続・君の名は。黄泉からの声・死霊の復讐 (高尾のり子)
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1話

続・君の名は。黄泉からの声・死霊の復讐

 

 

 

 宮水三葉は、ずっと探していた人に会えていた。

 ずっと会いたかった。

 ずっと探していた。

 もう7年になる。

 東京に来て、どこかにいるはずの彼を、ずっと探していた。

 そして、会えた。

「君の名は…」

 その問いに、三葉はキスで応えていた。階段を駆けて抱きつくようにキスをしていた。

「ぅっ?! ……………」

 いきなり初対面の女性からキスをされて、立花瀧は驚いたけれど、本当は初対面でないことも感じていたので、抱き返していた。三葉が嬉し涙を流しながら告げる。

「ああっ! ずっと会いたかったの!」

 瀧も頷いた。

「ああ、オレも、ずっと君に会いたかった」

「嬉しい! 嬉しい! 会えて嬉しい! やっと、やっと会えた!!」

「オレも嬉しい、やっと会えて」

「これは夢じゃないよね?! もう消えたりしないよね?!」

 そう言って三葉は力一杯に抱きしめて、願望が見せるまぼろしや、黄昏時のつかのまの奇跡でないことを確かめる。

「ああ、夢じゃないさ」

「うんっ! うん! 夢じゃない! もう離さないから!!」

 またキスをして、それでも足りなくて何度もキスしているうちに、通りがかった通学中の女子高生たちに笑われた。

「きゃははは、朝から頑張りすぎだよね」

「いい歳して、人前でやんないでよ。ババァ」

「「………」」

 笑われても三葉はキスを続けた。

 そんなこと関係ない。

 どれだけ、この人に会いたかったか。

 ずっと、ずっと、会いたくて、探していたんだから。

 嬉し涙を零しながら三葉はキスを深くしていく。三葉の舌が瀧の口内に入ってきた。

「………」

「………」

 二人とも初めてのキスだったけれど、想いの強さにまかせて路上でディープキスをしていく。そのうちにキスだけで満たされなくなって、三葉の手が瀧のネクタイをゆるめ、カッターシャツのボタンを外すと、男の首筋から胸元へとキスをした。

「ちょっ……待ってくれ。そこまで…」

「ヤダ、もう待てない! 何年、待ったと思ってるの?! 7年だよ!」

「…7年……」

 瀧にとっては4年だったけれど、三葉にとっては7年だった。17歳の頃から7年、ずっと会いたくて、大学でも周囲が彼氏をつくっても、みんなが処女を卒業しても、三葉は待ち続けたし探し続けていた。今年で24歳になる。三葉は出産適齢期の本能的衝動のままに、肌を重ね合いたくて自分も通勤着を半脱ぎになると、瀧に抱きついた。そこまでされると男も本能に火がついて止まらなくなる。夢中で抱き合い、想いを果たした。

「…ハァ…ハァ…」

「ハァ…ハァ…」

「君たち、ちょっといいかな?」

 巡回中の警察官が二人に声をかけてきた。

「朝から元気だねぇ」

「「………す…すみません」」

「駅前にホテルもあるから。そっちでやってもらえるかな」

 恥ずかしそうに着衣を直しながら素直に謝る二人へ痴情聴取するのも面倒なので警察官は道の先にあるホテルを指した。

「次、同じことをしたら逮捕するからね」

「はい、すみませんでした。行こう」

「え……あ……」

 瀧は手を引かれてホテルに入ると、ベッドに押し倒された。三葉は7年分の想いを一日で取り戻すように抱いて、抱かれて、昼過ぎになって無断欠勤した会社から電話が入り、風邪を引いたことにした。瀧も二次面接へ行く予定だった会社のことを思い出したけれど、もう諦めた。今は目の前の人が何よりも大切だった。

「私、宮水三葉」

「オレは立花瀧だよ」

 お互いに思い出せなかった名前を確かめ合って、また抱き合い、夕方になって二人とも疲れ果てて眠った。

 三葉は夢を見た。

 

 お母さん?

 お母さん、どうして、そんな困った顔をしているの?

 三葉、なんてことをしたの…

 お母さん?

 彼に会ってはいけなかったのよ

 どうして?

 彼は三葉が死んでしまったから助けてくれたのよ

 だから、会って、お礼を…

 会うはずのない二人が会ったことで世界の糸はほつれ、黄泉との境が乱れるわ

 ほつれ……黄泉との…

 

 三葉は目が覚めた。

「………」

 薄暗いホテルの部屋が見える。すぐそばには瀧も眠っていてくれた。時計を見ると午前2時50分だった。

「………」

 瀧を起こさないようにベッドから立ち上がると、静かに冷蔵庫を開けて、一口ほどペットボトルの水を飲んだ。それから化粧が、どうなっているか気になって洗面台の方へ歩いた。洗面台の鏡で自分の顔を見ようとして背後に気配を感じた。

「…………ん?」

 振り返ったけれど、何もない壁だった。それでまた鏡を見て三葉は震え上がった。

「ひぃっ…」

 鏡には血まみれの自分が映っていて身体が半分潰れていた。まるで隕石の直撃を受けて潰れて焼けたような無惨な姿で、それなのに睨むように目だけがギラついている。

(…許さない……自分だけ幸せになろうなんて……絶対に、許さない……私は死んだのに……呪ってやる…)

 頭の中に声が響いてきて、三葉は恐ろしさのあまり。おしっこを漏らした。

 ジョわぁぁ…

 黄色い小さな滝が流れ落ちて、足元に黄色い小さな泉ができる。

「ひぃっ…ひぃぃ……」

(…許さないから…)

(…痛い……痛いよ、お姉ちゃん……助けて……死にたくない……死にたくないよ…)

 当時10歳だった妹の苦しむ声まで頭に響いてくる。

 ズルっ…

 小さな女児の血まみれの手が三葉の首筋に触れた気がする。

「ひぃ……」

「どうかした?」

 瀧の声がして照明をつけてくれた。鏡に映っていた血まみれの自分が消えて、化粧の乱れた自分が見えた。三葉は腰が抜けて座り込む。

 ぴちゃっ!

 黄色い泉が水音を立てた。

「…ハァ……ハァ……」

「大丈夫か?」

「……ハァ……」

 三葉がブルっと身震いすると、瀧は床に拡がっている水たまりに気づいた。

「おしっこ、したの?」

「っ……ヤダ……こっち見ないで!」

 恐ろしさが急激に恥ずかしさに変わって三葉は叫んだ。さらに、今朝からの行動も猛烈に恥ずかしくなってくる。ずっと会いたかったけれど、もう会えないのかもしれないと想っていた男に会えた嬉しさで、無我夢中で処女を卒業したけれど、思い返すと、ありえないほど恥ずかしかった。

「うぅっ……こっち見ないでよ」

 裸なのも恥ずかしいし、お尻のまわりが濡れているのは、もっと恥ずかしい。三葉が恥ずかしがって真っ赤になっているので瀧はバスタオルを三葉の肩にかけてから、ベッドへ戻ってくれた。三葉は床をタオルで拭いてから、シャワーを浴びて、備え付けのメイク落としも使うと、髪を洗うのはシャンプーが安物そうなのでやめた。

「……はぁ……やっと会えた日に、おもらしなんて……忘れてほしいなぁ……」

 つぶやいて目線が自然と、メイクが落ちきっているか確かめるために鏡へ向かった。

「…………」

 鏡は普通に自分を映している。けれど、なんだか嫌な気配がする。後ろを振り返り、また何もなかったので、恐る恐る前を見る。

「……はぁぁ…やっぱり気のせいか…」

 バスタオルで身体を拭いてから備え付けのバスローブを着ると、瀧が待っているベッドに戻った。

「ねぇ、ケータイ番号、交換しよ」

「あ、うん。そうだな。……なんか、色々と後先が逆になった気がするけど…」

 携帯電話の番号だけでなく、お互いの住所や勤め先、大学などの個人情報も交換して、もう二度と離れないようにすると、また抱き合いたくなった。そっと、今度こそ男からバスローブを脱がそうとする。脱がされそうになって三葉は昨朝から忘れていた恥ずかしさが急に燃え上がってきて7年間も想い続けていたけれど、会ったばかりの男性に裸を見られるのが恥ずかしすぎて、お願いする。

「明るいままじゃヤダよ」

「あ、ごめん。じゃあ…」

 瀧はベッドサイドの操作パネルを慣れないながらも触って部屋を暗くした。

「これでいい?」

「うん。………」

 薄暗くなると、三葉は恥ずかしさはおさまったけれど、今度は怖さが再燃してきた。部屋の隅の暗闇に何かがいるような気がして、そちらを見るのが怖い。その暗闇から何かが近づいてくる気がする。

 ぞわっ…

 三葉は鳥肌が立ち、瀧に頼む。

「ごめん! やっぱり明るくして!」

「え……」

「やっぱり暗いのイヤだから。ごめんなさい」

「わかったよ、じゃあ」

 部屋が明るくなると、三葉は再び恥ずかしさを感じて脱がされかけだったバスローブを着る。

「……ぅ~……」

「……。もうイヤなら、いいけど…」

「ううん、そうじゃないの。……でも、こんなに明るくて見られるのは恥ずかしいし……暗いのもイヤだから……、目隠ししていい?」

「……オレに?」

「うん」

「…………いいけど…」

「じゃあ、これで」

 三葉はバスローブの帯で瀧に目隠しした。

「どう? 見える?」

「見えないよ、ぜんぜん」

 いきなり目隠しプレイか、と瀧は昨朝から、いきなりなことが多いなと思いつつも応じる。相手が目隠ししてくれると、三葉は恥ずかしさが消え、逆に積極的になった。見えないので動けない瀧へキスをして、そのキスをゆっくりと首筋や男の胸へ、さげていく。三葉の舌がヘソを舐めてくると、瀧は身もだえした。

「く、くすぐったいって…」

「フフ、瀧くん、かわいい」

 まだ大学生で21歳の昨日まで童貞だった瀧へキスを続けて、抱き合ってから、さすがに二日続けて欠勤するのはやめて、ちゃんと出勤した。

 

 

 

 前日の無断欠勤で溜まった仕事を終えてアパートに帰った三葉は、スマフォで瀧と会話しながら、コンビニで買ったスパゲティーを夕食にしていた。

「そっか。就職活動、大変なんだね。昨日は、ごめんなさい。一社、ダメにしちゃって」

「いいよ、どうせ、ダメだったろうし」

 瀧の方はエントリーシートを書きながら話している。

「あ~、いちいち履歴書を書くのめんどいなぁ」

「うん、めんどいよね」

「三葉さんは何社くらい受けた?」

「39社目で、いまの会社に決まったよ。その後のも申し込みはしてたから、行くだけ行ったけど、全部落ちた」

「そうかぁ……やっぱり、そのくらいの確率かぁ」

「社会人になってから聴くけど、やっぱり履歴書から感じる印象って大事らしいよ。会社によっては、その印象だけで分類して受からせる気がある学生だけグループにして集めて、あとは受けさせるだけ受けさせたり、人事課の新人が面接官の練習するのに、練習台として使われたりって」

「ひでぇなぁ……受からせる気がないなら集めるなよぉ」

「けど、練習台グループからも一人、二人くらいは、よさそうな人を二次面接に進めることもあるから、やっぱり頑張るしかないよ」

「そうだな。サンキュー、参考になったよ。そろそろ話ながら書くのやめて、集中して書くから、切るよ」

「あ、うん。また、明日ね」

「ああ、また明日」

 会話を終了させた。

「…………」

 急に室内が静かになり、一人暮らしの淋しさを実感した。

「………はぁ……」

 食べ終わったスパゲティーの器をゴミ箱に捨てると、ベッドに寝転がった。

「…………淋しいなぁ……いっしょに暮らしたいなぁ……いきなり過ぎかなぁ……」

 寝転がったままストッキングを脱いで下着姿になった。

「…………………」

 部屋にテレビは置いていない。女子大生だった頃にNHKからの訪問が嫌でテレビは処分して、スマフォもTVチューナーのない機種を愛用している。おかげで静かさが身にしみる。

「…………お風呂、入ろう」

 このまま寝てしまうと朝が大変なので入浴することにした。お湯を貯めて、一人で湯船に浸かる。

「………………」

 いつもより静かさを痛いくらい感じる。

「……はぁ……淋しいなぁ……」

 淋しいというより、なんだか怖くなってきた。怖いので、つい一人言を漏らしている。

「…………明日は、会いたいなぁ……仕事、終わってから……」

 ガチャガチャ!

「っ?!」

 すぐそばで物音がして三葉は湯船から飛び揚がった。

「な…なによ……、な、なんだ、歯ブラシが落ちただけか……はぁぁ……びっくりした」

 吸盤でバスルームの壁へ貼りつけてある歯ブラシ入れごと歯ブラシが落ちただけだった。落ちた歯ブラシを拾って洗い、歯を磨く。

「……………」

 なんだか、怖い。何かが部屋にいるような気がする。歯磨きを終えて髪を洗うと、余計に怖い。背後に何かがいるような気がして、温かいのに寒気がする。

「…………」

 三葉はカミソリで腋を剃ると、鏡を見ないようにしてバスルームから揚がった。ノーブラで白いショーツだけ着けてパジャマを着た。

「………はぁ……サヤチンにでも電話してみようかなぁ」

 やや遅い時間だったけれど、誰かと話したくて名取早耶香へ連絡を取った。

「ごめん、サヤチン、寝てた?」

「うん、まあね。寝ようとしたとこ。でも、いいよ、どうかした?」

 同じく東京に出ている早耶香は寝ていたところを起きて会話してくれた。

「私ねぇ、彼氏できたよ!」

「よかったね! おめでとう!」

 ずっと彼氏ができず、できないんじゃない、つくらないの、と主張しながら24歳になった友達を心配していた早耶香が眠気を忘れて祝ってくれる。その話で盛り上がって2時間ほど話して、さすがに早耶香が明日もお互い仕事だからと通話を終了させた。

「…………フフ……サヤチンも結婚するし……私も近いうちに……あんまり焦ると瀧くん引くかなぁ……3歳も年上だと……瀧くんが27のときには、私は30か……来年には結婚したいなぁ……」

 スマフォ画面の時刻を見ると午前2時50分だった。

「そろそろ寝よう」

 さすがに眠るために電灯を消した。

「……………つけたまま、寝よ」

 暗くなるとベッドの下に何かがいるような気がして怖くなったので、電灯をつけたまま布団に潜った。

「…………」

 怖い。明るくて寝にくい上に、なんだか怖い。一人暮らしの静かな部屋に何かがいるような気がする。

「………」

 そっと三葉は布団から起き上がって、部屋の中を見回す。いつも通り、それほど整頓されてもいないけれど、足の踏み場がないほどではない、雑然とした部屋の中だった。

「…………怖いと思うから、怖いんだよ、うん。なんでもない、なんでもない!」

 そう言って再び布団に潜り込もうとしたときだった。

 バラバラっ!

 化粧品が棚から何個も落ちて音を立てた。

「ひっ?!」

 驚いて見ると、何もないし、何もいない。なのに、いくつも化粧品が落ちていた。

「……な……なによ……なにか……いるの……」

 気配はする。背後に何かいる気がする。けれど、怖くて振り返ることができない。

 ぞわぞわっ…

 何かに両肩をつかまれた。

「っ! ……」

 つかまれた肩を見ると、血まみれの自分の手があった。血まみれで潰れていても、自分の手なので見覚えがあってわかる。

「ィ…ぃああああ!」

 三葉はベッドから転がり落ちて、そのまま這うようにして部屋を出る。パジャマのまま、靴を手に持って外へ転がり出た。

「ハァっ…ハァっ…ハァっ…」

 三葉はコンクリートの通路に座り込んで、飛び出してきた部屋のドアを見る。

 キィ…

 そのドアを押し開いて、血まみれの三葉が三葉を追ってきた。

「ひっ、ひいいい!」

 三葉は座り込んだ姿勢のまま手足で後退って逃げる。

(…許さない…)

「わうあわはわわあ!」

 もう恐怖のあまり言葉がでなくなって意味不明な声を漏らしながら、三葉はアパートの階段を素足で転がるように降りると、手に持っていた靴を履いて逃げる。

「ハァハァハァ!」

 暗い夜道を必死に走り、ときおり振り返ると、血まみれの三葉が追ってきているのが見えた。血まみれの三葉は身体が半分は潰れていて、片脚がありえない形をしているのに、必死で逃げる三葉を宙に浮いているような速度で追ってくる。逃げても逃げても追ってくる。

「ハァハァ! サ、サヤチンに…」

(…私も死んだよ…)

 血まみれで上半身だけの早耶香が角を曲がったところにいたので、三葉は転びながら逃げる方向を変える。

 テケテケ…

 上半身だけの早耶香は手だけで走って追ってくる。さらに物陰から血まみれの死体が次々と溢れてきた。

(…宮水…)

(…宮水さん…)

 早耶香だけでなく高校のクラスメートたちや糸守町の町民たちまで無惨な死体となった姿で三葉を追ってきた。

「ひぃひぃ! ハァハァ! ヤダヤダ! 助けて! 誰か助けて!」

 三葉は混乱しながらも助けを求めるために勅使河原克彦のマンションを目指した。克彦は東京に出てきたとき、三葉と早耶香の住まいから中間地点あたりに親から不動産投資も兼ねたマンションを買ってもらっていたので、そこを目指して逃げた。

「ハァハァハァ! た、助けて、テッシー!」

 マンションのエレベーターに乗り込もうとしたけれど、待っている時間に追いつかれそうで、三葉は階段を駆け上がって、克彦の部屋のドアを必死に叩いた。

「助けて!! 助けて!!」

 夜中に連絡もなく訪れたけれど、恐慌した三葉の声を聴いて克彦はドアを開けてくれた。

「どうしたんだよ? 三葉」

「た、助けて! お化けが!!」

 すがりついて克彦に説明しようとしたのに、その克彦の頭が半分しか無かったので、三葉は腰を抜かして、おしっこを漏らした。

 チョロチョロ…

 三葉のパジャマの股間が濡れて、小さな黄色い泉をつくった。

「おい、三葉? 大丈夫か?」

「ひぃっ………」

 怯えて身を固くしたけれど、克彦は心配して三葉の肩を撫でてくれる。その頭は半分ではなくて、いつもの克彦だった。

「……テッシー? 生きてるの?」

「は? 三葉、そんなカッコで、どうしたんだよ?」

「ぉ、お化け! お化けが!」

 三葉は階段の方を指したけれど、何もいない。

「…ハァ……ハァ……」

「何もいないぞ」

「……ハァ……」

「………」

 克彦は三葉がパジャマを濡らして、おもらししているのに気づいた。コンクリートの通路に手のひら大ほどの黄色い泉もできている。

「そんなに怖かったのか……とりあえず、中に入れよ」

「ぅっ…ぅうっ! 怖かったの! 怖かったよぉ! うえええん!」

 三葉に抱きついて泣かれると、克彦は自分のパジャマまで濡れたけれど、それを気にせず抱き返して背中を撫でた。

「そうか、嫌な夢でも見たんだろう。かわいそうにな」

 隕石が落下した7年前、奇跡的に誰もが無事だったものの、自宅も神社も吹き飛んだ三葉が今になって悪夢を見ることもあるかもしれないと、腰を抜かしてるのを立たせてやってバスルームへ案内した。

「ぐすっ……ひっく…」

「シャワーでも浴びて落ち着けよ。洗濯乾燥機も使っていいから」

「うんっ…ありがとう…」

 礼を言って濡らしたパジャマと下着を脱ごうとすると、克彦は赤面しつつ脱衣所を出て行く。その袖を三葉がつかんだ。

「ここにいて」

「……け、けど……」

「一人にしないで。目を閉じて、そこにいて」

「………わかったよ」

 信用されている嬉しさもあって克彦は目を閉じて、三葉が脱衣するのを待ち、パジャマと下着が洗濯乾燥機へ入れられる音がしたので教える。

「そこの洗剤を入れて、オレンジ色のボタンだけ押せばいいから」

「うん、ありがとう。ぐすっ…シャワーもかりるね」

 三葉はバスルームへ入りつつ、克彦に頼む。

「そこにいて。少しだけ開けておくけど、こっちを見ないでね」

「……わかった…」

 三葉はバスルームの扉を5センチほど開けたまま、下半身だけシャワーで流して、それから恥ずかしそうに脱衣所へ戻ると、バスタオルも借りて腰に巻いた。

「もういいよ、ごめん。ありがとう」

「お…おう…。何か飲むか? 酒は、もう時間的にあれだし……紅茶でも」

 そろそろ日が昇るかもしれない、缶ビールより紅茶かコーヒーという時刻だった。

「うん、紅茶をお願い」

「おう」

 克彦は紅茶を淹れる。克彦が住んでいるマンションは勅使河原建設の不動産事業部が購入して、半分は東京支部の事務所として使っているので広さは三葉のアパートの5倍はあった。大きな冷蔵庫から、ミネラルウォーターを出すとIHヒーターで熱湯をつくり、三葉と自分の分を淹れた。

「ほら」

「ありがとう」

 三葉はリビングのソファに座り、淹れてもらった紅茶を飲むと少し落ち着いた。それでも怖いので、なるべく克彦に近づいて座っている。

「………」

「………」

 この状況、オレが婚約してなかったら、きっと押し倒したな、と克彦は自制心を保ちつつ三葉の顔を見る。まるで怖い映画を見た後の子供のように三葉は袖をつかんで離れないようにしている。三葉の肩を抱いたら、自制心を失いそうなので克彦は動かずに紅茶をすすった。もう5時過ぎで、これから寝るのも中途半端な時刻であり、また出勤の準備は、まだしなくていい頃合いだった。

「………」

「………」

 三葉の頭がふらりと克彦の肩に重さを預けてきた。

「っ…三葉? ……なんだ……寝てるのか……」

 安心したら眠くなったのか、子供ように寝ている。克彦は起こさないように、そのまま座っているうちに、自分も眠くなって座ったまま眠った。



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2話

 

 

 朝、出勤前に早耶香は手作りの弁当をもって克彦のマンションを訪ねてきた。ポケットから合い鍵を出してドアを開けようとして、ドア前にあるシミに気づいた。

「こんなところにオシッコさせてマナー悪いなぁ。人んちの前になんて、飼い主、どんな人なんだろ」

 三葉が漏らした痕が乾いてシミになっているのを犬のものだと思い、文句を言いながら玄関に入って、飼い犬のマナーなど、どうでもよくなるショックを受けた。

「っ……女物の靴……」

 玄関には三葉の靴があった。明らかに女物で、しかも脱ぎっぱなしの乱れた置かれ方で昨夜に何かあったことが感じられる。

「…………」

 誰よ、誰なの、なんで泊めてるのよ、私と婚約してるのに女の人を泊めるってどういうことよ、と叫びたい気持ちと裏腹に早耶香は見たくないものを見ずにいられない気持ちで、静かに廊下を進み、途中で脱衣所から洗濯乾燥機が終了するアラーム音を聴いた。

「………今、終わるってことは、夜中に回して……」

 もう克彦の部屋の家電製品はすべて把握しているので、終了時間から逆算して洗濯を始めた時間が夜中だともわかった。手作りの弁当を持ってくることは克彦に伝えていない、早起きできたら頑張ろうという目標なので不定期にしていることだった。そして、夕べは三葉との電話で遅くなったけれど、その前に少し寝ていたので起きることができていた。

「……私が来るかもしれないって……考えないの……合い鍵だって持たせてくれてるのに……」

 それだけ突然の出来事で女性を泊まらせたのか、それとも早耶香と破局してもかまわないという意志の表れなのか、せめて前者であってほしいと望みながら、早耶香は廊下を突き当たりまで進み、そっとリビングへのドアを開けた。

「っ………三葉ちゃん…と…」

 リビングのソファには克彦と三葉が寄り添うように眠っていて、しかも三葉は下半身がバスタオルだけで、そのバスタオルも寝ているうちに乱れていて、羨ましいくらいキレイな脚線が見えている。

「……………そっか………彼氏……できたって………こういうこと……」

 今すぐ叫びそうなほど感情が高まっているのに、嵐の前の静かさのように早耶香はつぶやき、ふらふらとキッチンへ弁当箱を置いた。

「……夕べ……電話してきたときも……ここで二人で……私をコケにして……」

 婚約者と親友が二人して自分を裏切ったのだと思い込んだ早耶香はシステムキッチンの引き出しを開くと、よく切れる一番大きな包丁を手にした。

「………この女を殺して………私も死ぬ………あなたは一生後悔して…」

 ずっと三葉は彼氏ができず、できないんじゃない、つくらないの、と主張していたことの論拠が無いわけではないことを早耶香は痛いほど知っていた。つくろうと思えば、いつでも三葉は克彦からの好意を受け入れるだけで、すぐにつくれた。高校時代から、ずっと克彦は三葉を好きだったし、早耶香は克彦を好きだった。それでも、運命の人を待ち続けるような三葉の態度に克彦が半ば諦め、ようやく早耶香が克彦と婚約するところまできた。そこまで来た今になって、おしくなったのだ、この女は克彦をキープして余裕をもっていた、けれど、その克彦が結婚するとなったら、おしくなったのだ、だから盗りにきた、いつでも取り返せる、そう考えていたに違いない、違いない、違いない、早耶香は吐き気がするほどの殺意を胸に溢れさせ、一歩ずつ眠っている三葉に近づいた。

「…ん? あ、早耶香、おはよう。……って、お前?!」

 眠りが浅かった克彦が目を覚まし、殺意のあまり無表情になっている婚約者と、その手に握られた刃物を見て、誤解されているのに気づいた。

「い、いや! ち! 違うぞ! こ、これは違う!」

 動揺する克彦の言動で寄り添って寝ていた三葉も目を覚ました。

「ん~………眠い……テッシー、ベッド借りていい? っていうか、今何時……あ、サヤチン、おは…」

 三葉は鼻先に向けられた刃物に気づいた。そして、状況を再認識して、婚約者のマンションにパジャマの上着1枚しか着ていない女がいたら、しかも、それが長年の親友だったら、早耶香がキッチンの害虫を駆除するような殺意をもって刃物を向けている理由がわかって冷や汗が流れた。

「ち、ちが、うぐっ?!」

 言い訳しようとする三葉の口内に刃先が突っ込まれてきた。少しでも動いたら舌や唇が斬れるという体勢になり、三葉は一言も発せなくなりガタガタと震えた。

「ぅっ……ぅぅっ………ひぅ……ガチガチ…」

 三葉が奥歯を鳴らすほど震えると、口内の刃物に歯があたり、音を立てる。もう、ほんの少し早耶香が一突きするだけで三葉は殺される。そこまで追い詰めてから早耶香は訊いてみたくなった。

「どんな気分?」

「ひっ…ぅっ…ぅ…ガチガチ…」

 三葉は両目から涙を流して、とにかく誤解だと伝えようと、瞳を左右に向けるけれど、早耶香の殺意は変わらない。克彦も止めたいけれど、少しでも動くと早耶香が力を入れそうで何もできない。三葉は恐ろしさのあまり、おしっこを漏らした。

 シャァァァァ…

 ソファの上に座ったまま、腰を巻いていたバスタオルを濡らしている。

「ま、待ってくれ! 早耶香! 違うんだ! 誤解だ!」

「…………」

 早耶香が冬の糸守町のように冷たい目で婚約者を見て、それから視線を三葉の下半身に流した。その目の動きで、誤解も何も、言い訳も何も、どう言い繕うつもりなの、という問いだとわかる。

「聴いてくれ! 落ち着いて聴いてくれ! オレと三葉は何もなかった!! 本当だ!」

「…………」

「夕べ三葉が急に、ここへ来たんだ!! 何かに襲われたというか、追われたというか! そんな感じで逃げてきたから! だから、ここへ入れたんだ!!」

「…………」

 また早耶香の瞳が汚物でも見るように三葉の下半身へ視線を流して、なぜ脱ぐ必要があるの、と問う。

「そ、それで、……み…三葉は、かなり怖かったみたいで……玄関前で漏らしてたから下着とパジャマは洗濯中なんだ。本当だ! 洗濯乾燥機の中を見てくれ!」

「…………」

 少しだけ早耶香の殺意がやわらいだ。言い訳と状況証拠が一致している。犬の仕業だと思ったシミが三葉の失禁なら、この状況の言い訳としては、言い逃れのために思いついたにしては奇抜すぎ、逆に事実をそのまま語っている気はする。

「本当にそれだけなんだ! 逃げてきてパジャマを洗ってシャワーを浴びて、それで安心したらウトウトして、ここに座っていた! それだけだ! 信じてくれ!」

「………。二人が、くっついていたのは?」

「そ、それは……三葉が怖がっていたから……本当なんだ! なんか知らないけど、めちゃめちゃビビって、ここに逃げ込んできたから! 何かが見えて追ってきたらしい! な、三葉!」

「ぅ…ぅ…」

 まだ刃物を口内に突っ込まれたままの三葉が息づかいだけで返事している。

「さ、早耶香! 危ないから、それをおさめてくれ! オレは浮気なんてしてない! 三葉とは何もない! だから!」

「…………何もなかったか、どうか、確かめるから、こっちに来て。あなたは、そこにいなさい」

 いつも三葉ちゃん、と親しみを込めて呼ぶ早耶香が、あなた、と冷たく言い放って克彦と寝室へ入っていく。三葉は口内から刃物を抜いてもらうと、その場に崩れて丸くなった。

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 血まみれで上半身だけで追ってくる死んだ早耶香も怖かったけれど、生きていて激怒した早耶香も怖かった。途中まで躊躇いなく刺し殺すという目をしていて本当に怖かった。しばらく三葉が震えていると、早耶香と克彦が寝室から出てきた。

「何もなかったのは本当みたいね」

「だろ」

 婚約している男の一回目の発射量と再チャージに要する時間と充填率を知っている早耶香は仲良さそうに婚約者と腕をからめている。

「サヤチン、テッシーと仲直りしてくれたんだね、よかったァ」

「…………」

 早耶香は克彦へは愛おしそうな視線を送っていたけれど、三葉へは虫けらを見るような目で見ることは変えなかった。

「なんで、まだ、そんなカッコなの?」

「っ…ご、ごめん……腰が抜けて、立てなくて…」

「…………」

 早耶香は脱衣所へ向かって洗濯乾燥機からパジャマと下着を取り出すと、三葉に投げ渡した。

「早く着なさいよ」

「う、うん。ごめん、ありがとう」

「………」

 早耶香は無言で自分のスマフォを手にすると、そこから三葉の電話番号やメアドを消していく。それが終わると、克彦のスマフォも承諾無く触って三葉の電話番号とメアドを消した。さらにSNSでのメッセージ機能もブロックしたり消去したりしてから、三葉に命じる。

「あなたのスマフォも出しなさい」

「え……あ、……スマフォはアパートに置いたまま……。私のスマフォを、どうするの?」

「お互いの連絡先を消去して絶交」

「っ…ま、待って! ごめんなさい! 本当にごめんなさい!!」

 パジャマを着終えた三葉が腰が抜けたまま這い蹲るように早耶香へ謝る。

「ごめんなさい、サヤチン、私が悪かったから。どうか、信じて! テッシーとは何もなかったの」

「………。何かあったとか、無かったとかさ。あったら殺してたけど、無くても許せることじゃないよね。私と克彦が婚約してるの知ってて夜中に、そんなカッコでさ、一晩過ごして、何を狙ってたわけ?」

「違うの! 狙ってなんかないの! お化けが出たの! それで、ここに逃げてきたの!」

「ふーん……お化け?」

 いかにもバカにした信じていない声色だった。

「本当なの! 本当に見たの! だから怖くて誰かに助けてほしくて」

「………交番でもいけばいいじゃない」

「……………ぐすっ……本当に、ごめんなさい! ごめんなさい! 信じて、サヤチンを裏切る気なんて本当に無かったから!」

 もう土下座して謝っている三葉の涙が床にポロポロと落ちると、見ていた克彦は可哀想になった。

「なあ、早耶香。そろそろ許してやれよ」

「…………未練あるの?」

「そ、そういうことじゃなくて。三葉はオレらの友達だろ? 夕べも、別に男と女とか、そんな雰囲気じゃなくて、本当に何かに追われてる感じで真っ青な顔で逃げ込んできたんだ。ほら、足の裏とかも、ケガしてるだろ?」

 三葉自身も気づいていなかったけれど、アパートから素足で転がり出たときに小さな傷がいくつもできていた。パジャマに通勤用のパンプスという珍妙な姿でスマフォも財布も持っていないのも裏付け証拠にはなってくる。

「…………」

「なぁ、早耶香」

「………とりあえず、あなたのアパートに行ってスマフォを、いっしょに調べるから。それで夕べの彼氏ができた話とかがウソだったら、もう絶交」

「うん! 調べて! 本当だから!」

「三葉、彼氏できたのか?」

「うん! できた! とうとうできた!」

「そうか。……。よかったな」

 まだ未練がありそうな反応だったので早耶香は足元にいる三葉を蹴りたくなったけれど、それは我慢した。通勤までの時間が残っていないので三人とも急いで三葉のアパートへ向かった。三葉の部屋はドアが開いたまま、電灯もつきっぱなしで、本当に着の身着のまま飛び出してきた様子だった。幸いにして空き巣に入られた様子もない。

「………」

「三葉、入らないのか?」

「だって、お化けがいるかも……」

「さっさとスマフォ見せて」

「ううっ…」

「オレが入ってもいいか?」

「うん、お願い」

 克彦が慎重に中へ入る。今年で24歳になる今でも月刊ムーを定期購読しているので超常現象には興味がある方だった。ただ、どちらかというと古代建築物やタイムトラベルといった多少は科学的な側面のある超常現象に興味があり、お化けや呪いといった類への興味は薄いし、あまり信じていないので慎重に入ったのは、空き巣でも隠れていて格闘になったら自分の他は女子2名なので油断するわけにはいかないという気概のためだった。狭いアパートは玄関からでも奥まで見える。死角になるのはバスルームくらいだった。

「風呂場も覗くぞ?」

「うん、お願い」

「……何もいないな」

 残り湯が冷めているくらいで怪しいものは何も無かった。ただ、部屋の様子は本当に驚いて飛び出してきたという風で、財布が入っているバックも転がっていて、スマフォもベッドの上、脱いだストッキングやショーツ、ブラジャーも放り出されたままで、この状態でドアを開けたまま放置してきたのは、やはり恐慌状態だったからだとわかった。

「よっぽど慌ててたんだな。ほら、スマフォ」

「ありがとう。見て、サヤチン」

 まだ怒っている友人をなだめるために三葉は発信履歴やメッセージを見せて、瀧とのやり取りを開示した。

「ね、本当でしょ」

「………。ここにかけてみるよ。本当に、あなたと付き合ってるか訊くから」

「う……うん。…いいよ…」

「おい、早耶香、そこまでしなくても!」

「いいんだよ。サヤチンが信じてくれるまで確かめて。私が悪いのは、わかってるから」

「…………」

 早耶香は自分のスマフォから瀧の番号へかけてみる。その途中で三葉が付け加える。

「瀧くんにかけるのはいいけど、夕べ私がテッシーの部屋にいたことは言わないで。お願い」

「……ずるい女」

「うっ…ごめんなさい」

 三葉が謝っているうちに、瀧は知らない番号からの電話を受けた。

「はい、もしもし、立花瀧です。お電話ありがとうございます」

「……。ああ、就活中か……」

 やたらと緊張した瀧の声で早耶香は懐かしさを覚えた。人生のうちで知らない番号からの電話にも積極的かつ丁寧に出る一時期独特の声だった。

「あ、あの……どちら様でしょうか?」

「あなたは宮水三葉という女性と、どういった関係でしょうか?」

「っ…え…えっと……それは……その……あの……あなたは警察の方ですか?」

「………」

 早耶香は首を傾げる、どうして警察の話になるのだろう、と不思議だったけれど、瀧の方は警察から連絡があるかもしれないやましい記憶はあった。再会した直後、思わず三葉と路上で抱き合ってしまった。あのとき見逃してくれそうだった警察官が、あとで問題視して監視カメラの映像あたりから身元が割れたのかもしれない、もしも逮捕されたら就活は終わりだ、という悲壮な空気が声から伝わってくる。瀧は弱気になり、早耶香は苛立っているので強気に問う。

「質問しているのは私です。宮水三葉という女性との関係は?」

「…………。い、いえ! 知りません! 何の関係もありません! 誰ですか、その人、ぜんぜん知らないっす!」

「…………」

 早耶香が三葉へ冷たい視線を送る。瀧の声は大きかったので三葉へも聞こえていた。三葉が驚いて悲しそうに問う。

「そ、そんな! 瀧くん! 私だよ! 私と付き合ってるよね?! 付き合ってくれるよね?!」

「っ…三葉さん………もう捕まってるの?」

「え? ……お化けに? お化けには捕まらなかったよ、ちゃんと逃げたよ」

「は? …………何の話?」

「瀧くんこそ、何の話なの?」

「いやいや、三葉さんこそ、何を言ってるんだよ? っていうか、このケータイ番号は? さっきの女の人は?」

 ぜんぜん噛み合わない二人に早耶香が冷たく言う。

「この電話は浮気調査です」

「浮気……」

「っ、サヤチン……」

「夕べ、私の婚約者の部屋に、宮水三葉さんがいました」

「っ…」

 三葉が早耶香の袖をつかんでイヤイヤと首を横に振る。言わないで、と発声してしまうと、それが事実だと伝わってしまうので涙目でお願いするけれど、早耶香は汚いものを払うように三葉の手を払った。

「その宮水さんが言い訳に、あなたと付き合っていると言い出しています。これは真実ですか?」

「え………えっと………」

「瀧くん、お願い!」

「……まあ……付き合ってるというか、そんな感じはありますけど……夕べ、三葉さん、どこで何をしてたんですか?」

「さあ?」

 そこで唐突に早耶香は電話を切った。

「サヤチン、ひどい! 誤解されちゃう!」

「………」

 無言で早耶香に睨まれると、三葉は反論できなくなった。

「うぅぅ……だから……ごめんってば……お化けがいたの……本当に見たの…」

 三葉のスマフォがアラーム音を鳴らして出勤時刻が迫っているのを教えてくれる。三人とも社会人であることを優先して出勤した。早耶香は昼休みになって三葉からメッセージが届いているのに気づいた。メアドを削除したので未登録発信者からとなっているけれど、タイトルで三葉だとわかる。本当にごめんなさい、というタイトルを一応は開いた。内容は謝罪と言い訳だった。

「……まったく……本気で人を殺そうと思ったのは初めてよ……」

 思い出すと自分でも空恐ろしくなるほどの殺意だった。昨日までの友人を今朝は本気で殺すつもりだった。重いタメ息が出る。

「はぁぁぁ………とりあえず、克彦にも怒っておかなきゃ。そんな簡単に許すと思わないでよね」

 克彦とメッセージを交わすと、夕食を奢ってくれることが決まった。早耶香は仕事が終わると都内のホテルへ向かった。

「まあ、克彦のことは許してあげる」

 結婚式を予約しているホテルのレストランで一人21600円税込みサービス料別のディナーコースを奢ってもらえたので許す気になった。美味しいフランス料理とスカイツリーも見える夜景で傷ついた女心が癒えてくる。

「三葉のことも許してやれよ」

「女同士の間に口を出さないで」

「………。ワイン、もう一本、頼もうか?」

「うん。デザートに合うワインがいいなァ」

「ソムリエに言ってみるよ」

 知ったかぶりせずに克彦がソムリエに問い、すっきりとした貴腐ワインを頼んでくれると、早耶香は結婚式が待ち遠しくなった。

「結婚式、楽しみやね」

「ああ。けど、やっぱり田舎でも挙げないと、うるさいかもな」

「う~ん……そうやね…」

 このホテルが気に入っている二人は都内での挙式を望んでいたけれど、双方の両親は同郷なのだから糸守町で挙げるのが当然だと主張している。妥協しても岐阜市内か、しゃれたホテルがいいなら名古屋市で探せ、と言われていたけれど押し切って予約していた。予約した後になって、それなら二度の席を設けろと言われていた。

「まあ、こっちでの挙式を仕事関係と東京にいる友達にして。田舎の方は親戚と、田舎に残っている友達関係ってことにするか、だな」

「うん………いずれ、町に帰るのかな? 私たち」

「どうだろうな………まあ、オヤジの会社もあるしなぁ……。早耶香は東京がいいか?」

「東京のいいところもあるけど、悪いところもあるし。町もいいところもあるけど、悪いところもあるよね」

「そうだな。……おい、ケータイ、さっきから無視してるけど、いいのか?」

 克彦が早耶香のバック内で振動しているスマフォのことを言った。早耶香は夜景を見ながら一口ワインを飲んだ。

「いいよ、どうせ、誰からか、わかるし」

「三葉だろ、出てやれよ」

「はぁぁ……二人とも許してもらえる前提なのが腹立つなぁ……どれだけ私を傷つけたと思ってるの?」

「う、すまん。……けど、返信くらいしてやれば、三葉も何度も鳴らさないだろ」

「………」

 気が進まないけれど早耶香はバックからスマフォを出して着信履歴とメッセージを見た。

「………あきれた……」

「三葉、なんて?」

「謝りたいのと、一人で寝るのが怖いから、私の部屋に泊めてって。どういう神経してるのかな? 今朝の今夜で泊めてとかさ」

「……それだけ怖いんだろ? 夕べ、本当に真っ青だったぞ」

「ふーん……」

 早耶香は、彼氏のとこ泊まれば、と返信した。デザートのチョコレートドームが運ばれてきて、ウェイターが二人の前で熱い生クリームミルクをドームへ注ぎ、溶けたチョコレートとドーム内に置かれてあった冷たいバニラアイスが絡み合う。華やかな演出と、わずかな時間しか味わえない熱さと冷たさの混じった絶妙なデザートを楽しんでいるうちにもスマフォが振動していたのを早耶香は無視して、食べ終わってワインを飲んでからメッセージを見た。

「……………」

「三葉、なんて?」

「彼氏は父親と同居だから泊めてもらえないって」

 続けて謝罪と泊めてほしいことが重ねて書いてあったことは克彦に言わず、ワインを飲み干した。

「三葉の彼氏って、どんな男なんだ?」

「さあ? よく知らないけど年下とか、運命の人とか、そんな感じのこと言ってたかなぁ」

「運命の人か………隕石が落ちてから、そういうこと言い出したなぁ」

「ちょっと、頭おかしくないかな? あのとき、大事件だったからなのか私も記憶が曖昧だけど、何か無茶なこと頼まれてした気もするし。今回のお化け騒ぎもさ、おかしくない?」

「………かまってほしくて騒ぐ、みたいな感じか?」

「そう、それ。かわいそうだとは思うよ。お母さん、早くに亡くなってるのに、お父さんまで出て行ってさ。けど、四葉ちゃんなんか、しっかりしているのに」

「そう言ってやるなよ。いろいろ大変なんだろ。……けど、本気でお化けが見えるなら医者か……御祓いでも連れて行くか?」

「御祓いって本人が巫女なのに?」

「もう元巫女ってだけで、神社は四葉ちゃんが継ぐ流れだろ、もう完全に」

「そうね。町長さんも町を救った英雄ってことで無投票が続きそうだし。もしかしたら、数十年後には四葉ちゃんが町長かもね」

「ありうるなぁ」

 二人で席を立ち、克彦はカードでワイン代とサービス料を含めて64260円を決済すると、婚約者をアパートまで送った。

「ごちそうさま、おやすみなさい」

「おう、おやすみ」

 克彦が見えなくなるまで見送ると、暗い夜道を見つめた。

「お化けねぇ。バカバカしい」

 つぶやいて踵を返すと自室に入る。早耶香は学生時代から三葉より狭いアパートに暮らしていた。町長たる父親からも仕送りがあった三葉と違い、ただの町役場の公務員でしかない父親の収入からなので、なるべく負担をかけないよう安い部屋を選んだので本当に狭い。つい田舎を出るとき、眠るところだけは慣れた物がいいと持ち込んだクイーンサイズのベッドを置いたら、それが部屋の三分の二を占め、机さえ置けない状態だった。けれど、家賃の安さのおかげで就職して自立してからも給料から固定費を払って残る分が多かったので結婚資金を貯めることができている。

「お風呂、入って寝よ」

 あいかわらず、ときどきスマフォが振動しているけれど、それを無視して下着姿になると、お湯を貯める。湯船も狭い。東京に出てきたとき、こんなに狭い湯船が製造販売されているのかと驚くほど狭かった。

「糸守町だったら、漬け物にする野菜を洗う場所くらいよね、これ」

 わずか半畳ほどの空間に湯船と洗面台とトイレが詰め込まれている。

「美味しいレストランが徒歩10分であるのはいいけど、ウサギ小屋みたいな生活はイヤだなぁ」

 早耶香の実家は裕福ではないけれど、もともと地価が無料に近い糸守町なので100坪はあったし、むしろ庭と畑の雑草の手入れが大変なくらいで、早耶香の部屋も今の3倍は広かった。その生活で育ったので東京の狭さはつらい。湯船も半分ほどお湯を貯めれば、あとは自分が入るだけで満杯になるという有様だった。お湯を止めて全裸になった時だった。

 ドンドン!

「っ?!」

 激しく玄関ドアを叩かれる音がして早耶香は驚き、裸だったこともあり身を固くした。一戸建て住宅と違い、脱衣所さえないので玄関ドア以外は全裸の早耶香を外と隔ててくれるものがない。その玄関ドアさえ、薄い鉄板なので音もよく伝わる。

「サヤチン、助けて! お願い! 助けて!!」

「……三葉ちゃん……」

 もう絶交してやろうかと思っていた親友だったけれど、怯えきった悲壮な声で助けを求めてきたので心配になった。

「どうしたの?!」

 叫び返しつつパジャマを急いで着る。

「助けて!! お化けが追いかけてくるの!!」

「………」

 開けようか迷い、早耶香は覗き窓を見る。そこには泣きながら助けを求める三葉だけが見えて、あとの背景は、いつも通り平穏だった。

「何もいないじゃない……」

「お化けが追ってくるの!! サヤチンのお化けが!!」

「………誰がお化けだ。やっぱ、開けてやらない」

「ひぃぃい!! 私のお化けも来たぁぁ!!」

「自分のお化けって、どんな状態よ、それ……やっぱり、病院に連れて行った方がいいのかな。彼氏も実在するのかなぁ……」

 電話で会話した瀧の実在さえ疑わしくなってきた早耶香がドアを開けるべきか、もう無視して三葉とは永遠に別れるか、真剣に迷っていると、ドアの向こうで三葉は追い詰められたのか、背中をドアに押しつけるようにする気配がした。

「ひひぃいぃ! さ、触らないで! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! お願い成仏してください! サヤチンも私も生きてるの! 許してください許してください!」

 何かへ泣きながら謝って、おしっこを漏らし始めた。

 ジョボジョボぉ…

 薄いドアなので音が響くし、まるでドアの向こうで三葉が刺し殺されて血が流れてくるようにドアの下から、三葉の小水が染み込んできた。

 びちゃ!

 腰の抜かして座り込む音も響いてきた。

「………」

 少し早耶香は怖くなった。心霊現象を信じる方ではないけれど、お化け屋敷は苦手な方だった。これだけ三葉が怯えているとなると、何かいるのかもしれないし、元々は巫女だった三葉は霊感があるのかもしれない、という非科学的なことを考えたりもする。もう一度、恐る恐る覗き窓から見る。

「……何もいないじゃない……仕方ないなぁ」

 このままでは近所の人が警察を呼ぶかもしれないし、三葉のアパートから最短距離の克彦のマンションではなく早耶香のアパートまで助けを求めに来たのは夕べの浮気疑惑を反省したからだとも思えるし、ここで助けてやらないと失禁するほどパニックを起こしているので、また克彦の部屋に逃げ込むかもしれない。いまだ、三葉に未練をもっている様子の克彦は、きっとパニック状態の三葉を見たら部屋に入れる気がする。そうなるよりは監視できる方がいいと、早耶香はドアを開けた。

 ドサっ…

 ドアにもたれかかるように座り込んでいた三葉が玄関に倒れ込んできた。

「ひっ…ひっ…」

 青ざめた顔が引きつっているし、やっぱり失禁していたようで通勤着の股間が濡れている。手足もガタガタと震えていて、これが演技や芝居でできるとは思えなかった。

「大丈夫?」

「…ひっ………サヤチン……ああ、サヤチン、ちゃんと下半身のあるサヤチン……」

「何それ」

 すがりつくように三葉が手を伸ばしてくるのを早耶香はよけた。

「汚い手で触らないでよ」

「ぐすっ…助けてくれて、ありがとう…」

「………。お化けって、どんなのを見るの?」

「私とサヤチン、あと町の人も、みんな隕石が落ちたときに死んだの」

「…………また、隕石の話……いい加減、その話で私たちを振り回すの、やめてくれないかな」

 早耶香は頭痛がするような仕草で頭を押さえた。

「正直、うんざりなの。高校時代も、あなたに振り回されて、とんでもないことさせられたような記憶もあるし」

「あのとき、その前の世界では、みんなが死んだんだよ。その死んだ人たちが、生きてる私を呪ってるの」

「…………それ、本気で言ってる?」

「だって、そうとしか考えられないもん!」

「………もう帰って。二度と私と克彦の前に、その顔を見せないで」

「っ…、そ、そんな……ごめんなさい! 夕べのことは、この通り謝るから! どうか、許して! お願い信じて!」

 倒れ込んだままだった三葉が狭い土間で土下座を始めたので、早耶香はタメ息をついた。

「はぁぁ……あのさ、生理的嫌悪感ってわかるよね? もう、あなたと同じ空気を吸ってるのがイヤ。今朝、殺されなかっただけ、マシだと思ってくれない?」

 女性同士で生理的な拒絶感が生まれると、もう関係の修復が絶望的だということは三葉にも伝わり、昨夜克彦と同衾したことが心底許せないのだと早耶香は言葉でも態度でも示している。もう長年の親友関係は終了して、完全な他人、むしろ消え去ってほしい他人という目で見られて三葉は、ぼろぼろと涙を零した。

「ひっ…ひっく……うっ…うわああぁん! ごめんなさい! ごめんなさい! もうしません! 許してぇ…ふえぇえええん! サヤチンごめぇえん! もうしないからぁぁ! もうしないからぁあああ! ああああんん! ゆるしてえええ! サヤチンと友達でいたいよぉ! ふえぇぇ!」

「………」

 大声で子供のように泣きながら本気で謝られると、つい早耶香も許しそうになってしまい、可哀想という感情が生まれる。早耶香にとっても親友と呼べるのは、三葉しかいない。けれど、ずっと好きだった克彦が好意を持ち続けている女性でもある。女として蹴り出してドアを閉めたい気持ちと、人として助けてあげたい気持ちが早耶香の中で戦い、早耶香は冷たい表情のままタメ息をついた。

「ふぅぅ…とりあえず、中に入って。ドア閉めるし。お風呂、使って、ちょうど、お湯、貯まってるから」

「ありがとうぅぉ! サヤチンぅぅ!」

「許したわけじゃないから」

「ぐすっ……ありがとう……サヤチン……本当に、ごめんなさい。二度と、しないから」

「ほら、ここに脱いで」

 早耶香はドアを閉めてビニール袋へ濡らした衣類を入れさせる。よく見ると、三葉は逃げる途中で転んだのか、ストッキングが破れて膝から血が出ている。

「ケガまでして……そんなに怖いお化けなの?」

「うんっ……血だらけで……私は身体が半分、潰れてるの……サヤチンは下半身が無くて…なのに手で走って追いかけてくるの」

「うっ…ごめん、聴きたくない。そういうの苦手。しかも、自分たちって……。とりあえず、お風呂に入って」

「ありがとう、サヤチン」

 礼を言いながら三葉はバスルームへ入ったけれど、扉は5センチほど開いたままで入浴する。それを早耶香が閉めると、また開けて頼む。

「ごめん、一人になるの、怖いの。ちょっとだけ開けておいて」

「…………まさか、同じこと夕べ克彦にも頼んだりした?」

「………………」

 三葉が黙って深々と頭を下げた。

「あんたねぇ……人の婚約者を…」

 早耶香が拳を握って殴りつけそうにプルプルと震わせると、三葉は殴られる覚悟をして目を閉じた。

「ハァ……ハァ…とりあえず、お風呂を済ませて」

「はい……ごめんなさい」

 三葉は狭いバスルームから外へ水しぶきを飛ばさないように身体を洗う。洗い場など洋式便器が置かれていて、ほとんど無いので苦労している。早耶香が冷たい声で親切に言ってやる。

「お湯は残さなくていいよ。私が入るとき、また入れるから。湯船の中で身体も洗って」

「うん……ありがとう……ごめんなさい」

 三葉は脚だけ流してから湯船に入り、身体を洗うと、すぐに揚がった。

「お先です。ごめんなさい」

「………」

「どうか、許してください。本当に、やましい気持ちはありませんでした」

 三葉が、また土下座するので、バスタオルを差し出した。

「サヤチン……ありがとう」

「………。予備のパジャマ、貸してあげる。新品のショーツがあるから、それも使って。あとでお金は請求するよ」

「うん、ありがとう。………泊めてくれるの?」

「追い出したら、どうする気?」

「…っ……お願いです、泊めてください……お願いします…一人はイヤなの……一人になると出てくるの」

「もう土下座はいいから」

 早耶香は新しい湯を貯めてから自分も入浴する。バスルームの扉を閉めようとすると、三葉が頼んでくる。

「サヤチン、少しだけ、開けておいて」

「………子供か」

「怖いの。お願い、お願いします」

 三葉が涙目で頼んでくるので早耶香は諦めた。別に覗かれるわけでもないので5センチほど開けたまま入浴した。揚がってパジャマを着て髪も乾かすと、いよいよ女同士、言っておくべきことがある。ごく狭い部屋なので早耶香はベッドの上にいて、三葉は玄関先の板の間に正座している。泊めるとなると、広めのベッドに二人で寝るか、正座している板の間に寝させるかの二択しかなく。大学時代には何度か、お互いの部屋に泊まったりもしたけれど、そのときはベッドに二人で仲良く寝たし、もともと三葉の部屋の方に泊まることが広さの関係で多かった。

「言っておくことがあるよ」

「はいっ」

 正座していた三葉が背筋を伸ばした。

「克彦は、もう私の婚約者なんだから学生時代の友達気分で泊まりにいくのとか、ありえないから」

「はいっ」

「……………。やっぱりダメ、許してあげられないかも。その顔を見てるだけで、すごくムカムカしてくる」

 早耶香が枕を叩いた。長年の親友を許してやりたい気持ちと、長年の想いの障害が昨夜は婚約者と過ごしたかと思うと、殺意に近い怒りが胸の奥から湧いてくる。今度は枕を殴った。

「思いっきり叩いてやりたいくらいよ! ホントムカつく!!」

「……叩いて……思いっきり叩いて」

 三葉が立ち上がって近づいてくると目を閉じた。

「サヤチンに、すごく悪いことしたって思ってるから、叩いてください。お化けが見えたのは本当だけど、テッシーの部屋にいたのも本当だから……気の済むまで叩いて」

「………」

 早耶香が三葉の頬を見て、それから自分の手を見る。全力で叩きたい感情は胸の中にうねっている。けれど、暴力に訴えたくない気持ちもあるし、叩き出したら止まらなくなりそうな気もする。しばらく悩んだ早耶香は閃いた。そして収納に入れてあった布団叩きを出してくる。寝る場所に、こだわりのある早耶香はベッドの上に和布団を敷いて寝る派であり、天気のいい日には布団をベランダに干している。そのときに使う布団叩きを出してきて、勢いよく振った。

 ブンッ!

 その空気を切る音で三葉が目を開けて布団叩きを持っている早耶香を見た。

「……っ………」

 さすがに三葉の顔がこわばり、それでも、また目を閉じて覚悟を決めた。

「いい覚悟ね」

「……うん………私が悪かったから…」

「…………」

 早耶香が布団叩きの先を三葉の頬に触れさせた。それだけで三葉はブルっと身震いした。

「いくよ」

「…うん…」

「って、さすがに顔はないよね」

「サヤチン?」

「こっちにきて、お尻を出して四つん這いになりなさい。暴力じゃなくて、お仕置きタイムにするから」

「は……はい」

 三葉はベッドにあがり、お尻を出して四つん這いになった。もちろん、何をされるかわかっているし、糸守町では珍しくないお仕置きだった。日照時間の少ない糸守町では布団を干す時間が限られていて、おかげで布団叩きは盛んだった。それが転じて、悪戯した子供に親が尻叩きするのに用いられることも多い。久しぶりに、その姿勢をとって三葉も懐かしさを覚えた。これをされるのは母が生きていた頃になる。もちろん、母から受けた。三葉のアイスを勝手に食べた四葉への復讐として、まだ5歳だった四葉が昼寝している間にマジックで顔にバカ、アイス泥棒、アホと描いて憂さ晴らししたのを母に叱られて叩かれた。強烈に痛かった。

「これを咥えていなさい」

「え……」

 早耶香がタオルを渡してくれたので三葉は首を傾げる。

「なんで?」

「本気の本気で叩くから、悲鳴あげられると近所迷惑だからよ」

「……はい」

 三葉はタオルを咥えて目を閉じた。早耶香も構える。狙いをつけるために一度、お尻を布団叩きで触れ、それから振り上げた。

 ビュ…ビシィ!!

「ひっ?!?! ぅぅぅぅ…」

 三葉は頭が真っ白になるほどの痛みを感じて目を見開いてシーツをつかんで悶えた。こんなに痛いと思わなかった。小学生だった12年前に、どれだけ母が手加減してくれたか、よくわかったし、早耶香が本気で怒っているのもわかった。

「ご…ごめんなさい……本当に、ごめんなさい」

「2発目、いくよ。ちなみに、さっきのが50%くらい。次は8割くらいで叩くから」

「っ……」

 今の痛みで半分と言われ、三葉はお尻が寒くなるのを感じたけれど、お仕置きなので逃げずに四つん這いを維持する。そっと、お尻へ布団叩きが触れてきて、それが振り上げられる。

「えいっ!」

 早耶香のかけ声と同時に布団叩きが振り下ろされる。

 ビュッ! ビシィィ!!!

「あッ!! ………ぅぅぅううう…」

 三葉は咥えていたタオルを落として喘ぎ、シーツに顔を押しつけて震えた。

「…ぅぅっぅう…」

 お尻の皮膚が裂けて血が出ているんじゃないかと思うほどの激痛だった。くっきりと布団叩きの形が三葉のお尻に残っている。

「…ぁぁあぁ……ハァ…ハァ…」

 息が止まるほどの痛みだった。

「次は100%、ちゃんとタオルを咥えなさい」

「……も……もう許してください」

 あまりの痛みに三葉が赦しを乞うと、早耶香が冷めた目で見下ろしてきた。

「ふーん、あなたの反省は、その程度なんだ? たった2回だよ?」

「っ………もっと、叩いてください」

 三葉が涙を零しながら言うと、早耶香は怒りが晴れるのと同時に、妙な快感を覚えていた。長年のコンプレックスが氷解するように胸がすく。そして、背筋がゾクゾクと快感に熱くなった。もっと、いじめて泣かせたい、さんざん気をもんだ克彦の三葉への思慕に対する逆恨みが直接に叩くことで、こんなにも気持ちよく晴れるとは思わなかった。早耶香は唇を軽く舐めると、布団叩きを三葉のお尻にあてた。

「少しなら悲鳴をあげてもいいよ。100%だから」

 むしろ悲鳴を聴きたかった。ゆっくりと、あえて、ゆっくりと布団叩きを振り上げ、そして振り下ろす。

 ビュッ!!! ピシィィッ!!!!

「んっあああああああ!!!」

 もう四つん這いを保っていられず三葉は叩かれたところを両手で押さえて転がった。

「ううぅぅぅ……ひぅ…ひぅぅ…」

「………」

 気持ちいい、なんて気持ちいいの、と早耶香は胸を熱くして頬を赤くした。そして熱っぽく冷たい声で言う。

「なに逃げてるの。ほら、四つん這いに戻りなさい」

「ひっ…、も……もう許して……それ、痛いの……すごく痛いの…ぐすっ…ひっく…」

 まだ三葉の気持ちは謝罪のために四つん這いへ戻ろうとしているけれど、肉体の方が痛みのために拒否反応を示していて、お尻をかばって震えている。

「わかった。100%はやめてあげる。今度は20%、ただし連発ね」

「……連発……」

「包丁で刺す気だったのに、こんな子供のお仕置きに替えてあげるなんて私って超優しいよね?」

「うん………。……ありがとう…ございます」

「よしよし、さ、続けるよ」

「……」

 三葉は落としたタオルを拾って咥え、四つん這いになった。

 ピシッ! ピシッ! ピシッ!

「んっ…んんっ…んぅう!」

 ピシッ! ピシッ! ピシッ!

「んーっ…んーう! うっん!」

「いい子、いい子、反省して、いい子になろうね」

「はいっ、お母さん!」

「……誰が母さんじゃい」

 ビシッ!!

「ひぐっ?!」

 強く叩かれた三葉が、おもらしする。

 しょわ…

 少しだけ小水を噴き出してしまった。

「ちょ?! 人の布団に何してくれるのよ?!」

 早耶香がティッシュで染み込まないうちに拭き取って怒る。

「ひっ…ごめんなさい! うっかり出ちゃったの……」

「うっかりにも、ほどがあるでしょ!!」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。ひぅぅう…」

 謝りながら泣くので早耶香も強く怒る気が失せた。

「はぁぁ……もういいよ。今日のところは、これで許してあげる」

 これ以上叩くのを続けると、お尻の皮膚から血が出そうだったし、何より変な趣味に目覚めてしまった自覚があるので自重して終わることにした。ただ、また叩きたいという欲求があるので、今日のところは、という限定つきで私刑をやめた。

「サヤチン……本当に色々ごめんなさい」

「はいはい」

 さすがに、かわいそうになって早耶香が三葉の頭を撫でると、抱きついてきたので抱き返した。しばらく抱き合って、一応は仲直りということで二人でベッドに横になる。ともかくは復讐を終えたので、今度は早耶香が心配して問う。

「ねぇ、三葉ちゃん。昨日の彼氏ができた話って本当?」

「え? うん、本当だよ」

「エア彼氏とかじゃなくて?」

「サヤチン、電話で瀧くんと話したでしょ。……変なこと言うから、誤解されないようにフォローのメッセージ送るの、大変だったんだから」

「変なことするからでしょ」

「うぅ……ごめんなさい」

「で、彼氏とは、うまくいきそうなの?」

「うん、たぶん」

「そう。じゃあ、仕事は? 順調?」

「順調だよ。前回の新製品が売れ行きよくて、今度ね、プロジェクトリーダーに選ばれたの。お前は味覚のセンスがいいって大先輩のブレンダーにも誉められたし」

「へぇぇ、すごいね。飲料メーカーだよね。ジュースとか、お酒の。そっか、恋も仕事も順調なのかぁ……なんで、お化けなんて見るんだろうね? なにか悩みでもあるの?」

「………わかんない……本当に出てくるの……」

「あ……、ちょっと、腕、見せて」

 早耶香が寝たまま三葉のパジャマをめくって腕を見る。とくに肘の内側を観察して注射跡が無いことを確認した。

「変なクスリとか、飲んだりもしてない?」

「そんなことしないよ。そんなレベルで疑わないで」

「ごめん、ごめん。都会って、そういうの、いつのまにか流行るしさ。大学でも何人か退学になったから」

「あったね、そういうこと。今でも夜になると売ってるし」

「悩みでもクスリでもないなら、なんでかな?」

「…………私たちが隕石で死んだ世界があるかもしれないって……信じてくれる?」

「……………信じてあげたいけど………信じてないのに、信じてるって言ってあげるのも口先だけになるから……」

「うん……ありがとう……」

「そろそろ寝ようか」

 そう言って早耶香は立ち上がってバスルームに入る。

「サヤチン? 何するの?」

「トイレよ」

 答えて早耶香が扉を閉めると、三葉が慌てて頼んでくる。

「ヤダ! 開けておいて!」

「いやいや、ヤダは、こっちよ! トイレって言ったでしょ! お風呂ならともかくトイレはイヤよ!」

「お願い! 少しでいいから開けておいて! 一人にしないで!」

「絶対イヤ! 大きい方だから、ちょっとくらい待って!」

 早耶香はパジャマと下着をさげて洋式便器に座る。夕食が豪華だったので普段は朝になる排便が少し早まっていた。

「開けて! お願い! 少しだけでいいから扉を開けておいて!」

「……変態……」

 聞こえないようにつぶやいて排便に集中したいので耳を塞ぎ、音を聴かれたくないので水を流す。

「開けて! ひっ?! 来た! 出た!! ひぃいい! ごめんなさいごめんなさいぃいい! ひぃいい! 開けて開けて開けて! ひあああぁぁ!」

 三葉が扉をガタガタと揺らしている。その声が本気で助けを求めているけれど、早耶香も動けないので、とにかく用事を終えてトイレを流してパジャマをあげてから扉を開けた。

「三葉ちゃん………」

「ひぃぃ…お母さん……お母さん……助けて……お母さん…」

 三葉は扉の前で震えながら、また漏らしていた。貸した予備のパジャマを濡らしてしまっている。しかも母親を呼んでいた。亡くなった母親のことを思い出して泣いたりすることは、ほとんど無かったはずなのに追い詰められて頼るものが、それしかなかったように泣きながらつぶやいていた。

「かなり重症みたいね……。どうしよう。……よしよし」

 とりあえず早耶香が抱きしめると、三葉は泣きじゃくって抱きついてくる。しばらく泣きやむまで抱きしめて着替えさせてから、三葉の目を見つめながら真剣に訊いてみる。

「ねぇ、三葉ちゃん。お化けが見えるのを相談するの、精神病院と御祓い屋さん、どっちがいいと自分で思う?」

「………御祓い屋さん………かも……病気じゃないと思う。幻覚じゃないと……たぶん…」

「そう。じゃあ、明日、ちょうど土曜日だし、どこか御祓いしてくれるところ行ってみよう」

「サヤチンも……来て…くれる?」

「行ってあげるよ。不安なんでしょ」

「うん、ありがとう」

 また二人でベッドに寝転がり、早耶香はベッドの下へ手を伸ばすと、埃をかぶっていた月刊ムーの数年前の号を開いた。

「たしか、このへんに……あ、あった。けど、信用できるかなぁ……」

 雑誌にある広告で御祓いを行うという店舗が何店も紹介されていて、都内の店もあった。

「サヤチン、それは?」

「一応、御祓い屋さん」

「……怪しくない?」

「こういうは眉唾だけど、三葉ちゃん、スマフォで口コミを調べてみて」

「うん」

 ネットで口コミを見ると、評価はピンキリだった。

「絶賛してるのはステマっぽいかも………高い壺を買わされそうになったとかもあるし……うーーん……一応、当たったこともあるみたい……あ、これは恋占いか……御祓いは………あんまり評価がないね」

「いっそ、四葉ちゃんに頼んでみたら?」

「…え………四葉に…………」

「本職だし、かなり評価、高いよね。この記事でも」

 月刊ムーに再建された糸守神社の特集があった。落下した隕石を御神体として新たに加え、奇跡的に町民が誰も犠牲にならなかったことも取り上げられ、さらに巫女の宮水四葉による予言や開運が高評価を受けているとある。

「広告じゃなくて記事なんだしさ」

「……いいよ……遠いし……」

「やっぱり、四葉ちゃんには会いにくいの?」

「………うん……全部、あの子に押しつけて東京に来たし………」

 東京に行きたい、その想いで大学受験し就職もしたけれど結果として、それは妹の四葉に神社の再建や避難生活からの自宅再建まで、すべて押しつけて出てきたことになっている。祖母は高齢で、父親は別居、それなのに妹を置いて東京に来ていた。三葉が高校を卒業したとき、まだ四葉は小学5年生だった。その妹は一言の文句も言わず、そして三葉が東京で就職したということは、神社の跡継ぎも必然的に四葉になるということで、ずっと巫女をやめたいと祭りの度に言っていた三葉と、苦痛は訴えなかった四葉では自然な成り行きだったけれど、話し合いはもっていない。ただ三葉が東京に来たかったから飛び出してきた。そして戻るつもりはない、そんな身勝手な姉だったので妹には会いにくい。まして、頼み事など、どんな顔をされるかわからない。

「じゃあ、やっぱり近いところに行ってみようか。明日」

 そう言って早耶香が電灯を消すと、三葉が訴える。

「イヤだ! 電気は消さないで!」

「え~……私、明るいと寝られない人なんだけど」

「ごめん! お願い、つけて!」

「………」

 かわいそうなほど怯えているので早耶香は電灯をつけた。そしてヘアバンドを探してアイマスクの代わりにする。

「微妙に明るいけど、まあ寝られるかな」

「ごめんね」

 そう言いつつ、三葉が身体をよせてくる。くっつかれると暑苦しかった。

「あのさ、こうやって、くっついて寝る気?」

「……ごめんなさい……怖くて……」

「はぁぁ……まあ、いいよ、よしよし」

 仕方がないので頭を撫でると抱きつかれた。

「そんなに怖いんだ?」

「うん」

「わかったよ。とりあえず、おやすみ」

「おやすみなさい。ありがとう、サヤチン。サヤチンが友達でよかったよ」

「………夕べも、この調子で克彦に、くっついて寝たわけね?」

「うっ………」

「この泥棒猫め♪」

 早耶香が見えないながらも抱きつかれているので位置はわかる三葉の乳首を摘んだ。

「あうっ?!」

「次やったら、お尻が腫れるほど叩いてやる」

「もう腫れてるよ」

 まだ三葉の尻は痛かった。

「さ、寝よう」

「うん」

「…………」

「…………」

 眠るために二人が無口になったときだった。

 メシッ…

 部屋の中に音が響き、三葉がビクリと身震いした。

「ひっ?!」

「あ、大丈夫、大丈夫。このアパート、古いから、ときどき、こういう音するの」

「そ…そうなんだ…」

「うん、最初はビビるけどね。半年も住むと慣れたよ。ラップ音じゃないから安心して」

 大学1年から住んでいる早耶香は眠そうに説明して寛いでいる。それで三葉も納得して目を閉じたけれど、また音が響いてきた。

 メシッ…

「っ…」

「大丈夫だって」

「…うん……ごめんね、いちいちビクっとして」

「いいよいいよ、平気、平気、おやすみぃ」

 メシッ…

「っ…」

「……………」

 早耶香も少し怖くなってきた。慣れた音ではあったけれど、これほど頻繁に鳴るものではなかった。せいぜい一晩に1回か2回くらいなのに、かなり連発されている。早耶香は目を覆っているヘアバンドをずらして室内を見回した。

「う~ん……何もないね。今日は湿度の変化でも激しいのかな。まあ、安心して。いつもの音だから」

「…うん……」

「はいはい、抱っこしてあげるから」

 もう実は早耶香も怖いので三葉と抱き合う。半信半疑ではあるけれど、精神病院より御祓いを選ぶくらいには三葉の話を信じていたりもする。

 メシッ…

「「っ…」」

 いっしょに二人してビクッとなった。

((…クスクス…))

 かすかに笑い声が聞こえた気がする。しかも、三葉と早耶香の笑い声だったような気もする。

「きょ、今日は本当に、よく鳴るね。うるさいくらい」

 早耶香がヘアバンドを外して起き上がり、冷蔵庫へ向かった。そして缶ビールとウイスキーを出した。

「あ、うちの会社の」

「そうだよ、三葉ちゃんにもらった優待券で買ってみたの」

 早耶香は怖いので酔いつぶれて寝ることにした。ベッドの上で二人で飲みながら話しているうちに寝るという作戦で怖さを追い払い、二人で眠った。

 

 大学受験のためにセンター試験を受けに岐阜市内の受験会場に来た日だった。

「……ぅぅ~……まだ30分も……もう30分しかない……」

 山奥の糸守町から会場に向かっていては間に合わないので糸守高校から受験する全員が前日からホテルに泊まって受験していたけれど、三葉は寝室の環境が変わったことで、なかなか寝付けず結果としてギリギリに会場へ滑り込んでいた。

「……ぅぅ……」

 おかげで朝からトイレに入れていない。猛烈な尿意と戦いながら、試験問題とも戦っていた。

「……ハァっ……まだ29分……」

 挙手して離席しようかとも思うけれど、まだ問題も解けていないし、なかなか進められないので時間配分を考えると、女性試験官を呼んでもらってトイレに行って帰る時間が無い。

「……はぅぅ……」

 三葉は寒いのに額へ汗を浮かべながら、問題を解いていく。シャーペンを持つ指先が震えるほど、おしっこを我慢していた。

「……ぁ~ぁ……はぅぅ……」

「そこ! 静かにしなさい!」

「は、はい! すいません!」

 注意されてビクっとしたので、さらに苦しくなった。

「………ぅ~……」

 ダメ、もう漏れる、もう、この問題は捨てよう、トイレに行かせてもらおう、と三葉は最後の設問を、すべて勘だけでマークシートを塗りつぶすと挙手した。

「どうしました?」

「トイレが漏れます!」

「「「「「プッ…ククっ…」」」」」

 変な日本語を発したので、何人かが爆笑しそうになり、それに耐えている。三葉も自分の失言が恥ずかしすぎて真っ赤になって下を向いた。幸か不幸か、糸守高校の生徒は、ほとんどいない。共謀してのカンニングを避けるために県内の高校から参加している生徒たちを、なるべく他校生と並ぶように配置されている結果だった。

「……。女性試験官を呼びますから、少し待ちなさい」

「は、はい」

 もう漏らしそうだったけれど、大切な試験なので三葉は尿意を我慢しながら、受験番号や解答順に間違いが無いか、目でチェックしていくうちに重大なミスを見つけた。

「っ…………」

 解答順が途中から間違っていた。同じ問題へ2つもマークしてしまい、以後の解答もすべてズレている。最後の設問を勘で埋めたので問題数が合わないことに気づくのが遅れていた。

「…ハァっ……ハァっ……」

 震える指先で消しゴムを使い、一つ消しては一つズラして塗り、それを繰り返していく。そのうちに女性試験官が来てくれた。

「どうぞ、立ってください」

「あ……あう……いえ! ミスがあって!」

 三葉は時計を見た、もう9分しかない、これでは退室して戻ってくると、修正している時間がない。

「ちょっとだけ! ちょっとだけ待ってください! お願いします!」

「ええ、どうぞ。慌てないで、落ち着いて」

 女性試験官は半泣きで懇願してくる女子高生に優しく微笑んで、そもそもの試験時間は残っているので、待ってくれた。

「ハァっ…ハァっ…」

 三葉は左手で股間を押さえながらギュッと内股になって耐えつつ塗り替えていく。どうせ勘で答えた最後の設問など、塗り替えなくてもいいのに、そんな思考力も働かずに最後の設問を中程まで塗り替えたときだった。

 じわぁ…

「ひぅ…」

 三葉は漏らし始めてしまい、少し下着を濡らしたのを感じた。

「うぅぅ……止まってぇ…」

「あと少しですよ、頑張って」

「は…いぃぃ…」

 三葉はブルブルと震えながら塗り替えようとするけれど、もう限界だった。

 ショァァァァジョオオオオぉぉ!

 生温かい渦巻きがショーツの中で暴れ、それが滲み出してきてイスを濡らし、さらにイスから零れて足元の床に黄色い泉をつくっていく。

「ぅふぁぁぁぁ…」

「…………。あと二つです。もう1分しかありませんよ、書いてしまいなさい」

 女性試験官は今現在の羞恥心より、この女子高生の受験を心配して助言してくれる。三葉は泣きながら塗り直して、それから、また泣いた。

「ひくっ…ううっ…あううっ…」

「「「「「……………」」」」」

 試験時間が終わり、周囲の他校生が三葉を見ている気がするけれど、顔を伏せて泣いているので、わからない。センター試験初日の最初のテストでの出来事だった。

 

 三葉は早耶香の部屋で目を覚まして焦った。

「っ……」

 盛大にオネショしていた。寝る前に早耶香と二人でビールとウイスキーを飲んだとはいえ24歳にして、ありえない恥ずかしい失敗だった。お尻のまわりが大きく濡れていて恥ずかしい。

「……ヤダ……どうしよ……サヤチンの布団なのに……それに、なんで、あの日の夢なんか、今さら……ぐすっ……結局、大学には合格したから、よかったけど、センター試験で、おもらしなんて……」

 三葉が悲しい気持ちと恥ずかしさに沈んでいると、早耶香も目を覚ました。

「う~……頭、痛っ…」

 二日酔いの頭痛に苦しんでいる。克彦とワインを楽しんだ後に、怖いので三葉とビールやウイスキーを眠くなるまで飲んだので、かなりの二日酔いだった。

「痛ぁぁ……三葉ちゃんは大丈夫? ……………オネショしたの?」

「ごめんなさい。お布団は弁償するから」

「プッ、小便して弁償した。なんてね。あはははは! あ、今のはベンショウとショウベンをかけてね」

 まだ酔いが残っていて、酔うと駄洒落のレベルが勤め先の上司と同じになる早耶香に笑われて三葉は泣いた。

 



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3話

 

 

 三葉は早耶香と電車に乗りながらスマフォで通販サイトから敷き布団を注文していた。

「サヤチン、この国産綿100%の布団でいいんだよね」

「うん、それ」

「ごめんね、オネショして」

「もう謝らなくていいよ。布団も弁償してくれるわけだしさ。あと、半分は出すよ」

「え、いいよ。私が悪いんだから」

「それ、高いでしょ。三葉ちゃんが濡らした布団は、もう何年も私が使ったのだしさ。それを新品にしてもらうわけだから、半分くらい出さないと悪いよ。御祓いにもお金いるでしょ」

「うん、ありがとう。………御祓い、いくらかなぁ…」

「さっき、ATMで、いくらおろしたの?」

「とりあえず20万円」

「生活費は大丈夫?」

「大丈夫だよ、まだ貯金あるから」

 電車が目的の駅に到着し、二人で商店街を歩き、裏通りのビルにある占い師が営業している店舗へ入った。

「いらっしゃい」

「「……こんにちは」」

 一歩踏み入れて、あまり信用できない雰囲気を三葉も早耶香も感じた。ネットの口コミと地理的に近かったことで選んだ店だったけれど、そもそも占い師なのに御祓いもするのが、なんとなく雑多な感じがしたし、店の中に入ると、安っぽい鷹の剥製やガラス玉っぽい水晶玉が置かれていたりして、何より新興宗教のシンボルマークが掲げられていたので二人とも、ああ、あの宗教の系列か、と社会人として、そこそこ有名な新興宗教なので知っていたりした。

「どうする? 三葉ちゃん、相談する?」

「……うん……一応」

 わらにもすがる思いで、一応は三葉が相談してみると、いろいろと言われた挙げ句に50万円の印鑑を買えば、すべて解決すると押し売りモードに入ってきたので退店した。

「はぁぁ……サヤチンがいてくれて良かったよ。一人だったら買わされたかも」

「こういうとこ一人で来るのは危ないよね」

「付き合わせて、ごめんね」

「いいよ、次、行ってみよう、次」

 気を取り直して第二、第三の候補を訪ねてみたけれど、どこも嘘っぽい店舗が多く、もともと巫女をしていた三葉から見ると、いかにも安っぽいコスプレのような衣装を着ていたり、置かれている道具類も稚拙だったりして信用できなかった。それでも昼過ぎになって信用できそうな神社に付属した祓い屋を訪ねていた。

「…というわけなんです」

 三葉が心霊現象を相談すると、話を聴いていた老婆が三葉の顔を見つめてくる。

「…………」

「…………」

「三葉ちゃん、どうする? もう帰る?」

「……ううん……ここ、信用できそう……」

 少なくとも老婆が着ている巫女服は本物だったし着こなしも間違っていないので三葉は、ほのかに期待したけれど、老婆は首を横に振った。

「ワシには無理じゃ。お前さんに憑いておる霊の数が多すぎる」

「っ……そ、そんなに憑かれてるの……私……」

「三葉ちゃんに、どのくらいの霊が憑いているんですか?」

「百、あるいは二百、もっとかもしれん。村一つ丸ごとくらいの数じゃよ」

「「……………」」

 三葉と早耶香が悲壮な表情になると老婆は和紙へ、いくつかの神社や祈祷所の名称を書き出した。

「ワシには無理でも、もっと力のある御方なら、なんとかなるやもしれん。この中から、ご縁のありそうなところへ行きなされ。巡り合わせによっては救われるじゃろう」

「……。ありがとうございました」

 礼を言って表通りへ出てから、もらった和紙を見ていく。早耶香も見てみると、遠方の神社の名前が連なっていた。

「東北か、九州か……近くても三重県………。あとは、岐阜県の、ここだね………イヤかもしれないけど」

「……別に……イヤってわけじゃ……行きにくいだけだもん……」

 老婆が書いてくれた中には、新糸守神社、宮司宮水四葉の名があった。早耶香が三葉の背中を撫でた。

「ご縁もあるし、巡り合わせもあるでしょ」

「………そりゃ……妹だから……」

「もう宮司なんだ? 四葉ちゃん」

「…………よく知らないけど………私が東京に出たから、そうなるしかないかも………制度的には、どっかの大学を出ないとダメなはずだった気もするけど……うちは神社本庁から独立してる単立神社だから」

「ふーん……四葉ちゃん、まだ高校生だっけ?」

「うん……たぶん、2年生くらいだと思う」

「思春期後半かぁ……仲悪いの?」

「………連絡とか、あんまり取らないから。……」

「どうする? 他の神社にする?」

「………………」

 三葉がスマフォで時刻を見る。そろそろ日が暮れる。昼間は大丈夫でも夜になると怖い。そして、他の神社とは縁もゆかりもないし、東北や九州は東京から岐阜より遠い。

「明日は日曜日だし………来週にすると一週間も先に……」

「たぶん、三葉ちゃんが一週間も精神的に保たないよ。早く解決しないと危ないって」

「けど、糸守町に東京から日帰りは………、月曜には大事な会議もあるし……」

「今から行って岐阜市内に泊まって始発で糸守に入って、なんとか祓ってもらって帰れば月曜朝には間に合うんじゃない?」

「……うん………遠いけど………ついてきてほしい。もちろん、交通費とかも出すから」

 すがるように見つめられて早耶香は頷いた。すぐにタクシーを拾って電車を乗り継ぎ、東京駅から新幹線で名古屋へ向かう。新幹線が走り出すと、三葉はデッキから電話を瀧へとかけた。

「ごめんなさい。明日のデート、急にドタキャンして」

 約束していたディズニーランドへのデートを涙目で断っている。

「別にいいって。急な話だったし。それなら、それで会社説明会とか、参加するかもしれないからさ。泣くほどのことじゃないから気にしないで」

「ぐすっ…ありがとう。でも、本当にごめんね。いきなり一回目のデートでドタキャンなんて」

「いいって。オレ、お金ないしさ。女におごってもらってまでディズニーも無いだろうって思うから」

「そんなの気にしないで。私が行きたいだけだから。いつか、瀧くんと行きたいと思ってたから、まだディズニー、東京へ来てから一回も行ってないの。お金、あるから。今度、付き合って。お願い」

「うん、わかったよ。じゃあ」

「ごめんね。またね」

 電話を終えて座席へ戻ると、早耶香にも謝る。

「ごめんなさい、サヤチンだって明日、いろいろと予定あったでしょ?」

「気にしないで。とくに、ないよ。克彦はゼネコンだから休日出勤かかりやすいし。それでなくても結婚資金を残したいから、もうデートとか初々しいこと減ったからね」

「結婚資金かぁ……いくらくらい要るの?」

「それは結婚式の程度によって、ぜんぜん違うよ。ちゃんとホテルで挙式したら200万はいるかな」

「200万かぁ……さっきまで、あったけど、もう200は無いかな」

「けっこう貯金してたんだ」

 今朝から、都内の御祓い店を回ったり、新幹線の切符を買ったりしたので三葉の所持金は減っていたけれど、それでも就職2年目にしては多いと、早耶香が感心する。

「うん、まあ、デートしたりとか、しなかったから」

「休日もフラフラ散歩してるくらいだったもんね」

「だって、運命の人が、どこかにいるかもって思ってたから」

「運命の人か………よかったね、会えて」

「うん」

 頷いた三葉と、克彦に東京を離れることをメールで伝えた早耶香は寝不足だったこともあり、静岡県へ入る前に座席に座ったまま眠った。

 

 四葉が小学校に入学する日だった。三葉は中学2年生だったけれど、親代わりにビデオカメラを持って妹の入学式を撮影するために保護者席に座っていた。

「なつかしいなぁ」

 二年前に卒業した小学校の体育館に来るのは久しぶりで懐かしい。思い出してみると、本当に自分の小学校の卒業式以来になる。

「あそこでテッシーが転んだっけ……フフ」

 小学生だった頃を思い出し笑いしつつ、体育館の匂いを嗅ぐ。木とワックスの懐かしい匂いだった。

「卒業式でも、みんな泣かないんだよね。糸守の場合、中学卒業でも、そうなるかな」

 ドラマやアニメでは、よく卒業式で別れを惜しんで泣いたりするシーンが描かれるけれど、糸守町の場合、全員が同じ中学へ行くので誰も泣かない。中学から高校へあがるのでも、よほどスポーツに優れていたりしない限り、ほぼ全員が糸守高校へ行くので、やっぱり別れを惜しむことはない。

「高校を卒業するときは泣くのかなぁ……サヤチンやテッシーとは別れたくないなぁ。まあ、この町に住む限り、死ぬまで別れないけど」

 山奥の町独特の閉鎖された人間関係なので大学進学や就職で都市部に出ない限り、別れはあまり無い。三葉はビデオカメラの操作を確かめるため、電源を入れて体育館全体を撮った。もう保護者と在校生は着席していて、三葉は早めに場所取りしたので保護者席の中でも最前列の撮影に適した席にいた。

「最近の入学式は新入生と在校生を対面させるんだぁ」

 小さめの体育館の中央に演台が設けられ、出入口から遠い方に新入生の席が並び、それらの席は中央の演台を向いている。また出入口から近い方に在校生の席が並び、同じく中央の演台を向き、そして保護者席は新入生の左右に分かれて体育館の端に並び、新入生の方を向いていた。三葉は自分たちの名字がマ行なので四葉の出席番号は遅い方になると予想し、撮りやすいように奥の席の最前列に座っていた。

「ご来賓の入場です!」

「……お父さん、来るかな……まあ、来るよね」

 町長なので当然に宮水俊樹は来賓として招かれ、中央の演台に近い位置へ座った。

「一応、撮ってあげよう」

 主役は四葉だったけれど、とりあえずビデオカメラの操作に慣れるためにも俊樹も撮ってみる。ゆっくりと望遠してアップにすると俊樹も、こちらを見た。

「………」

「………」

 父娘の目が合った。けれど、俊樹から、撮らなくていい、四葉を撮ってやれ、という思念が飛んできた気がするので、三葉は舌を出して父親を撮るのをやめ、体育館の出入口へフォーカスする。

「新1年生の入場です!」

「四葉、ちゃんと撮ってあげるからね」

 賑やかな音楽が流れ、新入生が6年生と手をつないで入場してくる。すぐに妹の姿を見つけた。しっかりとした足取りで6年生の男子と手をつないで歩いてきた。

「四葉ァ♪ 四葉ァ♪」

 小声で呼びかけ、手を振ったけれど、目が合ったのに無視された。

「愛想悪いなぁ」

「「………」」

 式の最中なんだから余計なことするな、という思念が父と妹から飛んできた気がする。それでも手を振りつつ、四葉を撮る。

「四葉、あんなに立派に大きく育ってくれて……つい、この前まで赤ちゃんだったのに」

 四葉が生まれた時に7歳で小学生だった三葉は抱っこしたり、オムツを替えたりした四葉が大きくなったのを実感して、少し涙ぐんだ。担任となる教師が一人一人を呼んでいく。

「宮水四葉さん!」

「はい!」

「いい返事できたね、四葉」

 新入生の入場と点呼というハイライトが終わると、あとは校長や町長の長話になるので三葉はビデオカメラを膝の上においた。そして、ずっと意識しないようにしていたことに意識がいく。

「ぅ~……早く終わってよ。おしっこしたいのに……」

 早めに場所取りしに来たときから、ずっとトイレを我慢していた。

「昨日は温かかったのに……今日は、めちゃ寒いし……」

 四月で昨日は桜が咲きそうな陽気だったのに今朝は一転して真冬のように寒い。

「上着もってくればよかった……タイツも……」

 三葉は中学の制服で参加していた。妹の手前、きちんとしなければと制服しか身につけていないので、とても寒い。校則通りの白い靴下も、あまり温かくないし、上靴も小学校と共通だったので持参したけれど、薄っぺらくて寒い。わずかにビデオカメラのバッテリーだけが少し温かいので、それをお腹に抱いて暖を取る。

「続いて、糸守町の宮水俊樹町長よりお言葉をいただきます」

「新入生のみなさん、ご入学おめでとう! そして、ご列席の保護者のみなさん、今日という日を、お子さんが生まれた日から待ち望んでこられたことでしょう。立派に育った息子さん、お嬢さんの姿を見て胸が熱くなることと…」

 町長らしい挨拶をしているけれど、もう三葉は尿意を我慢するのに必死だった。もともと父の挨拶は撮る予定でもないので、制服のスカートを少しでも温かいように腿へ巻きつけて両手で押さえているけれど、寒くて震えてくる。

「…ぅぅ……震えるとチビりそう……」

 おしっこを我慢するためにはジッとしたかったけれど、まったく動かないでいると寒くて漏らしそうで、身体を温めるために震えると、それはそれで振動で漏らしそうになってくる。

「……お父さん……早く…終わって……」

「この糸守町は小さな町です。けれど、みんなが協力して町づくりを…」

 こういった席は政治家にとって重要な演説の場なので保護者からの票を意識しつつ、小学生にもわかるレベルで噛み砕いて俊樹は熱心に話している。

「…………もう無理……途中退席ってダメなのかな……」

 三葉は周りを見る。自分が小学生なら先生に頼んでトイレに行かせてもらうところだったけれど、今は中学生で、しかも立場が保護者なので対応がわからない。小学校の先生にトイレに行きたいです、と言うのは変な気がする。黙って席を立とうかと思ったけれど、小さな体育館に所狭しとイスが並んでいるので、退席するには中央の花道を通るしかない。今まさに演説している父親のそばを通って出て行くのは、目立ちすぎてありえない。

「あ~っ……ハァっ……ハァっ……」

 三葉は寒いのに、額と両腋に汗が流れるのを感じた。額の汗がビデオカメラに落ち、腋の汗が腕を流れて肘まで滴ってくる。三葉が前屈みで尿意に耐えていると、四葉と目が合った。

「………」

「………」

 四葉は姉の表情と姿勢で、だいたい察した。

「はぁぁ……」

「ぅぅ……タメ息つかないでよ……お姉ちゃん、大変なんだから……ぅぅ…」

 妹にタメ息をつかれてしまった。

「少子高齢化という言葉があります。子供が少なくなり、お年寄りが増えていくという意味です。今、糸守の町に、子供たちの声が響き…」

 まだまだ俊樹は語っている。三葉は、おしっこを我慢することだけに集中していたけれど、寒さのためにクシャミが出た。

「くしゅん! っ?!」

 クシャミでお腹に力が入ってしまい、おしっこが溢れてくる。

 じょわじょわ…

 三葉はショーツが生温かく濡れる感触を覚え、身震いした。

「ヤダ…止まって…」

 まさか妹の入学式で姉がおもらしするわけにはいかないと、両手を股間にやって全力で押さえた。周囲に見られて変に思われることを気にしている余裕もなく、やや脚を開いて、その分だけ両手を押し込み、指先で噴き出してくる小水を手が攣りそうなほど力一杯に押さえて耐える。

「はうぅ……もれるぅぅ…」

 もう三葉の膀胱は一気におしっこを出したがっていて、クシャミで漏らした流れのままに放水しようと収縮してくる。

 しょわ…しょわ…

 指先で押さえているけれど、その隙間から漏れてきて止まってくれない。

「いうぅうぅぅぅ…」

 収縮したがる膀胱に逆らって、漏らしているのを指先で無理矢理に押さえつけると、膀胱がズキズキと痛い。いつの間にか半開きになっていた口からヨダレまで垂らしてしまうほど苦しいけれど、両手で押さえていないと漏らしてしまうのでヨダレは垂れるまま三葉のスカートに落ちる。

「ぁあぁ…うはぁぁ…」

 小声で呻きながら三葉は頑張った。その姿は、どう見ても変だった。切迫した表情で女子中学生が自分の股間へ両手を入れているのは普通ではなかったし、制服のスカートも押さえているために腿の半ばまでめくれてしまっている。それでも三葉が注目されなかったのは、だいたいの保護者が自分の子供を見ていたり撮っていたりしたおかげで隣席の人でさえ脚を拡げて座る行儀の悪い女子中学生くらいにしか感じていなかった。

「…ハァ……ハァっ……勝った…」

 膀胱が強烈に収縮すること3回、その噴き出しそうな流れを圧迫して放尿してしまうのを押さえ込むと、波が引くように楽になるのを感じた。

「ハァ…ぁぁ…ハァ…お姉ちゃん、勝ったよ」

 しばらくは大丈夫、けれど次はもう無理という状態で、小さな勝利に喜び、そっとスカートを見下ろすと、押さえていた部分が小さく濡れていた。

「……これくらいなら大丈夫……お茶、零したくらい……」

 スカートは栗の実ほどの大きさに濡れているけれど、なんとか目立たないはずだと思えた。けれど、もしも次に膀胱が収縮しかけたら、押さえきれない気がする。三葉は体育館を脱出してトイレへ向かう方法を考えたけれど、何も思いつけない。そんなときだった。少し離れた席の保護者が携帯電話を持って、立ち上がると申し訳なさそうに出て行った。

「………そっか……保護者は自分の判断で出て行っていいんだ………」

 おそらくは仕事上の重要な電話なのだろうと思われ、入学式の最中なのに中央の花道をコソコソと中腰で走り去っていく姿を見て、三葉も決断した。このまま漏らすより脱出しようと試みる。そっと同じように立ち上がって、体育館の奥から中央へと歩く。

「糸守町の小学生は……元気に山道を歩いて学校まで…」

 娘が席を立ったのに気づいて俊樹は、こんなときに立つのか馬鹿者が、という目になったけれど、立場をわきまえているので演説を続ける。

「登校してくれるでしょう。その健脚が未来の糸守町を支える日が…」

「………」

 三葉は中央に近づいたので中腰になって目立たないようコソコソと俊樹のそばを通り抜け、左右に在校生が座っている花道を進む。小学生であれば勝手に席を立ったことで教師が注意しにくるところだったけれど、もう中学生なので誰も何も言ってこない。何か事情があって席を立つのだろうと、まったく干渉されない。けれど、立ち上がってから気づいたことに、スカートの後ろをかなり濡らしてしまっているようだった。スカートの前は栗の実くらいにしか濡らしていないけれど、後ろはカボチャくらいに濡れているのが触った感触でわかるし、それ以上に濡れている下着からポタポタと滴が歩く度に体育館の床に落ちていく。こんなことに気づかれたら恥ずかしくて生きていけないと、三葉は中腰になりつつ両手でお尻を覆いながら歩く。

「この良き日に入学される子供たち…」

「……うっ…」

 中腰で歩いたせいで三葉の膀胱が、また収縮して放尿しようとしてくる。三葉はお尻を覆っていた手を前にやって押さえ込もうとした。ここで漏らすのは絶対にイヤだと、立ち止まって脚を開いて両手で力一杯に股間を押さえる。

「痛、いぐっ…」

 けれど、今度の収縮は強烈で、さきほど押さえつけられた膀胱が怒っているかのように煮え立ち、身体の反射なのか腹筋にまで力が入って、おしっこを出そうとしてくる。

 プシャ!

「ひっ…痛っ…」

 もう、おしっこを出したいという感覚程度ではなく、激痛が膀胱に走り、これ以上は破裂しそうで手で押さえる力も入らなくなってしまった。

 プシャぁあ! しょわああ!

「うぐううううう…」

 呻きながら三葉は漏らした。止めよう、我慢しようと、それでも頑張って力を入れるけれど、もうどうにもならない。決壊した堤防を押さえられないように次から次へと、おしっこが溢れてきて止まらない。すでに濡れていた下着は、まったく吸収してくれず内腿へお湯をあてられたような温かい感触が流れ落ちていき、それが膝へ拡がり、ふくらはぎ、足首も濡れていく。同時に、股間の真ん中からも黄色い滝が体育館の床へ降りそそぐ。

 パシャパシャパシャ!

 おしっこで黄色い泉が体育館の床に拡がると、寒い体育館なので大きな湯気がのぼった。

「最後に、もう一度、ご入学おめでと…う、と言って私の言葉を………………」

 演説していた俊樹も長女が、おもらししているのに気づいて思わず黙り込む。俊樹が黙ると、体育館がシーンと静かになった。

 パシャパシャ! ジョボジョジョ…ポチャ…ポチャ…

 静まりかえった体育館に三葉が漏らす音だけが響く。

「…ぅう……ひぐっ…」

 一歩も動けなくなった三葉のそばにいる在校生たちも驚いている。

「あれって、おもらし?」

「中学生が?」

「ホントだ、漏らしてる。カッコ悪」

「中学生って、おもらしする?」

「あの制服って中学だよな」

「なんで中学生がいるの?」

「もらすから小学校に落とされたんじゃね」

「きゃははは、落第したんだ」

「一年からやり直しで入学かもよ」

 はじめは小声だった在校生たちの笑い声がだんだん大きくなってくる。三葉は見たくないのに、まわりを見渡してしまい、体育館にいる誰もが自分を見ていることに絶望していく。それでも助けを求めるように俊樹を見た。

「ひぐっ…ぅうっ…お父さん……助け…」

「………」

 一瞬、俊樹も迷った。親として、おもらしした娘を助けてやりたい気持ちも芽生えた。けれど、演台にいる俊樹は公人として振る舞うことを選んだ。

「私の言葉を締めくくらせていただきます。ご入学、おめでとう!」

「…ぅう…」

 本来、拍手が起こる場面だったけれど、ありきたりな挨拶より誰もが三葉の失禁に驚いていて拍手が起こらない。もう、おしっこは止まったけれど、三葉は涙が止まらなくなっている。おもらしして泣いている中学2年の娘を見て、俊樹は苦々しくつぶやいた。

「…恥さらしな…」

 その声はマイクには拾われないほど小さかったけれど、三葉には聞こえてしまった。

「ひっ?!」

 三葉の父親への最後の期待と、14歳の少女としての乙女心、そして姉としてのプライドが、まるでワイングラスを床へ叩きつけたように割れて砕け散り、粉々になった。

「うっ…うぐっ…うわああああん!!」

 三葉が大声で泣き出した。

「ひええええん!!」

 もう心を支えるものが無くなって幼女のように泣いている。

「うわあああん! わああああん! お母さんんぅぅ!」

 何かに助けてほしくて、この世にいない母親を頼るほど心が幼児に戻っていく。

「お母さんぁああ! おしっこもれたよぉおお! お母さんぅんうぅ! ひええええん! ちっこ出たのぉお! ママぁああ! あああっーああんん!」

「「「「「……………」」」」」

 笑っていた在校生たちも、これには黙った。すべての町民が三葉の母親が早世したのを知っているし、大声で泣く三葉を見てからかう気にもなれない。泣き続ける三葉のスカートを四葉が引っ張った。

「保健室ってとこ、行くよ」

「ひぐっ…うぐっ…ひうぅ…」

 そういえば、春休み中に妹へ、小学校では気分が悪くなったり、服が汚れたりしたら保健室へ行くんだよ、と教えた気がする。四葉に引っ張ってもらうと、一歩も動けなくなっていた脚が少しずつ歩けるようになって両手で顔を隠しながら体育館を出た。

「ひぐっ…ひっく…」

「保健室、どっち?」

「ぐすっ…あっち…」

 泣きながら妹と保健室へ入った。

「いらっしゃい。どうしたの?」

「おしっこ漏らしちゃって」

 四葉が答えた。

「あらあら大変ね。………」

 児童を傷つけないように、おもらしの始末をするのに慣れている養護教諭は四葉の下半身を見て濡れていないので首を傾げる。四葉は入学式らしい上等の衣服を着ているけれど、どこも濡れていないし、ちゃんと着ている。

「………もしかして、漏らしたのは、お姉さん?」

「ひぐっ…ぅうううぅ…」

 泣いているのは三葉で、よく見ると靴下や脚が濡れている。つい新1年生と中学生が入ってきて、おしっこを漏らしたというので四葉に違いないと反応したのが余計に三葉の心を苛んだ。

「あうぅう…お母さんんァ! うええぇえん!」

「………」

 あまりにショックで幼児退行しているのを見て取った養護教諭は三葉をカーテンのあるところへ案内する。

「こっちで脱ぎましょうね」

「ぐすっ…ひっく…」

 いつまでも濡らした衣服を着ていたくないので三葉はカーテンの中でスカートとショーツ、靴下を脱いだ。

「ぐすっ…うぐっ…ひっく…」

「こういうパンツしかないけれど、これで我慢してね」

「はい……ぐすっ……ありがとうございます…」

 渡してもらったのは小学生の女児が着るような、もこもことした女児パンツだった。こういうパンツを卒業して、もう3年くらいになるけれど仕方なく着けると、ぎりぎりサイズは合った。

「服はどうしましょう。………Lサイズの体操服ならあるけれど……」

 三葉の身体でも着られそうな体操服はあった。ただ、小学校の体操服なので上が中学校の制服のままだと、いかにも不格好で他人に見られて笑われそうだった。

「いっそ、上も体操服に着替えますか?」

「…………はい、……そうします。ぐすっ…」

 三葉は2年ぶりに小学校の体操服を着た。やはり胸が目立つほど成長していたけれど、今は気持ちが沈んでいて、そんなことはどうでもいい。養護教諭が保健室の外を見て言う。

「着替えは終わったけど、今出て行くと人が多いわね。少し待ってからにしますか?」

 もう入学式は終わって、新1年生と保護者たちは帰っていくけれど、記念撮影をしたりしていて、その近くを通って帰るのは苦痛だろうと配慮してくれる。

「…ぐすっ…」

 頷いた三葉は20分ほど保健室で啜り泣きながら時間をつぶし、四葉はランドセルを教室へ取りに行き、戻ってきた頃には人が少なくなったので校門へ出た。

「ぐすっ…ひっく…」

「三葉」

 俊樹が声をかけてきた。

「歩いて帰るのはイヤだろう。送ろう」

「……………」

 返事はしなかったけれど、三葉と四葉は俊樹の車で帰宅し、三葉は午後からの中学校の入学式に在校生として参列することになっていたのは欠席したし、家の中で何度も泣いた。

 

 新幹線の座席に座ったまま寝ていた三葉は早耶香に揺り起こされていた。

「三葉ちゃん、三葉ちゃん」

「……お母さん……」

「起きて、三葉ちゃん。もう名古屋に着くよ」

 早耶香は揺り起こしている三葉が泣いているのに気づいたし、さらに座ったまま、おしっこを漏らしているのにも気づいた。

「………また、オネショしてる………もしかして、これも呪いなのかな……」

 ぐっしょりと三葉が座っているシートと私服のズボンが濡れていて、早耶香の方まで濡れそうになってくるので立ち上がった。

「三葉ちゃん、起きて」

「…うう………サヤチン? ……ぐすっ……入学式は……」

「なに言ってるの?」

「あ……新幹線……」

 三葉は状況を思い出した。そして、おしっこでズボンと座席が濡れているのにも気づいた。

「………ううっ……」

「よく寝てたから仕方ないよ」

 いい慰めが浮かばず、早耶香は三葉の頭を撫でた。三葉が顔を伏せて真っ赤になり、ぽろぽろと涙を零した。

「…ぐすっ……ひっく……なんで……あんな夢……今さら……」

「なにか、イヤな夢でも見たの?」

「……………四葉の小学校入学式へ行ったときの……こと…」

「ああ、あの……大変だったらしいね」

 早耶香も直接に見たわけではないけれど、中学2年の入学式に三葉が来なかった日に小学校で起こったことは噂話で聞いた記憶があるような気もしないでもない。

「最近、変な夢ばっかり……」

「とにかく降りよう。もう到着だから」

「……こんなカッコじゃ……」

「仕方ないよ。着替えもないし。ずっと乗ってても大阪に行っちゃうだけだよ」

 二人とも急に決めた移動なので着替えなどは持っていなかった。名古屋駅のホームに降り立つと、ぐっしょりと濡れたままの三葉のお尻は目立った。

「ぐすっ……乗り換え、どうする?」

「かわいそうだけど、3分しかないから、このまま行こう。大丈夫?」

「……大丈夫じゃないけど………行くよ。顔、隠してたいから、手を引いて」

「うん。じゃ、こっち」

 顔を伏せて片手で隠している三葉の反対の手を引いて、早耶香は乗り換える。すぐに乗り換えないと終電なのでやむを得なかった。岐阜へ向かう在来線に乗ると、三葉はお尻を隠すように壁際へ立った。あまり混雑していないけれど、早耶香も密着するように三葉の前へ立って、隠してくれる。

「ぐすっ……ごめんね…」

「いいよ。あ、岐阜で泊まるところを探しておかないといけないね」

「そうだった……うっかり寝ちゃって…」

 二人でスマフォを操作して宿泊先を探す。

「シングルしか無いね」

「こっちも……」

「やっぱり、三葉ちゃん、私と二人で寝たい?」

「お願い。いっしょに寝て」

 二人の会話が、たまたま聞こえていた周囲の乗客がチラリと三葉と早耶香を見た。密着するように立っている二人を何度か見て、それから都会らしく興味を無くして見なくなる。三葉と早耶香もスマフォで宿泊先を探すのに専念するけれど、当日予約で、すでに終電時刻なので空き室があるのはシングルのビジネスホテル系ばかりで二人で寝られそうな部屋は一つも見つからない。早耶香が検索方法を変える。

「仕方ない。ラブホとかにする?」

「あ、そっか。ああいうホテルなら二人以上が基本だから。……サヤチン、けっこうテッシーと行ったりしてるの?」

「たまにね。けど、基本、克彦の部屋だよ。あんな、いいマンションあるのに旅行でもない限り、使わないよ。三葉ちゃんは使ったことある?」

「エヘへ、こないだ初めて使ったよ」

「いきなりラブホに連れ込まれて、彼氏、びっくりしたでしょうね」

「だって、やっと会えて嬉しかったんだもん」

 瀧との再会時の話をしているうちに岐阜市に到着し、二人はタクシーで最寄りのラブホテルへ行った。なるべく新しくてキレイなラブホテルがいいとタクシー運転手に告げたので、それなりの施設に来ている。ロビーで、いくつかある空き部屋から二人で選んでいるときだった。

「三葉ちゃん、ここにしない?」

「ここ? ……SM部屋って……なんで?」

「だって、鞭とかありそうじゃない。あったら、夕べの続きで、お仕置きするから」

「ぎくっ………」

 さっきまで優しかった早耶香が今は昨夜と同じような表情をしているので三葉は生乾きになっているお尻に疼きを覚えた。布団叩きと鞭、どっちが痛いのだろうと怖くなる。

「……お手柔らかにお願いします」

「それは三葉ちゃんの態度次第かな。フフ」

 二人はSM部屋に入っていった。



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4話

 

 三葉と早耶香はラブホテルのSM部屋に入ると、その雰囲気に圧倒されていた。

「「……こういう部屋なんだ……」」

 通常のラブホテル同様にベッドもあるけれど、壁の棚には鞭やロウソクなど、いろいろな道具があるし、大きな三角形の木馬や、手足を拘束するための枷や鎖が吊されている。その鎖をつなぐためのフックや錠も天井から吊られていたり、壁に固定されていたりする。怖さを演出するためなのか、血のりがついた斧や剣まであった。

「……これって本物の血? じゃないよね……」

 恐る恐る三葉が触ると、血のりはペンキっぽかった。それでも雰囲気的に怖いので三葉は一縷の望みをかけて早耶香に言ってみる。

「な…長旅で疲れたし、早めに寝ようか」

「………。ふーん……もう反省する気はないんだ?」

 同じく部屋の雰囲気に圧倒されていた早耶香が急に部屋の雰囲気にマッチした冷たい声で言ってきた。もともと、代々美声で姉は役場の放送係をしているくらいなので早耶香の声も美しい。けれど、その声が冷たい響きを帯びると、恐ろしい迫力があった。三葉は身を縮めて頭を下げる。

「ぃ…いえ……反省します」

「そうよね。まだ反省、足りてないよね」

「……はい…」

「とりあえず、あなたは、おしっこ臭いからシャワーを浴びてきなさい」

「うぅっ…」

 小水で濡らしてしまった股間は乾いてきたけれど、時間が経って匂いが強くなってきているし、室内に入った分だけ、臭いのはわかるけれど、はっきり言われて心に刺さった。とはいえ、早くシャワーを浴びたいのは事実なのでガラス張りのバスルームへ入る。バスルームは洗い場が広くて、湯船も大きい。三葉は裸になると、おしっこで汚してしまったズボンと下着も手桶に入れて、お湯で手洗いする。そうして干しておかないと、明日朝に着る服がないので、その作業は早耶香も優しく手伝ってくれた。

「干しておいてあげるから、シャワー浴びてきなさい」

「はい。………ありがとう…ございます」

「強く絞っても大丈夫な生地?」

「うん、お願い」

「濡れたまま歩いてたんだから、風邪ひかないように、しっかり温まってね」

 早耶香は受け取った衣類を洗面台で絞ると、ハンガーに干す。洗面台にも血のりがペンキで装飾されていたし、ハンガーも悪趣味なドクロなどが意匠されていた。それでもホテル客室としての機能は満たしているので、女性らしく明日のために衣類を準備して、絞りきれなくてポタポタと落ちる水滴を受け止めるために備え付けのハンドタオルを下に置いた。

「さてと、こういう鞭って痛いのかな」

 早耶香は鞭を触ってみる。鞭はビニール袋に入っていた。

「買い取り3500円か……そりゃそうよね、前の人が使ったのを使いたくないから」

 他の道具類や木馬なども見ていく。

「これって、どうやって使うのかな……あ、注意書きがある。消毒用のアルコールも置いてあるんだ。ふーん……面白そう。布団叩きより、ずっと楽しそう」

 だんだん早耶香はテンションがあがってきた。ガラスの向こうで三葉は身体と髪も洗っている。

「手足は、これで動けなくするのね。仮面とコスプレもある。仮面は800円、目隠しは500円、コスプレは1万2000円かぁ……SMプレイ初心者への手引き書まであるんだ」

 早耶香はペラペラと手引き書を読んだ。

「相手の身体を傷つけないように。傷害、殺人などの結果によって警察の捜査など、当ホテルの営業を妨げたときは、相応の賠償金を請求します、か。当然ね」

 不動産系の会社に就職している早耶香は、条件や安全についての手引きに頷き、そしてソフトなプレイについての心構えも学習してみる。

「ふーん……叩き方によって気持ちよさも変わるんだ……っていうか、叩かれて気持ちよくなったら、そこが入口……。布団叩きの痕は…」

 早耶香はガラスの向こうにある三葉のお尻を見た。

「まだ残ってる……痛そう。あれは100%で叩いたときのね」

 何度も叩いたうち、全力で叩いた一回の痕だけは、まだ残っていた。三葉も視線を感じたのか、こちらを見て、お尻を撫でてから湯船に入っている。早耶香は室内のだいたいを把握したので仮面をビニール袋から出して顔につけた。そして、鞭もビニール袋から出す。

「コスプレは高くつくし、このままでいいかな」

 黒のレザー製ハイレグカットの衣装を身につけるのはやめた。右手にもった鞭で自分の左手のひらを叩いてみる。

 パシっ…

 鞭は30センチほどの棒状の硬いゴムの先に小判ほどの平べったい殴打部がシリコン製で形成されていて、布団叩きと違って面で打つようになっている。手のひらに独特の痛みが走った。

「こういう痛さなんだ……手加減すれば気持ちいいかもね。思いっきり叩いたら暴力以外のなにものでもないけど」

「お先です」

 三葉が揚がってきた。早耶香が故意に脱衣所へ備え付けられていたバスローブを持ってきてベッドの上に置いたので、三葉はバスタオルを身体に巻いただけの姿だった。

「…そ……そんな仮面つけてちゃ……怖いよ、サヤチン」

「……………」

 早耶香がつけている仮面は表情もなく性別も中立的な顔立ちの造りで、右半分は白色、左半分は黒色に塗装され、三葉から見えるのは早耶香の瞳だけなので、どんな顔をしているのか、わからない。長年の親友とはいえ、表情が見えないとコミュニケーションが成立しにくくて、それが余計に怖い。早耶香が思いっきり全力で鞭を振って木馬を叩いた。

 ピュッ! パシィィン!!!

 布団叩きとは比べものにならない派手な音がする。鞭の先端にあるシリコン製の殴打部は折り返しての二重構造になっているので叩いたとき空気を含み、威力のわりに派手な音がする仕組みだった。

「ひっ……」

 ものすごく痛そうな音がしたので三葉はお尻が寒くなった。

「あ……あのね……サヤチン……、まだ、お尻、痛いの……反省してるけど……全力で叩くのは……勘弁してください」

「……………」

「本当に、ごめんなさい。私が悪かったのは、よくわかってるから」

「……………」

 意図的に早耶香が無言でいると、また三葉は土下座して謝る。

「申し訳ありませんでした。どうか、許してください」

「……………」

 早耶香は無言のまま土下座している三葉のお尻を鞭の先端で撫でた。

「ひぅ……」

 三葉が身震いする。バスタオルを身体に巻いただけの姿だったので土下座すると、お尻が丸出しになっている。激痛への恐れがお尻から背筋、頭まで登ってくる。早耶香は鞭の先端で三葉のお尻を撫でながら冷たい声で問う。

「まず、あなたは何をして私を怒らせているか、もう一度、自分の口で語りなさい」

「は…はい……わ、…私はサヤチンが婚約しているテッシーの部屋へ夜中におしかけました」

「それだけ?」

「い、いえ。……それで、……いっしょに寝ていました……お化けが出て怖かったから」

「どんなカッコで寝ていたの?」

「…………上のパジャマだけ……でした」

「あなたも彼氏ができたわよね。その彼氏と、これから交際していって婚約までいったとして、そんな時期に下半身裸のはしたない女が彼氏の部屋で二人で寝ていたら、どんな気持ちになるの?」

「っ……すごく……悲しいです」

「それだけ?」

「……怒ります……」

「どのくらい怒るの?」

「………とても、とても怒ります………想像がつかないくらい怒ります……ごめんなさい」

「顔をあげなさい」

「…はい…」

 土下座したまま答えていた三葉が頭をあげ、早耶香は三葉の目を見ながら、鞭の先端で三葉の頬や顎を撫でた。すでに三葉は涙を零していた。怖いのと、早耶香へ悪いことをしたという気持ちから泣いて謝っている。

「ううっ……本当に、ごめんなさい。やましい気持ちはありませんでした。どうか、信じてください」

「やましい気持ちねぇ……あなた、ずっと処女だったけど実はエロい女でしょ? 正直に答えなさい。大学生になってから一人暮らしで、よくオナニーしていたでしょ」

「……はい…」

 三葉が目をそらして認めた。

「どんなオナニーしているの? 答えなさい」

「………、サヤチンも知ってる通り……です」

 大学3年生だった頃に、三葉の部屋へレポートを忘れた早耶香がバイト帰りに急いで取りに行ったとき、ついノックもせずにドアを開けてしまい、三葉の自慰行為を目撃したことがあった。そのとき、三葉は糸守高校の女子制服を着て、机の角に股間を押しつけながら枕を抱いていた。抱いた枕にキスをしながら、会いたい、大好き、などと言いつつ息を乱して腰を動かしていたので一目瞭然だった。目撃した早耶香は謝ってレポートだけ受け取って立ち去っていたけれど、ずっと大きな疑問が残っている。なぜ、制服姿だったのか、どういう性癖があるのか、この際、訊いてみたかった。

「あなた、制服を着てオナニーするのが好きなの? 今でも土日になると制服で都内をうろうろするよね? あれもオナニー前の遊びなの?」

「ううっ……違うもん……、あれは運命の人を探すために、もし出会ったとき、私だってわかってもらうために制服を着てるんだもん」

「………」

 やっぱり、こいつ重症だ、と早耶香は思ったけれど、仮面をつけているので三葉には表情が読み取れない。

「そんなこと、ずっと言ってるね。そういえば、できた彼氏と出会ったときも制服だったの?」

「ううん、会社に行くところだったから、通勤用の服だったよ」

「……よかったね、その服で」

「ぅぅ……自分でも、そろそろ無理あるかなって、わかってたもん」

「大学生の頃なんか、ほとんど毎日、制服でうろちょろしてたよね。あれ、性癖なの?」

「違うもん。講義が終わってから、都内のいろんな高校を訪ねて回ってたの。私の運命の人は高校生のはずだから、きっと東京のどこかにいるはずだから、諦めないで探してたの」

「で、そのうちに制服でオナニーする癖がついたと?」

「…………結果的に、そうだけど……夜まで探し回って見つからなくて部屋に帰ったとき、すごく淋しくて、つい……だから、別に制服を着て、するのが好きなわけじゃないから誤解しないで」

「ってことは探し回った日は、だいたい帰ってオナニーしてたのね? どうなの、正直に答えなさい」

「……はい…してました…」

「そんな欲求不満の塊みたいな状態で克彦の部屋で寝るなんて……」

「ううっ……そこは、違います。あのとき、もうタキくんと再会してたから欲求不満じゃなかったもん」

「ふーん………で、結局、その彼氏が、ずっと探してた運命の人って認識なんだ?」

「うん!」

 嬉しそうに三葉が肯定したので早耶香は鞭を振った。

 ピュッ!

 空振りの音が響く。

「その彼氏にさ、克彦の部屋で寝たことは言ったけど、下半身裸だったことは言ってないよね。言ってみようか?」

「っ! お願い!! やめて!! やめてください!! 私が悪かったです!! ごめんなさいごめんなさい!」

 また三葉が土下座するので、早耶香は鞭の持ち手部分を三葉へ向けた。

「どのくらい悪いと思ってるか、自分で自分のお尻を叩いて誠意を見せなさい」

「……はい…」

 三葉は鞭を受け取ると、立ち上がって自分のお尻を叩いてみる。

 ピュッ! ピシッ…

 鞭の長さは30センチくらいなので自分を叩けなくはないけれど、肘と手首の捻りだけで叩くことになり、あまり強く叩くことはできない。それでも鞭らしく、そこそこには痛い。

「…………叩きました」

「一発で、終わりなの?」

「いえ!」

 ピュッ! ピシッ…

「…ぅぅ…」

 呻くほど痛いわけではないけれど、一応、少し呻いてみせた。

 ピュッ! ピシッ… ピュッ! ピシッ…

「……ぅ………ぅ……」

「……………」

 早耶香は腕組みして三葉が自分を叩いているのを見ている。仮面のおかげで表情が見えず、三葉は満足してもらえるまで自分を叩こうと頑張るけれど、お尻の痛さより叩いている腕と背中が攣りそうになってくる。もっと強く叩こうとするほど、攣りそうになる。

 ピュッ! ピシッ…

「…ぅ……」

「面白くないわね」

「……ごめんなさい…………手が攣りそうなんです……叩いてください」

 三葉が恐る恐る鞭を差し出してくる。

「私に叩いてほしいの?」

「………はい……お願いします」

「本当にいいの? ものすごく痛くて泣き叫ぶかもしれないよ? ここはアパートじゃないから、どんな大きな声を出してもいいから、手加減しないかもしれないよ? それとも、手加減してほしい?」

「………………少しだけ……手加減してください」

「…………」

 あえて無言で早耶香は鞭を受け取った。三葉は叩かれるために少し前屈みになってお尻を出すけれど、早耶香は木馬を指した。

「あれに跨りなさい」

「……あれに……」

「その前に、これで拭いてから」

 早耶香は備え付けのアルコール消毒剤と使い捨て紙ナプキンを三葉に渡した。二人とも女子として、こういう誰が泊まったかわからない場所は見た目はキレイでも不安がある。公衆便所の便座に座る前にアルコールで拭きたくなるのと同じように、大切な処があたる部分は、しっかりと消毒したい。怒っていても配慮してくれる早耶香に感謝しつつ三葉は木馬を入念にアルコールで拭いてから、命令に従って跨った。

「……これでいいですか?」

 木馬は三角形をしているけれど、さすがに先端部は丸くなっていて跨っても痛くはない。素材も表面はラバー製で柔らかみがあり、本物の拷問道具ではなくて、やはりプレイ用のソフトな物だった。

「痛みとか、大丈夫?」

「うん……痛くはないよ……こんなカッコ、すごく恥ずかしくてイヤだけど……」

 強制的に脚を開いたままで閉じられないというのは、たとえ見ているのが早耶香しかいないとしても強烈に恥ずかしかった。女性の体格に合わせて設計されているようで、三葉の身長だと爪先立ちになると木馬の先端部から股間が離れるけれど、普通に立つとピッタリと股間に先端部があたってくる。しかもラバー製の先端部は小さなコブがいくつも造形されていて刺激的だった。

「まず足首を固定するね」

「……はい…」

 三葉は足首を木馬の台座に付属していた足枷で固定された。これで一歩も動けなくなる。

「次に手首をかして」

「………はい」

 三葉は諦めて素直に両手を拘束される。手枷をされて鎖で天井へつながれると、両腕をYの字に大きく挙げた状態で動かせなくなった。

「ついでだから首輪もしようか」

「………ぅぅ……お尻叩きだけじゃないの?」

「もちろん、お尻叩きもしてあげるよ」

 そう言って首輪をはめると、やや前へ引っ張るように木馬の前部へ固定される。おかげで股間が強く木馬の先端部に押しつけられて離せなくなった。三葉は内腿に力を入れて、あまり股間が刺激を受けないようにしようとしたけれど、力を入れると余計に性感が高まるのを意識した。それを早耶香に悟られたくないので顔を伏せている。

「首輪、痛くない?」

「…うん……痛くはないよ…」

「動ける?」

「……少しも動けない」

 手足と首を固定され、三葉は何もできなくなった。早耶香は目隠しの入っているビニール袋を開封した。

「次は目隠しね」

「………」

 もうされるがままなので諦めている。両目をアイマスクで覆われ、何も見えなくなった。

 ピュッ!

「っ…」

 突然に鞭が空気を切る音がして、叩かれていないのに三葉はお尻に痛みを覚えた。

「…ハァ…はぁぁ…」

「いつ叩かれるか、わからないのは、どう?」

「…ぅぅ……怖いです」

「フフ」

 早耶香は微笑みつつ、もう暑苦しいので仮面は外した。三葉に目隠しをしているので仮面をつけている意味はない。むしろ視界を確保して、しっかりと鞭を操りたい。

「さてと、今夜は、いきなり100%で叩くか、夕べみたいに50%からか、どちらがいいかしら?」

「50%から、お願いします」

「そう。じゃあ100%からね」

「そ、そんな…」

「ん? 何か言いたいことがあるの? 言ってみなさい」

「お願い、その鞭、すごく痛そう。どうか、手加減してください」

「そう。そんなに怖いのね?」

「はい」

「じゃあ、やっぱり100%にしないとね」

「っ……そんなァァ……」

 もう逃げることも身動きもできない。三葉は激痛を恐れて身震いした。

 ピュッ!!

「ひっ…」

「まずは準備運動よ」

 早耶香は空振りして、ほくそ笑む。

 ピュッ!! ピュッ!!

「っ…」

「フフ」

 空振りする度に三葉が身震いするのが面白い。

「さてと」

「っ…」

 三葉はお尻へ鞭の殴打部をあてられて、いよいよなのだと震える。

「本気の本気、全力全開で叩くから、もし皮膚が裂けて血が出たら、ごめんね」

「…ぃ……イヤ……お願い……100発でも200発でもいいから……せめて手加減してください」

「注文をつけられる立場だと思ってるの?」

「うぅぅ……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 三葉が震えながら謝り始めたけれど、早耶香は冷たい声で続ける。

「せめてカウントダウンしてあげるよ。20、19」

「ひっ…ひぅぅ…」

「18、…17、……16」

 だんだん、カウントダウンを遅くして、より恐怖を高めていく。

「ひぃぃ……ごめんなさいぃ…ごめんなさいぃ……本当に、ごめんなさい。私が悪かったの、わかってます。わかってますからァ…」

「12、……………11、…………………10」

「…ひっ…」

 三葉はお尻にあてられていた殴打部が離れていくのを感じて背筋と両腋に汗が浮いた。早耶香は鞭をもっていない手で三葉の身体からバスタオルを剥ぎ取ると、丸裸にした。

「ひぃぃ…許してください許してください……私が悪かったですぅぅ…」

「3」

 早耶香は本気で叩くつもりはないので狙いを木馬の後部に定めるため、半歩ほど横に移動したけれど、そんな気配を感じられるほど三葉には冷静さは残っていない。

「2」

「ううぅぅ……ぅうぅぅ…」

 もう言葉が出なくなって三葉は首輪をされた首をイヤイヤと振っている。

「1」

「ひぃぃぃいぃ…」

 三葉の背筋と両腋に浮いていた汗が玉になり、くっつき合って流れた。

「0!」

「っ…」

「えいっ!!」

 ピュッ!!!

 ピシィィン!!!!

「あああああっ…ぁあぁ…あ?」

 三葉は悲鳴をあげたけれど、鞭が叩いたのは木馬の後部で振動は伝わってきたけれど、痛みは生じていない。それでも恐怖でお尻はプルプルと震えているし、滝のような汗が背筋を流れ、腋からも汗が筋になって流れ落ちている。悲鳴をあげたときにヨダレまで垂らしていた。そのヨダレや汗を自分で拭くこともできないので垂れるままだった。

「フフ、びっくりした?」

「ハァ…ハァ…だ…騙したの?」

「ずいぶんな言い草ね。やっぱり、叩こうかしら?」

「ひっ! ごめんなさい! ごめんなさい! ありがとうございます! ありがとうございます!」

「そうそう、ちゃんと自分の立場をわきまえなさいね」

「はい、ありがとうございます! 優しいサヤチンが大好きです!」

 皮膚が裂けるほど叩かれるかと恐怖していた三葉は感謝さえしていた。早耶香は鞭をベッドに置くと、内線電話の受話器をあげた。

「喉が渇いたし、小腹も空いたから何かルームサービスを頼むね」

「えっ?! 私、こんなカッコなのに?!」

「クスっ……そうよ」

 早耶香は三葉がラブホテルに慣れていないことを感じた。基本的にラブホテルでは従業員と接触することはない。接触しても帰りがけのフロントくらいでルームサービスは小窓からトレーや盆で供給されたりすること早耶香は克彦と何度も経験したけれど、三葉は先日、はじめて瀧と泊まったくらいなので知らない様子だった。それだけに一般のホテルのようにボーイが部屋まで運んでくるのだと思い込んで焦っている。

「待って! せめてバスタオルをかけてよ! お願い!」

「フフ」

「はい、フロントです」

「ルームサービスをお願いします。フルーツの盛り合わせと、生ビール二つ」

「かしこまりました」

 早耶香は受話器を置くと、焦っている三葉の頬を指先で撫でた。

「目隠ししてるから顔は見られないよ、安心して」

「そんな……お願い、身体も見られたくないの! サヤチン、お願い!!」

「すごい汗………あなた、恥ずかしがり屋だもんね。昔から。そのくせ、変なところで大胆だけど」

「サヤチン、お願い、お願いだから!」

「ルームサービスが来るまで退屈しのぎに、くすぐってあげる」

 そう言って早耶香は両手で三葉の汗に濡れた両腋をくすぐり始めた。

「ひっ?! はひひい! きゃははは! ひう! やめて、ひっひ! あひっひ! きゃははは!」

 両腕をY字に挙げたまま固定されている三葉は逃れることのできない容赦ないくすぐりを受けて、身をよじって笑った。

「あひひひい! やめて! きゃひひ! ふひっ! ああはっははあ! ひーーっは! ははは! ひゃひひひ! くふふ! んふ! サヤチ、ひひひっ! やめ、ひひひ!」

 逃げようと力を入れても鎖でつながれた手枷は、どうにもできないし、木馬に固定されている足枷も微動だにしない。それでも三葉は身をよじらずにはいられず、背中をそらせ、腰をくねらせて喘いだ。

「遅いね。早く来ないと三葉ちゃん、笑い死にしちゃうかもね。フフ、あ~楽しいぃ」

「はひひひ! きゃはははあ! あははははは!」

「ちょっと休憩。と、思わせて今度は膝の裏」

「きゃふっ?!」

 三葉は膝の裏へ指先を這わされて、また笑った。

「きひひひっ、くふふふ!」

 逃げようともがくと、木馬の先端部が股間に強く押しあてられてしまう。

「ほらほら、くすぐったい?」

「いひひひひっ、いやぁ! ひはははは!」

「さらに、ここから~ァ、こっちのデリケートゾーンへ」

 早耶香は指先で三葉の腿を撫でながら、脚の付け根へ移動させると鼠径部をくすぐり始めた。腋と同じく皮膚の薄い部分なので、くすぐったくて三葉はヨダレを垂らして笑った。

「はひひひひ! きゃひっひ! そこダメ! ひひ! あひひひ!」

「ここ効くみたいね」

「死ぬ! ひっひ! 息ができな、ひひ! きゃははははっ!」

「さらに腋との組み合わせよ」

 早耶香は片手で三葉の腋をくすぐる。

「くふっ! ふひひひ! もう許して! ひひひひ! 無理! ひっひ! 死ぬ!」

「さすがに指が疲れてきたから、今度はツンツンにするね」

 激しくくすぐるのを止めて、早耶香は指先で三葉の腋や膝裏、首筋、鼠径部、足の裏などを軽く突いていく。

「くふっ…ハァ…ハァ…きゃひっ…やめて…きゃはは! ハァ…ハァ…きゃひひ!」

 目隠しされているので、いつどこを刺激されるか、わからず三葉は笑いながら苦しんだ。三葉の体感時間で3時間くらいに思えた15分が過ぎて、客室の出入口付近にある小窓がノックされた。

「っ…」

「やっと来たみたいね」

「お願い、バスタオルをかけて!」

「ビールで、よかったよね?」

「そんな話じゃなくて! お願いだから!」

 またノックされる。

「はいはーい!」

 早耶香は出入口へ行き、小窓を開けてトレーに載せられていたフルーツの盛り合わせと生ビールをトレーごと持つと、三葉のそばに戻りながら一人芝居する。

「こっちまで持ってきて。そこのテーブルの上に置いて」

「……………ひどい……」

 三葉は顔を伏せて震えている。誰とも知れない従業員に裸体を晒されているのだと思い込み、恥じらいと屈辱感で涙を目隠しへ染み込ませていた。

「……ぐすっ……」

「見たいなら見ていっていいよ。女同士って珍しいでしょ。触ってみたい? いいよ、どうぞ」

 そう言って早耶香は三葉のおっぱいを握った。

「イっ?! イヤ!! やめて!! 触らないでよ!!」

「いい感触でしょ? こっちの、おっぱいも、どうぞ」

 さらに反対のおっぱいも握ってモミモミする。目隠しされている三葉は会ったこともない知らない人間に乳房を弄ばれているのだと思い込み、恐怖して悲鳴をあげる。

「いやぁあ!! やめて!! 訴えるから!! 警察呼ぶから!!! やめて! やめてよ!! 本当に警察を呼ぶから!!」

 さすがに社会人なので泣くだけではなくて怒っているけれど、揉んでいるのは早耶香なので少しも動じない。

「下も触ってみたらいいよ。どうぞ」

「ひっ?!」

 三葉は股間を早耶香の指先で触れられて脚を閉じようとしたけれど、木馬に跨っているので何もできない。

「ぅううっ……やめて……やめてよ、触らないで……そこだけはやめて……」

 もう恥じらいで赤くなっていた三葉の顔が恐怖と嫌悪感で青ざめてきているので早耶香は股間を触るのをやめて、おっぱいを軽くモミモミする。

「モミモミ」

「…………ぐすっ………もしかして、サヤチンしか、いないの?」

「やっと気づいた?」

「はぅぅぅうう……うわあぁぁあん……」

 安心して泣けてきた。ずっと早耶香の声しかしないし、足音や気配も一つしかないことに気づけて三葉は知らない人間に身体を触られたのではないとわかり、泣きながら安堵する。

「はぅぅ……ひどいよ、サヤチン……ぐすっ…私、本当に誰かいるのかと…思って…」

「まだまだ私の復讐は終わらないよ」

「ひぐっ……まだ、何かされるの?」

「あれ? 私まだ叩くフリを1回と、くすぐったのと、ちょっと身体を触っただけ、だよ?」

「………うぅ……それは、そうだけど……」

 実害は少ないけれど、精神的には堪えている。

「………サヤチン……次は、何するの? あと、何があるの?」

 いっそ知っておきたいので質問すると、早耶香は考えて答える。

「そうね、次のは言ってからする方が楽しそう」

「…うぅ……何でしょうか?」

「このビールを飲む前に、乾杯しようかなって」

 早耶香が二つのビールジョッキを左右の手に持った。

「三葉ちゃんのわき腹に乾杯するの、右と左から」

「ひぅぅ……超冷たいんでしょ…それ…」

「ずいぶん汗かいてるから」

「冷や汗だよ、これは」

「まあ、安心して。このビール、ちゃんと三葉ちゃんが勤めてる会社のだから」

「ぜんぜん安心にならないよ」

「じゃ、乾杯するから。なるべく私が楽しくなるような悲鳴をあげてね?」

「………」

「返事は?」

「…はい……頑張ります」

「よろしい。では、3、2、1。乾杯♪」

 早耶香は無防備な三葉の両わき腹へキンキンに冷えたビールジョッキをつける。

「ピトっ♪」

「きゃうわあああ!」

 あまりの冷たさに三葉は悲鳴をあげながら、腹筋をピクピクと収縮させて喘いだ。三葉が悶えるとビールが少し零れて、冷たい流れがわき腹を通り過ぎる。

「ううぅぅう…」

「アハハハ♪ いい声!」

 笑った早耶香は右手のジョッキを自分で飲むと、左手に持っていたジョッキを三葉の唇へ飲みやすいように触れさせた。

「…んくっ……んくっ…」

 三葉も喉が渇いていたので素直に飲ませてもらう。二人とも半分ほど飲み、早耶香がジョッキをテーブルに置いた。

「さて、いよいよ本番、お尻叩きやろうか」

「……はい………深く反省いたします……」

 早耶香が鞭を持つ。

「いくよ」

「はい」

 ピュッ! ピシン!

 早耶香は軽く手首のスナップを効かせて三葉のお尻を叩いた。

「うっ! ……ぅう…」

「どう? 大丈夫そう?」

「はい……このくらいなら……」

 叩かれたところは少し赤くなってくるけれど、激痛というほどではなく、ほどほどの痛みで、布団叩きのような線を組み合わせた構造体による鋭い痛みとは違い、シリコン製の面で叩いてくる仕組みなので、何度も叩かれても耐えられそうな痛みだった。

「叩いてばっかりも、かわいそうだから、ご褒美をあげよう」

「ご褒美? んぐ?」

 三葉は口に何かを入れられた。目隠しされているので挿入されるまでわからなかったけれど、イチゴの味と香りがしたので理解して食べる。

「美味しい?」

「うん」

 昼過ぎに東京のカフェでサンドイッチとパンケーキを早耶香と分け合ってから何も食べていなかったので、とても美味しかった。早耶香もイチゴを手で食べると、また鞭を持つ。

「2回目、いくよ」

「…うん…」

 ピュッ! ピシン!

 さきほどと同じ強すぎない痛みが三葉のお尻を責めてくる。

「うっ……ハァ…」

「はい、ご褒美」

 今度はパイナップルを挿入してもらえた。早耶香も食べる。

「ラブホのわりに、けっこう美味しいね」

「うん。……ラブホって不味いこと多いの?」

「ランクによるけど、だいたい食事系はレトルトだよ。イチゴも冷凍物とか。でも、ここは美味しい。とくにイチゴ良かったよね」

「岐阜だからかも」

「東京は高くて不味いよね」

「めちゃ高いお店に行くと一流なのに、ちょっと安いと、すごく不味かったりする」

 二人とも田舎育ちなので農作物にはうるさい方だった。手枷足枷をされて首輪で拘束され木馬を跨いで目隠しされているけれど、ごく普通の世間話もしつつ、また早耶香が鞭を握る。

「お尻、大丈夫?」

「うん。……もう少し強く叩いてくれても大丈夫……です」

「そう。じゃ」

 ピュッ! ピシン!

 少しだけ強くなった痛みが三葉のお尻に拡がった。

「うあっ、…はぁ…」

「ほら、口を開けて」

 メロンが挿入された。

「皮があるから噛み切って」

「うん」

 見えないながらも早耶香が介助してくれるので、うまくメロンの皮を噛みきって食べた。早耶香も食べてみる。

「これも美味しいね」

「うん」

「ビール飲む?」

「ありがとう」

 またビールも飲ませてもらい、そして叩かれる。叩かれては食べさせてもらうパターンを繰り返して、二人でフルーツの盛り合わせを食べきる頃には、私餌づけされてるのかな、と三葉も行動の実体に気づいたけれど、イヤだとは感じなかった。

「……ハァ……ハァ……」

 そして、ほろ酔いと甘みで気分が良くなり、ずっと股間を刺激してくる木馬の先端部を叩かれる度に身悶えして動くので熱く感じるようになってきている。

「…ハァ……んっ……」

 つい腰をくねらせてしまう三葉を見て、早耶香は背後へ回ると、三葉の後ろから手を伸ばして乳房を揉んでみる。

「んっぅ…」

 三葉は気持ちよさそうな鼻声をあげてよがった。

「ハァ……ハァ……」

 ますます腰を動かしている。早耶香は乳房を揉むのをやめた。

「ぁ……」

 三葉が名残惜しそうに声をあげた。やめないでほしい、という声だったので早耶香は言う。

「手が果汁でベタベタするから洗ってくるよ。待ってて」

「うん」

「……………」

 早耶香は手を洗いに行く途中で自分のスマフォも静かに手にする。そして洗面台の蛇口をひねって大きな水音を立てながら、スマフォを操作して動画を録画する状態にした。

 ポンッ♪

 スマフォが録画を始めた音を立てたけれど、水道の音が大きいのと三葉から距離があるのとで、気づかれていない。お湯で手を洗って両手を温めると、早耶香はスマフォを持って三葉のそばに戻り、スマフォを三葉の全身を撮影できるように設置して、ほくそ笑む。

「フフ」

「……サヤチン?」

 見えない三葉は撮影されていることに気づいていない。早耶香は温めた手で三葉の乳首を摘んだ。

「あうっ…」

「フフ」

「んっ…あうっ…」

 クニクニと両方の乳首を温かい手で摘まれると、どうにも三葉は快感を覚えて、また腰をくねらせていく。

「…ハァ……ハァ……」

「………」

 早耶香が乳首を摘むのをやめると、淋しそうに胸を震わせた。息を乱したときにヨダレまで唇から零しているけれど、拭くこともできずにいる。

「………」

「………」

 無言で、続けてほしい、と乳首が語っているので早耶香は再び三葉の背後へ回ると、さきほどと同じように乳房を揉みつつ、指の間へ乳首を挟んでやった。背後からの方が手のひら全体で押し包むように揉むことができるし、同時に乳首も責められるので快感は強かった。

「はぅ……ぁあぁ……ハァ……ハァ……」

「………」

「…ハァ……ああっ……」

 もう三葉は音を立てるほど腰をくねらせて木馬へ股間を擦りつけている。机の角で自慰するときの点の刺激と違い、木馬は線で股間を刺激してくるので、より強い快感が得られた。

「ああっ……はぁあぁ!」

 三葉が大きく喘いでヨダレを垂らしピクピクと脚を動かしたので早耶香は悟った。

「イったでしょ?」

「っ……………」

「返事は?」

「……はい」

 恥ずかしそうに三葉が肯定した。

「フフ。そのまま続けなさい」

「………はい……」

 男性と違い、強い快感の波を連続することができるので三葉は続けた。もう早耶香は乳房を揉んで手伝ってやるのをやめて眺めるだけにする。

「…ハァ…ハァ……ああぁ…」

「…………」

 早耶香はソファに座り、三葉が続けているのを可笑しそうに見ている。

「……んっ……ハァ……あああっ! ハァ…ハァ…」

 見られているのは三葉も感じていて、恥ずかしさで目まいがしそうだったけれど、もう今さら止めても同じなので命令通りに続け、何度も熱い波を得ていく。

「…はあぁぁん……ハァ…ハァ…」

「…………」

 眺めているのに飽きた早耶香は鞭を持つと、三葉のお尻を優しく叩いた。

 ピュッ…ピシ…

「はんっ…ハァ…ハァ…」

 叩かれて三葉は快感を覚えてしまった。叩いた後、早耶香は鞭の殴打部でお尻を軽く撫でてもいる。餌づけされたせいなのか、お尻に叩かれる刺激を受けると、ヨダレが湧いてきてパブロフの犬のように唾液を唇から漏らしている。

「犬みたいに舌を出してハァハァしなさい」

「ハァハァ!」

「そうそう。もう人間の言葉なんて話さなくていい。ずっと、ハァハァしてなさい!」

「ハァハァ!」

 もう三葉は自分で思考することをやめて言いなりになった。

 ポタ…ポタ…

 舌先から三葉の唾液が垂れる。

「唾液を人に見せるの、よくやってたよね」

「ハァハァ! ハァハァ!」

 幼い頃から祭りの度に衆人環視の中で恥じらいながらやってきたことを言われて三葉の興奮が、さらに高まる。

 ピュッ…ピシ…

「はんっ…ハァハァ!」

「想像しなさい。ここは神社の舞台よ」

「ハァハァ!」

「なのに、あなたは、こんな姿でイキまくってる。自分で腰をふって何度も何度も」

「ハァハァ! ああっハァハァ!」

 ピュッ…ピシ…

 お尻を叩いてもらうと、その衝撃が木馬へ擦りつけている股間にまで響いてくれて、叩かれるのが待ち遠しいほどになっていた。

「もっと激しく腰をふりなさい。町のみんなが見てる中で、はしたなく喘いでイキまくるのよ」

「ハァハァハァ!」

 三葉が町のことを思い出した。すでに隕石で吹き飛んでしまった神社の舞台は、まだ記憶に鮮明な形で残っている。幼い頃から何度も、その舞台に立ったので忘れようがない。その舞台にいるような想像をすると羞恥心が頂点に達して、おしっこを漏らし始めた。

 プシャ…プシャ…

 木馬で圧迫されるせいで断続的に漏らしながら三葉は喘いでいる。

「ハァハァあああっはぁぁあぁハァハァ!」

「…………」

 こんなに調教が巧くいくなんて私って才能あるのかな、それとも三葉ちゃんに素養があったのかな、と早耶香は考えつつも命じる。

「続けられるだけ、そのまま続けていなさい」

「ハァハァハァ!」

「…………」

 早耶香は録画中のスマフォを手にして、色々な角度で三葉を撮ると、ソファに座った。いつまで三葉が続けるのか、ぼんやりと見ていると30分も継続した。とうとう疲労の限界に達したのか、ぐったりと動かなくなって、そのままの姿勢で三葉は眠りに落ちていた。

 

 大学の入学式翌日に三葉は糸守高校の女子制服へ袖を通していた。

「探しに行こう。きっと、どこかに彼はいるはず」

 大学2日目は午前中のオリエンテーションだけで終わり、午後からの予定は部活紹介だったけれど、どの部活にも参加する気はなかった。もっと大切なことが三葉にはあった。

「会いたい………きっと、どこかに……」

 漠然とした記憶しかないけれど、絶対に会いたい人がいる気がする。

「この服を着てる方が、わかってもらえるはず……」

 東京へ下宿するのにも糸守高校の制服を持ってきていた。もともと、ほとんどの私物が隕石で吹き飛んだので本当に着の身着のまま、あの日に着ていた夏服と下着、スマフォくらいしか所持品がない時期もあった。冬になって冬服を買い揃えたので、それも東京へ持ってきている。妹とは7歳も歳が離れているので制服のデザインが変わるという予想もあったけれど、それ以上に手放したくなかったし、この服を着ていれば、会いたい人に気づいてもらえると考えていた。

「……たぶん……彼は高校生……」

 制服を着終えた三葉は東京都の地図を拡げた。だいたいのことはネット上のデジタルマップで済ませる時代になっているけれど、デジタルデータがときとして信用できず、あったはずのメッセージや記録が、目の前で掻き消えていくような体験をしたような記憶があるような気もするので、この件に関して三葉は紙のマップを購入してチェックをつけていく予定だった。

「う~ん……どこから………」

 都内にある高校のどこかに彼がいる気がする。

「勘で……勘でいこう………よし、ここ!」

 まずは大学から近い高校を一つ選んだ。一人暮らしの玄関で高校生らしい革靴も履くとアパートを出て、駅から電車へ乗る。もう大学生なのに女子高生のように制服を着て電車に乗るのは恥ずかしかったけれど、それは数分で慣れた。先月まで着ていたので、身体に馴染んでもいるし、似合っている自信もある。ただ、隣の乗客が同じ大学の男子学生で新入生のようで大きな声で会話しているのが耳に入ってくる。

「昨日、入学式の最中に小便漏らした女がいたよな。あいつ、今日、学校来てた?」

「さあな。学生数が多いから。けど普通に考えて、もう来ないだろ。テキトーに自主退学じゃね?」

「あいつ、なんで、わざわざ壇上にあがってから漏らしたんだろうな」

「みんなに見て欲しかったとか?」

「それ真性のマゾじゃん。けど、顔は可愛かったよなぁ」

「やめとけ、やめとけ。大声で泣いて、ママおしっこ漏れたよぉ、とか叫ぶ女だぞ。究極のカマッテちゃんだ。あんなの彼女にしたら大変だぜ」

「たしかに」

 会話していた二人と三葉の目が合った。

「「「…………」」」

 三葉は背中に汗を浮かべたけれど、そしらぬ顔で車窓へ視線を移し東京の街並みを眺め、私はただの通りすがりの女子高生でございます、という態度を取る。男子学生二人も似ているな、と思ったけれど、まさか女子高生の制服を着ているのが同期生だとは思わず、もしかしたら妹かもしれないとも思ったけれど、それはそれで失礼だったので、もう別の話題を始めてくれている。

「はぁぁ……」

 三葉は安堵のタメ息をついて、東京って人が多くていいな、今日から伊達眼鏡かけて登校して良かったァ、と思いつつ駅に着いたので電車をおりた。

「大学なんて、ちゃんと単位を取って卒業さえすればいいんだもん。ただの通過点だよ」

 大学で彼氏をつくるつもりはなかった。駅を出て、彼氏をつくるために、お目当ての高校へ行く。

「よかった。まだ終わってない」

 大学の方が早く終わったようで、行ってみた高校は、まだ生徒たちが校舎内にいる気配だった。三葉は校門の前に立つと、待つことにした。

「………全員をチェックすれば……」

 これから下校してくる全校生徒のうち男子生徒全員の顔をチェックするつもりだった。

「悉皆調査するんだから。見ればわかるはず……会えば……きっと……」

 忘れたくない大切な人の名前を、なぜか記憶を奪われるように想い出せなくなっていたけれど、それに対抗して三葉は戦うつもりだった。

「東京都、すべての高校、すべての男子高校生をチェックしてやる!」

 岐阜県とは比べものにならない多数の高校があるのに、それを全部調べるつもりだった。

「サヤチンは壮大な逆ナン計画とか言ったけど……逆ナンじゃないもん」

 三葉は駅で買ったペットボトルの水を飲みながら、一人淋しく下校時間を待った。

「あ、終わった。一年生かな」

 待っている時間は長く感じたけれど、下校が始まると一度に数十人という数の生徒が校門を出てくることもあるので、三葉は忙しく視線を走らせて運命の相手を探す。

「……違う……この人じゃない………違う………違う……」

 すぐに見つかるとは思っていなかったけれど、この高校にはいないのか、ぜんぜん見つからない。入学式の翌日なので一年生は、おおよそ下校してしまった。

「……二年生……三年生じゃない気がするけど……まだ一年生も残ってるかもしれないし………彼、二年生だったのかな? でも……時間がズレてたような……」

 記憶が曖昧で彼の学年もよくわからないけれど、なんとなく一年生のような気もしている。そうなると、再会しても彼は気づいてくれないかもしれないと考えるけれど、目星をつけておけば来年の秋頃に速攻で再会するのもアリだ、という作戦で三葉は校門に立ち続ける。

「…………あとは部活に参加してる生徒かな……」

 おおよそ帰宅部は下校した様子だった。彼も帰宅部でバイト派だったような気がするけれど、全校生徒をチェックしておきたいので三葉は夕日の中で待ち続ける。ときどき、終わった部活の生徒たちが通り過ぎていくけれど、彼はいなかった。

「……ぅ~……おしっこしたくなってきちゃった」

 もう何時間も校門に立っているので生理現象をもよおしている。

「…………どうしよう……ここ、離れたくないし……」

 すぐ近くにコンビニが見えるけれど、校門を離れてトイレに入っている間に何人もの生徒をチェックしそこねることになるかもしれないと考えると、三葉は我慢することを選んだ。

「完全下校まで、あと何時間かな……この学校、完全下校システムあるかな……」

 昼過ぎの最初の下校生徒から、日没後の最後の生徒までチェックするとなると、かなり大変だったけれど諦めるつもりはない。

「絶対、見つけるんだから。………ぅうっ…」

 三葉は校門に立ちながら、腿を擦り合わせて、おしっこを我慢する。

「………やばい………また、漏らしちゃいそう……やっぱり、コンビニで…」

 振り返ってコンビニを見たときだった。数台の自転車に乗った男子生徒たちが三葉の横を通り過ぎていき、顔をチェックしそこねた。

「っ、待って!! 待ってください!!」

 三葉が切実な声で叫ぶと、男子生徒たちが驚いて振り返る。

「あ……違う……すいません! 人違いでした!」

 頭を下げて謝った。

「……うくっ…ダメ……もう出る…」

 頭を下げたせいで下腹部が苦しくなり、三葉は我慢できなくなった。

 じわ……じょわ……ジョォオオ…

 下着が濡れ、すぐに脚も濡れて、黄色い泉が足元にできた。

「……ぐすっ……」

 泣きそうになったけれど、三葉は涙をハンカチで拭いて、また通り過ぎていく男子生徒の顔を見る。とても恥ずかしいけれど、目的は忘れていない。とにかく全員の顔をチェックしようと頑張る。

「………」

「………」

 男子生徒と目が合った。三葉は目元を涙で濡らしているし、足元を小水で濡らしている。夕日を浴びているので反射して輝いていた。

「……よかったら、これ使って」

「ぐすっ……ありがとう」

 三葉はポケットティッシュをもらって礼を言った。その男子生徒も会いたい人ではなかった。もらったポケットティッシュで顔と脚を拭く。下着が濡れたままなのでコンビニで新品を買って着替えたかったけれど、それをする時間が惜しいので漏らしてしまったのだったので、このまま校門に立ち続けることを選んだ。

「……………靴が濡れて……気持ち悪い……」

 脚は乾いてくれたけれど、靴下と靴は濡れたままで気持ちが悪かった。

「………あと何人、残ってるのかな……」

 恥ずかしさに耐えて校門に立ち続けていると、漏らした直後は注目されて、あの他校生の女子なんで校門で漏らしてるんだ、という奇異の目で見られたけれど時間が経つと、あまり漏らしたことが目立たなくなり、普通に通り過ぎていってくれる。

「…………もう終わりかな……」

 午後7時になって、もう誰も残っていない様子になった。用務員が校門を閉めに来て三葉に声をかけた。

「誰かを待っているのかい?」

「……はい……でも、ここにはいなかったから……失礼します」

「気をつけて帰りな」

 三葉は疲れた脚で駅へ戻った。もう下着も乾いているので新品を買わず、そのまま電車に乗り、アパートへ帰った。

「……会えなかった……そりゃそうだよね……いきなり1校目で……そんな、すぐには無理だって……あははは……うん、こんなことで落ち込まない……諦めない……」

 靴と靴下を脱いでベッドに倒れ込む。

「疲れたぁぁ……」

 ずっと立っていた脚も、男子全員の顔をチェックした目も疲れている。シャワーを浴びたいけれど、その気力体力がない。何より切ない。とても切なくて胸が痛い。

「………会いたい………せめて名前を呼びたい……誰? ……あなたは……誰だったの? ……ぐすっ……会いたいよ、……ぅぅ」

 一人暮らしのアパートで枕に顔を埋めて涙を拭き、枕を抱きしめた。他の多くの田舎から都会へ出てきた新大学生もホームシックを体験し始める時期だったけれど、三葉の切なさは強度だった。もともと家族に恵まれていない上に、想い人の名前さえわからなくて心が疼く。

「……ああ……会いたい………ああ! ……会いたい!」

 枕を抱いたままベッドの上をゴロゴロと寝転がる。

「…うう……会いたい……会いたい……会いたいよ……あああ……会いたいいいぃ…」

 三葉は抱きしめた枕へキスをする。

「ねぇ、あなたは誰? 会いたいよね? 私のこと好き? 私は、あなたが大好きだよ」

 枕は答えてくれないけれど、キスは受けてくれる。

「はぁぁ……会いたいよ……君に会いたい……どこにいるの……誰なの……はぁぁ…」

 熱い吐息を漏らしつつ、心の疼きが身体の疼きも誘発してきた。ベッドの上をゴロゴロと動いているうちに身体が半分落ちそうになり、ちょうどベッドの端っこが股間にあたり、その圧迫感が淋しさをまぎらわせてくれる感じがした。

「会いたい……君に……会いたいよ……ハァ……」

 三葉はベッドの端っこへ股間を擦りつけているうちに物足りなさに気づいて立ち上がると、視線を机の角へ向けた。

「……ここなら……」

 枕を抱いたまま机の角へ股間を擦りつける。

「んっ…っ…ハァ……ハァ……会いたい……ハァ……会いたいよ……会って、こうやってギューって抱き合うの」

 強く枕を抱きしめて、腰をくねらせて机の角で股間を摩擦する。

「ハァ……うん、うん、会いたかったよ……やっと、会えたね」

 妄想の中で再会して、また枕へキスをする。

「ずっと好きだったの」

 ずっと使っていた枕は隕石が吹き飛ばしたので一昨年買った枕に唇を押しあてファーストキスの練習をしている。さらに激しく腰を動かしたとき、スマフォが鳴った。

「っ?!」

 かなり驚いて慌てて着衣の乱れを直したけれど、よく考えると誰かに見られたわけではないので落ち着いてからスマフォを見る。

「なんだ……テッシーか。もしもし?」

「よぉ。今、何してた?」

「ぃ、今?! な、何もしてないよ! うん! 何もしてない!」

 三葉は不安になったので窓のカーテンを閉めながら克彦と会話する。

「ならさ、オレの部屋へ来いよ。サヤチンもいるからさ。飲み会しようぜ」

「まだ二十歳じゃないのに?」

「別に飲むのがメインじゃなくてさ。とりあえず集まって喋ろうぜ。三葉の大学は、どうよ?」

「別に普通だよ」

「こっち来ないか?」

「う~ん……また、今度ね。誘ってくれて、ありがとう。サヤチンによろしくね」

 三葉は電話を終えると、タメ息をつく。

「はぁぁ……びっくりした……鍵も、かけておこう」

 田舎暮らしで玄関の鍵をかけるという習慣無く育ったので、つい忘れる施錠もしてから、また枕を抱いた。

「…………」

 少し迷ったけれど、身体が疼いているので、また机の角に股間を押しあてる。

「やっと会えたね」

 妄想も再開する。

「うん、もう離さないから」

 また盛り上がってきたのに、再びスマフォが鳴った。

「……サヤチンか…」

 メッセージが着ているので開いた。

「テッシーと二人で飲んでるから」

「……だから何?」

 返信を必要とするような用件ではなかったので既読スルーしてスマフォの電源を切った。

「……………。会いたいよね、あなたも私に」

 気を取り直して枕を抱きしめてキスをする。

「んっ……ハァ…ハァ…」

 今度こそ思う存分に机の角へ股間を擦りつけ続けた三葉は生まれて初めて、強い快感を覚えて恍惚とした。

「…ハァ…ぁああぁ…」

 とても気持ちよくなりベッドへ倒れ込み、そのまま眠った。

 

 三葉は目が覚めて、両手と両足を拘束されていたので数秒ほど混乱したけれど、状況を思い出して理解した。

「サヤチン? そろそろ解いてよ」

 目隠しもされたままで見えない上、吊られている両腕がダルくなってきている。圧迫されたままの股間も少し痛い。

「サヤチン? ねぇ、サヤチン?」

 呼んでも答えてくれない。

「いないの? サヤチン?」

 だんだん三葉は不安になってくる。

「サヤチンってば?! いないの?!」

 眠ってしまったので時間の感覚も曖昧で今が何時なのかもわからない。身体に自由がなく視界も塞がれて、三葉は背筋が寒くなってきた。

「……まさか……このまま私を放置して……どこかに……。そんな! ……こんなカッコで、どうしたらいいのよ……」

 泣きそうになってくる。

「サヤチン! ねえ! サヤチン! 答えて! いないの?!」

 しばらく悲壮な声で叫んだ後、三葉は喉が疲れて今度は耳を澄ませた。

「……………お風呂?」

 かすかに入浴しているような音が聞こえる。そう考えると早耶香は入浴していなかったので三葉が眠ってしまった間にバスルームを使っていても不思議ではなかった。

「……ぐすっ……早く揚がってきてよ……こんなカッコのまま……」

 やや不安はやわらいだけれど、それでも不安が強い。

「……自力で抜け出すのは………やっぱり、無理か……」

 手足を動かそうとしたけれど、まったく不可能だった。

「はぁぁ………腕がダルい……股も痛いし……」

 かなり長く感じる時間を待ち、やっと早耶香がバスルームから出てくる音がした。

「サヤチン、早く解いてよ」

「…………。はァ?」

 湯上がりの早耶香が冷たい声を投げつけてきた。

「ぅぅ……そ、そろそろ、解いてください。腕がダルいの」

「どこまでも調子に乗るのね」

 早耶香がバスローブを着てから鞭を持つ気配がした。

「………サヤチン……もう、やめてよ……」

「…………。えいっ!」

 ビュン!! ビシィィィ!!!

 ものすごい音がして次の瞬間、三葉はお尻を火で焼かれたのかと思うほどの激痛を感じて悲鳴をあげた。

「キャアアアア!」

「えいっ!!」

 ビュン!! ビシィィィ!!!

 さらに、おっぱいまで叩かれる。

「アアアアッ!! 痛い! 痛すぎる!! うぃぃ!! ハァ…ハァ、て、手加減して……痛すぎるよ!」

「調子に乗ってるのは、その口か?!」

 ビュン!! ビシィィィ!!!

 頬まで打たれた。頭が痺れるほどの痛みが襲ってくる。

「ひぃぃい…ハァ…ひぃいぃ……」

 痛すぎて三葉は泣きながら、おしっこを垂らした。

 しょわ……しょわ…

 勢い無く少量を漏らしてガタガタ震えだした。

「ごめんなさい、もう許して…ハァひぃ…痛い……すごく痛いの…」

 眠る前とは、まったく強さの違う叩かれ方で情け容赦無く早耶香は鞭を振るってくる。

 ビュン!! ビシィィィ!!!

「キャウぅぅ!」

 ビュン!! ビシィィィ!!!

「イィッ!!」

 お尻に限定せず、おっぱいや頬、さらに腿、わき腹、下腹部、腋、背中、股間まで、目隠しされて見えない状態で、どこを打たれるかわからずに虐待され続けて、三葉は悲鳴をあげる気力もなくなり、ぐったりと脱力した状態になった。

「………ゆる……して……くださ……い…」

「ハァ…ハァ…いい運動になったかな」

 早耶香が鞭を置いて、汗を拭いた。冷蔵庫から缶ビールを出して飲む。三葉へ勧めてくれることは無かった。

「あなた、さっき反省するはずだったのに、ちょっと試しに優しくしたら結局は自分の快感を優先したでしょ?」

「……あ………あれは………」

 三葉が答えにくそうにしたので早耶香は目隠しを取った。やっと三葉は視界を得たけれど、その瞳はうつろだった。

「その上、気持ちよくなった後はグースカ寝ちゃってさ。ホントに自分勝手な女ね」

「ぅぅ………ごめん、なさい……」

「あなたが、いかに口先だけで謝ってるか、よくわかったわ。本当に油断のならない女。自分さえよければいいっていう典型的なヤツ」

「…………」

「お風呂に入ってる間、ふと思い出したけど、あの隕石が落ちた日、たぶん私に放送か何かさせたわよね。克彦には爆弾まで使わせた。そのくせ、自分は手を汚さずに」

「……そ……そんな風だった………かな………よく覚えてなくて……」

「ええ、私も思い出しては、すぐに忘れたりするけど、もう単純に、あなたが嫌い。あなたを許せない」

「……サヤチン……ごめん………本当に、いろいろ私が悪かったから……」

「もう謝らなくていいよ。この際、あなたを徹底的につぶしておくから。精神的にも社会的にも抹殺してあげる」

「…………」

 三葉の瞳が早耶香を見ると、穏やかなのに冷たい目で見返された。そして早耶香は自分のスマフォを操作して動画を三葉へ見せる。

「ほら、これ見て」

「はぅ……ぁあぁ……ハァ……ハァ……。…………。…ハァ……ああっ……。ああっ……はぁあぁ! イったでしょ? っ……………。返事は? ……はい。フフ。そのまま続けなさい。………はい……」

 動画は三葉の姿を撮影したものだった。うつろだった三葉の瞳が驚愕に染まる。

「撮ってたの?!」

「ええ」

「ヤダ! そんなの消して!」

「消してほしい?」

「お願い!」

「じゃあ」

 早耶香はスマフォを操作して、静止画像を撮影するモードにした。そしてカメラレンズ部分を三葉へ向ける。

「にっこり笑ってピースサインしなさい」

「っ……、イヤ………撮らないで! お願い! お願いです!」

「早くしないと、この動画、克彦にでも送ろうかな?」

「っ! やめて!! お願い!!」

「ほら、さっさとしなさい! 撮ったら消してあげるから!」

「うぅっ……………本当に消してよ……約束して」

「ええ」

「…………」

 三葉は嫌々ながら吊られたままの手をピースサインにして、引きつった笑顔をつくった。

 カシャ♪

 シャッター音が響き、三葉の気持ちが沈み、早耶香の気持ちが高揚する。

「ほら、いい顔してるよ」

「…………」

 三葉は画面を見せつけられて、見たくなかったけれど、確認せずにはいられず、目を向けた。

「……………」

 当然ながら、木馬を跨いで手足を拘束され首輪までつけた全裸の自分がピースサインして笑っている姿が写っていた。その写真は、お尻だけでなく胸や腿なども鞭で打たれて赤くなっているのがわかるほど鮮明だった。

「……早く消して……お願い……」

「ええ。利用はするけど」

「っ?! 何するの?!」

「フフ」

 早耶香はスマフォを操作して、今の写真と動画を削除した。うっかりネット上などにあげてしまうと、お互いの人生が終わるので慎重に削除したけれど、その様子は三葉には見せない。もう目隠しされていなくても、スマフォの画面を見せてもらえない三葉には早耶香が何をしているか、まったくわからない。

「消して! お願い! 早く消してよ! 約束したよね?!」

「ええ。消す約束もしたし、克彦にも送らないよ」

「じゃあ、どうするの?!」

「まずは、これと、これを送信」

 早耶香は昼過ぎに三葉と食べたサンドイッチとパンケーキの写真を三葉のスマフォへ送信した。すぐに三葉のスマフォが鳴った。

「っ…私のケータイに……?」

「そうそう。ということで私のケータイからは削除。ほら、約束は守ってる」

 芝居をしながら自分のスマフォを電源を切ってからテーブルに置くと、勝手に三葉のバックを開ける。

「やめてよ! 触らないで!」

 普段なら、お互いのバックを触り合っても平気な間柄だったけれど、今は拒否して叫んでいる。

「たしか、暗証番号と指紋認証だよね」

 三葉のスマフォを取り出した早耶香はセキュリティ解除の方法を知っていた。

「まずは指紋」

「っ」

 三葉はギュッと両手を握った。けれど、あまり力が入らない。ずっと吊られていた腕はダルくて握力も落ちている。そんな三葉の人指し指を早耶香が強引に両手で伸ばさせる。

「うううっ! イヤ! イヤ! イヤアァァ!」

「なんか悪い取引みたいで、楽しいね。これ」

 不動産会社に勤務していて顧客へ嘘でない範囲の情報で営業する経験を不本意に積んできている早耶香は悪役がするような強引さで三葉の指紋認証を取る。どんなに三葉が力を入れても指一本と早耶香の両手では勝負にならない。指を引き伸ばされると三葉は泣きながら頼む。

「イヤだよ…っ…お願いだから……ひっく……サヤチン…どうか、許して…」

「三葉ちゃんの涙って、けっこうキレイだよね。そうやって、ポロポロ泣く顔も撮ってあげたいくらい」

 早耶香が引き伸ばした三葉の指先とスマフォを接触させる。

「うぅぅうっ…」

 最後の抵抗をして指を逃がそうとするけれど、どうにもならなかった。

 ピッ♪

 スマフォが三葉の指紋を認証してしまった。

「暗証番号は?」

「……………」

「素直に言うわけないよね。鞭で身体に訊く?」

「………」

 どんなに打たれても言わない覚悟をしている顔になった。

「なんてね。どうせ、2013でしょ」

「っ! ヤダ!! やめて!!」

「あんた、あの隕石にこだわり過ぎ。暗証番号は、ちゃんと管理しようね」

 そう言う早耶香も克彦の誕生日を愛用しているし、それを三葉も知っている間柄だった。それだけに裏切られるとダメージが大きい。早耶香は平然と2013と打ち込んだ。

 ピン♪

 三葉のスマフォがロック解除された。

「どうする気なの?! お願い! 何もしないで!」

「さっき送った画像は………あ、着いてる着いてる」

 似たような機種を愛用しているので早耶香は迷わず操作していく。送っておいたパンケーキとサンドイッチの画像を添付したメールを打ち始めた。

「送り先は……立花瀧、これかな?」

「っ…ぃ……ぃヤ……なに……する気……なの…」

 もう三葉は顔面蒼白になっている。早耶香はクスクスと微笑んだ。

「ちょっと画像つきのメールをね。運命の相手とやらに送信するの」

「さ……サヤチン……お願い……やめて……他に何をしてもいいから……それだけは、やめて……その人は私のすべてなの……」

「へぇ」

「この7年、ずっと想ってきたの……ずっと、ずっと会いたくて、やっと見つけたの……だから、やめて」

「私は10年以上、克彦を想ってきたけど、あんた、ひどいことしたよね?」

「っ…あ、謝るから!」

「そっか。じゃ、私も、やってから、謝るね。送信、ポチっとな」

 早耶香はメールを送信する。瀧へのメール本文は、今日のお昼ご飯はサンドイッチとパンケーキを友達と食べたよ。タキくんは、どうしてるの? 何でもいいから返信ほしいな。という平凡なものだった。

「ごめんね、送っちゃった。謝るね、ごめん」

「……なんて送ったの?」

「今日も新しい運命の出会いがありました。最高に気持ちいいの。タキくんも、こんなプレイしたいよね? 色々やろうね」

「っ……っ……っ…」

 三葉が首輪されたままの首を左右にイヤイヤと振って涙を零している。

「大丈夫だって。運命の相手なんでしょ。それなら、三葉ちゃんが、どんな女でも受け入れてくれるって」

「………ケータイ返して……これを解いて……電話したいの…」

「そっか。テレビ電話にしてあげよっか?」

「……お願いだから……サヤチン……一生のお願い……」

 三葉は真剣な瞳で早耶香を見つめて懇願した。早耶香は肩をすくめて告げる。

「あなたからの一生のお願いは、もう隕石落下の日にきいてあげた気がするけど?」

「……サヤチン……どうか……どうか……」

 三葉が懇願を続けるうちに、三葉のスマフォが鳴った。その着信音が瀧からのメールだと三葉にはわかる。

「あ、来た来た。どれどれ。………………」

 早耶香がメールを開く。瀧からメールが来ていて、オレの昼ご飯はコンビニ弁当だったよ。話題性なくて、ごめん。という平凡なものだった。

「あちゃ~……なんか、ごめん。フラれちゃったね」

「っ…見せて!!」

「読んであげる。こんな女だと想わなかった。二度とオレに顔を見せるな。もう連絡もするな、って」

「ヒッ…」

 三葉が息を飲んで震えた。

「かわいそうだから、最後に電話くらいかけてあげるよ」

 早耶香は三葉のスマフォから自分の番号へとかける。すでに電源を切ってあるので、かけても、かからないはずだった。発信中のスマフォを動けない三葉の耳元へあててやる。

「出てくれると、いいね」

「……タキくん…」

「この電話は現在、電源を切っておられるか。電波の届かないところに…」

「ヒッ?!」

「拒否られたね。もう、いいじゃん、こんな男。こっちも番号、削除しておいてあげるよ。メアドも全部」

「イヤっ!!! やめて!!!」

「はい、削除」

 早耶香はスマフォを操作するフリをした。

「きっと運命の相手じゃなかったんだよ。また見つければ?」

「……………………ぁああ……ぁああぁあぁぁぁぁあぁ……あああ! わあああああ!」

 三葉が狂ったような声をあげながら拘束された手足をガチャガチャと動かし泣き喚いた。

「ぁあぁぁ!! ぁあぁぁぁああぁぁああああああぁぁぁ!!」

「………」

 この子、この彼氏が浮気したりしたらマジで気が狂うかも、この歳まで彼氏つくらないとか不安定なことするから、と早耶香は心配しつつも次の私刑を行う。

「そうだ。新しい運命の人を募集してみるよ。さっきの動画と写真をサイトにあげてさ。実名も」

 またスマフォを操作するフリをする。もう三葉は冷静さを一欠片も残していないので雑な演技でも信じていく。

「うわっ、すごい。あっという間に再生数が1万を超えてる……ネットって怖いねぇ。あ、ごめん、実名をあげたせいかな、勤務先まで特定されてる」

「……………」

「ネットって本当に怖いね、すぐに町長の娘だってバレてるみたい。勤務先での立場も、やばいかも。ごめんね。謝るから許して」

「…………………」

 もう三葉は聞いているのか、聞いていないのか、その瞳に光りが無くなり、生気さえ消失していく。ポタポタと涙やヨダレ、おしっこを垂らしていた。

「恋も仕事もダメになっちゃったね」

「………いっそ……殺して…」

 すべてを奪われたと思った三葉の一言を聞いて、早耶香は満足した。

「よし、もう許してあげる」

「……………」

「ほら、見てごらん。さっき送ったメールは、これ。返信は、これだよ。あと、ネットにあげるわけないよね? 私まで逮捕されるし」

 早耶香は手早くスマフォを操作して瀧とのやり取りを三葉へ見せていく。

「安心した?」

「………あの動画と写真は?」

「とっくに消したよ。私のケータイも見せてあげる」

 早耶香は自分のスマフォを持つと電源を入れて三葉に見せた。

「…………全部、ウソだったの?」

「ええ」

「……………………ぐすっ……うぅっ……ううぅぅっ…」

 安心しても泣けてくる。

「ごめん、ごめん、やり過ぎだった?」

「うくぅう…」

 泣きながら三葉が頷く。もう首輪を外してやり、手枷も解いた。ダルくなった腕が解放されて三葉は自分を抱いた。

「ぐすっ…ひぐっ…」

「ビール飲む?」

「……先に足も解いて」

「そうだね」

 早耶香に足枷も外してもらうと、三葉はベッドへ倒れ込み、啜り泣いた。

「はぅぅぅ……ふわうぅぅ…」

「よしよし。たっぷり懲りた? 反省した?」

「はひい……二度と、いたしません…」

 心底懲りた様子なので早耶香が抱きしめると、三葉も抱きついてきて泣いた。泣きやむまで抱きながら撫でる。

「ぐすっ……怒ったサヤチン……超怖かったよぉ…」

「まあね」

「……嘘も巧いし……ひどいし……私、もう何もかも終わりなのかと思って……」

「嘘が巧くなったのは社会経験かな。不動産関係って、ホント嘘が多いから」

「ぅぅうっ……気をつけるよ……」

「もう一回、お風呂に入る? 背中、洗ってあげるよ」

「うん」

 かなり汗もかいて身体も汚れたので二人で入浴して、やっと三葉は落ち着いた。ラブホテルなので二人で一つのベッドへ横になる。二人ともバスローブを着ていて、もう鞭などは使うつもりはなく、ただ寝る前に少し会話している。

「サヤチン、里帰りするの、どのくらいぶり?」

「お正月以来かな。三葉ちゃんは結局、高校卒業以来、帰ってないまま?」

「うん………お婆ちゃんとは、何度か、電話で話したけど、それだけ」

「そっか。糸守町、復興して、かなり変わったよ」

「そうなんだ」

「新糸守神社も、どんどん大きくなってるし。町長さんも有名になって、ユルキャラまで出てるし」

「お父さんのユルキャラ?」

「ミラクル・トッシーっていうの知らない? 去年のユルキャラ・ランキングで11位だったよ。あの避難訓練で町を救った英雄だからミラクルらしいけど、微妙なデザインだった」

「………あんまり見たくないなぁ……」

「肉親のユルキャラはねぇ」

「……………」

 三葉は時計を見て午前2時50分だったので早耶香に抱きついた。

「怖いの?」

「うん。この時間くらいが、一番怖い」

「よしよし。お化けなんていないよ。いても、四葉ちゃんが祓ってくれるよ」

「ぐすっ………四葉、なんて言うかな……」

「四葉ちゃんがダメなら、いっそ、私が祓ってあげる」

「サヤチンが?」

「見ていて」

 早耶香が立ち上がって神社を参拝するときのような柏手を打った。

「お化けなんて消えろ! 三葉ちゃんから出て行け!」

「…………」

「ほら、もう大丈夫」

「……うん……ありがとう…」

 あまり不安は解消しなかったけれど、気持ちは嬉しいので礼を言った。

「だいたいさ、死んだ私たちが、生きてる私たちを呪うなんて、根本が間違ってるよね。せっかく生きてる私たちを守護霊として守るのが本当じゃないの? いるとしたら、よっぽどバカな霊だよ。バーカっ、バカ!」

「……さ…サヤチン、やめて……霊を刺激したりしないで…」

「平気だって。どうせ、いないから。バーカっ、バカ! ほら、いない」

 ガチャン!

 急にテーブルにあったビールジョッキが倒れた。

「「ひっ?!」」

 早耶香と三葉が驚く。

 パタっ…

 早耶香が使っていた仮面も勝手に動いて床へ落ちた。

「「ひぃぃぃ…」」

 二人が震えあがる。次々と客室内にある物が不自然に動いて、倒れたり落ちたりするし、天井から吊られている鎖が風もないのにチャラチャラと揺れ、血のりが着色された斧が床へ落ちると、早耶香はベッドの上で土下座を始めた。

「すみませんでした!! ごめんなさい! ごめんなさい! どうか、お許しください。御静まりください! 信じます! 私が間違っていました!!」

 土下座している早耶香はガタガタと震え、おしっこを漏らしてバスローブを濡らしている。早耶香の土下座に満足したのか、室内の物が動くことは止まった。

「ハァ…ハァ…ありがとうございます…ガチガチ…」

 早耶香は奥歯を鳴らして震えていた。なのに、三葉が嬉しそうに言ってくる。

「あ、サヤチン、おもらししてる」

「……」

「ほら、バスローブが濡れてるよね。これ、おしっこだよね?」

「………」

「もらした、もらした。私と、いっしょだ」

 いつもいつも自分ばかり漏らしているので、かなり嬉しそうに早耶香のお尻を撫でている。心霊現象が起こったばかりなのに、何度も追いかけられたことのある三葉は物が勝手に動くくらいのことには慣れてきたのか、むしろ早耶香のおもらしに反応していた。

「怖いよね、怖いと、もらすよね。それが普通だよね」

「…………」

 早耶香は黙って濡らしたバスローブを脱ぐと、布団に潜り込んだ。三葉も漏らしていたのでバスローブを脱いで布団に入る。

「私たち、おもらし仲間だね」

「………。もう寝よう。きっと、四葉ちゃんが、なんとかしてくれるから」

「裸で寝るの?」

「他に着る物ないし」

「…………。抱きついて寝てもいい?」

「うっ……う~ん……まあ、いいよ。どうぞ」

 根本的に同性愛者ではないので早耶香も抵抗を覚えたけれど、お化けが怖いので三葉と抱き合って寝ることにした。

 

 

 



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5話

 

 

 明け方、ラブホテルのSM部屋で抱き合って眠りに落ちていた三葉と早耶香の身体がムクっと起き上がった。

「………」

「………」

 早耶香の身体が立ち上がると、ハンドバックから口紅を出してくる。その口紅で三葉の額へ、呪い、と書いた。他にも、おしっこ女、婆、ロストバージンは24才、オナニスト、一人ヤリマン、等の色々な罵詈雑言を書きつけると、早耶香の手が口紅を三葉の手に渡した。今度は三葉の手が早耶香の身体に悪口を書く。デブ、ちゃんと痩せろ、早耶香のサはサディストのサ、田舎帰れ、悪徳不動産屋の飼い犬、等の女子高生が書きそうなレベルの低い落書きをして口紅を使い切った。さらに三葉の身体は冷蔵庫からペットボトルの水とアイスコーヒーを出すと、それを飲み干していく。

「プフッ…また漏らすよ…プフフ」

 早耶香の口がクスクスと嗤い、三葉の口も意地悪く微笑むと、ウーロン茶まで飲み干してからベッドに戻った。

「「おやすみ」」

 そして、ベッドで眠る。

 ピピピ!

 リンリンリン!

 すぐに三葉と早耶香のスマフォが鳴り出した。早朝の始発で糸守町へ向かうつもりでセットしたアラーム音だった。

「うぅぅ……眠い…」

「きつい……夜更かししすぎた…」

「サヤチンのお仕置きが長すぎるからだよ。寝たい……う~……眠い」

 二人とも睡眠不足でフラフラと起きるけれど、すぐにお互いの身体を見て動揺した。

「「っ?!」」

 身に覚えのない落書きが全身にされている。

「ど…どうなってるの……サヤチン、これ私に書いた?!」

「し、知らないよ! いつの間に?!」

「サヤチン、背中にまであるよ! 私の背中は?!」

「書かれてるよ!」

「これ自分じゃ絶対に書けないよね?!」

「この筆跡って……私のに似てる……」

「そうだよ……サヤチンの身体に書いてある字は、私が書いたっぽい字……」

 二人が睡眠不足の顔を青ざめさせて震える。

「「私たちの幽霊が……ひぃぃ…」」

 怖くて抱き合って震えながら、三葉がおしっこを漏らした。

 ショワァァァァ…

 生温かさが抱き合っている早耶香の下半身にまで降りかかってくるけれど、早耶香も漏らしてしまう。

 しょろ…

 少量だったので本人しかわからない程度に漏らした。盛大に漏らした三葉がシミの拡がったベッドを見て嘆く。

「やだ……また弁償しないと……ぐすっ…」

「ラブホの場合、大丈夫だよ。汚すのは折り込み済みだから。それより、ここを早く出ようよ」

「うん、でも、この身体と顔は洗ってからでないと、外を歩けないよ」

「………そうだね…」

 早耶香は恐ろしそうに室内を見回すと、ラブホテル独特の遮光性の高い戸板を開いて朝日を室内に入れる。やはり、薄暗いと怖いので最大限に照明もつけてから二人でバスルームに入った。

「私の口紅で書かれてるから、落ちにくい」

「やっぱり私たちの幽霊が書いたのかな………」

 背中は自分で洗い落とせたか、わかりにくいのでお互いに洗い合っている。

「でも、落書きのレベルが………タチ悪い女子高生みたい……デブとか、婆とか、なんか腹立つわ」

「やめようよ、そういうこと言うの。また、霊に怒られるよ」

「ううっ……とにかく早く洗って四葉ちゃんに見てもらおう」

「うん……」

 急いで身体を洗い終えた二人は身支度してラブホテルを出る。三葉は精算するときに覚えのない清涼飲料代まで計上されていたけれど、鞭やビール代に比べると安価だったので気にしなかった。二人で予定していた始発に駆け込むと、やっと安心する。少ないながらも他に乗客もいるし、もう明るい朝なので、あまりお化けが出るような気はしない。あとは終点まで乗るだけだった。二人並んで座り、身を寄せ合った。

「……眠いね」

「うん……寝ちゃいそう……サヤチン……手をつないでもいい?」

「……いいけど、……レズビアンだと思われないかな……まあ、でも、いいよ」

 二人してラブホテルから出てきたところを誰かに見られたわけでもないけれど、郷里へ近づくと東京と違い、世間体が気になる。東京では隣室の住民さえ知らないけれど、町では全住民が顔見知りと言っていいので、一度噂されると大変だった。それだけに、すでに克彦と婚約していることは広まっているし、三葉とは幼少期からの親友だとも認識されているので、手をつないで電車に乗っているくらいなら平気だろうと判断して、まだ恐ろしさも残っていたので握り合った。三葉が反対の手でバックから新発売のエナジードリンクを出した。わずかな時間で駅の売店で購入したペットボトル2本のうち、片方を勧めてくる。

「朝ご飯の代わりに、これ飲む? うちの社の新製品なの」

「……ごめん、エナジー系は苦手なの」

「そっか。お茶も買えばよかったね、ごめん」

「いいよ、気にしないで」

 早耶香が断ったので三葉は2本とも一人で飲み干した。それを見ていて早耶香が心配になる。

「…………」

 この子、大丈夫かな、この電車2両編成のトイレ無しで私たちは終点の糸守まで乗るのに、また漏らしたりしないかな、と考えるものの、もう24歳の女性がすることなので余計なことは言わず、飲み干したドリンクの味を詳細にスマフォへ記録したりしているので黙って目を閉じた。

「喉越しはいいけど、フレッシュ感が足りないかな。店晒しの期間があったのかも。中部地方の営業所に注意喚起しておこう」

 本社勤務らしい仕事熱心さでスマフォのスケジュール帳へ月曜からの予定を加えると、三葉も目を閉じて眠った。

 

 大学3年生の三葉は6年も愛用している糸守高校の夏服に袖を通すと、今日こそはという想いを胸に、アパートの壁に貼ってある東京都の地図を見つめる。

「今日は、ここ。神宮高校に行く」

 都内400校を超える高校を次々とローラー作戦で調べ上げている途中だった。

「急ごう。一人でも見逃したら、やり直しだから」

 大学の講義を早めに終われる日は、すぐにアパートへ戻って制服に着替え、お目当ての高校へ駆けつけている。すべての男子高校生の顔をチェックするためなので女子校は除いているし、養護学校へ通っていたとも思えないので、それも除外している。それでも都内の全男子を調べるとなると、校門が一つの学校なら一日で済むけれど、複数の校門があると、その数だけ日数を要したりするし、駆けつけるのが遅くなって下校が始まっていると、やり直しになってしまう。

「神宮高校なら、この駅」

 もう都内の路線は頭に入っているので調べなくても電車に乗れる。電車に乗ってから三葉は車窓を見つめた。

「……そろそろ女子高生ルック……無理あるかなぁ…」

 車窓に映る自分の顔を見ている。今年で21歳になる。二十歳を超えてから、だんだんと顔が大人びてきいて、糸守高校の制服を着るのが苦しい気がする。都内ですれ違う現役女子高生にヒソヒソと何か言われたりもする。それでも三葉は諦めたくなかった。

「諦めない。絶対、会うんだ。絶対、見つけるから」

 気合いを入れ直して電車を降りると、もう下校時刻が近いので神宮高校の校門まで走った。

「ハァっ…ハァっ…よかった。間に合った」

 もう3年も高校生の下校を観察し続けているので、最初の下校集団なのか、判別がつくようになっていた。ちょうど、三葉が校門に着くと同時に昇降口から第一集団が出てきている。

「ぅぅっ……間に合ったけど……おしっこが…」

 下校時刻へ間に合うように昼から急いで行動していたので、おしっこを我慢したままだった三葉は校門の着いた直後に、おもらしを始めた。

 ジョワァァアァ…ビチャビチャ…

「うううっ…あああっ……出るぅぅ…」

 両手で股間を押さえて我慢してみるものの、どうにも溢れて止まらない。ヨロヨロと歩き、校門の門柱から反対の門柱まで動いたので、これから下校する全生徒は三葉が濡らした上を歩くことになった。

「ぐすっ…ひっく……」

 恥ずかしくて泣けてくるけれど、目は閉じない。第一集団にいる男子の顔を見逃すまいと、チェックしている。その集団にいた女子が三葉へ声をかけてきた。

「あなた、大丈夫? 学校が違うけど、保健室に行く?」

 急いで走ってきた様子の三葉が校門で、おもらしをしたので親切に言ってくれたけれど、三葉は断る。

「ううん。探してる人がいるの。ありがとう」

 そう言っている間も三葉は、その女子は一瞬見ただけで、あとは男子の顔を次々と追いかけている。その熱心な様子に、よほどの想い人なのだろうと、その女子も感じ取った。それだけに疑問にも思う。

「本当に、そのカッコのままでいいの?」

「ぐすっ……ありがとう……。時間がないの……もう時間が残されてないはず…」

「…………じゃ、私は行くね」

 同じ女子として心配だったし、たとえ想い人に会えても、おしっこで濡れた姿で会ってしまうのは逆に悲しいのではないかと思うのに、三葉は時間の無さを優先していた。声をかけた女子は三葉を置いて帰宅していく。おしっこで三葉が引いた線を踏み越えて帰っていった。

「時間がない………今年で最後かもしれない」

 なんとなく彼は現在、高校3年生でいる気がする。そうなると、あと数ヶ月で卒業してしまい、次は大学を調べ上げるべきか、高校への調査を継続するか、悩まなくてはならなくなるし、大学は都内とは限らない。何より高校なら、なんとなく、ここかもしれないというイメージが持てる。

「……ここかも、しれない……本当に……」

 おぼろげな記憶しかないし、どこの高校に行っても感じたりもするけれど、この神宮高校は到着した瞬間から、ここかもしれないと強く感じていた。

「………負けない……諦めたりしない……」

 三葉は何人かの生徒に笑われたけれど、それでも探し続けた。そのうちに涙も、おしっこで濡れた下半身や敷地も乾いていく。そして、下校開始直後の大勢が校門を出て行く時間帯が終わると、まばらになってくるので探すより待つことが主になる。部活や委員会活動、単なるおしゃべりで教室に残っている生徒たちが、ときどき帰ってくるのを見逃さないように待っている。

「………暑い………喉、渇いたなぁ……」

 三葉は校門付近に誰もいないタイミングを狙って、すぐ近くにあった自動販売機でアイスコーヒーとミネラルウォーターを買って飲む。

「はぁぁ……美味しい。この会社に就職したいなぁ」

 大学3年生になって就活も始まりつつある中で、第一志望にしている会社のドリンク類はすべてチェックしている。清涼飲料も、ビールも、ウイスキーも、よほど高価な物以外は飲んでいた。

「ウイスキーって、なんで寝かせると、あんなに美味しくなるのかな。20年を超えてくると、もう神業の領域だよ。一回でいいから30年熟成を飲んでみたいなぁ」

 女子高生姿でウイスキーの味を思い出しながらアイスコーヒーを飲み干すと、ちびちびとミネラルウォーターを飲みながら、校門に立ち続ける。

「…………おしっこしたくなってきちゃった……どうしよう…」

 当たり前だったけれど、また尿意を覚えている。そこへ、藤井司と高木真太が話ながら歩いてきた。

「あいつ、なんで昼前に早退したんだ?」

「バイト先がランチタイムのパートが急に3人も休むから緊急ヘルプで入ってほしいってさ。時給を倍で計算してくれるからって喜んで行ったぜ」

「受験前の、この時期にか……何が大切なのか、ちゃんと見極めないと、入った大学によって、次は就活できる会社のランクが決まるのに……たかが、バイトで大きなチャンスを逃さないと、いいけどな。ランチタイムなんて2時間もないだろ。倍計算でも2000円にもならないのに………ん?」

 司が視線を感じて校門を見ると、三葉が見つめてきている。

「………」

「………」

「あの子、誰? 知り合い? めちゃ、こっち見てるよな」

 真太に問われ、司は首を傾げる。

「さあ? ……でも、すごく切羽詰まった顔して……」

「お前に愛の告白でもあるのかもよ」

 冗談を言いながら校門に近づくと、三葉が司の袖をつかんできた。

「………あなたの名前を教えてください」

「え? ………藤井司だけど……」

「ふじい………つかさ……。……違う……。ごめんなさい。人違いでした」

「「……………」」

 司と真太が、どう反応していいか、わからず停止してると三葉は真太を見つめる。

「あなたの名前も教えてください」

「オレ? ………高木…真太だよ」

「……たかぎ……しんた……。……ぅぅ…」

 三葉が右手で頭を抱え、左手で股間を押さえて苦しむ。

「君、大丈夫?」

「どこか痛いの? 保健室、行く?」

「…ぅぅ……想い出せそうで……漏らしそうで…」

「「は?」」

「ぁぁあっ……ダメ……出ちゃう……想い出せないのに…出ちゃう…」

 三葉は悶えると、おもらしを始めた。

 シャァァァァアァ…

 三葉の股間から小さな滝が滴り落ちて、水たまりが足元にできる。

「「…………」」

「…ぅぅ……」

 恥ずかしそうに、そして何かを求めるように三葉は司と真太を見つめている。

「…ぁぁ……おもらししちゃったぁぁ…」

 三葉は恥ずかしさと排泄の快感で頬を染め、やや口を開けてヨダレも漏らしている。

「…ハァ…ハァ…」

「おい、もう行こう」

「え? でも、この子…」

「いいから、もう行くぞ」

 司は袖を引いて真太を歩かせながら、小声で言う。

「都市伝説だと思ってたけど、実在したんだ。あの子だよ、校門おもらし逆ナン女」

「…は? 肛門おもらし逆な女、って何?」

「都内の高校で、ずっと目撃されてるんだよ。男を探しながら、おしっこ漏らしてる女が校門に出没するって。だから、校門おもらし逆ナン女って言うらしい」

「……すごい名前だな。妖怪か、土着の祟り神か、何にかみたいな……」

「よほどの執念があるんだろう。けど、目撃され始めたのが3年前で……そのときから一年生には見えないって話だから……今、見た感じ、二十歳を超えてなかったか?」

「あ~、そうかも」

「…………痛い女だな……探されてる男……かわいそうに」

「ロックオンされたら地獄までって感じだな」

 司と真太が振り返ると、まだ三葉がこちらを見ていたので予備校へ向かう脚を早めた。三葉は二人の背中を見つめていたけれど、想い出すことはできずに、また校門での待機を再開する。

「……ここだと思うのに………ここにいないの? ……ねぇ、会いたい……会いたいよ」

 普段の捜索活動より胸が切なくて痛い。けれども、想い人を見つけることはできず、日が暮れ、用務員が校門を閉めてしまった。

「ぐすっ……ここだと………ここだと……思うのに……」

 もう校舎に電灯はついていない、完全に誰もいない様子だった。

「………おしっこ……駅まで我慢できそうにない……人前で、おもらしするより、ここで……」

 また覚えていた尿意に負けて、おもらしを始めた三葉は再び校門の門柱から反対の門柱まで、ヨロヨロと歩いて、おしっこで線を引いた。

「……ぐすっ…」

 それでも諦めきれず、無駄だとわかっていても、さらに30分ほど校門に立ち続けてから、脚が乾いた頃に電車へ乗ってアパートへ戻った。

「ああああっ!! どこなの?! どこにいるの?! 会いたい!! 会いたいよ!!」

 もう習慣になっているので抱き上げた枕にキスをしながら股間を机の角に擦りつける。

「ああはああん! 会いたいぃいい! あああん!」

 身悶えしながら泣いている。

「会いたいよ!! 君に会いたいよ!! 大好き! 大好きなの! ああ、会いたい!」

 いつもより激しく腰を振って机の角と交わっていると、気持ちよくなってきて三葉は、おしっこをしながら身震いした。

「ああはぁぁぁあぁ……ハァ…ハァ…もう一回…」

 もう一度、快感を得ようとして三葉は視線を感じた。玄関ドアを見ると、早耶香がいた。

「っ?!」

「……ごめん……鍵、開いてたから…」

 そっと早耶香がドアを閉めていく。いつから、見られていたのか、ドアが開かれる音にも気づかないほど興奮していた三葉は恥ずかしさで泣いた。

「ぅぅうっ……見られた……見られた……ぅぅぅううっ…」

 親友に自慰を見られて恥ずかしくて死にそうだった。なのに、早耶香が申し訳なさそうにドアを再び開いた。

「本当に、ごめん。どうしても、出さないといけないレポートを三葉ちゃんの部屋に忘れたから」

「……ぐすっ……勝手に持っていって!!」

 三葉は枕に顔を埋めて、顔を隠して泣く。早耶香は謝りながら靴を脱いであがると、夕べ仕上げ段階に入っていたレポートを探す。早耶香の部屋は狭さのために机が置けず、三葉の机を借りたので、そこにあるはずだった。

「……濡れてる……紅茶? ………」

 早耶香は紅茶だと思いたかったし、三葉も紅茶だと思ってほしかったけれど、机の上は三葉のおしっこで濡れていて、早耶香のレポートまで染み込んでいた。机の角は、いつも三葉が使う方だけ、かなり磨り減っていて塗装が剥げている。どうして、ぶつかる物もないのに、ここだけ減っているのか、不思議だった早耶香の疑問が解けたけれど、それより今はレポートが濡れているのが大問題だった。

「………ぐすっ……ぅううっ……何でもないから……紅茶だから……。それ、提出しないで、また印刷して」

「…………このレポート………手書きでないと受け取ってくれないの……教授が学生のコピペ対策に、全文手書きを課してるから」

「っ…ごめん……どうしよう?」

「……教授は……男性だけど、……干して、このまま出していい?」

「イヤ! やめて!!」

「……でも……手書きで今から明日の朝一に提出しないとアウトなの」

「いっしょに私も書くから! 半分、私が書くから!!」

「…………私の筆跡じゃないと、ダメなんだよ……単位がもらえない……。これ、紅茶だよね?」

「……………ぅぅ……紅茶だから……ぐすっ…」

 諦めた三葉がうなだれると、早耶香が謝る。

「ごめんね、三葉ちゃん」

「もう出て行ってよ! 次から絶対ノックして!!」

「うん、ごめん、ごめんね」

 早耶香は謝りながら出て行き、三葉は泣きながら寝た。

 

 電車が終点の糸守駅に到着していた。睡眠不足だった早耶香と三葉は深く眠っていたけれど、停車の振動で眠りが浅くなる。

「ぅぅ…ぐすっ…出て行ってよ………ノックくらいしてよ……」

「ごめんね……三葉ちゃん……ごめん…もう、勝手に開けたりしないから…」

 手をつないで眠っていた二人が同時に目を覚ました。

「……ぐすっ……また変な夢……」

「今……昔の……」

 早耶香は気まずそうに握り合っていた手を離して三葉を見る。

「到着したみたい………また、オネショしたの?」

「……ぅううっ……」

 三葉は座って寝たまま、オネショしていた。座席のシートを濡らし、足元には黄色い泉ができている。

「…ひっく……ぅううっ…」

「やっぱり、それも呪いなのかも……泣かないで。降りて拭いてあげるから」

「ぐすっ……いっぱい迷惑かけて、ごめん」

 泣きながら降車した三葉は女子トイレで早耶香の介助も受けて濡らした衣服を拭いて目立たないようにすると、いつも持っている伊達眼鏡をかけ、花粉症でもないのに大きなマスクをつけた。

「もしかして、糸守で町の人に、顔を見られたくないの?」

「……うん…」

 髪型も変えているので、三葉とはわからないくらいになった。

「そっか。………そうかもね……。とにかく、新宮水神社へ行こう」

「どこに建てたの?」

「あれだよ」

 女子トイレを出た早耶香が隕石が落下した痕を指した。そこには隕石そのものを新たな御神体として大きな神社が建立され、神社というより神宮というほどの巨大な木造建築があった。落下痕全体を神域としているので、かなり広い。駅から続く道も、まっすぐに伸びていた。そして、駅前には訊かなくてもわかる父の俊樹そっくりの巨大な銅像が立っていた。

「……お父さん………こんなクラークみたいな銅像を立てられて……」

 俊樹の銅像は避難を促すように右手を掲げ、目線を横へ流している。北海道にあるという歴史上の人物に似た銅像になっていた。

「……奇跡の町、糸守へようこそ……、サヤチン、めちゃくちゃ町が変わってるんだけど?」

「うん、来る度に、いろいろできてるよ」

「………あの変なマスコットも……お父さん?」

 三葉が大きな看板に描かれている三頭身キャラを指した。顔の特徴がデフォルメされていても、父親なので、わかりたくないのに、わかる。

「そうだよ、あれがミラクル・トッシー」

「ぅぅ……恥ずかしい……」

「御本人も嫌がってるけど、けっこう人気で定着しちゃったらしいよ。サルボボとセット販売の人形もあるし」

「あっちの大きな会社……あれ、テッシーの家?」

 三葉が以前から勅使河原建設の資材置き場になっていた場所に建っているビルを指した。その隣には大きな邸宅があり、高級車が並んでいる。

「そうそう。復興特需でね、かなり儲かったらしいよ」

「………ってことは、サヤチンは結婚したらセレブ?」

「フフフ、泥棒猫したらマジ殺すから」

「それは誓って、いたしません」

 三葉が身震いして昨夜の絶望を思い出している。嘘だったとはいえ、生きる希望を完全に無くすまで精神的に叩きのめされた記憶は思い出すと、おしっこを漏らしそうなほどだった。

「さ、行こう。新宮水神社、ご祈祷の依頼が多いから四葉ちゃんも忙しいかもしれないし」

「…………参拝者、多いんだ?」

「みたいだよ」

 二人はまっすぐに続く道を歩いて巨大な神社に入った。駅から続く広い道にも灯籠や鳥居が並び、もはや町全体が神域のような様相を呈している。神社に着くと、まだ早い時間帯なのに、すでに100人ほどの参拝者がいて、県外ナンバーのクルマも駐まっていた。三葉は伊達眼鏡とマスクで顔を覆ったままなので早耶香が気を利かせて総合受付へ行った。総合受付の建物だけでもコンビニほどの大きさで、巫女服を着た受付嬢が5人もいたし、早耶香は顔見知りに見つかった。

「あ、サヤちゃん! 久しぶりやん!」

「あれ? ここに就職したん? 名古屋に出んかった?」

 早耶香が問うと、以前のクラスメートがタメ息混じりに答えてくれる。

「その名古屋の会社でパワハラに遭ってさ。再就職もいいとこなくて困ってたら、四葉様に拾っていただけたの」

「へぇぇ……。……」

「今日は、どうしたん? さっそく安産祈願でも?」

「さすがに、そこまでは。まず挙式って段階だよ。それに今日は私じゃなくて三葉ちゃんのことで四葉ちゃんに相談があるの」

「………。三葉って、あの? サヤちゃん、まだ、あの女と付き合いあるんだ?」

「え……うん、……まあ……」

「この町に戻ってくる気なら、あんまりあの女と関わらない方がいいよ。四葉様も、こころよく思っていらっしゃらない感じだから」

「……そうなんだ……姉妹関係、そこまで……。で、でもね! どうしても、四葉ちゃんに会って相談したいことがあるの! お願い!」

「急に言われても………、四葉様へのお目通りは予約制だし、謁を賜るには、かなりの段階があるから。そもそも四葉様はご学業とご公務に勤しんでいらっしゃる中、町を捨てた東京もんに、お会いになるとは……」

「それでも、実の姉が、とても困ったことになっているの。なんとか、お願いして」

「………わかったよ、とりあえず巫女総長に訊いてみる」

 そう言って旧友は奥へ行き、早耶香は20分ほど待たされると、巫女総長から請求書を渡された。

「本殿での、ご拝観に格別のご高配にて、謁を賜れるそうです。謹んで拝謁するよう」

「……これは?」

 早耶香が請求書について訊くと、巫女総長は冷たく答える。

「四葉様より、他の参拝者と同様に扱うよう下命されております。本殿拝観の定価です」

「…………そうですか……わかりました」

 早耶香は2万円を立て替えて支払った。早耶香が外に出ると三葉は居心地悪そうに立って待っていた。

「サヤチン、どうだった?」

「うん………会うには会えるみたい………2万円も取られたけど」

「……ごめん」

 三葉が自分の財布から2万円を出して早耶香に渡した。それから小銭を持って自動販売機の前に立った。

「サヤチン、お茶でいい?」

「……これから拝観だから、あんまり飲まない方がいいと思うよ。お茶くらい出るかもしれないし」

「けど、この自販機、うちの会社のだし……」

「愛社精神も、ほどほどにね」

 話しているうちに大太鼓の音が響き、それが合図のような気がしたので早耶香と三葉は神殿にあがった。

「本殿拝観の方々は、こちらへお進みください」

 巫女が3人、案内役として着いてくれる中、三葉と早耶香の他に8人が廊下を進み、神殿の奥へ入る。早耶香が建物の内装を見て驚く。

「よく、こんな立派な………まるで二条城みたい……克彦の会社で引き受けたのかな…」

 長い廊下を歩き、奥の奥へと案内されると30畳ほどの広間に通された。

「こちらで平伏してお待ちください」

「サヤちゃん、ちょっと…」

 巫女の一人が旧友だったので小声で話しかけてくる。

「さっきは見逃したけど、四葉様のこと、チャン付けとか、ありえないから。気をつけて」

「…は…はい……ありがとう」

「くれぐれも、ご無礼のないようにね」

「…はい…」

 早耶香は他の参拝者たちが、すでに畳へ平伏しているので、それに倣った。三葉も伊達眼鏡とマスクはそのままに平伏する。

 ドン! ドン!

 太鼓の音が響き、広間の正面にある雛壇上へ数人の巫女に囲まれた宮水四葉が現れた。どの巫女よりも豪奢な巫女服を着ているけれど、早耶香たちは平伏しているので見ることができないし、広間と雛壇の間には御簾もあったので様子がわかりにくい。雛壇の奥には落下した隕石があるように思えた。巫女総長が宣言する。

「これより宮水四葉様に謁を賜ります。順に呼びますから、願意奏上なさい」

 そう告げて、一人目の参拝者の名を呼ぶと、予約順で一番だった婦人が息子の大学合格祈願を申し出ている。その話を聴き終えた四葉は和紙へ自分の唾液を垂らすと、専用の御守り袋へ入れて巫女へ渡し、その巫女が婦人に手渡しながら告げる。

「第一志望への合格は難しいでしょう。第二志望の受験対策を主になさってください。とくに物理と化学を重点的に、とのお告げです」

「はい、ありがとうございます」

 婦人は押し頂いた御守りを手にすると、平伏したままさがっていき、広間を退出した。退出のさいに財布から数万円を支払った気配があったけれど、いくらだったのか、早耶香たちにはわからない。

「次の者」

 二人目の参拝者は商売繁盛だったし、三人目は病気平癒だった。おおよそ、神社で普通に人々が願うようなことが繰り返されたけれど、早耶香たちの直前にいた男性は違った。

「開運の握り飯をいただきたく申し上げます」

 男性は立派なスーツを着ていて、どこかの社長に見えた。そして巫女たちが奥から米櫃を持ってくると、四葉の傍らへ置く。その間に別の巫女が男性の前に三宝を置いた。本来、お供え物を置く木製の三宝へ、男性はスーツケースから札束を出して積んでいく。不動産会社に勤めている早耶香は気配で、それが3000万円ほどだと感じた。

「あなたに幸と加護のあらんことを」

 四葉が米櫃から、御多賀杓子で白米を自分の手へ盛ると、それを一口分だけ指で摘み、口に入れて唾液とよく混ぜながら噛みしめ、ゆっくりと吐き出して手の上にある白米にかけた。まるで、おにぎりの具のように咀嚼物を握り混んで握り飯を作った四葉は立ち上がって雛壇をおりてくると、男性の前に立った。

「頭を上げなさい」

「はい」

「これを、あなたに授けます。運気多からんことを」

「ありがたき幸せにございます」

 男性は四葉の手から握り飯を受け取ると、大切そうに噛みしめ、食べ終えると平伏して退出していった。その間に、四葉は雛壇へ戻っていて、早耶香と三葉に視線を送ることはなかった。もう広間には参拝者は早耶香と三葉しか残っていない。

「次の者、名取早耶香」

「は、はい。…ぉ、御祓いを願いたく参りました!」

 今までの流れに倣って早耶香は平伏したまま奏上した。三葉も平伏したまま黙っている。早耶香は助けてほしい一心で言い募る。

「私たちに悪い霊が取り憑いているみたいなんです。どうか、助けてください!」

「かなり低俗な霊に取り憑かれているようですね。早耶香さん」

 早耶香のことを覚えていてくれたのか、四葉は親しげな声をかけてくれた。それで緊張していた早耶香の気持ちが安らぐ。四葉が現れたときから、その存在感が圧倒的で気圧されていたけれど、親しげに語りかけてもらえると、足元に這い蹲って忠誠を誓いたくなるようなカリスマ性を感じた。

「四葉様、どうか、お願いです! 私と三葉ちゃんを助けてください!!」

「わかりました。これを彼女たちに」

 そう言った四葉は何かを傍らにいた巫女へ告げ、聞き取った巫女は紙にボールペンで何かを書き始め、すぐに三宝へのせた請求書を早耶香の前に置いた。

「………50万円? ………5000万円?!」

 桁を読み直して早耶香は叫んでいた。何度読み直してもゼロの数は5000万円だった。

「……そんな……こんなの……無理に決まって……」

 つぶやきながら早耶香は隣で平伏したままの三葉を見る。

「………………」

 三葉は黙って平伏したままで伊達眼鏡とマスクのおかげで表情がわかりにくいけれど、ほぼ無表情のようだった。早耶香が予想していたよりも姉妹関係は最悪の様子で、せめて少しでも修復できないかと言い募る。

「四葉様、いくら何でもあんまりです。本当に三葉ちゃんは毎晩のように悪霊に襲われて、もう精神的に限界なんです。どうか、ご慈悲を!」

「…………」

 四葉が傍らにいる巫女に何かを指示している。すぐに隣の間から和装の男性が何人も出てきて、早耶香と三葉を追い出すために左右から取り押さえてきた。三葉は諦めた様子で素直に出て行こうとするけれど、早耶香は叫んだ。

「待ってください! お願い!! どんなに仲が悪くなったとしても実の姉妹でしょ?! 困ったときに助け合うのが家族じゃないんですかっ?!」

「…っ……クっ…クスクス…」

 御簾の向こうにいる四葉が耐えきれないといった様子で肩を震わせて笑っている。そして、右手をあげて何か指示すると、その場にいた使用人たちは静かに退出して、三人だけになった。

「可笑しいことを言ってくれますね、早耶香さん」

 四葉が御簾から出てきて、早耶香の前までおりてきた。今年で17歳になる四葉は輝くほどに美しくて凛とした空気を漂わせている。ただ本来優しくて聡明そうな人柄を感じさせるのに、三葉のことだけは許せないといった気配があって、姉のことは平伏したままでいるのを一瞥しただけだった。

「困ったときに助け合うのが家族ですか。本当に笑わせてくれますね」

「………何があったのかは、知らないけど……本当にお姉さんが困ってるんだよ? どうか、助けてあげて。その力が四葉様にはあるんだよね?」

「ええ、ありますよ」

「なら、助けてあげてよ!」

「ですから、お代金は5000万円です」

「そんなに、ふっかけないで! 無理に決まってるでしょ?!」

「借りてきなさい」

「ただのOLに、そんなお金を貸してくれるところないよ!」

「糸守信用金庫に命じて貸させましょう。年利3%の複利計算、連帯保証人は、それだけ言うんですから、名取早耶香さんも名を連ねてくれますよね。あと、立花瀧さんにも頼みなさい」

「っ、四葉……知って…」

 平伏していた三葉が驚いて顔をあげるけれど、妹に睨まれて、また平伏した。

「三葉ちゃん………、……年利3%で……複利計算……5000万……」

 不動産会社で働いている早耶香が脳内で計算してみた。三葉が勤めている会社は、かなり給料がいい。平均で40歳にもなれば840万円ほどの年収になるはずだった。

「……それでも……一生、三葉ちゃんを借金で縛る気……」

 たとえ、順調に勤務していても5000万円となると返済に一生かかる。結婚して夫の働き口がよくても、やはり可処分所得の大半をもっていかれる計算になり、マイホームや子育て、旅行、あらゆることを諦めなければならなくなるし、自己破産しようにも連帯保証人へ瀧と早耶香まで組み込む気でいるので難しい。さらに結婚前に、そんな借金がある女となると入籍自体が難しいし、結婚生活の維持も不可能に近い。おそらくは数年で離婚されて人生を悲観した挙げ句に自殺するかもしれない。神秘的な力をもっている様子なのに、やたらと現実的な力で姉を苦しめるつもりなのか、悪霊からは解放しても、今度は借金で苦しむことが明らかな金額だった。

「……そこまでしないと気が済まないの……いったい、姉妹に何があったの?」

「別に、何もありませんよ。5000万円というのは正当な価格です。むしろ、安いくらい」

「ぜんぜん安くないよ! 三葉ちゃんは普通のOLなんだよ?! さっきみたいに何千万もポンポン貢いでくれる人なんていないから!」

「安いですよ。姉さんに憑いている霊の数は、ざっと500余柱、一柱あたり10万円です」

「……500も憑いて………」

「ええ。あの彗星落下で犠牲になった人の数だけ、憑いています」

「何言ってるの?! あの落下で犠牲者なんて出なかったのに!」

「出た世界もあるのです」

「………三葉ちゃんと同じようなことを……」

「知りたければ教えてあげますが、それも、お代金の後です」

「ぅっ…、………それでも、いくら何でも………姉妹なのに……二人に何もなかったなら、こんなに困ってるんだから、助けてあげてよ。お願い。どうして、そんな他人行儀に取り立てるの?」

「困ったときは助け合う、ということですね?」

「そう、そうだよ!」

「ちゃんちゃら可笑しいですね。フフ」

「…………何が、そんなに……」

「思い出してみてください。とくに、あの彗星落下の年に高校2年生だった世代で、大学受験を選んだ生徒たちは町の人たちの復興の苦労を、ほとんど知らない」

「ぁ……」

 言われて早耶香も思い出した。彗星落下のあった2013年に高校3年生だった世代の大学受験は惨憺たる有様だった。多くの家が倒壊し、体育館や校舎に住まねばならず、仮設住宅ができても抽選や順番待ちで、劣悪な環境での学習を強いられ、ほとんどの生徒が思うような進学はできなかった。そのことに懲りた町民と教育委員会は早耶香たちの世代を特別に大切にした。進学を選ぶ生徒に環境の整った学習室を与え、勉強さえしていれば、あとは気にしなくていい、と大学受験を第一に取り扱ってくれた。もともと山奥で産業の乏しい地域では勉学を重視する傾向にある。とくに北陸や東北では立身出世のためには、まず国立大学それも旧帝大という志向があり、住民は受験生を宝物兼腫れ物のように扱う。

「……あのとき、私たちは……勉強ばかりしていて……。でも、それが、そんなに悪いこと?」

「別に。立派なことだと思いますよ。きちんと志望校に合格されていますし。とくに東京組は高学歴ですね」

 東京の大学を目指した三葉、早耶香、克彦などのメンバーは、わざわざ近隣の名古屋ではなく東京まで出るのだから、それなりの大学でなければ認められにくく、三人とも努力して受験を成功させている。勅使河原家にとっても名取家にとっても誇りになっていた。

「私たちなりに努力はしたよ……町の復興には関われなかったけど……」

「そうですね。きっと、勅使河原さんや早耶香さんは、あと数年で町へ戻ってきて、東京での経験を活かして、さらなる町の発展に寄与してくださいますよ。そこの帰ってくる気のない姉さんと違って」

「「…………」」

 受験生を大切にする田舎の住民の望みとして、都市部で学歴と資格を取り、経験を蓄積して田舎へ戻ってきてほしい、というのが本音だったし、そのために大切にしていた。逆に都市部へ出て、そのまま帰ってこない者のことは恩知らずとさえ感じていたりする実情があった。故郷へ戻らずに評価されるのは、よほどの有名人になって出身地がテレビで紹介される機会をつくるほどでなければ難しかった。今の四葉は、まるで町民の総意を語るかのように穏やかなのに冷たく言っている。早耶香は四葉が小学5年の頃から、東京へ出た三葉の代わりに巫女を務め、神社の再建に尽力し、父俊樹と町の復興に尽くしてきたことを実感して頭の下がる思いだった。自分たちが受験に成功して東京での大学生活を楽しんでいる間も、この町では苦労していたのだろうと今になって感じた。

「……そんなに大変だったのですか、この町の復興は?」

「ええ」

「…………でも、犠牲者もなく……奇跡の……町として有名に…」

「犠牲者が出なかったことで、国は彗星落下を激甚災害に指定せず、当初にさかれた予算は自衛隊の派遣を除いては土砂災害扱いでしたから父の苦労は大変なものでした」

「「…………」」

「くわえて民間保険会社も住宅損壊などについて、約款に隕石が約定されていないことから、ごく一部の良心的対応をされた東京海上日動火災、損保ジャパン日本興亜を除いて、みな自宅の再建にさえ苦労しています。とくに代理店のないインターネット販売の保険商品への対応は最悪を極めました」

「「…………………」」

 早耶香と三葉は、お金に不自由したことはない。三葉の大学進学についても父が用意してくれている。けれど、町民全体で見ると、豊かとは言えない町だった。その町が保険もおりず、国の予算配分でも苦労したと知らなかった自分たちを恥じた。それだけに、四葉が金銭にこだわるようになったのは理解できなくもない。やや人件費過剰ではないかと思われる新宮水神社の雇用体勢も、それが復興対策なのだとわかるし、その維持には収入が不可欠だった。

「……言いたいことは……わかります……私たちの至らないところも………けど、今、ものすごく三葉ちゃんは苦しんでるの。夜も一人で寝られないくらい。それを、わかってあげてください。そんなに、お姉さんのことが憎いですか?」

「別に。何とも思っていません。姉さんは行きたいところへ行き、したいことをした。それだけのことですから、憎む理由も必要もありませんから」

「だったら…」

「姉さんに期待しないし、何も望みません。だから、私にも期待しないでください。なにか、頼みがあるのなら、相応の対価を。それが人と人の、ごく普通の関係でしょう」

「……それは他人の…」

「ええ」

「……………」

 もう他人だと言い切る四葉へ、早耶香は言葉を無くした。三葉も黙ってる。ずっと、考えないようにしていただけで、どれだけ四葉が苦労しているかは明らかなことだった。本来なら姉として高校卒業後は神社の再建に関わり、町を出ず復興に尽力すべき立場だったけれど、それを放り出して東京にいる。しかも、盆正月にも帰省せず都内を捜索活動で巡っていたので、妹の前に顔を出したのは高校の卒業式翌日以来だった。

「どうするんですか、姉さん。5000万円で引き受けますよ」

「「……………」」

 三葉にしても悪霊の次に悪夢のような借金地獄に堕ちるし、早耶香にしても友人のために連帯保証人になるということが、どれだけ危険なことか知っている。近いうちに結婚する勅使河原家の財産をあてにすれば不可能ではないけれど、そもそも結婚前に連帯保証人などになってしまっては、結婚の話自体が消失しかねない、友人のために、どこまで自分を犠牲にできるか、高校生の頃なら信じ合って何でもできたけれど、もう社会人なので慎重に自分の生活を守らざるをえない。

「………ぐすっ…」

 どうにもならない、と三葉は頭が混乱して悲しくなってきた。

 チョロチョロ…

 泣きかけた三葉は平伏したまま、おしっこを漏らしてしまい、お尻と畳を濡らした。

「その畳は本藺草の高級品ですから、一畳15万円です。ちゃんと弁償してくださいよ」

 どこまでも冷たい妹の言葉で、三葉は両目からボロボロと涙を零した。

「ひっ…ひぐっ…うぐっ…うぇえええん! ごめんなさいごめんなさい四葉ぁあっ! 私が悪かったのぉ! ゆるして! ごめんなさいぃいい! ひええええん!」

 大声で泣いたのでマスクが外れ、涙で伊達眼鏡が濡れて前が見えない。

「また泣いて誤魔化す」

「うえぇえぇえええん! びええええええ! ごめえええん! 四葉ごめえええん! 何もかも押しつけて! ごめねぇええん! 放り出してごめめめん!! 東京いきたかったのぉぉ! あの人に会いたかったのぉお! だから…だから……ごめええええん!!」

「はぁぁぁ…」

 姉の言動によってタメ息をつくのは久しぶりだった。そして、譲歩してくれる。

「完全な浄霊でなく、とりあえず状態をマシにする程度のことなら200万円で引き受けてあげましょう」

「ひっく…ぐすっ…今、もう180万円くらいしか残ってないの…ひぐっ…」

「割引はいたしません」

「ぅぅ…うぐぅ…ひっぐ…来月の給料日まで…」

「三葉ちゃん、足りない分は貸してあげるよ」

「サヤチン……、でも…」

「結婚式までには返してよ」

「…うん! ありがとう! ありがとう、サヤチン!」

 礼を言う三葉を抱きしめた早耶香は四葉を見て言う。

「必ず払いますから、お願いします」

「わかりました。では、まず二人に霊を見えるようにします」

 そう言った四葉は人指し指と中指を口に含むと、唾液のついた指先を早耶香の両瞼へ触れさせてくる。

「動かないでください」

「はい……」

「姉さんも。………1200年の末代とはいえ、ここまで霊力を失っているなんて……ほら、これで見えるはず」

 また四葉は同じように指2本に唾液をつけてから姉の瞼を撫でた。

「「っ?!」」

 三葉と早耶香は広間全体にいる霊の姿を見て驚愕した。

「「ひっ?!」」

 どれもこれも無惨な死体の姿で、隕石の落下で死んだのだと思われる。老若男女、すべて顔見知りの町民たちだったけれど、その姿は7年前のものだった。

 ジョワァァ…

 早耶香がおしっこを漏らした。

「早耶香さんまで漏らさなくても………おもらしの化身、宮水三葉ならともかく」

「ひっ…ひぃい……」

 早耶香は腰を抜かして座り込み、三葉と抱き合った。こんなに多くの霊たちが、ずっと自分たちのそばにいたのかと思うと、おしっこを漏らしたことなど気がつかずに震え上がっている。三葉も何度も見ていたとはいえ、やはり怖い。とくに、目前には自分の姿をした霊がいて、今も睨んでくる。

(…許さない……自分だけ幸せになろうなんて……呪ってやる……)

「我が姉ながら、このバカさ加減……はぁぁ…」

 四葉が呆れ気味に三葉の姿をした霊の頭部にチョップを入れた。

(へぎゅ?!)

(み、三葉ちゃん、大丈夫?! 私たちに触れられるなんて?! どうなってるの?!)

 早耶香の姿をした下半身がない霊が上半身だけで動き、頭を押さえてうずくまっている三葉の霊を心配している。四葉は広間にいる500余の霊へ朗々たる声で告げる。

「皆様のお姿を、かの日の前に!」

 二度、柏手を打つと一瞬、強い光りが広間を覆い、そして無惨な死体の姿をしていた霊たちが日常的な姿になっていた。

(あ、三葉ちゃん、戻ってるよ!)

(ホントだ!! サヤチンも!)

(私の下半身! ちゃんとある!)

 三葉と早耶香の霊は糸守高校の夏服を着た姿で喜び、抱き合っている。小学4年生の姿をした四葉の霊が不思議そうに17歳の四葉へ歩み寄った。

(やっぱり、あなたは私なの?)

「ええ、そうですよ」

(これから、どうなるの?)

「くだらない悪戯はやめて、私と一つになりましょう」

(なるほど………そうだね)

 もともと本人同士なので、すぐに納得して17歳の四葉が過去の自分を抱きしめると、そのまま消えた。一人になった17歳の四葉が自分の手を見て、つぶやく。

「………この世界……二本目の糸ではなかった……250億回以上………38万人も試して……」

 目を閉じて何かを感じている四葉が目を開けると、三葉を見てタメ息をついた。

「はぁぁ……姉さん…………あなたって人は」

「ぇ?」

「つくづくバカなんですね」

「…ぅぅ…」

 心の底からバカにされた気がして三葉は小さく呻いた。四葉は500余の霊たちに頭を下げて告げる。

「皆様方、うちの姉が迷惑をおかけして申し訳ありません。どうぞ、ご自身のもとへお還りください」

 その言葉を聞いて広間いっぱいにいた霊たちが、三葉と早耶香の霊を残して消えた。三葉の霊が困惑気味に四葉へ問う。

(えっと、私とサヤチンは、どうなるの? 四葉。四葉って、大きくなると、お母さんに似てくるね)

 三葉の霊も17歳の姿なので、今の四葉と並ぶと、そっくりだった。

「あなたは引き続き、自分を呪ってください」

「ええっ?!?!」

 三葉が驚き叫んだ。

(ヤッタ♪ 呪ってやる)

 三葉霊が喜んでいる。早耶香霊が四葉に問う。

(私はどうなるんですか?)

「どうぞ、ご自由に」

(自由って……私、死んじゃうの?)

「いえ、ご自身と融合されるか、このままバカな友人に付き合って、バカな悪戯を続けるか、どちらでも、ご自由に。最終的には、そのうち融合します」

「(自分と……融合……)」

 早耶香と早耶香霊が見つめ合い、また四葉に問う。

「(自分と融合すると、どうなるんですか?)」

「たいして何も変わりません」

「(そりゃそうか……。どうする? 私)」

 自問自答していると、三葉霊が淋しそうに呼んでくる。

(サヤチン………融合しちゃうの?)

(そんな顔されると、置いていけないかな。もうちょっと、この婆になった三葉をイジメよっか?)

(うん!)

 まだ取り憑くと決めた三葉霊と早耶香霊が三葉の背後に憑いた。三葉が不安そうに四葉へ問う。

「ぅううっ……四葉、私は、どうなるの? 除霊してくれたんじゃないの?」

「完全な浄霊ではないと最初に言いましたよ。自分の霊への償いくらい、自分でしてください。それが差額4800万円分です」

「うぅぅ……償いって……何するの?」

「気が済むまで自分にイジメられるだけです」

「そんなァ?! 何それ?! なんで、私が私をイジメの?! ねぇ?!」

 三葉が背後の三葉霊に問うと、単純な答えが返ってきた。

(だってムカつくし)

(そうそう)

「なんでよ?! 私なんでしょ?!」

(そうだよ。同じ私なのに、なんで、あんただけ美味しい思いして生き延びてんのよ? 私たち隕石で死んじゃったんだよ)

「だから、もう融合して終わりにしようよ!」

(そんな簡単に、この損な役回りだった私の気分が晴れますかっての! 考えてみなさいよ、同じ自分なんだよ? なのに、なんで私が死ぬ方で、あんたが生きる方なの?)

「そんなこと言われても………」

(ってことで呪うから)

「呪うって、何する気なの?」

(とりあえず、あの立花の前で、おしっこでも漏らせば? あと身体を操って、いろいろ恥ずかしいことさせてやる)

「イヤっ!! 絶対、イヤ!! それだけはやめて!!」

((きゃっはは! 楽しみぃ!))

 笑っている霊たちを見て四葉はタメ息をついた。

「はぁぁ……なんて低俗霊……」

「四葉、お願い! 助けて!!」

「4800万円になります」

「あううう!」

(きゃははは! 立花の前で何させよっか、サヤチン)

(いつもみたいに机の角と遊んでるの披露させるのは? ミツ婆ちゃんのオナニーショーさせよ、おしっこ臭いの)

(いいね、それ)

「お願い、やめて! 私なんでしょ?! 瀧くんに見放されちゃうようなことやめて! やっと巡り会えた運命の人なんだよ?!」

(え? 立花、私には関係ないし)

「なんで?! 助けてくれたのに!!」

(だから、私、あいつに助けられてないよ。だから死んだんだよ)

「そんな………、瀧くんのこと好きって気持ちはないの?!」

(ないよ)

「……私なのに……」

 混乱している三葉を心配していた早耶香が、ずっと疑問だったことを四葉へ問う。

「さきほど教えていただけるという話でしたが、隕石で犠牲者が出た世界、出ていない世界というのは、どういう話なのですか?」

「説明する約束でしたね。それを理解してもらうには、まず宮水の巫女という存在についてから語ります」

 四葉は、まだ騒いでいる三葉霊と三葉を一睨みして静かにさせてから語る。

「私たち、宮水の巫女は、時間を跳躍して他の人間と意識を入れ替わったり、予知や予知夢、予感に優れた者もいます。姉さんも、わずかですが予知夢などは見ていたようですね。どうでもいい酒税法についての夢だったようですが」

「酒税法? 私、そんな夢を見たの?」

「姉さんが高校2年生の頃、私が口噛み酒を商品化すればいいと提案したのに対して、酒税法違反と言ったことを忘れたのですか?」

「そんな昔のこと覚えてないよ」

「………姉さんは大事なことを忘れやすい人ですね。本当に」

「ぅぅ……またバカにした」

「あまりものを知らない姉さんが、まして当時は高校2年生だったのに酒税法なんて言葉を知っているのは不自然でしょう。これは予知夢を見ていたのですよ。口噛み酒を商品化すると、酒税法違反で逮捕される、という。それゆえ、私は、さきほど握り飯にして販売していたのです」

「「………」」

 三葉と早耶香が一つ3000万円のオニギリを思い出した。

「入れ替わり現象、予知、こういった力は宮水の巫女の存在を実は表面的にしか表していません。もっと根源的な力があります」

 四葉は三葉の顔を見つめた。

「姉さんに語っておいても………無駄かもしれませんが、一応は知っておいてください」

「……ぅぅ……はい…」

「姉さんは、この地に3度も隕石が落ちているのは不自然だと思いませんか?」

「え? 一回だけじゃないの?」

「…………。それさえ、考えないのですね………糸守にある湖、そして、子供の頃には口噛み酒を奉納していた御石様のある場所、どちらも地形を見れば、すぐに隕石落下があったとわかるでしょうに………」

「……………地形とか、興味ないし」

「はぁぁ……、ともかく3度も1200年周期で、地球上のほぼ同じ場所に落ちているのです。まるで奇跡のような確率で」

「「((…………))」」

 言われてみると、ありえない確率だと四人とも思った。

「このことが宮水の巫女の存在と、最大の力に深く関係するのです。宮水の巫女は、この隕石によって力を得ている、という事象と、力があるから隕石を引き寄せている、という事象を時系列を無視して両立させること、そのものが力なのです」

「「((……え?))」」

「宇宙から飛来し、彗星から分轄された隕石が同じ場所に落ちるようになることなど、よほどのことです。その隕石によって力を得ているのに、その隕石を引き寄せることができるという論理的撞着をそのままに存在することができることそのものが、私たちの力です」

「「((…………))」」

 あまり理解されていないけれど四葉は続ける。

「一番、身近な例で言えば、姉さんと入れ替わっていた立花瀧さんが、隕石の落下で犠牲者が出ることを知り、助けようと行動し、助けてしまう。そうなると理屈上は、その行動の動機そのものが生じないことになるはずなのに、そうならず、論理的撞着をそのままに存在することができてしまうのです」

(でも、私は死んだよ)

「はい。そうなのです、その世界もまた存在するのです。そもそも世界として一般の人間が認識している世界は世界の総体の一部、わずか一本の糸にすぎません。世界の総体は、星の数ほどの糸が紐のように組み合わさって紡がれているのです。そして、宮水の巫女は、それを紡ぐことも飛び越えるもできます。世界の糸の声を聞き、よりよい世界を織り上げる織姫でもあるのです」

「私が瀧くんに会えたのは?」

「姉さんにとっては、それが人生の最大関心事なのですね……」

「そうだよ! それが、私のすべて!」

「表面的な論理上としては、助けてもらった宮水三葉と、助けた立花瀧さんは出会うことがないはず、別々の世界に存在していたはずなのですが、世界が糸によって構成される複層的な多世界であるために、その境を超えてしまうこともできうるのです。とくに、立花瀧さんは口噛み酒を飲んでおられましたから、その可能性はより高くなります」

「やっぱり運命の人だったんだ」

「………。まあ、そうです。あとで語りますが250億回以上の試行、38万3838人目にして出会った姉さんにとっての運命の人です」

「よし!」

(ちっ…)

 三葉霊が舌打ちしたのは無視されて、四葉が語り続ける。

「姉さんが、おもらしの化身なのは、なぜか、わかりますか?」

「…………。そんなものの化身じゃないもん!!」

「ミツハという名は、古事記にもある神の名、ミヅハノメカミに由来しますし同時に、姉さんがミツハという名になったから1300年前、古事記へ似た名の神が登場したとも言えます。隕石の話と同じく、原因と結果をごっちゃにして完結することができる。その完結力そのものが、私たちの力なのです。そして、ミズハノメカミはイザナミが火之神カグツチを産んだときに陰部を火傷し苦しんで漏らした尿から産まれます」

「ぅぅ……その話は知ってはいるけど…」

「おもらしから産まれた姉さんが、おもらしの化身なのは自明の理です」

「……私はお母さんから産まれたんだもん」

「それゆえ、姉さんの、おしっこには強い力がある。もともと、水と親和性の高い宮水の巫女は、その唾液や涙、汗、おしっこなど身体から出た液体に力を宿せます。姉さんも私も2013年の時点では、もう1200年前に得た力が尽きようとしている末代の巫女で、多くの場合で宮水の巫女は一人娘だったのですが、力足らずを予知した母は寿命を縮めてまで、私を産んでくれています。それだけ弱い力しか無かった姉さんでも、おしっこの力は強力だった。よかったですね」

「ぜんぜん嬉しくないよ!」

「本当に姉さんにとっては、よかったのですよ。姉さん、東京都内の女子校と養護学校を除いたすべての高校の前で、おもらしして回ったでしょう?」

「………、……探して回っただけだもん……」

「通っていた大学や、その周り、今でも出勤前と夕方、土日、基本的に小はトイレへ入らず漏らすようにしているでしょう」

「…………」

 三葉が目をそらして黙り込んだ。

「おかげで都内全域に陣を敷くことになったのです。助かった姉さんが会うはずのない立花瀧さんへ会おうとすることを、歴代宮水の巫女たちの祖霊は止めたかったのです。だから電子的な記録や、頭の記憶を消せるだけ消した。二人が会えば、世界の境が一部で曖昧になり、黄泉から死霊まで溢れますから。けれど、姉さんは、そんなことおかまいなしに、おしっこを撒いてまわり超大な陣を敷いた。おかげで、とうとう会うはずの無い立花瀧さんを捉えた。さらに、糸守町を離れて、より巫女の力が弱まったはずの姉さんですが、おしっこの力だけは本当に強力だった。それゆえ、黄泉からの死霊がおよぼす災いさえ、わずかに抑えることができているのです」

「……私のおしっこに……そんな力が……」

「抑え足りない分も、過去形成夢を見て、おもらしを書き加えることで、いずれ完全な浄霊ができるでしょう」

「過去形成夢?」

「最近、おもらしする夢を見ませんか?」

「……ぅぅ……見るよ」

「あの夢を見ると、姉さんの過去が書き換わるのです」

「……それって、おかしくない? さっきから言ってる隕石で助かる、助からないと同じでタイムパラドックスが起きない?」

「タイムパラドックスという言葉を知っていたのですね。知らないのだと思ってました。それはですね、犠牲者が500余名も出るような災害の有無は、歴史の糸へ大きな影響を及ぼしますが、一人の女子がおもらししたか、しなかったか程度のことは歴史に何の影響もありませんから、書き加わっても問題ないのです」

「ぅぅ……それなら無い方がいいよ」

「おしっこで陣を敷いたから立花瀧と会うことができ、さらに死霊の災いまで軽度で済んだのです。自分で撒いた種を自分でなんとかしている状態なのですよ。なるべく単なる放尿ではなく、魂から血の出るほど恥ずかしいおもらしをする方が効果的です。姉さんが、この町に帰ってこないのも、帰ってきても伊達眼鏡とマスクで顔を隠したくなるのも、中学や高校で、さんざんにおもらししたからです。私の入学式から自分の卒業式まで、人が集まるときは、だいたい漏らしていたことになっていきます」

 四葉の言葉を聞いて、早耶香が質問する。

「もしかして、三葉ちゃんが学歴と外見のわりに、1社しか内定を取れなかったのも、それのせい?」

「そうです。合格して入社した1社以外は面接中に、すべて漏らしましたよね? 姉さん」

「そ……そんなことは………あ、あれ? あったのかな? ……こんな記憶…」

 三葉は身に覚えのない記憶があるような気がしてきて身震いする。四葉に指摘されると、なんだか、そんなことをしてしまった風に思えてくる。早耶香が優しく背中を撫でてくれた。

「そういう事情だったんだね。三葉ちゃん、よく頑張ったね」

「ぐすっ………ぅ~……せめて、涙とか、汗………まだ唾液の方がマシだった……おしっこなんて…カッコ悪い……」

「カッコ悪いのは、姉さんの宮水の巫女としての振る舞いです。姉さん、半年も入れ替わっていたのに一度として、そこが3年先の世界であることに気づかなかったでしょう?」

「………」

「普通は気づきますよ。そして、なんとなくでもいいから糸守町のことを立花瀧さんのスマフォで検索すれば、すぐに彗星落下のニュースを知ったでしょう。姉さんが知れば、それは犠牲者が生じたニュースではなく、犠牲者が奇跡的にいなかったニュースを知り、そして姉さんがお父さんに十分な時間をもって話せば、すべてスムーズに解決したのです。そのためにお母さんはお父さんへ町長になるよう遺言していたのですから。もっとも、この遺言を実行するために、すでに宮水の巫女としては力も記憶も失っていた祖母一葉と不仲になってしまったのは残念の極みですが、私たちとて全知全能ではないことの証左でしょう。とはいえ、万能でないにしても、姉さんは無能すぎます。宮水の巫女としての力はそれなりにあったのに、人としての注意力が無さすぎ、姉さんは東京で男子として生活することを楽しんでいるばかりで一度として、日付や糸守町のことを気にしなかった。つくづく………すごい、ですよ」

「今、バカって言おうとした」

「一番バカなところは、入れ替わりの力は予感や予知夢では知りきれない災いを知ることなのに、たまたまお母さんとお父さんが、それをきっかけに結ばれたからといって、自分もそうなるんだと無意識に勘違いして、入れ替わりの力を婿探しや彼氏づくりに使ったところです」

「うぐっ……運命の人に会うための力なんだよ」

「違います。未来を知り災いをさけるものです。しかも自力救済するはずのものなのに、姉さんは入れ替わった相手に助けてもらうというストーリーを無意識に求め、自分では死ぬまで何もしないこともある。そして、好みの相手と入れ替わるために、姉さんが入れ替わった相手の数は38万3838人です」

「……そんなに……別の世界が……あったんだ……」

「ええ、そして、うまくいかないので、それらも再試行して250億回以上、あの彗星落下前の半年を繰り返しています」

「それで、とうとう瀧くんに会えた?」

「ええ、立花瀧さんとは、お似合いですよ」

「ホントに?!」

「ええ、彼もまた、すごい人です」

「でしょ、でしょ」

「本当に、姉さんとお似合いの人です。他の38万3837人の方は、入れ替わりが起きた初日に過去の世界であることに気づいた人が8522人、一週間以内に気づいた人が32万1132人、一ヶ月以内に気づいた人が38万2562人です」

「千人くらいは……すぐに気づかなかったんだ……」

「その千人のうち、知能指数85以下の人が912人います。あとは普通学級に通っていたダウン症や知的障害など事情がある人たちです」

「ぅぅ…」

「ちなみに、38万人うち95%以上が姉さんから見て三歳年下の男子でしたから、これは姉さんの好みだったのでしょうね。そして、この数は2016年度に高校2年生だった男子の大半にあたります。本当に壮大な彼氏探しですね。数%は女子と入れ替わったこともありますが、これは着陸ミスのようなものでしょう。何より、38万人のうち32万人が、御祓いもしくは精神病院へ行っています」

「なんで?!」

「自分の身体が3年前に死んだはずの女と入れ替わって勝手に生活していたら、普通は御祓いか病院へ行きます。かなり恐れられていたのですよ、姉さんは」

「私は悪霊じゃないもん!」

「姉さんのやっていたことは普通にホラーです。普通の神経なら、入れ替わりを受け入れられたとしても、その相手が3年前に死んでいたと知ったら、助けたいと思う前にゾッとします。また、論理的な思考のできる人なら歴史を変えようとすることのリスクも考慮します。それでも、姉さんの外見に惑わされて、なおかつ歴史を改変することに何ら抵抗を覚えなかった一部の男子は隕石から姉さんを助けようと動いてもくれました」

「そうなんだ……」

「ええ、312人が挑戦しました。ですが、未来から過去を変えることは容易ではないのです。また、姉さんとの意思疎通がうまくいかず、単独で事前に落下地点での爆破予告などによって避難させようとしたこともあったのですが、寝たきりの高齢者が犠牲になったり、姉さんがお母さんの写真を取りに自宅へ戻ったりして、それを助けに行った勅使河原さんが亡くなったり、爆発物があるのかと調査に行った岐阜県警の爆発物処理班の隊員が亡くなったりして、まったくの犠牲者ゼロに終わった世界は250億回のうち、たった一度、立花瀧さんとの世界だけです」

「……瀧くん…すごい…」

「結果から言うと、すごいですね。彼も姉さんと同じく、ずっと3年のズレに気づかず、助けようと動き出したのは、なんと落下の当日。けれど、それが逆に幸いして、そのドタバタの中でお父さんの尽力もあり、寝たきりの高齢者を含めて完全に全員が避難することができたのです。もっとも立花瀧さんとの世界も92億回も繰り返して、ようやく犠牲者ゼロを引いたのですが。……ずいぶん、試行回数が偏っていますから、やっぱり立花瀧さんが一番姉さんの好みだったのでしょうね」

「……入れ替わりって、相手を選べてるの?」

「無意識では」

「他に、カッコいい人もいたんだ? イケメンも」

「…………何を期待してるんだか……。むしろ、期待と逆のことを教えてあげます。38万人のうち、12万3285人の男子が、姉さんのおっぱいと性器の写真を撮りました」

「っ…」

「さらに、うち7532人が写真をネット上にあげ、それに姉さんが気づいたケースが5279あり、その後、3838の場合で姉さんは隕石落下を待たず、自殺します。死に方は髪紐による首吊り、湖への入水、校舎屋上からの飛び降り、一時間に一本しかない電車への飛び込み、勅使河原さんを無理心中に巻き込んでの爆死、死ぬつもりで山へ入っての滑落死、同じく山へ入って熊との遭遇による害獣被害死、神社に奉納された樽酒をがぶ飲みしての急性アルコール中毒死、そんなに私の裸が見たいかと泣き叫んで道路上で全裸になり赤信号を無視して走り回っての交通事故死、祖母と私を巻き込んでの自宅放火による焼死と、かなり色々な死に方をします。また、自殺しない場合も拒食症や過食症に陥るなど、ひどい状態になります」

「入れ替わりって超危険じゃない?!」

「ですから、普通は一回でやめます。素早く未来の情報を集めて帰ってくるのです。婿探しのための力ではないのです。そんな不安定な方法で婿探しするわけがないでしょう。そもそも歴代宮水の巫女たちは、できるだけ同性と入れ替わるようにしています。そんなこと、ちょっと考えればわかるでしょう。それを考えないのが姉さんらしいですけど、自殺までして……気の毒に…」

「……私は3838回も自殺したんだ……ネット上に裸の写真なんか、17歳のときにあげられたら………なんて、かわいそうな私……どんなに絶望して……泣いたか……」

「その恨みも、そこの低俗霊になって統合されていますから、頑張って慰めてください。慰霊ですね、自分の霊なので霊的な自慰ですし、イジメてくるので自虐でもありますが」

「ぅうっ…」

(呪ってやる。さんざん辱めてやる)

(テッシーを巻き込んで爆死までしてたんだ。許せない)

「ちなみに、立花瀧さんも92億回のうち、3億回、おっぱいの写真を撮りましたし、758回、性器の写真も撮りました。さすがに、ネット上にあげるほどバカではありませんでしたが、おっぱいを揉まなかったことはありません」

「瀧くん………私の身体…」

 落ち込む三葉を早耶香が慰める。

「仕方ないよ、若い男の子って、そんなもんだよ」

「…ぐすっ…」

「逆に遠慮して何もしなかった男子もいますが、トイレも我慢した結果、漏らしています。まあ、姉さんのクラスメートは姉さんが漏らすことに慣れていたので、たいした問題にはならず、姉さんも気づかなかったのですが。入れ替わった男子の外見によっては姉さんも男性器に触れられず漏らしてしまい、相手の学校生活をメチャクチャにしたこともあります。おもらしの化身らしい所業ですが、このために2154人の男子が不登校になり、38人の男子が自殺しました。もう呪いか祟りですね、一種の」

「ぅう……おもらしの化身なんて、ヤダよぉ」

「ともかく、立花瀧さんは、姉さんとお似合いのすごい人です。二人とも半年も3年のズレに気づかず、もっと早めに知って二人が協力すれば、ドタバタせずに済んだのに当日になって秘儀中の秘儀、口噛み酒まで飲んで、なんとかしたのですから」

「……あれを飲んだ他の男子っているの?」

「いません。普通にホラーだと言ったではないですか。よほど度胸があるか、無頓着な人でない限り、岐阜県に近づくこともさけます。それでも128人が瓶を手にしましたが、みなさん元に戻して手を合わせるか、近隣の神社か、お寺に供養を頼んでいます」

「ぅぅ……やっぱり死霊あつかい……。でも、瀧くんだけは私の運命の人……」

「そういう意味で運命の相手ではありますが、これからは普通の恋愛になりますし、もう姉さんは世界をやり直せるような力は残っていないので、フラれたら、そこで終わりですから、あまり彼の目の前で変なことをしない方がいいですよ。無理だと思いますが」

「ひぅ……」

(そろそろ東京に帰ろうか、婆三葉)

(彼氏が待ってるよ、ミツ婆ちゃん)

 三葉霊と早耶香霊が楽しそうに悪意に満ちた微笑を浮かべている。四葉へ礼を言った三葉と早耶香は神社を出たところで、巫女の一人に呼び止められ、紙片を渡されたので三葉は一瞬、悪霊から身を守るための護符でも四葉が与えてくれたのかと感謝しそうになったけれど、それは請求書と振込先を書いた紙片で200万円と畳代30万円だったので、うなだれたまま町民の誰とも会わないうちに駅へ戻って電車に乗った。

 

 



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6話

 

 日曜の夕方、名古屋から東京へ向かう新幹線の中で、三葉はスマフォを確認して早耶香から振り込まれた金額を見て、驚いて問う。

「え……? こんなに? 50万じゃないの?」

 早耶香からは借りる予定の50万円を大きく超える振込がされている。

「貸すのは50万だけど、あとは請求された畳代とか、15万円分は私が汚したのだしさ。今回の旅費が三葉ちゃん持ちなのは当然としても、食事代やビール代まで出してくれてたでしょ。さすがにアゴアシつきじゃ気が引けるから」

「……でも、私の都合で引っ張り回して……」

「隕石で死んでたかもしれないって話が本当なら、三葉ちゃんには助けてもらったことになるわけだから、その分も含めて、もらっておいて。遊びに使った鞭代とか、仮面代まで持たせてるしね。50万しか振り込まなかったら、230万を四葉様に振り込んだら、給料日まで一文無しでしょ。せっかく、彼氏ができてデートもしたいだろうにお財布空っぽじゃ気の毒だよ」

「ぐすっ…ありがとう、ありがとう、サヤチン。この恩は一生忘れないから」

 三葉は友情に感涙を流し、遅くならないうちに四葉へ230万を振り込む操作をした。

「これで一件落着……だと、いいけど……」

「この子たち、憑いてきたね」

 早耶香が目の前にいる三葉霊と早耶香霊を見る。新幹線の中、シートを四人がけ対面にして座っているので霊たちと向かい合っていた。重力に無関係に飛び回る霊だったけれど、今は気分なのか、人間のようにシートへ座って、まるで修学旅行のように寛いでいる。

(サヤ婆、そこのチョコレートを食べて)

 早耶香霊が早耶香に言ってくる。名古屋駅で買った有名チョコを指していたので早耶香が自分の口に入れた。

「(…………ん~、美味しい。やっぱり、いい店のチョコは違うね)」

「サヤチンとサヤチンの霊って感覚が共有できるんだ? 私と、私の霊も?」

 三葉の問いに三葉霊が答える。

(共有したいと思う感覚ならできるみたい。逆に、こんなこともできるよ)

「うわっ?!」

 三葉の右手が本人の意志に関係なく動いて駅弁についていた辛子チューブを取ると、それを三葉の口の中に吸わせた。

「ぅぅ~…辛いぃぃ…」

(きゃっははは!)

 三葉霊は嗤っていて、辛さは共有されていない様子だった。早耶香が心配そうに言う。

「つまり、私たちの身体を自由に操れて、感覚も共有したければするし、したくない体験はオフにできるってこと?」

(そうそう、チン婆、賢いね)

「せめて、サヤは残してよ。若い三葉ちゃん。あと、できれば婆もやめて。私たちは自分なんだよ?」

(17から見たら24は完全に婆だよ、チン婆。ね、サヤチン)

(サヤ婆もミツ婆ちゃんも老けたねぇ)

「「………自分に言われたくない」」

((きゃははは!))

 嗤っている二人とも、17歳の姿なので糸守高校の夏服がよく似合っていた。

(さてと、そろそろ婆三葉に、どんな復讐をするか、考えよっか。とりあえず、ここでオナニーでも始めさせよ)

「きゃ?!」

 三葉の両手が勝手に動いて自分の乳房を揉み始めた。

「ちょっ、やめてよ。こんなところで変に思われるから!」

 新幹線車内で自分の乳房を揉み続ける女という状況にされて、三葉は恥じらって真っ赤になった。

(きゃははは!)

「お願い、やめて。すごく恥ずかしいから!」

(私たちは死んだんだし、お前には死ぬほど恥ずかしい目に遭わせてやる)

 さらに三葉の右手は乳房からズボンのチャックまでおりて、開けたチャックの中へ入ると、下着に滑り込み、リズミカルに動き始めた。一目で自慰中だとわかる姿にされた。

「や…やだ……」

「三葉ちゃん……」

 かわいそうになって早耶香が上着をかけてやろうとしたけれど、早耶香霊が止めてくる。

(サヤ婆は余計なことしないで見てれば)

「うっ……私の手も勝手に……」

 上着をかけてやろうとした手が意に反して止まり、またチョコレートを食べる。

(ん~美味しい♪)

「あんまり食べないで。ダイエット中なの」

((よく太ったよねぇ))

「ぐぅぅ…」

(結婚式前にテッシーから見放されないでよ。せっかくセレブになる予定なんだから)

「そんなこと言われなくてもわかってるから食べさせないで!」

「…ハァ……ハァ……ぁあぁ……やめて……このままじゃ……私……」

(きゃはっは! 感じてる、感じてる、そろそろイキそうなんでしょ)

(こんなところでイクなんてミツ婆ちゃん、恥ずかしい女ね)

「んぅうっ……やめて……お願い…ぁあっ!」

 三葉が拒否しようとしても身体の高鳴りまで強制されて、どうにも限界を迎えてしまった。せめて喘ぎ声をあげないようにと口を閉じたのに、それさえ開かされてヨダレも垂らしてしまった。

「んあぁあぁっ……ハァ……ハァ……」

((イってる、イってる。人前で、よくやるよね))

「…ぐすっ……ひっく……ぅううっ…」

 もう思春期は終わったけれど、大人の女性として三葉は恥ずかしさと悲しさで泣いた。ときおり通りかかる他の乗客からの冷たい視線が心を苛むほど痛い。とくに家族連れなどは子供に三葉の姿を見せないように目隠しして、露骨に三葉を睨んでから通り過ぎていく。早耶香が気の毒になって、つぶやく。

「これで本当に状況はマシになったのかな……血まみれのお化けよりは怖くなくなったけど、高校時代の私たちって、こんなに性格悪くないはず……」

(じゃあ、サヤ婆は17歳で死んじゃう運命で納得できる?)

「それは……たしかにイヤだけど……自分に嫉妬して自分に嫌がらせしても……何も解決しないよ?」

((気が晴れる))

「……まさに悪霊ね……しかも低俗霊……」

「……ぐすっ……」

 いつまでも泣かずに三葉はハンカチで涙を拭くと、衣服を整えて座り直している。それでも恥ずかしいのでハンカチで顔を隠していた。なんとか精神的に立ち直ろうとしているのに、さらに三葉霊が追加攻撃する。

(さて、次は、そこの通路に立って、おもらししなさい)

「……それは迷惑だから……」

(今まで、さんざん都内の高校前にマーキングしてきたくせに。今さら? 早く漏らせ、婆三葉)

「………今……そんなに、おしっこしたいわけじゃないから……」

(だから、ズボンに染み込むだけで床は汚さないで済むから、早くしなさい)

「……………。どうせ! 拒否できないんだから! やらせればいいじゃない!」

(何その言い方。操るの面倒だし、自分でしなよ。こういうのは、あえて自分でする方が屈辱的でしょ? きゃははは!)

「…………」

 三葉が黙って顔を伏せていると、三葉の手が勝手に動いてスマフォを出した。

(しないなら恥ずかしい写真を撮って立花に送るよ)

「っ…やめて! それだけは、やめて、お願い!」

(じゃあ、そこに立って、おしっこしなよ。おもらしがイヤなら脱いでしてもいいよ)

「…………」

 三葉はストレスで顔を引きつらせながら、立ち上がると新幹線車両中央の通路に立った。立つと、まわりの乗客からの視線を浴びて身体が硬くなる。さきほどまでの行為を見かけた乗客もいるので視線は好奇心か、嫌悪感に彩られている。

(サヤチン、他の乗客から撮影されないか、見張ってて)

(了解)

 早耶香霊が車両内を飛び回って三葉をスマフォなどで撮影している者がいないかチェックし始める。早耶香が不思議に思った。

「若い三葉ちゃん、そういう配慮はしてあげるの?」

(だって、いずれ融合するのに、新幹線の中でおもらしする映像なんかネットに流れたら生きていけないじゃない。いい歳した大人が、しかも見せつけるように、わざと漏らすなんて記録が残ったら、たまらないよ)

「……だったら、やめてあげなよ……」

(ほら、早くしないと、またオナニーさせるよ)

「…………」

 三葉は屈辱感で身震いしながら、下腹部の力を抜いた。

 じわぁ……じわぁ……ちょろちょろ…

 三葉のズボンが濡れてシミが拡がり、内腿から膝あたりまで変色して誰が見ても小便を漏らしたのがわかるようになった。

(きゃははは! ホントにしちゃったよ、この人)

(よく人前で、そんなことできるよね)

「……ぐすっ……ひっく……」

(あ、また泣くよ。いい歳して泣くよ)

(ミツ婆ちゃん、お目めもおもらしかな?)

「……」

 命令に従ったので三葉が席へ戻ろうとすると、冷たく言われる。

(そんなカッコで座る気? シートが汚れて迷惑でしょ。そのまま通路に立ってなよ)

「…………」

 三葉は顔を伏せたまま、通路に立ちつくした。早耶香は胸が痛くなるほど憐れに思ったので言ってみる。

「ねぇ、もう十分じゃないかな?」

(まだまだ生き地獄を味わうのは、これから。東京に着いたら、立花のとこに行こう)

「それだけは許してください」

 三葉が頭を下げて、悲運の最期を遂げた自分の霊に言う。けれど、三葉霊は幸運だった自分に冷酷だった。

(サヤチン、どんな目に遭わせるのが、いいと思う?)

(ん~……あ、そうだ。運命の人とか言ってるから、その愛を試してみたら?)

(どうやって?)

(それは……オナニーでもさせてみる? しかも、彼の家の玄関先とか、台所とかで、いきなり始めるの)

(うわぁぁ……それは普通の男なら引くね。ドン引きだよ。どんだけ盛りのついた女だよ、って思うね)

(けど、運命の人なら愛が深まるかもよ。クスクス)

「よ、四葉が、これからは普通の恋愛になるからって。お願い、変なことさせないで、私、瀧くんに見放されたら生きていけない!」

「三葉ちゃん、あんまり大きな声を出さないで。他の人には、この子たちが見えてないから私がイジメてるみたいに見えるから」

 ついつい、三葉霊と早耶香霊の姿が見えて声が聞こえる二人は忘れそうになるけれど、周囲の人間には見えないし聞こえないので、通路に立って三葉が頭を下げて懇願していると、まるで早耶香がさせているような構図になる。ときおり三葉や早耶香が空中に向かって話しているようにも見え、四人がけのシートを二人で占領していても、とても怪しい雰囲気なので自由席だったけれど、誰も近づいてこないほどだった。

(まずは玄関先でオナニーさせて、それから上がり込んで台所に放尿させよう)

「っ……ィや……イヤっ……お願いっ……どうか、……瀧くんの前だけは…」

(さらに、女として終わってる姿を………あ! 最悪なの思いついた)

(なになに、どんなの?)

(すっぽんぽんになって踊って、踊りながら下の毛を自分で毟るの)

(うわぁぁ……)

(で、毟った下の毛を立花と、その家族がいたら、そいつらにも投げつけるの。タッキむかつく! とか意味不明なことを叫びながら、下の毛が無くなるまで毟って投げるのを続けさせるの)

「「(…………)」」

(えぐいでしょ?)

(かなり……それで見放されなかったら、立花くんの愛はダイヤモンドより硬いか、もともと彼が変な人だったか、女性に求めるものが品性とか人格じゃなくて、下品なお笑いな場合くらいじゃないかな)

「………ゆるして…………イヤ………絶対………イヤ……」

(きゃははは! めちゃ嫌がってるし、これに決定ね)

「……イヤ…………イヤ………」

(どんなにイヤがっても身体を操って、やらせてやるから楽しみにしてなさい)

「…………」

 絶望のあまり立っていられなくなり三葉が通路に座り込んだ。三葉の表情から生気が消えていくので早耶香が心配する。

「三葉ちゃん、しっかりして」

「…………………あ………テッシー……テッシーの前で、それをするから、ゆるして」

「(はァ?)」

 早耶香と早耶香霊が氷のように冷たい怒気で問い、早耶香の手が三葉の胸倉をつかんだ。

「あんた、何言ってるか、わかってる?」

「………うん………わかってる…」

「まだ懲りてない? 次は本気で叩きのめすよ」

 さっきまで心配していたのに、婚約者のことが関わってくると、もう女の友情は雲散霧消して、排除すべき敵として睨みつけている。

「あんた、私からお金まで借りておいて、この上、どんだけのこと晒す気よ? 克彦に手を出すってことは、もう徹底的につぶすよ」

「………心配しなくても………テッシーだって、二度と私と関わりたくないって思うほど私のこと嫌うよ………部屋に来て、おしっこして……裸で踊って……毛なんか投げて……二度と顔も見たくないって、私を部屋から蹴り出して………本当にサヤチンと婚約しておいて、よかったって……私が盗るなんて可能性……まったく無くなるよ……」

 ぽたっ……ぽたっ……

 そう語る三葉は涙を流していたし、表情筋にさえ力が入らないのか、ヨダレも垂らしている。その涙と唾液が胸倉をつかんでいる早耶香の手に落ちてくる。早耶香は三葉の瞳を見て、敵対心より心配が上回った。もう三葉の瞳は焦点が定まっていない。手足にも首にも力が入らないのか、ダラリとしている。

「……二度と……相手にされない………消え失せろって……完全に嫌われる………サヤチンを裏切ったりなんかしない……できない……ただ、嫌われにいくの……お願い……テッシーの前で、……させて……。瀧くんの前だけは……イヤ……」

「三葉ちゃん………」

「………あ……東京駅でするよ……裸になって踊るよ……毛も撒くよ……それで…ゆるして」

(それは逮捕されるからダメ。あと、旅の恥はかき捨てみたく、まったくの他人の前より、人間関係がある方が苦しいでしょ? テッシーもいいけど、やっぱり立花かな)

「若い三葉ちゃん、これだけ嫌がってるんだから、せめて立花くんの前だけは、やめてあげようよ。他に……たとえば、会社で何かさせるのは? それなら人間関係もあるし」

(それは絶対ダメ。せっかく、いい会社に就職してるんだから続けたいし。もしも辞めることになったら今の世の中、どうせ派遣くらいしかないし。そうなったらチン婆にも、サヤチンにもお金を返せなくて申し訳ないし)

「申し訳ないと思うなら、さっさと融合してあげなよ」

(それは別腹)

「………微妙に手加減しつつ、三葉ちゃんを苦しめる気なのね……会社は続けたいとか……妙に人間臭いし……」

(だいたいさ、立花って内定も取れて無いよね? あんなんより、テッシーの方がいいよ。今からでも考え直し…うぐっ?!)

 三葉霊は強烈なボディーブローをくらって呻いた。さらに早耶香霊が膝蹴りも入れて三葉霊を吹っ飛ばした。

「霊同士だと肉弾攻撃が当たるんだ……ナイス!」

 早耶香が親指を立てると、早耶香霊もガッツポーズした。

(うぅぅっ……ごめん、サヤチン……つい…)

(つい、で人の婚約者を狙うな!)

「やっぱり油断のならない本音を持ってるね」

「………瀧くんさえ……いれば……いいよ……テッシーには嫌われるから……」

「三葉ちゃん……、このままだと三葉ちゃんは気が狂うか、どうにかなるよ! 若葉ちゃん! 立花くんに手を出すのはやめてあげなよ! 融合先が無くなるかもよ!」

((あ…微妙に略した……))

「そんなことは、どうでもいいから! 立花くんはやめてあげよ! 三葉ちゃんが、ずっと探してた人なんだよ! きっと、彼にフラれたら三葉ちゃんは生きていけないよ! 大学に行ってたときも、ずっと探してたんだから!」

(いいこと思いついた。この際、立花にフラれて婆三葉を精神的に殺すの。そしたら私が融合じゃなくて、乗っ取りで、この身体を使えるかも!)

「っ……乗っ取り……自分を乗っ取って、どうするのよ?!」

(私の人生を謳歌する。立花でもテッシーでもない、東京のイケメンを見つける!)

(乗っ取りかぁ……けど、私の場合、テッシーは共通して大事だし……立花くんみたいに、サヤ婆にとって大切だけど、私にとって、どうでもいいものって……あるかなぁ…)

 早耶香霊まで乗っ取りを考え始めたとき、早耶香のスマフォが鳴った。着信表示が宮水四葉だったので早耶香が受話してみる。帰りがけに教えてもらっていた番号だった。

「も…もしもし…」

 新幹線の客室内で通話するのはマナー違反だったけれど、そんな場合でない気がするので話している。

「四葉です」

「助けてほしいことがあるの!」

「ええ、そんな予感がしたので電話しました。そこにいる低俗霊に伝えてください。本人の健康をそこなうほど、ひどい目に遭わせたら、その影響は肉体に出るって。そして、乗っ取りはできないことも。つまり、精神的に追い詰めすぎると、円形脱毛症になったり胃潰瘍になったり、そんな事態が発生し、それを乗っ取りで治癒することもできないって」

「だって! 聞こえてた?!」

((…ちっ……))

「では」

 四葉が電話を切った。

(乗っ取りは無しかぁ………嫌がらせも、ほどほどでないと円形脱毛症になるのはイヤだし)

「……瀧くんさえ……いれば……いいよ……」

「とりあえず、今日は、もうやめてあげなよ。もう本当に壊れかけてるよ、三葉ちゃんが! 月曜朝には大事な会議があるって! ポカやってクビになっても知らないから!」

(…………、しょうがない、何か美味しい物でも食べてもらおう。私も共感したいし)

「…瀧くんに……会いたい……」

「三葉ちゃん………東京に着くのは7時過ぎ……少しでも会ってみる? あんたたち絶対邪魔したらダメよ!」

((へいへい))

 悪霊たちがおとなしくなったので早耶香は崩壊寸前の三葉を慰めて立ち直らせ、瀧へ連絡を取るよう勧める。

「どうせ、デートをドタキャンされた男なんて昼まで寝てて、起きてから、ぼんやり就活の資料でも眺めてるだけでしょうし。せっかくの休日なんだから会えばいいよ」

「……うん……ありがとう……」

 三葉はメールを送り自分の部屋で会うことになった。早耶香は心配なので付き添い、夕食の材料を買って、三葉のアパートで瀧を待つ。立ち直った三葉は初めての手料理をふるまう機会に頑張っているし、悪霊たちも静かにしている。料理を手伝っていた早耶香がトイレに入った後、しばらくして瀧が訪ねてきた。

「や…やぁ…三葉さん。こんにちは」

 まだ三葉との接し方が今ひとつ定まらない年下らしい遠慮がちな態度だったけれど、三葉の方は瀧の顔を見た瞬間に感極まって抱きつく。

「瀧くん! ああ、瀧くん!」

「うっ?!」

 いきなりキスをされて舌を入れられると瀧は戸惑ったけれど、抱き返した。

(うわぁぁ……速攻で食いついた。婆三葉どんだけ欲求不満をためて…)

(かぶりつく前に、せめて、ご飯にする? 私にする? くらい訊きたいとこだよね)

 もう悪霊たちの囁きも三葉の耳には入らず、玄関から2メートルであるベッドへ瀧を導いて想いを遂げている。

(っていうかチン婆がトイレから出られなくなって。困ってるんじゃない)

(見てこよう)

 早耶香霊がバスルームの壁をすり抜けて覗くと、早耶香は静かに便座に座ったままスマフォを眺めて時間をつぶしている。壁が薄いので気配で三葉と瀧が何をしているかは十分にわかっている様子で、せめて一回目が終わるまで待っている。

(サヤ婆、トイレから出ないの?)

「………」

 かわいそうだし待ってるよ、という視線が返ってきた。そのまま早耶香が明日の天気や結婚後に買いたい家具などを検索して30分ほど待っていると、さすがに三葉も友人が在宅中だったことを思い出したらしく、脱いでいた衣服を瀧にも着るように言ってから声をかけてくる。

「ごめん、サヤチン……思わず……」

「終わったみたいね」

 早耶香がバスルームから出ると、瀧が驚く。

「えっ?! 誰かいたんだ!」

「はじめまして。……なのかな? まあ、電話では話したよね。三葉ちゃんの友達の名取早耶香です」

「は…はじめまして。立花瀧っす。……なとり……さやか……どこかで……聞いたような」

 瀧は既視感を覚えていたけれど、はっきりとは思い出せない。恥ずかしそうに着衣を直した三葉は料理の仕上げをして三人で夕食を食べる。簡単な自己紹介や就活についての話をしているうちに食べ終え、食器を片付けた三葉は瀧を見つめて言う。

「瀧くん、もしも私が急に変なことをしたとしても、どうか、信じて!」

 感情が高ぶって、また涙を流している。

「私が瀧くんを好きなのは本当だから! それは絶対だから! だから、もしも私が女性としてありえない言動をしても、どうか見放さないで!!」

(あ、こいつ、予防線を張りやがった)

「み、三葉さん?」

「お願いだから、私が変なことをすることがあっても見放さないで! 嫌いにならないで! そのとき、私の身体は私以外のものに動かされてるの!」

「………わかったよ、だから、泣かないで」

 瀧が優しく指先で三葉の涙をぬぐうと、早耶香は気を利かせて帰ることにした。早耶香がいなくなると、悪霊はいるものの二人きりになったので、また三葉はベッドの上で瀧と抱き合うと、名残惜しくキスをしてから見送って寝た。

 

 高校3年生として卒業式を迎える日の朝、三葉は通学中につぶやいた。

「この三人で、この道を行くのも、これで最期になるんだね」

「そうだな……この制服を着るのも今日で最期か……ずっと永遠に続くようでいて、終わっちまうと、あっけないな……」

 克彦もつぶやき、早耶香も淋しそうに言う。

「小学校、中学校、高校まで、糸守だと、ずっと卒業しても別れはないけど。今度こそ私たちも別々の学校に行っちゃうんだね……」

「サヤチン……」

 淋しくなって女子同士が手をつなぐと、克彦は明るく言った。

「大学は別々だけど、同じ東京だし。すぐ会えるさ。下宿先も、なるべく近いところにしようぜ」

「……うん…」

「暗い顔するなって。そうだ、春休みは、どうする? 三人で名古屋にでも遊びに行かないか? それか、金沢にでも。福井の芝マサなんかもいいよな」

「私は明日から東京へ行くよ」

「「そんなに早く?!」」

「うん、一日も早く東京へ行きたいの」

「「…………」」

「あ、ここも今日で最期だね」

 そう言った三葉は道ばたの自動販売機の前に立った。

「このカフェにも何回も……せっかくだからモーニングカフェしよう」

 三葉は三人分の缶コーヒーを買った。

「はい、どうぞ」

「おう、サンキュー。東京に行ったら、なにかおごってやるよ」

「三葉ちゃん、ありがとう。でも……卒業式の前だから、あんまり飲まない方が……」

「最期だし」

 ゆっくりと味わって三葉は缶コーヒーを飲んでいる。その温まった唇が白い湯気を吐くのは魅力的で、それを注視してしまっている克彦を見つめた早耶香は卒業以上に胸が痛くなった。教室で最期のHRをしてから体育館へ向かう途中で早耶香は三葉に言っておく。

「三葉ちゃん、体育館は寒いから、トイレに行っておいた方がいいよ。私も行くし」

「うん、そうだね。…あ! ユキちゃん先生! ごめん、最期だからユキちゃん先生にも挨拶してくる!」

「…………」

 早耶香は恩師と楽しそうに会話している三葉を心配そうに見ながらトイレに寄ってから体育館へ入った。式次第が進み、校長の挨拶、そして町長からの言葉が始まっている。

「ただいま、ご紹介にあずかりました糸守町、町長、宮水俊樹です」

 紹介されなくても町民の誰もが知っているし、もはや全国に名の知れた奇跡の男が演説台に立っている。

「皆さんもご存じの通り、この糸守町は一昨年、大きな災害に見舞われました。あの隕石によって多くの家々が倒壊し、電気は止まり、水道も通信も大きな混乱をきたしました。この高校の校庭や体育館で寒い冬を過ごした方も多いでしょう。それでも、私たちは負けない、負けなかった。今年、立派に卒業していく皆さんは将来の糸守町を背負って立つ気骨ある若者です。あの避難生活の経験が必ずや皆さんの人生にも、糸守町の歴史にも大きな力となってくれるでしょう」

「……ぐすっ…」

 聴いていて早耶香は泣きそうになってきた。演説そのものは技巧的でも扇情的でもないけれど、つらい体験をしてきたのは町民に共通した経験であり、誰一人死傷することなく終わったとはいえ、一瞬にして複数の集落が吹き飛んだことは恐ろしいことだった。地震や台風には慣れていたけれど、隕石は人類全体でも経験が少ない。最初の数ヶ月は学校暮らしで大変だったし、そんな中で大学受験の年になり頑張って志望校に合格している。そんな感情もあって涙が溢れそうになってくるし、声を漏らして泣きそうになる。くわえて、小学校の卒業式でも中学校の卒業式でも別れは前提でなかったけれど、今度こそ、みんなバラバラの学校や仕事先に行くことになる。まったく経験のない別れの卒業式で早耶香はハンカチに涙を染み込ませた。他のクラスメートたちも泣き出している。

「糸守は一人がみんなのために、みんなが一人のために…」

「…………ぐすっ…」

 俊樹の長めの演説を聴いているうちに早耶香は涙を拭きつつ、別のことが心配になって名簿の順では遅い方にいる三葉を振り返った。

「……ぅぅ……」

 三葉はパイプイスに座って両膝を合わせてプルプルと震えている。涙ぐんでいるけれど、それは父親の演説に感動しているわけではなくて生理現象を我慢している顔だった。

「……三葉ちゃん……また……」

「卒業後に地元で働く人も、大学へ行き経験を積んで帰ってきてくださる人も、みな仲間です! 明日の糸守のため! 力を合わせて頑張りましょう! 糸守町は不滅です! 何度でも蘇るのです! ガンバロー糸守! 糸守に栄光あれ! 糸守万歳!」

「「糸守万歳!!」」

 何人かの保護者が、いっしょに唱和すると、他の保護者や来賓の町議会議員なども続く。

「「「糸守万歳!! 糸守高万歳!! 宮水家よ、永遠なれ!!」」」

 大きな災害を乗り越えている町民たちには硬い結束と土着信仰が再燃しつつあった。その熱気に教師たちは引いている。教職員は県からの派遣なので糸守町民である者は少ない。おかげで温度差が激しかった。

「卒業証書授与、3年1組」

 いよいよ一人一人への卒業証書の授与が始まった。呼ばれた生徒から順に壇上へあがり校長から手渡される形式だった。粛々と式が進み、タ行の克彦が呼ばれる。

「勅使河原克彦!」

「はい!」

 克彦が登壇し、校長に一礼をして証書を受け取る。

「卒業、おめでとう」

「ありがとうございます」

 決まり切ったセリフを言って席へ戻る。すぐにナ行の早耶香が呼ばれた。

「名取早耶香!」

「はい!」

 返事をすると涙が止まり、早耶香は立ち上がって登壇する。

「卒業、おめでとう」

「ありがとうございます」

 礼をして受け取り、席へ戻る途中で三葉を見ると、もうダメなのがわかった。

「宮水三葉様!」

「っ、はい…」

 身体を揺らさないように返事をした三葉が腰の引けた内股で立ち上がり、そのままの姿勢で登壇する。来賓席の俊樹は、もっと胸を張りなさい、と叱咤したくなる衝動を抑えるのに苦労している。糸守町民でもある校長が恭しく卒業証書を三葉へ差し出した。

「ご卒業、おめでとうございます」

「……私なんかに……様は、いらないです……巫女はやめたから…ぅっ…うくっ! ヤダぁぁあぁ…」

 腰が引けた姿勢だった三葉が前屈みになると、自転車を立ち漕ぎしたときのように背後からは白いショーツが丸見えになる。

 ぷシャーーーーっ! ジョボジョボッ…

 そのショーツから勢いよく黄色い滝が噴き出してきて、寒い体育館内で大量の湯気をあげて足元に黄色い泉をつくった。

「うっ…うくっ…ぐすっ…ひっく…うっ…うっ…」

 恐る恐る三葉が背後を振り返ると、全校生徒と保護者の視線が三葉に集まっている。

「うわああああん!」

 泣き出した三葉を教頭が舞台袖に連れて行き、ユキちゃん先生が壇上を雑巾で拭くと、式が再開される。大騒ぎにはならなかったけれど、私語が増える。早耶香の前にいる女子たちも囁いている。

「宮水さん、また漏らしたね」

「あの人、リハーサルのときも同じタイミングで漏らしてなかった?」

「してたね。わざわざ大勢の人前で。あれって性癖なのかな。人前でおもらししたい、みたいな」

「それもう変態じゃん。あの家の場合、人前でヨダレ垂らしたいって性癖に目覚めちゃうリスクはありそうだけど」

「シッ、宮水家の悪口いうとヤバいよ」

「わかってるよ。でも、姉の方は巫女やめたし。それに性癖なら、もっと気持ちよさそうな顔しないかな。毎回大泣きして心底イヤそうなんだけど」

「誰かに強制されてるとか?」

「それだと悪質なイジメだね。実は身近な名取さんが影でイジメてたりとか?」

 話していた女子がチラリと早耶香を見てきたので、早耶香は否定するように手のひらを振った。

「そんなことしないし。さっきもトイレに行っておいた方がいいよって言うだけは言ったけど、別のことに気を取られて行きそびれたみたい」

「ふーん……宮水さん、よく不登校にならずに頑張って卒業したよね」

「最期の最期まで漏らしてたけど。あれで彼氏とかできるのかな?」

「顔いいし、実は人気あるよ。あの子のヨダレなら飲みたいって男子、ひそかに何人かいるらしい」

「うわぁぁ……需要と供給って感じ?」

「あの子のおしっこでも飲みたいって男子もいるらしいし」

「巫女の聖水かぁ……」

「和風に言うと、巫女の岩清水かな」

「巫女の股清水じゃない?」

「それ下品」

「巫女の秘処清水は?」

「それだと高値で売れそうだね」

「あ、もう卒業式、終わるね。なんか、宮水さんのおかげで泣くタイミングが無くなっちゃった」

「校歌斉唱!! 全員起立!!」

「「「「「太陽の風ぇ♪ 背に受けてぇ♪ 千二百羽ばたこうぉ♪」」」」」

 卒業式が終わって、すぐに早耶香は克彦に駆け寄った。うかうかしていると名前も知らないような後輩に横盗りされることもあるので勇気を出して平然を装って頼む。

「テッシー、記念に第二ボタンちょうだい!」

「あ………あ、……ああ、いいぞ。こんな物でよければ、ほら」

「ありがとう! ねぇ、春休みに名古屋へ遊びに行かない?」

「ん~………それもいいけど……オレも早めに東京へ行ってみようかな。バイト先を探したりとか、早い方がいいかもしれないし」

「………じゃ、私も早めに行こうかな。ディズニーとか行きたいし。いっしょに下宿先を探そうよ。不動産屋さんを回ったり」

「そうだな。そうしよう。三葉は、もう住むとこ決めてる感じだったなぁ」

「…………」

 まだまだ早耶香は持久戦に挑む決意を新たに克彦と校門を出ると、最期の下校をする。その道中で走り行く電車を見た克彦が叫んだ。

「三葉?! おい、今の電車に三葉が乗ってなかったか?!」

「さ、さあ?」

「あいつ……もしかして一日、早めたのか……三葉ぁ!! おーーい!!」

 克彦が視線を送り手を振ると三葉も気づいた。

「……テッシー……サヤチン……先に行ってるよ」

 軽く手を振って三葉は糸守町を出て行った。東京に向かって。

 

 朝起きてオネショしていた三葉は急いで布団を干すと、身支度を調え通勤する。予定通りの電車に乗ってから瀧へメールを送った。

「おはよう、瀧くん」

「おはよう、三葉さん」

「また昼休みにメールするね。就活頑張って。私も仕事頑張るから」

「ありがとう。頑張るよ」

 やり取りが終わる頃に三葉は頭上から声をかけられた。頭上には三葉霊と早耶香霊が浮いていた。

(東京のラッシュ電車って殺人的……よく、こんなのに毎日乗ってるね)

(ミツ婆ちゃん、痴漢に遭ったことは?)

「たまにね」

 三葉は小声で答えておく。あまり大きな声だと一人言を漏らす怪しい女と認知されるので話しかけないで欲しいという表情も浮かべている。会社のある駅で降りると物陰で、大きなマスクを着けて伊達眼鏡をかけ、髪も三つ編みにした。

(婆三葉が地味子になった)

(そうやって会社では変装してるんだ)

(まあ、東京中におしっこ撒いてれば、素顔で勤務はできないかもね)

(しかも、いまだに女子高生の制服で)

(婆、歳を考えろよ)

「瀧くんが見つかったから、もうしないから。お願い、仕事中には話しかけないで。今日の会議、大切なの」

 三葉の願いは聞き入れられ、もう静かにしてくれたので会社に入ると、会議に出席する。予定していたプレゼンテーションを行い、それが採用され、さらに先月までの業績で表彰された。

「バイスエグゼクティブリーダー賞、おめでとう。宮水くん」

「ありがとうございます」

(意味不明な賞ね)

(東京の会社って、そんな感じなのかな)

「社から金一封も出ているよ」

 上司が封筒を手渡してくれた。受け取った封筒には10万円が入っていた。

「こんなに……これからも頑張ります!!」

 三葉が涙ぐんで喜ぶ。就職して2年、堅実に貯めていた預貯金を妹に根こそぎ奪われ、友人に借金までしている身にとって給料以外の臨時に入った10万円は両目から涙が零れるほど嬉しかった。最近の冷めた若者らしくなく予想以上に部下が喜んでくれたので上司も微笑んでくれた。

「来月から君にはプロジェクトリーダーを務めてもらう。頑張りなさい」

「はいっ!」

(それって何するの?)

「……」

 三葉は会議が終わり、誰もいない廊下へ行ってから答える。

「新しいジュースをつくるの」

(……そんな子供みたいな……)

(それって仕事なの? ままごとみたい)

「一つのジュースが、よく売れたら何億ってお金が動くんだよ」

(億か……)

(不動産より、いいのかなぁ……)

「もう黙っててね」

(了解。私たちも復讐会議をしておくね)

(何億って回数の恨みについてね)

「……………」

 三葉は暗い顔になりそうだったけれど、仕事中なので気を取り直して夕方まで働き、会社を出ると伊達眼鏡とマスクを外し、三つ編みも解いた。

「はぁぁ……」

 一日働いた社会人らしい達成感と疲労感のあるタメ息をついている。

(アフター5の飲み会とか、無いんだ?)

「入社してから、ずっと断ってたから誰も誘わなくなったよ」

(ふーん……あ、そうか。制服に着替えて、おしっこ撒きに行ってたもんね。あんた、ホントに変態だね)

「………。最近はプライベートと仕事を分ける社員も多いから、アフター5の付き合いは少ないの。一応、飲みに行くなら、うちの社のビールを新規に入れてくれた店とかに行くよう営業課から連絡はあるけど、それも微妙に任意」

(微妙に任意って何?)

「行って、行ったことを、ちゃんと社に報告したり、そのお店を自分のSNSで紹介してウインウインな関係を築く人の方が出世はしやすいの」

(大人って大変だね)

「持ちつ持たれつなんだよ、社会は」

(まあ、何でもいいや。そろそろ復讐の話しよ)

「…………」

 三葉が暗い顔になった。

「……お願いだから……瀧くんの前では……変なことさせないでください」

(そう言うだろうと思って、復讐会議で新復讐プランが決まったよ)

「………何をさせるの?」

(これからテッシーの部屋に行って、婆三葉自身が思いつく限りの恥ずかしいことを頑張ってやったら、その分だけ立花の前で変なことさせるのは控え目にしてあげるよ)

「……テッシーの部屋で……でも、それはサヤチンの…」

 三葉がそばにいる早耶香霊に問いかける視線を送ると、答えてくれる。

(さっき、サヤ婆にも確認しといた。優しい私たちは、それを認めてあげるよ。せいぜい女として二度と男に相手にされないようなことしなよ。テッシーは昨日は休日出勤だったから、今日は午後から部屋にいるらしいし。サヤ婆は遅くまで残業があるから、終わってからテッシーの部屋を訪ねるから、そのとき何をしてたか、確認するって)

「……サヤチン……私のこと信じてくれて……」

((さあ、せいぜい考えて頑張りな))

「………はい…」

 三葉は考え込みながらアパートへ戻り、シャワーを浴びると、糸守高校の制服を着た。

(うわぁ……それで行く気なんだ。もうしないとか言っておいて。また着るんだ。恥ずかしい~ぃ)

(並んでみてよ。三葉ちゃんとミツ婆ちゃん)

(はいは~い)

 三葉霊が三葉に並ぶと、その違いは鮮明だった。現役女子高生の頃の三葉と24歳の三葉が同じ制服を着ている姿は痛々しいほど年齢差があった。ごく自然な可愛らしさのある女子高生の三葉と、すっかり大人びた顔つきになった三葉が並んでいて、いかに無理のある服装かが浮き彫りになる。

((痛い! 痛すぎる!! 笑える、きゃははははは!))

「……きっと……あきれるよ……もう二度と……テッシーと友達として話すこともなくなると思う………ごめん、テッシー……」

(頑張ってね、ミツ婆ちゃん。テッシーか立花くんなら、ガチ立花だもんね。そこを思いっきり頑張ってみせて)

(あ~あ~…セレブ路線は消えるのかぁ…)

(また殴ろうか?)

(ごめんなさい!)

 騒いでいる霊たちと三葉はコンビニへ寄って買い物をすると、克彦のマンションを訪ねた。ちょうど克彦は部屋の前でバケツをもって、三葉がシミをつくったコンクリートの床を洗っていた。自分のおしっこの始末をしてくれていることに気づいて三葉は猛烈に恥ずかしくなったけれど、それでも真っ赤な顔をして声をかける。

「て…テッシー、こんにちは」

「え? あ…おおっ?!」

 克彦は一目見て驚き、バケツを落とした。

 ビシャっ!

 バケツの水が飛び散り、バケツが転がる。

「ど…ど、どうしたんだよ?! 三葉! そのカッコ!」

「……うん……ちょっとね……部屋にあがってもいい?」

 恥ずかしさで顔を伏せた三葉が問うと、驚きつつも克彦は頷く。

「あ…ああ、いいけど……。いや、でも早耶香に……許可を…」

(えらい! そういう配慮が必要だよ!)

(ちっ……私のキープ君も、すっかり持って行かれてるのか)

「サヤチンには言ってあるから」

「そうか。じゃあ、どうぞ」

(いやいや、この女が嘘ついてるかもしれないって疑いも持とうよ!)

(テッシーは私を信頼してるんだよ)

「お邪魔します」

 三葉はリビングに通されると、コンビニの袋から買ってきたペットボトルなどを出した。

「おっ、また新製品の味見か? それなら喜んでするぞ」

「………きょ…今日は……そうじゃないの……」

「じゃあ、どうしたんだ?」

「これは……私が飲むの。コップをかりていい?」

「ああ、いいぞ。オレも少しもらっていいか」

「うん、どうぞ」

 しばらく二人で清涼飲料を飲み、すでに尿意を我慢した上で訪問していた三葉はスカートから伸びた脚の膝をモジモジと擦り合わせている。

「三葉、トイレなら使ってくれていいぞ」

「……ありがとう……でも、我慢する」

「…………。いや、我慢しなくていいから」

「我慢させて」

「…………………」

「……ぅ~……ハァ……」

 だんだん限界が近づいてきた三葉は自分で自分の乳房を揉み始めた。

「んっ……ハァ……ハァ……」

「み…三葉、な…なにやってるんだよ?」

「……ぉ…オナニー…だよ…」

「………………」

 克彦に困惑した目で見られた三葉は顔を真っ赤にして恥じらいつつも、自分の胸を揉むのはやめない。そのうちに乳首が勃ってきて、息も乱れてきた。

「…ハァ……んっ…」

「………三葉……いったい、どうしたんだ?」

「ハァ……ハァ……テッシー、このテーブルの、このあたり使っていい?」

 三葉がリビングにあるテーブルの角を指した。

「あ、ああ、いいけど。………何に使うんだよ?」

「……ハァ……ハァ……こうするの…」

 三葉はテーブルの角に股間を擦りつけ始めた。

「んっ…んぁっ…」

「…………」

「…ハァ…んっんっ……イキそう…」

 喘ぎながら三葉はヨダレも垂らして、そのまま絶頂した。

「あはぁんっ!」

 大きく喘ぐと同時に、おしっこを漏らしていく。

 シャァァァァ……

 おしっこの半分が床に、もう半分がテーブルの上に拡がった。

「…ハァ…ハァ…気持ちいい…ハァ…」

「……三葉………お前、頭、おかしいんじゃないのか?」

「っ……」

「いっしょに病院へ行こう」

 いきなり婚約者のいる男の部屋に高校時代の制服姿で来て、自慰を始めて失禁までした女性に対する気遣いと心配を感じたので、三葉は申し訳なさが頂点に達して泣いた。

「うっ…くっ…ごめん! 心配してくれて、ありがとうっ……でも、病院はいいから…」

「三葉………お前、何か悩んでるのか? 新しい彼氏とうまくいってないのか?」

「……そんなことないよ……」

「だったら、もっと自分を大切にしろよ。お前、こんなことする女じゃなかったろ?」

「うっ…ひぅううっ…」

 軽蔑して蹴り出されると思っていたのに、温かく心配してくれるので余計に自分の行いが恥ずかしくなって三葉は啜り泣いた。それでも泣きながら再び自慰を再開する。今度はスカートの中に手を入れて指先で自分を刺激し始めた。

「…ハァ…ハァ…ぐすっ…」

「…………。知ってるだろ。オレ、早耶香と婚約してるからさ、そういうこと部屋でされても困るんだけど……」

「……ハァ……んっ…またイキそう……ハァハァ…」

「三葉………」

(きゃはは! テッシーが勃起してきたよ)

(テッシー……こんな婆を見て勃起しなくていいから)

「…あんっ! イク!」

 また三葉が絶頂しながら、おしっこを垂らす。

 しょわ…しょわ…

 二度目なので出が悪いけれど、ショーツから滴って床に落ちた。

「ハァ…ハァ…ああ、気持ちいい…ハァ…」

「…………誘ってるのか? オレを」

「違うよ。………オナニーしたいから、してるだけ」

「……………自分の部屋でしろよ」

((ごもっともです))

「ハァ…ハァ…」

 三葉はペットボトルから炭酸飲料を大量に飲んだ。克彦が哀れむような目で見てくる。

「三葉………いい医者を探しておくから、今はしたいようにしていいよ」

((テッシーが、すごい大人だ))

「…………。…ハァ……ハァ……」

 怒ったり軽蔑されたりすると思っていたのに哀れまれて三葉はいたたまれない気持ちが大きくなったけれど、それでも自慰を続けて何度もおしっこを漏らした。そのうちに早耶香が合い鍵で入ってきた。

「うっ……おしっこ臭い。人の家にあがりこんで……ここ、結婚したら私も暮らすつもりなんだよ?」

「ぐすっ…ごめんなさい」

「早耶香、あんまりキツイ言い方をしてやるなよ。きっと、三葉は心の病気なんだ」

「「…………」」

「三葉、そろそろ早耶香と風呂にでも入ってこいよ。な?」

「ぐすっ……いろいろ、ごめんなさい」

 三葉は拭き掃除してから風呂はかりずにアパートに帰った。

(思ったより面白くなかったね。テッシーの反応が大人すぎて)

(いい男に成長してるよ。私の目は確かだね)

「…ぐすっ……うっ……ううっ……」

 アパートで一人になると制服を脱ぎながら三葉は号泣した。

「うわああああぁあぁ!」

(きゃははは! 泣いてる泣いてる!)

(みじめだったよね。病人あつかいされて)

「ううっううっ!」

 囃し立てられても三葉はベッドに泣き伏している。涙が枯れ果てた頃に天井を見上げて悪霊たちに問う。

「あれだけ、みじめで恥ずかしい想いをしたんだから、どうか、瀧くんの前では何もさせないでください。お願いします」

(……ふーん……)

(どうする? 三葉ちゃん)

(………こうする)

 何かを決めた三葉霊は三葉の身体を操って瀧へ電話をかけた。

「もしもし、オレだけど」

「もしもし、瀧くん? 私」

 声帯まで操って瀧と会話を始めた。

「ちょっとお願いがあるの。いいかな?」

「いいよ。オレにできることなら」

「神宮高校の頃の制服って、まだ持ってる?」

「持ってるよ、一応、捨ててない」

「明日の夕方、それを着てデートしようよ」

「………オレが、それを着るの?」

「そうそう」

「え~……」

「私も高校時代の制服で行くからさ。お願い」

「三葉さんも制服で……」

「見たいでしょ?」

「ちょっと…興味ある……かも…」

「すごく見たいくせに」

「……そんな、すごくってわけじゃ……けど、オレまで制服でないとダメなの?」

「逆でもいいよ」

「え? ……逆って?」

「瀧くんが私の糸守高校の制服を着て、私が瀧くんの神宮高校の制服を着るの」

「っ、え、遠慮します!」

「ホントに? 実は着てみたいんじゃない?」

「なっ、なわけないから!」

「フフ、まあ、それは別の機会にとっておくとして。明日、神宮高校の制服で会おうよ。お願い」

「……わかったよ……。で、場所は?」

「神宮高校の校門」

「ええっ?! オレ、卒業したのに、あそこに制服で行くのかよ?! それはキツイっすよ!」

「お願い」

「う~…………」

「そのあと制服でエッチなことしていいよ。私に」

「…………時間は?」

「大学と会社が終わってるくらいだから……黄昏時かな」

「……それくらいなら在校生も……少ないかな……誰かに見られたらオレ……あ、でも、オレが卒業したときに1年生だったヤツも、もういないのか……もう誰もオレを知ってるヤツがいないはずだし……時間の流れって、あっという間だな」

「じゃ、約束だよ」

 そう言って電話を切って、三葉の身体を操るのをやめた。

(明日、楽しみだね)

「勝手なことしないでよ!」

(けど、許容範囲でしょ。円形脱毛症にはならないくらいの)

「う~………瀧くんにも悪いし……」

(と言いつつ、彼の制服姿を見たいとか、想ってるくせに)

「………見たいけど……私の方は、もう見せたくないよ……」

((婆の制服姿を見たら、どんな反応するかな。楽しみぃ~♪))

「……………もう寝るから!」

 やや不安を残しつつも三葉は眠った。

 

 糸守町の火葬場で三葉と四葉は泣いていた。

「ぐすっ…ひっく……ぅううっ…お母さん…」

「…お母さん…うぅううっ…」

 宮水二葉の火葬が始まってから、もう2時間になる。そばにいる俊樹と一葉も悲しみに耐えながら娘たちの背中を撫でていた。

「……お母さん…ひっ…ひぅぅ…」

「お母さん…ぐすっ…ううっ…」

「今は、よう泣いておき」

 一葉が言って、神事に使う祭具をもった。もう火葬が終わる。三葉と四葉は、よく見ておくようにと言われたけれど、祖母が行った儀式を見ることは涙のせいで、ほとんどできなかった。それから、火葬場から糸守湖へ徒歩で移動すると、一葉が湖へ散骨を始める。その様子は町民のほぼ全員が出てきて見ていた。

「二葉、黄泉の国から二人を見守っておりよ。私も手伝うからね」

「二葉、君に出会えてよかった。ありがとう」

 一葉と俊樹も最期の別れを言い、すべての遺骨を散骨し終えたときだった。

 じわ……じょわぁ…ショぁぁぁ…

 泣いていた三葉がおしっこを漏らした。喪服として着ていた巫女服を濡らしてしまっている。

「ひっ…ひっく…お母さん……ママぁぁ……おちっこ漏れたよぉ……助けてよぉ…」

「「………」」

 一葉と俊樹は優しく長女の背中を撫でた。あまりに悲しくて、その代償行為として無意識に失禁してしまったのだと気づき、他の町民たちも優しく見守っている。

「三葉ちゃん、かわいそうにね」

「つらいやろうね。ええんよ、泣きたいだけ泣いて」

 みんなから温かく慰められても三葉は泣き続けたけれど、妹にだけは残念そうに言われた。

「…お姉ちゃん…ぐすっ……もう少し、しっかりしないと……お母さんが心配するから…」

「だって…だって……うぇえええん!」

 いつまでも三葉の泣き声は糸守に響いていた。

 

 夕方、仕事を終えた三葉は会社を出ると、駅のトイレで三つ編みだった髪を解き、伊達眼鏡とマスクも外すと、通勤着も脱いで糸守高校の制服に着替える。

(婆が変身中です)

(ミツ婆ちゃん、どんなに頑張っても若返るのは無理だって)

「………」

 三葉は黙って化粧を直していく。

(あんまり濃くすると余計に婆に見えるよ)

(女子高生はスッピンで可愛いんだから)

「わかってるよ! スッピンに見えるナチュラルメイクって難しいから黙ってて!」

(ほらほら、急に怒鳴るから周りの人が変な女って思ってるよ)

「…………」

 三葉は女子トイレの洗面台にいた他の客に頭を下げておいたけれど、かなりドン引きされていた。それでも気合いを入れた化粧を終え、電車に乗る。乗車する前に三葉の手が勝手に動いて自社製品のペットボトルを買ったので暗い顔になって言う。

「おもらしはイヤです」

(おもらししたくらいで愛想尽かされるなら、どうせ長続きしないって)

「……ぐすっ……昨日、テッシーの前で、あんなに恥ずかしい想い……頑張ったのに…」

(ミツ婆ちゃん、泣くとせっかくのメイクが崩れるよ)

「……鬼……悪魔……」

((悪霊ですから♪))

「………」

 三葉は神宮高校に着くまでにペットボトルを飲まされ、いっそ途中で漏らそうと下腹部に力を入れたけれど、それも阻止され、為す術なく神宮高校の校門前に到着した。

「……瀧くん……まだ……」

(来ないかもよ)

(制服で来てとか、変な要求する女だし、もう愛想尽かしたのかも)

「………彼に捨てられたら、私、死ぬから」

(それはやめて。私の融合先が無くなるし)

「なら、トイレに行かせてよ!」

((東京全体が自分のトイレだと思えば? きゃはっは!))

「……ぐすっ……」

 三葉は泣かないように我慢しながら校門に立って瀧を待った。ときおり帰ってくる現役の神宮高校の生徒からの視線が微妙に痛い。近くで顔を見られると歳がバレそうなので顔を伏せている。

「……ううっ………瀧くん、早く来てよ」

(そろそろ黄昏時だね)

(来ないのかな)

「…………」

(よく頑張って何年も高校巡りして、校門の前で待ったねぇ。すごい執念)

(四葉様がいってたけど、普通は会わないはず、らしいもんね)

「………………」

(道理を歪めるくらいの執念かぁ)

(おしっこじゃなくて、せめて血とかに力があるなら、陣を敷いてもカッコよかったのにね)

「…………」

(それだと常に貧血になってたんじゃない。毎日毎日、都内の全高校にだし)

(そう思うと、おしっこでちょうどいいかな。飲めば出るし)

「………………瀧くん……まだなの……」

(でも、やっぱり、おしっこはカッコ悪いよ。せめて口噛み酒の原液でも撒くとか)

(毎日、いろんな高校の前に吐くんだ? それ、拒食症の女子高生だと思われるよ)

「……………」

(それを言い出したら、血を撒く女も、スプラッターでやばいでしょ)

(なにかの呪いみたいになるね。それか犯罪の予兆みたいに。5校目くらいから警察がマークしそう)

「…………………」

(結局は、おしっこが、ちょうどいいのかな)

(ただの変態だけどね)

「………」

(そろそろ膀胱の限界が近いね)

(会う前に、漏らしたらオナニーさせようよ。ここで彼が来るまで、ずっと)

「そんなっ?!」

(それいいね。私も操って我慢させてるの疲れてきたし。主導権を返すから自分で我慢しなよ。はい、3、2、1)

「ぅっ…」

 ずっと三葉の意志に関係なく力の入っていた尿道括約筋のコントロールが急に渡されて三葉は呻いた。

「はぅっ…ぅぅ……もれちゃう…」

(漏らしたらオナニー)

(さすがに、それ見たら立花くんも引くでしょ)

「…ぅぅっ……ハァ……くぅっ…」

 三葉は両手を股間に入れてギュッと押さえた。そうしないと、もう漏らしてしまいそうなほど尿意が強い。

(クスクス、そんなカッコしてるから通行人が変に思ってるよ)

(そのポーズだと、丸わかりだよね。私、おしっこ我慢してますって)

「ハァ…ハァ…」

(トイレ行けばいいのに)

(こんな校門の前で、おもらしするまで我慢するなんて)

「…ぅぅっ…ハァ…」

((すっごい変態))

「…んっ…ハァ…はぅ…」

(もう漏らしちゃえ)

(出しちゃえ。気持ちいいよ)

「ィヤ…」

(漏らしてオナニー始めようよ)

(きっと気持ちいいよ)

「…ハァ…ハァ…誘惑しないで…」

(ほーぉら、おしっこシーしようね)

(出ちゃう出ちゃう。もう漏らしちゃう)

「んっぅぅ! はあぁ…ああ!」

 本当に漏らしそうになって三葉は両手を股間に入れたまま身悶えする。通りがかった高校生たちが見ているけれど、もう我慢するのに必死で汗とヨダレで顔を濡らしていた。とくに口の端から垂らしたヨダレが地面まで糸を引いていて、三葉を見た高校生たちは眉をひそめて去っていく。

(もう楽になろうね。カウントダウンで、おもらししていいよ。10)

(今までで最高に気持ちいいおもらし、しちゃおうね。9)

「ハァ…ハァっ…ぅぅ」

(大丈夫、漏らしてもオナニーしてても彼は受け入れてくれるよ。8)

(大好きな女の子のおしっこは聖水だから。7)

「ぁあぁっ…ダメ……お願い……耳元で囁かないで……集中できない…」

(いいんだよ、おもらしして。でも、あと6)

(しちゃうね。あと少しで、おもらししちゃうね。5)

「ハァハァ…も、…漏らしそうなの…」

(まだ我慢だよ。頑張って我慢した分だけ気持ちよく漏らせるから。4)

(いよいよだよ、いよいよ、シーしていいよ。おもらしまで3)

「んっんぅぅ…」

(もう少しの我慢でおしまいだよ。頑張れ、2)

(よく我慢したね、えらい、えらい、いい子、いい子、1)

「ハァっハァっ…ぁ、ぁ。ぁあ」

((はい、解放してあげる。ゼロ!))

「んぁぁぁ!」

((出る出る! 漏らしちゃう漏らしちゃう! 宮水三葉はおもらしの化身、さあ、彼の高校の前で、おもらしたっぷりしちゃおうね。シーーー♪))

「くぅぅうん!」

 三葉は股間を両手で押さえてブルブルと震え、口の端からヨダレを垂らしながら、それでも耐えた。我慢した。

「ハァっ…ハァっ…」

(へぇ、すごいね)

(えらいね、最期の罠に)

(耐えきったね)

(あ、彼氏が来たよ)

 瀧が緊張した顔で卒業した高校の制服を着て歩いてくる。すれ違う在校生と目を合わさないように視線を正面に固定して、三葉がいる校門前まで来る。

「遅くなって、ごめん。やっぱ、恥ずかしいな、このカッコ。三葉さんだって顔、真っ赤だよ」

「ハァっ…ハァっ…」

((おもらし、どうぞ))

「あはぁあん! おちっこ出るぅぅ!」

 三葉が喘ぎなら漏らし始めた。

 プシャ! ショワアアアアアア! ジョボジョボジョボ…

 三葉の黄色い滝が瀧に披露されて、またたく間に黄色い泉が足元にできた。我慢に我慢を重ねた膀胱を解放する快感に三葉は酔いしれてヨダレを垂らしながら言う。

「ぁはぁぁ…おもらし気持ちいいぃ…」

「……三葉さん…」

「ハァっ…ハァっ…おちっこ出たの」

「……………」

「ハァハァっ…私、人前でおもらしするの好きなの。ハァハァっ、すっごく興奮するの」

「…………」

(言っちゃった)

(告白しちゃった)

「ハァハァっ…ヨダレ垂らすほど我慢して、おもらししながらイクの、ハァハァっ」

「…………」

「こんなことに目覚めたマゾ体質の私でも、お願い! 付き合ってください!」

「……三葉さん………」

 瀧の瞳が迷う。ものすごく迷う。黄昏時の夕日が瀧の迷いを照らし出している。

「…………」

「…ハァ……ハァ……ぐすっ…」

(まあ、ダメだろうね)

(普通、引くよね)

「……………」

「……瀧くん……」

「………三葉さんに、そんな秘密の趣味があるとは思わなかった……」

「っ……ごめんなさい。でも……お願い……見放さないで」

「…………」

 瀧が迷い、そして頷いた。

「…………わかったよ。………実は……オレも……高3くらいから……変わった趣味に目覚めてしまったから……」

「……どんな…?」

「……………………………女の子の……制服とか……着たり……」

「女装?」

「………うん…」

「……………」

((引くわぁ………変態やん))

「オレ、な、なんでか知らないけど! 着ないでいると淋しくて! つい! 週に2、3回だけど、着るんだ! こ、こんなオレでもよければ! どうか付き合ってほしい!」

「………そっか……お互い…人に言えない趣味に目覚めちゃったんだ……なんとなく、わかるよ。瀧くんが、そうなった理由」

 そう言って三葉が濡れたまま抱きつくと、瀧は抱き返してくれたし、二人でキスをした。

 

 

 

副題「様々な代償・あれから身に付いた癖」 完

 

 

 

 

 

 




お読みいただき、ありがとうございます。
これにて完結となります。
ただ、この後は、この世界観を継続して、いずれ新連載を始めます。
タイトルは「課長・立花三葉」
社会人として仕事と性行為を頑張る三葉さんが、ときどき思春期の夢も見るという物語ですし、R18でやります。
スタートできましたならば、読んでやってください。


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