異聞 ドラゴンクエストⅪ ~遥かなる旅路~ (シュイダー)
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Level:0 約束

 
 『とあるトレジャーハンターの伝言』

 私は、ナナシのトレジャーハンター。私の本名を知る者もいるかもしれないが、これを記す際はこう書くと決めているため、あえてナナシと名乗ろう。
 トレジャーハンターを引退して久しい私が、まさかまたこの(くだり)を書く時が来るとは、私自身も思っていなかった。
 さて、そんなことを書いている私が、なぜ再びこのようなことを記しているかといえば、昔立ち寄ったある里で、ひとつ頼まれていたことがあったからだ。いまからその依頼を果たしに行く。孫を連れてだ。
 まだ幼い孫を連れて旅に出るのが、ほんとうによいことかどうかはわからない。だが、果たさなければならないことがある。それが約束というものだ。
 孫は、強く、やさしい子だ。私にとって、命よりも大切な宝だ。
 必ず無事に旅を終え、このイシの村に帰ろう。
 


 感嘆の声が、すぐ前から聞こえた。ともに馬に乗っている、真ん中分けのサラサラヘアーが印象的な幼い少年の横顔を見る。彼は、なにかに圧倒されるように、眼を見開いていた。

 義理の孫と言える少年、レヴンの視線の先を見る。予想通り彼の視線は、目の前の里を見下ろすように(たたず)む、巨大な女性の彫像に釘付けとなっていた。

 険しきゼーランダ山を登ったところにある、神語りの里と呼ばれる、聖地ラムダ。季節は、もうじき冬になろうとしている。この辺りは地形の関係上、雪が降ることはないようだが、それでも冬になる前にここに着けてよかった、と思う。

「びっくりしたかのう、レヴンよ?」

「うん。すごくおっきいね。でも、なんだろ。やさしい感じがする」

「うむ。そう感じたのは、きっと正しいぞ。なにしろあの像は、遥か昔、邪悪なる神とやらを封印した『勇者ローシュ』の仲間、『賢者セニカ』の像じゃからの」

「そうなんだ」

 レヴンはまた感嘆のため息をつくと、じっと『賢者セニカ』の像を見つめた。

「すまんの、レヴン。ゆっくり見させてあげたいところじゃが、先に用事を済ませておきたいんじゃ」

「あっ、ごめん、おじいちゃん」

「ありがとうな、レヴン。では、行こうか」

 馬を、ゆっくりと進ませた。

 やがて、階段が見えた。階段の横の井戸のそばで会話をしていた女性二人が、こちらに気づいた。ひとりは中年で、もうひとりは若かった。

 まず自分が馬から降り、次にレヴンを降ろした。

 二人で女性たちにむき直り、一礼すると、彼女たちも礼を返した。

「おやおや、旅の方が来るなんて珍しいね。ようこそ、聖地ラムダに」

 中年の女性が言うと、若い方の女性も頷き、口を開いた。

「巡礼の旅でしょうか。そんな小さなお孫さんもご一緒で、さぞやお疲れでしょう。宿は空いていますから、どうぞ旅の疲れを(いや)してください」

「これはどうも御親切に。ですが、巡礼というわけではないのです。ファナード殿はいらっしゃいますかな?」

「長老様ですか?」

「なんと。長老になられておりましたか。いや、あれから何十年も()つのだから、それも当然か」

 女性たちが顔を見合わせ、再びこちらをむいた。

「長老様のお知り合いですか?」

 若い女性の方が言った。なにかを疑うような響きはない。好奇心によるもののようだった。

「昔、この里に来たことがありましてな。その時に頼まれていたことがあったのです」

「そうでしたか。長老様はご自宅にいらっしゃるはずです。ご案内いたしましょうか?」

「いえ、それには及びません。お住まいの場所さえお聞きできれば結構です。大聖堂の横にある建物でよろしかったでしょうか?」

「はい。それに相違ありません」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます」

 礼を言うと、レヴンが続いた。自分だけでなく、女性二人も、微笑ましいものを見るように眼を細めた。

 階段の手前にあった(うまや)に馬を預けると、レヴンの手を握り、再び歩き出した。階段を登る。広場だ。長く滞在したわけではなかったが、記憶とほとんど変わっていない、と思った。

「あっ」

 周りをきょろきょろと見ながら歩いていたレヴンが、声を上げた。立ち止まって、彼に眼をやると、レヴンは進行方向から見て、左の方に視線をむけていた。階段を下りたところに、広場があった。二人の少女が見える。レヴンよりちょっと上ぐらいだろうか。仲良く会話しているようだった。

「レヴン」

「あ、ごめん、おじいちゃん」

「謝らんでいい。むしろ、わしの方が謝らんといかん」

「え?」

 レヴンはまだ、六歳。旅に付き合わせるには早過ぎたのではないか、という自覚はあった。それに、まだまだ遊びたい盛りなのだ。目的地である聖地ラムダには着いた。一年はかかっていないが、それなりの時間はかかった。

 つらい思いをさせてしまった。そんな、自責の念があった。

「おじいちゃん。なんで謝るの?」

「おまえさんを、旅に付き合わせてしまった」

「え?」

 レヴンはキョトンとすると、首を傾げた。

「それで、なんで謝るの?」

「旅は、つらくなかったか?」

「大変だって思ったりはしたけど、つらくなんかなかったよ。おじいちゃんが一緒にいたし、いろんな人に会ったり、いろんなもの見たり、すっごく楽しかった!」

 そう言って、レヴンは満面の笑顔を浮かべた。

 誤魔化しとか、こちらを慰めているような調子ではなかった。六年間、一緒に過ごしてきたのだ。それぐらいはわかる。

「しかし、あの子たちの方を見ておったろう?」

「あ、うん。エマとか、村のみんなは元気にしてるかなあ、とか、また一緒に遊びたいな、とかは思ったけど」

「そうか」

「でも、旅が嫌だったなんてひとっつも思ってないからっ。すっごく楽しかったから!」

「そう、か。ありがとうな、レヴン」

 慌てたように言うレヴンの言葉に笑って返し、頭をなでた。レヴンが、気持ちよさそうに眼を細めた。

「む?」

 視線を感じ、さっき見ていた広場の方を見ると、少女たちがこちらを見ていた。

「おお、気を散らせてしまったか。すまんの」

「ごめんなさい」

 二人で謝り、歩みを再開した。

 大聖堂にむかう階段を昇りきると、右手にある家にむかった。修繕したのだろうか、真新しい建物に見えたが、外観の作りは、記憶にあるものとほぼ同じように思えた。

 扉の前に立ち、(おとな)いを入れた。

 ちょっとだけ待つと、返事のあとに、扉が開いた。

 姿を見せたのは、白髪の混じった髪と髭を蓄えた老人だった。昔、会った男の面影を、感じた。

「ファナード殿、でしょうか?」

「そうですが、どこかでお会いに」

 そこで老人、ファナードがなにかに気づいたように言葉を止めた。眼を見開いている。

「まさか、テオ殿でしょうか?」

「そうです。お久しぶりですな、ファナード殿」

「おお、おお」

 微笑んで言うと、ファナードが感極まったように(からだ)を震わせた。

「何十年ぶりでしょうか。あなたたちに助けられた時のことは、いまでもはっきりと思い出せます。お二人に会えなかったら、私はいま、ここにいなかったことでしょう」

「大袈裟ですよ、ファナード殿」

「そんなことはありません。お二人に助けられなかったらと思うと、いまでも背中が凍えるようです」

 昔、トレジャーハンターとして旅をしていたころ、行き倒れていたファナードを助けたことがあったのだ。その時はテオだけでなく、砂漠の国のとある老医師とともに旅をしていた。当時、ファナードは里の(おさ)ではなく、長の息子という立場だった。

 里の長から、ファナードを助けたお礼として、老医師とそれぞれひとつずつ、里の宝を渡された。

 ひとつは、テオが長年追い求めた『虹色の枝』という物だったが、もっと旅をしていたいという思いから、それは老医師に譲った。テオが貰ったのは、『旅の扉』という各地を移動するための不思議な門を使うことができるようになる、『まほうの石』という物だった。

 いまでこそ落ち着いたが、若いころはその『まほうの石』も使い、世界中を巡ったものだった。

 ファナードが、レヴンに気づいたような仕草を見せた。

「おお、失礼しました。ファナードと申します。テオ殿、こちらはお孫さんですか?」

「はい。義理の、ですが。今日こちらに参ったのは、この子のことで、なのです」

 そこでファナードが、ハッとした表情を浮かべた。テオの眼をじっと見つめてくる。

 頷くと、ファナードが頷き返してきた。

「なるほど。わかりました。お上がりください」

「失礼します」

「しつれいします」

 続けられたレヴンの言葉に、思わず眼を細めた。ファナードも同じだった。

 荷を、部屋の隅に下ろさせて貰い、席につく。茶を出された。礼を言って、ひと口、口に含んだ。喉を通り過ぎる温かな茶に、ほうっとひと息ついた。

「テオ殿は、いまどちらにお住まいなのですか?」

「デルカダール王国の南の山奥にある、イシの村というところです。田舎ですよ。おそらくデルカダール王国の人たちも、こんなところに村があるとは、と思ってしまうぐらいの」

「そうですか。トレジャーハンターは?」

「もう、引退して久しいです。かの老医師も、もうすでに」

「そう、ですか。お互い、年をとったものですね」

「ええ」

 歓談し、どちらともなく言葉を止めた。きょろきょろと家の中を見渡しているレヴンに眼をやる。その視線に気づいたのか、レヴンがこちらを見返し、首を傾げた。

「本題に入りましょう、テオ殿」

「はい。レヴン、左手を出してくれぬか?」

「うん」

 レヴンが頷き、手を差し出した。嵌めてある手袋をはずす。手の甲に、不思議なかたちをした痣があった。

 痣を見たファナードが、ひとつ頷いた。

「これは、確かに」

「ファナード殿が言っていた痣でしょうか?」

「はい。おぼろげな記憶となってしまってはいますが、おそらく間違いないと思います。この子は」

 ファナードが、なにかに気づいたように言葉を止め、扉の方に眼をやった。テオとレヴンも、扉に顔をむける。

「む?」

 扉ではなく、窓に人影があった。さっき広場で見かけた少女たちのようだった。

 ファナードが、ちょっと考えこむ仕草を見せた。少しして、ファナードがテオに顔をむけた。

「テオ殿。彼女たちを入れてもよろしいでしょうか?」

「わしは構いませんが。あの子たちは?」

「村の子供たちです。そしておそらく、その子にも深く関わってくることになるでしょう」

 ファナードがレヴンを見て、言った。

 なにかあるようだ、と理解し、ファナードの言葉に頷いた。

 ファナードが、レヴンにまた手袋を嵌めるように言った。レヴンはちょっとだけ首を傾げたが、言われた通りすぐに手袋を嵌めた。それを確認したファナードが、窓のむこうにいる少女たちにむかって、入ってくるように声をかけた。

 少女たちはちょっと驚いたようだったが、すぐに窓から離れた。

 扉が開いた。二人の少女。二人とも顔立ちがそっくりで、双子だと知れた。

 どちらとも、美しい金色の髪だった。ひとりは三つ編みで、腕にブレスレットを着けており、もうひとりは前髪を上げるようにしてヘアバンドを着け、後ろの髪は真っ直ぐにおろしていた。三つ編みの子は活発そうで、ヘアバンドの子は、どこかのんびりしている雰囲気があった。

「テオ殿。レヴンさ、君」

 ファナードが途中で言い直した。

 レヴン様と言おうとしたのだろうか。そして、思い直した。つまりいまは、レヴンの素性を明かさずにいこうと考えているようだ、と思った。

「ベロニカとセーニャです。さ、挨拶なさい」

 ファナードの言葉のあと、二人がお辞儀をした。

 三つ編みの少女の方から、口を開いた。

「ベロニカです。はじめまして」

「セーニャです。お初にお目にかかります」

「ご丁寧に、どうもありがとう。わしはテオ。この子は、レヴン」

「レヴンです。よろしくおねがいします」

 レヴンの声は、ちょっとだけ緊張しているように思えた。

 三つ編みの少女、ベロニカが朗らかに笑った。

「そう緊張することないわよ。えっと、レヴン?」

「あ、うん。ありがとう。ベロニカ、って呼んでいいのかな?」

「ええ、構わないわよ、レヴン」

「私のことも、セーニャって呼んでください、レヴン様、テオ様」

「様?」

「あ、気にしないで、テオおじいちゃん。この子、誰にでもこうなのよ。丁寧なのはいいけど、堅苦しい気もするわよね」

 そう言って、ベロニカが苦笑した。ちょっと呆れたような言い方ではあったが、それ以上にセーニャに対する(いつく)しみが感じられた。

 ベロニカの言葉に、レヴンが頷いた。

「えっと、じゃあ、よろしく、セーニャ」

「はい。よろしくおねがいします」

 子供たちが笑い合った。

「ところで、ベロニカ、セーニャ、なにか用かな?」

 テオとともに微笑んで子供たちを見ていたファナードが、そう言った。

 子供たちがファナードにむき直った。

「用ってわけでもないんだけど、里の外からあたしたちぐらいの子が来るのってめずらしいな、って思って。それで、よかったら一緒に遊ばないかしらって誘いに来たの」

 ベロニカが言った。

「ふむ。よろしいですかな、テオ殿?」

「ええ、わしは構いません。レヴン、どうじゃ?」

「遊んできていいの、おじいちゃん?」

「おお。あとはわしらだけで済む話じゃからのう。思う存分、遊んでおいで」

「うん!」

「決まりね。じゃ、行きましょ、レヴン」

「うん。いってきます、おじいちゃん」

「怪我しないように気をつけるんじゃぞ」

『はーい』

 三人で一緒に返事をすると、扉を開け、子供たちが駆け出した。レヴンとベロニカに遅れて、セーニャが続くかたちだった。

「いい子たちですな」

「はい。二人とも、ほんとうにやさしく、いい子たちです。姉のベロニカは、おてんばなところはありますが、思いやりのある子で、妹であるセーニャも、多少のんびりとした性格ではありますが、物事の本質を見抜く(さと)い子です」

「それで、先ほど言った、レヴンと深く関わることになる、という言葉は?」

 ファナードが、テオにむき直った。真剣な表情だった。

「『賢者セニカ』のことは、御存じでしょうか?」

「はい。(いにしえ)の勇者ローシュの仲間であり、一説には彼と恋仲だったという賢者ですね」

「ベロニカとセーニャは、そのセニカ様の生まれ変わりと考えております」

「生まれ変わり、ですか?」

「なにを馬鹿な、とお思いかもしれません。いえ、実際にそうであるかどうかは、私にもわかりません。ですが、あの二人には、そう思わせるだけの稀有(けう)な魔法の才能があります」

「確か『賢者』は、『魔法使い』と『僧侶』、異なる二種の魔法を使いこなせると聞いたことがありますが、あの子たちも?」

「いえ、ベロニカは『魔法使い』の、セーニャは『僧侶』の魔法の才に(かたよ)っています。ゆえに我々は、彼女たちを『双賢の姉妹』と呼んでいます。本来、ひとりに宿るはずの『賢者』の才能が、二人に分かたれた。おそらく、これにはなにか意味がある。私はそう思いました」

 ファナードが、さっきその『双賢の姉妹』が出て行った扉を見た。どこか苦いような、切ない表情をしていた。

「先ほどの話の続きですが、これを見ていただけますか、ファナード殿」

 言葉のあとテオは、旅の間、肌身離さず持っていた一枚の手紙を差し出した。

「これは?」

「あの子、レヴンが入っていたゆりかごに、一緒に入れられていた手紙です」

「読ませていただいても?」

「はい」

 ファナードが受け取り、丁寧な手つきで封を解き、手紙を開いた。

「これは」

 一瞬、驚いたように声を洩らすと、ファナードは無言で手紙を読んだ。二、三度ほど読んだようだった。

 ファナードが、顔を上げた。

「この手紙に書かれていることが真実だとすれば、やはりあの子は」

「はい。『勇者』ということになります」

 自分の声が固くなっていることに、テオは気づいた。

 

***

 

 感じたのは、躰をやわらかく受け止めるような感触と、やさしい香りだった。レヴンは、ぼんやりと(まぶた)を開いた。

「――――?」

 女の子が隣で寝ていた。知らない顔。いや違う。ついさっき友だちになった女の子だ。双子の姉妹のひとり。段々と思い出してきた。レヴンより二つほど年上だと聞いたことも、ぼんやりと思い出した。

 顔がそっくりなので、どっちだろうと一瞬思ったが、多分セーニャの方だろうと思った。

 ベロニカとセーニャに誘われ、ほかにもいた里の子供たちも含めて、遊んだのだ。追いかけっこやかくれんぼなど、久しぶりにやった気がした。とても楽しかった。

 そのあと、ベロニカとセーニャの提案で、ラムダの間近にある『静寂の森』というところに行った。中心となる広場には立派な大木があり、二人のお気に入りの場所ということだった。

 そこでも一緒に遊び、ちょっと疲れたので、二人に誘われてお昼寝をすることになった。ベロニカたちのベッドだ。テオとファナードには、ベロニカたちの両親から言っておくので、気にせずにお眠りなさいと言われた。それで、気がつくと寝ていたようだった。

 そこで、紙をめくる音が背中の方から聞こえた気がした。寝返りを打つようにして背後を見る。ベロニカが、椅子に座って机にむかっていた。確かベロニカは、レヴンを真ん中にして、セーニャと挟むように寝ていたはずだった。

「ベロニカ?」

「あ、ごめん、起こしちゃった?」

 ベロニカが、ふりむいて言った。ベッドから身を起こすと、首を横に振った。

 ベッドから立ち上がると、ベロニカに近づいた。

「なに読んでるの?」

「呪文の教科書、要はうまく魔法を使えるようになるための本よ」

「魔法?」

「ええ。メラやギラみたいな攻撃魔法や、ホイミみたいな回復呪文の使い方が()ってるの」

「お勉強?」

「そうね」

「誰かに言われて、やってるの?」

「いいえ。やらなきゃいけないって思ってるから、やってるの」

 ベロニカが、どこか誇らしげに笑った。きれいだ、と自然と頭に浮かんだ。

「どうして?」

「ん、なにがかしら?」

「やらなきゃいけないって」

「ああ、そのこと。あたしは、あたしとセーニャは、いつか冒険の旅に出るわ。使命があるの。そのために、いろいろなことを身に着けておかなきゃいけない。そう思うからよ」

「使命?」

「使命って言うのは、しなきゃいけないこと。そして、悪いけどそれは秘密。あまり気軽に言っちゃいけないって言われてるから」

「そうなんだ」

 言って貰えないのはちょっと寂しかったが、ベロニカの顔は真剣で、うつむくことしかできなかった。

「ねえ、レヴン。魔法のことに興味はある?」

 その言葉に、レヴンはパッと顔を上げた。頷く。

「使ってみたい?」

「うん。使ってみたい」

「使命のことは教えられないけど、魔法のことは教えられるわよ?」

「ほんと?」

「ええ。その代わりといってはなんだけど、お願いがあるの」

「お願い?」

「レヴンはここに来るまで、いろんなところに行ったんでしょ。その旅の話を聞かせて欲しいの」

「えっ、でも」

「駄目?」

「駄目じゃないけど、そういう話なら、おじいちゃんの方がいいと思うよ。すっごく面白い冒険の話を聞かせてくれるんだ」

「そうなの。でもいまは、レヴンの話を聞いてみたいわ」

「僕の?」

「うん」

 ベロニカの言葉に、首を傾げた。

「おじいちゃんの話も聞いてみたいって思ってるけど、先にレヴンの話を聞いてみたいの。駄目かしら?」

 ベロニカが、遠慮がちに言った。ベロニカは、押しは強いが、人に無理()いする子ではない。今日会ったばかりではあるが、それぐらいはなんとなくわかる。駄目とレヴンが言えば、きっと大人しく引き下がるだろう。

 だが、彼女の頼みを断るのは嫌だ、と思った。魔法のことを教えて欲しいという思いもある。

「えと、おじいちゃんみたいにうまく喋れないかもしれないけど、いい?」

 ベロニカが、ぱあっと笑顔になった。きれいだ、とまた頭に浮かんだ。

「じゃあ、先に魔法のことを教えましょうか」

「いいの?」

「先にこっちが誠意を見せないとね」

「せいい?」

「本気ですよとか、嘘つくつもりはありませんよって意味よ」

「そうなんだ。ベロニカって、頭いいんだね」

「ふふ、当然よ」

 ベロニカが笑った。得意げな表情ではあるが、照れているようだった。

 それから、魔法のことを教えて貰った。途中から、眼を醒ましたセーニャも加わり、彼女からは主に回復魔法のことを教えて貰った。レヴンも、旅の間、眼にした事、体験した事を話した。テオに比べれば、冒険譚というのもおこがましいものだったが、二人は眼を輝かせてレヴンの話に聞き入ってくれた。とても、楽しいひと時だった。

 二人を最初に見かけた広場で、実際に魔法の練習をさせて貰えることになった。危ないので、もちろん大人が見ているかたちである。話を聞いたテオとファナードも来て、階段に腰を下ろしていた。

「じゃ、魔法の練習をしましょうか」

 ベロニカが言った。両手を拳にして、レヴンは頷いた。

「う、うん。がんばる」

「あまり気負わなくていいわよ、レヴン。別に、すぐできるようにならなくてもいいんだから。それにね、できなくてもいいの」

「できなくても、いいの?」

「いいのよ。人には向き不向きがあるんだから。例えば、あたしは攻撃魔法が使えるけど、セーニャみたいに回復魔法は使えないわ。逆にセーニャは、あたしみたいに攻撃魔法は使えない。でも、それは別に気にすることじゃないわ。ひとりでできないことなら、助け合えばいいんだから」

「助け合う?」

「ええ、そうよ。それでいいって、あたしは思うわ。もし魔法が使えなくても、使える人に劣ってるわけじゃない。使える人よりもちょっとだけできることが少ないだけよ。きっとね」

 ベロニカが、やさしく笑った。不思議と、胸が軽くなった気がした。

「うん。わかった」

「素直でよろしい。ただ、魔法を覚える前に、これだけは憶えておいてね」

 ベロニカが、真剣な顔つきになった。少し気圧(けお)されるものを感じたが、大事なことを言おうとしているのだと、なんとなく感じた。

「まず、攻撃魔法は、たとえ練習であっても気軽に人や動物、植物にむけて撃っちゃ駄目。必ず、こうした練習のための目標にむかって撃つこと」

 立たせてある案山子(かかし)のような物を見て、ベロニカが言った。レヴンも頷く。

「次に、練習でなくとも、人や動物、植物にむけて撃っちゃ駄目。だけど、自分や、身の回りの人が危険に晒されている時は、ためらわずに使うこと」

「人や動物相手でも?」

「ええ。大切なのは、使うべき時と、使っちゃいけない時を見きわめること。よく憶えておいてね」

「うん」

 難しいことを言っていると思ったが、とても大切なことを言っている、とも感じた。決して忘れてはいけない、とても大事なことだ、と思った。

 ベロニカが満足そうに頷いた。

「大丈夫そうね、レヴンなら」

「え?」

「そんなに真剣な顔で聞いてくれるんだもの。レヴンなら、きっと大丈夫って思ったの」

 笑顔とともに言われ、なんとなく照れくさくなった。うん、と小さく頷いた。

 ベロニカからアドバイスを貰い、何度か試したところで、ふっと、なにかが躰の奥から湧き上がってくるような感覚があった。

 メラ、と口を動かすと、指先に小さな火が(とも)った。

 自分でも驚いたが、ベロニカやセーニャだけでなく、周りの大人たちも驚いていた。

「すごいわね、レヴン。こんなに早くコツを掴めるとか思ってなかったわ」

「そ、そう?」

「はい、すごいですわ、レヴン様。次は、ホイミを試してみませんか?」

「うん」

 今度は、セーニャからアドバイスを受け、回復魔法を使えるか試した。さっきのメラより手間取ったが、何度か試していると、不意になにか温かな感覚を覚えた。

 ホイミ、と唱えると、手にやわらかな光が生まれた。ホイミの光のようだった。

 周りの人たちが、また驚いた。

「びっくりしたわ。魔法使いと僧侶、どっちの魔法も使えるのね」

 ベロニカが言った。なぜか、声が固かった気がした。

「ベロニカ」

「どうしたの、レヴン?」

「なんか、まずかった?」

「え、そんなことないわよ。どうして?」

「なんとなく、だけど」

 ベロニカが、空を見上げた。レヴンもつられて、空を見上げた。きれいな青空だった。

 はあ、とベロニカが息をついた。

 ベロニカに顔をむけると、彼女が頭を下げた。

「ごめんね、レヴン。あたし、さっきあんなこと言っておいて、レヴンのこと羨ましがっちゃったのかも」

「羨ましい?」

「『魔法使い』と『僧侶』、両方の魔法を使えることによ」

 ベロニカを傷つけてしまったのだろうか。そう思うと、なんだか悲しくなった。

「レヴン」

「っ?」

 名前を呼ばれ、ベロニカに抱き締められた。そのまま頭を撫でられる。

「あなたはなにも悪いことなんかしてない。これは、あたしの問題。だから、気にすることないわ」

「でも」

「ありがと。アンタは、やさしい子ね」

 そう言って、ベロニカが躰を離した。

 ベロニカが、にかっと笑った。明るい笑顔だった。

「あたしは『魔法使い』の魔法しか使えないけど、それについては誰にも負けないぐらいの、『大魔法使い』になってみせるわ。もちろん、アンタにもね。だから、アンタにその気があればだけど、しっかり練習なさい。あたしに気を遣うことなんてないわ」

 不思議な眩しさを感じた。負けられない、と思った。

「うん。がんばる!」

「その意気よ。それじゃ、もうちょっと練習しましょうか?」

「うん!」

 そのあと、三人で魔法の練習をした。ベロニカとセーニャの魔法も見た。ベロニカは、レヴンのことをすごいと言ってくれたが、レヴンからすると、二人の魔法の方がすごいと思った。なにがどうとは言えないが、二人の魔法は、レヴンとはなにかが違うような気がしたのだ。

 レヴンよりも長く練習してるからね、と彼女たちは言ったが、多分、レヴンが同じぐらい練習しても、彼女たちのような魔法はできないのではないだろうか、とも思った。そう思いながらも、二人に負けないぐらいの魔法を使えるように、頑張って練習しよう、と思った。

 

***

 

 窓から見える、秋の月を(さかな)に、(さかずき)を交わす。もうじき冬になるこの時期の月は、綺麗に、くっきりと見えた。

 テオもファナードも、それほど酒を(たしな)むわけではないが、旧知の仲との再会の夜である。こんな夜くらいは、()むのも悪くない。テオはそう思った。

 レヴンは、ベロニカとセーニャの家に泊まっている。テオは、里の宿に泊まるつもりだった。

「不思議なものですな、テオ殿」

「なにがですかな?」

「あの子たちのことです。昼間の、あの子たちの様子を見て、この子たちなら、きっと大丈夫だと思えたのです」

「そうですな。わしも、不思議とそう思えました」

 あの子たちを見ていて、不思議と眩しいものを感じた。この子たちなら、『運命』などというものに負けたりしない。そう思えたのだ。

 レヴンは、血の繋がりこそなくとも、テオにとって大事な孫だ。ファナードもまた、ベロニカとセーニャのことをほんとうの孫のように思っている。そんな子たちを、使命などという曖昧なもので、過酷な運命に送り出していいのか。そう思っていた。

 望もうと望むまいと、それはやって来る。ならば、それに立ちむかうための(すべ)と知恵を教え、導くのが、自分たち老人の役割なのだろう。そんなふうに思い直したのだ。

「ファナード殿、お聞きしたいことがあるのですが」

「なんでしょうか?」

「老いた身で長旅をしてしまったもので、躰がくたびれてしまいまして。躰が治るまで、こちらに滞在させていただきたいのですが、宿はとれますかな?」

「心配はありません。この聖地ラムダに来る旅人は、そう多くありませんのでな。一年でも二年でも、好きなだけ居てくださるといい」

「ありがとうございます。ですが、冬が明けるまで、と考えております。わしはその間、あの子たちに冒険の話を語って聞かせましょう。あの子たちなら、そこから旅に必要な心得を感じ取ってくれるはずです」

 ファナードが、こちらを見て頷いた。

「では私は、レヴン様、いえレヴン君にも魔法の話や、古の勇者たちの話を語りましょう」

「はい。それと、体術を少し仕込んでおこうかと思っております」

「体術、ですか?」

「旅に出ると、荒事に巻きこまれるのは少なくありません。魔物だけではなく、人との(いさか)いもあります。そういった事態を身ひとつで凌ぐための技術です。躰の動かし方と言ってもいい。魔法や武器が使えない状況で(つか)う、もしもの備えです」

「なるほど。ベロニカとセーニャにも?」

「望むならば、ですが。もっとも、あの子たちはまだ幼い。無理強いする気はありません」

「わかりました。言っておきましょう。ですが、おそらく、あの子たちは進んで身に着けようとするでしょう。学べるものを学ぶ。それが必要だと理解しています。いえ、理解してしまっている」

 ファナードが、少し逡巡するような仕草を見せた。

「ベロニカとセーニャですが、実はあの夫婦の子ではありません」

「なんですと?」

 ベロニカ、セーニャと一緒にレヴンが昼寝していることを伝えに来てくれた、仲睦まじそうな夫婦を思い出しながら、テオはファナードに顔をむけた。

「あの夫婦は、子宝に恵まれませんでした。それがある時、『静寂の森』の広場にある大木の根もとで、二人の赤ん坊を見つけたのです」

「それが、ベロニカとセーニャですか。『賢者セニカ』の生まれ変わりというのも」

「魔法の才に加え、そんな特殊な出自ゆえに、というのがあります。あの森に、里の人間以外の者がわざわざ来て、子供を捨てていくのは考えづらい」

 なるほど、とテオは頷いた。

「しかし、頼んだ私がこう言うのもなんではありますが、憶えていてくださったのですね、テオ殿」

「正直に申しますと、あの子を拾った時、あの手の痣を見てふと思い出したのです。それまで、とんと忘れておりました」

「無理もありますまい。あれだけ昔のことでしたからな」

 昔、この里から立ち去る時に、ファナードから頼まれていたことがあったのだ。もし、左手に不思議なかたちの痣がある人を見つけたら、連れてきて欲しい、と。

 ファナードには不思議な力があるらしく、眠っている間に、命の大樹から神託を授かるのだという。『夢見』と言うらしい。ファナードがそれで見たのは、左手の甲に痣のある、不思議な雰囲気を持つ若者の姿だったそうだ。

 しかし、その後も旅は続けたものの、そんな痣のある者は、ひとりも見なかった。

 年をとり、旅に出ることもなくなり、イシの村で余生を過ごしていた。ファナードの言葉は、思い出すこともほとんどなくなっていた。

 そんなある日、テオがイシの村の近くにある、『イシの大滝』のあたりで釣りをしていると、赤ん坊が入ったゆりかごが、川上からどんぶらこと流れて来た。その前日まで、すさまじい嵐があったというのに、ゆりかごはイシの大滝まで無事に流れ着いた。川が氾濫(はんらん)し、沈んでもおかしくなかっただろうに、無事だったのだ。

 ゆりかごに入っていた手紙は、その赤ん坊の実の母親からのものだった。そこには、その子の()(じょう)も書かれてあった。

 レヴンという名前。ユグノアの王子。大いなる闇を打ち払う者、勇者。そして、我が子への謝罪の言葉。ユグノアとイシの村は、非常に遠い。なにか不思議な力が、あの子を守ったのかもしれない。そんなふうに思ったものだった。

「ユグノアが魔物に襲われたのは、勇者が悪魔の子で、その悪魔の子が魔物を呼んで襲わせたからだ、と言われています」

「行商人から聞いたことはあります。ふざけた話です」

「はい。レヴンと一緒に暮らしている我々がこうして無事でいる以上、それがどれだけでたらめなものか、よくわかります。ですが、問題はそこではありません。問題は、この話を広めたのが、デルカダールだということです」

「あの手紙には、レヴン君が立派に成長したら、新交国であるデルカダールの王を頼れ、と書かれておりましたが」

「はい。しかし話を聞いてみると、勇者が悪魔の子だと言いはじめたのは、デルカダール王その人だという話なのです。それも、ユグノアより戻った直後からだと」

 ファナードが、ぴくりと眉をひそめた。

「『ユグノアの悲劇』と呼ばれるユグノア王国滅亡の日、各国の王が集っていたという話があり、そこにデルカダール王の娘である王女もいたらしいのです。ですが、それから彼女の行方はようとして知れず。そのために勇者を悪魔の子として憎んでいるという考え方はできますが、彼女の捜索自体には、そこまで力が入っていなかったという話もあります。早々に捜索を緩めたという話すらあります」

「なにか、引っかかりますな」

 ファナードの言葉に頷いた。

 実の娘が行方不明になり、その原因と思えば、その対応も不思議ではないかもしれないが、なぜ早々に捜索の手を緩めたのか。遺体も見つかっていないという話だ。

 王として私情を挟まないということなら、理解できなくもない。だが、それならなぜ、勇者は悪魔の子だ、などという悪評を広めたのだろうか。どこか(いびつ)な気がした。

「デルカダール王は、名君と名高き方だったそうです。それが、ユグノアから戻ってからは、(まつりごと)に対してどこか無関心になったと言う者もいます。スラムがちょっとずつ大きくなっていると。奥方に続けて娘までいなくなったのだから、それも無理はないだろうと言う者もいますが、その場合、それほどまでに愛しているはずの娘の捜索に力を入れていない、ということになる」

「ううむ」

 ファナードが唸った。

 ひねた眼で見れば、いくらでも悪く見えることだと言われれば、確かにその通りだ。だが、それは裏を返せば、それだけ不可解なことだと言えることでもある。

 ファナードの盃に、酒を足した。

「いずれにせよ、外から見ているだけではわからないことです。これらの話も、行商人などから聞いた話に過ぎません」

「真実は、奥深いところにある、ということですか」

「それもおそらく、うかつに手を出せないところにある。そんな感じがします」

 そこで、会話は終わった。

 翌日、しばらくの間、この里に滞在するとレヴンに告げた。

 イシの村のことは気になったようだったが、テオの躰の調子と、冬の旅の厳しさを告げると、素直に頷いてくれた。それとは別に、ベロニカやセーニャともっと一緒に遊べるということは、嬉しいようだった。

 ファナードに言った通り、冒険の話を語って聞かせた。時に、体術の稽古もした。注意を払い、怪我をさせないように気をつけてはいたが、危険なことには変わりない。それでも子供たちは、(おじ)()づくことなく、成長していった。

 ファナードも、魔法や古の勇者の話を語り聞かせていた。テオの冒険譚とはまた違った(おもむき)のあるその話に、子供たちはやはり眼を輝かせていた。

 冬が明けきるちょっと前、寒さが緩んだころ、レヴン、ベロニカ、セーニャを連れて、(ふもと)にある美しき雪の(みやこ)、『クレイモラン王国』に行った。危険かもしれないとは思ったが、ベロニカとセーニャに、旅というものを肌で感じて欲しかったのだ。ファナードも、ベロニカとセーニャの両親も、苦しそうに顔をゆがめながらも、それに賛成した。

 ベロニカもセーニャも、大変そうではあったが楽しそうだった。レヴンもそうだった。野営の時、寒さに三人は身を寄せ合った。時に、テオは三人を抱き寄せた。そんな時も、冒険の話を語って聞かせた。

 つらいか、苦しいか、と(ざん)()するような気持ちで訊いたこともあった。つらい思いをさせてすまないと、心の中で謝罪した。しかし三人は、平気だ、と言ってきた。

 みんながいるから、つらくも苦しくもないと、楽しいと、三人は笑顔だった。胸の奥から熱いものがこみあげてきて、目頭が熱くなった。

 魔物は、避けて進んだ。魔物と闘うのが目的の旅ではないのだ。闘わなくていいのなら、闘う必要もない。無駄に消耗することもない。時には聖水も使い、魔物を寄せ付けないようにした。

 クレイモランには無事に着いたが、そこでちょっとしたトラブルがあった。街中で、眼を離した拍子に、セーニャがはぐれたのだ。

 焦りながらも、慌ててはならないと、自分に言い聞かせるようにして、レヴンとベロニカを(さと)した。心配なればこそ、冷静に判断し、動かなくてはならない。宿屋でセーニャのことを訊き、もしこちらに来たら、知らせて欲しいと伝え、街に出た。

 セーニャは、すぐに見つかった。教会にいたのだ。ただ、気になることに、いつも身に着けていたヘアバンドがなくなっていた。

 もともとベロニカが身に着けていたヘアバンドだったらしく、ブレスレットは逆にセーニャが着けていたという。二人で交換したという話だ。

 とても大事な物だと聞いているが、セーニャは詳しくはなにも言わなかった。ただ、渡したい人がいたのだとだけ言った。

 深く追求はせず、数日クレイモランの宿に滞在し、ラムダに戻った。

 冬が明け、聖地ラムダを去る時が来た。

 

 

 木の根もとに座りこみ、じっと地面を見続ける。そこに、なにがあるというわけでもない。ただ、見続けていた。ベロニカたちと一緒によく遊んだ、静寂の森にある大木の下で、ただじっとしていた。

「レヴン」

 声をかけられ、顔を上げた。ベロニカだった。息を切らし、心配そうな顔をしていた。

 そのことに罪悪感を覚えながらも、再びレヴンはうつむいた。

「テオおじいちゃんが捜してたわよ。村に帰るって」

「帰りたくない」

 言葉が、口を()いて出ていた。

「帰りたくないって」

「もっとここにいたい。ベロニカたちと一緒にいたい」

 言っては駄目だと、頭でわかっていながら、口は勝手に動いていた。

 こんなことを言ったら、怒られてしまう。そう頭に浮かびながらも、レヴンは立てた膝の間に頭を埋めた。

 ふう、とベロニカが息をついた。近づいてくる気配があった。怒られる。

 ベロニカの手が、レヴンの頭に触れた。ビクッと躰が震えた。

 ぎゅっと、ベロニカがレヴンの頭を抱き締めた。

「ベロニカ?」

「うん。あたしも、レヴンともっと一緒にいたいわ。でもね、レヴンとおじいちゃんを待っている人だっているんでしょ?」

 その言葉に、なにも言えなかった。わかっている。それでも、ベロニカと一緒にいたいという思いは、不思議とどうしようもなく強かった。

 ベロニカが、躰を離した。顔を上げる。ベロニカが、レヴンの眼をじっと見つめてきた。

 クスッ、とベロニカが笑った。

「じゃあ、こういうのはどう?」

「え?」

「前に話したでしょ。あたしとセーニャは、いつか旅に出るって」

「うん」

「それでね、アンタも旅に出るの」

「僕も?」

「ええ。それで、いつか旅先で出逢ったら、一緒に旅をしましょ」

「出逢ったら?」

「そう。どこで落ち合うとかは決めずに、それぞれ別々に旅に出るの。それで、どこかで出逢えたら、それから一緒に旅をするの。そんなふうにまた出逢えたら、なんだか素敵だと思わない?」

 これこそ運命の再会ってやつよ、とベロニカが微笑んだ。

「まあ、アンタに旅に出る気があるならって話だけどね」

「出る!」

「ほんとに?」

「うん!」

「こんなところで(うずくま)って泣いていて?」

「泣いてないよ!」

「でも泣きそうだったじゃない」

「そんなこと」

 レヴンの言葉を遮るように、ベロニカが急にレヴンを抱き締めた。泣いてない、ともう一度言おうとしたところで、ベロニカの躰が震えていることに気づいた。不意に、肩になにかが当たった気がした。冷たいような、熱いような、不思議な水滴が当たった気がした。

 ベロニカの涙だ、と頭に浮かんだ。ベロニカも別れたくないのだ、と感じた。涙を見せないのは、レヴンが別れづらくなると思っているからではないかと、ふっと思った。

 ベロニカに気を遣わせてしまっていた。それが、ひどく情けないことのように思えた。

 男が、女の子を泣かせてはいけない。そう、強く思った。ベロニカを抱き返す。レヴンも視界が(にじ)み、涙が出そうになったが、頑張って(こら)えた。

「ベロニカ。約束する。僕も、いつか旅に出る。ベロニカもセーニャも守れるくらい強くなって、旅をする」

 レヴンを抱き締めた腕の力が、ちょっとだけ強くなった。レヴンも、ちょっとだけ腕に力をこめた。

「だから、いつかまた逢ったら、それからずっと一緒に、旅をしよう?」

「うん。約束よ」

 ベロニカの声は震えていた。なにも言わず、ただ抱き締め合った。

 躰の震えが収まったあと、ベロニカが身を離した。もう泣いてはいなかったが、涙の(あと)があった。

 ベロニカが、三つ編みを解いた。二房ともだ。金色の髪が(なび)く。いつもとは少し違うベロニカの雰囲気に、頭がぼーっとなった。綺麗だ、と自然と思った。

 髪を結ぶのに使っていたリボンを、ベロニカが差し出した。

「よければだけど、貰ってくれないかしら。役に立つものじゃないけど」

 頷き、ふるふると首を横に振ると、受け取った。役に立つ、立たないではない。ベロニカの気持ちが、嬉しかった。

「ありがとう。大事にするね」

「邪魔だったら、捨てちゃってもいいから」

「そんなことしないよ。でも、二本ともいいの?」

「ええ。あたしとセーニャ、二人分ってことでね」

「うん。わかった」

 二人で笑い合った。二人で立ち上がったところで、遠くから声が聞こえてきた。

「お姉様ーっ、レヴン様ーっ!」

 セーニャが、こっちにむかって駆けてきた。

 二人でキョトンとしていると、セーニャがレヴンとベロニカに抱き着いてきた。そのまま押し倒される。

「レヴン様っ、私たちのこと、忘れないでくださいねっ。それで、またどこかで逢って、一緒に遊んで、お菓子を食べて、それから、それから」

「ああ、もうっ。落ち着きなさい、セーニャ!」

「だって、だって!」

 セーニャの顔にも、涙の痕があった。ふうっと息をついたベロニカが微笑み、セーニャの頭をなでた。

 セーニャが顔をくしゃくしゃにゆがめて泣き出した。レヴンは微笑むと、ベロニカと一緒にセーニャの頭をなでた。

 

***

 

 木と、むかい合った。辺りはもう暗くなっている。

 イシの村の、井戸の横にあるこの立派な木には、緑色の、木の根っこのようなものが巻きついていて、不思議な力を感じさせた。

「じいちゃん。ついに明日だよ」

 木に語りかける。祖父の墓は別にあり、ここに眠っているわけではない。それでも、この木に語りかけたかった。

 祖父は、数年前に他界した。穏やかな最期だった。おまえのじいじで幸せだったと、やさしく言ってくれた。

 祖父が亡くなった日の夜、感情のままに、この木を殴り続けた。木は、ただそこに佇んでいた。悲しみや嘆き、言葉にできない思いも、木はすべてを受け止めてくれた気がした。

 それから、生前の祖父と話していた時のように、この木に語りかけるようになった。時折、祖父の笑い声が聞こえたような感覚を覚えることもあった。

 明日は、イシの村に伝わる『成人の儀式』の日。明日、ついに十六歳になる。

 成人の儀式を終えたら、旅に出る。そう決めていた。祖父とも話したことだった。

 旅に出るために、鍛練を積み続けた。

 幼き日、少女たちと誓った魔法もそうだし、剣などの武器の遣い方も修めた。時々、村の近くに出てくる魔物を討伐することもあった。それなりの腕にはなったと思っている。

 あの里を出る時に彼女から貰った、二本のリボンを取り出した。

 もう、彼女たちは旅の空の下だろうか。そう思いながら、遠く、彼方(かなた)にある、空に浮かぶ命の大樹がある方向に顔をむけた。

 焦りはしない。きっと、いつか出逢える。不思議とそう思えた。

「テオじいちゃん。見守って、いや、見ていて欲しい。僕の、僕たちの冒険を」

 そう語りかけると、レヴンは(きびす)を返した。

 こんなに興奮して眠れるかな、と苦笑しながら、レヴンは(いえ)()についた。

 




 
主ベロの長編とか読んでみたい。ない。書く。
主人公名の『レヴン』は、『イレブン』→『イレヴン』or『レブン』→『レヴン』というもじりです。『レヴァン』というのも考えたけど、どこぞのニュータイプのお坊さんが思い浮かぶのでやめ。

本作での年齢は、双子がレヴンの二つ上、カミュが三、四ほど上と考えています。

『遥かなる旅路』とか書いてますが、ドラクエⅡは特別関係ありません。



タグ追加と補足。
『タグが定まらないのは不安』という旨の指摘を受け、考えてみれば確かにそう思われてもおかしくないことだったと思い至りました。
今後の展開でほぼ確定しているタグです。

R-15:イチャつきます。
残酷な描写:戦闘関連です。グロ系は私が苦手なのでグロすぎるのをやる気はありません。
カップル系のタグ:一対一の純愛のみです。はずずことはありません。お相手以外とちょっといい雰囲気になることはあっても、ハーレムの類(相手が二人以上)になることは絶対にありません。もしもやったら竹刀に背中から飛びこんで自害する所存です。
 


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Level:1 儀式

 大木の枝の上に立ち、スカーフを掴んだまま、遠くの空に浮かぶ『命の大樹』に眼をやった。

 空は晴れており、遥か遠くにあるにも関わらず、命の大樹はよく見えた。

「レヴン」

 聞こえてきた声に、レヴンは下を見た。幼馴染みである金髪の少女とその愛犬が、こちらを見上げていた。

 うん、とひとつ頷き、飛び降りる。それなりの高さではあるが、レヴンにとってはなにほどのこともない。危なげなく着地した。

 幼馴染みに近づき、木の枝に引っかかっていた彼女のスカーフを差し出した。

「はい、エマ」

「ありがとう、レヴン」

 言って、幼馴染みのエマがスカーフを受け取った。そのまま自分の頭に巻く。

「ドジだね、私。大切な儀式の前に、スカーフを風に飛ばされちゃうなんて」

「そうだね」

「ってそこは、そんなことないよ、とか言うものじゃない?」

「そうは言うけど、実際になにかと飛ばされてる気がするし」

 うっ、とエマが押し黙った。

 幼いころからエマのスカーフは、ふとした拍子に飛ばされてはレヴンがそれを取りに行く、ということが多かった。それを彼女も思い出したのだろう。

「ま、まあ、それはともかくとして、いよいよこの日が来たのね」

「うん」

 二人で、近くにそびえる大きな岩を見上げた。岩というより、山かと思えるほどに巨大な岩だった。

 『神の岩』。そう呼ばれている場所だった。

「あんな大きな岩、私に登れるのかな」

「大丈夫だよ。いままで何人もの人が登ってるんだし、ちゃんと道はあるんだから」

「いや、そうじゃなくてそこは、僕がいるから大丈夫だよ、とか言うところじゃないかしら」

「僕がいるから大丈夫だよ」

「うん、ありがとう。なんだか軽く腹が立ったわ」

「どういたしまして」

「皮肉だからね?」

 はあ、とエマがため息をつき、レヴンは首を傾げた。

「あっ、ルキ」

 わんわん、と数度鳴き、エマの愛犬、ルキが走り出した。

「ふふっ、ルキが私たちを案内してくれるって」

「うん。行こうか」

「ええ」

 ルキを追い、二人で歩き出した。

 村人たちと挨拶していく。橋の手前に、恰幅のいい女性、レヴンの育ての母であるペルラと、白髭を蓄えた老人、エマの祖父であるダンがいた。

 二人の前で足を止め、挨拶した。ダンが口を開く。

「レヴン、エマ。二人が無事にこの日を迎えることができて、村長としてこれほど嬉しいことはない。十六歳になった者は、神の岩の頂上で祈りを捧げ、そこでなにが見えたか、わしらに知らせる。それが、このイシの村に伝わる成人の儀式じゃ。無事に儀式を果たせるよう、頑張るのじゃぞ」

「はい」

「うん。わかったわ、おじいちゃん」

「レヴン」

 今度は、ペルラが口を開いた。

「母さん」

「自慢の息子がこんなに大きく育って、お母さん、ほんとうに嬉しいよ。いいかい。エマちゃんのこと、しっかり守ってあげるんだよ?」

「うん。もちろんさ」

「ふふ、余計なお世話だったかもね。さあ、行ってきな。夕飯を作って待ってるからね。頑張ってくるんだよ」

 エマと二人で頷き、橋を渡った。

 そう遠くないところに洞窟が見えた。あそこに入り、洞窟を抜けた先が、神の岩だ。

 左手の方を見ると、ちょっと小高いところに石碑があった。

 レヴンは、また神の岩を見上げた。下に来ると、神の岩はますます大きな物に見えた。

「我らイシの民。大地の精霊とともにあり、か」

 エマの声が聞こえた。そちらに顔をむける。彼女は、石碑に眼をやっていた。

「おじいちゃんから聞いたことがあるんだけど、あの神の岩には、大地の精霊様が宿ってるんだって」

「大地の精霊、か。ほんとうに宿ってそうな岩だよね」

「うん。それにしても、十六歳になったら、神の岩に登って大地の精霊様に祈りを捧げなさい、ってずっと言われてきたけど、こんなしきたり、誰が考えたのかしらね。一人前になる前に、崖から落ちて怪我でもしたらどうするのかしら」

「確かにね」

 答え、再び見上げた。落ちたら、怪我じゃ済まないだろうなあ、と思った。

「でも、レヴンと生まれた日が一緒でよかったわ。ひとりだったら、絶対めげてたもん」

「大丈夫だよ、エマ」

 ぽん、とエマの肩に手を置いた。笑いかけると、エマがかすかに頬を赤らめ、微笑んだ。

 レヴン、とエマがどこかうっとりした様子で言った。

 うん、と力強く頷く。

「エマは強い子だから、きっとひとりでも儀式を終えられたと思うよ」

「違う。そうじゃない」

 エマが半眼になり、(うめ)くようにして言った。なんだか地の底から響いてくるような声だった気がした。なぜそんな反応をするのかわからず、レヴンは首を傾げた。

 エマが頭を抱え、ぼそぼそとなにかを呟いた。え、なにこれ、普段おてんばな女の子が見せる弱気な一面に、気になるあの人もメロメロって話じゃなかったの、などと聞こえた気がした。再び首を傾げた。

「ああ、もうっ。とにかく行きましょ、レヴンッ」

「あ、うん」

 エマが、ズンズンとでも音が聞こえそうな様子で歩いていく。

 不安そうなので励ましたつもりだったのだが、なにか気に障るようなことを言ってしまったのだろうか、と思いながらも、再び歩き出した。

 洞窟に繋がる道は、せいぜい人がひとり通れるぐらいの幅だった。

 まず、自分から行くべきだろう。レヴンがそう考えたところで、洞窟からなにかが飛び出してきた。

 大きな眼と口が張り付いているようにも見える、人の腰ぐらいの大きさの、四肢のない青色の物体。躰はプルプルと震えており、やわらかそうでいて、弾力がありそうだった。

 スライム。そう呼ばれる魔物だった。三匹いる。

「っ、ま、魔物!?」

 エマが、驚いたように言った。下がって、と言いながら、レヴンは前に出た。護身用として念のため持ってきていた『イシのつるぎ』を抜き、構えた。

 スライムが、飛びかかろうという気配を発した。

「メラ」

 飛びかかってくる前に呪文を唱え、火球を放った。一匹のスライムに当たる。派手な音とスライムの断末魔の悲鳴が、あたりに響いた。

 機先を制されたことでか、残った二匹のスライムが、動揺した空気になった。隙を逃さず接近し、斬りつける。スライムはまったく反応できず、そのまま切り裂かれた。残る一匹にもメラを放つ。直撃し、ゼリー状の物体が飛び散った。戦闘は、それで終わった。

 スライムぐらいなら物の数ではない。見逃そうかと思わなくもなかったが、連中は洞窟の中から出てきた。見逃して、待ち伏せされるかたちになると、レヴンひとりならともかく、エマたちの安全が懸念された。

 自分と、身の回りの人が危険に晒される場合は、ためらわずに魔法を使う。魔法だけではない。闘わなければならないのなら、闘うべきだ。そう思い定めている。

「びっくりしたわ。レヴンが強いっていうのは聞いてたけど、あんなにあっさり魔物を倒しちゃうなんて」

「いま闘ったスライムって魔物は、魔物の中でも最下級の強さだからね」

 旅に出たら、もっと強大な魔物と出くわすこともあるだろう。言い方は悪いが、スライム程度に手こずってはいられないのだ。あの()を、あの娘たちを守れるぐらい、強くならなくてはならないのだから。

 ギラという、熱線を放つ呪文で一掃するのも考えたが、様子見も兼ねて一体一体を潰す戦法を()った。神の岩の神聖な空気のためか、村の外で闘うスライムよりも弱かった気がした。しかしそれを言うなら、この神の岩には魔物が出ることすらなかったはずだ。

「とにかく、行こう。僕が先に行くけど、エマも充分に気をつけて」

「う、うん。わかったわ」

 エマの声は、緊張の色が強かった。緊張をほぐすのも狙って笑いかけると、エマは頬を赤らめながらも笑顔を返してきた。

 

 小雨を腕で防ぎながら、エマと二人で崖を見上げた。立札によると、この崖を登ったところが、神の岩の頂上らしい。(はし)()などはなく、自力で頑張って登れということのようだった。

 エマが、来た道をふり返った。

「マノロは、無事に村に帰れたかしら」

 心配そうにエマが言った。

 最初に遭遇したスライムや、二足歩行の小さな怪人、モコッキーなどの魔物を(たお)しながら洞窟を進み、(ひら)けた場所に出たところで、村の子供である幼い少年、マノロがいた。いただけならまだよかったが、魔物に襲われていたのだ。

 色のついた霧とでも言うべき姿をした、スモークという魔物だった。物理的な攻撃は、まったく効果がないわけではないが()(にく)い。しかし呪文に対してはそれほどの耐性を持たないため、エマたちに身を隠すように指示したあと、マノロをすぐに抱き上げ、呪文を放った。

 爆発を巻き起こす呪文、イオによって、スモークたちはなすすべなく消滅した。そのあと、なぜこんなところにいたのかとマノロに訊いたところ、先回りしてエマを驚かせたかったのだという答えが返ってきた。

 勝手にここに来たのは問題だが、魔物に襲われることなど、マノロも考えていなかっただろう。ここに魔物が出たことなど、いままで一度もなかったはずなのだから。

 ルキをつけ、マノロを先に返した。道中の魔物は一掃しているし、ルキがいれば安心するだろう。

「ルキがいれば大丈夫だよ。魔物も一掃しておいたし」

「そう、ね。うん。私たちは、私たちのやるべきことをしなくちゃね」

「うん」

 二人で頷き合い、崖を再び見上げた。

 崖は、それなりの高さである。先にレヴンが登って安全を確かめるか、エマを先に登らせるか思案する。エマを先に登らせるのは、エマが崖から落ちた時のことを考えてのものだ。レヴンが下にいれば、彼女を受け止められるだろう。

 ちょっとだけ考え、よし、と頷いた。

「とりあえず一度、僕が先に登って、安全かどうか確かめてくるよ。そのあと下に降りるから、エマから先に登って欲しい」

「えっ、なんでわざわざそんなこと?」

「エマが落ちた時のことを考えてだよ。僕が下にいれば、受け止められるから。万が一のことは想定しておかないと」

「あ、なるほど。――――っ!」

 エマが、ハッとなにかに気づいたような仕草を見せた。

「エマ?」

「なんでもないわ。さっ、レヴン、無事に儀式を終えるためにも、早く焦らず気をつけて確かめてきて!」

「あ、うん」

 いきなり元気になったエマに(いぶか)しみながら、レヴンはひとつひとつ、崖を確かめるようにして慎重に登った。崖は、かなりしっかりしていて、崩れ落ちる心配はなさそうだった。

 崖の上に着いた。油断なく登りきると、頭だけを出して、周囲の様子を(うかが)った。魔物の気配はない。

 崖の上に躰を引き上げ、もう一度気配を探った。

 どうやら、ここには魔物はいないようだった。

 速やかに崖を降り、エマのもとに戻った。

「エマ」

「レヴン、おかえり。どうだった?」

「大丈夫そうだね。魔物の気配はなかったよ」

「わかったわ。それじゃ、登ってみるわね」

「うん。崖の作りはしっかりしてるから、崩れることはないはずだけど、雨も降ってるから充分に気をつけて」

「ええ」

 エマが、崖を掴んだ。イシの村は田舎であり、女性もそれなりに力仕事をする。また、この儀式があるためなのだろう、大人たちから時々、崖登りの練習などもさせられていたため、エマもこれぐらいの崖なら登れるのだ。

 エマが崖をよじ登っていく。動きはしっかりしていて、あれなら大丈夫だろうと思った。

 念のため周囲に注意を配りながら、時々、上を見る。

 それにしても、なぜエマは、わざわざスカートで来たのだろうか。もっと動きやすい恰好で来た方がよかったと思うのだが。そんなことを思った。

 そこでふと、昔、あの娘が言っていたことを思い出した。

 女の子っていうのはね、いつだってオシャレってものに気を遣うものなのよ。身の安全に頓着せず、オシャレだけを気にするようじゃ駄目だけど、オシャレにまったく関心を持たなくなったら、そこで女の子としての(きょう)()は失われるわ。そして、そんな女の子のオシャレにさり()なく気づき、褒めてあげるのが、イイ男の条件よ、と得意気に言っていた気がする。本人もよくわかっていない感じがあった気もしたが、そういうものなのか、と思った憶えがあった。

 時々、チラッ、チラッとエマが下を見ている気がした。あまり下を気にし過ぎると危険だ。一応注意しておくべきだろう。

「エマ、あまり下は見ない方がいいっ。危険だ!」

「う、うんっ!」

 エマの声には驚きがあったが、同時になにやら喜色のようなものがあったように感じた。

 少しして、エマが崖を登りきった。途中、何度か動きを止めた時もあったようだが、無事に登りきれたようだった。

「レヴーン、いいわよー!」

「わかったっ。すぐに行く!」

 上から聞こえてきたエマの声に答え、レヴンも再び登った。大した時間をかけずに、レヴンも登りきった。

「怪我とかはないかい、エマ?」

「うん。平気よ。その、それでね、レヴン」

「ん?」

 エマが、もじもじとしはじめた。なんだろうか、と首を傾げた。

「その、スカートの中、見た、よね」

「いや?」

「えっ?」

「えっ?」

 呆けたように、エマがレヴンの顔を見た。首を傾げたあと、もう一度言う。

「いや、見てないけど」

「え、だって、私が下を見てることに気づいたよね。下からずっと私のこと見てたからじゃないの?」

「スカートの中ははっきり見ないように、視界の端で見るようにしてたから。それでもエマの動きはなんとなくわかったし、視線も感じたから」

「なん、です、って」

 レヴンの顔を見て、愕然とエマが言った。嘘をついてるんじゃないかと疑われているのかもしれない。

「信じて貰えなくてもしょうがないけど、女の子のスカートの中を覗くような真似はしないよ」

 そんなことをしたら、あの娘に怒られてしまうだろうし。口には出さなかったが、そんなふうに思う。

「そ、そう。ざ、残念ね」

「残念って」

「あ、い、いまのは間違いよっ。レヴンが言うなら信じるわ!」

「うん。ありがとう」

「ど、どういたしまして」

 エマが頭を抱え、なにか呟いた。チラ見せ誘惑大作戦が、と聞こえた気がしたが、どういう意味なのだろうか。

 気にはなったが、儀式を終わらせなければならない。道の先を見据える。

「行こう、エマ」

「う、うん、そうね」

 はあ、とエマがため息をついた。

 

 

 いつか、旅に出る。

 十年近く前、テオとともに旅から帰ってきたレヴンが言った言葉だ。その言葉だけは、エマははっきりと憶えている。

 なにを言っているんだ、と当時は思った気がする。その言葉が、冗談やその場の思いつきではないとわかったのは、いつのことだったか。いや、すぐだったかもしれない。

 旅から帰ってきたレヴンは、どこか違って見えた。期間で言えば、一年以上離れていたのだから、それも当然と言えば当然ではあるが、見た目だけではなく、なにかが違った気がした。別人のようにすら見えたかもしれない。

 一番違って見えたのは、眼の輝きだった気がした。見ただけでハッとするような強い光が、(とも)っていた気がしたのだ。

 変わったと感じたのは間違いではないとでもいうように、エマたちと遊ぶことが減った。誘えば快く応じるが、時間なり、みんなの体力なり、なにかしらの理由で解散となると、空いた時間で鍛練を行うようになっていた。遊びに誘わなければ、その時間も鍛練だ。魔法や剣など、エマにはよくわからなかったが、静かに、しかし熱心に行なっていた。

 時折、遠くを見据えるような瞳になることもあった。どこか遠くを見ては、二本のリボンを手に取り、穏やかな表情を浮かべる時もあった。

 そのリボンはどうしたのかと訊いたことがあった。旅先で仲良くなったベロニカという女の子に貰った、という答えが返ってきた。そのリボンだけは、誰にも触らせてくれなかった。エマが頼んでもだ。それだけ大事な物だというのはわかったが、寂しい気持ちにはなった。

 ベロニカ、セーニャという名前を、たまに口にすることがあった。とてもやさしく呟くのだ。

 彼女たちの話を聞くと、レヴンは楽しそうに話してきた。多く話してくるのはベロニカのことで、とても愛おしそうに語っていた。レヴンの心の奥深くにいる、と嫌でも感じざるを得なかった。

 いつのころからか、会ったこともないベロニカという娘に、嫉妬を抱くようになった。

 近くにいないくせに、なんでそんなに彼に想ってもらえるんだ。胸の底に、そんな暗い思いが、(おり)のように溜まっていた。そんなことを考えてしまう自分が、ひどく醜い人間のように思え、自己嫌悪する時もあった。

 そんなある日、近くにいるのはエマの方なのだということに、いまさらのように気づいた。ベロニカという女を忘れるくらい、自分に気持ちをむけさせればいいのだ、と思った。天啓(てんけい)が降りてきた気がした。目の前が明るくなった気がした。そのためにどうすればいいのか、いろいろと考えた。それとなく他人に相談したこともあった。結論は、出た。

 魅了すればいい。エマの魅力で骨抜きにしてやればいいのだ。そのために、さまざま手段を採った。

 しかし、ダメだった。彼は、非常に真面目で、有能で、紳士だった。

 完璧な女は近寄りがたい、という話を聞き、スカーフをよく飛ばされるドジっ子というのを狙ってみた。

 特に効果はなかった。嫌な顔ひとつせず取ってきてくれる彼のやさしさに、嬉しく思いながらも申し訳ない気持ちの方が強くなった。ドジっ子はやめようと思った。思ったが、気をつけてもスカーフは結構飛ばされていた。ドジっ子を狙うまでもなく、自分はドジっ子であったということに気づいた。

 男を落とすには、胃袋を掴むのがいいという話を聞いた。料理を教わろうとペルラのところに行ってみた。

 レヴンが料理を習っていた。食べさせて貰った。ペルラには及ばないが、かなりおいしかった。作れる料理はそう多くないようだが、味はどんどんよくなっている。なんというか、やさしい味なのだ。たまに食べさせて貰っている。逆にこっちが胃袋を掴まれていた。

 そして今日も、さっき崖を登る時、スカートの中を見て意識させようという強攻策を行なった。結果は惨敗だった。性欲とかあるんだろうか、などと思ってしまったりもした。

 わざと崖から落ちて、レヴンに抱き留めて貰おうかなどと考えたりもしたが、さすがにそれはやっていけないことだろうと思った。やっていいことと悪いことがある。やってみようか、と迷い、動きが何度か止まってしまったのは秘密である。

 それにしても、ここまで脈なしだなんて。

 魔物による襲撃を警戒しているのか、エマの二歩ほど前に立って先を進むレヴンを見ながら、エマはこっそりとため息をついた。

 しかし、ほんとうに恰好よくなったと思う。真ん中分けの、顎くらいの長さの髪は、羨ましいくらいにサラサラで、顔立ちも整っている。躰も、ゴツくはないが引き締まっており、無駄のない躰つきに見えた。

 昔は年相応にやんちゃな部分があったが、いまはだいぶ落ち着いた性格になった。だが戦闘しているところを見ると、苛烈(かれつ)なところもあるのだとわかる。いや苛烈というよりも、冷静と言うべきなのかもしれない。素人であるエマにも、無駄がないと感じさせられる動きなのだ。

 レヴンは途方もなく強い、とほかの村人たちにも聞いたことがある。

 鍛錬を積み続けた彼の強さは、村では並ぶ者がいないほどで、獣や魔物の被害が懸念されると、彼に退治の依頼がいく。かといってその強さを鼻にかけるわけでもなく、依頼は快く引き受けるし、他者を立てることも自然と行う。それもあって、レヴンは大人からも信頼されていた。村や家の仕事も丁寧で、非の打ちどころがない好青年だ。

 このままイシの村にいれば、将来は安泰と言っていいはずだ。

 だが、きっと彼は、それを望んでいない。そう思うしかなかった。

「出口、かな?」

 レヴンが言った。

 また、拓けた場所に出た。あたりを見渡すが、登ったりするところや、洞窟の入り口のようなところはない。ここが頂上のようだった。

「着いたわ!」

「うん」

 雨はまだ降り続いている。注意しながら、崖の方に近づいた。

 なにが見えるか、と眼を凝らしてみるが、雨の勢いはさっきよりもいくらか強くなっていて、遠くまでははっきりと見ることができなかった。

「惜しいなあ。天気がよかったら、きっと絶景が見れたはずなのに」

「こればっかりは仕方ないよ。むしろ、これぐらいの天気で済んでよかったと思わなくちゃ」

「そうかもしれないけど、っ」

 あたりが、一瞬明るくなった。雷だ。

「早くお祈りを済ませましょう、レヴン」

「そうだね、っ?」

「えっ?」

 なにかの鳴き声が、どこからか聞こえた気がした。鳥の声、だろうか。

「エマ、下がって。背中を見せずに、洞窟の方に避難して」

 レヴンが言った。声には、緊張があった気がした。

「え?」

「早くっ」

「避難って」

 どういう意味、と訊こうとしたところで、空からなにかが飛んで来た。

 大きな鳥だった。鳥としてどころか、レヴンよりも大きかった。

「こ、こんなところにも魔物が!?」

「ヘルコンドル。なんでこんなところに」

 混乱するエマとは対照的に、レヴンは落ち着いていた。彼の様子を見て、エマの混乱もちょっとだけ収まった。

「レ、レヴンッ」

「落ち着いて、エマ。さっき言った通り、っ」

「っ!?」

 ヘルコンドルが、突然上昇した。空からこちらを見据え、いまにも飛びかかってきそうな空気を感じた。

「イオ!」

 レヴンが、スモークとの闘いの時にも使った呪文を唱えた。爆発が起こる。それから逃れるように、ヘルコンドルがさらに上昇するのが見えた。

「エマ!」

「へ?」

 呪文を躱されたことを気にした様子もなく、レヴンがエマの方に走って来る。思わず間の抜けた声を洩らしたところで、エマは彼に抱き上げられていた。横抱き。お姫様抱っこだ。夢見ていたシチュエーションに、エマの頭が沸騰した。

 そのままレヴンは、さっき自分たちが出てきた洞窟の方にむかって駆ける。彼の方は、エマと密着しているような状況だというのに、まったく気にしている様子がなかった。そこで、こんなことを気にしている場合ではない、と自分たちの置かれた状況を思い出した。

「っと」

「魔物がっ」

 ヘルコンドルが、行く手を塞ぐように洞窟の前に降下してきた。レヴンが足を止める。ヘルコンドルはその場で羽ばたいて停滞し、エマたちを見据えてきた。

「イオ、はまずいか」

「え?」

「洞窟が近い。イオだと、爆発の余波で洞窟が崩れてしまうかもしれない」

「あっ。じゃ、じゃあ、メラとかギラは?」

「雨が降ってるし、視界も悪い。飛ばれると当てにくいな。流れ弾が壁面に当たったら、やっぱり崩れる可能性もある」

「そんなっ」

 紛れもなく、危機と言えた。

 魔物に襲われたところを、颯爽(さっそう)と駆けつけたレヴンに助けて貰う。そんなおとぎ話のような場面を夢見たこともあったが、実際になってみると、そんな悠長なことを言っていられる状況ではないと、嫌でも思うしかなかった。

 きっとレヴンひとりなら、どうとでもなったに違いない。ヘルコンドルが近づいてきたところを斬り捨てるといった、それこそおとぎ話の英雄のような芸当も、彼ならできたはずだ。だが現実は、エマを抱えているために、剣を構えることもできない状況だった。

 レヴンの足手まといになってしまっている。それを、痛感するしかなかった。

「ごめん、レヴン」

「ん、なにが?」

「足手まといになっちゃって」

「気にすることないよ。男が女の子を守るのは当然だしね」

 顔をヘルコンドルにむけたまま、レヴンがやさしくそう言った。

「レヴン」

「それに、旅に出るなら、こんな状況ぐらい打破できないとね」

「っ」

 ボソッと呟いた言葉に、息を呑んだ。

 旅に出る。はっきりと、そう言った。

「ん?」

 レヴンが、なにかに気づいたように声を洩らし、エマの足、いやエマを抱き上げている自分の左手を、視線だけで見た。

「よし、やってみるか。っと」

 ヘルコンドルが、こちらに突っこんできた。レヴンはエマを抱えたまま横に飛んでヘルコンドルを避けると、怪鳥から眼を逸らさないように躰のむきを変えつつ、着地した。そのままレヴンは、流れるようにエマを下ろして右手で抱くようにすると、天を指差すように、人差し指だけを伸ばした左手を頭上に掲げた。

 なにをする気なのか、とエマが思ったところで、彼の左手の甲にある痣が、淡い光を灯した。それに呼応するように、空に紋章のようなものが浮かびあがった。レヴンの左手の痣にそっくりなかたちだった。

 ヘルコンドルが、崖のむこう側の空から滑空してくる。

 レヴンの左手の痣と、空の紋章が、ひと際強く輝いた。

「デイン!」

 呪文とともに、レヴンがヘルコンドルを指差すように左手を振り下ろすと、空の紋章から光が走った。瞬間、バチバチと激しい音を立て、ヘルコンドルが眼に痛いほどの光を放った。

 雷。そう頭に浮かんだ時には、雷に撃たれたヘルコンドルは真っ黒に焦げつき、墜落していった。

 レヴンがエマから離れ、崖の方に寄った。注意深く崖から下の方を覗きこむ。

 少しして、ふうっとレヴンが息をついた。

「斃したみたいだね。もう大丈夫だよ、エマ」

 レヴンがそう言い、近づいて来たところで、エマはようやく緊張が解けた。

「なんていうか、もう、すごいって言葉しか出てこないわ。いまの雷って、レヴンが呼んだの?」

「うん。デイン、っていう魔法みたいだ」

「みたい?」

「頭に名前が浮かんできたんだよ」

「いや、そうじゃなくて、なんかはじめて使ったみたいなこと言ってない?」

「みたいじゃなくて、はじめて使ったんだよ」

 さらっと言われた言葉にエマは、ポカンと口を半開きにした。

 いま、なんて言った。はじめて使ったと言った。

「え、ぶっつけ本番?」

「うん」

「うまくいかなかったら、どうしたの?」

「その時はその時で、ほかの手を使ったよ。といっても、うまくいくっていう確信はあったけどね」

 レヴンが、どこか清々しく感じる笑顔を浮かべた。

「そ、そうなんだ。あ、あはははははは」

 エマも笑おうと思ったが、乾いた笑いしか出なかった。

 

 さて、とレヴンが言った。

「お祈りしようか、エマ」

「ははは、あ、あー、うん。そうね」

 いろいろとついていけそうにない、レヴンの行動力に乾いた笑いを洩らしていたところで言われた言葉にエマは、自分たちがここに来た目的を思い出した。

 大きく深呼吸し、気持ちを落ち着けると、崖の方に近づいた。二人で並び、胸の前で両手を組むと、眼を閉じて大地の精霊に祈りを捧げる。

『我らイシの民。大地の精霊とともに在り。ロトゼタシアの大地に恵みをもたらす精霊たちよ。日ごとの糧を与えてくださり、感謝します。どうかその大いなる御心で、悠久の大地に生きる我らを、これからも見守りください』

 二人で声を揃え、言い終わったところで、エマは眼を開いた。レヴンはまだ眼を閉じている。

「あ」

 雨が、止んだ。同時に、遠くの景色が見えてきた。

「うわあ、すごい――」

 思わずそう言うと、レヴンが眼を開いてこちらを見た。すぐに顔を正面にむけ、感嘆の吐息をついた。

 景色を見ながら、エマは言葉を続けた。

「世界って、こんなに広かったんだね」

「うん」

「このしきたりを考えた人。きっとこの景色を見せたかったのね」

「そうだね」

「――――?」

 レヴンの声は、どこか上の空のようにも聞こえた。心ここにあらずというか、なにかを考えているように感じた。

「レヴン、どうしたの?」

「ん、いや。世界は、やっぱり広いんだな、って思ってさ」

 そう言ってレヴンが、この景色ではない、もっと遠くを見るような眼をした。口もとには、笑みがあった。

「レヴン」

「行こうか、エマ。母さんや村長に、ここで見たことを伝えなくちゃ」

「う、うん。そうね。みんな、私たちの帰りを待ってるはずだしね」

 そんなに旅に出たいの。

 そう訊くことができないまま、エマはレヴンとともにその場をあとにした。

 




 
再会した時の「私よっ! 幼馴染みのエマよ!」で、『このわざとらしい台詞、もしや魔物が化けているのでは!?』と疑ったのは私だけではないと思う。


嫌いなわけじゃないんですがね、この子。最初はかわいい幼馴染ヒロインかと思ってたし。けどパーティーメンバーほどの思い入れがない相手を結婚相手にされても困るというか、せめてパーティーメンバーからも選ばせてくれんか、ってなる。なった。
 
 


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Level:2 旅立ち

 自分の中に、なにか不思議な力が眠っている。それに気づいたのは、いつのことだったろうか。

 最初にぼんやりと感じたのは、あの里で、あの()たちと一緒に魔法の練習をした時だったと思う。なにかが、躰の奥底から湧き上がってきた気がしたのだ。

 レヴンがはっきりとその力に気づいたのは、テオが亡くなってから少し経ち、鍛練している時だった。左手の痣から、なにかを感じた気がした。かたちの捉えきれない、茫洋(ぼうよう)としたなにか。

 鍛練の一環として行なっていた、瞑想(めいそう)の割合を増やした。

 瞑想の必要性については、幼いころ世話になった、あの里の長老からも()かれたことはあったが、いままではそれほど重視していなかったことだ。増やしたのは、それが必要なのではないか、と感じたからだ。

 ちょっとずつ、なにかが見えてきた気がした。もう少しで、それが掴める。そんな感覚は常にあった。

 だが、実際にその力を使うことは、できなかった。まだ、(とき)ではない。そう、なにかに言われている気がした。

 成人の儀式の日となった今日の朝、なにかが違うという感じがあった。なにかが(から)を破ろうとしている。いや、破らなければならないという思いが、己の(うち)にあった。

 神の岩の頂上でヘルコンドルと対峙し、エマを守らなければ、と思った。その時、左手の痣から、不思議な熱さを感じた気がした。

 デイン。その呪文が頭に浮かんだ。稲妻(いなずま)を呼び寄せる、限られた者にしか使えないという呪文。できるという確信があった。できなければならない。これから出る旅に必要となる力だ、と直感した。

 果たして、力は発現した。掴んだ、という達成感にも似た気持ちと、この力であの娘を、あの娘たちを守るという思いが、胸にあった。

 

 儀式を終えたあとの帰り道は、特にこれといったことはなにもなかった。

 エマはなにか言いたそうではあったが、結局なにも言わないままで、洞窟を抜け、ダンたちが待っているはずの橋まで戻った。無事に戻っていたマノロからお礼を言われた。どうやらかなり怒られたようだった。

 何人かの村人たちが、橋を渡った先で待っていた。

「ただいま、おじいちゃん!」

 エマが言った。

「おお、二人とも。神の岩に雷が落ちたから、大事ないか皆で心配しておったが、無事に帰ってきてくれてよかったわい。しかし、頂上でなにかあったのか?」

「うん。ヘルコンドルって魔物に襲われたんだけど、レヴンが雷を呼んで退治しちゃったの」

「雷を、呼んだじゃと?」

「うん」

「はい」

「ううむ。よくはわからんが、とにかく無事でよかったわい。さて、神の岩の頂上からなにが見えたか、わしに教えてくれるかな?」

「ええ。見渡す限りの海が見えたわ。お日様に照らされてキラキラして、あんな光景、はじめて見たわ」

「うむ。この世界、ロトゼタシアがいかに広大か、昔、テオと一緒に旅をしたレヴンは無論、イシの村しか知らぬエマにもよくわかったようじゃな。おぬしらはまだまだ若い。もしかすると、この村を出て羽ばたく時が訪れるかもしれん」

「っ」

 エマが、息を呑んだ気がした。横目で彼女を見ると、かすかに顔を曇らせているように思えた。

「さて、皆、そろそろ村に戻ることにしよう。レヴン。おまえの母ペルラにも、儀式を終えたことを教えてあげなさい」

「はい」

 レヴンが頷くと、ダンが満足そうに頷いた。集まっていた村人たちが、思い思いに帰っていく。

 エマが、レヴンに顔をむけた。

「ねえ、レヴン」

「ん?」

「その。ううん、私たちも行きましょ」

「うん」

 なにか言いたいことがあるが、踏ん切りがつかない。そんな感じだった。

 村人たちのあとを追うように、レヴンたちも歩き出した。

 神の岩は、イシの村のすぐ南に位置している。そう時間をかけずに、イシの村に着いた。

 エマも連れて、自宅にむかう。イシの村は、北西と北東と南を分割するように川が流れており、それぞれを繋ぐように、一本ずつ橋がかけられている。レヴンの自宅は北東部の方にあるため、東の橋を渡った。渡って、そのまま正面に自宅が見える。扉の前に立つと、中からいい匂いがした。ペルラ自慢の特製シチューの匂いだった。

 扉を開き、中に入った。ペルラが料理をしていた。鍋で煮こんでいる。思った通り、シチューだった。

「ただいま、母さん」

 ペルラが料理の手を止め、ふり返った。

「おかえり、レヴン。儀式はどうだった?」

「無事に終えられたよ」

「そうかい。まっ、レヴンなら当然かね」

 ペルラが苦笑するように言った。声には、寂しさがあった気がした。理由は、わかっている。

 ペルラには、成人の儀式を終えたら旅に出ると、すでに話してあった。

 どうしても旅に出るのか、とその時に訊かれた。それに、はっきりと頷いた。

 ある人との約束がある。そして、レヴン自身が、世界を旅してみたいと思っている。そう、真っ直ぐに伝えた。ペルラは寂しそうな表情を浮かべながらも、頷いてくれた。血は繋がってなくても、やっぱりテオおじいちゃんの孫だねえ、と懐かしむように言われた。

「ペルラおばさま」

「ああ、エマちゃん。エマちゃんもお疲れ様。途中で雨なんか降ってきて大変だったろう?」

「平気よ。レヴンが一緒だったから。レヴンったらすごいのよ。頂上でね、魔物に襲われたの。けどレヴンったら、まるでおとぎ話の英雄みたいに冷静に立ち回って、それどころか雷まで呼んで魔物を退治しちゃったの」

 ペルラが、エマの言葉に口をあんぐりと開けた。

「雷まで呼んだって。レヴン。あんたはほんとに、つくづく人を驚かせてくれるねえ」

 ペルラが呆れたように言った。

 ふうっ、と大きく息をつき、ペルラが真っ直ぐにレヴンの眼を見つめた。

「レヴン。決心は変わらないかい?」

「うん」

「はっきり言うんだねえ、あんたは。ちょっとくらい迷ってくれてもいいんだよ?」

「ごめん、母さん。でも、あの娘と約束した時に、決めたことだから」

「まったく。大人しそうに見えて、頑固なんだから」

 はっきりと答えると、ペルラが苦笑した。エマが、息を呑んだ気配があった。

「レヴン。これを」

 ペルラが、首飾りを差し出した。受け取って眺めてみる。透明感のある、緑色の綺麗な石。見たところ、ヒスイで出来ているようだった。

「おじいちゃんから、レヴンが成人の儀式を終えたら渡すように、って頼まれててね」

「じいちゃんから?」

「ああ。それとね、村のみんなにはずっと黙ってたことがあったんだ。これを知っているのは、村の中ではお母さんと、亡くなったおじいちゃんだけ。レヴン、あんたはね」

 ペルラが、一度そこで言葉を切った。

 一度息をつき、意を決した様子で口を開いた。

「勇者の生まれ変わりなんだよ」

「ユ、ユーシャ?」

 ペルラの言葉に、エマが不思議そうに言った。ペルラが頷く。

「勇者っていうのがなんなのかはよくわからないけど、あんたは大きな使命を背負ってるって、おじいちゃんはずっと言ってたわ」

「使命、か」

 なんとはなしに、レヴンは呟いた。思い出すのは、あの娘が言っていた、旅に出る理由。使命があると、そう言っていた記憶がある。

「北の大国、デルカダールにむかい、王様にその『ヒスイの首飾り』を見せた時、おそらくなにかが変わる。ただ、どうするかは自分で決めて欲しい、って言ってたわ」

「デルカダールの、王様に?」

「おじいちゃんはそう言ってたね」

 勇者とは、大いなる闇を打ち払う者、と聞いたことがある。あの里で聞いた(いにしえ)の勇者たちの物語は、いまも心に刻みこまれている。

 その勇者の生まれ変わりと言われても、そうなのか、という他人事のような感想しか浮かんでこなかった。左手にある不思議な痣や、デインを使えることは、それに由来するものなのかもしれないと思わなくもないが、自分は自分だ。そういう思いが、どこかにあった。

 しかし、たとえほんとうに勇者の生まれ変わりだったとしても、いきなり一国の王に会えるものなのだろうか。そんなことを思う。それに、テオと一緒に旅をしていたころ、勇者は悪魔の子だ、とされている噂を何度か聞いたことがあった気がした。それを広めたのは、デルカダールであるとも。

 どうするかは自分で決めて欲しい、と伝えてきている以上、おそらくそれはテオもわかっているのだろう。

「それで、レヴンはどうする気だい?」

「デルカダールにはもともとむかうつもりだったからね。王様に会えるかどうかはともかく、行ってはみるよ」

 王に会うかどうかは、実際にデルカダールに行き、情報を集めてから判断することにしよう、と思った。

 ペルラが、ひとつ頷いた。

「そうかい。ちゃんと考えてるんなら、お母さんはなにも言わないよ」

「うん。大丈夫さ」

「ふふふ。ほんとうに、いつの間にか、たくましくなっちゃったねえ」

「そうじゃないと、母さんも安心して見送れないだろ?」

「違いないね。まあ、それでも心配は心配だよ。親にとって子供ってのは、いくつになっても心配なものだからね」

「母さん」

「行ってきな、レヴン。あんたの思うように生きなさい。疲れた時は、いつでも帰ってきていいからね。お母さんから言えるのはそれだけさ」

 ペルラが、やさしく笑った。深い慈しみを感じた。

 母を残して、行くのだ。そのことに、後ろ髪を引かれるような思いはある。それでも、自分で決めたことだった。根幹にあるのが、あの娘に逢いたい、あの娘と一緒に旅をしたいという個人的な気持ちであっても、後悔はしたくなかった。

「うん。ありがとう、母さん」

「やだよ、お礼なんて。母親として当たり前のことを言ってるだけさ。さあ、明日から当分会えなくなるわ。今夜はとびっきりおいしいご飯を作ってあげるから、お腹いっぱいになるまで食べていくんだよ」

「うん」

 ペルラが言った通り夕飯は、いつも以上のおいしさに感じられた。ひとつひとつを、味わって食べた。

 夕飯を終え、後片付けを手伝い、夜になった。

 外に出る。行き先は、いつもの木のところだ。

 木のところに行くと、誰かがいた。ちょっとだけ警戒しながら近づいてみる。見知った気配を感じた。

「エマ?」

 呼びかけると、木のそばに立っていたエマがふり返った。

「あら、レヴン。眠れないの?」

「いや、習慣みたいなものかな。なにかあった時、この木のところに来るんだ」

「そうなんだ。私は、なんだか眠れなくって」

 エマが、木にむき直った。

「子供のころ、この木にスカーフを引っ掛けて、私、大泣きしたんだよね。レヴンはそれをなんとかしようと、村中を駆け回ってくれて。それからも、スカーフが飛ばされてはレヴンに取ってきて貰ったね」

「そうだね」

「私、子供のころからちっとも変わってないわね」

 エマが木を見上げた。懐かしむような雰囲気があった。ただ、どこか自嘲するような口ぶりに聞こえたのは、気のせいだろうか。

「私ね。レヴンはこの村で、ずっとみんなと一緒に、穏やかに過ごしていくんだろうな、って思ってたの。勝手にね」

 エマは、そこで一度息をついた。レヴンの眼を真っ直ぐに見つめ、口を開いた。

「いつ、旅に出るって決めたの?」

「ずっと前。以前話した、ベロニカって娘と別れる時、彼女と約束したんだ。自分たちもいつか旅に出る。それで、それぞれで旅に出て、どこかで出逢ったら、そこから一緒に旅をしよう、って」

「昔言ってたこと、本気だったんだね。でも、十年近く前のことでしょ。忘れてるかもしれないじゃない」

「それはないよ。そんな娘じゃない」

 はっきりと言い切る。

 使命があると言った彼女から感じた瞳の光は、いまでも思い出せる。なにがあってもやり遂げるという、強い意志の光が宿っていた。それを、綺麗だと思ったのだ。

 彼女と一緒に旅をしたい。それだけでなく、彼女になにか使命があるというのなら、それを手伝いたい。自分にできることなどないかもしれないが、彼女の力になりたい。そんな思いもあった。

 エマが、ちょっとたじろいだ気がした。強く言ってしまったかもしれない、とさっき発した自分の声に気づいた。

「ごめん。怒ったわけじゃないんだ」

「え、ううん。私こそごめん。軽はずみにあんなこと言っちゃって。ねえ、レヴン」

 エマがうつむき、二度三度と深呼吸した。覚悟を決めたように、顔を上げた。

「レヴンは、私のこと、どう思ってた?」

「どうって、大切な幼馴染みだよ」

「セーニャって人は?」

「大事な友だち、かな。おっとりした姉のような、妹みたいな人。一年も一緒にいなかったけど、幼馴染みって呼べる人」

「じゃあ、ベロニカって人は?」

 その言葉には、なぜか即答できなかった。ちょっとだけ考える。大好きな友だち。気が強くて面倒見のいい姉みたいな人。セーニャ同様に、一緒にいた時間の長さはともかく、幼馴染みと呼べる関係。いろいろと出てくるが、なにか足りないと思った。

 不意に、これかな、と思える言葉が浮かんだ。

「ずっと一緒に旅をしたい人、かなあ」

「旅を?」

「うん。なんだか、それが一番ぴったりした気がするんだ」

「そう、なんだ」

 エマが再びうつむき、息をついた。

「エマ?」

「レヴン。どうして、成人の儀式を終えたら旅に出るって教えてくれなかったの?」

「成人の儀式の時、エマが集中できなくなるんじゃないか、って思ったんだ。なんとなく言い出しづらかったっていうのもあるけど。伝えられなくて、ごめん」

「そう」

 はあ、とエマがため息をついた。ほんとうに脈なしだったんだなあ、とボソッと呟いた気がした。

「エマ?」

「なんでもないわ。明日は、朝から出発するの?」

「うん。そのつもりだよ」

「そう。興奮して眠れなくて、出発が昼頃になりました、とかならないようにね?」

「ありがとう。気をつけるよ」

「勇者、か」

 エマが、空を見上げた。

「おじいちゃんから前に、ちょっとだけ聞いたことがあるんだけど。遠い遠い昔、世界中が魔物に襲われて大変だった時、どこからか勇者が現れて世界を救ったんだって。そのあと勇者は星になって、世界を見守っている。そんなおとぎ話」

 その話は、レヴンも聞いたことがあった。あの里の長老であるファナードからもよく聞かされた、英雄譚。

 エマが空を指差した。指し示す方向に顔をむける。ひと際輝く星があった。

「勇者の星、か」

「レヴンが勇者だなんて、なんだか信じられないわ」

「僕も、自分が勇者だなんて言われても、って気持ちではあるよ。でも、じいちゃんが言ったことだからね。それも含めて、旅の中で明らかにしたいと思ってる」

「うん」

 エマがふり返り、笑顔を浮かべた。無理をしている笑顔のように思えた。

 仲のいい幼馴染みが、突然旅に出るなどと聞いたのだ。すぐに受け止められるものではない。それはわかっている。

 それでもレヴンは、冒険の旅に出ると決めたのだ。残していく幼馴染みに、なにか言えるはずもなかった。

「おやすみ、レヴン」

「おやすみ、エマ」

 エマが(きびす)を返し、レヴンから顔が見えない角度になった。

「じゃあね、レヴン」

 彼女の顔から、ひと(しずく)の涙がこぼれ落ちた。月の光を受けたそれは、不思議とはっきり見えた。

 

 ペルラから渡された服に袖を通す。紫色を基調としたその服は、レヴンにぴったりだった。それに、軽くて動きやすいうえ、かなり丈夫なようだった。

 テオが昔使っていた物を、ペルラが仕立て直したのだ。数日前には出来あがっていたが、旅立ちの日に渡そうと思っていたらしい。

 最後に、手の痣が見えないよう、手袋を()めた。もしかしたら、この痣が勇者の特徴かもしれないのだ。勇者は悪魔の子だ、という噂が流れている以上、人の目につかないようにしておくべきだろう。

 家の入口の前、ペルラのところに行く。レヴンを見たペルラが、涙ぐんだ。

「ほんとうに立派になって。その姿、おじいちゃんにも見せてあげたかったわ」

「うん」

 言っても(せん)無き事ではあるが、レヴンも同じ気持ちだった。テオのように旅に出ようとするレヴンの姿を、見せてあげたかった。

 ペルラが、レヴンを抱き締めた。

「レヴン。忘れちゃ駄目だよ。あんたはこの村で一番勇敢だった、おじいちゃんの孫なんだからね。あんただったら、この先になにが待ち構えていようとも乗り越えられる。お母さん、そう信じてるよ」

「うん」

 抱擁を解いたペルラが、外に出た。レヴンも追うようにして歩き出す。

 入口の手前で足を止め、家の中を見渡した。不意に、感傷のようなものがレヴンを襲ってきたが、振り払った。まだ、旅に出てもいないのだ。それに(ひた)るのは早すぎる。

「いってきます。じいちゃん」

 そう言うと、地図も含めた旅の荷物を持って家を出た。あとはふり返らずに、村の北西部にある入り口にむかう。北の橋を渡った。

 村の人たちが、大勢いた。レヴンの見送りに集まってくれたようだった。

 近づくと、ダン村長が前に出た。

「こんなにも早く旅立つ時が来るとはな。おぬしの祖父、テオにもその勇姿を見せてやりたかったわい」

 ダンが、なにかを思い出すような仕草を見せた。

「テオがおぬしを拾って、いや連れてきたのは、十六年前じゃったのう。そして六歳になったころ、テオがおぬしを連れて旅に出た時は、本気で驚いたものじゃった。無事に帰って来れるのかと、心配になったもんじゃ」

 ペルラが頷いた。あの時も心配をかけ続けたのだ、と改めて思った。

「しかし、その心配は()(ゆう)だったとでも言うように、おぬしたちは無事に帰ってきた。それも、ずっとたくましくなってじゃ。勇者とは、伝説の英雄。その昔、大いなる闇を払い、世界を救った人物と聞いておる。おぬしがそんな大それた人物の生まれ変わりかどうかはわからんが、そんなおぬしなら、勇者の使命とやらもきっと見事に果たすことができると信じておるぞ」

「――――?」

 内心で首を傾げた。レヴンの旅の目的は、勇者としての使命よりも、世界を見ることと、ベロニカ、セーニャとどこかで出逢い、一緒に旅をすることだ。なぜか、勇者としてのものばかりが伝わっている気がする。

 そういえば、旅に出るとはっきり村の者に言ったのは、テオと一緒に旅から帰ってきた直後だけだった気がする。その理由も一緒だ。ほとんどの者は忘れていてもおかしくない。エマも、昔言ってたのは本気だったんだ、と言っていたほどだ。ちゃんと知っていたのは、テオとペルラくらいだろう。

 こうやって朝に集まっているのは多分、ペルラかエマが伝えたからなのだろうが、レヴンが勇者の生まれ変わりだという情報だけを伝えた、ということだろうか。

 ペルラが、レヴンに近づいて来た。家でしたように抱き締めてくる。

「あんたが旅に出る理由だけど、ベロニカとセーニャって娘のことは伏せておいたよ。あんたは、勇者の使命で旅に出るってことになってる。そうじゃないと、ちょっとややこしいことになるかもしれないからね」

 耳もとで、そう(ささや)かれた。

「ややこしい?」

「ちょっとね。悪いけど、そこに関しては口裏を合わせといてくれるかい。村の人から聞かれた時だけでいいから」

「うん」

 よくはわからないが、そうしないとなにか面倒なことになるのだろう、と思った。

 ペルラが離れ、再びダンが口を開いた。

「デルカダール王様に会ったら、くれぐれもこの村のことをよろしくな。勇者様を育てた村ということで、王様からなにか褒美が貰えるかもしれんからのう」

「村長っ。そりゃ、はしたないですよ!」

 村人のひとりが言った。それに、ダンが愉快そうに笑った。

「冗談じゃよ、冗談。おお、そうじゃ。旅に出るにあたって、贈りものがあるんじゃ」

「贈りもの?」

 そこで、馬の鳴き声が聞こえた。南の橋の方から、一頭の馬が幼い少女、馬飼いの娘に()かれて来た。いや曳かれて来たというよりは、連れ立って来たという感じだった。

 黒い毛並みを持った、大きく見事な馬。額には、雷を連想させるような、白い模様がある。

雷刃(らいじん)?」

「うむ。村一番の駿(しゅん)()である、『雷刃』じゃ。乗っていくといい」

「いいんですか?」

「どうせ、おぬし以外には乗りこなせる者がおらんからな。一緒に旅に連れていってやってくれ」

 村で飼っている馬の中でも、この馬はいろいろと特殊な馬だった。もともとは、村の馬ではなく、近くの山で見つかった馬だった。

 暴れ馬として、目撃された馬だった。人を襲ったり、魔物を蹴散(けち)らしていたという話があった。魔物も蹴散らせるぐらい強く凶暴な馬ということで、捕獲ないし退治の依頼が、レヴンに来たのだ。

 実際に行ってみると、暴れ馬と聞いていたはずのその馬は、はっとするほどきれいな眼をしているように思えた。馬も、ただじっとこちらを見つめているだけだった。

 捕獲や退治が依頼だったが、どうにもそういう気分にはなれず、近くにあった水場のそばに腰掛けると、馬も近づいて来て、水を飲みはじめた。なんとはなしに話しかけると、馬は水を飲むのをやめ、またじっと見つめてきた。レヴンが食事を()り、馬が草を()んでいる時も、話しかけてみると馬は時々ぴくりと耳を動かした。馬の首を抱くようにして、耳もとで話しかけたりもした。

 不思議と、さまざまなことを語っていた。

 イシの村の人々のこと。幼馴染みのエマや、母であるペルラのこと。村での生活のこと。

 亡くなった祖父、テオのこと。彼との思い出。

 テオと一緒にした旅のこと。その旅の目的地であった里で過ごした日々。そこで出会った、ベロニカとセーニャのこと。

 ベロニカと交わした、幼き日の約束のこと。

 じきに行う成人の儀式を終えたら、ベロニカとの約束を果たすために、冒険の旅に出ること。

 ほかにも、とりとめもないことを、語っていた。イシの村にある木にも語りかける時はあったが、あちらにする時は、テオに語りかけるようにして語っていた。

 この馬に対しては、言ってみれば、友に対するように語っていた気がした。

 ひと晩を、その馬とともに過ごした。暖かい季節だったうえ、馬が(かたわ)らにいてくれたおかげで、特に問題なく一夜を過ごすことができた。

 翌朝、村に帰ることにした。馬が、乗るか、と眼で問いかけてきたように感じた。

 頷き、飛び乗った。(くら)は持って来ていたが、着けなかった。着けずに乗って行きたい、と思ったのだ。

 心が通じ合っている。そう感じさせた。曲がりたい方向を意識しながら、馬体を挟みこんだ脚に力を入れると、馬はこちらの心を感じとってくれたように、その方向に行ってくれた。

 拓けたところに出ると、馬が思いっきり駆け出した。(いかづち)のように(はや)く、(やいば)のように鋭い。そんな駆け方だった。

 村に着くと、村人たちは一様に驚いていた。ひと晩経ってもレヴンが帰らないということで、何人かの村人が村を()とうとしているところだった。

 馬は、そのままイシの村で飼われることになった。その駆け方と額の模様から、馬は『雷刃』と名付けられた。暴れ馬という話を聞いていた村人たちは、おっかなびっくり寄っていったが、雷刃は特に暴れることもなく、静かに人々を見つめているだけだった。どうやら暴れ馬というのは誤解で、行商人などを襲おうとしていた魔物や盗賊を追い回していたというのが、真相だったようだ。

 ただ、()(しょう)が荒いということはないのだが、雷刃が懐くのはレヴンと、村の馬飼いの娘ぐらいだった。乗せるのもその二人ぐらいで、馬飼いの娘の方は幼いというのもあって、雷刃も全力で駆けることはない。それもあって、たまにレヴンが雷刃に乗り、全力で駆けさせることもあった。

「雷刃。これから、よろしく」

 近づき、首に触りながら言うと、雷刃は耳を動かした。よろしく、と返してきた気がした。

 頷き、旅に必要な荷物を載せると、はじめて会った時のように飛び乗った。今回は、鞍が着いている。

「それにしても、レヴンは昨日、雷を呼んだのじゃろ。それで、『雷の刃』を駆るというのも、なかなかシャレが効いている気がするのう」

 ダンが言った。誰ともなく、確かにと頷いていた。

 ダンともうひと言、二言話すと、村の入口の方に進み、ペルラたちの方にふり返った。

「レヴン。あんたは自慢の息子さ。つらいことがあっても、挫けるんじゃないよ」

 ペルラの言葉に、レヴンはただ頷いた。

 見送る人たちを見回した。エマの姿は、ない。

 村を出るこの時に話せないのは心残りと言えたが、仕方ないとも思う。

 それに、(こん)(じょう)の別れというわけでもない。なにかしら、ひと区切りついたら、帰って来ることもあるだろう。それがいつであるかは、わからないが。

「みんな。いってきます」

 告げ、雷刃を進ませた。正面にむき直る。声援が背後から聞こえてくる。手だけ振り返した。ふり返りは、しなかった。

 村の坂道を越える。この先が、外の世界だ。

 坂を越えたところに、見慣れた姿があった。

 エマと、ルキがいた。

「レヴン」

「エマ。ルキ。ここにいたのかい?」

「うん。ちょっと迷ったけど、やっぱり見送りはしておきたかったから」

「そうか。ありがとう」

 心残りが消えた、という気がした。エマのことをみんなに訊きもしなかったくせに、勝手なやつだな、と自分のことを思いながらも、エマが見送りに来てくれたことは、素直に嬉しかった。

「レヴン。お願いがあるんだけど」

「お願い?」

「うん。無事にベロニカって人たちと再会できて、旅がひと段落ついたら、ベロニカ、さんやセーニャさんと一緒に、顔を見せに来て欲しいの」

「うん。わかったよ」

 答えると、エマがほっとしたように息をついた。

「レヴン。元気で」

「ありがとう、エマ。エマも、病気や怪我には気をつけて」

「うん」

 頷き合うと、レヴンは雷刃の首をなでた。

 雷刃が耳をちょっとだけ動かし、脚を進ませた。

「いってらっしゃい、レヴン」

「いってきます、エマ」

 雷刃を軽く駆けさせる。風が気持ちよかった。

 空に浮かぶ命の大樹が見える。旅の終着点がどこであるかはわからない。行けるところまで行ってみよう。そんなことを思う。

 いつか逢うだろう、彼女と二人で、どこまでも行ってみたい。そんな、期待とも希望とも言える思いが、レヴンの胸にあった。

 

***

 

 ふり返りもしなかったなあ。

 苦笑しながら、エマはそんなことを思った。

 雷刃に乗ったレヴンの姿は、もう見えない。

 殊更(ことさら)に速く駆けさせたわけでもないのだろうが、雷刃は並みの馬ではない。あっという間にレヴンたちの姿は見えなくなった。

 手に視線を落とす。手には、ひと晩で作った、手作りのお守りがあった。

「結局、渡せなかったな」

 呟くが、不思議とすっきりした気分だった。

 渡そうと思っていたが、ふっと頭に浮かぶことがあった。自分は、レヴンに甘えていただけなのではないか。レヴンは、旅先で出会った少女との約束を果たすために、努力し続けてきた。自分は、どうだろうか。

 ふりむかせるために努力してきた。そう考えるも、ほんとうにそうだろうか、とも思った。自分は、ほんとうに彼のことを見ていただろうか。幼いころの旅によって変わった彼から眼を(そむ)け、その旅に出る前の、エマの考える『レヴン』という枠に嵌めようとしていたのではないか。そんなふうに思ったのだ。

 そして、それに(すが)りついていた。いまの彼を見ようとしていなかったくせに、エマを好きになって欲しいなどと思っていた。ずいぶんとうしろむきな努力だった、という気がした。

 お守りを渡すのをやめたのは、その自分と決別したかったからだ。旅に出る彼を、笑って見送りたかった。いつか、彼がベロニカという娘と一緒にこの村に戻ってきた時、笑顔で出迎えたかった。お守りを渡してしまったら、自分はまた、彼に縋りついてしまう気がした。お守りがレヴンとエマを繋いでいてくれると、錯覚してしまいそうな気がしたのだ。

 自分も変わらなくてはならない。そう思った。

 朝早くにペルラのもとに行って、そう伝えた。ペルラは、やさしく笑ってくれた。レヴンの旅の理由を、勇者としての使命ということだけにしたのは、レヴンが村に帰って来やすいようにするためだ。ペルラもそのつもりだったようだ。

 ダンをはじめとする村人たちは、レヴンはいつかエマと結婚するものと考えている。そうなれば村も安泰だと。言い方は悪いが、村の外の娘と再会し、一緒に旅をするのが目的だなどと言ったら、眉をひそめる者も少なくなかっただろう。そうならないために、ペルラと一緒にダンたちに、ベロニカたちのことを伏せて説明したのだ。

 ベロニカと一緒にレヴンが帰って来たら、ひと悶着あるかもしれないが、その時はその時だ。全面的にレヴンの味方をしてやる。イシの村は、レヴンの故郷だ。そう、彼が胸を張って言える故郷としたい。戻ろうと思えば、いつでも戻って来れる、そんな故郷としたい。

 しかし、まだレヴンをあきらめたわけではない。女を磨き、戻ってきたレヴンを見惚(みと)れさせるぐらい、イイ女になってやる。そう決めた。

「行こう、ルキ」

 そばでエマを見上げる愛犬に呼びかけると、ルキがひと吠えした。(きびす)を返し、ルキと一緒に歩き出した。

 途中で、ちょっとだけ足を止めた。空に浮かぶ命の大樹に、ふり返るようにして顔をむける。

「頑張って、レヴン。ベロニカさん、レヴンをお願いね」

 言葉は、風に溶けていった。

 

***

 

 不意に、誰かに呼ばれたような気がした。

 照りつける強い日射しに汗を(にじ)ませながら、ベロニカは足を止めて周りを見渡した。南の大陸にある砂漠の王国、サマディーの中央に作られている歩道橋の上には、ちらほらと人の姿が見られるが、特にベロニカに注目している者はいなかった。

 一緒に歩いていた、ベロニカの双子の妹であるセーニャが数歩先で足を止め、ふり返った。

「どうかなさいましたか、お姉様?」

 ベロニカに近づいてきたセーニャが、不思議そうに言った。

「んー、いや、誰かに呼ばれた気がしたんだけど」

「あら、どなたでしょうか?」

 セーニャが言い、ベロニカと同じようにして、周りを見渡した。足を止めているベロニカたちに眼をくれる者はいるが、すぐに視線をはずして通り過ぎる者ばかりだ。感覚を研ぎ澄ましてみるが、やはり特にこれといった視線は感じられなかった。

「ごめん。多分、あたしの勘違いね。宿に戻りましょ、セーニャ」

「いいのですか?」

「気のせいじゃなかったら、むこうから声をかけてくるでしょ。買うものは買った。見るものは見た。あとは、暗くなってから出発よ」

「はい」

 故郷である聖地ラムダから旅立って、数ヶ月が経つ。このサマディー王国には、数日ほど滞在していた。食料や水など、必要な物は買い足した。躰も充分に休めた。街も、あらかた見て回った。ベロニカたちが目的とする人物は、ここでも見つからなかった。

 日中に砂漠を歩くのは自殺行為。テオが語ってくれた冒険譚で、そのことは充分にわかっている。一応の試しに、昼間の砂漠にちょっとだけ足を踏み入れてはみたが、想像を遥かに超える暑さだった。必要のない無茶をするべきではない。そう思った。

 宿にとってある部屋に戻った。外に比べると、部屋の中はまだ涼しい。とはいえ、生まれ育ったラムダの地は、北の地に近く、高地ということもあってここよりずっと涼しかったため、慣れない暑さには内心辟易(へきえき)していた。

 額に浮かぶ汗を時々(ぬぐ)いながら、荷物の確認をする。見落としがないよう、セーニャと一緒に、くり返すようにして確認した。

 確認を終え、愛用の赤い帽子を脱いで部屋のベッドに腰掛けると、部屋にあるもうひとつのベッドに腰掛けたセーニャが、ため息をついた。

「それにしても、なかなか逢えませんわね」

 セーニャが言った。苦笑しながら、ベロニカは口を開いた。

「それはまあ、しょうがないわよ。世界は広いんだし、そうそう巡り会えるもんじゃないでしょ」

「それもそうですが、お姉様は、早く逢いたいとは思わないのですか?」

「そりゃあ、会えるもんなら、会いたいけど」

「ですわよね!」

 セーニャが、勢いこんで言った。その勢いに小首を傾げていると、彼女は胸の前で両手を組み、どこか陶然(とうぜん)とした表情を浮かべた。

「幼いころに交わした約束。お互いに成長した少年と少女。幼いころのように気軽には触れ合えず、けれどもちょっとだけ手を伸ばせばたやすく触れ合える距離で会話する二人。美しい月夜を背景に、離れていた時間を埋めるように、それぞれの思い出を語り合い、どちらともなく手を重ね合う二人。いつしか二人は、躰も心も近づいて」

「うん?」

「素敵ですわ」

 セーニャの言葉に(いぶか)しむが、彼女は遠くを見るようにして、うっとりと言葉を紡いでいた。

「セーニャ」

「そして二人は、もう互いに子供ではないのだと気づき、お互いを求め合うように顔を近づけ合い」

「セーニャッ」

「あ、はい。いかがなさいましたか、お姉様?」

 やや強めに言うと、セーニャがふと気づいたように顔をむけた。

「いや、いかがなさいましたか、じゃなくて、誰のことを言ってるのよ?」

「それはもちろん、レヴン様のことですわ」

「あたしは、『勇者様』のことを言ってたんだけど?」

 『勇者』を守り、導くこと。それが、『賢者セニカ』の生まれ変わりにして、勇者の導き手である双賢の姉妹こと、ベロニカとセーニャの使命だ。

 ポカンとしていたセーニャが、あ、となにかに気づいたような仕草を見せた。

「はい。存じておりますわ」

 セーニャが言った。

 旅を出てからこっち、セーニャはなにかを隠している。旅に出る直前、長老ファナードからなにかを教えて貰っていたようなのだが、それはベロニカには教えてくれなかったのだ。

 ファナードからは、いずれわかる時が来るだろう、ともったいぶった調子で言われた。セーニャも、秘密です、と口を固く閉ざしている。

 ちょっと面白くない気持ちはあるが、いずれわかるという言葉を信じて、いまは行くしかない。そう自分に言い聞かせるようにして思っていた。なにか、あと少しでその答えが浮かびそうな気もするのだが、不思議とその先に思考が行ってくれなかった。

「あたしたちには使命があるのよ。レヴンのことは、後回しよ」

 ズキンと胸が痛んだが、その痛みは無視した。使命がある。命に代えても果たさなければならない、大事な使命だ。ベロニカ個人の約束は、二の次でいい。再び、自分に言い聞かせるようにして思った。

「レヴン様は」

「セーニャ」

 やめなさい、と強めに言うが、セーニャは臆することなく見返してきた。

「私も、使命のことを(ないがし)ろにする気はありませんわ。ですが、そんなふうに苦しそうにするお姉様を見るのは、私は嫌です」

「苦しそうって」

「いいじゃありませんか。レヴン様に逢いたいと思って、なにがいけないのですか?」

 使命がある。もしもの時は、命に代えても勇者を守らなければならない。そのもしもの時が来た時、一瞬の判断の遅れが、取り返しのつかない事態を招くかもしれない。

 誰かへの、レヴンへの想いが、その判断の遅れや間違いを招いてしまうかもしれない。それがこわい。

 そんなことを考えているとレヴンに知られたら、薄情なやつだと思われてしまうかもしれない。それも、こわかった。

「レヴン様はきっと、お姉様との約束を守るために、努力してきたはずですわ。お姉様だって、そうではありませんか?」

「レヴンのことがなくっても、あたしは努力してたわよ」

「はい。ですけど、レヴン様とのことがより一層の向上心を生んだのも、事実ではありませんか?」

「それは、そうかもしれないけど」

 レヴンと会ってから、それまで以上に魔法の練習に身を入れるようになったという自覚はあった。別れてからもそうだ。魔法だけではなく、テオに教えられた体術なども、それなりに(つか)えるものになっていた。

 彼との思い出も約束も、色()せることなく、胸に刻みこまれている。勇者の導き手としての使命感に負けないぐらい、ベロニカをかたち作っているものだ。

 逢いたい。

「だけど、十年近く経ってるのよ。約束のことなんて、忘れてるかも」

 不意に浮かんだ言葉を押し殺すようにして言うと、また胸が痛んだ。彼は、ベロニカよりも幼かった。そんな小さなころのことなど、忘れていてもおかしくないのではないか。

 彼は、そんな男ではない。そう思っても、時々不安に駆られてしまう。そんなふうに思っているくせに、彼を二の次にしようとしている自分が、どうしようもないやつに思えた。

「そんなこと、あり得ませんわ。絶対にレヴン様は憶えています。それにきっと、すごくかっこよくなってますよ」

「なんで」

 なんでそんなふうに言い切れるのか、という意をこめて言った。

 セーニャが、やさしく微笑んだ。

「お姉様の、未来の旦那様ですもの」

「ぼふぉっ!?」 

 予想外にもほどがある言葉に、思わず噴き出した。乙女(おとめ)にあるまじき声が出たが、それもしょうがないだろうと思える言葉だった。

「お姉様、どうされました!?」

「ど、どうもこうも」

 顔が熱い。頭が混乱している。セーニャはいつの間にメダパニなんて覚えたのか、などという馬鹿なことまで頭に浮かぶ。

 旦那。夫。レヴンが旦那。レヴンと夫婦。

 暴走しそうになる思考を、意思の力で無理矢理抑えこんだ。

「なんでいきなり旦那って話になるのよ!?」

「え、だって、ずっと一緒に旅をしようって言われて、お姉様はそれを受けたんですよね?」

「そ、そうだけど」

 レヴンとした約束のことは、セーニャと両親、そしてファナードにだけは伝えてあった。

「そ、それがどうしたのよ!」

「プロポーズにしか聞こえませんでしたわ」

「プ、プ、プロポ――!?」

 愉しそうに言われ、やはり思ってもみなかった言葉に混乱が加速した。

 字面だけ見れば、確かに求婚の言葉としてとられてもおかしくない台詞だった、といまさらながら思った。

 両親とファナードの反応を、ふっと思い出した。とても微笑ましいものを見るような眼で、ベロニカを見ていた気がした。

 そういえば、旅立つ時に母から、式の準備をしておくわね、と言われた。なんの式かと訊いても答えてくれなかったが、もしかしてあれは、結婚式の準備とかいう意味だったのだろうか。

「こ、言葉だけで見れば、確かにそれっぽいかもしれないけど、プロポーズとかそういうんじゃないわよ。セーニャも一緒にって」

「使命を果たすまでは喜んで御一緒させていただきますが、その後は辞退させていただきますわ。馬に蹴られたくありませんもの」

「そ、それに、あたしたち、子供だったのよ?」

「はい。けれど、幼いころの美しい思い出を胸に、約束した運命の再会を果たす男女。とても素敵だと思いますわ」

「再会、って。逢えるかどうか、わからないじゃない」

「逢えますわ。レヴン様は、運命の人なのですから」

 自信満々に言い切られ、なんとなくセーニャの眼を見つめた。セーニャの言葉には、確信のようなものが含まれている気がした。

 セーニャは、真っ直ぐにベロニカの眼を見返していた。

 どういうことか、訊いても答えてくれそうにないな、と思った。

「お姉様。ちょっと意地悪な質問をさせていただきます」

 セーニャが、真剣な瞳で言った。こちらも居住まいを正す。

「なに?」

「お姉様は、使命とレヴン様。どちらが大切ですか?」

「っ、使命に、決まって」

「導き手とかそういうものは考えず、お姉様御自身はどうお考えになっているか、お聞きしたいのです」

 セーニャが、遮るようにして言った。気遣うような光が眼にあったが、引こうとする感じもなかった。

 自身の三つ編みに触れる。レヴンに渡したリボンは、ベロニカの一番のお気に入りだったリボンだ。

 彼は、いまもあのリボンを持っていてくれているだろうか。

 使命は、もちろん大切だ。導き手であることは、ベロニカの誇りなのだ。

 だがレヴンも、ベロニカにとって、かけがえのない存在だった。

「どっちかなんて、選べるわけないでしょっ」

 うつむき、絞り出すように言った。導き手失格だと思うも、使命の方が心から大切だなどと、言えるわけがなかった。使命を、どうでもいいものだとも、言えるはずがなかった。

「らしくありませんわ、お姉様」

「え?」

 顔を上げる。セーニャは、静かにベロニカの眼を見つめていた。

「お姉様。お姉様は、使命のため、レヴン様との約束を果たすため、努力し続けてきたのではありませんか?」

「なにを」

「どちらかを選ぶなんて、お姉様らしくありませんわ」

 その言葉に、ハッとなった。

 なんのために鍛練してきたのか。

 レヴンと出会うまでは、勇者の導き手としての使命のためだった。レヴンと出会ってからは、彼に憧れて貰えるような恰好いい女で()りたい、という思いがどこかにあった。

 彼と約束してからは、その約束を果たすためという思いが増えた。彼とずっと一緒に旅をしたいと思った。

 いつのころからか、その約束を守るためにも使命を果たさなければならない、という思いが先立って、そのことを見失っていた気がした。

「ほんとに、意地悪な質問だったわね」

 苦笑して言う。不思議と、すっきりとした気持ちになっていた。単純だなと自分でも思うが、心のどこかにあったつかえが、なくなった気がした。

「そうね。使命もレヴンも、あたしにとっては、どちらも大切。どっちを選ぶなんて、できるわけないわね」

「お姉様」

「うん。あたしは、レヴンに逢いたい。逢って、一緒に旅をしたい」

 言葉にすると、胸が温かくなった気がした。やさしい日の光に照らされたような温かさが、躰中に満ちていく気がした。

「あたしは、ラムダの天才魔法使い、いいえ、天才大魔法使いベロニカ。使命は果たす。レヴンも守る。それぐらいやってみせなくちゃね」

 にかっと笑って言うと、セーニャが破願した。

「はい。それでこそ、お姉様ですわ」

 心配かけていたんだろうな、とふっと思った。おそらく、両親とファナードにも。

「セーニャ、ありがと。ほんとうに、アンタが妹でよかったわ」

「そんな。私こそ、お姉様がお姉様でよかったですわ」

「ありがと」

 照れくさくなり、窓の外に顔をむけた。

 サマディー王国からは、地形と距離の関係上、空に浮かぶ命の大樹は見えない。距離がきわめて遠いだけでなく、街の北側に山があるのだ。それでも、命の大樹があるだろう方角に、眼をやる。

 いつかあそこに、『勇者』を導く。その時には、レヴンも一緒であって欲しい。いや、きっと一緒にいることだろう。

 




 
貰う馬を白馬にして『ファルシオン』って名付けようかと思ったけど、天馬になるわけじゃないのでやめ。赤い馬で『乱雲』とか、黒い馬で『百里風』とか『雷光』とかつけたくなったけど自重した。
街などの広さは、ゲーム中で体感するよりも広くなっている感じで。

村一番の器量よしのウマとか言って渡されたから、なにかあるのかと思った。なかった。
神の岩もなんかあるのかと思ったら、「絶景スポットってだけかよ!」ってなる。なった。
 


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Level:3 武勇の鷲

 イシの村を旅立ち、数日が過ぎた。そろそろデルカダールが見えてくるころだろうか。

 雷刃は、並足で進ませていた。駆けさせればもっと早く着くだろうが、急ぐ旅ではないのだ。ベロニカたちがどこにいるのかわからない以上、急いだところでしょうがない。そう考えていることもあって、周りの景色を愉しみつつ、時には横道に入ったり、休憩するなどして、ゆっくりと進んでいた。

 魔物が襲ってきた時もあったが、そう大した魔物はここらにはいない。

 大きな木づちを持った小さな魔物、おおきづち。

 人の頭蓋骨に乗った、大きな(からす)のような魔物、おおがらす。

 蝙蝠によく似た夜行性の魔物、ドラキー。

 食べ残されたズッキーニという(うり)科の植物に、邪悪な魂が宿ることで魔物となったという、ズッキーニャ。

 額に大きな角を持つ兎の魔物、いっかくウサギ。

 舌を伸ばして攻撃してくる大ガエル、フロッガー。

 植物のような姿をした、マンドラ。

 こんなところであるが、レヴンが手こずる魔物はいなかった。むしろ、ほとんどの魔物は、こちらを目にすると一目散に逃げ去っていくほどだ。魔物は、彼我(ひが)の力量差に敏感らしく、勝ち目がほとんどない相手に対して襲いかかってくることは、そうそうないのだ。

 思っていたよりも、自分は強くなっていたんだなあ、などと思った。油断や慢心をするつもりはないが、自信を持つくらいは許されるだろう、などと思う。

 夜は、火を(おこ)して、野営をした。

 神聖な気を発し、魔物を寄せ付けない力を持つ『女神像』がある野営地はたまに見かけるし、ない場所で野宿することも、このあたりの魔物の強さなら、そこまで苦ではなかった。眠りは浅くなるが、魔物などの気配が近づけば、即座に飛び起きることができるように訓練しているし、雷刃もいる。もっとも、この周辺の魔物は、レヴンをこわがって近づこうともしないが。

「ん?」

 視界に、自然のものとは違う、なにかが映った。人工物。建物だ。

 雷刃の脚を、ちょっとだけ速めた。視界に映る建物が、ちょっとずつ大きくなってくる。

 城。デルカダール城だろうか。幼いころ、文字通りの雪国でクレイモラン城を見た記憶はあるが、あっちに比べると、質実剛健という言葉が似合っているような気がした。

 クレイモラン城からは、優雅さや美しさを感じた記憶がある。こういうものは、どちらが上というものではなく、場所や環境、歴史による違いからくるものなのだと、テオが語っていたものだった。

 ほどなくして、デルカダールの城下町に着いた。

 門のところでは兵士たちが、街中に入ろうとする人たちを検査していた。何人か並んでいて、少し時間がかかりそうだ、と思った。

 周りをそれとなく見ているうちに、やがてレヴンの番となった。

 出身地や、なんの目的でデルカダールに来たか、といったことを訊かれ、答えた。イシの村と聞いた兵士は、聞いたことのない村だな、と首を傾げていた。デルカダールに来た目的は、観光と答えた。王と会うかどうかは、まだ決めていないのだ。あとは、特にこれといったこともなく、すんなり入れた。

「うわあ」

 通りを行き交う人の多さに、思わず声を洩らした。見渡す限りの人。人の波とはこういうものか。そんなことを思った。

 そういえば、クレイモランも人が大勢いたなあ、とおぼろげな記憶を引っ張り出した。

 クレイモランの方は、どこか粛々(しゅくしゅく)とした雰囲気があった気がしたが、こちらは喧騒(けんそう)がそこかしこから聞こえてくる。騒がしいと言えばその通りではあるが、とても活気が感じられるものでもあった。

 宿は、街中にいくつかあるという話だったが、門に近いところに決めた。運よくひと部屋空いていたのも理由のひとつだが、それなりに大きく、(うまや)もあったからだ。酒場もやっているらしい。情報を集める必要もあるので、人の通りも多いだろうこの場所にした。

 資金には、余裕がある。旅に出るために少しずつ貯めていたのだ。主に、魔物退治によるものだった。

 魔物は、斃されると宝石になって消える。どうしてそうなるのかはわからないが、そういうものなのだ。もっとも、宝石の価値はピンからキリまであり、スライムなどの下級の魔物からとれる宝石は、大した()にはならないのだが。

 時折、死骸の一部が残ることもあり、それらは素材として加工することで、さまざまなことに使われる。道具であったり、武器や防具であったり、それこそ用途はいろいろだ。ものによっては高値で売れるものもあるらしい。宝石も素材も、基本的には村の方に収め、何割かを報酬としてレヴンが貰うかたちだった。

 旅立つ時にダン村長から、イシの村の人たちから集めたというお金を差し出されたが、それは丁重に断らせてもらった。ダンたちは、レヴンは勇者の使命で旅に出たと思っているが、実際にはきわめて個人的な事情によるものだ。さすがにそれでお金を貰うわけにはいかない。

 宿に旅の荷物を置き、宿の主人に軽くこの国のことを訊くと、外に出た。無論、貴重品は持ってである。街中での帯剣も認められているため、腰に愛用の剣も()いている。無論、騒ぎは起こさないように厳重注意されているが。

 まずは、城にむかってみることにした。王に会う気はまだないが、城の場所ぐらいは確認しておこうと思ったからだ。単純な好奇心もある。

 これだけの人がいる中をひとりで歩くのは、はじめての経験だった。それもあって、最初は人にぶつかりそうになったりもしたが、歩き方がわかってくると、特に問題なく移動できるようになった。

 街で最も城に近い区画は、貴族などの()(ゆう)層が主に住んでいるらしい。そのためか、城が近づくにつれ、人の姿が少しずつ減ってきたように思えた。

 広い階段が見えた。警備を兼ねているのだろう、階段の横に、何人かの兵士の姿があった。こんなところで犯罪を起こす者もいないと思っているのか、どこか気が緩んでいるように見えた。

 一応、城に近づいても問題ないか、そこの兵士に訊いてみた。なにか問題のある行動さえ起こさなければ、近づくのは特に構わないとのことだった。礼を言って、階段を登った。中央に、立派な噴水がある広場が見えた。そのむこうには、城がもう間近にあった。

 噴水に近づいてみる。噴水の中央には、人が見上げるぐらいの高さの小さな塔が立っており、塔の天辺(てっぺん)には、二つの頭を持つ(わし)の像がついていた。

 この双頭の鷲はデルカダールの象徴らしく、国旗にも(えが)かれている。話によると、二つの頭はそれぞれ武勇と知略を意味するらしく、文と武の両方に精通しているということだった。

 そして、このデルカダールには、その双頭の鷲になぞらえられる、英雄と(ほま)れ高き二人の将軍がいるという。

 ひとりは、武勇に優れたグレイグ将軍。愛馬リタリフォンを駆り、何百、何千と魔物を討伐してきた歴戦の戦士。騎士道にも精通した武人であり、その武力は王国一と名高い。彼の武の前には、何者であろうと打ち倒されることになるだろう。

 もうひとりは、知略に優れたホメロス将軍。あらゆる戦術に精通し、わずかな部隊で魔物の大軍を破る、数多くの実績を残しているという軍師である。個人の武力ではグレイグに及ばないものの、戦況に応じた作戦を実行する的確な判断力、迅速な決断力を(あわ)せ持っているという。

 武勇のグレイグと知略のホメロス。ホメロスの作戦のもと、グレイグが戦場に出た時、王国の兵たちは地上に並ぶものなき最強の軍団となるのだ。

 以上が、宿の主人が熱く語ってくれたことだった。

「将軍、お出かけですか?」

「ああ、少し街に出てくる」

「わかりました。お気をつけて」

「ああ。おまえたちも、警備には気を抜くな」

「はっ!」

「――――?」

 城の方向から、風に乗ってかすかに聞こえてきた声に、レヴンは顔をむけた。

 城の方からこの広場に入るあたりに、動きやすそうな服に身を包んだ男と、兵士たちがいた。将軍と呼ばれたのは、その男のようだった。兵士たちが背筋を伸ばして敬礼している。

 男は、見たところ三十代ぐらいだろうか。背はレヴンよりもだいぶ高く、遠目に見ても、非常に鍛え上げられていることがわかる躰つきだった。男としては長めの、肩にかかるぐらいの紫掛かった髪をうしろに撫でつけ、顎髭を生やしている。髪の長さに関しては、レヴンも人のことは言えないが。

 男が、歩き出した。歩き方に隙がない。男が、レヴンと十歩ほどの距離になったあたりで、レヴンの躰が思わず引き締まった。

 強い。そう、肌で感じた。もしも正面から闘ったら、まず打ち倒されるだろう。そう確信させられるほどに、男から感じる気配は強かった。

 世の中、やっぱり上には上がいるんだなあ。そんなことを思った。

 男が、レヴンと()れ違いかけたところで、足を止めた。レヴンに顔をむけてくる。レヴンも、なんとなく彼の顔を見返した。顔立ちは整っているが眼光が鋭く、自他ともに厳しそうな印象を受けた。

「仕官か?」

「え?」

「む、違ったか」

 唐突な言葉に眼を(しばたた)かせると、男が軽く頭を下げた。

「すまん。かなりの(つか)い手のようだったのでな。兵の志願にでも来た者かと勘違いをした」

「あ、そういうことですか」

「うむ。見たところ、かなり若いように思えるが、いくつなのか訊いても構わないか?」

「先日、十六歳になりました」

「十六」

 ぴくり、と男が眉をひそめた気がした。一瞬、視線を下に落としたように見えた。気のせいか、レヴンの手を見たように思えた。

 ふむ、と男がちょっと考えこむ仕草を見せた。

「その若さで、その(たたず)まい。よければ、ほんとうに仕官する気はないか。かなり見込みがありそうだ」

「いえ、そう言って貰えるのはありがたいのですが、いまはひとところに収まる気はないもので」

「旅人か?」

「はい。つい先日旅立って、今日、この街に着いたばかりです」

 そうか、と男が頷いた。

「どこから来たのだ?」

「デルカダールから南に行った先、渓谷(けいこく)地帯の奥にある、イシの村というところです」

「イシの村?」

 男が腕を組み、また考えこむ仕草を見せた。少しして腕組みを解くと、再び軽く頭を下げた。

「すまんな。聞いたことがない。あそこに村があることも知らなかった」

「無理もないと思いますよ。行商人も、近くにある大滝のところまでは来ても、村の方まで来る人は滅多にいないくらいですから」

「それほどにか。気になったのだが、村の中に君以上の遣い手はいるのか?」

「いえ、いません。僕は(わけ)あって、七つぐらいのころから鍛練し続けたもので」

「訳あって、か。その訳とは?」

 妙に訊いてくるな、と思った。

 そう、内心で首を傾げながらも、将軍と呼ばれるぐらいの地位にいる人なのだから、いろいろと気にしなければならないことがあるのだろう、などと思った。

「幼いころ、祖父に連れられて世話になった旅先で、ある人と、ある約束をしました。その約束を果たすためです」

「約束、か。ひょっとして、旅に出たのも?」

「はい。その約束のためです」

 男が口もとに手を当て、再び考えこんだ。

「訊いても、構わないかな?」

「それは、いいですけど」

 大切な約束ではあるが、人に語ること自体に抵抗はない。ただ、身も知らない相手に語るのは、さすがに気が引けた。

 男が、はたと気づいたような仕草を見せた。

「っと、そうだな。名乗りもせずにあれこれ訊きすぎだな。俺は、グレイグと言う。このデルカダールで将軍をやっている」

「レヴンと言います。グレイグ将軍と言いますと、『武勇のグレイグ』と(うた)われる、あの?」

「それを自分で肯定するのもこそばゆいが、そうだ。そのグレイグだ」

 デルカダールで最強と名高い戦士。感じる気の強さに納得した。

「しかし、レヴンか」

 グレイグが、ボソッと呟いた。

「あの、なにか?」

「いや、なんでもない。それで、その約束というのは?」

「それぞれで旅立って、いつか、どこか旅先で出逢ったら、そこからずっと一緒に旅をしよう。そんな約束です」

 グレイグが、目を丸くした。

「旅先で、と言うが、どこで逢おうといったことは?」

「決めてません」

「日取りも?」

「はい」

「その相手というのは、どこの者だ?」

「ラムダというところです」

「ラムダ。まさか、聖地ラムダか。ゼーランダ山を登ったところにあるという?」

「はい。そのラムダです」

「地図上の距離はまだ近くとも、山をいくつも挟んだむこう側だぞ」

 デルカダールは、地図上で見ると、だいたい中心に位置している。その北の方に『命の大樹』が空に浮かび、その命の大樹から西の方に、ラムダはあった。ベロニカ、セーニャと一緒にむかったことのあるクレイモランは、ラムダから西に行き、山と雪原を越えて行った先にあった。

「昔そこに行った時は、クレイモランに船で行って、そこから馬でむかった記憶があります」

「まあ、普通はそうだろうな。だが、どちらにしても、この地域とたやすく行き来できるところではないぞ」

 グレイグが呆れたように言った。

 うーむ、と唸って頬を掻いたグレイグが、再び口を開いた。

「その、こういう言い方をするのは失礼だとは思うのだが、本気で逢えると思っているのか。世界は、君が考えているよりずっと広いのかもしれんのだぞ?」

「世界が広いのは承知しています。でも、そんなふうにまた出逢えたら素敵だと思わないか、って彼女が言ったんです。僕も、そう思いました」

「彼女」

 グレイグが、どこか困惑した様子で言った。

 なにか、と軽く首を傾げたところで、グレイグがどこか言い(にく)そうに口を開いた。

「あー、なんだ、その。その相手というのは、君の恋人、なのか?」

「え」

 困ったように言ってきた言葉の内容に、レヴンの躰が固まった。

 恋人。その言葉を意識した途端、なぜか顔が熱くなった。

「ち、違いますっ。幼馴染みみたいなものでっ。それに当時の僕は六歳で、彼女は二つ上で、お互い子供でしたし!」

「そ、そうか」

 なんとはなしに慌てて言うと、グレイグがまた困惑した様子で言った。

「その、ずっと一緒に旅をしようというのは、君が言ったのか?」

「あ、はい」

「はっきりと?」

「はい。しっかりと憶えています」

「いや、なんというか、さっきまでの話を聞いていると、求婚の言葉かなにかのようにしか思えなくなってしまったのだが」

「きゅ」

 今度は、全身が熱くなった。頭がのぼせてきた気がした。

 求婚。結婚。ベロニカを妻に。住むのはイシの村とラムダのどっちに。

 思考が暴走しそうになったところで、グレイグが苦笑した。

「すまないな。困らせるつもりはなかったんだが」

「い、いえ」

 ゆっくりと深呼吸し、気持ちを落ち着けたところで、グレイグが真っ直ぐにレヴンの眼を見つめた。

「さっきも訊いたが、本気で逢えると思っているか?」

「はい。逢える保証は確かにありませんが、絶対に逢えないとは思いません。きっと逢える。僕は、そう信じています」

「そうか」

 ()(こう)から見返して言うと、グレイグがニヤリと笑った。渋みのある、男の笑い方だった。厳しい印象を受けるが、ただそれだけでなく、どこか大きなものを感じさせた。ただ強いだけではないのだ、となんとなく思った。

「しかし、君とその恋人の話を聞いていると、俺も嫁さんが欲しくなってくるな」

「こ、恋人じゃありませんってば。グ、グレイグ将軍は、結婚などは?」

「武芸一辺倒の無骨者でな。いまみたいなことを言っておきながら、どうにもそういうことを考えるのが苦手で、気がつくと三十半ばだ」

 英雄と言っても、ひと皮()けばこんなものさ、とグレイグが苦笑した。

「すまないな、長話に付き合わせてしまった」

「いえ、楽しかったです。ちょっと困りはしましたけど」

「そうか」

 互いに苦笑し合った。グレイグが、左手を差し出した。握手ということだろう。戦士は、()き手をたやすく相手に預けないという。右手でなく左手であるのは、やはり彼が戦士であるゆえだろう。

 レヴンも左手を差し出し、彼の手を握った。力強い手だった。

 グレイグが、ひとつ頷いた。

「いい手だ。ひとつの目標にむかって努力し続けてきた、男の手だな」

「ありがとうございます」

 言って、どちらともなく手を離した。

「機会があったら、一度手合わせ願いたいものだな」

「その時は、お手柔らかにお願いします」

「お互いにな。デルカダールには、いつまで?」

「三、四日ほど滞在するつもりです。そのあとは、足のむくままに」

「そうか。君がその恋人と再会できるよう、祈っているぞ」

「こ、恋人じゃありませんからっ。それに、その()の双子の妹も一緒の旅ですし」

「その妹さんも、なんとなく俺と同じような感想を抱いている気がするんだがなあ」

「そ、そういえば、グレイグ将軍はどちらに行こうとしていたのですか?」

 恥ずかしくなり、誤魔化すようにそう言ってみると、グレイグが眼を逸らした。

「ま、まあ、なんだ、行きつけの本屋にな」

「そうですか」

 どことなく言いづらそうな雰囲気を感じたため、それだけを言った。

 グレイグが、軽く頭を下げた。なんとなく、感謝された気がした。

「では、縁があったらまた会おう」

「はい。それでは」

 グレイグが去って行った。大きな背中だ、と思った。

 ベロニカのことを思い浮かべる。恋人。

 嫌なわけではない。それどころか、そうなれたらいいなと思う自分がいることに、レヴンはふと気づいた。これは、恋というものなのだろうか。そう考えると、胸が温かくなったように思えた。

 彼女のことを思うと、いつだって胸が温かくなったが、いままでともなにかが違う気がした。

 ひょっとしたら自分は、気づいていなかっただけで、昔からずっと彼女に恋をしていたのだろうか。恋というものを自覚したことで、自分の中でなにかが変わったということなのだろうか。そんなことを思った。

 彼女は、レヴンのことをどう思っているのだろうか。

 友だちだろうか。幼馴染みだろうか。弟のようなものだろうか。それとも彼女も、レヴンのことを、同じように想っていてくれているだろうか。

 それを確かめてみたいと思うと同時、言いようのない、恐怖にも似た思いが、胸に湧き上がってきた気がした。もしも、違う気持ちだったら。そう思うと、胸のどこかが痛んだ気がした。

 不意に、ベロニカに逢うのがこわくなった。

「っ」

 心を奮い立たせ、その恐怖を()ねのける。

 どこにいるのかもわからないのだ。そんなことは、実際に逢ってから思い悩めばいいことだ。そう思い定めた。ベロニカに逢いたいという気持ちは、それ以上に強かった。

 気を取り直して、城に眼をやった。立派な城だった。遠くから見た時も思ったが、美しさを多分に感じさせるクレイモラン城とは対照的な、力強さを感じさせる(おもむき)だった。

「ん?」

 視線を感じ、それとなく周りを見渡すと、兵士も含めた人々が、なにかを話しながらレヴンのことを遠巻きに見ていた。嫌な感じはさほどない。好奇心によるもののような気がした。

 なんだろう、と思ったところで、さっきまで話をしていた相手のことを思い出した。デルカダール王国で、最も有名な人物のひとりであると言っても過言ではないだろうグレイグと談笑していたのだ。人の目を引いても仕方ない。

 目立ち過ぎないように自然な調子で歩き出すと、その場を離れた。視線は、ちらほらと感じられた。

 

 ひと通り、街は見て回った。グレイグと会話していたことが伝わっているところもあったのか、たまに好奇の視線をむけられることもあったが、むこうから話しかけてくる者はいなかった。ただ途中から、好奇の視線に混じって、どこか気になる視線も時々感じた気がした。なにか、嫌な感じのする視線に思えた。

 富裕層の区画はじっくり見れなかったが、そのほかはある程度見て回ることができた。大きな街のため、すべてを回れたわけではないが、いくつか気になることはあった。

 その大きさゆえか、整備がいまひとつ為されていない場所が時折、目につくのだ。路地裏の方では、どこか暗い感じの者たちが、こちらを(うかが)うような視線をむけてきた時もあった。隙を見せてはならない。そう感じさせる視線だった。

 貧困者などが住まう、スラムと呼ばれる荒れ果てた区画もあるらしい。見て見ぬふりをされている区画で、スラムの方からは、一般層や富裕層があるこちらの区画には入れない、ということだった。こちらから行くことは一応できるらしいが、戻ることはできない。ただし、賄賂などを用いることで、秘密()に来ることはできるらしかった。

 情報収集は、主に店からだった。構えてある店なり、露店なり、ちょっと買い物をしたついでに、それとなく話を聞いてみる。そうすると、内容によっては声をひそめるようにしてではあるが、意外といろいろ話してくれる者がいるのだ。テオが語ってくれた話から、なんとなく学んだ手だった。

 グレイグ将軍となにを話していたのか、とその際には聞いてくる者もいた。年齢や出身地、兵士になってみないか、などと訊かれたと答えると、グレイグ将軍から直々(じきじき)に勧誘されたのか、とみんな驚いていた。

 勇者のことも、時々話を聞いてみた。自分が勇者というのは伏せてである。聞くのは噂程度のものだが、いくつか情報は集まった。

 十六年前にユグノアが滅んだのは、勇者のせい。当時、産まれたばかりの赤ん坊だった勇者が、魔物たちを呼んだ。

 勇者は大地に(あだ)なす者。邪悪なる魂を復活させる者。勇者と魔王は表裏一体。

 勇者とは、悪魔の子である。

 こんなものばかりだった。少なくとも、好意的なものはひとつも聞けなかった。それに加えて、この話を広めたのは、デルカダール王だという話だ。こうなるとやはり、王に会うのはやめるべきだろうと思わざるを得なかった。おそらく、即刻捕らえられることになるだろう。

 宿に戻りながら、うかつだったかもしれない、と思った。

 勇者は、十六歳らしきことが、噂であっても広まっているのだ。さっきグレイグがレヴンの年齢に反応したように見えたのも、おそらくそのためだったのではないだろうか。一瞬だけ手を見下ろしたように見えたのも、手に痣があるという話でも聞かされていたのかもしれない。聞いた噂の中にはなかったが、広まらないようにあえて伏せられている可能性は、否定できなかった。

 レヴンの名前を聞いた時の、グレイグの反応も気になった。勇者の名前も噂の中にはなかったが、これもただ広められていなかっただけかもしれない。

 自分のことだというのに、どこか他人事のように思っていたのだろう。勇者が世間ではどう捉えられているのか、真剣に考えていなかった。噂話とともに聞いた、人々の勇者に対する反応を見て、それを痛感した。

 『ユグノアの悲劇』と言われる、ユグノアが滅んだ日。そこにいた人々は、大半の人が魔物の手によって殺されたという。生き残りも確かにいたが、そういった人たちや、友人知人、家族を殺された人からすれば、その魔物を呼んだと言われている『勇者』は、まさに憎むべき怨敵としか言いようがないものだった。このデルカダールで『勇者』について話をしてくれた人の中には、数はそこまでではないが、そんな人もいた。探せば、もっといるのだろう、と思った。

 自分が捕らえられるだけなら、まだいい。決して捕まってもいいわけではないが、それよりも問題なのは、イシの村や、聖地ラムダに(るい)が及ぶかもしれないことだ。勇者、悪魔の子を育てた邪教の里などということになってしまうかもしれない。自分のせいで、みんなに(いわ)れのない罪が(かぶ)せられるなど、たまったものではなかった。

 訊かれるままにグレイグに喋ってしまったのは、失敗だったのだろうか。そう考えるも、グレイグは気持ちのいい好漢(こうかん)だと感じた。あれが演技だったなどとは、考えたくなかった。

 こうなっては、なるようにしかならない。そう考えるとともに、予定を変えて、今日のうちに旅立つことを決めた。グレイグに嘘をついたかたちになってしまうが、やむを得ない。

 グレイグは、このデルカダール王国の騎士であり、忠義に(あつ)い武人だという話だ。悪魔の子とされるレヴンを捕らえに来る可能性は、あり得ることだった。杞憂で済めばそれでいい。レヴンだけの問題では済まなくなる可能性があるのだ。最悪の状況を想定して動くべきだった。

 レヴンが捕らえられ、勇者だと判明さえしなければ、イシの村やラムダにはそこまで酷いことはしないはずだ。あとは、まずは一度イシの村に戻り、レヴンという男が、イシの村に住んでいたことなどなかった、ということにして貰うしかない。そうすれば、レヴンがグレイグに嘘をついたという話で済むはずだ。レヴンの希望的観測でしかないが、そう信じるしかなかった。

 そのあと、イシの村からどこかにむかうとなると、村から東の方にあるデルカコスタ港から、船でほかの大陸に行くか、それとも村の西の方にある『ナプガーナ密林』から、ほかの地域に行くかのどちらかとなる。

 デルカコスタからの船は、タイミングによってはすぐに出られないかもしれない。だが、ナプガーナ密林の方からほかの地域に行くための橋は、壊れているとの話があった。それにこちらは非常に鬱蒼とした樹海で、移動が困難なうえ、かなり強力な魔物が巣食う場所がある。

 タイミングの問題はあるが、デルカコスタに行くしかない。ナプガーナ密林の方は、橋が壊れているという話があるうえ、土地勘がほとんどないのだ。訓練として何度か入ったことはあるが、深くまで立ち入ったことはない。橋を渡る以外でよその地域に行く道までは知らない以上、こちらにむかうのはさすがに無謀すぎた。

 そう考えるとやはり、運を天に任せることになるが、デルカコスタにむかうしかない。レヴンの心配が杞憂に終わり、普通にデルカコスタから船で出られるように、祈るだけだ。そう思い定めた。

 故郷と、思い出の地を、失うのか。

「っ」

 不意に、そんなことが頭に浮かんだ。世界が暗闇に包まれたような暗澹(あんたん)たる気分になったが、歯を食い縛ってそれを振り払った。もう、みんなには逢えないかもしれない。そう思うも、死別するよりはマシだと、自分に言い聞かせた。

 食料や水など、最低限必要な物は買った。まだ明るい時間ではあるが、宿に戻ったら、速やかに引き払おう。時々知覚していた、嫌な匂いのする視線は、いまは感じられない。監視されていたのかどうかはわからないが、とにかくいまは、すぐにでもこの国を去るべきだ。

 そう考え、角を曲がる。この先が、レヴンがとった宿がある通りだ。

「っ?」

 泣いている幼い少女と、困ったようにオロオロしている強面(こわもて)の男性がいた。ほかに人の姿は見当たらなかった。

 一瞬、男性が少女を泣かせたのかと思ったが、男性から嫌な感じは受けなかった。男性は少女を気にしながら、近くにある民家の上の方に時々、視線をむけているように見えた。

「どうかしたんですか?」

 近づきながら、レヴンはそう言っていた。男性が、ハッとした様子でレヴンにむき直った。

 思わず、声をかけてしまった。そんな苦い気持ちがないわけではなかったが、困っている人を見ておきながら、見ぬふりをするのも嫌だった。

「ああ、いや。この子がよ」

「メアリーが、屋根から降りてこないの!」

 男性がなにか言おうとしたところで、少女が泣きながらそう言った。

「メアリー?」

「この子の猫だよ。ほら、あれ」

 男性が指さす方を見ると確かに、猫が屋根の上にいた。

 猫が、助けを求めるように鳴きはじめた。嫌がって降りてこないのではなく、なにか降りてこれない事情があるようだと思った。

「助けに行ってやりたいんだけどよ、俺は高いところがどうしても苦手でさ。通りがかっただけのあんたにこんなことを頼むのは、ひどく申し訳ねえと思う。だけど、恥を忍んで頼む。あの猫を、助けに行って貰えねえかっ!?」

「わかりました」

 返事は、すぐに出ていた。自分でも思わずといった感じではあったが、後悔はなかった。

 助けを求めている人がいるのなら、それに応えたい。誰かのためと言うより、自分のためだ。自分が納得したいだけだ。

 勢いよく頭を下げた男性が、(はじ)かれたように頭を上げ、レヴンの顔を見た。

「ほ、ほんとうか!?」

「はい。ただ、どうやってあそこまで行くか」

 周りを見渡すと、男が近くの建物を指差した。見ると、レヴンがとった宿だった。

「あそこの屋根から、洗濯物を掛けるためのロープがその建物まで張られてるんだけどよ、それを(つた)ってどうにか行けねえかな?」

「そうですね。なんとかなるかも。宿の主人にちょっと断りを入れてきます。そこの民家の方は?」

「出かけてるみてえなんだ。もしもいま帰って来たら俺が説明するから、あんたは宿の方を頼めるか?」

「わかりました」

 答え、宿に駆けて行く。主人に断りを入れると、その場に荷物を置き、それを見ていてくれるよう頼んだあと、宿の屋根に上がった。張られたロープの強度を確かめる。レヴンの体重ぐらいなら、充分支えられそうだった。慎重にロープを伝って行く。

 無事に渡り終えると、屋根から足を踏みはずさないよう、足もとに気をつけながら猫のもとに行った。見ると、猫の足が屋根の(くぼ)みに挟まっていた。猫が痛がらないように、慎重に窪みからその足を抜いた。念のためにホイミをかける。

 ありがとう、とでも言うように、猫がひと声鳴き、擦り寄ってきた。頭をひと撫でし、猫を抱き上げた。猫は大人しく抱かれてくれた。

 屋根から地面までの高さを確認する。この高さなら、飛び降りても問題なさそうだ。男性と少女に注意を促し、飛び降りた。問題なく着地する。

 少女のもとに近づき、視線を合わせるようにして(かが)むと、微笑みながら猫を差し出した。

「はい」

「ありがとう、お兄ちゃん!」

 笑顔とともに、少女が猫を受け取った。よかったね、メアリー、と少女が嬉しそうに声をかけると、猫が少女の顔を何度か舐め、またひと声鳴いた。

 レヴンが立ち上がると、男性が笑いかけてきた。

「ありがとな、あんちゃん」

「どういたしまして。それでは、僕はこれで」

「いや、ちょっと待ってくれ。お礼になにかさせてくれねえか。飯ぐらいなら」

「いえ、お気持ちはありがたいのですが、ちょっと急ぎの用事が」

「この国を出るのか?」

「っ!?」

 聞き覚えのある声が、すぐ背後から聞こえた。いつの間にか間近に(せま)っていた気配に驚愕すると同時、レヴンの背中を冷たいものが走った。

 逃げなければ。

「ぐっ!?」

 動こうとした瞬間、躰が押さえつけられた。ひんやりした硬い感触が、頬に触れていた。舗装された床の感触。いつの間にか地面に組み伏せられていたことに、(つか)()をおいて気づいた。

 金属が触れ合う音や足音とともに、いくつもの気配が近づいて来る。組み伏せられたまま顔を上げた。兵士たちが、レヴンを取り囲んでいた。剣や槍など、みんな武器を構えている。男性と少女は、兵士に促されてちょっと離されていた。なにが起こっているのかわからないとばかりに、茫然(ぼうぜん)としながらレヴンと兵士たちを見ていた。

 もがくが、拘束はまったく(ゆる)む気配がない。特別痛いわけでも、力が加わっている感じでもないのに、振りほどける気がしなかった。

 顔だけふりむくようにして、自分を組み伏せている人物の顔を確認する。鋭い眼光をした、厳しさを感じさせる男。

「グレイグ将軍っ」

 予想はしていたが、当たって欲しくはなかった。グレイグはなんの表情も浮かべず、ただじっとレヴンの顔を見つめていた。今日見た服ではなく、威圧感のある重厚な黒い鎧に身を包んでいた。その背には、彼の身長ほどもある大剣があった。

 再度もがくが、やはりグレイグによる拘束はびくともしない。力づくでこの拘束をはずすのは、まず不可能だと考えるしかなかった。技術的にはずすのも同様だ。ならば。

「やめておけ。君が呪文を唱えるよりも、俺が君の骨を折る方が早い」

「っ!」

 レヴンの思考の先を読んだように、グレイグが淡々と言った。殺気とまではいかないが、声には凄みがあった。本気だと、思わざるを得なかった。

 正面から闘ったら、まず勝てない。そう予想はしていたが、これほどまでとは思っていなかった。声をかけられるまで、気配すら感じ取れなかった。こんな重そうな鎧を(まと)っていながら、物音ひとつ聞こえなかった。

 グレイグの実力は、レヴンよりも数段高い領域にある。自身の見積もりの甘さとともに、それを痛感した。

 剣を油断なく構えたまま、兵士が二人ほど近づいて来た。グレイグは、組み伏せたままのレヴンの左手をとって、片方の兵士に突き出した。もうひとりは、レヴンが腰に着けていた、貴重品を入れている袋をはずし、中を確認しはじめた。

 兵士が、レヴンの左手の手袋をはずした。痣が、(あら)わになった。

 その場にいた兵士たちが、ざわめいた。

「この痣は」

「グレイグ将軍っ!」

 グレイグが声を洩らしたところで、袋を確認していた兵士がなにかを差し出した。袋に入れていた、ヒスイの首飾り。

「この首飾りは、ユグノアの」

 グレイグはそう言うとため息をつき、小さく(かぶり)を振った。

「俺の勘違いであって欲しかったのだがな。残念だ、レヴン」

 グレイグが、ボソッと呟いた。感情を押し殺したような、苦い口調だった気がした。

「レヴン。いや勇者、悪魔の子よ」

 絞り出すように、しかし()(ぜん)として、グレイグが言う。

「君を、いや、おまえを城に連行する」

 グレイグの声は、どこか悲しそうに聞こえた。

 

***

 

 猫を助けてくれた青年が、グレイグをはじめとする兵士たちに連行されて行く。自分は、猫を抱いた少女とともに、それを見送るしかなかった。

 兵士のひとりから、どういうことか説明がなされた。

 いわく、あの青年は、十六年前に『ユグノアの悲劇』をもたらした勇者、『悪魔の子』の疑いが強いとのことだった。疑いが、と言っておきながら、あの対応からして、ほとんど決まりということなのだろう。

 勇者。悪魔の子。災いをもたらす者。そんな噂は、何度となく聞いたことがあった。

 悪魔の子がもしも俺の前に現れたら、ぶっ飛ばしてやるぜ。そんなことを、酒の席で意味もなく(さかな)にして言ってみた時もあった。大抵の人が同じようにして、場を盛り上げるためだけに、無意味にそう言っていた気がした。

 『ユグノアの悲劇』で身内を失うなどといったことで、『悪魔の子』を憎んでいる者も確かにいるが、そういった被害を受けたことのない者なら、こんなものだった。自分は、特に被害を受けていない側の人間だった。

 そのためなのだろうか。『悪魔の子』が捕まったというのに、ひとつも嬉しくなかった。胸にあったのは、どこか後悔に似た思いだけだった。

「ねえ、おじちゃん」

 隣に佇んでいた少女が、手を引いて声をかけてきた。顔を、ゆっくりとむけた。

「どうした、嬢ちゃん?」

 聞き返した声は、自分でも驚くほどに、力がなかった。

「なんでお兄ちゃんは、グレイグ将軍たちに連れていかれちゃったの?」

「それは」

 いまにも泣き出しそうな声に、言葉が詰まった。潤んだ瞳を直視できず、うつむくようにして眼を逸らした。

 あの青年は、勇者、悪魔の子だから。言葉にすれば、これだけだ。

「あのお兄ちゃんが、勇者、悪魔の子だから」

「勇者、悪魔の子ってなに?」

 絞り出すようにして言うと、少女がまた問い掛けてきた。

「災いをもたらす、みんなを苦しめる悪いやつ」

「でも、お兄ちゃんは、メアリーを助けてくれたよ?」

「っ」

 とうとう涙が混じりはじめた少女の言葉に、なにも言えなかった。やるせない思いが、胸中を占めていた。

 少女の言う通りだ、と思った。

 おそらく急ぎの用事というのは、グレイグたちから逃げることだったのではないだろうか。追われることを予想していたように見えた。

 彼は、そんな状況でありながら、身も知らない少女と猫を助けてくれたのだ。自らに危機が差し迫っていたはずなのに、助けてくれたのだ。

 勇者とは、悪魔の子とはなんなのだ。ほんとうに彼は、災いをもたらす存在なのか。とてもではないが、そうは思えなかった。

 難しいことはわからない。ただ、勇者がなんなのかをろくに考えようともせず、ぶっ飛ばしてやるぜなどと言っていた自分が、ひどく愚かなやつに思えてしょうがなかった。

 連れて行かれそうになったところで青年は、ちょっとだけこっちを見ていた。捕まった原因と思われてもしょうがない、と(にら)まれるのを覚悟していた。

 青年がこちらに対してむけた眼からは、怒りや恨みなどは感じ取れなかった。それどころか、こわがられることを恐れているような、どこか恐怖に似た光があった気がした。グレイグや兵士たちにむける眼にも、怒りや憎しみのような、暗いものはなかった気がした。ただ、真っ直ぐな光だったように思えた。

 それが余計に、やるせない気持ちを生んでいた。あんな眼をした青年がほんとうに、悪魔の子などと言われなければならない存在なのか。なにかの間違いなのではないか。

 自分が猫を助けてさえいれば、あの青年は捕らえられずに済んだのではないか。

 不意に、そんな思いが、胸に湧き上がってきた。拳を強く握り締める。拳が、震えていた。

 もう一度、あの青年と話をしたい。

 顔を上げ、城に眼をやる。青年の無事を祈りながら、城をじっと見つめ続けた。

 




 


『魔物が斃されると宝石になる』というのは『アベル伝説』から。おそらくは、最も外見が恰好いい『バラモス』が出てくる作品。

仲間になるまでは「ええい、この脳筋め! 話を聞きやがれ!」となり、仲間になった直後あたりはなんだか複雑な気持ちになり、ドゥルダのムフフ本で「え?」となり、その後はひたすらに面白い人という評価で好感度がどんどん上がった男、あざとさの塊、そんなグレイグ将軍。
 


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Level:4 勇者脱走

 グレイグたちに捕らえられたまま、城の中を素直に歩き続ける。階段を上り、通路を進む。

 特に拘束はされていないが、逃げるのは無理だろうと思った。レヴンの前を進み続けるグレイグの背中からは、一切の(すき)が見受けられなかった。逃げ出すそぶりをわずかにでも見せようものなら、おそらくただちに打ち据えられることになる。それが、レヴンの頭にありありと思い浮かんだ。

 いまはとにかく、機会を待つしかない。自分に言い聞かせるようにして、周りを視線だけで見ながら、足を進めた。

「無駄だ、悪魔の子よ」

「っ」

「いまこの城は、厳重な警戒態勢に入っている。おまえを捕らえながらも逃げられた、などということがないようにな」

 ふりむきもせず、()()ぐに正面だけを見ながら、グレイグが静かに言った。レヴンの眼の動きすら感じとったというのだろうか。あるいは、レヴンの気配だけでそれを読み取ったのかもしれない。いずれにしても、やはりグレイグの実力は、レヴンよりも数段高いところにある。捕らえられた時にも思ったが、そう考えるしかなかった。

 周りの兵士たちからは、グレイグほどの気配は感じられないが、それでもかなりの実力者ばかりのように感じられた。ひとりひとりなら負けるとは思わないが、複数でかかって来られると、どうなるかわからなかった。

「最初から、僕のことを疑っていたんですか?」

「いや。最初はおまえに言った通り、かなりの手練(てだ)れと感じたからだ。さらに鍛えれば、どれほどの戦士になるのだろうか。そう思わせるものも感じた。勧誘したのは、俺の本心だった」

 意外なことに、グレイグは素直に答えてきた。周りの兵士たちは特に反応も見せず、レヴンの動きを警戒しながら歩いていた。

「十六歳という年齢。左手にあるはずの(あざ)を隠せる、手に()めたグローブ。とはいっても、別にこれだけなら、特に珍しいものではない。だが、レヴンという名前までとなると、気にしないわけにはいかなかった」

「それはつまり」

「そうだ。当時産まれたばかりだったユグノアの王子にして、勇者の生まれ変わりと(もく)されていた赤子の名前だ」

「ユグノアの、王子?」

 後半は予想していたが、前半は予想していないものだった。

「そこは、噂として広めていない部分だったな。おまえ自身は、自分の()(じょう)をどこまで知っている?」

「僕が聞いたのは、僕が勇者の生まれ変わりだという話と、ヒスイの首飾りをデルカダール王に見せた時、なにかが変わるだろうといったことだけです。それを言った母も、祖父から聞いたことを伝えただけで、なにかを知っていたらしき祖父自身は、数年前に(やまい)で亡くなっています」

「そうか。『勇者』の噂を詳しく聞いたのは、街で俺と出会ってからだな?」

 問うというよりは、確認といった調子の声だった。

「はい。なぜ、そう思います?」

「聞いていたなら、あそこまで無防備に話はしないだろうと思った。事実、おまえは街をすぐに出ようとしたようだからな。街の者たちの一部から、『勇者』のことを訊いていたという証言もとれている」

「やはり、監視していたのですか?」

「それとなく見張れ、といった程度にな。あとは、いま言った通り、街の者からなにを訊いたのか確認し、おまえがとっていたという宿の方にむかった。気配を察知されないよう、部下たちは少し離しておいてな」

「グレイグ将軍があの場に来たのは、いつですか?」

「おまえが、屋根から飛び降りたあたりだ」

「あの時でしたか」

 もっと早くあの少女のもとに行って、もっと迅速に猫を助けていれば、まだ逃げられたかもしれない。そんなことを思った。

「惜しいな」

 グレイグが言った。なにに対して言っているのだろうか、と思った。あと少しで逃げられたのにな、という言い方ではなかった気がした。

「なにが、ですか?」

「おまえが『悪魔の子』でなければ、助命の嘆願書を書いていたかもしれん。そう思っただけだ」

「え?」

 もう話すことはない、ということなのか、グレイグはなにも答えなかった。グレイグの背中が、これ以上の会話を拒否していた。

 捕まってから城に入るまでの間に街の人たちから受けた視線を、ふっと思い出す。

 怒り。恐怖。困惑。いろいろな視線があった。その中には、今日、レヴンが話をした人たちもいた。少しではあるが、談笑した者もいた。

 そういった人たちがレヴンを、まるで魔物を見るような眼で見ていた。それが、つらかった。

 ひとつ救いがあるとすれば、レヴンが捕まった現場にいた少女と男性からは、そんな視線を受けずに済んだことだろうか。事態の(すい)()についていけなかっただけかもしれないが、それでもちょっとだけ安堵することができた。

 しばらく行くと、ひと(きわ)豪華な扉が見えた。

 その扉の前で、止まった。

 兵士のひとりが扉を開ける。奥の方にある立派な椅子、玉座に腰掛けた人が見えた。その横には、グレイグとは対照的な白い鎧を(まと)った、金髪の騎士がいた。扉から玉座までの道を作るように、立派な絨毯(じゅうたん)が床に()かれており、その左右には数人の兵士たちが、槍を立てて一列ずつ並んでいた。直立し、油断なく佇んでいる。

 再び歩き出す。中の様子はやはり豪奢なもので、かなり広い空間だった。むかい合う兵士たちの間を通るようにして進み、玉座まであと数歩程度の距離で、止まった。

 玉座に腰掛けていたのは、仕立てのいい(ころも)に身を包み、立派な(ひげ)をたくわえた、眼光の鋭い老人だった。実物ははじめて見たが、頭には王冠らしき物を被っている。髪も髭も、どちらも真っ白だが、弱々しい雰囲気はない。それどころか、グレイグとはまた違った凄みが感じられ、貫禄にいたってはグレイグ以上だと思った。

 だが、なにか妙な感じも受けた。なにがどうとは説明できないが、嫌な感じがあった。言ってしまえば、邪悪な気配のように思えた。

「その者がそうか、グレイグよ?」

 老人が言った。嫌な感じは、ますます強くなった気がした。

「はい、我が王よ。この者が勇者、悪魔の子、レヴンです」

 グレイグが答えた。示し合わせていたかのように、レヴンの左にいた兵士が、レヴンの左手を掴んだ。痣が老人、デルカダール王によく見えるよう、左手を掲げさせられた。抵抗はしなかった。レヴンの左手の痣をじっと見るデルカダール王を、レヴンもじっと見つめた。

「その痣。間違いないな。あの時の赤ん坊だ」

 デルカダール王が、確信を持って頷いた。続いて、兵士のひとりがデルカダール王に近づき、(ひざまず)くようにしてなにかを差し出した。デルカダール王がそれを手に取る。ヒスイの首飾りだった。

 ヒスイの首飾りを見定めるようにして、じっくりと見ていたデルカダール王が、ゆっくりと頷いた。

「これも、間違いないな。ユグノア王家の者であることを示す、ユグノアの首飾りだ」

「では、やはり」

「うむ。ようやく見つかったな」

 グレイグの言葉に、デルカダール王が重々しく頷いた。デルカダール王の声は、どこか喜色を含んでいるように思えた。嫌な感じが(とど)まることなく大きくなり続けている。

 嫌な気配は、デルカダール王ほどではないが、金髪の騎士からも感じていた。グレイグやほかの兵士たちからは感じられないこともあって、それがどうにも気になった。

「グレイグよ。この者は、どこから来たのだ?」

 デルカダール王が言った。

「はっ。ここから南に行った渓谷(けいこく)地帯の奥にある、イシという村からだそうです」

「そうか。ホメロス」

「はっ!」

 デルカダール王が呼びかけると、金髪の騎士、ホメロスが声を上げた。

「行け」

「はっ。お任せください」

 ホメロスが、優雅さを感じさせる仕草で礼をした。デルカダール王が頷く。

 ホメロスがレヴンにむき直り、ニヤリと笑った。

 嫌な笑い方だ、とレヴンは直感的に思った。細面(ほそおもて)の、美形と言い切っていい顔立ちのはずだが、なにか気味の悪いものを感じてしょうがなかった。

「なにを、する気ですか」

 視線をデルカダール王にむけ、顔をじっと見つめる。

「決まっておろう。悪魔の子を育てた邪教の村を、焼き払いに行く」

「っ!?」

 デルカダール王は、なにもおかしなことなどないとばかりに、平然と言った。あまりにも自然と返され、レヴンは二の句が継げなかった。

 ホメロスが歩き出す。レヴンの脇を通りかけたところで、思わずその腕を掴んだ。

 周りの兵士たちはレヴンに武器をむけたが、それを気にしている余裕はなかった。ホメロスも特に気にした様子はなく、レヴンにゆっくりと顔をむけた。ホメロスの視線は、まるでゴミを見るかのようなものに思えた。

「なにかな、悪魔の子よ?」

 ホメロスが、もったいぶった調子で言った。人を見下しているような、そんな嫌味さをなんとなく感じた。

「村の人たちはなにも知りませんっ。なにかを知っていたらしき祖父はすでに他界して」

「ふん」

「っ!?」

 ホメロスが鼻で笑い、レヴンの腕を振り払った。

「悪魔の子の言葉など信じられるわけがなかろう。それを確かめるのも含めて、その村に行くのだ」

 馬鹿にするようにして、ホメロスが言った。

「なら、なぜ焼き払うなどと」

「焼き払うのは確定事項だ。悪魔の子を育てたのだぞ。当然ではないか」

「な」

 ホメロスはなんの気負(きお)った様子もなくそう言うと、再び絶句したレヴンから、もう興味はないとばかりに顔を(そむ)け、また歩き出した。

 止めなければと、飛びかかるために脚に力を入れた。

「がっ!?」

 飛びかかる前に、誰かに躰を押さえつけられた。持ち上げられ、そのまま床に思いっきり叩きつけられた。

 二度三度と躰が(はず)み、壁にぶつかったところで、止まった。そのまま床に倒れこむ。とっさに受け身はとっていたものの、衝撃は凄まじく、痛みに立ち上がることもできないほどで、床に倒れたままとなった。

 痛みによって呼吸もろくにできず、それでもホメロスを止めようと手を伸ばすが、彼はもうレヴンを気にすることなく扉を開け、何人かの兵士とともに出て行った。力が抜けた手が、床に落ちた。

 影が、レヴンを覆った。床に倒れたまま、なんとか顔を上げる。グレイグがレヴンを見下ろしていた。やはり、なんの感情も感じさせない表情で、じっとレヴンを見ていた。おそらく、さっきレヴンを押さえたのは、グレイグ。

「グレイグよ。その災いを呼ぶ者を、地下牢にぶちこむのじゃ」

「はっ」

「待、て、みんなに、手を、出すなっ」

 絞り出すようにして言うが、デルカダール王もグレイグも、レヴンを気にした様子がなかった。

 いままで感じたことのない無力感が、レヴンを(さいな)んでいた。

 

 グレイグに、荷物のように肩に担がれ、階段を下りていく。ずいぶんと階段を下りているというのに、まだ着かない。かなり深いところにある階層のようだった。

 躰の痛みは少しずつ引いてはいるが、まだ自由に動けるほどではなかった。グレイグもそれをわかっているのだろう。どこか無造作な感じがあった。周りには数人の兵士もいるが、彼らもどこか安心している様子だった。

 やがて、階段が終わった。さらに歩いていく。

 燭台に火は(とも)っているが、それでも暗さを感じさせる場所だった。城の最下層にある牢で、重犯罪人が(とら)われる牢獄だということだった。

 牢がいくつも見えた。グレイグに下ろされる。ふらつきながらも脚に力を入れ、グレイグの顔を見上げた。やはり彼は、無表情のままレヴンを見返していた。

「歩け」

 グレイグに言われ、大人しく彼が(うなが)す方に歩き出した。躰はまだ痛むが、なんとか歩けるぐらいにはなっていた。

 しばらく歩いた先、一番奥にある右手の牢を、先に進んでいた兵士が開けた。そこが、レヴンが入れられる牢のようだった。

 入れられる前に、両手を()げさせられ、兵士たちに拘束された。なにか隠し持っていないか、検査するとのことだった。グレイグは、レヴンの動きを監視するように、眼を光らせていた。

 この服には、いろいろと小物を入れられるように、ポケットがあちらこちらに着けてある。とはいっても、薬草など、もしもの場合に使用する物などは入れているが、基本的にそう大した物は入れていない。たったひとつ、なによりも大事な物を除いて。

「ん?」

「っ!」

 兵士のひとりが、レヴンが胸もとに大事に入れていた物を取り出し、(いぶか)()に声を()らした。大切な、彼女から(もら)った思い出の品。

「リボン?」

「返してください」

「なに?」

「それは、僕の大切な物です。返してください」

 手を出してしまいそうになったが、(つと)めて冷静に言った。

 リボンを取った兵士が、小馬鹿にしたように鼻で笑った。

「牢に入れられる分際で、そんなことが言える立場だとでも」

「返せっ!!」

 頭がかっとなり、意識する前に躰が動いていた。痛みはまだあったが、無理矢理それは無視した。腕を押さえていた兵士を振り払い、リボンを握った兵士の腕を、両腕で掴んだ。

 (あっ)()にとられていた周りの兵士たちが、ハッとしてレヴンの躰を引き()がそうとした。痛みによって、普段とはほど遠い力しか出せなかったが、兵士の腕は離さなかった。

 リボンを離すまで、この手は離さない。その思いだけが頭にあった。

 腕を掴まれた兵士が、(うめ)き声を洩らしはじめた。腕を掴まれている痛みゆえであろうと思ったが、力を緩めはしなかった。腕を握り潰さんばかりに、ますます力をこめた。兵士の呻き声が、さらに大きくなった。すでに、悲鳴に近いものとなっていた。

 周りの兵士たちの何人かが、力づくで引き剥がそうと拳を振りかぶった。

「待て」

 その言葉に、兵士たちの動きが止まった。グレイグだった。思わずレヴンも、少しだけ力を緩めた。

 グレイグはリボンを持った兵士に近づくと、それをそっと引き抜き、まじまじと見つめた。

 少しして、グレイグがレヴンにリボンを突き出した。兵士の腕を離すと、すぐさま受け取り、胸に()(いだ)いた。ほっと、安堵の息をついた。

 グレイグが、呆気にとられた様子の兵士たちを見回した。

「ただのリボンだ」

『は、はっ!』

 グレイグがそう言うと、兵士たちが戸惑いながらも返事をした。

 あとは、特にこれといった物は見つからず、身体検査が終了し、牢に入れられた。薬草などは、念のためとして没収されたが、リボンだけは残して貰えた。リボンは再び、胸もとに大事に仕舞った。

「少し、こいつと話したいことがある。おまえたちは戻れ」

『はっ!』

 グレイグの指示に、兵士たちが従い、去って行った。人の気配は、自分たちのものだけとなった。

「そのリボン。それほどまでに大事な物なのか?」

「はい。彼女と別れる時に渡された、大切な思い出の品です」

「そうか」

 グレイグが、眼を閉じた。

 複雑な思いが、レヴンの胸に渦巻いていた。グレイグは、確かにレヴンを捕らえた張本人だ。だが、不思議と憎む気にはなれなかった。さっきリボンを返してくれたからかもしれないし、街で会話したせいかもしれない。

 さっき玉座の間で投げられたのも、仕方のないことだったと理解している。もしも実際に飛びかかっていたら、兵士たちかホメロス本人に斬られていたかもしれない。それを防ぐのも含めて、グレイグはああしたのだろう。

 グレイグが、眼を開いた。

「三日もすれば、おまえの言うことが真実かどうかわかるだろう」

「え?」

「三日もすれば、探索に出たホメロスが戻ってくる。おまえの命は、それまでと思うがいい」

「っ」

 淡々と言われ、思わず顔をゆがめた。

 どうすればいい。頼れるものは、なにもない。

「この牢獄の壁は、魔法では破壊できない。魔法に対しての強化処理を(ほどこ)しているのでな。物理的な力なら不可能ではないが、それは人の力で(かな)うものではない。おまえにそこまでの力はないだろう。そしてこの鉄格子は、魔法の効果が失われるように作られている。牢屋内で使うのは可能だが、牢屋の内から外への魔法は、なんであろうとかき消されることになる。鉄格子の隙間から手を出して放とうとしても、同じだ」

 ぎりっと、歯を喰いしばった。

 少しずつ強くなる。それでいいと思っていたし、力を()りどころにする気もなかった。

 しかしいまは、力が欲しくてしょうがなかった。無力であることが、これほどまでにつらいことだと、思っていなかった。

「後悔しているか?」

 グレイグの言葉に拳を震わせ、頷いた。震わせた拳に視線を落とす。

「もっと、僕に力があれば」

「違う」

「え?」

 顔を上げ、グレイグの顔を見た。グレイグが、レヴンの眼を見つめてきた。

「あの少女たちを助けたことをだ」

 なにを言っているのかわからず、思わず首を傾げた。

「あの少女たちを助けたことで、おまえはこうして捕らえられることになった。おまえが助けなくても、あの猫は誰かに助けて貰えたかもしれない。そう思ったりはしないのか?」

「あのことで僕に後悔があるとすれば、もっと早くにあの場所へ行って、猫を助けるための行動を迅速にしていれば、捕まらずに済んだかもしれない。そんなところです」

「助けたことを、後悔はしていない、と?」

「はい。確かにグレイグ将軍の言う通り、僕が助けなくても、誰かが助けたかもしれません。だけど、あそこで見捨てたら僕はきっと、見捨てたことをずっと後悔しながら生きていくことになったと思います。その方が、僕は嫌です」

 真っ直ぐに見つめ返し、グレイグに言った。グレイグも、真っ直ぐに見つめたままだった。

 グレイグが、ため息をついた。

「ほんとうに、なぜおまえが、悪魔の子なのだろうな」

 残念そうにグレイグが言った。後悔の念は感じないが、ただただ残念そうだった。

「グレイグ将軍」

「聞いておくことがある。イシの村の者たちは、ほんとうになにも知らないのだな?」

 グレイグの言葉にハッとすると、ゆっくりと頷いた。

「はい。それに、『勇者』の噂も村までは届きませんでした。そのために、おとぎ話にあるような、勇者とは、大いなる闇を打ち払う者という認識です」

「『勇者』を(かくま)っていたわけではない、ということだな?」

「はい。祖父が、テオという老人が、川を流れて来た赤ん坊である僕を拾い、ペルラという女性が義理の母となって、村で育ててくれた。それだけです」

 テオたちを他人のように言うのは嫌だったが、言わなければならないことだった。

「村の人たちに罪はありません。ラムダの方も、半年ほど滞在しただけで、なにも関係ありません」

「わかった。確認はしなければならないが、不必要に村人たちを傷つけるような真似はしないと約束しよう。だが、半年いただけのラムダはともかく、イシの村は焼き払わなければならん」

「なっ」

「それは、無理矢理にでも納得して貰いたい。ユグノアの悲劇のために、悪魔の子を憎んでいる者は方々(ほうぼう)にいる。なにかしら、村人たちも被害者なのだと、やりすぎではないのかと思わせるぐらいのことでもしなければ、八つ当たり(まが)いに村へ押しかけてくる者も現れかねん」

「村の人たちは、どうなるんですか?」

「捕らえられ、ほとぼりが冷めるまで、この城の牢に囚われることとなるだろう。理由は、いま言ったのと同じことだ」

 グレイグなりの精一杯の譲歩であり配慮なのだと、理解はしている。それでも、いままで一緒に過ごしてきた人たちが囚われ、故郷が焼き払われるというのは、耐え(がた)いことだった。

「もうひとつ、聞いておきたいことがある」

「っ、なんでしょうか」

 動揺をなんとか鎮め、聞き返した。

「おまえと約束した、ラムダの姉妹の名は?」

「なぜ、そんなことを?」

「おまえが約束を果たせなくなったことを、伝えなければならないだろう?」

「っ!」

 はじめて、グレイグに対する怒りが湧き上がった。鋭く睨みつけると、グレイグがどこか満足そうにニヤリと笑った。

「それで?」

「結構です。約束を破る気は、毛頭(もうとう)ありませんので」

「そうか」

 グレイグはあっさり引き下がると、牢から離れ、歩き出した。話は終わりということなのだろう。

 最後の約束のことについてはともかく、ほかの件については、複雑な気持ちではあるが感謝の言葉を言おうかと思ったが、やめた。彼の背中は、それを拒んでいるように見えた。

 さっきの、約束に対する言葉は、レヴンに対する挑発だったのかもしれない。冷静になってみると、発破をかけられたような感じだった。

 本気で立ちむかってこい。そう言われた気がした。

「ベホイミ」

 ホイミより強力な回復効果を持つ呪文を唱え、躰を(いや)す。痛みが徐々に引いていく。

 グレイグが言った通り、魔法自体は使えるようだった。そのことに、ちょっとだけほっとした。

 少しして、痛みは消え去った。ふうっ、と息をついた。

「おい」

「っ!?」

 突然声をかけられ、レヴンは驚きに躰を震わせた。声をかけられた方に顔をむける。

 向かいの牢に、人がいた。壁に背中を預けるような恰好で座っている。フードを被っていて、顔はよく見えなかったが、声と体格からして、男だろうと思った。

 牢の扉は閉まっており、彼がずっとそこにいたことを示していた。

 人の気配は、感じられなかった。いまも、そこにいるとはっきり見えているのに、気配はかなり薄く、眼を離したら消えてしまうのではないかと思えるぐらいだった。

 男が、首を傾げたように見えた。

「どうした?」

「いえ、まさか人がいるとは思わなかったもので」

 そう言うと、男はキョトンとしたあと、ああ、と納得したように頷いた。

「ここにぶちこまれるまでは盗賊をやってたもんでな。なんとなく気配を消しちまうんだよ。驚かせて悪かったな」

「はあ」

「まあ、それはともかくだ。ちょっと訊きたいんだが、あんたが勇者だってのは、ほんとうか?」

「はい」

 一瞬、答えるかどうか迷ったが、はっきりと頷いた。

 どこか、他人(ひと)事のように思っていた。その意識が、この事態を招いた一因だった。

 自分が勇者なのだと、受け入れなければならない。強くそう思った。

 それに、話を聞かれていた以上、ここで誤魔化すことに意味がない。どんな反応をされようと、ここははっきりと答えるべきだ、と思った。

「マジかよ。まさか、勇者さまが同じ牢だと。あの予言はほんとうだったってわけかよ」

 男が、誰にともなく言った。信じられないと言わんばかりの言い方だったが、同時にどこか嬉しそうにも思えた。

「あの?」

「っと、悪いな。詳しい話をしたいところではあるが、ここじゃ落ち着いて話もできねえ。ちょっと協力してくれないか?」

「協力?」

「そろそろ飯の時間でな。兵士がオレの牢に飯を置くあたりで、兵士の注意を引いてくれないか?」

「わかりました。派手な音を立てても?」

 いまの自分には頼るものがない。ここからどうやって脱出するかの当てもない。いや、ひとつ考えている手段はあるが、できることならやりたくないことだった。成功するかどうかの確証もないし、なによりも、無用な犠牲を出しかねない手だった。

 目の前の男が何者かはわからないが、不思議と悪人とは思えなかった。ならば、信じるだけだ。そう思い定めた。

 男が、レヴンをじっと見つめた気がした。

「なにか?」

「いや、ずいぶんとあっさり言うんだな、と思ってな。なにをする気か、とか聞かないのか?」

「脱獄でしょう?」

 そう言うと、男がポカンとした。

 少しして男が、クックック、と低く笑った。

「どうしました?」

「いや、なんだな。さっきのグレイグとの会話を聞いてた時にも思ったけどよ、面白い奴だな、と思ってな。なあ、もっと砕けた(しゃべ)り方にしてくれないか。オレ、おまえで呼び合いたい」

「わかりました。いや、わかった。僕は、レヴン」

「カミュだ。っと、来たな。音は、多少派手でも構わない。頼むぜ、レヴン」

 男、カミュに少し遅れて、人の気配に気づいた。階段を下り、こちらにむかって来る。数は、ひとり。足音が聞こえてきた。

 鉄格子から、覗くようにして、気配が近づいて来る方を見る。思った通り、兵士がひとり。食べ物が入れられているのだろう、食器を持っていた。カミュは、壁に背中を預けたままだった。

 兵士は、レヴンにチラッと視線をむけたが、牢の中ではなにもできないと踏んでいるのか、すぐに視線をはずし、カミュの牢にむき直った。

「お待ちかねの食事の時間だ。俺が離れるまで、近づくなよ?」

 牢の前に立ち、兵士が言った。カミュの動きを警戒しているようだった。

 鉄格子の下の、食事を牢の内側に入れるための隙間に兵士が食器を入れようとしたところでレヴンは、兵士を見ながら自分の牢の壁に(てのひら)をむけた。

「メラ」

「っ!?」

 口の中で呟き、火球を放つ。火球が壁に当たり、大きな音が響いた。壁に当ててもかき消されるようだったら、鉄格子を蹴りつけるつもりでいたのだが、いい意味で当てがはずれてくれたようだった。

 兵士がびくっと躰を震わせ、思わずといった調子でレヴンの方にふりむいた。

「っ?」

 気がつくと、兵士のうしろにカミュがいた。いつ立って、いつ移動したのか、レヴンにもわからなかった。いや、見えてはいたのだが、なぜか反応ができなかった、という感じだった。

 カミュが、兵士の首を絞めるようにして手を添えた。兵士は呻き声を洩らすと、躰の力が抜けたようにグッタリとした。カミュは兵士の躰を支えると、手早く兵士の躰をまさぐり、鍵束を手に取った。

 レヴンの視線に気づいたのか、カミュが軽く手を振った。

「殺しはしてない。気絶させただけさ。人の物は()っても命までは()らねえってのが、一応ポリシーなんでな。まあ、盗みを働いてる時点で、そんな威張れたもんじゃないがな」

「そう。よかった」

 カミュの答えにほっとした。兵士が死んでいないこともそうだが、カミュが、人殺しや盗みを、よくないことと認識していることに、安心していた。

 カミュは扉の鍵を開けると、兵士を自分の牢の中に引き()りこんだ。兵士が腰に()いていた剣をはずし、レヴンの方に歩いて来る。カミュの身長は、レヴンよりもやや低いようだった。

 カミュは一度、牢の扉のあたりで立ち止まり、警戒するように通路を覗きこむと、再びレヴンの方に歩き出した。レヴンの牢の前に立ったカミュが、鍵束から一本、鍵を取り出し、鍵穴に差しこんだ。レヴンの牢の扉が、開いた。

「ありがとう」

「おいおい。礼を言うのはまだ早いんじゃないか。オレがもし、おまえを殺すつもりだったら、どうするんだ?」

「その時は抵抗させてもらうよ。まだ死ぬわけにはいかないからね」

「さっき言ってた、約束のため、か?」

「うん」 

 フードの下からこちらにむけられた眼を、真っ直ぐに見返しながら答えた。

 じっとレヴンを見つめていたカミュが、苦笑した。

「来な」

 カミュが、レヴンの牢を出た。レヴンも素直に着いていく。カミュは、自分がいた牢に戻ると、粗末な寝床の横に立ち、それを見下ろした。レヴンもカミュの横に立ち、寝床を見下ろした。この寝床に、なにかあるということだろうか。

 階段の方から、また気配を感じた。兵士の帰りが遅いと思ったのか、それともさっきのメラの音のせいか、はたまたほかの理由かはわからないが、少なくとも脱獄したとは考えていないのだろう。気配はひとつだけのうえ、足音が無警戒だった。

「カミュ」

「もうひとり来たか。ちょっと待ってな」

 そう言うとカミュは、剣を持ったまま疾風(はやて)のように()け出した。レヴンは、思わず眼を見張った。

 レヴン以上かと思わせる速さもさることながら、足音がまったく聞こえない。駆けているはずなのに、異様に気配も薄い。

 牢からちょっとだけ顔を出す。カミュが、階段に(つな)がる通路の角から現れた兵士に、当て身を食らわせるところが見えた。呻き声がかすかに聞こえ、兵士がグッタリした。

 カミュが兵士を引き摺り、階段の横にある、ここから見て通路の奥の部屋に入っていった。

 少ししてカミュが、剣を二本と、なにかを持って部屋を出てきた。こちらに駆けて来る。やはり、速い。足音も聞こえない。気配も薄い。

 駆け寄って来たカミュが、持っていた物、袋を差し出した。見覚えがある袋だった。

「これ、おまえのだろ?」

 頷いた。レヴンの使っていた、貴重品を入れる袋だった。

 礼を言って受け取り、中を確認する。財布などはちゃんとあったし、ヒスイの首飾りが一緒に入っているのも見つけた。ヒスイの首飾りがあることに、不思議とほっとしている自分がいた。

「あの部屋に囚人の荷物を保管していたみたいでな。オレも、愛用してた短剣を見つけた」

 その言葉に、カミュの姿を改めて見てみると、さっきまではなかった短剣が、彼の腰にあった。

「おまえの、旅の荷物らしき物もあったんだが、そっちを持って逃げるのは、さすがに難しい」

「大切な物は、ここにあるから大丈夫。ありがとう。それにしても、よくそんなふうに気配を消せるね。足音も全然聞こえないし」

「ん、ああ。ちっとばかり、警備が厳重なところに入る理由があったんでな。そのために必死で身に着けたんだよ」

「厳重なところに?」

「まあ、なんだ。オレも、約束みたいなものがあってな」

 フードを被っているうえに顔を背けられ、表情は見えなかったが、どこかつらそうな雰囲気があった。

「それで、あちこちを巡って、一年前ようやくその目的の物を盗み出すことはできたんだが、とんでもねえやつが出張(でば)ってきてな。捕まっちまったってわけだ」

「とんでもないやつ?」

「さっきまでおまえと話してたやつさ」

 ああ、と納得した。

「グレイグ将軍か」

「ああ。気配を消すのには自信があったんだがな、正確に察知してきやがって、あえなく御用になっちまった。武勇のグレイグって呼ばれてんのは、伊達(だて)じゃねえってところだな」

「ほんとうに、とんでもないね」

 仮に、カミュを捕まえなければならない立場に立ったとして、実際に捕まえられるかというと、できる気がしない。それほどまでに、カミュの気配の消し方は堂に()ったものだった。

 それをやってのけるグレイグの技量は、いったいどれほどの高みにあるというのだろうか。

 彼はおそらく、これからもレヴンの前に立ち塞がることになるだろう。

 あの人に、勝ちたい。あの人を超えたい。(おじ)()づくよりも先に、不思議とそんな思いが胸に燃え上がっていた。

 闘志。そう呼ぶべきものなのかもしれない、と思った。

「とにかく、いまはここを脱出しないとな。ちょっと手伝ってくれ」

「うん」

 寝床の横に行き、カミュとともにそれをどかした。カミュが、寝床があった場所に(かが)みこみ、床の石畳の石に手をかけた。そのまま石を持ち上げる。

 床に、穴が()いていた。人がひとり通れるぐらいの穴だった。

「これは」

「脱獄のために、ちょっとずつ空けていった穴さ」

「よく空けたね、こんな大きな穴」

「ああ。兵士の眼を盗んで、少しずつ」

 そこでカミュが、なにかに気づいたように言葉を止めた。

「カミュ?」

「いや、なんでもねえ。そんで、今日脱獄するつもりだったんだ。そんな日におまえが来たのは、運命とかそういうもんなのかもしれねえな」

「さっきも、予言がどうとか言ってたね」

「ああ。その辺のことは折を見て話す。とりあえず、これ使いな」

 二本持っていた『兵士の剣』の内、一本を渡された。礼を言って受け取り、一度剣を抜いた。

 複雑な気持ちではあるが、愛用していた『イシのつるぎ』よりも出来はいいようだった。そこまで見てとると、剣を鞘に納めた。

「よし。行こうぜ」

「うん。あ、ちょっと待って。確認しておきたいことがあるんだ」

「ん?」

「メラ」

 鉄格子にむかって火球を放つ。鉄格子に当たるあたりで、火球が消滅した。

 今度は鉄格子に近づき、鉄格子から手を出すようにしてメラを唱える。火球が生まれることもなく、魔法がかき消された感じがあった。

 ()(げん)そうなカミュに近づくと、牢の中に倒れている兵士にむかって、指を突き出した。

「お、おいっ」

「ラリホー」

 牢の中に倒れている兵士にむかって、眠りの呪文をかける。兵士の眠りが、さっきよりも深くなった感じがあった。

「なるほど。言っていた通りか」

「おいおい、ちょっと焦ったぜ。気絶している兵士にまでメラ使うのかって」

「あ、ごめん。でも、無力化した人に攻撃したりはしないよ。それだけは誓う」

「そうか。いやオレも疑って悪かったな。なんでそんなことしたかは、あとで聞く」

「うん。じゃあ、行こう」

「おう。おまえから先に行きな。一応、うしろを警戒しとく」

「うん」

 答え、穴に入った。真っ暗だ。

 どこに辿り着くのだろうか。

 どこかに辿り着けるのだろうか。

 『勇者』として、僕はどこへむかえばいいのだろうか。

 リボンを仕舞いこんだ胸もとに手を当て、頭に浮かんだそんな言葉を、レヴンは振り払った。

 

***

 

 見事な馬だ。

 宿の(うまや)に繋がれている、立派な黒馬を見て、グレイグは素直にそう思った。馬の額には、白い模様があった。なんとなく、(いかづち)を思い出す模様だった。

 あたりは、すでに暗くなっていた。周囲に備え付けられた燭台に灯された火のゆらめきと、窓から差す月の光を受けた馬の姿は、悪魔の操る魔獣のようにも、神話に現れる聖獣のようにも思えた。

 愛馬リタリフォンに勝るとも劣らない、まさに名馬と呼んで差し支えないだろう。ひと目見ただけでそう思えるほどの馬だった。

 レヴンの馬らしいが、馬とは思えないほどの気を感じさせた。兵士たちが城に()いていこうとしたらしいが、そのすさまじい気配に皆、近づくに近づけないという有様だった。

 じっと馬を見つめる。馬も、グレイグを見つめていた。

 殺気のようなものはない。ただ、鋭い気配だった。怒っているのだろう。

 つくづく惜しいな、と思った。レヴンという男は、馬も友にしている。そう思わせる気配が、目の前の馬から感じられた。

 友を捕らえられたのだ。怒って当然というものだった。

「む?」

 こちらに駆けてくる気配があった。訓練された者の気配ではない。

 やがて、ひとりの男がグレイグに駆け寄って来た。兵士たちが止めようとしているが、手を挙げてそれを止めた。

「グレイグ将軍っ!」

「おまえは」

 強面(こわもて)の男だった。見覚えがある。レヴンを捕まえた現場にいた男だ。

 男は呼吸を整えると、キッとグレイグを見上げた。男は、なかなかいい体格をしているが、グレイグには及ばなかった。

「グレイグ将軍っ。あのあんちゃんは、どうなったんですか!?」

「落ち着け」

 男を促し、厩から出た。空に雲はなく、月の光だけでも、歩くのはそこまで苦ではないぐらいだった。

 人の気配がないところまで移動し、男にむき直った。

「あんちゃんというのは、悪魔の子のことか?」

「悪魔の子とか言わねえでくだせえっ。あのあんちゃんは、猫と嬢ちゃんを助けてくれたんでさぁ!」

 悲痛な声だった。普通だったら()(しゅく)してもおかしくないだろうグレイグに対して、男は(おび)えることなく言っていた。顔は(いか)ついが、善良な男なのだろう。そんなふうに思った。

 もう一度、落ち着け、と手を挙げると、男はハッとした様子で周囲を見渡した。

 男は大きく息をつくと、再びグレイグを真っ直ぐに見つめた。

「あのあんちゃんは、どうなるんですか、グレイグ将軍?」

 本来なら、部外者に話すことではない。だが目の前の男は、聞き出すまでは一歩も引く気はないという空気を漂わせていた。

 男は、荒っぽそうでいて、理性的な部分が見える。ならば、話しておいた方が落ち着いてくれるだろう。放っておくと、レヴンに助けられたということを周りに言い出し、人心を惑わせたとして、兵士たちに捕らえられることになりかねない。それは、レヴンも望むことではないだろう。

「あの男が住んでいた故郷に、ホメロスがむかっている。そこで事実確認し、『勇者』ということがはっきりと判明したなら、処刑となるだろう。村も、焼き払われることになる」

「そんな。なんとかならねえんですかっ?」

「あの青年は、十六年前にユグノアの悲劇をもたらした『悪魔の子』だ。生かしておくと、またなにか災いを呼ぶかもしれんのだぞ?」

「なにかの勘違いかもしれないじゃねえですか!」

「勘違いでなかったらどうする。確かに彼自身は、悪魔の子などと呼ばれるような男ではない。だが、例えば彼の中になにか危険な力が眠っていて、そのために大きな災いがもたらされるとしたら?」

「そんな力があったとしても、あのあんちゃんがそんなことするわけ」

「彼の人格がどうこうではなく、力そのものがそれを呼びこむかもしれんぞ」

「っ」

 男が、苦虫を噛み潰したように顔を歪め、肩を落とした。

「あのあんちゃん。多分、グレイグ将軍たちに追われることに気づいていたと思うんですよ。それなのに、猫を、嬢ちゃんを助けてくれたんです。誰かを助けたのに、本人はそんな目に()うなんて、あんまりじゃねえですか。どっちが悪魔なんですかっ」

 力なく、男が訴えてきた。

 この男の言うことは、きっと正しい。

 誰かを助けたことを後悔などしないと、レヴンは言い切ったのだ。真っ直ぐな瞳だった。一片の曇りもない、心からそう言っていると信じられる、そんな眼をしていた。

 そんな男を、ほんとうに殺していいのか。そんな思いは、確かにあった。

 十六年前の『ユグノアの悲劇』から、デルカダール王はどこか変わった。そんなふうに思う自分も確かにいる。言動であったり、(まつりごと)であったり、どこかそれまでと違う部分が、確かにあった。

 だがグレイグは、この国、いやデルカダール王に(つか)える騎士であり、軍人なのだ。デルカダール王に対する恩義は、返しきれないほど大きなものだ。

 グレイグの故郷は、北東に位置するバンデルフォン大陸にかつて存在していた、『バンデルフォン王国』。いまは、すでに滅びている。いまから三十年ほど前、ユグノアと同じように、魔物の侵攻を受けて滅んだのだ。

 当時幼かったグレイグには闘う力などなく、たったひとり、命からがら逃げ出すのが精一杯だった。家族も皆、殺されている。

 それを拾ってくれたのが、デルカダール王だった。それだけでなく、まるでほんとうの子供のように接してくれた。

 その恩義に(むく)いるために、魔物から人々を守るために、グレイグは騎士を目指した。強くなることを決めた。魔物によって不幸にされる人々を、少しでも減らす。それが、グレイグの闘う理由だった。

 それもあって、魔物を呼んだという悪魔の子を、深く憎悪したこともあった。

 ユグノアの悲劇によって、多くの命が失われ、敬愛するデルカダール王のひとり娘、デルカダール王女であるマルティナもその後、行方(ゆくえ)がわからなくなった。デルカダール王がどこか変わってしまったのもわかるし、悪魔の子を憎むにも充分な理由だ。それはグレイグも同じだった。もしも悪魔の子が目の前に現れたなら、必ず(たお)す。そう思い定めていた。

 しかし、悪魔の子とされていたはずの勇者、レヴンは、とてもそうとは思えない青年だった。

 口先だけの男ではない。彼の口から出る言葉は、彼の本心から言っている言葉だと信じられるぐらい、(まこと)の男だった。

 デルカダール王の言葉を、はじめて疑った気がした。ほんとうに、彼は悪魔の子なのかと。ほんとうに、彼が災いをもたらすのかと。

 ほんとうに、彼を殺すことで、世界が平和になるのかと、グレイグははじめてデルカダール王を疑った。

 それでも、グレイグはデルカダール王に仕える騎士。主君を裏切ることなど考えられない。

 デルカダールの騎士であり、軍人であること。男であること。それが、グレイグの()り方だ。いまさら変えられようもないことだった。

 レヴンと約束した、イシの村とラムダに対する事柄(ことがら)は、それに反したことではなく、それに(のっと)ったものだった。

 力とは、強さとは、騎士とは、軍人とは、力なき人々を守る盾となるためのものだと、グレイグは思っている。

 騎士として、力なき人々を傷つけることはできない。だから、村人たちを助ける。

 軍人として従わなければならないことはあるだろうが、イシの村の者たちを殺さなければならない理由はない。ならば軍人として、『勇者』を育てた村人たちを捕らえ、牢に入れる。それによって、村人たちに対する、外部からの糾弾を少しでも抑える。

 そして、誰かを助けるために己の身を(かえり)みない、騎士とさえ呼べる気高さを持ったレヴンという男に対する、ひとりの男としての敬意。

「『勇者』は」

「え?」

「『勇者』は十六年前から、『悪魔の子』と言われるようになった。だが、その前までなんと言われていたか、わかるか?」

 男が、首を傾げた。不可解そうにしながらも、考えこむ仕草を見せた。

「え、えーと。昔、聞いたことはある気がするんですけど、忘れちまいました」

「あの青年の故郷の村には、『勇者』の噂が伝わっていなかったそうだ。だから、彼の村では、ずっとそのまま伝えられていたらしい」

 言葉を切り、一度、眼を閉じた。息をつく。

 少しして、グレイグは眼を開いた。

「『勇者』とは、大いなる闇を打ち払う者だと」

「闇を、打ち払う?」

「いま世界に広がっている噂とは、まるで反対だな。どちらが正しいのか俺にはわからん。だが、もしも、彼の故郷に伝わり続けていた話が正しく、あの青年になにか使命というものがあるとしたら」

 馬の(いなな)きが聞こえ、グレイグは言葉を止めた。男もあたりを見回している。

 どこかから、騒がしい声が聞こえてきた。さっきグレイグがいた宿からのようだった。男を置いて駆け戻る。

 宿、厩の方から、けたたましい音が響いていた。中に入る。

 レヴンの馬が、暴れていた。兵士たちが逃げ惑っている。

「グ、グレイグ将軍っ。う、馬が突然暴れ出して!」

 ひとりの兵士の言葉に、はっと頭に浮かぶものがあった。

「外に出してやれ」

「え、で、ですが」

「いいから出してやれっ!!」

『は、はいっ!!』

 一喝すると、兵士全員が飛び上がった。

 馬が、いつの間にか暴れるのをやめ、グレイグを見ていた。怯えたわけではないのだろう。じっと静かに見つめていた。

 馬が、素直に厩から曳き出された。馬から発せられていた、周りを威圧していた気は収まっていたが、兵士たちは恐る恐るといった(てい)だった。

 外には、騒ぎを聞きつけたのか、人々が遠巻きに見ていた。

 外に出されると馬は、城門の方に歩き出した。市民たちが、警戒したように、馬の進む道を開けた。馬は見向きもせず、ただ城門に歩いて行く。

 兵士のひとりに、なにも手出しせず、門を開けてやるように言った。

「い、いいのですか、グレイグ将軍?」

「馬一頭程度、逃がしてやれ。それとも、このまま街中で暴れさせたいか?」

『いいえ!!』

 グレイグの言葉に、兵士たちが震えあがった。兵士たちの様子にほとんどの市民が、それほどまでに恐ろしい馬なのかと、馬に怯えた視線を送った。

 城門が開けられ、馬が静かに外に出て行く。外に出たところで、馬が顔をこちらにむけた。グレイグを見ているようだった。

 馬が、耳をちょっとだけ動かしたような気がした。

 礼を言われた。不思議とそんな気分になった。

 馬が改めて外にむき直り、駆け出した。

 速い。いや、(はや)い。雷のごとき迅さと、刃のごとき鋭さ。なぜか、そんなことが頭に浮かんだ。

 あっという間に、馬の姿は見えなくなった。

「グレイグ将軍!!」

 ひとりの兵士が、駆けて来た。慌てた様子だった。息を切らしている。城の方から来たようだった。

 その慌てように兵士たちが、周囲の人々に聞こえないようグレイグを中心に円を作り、人々を散らしていく。

 近づいて来た兵士が、グレイグに耳打ちするような体勢となった。

「悪魔の子が、脱獄しました」

 その言葉に、眼を見開いた。まさか、捕らえたその日に脱獄されるとは。

 そう驚くとともに、なぜか愉快な気分になった。表に出ないよう押し留めはしたが、不思議と愉快な気分は消えなかった。

「わかった。俺は一度、城に戻る。街中の警備を厳重にするとともに、市民は家に戻るように促し、()(やみ)に外に出ないように言い渡せ。『悪魔の子』のことは言っても構わんが、あまり不安にさせるようなことは言うな」

「はっ!」

 そばにいた、街中の警備隊長に言うと、彼は敬礼した。頷き、城に戻るために歩き出す。

 兵士たちが、犯罪者が脱獄したことと、安全のために一時帰宅するよう市民に通達すると、人々は慌ただしく姿を消していった。

「グレイグ将軍」

 かけられた声に足を止め、顔をそちらにむけた。強面の男だった。不安そうでいて、どこか期待らしきものを含んだような表情に見えた。

 兵士のひとりが彼を引き離そうとしたが、グレイグはそれを止め、兵士たちを離した。

「どうした。兵士たちの通達は聞いただろう。やつが、脱獄した」

 あの青年のことだ、と言外に言うと、男が頷いた。

「へい。ただ、ひとつだけお聞きしたいことがあって」

「なんだ?」

「さっき、なんて言おうとしたんですかい?」

 その言葉に、ふっと苦笑した。

 言おうとしたことが、実際に起きた。苦笑するしかなかった。

「あの青年になにか使命というものがあるとしたら、こんなところでどうにかなったりはしないだろう。そう言おうとしたのだ」

 男が、眼を見張った。

 あの青年に肩入れするようなことは(ふい)(ちょう)しないようにと言い含め、再び歩き出した。男はもう、止めてこなかった。

 階段を上がり、昼間、レヴンと会話をした広場に入った。一度そこで足を止め、城門の方にふりむいた。城門は閉まっており、そこから外は見えない。だが、城門の上から外は見える。

 あの馬はきっとレヴンの、友のもとにむかったのだろう。あるいは、友と再会できる場所か。

「塩を送るのはここまでだぞ、レヴン」

 口の中でそう呟くと、グレイグは城にむかった。

 




 

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

主人公の相棒、カミュ。いろいろ頼れる人。記憶喪失時の言動がいろいろヤバすぎる人。最終的に『バイキルト分身』からの特技で変な笑いが出てくるダメージを叩き出す人。なに、あのダメージ。
多分パーティーメンバーで一番真面目な人。
「グロッタの町の南に行ってみないか?」


カミュとの身長差は、公式のイラストからのもの。「シルビアさん、めっちゃでかくね?」ってなる。

牢屋と鉄格子の魔法関連はオリ設定というか独自解釈。こんな作りじゃないと、囚人ごとにマホトーンかけるとか、喉をどうこうしなきゃならない気がするので。
 


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Level:5 勇者の奇跡

 カミュの掘った抜け穴を進んで行くと、水の匂いがした。水音もかすかに聞こえてくる。

 心なし進みを速める。先の方に見えていた光が大きくなるとともに、水の匂いと水音も、はっきりしたものになっていった。

 光、抜け穴の出口に辿り着くと、注意深く頭だけをそこから出し、周囲の様子を(うかが)った。暗いが、壁のところどころに(あか)りがあった。洞窟などではなく、人の手が入った空間だった。

「水路に出たよ」

「おう」

 うしろにいるカミュに聞こえる程度の声で言うと、カミュが応えた。

 出口については、穴を進む途中でカミュから聞いてはいたが、それでも無事に出ることができてよかったとほっとした。

 誰もいないか、もう一度確かめる。かすかに、足音らしきものが反響して聞こえてくるが、すぐ近くには誰もいないようだった。穴から()い出る。レヴンに続き、カミュも穴から這い出た。

 ふりむいて、自分たちが出てきた穴を見る。人ひとりがなんとか出られるぐらいの穴で、そこまで大きなものではないが、もし見つかったら、無視できるような大きさでもなかった

 この穴ができあがったのは、ついさっきだったらしい。時間を置いたら、誰かに見つかる可能性がある。そのため、今日すぐにでも脱獄するつもりだったそうだ。夕飯を食べたあと、監視が緩くなる時間帯にと考えていたということだった。

 もしも、穴ができあがるタイミングが少しでもずれていたら。

 そう思うと、カミュが言った通り、運命というものを感じずにはいられなかった。

「ところでよ、レヴン。グレイグのやつには、ここで死ぬつもりはない、みたいなこと言ってたけどよ、もしもオレと会えずに、この抜け道を使えなかったら、どうするつもりだったんだ?」

 声が響かないようにだろう、カミュが声をひそめて言った。こちらも声をひそめた。

「一応、ひとつ考えていたことはあったよ。ただ、成功する公算は大きくなかったし、成功したとしても、誰かが犠牲になる可能性があったから、やりたくない手だった」

「犠牲ってのは穏やかじゃねえな。どんな手だ?」

「デインっていう、稲妻(いなづま)を呼ぶ呪文を使う気だった」

「呪文?」

「うん。空から稲妻を落とす魔法なんだ。鉄格子に魔法がかき消されるだけで、魔法自体は発動できたから、多分これも使えたと思う。それで、天井に穴を()ける」

「牢を抜ける前にちょっと確認してたやつだな。しかしよ」

「うん。それで実際に牢にまで穴を空けられるかはわからなかったし、できたとしても、上にいる人たちに被害が出たかもしれない。やってはいけないことだと思った。でも、彼女との約束を果たすためにも、死ぬわけにはいかないって思った」

 そう思ったとたん、言葉が口を()いて出ていたのだ。グレイグに対してというより、己を鼓舞するために言ったのだと、いまにして思う。

「約束のため、か。そうだな。約束は、守らなくちゃな」

 カミュが呟いた。レヴンに聞かせるためではなく、自分に言い聞かせるような調子だった気がした。

「カミュ?」

「いや、なんでもねえ。にしても、女との約束ねえ。なんだ、結婚でもするのか?」

「え」

 からかうような感じで言われたその言葉に、顔が熱くなった。昼間、グレイグに言われた言葉も思い出してしまい、全身が熱くなった。

 カミュが、眼を(しばたた)かせた。

「おい、マジか」

「いっ、――――いや、そういうのじゃないよ。どこかで再会したら、そこからずっと一緒に旅をしようとか、そんな約束で」

 一瞬、大声を出してしまいそうになったが、なけなしの理性がそれを押し(とど)めた。

 レヴンの口を押さえようとしたカミュが、ほっとしたように息をついたあと、なんとも言えないような表情を作った。

「ずっと一緒にって。なんか、プロポーズみてえな言い方だな」

「と、当時、僕は六歳で、彼女は八歳で、そんなこと考えてなかったし、その()の双子の妹も一緒の旅だしっ」

「あー、わかったわかった。いま話すことじゃなかったな。悪い。とにかく、いまはここを脱出しようぜ」

「う、うん」

 慌てて言ったところで、話はここまでといった感じで切りあげられ、ほっと息をついた。カミュの方としても、そこまで興味がある話題ではなかったようで、あっさり流して貰えて助かった気分だった。ちょっと物足りない気持ちがどこかにあったが、こんなことを話している場合ではない。

「とりあえず、オレが先に行く。おまえは、オレの合図のあとに付いて来てくれ」

「わかった」

 素直に頷いた。こういったことは、専門家の意見に従った方がいい。自分ができることならもちろんやるが、この手のことはもうすでに、カミュに託すつもりでいた。彼は、信頼できる人間だ。そう思えた。

 カミュが、角から顔を出すようにして先を見た。問題ないことを確認したあと、足音もなく先に進み、突き当たりにある壁に張り付くようにして再び周囲を窺うと、レヴンを手招きした。レヴンも、足音が鳴らないように注意しつつ、カミュに付いて行く。

 同じことをくり返して、いくらか先に進み、カミュの手招きに従ってそばに寄ったところで、カミュが警戒を強めた。レヴンも、誰かの気配を感じた。

「見張りがいるな」

 角からちょっとだけ顔を出して、カミュが言った。レヴンも、注意深く顔を出した。

 兵士が数人、巡回していた。切迫した感じはないため、あくまでもこの水路の(けい)()の兵であり、まだレヴンたちが脱獄したことは伝わってないようだと推察された。

 兵士たちをじっと見ていたカミュが、彼らから視線をはずさないまま、口を開いた。

「さっきと同じ手筈で行くぞ」

 声を出さずに頷いた。

 見定めるようにして、兵士たちを見ていたカミュが、素早く駆け出した。あっという間にむこう側の壁に張り付くと、すぐに手招きしてきた。レヴンも、可能な限り足音を抑え、素早く進んだ。気づかれなかったようだ。カミュがまた(すみ)やかに先に進む。それを、くり返した。

「ちょっと待て」

 しばらく進んだところでカミュが、(ささや)くようにして言った。

 なにか、と視線をむけたところで、さっきよりも兵士たちの空気が張り詰めているような感じを受けた。それに加え、兵士が多くなっているような気がした。

「多分、オレたちの脱獄がバレちまったんだろうな」

「そうみたいだね。どうする?」

「やることは変わらねえ。いくぞ」

「わかった」

 小さな声で言い合い、さらに進んだ。途中、何度かひやりとした場面はあったが、なんとか見つからずに進むことができた。

 カミュが足を止めた。レヴンもカミュの視線の先を見る。

 一本の石橋があった。周りを見渡してみるが、ほかにもうひとつだけ作られている通路は、()(のう)を積まれて封鎖されていた。二人だけで撤去するとなると、だいぶ時間がかかってしまうだろう。先に進むためには、その石橋を通るしかないようだった。

 橋はそれなりに大きく、片側だけでも数人の兵士が見張っていた。

「まいったな。見つからずに進むのは、無理そうだぜ」

「水の中を泳いで進むのは?」

「考えてはみたが、水の流れが早い。まず流されっちまうだろう。流されなかったとしても、満足に進めるかわからねえし、もしも見つかったら、水中じゃ対処しきれるかわからねえ。それに、何人かは水路の方を重点的に見張ってるみてえだな」

「ってなると」

「ああ。強行突破しかねえな」

 ドクンと、心臓が鳴った。人間と、闘うのだ。

 見る限り兵士たちは、ひとりひとりなら、そこまで手こずる強さではない。だが、数が多い。時間をかければ、ほかからも増援が現れるだろう。手加減できる余裕があるか、わからなかった。

 躰を深く斬られれば、人は死ぬ。

 攻撃魔法が直撃しても、人は死ぬ。

 殴られても、場合によっては、死ぬ。

 どんなことでも、人は死ぬ可能性がある。

 誰でもそうだ。それは、レヴンも例外ではないのだ。

 レヴンは、災いを呼ぶ悪魔の子とされている。こうやって脱獄した以上、逃げられるぐらいならと、兵士たちが殺しにかかってくる可能性は、充分にあった。そうでなくとも、捕らえられれば、間違いなく処刑だろう。

「レヴン。人を殺せるか?」

 カミュが、フードの下から、レヴンの眼を真っ直ぐに見て、言った。なにかを見定めるような、そんな瞳に思えた。

 その視線を受け止めるように、真っ直ぐに見返した。

「わからない。人を殺したくなんて、ない。だけど、ここで死ぬわけにはいかない。そうしなきゃ生き延びられないなら、僕は、殺す」

 覚悟などというものではない。ただ、ここで死ねない。死ぬわけにはいかない。そういった意思をこめて、レヴンは言った。(どう)()が早まり、胸が苦しくなったが、歯を食いしばってそれに()えた。いつの間にか握り締めていた拳が、震えていた。

 カミュが、軽く苦笑した。

「レヴン、あんまり気負(きお)うなよ。オレもいるんだからな。二人だったら、あいつらを殺さずに逃げ切ることだってできるさ」

「だけど」

「悪かったな、変なこと訊いちまって」

 カミュが、バツが悪そうに頭を掻き、もう一度苦笑した。

「オレたちなら大丈夫さ。そう思おうぜ、相棒」

「相棒?」

「ああ。嫌だったか?」

 言われたことのない言葉に思わず聞き返すと、カミュが探るようにして言った。

 ちょっと考えてみる。

 ニッと、笑いかけた。

「嫌、じゃないね。信頼されてるみたいで、なんだか悪くない気分」

 対等だと認めて貰っている。そんなふうに思った。

 カミュが、一瞬だけ、眼を見開いた気がした。

 そうか、とカミュが呟き、ちょっとだけ考えこむ仕草を見せた。

 息をつき、ひとつ頷いたカミュが、被っていたフードをはずした。ツンツンと逆立った青い髪が、(あら)わになった。

 口の()だけ上げるようにして、カミュがニヤッと笑った。

「じゃ、行こうぜ、相棒」

「うん。頼りにしてるよ、相棒」

「おう」

 不思議と、気負いがなくなっていた。

 相棒が隣にいるのだ。きっとうまくいく。そう思えた。

 カミュが奇襲をかけ、そのあとにレヴンが仕掛けるということにした。兵士たちの様子を窺う。

 兵士たちが、レヴンたちのいる方向から眼を逸らした。

 カミュが、飛び出した。橋のこちら側にいる兵士のひとりに、持っていた剣の腹で一撃を加える。その一撃を受けた兵士が、崩れ落ちた。

 兵士たちが、カミュに気づいた。各々(おのおの)が武器を引き抜く。

「ラリホー!」

 兵士のひとりに、レヴンは眠りの呪文をかけた。成功するか不安ではあったが、狙った兵士が頭を押さえ、倒れた。周りの兵士たちが動揺する。効果があったようだと意識する前にレヴンは、剣を引き抜き、駆け出していた。

 

***

 

 脱いだ上着を、雑巾(ぞうきん)のように絞り上げる。大量の水が(したた)り落ちた。レヴンの方を見てみると、あちらも同じだった。

「なあ、レヴン。メラで服を乾かすとかって、できねえか?」

「服を乾かす、かあ」

 カミュが訊いてみると、レヴンが渋い顔をした。服を絞りながら、考えこむような仕草を見せた。

 カミュは、魔法がほとんど使えない。『ジバリア』という、地面に設置しておく罠のような魔法や、眠った者を起こす『ザメハ』などのいわゆる補助系統の魔法は使えるが、それも大した数ではない。それもあって、魔法のことについては、なにも知らないと言ってもいいほどだった。

 レヴンが、周りを見渡した。

「うーん。燃やせる物があればともかく、メラだけでとなると、服を完全に乾かすのはちょっと難しいかなあ」

「そうなのか?」

「できないってわけじゃないんだ。ただ、火をその場で出しっ放しにするみたいに、魔法を維持するのは、ただ放つよりも消耗が大きくなるから、いまはあまりやりたくないかなあ。脱出するまでなにがあるかわからないし、安全なところに行くまでは、抑えられる消耗はなるべく抑えたい」

「確かにそうだな。しかし、燃やせる物か」

 レヴンの言葉に、カミュも周りを見渡した。すぐ近くには、カミュたちが流されてきた水路があり、反対側には、岩が切り崩されたような洞窟があったが、燃やせそうな物などはなかった。水路側の壁には、いくつか松明(たいまつ)が飾られているのだが、舟などを遣わなければ届きそうにない。レヴンがギラを遣うことで火を(とも)すことはできたが、手元に持ってくるのは無理そうだった。

 すぐにでもここを離れるべきだとは思うのだが、濡れた服を着て移動するのは、体力の消耗がひどくなるし、水で足跡(そくせき)が見つかることもありえる。そのため、なるべく乾かしてから行こうということになったのだ。

 石橋で、最初にその場にいた兵士たちは全員、殺さずに無力化することに成功した。レヴンの実力は、カミュが思っていたよりもずっと高く、正面きっての闘いなら、カミュよりだいぶ上だろうと思えるほどだった。

 闘いの気配を感じ取ったのか、カミュたちが来た方と、むかう方から、兵士たちの増援が現れた。さっき闘っていた兵士たちよりも多かった。

 その連中も、なんとか殺さずにいなしつつ進んだ。石橋の真ん中あたりで、挟み撃ちにされるかたちになった。レヴンと背中合わせに、迎撃の構えをとったところで、なにか嫌な音がした。足もとから聞こえた気がした。石橋が、崩れる。直感的にそれがわかった。

 石橋を渡らなければ。だが、どっちに行けばいい。進む先にいる連中の方が、数が多い。崩れる前に渡れるのか。

 カミュがそう一瞬だけ迷った時には、レヴンが動いていた。

 むかって来る兵士たちにレヴンは、石橋が崩れることを叫び、爆発の呪文、イオを解き放った。イオは、兵士たちにではなく、カミュたちと兵士たちの間で炸裂した。その衝撃とレヴンの言葉に兵士たちは、気絶していた者たちも抱えて後退し、石橋から退避していった。

 その爆発が最後の引き金となったのか、石橋が崩れはじめた。兵士たちは、それに巻きこまれそうになった者もいたが、事前に退避しはじめていたのもあって、実際に巻きこまれた者はいなかったようだった。巻きこまれたのは、石橋の上に残っていたカミュとレヴンだけだった。

 その時は一瞬、死を覚悟したが、着水の衝撃が少々痛かったものの、()(れき)に挟まれるといったことも、溺れることも、水路の壁にぶつかることもなく、ここに流れ着いた。

 下手をすれば死んでもおかしくない状況だったが、こうして無事でいるうえ、兵士たちから逃げることができた。なにか、不思議な力が自分たちを守ったのではないか。そんなことを思ってしまうぐらい、奇跡的な状況だった。

 勇者の奇跡。ふっと、そんな言葉が胸に浮かんだ。

「ごめん、カミュ」

「ん?」

 唐突なレヴンの言葉に、首を傾げた。

「なにがだ?」

「石橋が崩れた時のこと。僕は、生き延びるためなら兵士たちを殺すと言っておきながら、殺すことができなかった」

「いや、言っただろ。二人なら、殺さずに逃げ切れるだろって」

「そうじゃない。石橋が崩れる気配がした時、僕たちがやるべきだったのは、前方の兵士たちを薙ぎ倒して、兵士たちに構わず、先に進むことだった。だけど僕は、その決心をつけられなかった。そのせいで、僕だけならともかく、カミュまで危険な目に()わせた」

「なに言ってんだ。そのおかげで、オレたちはあの場から逃げられたんだぜ。結果オーライってやつじゃねえか」

「結果論だよ、それは。死んでいても、おかしくなかった」

 横をむいて、うつむきながら、静かにレヴンが言った。髪が顔にかかり、表情は読み取れないが、ひどく申し訳なく思っているのは、よくわかった。

 真面目なやつだな、と思った。ちょっと呆れた気持ちはあったが、苛立ちはなかった。むしろ、好感のようなものを覚えていた。

「いいじゃねえか、結果論で」

「でも」

「確かによ、おまえの言う通り、あれは死んでいてもおかしくなかったとは思う。だけど、オレたちは生きてる。これってよ、偶然なのかね」

「え?」

 レヴンが、カミュに顔をむけた。

「瓦礫に巻きこまれたり、溺れたり、壁にぶつかったり、それがなくても、お互い別の場所に流れ着いたりしてもおかしくなかったはずの状況だ。それがこうして同じ場所に、無事に流れ着いてるんだぜ。偶然って言うには出来すぎってもんだろ。でよ、思ったんだ。勇者の奇跡とか、そんなもんでもあるんじゃねえかってな」

「勇者の、奇跡?」

(がら)じゃねえことを言ってる自覚はあるがよ、言わせてもらうぜ。なにかがオレたちを、いや、おまえを守ってる。オレが脱獄しようとした日におまえが捕まったのも含めて、そんな気がするんだよ。だけどそれは、おまえが、勇者っていうのにふさわしいやつだからじゃねえかっても思うんだ」

「ふさわしいって」

「悪魔の子の方じゃないぜ。おまえ、言ってただろ。故郷の村では、勇者とは、大いなる闇を打ち払う者って伝えられてきたってよ」

 レヴンが、眼を見開いた。

 カミュは、ニヤリと笑った。

「それによ、おまえさっき、決心がつかなかったって言ったけどよ、オレはそうは思わねえ。おまえは、誰も死なせないって思って、あんなことをしたんじゃねえかな。じゃなきゃ、あんなに早く動けねえと思うぜ」

「カミュ」

「勇者は災いをもたらす悪魔の子だってあいつらが言うんなら、とことん刃向(はむ)かってやろうぜ。誰も殺さない。誰も不幸にしない。させない。そうすれば、みんな思うんじゃねえかな。勇者っていうのは、ほんとうに悪魔の子なんだろうかってよ」

 レヴンが、視線を宙に彷徨(さまよ)わせたり、頭を掻いたりと、考えこむ仕草を見せた。

 やがて考えがまとまったのか、カミュの眼を真っ直ぐに見つめた。

「なんていうかさ、カミュと会えて、よかったよ」

「よせよ。そんなもん、わざわざ口にして言うことじゃねえ」

「僕も、一度だけと思って、言ってみた」

「そうかい」

 二人で苦笑し合うと、どちらともなく手を胸の高さにまで挙げ、拳を突き合わせた。二人で、ニヤッと笑った。

 服を絞り終え、レヴンが壁に立てかけた剣に服をかけた。カミュも、同じことをした。

 レヴンがリボンを手に取り、丁寧な手つきで水を絞った。絞り終えると、剣にかけた服と、手に持ったリボンとの間あたりに、レヴンがもう片方の手を持っていく。

「メラ」

 火が当たらないように、慎重な様子で、レヴンは火を制御していた。やがて、レヴンが火を消した。

 レヴンが服に触れ、ひとつ頷いた。

「乾いたのか?」

「ある程度は。全部乾かすとなると、さすがに時間と消耗の問題がね」

「そうか。まあ、いいさ」

 言って、服を着こんだ。レヴンの言う通り、まだところどころ湿っていた。ちょっと気持ち悪くはあったが、それは仕方ない。

 レヴンも同じく、服を着こんだ。

 服を着終えたレヴンが、リボンを胸もとに大事そうに仕舞った。

「そのリボンは、しっかり乾かしたのか?」

「うん。ごめん。だけど、このリボンを粗末に扱うことだけは、したくないんだ」

「責めてるわけじゃないさ。思い出の品なんだろ。大事にしろよ」

「ありがとう」

 最後に、二人とも武器を身に着けると、洞窟にむかった。

 暗い。灯りはないようだった。

 レヴンが、呪文で明かりを生んだ。カミュたちの頭よりも高いところに漂うその光は、松明よりも幾分明るかった。手が塞がることもなく、維持するのに魔法力を消費しない魔法のため、こういった場所を進むのに非常に役立つ魔法だということだった。この明るさが基本だが、魔法力を調整することで光量を変えることもできるらしい。

「便利だな、これ。あとで教えて貰っていいか?」

「うん、いいよ。じゃ、行こう」

「おう。の前に」

 壁の松明に水をかけ、灯りを消した。追手が来た時、火が灯っていたら、ここにいたことが一見してわかってしまう。痕跡(こんせき)は、なるべく残すべきではなかった。

 ともに歩き出した。ずっと先が見えるほどの明るさではないが、数歩先ぐらいまでは、ほぼはっきりと見えるぐらいの明るさだった。

 しばらく進んだところで、なにか嫌な気配がした。レヴンも同じなのか、彼からも緊張のような気配を感じた。

「なにか、いるな」

 呟くようにして、言った。

「みたいだね。でも、人間じゃない」

「ああ、魔物の気配だ。だが、かなりやばそうな感じだな」

「うん」

 レヴンが、ちょっとだけ考える仕草を見せたあと、明かりを消すと言った。カミュも頷いた。

 明かりを消し、暗闇に眼が慣れるまで少しだけ待ち、再び歩き出した。今度はカミュが先行した。

 気配で、お互いが近くにいるのはわかっている。明かりがあるときに比べ、足取りが遅くなるのは、さすがに仕方なかった。

 (ひら)けた空間に出たことが、感覚でわかった。なにか、大きな気配を感じた。

 カミュ、とレヴンが(ささや)くようにして言った。足を止める。

「ラリホー」

 レヴンが、呪文を唱えた。

 少しして、その気配が静かなものになり、規則正しい呼吸音らしきものが聞こえてきた。効果があったようだ。

 レヴンが明かりをつけた。見上げるほどに大きな影が、佇んでいた。

 翼の生えた大きな蜥蜴(とかげ)。そう揶揄(やゆ)されることもある、魔物の中の魔物と言われる、強大な存在のひとつ。

 二人で、息を呑んだ。

「これ、ドラゴンか?」

「ブラックドラゴン、だったかな。図鑑で見たことがある」

「ここら辺にいる魔物じゃねえぞ、これ。なんでこんなのが、こんなところにいるんだ」

 ここは、洞窟ではあるが、おそらくはデルカダールの水路の一部か、そこからさほど離れてはいない場所だろう。

 このあたりには、そこまで強い魔物は生息していない。強力な魔物が目撃される、または魔物の動きが活発化すると、グレイグやホメロスなどが率いるデルカダールの部隊が出撃し、討伐するためだ。それでも完全に魔物の発生を抑えることはできないが、基本的に弱い魔物しかいないおかげで、このあたりの街道の行き来は、かなりたやすいものとなっているはずだった。カミュが牢に入れられる前の情報ではあるが、そう変わってはいないはずだ。

「いずれにせよ、いまは放っておくしかねえな」

「だね。ここで闘うのは落盤がこわいし、いまの消耗した状態じゃ、さすがに勝つのは難しいし」

「ああ。こっそりと抜けようぜ」

 兵士たちに気づかれないように警戒しながら歩き、闘いではその兵士たちを殺さないように立ち回り、水路の水に流されてきたのだ。疲労はかなり溜まってきている。それに加えて、時間的にはそろそろ夜も更けようというあたりだろうが、カミュもレヴンも夕食を()っていないのだ。万全とは言い(がた)い状態だった。

 この状態では、レヴンの言う通り勝つのは難しいし、たとえ勝てたとしても、消耗はかなりのものとなってしまうだろう。そもそもいまの目的は、デルカダールから逃げおおせることだ。消耗し、逃げ切れなくなってしまっては、目も当てられない。

「ただ、ここにドラゴンがいるから気をつけて、っていうのは、誰かに伝えておきたいな。被害が出るかもしれないし」

「まあ、そこはあとで考えようぜ」

 お人()しだな、と思ったが、こいつらしいな、とも思った。

 ブラックドラゴンの前を通り過ぎる。ラリホーによる睡眠は、なかなか強力なため、なにかしら強い衝撃でも与えられない限りは、そう簡単に起きたりしないとのことだった。

 拓けた空間を進むと、また通路が見えた。

 通路の入る手前あたりで、大きな音がうしろから響いた。例えるなら、落石がなにかにぶつかって砕けたような音だった。

「あ?」

「え?」

 気配が、動き出した気がした。視線を感じた気がして、恐る恐るレヴンとともにふりむいた。

 目が合った、気がした。ブラックドラゴンが、こちらを見ていた。足もとに、さっきまではなかったはずの、砕けた岩らしきものがあった。おそらくは、洞窟の天井から降ってきた岩が、ブラックドラゴンの頭かどこかに当たったのだろう。その衝撃で、ブラックドラゴンが起きた。

 ブラックドラゴンは、どこか怒っている気配を漂わせていた。口から時々、炎のような赤い吐息が洩れるのが見えた。

「おいおい、なに怒ってんだよ。その岩はオレたちのせいじゃねえぜ?」

「そうだよ。僕たちは、君がぐっすり眠れるように、静かに退散しようとしてたんだから」

 二人で笑顔を浮かべ、爽やかに言った。背中を嫌な汗が伝っていた。レヴンの顔を横目で見てみると、ちょっと引き()っているような気がした。多分、カミュも引き攣っているだろう。

 ブラックドラゴンが、大きく息を吸いこんだ。

「イオ!」

 レヴンが、ブラックドラゴンの顔のあたりに呪文を解き放った。爆発が起こる。

 二人で示し合わせたように、ブラックドラゴンに背をむけて一目散に逃げ出した。通路に入った。

「っ!?」

「うおっ!?」

 うしろから響いてきた雄叫びに思わず二人でつんのめるが、なんとか体勢を立て直し、速度を上げる。レヴンの作った明かりは、さっきまでよりも明るい気がした。

「さっきより明るいな!!」

「足場が見えないと走るどころじゃないからね!!」

「なるほどな!!」

 消耗よりも、ここを乗り切るのが優先ということなのだろう。なんという冷静で的確な判断力なんだ。きっとレヴンなら、強盗が人質をとって立て()もっているという現場に出くわした時、着ている服を青い塗料で染め、神父の真似(まね)をして油断を誘うなどという作戦だって実行できるに違いない。

 追われている焦りのせいか、いろいろと余計なことが頭に浮かぶが、躰は前へ前へと進んで行く。道には石などが転がっており、足場がいいとは言い難かったが、文句を言っていられる状況ではない。転ばないように気をつけながら駆ける。

「ラリホーは!?」

「ある程度まで近づかないと効果が薄いし、なにより興奮し過ぎてる!!」

「じゃ、やめた方がいいか!!」

「そうだね!!」

 あわよくば、といった感じで提案してみたが、レヴンがそれを考えていないはずもなかったか、と思い直した。近づいてラリホーを使ったとして、もしも効果がなかったら、こちらが永眠する羽目になりかねない。

 とにかく、駆け続けるしかない。

 ブラックドラゴンの気配が、こっちに近づいて来る。躰の動きの早さ自体はともかく、躰の大きさの分、進む幅がこちらよりもずっと大きいうえ、カミュたちと違って障害物を気にする必要がないためだろう。だんだん距離を詰められているようだった。

 道の先に、違和感を覚えた。

「っ、レヴン待て、崖だ!」

 同時に足を止めた。道の先に足場がない。やはり、崖だった。

 カミュがふりむこうとしたところで、レヴンが火球を崖の下に放った。わずかの間を置き、地面に着弾するのが見えた。

「そこまでの高さじゃないっ。跳ぼう!」

「おう!」

 同時に地を蹴る。落下していく感覚。明かりは一緒についてくる。視界に、地面が見えた。

 二人とも受け身をとり、そのまま駆け続ける。ブラックドラゴンがあきらめてくれればいいが、追って来る気配は、いまだ剣呑(けんのん)なままだ。飛び降りて来る可能性は充分にあった。

 その推測を肯定するように、地響きがうしろから聞こえた。

「しつけえなあっ!!」

「まったくだねっ!!」

 駆け続ける。牢の中では、躰が(なま)らないように鍛え続けてはいたが、駆けることは大してできなかった。それに加えて、巨大な竜に追われるという焦りもあり、だんだんと息が切れてきたのを感じた。

「レヴン!」

 まずいな、と思ったところで、細い通路が見えた。あの大きさなら、巨体のブラックドラゴンは入って来れない。気にせず突っこんでくる可能性はあるが、賭けるしかない。

「先に入る!」

「わかった!」

 カミュが先に通路に入った。奥の方に光が見える。出口だろうか。そう思いながらも、正直にいまそちらに駆けて行くのはまずいとも思った。すぐ横の壁に張り付いた。壁は、(くぼ)みとなっていた。レヴンも同じようにして、壁に張り付いた。カミュのむかい側の壁だ。

 レヴンが即座に明かりを消し、二人で息を潜めた。

 ブラックドラゴンの気配が、近づいて来る。

 ブラックドラゴンの呼吸が、間近で聞こえた。すぐそこにいる。できる限り気配を消し、じっとしていた。

 やがて、ブラックドラゴンの気配が、ちょっとだけ離れた。そっと、覗きこむようにして、見てみる。

 ブラックドラゴンが、背をむけて、離れて行くのが見えた。

「行ったぞ」

「よかった」

 囁くようにして言い合うと、二人で息をついた。

 座りこみたいところだったが、そうもいかない。呼吸を整えながら、光の見える方向に二人で歩き出した。警戒のため、明かりは作らなかった。

 ちょっと遠くに見える、出口らしき光は、壁に空いた亀裂のような感じだった。通路自体は意外と広く、三、四人ぐらいだったら、並んで進めそうなほどだった。

 ちょっと進んだところで、光がなにかに遮られるとともに、揺らめく炎が見えた。松明。人影。兵士。

「隊長、いました!」

「でかした!」

「おい、よりによってこのタイミングかよ!」

 カミュが悪態をつく間に、兵士たちが亀裂から入ってきた。数は、四人。だが、亀裂のむこう側にも、人の気配があった。待ち伏せか、それとも後詰めか。

「おまえたちも運がなかったな。いましがたここの探索を終え、よそに移動しようとしていた矢先だったというのにな。まあ、悪魔の子に味方する神などいないということだ」

 近づいて来た兵士たちが武器を構え、隊長格と思われる兵士が言い放った。

 勝手なことを言いやがる、と内心で思いながら、兵士たちを見据えた。

 しかし、探索を終えたと言ったが、あのブラックドラゴンとは会わなかったのだろうか。一瞬そう思ったが、あの崖のあたりで探索を打ち切ったということなのだろうと推察した。

「レヴン、いけるか?」

「大丈夫。問題ない」

「よし。とりあえず、こいつらを」

 そこで、背中を冷たいものが走った。悪寒。レヴンも同じなのか、ビクッと躰を震わせた。

 (はじ)かれたように二人で、たったいま逃げてきた方にふりむいた。

 赤いなにかが、見えた。揺らめく火。ブラックドラゴンの、吐息。ブラックドラゴンが、こちらを睨みつけているような気がした。

 ドラゴンという魔物の象徴とも言える、ブレスという攻撃がある。炎や冷気など、さまざまな種類があるというが、口からそういった吐息を吐き出すのだ。

 炎の吐息、『はげしい炎』が来る。直感的に、それがわかった。

 目まぐるしく頭を回転させる。

 兵士たちを逃がしつつ、自分たちが逃げることはできるか。

 無理だ。ブレスは、いまこの瞬間にも解き放たれるだろう。出口までの距離はそれほどでもないが、二、三歩で出られる距離でもない。兵士たちが混乱し、彼らが我先(われさき)に出ようとして出口が塞がったら、それこそカミュたちも含めて助からない。

 兵士たちの脇を、なんとかすり抜ける。兵士たちは、見殺しにするしかない。

 さっきレヴンに言ったことを、いきなり(くつがえ)すことになってしまうが、この状況で全員が助かる方法など、カミュには思い浮かばなかった。

「レヴ」

 瞬時にそう判断し、レヴンに呼びかけようとしたところで彼は、立ちはだかるようにして前に出た。ブラックドラゴンにむかって、だった。

 カミュは、眼を()いた。レヴンが右腕を振りかぶった。

「なにをっ」

「どこを見ている、悪魔の、っ!?」

「え、あれ、ドラゴンじゃ」

「や、やばいですよ、たいちょ」

「全員、逃げっ」

「ベギラマーーーーーーーーーーーッ!!」

 レヴンが突き出した右腕から閃光が(ほとばし)るのと、ブラックドラゴンが『はげしい炎』を放ったのは、同時だった。腕ほどの太さの熱線が、細い通路のところで炎とぶつかり合い、息苦しくなるほどの熱気があたりに充満した。

 ブラックドラゴンの炎が、少しずつ押しこんでくる。

「ぐうううううううううううおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーっ!!」

 レヴンが()え、放つ熱線が太さを増した。『はげしい炎』と拮抗し出す。力を絞り出しているのか、熱線は腕よりも二回りは太くなっていた。レヴンは時折、苦しそうに声を洩らしながらも、一歩も引かないとばかりにベギラマを放ち続けていた。

 『はげしい炎』と拮抗するが、それで抑えられているのは炎の中心部だけで、余波と言える周りの炎は、少しずつレヴンを焼いていた。少しうしろにいるカミュですら、火傷(やけど)しそうなほどだった。だというのに、レヴンは怯むことなく、ベギラマを維持していた。

 力強い、(まばゆ)さすら感じる姿だった。

 これが、勇者。

「っ!」

 はっと我に返った。なにを呆けている。相棒として、自分がやらなければならないことはなんだ。

 兵士たちにむき直る。彼らは、なにが起こっているのかわからないとばかりに、茫然(ぼうぜん)としていた。

 愚かかもしれない。ひょっとしたら、自分たちの首を絞める行為になってしまうかもしれない。

 それでも、レヴンはきっと、この兵士たちも助けるために、あのような行動をとったのだ。目の前で誰も死なせない、不幸にさせないと、きっと決意したのだ。

 その選択を、決意を、覚悟を踏みにじるような真似をしてしまったら、この男の相棒を名乗ることなど、絶対にできなくなる。この男を相棒と呼ぶ資格を、永遠に失うこととなる。それはきっと、男としての誇りを自ら投げ捨てるのと変わらないことだと、強く思った。いや、感じた。

「おい、おまえら、さっさとここから出ろ!!」

「な、なにっ?」

「早くしろっ、焼け死にてえのかっ!?」

 カミュの言葉に、兵士たちがはっとした。

「総員退避!!」

『はっ!!』

 兵士たちが、彼らが入って来た出口にむかって、駆け出した。

 慌てず、しかし素早く兵士たちが出て行った。

「全員、出たぞっ、おまえたちも早く出ろっ!!」

 外から、そう呼びかけられた。そのことに多少驚きながらも、レヴンの方に駆け寄った。

 ほかに逃げられるところなどない。行くしかなかった。

「カミュッ?」

「あともう少し、踏ん張ってくれ!」

「っ、わかった!」

 レヴンの躰を抱え上げ、出口である穴にむかって駆け出した。レヴンはカミュの言葉に応え、ベギラマを炎にむかって撃ち続けていた。炎は、じわじわとこちらに押しこんでくるようだったが、ベギラマのおかげで到達はしなかった。

 出口は、人ひとりが通り抜けられるぐらいには大きい。レヴンを抱えながらでも出ることができるだろう。正面には、人の姿はない。そのまま飛び出すことを決める。

「頭を(かが)めろ!」

 レヴンに呼びかけ、返事を待たずに穴に飛びこんだ。力尽きたのか、レヴンのベギラマが消えたのがわかった。穴から抜ける。人工の通路に出た。

 炎の射線から(のが)れようとしたところで、壊れた石畳の隙間に足をとられた。

 倒れる。焼かれる。一瞬が、永遠にも思えるほどに引き伸ばされたような感覚の中、そう頭に浮かんだところで、二人の少女の顔が、頭をよぎった。

 ひとりは、カミュと同じ青髪の、勝気そうな少女。もうひとりは、金髪を真っ直ぐにおろした、大人しそうな幼い少女。

 金髪の少女が、緑色のヘアバンドを、こちらに差し出している映像が見えた。

 青髪の少女が、助けを求めるように手を伸ばし、愕然とした表情を浮かべ、金色の彫像となった映像が見えた。

 走馬燈、というやつなのだろうか。

 死んで、たまるか。

「っ!?」

 横から飛び出してきた兵士たちが、倒れこみそうになったカミュたちを抱き()め、炎の射線からともに跳び退()いた。炎が壁にぶつかる。炎が、断崖に遮られた津波のように、周りに飛び散った。

 カミュたちの前に、大きな盾を持った兵士たちが飛び出した。大きさが、人の()(たけ)ほどはある盾だった。その盾で、兵士たちが炎の余波を防いだ。しばらくして、穴の中から出てくる炎が、収まった。

 ブラックドラゴンがあきらめたのか。『はげしい炎』が、止まったようだった。

 ふうっと、誰ともなく息をついた。

「っ!」

 レヴンとともに兵士たちの腕を振り払い、彼らから跳び退(すさ)った。

 兵士たちが、はっとした。

「ま、待て!!」

「悪いけど、待つわけにはいかねえんだよっ!」

「助けてくれてありがとうございます!」

「い、いや、こちらこそ、じゃないっ。そっちは!」

 駆け出した。壁に松明がかけられているため、それなりに明るく、駆け(にく)いということはないのだが、さすがに息があがっていた。カミュもそうだが、それ以上にレヴンの方である。限界まで、いや限界以上にベギラマを維持していたのだろう、足もとがおぼついていなかった。

 レヴンに、肩を貸した。

「ごめん、カミュ」

「気にすんな、相棒」

「――――ありがとう、相棒」

「それはオレの台詞さ。ありがとよ、相棒。おかげで助かったぜ」

 カミュ自身のことだけではない。兵士たちのことも含めて、カミュは言った。

 誰かを見捨てずに済んだ。助けることができた。それが、不思議と心地よかった。

 通路の先に、光が見えた。出口だろうか。そこまで強い光ではない。まだ、夜なのだろう。月明かりのようだった。

 出口から、外に出た。月が近くに見えた。大きな滝が、すぐそばに見えた。

 嫌な予感を覚えながら、真っ直ぐ進んで行く。

 少しして、二人で愕然と眼を見開き、足を止めた。

「っ」

「これは」

 崖だった。月明かりのため、下の方までははっきりとは見えないが、相当な高さのようだった。

「ここは、行き止まりだ」

「くっ」

 かけられた声に、ふりむいた。

 カミュたちが出てきたところから、さっきの兵士たちが出てきた。数は、七人ほど。普段なら難なく片づけられるぐらいだが、疲労した身で、すでに限界に来ているレヴンを(かば)いながらでは、厳しいと言わざるを得なかった。

 隊長らしき兵士が、一歩進み出た。

「悪魔の子よ。なぜ、助けた?」

 レヴンを見て、その兵士が言った。

「え?」

「見捨てることだってできただろう。いや、そもそも、あんな魔法が放てるのなら、我々を薙ぎ払って行くことだってできたはずだ。なぜ、我々を助けた?」

「理由なんてありません。躰が勝手に動いていた。それだけです」

「そうか」

 兵士がうつむいた。

「だが我々は、悪魔の子であるおまえを、捕らえなければならん」

「隊長。ほんとうに、それでいいんですか?」

 兵士、隊長が力なく言うと、うしろにいた兵士のひとりが、気が進まなそうな様子で言った。周りの兵士たちがざわめき出した。

「おい、相手は悪魔の子なんだぞっ」

「そうだけどよ、俺たち、助けて貰ったじゃねえかよっ」

「それは。いや、やつの策かもしれないだろっ」

「あんな状況で策もくそもあるかよ。下手すりゃ、あいつらが焼かれてたかもしれねえんだぞっ」

「そうだよな。その通りだと思う」

「確かにそうだけど」

 程度の差こそあれ、全員、気乗りしない雰囲気だった。

 隊長が、うつむいたまま手を挙げると、兵士たちが口を閉じた。

 隊長は手を下ろすと顔を上げ、レヴンに顔をむけた。

「悪魔の子とは、なんなのだ。おまえはほんとうに、災いをもたらす悪魔の子なのか?」

「僕は、勇者です。大いなる闇を打ち払う者。それが勇者だと、昔は言われていたはずです」

「闇を打ち払う、か」

 隊長が、再びうつむいた。煩悶(はんもん)するように唸り、やがて顔を上げた。

「投降、してくれないか」

「え?」

「なに?」

「おまえたちは、命の恩人だ。手荒な真似はしたくない。大人しく投降してくれないか?」

「命の恩人だって言うんなら、このまま逃がして欲しいんだがな」

「すまん。それは無理だ。我々は軍人だ。命令に(そむ)くわけには、いかんのだ」

「オレたちだって、死ぬわけにはいかねえんだよ。捕まったら、今度こそ処刑だろ」

「我々も、おまえたちの助命を乞わせて貰う。精一杯のことはする。だから、頼む」

「話になら」

「カミュ。ちょっと待ってくれないかな」

 カミュの言葉を遮ったレヴンが、カミュから身を離した。真っ直ぐに隊長にむかい合う。足がふらついていたが、その姿は、不思議と力強かった。まるで、どこかの王族かと思わせるほどに、堂々としたものだった。

 気圧(けお)されるように、兵士たちが居住まいを正したように見えた。

「あなたたちや、グレイグ将軍は、信じられると思います。ですが僕は、デルカダール王とホメロス将軍が、信じられない」

「君の村を焼き払うと言ったのは」

「いえ、それがないとは言いませんが、それ以上にあの二人から、なにか妙な気配を感じました。信じてはいけないと思わせる、なにかがありました。だから、あなたたちには申し訳ありませんが、投降するわけにはいきません」

「そうか」

 隊長が、うつむいた。少しして、意を決したように、顔を上げた。

「悪魔の子を、捕らえよ」

『――――はっ』

 絞り出すような隊長の言葉に、兵士たちが苦しそうに応え、武器を構えた。

 レヴンと二人で、じりじりと後退する。うしろは、崖だ。

「カミュ」

「ん、なんだ?」

「悪魔の子と相乗りする勇気、ある?」

 レヴンの顔を見る。レヴンの眼は、強い光を放っていた。

 ニヤッと、カミュは笑った。

「悪魔の子じゃねえだろ。なあ、勇者レヴン」

「カミュ」

「オレは信じるぜ、『勇者の奇跡』ってやつを」

「うん」

 レヴンと頷き合い、兵士たちに視線をむけた。

「っ、貴様ら、なにをするつもりだ!?」

 兵士のひとりが叫んだ。はっと兵士たちがざわめく。

 カミュとレヴンは同時に崖の方にふりむき、駆け出した。跳躍し、崖に身を躍らせる。

 うしろから、兵士たちの声が聞こえた。

 不思議な風が、カミュたちを包んだ気がした。

 

***

 

 微睡(まどろ)むこともなく、セーニャははっと目を()ました。天幕の骨組みがかすかに見える。まだ夜のようだった。

 サマディーから東にある、ホムラの里にむかう道中の野営地での、野宿の最中だった。

 セーニャは一度寝ると、ある程度満足するまで眠り続ける。眠くなると、どこででも寝てしまうぐらい寝つきもいい。姉にも呆れられているぐらいだった。

 しかし今日は、なぜか寝つきが悪かった。妙な胸騒ぎがしていたのだ。それは姉であるベロニカも同じだったようで、彼女にいたっては昼間からずっと、どこか落ち着かない様子だった。

 隣の、ベロニカが寝ているはずの寝床に、眼をむけた。

「お姉様?」

 ベロニカの姿はなかった。女神像のある野営地で、見張りの必要性が薄いため、ともに眠りの(とこ)()いたはずだったのだが、見当たらなかった。

 上体を起こし、どこに行ったのかと見回すと、外に気配を感じた。

 立ち上がり、外に出た。思った通り、ベロニカがいた。女神像の前に(ひざまず)き、両手を胸の前で重ね、祈りを捧げていた。

 声をかけるのがためらわれるほどに、神聖な美しさを感じた。

「セーニャ?」

 気配に気づいたのか、ベロニカがこちらをむいた。

「どうしたのよ。アンタがこんな時間に起きてくるなんて」

「あ、いえ、なんだか、胸騒ぎがして」

「アンタも?」

「はい。お姉様は、ずっと起きて?」

「うん。まあ、ね」

 セーニャの言葉に、ベロニカがうつむいた。

「なんだかね、レヴンの身になにかあったんじゃ、って思っちゃってね」

「え?」

「よくわからないけど、レヴンのことばかり頭に浮かぶの。それで、なんだか不安になっちゃって」

「お姉様」

「かっこ悪いわね、あたし」

 ベロニカが、自嘲するようにため息をついた。

「かっこ悪いなんてこと、決してありませんわ、お姉様」

「セーニャ」

「愛する殿方の安否がわからない。不安になって当然だと思います」

「あ、愛する殿方って」

 ベロニカが、ぼっと顔を赤くした。暗くてもわかるぐらいだった。

 普段は凛として恰好いい姉だが、レヴンのこととなると、どこか隙を見せてしまう。そんなところもあるのだ。

 それが、恰好悪いなどということはない。ベロニカは、セーニャよりもずっと使命感が強かった。いつだってセーニャを引っ張ってくれるベロニカは、セーニャにとって自慢の姉だ。そんな姉が、年相応の女性の顔を覗かせるのは、とても微笑ましいもので、安心するものだった。

「愛していらっしゃらないのですか?」

「い、いや、愛するもなにも、十年近く会ってないわけでしょっ。そういうのを考えるのは実際に再会してから、って、そうじゃなくて!」

 ベロニカが、ゆっくりと深呼吸した。

「不安、なのよね。けど、どこにいるのかわからない。なにをすればいいのかもわからない。それで、レヴンの無事を、祈ってた」

「祈り、ですか」

「祈ることしか、できないのよね」

 ベロニカがまた、自嘲するようにして言った。

「祈りましょう、お姉様」

「セーニャ?」

「お姉様の祈りは、きっとレヴン様に届きます。私は、そう信じています」

「セーニャ」

 ベロニカが眼を閉じ、息をついた。

 少しして眼を開くと、セーニャの眼を見つめ、微笑んだ。

「そうね。祈りは、きっと届く。そう信じなきゃね」

「はい」

 ベロニカととともに、女神像にむかって跪き、両手を胸の前で組んだ。

 ただ一心に、レヴンの無事を祈る。

 ふっとセーニャの胸に、昔、たった一度だけ会った少年の姿が浮かんだ。青髪をツンツンと逆立てた、ひとりの少年。

 テオに連れられて、ベロニカ、レヴンとともにむかったクレイモランで、セーニャがはぐれてしまった時、手を引いて教会に連れて行ってくれた。迷子になってしまったセーニャの手を、呆れた表情を浮かべながらも、やさしくとってくれた。

 その時は手持ちがなく、せめてものお礼にと、ヘアバンドを渡そうとしたのだ。ベロニカと交換した、大切な物ではあったが、感謝の気持ちを伝えるのに、それぐらいしか思い浮かばなかったのだ。

 少年は最初、それを断った。渡されても困ると。セーニャも、せめてもの感謝の気持ちですので、受け取っていただけなければ困りますと言った。

 多少の問答の末、少年が折れた。受け取るのではなく、預かっておくと言われた。

 いつかどこかで再会した時、(めし)でも(おご)ってくれ。その時までこいつを預かっておく。苦笑しながら、そう言われた。

 セーニャもそれに頷いた。そのあと少年は、なにか用事があるということで、早々にその場を去っていった。去っていく少年のうしろ姿を見て、名乗っていなかったことを思い出した。少年の名前も聞き忘れていた。

 去っていく少年のうしろ姿に、セーニャは自分の名前を告げた。だが、少年の耳には届かなかったのか、彼はふり返ることなく立ち去っていった。

 あれから、十年近くになる。ベロニカとレヴンが()わしたような、はっきりとしたものではなかったが、セーニャがあの少年と交わした言葉もまた、約束と言えるものだったのだと思う。

 彼と再会できることも祈って、旅をしてきた。船に乗るために、クレイモランに滞在した時、彼のことも捜してはみたものの、見つかることはなかった。その際、あの少年に連れられて行った教会で、彼のことを訊いてみた。

 教会の神父は、彼のことを知っていた。特徴からして、その神父が知っている人物ではないだろうかと。ただ、五年ほど前から姿を見せなくなったとのことだった。

 なぜ、彼のことを思い出したのだろうか。そう思うとともに、セーニャが感じていた胸騒ぎのもとは、彼の方だったのかもしれないと、ふっと思った。

 レヴンと彼が無事であるようにと祈る。ひょっとしたら、レヴンと彼が、一緒にいるのかもしれない。ただの思いつきではある。だが不思議と、確信を得たような感覚があった。

 御二人とも、御無事で。

 セーニャはただ、ベロニカとともに祈り続けた。

 




 
突如洞窟から姿を現したブラックドラゴンが平和なデルカダールの街を襲撃する! とかいうイベントでもあるのかと思った。なかった。ほんとになんでこんなところにいたの。

Level:1 でもちょっとだけ触れてますが、本作でのベギラマおよびギラ系の呪文の描写は、『ダイの大冒険』で描かれていたようなイメージ。熱線(閃熱)を放つ感じ。ダイ大のベギラゴンすげえかっこいい。
実のところ魔法のイメージは、ダイ大のイメージで書いてるのが多かったりします。

明かりを生む呪文は、ドラクエ1にあった『レミーラ』。

魔法力=マジックポイント=MP って感じで。
精神力=マインドポイント=MP でもあります。
 


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Level:6 導きの光

 闇の中を歩いていた。一歩先ですらなにも見えず、道があるのかもわからない。

 ほんとうに自分は、歩いているのだろうか。歩いているつもりのだけで、ほんとうは一歩も進んでいないのではないか。そんなことを考えてしまうぐらいの、深い闇だった。

 立ち止まり、ふり返ってみた。光が見えた。

 光は見えたが、そちらに戻ろうという気にはならなかった。いや、戻ってはならないと、心のどこかで思う自分がいた。

 再び前をむき、歩き出した。前をむいた途端、うしろに光があったのは錯覚だったのだとでも言うように、また闇に包まれた。

 いつから闇の中にいたのだろうか。

 自分は、どこに行こうとしているのだろう。

 どこにむかえばいいのだろう。

 ほんとうに、このまま進み続けていいのか。

 進む道は、ほんとうに間違っていないのか。

 迷いが、恐怖が、たえず胸にあった。それでも、進むしかないのだと、自分に言い聞かせながら、歩き続けるしかなかった。

 いまからでも、光があったところに戻ったらどうだ。そんな(ささや)きが聞こえてくる。

 それだけは、できない。そう思った。

「っ?」

 突然、光が生まれた。足を止め、見下ろす。光は、胸もとから生まれていた。

 手を胸もとに当てると、不思議な温かさを感じた。

 服の胸もとを開く。中に大事に仕舞っていたリボンが、光を放っていた。そっと、リボンを取り出した。

 ひと筋の光が、リボンから前にむかって伸びた。

 顔を上げると、ずっと遠くに小さな光が見えた。小さな光と、リボンから伸びた光は、繋がっているようだった。進む先を示してくれている。導いてくれている。自然とそう思った。光にむかって歩き出す。

 光は、だんだん大きくなっているようにも、小さなままにも見えた。辿り着けるかわからない。それでも、足を止めるつもりはなかった。光にむかって進み続ける。

 不意に、光に包まれた。眩しさに眼を瞑る。

 ゆっくりと目を開けると、緑に包まれていた。彼女たちと一緒によく遊んだあの里の森を思い出し、ハッとした。思い出すどころではない。あの森の風景だった。遠くに、彼女と約束を交わした、あの大木が見えた。

 歩き出したところで、違和感を覚えた。視界が低く、歩幅が狭いような気がした。

 見下ろすと、躰が小さくなっていた。幼いころの、それこそ、あの里で過ごしていたころの躰つきに思えた。身に纏っているのは、祖父のお下がりでもある旅装束で、なぜか子供の姿の自分にもピッタリ合っていた。

 なぜ、こんな姿に、と思いながらも、リボンを胸もとに仕舞い、足を進めた。呼ばれている。不思議とそんな感覚があった。

 大木の下に入るあたりで一度立ち止まり、大木を見上げた。やはり、あの大木だ、と思った。懐かしさが、胸に去来していた。

 誰かの気配を感じ、幹の方に顔をむけた。幹のむこうに、ひとりの少女の姿が見えた。

 赤を基調とした服に身を包んだ、赤い帽子を被った少女だった。不思議そうにあたりを見渡している。

 ドクンと、ひと際高く鼓動が鳴った。弾かれたように、彼女にむかって駆け出していた。子供の躰ゆえにそこまで速く駆けられないことが、酷くもどかしかった。

 少女がふり返った。顔がはっきりと見えた。約束を交わした、探し求めていた少女だった。

 こちらに気づいたのか、少女が眼を見張った。彼女もまた、弾かれたように駆け寄って来た。

 近づいたところで、お互いにゆっくりとした歩みになり、手を伸ばせば届くぐらいの距離で、どちらともなく立ち止まった。

 少女が、まじまじとこちらを見つめたあと、(ほが)らかな笑顔を浮かべた。笑顔を返した。

 話したいことがたくさんあったはずなのに、言葉が出てこなかった。彼女の方もそうなのか、困ったように頬を掻いて苦笑していた。

 少女が手を伸ばし、頭を撫でてきた。気恥ずかしいものを覚えながらも、懐かしい感覚に心地良さを感じていた。思わず眼を細めた。

 突然、彼女に突き飛ばされた。そのまま尻餅をつくようにして地面に転び、痛みにちょっとだけ眼を瞑った。

 どうして、と彼女の方を見る。一瞬遅れて、彼女の姿にハッと眼を見開いた。

 彼女が、闇に拘束されていた。生き物のように(うごめ)く闇に、少女の躰が少しずつ取りこまれ、周りの緑、光までもがその闇にどんどん侵食されていた。

 彼女に(かば)われたのだと、わかった。

 慌てて近づこうとするも、まったく身動きがとれなかった。いや、闇を恐れるように、躰が動いてくれなかった。精神まで子供に戻ってしまったのか、言いようのない恐怖が心と躰を支配していた。

 いまの躰でなにができるというのだ。助けようとしたところで、自分まで闇に取りこまれるだけだ。逃げろ。そんな声が、どこからか聞こえてきた。

 ふざけるな。彼女を見捨てることなんて、できるわけがないだろう。そう思っても、躰が動いてくれなかった。少しずつ闇に取りこまれていく彼女を見ていることしか、できなかった。

 苦悶の表情を浮かべ、もがいていた彼女が、こちらを見てハッとしたあと、笑顔を浮かべた。

 心配いらないわ。大丈夫。あなたはあたしが守るから。だから、逃げて。そんな、安心させるための笑顔だった。苦しそうでありながらも、力強い、綺麗な笑顔だった。

 全身が、かっと熱くなった。守りたいと思った彼女に、守ると決めた彼女に、ただ守られている。それが、なによりも情けないことに思えた。

 守られるだけでいいのか。なんのために強くなろうとしたのだ。誓ったのではないのか。

 彼女を守ると、ずっと一緒に旅をすると、約束したのではないのか。

 心を燃やせ。闇に、恐怖などに負けるな。()退()けろ。

 立ちあがれ。己の無力に屈するな。奇跡が必要だというのなら、引き起こせ。

 大切な(ひと)ひとり守れないで、なにが男か。

 闇を、打ち払え。

 彼女の名を叫ぶようにして吼え、駆け出した。それに呼応するように、左手から光が(ほとばし)った。その光に、闇が少しずつ消えていく。しかし闇は完全には消えず、しぶとく彼女にまとわりついていた。

 間近に迫ったところで、跳躍して左腕を振りかぶった。そのまま闇にむかって拳を叩きこむ。弾き飛ばされるように、闇が彼女から引き剥がされた。

 引き剥がされながらも、闇は宙で往生際悪く蠢いていた。左手が再び輝く。光を受けた闇は、それでもしばらくの間もがいていたが、やがて消え去った。

 再び、あたりに光が満ちた。

 彼女に近づき、顔を覗きこむと、彼女は怒った表情を浮かべた。

 危険な真似をしたことに対して怒っている。雰囲気でそれがわかった。ごめんなさい、と謝った。

 彼女はハッとしたあと、ちょっとだけバツが悪そうな表情を浮かべて大きく息をつき、ぎゅっと抱き締めてきた。そのぬくもりに、安らぎを覚えた。

 彼女がそっと身を離し、はにかんだ。

 あたしの方こそ、怒ってごめん。助けてくれて、ありがと。

 その言葉に、首を横に振り、笑顔を返した。

 彼女はちょっと考えこむ仕草を見せたあと、頬を赤く染め、意を決した様子で顔を近づけてきた。眼を(しばたた)かせた。

 やわらかなものが、頬に触れた。彼女が顔を離した。

 茫然と、彼女の顔を見た。感謝の気持ちよ、と彼女が照れくさそうな笑顔を浮かべた。その笑顔に、思わず見惚れていた。

 不意に、眼が(くら)むような強い光が、再び左手から迸った。反射的に眼を瞑った。

 (つか)()を置いて、光が収まったことがわかった。眼を開く。()(ぜん)とした。

 目の前に、美しい女性がいた。さっきあの娘が着ていた服を身に纏った、あの娘の面影(おもかげ)を感じさせる、勝気そうでありながらも優しい瞳をした女性だった。彼女もまた、こちらを見て唖然とした様子だった。

 ふっとあることが思い浮かび、自分の躰を見下ろした。もとの、大人の姿に戻っていた。

 改めて彼女に眼をやると、まだ状況についていけないようで、ポカンとこちらを見ていた。とても、可愛らしく見えた。

 気がつくと、彼女を抱き締めていた。躰が熱くなったが、離したくなかった。

 固まっていた彼女が、少しして顔を真っ赤にし、あたふたしはじめた。あたふたしながらも逃げようとはせず、やがて、ぎこちなく腕をこちらに回してきた。少しだけ腕に力を入れると、彼女も腕に力をこめた。

 顔を覗きこんでみるが、彼女は恥ずかしそうに顔を赤くしたまま、目を合わせてくれなかった。それがまた、可愛らしく思えた。

 もう少し、こうしていたい。そう思う自分がいた。しかし、それは無理なのだと、なんとなくわかった。

 彼女の躰が、ちょっとずつ薄れていた。彼女も、自分の躰の様子に気づいたようだった。周りの景色も、陽炎(かげろう)のようにおぼろに霞みはじめていた。先ほどの闇とは違って、焦燥や不安といったものはなかった。

 別れの時間が来た。そういうことなのだと、不思議とわかった。

 そっと躰を離すと、さっきまでの慌てた様子が嘘のように、彼女がじっと目を見つめてきた。真っ直ぐに見つめ返し、微笑んだ。

 大丈夫。必ず、君を見つけるよ。

 そう言うと、彼女は満足そうな笑顔を浮かべ、頷いた。

 またね。

 彼女のその言葉に、ゆっくりと頷き返した。

 やがて、光とともに彼女が消えていった。

 気がつくと、風景が一変していた。深い闇が、再び世界を包んでいた。光は、もうどこにも見えなかった。

 頬に手を当てる。熱くなっていた。そこから(でん)()するように、躰中に力が(みなぎ)ってきているような気がした。

 行く手を見据える。光は見えない。だが不思議と、道は見えていた。進むべき道は、そこにある。そう思えた。

 迷いは、すでになかった。決意が胸にあった。

 道が正しいかなどわからない。だが、自分がなにをしたいのか、なんのために旅に出たのかを思い出した。

 ベロニカに逢いたい。彼女とともに、歩んでいきたい。

 闇の中、レヴンは再び歩き出した。

 

***

 

 目を醒ますと、ベッドの上だった。天井が見えた。横たわったまま、躰の調子を確認する。

 痛むところは、特になかった。()(だる)さなどもない。ゆっくりと手や足に力を入れる。問題なく動かせた。

 上体を起こし、周りを見渡した。本棚、(たく)、椅子、扉、窓。どこか(おごそ)かなものを感じる作りの部屋だった。教会だろうか。日の光が、窓から差しこんでいた。影の傾きからして、昼をちょっと過ぎたところだろうか。

 自分の躰を見下ろすと、家の中で着るような、簡素な服を着ていた。

「――――?」

 左手の痣が、淡い光を(とも)していたように見えた。一瞬、そう見えただけなので、気のせいかもしれない。

 なにか、不思議な夢を見ていたような気がするのだが、思い出せなかった。ただ、活力のようなものが、躰中に溢れている気がした。必ず彼女を、ベロニカたちを見つけるのだという思いが、心の中に満ちていた。

 扉を軽く叩く音が聞こえた。扉に眼をやり、返事をする。扉が開いた。

 扉を開けた人物が、軽く手を挙げた。

「よう、相棒、おはようさん。調子はどうだ?」

 ツンツンと逆立てた青髪が特徴的な青年、カミュが言った。手に、なにか持っている。レヴンの旅装束と貴重品袋のようだった。

「おはよう、相棒。いたって好調だよ」

「そうか。なら、よかったぜ」

 そう言って扉を閉め、近づいて来たカミュが、首を傾げた。

「なに?」

「いや、少し顔が赤く見えるんだが、ほんとうに大丈夫か?」

「え?」

 手を顔に当てる。確かに、ちょっと熱い気がした。ただ、熱があるという感じではない気がした。

「なんだろう。特に体調が悪いわけじゃないんだけど」

「ほんとか?」

「うん。むしろ、力が漲ってるくらいなんだけど」

「そうか。まあ、おまえがそう言うんなら信じるけどよ、調子が悪いと思ったら無理せず言えよ?」

「うん」

 カミュが、手に持っていた荷物を卓の上に置いた。やはり、レヴンの旅装束と貴重品袋だった。リボンも服の上に置かれている。

 そこまで見てとると、カミュに顔をむけた。

「ところで、ここは?」

「あの崖の近くにあった教会だよ。どこまで憶えてる?」

「崖から飛び降りたところまでは」

「そうか。まあ、だいぶ限界みてえだったからな」

 そう言ってカミュが、息をついた。安心したような、どこか気落ちしたような、複雑そうな感じに見えた。

「ごめん、カミュ」

「ん、なにがだ?」

「なにか、大事な話をした気がして」

 カミュが眼を(しばたた)かせ、軽く苦笑した。

「ああ。まあ、したな」

「そう。やっぱり」

 再び謝罪の言葉を口にしようとしたところで、カミュが人の悪そうな笑みを浮かべた。

「ベロニカって女が、おまえにとってどれだけ大切な女なのか、とかな」

「ぼふぁっ!?」

 カミュの言葉に噴き出した。確かにベロニカは大切な女性だが、自分はなにを語っているのだ、と思った。

 恥ずかしさに、全身が熱くなってきた。

「ど、どんな会話の流れで、僕はそんなことを?」

「まあ、いろいろとな。オレの方もまあ、確かにちっとばかり個人的な話はした。ただ、なんつーか、勢いで語っちまったところもあるからな。憶えてないなら憶えてないで構わねえというか、オレも気分的には助かる部分がある。オレも、まだ完全にむき合えたわけじゃねえからな」

 自嘲するようで、強い意思のこもった言葉だった。やるべきことを思い定めた、そんな声に聞こえた。

 カミュが、窓に近づいた。

「ただ、そうだな。多分、いつかおまえの力が必要になる時がくる。その時が来たら、力を貸して欲しい。それだけ憶えといてくれるか?」

 窓から外を見るようにして、カミュが言った。はっきりと表情は見えなかったが、真剣な声だった。

 すっと、動揺していた心が鎮まった。

「うん。わかった。僕の力が必要になったら、いくらでも貸すよ」

「ああ。ありがとな、相棒」

 どこか照れくさそうに、カミュが応えた。頷いて返した。

「ところでよ、あの黒馬って、おまえのか?」

 カミュが、窓の外を指さした。指の先を追うようにして、外を見た。見慣れた黒い馬の姿が、視界に入った。

「雷刃?」

 レヴンの愛馬、雷刃がいた。

「雷刃っていうのか、あいつ?」

「あ、うん。けど、どうしてここに?」

「とりあえず、順を追って説明するぞ。崖から飛び降りたあと、川岸に流れ着いてな。そこから離れようと移動してる途中、あの馬が現れたのさ。追手かと思ったが、乗り手はいねえし、(くら)もついてねえ。で、あいつの姿を見たところで、おまえが気を失っちまって、どうしたもんかと頭を抱えたところであの馬が近づいて来て、この教会まで乗せてきてくれたんだ」

「そんなことが」

 おそらく、雷刃の姿を見たことで、張り詰めていたものが途切れてしまったのだろう。

「ごめん。迷惑かけたね」

「んなこたねえさ。そもそもおまえの馬、雷刃が乗せてくれたおかげで、魔物に襲われることなくここに来れたわけだからな。にしても、大した馬だな。おまえのいるところがわかったってことだよな」

「うん。自慢の友だちだよ」

「馬が友だち、か。あの馬の様子を見ていると、ほんとうにそんな感じに思えたな。外にいるからよ、あとで礼を言っておきな」

「わかった。カミュもありがとう」

「おう」

 カミュが扉を開け、出ていった。

 立ちあがり、机に近づくと、リボンを手に取った。綺麗に洗われており、ほっと安堵の息をつくとともに、誰にともなく感謝の言葉を呟いた。

 服に触ってみると、しっかりと乾いていた。念のため、貴重品が入っている袋の中を確認する。大切な物は、すべて入っていた。ヒスイの首飾りもある。再び安堵の息をついた。

 着替えを終えると、扉を開けた。カミュが、壁に寄りかかるようにして佇んでいた。頷き合い、ともに歩き出した。

 この教会の位置をカミュに確認すると、デルカダールから南の方にある場所で、ここから南に行くと、ナプガーナ密林があるという話だった。頭に地図を思い浮かべる。ナプガーナ密林からさらに南に行けば、イシの村だった。

 これからどうするか、と考えたところで、テオのことをふっと思い出した。祖父が世界を巡るのに使った、ある道具のことも。

 礼拝堂に出た。シスターが、女神像に祈りを捧げていた。

「シスター」

 カミュが声をかけると、シスターがふり返った。それなりに年を()したシスターだった。

 シスターが、微笑みを浮かべた。

「お連れ様も眼を醒ましたのですね。大事ないようで、安心いたしました」

「ありがとうございます、シスター」

「助かったよ、シスター」

「いえ、これも神の(おぼ)し召しでしょう。食事を用意しておりますので、どうぞお召しあがりください」

「重ね重ね、ありがとうございます。ただ、その前に、愛馬のところに顔を出してきます」

「そうですか。わかりました」

 礼をすると、カミュとともに表に出た。

 表に出ると、雷刃の姿がすぐ近くに見えた。

「雷刃」

 呼びかけると同時に、雷刃がレヴンにむき直った。じっと見つめてくる雷刃に、ゆっくりと近づいて行く。

 傍らに立つと、雷刃が鼻面を押し付けてきた。やさしく抱き締め、頭を撫でる。

 心配をかけた。来てくれてありがとう。雷刃の方も無事でよかった。そんなことを、語りかけた。

 それにしても、雷刃は(うまや)に繋いであったはずだが、どうやってここに来たのだろうか。ふっと、そんなことを思った。

 デルカダールに捕らえられてもおかしくなかっただろうし、無理矢理逃げ出したのなら、どこかに怪我をしていてもおかしくないはずだ。だが雷刃の躰には、特に怪我のようなものは見受けられなかった。誰かが逃がしてくれたのだろうか。そう考えてみるが、誰が答えてくれるわけもなかった。

 少しして、雷刃が顔を離した。もう一度だけ首を撫でると、雷刃が耳を動かした。

「さて、これからどうする、レヴン?」

 カミュが言った。彼の方にむき直る。

 周囲の気配を探り、誰もいないことを確認してから、レヴンは口を開いた。

「いくつか考えていることはあるよ。カミュの方は?」

「デルカダールから離れるってのは考えてるが、その程度のもんだ。どうやって離れるかまでは思いつかねえ。デルカコスタからの船は抑えられているだろうし、ナプガーナ密林からよそに行くための橋は壊れてるって話だ。ナプガーナ密林の深いところを抜けて、よその地域に行けるかどうか」

「行けるの?」

「わからねえ。五年ぐらい旅はしてたが、あのあたりを根城にしたことはねえからな」

「そう。あとは、舟でも作るとか?」

「川を越えてよその地域にとなると、このあたりは警戒が厳しいと思う。だが海に出るとなると、かなりしっかりした船にしねえと、死ぬぞ。だが、そんな船を造るには、人手も時間もねえ」

 カミュの声は、確信に満ちていた。海に関して、かなり詳しいようだった。

 気にはなったが、彼の身の上に関わることとなると、触れるべきではないと思った。話したい時に話してくれればそれでいい。そう思っている。

「とりあえず、僕の案だけど」

「おう」

「イシの村に、一度戻りたい」

 カミュが、ピクリと眉をひそめた。

 なにか言いたそうではあったが、カミュはなにも言わず、視線だけでレヴンを促してきた。

 ひとつ頷き、言葉を続ける。

「言いたいことはわかるよ。僕が行ったところで、なにもできない。女性や子供たちだけでも一緒に逃げられないかって思ったけど、デルカダールに追われながらの旅に付き合わせる方が、よっぽど危険だ。逃がすのも、おそらく逆にみんなを危険に晒すことになる」

 最初は、エマやマノロたちだけでも連れて行けないか、と思った。行く当てはある。だが、遠く険しい旅になるだろう。それに、デルカダールによる追手を気にしながらの旅となってしまう。連れて行くのは、かえって危険だと思わざるを得なかった。

 だからといって、どこかに逃がすというのも、現実的とは言えなかった。

 実際のところ、どこに逃げればいいのか、という話になる。デルカダールは大国だ。いまから逃がそうとしても、あっさりと補足され、結局捕まるのが眼に見えている。むしろ、逃げることで、一層の嫌疑をかけられることになってしまうかもしれない。下手をすれば、グレイグでも庇いきれない事態になってしまうかもしれない。

 イシの村の人たちは、なにも知らない。そういうかたちにするべきだった。

 カミュが、ゆっくりと頷いた。

「そうだな。グレイグの野郎がああまで言ったんだ。村人たちにひでえ真似はしねえだろ。敵を信じるしかねえってのも、情けねえ話だとは思うけどな」

「敵、か」

 確かにグレイグは、立場的には敵となるのだろう。それは間違いないことだ。

 だが、改まって彼は敵だと言われると、どうにも違和感を覚えるのも事実だった。

「なんだ。グレイグは敵じゃないって言いたいのか?」

「敵と言うよりは、壁かな。越えなきゃならない、大きな壁」

 拳を握り締めて、レヴンは言った。カミュが、ポカンとした。

 少しして、カミュが愉しそうに笑った。

「ったく、大した野郎だって言うべきか、図太い野郎だって言うべきか。まあ、大物には違いねえな、おまえはよ。あのグレイグを相手に、そんなことが言えるなんてよ」

「そうかな?」

「ああ。オレははっきり言って、できることなら会いたくねえって思ってるからな」

 カミュが苦笑した。

「それはそうとしてだ。そこまでわかっていて、なんでイシの村に行くんだ?」

「うん。テオじいちゃんのことを、思い出したんだ」

「おまえの、じいさん?」

「テオじいちゃんは、世界を股に掛けたトレジャーハンターだったんだ。それで、僕はそのじいちゃんの冒険譚を聞いて育ったんだけど、その中に、遠く離れた場所と場所を繋ぐ、『旅の扉』っていう不思議な泉の話があった。それも使って、世界中を巡ったって」

「旅の扉のことは、オレも聞いたことがある。使い方がよくわからねえってこともな。おまえのじいさんは、そんなもんを使って旅をしてたってのか?」

「うん。それで、それを使うためのアイテムが、『まほうの石』って言うらしいんだ。昔、じいちゃんが、聖地ラムダの長老さんから貰ったらしい」

「貰った、って。一介のトレジャーハンターに渡すには、かなりの貴重品だと思うんだが」

「その長老さんの息子さん、ファナードさんって言うんだけど、じいちゃんがその人を助けた御礼に貰ったって聞いてる。いまはそのファナードさんが長老になってるんだけど、本人も懐かしそうに喋ってたよ」

「なるほど。それで、その『まほうの石』が、イシの村のどこかにあるかもしれないってことか?」

 レヴンの言葉の先を継ぐようにして、カミュが言った。

 うん、と頷く。

「それと、デルカコスタから、さらに東に行った先にある『旅立ちのほこら』ってところに、その旅の扉のひとつがあるって言ってた」

「『まほうの石』さえ見つかれば、そのまま『旅立ちのほこら』からよそに行けるかもしれねえってことか」

 カミュが手を打った。小気味いい音が響いた。

「よく、わかったぜ。それに、その『まほうの石』のことを知っているやつも、村人の中にいるかもしれねえな。そんな貴重品で、なおかつ思い出の品と言えるような物を捨てるとは思えねえし」

「うん。ペルラ母さんなら、なにか知ってるかもしれない」

「わかった。それならオレも異存はねえ。ただ、一度デルカダールに行っておきたい」

「デルカダールに?」

 カミュの言葉に首を傾げた。デルカダールはおそらく、レヴンたちが脱獄したということで、警戒が厳しくなっている可能性がある。山を挟んだ向こう側の街道も同じだろう。そうなると、ここからナプガーナ密林を越えるしかない。

 ふっと、頭に浮かぶことがあった。

「旅の支度、だね。ナプガーナ密林を越えなくちゃならないし」

 できることなら、ただちにイシの村にむかいたいところではあるが、旅の荷物は手元からなくなっている。ナプガーナ密林は、一度入ったら二度と出られないとすら言われる樹海だ。それがなくとも食料や水、ほかにも必要な物を揃えなければ、道中で命を落とすことになるかもしれない。軽率な行動は慎むべきだと、自分に言い聞かせるようにして思った。

「それもあるが、回収しておかなくちゃならねえ物があるんだ」

 カミュが、静かに言った。

「それは、大事な物?」

「それ自体が、オレにとって大事な物ってわけじゃない。ただ」

 カミュが眼を閉じ、息をついた。

 意を決したように、カミュが眼を開いた。

「オレにも、いくつか約束みたいなものがあってな。そのうちのひとつが、それに関わってるんだ」

 カミュから真っ直ぐにむけられた眼と見つめ合い、レヴンは頷いた。

「わかった。行こう」

「ああ。悪いな」

「旅の準備もしなくちゃならないし、気にすることないよ。それに、約束は、守らないと。そうでしょ?」

「そう、だな。その通りだ」

 カミュが、重々しく頷いた。

「預言によると、オレはおまえを助ける運命にあるらしい。改めて、よろしく頼むぜ、勇者様」

「こちらこそ、よろしく、カミュ」

「おう」

 互いに拳を突き合わせ、ニヤッと笑い合った。

 シスターのもとに行き、遅めの昼食を頂いた。質素ではあるが、味は悪くないものだった。量もそれなりにあり、こんなに頂いて大丈夫なのかと尋ねたが、なにかと顔を出してくれる人が届けてくれるので、心配はいらないとのことだった。

 食事の後片付けを手伝い、出発することを告げた。

 シスターが、ひとつ頷いた。

「そうですか。御引き留めはいたしません。どちらにむかわれるおつもりですか?」

「デルカダールに行こうと思ってる。ここから北の方でよかったよな、シスター?」

「はい。ですがデルカダールの方では、凶悪な犯罪者が二人脱獄したということで、街中が厳戒態勢に入っているとのことです。それと、あの英雄グレイグ将軍が、その囚人が来たという、イシという村に出陣したと。むかうのであれば、お気をつけて」

 シスターの言葉に、カミュと二人で息を()んだ。

 どうとでも取れる言葉ではある。しかしシスターの瞳は、どこか深い光を(たた)えているように見えた。

「シスター、あんた?」

「私も、神に(つか)える者の端くれ。人を見る眼は、それなりにあると思っています。あなたたちは、悪人だとは思えませんでした。それだけのことです」

 やはりシスターの言葉は、どうとでも取れるものだった。

 カミュと二人で姿勢を正し、礼をした。

「ありがとうございます、シスター」

「ありがとう、シスター」

 シスターが、穏やかに微笑んだ。

 教会を出ると、シスターに言った通り北に進路をとり、デルカダールにむかった。

 途中、魔物退治を生業(なりわい)にしているという戦士と出会った。そろそろ壮年に差しかかろうかという外見ではあったが、それを思わせないほどに力強い気配を持った戦士だった。さっきまでレヴンたちがいた教会に昔から世話になっているらしく、なにかとあそこに行くらしい。シスターが話していた、なにかと顔を出して食料などを届けてくれる人と言うのは、彼のことのようだった。

 なにか気になったのか、ちょっとだけ立ち合って貰えないかと、戦士から頼まれた。

 少し考えたあと、それを受けることにした。ある意味で一飯(いっぱん)の恩を受けたと言えることもあるが、戦士の腕が、かなりのものだと感じられたからだ。手合わせすることで、なにか得られるものがあるかもしれない。不思議とそう思った。

 道中を急いでいるのは確かだが、いずれグレイグと闘うことになるのも間違いないのだ。彼に勝つためにも、少しでも腕を磨いておかなければならない。そんな思いがあった。

 その戦士の強さは、レヴンの予想を大きく超えたものだった。

 結果自体は、引き分けというかたちで終わった。だが戦士からは、どこか余裕のようなものが感じられた。本気で挑まれていたら、おそらく敗れていた。そう思えるほどの腕だった。

 カミュも同じく、手合わせをした。こちらも、引き分けというかたちになった。レヴン以上の素早さで動くカミュの動きに対応できる戦士は、やはりまだ余裕を残しているように見えた。

 最後に、レヴンとカミュ、二人同時にかかってくるように言われた。二人で息を合わせ、(ひと)太刀(たち)()びせてみせろと戦士が言い、構えた。

 その姿が大きく見えるほどの強烈な気配が、戦士から発せられた。殺気を伴ったその気は、一瞬でも隙を見せれば斬られる、と感じさせるほどのものだった。

 弾かれたように、二人で同時に構えをとり、戦士と対峙した。

 張り詰めた空気が、あたりを支配した。汗が額から(にじ)み、顎から(したた)り落ちるほどに、すさまじい緊張感と恐怖を覚えていた。ここで死ぬのではないか。頭にそんなことが思い浮かび、死んでたまるものか、と心を奮い立たせた。

 対峙し、どれだけの時間が流れただろうか。不意に、深い水の底に入ったかのように、世界が静かになった気がした。

 自分の躰、カミュの動き、戦士の動き、さらには、周りの風の動きや地面の状態、すべてがわかるような感覚を覚えた。カミュもその感覚を覚えていると、なぜか確信できた。

 レヴンが飛び出し、剣を振るった。戦士がレヴンの剣を防ぐ。レヴンは身を(ひるがえ)して、戦士の側面に回る。戦士がレヴンに一瞬注意をむけたところで、レヴンの影にいたカミュが、戦士に短剣を振るった。

 戦士の剣が、カミュに弾き飛ばされた。

 カミュの動きは、見えたわけではない。ただ、感じた。

 あたりが静寂に包まれ、突然戦士が大きな声を上げて笑った。

 まさか、こんなに早くその境地に辿り着けるとはな、と戦士が笑いながら言った。

 戦場のすべての動きが知覚できるような感覚を覚える、極限の集中状態、『ゾーン』と呼ばれるものがある。レヴンたちがなったのは、まさにそれだと。

 そして、その集中状態でお互いの動きを合わせた、さっきの二人の攻撃はまさに、『シャドウアタック』と呼ばれる『れんけい技』だと、戦士が言った。

 (しょう)(じん)しろよ、若者たちよ。そう言うと、戦士は豪快に笑いながら去って行った。

 

***

 

 スラム街に足を踏み入れると、そこかしこから視線を感じた。

 面が割れないようにと、カミュから渡されたフードの下から、レヴンは周りをそれとなく視線だけで見た。デルカダールの城下町で話だけ聞いていたスラム街は、その話に(たが)わず、荒れ果てていると言って差し(つか)えないところだった。

 人が住んでいるらしき小屋や天幕は、パッと見たかぎりでも建て付けが悪かったり、傷があったりといったものばかりで、汚れも目立つ。人々も、どこか探るようにして眼を光らせているように思えた。

 隙を見せるのはまずい。そう思わざるを得ない空気が漂っていた。

「行こうぜ、相棒」

「あ、うん。行こう」

 カミュに促され、ともに歩き出した。カミュの歩き方は、無造作なようで、隙のない歩き方だった。相変わらず気配も薄い。レヴンも、周りを警戒させないように気配を抑えながら、隙を見せないようにして歩いた。

 雷刃は、街の外に一旦放しておいた。一頭だけにするのは気が引けたが、雷刃はかなり目立つ。兵士たちには、レヴンが乗っていたことも知られているだろう。スラムの目(ざと)い者たちに雷刃のことを知られ、城の方に話が行ったら、こちらに兵士たちがむかってくることも考えられた。

 雷刃なら、このあたりの魔物ぐらいは蹴散(けち)らせるし、逃げ出すこともない。街中に入れるよりもよっぽど安心だと、カミュに言われたのだ。

 雷刃の手入れをしてあげたいところではあったが、カミュの言葉はもっともなものであり、頷かざるを得なかった。落ち着いた場所に行ったら、しっかり手入れをすると雷刃に約束し、レヴンたちはスラム街に入った。

 カミュに従ってしばらく歩いていくと、嫌な臭いを感じた。気配とかそういうものではない。純粋に、目と鼻の奥が痛くなるような、すさまじい刺激臭だった。

 思わず口と鼻を手で押さえた。カミュも同じだったが、彼はなおも進んで行く。仕方なく、レヴンもカミュのあとを追った。

 嫌な臭いが、どんどん強くなってきた。

 やがて、山が見えた。(うずたか)くゴミが積み上げられた、文字通りのゴミの山だった。臭いの中心は、そのゴミの山からだった。ゴミは城下町の方から捨てられているものらしく、こんなゴミ捨て場は、ほかにもいくつかあるという話だった。

「ここだ」

 ゴミの山の前で立ち止まり、カミュが言った。反射的に、カミュに顔をむけた。

「こ、ここ?」

「ああ。手早く済ませっちまうから、周りの警戒を頼む」

「て、手伝うよ?」

 そう言うと、カミュが苦笑した。

「無理すんなって。これに関しては、オレのわがままみてえなもんだからな。そうでなくても、汚れ仕事はオレに任せときな」

「汚れ仕事の意味が、なんだか違う気がするけど」

「ま、とにかくだ。警戒の方に力を入れてくれる方がありがてえからよ、気にすんな」

 カミュがゴミの山の前でしゃがみこみ、手を軽く振った。

「う、うん。ごめん」

 謝りながら、ゴミの山から顔を逸らすようにふりむき、周りを警戒する。背後では、カミュがゴミを漁る音が聞こえていた。時々、閉じこめられた臭いが開放されたような、ひと際鋭い臭いが漂ったりもした。吐きそうになったが、我慢した。

 これだけでもこんな気分になるのだ。もとより、手伝うのは無理だったのかもしれない、と申し訳ない気持ちを覚えながらも思った。

 どれだけ時間が経ったのだろうか。いや、そこまで時間が経ったわけではないのだろうが、ずいぶんと長い時間ここにいるような錯覚を覚えるほど、嫌な臭いだった。

 だんだん臭いに慣れてきた。嬉しくなかった。

 リボンにこの臭いが染み付いたら嫌だなあ、と辟易(へきえき)しながら、周囲の警戒を続けた。

「ない」

 ポツリと、カミュが言った。ゆっくりとふり返る。

「え?」

「ない。ここにあるはずなんだが」

 不可解そうに、カミュが独りごちた。

「誰かが持っていったとか?」

「ここは、とびっきり臭いのキツいゴミ捨て場でな、わざわざ近寄ろうってやつはそういないはずなんだ。まったくいないわけじゃないが、そういったやつに回収されないように、しっかりと細工しておいたはずなんだが」

「そうなの?」

「ああ」

 声をひそめて言い合い、二人でちょっと考えこんだ。

「ほかに、細工を知っている人とかは?」

「細工を知ってるやつ、か。デクぐらいしか思い浮かばねえな」

「デク?」

「盗賊やってる時に組んでた、以前の相棒だよ。盗賊としての腕は微妙だったが、どうにも憎めねえやつでな。交渉事なんかはオレよりもよっぽどうまかった」

 カミュは懐かしそうに言うと、(かぶり)を振った。

「疑いたくはねえが、ほかにこのことを知ってるのは、あいつだけだ。とにかく一度会って、話を訊く」

「わかった。でも、どこにいるのか、見当はつくの?」

「このスラムに、オレたちが(ねぐら)にしていた下宿がある。そこに行こう。そこの女将(おかみ)なら、なにか知ってるかもしれねえ」

「わかった」

 頷き、歩き出した。

 カミュの先導に従い、いくらか歩くと、周りに比べて幾分しっかりした建物が見えた。看板らしきものが入り口の上にかかっている。そこが目的地らしい。

 扉の前に立ち、カミュが扉に手をかけた。

「ん?」

「どうしたの?」

「開かねえな。留守みてえだ」

 カミュがちょっと考えこむ仕草を見せ、あたりを見渡した。視線を一点で止める。見ると、スラムの住人がいた。

 その住人にカミュが近寄り、小銭を握らせて、ちょっと質問をした。

 女将は、ちょっと前に宿を出て、城下町の方に行ったらしい。多分、まだ戻ってきていないのだろうとのことだった。

 念のため、あたりを捜してくるから、スラムと城下町を繋ぐ門を見張っていてくれるか、とカミュから頼まれた。近くにある(やぐら)から、門を中心に見ていて欲しいとのことだった。女将は、ふくよかな、赤髪の中年女性だと特徴を伝えられ、頷いた。

 櫓は、かなり高かった。登ってみると、櫓の上には誰もいなかった。まず、あたりを見渡し、女将らしき人がいないか一応確認する。

 視界内には、それらしき人はいなかった。門の方に眼をやる。兵士がひとりだけ、槍を持って佇んでいた。佇んではいるが、どうにも覇気らしきものが感じられない兵士だと、遠目に見ても思った。

 ひとりの老婆が、門に近づいて行った。門番が老婆を追い返した。

 ひとりの男が門に近づいて行った。門番が追い返そうとしたところで男が、なにかの袋を門番に差し出した。袋の中を確認した門番は、門からちょっと離れて顔を明後日(あさって)の方にむけた。男が門に入って行った。

 踊り子のような衣装に身を包んだ女性が、門のむこうから出て来た。女性が色仕掛けらしきものを行うと、門番は鼻の下をのばして、心ここにあらずといった状態になった。

 仕舞いには犬に追いかけられ、門の前から逃げ出していた。

「ん?」

 門番がいなくなったところで、門からひとりの女性が出てきた。ふくよかな、赤髪の中年女性。カミュから聞いていた女将の特徴と一致している。そのまま見ていると女性は、例の下宿にむかって行き、扉を開けて入っていった。

 おそらく、あの女性だろう。そう考え、櫓を降りると、カミュがちょうどよくレヴンのもとに来た。

 カミュが軽く手を振り、首を横に振った。

「こっちは収穫無しだ。そっちはどうだ?」

「ふくよかな、赤髪のおばさんだよね。例の下宿に入っていったよ」

「お、そうか。なら話は早え。さっそく会いに行こうぜ」

「うん」

 頷き合い、ともに歩き出した。ほどなくして、下宿についた。

 カミュが扉を開け、中に入る。レヴンもそれに続いた。

 先ほど見た赤髪の女性が、勘定台(カウンター)に立っていた。帳面になにか記している。

「よお、女将。久しぶりだな」

「いらっしゃいましー。今日はお泊まりで」

 顔を上げ、笑顔とともに紡がれた女将の言葉が、カミュの顔を見たところで止まった。信じられないものを見たとばかりに、女将は口を大きく開けて固まっていた。

「あ、あんた、まさか、カミュちゃんかい!?」

「ああ。久しぶりだな」

「いつ、牢から出してもら」

 そこで女将が、なにかに気づいたように言葉を止めた。視線がレヴンにむいている。

 なるほど、と女将が頷いた。

「釈放された、ってわけじゃなさそうだね。城の牢から脱け出した脱獄囚二人ってのは、カミュちゃんたちのことだね?」

「っ」

「ああ」

 女将の言葉にレヴンが息を呑んだところで、カミュがあっさりと頷いた。思わずカミュの顔を見ると、彼は苦笑を返してきた。女将も陽気な表情で軽く笑い声を上げる。

「心配すんな、相棒。女将は信用できる相手だ」

「あ、うん。すみません、女将さん。身構えてしまって」

「気にすることないさ。警戒して当然だからね。むしろ、そんなにあっさり信じられる方が、ちょっと心配になるよ」

「カミュが信じている相手ですから。僕も、信じられる人だと思いました」

 そう言うと、二人がポカンとした表情を浮かべた。

 なにか、と首を傾げると、カミュがまた苦笑して頭を掻き、女将が愉しそうに笑い声を上げた。

「いい子だねえ、あんた。カミュちゃんもそう思うだろう?」

「まあ、クソ真面目で馬鹿正直で、呆れるぐらい底抜けのお人好しってのは、間違いねえな」

「そこまで言う?」

「少なくとも、おまえのお人好しっぷりに関しては、それぐらいじゃ足りねえと思うぜ?」

「え、えー」

 肩を落とすと、女将がまた声を上げて笑った。

「いい相棒だねえ、カミュちゃん」

「まあ、いろいろと世話が焼けるやつだけどな。それはともかく、訊きたいことがあるんだが。デクのこと、なにか知らないか?」

「デクちゃんかい。デクちゃんならいま、お店をやってるよ」

「店、だと?」

「城下町のお城の近くで店をはじめてね。ずいぶんと忙しくしてるらしいよ。羽振りがよくて結構なことさ」

「城の近く、って富裕層でかよ。一等地じゃねえか。そんなところに店を出すとなると、なんらかのツテだとか、かなりの元手がいるはずだが」

 そこでカミュが、はっとした表情を見せた。

「まさか、デクのやつ、あれを売りやがったのか」

「あれって、例の?」

「ああ。だとしたら辻褄(つじつま)が合う。裏切りやがったのか、あいつ」

 カミュが拳を震わせ、複雑そうな表情を浮かべた。怒りと悲しみが()()ぜになったような、そんな表情に見えた。

「ほんとうに、裏切ったのかな」

 口を()いて、そんな言葉が出ていた。

「なに?」

 レヴンの言葉に、カミュが目を吊り上げ、睨みつけてきた。睨んではいるが、瞳は複雑そうに揺れていた。じっと見つめ返す。

「僕はそのデクって人のこと知らないけど、カミュが相棒って信じていた人だったんだよね?」

「ああ、そうだ。あいつがヘマやったところにたまたま出くわして、なんとなく助けたら、アニキアニキって人のこと追いかけてきてよ。追い払おうとしても付いて来るもんだから、めんどくさくなって放っておいたら、いつの間にか相棒になってて」

 カミュが言葉を切り、大きく息をついた。

「いや、そうだな。あいつが裏切ったって決めつけるのは、まだ早えな。あいつの店、か」

 カミュが眼を閉じ、うつむいた。少しして顔を上げ、レヴンの眼をじっと見つめてくる。

「相棒。頼みがあるんだが」

「みなまで言うことないよ。行こう。そのデクって人の店に」

「ああ。ありがとよ」

 頷き合い、女将に顔をむける。カミュがデクの店の住所を訊くと、答えが返ってきた。

 カミュが、金の入った小さな袋を取り出した。

「悪いな、女将。できることなら、一泊でもして金を落としてやりてえんだが、あまり長居するわけにもいかなくてな。せめて情報代として受け取ってくれ」

「それじゃ、遠慮なく受け取らせて貰うよ。にしても、カミュちゃん、ずいぶんと落ち着いたねえ」

「なに?」

「以前までのカミュちゃんだったら、デクちゃんが裏切ったと決めつけて、人の話なんか聞かなかったんじゃないのかねえ」

「そうなの?」

「あー」

 なんとなく意外な感じを受け、カミュを見ると、彼はバツが悪そうに頭を掻いた。

「まあ、そうかもな」

 カミュが、チラッとレヴンの顔を見た。

「ま、いまの相棒がこんなお人好しだからな。感染(うつ)っちまったんだよ、きっと」

感染(うつ)るって」

 憮然として言うと、カミュが苦笑して肩をすくめた。

「行こうぜ」

「あ、うん」

「街中は物々しくなってるからね。二人とも、気をつけていくんだよ」

「ああ」

「はい」

 カミュが(きびす)を返し、彼を追うかたちでレヴンは外に出た。

 

 




 
お待たせしました。次の話はだいたい書き上がってるので、そこまで間を置かずに投稿できる、はず。デクと会ってデルカダール出発まで、と思ったら、なんかすごい長くなってたよ――。

女将さんの名前って、あの看板に書いてある『アマンダ』でいいんだろうか。アマンダだよね、あれ、ってちょっと悩む。

 


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Level:7 信じる心

 鍋を前にして頭を抱えている姉の姿に、セーニャは首を傾げた。

 鍋から具を(よそ)い、ひと口、口に入れた。少し、しょっぱいだろうか。

 今晩の料理の味付けをしたベロニカが、顔を上げた。

「ごめん、セーニャ。失敗したわ」

「失敗と言うほどではないと思いますけれど。ちょっとしょっぱいですけど、そこまでひどいものではありませんし」

「そう言ってくれるのはありがたいけどねえ」

 はあ、とベロニカがため息をついた。思いやり強く、しかし厳しさを持った姉のことだ。失敗は失敗だと、そう言いたいのだろう。

 不意にベロニカが頬をかすかに赤らめ、それを振り払うかのように小さく首を横に振った。どうしたのだろうか、とセーニャはさっきとは違う意味で首を傾げた。

 女神像のあった野営地から、およそ半日。出発したのが昼を幾分過ぎたころだったというのもあり、ホムラの里には辿り着けず、今日も野宿となった。

 野宿することは、特に嫌ではなかった。なるべくなら落ち着いた場所で躰を休めたいという思いはあるが、ないものねだりをしてもしょうがないし、実のところ野宿自体は好きだった。

 セーニャは、旅が好きだ。旅の中で見る、さまざまな空が好きだ。

 空は、どこまでも同じ空が繋がっていて、しかしそれぞれの地でちょっとずつ違った空が見える。それぞれの空の下で、さまざまな人の営みがあり、いまを生きている。命を繋いできた、歴史がある。旅は、それを感じ取れる。

 この、ホムラの里に続く火山地帯は、サマディーの砂漠地帯とはまた別種の暑さがあり、高地であるラムダで育ったセーニャには、少々つらい環境ではある。それでも、ここで生きている人たちがいて、その人たちがどんな営みを続け、命を繋いできたのか、そのことに思いを()せると、やはり愉しさのようなものが胸に湧き上がってくるのだった。

 それはともかく、今日もベロニカは、どこか様子がおかしかった。

 顔を不意に赤らめたかと思うと、慌てた様子で首を横に振る。そんなことが、幾度となくあった。昨日感じていたという胸騒ぎはもうないと言っており、それを嘘だとは思わないが、どうしたのだろうかと気にはなる。料理でちょっとした失敗をしてしまったのも、多分それが原因なのだろう。

 昨夜、二人で祈り続け、セーニャから胸騒ぎがふっと消えたと同時、ベロニカは意識を失った。慌ててベロニカを寝床に連れて行き、軽く検診を行なって、特に大事ないことを確認すると、セーニャも眠りに()いた。

 翌朝、日がいくらか昇ったところでセーニャは眼が醒めた。ベロニカは、眠ったままだった。

 ベロニカがセーニャより遅く起きるのは滅多にないことで、昨日、姉がどれだけレヴンを心配していたのか、よくわかるようだった。

 念のため、再度ベロニカの躰の検診を行なったが、やはり疲労によるものだと感じた。双賢の姉妹の片葉、癒し手として、この手のことに関してはそれなりの知識と自負がある。特に悪い感じは受けなかった。

 ただ、ちょっとだけ気になることがあった。

 途中、ベロニカがうなされたのだ。とても苦しそうな表情だった。

 慌てて起こそうとしたが、彼女は眼を醒ましてくれず、セーニャが焦りを覚えたところで、突然ベロニカが穏やかな寝顔になった。幸せそうな寝顔だった。それから少しして、ベロニカは眠りから醒めた。

 眼を醒ました姉は、ずいぶんとスッキリした様子で、いつになく元気だった。それは悦ばしかったが、それから時々、思い出したかのように、恥ずかしがるような仕草を見せるようになった。

「あの、お姉様、大丈夫ですか?」

「え、な、なにが?」

「その、時々顔を赤くしたりして」

「あ」

 バツが悪そうに、ベロニカが頬を掻いた。

「心配かけてごめん。大丈夫。調子はすこぶるいいわ」

「ほんとうですか?」

「ええ。自分でもよくわからないけど、力が(みなぎ)ってるってぐらい。ただ、こう、なんていうか」

 ベロニカが、恥ずかしそうに口ごもった。なにも言わず、次の言葉を待った。

 ベロニカが息をつき、口を開いた。

「その、なんか、すごく恥ずかしいことをしちゃったような気がして」

「恥ずかしいこと?」

「いや、あたしもよくわからないんだけど、なんとなくそんな感じが」

「はあ」

 ベロニカの言葉に、ちょっと考えこむ。ふっと思い出すのは、うなされていたことと、そのあとの幸せそうな寝顔。

 ハッと、ひとつのことが頭に思い浮かんだ。

「もしや、夢の中でレヴン様と逢ったとか」

「え」

 ベロニカが、不意を衝かれたかのように声を上げた。

「実は今日、お姉様がお眠りになっている時、うなされていた時があったんです」

「うなされて?」

「はい。すごく苦しそうな御顔でした。すぐに起こそうとしたんですが、お姉様は眼を醒まされなくて。ですが、そのあと、お姉様が幸せそうな寝顔になられたんです。ほんとうに、すごく幸せそうな寝顔でしたよ」

「そ、そう」

 なにかに思い至ったかのように、ベロニカの顔がかすかに赤くなった。

「ひょっとしたら、お姉様の夢とレヴン様の夢が繋がったのかもしれませんね。夢の中で、危機に陥ったお姉様をレヴン様が助けたとか」

「い、いや、確かにレヴンの夢を見たような気はするけど、だからってあたしとレヴンの夢が繋がったのかもなんていうのは、いくらなんでも発想が飛躍し過ぎでしょ。夢っていうのは、あくまでも個人の見るものでしょ?」

「そうでしょうか。長老様の『夢見』のような力もありますし、お姉様とレヴン様なら、そんな不思議なことがあってもおかしくないのではないかと思いますけど」

「あたしとレヴンなら、ね」

 ベロニカが、なにかを見定めるようにしてセーニャの眼を見つめてきた。真っ直ぐに見つめ返す。

「ねえ、セーニャ」

「はい」

「あんた、この前、レヴンのことを運命の人って言ったけど、それって」

 ベロニカが、言葉を止めた。

 ベロニカはちょっとだけ考えこむ仕草を見せると、息をついた。

「やっぱり、いまはいいわ。レヴンと再会したら、改めて訊くことにするわね」

 そう言って、ベロニカがニッと笑った。

 

***

 

 レヴンとともに建物を見上げる。成金がやるような悪趣味さは感じられず、どこか落ち着いたような、立派な外観の建物に思えた。

 あたりはもう暗くなっているが、扉に作られている窓からは、まだ明かりが見えた。

 下宿から出たあと、城下町の方に行くための方策を考えることにした。門番をどうにかしなければならない。

 最もわかりやすく確実なのは、賄賂を使うことだったが、できればそれは避けたいところだった。賄賂を贈るとなると、少なくない金額を渡さなければならないのだ。お尋ね者と言える立場であるため、街で仕事を受けての安定した収入は見こめない。魔物退治で金を稼ぐことはできるが、それも限度があるだろう。今後のことを考えるとやはり、あまり金は使いたくないところだった。

 その次に、偽の恋文で門番を誘い出すという案を考えた。門番は、スラムにいるダイアナという踊り子にご執心らしいのだが、彼女の筆跡と女将(おかみ)の筆跡がよく似ているという話を聞いたのだ。女将に頼み、一筆書いて貰えれば、おそらく騙せることだろう。

 しかしこれは、レヴンが難色を示したため、断念することにした。

 反対されたわけではない。それしか手がないのなら、と理解は示していた。ただ、顔がなんとも言い難い表情になっていた。

 怒った顔だとかいうわけではないが、人前に出たら、どうかしたんですかと心配されてしまいそうな、そんな顔だった。本人に自覚は無いようで、根本的に嘘をつける(しょう)(ぶん)ではないというのがよくわかった。

 ならば、と犬を(けしか)けることにした。門番をしている兵士は犬が大の苦手であるらしく、近づかれただけで恥も外聞もなく逃げ出すぐらいだという話だ。レヴンも(やぐら)の上からその現場を見ていたそうなので、間違いないだろう。

 スラムを歩き、一頭の犬を発見した。ひとりの少女と一緒におり、彼女の愛犬のようだと推察された。

 犬を貸してくれるよう頼むと、彼女は条件を出してきた。『レッドベリー』という果物と、『せいすい』が欲しいとのことだった。

 レッドベリーは、教会からスラムに来る道中で、木に()っていたのを見つけて()っておいたため、手元にあった。『せいすい』もスラムで調達できたため、必要な物はすぐに集まった。

 それらを少女に渡すと、最初は驚かれたが、彼女はすぐに気を取り直してレッドベリーを愛犬と分け合い、『せいすい』をその犬にかけた。彼女の愛犬は、街の外に出るのが好きらしいのだが、そのたびに魔物に襲われては怪我をして帰ってくるらしく、それを防ぐためだという話だった。

 頼みを聞いてくれたので、愛犬と遊んでいいと言われた。礼を言い、その犬を連れて門番のところに行った。

 門番は最初、高圧的な物言いでカミュたちを追い払おうとしたが、犬を見ると表情が一変し、怯えたものとなった。

 犬が門番に近づいた。門番があと退(ずさ)った。犬が駆け出した。門番が逃げ出した。

 あとには、カミュたちだけが残った。

 門をくぐり、人目につかないところで、夜になるのを待った。スラムに着いたのが夕刻近くだったのもあり、そこまで時を待つことなく、あたりは暗くなった。

 城下町の方に行くと、どこかピリピリした空気が漂っていた。

 厳戒態勢に入っているというのは間違いないようで、暗くなっているのもあるだろうが市民の姿は少なく、代わりに兵士の数が多く見えた。彼らの眼に入らないようにして移動し、富裕層を目指した。途中、レヴンがなにか気にしている様子が見受けられたが、特になにか言ってくることはなかった。

 富裕層に行くための大階段は、どこも兵士が警備していた。富裕層の区画は、一般層などよりも高所にある。階段を使わずに行くとなると、建物の屋根からロープを張って、それを伝っていくという手段などしかない。

 ロープを張るのに手頃な場所を探すため建物の屋根に登り、慎重に移動していると、教会の(しょう)(ろう)から富裕層にかけて、一本のロープが張られているのを見つけた。

 洗濯物を干すためのものではなく、国旗などを張るためのものだろうか。ロープはかなり頑丈で、カミュとレヴンが乗っても千切れることはなさそうだった。

 ちょっとだけ考え、そのロープを伝って行くことにした。高所であることと夜の暗さを考えれば、見つかる可能性はそこまで高いものではない。運が絡む部分はあるが、それは賭けだ。

 そして、こうして無事にデクの店に辿り着くことができた。あとは、中に入って、デクに事情を確かめる。

 窓から中を見ると、仕立てのいい服に身を包んでいる小太りの男が、ひとり見えた。ほかに、人の姿は見えなかった。

「よし、入るぜ」

「うん」

 静かに扉を開け、中に入った。男は、品物の確認をしているようだった。扉を閉める。

 男から二、三歩ほどの距離に近づいたところで、カミュたちは足を止めた。

「へえ、なかなかいい店じゃないか」

「いらっしゃい。うちの品は」

 背中越しに返事をした男が、言葉の途中で弾かれたようにふりむき、カミュの顔を見たところで固まった。

 男の顔を見ながら、カミュはニヤリと笑った。

「よお。繁盛してるみたいだな、デク?」

「ア、アニキ?」

「ああ、そうだ。久しぶりだな」

 茫然とした様子の男、デクにそう言った。

 どんなふうに話を切り出すかと少し悩んだところで、デクの眼が潤んだ。

「アニキー!!」

「うおっ!?」

 唐突に抱きつかれた。考えこんだ瞬間に動かれたのもあり、反応できなかった。

「カミュのアニキ、お化けじゃない、本物のアニキだー!」

 デクの腕に力がこめられた。カミュの躰が、軋むような音を立てている気がした。

「無事でよかったっ。ずっと心配してたんだよー!」

「離れろ、むさ苦しい!」

 顔を押しのけ、デクを引き剥がした。再びこちらに抱き着こうと構えたデクに、人差し指を伸ばした手を突きつけた。

 デクが、ピタッと動きを止めた。

「正直に答えろ。おまえ、オレを裏切ったのか?」

「それはさすがに直球過ぎるんじゃないかなあ」

「裏切る?」

 レヴンが呆れたように呟き、デクがキョトンとして言った。

 少ししてデクが、なにかに思い当たったかのようにハッとしたあと、首を勢いよく横に振った。

「裏切るわけないよーっ。アニキのことは一日だって忘れたことなかったよーっ。この店も、アニキを助けるためにはじめたんだから!」

 独特の口調に、懐かしさを感じた。身なりは変わっても、この口調は変わっていないのだなと、そんなことを思った。

「オレを、助ける?」

「城の最下層の牢にぶちこまれたって聞いて、なんとか命だけでも助けられないかって、いろいろ考えたのよー。放っておいたら、どんな酷いことされるかわからなかったし。だからワタシ、オーブを拾ったって嘘ついて、王様にオーブを返したのよ。それで報酬金を貰って、そのお金を元手に商売はじめたのよー」

 デクが、一度息をついた。

「ワタシ、盗みの才能はなかったけど、商売の才能はあったみたいよー。それで、必死になって稼いで、その金を城の兵士にばら撒いて、アニキが早く出てこられるように手を回してたってわけ!」

 デクの言葉に、ひとつ思い当たることがあった。

「そうか。途中から監視が緩くなったのは、そういうことだったわけか」

「監視が?」

 レヴンが言った。

「ああ。あの牢にぶちこまれて最初のころは、監視が厳しくてな。とても脱獄なんてできる状況じゃなかったんだ。それが、いつのころからか、ちょっとずつそいつが緩くなっていってよ。気になってはいたんだが、多分、デクがばら撒いてくれた金のおかげだったんだろうな」

「牢から脱出する直前に気にしてたのって、そのこと?」

「ああ」

「でしょでしょ?」

 デクが、得意気に笑った。

 デクにむきなおり、頭を下げた。

「すまん、デク。疑って悪かった」

「誤ることなんてないよー、アニキ。疑われても仕方ないことだったし。わかってくれたなら、それで充分よー」

 デクに明るく笑いながら言われ、カミュの胸が痛んだ。

 カミュを助けようとしてくれていた、助けてくれていた相棒のことを、疑ってしまったのだ。

「そういえば、そのオーブっていうのが、カミュが言っていた?」

「ああ、そうだ。デルカダールの国宝、『レッドオーブ』だ」

 (かい)()の念を抱きながらも、それを表に出さないようにして、レヴンに答えた。

 カミュの答えにレヴンが、なんとも言えないような表情を作った。

「国宝って。よくそんなもの盗めたね」

「苦労したのよー。いろんなところから情報を集めてねー。でも、盗み出したのはアニキの腕よー。デルカダール城から盗み出すなんて、ほかの誰にもできないよ、きっと」

「つっても、結局、捕まっちまったけどな」

 自嘲するようにして言い、(かぶり)を振った。

 デクが金をばら撒いていなかったら、おそらく脱獄などできなかっただろう。あの牢獄で朽ち果てるしかなかった。それほどまでに、監視は厳しかったのだ。

 報酬金で店をはじめたと言ったが、どこの馬の骨ともしれない男が、富裕層の一角に店を構えたのだ。並大抵の苦労ではなかっただろう。

 考えてみれば、富裕層の一角に店を立てることができるほどの報酬金である。カミュのことなど放っておいて、その報酬金で遊んで暮らすことだってできたはずだ。もしくは、もっとのんびりと商売ができるような場所でもよかっただろう。

 デクは、ほかならぬカミュのために、手を尽くしてくれたのだ。そんな男を、疑ってしまったのだ。

 穴があったら入りたいほどに、自分が情けなくなった。

「なあ、デク。なんで、そこまでしてオレを助けてくれたんだ?」

 そんな言葉が、口を衝いて出ていた。言ったあとに、自分が言った言葉に気づいたが、撤回はしなかった。

 デクが、不思議そうに首を傾げた。

「なんでって、相棒だからよー」

「相棒――」

「そうよー。それにワタシ、アニキと出会わなかったら、どこで野垂れ死んでてもおかしくなかったよ。アニキと組んでからもヘマばっかりで、足を引っ張ったことも一度や二度じゃきかないぐらいやったし。でもアニキ、ワタシのこと、見捨てなかった」

「それは、そうかもしれねえけどよ」

「ワタシ、アニキには返しきれないほど恩があるのよー。これぐらいなんてことないよー」

「そう、か。ありがとよ、デク」

「どういたしましてよー」

 デクが笑顔で言い、カミュは苦笑した。

 これ以上、言うべきではないのだ、と思った。こだわる方が、きっとデクを侮辱することになる。

 しかし、とカミュは腕組みした。

「そうなると、オーブは行方知れずか」

 一度盗まれた以上、保管場所が変えられていてもおかしくはない。変えていない可能性もあるが、それも調べなければわからないことだし、警戒は間違いなく強くなっているだろう。保管場所を突き止めることだけでも、たやすいことではない。

 そう思ってのカミュの言葉に、デクがニヤッと笑った。

「フフフ、それなら大丈夫。安心しちゃってよー、アニキ」

「なに?」

「オーブの行方も調べておいたんだよー。アニキが気にかけてたからね。オーブは、グレイグ将軍がデルカダール神殿に保管したみたいよー」

「グレイグ将軍が?」

 デクの言葉に、レヴンが反応した。デクがレヴンに顔をむけ、頷いた。

「グレイグ将軍やその麾下(きか)には、さすがに賄賂なんて通じないけど、ほかから情報を集めるくらいはできるからねー。ちょっとした目撃情報とか、兵士の噂話とかかき集めてみたのよー。それで、ある時期におかしな動きをした部隊があって、それからデルカダール神殿の警備が厳しくなったみたいなのよー」

「デルカダール神殿っていうと、デルカコスタ港の近くだったな」

「イシの村から東に行ったところでもあるね。例のところに行く通り道でもあったはず」

 ちょっと考えこむ様子を見せたあと、レヴンが続けた。

「そうか。なら、ちょうどいいかもな。警備ってのがどれほどのものかはわからねえが、行ってみてもいいか、レヴン?」

「うん」

「よし。デク、おまえも来るか?」

 カミュが言うと、デクは一瞬眼を輝かせたが、すぐにハッとした表情を見せたあと、首を横に振った。

「誘ってくれるのは嬉しいけど、行けないよ。ワタシ、商売はじめたあと、嫁さん貰ったのよー。ワタシのこと支えてくれる、すごくいい(ひと)なのよ。それに、店のことも放っておけないよ」

 申し訳なさそうではあったが、その眼には強い光があった。己のいる場所を思い定めた、男の顔だった。

 不意に、寂しさのようなものを感じた。カミュのうしろをついてきていた弟分は、いつの間にか一端(いっぱし)の男になっていたのだと、いまだに(くすぶ)り続けているカミュよりもよっぽど立派な男になったのだと、そんなことを思った。

「そういや、おまえは昔から、商売やりたいって言ってたもんな。わかった、達者でな。嫁さんのこと、大事にしろよな」

「アニキ」

 不安気なデクに、笑いかけた。

「心配すんな。やることやって落ち着いたら、一緒に酒でも呑もうぜ」

「うん、とっておきの酒を用意しておくよー。お元気で、アニキ。あと、お連れの人も。ワタシの分も、アニキのこと、よろしく」

 レヴンにむけてデクが言うと、レヴンがコクンと頷いた。

「んじゃ、行くか。正門の方は警備が厳しいし、スラムに戻るとしようぜ」

「あ、ちょっと待って、アニキ」

「ん?」

「いろいろと渡したいものがあるのよー。ちょっとついて来てよー」

 デクが、店の奥にむかって行った。レヴンとともに首を傾げながらも、カミュたちはデクのあとを追った。

 

***

 

 扉を軽く叩く音に、レヴンの意識が覚醒した。

 (まぶた)を開くと、あたりはまだ暗かった。呪文を唱え、弱めの明かりを生み出す。部屋の内装などは、質素を通り越している印象があるが、シーツやベッドなどは、それらにそぐわないぐらいには質の良いものだった。カミュが世話になった、女将の下宿の一室である。

 ベッドから降り、廊下に顔を出すと、女将がいた。起こしてくれたらしい。

「おはようございます」

「おはよう、って言うにはまだ暗いけどねえ。まっ、おはようさん。カミュちゃんは、もう下に行ったよ」

「わかりました」

 寝間着から旅装束に着替え、荷物を持つと、部屋を出た。

 階下に降りると、玄関脇の椅子にカミュが腰掛けていた。カミュが眼をむけてくる。

「おう。おはようって言うにはまだ暗いが、おはようさん」

「うん、おはよう。荷物は?」

「そろそろ来るころだよ」

 答えは、うしろから来た女将が返してきた。

 カミュが頭を掻き、顔を(しか)めた。

「しっかし、あんたも人が悪いよな。デクと商売してるんなら、言ってくれりゃあよかったのによ」

「ははっ、悪かったねえ。でも、このスラムじゃあ、あまり他人に吹聴できないことだからねえ」

 涼しい顔で女将がそう返し、カミュがため息をついた。

 デクの店で彼から案内されたのは、店の倉庫だった。食料や水も含め、旅に必要な荷物を選ぶように言われたのだ。さらには、旅に必要だろうと、お金まで渡された。かなりの額だった。

 ためらっていると、あげるのではなく、貸しだと言われた。いつか、うちの店でその額以上の買い物をしてくれたらいいと。必ずまた、店に来ると約束して欲しい。そう言われた。

 無事に再会しようと言っているのだと、わかった。

 思い直し、デクの気遣いに甘えることにした。必ずまた店に来ると、約束した。

 必要な物を選びながら、はたと気づくことがあった。レヴンたちは、ここに来るのにロープを伝って来たが、それを伝って戻る場合、多くの荷物を持っていくのは難しい。

 そう言うと、女将の下宿に配達すると言われた。女将は時々デクの店に顔を出し、いろいろと買い物をしていくのだそうだ。デクとしても、世話になった女将への恩もあり、格安で品物を提供しているらしい。今日、女将が城下町の方に行ったのも、その買い物が理由だとのことだった。

 スラムに、城下町の方から大荷物を持って来るのはいささか危険なため、デクの店で雇っているという配達員が、夜明け前に配達しに来るのだそうだ。ちょうどいいので、一緒に運んでくれるように頼んでおくと言われた。いまの厳戒態勢に入っているデルカダールでは危険なのではないかと思ったが、そのあたりの根回しはしっかりとやっているため、大丈夫だと言われた。

 すぐにでも出発するつもりだったが、躰を休めるのも大事だとデクに言われ、荷物が来る直前まで、女将の下宿で休むことにした。デクの店から提供されている寝具は質がよく、思っていた以上に躰を休めることができた。

 ああ、そうだ、と女将が思い出したように言った。

「配達に来てくれる人だけどね、見ても驚くんじゃないよ?」

「なんだ。有名なやつなのか?」

「そういうのじゃなくってね、ちょっと顔がこわい人なのさ。ただ、いいひとなのは間違いないからさ、こわがらないでやっておくれ」

「ふうん。まあ、いいさ。わかったよ」

「顔がこわいけど、いい人、か」

 昨日の、強面(こわもて)の男を思い出した。顔はこわかったが、あの少女のために、誰かのために、他人に助けを求められる人だった。そのために頭を下げられる人だった。

 あの人も、あの少女も、改めてレヴンに会ったら、やはりこわがるのだろうか。それとも、気にしないと笑ってくれるのだろうか。

「どうした、レヴン?」

「いや、なんでもないよ」

「そうか。ん、来たか?」

 カミュが、扉に顔をむけて、言った。レヴンも意識を切り替え、気配を探る。人の気配が、外から近づいて来た。

 扉を軽く叩く音が聞こえた。女将が扉に近づき、なにか言った。合言葉だろうか。外から声が聞こえてきた。どこかで聞いた声に思えた。

 女将が、扉をちょっとだけ開けた。

「どうも。配達に来やしたぜ」

「おつかれさん。今日もこわい顔だねえ」

「生まれつきでさあ。直るもんじゃありやせんよ」

 聞き覚えのある声に、思わずハッとした。

 女将が扉を開け、外に出た。レヴンたちもそれに続く。

 荷物を運んできたという男を見て、レヴンは()(ぜん)とした。

 あの、強面の男だった。

 

***

 

 もうじき明るくなるだろうという時間、荷物を載せた二頭の馬を曳いてスラムの街を進む。暗くはあるが、ランタンの灯りはあるため、歩くのにそれほど苦労はなかった。

 スラムに行くのは、雇い主からの依頼によるもので、行き先は『赤髪の女将』のところだ。雇い主は、富裕層の一角で立派な店を構える男なのだが、店を構える以前、女将に世話になっていたらしい。

 荷物は主に、食料や水、敷布(シーツ)などの寝具。これだけなら、女将の経営している下宿で使う物だろうが、旅で使う道具などもあった。スラムから城下町の方に来れない者たちに売っているのだろう。

 自分が(おも)に任されているのは、荷物の配達、運搬だった。

 昔から、顔がこわいと言われて怯えられた。その顔が理由で、柄の悪い連中に突っかかられることも少なくなかった。柄の悪い連中の相手をしているうちに、腕っぷしはそれなりに強くなっていた。

 荷物の運搬、配達を任されている者は、自分のほかにもいるが、スラムに運ぶのを任されているのは、自分だけだった。昼間は、自分もほかの者たち同様の仕事をするが、スラムの方に配達を行うのは、自分だけである。

 なぜ自分だけなのか、雇い主に訊いてみたことがあった。顔はこわいけど真面目だから、という答えが返ってきた。腕っぷしも買われた理由らしい。

 弱そうな者では、スラムでは絡まれる可能性がある。だからといって、信用が置けない者に配達を任せるわけにはいかない。見た目が強そうでいて、実際にそれなりに強く、信用の置ける相手として、自分が選ばれたらしかった。

 正直なところ、そう言われた時は嬉しかった。

 顔がこわいというのは、昔から言われてきたことで、いまはもう聞き慣れた言葉だ。気にしてはいない。だが、顔がこわいと言いながらも、怯えた様子もなく言ってくる雇い主に、なんとも言い(がた)い感謝の念を感じたのだ。その信頼を裏切るわけにはいかないと思った。

 現在、デルカダールの街は厳戒態勢に入っているが、根回しはしてあるらしい。それに、スラムに届ける荷物は、スラムの近くに作ってある倉庫に用意されているため、特に見咎められることなくスラムに行くことができた。

 今日運んでいる荷物は、いつもより多かった。昨日の夕刻、女将が雇い主の店に来て、いつもの注文をしたらしいのだが、個人的に運んで欲しい荷物ができた、と雇い主から言われたのだ。

 渡す食料や水、旅に使う道具などが、いつもより多くなっていた。なによりも違うのは、曳いている馬だった。一頭は、いつも曳いている荷馬だが、もう一頭は城の兵士、それも騎士が乗るような、しっかりと調練された上等な馬だった。

 かなりの馬だが、昨晩に見たあの馬と比べるといくらか見劣りするな、となんとなく思った。良し悪しが語れるほど馬に詳しいわけではないが、あの青年の馬だという黒馬からは、見ただけでハッとするような空気を感じた気がしたのだ。

「――――」

 小さく、ため息をついた。

 猫を助けてくれたあの青年のことが、頭から離れなかった。

 グレイグ将軍から、あの青年が脱獄したと暗に告げられ、ほっとしたものの、彼がその後どうなったのかは、まったくわからない。新たな通達がなされてない以上、捕まってはいないのだろうが、それは彼が無事であるのと同義ではない。

 心配しながらも、自分にできることなど、なにもなかった。せいぜいが、彼の無事を祈ることしかできない。歯痒さを覚えながらも、それしかできなかった。

 青年が脱獄して、まだ一日程度しか経っていないというのに、いや、だからこそなのか、心配は尽きることがなかった。

 それでも、日々の営みを止めるわけにはいかなかった。生活があるのだ。生きていくためには、仕事をしなければならない。日々の(かて)を得なければならない。

 そんな自分に浅ましさを感じながらも、スラムを進んで行く。

 まだ、大半の者は眠っている時間だ。それでも視線はたまに感じるが、物怖じすることなく馬を曳いて行く。むしろここでは、こわがった方が危険なのだ。堂々としていれば、そうそう手を出してくる輩はいない。被ったフードの下から覗く顔がこわいことも、理由のひとつではあるようだが。

 目的地、女将の経営する下宿に着いた。小さく(おとな)いを入れた。

 少しして、女将の声が聞こえた。合言葉として定められている言葉を言うと、扉がちょっとだけ開いた。女将が、そこから覗きこむようにして顔を見せた。

「どうも。配達に来やしたぜ」

「おつかれさん。今日もこわい顔だねえ」

 軽く笑いながら言われ、こちらも軽く笑い返した。

「生まれつきでさあ。直るもんじゃありやせんよ」

 この女将も、この顔をこわがらないでくれる人だった。

 女将が扉を開け、外に出てくると、二人の男が続けて出てきた。どちらともフードを被っており、顔はよく見えないが、ひとりは見覚えのある装束を纏っていた。

 思わず眼を見張ると、その男もこちらを見て固まっていた。

「あんちゃん、か?」

「あなたは、あの女の子と一緒にいた」

 女将ともうひとりの男が、呆気にとられたような仕草を見せたあと、ハッとした。

 もうひとりの男が、青年に近づいた。

「知り合いか?」

「うん。少し、話がしたい」

「わかった。それなら、中で話せ。荷物はオレが確認しておく。いいか、女将?」

「構わないよ。さっ、二人とも中に入りな」

 女将に促され、青年と二人で建物の中に入った。女将は、もうひとりの男と一緒に荷物を見ておくとのことだった。

 お互いにフードをはずすと、改めてむき直った。

「聞き覚えがある声だとは思いましたけど、ほんとうにあなただとは思いませんでした」

「デクって旦那の店で働いててな。この下宿にも、たまに配達に来るんだ」

「そうだったんですか」

「よかったよ、無事でいてくれて」

 青年が、どこか思い悩む仕草を見せた。

 少しの間を置き、青年が意を決した様子で口を開いた。

「こわく、ありませんか?」

「ん?」

 青年の言葉に、首を傾げた。

「こわいって、なにがだ、あんちゃん?」

「僕は、悪魔の子と言われています。こわくはないんですか?」

「ああ、そのことか」

 得心がいき、頷いた。

「こわいって、なにをこわがりゃいいんだい?」

「悪魔の子は、災いをもたらすと言われています。あなたに、災いが降りかかるかもしれません」

「けど、あんちゃんはあの嬢ちゃんを助けてくれたよ」

「それは」

「俺には、悪魔の子だとか勇者だとか、難しいことはわからねえ。だけど、これだけは言える。あんちゃんは、あの猫を、嬢ちゃんを助けてくれた。あんちゃんは、災いをもたらす悪魔の子なんかじゃねえ。誰がなんと言おうと、俺はそう信じてる」

 青年が、顔を歪ませた。いまにも泣き出しそうな顔に見えた。

「そうだ。名乗るのが遅れたな。俺は、ゴーディってんだ。名前を教えて貰ってもいいかい、あんちゃん?」

 青年が、頷いた。

「僕は、レヴンです」

「レヴンか。かっこいい名前だな、レヴンのあんちゃん」

「ゴーディという名前も、強そうな名前だと思います」

「ありがとな」

 青年、レヴンと笑い合う。胸のつかえが、すっと取れたような気がした。

「あんちゃんは、これからどこに、いや、訊かない方がいいかい?」

「はい。なにかを知っているせいで、疑われるような事態になる可能性もあります。なるべくなら、なにも知らない方がいい、と思います」

「そうか」

 そんなこと、俺は気にしない。そう言ってやりたかったが、ほんとうにそうなってしまった時、この青年はきっと、自分のせいでゴーディが不幸になったと思ってしまうだろう。それは嫌だった。

 重荷を背負わせたくない。ただ、ひとつだけ言っておきたいことがあった。

「あんちゃん。突然すまねえけど、頼みがあるんだ」

「頼み?」

「ああ。いつか、あんちゃんが悪魔の子だっていう誤解が解けて、この街にまた来れるようになったら、俺とあの嬢ちゃんに会いに来てくれねえか。あの時できなかった御礼をさせて欲しいんだ。大したことはできねえけど、飯でも奢らせてくれ」

 無事に、また逢おうぜ。そういった意味をこめて、言った。

 レヴンが眼を見張り、恐る恐るといった様子で口を開いた。

「あの子は」

「あの子は、あんちゃんが捕まって、泣いてたよ。お兄ちゃんはメアリーを助けてくれたのに、ってさ」

「そう、ですか」

 レヴンがまた、泣き出しそうな表情になり、うつむいた。

 少しして、レヴンが顔を上げた。真っ直ぐにゴーディの眼をみつめてくる。力強い瞳だった。

「わかりました。いつか、必ず」

「絶対だぜ。男の約束だ」

「はい。約束です」

 どちらともなく手を差し出し、握手した。力強い、しかし優しい手だと思った。

 握手を解き、外に出た。男と女将が、ゴーディが運んできた荷物を確認していた。

「カミュ」

 レヴンが小さな声で呼びかけた。カミュと呼ばれた男がふりむいた。

「話は終わったのか?」

「うん。そっちは?」

「ひと通りは見た。出発するか?」

「うん。雷刃のところに、ん?」

 レヴンが、顔をよそにむけた。

 どうかしたのかと見ていると、足音のようなものが聞こえてきた。人ではない。馬の(ひづめ)の音だった。

 ちょっとだけ待つと、見覚えのある大きく立派な黒馬が、通りのむこうから現れた。

「雷刃?」

「迎えに来たのかよ。まったく、大した馬だぜ」

 レヴンが呟き、カミュが呆れたように言った。

 雷刃と呼ばれた馬が、レヴンの傍らに立った。レヴンが雷刃の首を撫でると、馬が耳を動かした。

「かっこいい馬だな、あんちゃん」

 ゴーディが言うと、レヴンが頷いた。

「はい。自慢の友だちです」

「友だちか。なんか、いいな。その馬もよ、宿の(うまや)で暴れていたよ。あんちゃんのところに行かせろってばかりにさ」

「もしかして、ゴーディさんが出してくれたんですか?」

「いや、グレイグ将軍さ」

「グレイグ将軍が?」

 レヴンだけでなく、カミュも女将も、唖然とした様子だった。

「ああ。馬一頭程度、逃がしてやれ、って兵士たちに言ってたよ」

「そうですか」

 レヴンが、拳を握り締めた。

「グレイグ将軍と、闘うのかい?」

「いずれ、そうなると思います。きっとそれは、避けられない」

「だけどよ、グレイグ将軍はこの国、いや世界でも五本の指に入るって言われるぐらいの実力者だぜ。勝てるもんじゃねえ。逃げたって、恥じゃねえよ」

「そうかもしれません。けど、僕は、逃げたくない。いや、違う」

 レヴンが眼を閉じ、大きく息をついた。

 少しして、レヴンが眼を開いた。ハッとするような強い光が、瞳に灯っているような気がした。

「僕は、あの人に勝ちたい」

 呟くようにして、レヴンが誰にともなく言った。

 不思議な力強さを、その声から感じた。二十にも満たないであろう若者が、世界有数の戦士であるグレイグに勝ちたいと言う。

 身のほど知らずだと、一笑に付されてもおかしくない言葉のはずだ。しかし彼の声からは、笑い飛ばすことをためらわせる、強さを感じさせた。眩く光輝くような、決意を感じた気がした。

 きっとグレイグは、レヴンにとっての目標となったのだ。男が男として成長するための、そんな目標になったのだ。

「そう、か。負けるなよ、あんちゃん。応援してるぜ。それと、約束、忘れないでくれよな?」

「はい。ありがとうございます。必ず、約束は守ってみせます」

「おう」

「気をつけて行きなよ、二人とも」

「ありがとうございます。女将さんも、お元気で」

「世話になったな。じゃあ、行くか」

 レヴンが、雷刃に鞍と荷物を乗せ、曳いて行く。カミュも、ゴーディが連れてきた馬を曳いて行く。

 彼らのうしろ姿から、不思議な輝きを感じた。まだ日は出ておらず、あたりは夜の闇に包まれている。それなのに、その光は不思議とはっきり見えた気がした。

 大いなる闇を打ち払う。グレイグが言っていたその言葉が、ゴーディの頭に浮かんでいた。

 




 
また、お待たせしてしまいました。次はもっと早く、とか言うとまた遅くなってしまう気がするので、なるべく早く、ぐらいに留めておこうと思います(弱気)。
ゴールデンウィーク? なにそれ? って状態じゃよ――。

 
イシの村の復興後、なんかものすごい武具を売ってくれる男、デク。そのケイオスブレードとかどこから調達した。

強面の男こと、ゴーディ。名前なしでいくか迷いましたが、いろいろと考えた結果、つけることにしました。
強面→強→ごう→ゴー→ゴーディとかいう感じで。だいぶ無理がある気がしなくもない。
 


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Level:8 命の大樹に愛されし者

 出てきた型を、じっと見つめる。そうしていると、目の前の型が、不思議と語りかけてくるような気がした。手に持った鎚、『ふしぎなハンマー』を振り下ろす。金属同士がぶつかり合い、甲高い音が夜の闇に響いた。

 そこを打て。

 違う、そこじゃない。

 そうだ、そこだ。そこを強く打ち続けろ。

 次は、違う場所だ。そこは、そんなに強くなくていい。

 鎚で、型に()まった熱い金属を叩いていると、そんな声が聞こえてくる気がした。その声に従って黙々と叩いていると、段々と形が出来上がってきた。

 しばらく叩いたところで、声は聞こえなくなった。完成だ。最後に、そう言われた気がした。

 仕上げを行うと、手拭いで汗を拭きながら、出来上がった短剣を見た。悪くない出来だ、とレヴンは思った。

「出来たのか?」

 うん、と頷き、出来上がった短剣、『せいなるナイフ』をカミュに差し出した。カミュが短剣を手に取り、まじまじと見つめた。

 カミュから視線を離し、再び『ふしぎな鍛冶台』に素材を投入した。ほとんど間を置かず、型が作られた。剣の型だ。じっと見つめ、また声が聞こえてきたところで、鎚を振り上げ、叩き出した。

 カミュとデクが旅の中で手に入れた物の中でも、まさしく逸品と呼べる代物。それがこの、『ふしぎな鍛冶台』だとのことだった。

 『ふしぎな鍛冶台』は、普段は人の掌に乗るぐらいの、一見すると玩具か模型にしか見えない代物だ。それが、女神像のある野営地でこれを置くと、実際に鍛冶仕事ができるぐらいに巨大化する。

 そしてこれの素材投入口に素材を投入すると、素材に対応した型が鍛冶台に作られるのだ。あとはその型を『ふしぎなハンマー』で叩き上げることで、武器や防具、さらには不思議な力を秘めた装飾品(アクセサリー)など、さまざまな物が作れる。それに、作れるのは金属製の物だけでなく、木のブーメランや布の服など材質を問わないという、まさに『ふしぎな鍛冶台』としか言いようのない物だった。

 剣の型を叩き続け、声が聞こえなくなったところで、仕上げを行なった。『せいどうのつるぎ』。これも悪くない出来だ、と思った。

 鍛冶仕事のために、頭のうしろで結んでいた髪をほどいたところで、カミュが唸り声を洩らした。

「なに、カミュ?」

「いや、この『せいなるナイフ』も、『せいどうのつるぎ』も、すげえいい出来だと思ってよ。おまえ、ほんとうに鍛冶やるの、はじめてか?」

「うん。この『せいどうのつるぎ』で、通算四つ目かな」

 試しとして、『せいどうのつるぎ』と『せいなるナイフ』を先に一本ずつ作った。そこで感覚を掴み、真打(しんうち)を作ったのだ。

 カミュが、呆れたような表情を浮かべた。

「どっちとも、そこらの店で見る物よりよっぽどいい出来だと思うんだけどよ」

「『ふしぎな鍛冶台』のおかげだよ。型自体は出来てるんだから、あとは叩けばいいだけだし」

「だからって、どこを叩けばいいとか、どれぐらいの力加減だとかは、おいそれとわかるもんじゃねえだろ。少なくとも、オレにはわからねえ。それこそ、長年の職人の勘とかそういったもんだろ」

「出てきた型を見つめていると、ここを打てって声が聞こえてくる気がするんだ。それに従ってるだけだよ」

「それ、職人の勘とかそういったもんだと思うんだが」

 カミュがまた呆れたように言い、苦笑した。

「まあ、いいや。迷惑じゃなければ貰ってくれ。オレには使いこなせそうにねえし、その方がそれも喜ぶだろ」

 『ふしぎな鍛冶台』を見つめる。『ふしぎな鍛冶台』が、なにかを訴えるように、淡い光を放っているように見えた。

 これが盗品だったら、使うのに抵抗があったかもしれない。だがこれは、カミュがデクと組んで旅をしている途中で見つけた、ちょっと不思議なダンジョンで手に入れた物だということだった。

 そのダンジョンは、階層ごとにまったく違った様相を見せる、奇妙な迷宮だったという。しっかりとした作りの人工の洞窟だったかと思えば、いきなり天然の石造りの洞窟になったり、かと思えば次の階層ではマグマが床や壁を這う灼熱の洞窟だったり、氷に覆われた極寒の洞窟だったこともあったらしい。不可解なことに、いろいろな武器や防具、道具などが、使えとばかりにあちこちに落ちていたそうだ。

 『ふしぎな鍛冶台』は、そこの地下十階で見つけたという話だった。

 地下九階までは下りの階段しかなく、地下十階にいたっては、最初は行き止まりだったという。それが、『ふしぎな鍛冶台』を手に入れた途端、上りの階段が現れた。地下九階から上の階層も同じで、こちらは下りの階段が消え、上りの階段だけになっていたらしい。

 そして、ダンジョンを脱出した直後、その迷宮は消えた。まるで、『ふしぎな鍛冶台』を手に入れる者が現れるのを待っていたかのようだった、とのことだった。

「わかった。ありがたく使わせてもらうよ」

 カミュだけでなく、『ふしぎな鍛冶台』に対しても言うような心持ちで言った。『ふしぎな鍛冶台』が一瞬、強く光ったように見えた。なんとなく、礼を言われたような気がした。

「おう。そうしてくれ」

 カミュがそう言い、視線を(たき)()の方にむけた。レヴンも、焚火の方に眼をやった。

 焚火の上には、鍋が掛けてあった。デクから貰った食材や、この辺りで採った野草や茸などが浮いている。

 焚火のそばに突き立てた数本の木の枝には、魚と肉が刺さっている。レヴンが近くの川で釣った魚と、カミュが()った兎の肉だ。塩を少々と、デクから貰った香料がかけられており、あたりには食欲をそそるいい香りが漂っていた。

「そろそろいいかな?」

「そうだな。食おうぜ」

 鍋の具を器に分けると、二人で肉に手を伸ばした。ほぼ同時に(かじ)りつく。肉汁が、口の中に広がった。塩加減もちょうどいいぐらいだ。

 会話もなく、お互い一心不乱に肉に(むさぼ)りついた。一本を食べ終わったのは、同時だった。

「旨いな」

「うん」

 それだけ言い合うと、今度は魚を手に取り、また同時に齧りついた。時に、器に分けた汁を(すす)る。汁の味付けはレヴンが行なったもので、自分で言うのもなんだが、悪くない味だった。

 荷物を貰ってデルカダールから出たあと、雷刃たちを駆けさせ、ナプガーナ密林へとむかった。道中の魔物の強さは、『地獄の殺し屋』という異名を持つ、キラーパンサーという大きな豹の魔物を除けば大したものではなく、ナプガーナ密林までは順調に進むことができた。キラーパンサーにいたっても、近づかなければ襲ってくることはない。馬を駆けさせ、魔物はみんな無視して進んで行ったというかたちだった。

 ナプガーナ密林に入ってからは、雷刃たちから降りて、徒歩で進まざるを得なくなった。

 木と木の間は、人どころか馬が通るのも難しくない程度には離れているのだが、枝葉が邪魔なのだ。騎乗するとなると、枝葉を気にしながら移動する必要があり、降りて歩いた方がまだ進みやすいぐらいだった。

 ここでは、魔物による奇襲を警戒する必要があった。木の陰や、頭上から襲いかかってくる連中がいたのだ。強さ自体は大したことないし、気配自体は察知できるため、実際にその奇襲で不意を衝かれることはなかったが、それでも歩みは遅くせざるを得なかった。

 暗くなってきたあたりで、女神像のある野営地と、小屋を見つけた。小屋は、この辺りに住んでいるという(きこり)のものだろうと思われたが、中には誰もいなかった。人の気配も、近くにはなかった。

 小屋を勝手に使わせて貰うのは気が引けたため、野営地の方で一夜を過ごすことにした。早朝より前の時間から移動してきたことによる疲労もあったが、この先にある南の橋が壊れていたのだ。向こう岸まではかなり距離があり、跳んだところで届く距離ではない。別の道を探そうにも、夜の樹海である。探索など、ろくにできるはずもなかった。(はや)る気持ちを抑え、休息をとることにした。

 二人でそれぞれ獲物を捕らえ、(ゆう)()の支度をしたところで、荷物の確認がてら、『ふしぎな鍛冶台』を試す運びになったのだった。

「ん?」

 カミュが、なにかに気づいたように食べる手を止め、樵の小屋の方に眼をやった。レヴンも食事の手を止め、カミュの視線を追う。彼は、小屋ではなく、小屋の脇の繁みの方を見ていた。

 少しして、なにかが近づいて来る気配を感じた。繁みをかき分ける音が聞こえてくる。強い気配ではないが、警戒するに越したことはない。二人とも武器に手を伸ばし、立ち上がった。

 繁みから、なにかが姿を現した。

「犬?」

 カミュが呟いた。現れたのは、一頭の犬だった。大きくも小さくもない。そんな程度の大きさの、特に特徴的なもののない、犬だった。

 犬が近づいて来て、吠えはじめた。

「なんだ、腹減ってるのか?」

 カミュがそう言って、肉をひと切れ放り投げた。肉が犬の手前に落ちる。犬は一瞬硬直すると、なぜか困ったようにレヴンたちを見た。

「どうした。食っていいぞ?」

 カミュが続けてそう言うと、犬はなにやら思い悩むような仕草を見せ、やがて(せき)を切ったようにガツガツと肉を貪りはじめた。よほど腹が減っていたのか、ものすごい勢いだった。

 あっという間に、犬はその肉を食べきった。

「なんでこんなところに犬がいるんだか。樵が飼ってるやつか?」

 そう言って、カミュがもうひと切れ、肉を放り投げた。犬はその肉にも飛びつき、一心に貪っていた。

「っ?」

 犬から、なにか妙な気配を感じた。

 レヴンの反応に気づいたのか、カミュがレヴンに視線を移した。

「どうした、レヴン?」

「いや、なんだろう。その犬から、妙な気配を感じるんだけど」

「妙な気配?」

 カミュが、手に持っていた短剣を、わずかにそうとわかるぐらいに構えた。

「あ、いや、魔物とかそういうのじゃないとは思うんだけど」

 レヴンが言うと、カミュは小さく首を傾げた。

 肉を食べきった犬は、お座りしていた。

 深めの皿に水を入れ、犬の前に差し出した。犬は礼を言うようにひと吠えすると、その水を飲みはじめた。

「どうする、この犬?」

「放っておいていいんじゃないかな。女神像のそばに来ることができるってことは、少なくとも魔物じゃないと思うし」

「ふ、ん。まあいいか」

 言葉のあと、一瞬だけ視線を交錯させた。

 一応、警戒はしておこう。眼でそう言われ、小さく頷いた。

 レヴンたちも食事を再開し、ほどなくして、終えた。

 犬は、だいぶ疲れていたのか、水を飲み終わるとすぐに眠りはじめていた。よく見ると、深いものではないが、躰には傷がいくつかあった。魔物に襲われたのだろうか。念のため、ホイミをかけておく。

 ふっと、エマとルキのことを思い出し、小さく(かぶり)を振った。

「どうした?」

「いや、イシの村の幼馴染みと、彼女が飼ってる犬を思い出しただけだよ」

「そうか」

 大切な幼馴染みを、一緒に過ごしてきた家族や村人たちを、切り捨てるのだ。テオとの思い出も詰まった、故郷が焼き払われるのを、許容してしまうのだ。

「っ」

 いまは、それを考えるべきではない。

 ほんとうは、すぐにでもイシの村に行って、みんなをどこかに逃がしたかった。デルカダールの南の教会でカミュにはああ言ったが、イシの村のみんなを逃がす方法はないかと、ずっと考え続けていた。

 いい方法は、なにも浮かばなかった。考えれば考えるほど、逃げる方が危険だと思わざるを得なかった。

 イシの村は確かに小さいが、それでも村人は何十人もいるのだ。イシの村のある渓谷地帯なら、身を隠せるところはあるかもしれないが、デルカダール国の規模を考えると、見つかる可能性は高い。うまく身を隠せたとしても、生活は非常に苦しいものとなるだろう。

 デルカダールと闘うのは、無理だ。勝ち目はない、と考えざるを得ない。

 村の者たちでは、武装した兵士たちには敵わない。腕の立つ者がいないわけではないが、数が違いすぎるし、装備の質も違う。なにより、グレイグとホメロスがいる。世界でも有数の実力者であるグレイグと、軍師として数々の実績を残しているというホメロスを同時に相手取って勝利するのは、いくらなんでも無理だ。

 渓谷地帯のどこかに逃げこむのではなく、レヴンが目的地として考えているところまで、一緒に逃げるのはどうか。

 これも、道中のことを考えると、やはり危険だった。

 レヴンがむかうあてとして考えていたのは、聖地ラムダ。神語りの里と呼ばれており、古の勇者たちの物語を語り継ぐ里だ。勇者のことや、テオがレヴンを連れて行ったことなど、諸々のことを考えれば、ファナードとラムダは味方と考えていいはずだ。あの地なら、イシの村の人たちを匿ってくれるのではないか。

 だが、あの地へ行くとなると、遠く険しい旅となるだろう。デルカダールに追われることによる圧迫感も考えれば、大の男であっても途中で根を上げかねない。女性や子供ではなにを言わんかやといったところだ。

 だからといって、途中の町や村に置いて行くのも、不安があった。レヴン、『悪魔の子』を育てた村の者だと知れたら、どんな目に遭うかわからない。一緒に行くとなるとおそらく、どれだけ苦しくとも、途中で脱落するのは許されないという、過酷な旅になってしまうだろう。

 不必要に村人たちに危害を加えることはしないと言ったグレイグのことを、信じるしかない。無力さを自覚しながら、レヴンは自分にそう言い聞かせた。

「ちょっと思ったんだけどよ、イシの村の村人たちの中に、腕が立つやつっているか?」

「っ?」

 唐突なカミュの言葉にレヴンは、首を傾げながらも頷いた。

「一応、何人かは」

「一番強いやつで、どれぐらいの腕だ?」

「デルカダールの兵士になれそうなぐらい、かな」

 デルカダールで見た兵士たちの腕を思い出しながら、レヴンは言った。

 イシの村は、神の岩の加護のおかげで魔物の被害はほとんどないが、狩りの時などに魔物と出くわすことなどはある。そのために若い男は、ある程度なら武器を遣えるように訓練するのだ。デルカダールの兵士としてもやっていけるだろうと思えるぐらいの腕を持つ者もいる。

 その中で一番腕が立つのは、レヴンよりひとつ歳上の男だ。レヴンの鍛錬に付き合う時もあり、村の中ではレヴンに次ぐ実力だった。

 そうか、とカミュが呟いた。

「そこそこか」

「そこそこって」

「いや、言い方が悪かったな。なあ、兵士程度に腕が立つってんなら、そいつに一緒に来て貰ったらどうだ?」

「え?」

「その男も含めて数人程度なら、一緒に行けなくもねえんじゃないかって思ってな」

 カミュの言葉に、レヴンは眼を瞬かせた。

「村人全員を逃がすのは、おまえが言った通り、無理だと思う」

「うん。だけど、エマたちを連れて行くのも」

「その腕の立つやつがいてくれるんなら、どこか安全なところを見つけて、そいつに守って貰っておくってのもありじゃねえかな。おまえの味方になってくれるやつも、旅先でできるかもしれねえし、そういったやつに一緒に匿って貰うとかな」

 呆気にとられながらカミュの顔を見ると、彼は苦笑した。

「楽観的な考え方だとは思うさ。ただよ、おまえはおまえで、悲観的に考え過ぎだと思うぜ。それもしょうがねえとは思うけどよ、思い詰め過ぎるのもよくねえよ」

 カミュが、じっとレヴンの顔を見つめてきた。

「おまえが納得してるってんなら、それでいいんだ。だが、オレにはそうは見えねえ。グレイグを信じるとかの問題じゃなくて、おまえ自身が、自分の選択に納得できてない。オレにはそう見えるぜ」

「それは」

「手を伸ばさなかったことを、後悔するかもしれねえ」

 カミュの声には、深い(かい)()の念があった気がした。

 助けを求めて伸ばされた手を、とることができなかった。

 不意に、そんな言葉が頭に浮かんだ。誰が言った言葉だったろうか。

 おぼろげな意識の中で、それを聞いた気がした。

 崖から飛び降りたあと、カミュから聞いた言葉なのではないか。ふっと、そんなことを思った。

「理屈ではそうするべきだと思っても、それでもあの時、なにかできたはずなんじゃないかって、後悔する。そういうもんだ」

 カミュの言葉には、重みがあった。なにも言えず、ただカミュの顔を見つめる。

「デルカダールから脱走する時、兵士たちを助けたろ」

「うん」

「あれは、理屈じゃなくって、おまえがそうしたかったからだろ。それと同じさ。おまえはどうしたい。どうするのが、一番納得できる?」

「僕は」

 口を衝いて出そうになった言葉を、無理やりに止めた。

 どうしたいかなどと、決まっている。だがそれは、レヴンのわがままではないのか。レヴンが納得するために、誰かに負担を()いることになってしまうのではないのか。

「おまえはさ、真面目過ぎるんだよ」

「え?」

「おまえの背負ったもんを考えれば、そうなっちまうのもしょうがねえとは思う。だけどな、おまえはひとりじゃねえだろ。なんでもかんでも自分だけで抱えこみ過ぎだ。もうちょっと誰かに頼っても(ばち)は当たらねえと思うぜ」

「だけど」

「言えよ。おまえが本気なら、オレはいくらでも手を貸してやるよ。オレは、おまえの相棒だからな」

 カミュが、ニヤッと笑って言った。

 一度、大きく息をつき、眼を閉じた。気持ちを整理する。

 抱えこみ過ぎる。確かに、そうなのかもしれない。

 自分はどうしたいのか。無理だとかそういったものは考えず、ただそれだけを考えてみる。

 眼を開き、カミュの眼を真っ直ぐに見つめた。

「みんなを、逃がしたい」

 そう言ったあと、少しだけ視界が明るくなった気がした。同時に、自分の視野が狭くなっていたことに気づいた。自分の考えだけで、完結していた。

 うまい手があるかはわからないが、みんなを守る方法を探す。いや、みんなで考えるべきだったのではないか。そんなことを思った。

 レヴンが考えつかないような良案を思いつく者もいるかもしれないし、ダン村長のように昔からイシの村に住んでいる人たちなら、レヴンが知らない抜け道や隠れ場所なども知っているかもしれない。

 楽観的な考えだと言われれば、その通りかもしれない。だが、やる前から無理だと決めつけ、みんなに犠牲を強いようとしていたのではないか。あきらめていただけではないのか。そう思う自分もいた。

 それに、レヴンは脱獄した。グレイグは、村人たちに不必要に危害を加える真似はしないと言ってくれたが、彼がそう言ってくれた時と、状況は変わっている。

 グレイグは信じられる男ではあるが、だからといってただ逃げるなど、甘えでしかなかったのではないか。それこそ楽観的に考えていたのではないのか。自分の全知全能を懸けて、村のみんなを守るための行動をとるべきだったのではないのか。

 できるかどうかではない。やるのだ。自分の頭の中だけで延々と思い悩み、勝手にあきらめるよりも、そう思い定めて行動するべきだった。

「おう、そうだ。その方が、ずっとおまえらしいと思うぜ」

 カミュがそう言って、ニヤリと笑った。

 

 食事の後片付けを終え、ちょっと休憩したところで、カミュが荷物の方にむかった。

 荷物から、カミュがなにか取り出した。薬を調合する時に使う物に見えた。続けて、四つほど小さな袋を取り出した。

「それは?」

「毒薬を作る道具」

「毒薬?」

「オレは、身のこなしに関しちゃ並より上だって自信はあるが、魔法が達者なわけじゃねえし、腕力が殊更(ことさら)に強いわけでもねえ。だから、小細工でその辺をごまかすようにしてるのさ」

 作るのは、眠りの毒と、躰を(むしば)む毒の二種類。人間に対しては、眠りの毒を遣う。即効性があって、あっという間に眠りに()くが、後遺症は残らないし、魔物にも効き目がある。蝕む毒は、躰の自由を徐々に奪い、解毒しなければいずれ死に至らしめる凶悪なもので、魔物相手に遣うためのものだということだった。

 四つの袋は特別製で、それらの毒を持ち運ぶために作った物らしく、それぞれ違った模様がついていた。

 二つは普段使うもので、もう二つは組み合わせ用の毒だとのことだった。ひとつは毒や麻痺毒に侵されている相手、もうひとつは眠ったり混乱している相手に使うことで、凄まじいまでの効果を発揮するらしい。

「要は、魔物に対する切り札さ。まあ、おまえみたいに魔法が遣えりゃあ、わざわざこんなことをする必要もないんだけどな」

「そうかな。魔法が遣えない状況だって結構あるし、カミュから教わっておきたい技術もあるよ。飛礫(つぶて)とか」

 石を、手で打ち放つ。兎を獲る時に、カミュが遣った技だった。手で石を打つだけといっても、これがなかなか侮れないもので、カミュが打った飛礫は、兎が反応する間もなく直撃し、あっという間に二羽の兎を狩ってしまったのだ。

 続けざまに数発放たれれば、撃ち落とすのは難しいだろう。そう思えるぐらいの技だった。

 カミュが、苦笑した。

「オレのあれは、それこそ小技さ。達人が遣えば骨だって砕ける技だが、オレはそこまでの腕じゃねえからな。硬いやつにはほとんど通用しねえ。それに、攻撃魔法が遣えるんなら、そっちの方がいいと思うぜ。無理に小技を覚える必要はねえだろ」

「けど、なにが必要になるかはわからないし、学べるものを学んでおきたいんだ。闘いで遣えるかもしれないし」

「教えるのは構わねえけどよ、戦闘で遣うのはやめとけ。多分、おまえに合った技じゃねえ」

「え?」

「追い詰められた時とかならともかく、積極的に遣うのはやめといた方がいい。オレのやり方は、なんでもありの盗賊流。極論すりゃ邪道の闘い方さ。勇者には勇者に合った闘い方があると思うぜ。前におまえが言ってた、デインって魔法とかよ、勇者だからこそ使える魔法や技があるんじゃねえか?」

「勇者だからこその魔法や技、か」

「変に小技を覚えようとするよりは、そっちの方がよっぽど身になると思うがね。そういった魔法の制御とかも含めてさ」

 ふっと思い出すのは、ファナードが語ってくれた、古の勇者の物語。勇者が遣ったという魔法と、剣技。

 大地を(ひら)き、海を割り、空を斬り裂いたという勇者の技。灼熱の炎を纏い、闇を払う閃光を(たずさ)え、時にはその払うべき暗黒さえも操り、敵を討ったという勇者の剣。

 レヴンの剣は、その領域にはほど遠い。剣に火炎を纏わせた技などはできるが、灼熱の剣などと言えるほどの技ではないのだ。純粋な剣技にしても同じだ。

 呪文に関しても、(いかづち)を操る魔法は、いまのところデインしか使えない。それ以上の力が自分の中に眠っているのはなんとなく感じているが、まだ使えそうになかった。

 剣も魔法も、まだまだ未熟。それが、いまのレヴンの実力だった。

「あれもこれもと手を出すよりは、自分だけの力を磨くべき、か」

「オレはそう思うぜ。おまえができないことは、オレがやりゃいいだけの話さ。もちろん、逆も(しか)りだ。それが仲間ってもんだと思うぜ。きっとな」

「そう、だね」

 幼いころ、はじめて魔法の練習をした時にベロニカから言われたことを、思い出した。

 できなくてもいい。人には向き不向きがあるのだから。ひとりでできないことなら、助け合えばいい。

 その言葉に、ずいぶんと気持ちが楽になったのを憶えている。だからこそ、自分ができることは、可能なかぎり磨かなければならないのだろう。そんなふうにも思う。

 そういえば、ともうひとつ思い出したことがあった。

 ラムダからイシの村に帰ったあと、テオから一冊の書を渡された。剣の指南書の写しだった。

 武器はひと通り遣えるが、最も自分に合っていると感じたのは、片手剣と両手剣。片手剣に関しては、その指南書に沿って修めたもので、指南書が擦り切れるほどに読みこんだものだった。

 なぜかはわからないが、不思議と躰に馴染む遣い方だった。

 両手剣は我流ではあるが、躰の動かし方の土台となっていたのは、やはりその指南書のものと言えた。

 ただ、その指南書に載っていたのは基礎的な部分だけであり、技の類は載っていなかった。原本があるとしたら、技なども載っているのだろうか。

 いずれにせよ、技も魔法も磨かなければならない。いまよりもずっと強くならなければならない。

 剣を執り、立ち上がると、火からちょっとだけ離れ、夜の闇にむかって剣を構えた。

 そのまま、じっと構え続ける。自分自身と立ち合うような心持ちであるとともに、己の中のなにかと対話するような感覚でもあった。

 どれだけそうしていたのだろうか。なにか、かたちの見えないなにかがぼんやりと浮かび上がってきたところで、レヴンは一度だけ剣を振った。

 

 眼を醒ますと、日が昇ったところだった。カミュはすでに起きており、朝食の準備をしていた。

「ごめん、寝坊した」

「いや、オレが早く起きちまっただけさ。食ったら、辺りの探索をしよう」

「うん」

 昨晩の残りを焚火で温め、食事を摂り終えると、速やかに荷物を纏めた。

 イシの村に続くはずの、壊れた橋をもう一度確認する。橋の真ん中から見事に壊されており、修理するよりは作り直した方が早いだろうと思えるぐらいだった。

 周囲を見渡してみるが、通れそうな道はない。崖の下を覗きこむと、ここらの魔物とは比較にならないぐらい凶悪そうな魔物が徘徊しているのが見えた。勝てる勝てないはともかく、降りたところで、向こう側に登れなければ意味がない。下に降りるのは、ほかに行く道がないとはっきりした場合の、最終手段だろう。

「やっぱり、橋を作り直すしかないかな」

「そうだな。しかし、ここに住んでるっていう樵は、どこに行っちまったんだか」

 昨日、小屋の中を見た限りでは、いなくなってそれほどの時間が経ったわけではなさそうだった。この橋を直すための木を()りに行って、なんらかの事故に遭った、といったところだろうか。

「とにかく、探しに行くか。雷刃と疾風(はやて)には、ここで待ってて貰おうぜ」

「うん」

 疾風というのは、カミュが貰った馬の名前だった。

 名前は、もともとはなかった。カミュもつける気はなかったようだが、レヴンの提案でつけることになった。

 これから長い旅に付き合う、命を預ける友になる。名前をつけた方がいいのではないかと思ったのだ。

 カミュはちょっと悩んだようだったが、やがてそれに頷いた。

 乗り手であるカミュにも似合う、そんな名前として、『疾風』というのはどうだろうか。そう言ってみた。カミュに異論はなく、あっさりと名前は決まった。

「じゃあ、ちょっと行ってみるか」

「うん。雷刃。疾風と一緒に、ここで待っててくれるかい?」

 レヴンが言うと、雷刃が耳を動かした。頷いたような感じだった。レヴンも頷き返した。

 カミュとともに辺りを見回すと、昨日、犬が出てきた繁みが気になった。カミュも同じだったようで、まずはそこから探索してみることにした。

 繁みをかき分けて中を覗きこむと、獣道があった。カミュが先に入り、ともに周りを警戒しながら進んで行く。犬もついて来た。

 やがて、拓けた場所に出た。

「ん?」

 訝し気なカミュの声が聞こえた。視線の先を見ると、イシの村の木に巻きついていたものと同じような、大きな木の根っこらしきものがあった。

 根っこのようなものに近づき、観察する。淡い光が、根っこを包んでいるように見えた。

「っ?」

 左手から、不思議な熱さを感じた気がした。眼をやると、左手の痣もまた、根っこと同じように淡い光を放っているように見えた。

 呼ばれている。ふっと、そう感じた。

「どうした、レヴン?」

「なんだか、呼ばれてる気がする」

「なに?」

 首を傾げるカミュにそれ以上応えず、根っこのようなものに左手を(かざ)した。

 痣と根っこが、呼応するように光を放った。

 

 気がつくと、どこからか覗きこむように、樵の小屋を見ていた。どこか、ぼんやりとした視界だった。見回そうとしても視界を変えることができず、まるで誰かの眼を借りているかのように、その景色を見ることしかできなかった。

『カッコン、カッコン、木を伐るべ~。オラは樵、森の恋人~』

 歌らしきものが、どこからか聴こえてきた。

 小屋のむこうから、髭を生やした中年の男が歩いて来た。男の背はあまり高くないが、かなりがっちりとした躰つきをしていた。

 (うた)っているのは、その男のようだった。(くだん)の樵だろうか。陽気に唄っていた。

 樵が、なにかに気づいたような仕草を見せ、硬直した。

『ゲエエーーーーーーーーッ!?』

 硬直の解けた樵が、驚愕の声を上げた。彼の視線を追うように、視界が変わった。

 樵の視線の先には、壊された橋があった。

『昨日直したばかりの橋が真っ二つ。また作り直さなけりゃならんっ。誰だべや、こんな酷いことをするやつは!!』

『ジャジャーンッ!!』

 憤慨する樵の声に答えるように、橋の下から声が響いた。間を置かず、橋の下からなにかが飛び上がり、橋の残骸の上に降り立った。

 紫の体色。頭には二本の触覚。背中には小さな羽を生やし、一本の尻尾をゆらゆらと揺らしている。インプという魔物だったろうか。

『それはこのオレ、いたずらデビル様よ~~っ!』

『なっ』

『いたずら!』

 樵が固まり、インプ、いたずらデビルがなにやらポーズをとった。

 樵が逡巡する様子を見せた。いたずらデビルと闘うか、それとも逃げるか、迷ったように見えた。

『変身!』

 いたずらデビルが、違うポーズをとった。

 樵がハッとし、いたずらデビルに背をむけて駆け出した。逃げることを選んだようだった。

『あー、こら、逃げるなよ!』

 いたずらデビルが不満そうな声を上げるが、樵はふりむかずに駆けていた。

 もう少しで女神像の近くに到達するというところで、いたずらデビルがニヤッと(わら)った。

『なーんてな、ビーム!!』

『ぎょえーーーーーっ!?』

 いたずらデビルが触覚から放った光線が、樵に直撃した。あたりに、白い煙が立ちこめた。

 煙が晴れる。樵の姿はなく、代わりに一頭の犬がいた。あの犬だった。

『キーッカキカキカキカ~~、残念でしたー。必死になって逃げちゃって、面白かったぜ~~』

 (たの)しそうに、いたずらデビルが(わら)いながら言った。犬が、元に戻せというように激しく吠えるが、いたずらデビルは愉しそうに嗤うだけだった。

『キカキカ~~、悪戯(いたずら)大成功。せっかく壊した橋を直されてたまるかってーの。樵まで犬にしてやったし、やっぱりオイラ天才かもね~。さーてと、次はどんな悪戯をしようかなーっと』

 いたずらデビルが言い、飛んだ。

 再び、視界が変わった。宝箱が見える。滝の音が聞こえた。

 宝箱のそばに、いたずらデビルが降り立った。

 視界が、段々暗くなってきた。

『おっ、この宝箱は空っぽか。じゃあ、お次はこの宝箱に隠れてっと』

 その声を最後に、視界が暗闇に染まった。

 

***

 

 眼を開けると、真っ暗だった。同時に、窮屈さを感じた。

 混乱しかけたところでいたずらデビルは、宝箱の中だということを思い出した。樵に悪戯したあと、滝のそばにあった宝箱の中に隠れたのだ。

 人間がこの宝箱を開けようとしたところで、不意を打って飛び出し、驚かせてやるつもりだったのだ。しかし、待てども待てども人間が来ることはなく、いつの間にか眠ってしまっていたようだった。

 このままこうしていても、人間は来ないかもしれない。そう思いはしたが、いまさらこの宝箱から出るのも、なにかに負けたような気がして嫌だった。別に誰かと勝負しているわけではない。気持ちの問題である。

 しかし、いつまでこの宝箱に入っているつもりなのかとは、自分でも思わなくはなかった。

 どうしたものかと思ったところで、あることに気づいた。この樹海を通る者は、よその地域に行くために通るのがほとんどだ。だが、ナプガーナ密林とよその地域を繋ぐ西の橋は壊れており、南側に通じる橋も、いたずらデビル自身が壊した。そしてこの滝は、樹海の奥に多少踏み入ったところにある。それで、この滝の近くにわざわざ来る者などいるだろうか。

 まず、いないだろう。壊れた橋を見たところで、まず引き返す。こんなところまで来る酔狂な人間など、そうはいまい。

「チッ」

 無駄な時間を過ごした、といたずらデビルは舌打ちした。

 このあと、どうするか。ほかの場所に行くのもいいが、どうにも物足りないという思いが強かった。

 ふっと、ひとつ思いつくことがあった。

 樵を元に戻してやるのだ。そして、樵が橋を直したらまた壊し、再び樵を犬にするのだ。一度喜ばせてやり、突き落とす。いい考えではないか、といたずらデビルは思った。

「っ?」

 思い立ったが吉日とばかりに宝箱から出ようとしたところで、近づいて来る人間の気配を感じた。

 ついてるな、といたずらデビルはほくそ笑んだ。宝箱から出ようとしたところで人間が来たのだ。これはすなわち、思う存分、悪戯をしろという、魔王様の(おぼ)()しに違いあるまい。

 足音が、近づいて来た。

 さあ、驚かせたあと、どんな悪戯をしてやろうか。あの樵みたいに犬にしてやろうか。いや、猫とか鳥とかどうだろうか。

 考えているうちに、足音が間近で止まった。思考を一時中断し、ニヤッと笑った。

 いまだ。

「ジャジャジャ、えっ?」

 宝箱の蓋を勢いよく開けようとしたが、持ち上がらなかった。蓋の上になにかが乗っているかのように、びくともしない。

 二度、三度とさっきより力を入れて持ち上げようとするが、やはり開かない。なにかに押さえつけられているようだった。

 力を、ふり絞った。

「こ、このおおおおおおおおーーーーーーーーー、っ!?」

 今度は、拍子抜けするぐらい簡単に開いた。予想していた抵抗がなかったせいで、つんのめるように宝箱の中から躰が飛び出し、(ふち)に引っかかった。

 視界の上の方に、誰かの足が見えた。顔を上げる。紫色の服を着た、サラサラヘアーの男がいた。

「ほんとにいたな」

「っ!?」

 声は、いたずらデビルの背後から聞こえた。慌ててふりむいた。

 宝箱の蓋の向こうに、青髪をツンツンと逆立てた男がいた。なにやら複雑そうな表情を浮かべていた。

 いつの間にうしろに、と思った。人間の気配は、ひとりしか感じなかったはずだ。だがいまは、強い気配を放っていた。気配を隠していたのだと、わかった。

 宝箱を押さえつけていたのはこの男かと、ハッと思い至った。

 正面の、サラサラヘアーの男にむき直る。険しい眼でこちらを見ており、強い気配を放っていた。うしろの青髪の男よりも強い。近づいていた気配は、こんな強いものではなかったはずだ。

 サラサラヘアーの男は、いたずらデビルの注意を引くために気配を抑えて無造作に近づき、青髪の男は気配を消して宝箱に近づき、押さえつけたということなのだろうか。いたずらデビルがここにいることを、知っていたということなのか。

 いろいろと気にはなったが、どうでもいいことだった。このいたずらデビルを驚かせてくれたのだ。なにか痛い目に遭わせてやらなければ気が済まない。悪戯するのは大好きだが、悪戯されるのは大嫌いなのだ。

「おまえら、このいたずらデビル様を怒らせて」

「樵を、元に戻すんだ」

 サラサラヘアーの男が言った。声に含まれた怒気に、いたずらデビルの躰が思わず(すく)み、一瞬遅れてその言葉に唖然とした。

「な、なに?」

 男が、ちょっと考えこむ仕草を見せた。

「犬にした樵を、元の姿に戻して欲しい」

「な、なんで知ってやがる!?」

 あの術は自分が作り上げたものであり、ほかのインプは使えないはずだ。使ったのも、あの樵に対して使ったのが最初であり、あの場にはほかに誰もいなかったはずなのだ。知られているはずがない。

 得体の知れない存在に内心で恐怖を抱くものの、なにをビビってやがる、と己を叱りつけた。魔物、知性を持った悪魔族であるこのいたずらデビルが、人間ごときに臆してたまるものか。

「キッカーッ!!」

 飛び上がり、空中から男たちを見下ろした。二人が武器を抜き、構えた。サラサラヘアーの男は剣、青髪の男は短剣だった。

「はっ、なんで人間なんぞのお願いを聞かなくちゃならねえんだよ。だいたいだな、オイラは魔物だぜ。人間を襲うのがライフワークってやつよ。殺されなかっただけありがたいと思いな!!」

「っ」

「キカッ!?」

 サラサラヘアーの男の眼が、鋭くなった。威圧感が増し、いたずらデビルは反射的に高度を上げた。

 男たちを見据え、グルグルと腕を回した。

「ギラ!」

「っ!」

「当たるかよ!」

 突き出した指先から熱線を放つが、男たちは軽々と避けていた。

 気配の強さからして、いたずらデビルが敵う相手ではないというのはわかっていたが、吠え(づら)をかかせてやらなければ気が済まない。なにか、いい手はないだろうか。

 そこで、はたと気づいた。やつらの目的は、あの樵を元に戻すことのようだ。あれは呪いの類であり、いたずらデビル自身の手で消すか、いたずらデビルが死ぬことで解呪される。

 このままいたずらデビルが逃げてやれば、やつらの目的が達成されることはない。いたずらデビルとしては、やつらが悔しがればそれでいいのだ。勝てそうにない相手に対して、無理に危険を(おか)す必要などない。

 そう思い直すと、高度を(たも)ったまま男たちから離れ、むき直った。

「樵を元に戻したけりゃ、オイラを(たお)してみるんだなあ。オイラが死ねば、樵は元の姿に戻るぜ。もっとも、飛べねえ人間が、オイラに追いつけるんならって話だけどなあ!!」

 大声でそう言うと、青髪の男が焦りの表情を浮かべた。ニヤッと嗤う。あの顔が見たかったのだ。

 この距離と高度なら、近接武器はまず届かないし、攻撃魔法も避けられる。見たところ、弓などは持っていない。

 いたずらデビルを斃すことは、不可能だ。

「おとなしく、樵を元に戻すつもりはないということか?」

 サラサラヘアーの男が、声を上げた。焦りは感じられず、淡々とした声に聞こえた。

 言いようのない恐怖が、いたずらデビルの胸に湧き上がった。

「二度も言わせるなよ。人間なんぞのお願いなんぞを聞く義理はねえんだよ、バーカ!!」

 自分の中の(きょう)()を抑えつけ、叫んだ。この距離だ。なにもできないはずだ。そう、自分に言い聞かせるようにして思った。

 サラサラヘアーの男が、大きく息をついたように見えた。

「そうか。わかった。もういい」

 その声は、不思議とはっきり聞こえた。静かな声だった。普通なら聞こえるわけがない大きさの声のはずが、まるで耳もとで言われたかのように、はっきりと聞こえていた。

 天を指さすように、男が左手を翳した。

 逃げろという叫びが、己の内から聞こえてきた。

 その声に逆らうことなど考えられず、連中に背をむけるように、いたずらデビルは急いで反転した。

「デイン!!」

 声が聞こえたと思った瞬間、いたずらデビルの躰を凄まじい衝撃が襲った。視界が閃光に包まれている。なにも見えない。なにも聞こえない。

 衝撃はすぐに消えたようだったが、躰の自由が()かなかった。落下していくのがわかる。羽を動かそうとしても、自分の躰でないように、動かすことができなかった。

 (いかづち)。あのサラサラヘアーの男が呼んだのか。確か、稲妻(いなづま)を操る呪文を使えるのは、『選ばれた存在』だけのはず。あの男が、『選ばれた存在』だったというのか。

 すでに、いたずらデビルの躰は、死を待つのみとなっている。このまま地に激突して死ぬか、それとも宙で消滅するか、どちらにしても長くはないだろう。それなのに、眼ははっきりと見えていた。思考を走らせることもできる。意味もなく。

 あの男たちが、見えた。きっと、いたずらデビルを斃すことができて喜んでいることだろう。最期に見る光景が、人間の喜ぶ姿などとは、反吐(へど)が出るような思いだった。

「――――」

 サラサラヘアーの男が見えた。真っ直ぐに、いたずらデビルを見つめていた。ただ静かに、見つめていた。

 形容しがたい感情が、胸の内に生まれていた。

 クソが。魔物を斃したんだぞ。もっと喜べよ。人間のくせに、なんでそんな眼でオレを見やがるんだ。

 そう思ったのを最期に、いたずらデビルの意識は暗闇に呑まれていった。

 

 

 いたずらデビルが落下しながら消滅したのを確認し、レヴンが剣を鞘に納めた。カミュも同じく短剣を鞘に納める。

「レヴン」

 カミュが呼びかけると、レヴンがむき直った。

「なに、カミュ?」

「魔物ってのは、基本的に人間を敵視してる。友好的なやつもごく(まれ)にいるが、そいつらはほんとうの例外ってやつだ。滅多にいねえ。あのいたずらデビルってのがもうちっと狡猾なやつだったら、その場は素直に樵を元に戻して、オレたちがいなくなってから、また同じことをするとか、そんなことをやってたかもしれねえ。いずれにしても、斃さなきゃならねえ魔物だった」

 じっと見つめ合い、カミュは小さく息をついた。

「言っておきたいのは、それだけだ」

「カミュ」

「いたずらデビルの言葉がほんとうなら、樵も元に戻ってるだろ。行こうぜ」

「うん」

 カミュが先行し、レヴンがあとを追うかたちで歩き出した。少しして、並ぶかたちになった。

 いたずらデビルが潜む宝箱に行く前、レヴンからひとつ相談されたのだ。人語を解する魔物だったら、言葉が通じるのなら、斃さずに済ませることはできないだろうか、と。

 人語を解する魔物がいるのは知っていたが、遭遇するのははじめてだったらしい。まず無理だろう、とカミュは答えた。

 魔物は、人間に対して強い敵意を持っている。人間だけでなく、人間とともに暮らす動物などに対してもそうだ。野生の獣が魔物から襲われることはほとんどないが、人間とともに暮らしていた、野に放された動物は襲われる。それほどまでに、ほとんどの魔物は人間を敵視している。

 なぜなのかは、いまだにわかっていない。そういうものなのだ、と言うしかないものだった。

 ただ、人とともに生きることを選んだ、人に友好的な魔物も時にいるという。そういった魔物は、人の言葉を喋れる者が多いという話だ。基本的に人の言葉を喋れないはずの魔物も、喋っているという。

 レヴンの祖父であるテオも、そんな魔物を旅の中で見たことがあったそうだ。ある地方にある学校では、人間だけでなく魔物も一緒に学び、仲良く暮らしていたという。

 そんな話を聞いていたのだから、斃さずに済ませられないかとレヴンが言うのも、わからなくはなかった。

 それでもレヴンは、闘うと決めたら、闘う男だ。誰かの命がかかっているというのなら、なおさらのことだ。覚悟は決めていたのだろう。いまは、はっきりと前をむいていた。魔物を斃したことを誇るわけではない。ただ、しっかりと受け止めているように見えた。

 歩き続けると、やがて女神像と小屋が見えた。小屋の前に、髭を生やした男がいる。男が、カミュたちに気づいたような仕草を見せ、手を振ってきた。レヴンが手を振り返した。

 橋を渡り、女神像のあたりに来たところで、男が駆け寄って来た。

「おう、旅人さん方、ありがとな。おかげで元の姿に戻れたべ!」

「ってことはあんた、やっぱりあのワンコロか?」

「ワンッ、じゃない、おうっ。あの魔物の術で犬に変えられていた、樵のマンプクだ。いやあ、ありがとうなんて言葉だけじゃ、オラの気が済まねえだ。なにか、オラに手伝えることはねえか?」

「手伝えることか。あるぜ。あの壊されちまった橋を修理するのを、手伝って欲しい」

「お安い御用ってもんだべ。それに、それはもともとオラの仕事だ。橋の修理さ、終わるまで、オラの小屋で休んでいくといいべ」

「いえ、僕もやります」

「同じくだ」

「だけど、疲れてねえべか?」

 樵、マンプクが気遣うように言った。

「平気です。それに、じっとしていられなくて」

「そうか。わかっただ。じゃあ、お言葉に甘えて、手伝って貰うべ」

「はい」

「おう」

「にしても、サラサラヘアーの兄ちゃんが木の根に近づいた時に見えた光景だけどよ、命の大樹の導きってやつかもしれねえだな」

「命の大樹の導き?」

 マンプクの言葉に、カミュは聞き返した。レヴンも興味深そうにしている。

 命の大樹。世界の真ん中に浮かぶ巨大な樹。葉っぱの一枚一枚にすべての生き物の生命を宿し、世界の調和を保っていると言われる神木。

 マンプクが、頷いた。

「んだ。亡くなったオラの爺様から、よく聞かされてただ。あの木の根は、世界中に張り巡らされた大樹の根っこが顔を出したもんで、選ばれし者に大樹の意思を伝える。それを大樹の導きって言うそうだと、爺様が話してただ」

「選ばれし者」

 レヴンと顔を見合わせると、マンプクが笑い声を上げた。

「オラがいくら根っこに話しかけてもなんも起きなかったし、大樹の意思を聞いたとかいう人も見たことなかったからな、爺様のホラ話かなんかだと、いまのいままで忘れてたぐらいだ」

 マンプクが、レヴンにむき直った。

「兄ちゃん。あんた、命の大樹に愛されてんだな。髪の毛もサラサラだし、羨ましいかぎりだべ」

「命の大樹に愛されし者、か」

 呟いたところで、カミュの頭にあることが浮かんだ。

 野営地で、犬になっていたこの樵に、自分たちの話を聞かれたりしてないだろうか。寝ていたはずだが、聞かれている可能性は捨てきれないのではないか。

 レヴンもそれに思い至ったのか、ハッとしてマンプクを見た。

「どうしただ、二人とも?」

「いや、あんた、犬になっていた時のこと、どれぐらい憶えてる?」

「ん?」

 首を傾げたあと、マンプクがなにかに思い当たったかのような仕草を見せた。

「そだなあ。少なくとも、昨日の夜はあっという間に眠っちまったからなあ。二人の会話はほとんど聞いてなかっただなあ」

 そう言って、マンプクが声を上げて笑った。

 再びレヴンと二人で顔を見合わせ、マンプクの顔を見た。

「あんたらはオラの恩人だ。旅の無事を祈ってるだよ」

 マンプクが、男くさい笑みを浮かべた。

 

***

 

 井戸のそばにある木の下で、エマは大きく息をついた。昼の休憩時間だ。

 レヴンが旅立って、数日が過ぎた。レヴンのことで、エマを気にかけてくる人たちもいたが、心配いらないと笑顔で返している。

 レヴンがいなくなって、最も気にするだろうと思われていたエマが、そんなふうに普通に生活しているからだろう。最初のころはみんな、ちょっとぎこちない感じがあったが、少しずつ慣れてきたようだった。

 レヴン以上に、自分たちのことを心配しなけりゃならないだろう。そう言ったのは、レヴンの義母であるペルラだった。

 本来、魔物が現れるはずのない神の岩に、魔物が現れたのだ。このイシの村も、いつ魔物に襲われるかわからない。魔物が村を襲ってきたら、いま村にいる者たちで対処しなければならないのだ。村一番の腕利きであるレヴンがいない状況で、である。

 確かにそうだと頷いたのは、村の若い男たちだった。自分たちの生活を守るためにも、レヴンの故郷を守るためにも、自分たちの手で村を守るのだと気炎を吐いていた。

「エマ」

「ん?」

 かけられた声にふりむくと、見知った男がいた。黒目黒髪で、体格はレヴンと同じぐらい。目つきが少し鋭く感じるが、特徴と言えばそれぐらいのものだ。名は、ジャイル。歳はエマとレヴンのひとつ上で、彼もまた幼馴染みと言える間柄である。

 剣の腕では、村の男たちの中でも、レヴンに次ぐ実力を持っているとされる男だった。

「ああ、ジャイル。お疲れ様」

「ああ。エマも、お疲れ様」

「うん。ジャイルは、これから特訓?」

 エマが言うと彼は、ああ、と頷いた。

「レヴンがいなくてもこの村を守れるように、強くならなきゃいけないからな」

 村の入り口がある北の方を見て、ジャイルが静かに言った。淡々としているが、並々ならぬ強い意志が感じられる声だった。

 真面目な男であり、いわゆる朴訥(ぼくとつ)な人柄である。ただレヴンに対して、ある種の対抗心を持っているようで、張り合うようにしてレヴンの鍛錬に付き合い、途中で力尽きたり、打ち倒されたりという姿がよく目撃されていた。

「それにしても」

 ジャイルが、エマにむき直った。なにか言いたげな眼をしていた。

「なに、ジャイル?」

「いや、レヴンが旅立って数日経ったわけだけど、普通にしてるなと思ってさ」

「普通にしてたら、おかしいかしら?」

「おかしいだろう」

「へ?」

 断言され、エマは呆気にとられた。

「な、なんで?」

「なんでもなにも」

 ジャイルが、遠い眼をした。

「幼いころからずっと、レヴンレヴンって言ってべったりしてたろ」

「そ、それはそうだけど」

「一緒に遊んでたはずのほかの連中、俺とかを放っておいて、あいつのところに行ったりした時もあったな」

「そ、そうだったかしら」

「それに昔、あいつがテオじいさんと一緒に旅に出た時なんか、あいつが戻ってくるまで一切笑顔を見せなかったじゃないか。普通にしてたら、なんだかおかしいと思うぞ」

「そ、それは、って、ちょっと待ってよ。それってみんな、子供のころの話でしょ。私だって成長ぐらいするわよ!」

 エマが声を上げるとジャイルが、なに言ってんだこいつ、とばかりに()(ろん)()な表情を浮かべた。

「暴れ馬退治の依頼の時、レヴンが雷刃を連れて帰ってきた時だけど、ひと晩あいつが村を留守にしたな」

「え、ええ。そうね。それがなに?」

「村長が言ってたぞ。エマが全然笑わなくて、とても居心地が悪かったと」

「そんなことっ」

 ジャイルの言葉に、あの日のことを思い出す。あの日のことは、なぜかはっきり思い出せた。

 誰かが話しかけてきても、ポツポツとしか答えず、まったく表情を変えていなかった。

「そんなこと、あるかもしれないわね」

 目を泳がせながらエマが言うと、そうだろう、とジャイルが頷いた。

「あと、ダジャレを言っても、まったく笑ってくれなかったと」

「それはいつものことよ」

「そうだな」

 ジャイルが苦笑し、エマも苦笑した。エマの祖父であり、イシの村の村長であるダンはダジャレが趣味であり、エマなどになにかとそれを聞かせてくるのだ。クスっとしてしまうようなものもたまにあるが、基本的にはしょうもないダジャレが多かった。

「まあ、なんだ。そんなエマが普通にしてるからさ、なにかあったのかと思ってさ」

「なにかって」

「レヴンとだよ。告白でもしたのかなって」

 ジャイルが笑った。爽やかな笑顔ではあったが、どこか苦しそうな笑みにも見えた。

 その笑顔に内心で首を傾げながら、軽く苦笑した。

「してないわよ。ただ、ちょっと約束しただけよ。旅がひと段落したら、一度帰ってきてねって」

 ベロニカのことは、言わなかった。ジャイルも、エマとレヴンがいつか結婚するだろうと思っているひとりだ。下手にベロニカのことを言うわけにはいかない。

 そうか、とジャイルが息をついた。なんとなく、ほっとしたように見えた。

「それに、ね。私もちょっと思うことがあるのよ」

「思うこと?」

「ええ。私も、変わらなくちゃって」

 レヴンを見送った時にも思ったことを思い出し、微笑んだ。

 ジャイルが、ちょっとだけボーっとした様子を見せたあと、慌てたようにエマから顔を逸らした。顔が、かすかに赤くなっているように見えた。

「どうしたの?」

「い、いや、別に、ん?」

 ジャイルが北の入口の方を見て、なにかに気づいたように声を洩らした。

「ジャイル?」

「いや、なんだかむこうが騒がしい気が」

「え?」

 北の入口の方にむき直る。確かに、どこか騒がしい気配が感じられた。

 不意に、レヴンのことが頭をよぎった。

 まさか、彼が帰ってきたのだろうか。そんなことを思ったあと、いくらなんでも、こんなに早く帰ってくることはないだろう、とその考えを否定する。

「なにかしら?」

「さあ、なんだろうな。ちょっと行ってくる」

「あ、私も行くわ」

 ジャイルのあとを追うように、エマも歩き出した。

 




 
お待たせしました。

「エマのやつ、おまえが旅に出ている間、みんなに心配かけないようにって無理して笑うんだ」とかだったら、『健気な子!』って気持ちになるけど、「全然笑わないんだ」とか言われるとさすがに、『重いよ!?』って気持ちになる。なった。

一応、二人目のオリキャラとなるジャイル。原作で、「エマを頼むぞ」と言っていたイシの村の彼が元だったり。
名前の元ネタは、ドラクエ5の妖精の国、春風のフルート関連のイベントで出てきた『ザイル』だったりしますが、なぜ彼の名前からとったのか自分でもわかりません。小説版の彼はなんかいいキャラしてたというか、いい役どころだったなーとか思う。

『ふしぎな鍛冶セット』の設定は独自解釈です。あの大きさの物を常に運んでるんか、と思ったので。『キャンプ地でしか鍛冶ができない=女神像のところに行くと巨大化する』という感じで。というか、ほんとにどこで手に入れたんだ、この鍛冶セット。
 


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Level:9 過去からの手紙

 (きこり)のマンプクを手伝い、橋の修理を終えると、すぐにそこを()った。

 なにかとあのあたりの橋の修理を行なっているというマンプクの手際は非常に手慣れたもので、レヴンが思っていたよりもずっと早く、橋の修理は終わった。修理のための資材がすでにあったのも、大きかった。

 あのあたりの橋は、魔物なり天災なりで壊されることがあり、そうなった時、すぐに修理にとりかかれるよう、常にある程度の資材を揃えてあるらしい。それに加えて、最近壊れた、よその地域に行くための西の橋を修理するために作っていた物を回して貰えたため、橋を作る手間と時間は、大幅に短縮することができた。

 駆け続けた。デルカダール兵と鉢合わせするかもしれないと頭に浮かばなかったわけではないが、そうなったらそうなった時のことだと思い定め、馬を駆けさせた。

 途中、視線を感じた気がしたが、近くに人の気配は感じられなかった。気のせいか、それとも遠くからこちらを(うかが)う誰かがいたのか、それは判然としなかった。

 ナプガーナ密林からイシの村までの距離は、そこまで遠くはない。村には、それほど時間をかけることなく辿り着いた。

 村は、無事だった。デルカダール兵の姿もなく、レヴンが見慣れた、いつものイシの村の姿があった。

 

***

 

 釣り糸を(かわ)()に垂らしながらも、気持ちはどこか遠くを見ていた。

 釣りをしながらも頭に浮かぶのは、昔、旧友と別れ際に交わした約束のことだった。

 左手に不思議な痣を持った男性を見つけたら、連れて来て欲しい。そんな約束だった。それに頷き、別れた。

 その後も旅を続けた。あらゆる人に出会い、あらゆるものを見聞きした。

 しかし旅の中で、そんな痣を持った人物を見かけることは、ついぞなかった。

 ちょっとずつ、躰がうまく動かなくなっていた。まだ若いつもりでいたが、その気持ちに躰がついてこなくなっていた。

 それを自覚したところで、ここらが潮時なのだろうと、ひとところに落ち着くことにした。のんびりできる場所がいいと考え、落ち着く先としたのは、とある渓谷地帯にある小さな村だった。

 この村は、かなり珍しい集落だった。

 魔物はどの地域にもおり、人を襲う。それに対抗するために、ひとつの地域でひとつの大きな村や町、場合によっては城郭(まち)が作られる。あるいは、小さくとも近隣の村や町と協力し合うことで、魔物に対抗するものなのだ。

 この村は実質的に、外界と隔絶されたところだった。旧友の住んでいる聖地ラムダも似たようなところではあるが、あちらはほかの地域からも認知されているぐらい、有名な場所である。

 このイシの村は、ほかの地域どころか、近くの村や町からもほとんど知られていないところだった。村の規模も小さく、おそらく集落としては、自分が知る中では一、二を争うぐらい小さい。独力では、魔物に滅ぼされていてもおかしくないぐらいだ。

 滅ぼされずに済んでいるのは(ひとえ)に、村のすぐ南に位置する巨岩、『神の岩』の力によるものだった。

 神の岩は神聖な気を発しているらしく、魔物を寄せ付けない力がある。ひょっとしたら、この神の岩があるために、ここに村が作られたのかもしれない。

 神聖なる加護によって存在している集落と言えば、聖地ラムダもそうだった。土地がそうなのか、それとも里を見守るように立つ賢者セニカの像による加護なのかはわからないが、あの里もまた、小さな集落であるにもかかわらず、ずっと昔から存在しているという。イシの村がいつからあるのかはわからないが、どこか似たところがあると感じるのは、さすがに考え過ぎだろうか。

 旧友との約束には、孫が関わっていた。孫は、いまからおよそ六年前、嵐のあとに川上から流れてきたのを拾い、育ててきた。その子の左手には、旧友が話していたと(おぼ)しき、不思議な痣があった。

 約束を果たす時が来たのだろうと思いながらも、悩んでいた。

 旧友の住まう聖地ラムダに行くとなると、長く険しい旅になる。孫はまだ幼く、自分もまた、若いころほどには動けない。危険ではないかという思いがある。だが同時に、いまならまだ、孫を連れて一緒に聖地ラムダにむかうことができるだろう、という思いもあった。あと二、三年もしたら、おそらく自分はもう、旅に耐えられる躰ではなくなってしまっているだろう。

 もう一度だけ旅をしたいという思いが、心のどこかにあった。孫に、世界というものを見せてあげたいという思いがあった。孫と一緒に旅をしたいという思いが、あった。

 しかしこれは、身勝手な考えではないか、とも思った。幼い孫を、それに付き合わせていいのかと、理性が引き留めていた。

 孫は、いつか嫌でも旅に出ることとなる。それが、あの子の宿命だ。ならば、その時に聖地ラムダを訪ねるように言う方がいいのではないだろうか。そのころには、彼は(たくま)しく成長しているだろう。いま無理に旅に付き合わせる必要が、どこにあるというのか。そんなふうに思う自分もいた。

「おじいちゃんっ。テオおじいちゃんっ!」

「む?」

 背中から聞こえてきた幼い声に、テオは一旦思考を中断し、顔をむけた。真ん中分けのサラサラとした髪が特徴的な、幼い少年の姿があった。

「おお、どうした、レヴン?」

 よほど急いで駆けて来たのか、孫、レヴンは息を切らしていた。

「エマのスカーフが風に飛ばされて、木の上に引っかかっちゃったんだ。(はし)()ないかなっ?」

「おお、そうか。わかった、待っておれ。いま行くでな」

「うん!」

「レヴーン!」

 レヴンに頷き、立ち上がったところで、幼い少女の声が、村に繋がる道の先から聞こえてきた。

「エマ?」

 レヴンが不思議そうに呟いた。

 道のむこうから幼い少女と、青年が歩いてくるのが見えた。青年の姿にテオは(つか)()、眼を見開いた。

 青年が着ている紫色の旅装束は、見覚えのあるものだった。なにより、その瞳と、サラサラとした髪は、いまここにいる最愛の孫と、そっくりなものだった。

「エマ、スカーフは?」

 近づいてきた幼い少女、エマにレヴンが訊いた。エマの頭には、スカーフが巻かれてあった。

「このお兄ちゃんに取って貰ったの。それでね、このお兄ちゃん、あなたに会いに来たみたいよ。知ってる人?」

 エマの言葉に、レヴンが青年の顔をじっと見て、やがて首を横に振った。

「ううん、知らないよ?」

「えっ、この人、レヴンの名前を知ってたんだけど」

「彼は、わしの友だちじゃよ」

「おじいちゃんの?」

「ああ。ちょっと込み入った話になりそうじゃからの。二人はむこうで遊んでなさい」

『はーい!』

 レヴンとエマが声を揃えて元気よく返事をし、青年に頭を下げた。

「エマのスカーフを取ってくれて、ありがとうございました!」

「ありがとうございました!」

「どういたしまして」

 二人の言葉に、青年がやわらかく微笑んで返した。二人が笑顔で駆け去って行く。

 二人のうしろ姿が見えなくなったところで、テオは青年にむき直った。

「さて、おまえさんもレヴンじゃな?」

 青年、レヴンが眼を見開いた。微笑みかける。

「わかるともさ、愛する孫のことぐらい。眼がそっくりじゃ」

「テオじいちゃん」

「しかし、こんなにも成長した孫の姿を見ることができるとはのう。それに、その旅装束は」

「うん。じいちゃんが使っていた物だよ。母さんに仕立て直して貰ったんだ。じいちゃんにも見て」

 そこでレヴンが、なにかに気づいたように言葉を止めた。

 ちょっとだけ首を傾げ、あることに思い至った。

 おそらく、レヴンが旅立った時にはもうすでに、テオは亡くなっているのだろう。

 レヴンが旅立つその日に、その姿を見れないことを残念に思いながらも、いまこうして見ることができている。奇妙なめぐり合せではあるが、それは素直に嬉しかった。

「レヴン。わしは、果報者じゃ。こんなにも立派に成長した孫の姿を見ることができたのじゃからな。命の大樹の導きに感謝しなくてはな」

「じいちゃん」

 青年、レヴンが泣き出しそうに顔を歪め、ハッとしたあと、真剣な表情となった。

「テオじいちゃん、訊きたいことがあるんだ」

「なんじゃな?」

「『まほうの石』が、どこにあるのか知りたい」

「ふむ。『まほうの石』か」

 懐かしい名前だった。もちろん、捨ててなどいない。聖地ラムダで貰った、大切な思い出の品だ。

「ひとつ、いや、二つ訊いてもいいかの、レヴン?」

「うん。なに?」

「デルカダールには、行ったかの?」

「う、ん」

 レヴンの顔が、一瞬だけ曇ったように見えた。いま見せている表情は、力強いものではあるが、どこか(かげ)りを帯びたものに感じられた。

「そうか。どうやら、つらい思いをさせてしまったようじゃな」

「え、いや、そんなこと」

「その顔を見れば、おまえさんがなにかつらい目に遭ったことなど、すぐにわかるわい」

「っ」

 レヴンがうつむき、少しして顔を上げた。

「だけど、目標ができた」

「目標?」

「うん。あの人を超えたい。そう思える人が、デルカダールにいたんだ」

 力強い光が、その眼にあった。

「そうか」

「うん。それで、もうひとつの、訊きたいことっていうのは?」

「うむ。聖地ラムダには、行ったかの?」

「うん」

「いつじゃ?」

「十年ぐらい前、六歳のころだよ。じいちゃんと一緒に」

「そうか」

 行ったのか、という驚きがあった。

「旅は、つらくなかったか?」

「大変だとは思ったけど、つらいとは思わなかったよ。楽しかった。大事な友だちができたし、それに、大切な人ができた」

 はにかむように、レヴンがやさしく笑って言った。なにか熱いものが、胸の奥からこみ上げてきたような気がした。

「そうか。そうか」

 それだけ言うのが、やっとだった。

 いまにも流れ出してしまいそうな涙を必死で押し(とど)め、気持ちを落ち着かせると、レヴンの眼をじっと見た。

「レヴン。この邂逅はおそらく、ほんの一時のものじゃ。命の大樹の根っこに刻まれたという土地の記憶を辿った、言ってみれば過去の世界に、おまえさんはおるのじゃろう」

 レヴンが頷いた。

 旅の中で聞いたあらゆる言い伝えに、大樹の導きの話はある。選ばれし者に、大樹の意思を伝えるのだと。

 世界中に張り巡らされた、命の大樹の根っこ。遥か(いにしえ)から大地に存在し、土地の記憶を刻み続け、選ばれし者を導くという、大樹の奇跡。そしてイシの村の、井戸のそばにある木に絡みついた不思議な根っこも、その大樹の根っこと言われている。きっとこの邂逅は、その奇跡によるものなのだろうと、不思議と感じ取っていた。

 目の前にいるレヴンからは、眼を離すと消えてしまいそうな、そんなおぼろげなものを感じるのだ。レヴンの方も、同じような感覚を覚えているかもしれない。

「イシの大滝の、三角岩はわかるな、レヴン」

「うん」

「その前を掘ってみなさい。そこに、おまえの(みち)(しるべ)となる物を埋めておく」

「うん。わかったよ」

「レヴン」

 レヴンの肩に、手を置いた。レヴンの背は、テオよりも高くなっていた。それに、なんとも言えない感慨があった。

「おそらく、これから先も、おまえには数々の困難が降りかかることになると思う。心無い言葉を浴びせてくる者もいるじゃろう。醜いものを眼にすることもあるじゃろう。理不尽な目に遭うこともあるじゃろう。じゃが、人を憎んではいけないよ。どんな時であっても、慈悲の心だけは、なくさないで欲しい」

「慈悲の心?」

「他者を慈しむ心。相手を思いやる気持ち。誰かを救おうとする意思。それを忘れずに、いて欲しい」

 それがきっと、大いなる闇を打ち払う者、『勇者』というものなのではないのかと、そう思うのだ。

 いや、そんな大層な理屈などいらない。孫が憎しみに駆られて生きることなど、誰が望むものか。

「余計なお世話だったかもしれぬがのう。じいじのお願いじゃ。頭の片隅にでも置いといてくれ」

「余計なお世話なんてこと、ないよ。ありがとう。テオじいちゃん」

 レヴンが、やさしく微笑んで言った。

 頷き、躰を離した。レヴンが頷き、眼を閉じた。

 レヴンが、大きく息をつき、眼を開いた。レヴンの眼は、潤んでいた。テオの視界も、滲んでいた。

「それじゃあ、僕は行くよ」

「うむ。レヴン。わしは、おまえの心の中で生きている。寂しがることなんてないぞ」

「うん。じいちゃん、元気で」

「おお。おまえも、達者での」

 互いに笑顔で言い合うと、振り切るようにレヴンが(きびす)を返し、歩き出した。

 その背中が、滲んだ視界から消えたところで、テオの頬を涙が伝った。

 

***

 

 イシの村に着いた時、デルカダール兵たちの姿はなかった。なんとか彼らよりも先に来ることができたようだと、カミュはレヴンとともにホッと安堵の息をついた。

 ほんの数日前に旅立ったはずのレヴンが帰ってきたのだ。村人たちには当然驚かれたが、その場での話はすぐに切り上げ、大事な話をしなければならないと村長の家にむかった。

 レヴンの義母だというペルラに、エマというレヴンの幼馴染みも含めて村人たちを広場に集めて貰い、話をした。

 『勇者』が『悪魔の子』と呼ばれていること。

 そのために、デルカダールで一度捕らえられたこと。

 牢獄でカミュと出会い、一緒に脱獄したこと。

 レヴンを捕らえたグレイグが、村人たちに不必要に危害を加えることはしないと約束してくれたが、それでもやはり村の者たちが捕らえられずに済む方法はないかと考え、村に戻ってきたこと。

 そんな、旅立ってからのことを、レヴンは手短に話した。

「勇者が悪魔の子と呼ばれているというのはほんとうか、レヴン?」

 沈黙を破り、最初にそう訊いたのは、村長だった。

「はい。それで、十六年前、ユグノアが魔物に襲われたのは、勇者が悪魔の子で、魔物を呼び寄せたからだと、そう言われているそうです」

「ううむ」

 村長が唸った。周りの者たちも、なんと言ったらわからないとばかりに、顔を見合わせていた。

「って言ってもな、村長さん。そりゃ、噂で言われているだけだ。その噂を信じているやつは、確かに多いがな。あんたも、その噂を信じて、レヴンが悪魔の子だって思うかい?」

 カミュが言った。()(ざま)である自分が口を挟むのは、あまりよくないかもしれないが、レヴンが非難されるような事態には、させたくなかった。

 束の間、考えるそぶりを見せたあと、村長が首を横に振った。

「いや、思わん。わしらは、レヴンと一緒に暮らしてきた。レヴンが災いを呼ぶ悪魔の子などと、信じられるわけがないわい」

「けど、いまから村が焼かれるかもしれないんだろ」

 ぼそっと言ったのは、村の男のひとりだった。その言葉に、場の空気が重苦しいものとなった。

 かすかに剣呑なものが混じった視線を、周りの者がその男に送った。その空気に気圧(けお)されたように、男が首を竦めた。

「うっ、わ、悪い。けどよ」

「おぬしの言いたいことはわかる。じゃが、それはレヴンが悪いわけではあるまい。それに、レヴンはこうして村に駆けつけてきてくれた。危険を(かえり)みずじゃ」

「そ、それは」

 諭すような村長の言葉に、男が頭を下げた。

「そう、だな。すまん、レヴン」

「いえ、そう思われてもしょうがないことですから」

 静かに、レヴンが言った。傷ついていないわけではないだろうが、いまは傷ついている場合ではないとばかりに、力強い声だった。

「時間は、おそらく残されていません。単刀直入に訊きます。村のみんなが、デルカダールから逃げる方法はありませんか。抜け道とか、隠れ場所とか、そういったものは」

 レヴンがそう言うと、全員が考えこんだ。

「撃退は、できないのか?」

 やや目つきが鋭い、黒髪の男が言った。レヴンが首を横に振った。

「闘ったら、勝ち目はないと思う。正面はグレイグ将軍がいるし、搦め手も軍師ホメロスがいる」

「その二人は、そんなにすごいのか?」

「グレイグ将軍に僕は、手も足も出せずに捕まった」

 その言葉に、どよめきが起こった。信じられないとばかりに眼を見開いている者もいる。

「軍師ホメロスの方は、少数の部隊で魔物の大群を討伐するぐらいの知略の持ち主」

「そんなに」

「グ、グム~」

 村人たちが呻き、空気がさらに重くなった。

「レヴン。なにか、いい考えはないか?」

「考え続けてきましたが、いい手はなにも。さっき訊いたような、抜け道や隠れ場所などがないかと期待してきたんですが」

「そうか。すまん、わしも長いこと、このイシの村に住んでおるが、そういったものは知らんのじゃ。谷を降りた先の樹海の中に行けば身は隠せるかもしれんが、とてもわしらが生活できる環境ではない」

 村長が、申し訳なさそうに言った。場の空気は、さらに暗く沈んだものとなった。

「なら」

「なら、しょうがねえ。次善の案でいくしかねえな」

 レヴンの言葉を遮るようにして言ったカミュに、周りの視線が集まった。

 レヴンが、自分が言うとばかりに視線を送ってきたが、カミュはそれを眼で制した。

「次善の案とは?」

「逃げるんだよ」

 カミュが言うと、村人たちが顔を見合わせた。

「逃げるといっても」

「行くあては、一応ある。ただ、ここからだと、遠く、険しい旅になる。とてもじゃねえが、全員を連れて行く余裕はねえ」

「旅に着いていけそうにない者は、切り捨てろと?」

 言ったのは、撃退はできないのかとさっき訊いていた、目つきの鋭い男だった。さらに目つきが鋭くなっていた。真っ直ぐに見つめ返す。

「全員を連れて行ったとしても、デルカダールに捕捉されて結局捕まる可能性の方が高い。村は焼かれるだろうが、抵抗さえしなければ、あんたらは多分、投獄されるぐらいで済むはずだ。レヴンはまず間違いなく、処刑だろうけどな」

 ぐっ、と男が鼻白み、うつむいた。

「カミュと言ったか、おぬし?」

「ああ」

 村長の方に、カミュは顔をむけた。

「全員を連れて行く余裕はないが、何人かは連れて行けると?」

「腕利きのやつと、女子供の数人ぐらいなら、なんとかなるはずだ。道中でどこか安全な場所を見つけたら、そこからはオレとレヴンだけで行くことも考えてる」

「安全な場所と言うが」

「味方になってくれるやつは、必ずいるさ。オレは、そう信じてる」

 レヴンにちょっとだけ視線をむけ、言った。

 村長がうつむき、悩む様子を見せたあと、意を決したように顔を上げた。周りの村人たち、いやエマを見ていた。

「なら、エマ。おぬしと」

「行かないわ」

 村長の言葉を遮って、エマが言った。その場にいる全員が、唖然としてエマを見た。

 エマが、毅然とした様子でレヴンを見つめた。

「レヴンの足手纏いには、なりたくないから」

「足手纏いなんてこと」

「聞いて、レヴン」

 なにかを言おうとしたレヴンの言葉を遮り、エマが言葉を続けた。

「一緒について行ったとしても、私はレヴンの力にはなれない。それどころか、逆に足を引っ張りかねないし、そうでなくても気を遣わせることになると思うの。成人の儀式の時、ただ守られるだけだったみたいに。その方が私は嫌。なら私は、レヴンを信じて待つわ。そこが牢獄だろうとなんだろうと」

 エマが、笑顔を浮かべた。明るく、力強い笑顔だった。

「私は、レヴンを信じてる。レヴンは悪魔の子なんかじゃないって。いつか必ず勇者の真実を突き止めて、私たちを助けてくれるって。グレイグ将軍って人は、信じられる人なんでしょ、レヴン?」

 呆気に取られたような様子を見せていたレヴンが、はっとしたように頷いた。

「うん。それは、間違いなく」

「なら私は、その人を信じるわ。その人を、信じられる人だって言った、レヴンを信じてるから。だから、レヴンは行って」

「そう、じゃな」

 息をついたあと、村長が言った。

「レヴンについて行くという者は、おるか?」

 村人たちが顔を見合わせ、全員が首を横に振った。

「エマにそんなこと言われたら、ついて行くなんてとても言えませんよ、村長」

「ご、ごめん、ジャイル」

 目つきの鋭い男、ジャイルの言った言葉に、エマが謝った。

 ジャイルが、苦笑した。

「いや、責めてるわけじゃない。エマの言う通りだと思う。俺たちは、捕まっても囚われるだけかもしれないが、レヴンは違うんだろ。なら、行ってくれ」

「ジャイル」

「大丈夫だ、レヴン。エマが言ったろ。エマが言うように、俺もおまえを信じてるからな」

 ジャイルが、ニヤッと笑って言った。

「よし。では、レヴンよ」

「村長!」

 村の入口の方から、見張りをしていたはずの村人が駆けこんできた。

 レヴンとともにハッとし、北の方に眼をやる。

「どうしたっ?」

「北の方から、土煙が」

「なにっ?」

「来やがったか」

 カミュが言うと、村長がこちらに顔をむけた。

「デルカダール、か?」

「多分な」

 大きな、ひと塊の気配が近づいて来ている。デルカダールの部隊だろう。もう、いつこの村に足を踏み入れても、おかしくなかった。

 ただ、ひとつ気になることがあった。土煙を上げて接近しているということだ。

 このタイミングでやつらが来たことを考えれば、イシの村への移動中に感じた視線は、デルカダール軍の見張りによるものだったと思われるのだが、なぜこんなに堂々と接近してくるのか。近づいて来る気配も、それを隠そうとする感じがない。まるで、自分たちの存在を誇示するかのようだった。感じた視線は気のせいで、ほんとうにただの偶然という可能性はあるが、どうにも気になった。

「母さん」

 レヴンが、恰幅のいい女性、ペルラに顔をむけた。

「なんだい、レヴン?」

「テオじいちゃんが持ってたはずの『まほうの石』のこと、知らないかな?」

「『まほうの石』?」

 うーん、とレヴンの母が唸り、ハッとした。

「そういえば、おじいちゃんが以前、レヴンが『まほうの石』のことを訊いてきたら、大樹の声を聞くように伝えてくれって」

「大樹の声?」

「確か、そう言ってたね。そう伝えれば、レヴンならきっとわかるはずだからって」

 カミュは、レヴンと顔を見合わせた。

 どういうことなのか。このような伝言を遺しているということは、テオも大樹に導かれたことがあるということなのか。

 首を傾げていた村長が、レヴンにむき直った。

「レヴン。いまはとにかく身を隠すんじゃ」

「あ、はい。けど、身を隠すところと言われても」

「神の岩の方に行け。そこから谷の方に降りると、樹海に入れる。そこなら身を隠せるはずじゃ。強い魔物が棲むところではあるが、おぬしの強さなら、どうにかなるはず」

「わかりました」

「レヴン」

 エマがレヴンに近づき、なにかを差し出した。小さな袋だった。首にかけられそうな、長めの紐がついていた。

 レヴンが受け取り、エマの顔を見た。

「御守り。気休めにしかならないけど」

「そんなことないよ。ありがとう、エマ。必ず、みんなを助けるから、待ってて」

「うん。カミュさん。レヴンのこと、お願いします」

「ああ。任せてくれ」

「レヴン。絶対に逃げ切れよ。俺たちのことは気にするな」

 言ったのは、近づいてきたジャイルだった。レヴンが彼にむき直る。

「ありがとう、ジャイル。みんなのこと、頼むよ」

「ああ、任せろ。それとカミュさん、さっきは、突っかかってすまなかった」

「気にすることねえさ。むしろ、立派だよ、あんたたちは」

 こんなふうに、レヴンを信じて、送り出そうというのだ。

 なにか、眩しいものを見ていると、そんなふうに感じた。

 村の者たちにレヴンとともに礼をすると、馬を曳いて、南にある神の岩というところに急いだ。

 進んでいくと、山が見えた。山ではなく巨大な岩であり、それが神の岩だという話だった。

 その近くで、人の手の入っていない方に進んだ。道と言えるほどのものはないが、それだけに身を隠せそうなところではあった。馬を連れて行くのは難儀しそうだが、荷物も含めて、捨てるわけにはいかない。

 足跡を消しながら慎重に進んで行くと、樹海に入った。鬱蒼とした森で、禍々しい気配が奥の方から感じられた。強力な魔物がいる。それがわかった。ナプガーナ密林で、下層の方に強力な魔物たちが生息していたが、あそこと繋がっているのかもしれない。あまり奥には進まず、入口からちょっと入ったあたりで身を潜めることにした。

 腹が減っていたことに気づき、携行食として持っていた干し肉を口にした。カミュが差し出すと、レヴンもそれを口にした。とても食欲があるように見えなかったが、しっかりと食べていた。笑顔で、礼を言われた。無理をした笑顔だと、嫌でもわかった。

 暗くなったが、火は(おこ)さなかった。デルカダール軍に気づかれるかもしれないし、魔物を呼び寄せる可能性もあったからだ。

 交代で睡眠をとり、やがて夜が明けはじめた。

 人の気配が近づいてくることは、なかった。幸いなことに、魔物に襲われることもなかった。

 まだあたりは暗いが、イシの村の様子を見に行くことにした。

 イシの村のことが心配でしょうがなかったのだろう。レヴンの目の下に、(くま)ができているのがわかった。

 カミュは、なにも言わなかった。なにか、言えるはずもなかった。

 来た方を戻り、イシの村にむかう。村の方に、人の気配はなかった。

 イシの村に着いた時には、歩くのに困らないぐらいには、空が明るくなっていた。

 イシの村にはすでに、誰もいなかった。なにも、なかった。

 家という家が、みんな焼かれていた。

「先に、村の中を見てもいいかな?」

 静かに、レヴンが言った。

 冷静を装っているが、その拳は、血の気を失うほどに固く握り締められていた。カミュはなにも言わずに頷くと、彼とともに歩き出した。

 油を撒いたのか、すべての家屋が焼け落ちていた。畑なども、潰されている。

 幸い、と言っていいのかわからないが、血の跡はどこにも見当たらなかったため、少なくともこの場で誰かが殺されることはなかったと推察された。

 それでも、ここまでやるのかと、カミュは索漠(さくばく)たる気持ちになった。グレイグが、そう思わせるぐらいのことをしなければならないと言っていたのは聞いていたが、それでもそう思わざるを得なかった。

 教会も、民家も、レヴンの家も、やはりみんな焼け落ちていた。レヴンは、それらから眼を逸らさず、眼に焼き付けるようにして、真っ直ぐに見ていた。

「レヴン」

「大丈夫、だよ」

 レヴンが、笑って言った。見ているだけで居たたまれない気持ちになる、そんな、無理をした笑顔だった。

 カミュがなにも言えずにいると、レヴンが南の方にむき直った。

「大樹の根のところに行こう」

「ああ」

 再び歩き出す。

 村の中は、何度見ても、すべて焼け落ちている。農耕具などは、焼けずに済んでいる物もわずかに見受けられたが、それだけだ。イシの村の者たちが無事にここへ帰れたとしても、村が元通りになるのに、どれだけの時がかかるのだろうか。

 南の入口前の、井戸のそばにある木に、レヴンが近づいた。木には、ナプガーナ密林で見たのと同じような、大樹の根らしきものが、絡みついていた。

 レヴンがその木に近づき、大樹の根に手を翳した。

 しかし、なにも起こらなかった。

 周りを見回してみるが、特になにも見えない。ナプガーナ密林で見たような、過去の映像でも見えるのかと思ったが、なにも見えることはなかった。

 愕然とした気持ちに、カミュは襲われた。デルカダールから抜け出すあてが、潰れた。

 そう思いながらも、気持ちを切り替え、思考をめぐらせる。

 これからどうする。『まほうの石』を求めて、村の中を探し回るか。いや、あまり時間をかけ過ぎると、またデルカダール兵が村に来るかもしれない。そう考えれば、村の中にあるかどうかすらわからない『まほうの石』を探すのは、得策とは言えないだろう。ほかの手段を考えるべきだ。

 こうなったら、以前、レヴンが言ったように、どうにかして船を造るか、あるいはマンプクのところに行って、よその地域に行くための橋が直るのを待つか。なんであれ、ここを離れるべきだ。

 そう考えると、レヴンにむき直った。

「レヴン。一旦、ここを離れよう。レヴン?」

 呼びかけるが、レヴンの反応がなかった。レヴンは、木に手を翳したまま、静かに佇んでいた。

「レヴン、どうした?」

 顔を覗きこんでみる。どこを見ているのか判然としない、茫洋とした眼になっていた。

「おい、レヴン?」

 肩に触れて、もう一度呼びかけてみるが、やはり反応がない。それだけでなく、レヴンの躰は、まるで彼の躰が一本の樹にでもなってしまったかのように、不思議とびくともしなかった。

 なにが起こったのか、何者かの攻撃でも受けているのかと周囲を見回したところで、レヴンがハッとした仕草を見せた。

「レヴン?」

 レヴンが、どこか不思議そうにこちらを見た。

「カミュ?」

「カミュ、じゃねえよ。どうした、なにがあった?」

「え?」

 なにを言っているのかとばかりに、レヴンが不思議そうに眼を(しばたた)かせた。

「おまえ、その木に手を翳したあと、ボーっとしたまま、びくともしなくなったんだよ。なにが起こったのかと焦ったぜ」

 カミュがそう言うと、レヴンが考えこむ仕草を見せた。

「どうした?」

「テオじいちゃんに、逢った」

「なに?」

 詳しく訊いてみると、過去の世界に行って、祖父であるテオと逢った。そこで祖父から、イシの大滝のそばにある三角岩の前を掘るように言われたとのことだった。イシの村が焼かれることは、言えなかったらしい。テオを心配させたくなかったのだろう、とカミュは思った。

 ナプガーナ密林の時とは違い、カミュにはその過去の光景とやらは見えなかった。それで過去に行ったと言われても、普通なら信じられるものではない。

 だが、レヴンならば、あり得ないとも言い切れないのではないか、と不思議と思えた。それに、テオの伝言が、過去に行ったレヴンと出逢ったために遺されたものだというのなら、辻褄も合うのだ。確かめる価値は充分にある。

 イシの大滝は、イシの村から北に出て、東に行ったところにあるという。遠く離れた場所ではないし、デルカダール神殿への通り道でもある。ならば、すぐにでも行くべきだろう。

 見張りがいる可能性を考慮し、まずはカミュだけ先行することにした。馬たちはレヴンに任せ、物陰に身を潜めながら、あたりを偵察した。

 見張りは、いなかった。少なくとも、カミュには見つけられなかった。昨日感じた視線などもない。レヴンがデルカダールに行った時に通ったという、北にある洞窟も確認してみたが、やはりどこにもいなかった。

 困惑しながらもレヴンのもとに戻り、そのことを伝えた。レヴンも戸惑っていた。

 罠の類かとも思ったが、このままここにいるわけにもいかない。警戒しつつ、イシの大滝にむかうことにした。

 イシの大滝には、何事もなく辿り着いた。

 イシの大滝は、聞いていた通り、そんなに遠くはなかったが、見張りを警戒しながら進んだため、多少時間はかかった。

 見張りは結局、いなかったようだった。それに不可解さと、いささか不気味なものを感じながらも、三角岩を探すことにした。

 三角岩は、すぐに見つかった。名前通りの形だった。

 岩の周囲の地面を調べてみると、わずかに違和感を覚えるところがあった。

 レヴンに、顔をむけた。

「多分、ここだな。ちょっとだけ、周りと土の感じが違う」

 カミュがそう言うと、レヴンが頷いた。

「じゃあ、掘ってみよう」

「おう」

 二人でそれぞれスコップを手に執り、地面を掘りはじめた。スコップはイシの村から持ってきた物で、なんとか焼かれずに済んでいたものだった。

 土は、そんなに固いものではなかった。二人でしばらく掘り続けると、なにか箱らしき物が、土の中に見えた。

「こいつか?」

「多分」

 周りの土を、もうちょっとだけ掘り返す。箱はそこまで大きな物ではなく、それはわずかな時間で済んだ。

 レヴンが箱を開けた。中には、封に入れられた二通の手紙と、不思議な力を感じさせる、掌に乗るぐらいの石、そして一冊の書が入っていた。

 レヴンが、二通の手紙を箱から取り出した。一通は、かなり昔に書かれたものなのか、だいぶボロボロだった。手紙を裏返すと、差出人の名前らしきものが書いてあった。

「新しい方はテオじいちゃんが書いたものみたいだけど、こっちは、エレノア?」

 ボロボロの手紙の方を見て、レヴンが戸惑ったように言った。

「誰だ?」

「わからない。けど、なんだか懐かしい感じがする」

 レヴンが、『エレノア』という差出人の名が書かれた手紙の封を開けた。

 

 

 レヴン。

 あなたがこの手紙を読んでいるということは、おそらく私の命はもう、命の大樹に還ってしまっているのでしょう。

 あなたの故郷であるこのユグノアの地はいま、魔物の襲撃を受けています。この襲撃の中、あなたを連れて一緒に逃げ切れるかどうかわかりません。もしもの時のために、この手紙には、あなたに伝えなければならないことを書き(しる)しておきます。

 心ある人に拾われ、立派に成長したら、ユグノアの親交国であるデルカダールの王を頼るのです。

 あなたは、誇り高きユグノアの王子。そして、大きな使命を背負った勇者。

 勇者とは、大いなる闇を打ち払う者。いずれ、この言葉がなにを意味するのか、わかる時が来るはずです。闇に負けることなく、光を掲げて生きて。

 レヴン。一緒にいてあげられなくて、ごめんなさい。

 無力な母を、許して。

 手紙には、そう書かれてあった。急いで書き上げたのだろう、文字は、ところどころ乱れていた。

 どれだけ無念だったのだろう、最後の方の文字は震えており、滲んだ跡がいくつかあった。涙の跡だと、レヴンは思った。

 母。レヴンを産んでくれた人。

 母がレヴンのことを想ってくれていたのは、この手紙を読むだけで、自然と感じられた。

 デルカダールで捕らえられてから、考えないようにしていたことがあった。

 魔物を操ったわけでなくとも、もしも、勇者であるレヴンの命を狙って魔物がユグノアを襲ったのだとしたら、それで誰かが不幸になったのだとしたら、自分はやはり、災いをもたらす悪魔の子なのではないかと。

 だが、母はレヴンの身を案じてくれていた。赤ん坊であったはずのレヴンがこうして生きていることから、母が自らの身を(てい)してレヴンを逃がしてくれたというのは、想像に(かた)くなかった。ヒスイの首飾りから感じていた不思議な温かさは、母が遺してくれたからなのだと、そう感じられた。

 母の想いが、祈りが、願いが感じられた。自分を悪魔の子だなどと考えてしまうのは、そんな母の想いを無碍(むげ)にすることなのではないかと、レヴンは思った。

 育ててくれた母と、産んでくれた母。自分には、母が二人いる。レヴンには、そう思えた。

 不意に涙が溢れそうになったが、それは堪えた。いまは感傷に浸っている場合ではない。母を想って泣くのは、あとでいい。いまは、前に進むことだけを考えろ。

 そう自分に言い聞かせ、テオからの手紙を開いた。

 親愛なる孫、レヴンへ。

 約束通り、おまえの道しるべになる物をここに埋めておいた。

 母親からの手紙は、もう読んだかのう?

 あの手紙は、おまえが流されてきた時、一緒に入っていた物じゃ。

 なぜユグノアの地が魔物に襲われ、勇者が悪魔の子と呼ばれているのか、わしには真実を突き止めることはできなかった。なれば、真実はおまえ自身の眼で確かめるしかない。

 魔法の石を、おまえに授けよう。これがあれば、東にある旅立ちの祠の扉を開けることができよう。世界を巡り、真実を求めるのじゃ。

 おまえが悪魔の子と呼ばれ、追われる勇者となった、すべての真実を。

 そして、もうひとつ。一緒に入れてある書は、ラムダのファナード殿から託された、古から伝わるという、勇者の書。おまえに渡した指南書は、この書から写したものじゃ。必ずや、おまえの力になってくれるはず。

 レヴンや。

 人を恨んじゃいけないよ。

 わしは、おまえのじいじで幸せじゃった。

「じいちゃん」

 読み終え、レヴンはポツリと呟いた。

 母からの手紙を読んだ時と同じく、涙が溢れそうになった。涙が零れないように、天を仰いだ。

 言葉にしきれない、さまざまな思いが、胸に去来していた。同時に湧き上がるのは、己への鼓舞。

 立ち上がれ。前をむけ。歩き出せ。

 エマたちを助けるためにも、レヴンを信じてくれる人のためにも、生きてと願ってくれた人たちのためにも、ベロニカとの約束を果たすためにも、こんなところで立ち止まるな。

 おまえは、勇者なのだから。

 二人の手紙を丁寧に仕舞うと、勇者の書を手にとった。

 書を開き、軽く眼を通す。

 ふっと、眼に留まったものがあった。

 少しの間、その(ページ)に書かれてあることを読みこむと書を閉じ、入っていた箱にすべて仕舞うと、それを貴重品袋に入れた。

 顔を上げ、カミュの顔を見る。

「大丈夫か、レヴン?」

「大丈夫。こんなところで、立ち止まっていられないからね」

 そう言って、笑いかけた。

 じっとレヴンの眼を見ていたカミュが、そうか、と頷いた。

「そうだな。立ち止まるわけにはいかねえよな。行こうぜ」

「うん。まずは、デルカダール神殿だね」

「ああ」

 掘った穴を埋め、雷刃たちのもとへ行く。

 雷刃が、鼻面をレヴンに押し付けてきた。気遣ってくれたように感じた。首をやさしく撫で、大丈夫だと伝える。雷刃が、耳を動かした。

 ベロニカのリボンと、エマから貰った御守りを取り出した。祈るようにそれらを両手で包みこむと、リボンを胸もとに仕舞い、『エマのおまもり』を首にかけた。

 雷刃を曳き、同じように疾風を曳いたカミュとともに、歩き出す。

 不意に、やわらかな風が吹いた。

 運命に負けるでないぞ、レヴン。

 風と滝の音に紛れて、そんな声が聞こえた気がした。

 




 
お待たせしました。
せめて隔月にまではならないようにしたい。

いろいろ悩んだけど思い切ってオリジナル部分多め。
『谷を降りた先の樹海』は、ゲーム中では行けないけど神の岩の頂上から見渡せるあそこ。

卵が先か鶏が先かと悩むテオじいちゃんの道標。
いろいろ考えたあと、いろいろな意味で「あまり深く考えない方がいいな、これ」ってなった。
それはそうと過去でのペルラ義母さんの対応、不審者ってのはわかるけどちょっと酷くないですかね、って気持ちになる。なった。
 
 


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Level:10 レッドオーブを求めて

 どうしたもんかな、とカミュは頭を掻いた。

 物陰に身を隠しながら、慎重に見定める。

 視線の先にあるのは、レッドオーブが保管されているというデルカダール神殿である。大きく長い階段を登った先に、デルカダール神殿があるのが見えた。神殿の周りは、小さな山に囲まれていた。

 カミュが頭を悩ませているのは、どうやって神殿に入るかということだった。

 神殿に入るには、あの大階段を上るしかない。しかし神殿の入口には、見張りとして何人かの兵士がいるようだった。おそらく、中にもいることだろう。真正面から大階段を上っていったら、すぐに見つかって、増援を呼ばれるのが目に見えている。グレイグのような大物でも出てこない限りは、打ち倒すのはおそらく難しくないだろうが、あまり荒っぽい手段は採りたくないところだった。いろいろな意味で、敵を増やすようなことはするべきではない。

 ほかに神殿に入る方法となると、周りの山の方から進み、神殿の壁を登っていくしかないだろうか。

 そう考えるものの、山から神殿までは少々距離があるうえに身を隠せそうなところがなく、神殿の壁の高さもかなりのものだ。少なくとも、明るい内にそんなところを移動したら、まず見つかってしまうだろう。いずれにせよ、昼間に忍びこむのは無理があると考えざるを得ない。

 下見を終えると、慎重にその場を去った。レヴンが待っている、女神像のある野営地にむかう。レヴンを残したのは、イシの村のことで、カミュ以上に疲れているだろうと思ったからだ。

 小さな山を西に抜け、森に入ってから北にしばらく進むと、目的地に着いた。拓けた場所。女神像のある野営地だ。街道をややはずれた森の中にあるゆえか、ここ最近使われた形跡がないため、ここで休息をとることにしたのだ。

 ここから森を西に進んだところがイシの大滝で、さらに山間(やまあい)を西に進むとイシの村がある。こう言ってはなんだが、外部の者にほとんど知られていないのも納得するしかないほどに、(へん)()な場所だった。

 レヴンの姿を探して辺りを見回すと、女神像の前に、相棒である男の姿があった。

「っ?」

 女神像の前で、レヴンが祈りを捧げていた。陽光を受け、輝いているようにも見えるその姿は、一枚の芸術画のようにも見えた。

「レヴン?」

 近づいたところで声をかけると、レヴンがふりむいた。

「あ、カミュ、おかえり。どうだった?」

「ああ。どうもこうも、侵入するのはかなり骨が折れそうだな。大階段を上っていったら間違いなく兵士に見つかるだろうし、だからといって周りの山から壁に取りつこうとするには、身を隠す場所がねえ。夜闇に乗じて、どうにか進入できればいいが」

 そうか、とレヴンがゆっくりと頷いた。

「ところで、ずいぶんと熱心に祈ってたようだったが、なにを祈ってたんだ?」

 イシの村の人たちのことだろうと思いながらも、それだけではない気もした。レヴンから、強い焦燥のようなものを感じていたせいかもしれない。

 デルカダール神殿を目指してイシの大滝を出発し、森の中をしばらく進んだところで、レヴンはどこか落ち着かない様子になっていたのだ。それまでは、周りを警戒しながらも泰然としていたため、余計にそれが気になった。その時、どうかしたのかと訊いてはみたのだが、本人もよくわかっていないようだった。

 レヴンが、困ったような表情を浮かべた。

「イシの村のみんなのこともだけど、ベロニカのことが、なんだか頭に浮かんでしょうがないんだ」

「ベロニカ?」

「うん。自分でもよくわからないけど、なんだか、彼女が危険な目に遭ってるような気がしてね」

「それで、祈ってたわけか」

「うん。それぐらいしか、できることがないからね」

 自嘲するように、レヴンが言った。

「祈りか。勇者様の祈りなら、意外と御利益があるんじゃねえか?」

「え?」

「普通ならあり得そうにねえ、『勇者の奇跡』を何度も目撃して、体験してんだ。おまえの祈りだったら、案外効果があるんじゃねえかと思えるぜ」

「そう、かな」

「おまえが弱気になってどうすんだよ。祈るしかないってんなら、とことん祈ればいいだろ。届くって信じてな」

「カミュ」

 柄にもないことを言った、とカミュは手を振り、レヴンの言葉を遮った。

「とにかく、いまは躰を休めようぜ。ここで時間をかけるのは危険かもしれねえが、明るい内に神殿に行くのはさすがに危険だと思うし、少しでも疲れをとっておかねえと」

 椅子代わりとして野営地に設置されている丸太に腰を下ろし、そう言うと、レヴンが頷いた。

 安全を考えるなら、レッドオーブをあきらめ、早々に旅立ちの祠にむかうべきなのだろう。だが、いまここを離れたら、レッドオーブを手に入れる機会がいつ来るかわからない。それに付き合わせるかたちとなるレヴンには申し訳ないと思うが、できることなら、この機会を逃がしたくはなかった。

 もうすぐ夕刻。躰を休め、暗くなったら、もう一度デルカダール神殿にむかう。夜の闇に紛れて、忍び込めればいいが。

 ふっと、ひとつ気になることがあった。

 レヴンに眼をむけると、彼は再び祈っていた。

 邪魔するのは気が引けたが、どうにも確認しておきたいという気持ちがあった。

「なあ、レヴン。ひとつ聞いていいか?」

「ん、なに?」

 レヴンが、カミュに顔をむけた。

「どうしておまえ、レッドオーブの奪取に付き合ってくれるんだ?」

「いや、いまさらそれを聞く?」

「まあ、いまさらと言えばいまさらだけどよ」

 盗賊として方々で盗みを働いていたカミュが言えることではないが、盗みは罪だ。それも、国宝とされている物である。ただでさえ追われる身であるレヴンの立場が、さらに危うくなる代物だ。

 それにレヴンは、真っ直ぐな男だ。盗みの片棒を担ぐなど本意ではないだろう。それに付き合わせておいて、なにをいまさらというのはまったくその通りであるが、反対されても仕方がないことだとも思っていたのだ。

 レヴンが、考えこむ仕草を見せた。

「確かに、止めようって気持ちがなかったわけじゃないよ。どんな理由があっても、盗みは盗みだし。けど、カミュの大事な約束に関係があるんだよね?」

「ああ。だけど、おまえが言うように、盗みは盗みだ」

「うん。それがわかっていても、止まれない理由があるんでしょ。だったら、とことんまで付き合おうって思ったんだ」

「そうか」

 だけど、とレヴンが真っ直ぐにカミュの眼を見つめた。

「もしもカミュが、自分の目的のために誰かを傷つけて平然としてるような人間だったら、僕はきっと手伝わなかったと思うよ」

 なんと返したらいいかわからずにいると、レヴンがニッと笑った。

「まあ、そんなわけだから、共犯者ってことで、ね」

「そうかい」

 なんとなく気恥ずかしくなり、カミュは顔をそらした。

 気にするな、と言われた気がした。自分のわがままに付き合わせてしまっているのではないか、と思っていたのを見透かされていたようだと、カミュは思った。

 小さく苦笑すると、レヴンの方に再び顔をむけた。

「そうだ。ついでにもうひとつ訊いていいか?」

「いいけど、なに?」

「あの勇者の書ってやつだが、なにか役立つこと書いてあったか?」

「うん。まだ全部に眼を通したわけじゃないけど、勇者が遣っていたっていう剣技や魔法はいくつかわかったよ。聖なる光で魔物を消し去る魔法と、魔物を寄せつけないようにする結界を張る魔法。この二つは、もう使えると思う」

「早いな、おい」

「でも、そのほかの魔法に関しては、いまはまだ使えそうにないね。力が足りてないって感じる、っ?」

 レヴンが、顔をよそにむけた。

「どうした?」

「なにか、嫌な感じがする」

「なに?」

 レヴンの視線の先に眼をやる。見えるのは、森の木と緑だけだった。聞こえてくるのも、風にそよぐ枝葉の音か、虫の音ぐらいだ。

 じっと気配を探るが、カミュにはなにも感じられなかった。

「カミュ」

「皆まで言うな。行ってみようぜ」

「うん」

 武器を執り、立ち上がった。

 気配を察知する感覚自体はカミュの方が鋭敏だが、レヴンはそういったものとはまた違った、カミュにはわからないなにかを感知する力がある。勇者の力に起因するものなのかはわからないが、そう思わせるものがレヴンにはあった。その彼が、嫌な感じがすると言うのなら、無視するべきではないだろう。

 速やかに荷を馬に載せ、騎乗した。

 森の中なのであまり速度は出せないが、それでもナプガーナ密林ほど鬱蒼としているわけではない。枝葉に注意しながら進んで行く。

 森を、抜けた。

 一度立ち止まり、レヴンがあたりを見渡した。

 視線を一点で止め、その方向を指差しながら、カミュに顔をむけた。

 あっちの方から、なにかを感じるということなのだろう。頷き合い、駆け出した。 

 駆け出したところで、むかう方向にあるものに気づいた。この方向は、デルカダール神殿がある方向だ。レヴンの先導に従い、街道を進む。人の姿はなかった。

 道に、足跡が散見されはじめた。人間のものではない。かたちからして、魔物のものだ。一体や二体どころではなかった。

 足跡を追うようにして駆ける。足跡は、デルカダール神殿の方にむかってのびていた。

 遠くの方から、闘争の気配らしきものを感じた気がした。

 やがて、神殿が見えた。

 大階段と、それを上る魔物たちの姿が見えた。やはり一体や二体どころではない。眼に見えるだけでも、三十は優に超えている。すでに神殿へ侵入した魔物もいるかもしれない。

 魔物が徒党を組んで、デルカダール神殿に攻め入った、ということなのだろうか。

 なぜいきなり、あんな数の魔物が神殿を襲うのだ。そんな疑問が頭に浮かんだが、レヴンが駆ける速度を上げたのを見て、その疑問は一旦、脇に追いやった。カミュも速度を上げる。

 神殿の間近で馬を停めた。今度は自分の足で駆け出そうとしたところで、レヴンがなにかに気づいたかのように馬にむき直った。

「トヘロス!」

 レヴンが呪文らしきものを唱えると、清らかな空気があたりを包んだ気がした。

「これは、さっき言ってた、結界ってやつか?」

「うん。雷刃たちなら大丈夫かもしれないけど、やっておくに越したことはないからね」

「なるほどな。よし、行くぜ」

「うん」

 大階段を駆け上がる。何体かの魔物が、カミュたちに気づいた。

 先日闘ったいたずらデビルと同じ、インプ。

 金属の躰を持った小さな鳥型の魔物、メタッピー。

 宙をふよふよと浮く、目と口のついた青いクラゲのような魔物、ホイミスライム。

 赤い躰に凶悪そうな面相を持った、びっくりサタン。

 ほかにも、このあたりで見かけるさまざまな魔物がいた。

「イオ!」

 レヴンが呪文を唱えると、轟音とともに魔物たちの中心で爆発が起こった。何体か消し飛んだが、ふっ飛ばされただけで健在な魔物も少なくなかった。

 だが、道は出来た。

 短剣を引き抜き、混乱する魔物たちの中に(おど)りこむと、進行方向にいる魔物を中心に斬りつける。魔物たちはろくに反撃もできず、次々と斃されていく。

 雄叫びを上げ、レヴンも斬りこんできた。魔物たちはさらに混乱し、逃げ惑うようにして階段から飛び降りていくものも出てきた。そういった魔物は放っておき、レヴンとともに階段を駆け上がりながら、行く手を阻む魔物たちを屠っていく。

 神殿に、辿り着いた。荘厳な作りの神殿は、昔に作られたためか、それとも今回の襲撃によるものか、壊れた箇所がいくらか見てとれた。

 中で、二人の兵士が、多数の魔物たちを相手に奮戦している姿が見えた。ほかにも数人、倒れ伏している兵士がいる。彼らにトドメを刺されないようにか、兵士たちはかなり無理をした闘い方をしているように見えた。

 残った兵士はよく闘っているが、数の差を覆すような強さは持っていないようで、すでに満身創痍といった感じだった。

「メラ!」

 レヴンが火球を飛ばした。兵士と闘っていた魔物の一体に直撃し、燃え上がる。

 魔物たちの間に、動揺が走った。兵士たちがこちらに顔をむける。

「え、援軍か!?」

「助かっ、あ、あのサラサラヘアーは、まさか、悪魔の子!?」

「なにっ。じゃあ、この魔物たちはあいつが」

「変な誤解すんじゃねえ!」

 声を上げながらも、カミュは魔物へ斬りつけた。レヴンは兵士たちの言葉にはなにも言わず、魔物を蹴散らしながら、倒れている兵士たちのもとにむかった。彼のもとに魔物がむかわないよう、カミュはまた魔物たちの間に躍りこんだ。

 兵士たちを庇うように、レヴンが魔物たちの前に立ちはだかった。

「なっ」

 敵であるはずの兵士を守ろうとするレヴンの行動が理解できないのか、兵士たちが唖然とした様子を見せた。兵士たちの気持ちもわからなくもないが、ああいった行動をとれるのがレヴンだともわかっているため、カミュに動揺はなかった。

「ニフラム!」

 レヴンが呪文を唱えると同時、光が部屋の中にいた魔物たちを包んだ。

「なにが、えっ?」

「魔物が、消えてる?」

 光が一瞬で消え、兵士たちが困惑した様子で呟いた。光とともに、そこにいたはずの魔物たちの姿も消えていた。斃された魔物が残すはずの宝石もない。

 さっき野営地で聞いた、聖なる光で魔物を消し去るという魔法だろうか、とカミュは思った。

 神殿の入口に、また数体の魔物が姿を見せた。

「トヘロス!」

 レヴンが、続けて呪文を唱えた。さっきも感じた清らかな空気が、あたりを包んだ気がした。

 あたりに満ちた清浄な空気を厭うように、魔物たちが神殿に入ってこなくなった。侵入するのはあきらめていないのか、神殿から離れようとする魔物はいないが、入ってこようとする魔物はいなかった。

「ベホイミ!」

 倒れた兵士にレヴンが手を翳すと、やわらかな光が兵士の躰を包んだ。苦し気に呻いていた兵士が、穏やかな息遣いになっていく。

 兵士たちに、レヴンがさらに回復魔法を施していくのを見て、残っていた兵士は困惑した様子だった。

 兵士たちが、レヴンに近づいた。殺気は感じられなかったため、構えはしなかった。警戒はしておく。

「なぜ、俺たちを助けるんだ?」

「誰かを助けるのに、理由が必要ですか?」

 回復魔法をかける手を止めず、レヴンがそう言うと、兵士たちは唖然とした様子を見せた。

 レヴンは複雑そうな表情ではあったが、やっていることに対しては微塵も後悔などないとばかりに、はっきりとした答えだった。

「あなたたちに対して、思うところがないわけじゃありません。だけどそれは、誰かを見捨てていい理由にはならないと思います。あとは、意地のようなものです」

「意地?」

「僕を悪魔の子って呼ぶのなら、それにどこまでも抗ってやるって、災いをもたらす悪魔の子になんてなってたまるかって、そんな意地です。それだけですよ」

「そう、か」

 兵士たちがうつむき、なにか考えこむ仕草を見せた。そんな彼らにも、レヴンは回復魔法をかけた。

 意を決した様子で、兵士のひとりがレヴンの顔を真っ直ぐに見つめた。

「すまない、頼みがある。神殿の奥に侵入した魔物を追ってくれないか」

「お、おい、ペテル。そいつは」

「わかってる」

 ペテルと呼ばれた兵士が、ゆっくり頷いた。

「わかってる。俺たちが、こんなことを頼める立場じゃないってことも、恥知らずな物言いだと言うことも。だが、魔物を率いてきたボスらしき二体の魔物は、俺たちの手に負える相手じゃない」

「ボス?」

「ああ。イビルビーストという魔物だ。その二体にボミオスという動きを遅くする呪文をかけられて、物量で一気に押され、まず隊長がやられたために隊は総崩れ。それで俺たちはこのざまだ。中の警備をしていた者や、やつらを追った兵士もいるが、無事でいてくれるかどうか」

「わかりました。ただ、ひとつだけ言っておきたいことがあります」

「なんだ?」

「僕たちの目的は、レッドオーブです」

「おい、レヴン!」

 馬鹿正直に言うレヴンに、カミュは思わず声を上げた。

 兵士たちは、また唖然としていた。

 頼んできた兵士、ペテルは頭を抱えると、少しして笑い声を上げた。もうひとりの兵士はポカンとして、笑い声を上げるペテルを見た。

 ペテルが笑うのをやめ、レヴンの顔を見た。

「いや、君、馬鹿だろ?」

「馬鹿って」

「馬鹿だよ。そんなこと、わざわざ俺たちに言うことじゃないだろ。やっぱりおまえが魔物を操ってたんだな、とか誤解されてもおかしくないことだと思うぞ」

「それは」

「まあ、いいさ。行ってくれ。俺たちは念のため、ここで防壁を作っておく。あと、できればでいい。中の兵士たちを助けてやってくれないか?」

「もちろんです」

「もちろん、か。そんなふうに、君は言ってくれるんだな」

 ペテルが苦し気に声を洩らし、もうひとりの兵士が気まずそうにうつむいた。

「ありがとう。すまない。頼む」

 そう言うとペテルは、もうひとりの兵士に魔物を見張るように言って、倒れた兵士たちの介抱にむかった。

 レヴンの使った魔法、トヘロスは一定時間しか効果がないらしいが、いますぐに切れるというものでもないとのことだった。効果のある内に、神殿の入口で防壁を作っておけば、奥に行った魔物を斃す前にトヘロスの効果が切れたとしても、どうにかなるだろう。怪我をしていた兵士たちも、レヴンが回復魔法をかけていったおかげで、なんとか死人は出ずに済みそうだ。

 階段は、奥にある祭壇の裏側に隠れるようにして作られていた。

 レヴンと頷き合い、カミュたちは階段を下りた。

 

***

 

 デルカダール神殿を襲撃し、レッドオーブを奪え。

 それが、イビルビースト・デクストラとイビルビースト・シニストラに下された(めい)だった。

 命を下してきたのは、ある御方の腹心を名乗る存在だった。

 頭から全身をローブですっぽりと覆い、その姿を確認することはできなかったが、その身から漂ってくる闇の気配は、自分たちではどう足掻いても敵わない力を持った存在だと、嫌でも感じさせるほどのものだった。

 だが、その『腹心』を見ていると、妙にモヤモヤとしたものが胸に湧き上がってくるのも感じた。その感覚に名前をつけるならば、敵意と言うのがおそらく合っている。

 なぜそんな感覚を覚えたのかはわからないが、それはなんとか抑えつけた。敵意を見せ、不興を買ったりしたら、間違いなく消し飛ばされる。それぐらいはわかったからだ。

 『腹心』の正体や気配など、いろいろと気になるものはあったが、その命には一も二もなく頷いた。率直に言って欲求不満だったのだ。

 このあたりで下手に暴れると、『デルカダールの英雄』たちが飛んでくる恐れがある。『武勇の鷲』も『知略の鷲』も、イビルビーストたちでは到底叶わないほどの強さを持っているため、嫌でも身を潜めていなければならないのだ。

 人間を虐げ、苦しめ、殺す。それが、魔物の正しい在り方だ。だというのに、それが叶わないとなれば、ストレスが溜まって当然である。今回の襲撃はいいストレス発散になりそうだし、見事に命を果たせば褒美は思いのまま。それに加えて、あの御方からの心象もよいものとなるだろうという打算もあった。断る理由など、あるはずもない。

 『デルカダールの英雄』とその軍は、人間たちが『悪魔の子』と呼ぶ『勇者』を追っているため、魔物への対応がやや甘くなっているとのことだった。いまなら、迅速に襲撃して引き揚げれば、問題なくレッドオーブを奪えるだろうとも。

 人間の内輪揉めが、敵であるはずの自分ら、魔物を利するのだ。これほど愉快な話はない、とデクストラはシニストラと笑い合った。

 迅速に、あたりにいる魔物たちを集め、デルカダール神殿にむかった。あたりにいた魔物だけでなく、例の『腹心』が連れて来た魔物もいた。総数で、およそ百。

 どうやって探ったのかはわからないが『腹心』によると、警備の兵士は十人程度で、『デルカダールの英雄』のような猛者(もさ)はいないという話だった。レッドオーブがここにあることは秘密となっているらしく、そのために多くの兵士や、名のある将などを配置できないという事情があるためだとのことだった。兵士の質自体は高いものであるため、油断はするなとも言われた。

 実際に襲撃してみると、確かになかなかの強さを持った兵士たちだった。だが、イビルビーストたちの力と、十倍近い兵力差をもってすれば、突破は難しいものではなかった。

 できることなら、人間たちを痛ぶってやりたいところだったが、それに時間をとられると、『デルカダールの英雄』が駆けつけて来る可能性がある。背に腹は代えられぬと泣く泣くあきらめ、兵士たちを蹴散らしながら、手勢の半分ほどを連れて神殿の奥に進んで行った。残したもう半分は、入口の兵士たちの相手と、兵士の増援が来た時の足止めだ。『デルカダールの英雄』でも来なければ、充分過ぎる戦力だろう。

 途中、神殿内を警備していた兵士と出くわしたり、入口から追って来た兵士などと闘ったが、手こずることはなかった。

 広い神殿ではあったが、作り自体は複雑なものではなかった。

 やがて、大きな扉が見えた。大柄な人間と比べてもひと回りふた回りは大きいイビルビーストたちが悠々と通れそうなぐらい、大きな扉だった。

「なかなか立派な扉だなあ、シニストラよぉ?」

「だなあ。大切な物を仕舞ってます、って言わんばかりの立派さだぜ」

 互いに顔をむけ、そう言い合うと、ニヤリと笑い合った。

 連れて来た手下の連中に言い、扉を開けさせた。手下だけで開けられそうになければ、イビルビーストたちも協力してやるつもりだったが、扉はすんなりと開いた。軽い材質で出来ているのか、それともなにかしら魔法でもかかっているのか、それはわからないが、特に問題なく開けられたのは好都合だったため、デクストラたちはまたニヤリと笑った。

 中は、広い空間だった。正面に真っ直ぐ進んだところに、祭壇らしきものがあった。その祭壇に、赤いなにかが載っているのが見えた。

 手下たちを部屋の入口に残し、イビルビーストたちはその祭壇らしきところに進んだ。

 祭壇の上にあるのは、赤い球。こうして見ているだけで、不思議な力のようなものを感じる。これが、レッドオーブに相違あるまい。

「楽な仕事だぜ。このオーブをあの御方に渡すだけで、褒美は思いのままって話だからなあ、バッシャシャシャシャ~~」

「バーシュシュシュシュ~~、まったくだなあ。あとは、ヤバいやつが来る前にここをずらかろうぜ、デクストラ」

「おう」

 デクストラが祭壇に近寄り、手を伸ばそうとしたところで、入口の方から慌ただしい気配を感じた。連れて来た魔物たちが騒いでいる。

 レッドオーブに伸ばしかけていた手を戻し、シニストラと顔を見合わせた。

「まさか、もう来やがったのか!?」

「馬鹿な、いくらなんでも早すぎ、っ!?」

 入口から見える通路のむこう側から、光が満ちてくるのが見えた。通路を埋め尽くす光が、この部屋の入り口のあたりにいた手下全員を飲みこみ、すぐに消えた。

「なん、だと?」

「ゲェェェーーーッ!?」

 シニストラが愕然と声を洩らし、デクストラは驚愕の叫びを上げた。

 光とともに、手下の魔物たちが全員消えていた。まだ十体以上はいたはずだというのに、そのすべてが一瞬で消え去っていた。

 あの光は、なんだったのだ。おそらく魔法なのだろうが、あんなふうに魔物たちを消し去る魔法など、デクストラは見たことがない。

 あの光からは、なにか嫌な感じを覚えた。あれを放った者は、自分たち魔物を脅かす存在であるという直感が、胸にあった。

 やがて、通路のむこうから、二人の人間が姿を現した。

 片方は、紫色を基調とした旅装束を着て、剣を持ったサラサラヘアーの男。もうひとりは、短剣を持って青髪を逆立てた、軽装の男。どちらも鎧は着ていない。『デルカダールの英雄』ではないが、デクストラの肌を刺してくる気配は、かなりの強者であることを伝えていた。

「てめえら、いったい」

「おまえらと無駄話する気はねえ。そのオーブ、オレたちがいただくぜ」

 デクストラの言葉を遮って、青髪の男が言った。

 シニストラと視線を交わし、男たちにむかって臨戦態勢をとる。この連中もデクストラたちと同じく、レッドオーブが狙いのようだ。

「ちっ、てめえらがどこの誰かは知らねえが、あの御方の命を邪魔するようなら容赦しねえぞ!」

「っ、おい、デクストラ!」

 シニストラが叱責するように声を上げ、デクストラはハッとした。

「あの御方?」

「どういうことだ。誰かの命令でここを襲ったってことか?」

 男たちが眉をひそめた。

 しまった、と思いながらも、デクストラは笑みを浮かべた。

「へっ、別にいいだろ。こいつらをここでぶっ殺しちまえば済むことじゃねえか」

「ちっ、まあ、それもそうだがよ、こいつら、かなりやるぞ」

「わかってるよ。だからよ」

「ああ、そういうことか」

 デクストラの視線を受け、シニストラがニヤッと笑った。

『ボミオス!』

 シニストラと同時に呪文を唱える。淀んだ空気が、男たちを包んだ。

「っ、これは」

「あの兵士が言ってたやつか」

 ボミオス。相手の反応速度を低下させる魔法だ。地味ではあるが、一瞬の遅れが致命的なものを招く戦闘において、非常に効果的な魔法と言えた。

 どんなに強い人間でも、魔物の膂力で引き裂いてやれば、大抵は死ぬ。男たちは、鎧を着ていない。頭を砕いたり、爪で胴体を切り裂いてやれば、殺せる。

 シニストラと同時に飛び出す。デクストラはサラサラヘアー、シニストラは青髪の男だ。

「死にな!」

 振り上げた腕を、全力で振り下ろす。

 必殺の意思をこめた、痛恨の一撃。ボミオスで反応速度を低下させられた男に、これを防ぐ手段などない。

 そう、確信していた。

「な、にっ?」

 その一撃が、男の剣によって止められていた。

 デクストラの全力をもって放った、痛恨の一撃。それが、難なく止められた。押しこんでも、男は平然としている。この男は、デクストラ以上の力を持っているというのか。

「ふっ!」

「うおっ!?」

 男が剣を()ね上げた。体勢を崩される。

 魔物の俺様が、人間ごときに力負けした。そう愕然としながらも、慌てて男と距離をとり、反撃に備える。

「っ、てめえ」

 男は反撃に移らず、こちらを見据えていた。ただ、じっと構えている。

 底知れない男の佇まいに一瞬、恐怖のようなものを感じたことに気づき、頭がカッと熱くなった。

「てめええええええええ!!」

 認められるわけがなかった。魔物は、人間の上位種だ。人間は、魔物の玩具だ。魔物を愉しませるために存在しているのだ。

 魔物である自分が、玩具である人間に恐怖を感じるなど、あってはならないのだ。

 突撃する。男が(たい)(さば)いて、それを躱した。再び突っこむ。

 今度は、爪を振るう。連撃。何度も何度も振るう。

 すべて、防がれていた。

 剣で防がれ、捌かれ、避けられる。かすりもしない。反応が遅くなっているはずなのに、こちらの動きを読んでいるかのように、すべて対応されている。

「クソがあああああああああああ!!」

 横薙ぎに爪を振るう。男の姿が、小さくなった。

「っ!?」

 一瞬、硬直し、ハッとした。跳び退(すさ)り、間合いを空けられた。男が、大上段に剣を構えていた。

「大地」

 男の声が、聞こえた。

 斬られる。

 咄嗟に腕を躰の前で交差させて全身に力をこめ、防御の体勢を作った。

「斬!」

 なにかが、交差させた腕と、躰の真ん中を通った気がした。

 剣を振り下ろした体勢で、男がデクストラの目の前にいた。男が、ゆっくりと構えを解く。

 不思議と、周りがゆっくりと見えていた。ボミオスだろうか。この男も使えたのか。そんなことを思った。

 男が、背をむけた。

 待ちやがれ。まだ勝負は終わってねえぞ。どこに行きやがる。

 攻撃しようとするが、躰がうまく動かない。なぜか、視界が右と左でずれている気がした。

 そのずれた視界の中にあった、なにかが落ちた。

 一拍遅れて、音が聞こえた。そのなにかが床に落ちた音だろうか。

 眼を下にむける。見憶えのあるもの。デクストラの、両腕。

 まさか俺は、斬られたのか。

 それが頭に浮かんだ直後、視界になにも映らなくなった。

 

 

 なんなんだ、この人間の速さは。

 青髪の男の素早さに、イビルビースト・シニストラは戦慄すら覚えていた。爪どころか、ギラを放っても平然と避けられる。とんでもない素早さだった。

 相棒であるイビルビースト・デクストラと同時に放ったボミオスは、確かにこいつにも効いたはずだ。普通なら、こんなに速く動けるはずがない。こちらの攻撃を感知するのが遅くなるだけでなく、普段の自分の感覚とのずれがあるために、うまく躰を動かせないはずなのだ。

 なのに、この男は、平然と動いている。

「ちっと動きづらいな」

 男の呟きが聞こえた。やはり効いているのだ、と安堵し、再び戦慄した。

 ボミオスが効いていて、この動きなのか。ボミオスが効いていなかったら、知覚することすら適わなかったのではないか。シニストラはそう思った。

 だが、勝ち目はある。この青髪の男の攻撃は、かなり軽い。さっきから、男の振るう短剣は何度もシニストラの躰に直撃しているが、どれも深いものではないのだ。躰に力を入れれば、致命傷はない。

 ならば、ここは耐えてチャンスを待つ。青髪の男が疲れて動きが鈍ったところで、トドメを刺すのだ。そう思い定めた。

 チラッとデクストラの方を見る。あちらはデクストラが押していて、サラサラヘアーの男は防戦一方だ。あの調子なら、そろそろ勝負がつくだろう。そうなったら、二体がかりでこの青髪の男を仕留めてもいい。

「そろそろか」

 男がまた呟いた。なにが、そろそろだと言うのだ。

 そう思った直後、シニストラは眩暈を覚えた。脚から力が抜け、片膝をついた。

 なんだ、これは。疲労。いや、違う。

「まさか、てめえ」

「ああ。毒だ」

 男の言葉に、シニストラはギリッと歯を食いしばった。

「小ずるい真似しやがってっ」

「オレは魔法がほとんど使えないんでな。こんな手だって遣うさ」

 勝ち誇るようでもなく、淡々と男が言った。

 どうする。デクストラがあっちの男を倒すまで、耐えられるか。

「クソがあああああああああああ!!」

「っ!?」

 デクストラの叫びが聞こえた。苛立ちと、恐怖が滲んだ声に思えた。

 反射的にデクストラの方に顔をむける。サラサラヘアーの男が、デクストラから間合いを離し、剣を振り上げていた。デクストラが両腕を躰の前で交差させる。

「なっ」

 気がつくと、デクストラが真っ二つになっていた。

 いつの間にか踏みこんでいた男が振るった剣が、デクストラの防御を意に介さず、頭頂から股間まで真っ二つにしていた。

 男が、デクストラに背をむけ、シニストラを見据えてきた。

 デクストラの両腕が、思い出したかのように地に落ち、一刀のもとに両断された躰ともども消滅した。

 (つか)()、茫然とし、シニストラはハッと青髪の男に顔をむけた。

 青髪の男が、シニストラの懐に飛びこんでいた。

「終わりだ」

 男がシニストラの躰を数度斬りつけ、間合いを離した。

「っ?」

 痛みは、ほとんどなかった。躰もまだ動く。

「なにが終わりだと、っ!?」

 不可解なものを感じた直後、痛みが全身を支配した。

 どこが痛いなどというものではない。全身。躰中が痛い。なにかに蝕まれている。激痛。悲鳴を出すことすら適わない。

 気がつくと、シニストラは地に倒れ伏していた。

 いつの間に倒れていたのだ。そう思うも、躰が動かなかった。痛みは、なおも全身を蝕んでいる。

 痛みに思考が支配されるなか、あることがふっと頭に浮かんだ。さっき青髪の男が斬った箇所は、その前に男が短剣で斬りつけた箇所ばかりだった。

 ある毒と毒を掛け合わせることで、より凶悪な毒を作ることができるという話を、どこかで聞いた。これは、その毒なのか。

 そこまで考えたところで、イビルビースト・シニストラの意識は、なにかに蝕まれるように黒く塗り潰されていった。

 

 

 カミュが相手をしていたイビルビーストが、苦悶の表情を浮かべて倒れ伏し、躰を痙攣させたあと、消滅した。

 ほかに魔物がいないか気配を探りつつ、レヴンはカミュに近寄った。

「いまのが、ナプガーナ密林で言ってた?」

「ああ。掛け合わせた毒による攻撃だ」

 カミュの答えに、レヴンはなんともいえない気分になった。

 こうして目の当たりにすると、まさに凶悪としか言いようがない毒だった。魔物ですら、あの有り様とは。

 ちょっとだけ眼を伏せ、黙祷する。

 同情する気はない。闘わなければならないのなら、闘う。斃さなければならないのなら、斃す。そう思い定めている。だが、だからといって、死んだ魔物にまで敵意をむける気にはなれない。おためごかしだと、()(まん)ではないかと思いながらも、そうせずにはいられなかった。

「それにしても、すげえ技だったな。大地斬とか聞こえたが、例の勇者の書に載ってたやつか?」

 カミュが言った。

 意識を切り替え、カミュに顔をむけた。

「うん。勇者の遣った剣技のひとつ。大地を拓く、剛の剣。それが大地斬」

「まさか、一刀両断にするとは思わなかったぜ」

「カミュの動きも、すごかったよ」

 とてつもない身のこなしだった。ボミオスを受けて動きが鈍くなっているはずなのに、イビルビーストの攻撃をすべて余裕で避けていたのだ。カミュの素早さは知っているつもりだったが、それでもすさまじい速さだったと驚くしかない。

「そりゃ、おまえもだろ。全部捌いてたじゃねえか」

「わかりやすい攻撃ばかりだったからだよ。呪文とかを織り交ぜられていたら、危なかったと思う」

 激昂していたためだろう、レヴンが相手をしたイビルビーストは、肉弾戦のみを仕掛けてきた。カミュが相手をしていたイビルビーストのように、ギラなどを遣われていたら、どうなっていたかわからない。

 カミュが、なにか言いたそうな眼をむけてきた。

「なに?」

「いや、ギラとか遣われても平然と対応してたんじゃねえかと思うんだが。まあ、いいや」

 一方的に話を切り上げたカミュが、祭壇の方にむき直った。

 祭壇の上には赤い珠、レッドオーブが鎮座していた。カミュが祭壇に近づく。

 カミュが、レッドオーブを手に取った。

「ようやくだ。ようやく手に入れたぞ、念願のレッドオーブ」

 カミュがそう呟き、感極まったように躰を震わせ、(かぶり)を振った。

 カミュがふりむいた。どこか複雑そうな表情に思えたが、眼には強い光が宿っていた。

「レヴン。オレは、改めて確信したぜ。おまえと一緒に行けば、いつか必ず、オレの目的は、約束は果たせるってな」

「カミュ」

「改めて、今後ともよろしく頼むぜ、相棒」

 カミュが、ニヤリと笑った。

 ちょっとだけポカンとしたが、ニヤリと笑い返す。

「こちらこそ、改めてよろしく、相棒」

「おう」

 拳を突き合わせ、再び笑い合うと、レヴンたちは祭壇のある部屋をあとにした。

 

***

 

 眼を醒ますと、周りで動く気配があった。

 なにをしているのだろうかとぼんやり考えたあと、自分はなぜ寝ていたのだろうか、とペテルは思考を進めた。

 イビルビーストたちを追ったレヴンたちが戻り、神殿の入口にいた魔物が、慌てた様子で散っていった。ボスであるイビルビーストたちがやられたことを悟ったためだろう。

 そして、レヴンたちと話をしようと近づいたところで、急に眠気が襲ってきたのだ。ラリホーでもかけられたのかもしれない。

「っ!」

 ハッと起き上がり、周りを見渡す。躰にかかっていた毛布が落ちた。

 隊の者たちが荷物をまとめている姿が、見えた。

「気がついたか、ペテル」

「隊長?」

 こちらに気がついたのか、隊で最も年嵩の男である、隊長が近づいてきた。

 立ち上がり、むかい合った。

「隊長。御躰は?」

 魔物たちに真っ先に狙われた隊長は、最も傷が深かった。レヴンの回復魔法のおかげで一命は取り止めたものの、すぐに動ける傷ではなかったはずだ。

「大丈夫だ。動くのに支障がないぐらいには回復している。おそらくだが、ここを去る前に勇者レヴンが回復していってくれたのだろうな」

「そうですか」

 二重の意味で、ほっと胸を撫で下ろした。ほかの兵士たちを見てみると、同じように傷を負っていた者たちもピンピンしていた。彼らも回復して貰ったのだろう。

 隊長が苦笑し、真剣な表情を浮かべた。その顔に、ペテルも姿勢を正した。

「撤収だ。荷物を纏め、城に帰還する」

「っ、では、レッドオーブは」

「ああ。勇者レヴンとその仲間に持っていかれたようだ」

「申し訳ありません」

 反射的に、ペテルは頭を下げた。

 隊長が首を傾げた。

「なにを謝る必要がある?」

「俺は、独断で彼らを奥に通しました。処罰はいかようにも」

「ペテル」

 隊長の声に、ペテルは思わず言葉を止めた。叱責されることは覚悟していたが、それでも思わず首を竦めた。

 隊長が、再び苦笑した。

「叱責する気はない。話は聞いている。むしろ、おまえはよく決断してくれた」

「ですが」

「我々は、生きている。ひとりも欠けることなくだ」

 ハッと、ペテルは目を見開いた。

「もし、勇者レヴンたちが来るのが遅かったら、おまえが、彼らを奥に通すとすぐに決断してくれなかったら、中で警備していた者たちや、魔物を追った者たちは助からなかったかもしれん」

「そうだぜ、ペテル」

「本気で危なかったからなあ。もう駄目かと思ったよ」

「命の大樹が見えたぜ、俺なんかよ」

 笑いながら言ったのは、中で警備していた兵士たちだった。頷いている兵士もいる。

「確かに、我らは任を果たせなかった。処罰は免れないだろう。だが、生きているのだ。生きているのなら、どうとでもなる。私は、そう思っている」

「はい。しかし勇者とは、ほんとうに悪魔の子なのでしょうか」

 思わずペテルは、そう言ってしまっていた。

 ハッとすると、ペテルは眼を伏せた。

「申し訳ありません。失言でした」

「構わん。私も同じことを思ったからな」

 よそでは言うなよ、と釘を刺され、苦笑しながら頷いた。隊長も苦笑していた。

 表情を真剣なものとした隊長が、息をついた。

「だが噂では、悪魔の子は魔物を操ることができるという。その力による自作自演かもしれん」

「俺は、そうは思えません。いえ、思いたくないというだけかもしれませんが」

「思いたくない、か。なぜ、そんなふうに思う?」

「彼は、俺たちを助けてくれました。敵であるはずの俺たちを、です。あれが自作自演だったなんて、俺は思いたくありません」

 言っていいことなのか、とためらいながらも、ペテルは言った。

 ペテルたち、デルカダールに対して思うところはあっても、誰かを見捨てる理由にはならないと思うと、彼は言った。悪魔の子と呼ぶのなら、それに抗ってやると、彼は言った。信じられる男だと、ペテルは感じた。

 これらがすべて計算づくであるというのなら、彼は確かに悪魔の子なのだろう。だが、自分たちを助けてくれた彼らを、そんな悪魔だなどと思いたくはない。しかし、そう思わせるのが目的だとしたら。

「あまり考え過ぎるな、ペテル」

「ですが」

「ただ考えたところで、答えが出るわけもない。我々は、勇者というものがなんなのか、ほんとうには知らんのだからな」

「勇者が、なんなのか?」

「『ユグノアの悲劇』は、勇者が魔物を操って人々を襲わせたと言われているが、逆に、勇者を狙って魔物が襲撃してきたのではないか、と考えられなくもないのではないか。私は、そう思った」

 その言葉に、ペテルは眼を()いた。この隊長は、名こそ広く知られていないが、長く国に仕え、王のために闘い続けてきた歴戦の兵だ。まして、勇者を悪魔の子だと言ったのは、デルカダール王。王への疑念をこんなふうに口にするとは、思ってもみなかったのだ。

「勇者を悪魔の子だと最初に言われたのは、陛下だ。我々はそれを信じ、疑おうともしてこなかった」

「陛下が、嘘を仰っていると?」

「そうは思わぬ。だが、陛下も人の子。愛する娘が行方知れずになってしまったのだ。魔物を勇者が操ったのか、魔物が勇者を狙ったのかの真偽はともかく、原因の一環だと思えば、感情のままにそんなことを言われてもしょうがないのではないか、と私は思う。悪魔の子と呼ばれる羽目になった彼からすれば、たまったものではないだろうが」

「確か、陛下の娘といえば、『ユグノアの悲劇』で」

「そうだ。あれから、十六年になる」

 隊長が、遠い眼をした。

 デルカダール王の妻であった王妃は、ユグノアの悲劇が起きる数年前に亡くなっている。それに続けて、愛する娘の行方がわからなくなったのだ。確かに、なにかに感情をぶつけなければ、やり切れなかっただろう。

 たが、実際に見た勇者、レヴンの瞳は、ハッとするほど強く優しい光を湛えていた。そして、敵であるはずの、デルカダールの兵士であるペテルたちを、助けてくれた。

 悪魔の子が城に現れたという連絡は数日前、彼が城に現れ、脱獄したという報告とともに受けていた。人相書きも回っていた。見事なサラサラヘアーが特徴だとも伝えられた。実際に見て、なるほど、実に見事なサラサラヘアーだと場違いにも思ったが、それはどうでもいい。

 わからないことだらけだ。いや、隊長の言う通り、知ろうともしなかったのだ。

 暗くなりゆく神殿の外を見て、ペテルはそんなことを思った。

 

***

 

 金属同士が擦れ合う耳障りな音とともに、牢の扉が開いた。牢の中に突き飛ばされる。肩から落ちるようにして、石畳の床に倒れこんだ。普段ならなんなく受け身をとれていただろうが、うしろ手に縛られていてはそううまくはいかない。だいぶ痛かった。

 扉が閉まる音が、聴こえた。

 上体だけ起こして、いましがた閉められた牢の扉を見る。鉄格子のむこうから、翼を持った影のような魔物、『あやしいかげ』が、吊り上がった大きな眼らしき部分を鋭くして、こちらを見ていた。

「おとなしくしてるんだな。魔法を封じられた魔法使いにできることなんて、なにもありゃしねえぜ。さっさと魔力を回復させて、親分に捧げるんだなあ」

 嬲るように言ってくる魔物になにも言わず、鋭く睨みつけた。魔物は一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直したように鼻で嗤った。鼻がどこにあるのかはわからないが、とにかくそんな感じだった。

「凄んだって無駄だぜ。てめえの状況は変わらねえ。せいぜい、そうやって虚勢を張ってな」

 そう言って、あやしいかげがそそくさと去って行った。大きな扉を開閉する音がして、魔物の気配は消えた。

 どっちが虚勢を張ってるのだ。あやしいかげがさっき発した震えた声に、そんなことを思った。

 腕を縛っている縄をほどこうともがく。少しして、無理だと悟った。頑丈な縄できつく縛られており、びくともしない。ますます食いこんで痛くなるばかりだった。

 魔法が使えれば、こんな縄、焼き切ってやるのに。

 そう歯噛みするが、魔力を吸われたうえに魔封じの呪いをかけられたいまの状態では、叶わないことだった。魔力自体は少しずつ回復しているようだが、回復したとしても、魔法を行使することはできそうにない。縄を力づくで引き千切るなんて真似も無理だ。身のこなしには自信があるが、腕力自体は大してないのだ。

 牢の中を見渡す。いつ掃除したのかと思うほどに汚い。壁はところどころが破損しており、どこかに続いていそうな穴らしきものもあるが、大きさはせいぜい小さな子供が通れそうな程度のものであり、成人女性である自分が通るのは無理そうだった。

 床には藁が敷いてあり、ボロボロの毛布が置かれている。おそらく寝床のつもりなのだろう。

「――?」

 牢の隅に、白いなにかが積み重なっているのが見えた。

 人骨だと、少しして気づいた。

「っ」

「おい、姉ちゃん、大丈夫か?」

 気遣うような男の声が、隣の牢から聞こえた。洩れそうになった悲鳴を、歯を食いしばって堪えると、息をついて、声が聞こえた方に顔をむけた。

「ええ、大丈夫よ。おじさんは?」

「俺も大丈夫だ。俺はなにもされてねえ。すまねえ、俺のせいだ。俺が人質にとられたりさえしなけりゃ」

「いま、そんなこと言ってもしょうがないでしょ。それより、ここを脱出する手立てを考えないと。娘さんが待ってるんでしょ?」

「ああ」

 どうにかして牢から脱け出し、やつらの眼を盗んで迷宮から脱出する。必ずチャンスは来るはずだ。

 成し遂げなければならない使命がある。妹との誓いがある。彼と交わした約束がある。

「セニカ様。セーニャ。レヴン」

 口の中でそう呟くと、勇気が湧いてくるような気がした。そうだ。こんなところで、死んでたまるものか。

 勇者を導く双賢の姉妹の片葉、ラムダの天才大魔法使いベロニカが、こんなことであきらめるものか。あきらめてたまるものか。

「あきらめるもんですか」

 己を鼓舞するように、ベロニカはそう呟いた。

 




 
「ねんがんのレッドオーブをてにいれたぞ!」

お待たせしました。

大地斬やらなんやら。
両手剣をメインに使ってると「あれ、いつの間にこんな技おぼえたの?」という気持ちになる技。「アバンストラッシュだ!」と感激したあと、「属性考えるの面倒くさいから覇王斬とか使うね――」という気持ちになる技。せめて大樹崩壊後、勇者の力が戻ったあたりで覚えてくれませんかね、って気持ちになる技。
そんなわけでこの段階で遣えるようにする。した。でも技はダイ大仕様。

dexter(デクストラ)と sinister(シニストラ)。ラテン語で右と左。判別しやすいようにつけた名前。
ペテルというのはTemple(神殿)からなんとなく。

デルカダール神殿周りの描写は、3DS版の2Dモード時のグラフィックを参考にしたもの。2Dモードだと、イシの村が外部に知られてなかったの納得するしかないぐらい山と森に囲まれてる――。

次回、ついにヒロイン合流。
 
 


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Level:11 勇者の旅立ち

 青空だった。風は穏やかなもので心地良く、高台から見下ろした草原はどこまでも広がっている。

 この草原を愛馬リタリフォンとともに駆けたら、どれだけ気持ちいいことだろうか。そう思いながらも、眼下の草原から、南の方に広がる森まで、グレイグはじっと眼を凝らして見張っていた。

 昨日、デルカダール神殿が魔物の群れに襲われた。報告を受けたのは明け方のことで、神殿を守っていた兵士たちは危うく全滅するところだったが、そこに現れた勇者レヴンと青髪の男に助けられたとのことだった。青髪の男というのは、レヴンとともに脱獄した、盗賊カミュだろう。レッドオーブを一度盗み出し、グレイグによって捕らえられた、凄腕の盗賊だ。

 レッドオーブは二人に奪われてしまったそうだが、百体はいたという魔物の軍勢を相手に、誰ひとり死者を出さずに済んだのは、素直に喜ぶべきことだった。

「どこに行ったのでしょうな、彼らは」

 言ったのは、グレイグの副官だった。グレイグ同様、視線を眼下の草原から森に至るまで、ゆっくり動かしている。

 デルカダール神殿を守っていた兵士たちの報告のあと、レヴンたちの足取りは途絶えている。神殿の近辺からデルカダール城にむかう街道付近の警戒は強めているが、発見したという報告はいまだ届いていない。

 デルカダール領から出る場合、デルカコスタ港から船で海に出るか、ナプガーナ密林の西の橋からソルティアナ海岸にむかうか、その二つが主な手段だ。それ以外の方法でほかの地域に行くのは、いわゆる日の当たる道を歩けない者たちであり、そういった者たちが採る手段が、デルカダール城付近の川や山を越えて北にあるユグノア地方に行くか、このデルカコスタ近辺の森の木で船を造って海に出るといった手段である。

 山は非常に険しく、川は渡るには流れが速いうえに深いため、そううまくいかないし、船を造って海に出る手段も、しっかりとした設備と技術がなければ、海を越えることなどそうそうできるものではない。だが、手段として考えられなくはないのだ。警戒しておくに越したことはないというのが、グレイグとホメロスの間で一致した意見であり、グレイグたちがここを監視している理由だった。ホメロスは、イシの村の者たちをデルカダール城の方に連行し、そのまま城周辺の警戒に努めている。

 脱獄したレヴンを捕縛するため、グレイグが自ら出ることをデルカダール王に願い出た時、王からあることを命じられた。

 レヴンは、必ず生け捕りにすること。そして、不必要な犠牲者を出さないこと。そう命じられた。

 憎むべきは、悪魔の子レヴンである。いや、ひょっとしたらレヴンもまた、その身に宿る『悪魔の子』の力によって不幸な目に遭った被害者なのかもしれん。それらを明らかにするためにも、レヴンは必ず生きたまま捕らえよ。デルカダール王からは、そう厳命された。

 イシの村を焼くというのも、グレイグとほぼ同じ考えからだった。

 悪魔の子に対して、思うところがないとは言わぬ。見せしめという意味合いもある。だが、それ以上に、『悪魔の子』を育てた村に対し、なにもしなければ、忿懣(ふんまん)やる(かた)ない思いを抱えた者たちが押しかける可能性がある。そうなれば、村はかえって酷い目に遭わされることとなるだろう。それを防ぐためにも、村は焼かねばならぬのだと、王は(おっしゃ)られた。

 レヴンを、死なせずに済むかもしれない。グレイグはそんなことを思った。

 王の命を受けると、麾下(きか)の兵たちを連れ、ただちに城を出た。ホメロスがイシの村に着く前に合流するためだ。野営をしていたホメロスには、夜の内に追いつくことができた。ホメロスは、レヴンが脱獄したことに驚いた様子だったが、王の命については、承知していると頷いていた。

 レヴンが城から脱獄したと知ったホメロスは、イシの村の場所をまず確認したのち、レヴンが村に戻ったのを確認するか、あるいは最長で二日間待機したあと、村に侵攻すると言った。

 デルカダールから南下した先にある山の麓で洞窟を見つけ、斥候を何人か放った。

 斥候から、洞窟を抜けた先で、東西南、それぞれにむかう三本の分岐路があり、南に行ったところで村を発見した、との報告が入った。西はナプガーナ密林らしきところに、東は大きな滝に繋がっているとのことだった。

 見張りは洞窟の出口付近に身を隠させ、部隊は洞窟に入る手前で待機することとなった。

 二日を待つことなく、二頭の馬に騎乗した二人の人間が、村の方へむかうのを確認したとの報告が入った。遠眼鏡で監視していた見張りによると、例の黒馬に、サラサラヘアーの男が乗っていたという。まず間違いなく、レヴンだろう。

 速やかに部隊をまとめると、洞窟に入り、村の方にむかった。なぜか隠密に移動せず、むしろこちらの動きを察知させるのが目的のように、堂々とした行軍だった。ホメロスから、その行動の意図は説明されなかったが、デルカダール最高の、いや世界でも五指に入る軍師である彼のことだ。グレイグには及びもつかない考えがあるのだろう。そう思った。

 村からは、緊張が感じられた。グレイグたちが近づいているのは、やはり察知していたのだろう。村の入口からすぐのところにあった広場に、村の者たちが集まっていた。

 村長のダンという老人が代表し、何者なのか、なんの用かと尋ねてきた。

 勇者、災いを齎す悪魔の子、レヴンを捕らえにきた。やつがこの村に戻ってきたのはわかっている。悪魔の子を差し出せ。やつを庇い立てすると言うのであれば、悪魔の子を育てた邪教の徒として処刑する。違うというのであれば、貴様らの手でその潔白を証明せよ。貴様らの手でやつを捕らえ、我らに差し出すというのであれば、村に手出しはせぬと約束してやろう。

 ひとり進み出たホメロスがそう言い放ち、村の者たちが動揺した様子を見せた。

 なにを言っているのだ、とグレイグは思った。ホメロスの口から出た言葉だとは、とても思えなかった。なぜ、村の者たちに、レヴンを裏切るような真似をさせるのか。そもそもこんなことをするのなら、ホメロスの本隊とは別に、グレイグを含む少数の部隊を隠密に移動させ、急襲をかけてレヴンだけ捕らえるかたちでもよかったはずではないのか。なぜ、わざわざこんな、不必要に悪辣な手を使うのだ。ホメロスは、なにを考えているのだ。

 思考が乱れ、自分はなにをすべきなのだと思ったところで、頭にスカーフを巻いたひとりの娘が進み出た。

 お断りします。娘は、毅然とした態度で、そう答えた。足を震わせながらも、娘ははっきりとそう言った。

 勇者は、レヴンは悪魔の子などではないと、大いなる闇を打ち払う者だと、彼を裏切ることなどできないと、娘は言った。

 娘の姿に勇気を貰ったのか、ほかの村人たちが、そうだ、と声を上げた。

 その様子にホメロスは、さも残念そうなふうにため息をついたあと、殺気を放った。本気のものだと、グレイグは感じた。

 その殺気にあてられたのか、村人たちの声が止まった。皆が皆、息が詰まったような様子で顔を真っ青にし、足を震わせていた。例の娘も顔を蒼白にし、足だけでなく全身を震わせ、やがて耐え切れなくなったように尻餅をついた。それでも、娘はホメロスから目を逸らさなかった。歯を食いしばり、真っ直ぐにホメロスを睨みつけていた。

 ひとりの男が、娘を庇うようにして前に立ち、剣を抜いた。グレイグは、思わず眼を見張った。個の武力で言えばホメロスは、デルカダールでグレイグに次ぐ実力を持っている。ホメロスの放った殺気を受けながらも前に出ることができる者は、デルカダールの兵士でもそうはいない。

 男も、こわくないわけではないのだろう。足が震えていた。それでも、眼の光は、強いものだった。屈してたまるものかという気概が感じられた。

 ホメロスの殺気がさらに膨れ上がり、グレイグは思わず、待てと声を上げていた。

 ホメロスにどんな考えがあるのかはわからないが、止めなければならないとグレイグは思った。

 剣を抜こうとしたホメロスの前に出ると、グレイグは村人たちにむき直り、勧告を行なった。

 我々は、レヴンの捕縛を命じられている。勇者、悪魔の子の真実を解き明かすためにも、やつは捕らえなければならないのだ。不必要に犠牲者を出さないようにとも言われている。村は焼かなければならないが、おまえたちの命を奪う気はない。だが、あくまでも抵抗するというのなら、こちらもそれなりの対応をしなければならなくなる。それはレヴンも望むまい。

 グレイグがそう言うと、村人たちがうろたえた。

 逡巡した様子を見せていた村長が、南にある神の岩のあたりから、樹海の方に逃げるように言った、と搾り出すようにして答えた。どこから樹海に下りたのかはわからないし、レヴンからも、ここからどこに行くのかはまったく聞いていない。そう言われた。

 ホメロスはちょっと考えこんだあと、その言葉に頷き、自らの連れてきた兵とともに、村長が言う神の岩とやらがある方にむかった。

 グレイグは、村人たちを縛り上げておくように言われた。念のため、探せるところは探しておいてくれ。村人たちと話し、なにかしら情報を引き出しておければ、なお良い、とも。

 先ほど殺気を放ったのが嘘だったかのように、ホメロスはあっさりとしていた。

 言われた通り、村人たちを縛り上げ、村の中を見て回った。なんてことのない、普通の村だった。村人たちは皆、ここで平和に暮らしていたのだろう。

 その村を、いまから自分は焼き払うのだ。

 何人かの村人と話をしたが、村長が言った以上の情報は出てこなかった。命を助けて貰ったかたちになるグレイグには申し訳ないが、レヴンを裏切りたくはない。苦しそうに、そう言われることもあった。

 暗くなりはじめたところで、ホメロスたちが戻ってきた。痕跡は周到に消されていて、見つけられなかったらしい。村を焼き払ったあと、速やかに撤収すると言われた。やはり、あっさりしたものだった。

 見張りは置かないのかと聞くと、レヴンの捕縛が我々の任務だ、と返された。

 ここに見張りを置くと、やつは樹海から出て来ないか、もしくは別のところから樹海を出ようとするかもしれん。樹海の魔物はかなり強力なようだし、下手をすればそこで死ぬ可能性もある。そこから出て貰うために、あえて撤収するのだ。そう説明された。

 村から村人たちを追い出すと、グレイグは部下とともに村を焼いた。容赦はしなかった。いまは、心を鬼にしなければならない時なのだと思い定め、徹底的に焼いた。

 暗くなっていたが、洞窟を抜けるあたりまで、その日のうちに移動した。一部の兵は、ナプガーナ密林の方に行かせた。見張りもそうだが、西の橋の修理に人員を派遣する話があったのだ。レヴンの逃げ道を作るわけにはいかないため、すぐに修理することはできないが、資材は揃えておいた方がいいだろう。

 野営の最中、グレイグと二人きりになったホメロスは、よくあのタイミングで止めてくれた、と笑いながら言ってきた。止めてくれなかったら、ほんとうに何人か殺すしかないところだった、とも言われた。

 村人たちには悪いと思ったが、村人たち、ひいてはレヴンがどんな人間なのか、見極めなければならないと思ったものでな、試してみたのだ。村人たちがどんな反応をするかをな。しかし、レヴンはほんとうに悪魔の子なのだろうか。村人たちが、自分たちの身を省みず庇うような男だ。陛下の御言葉を疑うわけではないが、これはやはり、勇者の謎を解明せねばなるまいな。

 ホメロスのその言葉に頷いたあと、グレイグは頭を下げた。

 怪訝そうなホメロスに、俺はおまえを疑ってしまったのだと告げると、ホメロスは得心がいったように笑った。

 ホメロスが殺気を放った時、王からの命を蔑ろにするのかと、村人たちを本気で殺すつもりなのかと、グレイグは疑ってしまったのだ。

 敵を(あざむ)くにはまず味方からと言うだろう。おまえならば必ず止めてくれると信じていたからこそ、私はなにも打ち合わせなかったのだ。ホメロスはそう言って笑った。

 敵わないな、とグレイグは思った。

 武勇の鷲、知略の鷲と並び称されているが、ホメロスの知があるからこそ、グレイグの武はほんとうに輝く場を得られるのだ。

 竹馬の友であり、切磋琢磨する好敵手であり、グレイグにとっての目標。グレイグの進む道を照らしてくれる光。それが、ホメロスという男だった。

 翌朝、城にむけ出発し、途中で別れた。

 ホメロスはそのまま城に戻って城近辺の警戒に努め、グレイグはデルカコスタ港より東の草原、森林地帯を警戒することとなった。森に兵を重点的に配置し、グレイグは高台の上から見張るのがいいだろうとホメロスからは言われた。

 旅立ちの祠とやらが気になったが、ホメロスからは、あまり気にすることはないだろう、と言われた。誰も扉が開いているところを見たことがない、古い遺跡だ。レヴンが来た時に都合よく開くわけもなかろう。それに、デルカダール領のほぼ全域に兵を配置しているため、人員に余裕がないのだ。徒に兵を置くことはできん。そう言われた。

 森の木で船を造られることを防ぐために、大半の兵を森に置き、広い範囲を見張れ、かつ即座に動けるようグレイグを高台に配置するというホメロスの案は確かに最善なはずなのだが、なにか釈然としなかった。イシの村に侵攻した時にも思ったが、なんとなくホメロスらしくない指示に思える。なんというか、わざわざ大きな穴を作っているように感じるのだ。わざと隙を作って罠にかけるという策ならわかるが、これでは、隙を作っているだけではないだろうか。

 そう思いはしたが、人員の余裕がないのは確かだったため、ホメロスの案に沿って兵を配置した。我らがしっかりと見張ればいいだけだ。そう思いながらも、旅立ちの祠のことがなぜか頭から離れなかった。

 旅立ちの祠。誰が旅立ったというのか。不意に、そんなことが気になった。

 勇者は悪魔の子だと言われてから、人々の間で語られることはなくなったが、グレイグが幼いころは、勇者にまつわる御伽噺はよく聞かされたものだった。そして、外部の情報がほとんど入ってこなかったというイシの村には、そのまま語り継がれてきた。

 世界が闇に包まれ、生きとし生けるものが滅びに瀕した時、どこからともなく現れた勇者によって、闇は払われ、世界は救われた。

 勇者は、どこから現れたのか。

 勇者は、どこから旅立ったというのか。

 旅立ちの祠がある方に眼をむける。距離があるため、さすがに肉眼では見えない。

「将軍!」

 遠眼鏡を使おうとしたところで、ひとりの兵が声を上げた。弾かれたように彼の方に顔をむける。

 見ると、西の方を指差していた。視線をその先にむける。一定の間隔で、狼煙が上げられているのが見えた。信号だ。

 旅立ちの祠にむかえ。そんな指示が読み取れた。

「全員、騎乗」

 グレイグは声を上げてリタリフォンに跳び乗ると、真っ先に高台を駆け下りた。

 

***

 

 草原を東に駆け、頃合いを見て南下し、およそ一日。そろそろ日が暮れはじめるころだが、旅立ちの祠は、まだ見えてこない。

「そろそろ着くはずだ」

 隣を駆けるカミュが言い、レヴンは頷いた。

 デルカダール神殿でレッドオーブを奪取したあと、旅立ちの祠を目指して東に進んだ。森の中を進んでいき、森が切れるところからは、暗くなってから移動した。

 デルカコスタ港の東、旅立ちの祠がある草原、森林地帯に繋がる山間(やまあい)の岩場でカミュが、人が通った痕跡を見つけた。造船の木材調達のために、ここを通る人間がいないわけではないらしいのだが、かなりの大人数がごく最近に通った感じらしく、警戒せざるを得なかった。

 岩場に人はいなかった。ただ、魔物の数が妙に少なく感じた。ここを通った何者かにやられたのかもしれない。

 夜中になるあたりで岩場の出口付近に達し、そこからカミュが単独で偵察にむかった。ちょっとでも眠って躰を休めておくようにという、カミュの配慮だった。

 ベロニカのことはいまだ頭から離れず、胸騒ぎはまだ続いていたが、ここで躰を休ませなければ、カミュの気遣いが無駄になると自分に言い聞かせ、じっと躰を休めた。ただ、眼を閉じ、眠りにつくまで、祈りだけは続けた。ベロニカ、セーニャ、イシの村のみんなの無事を祈り続けた。

 いつの間にか眠っていたところを、戻ってきたカミュに起こされ、話を聞いた。

 予想通り、デルカダール軍がいた。南の森付近と、北の高台付近から、危険なものを感じたという。ただ、その間にあるといえる草原は、そこまで危険な感じはしなかったらしい。おそらく、森の木で船を作られることを警戒しているのではないかとのことだった。

 兵は無限にいるわけではない。このあたり一帯を完璧に警備するのは不可能だ。穴は必ずある、とカミュが言い、レヴンも頷いた。

 罠の可能性はある。あえて隙を作り、そこに誘いこむといった手だ。それでも、行くしかない。カミュの勘を信じるのみだ。

 どちらかにグレイグがいる気がするとカミュが言い、イシの村のみんなの安否を確かめたいという衝動に駆られたが、それは押し(とど)めた。

 ()(かつ)な動きをして捕まっては、それこそレヴンたちを送り出してくれたみんなの思いが無駄になる。自分たちがいまやらなければならないのは、逃げること。逃げて、勇者の真実を解き明かすことこそが、イシの村のみんなを助けることに繋がる。自分に言い聞かせるようにして、心配そうなカミュにそう答えると、彼は頷いた。彼もまた、どこか自分に言い聞かせるような雰囲気だった気がした。

 高台からの監視に見つからないよう、見通しの利かない夜の内に移動することにした。警戒網を抜けるまで、騎乗はしない。

 カミュが見つけていた、比較的警戒の薄い場所に行き、慎重に、しかし可能な限り急いでそこを抜けた。痕跡を消している余裕はない。発見されないのを祈るだけだ。

 デルカダール兵たちの警備が薄くなったと感じ、そこからさらに進んだところで騎乗すると、一気に駆けた。

 明るくなりはじめたあたりで、海が見えた。デルカダール兵の姿はなく、気配も感じられなかったため、一旦休むことにした。危険がないとは言えないが、雷刃たちを全力で駆けさせてきたのだ。休ませなければ、二頭が潰れる。

 二頭を休ませている時間を使い、カミュが偵察に行った。レヴンは、勇者の書を読んでおくことにした。料理などをして、下手に痕跡を残すわけにはいかないし、火を使ったらそれだけ発見される可能性が高くなる。鍛錬についても、動きのあることをすれば、やはり見つかる可能性が高くなる。これが一番、安全かつ有意義だろう。

 勇者の遣っていた剣技や魔法だけでなく、仲間と力を合わせて行使する、連携技なども載っていた。いくつかは、カミュと遣えそうだと思った。頃合いを見て話しておこうか。そんなことを思いながらも読み進めていると、やがてカミュが戻ってきた。近くにデルカダール兵の気配は感じられなかったらしい。

 携行食を口にし、雷刃たちの脚が充分に休まったと感じたところで、再び出発した。(しっ)()はさせない。無理のない速度で駆け続けた。

 途中、偵察のために二度ほど小休止をとったが、兵の姿は見えず、かすかに感じられる気配も遠かった。森の方ばかり警戒しているらしい。

 どこか、不気味なものを感じた。都合がよすぎはしないだろうか。誘導されているような感じすら覚えたが、ほかに道はない。ここまで来たら、突き進むしかない。

「レヴンッ」

 カミュが声を上げた。頷く。前方、遠くの方に、一定の間隔で煙が上がっているのが見えた。狼煙。

 兵士たちが、待ち構えていた。数は、十四、五人といったところだろうか。なんとなくだが、待ち伏せというより、たまたまこちらを見つけたような感じを受けた。進行方向を塞ぐ歩兵の大半は弩を構えており、両翼に騎兵が二騎。弩を構えていない者は、魔法使いだろうか。

「僕が先行する」

「わかった」

「投降しろ、悪魔の子!」

 弩を構えている兵士のひとりが、声を上げた。

「それはできません!」

「わざわざ答えなくてもよくねえか?」

 迂回してかわすと、うしろから攻撃されることになる。ここで一度痛撃を与えておくべきだ。

 兵士たちとの距離が、間近に迫った。兵士たちが弩を構え、魔法使いらしき兵士が手を掲げ、騎兵が駆け出そうとする気配を見せた。

「デイン!」

 彼らが動く直前、兵士たちの目の前に稲妻を落とす。一瞬、兵士たちが硬直した。疾駆する意思をこめ、馬体を挟む腿に力をこめた。隊列を組んだ兵士たちの真中を突っ切るように、雷刃が駆けた。雷のように、刃のように、駆ける。

 算を乱した兵士たちを置き去りにするようにして、駆け抜けた。

「待っ、ぐっ!?」

「メラ、がっ!?

 兵士たちが悲鳴を上げた。レヴンのうしろに続くカミュが、飛礫(つぶて)で攻撃したようだ。

「一気に駆け抜けよう」

「おう、っ」

「っ、この気配は」

「レヴン!!」

 背筋を悪寒が走り、聞き覚えのある声が、遠く背後から聞こえた。反射的にふりむく。

 遠くの方から、見覚えのある黒い鎧を纏った騎兵が、こちらに駆けてくるのが見えた。

 グレイグ。鎧を着けた黒い馬に乗っている。彼の馬だろうか。とんでもない速さだ。雷刃に勝るとも劣らないと感じた。

 距離はまだあるが、少しずつ詰められている。疾風が、詰められている。

「デイン!」

 グレイグの脚を止めるため、彼の進行方向に稲妻を落とすが、黒馬の脚は一瞬も緩まない。続けて何度か放つが、見切られているのか、わずかに進行方向を逸らされるなどといった程度で避けられている。カミュも飛礫を放つが、わずかな動きで避けられている。疾風に乗ったままでは、グレイグに有効なほどの精確さで撃つことができないのだろう。むしろ、こちらの馬足が鈍り、距離を詰められているようだった。

 グレイグが、弩を抜いた。さっき兵士たちが使っていた物よりも、軽くひと回りは大きい物だった。

 弩が、レヴンの方にむけられた。

 矢が放たれたと思った次の瞬間、疾風が転倒していた。馬から投げ出されたカミュが受身をとる。疾風の尻に、矢が刺さっていた。レヴンを庇うため、カミュが矢の前に出たのだと、気づいた。

「レヴンッ、オレを置いて逃げ」

「聞く気はない!」

 叫ぶようにして言うカミュの言葉を遮り、馬首を返して彼の元にむかう。グレイグが接近するのが先か、レヴンがカミュを引き上げて旅立ちの祠に到達するのが先か。グレイグとはまだ距離があるが、レヴンがカミュを引き上げている間に詰められかねない距離だ。

 手加減をして凌げる相手ではない。全力で闘ったとしても、いまのレヴンの実力では、勝てない。カミュと二人でかかっても勝てるかどうかわからない。そもそも、ほかの兵士たちが追いついてきたら、まず間違いなく終わりだ。

 勝ちたいと、超えたいと思う。だがいまは、逃げるべき時だ。イシの村のみんなを助けるためにも、レヴンを助けてくれるカミュのためにも、ベロニカとの約束を果たすためにも、やるべきことを見誤ってはならない。

 グレイグが、わずかに馬足を緩めた。レヴンがカミュを引き上げる瞬間に、一気に近づくつもりと見た。だが、手に持っているのは、弩だ。こちらの魔法を警戒しているのだろう。魔法を撃つ気配を見せれば、即座に撃たれる。

 ならば、と馬体を挟んだ脚に力をこめ、意思を伝える。雷刃が、頷いた気がした。

 カミュに近づき、速度を緩める気配を見せ、雷刃が加速した。

「なに!?」

 グレイグの動きが(つか)()、止まった。カミュの目の前、横腹を彼に見せるかたちで雷刃が急制動をかけ、その慣性でレヴンがグレイグ目掛けて矢のように放たれた。グレイグが、驚愕に眼を見開く。

「海波斬!!」

 空中で剣を抜き、そのまま振り抜いた。

 身を(ひね)って着地し、グレイグを視界に捉える。グレイグが、黒馬から投げ出されていた。

 咄嗟に盾にしたのだろう、手にしていた弩が壊れていた。レヴンの狙い通りである。手加減したわけでも、弩を狙ったわけでもない。ただ、グレイグなら防ぐと信じていた。

 グレイグが、受身をとった。

「レヴン!」

 カミュの声が聞こえた。雷刃に乗ったカミュが近づいて来る。速度をわずかに緩めながら、カミュが手を伸ばした。

「カミュ!」

 カミュの手をとり、雷刃に跳び乗った。旅立ちの祠にむかって疾駆する。

 ふりむくと、グレイグのうしろから来ていた騎兵たちが、愕然とした様子を見せていた。

「グ、グレイグ将軍!?」

「ま、まさかグレイグ将軍が!?」

「うろたえるなっ、追え!!」

 グレイグの一喝にハッとした兵士たちが、再び追ってくる。グレイグもまた、再び黒馬に騎乗していた。

 旅立ちの祠は、もう目と鼻の先と言っていい。だが扉は閉まっている。『まほうの石』であの扉を開けられるはずなのだが、グレイグたちが来る前に開けられるか。

「っ!?」

 腰の袋が、光りはじめた。袋に手を突っこみ、迷いなくそれを掴む。袋から『まほうの石』を取り出し、掲げた。

 『まほうの石』から、ひと筋の光が放たれた。

 光が、旅立ちの祠に当たった。扉が開いていく。扉の先に、青いなにかが見えた。泉のように見える。あれが、旅の泉。

 うしろから矢が放たれてくるが、それらを置き去りにするかのごとき速さで、雷刃が駆ける。

 祠に突っこみ、そのまま泉に飛びこんだ。

 浮遊感にも似た奇妙な感覚を覚え、少ししてそれが消えた。気がつくと、石造りの小さな建物の中にいた。閉まっている扉が見える。雷刃も、いつの間にか足を停めていた。ふと首筋に風を感じ、手をやると、フードとして使っていた布がなくなっていた。逃げている途中で落ちたのかもしれない。

 二人とも雷刃から下り、扉に近づく。外に人の気配はない。扉を押してみると、石で出来ているとは思えないほど軽く開いた。『まほうの石』を持っているおかげだろうか。

 扉の外は、荒野だった。

「どうやら、無事に逃げ切れたみてえだな。助かったぜ、レヴン」

「こっちこそ、ありがとう。だけど、カミュ。疾風のことは」

 なにかを言おうとして、レヴンは言葉を止めた。カミュは、静かに首を横に振っていた。

「なにも言うな、レヴン」

 静かなカミュの声に、レヴンはただ、ゆっくりと頷いた。

 

 

 してやられたな。

 目前で閉まった祠の扉を前にグレイグは、そう思いながらも声を上げて笑いそうになった。レヴンの首から落ちた布切れを拾い上げる。

 捕縛しなければならないということで、攻撃に多少のためらいがあったのは事実だが、それでも逃げられるとは思っていなかったし、まさか自分が一撃貰うことになるとは思わなかった。手にしていたのが剣だったら迎撃できただろうが、おそらくその場合は、魔法による攻撃でこちらの動きを阻害していただろう。

 いずれにせよ、見事な判断と、すさまじい速さの斬撃だった。

「海波斬、と言っていたか」

 不意を衝かれたとはいえ、よく反応できたものだと自分で感心するほどの剣速だった。防げたのは(ぎょう)(こう)だったとすら思える。咄嗟に弩を盾にできたおかげで大事はなかったが、直撃していれば、ただでは済まなかっただろう。

 祠の扉に手をかけ、押してみるが、びくともしない。ほかの兵士たちも一緒になって押すが、やはり扉は微動だにしない。なにか仕掛けでもないかとあちこち調べている者もいるが、開く気配はなかった。

 勇者の旅立ちの邪魔はさせない。なんとなく、そう言われた気がした。

「グレイグ将軍!」

 後続の騎兵が追いついてきて、下馬した。そのうちの二人が、グレイグの前で頭を下げた。レヴンの足止めに先行した隊の者だ。

「申し訳ありません。足止めすらできぬとは、情けない限りです」

「いや、やつらが我々の想定の上を行ったというだけの話だ。あまり気にし過ぎるな。負傷者は?」

「飛礫で軽傷を負った者はおりますが、その程度のものです。稲妻も、直撃した者は誰もいません」

「そうか」

 まったく、大したやつらだ。グレイグは心の内で軽く称賛すると、帰還の(かね)を鳴らさせた。

 ()(かく)した、盗賊カミュが乗っていた馬は、城に連れて帰ることにした。なかなかの良馬だと、グレイグは思った。

 




 
「惑わされるな」

大変長らくお待たせしました。さらには次回ヒロイン合流と予告していながらこの切り方。申し訳ありません。
合流まで書きはしたのですが、同じ話にして通して読むといろいろとギャップがあったため、予告を裏切るかたちにはなりますが変更することにさせていただきました。次の話は、今週中に投稿したいと思っております。

今回の逃走劇の場所、原作だとあっという間に祠までたどり着いてるけど、ゲーム中のフィールドで見ると結構広い気がするので、本作ではこんな感じに。というかあのフィールドであっという間に着くの見ると「この世界かなり狭くね!?」って気持ちになる。


皆様、よいお年を。
 
 


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Level:12 再会の時

 雷刃に乗ったまま、橋のように切り立った崖の上を進む。天然の橋のようなものと言えるだろうこの崖は、道のようになってはいるものの、人が通ることが滅多にないのだろう、荒れ果てている。崩れそうな感じはないし、狭くもないのだが、石がところどころに転がっていて、雷刃もちょっと歩き(にく)そうだった。崖の下には海が見え、溶岩が表面を流れる火山も近くに見えている。進めば進むほど、暑さが増してきている。

「暑い」

「そうだね」

 背後の、うんざりしたようなカミュの言葉に相槌を打つと、レヴンは汗を(ぬぐ)った。この大陸は、イシの村およびデルカダールのある中央の大陸より南の方にあるため、むこうよりも幾分暑かった。

 旅立ちの祠によって、デルカダールから逃げ切った翌日である。昨日は、祠に着いた時にはすでに夕刻だったうえ、疲労も限界にきていたこともあって、荒野の祠の近くで野営した。荒野の祠から追っ手が出て来ないか警戒していたが、それは()(ゆう)に終わってくれた。完全に疲れがとれたとは言えないが、躰を動かす分には問題ない。不思議なことに、昨日の夜まであった胸騒ぎは、今朝起きると消えていた。

 日が昇りはじめたところで早々に朝食を摂り、カミュと今後のことを相談した。

 テオから聞いていた話では、旅立ちの祠と繋がっているのは、南の大陸のほぼ東端にあるホムスビ山地の、荒野の祠。そう遠くないところに『ホムラ』という里があるはずなので、まずはそこにむかおうということになった。そこで、できることなら一日ゆっくり休む。

 デルカダールからなど、ほかの大陸からホムラの里に来るとなると、ずっと西の方にある『ダーハルーネ』という大きな港町から入り、陸路で来るのが一般的だ。デルカダールから数日程度で来れる道程(みちのり)ではない。『サマディー』という、ホムラの里とダーハルーネの中間あたりに位置する砂漠の国の北に海岸はあるが、ここには特に港があるわけではなく、他国の船がそこから勝手に入るのは禁じられているという話だ。もし仮にそこから入ったとしても、やはり数日で来れる道程ではないため、休む時間はあるはずだった。

 このあたりの魔物は、デルカダール領のものよりは強いようだったが、それでもレヴンとカミュに怯えて逃げていくものばかりだった。それに加え、トヘロスを唱えておいたため魔物に襲われることもなく、順調に進んでいる。しかし、この暑さは、慣れるまで苦労しそうだった。

「そろそろ見えてきてもいいと思うんだがなあ」

 カミュが、ぼやくようにして言った。ちらっとふりむくと、レヴンと同じように汗を拭っているが、こちらよりも疲れているように見える。暑さ自体に慣れていないのだろうか、となんとなく思いつつ、頭の中に地図を思い浮かべる。

 荒野の祠があるのは、ホムラの里の東。そこから半日近く、西の方に進んできた。カミュの言う通り、そろそろ里が見えてきてもいいはずだ。せめて、人の手が入った道が見えて欲しいところである。

 断崖が終わり、拓けた場所に出た。

「おっ」

 カミュが声を上げた。見るとちょっと遠くの方に、幾分、整備された道らしきものと、立て札が見えた。街道だろうか。

 環境的に厳しいためだろう、デルカダールに比べるとそこまできれいなものではないが、それでもこれまで進んできた道に比べれば、ちゃんとした道だった。

 温泉で疲れを癒しましょう。ここより北。ホムラの里。立て札には、そういった旨のことが書いてあった。

 進路を北にとり、進んで行く。周囲を山に囲まれているうえ、火山が間近にあると言える環境のためか、これまで以上に暑い。汗がどんどん(にじ)み出てくる。

 やがて、山の麓に大きな門と柵が見えた。防壁だろうか。ホムラの里の入口なのだろう。武装した、衛兵らしき者の姿が何人か見えた。

「やっと着いたな」

 カミュが、息をつくようにして言った。うん、と頷いて返した。

 門のところで軽い質疑応答を受け、里に入った。ホムラの里は、温泉だけでなく鍛冶でも有名な里で、鍛冶師を志す者や、良質な武具を求めて旅人がよく訪れるらしい。そのためか、特に厳しい検査もなく、すんなりと中に入ることができた。帯剣も認められているが、問題は起こさないようにと厳重に注意を受けた。

 門をくぐり、あたりをそれとなく見渡す。里を囲むように、山の岩肌が見えた。

「どうやらここには、まだ回ってきてねえみてえだな」

「そうみたいだね」

 旅人が珍しくないとしても、レヴンたちの情報が回っていれば、もっと検査が厳しくてもおかしくないだろうし、注意をむけてくる者も少なくないはずだ。特に厳しい検査がなく、レヴンとカミュにこれといった注意を示す者がいないことから、『勇者』の情報は、まだこのあたりには流れてきていないようだった。

「とりあえず、宿をとろう」

「そうだな。とにかく、今日は休むとしようぜ」

「やあやあ、旅人さんですかな」

 中年の男が、笑顔で近寄ってきた。

「そうだが、なにか?」

「おっと、これは失礼。わたくし、つい先日、里の奥の方で蒸し風呂屋をはじめた者でして」

「蒸し風呂?」

「はい。部屋に充満させた蒸気で汚れや疲れをとるんです。いまなら先着百名様まで無料で提供しております。この機会、御利用されないと損ですよ~!」

 カミュと顔を見合わせ、自分の躰を見下ろす。だいぶ汚れていた。

 思えば、最後に風呂に入ったのは、旅立つ前夜。それ以外はほとんど野宿で風呂に入ることなどなく、濡らした手拭いで躰を拭くか、川で水浴びするぐらいだ。デルカダール国で宿はとったが風呂に入ることはなかったし、スラムで女将(おかみ)のところに泊まった時も、やはり濡らした手拭いで躰を拭いていた程度だ。女将のところの風呂は宿の外にあって、一応壁のようなもので仕切られてはいたが、覗こうと思えば覗ける風呂だったのだ。目(ざと)い者による、軍への密告の可能性を考えると、入るのは断念するしかなかった。

「どんな時でも風呂はちゃんと入らないと。汚い恰好じゃあ、不審者に間違えられちゃいますよ?」

「まあ、確かにそうだな」

 男の言葉にカミュが相槌を打ち、レヴンに視線をむけた。うん、とひとつ頷く。

「ここで躰を休めるつもりだったし、入っていこう」

「ああ」

「はい、二名様、御案内~~」

「あ、その前に、宿をとっておきたいんですけど。荷物もありますし、馬の手入れをしてあげたいんです」

「おお、これは気がつきませんで。では、先に宿へ御案内しましょう」

「いいんですか?」

「御客様へのサービスです」

 男が、ニッと笑って言った。

 男の先導に従い、宿にむかう。宿は、見るからにしっかりとした作りで、なかなかの大きさだった。

 宿をとり、荷物を預けた。

「僕は雷刃の手入れをしてから行くから、カミュは先に行っててよ」

「わかった。まあ、今日のところはゆっくりしようぜ」

「うん」

 (うまや)は、里で管理している、大きめのものだった。厩で雷刃に(まぐさ)と水を与え、躰を拭った。

 雷刃が、鼻面を押し付けてきた。雷刃の首を撫でる。

 ありがとう。助かった。疾風のことは、ごめん。

 雷刃にとっても、疾風はきっと友だちになっていたのだろう。どこか寂しそうだった。

 手入れを終え、蒸し風呂屋にむかうことにした。場所は聞いてある。

 歩いていくと、鍛冶によるものだろう、金属を叩く音がそこかしこから響き、行き交う人々や、子供たちの遊んでいる姿が見えた。

 木でできた階段に足を掛ける。

「だから、マスターと話すぐらいいいでしょ!?」

「っ、えっ?」

 上の方から、少女の怒鳴り声が聞こえてきた。その声に、鼓動が高鳴った。

 聞き覚えのある声だった。忘れるはずがない。一気に階段を駆け上がった。

 階段を上りきると、酒場らしき店の前で、赤を基調とした服を着た幼い少女と、髭面の男が睨み合っている光景を眼にした。

「マスターなら、はぐれちゃった妹のこと、知ってるかもしれないんだってば!」

「ガキを酒場に入れるわけにいかねえんだよ」

「ガキってなによっ。レディーに対して失礼な!」

「とにかく、迷子の相談なら、里の入口に詰め所がある。そこで話を聞きな」

 男はそれだけ言うと、付き合ってられんとばかりに荒々しく酒場の扉を開け、中に入っていった。扉がぴしゃりと音を立てて閉まる。

「ふんっ。なによ、偉そうにっ。だいだい、そっちはもう聞いたのよっ。ああもうっ、この里の連中、どいつもこいつも石頭なんだから!」

 少女が、こちらの方をむいた。じっと見ていることに気づいたのか、少女が首を傾げた。

「なに、あたしになんか」

 少女が、言葉を止めた。眼を見開いていたかと思うと、何度も眼を瞬かせ、眼をゴシゴシと拭った。

 少女が、レヴンの顔をじっと見つめてきた。レヴンもじっと見つめ返す。

「ベロニカ?」

「レヴン?」

 声が、重なった。

 

***

 

 気持ちいいなあ。

 蒸気に満ちた部屋のなかで、壁際に(しつら)えられた椅子に腰掛けたカミュは、感嘆のため息をついた。蒸し風呂とやらに入るのははじめてだったが、しばらくぶりの風呂となることも相まって、格別の気持ちよさだった。

 牢獄の中で風呂など入れるわけもないが、それ以前に盗みを働いていたころも、ちゃんとした風呂付きの宿に泊まることは滅多になかった。濡らした手拭いで躰を拭うか、できてせいぜい川で水浴び程度のものだ。一応、スラムの女将のところにいた時は多少なりとも入っていたが、あまり気を休められる風呂ではなかったこともあって、ここまで気持ちいいと感じたことはない。

「風呂ってもんが、こんなに気持ちいいとはなあ」

「堪能してるねー」

「まあなー」

 呆れた顔で入って来たレヴンにそう返すと彼は、苦笑しながら椅子に腰掛けた。カミュの隣に並ぶかたちだった。

「風呂なんぞ、一年ぐらい入ってなかったからなあ」

「まあ、あそこで風呂に入れるわけもないしね」

「ああ。それに、こういうのもなんだが、かなりろくでもねえ生活してたからなあ。風呂付きの宿に泊まることなんて滅多になかったしよ。女将のところの風呂は、正直ゆっくり入れるもんじゃねえし」

 賊の(たぐい)に襲われるかもしれないと考えると、ゆっくり入れるものではなかった。女将は、その面倒見の良さでスラムの者たちから慕われているため、彼女を怒らせるような真似をするやつはまずいないのだが、それでも命知らずやものを知らないやつは、どこにでもいるものだ。

「それで、なにかあったか?」

「え?」

「いや、どうにも神妙な顔に見えたんでな。なにかあったのかと」

 レヴンが、ちょっと驚いたような顔をしたあと、ゆっくり頷いた。

「うん。あったっていうか、逢えた」

「逢えた?」

「ベロニカに、逢えた」

 その言葉にキョトンとし、レヴンに顔をむけ、ニヤッと笑った。

「おいおい、マジか。よかったじゃねえか」

「うん。でも、喜んでばかりもいられないんだ」

「なに?」

「ベロニカとは逢えたけど、セーニャの行方がわからないらしいんだ」

「なにっ?」

「まだ詳しくは聞いてないけど、ベロニカは数日前、魔物に(さら)われたらしくって。それで、なんとかそこを脱出してこの里に戻ってきたんだけど、今度はセーニャの姿がどこにも見えないそうなんだ」

 そう言って、レヴンが息をついた。

「なるほど。だいたいわかった。で、おまえはそれを伝えるために、ここに来たのか?」

「それもあるけど、まずは汚れと疲れを落としてきなさいって、ベロニカに言われた」

 苦笑しながら言ったあと、レヴンが真剣な顔になった。

「嬉しくねえのか。ベロニカに逢えたんだろ?」

「嬉しいよ、もちろん。だけど、手放しで喜ぶのは、セーニャも合流してからだよ」

「ああ、なるほど。いま現在、レヴンがどんな状況に置かれているかは?」

「まだ話してない。ベロニカたちの使命についても、まだ聞いてない。それらについては、セーニャも揃ってからって思ってる。ベロニカも、同じ考えだよ」

「そうか」

 再会を喜ぶぐらいはいいんじゃねえかな、と思ったあと、こいつらしいな、ともカミュは思った。

 

 蒸し風呂を出て、着替えを終えると、入口にむかった。カウンターにいた店主に挨拶し、入口に設えてある席に腰掛ける。レヴンが、ベロニカに蒸し風呂に入るように勧めたそうで、ここで待ち合わせするようにしたらしい。ベロニカが入らないのなら、自分も入らない、などと言ったそうだ。

 さほど時間を置かず、女湯の方から人の気配が近づいてきた。来たのか、と眼をやったが、勘違いだったようだ。来たのは、確かさっき酒場の前で店員の男と言い争っていた、金髪の幼い少女がひとりだけだ。確かベロニカという女は、レヴンの二つ上だという話だ。それらしき女の姿はない。

「ベロニカ」

 レヴンが呼びかけると、少女がこちらをむき、近寄ってきた。

 そばに立った少女が、レヴンをまじまじと見つめている。

「なにやってるの?」

「ちゃーんと躰の汚れを落としてきたか、チェックしてるのよ」

「なるほど。それで、どうかな?」

「問題ないわね。合格よ」

 少女が笑顔を浮かべて満足そうに頷き、レヴンも笑顔で頷いた。

「あたしの方はどう?」

「うん。ちゃんときれいになってるよ」

「おい、レヴン」

「あ、カミュ。この()がベロニカだよ。ベロニカ。彼がカミュ。僕の相棒」

「ふうん、相棒、ね」

 どこか鋭さを感じさせる視線で、ベロニカと呼ばれた少女がカミュをじっと見つめてきた。なにかを推し量られている。そう感じさせる視線だった。同時に、既視感を覚えた。視線に対してではなく、どこかで見たことがある顔だと感じた。

「ちょっと待て、レヴン。確かベロニカってのは、おまえより二つ上だって言ってなかったか?」

「うん。そうだよ」

「とてもそうは見えねえぞ。どう見てもガキじゃねえか」

「ガキとはなによ、失礼ね!」

「ベロニカ、抑えて抑えて。とりあえず、外に出よう」

 (うなが)されて外に出ると、涼むために設えられているのだろう椅子に腰掛けた。周りに人の姿はない。

「さっき、ベロニカが魔物に攫われたって話はしたよね」

「ああ。それで、なんとか脱出したって話だったな。まさか、その魔物に年齢(とし)を吸われたとか言い出すんじゃねえんだろうな」

「そのまさかよ」

 言ったのは少女、ベロニカだった。苛立ちと焦燥が()()ぜになったような表情だった。

「おいおい。年齢(とし)を吸う魔物なんて聞いたことねえぞ」

「正確には、吸われていたのは魔力よ。魔力を吸われないようにって堪えてたら、なんでか知らないけど小さくなってたのよ。なぜか服ごと」

「それはそれで、どういうことだって言いたくなるな」

「いや、それはあたしも疑問なんだけど」

 魔力を吸うというのは聞いたことがあるが、それを堪えていたら幼くなったというのは、さすがに聞いたことがなかった。それも、服も一緒にとなると、なにか不思議な力が働いたのではないかと思うしかない。

「まあ、でも、小さくなったおかげで脱出できたんだけどね」

「というと?」

「躰が小さくなったおかげで、牢屋に空いていた穴から脱出できたのよ。魔力を吸われたうえに魔封じの呪いをかけられたせいで魔法が遣えなかったから、ほんとうに助かったわ」

「そりゃあ、やばかったな」

 言って、ここ数日、レヴンが胸騒ぎを覚えていたことを思い出した。今朝になって、それがふっと消えたということも。時期的に考えると、レヴンが感じていた胸騒ぎは、ベロニカが捕まっていたからということなのだろうか。そうなると、ベロニカの躰を小さくしたのは、勇者の奇跡なのだろうか。

「とりあえず、話は一旦ここまで。セーニャを探さないと」

「そうだね。誰か、知ってる人がいればいいんだけど」

「ええ。とにかく、酒場に行ってみましょ」

「うん」

「ああ」

 ベロニカの言葉に頷き、酒場にむかった。

 酒場の戸を開け、足を踏み入れる。飯時から時間がはずれているためだろう、客の姿らしきものはない。カウンターに店主らしき老人と、カウンター席についている青髪の幼い少女がひとり、あとは店員らしき髭面の男がいるだけだった。

 カミュたちが入って来たことに気づいたらしき髭面の男がふりむき、笑顔を浮かべた。

「いらっしゃいま、っ!」

 言葉の途中で、ベロニカの姿に気づいたのか、男が眼を吊り上げた。

「だから、子供が酒場に」

「オレたちの連れが、なにか?」

 カミュが前に出て言うと、男はカミュたちとベロニカを交互に見て、誤魔化すように笑顔を浮かべた。

「い、いやいや、こいつぁ、失礼しました。大人が一緒なら問題ありやせん。ゆっくりしていってくだせえ」

 ふん、とベロニカが鼻を鳴らし、カウンターの方に進んで行く。

「こんにちは、マスター。こちらの席、掛けてもよろしくって?」

 言うが早いか、ベロニカが席に腰掛けた。子供が乗るには少々高いため、跳び乗るような恰好だった。

 店主が、楽しそうに笑い声を上げた。

「ほっほっほ。元気そうなお嬢ちゃんだ。ご注文は、ますたぁの気まぐれ昆布(コブ)茶でいいですかな?」

「ごめんなさい。お気持ちはありがたいけど、いまはゆっくりしている暇がないの。あたしたち、人を探しに来たのよ」

「ふむふむ。どんな相手かね?」

「緑と白の服を着た、あたしに顔立ちがよく似た二十歳(はたち)前の()よ。セーニャって名前なんだけど」

「セーニャおねえちゃん?」

 言ったのは、カウンター席についていた、青髪の少女だった。いまの姿のベロニカよりちょっと年下だろうか。

「あなた、セーニャのこと知ってるの?」

「うん。アタシ、パパを探してて」

「パパ?」

「セーニャ、ああ、あのお嬢ちゃんか」

 ベロニカの言葉に答えたのは、店主だった。

「二日前だったかな、その子の父親を探して、この店にそのセーニャって()が来たんだよ。その()はその()で、お姉さんを探してるって言ってたねえ」

「それだわ。いまはどこに?」

「確か、西の方にお姉さんがいる気がするから行ってみる、って言ってたね。その子の父親も一緒に探してみるって。なんとも不思議な()だったなあ」

「西の方、ってああもうっ、入れ違いだわ!」

 ベロニカが頭を抱え、声を上げた。

「レヴン、お願いがあるんだけど」

「皆まで言う必要ないよ。行こう。セーニャを探しに」

 レヴンが微笑んで言うと、ベロニカが嬉しそうに微笑んだ。

「うん。ありがとう」

「お礼なんて必要ないって。セーニャも僕にとって、大切な家族と一緒なんだから。カミュ、いいかな?」

「おう」

 頷き合うと、ベロニカが青髪の少女に顔をむけた。

「あなた、名前は?」

「ルコ」

「そう。ルコちゃん。あなたのパパについては、心当たりがあるわ」

「ほんと!?」

「ええ。必ず連れ帰ってくるから、もう少しだけ待っててくれる?」

 ベロニカがやさしく微笑んで言うと少女、ルコが頷いた。

「うん。わかった」

「よし、良い子ね」

 ベロニカが頭を撫でると、ルコが気持ちよさそうに眼を細めた。

 酒場をあとにすると、宿の方にむかった。

「ここらの魔物なら、セーニャひとりでも大丈夫だとは思うんだけどね」

「そうなのか?」

「あたしもセーニャも鍛え続けてきたからね。はっきり言って敵じゃないわ。でも」

「心配なことは心配だよね。セーニャだし」

「ええ。セーニャだからね」

 二人が、なにやら遠い眼をした。

「なあ。なにがどう、心配なんだ?」

「いきなり道端で眠りこけたり」

「気になった場所にフラフラと迷いこんだり」

「ああ、うん。心配だな、それ。って、レヴンも同じ認識ってことは、昔からそうだったのか?」

「基本的にのんびりした()なのよねえ。しっかりしてるところはしっかりしてるから、大丈夫だとは思うんだけど」

 ベロニカが呆れたように言い、レヴンがしみじみと頷いた。

 いずれにせよ、急いだ方がいいだろう。

 そんなことを思ったあと、あることに気づいた。

「なあ、レヴン」

「ん?」

「馬はどうする。さすがに三人で雷刃に乗るのは、きつくねえか」

「あっ」

 レヴンが、はたと気づいたように声を上げた。乗れることは乗れるかもしれないが、ひどく乗り辛いのは間違いないだろう。

「荷物もあるしね。確かに、三人で乗るのは難しいね」

「だよな。貸し馬が空いてればいいんだが」

「それなら心配いらないわ」

「えっ?」

「ま、とにかく、厩にむかいましょ」

「あ、うん」

 ベロニカに促されるまま進み、宿で荷物を返して貰うと、今度は厩にむかった。

「そういえば、ベロニカ。目的地まで、どれぐらいかかるかな。それによっては、食料とかの買い足しもしておかなきゃいけないんだけど」

「ん、一日分もあれば充分だと思うわ」

「結構近いのか?」

「陸路を行ったら、馬でも二日はかかるだろうけど、短縮する手段があるから、そこからなら馬で半日もあれば行けるはずよ」

「短縮手段?」

「ええ。『キメラの翼』よ」

 その言葉に、カミュはレヴンと顔を見合わせた。

 キメラの翼というのは、飛翔して、遠く離れた場所へ瞬時に移動できる魔法の道具だが、極めて稀少な品だった。

 蛇のような胴体に、ハゲワシのような頭と翼をつけた異形の魔物、キメラ。キメラの翼は、その魔物の(かざ)(きり)()を素材として作る道具らしいのだが、魔物は基本的に、斃すと宝石になって消える。風切羽を残すかどうか自体に運が絡み、そのうえそれに特殊な加工を施さなければならないのだという。

 デルカダールなどの大きな国でも、非常用に何個かあるかどうかというぐらいの代物だ。そんな物を持っているとは思わなかった。

「ラムダの里に残っていたものでね、ちょうど四つ残ってたから、あたしとセーニャとで二つずつ持ってたのよ。もしもの時のためにってね。服と帽子の裏に縫い付けておいたの。魔法が使えれば、こんな貴重品を使わなくても済んだんだけど、出し惜しみしてる場合じゃないからね」

「魔法が使えれば、ってまさか」

 レヴンが、ハッとなって言った。ベロニカが頷く。

「ええ。あたし、ルーラが使えるから」

「ルーラって確か、遺失呪文じゃ」

「ええ。頑張ったわ」

 さらりと、しかし誇らしげに言うベロニカの言葉に、レヴンが口をあんぐりと開け、やがて笑顔を浮かべた。

「ベロニカ、ほんとうにすごい魔法使いになったんだなあ」

「ふふっ、まあね。でも、まだまだよ。これぐらいで満足してちゃ、ほんとうの『大魔法使い』にはなれないわ」

 ベロニカが微笑んでそう言うと、レヴンが眼を瞬かせ、やがて微笑んだ。

 なにやら、声をかけるのがためらわれる雰囲気だった。

「あー、横から悪いけどよ、レヴンはなにに驚いてるんだ。いや、そのルーラってのがすげえ魔法なのはわかるが」

「あ、ごめん。ルーラっていうのは、そのキメラの翼と同等の効果を持った呪文なんだけど、遥か昔に失われた魔法って言われてるんだ」

「一応補足しておくと、遺失呪文っていうのは、そういった失われた呪文のことね」

 二人が、カミュの方を見て言った。二人とも特に気にしていない様子だった。

「失われた?」

「使い手が誰かに伝授できなかったり、もしくはしなかったり、とにかくなんらかの理由で継承がうまくいかなかった魔法よ。ルーラは、古の勇者ローシュ様の仲間だったっていう魔法使いウラノス様が作ったって言われている魔法なんだけど、名前と効果しか伝わっていなかったの。ウラノス様って結構な秘密主義者だったのか、彼が編み出したっていう魔法は、名前とざっくりとした効果ぐらいしか伝わってないっていうのがほとんどなんだけどね」

「ふーん。まあ、よくわからねえが、ベロニカがすげえ魔法使いだってのは、相棒の反応でなんとなくわかった。あと、ベロニカを探しに行ったっていうセーニャと入れ違いになった理由もな」

 キメラの翼で一足飛びにホムラの里に来てしまったため、陸路を行っているだろうセーニャとすれ違ってしまったのだろう。

 ベロニカが、頷いた。

「そうね。だけど、判断としては間違ってなかったと思うわ。レヴンと逢えたしね」

 言葉だけなら、色気のある言葉に聞こえなくもないが、表情は真剣なものだった。

「あたしと一緒に捕まった人がいるんだけど、その人をあたしとセーニャだけで無事に助け出すことができるかどうかわからなかったから、ここでレヴンたちに会えたのは幸運だったわ」

「なるほどな」

「ところで、さっきルコちゃんに言っていた心当たりって、その一緒に捕まった人のこと?」

「うん。幼い娘がいるって言ってたから、間違いないと思うわ」

 ベロニカが、なんとも複雑そうな表情を浮かべた。

「ベロニカ、どうしたの?」

「ん、ちょっと攫われた時のことを思い出してね。その辺のことは、あとで話すわ」

「わかった。とにかく急ごう」

「ええ。キメラの翼は基本的に、イメージしやすくて、かつ魔物の気配が薄いところにしか飛べないから、最寄りの女神像のあるキャンプ地に飛んで、そこから馬で移動しましょう」

 ベロニカの言葉に、二人で頷いた。

 厩に入ると、ベロニカが一頭の馬の前で足を止めた。きれいな白馬だった。

「ミルフィ、あたしがわかる?」

「ミルフィ?」

「この子の名前よ。あたしの馬。セーニャの馬はメルヴェ。この子とそっくりの白馬よ」

 厩に、それらしき馬の姿はなかった。セーニャが乗って行ったのだろう。

 ミルフィと呼ばれた馬は、じっとベロニカを見つめていたかと思うと、甘えるように鼻面を彼女に押し付けてきた。

「ごめんね。寂しい思いをさせちゃったわね」

 小さな躰のため、ちょっと大変そうだったが、慈しむようにベロニカはミルフィを撫でていた。

「さて、これで馬は二頭よ。これなら大丈夫でしょ」

「そうだな。一応聞いておくが、オレが乗っていいんだよな?」

「え?」

「いや、え、って。そんな躰じゃ乗れねえだろ」

「あっ」

 小さな子供の体格では、さすがに馬を操るのは難しいだろう。乗れたとしても、あまり早く駆けられるとは思えない。

「確かにそうね。そうなると、どちらかに乗せて貰うしかないわけだけど」

「馬術はレヴンの方が上だし、レヴンと一緒に乗れよ」

「あら、そう」

 ベロニカが、レヴンにむき直った。レヴンも、ベロニカと視線の高さを合わせるようにして、片膝を突いた。

「一緒に乗せて貰っていいかしら、レヴン?」

「もちろん」

「じゃあ、よろしくね」

「うん」

 二人が、微笑んだ。

 なんとなく居心地の悪さを感じ、カミュは頭を掻いた。

 





ついに再会。でもあまり色ボケないようにしたい。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


キメラの翼。ゲーム的には利便性高くするべきだけど、小説や漫画にすると利便性高すぎて話作りづれえ! ってなる。ドラクエ11だとマジでそう思う。
キメラの翼がキャンプ地に飛べるのはPS4仕様。3DS版でもそうだったらよかったのに。
キメラの翼、ルーラなどの設定および遺失呪文といったものはオリジナル。

ミルフィとメルヴェという名前は、ドラクエ関連の漫画で、あるキャラたちにつけられていた名前からとったもの。ピンときた方もいらっしゃるかも。

 


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Level:13 命の大樹に選ばれし者

 迷宮の中は、ひんやりとしていて涼しかった。ここも一応、ホムスビ山地に入っているはずなのだが、そうとは思えないぐらいに涼しい。実際、外は暑かったのだ。

 どういう仕組みでそうなっているのか不思議ではあったが、暑いのが苦手なカミュとしては、非常に助かるものだった。

「まあ、汚えけどな」

「うん」

「そうね」

 おそらくは人の手によって造られたのだろうその迷宮は、古代から存在していることを示すように、壁や床がひどく汚れていた。迷宮の作りにはどこか神秘的なものを感じはするが、それがかえって世の無常さを感じさせずにはいられなかった。

「ここに、セーニャが」

「ええ。なんとなくだけど、あの子がいるのを感じるわ」

 レヴンの言葉に、ベロニカがはっきりと答えた。

 双子であるゆえか、ベロニカとセーニャは、互いの存在を感じとることができるらしい。加えて、この迷宮の近くに、セーニャの馬である白馬もいたため、間違いないだろう。

 ホムラの里を()ち、およそ半日。囚われているルコの父親同様に、無事であればいいが。

「床には、落とし穴が仕掛けてあるところが結構あるわ。いくつかは憶えているところもあるけど、気をつけていきましょ」

「トラップか。なら、オレが先頭で行くか」

「そうだね。僕は殿(しんがり)を勤めるよ。ベロニカは真ん中にいて。戦闘時は僕が前に出るから、状況しだいで援護を頼むよ」

「わかったわ」

 ベロニカは、魔法の行使ができず、体格が小さな子供のものとなっているが、まったくの無力というわけではなかった。ちょっとだけ見せてもらったのだが、鞭さばきはかなりのもので、このあたりの魔物なら彼女ひとりでも退けられるだろうと思わせるぐらいの技量を持っていた。もっともベロニカが言うには、本来の姿の時に比べると、かなり威力が落ちているとのことだった。

「可能な限り急ぐ。だけど、それで罠に掛かったら、かえって時間を無駄にすることになるからね。慎重に行こう」

 真剣な表情で、レヴンが言った。カミュもベロニカも、重々しく頷いた。

 セーニャも心配だが、ほかにひとつ懸念があった。ベロニカとともに攫われたという、ルコの父親らしき男のことだ。彼はいわば、ベロニカへの人質となるかたちで、ここへ一緒に連れて来られたらしい。

 蒸し風呂で魔物の襲撃を受け、そのうちの一体を即座に仕留めたところで、その男が入って来たという。店員が誰もおらず、男湯と女湯の暖簾(のれん)が入れ替わったという不運にもほどがあるタイミングで来た、とのことだった。

 そして、彼は人質にされた。ベロニカも、まさか男が入ってくるとは思わなかったために一瞬固まってしまい、その隙を衝かれてしまったそうだ。

 最初、その男を見捨てるフリをして魔物たちを怯えさせ、追い払おうとしたそうなのだが、ベロニカの演技に気づかなかった男の、小さな娘がいるんだという発言に思わず動揺してしまい、結局一緒に捕まってしまったらしい。

 服だけでも着替えさせて欲しいと頼み、というかせめて着替えさせなさいと凄み、着替えすら駄目だというのなら人質など知ったことではないと脅し、なんとか着替えたのだという。ベロニカの強さに魔物が怯えていたのを見越して、そんなことを言ったそうだ。

 人ひとり入るぐらいの袋に押しこまれて、連中のアジトに連れていかれ、親玉のところに引き出されると、最初に魔力を限界まで吸われ、魔封じの呪いをかけられた。そのあとは、魔力が回復してはまた吸われ、のくり返しだったという。

 魔力と一緒に生気も吸われていたのか、徐々に躰が衰弱していくのを感じたらしい。それに加えて、脱出の手立てがない囚われの身であるという神経を()り減らす状況。諦めてたまるものかと心を強く保ってはいたが、脱出しなければ(そう)(ばん)死に至るだろうことも、理解せざるを得なかったという。

 それが、何度か吸われたところで、なぜか躰が縮んだ。

 驚きながらも、この躰なら牢の壁に空いた穴から逃げ出せるのではないかと希望を見出し、両手を縛った縄をなんとかほどこうともがくと、思いのほかあっさりと解けたという。小さくなったおかげなのか、縄がわずかに(ゆる)んでいたそうだ。牢に入れたにも関わらず縄で縛られていたのは、連中がベロニカの強さに怯えていたせいだろう。

 あとは、逃げ出したことが発覚するのが少しでも遅れるよう、毛布代わりの()()布の下に(わら)を敷き詰め、寝ているように偽装すると、必ず助けに来るから待っていてと男に言い残し、すぐに脱出した。逃げ出せるわけがないと(たか)(くく)っていたのか、それとも単に間抜けなだけか、見張りはいなかったらしい。

 そして、落とし穴に何度か掛かりそうになりながらも、なんとか落ちることなく迷宮を()け、キメラの翼でホムラの里に戻り、レヴンと再会した。ほんとうに、奇跡と言っていい再会だった。

 さっき言った通りカミュが先行し、ベロニカ、レヴンとついてくるかたちで歩き出した。

 迅速に奥にむかい、人質をこちらで確保するか、むこうに対応される前に、一気に親玉を仕留めなければならない。

 少し進んだところで、カミュは足を止めた。ふりむく。

 二人との距離は、すでに十歩ほど離れていた。

「遅えぞ」

 近づいて来たベロニカに言うと、彼女は眉を吊り上げた。

「しょうがないでしょっ。躰が小さくなってるから、歩くのも遅くなっちゃってんのよっ」

 声量は抑えてあるが、ベロニカが怒った調子で言った。

 ベロニカの言いたいことはわかるが、ベロニカの歩調に合わせていたら、それだけで遅くなってしまうだろう。

 どうする、とレヴンに眼をやると、彼はちょっと考えこむ仕草を見せたあと、ポンと手を叩いた。

「じゃあ、僕がベロニカを背負うっていうのはどうかな」

 なんてことないように、レヴンが言った。ベロニカがレヴンの方にふりむく。

「助かるけど、大丈夫?」

「大丈夫。鍛えてるからね」

「じゃあ、お言葉に甘えさせて貰おうかしら」

「うん」

 レヴンがベロニカに背をむけて屈むと、彼女は彼の背に跳び乗った。おんぶのかたちになる。レヴンが軽々と立ち上がり、カミュの方にむき直った。

 レヴンが歩き出し、カミュのそばに来たところで足を止めた。小さな子供の体格とはいえ、人ひとり背負っているというのに、足運びにはまったく揺るぎがなかった。

「うん。問題ないね。さすがに、戦闘時には降りて貰った方がいいかもしれないけど」

「わかったわ。その時はすぐに跳び降りるから」

「うん」

「あー、じゃあ、行くか」

 なんとなく、なにか苦い物を口にしたくなった。

 

 

 迷宮を徘徊する魔物は、外にいる魔物と大して変わらない強さの連中ばかりで、手こずることはなかった。というか、こちらを見かけたら逃げ出す者ばかりだ。

 杖を持った、しわしわの顔に手足が生えていると形容するしかない姿をした魔物、ドルイド。

 一見、蝸牛(かたつむり)に似ているようでいて、世界のどんな生物とも似ていない謎の生命体、ドロル。

 腐りかけの死体に悪霊が宿り、魔物となった、くさった死体。

 ドラキーの上位種である、緑色の体色をした、タホドラキー。

 操り人形を思わせる姿をした、泥をこねて作られた人形に魔力が宿り、動き出したといわれている魔物、どろにんぎょう。

 六本脚の魔獣の骸骨を駆る、どこか奇妙な風体の衣装を纏った悪魔、スカルライダー。

 それらを蹴散らしながら、奥にむかう。

 気になったのは、魔物たちから、統率がとれている感じがしなかったことだ。

 逃げる時はそれぞれが我先にと逃げ出し、てんでバラバラな様子で、レヴンたちからある程度離れるとまた徘徊に戻る。そんな魔物ばかりで、親玉のところに報告にむかおうとするような魔物は、一体もいなかった。

「もしかして、この階の魔物たちは、ベロニカを攫った魔物の仲間ってわけじゃないのかな」

「報告に行こうとする魔物が一匹もいねえってのは、そう考えた方が自然な気がするな」

 魔物のアジトに繋がる階段を前にレヴンが言うと、カミュが思案顔で応じた。

 階段へは、思ったよりも早く辿り着くことができた。カミュが落とし穴を的確に見抜いてくれたこともそうだが、ベロニカが脱出する際に通った道の大部分を憶えていてくれたためだ。

 階段を下りる。魔物の待ち伏せを警戒したが、特になにもなかった。

 地下二階は、これまでいた階層よりも明るかった。壁や床に使われている材質自体が、ほのかに光を発しているようだった。

 進む先から、なにやら清らかな空気を感じた。

「泉が近いわね」

 ベロニカが言った。この先の部屋の中央に、女神像と、そこから湧き出る水が満ちた泉があるという話だった。脱出を優先したため、ベロニカはそこで休憩することはなかったが、おそらくは野営地にあるのと同じように、魔物を寄せ付けない力があるはずだとのことだった。

「セーニャが、そこで休憩してくれてたらいいんだけど」

「うん」

「そうだな」

 ずっと馬で移動してきたであろうセーニャと、キメラの翼で道程を短縮してここまで来たレヴンたちにどれぐらいの時間差があるのか、それがわからない。

 ベロニカの言うように、休憩しているところにでも追いつければいいのだが、そこはやはり祈るしかなかった。

 この清浄な空気のおかげか、地下二階に下りてからは、魔物の姿は見えなかった。人間で言えば、スラムのゴミ捨て場に漂う空気の中を行くようなものらしいので、それもむべなるかなと言ったところだった。わざわざそんなところの奥にアジトを構えている魔物は、かなり変わり者なのかもしれない。

 女神像らしき物が、行く手に見えた。

 拓けた部屋に入る。女神像と泉を中心に、清浄な空気が部屋に漂っている。ただ、かなり広い部屋であるためか、隅の方にまではその効果は満ちていないようで、魔物の足跡らしきものがわずかに見受けられた。

 ベロニカを降ろし、三人で部屋を見渡した。

 ベロニカが、息を呑んだ気配がした。見ると、ベロニカが愕然とした表情を浮かべていた。

「セーニャッ!」

 ベロニカが駆け出した。泉を回りこむようにして、右手の方にむかう。レヴンとカミュも、彼女を追うようにして駆け出した。

 ベロニカによく似た顔立ちをした女性が、床に横たわっていた。(スティック)と盾が、その脇に転がっている。

「セーニャッ、セーニャッ!」

 女性、セーニャのすぐそばに屈みこんだベロニカが呼びかけるが、セーニャはなにも反応を見せなかった。レヴンとカミュも、彼女に駆け寄る。

 ベロニカは、いまにも泣き出しそうな様子でセーニャに呼びかけていた。

「セーニャッ、約束したじゃないっ。ずっと一緒だって」

「ベロニカ、落ち着いて」

「レヴンの言う通りだ。まずは落ち着け」

「っ、そ、そうね。まずは脈を」

「ふわぁ~~~~」

 セーニャが、欠伸らしきものをしながら上体を起こした。そのまま伸びをするセーニャに、三人でポカンとする。

「すみません。私、人を探していて。疲れて眠くなってしまったもので、泉のそばで休んでいたのですが、そのまま眠ってしまったみたいで」

 眼を擦りながら、寝ぼけた調子で喋っていたセーニャが、ベロニカを見たところでハッとなった。

「お、お姉さまっ。なんと、おいたわしい姿に」

「え、あ、あんた、あたしがわかるの!?」

「もちろんですわ。何年もお姉様の妹をしてますもの。ちょっとお姿が変わったくらいで、間違えたりしませんわ」

 セーニャが朗らかに笑い、安堵の息をついたベロニカが頬を膨らませた。

「も、もうっ、心配させないでよねっ。てっきり、あんたが」

 恥ずかしいところを見せたとばかりに、ベロニカがそっぽをむいて言うと、セーニャが静かに微笑んだ。

 セーニャが、レヴンに顔をむけ、またハッとなった。

「あなたは」

「久しぶり、セーニャ。僕がわかる?」

「ええ、もちろんですわ。お久しぶりです、お義兄(にい)様!」

「へ?」

「ぼふぁっ!?」

 顔を赤くしたベロニカが噴き出した。なにを言っているのかわからず、ちょっとポカンとしたあと、どういう意味かレヴンは気づいた。

 顔が、熱くなった。

『セーニャッ!』

「あ、まだそう呼ぶのは早かったですね。すみません」

「そ、そうよ、まだはや、じゃなくって、えーと、その」

「再会したばかりのわけだし、そういったことを考えるのはまだあとっていうか」

「ちょっと落ち着け、おまえら」

 呆れたように言うカミュの言葉に、少しだけ冷静になった。

「そ、そうね。落ち着きましょう」

「そ、そうだね」

 ベロニカと二人そろって、深呼吸する。二度三度とくり返すと、落ち着いた気分になった。

 不意打ちにもほどがある言葉だった。状況が立てこんでいるため、ベロニカとのことは、いまはまだ考えないようにしておこうと思っていたのだ。さっきの反応からすると、ベロニカの方もそうだったのだろうか。

 セーニャが立ち上がり、カミュの顔を見たところで、動きを止めた。

「あの、あなたは」

「あ、セーニャ、紹介するよ。彼はカミュ。僕の相棒」

「カミュ、様?」

「あ、ああ。カミュだ」

 二人の様子に、レヴンは首を傾げた。ベロニカも同じように首を傾げている。

 セーニャはじっとカミュを見つめたままで、カミュはどこか居心地が悪そうな雰囲気だった。

「あの」

「詳しい自己紹介はあとにしようぜ。いまは、ベロニカの魔力を取り戻して、捕まったルコの父親を助けなきゃならねえからな」

「あ、はい。わかりましたわ」

 セーニャの言葉を遮ったカミュの言葉に、セーニャが頷いた。セーニャは、どこか残念そうに見えた。

 二人の様子に、レヴンは再び首を傾げた。

 カミュの言葉はもっともではあるが、どこか慌てたふうに感じたのだ。セーニャはセーニャで、カミュに対してなにか問いたげな空気だった。

「レヴン、一旦休憩しようぜ。セーニャに現状の説明をしておいた方がいいだろ?」

 カミュが、こちらを見て言った。二人の様子は気になるが、確かにいまは、ルコの父親を助け出すことと、ベロニカの魔力を取り戻す方が先だろう、と意識を切り替える。

 ちょっとだけ考えたあと、ベロニカの方に顔をむけると、頷いてきた。頷き返し、カミュたちの方に顔をむける。

「そうだね。ちょっとだけ休憩しよう。セーニャも交えて、作戦会議」

「おう」

 泉の水を飲んで、ひと息ついた。こういった神聖な加護のある場所に湧き出る水は、飲むことで体力や魔力を回復できるものがあるという。口に含んでみると、躰に力が漲ってくるような気がした。

「旨いな、この水」

「はい。あ、水筒に汲んでおきましょう」

「そうだな」

「ベロニカ。魔力は?」

「回復はしてるわ。でも、魔法は依然、使える気配なし。ほんとに性質(たち)の悪い呪いね。セーニャ」

「はい」

 セーニャが(ひざまず)いてベロニカの手をとり、眼を閉じた。

 少しして、セーニャが眼を開けた。首を横に振る。

「解呪は難しそうですね。少なくとも、すぐに解けるものではないと思います」

 そうか、とレヴンは頷いた。

 ホムラの里を出る前、里に滞在していた流れの神父にもベロニカの解呪をお願いしてみたのだが、やはりうまくいかなかった。呪いというのは、魔力である程度抵抗できるのだが、その抵抗するための魔力がなければ、呪いは躰の奥にまで浸透してしまうらしい。

 ベロニカは、魔力をほとんど吸われた状態で呪いをかけられたために、かなり深いところまで呪いが巣食ってしまっているようだった。

「ただ、あいつに奪われた魔力を取り戻せれば、呪いを弾き飛ばせると思うわ」

「魔物を斃さなくても?」

「勘だけどね。まあ、あいつを斃しても同じだろうし、あまり気にしなくてもいいわ」

「わかった。それで、ベロニカ。ベロニカたちを攫った魔物について、話して貰っていい?」

「ええ。まず、あたしたちを蒸し風呂屋で攫ったのは、あやしいかげ。五体ぐらいは見たけど、もっといても不思議じゃないわね。それで親玉は、デンダとかいう水色のデンデン竜っぽい魔物よ」

「水色?」

 その言葉に、レヴンたちは首を傾げた。デンデン竜というのは、ずんぐりとした体型をした、壷を背負った二足歩行の大きな蜥蜴のような魔物だが、デンデン竜の体色は、確か黄色だったはずだ。

 ええ、とベロニカが頷いた。

「多分、あいつ、変異種よ。そもそも、人間の魔力を吸うデンデン竜なんて聞いたことないし、デンデン竜属の魔物に体色が水色のやつはいないはずだしね」

「変異種か」

 『魔物』には多種多様な種族がいるが、ごく稀に、ほかに類を見ない姿や特性を持った特殊な魔物が現れることがあるという。まさに突然変異としか言いようのない個体で、そういった魔物を変異種と呼ぶのだ。

 ここに来るまでに聞いた話では、ベロニカが入れられた牢には、まだ新しい人骨がいくつもあったという。ベロニカのように攫われて、そこで死ぬまで魔力を吸い尽くされたと考えるしかなかった。

 もっと早くここに来ていれば、犠牲者を減らせたのではないか。

「必ず、魔物を斃そう。犠牲になった人たちのためにも、これ以上悲劇を生まないためにも」

 レヴンがそう言うと、ベロニカたちがこちらを見て、ゆっくりと頷いた。

 失われた命は、戻らない。確かに、死者を蘇らせる魔法、蘇生呪文というものはあるが、どんな命でも戻るわけではないのだ。少なくとも、白骨化してしまった死体から蘇生することはできない。最低でも重要な臓器に大きな損傷のない遺体でなければ、蘇生呪文は無意味だ。

「それで、デンダについてだけど、あたしの魔力を奪った以上、それを使って攻撃してくることも考慮するべきだと思うわ」

「お姉様の魔力で攻撃魔法を使われたら、ひとたまりもありませんね」

 ベロニカの言葉に、セーニャが神妙な顔で応えた。

「そんなにすげえのか、ベロニカの魔力って?」

「はい。放ったメラが、メラミと勘違いされる威力ですから」

「まだまだよ。いつか、メラゾーマと勘違いされるレベルになってみせるつもりだからね。いまのはメラゾーマじゃないわ、メラよ、ってね」

 おどけたようにベロニカが言い、みんなで苦笑した。

「ベロニカの魔力をどう使ってくるかはわからないけど、警戒しておくに越したことはないね。セーニャ、マホトーンは使える?」

「使えますわ。ただ、変異種となると、確実に効くかどうかはわかりません。それに、マホトーンで封じられない手段で攻撃してくる可能性もあります」

「うん」

 マホトーンは、魔法を封じこめる呪文だが、必ず効果があるというわけではない。そのうえ変異種は、通常種よりも魔法などへの耐性が高いと言われている。攻撃魔法もそうだが、ラリホーやマホトーンなどの、状態異常付与系統と分類される魔法に対してもである。魔法だけでなく、眠り毒や麻痺毒などの毒物に対しても同じらしい。

 それに、セーニャの言う通り、魔力を魔法ではなく、自身の能力の底上げに使ってくることも考えられる。呪文を伴った『魔法』でなければ、マホトーンは無意味だ。

「効くにしろ効かないにしろ、マホトーンが無意味に終わった場合は、オレかレヴンが接近して、一気に叩くしかねえか」

「うん。あとは、ベロニカの魔力を先に取り戻すとか」

「ああ、その手もあったか。デンデン竜が溜めこんでるとすると、壷か?」

「ええ。デンダのやつは壷に溜めていたわ」

「じゃあ、壷の破壊も一緒に狙おう。セーニャ、ほかに使える魔法は?」

「各種回復魔法に、マヌーサやスカラにスクルト、ピオラ、ピオリム、ディバインスペルといった補助系統魔法。攻撃魔法では、バギやザキが使えますわ」

 マヌーサは、相手に幻覚を見せ、惑乱させる呪文。スカラとスクルトは、物理的な攻撃に対する障壁を躰に纏わせ、防御力を上げる呪文。スカラは個人、スクルトは複数人数にかけられる。ピオラとピオリムは、反応速度を向上させる魔法で、以前、イビルビーストが使っていたボミオスと真逆の効果をもたらす魔法だ。ディバインスペルは魔法への耐性を低下させる呪文。バギは、竜巻を起こして相手を切り刻む攻撃魔法で、ザキは血液を凝固させることで対象の息の根を止めるという凶悪な呪文である。

 ちょっと考えこみ、頷いた。

「わかった。じゃあ、まず、セーニャがマホトーンをかける。効かなかったとしても何度か試して、誰かが傷を負ったら回復を。ほかの魔法は、魔物たちの強さと戦法次第かな」

 魔法は、非常に有用なものだが、使うのに魔法力を必要とする。精神力とも言い換えられるものなのだが、これを回復する手段はそう多くはなく、寝るか、魔力を含んだ液体、『まほうのせいすい』などを摂取するのが主な手段となる。特殊な修練を積んだ者や、身に着けた者の魔法力を回復する特殊な装飾品などもあるそうだが、それで回復できる魔法力は、そう大きなものではないという話だ。

 特に補助魔法は、術者にいくらか負担がかかる。維持する必要があるのだ。

 維持しながらでもほかの魔法を行使するのは、ある程度の実力を持った者ならそこまで難しいものではないそうだが、補助魔法を遣うより攻撃魔法などで直接攻撃した方が早い、といった状況もあり得るのだ。

 魔法力は、無限ではない。無暗やたらと魔法を遣うのは避けるべきだった。

「セーニャの判断に任せることになってしまうけど、攻撃魔法も補助魔法も、有効だと思ったら遣って欲しい」

「わかりましたわ。お任せください」

「カミュは、奥の牢に一気にむかって、人質の救出をお願い。人質の安全が確保できたら、戦闘に参加して欲しい」

「おう」

「ベロニカは、セーニャの護衛を頼むよ。状況によっては援護を」

「わかったわ。ま、この躰でも、鞭を遣えばそれなりにやれるから、あまり気を遣うことないわよ?」

「うん。でも、無理はしないでよ。僕は、デンダを狙う。取り巻きも、仕留められれば仕留める」

 頷き合い、誰ともなく奥に進み出した。

 この通路を真っ直ぐ行くと、大きな扉があるらしい。そこが、デンダ一味のアジトだ。

「ん?」

 歩き出し、ちょっと進んだところで、カミュが壁に眼をやった。

「どうしたの、カミュ?」

「いや、結構でかい穴があるなって」

 カミュの視線を追うと、ちょっと大きめの穴が、壁に空いていた。

「その穴が、あたしが脱出に使った穴よ」

「これが?」

「ええ。牢の中に空いていた穴と繋がってたおかげで助かったわ」

 大きめと言っても、いまのベロニカでどうにか通れるかといった程度の大きさだ。ベロニカが言っていた通り、彼女の躰が小さくならなかったら、脱出はできなかっただろう。

「だいぶ小せえな。関節はずせば、いけるか?」

「あんたの腕を侮るわけじゃないけど、牢の鍵、開けられるの?」

「そいつは、物によるとしか言えねえな」

「だったら、やめておいた方がいいんじゃないかしら。穴の途中で詰まる可能性もあるし、行って結局駄目だったら目も当てられないし」

「それもそうか」

「あの、なんの話をしてらっしゃるのですか?」

 セーニャが、首を傾げながら言った。

「ん、ああ。ベロニカが牢から脱出する時に使った穴を通って、先にルコの父親を助けに行けないかって思ってな」

「あ、そういうことですか」

「まあ、リスクも高えし、やっぱ人質として使われないうちに、一気に斃しにかかった方がいいな」

「うん」

 再び先に進む。しばらく進んだところで、大きな扉が見えた。あれが、魔物たちのアジトに繋がる扉だろう。

「これ、どうやって開けるんだ?」

 扉には、鍵穴も取っ手らしきものもない。レヴンとカミュの二人がかりで押してみたがびくともせず、周りに仕掛けらしきものも見当たらなかった。

「ベロニカ。この扉を開ける時、魔物はなにかやってなかったか?」

「ごめん。連中のアジトに入るまで、ずっと袋の中に押しこめられてたから、この扉を開けるところは見てないのよ。ただ、一体だけ先行した魔物がいた気がしたんだけど」

「そうか。なにかアイテムでもいるのか、それとも合言葉か?」

「魔物が開けるのを待つしかないのでしょうか?」

「もしくは、さっきの穴を通って、内側から開けるしかねえか?」

「っ?」

 不意に、左手が熱くなった。なにかに呼ばれている気がした。ふっと、ナプガーナ密林とイシの村での出来事を思い出し、レヴンは周囲を再び見回した。

 淡い光を帯びた、緑色の木の根っこのようなものが、壁に走った亀裂の隙間に見えた。

「どうしたの、レヴン?」

「大樹の根が」

『え?』

 レヴンの言葉に、ベロニカとセーニャが不思議そうに声を洩らし、カミュがハッとした。

「呼んでるのか、レヴン?」

「うん」

 壁の隙間から見える大樹の根に、レヴンは左手を翳した。光が、視界に満ちた。

 

 影が、例の扉にむかって行くのが見えた。翼の生えた怪物の影とでも言うような姿をした魔物、あやしいかげ。

 あやしいかげが扉の前に立ち、じっとしていたかと思うと、なにか思い出したような仕草を見せた。

『ヤミ心あれば、カゲ心!』

 あやしいかげが、そう声を上げると、扉から小気味よい音が鳴った。あやしいかげが扉に触れる。扉が開き、あやしいかげが中に入っていった。

 合言葉で開く仕掛けだったのか、とレヴンは思った。

 

 視界が元に戻り、ベロニカとセーニャが不可解そうに周りをキョロキョロと見渡しているのが見えた。

「い、いまのは、いったい?」

「大樹の導き、ってやつらしいぜ」

「いまのが。言い伝えで聞いたことはあったけど」

「まさか、ほんとうに体験できるなんて」

 ベロニカとセーニャが、驚きながらも感激したふうに言った。

「にしても、助かったな。合言葉で開くタイプだったのか」

「みたいだね。よし。それじゃあ、みんな、準備はいい?」

 レヴンが呼びかけると、三人とも力強く頷いた。

「ヤミ心あれば、カゲ心」

 合言葉を告げると、扉から音が鳴った。扉に触れ、ゆっくりと開けていく。

 扉と扉の隙間から、そっと中を覗きこむ。中は結構明るく、水色のデンデン竜らしき魔物と、デンダの子分らしき、あやしいかげたちの姿が見えた。二十体はいるだろうか。

 あやしいかげたちはデンデン竜の前で整列しており、デンデン竜は彼らを威圧するように()めつけていた。

「あれが?」

「ええ。デンダよ」

「おまえらなあ」

 声をひそめてベロニカと確認し合ったところで、水色のデンデン竜、デンダが口を開いた。子分たちが、怯えたように躰を震わせた。

 こちらに言ったのかと一瞬思ったが、どうやらデンダは、子分たちに説教しているようだった。

「ごめんなさい、じゃねえんだよ!!」

『ヒィィィィィ~~~~~~~~!?』

 デンダが怒鳴り、子分たちが震え上がった。

「あのベロニカって女はなあ、まずお目にかかれねえほどの、桁外れの魔力と極上の資質を持ってやがったんだぞ。あの女の魔力を徹底的に吸い尽くし、その魔力を、いずれ姿を現されるであろう魔王様にお納めすれば、その右腕にすらなれたかもしれねえ。俺たちが成り上がる最大のチャンスが転がってきたと言ってもいいぐらいだった」

『魔王?』

 デンダの言葉に、四人で小さく首を傾げた。

 カミュと同時に、レヴンはハッとした。

「レヴン。デルカダール神殿で、イビルビーストたちが言ってたこと、憶えてるか?」

「うん。あの御方、って言ってたやつだよね」

「ああ」

「それを、逃げられましただあ~っ!?」

『ヒィィィィィィィ~~~~~~ッ!?』

 再びデンダが怒鳴り、また子分たちが震え上がった。

「もしかして、いまのいままで、お姉様が逃げたことに気づかなかったのでしょうか?」

「そういうこと、なんだろうね。まさか、いままでずっと説教してたわけじゃないだろうし」

「確かにカモフラージュはしておいたけど、それでもこんな時間まで気づかれないとは思ってなかったわ。ルコちゃんのパパがごまかしてくれてたのかしら」

「つってもよ、ベロニカが逃げ出してほぼ一日だろ。なんつーか、間抜けなやつらだ、な!」

 困惑しながら口々に言っていると、カミュが声を上げ、ふりむきながら短剣を振るった。レヴンたちの背後に近づいていたあやしいかげが、斬り裂かれた。

 あやしいかげが、信じられないとばかりに眼のような部分を見開き、消滅した。

「っ、誰だ!?」

 いまのでレヴンたちに気づいたのか、デンダと子分たちが扉の方をむいた。

 扉を勢いよく開け、対峙する。部屋はかなり広く、天井もかなり高い。デンダを挟んだむこう側に、扉が見えた。おそらく、あれが牢に繋がる扉だろう。

「な、なんだ、オメーらは。このデンダ様のアジトに勝手に」

 ベロニカを見たところでデンダが言葉を止め、ニヤリと厭らしい笑みを浮かべた。

「ははーん。なるほど。俺が取り逃した獲物を、わざわざ届けに来てくれたってわけか。果報はブチギレて待てたぁ、このことだなあ。さあ、野郎ども。仕事の時間だ。こいつらの魔力、全部吸い尽くしてやるぞ!」

『ヒー!!』

 デンダの子分たちが、威勢よく掛け声らしきものを上げた。

「ふざけたこと言ってんじゃないわよ。さっさとあたしの魔力を返して、呪いを解きなさい。せめて苦しまないように()ってあげるわ」

「そこは一応、見逃してやるとか言うところじゃねえのか、ベロニカ?」

「あいにくと、人の命を奪った魔物にかける情けは持ってないのよ。悔い改めて、二度と人間に危害を加えないって約束するんなら、まだ見逃してやってもいいけど」

「悔い改めるだあ?」

 はっ、とデンダが鼻で嗤った。

「馬鹿が。なんで人間を殺したことを悔やまなきゃならねえんだよ。人間ってのはなあ、俺たち魔物の玩具で、食い物なんだよ。なにしようが勝手だろうが。ゲバゲバゲバ~~ッ!!」

「ほらね」

 ベロニカが、笑い声を上げるデンダを鋭く睨みつけて、言った。カミュも眉を(しか)めている。

「ひとつ訊く」

 デンダを見据えながらレヴンが言うと、デンダが途端に嗤うのをやめた。周りの魔物たちも、びくっと躰を震わせていた。ベロニカたちも、どこか驚いたようにこちらを見ていた。

「おまえは、その目的のために、何人の命を奪った」

 デンダがたじろぎ、ハッとした仕草を見せたあと、また鼻で嗤った。

「さあなぁ。数えちゃいねえよ。憶えておく必要なんてねえだろ。よく言うじゃねえか。オメーは、いままで喰った肉の数を憶えてるのか、ってなあ。ゲバゲバゲバ~~!!」

 剣を握る手に、思わず力が入った。

「そうか。わかった。もういい」

 レヴンはただ、それだけを返し、剣を構えた。

 

 

 身も凍るような寒気を、デンダは感じた。サラサラヘアーの男からだ。すさまじいまでの怒気が、男から感じられた。

「人質を」

 指示を出そうとした時、悪寒を覚えた。咄嗟に壷を庇う。同時に、躰の数箇所に痛みを感じた。

「っ!?」

 ふり返ると、青髪を逆立てた男が、牢に繋がる扉の前にいた。短剣を構えている。

 連中との距離は、十歩は離れていたはずだ。牢に繋がる扉は、それ以上に遠い。あの一瞬で、デンダに斬りつけつつ、扉の前に移動したというのか。

 青髪の男が、扉に手をかけた。

「ちっ、おまえら、ヒャドとラリホーで」

「イオ!」

「マホトーン!」

「攻撃を、っ!?」

 サラサラヘアーの男が起こした爆発に子分の何体かが消し飛ばされ、デンダも含む残った魔物たちに、緑色の服を着た女の放ったマホトーンが掛かった。全員の魔法が封じられたわけではないようだが、二十以上いた子分たちはすでに、半分近くが無力化されてしまったようだった。

 サラサラヘアーの男がむかってくる。子分たちがかかっていくが、剣と魔法で難なく蹴散らされていく。牢の扉の方にふりむくと、青髪の男の姿がない。牢のある部屋に入ったようだ。何体かの子分が後を追い、少ししていくつもの悲鳴が聞こえてきた。子分たちの悲鳴だった。女たちをどうにかしようと飛びこんでいく子分もいるが、例のベロニカという女が操る鞭に打ち据えられ、次々にやられていく。緑色の服の女が放つ小さな竜巻、バギによって、子分がやられる時もあった。

 なんなんだ、こいつらは。

 戦慄しながらも、必死に思考を巡らせる。

 相対した時点で、この連中が相当の強さを持っているというのは感じていた。だが、数の差で押せばなんとかなると思っていたのだ。それが、まったく相手にならないとは。

 このままでは、全滅する。冗談ではない。なんのために、これまで魔力を集めてきたというのだ。

「っ、魔力」

 ハッと閃くものがあった。

 だがこれは、来たる魔王降臨の際に献上するために集めていたものだ。こんなところで失うわけにはいかない。だが、このままでは、魔力どころか命を失う羽目になる。

「イオ!」

「っ!」

 再び壷を庇う。サラサラヘアーの男の起こした爆発が、デンダを吹き飛ばした。倒れながらも壷を放さなかったのは、偶然としか言いようがなかった。

 男が、こちらに駆けて来る。

『ヒー!』

 跳びこんでくるサラサラヘアーの男を妨害するように、三体の子分が壁になった。

「海波斬!」

『ヒーッ!?』

 壁になった子分たちが、一瞬で斬り捨てられた。太刀筋が見えなかった。

 残る子分は、三。それらも、すでに逃げ腰だった。

「ヒ、ヒーッ、お、親分、もう無理ですっ。諦めて降参しましょう!」

「ヒヒーッ、そ、そうです、親分っ。這いつくばって、這いつくばって、這いつくばって、さらに這いつくばってごめんなさいして悔い改めれば、この人間様たちも許してくれるかもしれません!」

「ヒッヒヒーッ、地獄までついていく気ではいますけど、やっぱり死ぬのは嫌ですよー!!」

「馬鹿野郎!」

 成り上がってやると誓ったのだ。

 デンダのこのつぶらな瞳と水色の躰を馬鹿にしたやつらを見返してやると、この荒野の地下迷宮の奥深くにアジトを構えた。上階にいる魔物たちも、やはりデンダの瞳と体色を馬鹿にし、関わってくることはなかった。

 それならそれでいい、と思った。子分たちがいれば、それでいい。ほかの魔物の力を宿すことができるはずの『あやしいかげ』でありながら、その力を使いこなせない子分たちもまた、仲間内で馬鹿にされていた者たちだった。

 ドジが多い連中だったが、彼らはデンダを慕い続けてくれた。

 子分たちと一緒に成り上がるのだと、魔力を集め続けてきた。デンダには、人間から魔力を吸い取る力があったのだ。デンデン竜の中で、デンダのみにある力だった。

 ついてきてくれた子分たちとともに、この力で成り上がってやると、誓ったのだ。

 その子分たちを殺したこいつらに、頭を下げて許しを乞うなど、できるわけがない。

「子分どもを殺されて、黙っていられるわけねえだろうが!!」

 デンダの言葉に、子分たちがハッとなった。

「仇討ちだっ。仲間を殺したこいつらに、必ず落とし前をつけさせてやる!!」

「ヒーッ、お、親分、すまねえ、俺たちが間違っていたぜーー!」

「ヒヒーッ、親分の言う通りだぜ~~っ。仲間を殺したこいつらに許しを乞うなんて、恥知らずにもほどがあったわ~~っ!」

「ヒッヒヒーッ、命を落とした仲間たちのためにも、俺たちは負けられ」

「ふざけるな!!」

 サラサラヘアーの男の怒声が響き渡り、デンダたちの躰が硬直した。辺りの空気が震えている。凄まじい気迫だった。

「人間を玩具だと、食い物だと、多くの人を苦しめ、殺しておいて、勝手なことを言うなっ!!」

「っ、あ、あれは」

 男の左手が、光っている。いや左手の甲に、光を放つなにかがある。

「ま、まさか」

 勇者。その言葉が、不意に頭をよぎった。

 十六年前に取り逃したという、大樹に選ばれし存在。

 なぜ、こんなところにいるのだ。

「おまえたちが殺した人たちの中にも、おまえたちが仲間を想う気持ちに負けないぐらい、その人を大切に想う家族や友だちがいたはずなんだ。その人たちは、おまえたちに殺された人たちの帰りを、いまでも待っているかもしれない。帰らぬ人となったことを知らずに、いまでも待ち続けているかもしれない。身勝手な理由で理不尽に人の命を奪い、悲劇を生み出しておきながら、被害者ぶるなっ!!」

 再び響き渡った男の怒声に、子分たちが(すく)み上がり、震えはじめた。

 うるせえ、馬鹿が。人間と魔物は同列じゃねえんだよ。そう嘲笑おうとしたが、躰がうまく動かなかった。

 躰が、怯えている。これが、勇者。

 歯を喰いしばり、怯える躰に活を入れる。

 なんと言われようが、人間なんぞ、いくら苦しめようが知ったことではない。

 だが、このままでは勝ち目はない。もはや、これしかない。

 そう決断すると、デンダは壺の蓋を開けた。

「こうなりゃ、自棄(やけ)だあああああああ!!」

 壺に溜めこんでいた魔力を体内に取りこむ。すさまじいまでの力が、躰に(みなぎ)った。躰が爆発するのではないかと思うぐらいだった。

「ゲバアアアアアア!!」

 完全に取りこむのは無理だ。己の最大の攻撃である『つめたい息』に乗せ、威力を向上させる。

「みんな凍っちまえええええええ!!」

 冷気が、部屋に充満する。『つめたい息』どころではない。『かがやく息』にも匹敵しそうな冷気が、部屋に吹き荒れた。

「ベギラマ!」

 サラサラヘアーの男が放った熱線がデンダに直撃するが、痛みを感じることはなかった。凄まじい力を得たのだとわかった。

 あとは、連中が凍りつくまで、吐き続けるのみだ。

「お、親分~~」

「や、やめてくれ、親分~」

 残った子分たちが凍りついていく。『つめたい息』を吐き続ける。目の前の人間どもを殺せればいい。子分たちも、この人間どもを殺せれば、喜んでくれるだろう。

 なにか、おかしい。そう思いながらも、デンダは息を吐き続けた。

 

 

 部屋に吹き荒れるデンダのつめたい息は、すでにデンダの子分たちを凍りつかせ、部屋を極寒の空間に変えていた。息どころか、すでに吹雪だ。口だけでなく、デンダの躰全体から冷気が出ているようだった。

 ベロニカの背後から、綺麗な音色が聞こえてきた。寒さがやわらいでいく。

 ちらっと眼をやる。セーニャが、竪琴を弾いていた。セーニャの特技のひとつで、魔力をこめて竪琴を弾くことで、冷気や熱などをやわらげる旋律を奏でることができるのだ。

「レヴン、こっちに!」

 吹き荒ぶ吹雪に立ち止まっているレヴンへ呼びかけると、彼はすぐに戻って来た。

「暖かい?」

 近くに来たところで、レヴンが驚いたように言った。

「セーニャの特技よ。竪琴を弾くことで、こういった冷気とかをやわらげることができるの」

「そんなことができるんだ。すごいね、セーニャ」

「私もお姉様同様、鍛え続けてきましたから」

 セーニャが、やわらかく微笑んで言った。

「にしても、デンダのやつ。往生際が悪いっていうか、暴走してるじゃない」

「うん」

 ベロニカも含めて、何人もの人から集めたというその魔力は、デンダが操るには荷が重かったのだろう。すでにデンダは、ベロニカたちを凍りつかせることしか頭にないようだった。いや、意識が残っているかどうかすら怪しい様子だ。

「あたしの魔力を使った攻撃、か」

 ひとつ、思い浮かぶものがあった。眼を閉じ、集中する。

 思った通り、部屋に満ちる冷気から、ベロニカの魔力を感知した。ただ、デンダのつめたい息に使われているためか、吸収するのはまだ難しそうだ。

「カミュ!」

 レヴンが、声を張り上げた。眼を開き、牢に繋がる奥の扉の方を見ると、扉の前に彼の姿があった。部屋の様子に驚いているようだった。

「カミュ、こっちに!」

 レヴンがそう声を上げるとカミュは、吹雪の中心であるデンダを避けるかたちで、こちらに駆け寄って来た。

「暖けえ?」

 カミュが、さっきのレヴンと同じような反応をした。

「セーニャの特技らしいよ。竪琴を弾くことで、辺りの冷気とかをやわらげることができるんだって」

「そんなことができるのかよ。すげえな、セーニャ」

「ありがとうございます、カミュ様」

 セーニャが、嬉しそうに言った。レヴンに言われた時とはまた別種の感情があるような気がした。

 ちょっと気になったが、いまはこの状況をなんとかするのが先決だ。

「カミュ、ルコちゃんのお父さんは?」

「無事だ。怪我もねえ。牢の方には魔物はいなかったから、追ってきたやつらを片付けるだけで済んだ。おっさんは牢の方で待たせてある。一応、聖水も撒いておいた」

「わかった」

「つーかよ、なにがあったんだ、これ」

「いままで溜めこんだ魔力を取りこんで、暴走したみたいだ」

「ちっ、面倒なことを」

「レヴン。カミュ。ちょっとお願いがあるんだけど」

 ベロニカが言うと、二人がふりむいた。

「あいつのつめたい息、止められるかしら?」

 二人がデンダに眼をやったあと、互いを見て、頷き合った。

「レヴン。あれ、やってみようぜ」

「うん。ベロニカ、任せておいて」

 そう言って、レヴンとカミュがデンダを見据えた。少しして、蒼い光が二人の躰を包んだように見えた。

「お願いね」

 精神を集中する。部屋に漂う魔力を一気に取りこむのはまだ無理だが、ちょっとずつならできなくはない。躰に巣食う呪いを、外から取りこんだ魔力でちょっとずつ解除していく。内側の魔力を閉じこめるように作られた壁を、外からの魔力で穴を開けるような感じだった。

「ギラ!」

「ジバリア!」

 レヴンとカミュが、同時に呪文を唱えた。デンダの足元に、魔法陣が描かれる。

『火炎陣!』

「ゲバッ!?」

 二人の声とともに、魔法陣から隆起した、炎を纏った岩がデンダを突き上げた。岩は槍のように鋭いが、魔力で強化されているのだろうデンダの躰を貫くには至らなかったようだ。

 だが、デンダのつめたい息は、止まった。辺りに漂うベロニカの魔力の吸収を妨げるものは、もうなにもない。

 亀裂が走った壁が壊れるように、呪いが一気に弾け飛んだのを感じた。

 両手を、頭上に掲げた。

「レヴン、カミュ。トドメは、あたしが刺すわ」

「うん、っ!?」

「おう、って、でかっ!?」

 ベロニカの前からどけつつ、こちらをふり返った二人が、驚愕の声を上げた。視線は、ベロニカがいま頭上に作っている火球にむけられている。

 火球は、いまのベロニカの躰よりひと回りは大きなものだった。

「メ、メラゾーマ?」

「いいえ。これはメラゾーマじゃないわ」

 レヴンの言葉に応えつつ、ベロニカは上体を反らした。

「メラミよ!」

 放り投げるようにして、デンダに火球を放つ。岩の槍に突き上げられ、落下していたデンダに、火球が直撃した。

「ゲ、ゲバアアアアアアアアアアア!?」

 炎が、デンダを包む。デンダの悲鳴が響き渡り、その躰が焼け落ちていく。

「ゲバッ、ま、魔王様の右腕になるというオレ様の野望も、ここで潰えるのか」

 理性を取り戻したのか、デンダがそんなことを言った。

「さっきもそんなこと言ってやがったな。その魔王ってのは、なんだ?」

「ゲーバゲバゲバゲバ~~ッ、オメーらに教えることなんぞ、なにもありゃしねえよ。どうせオメーらは、いずれ魔王様にやられっちまうんだからなあ。命あっての特ダネとはこのことよ~~っ。ゲバッ」

 嘲笑うようにそう言うと、デンダは焼滅した。

 

 

 デンダが消え、その身を包んでいたメラミの炎が消えた。まだ若干寒さが残っていた部屋も、残っていた火炎陣による熱で徐々に温かくなっていく。

 ほどよい温度になったところでセーニャが竪琴を弾くのをやめ、レヴンたちも火炎陣を消した。

 火炎陣。勇者の書に記されていた連携技のひとつで、ギラとジバリアによって魔法陣を作り、そこから炎を纏った岩の槍を突き出し、攻撃するというものだ。単に岩の槍で貫くだけでなく、魔法陣の周囲にいる敵を、炎や熱による攻撃に弱くする効果もあるという。

「ぶっつけ本番だったが、うまくいったな」

「うん。みんな、おつかれさま」

「はい。やりましたね」

「あとは、ルコちゃんのパパを迎えに行って、ホムラの里に戻るだけね」

「うん。あれ?」

 ベロニカの躰は、小さいままだった。戻る気配もない。ベロニカを除く三人で顔を見合わせた。

 ベロニカに、視線を戻した。

「呪いは解けて、魔力も戻ったんだよね、ベロニカ?」

「ええ。間違いなくね」

 ベロニカが、指先に炎を(とも)した。煌々(こうこう)とした炎は、完全に制御されていることを示すように、小さくなったり大きくなったりを繰り返し、やがて唐突に消された。

「この通り、すっかり元通りよ」

「ですが、お姉様、そのお姿は」

「呪いは解けて、魔力も戻ったけど、年齢までは元に戻らなかったみたいね。でも、せっかく若返ったんだし、まあ、いいわよねっ」

「そんな」

 笑いながら言うベロニカの言葉に、セーニャが愕然とした表情を浮かべた。

 よよ、と泣き崩れるように、セーニャが崩れ落ちた。

「お姉様とレヴン様のラブロマンスを楽しみにしておりましたのに」

「あんたはなにを期待してんのよ」

「あ、でも、呪いによって本来のものとは違う姿になりながらも、変わることない愛を貫く男女というのも」

「話を聞きなさい!」

 ベロニカが、かすかに顔を赤くしていた。セーニャの言葉に、レヴンも顔がちょっと熱くなっていた。セーニャがなおも夢心地な様子でなにか言い、ベロニカが声を上げた。

 ふっと、ラムダでベロニカ、セーニャとともに過ごした、幼いころのことを思い出した。

 口もとが緩み、ハッと引き締める。

 目的のひとつである、ベロニカ、セーニャと再会するという目的は果たせた。だが、イシの村のみんなを助けるまで、気を緩めるわけにはいかない。

「よかったな、レヴン」

 カミュが、静かに言った。

「うん。だけど」

「いまは、素直に喜んどけよ。村のやつらのことが気にかかるのはわかるが、ずっと張り詰めっぱなしじゃ、おまえが()たねえぞ。村のやつらだって、きっとそれぐらい許してくれるさ。ベロニカとセーニャに気を遣わせたいわけでもねえだろ」

 ぶっきらぼうな言い方ではあったが、カミュの声は、どこか優しいものだった。

 カミュの顔に眼をやる。カミュは、ベロニカとセーニャの方にじっと視線をむけていた。

 視線は、優しいものだった。ただ、どこか憧憬のようなものが、横顔から感じられた気がした。

「妹、か」

 カミュが、ボソッと呟いた。

「カミュ?」

「まあ、いいわ。さて、それじゃあ、セーニャ?」

「はい。改めて、御挨拶いたしましょう」

「ええ」

 話が終わったのか、ベロニカたちがこちらに顔をむけた。

 カミュの様子が気にはなったが、いまは彼女たちの話を聞こうと意識を切り替える。二人が、レヴンのすぐそばに近寄ってきた。

 セーニャが跪き、ベロニカと躰を寄せ合うと二人は、お互いの掌を胸の前で合わせた。

 二人は、レヴンを見つめていた。

『命の大樹に選ばれし勇者よ。こうしてあなたとお会いできる日を、心よりお待ちしておりました。私たちは、勇者を守る宿命を負って生まれた、聖地ラムダの一族。勇者の導き手、双賢の姉妹。使命を果たすその時まで、命を懸けてあなたをお守りいたします』

 朗々とした二人の声が、辺りに響いた。

 ベロニカとセーニャの顔をじっと見つめる。いろいろと話したいことはあったが、なにから聞いたものか。

「二人は、僕が勇者だと知っていたのかい?」

「あたしは、つい最近気づいたところね。セーニャは多分、旅立つ前に聞かされてたんじゃない?」

「はい。黙っていて申し訳ありませんでした、お姉様」

「別にいいわよ。あたしのためを思ってのことだったんでしょ?」

「ベロニカのため?」

「え、あ、こ、個人的なことだから、秘密よ!」

 ベロニカが言った。かすかに顔が赤くなっている気がした。セーニャが、微笑んでベロニカを見ていた。

 ごほん、とベロニカが咳払いし、セーニャが再びレヴンに視線をむけた。

「まず、勇者は、レヴン様は災いをもたらす悪魔の子などではありません。こうして再会し、身も知らない誰かのために怒れるレヴン様を見て、それは間違いのないことだと改めて確信いたしました」

「あたしもよ。再開した時にわかってはいたけど、さっきのではっきりとわかったわ。ああ、レヴンが、あたしたちが探し求める勇者なんだって。悪魔の子なんかじゃない。瞳の奥に温かな優しさを宿した、伝説にある、大いなる闇を打ち払う者なんだって」

 力強く、しかし優しく紡がれた二人の言葉に、胸が少し軽くなったのを感じた。なにか、救われた気持ちになった気がした。

「ありがとう、ベロニカ、セーニャ」

 声が震えていたことに気づき、慌てて天を仰ぐ。涙がこぼれそうだったが、それはなんとか堪えた。ベロニカもセーニャもカミュも、静かに待っていてくれた。

 やがて落ち着くと、レヴンは視線を正面に戻した。

 カミュが、レヴンの肩を軽く叩いた。

「命の大樹に選ばれし勇者、か。こうはっきりと言われちゃ、ますます悪魔の子なんかになるわけにはいかねえよな」

「うん」

 ニヤッと笑いながら言うカミュに頷くと、ベロニカとセーニャに改めてむき直った。

「二人に訊きたいこと、話したいことはたくさんあるけど、まずはルコちゃんのお父さんを助けて、ホムラの里に戻ろう」

「そうね。ルコちゃんを安心させてあげなきゃ」

「はい。行きましょう」

 ベロニカとセーニャが、優しく微笑んだ。

 幼いころの二人の姿が、重なって見えた。レヴンの好きだった、優しい笑顔だった。

 




 
「私、甘いものには目がないんです」
 
セーニャ合流。
クレイモランで凍った人たちを見て「いや最初に言う言葉それかよ!?」という気持ちになったり、大樹崩壊後、「どうやってクレイモランを抜けてきたの――?」という気持ちになったり、ベロニカがああなったあとの覚悟が美しくも切なかったり、時を戻ったあとの姿がちょっと寂しくもホッとする娘。
正直スキルパネルのスキルポイントを持て余す娘。竪琴スキルとか使わねえっていうか、キラキラポーンと聖女、天使の守りぐらいしか使った記憶ないんですが。


変異種とかいうのはオリジナル。要はボス仕様のやつ。

ヨッチ族どうするか悩む。ヨッチ族というか、ルドマン邸のあのイベントとか。

 


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Level:14 大樹への道

 荒野の迷宮の牢にあった遺骨の数は、相当なものだった。

 原型を留めているものだけでも二十以上はあったが、欠損が大きかったり、判別が難しいぐらい粉々になったものなどを合わせると、その比ではなかった。

 せめて弔おうと遺骨を回収しようと思ったが、これだけの数となると、すべて回収するのは難しい。いまは諦めるしかないだろうか、と思ったところで、ベロニカが大きな袋を渡してきた。

 人間や動物、魔物以外なら大抵の物を入れられ、なにを入れても重くなることはないという、ラムダに古くから伝わる魔法の道具袋だとのことだった。

 なんでも、賢者セニカと魔法使いウラノスの手によって作られたと言われている物らしく、いまのベロニカがすっぽりと入りそうなぐらいの大きさのものがひとつと、ベロニカの帽子ぐらいの大きさのものが四つあった。

 旅の荷物がないと、いろいろな意味で怪しまれかねないため、天幕などの野営道具は馬に積んでいたそうだが、それ以外のものはそれらの袋に入れていたらしい。

 小さい袋の方は、ベロニカとセーニャでそれぞれひと袋ずつ私物入れに使っていたそうで、セーニャが竪琴を入れていたのもその袋らしい。彼女がどこから竪琴を取り出したのか気になってはいたが、それを聞いて合点がいった。

 小さい袋の方は内臓量に限界があるが、大きな袋にはそれがないらしい。ひょっとしたらあるかもしれないが、確認はできていないとのことだった。それほどまでに多くの物を入れられるそうだ。

 中に入れた物を取り出す場合も、取り出したい物を頭に思い浮かべて袋の口に手を入れることでそれが手もとに現れるため、探す手間もかからないという至れり尽くせりの道具だった。

 大きな袋に、回収が可能な遺骨をすべて入れると、ルコの父親である男性、ルパスとともに迷宮を脱出した。カミュが、ルパスの名前に聞き覚えのあるような反応を見せていたが、殊更になにか言うことはなかった。

 脱出には、リレミトという魔法を使った。洞窟や迷宮で発動すると、瞬時にそこの入口へ転移できるという呪文である。

 外に出ると、すでに夜になっていた。

 遺骨の埋葬場所をどうするか、ちょっと話が出たが、ホムラの里の人に事情を説明して、共同墓地に埋葬させて貰えるように頼んでみようということになった。

 放してあった雷刃たちを呼ぶと、ベロニカのルーラでホムラの里に翔んだ。

 里の門は閉まっていたが、衛兵に事情を話し、なんとか門を開けて貰うことができた。

 レヴンはまず、カミュに宿を取りに行ってくれるよう頼み、ベロニカとセーニャには、ルパスとルコの再会を見届けて貰うため、酒場に行ってくれるよう頼んだ。レヴンは、厩に雷刃たちを預け、手入れすることにした。

 厩で雷刃が、じっとこちらを見つめ、耳をちょっとだけ動かした。レヴンがベロニカとセーニャに再会できたのを、喜んでくれているように感じた。

 ほどなくしてベロニカとセーニャが戻り、ちょっとだけ遅れてカミュが戻ってきた。宿は問題なく取れたらしく、ルパスとルコも、無事に再会できたとのことだった。特にルコは、数日ぶりに父親と再会できたためだろう、人目も憚らず泣き出しながら、ベロニカたちにお礼を言ってくれたそうだ。

 ベロニカ、セーニャ、カミュも馬の手入れに加わり、速やかに終えると、酒場にむかった。

 ルコたちに、改めてお礼を言われた。

 みんなで一緒に食事を摂り、宿にむかうと、詳しい話は明日にして、今日のところは躰を休めることにした。

 そして、夜が明けた。

 

***

 

 作られたばかりの墓の前で、神父が祈りを捧げ、レヴンたちも同じく祈りを捧げた。

 墓は、デンダ一味による犠牲者たちの墓だ。祈りを捧げているのはレヴン、カミュ、ベロニカ、セーニャだけでなく、ホムラの里の役人である男もいた。

 ホムラの里の共同墓地を使わせて貰えないかと、ヤヤクという里長のもとに頼みに行き、御付の人に事情を説明したところ、里の役人の立会いの下、埋葬が許されることとなった。

 最初は、胡乱なものを見るようにしていた役人だったが、レヴンたちが取り出したいくつもの遺骨を見て、神妙なものへと態度が変わっていった。

 お祈りが終わり、神父がこちらにむき直った。

「皆様、ありがとうございました。あなたたちのおかげで、彼らも安らかに眠れることでしょう」

「里の者を代表して、私からも御礼を言わせていただきます。まさか、里の近辺にそのような魔物たちが棲息していたとは」

「まったく気づかなかった?」

 カミュが言うと、役人が申し訳なさそうに頷いた。

「はい。以前は、ヒノノギ火山に巣食う人食い火竜の犠牲となる者もいましたが、人食い火竜は少し前に、ヤヤク様とその息子である剣士ハリマ様によって討伐されています。ハリマ様は、その闘いで命を落とされてしまいましたが」

 役人が、悲しそうに眼を伏せた。

 剣士ハリマは、人食い火竜と相討ちになるかたちで亡くなったらしい。里で最も実力のある二人、ヤヤクとハリマのみで討伐にむかい、ヤヤクだけが帰ってきたという。そのヤヤクも無傷とは言えず、左足に大きな傷を負ったそうだ。

 気丈に振る舞っても、息子を失った悲しみからだろう、ヤヤクはあまり笑わなくなったらしい。それでも彼女は、里長の務めを果たそうと働き続けているという。

 役人が(かぶり)を振り、眼を開いた。

「すみません。それで、話の続きですが、ほかにこの里における魔物の被害というと、鉱石などを採掘に行った者が運悪く魔物に襲われるといった程度で、行方不明となった者などはいませんでした」

「旅人ばかりを狙っていたんでしょうね。それも多分、魔力の強い人を重点的に」

 言ったのは、ベロニカだった。

「街道の警備なんかは、どうなってますか?」

「万全とは言い難いですね。里には、街道の警備に回せるほどの人員がいないのです。ただ、月に何度か来るサマディーからの隊商は、サマディーの兵士や傭兵など、それなりに腕の立つ者たちが護衛に就いていることもあって、比較的安全に行き来しています。しかし隊商とは別に来る者も中にはいますので」

「そういうことか」

 その隊商とは別に来る人たちの何割かが、おそらく攫われていたのだろう。

 ベロニカを里で襲ったのは、彼女の強さを警戒して、里の人間を人質として遣うためだったのかもしれない。実際、事故のような恰好ではあったが、ルパスがそう遣われたのだ。

「ヤヤク様に、里と街道の警備強化を提案してみようと思います。里はともかく、街道は難しいかもしれませんが、そのような魔物がまた現れないとも限りませんし」

「お願いします」

 レヴンが言うと、役人がゆっくりと頷き、去っていった。

「それでは、私もお(いとま)させていただきます」

「神父様。ありがとうございました」

「いえいえ。神に仕える者として、当然のことです。これからあなたたちがどこに行くのかは存じませんが、あなたたちに神の御加護があらんことを」

 セーニャの言葉に神父が微笑んでそう言うと、彼も去っていった。

「さて、これからどうする、レヴン?」

「まずは宿に戻って、今後のことについて話をしよう」

「そうね」

「はい」

 宿に戻り、レヴンとカミュが泊まった部屋に全員で集まると、まず周囲の気配を探り、誰もいないことを確認した。部屋の中央でむかい合う。

 なにから話すべきか、誰から話して貰うべきか。

 ちょっと考えると、レヴンはベロニカに視線をむけた。

 ベロニカが、うん、とひとつ頷いた。

「それじゃ、説明させてもらうわね。簡単に言うと、勇者を命の大樹に導くこと。それがあたしたちの使命」

「命の大樹に?」

「大いなる闇。邪悪の神が天より現れし時、光の紋章を授かりし大樹の申し子が降臨す。憶えてらっしゃいますか、レヴン様?」

「確か、ラムダに伝わる神話の一説だよね?」

「ええ。その紋章の力で邪悪の神を倒し、世界を救ったと言われる古の勇者の伝説」

 ベロニカが、レヴンの左手の痣を、視線で差した。

「レヴンは、テオおじいちゃんから、勇者のことについてなにか聞いてる?」

「直接は、なにも聞いてない。手紙で、僕が勇者の生まれ変わりだってことは知らされているけど、それぐらいだよ。じいちゃんも、それ以上のことは知らないみたいだったけど」

 そう、とベロニカは頷いた。

「邪悪の神は倒されたはずなのに、なぜ勇者が生を受けたのか。それは、あたしたちにもわからない。その真実を突き止めるためにも、勇者を命の大樹へ導かねばならない」

「命の大樹に行けば、すべての謎が明らかになるのか?」

 カミュが、真剣な顔で言った。

「すべての謎が明らかになるかどうか、それは正直なところわからないわ」

「おいおい」

「けど、勇者と(ゆかり)の深い命の大樹なら、必ずなにかがわかる。それは断言していいと思う」

「ふ、ん。微妙に頼りない話だが、当てもなく彷徨うよりはずっとマシだな。じゃあ、さっさとそこに行こうぜ」

「そうしたいところだけど、そうもいかないのよ」

「あ?」

「命の大樹は空に浮かんでるのよ。簡単には行けないわ」

「かつて邪悪の神と闘った勇者様は、空を渡り、大樹から使命を授かったと言われていますが、その記録も時の流れに埋もれているんです」

「つまり、あんたらにもわからねえってことかい?」

「お恥ずかしながら」

 セーニャが言い、全員で呻いた。

「命の大樹ねえ。ん?」

 カミュが、なにかに思い当たったような声を洩らした。

 視線が、カミュに集まる。

「確実とは言えねえが、なにかわかるかもしれねえぜ」

「まあっ、ほんとうですかっ?」

「ああ。昨日助けたルコの親父だがな、確か、あのおっさん、有名な情報屋だ。命の大樹について、なにか知ってるかもしれねえ」

「昨日、ルパスさんの名前を聞いた時、どこかで聞いたようなって言ってたのって」

「ああ、それのことだ」

 レヴンの言葉に、カミュが頷いた。

 部屋を出て、宿の主人のところにむかう。

 ルパスの行方を訊いてみると、酒場にむかったという答えが返ってきた。

 朝食と言うには遅く、昼食には早過ぎる時間帯である。

「まさかとは思うが、あのおっさん、昼間っから飲んでんのか?」

 カミュが、呆れたように言った。

 宿を出て、酒場にむかう。酒場は、すでに開いていた。

 扉を開け、中に入る。カウンター席に、目的の人物である中年の男性、ルパスと、彼の娘であるルコの姿があった。

「ねえ、パパ、もう帰ろうよ。お店の人に迷惑だよ」

「あと一杯だけだから。あー、やっぱ、命拾いしたあとの一杯は、美味えよなあ」

「よう、おっさん。ご機嫌じゃねえか」

 カミュが、ルパスに近づいて言った。

 ルパスが驚いたように彼の方を見ると、カミュがルパスの隣の席に着いた。レヴンたちも、その隣の席に並んで座る。

 各々が店主に飲み物を頼むと、カミュがルパスにむき直った。

「オレさ、思い出したんだ。生まれつきの不幸を逆手にとって、厄介事に巻きこまれちゃあ、そいつをネタに商売してるっていう情報屋の話をな。あんたのことだろ、情報屋のルパス。違うかい?」

 カミュの言葉に、ルパスがちょっとだけ眉を動かし、ニヤッと笑った。

「バレちまったらしょうがねえ。そうさ。道を歩けばネタの方から寄ってくる天才情報屋ルパスたあ、俺のことよ」

「訊きたいことがあるんだが、いいかい?」

「俺の知ってることなら、なんでも話してやるよ。あんたたちは命の恩人だからな。それで、なにが聞きたい?」

「命の大樹について。命の大樹に結びつくことなら、どんな情報でもいい」

「ほう、命の大樹とはまた、デカいターゲットだな。いいだろう、とっておきのネタを教えてやる。ホムラに来る前、南西の砂漠のド真ん中で、俺とルコは不幸にも熱中症になり、死を覚悟した」

 芝居がかったような口調で、ルパスが喋りはじめた。

「朦朧とする意識、自由の利かない躰。天才情報屋、砂漠の真ん中で死す。そんな言葉が頭をよぎった時、砂漠の大国サマディーの兵士が運よく通りがかってくれてな、俺たちを城に運んで介抱してくれたんだ。そして意識を取り戻した俺は、城の中で不思議な物を見た。キラキラと七色に輝く、不思議な枝をな。俺の目に狂いはねえ。あれこそが命の大樹、の枝だと思うぜ」

 ルパスの言葉に、カミュを除く三人で、ハッとなった。

「七色に輝く枝って、まさか」

「昔、テオおじいちゃんが話してくれた『虹色の枝』かしら?」

「確か、テオおじい様と一緒に長老様をお助けしたお医者様は、砂漠の国の方だと話してらっしゃいましたね。その方が持っていた物でしょうか」

「かもしれないわね。七色に輝く枝なんて、そうそうあるものじゃないし。ずっと輝き続けているってことは、大樹の力が残っていると考えていいかしら」

「ひょっとしたら、『大樹の導き』が受けられるかもしれない。行ってみる価値はあるね」

 レヴンの言葉に、ベロニカとセーニャが頷いた。

「ほかに情報はあるかい?」

「命の大樹のこととなると、これぐらいしか話せることはねえな」

「噂とかは?」

「噂程度ならいろいろ聞くが、御伽噺の類ばっかりさ。情報屋として話すものはねえ。それでも聞きたいってんなら、クレイモランにでも行ってみたらどうだい。クレイモラン地方のどこかにあるっていう古代図書館になら、命の大樹に書かれた本もあるかもしれないぜ?」

「クレイモラン」

 カミュの顔が、一瞬だけ曇った気がした。

「古代図書館か。名前は聞いたことがあるが」

「名前の通り、遥か昔から存在するっていう伝説の図書館だな。命の大樹に書かれた本があるかどうかは、俺にはわからねえがよ」

「わかった。ありがとよ」

 カミュが、懐から小さな袋を取り出した。銭の入った袋のようだ。

「情報料だ。ルコにいいものでも食わせてやれ」

「おう。それじゃ、遠慮なく貰うぜ」

 ルパスが袋を懐に収めたところで、店主が飲み物を出した。

 早々に飲み終えると、代金を支払い、酒場をあとにした。

「虹色の枝か。さっき、おまえら、なにか知ってるみてえな反応してたが」

「以前、テオじいちゃんがファナードさんを助けて、まほうの石を貰ったっていう話はしたよね。その時、砂漠の国の老医師と一緒に旅をしていて、テオじいちゃんはまほうの石を、老医師は虹色の枝を貰ったって話なんだ」

「そういうことか。その医者が持ってたやつなのかね」

「それはわからないけど、手がかりには違いないわ」

「はい。旅の準備を終えたら、出発いたしましょう」

「うん」

 ベロニカとセーニャが、改まった様子でレヴンにむき直った。

『レヴン様。これから先、長い旅になると思いますが、私たち姉妹を、どうかよろしくお願いいたします』

「こちらこそ。たくさん世話をかけると思うけど、よろしくお願いします」

 深々とお辞儀し合うと、ベロニカがレヴンに近づいた。

「準備の前に、一度宿に戻りましょ。あんたに、伝授しておきたいものがあるの」

「伝授?」

「ええ。ルーラをね」

『は?』

 ベロニカの言葉に、レヴンとカミュは顔を見合わせた。

「ベロニカ。ルーラってのは、そんな簡単に伝授できるもんなのか?」

「魔法の伝授自体は、そう難しいものじゃないわ。使えるかどうかは本人の資質次第だけど、レヴンなら多分使えると思うわ」

「ルーラか。一度行った場所なら、大抵の場所に行けるんだよね?」

「いくつか条件があるけどね。まずは、行った記憶のある場所で、街や村みたいにイメージしやすくて、魔物の気配があまり濃くない場所。そういった意味で、洞窟や迷宮なんかはちょっと難しいの」

「なるほど。あとは?」

「景色を思い浮かべる必要があるから、記憶の薄れている場所なんかは翔べない可能性があるわ。レヴンだったら、イシの村には翔べるだろうけど、ラムダには翔べない可能性が高いわね」

「ルーラを覚える前に行った場所にも翔べるのか?」

「ええ」

「そうか。レヴン、ちょっと行っておきたいところがあるんだが」

「行っておきたいところ?」

「宿で話す。行こうぜ」

 カミュの言葉に首を傾げながらも、レヴンたちは宿にむかった。

 

***

 

 厳戒態勢が解かれたことで、城下町の空気がだいぶもとに戻ったように感じた。

 それでも、『悪魔の子』が現れる前に比べると、警備はかなり物々しく思える。スラムから城下町の方に行くにも、賄賂の通じそうにない兵士が多くなり、ひと苦労だった。

「じゃあ、カミュちゃんたちはデルカダール軍から逃げ切ったわけだね?」

「少なくとも、グレイグ将軍が率いる部隊が帰って来たのは確かみたいよー。それから牢に誰かが入れられたっていう話は、いまのところないねー」

 アマンダの問いに、デクがいつも通り間延びした口調で答えた。

 富裕層にあるデクの店の一室で、商売の話とともにカミュたちの話をしたところ、彼らがデルカダール軍から逃げ切ったらしいという情報を聞かされたのだ。

 デクは、デルカダールの貴族や城の者とも商売をしており、ちょっとした世間話としてさまざまな情報を仕入れてくる。アマンダも、商売の話をするとともに、そういった情報をデクから仕入れるようにしていた。

 数日前、『悪魔の子』を育てたという村の者たちが連行され、牢に入れられたとの噂が流れた。そしてつい先日、『悪魔の子』を捕らえるために部隊を率いて出陣したグレイグ将軍が戻ってきたそうだ。

 それから街の警備は緩くなったが、『悪魔の子』がどうなったのか、いまのところなんの報せもなかった。

「捕らえることなく殺した可能性は?」

「糧食とか、いろいろと手配する空気があるみたいなのよー。遠征する部隊があるみたいなんだけど、かなり大規模なものらしくて。つい最近まで、そんな予定はなかったはずだから無関係とは思えないし、デルカダール国外に逃げられたんじゃないかなー」

 デクは、少々間の抜けたところはあるが、商人としての才覚はかなりのものだ。情報の真偽を見抜く眼力があることに加え、緩い雰囲気が警戒心を解くのか、相手の口を緩めてしまう。そのちょっとした情報から物や金、人の動きを見極める分析力は、才能としか言いようがないものだった。

 レッドオーブの保管場所を特定したのも、その才によるものだった。

 デクの分析力と、カミュの盗賊としての腕を合わせれば、盗み出せない物はない。そう思わせるほどのものがあった。事実、デルカダールの国宝であるレッドオーブを一度は盗み出したのだ。不運だったのは、グレイグがいたことか。

「にしても、村をひとつ焼くとか、王様はなにを考えてるんだか」

「連行されてきた、イシって村の人たちだけど、いまのところ酷いことはされてないって話よー。『悪魔の子』を捕らえ、すべてが明らかになるまで、村人たちの処罰はお待ちくださいってグレイグ将軍が願い出たとか。王様も、それを聞き届けたみたいねー」

「ますますわからないねえ」

「王様の対応が?」

「ああ。村を焼いておいて、人はただ牢に閉じこめておくだけ。人質として遣うつもりなのかねえ?」

「人質として遣うつもりだったら、もうとっくに遣ってるんじゃないかなー。人質を使うのは体面的にもよくないだろうし、反発する人も結構いると思うよー」

「反発?」

 デクの言葉に、アマンダは首を傾げた。

「どういう意味だい?」

「『勇者』ってなんなんだろう、『勇者』っていうのはほんとうに『悪魔の子』なんだろうか、って思う人がちょっとずつ増えてるみたい。命を助けて貰った兵士、ひとりや二人じゃきかないぐらいいるみたいよー」

「お人好しだねえ、あの子は」

 苦笑する。ゴーディから、レヴンが一度捕まった経緯を聞いてはいたが、ほんとうにお人好しだと思う。ただそれは、心配になる部分ではあるが、好ましい部分であると思える。

「特に若い兵士は、レヴンさんに同情的になってるみたい。古参の兵士たちは、王様の味方が多いみたいだけど」

「娘を失ったってことを考えれば、わからなくもないからねえ」

 デルカダール王、モーゼフ・デルカダール三世は、稀代の帝王と呼ばれるほどの名君だった。民草に対して、時に優しく、時に厳しく、父親のように接するその姿は、まるで古の聖王のようだと評されるほどだった。

 戦士としての技量もかなりのもので、若いころは陣頭に立って魔物と闘っていたほどだ。軍略も見事なものだったそうだが、ただ自分の考えに囚われることもなく、他者の意見も柔軟に取り入れる器、見識の広さも持っていたという。

 (まつりごと)も、素晴らしいものだった。皆が皆、情熱を持って、国をよくしようと一丸になる。そんな治世だった。

 いまは、そうではない。

 十六年前の『ユグノアの悲劇』から、彼は民の方を見なくなったように感じるのだ。それを証明するように貧富の差がちょっとずつ広がり、やがてスラムができた。そのスラムは、いまも少しずつ大きくなっている。

 デルカダールという国がいますぐに滅びるような悪政ではないだろうが、国が大きく発展するような善政ではないのも、確かだった。

 娘を失った悲しみが彼をそんなふうにしたのだと思えば、デルカダール王と同様に大切なものを失った人たちが、彼に味方するのは当然だ。『悪魔の子』を憎むのもしょうがないと考える人も少なくないだろう。レヴンと会うまでは、アマンダもそう思っていた。

 レヴンの人となりを知ってしまうと、それをしょうがないことだとは、思えなくなった。

 彼は、強く優しい、しかし普通の青年だった。彼に救われた人たちもいる。『悪魔の子』などと言われるようなことは、なにひとつしていないではないか。そう声を上げたくなる。

 しかし、アマンダにできることなどなにもない。アマンダは貧民で、スラムのことで精一杯なのだ。

 罪悪感を覚えながらも、アマンダはそう自分に言い聞かせることしかできなかった。

 

 デクの店から出ると、スラムへの帰途についた。段々暗くなるころだった。

「っ?」

 富裕層の階段を降りたところで、奇妙な二人組が目に入った。緑色を基調にした服を着た年若い娘と、赤を基調とした服を着て帽子を被った幼い少女の二人組だ。こちらの方に歩いてくる。

 二人とも綺麗な金髪で顔立ちが似ていることから親子かと思ったが、それにしては娘の雰囲気が若すぎる気がする。年の離れた姉妹といったところだろうか。

 奇妙に感じたのは、歩き方だった。腕の立つ戦士のような、隙のない歩き方のように感じるのだ。娘の方はともかく、あんな幼い少女に、あのような歩き方ができるものなのだろうか。

 アマンダ自身は腕が立つわけではないが、闘いや荒事に携わる者を見る目は、それなりにあると思っている。そういった者たちの中でも、腕の立つ人間に共通する特有の空気を、二人は持っている気がした。

 それとなく二人を視界に収めながら、自然な調子で歩き続ける。

 二人と擦れ違う瞬間、少女の方が、視線を送ってきた気がした。娘の方は、のんびりとしたものだった。

 特にお互いなにかを言うことなく、そのまま擦れ違った。

 スラムに繋がる門が見えたところで、アマンダはふうっと息をついた。

 何者なのだろうか。そう考えたあと、余計な詮索はするべきではない、と思い直す。藪を突いて蛇を出すこともあり得るのだ。

 このあたりでは見ない顔だった。旅人だろうか。用があるのは富裕層か、それとも城か。

 スラムへの門をくぐり、宿に帰ると、お客を待ちつつ帳簿をつけることにした。

 カミュとレヴンのことが、ふっと頭に浮かんだ。

 彼らがここに来た時も、こんな感じだった。

 いま、どこで、なにをしているのか。

 物思いに耽っていると、扉の開く音がした。顔を上げる。フードを被った二人組みが、中に入って来た。扉が閉まる。

 片方の男が、手を軽く挙げた。

「おう、女将」

「いらっしゃいましー。今日はお泊りで」

 言葉が、途中で止まった。聞き覚えのある声だった。

 二人が、フードを取り払った。唖然とし、口をあんぐりと開けていた。

 青髪を逆立てた男と、サラサラヘアーの男。

 カミュとレヴンだった。

「なんでっ」

 大声を上げそうになり、アマンダは慌てて自分の口を塞いだ。

「なんで二人がここにいるんだい。デルカダール国外に逃げたんじゃ」

「そこまで噂になってるのか?」

 確認するように、カミュが言った。

「いや、デクちゃんから聞いた話だよ。城とも商売してるからね。世間話からいろいろと情報を分析して、聞かせてくれるのさ」

「なるほどな。デクから聞いた話では、どんな感じなんだ?」

「『悪魔の子』を育てたっていう村が焼かれ、村人たちが牢に繋がれたこと。『悪魔の子』を追っていたグレイグ将軍の部隊が帰ってきたこと。村人たちは、いまのところ特に酷い扱いを受けてるわけじゃなさそうってこと」

「そうですか」

 レヴンが、ホッとしたように言った。

「もしかして、村の人たちの安否を確認するために、ここに来たのかい?」

「提案したのはオレだよ。危険だとは思ったが、連中もオレたちがデルカダールに戻るとは考えちゃいねえだろうし、オレたちが城に近づきさえしなけりゃ、そこまで問題はねえとも思ってな」

「まあ、そうだね。厳戒態勢は解かれたし。けど、またデルカダールから脱出するのは」

「そこは大丈夫だ。とっておきの魔法があってな」

「まさか、キメラの翼かい?」

 遠く離れた場所に瞬時に翔んで行ける魔法の道具、キメラの翼。極めて希少な品であり、そうそう手に入る物ではないが、それがあればデルカダールから脱出することも難しくないだろう。

「いや、キメラの翼じゃねえ。ほんとうに魔法さ。キメラの翼と同じ効果を持つ、な」

「そんな魔法があるのかい。ここに来たのも、その魔法の力かい?」

「ああ」

 そんな魔法が使えるのなら、確かにいま、この時期にデルカダールへ来るのはそこまで無謀なことではないのかもしれない。カミュが言う通り、彼らがデルカダールに戻ってきているなど、考えもしないだろう。

「村の人たちだけど、すべてが明らかになるまで村人たちへの処罰はお待ちください、ってグレイグ将軍が願い出たそうだよ。王様もそれを聞き届けたって話だね」

「そうでしたか」

「最悪、村人の救出も視野に入れていたが、そうなるとやはり、手を出す方がかえって危険か」

 カミュの言葉に、レヴンが小さく頷いた。

「あと、あんたたちの味方も、ちょっとずつ増えてるみたいだよ」

「味方?」

「味方っていうのとはちょっと違うかもしれないけど、あんたたちが助けたっていう兵士を中心に、『勇者』とはなんなのか、ほんとうに災いをもたらす『悪魔の子』なんだろうか、って疑問を持つ人が出てきてるそうだよ」

 レヴンが、眼を見開いた。カミュが彼の肩を軽く叩き、ニッと笑った。

「それと、遠征する部隊がありそうって話だよ。かなり大規模なものらしいから、多分、あんたたちを追う部隊だろうね」

「そこまで掴んでるとはなあ。デクがいる方には、足むけて寝れねえな」

「うん。ほんとうにね」

 カミュとレヴンがしみじみと頷いた。

「それで、二人はこれからどうするんだい。さっき言った魔法を使って、すぐに出るのかい?」

「ああ。ただ、新しく出来た仲間が城下町の方に行ってるんでな。そいつらが戻ってきてから発つ」

「仲間?」

「はい。一度、城と街の様子を見ておきたいと」

 不意に、さっき擦れ違った二人組が頭に浮かんだ。

「緑色の服を着た娘さんと、赤い服を着た女の子かい?」

 二人が、唖然とした。

「違ったかい?」

「いや、そうだ。会ったのか?」

「擦れ違った程度だよ。ただ者じゃない雰囲気があったからね。まさかって思ったのさ」

「すごい眼力ですね、女将さん」

「まっ、人を見る目はそれなりにあると自負してるからね」

 胸を張って言うと、カミュが苦笑した。

 

***

 

 いくつかの視線を感じながらも、腕を組んで、じっと待つ。周りから、自分はどう見えているだろうか、とグレイグは思った。

 店員が店の奥に引っこんでから、それほど時間は経っていない。だがグレイグには、非常に長い時間に感じられた。羞恥から額に汗が出そうになるが、平常心を保ち、ただじっと佇む。

 頼んでおいた、趣味の本が、店に届いていたのだ。

 城の地下に潜んでいたブラックドラゴンを討伐し、レヴン捕縛失敗の報告書を書き終え、レヴン追撃任務の遠征部隊の編成をはじめようとしたところで、副官から待ったが掛かった。

 働き過ぎです。ちょっと休んでください。部下も休みづらいです。編成はこちらである程度やっておきますから休んでください。いいから黙って休みやがりください。

 そう言われ、有無を言わさず休暇を取らされた。デルカダール王もホメロスも承諾しているようだった。

 さて困った、とグレイグは途方に暮れた。

 訓練場で訓練でもしようかと考えたが、それも副官に釘を刺された。せめて今日は、ゆっくり休んでください。半眼でそう言われ、グレイグは頷くしかなかった。

 イシの村の者たちのためにグレイグができることは、もうない。無体なことをする者がいないよう、目は光らせておくつもりだが、その程度しかできない。将軍という職に就いているグレイグが、罪人として牢に入れられている村人たちへ必要以上に肩入れすると、方々で問題が出かねないのだ。

 そういえば、とひとつ思い出したことがあった。

 行きつけの書店に頼んでおいた、趣味の本が、そろそろ届いていてもおかしくはない。レヴンを捕らえる任務で忙しかったため、すっかり忘れていたのだ。

 入荷したらご連絡しますという申し出は、断っていた。変に周りから噂されるのは避けたかった。どのような本を読んでいるのかと訊かれたら、返答に困る。そんな本だった。

 いま、この状況で受け取りに行くのは気が引けるが、そのままにしておいたらそれはそれで気になってしょうがない。そんな自分に浅ましさを感じながらも、暗くなりはじめるあたりで行ってみると、つい先ほど入荷したとの答えが返ってきた。

 店内にいる人々の視線を感じながらも、グレイグはじっと待つことにしたのだ。

「っ?」

 なにか、気になる視線を感じた気がした。

「クレイモランやダーハルーネとはまた違った品揃えですわね」

「そうね。独創的というか、意欲的な本が多いわね」

 若い女性と少女の声が聞こえた。思わずビクッとしかけたが、意志の力で抑えこむ。それとなく、視線だけ声の方にむけた。

 赤い服を着た幼い少女に、緑色の服を着た若い女性の二人が、店内の本を物色していた。

「この本に書いてある御料理、お二人に作って差し上げたら、喜んでいただけるでしょうか?」

「あー、まあ、多分、蛇を使った料理とかは問題ないと思うけど、なんであんた、そこでわざわざゲテモノ系のレシピを選ぶのよ。ゲテモノ、そんなに好きじゃないでしょ?」

「作れる料理の幅を広げた方がいいかと思って」

「広げる方向を間違ってる気がするわ」

「――?」

 二人の様子に、グレイグはわずかに首を傾げた。

 二人とも金髪で似た顔立ちから、親子、あるいは年齢の離れた姉妹といったところだと思うのだが、幼い少女の方が年上のように振る舞っているように見えた。女性の方も、それが当たり前といった感じだった。

 このあたりでは見ない顔だが、旅人だろうか。二人とも杖を持っていることから、『魔法使い』か『僧侶』だと思うのだが、見たところ、かなりの腕のようだった。佇まい、空気が、熟練の戦士のそれだった。

 女性の方はまだわからなくもないが、少女の方からそんな空気を感じるのは不可解だった。あれだけの腕になるには、かなりの歳月を修練に費やす必要があると思うのだが、見たところ、十歳に満たない少女だ。それとも、見た目通りの年齢ではないのだろうか。

「お待たせいたしました」

「む」

 店員が、戻って来た。グレイグと同年代の男で、昔からグレイグが趣味の本を頼む時は、この書店で、彼に依頼するようにしていた。

 自然な調子で金を支払い、彼から本を受け取る。厳重に梱包されていて、外から中身は見えないが、動悸は少し激しくなっていた。

 これが周りに知られては、将軍としての沽券に関わる。そんな思いがあった。

「いつもすまんな」

「いえいえ、私も男ですし、気持ちはわかりますからね」

 店員が苦笑し、声をひそめるようにしてそう言った。

 それに頭を下げると、彼がまた苦笑した。

「しかし、妻帯はなされないのですか。あなたなら、引く手あまただと思うのですが」

「うーむ。興味がないと言えば嘘になるが、これという相手がいなくてな。相手を探すにしても、いろいろと忙しい。特にいまは、少々立てこんでいる」

「それは、悪魔の子のことで、でしょうか?」

「さてな」

 悪魔の子。そう口にした時の、強い憎しみのこもった彼の声に、グレイグはやるせない思いを抱きながらも素っ気なく答えた。

 店員が、頭を下げた。

「申し訳ありません。悪魔の子を捕らえたという報せもなにもないものですから、気になって」

「それらに関する告示は、明日行う予定だ」

 これ以上は言うな、と目配せする。

 店員が、神妙な様子で頷いた。

「確かに、いまの状況では嫁探しどころではありませんね。ただ、これだけは言わせてください。悪魔の子に、必ず報いを受けさせてください」

「っ、ああ」

 一瞬、言葉を詰まらせながらも、グレイグは頷いた。

 笑顔で言う彼の眼は、爛々と輝いていた。憎しみの光。そうとしか言えない光が、瞳にあった。

 兵士たちの間で、勇者はほんとうに悪魔の子なのだろうか、という疑念が広がっている。命を助けて貰った者が、何人もいるのだ。

 いまのところ表立ってレヴンに味方する者はいないが、もし彼が捕らえられたら、助命を乞う者は少なくないだろう。グレイグとしても、彼を死なせたくないと思っている。

 だが、その疑念に真っ向から反発する者も少なくなかった。『ユグノアの悲劇』で、友人や知人、家族を失った者たちだ。そう思わせることこそが、やつの悪辣な策なのだと断じ、疑念を持った者たちとぶつかるのだ。

 それに対し、疑念を持った兵士たちは、あまり強くは言えないようだった。デルカダール王に歯向かうことに繋がりかねないというのも理由のひとつだろうが、勇者というものがなんなのか、はっきりと言える者がいないというのが、最も大きな理由だろう。

 目の前の店員も、『ユグノアの悲劇』で大切な人を奪われた者だった。ユグノア王国の数少ない生き残りで妻と、産まれたばかりだった我が子を失ったのだ。ユグノア王国の生き残りは、デルカダール王の計らいで、デルカダールに受け入れられた者も少なくない。兵士になった者もいる。

 ユグノア王国の生き残りが、みんな彼のように『悪魔の子』への憎しみを口にするわけではない。だが、大切な存在を奪われた者が生きていくには、なにか拠りどころがいる。彼の場合、それが、『悪魔の子』への憎しみだったのだ。

 諦観や絶望を撥ね退ける、心の原動力となる強い感情が必要なのだ。それが憎しみであるのはひどく悲しいことだが、それを捨てて生きろなどと、言えるわけがなかった。グレイグも、デルカダール王に救われ、ホメロスをはじめとする友や、ある町にいる騎士としての師に出会わなかったら、どうなっていたかわからない。

 ある少女の姿が、ふっと頭に浮かんだ。

 濃い紫の髪をひとまとめにした、幼くも美しい少女。デルカダール王の娘である、マルティナ王女。おてんばな姫で、いつも城の中を駆け回っていて、グレイグやホメロスはなにかと振り回されたものだった。

 『ユグノアの悲劇』さえなければ、いまごろは立派な王女に、あるいは王のあとを継いだ立派な女王になっていたのではないか。彼女のことを考えると、ついそんなことを思ってしまう。

 だが『勇者』を、レヴンを『悪魔の子』として憎むことは、もうできそうになかった。

 なにかの間違いであって欲しい。そう思ってしまっている自分がいる。

 だからこそ、すべてを明らかにしなければならない。

「では、またな」

「はい。頼みますよ。やつに、自らの犯した罪の重さを思い知らせてやってください」

 笑顔とともに、彼が言った。爽やかな、しかし濁った笑みに感じた。

 悲しい笑顔だと、グレイグは思った。

 

 店をあとにし、城への帰途に就いた。

 趣味の本のことがあるので、(ひと)()の少ない道を選び、歩き続ける。あたりは暗くなっているが、月の光は、グレイグが歩くには支障がない程度には明るかった。

 少しして、グレイグは足を止めた。

「なにか用か」

 背後にむかってそう言うと、うしろから()けてきていた気配が、かすかに乱れた。ついさっきも感じた気配だった。

「用というか、一度話してみたいと思って」

 聞こえた声は、さっき書店で聞いた、幼い少女の声だった。

 背後が、少しだけ明るくなった。

 ふりむく。やはり、さっき書店で見た少女と女性がいた。やや暗めの光が、彼女たちの頭上に漂っている。

 二人が、近づいて来る。

 グレイグから六、七歩ぐらいの距離を置いて、二人が立ち止まった。光だけそのまま進み、二人とグレイグの中間あたりで止まった。

「グレイグ将軍、でいいのかしら」

 少女が言った。尋ねるというより、確認といった感じだった。

 その幼い外見に見合わない、凛とした佇まいだった。傍らの女性はただ、こちらをじっと見ている。少女の方も、グレイグをじっと見ていた。

 なにかを推し測られている。不思議とそう感じた。

「そうだが、話とは?」

「あなたは、ほんとうに勇者が、災いをもたらす悪魔の子だと思っていますか?」

 今度は、女性の方が言った。静かな声だった。

 周囲の気配を探る。人の気配はない。

「わからん」

 グレイグが言うと、二人がわずかに眉をピクリと動かした。

「わからんが、だからこそ、やつを捕らえ、すべての謎を解き明かさなければならないと思っている」

「捕らえてどうする気よ。拷問にでも掛ける気?」

「必要とあれば、そうする」

 言うと、少女の眼が鋭くなった。

「お姉様」

「わかってるわ。ここで騒ぎを起こすわけにはいかないし」

「っ?」

 二人の声は呟きに近かったが、かすかに聞こえた。姉、と女性の方が言ったのか。

「おまえたちは何者だ。なにを知っている?」

「悪いけど、何者かを明かすつもりはないわ。ただ、これだけは言っておきたいの。勇者は、悪魔の子なんかじゃない」

「根拠は?」

「彼は、命の大樹に選ばれし者。それじゃ納得できない?」

「少なくとも、ユグノアの悲劇で大切なものを奪われた者たちは、納得できないだろう」

「でも、あなたは、疑問を抱いている。違う?」

 ピクリ、とグレイグは思わず眉を動かした。

「勇者が悪魔の子で、魔物を呼び寄せたって言われているけど、勇者が魔物を操ったんじゃなくって、勇者を恐れる何者かが、勇者を抹殺するために魔物を操って国を襲った、とも考えられるんじゃない?」

「王が、嘘を仰っているとでも?」

「悪意を持って一方的に決めつけないでよ、って言ってるのよ。大切な人を奪われて、それをなにかにぶつけたいってのはわかるわ。でもね、ぶつけられた方は、たまったものじゃないのよ。当時、赤ん坊だった本人の(あずか)り知らないところで、悪魔の子だのなんだのと勝手なこと言って、言われた方がどれだけ傷つくと」

 そこで少女がハッとなり、(かぶり)を振って息をついた。

「ごめんなさい。それこそ、あなたにぶつけることじゃなかったわ」

「いや、言わんとすることはわかる。正直なところ、俺も同じことを言いたくなる時がある」

 二人が、目を(しばたた)かせた。

 レヴンの人となりを知らなければ、いまも『悪魔の子』として、彼を憎んでいただろう。だが、知ってしまった。知ろうともしなかったことだった。

 知らなければ、悩むこともなかっただろう。しかし、知らなければよかったなどと、口が裂けても言えるはずがない。年若くとも、尊敬に値する男だ。

 そして、思う。この二人がおそらく、レヴンが話した、約束の相手とその妹。

 『悪魔の子』、『勇者レヴン』の名前と特徴は、デルカダール中に広まった。他国にも、少しずつ広まっていくだろう。

 聖地ラムダ。一説によると、古の勇者たちのことを語り継ぐ者たちが住まう里だという。

 この二人が、レヴンの言っていた姉妹で、その聖地ラムダの者ならば、レヴンを勇者だと知っていて、味方するようなことを言ってもおかしくはない。それに、少女の年齢が見た目通りでないのなら、彼女から感じる気配の強さにも納得がいく。

 つい先日まで、この国にいたというのに、こんなふうに擦れ違ってしまうとは。

 そう、気の毒に思いながらも、表には出さない。出してはいけないのだ。

 グレイグは、レヴンの敵なのだから。

「だが俺は、この国に仕える騎士、軍人だ。主君を信じ、闘うのが、騎士であり、軍人というものだ。俺はそう思っている」

「その主君が、憎しみで目を曇らせていても?」

「王もまた、すべてを明らかにしたいと考えておられる。『勇者』は必ず生け捕りにせよ。不必要な犠牲は出さないようにせよ。王からはそう命じられた。憎しみで目が曇っているとは思わん」

 少女と睨み合う。グレイグに睨まれれば、大抵の者は臆する。

 だが少女は、眼を逸らすことなく、視線を真っ向からぶつけてきた。

 どちらともなく、大きく息をついた。

「頑固者ね」

「そういう性分だ。いまさら変えようがない」

 言って、グレイグは城に続く道の方にむき直った。

 これ以上の会話は、無意味。そう断じた。

 二人の視線を背に感じながら、グレイグは歩き出した。

 声が掛けられることは、もうなかった。

 

 

 グレイグの背中が視界から消え、気配が去ったところで、ベロニカはセーニャと一緒に大きく息をついた。

「あー、もうっ。我ながら、なんて迂闊な真似を」

「でも、かっこよかったですよ、お姉様」

「あー、うん。ありがと」

 朗らかにセーニャが笑い、ベロニカは苦笑した。

 グレイグを見かけたのは、偶然だった。

 街の様子を見て回り、情報収集をしつつデクの店にむかい、彼にこっそりとレヴンたちのことを伝えた。

 当然ながら最初は警戒されたが、カミュ愛用の短剣をチラッと見せ、合言葉代わりに話せ、とカミュから聞かされた、カミュとデクの出会いのことを話してみると、彼はすぐに信じてくれた。

 デクの店に来たのは、囚われたイシの村の人たちのことを知っているか、確かめるためだった。カミュとレヴンは無事だと話すと、デクはとても喜んでいた。

 聞くと、ついさっきまでスラムの女将がいたらしく、イシの村の人たちのことなどについて話していたそうだ。デクの店に来る途中で、それらしき恰幅のいい赤髪の女性と擦れ違ったが、やはりあの人だったのか、とベロニカは思った。

 囚われたイシの村の人たちは、特に酷いことはされていないようだと聞いた。ほかに掴んだ情報も女将に話したということなので、ベロニカとセーニャは速やかに店から立ち去ることにした。女将の下宿には、レヴンたちが行っている。話は彼らが聞いていることだろう。

 城の周囲を見て回ると、本屋にむかうことにした。この国の歴史書や、デルカダール王について書かれた本を読んでみたかったのだ。

 王として必要な資質をすべて持ち合わせた、稀代の帝王。古の聖王を思わせる偉大なる王。

 『ユグノアの悲劇』から顔の険しさが増したが、それは王女の不幸があってのこと。それを責めるのは酷というもの。むしろ、愛する家族を失った悲しみを乗り越え、民を導くその姿勢こそ、王の王たる()(えん)と言えよう。

 本屋に置いてあった、デルカダール王についての評伝を何冊か読んでみたが、書かれているのはそんなことばかりだった。

 十六年前まで、デルカダール王が非常に優れた王だったことは、間違いないようだった。それ以前の彼の逸話は、枚挙に(いとま)がないと言えるほどだ。

 だが、『ユグノアの悲劇』以降の彼については、どれもお茶を濁すようなことしか書かれていなかった。

 いつか、もとの王に戻って欲しい。

 言葉にこそされていないが、どの書からも、そんな悲しみと願いが滲み出ているような気がした。

 買う本を何冊か見繕い、セーニャのところに行くと、彼女は料理の本を見ていた。それはいいのだが、なぜゲテモノ系の方まで手を伸ばそうとするのか。

 そんなふうに思ったところで、店内に強い気配があることに気づいた。

 それなりに長身であるレヴンより高い上背に、鍛え上げられた肉体。紫がかった髪をうしろに撫でつけた男。

 レヴンたちから特徴を聞いていたこともあって、彼が誰であるか、すぐにわかった。彼が、グレイグだ。

 どういった人物か聞いていたため、近づこうとは考えていなかった。レヴンいわく、カミュと二人でかかっても多分勝てない、と言わしめるほどの戦士である。不用意に近づくわけにはいかない。

 そう思いながらも接触したのは、本屋の店員とのやり取りの際の彼の反応が気になったからだ。

 勇者を悪魔の子だと憎む店員の言葉に、ベロニカはやるせない思いを抱いたが、グレイグもどこか悲しそうな顔に見えたのだ。

 一度、彼と話してみたい。そう思い、しかしこれは、ベロニカのわがままだ、下手に接触するのは危険だ、とここを去ることを考えたところで、セーニャが口を開いた。

 あの方と、お話してみましょう。ベロニカを後押しするように、セーニャは静かにそう言った。

 少し迷ったが、セーニャの言葉に勇気を貰い、意を決して彼を追った。

 ベロニカたちの気配に気づいていたのか、グレイグは人通りの少ない道を選んでいた。危険ではないかと再び思ったが、女は度胸と心を奮い立たせた。

 会話から、ベロニカたちがレヴンの味方をする者だと気づいただろうにそのまま去ったのは、彼の騎士としての信念と誇りによるものか。

「立派な方でしたわね」

「ええ。石頭だけど、高潔な人」

 レヴンの目標だと聞き、どれほど大層な人なのかと思っていたが、なるほどと納得せざるを得ない人物だった。

「あの方が味方になってくれたら、心強いのですけど」

「デルカダール王が乱心して、民を虐殺するような悪行でも働かない限りはまず、あり得ないでしょうね」

 あくまでもデルカダール王に忠義を尽くすという生き方は、ベロニカから見て歯痒くはあるが、そんな人物だからこそ、そう感じるのだろう。

 グレイグが去って行った方向に、ベロニカとセーニャは丁寧に一礼した。

 




 
「そういえば、グレイグ将軍のお買い求めになられた本って、なんの本なんでしょうね?」
「んー、そりゃあ、音に聞こえた大将軍だし、軍学書の類じゃない?」


お待たせしました。
なお、老医師が貰ったという虹色の枝と、サマディー王国に伝わる虹色の枝は、原作と同様に別物であることをここでぶっちゃけておきます。

魔法の道具袋は、ドラクエ6の『おおきなふくろ』が元であったり、個人個人の道具袋が元であったり。

女将の名前、英語版の名前であるRuby(ルビー)にするか迷いつつ、宿の看板に描かれてあるアマンダに。

グレイグの性格
ごうけつ
タフガイ
がんこもの
むっつりスケベ
一番似合うのはどれだろう。
 


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