気まぐれ狐の幻想紀行 (僕は決め顔でこういった)
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一話 幻想入り

とある山奥でのことだ。

到底、人が立ち入れそうもない鬱蒼とした森の中に、小さな祠が一つ、寂しげに立っていた。

どうやってできたのか謎なこの祠、当然、整備に来る人などいるわけもなく、人知れずどんどん朽ちてゆき、目も当てられないような酷い有様となっていた。

そんな祠の前に、一人の幼児が佇んでいた。

見た目は大変幼く、とても可愛らしい顔立ちをしており、女性が見れば大層母性本能をくすぐられることだろう。背も見た目相応に低く、成熟した一般女性の腰くらいまでの高さしかない。そして、何より目を引くのがその髪色であり、全体余すところなく総白髪という、この幼さの日本人ではまずお目にかかれない色をしていた。

どこかで何かが決定的にズレている見た目をしているこの幼児。祠を前にして、見た目とは程遠い複雑な表情をして、こう呟いた。

 

「..まさか今でも残っているとはね」

 

感心半分、呆れ半分といった声音で言う。

 

「もう400年以上前の記憶に残っているものだぞ。あの妖怪どれだけ気合いを入れて作ったんだか...」

 

「400年以上前」「あの妖怪」

幼児は確信しているようすで喋る。まるで「見てきたかのように」

 

「__まあ、なにはともあれだ」

 

少々名残惜しそうに辺りを見渡した後、祠に向き直りこう言った。

 

「行こうか、幻想郷へ」

 

 

 

 

 

 

季節は秋。といっても、もはや終わりの時期に差し掛かっている。

紅葉や銀杏等の色鮮やかな葉も、そうでない葉もとっくの前に散り、早々と冬支度を整えている。そのせいで現在、この幻想郷は色味の少ない殺風景な季節を迎えていた。

唯一、気分が晴れやかになるような突き抜けた青を魅せる空でさえ、今は厚い鉛色の雲に覆われて、より一層どんよりとした雰囲気を演出していた。

そんな中を、一人(一匹?)の妖怪が飛翔していた。

紅葉の柄のアレンジが施してある天狗装束と呼ばれる衣を身に纏い、空を翔ける天狗。名は犬走椛という。

この天狗は白狼天狗と呼ばれる種族であり、天狗社会のなかでは下っ端である。

そんな下っ端天狗の椛は、腹が立っているのか、憮然とした表情を隠そうともせずに、辺り一帯を睨みつけながら飛んでいる。

下っ端に任される仕事など、殆どが重要なものではなく、雑用だったりパシリだったりと、鴉天狗や大天狗等の手先としていいように使われている。唯一、哨戒任務が重要なものとしてあげられるが、非常に苦は多いくせに益が殆ど無いという、ストレスが溜まるものであり、上が面倒だから避けつづけ、巡り巡って下っ端に行き着いたというのが本当のところだ。勿論、下っ端に拒否権などない。

椛は、相変わらず不機嫌である。

今椛が行っているのが、その面倒臭い哨戒任務であり、いつもどうり苦しかない。寒いし集中力いるし体力使うしと、あげていけば切りが無い。ちなみに、椛が担当してきた哨戒任務のなかで、椛にとって、又は天狗の為に益があったことなど、一度も無い。

椛は飛ぶ。

不機嫌さは変わってはいないが、それでもしっかり集中してやっているようだ。

哨戒任務を集中して行っているのは、椛を含めても最早数える程しかいない。この天狗、根は真面目である。

しかし、いくら集中してやっていても、防ぎ用がないものもある。今回のことはそのいい実例といえるだろう。

表情は相変わらずだが、椛は集中を切らさない。

それを行うことになれているのか、そういう才能に秀でているのか、とにかく集中している。そこへ木枯らしと呼ばれる風が吹き付ける。椛はたまらず身を震わせ、くしゅん、と小さくくしゃみをする。

集中が途切れ、一瞬できてしまった隙。それ自体はたいした隙では無いが、椛が飛び上がる程驚くには、充分過ぎる隙だった。

 

「寒いねえ」

 

後ろから声をかけられる。

 

「?!だ、誰!?」

 

椛は文字通り飛び上がる程驚いたが、すぐに体制を立て直し、刀を抜く。見事な反応だ。

しかし相手は手の平をこちらに向けて手を挙げる。戦う意思は無いようだ。だからといって刀を下ろす程、椛は馬鹿じゃない。

椛は改めて問う。

 

「・・・あなたは何者ですか?」

「俺はイナホ。見ての通り、妖狐だよ」

 

椛は怪訝な表情を浮かべる。

というのも、実は椛、天狗の頭領である天魔と通じており、本人の口から度々イナホという狐妖怪の話を聞いているのだ。しかし、残念ながら詳しい容姿までは聞いておらず、椛はその妖怪がイナホかどうかという判断を下せないでいた。

椛はイナホと名乗っている妖怪を観察する。

見た目は大変幼く、守ってあげたくなる小動物的な可愛さを秘めている。背も見た目相応に低く、椛の腰くらいまでしかない。そして、その妖怪の腰辺りから、妖狐の証である尻尾が九本生えていた。長い。椛の背丈は優に超えている。その毛色は、ありとあらゆる白を表す表現を探しても、これを表現することのできる白は無いと思える程の純白であり、雪のように儚く、幻想的な、この世のものとは思えないほどの、美しい色だ。髪色もまた、尻尾のように美しい。

椛はつい見とれてしまう。

しかし、相手の妖怪によって、現実に引き戻される。

 

「・・夢心地になっているところ悪いんだけどね、こちらの頼みを聞いてもらえるかな?」

 

本来ならば聞く必要などないが、相手が疑惑の妖怪となっては聞かない訳にはいかない。

沈黙を肯定と受け取ったのか、相手は続ける。

 

「__天魔に会わせて欲しいんだ。君の立場なら可能の筈だよ」

 

椛は一瞬硬直してまう。

椛が天魔と通じていることは、天狗の中でも極僅かな者しか知っておらず、天狗社会の最重要機密といっても過言ではない。

 

「・・・・何か勘違いしていませんか?私はただの白狼天狗です。天魔様にお目通しが叶うほど、上の立場ではありません」

 

椛は返す。しかし、一瞬硬直した反応が、相手にとっては肯定になってしまったのだろう。

椛の虚勢に対して、そんな反応が面白かったのか、相手はクツクツと喉を鳴らしながら笑っている。

ひとしきり笑った後、相手はこう言った。

 

「まあ、とにかく話だけでもいいから通してくれないかな。イナホという名前をだせば通じると思うよ。」

 

椛は黙って頷いた。

虚勢がばれているのに、いつまでもそれを張る程、恥知らずでは無い。

相手に敵意の篭った視線を向けた後、椛は天魔の屋敷のある方向へ向けて、飛んで行った。

 

 

 

しばらくが経った。いよいよ寒さは強さを増し、雪がちらつき始めた頃、椛は戻ってきた。釈然としない表情を浮かべている。一方、相手の方はというと、この寒空の下、特に身体を震わしたり寒がったりするわけでもなく、佇んでいた。余裕の表情だ。

椛は機械のように抑揚の無い声で告げた。

 

「ついてきて下さい」

 

相手も黙ってついて来る。

それ以降、天魔の屋敷に着くまで、椛は一言も喋らなかった。

 

 

椛は森の中を突き進む。

椛は周りからすれば、何の変哲も無いただの下っ端天狗。天魔の屋敷に、正面から堂々と両手を振って行くことのできる身分ではない。だからこうして、よほどの物好きでも無い限り、通らないような森の中を進んでいるのだ。好き好んで通っているのではない。

椛は慣れたもので、鬱蒼と生えている木々の隙間を、軽々と飛んでいる。

 

「凄い鬱蒼とした森だね」

 

そう呟いたのは、イナホと名乗っている妖狐で、鬱蒼とした森と評価した中を、ひょいひょいと片手間で行える作業のように、対して意識することもなく飛んでいる。

 

「屋敷に行く度にここを飛んでいるのかい?」

 

妖狐は椛と並んだ状態で問う。

椛は答えない。ずっとそうだ。妖狐が何か問い掛けをする度に、無視か不機嫌そうな目で睨みつけてくる。妖狐は、そんな反応を微笑ましく思っているのか、微笑を湛えている。相変わらず余裕の表情だ。それがまた、気に食わないのだろう。椛はますます不機嫌そうに表情を歪める。

妖狐はそれを無視したうえで、椛にしつこく話しかけていた。

 

椛が妖狐に対する苛立ちを爆発させそうになったときに、不意に目の前の景色が拓けた。屋敷に辿り着いたようだ。

屋敷は、きらびやかというよりも、侘び寂といった表現が近く、これぞ日本屋敷というような堂々とした風格を備えている。広大な庭には、その風格に相応しい、荘厳さを有しており、四季折々の様々な景色を楽しめるようになっている。

 

「これはまた、立派な屋敷だこと」

 

感嘆の息を漏らしつつ、妖狐は呟く。

 

「警備はいないのかな?」

 

先程の発言に、少し気を良くしたのか、椛が答える。

 

「天魔様はお強い方ですから、挑もうとか馬鹿な発想で来る奴などいないのですよ」

 

ふーん、と妖狐は呟く。大して興味も無いようだ。椛はそんな妖狐に対して再び苛立ったのか、不機嫌な表情に戻った。

椛は案内を再開する。屋敷内は飛ぶことができないので、徒歩だ。

椛は何度も訪れていて慣れているのか、最短距離を通って、あっという間に天魔のいる部屋に辿り着いた。

この襖の向こうには、天魔がいる。

ちらり、と妖狐に目配せした後、こほん、と咳ばらいをしこう言った。

 

「天魔様、連れて参りました。件の妖狐です」

「__入れ」

 

襖の向こうから若い男の声がする。

椛が襖を開こうとするよりも早く、妖狐は大胆に開け放った。

椛は表情を強張らせ、とんでもない無礼を働いた妖狐に視線をやる。その目には、もうすぐ殺される者に対する憐れみの表情が浮かんでいる。椛はその視線を妖狐に向けたとき、再び驚くことになった。

妖狐は幼児のような姿から、大人の姿に変わっていた。

美少年とも美少女ともとれる顔立ちになっており、底知れず、相手を気付かないうちに破滅へ導くような、妖しい美しさを秘めていた。

椛は目を見開く。

その美しさに驚いたことも一因としてあるが、何よりも、妖狐の変化に全く気づくことができなかったのが、主な原因のようだ。

椛は冷や汗をかきながら、天魔に視線を運ぶ。

その表情と雰囲気によって、離脱する否か決まるからだ。

すぐ側にいる者にも気付かれない程の変化の腕前の持ち主、天魔と戦闘になれば激戦になることは必至、そこに巻き込まれては、一溜まりもない。

天魔は、椛の予想に反して、穏やかな表情をしていた。

妖狐の行動に対して、呆れているようでもあるし、懐かしんでいるようでもある。

天魔は、驚きっぱなし椛を尻目に、こう言った。

 

「しばらくぶりだな、イナホ」

「そうだね。本当に久しぶりだね、天魔__いや、風魔」

 

イナホは、眩しいものでも見るかのように、目を細めながら、言った。

 

 

 

 

 




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どうも初めまして。「僕は決め顔でこう言った」です。
友達がやっているのを見てなんとなくで始めてしまいました。後悔しています(問題発言)
でも、始めたからには、最後まで続けられるように頑張ります。文章力?こ、これからつけていきますから(震え声)
今後、できれば週一ぐらいのペースで書いていきたいと思います。ただ、次の投稿は、どんなに早くても2月入ってからになると思います。


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二話 新生活

奇跡的に完成したので投稿。
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白狼天狗の朝は、個体によって違う。哨戒任務がある者は、日が昇っていないような朝早くから行動を始めるし、そうでない者は、同じく朝早くから行動を始めたり、日が中天で煌々と輝いてから行動を始めたりと、まちまちだ。

その中でも、この妖怪は早い部類に入るだろう。

空がまだ暗い中で、椛は目覚めた。

しばらくは布団の中で呆けていたももの、そのあとのっそりとした動きで、活動を開始した。

動かしはじめて目が覚めたのだろう。徐々にはっきりとしていく動作で支度を整え、外に出る。いつもの、紅葉の柄が写された天狗装束だ。その手には、同じく紅葉の柄が写された盾と、こちらは普通の大剣を携えている。

椛は深く息を吸い込んだ後、地面を蹴り、飛翔した。

 

 

雲に今にも手が届きそうな程、空高く飛翔した後、椛は瞑想を開始した。といっても、本当に瞑想している訳ではない。こうして集中力を高めないと、「能力」を行使できないのだ。

ただの白狼天狗が天魔と通ずることができる要因。それは、全て椛のこの能力によるものだ。

「千里先まで見通す程度の能力」__それが、椛に与えられた能力である。

尤も、私がそれを望んだことは、一度として無いけど。

椛は自嘲気味に唇を歪め、心の中で呟いた。

わざわざこんなに寒い所に朝早くから来るようになったのも、それが原因だ。

この能力は、便利が故に災いを招きやすい。椛は、誰よりもそれを理解しているから、今まで誰にも教えてこなかったのだ。今後も教えるつもりは無い。だからこそ、万が一にも能力を使っている所を見られないように、ここにいるのだ。天魔に知られてしまったのは、椛が望んだ結果では無い。あれは不可抗力といえるだろう。

 

椛は能力を行使する。

 

この能力も天魔に知られてから、一気に使用頻度が増えた。

 

椛は見渡す。妖怪の山を見渡し、人里を見渡し、そして地底も見渡す。

 

先程挙げたような所も、天魔に頼まれて見始めた場所だ。椛は最初こそ渋っていたが、理由を聞いて快諾した。これらの場所に何か異常があれば、すぐに報告しろと言われている。

椛は一通り見渡した後、最後にまわしていた場所の想像をし、げんなりとした。

 

椛は能力を使用し、後回しにしていた場所を見る。

 

そこは、妖怪の山の中でも特に入り組んでいて、好戦的な妖怪も多く、まず入ろうとする者はいない深い森。

椛のお目当ては、そんな危険地帯にさも当然かのように建っている、ある一軒家だ。その一軒家には、昨日天魔と話し、この山で過ごすことを許された特例の妖怪、イナホが住んでいる。

 

椛は監視を開始する。

 

四六時中、そこを監視するわけでは無いが、こうして勝手に生活を覗くのは、やはり気が引ける。気が引けるが、それが椛の任務なのだ。

別に、今に始まったことじゃない。と思い直し、椛は監視を続行する。

昨日、イナホにこの家を紹介したときと比べて、見違える程綺麗になっていることを除けば、特に不自然な所は見当たらない。式紙が一生懸命に何かをしているが、別に九尾の妖怪ならば、当たり前に行っていても不思議では無いので無視する。

椛は一通り見渡した後に、重要なことに気がついた。

イナホがいない___

 

椛は捜索範囲を広げる。

 

意外とあっさり見つかった。

イナホは、入り組み鬱蒼とした森の中なのに、何故か拓けている場所で、杯を片手に寝転んでいた。姿は、昨日天魔との話しの際に見せた、中性的な男の姿である。

とても美しい姿をしているので、それだけで一枚の絵になるが、椛は嫌悪感を露としている。朝から酒を呑んでいるような奴が嫌いなのだろう。

椛が能力の使用を止めようとしたとき、イナホがこちらを向いた。まさか、分かっているのだろうか。

椛はドキッとしてしまう。能力を使用して見ていることが気付かれたことなど、一度たりとも無いからだ。

偶然?それにしては、はっきりとこちらを見ている。

椛の心の中の葛藤など無視するかのように、イナホは、椛が見ている方向へ、手招きをした。どうやら、見破られているようだ。

イナホの口が動く。椛は、この能力を使っていることによる副産物だろう、口の動きだけで、何を言っているのか分かるようになっていた。

 

(そうやって見ているより、実際に来て見た方が、気が楽だろう)

 

イナホは、どうもそう言っているようだ。

椛は溜息を一つつく。

悔しいことに、実際そうなので、椛は行くことにした。

 

 

 

 

「お早う。君は随分と朝が早いんだね」

「お早うございます。あなたが人のことを言えないと思います」

 

椛は現在、何故か拓けている場所で、寝転びながら酒を呑んでいるイナホの隣にいた。

椛は、早速当然と言える疑問を口にする。

 

「・・朝からこんな所で何をしているんですか」

「鍛練さ」

 

よくもまあぬけぬけとそんな嘘を__

思わず溜息が漏れる。

 

「そんなことをやっているようには見えないんですけど。本当にやっているんですか」

「やっているさ。その一環として、もう君の周りにも術式を張り巡らしてあるよ」

 

そんな嘘をつかないでください。そんなもの何処にも無いじゃないですか__喉から出かかったその台詞は、この世に出ることなく、唾と一緒に飲み込まれることとなった。

椛はゴクリと唾を飲み込む。

椛の周りには、イナホが言った通りに、術式が張り巡らされていた。それも、十や二十といった単位では済まない。百や二百といった単位だ。

 

「こんな感じでね」

 

イナホはそう言い、術式を消した。

椛はその時の衝撃で、何かいろいろと質問したいことがあったはずだが、忘れてしまった。

椛が二の句を継げないでいると、イナホは空になった杯を捨て、ゆっくりと体操を始めた。

目の前の現実的な景色に気を取り直したのだろう。椛はその行動に目を向け、一つの疑問を抱いた。

 

「何を始めるつもりですか」

「君の鍛練に付き合ってあげるつもりなんだけど」

 

椛は目を見開いた。

 

「なんでそんなことが分かるんですか」

「哨戒任務でもないのに、そんなに物々しい格好をしていたら、誰にでも分かる」

「哨戒任務に就いているかどうかは、昨日やっているかどうかで判断したよ」

 

椛は頬が引き攣るのを自覚した。

どうやら、イナホは優れた洞察力と観察力を持っているようだ。適当そうに過ごしていて、その実、抜け目なく様々な物を観察しているのが、その証拠といえる。

イナホは言い終わった所で体操を止めた。終わったのだろう。

 

「__で、結局どうするんだい?やりたくないならやらなくても良いけど」

 

椛は悩んだ。だが、一瞬のことであった。

 

「よろしくお願いします」

 

交遊関係がそれ程広くはない椛にとって、鍛練の成果を試せる相手というのは、中々いるものではない。相手がそれを拒否するというのもあるし、白狼天狗の中では、強さのトップを争う地位にいるからだ。

今回の相手は、自分が全く気付かないうちに術式を用意する程の実力者。相手としては強すぎるような気もするが、いい機会であることは間違いない。

自分の実力が、九尾に対して通用するのか。

椛は久々に(不本意であるが)胸の高鳴りを感じた。

 

「じゃあ、さっさと始めてしまおうか」

 

そう言ってイナホは、体を自然体に持っていく。

襲い掛かって来ないのは、先手はやるという意思表示だろう。

椛は大剣の剣先を、イナホに向けて構える。真剣そのものだ。

椛は意識を研ぎ澄まし、一切の雑念を掃う。思考の中に残されたものは一つしかない。それは、相手を斬ること。

椛の意識に呼応するかのように、辺りの空気もキリキリと張り詰めていく。

イナホは相変わらずの自然体だ。椛の重圧など、なんとも思っていないのだろう。

周囲の緊張が最大に達した時、椛が動いた。

イナホ目掛けて、一直線に空気を切り裂きながら走る剣先。その剣線は、差し込みはじめた太陽の光を反射して、金色に輝いていた。

 

 

 

 

 

一刻が経過したとき、椛は精も根も使い果たしたようで、大の字になって地面に突っ伏していた。衣服がかなりはだけ、扇情的なことになっているが、最早それを気にする余裕すらないのだろう。

対するイナホは余裕なもので、息一つ乱すことなく付き合っていた。

イナホは、地面に突っ伏したままの椛の半身を起こし、木にもたれ掛かるような体制で椛を座らせ、竹で作った水筒を手渡した。

 

「それを飲むといいよ。少しは楽になる。__そんなに怪訝そうな表情をしなくても大丈夫さ。怪しい物は入っちゃいない。それはただの霊薬茶だよ。___あ、でも」

 

椛は素直に飲んだ。そして吹き出した。

 

「__めちゃくちゃ苦いから気をつけて、って言おうとしたんだけど、遅かったね」

 

椛は恨めしそうな目でイナホを見る。その視線が堪えた様子は全くなかった。

椛は改めて霊薬茶を飲む。とんでもなく苦い。だが、体に良さそうな感じはした。

事実、その直後から体は大分楽になった。

椛はホッと一息つく。

 

「一息ついたところで自分の服も整えたらどうかな」

 

椛は自分の今の姿を見下ろし、みるみるうちに顔を赤く染めた。

椛は服を手早く整え(顔はまだ赤いままである)呆れたような声音で話しかけた。

 

「 あ、あなたは毎朝こんなことをしているんですか 」

 

所々で詰まりそうになる。動揺しているのが丸わかりだ。

イナホは特にそこを言及することなく、とんでもないことをサラっと言ってのけた。

 

「普段はこんなもんじゃないよ。これより遥かに激しいさ」

 

椛は絶句する。最近、こんなふうに驚いてばかりだ。

天魔様が、イナホのことを「恐ろしい奴」と評するのも、これで納得できたわ。

椛は、乾いた笑い声が、口から零れるのを抑えきれなかった。それ程、イナホはぶっ飛んだ鍛練をこなしていた。

この辺りが不自然に拓けているのも、その鍛練が原因だろう。

 

「動けるかい?」

「__なんとか動けそうです」

 

ついさっきまでは突っ伏していたのに、不思議なものだ。

あの霊薬茶には、一体何が入っているのだろうか。椛は、そのことが気になった。

本当に変な物じゃ無いでしょうね__

椛がそのことを聞こうとしたとき、それを制するかのようなタイミングでイナホは呟いた。

 

「そろそろかな」

「?何がですか」

「家の改築だよ。君も、式紙達が建て直している所を見ているはずだ」

 

椛はもう驚かない。イナホならしていても可笑しくは無いと、感じたからだ。

しかし、これだけは納得できないことがあった。

 

「そんなに大事なことを、見張ってなくても良いんですか」

 

椛の鍛練に付き合いながら、家を建てるなんていう複雑な命令を、式紙に実行させるという離れ業を実行できたとしても、どうしてもこれだけは外せないはずだ。

 

紙などの、物を媒体とした式紙には、自我が無い。自我が無い故に、自分で細かい調節や、判断を下すことができない。

物を運ぶなどの単純なことならばこなすことができるが、複雑なこととなると、一気に指示することが増える。

たとえ、全ての手順を式紙に指示することができたとしても、扱っているものは、たとえ何であろうとも、常に形を変える。

完璧に指示したとしても、これらのことがあるため、必ず何処かが歪になる。

その対策として、それも見越したうえで指示を追加するという方法があるが、追加する指示が天文学的数字にまで跳ね上がるので、現実には使えない。

他にも方法が無いこともないが、それらは、神格化するのを待つ必要があったり、そこまで持っていく為に途方も無い妖力が必要だったりと、実現できる者はいない。

 

だから、常に見張っておく必要があるのだ。

 

イナホが使用している式紙は、明らかに紙を媒体とした式紙。まさか、見越した指示を全て命令しているのだろうか。

イナホは、椛の疑問に対し、また当然の如くサラっと答えた。

 

「大丈夫だよ。あの式紙達は自律式だしね」

 

椛は、もう驚くまいと思っていたが、再び驚かされた。それも、今までとは比にならない程の驚きだ。

 

「やってる最中は近づかない方がいいんだよね。巻き込まれて手伝わされるし」

 

イナホが何かを言っていたが、全く頭の中には入っていなかった。

自律式?媒体型の式紙が?

イナホが言ったことは、そこに一つの魂を生み出し、それを式の上に定着させていることとなる。

禁忌とされている、魂に関する術。

何人たりとも手を触れてはならなかった領域に、この妖怪は手を触れているのだ。

こんなことをしていては、彼岸の閻魔が黙ってはいない。

椛は言わなければならないことがいろいろとあるはずだが、声が出ない。ただ口がパクパクと動いているだけだ。

イナホは、そんな椛の反応を見て、少々気まずそうな顔をして、こう言った。

 

「いや、禁忌に手を染めているわけではないよ。

外の世界にはこれと似たような技術があってね、この式紙にはそれを応用しているだけさ」

 

 

椛は拍子抜けした。

 

「そういうことは先に言っておいてくださいよ。心臓に悪いです」

「悪いね」

 

全く悪びれる様子はない。

椛は大きく溜息を吐き、その直後にお腹も鳴った。

なんという絶妙なタイミングだろうか。

椛は再び顔を赤く染め、イナホはクツクツと喉を鳴らして笑っている。

 

「そうか、もうそんな時刻か。

じゃあ朝餉にしよう。一緒にどうかな?」

 

イナホは椛にそう提案する。

椛は恨めしそうな視線を、再びイナホに向ける。その視線には、昨日程の敵意は感じられない。

イナホは椛に背を向け、歩き出す。

椛は素直についていった。

 

 

 

 

 

 




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前回の作品を、純粋に読者の気持ちになって読むと、5分とかかりませんでした。
泣きたい。


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