チェロとお味噌汁と剣のための三重奏曲 (おかぴ1129)
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1. あなたと言葉を交わしたくて

登場人物紹介

普賢院智久
趣味:チェロ 特技:剣道(でもすごく弱い)



 今日のチェロの練習を終えた僕は、カーテンの隙間から差し込むオレンジ色の陽の光に、ここではじめて気がついた。壁掛け時計を見る。午後五時半。お昼すぎからずっと集中していたから、こんな時間になっていることに全く気が付かなかった……

 

「そっか……もうこんな時間か……」

 

 ポツリとつぶやく。そしてそれが夕食が始まる時間まで、あと僅かしかないということに気がつくキッカケとなり、僕は慌ててチェロを片付けて部屋の片隅に置き、急いで譜面台と譜面を畳んで帰る支度をした。

 

 支度を済ませたら足早に練習室を出る。目的は東海道鎮守府の食堂。あそこの夕食を食べることが、僕の毎日の日課になっている。一日たりとも、欠かすことは出来ない。

 

 

 深海棲艦たちとの戦争は、両者の和解と平和条約の締結という、当初誰も予想してなかった形で、静かに幕を閉じた。深海棲艦サイドとの戦闘に備えて全国に建設された海軍鎮守府は、今では海洋交通の窓口兼、僕達人間と深海棲艦たちとの交流と憩いの場になっている。東海道鎮守府は終戦にもっとも貢献した鎮守府として有名なところのはずだが、今ではそんな姿もなりを潜め、深海棲艦サイドからの観光客がひしめく一大レジャーランドの様相を呈してきた。

 

 そんな東海道鎮守府に、美食家たちもうなるほどのおいしい食事を食べさせてくれる食堂がある。名物は冷やしおしるこ。でもそれ以外のお料理も絶品。メニューに外れのない、それでいて価格もリーズナブル……そんな奇跡の食堂に、僕は毎日、足繁く通っている。

 

 もちろん、美味しいメニューもその目的なのだが……それ以上の理由が、僕にはあった。

 

 スタスタと足早に歩き、東海道鎮守府の門をくぐる。敷地内はまさに別天地。かつては命を奪い合った艦娘さんたちと深海棲艦さんたちが肩を並べて歩き、談笑し、ふざけあっている。そんな幸せそうな人たちを横に見て、僕はスタスタと食堂へと向かう。

 

 食堂に到着すると、途端に今日の献立のよい香りが僕の鼻に届いた。『ん〜……いい香りね……』と僕のすぐ後ろに並んでいる金髪碧眼の女性がドイツ訛りで口ずさみ、その隣の、大きな帽子をかぶった人型の深海棲艦さんも『イイカオリ……ヲッ……ヨネ……』とぽそっとこぼしていた。この香りは筑前煮。ここに通うようになって何度も味わった僕は、それがいかに美味しい代物であるか知っている。この筑前煮の香りが、僕のおなかを否応なしに刺激する。

 

 この食堂は、その日提供してくれるメニューが決まっている。それをお客は並んで店員さんから受け取り、店内の席で食べるという、フードコートのようなシステムになっている。僕も例外なく献立を受け取る列に並び、自分の番を待った。少しずつ少しずつ列が進み、やがて僕が献立を受け取る順番が来た。

 

「あら、いらっしゃいませ」

 

 今日の献立が乗ったお盆を僕に手渡してくれる彼女が、僕に声をかけてくれた。

 

「今日も来てくださったんですか?」

「は、はい! ここのお料理、とても美味しいですから……!」

「ふふっ……ありがとうございます」

 

 彼女がクスリと笑い、ポニーテールが少しだけ揺れた。緊張で僕の胸がバクバクと高鳴る。顔に血が上がってくるのが、自分でもわかる。カッカカッカして、顔が熱い。

 

「き、今日の筑前煮も、とても、美味しそうですね!!」

「ええ。皆さんにとても喜んでもらってます。私もとてもうれしいですね」

 

 クソッ……緊張で声が上ずる……もっと、落ち着いて話がしたいのに……ッ

 

 と僕がまごまごしていたら、厨房の奥の方から声が聞こえた。彼女が呼ばれたらしい。彼女は厨房の奥を振り返って『はーい』と返事をした後、もう一度僕に振り向いた。

 

「すみません。何か問題が起きたようなので、私行かなければ」

「あ、はいすみませんお引き止めして……」

「いえ。今日の筑前煮、いっぱい食べてくださいね」

 

 申し訳無さそうに苦笑いを浮かべた彼女は、そういってぺこりと軽く頭を下げた後、厨房の奥へと駆け足で消えていった。和服の上から割烹着を着たその背中は、パタパタと可愛らしい音を立てて、僕から遠ざかっていく。僕が受け取ったお盆の上の筑前煮は、他の人よりも若干大盛りに見えた。

 

 去っていく彼女の背中を見つめる。今日も彼女と話が出来たという喜びと、その楽しい時間が終わってしまったという寂しさ……緊張は去ったけれど、代わりにしょぼくれていく気持ちが胸に去来する。そんな気持ちを手に持つ筑前煮の香りでごまかしつつ、僕は自分の席を探した。店内を見回し、ひと組の小さな艦娘さんと深海棲艦さんが座ってるテーブルを見つけた僕は、足早にその席に向かった。

 

「……すみません。この席、空いてますか?」

「空いてるのです」

「相席させていただいてよろしいですか?」

「構わないぞ。座ってくれ」

 

 さし向かいで座る二人の艦娘さんと深海棲艦さんは、共に優しい笑みで僕を迎えてくれた。艦娘さんの方は背が小さくて、栗色の長い髪をバレッタで上げた優しそうな子。一方の深海棲艦さんは、ブルーの切れ長の目がとてもキレイな人だ。あずき色というダサいことこの上ないジャージを着ているが、不思議とそれが彼女に似合っていた。

 

 さきほど彼女から受け取った夕食をテーブルに起き、両手を合わせていただきますと言った後、味噌汁を口に含む……美味しい。相変わらず、彼女のお味噌汁はとても美味しい。ホッとする。

 

「とっても美味しそうにお味噌汁を飲んでるのです」

「そうですか?」

「なのです。でもうちの奥さんには負けるのです」

 

 他愛無い会話を艦娘の人と交わした後、炊きたてご飯を口に運び、そのまま今度は主菜の筑前煮に箸を移す。鶏肉を一つ箸でつまみ、口に入れた。

 

「んー……」

 

 途端に口の中に広がる、筑前煮とご飯の美味しさ。単独で食べてもとてもおいしい筑前煮が、ご飯の美味しさと合わさって、僕の心を幸せにしてくれる。おいしいおかずは、ご飯と一緒になると、ご飯の美味しさを何倍にも増幅させてくれ、自分自身もさらに美味しくなる……何度食べても、その度に思う。この筑前煮は絶品だ。

 

「……おいしいっ」

 

 思わず口を突いて出る本音。やっぱり鳳翔さんが作るご飯は美味しいなぁ……

 

 ……そう。僕は、この食堂で働く元艦娘、鳳翔さんに恋をしていた。

 

 



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2. あなたとご飯が食べたくて

 僕の名前は普賢院智久。読みは字のまま『ふげんいんともひさ』。かなり大げさで仰々しい名字だけど、別に名家の出というわけではない。名前負けもいいところだ。

 

 趣味は音楽。特に大学に入ってから始めたチェロがとても楽しい。といってもオケ部はないので、軽音楽部の練習室を時々借りて、一人でチェロを練習する日が毎日だ。時々ジャズ研や軽音部から『ベースとしてうちに来ないか?』と勧誘されるときもあるけれど……それよりはクラシックをやりたいんだよねぇ。そのうち近所のアマオケに参加しようかと今企んでるところだ。

 

 それ以外の特技は剣道。だけどこっちは、中学時代に親に強引にやらされてただけで、別に強くもなければ好きというわけでもない。ただ、竹刀をもたせれば、素人よりは様になる……その程度のことだ。

 

 今は大学三年生。一年時と二年時にかなりガッツリと単位を取得したため、今年からはかなり時間に余裕が出来ている。

 

 今日も僕の講義は三限だけ。その講義もたった今終わり、『じゃあ夕飯まで練習するか』と思い立ち、僕はいつもの練習室へと足を運ぶが……

 

「おっ! いたなッ!!」

 

 練習室入り口前に、最近知り合った清掃員の女性が、モップを片手に仁王立ちしていた。傍らには、清掃道具を所狭しと並べたキャスター。水色のバケツにかけられた雑巾の黄色が眩しい。スプレーの中のケミカルブルーな液体が泡立っているのが見える。やや白っぽく見えるキレイな金髪は、一見ショートカットのようにも見えるけど、実は後ろでシニヨンにゆったり編み込んでいるらしい。そんな、美人と形容できる彼女は、今日も薄水色のツナギのような清掃服に身を包んでいる。

 

「ぁあロドニーさん、こんにちは」

「貴公を探したぞ普賢院智久!!」

「その、僕を呼ぶ時フルネームを叫ぶの、やめてもらっていいですか?」

「それよりも、私と勝負する気になったか!?」

「だから決闘なんてやりませんって……」

 

 この人……ロドニーさんは、イギリスの元艦娘さんだそうだ。どうも漫画でありがちな『戦うことが大好きな人』らしく、僕が剣道をやっていたということを話したその日から、僕を見るたびに『私と斬り結べ』と物騒この上ないことを言ってくる。なんでも……

 

――強き者であれば挑まずにはいられない……

  それがネルソン級の生き方だっ

 

 らしく、どうも僕のことを凄腕の達人か何かだと勘違いをしているらしい。戦争が終わった今は、仲間内で清掃会社を立ち上げたそうな。その清掃会社とうちの大学が契約を結び、今はこうして、大学構内の清掃のため、ロドニーさんは、毎日この大学に顔を見せている。

 

「前から言ってますけど、そもそも強い人と試合をしたいなら、この大学には柔道部や剣道部がありますよ? そっちの学生たちに挑まれたらどうですか?」

「すでに全員打ち負かした。あとは貴公だけだ……普賢院智久ッ!!!」

「……だからなんでフルネームで僕を呼ぶんですか……」

 

 モップの柄を僕に向け、腹から声を出すロドニーさん。完璧な腹式呼吸でものすごく大きな声が出るんだから、歌を歌うとか管楽器をやってみるとかすればいいのになぁ……キレイな声だし、トロンボーンとかすごく似合うと思うんだけど。背、ちっちゃいけど。

 

「さあ貴公! このロドニーの挑戦を受けるがいいッ!!」

「遠慮します」

「んがッ!?」

「何度も言ってますけど、僕は弱いです。それに、僕はこれからチェロの練習をしたいんです」

 

 そういい、モップをギリギリと握る彼女の隣をすり抜けて、僕は練習室に入って扉を閉めた。ドアの向こう側からは、『私では貴公の良き敵にはなれんというのかッ!?』てロドニーさんの叫びが聞こえてるけど、まぁ気にしない。ケースからチェロを出し、チューニングをじっくりと済ませ、現在練習中の『白鳥』の譜面を出す。

 

「……」

 

 何度か繰り返しうまくいかないところを振り返り、時計を見た。 午後五時半。やはり集中しだすと時間が早く感じる……

 

「……そろそろご飯食べに行こう」

 

 チェロを片付け、譜面台と譜面をたたみ、僕は練習室を出た。ロドニーさんの姿はない。そら練習始めてから2時間ほど経ってるし、まさか二時間もここで棒立ちになってるはずがないか。

 

 そのまま足早に鎮守府に向かい、食堂に入る。食堂に立ち込めるお味噌汁の香り……

 

「……あれ」

 

 ちょっとした違和感を覚え、厨房の中を覗くように首を伸ばした。鳳翔さんの姿はない。

 

「そっか。鳳翔さんは休みか」

 

 鳳翔さんはこの厨房の責任者だとどこかで小耳に挟んだことがあるけれど、いくら責任者といえど、休みの日はある。今日は鳳翔さんは休みらしく、僕にとっては運の悪い日といえた。

 

 ちょっと意気消沈した気持ちを抱え、僕はいつもと違う人から今日の献立が乗ったお盆を受け取った。お味噌汁もとてもよい香りがするし、今日のメニューのカレイの煮付けも、甘辛い香りが食欲をそそる。だけど……

 

「んー……」

 

 今日は鳳翔さんと会えなかった……毎回ほんの数分だけの会話なのだが、僕にとって、その数分がどれだけ大切な時間か……沈み込んだ気持ちを抱え、僕は空いてる4人掛けのテーブルに座った。

 

「いただきます……」

 

 両手を合わせていただきますをした後、お味噌汁を静かにすする。んー……大好きな大根のお味噌汁だけど、やはり、なんだかちょっと物足りない。

 

 続いて、カレイの煮付けの身をほぐし、煮汁にひたしてご飯の上で一度受け、口に運んだ。甘辛い煮汁の味が口いっぱいに広がり、それがカレイの美味しさを引き立てる。

 

「んー……おいしいけれど……うーん……」

 

 ……だけど、やっぱりちょっと物足りない。美味しいことは美味しいのだが、心の底から『うん! 美味しい!!』と思えない。我ながら子供みたいだけど、鳳翔さんに会えなかったことがそんなに残念だったのか……少々うつむきがちに食事を続けることにする。

 

「相席してもよろしいですか?」

 

 女性が僕に話しかけたようだ。僕は今、テーブルの上の煮付けに視線を向けているから、僕に相席をお願いしているその人が誰なのか分からない。だけど、ここで断るのもなんだか申し訳ない。

 

「いいですよ。よかったらどうぞ」

「ありがとうございます。では……」

 

 椅子の音が鳴り、その女性が僕の向かいの席に座ったのが分かった。この人が座る前に、ちゃんと顔を上げて返事すればよかった……と気にしながら、僕はご飯を一口頬張って飲み込んだ後、お味噌汁を静かにすする。クセってわけじゃないんだけど、お味噌汁をすする時、自然と目を閉じちゃうんだよねぇ。

 

「……ほっ」

「お味噌汁はどうですか?」

「とても美味しいです」

「その割にはいつもに比べて表情が優れませんが……」

 

 ……ん? いつも僕がここで食べてることを知っている?

 

「ええ。美味しいんですけど、多分、作ってる人が違うからだと……」

「わかるんですか?」

「ええ。いつも作ってる方のお味噌汁は、本当に絶品ですから」

「そんな……うれしいです」

 

 ……んん!? ハッとして目を開く。僕の向かいの席に座った女性とは……!?

 

「いつもありがとうございます」

「鳳翔……さん……ッ」

「はいっ。私の名前をご存知だなんて、光栄です」

 

 なんという僥倖……僕との相席をご所望のご婦人は、鳳翔さんだったのか……ッ!? 少々ほっぺたを赤くした鳳翔さんは、嬉しそうにはにかんでいる。その笑顔は、僕から平常心を失わせるには充分すぎるほどの破壊力を秘めていて、とたんに胸がバクバクと音を立て、額から冷や汗が吹き出し、箸を持つ手が震えだした。

 

「? どうしました?」

「あ、いやあの……ッな、なんでもないでしゅっ!!」

「?」

 

 緊張で舌噛んだ……不思議そうに首を傾げた鳳翔さんは、不思議そうな顔のままお味噌汁をすすったあと、静かにカレイの煮付けを口に運んだ。

 

 僕もご飯を口に運ぶけど……緊張のせいか、さっきまでの美味しさをまったく感じない。舌がパニックを起こしてるようだ。

 

「……ん。美味しい」

「は、はいッ! この煮付け、とてもおいしいでしっ!!」

 

 鳳翔さんの言葉に、つい過剰な相槌を打ってしまう。その様子は鳳翔さんにとっても少々おかしかったらしく、くすくすと笑いながら、付け合せのたくわんに箸を伸ばしていた。

 

「ふげんいんともひささん……ですよね?」

「は、はいッ! 普賢院智久でしゅっ!」

「中々聞かない名字ですが……どんな字を書くんですか?」

「は、はいっ! 普通の『普』に賢者の『賢』、病院の『院』ですっ!!」

「へー……なんだかとても由緒正しい家柄の方みたいな名字ですね……」

「そ、そんな……僕は普通に一般人……ですよ!?」

「ぷぷっ……そうなんですか?」

 

 僕の過剰な反応がおかしいのか、少し口を抑えてぷぷぷと笑いながら、僕と会話してくれる鳳翔さん。……でもちょっと待て。なんで鳳翔さんは僕の名前を知ってるんだ? 幾分冷静になってきた僕の頭が、そんな他愛無い疑問を抱えた。

 

「でも鳳翔さん、なんで僕の名前をご存知なんですか?」

「ああ、それは……」

 

 鳳翔さんが何かを言いかけたその時……今度は、ロドニーさんと同じ清掃会社の制服を着た、長い黒髪の女性がやってきた。その人は右手で夕食が乗ったお盆を持ち、左手で大きなお櫃を抱え、とてもキレイな姿勢で、僕と鳳翔さんの前で笑顔で立っている。

 

「鳳翔さん、相席してよろしいですか?」

「ああ赤城。……智久さん、よろしいですか?」

「……」

 

 ……なんという天使の賛美歌……ああ……大好きな人の声で聞く『智久さん』という言葉が、こんなにも美しい音色だとは……

 

「智久さん?」

「……おわッ!? すみません!! どうぞどうぞ!!」

 

 危ない……まさか鳳翔さんの声に本気で感動していたなんてことは口に出せず……僕の言葉を受けたその女性……赤城さんは、『ありがとうございます』とお礼を口にした後、おぼんをテーブルに置き、お櫃を向かいに置いて、鳳翔さんの隣りに座る。そして座るなり……

 

「あなたが普賢院智久さんですか」

 

 と言いながら、僕の顔を見た。この人も僕の名前を知っている? なんでだ?

 

「あなたも僕の名前をご存知なんですか?」

「ええ。仕事仲間と共に、いつもあなたの大学に行ってるんですよ。清掃員の赤城です」

 

 赤城さんはそういい、手を合わせて『いただきます』をすると、実に美味しそうにお味噌汁をすすり、ご飯をぱくぱくと口に運び始めた。

 

 そんな美味しそうにごほんを頬張る赤城さんの制服をよく見る。ロドニーさんと同じ制服ということは、この人とロドニーさんは仕事仲間ということになる。僕の名前を知っているのは、ロドニーさんがこの人に僕の名前を教えたからか。

 

「てことは、赤城さんの仕事仲間って、ロドニーさんなんですか?」

「ええ。いつもあなたの話を聞かせてくれます。今日も『普賢院智久めッ!! またも私の挑戦を受けないのかッ!!』てぷんすかしながら言ってました」

「うへぇ〜……」

 

 ロドニーさんは僕の仕打ちに毎度怒り心頭のようだ。今日も大学の清掃の仕事のあと、怒りのあまり、おやつのりんごをまるごと一個、握りつぶしていたらしい。明日会うのが恐ろしい……。

 

「彼女はバトルジャンキーなんです。許してあげて下さい」

「はぁ……」

 

 と、赤城さんはフォローになってるのかいまいちよく分からないフォローを入れる。そういえばロドニーさんは元艦娘って話だし、戦い大好きな人ってのも、きっといるんだろう。なんだか少年マンガみたいな人だな。ちっこいのに。

 

 そして恐ろしいことに、赤城さんはお櫃のご飯をまるまる平らげようとしていた。

 

「でもそんな彼女でも、鳳翔さんには勝てないですけどね」

「ちょっと赤城……やめなさい……」

 

 ぁあそういえば、鳳翔さんも元艦娘だもんな……てことは、かつては鳳翔さんも戦ってたってことだよね。こんなに朗らかで優しそうな彼女からは想像できないけれど。

 

「それはそうと鳳翔さん、今度の店舗対抗運動会ですが……」

「ああ、うちは出場できる子が少ないんですよね……」

 

 幾分みんなの食事が進んだところで、鳳翔さんと赤城さんの間で、運動会の話が始まった。僕は何のことかよく分からないけれど、二人の話につい聞き入ってしまう。

 

 そんな僕の様子に気付いたのか、鳳翔さんが僕の方を見た。

 

「ぁあ智久さん、わからない話をしてしまってすみません」

「ぁあ、いいんです! でも部外者の僕が聞いても良い話なんですか?」

「それは大丈夫です。機密ってわけでもないですし」

 

 お櫃三杯目に突入しはじめた赤城さんの言によると……今度の日曜日、系列店舗対抗の運動会があるそうな。その系列店舗ってのが、鳳翔さんが所属する『東海道鎮守府食堂』、ロドニーさんと赤城さんの『ビッグセブンクリーン・一航戦』、そしてピザ屋さんの『Pizza集積地』、パソコン教室の『大淀パソコンスクール』だそうで。なんだかバラエティに富んだ店舗展開をしてるんだなぁ……。

 

 ところが、ここで問題がひとつ。他の店舗に比べ、鳳翔さんの『東海道鎮守府食堂』は運動会に出られる人員がとても少ないらしい。

 

 特に問題なのが、店舗対抗剣術トーナメントだそうで。この食堂には、そのトーナメントに出られる、剣道経験者がいないそうだ。

 

「だから頭を抱えてるんです」

「そうなんですか……」

「私も弓には自信があるんですが……剣となると、全然経験ないですし……」

 

 僕の向かいに座る鳳翔さんが、そう言って表情を曇らせた。お味噌汁をすすろうと少し俯いたのだが、それが僕には、酷く落ち込んでいるように見えた。

 

 ……僕はここで、ある葛藤を抱えた。僕は剣道の経験がある。だから、もし鳳翔さんがそれを許可してくれるのであれば、僕が食堂代表でその大会に出場することも可能だ。

 

 だけど僕の心が、それにブレーキをかける。僕は、剣道の経験があるというだけで、別段強いというわけではない。そんな僕だから、きっと大会に出ても、一回戦を突破することすら出来ないだろう。鳳翔さんの前で無様な姿を見せるのは、どうなんだ……

 

 それに、もし僕が出場して一回戦で負けたら……鳳翔さんに迷惑がかかるんじゃないだろうか……そんな心配事が頭を駆け巡る。『僕、剣道出来ますよ』と言いたくなっていた気持ちは、急激に小さくなり、胸の奥底に引っ込んでいった。

 

「ああそういえば!」

 

 三つ目のお櫃を空にし、今は美味しそうにお茶をすすってる赤城さんが、手をポンと鳴らした。その輝く瞳は、まっすぐに僕を見ている。そういえばこの人は、ロドニーさんと仕事仲間だ。ひょっとして、僕が剣道をしていたのを知っているのだろうか。

 

「普賢院さんは剣道の心得があるらしいじゃないですか!」

「はい……ありますが……」

 

 心持ち、鳳翔さんの顔がパアッと明るくなったような……次の瞬間、鳳翔さんは持っていたお箸とお椀をテーブルに置いて、手を膝に置き、真剣な眼差しで、まっすぐに僕を見た。

 

「もしよかったら、食堂代表として出場していただけませんか?」

「ぼ、僕がですか……? でも僕、弱い……ですよ?」

「真剣勝負じゃないですから。ホントに、ただのお遊びみたいなものですから」

 

 んー……ほんとはここで『はい出ます』って言いたいんだけど……でも鳳翔さんの前で、みっともない姿を晒すわけには……そして鳳翔さんに、ご迷惑をおかけするわけには……!!

 

「……すみません。自信、ないです……」

「そうですか……まぁ、無理強いは出来ませんし……」

 

 あれだけパアッと輝いていた、鳳翔さんの笑顔がくすむ。輝きを失った鳳翔さんの眼差しが、僕の胸にぐさりと刺さった。うう……こんなことなら、もっとちゃんと剣道に打ち込んでおけばよかった……ずっと続けておけばよかった……そうしておけば、今、自信を持って『やりますっ』て言えるのに……。

 

「……ごめんなさい」

「いや、こちらこそすみません。無理なお願いをしてしまって」

 

 頭を下げる僕に対し、ちょっと困ったような苦笑いを浮かべる鳳翔さん。彼女の悩みの種は未だ消えず……僕の胸に、罪悪感が広がっていく。

 

「ぁあ赤城。当日ですけど、なにかリクエストはあります?」

「リクエストですか?」

 

 ここで僕は、自分自身が、実は思った以上にゲンキンな性格であるということを、生まれて初めて自覚した。たとえ気が乗らない頼まれごとであっても、対価があれば、意外とすんなりと受け入れる……まさかそんな、俗物的な性格をしているとは、思ってもみなかった。

 

「お弁当です。みなさんの分の昼食を準備しようかなと」

「お弁当!? 運動会の時のですか!?」

「はい。そのためにお重も準備してありますし」

「胸が踊ります! えーっとですね……ちょっと待って下さい……」

 

 『鳳翔さんのお弁当』その魅惑の単語が僕の心にじんわりと染み込んでいく。そしてそれは、僕の意識外のところで、僕の口を操り始めた。

 

「あの、鳳翔さん」

「はい?」

「……すみません。さっきの、訂正します。鳳翔さんのお力に、ならせて下さい」

「へ……?」

 

 鳳翔さんがぽかんとした表情を僕に向けた。多分、僕も同じ表情を浮かべてる。僕が口走った言葉に、僕自身、驚いてるんだから。

 

「つまり……」

「はぁ……」

 

 頭が少しだけ冷静になる。僕の冷静な頭は『それ以上言うなっ』てブレーキをかけるけど、一度言ってしまった言葉は、もう取り返しがつかない。それに、僕の無意識が、僕の口を操り続ける。僕の意識は、それを止めることができなかった。

 

「食堂代表で、剣術大会に出ます」

 

 言ってしまった……もう後戻りは出来ないぞ……どうするんだこれ……

 

「ほんとですか!?」

 

 ほら……鳳翔さん、満面の笑顔になっちゃったじゃないか……もう引き返せない……

 

「ありがとうございます! ありがとうございます智久さん!!」

 

 ほんとに、花開いたようにパアッと明るい表情を見せた鳳翔さんは、僕の右手を両手で取って、力強くギュッと握ってくれた。毎日食堂での仕事を頑張っている鳳翔さんの手は、けっしてすべすべではないけれど……。

 

「い、いやあのっ! でも僕弱いですよ!?」

「強い弱いではありません! 出場できることが……出場してくれることがうれしいんですっ!!」

「き、期待しないでくださいよ!?」

「結果なんていいんですっ! ありがとう智久さん! ありがとう!!」

 

 僕の手を包み込む鳳翔さんの手は、さらさらと心地よく、あたたかい。

 

 そして、鳳翔さんの手の心地よさに負けないぐらいに、鳳翔さんの嬉しそうな微笑みはあたたかくて、僕の胸は心地いいぬくもりでいっぱいになった。。

 

「ちなみにロドニーさんは出るんですか? 他の店舗の方は強いんですか?」

 

 フと湧いた疑問。もし彼女が出る場合は、ただでさえ低い優勝の可能性が、さらにゼロに近くなってしまうのだが……僕は、今隣で必死にお弁当のリクエストを思案している赤城さんに問いただしてみることにする。いわゆる開戦前の情報収集というやつだ。

 

「出ますよ。普賢院さんが出るとわかれば、彼女も燃えるでしょうね」

「出るんですね……ずーん……」

「他には……『大淀パソコンスクール』は、艦娘ではない方が出場されるんだとか。なんでも、剣に相当な自信がある方らしいです。いろんな戦士との野良試合を経験されている方とか」

「うう……優勝が遠のきます……」

「『Pizza集積地』からは、元深海棲艦の姫クラスの方が出場されます」

 

 うう……これでは可能性はゼロじゃないか……出場する以上、鳳翔さんの前で無様な試合なんて見せられないのに……

 

「智久さん! 結果じゃないです! あなたの心意気に感謝します!」

「は、はひ……」

 

 鳳翔さんはそういって、とてもうれしそうに僕の手を力強く握ってくれるけれど……やっぱり、多少は結果がほしいよね……特に、好きな人の前でだと。

 

 ……しばらく、剣道部で稽古させてもらおうかな……。

 

 



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3. あなたのためにがんばりたくて

 店舗対抗剣術大会に、鳳翔さんの食堂の代表として出場することになった僕は、当日までチェロの練習時間を半分にし、その分、剣道部で稽古をさせてもらった。

 

「おい普賢院! お前、あの清掃員とやるつもりか!?」

「そうだけど……?」

「ならば我々剣道部、お前への助力はおしまんッ!!」

「へ?」

「あの清掃員に飲まされた煮え湯……我々剣道部員全員がいともたやすく沈められた、あの日の屈辱は忘れん……ッ!!」

 

 とこんな具合で、剣道部員全員が、僕の稽古にやけに協力的だったのが印象的だ。そんなにくやしかったのか……僕なんかは現役時代、負けても『あら負けた』以上の感想なんてなかったけれど。

 

「だが今回の試合は負けられんから稽古に来ているのだろう!?」

「まぁ、そうだけど……」

「つまり、負けられぬ戦いということだろう!?」

 

 負けられないというよりは、鳳翔さんの前で無様な姿を晒したくないから……なんだけどね。そんなこと言ったら、なんだか剣道部員のみんなに怒られそうだ……。

 

 そんなわけで、剣道部全面協力の元、僕は随分と久々に竹刀を握った。おかげさまで、全盛期の半分ぐらいの腕は取り戻せたのではないだろうか……それでも弱いんだけど。からっきしだけど。

 

 ……ぁあそうそう。大会前日、練習室に向かう途中、清掃中のロドニーさんが僕の練習室到着を待ち構えていて……。

 

「貴公ッ! ついに明日、決着の時だな!!」

「はぁ……」

「明日、東海道鎮守府の稽古場で待っているぞ!!」

 

 と啖呵をきられ、軍手を投げつけられた。これはあとで知ったことなのだが、貴族同士では、この『相手に手袋をなげつける』という行為は、相手への決闘の申し込みの意味合いがあるらしい。英国人のロドニーさんらしい僕への宣戦布告なのだが……そもそもなんでそんなに僕にこだわる? ……ああそういやバトルジャンキーだって言ってたっけ。

 

 

 そして運動会当日。久々に防具袋をかつぎ竹刀を持って、僕は東海道鎮守府の門をくぐった。

 

「……普賢院智久さんですか?」

 

 門の前にいた守衛さんが、僕の姿を見るなり声をかける。少々強面の人のため、小心者の僕の心に、少し緊張が走った。

 

「はい」

「……鳳翔さんからお話は聞いています。剣術大会、頑張って下さい」

「……ありがとうございますっ」

 

 ほっ……別に不審人物として止められたわけではなく、身分の確認と激励のためだったか……。守衛さんは強面のまま、僕に向かってサムズアップをしてくれた。

 

「キラーン!」

「うっ……」

「どうされました?」

 

 ニッと笑う守衛さんの白い歯が、お日様の光を反射して眩しかった……。

 

 鎮守府の敷地はとても賑やかだ。ところどころに万国旗が飾られて、艦娘さんたちや深海棲艦さんたち……たくさんの人たちがいたるところで見受けられた。屋台なんかも出てるみたいだ。やきそばのソースが焦げたいい匂いが、僕の鼻に漂ってきた。

 

 そういえば、鎮守府の稽古場なんて行ったことないな……どうしよう。場所が分からない……。案内板みたいなものはないかなと思い、周囲をキョロキョロと見回した時だった。

 

「……ん?」

「……」

 

 ……いつの間にか僕の足元で、僕の足の膝ぐらいまでの背しかない、魚のサメみたいな顔をした深海棲艦さんが立ち尽くしていて、僕のことをじっと見ていた。僕は詳しくないからよくわからないけど、確かこの子は、PT子鬼とかいう子だったような……よく見たら眼帯をしている。ファッションでつけるタイプのものみたいだから、怪我をしているわけではないようだ。

 

「えーと……」

「……」

「こんにちは。僕は普賢院智久っていいます」

「コワイカー」

 

 とりあえず目が合ってるし、この小さい友達に、しゃがんで挨拶をしてみる。するとその子は、『コワイカー』と言いながら両手を上げてバンザイしてくれた。よかった。顔は少々キモいけど、悪い子ではないみたいだ。キモいけど。うん。キモいけど。

 

「ちょっと聞きたいんですけど、稽古場の場所はわかりますか?」

「コワイカ……」

 

 うーん……この子はひょっとしたら、『コワイカ』としか話せなかったりするのかなぁ……だとしたら、案内してもらうのが一番いい気がする。

 

「もしわかるなら、案内してもらっていいですか?」

「コワイカっ!」

 

 僕の提案を飲んでくれたらしい彼は(彼女か?)、元気よくバンザイをしたあと、僕の肩にぴょんと飛び乗り、ちょこんと座った。うん。この子がほんとに稽古場の場所を知ってるかどうかはわからないけれど、とりあえず仲良くはなれたみたい。

 

「コワイカー」

「あっちですか?」

 

 僕の肩の上で、ちっちゃい手でまっすぐ前を指差す彼に従い、僕は稽古場を目指す。途中、今度はこのPT子鬼さんよりもさらにちっちゃい子に出会った。その子は、昔の戦闘機のパイロットみたいな格好をした子で、PT子鬼さんよりも人間らしい、かわいらしい背格好。この子、話に聞く妖精さんかな?

 

「やあこんにちは」

「コワイカー!」

 

 この子たちは友達だったらしく、僕の方に乗ってバンザイするPT子鬼さんの姿を見るなり、僕の身体をよじ登って、僕の頭の上に飛び乗った。うーん……乗ってくるのは構わないんだけど、一言断りが欲しかったかなぁ……まぁいいか。この子も子鬼さんと一緒で、しゃべれないのかもしれないし。

 

「あなたも子鬼さんと一緒に案内してくれるんですか? ありがとう」

「コワイカー」

 

 不思議な友達が二人も出来たことはとてもうれしいけれど、今はそれよりも稽古場だ。PT子鬼さんが指差す方へと、歩を進める。5分ほど歩いたところで、稽古場らしい建物が見えてきた。かなり大きな二階建ての建物で、二階は観客席になってるみたいだ。稽古場というよりは、学校の体育館みたいだね。

 

「あ、天龍2世!! 迷子になったと思って心配したじゃねーかッ!!」

「コワイカー!!」

 

 その入口前。黒のスーツを羽織り、下はスカートを履いた、なんだかガラが悪そうな女の人がいた。その人は僕達三人の姿を見るなりそう声を上げ、僕達に走り寄ってくる。正対して分かったんだけど、この人、子鬼さんと同じ眼帯してる。

 

「まったく……心配かけんなよなー」

「コワイカー」

「わりい。天龍2世と妖精をここまで連れてきてくれてサンキュー」

「いえいえ。僕がお願いして、二人にここまで連れてきてもらったんです。……僕は普賢院智久です」

「おー! お前があの普賢院智久かー! ロドニーと鳳翔さんから話は聞いてるぜ!!」

 

 う……ロドニーさんめ……また何か余計なことを話してるんじゃないだろうな……そして鳳翔さんが僕のことをなんて言っているのか、非常に気になる……

 

「俺の名は天龍……」

「ああ。よろしくです」

「フフ……怖いか?」

「はぁ……」

「コワイカー!」

 

 うん。この天龍さんて人、子鬼さんそっくりだ。なんかよくわかんないけど、そんな気がする。一件強面だけど、妙に可愛らしいところが。

 

 その後は、天龍さんが稽古場の控室まで案内してくれた。なんでも……

 

「鳳翔に、お前の稽古場までの案内を頼まれてたんだ。でもお前の方から来てくれて助かったよ」

「へー……鳳翔さんはお忙しいんですか?」

「アクシデントがあったらしくてさ。みんなへの弁当がまだ出来てないそうだ。お前に『頑張ってください』って言ってたな」

 

 とのことで。鳳翔さんは今、食堂でがんばってお弁当を作っているそうな。鳳翔さんのお弁当……ゴクリ……。

 

 天龍さんに案内された控室で剣道着に着替え、稽古場に入る。

 

「……失礼いたします」

 

 入る前に、頭を下げることは忘れずに。剣道を離れた僕だけど、礼節はキチンとしておかないと。

 

 稽古場では、すでにトーナメント大会の準備は完了しているようで。たくさんの人で賑わっていた。二階の観客席は4つの区画に分かれていて、それぞれ『磨け! ビッグセブンクリーン・一航戦!!』『焼きつくせ! Pizza集積地!!』『太陽のように輝け! 大淀パソコンスクール!!』『今日の夕飯は食堂だ!!』といった、応援の横断幕が掲げられている。わいわいがやがやと賑わっているが、大淀パソコンスクールの一角だけ、妙に年齢層が高いのはどうしてだろう? 「やせぇええん」と騒ぎ立てるえらくキレイな女の子もいるが、その大半はおじいちゃんおばあちゃんだ。

 

 周囲を見回した。見知った後ろ姿を見つけ、僕は声をかける。

 

「赤城さん!」

 

 僕に背中を向けていた赤城さんが振り返った。今日の赤城さんは、いつかの清掃服ではなくて、真っ赤な袴と、同じく赤い胸当てをつけていた。その姿が、とても凛々しい。

 

「ああ、普賢院さん。到着しましたね。場所はすぐわかりましたか?」

「いえ、でもPT子鬼さんと妖精さんに道案内してもらいました」

 

 以前に食堂で合った時と比べ、幾分目が鋭い赤城さん。稽古場の準備はすでに整っているようだ。赤城さんの気迫のせいもあるだろうけれど、心持ち、空気がビリビリと痛い。

 

「赤城さんは出るんですか?」

「私は主審をやりますから試合には出ません。でも代わりにロドニーさんがすさまじく燃えてます。あなたと剣を交えることがよほどうれしいみたいですね」

「うう……」

 

 すみません鳳翔さん……試合に入る前から意気消沈しそうです……。赤城さんにつれられ、貼りだされたトーナメント表の前にきた。

 

「……もしロドニーさんとあたるとすれば、決勝戦ですか」

「『私と戦う前に破れたら、次に大学で会った時に張り倒す!!』って鼻の穴を広げてましたよ?」

「うう……命の危険が……」

 

 ということは、少なくとも一回戦を突破しなければ、僕の命が危ないということか……しかし、僕の一回戦のこの相手、どんな人なんだろう。剣に相当な自信がある人らしいけれど……

 

 

一回戦 ソラール(大淀パソコンスクール) vs 普賢院智久(食堂)

 

二回戦 ロドニー(ビッグセブンクリーン) vs 集積地棲姫(Pizza集積地)

 

決勝戦 一回戦の勝者 vs 二回戦の勝者

 

 



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4. あなたのもとに駆けつけたくて(前)

 ……予想外だった。名前を見た時から『ロドニーさんみたいに海外の人なのかな?』とは思っていたけれど……これは予想外だった……!!

 

「……どうした貴公」

「……ッ!」

「俺に隙を見つけたのなら、遠慮無く斬りかかるがいい」

 

 すでに一回戦は始まっている。僕の相手は、『大淀パソコンスクール』代表、自称『太陽の騎士』ソラールさん。僕みたいな剣道具ではなく、赤い羽がついたバケツのような兜をかぶり、西洋のチェインメイルを身にまとう、西洋剣術の使い手。日本の剣道にはない盾を装備し、全身に太陽のイラストを散りばめた男。

 

「来ないのか?」

「……ッ!」

 

 観客席の方から『先輩! ポーズ決めてないで本気でやって下さいッ!!』『まぁーソラール先生はいつものことじゃからー』『アッハッハッハ!!!』といった掛け合いが聞こえてくるけれど……対峙している僕にはわかる。この、ソラールさんが今やってる、キレイに上に伸びたYの字ポーズ……

 

「……」

「……クッ!?」

 

 隙だらけ過ぎて、逆に隙がないッ!? いや、自分でも何を言っているのかさっぱり分からないけれど、どこからどう打ち込んでも、自分が一本を取れてしまうビジョンが思い浮かんでしまい、それが逆に恐ろしい……僕が打ち込んだその瞬間、そのイメージが潰され、あのお日様が描かれた丸い盾で弾かれ、逆に打ち込まれてしまうようで……ッ!!

 

 ええいっ。雑念を捨てろッ! 気を静め、すべてを一撃に乗せるんだッ! 僕は竹刀を真正面に構え、心を落ち着かせ、意識のすべてを相手に絞る。

 

「……ほう。気迫が伝わってくる」

「……」

「貴公、よい気迫だ……ならば俺も、全力で相手をせねばなるまい」

 

 

 ソラールさんがそういい、再びキレイなYの字ポーズを決める……僕の世界が一度ソラールさんに……いや、ソラールさんの身体に描かれた、お日様のマークに収束していく……雑音が消えた。『なにやってんすか先輩ッ!!!』という声援も消えた……僕の視界は、ソラールさんだけに……いや、あのシュールなお日様だけになった。

 

「来るがいいッ!!!」

「ッ!!!」

 

 今だッ!! 僕は竹刀を振り上げ、ソラールさんとの距離を一気に詰めて、渾身の力を振り絞って竹刀を振り下ろした。

 

「めぇぇえええええああああああ!!!」

 

 途端に僕の竹刀に、ぱこっという情けない衝撃が届く。

 

「面あり。一本。……普賢院さんの一本勝ちです」

 

 赤城さんのキレイな声が、稽古場に響いた。僕の渾身の打ち込みが、ソラールさんの頭をキレイに捉えたようだ。『バカなッ!? 先輩ッ!!?』『せ、先生が!? 太陽が沈むッ!?』という茶色い嘆きの声が、大淀パソコンスクールの観客席から聞こえてきた。

 

「……え、あのー……」

「礼っ」

「は、はいっ」

 

 あまりにあっけなさ過ぎて、ついポカンとしてしまった。でも呆気にとられていたのは僕だけだったようで、赤城さんは僕達に礼を促し、ソラールさんは相変わらずYの字ポーズで気持ちよさそうに伸びている。

 

「ちなみにこのポーズの名は太陽賛美だ」

「いや、聞いてないです……」

 

 ぼくも、頭に大きなはてなマークを浮かべながら、頭を下げた。ともあれ、僕は一回戦は突破出来たか……よかった。これで命の危機は去ったはずだ……。

 

「……貴公」

「はい?」

 

 さっきまで太陽賛美のポーズを取り続けていたソラールさんが、チャリチャリとチェインメイルの音を響かせ、僕に歩み寄ってくる。なぜか一度前転し、背中からどすんっと着地して立ち上がってから、僕の左肩にぽんっと手を置いてくれた。右手の感触がずっしりと重く、ソラールさんが相当な強者であることが、その右手から伝わってくる……。

 

「貴公、いい気迫だった」

「はぁ。ありがとうございます」

「そのまま精進を続けるんだ。そうすればいつの日かきっと、太陽の戦士になれるっ」

「はぁ……」

 

 いや、すみません……正直、太陽の戦士ってよく分かんないんですけれど……もし、その太陽の戦士ってのになったら、ソラールさんみたいに、お日様イラストを全身に散りばめなきゃいけないんですかね……

 

 なんて困惑していたら、ソラールさんの背後に、黒のスーツにボタンダウンという中々フォーマルな格好をした男の人が突然現れ、ソラールさんをガシッと羽交い締めしだした。『こらカシワギッ! 何をするッ!?』とソラールさんが抗議しているところを見ると、この男の人はソラールさんの職場の仲間なのかな? 当然だろうけど、あのお日様のイラストは身につけてないみたい。

 

「また太陽の戦士とか言って、手当たりしだいに勧誘するのはやめて下さいって……!!」

「バカなッ!? 貴公も新しい仲間が出来るのはうれしいだろう!? それが彼のように頼もしい男であるのなら、なおさら……ぐおおおッ!?」

「うちはパソコン教室でしょうがッ!」

 

 そんな言い合いをしながら、ソラールさんは後輩の人に、背後から羽交い締めされたままズルズルと引きずられ、会場から離れていった。でも離れていくその最中。

 

「普賢院智久ッ!」

「は、はいっ!」

「決勝では貴公の健闘を期待する!! 貴公に、炎の導きのあらんことを!!!」

 

 と、ソラールさんは力強い言葉で僕を激励してくれた。正直、言ってることの9割近くは理解出来ないヘンタイお日様戦士のソラールさんだけど、根はいい人みたいだ。

 

「こちらこそ! ありがとうございました!!」

 

 僕も、剣を交えてくれたソラールさんへのお礼を忘れない。ソラールさんか……今回は敵同士だったけど、素敵な人と知り合えた……。なんて僕がソラールさんのエールに感激して胸を熱くしていたら、さっきのスーツの人がソラールさんを羽交い締めして引きずりながら、再びこっちに戻ってきた。

 

「いや、それは買いかぶりすぎだと思うよソラール先輩のこと」

「そうなんですか?」

「貴公……」

 

 ちなみに後ほどソラールさんから聞いたところによると、このスーツ姿の後輩の人ってのは、カシワギさんという名前らしい。近々、大淀パソコンスクールに遊びに行ってもいいかもしれない。こんなに楽しそうな人たちのパソコンスクールなら。

 

 

 一方……二回戦の方は、ロドニーさんが順当に勝ち上がる。集積地さんは、戦時中に一度ロドニーさんと戦ったことがある深海棲艦さんらしく、その時のリベンジをしたいと出場を決意したそうだが……壮絶な打ち合いの末、ロドニーさんの一本勝ちとなったそうだ。

 

「ところで赤城さん」

「はい?」

 

 決勝戦が始まるまで、あとわずか……僕は、付き添いで一緒にいてくれる赤城さんに、ちょっとした疑問をなげかけることにした。

 

 今回、剣術大会というから、僕はわざわざ防具を持ってきたわけだけど、ロドニーさんはもちろん、集積地さんも、防具を装備してない。ソラールさんにいたっては、妙ちくりんなお日様のイラストが入った、西洋の騎士のコスプレをしてた。

 

 つまり、正規の防具をつけてるのは僕しかいない。いや、ある意味ソラールさんの格好は防具と言えなくもないけれど……そんなことでいいのだろうか……。

 

「特に防具の規定はないですね。普賢院さんもお好きな格好で構わないですよ?」

「え、でもこれ、剣道の大会ですよね?」

「いえ。剣術の大会ですし」

「そ、そんなもんなんですか……」

 

 なんという気の抜けた答え……。初めて聞いた時から『剣術大会』となっていたのがずっと気になってはいたけれど、そんな理由だったのか……。

 

 赤城さんからの力の抜ける返答を聞いた後、僕は観客席をキョロキョロと見回した。特に、食堂の応援団がひしめく一角を重点的に見回す。鳳翔さんの姿は……まだない。

 

「……」

「……鳳翔さんを探してるんですか?」

「ひ、ひゃいっ!?」

 

 赤城さんに突然に図星を突かれ、変な声が出てしまった……そんな僕を見た赤城さんは、くすくすと笑いながら、僕のことを見つめてきた。この人の黒髪、つやつやしてるなー……

 

「先ほど、もうすぐお弁当ができると連絡がありました。試合が終わる頃には、持ってきてくれると思いますよ」

「そうですか」

「楽しみですね……じゅるり」

 

 まぁ、これだけの参加人数分のお弁当となると、かなり大量になるだろうしね……ちょうど決勝戦が終わる頃は、お昼ご飯の時間になるだろう。

 

 さて。今までのんびりと構えていたのだが……

 

「さて。そろそろ時間ですね」

「そうですね」

 

 赤城さんの言葉に、ほんの少し、真剣味が込められた。

 

 稽古場には、すでにロドニーさんが立っている。黒の上下のスーツに身を包んだその姿は、以前にどこかで目にしたことがある、海軍の制服そっくりだ。色だけは、白い海軍の制服とは正反対の真っ黒だけど。持っているのは、ソラールさんと違って竹刀一本。さすがに真剣ではなかった。

 

 ロドニーさんから遠く離れているはずの、僕の周囲の空気が、ピリピリと痛くなってきた。心持ち、ロドニーさんの背がいつもより高く見える気がする。あの人、あんなに背が高かったっけ……?

 

「普賢院さん。結果はどうあれ、ご武運を」

「ありがとうございます」

 

 赤城さんが稽古場に上がり、続いて僕も稽古場に上がる。すでに立ち位置についているロドニーさんは目を閉じ、静かに佇んでいた。

 

「……」

 

 言葉を交わさなくてもわかるし、いかに僕が弱くても、この気迫は伝わってくる。ロドニーさんの気迫は、さっきのソラールさん以上のものだ。

 

「……貴公」

「はい」

 

 僕が立ち位置に着いた途端、ロドニーさんは静かに、スッと目を開いた。その鋭い目は一切の曇りなく、まっすぐ、正確に僕の目に突き刺さってくる。これはいつもの、清掃員のロドニーさんではない。艦娘でネルソン級戦艦二番艦。世界で最強の7人の一人。ビッグセブンの一角、ロドニーだ。

 

「良き敵であることを期待する」

 

 ロドニーさんが竹刀の切っ先を僕に向けた。竹刀のその向こう側にある、ロドニーさんの眼差し。それが僕に叩きつけるこの気迫は、きっと気迫ではなく、殺気というものだろう。それが、僕の全身にまとわりついてきていることを、僕は感じた。

 

「……精一杯、努力します」

 

 僕も竹刀を構える。

 

――ありがとう智久さん! ありがとう!!

 

 そう言って、笑顔で僕の手を握ってくれた鳳翔さんに報いるためにも……勝てないまでも、せめて一矢は報いてみせる。

 

「……構え」

 

 赤城さんの、静かな言葉が響いた。僕とロドニーさんは互いに竹刀を相手に向ける。ロドニーさんの眼差しが、僕の目をジッと見据えた。

 

「はじめッ!!!」

 

 覇気の篭った赤城さんの、ビリビリとした衝撃がこもる声がひびき、僕とロドニーさんの試合がはじまっ……

 

………………

…………

……

 



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5. あなたのもとに駆けつけたくて(後)

……

…………

………………

 

「と……さ……。とも……さん。大丈夫です………ひささん?」

 

 とても心地いい声が聞こえる。いつの間にか真っ暗になってしまった視界の中では何も見えず、ただ遠くの方から、とても心地いい声が、僕を呼んでいることだけがわかる。

 

 少しずつ少しずつ、視界が明るくなってきた。僕は知らない内に目を閉じていたみたいだ。もうずっと目を閉じていた時のように、まぶたを開いても、焦点が中々しっかりと合わない。

 

「智久さん、気が付きました?」

 

 まただ。とても心地いい声が、僕の名を呼ぶ。今度は僕のすぐそばで……

 

「うぁ……は、はい……」

 

 まだなんとなく頭がボーとして、状況が把握できない。少しずつ、周囲の歓声が耳に届き始めた。

 

 自分の状況が、なんとなくわかってきた。僕はどうやら、大の字になって仰向けで寝転がっているようだ。つけていたはずの面もなく、面手ぬぐいも外されている。いつの間に外したんだっけ……?

 

 それに、試合はどうなったんだろう? 僕は確か、ロドニーさんと試合をしていたはずだけど……

 

「ハッキリしてきましたか? 大丈夫ですか?」

 

 目の焦点が合い始め、視界に入ってるものの輪郭がハッキリしてきた。倒れている僕を、誰かがしゃがんで、笑顔で覗き込んでいる。しかも三人。

 

「えーと……すみません、試合は……」

 

 大の字になったまま、僕は小手を外して、汗臭い右手で頭を押さえた。頭が少しずつ、ズキズキと痛くなってくる。頭のてっぺんに触れると、かなり大きなたんこぶができているようで、自分の頭ってこんな形をしてたっけ? とぼんやりと疑問を抱くほどだ。

 

 僕の顔を覗き込む、ぼんやりとした人影のうちの一人が、困ったような苦笑いを浮かべた。

 

「……見事な一本負けでした」

 

 やっと焦点が合ってきた……二重に見えていた人影がそれぞれひとつに重なり、そこで僕は、自分を覗き込んでいる人たちが誰なのか、ハッキリと理解できた。

 

「……!?」

「?」

「ほ、鳳翔さんッ!?」

「はい。おまたせしました」

 

 頭が混乱する。さっきまでいなかったはずの鳳翔さんが、なぜ今、ここで笑顔で僕を見下ろしている? 

 

「コワイカー!」

「いたた……なんでここに……」

 

 あとは、僕の胸に乗っかっているさっきの妖精さんと、僕のそばで顔を覗き込んでいたPT子鬼の天龍二世さんだ。二世さんの表情は正直読めないけれど、妖精さんの表情がパアッと明るくなった辺り、倒れていた僕をずっと心配してくれていたらしい。

 

 それにしても、鳳翔さんはなぜ、僕も知らない試合結果を知っている? 僕は頭のてっぺんのたんこぶをいたわりつつ、上体をゆっくりと起こした。

 

「いつつ……」

 

 周囲を見回す。僕の周囲には、鳳翔と二世さん、そして妖精さんだけだ。

 

「あら、大きなたんこぶが出来てますよ?」

「は、はい……」

 

 不意に、てっぺんのたんこぶに痛みが走った。鳳翔さんが、そのあたたかい右手で、僕のたんこぶに触れたようだ。とてもうれしいんだけど、今は触れてほしくない……でも、触れていてほしいような……

 

「いでぃっ!?」

「ぁあ、ごめんなさい」

 

 妖精さんと子鬼さんを見ると、僕が先ほど脱ぎ捨てた小手を二人で手に取って、匂いを嗅いだ後目を回してコロンと音を立てて倒れていた。

 

 上体を起こしたまま、前を見る。僕と鳳翔さんのはるか前の方で、ロドニーさんが大喜びでぴょんぴょん飛び跳ねていた。赤城さんの手を握り、『やったー! これで大学の強者全員から勝利をもぎ取ったぞ赤城!!』と、まるで五歳の少年のように、飛び跳ねて大喜びしている。

 

 ……さて、僕はどのようにして負けたのか……苦笑いの鳳翔さんに見守られながら、僕は必死に、記憶の残滓をたどっていった……

 

………………

…………

……

 

「はじめッ!!!」

 

 覇気の篭った赤城さんの、ビリビリとした衝撃がこもる声がひびき、僕とロドニーさんの試合がはじまった。僕はロドニーさんから視線を外さない。

 

「フッ……」

「……」

「思ったとおりだ……やはり貴公は、いい気迫を持っている」

 

 ロドニーさんの目だけが笑う。『私は楽しいぞ? 貴公はどうだ?』とでも言わんばかりの眼差しだ。大丈夫。楽しくはないが、自分でも驚くほど、ロドニーさんの気迫に気圧されない。意識の収束も問題ない。ソラールさんのお日様マークよりも、ロドニーさんの眼差しの方が、何倍も意識を収束させやすい。

 

「……」

「さぁ……戦の時間だッ……!」

 

 ロドニーさんの気迫が、さらに高まったのを感じる。向かい風のように強烈なプレッシャーが僕を襲うが、僕の意識は驚くほど静かだ。今なら、ロドニーさんの一挙手一投足のすべてが、手に取るようにわかる。僕は彼女の隙を逃すまいと、意識をロドニーさんだけに向けた。

 

 ……はずだった。

 

 ロドニーさんの背後に見える、扉がガラガラと開いた。途端に外の明るい光が、会場に差し込み、僕とロドニーさんを明るく照らす。でも大丈夫。この程度の逆光なら、問題はなかった。逆光だけなら。

 

「……ッ!?」

 

 開いた扉の向こう側には、鳳翔さんが立っていた。いつもの和服に割烹着の出で立ちで、両手で大きなお重の包みを抱え、息を切らせ、ほっぺたが紅潮していた。開いた会場入口の扉の前で、僕とロドニーさんを、固唾を呑んで見守っていた。

 

「鳳翔さん……!!!」

 

 その鳳翔さんは、今まで出会った誰よりも、キレイだった。

 

 そして僕の意識がロドニーさんをはずれ、鳳翔さんを捉えてしまったその隙を、ロドニーさんが見逃すはずがなかった。

 

「隙ありぃぃぃぃいいいいええええあああああああ!!!」

 

 ロドニーさんが咆哮を上げ、両手で竹刀を振り上げて突進し、僕に渾身の一撃を打ち下ろした。

 

 会場に、スパーンという心地良い竹刀の音が鳴り響く。

 

「……」

「……貴公、良き敵だった」

 

 しばらくの沈黙のあと、僕の耳に、自分の両目がひっくり返る『グリュンっ』という音が届いた。ソラールさんの『貴公……』という心底残念そうなつぶやきが聞こえた直後、僕の意識が、ブラックアウトした。

 

……

…………

………………

 

 うわ恥ずかし! よりにもよって、鳳翔さんの姿に気がそれて、それでロドニーさんに負けるなんてッ!? 顔から火が出るッ!? 無理っ! もう無理っ!!

 

「そんなに恥ずかしがらなくても大丈夫ですよ」

「いや恥ずかしいですよ……せっかく鳳翔さんのお力になれると思ったのに……いつつ」

「ほら。これでたんこぶ冷やして下さい」

 

 鳳翔さんが、いつの間にか準備してくれた氷嚢を包んだ手ぬぐいで、僕のたんこぶを冷やしてくれている。それはとてもうれしいけれど、さっきみたいに直接触れてくれる方が……いや、痛いか。

 

 ちなみに、気がついた僕がなぜ面も面手ぬぐいもつけてなかったのかと言うと……僕が気を失っている間に、天龍二世さんと妖精さんが必死にがんばって外してくれたらしい。

 

「お二人もありがとうございます」

「コワイカー!」

 

 それにしても、ロドニーさんの気迫をちゃんと受け止められた時は、『おっ行けるか?』て思ったんだけどなぁ……。うーん……悔しくはないけれど、なんだかもやもやとしてしまう。

 

 そんなことを思っていたら……鳳翔さんはそんな僕の思考を読んでいたようで、なんだかとてもありがたいような……でも男の僕にはショックなような、そんな何とも言えないことを話しだした。僕の背後で、冷たい手ぬぐいで僕の頭を冷やしながら話す彼女の声は、僕の耳に、とても心地よい。

 

「智久さんはー……元々、争いや武道には向いてないのかもしれませんね」

「うう……そうですか?」

「はい。その分、智久さんは優しいということです」

「どうしてですか?」

「だって……」

「……?」

 

 鳳翔さんが黙りこむ。鳳翔さんは僕の背後にいるから、彼女がどんな顔をしているのか分からない。なんだろう……なにか言うのをためらってしまうようなことでも考えていたのか……?

 

 しばらくの沈黙のあと、突如僕の首筋に、氷点下の衝撃が走った。

 

「……えいっ」

「ひやぁあんッ!?」

 

 鳳翔さんが、冷たくなった自分の手で、僕のうなじをちょんとつっついたようだ。おかげで僕は変な悲鳴を上げてしまい、ソラールさんやロドニーさん、赤城さんといった周囲の人たちから『何事だッ!?』と変な注目を浴びてしまった。

 

「な、なにするんですかっ!?」

「ぷぷぷ……」

 

 鳳翔さんが立ち上がり、僕の前に回りこむ。両手で口を押さえ、ほっぺたを赤くしながら、楽しそうにぷぷぷと笑う鳳翔さんは、そのまま僕に背中を向け、ロドニーさんたちに向かって、優しく、でも弾んだ声を響かせた。

 

「みなさん! 剣術大会お疲れ様でした! お昼ごはんにしましょう!!」

「「「ウォォオオオオオオ!!!」」コワイカー!!!」

 

 正直、僕に変な声を出させたのは納得行かないけれど……

 

「智久さんも、よかったらどうぞ!」

「……はいっ! いただきますっ!!」

「はい。首をつっつかせてくれたお礼です」

「えぁ……」

「ぷぷぷ……」

 

 まぁいいか。いつも仕事してる時の鳳翔さんしか見てないから、今のこの、ちょっとおちゃめな鳳翔さんは、見ていてとても新鮮で、楽しいし。

 

 

 その後、出場者全員と主審の赤城さん、そしてPT子鬼の天龍二世さんのみんなで食べた鳳翔さんのお重は、本当に美味しかった。玉子焼き……唐揚げ……ハムとチーズと大葉のちくわ巻き……トマトのピクルスは酸っぱくて最高に美味しい……

 

 それはみんなも同じようで、いたるところから『こりゃうまいっ』『さすが鳳翔だっ!』『コワイカー!!』などと感嘆のため息がこぼれ、称賛の声が上がる。

 

 だって、どれも実際美味しいもん。自分の胃袋に限界があるのがとても悩ましい。僕の身体に限界がなければ、いつまでもいつまでも食べていたい……そう思える、素敵なお重だった。食べてるうちに、顔中が笑顔になる……食べる人たちが、みんな笑顔になる……こんな素敵な料理が、世の中にはあったんだなぁ……。

 

「鳳翔さん! 美味しいです!!」

「ありがとうございます。頑張って作った甲斐がありました」

 

 満面の笑顔でおにぎりを頬張り、梅干しの酸っぱさに顔をしかめながら、僕の隣で満面の笑顔を浮かべた鳳翔さんに美味しさを伝えた。正直、『美味しいです』だけでは伝えきれないこの感動……どうすれば過不足なく鳳翔さんに伝えられるか……ずっと考え続けていたのだが……。

 

「智久さん」

「はい?」

 

 そんなふうに、僕が贅沢な葛藤に頭を悩ませていたら、鳳翔さんが、一つの水筒からコポコポと中身を注いだカップをくれた。途端に僕の鼻をこしょこしょとくすぐり始める、この鰹だしと田舎味噌の良い香りは、鳳翔さん作のお味噌汁。

 

「……よかったら、どうぞ」

「え……」

「この前晩ご飯をご一緒した時、私のお味噌汁を褒めてくださいましたから」

 

 カップに注がれたお味噌汁の湯気の向こうで、鳳翔さんが笑顔で僕を見つめてた。ここは室内だから、風は吹いていないのに、鳳翔さんのポニーテールが、少しだけ、揺れた気がした。

 

 鳳翔さんにありがとうを告げた後、カッブを両手でそっと受け取る。カップが熱い。中を覗くと、お豆腐とわかめのシンブルなお味噌汁。

 

「……では、いただきます」

「はい。どうぞ」

 

 笑顔の鳳翔さんに見つめられながら、僕は静かに、カップのお味噌汁をすすった。

 

「ふーっ……ふーっ……」

「……」

「ずずっ……」

「……」

「……」

「……」

「……ほっ」

 

 途端に、心地いいため息がこぼれた。試合の疲れやたんこぶの痛み、残り続けた試合の気迫、好きな人が隣りにいる緊張……何もかもが、心地いいため息と共に、僕の身体から出て行った。

 

「おいしい……」

「……」

「……ほんとに、美味しいです」

「……」

「鳳翔さん、ありがとうございます」

 

 語彙力のない僕は、こんな風にしか言うことが出来なかったけれど、僕の言葉を聞いた鳳翔さんは……

 

「……よかったです」

 

 ほっぺたを赤く染め、はにかんだような、でもとても優しい笑顔を浮かべていた。

 

 



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6. あなたの声が聞きたくて(前)

 とても楽しかった剣術大会の次の日。剣道部のみんなに『ロドニーさんに負けました』と報告したあとは、いつものようにチェロの練習をしようと練習室に入った。

 

「……」

 

 準備も終了し、今日も僕は『白鳥』の練習を行う。いつものように……

 

「……んー」

 

 いつものように……冷静に……

 

「……んふふふふふふ」

 

 出来るわけがない。無意識の内に鳳翔さんに言われた言葉を反芻して、僕の口が途端にニヤニヤといやらしい笑いを浮かべてしまう。

 

「んふふふふふふふ……デュフ……鳳翔さぁん……」

 

……

…………

………………

 

 剣術大会も終わり、みんなで鳳翔さんが作ってくれたお弁当を食べている時の事だった。

 

「鳳翔さん、お伺いしていいですか?」

「はい?」

 

 すでにご飯を食べ終わっていた僕は、今は鳳翔さんの隣であぐらをかいて、PT子鬼の天龍二世さんと、その友達の妖精さんの相手をしていた。二人ともとてもいい子たちで、二世さんは僕の膝の上で静かに鳳翔さんのご飯を食べてるし、妖精さんは僕の頭の上で、さっき鳳翔さんが準備してくれた氷嚢を包んだ手ぬぐいを、僕のたんこぶに当ててくれていた。

 

「鳳翔さん、言ってましたよね。僕が争いに向いてないって」

「ええ」

「それってなぜですか?」

「ああ、あれですか」

「はい。何か言いかけてたみたいですが……」

 

 確か、何かを言おうとして、ごまかすように僕の首筋を突っついて……

 

「ひぁあああああッ!?」

「?」

 

 再び、僕の首筋に氷点下の衝撃がッ!?

 

「妖精さんっ! イタズラしないでくださいっ!!」

 

 たまらず、頭の上の妖精さんに対し、声を荒げた。仲良くなってくれたのはうれしいけれど、こうやってイタズラしてくるのはなぁ……。

 

 そんな僕らの様子を微笑ましく見つめていた鳳翔さんは、持っていたお茶を一口すすり、ほっと一息ついてから、静かに口を開いた。

 

「気迫は、よかったです。ロドニーさんの裂帛の気迫に負けない、強い気持ちを感じました」

「はい」

「でも……きっとあなたは、反射神経がそうよくないんでしょう。ロドニーさんの剣をさばくどころか、防ぐことも出来なかった」

 

 ……う。それを言われると……

 

「智久さん、最初に“自信がない”って言ってましたけど、それが理由なんじゃないかなって思ったんです。剣に限らず、戦いは色々な速さが命です。反射神経が劣っていると……」

「て、手厳しいですね……」

「いえ。研鑽を重ねたその先が、向き不向きの問題です。だから智久さんの気迫は良かった。ただ、向いてなかった。それだけです」

「……」

「好きで続けるのなら、そんなことは気にしなくても続けられます。でも、結果を求めるのなら、向き不向きはとても大切なことです」

 

 背筋が伸びた正座で、手に持っている湯呑の中を見つめながら、静かに語る鳳翔さん。その言葉はとても手厳しい指摘だけど、不思議とショックは感じない。

 

 それはきっと、鳳翔さんが、僕に対して誠実に向き合ってくれているからだろうと思う。ショックを受けないように慎重に言葉を選んでくれて……だけど、的確かつシンプルに……鳳翔さんの誠実さ……もっといえば、僕を、僕に合った道に導いてくれているような、そんな言葉だ。

 

「……それに、私はあなたのいいところを知っています」

「へ?」

 

 鳳翔さんが、顔を上げてふわっと笑う。だけど、その言葉は意味がわからない。ちゃんと話をするようになって、まだ日が浅いのに、僕のいいところを見つけたって、どういうこと?

 

「膝の上の天龍二世さんと、頭の上の妖精さんです」

「コワイカー」

「二人が……ですか?」

「はい。あなたたち人にとっては、二人とも馴染みのない姿でしょう?」

 

 まぁ確かに。妖精さんはまだかわいらしいけど、天龍二世さんなんかはどう見てもキモいもんなぁ……。

 

「ずーん……」

「ご、ごめん……」

「でも、あなたは臆することなく友達になってくれました」

「はぁ……」

「それに、気絶したあなたの面を、この二人は必死になって外してました。智久さんは、お二人とそんなに仲良くなってくれたんだなぁって、私は嬉しくなりました」

「へぇ〜……」

 

 反射的に、僕の膝の上の天龍二世さんの頭をなでてあげる。それを『ずるい』と感じたのか、頭の上の妖精さんが、冷たい手で僕の首筋をちょんちょんとつついてきた。

 

 変な声を必死に我慢して、後ろに手を回して妖精さんをつまみあげ、そのまま天龍二世さんの隣に移動させて、一緒に頭をなでてあげる。二人は途端に嬉しそうに『キャー』と声を上げてじゃれつき始めたが、その様子はどうしても、怪人サメ人間に子供が襲われているようにしか見えなかった。

 

「ほら。あなたはそれだけ優しいんです。その二人がそんなに懐いてるのが証拠です」

「そなの?」

「コワイカー!」

「そっか……ありがとう。仲良くなってくれて」

「コワイカっ」

 

 今、僕の膝の上で、僕に対して満面の笑みで両手を振ってくれている……といっても、二世さんの顔は相変わらずキモいけど、僕の新しい友達に感謝だ。二人の手に、僕は自分の手を合わせる。二人にとって僕の手はちょっと大きいからか、二人は僕の人差し指をギュッと掴んで、僕とカワイイ握手をしてくれた。

 

「智久さんは、今は音楽をやってらっしゃるんですよね?」

「はい。ロドニーさんから聞いたんですか?」

「はい」

 

 あの人は……僕の情報、すべて筒抜けじゃないかっ。今度大学で会ったら、文句を言ってやろう……なんて、先ほど僕を打ち負かしたロドニーさんへの恨み節を心の中で吐いていたら……

 

「……ん」

「どうしました?」

「いや……今、妙にイラッとした」

「誰かがロドニーさんのことをちっちゃいって思ってるのです」

「張り倒すぞ電」

「こわいのですー」

 

 てな具合の会話が、ちょっとだけ離れたロドニーさんたちのグループから聞こえてきた。あの人、人の感情の機微に過敏なのか鈍感なのか、さっぱりわからない……。ロドニーさんを振り返る。試合中はあんなに大きく見えた彼女の身体は、今はいつものように小さく見えた。

 

「楽器をやってらっしゃると聞きましたけど……」

「はい。チェロをやってます。おっきなバイオリンみたいなやつです」

「チェロをやってらっしゃるんですか……聞いてみたいですね。智久さんのチェロ」

「……へ?」

 

 しばらくの間、時間が止まった。膝の上の天龍二世さんと妖精さんも動きを止め、周囲の喧騒も聞こえなくなり、僕の意識はその瞬間、鳳翔さんを中心に、時の流れを感じなくなった。

 

 ただ、心地いい風が吹いていた。僕と鳳翔さんの間に、そよそよと優しく、冷たくて心地いい風が吹き、鳳翔さんの前髪とポニーテールを、静かにゆらしていた。

 

 僕の意識の中心にいる鳳翔さんは、ほっぺたを紅潮させ、僕をまっすぐ見つめて、ふんわりと微笑みながら、こう言った。

 

「きっと智久さんのように、優しくて……柔らかい、あたたかい音色なんでしょうね」

「……」

「そんな素敵な智久さんのチェロ、私も聞いてみたいです」

 

 その声には、少しだけ、熱を感じた。

 

………………

…………

……

 

 僕のチェロを聞いてみたい……鳳翔さんに、そんなことを言われてしまった……! しかもしかも……『きっと優しくてあたたかい音色なんでしょうね』なんてまで言われたッハァー!!

 

 一度思い出すと、もう練習にならない。弓を握ったままチェロにしがみつき、『やーん……鳳翔さん……デュフフフフ』と気色悪い笑みをこぼしながら、僕はもじもじと身体をよじる。きっと第三者の目から見たら、キモいことこの上ない。そのキモさは、友達になってくれた天龍二世さん以上だろう。だけどまったく気にしない。

 

 そうやって僕がチェロを抱きしめてもじもじとしていると、いつもは僕の練習中には決して開くことのないドアのノブが、ガチャリと音を立てて開いた。

 

「失礼する」

 

 ドアの向こう側にいたのは、大会で僕に快勝したロドニーさん。今日はこの前のような黒のスーツではなくて、いつもの薄水色の清掃服に身を包んでいる。左手には長柄のモップを持ち、右手で清掃道具が乗ったワゴンを押して、いつもより幾分柔らかい表情で、練習室にズケズケと入ってきた。背の高さも、いつものちっこいロドニーさんに戻ってる。

 

「ひあッ!? ろ、ロドニーさんっ!? 練習中に何なんですかっ!?」

「たまにはここの掃除もさせていただこうかと思ってな。失礼するぞ」

 

 そういい、窓ガラスの方に向かったロドニーさんは、モップをワゴンにたてかけ、手持ち用のワイパーとケミカルブルーの液体が入ったスプレーを手に取った。スプレーをこしゅこしゅと窓にふきつけ、器用にくいくいっと薬液をこそげとっていくその様子は、さすがプロのお掃除屋さんとも言うべき手際の良さだ。そのテキパキとした所作に、僕はつい見入ってしまう。

 

「……ぽー」

「……なんだ? 練習はしないのか?」

「いえ、やります。やりますけど……」

 

 窓の縦一列をすべて拭き終わり、二列目に入ろうかというところで、ロドニーさんの手が止まる。また何か言われるのかと僕は身構え、『これからやるのです』アピールとして、チェロを構え、弓を一弦に当てた。

 

「……お前、さっきはどうした?」

「は、はいっ。さ、さっきとは?」

「その楽器……チェロと言ったか。それを抱きしめて、まるで憧れのバレー部の先輩への片思いが成就した女子中学生みたいに、もじもじくねくねしてたじゃないか」

 

 み、見られていたッ!?

 

「正直、少しキモかったんだが……」

「ほ、鳳翔さんには言わないでくださいよ!?」

「? なぜここでお前の口から鳳翔の名前が出てくる?」

「い、いや、だって、やっと鳳翔さんと普通に話せるようになったのにッ」

「?」

「そ、それなのに『やだ普賢院さんってそんなキモい人だったんですか?』なんて言われたら……!!」

「?? ???」

 

 ここで僕は、頭の上にたくさんのはてなマークを浮かべて、不思議そうに僕を見つめるロドニーさんに、この前やっと、普通に鳳翔さんと話が出来るようになったこと、鳳翔さんに『優しい』と褒められたこと、鳳翔さんに『チェロを聞いてみたい』と言われたことを、あわあわしながらまくしたてた。

 

 その間ロドニーさんは、僕の話をジッと聞いていた。最初は困惑の表情を浮かべていたロドニーさんだったが、次第に表情が真剣になっていき……

 

「だ、だから! 今、嫌われたくなくて……」

「……」

「キモいだなんて思われたら……ッ!」

「……」

「だ、だからロドニーさん、絶対! 鳳翔さんには、言わないで……」

 

 半べそで今のことを秘密にするよう懇願する僕に、左手の平をバッと向けて、僕の発言を静止した。

 

「……ッ!」

「へ?」

 

 そして、左の手の平を僕に向けたまま、右手でポケットからスマホを取り出したロドニーさんは、真剣な表情でどこかに電話をしだした。画面が見えなかったから相手が誰かは分からなかったが、次のロドニーさんの一言で、誰が相手かはすぐに分かった。

 

「……赤城。鳳翔のスケジュールはわかるか?」

「……赤城さん?」

「……ああそうだ。それから、今から練習室に来られるか? ……よし。オペレーション“フライング・フェニックス”発動だ。ヤツにも協力を仰ごう。二人に連絡を頼めるか。……了解した。では私は普賢院智久にブリーフィングを行う」

「おぺれーしょん……なんだって? ブリーフィング?」

 

 なんだか口早にペラペラと電話口で話すロドニーさんの横顔は、この前の試合の時よりも気迫を感じるほど、キリリとして目も鋭い。背はちっこいままだが、『戦艦ロドニー』の横顔を彼女は今日も見せている。

 

 通話が終わったのか、親指でスマホをタップしたあとポケットにしまったロドニーさん。キッと前を見るその眼差しは、とても鋭い……試合の時以上の気迫を感じてしまう……。

 

「……普賢院智久」

「はい?」

「今日これより、ここに鳳翔を招き、お前だけの音楽発表会を行う」

 

 ほわっつ?

 

「ついては、これから私と赤城で、舞台となるこの練習室の清掃を行う。お前は発表会に向けて必要な準備を整えろ」

「ちょ、ちょっと待ってください! なぜ突然?」

 

 当然の疑問。確かに鳳翔さんは『智久さんのチェロを聞いてみたい』といい、僕はその言葉が嬉しかった。でも、だからといって、こんな急に、突然発表会だなんて狂気の沙汰だよ。発表会って、もっと前々から日取りを決めて、綿密に練習を重ねて、当日までに演奏のクオリティをがんばってあげていくものなんじゃないの? こんなに突然、『今日やります』て言って、やるものなの?

 

「鳳翔はお前のチェロを聞きたい」

「は、はい」

「お前は、それがうれしい」

「い、いえーす」

「なら今日、鳳翔に聞いてもらおうじゃないか」

「いやだからそれが突然だと言ってるんですっ」

「なぜだ。さっき赤城に聞いたら、今日の鳳翔はオフだぞ。これがチャンスでないとしたら、一体どんなシチュエーションがチャンスになる?」

 

 いや、だから! 突然というところが問題なんです!

 

「大体、鳳翔さんだって突然『今日、僕の演奏を聞きに来ませんか? キリッ』とか言われたら、『ぇえッ!?』てびっくりしちゃうでしょ?」

「いや、それはない。鳳翔は絶対に来る。私が断言する」

 

 あまりに自然な流れで、ロドニーさんが断言する。なんで突然のことなのに、鳳翔さんが僕の演奏を聞きに来てくれると断言出来るのか。そら確かに鳳翔さんはオフかもしれないけれど、でもだからといって、突然外出……しかも、ついこの前知り合ったばかりの僕の演奏を聴きに、わざわざ来るとは思えない。

 

 そんなことを僕は必死にロドニーさんに説明したのだが、ロドニーさんは涼しい顔で僕の話のすべてを聞き流した上で、静かに口を開いた。

 

「……普賢院智久」

「なんですかっ」

「私は、お前の先ほどの奇行を鳳翔に話すつもりはない」

「……うう、他の人にも、なにとぞ秘密に……」

「だからお前も、これから私が話すことは、聞かなかったことにしろ」

「ほえ?」

「いいか。他人には……特に、鳳翔の耳には絶対に漏らすな」

「……は、はいっ」

 

 その後、ロドニーさんは、とても真剣な顔で僕の顔を見つめながら……でも時々ほっぺた赤くしたり、鼻のてっぺんをぽりぽりとかいたりしながら……ある事実を僕に話してくれた。

 

 



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7. あなたの声が聞きたくて(後)

……

…………

………………

 

 数週間前のある日、ロドニーさんが大学の清掃の仕事を終え、晩ご飯を食べようと食堂で順番を待っていた時の事だった。ロドニーさんのはるか先で、鳳翔さんと、鳳翔さんから夕食を受け取る僕の二人の姿を見つけたそうだ。

 

「む……普賢院智久め……こんなところでのうのうとご飯を……ッ!!」

 

 夕食を受け取った僕は、ロドニーさんにまったく気付かず、空いた席を見つけて、静かにその席についた。

 

 ロドニーさんは、僕に向けて静かに殺気を放っていたそうだが(全然知らなかった……)、ここでロドニーさんは、鳳翔さんが厨房内でえらくこそこそと動き回っていることに気付いたらしい。

 

「……鳳翔?」

 

 しばらく鳳翔さんを観察していると、鳳翔さんは、ある一角で立ち止まり、僕の方をジッと見つめはじめたんだとか。

 

 気になったロドニーさんは、夕食を受け取る順番が後回しになるのもいとわず、並んでいる列を抜け、裏口から厨房に入り、こっそりと僕を眺めている鳳翔さんに声をかけたそうな。

 

「……鳳翔?」

「ひ、ひゃいっ? ぁあ、ロドニーさんでしたか……ほっ……」

「えらくこそこそとしてるが、どうかしたか?」

「あ、いや、あの……今はちょっと……」

「?」

 

 鳳翔さんが僕を指さし、ロドニーさんもつられて僕を見る。その時、僕はちょうどお味噌汁を手にとっていたそうで……

 

「奴がどうかしたのか?」

「シッ……見ていてください……」

 

 鳳翔さんに言われるまま、黙って僕を見つめる二人。僕は手に取ったお味噌汁に口をつけ、実に美味しそうに微笑んだ後、とんでもない間抜け顔(ロドニーさん談)で『ほっ……』とため息をついたそうな。

 

「……」

「ほわぁ……」

 

 ロドニーさんは、自分が『良き敵』だと思っている僕が、自分が放つ殺気に気付くどころか、お味噌汁を飲んだあと、気が抜けきった顔でため息をつく僕に、壮絶な怒りを抱いたらしいんだけど……

 

「クッ……奴め……ッ」

「……」

「……?」

 

 一方、鳳翔さんは、そんな僕を、ほっぺたを赤くして、熱心に見つめ続けていたそうな。

 

「鳳翔?」

「……」

「? ほーしょー?」

「ひ、ひゃいっ!?」

「えらく熱心にヤツを見つめていたが……」

「え……あ、はい……」

「ヤツがどうかしたのか? 私と同じく、お前もヤツと剣を交えたいのか?」

「ち、違いますっ」

 

 ロドニーさんの言葉を受け、鳳翔さんはわちゃわちゃと両手をふりふりしだしたそうで、普段そんな姿を見せない鳳翔さんは、ロドニーさんにはとても新鮮に見えたそうだが……なんだこれ。聞いてる僕もすんごいはずかしいんだけど……

 

 やがて鳳翔さんは、なお自分を追求してくるロドニーさんに対し、ほっぺたを真っ赤にして伏し目がちに、両手の人差し指をつんつんと突き合わせながら、口をとんがらせて答えたそうだ。

 

「えと……あの方、最近は毎日、ここに食べに来てくれるんですが……」

「ほう」

「私の……その……お味噌汁を、いつもー……そのー……」

「……?」

「とっても、その……美味しそうに、飲んでくれる……ので……」

「……」

「とても、気になって、眺めていたら……その、すごく美味しそうに、私のお料理、食べてくれる人だなーと……思いまして……」

 

 そういって、真っ赤っかな顔でもじもじと話す鳳翔さんは、付き合いの長い自分ですら新鮮に感じたと、ロドニーさんは語る。

 

 そらそうだ。あんなに落ち着いている鳳翔さんが、そんなに照れてもじもじしてるだなんて想像出来ん……恥ずかしいことこの上ないけど、見たかった……そんな鳳翔さん、見たかった……ッ!!

 

「……で、普賢院智久の味噌汁を飲むその顔が見たくて、ずっと見てたということか?」

「……!? ロドニーさんご存知なのですか? あの方のお名前をご存知なんですか!?」

「あ、ああ。ヤツは普賢院智久という」

「? ほげ……? とむ……?」

「ふげんいん、ともひさ。かつては剣で名を馳せた強者だそうだが、今は剣をやめ、音楽を嗜んでいるそうだ」

「へぇ〜……ふげんいん、ともひささん……」

「このロドニーの殺気を受け流し、決闘の約束を反故にし続ける、ずいぶんと腹立たしい男だよ……忌々しい……ッ」

「ともひささん……そっか……ともひささん……」

「鳳翔?」

「ふふ……」

「聞いてるか?」

 

 その後、ロドニーさんは『お礼』と称してその日の晩ご飯を、厨房で食べさせてもらったそうだ。その日の献立はぶり大根。山のように準備されたぶり大根はとても美味しかったと、ロドニーさんはだらしなく開いた口からよだれを垂らしつつ答えてくれた。

 

………………

…………

……

 

「……というわけで、鳳翔はお前のことを憎からず思っている」

「……」

「だから、お前の演奏が聞けると分かった鳳翔は、必ず来る。それは私が保証する」

「……」

「だからお前は、気にせず準備を……ってどうした?」

 

 ……正直、今の話聞いて、恥ずかしくならないヤツなんて、いないと思う。僕は今、きっと顔が真っ赤っかだ。思考も停止してる。停止は言い過ぎにしても、きっと普段の2%ぐらいしか回ってないはずだ。

 

 見られていた……鳳翔さんに、お味噌汁を飲む姿を、ずっと見られていただなんて……恥ずかしい……顔から火が出る勢いだ。

 

 でも、決して悪い気はしない。かなり恥ずかしいシチュエーションではあるけれど、あの鳳翔さんが、僕のことをずっと気にし続けていた……その事実は、僕の心に、じんわりとした喜びを届けてくれた。

 

 不意に、練習室の扉が勢い良く開く。

 

「おまたせしましたロドニーさんッ!!」

「赤城さん!?」

 

 開いたドアの向こう側……逆光の中佇んでいたのは、ロドニーさんと同じく、薄水色の清掃服を着ているが、気合の入り方が半端ではない。剣術大会で主審を務めた時以上の気迫だ。目がキラキラと輝き、試合中のロドニーさんと同じ眼差しをしていた。

 

「オペレーション“フライング・フェニックス”ついに発動ですね!!」

「ヤツはまだか?」

「いえ! すでに到着しています!!」

 

 そんな二人のやり取りが終わるやいなや、次にドアから入ってきたのは、歩くたびにチャリチャリとチェインメイルの音を響かせる、全身に散りばめたシュールなお日様が眩しい、ちょっと変な太陽の騎士。

 

「話は聞いた! このソラール、鳳翔と普賢院智久のためなら、助力は惜しまんッ!!」

「ソラールさんまで!?」

 

 その、この場にあまりにふさわしくない風貌のソラールさんは、大会の時のように、Y字でキレイに上に伸びる。なんだっけ……太陽……まぁいいか。

 

「俺だけではない! さらに頼もしい味方がいる!!」

 

 今度はソラールさんの足元から、とても可愛らしい……いや、一人はちょっとキモい……僕の新しい友達が、顔を見せていた。

 

「天龍二世さんと妖精さんも来てくれたんですか!?」

「コワイカー!」

 

 ソラールさんの足元からひょこっと顔を出した天龍二世さんは、ソラールさんに負けず劣らずのバンザイをし、妖精さんは、そのカワイイ顔をキリリと引き締めて、とても凛々しい敬礼をしてくれる。

 

 僕の足元にまとわりつき始めたその二人をよそに、ロドニーさんがソラールさんに歩みよる。なんというか、こう……金髪碧眼のロドニーさんと、お日様マークを散りばめた西洋騎士のコスプレをしたソラールさん……なんかハリウッド映画みたいだ……。

 

「ソラール。お前には、鳳翔へと渡す案内状を作成してほしい」

「すでに教室でカシワギと大淀をはじめとした面々が準備にとりかかっている。時間が限られている関係上Wordで作るため本格的なものは無理だが、それでも太陽の戦士カシワギならやってくれると信じている」

「素晴らしい。さすがは太陽の戦士だっ」

 

 力強く頷くロドニーさんだが、それまでYの字に伸びていたソラールさんがスッと両手を下げ、首を左右に振る。顔の大きさとバケツ兜の大きさが合ってないのか、首の動きと兜の揺れが、若干合ってないのが少々キモい。

 

「……ロドニー。これが我々だ。助けを求める者の召喚に応じ、そしてそれを成功に導く……それが! 我々“太陽の戦士”の使命ッ!!」

 

 そこまで言うと、ソラールさんは再びYの字ポーズで、気持ちよさそうに上に伸びた。やばい。ソラールさんが眩しい。今だけは断言する。あのシュールなお日様は、本当の意味で、太陽のように眩しく輝いていた……ッ!!

 

「……さて、普賢院智久」

「……」

 

 赤城さんはすでに黙々と室内にモップをかけはじめた。ソラールさんはお日様マークが入った赤と白のカラフルなスマホでどこかに連絡を取り始めている。妖精さんは雑巾がけをしはじめ、二世さんは、布巾でパイプ椅子を磨き始めた。室内が慌ただしくなってきた……

 

 そんな中ロドニーさんが、僕の目の前に立ち、ジッと僕を見つめた。

 

「舞台は我々が整える……鳳翔は必ず来る……」

「……」

「彼女は、お前が味噌汁をウマそうに飲む、その姿が好きだ……」

「……」

「そして、お前のチェロを待っている」

「……ッ!」

「ここで退くか……それとも、幸運の女神の前髪をふん掴むかは、お前次第だ」

 

―― そんな素敵な智久さんのチェロ、私も聞いてみたいです

 

 僕の記憶の中の鳳翔さんが、ふんわりと微笑んだ。あの時、僕と鳳翔さんの間にだけ吹いた、涼しく心地いい風が再び吹き、心の中の鳳翔さんの前髪とポニーテールを、優しく揺らした。

 

「……やります」

「……」

「今日、鳳翔さんに……僕のチェロを、聞いてもらいますッ!!!」

 

 緊張で震える右手を左手で押さえつけ……僕は、彼女への気持ちを、チェロに乗せる決意をした。

 



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8. あなたに勇気を出してほしくて

 「……承知した。ではカシワギ、俺の太陽と川内に、太陽メダルを……」

 

 すでに清掃が終わり、ピッカピカに輝く練習室。そのど真ん中で、ソラールさんがそう言ったあとスマホを切った。耳に当てず画面を見ながら話をしていたから、テレビ電話か何かなのだろう。通話相手のカシワギさんと女の子の声も聞こえてきたし。

 

『太陽メダルって何すか先輩ッ!?』

『ソラールさん今度こそ私とやせ……』<プツッ

 

 いいのかな……スマホの通話相手、確実に何か言おうとしてたけど、ソラールさん、それを最後まで聞かないで通話切ってたんだけど……。

 

「……朗報だ。俺の太陽と川内が、無事、鳳翔に案内状を渡したとのことだ」

 

『おおっ!』と声を上げるロドニーさんと赤城さん。二世さんは僕の足元で『コワイカー!』とバンザイし、僕の頭に乗ってる妖精さんは、どんな顔をしているかわからないけれど、とにかく立ち上がってなんだかもぞもぞ動いてた。二世さんと同じようにバンザイしてるのかも。

 

 一方の僕は、時間が経てば経つほど、心臓がバクバクと音を立てて、緊張が増してくる。鳳翔さんがまだ来てすらいないのに、今の段階で、心臓が口からはみ出ていきそうなほどドッキンドッキンしてる。

 

「うう……」

「……普賢院さん?」

 

 そんな僕の様子に気付き、赤城さんが心配そうに僕の顔を覗き込んできた。相変わらずつやつやの黒髪だけど、今の僕に、それを『キレイ』だと思える余裕はない。

 

「大丈夫ですか?」

「……ッ」

「顔真っ青ですよ?」

 

 なんだか身体が震えてきた……さっき決意したときは、右手が震えただけだった。だから左手で、右手を抑えることができたんだけど……今はその左手も震えてる。

 

「……ちくしょッ」

 

 少し、寒くなってきた気がするし、足までカタカタ震えてる……僕は両膝に両手を乗せて、そのまま必死に太ももをさする。温めれば、少しは震えが止まるんじゃないか……そう思ったけれど、中々身体は温まらず、身体の震えも収まらない……

 

 決心したのに……鳳翔さんに、僕の気持ちを伝えると、決心したのに……土壇場になって怖くなってきた。僕に、気持ちを伝えることが出来るのか……僕が、鳳翔さんみたいな素晴らしい人に、気持ちを伝えていいんだろうか……自信がなくなってきた……

 

 不意に鳴り響く、ピリピリというスマホの着信音に、怯えきった僕の身体が、ビクンと過剰に反応した。

 

「……お、すまん。俺の太陽から電話だ」

 

 皆の注目を一身に受ける中、ソラールさんが赤と白のカラフルスマホを手に取って着信に出た。今度は普通に耳に当てているから……って、兜越しだけど……テレビ電話ではない。

 

「……承知した。早速、皆に伝える。……ありがとう。さすがは俺の太陽だ」

 

 通話を終え、ソラールさんが僕らを見る。その言葉は、今の僕にとっては、ある意味では死刑宣告にも等しい。

 

「今しがた、鳳翔が鎮守府を出発したそうだ」

「……!」

「いつもの服ではあるが、とても上機嫌で出発したそうだ。それだけ、普賢院智久のチェロを聴くのが楽しみなようだが……」

 

 鳳翔さんが……僕のチェロを楽しみに……とてもうれしいことだし、僕自身、それを願って、そして決意したことのはずなのに……身体の震えが止まらない。両の二の腕をさすり、必死に身体を温めようとするけれど、僕の身体は冷えていくばかり。

 

「……ッ」

「普賢院智久?」

「ちくしょッ……決意したのに……ッ」

 

 身体を震わせる僕を、ロドニーさんをはじめとしたみんなが、心配そうに見守っているのがわかる。天龍二世さんだって、さっきまであんなに元気いっぱいで『コワイカー!』てバンザイしてたのに、今は心配そうに僕を足元から見上げて『コワイカ……』てすんごい心配そうにつぶやいてる。頭の上に乗ってる妖精さんも、僕の頭を撫で始めた。

 

 そんな僕の様子を、ロドニーさんはジッと見ていた。

 

「クソッ……決意したのに……怖い……」

「……」

「演奏するのに……演奏したいのにッ……鳳翔さんに、僕の気持ちを乗せたチェロを、聞いてほしいのに……ッ」

「……」

「こんなに震えてたら……! 乗せられない……気持ちが、伝えられないじゃないか……ッ」

 

 僕は必死に、二の腕を擦る。だけど、僕の胸を吹き抜ける、ぬるりとした生ぬるい風は止まらない。僕の胸に嫌な感触を残し、体中から、力と熱を奪っていく。

 

「……お前たち」

 

 静かに、でも良く通る声で、ロドニーさんが口を開いた。

 

「すまない。先に部屋から出てくれ」

「はい? そらまぁ確かに、ここに鳳翔さんが到着する前には退散する予定でしたけど……?」

「頼む。今すぐ、部屋から出てくれ」

 

 赤城さんが、当然の疑問を投げかける。僕は今、自分のことで精一杯だから、みんなのこの後のことなんて考えてる余裕はなかった。だから、僕はてっきりみんなも僕の演奏を聞くんだろうと思っていたけれど、計画では、鳳翔さんがここに到着する前に、みんなは退散するつもりだったみたいだ。

 

 しばらくの押し問答の末、ロドニーさんの謎の気迫に押された赤城さんとソラールさんは、頭をひねりながら練習室を出て行った。最初は退出を渋るように僕にしがみついていた天龍二世さんと妖精さんも……

 

「お前たちもだ。私と普賢院智久を二人だけにさせてくれ」

 

 とロドニーさんに改めて言われて、『コワイカ……ッ』とぶつぶつ言いながら、赤城さんとソラールさんの頭に飛び乗り、二人と一緒に練習室から退室。

 

「……さて」

「……ッ」

 

 バタンとドアが閉じる音が鳴り響き、今の練習室には、僕とロドニーさんの二人だけ。練習室にほんのりと西日が差し込み、今、室内はうっすらとオレンジ色に染まりつつある。

 

 カタカタと身体を震わせる僕の前に、ロドニーさんが立った。だけど、身体を縮こませている僕は今俯いているから、僕の目に映っているのは、床板とロドニーさんの足だけだ。

 

「……私を見ろ」

「へ……? なんでですか?」

「いいから。私の顔をまっすぐ見ろ」

 

 言われるまま、渾身の力で顔を上げる。頭を動かすことすら一苦労だ。僕の身体は今、ガッチガチに固くなってしまっている。やっとのことで、ロドニーさんの顔を見た。

 

「うう……何……ですか……?」

 

 言葉すら、満足に発することが出来ない。口もこわばっている……自分の意気地の無さが嫌になる。

 

 ロドニーさんが何をやるつもりなのかまったく分からず、ほぼストップしている思考を必死に回そうとしていたら……

 

「……普賢院智久」

「……は、はい……」

 

 ファサッという軽く心地いい音を響かせ、ロドニーさんが、自分の髪の編みこみを解いた。彼女はいつも、そのキレイな金髪をふんわりとキレイに編み込んでいる。その髪をロドニーさんは解き、とてもキレイなストレートの、白色をほのかに帯びた金髪を下ろした。

 

 ロドニーさんが気持ちよさそうに頭を振り、そのたびに、彼女の髪が優しくなびき、そして輝く。サラサラと心地いい音が聞こえてきそうなほどしなやかな彼女の髪が、周囲に輝きをこぼしながら、キレイにまとまった。

 

 そして次の瞬間ロドニーさんは、今まで見たことのない、ふんわりと優しく、柔らかい微笑みを、僕に向けていた。

 

「私は、お前が好きだ」

「……へ」

「鳳翔は、お前の良さをよく知っていると言ったが……私も、お前の良さはよく知っている」

「……」

「……普賢院智久。お前は、ずっと私の決闘の申し出を反故にしていたな」

「はい……」

「にもかかわらず、困っていた鳳翔のために私と戦った。恐れながらも覚悟を決めたお前は、気迫ではこの私に、一歩も遅れをとることはなかった」

「……」

「私に挑発されながらも動じない強さ……鳳翔のために私との戦いを決めた優しさ……恐れながらも私に立ち向かった勇気……私は、そんなお前が好きだ」

 

 差し込む夕日に照らされた、ロドニーさんの顔を見つめた。少し顔を動かすたびに髪が揺れ、そのたびにサラサラと心地いい音が聞こえてくるようだ。そんな彼女の表情はとっても穏やかで……今までの、賑やかで、うるさくて、そして雄々しいロドニーさんからは、想像出来ないほど、優しく、ふんわりと柔らかい微笑みだ。

 

 ロドニーさんのしなやかな右手が、僕の頭に伸びてきて、前髪に触れた。その手は、あの日僕を気絶に追い込んだ一撃を叩き込んだ手だとは思えないほど白くしなやかで、とてもキレイだ。

 

「自分の気持ちを包み隠さず相手に伝えるのは、とても怖いだろう……でも大丈夫だ。お前なら出来る。この私に臆せず立ち向かったお前なら、大丈夫だ」

「……」

「自分の気持ちを伝えた結果、もし相手に拒絶されたら……そう思うと、怖くて仕方がないだろう……でも大丈夫だ。鳳翔は、きっとお前の気持ちを受け止め、そして応えてくれる」

「……」

「大丈夫だ。お前と鳳翔なら……私が好きなお前たちなら、大丈夫だ」

 

 僕の頬に優しく触れ、静かに『大丈夫だ』と繰り返してくれるロドニーさん。

 

 その言葉は、恐怖と緊張で震える僕の胸に、優しくじんわりと染みこんでいった。

 

 そして、僕の頬に触れる彼女の手はとても温かく、寒さで震える僕の身体を、じんわりと温めてくれた。

 

 今まで、僕の中でのロドニーさんという存在は、『怖い』『しつこい』『声でかい』の枕詞が必ずついていた。

 

 でも今日、僕は『彼女と知りあえてよかった』『彼女が友達になってくれてよかった』と、初めて思うことが出来た。

 

「本当はお前を抱きしめて激励したいが……それは鳳翔の役目だからな」

「……ありがとうロドニーさん……ありがとう」

「大丈夫だ普賢院智久。……大丈夫だ」

 



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9. あなたに気持ちを届けたくて

 僕を優しく……でも力強い言葉で元気をくれたロドニーさんは、最後に『いい報告を期待している』と言い残して、練習室を出て行った。

 

 僕は今、一人で静かに鳳翔さんを待ち続けている。チューニングは済ませた。譜面の準備も済んでいる……といっても、最近ずっと練習していた曲だから、すでに暗譜しているけれど……それでも、譜面には色々と書き込みや注意書きをしてある。出しておいて、損はない。

 

「……」

 

 窓からは、眩しいぐらいの西日が差し込んでいる。この部屋の窓は南向きだけど、窓の面積がとても広い。だから夕方になれば西日もよく差し込む。いつもはカーテンを閉じているんだけど……

 

『カーテン、汚いですね……』

 

 と赤城さんがそのカーテンを剥ぎとってしまったため、今は西日が盛大に差し込んだ状態だ。とはいえ言うほど眩しいわけではないし、オレンジ色がキレイだから、まぁいいか。

 

 しずかに目を閉じて、神経を研ぎすませる。緊張のため胸がバクバクと激しい鼓動を繰り返しているけれど、大丈夫。ロドニーさんの言葉のおかげで、今の僕の頭は驚くほどクリアだ。

 

 しばらく一人で椅子に座って待ち続けていると、とんとんという、優しいノックの音が鳴った。

 

「どうぞ」

 

 ノックの主を、室内に招き入れる。静かにドアが開き……

 

「あの……いただいた招待状にはここが会場だと伺ったのですが……」

 

 開いたドアの向こう側から、いつもの和服の鳳翔さんが、恐る恐る、足を踏み入れた。

 

「どうぞ。お待ちしてました!」

 

 立ち上がり、鳳翔さんに歩み寄って、彼女を室内に誘う。

 

「ぁあ! 智久さん!」

「来てくれたんですね鳳翔さんっ」

 

 僕の顔を見た途端、鳳翔さんの顔がふわりと柔らかい笑顔を浮かべた。ここは鳳翔さんにとっては馴染みのない場所なわけだし、僕の顔を見て、安心してくれたのかも。

 

「ええ。知り合いの子ふたりから、こんな招待状をいただきまして」

 

 鳳翔さんが、懐から一枚のポストカードを取り出して、それを僕に見せてくれた。渡されたポストカードに目を通す。

 

【挿絵表示】

 

「……う」

「なんだか今日、智久さんが出演する音楽発表会があると聞いて、わくわくして……来ちゃったんですけれど……」

 

 ……もうね。ひと目でわかる。作ったのは大淀パソコンスクールの誰かなんだろうけれど、プロデューサーというかディレクターの趣味嗜好が全面に押し出たこの招待状……なんで発表会の招待状なのに、お日様のマークが入ってるの? どうしてラストは『これで貴公も太陽の戦士ッ!!』て、鳳翔さんを勧誘してるの?

 

 でも。

 

――がんばれ普賢院智久ッ!!!

  貴公に、炎の導きのあらんことを!!!

 

 そのポストカードから、ソラールさんの激励の言葉が、聞こえた気がした。

 

「ソラールさん……」

「?」

「あ、ごめんなさい。これ、お返ししますね」

「はい」

 

 鳳翔さんにポストカードを返し、僕は彼女を、たった一つだけ準備された、観客席へと案内した。上等な椅子ではないけれど、今日、鳳翔さんのためだけに準備された、特別な席。

 

「はい、どうぞ鳳翔さん」

「はい。ありがとうございます」

 

 鳳翔さんが据わったのを確認して、僕は自分の席に戻り、左手でチェロを立たせ、支える。その間鳳翔さんは、落ち着かないように周囲をキョロキョロと見回した。招待状には何も書いてなかったから、観客が自分だけだとは、まだ気付いてないようだ。

 

「あの……智久さん?」

「はい?」

「他の皆さんは?」

「いません」

「ふぇっ!?」

 

 途端にうろたえる鳳翔さんの姿が、なんだかとてもおかしい。

 

「ロドニーさんとか、仲よかったですよね?」

「ええ」

「天龍二世さんとか……」

「来ません」

「で、でも……」

 

 顔を真っ赤にして、『みんなはどうした?』と聞いてくる鳳翔さんは、本当に新鮮で、こんな素敵な人にこんなことを言うのも何だけど、その様子は、とてもかわいらしい。

 

「……今日の発表会は、鳳翔さんのための、発表会です」

「……へ?」

「剣術大会の日、覚えてませんか?」

「……あ、あの、みんなでご飯を食べた……」

「そうです。あの日鳳翔さんは、僕のチェロを聞いてみたいと言ってくれました」

「……」

「ですから今日は……鳳翔さんに、僕のチェロを、聞いて、欲しくて……」

 

 さっきまでは胸がバクバクしていたけれど、比較的頭はクリアだったのに……いざ、鳳翔さんに『聞いて下さい』と言おうとすると、とたんに胸を生ぬるい風か吹き抜ける。

 

「……ッ」

「?」

「聞いて、……欲しくて……」

「大丈夫ですか?」

 

――大丈夫だ普賢院智久

 

「……は、はい。あの日、ご飯を作ってくれたお礼に、僕の演奏を聞いてもらえればと、思いまして」

「そんなっ! あの日のお昼ごはんは、大会に出てくれたお礼なのにっ!」

 

 違うんです鳳翔さん。お礼だけじゃないんです。……僕はあなたに、気持ちを伝えたいんです。

 

「……じゃ、じゃあ! いつも美味しいお味噌汁を頂いているお礼……ということで!!」

 

 普段の五分の一ぐらいの回転数の頭で、なんとか思いついた口実。それを聞いた鳳翔さんは、なにか言いたげに口をもごもごさせたあと、不満気に口をぷくっと膨らませ、僕から目を逸らした。ホント、今日は今まで見たことない鳳翔さんの顔が、色々と見られてとても楽しい。顔、真っ赤っかだし。

 

「……そ、そういう、ことなら……」

「ありがとうございますっ!」

 

 僕のお礼を、鳳翔さんはふくれっ面で受け取った。それが何を意味するのか……僕にはさっぱり分からない。でも、すぐに期限が直ったみたいでふくれっ面は収まったから、心配するほどのことではないようだ。

 

「智久さん」

「はい?」

「それで、今日の曲目は何ですか?」

 

 弓を取り、譜面に目をやる。曲目は決まっている。ここのところ、僕がずっと練習をしていた曲だ。優雅で美しく、それでいてどこか楽しげで、優しい……シンプルで僕みたいな初心者にはうってつけだけど、だからこそ、奏者の腕と気持ちが如実に表れる、僕が、鳳翔さんに気持ちを伝えるのにふさわしい曲。

 

「作曲サン=サーンス、『動物の謝肉祭』の13曲、『白鳥』です」

「13曲もあるんですか?」

「いえいえ、13番目の曲だよ、という意味です」

 

 途端に『へぇえ〜』とうっすらと笑顔を浮かべた鳳翔さんに癒やされ、僕は、弓を弦に当てた。

 

 目を閉じ、最初の音をイメージする。心を研ぎ澄ませ、右手の弓と左手に感じる一弦に、意識を……気持ちを、乗せた。

 

――大丈夫だ

 

 固唾を呑んで見守る鳳翔さんの視線を感じながら、僕は、目を閉じたまま、弓を動かした。

 

「……」

「……」

 

 出だしは、静かに。少しずつ盛り上がり、同じフレーズをもう一度……。

 

「……」

 

 鳳翔さん。あなたが好きです。

 

 あなたのお味噌汁を飲むことが……あなたからご飯を受け取る時、あなたと二言三言、言葉をかわす時間が、僕には、とても大切な時間でした。あなたの言葉は、僕にとって、星空のようにキラキラと輝くものでした。

 

 曲調がほんの少しだけ変わる。まるで告白への不安と恐怖に襲われた僕のように、ほんの少し、曲調に、影が落ちる。

 

 鳳翔さん。こんな僕に対して、あなたは『優しい』と言ってくれました。『あなたのチェロは、あなたのようにきっと優しい』と言ってくれました。

 

 あなたは、試合でロドニーさんに負けた僕に、手厳しいけど、とても誠実に向き合ってくれました。真摯に、言葉を選んで、僕を導いてくれました。冷たい氷を準備して、僕のたんこぶを冷やしてくれた優しさが、僕はどれだけうれしかったことか……最も、そのあと冷たい手で、僕の首筋をつっつくというイタズラをしてくれましたけど……でもその時のあなたは、誰よりもキレイで、尊い後ろ姿を見せてくれました。

 

 曲が終わりに近づく。最初のフレーズをもう一度繰り返す。弓に静かに気持ちを込め、自分の心を、音に乗せて、僕は鳳翔さんに気持ちを伝える。

 

 もう一度、言います。

 

 鳳翔さん。僕は、あなたが好きです。あなたのことが、好きです……。

 

………………

…………

……

 

 僕の告白が、終わった。

 

「……」

「……」

 

 演奏中、ずっと閉じていた目を開いた。途端に、オレンジ色の光が僕の目を刺激する。

 

「鳳翔……さん……」

「……」

 

 眩しいオレンジ色の夕日の中、僕は鳳翔さんを見た。伝わったのだろうか……僕のこの気持ちは、鳳翔さんの心に、伝わったのだろうか……再び胸がバクバクと音を立て始めた。喉が息苦しい……

 

「ぼ、僕の……演奏は……」

「……」

「いかが……でしたか……?」

 

 オレンジ色の夕日の中、鳳翔さんは、まるでお風呂上りの時のように、ほっぺたをほんのりと紅潮させ、ただ、ぽうっと僕のことを見つめている。僕の言葉に対する、鳳翔さんの反応が怖い……もし、何も伝わってなかったら……もし、僕の気持ちを拒絶されたら……

 

「あ、あの……」

「……」

 

 これ以上、この沈黙に耐えられない……告白が終わった僕の心が、この状況に悲鳴を上げ始めた時。練習室に、パチ……パチ……という、とても小さく、そして拙い、拍手の音が鳴り響きはじめた。

 

「……へ」

 

 その拍手が少しずつ大きくなる。手を叩いていたのは、夕日に照らされた鳳翔さん。ぽうっと上気した顔のままいつの間にか立ち上がり、パチパチと拍手をしてくれていた。

 

「……思った通りでした」

「……?」

「思った通り……智久さんのように、とても優しい……とても……とても素敵な、演奏でした……」

「……ありがとう」

 

 ……よかった。僕は、鳳翔さんが思い描いていた通りの演奏ができていた……その喜びが、じんわりと、胸に広がる。

 

 でも、気持ちは? 『白鳥』に乗せた僕の気持ちは、鳳翔さんに伝わったのだろうか……? 僕の口が、『言うな』という僕の意識の制御を離れて、勝手に言葉を紡ぎ始めた。

 

 身体も勝手に動き出した。チェロのエンドピンを引っ込めてその場に置き、僕は立ち上がって、鳳翔さんの元に歩み寄った。

 

「……鳳翔さん」

「はい」

「……伝わりましたか? ……『白鳥』に乗せた僕の気持ちは……」

 

 鳳翔さんがハッとする。少しだけ目を見開いた後、夕日の中でもわかるほどほっぺたを赤く染め、恥ずかしそうにうつむき、拍手していた両手をもじもじと動かした。

 

「あの……」

「……」

「……僕は、あなたが……」

「あ、あの……!!!」

 

 音だけでなく、言葉で自分の気持ちを伝えようとした僕の口を、鳳翔さんは、自分の言葉で強引に塞いだ。その後、僕の前で肩を小さくし、しばらくもじもじと全身を動かした後、僕の大好きなふんわりとした笑顔を僕に向けて、こう言った。

 

「……あの」

「はい」

「……また、聴かせて下さい。あなたの気持ちが篭った、優しくて智久さんらしい、素敵な曲を」

「へ……」

 

 僕ははじめ、鳳翔さんの言葉の意味が分からなかった。これは、体のいい拒絶の言葉なのだろうか……そうとすら思ったのだけれど。

 

「私は、あなたの気持ちが乗った素敵な曲が、とても好きです。何度でも何度でも、あなたの曲を……あなたの気持ちを、聴かせて下さい」

「……」

「その代わり私も、あなたに気持ちを届けます。あなたが褒めてくれた……あなたが美味しそうに飲んでくれるお味噌汁で、何度でも何度でも、あなたに気持ちを伝えます」

「……」

「それが……今日、智久さんが私に伝えてくれた気持ちへの、私のお返事です」

 

 それは、僕の勘違いだった。僕の気持ちを、鳳翔さんは受け入れてくれたみたいだ。その事実は、時間差で少しずつ、僕の心に、じんわりと染みこんでいった。

 

「ほ、鳳翔さん……」

「……はい」

「それって……僕の、き、気持ちを……」

「……」

 

 不意に、僕が今まで聞いたことのない『メキッ』という音が、僕の背後で、聞こえた気がした。

 

「「?」」

 

 鳳翔さんの頭の上に、はてなマークが浮かんだのが見える……もちろん、僕の頭の上にも浮かんでるだろう。今の音は何だ?

 

 ……でも、夕日に照らされた練習室で、鳳翔さんと二人、意思表示をしているという、とてもロマンチックな状況に再び呑まれた僕は、再度鳳翔さんと見つめ合い、お互いの意志を確認する。

 

「ほ、鳳翔さん……」

「はい」

「今の言葉って……僕の……」

 

 ……また『メシッ』て鳴った。しかもその後、『パラパラ』という軽い音と共に、天井から細かな埃が落ちてきてる気もする……。

 

「……」

「……タハハ」

 

 何かを悟った鳳翔さんが、とたんに苦笑いを浮かべ始めた。僕はゆっくりと後ろを振り向き、どうも様子がおかしい気がする天井を見上げた。

 

「……」

「……」

『……』

 

 ……気のせいか、天井から、人の気配を感じる気がする……。

 

 三度、天井から『メシッ』という音が聞こえた。パラパラという音とともに、天井の隙間から、埃も降ってきた。

 

 そしてそれ以上に……

 

『ば、バレてるんじゃないでしょうか……?』

『バカなっ……青葉に教わったとおりに隠れたぞ?』

『いや、でも……普賢院さん、ジッとこっちを見て……』

『た、助けてくれ……太陽……っ』

『コ、コワイカッ……』

 

 ポソポソとそんな声が、天井裏から聞こえてきている……さっきは演奏で必死になっていたから気付かなかったけれど……この声の主は……ッ!!!

 

「ロドニーさんですかッ!?」

 

 確信を得た僕が声を張り上げ、容疑者の名を叫んだその途端、天井がバリバリと崩れ、ホコリまみれの人物が三人と、小さい人影が2つ、天井から落っこちてきた。

 

「バカなッ!?」

「ひいッ!?」

「赤城も!?」

「ォオオッ!!?」

「コワイカッ!?」

「ちょ!? みんなして!!?」

 

 周囲に埃を撒き散らし、三人プラス二人の重犯罪人は、天井の大穴の下でうずくまる。ロドニーさんと赤城さんはキレイな髪がホコリまみれだし、ソラールさんのお日様もほこりまみれでくすんでる。でも、僕と鳳翔さんを覗き見られていたという事実は変わらない。僕の心が、ふつふつと湧いてきた怒りに、少しずつ支配されてきていた。

 

「なにやってるんですかみんなして!!?」

「い、いやあの……落ち着け普賢院智久……」

「さっきは僕を勇気づけてくれたのにッ!! すごくロドニーさんに感謝してるのにッ!!」

「大丈夫だ普賢院智久。キリッ」

「さっきのセリフを台無しにしないで下さいッ!! ソラールさんも!! ホコリでお日様くすんじゃってるじゃないですかッ!!」

「さすがだ普賢院智久。俺の太陽の心配をしてくれるとは。キリッ」

「うまく話をそらそうとしてもダメですっ!!」

 

 こんな具合で、合計五人ののぞき見犯たちに説教を食らわせる僕。大体、告白の場をみんなで覗き見るって、一体どんな性根の持ち主なんだよッ!!

 

「うがーッ!!」

「お、落ち着いて下さい普賢院さん」

「落ち着いてられませんッ!! どう落ち着けと言うんですか赤城さんッ!!」

 

 その後、僕は告白を覗いていた五人を正座させ、随分と長い時間、説教をしていたわけだけど……

 

「まったく……気になったら覗いてもいいんですかっ」

「も、申し訳ない……」

「赤城さんもこの中では一番の常識人なんだから、みんなを止めて下さいよっ」

「す、すみません……」

「ソラールさんも、僕の演奏が気になるんなら、言ってくれればいいじゃないですかっ。お日様に申し訳ないと思わないんですかっ」

「す、すまん……」

「妖精さんと天龍二世さんのお二人もですよっ」

「コ、コワイカ……ガクガクブルブル」

 

 その間、僕の後ろで、鳳翔さんは、ずっとクスクス笑っていた。ぷんすか怒る僕の後ろ姿を、ずっと眺めながら、楽しそうにクスクスと微笑んでいた。

 

「えーっと……鳳翔さん」

「はい? クスクス……」

「なんでそんなに、楽しそうなんですか?」

 

 あまりに楽しそうにクスクスと笑う鳳翔さんが気になって、僕は一度怒りを沈め、振り返って鳳翔さんを問いただしてみたのだが……

 

「えーっと……」

「はい……」

「智久さんって、そんな風にぷんすか怒るんだなーと思って」

「へ……」

「すみません……でもなんだか新鮮で。ぷんすか怒る智久さんって、なんだかカワイイなーと思ってしまいまして……」

「う……」

 

 予想外の鳳翔さんの返答……僕の頭から怒気を抜いて、顔を真っ赤にするのに、充分すぎる威力を持った一撃……ボンッ!!

 

「あぅ……」

 

 途端に僕の頭から怒気が抜け、顔中が真っ赤に染まった。

 

「ぶふッ……」

 

 背後から聞こえる、ロドニーさんが吹き出した声に、僕の頭が再び怒りに震える。

 

「いや、逃しませんよロドニーさん」

「ビクゥッ!?」

「みなさんもです」

「「「「ドキィイッ!!?」」」」

「今日は説教フルコースを覚悟して下さい」

「「「「「ガクガクブルブル……」」」」」

 

 こんな調子で、鳳翔さんへの告白は、なんとも締まらない形で、幕を閉じた。

 

 ……でも、まぁいい。僕は鳳翔さんに、気持ちを伝えられたから。

 

 ……鳳翔さんが、僕の気持ちを、キチンと受け止めてくれたから。

 



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10. あなたと二人で、いられる幸せ

「……普賢院智久、昨日の詫びだ」

 

 今日もチェロの練習を行おうと練習室へと足を運んだのだが……入り口のドアの前で、雰囲気がロドニーさんによく似たエジプトのミイラが、薄水色の清掃服を着て待ち構えているという、今後の人生の中でも二度と経験することがないであろう珍事に出くわした。

 

「えっと……ど、どなたですか?」

「ろ、ロドニー……だ……」

「……なんでそんなミイラみたいになってるんですか? イギリスとエジプトって縁が深いからですか?」

「い、いや……」

 

 自称ロドニーさんのこのミイラいわく……発表会に僕と鳳翔さんを覗き見ていたことの罰として、オーナーからの指示で、昨晩の晩御飯と今朝の朝ごはん、そしてお昼ごはんが抜きになってしまったんだとか。おかげでロドニーさんは昨日のお昼から何も食べることが出来ず、ミイラのように干からびてしまった……とのことだ。

 

 実はバレない程度にこっそりと、鳳翔さんからご飯をもらっていたらしいのだが……やはりそこは、元艦娘。普段と比べて極端に食べられる量が少なく……

 

「だからといって、ミイラになるほど干からびないでくださいよ……」

「自業自得だからな……し、仕方がないんだ……」

「……そ、そうですか……」

「しかし……おなかすいたなぁ……モップも持てんなぁ……」

 

 聞けば、赤城さんとソラールさんも同様に干からびているらしい。最も、赤城さんはともかく、ソラールさんは別の理由で干からびているみたいだと、ロドニーさん似のミイラは力なく笑う。いや、笑わないで下さいロドニーさん。怖いです。キモいではなく、怖いです。

 

「じゃあなんでソラールさんは干からびてるんですか?」

「本人曰く『殺られすぎて人間性が限界に……』と言っていた。何かがあったのかもしれないな」

 

 そういい、震えながら一枚の封筒を僕に渡すロドニーさん似のミイラ。正直、覗き見の罰なので本人が言うとおり、自業自得なわけだけど……

 

「しかし……普賢院智久よ……」

「……」

「ご飯が食べられないって……辛いな……おなかがすくって……悲しいなぁ……」

 

 そうつぶやき、ふるふると震えながら悲しそうに力なく笑うロドニーさん似のミイラ。その姿が、痛々しくて見ていられない。僕は、お昼に食べようと思ってすっかり忘れていた焼きそばパンをバッグから出して、それをミイラに手渡した。

 

「……よかったら、どうぞ」

「こ、これは……いいのか……?」

「見てられませんよ……」

 

 パキパキと音を立てながらニコリと笑ったミイラは、次の瞬間僕の手から焼きそばパンを奪い去り、袋を必死に開けた後、ガツガツと音を立て、涙を流しながら焼きそばパンを頬張っていた。

 

 そんな非現実的な様子を尻目に、僕は先程ミイラから受け取った封筒を眺める。紙は古紙っぽい処理が施されたベージュのもので、封はノリではなく、真っ赤な封蝋とシーリングスタンプで行われている。今時珍しい、粋な封筒だ。

 

 シーリングスタンプは戦艦の意匠が見て取れる。その封蝋の封を破り、僕は封筒の中の一枚の紙を取り出した。内容は……どうやら、コンサートのちらしのようだ。

 

「……クラシックコンサートですか」

「ああ……はぐっはぐっ……昨日のお礼と……はぐっ……私たちの非礼に対する詫びの意味もある……うまうま……」

 

 心持ち、ロドニーさんの声に元気とハリが戻ってきた気がした。ちらっと姿を見たが、ミイラはいつの間にかいなくなっており、代わりに、僕がよく知るロドニーさんがそこにいた。なんとか元に戻って万々歳だ。

 

 ロドニーさんの人間への回復に安堵しつつ、僕は再び封筒から取り出した紙に目を通す。紙はいわゆるパンフレットで、なんでも今晩と明日、市のシアターホールでオーケストラのコンサートが開催されるらしい。

 

「また随分と急な話ですね」

「大淀パソコンスクールの生徒の中に、そのオーケストラのメンバーがいるそうだ。その縁で、数日前にチケットをたくさん譲ってもらったと、ソラールが言っていたな」

「へぇ~」

「そのパンフレットも、ソラールの教え子が作ったと言っていたぞ」

 

 ……ぁあ、なるほど。だからお日様マークが入ってて、パンフレットのラストが『我々太陽の戦士たちの演奏を、太陽になった気分で暖かくお楽しみ下さい』って締められてるのね……師匠が師匠なら弟子も弟子……ってわけか。

 

 封筒の中を再び覗く。中には、今日の日付のチケットが一枚、入っていた。

 

「これ、僕にくれるんですか?」

「ああ。今晩、みんなで一緒にどうかと思ってな」

「みんなって?」

「私と赤城……ソラールとその太陽の神通……天龍二世は留守番だが……あとは鳳翔も顔を出す」

「鳳翔さんも!?」

「ああ。なんでも昨日のお前の演奏を聴き、クラシックに興味が出てきたみたいでな。わざわざ食堂のシフトを他の者に変わってもらっていた」

「そっか……」

 

 胸に柔らかい暖かさが、じんわりと広がる……鳳翔さんが、僕の演奏をきっかけにして、クラシックに興味を持ってくれた……それは、楽器を弾く者として、とてもうれしいことだ。鳳翔さんの興味に、僕も少しだけ関われたという事実が、とてもうれしい。

 

「……それに、お前に一緒についてきてもらわないと、我々も困る」

「どうしてですか?」

 

 なんでも、鳳翔さんをはじめとしたみんなは、クラシックコンサートといった格調高い場に出たことが一度もないんだとか。おかげで、どんな服装でどんな風に会場に向かえばいいのかさっぱりわからないらしい。まぁ、普段聴かない人からすれば、オーケストラのコンサートなんて、敷居が高いものなのかもしれないなぁ。

 

「いや、観劇とか、他のジャンルの音楽のライブやコンサートと変わらないですよ?」

「とは言っても、どうにも勝手がな……」

「ロドニーさんなんかはイギリスの方だし、クラシックコンサートに行くなんてことは、本国では日常茶飯事ではなかったんですか?」

「私は戦う艦娘だったからな……こういう文化的なことには疎い」

「そんなものなんですか?」

「そんなもんだ」

 

 開場時間を見ると、午後7時半。会場になるホールの場所も知ってるし、これなら、チェロの練習をして、晩御飯を食べる余裕もある。僕はロドニーさんに『行きます』と返事した後、もしものときのためにロドニーさんとLINEのアカウントを交換し、練習室に入ってチェロの練習を行った。

 

 練習中、ロドニーさんからLINEが飛んできたことに気付いた。

 

――晩御飯は、鳳翔がお弁当を作ってくれるそうだ

  開場一時間前に、休憩コーナーで落ち合おう

 

 おっ。これは朗報だ。コンサートが行われるホールって、確か休憩コーナーみたいな一角があったはずだ。イスとテーブルが準備されていて、飲食も出来るよう、冷たい水や温かいお茶の準備もされていたはず。……つまり、今日も僕は、鳳翔さんの美味しいお弁当にありつけるということだ。これはとてもうれしい。

 

 一通り今日の練習を済ませた後チェロを片付け、僕は会場へと向かうことにする。一度自宅へと戻り、荷物を置いてから会場へと移動し、ホール入口前、休憩コーナーのテーブルの一つの席へと腰掛けた。

 

 腕時計を見ると、午後6時20分。ロドニーさんからの連絡だと、そろそろみんなが集まり始める頃だと思うが……。

 

「遅く……なりました……」

 

 ……もうね。周囲がワイワイガヤガヤしていてもわかる。どれだけ周りが騒がしくても、その人の言葉に……声に、僕の耳はフォーカスがくっきりと合う。休憩コーナー入口に振り向くと、そこにいる彼女の姿を見た僕の顔は……自分でもわかる。自然と、満面の笑顔になっていた。

 

「……鳳翔さん!」

「ぁあ! 智久さん!!」

 

 僕の視線の先にいたのは、鳳翔さん。ピンク色のシンプルな和服に、よもぎ色の羽織を羽織った鳳翔さんが、剣術大会の時と比べてふたまわりほど小さなお重と水筒を持って、息を切らせて立っていた。

 

 鳳翔さんも、僕を見るなり、満面の笑顔になる。僕は立ち上がり、パタパタとこちらにかけてくる鳳翔さんを迎えた。

 

「ハァ……ハァ……お待たせしました……」

「いやいや、僕も今来たところです」

 

 息を切らせた鳳翔さんの手を取って、僕は彼女を椅子へと座らせてあげる。初めて握ったときのように、鳳翔さんの両手はサラサラと心地よく、そしてポカポカとあたたかい。

 

 そばにある自販機でミネラルウォーターを買い、それを鳳翔さんに渡した。手に持ってる水筒はひょっとしたらお茶かもしれないけれど、だったらこのミネラルウォーターは、僕が飲めばいい。そう思ったけれど、どうやらその心配はいらないみたいだ。鳳翔さんは、僕がミネラルウォーターを渡すやいなや、蓋をパキッと開けて、静かにくぴくぴと煽り始めた。よっぽど走ってきたんだなぁ……

 

「ふぅ……落ち着きました。智久さん、ありがとうございます」

「いえいえ」

「それはそうと、みんなはまだですか?」

「まだですが……一緒ではなかったんですか?」

「はい。私は一番最後に出ました。このお弁当の準備があって……」

「……へ?」

 

 どういうこと? 鳳翔さんより先に出発したのに、その鳳翔さんの方が先に到着した? 当然の疑問が沸き起こる……。

 

「あれ……みんな迷ってるのかな……?」

「そんなことは無いと思いますけれど……」

 

 僕と鳳翔さん。互いに顔を見合わせ、同じ方向で同じ角度に首をかしげる。うーん……他のみんなは、一体どこに行ってしまったというのか……そんなことで頭を悩ませていたら、僕の携帯にメッセージが入った。懐から取り出し、鳳翔さんとともにスマホの画面を覗きこんできた。

 

「あれ……ロドニーさんからだ」

「ホントですね……連絡先を交換されたんですか?」

「はい。このために」

 

 二人で不思議に思いながら、僕は画面をタップし、ロドニーさんからのメッセージを開いた。

 

――昨日のお詫びだと言ったはずだ。

  今日は二人で楽しんでくれ<スポンッ

 

 こ、これは……鳳翔さんと、再び顔を見合わせた。

 

「え、えーと……」

「で、デート……ということ、でしょうか……」

 

 デート……その事実が、僕と鳳翔さんの頭を沸騰させた。

 

「「ボンッ!!」」

 

 非常事態だ……ッ! ここに来て突然の、二人だけのデート……ッ!? 頭の回転にブレーキがかかり、僕の頭の中は、『鳳翔さん』『二人きり』『デート』の3つの言葉だけで埋め尽くされてしまった。

 

 それは鳳翔さんも同じようで、まっかっかな顔でうつむき、お弁当をテーブルにおいて、人差し指をつんつんと突き合わせ、もじもじと恥ずかしそうに悶ている。こんなカワイイ鳳翔さんを見られて幸せ……あ、あー……いやいや。

 

「……あ」

「?」

 

 フと鳳翔さんが声を上げた。

 

「えっと……ど、どうかしたんですか?」

「お弁当……みんなの分も作ったんですが……」

 

 そういえば、最初はここでみんなで鳳翔さんのお弁当を食べる予定だったんだもんなぁ……これはちょっと、ロドニーさんに文句を言った方がいいだろう。いらないならいらないで、作る人にはキチンと伝えるべきだ。特に、鳳翔さんならッ!

 

 僕はスマホを操作し、ロドニーさんに対して『鳳翔さん、みんなの分のお弁当も作って持ってきてくれたのに……』とメッセージを送った。

 

 すぐに『すぽんっ』と音が鳴り、ロドニーさんからの返事が届いた。鳳翔さんと共に、彼女の返事を確認する。

 

――あ

 

 ……そこまで考えが及んでなかったみたいだ……まぁ、ミイラになってたからなぁ……頭の回転が鈍るほど、おなかをすかせていたのかもしれないなぁ……。

 

「……じゃあお弁当は、コンサートが終わってから、みんなでゆっくり食べましょうか」

 

 と鳳翔さんが提案し、僕も確かにそれしかないなぁと思った。本当は、終わった後は鳳翔さんとゆっくり二人でコンサートの話をしたい……とも思ったけれど、きっとこれからも、その機会はあるはずだ。

 

「そうしましょう。ロドニーさん、すごくおなかをすかせてたから、きっと喜ぶと思います!」

「ですね!」

 

 鳳翔さんのうれしそうな笑顔に心をほくほくとさせてもらい、僕はロドニーさんに再度メッセージを送る。

 

――コンサートが終わったらみんなで食べましょって、

  鳳翔さんが言ってます

 

 するとすぐに、『すぽん』という音とともに、ロドニーさんからの返事が届いた。

 

――やったー!!

 

 ……五歳児か? この、何の工夫も意地もないメッセージを臆面もなく送ってくる辺り、やっぱりあの人は、五歳児なのか? ロドニーさんの精神年齢にいささかの疑問をいだき、しかめっ面でスマホの画面を覗いていたら、再度『すぽんっ』という音が鳴り、ロドニーさんからのメッセージがまた届いた。

 

――やっぱり、私はお前たちが好きだ!!

 

 スマホの画面を見た僕と鳳翔さんが、目を合わせる、数秒の間見つめ合った後……

 

「「ぷぷっ……」」

 

 と吹き出した。鳳翔さんは僕よりも上品に、右手で自分の口を隠しながら。

 

「笑っちゃダメですって鳳翔さん……ぷぷっ……」

「いや……なんだかロドニーさんがおかしくて……ぷぷっ……」

 

 ……まぁいい。ロドニーさんがこうやって僕らにぷぷぷと笑われるのは、要は連絡を怠ったロドニーさん自身が悪いんだ。そう思おう。

 

「あ、でも!」

「はい?」

 

 鳳翔さんが思い出したように、ポンと手を鳴らす。そんな彼女の傍らには、みんなの分の晩ご飯がつまったお弁当と、水筒がひとつ、置いてある。

 

「どうかしたんですか?」

「えっと……ひとつだけ」

 

 鳳翔さんが、水筒を手に取った。その蓋を開き、カップになっている蓋に、中身をコポコポと注ぎ出す。蓋を開いた途端に、鰹だしと味噌のいい香りが漂い始めた。

 

「……智久さん、どうぞ」

 

 満面の笑みの鳳翔さんが、僕に差し出したカップ。僕の鼻先に持ってこられた、鳳翔さん自慢の、僕が大好きな、鳳翔さんのお味噌汁。……でも。

 

「ありがとうございます! ……でも」

「?」

「あとでみんなと一緒じゃなくて、いいんですか? 僕だけ、先に頂いても、いいんですか?」

 

 そうだ。このお味噌汁は、晩ご飯の一品。確かに今飲まないと冷めてしまうのかもしれないけれど……そんな大切なもの、今飲んでもいいのかな……しかも僕だけ……。

 

 僕の葛藤をよそに、鳳翔さんによって目の前に持ってこられたわかめのお味噌汁は、周囲にいい匂いを漂わせながら、僕の鼻と胃袋を挑発し続ける。『ほーら智久さーん。私はおいしいですよー?』というお味噌汁の声が、CV鳳翔さんで聞こえてくるようだ……。

 

「……智久さん」

「はい」

「このお味噌汁は、あなたに飲んでいただきたくて、作ったものです」

「はぁ……」

「昨日言ったでしょ? 何度でも何度でも、お味噌汁であなたに気持ちを伝えるって」

「う……」

「昨日の智久さんのチェロに対する、私の答えがこれです」

 

 湯気の向こうの鳳翔さんが、ふんわりと笑う。

 

 その笑顔に胸がドキンとし、胸の辺りがほんの少し、むずむずとくすぐったくなる。

 

 でもそれが、とても心地よくて……ずっと、このまま時が止まって欲しくて。

 

「だから、飲んで下さい。あったかいうちに。……私の気持ちを」

 

 周囲の人たちが、少しざわざわとし始めた。『あれ? すごくいい匂い……』『あ……なんだかすごく、味噌汁飲みたい……』『なぜだろう……涙が……』という声が所々から聞こえてる。鳳翔さんのお味噌汁の香りが周囲に漂って、その人たちのお味噌汁中枢を刺激しているんだろう。

 

「……じゃあ、いただきます」

「はい。どうぞ」

 

 周囲の声に惑わされず、僕は、鳳翔さんの気持ちが篭った味噌汁を受け取り、熱い内に、静かに……

 

「ふーっ……ふーっ……」

「……」

「ずずっ……」

 

 ゆっくり、じっくりと、お味噌汁を味わう。

 

「……」

「……」

「……」

「……ほっ」

 

 途端に、心地いいため息がこぼれ、僕の全身が、リラックスしはじめた。小さな炎がぽっと点いたように体の芯が暖かくなり、その心地よさに、意識が途端に緩み始める。

 

 そっか。これが“安心する”ってやつか。

 

 僕はいつの間にか、鳳翔さんに……鳳翔さんの心に、安心を感じるようになっていたんだ。

 

――私は、あなたをお慕いしています

 

 なんだかそんなことを鳳翔さんから言われた気がして、慌てて鳳翔さんの目を見るが……

 

「……」

 

 鳳翔さんはただ微笑み、僕の顔を眺めているだけだった。

 

「鳳翔さん」

「はい?」

「美味しいです。……とっても、美味しいです」

「ありがとうございます。私も、とてもうれしいです」

「僕も、とてもうれしいです。……ありがとうございます。鳳翔さん」

 

 安心して緩みきった意識の中で、休憩コーナーにかけられた時計を眺めた。時計の針が指す時刻は、午後7時。

 

 開場まではまた時間がある。もうちょっとゆっくりと、鳳翔さんの美味しい気持ちを味わおう。

 

「ところで鳳翔さんは飲まないんですか?」

「私もいただいていいんですか?」

「飲んで下さい。一緒に、飲みたいんです」

「ありがとうごさいます。じゃあ、いただきますね」

 

 笑顔の鳳翔さんと、二人で、いっしょに。

 

 終わり。 

 

 




もうちょっと続きます。


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番外編 あなたにはヒミツ

「鳳翔さん、こんな催し物があるそうですが……ご一緒にどうですか?」

 

 今晩の夕食の仕込みのため、たくさんのじゃがいもの皮を剥いている時でした。弟子の赤城によく似たミイラさんが、私が仕事に勤しむ厨房にやってきて、カタカタと震えながら一枚の封筒を私に差し出してきました。

 

「えっと……ど、どなた……ですか?」

「あ、赤城……ですが……」

 

 あまりに非現実的な光景に、つい間抜けな返答を返す私に、赤城によく似たミイラさんは、そう言ってパキパキと音を立てながらニヤッと笑いました。正直言って、その姿は恐ろしかったです……。

 

 じゃがいもを剥く手を止め、タオルで一度手を拭いた後、私はミイラさんからその封筒を受け取りました。封筒は、今どき珍しく封蝋で封がされたもので、真っ赤な封蝋には戦艦の意匠のシーリングスタンプが使われているようです。

 

 封を破り、封筒の中を覗きました。中には、クラシックコンサートのチケットと、そのチラシが一枚入っています。キレイにできてはいるけれど、どことなく手作りのあたたかみが感じられるそのチラシには、『我々太陽の戦士たちの演奏を、太陽になった気分で暖かくお楽しみ下さい』と書いてあります。大淀パソコンスクールの、あの人を思い出しました。

 

「赤城、これは?」

「ええ。大淀さんのところのソラールさんから頂いたものです。なんでも、ソラールさんのお弟子さんが所属しているオーケストラだそうで。チケットをいっぱいもらったと行っていました」

 

 そう言って笑う赤城によく似たミイラさんは、見ていて本当に怖い……いや、これは本人には言えませんね……。

 

 確かに昨日、私は智久さんのチェロを聞いて、クラシックという音楽にちょっとした興味を持ち始めています。でも、クラシックのコンサートだなんて、今まで私たちに縁のない世界。テレビや映画で見るクラシックコンサートなんかは、みんな洋装のおめかししたりしてるのをよく見ます。私が持っているのは和服だし、第一、そんなところは、私には敷居が高すぎます……。

 

 それに、チケットに書いてある日付は今日。今日の私は、この食堂で仕事をしなければなりません。流石に今日は、無理です。

 

「残念ですけど赤城……というか、赤城でいいんですよね」

「はい……ずーん……」

「ご、ごめんなさい……でも、私は今日は無理ですよ」

「どうしてですか?」

「私には和服しかありませんし、第一、今日は仕事です。残念ですが、またの機会にします」

「そうですか……」

 

 赤城によく似たミイラさんは、そういってパキパキと音を立てながら、がっくりと肩を落としました。私はそんなミイラさんに頭を少し下げた後、じゃがいもの下ごしらえに戻ろうと包丁を握ったのですが……

 

「今日のコンサート……普賢院さんも来るそうなのですが……」

 

 ……え!?

 

「残念です……ではロドニーさんとソラールさんと神通さん、普賢院さんと、私だけで行ってくることにします……」

 

 智久さんが来る……その事実を前に、包丁を握ってのんきにじゃがいもの下ごしらえをしてられるほど、私はおしとやかではありませんでした。

 

「赤城。前言撤回します」

「……はい?」

「今日の仕事は誰かに変わってもらいます。私も行きますっ」

 

 次の瞬間、私の口はそう答えていました。いざという瞬間は、思考を離れて身体が動く……まるで、戦闘時の時のように、私の口は無意識のうちに、そう動いていました。

 

 その後、その赤城似のミイラさんから『コンサート会場は休憩スペースでご飯が食べられるそうですよ?(チラッ)』と言われ、思い立った私は、コンサートの前にみんなで食べられるお弁当を準備することにしました。食材もそう残ってないし、時間だってないけれど、そこは長年培った腕で、やりくりしてみせました。オーナーも……

 

――厨房の食材、ちょろまかしてかまわんよ。

  お前さんには、いつもお世話になってるんだ。

  だからお前さんにも、幸せになってもらわにゃ

 

 と言ってくれ、厨房の食材のいくつかを使わせてくれました。おかげで、とてもいいお弁当が出来ました。

 

 お弁当の準備が終わったら、それを冷ます間に、お味噌汁を作ります。

 

「あ、鳳翔さん、お味噌汁ですか?」

「はい。飲んで欲しい人がいるんです」

 

 私の隣で今日の当番を変わってくれた間宮さんが、私の鍋を覗き込んできます。すでにお出汁は取っている。私はその中に、準備していたわかめとお豆腐を入れ、煮立たせました。途端に私達の周囲に、カツオだしの良い香りが立ち込めます。

 

 沸騰したところで一度火を止め、沸騰を沈めます。静かになったらお味噌を丁寧に溶き、再び火を入れます。沸騰させないよう、ごく弱火で、静かに、神経を注いで……

 

「わぁ……お味噌のいい香り……」

「……」

「鳳翔さん?」

「……」

 

 ここは、絶対に気が抜けません。お味噌は煮立たせてしまうと、この素晴らしい香りが飛んでしまいます。私はあの人に最高のお味噌汁を飲んで欲しくて……私に気持ちを届けてくれたあの人に、私の気持ちを届けたくて、全神経をお味噌汁に注ぎました。

 

「……」

 

 智久さん。私は今日、あなたに気持ちを届けます。あなたがチェロに乗せて、私に届けてくれたあなたの気持ちに、今日、私はお味噌汁で応えます。あなたが『美味しい』と笑顔で言ってくれた、私のお味噌汁で。

 

 智久さん。はじめてあなたを見たその時から、私は、あなたがずっと気になっていました。

 

 あなたがお味噌汁を飲むその姿を初めて見た時、『なんて美味しそうに私のお味噌汁をのんでくれるんだろう……』と思いました。厨房で配膳に勤しむ私から少し離れたテーブルで、あなたは、目を閉じ、静かにお味噌汁をすすったあと、まるでお風呂に浸かった瞬間のように表情をゆるめ……

 

『ほぉ……っ』

 

 と、とても温かく、そして心地いいため息をついてくれましたよね。あの姿を偶然見た私は、その日から、食堂にやってくるあなたの姿を目で追い、そしてお味噌汁を飲むその姿を見つめることが、日課になりました。

 

『こんにちは。今日も来ていただけたんですね』

『は、はいッ! だって、とっても美味しいですから!!』

 

 ある日、あなたにその日の献立を渡す私がつい声をかけた時、あなたは素っ頓狂な声で返事をしてくれましたね。きっと、『声をかけてくるはずない』と思っていた私が声をかけてきたから、びっくりしたんでしょうね。

 

 ……でも智久さん。白状します。あの時、私もとてもびっくりしたんですよ? あとからとても恥ずかしくなってきて、赤城とロドニーさんの前で、私は顔を押さえてもじもじすることしか出来なかったんですよ?

 

『……こ、声をかけてしまいました……っ!!』

『……鳳翔さん?』

『赤城? 鳳翔はどうした?』

『ぁあロドニーさん。なんか仕事が終わってからずっとこんな感じで、顔真っ赤っかでもじもじしてるんですよ』

『?』

『あー……どうしましょう……声かけてしまいました……ぁああっ』

『『?? ???』』

 

 だって、私自身、あなたに声をかけるつもりなんて全然なくて、気がついたら、口が勝手に喋ってたんですから。あの後は大変でした。胸がドキドキして、あなたがお味噌汁を飲む姿がまぶたから離れなくて……緊張して、全然眠ることが出来ませんでした。だって、眠ろうとして目を閉じたら、あなたの姿が目に浮かぶんですもの。

 

 ……でも、それはあなたにはヒミツです。

 

 ヒミツにしていることは、他にもありますよ?

 

 私が食堂のシフトを離れてオフの日。私が晩ごはんを食べようと食堂に赴いて、あなたが食堂で一人でご飯を食べてるのを見つけた時、私の胸が大きくドキンとしたことを、あなたは知らないでしょう。

 

『……相席してよろしいですか?』

『いいですよ。よかったらどうぞ』

 

 意を決した私はあなたと相席したのですが……俯いていたあなたは気付かなかったでしょう。あの時、お盆を持つ私の手が、緊張で少しだけカタカタと震えていたことを。

 

 気付いてなかったでしょう。あなたが『食堂代表で、剣術大会に出ます』と言ってくれた時、私はうれしさで頭がどうにかなりそうでした。つい握ってしまったあなたの手はとても温かくて、ずっと握っていたくて……必死に頑張って手を離したことを、あなたは知らなかったでしょう。

 

 少しずつ少しずつ、お味噌汁が温まり始めました。私はそのタイミングを逃したくなくて、今のうちに水筒を準備しておくことにします。いくら保温性の高い水筒といえども、今はとても冷たい。だからポットのお湯を注いで一度、水筒を温めることにします。コポコポと心地良い音が水筒から聞こえ、そして水筒全体がぽかぽかと温まってきました。この瞬間が、私はとても好きです。

 

 剣術大会の日のこと。あなたは覚えてますか?

 

『智久さんはー……元々、争いや武道には向いてないのかもしれませんね』

『うう……そうですか?』

『はい。その分、智久さんは優しいということです』

『どうしてですか?』

『だって……』

 

 あのあと、私が何て続けたかったかわかりますか?

 

――竹刀を握るあなたより、

  美味しそうにお味噌汁を飲んでくれるあなたの方が、

  私は好きですから

 

 本当は、こう言いたかったんですよ? とてもキレイでかわいい首根っこを冷たい手でつっついて、恥ずかしさをごまかしましたけど。

 

 ……あ、でも、『速さが命』『研鑽を重ねたその先が向き不向き』というのは、本当のことですよ? あまりにあなたが真剣に聞いてくるから、私も真剣に答えました。本当は、『私はお味噌汁を飲むあなたの方が好き』と最後に付け加えたかったですけどね。

 

 でも、これもヒミツです。

 

 火にかけているお味噌汁が、周囲に素晴らしい香りを漂わせながら、少しずつ少しずつ、ふつふつと煮えばなになってきました。水筒の中のお湯を捨て、しっかりとお湯を切った後、お味噌汁の火を止め、そのまま、水筒に注ぎます。コポコポと可愛らしい音を立て、水筒の中に、私の気持ちが篭ったお味噌汁が注がれていきます。

 

 ……智久さん。昨日の演奏会の時のこと、覚えてますか?

 

『……じゃ、じゃあ! いつも美味しいお味噌汁を頂いているお礼……ということで!!』

 

 あなたがそう言った時、私が口をとんがらせてちょっとだけご機嫌ななめになったこと、気付いてましたか?

 

――私は、あなたに飲んで欲しくて作っていたのに……

  あなたがお味噌汁を飲む姿が見たくて、お味噌汁をいつも作っていたのに……

  お礼が欲しくて、作っていたわけじゃないのに……

 

 とっても自分勝手な言い草ですよね。しかも、あなたはお礼にチェロを弾いてくれるって言ってくれたのに、そんなことでへそを曲げるだなんて、おかしいですよね。私自身、そう思いますもん。なんで自分があんなにへそを曲げたのか、自分自身が不思議だったんですもん。でも、気付いて欲しかったな……私がごきげんななめになった理由。

 

 ……でも、あなたが気付かない限り、これもヒミツです。

 

 その後の演奏は、ほんとにもう、素晴らしいの一言でした。静かで優しく……まるであなたのような、素晴らしい演奏でした。

 

 それに、その曲の最中、チェロの美しい音色に乗って、あなたの声が聞こえてきました。

 

――鳳翔さん。あなたが好きです。

 

 だから私はそれに応えようと、お味噌汁に乗せて、自分の気持ちを伝えますと約束したんですけど……

 

 気付いてましたか? 『あなたが好きです』とチェロに乗せて告白してくれたあなたの姿が美しくて、私はずっと、あなたに見とれていたんですよ? 美しいあなたが奏でるチェロの音色があまりに優しくて、ずっと聞き惚れていたんですよ? それは、演奏が終わった後、思わず拍手を忘れてしまうぐらい、私の心を釘付けにしていたんですよ?

 

 知ってますか智久さん。私は昨日の夜、チェロを弾くあなたの姿を思い出して、ずっと胸がドキドキして眠れなかったんですよ? お布団の中で、あなたの言葉を何度も何度も思い出して、ずっと胸が高鳴っていたんですよ?

 

『わ……わ……! 智久さんが……智久さんが……わ……!』

『と、智久さんが……私に、“好きです”って……わ……!!』

 

 こうやって、あなたの為にお味噌汁を準備している間も、本当は集中しなきゃいけないのに、あなたがお味噌汁を飲んでくれる姿が目に焼き付いて……あなたの声が耳に届いて……あなたの言葉が心に響いて、ずっとドキドキしてるんですよ?

 

 ……でも、あなたにはヒミツです。

 

 絶対に、このことをあなたには話しません。

 

 だって……その分、あなたには、こう伝えたいですから。

 

――私は、あなたをお慕いしています。

 

 水筒の蓋をきっちりとしめ、すべての準備が整いました。お重も充分に冷めたようです。私は急いでお重を包み、私の横でずっと一部始終を見ていた間宮さんに聞きました。

 

「他のみんなはどうしたか知ってますか? 赤城たちはもう出ましたか?」

「あれ……さぁ……もう出たんじゃないですか?」

 

 慌てて時計を見ました。時計の針はすでに6時10分前。急がないと、せっかく準備したお重をみんなで食べる時間がなくなってしまいます。

 

 そして、せっかく気持ちを込めたお味噌汁を、智久さんに飲んでもらう時間が無くなってしまう。急がないと。

 

「では間宮さん。行って来ます!」

「はい。いってらっしゃい。がんばってくださいね」

「はいっ!」

 

 準備室で急いで着替え、私はお重と水筒を持って、会場までひたすら駆けました。

 

 智久さん。待っていて下さい。

 

 今、あなたの気持ちに応えます。あなたに、私の気持ちを込めたお味噌汁を届けます。

 

 あなたには、ヒミツにしていることがいっぱいあります。そしてそれは、これからもずっとヒミツです。

 

 だって、そのヒミツをこっそり打ち明けるよりも、あなたに伝えたい言葉が、私にはあるから。

 

 智久さん……私は、あなたをお慕いしています。

 

 終わり。

 



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