなよ、ダルス。言ってもしょうがない」

 アマモのツッコミに小さく呻いたダルスに意図して陽気な声をかけた。

「こっちの世界の人間を信用できるかは別としてだ。あたしの腕は買ってくれてもいいんじゃない?現にさっき、ネクロズマを一度退けてる」

「……お前の人間性ではなく、腕を信用しろというのか」

「そう。あたしと、あたしのポケモンの殺し……いや、(いくさ)の腕をね」

 視線を見合わせるダルスとアマモ。

 呻き声を小さく上げて、グズマが目を覚ました。

 

 アマモが頷き、ダルスが小さくかぶりを振る。

「さっきの戦いでは、確かに一方的に推移していたな。お前が強いのは間違いない。だが、もう一つ。ネクロズマはお前の腕輪を……Zパワーリングに目が行っていたようだった」

「ミミッキュの首……じゃないけど、体が折れたのを見て、食ったと勘違いしたから、次を出してくるトレーナーのあたしを警戒したってわけじゃなくて?」

 あたしもそこまで観察眼に自信があるわけではない。

「確証はない。だが、そのリングの放つ光を欲するように見えた」

「……Zクリスタルが目当てってことかよ?」

 Zリングに嵌まっているクリスタルは確かに多い。

「ユウケさんは、島巡りをしていますから……Zクリスタルは沢山お持ちですよね」

「キャプテンや島キングは、一つのタイプを極めようとするから複数のZクリスタルは普段持ち歩いてねえ」

 カプ神の与えたリングそのものに用事があれば、直接カプ神を襲うだろうという推測も成り立つ。

「断言はできないけど、あたし自身が餌になれるってことか」

「あたし達はポケモン勝負が得意じゃないから、ソルガレオと一緒に戦うのは無理だけど、その力を借りて、ウルトラホールを移動することはできる。ポケモンライドっていうんだっけ。ああいう感じでね」

「ウルトラワープライド、という。ネクロズマは恐らくだが、元の世界に戻っているはずだ。我々の世界は、ウルトラホールを抜けた……その先に、更に空間のようなもの、三次元世界に生きる我々にはそう観測できるものがある。そこにあるワープホールを抜け、違う世界に入るのだが……。白いワープホールが、そうだ」

「要するに、ソルガレオに乗せてもらって白いワープホールを探せってことね?」

「ああ。他のワープホールでは、全く異なる世界に行くことになるからな」

「ちなみにだけど。その『空間のようなもの』を通る時に何か危険はあるの?

 ウルトラ調査隊の二人は揃って首を横に振る。

「今まで、ソルガレオに脅威を与えるような存在に遭遇した事例はない。力の場……のようなものがあり、ソルガレオにぶつかると減速してしまうが、それもソルガレオも乗せてもらう我々にも傷を与えるようなことはないからな」

「じゃあ、もう一つ。その『空間のようなもの』でソルガレオから転げ落ちたらどうなる?」

「何とも言えん。ソルガレオが拾えるかどうかもわからん。前例はないと言っておこう」

「じゃあ、転げ落ちないように気をつけるとしよう」

 あたしは薄く笑った。

 

リーリエに肩を掴まれた。

「ユウケさん、わたしも、ほしぐもちゃんと、ネクロズマさんを助けたいのです!一緒に行かせてください!」

 あたしは後ろ頭を掻いた。

「お願い事はなるべく、何でも聞いてあげたいんだけどね。前半分は……そうだね。全力を尽くすよ。後ろ半分は駄目」

 その、上目遣いで見られるとあたしは弱いな。

「ネクロズマは強い。あいつを上手く……大人しくさせられるか、リーリエを連れて行って、安全に気を遣いながらできるかは、自信がない」

 ぐっと唇を噛む彼女を見るのが辛いが、じっと目を見て、心を伝えようと努力する。

「リーリエにも信じてほしい。あたしと、ポケモンの腕をね」

 なおも躊躇うリーリエの肩を、ぽんと叩く。

「朗報を持って帰るよ」

 小さく泣きそうな顔を浮かべて頷く彼女を、あたしはぎゅっと抱きしめる。

「ユウケさん、いつものは……」

「いつもの?」

「『危なくなったら逃げる』と」

「もちろん、そうするさ」

「わたし、わがままです。ユウケさんには無事に帰ってきてほしいですし、ほしぐもちゃんも、ネクロズマさんも……」

 小さく震えるリーリエの背中を、今朝したようにぽんぽんと叩く。

「大丈夫。全力を尽くすよ」

「ユウケさんは、いつも『逃げる』と言ってますが、逃げるユウケさんが想像できなくて。勝つか、それとも大変なことになって倒れてしまうかしか……わたし……」

 信用があるのだかないのだか、と苦笑いしてしまう。

「なるべく高水準で全部こなすように、努力するから。ね」

 リーリエの震えが収まるまで、あたしは柔らかな体を抱きしめていた。彼女の体温が消えてしまいそうな気がして。

 

 あたしは用を足してから、ライドギアに登録されたウルトラ調査隊の服装に着替えた。

「温度管理機能付きってことでいいんだね?」

「ああ。我々の世界に比べ、アローラは比較にならんほど暑いからな。その機能がなければ、行動すらできん」

「逆も然り、ってことか」

「そうだな。少なくとも、我々の世界の空気で凍えることはないだろう」

「お手洗いの機能もついてるからね」

「それはあんまり世話になりたくはないけどね」

 苦笑いするあたし。

「では、ソルガレオ様!」

 ダルスの呼び声に応え、大きく白い獅子のようなポケモンが吠え声と共に姿を現す。手を振ってくれるリーリエとアマモに手を振り返し、他の見送ってくれた面々には目礼し、あたしは異空間に飛び込んだ。

 

 ネクロズマ(タイムリミット)が向こうからやって来た。地球の上にいるなら、もうどこに逃げても同じだ。それに、あたしは家族と恋人という守りたいものがある。逃げを打てるのは、逃げる先がある時だけだ。あたしは嘘をついた。正確には本当のことを言えなかったというところだ。「逃げてもどうしようもない時に、逃げの手が使えない」という当たり前のことを。

 

 ウルトラワープライドは、控え目に言って不快極まる体験だった。装備には問題はない。もちろん、ソルガレオがどうだとか、ワープ空間がどうだとかではない。乗り物酔いというのは、視覚と身体の移動感覚が一致しない時に起きるものらしい。視覚と実際の動き――そもそも三次元空間でいう移動を当てはめるとどう動いているか全くわからないが――が一致せず、さらに身体に与えられる移動している感覚が滅茶苦茶なのだ。胃の中から酸っぱい何かが駆け上がってくる。口元にせり上がってきた装置が当てられ、あたしは安心して上がってきた物を流し込む。

 

 ワープ中に吐瀉物をまき散らしたらどうなるのだろう、という疑問を試さずに済んだだけありがたいと思いながら、あたしは地に足をつける。船乗りもかくやというくらい、不動の大地がありがたい。ソルガレオが心持ち申し訳なさそうな顔をしてすり寄ってきたので、別にソルガレオのせいじゃないという思いを込めて頭を撫でる。

 

 胃が落ち着くまで深呼吸をしてから、あたしは周囲を見渡した。黒く見える建物が林立しており、真っ直ぐ伸びた道路の先に、光を放つ塔がそびえ立っている。

「見たことない建物ロ!」

「ああ。しかし、暗いね……」

 異様な建築物もだが、人気の無さも気になる。これだけの建築物を必要とするからには、住人がいるはずだ。ウルトラ調査隊の衣服が熱を発し、あたしを寒さから守っている。この世界唯一の熱源になっているような錯覚。こつこつと舗装された大地を踏みしめるブーツの音が寂しく反射する。

 

 右手の建物の扉が開き、人影が二つ現れた。

「アローラ地方から人が来るとはな。しかも、ソルガレオに乗って」

 あたしは両手を開いて挙げる。

「ウルトラ調査隊のダルスとアマモから話は聞いてる?」

「ええ、聞いております。ようこそ、ウルトラメガロポリスへ、ユウケさん。私はミリン、彼がウルトラ調査隊隊長のシオニラです。ネクロズマを制するために来てくれたと」

 制する、か。言い得て妙かもしれない。殺すわけでもなく、捕まえるわけでもない。

 建物の中をちらりと見ると、大勢の人が座ったり寝たりしているのが見える。なるほど、避難中というわけか。それを見たうえで言葉を継いだ。

「あんまりにも誰もいないから、もう間に合わなかったのかなと思ったよ」

「そちらの世界から、ルザミーネさんが来られた時にネクロズマが大暴れしましてね」

 痛烈な皮肉だ。あたし達三人、全員が苦笑いする。

「ネクロズマはルナアーラの光を取り込んだようです。ですが、その力を制御しきれずに苦しんでいる。ネクロズマも、我々も、そして恐らくはルナアーラも、望まぬ形で苦しんでいる。我々の科学の力ではどうにもならない……」

「どうか、頼む。力ある異世界の人よ。苦しみを終わらせてやってくれ。そして、我々の世界にも光を取り戻してほしい」

「善処するよ」

 苦々しい表情で言う二人に対し、あたしは溜息をつく。その言い方では、まるで処刑人か延命医療を止める医者ではないか。

 

 塔の頂上。あたしの眼前で、ネクロズマはルナアーラから何らかの水晶のようなものを引き出した。力の源なのか力を制御するための何かなのか、それとも全く違う物なのかあたしにはわからない。

 ただそれが、前回やり合った不完全な合体ではなく、完全な合体のための鍵だったのだろう。ネクロズマとルナアーラの姿が光に包まれ、数秒の後には、二体が重なっているような状態ではなく、完全に一体のポケモンとして現出する。白と黄金、四枚の翼を持った鋭い姿で。左右対称、赤と青の異なる色の目が、あたしを睨みつける。立っているだけで尋常でない熱があたしの体表面を焦がそうとする。纏っている防護スーツがなければ重度の火傷を負って倒れ込み、そのまま死ぬ羽目になっただろう。

「シ……シ……シカリ……!」

 身体を震わせて吠えるネクロズマが何を言いたいのか、こちらの世界の人間を呪っているのか、完全な力を得た、或いは取り戻した喜びに震えているのか。それとも、仮説通りZクリスタルを欲しているだけなのか、あたしにはわからない。

 だが、あたしと戦いたがっていることだけはわかる。だから、あたしはボールを投げた。

「行け、ミミッキュ!」

「ミミッキュ!」

 あたしの頼れる小さな怪物は、いっそ神々しいまでの奴と対峙しても怯まない。もし、姿同様に能力までも大きく変わり、特性までも変わっていたら。かたやぶり染みた何かになっていれば、全ては振り出しに戻る。ミミッキュが出た場所めがけ奴の爪が振るわれ、ミミッキュは飛び退いてそれを躱す。床を抉った破片があたしめがけ飛来したので、転がるように避けた。破片も抉られた床も爪が一瞬触れただけなのに赤熱している。太陽に変わる光源であったということは、つまりは太陽そのものと戦っているようなものなのだろう。冷や汗が流れるのを感じる。早期に決着をつけないと、交戦の余波だけでもあたしが死ぬだろう。

 あたしは、出し惜しみなく今まで一度も使っていなかった切り札を使うことにした。

「ミミッキュ、みちづれ!」

 轟、とミミッキュが応え、禍々しい力が奴とミミッキュの小さな身体を結びつける。奴は構わずに爪を振るい、化けの皮が剥がされた。だが、ミミッキュはまだ健在だ。奴の方が早いからもう無理だろうし、このまま奴がミミッキュを倒せば必要もなくなるが、駄目押しをする。

「のろい!」

 ミミッキュが己が身を削って呪詛をかける前に、ネクロズマの角がミミッキュを弾き飛ばす。ミミッキュが力尽きる直前に、奴の生命力そのものをぞるりと吸い取り――ミミッキュはボールに戻り、ネクロズマは光を失い、倒れた。

 

 どう、と轟音を立てて倒れ込んだネクロズマは、輝く粒子をまき散らし、徐々にその輝きを失う。神々しく尖った一体としての姿から、ルナアーラを押さえ込んだネクロズマとルナアーラの姿に戻り、ネクロズマのみがその姿をウルトラホールの向こうに消す。

「ルナアーラ、大丈夫?」

「マヒナペ!」

 元気そうに振る舞うルナアーラは大丈夫と言っているのだろう。多分だが。あたしは大きく安堵の溜息をついた。

 とはいえ、ネクロズマ自体はまたも逃がしてしまっているのだが。どうすればいいか見当もつかないが、追ってケリをつけなければいけないのかもしれない。

 

 ミミッキュを手当している間に、ウルトラ調査隊のこちら側にいる二人、シオニラとミリンがここまで上がってきた。

「ありがとう、アローラの人、ユウケよ。ネクロズマは再びアローラに渡ったようだが、我らの観測する限りでは、飛ぶこともままならないようだ」

「光を食らうようになってしまったネクロズマがいなくなり、私達も……遠い将来になるでしょうが、ここで光を浴びることになると思います。ユウケさん、そしてZクリスタルの光に感謝します」

 Zクリスタルそのものは今回使わなかったが、餌にはなるのだろうか。

「ネクロズマがどこにいるかわかるの?」

「いや、今、我々からはウルトラホールに入るまでの状態しかわからなかった」

「回復するまでに探さないといけないかもね……」

「あの手傷であれば、一か月は飛べないはずです」

 次の手が読めない以上、あまり悠長にはしていられないだろうが、一か月か。まあ、一週間は見られる、か。またやるべきことが増えてしまった。

 浮かない顔をするあたしをよそに、二人は眼前の課題が去った喜びを隠そうともせず言葉を続ける。

「お前が鎮めたネクロズマ……そうだな、ウルトラネクロズマとでも仮に呼ぶとしよう。光を得て輝いたものの、またも光を失ってしまった。ルナアーラを再び押さえ込む力がなかったのだろう。ルナアーラも別に、アローラに戻っていった。私達の願いを聞いてくれて本当にありがとう。心より感謝する」

「ありがとうございます」

「いいよ。礼はまだ早い」

「ベベ!」

 ベベノムと言ったか。可愛らしい紫のポケモンが、あたしの方を見て騒ぐ、というか、はしゃぐというか、好意的な反応をしている。あたしはベベノムを撫でる。

「礼代わりといっては何だが、ベベノムが君の事を気に入ったようだ。君さえよければ、ベベノムを連れていってやってくれないか。ベベノムも喜ぶ」

「それは嬉しいね。ベベノム、よろしくね」

「ベベベ!」

 あたしは微笑み、ベベノムにモンスターボールを差し出す。ベベノムはボールのボタンを自分で押し、吸い込まれた。

「それでは、アローラにソルガレオ様に送ってもらうとしましょう。あなたは予防接種を受けていないので、建物に避難している同胞と顔を合わせてもらえないのが申し訳ないですが」

 大勢の人に注目されるのは苦手だ。ましてや恐らくだが英雄扱いなんて、考えただけで顔が真っ赤になって卒倒しそうになってくる。あたしは慌てて手を振る。

「いいよそんなの。別に感謝されたくてやったわけじゃない。放っておけばこっちの世界どころかアローラ……というか、地球が凍ってあたしも死ぬだけだったからね」

「同胞に代わり、改めて礼を申し上げます。では、お気をつけて」

 あたしはソルガレオに跨がった。

 

 一難去ってまた一難とはまさにこのことだろう。アローラの月輪の祭壇に降り立ったあたしは、ウルトラ調査隊の装備にまたも吐瀉物を吸い取ってもらう羽目になった。自分でもわかるくらい血の気の引いた顔のまま、ソルガレオに礼を言って撫でていると、リーリエが飛びかかって――もとい、飛び込んできた。

「ユウケさん!ユウケさん!よかった!よかった!」

「リーリエ、ありがとう」

 抱きしめながらも、自分の吐息が胃液臭いのではないかという最低な理由で、あたしはリーリエから顔を背ける。だが、リーリエはそっぽを向いたあたしの顎を捕まえてぐいと引き寄せ、唇を重ねる。

 後ろで小さなどよめきが聞こえ、あたしは色々な意味で顔が赤くなる。熱烈に唇を押し付けるようなキスをするリーリエの背中を軽く叩く。もちろん嬉しいに決まっているが、時と場合があるというか。

 ありありと不満げな顔をして離れるリーリエに小声で「ま、また後で、ね」と囁くと、少しだけ嬉しそうな顔になってくれるのが愛おしい。

 

 えへん、と小さな咳払いをしてからダルスとアマモが歩み寄ってくる。リーリエはあたしの右腕にしがみつくように抱きついたままだ。

「大したものだな、ユウケ。Zパワーリングを持つ者よ。オーラがリングに集まっているのがわかるか」

「ありがとうね、ユウケ。強いアローラの人。ウルトラメガロポリスでネクロズマと向き合ってる時にわかったことがあって」

 続けて、とあたしは頷き、ダルスが言葉を引き取って続ける。

「我々の祖先が光を浴びていた時に、ネクロズマが放っている光が、オーラなのだ。ウルトラホールを通じ、アローラの各地にオーラが降り注ぎ、それがアローラのポケモンに影響を与えていたのではないかと推測される。例えば、試練の場所などがウルトラホールが開きやすい場所だったのだろう」

「Zパワーも、主ポケモンのオーラも、ネクロズマ由来の力らしいよ」

「お前ほどのトレーナーなら、ネクロズマを暴れさせずに光を与えられるのかもしれない」

「『向き合ってる時』って言ったけど、向こうで何があったかはこっちでもわかってる?」

「ああ。ネクロズマを鎮めはしたが、捕らえることができずに悔いていると」

 何度目かわからない溜息が勝手に出る。

「そう。あいつを探すことから振り出しに戻る、だよ」

「ウルトラホールを通って来たネクロズマが、どこに落ちたかは、大体の位置だけどわかるよ」

「ああ。アローラ地方で一番高い山、ラナキラマウンテンのどこかに墜落したはずだ。しばらくは、ウルトラホールを開くどころか、普通に空を飛ぶことすら難しいだろう」

「ありがとう」

 ラナキラマウンテンか。ククイ博士に聞けば工事関係者の目撃情報やらがわかるかもしれない。

 

 話が一段落した時点で悪戯っぽい笑みを浮かべ、アマモが意味深な視線をダルスに送る。

「もう一つ、礼代わりと言っては何だが、これからもソルガレオ様に乗れるように計らおう。ライドギアに登録してあるから、使ってくれ。ウルトラ調査隊の装備も使ってもらって構わん。他の世界のポケモンを探すことができる」

「ウルトラメガロポリスにも、また遊びに来てよね。予防接種たくさん受けてもらわないといけないけど」

「それは有難いね。ウルトラメガロポリスに行くのは、ほとぼりが冷めてからにしたいけどさ」

「悪いことをしたわけではないのに」

 くすくすと微笑むリーリエとアマモ。ダルスも苦笑いを浮かべている。

「注目されたくないんだよ」

 あたしも苦笑いして、後ろ頭を掻いた。

「それで、あんたらはこれからどうするんだ?」

「ネクロズマがアローラに与えた影響とか、調べたいかも」

「俺はポケモンバトルというものが面白くなってきた。トレーナーとしてアローラを旅するのも悪くない」

「へえ。そりゃ面白そうだね。また会ったらよろしく」

「ああ。また会おう」

「じゃあね!」

 両手で四角を描く例のポーズをしてから、ダルスとアマモは立ち去った。

 

 話が終わるのを待っていたのだろう、ルザミーネ代表がリーリエに声をかける。

「リーリエ。ポケモンの痛みに気付き、苦しさを思えるあなたが正しかったのね。コスモッグちゃんを連れ出した時は……」

「わたしは、ただ……」

 言葉を切ったリーリエは、あたしを見る。

「ユウケさんが凄かったんです」

 穏やかに微笑むルザミーネ代表。

「娘をありがとう。リーリエがとても世話になったわ。ポケモンのことだけでなく、世話になっているみたいだけど」

 後半の言葉に棘を感じるのは気のせいではないだろう。ただ、この棘は、彼女自身のエゴからではなく娘を守るための親としてのものだと感じられ、真剣に向き合わないといけないものだ。あたしは息を大きく吐いてから吸って、ルザミーネ代表――ルザミーネさんの目を見据えて口を開く。

「ええ、リーリエさんとは、恋人として真剣にお付き合いさせてもらっています。将来のことも考えて」

 びくりと右腕に抱きついたままのリーリエの身体が震える。嫌だっただろうか、とちらりとリーリエを見ると、満面の笑顔が赤くなった状態で固まっている。

「まだ、あなた達には早いのではなくて?リーリエはまだ十一よ」

「旧日本地域ならもう成人ですよ。あたしももうすぐ十三歳です」

 ルザミーネさんは微笑に少しの困惑を含んだ顔であたしから目を逸らし、固まったままのリーリエに目線を向ける。

「……まあ、詳しい話はまた今度」

「そうですね。正式にご挨拶に伺います」

「子供だとばかり思っていたのだけれども。早いものね」

 感慨深そうに呟くルザミーネさんに、大人だと啖呵を切ったあたしは答えられない。

「そうそう、このウルトラボールを差し上げるわ。ウルトラ調査隊の情報を元に財団で作った、ウルトラホールの向こうに住むポケモン、ウルトラビーストを捕まえるためのボール。ウルトラホールの向こうに行くかどうかは別にして、ウルトラホールを通じてポケモンが出てくる可能性もあるでしょう」

「ありがとうございます」

 なかなかデザインも悪くない。

「普通のモンスターボールとしても使えなくはないわ。性能的には他のボールのほうがいいけど。今度、エーテルパラダイスで限定販売するから、よろしくね」

 意外と商魂逞しかったりするのだろうか。あたしは小さく笑ってしまった。

「それと、もう一つ。光を奪われたせいか、コスモッグちゃん……いえ、ルナアーラちゃん、弱ってしまいましたから、エーテル財団としてパラダイスでお世話をしますから、リーリエも手を貸しなさい。……リーリエ?」

「……リーリエ、大丈夫?」

 まだ固まっていたリーリエがやっと反応してくれた。満面の笑顔で頷く。

「はい、母様!」

 背を向けて、グズマにも声をかけ立ち去るルザミーネさん。

「相手を活かすことが、自分を活かすこと、か……」

 立ち去り際に背を向けて呟いたグズマの言葉が何故か耳に残った。

 

 二人だけになった。何だか騒がしかった気がしたが、神経が張り詰めていたのだろうか。たった六人しかいなかったのだなと思う。

「あの、ユウケさん。わたし、ウルトラ調査隊のお二人が出してくれた映像を見て、応援していたんです。わたし、何もできないけれど。ユウケさんと、ミミッキュさんを……母様と一緒に、です」

「ルザミーネさんと?ああ、それでか。よかったよ。家出したまま、喧嘩したままってのはね。いつ、何があるかわからないし」

 ルザミーネさんとグズマがウルトラホールの向こうから無事に帰って来られたのは僥倖に過ぎない。何かあってもおかしくはなかった。ウルトラホールがなくても、こんな時代だ。いつ、誰が、どこで死んでもおかしくはない。

「はい。色々と母様と話せて、わかったと思います。ユウケさんは、あの世界の人々、そしてこちらの世界のわたし達を助けてくれました。ネクロズマさんも、これからもう一度会うのですよね」

「あたしより先に誰かが接触してたら別だけど、そのつもり。頼まれた物事を途中で捨てる気はないからね」

 リーリエは抱きついたままのあたしの右腕にぎゅっと力を入れて抱きしめる。

「みんなを、笑顔にしてくれました。ユウケさんは本当にすごいです。わたし、ほしぐもちゃんを元気にするため、そして、母様ともっとしっかりお話しするために、一度パラダイスに戻ります。だから、その前にもう一度、元気をください」

 目を閉じるリーリエに、あたしはそっと口づけた。柔らかな感触を味わう、穏やかなキス。

 唇を離すと、リーリエが微笑んで、あたしも自然と笑みがこぼれる。

「元気をもらったのは、お互い様みたいだね」

「はい!ユウケさん、また!連絡しますから!」

 一度言葉を切って、あたしの耳に口を寄せるリーリエ。

「離れている間に、他の(ひと)と遊んだりしないでくださいね?」

「しないよ。あたしはそんなに尻軽じゃない」

 お互い小声で囁いてから、何事もなかったかのように元気に手を大きく振るリーリエに、あたしは小さく手を振って応える。

 階段の踊り場を見ると、ルザミーネさんとグズマが待っていたようだ。穏やかな笑みを浮かべる二人にリーリエが合流し、もう一度振り返ったリーリエが大きく手を振る。

 今度はあたしも、大きく手を上げ――たが、あまり大きくは振らなかった。単に気恥ずかしいというだけだが。この羞恥癖もちゃんと家族の問題にぶつかっていく彼女のように、ぶつかっていかないといけない課題なのだろうなと思いながら。




キヅキアヤサトさんにユウケを描いて頂きました。『祈る』勝利を。(第十六話と同じ挿絵です)


【挿絵表示】


https://www.pixiv.net/member.php?id=2760072
https://twitter.com/sato_Ayasato

Dream Theater - "Goodnight Kiss"
https://www.youtube.com/results?search_query=dream+theater+goodnight+kiss
Officialの画像が出てこなかったので、検索結果のみ。
同じバンドの"The Silent Man"とどちらにするか少し悩みましたが、お休みのキスというところでこちらにしました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、絵描きと語らう

 広大な月輪の祭壇が嘘のように静かになる。六人と一人ではまるで違うなと一人苦笑いするあたしに、ポケットから飛び出してきたロトムが声をかける。

「ユウケ、すごかったロ!」

「何だ、待っててくれたのかい?悪かったね」

「みんなユウケにお礼言ってたロー!すごいロー!」

「ミミッキュが凄かったんだよ。な」

 ボールを撫でてやる。面映ゆいのか、ボールが小さく揺れる。

 

 あたしのスマフォが鳴る。Sabatonの"Diary Of An Unknown Soldier"……登録していない番号だな。あたしは電話に出る。

「もしもし、ユウケ?キャプテンのマツリカでっす。今大丈夫?」

 思いもよらぬ人からの電話で面食らってしまう。

「ああ、ええと……この番号は?」

「ハプウちゃんに聞いた」

「よく電話番号を聞き出せましたね。あー、機械の操作的な意味でです」

 けらけらと笑うマツリカさん。

「電話で聞くより会いに行ったほうが早いと思って。電話借りてマツリカが操作した」

 乾いた笑いを漏らしてしまう。

「ま、電話番号はいいんだよ。さっき、月輪の遺跡が暗くなったのと、何?何だか見たこと無いポケモンが空の穴から出てきてさ。ハプウちゃんとマツリカで帰ってもらったんだけど」

 試練の場所、つまりは主がいる場所はネクロズマの光が届きやすい場所。つまりはウルトラホールが開きやすい場所ということか。となると、他の島も――。

「……してくれて、聞いてる?ユウケ?」

「……すみません。考え事をしていました」

「いーよいーよ。遺跡の暗いのが何とかなったの、ユウケが何とかしてくれたんでしょ?ありがとねって言いたくて」

「ああ……いえ。まあ、何とかなってよかったです」

「いやいや、大したもんだ。で、片付いたんだよね。試練やってく?」

「今日、マツリカさんの方の時間大丈夫なら」

「んー、そうだね。マツリカは大丈夫」

「こっちの都合で申し訳ないですが、二時間後に、海の民の村でいいですか?」

「いーよ。ナマズンの形の船が、マツリカの家だから」

 了承し電話を切った。

 そのまま、ククイ博士に電話をかける。

「やあ、ユウケか。さっき、島キングと島クイーン達、それとリーリエから連絡があってね。伝承のポケモン……ウルトラビーストだね?」

「らしいですね。今、マツリカさんからの又聞きですけど、ハプウから連絡がありました。損害だとか、取り逃がしはありましたか?」

「いや、島キング達がきっちり抑えてくれたらしい。メレメレ島に関してはカプ・コケコとハウ君がやってくれたそうだけどね。他の島は、島キング達の独力だ」

 あたしは安堵の溜息をついた。ハウ君がやってくれたという言葉に笑みが漏れる。

「こっちも、片付きました。リーリエから連絡があったならご存じだと思いますけど」

「ああ、よくやってくれたよ。ありがとう!」

「いえ、運とポケモンが頑張ってくれたお陰です」

 からからと笑う声。釣られて小さく笑う。

「ともかく、助かったよ。島巡りを続けるんだろう?」

「そのつもりです。後はマツリカさんの試練と、ハプウの大試練ですね」

「もうすぐで全部の試練を達成だね。大したもんだ。ところで、例の話、考えておいてくれたかい?」

「嫌がっててもロイヤルドームの時みたいに引っ張り込む気でしょう?」

「ロイヤルドーム?何のことかな?」

 この人は人使いが上手い――というか、あたしが押しに弱いのか、ひょっとして。初代の肩書きは正直なところあまりありがたくはないが、気付いたら押し込まれている未来しか見えない。それに、あたしも勇気を出して変わろうとする恋人に負けないように、少しは背伸びをしないといけないと思う。

「受けることにしますよ」

「おお!ありがとう!」

「で、スケジュールなんですけど。二つの試練がどれくらい日がかかるかわからないのと、チャンピオンロードを抜けるのにも日を見ないといけませんから」

「うんうん、そうだね」

「マツリカさんの試練に三日、ハプウの試練に三日、チャンピオンロードを抜けるのに二日。何かあったときの日を見て予備に四日と、正直なところノンストップで回ったので疲れました。二日ほど休みを取りたいです。合計で十四日、二週間」

「二週間後だね。いいとも」

 ポケモンリーグ開設はトレーナーを呼び寄せる目玉だから、もっと早めてくれないかと渋られると思っていたので少し拍子抜けする。内心ふっかけすぎたかな、とは思っていたのだ。受けてもらえるならもちろんそれに越したことはない。

「では、それで調整してください」

「わかった。島巡り、楽しんでくれよ」

「ええ。では、何かあればまた」

 電話を切って、再度安堵の溜息を吐く。

 

 やるべきことをやり終えたから今は眠気に身を任せたくて仕方がない。とんでもないポケモンとやり合った上に二度も吐いたので、緊張の糸が切れた今ではとにかく、寝たい。昼を回ったところだが、胃液に焼けた喉のせいか空腹感はまるでなく、眠気が頭蓋を殴りつけるような鈍痛に近い感触がある。あたしは祭壇の日陰を探し、見張りにガオガエンを頼んで、バックパックを枕に寝転がるとあっという間に意識が暗闇に引きずり込まれる。

 

 数分前に龍が駆け上っていった方向、上空の宇宙と呼ばれる空域で砕けた光点を見て、あたしは大きく溜息をついてから、隣に立ちすくむ少女を見た。タンクトップ、短パン、ニーソックスという、普通の服装を、ボロボロのマント――ゲッター線で動いていそう――でぶち壊しながら纏っている少女だ。少女と言っても、十二のあたしとさほど年は変わらないだろう。

「……で?これからどうするの?」

 少女は驚いたようにこちらを振り返った。まあ、驚くのも無理はないかもしれない。

「会ったときから一言も喋らないから、喋れないのかなと思ってた」

「あんたにメガバングル盗られた時に喋ったよ。この塔に来てからは、あいつが全部代わりに喋ってくれたから黙ってただけ」

「変なやつ」

「……いや、あんたには言われたくない」

 ヒガナ、と彼女は名乗った。彼女はけだるげに左手のメガバングルを外し、あたしに無言で押し付けようとした。あたしは、複数のメガバングルから自分のものだけをひょいと取り上げた。

「やれやれ、こいつがないお陰であたしはチャンピオン失職したよ」

「……それは」

 あたしは他のメガバングルを押し返した。

「誇り高き流星の民なんだろ、あんた」

 意地悪さを意識して笑う。

「自分で頭下げに行くんだね。最初にユウキが言ってただろ。あたしは予備だよ」

 この馬鹿でかい塔、空の柱の入口でユウキとあたし、そしてヒガナが会ったときにユウキは言ったのだ。「彼女はオレよりも強い。オレが駄目ならお前と戦って、隕石を何とかするのはこの人だ」と。あたしは内心、それも今だけの話だと思っていたが口には出さなかった。経験の差が出ているだけでいずれ勝てなくなるだろう。

 あたしは彼女の目をじっと見据えた。彼女は誤魔化すように空を見上げた。もちろん、空にはもう何も見えなかった。彼が戻ってくるのは肉眼では見えないだろう。

「……キミは」

「うん?」

「キミは嫌な奴だ。人をいらつかせるのが得意だろう」

「失礼な。どっちかというと目立たない人って言われるよ」

 へらへらと笑うあたしを、彼女は龍を――レックウザを呼ぶ前よりずいぶん弱くなった眼光で睨んだ。

「火をつけたんだから、火を消すのも自分でやるんだね」

「最後まで自分でやれってことだね」

「そう。添え物でいいなら、着いていっても構わないよ。何しろお陰様で暇なもんでね」

 あたしの好みのタイプでは全くないが、彼女が美人なのは間違いない。あたしが頭を下げるわけでもないのだから、着いていっても構わないというのは事実だ。にやりと笑うあたしに彼女は――。

 

 穏やかにあたしの頬を誰かが叩く感触で目が覚める。ロトムがあたしを起こしてくれている。

「起きたロト?二時間経ったロトよ」

「ああ、ありが……と……う?」

 時間はまあ、問題ない。一時間半で目が覚めるよう設定したスマフォのタイマーが爆音で鳴らすHatesphereの"Damned Below Judas"に気付かなかったのをロトムが起こしてくれたお陰だ。

 問題は、あたしの横にあぐらをかいて座り込んでさかさかと鉛筆をスケッチブックに走らせている、プラチナブロンドにフェイスペイントのおっとりとしたどこか浮世離れした雰囲気を漂わせる美女――美少女なのか、年齢的に。ともあれ、その女性だ。

「……あの、マツリカさん?」

「『眠っているトレーナー』ってとこかな」

「とこかな、じゃなくて……」

 顔が真っ赤になるのを自覚する。ガオガエンもロトムも、顔見知り相手が近くに座り込んだだけなら確かに起こさないだろう。気遣いが徒になったな。

「まだ寝ててもいーよ。描いてる途中だし」

「約束の時間に遅れ……いや、当人が目の前にいるんですけど」

「うん、描く方を優先したいな」

「……寝転がってたらいいですか?」

「そうして」

 あたしはまだ鳴っているスマフォを止めて、諦めて寝転がる。

 

 さらさら、すらすらと鉛筆の走る音と、風が通り過ぎていくそわそわという静かな音だけが場を支配する。気持ちはいいしもう一度寝てしまおうかとも思ったが、人にじっと見られているのを意識するとどうも上手く寝付けそうにない。腹が減らないことだけが救いか。

「別にモデルが喋っててもいいんだよ」

「……そんなものなんですか」

「うん。ま、眠いなら寝ててもいいけどね。集中してると返事できないから」

 困る。困ったな。あまりよく知らない人と話すのは得意ではない。しかし、無言だと気まずい、気がする。何かないか。電話で終わったネクロズマの話を蒸し返すのは、何だか自慢じみていて嫌だな。ポケモンの話は、この後ポケモン勝負するかもと思うと、あたしには利益があるが。

「はい、終わり。ありがとね」

「あ、終わりましたか」

「うん。仕上げるにはもうちょっとかかるし、アイデアのスケッチだから」

 絵の心得が全くないあたしには、下書き的なものなのかな、くらいの理解しかできないが、聞いてもわかる自信もなかった。立ち上がり、全身をごきごき言わせつつ伸びをし、背中から尻にかけて砂を払う。見張っていてくれたガオガエンに礼を言いつつ背中を撫でてやり、ボールに戻す。

 マツリカさんも立ち上がってスケッチブックをしまっている。あたしよりかなり背が高い。20cm以上差があるな。

「じゃ、悪いけどライドポケモンに乗せてくれない?ライドウェアはいいよ」

「……落ちないようにお願いしますね」

 ライドウェア、着ないのが普通なのだろうか。ライドポケモンに慣れてないあたしは安全のために着ないという選択肢はないけれども。いささか大丈夫かなという気持ちのまま、リザードンを呼び出した。

 

 マツリカさんの家、ナマズン型の船にあげてもらう。あまりじろじろ見るわけにもいかないが、船の中といっても普通の家と特に違いは無い。本棚にまず目が行くのは、書痴の癖か。出版社から刊行のマツリカさん作の画集がずらりと並んでいる。凄い画家なのだな。

「お邪魔します」

「大丈夫、今日誰もいないから」

 それはそれで、あたしが困るような気も、いや、困らないな。マツリカさんは確かに美人だが、ジト目美人はあたしのストライクゾーンで。

「じゃあ、早速試練を始めるよ」

「あっ、はい」

「堅いなあ。さん付けも敬語もなしでいいよ」

 けらけらと笑う彼女。アローラの人達はやっぱり凄い勢いで間合いを詰めてくる。苦笑いしてしまう。

「わかりました。いや、わかった」

「うん、それで。で、試練なんだけどさ」

「はい……いや、ああ」

「アブリボンの似顔絵を描いてもらうことにします」

 マツリカがボールを取り出し、掌で開くと可愛らしいポケモンが現れる。

 終わった。顔が引き攣るのを自覚する。

「小学校の図工、評価二だったんだよね。卒業するまで」

「五段階評価で?」

「十段階評価」

「き、きっと大丈夫ロト……」

「……まーまー、こういうのは技術だけじゃないから」

「前を向かぬ者に勝利はない……やる」

「おー、いい言葉だね。それでは、早速」

 画用紙と鉛筆を受け取る。ひょいと飛び出てきたロトムが興味深そうに覗き、マツリカもスケッチをしようとスケッチブックを取り出す中、試練が始まった。

 

 長かった。複雑な顔なら描けるのかというともちろんそんなことはないが、シンプルな顔というのも難しい。澄ました顔で椅子の背もたれに立っているアブリボンに、ありがとうと呟く。

「お、できた?」

「……ロト」

「ロトム。今は何も言わないで」

「どれどれ。作品拝見」

 無言。時計の針の音だけがあたし達の耳を打つ。心配したアブリボンが飛び上がり、上から画用紙を覗き込む。アブリボンの羽音が加わるが、誰も一言も発さない。先ほどにも増して無言の居心地が悪すぎる。時計の長針がかちりと動く音にあわせ、小さく咳払いをする。

 硬直から回復したのは、マツリカが一番早かった。

「そうだ。新しい試練のやり方を考えてるんだ。第一号、やってくれる?あ、作品はもらっておくから」

 ひょいと画用紙を取り上げられ、あたしは頷く。

「試練の内容は、この花びらを集めてもらいます」

 見本として示されたのは、ガラスケースに入った綺麗な花だ。もう一つ、同じ何も入っていないケースを渡される。

「花びらはどこに?」

「それぞれの島のキャプテンが持ってるから。よろしくね」

 なるほど。本気でやろうという約束もあったし、ちょうどいいだろう。画用紙のことは記憶から海に放り出すとして、あたしは大きく頷いた。

 

 特に深い理由はないが、島巡りで会った順に回ろうと思う。となると最初はメレメレ島か。イリマさん――だけでないな。キャプテンと連絡先交換したのはマオとスイレンだけだし、島キングと島クイーンを入れてもハプウだけだ。ちょっと悲しくなってきたが、ククイ博士に連絡先を伝えてもらっていいのでとキャプテン連絡網を通じて試練で回るための日程調整の言伝を依頼する。こうなると、現実的に考えて島巡りで会った順は厳しいな。マオとスイレンには個別で連絡を送る。

 ククイ博士もキャプテン達も年がら年中暇という訳では無くむしろ忙しい方だろう。返事を待つ間に母さんとリーリエに「今日は実家に帰って泊まる」連絡しておく。

 メッセージを送った直後に返信が来た。リーリエからだ。

「『泊まるなら明日の夜もご実家に泊まってください』」

 それだけのメッセージを読んで、えっ、と声が出てしまう。まあ、何も問題がなければアーカラ島からそらをとぶで戻ればそれほど時間もかからないし、構わないが。きっと何か理由があるのだろう。了承とあわせて理由を問う返事をしてから、母さんに再度「明日も泊まる」と伝える。

 

 とりあえずでリザードンを呼び出し、メレメレ島目指しての空の旅。メレメレ島に戻るのは久し振りのような気がする。実際には十日かそこらも経っていないのだが。降り立つのはもちろん、数日しか暮らしていない実家前だ。渡されている鍵を差し入れてからドアノブを回し扉を開く。椅子に腰掛けてテレビを見ている母さんと、ラプラスクッションに抱きついて寝ているニャースが視界に入る。

「お帰り。お、ちょっとマシな顔になったじゃない」

「ただいま。そう?」

「うんうん。で、今日と明日泊まるのはいいけどどうしたの?島巡り終わった?」

 あたしは試練の内容を説明して、連絡を待っていることを伝える。

「連絡先くらい交換しときなさいよあんた」

「普通、ジムリーダーとかと連絡先の交換はしないから」

「しときなさいよ。母さんはしてたわよ」

 初耳だ。これも人付き合い力の差だろうか。

「それとまた髪の毛ひどくなってるわよ。トリートメントしてるの?」

「してない。髪は毎日洗ってる」

 ったく、とぶちぶち言う母さんに苦笑いする。家を見渡すと段ボールがかなり減っている。あたしは身支度がどうだの櫛を通せだのお決まりの説教を躱すために話題を逸らすことにする。二日にいっぺんは美容室に行けだの最終的に言われかねないからだ。

「残ってる段ボール、何?」

「アルバムとか、すぐ生活に使わないやつ」

 なるほど、と納得する。他のものはあらかた片付いている。

「母さんね、再来週くらいから仕事探そうと思って」

「ふーん。いいんじゃない。そういやこの家は買ったの?借りたの?」

「父さんの仕事がどうなるかわからないから借家よ」

 上手く躱せたと内心ほくそ笑む。

「さ、あんたこっち座りなさい。櫛通すから」

 駄目だった。化粧台前の椅子に座るのは子供の頃に母さんに憧れて悪戯して以来だな。いざ十歳の大人になると、化粧なんて面倒以外の何物でも無くなってしまった。癖っ毛というより、寝癖もろくに直さないのが累積してボサボサになっている髪に、母さんが櫛を入れてくれる。

「あんたほんとひどいわね。これからはせめて毎日寝癖くらいは直しなさい」

「面倒臭い……」

「あんた一人ならいいけど、友達とか恋人とかに恥かかせたくないでしょ」

 それを言われると痛いところだ。小さく呻き声を上げながら頷く。きつめの口調とは裏腹に、髪を優しく梳かれる感覚が気持ちいい。

「あんたの髪触るなんて、何年ぶりかしら」

「家を出て、まだ二年ちょっとだよ」

 小さく笑う母さん。たった二年、されど二年か。旅と異郷暮らしの疲れが髪に染み込んでいると言われても否定はできない。

 

 鏡の前でうとうとしていたらしい。スマフォのメッセージ受信音で意識が覚醒する。

「気にしなくていいわよー。取りなさい」

 手を伸ばしてキャプテン達から空いている時間のメッセージが何件か届いているのを確認し、予定を頭の中で組みながら返していると、電話が鳴る。マオだ。

「ユウケ?今いい?」

「いいよ。どうしたの」

「さっきメッセージ返したんだけど」

「ん?不味いなら時間変えるけど……」

「いや、時間は大丈夫。その後、昼は空いてない?ご飯でもどうかなって」

「コニコ食堂?別にいいけど」

「ありがと。個室っていうか、衝立の部屋使うようにするからさ。例の件で相談乗ってほしいんだ」

「わかった。その後にカキさんと約束があるから、一時半までってところになるけど」

「いいよいいよー」

「悪いね。取り急ぎの用事が全部終わったら、夜にでも時間を作るから」

「ありがたいけど、そうなるとだいぶかかるね。博士に聞いたよー」

 小さく苦笑いする。夜開けられるようになったらまた連絡すると告げて電話を切る。

「何だ何だ、女をとっかえひっかえか?さすが我が娘だね」

「そんなんじゃないよ。さっき説明したでしょ」

「怒るな怒るな。はい終わり」

「ありがとう」

 鏡で見る髪はかなりマシになった。何とかスプラッシュカールと強弁できそうではある。時計を見ると、そろそろ約束の時間だ。

「ハウオリのイリマさんのところ行ってくるから。ちょっと遅くなるかもしれない」

「はいはい、気をつけて行ってらっしゃい」

 母さんと、ようやく眼を覚ましたニャースに小さく手を振って扉を開く。バックパックは持たずに出てきたので身体が軽い。空を見上げるといい天気だが西に雲がかかっている。天気が崩れないといいのだが。

 

 イリマさんに指定されたハウオリシティ西、何度住所を確かめてもここだ。馬鹿でかい屋敷のこれまた馬鹿でかい格子状の門とコンクリートの塀を前に、あたしは小さく溜息をつく。門の隙間から綺麗に手入れされた欧州風の庭と、北側にはプールまである。そして庭の中で、ジュナイパーとドーブルが戦っている。先客があるらしい。どちらにせよ、待っていても誰かが迎えには来てくれないだろうし、インターフォンを押し、名乗って待つことしばし。バトルが終わるか終わらないかのところで使用人らしい人が門を開けてくれる。礼を言って敷地内に入る。

「あっ、ユウケだー!アローラー!」

 トレーナーは見えなかったが、やっぱりハウ君だったか。笑みを浮かべて小さく手を上げ応える。

「ユウケさん、来てくれましたか」

「時間を割いてくださってありがとうございます」

 小さくイリマさんに頭を下げる。相変わらずカロスの上等な服だ。

「いえいえ。ハウ君との特訓もちょうど一段落ついたところです。ハウ君は劇的に強くなりましたよ」

「前にさー、ユウケが言ったよね。『何のために戦うか考えろ』ってー。おれの楽しみたい気持ちとー、ポケモンの強くなりたい気持ち、どっちも活かしていかないといけないなって思ったんだー。だから、ポケモンの気持ちに寄り添って強くなって、それからバトルを楽しめばもっといいなって。イリマさん、ユウケ、ありがとー」

 微笑むイリマさんと苦笑いして小さく頭を掻くあたし。イリマさんはともかく、あたしは何かの役に立ったとは思えない。

「まだ、ユウケに勝てる気がしないんだよねー。今度、勝負しよー!」

「ああ、待ってるよ」

 少なくともあたしもZ技くらいは使えるようになっておかないと。まだ恥ずかしくて使っていないのだが、この恥ずかしいという気持ちとも戦わねばならない。

 

 ハウ君が島巡りの続きをすると去って行った後、瀟洒な庭であたしとイリマさんだけが向き合う。

「では、キャプテンのイリマの本気をお目にかけましょう。花びらを差し上げられるかは、ユウケさん次第です」

「この間の約束通りですね」

 お互いに笑みを浮かべる。イリマさんのそれはあくまで穏やかなものだが、あたしのものは獰猛なそれだ。互いにボールに手をかける。イリマさんの腰のボールは三つ。

 

 イリマさんの先手はデカグース、こちらの先手はハガネール。

「デカグース、いかりのまえば!」

 当然先手を取られるが、いかりのまえばは体力を半分削る技なのでハガネールは倒れない。あたしはステルスロックを指示し、ハガネールが尖った岩の破片をばらまく。撒き終えたタイミングで、ハガネールをボールに戻す。

「よくやった、ハガネール。次、行け!」

「かみくだく!」

 次のポケモンを見ずに指示するイリマさん。ポケモンが出てからでは一手遅いので、間違ってはいない。だが、あたしが出したポケモンはヘラクロス。タイプ不一致のあくタイプ技は余裕で耐える。

「ヘラクロス、メガホーン!」

「いかりのまえば!」

 あたしのヘラクロスの方が早い。満身の力を込めて突き入れた角が、デカグースを吹き飛ばし、地面に叩きつけられる――前に、イリマさんがボールに戻した。

「よくやりました、デカグース。次は、ネッコアラ!」

 ネッコアラが破片で傷を負いながら現れるタイミングで、ヘラクロスの持ち物のかえんだまが効果を発し、ヘラクロスは高熱で火傷を負う。イリマさんが目を見張る。

「……こんじょう、ですか」

 小さく微笑む事でそれに応える。特性こんじょうは、状態異常時にこうげきが五割増しになる強力なものだ。メガストーンを持っていればメガシンカさせてもいいのだが、アローラ地方にはホウエン産のメガストーンは持ち込めなかった。小さく下唇を噛んだイリマさん。ノーマルタイプのそれほど足が早くなさそうなネッコアラでは、持ち物次第だが先手は取られないだろう。

「ヘラクロス、インファイト」

「ふいうちです!」

 タイプ不一致の、しかも半減させられる技を打ってくるのはせめて後続に繋げようという配慮だろう。悠然と耐えたヘラクロスのインファイトがネッコアラを地に伏せさせる。

「ネッコアラ……いえ、よくやりました」

 最後の一匹はドーブル、破片でのダメージは八分の一。イリマさんの切り札なのだろう。見たところ、こだわりスカーフでは無い、ようだ。ならば流れは同じ。

「インファイト」

「ドーブル、しんそく!」

 あたしは舌打ちを堪える。ヘラクロスはインファイトを打ってぼうぎょが下がっているし、二度攻撃を受けているからだ。だが、ヘラクロスは耐えた。

「くっ……」

 耐えたヘラクロスの一撃に、ドーブルは何かの木の実――恐らくヨプの実だろう――を噛むが、それでも耐えられずに崩れ落ちる。

「ドーブル、お疲れ様」

「ヘラクロス、よくやった」

 あたしは傷と火傷を負いながらも戦い抜いたヘラクロスからかえんだまを預かってから薬を塗って、頭を撫でてやってからボールに戻す。

「お見事でした。完敗です。これがユウケさんの本気なのですね」

 ステルスロックで場を作ってからのかえんだまヘラクロスの火力は、間違いなくあたしとポケモンの本気だ。頷いて彼の言葉を肯定する。

「それでは、だいだいはなびらを差し上げます。ぼくのように温かみのある、だいだいはなびらです」

 件のスカル団員に対する塩対応を覚えている身としてはどう反応していいものか迷う。笑うのは流石に失礼だろう。カントー人らしい、曖昧な笑みを思わず浮かべてしまう。

「これからもマツリカさんの試練が続くと思いますが、今日はこの後、何か予定がありますか?よろしければ、我が家で夕食などいかがでしょう」

「お気持ちは有難いのですが、先約がありまして」

 母がもう夕食の支度をしているというのも立派な先約だろう。それに、こんな豪奢な家で、恐らくイリマさんの家族も交えてとなると息が詰まりそうだ。

 肌が濡れる。もちろん、涙ではない。雨だ。ぽつり、ぽつりと雨滴が落ち始める。

「そうですか……それは残念です。では、お茶くらいはどうでしょう?生憎の天気ですし、雨が上がるまででも」

 いやに食い下がられるな。しかし、ここまで言われて断るのも心苦しくなってきた。傘は持っているのだが、まあ、遅くなるかもと言って出てきたし、お茶くらいならいいか。

「はい、ではご相伴させてください」

「よかった。では、どうぞ」

 にこやかに微笑むイリマさんに自然に手を取られ、エスコートされる。カロス地方でもこんな感じだったし、こういう文化なのだろうな。

 

 イリマさんのご両親を交えてのお茶会は、案外と肩肘張らないものだった。もっとも、使用人のいる家で世話になることなど早々ないので、案外と言っても知れているが。イリマさんの母は著名な女優らしく(映画もテレビもほとんど見ないあたしには全くわからなかった)「何かにのめりこむ姿はとても美しいもので、キャプテンとしてそういった指導をしていきたい」という熱弁を聞いて、連絡先を交換して屋敷を辞去した。

 

 帰宅して夕飯と風呂を済ませ、改めて明日以降の予定を確認する。久方ぶりの穏やかな時間のような気がする。

 マオ、スイレンに明日の午前中会って、昼食はマオと、終わってからカキさんと会う。夕方には実家に戻ってこないといけない。

 明後日の午前にマーマネさんと約束。やや時間を空けて夕方にアセロラと会う。アセロラがまた泊まっていけと言うので、土産を調達しておこう。よし。

 ざっと立てた予定と、ほしぐも――ちゃんの様子、そしてルザミーネさんとはどうかとリーリエにメッセージを送り、恐らく明明後日には再度伺うとマツリカに連絡を入れる。

 

 ごろりと寝転がって本を読んでいると、スマフォが震える。リーリエからのメッセージ。まだ電話は難しいようだ。ほしぐも――ちゃんはご飯を食べてぐっすり寝ていて元気そう。ルザミーネさんとはお互いに謝罪をして水に流せた。ただし、あたしとの一件だけは保留になっている。(この一文で頭が痛くなった)グズマも元気にしており礼を伝えておいてくれと言伝があった。

 可能ならマオの昼食から同行できるかとの一文があり、少し考える。内容的には、リーリエがいた方がいい。少なくとも色恋沙汰にあたしより強いだろう。返信を打つ前に、マオに連絡を取って、了承を得たのでこれも問題なくなった。コニコ食堂でリーリエには待ってもらうことにする。

 もう一つ、アセロラとの泊まりにも同行したいと。何だかどこにでも着いて行きたくなるタイプなのだろうかと、あたしは小さく微笑む。これも返信前にアセロラに連絡し――なぜか少し渋られたが――了承を得た。よし。

 メッセージの返信を打っている最中に追伸としてリーリエからメッセージが届いた。開くとリーリエの自撮りの写真がついている。スクロールしてあたしはひっくり返りそうになった。下着姿なのだ。本人も恥ずかしいのだろう、ハバンの実のような真っ赤な顔が愛らしいが、下着はイメージと随分違う黒い妖艶なデザインのもので、雪のように白い肌との対比が美しすぎて涎が出そうだ。斜め上から見下ろすように、要はスマフォを持ち上げて撮ったのだろう。不慣れなことをしているというのがアングルからも伝わってくる一枚だが、それが却って興奮を誘う。最後に愛してますの一言が添えられていて、あまりに凶悪な破壊力だ。

 あたしも、自撮りを送るべきなのだろうか。それも下着か、それ以上で。いや、無理無理。あまり認めたくはないが、年下のリーリエより明らかに貧相すぎる。おまけに、旅向けに最適化した服ばかりなのでスポーツ用の下着しかない。

 他のメッセージや用事については全部返信を書いたのに、最後にこの返事を書くことと、自撮りをつけるかの二点でベッドの上を転げ回ること十五分強。写真を撮ろうと決意した。誤魔化してしまえばそれでは今までと変わらないのでは、だからあたしも撮るべきで、それが変化のために必要だ。後で考えると明らかにどうかしているのだが、ともかくそう思ったのだ。色気も何もない、シンプルな黒いパジャマを脱ぎ、頑丈さだけが取り柄の下着だけの姿になる。母さんが部屋の壁に引っかけたもののほとんど使ってなかった全身が映るハングミラーに立ち、震える指で撮影を押す。かしゃりという音が部屋に響き、母さんやニャースに聞こえていないか心臓がばくばくする。顔がちょうどスマフォに隠れていて、これでいいと思った。リーリエが喜ぶかはわからないが。指の震えを押さえ付け、固唾を呑んで写真を添付して、「あたしも愛してる。今日は疲れたから寝る。お休み。また明日」と、ある意味あたしらし過ぎる精一杯の返事を打って、ベッドに潜り込んだ。顔と身体の火照りを静めるまでは、しばらくかかるだろう。




たまゆらさんにユウケを描いて頂きました。SDデフォルメで、目付きが悪いのに可愛いです。

【挿絵表示】

https://twitter.com/tmyr_0206

だすぶらさんにユウケを描いて頂きました。手持ちポケモンのうち三匹(ヘラクロス・マダツボミ・ニャビー)とです。躍動感があり格好良いです。

【挿絵表示】

https://twitter.com/DusBla
https://www.pixiv.net/member.php?id=19071706

島根の野良犬さんにユウケとリーリエを描いて頂きました。第十七話終盤のシーンです。大変艶っぽいシーンと、その後のコミカルさの対比が素敵です。

【挿絵表示】


【挿絵表示】

https://twitter.com/_pyedog
https://www.pixiv.net/member.php?id=1451080
令嬢の雰囲気を優先して長髪白帽子の姿で描いて下さりました。

Hatesphere - "Smell Of Death"
https://www.youtube.com/watch?v=sWlROsFPRzg


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、輝く葉を贈る

 家屋内のポケモンバトルの経験自体はあった。ポケモントレーナーという人種は大抵の場合、頭に血が上りやすいからだ。だが、野生のポケモンとのそれは初めてだ。特に、かつて人間やポケモンだったものの破片が床や壁に散らばるような民家の中では。

 あたしは目と足裏が伝えてくる情報から極力意識を逸らしつつ、敵ポケモンの潜んでいる場所を視覚と聴覚で探った。嗅覚は勿論当てにならなかった。ぎしりと左側の壁がきしむ音。あたしは躊躇無く壁の向こうにボールを投げ込んだ。逞しい腕が突き出されて壁が崩れ落ち、血走ったリングマの片方だけ残った目が、餌であるあたしを値踏みするように――いや、事実値踏みしているのだろう――睨み付けた。恐怖に折れそうな心を、あたしの頼れる相棒であるバンギラスの雄叫びと茶色い姿が支えてくれた。砂嵐が室内の空気をかき乱し始め、リングマの注意はバンギラスに向けられた。何とも有難いことに、あたしの前にリングマ退治を請け負ったトレーナーはリングマにやけどを入れてくれたらしい。特性が『こんじょう』にせよ『はやあし』にせよ、厄介なことになったと思った。

 このリングマは『眼帯』という名で、近くの山の猟師やトレーナーの間では有名な存在だった。かつてどこかのトレーナーに敗れた時に左目を失ったらしい。その時にとどめを刺さなかった間抜けのせいで、『眼帯』はジョウトの五條楽園と呼ばれた小集落に冬眠失敗した空きっ腹を抱えてやってきて、若い女一人とやり手婆一人、そして床に散らばっている挽肉の中に混じっているであろう間抜けなトレーナーを胃袋に納めることができたわけだ。こんなろくでもない思いをする羽目になるなら止めておけばよかったという思いとこみ上げる吐き気を何とか押し殺し、バンギラスに向けて叫んだ。

「バンギラス、りゅうのまい!」

「ゴオオオッ!」

 戦いのための力強く美しい踊りを阻むようにリングマが突進し、バンギラスの手を掴んで足を払った。けたぐりか。バンギラスが地響きを上げて倒れた。いわ・あくタイプのバンギラスには四倍のダメージで、力量差が大きくなければもう終わりの一手だが、あたしはバンギラスが起き上がれることを全く疑わなかった。

「かみくだく!腹の辺りを狙って!」

 バンギラスは機敏に起き上がって低い体勢のまま突っ込み、鋭い牙を『眼帯』の腹に突き立てた。奴は大きく悲鳴を上げバンギラスを振り放そうともがいた。

「バンギラス、そのまま持ち上げて!」

 全身の力を使って軽々と『眼帯』を持ち上げたバンギラスに礼を言う間も惜しんで、あたしはハイパーボールを投げた。ボールに『眼帯』が吸い込まれると同時に、バンギラスはあたしの方向に飛び退き、揺れ動くボールに警戒の眼差しを向けた。ボールが奴の抵抗を伝えるように大きく三、四回と揺れ動き――止まった。バンギラスをねぎらってやる前に、玄関まで靴底からの粘液質な音を立てながら走って戻り、外の空気を吸い込む前に胃の中身を全部ぶちまけることになった。

 

 砂浴びをして綺麗になったバンギラスを拭いてやってから薬で手当てをし、存分に撫でてやっている最中に、依頼人がやってきた。ここ、全盛期が二つ前の大戦が終わった頃だという、楽園という語を使うにはいささか以上に寂れていた遊郭を取り仕切るやり手婆だ。前大戦の頃には美しかったのだろう、凜とした容姿の年配の女性だ。

「いや、よくやってくれはりました」

あたしの地面へ残した痕跡はポケモンに焼かせたので、平然とした顔を装って頷いて答えた。本来はトレーナーの命令以外で人を傷つけたポケモンはポケモン協会に引き渡して殺処分となるのだが、この依頼では捕まえた『眼帯』は引き渡すことになっていた。勿論、表だってそんなことは言えない。あたしはボールを丁寧に布で拭き取って渡した。このボールも依頼人が買ったボールだ。残りの未使用ハイパーボールも返そうとすると、彼女はそれを引き留めた。

「使っておくんなはれ。報酬が『チョウジの湖そばで人間に化けたメタモンを捕まえたトレーナー』の情報と、ここでの二泊だけとは、よういわんわ」

 この集落に来たのは、別に仕事がてら女遊びがしたかったからではない。あたしはジョウトでバッジを全部集めて四天王を下し、チャンピオンの座に三週間ほど留まった後も、未練たらしく惚れた女、ミズハを殺したトレーナーを探していたのだ。

「この後の話に支障が無いなら、ありがたく貰うけど」

「おまはんとおまはんのポケモンはあての『リングマを追い払ってほしい』という仕事をちゃんと成し遂げて、リングマは近くの川に落ちた。リングマは川下であてのキリキザンが捕まえて、それでしまいや。あてはあんさんに報酬の足しにハイパーボールをなんぼか渡したけど、一個残っとった」

「それがリングマの入ってるボールって訳ね」

 ありがたく頂くことにした。懐が厳しい訳ではないがボールは消耗品だし、金銭の報酬自体は辞退したので助かる。

「まあ、最後にはこのボールも要らんようになるかもしれまへんけどな。あてのキリキザンは血の気が多いさかい」

 『眼帯』の死体を引き渡しても、警察もポケモン協会も気にも留めないだろう。ハイパーボールの購入履歴も残っていないはずだ。実際のところ、遊郭勤めの女性が二人と単なるトレーナーが死んだところで調査に動くはずがないし、こんな口裏を合わせるのも相互の単なる用心に過ぎない。『眼帯』の末路は大体想像がつくが、それに心を痛めるものはこの場に誰もいなかった。

「そのリングマ、誰が教えたのか自分で見て覚えたのか知らないけど、けたぐりを覚えてたから気をつけて。かなり弱ってはいるけどね」

 依頼人は鷹揚に頷いた。こんな場所を仕切っているのだから、キリキザン自体も恐らくだがリングマを仕留める力は十二分にあるだろうし、他にも手札はあるに違いない。トレーナーを雇ったのは、万が一があれば彼女の威厳が失墜し抑止力が失われることと、カネ以外の懐が痛まないからだろう。

「そしたら行きまひょ。女の子相手専門のええ子がおります。あんさんの好みちがいますかな」

 女の子専門、というのは大抵の場合は『どちらも相手ができる』という程度の言葉に過ぎないが、あたしは小さく笑みを浮かべた。

 

 案内された一軒の家にはやり手婆はおらず(恐らく中座しているのだろう)、迎えてくれた女性は自称十五歳のいかにも京都の美女という雰囲気の、豊かな胸とお尻の膨らみを持つ優しげな人で、確かにあたし好みではあった。だが、結局二日間何もしなかった。実際には余り似ていないのに、ミズハの面影があたしの手とやる気満々だった下心を萎えさせてしまったのだ。彼女は何も聞かず食事と風呂の世話をしてくれ、二日間あたしを抱きしめて一緒に寝てくれた。暖かく柔らかい人の体温はチョウジのみずうみを去った後、荒みきっていたあたしの心身を安らげてくれた。

 

 久し振りに疲れないよい夢を見た。まあ、人にはあまり言えないような夢だったが。あの時あたしと時間を過ごしてくれたのは情の深いいい女だった。あれからその手の場所には全く行かなくなったのであそこにも寄っていないだろうが元気にしているだろうか。目覚ましが鳴って目覚めたわけではないのでもう少し寝ようかと思いを巡らす最中、右腕には柔らかい何かが当たって、しかも腕が全然動かないことに気付いた。仲良しになっている瞼を渋々開いて右腕を見る。金髪の天使があどけない寝顔で眠っている。リーリエだ。うん、リーリエがあたしの右腕に抱きついて眠っているのが見える。

 昨晩確かに一週間ぶりくらいに酒を飲んだが、ビールを一缶空けただけだから、幻覚を見るには少なすぎる量だと思う。見間違いでは無いかと疑って目を閉じて、もう一度。リーリエだ。うん、リーリエなら何の問題もないな。ご丁寧に白いパジャマを着ていて、まるであたしの黒いパジャマ――というか、旧ベトナム地域のドーボーをパジャマにしているのだが――との対比を狙ってあつらえたかのようだ。デザインもポケットが付いているだけのドーボーに比べて、リーリエのはふりふりのフリルがたくさん付いた可愛らしいものだ。いや、パジャマもだが、パジャマよりリーリエが可愛い。美人の寝顔は何度見ても飽きないものだ。

 とりあえず、拘束されていない左手で軽く自分の頬を抓ってみる。痛覚はあるので、概ね夢で無いと考えていいだろう。もっとも、夢の中でも痛覚がないというのは俗説だし、自身の夢で痛みを感じたこともあるのでいまいち当てにはならないのだが。

 何とか体を動かさないように注意しつつ壁時計を見ると八時を回っているので、起こしてもいいと思う。多分。何時くらいに潜り込んだのかがわからないし、この天使のような寝顔をそっとしておきたいのは事実なのだが、右腕が完全にがっちりホールドされていて全く動かせないし、眠気が完全に吹き飛んでしまったし、どっちにせよ目覚ましは後五分ほどで鳴る時間なのだ。

「リーリエ。リーリエ」

 ううん、と小さく呻く彼女が可愛い。呼びかけるだけでなくて、そっと肩を揺する。ほっそりとした肩が、同じ人間だと思えないほど儚げだ。

「……あ、おはようございます」

 えへへ、と害の無い悪戯を見つけられて笑う子供のような笑顔。可愛い。心臓が鷲掴みにされるような感覚。頬が赤くなる。

「リーリエ、いつ来たの?」

「一時間ほど前に、兄様とライドポケモンさんに送ってもらいました。あまり早いと、ユウケさんのお母様に迷惑をかけてしまいますし」

「なるほど……」

 後でグラジオに礼を言っておこう。ともかく、まずは起きないと。今日はシェードジャングルの入口でマオ、スイレンと約束しているから起きてご飯を食べないといけない。

「リーリエ、悪いけど離して。もう起きないと、約束があるしね」

「起きる前に、やらないといけないことがあるのでは」

 何だろう。あたしは目を閉じて考える。何かそういった習慣や約束を交わしただろうか。リーリエと泊まった時、何かしたか、リーリエが何かしていたかだ。目を閉じると、温かく柔らかい、心地よい感触が唇に触れる。

「次は、ユウケさんからお願いしますね」

 餌を求めて水面に出るコイキングのようにぱくぱくと口を開くが、なかなか言葉が出てこない。多分あたしに負けないくらい頬を染めたリーリエが、にこりと微笑む。もう一度キスしたいという気持ちをぐっと抑え込む。多分、それだけでは済まないからだ。彼女に拒まれないか不安な気持ちもあるし、彼女が受け入れてくれた途端に目覚ましが鳴るなんて間抜けすぎる。

 

 照れを含んだ空気のまま、あたし達はベッドから起き上がり着替え始める。昨日寝るまで着ていた部屋着はHelloweenのダサいカボチャキャラが前面にプリントされた、我ながらどうかと思うくらいダサいシャツだ。このバンドは好きだしダサいシャツには慣れているとはいえ、いくら何でもこのセンスは頂けないと強く思う。色気の一つも無い灰色の下着も恥ずかしいといえば恥ずかしいのだが、こういう機能的なものしか持っていないからこちらは仕方がない。シャツには結局手をつけずに外出用の服を着ようと手を伸ばしたあたしの脇腹を軽く柔らかく少し冷たい手が触り、あたしは飛び上がりそうになる。振り返ると何をどうやってそんなに速く着替えたのか、リーリエが真後ろに立っている。

「あ、Helloweenですか」

「リーリエ、知ってるんだ」

「ええ、昔住んでいたところでも有名でしたから」

「ああそうか。リーリエって、やっぱり元ドイツの方の出身なの?」

「はい。あれ、言ってましたか?」

 あたしは小さくかぶりを振って微笑む。何、簡単なことだ。

「わかるよ。名前がドイツ語で百合って意味でしょ」

 ぱああっと顔を輝かせるリーリエ。抱きついてくれるのは嬉しいが、着替えられない。でも振りほどくのも惜しい。このジレンマを解決してくれたのは、止め忘れていた目覚まし時計だった。

 

 ようやく着替えて下りると、テレビでは『月色メテノドロップ』の再放送が流れている。あたし自身は食事中にテレビを見る習慣は特にないのだが、父母はどちらもテレビが好きだし、二人ともアニメが好きなのでこの番組も見覚えがある。全体で見ればとてもいい話だったが、中盤まではいまいちわからないのだよな。メタルコアをやるやらないの話のところらしい。実際のメタルコアバンドはこんなクラシカルなヘヴィメタルバンドみたいな棘とレザーみたいな格好はしない、というツッコミを入れたいが、残念ながらこの場にいる誰もわからなさそうだ。

「おはよう。ご飯出来てるよ。顔洗ったら食べな」

「ありがとう」

 あたしに似ず朝も強い母さんがご飯を作ってくれていた。実家の有難味をかみしめる。リーリエが洗面所で身支度をしている音を聞きながら、母さんはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ、左手で丸を作って右手の人差し指を抜き差しするジェスチャーをする。有難味が一瞬で全部吹き飛んだ。いくらあたしが相手でもこれはないだろう。顔をしかめると、母さんはあからさまにがっかりした顔をつくる。

「ヘタレ。それでもあたしの子供か。玉ついてんのか?」

「ついてないよ。母さんが産んだんでしょ」

「たま?何のたまだロ?」

「お、知りたいかねロトムくん。こんな唐変木とだとしょうもないだろう」

「あーはいはい、ロトム、聞かなくていいからね」

 相手にしていると物凄い疲れそうなので、あたしは母さんを相手にせず、取り皿や箸と念のためフォークとナイフ、スプーンを出して茶を淹れる。支度が終わったのでリーリエと入れ替わりに洗面所で身支度をさっと済ませ、席に着く。いかにもアローラ風という具材は特に並んでいないが、リーリエも満足そうで安心した。

 

 ご飯を食べて執拗にからかってくる母さんを躱し歯を磨いてからあたし達は部屋に戻った。出かける支度自体は済んでいるので、鞄を持てばそれで終わりだ。リーリエは興味深そうに部屋を見渡している。心なしか鼻息が荒いような気がするが気のせいだろうか。

「思っていたよりシンプルなお部屋ですね」

 ロックフェスのポスターが二、三枚と、パソコン、ゲーム機が幾つか。服はクローゼットに放り込んであるし、シンプルというか殺風景かもしれない。

「本がもっとたくさんあるのかと」

「紙の本は旅の邪魔だから、旅に出る時に電子書籍に切り替えたんだよ」

 なるほど、と頷くリーリエ。

「そうだ、リーリエにつまらない話をしないといけないんだった。まだ時間あるよね」

 びくりと震えてこわばった表情を浮かべる彼女。時間が危ないのだろうかと時計を改めて見たが大丈夫そうだ。あたしは昨日届いていた紙袋の包みを開く。

「はい、リーリエ。ドイツ語と日本語、それと英語のどれがいいかわからなくて全部買ったんだけど、どれがいい?」

「……本、ですか?」

「あたしがトレーナー始めた時に勉強用に使った本」

 目に見えてリーリエの顔が明るくなる。さっきからどうしたのだろう。

「トレーナーになりたいって言うからさ。もちろんちゃんと教えるけど、資料はあったほうがいいかなって」

「嬉しいです!」

 そう言ってから固まる彼女。表紙には可愛いイラストが描かれている本を睨み付けている。言語が違うと表紙のポケモンが違うのを初めて知った。日本語版はヒトカゲ、ドイツ語版はピチュー、英語版はツタージャだ。

 一分ほど考え込んで硬直してから、リーリエは重々しく口を開いた。

「選ばないと、ダメですか?その……」

「うん?ああ。別にあたしは使わないから全部上げてもいいよ」

「嬉しいです!ありがとうございます!大事にしますね!」

 そんなに嬉しいかなと苦笑いしてから、あたしは一つ大事な事を思い出してしまって内心頭を抱える。これが事実上付き合い始めてから最初のプレゼントになるのか。しまった。別に後回しにしてもよかった。ちょっとした失敗に落ち込むあたしと裏腹に彼女はとても嬉しそうなので、まあそれもいいかと思った。

 

 後部座席用のライドギアウェアのリーリエを本人の許可の元じっくりと鑑賞した上で――美人は本当に何を着ても似合う――あたし達はリザードンに跨がりシェードジャングルに向かった。残念ながら風切り音がうるさく、リーリエの感想をその場で聞けなかったし、おまけにバイクなんかと違って席が仕切られているので、リーリエが背中に抱きついてくれるなんてこともない。安全上はこの方がいいだろうから、あまりとやかく言えないが。

「朝はマオさんとスイレンさんですね」

「二人とは面識あるんだっけ?」

「はい。博士のお手伝いをしてる時に何度か」

「そうか。それと、あたし達の事だけど……」

「はい。大丈夫です。スイレンさんはどう仰るかわかりませんけど……」

「大丈夫だとは思うんだけどね」

 鬱蒼としたジャングルを歩きながら、あたし達は周囲を見渡す。ひんやりとした空気の中で、リーリエの手の感触が暖かくて心地よい。

「まだ約束よりちょっと速いけど、いないね。入口でって言ってたんだけど」

「電話してみます?」

「右の方から、音がするロ……」

 ロトムの言葉とほぼ同時にがさりと右手の藪が揺れ、あたしはリーリエの前に飛び出してボールに手をかける。藪が割れ、人間の手と、見覚えのある緑の髪が現れ、あたしはやや気を緩める。もう一人分の足音と、スイレンの姿も見えて、小さく息をついた。

「やーやー、お二人さん、おはよー。マオですよー」

「おはようございます」

「おはよう、マオ、スイレン」

「マオさん、スイレンさん、おはようございます」

「びっくりしたロー」

「ごめんごめん」

 誰だかわかってからロトムはポケットに戻り、リーリエは改めてあたしの左手を取り、それからぎゅっと抱きついた。何がとは言わないが当たっている。柔らかくて気持ちがいい。マオとスイレンの目があたしに、いや、リーリエに向かう。マオは勿論だが、スイレンも少なくとも悪印象という雰囲気ではなく、暖かい目――でもないな。これは悪意は無いけど呆れはある、生暖かい目だ。まあ悪意が無いだけよしとしよう。後で何かからかわれそうな気はするが。

 二人の手元にはかごと山盛りになった果実やら野草やら、あまり見覚えのないものがぎっしりだ。

「新しいマツリカさんの試練だそうですね。面白い試みですが、予定が合わない時にどうするか決めておいた方が良さそうです」

「どうしても都合つかないキャプテンがいるときは、花びら全部の種類預かっておいて誰かが複数人分やるのが妥当かなー。今度のキャプテン会で話しよっか」

「いちいち集まってるの?携帯とかでやったらいいのに」

「電話だと面倒臭がって出ない人がいるので……」

「キャプテンだけなら全員大丈夫かな。多分」

 多分なのか、と全員が小さく笑う。

「じゃ、始めようか。どっちから先にする?」

「折角なので、二対一ではどうですか?」

「お、ダブル?いいね!じゃ、あたしとスイレンが三匹ずつ、ユウケは六匹でどう?」

「ダブルか……よし。やろう」

 ダブルバトルはあまり経験が無いのだが、キャプテンとのダブル戦をやってみたいという気持ちには逆らえない。リーリエが励ますようにあたしの手をぽんぽんと叩いて離れる。リーリエに小さく手を振ってから、あたし達は笑みを浮かべボールに手を掛けた。

 

 あたしの初手はハガネールとミミッキュ、マオはオーロット、スイレンはランターンだ。マオとスイレンは顔を見合わせて、オーロットはミミッキュを、ランターンはハガネールを狙わせるつもりらしい。

「オーロット、シャドークロー!」

「ランターン、ねっとうです!」

「ハガネール、ステルスロック。ミミッキュはつるぎのまい」

 ハガネールは一撃をがんじょうで堪えるが、一発でやけどをもらってしまった。きっちり尖った岩を撒いてから、あたしは崩れ落ちる前にボールに戻す。

 ミミッキュはばけのかわを剥がされるが、本体は無傷のまま、古兵のように舞う。

「ハガネール、よくやったよ。行け、サニーゴ!」

 いわ・みずタイプのサニーゴはくさタイプ使いのマオに対して相性は最悪だが、取っておいてもしょうがない。ぴゅい!と元気に飛び出すサニーゴ。

「ミミッキュ、オーロットにシャドークロー!サニーゴはふぶき!」

「っ!オーロット、サニーゴにウッドハンマー!」

「ランターン、ミミッキュにねっとう!」

 ミミッキュの影から染み出るように黒い触手が伸び、オーロットを一撃でえぐり沈める。ランターンのねっとうをミミッキュは余裕をもって耐えるが、またもやけどを引いてしまう。サニーゴのふぶきは――突風に流されて外れた。マオの次のポケモンはマシェード。内心自分の運の悪さに辟易しながら、次の命令を下す。

「ミミッキュ、つるぎのまい。サニーゴももう一度ふぶき!」

 マオとスイレンは顔を見合わせて小さく身振りでやりとりし、マオが頷く。

「ランターン、ほうでん!」

「マシェード、サニーゴにギガドレイン!」

 まばゆい光がランターン以外の三匹を襲う。さっきの二人のやりとりはマシェードを巻き込む事への了承か。ミミッキュはほうでんも余裕を持って耐え、再び勇壮な踊り。サニーゴも問題なく耐える――が、一発でまひしてしまう。ねっとうといいほうでんといい、統計上三割の確率の追加効果は、あたしに関してはどう考えても三割では無い気がしてならない。

「サニーゴ、頼む!」

 あたしの声に応えて、サニーゴはしびれた体を動かし、ふぶきを放つ。今度もランターンには当たらなかったが、マシェードには命中し、一撃でマシェードが沈んだ。マシェードは堅いポケモンなので、恐らくきゅうしょに当たったのだろう。あたしは小さく拳を握り、マオは驚愕する。

「嘘っ?!」

 後一匹落とせば、二対一で戦うことが出来る。マオの最後のポケモンはアマージョだ。アローラでしか見かけないポケモンなのであまり詳しくはないが、そこまで足が速いポケモンではなかったはず。

「ミミッキュ、アマージョにじゃれつく!サニーゴはもう一度ふぶき!」

「アマージョ、ミミッキュにパワーウィップ!」

「ランターン、ほうでん!」

 女王様然としたアマージョが蔓を鞭のように構える。Call me queenという感じだな。だが、ミミッキュが一番速く動き、アマージョにじゃれつく――実態としては殴りかかるというところだが――を当て、アマージョは一撃で沈む。

「あーっ!」

 サニーゴは――動けない。駄目か。ランターンの放つまばゆい光の後、サニーゴもミミッキュも崩れ落ちる。

「二匹とも、よくやった。ウツボット、ガオガエン、頼む!」

 ウツボットは甲高い雄叫びを、ガオガエンは低く唸りながら飛び出す。

「二対一ですが、最後まで諦めません」

「はー……スイレン、マオの分までがんばって!」

「悪いけどあたしも負けるつもりはないよ」

 あたしはすう、と息を吸って、覚悟を決める。

「新戦術、試させてもらうとしよう。ガオガエンはDDラリアット」

「ランターン、ガオガエンにハイドロポンプ!」

 あたしはZリングに手を触れてから、手を交差させ、両手を戻して高く掲げる。恥ずかしい。

「ホノオZ?一体……」

「ウツボット、にほんばれ!」

「「あっ!」」

 Zにほんばれ。ウツボットのすばやさが一段階上がり、さらに特性ようりょくそで倍速く動くことができる。しかもみずタイプの技効果は半減なので、ガオガエンはハイドロポンプを余裕で受けきり、突進しラリアットを決める。ランターンは耐えたが、次のウツボットのギガドレインで沈む。パルシェン、オニシズクモもウツボットとガオガエンの同時攻撃には耐えられなかった。

「ユウケさん、すごいです!」

「Z技、攻撃以外も出来るロねー」

「ウツボット、ガオガエン、よくやった。ありがとう、リーリエ」

「変化技をZ技として使うとは……参りました」

「それでマオの方を集中的に狙ってたんだね。いや、参った参った。幼馴染みのコンビネーションで勝てると思ったんだけどなー」

 バトル前同様ぎゅっと左腕に抱きつくリーリエの手をぎゅっと握り返しながら、あたしはマオ、次いでスイレンと握手する。この手を使っていなければもっと苦戦しただろうし、隠し球としては悪くなさそうだ。Z技ポーズの恥ずかしさと毎回戦わないといけないのは難ではあるが。

 

 あたしとあたしに抱きついているリーリエ、にこにこしながらそれを眺めているマオを見渡してから、スイレンはわざとらしいほど大きい溜息をついて口を開く。

「では、わたしはこれで」

「ご飯一緒に食べてけばよかったのに」

「そうも行きません。今日は試練挑戦者がいるそうですから」

「あー、じゃあ、試練達成したトレーナーには『草の試練キャプテンは二時間は戻ってこない』って言っといて」

「はいはい。ごゆっくり。それと、リーリエさん」

「はい?」

「そんな餌に食いつく直前のキバニアみたいな顔をしないでください。わたしが興味があるのはユウケの持っている珍しいポケモンだけですから」

「……努力はします」

 ん、と思ってリーリエを見るが、そんな表情はしていない。何ですかと問い返すようにこちらを見るのが可愛らしい。

「ほら、マオも催促しないと、この二人永遠にこのままですよ」

「あはは。じゃ、行こうか」

 あたし達は頷く。

「コニコシティだね。じゃあ、スイレン、またね」

「それでは」

 あたし達は揃ってジャングルを出てからリザードンを呼び出す。ここの気候ならまず問題ないだろうが、万が一火事にでもなったら困るからだ。マオのライドギアウェアは初めて見たな、と眺めていたらリーリエに手の甲を小さくつねられてしまった。

 

 コニコシティ、コニコ食堂前。相変わらずいい匂いが漂ってくる。

「リーリエ、悪いけど先に入って待っててくれない?ちょっと買い物」

「一緒に行ってはだめなのですか?」

「うん、ごめん。すぐ済むから」

「マオもちょっとだけ野暮用があって、十五分くらいで済むから。ごめん」

 ちょっとだけむくれるリーリエ。頬を小さく膨らませる姿が可愛い。

「わかりました。二人とも、すぐ戻ってきてくださいね」

 店に入り、衝立で仕切られたスペースに通されるリーリエを横目で見ながら、あたしはマオに小さく詫びる。

「ごめんね、付き合わせて」

「いいよいいよ、お互い様だし。で、ジュエリーショップだっけ?」

「そう。買う物はもうサイトで目星つけてるんだけど、実物を見て意見を聞きたいなって」

「あたしのセンスでいいなら喜んで」

「助かるよ。こういうの初めてだし」

 見立てが変でなければ買うだけなのだが、自分のセンスはあまり信用できない。マオなら多分大丈夫だろうという読みで頼むことにしたのだ。

 

 島クイーン、ライチさんの経営するジュエリーショップはコニコ食堂の隣だ。買い物目的では初めて入る。店員さんや他のお客さん、品物、ひいては店そのものの華やいだ雰囲気はあたしとは無縁のもので、呻き声を上げて一歩退きそうになるのをぐっと堪え、一番近い店員さんに歩み寄る。スマフォに保存しておいた画面を表示し、目当ての物がどこにあるかを尋ねる。

「で、何にするの?」

「『リーフのいし』のイヤリングにしようと思ってる。一番小さいのが綺麗だなって」

「ピアスじゃなくてイヤリング?」

「磁気式の奴なら今のは落ちにくいらしいし、宗教上の理由だとか金属アレルギーで穴空けられないとかだと困るしね」

「なるほどねー。あ、これ?」

「それだね」

 あたしはマオが見つけてくれた品物をリーフのいしは進化に使う緑色に輝くあの石を切断して使っているもので、石の真ん中の葉っぱのようなものが入っていないものだ。もっとも、入っている部分でも小指の先ほどしかないこのサイズでは進化させるのは無理だろう。イヤリング自体はとてもシンプルで、黄金色の細いリングと石を吊すほっそりした鎖、その下に輝く緑の石が綺麗だ。

「へー、いいんじゃない?飾り気がないのがいかにもユウケが好きそう。可愛いと思うよ。お値段も手頃だし」

「まあ値段は別にいいんだけどね」

「ダメだよー、リーリエにプレゼントするんでしょ?いきなりあんまり高い物贈ると引かれるかもしれないしさ」

「う、それは困る……」

「ま、とにかくこれでいいと思うよ。指輪とかなら止めようかと思ったけど」

「ありがとう。そう言ってくれると安心する」

「どういたしまして。じゃ、あたしは五分くらいしてから戻るから」

 綺麗にラッピングしてもらった紙袋を潰さないように鞄にしまい込み、カウンター下に並んでいるポケモンの化石をついでに全部買ってから、あたしが先に再びコニコ食堂へ。ここはいつ来てもがやがやとした喧噪と実直な雰囲気にほっとする。マオの名を告げて衝立の奥、擬似的な個室へ。リーリエはお茶を飲みながらスマフォを見ていた。お待たせ、と声を掛けると顔を上げてぱっと微笑む。中華料理店で天使が見られるとは。

「いえ、今来たところですから!」

「いや、まあそうなんだけど」

 二人で小さく笑う。店員さんにプーアル茶を頼み、腰掛ける。すぐにやってきた店員さんの注いでくれたお茶から馥郁とした香りが漂う。店員さんに注文はマオが戻ってからと告げ、部屋が二人きりになってから鞄を開き、先ほどの包みを取り出す。今気づいたが、ラッピングされている紙袋に果実のライチが印刷されている。

「リーリエ、これ、プレゼント」

「えっ、何ですか。開けてみていいですか?」

 目を見開いて受け取る彼女に頷く。とても嬉しそうで、渡したこちらとしても嬉しい。彼女は一瞬椅子から小さく跳ねそうになった体を落ち着け、包装を綺麗に開く。器用なほっそりした白い指先に見惚れてしまう。あたしならこうはいかないな。

「わあ……!綺麗!ありがとうございます!大事にしますね!さっそく、一つつけます!」

 破顔した彼女につられて微笑みつつ、ん、一つ、と首を傾げる間もなく、彼女は説明書を見ながら迷わず左耳にだけイヤリングをつける。どこかの地方由来の風習で、女性の左耳だけの耳飾りは同性愛者。ああ、それで片方か。あたしの得心した表情を見て、先ほどまでとは少し違う、秘密を共有するいたずらっ子のような微笑みを浮かべる彼女。

「ごめんごめん、ってあれっ、ユウケ、今渡したの?!」

「えっ、駄目だった?」

「もうちょっとこう、雰囲気とかないの?」

「あっ、それでお二人で……」

「あっ、いや、まあそうなんだけど。でもほら、選んだのはユウケなんだよ。マオは大丈夫って背中押しただけ」

 わたわたするあたし達にくすくす笑うリーリエ、気恥ずかしさでぽりぽりと軽く後頭部を掻くあたし、しょうがないなあと笑うマオ。当初の目論見は崩れてしまったが、こういうのも悪くはないと思った。




キヅキアヤサトさんにユウケを描いて頂きました。美人です。

【挿絵表示】

https://www.pixiv.net/member.php?id=2760072
https://twitter.com/sato_Ayasato

クリムゾン(キャット)さんにユウケとニャビーを描いて頂きました。ユウケの顔も綻ぶニャビーの可愛さ。どちらも可愛いです。

【挿絵表示】

https://fantia.jp/fanclubs/3492
https://www.pixiv.net/member.php?id=580581
https://twitter.com/yaogami_cat

ホウ酸さんにユウケとリーリエを描いて頂きました。二人とも読書好きですしポケモンも好きなのでとても話が進みそうです。

【挿絵表示】

https://twitter.com/housandang

Helloween - "I Want Out"
https://www.youtube.com/watch?v=FjV8SHjHvHk
United Pumpkinツアー素晴らしかったですね。

『輝く葉』はZにほんばれ+ようりょくそで爆速で殴りかかれるウツボットと、リーフのいし(真ん中に葉っぱ?が入っている)の事を表現しようと思いました。
Zにほんばれ+ようりょくそは私のオリジナルではありません。発案された方に感謝を。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、恋の話をする

 コニコシティはコニコ食堂、中華料理の食欲を刺激する香りが充満する店内で、あたし達は料理に舌鼓を打ち、穏やかな歓談に興じていた。あたしとリーリエが隣り合って座り、マオがさほど大きくはないテーブルを挟んだ向かいだ。あたしは麻婆豆腐と油淋鶏、リーリエは蝦仁鍋巴(エビあんかけ)と半チャーハン、マオはアローラ特産品を使っている何だか形容しがたい色のラーメンを食べている。本人考案らしく小皿で勧められたのをもらったが、味はあまりあたしの口には合わなかった。リーリエも妙な顔をしていたので、まだあたし達が現地の料理に慣れていないということだろうか。

「……それで、ククイ博士ったら何て言ったと思います?『この技はまだ僕にもきついな。鼓膜もウェイトトレーニングしておくべきだった』って」

「板垣漫画のキャラじゃあるまいし」

「あの人らしいけどねー」

 くすくすと笑みを交わしながら料理の最後の一口を食べ、時計を見てはっと気付く。この時間は惜しいが、雑談にだけ興じていては肝心の話が出来ない。あたし達だけでなく、マオもこの後トレーナーの試練をやるらしいし、これはまずい。あたしは話の合間を見てマオに問いかける。

「マオ、相談があるんじゃなかった?」

 それまでの快活な表情を一転させ、顔を朱に染めもじもじとし始めるマオ。

「その前に改めて、一応確認なんだけどさ。ユウケとリーリエは……その、付き合ってる?」

 何を今更という顔でリーリエが頷く。

「そうです。恋人としてお付き合いしています」

 この間ちゃんとリーリエの了解を得て伝えた話なのに、今更何をというのが表情に出ていたらしい。マオは言葉を継ぐ。

「いや、その……マオの好きなのも女の人なんだよね」

 リーリエが目を輝かせて身を乗り出す。あたしはリーリエの前のお皿が邪魔にならないようにテーブルの隅にどける。

「つまり、恋の相談ですか?」

「そ、そうなる……かな?」

「何で疑問形なの?」

 あたしは小さく溜息をつく。これはマオに対してではなくて、自分に対してだが。よくよく考えるまでもなく、これはあたしが初めて聞く恋愛相談だ。

「ま、あたし自身別に偉そうな事言える立場でもないし、そういう経験も無いから」

 だからマオに了解を取ったうえでリーリエを呼んだのだと、リーリエを見て言おうとした時に、リーリエにがしっと両手を握られる。

「わたしが初めてですか?!」

「そ、そうだけど、ちょ、声が大きいって」

「あ、ごめんなさい」

 お互いの目をじっと見ながら手をぎゅっぎゅっと握る。白パンと蜂蜜しか食べていないのではと思える手の柔らかさが心地よい。

「あー、お二人さん?席外したほうがいい?」

 マオの咳払いではっと現実に引き戻される。リーリエの魔性の魅力に完全にやられているのを自覚する。

「ごめんごめん」

「ごめんなさい」

「それでも手は離さないんだ。まあいいや。それで、あたしは」

 マオはお茶を一気に飲み干してから言葉を継ぐ。

「マオは……あたしは、ライチさんが好き。二人の知恵と力を借りたいんだ。この通り!」

 パンっと小さく掌を合わせて拝むマオに、リーリエはわたわたし、あたしは後頭部を小さく掻く。

「ライチさん、穏やかなのに芯が強くて、素敵な方ですものね。わかります」

 リーリエはそのままあたしの耳元に口を寄せ囁く。

「もちろん、ユウケさんが一番ですけど」

 だらしなく顔が緩むのを自覚しながらも、それでもあたしなんかのどこがいいのだろうという思いが小さく胸を刺す。

「それで、マオさん。ライチさんとはどこまで進展しているのですか?」

 えー、と頭を抱えるマオ。

「この間、ユウケと話した時に、お弁当持ってったでしょ。あれ、ライチさんにも作ろうと思って」

「胃袋を掴むのは、大切だと本で読みました」

「昼と、後、夜はライチさん毎日来てるの?」

「島クイーンの仕事とか店の仕入れがない日は毎日」

 悪くないのでは。しかし、毎日ゆっくり関係を進めていくやり方で間に合うのだろうか。あたしは自分の一番得意な――というより、それくらいしかない――ポケモンバトルに仮に当てはめて考えてみる。現状は少しずつスリップダメージを与えているようなものだ。

「ライチさん、『彼氏が欲しい』って言ってましたよね」

「うう、そうなんだよね……」

 少しずつダメージを蓄積しているだけでは落とせないし、意識すらされないままそちらの目標が達成されてしまっては、本人はいいかも知れないが、マオは困る。となると。

「おびき寄せて一気に仕留める」

「「えっ」」

 口に出してしまい、二人に不審な目で見られてあたしは俯く。

「いや、一気に勝負を決めないと、そっちの目標が達成されたら困るなって」

「なるほど……それで、呼び出して一気に告白する、と?」

「む、無理無理無理!無理だって!」

 顔を真っ赤にして両手を突き出すマオを前に、あたしとリーリエは顔を見合わせる。

「マオ、ライチさんのポケモンバトルはどんな感じ?」

 急な話の転換に、マオだけでなくリーリエもきょとんとした顔になる。

「どうって……。うーん、いわタイプの特性を生かしながら、果敢に攻めていく感じかな。搦め手とかはできるんだろうけど、あんまり使わない方だと思う」

「攻撃は正面から受けて、しっかり殴り合う感じだよね。あー、何が言いたいかと言うと。ライチさん自身もそういうやりとりが好きなんじゃないかなって」

「なるほど。つまりマオさんから飛びかかるしか」

 この場合はとびひざげりとかかな、という言葉を飲み込む。

「それも期限が切られてるって思った方がいいよ。ライチさんは優良物件なんだから」

 頬を膨らませて赤くなったり青くなったりするマオ。

「改めてどこかに呼び出すのが難しいなら、あたしから声をかけてもいいし」

「もちろん、今日明日どうこうという話ではないですけど」

 それぞれ違う方向の助け船を出すあたし達。うんうんと唸るマオ。

「あの、ユウケさん、ナッシーアイランドでのいきさつをお話ししてもいいですか」

 少し恥ずかしいが、何かの助けになるならと頷く。

「あの、マオさん。ユウケさんにはわたしから気持ちを伝えたんです」

「え、ええっ?!リーリエが……?意外」

「ライチさんが鈍い方かどうかはわかりませんが、ユウケさんはちゃんと伝えないと駄目だと思ったのです」

「面目次第もない……」

「誰かに取られるのは、それこそユウケさんの言い方ではないですけど、ポケモンも好きな人も同じです。それは、同性、異性であっても同じです」

「う、うん……」

「考えてください。勇気を出せるようになったら、わたし達も応援しますし、手伝えることは手伝いますから」

 うんうんと頷くあたし。

「相手がパートナーが同性でもいいかを探らないといけないかな。弁当と晩ご飯はこのまま続けていくにしても、どこかで聞いておきたいね」

「それも、それとなく聞いてみますか」

「そうだね。あたし達二人でここに晩ご飯食べに来ればいいわけだし」

「ありがとう、二人とも。ちゃんと考えるよ」

「はい。『アローラでは困った時はお互い様』と、ハプウさんも言っていました」

「あたしみたいな優柔不断な奴の言えた義理じゃないけど、後悔しないよう考えて」

 満面の笑顔で頷くマオに釣られて微笑むあたし達。あたしは我ながら大して役に立たなかったが、何かのヒントにはなったと思いたい。

 

 マオに見送られ、あたし達はコニコ食堂を出た。

「あっ、そうそう。さっきマオのとスイレンの花びら、渡してなかった」

「……すっかり忘れてたよ」

 てへ、と舌を出すマオに苦笑いしながら、緑の花びらと青の花びらを受け取る。

 あたしが花びらを受け取ったのを見て、リーリエも鞄から紙袋を取り出してマオに渡した。

「これは?」

「ファッション雑誌と、女性同士の方の恋愛特集が載っている雑誌です。わたしにはもう必要ないですから」

「ありがとう……!」

「あたしは今日何も持ってきてないから、吉報を送れるようにするよ」

 マオは首を横にぶんぶん振ってあたしの手を握り、次いでリーリエの手を握った。

「二人が相談に乗ってくれただけでも嬉しいから。マオ、不安だったし」

「大丈夫です。わたし達二人とも、応援してますから!」

 ちょっと涙ぐむマオにあたし達は手を振って、リザードンに乗る。マオが大きくあたし達のリザードンに手を振っているのが、コニコシティが小さくなるまで見えていた。

 

 ヴェラ火山公園は、今日も観光客で溢れていた。また見世物になるのかと内心うんざりする。もっとも、観光地としてきっちり整備されているからこそ山道もきっちり整備されていて楽に歩けるのも事実だ。約束の時間までまだもう少し時間があるのであたし達はのんびりと登るつもりだったが、観光案内のお姉さんに「カキの踊りを見るんでしょう?急いで急いで!」と急かされ、あたし達は手をつないだままやや急ぎ足で山頂に向かった。あの踊りを見られるなら確かに少々急ぐ価値はある。

「わぁ、すごい人です。カキさんの踊りは初めて見るのですが、すごく人気ですね」

「前、試練の時に見たけど凄かったロー」

 リーリエと、ひょいと飛び出てきたロトムの言葉に頷く。

「確かに、見る価値は充分にあるよ」

「楽しみです」

 にこにこと微笑む彼女が愛くるしい。カキさんの踊りは見応え充分だ。だが、あたし達はさほど背が高くないので、人垣からの隙間から見るのが精一杯だ。

「ロトム、どっか隙間空いてない?」

 あたしの言葉に応えて少し飛び上がったロトムは全身を横に振る。

「しょうがないな。リーリエ、肩車でもしようか?」

「ふえっ?!」

 リーリエの顔がみるみる真っ赤になる。

「い、いえ、そこまでは。でもしてほしいですけど、でもでも体重が」

「おい、ユウケ!こっちだ!」

 人垣の中心から声が掛けられる。カキさんの声だ。

「すみませんが、その子を通してあげてくれませんか」

「連れがいるんですが、一緒に行ってもいいですか?」

「ああ、構わない」

 カキさんの言葉に従って道を開けてくれた観光客達の間をリーリエの手を引きながら通る。前で見られるのはありがたいが、注目が集まって気恥ずかしい。

「紹介しましょう。カントー出身、複数の地方リーグ制覇経験者のつわものユウケと、ポケモンの技研究学の第一人者、ククイ博士の助手、リーリエです!」

 あんまりわかってないながらも好意的な拍手が人垣から起き、手を振ってくれる人もいる。恥ずかしい。やっぱりカキさんもあたしの来歴を知っていたのかと少し頭が痛くなる。リーリエは困ったような顔を浮かべながらも律儀に周りに片手を振っている。紹介されてないのにロトムが一番嬉しそうに飛び回る。あたしは笑顔で大きく手を振るカキさんの耳元で囁く。

「ちょっと、どうするんですかこれ」

「前と同じように踊りが終わったら俺とバトルでいいだろう。ガラガラ達の横にシートを敷いてあるから、そこで見ていてくれ。特等席だぞ。リーリエもバトルが終わるまで座っていてくれて構わない」

「わぁ、カキさん、ありがとうございます!」

「ありがとうございます」

 出演者のガラガラの隣という楽屋のような場所で注目を集めるのは嫌だが、だからといって好意を蹴るほどあたしはこの人が嫌いなわけでもないし、リーリエにも気を使ってくれたありがたい申し出に頭を下げ二人でそこに座る。ロトムはポケットに戻らない。ポケットからもレンズが出るから見るのには困らないが、外で見たいという気持ちなのだろうか。それなら膝か肩の上で見ればいいのにと思いながら、背中の方に行くロトムをちらっと見る。

「ユウケ、リーリエ、こっち向いてロ!」

「「??」」

 怪訝に思いながら振り返るあたし達に、ぱしゃという間抜けな音が届く。

「ママさんがカキさんとの写真を撮ってほしいって言ってたロ~」

 なるほど、母さんの差し金か。あたしは苦笑いして頷き、他の人の邪魔にならないよう膝元にロトムを呼び寄せる。今度は素直にロトムも膝元に収まった。

「あっ、わたしも母様や兄様に写真を送ります」

 リーリエはあたしと山の麓から今までずっと繋いでいた手を離してスマフォを取り出してカキさんを何枚か撮ってから、隣で大人しく座っているガラガラ三匹にスマフォを向ける。ガラガラ達は見事に決まっているキメポーズと笑顔で応える。彼らあるいは彼女らが恐るべき戦士でもあることを知っているとこのサービス精神はなおさら面白い。くすりと笑うあたしに小さく手にした骨を振って、カキさんの方へ向かう彼ら。始まるらしい。

 

 ポールの端に点された炎を曳きながら、三匹のガラガラと舞うカキさんの姿は勇壮の一言だった。二度目のあたしでも圧倒される。リーリエは写真を撮るのも忘れて食い入るように見入っていた。カキさんと三匹のガラガラがぴたりと動きを止める。武術でいう残心のようだ。人垣の拍手でようやく踊りが終わったことに気付いたあたし達も拍手する。

 散らばりかける観光客達をカキさんがよく通る声で引き留める。

「さて、皆さん。今日はポニ島の西の端、ポニ島の試練のため、最初に紹介したトレーナーのユウケがやってきました。彼女はトレーナーとしての格で言えば、俺、カキより遙かに上です。トレーナーとしての本気のカキと彼女の一戦、ぜひご覧になっていってください!」

 観客があるのも何だか久し振りな気がする。右手の甲を撫でてくれるリーリエに小さく微笑み、あたしは立ち上がり前に進み出る。歓声と拍手、「キャプテンのカキにそれほど言われるトレーナーとは一体どんなものだろう」という視線が集中するのを感じる。緊張から体が強張るが、バトルが始まれば意識を切り替えることができる。大丈夫、お客さんが近いから気になるだけだ。アリーナやドームよりはずっと少ない。カキさんはにこりと微笑み、モンスターボールが三つ留められている腰のボールホルダに手を掛け、すっと真顔になる。あたしもボールに手を掛けて、双方同時に投げた。

 

 あたしの先手はハガネール、カキさんの先発はウインディだ。地鳴りを立てて着地した直後、ウインディの特性でいかくされて萎縮するハガネール。うなり声も気持ち小さい。だが、あたしは炎タイプ相手にハガネールで善戦できるとは思っていないので構わない。仕事はいつも通りだ。

「ハガネール、ステルスロック!」

「ウインディ、フレアドライブ!」

 ウインディが炎を纏い、全力で体当たりする。熱があたしまで伝わってくる。鋼タイプを持つハガネールは痛打を受けるが、特性のがんじょうで辛うじて耐え、苦しげに巨体を振り回して岩の破片をばらまく。もう先制技を持たないハガネールのできる仕事はない。普通に考えればカキさんの次の手はしんそくだが、あるいは交代読みでおにびを打ってくれないかと期待しながら命令を出す。

「ハガネール、じならし!」

「ウインディ、しんそく!」

 そう甘くはなかった。ウインディの姿が一瞬でかき消え、ハガネールの首元、そして顎に強烈な一撃が打ち込まれ、ハガネールが轟音を立てて倒れる。周囲の感嘆の声とは裏腹に、カキさんもあたしも表情は動かない。まだ始まったばかりだからだ。ハガネールをボールに戻し、あたしは次のポケモンを出す。

「よくやった、ハガネール。行け、サニーゴ!ねっとう!」

「ピュウー!」

「ウインディ、しんそく!」

 岩・水タイプ相手にしんそくか。インファイトは持っていないらしい。サニーゴは不一致の半減攻撃を余裕で耐え、ねっとうを吹き付ける。しんそくを二回受け、サニーゴはきっちり耐えきってねっとうを当て、ウインディがどうと倒れる。今度はサニーゴに向けて歓声が上がる。ウインディを労ったカキさんが繰り出すのはファイアローだ。先ほどハガネールがばらまいた岩がファイアローに深々と突き刺さり、ファイアローは苦悶の鳴き声を上げる。ステルスロックのダメージは体力の半分をおおよそ持って行く計算だ。特性がはやてのつばさであってもダメージが入れば無効になる。もっとも、サニーゴの足の遅さではどっちにせよ先手は取れないが。

「ファイアロー、ブレイブバード!」

「サニーゴ、パワージェム!」

 サニーゴは悠然と耐え、一撃を入れてから素早く飛び去るファイアローの軌道を見越して光線を撃ち、ファイアローを撃墜した。ファイアローが地に落ちる前にカキさんはボールに戻す。テンポの速い攻防に観客はしんと静まりかえる。カキさんの最後の一匹は、あのガラガラ達の中の一体。トレーナー二人の間に歩み寄る中で、岩の破片がガラガラの体を傷つける。

「サニーゴ、ねっとう!」

「ガラガラ、シャドーボーン!」

 さすがにサニーゴも耐えきれず、小さく呻いて倒れる。おお、と小さなどよめきがようやく観客に起こる。頑張ったサニーゴを労ってボールに戻す。あたしの手持ちは後四匹いるが、ポケモンが同数ルールであれば次の一匹が最後だ。勝算は十二分にある。

「ミミッキュ、行け!」

「ガラガラ、おにびだ!」

 手間は取らせん、と口の中で小さく呟いてから、あたしはZリングを撫で、上体をがくりと落とす。お化けが驚かすようにと意識しながら手を伸ばし、揺らすように体を起こす。あたしのZリングから何かの力がミミッキュに持たせたゴーストZを通じ、ミミッキュに注がれる感覚。

「無限暗夜の誘い」

 命令する必要は無いが、あたしは呟くように口に出す。ガラガラが怪しげな炎を出すが、放つより速くミミッキュの足下から影が染み出るように広がり、ガラガラを巻き込む。影から無数の手のようなものが湧き出て来てガラガラをがしがしと掴む。腕が更に増え膨張し、小山のようになって暗い藍色の光を撒き散らして消えた。ガラガラは骨にすがりついて立っているが、どう見ても戦闘不能だ。あたしはミミッキュに待てをし、カキさんの目を見る。カキさんは小さく頷く。

「参りました」

 人垣の小さなどよめきが段々大きくなる。歓声と拍手があたしと、そしてカキさんにおくられる。肩に飛び乗ったミミッキュの顔をくすぐっているとカキさんが歩み寄って来る。握手かなと差し出した手首を取られ、意趣返しをするような人ではないと理性では判りながらも一瞬体が硬くなる。カキさんはあたしの手を格闘家か何かのように掲げさせた。拍手と歓声、口笛が大波のように押し寄せてきて、あたしは顔が真っ赤になった。ちらりとさっきまで座っていたところを見ると、リーリエが目を輝かせながら写真を撮っている。あたしは小さくもう片方の手を振った。

 

 カキさんから赤い花びらを受け取って、お互いのポケモンを治療しようと思った矢先に、握手や記念撮影を求める人にもみくちゃにされて疲れてしまった。またもポケットにはお菓子が山のように詰め込まれているし、帽子におひねりが入っていて苦笑いする。肩に乗っているミミッキュもなで回されて気持ち疲労しているようだ。人垣が散らばり、ようやく一息ついてからあたしはそのおひねりをカキさんに差し出した。カキさんは小さく笑って断ろうとするが、あたしは無理矢理押しつける。

「ここはカキさんの勝ち取った場所でしょう。なら、これはカキさんのものです」

「ユウケも頑固だな。それと、敬語もさん付けも止めてくれ」

「わかり、わかった。でも、これはカキのだからね」

「わかった。そこまで言うなら半分もらおう。踊りのおひねりはもうもらっているからな。二人でバトルしたんだから、半分が妥当だろう」

 そこまで言われるとこれ以上は突っ張れない。カキさん――いや、カキが適当に半分ほど取るのを確認してから、あたしは残りを財布に突っ込んだ。人垣が捌けるまで遠慮していたらしいリーリエが駆け寄ってくる。

「ユウケさん、カキさんも凄かったです!」

「ありがとう。だが、本気でやって負けたのは久々だから悔しいな」

「いや、やっぱ炎タイプはおっかないよ」

 歓談するあたし達に誰かが猛烈な勢いで駆け寄ってきて、あたしは反射的にリーリエの前に出る。見知った山男だった。試練の時に戦った山男だ。

「素晴らしいバトルだった!ぜひ、俺ともバトルしてくれ!行くぞ!」

 あたしの答えを聞かずにボールを投げる山男。あたしは小さく溜息をついて、戦いたがって小さく鳴き声を上げているミミッキュに先発として行かせることにした。

 

 カキさん程ではないが、強いトレーナーだった。結局ミミッキュで三匹を仕留めたが、油断していたらタイプ的に残った面子では厳しくなった可能性もあった。

「ダイチさん、相変わらずですね」

「ありがとう、マイブラザー。やっぱり熱い戦いを見ると駄目だな。すぐに戦いたくなるし、いい勝負が出来た後はこうやって踊りたくなる」

 バトルの腕も悪くなかったが、踊りも確かに見事なものだ。カキに負けないほどの腕前かもしれない。

「踊りの腕も相変わらずです。どうですか、改めて……俺の次のキャプテンになってくれませんか」

「いや、駄目駄目。すぐ踊りたがる俺は向いてない。向いててなりたい奴がなるべきだ」

「そうですか。残念です」

 リーリエは二人に不思議がる目線を向けている。あたしもそうだ。その視線に気付いたカキは笑って口を開く。ダイチさんはまだ踊っている。

「俺の踊りとポケモンバトルの修行法を一緒に考えてくれた師匠のような人だ」

「なるほど、道理で」

 踊りもバトルの腕も大したものだし、見てのとおり負けても引きずらない性格というのはキャプテンやジムリーダーには大事な資質だ。あたしみたいに負けたら荒れるタイプは、力を見極めて関門として負けることも多々あるああいう役職には絶対向いていない。

「いや、とにかく素晴らしいバトルだったよ。ああそうだ、ユウケと言ったね。ヒコウZのクリスタルは持ってるか?」

「ヒコウZですか。いえ、持ってませんね」

「この間、メレメレ島のテンカラットヒルに行った時にクリスタルの台座を見つけたから行ってみるといい」

「テンカラットヒル?」

「研究所のすぐ西です」

「ありがとう、リーリエ。ダイチさん、ありがとうございます」

「何、気にするなって。同じカントー出身者のよしみだ。また会ったらよろしく」

 あたし達はダイチさん、そしてカキとまた握手をしてから、再びリザードンに乗り、アーカラ島を後にした。

 

 きらきらと陽光を反射し輝く穏やかな海を眼下に空の小さな旅は快調に進み、あっという間にウラウラ島の上空に辿り着き、目指す天文台が眼前に迫ってくる。ホクラニ岳の天文台の玄関前の空き地に着陸すると、まだ日が残っているお陰か暖かかった。リザードンに礼を言って軽く背中を撫でてから降り、リーリエの手を取って降りるのを手伝う。

「ありがとうございます。前はバスで来ましたから、空から見下ろすホクラニ岳は新鮮です」

「考えたことなかったな。リザードンで空を飛ぶのはあたしも新鮮だけど」

「リザードンさんでは、『そらをとぶ』は使わないのですか?」

「あたしはポケモンに技を四つしか覚えさせない主義だから、技の選択肢がもったいなくてね。それに、そらをとぶって飛んでからポケモン交代させられるくらい時間が空く技だから、あんまり実用性が無いっていうか」

 なるほどと頷くリーリエ。傾いてきた日の光が彼女を黄金色に彩る。美しさに溜息が出そうだ。彼女と時間が良ければ、夕焼けを見てから星を眺めるのも悪くないかもしれない。そう思いながら天文台に入ったところで、マーレインさんと出会った。

「アローラ!」

「アローラ、です」

「どうも」

 アローラの手の動きをする二人と、頭を軽く下げるあたし。この挨拶もいい加減慣れて使っていかないといけないと思うのだが、こう不意を打たれると駄目だ。

「やあ、ユウケくんにリーリエくん。マツリカの試練だね。マーマネは奥にいるから、頑張って」

「ありがとうございます。マーレインさんはお出かけですか?」

「ああ。我が親友、ククイ博士から呼び出しがあってね」

「博士の?何でしょう……」

「さあ、彼の考える事は突飛だからな。案外、ただの宴会か何かかもしれないが。そういうわけで、ここをしばらく留守にするんだ。おっと、時間がそろそろ危ないな。失礼」

 あたし達は小さく頭を下げ、慌ただしげに出て行くマーレインさんを見送った。




あわせて設定資料集を更新、誤字修正及び人物欄にマオ、スイレンを追加しました。

また、頂いた挿絵も全て設定資料集の後書きに追加しています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、毛皮を洗われる

 マーレインさんを見送った後、ホクラニ天文台のマーマネさんを訪れたあたし達を待っていたのは、泣き腫らした彼の顔だった。驚いてハンカチを渡そうとするリーリエを小さく手で制して、取り出したポケットティッシュをマーマネさんに渡す。彼は小さく礼を言ってから大きく鼻をかんだ。出直すべきか尋ねようとした矢先に、マーマネさんが口を開く。

「ごめん。ぐす。三分間待ってくれる?」

「ええ。椅子を借ります」

 壁際に置かれている椅子の埃を払ってから、リーリエに勧める。小さく驚いてから微笑んで腰掛ける姿が本当に可愛らしい。人目が無ければ、椅子が一つしかないことを口実に膝の上に座ってほしいくらいだ。リーリエと段ボールの山の隙間の壁を押し、パーテーションやら倒れる壁やらでないことを確かめてから――断じてあたしではないが、壁にもたれかかってそのまま後頭部を打つ羽目になった奴を見たことがあるからだ――壁に背を預けて聞こえない程度の小さな溜息をつく。別に男が人前で泣くな、なんて時代錯誤なことを考えたわけではない。ただ単にかけるべき言葉を思いつかないだけだ。ちらりとリーリエを見ると、彼女も似たような状態らしく、あたしと目が合う。あたしより間違いなく気が利いて聡いであろう彼女が何も思いつかないなら、お手上げだ。壁掛け時計を見て大体三分経って落ち着かなさそうなら、直球で事情を聞くしかないか。聞いてどうなる訳ではないかもしれないが、話せば気持ちが整理されて落ち着くかもしれない。問題は、あたしがどちらの経験も薄いことだ。

 

 概ね四分ほどで、マーマネさんは落ち着いた。

「その、大丈夫、ですか?」

 リーリエの気遣いを多分に含んだ声にあたしも小さく頷く。

「うん、ごめん……マーさんが……」

「そんなに長く離れるのですか?」

 あたしは少し驚いたが、マーマネさんは首を横に振る。

「毎日帰ってくるんだけど、それでもマーさんがいないと……」

 ぽろぽろと彼の目尻から涙が溢れる。こういう時にどういう言葉をかければいいのだろうか。

「ご、ごめん……そう、花びらだよね。ほんとは今日、勝負もしたかったんだけど」

 泣きながらマーマネさんはポケットから容器に入った黄色の花びらを取り出して差し出してくれる。少しどう答えたものかと困りながらも手を伸ばして受け取る。

「ありがとうございます」

「ぐず。また、今度勝負しよう。リーリエも、ごめんね」

「もちろんです」

「いえ、気にしないでください!」

 あたしは小さく頭を下げ、リーリエは気にしていないと言うようにぶんぶんと手を振る。

 

 泣き腫らした顔のまま見送るというマーマネさんの申し出を断って、あたし達は次の目的地、エーテルハウスに直行――はせず、天文台からポケモンセンターのカフェに移動した。あたしのエネココアとリーリエのモーモーミルクがヌイコグマに運ばれてきたのを礼を言って受け取ってから、大きく溜息をついた。

「いや、何だかどっと疲れたよ……」

「わたしもです。ああいうとき、どう言えばいいか……」

 あたしとリーリエは目を合わせて小さく笑う。

「リーリエで駄目なら、あたしはお手上げだよ」

 慌てた様子でリーリエは手を振る。

「そんな、わたしは別に、人付き合いが上手い方では無いですから」

「そんなことないよ。少なくともあたしよりは」

「あ、それはそうかもしれません」

 一転して冗談めかしてくすくすと微笑む彼女が可愛い。

 

 次の約束よりまだ時間があるし、星を見るのはどうかと提案しようとした矢先、あたしのスマフォが着信を知らせて震える。アセロラからだ。

「ユウケ、今どこ?まだこっち来てないなら、お買い物お願いしていいかなー?」

 星を見るのはお預けだな。あたしは彼女の買い物リストをメモし、電源を切った。麓のスーパーで買い出しをすればいいだろう。不慣れな場所だから迷う時間も織り込んで、エネココアの残りをぐいと飲み干し、リーリエをやんわりと促す。頷いた彼女がこくこくとミルクを飲み干すのをつい見てしまう。喉が小さく動くのが何とも色っぽく思える。

「行きましょう。ユウケさん……ユウケさん?」

 見とれてぼんやりしてしまった。あたしは顔を赤らめて頷き、席を立った。

 

 日が傾き、陽光がオレンジ色を強めてきた頃に買い物袋をぶら下げてエーテルハウス前に降りたあたし達は、意外な客人と出くわした。グズマだ。

「よお。お前らか」

 前ほど彼の顔を見て苛つかないのは、見慣れただけだろうか。それとも、この穏やかな雰囲気のせいだろうか。これなら相手が突っかかってこないなら、何も言わないで済むだろう。それにしても、ずいぶん穏やかな顔だ。無視するのもおかしな話だし、一応尋ねることにする。

「エーテルハウスに何か用事?」

「ああ、詫びを入れにな。お前らにも悪いことをしたな。悪かった」

 内心で、人に頭を下げられるタイプの人間だったのかと驚く。顔に出ていたらしく、グズマは小さく笑う。

「色んなことがありすぎたからな。俺だって変わるさ。変化を運んでくるっていう、アローラの風にやられただけかもしれねえけどな」

「『アローラの風は、物事を変える時に吹く』という慣用句があるんです」

 リーリエが小声で補ってくれる。なるほど。

「悪いと思うなら、あたしの頼みを一つ聞いてくれない?」

「俺にできることならな」

「完璧に人間に変身するメタモンと、そのメタモンを探している人間を探してる。理由は言えないけど。何か情報が手に入ったら知らせてほしい」

 困惑した表情を浮かべるグズマ。リーリエも少し戸惑った顔をしている。

「はァ?お前、知ってるだろ。メタモンは……ま、いい。知った上で言ってるんだな?」

 あたしは頷く。グズマは小さく頭を縦に振る。

「わかったよ。大した手間じゃねえ」

「助かる。それと、もう一つ。これは頼み事じゃなくてお願いだけど、ハウ君に連絡を取ってあげて。心配してたよ、あんたのこと」

「俺の、いや、俺様のことなんか気にするなって言ってたんだがな……。考えとくよ。じゃあな」

 手を小さく上げて去って行くグズマを見送ってから、リーリエはあたしを見る。

「ユウケさん、『人間に化けるメタモン』って、何ですか?グズマさんも不思議そうでしたが」

「メタモンは見た相手に変身することが出来るポケモンだけど、個体によって得手不得手があるんだ。ほぼ全部の個体が、人間に変身するのは苦手なんだよ。厳密に言うと、変身できるけど会話だとかは無理だし、大抵は顔だとか身体の一部が再現できなかったりする」

「そうすると、『完璧』に変身はできないと……」

「そう。ただ、あたしはそのメタモンを探してる奴に用事があるんだ。理由は……ごめん、今は言えない。でも、いつか、ちゃんと言うから。ごめん」

 あたしの右手を、リーリエが両手で包み込むように握る。

「ユウケさん、今とても辛そうな顔をしています。話せるようになったらで構いませんから。ユウケさんの辛いことなら、わたしも聞いて、助けになりたいです」

「リーリエ……ありがとう」

 リーリエは満面の笑みで頷いた。いつも綺麗なリーリエだが、夕日に照らされる彼女の髪は何度見ても異世界から来たかのように美しく、過去の恐怖を溶かすかのようだ。あたしはまたしても馬鹿のように見惚れてしまった。

 

 エーテルハウスの扉を開けたあたし達を出迎えたのは、またも意外な人物だった。

「「クチナシさん?」」

「よお、姉ちゃん達。アセロラは今ちょっと試練で出かけててな。もうじき戻ってくるはずだが」

 あたしにずいと手を突き出すクチナシさん。その手の上に、容器に入った紫の花びら。一瞬驚いたが、この人は島キングだった。預かっていても何もおかしくない。あたしは花びらを受け取る。

「ありがとうございます」

「マツリカんところに行くなら急ぐだろうと思ってな」

「いえ、マツリカのところには明日行きます」

「そうかい。じゃ、おじさんと勝負しようか」

「えー!?ユウケ姉ちゃんとクチナシおじさん勝負するの?!」

「わーい!」

 奥から聞きつけた子供達が駆け出してきて、あたしは苦笑いする。ポケモンバトルに目が無いのは大人も子供も、勿論あたしも変わらない。

「表でやりましょう」

 

 リーリエと子供達が応援する前であたしとクチナシさんが向き合う。ボールは三つ。あたしが先発のハガネールを繰り出すと同時に、クチナシさんもボールをアンダーで投げる。一匹目はヤミラミ。巨軀を震わせて吠えるハガネールより遙かに小さいポケモンだが、相性は可も無く不可も無くというところだ。変化技でかき回してくるのが怖い。ハガネールもメガシンカでもしない限り一撃では落とせないし、先手を取られる。ちょうはつが怖いが、打たれたら打たれたで交代させると決めて、普段通りの指示を出す。

「ハガネール、ステルスロック!」

「おにび」

 ハガネールは不気味な炎で火傷を負うが、身体を打ち振って岩をばらまく。尖った岩が相手側の場に漂ったことを確認してから、あたしはハガネールを労って戻し、ガオガエンを繰り出す。

「ハガネール、お疲れ様。ガオガエン、行け!」

「イカサマ」

 交代を読まれていたのだろうが、ガオガエンはタフなポケモンで一撃程度では崩れない。不敵に笑みを浮かべて小さく唸るガオガエンに指示を出す。

「フレアドライブ!」

「あやしいひかり」

 ヤミラミは耐久力がそれほど高いポケモンではない。炎タイプなら火傷させられないので、攻撃力を誤魔化すことはできない。ガオガエンの強力な炎技で一撃でくずおれる。

「おーおー、やるね」

 小さく笑うクチナシさんの二匹目は、アローラのペルシアンだ。タイプは悪単独、特性が候補すらわからないのが悩ましい。とはいえ、今のところこんらん以外でガオガエンを下げる理由はない。

「ねこだまし」

「フレアドライブ!」

 ペルシアンのねこだましで機先を制されたガオガエンは怯むが、構わず次の指示を出す。

「ガオガエン、もう一度フレアドライブ!」

「わるだくみ」

 ステルスロックのダメージを除くと、意外なほど効いた様子がない。こんらんが何とか治ったものの、ガオガエンは反動で辛そうだ。等倍物理技の効き目は薄いと見たあたしはガオガエンを戻し、ヘラクロスを繰り出す。

「ガオガエン、よくやった。ヘラクロス、頼んだ!」

「あくのはどう」

 黒いぼんやりとした波がヘラクロスを襲うが、悪タイプの技は半減だ。わるだくみ一回分上乗せされていても、ヘラクロスは悠然と耐えた。

「インファイト!」

「あくのはどう」

 波がもう一発。さして効いてはいないが、間合いを詰めようとしたヘラクロスが怯んだ。

「パワージェム」

「もう一度、インファイト!」

 光線を受けて疲労の色は見えるが、まだ余裕がある。ヘラクロスは土を抉るほどの踏み込みでペルシアンの間合いに入り込み、殴り飛ばした。イメージからかけ離れたタフさを見せていたペルシアンもさすがに耐えきれなかったようで、そのままボールに戻る。

「タフだねえ」

「軟弱な育て方はしてませんから」

 ヘラクロスはまだ元気なアピールをあたしにしているし、充分行けそうではある。クチナシさん最後の一匹はアブソル。あたしはアブソルを見てヘラクロスを戻す。

「ヘラクロス、戻れ!行け、ハガネール!」

「サイコカッター」

 不可視の刃がハガネールを襲うが、ハガネールの厚い皮膚は悠然とこれを弾き返す。やはりエスパータイプの技を持っていたか。おまけにアブソルは足が速いから、ここで戻したのは悪くなかった。こいつは何とか動きを止めないといけない。

「ハガネール、じならし」

「姉ちゃん、いい勘してるね。だが、こいつは耐えられるかな」

 クチナシさんが上体を垂らす。Zパワーリングが光り、クチナシさんとアブソルの間が光で繋がれる。Z技か。

「ブラックホールイクリプス」

「ハガネール、耐えて!」

 ハガネールの巨体が空間に開いた穴に吸い込まれたかのように見えた。あたしのハガネールは何とか耐えて、身体を震わせてアブソルの周囲を均していく。火傷のダメージでハガネールは崩れ落ちるように倒れる。倒れきる前にモンスターボールに戻してやる。

「ハガネール、よくやってくれた。行け、ヘラクロス!インファイト!」

「サイコカッター」

 アブソルの動きはヘラクロスより鈍い。瞬時に間合いを詰めたヘラクロスの連撃で、アブソルが倒れた。

 クチナシさんはにやりと悪童のような笑みを浮かべ、アブソルをボールに戻す。リーリエと子供達の歓声が響く。

「ユウケさん、やりましたね!」

「姉ちゃんすごーい!」

「クチナシおじさんに勝つなんて!」

 抱きついてくれるリーリエを抱きしめ返して、リーリエを真似してか腰に抱きつく子供達の頭を撫でてやる。

「いや、やっぱ大したもんだな、姉ちゃん」

「クチナシさんこそ」

「またやろうや。今度はお互い全力でな」

 あたしは頷いた。

「じゃ、おれは帰るから。アセロラによろしくな」

「えー、おじさん晩ご飯食べてかないの?」

「そうだよー!」

「用事があってよ。悪いな」

 不満げな子供達をなだめつつ、手を上げて去って行くクチナシさんを見送った。

 

 エーテルハウスに戻り、奥で子供達がはしゃぐ声を聞きながら、外で治療したハガネールを除いた負傷したポケモンの手当をしている最中にアセロラが戻ってきた。

「あ、ユウケ、リーリエ。買い出しありがとね」

「いいよ、キャプテンの仕事だったんでしょう」

「お疲れ様です、アセロラさん」

「ありがとー。いやいや」

 リーリエの向かいの椅子に座って水を飲むアセロラを見上げながら、床に座り込んで傷薬を塗ることしばし。アセロラが一息ついたのを見計らってからあたしは口を開いた。

「アセロラさ、一つ聞きたいんだけど」

「何?」

「あたし、子供達の名前聞いてないんだけど」

「「えっ」」

 アセロラは呆然という感じで口を開けている。リーリエも口を押さえているが、心底驚いているようだ。

「自己紹介するように言ったんだけど。しょうがないなあ」

「あ、あの……わたしは聞いてました。ユウケさんに伝えておけばよかったですね。ごめんなさい」

「いやいや、そういうのは直接やらないとね。呼んでくるから」

 ポケモンの治療を終えて、ボールに戻したタイミングで不思議そうな顔で連れてこられた子供達を見る。

「えー、名前言ってなかった?」

「言わなかったかなあ?」

「聞いてないかな……?」

 どこかとぼけたやりとりに、あたしとリーリエ、子供達は小さく笑う。アセロラだけが憮然とした表情だ。

「こういうのはちゃんとしないと駄目なんだからね。さ、改めてユウケお姉ちゃんに挨拶して」

「はーい。ぼくはアカラ」

「あたしはマヒナ」

「ユウケだよ」

「「知ってるー」」

 三人で顔を見合わせてまた小さく笑う。仏頂面を保とうとしていたアセロラもプッと吹き出した。忍びやかな、しかし悪くない笑いが部屋を彩る。

 

 協同して作った賑やかな夕食を終えた後は風呂の時間だ。だが、前回同様穏やかな時間になると思った入浴――正確にはその前の、誰が誰と入るかを決める段階――で、冷ややかな争いが展開される事になるとは夢にも思っていなかった。

「ユウケさんはわたしと入りますから」

「えー、でも、うちのお風呂なんだから、アセロラが誰と入るか決めてもいいんじゃない?それに、そんなに一緒に入りたがるのは何でかなー?」

 聞かないフリをして子供達と遊んでいなければ、その場にいるだけで戦闘不能になってもおかしくない争いがリーリエとアセロラの間で繰り広げられている。アセロラは明らかにからかうこと自体を楽しんでいる感じだ。彼女のいたずらっぽいチェシャ猫のような表情はこういう時でなければ可愛いと思う。リーリエのふくれっ面もこういう時でなければとても可愛いし、何時間でも眺めていたい。

「子供達が見たい番組が始まる前に、お風呂入っちゃわないといけないんだけど、どうしよっかなー?ね、リーリエ。どうしてそんなにお風呂に拘るか教えて?」

「……わかりました。わ、わたしとユウケさんはお付き合いしてますから。恋人として。だからです」

「えっ……」

 力強く言い切ったリーリエに意表を突かれたのか、アセロラが少したじろぐが、そのまま言葉をつぐ。

「おほん、でも、じゃあ他の日に一緒に入ってもいいんじゃない?アセロラは同性の友達なんだから、一緒に入ってもいいよねえ?」

「そ、それは……」

 段々背筋が寒くなってきた。もちろん、あたしとしてはリーリエと入りたいが、家主というか管理者の意向を無視する訳にもいかない。アセロラは多分本気ではないだろうけど、リーリエが本気でへそを曲げたり、二人の仲がこじれる前に何とかしないといけない。あたしのために争わないで、なんて他人面をしていてはそろそろ本気で不味そうだ。あたしは会話の合間を狙って口を開く。

「あ、あたし、子供達二人を風呂に入れてくるから!」

 これがポケモンバトルならもう少し読めたり先手を打てるのだが、人付き合いという場でもう少し丸く収まるアイデアがぱっと出てくるなら苦労しないのだった。あたしはぽかんと口を開けた二人を尻目に、子供達二人を脇に担ぎ上げて勝手知ったる風呂場に向かった。

 

 子供達二人の髪の毛、ついで身体を洗って風呂桶に放り込んだタイミングで、風呂場のドアが控えめにこんこんとノックされた。

「はいはい、入ってますよー。ほら、ちゃんと肩まで浸かって百数える」

「入ってまーす」

「まーす。あれ、今いくつだっけ?」

「七十だよ。ほら続き、って」

 曇りガラスの上に逆光でシルエットしか見えないから誰だかわからないが、一瞬躊躇った後、がらりと扉が開かれる。リーリエだった。タオルで胸元から股下までを隠している。きりりと覚悟を決めたという表情をしようとしているというのがあたしにもわかる。何しろもう顔が真っ赤だし、目が泳いでいる。

「お、お背中流しますね!」

「ユウケ姉ちゃんも洗ってもらうの?」

「お姉ちゃんなのにー?」

「いや、あたしは自分で」

 リーリエには ぜんぜんきいてない!どこからこんな力が出てくるんだという勢いで椅子に座らされ、ざぼざぼと頭からお湯を掛けられる。ちょっと温度が高いかな。

「ユウケ姉ちゃん、百数えたよー」

「数えたー」

「えっもう?ちょっと待って、アセロラ呼ぶから。立ってもいいけど、湯船から出るのはアセロラが来てからね」

「あっ、お姉ちゃんこれー」

「あたしが押すー!」

 子供達が相争って何かのボタンを押すと、ピピピというやや間の抜けた呼び出し音が鳴る。なるほど。大声を張り上げなくても呼び出しボタンがあったのか。お湯を掛けられながら、リーリエの指があたしの硬い髪をほぐそうとしている感触を味わう。先にリーリエの指をほぐした方が良いのではというくらいガチガチに緊張しているのが伝わってくる。お湯の音に混ざるとたとたとした軽い足音と、扉が開けられる音。

「あー!リーリエもう入ってる!アカラもマヒナももう出ていいよー。身体拭くからね。テレビもつけといたから」

 嵐のような時間はまだ続くらしい。

「ゆ、ユウケさん。痒くないですか?」

「いや、気持ちい」

「あっ、これボディソープでした……!」

 あたしもたまにやる間違いだから、別に構わないのだが、リーリエの動揺が伝わってくる。

「ごめんなさい、すぐ流しますね!」

 わしゃわしゃと泡を洗い流されて、二回目。髪を洗ってもらえるのは無論嬉しいが、冷静に考えるとあたしは完全に無防備に肌を晒している。股間だけは何とか隠しているが。リーリエの鼻息が少し荒い気がするのは気のせいだろうか。だが、今は振り返るどころか目を開くことすらままならない。いずれにせよ、お互いの肌を見せる時は来るだろうと腹をくくるしかないか。

 

 葛藤を余所に、三度風呂場のドアが開く。

「お待たせー!」

「待ってません」

「えー、リーリエ冷たい!それに、三人一緒に入るって決めたのに抜け駆けしてるし」

「えっ」

「恋愛とポケモンバトルでは手段を選ぶなって教わりましたから」

「えっ」

「んっふっふー、まあまあそんなツンツンしないで。アセロラはユウケを取るつもりないし」

「本当ですか……?」

「混ぜてもらうくらいでいいかなーって」

「駄目です」

 即答だった。軽口でも「いいんじゃない?混ざるくらいなら」とか言わなくてよかった。ややほぐれてきたリーリエの指先に頭を委ねながら、あたしは内面溜息をついた。

 

 髪の泡をしっかりと流されてから、言葉での抵抗空しく、あたしはリーリエに身体まで洗われることになった。耳の後ろから首筋、背中を今は洗われている。アセロラは身体を洗いながらニヤニヤとガン見している。

「『身体で洗います』とかしないの?」

「……どこで聞いてきたの、そんなの」

「ユウケが行ってそうなお店」

 リーリエさん、タオルが痛いです。垢すりタオルでも何でもない、泡立てた普通のタオルだったはずなのに。

「アローラではそんな店行ってないよ」

「ほんとにー?」

「ユウケさん、後ろ終わりましたから」

「ありがとう。じゃ、前は」

「前も洗いますね」

「えっいや、子供達も前は自分で」

「前も洗います」

「はい」

 胸と股間を両腕で隠した姿勢のままやり過ごそうとしたものの、抵抗は無意味だった。アセロラも何故か無言になったし、物凄く居心地が悪い。

「はい、脇も洗いますから、手を上げてください」

「はい……」

 あたしもリーリエも、顔が真っ赤だ。さっきとは打って変わって、繊細なタオル使いが寧ろくすぐったいくらいなのだが、笑うに笑えない。胸を洗う段になって、リーリエは顔が――顔が近い!いつの間にかアセロラも真横に寄ってその様子をじっと見ている。何だこの状況は。助けが絶対に来ない状況を恨みながら、胸から臍、脇腹を執拗に洗われて小さく吐息が漏れる。何とか隠したものの、太股から足先まで洗われて、ようやく一息つく。リーリエがタオルを桶に汲んだお湯で洗い流してから、再度泡立てる。

「さあ、脚を開いて下さい」

「いや、そこは自分で」

 リーリエはあたしのそこにタオルを掛けてから、手の泡を洗い流す。

「見えないなら、いいですよね?」

 リーリエの口と手がぷるぷるしている。多分抵抗は無意味だろう。アセロラがごくりと固唾を飲む音がいやに大きく聞こえる。あたしは自分の顔を両手で覆って頷いた。

 

 タオル越しとはいえ、秘部もお尻もしっかりと洗われてしまった。まさかあたしが先に触られる側になるだなんて夢にも思っていなかった。それなのに、あたしがリーリエを洗うのは断られてしまい、不満な顔を隠さないまま三人の中で一番最初に風呂桶に漬かっている。顔が赤いのはお湯が熱いせいだと思いたい。おまけに、せっかくの二人の裸も湯気と二人の牽制が気になって――あたし一人はじっくり見られたのに公平性に欠けないだろうか――あまりしっかり見えない。無言のまま、リーリエとアセロラがほぼ同時に身体を洗い終えた。アセロラが遅かったのはあたしが子犬ポケモンじみて洗われた後、しばらくぼんやりシャワーを身体にかけていたからだ。しかも身体を洗い終えた二人はしっかりタオルを巻いている。あたしだけが裸だ。

「どうやって入りましょう……?」

「あたし、もう出ようか」

「大丈夫大丈夫、アセロラかリーリエがユウケの膝の上に座ったら入れるよ」

 二人が湯船の縁を跨ぐのを見るのに夢中になってて余り聞いていなかったのだが(タオルの裾が案外長くて見えなかった)、今何て?

「意外と二人乗っても大丈夫なんだねー。やっぱりユウケはたくさん歩いてるから?」

「アセロラさんはどうして平然とわたしの膝の上に座ってるんですか?」

「……浮力があるし、二人とも体重軽いからじゃない?」

 床からあたし、リーリエ、アセロラの順で湯船に入っている。おまけに折角のリーリエの感触はタオルの触感しかしない。湯船の中であればもう少し伝わるのかも知れないが、非常に悲しい。

「あー楽しかった!」

「アセロラさ、あんまりリーリエをからかわないで……」

「じゃあ次はユウケかな?」

「駄目です」

 まあまあ、とリーリエの髪を撫でる。小さくリーリエが身体を震わせる。それにしても、身体はもう温まったはずなのに体感温度はどんどん下がるのが不思議でならない。現実から目を背けながらあたしはそんなことを考えた。

 

 風呂から上がり、寝間着代わりの黒シャツ(The Afterimageのシャツ)とハーフパンツを履く。「黒ずくめでゴーストタイプのトレーナーみたい」と笑われてしまった。ゴーストタイプのトレーナーというと、オカルトマニアのローブのようなものかとばかり思っていたが、そう言われればそれっぽいかもしれないな。

 

 ロビーに戻ると、子供達と施設にいるポケモン達がテレビにかじり付いている。何を見ているのかと思ったら、世界的人気ドラマだ。マサラタウン出身の若きトレーナーが世界中――といっても連邦内だけだが――を巡り「ポケモンマスター」というよくわからないものを目指すもの。ポケモン回りの考証が事実とは異なるのだが、あたしを含む大体の子供はポケモンへの興味をここから得る。二年ほど見ていなかったので忘れてしまったが、今の主人公役俳優は七代目だったか、八代目だったか忘れてしまった。このドラマのロケ地に選ばれると観光客が激増するらしく、地方政府からの誘致工作も凄まじいらしい。

 

 テレビが終わってしばらくあたし達とあたしのポケモンと遊んでいて、まだまだ遊びたがる子供達を、本――『オズの魔法使い』で意気地無しのカエンジシが仲間になる辺りまで――を読んで寝かしつけてから、そっと布団を抜け出してロビーに向かう。人付き合いがあまり得意でないあたしには中々疲れる試練だ。無人で非常灯だけが灯った薄暗いロビーで、一番端のテーブルを占拠してサイコソーダレモン味無糖の缶を開け、人工甘味料と炭酸を喉に流し込む。酒を買いに行くには遅い時間だし、エーテルハウス内の自販機には当然酒は無かった。

 ジュースを飲み終える頃に、ひたひたと足音が聞こえてそちらを見やると、リーリエだった。白を基調としたパジャマなのは同じだが、昨日とはまた違うものだ。ピッピらしきポケモンのシルエットがあしらわれているのが少し意外だが可愛い。あたしは隣の椅子を引いてリーリエを向かい入れた。枕元に置いておくつもりだったおいしいみずを勧めるが、彼女は首を横に振った。

「リーリエ、大丈夫?」

「ええ、大丈夫です。アセロラさんも悪気がないのはちゃんとわかってます。さっき、アセロラさんともお話をしてきました」

 でも、と彼女は続ける。

「どうしても不安になってしまうのです。ユウケさんが離れていってしまうのではと。わたしはおかしいのでしょうか?」

 悲しげに目を伏せて呟く彼女に、あたしは大きく首を横に振った。

「おかしくないよ。あたしだって不安になったりするし、何て言ったらいいのかな。あー……あたしが言うとあんまり説得力無いけど、上手いこと制御するしか、って感じかな」

「はい。そうですね。ユウケさん、わたし、悪い人になってませんか。嫌いになったり」

「なってないし、なったとしても、嫌いにならないよ」

 遮ってまで言ってしまったが、本音だ。少しは落ち着いただろうか。薄暗がりで小さく微笑む彼女が愛らしく、あたしは彼女を自然と抱き寄せていた。

「お休み前のキス、してください」

「うん……」

 柔らかな唇と、彼女の甘い吐息を堪能している最中に、あたし達を見つめる六つの目に気付いて驚愕した。よくよく見ると、アセロラと彼女のポケモンだろうゲンガー、ミミッキュだった。しー、というポーズを取りながらにこにこと笑う彼女達。これはこれで、頭が痛いかもしれないと思いながら、一瞬逸れた意識を目の前の愛しい恋人に向け直した。




ぽぐさわさんにユウケとバンギラスを描いて頂きました。
非常に凜々しくて格好良いです。

【挿絵表示】

https://twitter.com/pgsvv/
https://www.pixiv.net/member.php?id=6782896

The Afterimage - "Cerulean"
https://www.youtube.com/watch?v=2AHFY3X_ZU4
今月末来日です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、紐育の夢に浸る

 イッシュ地方のあらかたを回り終えたあたしが腰を据えたのは、またしても自己基準ではそれなりに高い値段のビジネスホテルだった。どの地方も戦後は治安の悪化が激しいが、元々治安が良くなかった旧アメリカのイッシュ地方は尚更のことで、安宿をこよなく愛するあたしもこの地方ではそれなりの宿にしか泊まれなかった。安宿を選んだばかりに財布やポケモン、ひいては命を失うなんて馬鹿げた真似はしたくなかったからだ。偉いさんや企業、情報屋、その他必要な筋に接触する用事は済んだし、めぼしいポケモンも捕まえるか交換で入手できた。イッシュのジムバッジも集めてチャンピオンにもなった――二日ほどしか維持できなかったが――し、本当ならこんなところはさっさと引き払ってカントーに帰りたいのだが、事情があって二週間ばかり足止めを食らっていた。

 

 シンプルで小綺麗なことに加え、一階に美味いピザ屋が入っているのがこのホテルの気に入っているところだ。イッシュ料理は馬鹿にしきっていたあたしだが、肉とジャンクフードは素晴らしく美味かった。魚に関しては加熱したもの以外なく、高級店はともかく、あたしが普段使うような安い店だとろくなものが食えないのが辛く、ケバケバしい色とギトギトした油に加え溢れかえる砂糖が入った甘味に関してもやや厳しいところだ。イッシュ料理は概ねカロリーがとてつもないのが人によっては難だが、あたしは「骨と皮しかない」と言われたこともあるくらいなのでちょうどいいだろう。今日は一日何も予定がないので、朝から香ばしい匂いのするピザとフライドチキンを出前させてのんびりするのだ。申し訳程度につけられたサラダを食べてからパイプに葉っぱを詰めて、マッチを擦り火をつけ、ゆったりとくゆらせた。あたしにとっては甘ったるい、干し草のような匂いが部屋を満たす。匂いが部屋に染みつくほどはやってないし、禁煙だとは言われなかったので、部屋の空気と自身の肺を汚す事に何の抵抗もなかった。誰だったか、「自分の意思で自分の身体を痛めつけるほど素晴らしい娯楽はない」という言葉にあたしはしみじみ同意していた。人に迷惑をかけないのだから、酒も草も何が悪いのだ。

 

 肺を満たした煙から、血管を伝わって脳がいい感じに酔ってきたのを感じながら、緩やかにパイプを置き、ピザに手を伸ばした。とろりと糸を引いて切れるチーズと、サラミやピーマンの鮮やかな色が食欲をそそる。普通に食べても美味いのだが、食欲増進効果(マンチー)のお陰で更に美味い。とろりとしたチーズの甘味やピーマンのほんのりとした苦味、サラミと香辛料の刺激が舌に実によく響く。コーラも美味い。普段の自分なら二きれも食べればうんざりしそうだが、今日はいくらでも食べられそうだ。ピザ、フライドチキン、コーラ、時々パイプと、静かな幸福感があたしを満たした。

 

 ピザが残り二きれになったところで、ドアがやや乱暴にノックされた。そこそこ回ってきていたあたしは億劫な気持ちと戦いながら声を上げた。モンスターボールか拳銃か一瞬迷うが、使い慣れない銃よりモンスターボールだと判断して手を這わせた。

「どなた?」

「ユウケ、わたし。サラよ。開けてくれる?」

 小さく溜息をついて、あたしは机に備え付けのボタンで鍵を開けた。やや金髪寄りのダークブロンドを左側のサイドテールにまとめ、そばかすをうっすら化粧で目立たないようにした、朴訥さとスクールカーストでいうところのチアが七対三程度でせめぎ合った雰囲気の少女――といっても、あたしより年上の十四歳だが――が入ってきた。地味なダークグレーのスーツを着ていても判るグラマラスな体型だが、あたしは内心、彼女本来のナード気質共々誤魔化しているのでは無いかと疑っていた。イッシュでのビジネスパートナーのサラだ。

 他の地方では珍しいトレーナーのマネージャー業だが、とにかく訴訟を初めとしたトラブルの多いイッシュ地方ではそれなりに見かける存在だった。試合や大会参加の手続きや法的トラブルの対処、トレーナーに必要な契約や申請手続の代行を主な仕事とする。主な収入はトレーナーの賞金のうち一部と企業スポンサーからの広告料、そして賭博有であればトレーナーへの賭け金のリターンだ。ブリーダー資格があれば、トレーナーの孵化させたタマゴの余り(俗に言う不採用個体)の売却益も含まれる。

 彼女が後ろ手に扉を閉めて鍵をかけるなり、けほけほと咳き込み始めた。

「ちょ……!ちょっと、あなた、これ煙草じゃないわね?!」

「昔々、大統領ってのがいた時に、そいつの中でも吸ってた奴がいたらしいじゃないか。大体、これが何の匂いかわかるってことは、経験はあるんだろう?」

「わたしは一度試しただけ!臭いが染みつく!窓開けるわよ!換気扇も!」

 あたしよりほんの少し背が高いだけの彼女は、外では意識してハスキーな声を作ろうとしているのだが、今は地声だ。メゾ・ソプラノの声があたしの耳朶を打った。

「折角いい酔い方をしてるのに、バッドになったらどうしてくれるんだい」

 嫌味を言いながらも、パイプレストにパイプを突っ込んだ。煙たがる人間を前に吹かす気持ちにはならなかったし、このパートナーとは一か月ほど一緒に旅をしたことがあり、口やかましさは重々承知している。長々とした説教からの悪酔い(バッドトリップ)もご免被るからだ。

「それで、オフの予定の無い日に連絡もなしで押しかけてきて、何の用事?ピザかチキン、草のお裾分けが欲しいならあげるけど」

 一瞬、ピザに目線が動いたのをあたしは見て取り、箱ごと手渡した。何か言いたそうに口をもごもごさせた後、素直にピザにかぶり付くのを「まるで餌付けか何かだ」と考えつつ好ましいと思った。この騒がしいパートナーの隠しきれない正直さを、あたしは気に入っていた。

「チキンも食べる?」

 美味そうにピザの残りを食べきってから、彼女は首を横に振った。空箱を受け取って、開けてないコーラの缶を渡した。空箱はそのままゴミ箱に右から左に突っ込み、嬉々としてプルを開けるのを眺めた。ぷしゅ、という心地いい音で彼女は要件を思い出したらしい。

「ありがと。いや、そうじゃなくて。昨日と一昨日の試合の話!」

 あたしは隠すこと無く溜息をついた。

「最初の一戦以外はどう考えても実績的には格下の相手ばっかりだったでしょ!」

 要はトレーナーの勝敗を対象にした賭け試合が主目的の地方大会に出て、そして実績を残すのがあたしの仕事だ。昨日一昨日で六連敗するまでは、悪くない戦績だった。一戦目の相手にあたしのジャローダがリーフストームを外して躓いてからは、普段通り運に見放されたような負けが続き、こうやってお冠のサラが乗り込んできたという訳だ。

「トレーナー経験があるんだから、あたしもポケモンも手を抜いてなかったことはわかるんじゃないの、サラ?」

 ぐ、と言葉に詰まる彼女は勢いよくコーラを飲んでから言葉を継いだ。

「とにかく、次は勝って。何としてもよ。最後の一戦じゃない。それに、次負けたら表彰台は無理よ」

 はっきり言ってあたしにはどうでもいいことだが、マネージャーとしての彼女はそうも言っていられないだろう。ちょっとした借りを返すために頼みを受けてこの大会に出たのだから、もう借りは返したと言えばそれまでだが、今後の彼女のマネージャー業を考えれば、成績を優位に終わらせた方がいいに決まっている。

 もはや鎮静的な程良い酩酊感は吹き飛んでいた。あたしは重い溜息をもう一度吐いて頷いた。

 

 カントーはポケモンバトル最先端地域と見なされている。特にポケモン業界で日本語が事実上の公用語として扱われているのは、旧日本地域が前大戦の被害が一番少ない先進国で、連邦復興の経済面で多大な貢献――日本資本の多大な進出と引き換えにだが――も大きいが、ポケモン研究最先端であることと、ポケモンバトルのルールを最初に確立し、戦術面でもリードし続けているのが何より大きい理由だ。そのカントーのみならず、ジョウトでも元チャンピオンの肩書きを持つあたしの試合は、自他共に認める落ち目という今に至っても注目の的だった。いや、むしろ落ち目だからこそからかもしれない。立場を変えて見れば、カントー流の強さを実績で裏打ちされたトレーナーを、そうでない地元イッシュのトレーナーが破るというのはカタルシスのあるものだろう。アウェーの敵対的な雰囲気で、野次とゴミが投げ込まれるのも致し方なしというところだった。

 

 今日の対戦予定はこの一戦だけ、相手は確かバーニーとかいう、あたしと同い年の若手トレーナーだった。朝刊の下馬評によるとかなり将来を嘱望されているらしい。地元の言葉(英語)であたしを口汚く挑発していた。本来はリーグ規定の違反行為だが、一言二言程度であればどこでも見逃されるのが慣習だった。言葉のわからない田舎者が、という顔をする彼に、あたしも口の端を歪め、小声の英語で返事をした。

『クソカントー人が、くらいわかるよ。ポケモンへの指示より罵倒の方が上手いのかな、ボク?』

 彼の顔がさっと紅潮した。審判が一瞬だけ両者の顔を見て、試合開始を宣言した。

 

 この頃のイッシュの地方大会ではまだポケモンにアイテムを持たせるのは一般的ではなく、アイテム所持と見せ合いなしでの三対三だった。あたしはゴウカザル、相手はギャラドス。あたしのゴウカザルはギャラドスのりゅうのまいにアンコールを入れて、相手の交代際にステルスロックを撒いた。実況の残念そうな声が僅かに苛立たしい。交代で出てきたのはドンファン。がんじょうの効果はまだ失われていない。おにびを覚えていればまだ居座れるのだが、あたしは素直にゴウカザルを手元に戻した。捕まえてから初めて人前に出すボールに触れた手の震えを押さえつけ、あたしはボールを投げて叫んだ。

「行け、スイクン!」

 スイクンから放たれる冷気と雄叫びと共に会場がしんと静まり返った。一瞬の沈黙の後、沈黙前よりも大きなどよめきが会場を支配した。旧日本地方のポケモン協会公式リーグ戦では希に見かけるポケモンではあるが、北米大陸、特に連邦地域内では極めて目撃情報が少ないからだろう、イッシュの公式リーグ戦ではほとんど見ないポケモンらしい。つまり、観客もトレーナーもほぼ初めて見るポケモンということだ。ルール上は違反では無いものの伝説のポケモンを使うことへの罵声や、相手トレーナーを応援する声に混じり、感嘆やスイクンへの美しさへの称賛らしきどよめきが僅かに聞こえてくるのもその証拠だろう。対戦相手を見ると完全に色を失っていた。推測だが、昨日までのあたしのパーティは草や電気に強い構成になっていたから、恐らく三匹の中にスイクンに強いタイプのポケモンが入っていないのだろう。いずれにせよドンファンは一撃で落とせないので、あたしはまず削ることにした。

「スイクン、ねっとう!」

「ドンファン、じしんだ!」

 お互いにさしたるダメージは受けていないのを見て、彼の顔色がややマシになった。あたしは小さく鼻を鳴らして次の指示を出した。

「めいそう」

「じしん!」

 後一度はめいそうをさせられると踏んだあたしは同じ指示を出し、がむしゃらでの痛撃を狙った相手を空振りさせ、ねっとうでドンファンを撃破し、ついで出てきたギャラドスもかなり弱らせてやけどを負わせたところでスイクンは力尽きそうになったので、あたしは「ねむる」を指示した。

くそったれ(damned)!何て丈夫な奴だ!」

 頭に血の上った彼は、眠っている間にスイクンを落とそうとギャラドスにかみくだくを命令していたが、やけどを負った状態ではさしたるダメージにもならない。目が覚めたスイクンのれいとうビームでギャラドスが倒れ、蒼白になった彼は最後の一匹、シャンデラを繰り出した。もちろん、ねっとうの前に一蹴され、結果的にではあるがスイクン一匹で三タテとなった。あたしと対戦相手両方への凄まじいブーイングの中、審判はあたしの勝ちを宣言した。

 

 試合終了後、コートの隅で満面の笑みのサラがあたしに抱きついてきた。

「あなた、最高だわ!どうして今まで使わなかったの?!」

 口やかましいことを除けば、彼女の人柄もルックスも嫌いでは無いが、折角の柔らかな感触を楽しみつつ疑惑の解明を図る気には到底なれず、あたしはぽんぽんと彼女の背中を叩いて引き剥がした。

「絶対トラブルの種になるからだよ。あんた、顔が割れてるんだから、これから帰るまで絶対離れないでよ。今日はホテルに一緒に泊まった方がいいかもしれない」

「パーフェクトな勝ちのせい?競技は競技だから、大丈夫だと思うけど。それに、あたしはヘテロよ」

 冗談めかして笑う彼女に、あたしは真顔で首を横に振った。

「珍しいポケモンを奪いに、身の程知らずの間抜けか、金持ちの手下かが来るよ。きっとね」

 

 銅賞でブーイングを受けながら淡々と地方新聞のインタビューなどのスケジュールをこなし、関係者入口から会場を出たのはもう二十二時になろうという頃だった。不安げな表情のサラの手を取って最寄りの地下鉄駅へ大股で歩き出した。

「ね、ねえ……警察とか、それか、ポケモンに乗って帰るとか……」

「駄目。あたしがイッシュにいる今のうちに掃除しておかないと。サラのポケモンは、そこまで強くないでしょう」

 彼女の泣き言を一蹴し、周囲に気を配りながら歩いた。あたしの腰のボールホルダは生体認証付きのものだから、少なくとも全部のボールを外すまでは殺される心配は無い、はずだ。

 

 工場の塀と車道に挟まれた道を行くことしばし、駅の手前百メートルほどの、壊れたまま放置されている街灯の下でスキンヘッド、モヒカン、逆モヒカンの三人の男に声を掛けられた。中身の無い威嚇混じりのお喋りをあたしが要約すると、「お姉ちゃんとカントー人のガキ、スイクンとついでに他のポケモンも寄こせ」だった。涙目になっているサラの手をぎゅっと握ってから一歩前に出て、あたしは口を開いた。

「で、依頼主は誰?」

「はぁ?おめーのポケモン売っ払うのになんで誰かの指図がいるんだよ?」

 リーダーらしきスキンヘッド――ご丁寧に額に鎌と槌のマークが入っている――が喚き散らしたお陰で、依頼主がおそらくいないということだけはわかった。腰のボールは四つ、三つ、リーダーらしき奴はあたし同様ボールホルダを隠していて判らない。あたしはスキンヘッドを指さして言った。

「少し黙りな」

「あ?!てめッ……」

 言葉の途中でスキンヘッドは崩れ落ちた。あたしの指さしの合図で、影の中に忍ばせておいたゲンガーが相手の背後まで回り込んでから襲いかかり意識を奪ったからだ。何が起こったかわからずに動揺する二人の回復を待たずに、あたしはボールを二つ投げた。

「行け、ゲッコウガ、オムスター!」

 相手の二人も動揺しながらボールを投げた。スカタンクとレアコイルだ。

「ゲッコウガ、たたみがえし!オムスターはからをやぶる!」

「スカタンク、つじぎり」

「レアコイル、ほうでんだ!」

 ゲッコウガが素早く地面から防楯を作り出し、オムスターとゲッコウガ自身を守る。ほうでんでダメージを受けたのはスカタンクだけだ。

「てめー何しやがる!」

「うるせえ!」

 おそらくスイクン対策のためにポケモンを選んだのだろうが、会場併設のポケモンセンターでパーティをまるごと集団戦用に入れ替えてきたあたしには関係ない話だ。揉め始めた連中のチームワークが悪そうなのを見て、あたしは内心ほくそ笑んだ。オムスターにまもるを指示してから、ゲッコウガを交代させ、パラセクトを出した。スカタンクはオムスターのまもるに攻撃を弾かれ、パラセクトはレアコイルのでんき技を悠然と受けたので、あたしは次の指示を出した。

「パラセクト、いかりのこな!オムスターはもう一度からをやぶる!」

 パラセクトが真っ赤な胞子を振りまくと、相手のポケモンは激高してトレーナーの標的指示を無視し、狙いをパラセクトに変えた。もう一撃ずつ、これも辛うじて耐えた。あたしはパラセクトをボールに戻し、ニョロトノを繰り出した。ニョロトノの特性あめふらしで、ぱらぱらと雨が降り始めた。雨の勢いが徐々に増していく中、あたしは攻撃命令を下した。

「オムスター、なみのり」

 雨下で二度からをやぶったオムスターのみず技の火力は、乱暴に計算すると通常の六倍だ。相手のポケモンは一撃でくずおれた。ニョロトノからもう一度パラセクトに交代させ、特性かんそうはだでパラセクトを回復させつついかりのこなを打っているだけで相手のポケモンは完全に壊滅した。逆モヒカンの方は余りの負け方にへたり込んでいた。

「嘘だろ……一匹もやれてねぐえっ」

 へたり込んだ方の意識にゲンガーがとどめを刺し、もう一人もゲンガーが眠らせた。あたしは手袋をして、わからせてやる材料にするため、阿呆共の懐を漁り始めた。それがいけなかった。最初に眠らせたスキンヘッドが目を覚ましたのだ。

「あ、あァッ?!てめー汚い真似しやがって!」

「三対一で囲む方が汚いでしょ。やるかい?」

 あたしは意識を失ったままの逆モヒカンの携帯と財布をとりあえずそいつの身体の上に置いて立ち上がった。

「う、うるせえ!」

 スキンヘッドは目を覚まして、ボールを取り出した、かのように思った。ボールでは無く、拳銃が握られていた。よほど血迷ったのか、銃口はあたしの方では無くサラの方を向いていた。

「オムスター!ゲンガー!」

 あたしから見ると、サラの方が近い。叫んだ直後に反射的にサラを蹴り飛ばした。蹴った右足、ふくらはぎの辺りを熱湯に漬けたかのような感触の後に、馬鹿でかい銃声が響き渡った。直後にオムスターのなみのりがスキンヘッドに直撃し、ボールのように吹き飛ばされたスキンヘッドが塀に叩き付けられて動かなくなった。

 

 右足の感触は激痛に変わり、あたしも立っていられずにへたり込んだ。雨の名残の水たまりを血が赤く色づけていった。起き上がったサラが泣きながらこちらに駆け寄ってきた。この地方では銃声がしたら野次馬はまず寄ってこない。その代わりに警察は早く来る――あくまで一時間かかるのが四十分になるとかそれくらいだが――はずだ。あたしは泣いているサラに結束バンドを押しつけた。

「え?!え?!傷口を縛るの?!」

「違う。襲ってきた阿呆共の両手首と親指をこう、合わせて縛って。早く。怪我の応急処置は自分でするから」

 パラセクトに念入りにきのこのほうしを三人にかけるように指示してから、念には念を入れてゲンガーとオムスターに見晴らせて、あたしは傷口をなるべく見ないようにしながらタオルで縛り上げた。とりあえずの止血が終わった後、サラを見ると、泣きながら男達を拘束していた。まるであたしが脅迫している側のようだな、と苦笑いし、ようやく救急車を呼ぶ必要に気付いた。契約した保険会社から聞いていた番号に電話して救急車を呼び、サラが三人目の男を拘束し終えた辺りであたしの意識は途絶えた。

 

 担ぎ込まれた病院で、激痛で目を覚ました。痛いと喚くあたしに、執刀中というか、縫合中の中年男性医師は面倒臭そうに追加の注射を打った。

「出血量も大したことないし、これが終わったらもう帰ってくださいね」

 迷惑極まりないという雰囲気を全く隠そうともしない医師の言葉に、あたしは呻き声で答えたのだった。

 

 その後、げっそりする金額を払い、心配して残っていたサラが泣きながら抱きついてきたことと、タクシーを捕まえてホテルに戻ったことしか記憶に無い。次にあたしが意識を取り戻した時には、パブストブルーリボン(ビール)の缶が山ほど転がっていた。水みたいなものだし怪我を消毒するために、とか何とか言って飲んだような気がした。おまけに服を着ていなかった。地獄の底から出ているかのような呻き声を上げながら上体を起こすと、シングルの部屋であたししかいないはずなのに、隣に誰かが寝ていて更に小さく罵声が出そうになった。酔った勢いでまた外に出たか、コールガールでも呼んだか。自分が信じられなくなった。そっと掛け布団をめくると、全裸のパートナーが寝ていた。胸のそれは自前か、疑問が解けたな、と下らないことが頭を支配した。彼女の安らかな寝顔を見て久々の二日酔いが益々酷くなった気がして、あたしは頭を抱えた。

 

 当然と言えば当然だが、どことなくぎこちない雰囲気のまま、あたしとサラはフキヨセ国際空港に来ていた。国際空港と言っても、それほど大仰な設備があるわけでは無い。痛む足を引きずりながらカントーへの移動手続きを終え、出国ゲートの前でサラに別れを告げた。

「じゃあね、サラ。元気でね。もしまた危険を感じたら、ジムリーダーを頼って。それか、逃げられそうならあたしに連絡してきて」

 あの三人は留置所に入っているが、おそらく警察は捜査せずに釈放してしまうか、そうでなくても微罪ですぐに出てくるだろう。カントーに戻ると言ったあたしに大して話を聞かなかったのがその証拠だ。それを踏まえて、空港に来るまでの間、しばらく他の地方で働くなりするよう説得したのだが、彼女の考えを変えることはできなかった。

「うん、ユウケも……。ユウケは何もなくても、連絡ちょうだいね」

 彼女のことはともかくとして、イッシュは恐ろしいことが多すぎた。多分だが、もう直接会うことはないだろうと思った。手を差し出したあたしの手首をサラが掴み、軽く引っ張った。怪我で踏ん張りの効かないあたしは彼女の方にたたらを踏んだ。頬に柔らかい感触。

「絶対、連絡してよね」

 何とか笑顔を作ろうとしながら顔をぐしゃぐしゃにして泣く彼女に、あたしは小さく笑って頷いた。

 

 夢の中で痛覚が無いというのは、やはり嘘だった。まだ足がずきずきする気がする。サラとは今も時折メールのやりとりをしているが、来年にビジネスパートナーでもある男性トレーナーと結婚するらしい。イッシュの思い出にもろくなものがないが、彼女と過ごした時間は今思えばそれほど悪くなかった。それにしても、なぜあの夢を見たのか。目を閉じたままぼんやりした頭が覚醒していくにつれ、右足にじわりとした痺れがあることに気付いた。右足にはちょっとした傷跡が残っているだけで、特に後遺症はなかったはずなのだが。あたしは恐る恐る起き上がろうとして、両腕と右足が全く動かないのに気付く。仲良くなっている瞼を開けると、右腕にリーリエが、左腕にアセロラが抱きついていた。アセロラには更に後ろから子供達のうちどちらか――何しろ腕だけしか見えないのだ――が抱きついているのが見え、ネッコアラのようになっている。何とか首の筋肉を酷使して頭を上げて足下を見ると、マヒナが覆い被さって寝ている。暑くないのは、掛け布団がマヒナの更に足下に蹴り飛ばされているからだ。団子のような有様の俯瞰を想像して、小さく笑ってしまう。なるべく誰も起こさないように気をつけながら、首と目だけを動かして掛け時計を見ると、もう起きる予定時刻数分前だったので、あたしはリーリエから順に起こすことにする。手がほぼ動かないのだが、何とか右腕を揺さぶりつつ小声で声を掛ける。

「リーリエ、リーリエ。起きて。朝だよ」

「ん、んん……」

 リーリエは割と起きるのが早いらしく羨ましい。眠たげに瞼を擦る様子が非常に可愛らしい。

「ユウケさん、おはようございます……ふぁ」

「おはよう、リーリエ」

「ユウケさん、朝の。お願いします」

「いや、体が動かせないし、皆いるから」

 それは不味いと慌てるあたしを尻目に、少し上体を起こしたリーリエがそのままあたしの顔に覆い被さる。

「ん……!」

 流石に周りを憚ったのか、ついばむような軽い口づけをした後ににこりと微笑む彼女に心臓が小さく跳ね、顔が真っ赤になるのを自覚する。

「うふふ。さあ、皆さんを起こしましょう」

「う、うん……」

 首だけ動かしてアセロラの方を向くと、アセロラの口元が笑っている。起きているのか寝ているのか判断に迷うところだな。

「アセロラ、起きてる?」

「…………」

 左腕を揺さぶってみる。反応が無い。自由な右腕を使って、アセロラの両腕を引き剥がす。まだ反応が無い。寝息が規則的だし、寝ているのだろうか。しょうがないな。あたしはそうっと上体を起こし、マヒナを起こさないようにそろそろと引き剥がして布団に寝かせ直し、スマフォのタイマーを切った。

「起こさなくても良いのですか?」

「いつもアセロラがご飯の支度してるらしいし、今日の朝ご飯を温め終わるくらいまでは寝かせておこうと思って」

「なるほど、いいアイデアです」

 あたし達はそっと立ち上がり、足音を殺して部屋を出た。

 

 賑やかな朝餉の後、あたし達はアセロラ達の見送りを受けてライドポケモンを呼び出した。

「ユウケ、リーリエ、また来てね」

「ええ。また伺います」

「今度はもっと気の利いた土産を持ってくるよ」

「「お姉ちゃん達、また来てね!」」

 アセロラがにやりと笑みを浮かべてリーリエに耳打ちし、リーリエが真っ赤になってアセロラの肩をぽんぽんと叩く。真っ赤になっているリーリエが本当に可愛いし、アセロラも可愛いので目が喜んでいる。それにしても随分打ち解けたようで何よりだなと思ったところで、リザードンが降りてきた。じゃれているリーリエに声を掛ける。

「リーリエ、リザードンが来てくれたから行こう」

「は、はい!」

「アセロラに何言われたの?」

「内緒です!」

 あたしは小さく笑って頷き、リザードンに跨がってからリーリエに手を伸ばし引っ張り上げた。リザードンがポニ島へ向け飛び上がり、アセロラ達三人もエーテルハウスもみるみる小さくなる。マツリカの試練もあと少しだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

負け犬、ポニ島の試練に挑む

 午後のうららかな陽光の下、あたし達はポニ島、海の民の村に下り立った。乗せてくれたリザードンに礼を言い、リーリエの手を握って、マツリカの家の前まで来た、ところであたし達は硬直する。家の前の桟橋にマツリカが椅子を出して腰掛け絵を描いているまでいいが、その前に客が三人ほどいたからだ。プルメリとスカル団の下っ端が男女一人ずつ。まさかと最悪の想像が頭を過ぎったのだが、様子がおかしい。向かい合うように椅子に座ったプルメリは居心地が酷く悪そうだし、左右に座り込んでいる下っ端もスマフォを眺めているが、気もそぞろという風情だからだ。念のため、リーリエの一歩前に出てから、あたしは遠目に声を掛ける。

「あの、マツリカ?」

「一分」

 首を傾げたあたしに、辟易した表情のプルメリが口を開く。

「後一分で終わるから、そのままで待ってくれってさ」

 動くなと言うマツリカの素振りに渋面を隠しもせずに従うプルメリから、リーリエに目を向けると、やはり困惑した顔をしているので、二人で苦笑いし合う。脅されて無理矢理描かされているという線は完全にないだろう。リーリエの視線を遮らない位置に戻ってからマツリカの目元に視線を移すと、素描というのだろうか、遠目で見ても素晴らしい速度で美しい絵が仕上がっていく。見惚れている間に描き上がったらしい。

「おまたせ」

「あんたね、モデル協力したアタシらには何か無いわけ?」

「ケーキ食べる?」

「……こいつらの分だけ」

「プルちゃんは、ソクノケーキ好きだったよね。うんと甘いの」

「その呼び方は止めな」

 マツリカは答えずにバッグの中をがさごそとやり、個包装されたロールケーキを取り出し、プルメリ達と、あたし達にも手渡す。

「……ありがとうございます」

「ありがとう」

「「あざっス!」」

 あたし達の礼と、プルメリの溜息が小さく空気を揺らす。

 

 早速ケーキを開ける下っ端達を余所に、プルメリはあたし達――いや、あたしとマツリカに交互に視線を寄こす。放っておけばこのままかもしれないと思うとうんざりして、あたしは口を開こうとして、機先を制される。

「グズマの礼を言いたくてね。それでここらに張ってたら、こいつに捕まったんだよ」

「お二人はどういうご関係なのですか?」

 リーリエの問いに、思案顔のプルメリより早くマツリカが茫洋とした表情のまま答える。

「結婚を誓い合った幼馴染み」

「な……まだ覚えてた?!」

 あたし達をそっちのけにして口論――というか、じゃれ合いというか――を苦笑いしながら眺めることしばし。

「あっ、姐さん!そろそろ時間が……」

「婚約者を放っておいてまでする大事な約束?」

「まだ引っ張るのか!しつこいね!あーもうわかったわかった!今度はちゃんと連絡するから!今日の夜!」

「絶対だから」

 どことなく勝ち誇ったような顔のマツリカと、バンジの実でも囓ったような顔のプルメリの対比が面白くて、笑いをかみ殺すのが大変だった。

 

 礼は伝えたからな、とあたし達に言い置いてプルメリ達が去り、マツリカが椅子を家に放り込んでからあたし達に向き直る。

「お待たせ。それじゃ、試練始める?一応、花びらの確認をしてからね」

 あたしは頷いて、バッグから花びら入りケースを取り出す。まじまじと花びらを見たマツリカは、いつもの何を考えているか判らない仏頂面になる。

「うん、上出来。ま、全員回ったのは聞いてたんだけど。それじゃ、始めよう」

 リーリエはマツリカの後ろで待っていてもらうことにする。自分で頼んでおいて何だが、リーリエと繋いでいる手を離すのは何だか寂しい。リーリエはあたしの顔を見て小さく笑って、あたしの手を一度ぎゅっと強く握った後に手を離し、とてとてと走って行く。ずっと眺めていたかったが、マツリカが右手を大きく振り上げたのを視界の隅で捉え、あたしは意識を切り替えボールに手を伸ばす。

 

 マツリカの右手が挙がると同時に、巨大な影が海側からマツリカの背後を通り、彼女の頭上を飛び越えて着地する。ぬしというのはどれもでかいのだな。このアブリボンも何というか、呆然とする大きさだ。

「ぶりぶりぃ~!」

 先手必勝、あたしは一撃でキメることにしていた。

「ガオガエン、頼んだ!」

「ゴオオッ!」

 かなり恥ずかしいが、ぬし相手にとやかく言っている余裕は全く無い。あたしは全身を振り動かし、炎が燃える動作を再現する。

「おー、いきなりホノオZか」

 あたしの体力、気力がZリングを通じガオガエンに流れ込む感触。ガオガエンは大きく吠え、炎を纏いアブリボンに突っ込む。アブリボンが大きく吹き飛び、ガオガエンも反動でノックバックする。かなり効いたとは思うが、やってないな。アブリボンが今のを喰らう直前に、何かを口に運んでいたのが見えていた。多分オッカのみだろう。実でダメージを半減しても、かなり効いた事自体は間違いない。アブリボンはふらふらと宙を舞っている。いや、ちょうのまいだな。ぬしのピンチに呼ばれたらしきハピナスが、今度はあたしの頭上を跳ねるように飛び越えてアブリボンの横に立つ。一撃で食えなかったのは辛いが、やることは変わらない。雑魚は無視だ。

「ガオガエン、アブリボンにフレアドライブ!」

 元気一杯のガオガエンが足元を蹴飛ばし、火を纏いアブリボンに再び襲いかかる。アブリボンは全身を震わせてむしのさざめきを放つ。ガオガエンの纏う炎が削られていくが、止められ切れずに再び突き刺さった。アブリボンは再び吹き飛び、今度こそ目を回してぽとりと落ちた。それを見届けたかのようにガオガエンはがくりと膝を着く。ハピナスのいやしのはどうがアブリボンの上をすり抜け、僅かにガオガエンを癒やす。駄目なら他の子で後片付けを考えたが、ガオガエンはどう思うかだな。

「ガオガエン、行ける?!」

「ぐぉう!」

 行けるならまだやらせてやりたい。倒されてもいいから、満足が行くまで戦うことがこいつは好きらしいからだ。

「DDラリアット!」

 ガオガエンの強烈なラリアットに吹き飛ばされたハピナスは宙を舞う。

「「あっ」」

 マツリカの繰り出したクレッフィが触手を伸ばし、海面に落ちかけたハピナスを助けた。ハピナスも目を回していて、もう戦う気力はなさそうだ。

「いや、あの状態のアブリボンの攻撃をよく押し切ったね。おめでとう、試練達成」

「わぁ!凄いです!ユウケさん、ガオガエンさん!」

「よくやった、ガオガエン。ありがとう、リーリエ、マツリカ」

「ぐぉぅ……」

 あたしのねぎらいの言葉にニヤリと笑みを浮かべたガオガエンは、再びがくりと膝を着いた。あたしはガオガエンの頭を撫でてやってから、ボールに戻す。いつの間にか後ろに出来ていた見物人の人だかり――といっても、十人くらいだが――から拍手が起こり、あたしはたじろぐ。

「でも試練の場所も、ちょっと考えないといけないかな」

「桟橋の上は、危ないかも知れませんね」

 起き上がったぬしのアブリボンにさっきのケーキを上げながら、リーリエと呑気に話すマツリカに、野次馬を何とかしてほしいと頼むのも間に合わず、次々と握手を求める人達にてんてこ舞いさせられたのだった。

 

 人垣――といっても、十人ほどだが――をかき分けてやってきたのは、バンバドロに乗ったハプウだった。バンバドロが大きいので、シルエットだけだと世紀末覇者という感じの彼女は、ひらりとバンバドロから下り、小さく微笑んで口を開く。

「試練には間に合わんかったが、ハピナスが吹っ飛んで行くのが見えたから、勝ったのじゃろう。めでたい」

「ありがとう」

「ユウケの都合がいいなら、ポケモンを回復させ次第、大試練というのはどうじゃ?」

「すぐでも構わないよ。きずぐすりで回復させるから」

「ほう、それはありがたい。なに、島クイーンとして大試練をやるのは初めてじゃからな。顔見知りが相手の方が少しは気が楽というものじゃ」

 破顔するハプウに釣られて小さく笑う。ガオガエンのボールにすごいきずぐすりを入れ、あたしはリーリエとマツリカの方を見る。

「ハプウの初舞台、気になるかも。立場的にどっちも応援はできないけど、スケッチさせてもらおうかな」

「わたしは……ハプウさん、ごめんなさい。ユウケさんの応援をします!」

「何じゃ、孤立無援か?」

 不満げに呟くハプウにあたし達と野次馬が笑い、野次馬の中から「俺達はハプウを応援するからな!島クイーン頑張れ!」と好意的な野次が飛び、ハプウも再び顔を緩ませる。

「では、勝負は桟橋の北側でしよう。ポケモンが海に落ちては敵わんからな」

 さっきの派手に宙を舞ったハピナスが頭を過ぎり、あたしは頷いた。

 

 野次馬の顔ぶれはほぼ据え置き、強いて言うならスケッチブックを広げて座り込んだマツリカが人垣に加わったくらいだ。さっきのマツリカ戦と違って、うみのたみの村の住人は新人の島クイーンであるハプウを応援しており、敵意こそ感じないものの、アローラでは初めてといっていいアウェー感に小さく唾を飲む。唯一あたしを応援してくれているリーリエに小さく手を振ってから、首を左右に軽くストレッチし、腰のボールに手を掛けた。

「よし、では始めるか。ユウケ、手加減せんからな」

「あたしも初舞台だからって、譲ったりする気は無いからね」

 お互い小さく笑い、ボールを投げた。ハプウの腰のボールは四つ。彼女はバンバドロを見るに、おそらくじめんタイプを専門とするトレーナーだ。そうするとあたしの初手は決まってくる。

「トリトドン、行け!」

「頼むよ、ウツボット!」

「ウッツボオー!」

「ぽわぐちょー!」

 ウツボットが大きく葉を広げたのに目に見えて怯みながらも、トリトドンは声を張り上げる。よし、先手はあたしが取った。

「戻れ、トリトドン!フライゴン、任せる!」

 トリトドンの火力では、氷技があっても無理をさせたくないだろうし、あたしでも絶対引く局面だ。あたしはマツリカの時と同じように、全身で炎を再現し、Z技をウツボットと共に発動させる。

「Zひでり!」

「キュオオオーン!」

 ウツボットの頭上の水蒸気や埃が吹き飛び、強烈な日差しがあたし達を灼く。

「フライゴン、だいちのちから!」

「ウツボット、ギガドレイン!」

 指示はほぼ同時だったが、陽光で活性化したウツボットの方が圧倒的に早い。フライゴンが炎技を持っていないのは良い材料だが、フライゴンには草技は等倍だ。相手の地技が等倍なのがこちらも痛い。ウツボットのもう一撃のギガドレインで、フライゴンは沈んだ。「ああー……」というギャラリーの落胆の声にハプウは小さく笑う。

「何の、まだ始まったばかりじゃ」

 後三手分、あたしのウツボットはアドバンテージが取れる。ハプウは小さく考え込む。小さくガッツポーズをしたリーリエにあたしはアイコンタクトする。その間に、ハプウは考えを纏めたらしい。

「よし、バンバドロ、頼む」

「ブルルゥン!」

 ハプウの横に控えていたバンバドロが三歩前に出る。あいつはてっきり切り札で最後に出すと思っていたので、少し意表を突かれてしまった。

「ウツボット、ギガドレイン!」

 ハプウは見慣れない、いや、見慣れた動きだ。初めて見るが、あれはZ技だろう。

「バンバドロ!ライジングランドオーバー!」

「ブオオン!」

 バンバドロに痛打を与えたはずだが、一撃では仕留められなかった。地割れに飲み込まれたウツボットが、地割れから吐き出され力尽きる。

「良くやったよ、ウツボット。戻って」

 盛り上がる観客とは裏腹に、ハプウの表情はそこまで明るくは無かった。バンバドロとZ技という二つの札を切って一匹処理という結果ではそうかもしれない。まだ陽光は強い。あたしはガオガエンを繰り出す。

「ガオガエン、頼む!」

「バンバドロ、戻れ。トリトドン、頼むぞ!」

「ガォオッ!」

「ぽわ〜おぐちょぐちょ!」

 バンバドロが意外なほど機敏な動きで下がり、ボールから出てきたトリトドンと入れ替わる。この対面で普通なら突っ張らないところだが、トリトドンは何としてもここで食っておきたい。トリトドンは個人的に苦手なポケモンだし、今のパーティでは倒す手段があまり無いのだ。

「ガオガエン、DDラリアット!」

「トリトドン、たくわえる、む……いや、たくわえる!」

 一瞬戸惑ったハプウの指示に、トリトドンは困惑すること無く従う。よく鍛えられている。だが、ガオガエンのラリアットはたくわえる前に叩き込まれる。トリトドンはタフなポケモンだから倒れない。

「もう一回、DDラリアット!」

「だいちのちから!」

 流石に二度は無いか。ガオガエンのラリアットはたくわえたトリトドンの防御力向上を無視してダメージを与え、大きくふらつかせるが、反撃で吹き上がった土に吹き飛ばされ、ガオガエンもノックバックする。陽光が元に戻る。

「ガオガエン、もう一発行けるね?」

「グオオッ!」

「耐えて返せ!」

 三度目の正直で、トリトドンは力尽きて崩れ落ち、ボールに戻る。再び落胆するギャラリー。

「何の何の、まだ半分じゃ。行け、ゴルーグ!」

「ゴッ」

 青い影と煉瓦で作られたようなポケモン、ゴルーグが姿を現す。あたしは小さく目を見開く。ゴルーグは育てたことはあるが、使ったことが無いし、使っている人を初めて見た。

「DDラリアット!食って、ガオガエン!」

「ゴルーグ、じならし!」

 ガオガエンが腕を続けざまにゴルーグの首元に叩き込む。ゴルーグは大きく傾ぐ――が、倒れない。ゴルーグは体勢を立て直し、ガオガエンの足元に強烈な蹴りを叩き込む。弱っていたガオガエンは力尽きて、ボールの回収機構がガオガエンを回収した。

「ガオガエン、いいよ。お疲れ様。次、ミミッキュ!」

「ミミッキュ!」

 ハプウの二つ目の星に沸いていたギャラリーが一瞬で静まり返る。ミミッキュが厄介なポケモンであることは、アローラでは常識だからだろう。

「ミミッキュ、シャドークロー!」

「ゴルーグ、シャドークロー!」

 指示は同じだったが、決闘じみた影の早撃ちを制したのはミミッキュだった。ゴルーグの巨躯が全く音を立てずに崩れ落ちる。悲鳴めいた小さな溜息が、ギャラリーの間に広がる。

「バンバドロ、頼む」

「ブルゥ!」

 さっきウツボットが与えたダメージがどれくらいのものか。あたしは確実な勝ちを取ることにした。ハプウの放り投げたきずぐすりが空中で炸裂し、バンバドロの傷がみるみるうちに治る。

「ミミッキュ、のろい!」

「くっ……!」

 ミミッキュの胸におぼろげな灰色の大釘が現れ、自身を貫通する。呪詛がバンバドロに移り、大釘がバンバドロを苛み始める。

「搦め手が好きじゃな、ユウケ」

「ハプウもトリトドンにバンバドロに、耐久型が好きだよね」

「まあな。しかし、最後の一匹にのろいとはな」

 ハプウは小さく溜息をつき、両手を挙げた。

「この勝負、わらわの負けじゃ」

 観客から「ああ」という低い呻き声が上がる。ざわついた沈痛な雰囲気が漂い始めるが、それをかき消すように小さく、だがはっきりと拍手が聞こえた。拍手をしているのはマツリカだ。リーリエがそれに加わり、観客達もそれに加わる。あたしは俯いたハプウに歩み寄った。

「負けるのは悔しいもんじゃな。だが、勝負自体は悪くなかった」

「あたしも楽しかったよ。またやろう」

 あたしとハプウは拍手の中、しっかりと握手した。




虹色わんこさんにユウケを描いて頂きました。諦めないしぶとさと往生際の悪さが目つきの悪さとして表れていて素敵です。

【挿絵表示】

https://twitter.com/iridescent_dog
https://www.pixiv.net/member.php?id=1859565

のへるさんにリーリエとユウケを描いて頂きました。リーリエの笑顔とユウケの無愛想さの対比が素敵です。

【挿絵表示】

https://twitter.com/noheru_3
https://www.pixiv.net/member.php?id=5291049

だすぶらさんにリーリエとユウケを描いて頂きました。リーリエの自然な笑顔とユウケの写真撮られるのが下手なところ、ハートマークが上手く作れていないところが素晴らしいです。

【挿絵表示】

https://twitter.com/DusBla
https://www.pixiv.net/member.php?id=19071706

ホウ酸さんにリーリエとユウケを描いて頂きました。物陰でいちゃいちゃする百合ップル最高ですよね…。

【挿絵表示】

https://twitter.com/housandang

のへるさんにユウケを描いて頂きました。可愛いです。

【挿絵表示】

のへるさんにユウケとポケモン達を描いて頂きました。ハガネールの圧が凄い。

【挿絵表示】

https://twitter.com/noheru_3
https://www.pixiv.net/member.php?id=5291049

穂積窓声さんにリーリエとユウケを描いて頂きました。二人ともすらっと美人に描いて頂きました。

【挿絵表示】

https://ricebirdmon.jimdo.com/
https://twitter.com/ricebirdmon

りとますさんにユウケを描いて頂きました。可愛いです。こんな可愛い顔もありだ…と思いました。滅多にしなさそうですけど。

【挿絵表示】

https://twitter.com/2ritomasu
https://www.pixiv.net/member.php?id=34578969


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。