死にたくないんだ (お餅さんです)
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プロローグ

 忍界大戦。一から三と続いたそれは何をきっかけとしてだったか。幾つもの隠れ里が滅び、かの五大国ですらも各々が無視できない傷を負った最大の戦。

 

 そしてそんな大戦だったからこそ、小国の隠れ里である湯がくれの里も他と同じく滅ぶかと思われた。

 いや、実際に衰退していた事には間違いない。隠れ里であっても所詮は小国の物であり、五大国のような忍と比べ練度は低い。自分達が生きるために、誰かを生かすために決死の覚悟で挑み、多くの忍が戦場で散っていった。

 

 

 だが、人は学んだ。

 親から子へ、子からそのまた子へと。そうして戦争の残虐さを聞き、又自ら経験した里の長はこれ以上里の者が血を流さぬようある決心をした。

 

 それが平和主義。最小限の戦力だけはそのままに、他多くの里との中立的な立ち位置を目指すことを。

 

 反対は勿論多かった。ただでさえ豊富な資源を持っていた事によって他里から目をつけられており、保有する戦力は先の大戦で大幅に低下している。それに加え大戦こそ終戦したものの、多くの里は次に起こるであろう大戦に向けて水面下で着々と準備を進めている。未だ予断を許すことは出来ない。

 なまじどちら側も里のためを思ってのことであり、連日行われる会議は賛否で別れ紛糾した。

 

 

 そして何度目の会議になるかも分からなくなってきた頃、一人の男が席を立った。

 

「皆さん、自分に任せてくれませんか」

 

 そうして今回だけでなく、全ての会議を含め初めて口を開いた男は他の参加者たちとは違い里の上役というわけではない。だが忍としての里への忠誠心は高く、その人柄から里の皆に慕われていた。そのため密かに民の代表としてこの会議にも呼ばれていたのだ。

 

 というのが他の参加者に向け、里長が述べた表向きの理由。実際は民が自分達に隠して秘密裏に行っていた会議に対し、少しでも悪感情を取り除くようにするため。仮に里長の考えが可決した場合、間違いなく混乱は起こる。だが、自分達が慕っている相手が関わっているのならば多少はましだろう。

 

 そんな打算ありきでこの会議にいるのが件の男。その為今まで発言しなかったのも慣れぬ場であるからだろうと見逃されてきた。それも有体に言えば参加者本人達の意図はともかく、お飾りだとして見下されていたのだが

 

「では失礼して、――――」

 

 どうしたことか、若造が生意気にも口走ったと発言を許せば湯水のように魅力的な案が湧き出てくる。

 

 今まで体を痛めた忍に治療用として使用していた温泉を大衆に向けて開放する。それもただ開放するだけでなく足湯や岩盤浴に砂風呂、露天風呂等の様々な形式。合わせて作成する温泉卵に温泉饅頭なる物産品。そしてそれら全てで里をあげての観光事業を行う。

 

 悪くない、どころかむしろ良い。

 男が言う施設こそ想像つかないが、説明を聞く分には里の資源と忍の術を活用すれば十分作成可能。そして完成した暁には国の大名を招待し、そのコネを用いて他国の大名達も訪れる。他人事ではないが所詮忍は国の道具、他国の噂好き、新しい物好きの大名達が気に入りさえすれば容易に攻められることはない。

 それに戦力にしても、これならば里長が当初に予定していた以上の縮小をすることもなく中立的な立ち位置を望むことが出来る。

 

 唯一の懸念といえば代々受け継がれてきた誇りある自里を観光地とし、大名達に尻尾を振るような行為になること。里長などの元からなりふり構わず平和を望んでいた者たちならばともかく、未だ戦争に勝利できると考えている者、特に忍として現在も修練に励む者たちからすれば裏切りも同然だろう。

 そう思い至った者達が所謂武闘派へと視線を向ければ想像していた通り。あまりいい顔はしておらず、眉間に皺を寄せていた。だがそれも一時のことで、男はその者達に一瞬だけ視線をやると話を続ける。

 

 確かに観光地となることに抵抗を持つ者もいるだろうが、仮に案が通ったとして人の出入りが増える分治安は現在より悪化する事。中には秘密裏にこちらの技術や知識を奪う任を負った忍も出入りすることだろう。

 その場合最も頼りになるのは抵抗する武力を持った忍達になる。今までと大して変わりはしない。強いて言うなら外に出て民を守るか、中に残り民を守るかの違いであると。

 

 そこまで聞けば武闘派の者たちも何も言う事はない。何故なら、彼らが本当に恐れていたのは自里を観光地とし、誇りを失うことではないからだ。

 そもそも彼らは裏の仕事をこなす忍達、各々に流儀はあるだろうが里を守る事が出来るのならばそれを飲み込む度量は持っている。

 

 ならば何が恐ろしいのかと言えば、それは忘れ去られる事。彼らは里が観光地になることで忍の重要性が薄まると考えた。

 平和は何より優先させるべきだ、それは誰よりも前線で戦ってきた彼らが分かっている。だが、文字通り死ぬ思いで励んだ自分達の働きを、なにより志半ばで戦死してしまった同僚達のことを忘れられるかと思えば、理解することはできても納得はできなかった。

 

 今更だが、里長や武闘派以外の参加者達がその事に対して理解をえていなかったことも会議が長引いた一因と言える。だがまるでそれを見越したかのような男の言葉により、参加者全員の考えは一致した。

 

 里長は念のためと参加者全員を見渡し決をとる。勿論今更この場に否を唱える者はおらず、全員が首を縦に振る。そして里長はそれを見届けると男に責任者としての地位を与え、一刻も早く完成させるようにと命を出した。

 

「有難く拝命させて頂きます。非才な身ではありますが、必ずや皆様のご期待に応えてみせましょう」

 

 男は自分の案が通ったことに対し偉ぶる様子もなくそう言い、恭しく首を垂れる。そしてそんな男にその場にいる参加者たちは皆顔を綻ばせた。殆どの者が他者からの口伝いにしか聞いていなかったが、目の前にいる男が噂以上の人格者であることが分かったからだ。

 

 これならば自分達が生きる今代だけでなく、次代の里も安泰である。

 賛成していた者、反対していた者。穏健派、武闘派。この場にいた全ての者がそう考え、ようやっと久しぶりにぐっすりと眠ることが出来ると場を後にする。

 

 

 案として出した知識を一体何処から手に入れることが出来たのか。

 

 仮にどこぞの国で入手してきたとして、何故それをもっと早く提出しなかったのか。

 

 そう考えることが出来る者は、連日の通常業務に加えた会議による疲労のせいか誰もいなかった。

 

 

 ただ一人部屋で口元に笑みを浮かべる男。

 今世での名を『飛段』と呼ばれる者以外には。



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一話

そういえば先に投稿してた


 未だに太陽も昇っていないような、冷たい夜の空気が残る暗い早朝。

 湯がくれの里に存在する数少ない演習場の一つに、一人の男がいた。

 

「――――」

 

 その男は特徴的な銀髪のオールバック、他と比べれば動きやすそうではあるがそこらの店で売っているような着物。

 頭に巻かれている額当てと足を肩幅に広げ、両手で印を結んでいる姿勢。控え目に言ってもそれらがなければ忍ではなく、ただのチンピラにしかみえない。

 

 けれどそんな男こそ、先日の会議において里の一大計画の責任者に抜擢された重要人物、飛段である。

 

 現在は服装等は兎も角として暫くぶりの早朝修業中。近頃は会議のせいですることが出来なかった為か、今回は気合の入りようも違うのだろう。

 その様子は恐らく忍ではない一般の者が見ても様になっており、目を閉じて眉間に皺を寄せた顔からはどれだけ集中しているのかが伝わってくる。

 

 そしてそんな飛段がいる演習場には、現在飛段を除いて誰一人としていない。

 それは飛段が意図してそうしているわけだが、何も来た者を追い出しているわけではなく、単純に人気のない時間帯を狙っているだけ。

 

 そもそも現在の時間で修行していることがおかしいのであり、人込みが激しい昼などの時間帯になるとそれこそ様々な忍術が無数に飛び交っている。

 

 ただ自惚れではないのだが、飛段は自身が里の中でも有名な人物であることを自覚している。

 そのため自身がいれば邪魔になるだろう、と何気に気を遣ってこんな人のいない早朝にこっそりと使用しているのだが、

 

「あっ!? 見つけましたよ飛段さん!!」

 

 今日は珍しい事に演習場の出口、居住区の方から走ってくる人影が見えた。

 

「……おお、タモツじゃねえか。こんな朝っぱらからどうした?」

 

 人影が段々形を成してきたと思えば、飛段とは知り合いのようで名前はタモツ。湯がくれで一般とされる忍装束や黒髪短髪の頭に額当てを付けていることから、彼も飛段同様忍であることが分かる。

 そして言葉遣い等から上司と部下のようなものだと伺えるのだが、実際は飛段の同期。普段の任務ではもう一人を含めて三人一組(スリーマンセル)を組んでいるため、恐らく敬語のような言葉遣いは素なのだろう。

 

「どうしたじゃないですよ! あんた今日が何の日か覚えてないんすか!?」

 

 そんなタモツは飛段を見つけるや否や大急ぎで近寄り、言葉の端々から苦労人気質が滲み出る叫びをあげた。

 その悲痛な叫びに敬語こそまだ残ってはいるが、口調からして余程のことがあるのだろう。実際口調だけでなく、タモツは叫んだ後にも飛段の肩を持ち顔をくっつける勢いで迫っていた。

 

「いや、何の日ってそりゃあ」

 

 流石によほどの者でない限り、ここまでされて思い出せない者も中々いないだろう。もしいるとするならば、それはそもそものタモツが叫ぶ相手を間違えたか、救いようのないほど酷すぎるかである。

 だがタモツの鬼気迫る勢いからして前者はまずない。つまりは後者一択となるのだが、現在進行形でそれを向けられている飛段はというと

 

 

「非番だろ……?」

 

 これである。

 

「……っもういいですから着いて来てください!!」

「ちょっ待てよタモツ! そんな引っ張んなって!」

 

 タモツの叫びなど何処吹く風、のんきに返した飛段の言葉についにタモツもキレたのだろう。元々気心知れていた仲だが、飛段が抵抗するにも関わらずその手を掴み居住区の方へと走り出す。

 

(こいつなんでこんな怒ってんだ? 一昨日なんて、やっと俺の役に立てるって酒込みでも照れくさそうにいってたの……に)

 

「げっ!? こうしちゃいられねえ、早く行くぞタモツ!!」

「分かってますよ! だからこうして急いでるんじゃないですか!」

  

 飛段は当初タモツが慌てる理由が分からなかったが、一昨日あった飲み会の内容から今日の非番が何のためか思い出した。

 そして同時に現在自分が置かれている状況を理解し、引っ張っていたタモツを追い抜かして自分の意志で走り出す。

 

 引っ張られている間に殆ど居住区に近づいていたというのもあるが、お蔭でそれからしばらくも経たずに居住区が見えてきた。

 演習場からの道は太くなりながらやがて整備された大通りになり、その左右に湯がくれの里の住民たちが住む民家が立ち並んでいる。

 

 早朝ということもあって眠っているのか、民家からはまだ人の営みや気配を感じられない。だがその少し先を行ったところにある、民家の代わりに店が立ち並び商店街のようになっている場所では違った。

 

「おぉ飛段さん、急いでどうしたんだい?」

「飛段さーん、いい野菜採れたから見てきなよ」

「おう飛段! 今夜いっちょ飲みにこいよ!」

 

 開店に向けて準備をしていたのだろう、各々が自身の店先を箒で掃いていたり品物を並べている。そしてそんな中突然走りこんできた飛段に対して驚きながらも、野菜や酒瓶等を手にしながら飛段へと話しかけた。

 

「悪いけど話はまた今度な! 今から行くとこあっからよ!!」

 

 ただ自分の用事を思い出した飛段は止まるわけにいかず、そう返事をしながら通りを駆け抜けていく。その様子は明らかに切羽詰まっており、一時の時間もないように感じる。

 そして下手すればおざなりにも聞こえる、飛段の返事を受けた数いるうちの二人が通りの向こうに飛段が見えなくなった頃に語りだした。

 

「あら、相変わらず忙しい人ね。体の方は大丈夫なのかしら?」

「心配することねえよ。あいつが動くってこたあもう解決だ、ってな」

 

 どちらもこれっぽっちも嫌な顔をせずにであり、むしろ一切止まることなく駆け抜けていった飛段を勤勉だと笑い合った。

 本人が聞けば呆れ、あからさまに嫌な顔をして否定する事だろう。だが信頼どころか、ある種盲目的にも聞こえる会話を聞けば無理もない。実際、今日の予定すら忘れていたのだから。

 

(うしっ!まだ時間ギリギリだがセーフ……のはずだ)

 

 しかしその事を聞いていなかったのは、飛段の精神的に幸運にもというべきだろう。実際にはせわしさのあまり言い方はともかく、気にかける気もなかっただけなのだが。

 

 それはともかく飛段は演習場から居住区へ、居住区から商店街へと、とっくの前に迎えに来たタモツを置き去り走り抜けた。

 

 その結果たどり着いたそこは、湯がくれの里中心部。

 円を書くような大きな広場。そしてその中心には主に里長が執務を行い、忍が受ける任務の割り振りを行う縦に伸びた屋敷のような大きな建物がある。

 

 小国の里故か結束力が高く、仲間意識が強い湯がくれの里の人々。彼らは里の最高権力が集まる建物近くであっても、むしろ多くの人々が集まり交流を営んでいる。

 

 最も今はまだ早朝なのもあって居住区と同じく、そこまで人々の気配はない。ただその代わりといっては何だが、普段里の子ども達が遊んでいる場にいつもは無い物が建っている。

 それは階段がつけられた壇上のような物と、外から見えないように幕が張られた大人十人程は余裕で入れる白テント。

 

「よっしゃあ! ギリギリセー「アウトだ」ブッ!?」

 

 そこが最終的な目的地だったのだろう。

 飛段はそのテントに入るなりやりきった顔で両手でガッツポーズをとり、次いで叫び声を上げようとしたところを、ぶっ飛ばされた。

 

「馬鹿者が。集合は明け方だと伝えたはずだ」

 

 そう言って鈍器として使用した杖を支えに、テント内に置かれた椅子に座るのは眉目秀麗という言葉がよく似合う、長髪の黒髪を後ろでひとまとめにした一人の女性。そしてその女性こそ、会議で飛段に任を任せた湯がくれの里の里長である生湯(うぶゆ)ノドカ。

 普段こそ無表情、里長としての尊大な言動などで考えが分かり辛く一部から恐れられている彼女。ただ今日に限っては眉間にしわが寄っているように見えるが、未だに吹っ飛ばされたテントの隅で頭を押さえながら悶える飛段を見ればそうもなる。

 

「申し訳ありません生湯様、遅くなりまし……飛段さん、あんたまたやらかしたんですか?」

 

 そうして悶える男にそれを見下ろす女性。テント内がおかしな空気になり始めた時、途中で飛段に置いていかれたタモツがようやく着いた。

 入って早々現場の空気を察したのは同期故の慣れなのだろう。

 

「い、いってえ……タモツ、俺の頭割れてねえか……?」

「出る中身がないから大丈夫ですよ。それよりあんたが家に置いて行った服持ってきたんで着替えてください」

 

 どうせ忘れてると思ってさっき代わりに取りに行きました。

 さりげなく毒づきながら箱を渡すタモツの顔はとても笑顔だ。ただどうしてだろう、飛段だけはその笑顔を額面通りに受け取ってはいけない気がした。

 

「お、おう。悪いな、今日が会議で出た事の発表式ってこと忘れててさ」

 

 数刻も経っていない内に散々な目に遭っている飛段だが、それはまあ仕方ない。なにせ里を挙げた観光事業所をすると、上役等の関係者以外の住民達にも知らせる重大な日を忘れていたのだから。

 それも忘れたのが下っ端等ではなく、里長直々の指命によって選ばれた責任者。それが忘れた上に寝間着のような格好で来たら誰だって怒る。

 

 そう、怒っているのはタモツだけではない。

 

「戯れも、その辺りにしておけよ」

「「ッ!?」」

 

 また少しだがゆるみ始めた空気が、その一言でもって一瞬のうちに凍る。そしてそれは何も空気だけではなく、その場にいた飛段やタモツすらも。

 それもしょせん比喩に過ぎず、実際に凍ったわけではない。だが生湯の言葉と同時に面前で立膝をついた二人は、まさに氷の彫刻かのように微動だにせず、次に自分たちへと告げられるであろう言葉を待っている。

 

 ただ、なにも生湯はそこまで怒っているわけではない。確かに、飛段が重要な日にも関わらず遅刻したことは許されないことだ。だがそんなことは人柄ゆえか、それとも日頃飛段と接する機会が多い慣れゆえか。

 

(知らない上役がいたからと、とりあえず大人しくしていた先日の会議のようにできないものか……)

 

 とにかく今回の知らせさえ成功できれば、とりあえずは構わない。その程度の心持に過ぎない。

 

「此度の知らせは里の行く末を決める、重大な式となる。広場に人が集まるまでまだ時間はあるが、それまでは各々が受け持った準備を進めておけ」

「「っは」」

 

 だが、生湯の心中など知る由もない。言葉とその纏う雰囲気全てを額面通りに受け取った、それもごく一般的な忍であるタモツがその程度に思うことはない。

 

(もし少しでも失敗したら……)

 

 その理由としては抑揚のない口調に、さして動かない表情。そして里長らしく、普段からそうなのだが尊大な言葉からきており、そう考えてしまうのも仕方のないことである。

 

(……やっべ、俺がする準備なんだっけ)

 

 むしろそんな中、心配するところが少しズレている飛段は、やはり大物といえるのだろう。

 

 

 

 

 

「これより広場で重大な知らせがある!! 前日に知らせた通り、怪我や病などで動けぬ者以外は皆集まるように!!」

 

 飛段が自分の担当する準備をあろうことか里長に聞き、教えられた後にしこたま杖で殴られた同日の昼前。里の至る所で多くの忍が走り回り、緊迫した様子で言葉をかけていた。

 最も声をかけているのはそのような者達だけではない。それは人手が当初の予定よりも足りなかったため、知らせの内容をつい先ほど知らされた者達のみである。

 

「ねえお母さん、なんでみんな集まってるの?」

「……大丈夫よ。何があっても、きっと里長様達がなんとかしてくれるから」

 

 ただ集まった者達の中でそのような会話が度々混じっているのを思うに、やはり人々が負った大戦の傷は深かったのがうかがえる。

 そしてその傷を掘り返すような真似をしているのは声をかけ回る忍達である。だがそれは彼らもまた傷を負っているからであり、そんな者達が湯がくれの里にいるとは思えないが、あえて責めるのならば予定を組んだ者達だ。

 

 そして人々の間で不安の声が広がり始めた頃、広場に設置されたテントより人が出て壇に上がった。

 

「久しいな、里の者達よ。今回はいそがしい中集まってくれたことを、里長として私は嬉しく思う。そして本題に入る前に私から少し話させてもらおう。そもそも今回の集まりは――」

 

 それは先ほどの親子の会話にも出て来た人物、湯がくれの里の里長である生湯ノドカ。

 

 予定の時間を正確に考えるのならば少々早い。だが、里の者達に不安が広がりつつある中それを取り除くためならば最良の選択と言える。

 

 

「――さて、長々と話してしまったが、今日の本題である知らせを告げる者は私ではない」

 

 そしてついに、忍達が触れ回っていた知らせの話に入る。

 里の者達が慕う里長の登場、そしてその里長自らが本題に入る前の前座として他愛のない話しをすることで不安は薄れた。それでも始まる本題に対して思わず喉を鳴らす者がいるのは、つまりはそういうことなのだろう。

 

 けれど、そんな思いもそこまで。

 

「お前ら、下ばっか向いてんじゃねえぞ」

 

 誰に向けての言葉だろうか。殆どの者達が思わず自身の周りを見渡し、次いで声が聞こえて来た壇上へと視線を向ける。

 

「里長殿に代わりまして。この場を預かった、飛段と申す」

 

 顔が、上を向く。それはなにも視線が壇上へ向いたからという意味ではない。もちろん殆どの者がその意味に当てはまるが、精神的、気持ちの向上も主として言える。

 

 確かに里長であるノドカが出た意味は強い。ただそれにはあくまで里長、頼りになる支配者(リーダー)のような意味合いが強い。

 一方飛段はというと隣人、頼りになる仲間(隣人)といったところだろうか。どちらも無くてはならない者だが大戦が終わり、不安を取り除き寄り添える人や場所を求める者達にとって、飛段という人間はうってつけだった。

 

「あー、本日はお日柄も良く。お集まりいただいたことに、は……ここもう終わった? なら今どこだよ」

 

 そしてそれに加え、敬語が壊滅的に似合わない彼が無理して格式ばった言い方をしているのも不安を取り除く要因なのだろう。

 

「おーい飛段! おめえが敬語なんて似合わねえぞ!」

 

 一部からヤジが飛ぶが、不安を取り除く要因なのだろう。

 

「カンペをタモツに確認してもらってんじゃねえよ!」

 

 台本持参で壇上に上がっていたわけだが、必要な要因なのだろう。

 

「やかましいぞてめえら!! 俺の話を黙って聴きやぐぁっ!?」

 

 見ていられなかったのか言い返そうとしたところを生湯に殴られたが、集まった人々が皆笑みを浮かべるあたり、やはり必要な要因なのだろう。

 

 

「………ったく、好き勝手笑いやがってよ」

 

 だが、人には我慢の限界というものがる。

 飛段は壇上に上がるなりふざけていたように見えたがその実、飛段の心中はどうすれば彼らの不安を取り除けるかでいっぱいだった。つまり飛段はふざけたくて行ったのではなく、ただ純粋に失敗してしまっただけ。

 

 真面目に、真剣に物事に取り組もうとし、けれど上手くいかず失敗してしまった。ならば周りがその者にすべきことは何かだろうか。

 

 解釈は人によって数あれど、ここであえて一つ挙げるとするならば応援することだろう。

 

 次は上手くいく。俺も、私も手伝うから。

 

 恐らくはそういったもの。まかり間違えてもその失敗を笑い、こき下ろすようなことはありえない。

 それは失敗してしまった者への激励でもなく、貶しにしかならないからだ。

 

 そのため、というには極論に過ぎるが、飛段が彼らの笑い声に対して低くドスの聞いた声を呟き、今すぐ彼らの中へ躍り出て乱闘になるのもあり得ないことはないだろう。

 

 

 

「そんな顔もできるんじゃねえか」

 

 実際あり得ないのだが。

 

「さっきも言ったけどな、お前ら下ばっか向いてんじゃねえぞ。じゃねえと俺が後からまた耳元で叫ばなくちゃなんねえからな」

 

 そしてそういう飛段の顔は、笑っていた。これから告げることになるだろう、里の今後を左右する重大な知らせを前に、飛段は笑って冗談まで言ってのけた。

 

 この知らせ以前に、元から知らせの内容を知っていたからといえばそれまでだ。けれど集まった里の者たちは、誰一人としてそうは思わない。先ほど同様、思わず自身の周りの周りを見渡し、他の者たちがどのような表情をしているか確認するばかり。

 

「そりゃあ、あんだけ辛気臭そうに言えば深刻な表情もするさ。実際かなりの大事になるだろうし、提案した俺でも最終的にどうなっちまうかは分からねえ」

 

 これには思わず触れ回っていた忍の数名が苦い顔をするが、さもありなん。実際自分たちが回った区域の者たちが固まっている場所からそんな話が広まったのだから。

 

 それでもその知らせを授けたのが、そして考え付いたのが飛段自身だと捉えられるような言い回しで告げるあたりフォローを忘れてはいない。彼らに直接任務を与えたのは飛段自身ではないものの、行き着く先は提案した飛段であるのだから。

 ただ、思わずホッとした顔を上司に見られていた彼らは近々なんらかの形でお叱りを受けることだろう。

 

「けどまあ、なんとかなるだろ」

 

 根拠はない。しょせんは机上の空論。それは話を直接聞いて賛成した生湯もそうであるし、飛段自身も分かっている。

 

 だから言外に、先に言っておく。

 成功する保証などない、と。

 

 そんな無責任な言葉を投げかけられた里の者たちは、けれど黙って飛段の顔を凝視するばかり。

 何も飛段の言葉の意味を理解していないのではない。流石にまだ幼い子どもなどは無理があるだろうが、集まった大方の者たちは理解したことだろう。

 

 そして理解したうえで、今度は里の者たちが視線だけで飛段に告げる。

 

『続けろ』と。

 

 小国とはいえ一つの隠れ里で、里長に知らせを任されるほどの忍。そのため飛段は里の中ではよく知られており、集まった殆どの者たちが飛段のことを知っている。

 飛段が、()()()()だと。根拠がなくとも、自信なしに()を語るような男ではないと。

 

 自分を射殺さんとする視線を一心に浴び、それを見て飛段はますます笑みを深める。その理由は単純明快。アクシデントがいくつかあったものの、今この時をもって知らせの本題に入るための準備が整っため。

 壇上から里の者たちまでは距離があるため分かることはない。近くにいる生湯や、テントの陰から見守るタモツ達から飛段の表情が見えていたかは分からない。

 

 ただもし、その狂人のような笑みをしかと見ることができたならば、飛段の考えを一端だとしても気づけたのかもしれない。

 

 

「それじゃあ、ここからが本題だ」

 

 

 これでまた、平和に近づける。

 

 

 下を向く者は、もう誰もいなかった。




三人称難しい……


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二話

全作初のまともな戦闘シーン……勉強します


 湯がくれの里から少し離れた森の中。

 そこは他でもない、観光事業化計画の要ともなる温泉を掘るための作業場となっている。

 

 当初は里内に既にある温泉を拡張すればという案が出た。元より医療用として使えればそれでよいと大した設備もなかったため態々取り壊す箇所もなく、拡張に合わせて施設を建てるだけなのだから確かにその方が効率がいい。

 けれどあくまで予定でしかないが、この先成功すれば良い者も悪い者も大勢訪れる場になる。警備上多少の面倒ごとは避けられないだろうが、将来的な治安を顧みた結果、以前里外で発見された源泉を中心として行われることとなった。

 

 そしてそのような場で見上げれば日が真上から少しずれた、昼が過ぎたころ。

 作業着のような服を着ている者たちが見守る中、まだ何もなく木々が払われ開けた場所で果し合いのように向かい合う者が二人。

 

 片方は銀髪にオールバックといったニヒルな笑みを浮かべるいかにもな男。見た目こそ未だに青年の域を出ていない。だがその顔立ちは整っており、着崩した着物がやけに様になっている男は、この現場だけでなく、計画全体の責任者としても知られる飛段。

 逆にもう一方は飛段よりさらに若く見える作業着姿の少年。相対して笑みすらを浮かべている飛段とは違い、ギラギラとした目つきがこれから始めることへの意気込みを物語っている。

 

 とはいってもこれは突発的な物だったのだろう。取り囲む者たちは皆一様に自身の隣にいる者と何事かと語り合い、またどこからか人が集まってくる。

 そしてやってくる人々の数も落ち着き、ざわめきも小さくなった頃。不意に少年の方が飛段へと向かって走り出し、そのまま腰に付けたポーチから取り出したクナイを上段から振り下ろす。

 

 対する飛段は自然体のまま後ろへと一歩下がる事でなんなく躱し、逆に振り切ったことで空いた少年の脇腹へと蹴りを入れた。

 少年は完全に既知外からの攻撃を受けたことにより声を上げ、思わず手に持っていたクナイを放り軽く飛ぶ。だがそれでも直ぐに体勢を立て直すべく受け身を取り、また飛段へと地面を踏みしめ駆け出した。

 

 飛段は先ほどと変わらぬその光景にどこか呆れた表情を見せた。そしてまた同じように回避の動作に入ろうとしたところで、今度はここに来て初めて自身から動き出す。

 その速さは少年とは比ぶべくもなく、少年が近くに落としていったクナイを拾いそのまま少年の背後に回る。

 

 そして首元へとクナイを押し当て、躊躇なく掻き切った。

 

 それと同時に上がる悲鳴。

 勿論のこと張本人でもある飛段ではなく、かといって喉を掻き切られ今にも地面に倒れようとする少年でもない。それは二人のやり取りを見守っていた者たち。特に少年のようにまだ若い、子どもとも言えるような年齢の者たちだ。

 

 少年と同じように額当てを付けている事から里に認められた忍にあるに違いない。

 だが相手は忍になりたての子ども、目の前で自身と似通った世代の者が殺されるのを見せつけられて平静を保てる者は少ないだろう。

 

 たとえ、殺された少年の体が軽快な音と共に煙になろうとも。

 

 突然の事に周りの者が目を剥く中、切られたはずの少年が現れたのは飛段の背後。手にはいつの間にか取りだしていた別のクナイが握られており、消えた少年の首を掻き切った姿勢のままでいる飛段の背へと迫る。

 

 今にも突き刺さんとする少年の顔には喜色が浮かんでいた。

 それは周りの者が自身が起こした快挙に対し、ポカンと口を開け声を失っていることによる誇らしさから来るものか。それともその快挙自体に少年自身が一種の達成感のようなものを感じているのか。

 

 なんにせよ、少年の心中は今この場にいる誰よりも興奮している。この場で、これを成すために今までどのような修練を自身に課してきたのかは他の者達には分からない。だが、少年の様子をみるにそれは報われたのだろう。

 

 そして周りに示しつけるよう、勝鬨を上げようとしたとき

 

 

「やっt……なっ!?」

 

 少年の持つクナイが宙を舞った。

 

 どこかジンジンと手に熱を持ったような痛みを感じる中、少年の頭の中では疑問が渦巻いていた。けれど当事者はともかく、傍から見ている者たちからすればこれ以上ないほど分かりやすい。

 

 背を向けていた飛段の片足が、体勢をそのままにその背後へと向かって蹴り上げるかのように曲がっていた。もちろんその足先は少年がクナイを持っていた手首へと当てられている。

 

 つまりはクナイを弾くように、少年の手首を蹴った。ただそれだけ。だがその的は飛段にとって自身の死角であるはずの背後。一瞥すらせずにどうしてそのようなことができようか。

 気づいた少年は驚きよりも先に思わず呆れを感じてしまうが、その時には既に背後を取られ先ほどと同じようにクナイが自身の首元に。

 

 もしここで首を掻き切られれば、今度こそ地面へと血に染まる遺体が一つ倒れ落ちる。

 少年はそれでもどうにかしようと考えるも、ニヤついていた顔に似合わず飛段の佇まいに隙はない。

 

 するとやがて諦めたように息を吐き、少年はその手にもつクナイを離した。そして飛段はそれを見届けると満足そうに笑い、クナイを少年に返して右腕を突き上げ叫ぶ。

 

 

「俺の勝ちだぁああああああああああああ!!」

 

『うぉおおおおおおおおおお!!』

「くっそぉおおおおおおおお!!」

 

 大人げない飛段の叫びに呼応して雄叫びをあげるのは作業着姿で見守っていた者達。そして逆に悔しさから声を上げるのは先ほどまで飛段と組み手をしていた少年。

 そんな者達を見て大人げなく叫んだ飛段はさも愉快だと豪快に笑い、叫ぶことなく見ていた者達はまたあいつかとただ苦笑いを浮かべていた。

 

「それじゃあ、やることやってくるか。お前らも持ち場に戻れよ!」

「あ、飛段の兄ちゃん、もう一回! あと一回だけやらせて!」

 

 先ほどの組み手、特に最後のダメ押しがよっぽど悔しかったのだろう。少年は立ち上がると、一頻り満足したのか立ち去ろうとしている飛段を呼び止める。

 

「ああ? やる前にさっきので最後って決めたじゃねえか」

 

 だが、飛段にもはずせない任務がある。なかった所で組み手に付き合うかどうかは気分次第だろうが、少なくとも今回ばかりは大事な任務が入っているのを少年は知っている。何せ今ですら少年の無理を聞いて時間に遅れているのだから。

 

「あ……そう、だったね」

 

 少年の顔は驚くほど暗く俯いていくが、周りの者たちはさもありなんと頷くばかり。何故ならば近頃飛段の周りでその光景は一日一度、必ずと言っていいほどよく見かけるからだ。

 

 飛段は最近里長から里の将来に関わる任務を任された。集会で知らされたそれは、紛うことなき最重要事項。優秀な忍としてただでさえ忙しい飛段の時間が削られるのは当然のこと。そしてそれに伴い、飛段に憧れを抱く者が飛段との時間を減ってしまったと認識してしまうのもまた当然ことだった。

 

 そのため少年の口調や仕草からも丸分かりなそれは、見ていた者達全員もまたかと、当たりをつけた。

 けれどその誰もが意気消沈といった雰囲気の少年へと駆け寄ることはない。

 

「へ……?」

 

 何故なら飛段とて、伊達に慕われていないわけではない。

 

「さっきの組み手、特に最後の変わり身の術の使い方は悪くなかったぜ。()()()()()()俺に印を見せないよう気をつけろよ」

 

 そう言いながら呆ける少年の頭をワシワシと乱暴に撫で付け、そしてまた同じようにこの場から立ち去ろうとする。

 

 だが先程とは違い、少年が飛段を呼び止めることはなかった。

 

 

 

 

 

「相変わらず人気者ですね」

「……上司をからかうんじゃねえよ」

 

 人込みから離れてしばらく、作業着姿の者たちを作業場に戻らせた飛段にタモツが声をかけた。

 表情は笑顔だったものの、図星だったのだろう。ジト目でにらみつける飛段を見て思わずといった風に乾いた笑いをもらした。タモツのもはや隠すきすらないその素振りに飛段は思わずため息をつきそうになる。

 

 野次馬のように集まっていた者たちが察していたのだから勿論のこと、飛段本人も最近の少年少女からの人気ぶりを自覚していた。それも遊びや修行の約束などの可愛らしいものから、つい先ほどのように突然の組手等々。

 特に先ほどの少年は組手の筆頭。今日ほど終わりを渋ったのは初めてだが、突然殴りかかられた回数は両の指では数えられない。

 

 尊敬ともなると何故、と思わず真顔になるが好かれているのだと思えば悪い気はしない。

 ただ、今は慣れない責任者としての業務に追われる日々。顔にこそ出すことはないが、疲労は確実に溜まってきていた。

 

「そんで? お飾りつってもわざわざ仕事中の責任者に聞いて来たんだ、なんかあるんだろ?」

 

 疲労からか言外にこれ以上仕事を増やすなよ、と自身に補佐として与えられたタモツに釘をさす自称お飾りの責任者。

 

 というのも責任者、計画発案者といえば聞こえはいいが、飛段はどこまでも忍でしかなく生まれてこの方温泉など掘ったことはない。

 そのため大まかな案や仕組みを飛段、具体的な設計や指示などは元より里にあった温泉を管理していた一族に任せている。本人こそこれから増えるであろう仕事への皮肉のつもりでしかないが、お飾りとは案外的を得ているかもしれない。

 

 そんな上司のブラックジョーク対して苦笑いを浮かべるタモツ。だが苦笑いの理由はそれだけではない。

 言いづらそうに渋る素振りを見せるも自身の要件、そして苦笑いの理由とも言える言葉を告げようとする。

 

「人員増加の件なんですが……」

「おお! やっと返事が来たか、それで何人寄越してくれるって?」

「ゼロです」

「――は?」

「だから、ゼロ人。国からは誰一人出すつもりはないそうです」

 

 飛段とタモツが話すのは、湯の国に出した里を挙げて行う観光事業計画の応援人員について。

 

 戦後間もないということもあり、復興の人手や心象などといった理由から里内で強制的な徴収をするのは控えられた。実際今現在働いている者も飛段を慕った者たちによる志願者が殆ど、といったぐらいに圧倒的な人員不足。

 そもそも国を通さず無断で事業を増やすなどあり得ないため、計画がある程度決まった際に認可のついでに国へ応援を願い出ていたのだ。

 

 結果として大名は新しい物好きといった噂は本当のようで、認可自体は使者を送ってしばらくもしないうちに認められた。ただ人員については今の今まで見送られ、タモツに告げられた通りゼロだった。

 

「ゼロって、そりゃそんな期待してなかったけどゼロってお前……」

「力の弱い小国といっても一応大戦後も生き残ってますからね。よっぽど厳しい部下がいるんでしょう」

 

 飛段達の希望では、考えなしに大名が周りを押し切って馬鹿みたいに送ってくれたらなというもの。

 だがよくある話、組織の上はともかく下は優秀だったらしい。というより、仮にも大名が認めた事業に対して人手が皆無。不満こそないがむしろ計画自体よく認可などしたものだ。

 

 

「今一度言っておくが、出ないものは出ないぞ」

 

 不意に沈んだ雰囲気の飛段の耳に入ったのは凛とした力強い声。

 飛段が自身の後方、聞こえるはずのない声の方へと視線を向ける。するとそこには飛段達、ひいてはこの里に存在する全てを治める者。湯がくれの里の里長である生湯ノドカが雄々しくその両手で杖を突き佇んでいた。

 

 ただ、どうも様子がおかしい。

 

 端正な顔立ちは普段以上に眉間にしわを寄せ、視線はまるで射殺すかのように鋭く冷たい。脇に控えている二人の忍は里長としての護衛なのだろうが、冷や汗が止まらず顔もどこか引きつっている。

 以前、知らせの際に飛段が遅刻した時も似たような状態ではあった。けれど今回に限っては飛段に身に覚えが全くないのか、今の時間帯ならば執務を行っているはずの生湯を見てどうしてここにいるのだと呆けている。

 

「……反応からしてタモツか。大方現状を見聞きすれば考えが変わるとでも思ったのだろう、無駄だ徴収はあり得ない」

 

 その言葉に飛段は状況を察した。恐らくタモツが視察とでも称して生湯を呼びつけ、わざと先ほどの話を聞かせたのだろう。

 思わず飛段は呆れるが、護衛達同様引きつった顔のタモツを見れば強くは言えなかった。

 

「ただ、お前たちの働きによっては考えてやらんこともない」

 

 けれど次に生湯が無感情に告げた言葉により各々の表情が劇的に変わる。

 護衛達の顔は驚愕に染まり、目を見開かんばかりに隣にいる生湯を見つめた。反応からして生湯が普段部下たちに対してどう思われているのか分かるが、まあそれはいいだろう。

 

 何故なら、本来その話へと持っていきたかった筈のタモツは何かヘマをしてしまったかのように。先ほどから流されるままだが、人手こそ欲しがっていた飛段は胡散臭げな表情を生湯に向けていたのだ。

 

「なに、簡単なことだ。お前たちは――特に飛段、お前はいつも通りそのままでいい」

 

()()()()でいてくれればいいだけだ」

 

 意味深に告げた生湯の口角は、僅かながら上がっているように飛段には見えた。

 

 

 

 

 

「イヤだ!!」

「もうやるしかないですよ飛段さん。発端自分なんであれですけど……」

 

 抵抗する飛段にそれを引きずるタモツ。知らせの際にも似たようなことをしていたが、湯がくれの里ではもはや見慣れた光景である。

 

 すでに二人が歩く(?)のは森の中にある作業場ではなく、里中央にそびえたつ屋敷の渡り廊下。森の中に残された作業員への指揮はいつも通り知識のある部下に任せ、生湯達は一応の視察を予定通りにこなすことに。

 

 本来、お飾りであるとはいえ責任者である飛段が現場を離れることは認められない。それは単純な話、知識云々は抜きにしても立場上、士気向上に大幅に影響を与える恐れがあるためだ。

 ならば何故その作業場から離れ、ましてや今のようにふざけていられるのかと言えばそれもまた単純な話。すでに就いている任務以上に重要、又は短期的に終わらせる必要があるにも関わらず相応の実力をもつ人手がいない任務を任されたから。

 

 そして今回は里長である生湯直々に任された任務。里の観光事業化は確かに優先させるべき任務ではあるが、仮にも平和主義を掲げ、その理念の下で里を治めることを会議で表明したのはその生湯本人。

 ならば今回飛段達に下された任務は元の任務のためになりこそすれ、邪魔になり破綻するようなことはありえないだろう。

 

 事実報酬として人手は口約束だが確約されており、生湯の言ったように優秀な忍として付き合いの長い飛段達はそれを何となくではあるが理解している。

 

「それでもおかしいだろ! 『優秀な忍でいてくれればいいだけだ』……え、それだけ? 何をどうしろって話じゃねえか!?」

「それ、自分たちで考えろってことですよね? ……今に始まったことじゃないじゃないですか」

 

 ただそれにしても飛段の言う通り、告げられたのは任務とも呼べないようなおかしな物ではあった。

 

 何故なら生湯が飛段とタモツに向けて話した任務の内容は本当にその一言のみ。

 さらに言ったら言ったで意味を図りかねる飛段達を脇に置き、責任者のしばらくの不在を指揮する部下に告げるよう近くにいた者に言づけ視察へと向かう。

 なぞかけのような任務、仕事の剥奪、居場所を追われる。あれよあれよという間にことを進めていく様は、流石は里長といったところか。

 

 このようなことは以前から行われてきたようだが未だに抵抗する飛段はともかく、ことの発端でもあったタモツは諦めた。

 報酬としてもらえるだろう人手を抜きにしても、里長直々に任された任務を断れるはずもない。早くに復帰出来るよう、大人しく()()()()をなすための手がかりを探すほかなかった。

 

「……大体手がかりっつてもよ、あてはあんのかよ」

 

 少しふてくされた口調ではあるが、聞いたところを見るに一応やる気はあるようだ。引きずられていることには変わりなくともその言葉を聞いたタモツの頬がゆるむ。

 それは口やポーズでは抵抗しつつもやるべきときはやる男だと再確認したことによる嬉しさ。そしてこの後の飛段を思ってのちょっとしたいたずら心。

 

 引きずっているため飛段には見えないだろうが、口元にはもはや隠しきれない笑みを浮かべながら返事を返す。

 

「ええ、飛段さんもよく知るあの人なら何か知っているはずです」

「ああ……やっぱそうなるよなあ」

 

 飛段を引きずるタモツは抵抗されながらではあるが、ここまで迷い立ち止まることなく歩いてきた。小さいながら仮にも一つの隠れ里。さらに屋敷自体もも里の政務を行う必要があるため部屋数多く広大ではあるにもかかわらず、だ。

 

 極めつけに、進んできた道筋は物覚えの悪いあの飛段でもよく知っている。

 実際先ほどの飛段の質問も確認のようなもので、タモツの返事から予想していたことが確信に変わりうなだれてしまった。

 

「そういえば、飛段さん最近あまり会っていないそうじゃないですか。この前会いましたけど、待っているのに来てくれないって寂しそうでしたよ?」

「……あれはそんなこと言うほど殊勝なやつじゃねえだろ。つうか、お前なら知ってんだろうが。あいつは元々俺の――――

「あっ、着きましたよ飛段さん」

「お前……後で覚えとけよ」

 

 話をふったくせに自身の言葉を遮るタモツに思わず青筋を浮かべる。そしてついでのように文句をつけたが、相手は飛段を敬称で呼ぶにもかかわらず毒づくことは決してやめない男。

 

 ――どうせ何言おうが変わらねえんだろうな。

 

 毒づかれる原因を理解せず、心の中で自身のことを棚に上げながら飛段は立ち上がった。

 

 

 首元を掴まれ後ろ向きに引きずられていたため分からなかったが、服の汚れを払いながら振り向けば扉が一つ。それも大人一人が両手精一杯広げても届かぬほどの両開き式であり、白塗りされているがぱっと見だけでも重厚な鉄製だと分かる。

 

 見た目和製の建築様式であるこの屋敷。けれどむしろ中にある座敷は来賓用として少なく、洋式のつくりの部屋が多いといった不思議なつくりになっている。

 そのため屋敷内を歩く際に両開きやドアノブ付きの扉を見つけるのは珍しくもない。だが飛段は他の扉とは違い、ここまで厳重になっている一室は目の前にある一つしか知らなかった。

 

「――――」

「どうぞ?」

 

 飛段が念のため、本当にこの部屋で合っているのかとタモツを見れば、むしろ飛段から入るよう促される。それを見た飛段はこのあたりが潮時だと、不承不承ながら扉に取り付けられた取っ手に手をかけた。

 

 取っ手は仮にも金属であるためひやりと冷たい。けれど決して我慢できない程ではないそれは重い音をたてつつ、飛段が力を入れたためにゆっくりと開かれていった。



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三話

今回の更新は早かった(自分の中では)


 天才という言葉がある。

 

 それは、常人の努力では決して辿り着くことのできない――許されない位階にその身を置く者たち。

 時に常人である周りからその才の高さ故に嫉妬され、途方に暮れれば無責任にも頼られ、中には畏怖され遠ざけられすらされる者たち。

 

 彼らの基準は呼ぶ者たちによって千差万別。そのためその場では天才と呼ばれようと、別の場では井の中の蛙と呼ばれることも茶飯事。

 

 ただ、大国に囲まれた小国。資源豊富にも関わらず、全体的な忍の練度はいまいち。

 どの国の誰しもが大戦の内に滅びると、言葉には出さずとも考えたことがあるであろう湯の国、そしてその戦力である湯がくれの里。

 

 彼らは何故大戦が終わった今尚、多くの被害は出ようと存在しているのか。

 

 それは湯がくれの里に、他大国でも間違いなく天才と呼ばれるだろう者がいたことも一つの要因と言える。

 

 

 その天才は普段里内で最も警備が高い、里中央にそびえ立つ屋敷奥に一室を設け、生活を送っている。それは里長である生湯が彼女の持つ才の高さ、そしてその重要性を重く受け止めたため。

 屋敷内で個人的に一室持つものが、その者を除けば里長である生湯のみと言えばことの大きさが少しは伝わるだろう。

 

 そしてもはや隠すまでもないが、飛段とタモツが生湯からの任務達成のため屋敷内にて訪ねた部屋の主こそ件の天才。

 

 自身たちでは解決法が思いつかないため答えを知る、又は答えを出すことの出来る者へと教えを請いに行く。単純だが失敗少なく、デメリットこそ相手次第だが確実性は中々だ。

 

 けれど扉を開けそこから見えた部屋内の景色に、飛段とタモツは若干の後悔を感じた。

 

 

「……あれ、誰かと思ったら飛段さんたちじゃん。今ちょっと散らかってるけど遠慮せず入ってよ」

 

 何処からか聞こえる幼くも遠慮のないその声。飛段たち二人にとっては聞き覚えのあるその声だが、今現在においては返事をすることもできない。

 

 扉からある程度連想することの出来るだろうその部屋。飛段たちの知る大抵の部屋より広く、そして天井や壁のみならず備え付けられた家具に至るまで真っ白。

 

 パッと見たならば研究室もしくは資料室のように見える。

 両脇の壁に手前から奥、床から天井に至るまで隙間なく置かれた戸棚。そこには紙の束や本など資料と思われる物から鉱石や植物、用途こそ分からないが何らかの器具も置かれている。

 

「……タモツ、お前この間ここに来たんだよな?」

「そのはず、だったんですけど」

 

 これまで飛段たちが歩いてきた屋敷内での道筋、そして扉を開けた際に話しかけてきた人物からここが目的の部屋には違いない。

 けれど未だに部屋から見て扉の向こう側、部屋を外から眺める飛段たちの顔色は優れない。

 

 何故ならその部屋は、端的に言って汚かった。

 

 かといって、何も汚れがあるわけではない。天井や壁にシミはもちろんのこと、さっと見た限りでは埃すらも落ちていない。

 

 なら何が汚いのかと言えば、それは床に散らばった資料の海と器具の山。

 いや、散らばっているというのは少し違う。それらは飛段たちの足元である出口から部屋の奥まで、隙間なく敷き詰めれられ、文字通り足の踏み場もない。

 

「ん? 二人とも動かないでどうした……ってああ、別に床に落ちてるのなら踏んでも大丈夫よ。見たら分かると思うけどゴミ同然だし」

 

 またしても聞こえてきた言葉に飛段が眉を寄せ、試しにと落ちている資料を拾うとそこには何も書かれておらず、ただの白紙。

 隣にいるタモツを見れば、その手に持つ器具のような物の表面を爪で剥がすところ。鈍色であったため何かしらの金属かと思われたそれは、実のところただのメッキ。剥がれた跡からは木目が見えてとれた。

 

 まさしくゴミ同然。

 飛段とタモツは互いに顔を見合わせため息を吐き、聞こえてきた声の通りにそれらを踏みながら部屋へ入る。

 

 広さは湯がくれの里にある演習場並み、と一室にしては破格のもの。けれど飛段たちは資料(ゴミ)器具類(ゴミ)の海山を、やはり迷うことなく進んでいく。

 

 目印は先ほどから聞こえてきた、口調の割にどこか幼さを感じる声の方へ。

 

 

「お、きたきた。タモツはこの間ぶり、飛段さんは私たちの班が解散して以来ね」

 

 見えてきたのは、床と同じくゴミで半ば埋まっている横長の机と、それに挟むよう置かれた二人掛けのソファが二つ。

 そして片方のソファに腰掛ける、一人の少女。

   

 ショートボブのように整えられた髪と同じく、黒色の縁をしたシンプルなデザインの眼鏡。昼頃に組手をしていた少年よりも幼く見えるその顔立ちは、見た目恐らくはまだ十歳かそれに満たないほど。

 研究者然とした身に着けている白衣は、サイズが合わず小柄なためか、ゴミだらけの地面にいくらか着いてしまっている。

 

「……おいユトリ、このゴミ山はどういうことだよ」

 

 飛段が反対側のソファに座りつつかけられた声に返事をする。その疑問も当然だろう。

 

 ユトリと呼ばれたこの少女こそ、湯がくれの里においての天才。そして本人が言っていた通り元飛段たち三人組(スリーマンセル)の最後の一人。

 

 そんなユトリは見た目に反して年齢は飛段たちとさして変わらず、そのため以前から交流もあり付き合いも長い。それだけに、今まで見覚えのなかったこのゴミ山には疑問を感じざるをえない。

 事実少し前にこの部屋を訪れたはずのタモツすら、この部屋の変わりようには思わず苦笑いだ。

 

 ちなみに、チンピラに毒舌苦労人と合法ロリ。

 だからどうしたといった話だが、それぞれの個性激しく忍ぶ気のなさそうな忍者が選り取り見取りである。

 

「なんだ、機嫌が悪そうだと思ったらそんなことだったの」

 

 心底以外と風に話すユトリに嫌な予感を感じる飛段。果たしてその予感は、急にソファの上に腰に手を当てながら立ちだしたユトリを見て確信に変わる。

 

 

「天才とは、総じて部屋が汚いものなのよ!」

 

 自信満々に言い放ったそれは、聞かされた飛段たちをして清々しさを感じさせるものだった。

 

「まあ、凡人である飛段さんたちには分からないだろうけど」

「……前は無口だったか?」

「その前は確か、よく眠るでしたね。全部飛段さんが教えたことじゃないですか」

「よく覚えてるじゃない。流石はこの天才忍者ユトリ様が認めた凡人たちね!」

 

 傲慢と言わざるを得ないその態度。

 ただそれに対して腹立たしく思うことがないのは、恐らくはその外見のせいだろう。言ってしまえば怒ること待ったなしだが、幼い子どもが可愛らしく威張っているようにしか見えない。

 

「それで、今日は何の用なのかしら? いつもならタモツに言づけてたのに、飛段さんが直接ここまで来るなんて珍しいじゃない」

「実は生湯のやつから訳わからねえ任務受けちまってな。お前も忙しいところ悪いが、ちょっと助けてくれねえか?」

 

 何か手助けがいるなら終わった後に手伝う、そう付け足しながら飛段が真正面から頼みこむ。

 

 ここに来てようやくの本題だが、何も忘れていたわけではない。なんだかんだ言いつつも久しぶりに会う班員に飛段も心落ち着いていたのだろう。

 

 特に近頃は慣れない任務に、絡んでくる子どもたちとで疲労していた分それもひとしお。表情も心なしかその時と比べれば穏やかだ。

 

 

「い や よ」

 

 ユトリの一言によって崩れはしたが。

 

「は?」

 

 全く予想だにしていなかった返し。これには声をあげた飛段だけでなく、そばで成り行きを見守っていたタモツすらも呆けた表情を見せる。

 それは何も頼んだらなんでもしてくれる、元班員なのだから断るわけがない、などと思っていたわけではない。

 

 この少女ユトリは姿こそ幼く、会話の様子からも性格に多少の難があることが分かる。けれどユトリは、その能力の高さから里長である生湯によってまるごと一室を与えられていた。

 そのため――というのも押し付けがましいが、事実ユトリは湯がくれの里内に置いて里長である生湯に次いで任務に就き働いていると言っても過言ではない。

 

 飛段たちは頼み込む言葉からも分かるように、もちろんそのことを知っている。それは以前からユトリの元へ時折訪れていたタモツからの情報。中には忙しさだけでなく、ユトリの任務についての内容、進行状況なども当てはまる。

 そのためタモツは今回の任務の手助けも、現在ユトリが就いている任務の進行状況ならば問題ないと判断した。飛段はそのことについてはタモツから聞いていないが、タモツが連れてくるのならそうだろうと判断していた。

 

 結局、ただでさえ多いユトリの仕事を増やしてしまうことに変わりはない。

 だからこそ付け足した言葉、余裕がないのならばユトリの任務を手伝うのもやぶさかではない。むしろ助けられる側として当然だ、とまで考えていたが、同時に渋られはするだろうがここまではっきりと断られるとも考えていなかったのだ。

 

「飛段さんの補佐はタモツでしょ? 私も余裕こそあるけど任務に手抜きは出来ないし、他を当たったらどうかしら」

 

 呆ける飛段をよそに、にこやかに自身が手助け出来ない理由を並べていく。

 

 ユトリが言っていることは間違いなく正論だ。事実時間こそかかるだろうが、飛段とタモツならばやりきれないこともないだろう。

 ただそんなことは百も承知で来ているのをユトリは分かっている。加えて元々班員ということもあり、飛段が持つ計画への並々ならぬ意気込みもよく知っている。

 

 ならば、何故ここまで頑なに断るのか。

 

 意味ありげな視線を送るユトリに、飛段はその理由がようやく思い至る。

 

「……実は任務が成功したらよ、生湯から報酬がもらえることになってんだよ」

 

 その言葉に果たして何の意味があるのか。放たれた対象であるユトリの表情は疑問を浮かべているが、内容を知るタモツは得心がいったとばかりに手を打った。

 

「そんでどんな報酬かっていうと……まあ、一言でいえば人手だ」

「……! へえ、タモツから少ないって聞いてるし、よかったじゃない」

 

 口調、声音、仕草。その全てにおいて先ほどまでと変わりないが、話す直前に飛段へと送るユトリの視線が強まった。

 そして意図して作らせた飛段がそれを見過ごすはずもなく、確信づいた自身の考えを進めるべく言葉を繋げていく。

 

「いや、ただ人手っつても使えないやつを数十人より、使えるやつ十数人の方がいい」

「まあ、当然よね」

「でもってどうせならただ使えるやつ十数人より、天才一人がいてくれたら捗ると思うんだよ」

「凡人の思いつきにしては悪くないわね」

「……けど俺の知り合いに天才なんていたっけかなあ」

「探してくれば?」

 

 

『――――』

 

 

 

「そこは黙ってつられろよ」

「いやよ。天才の私を差し置いてタモツを補佐に選んだくせに、今更助けてなんて図々しいわ」

 

 わざとらしくそっぽを向いたユトリに、呆れながらも飛段たちは強い既視感を覚える。

 それは先刻飛段と組手をし、終わった後任務のため作業を続けようとした飛段を呼び止めまだ絡もうとしていた少年。

 

 恐らくの発端は飛段が責任者として任命され、補佐を選ぶことになった際。

 当時飛段が思い浮かべたのはタモツとユトリ、長年連れ添った班員たち。そこからさらにタモツへと絞ったのは、タモツもそうだがユトリはその能力から特に任務多く多忙だったため。

 

 そういった事情もあって戦後飛段たちの班は解散したのだが、どうやらユトリは納得していなかったらしい。というより、自身だけ仲間はずれになっているような思いもあったのだろう。

 それを助長させた要因に、解散以降タモツ伝手にしか会話をしていなかった飛段本人も当てはまることに気づき、思わず飛段は項垂れた。

 

「でも飛段さんが誠意ってものを見せてくれるなら、話は変わってくるかもね」

「……お前初めからそのつもりだったろ」

「この天才相手に凡人にしてはよくやった方だと思うわよ?」

「諦めましょう飛段さん、彼女はそういう方じゃないですか」

「お前自分に被害がないからって……まさか、お前ら初めから通じてやがったか!?」

「機会があれば連れてきて、不自然にならない程度に黙ってろってだけですけどね」

「勝負は始まる前から決まっているのよ!」

「ただの八百長じゃねえか!!」

 

 いくら元班員とはいえ、ユトリの就く任務はその殆どが重要度の高い極秘の物。そうにも関わらずタモツはどうしてあそこまで詳細に知ることができたのか。

 

 頼み込んだのは飛段とはいえ、実質タモツも含めて二人で頼み込んだのに等しい。なのに何故労働以上を要求されるだろう対価を、飛段のみが支払う方向へと話がすすんでいくのか。

 

 思い返せば違和感は他にもあった。

 ただそれを飛段が指摘しようと、『気づかなかったやつが悪い』などと言ってまた今のようにからかわれるのだろう。

 

「分かった……ただし、お前の研究に付き合ってやるのは一日だけだ! それ以上は任務もあるし絶対に認めねえぞ!」

 

 もはや諦めるしかない。

 恐らくはこの部屋の扉を開けた瞬間から、もしくは生湯から任務を引き受けた時には既に決まっていた結果なのだろう。

 

「ふふ、話が早くて結構よ飛段さん。まあ、この天才に任せなさい。どんなランクの任務でも一日とかからず達成させてあげるわ」

 

 

 

 ――この合法ロリが。

 

 苦し紛れに呟いた一言により、任務に取り掛かるまで丸一日かかったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 ユトリに与えられた部屋と比べればいくらか狭く感じるが、それでも一室にしては広いと言わざるを得ないその部屋。

 備え付けられている窓を眺めれば既に鮮やかな夕焼け色は闇にのまれ、微かな月明りが夜空に浮かぶ雲を照らすのみ。

 

 部屋に数個ほど置かれた机の上には、書類のようなものが束になっていくつか置かれている。だが部屋の最奥に設置された、他よりもしっかりとしたその机の上には、他とは比べるべくもないほどの量の書類。

 ただそれも目に見えて減っていく。飛段ならば一枚目で目を丸くするようなものだが、なんてこともないように対処済みの束になっていく。

 

 それらを無表情、無感動にもさばいていくのは湯がくれの里、里長である生湯ノドカ。

 午前は執務、昼はタモツによって急きょ行われた作業場の視察、そしてそれが終わったのちに真夜中ともいえる現在まで働きづめ。ただそれだけの激務にも関わらず、本人の表情は相も変わらず無表情。

 

 部屋にはただ生湯が書類をめくっていく音と、その上を筆がよどみなく滑っていく音ばかり。

 

「入れ」

 

 不意に生湯が口を開く。作業こそ止める気配を微塵も見せないが、部屋にそれまでとは違う、静かながらもよく通る音が響いた。

 

「失礼します」

 

 生湯の言葉からしばし間を置き、重々しくも扉の向こう側から聞こえた声はしわがれたもの。それからゆっくりと開かれた扉の向こう側から現れた者は、白髪の混じる初老の男。

 線が細いその体格だが、額あてをしている男は歴とした湯がくれの忍。重なる歳により一線こそ退いたものの、後方において後進育成の一端を生湯より任せられた者だ。

 

「飛段とタモツの両名がユトリに接触しました」

 

 言葉を捉えるに、恐らくは報告。

 だが飛段たちは大戦中、元々同じ三人組の班にて活動していた。そのため、飛段とタモツに任務を与えた生湯がそのことを予測できないはずもない。

 

「妥当だろうな」

 

 あの二人ならばそうする。長年のある種信頼からなるその予測は、態々合っていたとしても驚くほどのことではない。

 そのためかどこか素っ気ない返事となった生湯の言葉。それも自身の作業を未だに止めることなく発せられたその姿勢。事実そうなのだろうが、関心を惹かれるものではないと言っているように見られても仕方ない。

 

「……良いのですか?」

 

 会話をする際には相手の目を見る。そんな最低限のマナーを守らない生湯に男は顔をしかめた。

 それは表情だけでなく、放つ言葉にも先ほどまでの淡々とした報告より若干の棘、私情が混じり始めたように感じられる。

 

「何の話だ」

「あの三人は、これからの湯がくれの里にとって唯一の汚点となる存在です。大戦中ならまだ使いようもありますが、平和主義を謳う我が里にとって、やつらはもはや邪魔でしかありません」

 

 生湯の言葉に我が意を得たとばかりに言葉を連ねていく男。自信満々に話すその言葉には、もはや報告などといった体すらもかなぐり捨てられている。

 

「第一、計画の責任者が飛段という話もそうですが、やつが呼ばれて私が件の会議に呼ばれていないのがおかしいのです。私がその場にいたのならば、誇りある我が里を観光地帯になどという妄言は吐かせますまい」

 

 ペラペラとよく回る口だが、男は気づいているのだろうか。

 自身が話す相手は男の飲み仲間などではなく、本来忍としてひれ伏し従うべき里長。言葉が過ぎるにもほどがあるということを。

 

「ほお、お前ならどうするというのだ」

 

 挑発するかのようなその口調に、男は楽しそうに話していた顔を再びしかめる。それは口調もそうだが、見れば生湯は未だに作業を続け視線すらも男に向けていない。

 その変わらぬ態度に自身のことを棚に上げ、男は生湯へため息とともに苦言を吐く。

 

「お言葉ですが、私の面を見て話してくれませぬか」

 

 その表情はやれやれ、といったもの。

 男と生湯の歳は親と娘ほどに離れている。男から見れば、反抗期のしつけのなっていない娘を相手にしているようなものなのだろう。

 

 

「実のある話ならばな」

 

 男はまず、突然聞こえてきたその言葉を理解出来なかった。

 次いで理解すれば、何の気なしに辺りを見回し始める。それは、まさか自分に言うはずがないという検討外れな考えから。

 

 当たり前だが、見まわしたところで部屋には男と生湯以外誰もいない。そして男はそこまできて、ようやく先ほどの言葉が自身に向かって投げかけられたものだと理解した。

 

「年寄というのは話し相手が少なくなると聞く。聞き流してもよいのなら何時でも聞こう」

 

 生湯の声は努めて冷静だった。本心からの言葉かは分からないが、それが男の尊厳を踏み躙る言葉だとは理解しているだろうに。

 

 現に男は顔を真っ赤に染め、小刻みにプルプルと震える。そらは紛うことなき、けれど自身のことを棚に上げた的はずれな怒りから。

 そして二度目の言葉を前に爆発するだろうと思われたそれは、唇を噛みしめ手を力強く握りながらも静まった。

 

「……お戯れも、程々にして欲しいものですな」

 

 忍として敬い従うべき里長の執務中に、事実今更といえることを好き勝手話し、挙句苦言すらもかけた男。

 この時点で既にどうしようもないが、一応は大戦を経験しながらこの歳になるまで生きてきた老獪。溢れる衝動も、一時的に過ぎないが自身の理性で押さえつける程度わけはない。

 

「そうか、それはすまなかった」

「全くですな」

 

 生湯は謝罪をするも、やはり男を見ようともしない。それが形だけのものだと言うことぐらい、子どもでも分かるというもの。

 もちろん男がそれに気づかないはずがない。再び溢れそうになる激情を抑えながらも、男の傲慢なその心中には、ただ不快という二文字が浮かび上がる。

 

「……そういえば里長殿、最近一つ耳にしたことがありましてな。今更ですが、お時間よろしいですか?」

「構わない」

 

 そのため男は、最近手に入れることのできた自身の札を一枚切ることにした。

 

 本来なら戦闘、政治。あらゆる駆け引きの場において、自身が持つ相手の知らない札というものは然るべき場、ここぞというべき時に使うもの。

 それをあろうことか、男は相手に馬鹿にされたからと切る。大戦後の今も生きてこそいるが、男の現在の役職を思えばその力量も納得だ。むしろよく生き延びることができたというもの。

 

「その前にあの三人は、戦時中に里長殿が忍として育てるために連れてきた戦争孤児。これに相違はありませんかな?」

「事実だ」

 

 ――勝った。

 

 男はその厭らしい笑みを隠そうともせずそう感じた。見られていないとはいえ里長相手にする醜くも汚らわしいその表情は、これをだしに目の前のお高くとまった女をどうしてやろうか、そんな考えが明け透けになっている。

 

 そして自身の勝利を確信した男は、相手にとどめを刺すべく口を開いた。

 

「実は里長殿が連れてきたあの三人。やつらはかの悪名高い宗教、ジャシンきょ――

 

 けれど男の言葉は、意味の測りかねる中途半端な部分で急に止まる――否、止められた。それは何の前触れもなく、突然男の身を襲った謎の圧迫感によって。

 男は仮にも忍であるため、殺気やその類には一定の耐性がある。圧迫感こそあれ殺意の欠片も感じられないそれは、本来気を少しばかり重くする程度でしかないはずだ。

 

 けれど男は、一瞬だが自身の死を幻視した。

 惨たらしく、呆気なく、凄惨に、この圧迫感を放つ相手に殺される自身を確かに見た。

 

 

「私の、気のせいだろうか」

 

 その声は先ほどまでと変わらず、普通ならば厳かにも一種の頼もしさすら感じられる。だが男はその声に畏怖を覚えこそすれ、頼もしさなど露程も感じられることができない。

 

 何故ならこの男を襲う圧迫感、それは間違いなく声の主である生湯から放たれていたのだから。

 

「貴様は今、私直々に箝口令を敷いた言葉を口にしようとしていたように思ったのだが。実際のところ、どうなのだ……?」

 

 男は人としての本能的な恐怖によって体が震える中、何とか視線を動かすことでその視界に生湯を捉える。

 

 見れば何時の間にやら、生湯の作業をしていた手は止まっていた。紙をめくる動きも、筆を進める動きも、男が何を言おうと決してやめることのなかったその手を止めている。

 それどころか男が不快に思っていた、一切向けられることのなかったその視線すらも、ただ一心に男へとのみ向けられている。

 

 それだけを見れば男の勝ちだ。元よりそんなことにこだわっていたのは男だけだろうが、生湯の鼻を明かしこちらを意識させることには、多少の差異はあれど成功したといえるだろう。

 もっともその生湯からの言葉にただ冷や汗を流し、返事をすることも出来ない男にそんなことを考える余裕など片時もありはしなかったが。

 

 生湯は返事が返ってくるとは思わなかったのだろう。事実男の返事を一切待たずして、生湯は男へと静かに語りかける。

 生湯がその圧を収めない限り動くことすらできない男へと、男にとっては恐怖を駆り立てるに過ぎない言葉によって。

 

 

「私が、あれらをこの里の忍にした」

 

 男の顔が一面蒼白へと変わる。

 

 

「私が、あれらに忍として生きる道を与えた」

 

 男の足が崩れ落ちそうなほど震える。

 

 

「私が、あれらが再び集まることを良しとした」

 

 男の心中ではただ後悔の念が浮かぶのみ。

 

 

 

 

「里長である私が、あれらがこの里にいることを良しとしている。お前たちは、それだけ知っていればそれでよい」

 

 両の目が零れんばかりに見開き、口から言葉にもならない音を発しては震え続ける男。目の前の逆らいようのない絶対的な存在を前に、首を一心不乱に上下に振り、生湯の言葉を全身全霊をもって肯定する。

 

 その理由を客観的に言ってしまえば、自身と一回りほど離れた歳の娘にただ言葉をもって静かに諭されたのみ。けれど先ほどまでと違うその態度には、もはや侮蔑を通り越して哀れみすら誘う。

 

「分かれば、早々に下がるといい」

 

 言葉と共に男へと圧し掛かっていた感覚が離散する。そしてそれに気づくや否や、退出の挨拶もそこそこに這う這うの体で逃げる男。今更でしかないが、その様は仮にも忍としてなんというべきか。

 ただ生湯が男を呼び止め苦言を申すことはない。それは元より、生湯は男に与えた任務以上のことを期待などしていないから。

 

 報告では歳上ということだけで威張り散らすも、木っ端の任務すらまともに出来ないと聞く男。

 そんな男に今更苦言など意味もなく、ましてや頼んでもいない報告など聞く価値もない。人手不足の昨今でもなければ早々に引退させているところ。

 

 そしてしばらく、生湯は律儀にも男が開け放って行った扉を閉めようと、席を立ちあがり扉へと向かう。緩慢なその動きは、仕方ないがくだらないことに付き合ってしまったとどこか気だるげ。

 けれど取っ手に手をかけ扉を閉めたのち、生湯がふと思い出したように口を開く。

 

「……だが、そうだな」

 

 部屋から男も去ったことで、再び生湯一人となった空間に響く声。それは誰に届くことも――ましてや届かせる気もないただの呟き。

 

 

「あれらがこの私を脅かすというのなら、手を打たなければならないな」

 

 

 それはやはり誰に聞かれることもなく、ただ空に溶けて消えていった。



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