冴えない男の艦これ日記 (だんご)
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冴えない男の艦これ日記

 生まれた世界が、艦これの世界だった。

 

 その存在を耳にした時、一度目はオカルトだと思った。

 そして姿が映像として残され、名称を『深海棲艦』と名づけられた時、ふと頭の中に既視感を覚え、激しい頭痛と共に意識を失った。

 

 そして、目を覚ましたらすべてを思い出したのである。

 

 「これ、艦隊これくしょんだ。死んだな」

 

 それは自分が遊んでいたゲームの内容。

 地球の海に生まれ、人類と敵対する謎の生物。それに対抗できる唯一の存在にして、歴史に残る戦艦の名を冠する乙女達。

 

 彼女達を率いて戦い、海を取り戻し、人類の未来を救う。あとたまにサンマ漁するゲームだ。

 

 「誰か早く提督になって世界を救ってくれないかなぁ……」

 

 ゲームでなかったら、その世界観が実際に存在するとしたら、それはまさに死にかけた世界だ。

 シーレーンが破壊され、物流が滞り、経済が停滞し、人類の夢が終わる世界である。

 

 その破滅の危機に対して、提督となり、艦娘という見目麗しい乙女達を率いて反撃が始まる。

 終わることのない、エンディングが無い戦いの日々を、艦娘と共に乗り越えていくのだ。

 

 「まぁ、俺は軍人じゃないしな!」

 

 俺以外の誰かが。

 

 

 

 

 

 

 いや、国民を守るのは軍人さんのお仕事である。

 自分はタダの大学生であり、そちらの道を志しているわけでもない。

 

 喧嘩だって、ろくにしたことがない。することを考えただけで頬が引き攣る。

 ネットの中なら本人主観で天下無双だが、現実ではタダの一般人である。そんな自分が、終わりの見えない戦いに向かって飛び込んでいきたいわけがない。

 

 怖い。いくら美人に囲まれるとはいえ、PTSDになりそうな職場にいたくない。

 一回入ったら、民意でもう抜け出せそうにない時代が来ているのだ。どうしてブラック通り越したシゲル色の職場を希望するのか。

 

 そんな胃の壁がすり減りそうな日々を過ごすより、変な上司をヨイショしながら、お酒飲んで笑っている会社員生活を送りたいものだ。

 

 「そもそも、美人の女の子とか気後れする」

 

 現代の若者は、キャバクラに連れて行かれた時。

 「うわぁ!可愛い女の子と話せる!」と喜ぶタイプと、「何で知らない人と金払ってまで話さにゃならんのだ……」という気が滅入るタイプに別れるらしい。

 

 自分は後者のタイプである。

 ゲームの中のような、あんなフレンドリーな態度で接されても、どもって上手く話せない。女の子は、基本趣味仲間のような気の合う子としか話したことがないのだ。

 

 仕事目的ならともかく、プライベートで何人もの女の子と交友関係を持ち続けるとか、自分のような人間はメンタルが死んでいってしまうだろう。

 ハーレム系エロゲ主人公様はすごいな、俺なら一人でいっぱいいっぱい……いや、一人でもあれ系の女はキツイ。

 

 イケイケ系の鈴谷という艦娘や、曙という口が悪い艦娘と過ごす日々を思うだけでも、二次以外じゃ胸焼けしそうだ。

 

 テレビで艦娘の発見と、新たな作戦の展開を報道する軍人さんに応援をしつつ、せんべいをコタツで食べながら考える。

 

 「……いや、そもそも民間人の自分は関係ないよな。そりゃ、艦娘を率いて戦う姿にあこがれないわけじゃないけど、その大変さと釣り合うかって言うと……。夢は夢だよな。頑張ってもらって、いつもどおりの生活が戻ってきてくれるよう応援しよう」

 

 写真ぐらいは取りたいなぁ、軍部が民間向けに、艦娘の公開イベントやらないかなぁ。

 そんな妄想をして顔をほころばせ、ニヤニヤとテレビを見続けた。

 

 この時の自分は、言ってしまえば自分は無関係だと信じ切っていたのである。

 軍に関わる事のない立場。艦娘の誕生と提督の発見。やがて取り戻されていく海。

 

 提督となった軍人さんが、この苦境を乗り切ってくれると信じていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その願いは見事に木っ端微塵となった。

 

 「……あ、あれぇ?」

 

 艦娘と提督の存在が、マスコミによって報道されてから数ヶ月。

 この国を取り巻く環境は、改善に向かっていくどころか悪化の一途を辿っていた。

 

 早い話が、軍部よりこれっぽっちも吉報がもたらされないのである。

 報道では安心がしきりに主張されているが、物価の上昇は止まらないし、待ち遠しい戦果は一向に此方には伝わってこない。

 

 「食料の値段が上がるし、魚なんて食えないし……」

 

 いやーな予感を自分は感じていた。

 そして日毎に益々人々の生活には陰りが見えてきて、ついに決定的な報道が大本営よりなされたのである。

 

 「……え、民間から提督を見つけるってまじかよ」

 

 どうしてか理由はわからない。

 いわゆる提督の徴兵が行われることになったのだ。この平和ボケし始めた日本で、である。

 

 「も、もしかして相当やばいのか?」

 

 報道は相も変わらず、「問題はない、大丈夫だ」のオンパレードだ。

 

 訳の分からない専門家がああだこうだと言って、気がつけば次のニュースに話が変わっていたが、ひょっとすると情報に規制や統制がなされていたのではないだろうか。

 

 顔が真っ青になった。

 しかし、まだ希望者のみの徴兵である。

 

 テレビでは艦娘と未来を切り開いていきたいと笑う若者がいた。他にも、まぁあれだ、明らかに艦娘目当てのやつもいた。

 皆が市民会館で軍部により行われる、非公開の検査の列に並んでいく。給料や手当も報道を見る限りではかなり良い。恐らく不況故に、生活目的の人達も沢山あそこにはいるのだろう。

 

 テレビでマスコミはしきりに提督を賛美して、人々にその利と国への奉仕を説いていた。現在の提督たちの奮戦、そして彼ら民間上がりの提督により、事態は収束へ向かうだろうと。

 

 母親と父親、妹が関心を示しながら、他人事のようにご飯を食べ続ける。

 

 「ねぇ、あんた大丈夫?」

 

 顔真っ青、口の端からおかずがこぼれ落ちた自分を見て、妹が目を細めてそう言った。

 大丈夫だ妹よ。ちょっと嫌な予感が半端なくてな。

 

 「まさか、あんた提督になりたいの?」

 

 女の子目的だと思われたのか、生ゴミをみるような目でみられた。

 お前は兄をどんな人間だと思ってるんだ。まぁ、何も知らなかったら俺もあそこにならんでいたかもしれない。

 

 だが、悲しいかな。俺は『深海棲艦』を知っている。

 艦娘があれによって沈められるゲームを、俺は知っているのだ。

 

 だ、大丈夫だよな。

 

 無理矢理そう思い込み、不思議そうに此方をみる両親と妹に「いいや」と答えて、味のしないご飯を口に放り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 一年後、俺が大学を卒業する年。

 強制的な提督適性検査が、国により若い男性を対象に行われることとなった。おい、なんだそれ。



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2話

 提督の適正が自分にはあった。

 

 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?俺の就職活動の成果がぁぁぁぁぁ!?」

 

 穏やかな文面で「お前提督な、絶対な」と脅迫されるそれを見ながら、家の玄関で絶叫した。妹に煩いと怒鳴られた、解せぬ。

 

 訳の分からない提督適正検査の日。

 

 目の端に映る奇妙な小人を必死に無視しながら、ちょっとした人間ドックのような検査を受けていく。

 途中、奇妙な小人によって自分のすそを引っ張られたり、髪の上で遊ばれたり、声をかけられたが、全て知らない振りをした。ええい、話しかけるんじゃない!あっちいけ!

 

 そうして必死に平静を装う私を余所に、じっとりとした目で此方を見る軍人さん達。多分、俺の後ろのデブを見ていたのだろう。脇汗ヤバイしな。

 

 こそこそ話を端の方でしながら、此方を指差す軍人さん達。多分、俺の横の若ハゲを見ていたのだろう。髪のケアの重要性を確認しているに違いない。

 

 此方に歩み寄ってくる怖い雰囲気漂わせる軍人さん。多分、俺の前の鼻息荒い奴に興味があるのだろう。めっちゃ荒いからな。

 

 名前を確認してきた軍人さん達。多分うしろのイケメン……。え?自分?なんで?ただしイケメンに限るんじゃないの?

 

 「キミ、もしかして何か見えているのかい?」

 

 何も見えていません。ええ、見えていませんとも。

 

 後ろで「うそをつけー」「こっちをみろー」「しゃざいをようきゅうするー」「いつざいだー」と騒ぐ小人たちは、きっと私が緊張しているから見える幻覚です。もしくは今ここにいるストレスからなりつつある、統合失調症の症状でしょう。

 

 「……そうかね」

 

 よく、ドラマとかで見るような氷のような笑み。あれだ、あれを浮かべて怖い軍人さんは去っていった。

 

 なにあれ、なんか格好いい……。心のなかで、あの人をデミウルゴスと呼ぼう。人柄から溢れ出る空気が、オーバーロードという物語に出てくる悪魔に似ているからだ。すっごい近づきたくない。

 

 何はともあれ、こうして一切の問題はなく、無事に検査は終了したのである。

 

 俺の提督の適性がないことは、どうみても明らかであった。そうなるよう、必死に演技を重ねた。

 

 筋肉ないし、体力試験はドベ。面接でのやり取りでも「そんなことよりおうどんたべたい」と言い続けたし、どう考えても国を守る軍人には向かない。

 というか、関わりたくない。実際、同じ面接会場にいた連中には可哀想な人を見る目で見られ、おもいっきり引かれていた。

 

 面接会場を出る際、あのデミ様に捕まって話しかけられたが、「これからアダルトビデオ50本を返却しなくてはならないので」と嘘を叫んで急いで帰ってきた。

 

 ……周りから白い目で見送られながら。

 我ながら、もう少しマシな嘘にすれば良かったと、後悔が絶えない。泣きそう。

 

 まぁ、これで帰る時もダメな奴として印象づけることは出来ただろう。

 これで結果については問題は無い。唯一あるとしたら、検査会場が街の会館だった為、知り合いや顔見知りがあの場にはたくさんいたことである。

 

 ……就職は遠方だな。

 

 翌日、俺の狂乱を知り合いより聞いた愛する妹から、静かに「もう私に近付かないで」と言われた。膝が崩れ落ちた。

 

 

 悲しい思い出をバネとし、俺はこの絶望を振り切るべく熱心に就職活動に励んだ。

 なんせ失敗したら変態の上に無職である。家で飯を食べていると、遠回しに精神病院への通院を勧めてくる親もいる。家には精神衛生上いられない。

 

 近所でスーパーやコンビニに行った際、「あ、あれってヤバイ人じゃない。ほら、例の」と言われる日々はもう嫌だ。

 

 こんな街にいられるか。俺は早く外に出ていくぞ!

 

 百を超えるお断りを受けて涙目となり、大学で例の噂が広がって孤立して涙目になり、お気に入りのラーメン屋に入ったらデミ様が何故かいて涙目になった。

 

 奢ってもらった。あの人いい人だわ。顔と雰囲気で人を判断しちゃいけないよな。

 

 それでも俺は諦めない。希望を胸に努力を重ね、自分を偽り、仮面を貼り付け、そんなんしてない自分を自信気に話しながら、合格を幾つももぎ取った。

 

 どれもこの不況の中であっても、安定して業績を上げている会社である。勿論、ブラックでもない。

 勝った、やり遂げたのだ!気分はデスノートのライトくん状態だ。テンション上がってきた。

 

 これで地元を離れ、安息なる日々を送るのだ。そんでクラスで六番目ぐらいの女性と結婚し、安定した収入を得ながら平穏な人生をまっとうするのだ。

 そんな私のためにも、頑張れ提督達。あの日、奇行を晒した会場にいたまだ見ぬ提督に、エールを贈りたい……。

 

 

 

 

 

 

 で、冒頭に戻る。世の中クソだな。

 

 出頭当日になっても、家でファミコンもどきをプレイする。服はジャージのまま。送られた制服は、昨日の内に雑巾にした。家が綺麗になって嬉しい。

 「クソ兄貴!早く出てけ!」と口が悪くなってしまった妹が扉をしきりに叩く。無駄だ。ドアには板を貼り付けて、釘を打ち付けてある。

 

 ゲーム開発等の娯楽の発展は『深海棲艦』によって止まってしまっている。

 どれも奥深いゲームたちだけに、残念極まりない。早く提督たちが、深海棲艦をぶっ潰してくれることを願うばかりだ。

 ああ、ゲームとテレビがあれば、ジオンと同じく数年は戦える(引きこもれる)なと確認した矢先。

 

 扉が吹き飛ばされ、何人もの軍人さんが飛び込んできた。

 呆気に取られる自分は床に押し倒され、顔を何とかあげると、そこにはいい笑顔のデミ様が。

 

 「もう時間は過ぎております。さぁ、急ぎましょう」

 

 やたらといい笑顔のデミ様に、思わず頬が引き攣った。やっぱりデミ様は悪魔だったようだ。

 

 両腕をむさ苦しい筋肉質の軍人に掴まれ、部屋から連れ出される姿は「捕獲された宇宙人」を思わせる。脳内BGMは勿論ドナドナ。子牛を乗せてどころか、加工場まで一直線である。

 

 助けてくれとダメ元で視線を妹に送った。

 デミ様に見とれていた。あぁ、うん。すごいイケメンだよね。

 一方で両親は心配気に自分を見ると、恐る恐るといった様子で口を開く。

 

 「あの、息子は、無事に帰ってこれるんですよね……?」

 

 「きっと帰ってまいります。ご安心を」

 

 多分に希望的観測が含まれるご回答、ありがとうございます。泣きそう。

 

 絶望に打ちひしがれていると、「軍服はどこにあるのかね」とデミ様に聞かれる。

 仕方がなく此方ですと廊下のバケツへご案内すると、盛大にデミ様の頬が引き攣っていた。「演技ではなかったのか……?」「しかし、適正は高い以上……」と、何故か混乱しているデミ様だったが、いい笑顔に戻ってそのまま車に連れて行かれた。

 

 心なしか車の空気は、シベリヤと思わんばかりに冷え切っていた。

 最初は意図的に厳しくしていただろう周囲の軍人さんの目も、今は普通にクズを見る目で俺を見ていた。つらい。

 

 いや、理由は分かるのです。ただ、人間はストレス振り切ると、意図しないことをしてしまうのです。絶対食えないと分かっているのにも関わらず、大盛りのラーメンを頼んだりとかするでしょう?あれなのです。

 

 合理的に生きられない悲哀を背負っているのが、人間という生き物なのです。

 

 だから俺は悪くない。お願いだから、このうちの廊下みたいな匂いのする軍服を着替えさせて頂きたい。

 俺は民間人であり、税金を収めているのにこの仕打はあまりにも酷いのではないだろうか。

 

 「残念ですが、それはできません。それは貴方の言う国民の血税で賄われておりますからね。一回も着ずに提督に捨てられたとあっては失礼でしょう」

 

 ごめんなさい。

 

 「あと貴方の税金をお支払いしているのは、貴方のお父様とお母様なのでは。大学を卒業するまでは、代わりに払っていると聞いております。また、民間人云々についても、今は解決しております」

 

 「これからはご自分で払えるようになりますよ、提督としてね」と微笑む彼の姿に、こちらも笑みが溢れる。

 

 扉を開けて逃げようとした。逃げられなかった。

 

 揉み合いになるも、首と関節をきめられてしまう。

 意識を落とされる最中、「こいつ本当に運動テスト最低点なのか!?」と愚痴を溢す軍人さん達の声を聞いた気がした。




最近寒くて辛い。多摩と一緒に炬燵でだらだらしたい、したくない?


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3話

 艦娘は、全員美人である。

 

 絵師によって表現、絵柄は異なるものの、理想として描き出される姿は見目麗しい美人だ。

 そんな美人と一緒に日常を過ごし、共に世界を救うために訓練を重ね、戦いを乗り越えていく。

 

 というのは、ゲーム上での理想である。

 

 俺はイケメンではない。精神的にも、イケメンではない。

 マンガやゲームの主人公なら、そのように頑張って人間関係を築いていけるのであろうが。悲しいかな、自分はそのような精神的強者ではなかったのである。

 

 つまりどういうことかというと……。

 

 「知らない、趣味も合わない女性。それもあんなキャラが濃い連中と頑張っていくとか……キツイ」

 

 頑張りたくない。

 

 頑張っていくとか、頑張った結果とか、そういう問題ではないのだ。そもそも頑張りたくないのだ。

 

 あんなキャラ濃い女性たち、言っては何だが変人やら不思議ちゃん達と、上手くいく自分が見えない。しかも私生活まで一緒。

 チャラ男のようなイケイケメンタル、もしくは主人公のような前向きメンタルならともかく、草食系メンタルにとっては致命的。

 どこかの狐に好かれるようなイケ魂が無い自分にとっては、パーソナルスペースに核弾頭を打ち込まれるようなもの。きっと私の心はぺんぺん草一本も生えない、不毛の死地に変わってしまうだろう。

 

 ああ、悲しいかな。自分はワイワイみんなで騒ぐよりも、一人で何かしてる方が好きだった。

 

 会社で飲み会誘われても、一人で家に帰ってネットサーフィンしてる方が良い。みんなと遊んだり、旅行したりするよりも、一人で遊んで旅行したりする方がいい。結果、コミュ力はそれ相応である。

 そんな自分が、アニメやマンガに出てくる濃い女の連中に囲まれて日常を過ごす……。おお、吐き気がしてきた。女性が可愛い事が逆にプレッシャーに感じる人種もいるのである。

 

 このままでは、彼女達との生活は胃が死ぬ、胃が溶ける、胃が破裂するに違いない。慣れるまでに軍での人間関係によるストレスと、戦場のストレスと、職場のストレスの三重苦にあうだろう。

 しかし、既に提督にならない選択肢は無いの。泣きたい。というか軍学校のトイレで泣いた。

 

 かくなる上は急成長を遂げ、イケメンにはなれなくても精神的イケメンになる他にないだろう。

 キョロ充ぐらい偽ることができなくては胃が死ぬ。ストレス過多で死んでしまう。

 

 「初期艦はその為の第一歩だ……。俺がイケメンになれるかどうかの第一歩だ」

 

 横を一緒に歩いている軍人さんに、「こいつ何バカなこと言っているんだ」という目で見られた。違うんです、命かかってるぐらい真面目なんです。

 艦娘にもいろいろいるのである。とっつきやすい子だとか、そうでない子とか。コミュ力低い自分を導いてくれる、面倒くさくなくて優しい、逆マイ・フェア・レディしてくれる存在であってほしい。

 

 そして最後は結婚せずに放逐して欲しい、農村でのんびり暮らしたい。軍は怖いからもう嫌だ。

 だってあいつら、吐くまで何十キロも走らせるんだぞ。昔の軍的な指導ですぐ殴るし、もう非体育会系の自分は限界である。始まる前からメンタルがやられている。おうち帰りたい。

 

 ゲームみたいに、初期艦は駆逐艦から選ばれるのではなく、学校によって艦種問わずに割り振られるらしい。希望を胸に、自分は初期艦と対面した。

 

 「……軽巡洋艦、大井です。別に、よろしくするつもりはありませんので」

 

 「あ、はい」

 

 希望は絶望に変わった。大井という艦娘は、当たり艦である。が、性格的な面では難がある艦である。

 某公式四コマにおける、彼女のセリフを紹介しよう。

 

 『なんなのよあの作戦提督のピーー!! ピー提督!! 1回ピーね! むしろピー ピーー!!』

 

 DMMは十八禁だから、ピー音だって普通である。ただ、このピー音はエロくない方のピー音である。つまり、私の胃は死ぬ。

 一応、姉妹艦の北上という巡洋艦には、最初から好感度が振り切れているのだが、提督は好感度マイナススタートが基本。しかも扱いがひどい。

 

 一瞬意識が飛びかけたが、何とか気を保ち、コミュニケーションに入る。

 彼女もコミュニケーションを重ねれば、それなりに敬愛の心を表すようになってくるはずだ。ゲームではそうだったのだ、なんとか頑張ってみようではないか。

 そう考え、日々彼女と接し、会話を重ねていこうとした。

 

 結論から言えば、全然コミュニケーションがとれなかった。

 

 すぐに陰口、罵倒、敬意のない言葉。止めろ、それは俺に効く。自尊心という逃げすら許さない大井の言葉には、感動すら覚えそうだ。嘘だ、辛い。

 ゲームだからまだ「こういうキャラだろう」ということで接していけたが、それは画面越しの無機質なものであった。

 

 だが現実になると、声・表情・雰囲気にも現れ出る敵意が、三次元となって俺に襲い掛かってきたのだ。

 為す術もなく、俺の心は死んだ。会話も紡ぐことが出来ず、すぐに「ごめんなさい」と言葉に出てしまい、舌打ちを飛ばされる。彼女と会話しようとする度に、場の空気が死ぬのである。

 

 ついでに艦娘と上手く行かない為に評価がダダ下がり、私の元々ヤバかった成績も死んだ。妹よ、お兄ちゃんダメかもしれない。

 

 与えられる任務は遠征、演習での有力艦を鍛えるための練習艦。

 戦場へ連れ出されても、近隣の雑魚の相手と、本隊の道を切り開く脇役係。

 

 自他、共に認める落ちこぼれ提督である。

 そんなわけで配属された先の艦娘は大井一人。しかも唯一の艦とも不仲でこの有様。

 あのデミ様は不審げに私を見てくるが、所詮自分なんぞこの程度の男である。

 

 ……あれ?俺のメンタルが死ぬだけで、これは命の危険はほぼないんじゃないか。ある日、上官に怒鳴られる中で、そんなことに気がついた。

 

 周囲からの蔑む視線と、大井の罵倒、安い給料(危険手当も戦果報酬も無いため)に目を瞑れば、そんなに悪いものではないかもしれない。

 いや、目をつむるモノ多すぎるが、生きていられるだけで儲けものではないだろうか。多くの艦が轟沈し、時に提督の悲報が届く中で、それは幸運なことなのではないだろうか。

 

 死して護国の鬼にならん。

 

 そんな世界で自分のような人間は臆病者かも知れないが、小人のほうが生き残れる事もあると思うのだ。

 よし、やっぱり私は頑張らない。私が頑張らなくても、きっと誰かがやってくれる。そうであると私は人間の可能性を信じている。

 

 ある時、いつも通り演習でボコボコにされ、大井に罵倒されて気まずい雰囲気になっていると。

 廊下の向こうに知り合いの顔が見えた。検査の時に後ろに並んでおり、士官となってからは顔見知りとなっていた、あのイケメン提督である。

 

 「おお、久しぶりだね!元気だったかい?」

 

 「あ、あー、どうも」

 

 彼はなんと性格もイケメンなのである。体力作りで何周も走らされ、脱水症状で倒れた自分を運んでくれたことがあった。また、どうしても勉強でわからないところがあると、あの脳筋軍人スパルタ教師よりも解りやすく、理知的に、幾度となく丁寧に教えてくれたパーフェクトイケメンである。

 

 ちなみに学歴もパーフェクトである。軍部に引き抜かれなければ、有名な大企業に就職も決まっていた。だが軍へ恨みはなく、国や国民のために身をなげうって尽くそうとしているのだ。

 これはもう、彼こそが人間の可能性かもしれない。溢れ出るイケメンオーラは、今時の安っぽいラノベに出てくるようなカマセ適当イケメンにあらず。某大正桜に浪漫の嵐なイケメンなのだ。

 

 ……拝んでおこう。ご利益があるかもしれない。

 

 歓談、といってもリードされる形でのコミュニケーションであるが、非常に楽しい時間を過ごす。

 人としての扱いを久しぶりに受けて、感激を覚えていると。突然彼が怪訝な表情で口を開いた。

 

 「私は共に戦場に立てる日を楽しみにしていたのですが……。見識深い貴方が、こうして謂れのない意見を浴び続けていることに憤りを感じます」

 

 変な事を言いなさるイケメン殿。

 これが私の全力の結果です。というか、もう限界です。

 

 「確かに、勉強や処世術に関しては私は上手いほうかもしれません。ですが貴方の持っている艦娘、深海棲艦への目は、いつも私を驚かせてくれたではありませんか。私は貴方と共に並んで戦うことを楽しみにしていたのです。闘争の中でも貴方の知恵がいただければと……」

 

 そりゃあ、元ネタ知ってればねぇ……。

 

 私はそんなものよりイケメンさんのコミュ力が欲しいぐらいである。知恵だけあっても、能力無ければ机上の空論でしかない。

 むしろ下手に知っている分胃が痛くなることが多いのだ。知識が精神の負担になるとは、この年まで考えてすらいなかった。艦娘の講義では、毎回吐き気がしていたレベルである。

 

 例えば、あいつら疲労度ガン無視で自転車操業を大和魂で押し進めるのだ。集中力散漫、能力低下は艦娘と提督の問題らしい。なんだそりゃと頭が痛くなった。

 艦娘はブラックと現代の若者に言われそうだが、ところがどっこい言われはしないだろう。何故ならブラックが当たり前で、比較対象としての良い見本が存在しないからである。

 ブラックという言葉が存在しようがない大本営。これには私もニッコリ。

 

 ……人間はどうしようもない時は笑うしか無いのだ。察してもらいたい。

 

 そうした自分への違和感をすぐに察し、類まれなるコミュ力で話(前世の知識)を聞き出していったのがこのイケメンだ。

 私から聞いた話を有効に活用し、戦果を上げているようだが、私は妬むこと無く応援する所存である。

 早く日本と私を救って欲しい。そして軍役から開放して欲しい。戦いが落ち着けば、自分みたいな出来損ないは放流されるだろうからね!

 

 「それとも……失礼を承知でいいます。彼女が原因ですか?」

 

 イケメンの視線が大井に移った。

 大井が睨むようにイケメンを見つめる。

 

 「本来、このようなことは言うべきではありません。しかし今は国家存亡の危機であり、それを変えられるかもしれない貴方が燻っている現状には不満があるのです」

 

 イケメンからの謎の信頼が痛い。お前ホモじゃないよね、ね?

 

 「一つ、提案があります」

 

 意を決したように、イケメンが自分の目を見据えた。

 

 「私の艦娘と、彼女を交換しませんか?」

 

 思いがけない言葉に、身体が凍ったように固まった。大井も同じく、目を見開いてイケメンを見つめていた。

 




ネタバレ、提督がビデオレター送る方、大井が送られる方


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4話

前回、ちょこっと気まぐれで書いた後書きの反応の多さに思わず笑ってしまいました。


 『大井』という艦娘は、優れた艦娘とは言えなかった。中には配属する事に忌避感を覚えるものさえいたのだ。

 しかし彼女を知る提督であればその事について文句は言えず、むしろ忌避感を感じるものにもある程度の理解を示したのである。

 

 これは平時であれば異なっていただろう。

 しかし、そう判断される余裕の無さが、今の人類の有様だったのだ。

 

 軽巡という艦種は、突出した性能を持つ大井の姉である球磨や長良、他の軽巡よりも少ない燃料で運用できる天龍型、多くの艦装を装着できる夕張を除けば、おおよそ同じ性能をしているといってもいい。

 

 故に、その評価を決定付けたのは個々の性格だった。

 

 任務への姿勢、戦い方、協調性、事務の適正など。おおよそ性能上の数値では測ることが出来ない面で、評価が別れていったのだ。

 深海凄艦と戦うだけが艦娘の仕事ではない。例え戦闘が苦手であっても、仲間のメンタルのケアが上手い艦娘がいる。命令を守り、しかし臨機応変に現場に合わせて戦果を上げることができる艦娘もいる。秘書官として優れており、提督の書類仕事を手伝える艦娘もいる。料理や掃除といった面で、鎮守府を支えてくれる艦娘もいるのである。

 

 ただ性能だけで、艦娘を評価するべきではない。総合的な観点から艦娘を見定めることが必要とされた。

 

 その評価の中で、大井は最低と言ってもいい評価を受けている。

 我が強く、任務への不平不満を隠そうともせずにこぼし、姉妹艦以外とは協調性が低い。提督と言い合いになる事も少なくなく、それが提督に好意的な艦娘と衝突する原因となり、艦隊の空気が悪くなってしまった話もある。

 

 勿論、提督に対して不満を隠さない個性をもっている艦娘は多い。

 

 しかしそれは駆逐艦がほとんどであり、どちらかと言えば子供の癇癪に似たようなものであったのだ。容姿が幼い艦娘であっため、提督の側の受け止めも「精神的肉体的に未熟」と軍とはいえ甘めの目線であったことは否めないだろう。

 日本軍人として己の民族に誇りを感じ、大和魂を持った武士であると自負している。小学生ほどの姿の少女を戦わせることに、忌避感と罪悪感、また自分達への情けなさを感じぬものがいるのだろうか。

 

 「彼女達は兵器である、軍人である」と慈しみの念を押し殺して鬼になろうとし、ついには心忘れて非道の鬼の軍人に成り果ててしまう者は少なくない。されどどこかで忘れられぬ、自覚できぬほどに小さくなってしまった情が心の何処かにあり、駆逐艦の暴言の受け止めを僅かながらにでも「あっていい」と認めているのかもしれない。

 一方で大井は軽巡であり、駆逐艦よりも成長した姿であった。本人もその雰囲気もあってか大人びていて、言動も理路整然としている。それによってか駆逐艦と同じ発言であっても、大きな反感を感じさせてしまっていた。多くの提督は、軽巡や大井に軍人として彼らの思う正しい姿を、遠慮を覚えず求めていたのだ。

 

 扱いにくい性格、他と比べても見る点がない性能。

 多くの提督は大井を避け、他の軽巡を優先して配属を希望した。例え建造を行って彼女と対面しても、噂を聞いていた提督が難色を示す事が多く、それが大井を刺激してさらに問題が起こる。そして噂になる。

 

 「貴方の大井も、既に四回も転属が行われています」

 

 え、そうなん?

 後ろを確認すると、大井が目をそらした。一文字に強く閉じられた唇。握られた拳が震えているのが見てとれた。

 

 イケメンが言うには、上も彼女の扱いには難儀していたらしい。

 四度も転属になるような艦娘を受け入れたい人間はおらず、また有事の際に貴重な艦娘を遊ばせておくのも問題となってしまう。

 陸軍あたりに突っ込まれたら、相当ムカつくのだろう。仲がすごく悪いから。

 

 そこで本来新造の艦娘が新人の提督に配属されるべきであったが、私は入学時からして大の問題児であり、問題児には問題児だといって押し付けられたようだ。私の胃を無視すれば、なんて完璧な理論なんだ……!

 

 「……どうして貴方が彼女と関係を続けているのか、その貴方の気持ちを推し量ることはできません。しかし、貴方が彼女に難儀し、戦果や評価を得られていないのは事実で」

 

 「………いや、転属というのをそもそも初めてここで知ったんだけど。そんなことできるの?」

 

 「え」

 

 「え」

 

 イケメンと大井が呆気に取られるように、こちらを見ている。

 すごいな、転属なんてコマンドが艦これに実装されているとは知らなんだ。前世で無かったぞ、そんな機能。

 

 「……本来、建造された艦娘は提督との繋がりが強く、転属される例はあまりありません。しかし提督がその役目を全うできない状態の場合、また特殊な状況下においては、転属が認められているのです」

 

 なにそれ。提督と艦娘って一蓮托生じゃないのかよ。

 それだとどっかの錬金術師漫画みたいに、後ろから撃たれる事故死とかありそうで怖いんだけど。心当たりめっちゃあるんだけど。そんなクロスオーバー嫌なんだけど。もっと夢のあるものとクロスしてよ。

 

 大井っちはそんなことしないよねと視線を向けると、あらゆる負の感情が込められた目で睨まれた。あ、これアカンやつですわ。

 

 「……そうです。艦隊の風紀、指揮系統における混乱、不敬な行動による艦娘同士の不和。それを起こす艦娘は対象となります」

 

 イケメンと大井の視線が衝突する。

 大井は怒りとも哀しみとも言えない目で、イケメンをにらみ続ける。

 

 「随分と、好き勝手言ってくれるじゃない……!」

 

 「事実だ。一人目の提督の下で、同艦隊の北上の轟沈を目撃して以来、君の素行は悪化するばかりで改善が見られないという。姉妹を失う悲しみを私は理解できると決して言えない。それでも行き過ぎた行いは――――」

 

 その瞬間、大井の目が見開かれた。

 口腔から飛び出たのは、少女のものとは思えないほどの大きな怒声。

 

 「何も知らないお前が、北上さんを語るなぁぁぁッ!!」

 

 突然目の前で巻き起こる修羅場に、私の胃は核の炎に包まれた。

 

 おかしい、私は天下のDMMの世界に来たはずのに、全然エロいことが起きない。イチャイチャも起きない。どうしてこんな胃が痛くなるような現場に立っているのだろう。

 艦これって、もうちょっとハートフルな話じゃないっけ?それでちょいエロティックな場面もあるんじゃないのかい?

 

 「ねぇ、僕はいつズボンのチャックを下ろせばいいんだい?」と白目をむいた。

 一方、そんな事を当然知る由もない二人は提督を無視してヒートアップ。歯を噛み砕かんばかりの大井の形相と、冷たいイケメンの相貌が相対し合う。

 

 「無理な出撃の連続で皆も北上さんも限界だった!燃料も、弾も碌にない状態で、何度も何度も防衛に出撃させられ、精神も肉体もボロボロだった!」

 

 「疲労困憊な私達を無茶な命令で酷使し、簡単な治療すらもさせてもらえず、懇願した僅か五分の休みももらえず、満足に戦えない仲間は沈んでいった!北上さんも、私を庇って空爆を受けて沈んでしまった!そんな私にあの男はなんて言ったのか知ってるの!『戦艦と空母に被害が無くて良かった。軽巡であればまた建造できる』っていったのよッ!!ふざけるなァッ!!」

 

 「護国の為ならいくらでも戦った!死んでくれと言われても、それが未来のためなら死んでいけた!でもどうして私達の命が軽んじられなければならないの!戦艦や重巡、空母の為に盾になって沈んで逝っても、言葉一つかけてもらえないのが私達の命なわけ!?性能が突出してないから、建造が簡単に出来るからって、私達はいざというときに使い捨てにされるわけ!?」

 

 「敬礼もなく、言葉もなく、尊厳もなく!あの時に使い潰された北上さんの事を、その恨みを私は忘れない!!あの時沈んだ北上さんは、あの北上さんが無念の中で沈んだ事を私は忘れられない!!忘れてたまるもんですか!!」

 

 捨て艦までやってるのかい。

 資源も碌にない中で、しかも育成された艦娘を使ってまで捨て艦戦法やりだしてんのかい。やっぱりこの国はもうだめかもしれない。

 

 思えばゲーム上ではいくら艦娘を見捨てようが、コーヒー片手に酷使しようが所詮は画面の向こう側。

 例え姉妹の艦娘が一人戦場で沈んだ所で、金剛は提督への愛を叫び、榛名は大丈夫であり、比叡は「ヒェ~」であった。霧島が海底のメガネとなっても、提督以外誰も気にしない。霧島は泣いていい。

 しかし彼女達はシステムでデータなんだから、そうでないとおかしいのだ。ちゃんとデータ通りに戦ってくれなかったらメンテやるだけで終わる話でもある。

 

 が、現実になったらどうだろうか。

 

 金剛は怒りと悲しみに染まる。口から出るのは提督への愛の言葉ではなく、血を吐くような叫びだろう。

 榛名は大丈夫じゃないし、比叡は「あぁァァァァァァァァァッ!」だろう。もうキャラ崩壊不可避である。

 さらには艦娘大不調、キラ付け全部無効化、SAN値減少、不定の狂気。下手すりゃPTSDで、せっかくレベル上げした艦娘がお陀仏に。どんな糞ゲーだ。

 

 ああ、これは酷い。パンツ見たさに「ストライクウィッチーズ」を見ようとしたら、ジブリの「ほたるの墓」が始まってしまったようなものだ。

 ちゃうねん。私は18禁がエッチな方は好きだが、グロだけでなく心に訴えてくるようなものはノーサンキューなのだ。悲惨なのは現実だけで十分だ、いや、ここは現実であった。僕のソウルジェムはまっくろくろすけだ。

 普通だったら面白くなったり改善されたり、艦娘の不調を直すメンテも、この世界では深海棲艦を加えるだけ加えて、運営代わりの大本営も艦娘をむしろに不調にしていく有様。現実で行われるメンテって碌なもんじゃねぇ。

 

 「……聞きましたか?これが今の現状なんですよ。無論そういう提督ばかりではありませんが、決して珍しいことではなくなってきています。それ程に、この国は追い詰められている。私が焦りを覚えるのもそこにあります。もう時間がないにも関わらず、先が見えない無計画な戦闘を行い、人類を追い詰めていく提督のなんと多いことか」

 

 お腹いっぱいです。

 

 「でしょうね……。私は自分が頼ってきた艦娘を貴方に預けてでも、この状況を理解している貴方という味方が欲しいのです」 

 

 苦笑するイケメンに大井が苛立ちを募らせた。あ、こういう場面をアニメで見たことある。爆発十秒前だ。

 

 「そのために、私が邪魔だっていうわけ……?」

 

 「ええ、そうです。貴方の境遇には同情する。今の軍部、提督と作戦の在り方、艦娘の扱いに私も思うところは多い。初期より見通しが甘い計画を立て、利権と戦果に目を眩ませた愚か者の償いを、貴方のような艦娘が背負ってきたのは事実」

 

 しかし、それが人類の未来を陰らせて良い理由にはならない。そう言って怨嗟の籠もった瞳を、正面から見つめ返した。

 

 「私達は未来へ進まなくてはいけない。貴方のような辛い体験をした艦娘は大勢いる。それは『他の大井』も同じです。それでも歯を食いしばり、人と艦娘の未来のために、皆が同胞の死を背負って戦っているのです。私は彼に希望を見た。戦うことすら困難な貴方に縛られていては、彼は蓮の花のように泥の中に埋もれたままだ。その花を泥より出て天に向かって咲かせ、亡き国の英雄方に掲げたいのだ」

 

 大井がイケメンに初めて怯む。それほどまでに苛烈な覚悟の炎が、瞳の奥で轟々と燃えていたのである。

 

 「あなた方が守りたかったものを、我々は守っておりますと。安心して、安らかに眠って欲しいと」

 

 リアルなので、大破で進まなければ轟沈しないというのは有り得ない。一回の戦闘で大破からの轟沈となる艦娘も少なくないのだろう。

 前線において、劣勢の中で成果を上げていく一握りの提督。その一人であり、素晴らしい指揮ができるイケメンとて、艦娘の轟沈を経験しないわけではなかったのかもしれない。

 

 ……やっぱりリアルはクソゲーである。そしてそんなクソゲーやらされそうになっている私はおうち帰りたい。イケメンと大井のにらみ合いで頭痛い。誰か助けてください。あとそんな花に例えないで過大評価で恥ずかしくて死ぬ。

 

 「大井という艦娘が避けられる理由。仲間の死に、特に北上の死に大きく遺恨を残しやすい。仲間への思いが深すぎるのです。この大井は『他の大井』と比べても、特にその傾向が強い」

 

 なにそのうちは一族みたいな話。サスケェ!希望の光がこの世界に足りねぇぞ!

 

 「へぇ、『他の大井』かぁ。私ではない同じ大井ね。ああ、つまりこういうこと。亡くなった北上さんも、他の北上さんがいるから別にいいっていうの?また別の、他の北上さんを造ればいいってこと……?」

 

 美人が怒ると、怖いよね。

 イケメンの知的な冷たい眼差しって、シベリアみたいだね。いや、カチューシャじゃなくてマジのおじさんの方ね。

 

 また白目をむきそうになっていると、肩に何かがいるような感覚を覚えた。

 首を動かすと、小さな小さな妖精さん達の姿があった。

 

 この鎮守府において、数少ない自分へ友好的な存在である。

 試験の時には煩わしく思ってしまったが、このような身になってからは癒やしの存在。可愛らしい風貌と、その動作に思わずお菓子を上げることも多い。

 他の提督は見えないのもいるし、見えても会話などできないらしいが、自分は不思議とそれが出来たのだ。提督とは関わりが薄いと言われているのに、友好を重ねて懐かれてからは、こうして知らぬ間に遊びに来てくることさえあった。

 

 「大井さん、だいげきど?」「イケメンおこらせた?」「なにゆえぞー」「むしろおこらせたい?」「なにゆえー?」「おおいさんにおこられたい」

 

 その言葉にハッとした。

 そう言えば妙な話である。あの自分のような人間も認めさせる性格イケメンが、人間の機微をあそこまで読めないものだろうか。相手を置き去りにして、一方的に否定を重ねるだろうか。

 

 「大井さんぶちぎれふんかさんびょうまえ」「にげるです?」「いけめんなぐられる?」「なぐられてもいけめん?」「わたしもなぐられたい」

 

 ……もしかして、あれって敢えて殴られようとしているのか。

 

 「おおー、なるほどなるほど」「そうですかー」「きもちはわかる」

 

 ふと視界を広げて目を向けると、奥の廊下の影にイケメンの艦娘がいた。

 

 何かあったら大井を取り押さえるつもりなのだろうが、普通であれば何か起こる前に間に入るべきなのだ。

 殴られたいってなんだ、何をイケメンは期待しているのだ。殴られたらどうなる。人の守護者と言われた艦娘が人に身体的な害を与えたとあっては、民衆の抑えられていた不安は大爆発だろう。いや、それ以前にそもそも上官を軍部のど真ん中で殴る時点で大問題だ。

 

 大井は既に転属が幾度となく行われた問題艦。

 元々無理に押し付けた存在であり、仮に何かあっても私の責任不足とするには難しい。大井の責任となる。

 

 言っていて悲しくなるが、評価が最低な自分以下の転属先が他にあるだろうか。

 有能として軍の希望となっている他の提督を突然殴るような、とても制御できない艦娘の存在は許されるのだろうか。

 そこに理由はあっても、真実はいくらでも隠せるだろう。問題児の言葉と信用を積み重ねたイケメンの言葉、どちらを信じるのだろうか?

 

 ……あれー?これってもしかして、大井は大本営の闇に消える感じ?

 そしてイケメンの望む展開、自分が戦場で戦う未来に向かっちゃう感じ?

 

 汗をダラダラ流しながら、イケメンを見る。目があった。

 

 『私は、貴方を解き放つ!未来の為に!』

 

 とか絶対言っているような漢と書かれる戦士の目だった。すげぇ、マンガみたいになんか解ったぞ。でも、解りたくなかったぞ。

 

 慌てて大井に抱きついて止める。

 大井が唖然とした後に、罵り声上げてすぐに突き放そうとするが、必死の思いで大井に抱きつき続ける。

 叩かれたりしていたいが、内心ではそれどころではなかった。

 

 イケメンも本来はそんな酷いやつではない。心を傷つけ、一人の少女を切り捨てる男ではないことは知っている。しかし時代がイケメンを鬼に変えているのだ。時代が一人の人間を鬼に変えることを求めたのだ。

 

 実際、もしイケメンの言うとおりに自分が有能であり、ヤン・ウェンリーみたいであったならどうなのか。

 そのヤンが一人の問題児に縛られて同盟が負けそうだ。問題児が生きている限りどうしようもなく、時間もない。同盟を勝たせたい人間はヤンを解き放つために非情の選択を思い浮かび、考えるのではないだろうか。

 

 イケメンはイケメンであり、自分の情よりも他の人の命を取れる男であった。自分が悪者になれる男であった。幾多の英雄がしてきたことをしようとしただけなのだ。

 が、それをされたら自分が困る。そんなん重い希望を背負いたくないし、そもそも自分はヤンではないから彼の望むような未来は無い。むしろそのままイケメンが中心になって頑張らないと不味いレベル。どうか一人で人類の未来を背負ってください。俺は嫌ですできません。

 

 それにある程度、この問題児の大井だからこそ、今の自分の立場はお目こぼしをもらっているところもあるのだ。

 もし普通の艦娘が充てられてしまったら、いくらダメ提督でも戦場にもっと真面目に出なくてはいけないし、逼迫した状況では猫の手も借りたいとばかりに求められる任務も増えていく。

 出来なかったら出来るまでやらされて精神追い込まれ、廃人として終わるか、社畜みたいに言いなり人形になるに違いない。もうバッドエンドしか無いだろう。

 

 騒ぎを聞きつけて憲兵がやってくるまで私は耐えて大勝利。イケメンは「どうして……」みたいな顔をしていたが、まぁ頑張れ。

 それにしても顔は腫れたが、ちょっと胸に触れていたのは内緒の話である。……いや、柔らかいし、そういうのに詳しくはないが形が良かった気がする。思えば初めてDMMっぽさを味わったかもしれない。こんなんならもう二度と味わいたくないが。

 

 結局この件は、自分の監督責任の問題になった。

 

 イケメンは自分の責任であると主張したが、それはイケメンが庇っていると周囲は考える。

 実際、怒りが羞恥に変わって赤面になっている大井と、ビンタをいくらされても抱き占め続ける自分の姿は阿呆そのもの。娯楽がない軍でのくだらない破廉恥な馬鹿騒ぎに、表では囃し立てられないが、影で笑って吹き出していた提督や憲兵もいる始末。

 こんな痴話喧嘩みたいに成り始めた原因が例え本当にイケメンにあっても、そんな責任を認めるわけに軍はいかないのだ。イケメンはキレイな経歴を維持し、いざという時の広告塔にと考えているだろうからな。

 

 大井と二人仲良く懲罰房にぶちこまれる。部屋は隣り合わせだ。

 

 本来、こんな緊急時に提督と艦娘を房にぶちこむなんてありえない話なのだが、私は無能以下のゴミムシの評価を頂いたので、問題はあるが問題はない。

 入れられる際に憲兵に「面白かったですよ」と親指立てられたが、私は顔面アンパンマンになっているので憲兵の顔がよく見えなかった。前が見えねぇ。

 

 「騒ぎが大きくなってしまったので、数日はここで寝泊まりだろうなぁ」とぼぅっと冷たい石壁に寄りかかっていると。

 自分のちょうど後ろから声が聞こえた。大井だ。彼女も自分と同じように、壁を背にして座っているのかもしれない。

 

 「……泥、泥ね。どうせ私は邪魔で、居ないほうがよくて、役に立たないわよ」

 

 「え、何で?」

 

 スゴイ舌打ち飛ばされた。泣きたい。

 

 役に立たないのは、大井ではなく提督である私である。それをどうして彼女が責任を感じる必要があるのだろうか。

 戦闘も見ていて碌に指示も出せんし、大井の心の機微もほれこの通り。さっぱり分かりやしない。かといって艦娘は兵器だと非情になれず、割り切れもしない。

 

 それにあの平和な日本を生きた自分から見たら、この現状は地獄そのもの。

 みんなおかしい。大井みたいになるのが普通の話だ。そんな酷いトラウマがあり、病院で療養が必要な精神状態でも、自分に従って戦ってくれる。飯を食わしてくれているので有り難い話だ。

 

 「……何、言っているの」

 

 別に嫌味じゃない。本心だ。

 人間、諦めたり、挫折したり、立ち止まったりするのが普通だろう。豊かな世界であっても、精神科が大繁盛なんだ。それを知っている自分からすれば、みんな大井に求めすぎてるし、焦らせすぎている。

 

 ゆとりの何が悪い。ゆとり万歳、ニート最高。

 

 「……下手な、同情はいらないわ。分かってるわよ、私が処分される寸前だったってことぐらい。いつも私に何を言われても、不満や愚痴一つ言わなかった貴方が、叩かれることを厭わず止めてくれたことぐらい、分かっている」

 

 「それ、不満や愚痴を言える相手いないだけだよ」と言わないぐらいの空気は読めた。

 そしてどんな言葉を言ったら良いのか解らないので、何か言うのを諦めた。……ラノベの主人公、こういう状況でバンバンあんなこと言っていたのか。すげぇ、ネタにされることもあるが、なんか尊敬の念が湧いてきた。ヒロインを助けるのもいいが、今の自分も助けてもらいたいな。

 

 「……でも、私は、もう嫌なのよ。死にたいのよ。無能な奴に回されると聞いて、ようやく戦場に北上さんみたいに放り出されると思った。無意味に、無価値に、ようやく死ねると思った」

 

 軍部ぇ……。ネットが出来たら守秘義務を無視していろいろぶっちゃけてやろうか。いや、デミ様もいるのか。やっぱり怖いので止めておこう。

 

 「北上さん、北上……さんッ!」

 

 泣き出す大井っち。

 心療内科は、臨床心理士はどこだろうか。もう私も一緒に見てもらいたい……。

 

 「あ、え、うん……」

 

 「……」

 

 「……」

 

 「……」

 

 「……」

 

 何か言おうとしたが、無言になってしまった。大井も何故か慟哭を止めて無言タイム。

 

 ……言葉がでねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。

 

 無理無理、こんなん無理。俺は某シモネタがキツイ侍マンガの主人公じゃないの。普段だらけてるけど、しめるところはしめられる人間じゃないの。だらけてて、しめられないガチの方なの。GHQで政策で、侍魂とっくに無くなってる時代に生きてたの。

 格好いいこと思い浮かぶ信念なんてないから!艦これやってて、ガチで世界救おうとか一度も思わなかったから!もっと可愛い女の子欲しいとか、大学めっちゃ時間余るし暇つぶししたいとか、そんな不埒な理由だったから!てか、それが当たり前だったから!

 

 「……自分は、大井が必要だ。他でもない、大井だからこうして、こんな自分でも提督やれている。大井は死にたいかもしれないけど、俺は死にたくない」

 

 「俺は、自分が死にたくないから、大井を沈ませない」

 

 「だから、そんな身勝手な俺を、これからも不満ぶち撒けて、怒って、馬鹿にして、全部ぶつけていいから。……いろいろと」

 

 今の自分の仕事なんて、給料もらってやってることってそれぐらいなものである。こんな少ない給料で命を賭けたくない、自分の時間を大切にしたい現代魂。

 真っ白な頭で出たのがこんな答えなのだから、これは死んだなと確信した。胃を含めた二重の意味で。

 

 ところが、いつまで待っても大井の罵声の言葉は聞こえてこなかった。変わらず無言のまま。自分は気の利いたこと言えないので、ずっと無言の空気のまま。

 壁を隔てているので、大井がどんな怒りの形相を浮かべているのかもわからない。気まずい、ものすごく気まずい。余計なことを言わずにずっと黙っていればよかった。

 

 結局、それから大井と会話することはなかった。そのまま数日の時が過ぎ、この懲罰房での最終日を迎える。

 

 「……行きますよ、提督」

 

 「……は、はい」

 

 出ていく自分達を何故か物知り顔で笑う憲兵。いつまで誤解してるんだこいつはと思うが、それを言えるだけの気力がない。ガタイがいい軍人に言える度胸もない。

 あれからずっと無言であった。もう静かすぎて静かすぎて、むしろ罵倒して欲しかったぐらいであった。気疲れ半端ない。でも有給取れない、緊急時の軍人にそんなものはない。艦娘だけでなくて提督にもブラックな鎮守府だ。平等だな、世の平等主義者はみんな滅びればいい。

 

 そんな事を考えていたので私は気づかなかった。この最初の会話で、初めて『提督』と大井に自分が呼ばれていたことに。

 




密閉された空間。隣には関係を築いていた異性。そして憲兵。

提督が守ろうとする方。
大井が守られる方。

追記:感想にて

>イケメンと大井さんが主人公を取り合うということか
 つまり純愛だな(錯乱

>これはむしろ
 イケメン提督「信じて送り出した同僚提督が毒舌艦娘の変態調教にドハマリして腫れ顔を鎮守府中に見せつけてきた」
 ではないだろうか

センスで負けたと思いました(小並感


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5話

自分、遅筆なもので感想を返すのにも時間がかかってしまいます。
流石に疲れてモチベが消えてしまうので、申し訳ないですが次話ができた時に感想返していきたいと考えています。よろしくお願いします。
真面目だったりユニークだったり感想を沢山もらえて嬉しいです。誤字も皆さん御報告ありがとうございました。


 最近、大井がおかしい。

 

 戦うことに関してこれまで一度も話し合ったことも無ければ、意見を求められることも無かった。

 

 勿論、最初の頃はそうしなければいけないと思いをもっていたので、コミュニケーションの為にも作戦の話し合いを話題に出したり、ほのめかしたりしたことはある。

 

 しかし、例外なく舌打ちされるし、必ず睨まれることで断念せざるをえなかったのだ。美人に睨まれてご褒美と言える奴を初めて尊敬したかもしれない。あんなん無理やん、どんだけメンタル強いねん。

 

 そこで勇気をもってやろうと言える度胸はない。仮にあったとしても、それ以降のコミュニケーションが上手くとれる自信が無い。

 そんなダメダメな私は、もうがんばらなくていいのではないかと思っていた。大井も特に私を必要としていないので、残念ながら今日も一日中本でも読んでようとかいつも考えていた。いやぁ、残念残念。

 

 こんな日常を送っていたものだから、周囲からの評価はお察しレベル。実際そんなレベルだから問題は無い。

 以前、イケメンのところの吹雪ちゃんと話したときに、「作戦会議しないんですか!?え、その前にまず大井さん出撃中ですよね!?指揮は大丈夫ですか!?」と言われたことを覚えている。

 

 何を聞いたり述べたりしても無視されたり、怒鳴られたり、舌打ちされるのが作戦会議や軍議と呼ばれるものであれば、これまで一応やってきました。そう答えたときの吹雪ちゃんの頬は引き攣っていた。

 指揮しようとしても、「気が散るから口を出さないでください」って言われるんだ。そう伝えたところ頭を抱えていた。

 話せば話すほどに吹雪ちゃんの目が死んだ魚の目に変わっていったので、それ以降は話すことがなかったのだが……。

 

 思えばそれがイケメンに伝わってあんな事態になったのかもしれない。しかし私は別にそのままで良かったのである。

 命を賭ける作戦会議で意見をまとめたりする経験なんて碌にないし、度胸もない。経験を積んでいけるような状態でもない。指揮で他人の命を抱える覚悟も決めていない。そんなストレス耐性は私にない。

 

 つまり、頑張ると死にます。確実に心と体が死にます。

 時代は楽して神様等から能力ゲットのチート系主人公。苦労して悲劇を幾多も乗り越えて能力を獲得するなんてのは、ちと重い話の部類に入るようになってしまったこのご時世。

 

 神様に出会っておらず、ヒロインもおらず、イケメンでもない自分は頑張りたくない。

 毎日吐くまで走らされる軍隊ブートキャンプにより、僅かにあった冒険心は胃液と共にトイレに流れ尽くした。毎日マーライオンの日々だった。もう嫌になったので、あとはイケメンに頑張ってもらって私はのんびり生きたい。

 

 他の提督が艦娘と日常の中で絆を育んでいる時に、私は部屋のベッドで本を一人で読んでいた。最近はくらむぼんを読んだ。

 他の提督が指揮で艦娘の命を預かっているときに、私は「お前みたいな奴は食堂のテーブルを拭いていろ」と言われておばちゃんと一緒にテーブルを拭いていた。おばちゃんにごはんをおまけしてもらえるようになった。

 他の提督が夜に一人で泣いている艦娘とロマンスを繰り広げているときに、私は夜のオカズを探して手に入れようと四苦八苦していた。憲兵さん、ありがとうございます。

 

 そんな日々のほんの少しの幸せで大満足。

 

 名誉も戦果も誰からも必要とされないし、提督であることも求められない。最低限の給料をやりくりして趣向品を楽しみながら、いつか終わる戦争、いつか終わる世界を待っている。そんな位置での気楽な日常が、私のメンタルには合っていたのである。上昇志向とか持つわけない。定時帰宅バンザイ、飲み会付き合いノーサンキューの精神である。

 

 しかし、この平穏な日常が壊れ始めたのだ。

 

 先日。出撃の後に帰ってきた大井に、しっかり指揮ぐらいしなさいよと怒られたのだ。これまでそんなことは無かったのに、理不尽極まりないと思った。思っただけである。頬真っ赤にしたブチギレ大井にそんなこと言える度胸はない。

 

 おかげで指揮なんてことをすることになってしまった。

 あれだけ嫌がっていたのに、なんで突然そんなことを言い出したのだ。気分は子供が変な言葉を覚えて帰ってきてしまったお母さんのそれだ。どこで「指揮」なんて悪い言葉を覚えたのだ。私は悲しい。

 吹雪ちゃんにそれを言ったら「ええー、提督……なんですよね?ああ、事態が前進してるのか、後退してるのか。もう、私わかりません」と頭抱えていた。吹雪ちゃんもいろいろ大変なようだ。

 

 

 そんな大井と明日の演習について話し合うことになった。

 

 今の軽巡の火力で重巡以上に被害を与えるのは難しい。かといって魚雷を撃とうにも、大井一人なので攻撃が集中する為に狙いがつけづらい。

 これは無理ゲーである。演習デイリーごちそうさま案件だな。勿論私達はいただかれる方。……別に卑猥な意味はない。

 

 私としてはどうせ負けるのだから、早く寝ようと提案したいのだが、大井の目が怖いので言えなかった。吹雪ちゃん助けてくれ。

 

 「舐められっぱなしは好きじゃないのよ。何か、いい案はないかしら……」

 

 もう舐められすぎてヨダレまみれな自分達が許せないらしい。私は生きるためなら喜んで靴を舐めるし、舐められる覚悟が完了しているのに、どうして貴方も悔しい思いをしているのよねと視線を向けられるのか。これがわからない。

 

 大井が自分で淹れたお茶を飲む。

 自分もお茶を淹れに行こうと立ち上がると、何故か大井に睨まれた。

 

 「あなたのお茶はそこにあるじゃない」

 

 自分の目の前に置かれていた湯飲みを見つめる。

 ……え、これ俺のだったの?

 

 寸前まで出かかった言葉を呑み込み、何事も無かったように座り直した。よくぞ耐えた自分、てかこれ自分のなのか。初めてお茶を艦娘に注がれたぞ。

 自分にはありえないだろうシチュエーションに思考が働かない。割と真剣に大井が二杯飲むと思ってた。

 

 「……」

 

 「……」

 

 「……」

 

 「…お茶、冷めるわよ」

 

 もしかして、盛られた?

 

 いやいや、なんでそんなにじっと見てくるのだろうか。なんで急に御茶出しを私の分までやってくれているのだろうか。なんで飲むように強く勧めてくるのだろうか。怖い、なんか怖い。

 

 これが吹雪ちゃんといった、親しみが感じられる艦娘であるならまだ話は分かる。

 しかしあの大井だぞ。おはようと挨拶したら、犬のフンを見るような目で見てきたあの大井だぞ。まだ豚のように見てくるリサリサ先生の方が有情だ。家畜と排泄物では天と地ほども差があると思うのだ。

 

 最近は嫌そうに挨拶を返してくれるようにはなっているが、それでもどういう気持ちの変化でお茶を淹れるようになったのか。全く解らなくて怖い。普通に怖い。

 

 混乱の極みの中、一筋の雷鳴が脳内に落ちた。

 

 ……そう言えば、OLが嫌いな部長に絞った雑巾の汁で御茶を出すことがあるらしい。

 

 艦娘だって人間と同じようにストレスがたまり、トラウマを抱える。つまり人間と同じように、ストレスが溜まってしまえばキライなやつには雑巾で御茶を淹れてもおかしくないだろう。

 もしくは、嫌いな上司の湯呑みを雑巾で拭くこともあるらしい。女性はバリエーションを求めるというが、雑巾茶にバリエーションを求めないでもらいたい。怖いから。

 

 これは、例のお茶なのだろうか。

 恐る恐る大井を見ると、眉を顰めてこちらを見ていた。選択肢は無いらしい。神よ、私が何をした。

 

 観念して口をつける。……お茶だ。

 ダメだ、雑巾のお茶を飲んだことがないからよくわからない。これが本当にタダのお茶なのか、それとも雑巾茶なのか。

 

 「それで、どうすればいいのでしょうか。六対一という数の差がある以上、勝てない事は百も承知の上です。それでも、あの舐め腐った空気を壊してやるくらいは……」

 

 自分の葛藤を察することなく会話を続ける大井に訳知り顔で頷くが、実際はこれっぽっちも何も考えていない。

 

 これまで一度も指揮したこともなければ、艦娘の戦い方や動き方を少しも理解していない自分に、そんな事を求められても答えようがないのだ。

 よくこういう場面で素晴らしい作戦を思いつくのはお馴染みの展開だが、自分が知ってるのってお祈りゲーな艦これでしかないんだよね。

 

 そんな自分にアドバイス求められても、育成して、装備整えて、キラ付けして、神仏に「祈れ」ぐらいしか言えないのである。

 ああ、例の夏イベの時は下手な宗教者よりも祈ってた自信があるぞ。減る資源に、魔法の呪文シャッシャッシャッドーン。回復するゲージに精神をすり減らし、目の裏に今でも思い出す夜戦マスの悲劇は、私の胸の中にいつまでも残り続けている。

 

 ただ散々祈って北上さんを沈められている大井に、祈れなんて言えるはずないわけで。

 もしそんなことをいったら、スクールデイズ最終回か、ハガレンの「事故だよ、事故」という夢も希望もないクロスオーバーが成立してしまうだろう。どうすればいいのだろうか、助けてくれ。

 

 ……いや、待つんだ。

 一つだけ、一つだけ大井に自信を持って勧められる作戦がある。

 

 「……なにか、あるんですか」

 

 ああ、俺のできる最善の策。それは……。

 

 「それは……?」

 

 間宮の羊羹を、腹一杯大井に食べさせてあげることだ!!

 

 「……真面目に考えてくれませんか?」

 

 すごい、冷たい目で見られた。犬のフン以下を見る目だった。

 

 ちゃうねん、本気だったんですよ。どうせ何もできないからせめてね、キラ付けをね。うん、そんな概念はこの世界では発見されてないよね。知ってる。

 

 あれ?これ傍目から見ると自分相当変な事言ってた?

 

 「私が太れば、勝てると……?」

 

 そういう意味ではないけれど、そうとしか聞こえない不思議。

 

 思えばイベント後のうちの艦娘は、全員ダイエットしていたかもしれない。命懸けの戦場へ、毎回羊羹を腹に詰めさせられる艦娘の気持ちを考えたことがあるだろうか。私は無かった。無心で食わせてた。あいつらに出会ったら、自分は海に沈められるかもしれない。怖い。

 

 呆れ顔でこちらを見る大井。

 

 「せめて、魚雷が当てることができれば……」

 

 もういっそ、手に持ってぶつけてみるのはどうだろうか。そんな身も蓋もない事を言うと、大井がいよいよ馬鹿を見るような目で見てきた。ごめんなさい、馬鹿です。

 

 結局そのままグダグダで話し合いは終わってしまった。何も解決していない。

 一つだけこの作戦会議で分かつたことがあるとすれば、自分は提督に向いてないことだろうか。悲しいような嬉しいような。

  

 その日の夜に、一応間宮の羊羹を差し入れた。

 提督に向いていようが向いてなかろうが、言ったことに責任ぐらいは持つことはできる。馬鹿なのはいいとしても、誠意を忘れたら救いようがないではないか。流石にそれは心が痛い。

 

 まさか本当に持ってくるとはと目を見開いて驚かれた。

 明日も持ってくると伝えると、「本気ですか」とじっと見つめられた。見つめ返し、「ああ本気だとも」と返すと「……そうですか」といって大井は目を閉じた。もしかして、羊羹嫌いだったのだろうか。

 その時は大井の真意も、その覚悟も解らなかった私は、財布が軽くなるなとしか考えていなかったのだ。

 

 そしてこの出来事が後に悲劇に繋がるとは、思ってもみなかった。

 

 翌日の演習。

 大井が相手艦隊の扶桑に対して、手に持った魚雷を着弾させた。姉の名前を絶叫する山城の声が、海に鳴り響く。唖然とする相手艦隊とその提督、そしてワケワカメ状態な自分。お前、なにやってんの。

 

 「不幸だわ……」と呟いて倒れる扶桑に、息を乱しながら目を怒らせて仁王立ちする大井。

 至近距離で魚雷なんてものを爆発させたのだから、既に大井も満身創痍で服はボロボロ。しかし大井の目は爛々と輝いていた。

 

 目を鬼のように光らせて、大井は海上を走り出す。手には魚雷を抱えて、目指すは扶桑の姉妹艦である山城。

 

 あまりの光景に動揺する山城が悲鳴をあげて砲塔を大井に向けるも、そんな精神状態でしっかりと定まるはずがない。放たれた砲弾は大井の横を通り過ぎた。他の艦娘も混乱に陥っていて、カバーに回るのには既に遅すぎる。……つまりそれは山城の行く末を決定づけるわけで。

 

 振り上げられる魚雷、涙目の山城、口を開いて固まる提督と艦娘達、そして大井のサディスティックな笑み。海上に轟く爆音と爆煙。

 

 大井は自分もろとも山城を大破判定に持ち込んだのだった。

 

 ……どうしてこうなった。

 

 演習後に取調室に押し込まれた自分。そして何故かいい笑顔で表れたデミ様。

 一通りの経緯を説明すると、あのデミ様が声を出して笑っていた。笑い方から微妙にラスボス臭がするあたり、さすがデミ様である。

 

 本来であれば、艦娘があんなことできるわけがないらしい。精神的な拒絶反応が出るからだそうだ。

 

 そうあるべしと定められて産まれた艦娘が、その概念を無視することはできない。装備品だって艦種以外のモノを装備できない。変な使い方を試みると、妖精も協力してはくれないそうだ。

 例えば、戦艦の装備を駆逐艦が装備できないように。……大戦艦清霜は誕生しない定めらしい。清霜涙目。

 

 ちなみに天龍の持つ近接武器も、同じ軽巡であるのにも関わらず球磨は扱えない。扱おうとしても、体が拒絶して練習すらできないらしい。

 そんなものだから誰もパイル魚雷なんて考えなかったし、たとえ考えてもやろうとすらしなかっただろうと彼は言う。

 

 しかし、うちの大井はそれをやってのけた。故に上は大騒ぎらしい。

 なるほど。確かに責任はとっても良いと言いましたが、それは間宮の羊羹のつもりであって、お財布のつもりであって、パイル魚雷のつもりはなかったんです。

 だから助けてくださいと手のひらコークスクリューでお願いすると、「手回しは済ませたので大丈夫ですよ」とデミ様は告げた。今度から神様仏様の後はデミ様である。

 

 「必要に応じた変化は、人間という種の歴史が証明しています」

 

 四度も提督を変える中で精神を病み、過酷な戦場を渡り歩いて生き延びてしまい、味方である鎮守府においても何百回と演習という名の下に理不尽な状況で戦わされ、ありとあらゆる苦渋を味わい尽くした。負け続け、追い詰められ、馬鹿にされ続け、解体もやむ無しと言われた先の出会い。その出会いが彼女の何かを変えたのだろうとデミ様は言う。

 

 頭がこんがらがってきた。ようするに大井っちパネェということなのだろう。

 

 デミ様は更に言葉を綴る。

 大井がやった事は異常極まりない事態であるために、聞き取り調査が行われたのだが、その担当がデミ様であったようだ。

 

 「私は尋ねました。嫌ではなかったのかな、体がそれを拒んだのではないのかいと。すると貴方の大井はとても興味深い事を言ったのですよ?」

 

 嫌だった。吐き気がした。体が震えて、視界が揺れた。

 

 それでも私が勝つためにこれが必要であると思い、思いこんだ。

 恩知らずのまま、北上さんのところにいくわけにはいかない。そう思い続け、気がついたら震えは無くなっていた。いつの間にか魚雷に座っていた妖精さんが、仕方がないと楽しそうに笑っていたのだと。

 

 「彼女は己の種という枠口を超える程に、誰に対してそんなに勝利を捧げたかったんでしょうね……?」

 

 今後も期待してますよ、と扉を出て行くデミ様を呆然と見送る。

 

 ……え?うちの大井っちって、そんな殊勝なキャラだっけ?それは本当に私の大井っちなのだろうか?

 

 頭を捻りながら取調室から出ると、腕を組んで壁を背にもたれかかっている大井の姿が目に入った。

 

 いつもどおりのしかめっ面。への字に結ばれた口に、ジトっとした目。間違いなく、うちの大井である。

 

 「……」

 

 「……」

 

 「……」

 

 「……なんですか、提督」

 

 「……いや、あの」

 

 「……はい?」

 

 「……なんでも、ないです」

 

 「……チッ」

 

 以前と変わらぬ雰囲気の悪さ。怖い。やっぱり気のせいだな。

 

 ホッとして大井を連れ添いながら二人で歩き始める。

 取り調べがしつこいだの、取り調べ担当の軍人の笑みが胡散臭いだの、しっかりと指揮がなされてればもう一人はいけただの。

 そんな話を聞き流しながら、部屋に戻った。

 

 演習の話を聞いたイケメンがめっちゃいい顔しながらやってきて、鬼のような顔の大井が睨み合いにもちこんだ。胃が痛い、やっぱりおうちに帰りたい。




次回より【イベント:敵泊地に突入せよ!!】――――開始






……できたら、いいなぁ

※次話出来ました。感想返し終わったら投稿予定。
 話を次へ繋ぐ為の話なので、幕間扱いとなります。


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幕間

本編には及ばないけれど、次に繋がるから幕間扱いです。
主人公で書き辛くなったら、他のキャラに喋らせればいいじゃないと『月間少女野崎くん』にもある。頑張る。


 それは怒りの発露であったのかもしれない。

 

 「コイツッ!?止まらな───」

 

 身体と心が覚えている。

 

 人は痛みを忘れない。肉体的・精神的な痛みに対抗する為に、人は常にそれに順応してきた。

 痛みに「慣れる」、痛みの原因を「探る」、痛みを「負わないようにする」。

 進化として様々に枝分かれする道はあれど、その全ては命が途切れないようにするための生命の営みであった。

 

 「ちょッ!?なんでこの砲撃が躱せるの───」

 

 それに順応できない生命は壊れてしまう。

 それに耐えられない精神は壊れてしまう。

 本来、大井という存在はとっくに壊れてしかるべき艦娘だった。

 

 それがなんの食い違いか生き残ってしまった。さらには死ぬ事ができない演習という戦場に身を置き続けることになってしまった。

 敵意のある視線を受け、砲撃を、空爆を、魚雷を、たった一人で受け続けてきた。

 仲間などいない。庇ってくれる仲間もいなければ、意思をついで戦ってくれる仲間もいなかった。自分の負けが、そのまま戦いの終わりであった。

 

 「この、弾幕を抜けてくるだと……ッ!?なんて───」

 

 彼女が様々な思いを分け合える同胞も、真の意味ではいなかった。提督は指揮する立場であり、見守る立場でしかなく、戦場に共に立つことはできない。それ故に戦場に共に肩を並べて立つ仲間はおらず、常に大井は一人で戦ってきた。

 

 負けた責任を分かちあえたら、どれだけ気が楽だっただろうか。

 負けた苦しさを分かちあえたら、どれだけ気が楽だっただろうか。

 負けた悔しさを分かちあえたら、どれだけ気が楽だっただろうか。

 負けた後悔を分かちあえたら、どれだけ気が楽だっただろうか。

 

 全ての想いを戦場の中で一人で抱え込んできた。

 しかし抱え込む戦いの中で勝利は決して手に入らない。

 六人に対して大井は一人だけ。実力があろうとも、軽巡の火力の限界、そして数と連携によってそれは無意味に終わってしまった。

 

 常に敗北の苦味を味わい、常に敗者の視線にさらされる日々。積み上がる敗北。積み上がる怒り。積み上がる情けなさ。

 大井は本来負けず嫌いであり、例え負けても同情の視線など向けられたくなかった。死を望みつつも勝利を掴みたいという自分の心と、艦娘としての本能の叫び。その狭間で大井は常にもがき苦しみ続けた。

 

 そして────彼女はついにはじけた。

 

 

 

 目の前から迫る魚雷に、伊勢の顔が焦燥に歪む。

 轟く爆音。海上に倒れる人影を置き去りに、粉塵から大井が飛び出していく。硝煙の匂いをそのままに、大井が気勢を上げて目指すのは日向。目を爛々と輝かせながら、口腔より恐ろしい怒声を放って次なる魚雷を抱え込む。

 

 軽巡、重巡がそうはさせじと砲撃を始める。

 だがしかし、大井はそれを掻い潜るように海上を走った。

 無論、被弾がゼロで済むものではない。相手も必死であり、数で勝る艦娘達より放たれた砲弾は大井に着弾している。

 

 それでも、大井は止まらないのだ。

 

 「ーーーーッ!!!」

 

 声無き叫びを上げて、大井は海上を駆け抜けた。

 至近距離を砲弾が掠め、海上に着弾した後に発生した海飛沫のヴェールを突き破った。

 

 恐らく、大井ほどこの過酷な環境で孤独に戦ってきた艦娘はいない。

 恐らく、大井ほどこの過酷な環境で被弾してきた艦娘はいない。

 恐らく、大井ほどこの過酷な環境で統率された数に押し潰されてきた艦娘はいない。

 それは確かな経験となり、勘となり、大井を今この戦場に戦士として生かしていた。

 

 敵の砲塔、顔と目線、口より他の艦娘に飛んだ言葉、他の艦娘の配置、装填時間、砲弾の数、相対する艦娘の性格と戦闘傾向という心理学的な分析、これまでの戦いの知識とそれにより磨かれた気配と予感の察知。あらゆる要素を絡み合わせ、自分が求める可能性を追求し、有利な戦闘へと戦いを運んでいこうと足掻き続ける。

 

 躱せない。ならば軽巡の砲弾は受けるべきだ。被弾位置は……いける。

 

 痛みは身体の動きを鈍らせる。痛みは身体の感覚を鈍らせる。痛みは頭の働きを鈍らせる。

 

 ───しかし、もう慣れた。

 

 「そんな!?被弾してるのに、どうして止まらないの!?」

 

 痛みは心を弱らせる。痛みは決意を揺らがせる。痛みは諦めを抱かせる。

 

 ───そんなものに、この胸の想いは惑わされない。

 

 大事な事は飛ぶことだ。自分を信じ、提督を信じて飛ぶこと。ただ、それだけでいい。

 余計な疑念や戸惑いは、全てに邪魔になる。───躊躇ってはいけないッ!!

 

 「いいから撃ち続けなさい!!このままじゃッ!?」

 

 大井は戦艦の砲撃をギリギリで躱した。運命を分ける瞬間、勝ったのは大井であった。

 ほんの少しの気の迷い、判断と反応の遅れがあれば終わっていただろう。

 

 達観した様子の日向に対して、大井は悪鬼羅刹の如き表情そのままに魚雷を掴み掲げた。

 それを見上げた日向は一瞬目を見開いた後、迫り来る魚雷を見て静かに微笑んだ。

 

 「……ふむ。やはり瑞雲が足りなかったな」

 

 どこか満足げな日向に着弾。

 大破判定に追い込んで日向を戦線離脱させるも、満身創痍な大井は他の艦娘達によってなすすべもなく大破判定となった。

 

 この演習を見ていた大半の提督、それに随伴する艦娘の姿は多かった。

 娯楽も少なく、悪い話と噂ばかりが聞こえてくる世界。そんな中で突拍子もない事をやりだしたという面白い艦娘の噂は、多くの人間の興味をひきつけていたのだろう。

 どんな艦娘なのか、どんな戦いなのか。ひと目見てみようと大井の演習の日にはよく人が集まっていた。

 

 そして、その凄まじい光景に全員が言葉を失くしていた。

 ただの巡洋艦一隻が艦隊の前線を突破し、空母や戦艦を道連れにしていく。それがどれだけ無謀な行動であるのか、理解ができないものであるのか。ここに集まった者は提督艦娘を問わずにそれをよく知っていた。

 もし相手が多数の空母を中心に艦隊を編成すれば、大井は為す術もなく敗北している。アウトレンジから行われる開幕の大規模航空攻撃の前には、あの戦い方はまるで意味をなさない。大井の攻撃が届く前に、彼女は大破判定を受けるだろう。

 

 しかし、空母を多数編成できない提督にとっては、あの行動は悪夢に等しいものであった。

 

 砲弾の雨をかい潜り、駆逐や軽巡に見向きもせずに大物である大型軍艦へ襲いかかる。まるで夢を見ているかのような光景だ。異常な回避能力と戦闘継続能力、咄嗟の判断能力がどのように絡み合ってかあの戦果を生み出している。

 どう戦うべきかなのだろうか、あわよくば自分の艦隊にも戦い方を取り入れることは出来ないだろうかと考えていた提督達は、皆一様に首を横に振ったのであった。あれは大井でしかできないことであり、また対策も取りようがないと分かったからである。

 

 勿論、数の有利で最後には自分の艦隊が勝つ事ができる。あんな戦い方で沈められるのは一艦から三艦までが限界だろう。

 結局のところ、あの大井との戦いは戦果を上げるボーナスステージであることに変わりはない。勝率を上げることが可能なラッキーゲームのままだ。

 

 ただし、隣に立っている秘書艦の艦娘の顔が青ざめているのを見れば、そんな事を簡単に言えるはずがなく……。

 これからの勝利が随分と苦いものになってしまったと、提督たちは頭を痛めたのであった。

 

 そんなドンヨリとした空気の中、一人だけ目を輝かせている提督がいた。

 平均的な日本男児の身長に、大きなお腹と横幅。随分と恰幅が良い提督であった。

 その太い腕に握りこぶしを作り、歓喜に身体、いやお腹を震わせて演習場を見つめている。

 

 「んんwwいやーあそこの大井殿の戦いは心揺さぶられるものがありますなぁwww」

 

 デュフデュフと笑うデブな提督。奇妙な笑い声を上げながら満足げに頷く姿に、周囲の提督はやや距離を彼からおいている。

 しかしそんな彼の横に立っている提督の姿があった。やや頭部の戦況が著しくない提督だ。苦々しく演習場をずっと睨んでいたのだが、やがて重い溜息を吐き出して口を開く。

 

 「……何で顔ばっかり狙うのかねぇ。これまでの鬱憤が溜まりまくっているのかどうなのか」

 

 「いや、違いますなwww微妙に分かりづらいですがwww顔に向けて攻撃した後に、懐の下を潜るようにして爆発をある程度躱しているように見えますぞwww恐らくそのような動きをするために、なるべく上方で爆発させたいのでは?www」

 

 無意味に顔にやっているわけではないと安心したが、別の問題が発生してしまった。これからも、あの大井は顔面クラッシャーになるということだ。

 一体誰があんな事を入れ知恵したのだろうか。いや、考えうる限りでも一人しかいない。エロビデオを大声で叫んだり、自分の艦娘に抱きついたりするあの変態野郎。

 

 「……あれの指示か。適正民間試験の時から頭おかしいと思っていたが、いよいよ本性表してきやがったか。普通に考えても顔はねぇぞ顔は」

 

 「いやー、女の子の顔面にあれやれって命令するとか、普通に考えてもど外道だよね。普通に引くわー。ま、艦娘に罪はぬいwww」

 

 カラカラと楽しげに笑う姿に、呆れ顔になる薄毛提督。

 

 「お前はいいよなぁ、まだあいつと戦ったこと無いからそんな事を言えるんだ。俺があれをやられて塞ぎ込んだ扶桑姉妹のフォローに、どれだけ時間かかったと思うんだよ……」

 

 顔面魚雷をやった件については許す。

 真剣な戦いの中で、しっかりとした理由の下に行動したのであれば、そこに恨む理由は無い。それぐらいの事情は弁えている。

 

 だが、扶桑姉妹のフォローによるストレスで起こってしまった前髪の撤退に関しては絶対に許すつもりはない。ぜってぇ許さねぇ。

 ただでさえ最近は面倒くさいことが多く、いろいろ多忙な身であるというのに。楽勝だと思っていたあの演習で、ここまで毛根にダメージを負わされるとは思っても見なかった……。

 

 そんな苦悶する薄毛提督を見て、デブ提督は苦笑しながら演習場へと視線を戻した。

 

 「んー……wwwそりゃ大変だし、拙者の暁型姉妹艦という大天使達にそんなことされたらブチギレ不可避ですが……」

 

 拙者、そんなに怒れないんだよね。

 そうポツリと呟いたデブ提督に、薄毛提督は目を細める。

 

 「大井殿はイキイキとしておりますぞ。この前まで死んだ目をしていたのに」

 

 「……それは、まぁな」

 

 「あれをこんな風に元気にしたのは、あの提督なのでしょう?ま、やり方はエグいかもしれませんが、なんというか……嬉しいですなぁ」

 

 思い出すのは表情が抜け落ちた大井の顔。疲れ切り、気力が弱り、それが雰囲気として表れてしまっていた。

 

 別に珍しくもないだろう、やがて死んでいく死相を浮かべた艦娘、そして救われない艦娘の顔であった。

 ……いや、正確には違う。これまで幾度となく見捨ててしまった艦娘の顔だったのだ。

 

 心が壊れていく艦娘をたくさん見てきた。生きる希望を失った艦娘をたくさん見てきた。支援も物資も満足に受けられず、絶望に襲われながら沈んでいく艦娘をたくさん見てきた。

 彼女達が提督を信じたいと、信じさせてくれと心の悲鳴をあげる姿は今でも夢に出てくる地獄だ。

 

 どうして同じ人の形をした彼女達を、あそこまで無慈悲に扱えるのかがわからない。

 いろいろな理由や理屈が在ることは知っている。それをやっている連中が、元引きこもりニートオタクであった自分よりもずっと頭が良いことも解っている。

 悔しいことではあるが、自分よりもずっとマシな人生を歩んできた連中だ。もしかしたら、間違っているのは自分のほうかもしれない。

 

 それでも、それが正しいこととはどうしても思えなかった。

 

 助けたかった。その一言に尽きる。

 だが、正しいと思っても間違いを正す事ができる力が無かった。

 

 自分の夢見たヒーローなら、理想の存在なら彼女達を助けられていたかもしれない。

 しかしここにいる自分は、他の苦しんでいる艦娘に手を伸ばせる余裕と実力、立場もなかった。自分の下に来た駆逐艦四隻を守ることで精一杯だった。

 悍ましい光景、至らぬ自分への葛藤と歯がゆさ。その思いに苛まれたことは、両手で済む話ではない。

 

 そんな手を伸ばせなかった艦娘の一人が、ああして生き生きとした顔で戦っている。

 良かった、その思いが大きすぎて他の思いが霞んでしまう。

 

 「……良かったですなぁ。いや、本当に。あなたもそんなに怒れなかったのでは?」

 

 「……かもしれないな」

 

 「あの顔を見ると、手を伸ばしてあげられなかった他の艦娘達の顔を思い出しますなぁ……」

 

 「……それはやめろ。ストレスでハゲるだろうが」

 

 「……もう手遅れでは?」

 

 「……」

 

 「無言のチョークスリーパー!?やめて、それ以上はいけないwww」

 

 この二人の提督と同じ思いを感じていた提督は多いのだろう。演習場を見る提督達の目には、どこか安堵と喜びの色が見て取れた。

 

 しかし、それ以上に艦娘と向き合えなくなってしまった提督の数は多いのかもしれない。

 多くの轟沈を目撃し、体験すればするほどに、戦力という数でしか艦娘を見れない提督が増えていった。これからも過酷な現実から提督自身の精神を守るために、艦娘という存在を兵器として考える提督は増えていくことだろう。

 

 首が痛いと泣きそうになっているデブ提督。髪について言うなら絶対に許さないと鼻を鳴らす薄毛提督。

 彼ら二人はまだ、幸か不幸か轟沈を経験していない提督であった。失うことへの怖さがある。戦うことへの怖さがある。故にかつて無い恐ろしい戦いの幕開けをその肌で感じ、頭の何処かで察していたのだろう。

 薄毛提督が周囲を見渡すと、既に二人以外の提督の姿は消えていた。巻き込まれてしまっては面倒だと思ったのか、ただ単純に演習が終わったから帰ったのか。理由はどちらかは解らないがようやく本題に入れるだろうと、目線を顔が白くなってきたデブ提督に移す。

 

 「……近々、大規模な戦闘が行われるぞ」

 

 「……大規模、とは?いや、シリアスな話の前に離してくれませんかなwww意識が落ちそうwww」

 

 このまま絞め落としてやろうかとも思ったが、この巨体を部屋に運ぶのも大変な話である。

 しょうがないので手を離し、デブ提督が息を整え終わるのを待って話し出す。

 

 「ハワイオアフ島辺りに、深海凄艦の連中が集結しているらしい。数えるのも馬鹿らしいほどの数だそうだ」

 

 「おうふ、それは大変ですなwww……はい?拙者、そんな話聞いてないのですが」

 

 「駆逐艦四隻しかいない下級提督までは伝わっていない話の内容だ」

 

 「ムカっ!大破に定評がある扶桑姉妹、それも火力不足にしかならない航空戦艦仕様を二隻も有する中級提督はご存知なのですね」

 

 「別に煽ってるつもりはねぇっての。悪かったな。あとそれをうちの姉妹の前で言うなよ。泣くぞ、引きこもるぞ」

 

 「むぅ、それならうちの姉妹も気にするから言わないで欲しいでござるよ。みんな泣いちゃうwww泣いても可愛いですけどwww」

 

 ハワイオアフ島、真珠湾を中心に集まっていく深海棲艦の数は日に日に多くなっていっている。

 このまま事態を見過ごしてしまっては、疲弊した日本海軍と艦娘達ではいずれ対処できない状況に発展することは目に見えていた。

 それ故の先制攻撃。艦隊を集結させ、大規模な海域攻略作戦を司令部は考案している。

 

 そう伝えた薄毛提督の顔は暗い。同じく、デブ提督の顔色も悪い。

 艦隊を集結させるとは言うが、既に昔の海軍ほどの余力は残されていない。万全な戦力の集結ではなく、数合わせの寄せ集めも想像できていた。

 つまり、それは本来であればお声のかからないような提督まで参加を強制されるということ。

 

 「……え?もしかして自分程度の提督も?嘘でしょ?馬鹿なの?駆逐艦四隻しかないデブよ?」

 

 「口を慎めバカ。どこで聞かれてるか解らないんだぞ。……デブどころか、あの一隻しかない大井の提督も参加だろうよ」

 

 先ほどまで演習が行われていた海を顎で示す。その姿にデブ提督の額から汗が伝い落ちた。

 

 「……本気でござるかぁ?ただでさえ最近深海棲艦が強くなってきたとかいう、意味わからない絶望的な噂があるのに」

 

 「……その噂、噂で済まねぇぞ」

 

 連中、統率がとれてきやがった。

 

 薄毛提督のその一言に、デブ提督の目が見開かれた。

 喉が乾いて仕方がない。何だそれは。間違いであってくれと睨みつけてしまうが、首は横に振られるばかり。真実であると知って、思わず天を仰いだ。

 驚異的な数の深海棲艦による散発的な戦闘、ただそれだけで人類は海を失っている。ただ暴れられているだけで人類は既に瀕死であるというのに、深海棲艦は統率された動きまで見せ始めたと言われれば絶望しか見えない。

 

 「……数も多くて、その上知性まで芽生えてきたと?それなんて無理ゲー?」

 

 「まだわからねぇよ。だが、これまでとは違う動きに上は大騒ぎだ。今回の大集結も、それが原因じゃないかってな」

 

 一体一体の深海棲艦が知性を得たとは思えない。しかし、明らかに何かブレインがいる動きを行っている。無秩序な深海棲艦に、秩序的な動きをさせる何かが確実にある。

 そしてその問題が起こっている場所は恐らく───

 

 「ハワイオアフ島……ですかなぁ」

 

 「俺もそう見ているよ。上もまた同じだ」

 

 知性を得て、人類に牙を向いている。

 機械的な人類への殺意が、悪意ある人類への殺意に変貌を遂げようとしている。

 

 「……お前は、勝てると思うか」

 

 「んーwww勝つしか無いでしょうよwww」

 

 「そうか……。そうだな、そうだよな」

 

 「拙者はこんな国のためよりも、艦娘のために戦っていますからな。見捨てられた艦娘を見て心配して、次は我が身ではと怯える暁ちゃん達を見捨てられるほど人間やめておりませんwww勝つしかぬぇwww」

 

 「……俺はお前よりも前線で戦っているから言えるが、そういう奴から先に精神がイカれるか、艦娘と一緒に海の藻屑になるぞ」

 

 思い深い存在が沈んでいけば、心が次第に病んでいく。思い深い存在が死の危機に瀕しているのを見て、冷静な判断ができるものはごく僅かしない。

 優しい人間ほど、先に死んでいくのが戦場の習いである。ある意味で言えば、その結果が今の艦娘の人間性を軽視した海軍であると言ってもいい。

 軍が艦娘を兵器であると教え込むのは、数少ない提督がそうして死んでいってしまう、壊れていってしまうのを防ぐためでもあるのだ。

 

 「どうせ引きこもりニートとしてあの部屋で終わるはずだったこの命。可愛い小さな女の子のためになるやら何をおしみましょうかwwwどうせ帰っても親に合わせる顔もない、歓迎してもくれない。こんな体にこんなブサイクな顔、引きこもり歴のダブルパンチで軍以外にいけるところもない。ある意味無敵ですなこれwww」

 

 茶化すように笑ってはいるが、その目は覚悟を決めている。

 軍や国家に殉ずるのであれば、間違った決意だろう。しかし艦娘と共に戦うのであれば、それは正しい決意であった。

 

 「……俺の連合艦隊に来い、こき使ってやる。他のところじゃすぐ死ぬだろうが、俺のところなら無茶は少ないだろうよ」

 

 「……もっと有能な提督に声かければいいのでは?その方が扶桑姉妹の為にもなるでしょうに」

 

 「あんまり有能な艦隊になっても、前線に出撃させられて困るだろうよ」

 

 「……感謝ですなぁ。拙者を抱いてもいいですぞwww」

 

 デブ提督の頭を小突いて、歩き出す薄毛提督。

 そういう優しさを捨てきれないからあの頭なのだろうなぁ、そう思い至って苦笑しながら、デブ提督も後に続いて部屋を出ていった。

 

 彼らの姿を見送る人間はいない。しかし、妖精さんだけはそれを見ていた。キャッキャッと笑いながら、楽しそうに手をふって送り出す。

 ───たとえその姿が彼らに見えなくとも、妖精さんは常に提督の側に、艦娘の側にいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃。

 

 「それで提督、このままでは限界があります。何かいい考えはありますか?」

 

 目の前には此方を睨んでくる大井。そして例のお茶。

 

 いつもどおりの作戦会議である。中に何が入っているのかわからないお茶を飲みながら、苦痛を感じる時間である。

 いやね、何も無いって言っても何故か信じてくれないのだ。仮にも自分の提督なのだから、もっとキミの提督は出来ないやつだと信じてくれてもいいではないか。

 既に五回ぐらい使い回されたお茶の出がらし並に、今の自分はありもしない考えを絞り出されようとしている。ハゲそう。

 

 しかしここで何も言わなければ、益々空気は淀んで胃は死んでいくだろう。何かないか、何かいい考えはないか。そう苦心する私の心に、一つの光が見えた。

 

 「……妖精さんにも羊羹あげるとかどう?」

 

 『やったー!』『かみこうりん!』『おちゃもおねがいします!』

 

 大喜びの妖精さん達を余所に、大井にじっとりとした目で睨まれた。……すぐに謝ったのは言うまでもない話である。辛い。

 

 出た言葉は既に戻らず。ノリ気の妖精さん達に負けてしまい、結果として行われた妖精さん達のお茶会は大盛況だった。見たこともないような妖精さんまでもが、どこからか集まってきてどんちゃん騒ぎである。おかげで私の財布は死んだ。泣きたい。

 

 やってしまった感に襲われて涙目になっていた私。

 そんな私の視界に、ほんの一瞬女神っぽい妖精が見えた気がした。思わず二度見をしてしまったが、もうその存在はどこにも確認できなかった。

 不思議な体験に首を傾げていたその後日、大井から「装備容量が不自然に減っている」と不審な顔で睨まれた。おかげで戦い辛くなったと嘆いていたが、私は何もしていないと訴える。

 

 信じてもらえなかった。昨日とは違って、そこは信じてくれてもいいのではないだろうか。胃が痛い……。




次回から、本当にイベント開始。
短編らしく、すぱっといきたいです。のんびり書いていこうと思います。

※6月6日
大井さんと提督を外した視点で四千字書いたあたりで、
これ、楽しくないなと思って大井さん提督視点で書くことを決意。
のんびり書いてます。

※6月23日
完成しました。あとは感想返してから投稿しようと思います。


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7話

 大井は手に持った剣で、深海棲艦の空母を貫いた。

 

 無表情の顔に苦痛が交じる。恐怖が交じる。そして死の色が交じる。

 口を開き、声にならない声をあげる彼女を見つめながら、大井は力をさらに込めて剣を押し込み、捻り、持ち上げた。絶叫が耳を打ち据えた。

 

 「───ッ!?───ッ!!」

 

 「……悪いわね」

 

 憎悪の籠もった瞳を向けられた大井。歴戦の艦娘であっても慄くであろう形相をみつめながら、こんなに近くで彼らの顔を見たことがあっただろうかと大井は思う。

 そして味方を串刺しにされて怒り狂い、此方に砲門を向けてきた深海棲艦達を見咎めると、腕を動かし剣に貫かれた仲間の空母を彼らの射線に挟み込む。盾にしたのだ。

 

 下級の深海棲艦に思考能力はない、というのが彼女の提督の理論である。

 であるならば、彼らはどのような状況であったとしても、種としての本能を優先することになるのだろう。

 

 空母、ヲ級と呼称される深海棲艦は、剣に貫かれて瀕死の状態でありながらも生きていた。否、あえて急所を外した大井によって生かされていたのだ。

 

 もし深海棲艦に考える力があれば、ヲ級ごと砲撃によって大井を攻撃したにちがいない。

 ヲ級は死に体であり航空戦力としては期待できず、この状態では継続戦闘どころか撤退も見込めない。さらには命を艦娘に握られて利用されている以上、どう足掻いても行く末は決まっていた。

 

 「提督の言うとおりね。いけるわ」

 

 しかし、彼女と対面する深海棲艦達は同士討ちを避けなければならないという、種の本能に従った為に動きが止まってしまう。大井の狙い通りであった。

 彼女たちには考える力はなく、自分たちや命を握られているヲ級の運命を想像する力もなかったからだ。

 

 こうして彼らは大井に対して隙を見せてしまった。

 

 大井は口を三日月のように歪めると、ヲ級を盾に砲撃を開始する。大井からすれば、ここまで距離が近いと外すことの方が難しい。

 軽巡級や駆逐級の深海棲艦はなす術もなく、大井によって蜂の巣となり、海の中へと沈んでいった。

 

 装甲がある重巡はその砲撃に耐えきる。しかし爆風と爆煙を隠れ蓑にした大井の接近を許してしまった。

 

 「これで終わり」

 

 大井は串刺しとなったヲ級を重巡へ蹴り飛ばす。剣から抜けたヲ級の身体をとっさに重巡は受け止めた。受け止めてしまったことが、彼女の最後であった。

 

 射線を塞がれ、視界を塞がれ、ヲ級を抱きとめることにより両手が塞がった重巡に対して、大井は魚雷を放ってその横を駆け抜けた。

 大井の姿を重巡が、既に事切れたヲ級の空虚な眼が映す。もし彼女たちに理性があったならば、大井のことをこう呼んでいたかもしれない───悪魔、と。

 

 背後で巻き起こる爆発の振動を背中に感じながら、大井は次の獲物を視線で探し始めた。

 

 単独であり、軽巡である大井という艦娘の優先度は、深海棲艦からすればとても低いものであった。

 戦艦や空母などといった高クラス、高火力、もしくは複数の艦娘から成る艦隊が戦場においては第一の驚異として認識されているからだ。

 

 大激戦の様相を見せ始めた海上にあって、単艦の艦娘、それも軽巡という火力も低い艦娘をあえて狙おうとはしなかった。

 

 モンスターハンターで例えるならば、危険な古龍がいるのにザコ敵を第一に注意を払うやつはそうはいないだろう。彼らが大井に対して向ける認識も同じようなもの。

 深海棲艦にとって、今の大井は余裕があれば狙っておこうぐらいの敵でしかなった。

 

 故に────これはある意味で言えば当然の結末であった。

 

 視線を彷徨わせていた大井が、空爆により陣形が崩壊した深海棲艦の集団を見つけて突撃。深海棲艦の目をえぐり、喉を切り裂き、顔を殴り飛ばし、腹を蹴り抜いた。

 

 度重なる過酷な経験により、空間認識能力が発達していた大井にとってはこの戦場は天国にも等しかった。

 

 自分が意図的に狙われず、空爆による援護がついており、周囲には味方がたくさんいて、敵は洗練された統率が行われていない。深海棲艦は動物や虫のような非常に分かりやすい反応で戦ってくれる。

 

 『多対一の戦い方?』

 

 『ええ、なにかないのかしら。参考にできる動き、考え方、戦い方を知りたいの』

 

 『あー、えー、そうだな……』

 

 『なんでもいいから、ほら。前の魚雷みたいに何かないのかしら』

 

 『……あー、役に立つかはわからないんだよなぁ。同じ世界観的な意味でマブラヴ、絢爛舞踏祭、ガンパレードマーチ?あとはネウロイ、とか』

 

 『……なにかあるのね』

 

 『い、いや、ほら妄想というか空想というかですね』

 

 『話しなさい』

 

 『はい』

 

 本来、それらは空想の産物であったはずだ。

 

 しかし、空想の産物が生まれる土壌には、現実において先人たちが汗と血を流して積み重ねた知識や学問、歴史が散りばめられているものである。

 大井はそこを敏感に感じ取り、理解した。そして同じ空想の存在であった彼女は、実現可能なものとしてそれを受け入れてしまったのだ。

 

 そして生れた大井の戦闘スタイルは──

 

 「なんだ、あれは……」

 

 「エグすぎワロタwww一人違うことやってる件wwwなにあれwwwいいぞ、もっとやってくださいましwww」

 

 他の提督を唖然とさせた。

 

 「……なぁ、説明してくれないか」

 

 頭がやや寂しい上官の提督に視線を向けられ、目を逸らす。

 

 「どう説明すれば良いのでしょうか」

 

 俺にだって……わからないことぐらいある。というかわからないことのほうが多い。

 

 「質問に質問で返さないでくれ、気持ちはわかるけれどもさぁ……」

 

 いや、むしろ私が説明してもらいたいぐらいだった。

 

 突然、真珠湾の攻略作戦が発表された。そして連合艦隊に配属されることになった。

 これは当然ながら裏方雑用だろうと思ってたら、戦闘に巻き込まれる後方に配置された。

 ここまでこないっすよね、と近くの太ったデブい提督と談笑してたら、数日後に前線が崩壊した。そして撤退する艦娘達の支援を行い今に至るのだ。

 

 もう気持ちがいっぱいいっぱいである。

 余裕のよの字もありやしない。社会人一日目みたいなものだ。寝ようと思ったら、今ここで立ったまま寝られるくらいには精神的に疲れ切っている。

 

 そんな私に大井の解説をしてほしいと言われても無理である。

 ちなみに、元気いっぱいであっても解説は無理だ。いつの間にかああなっていたのだ、むしろ自分がどうしてこうなったのか知りたい。

 

 いや、本当に、どうしてこうなったんだろうか……。

 

 「まず、どうして天龍の剣を使ってるんだ。拒絶反応が起こるだろう」

 

 「なんだかんだで近接戦も重要だなって話になったんです」

 

 「ああ」

 

 「流石に拳だけでは厳しい。近接戦には武器が必要だなって」

 

 「なるほど」

 

 「じゃあ、使われないで倉庫に眠っている武器を使おうってことでああなりました」

 

 「何をやっているんだお前」

 

 別の生き物を見るような目で上官どころか、周囲の提督からも距離を取られる。

 

 「いや、そもそも接近戦をまともにやろうというのがおかしいぞ」

 

 「拳、……拳?」

 

 「んんwww近接系艦娘というパワーワードwwwというよりそれ天龍ちゃんの剣を使える説明になって無い件www」

 

 デブい提督の言葉に皆がうなずく中、ものすごい居心地の悪さを感じつつ口を開く。

 

 「魚雷が手で扱えるんだから、天龍ブレードもいけるんじゃって話になって……いけました」

 

 「どこからそんな発想が生れたんだよ……。てかまだ他の艦娘の固有武器を使える説明になってないよな。いや、説明できないって言っていたな。やっぱりお前らおかしいわ」

 

 酷い冤罪だ。私は無実だ。話せって言われたから話しただけなんです。

 

 自分の艦娘が修羅勢に変わり果てるとか、そんな平穏イチャコラがますます遠のく展開を誰も望むわけ無いだろういい加減にしろこんちくしょう。

 

 「まぁまぁwwwおかげさまで我々の艦隊は大助かりですぞwwwまだ轟沈が一隻もいないとかwwwもう嬉しくて泣きそうwww」

 

 「鎮守府に帰るまで泣くんじゃねぇよ。戦い方はあれだが大助かりに間違いないか……。しかし、生きて帰れても上への言い訳どうするかなぁ、またストレスで髪が後退しそうだわ。いや、艦娘の命か俺の髪かって言ったらそりゃ命なんだけどさぁ……」

 

 私の上官であるこの前髪が寂しい提督が、この私達の艦隊の指揮官となっている。

 よって司令部から詰問が行われた場合は、前回のように私一人ではなく彼も一緒である。むしろ、彼のほうがいろいろ言われる立場になる。

 

 素直に言いたい────ごめんなさい。

 

 そんなやり取りをしているうちに、深海棲艦達の撃退に成功。後退、という名の事実上の撤退が開始された。

 

 既に前線は崩壊している。追手はまだまばらではあるが、そのうちに大規模な攻撃が行われる可能性が高い。急ぎ連合艦隊を再編し、迎撃をしなければならないのだ。

 

 その道中、大井はものすごく機嫌が良さそうだった。

 そりゃあれだけ暴れられたらそうもなるだろう。

 

 周囲の艦娘は戦闘中の大井が怖かったのだろう。私と同じように微妙な距離が生れているのだが、気にしている様子は一切ない。そのメンタルの強さを少しでいいからわけてもらいたいものだ。

 

 そんな様子を眺めながら、ふと疑念が頭を過る。

 たった数日で前線が崩壊とか、いったい何が起こったのだろうか。

 

 下っ端のクソ雑魚提督、私のような者なら話は解る。弱い。大井は強いのかもしれないが、私は弱い。ほぼ大井一人に戦ってもらっているぐらいだ。

 

 しかし装備良し、練度良し、性能良しの艦娘達を率いた歴戦の提督達がこうも簡単に撃退されるとは……。中々見れないほどに戦艦と空母もあれだけ大集結していたのに、本当に一体何が前線で起こっていたのか。

 

 ……というか、出発式で見たけど事実上の最高戦力だよなあれ。いまズタボロになってみんな撤退してるけれど、大丈夫だよね、ね?

 元帥から受けた言葉を意訳すると今回の作戦が失敗したら、それこそ経済水域や海路を完全に失うので死ぬ気で頑張れって言われていたよね私達。

 

 ……よし、これはアニメやライトノベルでよく見た展開だ。多分ここから逆転するな!

 野球の試合にてどこかの高校も9回裏8点差で逆転してたし、多分余裕だろ!

 

 そんな現実逃避しながら、なんとか臨時の司令部と鎮守府が建設された島へ帰還が完了。

 集結し始めた複数の艦隊を見て私は言葉を失ってしまった。

 

 ずたぼろだった。ああ、ずたぼろだったのだ。

 

 砲撃の粉塵に塗れ、血と火傷に塗れた艦娘達。苦痛に顔を歪ませた戦艦、顔を青くしてじっと目を瞑りたたずむ空母、背中を丸くして泣きすする駆逐艦。全て前線に赴いた艦娘達だ。

 

 出撃の前に勇ましい姿を見せて威勢に溢れていた彼女たちの姿はもうどこにもない。負傷していないものなど一人もいなかった。姿が見えなくなってしまった艦娘の姿も多いように思える。誰も彼もが疲れた表情を隠せないまま、傷を癒やすための入渠と補給を静かに待っていた。

 

 私も、髪が薄い上官提督も、デブい提督も、私達の艦隊の他の提督も全員、この光景を見て唖然として何も言えなくなってしまった。ここまで被害を受けたという現実に頭が追いつかなったのだ。

 

 最初から地獄であると解っていた作戦であった。乏しい資源、疲弊した艦娘達、末端まで駆り出される総力戦。どれをとっても碌でもないことになる要素満載であった。

 

 しかし現実はこのさらに上をいったのだ。

 

 艦隊の補給を目的に来たのだが、これでは時間がかかることだろう。大型艦の回復には時間がかかる。こんな数の艦娘がやられてしまっていては、明日まで待たなくてはいけないかもしれない。

 

 「なんでも潜水艦型の深海棲艦が初めて出現したらしい。おかげで主力の戦艦や航空戦力がだいぶやられたらしいとは聞いていたが……」

 

 まさか、これほどとは。

 そう言って額から汗を流す薄髪提督の言葉に、何か違和感を覚えた。潜水艦?……撤退?

 

 「潜水艦型の大量出現……?」

 

 「……ああ、俺もまだ着いたばかりで詳しくは知らないんだが」

 

 そう言って彼が口を開こうとした矢先。此方に歩み寄る足音が聞こえた。

 

 「潜水艦型深海棲艦の大量出現。戦艦を中心とした先鋒隊は大打撃を受け、多くの戦艦と空母が轟沈」

 

 知っている声。凛々しく、透き通るようなイケメンボイス。

 全員が後ろを振り返ると、そこにいたのは自分の艦娘の吹雪を連れたイケメン提督であった。

 

 松葉杖をつき、額には包帯を巻き、やや血色の失った顔で微笑むその姿に全員が息を呑む。……怪我しても、イケメンはイケメンという考えがよぎったのは私だけかもしれない。ごめんなさい。

 

 「潜水艦型の深海棲艦は戦艦、空母、重巡の攻撃を受けることはない。戦艦を絶対的な戦力として見ていた海軍にとって、これは大きな衝撃でした。大艦巨砲主義が幻想に消える、そんなことは私と貴方ぐらいしか考えていなかったでしょうね」

 

 困ったようにイケメン。そして俯き、震える吹雪ちゃん。

 

 「加えて戦艦の後退支援、潜水艦の撃破のために多くの軽巡、駆逐艦が大破、轟沈。酷い戦いでした」

 

 息を吐き出す彼の姿は、酷く疲れたように見える。心身ともにあれほど気力満ち溢れていた彼の姿が、今はどこにも重ねることができなかった。

 

 「作戦に参加した軽巡、駆逐艦がすぐに戦闘に加わったものの、練度の差が大きいことが原因で連携が上手くとれず、多くの駆逐艦や軽巡がこの戦いによって犠牲になりました。満足な支援や物資、経験を彼女達が得られていなかったという、海軍が軽視してきた問題が大きな影響を与えた事は間違いありません。貴方がいつぞや、講義の終わったあとに言っていた危険性が表に出てしまいました」

 

 「貴方は……」

 

 何か言いたげな薄髪提督の顔をちらりと一瞥すると、イケメン提督は「話に割って入って申し訳ございません」と苦笑して髪をかく。

 

 「臼井提督、すいませんが彼と少し話をさせてください。そして私達は血路を切り開き、戦線を突破するものの、空母と戦艦の深海棲艦艦隊との激しい戦闘が続きます。さらには人類史上初めてとなる、統率された潜水艦型深海棲艦艦隊との遭遇」

 

 提督達も無事ではすみませんでした。私のように。

 そう言って目をつむるイケメン提督が思い浮かべているのは、きっとその地獄の如き海上戦に間違いない。

 

 イケメン提督が拳をぎゅっと握りしめた。血が拳をつたい、土の上にぽつぽつと落ちていく。

 空を見上げ、此方に向き直った時。彼はこれまでにない真剣な顔になっていた。その口から驚きの言葉が飛び出す。

 

 「そして私達は満身創痍になりながらも突破、ようやく勝利が見えたと思った矢先に遭遇しました。一隻の巨大な確認不明の深海棲艦。人と同じ言語を理解し、話す深海棲艦に」

 

 「……人語を、話すだと」

 

 「知性をもった最近の深海棲艦の行動……もしや、そういうことですかな?」

 

 おとぎ話。空想。夢物語。

 そう噂されていた話が、現実となってしまった。

 

 誰もがそう思い、イケメン提督の話に聞き入っている中で。私の中にある違和感が抑えきれない大きなものになっていく。

 

 「ええ、恐らくは彼女が原因なのでしょう。これまでの深海棲艦とは絶する火力の砲撃。そして此方の攻撃をまるで寄せ付けない強固な装甲。例え無傷であったとしても、果たして勝つことができるのか」

 

 私は何かを知っているような気がする。でもそれが何かが解らない。

 それを見つけるために、必死に頭を回転させる。ここでそれを見つけなければ、取り返しがつかないことになるぞともうひとりの自分が叫んでいるのだ。

 

 「司令部はその危険性を考慮し、新たに深海棲艦における階級を設定しました。深海棲艦における別枠、例外の例。その呼称は────」

 

 

 

 

 

 

 ────『鬼』です

 

 

 

 

 

 

 全てが、頭の中で繋がった。

 

 潜水艦型深海棲艦の初実装。軽巡、駆逐を育成してなくて阿鼻叫喚の提督達。

 海域ゲージの実装。しかも回復する。メンテナンス中も回復する。ざけんな。

 言葉を発する『鬼』と『姫』の深海棲艦が初出現。サービス開始一ヶ月で出ていい強さじゃないぞ。

 多発するエラー猫。敵よりもサーバーの方がよく死んでいたとか意味が解らない。

 

 そのあまりの困難さに、延長まで行われた例のあれ。『艦隊これくしょん』の初めてのイベントにて、多くの提督を地獄に叩き込んだ例のあれ。

 

 例のあれッ!

 

 「あのクソイベかよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!?」

 

 周囲の提督が驚き、呆気に取られたように自分を見ている。あそこで絶望に打ちひしがれて並んでいた艦娘達も、イケメン提督ですらも唖然とした様子で自分を見つめる。

 

 それほどまでに取り乱していたのかもしれない。見苦しく、酷い有様であったのかもしれない。

 しかし言わせてもらいたい。あの『敵泊地に突入せよ!!』だぞ、あの『敵泊地に突入せよ!!』なんだぞ!?

 

 あの過酷なイベントが過酷な現実世界で発生し、命をかけて、全てをかけてそれをこれから完遂しなければならない。しかもイベントスルーすらさせてもらえないのである。

 きっとこの世界の神様はヘロインやり過ぎて頭の中がスカスカになっているに違いない。もしくは日本が大嫌いな最悪の愉快犯に違いない。

 

 酷い頭痛に襲われて頭を抱えこんでいると、太陽を遮るように影が覆い被さった。

 顔を上げるとそこにいたのはイケメン提督であった。目を見開き、口を一文字に結び、先ほどとは打って変わって全身に活気があふれている。

 

 「……やはり貴方はッ!来てくださいッ!」

 

 松葉杖を放り出し、よろめきながらも私の手を掴んで彼は力強く歩き出す。

 後を追う吹雪ちゃんの呼び声すら無視して、彼は鎮守府の建物に私を引き込んでいった。

 

 「最早我々に余力はありません。資材も残り少なく、深海凄艦の襲撃を考えると時間も残されていない」

 

 「あの、足を痛めてるんじゃないの?大丈夫?」

 

 「そうなると方法は一つしか無い。敵の中心である『鬼』の撃破。司令塔を失えば深海棲艦は有象無象の衆に変わる。そのためには深海棲艦達の出現位置を把握し、敵艦隊の編成を把握し、進行する負担の限りなく少ない海路を見つけ出し、あの『鬼』のいる場所を突き止めた上でそこを目指して出撃し撃破する必要がある。しかし海域を探索する時間も、資材も、戦力もない。だからそれら全てを仮定して出撃しなければならない。そしてその仮定が全て正解でなければならないッ!」

 

 「あの、額から血が流れてるんだけど、それ傷開いてない?大丈夫?」

 

 「ええ、まさに貴方が言う通り『クソ』みたいな確率です。砂漠の中にある小さな宝石を見つけるに等しい確率だ。あまりにも現実味がない、不可能な話だ。だからこそ私達は諦めかけていた。でも────ッ!」

 

 興奮しているようなのか、全く話を聞いてくれない。対して此方はもう一周して冷静になってしまっている。

 後ろから追ってきている吹雪ちゃんが、もう悲鳴みたいにして呼びかけてるんだけどいいのだろうか。

 

 「────貴方なら、貴方ならッ!」

 

 ある部屋の前に到着すると、彼は勢い良く扉を開く。扉の横にいた軍人がイケメン提督を止めようとするものの、その顔をみて顔を青くし、立派な敬礼のポーズをとった。それを無視したイケメン提督と共に中に連れられて入る。

 

 立派な長机と高そうな黒塗りの椅子達。そして張り出された海域のマップと、多くの情報資料の山。

 会議室なのだろうか。紛糾した跡がみてとれるそれらを横目に、海域のマップの前にイケメンと共に立つ。

 

 「変な事を承知で聞きます。私ですら、自分の頭がおかしいと思っている。それでも私は聞かなければならないのです。……『鬼』がいるところはどこだと思いますか」

 

 頬が紅潮し、何か色気すら感じる雰囲気を見せているイケメン。

 不思議と冷静な頭で妹がみたら喜びそうだと思っていると、再度問いかけられてしまい慌ててマップの方へ向き直った。

 

 あのイベントは数年前の話。既に記憶は薄れてしまっていたのだが、こうしてみるとよく思い出す。何故かって、そりゃトラウマに近いほど酷い思い出なのだから嫌でも思い出してしまうのだろう。

 

 一つの場所へ指を指したのは、吹雪ちゃんがヘロヘロになりながら飛び込んできたのと同時であった。




三回ぐらい全部を書き直しましたが、なんとか終わってよかった!
次回から、大井っちの出番ももっと増えそうです。

のんびり、続きを書いていけたらと思います。

※追記
もし詳しくイベントを知りたい方は、オタクwikiのが一番分かりやすいかもしれません。
開始一週間の時点で30人しかクリアできてなかったとかいう、よく解らない難度のイベントです。やべぇ。

※追記2018年8月16日
七割できたので、あと三割ぐらいです。

※出来ました。感想返してから投稿予定。


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8話

 「……お前とこうして向き合って話すのは久しぶりだな。変わりはないか、圭介」

 

 「はい。……お祖父様は少し痩せられたように見えます」

 

 「そうか……。そうかもしれないな」

 

 二人の男が顔を合わせていた。

 その一方である老年の軍人は海軍の中将、そして真珠湾沖攻略作戦の総司令官であった。

 

 当時、歳を積み重ね中将となり、退役も間近かと考えるようになった矢先に深海棲艦が出現した。

 提督適正があり、地位も持っていた老年の軍人は戦い続けなくてはならなくなった。

 そして幸か不幸か、仲間が散りゆく中で彼は生き残っていくこととなる。

 

 深海棲艦の始まりから戦い続けたその存在自体が、深海棲艦との戦いの生き字引といっても良いのかもしれない。

 彼を総司令官に据えて作戦に臨んだところに、日本の軍部の意気込みと必死さを感じることができる。

 

 そして老年の軍人に相対するのは新規精鋭、深海棲艦との戦いにてメキメキと頭角を現した若き軍人であった。

 

 端麗な容姿に、堂々とした落ち着きがある姿。キッと釣り上がった眉に、目の奥に燃える闘志。

 

 「……お祖父様は私を許していないと思っておりました。勝手に軍人としての道を選び、進んだ私を疎ましいとすら思っているだろうと考えていました」

 

 「許すもなにもない。認めていなかっただけだ」

 

 老年の軍人は若き軍人の姿に、自分の息子の姿を重ねて見ていた。

 

 同じ海軍であり、提督であった若き軍人の父親は深海棲艦との戦いで亡くなった。母親もそれに気を病んで寝たきりとなり、数カ月後にぽっくりと亡くなっていった。

 

 残された二人の子供はどれほど世を憎み、深海棲艦を憎んだ事か。当時を省みるに、軍人となって久しい己には割り切れてしまったことも、幼い子供には割り切れるものではなかっただろう。

 

 自身もまた提督となり、仇を討つのだと怒りと悲しみに燃えた彼らの子供の瞳は今も覚えている。

 そして老年の軍人が「提督になることを許さない」と告げた時に、子供の瞳が絶望に染まったことも覚えていた。

 

 この目の前に座る若き軍人こそ、その復讐に燃えていた子供。そして老人の孫なのだ。

 

 「……当時の私は遺されたお前まで危険にさらし、深海棲艦に殺されてしまっては、息子に申し訳がないと考えた。そしてお前が目指していた軍人となる道を閉ざした」

 

 静かな部屋に、老年の軍人の言葉が響き広がる。奇妙な緊張に部屋の中は包まれていた。

 

 「お前はさぞ私を恨んだことだろう。両親の仇を討つ機会を奪った私を、ともすれば深海棲艦と同じように激しく恨んだに違いない」

 

 若き軍人は僅かに眉を顰めるも、すぐに顔を平静のものに変えて口を開く。

 

 「ええ、恨みました。今でもあの時の怒りは忘れることができません」

 

 一瞬の間、そして窓の外から聞こえる鳥の声。

 どちらが先か、老人と若き軍人は互いに笑みをこぼした。

 

 「……深海棲艦との戦いが激しくなり、民間からも提督を探さなければならなくなった。最初は希望者のみであったが、その一覧にお前の名前を見つけた時は背中に氷柱を放り込まれた気分だった。当然だろうな。あそこまで燃えた怒りと悲しみが、たった数年で収まるとは思えなかった」

 

 「なるほど。あの時の私は合格を疑っていませんでしたが、お祖父様が直々に握りつぶしておりましたか。酷いことをするものです」

 

 言葉では「酷い」と述べるものの、何を思ってか彼は苦笑していた。

 その様子に老年の軍人は呆気に取られた。

 怒り、苛立ち、無念。それらを込めた瞳で睨みつけること、殴られることすら覚悟していたからだ。

 

 しかし、現実はそうはならなかった。

 

 老年の軍人は若き軍人の目から、復讐の意思が消え去っていることを確かに感じ取った。まるで明鏡止水の心を得たかのように、若き軍人の心は澄み切っているように思えた。

 

 老年の軍人はこれまでの罪を告白するかのように言葉を紡いでいく。自然と言葉が胸から溢れてきたのだ。

 

 「……お前が提督になるような世であってはならないと奴らと戦い続け、時にはお前の生き方を否定してでも、その道を閉ざしたつもりだった。だが結局は何も変えることは出来なかった。世も、お前の意志も、全てだ」

 

 ある国策の決定により、老年の軍人の努力の全ては露と消え去り、目の前には一人の若き提督が生れる。

 

 「民間で行われた提督の強制徴収、ですか」

 

 「ああ、当時の私の想いは『無念』の一言に尽きた。不思議な事だが、何故か心の何処かで解っていたのだ。機会を与えてしまえば、いつかお前が提督になってしまうのだろうと。だからこそ、様々な方法を使ってお前の決意を退けようとしたのだ。それはお前が提督になってからも変わらない」

 

 「……納得がいきました。人手不足であるのに随分と冷や飯を食わされましたからね」

 

 「死なせてはならないと手をいろいろと回していた。ああ、「邪魔な事この上ない」とでも思っただろう。しかし私はそれでもお前を死なせたくはなかったのだ」

 

 軍人として失格。私情が過ぎる身の振る舞いであった。

 

 かつて若かりし頃、愛国心に満ち溢れていた自分が見れば、親族を国家よりも優先する姿をなんと浅ましいことかと軽蔑したことだろう。

 

 だが、これまでの生き方を否定してでも、これまでの生き方を歪めてでも、彼は孫の命を守りたかった。

 いずれ日本が緩やかに衰退し、終りを迎えることになっているとしても。二度も大切な存在を奪われることに、彼の心は耐えられなかったのだ。

 

 しかし、ああ、どうしてだろう。

 

 老年の軍人は時代の流れを敏感に感じることがてきていた。彼は聡明であるが故に、時代の境目に自分が立っていることを自覚できてしまった。

 

 目の前に置かれた書類に書かれる作戦。

 一笑の下に捨てられかねない、馬鹿げた内容が書かれている。

 それを目の前の若き軍人は、最後の希望なのだと信じていた。

 

 「素晴らしい友を得た」と若き軍人は言った。

 その頃の彼は自分すらも殺してしまいそうなほどに、復讐と闘志に燃えていた。

 

 「不思議な友を得た」と若き軍人は言った。

 その頃の彼からは戸惑いを感じた。まだ燻る復讐の炎の奥には、輝かしい何かの意思を感じた。

 

 そして今、「私は希望を見た」と若き軍人は話す。

 その目には復讐の意思はなく、生き抜く覚悟があった。復讐の鬼ではなく、護国の鬼へと変わったのだ。

 

 この若き軍人を護国の鬼に変えた存在こそ、彼が語る「友」であり、この不可思議な作戦を提案するに至った原因であると老年の軍人は理解した。

 

 作戦に書かれている推測は、奇妙な程に現実に当てはまっていく。まるで未来が見えるかのように、少しずつ事態は推移していく。

 

 彼は悩んだ。目を瞑れば、様々な想いが頭の中に生まれては消えていく。

 そしてしばらくした後、決意を新たに目を開いた。

 

 「……なぁ、圭介よ」

 

 「……はい」

 

 「恐らく多くの者がこの国は終わったと思っている。深海凄艦に飲み込まれ、日本だけではなく、人類そのものが衰退していくのだと考えている。私も、多くの軍人も皆、既に護国の鬼に足り得る『生きた』目をしてはいない。みんな目が死んでおるわ」

 

 軍人も、政治家も、民衆も。心の何処かでは、もうどうにもならないと諦めていた。

 未来には希望も、夢もないのだと諦めてしまっていた。

 

 諦めは心に表れる。心は目に表れる。それは隠そうとしても隠しきれるものではない。

 

 だが彼は若き軍人の目に諦めの想いが一欠片も無いことに気づき、そしてそこに未来を感じたのだ。

 

 「お前もここに来たばかりの頃はそう見えた。どこかで諦めを覚えており、自暴自棄になり、深海棲艦もろとも死んでやろうという意思が感じられた。だが、しばらく見ないうちにずいぶんと良い目に変わったものだ」

 

 そして嬉しそうに老人は言った。

 

 「お前をそこまで変えてくれた『何か』にかけてみよう」、と。

 「この人の理屈を超えたところで動いている『奇跡』にかけてみよう」、と。

 

 「……確認された鬼は後方に下がった。連中にも大打撃を与えたつもりだが、それでも数で勝る深海棲艦だ。すぐに大艦隊が此方に向かってやってくるのもそう遠くはない」

 

 「お前にもそれはわかるだろう」と言った老人に、若き軍人はうなずいた。

 

 「このまま時間をかければ多くの提督と、艦娘の血で築いた中枢へ進む海路が再び閉ざされる。知性が高い鬼級に立て直しを図られれば目も当てられない」

 

 老年の軍人は笑顔であった。

 しかし父性や母性を感じさせるような温かなものではない。それは苛烈な戦士が決意を固めた鮮烈な笑みであった。

 

 若き軍人は、はたと気がつく。

 ────この人は死ぬつもりなのだと。

 

 「奴らは既に雌雄を決したと思っているのだろう。のんきに後退して立て直しを図っているのがその証拠だ。我々はその傲慢を突きえぐり、勝利への一手へと変えなければならない」

 

 汗が伝い落ちる。軍人である以上、その決断は己もまた覚悟していたことだ。

 その覚悟は止めることが出来ないものであることも、諸々の事情を省みればよく解っていた。

 

 「私が連合艦隊を率いて目を引きつけ、深海棲艦を足止めする。お前は他の艦隊を率いて下がった鬼級と再編中の深海棲艦を撃破せよ」

 

 自らが艦隊を率いて深海棲艦達を討伐し、亡き父と盟友、そして艦娘達にその意と威を示す。それはこれまで望んでも得ることができない、喜びの中の喜びであった。

 

 今その時がようやく巡って来た。しかしこれでは素直に喜べるはずがない。

 この奇襲作戦の中で足止めとして迎撃する艦隊は、到底無事では済まないことがよく解っていたからだ。

 

 残存する艦隊の数では、襲来する膨大な数の深海棲艦に耐え抜くことは難しい。

 本来は御旗としてのみ機能するはずであった祖父の艦隊を含め、残った全ての艦隊が背水の陣の覚悟を以って立って戦い、ようやく時間を稼げることになるだろう。

 

 「……若者に『死んでくれ』と言う情けない国になって、もうどれほど経ったことか。生憎、私のような格好ばかりついた老人にそう言ってくれる者はいなくてな。今回は仕方がないから、私が自分にそう言ってやることにした」

 

 悲壮な思いはその言葉からは感じられない。ただし、伝えたいことは痛いほどに解った。何故か解ってしまった。痛いほどに心に届いた。

 

 「私が先程目を瞑った時。お前に、お前の息子たちに、お前の孫たちに、何を残せるのか考えていた」

 

 自身の息子は何かを残す前に逝ってしまった。

 その遺児である孫を守ろうと躍起になって、情けない姿であれこれと動き回った。

 

 そうして自分は何を残せてきたのだ。何を伝えてきたのだ。何を見せてきたのだ。

 不甲斐ない祖父の姿だ。不甲斐ない国の姿だ。不甲斐ない軍人の姿だ。

 

 艦娘であるからと女や子どもをこき使い戦わせてきた。守るべき国民に軍服を無理矢理に着せて戦場へ追いやった。そこに何一つ、己の残したかったものは存在しなかった。

 

 例えこのまま生き残ったとしても、未来の日本に何を残せるというのか。

 

 誇りある国を残さなければいけない。誇りある心を残さなければいけない。誇りある人を残さなければいけない。日の本の誇りを、若者に託さなければいけない。

 

 「私の名の下に、お前には連合艦隊を率いてもらう。そして有事の際には、私がこれから伝える伝手を尋ねると良い。まだまだ政治はわからないだろうが、お前を支えてくれるはずだ。長く生きすぎてしまったが、それ故に得られたものが多い。渡せるものは全部くれてやる。まだ受け取れぬものは、受け取れるだけの実力をつけろ」

 

 「おじい、さま……」

 

 胸が熱くなった。目から涙が溢れてきた。

 そんな若き軍人を見て、老人は微笑んだ。

 

 「今、この世界は大きな流れの中にある。その流れを私では変えられん。他の連中でも無理だろう。しかし、新しい時代を背負えるお前達であれば変えられるのかもしれない」

 

 頼む、と言われた若き軍人は真の護国の鬼となった。

 会談が終わった後、一秒も惜しいとばかりに目をつけた提督と艦娘達を招集し、これまでの経緯と概要、作戦を伝えていく。

 

 その中には、彼が最も信頼を寄せる提督の姿があった。

 

 祖父の言葉が耳に届き、心で理解したその時。頭に浮かんだのはその提督の顔だった。

 ああ、あの出会いは忘れもしない。試験の会場で醜態を晒しており、なんと不真面目で馬鹿げた男だと軽蔑していた。こんな男と軍で一緒になるのかと呆れもしたものだ。

 

 しかし、その男が自分を変えてくれたのだ。全くもって、人生とはわけがわからないものだ。

 

 気まぐれに話しかけ、そこから始まった交友関係の中で気がついた。

 男は人類が深海棲艦に勝つということを、微塵も疑っていなかったのである。では白痴の愚か者かといえばそうではない。むしろ男の危機感は日本の誰よりも強いものであった。

 

 驚いた。本当に驚かされた。

 

 深海棲艦という存在への理解、そして艦娘への理解。そこにあるのは感情ではなく、既に知っているかのような理解であったからだ。

 恐怖もなく、恨みもなく、ただ既存の情報として知っているかのように男は物事を捉えていた。

 

 トランプ遊びでまだ誰もカードが配られておらず、それどころかルールさえ知らない中で。彼は既に手札が配られ、そして勝利への道筋を知っていた。

 

 まるで一人だけ、別の世界に生きているかのように自分は感じた。

 

 『なぁ』

 

 『ん……なんだよ?』

 

 『君は、人類が深海棲艦に勝てると思うかい?』

 

 ある時、自分は質問をした。

 事態を知れば知るほどに、現状を知れば知るほどに重い質問である。

 

 盲信の輩であれば、「なにを馬鹿な事を」と笑うだろう。見識がある者であれば、言葉を控えるだろう。しかし男はそのどちらでもなかったのだ。

 

 『え、勝てるんじゃないのか?』

 

 さも当然のように、男はそう言い切ったのだ。

 何故お前はそんなことをいうのだ、と。

 

 この会話で不思議な感覚を覚えた。

 男と別れ、歩く中で違和感を探り当てた時にはたと気がつく。

 

 「道はあるのだ、ただその道を今の私達は歩いていないのだ」、と。

 

 男は知っていた。男は解っていた。

 

 勝てる道はある。既に用意された道筋はできている。だから我々は勝てるはずなのだ、と。

 

 集められていく全ての情報が、男が指さした場所へ収束していく様を見ていく中で、私はますますこの想いが強まっていった。

 

 人類が勝利する道筋は今、『鬼』の出現という人類の危機の中で示されたのだ。

 

 人は可能性を信じる私のことを指差し、「頭がおかしくなった」と言うかもしれない。

 狂った馬鹿者だと呆れ返ってしまうかもしれない。

 ああ、私も私の立場に置かれなければそう思ったに違いない。

 

 しかし深海棲艦出現以前の人類が、今の世界の姿を見てどう思うだろうか。今の世界の有様を伝えたらどう思うだろうか。

 

 なんと馬鹿げた作り話だと、嘲笑に付すことは想像に容易いのではないだろうか。

 

 「深海棲艦なんてふざけた存在が現れるはずがない」

 

 「ましてや人類がその存在に追い詰められるなどという、気が違えたような妄言をよくもまぁ言えたものだ」

 

 「それに対抗できる戦艦が擬人化された存在、それも婦女子子供の姿で現れるなどちゃんちゃらおかしい話だ。ヘソで茶を沸かしたいのかお前は」

 

 ああ、きっと彼らはそんなことを言うに違いない。ああ、笑え、笑えばいい。

 

 その深海棲艦というふざけた存在に、父を殺された子供がここにいるのだ。

 

 その深海棲艦というふざけた存在を、恨みに恨んで死んでいく母を見つめていた子がここにいるのだ。

 

 もう十分、この世界は狂っている。

 深海棲艦や艦娘という存在は、人類が積み上げてきた経験論であり、寄る辺としてきた『科学』の証明を覆した。

 

 もはや今の時代は何を信じ、何を求めれば良いのかすらわからない世の中になっている。

 そんな狂った世界で私は今、人を導く大きな意思をここに感じているのだ。

 

 『天運』という言葉がある。科学が発達する以前の時代、天変地異は神霊の意思によって起こるとされていた。天下を統治する権限は天にあり、徳のある人にその権限を与える。

 もし天がまだ人を見捨てていないのであれば、大きな力となりすぎた深海棲艦という存在に、もはや艦娘だけでは足りないと判断したに違いない。

 

 深海棲艦を打倒しうる何かを、天はあの男に与えた。或いはそれを持ってこの世のに生まれでた。そうとしかもう私は考えられない。

 

 この『奇跡』を私は信じたい。この天が与えた『奇跡』を私は頼りたい。

 

 「故に、貴方の力を貸して欲しい。この国を救うために、お願い致します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「わ、わかりました。が、がんばります」

  

 イケメンの真摯な言葉、周囲の集められた提督達の期待に満ちた視線に、男は頷かざるをえなかった。というか、気がついたら頷かされていた。

 この気分を例えるのであれば、「この仕事できるよね?ね?」と部長に言われた平社員のそれである。

 

 イケメンは演説の才能があったのか、男に対して懐疑的な提督達の心を一変させた。

 

 総司令官との会話を辿り、集まった面々の正当性を示す中で、イケメンは提督達と共に決意と想いを新たにしていった。

 さらには男がもたらした情報を裏づける出来事、報告が着々と集まってきている事を告げていく。

 

 次第に周囲の提督達も、イケメンと同じく男に敬意ある視線を向けるようになった。

 イケメンが話し終わる頃には、男への印象が「艦娘にセクハラする変態野郎」から「セクハラはするが、そこしれない知恵と力がある提督」と変わっていったのである。

 

 その裏には、彼の艦娘である大井の一件もあったのだ。

 

 あのように心に深刻な傷を負った艦娘の信頼を得ることは、決して容易なものではない。

 

 彼女達は理性を失い、暴力的になることも多く、時には提督が命の危険にさらされることさえ考えられる。その提督を助けるべく、他の艦娘が傷ついたり、時には悲しい結末を迎えることさえあった。

 しかし彼は新人であるにも関わらずそれを成し遂げ、どのような訓練を行なったのかは解らないが、艦隊相手に一人で戦い抜けるまでに育て上げた。

 

 そしてついにはありえないとされていた、他艦の標準装備の実装すら成し遂げてしまった。

 こいつならきっと、またとんでもないことをやらかしてくれるのではないか。

 そんな期待を提督達はこの危機的な状況の中で、より一層強く感じていたのである

 

 デブい提督なんかは「普段は昼行灯でも、実は裏ですごい実力があるとかwwwなんていうか心おどりますなwww」等と一人でさらに盛り上がっていた。

 髪が後退している提督に頭を叩かれて、すぐに落ち着きを取り戻していたが、デブい提督と同じ期待を周囲の提督達も感じている。

 

 その期待はイケメンでも応えるのが難しいもの。いや、男にしか応えることができない類のものであった。

 

 普通では勝てない戦いであることを、全員がよく解っている。無謀、無理、不可能。演習でさえこんなふざけたことはやらされない。

 

 しかし、この男はそれを打破できるような何かを持っている。これまでもそうしてきたし、今回もまたそれを示していた。

 

 困難、或いは不可能とされてきたことを可能にしてきた男にかけてみたい。彼ならば、再びやらかしてくれるかもしれないと目を輝かせる。

 

 彼らが期待を寄せていたものは、本人にとっては数多の過ち、失敗であったのかもしれない。

 しかし、それは紛れもなく素晴らしい結果を生み出していた。男の確かな実績であることは疑いようもない事実であった。

 

 提督達から熱い視線を受けた男は、脳内で「どうしてこうなった」と踊りながらも、その期待を受け止めざるを得なかった。

 

 

 彼が逃げることを、誰も許してくれなかったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 たった、一人の艦娘を除いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「どきなさい」

 

 地獄から聞こえる声は、きっとこのように恐ろしいものなのだろうと艦娘達は思った。

 

 「私達がどいたあと、何をするつもりだ大井」

 

 いつも薄っすらと笑みを浮かべる日向が、この時ばかりは笑みなく真剣な面持ちで大井と相対する。

 

 「決まっているわ。あいつらの頭に一人残らずこの砲弾を叩き込んであげるのよ。二度とそんな巫山戯たことをいえないようにね」

 

 艦娘としての装備を展開して気炎を纏う大井。その顔は鬼すら泣いて逃げるような形相であった。

 

 大井を取り囲む艦娘達の顔には、緊張と僅かな怯えが含まれていた。

 周囲の艦娘達は、決して大井を害しよう等とは考えていない。これからの作戦に大井の提督が大きく関わってくることを考えれば、大井の力は第一といっていい程に必要になってくるからだ。

 

 できうる限り、言葉で、穏便にこの場をおさめることができればと考えていた。願っていた。

 

 しかし、大井がそう思っていないのは明らかだった。

 

 「ふむ……。私はお前と争いたくはない、退いてはくれないだろうか」

 

 殺意だ。

 

 「退く?」

 

 「ああ、ここで戦えばお互い無事では済まないだろう。そうなればこれから行われる作戦の大きな障害になってしまう」

 

 僅かな濁りもない、純然たる殺意だ。

 

 「へぇ……」

 

 大井は周りの艦娘を殺してでも、この包囲を突破しようとしていた。

 

 「そんなの関係ないわ。どきなさい───いえ、どけ、日向。今度は前の演習みたいに撃破扱いでは済まないわよ」

 

 剣呑な雰囲気が一気に爆発した。

 

 まだ幼い駆逐艦が小さな悲鳴を上げた。軽巡の足が一歩、二歩と下がった。重巡は顔を引き攣らせ、戦艦と空母は額から汗を流す。

 

 肌が張り裂けそうな程にびりびりとした威圧感に、艦娘達は歯を食いしばって耐える。

 目の前にいるのは同じ艦娘、同胞である。さらにはたった一人を集団で囲んでいる状態だというのに、どうしてここまで気圧されるのだろうか。

 

 これまで彼女達は敵意や殺意というものを、戦場で嫌という程に経験させられてきたはずであった。

 しかし大井から発せられる怒気の凄まじさたるや、まるで深海棲艦達の大波に晒されているかのようにさえ錯覚させられるほど。

 これほどに怒りに打ち震えて心に底冷えする声や、例え命を落とそうとも殺してやるという確固たる決意の下に放たれた殺気は、あの空虚な深海棲艦達からは感じることができないものだ。

 

 歴戦の艦娘達が尻込みする中、ただ一人、日向だけが堂々と殺意を受けて立っている。

 

 「ふむ、なるほどな。確かに以前の私はお前に魚雷をぶつけられて負けたわけだが……」

 

 ふぅ、と息をついた後。日向は不敵に微笑む。

 

 「今度ばかりは負けるわけにはいかない。このままお前を行かせてしまっては、深海棲艦と戦う前に日本は終わりだ」

 

 釣り上がり、ぎらぎらと怒りに燃えた瞳が日向を射抜く。

 しかしここで怯んでは瑞雲に申し訳がないとばかりに、日向も大井をじろりと睨みつけた。

 

 「事はあのときのように、私や私の艦隊、私の提督のメンツだけの問題ではない。この存亡の危機に立ち向かうためにも、お前を行かせるわけにはいかないのだ。そしてお前の力も必要なのだ。……解ってくれ、大井」

 

 「どうでもいいわ」

 

 「どうでもいい」という言葉に、日向や他の艦娘達は一瞬何を言っているのか分からなかった。

 

 「日本も、軍も、艦娘も、他の提督や艦隊も、国民も、一切合切どうでもいい。だから退きなさい」

 

 それは艦娘としての存在の否定であった。

 

 日本を愛し、国民を護るために艦娘は生まれた。その影響は無意識に彼女達の精神に強く働いており、だからこそ独自に動くこと無く提督を上に置いて人に従っている。

 

 大井の発言はその艦娘のアイデンティティを大きく揺るがすもの。本来、艦娘から発せられるような、発して良い言葉ではなかった。

 

 驚いて艦娘達が固まる中、その隙をついて大井が包囲を突破しようと試みることが出来なかったのは、日向だけが大井の言葉に動じず、その真意を聞かんと気を緩めていなかったからである。

 

 「では何を護る」

 

 「あの人以外にいるわけないでしょう」

 

 「お前の提督を護るためにも、お前は戦うべきなのではないのか」

 

 日向は大井の考えていることが解らなかった。それ故に、正面から向き合って言葉を交わそうとしていたのだ。

 それは理性あるものとして尊い行いだったかもしれない。正しい行いだ。

 

 だが、正しい行いが為されるこの世の中というのものは、いつだって不条理なものである。

 

 「あの人が戦いたいわけがないでしょう」

 

 ぽつり、と大井は言った。

 

 「あの人が意気揚々と勝つために作戦なんて考えるはずがない。恐る恐る、自分はなんとか脇にいてやり過ごそうとするはずよ」

 

 次の言葉には悲しみがあった。

 

 「あの人が自分から臨んで戦場に行こうなんて思うはずがない。傷つくことが怖くて、戦うことが怖くて、戦場に夢を見ないあの人が、自ら進んで戦う立場に立って指揮をしようとするはずがない」

 

 次の言葉には怒りがあった。

 

 「お前たちの提督が、軍部が、勝手に神輿を担いで縛って乗せようとしない限り、あの人が先頭に立って戦おうとするはずがない」

 

 変な話だとは思っていた。

 

 多くの艦娘が負傷し、沈み、深海棲艦からの大きな反撃を恐れる今。連合艦隊の再編のために燃料一滴、鉄くず一つすら惜しい中、昔から申請していた大井の改造要請が突然に許可され、実行されるに至ったのか。

 

 『改造』

 

 それは艦娘の成熟に伴い、戦闘の経験がある程度達した歴戦の艦娘にのみ行うことができる。

 大規模な艦の改造工事により、艦娘は第二次段階へと移行。基本能力値が大きく上昇するのだ。個体によっては艦名・艦種の変化、装備可能な装備の変化、容姿の変化も発生するという。

 

 しかし、そのためには多大な資材を消費しなければならない。

 今の軍部には、改造が可能となったからと全ての艦娘を改造できるほどの余裕はなかった。

 

 大きな役割が求められていない艦娘に改造工事を行っても、費用対効果は良いとは言えない。

 弱く、すぐ沈んでしまうような艦娘に対しても意味はない。捨て鉢の役割を与えられた艦娘や、どうでも良いような提督の艦娘もまた同じであった。

 

 つまり戦場に出撃し続けるだけの立場と、実力を持つ艦娘だけが改造工事を受けることができたのだ。

 

 例えどれだけ提督や艦娘が力が欲しいと改造を望んでも、はいどうぞと簡単に受けられるものではない。

 有能な提督の艦娘、前線に赴く実力ある主要な艦娘だけが受けることができる改造工事。

 それをいったいどうして、うだつが上がらず万年横道を歩いている提督と、素行不良で厄介者扱いの自分が受けられるようになったのか。

 

 顔見知りであるいけ好かない提督の吹雪と、同じ連合艦隊に所属していた扶桑姉妹。二人が自分の提督の躍進について笑顔で話しかけてくるまでは、不思議で不可解で不気味で落ち着かなかった。

 

 そして大井は怒髪天を衝くこととなる。

 

 あれだけ冷遇し、あざ笑い、軽んじて、馬鹿にしてきたにも関わらず随分と都合が良い話ではないか。

 はれもの扱いしてきた自分を、提督を、こんな時だけ英雄扱いして引っ張り出す軍部のその姿勢。巫山戯るんじゃない。気に食わない。許すわけにはいかない。

 

 「それは違うぞ大井。我々の中にはお前とその提督を認めている者がいる。案じていた者がいる。この中では暁型の太田提督、扶桑姉妹の臼井提督、吹雪の山本圭介提督もまたその一人だ。決してお前の言った者達が全てではない」

 

 「何も違わないのよ日向。例えそうであっても、彼らが何をしてくれたというの。私達に何を与えてくれたというの」

 

 何もしてくれなかったでしょう、その言葉はあまりにも重いものであった。

 

 ここにいる艦娘達は皆、なんらかの傷を負っている。

 助けられる命を見捨て、叫ぶ声に耳を塞いで戦ってきたからだ。

 

 自分達の身を護ることで精一杯であり、他人への施しがいつ自分達に足りないものになるか、足を引っ張るものに変わるのか解らない。

 そんな中で歯を食いしばり、不義を背負い、懸命に戦ってきた彼らを、生き延びてきた彼女達を誰が責めることができるのだろうか。

 

 それは仕方がないことであったのかもしれない。事実、大井はそれを責めるつもりはなかった。ただ、事実を突きつけただけだけである。

 

 「私を支えてくれるものは何もなかった。何もなかったのよ……ッ!」

 

 大井の声は大きなものになる。

 いつしか、声には怒り以上に大きな悲しみが表れていった。

 

 「大好きだった北上さんは沈んだッ!提督は私を捨てたッ!かつての仲間は私から目を背けたッ!誰も私の側にいてくれなかった、受け入れてはくれなかったッ!誰も彼もずっと、ずっとッ!!!!!」

 

 北上が沈み、提督の言葉を受けて以降。狂ってしまった。私は狂ってしまった。

 

 突然の涙が止まらず、感情の発露が止まらず、身体も心も制御ができない。思うように動けず、解っているのに想いの暴走が止まらなくなっていた。

 北上が沈んだ光景が、起きている時も寝ている時も突然に目の裏に浮かんでくる。

 

 そんな自分を周囲が見捨てたことは、仕方がないことだったと大井は解っている。

 平時の世の中であれば、そんな大井を受け入れてくれる心の余裕も、心を癒やしていく時間の余裕もあったのかもしれない。

 

 しかし、誰も彼もが生きることで精一杯であった。

 

 心に傷を負った艦娘に向き合う余裕もなければ、そんな仲間をカバーする気力が続くほど深海棲艦の攻勢は甘くはなかった。

 その一瞬の気の緩みが、疲れが命を奪っていく戦場。グリーフのケアなどという概念が生まれるはずもない、恐ろしい命の奪い合いの世界。

 

 大井もそれはよく解っていた。他ならぬ自分もまた、同じ立場であったならばそうしたに違いないからだ。

 

 事実、現代でいうところのPTSDを患った艦娘に対して、それ以前の大井は「弱いからそうなったのではないか」「気構えが足りなかったのではないか」と思っていた。

 だからこそ自分がそうなってしまったことに苛立ち、戦場に立つことが出来ない現実に自尊心が削られ、情けない自分の有様に吐き気を催して何度も嘔吐した。

 

 自分がなってみて気づく。こんな情けない姿に彼らもなりたくてなっていたわけではない。これはいくら気構えていても、どれだけ肉体や精神が強くとも関係がないものであったのだ。

 

 本当に大切な人が追い詰められていく。突然、無残に死んでいく。その死が貶められる。その有様をまざまざと見せつけられていく。

 

 その痛みがこんなにも大きなものだったなんて。こんなにも辛く、苦しいものだったなんて、大井は知らなかったのだ。

 

 いくら気丈に振る舞っていても、鋼鉄のように強い身体を持っていてもその痛みからは逃げられない。

 そして一度くしゃくしゃになった紙がどんなにのしてもキレイな紙にならないように、それが心の傷になってしまえば、どんなに治そうとしても治らない。

 

 ならばこの痛みを受け入れるしかない。だがどんなに考えても、悩んでも受けいれることができなかった。

 

 大井は狂った。

 それはかつて大井が山ほど見てきた終わった艦娘の姿だった。ただ生きているだけ。役立たずで無能。

 大井はそれが自覚できたからこそ、気の強い大井がなりたくなかった姿だったからこそ、さらに自分を深く傷つけていった。

 

 加えて過酷な世界、戦争、状況がその心の傷をより深く、より広くしていった。大井の大切なものをさらに傷つけていった。

 大井には侮蔑の視線と、哀れみの視線だけが向けられるようになる。大井にとっては、そのどちらの視線も耐え難いものだった。

 

 ────そんな視線を、私に向けるなぁッ!違う、違うのよッ!今の私は本当の私じゃないッ!こんな情けない私が、私であるわけがないッ!

 

 ────私は戦えるッ!

 

 ────いや、いや、いやぁッ!戦いたくないッ!!もう、大切な人が、大切な誰かが沈むなんて耐えられないッ!!え、いや、違う!?私はまだ戦えるはずなのに……ッ!?

 

 ────ああ、北上さん、北上さん。

 

 ────死にたい、私はもう生きていたくない。

 

 ────生きたい、私はまだ、死にたくはない。

 

 

 

 

 

 

 ────誰か、助けて。

 

 

 

 

 

 

 悲しみ、狂う大井に目を向ける者はいても、彼女を助けてくれる者はいなかった。誰もいなかった。彼女の苦しみや痛みを知っていても、どうしたら良いのか解らなかった。そしてその答えを共に探していく時間も、余裕も、自由も彼らは持っていなかった。

 

 艦隊を転々とし、ますます自分が嫌いになった。自信を失い、誇りを失い、不甲斐ない自分の姿に葛藤し、侮蔑の視線に怯え、同情の視線に怒り、心の傷がどうしようもなく広がっていった。

 

 このまま廃人になるのが早いか、処分が早いかというその時。

 

 『え、えー……。その、よろしくな』

 

 彼女は一人の男と出会った。

 

 冴えない男だと思った。これまで出会ってきた人間の中で、ここまで自信がない男は見たことがなかった。

 

 ────風のうわさで自分が最低の提督に、嫌がらせ同然に押し付けられるとは知っていたけれど、ここまで落ちるなんて。

 

 情けなさと、悔しさで胸がいっぱいになった。

 自分の死に場所はここだろうと、つまらない死に方をするのだろうと考えた。

 

 しかし、そうはならなかった。大井の想像もしない日々がそこから始まったのだ。

 

 「あの人だけは違ったッ!地獄のような日々にいた私に何度も手を差し伸べ、話を聞いてくれたッ!側にいてくれたッ!」

 

 心からの叫び。魂の叫び。

 何時しか大井の目には涙が溢れていた。ぽろぽろと頬を伝い、床へと落ちていく。

 

 何度も怒鳴った。

 理不尽な怒り方。支離滅裂な言葉と感情の羅列。

 

 それでもあの人は私を拒絶せずに、側に居てくれた。ずっと、ただ黙って、ときに相槌を打ちながら聞き苦しい罵詈雑言を受け入れてくれた。見苦しい自分から目を逸らさず、ずっと最後まで見ていてくれた。

 

 あの人は私といる時にどんなに苦しかっただろうか。どんなに辛かっただろうか。どんなに嫌になっただろうか。

 その痛みを理解しながらも、私は全く異なる行動をとってしまう。見せたくない姿を見せてしまう。

 情けない、本当に情けない。自分が傷ついているから、人を傷つけるような存在にはなりたくなかったというのに。

 

 戦闘、演習で私に指図するなとあの人に言った。

 艦娘に提督が指揮をしないなど、あっていい話ではない。馬鹿な事をしていたと思う。だが感情に振り回される自分を止められなかった。

 

 だがあの人は、頬を引き攣らせながらもそれを飲み込んでくれた。

 歯痒かったかもしれない。苛立ったかもしれない。多くの提督に馬鹿にされていた。多くの艦娘に呆れられていた。何度も負けた。何度もあの人の名誉を傷つけた。

 

 でもあの人はいつも終わった時に、『笑顔』で迎えてくれたのだ。「お疲れ様」と、このどうしようもないほどに情けない私に言ってくれたのだ。

 

 あの人はいつでも受け止めてくれた。いつだって受け入れてくれた。そして────

 

 

 

 『……自分は、大井が必要だ』

 

 

 

 

 ────私を、必要としてくれた。必要だと、言ってくれたのだ。

 

 『他でもない、大井だからこうして、こんな自分でも提督やれている』

 

 あの時、私がどれだけ嬉しかったことか。

 

 『大井は死にたいかもしれないけど、俺は死にたくない。俺は、自分が死にたくないから、大井を沈ませない』

 

 その言葉が、どれほど重く、暖かく私の心に届いたのか。

 

 『だから、そんな身勝手の俺を、これからも不満ぶち撒けて、怒って、馬鹿にして、全部ぶつけていいから。……いろいろと』

 

 その言葉が、私を許してくれて、助けてくれて、認めてくれるものであったことを。あの人は気がついてはいないのだろう。

 

 それを伝えることはない。それは私だけの宝物。私だけがその時に見ていた、あの人の輝きであり強さだ。

 

 あの人は優柔不断で、男気がなくて、情けなくて、すぐにヘタレるし、ピーマンが苦手な子供舌だ。

 でもそれ以上に、あの人は優しいのだ。こんな私に寄り添ってくれるほどに、こんな私を支えてくれるほどに。

 

 私はその輝きに、その強さに救われた。

 今だって胸に燻る激しい想いは一度だって収まっていない。あの光景は変わらず夢に表れ、感情が爆発し、手が震える事も少なくない。それでも、あの人が側にいる、あの人の隣に立っているのだと思うと不思議とこの想いと向き合っていける。

 

 段々と穏やかな北上さんとの記憶を夢でみるようになり、感情が暴れそうになるのを落ち着かせることができるようになり、手の震えがあの人の姿を見れば止まっていた。

 

 あの人がいたから、私は北上さんの死と向き合うことが出来た。

 

 あの人がいたから、私は北上さんの死を認め、まっすぐに彼女の安寧を祈ることができる。

 

 あの人がいたから、私は北上さんとの暖かな記憶を噛み締められる。

 

 他の誰でもない、あの人がいたから、私は今こうして両足でしっかりと立てるようになった。

 

 この感謝は伝えようと思っても、言葉で伝えきれるものではなかった。

 だから私はこの一生を、この命を、この大井の全てをかけて彼に償っていく。

 

 見返りは必要ない。

 もう十分、私はあの人からたくさんのものをもらった。私個人の為にこれ以上求めることはない。あってはならない。

 

 「私達の使命は国や国民を護ること。人間を、我々よりも弱い存在を護ること」

 

 「でも私は強くはない。弱い。情けなくて、見苦しい」

 

 「そんな私であっても、あの人を、提督だけは護らないといけない」

 

 「どきなさい、日向。あんたらの都合であの人を危険にさらすわけにはいかないのよ。戦いたいなら、戦いたい連中だけでやってなさい。私と、優しいあの人を巻き込もうとするな。自分の不安や弱さを、あの人に押し付けようとするな。あの人はきっとそれを拒めない」

 

 信念を噛みしめるかのように、覚悟を噛みしめるかのように大井は艦娘達を睨みつけた。

 

 大井の想いを聞いて艦娘達の顔はより一層堅いものとなった。彼女達は大井が退くことはないと理解したからだ。

 

 真の提督に出会った艦娘が、提督に想いを寄せた艦娘が退くことはない。そして裏切ることはない。

 自分達もそうである。だから彼女もまたそうなのだろうと理解した。

 

 大井は提督を護りたい。だから戦わせるわけにはいかない。

 他の艦娘達は国を、国民を、提督を、仲間を護りたい。だから大井の提督には戦ってもらわなければいけない。

 

 こうなると何方が重いか軽いか、価値があるかないか、重要かそうでないかの話ではなくなってくる。

 互いのエゴのぶつかり合いであり、例えわかり合えるのだとしても戦うしか道はないのだ。

 

 お互いの大切なものを護るために、血が流れようとしていた。

 

 「ふふふ、そうか。なるほど、大井は幸せものだ。……しかし悪いな。昔の私とは違い、今の私には瑞雲がある。悪いが負ける気はないぞ」

 

 ……日向が後部甲板を大井に見せびらかし始める前までは。

 

 「……日向、こんな時ぐらいはふざけなくてもいいんじゃない?」

 

 同じ提督のもとで戦う伊勢が、視線を大井に向けたまま頬を引き攣らせた。

 その言葉に日向はムッとした様子ですぐに反論する。

 

 「むっ……。伊勢、私はなにもおかしいことは言っていない。前の私は戦艦であるが故に、瑞雲が足りなかった。しかし今の私は航空戦艦、つまり瑞雲がある。これでどうして負けるというのか」

 

 日向は自信満々に呵呵と笑った。

 

 室内で瑞雲を飛ばす。

 なるほど、絶対に砲撃のほうが良いだろう。というか、攻撃能力も低い瑞雲を飛ばしてなんだという話だ。まるで対抗策にはなっていない。自信の根拠にもならない。

 

 現に日向の後部甲板にいる妖精達は、「ほんとうにとばすです?」「われわれにもとめるものはなんぞや?」「とっこう?」「かみかぜです?」と既に混乱状態にあった。

 

 大井も幾分か気が削がれたのか、殺気が薄まりイライラした様子を見せ始める。

 全員が日向を白い目で見ている中、彼女は「ふむ」と息づいて口を開いた。

 

 「この姿になれたのは、今回の作戦の要として航空戦艦が必要とされたかららしい。そうでなければ、私は何故か評判が悪い航空戦艦になることが叶わず、その汚名を返上する機会にも恵まれなかった。つまり、お前の提督のおかげなわけだ」

 

 大井はその言葉に眉を微かに動かす。それを見て日向は微笑むと、装備の一切を解除した。

 周囲の艦娘が驚いた。一番危険な位置にいるのは日向だ。自ら危険を晒したことに伊勢が憤りそのまま声を上げようとしたが、日向はそれを片手で制した。

 

 ……もう片手?もちろん、飛行甲板だけは残して愛おしげにさすっているとも。

 

 「それで大井よ、お前はこの事を知っていたのか」

 

 「……何を言いたいわけ?」

 

 意味がわからないとばかりに顔を顰める大井に、日向は一つ頷いてみせる。

 

 「知らないということだな。ふむ、ならばお前でも知らないことがあるということだ。ならば一度、お前の提督とお前の決断と想いについて、しっかり話し合ってみたらどうだ」

 

 空気が凍った。

 唯一、日向だけは平然とした様子を崩していなかったが、他のどの艦娘も彼女の言っていることを理解できなかった。

 

 「お前の想いと提督の想い、お前の決断と提督の決断。この件と同じようにすれ違い、理解しているようで理解していないこともあるのではないだろうか?それを確認してからでも遅くはないだろう」

 

 諭すように、落ち着かせるようにゆっくりとした口調で提督との話し合いを勧める日向。大井はこれに激しい怒りを覚え、さっと顔を赤く染める。

 

 「何を巫山戯たことを……っ!あの人を知らないあなたが何を……っ!」

 

 「そこだ、そこなんだ大井」

 

 日向の瞳に真剣さが宿る。その鋭い眼差しに、大井の口から飛び出そうとしていた言葉が留められる。

 

 「お前は間違っていないと思う。お前の言う通り、彼は戦うのが嫌で、臆病なのかもしれない。だが、そんな男がどうしてこの局面で自死せず、或いは強引にでも逃げ出そうとしないのか解らない」

 

 ただの臆病者、勇気がない連中であれば、どうやってもこの現実から逃げようとする。

 だが大井の提督はこの現実を受け入れている。諦めもあるのかもしれないが、その後の動きを思うと諦めという言葉に収めるにしては随分と積極的にも思える。

 

 「大井、私は確かにお前ほどお前の提督の優しさを知らない。だがお前をそこまで支えた益荒男であるならば、或いは『護る』ために立ち上がったのかもしれないぞ。男子たるもの三日合わざれば刮目すべしと言うだろう。何かがお前の知る男を変えたのかもしれない」

 

 「よくもまぁ、そこまで口が回るものね。言いがかりをつけて、私を惑わしてあの人を戦場に連れて行かせるつもり?」

 

 「言いがかり……か、そうだな。無論、この言いがかりに近い説得に責任を持とう。私はお前の提督に航空戦艦の恩がある。もしお前が言うとおり彼が戦うことを拒んでいたのであれば、軍からお前と提督が逃げ出すことを手伝うとしよう」

 

 その言葉に衝撃が走る。大井だけではなく、他の艦娘すらも呆然とした様子で日向を見つめた。

 

 「……ちょっ!?日向、あなた本気!?」

 

 「本気も本気だ。お前も手伝え伊勢。同じ恩があるだろう」

 

 「いやいやいやっ!?なんで私までっ!?」

 

 「この通り、伊勢も乗り気だ。どうだ、大井。お前とて提督の意思を反故にしてまで、自分の意思を貫きたいとは思わないはずだ。それでは私達がしたように、提督の意思を無視した自分の押し付けになってしまうからな。だから今すぐ、提督へ確認するためにも会いに行くべきだろう」

 

 「少なくともあんたは私に押し付けてるわよっ!?え、いや、本当にやるの?ねぇ日向、ねぇってば!」

 

 「の、乗り気とはいったい……」

 

 焦る伊勢に、『乗り気』の意味を考え直さなければいけない吹雪。

 それをぽかんと見ていた他の艦娘達も、日向の「お前達も装備を早く解除したらどうだ」という言葉に、あたふたと慌てた様子で解除していく。

 

 ついには、装備しているのは大井ただ一人となった。

 もし大井がこの包囲を突破しようとしても、これでは誰も止めることはできない。仮に止めようとしても再装備が間に合うことはないだろう。

 

 流石の大井もこの事態を予想できなかったのか、若干の戸惑いを感じつつ日向を睨む。

 

 「何のつもりかしら」

 

 「恩を返そうとしているだけだ、他意はない。それに大井には無理やり戦ってもらうのではなく、心から信頼がおける仲間として共に戦いたいのだ」

 

 「……何よそれ」

 

 「無論、この手助けするという約束は、お前が逃げ出した後までの話だ。お前を見送り、そして提督から再度指示を受ければお前を追わせてもらう。流石にそれ以上はうちの提督に申し訳がない」

 

 「……それって、本当は隠しておくべきことじゃないのかしら?」

 

 そうだろうとは思っていた。しかしこうも思っていることをべらべらと話す姿は不気味に感じた。

 だから大井は日向を疑っていたのだが……。

 

 「私は嘘が嫌いだ。何故に恩人の艦娘に嘘をつかなければならない。私が間違っていたら、その時はその時だ。手伝い終わったら追いかける。捕まえられなかったら……。まぁ、それもその時はその時だな」

 

 キョトンとした様子で日向は大井を見つめた。

 思わず構えが崩れそうになったが、なんとか大井は持ちこたえる。ちなみに周囲の艦娘は完全に体勢を崩していた。何人かの艦娘は下着が見えてしまっていた。

 

 「第一、お前も私達の提督を殺してしまっては、提督を連れて逃げ出すどころの話じゃないことは解っているだろう。問題はどう逃げ出すかの話だ。一度逃げ出せれば、上手いこと遠くに行ければ、もしかすれば深海棲艦を優先して諦めてくれるかもしれない」

 

 伊勢が、吹雪が、大井を囲む艦娘達が呆気にとられた様子で日向を見た。

 

 「追われる時には私達の装備や砲弾も潤沢。さらには提督の指揮を受けて気構え十分だ。だが今の我々は本気で戦うこともできないし、対応も悩むしか無い。今この場でなら大きな混乱と被害を私達に与えることができる。それに施設の鎮火と隊の再編、艦娘の治療も考えると、お前たち二人を追うのには膨大な時間がかかる。場合によっては追跡を諦め、作戦を始めるしかないかもしれない。……しかし、それでもリスクは高いと私は思うぞ。何故ならば────」

 

 間を開け、息を吸い込み、飛行甲板を掲げ、撫でる。

 

 「ここには航空戦艦である私と伊勢、扶桑姉妹がいるからな。しかも瑞雲もいる。瑞雲がいるとも」

 

 自信ありげに微笑み、飛行甲板をさする速度を何故か上げる日向。

 その姿はとても嬉しそうだった。もう一度言おう、とても嬉しそうであった。思う存分、航空戦艦を誇りながらさすって大井に見せつけていた。

 

 「……あの航空戦艦への謎の自信が羨ましいわ、山城」

 

 「……あれはただの馬鹿です、扶桑姉さま」

 

 すっとんきょうな日向の様子を見て、白い顔をした二人が疲れたように大きくため息をついた。

 

 そして扶桑、山城は二人並んで扉の方へゆっくり歩いていく。大井の横を、日向の横を通り過ぎる。ついに扉にたどり着くと、山城がガチャリとその扉を開けて扶桑と共に大井へと振り返った。

 

 「……いつの間にか、勝手に瑞雲馬鹿の仲間にさせれてしまいました。これは仕方がなく、仕方がなくですよ大井。そうですよね、扶桑姉さま」

 

 「……そうね、日向の仲間にされてしまったわ。このままだと日向が倒されたら、次には私達が袋叩きにされてしまう。だったら日向が倒れる前に、大人しく味方になってあげるしか無いわね。それにここで言い争って戦って、みんなが傷ついてしまうよりはずぅっとマシなはずだもの」

 

 「……不幸だわ」

 

 「……ええ、不幸ね」

 

 扶桑、山城の姉妹の顔は、不幸不幸とは言いながらも笑顔だった。

 それはなんとも力無く、儚いものであったが、短い付き合いの中で大井はそれが本心からのものであると不思議とわかったのだ。

 

 それを見ていた日向は、口笛を鳴らして「意外にも乗り気じゃないか」と機嫌良さげだ。ちなみに伊勢は頭を抱えている。

 

 「あなた達まで……」

 

 「ふむ、流石は同じ航空戦艦。伊勢、二人は『心意気』というものが解っている。これはきっと瑞雲のおかげだな」

 

 「瑞雲馬鹿は黙ってください。大井、ここで他の連中は見ていてあげますから早く行きなさい。言っておくけど、私も扶桑姉さまも改造された戦艦には火力が劣りますから長くは持ちませんよ。同じ改造をしているのに、この差はなんなんでしょうか」

 

 「あなたがいっぱい頑張ってくれたから、誰も沈まなかったと提督は喜んでいたわ。私達も嬉しかったの。ありがとうね、大井。願わくば貴方と一緒に、貴方の提督と一緒に、無理やりにではなく真の戦友として戦える日が来ることを願っているわ」

 

 「誰かが沈んで、心を痛めて提督の髪が減ることが避けられて良かったもの。まぁ、私達の行動で結局は胃を痛めて髪が減ることにはなりそうだけれど……」

 

 「いっぱい、謝らなければならないわね」

 

 「そうですね。……でも扶桑姉さま、誰かを守れなくて沈めてしまって謝るよりは、ずっと心は楽ですよ」

 

 「……そうねぇ、それは間違いないわ」

 

 くすりと扶桑が笑い、山城も笑った。

 

 「私達は何もあなたにしてあげられなかった。だから、そうね、こんな時ぐらいは味方になってもいいと思うわ」

 

 「変な遺恨を抱えながら沈んだら、より不幸よね……。私もあなたもそれは同じよ、大井。逃げる時も助けてあげるから、行ってきたらいいじゃない」

 

 何故、という混乱が大井の頭の中でぐるぐると回っていた。

 

 これまで沢山の悪意を浴びてきた大井は、人の悪意に敏感に反応できる。しかし日向達からは全くそのような悪意を感じることは出来ず、心から笑って大井を送り出そうとしているようにも見えた。

 

 自分の感性が伝えた理解を信じることが出来ず、戸惑いが深まっていく中。

 その光景を見ていた艦娘達も互いに顔を見合わせて、そして……。

 

 「はぁ、航空戦艦の四人。それも扶桑さんまであちらにいるんであれば、私も考えちゃうじゃないですか……。ここで争ったら今後の戦いにも遺恨を残します。大井さん、さっさと行って、すぐに逃げてください。すぐに私も頑張って捕まえますから」

 

 「あら、貴方は芋が足りている吹雪ちゃんね。赤城さんよりも私を尊敬してくれるなんて……嬉しいわ」

 

 「それはどういう意味ですか、扶桑さん……」

 

 「え、唐突に私の名前が出て驚いたのですが」

 

 「赤城さん、あまり気にしてはいけないわ。きっと頭が痛くなるだけだとも思うから」

 

 イケメン提督の吹雪を皮切りに、次々と艦娘が声を上げていく。その様は実に楽しげであった。

 

 「えーと、千歳姉。これってもしかしてさ」

 

 「私達も水上機母艦として冷遇されてきたからね。私達を見捨てず、ずーっと一緒に戦ってくれていた提督のお心に報いる機会を与えてくれたんだから、一回ぐらいは見逃しちゃいましょう」

 

 「よし、わかった!それじゃ大井も気をつけてねー!」

 

 「え、で、でもだめじゃないの?え、止めなくていいの?」

 

 「暁、大人のレディ足る者、常に余裕と『ゆうがたれ』って言うらしいよ。だからこれも『ゆうがたれ』ってことなんじゃないかな」

 

 「え、あ、そう!ならレディな私も問題ないわね!」

 

 「はわわわ、あ、暁ちゃんが響ちゃんに騙されてる……」

 

 「大井さん、しっかりねっ!ちゃんとしっかり自分の想いを伝えないと駄目よっ!」

 

 「い、雷ちゃんまで……」

 

 「Wow!バッチリ決めるのデスヨ大井!いっそキスしちゃえばいいネーっ!」

 

 「「「お姉さまッ!!??」」

 

 いつしか、全員の艦娘が大井を送り出そうとしていた。

 駆逐艦も、軽巡も、重巡も、戦艦も、空母も。全員が嬉しそうに、楽しそうに笑っていた。

 

 彼女達も苦しい仲間を見捨てて戦いたくはなかった。見捨てて生きていたくはなかった。

 一緒に笑いながら、遊んで、酒を飲んで、騒いで、ご飯を食べて、眠って、泣いて、悲しんで、喧嘩して、仲直りして、また笑って。そうして楽しく、日常を謳歌しながら戦っていきたかった。

 

 これから深海棲艦との激しい戦いが待っている。

 全員が無事で済むとは思えない。血を流し、涙を流し、怒り、苦しみもがきながら、この中の誰かが海の底に沈んでいくのだろう。

 

 だから、誰も後悔したくなかった。仲間を応援できず、支えることができず、戦わなければいけない後悔などしたくはなかった。

 

 ここにいる誰もが無理やりにではなく、心から信頼して大井と一緒に戦いたいと願っていた。

 

 この出来事の裏には、大井の提督の影響があったのかもしれない。

 彼が示した情報が、彼を信頼する提督によって作戦となり、彼を信頼する提督に影響された提督たちが集められた。

 

 だからだろうか、ここに不当に扱われた艦娘はいない。彼らの提督達は心ある存在として、戦うパートナーとして艦娘を受け入れていた。

 彼らの艦娘の誰もが自分の提督を好いていたし、信頼していた。自分の仲間の死を素直に受け入れて悲しんでいた。そして、自分が提督と仲間の為に死ぬ覚悟ができていた。

 

 それはこの世界には滅多に見られないような提督と艦娘の在り方。しかし、大井の提督の世界ではよく描かれていたものであった。

 

 ある意味では、これこそが老年の提督が希望を見た艦娘と提督の在り方なのかもしれない。

 

 後日、この出来事を知った提督達は、怒ったり、呆れたり、苛立ったりしながらも、彼女達にはそれ以上何も言わなかったという。

 

 さて、大井は顔を赤くして苛立った。どうしてだか解らないが、顔と胸が熱いし、この状況にどうしようもなくイライラしたのである。

 

 それは怒りとは違うものだったが、大井はその感情がよく解らなかった。

 大井はこれほどの笑顔に囲まれ、応援されることは生まれて初めてだった。他の艦娘達もこんなに沢山の仲間と一緒に、人を応援するのは初めてだった。

 

 「~ッ!」

 

 大井は扉を蹴破るようにして飛び出していった。

 後ろでは艦娘の大歓声が響く中、伊勢がこそこそと日向に歩み寄り、耳に口を寄せた。日向が怪訝な顔で耳を傾ける。

 

 「……日向、あなたもしかしてだけど」

 

 緊迫した状況。血を見るかどうかの修羅場の中で、この姉妹が何を想っていたのか伊勢は気になっていた。

 だからその本音を知りたいと、こうしてわざわざ確認しに来たのだ。

 

 「……ふふ、どうかな」

 

 いつの間にか手に持っていた瑞雲を手慰みにしながら、日向は意味深げに微笑をこぼした。

 

 「……はぁ、もういいわよ。でも本当に逃げることになったらどうするの?私達の提督も罷免されかねないし、私達だって下手すれば解体処分をうけることになるわよ?」

 

 「む、そんなことを心配していたのか。それはないだろう」

 

 「な、無いって……。よくもまぁ、そこまで能天気になれるわね」

 

 姉妹の言葉に伊勢はムッとした様子で言葉を返したが、日向は静かに首を横にふった。

 

 「能天気ではない、私は確信している。大井の提督はただ優しいだけではなく、きっと強い芯がある。『逃げられない』ではなく、『逃げない』と思っているはずだ。大井からの話を聞く限り、まず間違いないさ。それは大井にとって、より辛いことに直面することになるのかもしれないがな……」

 

 日向は大井が飛び出していった扉へと、心配そうに顔を向けた。

 伊勢は飄々とした妹が普段見れないような顔を見せていることにとても驚いた。

 

 「え?だ、だって大井本人がそう言ってるじゃない?『逃げたいはずだ』って……」

 

 「……大井はこれまで、本当に心を許せる提督に出会うことが無かった。だからその出会いが提督からすればどのような意味を持つことになるのかを、あいつは理解できていないのだろう」

 

 日向は目を瞑り、先程涙を流していた大井の姿を思い浮かべる。

 

 「提督が護りたいと思うものは、決して国や国民、家族の命だけではない」

 

 彼女の提督を遠目で見たことが一度ある。あれは演習の後だっただろうか。

 うむ、確か顔は引き攣っていて、大井に若干怯えていたのを覚えている。

 

 ……む、心なしか少し不安になってきた。

 

 「まぁ、男が女には見せない顔があるように、提督が艦娘に見せない顔と覚悟がある。大丈夫だ」

 

 「ねぇ、日向?大丈夫なのよね?ね?」

 

 顔が怖くなってきた伊勢に苦笑しながら、日向は提督と向き合うことになるだろう大井を想う。

 

 「安心しろ、伊勢。大井の提督は必ず未来のために、いや、────大井のために戦う」

 




 扶桑リスペクト吹雪が、アニメでは赤城さんに靡いていた。多分、芋がたりないんだと思う。

 冗談は置いておいて、何とか書き終わりました。
 途中、どう書いたらいいのか解らなくなってデレマスとクトゥルフの二次創作を書いてましたが、そこで得た不定の狂気の勢いそのままに書き続けることができて良かったです。

 当初の予定では瑞雲師匠の瑞雲馬鹿なし。というよりも瑞雲師匠の出番なし。さらに言えば他の艦娘の出番もなく、大井も抑えめにしたまま一万字以内でした。

 そしたらなんか物足りなさを感じてしまい、うんたらかんたらしてたらこうなっておりました。結果は二万字を超えてしまいましたが、すごい私は楽しかったです(小並感)

※2019年3月5日
半分完成(約17000字)。あと半分ぐらい。

※2019年5月20日
前回から全部書き直して文体を整えて、
大井と提督の覚悟完了までの流れは完成(約17000字)。
姫との戦いの部分まで入りたいので、もう少し書きます。


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