戦士の魂は君と共に (影のビツケンヌ)
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再起の朝 ~Rising sun~

 「走れ!!」

 

兄の言葉に従い、彼は必死に足を動かした。ちらりと後方を見やれば、空母に似た、しかし距離感が狂いそうな程に巨大な艦船――学園艦がそびえている。先程までいたそこから、今は全速力で逃げていた。そしてそれは、周囲の人間も同じ。学園艦から半径二十キロに亘り避難命令が出ていた。

 最小クラスでもキロメートル単位の全長を持つ学園艦の動力、甲板都市上の電力を賄うには、大規模な原子炉の搭載は必須であった。幸い海水を濾過すれば冷却水には事欠かず、それを冷却するのも周りの海水を使えばいい。だが当然ながら、海上で原子力事故が起これば甲板都市の住民は逃げ場のないままそれに巻き込まれる可能性があり、また寄港した港でそれが起ころうものなら周辺地域にも被害が及ぶ。

 近年叫ばれる学園艦の統廃合は、維持費等の予算の都合ばかりでなく、このリスクを管理する為というのも大きな要因の一つであり――

 

「あ…っ!」

「! 大丈夫か!?」

 

思考を巡らせながら走っていた彼は、アスファルトの僅かな出っ張りに足を引っ掛けて転んでしまう。すぐさま気付いた兄が駆け寄り、彼を助け起こそうとしたその時、

 

「――ッ?!」

「ぐっ…?!」

 

猛烈な爆風と閃光が、二人を背後から襲った。

 やがて風が止み、ゆっくりと光の方へと振り返れば、

 

「…賢人学園が…」

「……!!」

 

神秘的な悪夢の如く、黒から白へと変色するキノコ雲が、天を貫いていた。

 

 

 

 

 

 「にーたん、おきて」

 

二歳になったばかりの甥の声で、彼は目覚めた。

 

「…(あきら)

「かーたんごはんつくった」

 

彼に晶と呼ばれた子供は、彼の覚醒を確認するや、用を告げてさっさと部屋から出て行ってしまった。閉め忘れた部屋のドアの向こうから、手すりに掴まってゆっくりと階段を下りていく足音が聞こえてくる。

 

「……」

 

 夢――実際にあった悲劇のプレイバックを見ていたようだ。

 

「…まあいい」

 

やおら起き上がった彼は、ほぼ正方形をした自分の部屋を視線でぐるりと見渡す。自分の寝ていたベッドの、丁度足を向けている方角に勉強机、その背後にノートパソコンが載った小さな机。部屋の角に位置するドアを挟んで反対には、ずらりと本が並んだ背の高い棚が配置され、その隣に大きめのクローゼットがある。目的のものは、ベッドの脇に敷かれたマットの上にあった。

 ベッドから降り、目的のもの――黒いジャージを手に取る。同居している義姉から、「シャツとパンツだけで降りて来るな」と厳命されていた彼は、普段の寝姿からそれに着替えるのが、朝起きて一番にすることであった。

 一階に下りる前に、部屋を出た彼は廊下の突き当たりにある洗面台に足を向けた。蛇口を捻り、冷たい水で顔を洗う。下部の引き出しの取っ手に掛けていたタオルで水気を取ると、彼は両手をシンクの縁に置いて身体を支え、じっと鏡を見つめた。

 

「……」

 

モンゴロイドにしては高めでスッと通った鼻梁、彫りの深い顔立ち。普段表情筋をあまり動かさないせいで口角は下がり気味で、目も細く、既に意識もはっきりとしているのにどこか眠たげな雰囲気を漂わせている。そして喉の付け根に水平に走る傷跡が、彼に近寄り難い‘神秘性’を纏わせていた。

 

 「…!」

 

ふと彼は、鏡に映る自身の背後に、自分よりも僅かに背の高い、自分によく似た、しかし自分よりもほうれい線が目立つ老け顔の、眼鏡を掛けた男の姿が映り込んだ気がした。

 

「…まだ、待っている訳だな」

 

彼が目を閉じて呟き、再び目を開いた時には、男の姿は消えていた。

 一階に下り、すぐ左手のドアを開ければ、そこがキッチンとダイニングだ。ダイニングテーブルに置かれたパンケーキの甘い匂いが、入ってきたばかりの彼の元まで漂ってくる。晶は一足先に席に付き、小さな手で器用にメープルシロップの瓶を持ち、黄金色の液体を全員分のパンケーキに躍らせている。一皿にパンケーキが二枚、皿は三枚。若干小さな皿に載った晶のパンケーキは、少々シロップをかけ過ぎているらしい。

 

「ジャージ姿も板についてきたようね」

 

キッチンの角にある冷蔵庫からオレンジジュースを取り出した金髪の女性が、立ったままテーブルを眺めていた彼に声をかけた。ウェーブしたセミロングの髪は後頭部で一本に纏められ、シンプルな白いブラウスと黒い長ズボンの下に鍛えられた筋肉を隠している。

 

「…おはよう、ボス」

「おはよう。何度も言うけれど、私はもうボスではないわよ、残月(ざんげつ)

「…おはよう、喜理恵(きりえ)さん」

「それでいい」

 

挨拶の後の呼び名を彼――残月に訂正させた女性、義姉の喜理恵は満足げな微笑を浮かべ、対して残月は眉一つ動かさず、二人はそれぞれの席に付く。晶の左隣に残月、向かいに喜理恵という具合だ。

 

 「「「いただきます」」」

 

声を揃えて手を合わせ、朝食が始まる。残月はナイフとフォークで二枚のパンケーキを同時に四等分し、口に運ぶ。一口分が多い上咀嚼が細かく、一口分が喉の奥に消える前に次の一口を突っ込むように食べている為、隣と斜向かいの二人より明らかにペースが速い。四分の三を腹の中に収めてから、オレンジジュースの紙パックから自分のコップになみなみとジュースを注ぎ入れ、残月は喜理恵に問うた。

 

「随分早いじゃないか」

 

残月がジュースを少し口に含むと、喜理恵は問い返した。

 

「何が?」

「晶がさ。どういう風の吹き回しだ? いつもなら早くても八時位だろう」

 

 現在時刻は七時六分。残月の言う通り、まだ二歳の晶が起床するには早い時間帯だ。この三十分後には残月は制服に着替え、八時になる前には高校に行ってしまう。故に本来、朝食の場で晶と鉢合わせることはおろか、先のように晶が自分を起こしにくることすらない筈なのだ。起きている彼と会うのは夕方以降になる。

 

「晶」

 

喜理恵は晶に呼びかける。大口を開けてパンケーキを頬張らんとしていた彼は、口に入る前にフォークを皿に置いた。

 

「どうして早く起きたのか、兄さんに教えてあげなさい」

「うん!」

 

晶は素直に頷き、残月に向き直った。

 

「にーたん、『せんしゃどー(戦車道)』やるんでしょ?」

「!」

 

 戦車道。戦車を用いた武道の一種だ。その名に反して実態は“対戦車道”とでもいうべきもので、戦車を駆る戦車兵と随伴歩兵との連携が鍵となる。

 戦車の運用にはその実戦利用初期から随伴歩兵の存在が必要不可欠であった。強力な火砲と強靭な装甲、無限軌道による地形走破能力を以ってしても、最も基本的な兵種である歩兵を完全に圧倒することは叶わなかったのだ。ペリスコープがあるとはいえその視界は劣悪極まり、閉所での機動力は歩兵に遥かに劣る上、車載機銃の面制圧能力の限界から、ギリギリまで接近されれば最早手も足も出ない。総じて戦車は不意打ちに弱いのである。

 戦車道が武道として定着した黎明期に於いては、戦車道は‘乙女の嗜み’とされ、その領域に男の踏み入る余地はなく、また歩兵のほの字もなかったが、より実戦に近い形式を求めた結果、随伴歩兵の制度が導入され、男女の境界線は――男が歩兵、女が戦車兵というのが未だ主流だとはいえ――存在しなくなった。

 

 「どういうことだ?」

「かーたんいってた。にーたんせんしゃどーやるって!」

「話を聞きたいそうよ、残月」

「…どうして、俺がまた戦車道を始めると思った?」

 

表情には殆ど表れていないが、残月は驚愕し、そして困惑していた。自分が小学五年生から中学二年生までを歩兵として費やし、二年前に引退した戦車道。確かにそれを再開しようとはしていたが、その思いを誰かに話した覚えはない。そもそも今彼が通っている高校は、戦車道が二十年前に廃止されていた。

 

「貴方が転校せずにここに残るって聞いた時から、薄々勘付いてはいたのよ。転校しないことよりも、その時の言い方で」

「……」

 

晶を産んだばかりの喜理恵と同居し始めたのは引退とほぼ同時期だったが、付き合い自体は長かった。そこからくる経験が、自分の感情の僅かな機微を感じ取ったのだろうと、残月は悟った。その感情は、願ってもない幸運への歓喜と一抹の不安、そして後ろ暗い期待。

 観念した。残ったパンケーキを口に押し込み、肯定する。

 

「…その通りだ」

「私からも聞くわ。()()で戦車道を始めるのは何故なのかしら?」

「……」

「貴方がここにいる理由はもうない筈よ。転校して、別の学校で再開したのでもよかったのではないの?」

 

続けて問われたことを話してもいいものか、残月は逡巡した。この情報を知り得ているのは、情報元以外では自分しかいない。友人を作るだけの時間を昨年度は過ごしてこなかった彼に、信頼できる同級生はいなかった。

 …だが或いは、喜理恵なら。

 

 「――ここだけの話だが」

「ええ?」

「…この学園艦――県立大洗学園は、今年度を最後に廃校になるらしい」

「…統廃合計画ね」

「大洗の生徒会は、戦車道全国大会で大洗が優勝すれば、廃校を取り止める約束を役人に取り付けた。二十年ぶりに大洗に戦車道が復活し――負ければ、これが正真正銘最後の年になる」

 

残月はコップを呷り、ジュースの五分の四を飲み干した。やや乱暴にコップが置かれ、残ったジュースの水面が揺れる。胸中を悟られまいと目を逸らしていたが、そこに反射した喜理恵の目に射竦められた思いがして、残月はコップを少し左にずらした。

 

 「…ミラー教官の言葉、覚えてる?」

 

残月を見据えていた喜理恵は、諭すような調子で口を開いた。彼女の口から出たのは、残月の中学校時代、戦車道の特別講師として招かれていた恩師の名である。つられて残月は、最も印象に残っていた教訓を口にする。

 

「“死を懇願した時、勝負は決まる”…?」

「そう。戦いの目的を自らの死の中に見出してしまった者は、決して勝利することはない。残月、今の貴方のようにね」

「!!」

 

――やはり、見抜かれるか…

 

自分でも、これが自虐的で卑怯な賭けだとは自覚していた。勝てば残りの高校生活も戦車道ができる。負ければ自然消滅するように戦車道から手を引ける。どちらに転んでも、自分は一人勝ち。それは己の内に、戦車道を続けたい気持ちと辞めたい気持ち――相反し矛盾する二つの感情が同時にあるからだ。

 喜理恵は小さく息を吐いてからそっと目を閉じ、数瞬の後、カッと開いた。

 

堀切(ほりきり)残月ッ!!」

 

その瞬間、残月は彼女を‘喜理恵’ではなく‘ボス’と認識していた。

 

「っ!」

「お前は我が戦友『ザ・ソロー(the Sorrow)』こと堀切隆信(たかのぶ)の弟にして、私の弟子だ!! そのような志でこの戦いに敗北することは、お前の歩兵としての、人間としての‘死’に繋がるばかりではない…私と我等『コブラ部隊(Cobra Unit)』の誇りに泥を塗ることでもある! それをわかっているのかッ!?」

 

 ここで初めて、残月は表情らしい表情を見せていた――瞠目である。

 自分が戦車道から退いたきっかけは、唯一人の肉親隆信の死であった。自分と同じカルマを背負った彼の病死は、荒涼とした失意と悲嘆、そしていつ己が身の内に潜む死神の鎌に刈られるのかという恐怖をもたらした。兄と同じく歩兵でいれば、自分が兄の二の舞になるやもしれぬ、そんな迷妄に駆られて逃げ出したのが事実だ。

 だが、逃げていては、逃げてばかりでは勝てるものも勝てない。「死は敗北ではない」とある作家は遺したが、不名誉な敗北は死にも等しいのだ。そう、今の自分のように、自分が作った‘逃げ場’で自他の尊厳を傷付けて尻に挟むような輩は――

 

「…すまない、ボス。俺はどうかしていたらしい」

「ようやく気付いたか」

「誓おう。俺は勝つ。逃げずに、戦って、ここ(大洗)を守り抜く。俺の戦車道(闘争)を続けさせて貰う」

「…それでいい」

 

 喜理恵の視線が穏やかになったことを確認した残月は、コップを空にしてから自室へと戻った。

 ジャージを脱ぎ捨て、クローゼットから制服を取り出す。ハンガーに掛かっていたのは、袖の縁が明るい緑色をした黒い学生服。素早く着替えた残月は、今度は上着の裏ポケットから、錠剤の入った瓶を引っ張り出した。蓋を開け、三つ振り出して口に含み、そのまま洗面台で水を掬って喉の奥へと流し込んだ。

 鞄を持って一階に下りると、キッチンとは逆の右手に向かう。玄関脇にある和室は、その奥に仏壇を備え、そこには残月を老け顔にして眼鏡を掛けたような男――隆信の写真が飾られていた。

 

「……」

 

残月は鞄を置いて仏壇の前に座り、瞑目して手を合わせた。

 目蓋の裏で、残月は自分のすぐ左手を通り過ぎる隆信の姿を幻視した。

 次いで、自分の肩に手を置き顔を覗き込んでくる隆信の気配を感じた。

 

 「…待っているところ悪いがな、兄さん」

 

残月は目を開き、仏壇の兄の写真と視線を合わせた。

 

「俺はそちらに行くつもりは毛頭ない。どうせ、まだいるんだろう? なら、()いてきて貰うぞ。兄さんに恥はかかせない、約束する。…俺を見ていてくれ」

 

仏壇に小さく頭を下げた時、写真に写る隆信の柔らかな笑みが深まったのを、残月は確かに見た。

 

「いってくる」

 

 玄関から残月が出て行くのをドアの開閉音で察知した時、喜理恵は空になった自分の皿を持って椅子から立ち上がっていた。

 

「かーたん、ざそろーってなに?」

「…私の夫で、貴方のお父さんよ」




ガルパンに興味を持ち、プロットだけで終わらせるはずが筆が乗ってしまい、半日足らずで書き上げてしまいました。

勘のいい方はわかるかもしれませんが、喜理恵はザ・ボス、隆信はザ・ソローをモデルにしました。今後もこういう人達がでてきます。まんまミラー教官って名前出てるし。
ただタグにもあるように『メタルギア』は出しません。


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予期せぬ邂逅 ~Fatal encounter~

 残月が転校する予定を翻し大洗に残ることを決めた要因、即ち県立大洗学園廃校の情報をどうやって手に入れたかといえば、誤解を恐れず言うなら盗み聞きである。新学期が始まる直前、生徒会室の前を通りかかった時、生徒会長角谷(かどたに)(あんず)ら生徒会幹部の会話が偶然耳に入り、歩兵として培った技術を総動員して‘情報収集’したのだ。生徒達の様子に変わったところが見られないことから、生徒会はこの件を公表しないでいるつもりらしい。

 自惚れている訳ではないが、残月は今に自分にお呼びがかかるだろうと首を長くして待っていた。全国大会での優勝を確実にする為に、大洗は戦車道経験者に頼らざるを得ない筈だ。戦車道のない大洗に、まさか自分以外に戦車道経験者がいるとは考えがたい。つまり二年のブランクがあるとはいえ、堀切残月という希望に縋るのは最早必然。

 結論から言えば、残月の目算は的中した。喜理恵の()()を受けて家を出、学校でいつもの通りに授業を受け(実は昨日、残月は外出する喜理恵に代わって晶の面倒を見るよう頼まれていた為、四時限目以降の授業は受けていなかった)、学食でたらふくラーメンを食べてホームルームに戻ろうとした矢先、生徒会副会長小山(こやま)柚子(ゆず)に生徒会室に来るように言われたのである。

 …彼の唯一の誤算は、戦車道経験者が自分以外にもいたことであった。

 

「…ガイ、に…みほ…」

「…残月っ?」

「堀切君?!」

「え、なに、知り合い?」

 

彼の親友とその妹が、今年度から大洗に転校してきていた。

 

 

 

 

 

 戦車道に流派は数あれど、『西住流』の名を知らぬ者は殆どいないだろう。

 “撃てば必中、守りは堅く、進む姿は乱れなし”と謳われるその流派は、統制された一糸乱れぬ陣形から繰り出される圧倒的な火力を用いて短期決戦で敵と決着をつける戦術を得意とする。その性質上歩兵の存在が軽視されがちだったが、戦車自体の性能とそれを最大限に生かした堅実な戦術でカバー。流派の影響を強く受けた黒森峰学園は、五年前に歩兵戦力の見直しが図られたこともあり、全国大会九連覇の記録を持っている。

 

 「…何故ここにいる」

「ほ、放送で呼ばれたから…」

「違う。何故大洗にいるのかと聞いているんだ、二人とも」

「…私達、蚊帳の外?」

「みたいですね…」

 

そして西住流の御曹司が、この場に二人いた。西住家長男ガイ、同じく次女みほ。残月には、この状況はあまりにも――すぐ近くにいた別の二人の女子生徒が目にも入らない程――奇妙であった。記憶が正しければ、二人は長女まほと共に、黒森峰に在学していた筈だからである。

 

「俺達は今年度からここにいる。尤も俺は飛ばされたというのが近いかもしれんな」

 

残月が問い質すと、ガイがニヒルな笑みを浮かべながら答えた。ぼさぼさとした黒い髪は一見品のない若者に見えるが、その前髪の隙間から覗く油断のない炯々とした眼光が、見る者にまるでキツネに擬態したヘビのような印象を与える。しかし残月には、結果だけを聞かされたそれは納得のいく答えではなかった。

 

「お前、前の大会は見なかったのか?」

()()がなかった」

 

その様子を察してか、ガイが残月に問う。残月は‘時間’ではなく‘余裕’という言葉を選んで答えた。時間がなかったのは確かだが、それよりも戦車道から離れていたさにメディアの情報を断っていたのだ。ガイは一瞬片眉を上げたが、すぐに元のニヒルな笑顔に表情を戻して続けた。

 

「決勝でみほが人命救助してる最中に、そうとは知らぬ相手方がみほのフラッグ車に砲撃してな。本当は俺の部隊が奴らの裏に回り込んで挟み撃ちする筈だったんだが、鉢合わせた向こうの歩兵に足止めされてそれも叶わず。結果黒森峰は決勝敗退、俺は戦犯として敗北責任を取ってここに流刑、みほもお袋に()()されてショックでここに逃げてきた、という訳だ」

「…そうか」

「……」

 

 余程の理由があるのだろうとは予想していたが、想像以上に酷だった。

 西住流師範にして二人の母、西住しほという人物の人となりは、小学生時代から付き合いのある残月は理解しているつもりであった。皮肉めいたガイの口調、沈痛な面持ちで俯くみほの様子から、しほが如何に親子の関係より歴史ある『西住流』の体裁を重視したかというのがよくわかる。今朝の自分とは、‘説教’の意味合いがまるで違ってくるだろう。――やはり、あの女は好きになれない。

 

 「そういうことだ、角谷。前も言った通り、俺は構わない。だが――みほは別だ」

「そ、そうだよ!! みほのお兄さんだってそう言ってるし!」

「横暴過ぎます!」

 

残月への簡潔な説明を終えたガイの顔から、すっと笑みが消える。彼と共に、置物と化していた二人の女子生徒がみほを庇うように前に立った。三人の視線の先には、五人の生徒会幹部の姿があった。

 ツインテールで小柄な生徒会長、角谷杏。

 先に残月を連れてきた生徒会副会長、小山柚子。

 片眼鏡の広報、河嶋(かわしま)(もも)

 団扇を持ったがっちりとした体躯の庶務、(はら)(さかき)

 竹刀袋を抱え座る痩身の書記、涸沼(ひぬま)木蓮(もくれん)

 

 「そうは言ってもねぇー」

「私達も困るんですよぉ」

「横暴かどうかはお前達が決めることではない」

「カカカ、舌戦じゃのお」

「……」

 

皆がそれぞれの態度で、みほを引き込もうとしているらしい。杏以下女子三人はそれがわかりやすいからともかく、残月は榊と木蓮の男子二人に注意を向けていた。榊は何も考えていないような笑顔で、みほに向けている責めるような視線を隠しているし、木蓮に至っては目が明後日の方向を向いているのに、竹刀袋の柄の部分を握り締めて実力行使すら辞さない気だ。

 残月は助け舟を出すことにした。

 

「少し、いいか?」

 

会話に割り込んだことで、必然彼に注目が集まる。

 

「俺は、俺や西住兄妹が必要な理由――直面している状況()知っている」

「…へぇ」

 

ここでも、彼は言葉の選び方を意識した。‘を’ではなく‘は’を助詞に使うことで、何も知らない一般生徒四人に唯の同情だと思わせ、一方で生徒会メンバーには、自分が情報を握っているというアドバンテージをそれとなく示しつつ、それを巧妙に隠す気遣いの押し売りを行なう(万一相手が気付かずとも、この学園の危機を安易に知らせる訳にはいかない)。…狙い通り、杏の瞳に僅かな動揺の色が浮かんだ。

 

「俺個人としてはガイ同様…むしろ棚から牡丹餅だ。だが本人の了承を得られない以上、みほにこれ以上の‘勧誘’をかけるのは…不毛だ」

「ッ!!」

 

 しかし、親友の妹を困らせていることへの苛立ちからか、残月は誤って、思わず言葉尻に挑発的な意味合いを持たせてしまった。桃の顔が怒りに歪み、彼女が右手で小さくフィンガースナップすると、脇に控えていた木蓮がゆらりと立ち上がる。

 主体性に欠けたロボットのような木蓮の顔が、残月を捉える。木蓮はこの場にいる男子の誰よりも小柄で、目測でも一六〇センチ弱しかない。しかし彼の持つ竹刀袋は、彼の身の丈とほぼ同じ長さだ。そして竹刀ならありえない筈の‘反り’があることで、残月の彼に対する警戒レベルは大きく跳ね上がっていた。

 

「……」

「!」

 

木蓮は竹刀袋から得物を抜き放ち、残月に突きつけた。

 

「「ひっ!?」」

「なっ…!?」

 

真剣だった。それもただの太刀ではない、野太刀である。女子生徒二人は悲鳴を上げ、ガイも目を剥いた。みほに至っては声も出せない様子だ。

 残月は、大洗に居合道部があったことを思い出した。去年の入学時、部員募集の為勧誘をかけていた幾つもの部活の中で、実際に演舞を見せ、藁束を斬ってみせていた居合道部はかなりの異彩を放っていた。今思えばその時、一人だけ学園に保管されているものでない個人の太刀を使っている者がいた気がする。かなり遠目に、特に興味も抱かず見ていた為、太刀と人とが妙にアンバランスだとだけ感じていたが、それはこの木蓮だったようだ。

 

「……」

「……」

 

刺々しい沈黙が流れる。残月が正面から木蓮を睨む――相変わらず表情筋は動かしていない――が、互いにまっすぐ見ている筈なのに相手と視線が交錯しない。ますます機械じみた振る舞いに、残月は何故か怖気よりも哀れみを覚えた。

 その時、

 

「あ、あのっ!! 私――」

 

唐突に声を上げたみほに、注目が移った。

 

「戦車道、やります!!」

「「ええぇっ!?」」

 

 思いもかけない宣言の直後に上がった女子二人の声が、残月とガイの驚きを代弁した。

 

「みほ、…いいのか?」

 

恐らく彼女の兄もしようとしていたであろう問いを、残月は先んじて投げかける。詳細まで把握してはいないが、歩兵か戦車兵かという差はあれど、かつて自分と同じく戦車道を楽しんでいた筈の彼女が戦車道から逃げ出してしまう程の心理的外傷(トラウマ)を負っているであろうみほを、残月は案じたのだ。

 対してみほは、笑顔で首肯した。

 

「…そうか。なら、いい」

「決まりだね」

 

生徒会長の声で、緊迫していた生徒会室に平穏が戻る。残月とガイの視線が合い、残月は無表情で、ガイはニヒルな笑顔で応えた。――そういえば、昔もいつもこうして笑っていたな。残月はそんなセンチメンタルな郷愁にも似た感情を、胸の奥にそっとしまい込んだ。

 納刀を示す鍔鳴りの音に僅かに振り向けば、木蓮が確かに、一瞬だけ()()()()‘見て’いた。

 

 

 

 

 

 放課後、残月ら五人は『74アイスクリーム』なるアイス屋にいた。これから戦車道履修者として道を共にする仲間と親睦を深めると同時に、二年ぶりに再会した友人との談話を楽しむ為だ。

 

「それじゃ自己紹介! 私武部(たけべ)沙織(さおり)!」

五十鈴(いすず)(はな)といいます。よろしくお願いしますね」

「西住ガイだ。もう知ってると思うが、みほの兄だ」

「堀切残月。ガイとみほとはそれなりに長い付き合いのつもりだ…よろしく頼む」

 

自己紹介もそこそこに、窓際のカウンター席で各々アイスを口に運びながら会話は弾む。大洗はサツマイモで有名なこともあり、多種多様なアイスのメニューの中にはさつまいもアイスがあったが、他のメンバーが全員注文しているそれを残月は選択していない。残月はサツマイモが対人地雷より嫌い――曰く「非人道的」――であった。

 

 「折角大洗に住んでいるのにサツマイモ嫌いが治っていないとは、やはりお前も変わらないな」

 

女子三人の会話から炙り出されたガイが、一番端に座る残月にからかうように声をかけた。窓の外とみほとをぼんやり眺めつつ、抹茶とチョコチップとラムレーズンを一緒くたにして飲み込んでいた残月は、視線を動かさずに不満を滲ませた声で応える。

 

「…よく言う。どうせお前のパプリカ嫌いもみほのピーマン嫌いも治っていまい?」

「ハハハ、バレたか。どうだ、喜理恵さんと晶は?」

「元気過ぎる位さ。晶など今朝は俺より早く起きていたぞ」

「ほう、そいつは何よりだ」

「…お前達二人も、元気そうでよかった」

「俺も最初は心配していたんだ。だがみほにはもう友達ができたらしい。杞憂だったな」

「お前はどうした」

「俺は友達は選ぶ方でな」

「ものは言い方だろう」

 

 軽口を叩き合う二人は学年こそ違うが、それが彼らの仲を隔てる要因にはなっていない。残月の誕生日は四月十三日、ガイの誕生日は三月十四日で、ガイが早生まれな為に実年齢は殆ど離れていないのだ。気の置けない友との膝を交えた会話に、心なしか残月の表情も柔らかくなっていった。

 

 「…みほは、強いな」

 

会話が途切れた僅かな間を突き、残月は切り出した。

 

「?」

「俺は戦う前から逃げた。みほは戦ってから逃げた。…この差は大きい」

「残月…」

 

みほの優しさは、彼女の母親の厳しさと同じ位よく知っていた。自分よりも友達を、仲間を大切にし、戦い合った者達とも仲良くなる。彼女の“人命救助”というのも、勝負よりも人の心を優先した結果であり、そして今日戦車道の履修を決めたのも、戦車道を希望していたのにみほに合わせてそれを曲げ、生徒会の横暴に抗議していた沙織と華を思ってのことなのだろう。生来的に勝負事というものに余裕がない自分には、それは簡単には真似できそうもない。その余裕のなさが、自分を‘逃げ’へと走らせたのかもしれない。

 だが、と残月は続ける。

 

「――今度は逃げない。みほも戻ってきている。俺も今日覚悟を決めた。もう一度、戦場に立つ」

「…そうか」

「ガイ。またいつかのように、力を貸してくれるか?」

「言われるまでもないさ…親友の頼みだからな」

 

残月の独白に若干驚いた様子のガイだったが、彼に頼まれるとすぐに調子を取り戻し、差し出された手を固く握った。やや節くれ立ってごつごつとした互いの手の感触もまた、二人には懐かしかった。

 

 「あっそうだ、堀切君連絡先交換しない? みほのお兄さんも!」

「…そうか、そうだな」

「ああ、連絡手段があるに越したことはない」

「でもお兄ちゃん、日中殆ど携帯の電源切ってるでしょ」

使()()()は使うさ。五十鈴さんもどうだ?」

「ええ、ではお願いします。堀切さんも」

 

これが、かつての友と新たな仲間達との再スタート…否、ゼロからのリトライとなる。残月は鉄面皮の奥で、己を奮い立たせた。




試合中以外のプロットは大体組んでいます。
既に伏線も幾つか張っていますが、試験も近いので他作品同様更新は遅れるでしょう。

これからもオリキャラが多数登場する予定です。
随伴歩兵という設定上どうしても数を揃える必要があるので、純粋なモブは勿論これまで作ってきた作品のオリキャラよりも設定の薄いモブ同然のも出る可能性が極めて高いです。


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そこにあったもの ~What is there~

 「…意外と集まったようだな」

「ああ、あの悪趣味なプロパガンダ(オリエンテーション)でよくも、と評価したいところだ」

「プロパガンダ?」

「一昨日の授業の後に体育館で見せられたビデオだよ。お前はいなかったな、残月」

 

翌日の校庭には、戦車道の履修を希望した生徒達が続々と集まってきていた。昨日親睦を深めた残月達もその一部だ。

 ガイの言う()()()()()()とは、残月のいぬ間に行われた全校集会のことである。戦車道が古くから(具体的には一九二〇年代から)行われてきた伝統ある武道であることを説明した数分間のビデオの後で、柚子の口から直々に、戦車道履修者への法外な特典が告げられたのだ――即ち、「食堂の食券百枚」「遅刻見逃し二百日」「通常授業の三倍の単位」。これをガイに説明された残月は「…そうか」と無表情で(いつものように)返したが、内心冷や汗ものであった。廃校を防ぐ為とはいえ、これだけの強権が許されるのは、「大きく世界に羽ばたく人材の育成と生徒の自主独立心を養う」為に作られ、その運営の大部分を生徒に委託している学園艦だからこそだろう。

 

 「なんか男子大分多くない…?」

「戦車兵はともかく、歩兵になろうとする女性って多くないの。例外はあるけど…」

「確かに…安全に配慮されているとはいえ、私も歩兵になるのは、少し怖いですね」

 

沙織の指摘する通り、みほ達を含めた女子二十人程に対して、男子はその五倍近い数がいる。しかし、単純に男子を歩兵、女子を戦車兵としてみれば、全体的な人数は少ないものの、最低限の要求は満たされた比率というべきだろう。戦車道といえど歩兵の仕事は戦車を守ったり破壊したりするばかりではなく、偵察や斥候、歩兵同士の戦闘、火力支援、土木工作など多岐にわたる。それらを分担して行なうには、試合中の損耗が激しい歩兵は数が多い程都合が良い場合が多い。…みほの言う通り、()()()()()のだが。

 

「…ガイ、どう思う?」

「そうだな…見込みのありそうなのは何人かいなくもないが、どいつも紛れもない素人だからな。将来性という意味でも、まだわからない」

 

ガイは残月に問われ、男子達をぐるりと見回した。かつて黒森峰では中等部から歩兵隊長を務めていた彼を、残月は見込んだのである。ガイは隊長としての経験に磨かれた目で歩兵の卵達を観察する。

 

「のう涸沼、お主も戦車道か? まあ仕方あるまい、お主の主体性のなさは今に始まったことではないからのう、カカカ」

「……」

 

生徒会の要請で来ているのであろう榊と木蓮。

 

「さて野郎共、これから戦車道をやる訳だが…」

「俺パイナップル投げたい! フォークで!!」

「パンツァーファウストフルスイングして大丈夫かな?」

「AKぶっぱしてぇー」

「馬鹿言えありゃ終戦後の武器だよ」

「…うむ、気合いは十分だな!」

 

キャプテンの話を聞かない坊主頭の野球部のメンバー。

 

「デュフフ…三段バラ氏、いよいよ始まりますな」

「いよいよですぞ、宵闇のアギト氏。これで我らがサークル『どらごんばすたー』も遂に日の目を見ることになりましょうぞ」

「いいよ、来いよ! 胸に賭けて胸に!!」

「戦車のロマンとおにゃのこの口○ン、一粒で二度美味しい!」

「その発想はいらなかった」

 

オタク趣味丸出しで際どい発言すら飛び出す大洗非公認サークル『どらごんばすたー』の一味。

 

「腕っ節の強そうなのに任せるつもりでいたが…」

「大丈夫なの?」

「早くも落第の予感が…」

「安心しろって、大抵こういう実技系は相対評価だから」

「…気休めのつもりかよそれ」

 

明らかに他力本願な一年生と思しき集団。

 …正直な感想を言えば、残月には今の時点でこれが戦力になるとは考えられなかった。

 

「まあ、訓練が始まれば嫌でも少しは動けるようにはなるさ」

「だといいがな」

 

ただ、ガイの言葉には曖昧に応えたが、その意見には概ね同意できた。中学一年生の間、自分と当時の仲間達を鍛えていたミラー教官――本名マクドネル・ベネディクト・ミラーは典型的な鬼教官で、小学四年生から独自に‘下積み’し五年生から戦車道を始めていた自分ですら骨を折る程の(無論物理的には折れていない)訓練を課された。その年から戦車道を始めたばかりの仲間は心まで折られかけたことだろう。しかし、その訓練で部隊の戦闘能力が大きく向上したのは紛れもない事実であり、教官は『マスター・ミラー』と呼ばれ慕われた。訓練からドロップアウトしない限りは、人間性(パーソナリティー)はともかくどんな人間でも一人前の兵士になることができるというのが、残月の持論である。

 尤も、この学園の陥っている危険な状況を鑑みれば、彼ら彼女らには是が非でも使()()()戦力になって貰わねばならないのだが。敵前逃亡などされては堪らない。

 

――…そういえば…

 

逃げる、という言葉で、残月はふと今朝の出来事を思い出した。

 

 

 

 

 

 大洗学園艦の全長はおよそ七キロメートル。甲板中央やや船尾よりに位置する大洗学園の校舎は、残月宅からは直線距離でも一キロ半弱離れており、徒歩では最短ルートでも十五分から二十分はかかる。朝のホームルームが八時半からのスタートなので、通常残月が校門をくぐるのはその十分程前になり、彼にはクラスメイトと雑談に興じる時間があまり与えられない。幸か不幸か、残月は昨年度を専ら独りで過ごしていた為に、それはさほど大きな問題にはなっていなかった。

 この日は晶が早起きしてくることもなく、残月は平常通りに家を出た。しかし学園への道のりにしてあと一キロ程度といったところで、何事もなかったかに思われた彼の通学路は終わりを迎えたのだ。

 

「…?」

 

細い道から十字路に出てきた残月が、何気なく学園の反対側――左手を確認すると、彼は同じく登校中の女子生徒が歩いてくるのを認めた。しかしその足取りはふらふらと覚束ない様子で、顔色も悪く、ともすればその場で倒れてしまいそうであった。身長は一五〇センチ弱、長く黒い髪にカチューシャを付けている。

 

「……」

 

ここから先の道は真っ直ぐで、校舎まではほぼ直進すればいいだけだ。辿り着けないということもあるまい。残月はそう自分を納得させて、再び学園へと歩き出す――

 つもりが、足が止まった。

 

――それでいいのか?

 

良心の呵責、とはまた違う。本人ですら忘れかけていた、堀切残月という人間を形作る‘根本的な何か’が、彼に問いかけ、彼をその場に押し留めたのだ。次いで思い起こされるは、昨日の喜理恵の説教。

 

「…大丈夫か?」

 

気付けば、残月は前後不覚の女子生徒に歩み寄り、声をかけていた。身長一七二センチの彼の目線では見下ろす形になってしまうので、顔を覗き込むようにして若干腰を曲げることになる。

 

「…大丈夫じゃ、ない」

「乗れ。車に轢かれかねない」

「…悪い…頼、む…」

 

 かくして、半ば倒れ込むように残月の背中に身を預けたその少女を背負い、彼の通学は再開された。

 残月は大股に歩きながら、彼女に手を差し伸べた理由を振り返った。

 彼女を無視しようとした時、彼は自分の心が軋むような摩擦音を立てるのを感じた。自分を活かす場が失われる空しさに悲痛な声を上げる何かが、胸の内で鎌首をもたげたのだ。この二年の間、自分のことばかりに手一杯で周りを見ていなかったが故に向き合う機会もなかったが、それは遥かな昔から己の奥底に確かにあったもの。

 悩める者、窮地にある者、途方に暮れる者、そんな者達の救いになりたい。人が傷付き害を受けるのを見たくない。それは浅はかな自己顕示欲でも幼稚な英雄願望でもなく、唯己の手の届く‘困っている誰か’の為に在りたいという、慈悲よりも純粋で誇り高き意思。

 

「…そう、だったのか」

 

喜理恵の説教を思い出した訳も、同時に理解できた。

 自分はまたしても逃げようとしたのだ。今度はあろうことか、自分の中にあったプリミティブな想いから。困っている誰かに手を差し伸べる、それまで自分が呼吸するようにしていたそのことを、自分の想いに蓋をして逃避しようとしたのである。丁度昨日の朝までの自分が、大洗の廃校(敗北)すら込みで戦車道に再参入しようとしていたように。

 

 「…借りは、返す…」

「いや…俺も借りができた」

「?」

「大事なことを思い出した」

 

西住兄妹に出会う以前から、残月は自分の意思を貫き、困っている者を手の届く限り助けてきた。しかし隆信の死が呼び寄せた根拠のない恐怖が周囲への目を曇らせ、人助けの余裕を失わせ、その意思の存在そのものを澱んだ水底に封印しようとしていた。だがそれも今、彼女を助けたことで引き揚げられた。

 逃げずに戦う――喜理恵に誓ったその言葉を、残月は己の意思にも当て嵌めた。

 

「…だから、帳消しだ」

 

 この後、校門で待ち構えていた風紀委員会委員長(その)みどり()――通称『そど子』――に、残月が連れてきた冷泉(れいぜい)麻子(まこ)という生徒は搾られることになり、残月も若干のとばっちりを受けたが、彼には些細なことであった。

 

 

 

 

 

 「――これより、戦車道の授業を開始する」

 

桃の声で思考の海から意識を戻すと、生徒達は格納庫と思しき建物の前に移動していた。少し初動が遅れ最後尾近くになっていた残月は、ガイを追い生徒の合間を縫って最前列に出る。

 

「あの…戦車は、ティーガーですか? それとも――」

「えーと何だったっけな」

 

杏が女子生徒の一人に問われ、確認の為重い扉を開けた。するとすぐに一台の戦車が目に飛び込んでくる。

 

「…IV号か」

 

 即座に、残月の脳裏に眼前の戦車の情報が浮かび上がる。IV号戦車――第二次世界大戦中のドイツ製中戦車。一九三五年にドイツ国防軍の指示によって四社での競争試作を勝ち抜き採用された。各国戦車の装甲強化に伴い、それまで対戦車用として使用されていたIII号戦車では砲力が不足した為、スペースに余裕がある本車に長砲身砲を搭載。結果的に新型の登場以降も主力戦車として大戦末期まで活躍、ドイツで最も生産された戦車となった。

 

「ええ…」

「何これ…」

「ボロボロ…」

「ありえなーい…」

「わびさびでよろしいんじゃ…?」

「これはただの鉄錆」

 

生徒達の言う通り、大洗の戦車道廃止から二十年放置されたIV号は、薄汚れたプラモデルの様相を呈していた。華の苦し紛れなフォローも沙織に一蹴されている。だが西住兄妹は気にせず、みほは戦車に、ガイはその奥の高い棚へと歩み寄っていく。

 

「…装甲も転輪も大丈夫そう。これでいけるかも…お兄ちゃん、そっちは?」

「こっちは保存状態がいいな。いい意味で使い込まれてる。見ろ残月、このガバなんざ新品同様だぞ」

 

いつの間にか脚立を出して棚の上に登っていたガイは、その上の段ボール箱を覗き込んでいた。中には歩兵用の装備が入っていたらしく、サプレッサー(減音器)の取り付けられた一丁の拳銃を残月に投げ渡してくる。

 

「!」

 

 機敏に反応した残月が受け取ったのは、かつて彼が好んで使っていたものだった。M1911A1――高名な銃器設計者ジョン・ブローニングの設計に基づいて、アメリカ合衆国のコルト・ファイアーアームズ社が開発した軍用自動拳銃。一九一一年に陸軍に制式採用されてから一九八五年にベレッタ92Fが後継となるまで七十年以上も使われ続け、現在でもアメリカ軍とその特殊部隊で使用されている傑作自動拳銃である。.45ACP(Auto Colt Pistol)という大口径弾から生み出される高いストッピングパワーを誇り、兵士達からは「ハンドキャノン」とも渾名された。

 愛銃であっただけに、その銃の素晴らしさに気付くのに時間は必要なかった。

 

「…鏡のように磨き上げられたフィーディングランプ…強化スライドか――更にフレームとの噛み合わせをタイトにして精度を上げてある。サイトシステムもオリジナル。サムセーフティも指を掛けやすく延長されている。トリガーも滑り止めグルーブの付いたロングタイプだな。リングハンマーに…ハイグリップ用に付け根を削り込んだトリガーガード――それだけじゃない、ほぼ全てのパーツが入念に吟味されカスタム化されている…」

「なるほど、ここには相当に腕の立つガンスミスがいたらしいな。歩兵の装備は期待できそうだ」

 

ガイの言葉に、男子達が歓喜の声を上げる。銃や兵器に憧れがちな思春期の少年達としては当然の反応といえよう。脚立の上から格納庫内を見渡せば、他にも数台のジープや装甲兵員輸送車が鎮座しているのが見えた。全て歩兵の為のものだ。

 そこでガイは、あることに気付いた。

 

「角谷」

「んー?」

「他の戦車はどうした?」

「ないよ」

「「「…え?」」」

 

 前途多難だと、残月は確信した。




今回の話は区切りに苦労しました。
当初は戦車捜索開始まで書く予定でしたが、繋がりが悪くなると判断しカット。捜索は次話に回します。

自分としては文字数も少し少なく、かなり台詞が多くなってしまい不安が大きいです。
地の文(というより説明文)主体で書いてきた人間故、動きの描写ばかりになると「え、これ大丈夫なの? 安っぽくない俺の文章?」という風になります。w

まあ…ようやくメタルギアらしいことができてきたので妥協しますw


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捜索 ~Hidden somewhere~

 杏の言った「ない」という言葉が、校内に戦車がIV号しかないという意味だったのは、残月にとって救いだった。学園艦のどこかにあと数両の戦車が存在するらしく、最初の授業は戦車の捜索に充てられることとなり、残月もまた、現在ガイやみほ達と共に捜索活動に従事している。尚、歩兵の装備は倉庫にあったものだけで難なく全員分を確保することができた。

 …もし本当に他の戦車が一両たりとも存在しなかったなら、受け取ったM1911A1で杏の眉間に風穴を空けていたところだ(尤も、戦車道用の弾丸を使用している為殺傷能力は極めて限定的であり、比喩表現でしかないのだが)。

 

「余程気に入ったようだな」

「ああ…是非とも使いたい。ガイ、構わないか?」

「それ位は大丈夫だろう」

「恩に着る」

 

残月はそれを手にとって眺めているうちに、校外まで持ってきていた。ホルスターを身に付けていない為、拳銃を制服の裏ポケットにしまい込む。戦車道用の銃器は通常の銃器よりも規制が著しく緩く、戦車道を履修する生徒がこのように持ち歩いている程度では銃刀法には違反しない。グリップ(銃把)に戦車道用のものであることを示す刻印が彫られる他、マガジン(弾倉)とマガジン導入部の規格が通常の銃器とは僅かに異なる為、殺傷力のある弾丸を発射することはできないからだ。

 閑話休題。

 

「探すって言ったって、どこにあるっていうのよー!!」

「駐車場に戦車は停まってないかと…」

「だって一応は車じゃない…」

 

捜索は早くも暗礁に乗り上げかけていた。まずもって手掛かりすらないのだ。沙織の言う車両という共通点から、最初に学園の駐車場を訪れたが、当然ながらそこには乗用車がそこかしこに散在するばかりである。残月はガイとみほとをちらりと見たが、考えは浮かんでいないらしい。――いよいよ、本当に虱潰しに探すしかなくなってきた。

 

「じゃあ、裏の山林行ってみよ! 何とかを隠すには林の中って云うしね」

「それは森です…」

 

一番アグレッシブな沙織――“かっこいい教官が来る”と杏に唆されたのもある――に引っ張られるようにして、華、みほ、ガイとその隣の残月の順に移動を開始する。探し物をするにはあれこれ考えるよりも体を動かした方がいいというのには、残月も同意だった。この場合手当たり次第という言葉が最も似合う。

 

「よう、あんたが西住か?」

 

その時、ガイの後方から声をかけてくる者があった。ガイと残月、そして西住の名に反応したみほが振り返り、少し遅れて先を行く二人も振り返る。

 そこにいたのは、制服の上着を脱ぎ、代わりにポケットの多いオリーブドラブのベストを着た茶髪の男子生徒。顔立ちは残月に似て彫りが深く目も細いが、全体としてより冴えて引き締まっており、一方で纏う雰囲気はその飄々とした微笑のせいか、残月よりも柔らかく親しみ易さがある。

 

「そうだが、何か用か?」

「俺は古城(ふるき)志朗(しろう)。俺と、あともう二人仲間に加えて欲しいんだが…」

「俺は構わないが…もう二人?」

 

志朗と名乗った彼の言葉にガイが首を傾げると、彼は自分の背後を指差した。その先の木陰から、一人の男子生徒が癖毛の女子生徒の腕を掴んで引っ張り、ガイ達の方角に歩いてくる。

 

「大丈夫だって、俺がついてるから! 憧れの西()()殿()に吶喊してこい!!」

「えええ!? で、でも…」

 

男子生徒は身長こそ残月より僅かに低いが、骨太で筋肉質な為残月よりも一回り程大柄に見えた。隣の女子生徒と対比すると少々不安を覚える体格差だが、清廉潔白を絵に描いたような無造作で朗らかな顔はそれを打ち消して余りある。やがて二人は志朗の隣に辿り着き、一同を正面に見据えた。

 

「あ、あの…普通II科C組、秋山(あきやま)優花里(ゆかり)です! 不束者ですが、よろしくお願いします!!」

「同じく笠置(かさき)蒼莱(そうらい)だ。優花里と()()共々、よろしく頼むぜ!」

「「「…大佐?」」」

 

 

 

 

 

 自己紹介の後、草木を踏み分け移動しながらの沙織と華の説明で、転校したばかりの西住兄妹、当時学園祭を休んでいた残月の疑問は解消された。

 『大佐』とは、古城志朗に付けられた渾名(ニックネーム)である。彼は映画研究部の副部長であり、入部当初から発揮した類い稀な演技力で副主演俳優に抜擢された。特に昨年度の学園祭で放映された作品の一つ『メタルギア2』に於ける『ロイ・キャンベル大佐』は嵌り役とされ、その人気の高さから今でも『キャンベル』や『大佐』の名で通っているのだ。

 因みに、彼の再登場を望みメタルギアの更なる続編の制作を希望する声が噴出しているが、過去二作で主役を演じ脚本も書いた三年生が卒業してしまった為に、続編は絶望視されている。

 

 「――これは全て熟練した職人の仕事だぞ」

「レストマシンでの射撃なら、二十五ヤード、ワンホールも狙えるに違いありませんよ」

「しかし凄い銃だな…」

 

そんな彼は今、残月から渡されたM1911A1を舐めるように観察していた。その周りに優花里と蒼莱が群がり、目を輝かせながら一緒になって銃を覗き込んでいる。

 

「なるほど、熱意も目も本物らしいな。合格だ」

「あんたに認めて貰えるのは光栄だよ、『ソリッド・スネーク』」

「ガイでいい。歩兵の武器装備の整備はお前に預けるよう、生徒会に計らっておく。いい仕事をしてくれよ、‘大佐’?」

「もちろんさ。よろしく、ガイ」

 

 古城家は鉄砲鍛冶の家系であり、銃刀法が制定されてからはアメリカに出てガンスミスとなった。志朗の父もアリゾナ州フェニックスに住んでおり、志朗の元には毎月仕送りが送金されてくるが、三年前からその額が減り、学費の節約の為にこの大洗学園に入学した経緯がある。そして今回戦車道を履修するのも、その特典を更なる節約に利用したかったからであった。

 中学校三年間、彼は実戦に出ることはなかったものの、戦車道に関わっていた。訓練こそ受けていたが、親の影響で身に付けていたガンスミスとしての技術と知識を活かすべく、歩兵用装備の整備士としての活動が主であった。このことをガイに伝えたところ、ガイは手始めに残月の銃を見るよう指示。志朗はそれを喜んで――実は倉庫で見た時から気になって仕方なかったという――承諾し、今に至る。結果は二人の会話の通り。

 残月も、志朗の見識眼には舌を巻いていた。

 残月の45口径(フォーティファイブ)は、志朗曰く――

 まずフィーディングランプが鏡のように磨き上げてある。給弾不良を起こすことはまずないだろう。

 スライド(遊底)は強化スライドに交換されている。スライドとフレームの噛み合わせにもガタつきが全くない。フレームに鉄を溶接しては削る作業を繰り返して徹底的に精度が上げられている。

 フレームのフロントストラップ部分にはチェッカリングが施され、手に食いつくようだ。これなら滑ることはないだろう。

 サイト(照準)システムもオリジナル――3ドットタイプ。フロントサイト(照星)は大型で視認性が非常に高く、サプレッサーも邪魔にならない。

 ハンマー(撃鉄)もリングハンマーに替えてある。コッキングの操作性を上げ、ハンマーダウンの速度も確保する為だ。

 グリップセーフティもリングハンマーに合わせて加工済み。グリップセーフティの機能はキャンセルされている。グリップセーフティは銃の扱いに慣れた者には不評だからだ。

 サムセーフティ、スライドストップも延長され、確実な操作を可能にしている。

 トリガーガード(用心金)の付け根は削り込まれ、ハイグリップで握り込める。

 トリガー(引き金)は指をかけやすいロングタイプで、トリガープルは3.5ポンド程度。これは通常よりも1.5ポンド程軽い。

 マガジン導入部もマガジンが入れやすいよう広げられている。マガジンキャッチボタンも低く切り落としてあるから、誤動作も起こしにくいだろう。

 メインスプリングハウジングもより握り込む為にフラットタイプに、更に射撃時の反動で滑らないようステッピングが施してある。

 その上、スライド前部にもコッキングセレーションを追加してある。緊急時の装弾、排莢をより確実に行なうことができる筈だ。

 ――これだけのことを、志朗はすぐに暴いて見せたのだ。残月は彼を心から賞賛した。

 しかし、彼には疑問があった。

 

「ガイ、そのコードネームはいつ付けられた?」

「そうそう大佐、ソリッド・スネークって何?」

「二つ名か何かでしょうか?」

 

沙織と華は知らない様子だが、残月は“ソリッド・スネーク”がコードネーム――戦車道で一部の歩兵に与えられる名だということは、聞いた直後に理解できた。

 

「そうか、武部さんも五十鈴さんも知らないか。こういうのはこっちの二人が詳しい」

「西住ガイ殿は有名人なんですよ! 黒森峰学園に於ける特殊部隊『ヴァイパーコップフ』の隊長! 非公式戦では単独で超重戦車マウスを撃破した他、一切の対戦車兵器を使わずに地形を利用して敵戦車の身動きを封じたり、敵戦車内部に手榴弾を投げ込んで乗員に戦死判定を出すことで行動不能にするといった離れ業で知られています!!」

「ヴァイパーコップフは、部隊章にヘビが描かれている。同じくヘビを部隊章のモチーフにしている聖グロリアーナ学院の『サーペントテイル』の隊長であるキーマン――結城(ゆうき)イーライと対比して、隊長にはそれぞれ『ソリッド・スネーク』『リキッド・スネーク』というコードネームが付けられているんだ」

「…なんか、よくわからないけど…」

「凄い人、だったんですね…」

 

やや興奮気味の優花里と、それを補足するような蒼莱の解説に、沙織と華はひたすら圧倒されるばかりであった。二人が根っからの戦車(及び戦車道)マニアであることは、全員が志朗から聞いていた。

 戦車道に於いて、実際の軍隊に設けられる特殊部隊が初めて設立されたのは、今から八年前のことである。少数精鋭故のその戦術的優位性(タクティカルアドバンテージ)が示されると、戦車道を履修する多くの学校で次々と導入され、“鉄の掟、鋼の心”を標榜する黒森峰ですらその戦力を無視できないものとなったことから、そこでも五年前に特殊部隊『ヴァイパーコップフ』が結成されたのだ。公式大会の出場校には、今や特殊部隊を置いていない学校は存在しない。

 特殊部隊の隊員、特に隊長は慣例的にコードネームを名乗るが、特に大きな功績や戦果を挙げた者には、他校の部隊、有識者や戦車道愛好家(ファン)達によってコードネームが与えられることがあり、それは歩兵にとって最高級の栄誉とされている。

 ソリッド・スネーク――それが、ガイに与えられた名誉あるもう一つの名であった。

 

「お前は知らなかったろうが、去年は少し大暴れし過ぎてな。気付いたらそうなっていた」

「あはは…」

「…そうか」

 

肩を竦めるガイの態度と、その後ろのみほの苦笑いで、残月は全てを察した。中学こそ別々の学校に進学したが、戦車道を引退するまでは西住兄妹と連絡は取り合っていたし、幾度となく練習試合で矛も交えた。優香里に言われずとも、ガイの‘規格外’ぶりはそれで嫌という程思い知らされている。誰が言ったか、「世界最強の非常識人間」。

 

「……」

 

 だがそうなると、また新たな疑問が浮上してくるのだ。

 歩兵隊長が――残月の知る限り最強クラスの個人戦力の一人であるガイが抜けた穴を、ヴァイパーコップフは、黒森峰はどう補うつもりなのだろう。幾ら昨年度公式大会の敗因を作った――そう認識されているからこその‘流刑’なのだろうが――とはいえ、それを排除すれば強力なリーダーを失うことになる。彼の傍に優秀な副官がいたなら話は別かもしれないが、かつて自分と対峙した時にも見せていたリーダーシップや、その非凡な活躍からくるある種のカリスマ性を、代わりの者が発揮できるかはわからない。

 残月には、黒森峰が自分で自分の首を絞めているようにしか思えなかった。規律の維持、校風の維持に固執するあまり、最大の売り文句ともいえる戦車道の戦力を自ら縮小・退化させているのではないか。戦車道界に名を轟かす黒森峰、ひいては西住流の汚名返上の為、今年度大会では何としても優勝したい筈なのに。

 西住しほは、ソリッド・スネークという歩兵を――自分の息子を、どう考えているのだろう。

 …或いはその‘規律’を維持する上で、ソリッド・スネークのカリスマ性が()()()()()()のか――

 

「…堀切君?」

「…!」

 

 みほの声で、残月は我に返った。気付けば沙織と華、志朗は既にかなり先を歩いており、蒼莱と優花里は遅れた残月に歩調を合わせるみほと沙織達とのほぼ中間を行き、ガイは数メートル先で立ち止まって残月を待っている。

 

「どうしたの?」

「…考え事だ」

「考え事?」

「黒森峰は、本当に今年度の大会で勝つ気があるのかどうか…」

 

少し歩幅を大きくしてガイに追い付き、そのままみほの問いに答える。それに兄妹は訝しげな表情を醸したが、残月は気にせず続けた。

 

「…だが、どうでもいい。ここにガイとみほがいる限り、俺達の勝利も、そう難しくはない筈だ」

 

 どうでもいい。それは残月の本心だった。いずれにせよ、大会で順調に駒を進めていけば、恐らくは黒森峰とも相見えることとなるだろう。相手側の都合など関係ない。どこにどんな理由があってガイとみほを放逐したのだとしても、未だ黒森峰は大洗学園存続に立ち塞がる最大の敵にして脅威なのだ。それを崩す鍵が、今この場にいる。

 あとは、未経験者達をどう指導していくかだ。

 

「やった! あったよー!!」

「これは…38tか。軽戦車も悪くない」

「錆だらけだが、戦車は確かにあった。五十鈴さん様々だな」

「いえ、私は匂いを嗅いだだけですよ」

「38tといえば、ロンメル将軍の第七装甲師団でも主力を務め、――」




戦車の捜索自体はアニメとほぼ同じ展開なので省きました。
その分を解説と内面的描写に振り分けています。

というか、自分から地の文を取ったら何も残らないので…w
台詞やキャラクター同士の掛け合いを楽しみたい方はどうかいちいち堪えてください(某料理店風)


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呪いとの闘い ~Neither tomorrow nor past~

 捜索活動が功を奏し、発見された戦車が自動車部によって運搬されたことで、大洗学園の手元には計五両の戦車が集まることとなった。

 最初に倉庫で埃を被っていたIV号戦車D型。

 校舎の裏山で残月らが見つけた38t。

 女子バレーボール部と野球部が見つけた八九式中戦車甲型。

 歴女集団とどらごんばすたーが見つけたIII号突撃砲F型。

 一年生が見つけたM3中戦車リー。

 

 「対戦車戦能力が不足しているな」

「戦車殺しのお前が言うと説得力がないが、概ね同意する」

「褒めているのか貶しているのかどちらかにしてくれ」

 

ガイの言葉通り、これは決して頼もしいとはいえない編成であった。38tは主砲の口径が三十七ミリで、他校の戦車の装甲を貫徹できるとは言いがたい。火力として最大なのは七十五ミリの砲を持つIII突だが、戦車道には使用できるものの突撃砲であり砲塔が回転せず、接近戦には脆弱である。八九式の装甲厚は最大でも十七ミリしかない貧弱さ。M3は主砲が車体上部の砲塔ではなく、車体右側スポンソン(張り出し)部のケースメート(砲郭)式砲座に設置されている為に、左右の射角が大きく制限されているばかりか、車体を地形に隠すハルダウンを行なうこともできない。唯一III突と同口径の主砲を持つIV号だけが、立ち回り次第では活躍できるだろうというのが、ガイと残月の評価だ。

 

「…まあ、そこは俺達歩兵がカバーすればいい」

「簡単に言ってくれる…」

 

 二日後には戦車道の教官が直々に来校し指導をつけてくれるとの旨が桃から伝えられ、文字通り()()()()()することになった。無論それは戦車ばかりに留まらず、歩兵が使う為のジープや装甲兵員輸送車も同様である。夕方までかけて水抜き、錆取り、再塗装を済ませた戦車道履修者の疲労は、男も女も尋常ではない。

 

「――それであんまり急いだもんだから、結局レポートを書く時に小数点を入れ忘れてな。桁数が三つも増えて、先生に突き返されてしまったのさ。その時に蒼莱が言ったんだ、“これがホントの()()()だめ”!」

「アハハハハハハハハハハハハハハハ!! やだもーお腹痛い…!!」

「そしてこれが県立大笑い学園という訳だな!」

「ひーっ、ひーっ、…ま、待って、息できない…!!」

「…! …っ!!」

「ハハハ…」

 

放課後、残月らは艦舷の公園に集まっていた。女子達を労い疲れを癒そうと、ベンチに座った志朗と蒼莱が、今週末に学園艦が寄港するという話題から始まった怒涛のジョーク、もとい経験談で爆笑の渦を巻き起こしている。沙織もみほも臍で茶を沸かし、華など最早声も出せない程に悶絶している有様だ。一方優花里は慣れているのか、少し離れたところで苦笑いしていた。

 

「言っておくが残月、お前も大概だぞ? あの時はお前のせいで滅多にしないマウスの装甲の修理をする羽目になった」

「……」

 

尚、柵に寄りかかり海を見ながら缶コーヒーを飲む残月とガイは、話を聞いていない。残月にはブランクがあるとはいえど、歩兵としての訓練を積んできた二人は清掃作業程度ではさほど疲れていなかった。

 そんな折、優花里からある提案があった。

 

「あ、あの! …良かったら、ちょっと寄り道して行きませんか?」

 

 

 

 

 

 せんしゃ倶楽部。この戦車関連の商品を取り扱う専門店の存在自体は、残月は一年前から知っていた。残月宅から学園までの最短ルートの一つにこの店が構えられた通りがある為、残月はわざわざそこを避けて裏道を使い通学していたのだが、戦車道を再開すると決めた以上、この店を見ることに抵抗はなくなっていた。

 

「…戦車というものだから、本当に戦車だけしか取り扱っていないと思っていたが…」

「先入観はよくないということだな」

「名に反してっていうのはよくある話だ」

「前から思ってたがこれじゃたいせんしゃ(対戦車)倶楽部だぜ。お、P90が入荷してるな」

 

初めて店内に足を踏み入れた残月の感想は、優香里と共に何度も来店している蒼莱も以前から考えていたことだった。戦車に関連した書籍やプラモデルばかりか、戦車の砲弾や砲身、転輪、履帯、戦車兵の着用するパンツァージャケットだけでなく、銃弾、マガジン、モデルガン、歩兵の着用する特殊戦闘服も揃えられている。

 特殊戦闘服――戦車道はそれ専用のものを用いるが、それでも一般的な競技と比して危険性は段違いに高い。その為戦車は特殊カーボンの内張りと戦車道連盟公認の装甲材で内部を覆い、砲弾自体も相手車両の装甲を破れないよう設計された公認の実弾の使用が規定されている。加えて歩兵は繊維状の特殊合金とダイラタント流体を染み込ませたケブラー、更に最近ではCNT(カーボンナノチューブ)や合成クモ糸繊維さえも使った戦闘服を着込んで防御策とし、弾薬・火薬も特殊なものとなっている。安全面に気を使われている戦車道で、死者が出たケースは今のところ報告されていない。

 

 「蒼莱、まさかそれを買うのか…?」

「そうともよ大佐。今日はその為に四万持ってきた」

「幾ら新聞配達で稼いでいるとはいえ…大出費だぞ」

「それだけの価値があるんだよ。今度はFA-MASも欲しいな」

 

志朗と蒼莱の電動エアガンの値段についての問答、更にその向こうで戦車ゲームに興じる優花里達を尻目に、残月は店の隅の一角へと歩を進める。雑誌や本物でない銃にあまり興味は湧かず、戦闘服も私物を使えば十分だと判断したからだ。

 商品を眺めながらも手持ち無沙汰にしていたガイがついてくるのを確認してから、店内を見下ろすようにテレビが設置されたそこで足を止めた。小さなショーケースの中に、動物や植物、剣や鍵などの無機物が描かれた多様な形状のアップリケのようなものが所狭しと並んでいる。

 

「部隊章か」

「こういうのを考えるのは、お前は得意だったな。じきに必要になる」

「これを参考にしろっていうのか? やれやれ、どれもこれもどこかで見たようなものばかりだ」

「その分だと期待できそうだな」

「任せておけ」

 

ヴァイパーコップフの部隊章は、ガイが黒森峰の高校一年生になった時にデザインが一新されている。また中等部でも、各歩兵分隊の部隊章のデザインは彼が担当していた。ガイとみほの得意・苦手科目は正反対で、残月は二人が小学生だった時、夏休みの宿題についてはガイが絵画を、みほが読書感想文を分担していたことをよく覚えている――みほの描く絵は何を描いているのかまるで判別できず、ガイの書く感想文は第一段落に面白いか面白くないかの二択と、第二段落に感想文が如何に無駄かを説いた文章で原稿用紙一枚を埋めていた。そしてそれを見た、長女であるまほが苦笑していて――

 

 『次は、戦車道の話題です。高校生大会で、昨年MVPに選ばれて国際強化選手となった、西住まほ選手にインタビューしてみました』

 

狙ったかのようなタイミングで、まほの姿がテレビ画面に映し出された。

 

『戦車道の勝利の秘訣とは何ですか?』

『諦めない事、そして――どんな状況でも、逃げ出さない事ですね』

「ッ!」

 

思い浮かべたかつての記憶が、義憤に飲み込まれる。

 まほの言に他意はないのだろうが、残月にはそれが自身への、そしてみほへの痛烈な皮肉と批判にしか受け取れなかった。残月は己の弱さへの反省よりも、かつての友への怒りを覚えたのだ。弟をスケープゴートにされながらのうのうと総隊長であり続け、あろうことか妹の心情にも寄り添うことなく無神経に突き放すようなその態度が、残月には許せなかった。

 

「――皆、…突然だが、俺の家に来ないか」

 

故にこれは、唯の口実。西住兄妹と話をする為の、口実に過ぎない。

 清掃作業中、残月の携帯電話には喜理恵から一通のメールが届いていた。

 

“旧友に呼ばれた。連絡船で晶と出かける。二日留守を任せる”

 

 

 

 

 

 道中のスーパーマーケットで食材を購入し、一行が残月宅に到着する頃には日はとっぷりと暮れていた。全員を家に上げ、残月とガイ、そして沙織(ガイは残月が手助けを求めたが、沙織は勝手に手伝い始めた)が手際よく全員分の食事を作る。この日の献立は肉じゃがと鶏の唐揚げ、野菜炒め、マグロの刺身、生春巻き。

 

「「「いただきます」」」

 

料理未経験の華がジャガイモの皮を剥こうとして指を切ったり、優花里が突然飯盒を取り出し飯を炊こうとするなどのハプニングはあったものの、無事ダイニングで食事にありつくことができた。

 テーブルは六人がけだが、予備の椅子を置いて八人全員を着席させている。キッチン側に置いた予備椅子に残月、その反対側の予備椅子にみほ。残月の右手側の椅子三つには、残月からみほに向かって優花里、沙織、華。左手側の椅子三つには、同様に蒼莱、志朗、ガイの席順である。

 

「ん~美味しい!!」

「我ながら上出来だな」

「男を落とすなら肉じゃがだからね!」

「落としたこと、あるんです?」

「というか、男子って本当に肉じゃが好きなんですかね?」

「都市伝説だろ。俺は優花里に作って貰うならドライカレーがいい」

「えぇっ!?」

「ん? 俺は好きだぞ、肉じゃが。むしろジャガイモが好きだ」

「もう、大佐は芋なら何でもいいじゃん! いつもポテチ食べてるし」

「ハハハ、否定はしない」

「……」

 

賑やかな会食の最中でも、残月は沈黙を保っていた。静かなのはいつものことだが、彼は普段のように唯静観しているのではなく、‘自分が話したいこと’を言い出すタイミングを計っていたのだ。全員がある程度の飯を腹の内に収めるその時を。それは彼自身、()()()()()()()()()()()もいるだろうと踏んでいたからである。

 そしてその機会は、思わぬ形で転がってきた。

 

「――なあ、堀切」

 

ふと箸を止めた蒼莱が、残月に問いかけてきた。

 

「お前の兄貴の名前って…隆信だったりしないか?」

「…そうだ」

「そっか…なるほど道理で…」

 

隆信の名は、戦車道界ではよく知られている。唐突に切り出されて戸惑いもなくはなかったが、隠す必要もなく、残月は肯定した。蒼莱は箸を茶碗の上に置き、腕を組んで神妙な面持ちになる。

 

「何で堀切のお兄さん?」

「お知り合いですか?」

「いや…戦車道界隈じゃ名の有る人なんだ。堀切隆信、コードネームは『ザ・ソロー』」

「大戦期から冷戦期にかけてのソ連で盛んに研究が進められていた『ESP』――中でも霊媒能力に長けていたそうです」

「「霊媒?」」

「あの世と交信し、死人を降霊する能力さ。死者と話ができる。地元の幽霊から戦況を聞いたりできたらしい」

 

沙織と華の疑問の声に、蒼莱、優花里、志朗が答える。隆信の名を出した時点で、ガイは珍しく顔を顰め、みほはその隣で浮かばない顔で俯いていた。この二人だけが、現在連絡の取れる友人の中で隆信と交流があった者だ。

 

「さっき玄関からリビングに行く前に、ちらっと仏壇の遺影が見えたんだが…そっくりだったんだよ。ザ・ソローに」

「え、じゃあ…堀切のお兄さんって…」

 

 少し本題に近くなってきた。そう感じた残月は、フェードアウト気味の沙織の言葉に、重々しく応えた。

 

「…二年前に死んだ。急性白血病で」

「え…」

「ザ・ソローの所属していた特殊部隊は、戦車道に於ける特殊部隊の祖、『コブラ部隊』。そしてそのコブラ部隊が設置されていた高校は…『賢人学園』だ」

「「!?」」

 

残月が“賢人学園”と口にした瞬間、彼と西住兄妹を除く全員の顔が青くなり、沙織と華が息を呑んだ。今の世の中で知らぬ者はいないと言っても過言ではないその名は、学徒に留まらず、学園艦に住まう全ての人間を恐怖のどん底に叩き落とす禁句であった。

 『館山湾原子力事故』、別名『賢人学園学園艦事故』。七年前の二月十一日、千葉県は館山港に停泊していた賢人学園学園艦に搭載されていた原子炉の内一機が炉心溶融(メルトダウン)の後爆発、放射性降下物が館山市中部を汚染した、学園艦の運用に於ける史上最悪の事故である。ほぼ無風に近い状態だったことと学園艦自体の船体に遮られたことで、放射性降下物の影響は国の想定より極狭い範囲に留まったものの、現在でも解体撤去すら不可能なまま放置された爆心地(学園艦)から半径五キロ圏内には人が立ち入ることができない。この範囲内にJR内房線館山駅が存在する為、内房線は君津駅以南の運行を無期限停止し、かつて多くの観光客で賑わったビーチも最早見る影もなく荒廃している。

 爆発そのものによる直接的な死者だけでも推定三千人以上、内外被曝による放射線障害での死傷者も十数万人という未曾有の悲劇を引き起こしたこの原子力事故は、避難民の受け入れ問題や風評被害ばかりでなく、発電施設として原子炉を備える学園艦という存在そのものが世界規模で揺るがされ、船体や原子炉の老朽化でなく生徒数の激減により廃校・廃艦に追い込まれた学園艦も多数あった。現役の学園艦はこの事故を受けた新基準での国の審査をクリアしたものばかりだが、それでも学園艦統廃合計画の推進者には、原子炉搭載のリスクを理由にした全学園艦の廃艦を声高に叫ぶ急進派が一定数いる。

 何より、学園艦を住処とする者達は、厳しい審査を経て太鼓判を押された上で尚、いつ()()()()()()()()になるかという不安を押し潰して生活することになったのである。

 

「学園艦の爆発で、逃げ遅れた両親は死んだ。俺と兄は間一髪逃げ延びたが、生き残った者達は皆白血病や甲状腺癌に苦しんだ」

「…被曝、したんですか」

「これがその証だ」

 

震え掠れる華の問いに、残月は制服の襟を広げ、頚部の傷跡――手術跡を見せた。隆信と交流があった、つまり堀切兄弟が被曝し、それが元で隆信が死んだ事実を知っていた西住兄妹も、これに瞠目した。

 

「去年甲状腺を三分の二と、副甲状腺を全摘出した。その影響で今は重度の低カルシウム血症だ。定期的にサプリメントを飲まなければ、すぐに手足が痙攣して動けなくなる」

 

残月が服用していたのは、担当医に指定されたカルシウム剤だった。丁度一年前の今頃、甲状腺癌を患っていることが発覚し、検査と手術、その後幾度となく起こった発作への対応で、彼は授業やイベントに出席できないことが多かった。風紀委員と、恐らくは生徒会の采配で何とか進級でき、今は薬さえ飲めば発作は起こらない。しかし服薬の度に、自分が健常でないことを実感させられていた。

 

「残月、お前…それを何故言わなかった…!」

「言ったところで解決にはならん。これ以上の病状はないが…俺も、いつかは――」

 

ガイの悲嘆を押し殺すような問いを、残月はぶっきらぼうに撥ね退けた。続く言葉で全員を沈黙に叩き込む。だが、ガイが話しかけてきたのは好都合。

 西住兄妹に向けて僅かに身を捩り、真っ直ぐに二人を見据える。

 これで、ようやく‘本題’に入れる。

 

「ガイ、みほ。お前達の姉は自ら選んだが、お前達は‘西住であること’を強制されていたな。それがお前達に惹かれた理由でもある」

 

まほを引き合いに出され、みほの表情が目に見えて曇った。確認できなかったが、あの時まほのインタビューをみほも見ていたのだろうと、残月は推測したが、構わずに続ける。

 

「お互い、人の作り出したカルマに蝕まれつつある。自分で選んで生きることは許されない。俺達に、望んでやってくる明日はない」

 

“望んでやってくる明日”というくだりで、西住兄妹以外が残月を見、俯き、哀しげに顔を歪めた。被曝した事実を知った者がどんな反応をしようと、もう残月は動じなかった。

 

「――だが、いずれ辿り着く未来を夢見ることはできる」

 

そしてこれこそが、残月が二人に伝えたいことだった。

 

「未来…?」

「核の呪い、西住の呪い、…どこに行っても付き纏うだろう。だが、その呪縛を抱えてそれでも生きるのが、俺達の使命だ。()え。俺達は独りではない」

 

 両親を失った堀切兄弟は、熊本に住む祖父を頼って地元埼玉から引越し、西住家と出会った。引っ越す直前まで続いていた、被曝を理由にした残月へのいじめは、熊本に来てからも変わることはなく、まほ、ガイ、みほの三人と、当時所属していた戦車道チームだけが友人だった。そして、自らを「西住流そのもの」と言って憚らないまほと違い、ガイとみほは、母親であるしほに西()()()()()()()()いた――そこに残月は、過酷な運命の片鱗を、自分との共通点を見出したのだった。

 自分も隆信の死で、己に纏わり付く運命に恐怖した。甲状腺摘出手術の後遺症と闘う今も、自分の死を見つめている。それでも尚、自分は逃げずに戦うと決めたのだ。

 ならば、それは西住兄妹にも言えたこと。呪われた過去の運命を打ち破る為に、その定めをも呑み込み、未来に向けて今を生き、戦うのだ。

 今の自分達には、仲間がいるのだから。

 

「…うん。ありがとう、堀切君」

「ああ、俺も覚悟ができた」

「それでいい」

 

 ガイとみほが笑い、残月が小さく顔を綻ばせたことで、ようやく食卓に笑顔が戻ってきた。

 残月が二人を諭す為の食事会も、望外に楽しむことができた。




大事な話だったので文字数多いです。7000文字越え。
相変わらず説明チックですがいつものことです。

残月の過去が明かされました。
館山には過去に学校行事で行ったきりです。イカの赤ちゃんを拝めたので楽しいといえば楽しい場所でした。何の恨みもありませんが館山湾には犠牲になって貰いました。
だ、だって他の学園艦の寄港地と差別化を図りたかったんだもん…w


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既知と未知 ~Unforgettable sense~

 「堀切! マクドネル・ミラーだ。懐かしいな」

「マスター…どうして」

 

マスター・ミラー――マクドネル・ベネディクト・ミラーとの再会は、残月には西住兄妹の時と同等の衝撃があった。戦車道の教官は戦車兵部門と歩兵部門とでそれぞれ一人ずつの場合が多く、大洗にも二人の教官が来ることは事前に聞かされていたが、残月はかつての恩師が再び部隊を教導することになろうとは考えもしなかったのだ。

 会食から一夜明け更にその翌日、寝坊したみほがやや遅れて校庭に到着してから二十分、遅刻した二人の教官は空からやってきた。突如飛来した航空自衛隊のC-2改輸送機が、低高度パラシュート抽出システム(Low-Altitude Parachute Extraction System)により陸上自衛隊の10式戦車を空挺投下。学園長のフェラーリを轢き潰しながら――それを見た柚子は悲鳴を上げていた――現れた‘闖入()’が、戦闘服とパンツァージャケットに着替えた戦車道履修者達の前に移動したかと思えば、キューポラのハッチが開き、そこからヘルメットに制服姿の女性と、サングラスをかけた壮年の金髪の男性が躍り出てきた。

 その男こそが、残月が恩師マスター・ミラーその人なのである。

 

「特別講師の戦車教導隊、蝶野(ちょうの)亜美(あみ)一尉。同じく歩兵教導官、マクドネル・ベネディクト・ミラー氏だ」

「戦車道は初めての方が多いと聞いてますが、一緒に頑張りましょう!」

「安心しろ。訓練は易しくないが、乗り越えれば一端の戦士になれる」

 

桃が整列した全員の前で二人を紹介する。亜美とミラーは、並べば一目瞭然の体格差。自衛官でありながら一見華奢に見える亜美とは違い、ミラーはまさに筋骨隆々で、茶色の長ズボンにモスグリーンのタンクトップ、同色の指貫グローブを身に付け、全身から歴戦の猛者の気迫を放っている。二人の雰囲気は上手く相殺されてはいるものの、男子女子共に明らかに緊張している者が多数見受けられる。しかしそれが残月には懐かしく、そして頼もしくあった。

 その恰好からもわかる通り、ミラーは自衛隊の人間ではない。戦車道連盟から指定を受け、教導官としての資格を得た退役軍人である。戦傷による脳神経の障害で視力が低下、視野も著しく狭くなってしまい、十二年前にアメリカ陸軍を名誉除隊したと残月は聞いている(それでも目前に立つ相手を的確に識別し、近接格闘訓練すら行なうことができる彼の能力は、彼に師事した者の間でも謎とされている)。

 その時、女子達を見回していた亜美がみほに目を留めた。

 

「アレ? 西住師範のお嬢様ではありません?」

 

失念していた――自衛隊の中にも、‘由緒ある’西住流を修めた者は少なからず存在する。昨日の今日で早速みほに西住の呪いが牙を剥くことを、残月は考慮していなかった。

 

「師範にはお世話になってるんです。お姉様もお元気?」

「ああ…ハイ――」

「あ、あのっ!! 教官はやっぱりモテるんですか?!」

 

しかしそこで、沙織が強引に割り込んで亜美に質問を投げた。

 

「モテる、というより…、狙った獲物を外した事はないわ、撃破率は百二十パーセント!!」

「それで教官! 今日はどのような訓練を行うのですか?」

 

律儀に答える――回答になっているかはともかく――亜美に、優花里が更に畳みかける。何とか話題をすり替えようとする二人の行動に、残月は心底感心し、嬉しく思った。一昨日の話は自分でもかなり抽象的な感が否めなかったが、それでも彼女の友人達は、みほが西住の名にいい感情を持っていないことを察したのだろう。また今朝彼女達と会った時も、何事もなかったように接してくれたのを覚えている。――本当に、いい仲間を持ったものだ。

 

 「一週間後に他校との練習試合を行なうことはこちらでも把握している。お前達にはあまり時間が与えられていない。よって、これは本来邪道なのだが…」

「本日は本格戦闘の練習試合、さっそくやってみましょう!」

「そう、今回お前達には、自分に何ができ何ができないのか――戦場に於いて自分が如何に無力かを実感して貰う。それが終われば訓練だ。覚悟しておくように」

 

ミラーの説明が始まると、残月の意識はすぐに彼の言葉に向けられた。教官の言う通り、大洗学園は戦車道の強豪校が一つ聖グロリアーナ学院との練習試合を控えている。全国大会出場に向けて可能な限り実戦経験を積んでおきたい生徒会の狙いだ。それまでの一週間という僅かな時間を唯冗長な訓練――決して無意味ではないのだが、新兵はこれに意義を見出せない場合も多い――に費やすより、何かしらの目安や目標を持たせた方が、多少の高効率化には貢献するだろう。…たとえその手段が、訓練を経ることもないいきなりの実戦投入という‘荒療治’だとしても。

 残月にとっても、これはおよそ二年ぶりの実戦となる。この時に備えて私物の戦闘服や、()()()()()()()()()()()()()()()を持ち込んでいた。喜理恵に事情を話す以前からも、復活する戦車道に向けて鈍りを解消する程度の自主訓練は秘密裏に進めている。それでも心の片隅に燻る、らしくない不安。

 

「それじゃ、戦車兵と歩兵はそれぞれのチームと分隊毎にスタート地点に向かってね」

 

だが――

 

「かーっ、興奮してきたぞこりゃ!」

「今回は俺も出張るしかないらしいな…だが悪くない」

「さて、見ものだな」

 

 自分と同じ分隊に配属された蒼莱、志朗、ガイが闘志を滾らせているのを、残月は他人事とは言えなかった。戦車捜索後、倉庫にあった歩兵用の武器兵器を確認した時、ある対戦車地雷を発見したのだ。小学校で使い始めて以来M1911A1と同じかそれ以上に使い続け、中学校では残月一人の為だけに補給されていたもの。それを見た時、彼は胸の内に獰猛な衝動が吹き荒れるのを禁じ得なかった。そしてそれに懐かしさや、ある種の快感すら覚えていたのである。

 思えばそれは、かつても感じていた感覚。生来的な勝負事への余裕のなさが心臓に早鐘を打たせ、アドレナリンを産生する。それがかえって、原始的な闘争本能を呼び起こし、執拗に己を駆り立てる。

 ミラー教官がした経験談の一部が、脳裏を過った。

 

“戦場というものは人間の残虐性を引き出す。どんな育ち方をした兵士でも、戦場に投入されれば獣性が剥き出しになる”

 

なれば、これが己の‘獣性’か。――志朗の言う通り…“悪くない”。

 IV号にタンクデサントするガイ達三人と別れて、残月はその他の分隊員が乗る兵員輸送車に向かう。その中に積み込まれた対戦車地雷を四つ手に取り、分隊員達に言い放った。

 

「…いいか、俺がいいと言うまで、絶対に俺の邪魔はするな」

 

 

 

 

 

 「なあ先輩、なんで堀切はこっちに乗らないんだ?」

 

スタート地点までの道中、みほ達Aチーム駆るIV号の主砲を左脇に抱えるように座っていたガイは、背後でキューポラにしがみ付く蒼莱にそう問われた。ガイは迷わず答える。

 

「まだ準備が整っていないからさ」

「準備?」

「何の準備を? 見る限り、残月よりも準備のできていた奴なんていないぞ」

 

ガイの回答に、彼のすぐ前に座った志朗が更に疑問を重ねる。二人の言い分も尤もだと、ガイは思っていた。二人は恐らく、残月がガイに分隊長の指揮を中継する役割を任されたと考えたのだろう。無愛想とまではいかないが、あの無表情で口数の少ない残月が他の分隊員達に指示を出すような姿は、幼馴染にして親友たるガイをしても想像しにくい。このα分隊の指揮は、分隊員の満場一致でガイが担うことになっていた。

 ガイが残月をタンクデサントさせなかった理由は、それ程深いものではなかった。

 

「この試合だと、残月の真骨頂は発揮できない。本来あいつが得意としているのは単独作戦行動、それも潜入任務や破壊工作だ。ブービートラップの造詣も深い。特にIEDの作成には天性の才能がある」

 

ガイの返答と同時に、IV号の後方を走る兵員輸送車から、金属質の何かを繰り返し殴りつけるような、ガンガンという音が聞こえ始めた。

 

「作り始めたぞ」

「何だよ、作業がしたいだけか…しかし即席爆発装置か…」

「揺れる車内で改造とは、見かけによらず大胆なんだな」

 

 即席爆発装置(Improvised Explosive Devise)。あり合せの爆発物と起爆装置から作られた、規格化されて製造されているものではない簡易手製爆弾の総称である。手製爆弾はいつの時代にも見られるが、非正規戦においてその一種である路肩爆弾を組織的に活用したのは、第二次世界大戦でベラルーシの反ナチスゲリラが使用した事が発端とされる。その都度有り合わせの材料で製作される為に特定の形状や大きさ等の特徴などがなく、各々が独自に持つ知識や資材で製作されるが故のバリエーションの多彩さが、現代の戦場に於いてもその対処を困難にしている。

 戦車を含め戦車道で使われる兵器は、一九四五年までに試作が完了したものに限られている。ガイの知る限り、IEDについては特に規定はなかったが、戦車道用といえど爆発物を加工するという危険な作業や、実戦での不安定性を嫌って使用する学校は殆どない。それを安定して戦術に組み込むことができていたのは、かつて残月が在学し、練習試合で黒森峰中等部と鎬を削り合った無名校『山鹿学園中等部』程度なものだろう。残月のいない今、彼の技術はロストテクノロジーと化しているに違いない。

 

 「侮るなよ。あいつの作るIEDは設置型ばかりじゃなく、手榴弾のように携行できるものもある。威力も折り紙付きだ。あいつのIEDに耐えた戦車を俺は見たことがない。敵対していないのは幸運だろう」

「ええ…なんていうか、とんでもねえな」

「案外、俺達は凄い奴と友達になったらしい…」

 

そう、それは誰も真似しようとしなかった、彼だけの技術なのだ。

 

「嬉しそうだね、お兄ちゃん」

 

声に振り向くと、装填手用ハッチからみほが顔を出し、笑いかけていた。

 

「まあな」

 

 事実、ガイは感激していた。残月との共闘はおよそ五年ぶりになる。IEDの技術は当時どう足掻いても盗めなかったが、彼が独自に磨いた潜入の極意はガイに伝わり、今も生きている。西住としての歩兵の在り方に留まらない柔軟性を与えてくれた、ある意味で師匠ともいえる堀切残月という年下の男を、ガイは一人の兵士として、戦士として尊敬していた。そんな彼と再び肩を並べて戦うことができるのが、ガイはこの上なく嬉しかったのだ。

 

――…あいつなら、任せられる。

 

 間もなくAチームとα分隊は指定されたスタート地点に到着し、間を置かず残りの四チーム四分隊も到着の報が入った。上空で観測機に乗っている亜美とミラーが、全員の無線に指示を出す。

 

「皆、スタート地点に着いたようね。ルールは簡単。全ての戦車を動けなくするだけ。つまり、ガンガン前進して、バンバン撃ってやっつければいい訳」

「このバトルロイヤル形式では、護衛を担当する戦車が破壊された分隊も即行動不能となる。逆に歩兵は幾らやられようと負けはしない。ただし気を抜くなよ」

「戦車道は礼に始まって、礼に終わるの」

「一同! 礼っ!!」

「「「よろしくお願いします!!」」」

 

 挨拶の一瞬だけ金属加工の音が止まり、すぐに再開される。

 …余裕のなさだけが、玉に瑕だろうか。

 

 

 

 

 

 普通II科二年B組、大上(おおがみ)八枝(やえ)は退屈していた。

 

「…ハァ」

 

現代文の担当教師が急病で休み、非常勤の教師が監督する中での自習となったこの時間についてではない。教科書を流し読みしていれば自然に時間は過ぎていく。彼女はもっと根本的に、この学校に退屈していた。

 

「……」

 

 彼女は昔から射的が好きだった。縁日があれば母に貰った小遣いを全額注ぎ込み、景品の半分を掻っ攫う荒稼ぎをして帰ってきたものだ。その経験から、彼女はクレー射撃のような、銃を使ったスポーツに憧れていたのだ。また同じ理由で戦車道にも興味があった。

 しかし射撃競技を行なうには免許が必要で、それは二十歳以上でないと取得できないことを知り、彼女の望みは絶たれた。折角大洗で復活した戦車道も履修していない。歩兵に女性が殆どいない事実を、女性は歩兵になれないと誤解してしまっていた為である。

 かくして彼女は入学以来、同じ飛び道具という繋がりから、やりたくもない弓道部で形式張った弓矢の扱いに甘んじていた。あれよあれよという間に、今では副部長にさせられている。

 

「…ん?」

 

このまま成人するまで、やりたいこともできずに待つしかないのか――そう考えた矢先。窓側の最後部座席に位置していた八枝は、ふと目を遣った校庭に動くものを認めた。

 犬だ。背中側が黒、腹側が白の染め分け(カウンターシェイド)になった、オオカミのような大型犬。律儀に校門を潜り、軽い足取りで校庭を縦断して校舎に近付いてくる。そしてその口には、箱状の何かが入っていると思しきチェック柄の巾着袋を――

 

「あっ…!」

「? どうした大上」

「あ…えっと…」

 

思わず声を上げたことを少し後悔したが、背に腹は変えられない。

 

「――忘れてきたお弁当を届けに来ました。…ウチの犬が」

「犬が!?」

 

 後に彼女は語ることになる。「あの時DDがまっすぐ校舎に来ていたら、私の高校生活はつまらないもので終わっていたでしょう」と。




一話よりはマシですが、原作キャラがまるで動きません。
5000から6000文字を目安に説明と心理描写に重点を置くといつもこんなになります。

遂にDDまで出る始末。
大会での試合中のプロットは作っていないのでDDに参戦させるかは未定です。
戦車道の規定的に軍用犬使うのってありなのか?そもDD個人の飼い犬だし…w
まあ某歩兵道の人は馬とか象とか使ってるしいいのかな…?


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新たな血 ~Hot shot~

 「怖~い!! 逃げよう!!」

「総員、撤退!!」

 

浅い森の中を、AチームのIV号とα分隊の兵員輸送車が疾駆する。試合開始直後、Bチームとβ分隊、即ち女子バレーボール部駆る八九式と野球部による急襲を受け、くじ引きで車長となった沙織が、砲弾と弾丸の嵐に恐慌して撤退もとい逃走を指示したのだ。

 

「武部さん、今のはいい判断だった」

「ほ、ホント?」

「戦場では僅かな時間が勝敗を大きく左右する。決断を躊躇うな、行動が遅れれば遅れる程勝算は低くなるものと思え」

「わかった!」

「ただし! 恐怖と立ち向かい恐怖を克服するには、恐怖から逃げていてはいけない。自ら進んで恐怖に身を投じることだ」

「ぜ、善処します…」

 

ガイはキューポラを開き、沙織に話しかけた。彼女の行動を褒め、問題点を指摘する。その危険性故一般に甘えを許さず厳しく指導することの多い歩兵に――この場合沙織は戦車兵だが――このようなやり方で教導するガイは、常々教官よりも教師の方が向いていると言われてきた。西住流に於いても彼のやり方は“手緩い”とさえ評されたが、それにより挫折しかけた時に立ち直った者も多く、彼らからは慕われていた。

 無論、彼の言葉は本心からくるものだった。みほとガイの提案した、最大火力たる歴女のCチーム駆るIII突を最初に叩く案を蹴り、真っ先に生徒会、及びそのEチーム駆る38tを潰そうと言い出した(杏の言っていた“かっこいい教官”が想像と違ったことに対する私怨である)時にはどうかとは思っていたが、指示を出しても練度不足で歩兵が十分に展開しないまま攻撃されてしまった為、あの場で反撃しても無駄な犠牲が出るばかりだっただろうことは想像に難くない。既にα分隊の隊員数は半分を割っている。兵員輸送車が攻撃されず、中にいた残月が無事だったのが不幸中の幸いだろう。

 今もまだ、追撃を試みる八九式の砲撃音に混じって、ガンガンという音が後方から聞こえてくる。残月は周りのことなど眼中にないかのように、ひたすらIEDの作成に打ち込んでいるようだ。

 それは、きっと信頼。情けを知らぬ必殺の牙を研ぎ澄ます残月は、α分隊を率いるガイに自らの命運を預けたのだ。

 

――期待には、応えないとな。

 

 「! 前方に敵! III突と歩兵!!」

 

志朗が喘いだ。IV号正面のY字路の内向かって左に、γ分隊ことどらごんばすたーを侍らせIII突が待ち構えている。

 

「獲物を捉えた!」

「南無八幡大菩薩!!」

「不肖三段バラ、Cチームをお守りしますぞ!!」

「いきますよーいくいく」

 

ガイがIII突を早期に撃破しようと考えていたのは、何もその火力ばかりが理由ではない。男が歩兵、女が戦車兵というのが主流の戦車道に於いては、随伴歩兵をその役割上女性を守る騎士になぞらえることが多く、それが双方の男女比の差に拍車をかけている。‘女性を守る’という使命感に燃えるサークルリーダー、ハンドルネーム『三段バラ』こと東国原(ひがしこくばる)将人(まさと)に絆され、オタク集団γ分隊は不可思議な力でその連携を強めていた。そんな彼らに守られながら、歴女達はどっしりとIII突を構え、虎視眈々と敵に照準を合わせんとしている。

 練度自体は未熟そのもの。だがそのやる気と、互いを補い合う姿勢は、まさしく理想的。

 

「…歩兵だけでも潰しておくか」

 

故に、容赦は要らない。

 

「蒼莱、そのM2は使えるのか?」

「思ってたより軽い位さ。楽勝だぜ先輩」

 

ガイが問いかけた蒼莱は、自分のショルダーバッグの紐を括り付け、一挺の重機関銃を無理矢理背負っていた。

 ブローニングM2重機関銃。ジョン・ブローニングが第一次世界大戦末期に開発し、現在でも各国の軍隊で使用されている著名な重機関銃である。軍隊というものが一見日進月歩のようで枯れた技術に頼っていることの好例ともいえるが、その伝説的な完成度の高さは、高威力、高精度、長期のメンテナンスフリー、良好な信頼性と整備性故、現在でもこれを凌駕する重機関銃が存在しないことからも窺える。

 軽装甲車両等に有効な12.7mm×99弾を使用するその銃の重量は、本体だけで約三十八キロ、三脚架(トライポッド)も合わせると五十八キロにもなる。本来は三名のチームで運用する武器で、これでも重機関銃の中では軽量な部類だ。

 それを、蒼莱は一人で背負い、扱う気でいた。

 

「…いいだろう。()()()()()()()()()()()!!」

「よっしゃ来た!! 見とけよ優花里ィッ!!」

 

言うが早いが、蒼莱はIV号の上に膝立ちになる。小脇に抱えていた弾倉を開け、長さ九ヤード――およそ八メートルのベルトリンク(弾帯)を引き出し、腰溜めに構えたM2に装填、コッキング。

 

「うおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアア!!」

「「「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」」」

「そ、そんなっ!?」

「てわるよーーーーーーーーん!!」

 

銃後部のボタンを右手で押し込み、フルオートで薙ぎ払い連続発射。断末魔の叫びを上げてγ分隊は物の見事に戦死判定を受け全滅する。“腹部に着弾した人間の身体が上下に分断され千切れ飛んだ”とさえ報告される、音速の三倍の速度で飛翔する12.7mm弾の威力は完全なオーバーキルだ。どらごんばすたーが特殊戦闘服に身を包んでいなければ、また戦車道用の弾丸を使用していなければ、III突の周囲は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していただろう。

 

「…ふうっ、流石にIII突の正面装甲は抜けないか」

「十分だ、いい掃射だったぞ。五十鈴さん、右に進路を取れ!」

「は、はい!」

 

その火力であわよくばIII突をも撃破しようと考えていた蒼莱を称え、ガイはすぐに次の行動に移した。防御を失い慄くCチーム(と、「ヒヤッホォォォウ!最高だぜぇぇぇぇ!! 」と大興奮している優花里)を尻目に、操縦手用ハッチを開け華に指示を出す。IV号は右折し、α分隊の兵員輸送車もこれに追従する。

 しかしそこで、一同は予想外の事態に出くわした。

 

「ワウッワウヴッ、ワウッ!」

「…ん? こりゃ犬の鳴き声か?」

「この鳴き方…」

 

IV号の進行方向には、右目に眼帯を着けた一匹の犬が勇ましく仁王立ちし、地の底から来るような野太く低い声でしきりに吠え立てていた。

 

「DD!」

「知ってるの沙織さん?!」

「友達の家の犬だよ! どうしてここに…ああ?!」

 

そしてその背後の切り株には、本を顔に被せて寝転がる麻子。更にその奥の森から、背の高い金髪の女子生徒が慌てた様子で駆けてくる。生徒会副会長小山柚子は大人しそうな顔に見合わぬ大洗学園一グラマラスな体型で有名だが、明らかにモンゴロイドではない彼女は柚子に匹敵する身体を持ち、色気という点に於いてはむしろ勝っていた。

 

「麻子、八枝まで!!」

「危ない!!」

「ブレーキを――」

「駄目だガイ、間に合わん! お二人さん逃げろ!!」

 

ガイは華に停止を指示するが、志朗がそれを遮らん勢いで警告した。このままでは衝突どころの話では済まない。一般的な乗用車の十倍以上、二十五トンの重量を持つIV号に撥ねられ轢かれようものなら目も当てられないことになる。

 だが、ここでも予想外があった。

 

「麻子、起きて! DD、跳ぶわよっ!」

「ん…」

「ワウッ」

 

八枝の一声で麻子は起き上がり、DDも吠えるのを止めて戦車を正面に見据える。そして走ってきた八枝と、麻子、DDが横向きに一直線に並んだ瞬間、

 

「とうッ!」

 

二人と一匹が揃って跳躍、ひらりとIV号の上に飛び乗ったのである。

 

「!」

 

 二人の運動能力についてもそうだが、ガイはDDと呼ばれた犬に驚きを隠せなかった。ハンドラーに厳しく鍛えられた軍用犬でも、銃声や砲声のような大きな音は大変なストレスになる。ましてやペットとして飼われているような犬では竦みあがってしまうだろう。戦車道で軍用犬を運用すること自体は特に禁止されてはいないが、訓練に要する時間や犬への負担、何より犬を養育する為の費用を考慮した場合コストがかさむことが多く、ガイの知る限り公式大会に出場する学校では軍用犬は使われていない。

 しかしDDは、砲声轟く演習場に無遠慮に入り込み、迫り来るIV号を前にしても逃げるどころか立ちはだかる気勢すら見せ、あろうことか飼い主と思しき八枝の指示でIV号に飛び乗りさえしたのだ。

 ――この犬は、実は相当に訓練された軍用犬なのではないか。ガイがそう邪推してしまう程に、DDは‘よくできた’犬だった。

 

 「二人とも何してんの、こんなとこで? 授業中だよ?」

「知ってる」

「DDがお弁当を届けにきてくれたんだけど、何故かこっちに走っていっちゃって…あれ、DDお弁当は?」

 

沙織の問いに、麻子は平然と、八枝は困ったように答えた。そこで、八枝はDDが持っていた筈の弁当箱が入った巾着袋が見当たらないことに気付く。彼女が周囲を見回していると、追いかけてきた八九式からの砲弾が、後方を行く兵員輸送車のすぐ脇に着弾した。

 

「うわっ!?」

「冷泉、大上、危ないから取り敢えず中に入っとけ!! 犬も一緒だ!」

「分かった…」

「何だか窮屈そう…ん?」

 

蒼莱に促され、戦車に乗り込む麻子とDDに渋々続く八枝だったが、ふと目を遣った後方にあるものを見つけた。

 

「…あ!?」

「どうしたの八枝?」

 

それは、丁度麻子がいた切り株のすぐ近く、八九式の砲弾が着弾し抉れた地面。赤と白のチェック柄の布の切れ端が、プラスチックの欠片や米粒などと共に散乱していた。…彼女の昼食は、無残にも八九式の凶弾によって粉々にされてしまっていたのだった。

 

「…私の…お弁当…」

「あー…うん、ドンマイ」

 

――…武部さんの言葉で代弁としよう。

 

生気の抜けた声で落胆する八枝には、流石のガイも何も言えなかった。

 そうこうするうちに、IV号は谷川の川岸に辿り着き、兵員輸送車と共に停車した。周囲は木々に囲まれ逃げ場はなく、対岸に渡るにはIV号がぎりぎり通れるかどうかの吊り橋を使うより他はない。それは同時に、逃げ道が限定され、的になりやすくなることと紙一重だった。それでも、Bチームとβ分隊はまだずっと後ろにいるとはいえ、ここで立ち往生する訳にはいかない。

 

「…少々危険だが、渡河するしかないな」

「私が前見てこようか?」

「いいや西住さん、偵察は俺に任せてくれ。少しはカッコつけたいんだ。いいかガイ?」

「許可する。俺と蒼莱で援護しよう。気をつけろよ」

「ありがとう。武器は幾つか置いていく、使ってくれ」

 

ガイの判断にみほが偵察を申し出る。戦車道では斥候に出せる歩兵がいない時、戦車兵も車外に出て斥候を行なう場合があるが、その際の安全は保障されていない。ガイは代わりに自薦した志朗に橋の様子見を任せることにした。ショットガンや狙撃銃、対戦車火器など、背負っていた沢山の武器を残し、志朗は僅かな自衛用の銃だけを手に橋へと駆け寄っていく。

 

「これより吊り橋で川を渡る。α分隊、()()()()()周囲に散開しろ。Aチームを援護し、IV号渡河後に続いて渡河するんだ」

『『『了解!!』』』

「蒼莱、対岸の森に注意しろ。恐らく生徒会と一年生が待ち伏せている」

「OK先輩、護衛は得意だ」

 

 蒼莱と共にIV号から降りたガイは、無線でα分隊に指示を出し、続けて蒼莱にも注意を呼びかける。分隊員への指示は“落ち着いて”の部分を強調した。彼らが訓練もなしの初の実戦で緊張し、冷静さを欠くのも当然のこと。だからこそ、彼らには努めて冷静であるよう言いつけたのだ。

 また、本来であれば煙幕などを使って視界を遮りつつ、橋の前に防御陣地を形成してから援護するのがセオリーなのだが、訓練を受けていない為にどの分隊も火砲やスコップを持っておらず、故にその時間も取れなかった。地雷のような設置型の武器も、残月が加工しているものを除いて殆ど倉庫に置き去りにされている。今回は各々が匍匐したり、物陰に身を隠すだけで精一杯だ。何もできずに半数が戦死判定を受けた時と比べれば、まだましといえよう。

 

 「何とかなりそうだ。俺が誘導するから、焦らずに進入してくれ」

「はい!」

 

やがて志朗の誘導を受け、IV号は華の操縦でゆっくりと吊り橋を渡っていく。ガイはそれを見守りながら、志朗の置いていった武器の中から選んだ一つを肩口に構えた。それは彼が黒森峰にいた時から愛用していた対戦車火器だ。

 

「志朗も気が利くな」

 

 パンツァーシュレック。第二次世界大戦中にドイツ国防軍が使用した対戦車ロケット擲弾発射器である。構造が簡便で民兵にも使用可能な使い捨て対戦車擲弾発射器『パンツァーファウスト』と並んで、ドイツの代表的な歩兵用対戦車火器といえる。その開発の上で鹵獲して手本とされた、アメリカ合衆国が当時使用していた対戦車ロケット弾発射器『M1バズーカ』の口径が六十ミリで装甲貫徹力が百ミリであるのに対し、パンツァーシュレックは口径八十八ミリで装甲貫徹力が命中角九十度で二三〇ミリ、六十度で一六〇ミリと、当時のほぼ全ての戦車の正面装甲を貫徹する威力を誇っていた。

 その破壊力は、開発から七十年以上経った現在の戦車道でも猛威を振るい、ほぼ同等の装甲貫徹力を持つパンツァーファウストと共に、戦車兵から恐れられている。

 

「さて、そろそろか」

 

ロケット弾を砲の後ろから装填し、発射筒と弾を電気的に接続。砲口を向けた先には、既にBチームとβ分隊が迫ってきていた。八九式の装甲など、パンツァーシュレックを前にすれば粘土同然。八九式には誰もタンクデサントしていないので、こちらの有効射程一五〇メートル程に入るまで、十分に引き付けて確実に撃破できる。

 その考えは、ガイの右手側からの砲声によって打ち破られた。

 

「きゃあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーっ!?」

「っ?! 蒼莱、少し外すぞ!」

「わかった!」

 

沙織の悲鳴。放たれた砲弾は八九式のものではなく、態勢を立て直し、森の木々の中を強引に追ってきたIII突からのものだった。着弾したIV号は撃破判定を示す白旗こそ揚がっていないものの、橋の上で動きが止まっている。状況を確認しようと、ガイはその場を蒼莱に任せてIV号に走った。

 

「どうしたっ!」

「まずいぞガイ、五十鈴さんが!」

「操縦者失神!! 行動不能!!」

 

そこで見たのは、前方確認の為操縦手用ハッチから顔を出していた華が、額から血を流し気絶している姿だった。

 ガイの脳裏に、かつての泥沼の戦場――昨年度戦車道全国大会決勝戦の光景が去来する。

 正面からかち合ったプラウダ高校の歩兵部隊と互いに退路を断たれたまま突入した消耗戦。敵も味方もハエのように戦死判定を受け、助けを呼ぶこともできず、進退窮まった状況下で仲間が徐々に傷付いていく。最後の一人になろうとも、仲間の屍を越え、ただひたすらに戦い続けて――

 

「ッ――!!」

 

形容し難い鬱血した激情が、猛烈な勢いで噴き上がる。ガイはそれに任せて、八九式に使うつもりだったパンツァーシュレックをIII突に向け発射した。着弾、激震。大洗の戦車中最大といえるIII突の八十ミリの正面装甲も、パンツァーシュレックが相手では防ぎようがなく、無様にも白旗を揚げた。すぐに次弾を装填し、八九式に狙いを定め、

 

「ちょっとこれ借りるわよ」

「!!」

 

 唐突に、志朗の残した武器の一つを掴み、八枝が駆け出していった。

 

「お、おい大上さん!」

「八枝、危ないよ!! 戦闘服だって着てないじゃん!」

 

志朗と沙織の制止も聞かず、八枝は蒼莱の近くに膝立ちで銃を構える。ピープサイトを覗き込み、僅かな時間狙いをつけたかと思えば、すぐに発砲。パンツァーファウストを持って展開しようとしていたβ分隊の歩兵を一撃で仕留め、迷いのない動作でコッキングする。

 

「…狙撃の才があるのか、彼女は」

 

八枝の突飛な行動でかえって冷静さを取り戻したガイは、先の自分の行動を胸中で恥じつつも、八枝の潜在能力を見抜いていた。恐らく特に考えもなく彼女が選んだと見える銃は、狙撃銃だったのである。

 モシン・ナガンM1891/30狙撃銃。ソビエト連邦が開発したボルトアクション式小銃M1891/30小銃の中から特に高い精度を持つものを選び出した狙撃銃型モデルである。オリジナルとは垂れ下がったボルトハンドルと追加されたピープサイトが異なっている程度だが、その射撃精度は高く、ドイツ東部戦線の兵士は自国の狙撃銃よりも鹵獲したM1891/30狙撃銃を使うことも多かったとされている。

 全長一二三センチもあるこの銃は取り回しが悪く、背の低い者には扱い難い――フィンランドの伝説的な狙撃手シモ・ヘイヘのような例外はあるにせよ――が、女子高生としては背の高い八枝にはあまり問題になっていないようだった。

 

「何してんだあんた?」

「戦車の中は狭苦しいのよ。また撃たれるのも御免だし、それに私はこっちの方が性に合ってる」

「なるほど、じゃあ期待させて貰うぜ!」

 

蒼莱の弾幕と八枝の狙撃で、βチームの隊員数がみるみるうちに減っていく。それに勇気付けられたのか、α分隊の隊員達も攻勢に出始め、形勢逆転。β分隊は全滅し、八九式が丸裸となった。そこへM2の弾丸が雨あられと叩き込まれ、更に分隊員の一人が投げた収束手榴弾に誘爆する形で、逃走を図った八九式もあえなく撃破されたのだった。

 

「なるほど…想像以上にやれているな」

 

ガイの驚きはそればかりでは済まない。乗っていたIV号がいきなり対岸へと動き出し、同時に川の水面に対岸からの――森から躍り出てきた生徒会の38t(Eチーム)の砲弾が飛び込んだ。操縦はいつの間にか麻子に代わっていたらしく、彼女は巧みな操縦でIV号を38tに横付けする。

 

「発射用意! ――撃てぇっ!!」

 

みほの合図と共に、砲手を担当していた優花里によりIV号は発砲。側面装甲に至近距離で砲弾を食らった38tは当然の如く沈黙する。歩兵を無視して突出し過ぎたらしく、38tの護衛役だったε分隊は何もできずにお役御免となった。

 これで残るはDチーム、一年生のM3のみ。どこかに隠れているであろう戦車を探して、ガイが視線を横切らせた時、

 

「――逃がさんっ」

 

IV号の脇を、残月が風のように駆け抜けていった。その手には、加工を終えたらしき対戦車地雷が一つ抱えられている。森の中では、落ち葉を被せてアンブッシュしていたM3が、彼から逃げようとして化けの皮を自ら剥がしてしまっていた。

 

「ふんッ」

 

開けた場所に出てきてしまったM3、その上方に残月は地雷を投げた。無論そのままでは、地雷は戦車にぶつかることもなく、そもそも地雷は踏まれなければ意味がない。

 しかし、それは既製品での話。

 

「「「わあああああぁぁぁぁぁーーーーー!?」」」

 

フリスビーのように飛んでいった地雷は、M3の直上二メートル程度で爆発。ほぼ同時にM3は白旗を揚げる。M3の上面装甲は、()()()()()()()()()()()大きく凹んでいた。それだけの衝撃、一年生の悲鳴も無理はない。

 

 『そこまで! B、C、D、Eチーム行動不能』

『よって勝者、Aチームとα分隊!』

 

亜美とミラーの無線で、試合終了が告げられた。

 

「…終わったか」

 

…練度はともかく、久し振りに‘濃い’試合だった。それが、ガイの感想であった。




書かなきゃいけないことが多すぎて8000文字近い文字数になってます。
本当はもっと短いはずなのに…

歴女チームが「てわるよん」と叫んでいますが、オタク達の一人のハンドルネームです。ビツケンヌが幼き頃スマブラで使っていた名前の一つを流用しました。
オタクだって女の子とお近づきになれないとは限らない!!
尚ビツケンヌはコミケ未経験の模様。いつか行ってみたい…


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秘め事 ~Real in smile~

 夕暮れの中を航行する一隻の学園艦。大洗学園艦の数倍の規模、十万人の人口を擁するその艦は黒森峰学園。この日もまた、戦車道履修者達が各々訓練に勤しんでいた。

 学園校舎の一角に設けられた射撃練習場。二十メートル程離れた的に向かって、歩兵部隊の隊員達が複数人並び、拳銃を手に射撃訓練を行なっている。彼らは今年から黒森峰学園に入学し、黒森峰の特殊部隊ヴァイパーコップフへの入隊試験を控えた候補生であった。

 ソリッド・スネーク――歩兵部隊及びヴァイパーコップフの隊長であった西住ガイが転校した為に、当時副隊長だった『リボルバー・オセロット』こと三波(みなみ)聡史(さとし)が、今は隊長の後釜に座っている。先刻戦車部隊隊長のまほとの会合を終え、彼はここに視察に訪れていた。

 

「…!」

 

長めの銀髪を微風に揺らし、隊員達の背後をゆったりとした歩調で歩きながら、ネコ科の猛獣を思わせる目つきでその一挙手一投足に目を光らせていた聡史は、ある一人の生徒に目を留めた。練習場の端で銃を撃つ彼は、足を開き、膝を落とした恰好で立っている。ホルスターに挿した銃を素早く抜き放ち、腰溜めに構えて三連射。弾は的の中心こそ逸れたものの、三発とも命中していた。

 

「もう一度!」

 

彼の脇に立ち、聡史は再度射撃するよう促す。彼は頷き、再び三点バーストを試みるが、二発目を撃とうとした瞬間に引き金が止まってしまった。聡史は彼の使っていた自動拳銃を自分に渡させ、マガジンを抜き出し、それを手渡した。

 

映画(ウエスタン)でも観たか」

 

スライドを引き、排莢口に挟まった弾丸を外しながら聡史は言った――拳銃は弾詰まり(ジャム)を起こしていたのだ。

 

「こいつはオートマティックだ。反動(リコイル)を逃がす撃ち方には向いてない。リボルバー向きだ」

 

 隊長が彼を諭すその様子を見ていた他の隊員達にも、聡史は彼らの前を歩き、語り始めた。

 

「…ヴァイパーコップフは、最早かなりの規模になった。世間も注目している。愚連隊紛いの振舞いは、他所でやってくれ。――いいか、正しい戦技を身に付けろ。映画(スクリーン)で観たあらゆることを忘れるんだ。以後おかしなことをしたら…見逃さん」

 

そして持っていた銃を、持ち主に返す前に。

 

「こんな彫刻(エングレーブ)には…何の戦術的優位性(タクティカルアドバンテージ)もない」

 

彼が使っていた拳銃に刻まれた彫刻を、無価値だと切り捨て。

 

「だが早撃ちは見事だった。いいセンスだ」

 

しかし最後に褒めるところは褒めて、その場を後にした。

 実はこのアドバイスは、中学校進学直前の聡史が、親善試合の対戦相手だったガイから受けたものだった。当時からのリコイルの衝撃を肘を曲げて吸収する癖、そして子供にありがちな虚栄心によって、肝心な場面で銃が撃てなくなってガイに敗れた。

 ガイの助言を元に、使う銃を自動拳銃から回転式拳銃に変え、研鑽を積んだことで、入学したプラウダ高校付属中学校では『シャラシャーシカ』の異名で恐れられるようになった。そして昨年、恩人ともいえるガイを追い黒森峰学園に入学。三年間で拳銃のスペシャリストとして成長を遂げていた聡史は、『リボルバー・オセロット』のコードネームをも賜った。

 

「……」

 

 彼はその偉業を以って、ソリッド・スネークに並び立ち、共に戦うことを望んでいたのだが――

 

「浮かない顔ね」

 

練習場を出た聡史に、横合いから声をかける者があった。癖の強い赤毛の長髪を腰まで伸ばし、度の入っていない角張った眼鏡をかけている。右がヘイゼル、左がスカイブルーのオッドアイは、色素の薄い肌と併せて浮世離れした魅力を彼女に与えていた。

 

「! 会長…」

「‘彼’の代わりは大変かしら?」

 

黒森峰学園生徒会長を務める彼女の名は(にのまえ)九十九(つくも)。彼女もまた戦車道を履修する黒森峰の戦車兵だが、生徒会の仕事で多忙な彼女が試合以外で戦車を動かしているところを、聡史は見たことがなかった。…大方、今日も練習には参加できず終いだったのだろう。

 

「…率直に言って、その通りです。私に西住ガイの真似事はできても、彼自身にはなれません」

 

 小さく嘆息しながら、聡史は九十九の問いに答えた。

 ガイが黒森峰を去ることが決定した時、戦車道の履修を取り止めたり、極端な例では転校しようとする歩兵隊員が続出した。まほと聡史の必死の説得で、何とか卒業する三年生以外での兵員数の減少は防いだものの、聡史が隊長になった今年度の戦車道履修希望者は、前年度比で三割近く減少している。中等部から多くの‘伝説’を残してきた『ソリッド・スネーク』は、それだけ黒森峰に於いて、歩兵やそれを志す者達に英雄視されていたのだ。

 聡史自身も、ガイを尊崇している人間の一人だ。ガイの指導で育て上げられ、ガイが残した部隊を受け継ぐことになったのは、素直に誇らしい。しかし自分がそれを維持していけるかどうかは別問題だった。自分の指揮能力についてもそうだが、聡史の中には“自分が長に就くことを本当に承服している人間が今の隊にいるのか”という不安があったのである。

 

 「でしょうね。それでも、私達は大会までにソリッド・スネークの穴を埋めるしかないわ」

「わかっています。…ですが、本当に彼は放逐されるべきだったのでしょうか?」

「彼は他の歩兵隊員の全ての責任を負って黒森峰(ここ)を去った。貴方も彼に庇われた身でしょう?」

「……」

「それに…師範が決定された以上、覆ることはないわ。どうか、堪えて頂戴」

 

九十九の諭すような口ぶりに、聡史の胸にはやりきれない思いがこみ上げてくる。そもそも、ガイを隊長の座から降ろすにしても、転校までさせるというのは聡史には納得がいかなかった。規律の厳しさに定評のある黒森峰といえど、昨年度のそのやり口はどうも急進的なものがある。彼の身に起こったことやそれにより起こり得る学園への影響を鑑みても、些か過激な――

 

「!」

 

聡史のズボンのポケットから、無線機のコール音を模した着信音が鳴り響いた。

 

「出たら?」

「…失礼します」

 

取り出したスマートフォンの画面に表示された相手は、今まさに話題に上がっていた人物だった。溢れそうになる喜色を上手く押さえ込みながら、画面をスライドし通話に応じる。

 

「はい、私です」

 

 ちらりと九十九に目をやると、彼女は腕組みをして悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 大洗学園の物理準備室は、窓際に壊れて使われなくなった机や椅子が山積みされ、西日に照らされたその上で埃が踊っている。無造作に実験器具が置かれたその狭い部屋の中で、ガイは器具をあるべき場所に整理しながら、かつての仲間である聡史と電話していた。

 

「悪いな、聡史。俺にはお前に助言する程度のことしかできない」

『それだけでも十二分です、ボス』

 

 大洗学園学園艦に移住してからというもの、どちらからともなくこの‘連絡’は始まった。聡史はガイのいない部隊を運用するに当たっての不安要素の解消、即ちガイにアドバイスを貰う為に、ガイは自分のいない黒森峰歩兵部隊がどう機能しているかの確認と、

 

「…まほは、元気か?」

『…前々から思っていましたが、直接電話しないんですか?』

 

黒森峰に残してきた、(まほ)の様子を尋ねる為である。

 

「俺が聞いても、余計な心配をかけさせまいとするのが目に見えている。それに、できれば俺がまほと連絡を取っていた事実は作りたくない」

『副隊長――みほの為ですか』

「あいつはお袋とまほを恐れている。大洗に共にいる以上、俺はみほの味方でありたい」

 

昨年度公式大会でのみほの行動について、しほの叱責から彼女を庇わなかったまほに思うところがない訳ではない。それでも、中等部入学から四年以上を同じ学園艦で過ごしてきた姉に、寂しい思いをさせているのではないかという心配の方が勝っていた。だが一方で、聡史に話したように、自分がまほと通じているとみほに知られ、彼女が自分に不信感を抱くのは避けたかった。故に、こうして間接的に情報を得るしかない。

 

『――最近は落ち着いてきたようです。訓練も普段通り、動きのキレも問題ありません。ですが…誰も見ていないと、上の空になっていることがあります』

「そうか…」

『こちらでも幾らか働きかけてみるつもりです。貴方も気をつけて』

「ああ…ありがとう。頼む」

 

スマートフォンの画面をタップし、通話を切る。今は聡史に任せるしかない。

 

「…ふう」

 

 無理矢理思考を切り替える為に、ガイはかの模擬戦以降のことを思い返した。

 四日前、大洗の戦車道履修者達は初の実戦演習を終え、翌日からその結果を元に本格的な訓練に乗り出した。戦車兵の女子達はそれ程身体を動かさないが、歩兵の男子達はミラー主導の軍隊仕込の訓練メニューでたっぷり扱かれている。そんな中で、ガイは既に何人かに‘目を付けて’いた。

 蒼莱は模擬戦の時もそうだったが、並外れた膂力の持ち主で、本来三人で扱うM2を一人で軽々と持ち運ぶ。それどころか、両手に一挺ずつ持って乱射しながら走り回るような芸当すら(流石に教官に止められたが)してみせた。既に倉庫にあるM2の内一挺は事実上彼の専用武器と化している。

 志朗はガンスミスとしての腕以外にも、戦場を俯瞰的に捉え、戦況を分析する能力に長けているらしい。戦闘には積極的に参加しないということだったが、倉庫に指揮車両が一台眠っていたので、ガイは彼にはそれに乗ってオペレーターとしての仕事を任せるつもりでいる。

 八枝は共に模擬戦に乱入した麻子と共に、戦車道を履修することになった。操縦の腕を買われて戦車兵となった麻子に対し、閉鎖的な戦車の中を嫌った八枝は歩兵部隊の紅一点となった。ガイの見立て通り卓越した狙撃能力を持っており、彼女の為にモシン・ナガンの一丁を志朗がカスタムしている。

 そして模擬戦では活躍の場面がなかった生徒会書記木蓮も、ガイの目に留まった男だ。小柄ながら身の丈とほぼ同等の野太刀を手足のように振るい、近接戦闘では不類の強さを見せ付けている。相対した相手の銃口の向きを読み、刃で弾丸を弾き飛ばした時などは、ガイも度肝を抜かれた。

 彼らの能力を十全に活かすことができれば、大洗は最早単なる素人の集団ではなくなるだろう。実力のあるものが活躍すれば、それを見た他の隊員達の士気が上がるのは経験的にわかっている。

 このあとの聖グロリアーナとの練習試合がどうなるかはともかく、順調に育っていけば大会優勝、つまり黒森峰打倒も夢ではない――

 

「――!?」

 

その時、ガイの足の力が唐突に失われ、彼は床に膝を突いた。立ち上がることができない。

 

 「…まずった…」

 

 

 

 

 

 「…あら?」

 

華のスマートフォンに電話がかかってきたのは、彼女が丁度自分のホームルームである二年A組から出る時だった。机の中にノートを忘れてきたことに気付いた彼女は、みほや沙織を校門に待たせて忘れ物を取りに来たのだ。

 

「ガイさんから?」

 

画面には“西住ガイ”の文字――二人いる西住を区別する為、兄の方(ガイ)からは名前で呼ぶよう言われていた。みほ曰く、ガイは日中携帯電話の電源は切っているらしいが、まだ校内にいる筈の彼がわざわざ電話をかけてくるというのはどうしたことか。

 

「はい、もしもし」

『五十鈴さん。火急の用事だ。助けて欲しい』

「え?」

 

 “助けて欲しい”。華は()()ガイからそんな言葉が出てこようとは思いもしなかった。

 

『俺は今手が放せない。三年B組の教室の前に、俺の鞄が置いてある筈だ。その中にレジ袋に入ったバッテリーがある。袋ごとそれを持って物理準備室に来てくれ』

「…はい、わかりました。すぐに持っていきますね!」

 

バッテリーが何に必要なのかはわからないが、華はそれもどうでもよかった。みほと共にその経験からくる的確な指示やアドバイスを授け、また模擬戦では攻撃を受け行動不能に陥ったIV号を率先して守ってくれた。そんな彼が何であれ助けを求めているのなら、それに応えたいと思ったのだ。

 階段を上り、三年B組の教室に辿り着く。言われた通り、引き戸のすぐ近くに男子用の鞄が置かれていた。中身を漁ることに僅かながら罪悪感を覚えたが、白いレジ袋がはみ出していたので取り出すのも楽だった。踵を返し、一階へと下りて物理準備室の前に到着、

 

「…ガイさん?」

 

した華だったが、部屋の中から何か妙にひっそりとした、ただならぬ気配を感じ取った。ドアをノックし、ガイの名を呼んでみる。

 

「ん…!? ああ五十鈴さん、持ってきてくれたか」

 

すぐにガイから返事があったが、その声音にはどこか動揺した響きがあった。

 

「はい。…あの、何かお困りですか? 手伝いましょうか?」

 

心配になった華は、ドアを開けて部屋に入り込んだ。戦闘中以外は大抵いつも笑っていて、基本的に余裕のある態度を崩さないガイが、そんな声を出す状況が想像できなかった。中にいたガイは、華の位置からは床に胡坐をかいて座り込んでいるように見えた。

 

「いや、いいんだ。バッテリーはそこに置いてくれれば――」

「ガイさん? どうしたんですか? 何をなさっているんです?」

「ま、待て五十鈴さん! 来るな!!」

 

 ガイが制止するより早く、視界の妨げになっていた実験器具の向こうに歩いてきた華は、

 

「えっ…――」

 

‘それ’を見て、バッテリーを取り落とした。




前回調子に乗って書きすぎたのでこれからの話で文字数調整します。

物凄い伏線回。原作のストーリーは全く進めない。
伏線のためだけにある話でした。


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貞淑な任務 ~First engagement~

 聖グロリアーナとの練習試合は、陸上の大洗市街地とその周辺地域で行なわれることになっていた。戦車道の試合で建築物等が破壊された場合、該当物は新築対象となり、戦車道連盟がその費用を補填する為、どの市町村でも積極的に試合会場として誘致を行なっている。大洗学園学園艦が帰港するついでと催されたこの試合は、大洗町の住民にとっては願ってもない幸運といえるだろう。

 少し高台に上れば集合場所からも、港に停泊する大洗学園学園艦と、その隣に前者の数倍の威容を誇る聖グロ学園艦が並んでいるのが見える。あと数分で対戦相手が到着するという中、横一列に並べた戦車の後ろで、残月は装備の最終チェックを行なっていた。

 

「部品が届くのが遅れてな。渡すのは最後になってしまったが、大上さんの要望通り、ピストルグリップと折り畳みストックを付けてみた。具合はどうだ?」

「…ようやく手に馴染むようになってきたってところかしら。後は私の方で何とかする」

「しかしまさか『ジ・エンド(the End)』が使ってたモデルと同じ改造を施すことになるとは、同じ狙撃手(スナイパー)ってことでもどこか運命的なものを感じるな、大佐」

「ああ、俺もどうしてかわくわくしたよ」

「……」

 

今回の試合の為に、敵となる聖グロが試合で使用する装甲車両の数に予め見当をつけ、それに合わせて必要な分のIEDを作成。ガイを通して生徒会にも働きかけ無線機やデジタル腕時計も入手し、スプリングを使った時限信管やワイヤーを使った接触信管だけでなく、遠隔操作での起爆も可能にした。不意の事故や不発に備え、予備の素材と工具類も持参している。またそのすぐ近くでは、今朝志朗の手によるカスタムを終えたばかりのモシン・ナガンの受け渡しもされていた。

 確認を終え、六十キロ近い装備を背負った残月にも、専用の新しい装備が支給される。

 

「残月、あんたにはこれだ。電波測距儀付可変倍率双眼鏡と、戦闘情報端末『iDROID』。オタコンとメイ・リンが一晩で調整してくれた」

 

受け取ったのは、殆ど箱のような形をした武骨な双眼鏡と、棒状のアンテナの付いたハンディ無線機に似た機械。iDROIDと呼ばれた後者の側面に付いたボタンのうち一つを押すと、青いレンズ状の部位から光が放射、空間に投影され、立体映像――地形図を映し出した。

 

「…他の歩兵は使わないのか?」

「ここだけの話だが、iDROIDは戦車道の規定スレスレなんだ。GPSは勿論、機能を限定して精度も落としてあるとはいえソリトンレーダーも付いてる。抜け穴を通った最新技術(ズル)の塊だ。ただでさえあんたの専用回線もリアルタイムバースト通信なのに、こんなものを標準装備に入れたらすぐに改定されて規制されるのがオチだろう」

 

ソリトンレーダー、リアルタイムバースト通信…そのどちらも日米の特殊部隊に採用され始めたばかりの最新の軍事技術だ。それらの技術は、現在大洗学園の定時科に属する、一人の生徒の発明を出自としている。その本人が手がけたiDROID――つまりこのような‘贅沢な’装備を託されるということは、それだけ自分への期待も大きいのだろうと、残月は責任の重さをひしひしと感じた。

 志朗が装甲指揮車に乗り込み、蒼莱と八枝が他の分隊と合流し作戦の最終確認に動き出したのを見送ると、残月は並んだ戦車の間隙から、聖グロの機甲部隊が到着するのを認めた。戦車がこちらと同様横一列に整列し、それぞれの車長と、その護衛を担う分隊長が並んだ。こちら(大洗)の車長と分隊長も並んでいるので、互いに顔を突き合わせることになる。

 

「…マスター?」

 

その時、聖グロの戦車の背後で一台のジープが停まり、運転していた男が歩み寄ってきた。オールバックにした長い金髪とサングラス――その特徴は、マスター・ミラーの第一印象そのものであった。

 

「イーライか。相変わらず紛らわしいな」

「俺のサングラスもイカスだろ?」

 

しかし本人がサングラスを取り払ってしまえば、そこにあるのは全くの別人の顔だと気付かされる。ミラーの素顔は――初めて見る者にはよく驚かれるが――意外にも子供っぽさがあるのに対し、ガイにイーライと呼ばれた男の目つきは鋭く、むしろガイに似ていて、その笑みは底意地或いは往生際の悪さが滲み出るものだった。ガイとイーライは拳を突き合わせ、互いに口の端を獰猛に歪めた。そこでようやく、残月は彼がかの『リキッド・スネーク』こと結城イーライだと認識したのだった。

 過去公式大会に準優勝した学校だけあり、彼が率いる特殊部隊サーペントテイルは精鋭揃い。

 そんな強者を出し抜く為の計画は、三日前に練られていた。

 

 

 

 

 

 「…作戦会議?」

 

訓練が終わった後、残月は倉庫の一角に入り浸り、対戦車地雷を加工してIEDを作っていた。彼が素材として最もよく使うのは、ドイツ製対戦車地雷の35型皿型地雷(Tellermine35)、通称TMi-35。この地雷は重量九キロ、装甲貫徹力は二十四ミリだが、残月が改造すればその限りではない。

 

「取り込み中悪いが、お前にも参加して欲しい。作戦内容を今の内に把握しておいて貰いたいからな」

「…わかった。少し待て」

 

凹凸や上下面の開口部が少ないこの対戦車地雷の穴を裏側からハンマーで叩き潰し、上向きに膨らんだ上面を叩いて凹ませる工程が味噌である。ガイの頼みといえど、この作業を終えるまでその場を離れる訳にはいかなかった。尤も、彼の手にかかればこれ一つ作るのに四、五分もあれば十分なのだが。

 作戦会議の場である倉庫の反対側(生徒会室が狭過ぎた為に倉庫を使うことになったようだ)に向かえば、既に戦車兵と各分隊長が集まっていた。壁際のホワイトボードを中心に放射状にパイプ椅子が置かれ、ガイと残月はその最後部に隣り合って座る。何故かガイの席の横には華が立っていたが、残月がそれを気にする間もなく会議は始まった。

 

「いいか、相手の聖グロリアーナ学院は、強固な装甲と随伴する歩兵との連携力を活かした浸透強襲戦術を得意としている。とにかく相手の戦車は堅い。主力のマチルダIIに対して、我々の砲は百メートル以内でないと通用しないと思え。しかも歴史上最初の特殊部隊を設けたイギリスに影響を受けているだけあって、特殊部隊『サーペントテイル』も高練度だ」

 

桃が説明しながら指示棒で指した先には、聖グロの使用するイギリス製戦車『マチルダII歩兵戦車Mk.III/IV』と『チャーチル歩兵戦車Mk.VII』のスペックデータ、及びそれが随伴歩兵と進軍する静止画が貼り出されている。桃の言う通り、最大七十五ミリの厚さを持つマチルダの装甲を貫けるのは、戦車ではIII突かIV号しかいなかった。賢人学園の後を追う形で二番目に結成された強力な敵特殊部隊の存在もあり、ところどころから不安げな声が上がる。

 

「そこで、一分隊が囮となってこちらが有利となるキルゾーンに敵を引きずり込み、高低差を利用して残り全部隊がコレを叩くっ!!」

「いや、待て河嶋」

 

 桃の出した作戦案は、ガイにより即座に止められた。

 

「な、何だ、文句があるのか!」

「戦場での達人は臨機応変に作戦展開を行なえるものだ。戦術マニュアル通りに行動するとパターン化してしまう為に戦略が見破られてしまう。…この程度の策を()が見破れない筈がない」

 

ガイのコードネームを知る者には、彼が言う“奴”の正体が誰かはすぐにわかった。固体(ソリッド)液体(リキッド)の二匹のヘビ(スネーク)は、その二つ名が付くよりも以前から幾度となく激突し合う好敵手として知られ、その因縁の深さは呪いにも喩えられる程だ。桃の作戦がイーライに見通されることは、ガイには容易に想像できたに違いない。

 

「よって、その作戦は()()()()()()()()()()()()第一次作戦とし、二次、三次と続けて作戦を展開するべきだ」

「うるさい! 私の作戦に口を挟むな! そんなに言うならお前が隊長をやれ!」

「もう歩兵部隊の隊長だ。…少なくとも、お前みたいな単純軟弱石頭よりは務まっている」

「何を!! お前の方こそ嘘吐きの役立たずの捻くれ者のカッコつけのスカした――」

「はいはいかぁーしま落ち着いて…西住()()()はどお? 何か言いたいんじゃない?」

 

 ここ最近で、ガイと桃とは致命的に反りが合わないことが発覚していた。冷静で生真面目な印象とは裏腹に極めて短気で狭量な桃は、皮肉っぽい面のあるガイの煽りで即座に沸点を超えてしまうのだ。みほに戦車道の履修を迫ったことを根に持っているのか、ガイは生徒会、とりわけ桃に命令されることを嫌っている節があり、この問題はそうそう解決しそうにない。杏が桃を宥め、何とか会議に持ち直す。何か言いたげだったみほ(杏は西住兄妹の区別にみほのみ「ちゃん」を付ける)は当てられて困惑した様子だったが、ガイに視線で促され、おどおどしながらも意見を述べた。

 

「…まず、先輩達が立てた作戦はそのまま実行していいと思います。ですが裏をかかれ逆包囲される可能性が高いので、第一次作戦の成否に関わらず、すぐにその場から撤退して市街地でのゲリラ戦に持ち込むべきかと…」

 

みほの案は、戦車と兵の練度に劣る今の大洗が聖グロを相手に勝機を掴むには妥当なものだった。今回の試合のルールは殲滅戦、つまりどちらかの学校の戦車全てが撃破されるまで試合が続く為、試合に勝つには相手は逃げた戦車を追わざるを得ないのだ。遮蔽物の多い市街地に立て篭もることで正面からの撃ち合いを避ければ、装甲と火力にごり押されることもなくなる。残月もこの作戦に異存はない。

 問題は、サーペントテイルに対して如何に対応するかだが――

 

「そうだ、角谷。一つ提案したい」

「なーに、西住ぃ?」

「奴らに対抗する訳ではないが、大洗にも特殊部隊を設けるべきだと思うぞ」

「…そうは言ってものう、西住兄よ。歩兵の練度不足はお主も痛感するところであろう?」

 

特殊部隊を設ける。ガイのその言葉にどよめきが広がった。それまで沈黙を保っていた榊の苦々しげな台詞が、その場の歩兵全員の意を代弁する。

 

「メンバーの選出は終わってる。構成員は四人。実動部隊は内一人で、残りはオペレーターだ」

「一人じゃと!? して、誰が?」

「残月だ」

 

 全員の視線が、残月一人に突き刺さった。

 まさに寝耳に水。しかし残月はガイに感謝すらしていた。引退前の自分がそうだったように、通常の指揮系統から外れて単独で行動することを許されたも同義だからだ。

 

「オペレーターは志朗の他に二人。じきにここに来る」

「連れてきたぞ、ガイ」

 

その場にいなかった志朗が、私服姿の男女を率いてやってくる。男は痩せ型で、とても戦いには向いていなさそうだが、円い眼鏡の奥の瞳から確かな知性が見え隠れしていた。女は倉庫の中をきょろきょろと見回し、物珍しそうにするその様子と併せ、童顔であどけなさがあった。三人がガイの元に辿り着くと、志朗が紹介を始める。

 

「通信科の古至真(こじま)英明(ひであき)、定時科の(たちばな)美玲(みれい)。俺の幼馴染だ。それぞれ『オタコン』と『メイ・リン』って呼んでくれ」

「よろしく」

「よろしくね」

 

 提案どころか、生徒会の了解を得るまでもなくここまで周到に準備を進めていたことに、皆唖然としているようだった。残月もまた驚かされたが、同時に当然だとも思った。初の他校との練習試合までの時間は少なく、いちいち協議している暇もない。自惚れるつもりはないが、他とは一線を画した‘切り札’が、大洗には必要だ。

 

「部隊章はまだ紙の上の段階だが、部隊名と一緒に考えてある。単独潜入による諜報・破壊活動を主任務とするハイテク特殊部隊――」

 

いつの間にか、ガイは小さな手帳(ノート)を取り出し、それに何やら書き込んでいた。やがてガイは手を止め、開いていたページを前に掲げる。そこには、サバイバルナイフを銜えて睥睨する一匹のキツネが描かれていた。

 

「『フォックスハウンド(FOXHOUND)』だ」

 

 

 

 

 

 かくして、三人のオペレーター(非戦闘員)とたった一人の実動部隊だけで構成された特殊部隊フォックスハウンドが、大洗の切り札となった。残月の戦闘服の左肩には、サバイバルナイフを銜えたキツネのワッペンが既に縫い付けられている。

 

《Marker placed.》

「……」

 

試合開始直後、残月はiDROIDで目的地に目印(マーカー)を付け、移動を始める他の分隊とは逆方向に走った。ちらりと振り返れば、蒼莱と優花里曰く「全く別の何か」になった戦車達が土煙を上げ遠ざかっていく。ある日突然IV号以外の戦車がピンクやらトリコロールやらに塗り替えられていた時には、流石の残月も度肝を抜かれたが、生徒会までもが38tを金色に塗装していた為、それを生徒会による心理的なカモフラージュ、つまり廃校の件を生徒に悟らせない為の策だと理解した。…単なる悪乗りだとはついぞ考えなかった。

 

 『何か作戦名ないの?』

『えっ? 作戦名は…えっと、コ――』

『オペレーション・イントルードN313だ』

『お、お兄ちゃん!!』

『お前のネーミングはいつも締まらない。どうせ今度も“コソコソ隠れて相手の出方を見て、コソコソ攻撃を仕掛ける、だからコソコソ作戦”みたいなものだろう』

『うっ…』

 

市街地一帯を見渡せる高台の上に来た時、杏が出した作戦名の話題で、残月はあることを思い出した。

 

『それにしても、この編成で聖グロと戦おうなんて無茶ね』

『そう言うなよメイ・リン。僕らには残月が付いてるじゃないか』

『それと元黒森峰のお二人さんもな』

 

ある学校に戦車道の特殊部隊が編成される時、その部隊が最初に経験する実戦での作戦名は、コブラ部隊の最初の作戦にあやかって同じ名前が付けられるのだと喜理恵から聞いた。その名は『バーチャスミッション』、公式大会で試合前に情報を得ようと対戦校に忍び込み捕まってしまった女子生徒を、コブラ部隊が奪還する任務だったらしい。バーチャス(Virtuous)とは貞淑を意味し、忠誠を誓う儀式のようなものだったようだ。

 

「……」

 

既に市街地に先回りしている歩兵がいる可能性もある。残月は胸に取り付けた鞘からナイフを抜き、M1911A1と同時に構えた。グリップの側面を削り込んでおいた拳銃に、ナイフの柄がしっかりとフィットした――このやり方を教わった師匠(ボス)の言葉が、脳裏に反響する。

 

“残月、まずCQCの基本を思い出して…”

 

 「――今から、バーチャスミッションを開始する」




やりたいことを詰め込みまくった結果5999文字という奇跡の数字が生まれた。
文字数調整なんてできなかったよ…

ええ、もう本当にやりたい放題やらせていただきましたよこの話は。
イカしたサングラスやら単純軟弱石頭やらCQCの基本やら…そのせいで原作キャラの出番が全然ない。ごめんよダー様、次回あたり喋らせてあげるからね…(喋るとは言ってない)


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巣の中で ~Masters instruction~

 『先遣隊との連絡が途絶えた』

 

リキッド・スネークことイーライ――キーマンというティーネームがあるが、そう呼ばれることは嫌っている――からの無機質な報告に、聖グロ機甲部隊隊長ダージリンは耳を疑った。リキッドが市街地に送った、サーペントテイルから選出された者も含む十数名の先遣隊と連絡が付かなくなったというのだ。

 

「…攻撃を受けたという報告は?」

『ない。どの隊員も無線に応じない』

「やはり、ソリッド・スネーク…?」

『いや、奴はまだ市街地にはいないだろう。あの烏合の衆を御するのに手一杯な筈』

 

ダージリンが最も恐れていた、ソリッド・スネークこと西住ガイによるものだという線も、自他共にその最大のライバルと認めるリキッド自身が否定してしまった。今自分達が追いかけている大洗機甲部隊、その中のどこかにソリッドはいる――相手は陣形を崩され防戦一方で退却するしかないという状況で、余裕を持って戦える筈なのに、ダージリンは胸騒ぎがしてならなかった。

 

「…指示は出せないけれど、気をつけて」

『そのつもりだ。既に警戒を呼びかけている』

 

 ソリッド・スネークでないのなら、一体何者の仕業だというのか。浮かび上がる疑問を、ダージリンは恥じた。試合前、“どんな相手にも全力を尽くす”と向こうの生徒会長相手に啖呵を切ったというのに、自分の中にはまだ敵を侮っていた節があったらしい。しかしその疑問を、一笑に付すこともできないというのも事実であった。

 

「ダージリン様、ソリッド・スネークという歩兵はそんなに恐ろしい敵なのですか?」

 

無線の内容を聞いていなかった、ダージリンが車長を務めるチャーチルの装填手オレンジペコが、訝しげに尋ねてきた。ソリッド・スネークと呼ばれる以前、唯の西住ガイ(それでも西住という箔は付いている)だった頃のものも含んだ彼の活躍を、尾鰭の付いた眉唾物だとする者も一定数いる。一年生で今年から戦車道を始めたばかりのオレンジペコには、彼の伝説は信じ難いものなのだろう。

 

「そうよ。“装填の隙を突かれ砲口から手榴弾を投げ込まれて戦死判定を受けた”…その被害者が、一年生の時の私とアッサムですもの」

「あのときは肝が冷えたわ。安全装置が働いていなければ、今頃私達の頭には金属の角が生えていたでしょうね」

「えええぇっ?!」

 

砲手アッサムのブラックジョークも、あながち間違いではない。現在戦車道に使用される武器は、その部品全てに特殊なマイクロチップが埋め込まれ、戦車内部ではその攻撃力が発揮されないような安全装置が組み込まれている。ダージリンが経験したような状況では、手榴弾は不発となる代わりに、戦車内部のセンサーで乗員に戦死判定が下り、戦車も撃破された扱いとなる。そうでなければ、車内を跳ね回る弾殻で全身をズタズタにされていた――今でも恐ろしい記憶だ。

 この機能が十年前に導入されたことで、戦車内部への攻撃が限定的ながら解禁されたのだが、これを実用的な戦法とすることができるのは、ソリッド・スネークと称えられた西住ガイしかいないのだ。ある現役の陸軍将校は、歩兵が戦車と一対一で戦って勝てる方法は絶対にないと断言しており、彼の規格外ぶりを現役軍人が認めた事例としてあまりにも有名である。

 閑話休題。

 

「けれど、今市街地にいるのはソリッド・スネークではない…」

「…?」

ヘビ(スネーク)は俺と奴だけではないのかもしれん、ということだ』

 

 『スネーク』の名は、何も部隊章だけからきているのではない。ヘビが音もなく草むらの中を進んでいけるように、ソリッド(ガイ)リキッド(イーライ)も潜入を得意としていた。

 先遣隊に存在を悟られない、文字通りの暗殺。その犯人がソリッドでないのだとすれば、新たなヘビ(スネーク)の誕生をダージリンとリキッドに予見させるには十分だった。

 

 

 

 

 

 オペレーション・イントルードN313の第一次作戦は、西住兄妹の予想を大きく裏切る形での失敗となった。

 聖グロ機甲部隊がほぼ一塊になって移動していた為、キルゾーンへの誘導を担当したAチーム以外の戦車兵達は車外に出て大富豪やバレーボールに興じていられる程の余裕があり、また歩兵の一人からその報告を受けたガイが士気の維持の為敢えてそれを黙認した――勿論戦闘中は真面目にやらせることを条件として――お陰で、強豪校を相手にした初めての練習試合でも緊張することなく作戦を遂行できていた。

 …桃が‘発狂’するまでは。

 

「あんの馬鹿野郎!! 味方撃ってどーすんだよォ!!」

 

接近するIV号を前にするやいなや、突如砲撃を開始した桃につられて他の戦車、対戦車砲もAチームとα分隊に向け誤射してしまい、α分隊はタンクデサントしていたガイ以下四人を除いて一瞬で全滅。追撃する聖グロ機甲部隊に位置を悟られて予想通り逆包囲に遭うばかりか、恐慌状態に陥ったDチームが戦車を捨てて逃げてしまった為にM3も撃破されてしまった。

 半分になった一年生のδ分隊をα分隊に合流させ、火砲の多くを放棄して、生存者一同転がるように市街地に向かっているが、蒼莱の怒りと嘆きの声は止まるところを知らなかった。

 

『終わったことを嘆いても仕方ないだろう、蒼莱』

「元々失敗する作戦なんだ、()()()が重なっても許容するしかない」

「けどよぉ先輩、これじゃ木蓮が可哀想だぜ!?」

「……」

「…何も言わないようだけれど」

「こいつは残月以上に無口なんだよ!!」

 

実は試合開始直前、本来ε分隊所属の木蓮が何故か勝手にα分隊の列に並んだのだ。ガイが何を言っても無言でその場から動こうとしない木蓮に、蒼莱が冗談で「転属願いのつもりなんじゃねえの?」と呟いたところ、彼はそれを首肯した。一年生の時から度を越した主体性のなさで知られ、今でも生徒会で桃の言いなりになっている彼が珍しく自分の意思を見せたことに蒼莱が感動し、必死にガイに頼み込んだことで暫定的に受け入れられたが、そんな彼は自分が守る筈だった戦車にフレンドリーファイアされるという憂き目を見ている。尚その報いとばかりに、38tは履帯が外れて動けなくなり、護衛という名の囮を買って出た榊のε分隊共々置き去りにされた。

 しかしガイは、この状況からでも勝利することはできると確信していた。

 

『…こちら残月。トラップ設置完了。手筈通り、これから残存する全車両に誘導指示を行なう…』

 

残月とバースト通信ができるのは、志朗、英明、美玲が乗る装甲指揮車の他はガイに限られている。残月から入ったバースト通信は、通常無線よりもノイズが少なく、息を殺すような残月の声もはっきりと聞こえた。

 

「わかった。俺達(α分隊)はどうする?」

『リキッド・スネークの相手を頼む。トラップのないルートを残しておいた。それからみほにも、チャーチルを任せたい』

「ああ、伝えておく」

 

 コブラ部隊の隊員達のコードネームは、それぞれが戦場で感じる特別な感情からきている。

 至高の痛み『ザ・ペイン(the Pain)』、江草(えぐさ)駿央(はやお)

 真実の終焉『ジ・エンド(the End)』、伊坂(いさか)脩三(しゅうぞう)

 無限の憤怒『ザ・フューリー(the Fury)』、平井(ひらい)政和(まさかず)

 至純の恐怖『ザ・フィアー(the Fear)』、田村(たむら)徳人(のりひと)

 深淵なる悲哀『ザ・ソロー(the Sorrow)』、堀切隆信。

 無上の歓喜『ザ・ジョイ(the Joy)』、井下(いした)喜理恵。

 残月は隆信が存命していた時からコブラ部隊の面々と親交が深く、野生動物への対処法、カムフラージュ技術、トラップの仕掛け方、爆弾の取り扱い、霊視、近接格闘術をそれぞれから学んだ。特に彼が類い稀な才覚を発揮するIEDの作成・設置技術は、ザ・フューリーとザ・フィアーの影響も大きい。

 コブラ部隊を擁する賢人学園を相手取った黒森峰が、かの爆発事故で賢人学園が消滅するまでの三年間優勝できていたのは奇跡に近い。ザ・フィアーは一年生の時、準決勝で対峙した黒森峰の歩兵部隊にこう言い放ったという。

 

“西住の教え子よ。これから貴様らにまだ見たことのない本当の恐怖を見せてやろう――俺の(ウェブ)の中で!”

 

巣――ネスト(nest)でなくウェブ(web)を選ぶ辺り、逃がす気などさらさらないのだろう。そして、それを受け継いでいるといえる残月も同じ。彼の罠に絡め取られたが最後、恐るべき毒牙の一撃を前になす術もなく敗れ去るのだ。後に残るのは、干からびた亡骸のみ。

 

「さあ切り替えろ。二次作戦が始まるぞ。みほ、ここで一旦分かれよう」

「うん、気を付けてお兄ちゃん!」

 

 市街地の入り口でIV号が減速すると、通信手となった沙織に代わり車長となった総隊長みほに一声かけ、ガイは戦車から降り、後から来たδ分隊のジープに拾われて先を行く。IV号が再度前進し始めたのを見届けてから、彼は分隊員から運転を代わった。

 

――恐怖するがいい。ここはもう、残月の(ウェブ)だ。

 

 

 

 

 

 ジョニーはうんざりしていた。

 

「分隊長、そんな気ィ張らなくたって大丈夫ですよ」

「相手は弱小そのものでしょ?」

「うるさいぞ、静かにしてろ! 先遣隊のこと、リキッドから聞いただろ」

「トイレじゃない?」

「「「ハハハハハハハハハハハハハハハ…」」」

「……」

 

市街地に消えた大洗機甲部隊を捜索・撃破するべく、聖グロ機甲部隊は隊列を解き分散しているが、彼に宛がわれた隊員達のやる気のなさときたらない。

 確かに、県立大洗学園は今年度から戦車道を再興したばかりで、部隊は急造、練度も低く、戦車の塗装には意識の違いが顕著に表れている。安直な作戦といい戦車を捨てて逃げる戦車兵といい、この聖グロリアーナ機甲部隊の敵ではない。リキッドからの()()が来るまでは、ジョニーもそう考えていた。あのソリッド・スネークがいるといえども、バラバラで纏まらない彼らを率いて戦うのは骨だろう、とも。

 問題は、先遣隊と連絡が途絶えても尚、ジョニー率いるこの分隊の隊員達が相手を過小評価していることだ。

 ある意味では、彼らの言い分も尤もだ。常識的に考えれば、どんなに優秀な兵士でも一人では数の優位に勝つことはできない。しかしここ十数年間、殊にかのコブラ部隊の出現を境に、戦車道界には一騎当千の強者が数多く現れており、ソリッド、リキッドの二匹のヘビ(スネーク)もそれに該当する。…もし――確実にそうであるが――先遣隊が一人残らず倒されているのなら、数と練度に勝るこちらを圧倒するだけの能力を持った歩兵が、大洗にはいるのではないだろうか。

 

 「…ん?」

 

そんな時、ジョニー達は思いもかけないものに出くわした。

 

「あ、赤羽!?」

「ーーーっ! ーっ!!」

 

T字路を左に曲がったところで、先遣隊の一人である赤羽が、手足を縛られ口にビニールテープを張られた状態で道の真ん中に転がされていたのだ。戦死判定こそ出ていないが、この恰好では連絡を取ることもできまいと納得しかけて、

 

「っ!!」

 

ジョニーはそれと同時に、危険な予感がうなじを撫でるのを感じた。

 

「待ってろ、今助け――」

「待て、伏せろッ!!」

「え」

 

 赤羽を助け起こそうと走った隊員を止めつつ、アスファルトの地面へ横っ飛びに身を投げ出したが、もう遅かった。

 

「「「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーー!?」」」

 

爆音に混じり響く悲鳴、ふくらはぎの側面に点々と走る鋭い痛み。自分とその指示を聞いて伏せた者、兵員輸送車の中にいた者以外の全員が、一瞬のうちに戦死判定を受けた。戦死を免れた者の中にも、負傷判定により動きを制限されている者が多々いる。

 

「なんてこった…!!」

 

つくづく自分達は、相手を見くびり過ぎていたらしい。

 致命傷を避け、仲間が助けに来るのを待つ――スナイパーが使う手だ。今回は狙撃ではなかったが、敵兵そのものをブービートラップの囮として利用し、通過するには仲間を見捨てなければならないという精神的なダメージをも与え得る狡猾さは、ジョニーを心底震え上がらせた。

 だがそれと共に、ジョニーの頭にはある疑問が浮かんだ。

 

――あの爆弾は、()()()()()()()()()…?

 

彼は足の痛みに覚えがあった。一次爆薬によって地中から空中に飛び出し、二次爆薬により無数の鉄球を広範囲に撒き散らして敵を殺傷する跳躍地雷の一種、S-マイン。しかしこのドイツ製対人地雷は、点火蝕枝に約七キロの荷重がかかることで起爆する仕組みであり、助けに行った隊員は赤羽に()()()()()()()()筈なのだ。

 その疑問を晴らす為、ジョニーは今度こそ戦死判定の出た赤羽に向かっていった。

 

「ぶ、分隊長…?」

「ふむ…」

 

爆弾が乗っていた赤羽の背中から、千切れた導線のようなものが、左右の肩口と足に向けて一本ずつ伸びている。それぞれの先には、皿状に形成されたアルミホイルの取り付けられた、小さなコードレス電話が据え付けられ、アルミホイルは身体の左右で同じ方向、道を横切るように倒れた赤羽の左右を向くようになっていた。

 コードレス電話――

 

「――ッ!?」

「ど、どうかしましたか?」

 

絶句した。

 

 「…距離だ…マイクロ波だ。二メートル以内に近付くと爆発する」




難産でした。ここまでサクサク投稿し過ぎたのもありますが…
残月はとんでもないものを受け継いでしまったようです。

どう足掻いても原作アニメをなぞるか某歩兵道さんの二番煎じになってしまうので、第一次作戦の詳細な描写についてはまるまるカットしました。
でもそのせいで余計に原作キャラの出番が少なくなってしまうという…w


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蛇の新生 ~Explosively formed penetrator~

 歩兵用に仕掛けたブービートラップの一つが起爆したことを、残月は遠くの爆発音と、iDROIDに入った通知で察知した。信管を加工する手を止め双眼鏡を覗き込むと、案の定複数名の敵兵が倒れているのが見える。

 

「……」

『上手く作動してくれたみたいだね』

『初披露という訳だ。ガイから聞いていたが、流石の精度だな残月』

『敵兵を囮に使うのは、ちょっと可哀想な気もするけどね…そんなこと言ってらんないか』

 

iDROIDが映し出す大洗町の地図上では、多数の図形が動き回っていた。小さい丸は歩兵、大きい丸は歩兵用車両、三角は戦車を表し、白抜きと白がそれぞれ敵と味方を意味している。戦死及び撃破判定が出たものにはバツ印が付けられる。戦死させずに無力化した先遣隊が、あちこちに散らばっているのがわかる。

 

 《A target's approaching.》

 

iDROIDの無機質な音声(報せ)。立体映像の向こうで、隆信が試すような視線を投げている気がした。

 

「…マチルダ三両、目標地点に接近を確認。排除開始」

 

残月はTMi-35の上蓋を嵌め直してから、淡々と無線で告げた。設置したトラップの殆どはiDROIDを中継した簡易な敵味方識別装置を備えているが、敵戦車を確実に撃破するべく、対戦車用トラップだけはマニュアルで起爆する必要がある。

 あの日約束した手前、兄に情けないところは見せられない。

 

 

 

 

 

 Bチーム――女子バレーボール部が残月から与えられた指示は、立体駐車場付近に敵戦車を誘い込めというものだった。彼女達はガイが何故残月を‘贔屓’するのか理解できず、彼からの指示にあまりいい印象を持っていなかった。とはいえ、部員数の減少で廃部となってしまった部を復活させることを生徒会に頼み込んでいるので、手を抜く訳にはいかない。

 四人で知恵を絞り、β分隊とも協力して策を練った。

 

「「「そーれっ!!」」」

 

一方の車庫をβ分隊の歩兵に動かして貰い、反対側の昇降機に八九式を潜ませる。フェイクとした前者の目前にマチルダが待ち構えて砲撃しようとしたところを、背後から急襲するという寸法だ。待ち伏せは上手く図に当たり、砲弾が命中したマチルダの後部からは黒煙が上がっている。

 

「Bクイック大成功!!」

 

車長と装填手を兼任するキャプテン磯辺(いそべ)典子(のりこ)を始め、部員四人は歓喜に沸いた。が、

 

『馬鹿言えファールだよ!!』

「うわぁ嘘! 生きてた!」

「これでも食らえ!!」

 

破壊したのはマチルダの予備燃料タンクだった。撃破できなかったことを車庫からの無線で知り、すぐさま次弾を放つも、小気味良い音と共に弾かれてしまう。

 元来歩兵支援用として設計された八九式は、装甲ばかりでなく砲火力も貧弱な大洗最弱の戦車であり、Bチームとβ分隊はここに来る前、マチルダよりも先に随伴する歩兵を攻撃、戦車と分断していた。一次作戦の混乱で対戦車火器を捨てざるを得なかったβ分隊にはマチルダを撃破する術がなく、八九式による至近距離からの砲撃に一縷の望みを賭けて作戦を立てたのだが、結局は八九式の大洗最弱の名を裏付ける結果となってしまった。

 

『わり、コールドだわ。全滅した』

「サーブ権取られた!」

 

そして敵歩兵部隊に返り討ちに遭ったことを報せるβ分隊隊長(野球部キャプテン)松井(まつい)亮牙(りょうが)の無線連絡と、典子の断末魔の叫び、マチルダの砲声がややずれて重なり、ここにBチームは敗北を喫したのだった。

 

 「Bチーム敵車両撃破失敗! 走行不能! すいません!!」

 

だが通信手近藤(こんどう)妙子(たえこ)が撃破されたことを報告した直後、

 

『…いや、十分だ』

 

残月の短い言葉と同時に、()()に突き飛ばされたマチルダが横倒しになり、白旗を揚げた。

 

 

 

 

 

 Cチームとγ分隊には薬局付近への誘導が指示されていたが、歴女達はオタク達と結託し、より積極的に攻めていくことを考えた。III突は砲塔が回転しないことを無視すれば、八九式とは逆に装甲と火力に優れ、車高も低いので待ち伏せに適した優秀な戦力である。γ分隊は対戦車火器こそ不足していたが、兵の損耗は少なく、敵兵に打撃を与えるには十分だった。

 両者は一計を案じる。何を言わずとも考えることは同じだったようで、作戦はすぐに決まった。

 

「俺達の底力、見たけりゃ見せてやるよ。ホラホラホラホラ!!」

「迫撃砲は現代でもトレンドだあああぁぁぁーーー!!」

 

ハンドルネーム『柳生先輩』こと田所(たどころ)広次(ひろつぐ)、『2U』こと二階堂(にかいどう)勇太郎(ゆうたろう)が、歩兵を侍らせ進軍するマチルダ正面の建物の屋上から、それぞれ重機関銃と迫撃砲による銃砲撃を盛んに繰り出し、歩兵を駆逐していく。マチルダは持ち前の装甲で歩兵の盾となりつつ強引に前進、二人への砲撃を試みるも、

 

「ふっ、戦車に守られるとは聖グロの歩兵も落ちたものよ…」

「今だ! 撃てぇっ!!」

 

計画通りと言わんばかりに、2Uの口が三日月形に大きく歪んだ。薬局の前に置かれた旗の中には、歴女達が戦車に付けていた、真田の六文銭と新撰組の誠の旗が混じっていたのだ。薬局脇の路地にマチルダが差し掛かった途端、車長『エルヴィン』こと松本(まつもと)里子(さとこ)の号令で、そこに隠れていたIII突が発砲。実戦で敵戦車を撃破できたのは、Cチームが初めてとなる。

 

「行くゾッ! どらごんばすたー、バンザーイ!!」

「「「バンザーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイ!!」」」

 

攻勢は更に続く。戦車を失い浮き足立つ敵兵に、薬局に潜んでいた『宵闇のアギト』こと(きた)(みつる)率いる歩兵達が濁流のように押し寄せた。対応の遅れた敵兵は銃剣突撃に奇跡的な程あっけなく敗れ、Cチームとγ分隊は敵一分隊を殲滅せしめたのだった。

 一行は路地から出、次の相手を求めて索敵を開始した。

 

「「ハッハッハッハ!!」」

 

予想以上の戦果に、エルヴィンと装填手『カエサル』こと鈴木(すずき)貴子(たかこ)が車上で高笑いする。この分なら、残月が仕掛けたというトラップも使う必要もないだろう――その場にいた誰もがそう思っていた。

 その驕りも、すぐに終わりを告げた。

 

「「「ファッ!?」」」

 

右側面、木製の塀を貫いての砲撃。撃破されたIII突の、家屋の庭を挟んで反対側にマチルダ。III突が掲げていた四本の幟が塀の上に出ていたことで位置を気取られたことに気付いた時には、敵兵の短機関銃による制圧射撃で、どらごんばすたーは半数を割っていた。

 

「くっ…Cチーム走行不能! γ分隊も被害甚大、撤退するでござる!」

『…いい動きだった。お陰でトラップが一つ余った』

 

『てわるよん』こと只野(ただの)善之助(ぜんのすけ)が報告を入れ、彼に続いてγ分隊は脱兎の如く逃げ出した為、突如つんのめるようにひっくり返って白旗を揚げるマチルダを拝むことは叶わなかった。

 

 

 

 

 

 大洗と聖グロ双方の被害状況は、総隊長みほだけでなく、志朗を通じてガイにも伝わった。ガイの乗るジープは一定の速度を保ち、同じルートを巡回し続けている。

 

『八九式、III突が行動不能。β分隊は全滅、γ分隊は半数を割ったそうだ。だが残月がIEDでマチルダを二両、III突が一両撃破、γ分隊が一歩兵分隊を殲滅した。他のトラップもいい仕事をしてる』

「意外にいい傾向だな。γ分隊に伝えろ、一度市街地外周に避難しε分隊と合流して――」

 

指示を出そうとしたその時、

 

「ソリッドォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオ!!」

 

町中に響き渡らんばかりの叫びが木霊した。δ分隊が市街地に入ってから、特に戦闘行動も起こさずにうろついていただけだった理由が、まさに彼らの後方に迫っていたのだ。

 

「まだだっ!! まだ終わってない!!」

「リキッドォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオ!!」

「おいマジかよ!? 勝手におっぱじめるなよな!」

 

二ブロック後ろの角から、ドリフトしながら躍り出てきた一台のジープ。それを駆るのは、イギリス製短機関銃ステンガンを構えたリキッド(イーライ)だった。‘烏合の衆’に味方を討たれても尚その闘志を滾らせる()()()の雄叫びに、ガイもまたアメリカ製短機関銃トンプソン・サブマシンガン(トミーガン)を構え咆哮して応えた。驚いた運転手がスピードを上げ、それにリキッドのジープが追随。そのままカーチェイスしながらの銃撃戦に移行する。

 ソリッド・スネークと双璧を成すリキッド・スネークの情報は、既に残月も知るところであった。車両と対戦車兵器の扱いに長け、足場の悪い場所で二両のティーガーIIに挟撃されながらもジープの僅かな前進・後退のみで砲撃を回避しつつ梱包爆薬を投擲し双方を撃破した逸話は、“攻撃ヘリでジェット戦闘機を撃墜したようなもの”と云われ持て囃されている。これに対抗できる歩兵が今の大洗にはガイしかしないと判断したのが、残月がガイをリキッドにぶつけた所以であり、ガイもそれをよく理解していた。これが残月から用意された決闘の場であることも。

 数分が経過する。

 

「ちぃっ…!」

「ぐっ…!!」

 

片側一車線の道路を並走し占有する二台のジープ。リキッドは何発か被弾してはいるものの致命傷ではなく、しぶとく追い縋ってくる。ガイは何とか無傷でいられたが、δ分隊は運転手以外の全員がリキッドの銃撃により戦死判定を下され――決闘の邪魔になるからだろうか――、被弾も時間の問題だった。

 そんな折、

 

「うわっヤベェ!!」

「っ、まずい!」

「うおっ!?」

 

L字路を曲がった二台の前方。そこには、とどめを差しに遣わされた対戦車兵を撃退し、履帯を直して舞い戻ってきたEチームの38t、ε分隊の兵員輸送車の姿があった。十字路を横切ろうとしていた一行を、スピードを出し過ぎたジープ二台は回避し切れず、

 

「「「ぎゃあああああああああああああああ!?」」」

 

38tの側面にほぼ同時に衝突。38tは横転して撃破判定が下る。その上リキッドの乗ったジープは宙を舞ってε分隊のど真ん中に落着、爆発炎上。殆どの分隊員に戦死判定が出た。ガイのジープも徒では済まず、38tの進行方向の道路脇でひっくり返り、ガイの足を下敷きにしていた。

 

 「クソッ…リキッドはどうなった…?」

 

何とか足を引っ張り出そうとしながら、ガイはリキッドの様子を窺おうとしたが、38tの車体が邪魔になって相手方のジープは見えない。しかしその向こうから、ふらつきながらも歩み出てきたリキッドの姿を認め、ガイは‘相変わらずの’往生際の悪さに戦慄した。

 

――しまった!

 

「ソリッド…!」

 

力なく垂れ下がった右手には、それでもステンガンが固く握られている。横に突き出したマガジンは、恐らく最後のものだろう。しかし身動きの取れないこちらを仕留めるにはそれで十分だ。

 

「ソ、ソリッド…!!」

 

大きくぶれながら構えられたステンガンのアイアンサイト越しに、自分の目と好敵手の目が合う。ハーフである彼の青い目は、絶対的に有利な状況であるのに、それでもこちらに更なる抵抗を求めているかのように思えた。――言われるまでもない。ガイはジープの下で必死にもがき、反撃の一手を繰り出す術を模索しようとして、

 

「がふっ…」

 

一発の銃声に続き、リキッドが膝を突いて倒れた。

 

「…無駄弾を撃たなかったのは正解じゃったのう」

 

その背後で、アメリカ製半自動小銃M1ガーランドを構えた榊が、溜め息と共に呟いた。

 …今回は命拾いしたが、こういったシチュエーションは二匹のヘビには日常茶飯事であった。

 

 『…助けは不要か――全てのマチルダの撃破を確認した。これよりチャーチルを破壊する』

 

 

 

 

 

 複数の車両が絡んだ事故とほぼ同時刻、チャーチルは見通しのいい広場でIV号と対峙していた。

 

「……」

 

ダージリンは、恐らく今までになく神経を尖らせていた。

 ここに至るまでの間に、味方のマチルダは全て撃破されてしまっている。目前のIV号に一両、III突に一両、そして()()()()()()()によって二両。一方で大洗側も、放棄されたM3、履帯の外れた38t(撃破判定の顛末はダージリンは知る由もない)、奇襲に失敗した八九式及びIII突が撃破され、残るはIV号のみとなっている。互いの随伴歩兵が対戦車火器を失い、一対一の状況ではあるが、しかし真に警戒すべきはマチルダ二両が撃破された要因。報告によれば、攻撃を受けた際周囲に敵影はなく、大きく凹んだマチルダの装甲には砲弾状の金属塊がめり込んでいたという。

 マチルダを一撃で沈めるその破壊力もさることながら、ダージリンが最も警戒したのは、周囲に敵が見えなかったという証言であった。ブービートラップが多数仕掛けられていることは歩兵の報告でもわかっていたが、もしマチルダを破壊したのがそれらによるものなら、今この場にいることさえ危険が伴う。正体が何であれ、ここで戦うこと自体最初から仕組まれていた可能性すらあるのだ。

 味方の戦車を巻き込みかねない為に使用されないという楽観論は、とうに捨て去った。今考えることは、迅速に、確実に、IV号を撃破することだ。トラップが起爆するその前に。

 

――“イギリス人は、恋愛と戦争では手段を選ばない”…

 

機会があれば、かの西住流の次女に披露するつもりであった格言が、ふと脳裏に去来する。それがこのような消極的な、つまり最早手段を選んでいられないという意味で演繹されようとは、試合前のダージリンは考えもしなかった。

 

 「…来たわね」

 

IV号は一度後退し、Uターンしてこちらに突っ込んでくる。先に一度被弾している右側面を狙い、貫通判定を取ろうという魂胆だろう。ダージリンが何を言うでもなく、操縦手ルフナは黙ってチャーチルを急発進させた。敵の不意を突く為の行動、

 

「「「キャアっ!?」」」

 

だった筈が、ダージリン達は完全に不意を突かれた。衝撃は上から来た――攻撃してきたのはIV号ではない。ダージリンがキューポラのハッチを開けて確認すれば、白旗を揚げる判定装置と、そのすぐ脇にめり込んだ‘何か’。更にチャーチルの二十メートル程後方には、フリスビーを投げた後のような恰好で佇む一人の歩兵。彼はハンドガンとナイフの他に、ヘッド交換式ハンマーや金切り鋸、ワイヤーの束をぶら下げた異様な姿をしていた。

 彼の前に、対戦車地雷…TMi-35に似た残骸が落下する。そして彼の腰には、()()()()()()()()()TMi-35が括り付けられていた。

 

「――ッ!?」

 

その時、ダージリンは悟った。かの正体不明の正体こそ彼であり、市街地にトラップを仕掛けつつ先遣隊を悉く無力化した犯人、大洗が隠し持っていた鬼札(ジョーカー)であると。

 

「…アッサム、すぐにGI6のデータを更新しなさい。新たなヘビ(スネーク)が現れたわ」

「何ですって?」

固体(ソリッド)液体(リキッド)に続く第三のヘビ(スネーク)、最早気体(ガス)ですらない電離気体(プラズマ)――」

 

彼女はその歩兵から目を離さぬまま…否、あまりの鮮烈さに離すことができぬまま、アッサムに告げた。

 

「『プラズマ・スネーク(Plasma Snake)』よ」

 

 町内に響く審判のアナウンスが、県立大洗学園の勝利を告げる中、ダージリンは確かに、IV号の装填手用ハッチに駆け寄ったある随伴歩兵の言葉を聞いていた。

 

「ようやくわかったぜ優花里…堀切の奴――自己鍛造弾を作ってやがったんだ」




見せ場に限ってどうしていつも6000文字超えてしまうんだろう…
書き始めの時はこれより1000文字近く多かったし、文字数調整って大変。

今回はビツケンヌとしても珍しくかなり目まぐるしい視点変更が試みられました。残月がマチルダをどうやって屠っていたのか最後までぼかそうとした結果です。色々兼ねて38tには犠牲になって貰いました。
そして蒼莱がついにその正体、自己鍛造弾であることを見抜きました。
自己鍛造弾の技術を使ったIEDが台頭し始めたのはイラク戦争以降ですが、IEDという大きな括りの中で見れば一緒なので、戦車道の規定には抵触しませんw
次回はその辺の説明から始まる予定です。


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指摘 ~Need to know~

 自己鍛造弾(Self Forging Fragments)とは、成形炸薬弾(Shaped Charge)の一種であるが、基本的な原理はモンロー/ノイマン効果を使った従来の対戦車榴弾(High-Explosive Anti-Tank)即ちHEAT(ヒート)とは全く異なり、爆薬レンズによる平面爆轟波と、ミスナイ・シャルディン効果による爆轟波の集中を利用し、爆発成形侵徹体(Explosively Formed Penetrator)を形成するものである。

 HEATは円柱状の炸薬の片側を角度八十度以下の漏斗状に凹ませ、そこに合わせて金属板の内貼り(ライナー)を装着した形状をしている。凹ませた側と反対側から起爆させることで発生した爆轟波により、ライナーは動的超高圧になり崩壊する。爆発加工が例にも示されるように、金属のような固体でもユゴニオ弾性限界を超える圧力に曝される場合、液体に近似した挙動を示すようになる。この結果、爆轟波の進行に伴い漏斗中心に発生した圧力凝集点(スタグネーションポイント)によって底部から先端まで絞りだされるように液体金属の超高速噴流(メタルジェット)が起こる。これがモンロー/ノイマン効果である。

 爆轟波が進行していくと生成されたジェット自体は速度勾配に従って細長く伸び、やがてブレークアップする。最も良く用いられる、ライナーを銅としたモデルの場合、一般に秒速七、八キロの高速のメタルジェットとなり、戦車などの装甲を侵徹する。接触したメタルジェットの運動エネルギーで今度は装甲との相互作用面がユゴニオ弾性限界を超える超高圧状態となり、装甲材自体の機械的強度は無視され、ほぼ液体として振舞う中ジェットが突き進むのである。

 一方自己鍛造弾は、漏斗というより皿に近い角度一三〇度以上のライナーを持ち、HEATでは直径の四倍以上ある縦の長さは直径よりも短くなる。内部でプレート状になった炸薬は、自身より比重の重い金属でできたケースに爆轟波を反射されて炸薬自身をも貫通、エネルギーの大半がプレートの片面に向けて放出される。このミスナイ・シャルディン効果と、弾体底部が爆薬レンズとされていることで、平面爆轟波は前方のライナーに向けて進み、凹んだライナー中心部から先に到達することになる。

 爆轟によってライナーのユゴニオ弾性限界を超える圧力が生じると、金属ライナーが爆轟波の進行方向に沿って絞り込まれるように変形していき、圧力から解放されたライナーは中心が先端になり外側程後ろに来る弾丸状の形状のまま目標に激突する。自己鍛造が完了するまでの時間は僅か四百マイクロ秒ほどであり、弾頭は秒速二千五百から三千メートルの速度で飛び出す。この速度は一般的な砲弾の三から四倍、運動エネルギーに換算すれば九から十六倍となる為、砲弾よりも強力な貫通力を発揮する。

 堀切残月は()()()()、この自己鍛造弾の技術を用いたIEDを作っていたのだ。

 

「自己鍛造弾の装甲貫徹力は直径とほぼ同程度、だから戦車砲弾や対戦車ロケットの弾頭としては直径が大き過ぎる。でも…」

「堀切が材料にしてた35型皿型地雷の直径は三十二センチ、爆薬の入った内径で少なく見積もっても三十センチ以上、つまり…」

「「事実上、現在の戦車道で使われる戦車で破壊できないものは存在しない…?!」」

 

優花里と蒼莱の言葉は、ダージリンのみならず、練習試合に参加した全ての聖グロ生徒を震撼させた。戦車道で使用可能な戦車の中で最大の装甲厚を持つのは黒森峰が保有するドイツ製超重戦車マウスが知られるが、マウスの最大装甲でさえ二四〇ミリであり、今回の試合で使われたこのIEDで、トップアタックやバックアタックの必要もなしに難なく貫くことができる。またこのタイプのものの普及はイラク戦争以降ではあるが、戦車道の規定に抵触しないIEDであることに変わりはなく、この‘狂気的な’兵器が公式大会でもまかり通ることになる。そもそもが敬遠されがちなIEDの、しかもそんな代物を作り出すことができる生徒が(誤解を恐れず言えば)このような弱小校にいることは、あまりにも受け入れ難い事実であった。

 

「…経験則で、こう作ると破壊力が上がると思っていたが…そういうことだったのか」

 

無表情な残月の、得心が行ったような――呑気とすら捉えられる――呟きも、ダージリンには空恐ろしいものにしか聞こえなかった。試合中マチルダが次々撃破されたことに驚愕し落として割ってしまったが、もし予備のティーカップがあったならここまでで更に三回は割っているだろう。

 少し遠くで勝利の歓喜に沸く大洗機甲部隊の面々とは対照的に、薄ら寒いムードまで漂う聖グロ機甲部隊の中から、しかし一人が残月の前に歩み出た。額に『J』と描かれた目出し帽がトレードマークの歩兵、ジョニー・ササキ。

 

「なあ、ちょっといいか?」

「…何だ?」

「街にトラップを仕掛けたのはあんたか?」

「…ああ。俺が作って配置した」

「いつ作った?」

「幾つかはその場で作ったが、大抵は一昨日の夜までに用意した」

「待て、それ反則だぞ」

 

――…反則?

 

 ジョニーが上ずった声を上げたせいか、大洗側の生徒達もしんと静まり返った。

 

「…どういうことだ?」

「二ヶ月前に戦車道の規定が改定されたんだ。‘完成品のIED’を試合会場内に持ち込めなくなったんだよ。つまりIEDは全部その場で作らなきゃいけない」

「!」

 

表情筋は殆ど動いていなかったが、ダージリンは残月がかなり面食らったのを感じた。残月が首だけで振り返れば、「初耳だ」とその先のガイ。ガイの反応はジョニーを除く全ての生徒達と同じで、実のところダージリンも、そんな改定があったことも知らなかった。

 

「――何だよ、皆知らないのか? そりゃIEDは戦車道じゃマイナーだし、見向きもされないのは仕方ないかもだけどさあ…」

「…試合はどうなる?」

「うーん…審判は絶対だし、実際作ってるところを見てたからそういう判定なんだろうし…今更覆らないと思うからガタガタ文句言うつもりもないけど、でも普通は反則負けだろ」

「え…じゃああんこう踊りやるの…?」

 

残月の問いに対するジョニーの回答に、大洗側のどこかから上がった声で、残月とガイを除く大洗機甲部隊の顔が真っ青になる。“あんこう踊り”が何を意味するのかはわからないが、相手側で何かしらペナルティーを課しているのだろうと、ダージリンは推測した。それを見かねてか、ジョニーは続けて残月に問う。

 

「幾つかその場で作ったって言ったな。それだけで勝てたか?」

「…対戦車用に絞ればやりようはある。勝率は五割二分といったところか」

「五割二分?」

「サーペントテイルがいる分、七割から一割八分引く」

「…だそうだ、皆。彼がルールを守っていても、勝てるかはわからない。実質引き分けだな」

 

 ――前言を撤回しよう。これで四回カップが割れた。

 

「…まあ、いい試合だったし、勝ち負けはともかく、今度はルールを守れよ?」

「ああ…次からは、気を付ける」

 

彼は――プラズマ・スネークは、ルールを守っても()()()とこともなげに言ってのけたのだ。しかもサーペントテイルがいないだけでこちらの勝率は十八パーセントも下がるのは、つまりその他の歩兵はかのヘビ(スネーク)には大した問題にはならないということでもある。先遣隊の全員がトラップ設置の過程で無力化され、あまつさえ歩兵を誘き出す餌に使われていたことからそれは火を見るより明らかだった。加えて彼の“次からは、気を付ける”という台詞――“次”があり、これからも続いていくことに他ならない。

 

 「角谷、どうする?」

「んー…勝ったけど負けたってことで、あんこう踊りはないけど干し芋三日分もなぁし!」

「いやそれもいらないだろう…」

 

ダージリンは、プラズマ・スネークと将来の公式戦でかち合わないことを、情けなくも期待してしまっている自分に気付いた。

 

 

 

 

 

 杏の言の通り、生徒会は勝った際の報酬として「干し芋三日分」(干し芋は大洗の名物であり杏の好物)、負けた際の罰ゲームとして「あんこう踊り」を企画していた。残月の‘功罪’によりそのどちらも回避され、特にあんこう踊りが催された場合には試合と合わせると午後まで食い込む予定だったが、幸いにして十一時を回る直前で終えることができていた。

 試合の後は沙織達と一緒に大洗リゾートアウトレットを回るつもりだったみほだが、この思わぬ余暇を利用して、残月と()()()昼食を摂ろうというのが、

 

「あ、あの…堀切君! お昼、一緒に食べない?」

「…どこでだ?」

「この辺に、美味しいラーメン屋さんがあるってγ分隊の人が――」

「行こう」

 

以上のやりとりで決定した。

 残月の好物はラーメンで、特に白湯ラーメンには目がない。ラーメン屋の話題を出した途端に二つ返事で了承したのも、偏に彼のラーメン好きによるものだ。彼が熊本に住んでいた時は、小学校付近のラーメン屋で頻繁に熊本ラーメンを食べていたのを、みほはよく覚えている。

 

「そうそう、堀切君、お誕生日おめでとう。本当はすぐお祝いしたかったけど、色々ごたごたしててプレゼントも用意できなくて…」

「構わない。お前が美味いラーメンを教えてくれただけでも十二分だ」

 

また、彼は物に執着する方ではない。彼にとってはプレゼントの内容そのものよりも、自分への気持ちと、自分の為にそれを用意してくれたという事実こそが大事なのだという。みほは誕生日の埋め合わせとして自分が誘ったのがラーメン屋でなかったとしても、残月はいつもの無表情で礼を言っただろうと確信していた。

 到着したラーメン屋は、開店前だというのに既に十数人が列を作っていた。店の前に置かれた券売機に千円札を入れ、残月は迷わず「鶏白湯塩ラーメン」を購入。みほも続けて千円札を入れ、醤油ラーメンを購入した。やがて店が開き、L字型のカウンター席があるだけの狭い店内に通される。席は二十人分足らずで、みほより後ろに並んだ者は店外で待つことになった。

 

「はい、鶏白湯塩ラーメンと醤油ラーメンね」

「「いただきます」」

 

カウンターの向こうにいる店員に券を渡して二十分程待つと、注文したラーメンが湯気を立ち上らせ運ばれてくる。割り箸を割るや、残月はレンゲでスープを掬って一口飲み、「…美味い」と一言。そのまま凄まじい勢いで麺を啜り始めた。みほは喉に詰まらせないかと若干心配になるが、彼は途中咳き込むこともなく、みほが醤油ラーメンを半分も食べ終わらないうちに鶏白湯塩ラーメンをスープまで飲み干してしまった。

 ラーメンに限った話ではないが、相変わらずのスピード――しかしみほは、手持ち無沙汰に水を飲む彼に(単にカルシウム剤を飲んでいるだけで、そんな気は全くないとはわかっていたが)急かされているような気がして、一瞬止まっていた箸を動かそうとし、

 

「…みほ」

「えっ?」

 

残月の声でまた箸が止まった。反射的に右隣を見れば、真っ直ぐに自分を見つめる残月と目が合う。みほの心臓はドキリと跳ね上がったが、意外にも彼の方がふっと視線を逸らし、幾つかの調味料が並べられたカウンターの正面に向き直った。

 

「…大分前から思っていたのだが――」

「な、何…?」

「…もう、『残月』とは、呼んではくれないのか?」

「!!」

 

再び心臓が跳ね上がる。

 

「嫌なら別にいい。だが…少し、寂しい」

 

いつもの如くそれだけなら感情を見て取れない残月の顔。しかしカウンターの向こうを、どこか遠くを見ているような今の彼の横顔は、“少し”どころか、ノスタルジックな寂寞に満ち満ちていた。

 みほが残月を名でなく姓で呼ぶようになったのは、中学二年の春頃からだ。熊本の小学校に転校してきた残月と戦車道で親しくなってから、姉や兄がそうするように名前で呼んでいたのに、その頃から何故か急に、彼を「残月」と名で呼ぶことが恥ずかしくなってしまったのだ。

 彼を見ているだけでチクチクと痛み苦しくなる胸の奥の感覚を遠ざけようとして使い始めたその呼び方は、同年八月末に隆信が死に、それを機に残月と連絡が取れなくなるまで続いた。こうして同じ高校に通うことになった今でも、その状況は変わっていない。

 

「あ…えっと…」

 

だが、彼が望むのなら。

 

「残月…君」

 

そう呼ぶのは、吝かでない。

 

 「…ありがとう。また、よろしく頼むぞ。みほ」

「っ!!」

 

久方振りに、残月の顔が表情を醸した。目尻が下がり、口角が上がる。微々たるものではあったが、変化に乏しい彼の顔を四年間見続けてきたみほには、その差異を判別するのは訳もないことであった。そして、眼前のそれが今、自分一人だけに向けられているものであるという現実に、みほは脳が沸騰しそうな感覚に駆られた。

 

「む…喜理恵さんに呼ばれた。今日は、もう帰る」

 

残月はやおら立ち上がり、みほを背にして店を出ていく。残されたみほの顔が熱くなったのは、店内に篭った熱気のせいばかりではなかった。

 

 

 

 

 

 “試合を見ていた。話をしよう”

 

喜理恵から来ていたメールは、この十二文字で終わっていた。

 残月がガイとみほを諭したあの食事会から、喜理恵は晶と共に家を空ける時間が多くなっている。昨日もダイニングテーブルの上に、一足先に陸に上がる旨が書かれた書置きを残月が発見した。彼女が書いたエッセイがそれなりに売れていることは知っていて、出版社の人間と連絡を取っているのだろうと残月は考えたが、わざわざ晶を連れていく理由までは思い至らなかった。

 何であれ、試合について何かしらアドバイスが貰えるだろう。残月は自分の反省点を――改定を知らなかったことも含めて――洗い出しながら、学園艦のある海辺まで歩いていった。

 

「少々締まらない終わり方だったが、次は負けんぞ」

「勝てる次があればいいがな」

「…?」

 

浜に面した小さな駄菓子屋の脇の路地から、海岸線に沿った大きな道に出ようとした時、残月はイーライと会話するガイの声を聞いた。小さく覗き込めば、店の前に置かれた錆だらけのベンチに座る二人の姿。

 そういえば、リキッドにはトラップを食らわせていない。いつか直接対決することもあるかもしれない――残月はそれに備えて、僅かばかりの情報を持ち帰ろうと思い立った。

 

――…これでよさそうだ。

 

すぐ近くに放置されていた空の段ボール箱。残月はそれを頭から被り、ひっそりと二人の背後に忍び寄る。段ボール箱を擬装に使う手法は小学生からのもので、ガイに伝えたところ絶賛され、彼に好んで使われるようになった。あるものは全て使うのがサバイバルの基本だ。

 

「兄弟」

「どうした?」

 

二人がコーラを飲み、海を見ながら話しているのもあるが、擬装は完璧といえた。駄菓子の銘柄が印刷された箱は、一見するとそれが始めからそこにあったかのように見えるだろう。段ボール箱の薄暗がりの中から、残月は耳を澄ませ、リキッド・スネークが口にする情報を一字一句聞き漏らすまいとした。

 

「――あまり無理はするなよ」

 

 ところが、‘情報’は思いも拠らぬものとなった。

 

「…何のことだ?」

「とぼけなくていい。俺にはわかるぞ、お前の心身にある問題が」

「……」

「身体はどうにでもなる。治すなり克服するなりできるからな。だが精神はそう簡単はいかない――今のお前は、自分で自分の毒に侵されている毒蛇だ」

「…妙な言い回しを使うようになったな。ダージリンの影響か?」

「とにかく、あの『プラズマ・スネーク』を始め、仲間を頼るんだな。勝ち逃げは許さん」

 

吐き捨てるような言葉の後、イーライは空き缶をゴミ箱に放り、道を北向きに歩き去っていく。しばらくしてから、ガイも南へと歩いていった。

 一連のやり取りを盗み聞いていた残月の中では、むしろ疑問が膨れ上がっていた。




また文字数多くなってる、止めてくれって言っただろ!?(CV:田中秀幸)
これ以上は削りようがないのでそのまま投稿。次回以降で調整するしか…

残月のIEDはその気になればマウスだってぶっ飛ばせます。(上院議員)
試合中に作らないといけない枷が嵌められたけど、五分で一個作れるからあんまり影響ないね。ついでにあんこう踊りも回避してやったぜ。
しかし伏線が今のところガイについてのものが殆どであらすじにある「巨大な陰謀」に触れられていないんですよね…


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近似値 ~Times with two ways~

 聖グロとの試合が終わった六時間後、麻子を除いたAチームの面々と、ガイ、蒼莱、志朗の計七人の姿は、水戸の華の実家にあった。ここに至るまでの経緯を簡潔に纏めると、次のようになる。

 ガイとみほがアウトレットで沙織達と合流し、七人で買い物を楽しんでいたところ、華の母である百合(ゆり)が人力車に乗って現れた。華道の流派が一つ『五十鈴流』の師範である百合は、娘の華が戦車道を履修していることを知らず、優花里がそれを話した途端に卒倒してしまった。すぐに百合は救急車で病院に運ばれたが、大事はなくすぐに退院、一同は自宅での療養を勧められた百合についていく形で実家に上がったのだった。

 程なくして目を覚ました百合に呼び出された華はすぐに学園艦に戻ろうとしたが、人力車を引いていた奉公人新三郎(しんざぶろう)の後押しを受け、百合の部屋で対面している。

 

「いいのかな?」

「偵察よ偵察」

「出歯亀じゃないのか…?」

「大佐も気になるだろ? 先輩も何も言わないし」

 

そしてそれを、沙織を筆頭に襖の向こう側から盗み聞いていた。

 みほや志朗の心配するように、これは諜報とは縁も所縁もない趣味の悪い行為だとはガイも認知していたが、敢えてそれを止めることはなかった。友人を案ずる彼らの為に多少は許されて然るべきだという考えと、彼らが何らかの出過ぎた行為に出ないようにするストッパーとなる為、そして自分自身も、彼女の置かれている境遇に少なからず興味があったからである。

 

「申し訳ありません…」

「どうしてなの? 華道が嫌になったの?」

「そんなことは…」

「じゃあ何か不満でも?」

「そうじゃないんです…」

「だったらどうして!」

 

三日前、華は自分が抱える‘秘密’を知った。編入時に書類も偽造した為、大洗の人間はみほを除き誰一人として知らない、親友たる残月にすら明かしていない秘密。イーライには試合前後に見抜かれてしまったが、あの男は律儀で他言はしないだろうし、ここまで残月に気取られていない以上は上々といえた。それを知られてしまった華には、殆ど脅しのような形で口外無用を言い渡した。

 

“万が一これが外に漏れれば、俺も君も唯では済まん”

 

白状すれば、華に及ぶ影響はハッタリ以外の何物でもない。それをしてでも、自分の秘密を()()()()()()()隠し通す必要があったのだ。ガイが今回沙織達の‘偵察’に同行したのは、何かしらの弱みを握ること位はできるかもしれないという希望的観測と、華に対する意趣返しという側面がある。

 

「私、活けても活けても…何かが足りない気がするんです」

「そんなことないわ。貴女の花は可憐で清楚…五十鈴流そのものよ」

「でも私は…もっと、力強い花を活けたいんです!!」

 

 そして、何より。

 

「あ…あああ…!!」

「お母様!?」

「素直で優しい貴女はどこへ行ってしまったの? これも戦車道のせいなの? 戦車なんて、野蛮で、不恰好で…うるさいだけじゃない! 戦車なんて、皆鉄屑になってしまえばいいんだわ!!」

 

‘対立する母子の構図’を、我が身に重ねて見たからであった。

 

「て、鉄屑ッ!?」

「んだとあのアマっ!!」

「落ち着け蒼莱!! 偵察なら静かにしろ!」

 

百合の言い放った言葉にいきり立つ優花里と蒼莱、それを制する志朗の小声も、ガイの耳には届いていない。ガイは既に、残月と出会い、彼から新しい戦い方を学んでからの、熊本の実家での一幕を幻視していた。

 西住流はその戦術の大部分が高火力なドイツ製戦車に依存しており、黒森峰ではそれらの多くが抱える機械的信頼性の低さを補うべく専任の整備士を用意する一方で、歩兵の装備は軽視されて整備・更新が滞り、一般兵の配給すら満足に受けられない劣悪な環境で酷使される層の歩兵も存在した。ガイは不十分な装備を補い歩兵達を活躍させる為、残月から学んだ柔軟且つ奇抜な発想に基く戦術を立てることを余儀なくされ、それは西住流の歩兵としては‘行き過ぎた’ものだった。

 

“ガイ、何故あそこで撤退したのですか”

“無駄な犠牲を増やさない為だ。後の作戦に支障が出る”

“歩兵は戦車を守る盾です! 貴方の言う作戦も、こちらの機甲戦力を過小評価し過ぎで――”

“意外とロマンチストだなお袋。結婚するなら肉の壁がいい訳だ”

“何ですって!? …貴方はいつもそう、西住にありながら戦車を()かそうとしない”

“俺も言わせて貰う。いつまでガンスミスを寄越さない気だ? 暴発事故は一度や二度じゃないぞ”

 

西住流が深く浸透した黒森峰では家元即ち西住しほの発言権が極めて強く、こと戦車道に関しては厳しい規律に支えられた黒森峰の校風もあって絶対的で、ヴァイパーコップフの設立にすらしほはいい顔をしなかった。特殊部隊ができても尚戦車偏重の戦い方を崩させようとしないしほと、それに反発するガイとの間に走る亀裂は、皮肉にも西住流の歩兵の在り方に不満を覚える者達からの『ソリッド・スネーク』への支持を一層高める要因となっていた。

 互いの主義主張をぶつけ合う親子の図は、ガイには身に覚えがあり過ぎた。

 

「ごめんなさい、お母様。…でも私、戦車道は止めません」

 

一歩も退かぬ子供と、

 

「…わかりました。だったらもう、うちの敷居は跨がないで頂戴」

 

強権に出る親。

 

「奥様、それは――」

「新三郎はお黙り!!」

 

故に考えてしまったのだ。「失礼します」と残して華が部屋を後にした時、開いた襖の向こうで正座し彼女をきつく見据える百合の姿を見て。

 

――()()()()敵か…

 

同情と敵意がない交ぜになった、どす黒い感情を澱ませながら。

 

 

 

 

 

 みほ達が乗った人力車をおいおい泣きながら引く新三郎に大洗町に送還され(男子三人は訓練を兼ねて徒歩でついていった)、一行が大洗港まであと数分といった距離まで辿り着く頃には、時計の短針は真下を向こうとしていた。

 大洗学園艦の出港時刻も迫っており、皆が雑談に興じながらも若干早足になる中で、少し遅れて歩く華にガイが横合いから小さく声をかける。

 

「新しい門出だと言ったな、五十鈴さん。俺には破門されたようにも思えるが?」

「……」

 

字面だけは普段と変わらない皮肉めいた言葉。だがその声音にはユーモアや人を気遣う意志が欠け、代わりに平時のものには存在し得ない、居丈高な刺々しさと冷徹さが多分に含まれていた。…‘秘密’を知ってからの自分にしかこんな話し方はしていないと、華は信じたかった。

 

“いいんです、皆さん…いつか、お母様を納得させられるような花を活けることができれば、きっとわかってもらえます”

 

勘当された自分を心配する仲間達――特に自分の舌禍だと思っている優花里――をそう言って宥め、これを“新しい門出”だとして新三郎にも笑えと言った。しかしそれを、隣にいるガイは言葉通りに受け止めることができていない。

 彼の抱える‘秘密’を知っても、それを()()()()()()()()()()()理由については知らされていない。だが華には、極ぼんやりとだが、それがわかる気がしていた。そして、()()()()()()()理由については、もっとよくわかった。

 

「…ガイさん」

「何だ?」

「私は今日、自分の‘呪い’を知りました。私もこんな形でお母様とのお話を終わらせることを望んでいた訳ではありません。…ですから、私も()います。私達は独りではありません」

 

食事会で残月が口にした言葉を、華は引用して告げる。‘秘密’を共有する者同士としては勿論、‘呪い’を背負う者として、仲間として、そして五十鈴華という個人として、華は闘う痛みと苦しみをガイと分かち合いたかったのだ。彼の妹(みほ)は隠しておきたい理由は知っているだろうが、隠しておかねばならない理由を、恐らく知らない――放っておけば、彼は自ら抱えるその重みに押し潰されてしまうかもしれない。

 

 「…わかった」

 

やや間の開いたガイの受け答えは、残月の言葉遣いを意識しているようにも思えた。

 最後の角を曲がった先に、繋柱に片足を乗せて待つ麻子の姿が見えてきた。

 

 

 

 

 

 「わざわざ荷物持ちを買って出るなんて、最近の子にしてはよくできてるわね」

「いいえ、私がやりたいだけですから!」

「今日の試合を見たわ。貴女はきっといいスナイパーになれる」

「そうですか? 射的は得意なんですよ」

 

残月は喜理恵と買い物をして回った後、みほ達より先に学園艦に戻っていた。歩き疲れて眠ってしまった晶を背負う残月の代わりに、道中出会った八枝が二人の荷物を持ち運んでいる。そして偶然道を同じくしている木蓮が、金魚の糞のように残月らについていく形になっている。

 

「……」

 

残月がちらりと後方を見やれば、変わり映えしない上の空な表情の木蓮。しかしその腕には、喜理恵が最後に立ち寄った店に売られていたリンゴジャムが、紙袋に入って大事そうに抱えられている。彼は自我が薄いと蒼莱に聞いていたから、生徒会に頼まれた(桃に命令された)のだろうと納得しかけたが、庶務の榊ならまだしも書記の木蓮にそれを任せるのは筋違いだし、そもそもリンゴジャムが生徒会に必要な要件がわからない。

 

「…リンゴジャムが好きなのか?」

「……」

「…そうか」

 

思い切って問うてみると、目は合わせないが、無言で頷いた。答えが返ってくることさえ期待できなかったが、今日の試合での転属願いと併せ、彼の意外な一面を垣間見ることができた。…因みに、残月のジャムの好みはブルーベリーである。

 

 「――ただ、貴女は目立ち過ぎるところがあるわ。自ら存在をアピールするのは、スナイパー失格よ」

「は、はい…精進します」

 

今八枝と話しているように、喜理恵は残月に対する評価――全体的には高評価だが、チャーチルを倒す時用心が足りていないとのこと――以外にも、目に留まった歩兵の何人かに評価を下していた。特に木蓮は刀一本で銃弾を防ぐ技量を称賛されると共に、「命令がない限り自衛の為にしか動いていない」「もっと攻めの姿勢が必要」とも言われていた。

 

――…ガイは、どう思われていた?

 

そうした評価を聞いている間も、残月の頭からガイの抱える‘問題’が離れることは片時たりともなかった。喜理恵の口からガイの話題が出ることは、遂になかった――評価するまでもないのだろうが。

 西住ガイという男は、残月の知る限り、自分から他人に助けを求めるようなことはなかった。大抵のことは自分一人でこなせてしまい、またそうしなければならないような状況に追い込まれることもなかったからである。好敵手たるイーライだけが知っているその‘問題’を、彼は水面下で解決しようとしているのだろう。人や組織から一歩距離を置いたそんな彼の在り方に、口を出すつもりはない。だが彼が求めずとも、真に必要な時に手を差し伸べることができねば、取り返しのつかない事態を引き起こす可能性もある。

 ガイの心身にある‘問題’を、果たして喜理恵は見抜いているのか――

 

 「ふざけてんじゃねえぞ!!」

 

夜の帳が下りる甲板都市の静寂を、一つの怒声が破った。

 

「今更どのツラ下げて謝りに行くってんだ! 自惚れんのもいい加減にしろよ!!」

 

残月は喜理恵と八枝を足早に追い越し、声の方角――すぐ先の角を左折した場所に向かう。そこでは、一年生のDチームとδ分隊が顔を突き合わせていた。M3の車長(さわ)(あずさ)は左頬を押さえて蹲り、分隊長小田桐(おだぎり)(しょう)が女子達を睨みつけている。

 

「戦車ン中でぬくぬく戦う癖に腰抜かして逃げ出しやがって!」

「テメーが男なら翔は平手じゃ済まさなかったぞ!」

「砲も撃たない動かない戦車なんて、盾にもならない唯の巨大な棺桶だろうが!」

「こちとら銃弾が飛び交う中生身で戦ってんだ、甘ったれんじゃねえ!!」

「俺なんか敵の隊長とカーチェイスした挙句戦車と正面衝突だ!」

「戦車道は遊びじゃねえんだよ!!」

「役立たず!!」

 

Dチーム六人に対し、δ分隊二十人。その全員が口々に、試合を放棄して逃亡したDチームを非難し、罵声を浴びせる。事実が事実なだけに、女子達は何も言い返すことができず、目に涙を溜めて俯いていた。

 こういった状況に遭遇することは、残月は初めてではない。かつて通っていた小中学校でも、直接的な敗因であるにせよないにせよ、作戦中に重大な過失を犯した者を大勢で叩くというのは、特にチームがまだ纏まりきっていない時に多かった。なかんずく戦車兵は、当該戦車の護衛を担当する歩兵からのブーイングが集中する傾向にある。その度にコーチがそれを叱責し、失敗を叩くことでなく補い合うことを、戦車道の‘道’たる所以として説いたものだった。曰く、「戦車道は戦争ではない」と。

 そこで、残月はその教えに則り、彼らを諌めようとしたのだが、

 

「…戦わねえなら、テメーら戦車乗るなよ。守ってやらねえからな」

 

翔のこの一言の直後、彼は錐揉み状に回転しながら吹っ飛んだ――突如割り込んできた蒼莱に殴り飛ばされたのだ。

 

 「守ってやらねえ、だと? …とんだ甲斐性なしみてえだなオイ」

 

周りを見ると、喜理恵達三人の他に、ガイと志朗の二人、Aチームの五人がいつの間にか残月に追いついていた。普段蒼莱の手綱を握っている志朗や蒼莱が先輩と慕うガイも、彼を止める様子は見せていない。年長者である喜理恵も、腕を組んで事の行く末を見守っているだけだ。ここまで走ってきたのか、若干肩で息をする蒼莱は、次いで大きく咆哮した。

 

「男ならな!! デケェ口叩いてでも安心させて、最後の最後まで守り抜くんだよ!!」

 

価値観の押し付けとも取られかねない言葉。しかし鬼気迫る彼の気迫から生み出されるその響きは、確かな実体験を伴ったあまりにもリアルなそれだった。戦車道は今年度が初めてである彼が、かつて‘そうせねばならなかった状況(シチュエーション)’を経験したのかと、残月が勘繰ってしまう程に。その場にいた一年生達も、水を打ったように静まり返っている。

 

 「…あんたらは勘違いしているようだが、今回責められるべき者があるとすれば情報交換を怠った俺達オペレーターだ。でなきゃ反則なんてなかった。失敗したと思うなら次に活かせ。さあ、帰るんだ」

 

後ろから出てきた志朗が彼らを諭して帰らせた後も、残月の胸には蒼莱の言葉の余韻が残っていた。彼から嗅ぎ取った‘呪い’の臭いが、そうさせていた。




最早この小説6000文字超える方が普通になってきた気がする…w
もう、気にしなくても…いいよね…?(おい

ガイが抱える秘密が何なのかをうまーくぼかすのに骨が折れました。
これから少しずつガイと華さんとの関係を深めていこうかなと考えています。あとは影が薄くなりがちなA(あんこう)チームをもっと喋らせてあげたいですね。自分の小説は原作キャラがオリキャラに割を食われがちなので…


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怒れる優しさ ~Anger by compassion~

 聖グロとの練習試合から二週間程が経ったある日の夜。残月は自宅で晶と共に入浴していた。

 

「きょうねー、おひるごはんスパゲッティだったよ!」

「…そうか。美味かったか?」

「うん!」

「なら、よかった」

 

血縁上は近くはないが、残月にとって晶は年の離れた弟のような存在である。喜理恵から頼まれるまでもなく、残月は可能な限り晶の面倒を見ていた。それは同時に、晶にも受け継がれているであろうカルマと向き合う行為でもあるのだ。

 七年前の事故で自分と一緒にいた隆信は論無くして、当時学園艦に乗艦していた喜理恵も被曝している。その二人の子である晶は、今でこそそれらしい症状は出てはいないものの、何らかの経世代的影響が現れる可能性は否めない。その前兆を察知するべく、残月は日々晶の身体を隅々まで検めていた。

 しかし、今日ばかりはそれも身に入らない。

 

「……」

「にーたん、どうしたの?」

「…いや、何でもない。気にするな」

 

原因はこの日の昼下がり、戦車道全国大会のトーナメントを決定する抽選会の後の出来事にある。残月は湯船に深く身を沈めながら、およそ六時間前のその出来事を思い返していた。

 

 

 

 

 

 抽選会の会場には、奇遇にも残月の出身である埼玉県、さいたまスーパーアリーナが選ばれた。チャーターしたマイクロバスで会場に向かったのは、生徒会幹部とAチーム、α分隊の代表――ガイ、残月、蒼莱、八枝の四人――、オペレーターの計十七人。抽選の結果、大洗の第一回戦の相手校は優勝候補の一つとされるサンダース大学付属高校に決定したのだった。

 生徒会が手続きをしている間の暇な時間を、優花里が『戦車喫茶ルクレール』なる店で過ごすことを提案したのが事の発端である。

 

「ケーキセットで、チョコレートケーキ二つとイチゴタルト、レモンパイとニューヨークチーズケーキ、レアチーズケーキを一つずつお願いします」

「…大佐、まだ決まらないのか? なんなら後ろの方にスイートポテトとか――」

「何だって、それを早く言ってくれよ!」

「じゃあこっちはコーヒーセット二つとケーキセット二つ、ケーキはティラミスとザッハトルテで、あとスイートポテトと抹茶わらび餅パフェを単品で一つずつ」

 

生徒会幹部がいなくなっても、十二人となればそれなりの席が必要になる。左右に並んだ六人がけのテーブルに、男子五人と女子七人をできるだけ均等につかせる為、Aチームの席に美玲、男子側の席に八枝が座った形だ。

 

 「ごめんね、一回戦から強いとこと当たっちゃって」

 

注文を終え、ケーキがラジコントラックに乗って運ばれてきた頃、みほが口を開いた。

 

うち(大洗)より強い学校なんて幾つもあるんだから、気にしなくていいわよ」

「僕が思うに、あの抽選形式はよくないね。カードを引く度に見せたら確率が変わってしまう」

 

みほの謝罪に、八枝と英明がそれぞれザッハトルテとティラミスを口に運びながらフォローする。抽選はくじ引き形式で、各校の代表者が番号の書かれたカードを抽選箱から順番に引き、それを頭上に掲げるというやり方だった。確かに、この方法では引いたカードが公開される毎に数学的に確率が変動し、最後の学校は勝手に対戦校を決められてしまう。

 残月もそれに思うところはあったが、今回の会話には加わらずにいた。彼は一番端の席で抹茶わらび餅パフェを食べながら、次の試合に向けて対策を立てること、具体的には生徒会に請求するIEDの素材を選定するのに注力していたからだ。どんな学校が相手であれ、彼のすることは変わらない。

 

「……」

 

 片手間に会話を聴きながら、対戦校の情報を脳内で復唱する。

 サンダース大学付属高校。長崎県佐世保港を母港とする学園艦で、開放的な校風を特徴としている。戦車の保有台数は四十両以上、歩兵に至っては八百人に迫る全国一の物量を誇り、戦車道チームはその潤沢な資金力を背景に一軍から三軍までを揃えている、数の面では圧倒的に大洗が不利な学校だ。幸いにして公式大会一回戦は戦車や歩兵、砲弾の総数が制限されている為、最初に当たったのはラッキーともいえるが、それでも大洗の二倍の戦力差が約束されており、気休めにもなっていない。

 そして当然ながら、サンダースにも特殊部隊が存在する。『レイブンソード』――巨漢のシャーマン『バルカン・レイブン』を筆頭とする、ガイ曰く“バイタルモンスター集団”。彼に冠された‘バルカン’の名は、彼の放つ機関銃弾の殲滅力をローマ神話の火の神バルカンに喩えたとも、学園艦に保管されている二十ミリガトリング砲『M61バルカン』の模型を軽々と持ち上げてみせたことに由来するとも云われる。どちらにせよ、経験に乏しいこちらの歩兵には脅威となる存在だ。

 

――…それでも、戦うしかない。

 

 負ければ麻子の単位は貰えないのでは、という沙織の言葉が耳に入ったが(麻子は重度の低血圧に起因する遅刻で単位取得が危ぶまれている)、実際には麻子一人の犠牲で済む話ではないのだ。優勝し廃校を阻止することができなければ、多くの生徒達の人生(青春)に暗い影が落とされることになるだろう。そしてそれが、個々人の中である種の‘呪い’へと変貌する――そう考えるだけで、残月は哀しく、またぞっとした。

 

――兄さんには…俺達の未来は、見えているのだろうか…

 

 沙織に促されてみほがケーキに手を付け始めた頃には、残月はパフェを綺麗に平らげていた。ようやくスイートポテトの一口目を食べようとしていた志朗にぎょっとされながらも、口の中に残った甘味の余韻を流し込もうと、残月が水の入ったコップを呷った時、

 

「…副隊長? ――ああ、()でしたね」

 

聞き慣れない女の声が、彼の耳朶を打った。

 一年生に尋ねられた時も驚かれたが、残月は隊長や副隊長の地位に就いたことは殆どない。自分の得意とする戦い方を最大限に生かす為に、乱暴な言い方をすれば‘特別扱い’されることの多い残月を、長として認める者は少なかったのだ。この場で‘元’を強調されるような、かつて副隊長だった者を、残月はみほ以外に知らない。

 声の方向に視線を遣れば、そこには黒森峰学園の制服を纏った二人の女子生徒。声をかけてきたのが、奥にいる銀髪のロングヘアーの方だというのはすぐにわかった。もう一方が、ガイとみほの姉にして黒森峰機甲部隊総隊長、かつての友である西住まほだったからだ。

 

「お姉ちゃん…」

「まほ…」

「…まだ戦車道をやっているとは思わなかった」

 

彼女が妹と弟にかけた言葉は、文字通りの意味しか持っていなかった。――二人を案ずる台詞の一つも出ないのか。残月の中に、ひりひりとした苛立ちが募っていく。

 

「お言葉ですが! あの試合のみほさんの判断は間違っていませんでした!」

「中継はばっちり見てたぜ…本当に失っちゃいけないものを守ることができた」

 

しかし、問題はここからだった。

 

「部外者は口を出さないで欲しいわね」

「うっ…すみません」

「ちっ、アバズレが…」

 

立ち上がって声を上げた優花里とそれに加勢する蒼莱を、銀髪の女子が鼻であしらったのを境に、その場にいた仲間達の敵意に似た何かの‘流れ’が変わり始めた。

 

「一回戦はサンダース大付属と当たるんでしょう? 無様な戦い方をして、西住流の名を汚さないことね」

「何よその言い方!」

「あまりにも失礼じゃ!」

「俺達はあまり気が長くないぞ」

「貴方達こそ戦車道に対して失礼じゃないの、無名校の癖に…。この大会はね、戦車道のイメージダウンになるような学校は、参加しないのが暗黙のルールよ」

「強豪校が有利になるように示し合わせて作った暗黙のルールとやらで負けたら恥ずかしいな」

「会場でどっちが吠え面かくか見ものね、戦車乗りさん」

 

沙織と華、志朗が非難し、麻子と美玲が煽る。この言い合いにも残月は静観を決め込んでいた。最初に銀髪が、明らかにみほに対して強く釘を刺したのにはむっとしたが、自分が何か口にするよりも早く仲間が言いたいことを言ってくれるだろうと思っていたし、実力は試合で示せばいいとも考えていた。不思議なことにガイも何も言わずにいて、それが介入の必要性を感じなかった理由の一つでもあった。

 ところが、残月が介入せずにはいられない状況は、向こうからやってきた。

 

 「黙りなさい弱小がっ!!」

 

堪忍袋の緒が切れたのか、銀髪の女子は烈火の如く怒り出す。

 

「そこにいる西住流の恥晒しの勝手な行動さえなければ、私達が全国大会十連覇を逃すことも、ましてやソリッド・スネークを失うこともなかったのよ!!」

 

名指しされたみほをちらりと見れば、彼女は項垂れ、肩を震わせていた。その様子を見た銀髪は、立て続けにみほを罵る。

 

「…何よアンタ。兄のケアを隠れ蓑にして逃げて、それで贖罪のつもり? だから甘いのよ。私はアンタが死ぬまで叩いて、死んでも叩き続けてやるわ。黒森峰から、西住流から、隊長から多くのものを奪ったアンタをね!!」

 

 ドン、と、音がした。コップがテーブルに叩き付けられた音だ。

 気付けば、残月の手元は水浸しになっていた。

 

「――…失せろ」

 

残月は見たのだ。俯いたみほの瞳に、今にも零れ落ちんばかりの涙が溜まっていたのを。それを認めた時、彼には我慢が利かなかった。それでも、これはかなり()()()方だ。銀髪を睨み、低く唸るように声を絞り出す。この時に限っては、普段働かない表情筋が――平時に比べて、という言葉が先に付くが――大きく歪むのを感じ取れた。

 

「…だ、誰かと思ったら…堀切の次男じゃない。『プラズマ・スネーク』なんて呼ばれるようになって、図に乗ってるのかしら? 戦車道から逃げた臆病者同士で仲良しこよしって訳――」

 

 爆発した。

 

「わからんのか戯けがッ!! 失せろと言っているッ!!」

 

立ち上がり、テーブルを殴りつけ、銀髪に踏み込み、吼える。怒りに塗れた衝動が、一連の動作を強制した。表情の変化など先程の比ではない。きっと晶には見せられたものではない、凄まじい形相であろうことは自覚できた。眼前の女がみほを貶め苦しめることに、残月には最早自制などできなかったのだ。

 

「ひっ…! ヒイィッ!!」

 

恐怖に慄き悲鳴を上げた銀髪は、その場で尻餅を搗き、つんのめりながら這う這うの体で店外へと逃げ出していく。失禁したのか、一行の席の脇から出入り口まで黄色い液体が撒き散らされていた。

 

「お…おいエリカ――」

「まほッ!!」

 

怒りの矛先は、エリカと呼ばれた銀髪を呼び止めようとしたまほにも向いた。額に脂汗を滲ませた彼女に、見開かれた残月の目がギョロリと合わせられる。

 

「あの女に伝えろ。次は戦車ごとスクラップにしてやるとな。…貴様も首を洗っておけ」

「っ…すまない…」

 

警告を受け、まほもエリカを追って店外に走る。去り際の謝罪が誰に向けられたのかは、残月にもわからなかった。

 深呼吸し、椅子に座り直す。憤怒を吐き出した残月の心には、不可解な後悔が残っていた。

 

「…迷惑をかけた。代金は、ここに置いておく。釣りは要らない」

 

 

 

 

 

 あの後、ルクレールから少し離れたベンチで座っていると、みほがやってきて話しかけてきた。

 

“あの、残月君…さっきはありがとう”

“……”

“怒ってるところ、久し振りに見てびっくりしちゃったけど…でも、嬉しかったの”

 

残月は、何も答えなかった。答えられなかった。

 あのような形で怒りを表現したことは、残月の人生に於いては一度や二度程度なものだった。自分がいじめを受けていた経験から、残月は人の悪意や害意に極めて敏感で、弱いものいじめを決して許さない。彼が怒る時というのは、そういったものに不当に誰かが晒されている時であり、そうでなければ軽くあしらって済ませてしまう。

 だが、今回残月が怒った動機はそれとは微妙に異なるものだ。

 残月が怒るのは‘誰かが’虐げられている時であり、その対象は彼の目の届く範囲ならば多岐に及ぶ。言い換えれば自分と特に関わり合いのない人間でも怒ることはあるのだ。一方先のケースでは、残月はみほという個人が、他ならぬみほが虐げられていることに腹を立てた。その感情が、残月には説明がつかない。

 

「……」

 

 残月に唯一わかっているのは、それがこれまでになく自分勝手で独り善がりなものだということだけだった。本人はその行動を嬉しく思っていたようだが、彼にはみほは勿論、親友たるガイ、同じ部隊の仲間達、そして殆ど八つ当たりのような形でまほにも店にも迷惑をかけたという認識しかなかった。

 

――…不甲斐ない。

 

これでは兄にも顔向けできない。風呂から上がり、床に就いても、残月の胸の奥には苦い自己嫌悪が燻り続けた。

 

 

 

 

 

 耳元でけたたましく鳴り響く着信音で、残月は目覚めた。

 

「…?」

 

時刻は六時三十五分。手に取ったスマートフォンの画面には『蒼莱』の文字。起床が二十五分早まったところで、残月にはさほど大きな問題ではないが、このような朝早くに電話をかけてくるというのは相当な用事があるのだろう。画面をスライドし、通話に応じる。

 

「…どうした――」

『大変だ堀切!! まずいことになった!! 優花里が、優花里が…!!』

 

残月の問いを遮らんばかりの勢いで、電話口の蒼莱は泡を食って捲くし立てる。その狼狽ぶりに不穏なものを感じ取った残月は、やや強い口調で問い直した。

 

「落ち着け。何があった、蒼莱」

『これが落ち着いて…いや、そうだな、悪い…』

 

何度かの蒼莱の呼気の音が拾われた後、残月にとっても衝撃的な事実が告げられた。

 

 『――優花里が、サンダースの連中に拘束された…!!』




文字数がいつもの感じに戻ってきました。
これからうまいこと調整できたらいいと思います(小並感)

影の薄かった晶君を喋らせてあげただけの入浴シーン、特殊タグ使う程の激昂を見せてくれた主人公、そして脱出できない秋山殿。好き勝手させていただきました。
次回は残月と蒼莱による秋山殿救出作戦になる予定です。そして作中でも少しばかり匂わせてきた二人の関係やら過去も明かされます。多分。


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屍の上 ~Sins never die~

 蒼莱のスマートフォンの通話アプリに、優花里から助けを求めるメッセージが届いたのは、残月に電話がかかってくる数分前の出来事だった。郵便配達のアルバイトに出ていた彼は、最後の配達が終わった直後にメッセージに気付き、残月に応援を要請したのだ。

 

“助けて”

 

上記の僅かな文言と同時に送信されてきた位置情報は、蒼莱のスマートフォンにインストールされていた、全学園艦の現在地と航路、寄港予定地等を確認できるアプリ『スクールシップレーダー24』により即座に対戦校サンダース学園艦のものと同定された。陸と学園艦を連絡する船はあっても、学園艦同士を行き来する船は、定期的に在庫の補充を行なうコンビニやスーパーマーケットの輸送船程度しかなく、彼女がそれを使ってサンダースに渡っただろうことは容易に想定できた。残月は蒼莱に同行し、優花里の足取りを追ってコンビニの定期便船に潜り込んでいる。

 

「…この船があったのは幸運だったな」

「ああ、もし大洗のコンビニが一つだけだったり、便が重なってなかったりしてりゃ、今日中に助けには行けなかった…」

 

…尚、残月は喜理恵に学校を休む旨を伝えていない。情報の漏洩を避ける、と言えば聞こえはいいが、残月も蒼莱も、優花里が偵察に出たのが完全な独断行動であることも含めて、問題を大事にしたくなかったのだ。

 

「でも…何で段ボール箱に入らなきゃいけないんだ?」

「工夫を凝らしてあらゆるものを最大限に活用するのがサバイバルの基本だ。潜入任務ではそれが特に重要になる。ガイは、“段ボール箱は敵の目を欺く最高の擬装にして潜入任務の必需品”と言っていた」

「本気かよそれ…」

 

 商品が詰められた無数の段ボール箱に紛れ、二人は並んだ二つの箱に収まっている。その状態で会話していたのだが、ガイの話題が出た時、残月の頭にふとある疑問が浮かび上がった。

 

「…蒼莱」

「ん?」

「何故、ガイに頼まなかった?」

 

優花里同様、ガイが残した数多くの逸話に詳しい蒼来なら、潜入が彼の特技の一つであることは既に知っている筈だ。自分が戦車道から身を引いていた二年間も変わらず戦い続けていた、それどころか自分が戦車道を志す以前から戦車道に触れていたガイの方が、その分経験豊富といえよう。残月の思いつく限り、自分よりもガイに救出を依頼する理由の方が多かった。

 

「先輩は隊長だろ? 隊長が練習に出なくてどうするよ」

「ガイは口が堅い。訳を話せば何とかしてくれた筈だ」

「…んまあ、お前ならわかってくれるかもしれないって思ってさ、色々と」

「…色々?」

 

段ボールに遮られて顔は窺い知れないが、残月は蒼莱の声のトーンが僅かに下がったのを感じた。

 

「館山湾の事故の半年前に起こったあの事件…覚えてるか?」

「…ビッグシェルか」

 

 蒼莱が唐突に切り出した話題は、かの学園艦事故程の衝撃はないにせよ、残月の脳裏によく記憶されていた。

 『ビッグシェル占拠事件』。大阪湾に建設された海上除染施設ビッグシェルが、国際テロリストの一味によって占拠された、日本国内で起こったテロとしては最大級の事件である。テロリストは社会科見学に訪れていた八十五人の小学生を人質に取り、現金四十億円と、日本で逮捕された組織の幹部二名の引き渡しを要求、それが二十四時間以内に受け入れられない場合施設を爆破すると主張した。ビッグシェルは元来、事件の九ヶ月前に起こったタンカー沈没事故により原油で汚染された海域を除染する為に建造された施設であり、除染が終了し一般公開が開始された事件当時は除染に使われた大量の塩素系薬物が残ったままだった。もし実際に爆破されていれば、ダイオキシン類を含む大量の有毒化学物質が発生、湾内の生態系は全滅し、向こう数百年死の海となる史上最悪の環境破壊となっていたとされる。

 出動した自衛隊が二度の突入を敢行、事件は収束したが、一度目の突入作戦では自衛隊員は全滅、更にテロリストが見せしめとして三十分毎に人質を一人ずつ殺していった為、解決までの十四時間で二十六人の人質が死亡している。事件後のマスメディアでは、生き残った子供達の多くがサバイバーズギルトを始めとした心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱え、社会復帰が困難になった者も多数いたと報じられた。

 記憶が正しければ、人質達の出身校は茨城県だった。

 

「…まさか――」

「そうだ。俺と優花里はその生き残りだ。尤も、生き残った経緯は他とは違うんだけどな」

 

残月の予想は的中した。しかし、生き残った経緯が異なるとはどういうことか。残月がそれを問う間もなく、蒼莱は続ける。

 

()()があったから、今の俺がいる。優花里を絶対に守るって、あの時決めたんだ」

「……」

「お前はどうだ? 総隊長――西住が責められてる時お前が怒ったから、堀切も俺と似てると思ったんだけど…西住のことはどう思ってる?」

 

彼の問いに、残月は答えられなかった。

 ルクレールに訪れるより前の残月ならば、「戦友だ」とすぐさま答えることができただろう。みほは被爆者である自分に分け隔てなく接してくれた数少ない人間の一人で、戦車道を通して共に高め合い競い合った仲間でもある。しかしあの時発露したのは、それまでとは全くに別種の、残月本人にも得体の知れない感情だった。それを表現する言葉を、残月は知らない。

 

 “男ならな!! デケェ口叩いてでも安心させて、最後の最後まで守り抜くんだよ!!”

 

聖グロとの試合の後に蒼莱が叫んだ言葉が、残月の脳裏に反響する。あの時蒼莱の中に見出した‘呪い’が、彼と優花里の経験した事件や二人の関係に繋がるのなら、彼の言うように、彼我の感情の間に確かな類似性が存在するのだろうか――

 

「…! 嵐が去るぞ」

 

段ボール箱の穴からは、船倉の外を望む窓の様子を覗うことができる。先程まで降り続いていた雨が止んだことに気付いた残月は、強引にその話題を切り上げた。任務に私情を挟まない為というより、今はそれについてあまり考えたくなかったのが大きい。

 雨の向こうには、標的たるサンダースの根城が聳えていた。

 

 

 

 

 

 サンダース機甲部隊が他校からのスパイを捕縛できたのは、本当に唯の偶然だった。作戦会議に使用する視聴覚室が映画研究会の活動で専有されてしまう為、朝練が始まる前の早い時間帯に会議を決行せざるを得なくなり、集まった隊員の何人かはまだ寝惚け眼であった。だが、ほぼ同時刻に忍び込んだ侵入者に焦りをもたらした可能性は否定できない。

 正午過ぎ、昼食を摂ったばかりのナオミは今朝の捕物を脳内で反芻しながら、校舎の廊下を歩いていた。

 

「……」

 

 秋山優花里――発覚当初は『オッドボール三等軍曹』なる偽名を名乗っていた――というらしい彼女を捕らえた後、歩兵部隊は別の侵入者がいないか隈なく捜査したが、痕跡一つ存在せず、単独作戦行動であると断定された。敵ながら大胆なやり口に内心賞賛こそしたが、捕まってしまっては意味がない。公式戦に於いて対戦校へのスパイ行為は承認されているものの、発覚・確保された場合は連盟の規定に基き試合まで勾留されてしまう。待遇こそ保障されているとはいえ、その間練習などできる筈もなく、潜入の失敗は大きな痛手となり得るのだ。

 

 「…ふん」

 

 だからだろうか、ナオミはこの時油断(慢心)していた。

 故に、更なる侵入者の影にも気付けなかった。

 

「――動くな」

「っひ…?!」

 

ロッカールームの暗がりからさっと伸びてきた手がナオミの後ろ襟を掴み、ドアの向こうに引きずり込む。抵抗するより速く、鈍く光沢を放つサバイバルナイフが喉元に突きつけられた。小さく低く掠れた、しかし地の底から来るようなその不気味な声で脅され、ナオミは経験したこともない恐怖に恐れ戦いた。

 戦車道では、戦車兵が歩兵と直接戦闘することは多くの学校で想定されていない。パンツァージャケットを着る者は基本的に火器の携行が許されず、唯一車長だけが、戦車内部に直接攻撃を仕掛けてきた敵兵に対するいわば‘最後の抵抗’として、装弾数を六発以内に限り拳銃を持つことが慣習化されている。その場合でも車長が射撃訓練を行なうことは極めて稀で、ましてやファイアフライの砲手であるナオミに歩兵戦闘の心得などある筈もなかった。

 

「秋山優花里はどこだ?」

 

侵入者の居場所への問い。それでナオミは、この男が仲間を助けに来たのだと理解した。何も吐くまいと口を真一文字に結ぶも、「言え」という言葉と共にナイフの切っ先を喉笛に軽く当てられ、その覚悟も呆気なく瓦解する。

 

「…さ、三階、多目的室C…そこで尋問を受けてる」

「尋問だって?」

「時間が惜しい。捕虜に十分な食事や休憩が与えられるとは限らない」

「……?」

 

背後の声とは別の、もう一人の声が聞こえたことにナオミが注意を向けた瞬間、

 

「うぉっ!?――」

 

床のタイルが顔面に迫り、彼女の意識は暗転した。

 余談だが、彼女は三時間後、ロッカーの中で目覚めることとなる。

 

 

 

 

 

 「だぁーかぁーらぁーさぁー!」

 

秋山優花里は、小さな部屋に置かれた椅子に座り、机を挟んで二人の男子生徒と対面していた。

 

「そうやってるといつまで経っても終わらないんだよ、これ」

「で、ですから、これは私の独断だと先程から言っているじゃないですか!」

 

 通常、軍人は捕虜になった場合ビッグ4、つまり氏名、階級、認識番号、生年月日以外は口にしてはならない。しかし今の自分は軍人ですらない。何一つ吐くことは許されないのだ。…尤もこの潜入自体、みほが対サンダース戦に於ける作戦を立てる為の材料となる情報を集めてくることを目的とした、優花里の勝手な行動であり、相手方にアドバンテージとなり得る情報は何一つ持ち合わせていないのだが。

 にも関わらず目前の男子生徒――特殊戦闘服を着込んでいるので歩兵と見られる――は、尚も食い下がり、一人の女子高生から情報を得ようと躍起になっていた。

 

「いつまでそれで押し通すつもりだよ。そもそも俺はあんたの学校どこか聞いてないし、これじゃ送り返しようもないんだけど」

「一人で帰れます!」

「だから観念してとっとと吐けっつってんの!!」

 

時間の感覚が狂っていなければ、既に三十分以上この調子だ。しかし優花里の注意は、むしろ彼の後ろに立ってスマートフォンを弄り、目を皿のようにしている制服姿のもう一方に向いていた。ときどきこちらにちらりと向けられる視線に、言いようのない不安感を覚えたからである。

 そしてその理由が、最悪の形で明らかになった。

 

「ああ、見つけたよ…この女知ってるぜ」

「んあ?」

 

“知っている”。その一言に優花里は吐き気を催す程に震え上がった。無意味な取調べを続けていた歩兵が苛立たしげな声を出しながら振り返るのをよそに、制服は意気揚々と語り始める。

 

「ビッグシェルサバイバー(生存者)の中に、二人だけ大胆にも海を泳いで陸まで逃げ延びた奴がいたんだ。メディアは実名こそ出さなかったが、ネットで特定厨が探し当てた」

「まさか、こいつが?」

「そのまさか。一人は笠置蒼莱、もう一人は小鳥遊(たかなし)優花里…苗字変えて逃げ出すとは感服したぜ、オッドボールさんよぉ。だが写真は誤魔化せなかったみたいだな?」

 

剥き出しの悪意が、優花里の心に深々と突き刺さった。胸の奥にしまい込んでおいた筈の恐怖と罪悪感、自己嫌悪が掘り起こされ、育ちかけていた自己肯定感を蝕んでいく。全身から脂汗が噴き出し、動悸が激しく、呼吸が荒くなる。かの惨劇を幼馴染の少年と共に生き抜いた、その後に降りかかった更なる悪夢の記憶が、彼女の視覚、聴覚に(ファントム)となって蘇る。

 

“何で貴女が生き残るのよ!!”

“勝手に逃げ出しやがって、恥を知れ!”

“卑怯者!”

“友達を見捨てるなんて…”

“お前が、お前達が死ねばよかったんだ!!”

 

「確かに、苗字を変えて実家ごと学園艦に移り住むなりすれば、そうそう手出しできるもんじゃない。だが戦車道をやってる学校、それも今大会出場校に限定すれば、あんた一人を探り出すのは難しくない。‘卑怯者の生存者’がそこにいるって情報を流したら…どうなるかねぇ?」

「だ、駄目…です…それだけはやめてぇ…!!」

「だったら誠意見せろよ、なあ」

 

優花里は完全にパニックに陥っていた。自分の過去が曝け出され、家族や友人に被害が及ぶことは何としても避けたいが、相手が欲しているこちら側の情報は、そもそも持っていない為に逆立ちしても出てこない。そのジレンマが、優花里の中にぐるぐると渦を巻き、ビデオテープを巻き取るように彼女の思考力を奪っていく。

 絶望。

 

「オラァッ!!」

「「どわっ!?」」

 

しかして希望。

 

「優花里ィッ!! 助けに来たぞ!!」

ソラ(蒼莱)っ!!」

 

たとえどんな状況でもどんな時勢でも、彼は最後まで自分の味方でいてくれるのだ。




大学の文化祭で出す文芸部の部誌の執筆にかまけて全くハーメルンに触れませんでした。
やりたいこととやらなきゃいけないことのバランスって難しいですよね。

優花里と蒼莱の過去が明かされました。ビッグシェルは物語の都合上大阪湾に建っています。
ついでに(ここ重要)ナオミには残月のCQCの餌食になって貰いました。
ナオミっていうと真っ先にFOXDIEを作った方が浮かんでくるけど、それを言い出すと灰色の狐も出さなきゃいけないし最終話で戦車に轢き潰されるし何より某歩兵道さんの二番煎じにしかならないのでやめます。w


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大烏の縄張り ~Look from the sky~

 ヘビの二つ名を持つ者達にとって、潜入は十八番であり訳もないことだ。敵の裏をかき、死角に回り、周りのあらゆるものを利用する――それが潜入の基本である。しかしその基本さえも、並の人間には容易なことではない場合が多い。

 太陽は南を少し過ぎ、昼休みの終わりを告げるチャイムがサンダースの校舎内に鳴り響いた。廊下に出ていた生徒達はホームルームに戻り、或いは理科室等別の教室へと移動していく。用を足した男子生徒がトイレから出て行った後、掃除用具入れのロッカーが開き、二人の侵入者と一人の捕虜――残月、蒼莱、優花里が出てきた。彼らはかれこれ二十分以上、窮屈で不潔なその中にすし詰めになって息を殺していたのだ。

 

「ったく、工夫を凝らすったって、何でトイレのロッカーなんかに隠れなきゃならねえんだ…」

「せ、背中が痛いです…」

「文句を言うな。必要ならドブの中にも隠れる」

 

 蒼莱と優花里の不満を一蹴し、残月はiDROIDを懐から取り出した。ソリトンレーダーで収集した校内のマップデータ上には円い光点が表示され、規則正しく並んでいるものや、転がるように部屋に入っていくものがある。トイレのすぐ外の廊下には、動くものはなにもない。

 

「…行くぞ」

《Marker placed.》

「あ、はい! ――でも、やっぱり凄いね、iDROIDって…」

「流石はハイテク特殊部隊って感じか?」

 

 iDROIDの標準装備化が戦車道の規定に抵触しかねない理由、それは敵の位置を把握するという点に於いて圧倒的に優位に立てるからだ。位置を特定するだけであれば斥候を出す程度でも問題はないが、iDROIDは残月の持つ電波測距儀付可変倍率双眼鏡と連動し、対象となる動体を‘マーキング’、ソリトンレーダーによって追跡し続けることができるのだ。一度発見してしまえば絶対に敵を見失わないこの機能は、現代の戦車道で使われるあらゆる戦術を陳腐化させかねず、ハードを作った英明、ソフトを作った美玲さえこれを危険視していた。iDROIDが通っている抜け穴は、戦車道では通信手段が特に規定されておらず、iDROIDが無線機としての機能も併せ持っていることであり、通信機としてではない形で導入しようものなら忽ち反則負けを食らうだろう。

 こうした装備のリスクや、実動部隊が一人だけという無茶を生徒会が承認したのも、廃校阻止の為に形振り構っていられなかったからに違いないと、残月は考えている。戦車道履修を要請されたあの日以来、生徒会から廃校の話題は聞かないが、距離反応型爆弾を作る為の素材を購入する経費も出してくれたのは、そういった意味で自分が特別扱いされていることの証左といえよう。

 フォックスハウンドが、堀切残月が大洗の切り札足り得るには、これ位のことは必要なのだ。

 

「……」

 

 無論、期待されるのは自分ばかりではないのは、残月も承知していた。大洗が保有する(発見した)五両の戦車の保存状態の悪さや性能の不足に対して、潤沢な歩兵用の装備は多くがモスボールされ比較的充実していたことから、かつての大洗学園に於ける戦車道は、戦車同士の戦闘よりも歩兵に頼るところが大きかったのではないか、という仮説が浮上している。それが戦車兵の練度不足を庇う理由にはならないが、その戦術を突き詰めれば大洗独特のものとして確立できる可能性も、残月は視野に入れていた。今は獲らぬ狸の皮算用でも、公式大会を機に戦車道をアピールポイントとして新入生を呼び込めば、廃校の二文字は縁遠いものになってくれるだろう。

 

 ――それには俺の、俺達の‘後継’を育てる必要があるが…

 

 今は、どうでもいい。

 

「堀切、次の船まであと三十分だ。逃せば夕食どころか朝食も、今後の食事はサンダースで摂ることになるぜ」

「承知の上だ」

 

優花里と蒼莱を確実に大洗までエスコートすること。それが今の自分に課せられた任務であり、戦車道経験者としての責務。歩兵としての訓練を積んだ蒼莱はまだしも、優花里には生身での戦闘に必要な技能が何ら備わっていない。既に彼女の懐に敵の作戦内容が動画として収まっているとはいえ、少なくとも今大会期間中は、他校への潜入工作は自分が引き受けた方がよさそうだ。

 マーカーを設置したのは正門に続く校庭。そこに向かって注意深く進んでいく中、

 

「なあ堀切、やたらとカラスがいるんだが…」

「ちょっと、怖いです…」

 

後ろを行く二人の訴えで、残月は足を止めた。廊下の窓からそっと外を覗き込めば、蒼莱の言う通り夥しい数のカラスが校舎の頭上に舞っている。雲一つない青空に点々と蠢く黒影は、残月の精神をしてもどこか不安を煽るものがあった。

 

「――?」

 

否、残月の心がざわめいたのはその数にではない。ザ・ペインに野生動物への対処法や利用法を教わったのもあるが、極個人的な興味から、残月は一般的な高校生よりも生き物に詳しい(理科の選択科目も生物を履修している)という自負があった。今自分が見ているカラスは、日本で普通に見られるハシブトガラスやハシボソガラスより明らかに大きいのだ。目測で全長およそ六十センチのカラス達はガァガァと忙しなく喚いていて、そしてそのうち何羽かが、しきりに自分達三人のいる校舎を気にするように視線を向け――

 

「…いかん、気取られた」

「は?」

「走れ! 全力で逃げるぞ!」

 

決して大きくはなく、しかし強い口調の残月の言葉で、蒼莱と優花里は彼に続いて弾かれるように駆け出した。

 残月は、自分が見ていた鳥が何なのかを既に頭の中の知識と照合していた。ワタリガラス――オオガラスともよばれ、日本では北海道に冬鳥として渡ってくることを和名の由来としている。英名は、『raven(レイブン)』。もしもレイブンソードの隊長バルカン・レイブンが、本当にシャーマンとしての超自然的能力を備えているとすれば、侵入者の行動は筒抜けになっているに違いない。霊的能力を活かした斥候として活躍した(隆信)と似たことが、彼にはできるかもしれないのだ。

 そして案の定、何のリスクもなしに脱出することは叶わなかった。

 

《You got arrived for a destination.》

 

目的地に到達したことをiDROIDの機械音声が告げるも、それは同時にカラスの大群の視線に晒されるのと同義であった。当初の予定では校門は使わず、植え込みに紛れて柵を乗り越えるつもりだったが、今は少しでも時間を短縮したかった。故に彼らは何も考えず、全速力で校庭を縦断しようとして、

 

「ここは大烏(レイブン)の縄張りだ!!」

「わあっ?! M10GMC!?」

「優花里下がれっ!」

 

回り込まれた。校舎の裏に続く道から躍り出、三人の前方に立ちはだかった灰色の巨躯。車体側面にはサンダースの校章が描かれ、砲塔には両刃剣を脚で掴んで翼を広げたカラス、レイブンソードの部隊章が雄々しく胸を張っている。

 砲塔の上に、浅黒い肌の男がぬっと姿を現した。全身に奇妙な刺青を施し――特殊戦闘服を身に着けていない――、スキンヘッドに額のカラスに似た痣が特徴的な、筋骨隆々の男。下半身は車内に入ったままで見えないが、推定でも二メートルはあろうかという巨漢だ。

 男――戦車道に於いて、男が戦車に乗ることは現在でも非常に稀なケースだ。だが正確には戦車として分類されない自走砲、特に戦車兵が乗る車両として規定された“一定の装甲を持つ有蓋車”の基準を満たさないものは、近年積極的に歩兵に運用させようとする動きがある。かつてレンドリースされたイギリスでは『ウルヴァリン』と渾名された、このアメリカ製対戦車自走砲M10GMC(ガンモーターキャリッジ)もその中の一つ。

 閑話休題。

 

「アラスカにヘビは似合わん。迷い込んだのだとしても、見逃す訳にはいかん」

「奴が…」

「バルカン・レイブン…」

 

その容姿は事前情報の通り。ウルヴァリンの上で腕を組み、残月らを見下ろすレイブンは、しかしネットで閲覧した画像以上の圧倒的な存在感を放っていた。厳めしい表情ながらも口の端を僅かに吊り上げ、品定めするように視線を動かしている。ダージリンの口から出、大洗の地元紙から始まった『プラズマ・スネーク』の名は、インターネットを通じ、戦車道を学ぶどの学校にも知れ渡っており、レイブンソードの隊長が興味を持つことに不思議はない。…こうして早くも出張ってくるとは、残月も予想していなかったが。

 やがて砲塔が動き、ウルヴァリンの火砲は三人の中心にいた残月を真っ直ぐ捉えた。

 

「まずは挨拶からだ」

「っ! 散れ!」

 

残月が前へ、優花里は右へ、蒼莱は左へ。ぱっと分かれた三人を結ぶ交点位置に砲弾が叩き込まれる。校庭の土は深く抉れたが、土煙が舞うばかりで彼らへの大した害はない。

 

「ハッハハハハ…!!」

 

――わざとか。豪快に笑うレイブンを見て、残月は今の攻撃に当てるつもりが全くなかったことを察した。通常、戦車が歩兵等の小型な軟目標に攻撃する場合、戦車の装甲を突き破る徹甲弾ではなく、着弾と同時に炸裂する榴弾を用いるのが常識だ。狙いを意図的にずらすばかりか、榴弾を使えば自分達を一網打尽にすることができた筈なのに、レイブンは敢えてそうしなかった。文字通り、“挨拶”でしかなかったのである。

 

「いいぞ、その調子だ。跪くがいい。ヘビよ、大地を這い回――」

 

ところがその脅威をものともせず、狂犬の如く走り出した者があった。

 

「うるっせえ!!」

「ソラ!!」

 

 蒼莱。レイブンの口上を無視してウルヴァリンに吶喊していく後ろ姿に、優花里が顔を青褪め悲鳴を上げるも、

 

「「なっ…!?」」

 

残月とレイブンの驚愕が重なる。疾駆する蒼莱は動き出そうとしていたウルヴァリンに急接近、その車体を駆け上がって砲塔に乗り込んだのだ。すかさず飛び出してきた乗員の顔面に肘打ちを繰り出し、手にしていた軽機関銃を強奪。レイブンの顎を銃床でかち上げ、そのまま車内へ全弾掃射。無蓋車であるウルヴァリンに安全装置など働く筈もなく、僅かな断末魔と共にものの数秒で無力化されてしまった。

 

「っ、堀切、行くぞ! ぐずぐずしてられねえ」

「…ああ、そうだな」

 

何事もなかったかのように、とはいかないが、蒼莱はすぐに脱出へと思考を切り替えている。残月は身を投げ出した姿勢のまま倒れていた優花里を起こし、ウルヴァリンの後ろを通って校門へと急いだ。

 

「…お前もいつか、自分のコードネームを得るかもしれんな」

「そ、そうか? そう言ってくれるとちょっと嬉しいぜ、へへ…」

 

 世辞などではない。残月は笠置蒼莱という男に眠る可能性を、密かに見出していた。

 

 

 

 

 

 「…ケイ、これでいいのか? みすみす見逃してやったようなもんだ?」

 

ウルヴァリンが無力化されてからきっかり二分後。他の乗員より一足早く意識を取り戻したレイブンは、校門から遠く離れていく三人の人影を眺めながら、無線で総隊長ケイに連絡を取っていた。捕虜の脱走を察知した彼は授業を抜け出し、整備に借り出されていた数人の歩兵を率いて出撃したものの、直前に報告したケイからの反応は「無理に捕まえないで」。

 

『ロマンチックな救出劇を邪魔するなんてナンセンスじゃない?』

「奴を甘く見ない方がいい。アメリカインディアンのスー族の“スー”は、インディアン語で(スネーク)を意味する。――蛇は、恐れられている生き物だ」

 

 堀切残月、またの名を『プラズマ・スネーク』。聖グロリアーナ学院機甲部隊との練習試合に於いて、特殊部隊サーペントテイル含む先遣隊を単独で無力化し、巧妙且つ複雑怪奇なトラップを駆使して歩兵部隊を混乱に陥れ、更には自己鍛造弾の技術を応用したIEDで戦車三両を撃破したという『第三のヘビ』。自分の部隊ならともかく、戦車隊が彼に太刀打ちできるかは甚だ疑問であった。

 そしてもう一つ。「それだけじゃない」レイブンは付け加えた。

 

「プラズマ・スネークと一緒にいた男…俺は奴ともう一度闘うことになる」

『いつもの予言?』

「そうだ」

 

多少気を抜いていたとはいえ、それまでノーマークだった、経験者ではなかった筈の歩兵が、自分の乗るウルヴァリンを無力化したのだ。プラズマ・スネークの指示を受けた訳でもなく、唯一人で。戦士としてのレイブンの心は、新たな好敵手の予感に震えていた。

 

「額の大烏(レイブン)が、奴を欲しがっている」

 

 視界の隅で煌いたスコープの反射光に手を振り、無線を切ったレイブンはニヤリと笑う。

 屋上で構えていたスナイパーは、カラスの大群の中に消えていった。

 

 

 

 

 

 「だから、笠置家と秋山家は昔から仲がいいんだよ。秋山さんが蒼莱のこと“ソラ”って呼ぶのを聞いたことはあるだろう? つまりはそういうことさ」

「幼馴染だったんだね」

「許婚か何かだと思ってました」

「ハハハ、まあ五十鈴さんの言い方も間違ってはいないな。でなきゃ蒼莱を居候なんてさせないだろう」

 

夕暮れ。大洗学園艦では、優花里以外のAチームとガイ、木蓮、オペレーターの面々が、優花里の実家である理髪店に集まっていた。練習に出席しなかった三人を案じ、彼らはそれぞれの家を訪ねたのである。だが残月の住む井下邸はもぬけの殻、仕方なくやってきた優花里の家で、彼女の母好子(よしこ)の厚意に甘え二階に上がらせて貰ったのだった。

 合わせて九人が戦車グッズだらけの優花里の部屋に入り、室内はかなり窮屈になっている。「夕方には帰る」との書置きが残されていたという好子の言葉を信じ、彼らは部屋で待つことにした。暇潰しに始まった話題は、蒼莱と優花里の関係。二人とは中等部からの付き合いである志朗が、それを説明していたところだった。

 

 「あ、八枝さんだ」

 

ガイが差し出したハンカチを立ち上がって受け取ったみほは、DDを連れて歩く八枝を窓から目にした。八枝も残月らの不在を憂いていた一人だったが、DDを散歩させる為にみほ達との同行を断っていた。道を挟んで反対側の家に一人と一匹が入っていくのを見て、彼女は大上家が秋山家の向かいにあったのだと知る。

 

「そういえば、DDってたまに学校来るけど、ほんとオオカミみたいだよね」

「犬種は何なんでしょう?」

「…それは私も気になっていた。唯の雑種とは思えない」

「あれは狼犬、ウルフドッグだ。犬ぞりレースに使用する為に、その名の通りハスキー犬とアラスカのオオカミをかけ合わせて作られた動物だ」

 

沙織と華、寝転がっていた麻子の疑問にガイが答える。「詳しいんですね?」と華が感嘆すれば、「これでも犬ぞり使い、マッシャーだ」とガイは小さく鼻を鳴らした。阿蘇高原に雪が積もる頃には、ガイは父常夫(つねお)と共に犬ぞりに出かけたものだった。…それができなかった、できなくなったのが去年だと思い出して、みほの心は陰る。

 昨日再会した逸見(いつみ)エリカ――かつての同輩の言葉は、決して否定できるものではなかった。川に落ちた仲間を助けようとしたその時は無我夢中だったが、後になって考えれば、それこそが栄光の絶頂にいた兄を奈落の底に突き落とす行為だったのだ。黒森峰の優勝についてはわからないが、ガイを援護しに向かうだけの時間が与えられたかもしれないのに、自分がそれをふいにしてしまったのである。

 

「従順な犬に、オオカミの強靭性と忍耐強さを取り入れようという試みだったんだな。だが期待されただけの持久力も運動能力も得られなかった。その上性格はむしろオオカミに近く、殆ど人に懐かない。だから普及はしなかった」

「じゃあ、八枝のDDはかなり珍しいんだ…凄く懐いてるし、いい子だし」

「ああ。二〇〇二年に犬ぞりレースのレギュレーションが変更され、亜犬種の使用が禁止されてからは、敢えて飼育しようという者もいなくなった。その殆どは安楽死させられたと聞いていたが…」

「…DDは、野良犬だったんだ。七年前に八枝に拾われて、それからずっと一緒さ」

「DDっていうのは『ダイアモンドドッグ(Diamond-Dog)』の略。見つかった時鑑札がなくて、ダイアモンドが付いた首輪をしてたんだって」

 

沙織の言葉を挟んだガイの説明。饒舌に話す――熊本の実家で柴犬を飼っているからか――彼の姿を見ても、みほの心は晴れない。彼がこの場にいない親友(残月)にすら頑なに隠し通している秘密、彼の身に起きた残酷な真実がみほの胸を締め付けているのは、今に始まったことではなかった。英明と美玲の重々しい台詞も耳に入らない。

 その時、

 

「……!」

 

部屋の隅に胡坐をかき、何もない中空を見つめ沈黙している風だった木蓮の首が、フクロウのようにぐりんと動いた。部屋の窓は二つあり、彼の視線は先にみほが八枝を発見したのとは別の、通りに面していない側の窓に向いている。

 

「…どうした、木蓮」

「お嬢さん方、下がるんだ」

 

背負ったままの竹刀袋に右手を伸ばす木蓮を見て、ガイが静かに立ち上がる。志朗に促されて部屋の入り口まで後退した時、みほは窓のクレセント錠がかかっていないことにようやく気がついた。自分の頭の中と部屋の空気が、先程までとは別のベクトルで急激に冷えていく。

 

――残月君…ッ!!

 

無意識のうちに、みほの心は自分の兄ではなく、その親友に助けを求めていた。

 

 「…ふー、ただいまっと。あれ、何だ大勢集まって」

「み、皆さん…秋山優花里、帰頭しました…!」

「待たせたな」

 

果たして、窓を開けて転がり込んできたのは、帰還を待ち望んでいた件の三人であった。




幾らかの文章が完成していたにも関わらず、それ以外の部分をどうやって文として書き起こすか思案するばかりで考えがまとまらないまま時間を使ってしまいました。
小説難しいなあチクショウ!!(でも書く)

遂に出ましたバルカン・レイブン。
前回のダンボールもそうですが、ロッカーに隠れるところとかようやくメタルギアっぽくなってきて自分でも少し嬉しく思います。伏線とかもバンバン張っていきましたからもうこれは回収まで突っ走らねばなりませんね!
でもこのペースだと完結まで何年かかるやら…最終章がそれまでに終わらないことを祈るばかりですw


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寄せて返す ~Worry at ashore~

 アウトレットモールの一角、水着売り場の片隅に置かれた椅子の上に、残月は座り込んでいた。

 

「……」

 

かの救出作戦から二週間が経ち、最初の試合会場が南海の孤島に決定したことで、「試合前に海で遊べる」と戦車道履修者達は歓喜に沸いた。水着を持っていないという隊長(みほ)に便乗する形で、他の隊員も各々水着を買う為に上陸したのが一時間程前になる。

 

「これとかどうよ?」

「いやちょっと派手過ぎるかも…」

「おい待て、何故ウェットスーツを手に取ろうとした」

 

残月の目と鼻の先では、隊員達が楽しげに水着を選んでいるが、頬杖を突き思考に耽る彼の眼には入らない。

 幾ら廃校の件を勘付かせないようにする必要があるとはいえ、果たして悠長に遊んでいる暇があるのか――廃校という言葉をぼかして直接杏に尋ねた残月だったが、軽くあしらわれてしまった。

 

“のびのびやった方がいいでしょ? 堀切も少しは肩の力抜いたら?”

 

そんな彼女の言葉を参考に、残月も二点だけ買い物をした。彼の足下には、新調したマリンシューズとマリングローブの入った紙袋が置かれている――彼にとって「海で遊ぶ」とは磯遊びであり、ビーチバレーなどに興じるという考えは完全に抜け落ちていた。

 しかしその程度では、彼の不安を払拭するには至らない。

 

――問題は山積みだ……。

 

 優花里が持ち帰った情報を元にみほとガイが作戦立案を行なった際、ガイが奇妙なことに気付いた。レイブンソードの隊員名簿の中に一人、昨年度大会のサンダース歩兵部隊の中にも存在しなかった二年生が増えているのだという。ステファニー・イェーガー、コードネームは『クワイエット』。優花里の撮ってきた作戦会議の動画に映っていた彼女の顔も、ガイの記憶にない。

 戦車道の特殊部隊は、通常編成の部隊から選抜されるものであり、何らかの‘極めて突出した特異な能力’、もしくは‘その部隊にしか不可能な任務’がない限りは、()()()()()()()で組まれることはない。レイブンソードもその意味では、あくまで歩兵の中から身体能力を基準に選び出されたエリートの集まりに過ぎない。つまり、昨年まで戦車道をやっていなかった人間がいきなり特殊部隊に入るなど例外中の例外でしかないのだ。

 その上、件の『クワイエット』に支給される装備は、「ボーイズ対戦車ライフル」と明記されていた。現在でこそ対戦車火器としての地位は噴進弾に譲っているものの、対物(アンチマテリアル)ライフルと名を変えて消えずに残り続ける対戦車ライフルという武器は、他校と比べ装甲の薄い傾向のある大洗の戦車には大きな脅威となりえる。

 また、戦車と歩兵を分断しての各個撃破が可能だった聖グロとの練習試合とは異なり、今回の試合は島の中央に広がる小規模な森となだらかな丘が戦場となる。周囲の環境の違いに隊員達が適応できるのか、その中で対戦車ライフルの攻撃に対抗できるのかも甚だ疑問だった。

 それに、個人的な心配事もある。ある意味ではこちらの方が難物だった。

 

「結局ガイ先輩来なかったね、大佐」

「“俺はどうも夏が似合わない”そうだ。荷物持ちが一人減ったな」

「男が力仕事する前提なのどうかと思うよ…」

「あんたがこの中で特別非力なだけだろうオタコン」

 

隊員の中で唯一、寄港した大洗に上陸せず学園艦に留まっているガイ。ヘビ(スネーク)の癖に夏より冬が似合うのは残月も同意だったが、それを差し引いても、彼がここにいないということには、リキッド・スネークの言葉を考え合わせると不吉なものを感じずにはいられない。

 

“俺にはわかるぞ、お前の心身にある問題が”

 

心身、文字通り心と身体。心については目に見える変化がないので判断がつかないが、身体にも問題があるとするならば、今回彼が水着選びに来なかったのは、何らかの身体的な異変を悟られまいとしているからではないか――そんな考えが浮かんだが、残月はすぐにそれを否定した。ここ最近、訓練中のガイの行動を注視してはいるが、それらしき兆候は全く見られないし、また運動能力に影響を及ぼさないような外見的変化(例えば痣や火傷など)を彼が恥じるとは到底思えないからだ。問題解決以前に、親友の抱える問題の正体すら掴めないことに、残月は歯痒さを覚えていた。

 そして、もう一つ。

 

「これは?」

「イイ!」

「こっちは?」

「素晴らしい!」

「これとかは?」

「最高だ!!」

「もう、褒めるだけじゃなくて真面目に選んでよ!」

「うるせえ俺から見たら優花里は何着たって似合うんだよ!!」

「え、あ、あう…」

 

蒼莱と優花里の関係、自分がみほに対して抱く感情。幼馴染同士の二人に鑑みて自分を振り返ってみれば、それは恋愛感情というべきものだと推察できたが、残月はそれが確実だとは断定できずにいた。かの賢人学園で喜理恵と交際し、彼女と子を為すまでの仲に発展した兄隆信の、喜理恵との馴れ初めについては何一つ聞かされていない。

 

――兄さん…俺は、どうすればいい?

 

視界の隅に映り込んだ影は、肩を竦め、意味深な笑みを浮かべて消えていく。…どうやらヒントは貰えそうにないらしい。生前からの妙に悪戯っぽい兄の気質に、残月は辟易した。

 その時、残月は自身の背後に、記憶にある何か空虚なものが接近するのを感じ取った。咄嗟にそれをむずと掴み、背負い投げの要領で投げ飛ばす。

 

「ぬおっ!?」

 

彼の前方に投げ出されたのは、手足の長い悪人面の男。それはかつて、残月に(トラップ)のいろはを教えた恩師でもある。

 

「…戯れが過ぎるぞ、田村さん」

「ハハハハハ…流石はボスの弟子、ブランクがあるとは思えんな」

 

 田村徳人、コードネームは『ザ・フィアー』。ブービートラップの取り扱いとボウガンによる無音殺法を得意とする他、自らの発する生物電流による準静電界を電気的に中性にすることで完全に気配を消すという特異な能力を持つ男である。喜理恵をして「目の前に立っていても幻かと思う程に存在感がなくなる」と言わしめる彼の力は、かつてのコブラ部隊でも()()()()()()恐れられていた。

 賢人学園崩壊後は大学には通わず、社会人チームとして戦車道を続けている彼が、何故さほど見どころがあるとも思えぬ大洗にやってきたのか。それは残月が聞くまでもなく、徳人の方から教えられた。

 

「お前が今年の大会に出ることはボスから聞いた。今日は久しぶりに集まって、それを肴に呑もうという訳だ。ジ・エンドは生憎病院だがな」

 

立ち上がった徳人が残月の後方を指す。振り向けばそこには、黒いニット帽を被りマスクを付けた大柄な男と、右頬に火傷の痕が残る色黒の男が立っていた。それぞれ『ザ・ペイン』こと江草駿央、『ザ・フューリー』こと平井政和。今朝喜理恵が出かける準備をしていたが、仲間との会合ならそれも頷ける。自分が大洗に引っ越す以前には、彼らはよく井下邸を訪れていたらしいことは残月も知るところだ。

 

「しばらくは仕事もない。長ければ一週間はここに留まるつもりだ」

「何か相談事があれば遠慮なく言って欲しい。私達が力になろう」

「…わかった」

 

 強力な戦術アドバイザーの登場は心強かったが、しかしそれで残月個人の問題が解決することはない。

 反復するばかりの思考。自分しか知らない、他人と共有できない問題である筈なのに、自分一人の力ではどうすることもできずにいる。残月はこのジレンマに苛立ち、そして一方で驚き呆れていた。プラズマ・スネークと呼ばれる以前から様々な問題に直面しそれを解決してきた自分が、よもやこのような状況で手詰まりになっているとは全く笑い種だ。隆信も草葉の陰で――というより恐らくすぐ近くで――笑っていることだろう。

 極小さな嘆息と共に、何の気なしに向けた視線の先のみほは、何も買わずに売り場を出ようとしていた。

 

 

 

 

 

 晶が昼寝から目を覚ました時、彼はおんぶ紐で喜理恵に背負われていた。

 大洗の小さな食堂で昼食を摂った後、メープルシロップのたっぷりかかった大きなパンケーキを平らげる、というご機嫌な夢を見ていた晶は、周りを見て、自分が今アウトレットのはずれにいるとわかった。

 

「かーたん、まだどっかいくの?」

「…もう起きたのね。ええ、まだ少しかかるわ」

「ふーん…」

「降りる?」

「いー」

「そう、わかった」

 

 喜理恵(母親)が自分を連れ回すのには慣れたものだ。喜理恵は殆どどこにでも自分を連れて行く。晶自身出かけるのも歩くのも好きだったが、最近はやけにその頻度が高い。アウトレットのこの場所には、今月だけで既に三回は来ている。

 

「……」

 

そして、喜理恵はその度に封筒に入った手紙を持っていく。これも最近始まったことで、手紙は大抵出かける前日か二日前の夜に届いたものだ。今も彼女は右手に持った手紙の内容に目を通し、左手のスマートフォンで何やら文字を打ち込んでいる。それぞれを交互に見る彼女の手元を、晶は覗き込んだ。

 

――…は…の…を…した。…よめない。

 

当然ながら幾ら早熟とはいえ、まだ二歳の晶に漢字が読める筈もなく、彼はすぐにその解読を諦めたのだった。

 

 「待たせました、ボス」

 

しばらくすると、喜理恵の前に三人の男がやってきた。晶は朧げな記憶を何とか辿り、彼らが母の友人であることを思い出す。それぞれ『はやおじたん(駿央)』『まさおじたん(政和)』『のりおじたん(徳人)』。彼らは晶が一歳になる頃まではよく家に遊びに来ていたが、ここ一年はめっきり会っていなかった。

 

「ジ・エンドは入院しています。病状が悪化しているようです」

「仕方ない。四人揃っただけでも十分よ。今度は地獄の底まで一緒…」

 

久しぶりに会った知り合いに挨拶しようとした晶だったが、喜理恵の声を聞いて気が変わった。普段とほぼ同じ、感情の変化に富んでいるとは言えない彼女の声が、その時ばかりは厭に底冷えしたものに思えたからである。晶は首を竦め、なるべく周りを見ないように顔を喜理恵の後頚部に押し付けた。

 

「――伝えることは二つ」

 

 視界が闇に覆われると、四人の会話だけが耳に入ってくる。

 

「一つ目。ソコロフから連絡が入ったわ。既にプラウダで情報を嗅ぎ回っている者がいると」

「連中も意外に聡いですね」

「ヴォルギンはそのことを?」

「いいえ、まだ知らない。下手に警戒すれば逆に勘付かれる。…一応だけれど、聖グロはどう?」

「動きはありません。ゼロも文科省に目を付けられてはいないようです」

「そう、流石というべきかしらね。…二つ目。あの事故から今回の一件まで、何者かが手引きしている疑いが強くなったわ」

「何だと…!?」

「その情報はどこから?」

「マッドナーからよ。彼が言うには、既に情報提供者(インフォーマント)のあてもあるらしいわ」

手駒(ポーン)の間違いでしょう? そもそも、『賢者達』の残党は本当に信用できるのですか?」

「心配するな。今も昔もお飾りのゼロとアンツィオに逃げたマッドナー、二人を選んだボスの人選に間違いはない」

「…とにかく、引き続き情報を集めて。これは戦車道界だけではない、その背後にある政界の闇を暴く闘いであることを今一度肝に銘じなさい」

 

 話の内容は全く理解できなかったが、晶は自分の母親、そしてその友人達が、何か途轍もなく巨大な存在と人知れず対峙しているように感じた。言い知れぬ恐怖が、幼い彼の心を蝕む。

 三人の気配がなくなった後も、晶はしばらく顔を上げることができずにいた。

 

 

 

 

 

 「ヴァンプ、新入り達の様子は?」

「皆筋がいい。もう実戦投入しても問題ないレベルだ」

 

黒森峰学園内の倉庫。この日の訓練を終えた戦車道履修者達が各々寮に帰っていった後、聡史は同期の一人を伴い一番最後に倉庫を後にしていた。長い黒髪と病的に白い肌、峭刻な容貌、腰周りに多数のナイフを吊り下げた彼の姿は、黒森峰の歩兵としては異様と言わざるを得ない。

 

「…一回戦は知波単が相手だからな」

「彼らには丁度いい噛ませ犬だろう? オセロット」

「フッ、違いない」

 

 彼の名は塚田(つかだ)晋吾(しんご)、コードネームは『ヴァンプ』。類い稀な身体能力と非凡な刃物の取り扱い技術を持つ生粋のナイフファイターである。黒森峰に於ける慢性的な歩兵用装備の不足を「銃火器を殆ど使わない」という独自の切り口で解決し、その能力を買われてすぐにヴァイパーコップフへの配属が決定した。

 更に彼は、歩兵部隊内で非公式に組織された、訓練中の部隊を抜き打ちで襲撃し対応力のチェックを行なう仮想演習訓練部隊『デッドセル』にも配属されていたのだが――

 

「――だが、士気は去年より下がっている」

「…だろうな」

 

あまりにも的確な指摘が、聡史の胸に、それこそ晋吾の持つボウイナイフのように突き刺さる。

 デッドセルは既に解散している。元々がガイによる西住流家元への反抗――彼なりの西住流の改革の一端として作られた部隊であったデッドセルは、創設者にして中心人物のガイが転校した(させられた)ことによる求心力の低下で、所属していた三年生の卒業、大会決勝戦で負傷した歩兵『フォーチュン』こと冬木(ふゆき)真由美(まゆみ)の引退などを経て空中分解。ガイの奮闘も空しく、歩兵部隊は改革以前の状態に逆戻りしてしまった。忠誠を誓ったリーダーも組織も失った晋吾の心境は想像に難くない。晋吾は聡史がガイの後を継いだことに不満は持っていないようだが、聡史はそれを知っていても、自分がかつてのモチベーションを維持できていないことを情けなく思っていた。

 その時、聡史のスマートフォンに一通のメールが届いた。

 

「メール…?」

「全体連絡ではないな。誰からだ?」

「知らないアドレスだ…」

 

差出人不明のそのメールの件名には、次のように書かれていた。

 

――『真実を知りたくはないか?』…だと?




今回もまたかなり遅れましたが、年をまたがずに済んだだけよしとしましょう(おい
自宅のPCが容量不足からか激重なので大学のPCで執筆しているのも更新遅延の原因の一つ…だと思いたい。

時系列上ではOVA水着回、サンダース戦前になります。ニコ生でアニメ本編は見ましたがOVAは未視聴なので、ここは後で編集入るかもです。
ここでクワイエット(前回登場)、コブラ部隊の面々(ジ・エンドを除く)、ヴァンプが登場。残月の考察、ボスとの会話やオセロットに届いたメールなど、伏線をドカドカ盛り込んでいく欲張り回であります。早く回収したい。
頑張れビツケンヌ、負けるなビツケンヌ!君の戦いはこれからだ!!


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