Fate/Holy curse (another12)
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第一章 歪み始める聖杯
プロローグーー1
ーーー10年前
霞んでいく視界の中、その光景だけが目に、脳に、心に焼きついた。
自分が飼われていた檻の中、燃え盛る炎の中心に悠然と立ち尽くす、“赤い外套姿の男”。
両の手に握られる返り血に塗れた中華の夫婦剣に、オレンジと赤の色が埋め尽くすパレットの上でなお際立つ白く荒々しい髪。
その、あまりに堂々たる男の後ろ姿を、生涯忘れ得ぬだろうと幼いながら感じたのを覚えている。
目を閉じた先にある暗闇にその光景は今もなお、瞼の裏に色濃く、当時の情景と心情を共に蘇る。
肌を焼く火の熱さや、鼻をつく血肉が燃える不快な異臭よりも、その男の背中に目を、心を奪われた。
どれくらい見つめ続けたのだろう。
恐らく時間にして10秒にも満たない。
けれど。
その姿ならば、たとえ地獄に落ちようと、鮮明に思い返す事が出来るだろう。
今もなお、あの日の背中を追い続けている。
手を伸ばせば伸ばす程に遠くなり、足を踏み出せば踏み出しただけ、距離が空く。
そんな日々を10年も繰り返して来た。
叶えたい夢はない。
誰よりも理想に燃え、それ故に絶望したわけでもなく。
誰よりも他者を愛し、誰もが幸せであって欲しいと願ったわけではない。
越えたいと思う優秀な肉親もついぞおらず、自分が何者なのかを知らないわけではない。
かといって非凡な家柄に生まれ、その両肩に世界を背負わされた一般人でもない。
ただ10年前のあの日、業火の中心にあった背中に追いつきたい。
少しでも追いつける日が来るのなら。
それだけを信じて今日まで生きて来た。
唯一、口が最大の凶器にして狂気的な幼なじみだけは、自分の生き方をして“酷く歪だ。”となじった。
夢もなく、理想を持たず、希望もない。
そんな生き方は人として破綻していると。
否定は、しなかった。
ただ笑って、受け入れた。
そんな自分の姿を見て、幼なじみは「絶交」を言い渡した。
けれど幼なじみから憐れまれ、見捨てられようとも、高校を中退し“赤い外套”の後ろ姿だけを胸に残し、人を救い続けた。あの日、自分が救われたように自分もまたあの“赤い外套の男”のようになれるだろうかと。
しかし、実際は救えば救うほどにその姿は遠ざかり、自らの両手は名前も背景も知らない者達の血で濡れていった。
誰かを救い、その為に誰かを殺す。
それが正しい事だと信じて疑った事はない。
気がつけば自分が救った数よりも、殺した数の方が優っていた。
だからといって今更歩みを止めるわけはなく、良心の呵責もない。
安全装置の壊れたロボットのように、機械的に、業務的に人を救い、人を殺す。
いつしか魔術協会からは危険因子扱いされており、世界各国で幾重にも人を救い続け、殺し続ける男が居ると噂になっていた。
この命知らずな生き様を誰が名付けたか、“無謬の天秤”などと大層な名前で呼ばれるようになったのもつい最近の事だ。
そんないつ死ぬかも分からない日々に終わりを告げたのは、魔術協会に雇われた傭兵に手傷を負わされたわけでも、ましてや死徒に相対したわけでもなく、自分が生まれ育った街で、異例なタイミングで“聖杯戦争”が開始されると小耳に挟んだからだった。
「おや、ここにヒトが来るなんて…迷い込んだワケではなさそうだ。悪く言わない、1秒でも早く帰った方がいいよ。」
優しい声音に、飄々とした口調が何処かから聞こえて来る。
一面に咲き誇る様々な色を見せる花の絨毯は、ここが天国なんだと言われても納得出来てしまうくらいの絶景だった。
生きている限り、決して見る事の出来ない光景。
「前置きはいい。ずっと、“覗き見”してたんだろ?」
青年は姿を見せない声の主に投げかける。
「覗き見とは酷いなぁ。私はこうして人の営みを楽しんでいただけなのに。特に君は面白く、興味深い。誇っていい事だよ? 私が特定の誰か一人に注視するなんて、君で二人目なんだ。」
現在の世界全てを把握できる『眼』を持つ彼にとって、世界とは『一枚の絵』だ。
美しいものを求め、そして愛する。それが彼にとって人類だった。だからこそ、人類の中の一人を気にかけるなんて事は異例中の異例だった。
「生身ではないにしろ、こうしてこの“楽園”に影を落としているだけでも君の生命力はみるみる削られていく。どうせあのカレイドな翁の差し金だろうけど、そうまでしてここに何の用かな?」
声は問いかける。
ここに命を削ってまでやって来た理由を。
ここは本来生身の人間はおろか、英霊ですら簡単に到達出来ない楽園の端。永久に閉ざされた理想郷。故に自滅しかねない奇跡の確率で青年はここに影を落とした。
ならば、主はその覚悟に一定の賛辞を持って接しなければならない。
白髪の青年は、静かに望みを口にする。
「…
その突拍子もない頼みに、主は草原を吹き抜ける風のような笑い声を上げた。
「アレは人が扱えるようなモノじゃないよ。人々のこうあって欲しいという願いが鍛えた『ラスト・ファンタズム』なのだから。」
聖剣というカテゴリーにおいて頂点とされる光の剣。かつて、名高きアーサー王が振るいそしていまわの際に返還された神造兵器。
それは人に扱える代物ではなく、神霊レベルの魔術行使が必要になる。
「それに、すでに貸してしまったんだよ。君と同じようにボロボロの身体でここへやって来た英霊にね。」
「なんだって…?」
ここまで無感情だった青年の表情に、僅かに驚きが浮かぶ。
「第一、その聖剣を持って君は何を成す気なんだい?」
主の姿が、ぼんやりと蜃気楼のように現れる。
その姿はいまだ不明瞭だが、白いローブ姿だという事だけが辛うじて知覚出来た。
その問いに答えても、聖剣はもはやここにはない。答える義理もないのだが、青年は強い意志を込めて主に告げる。
「俺は、『世界の抑止力』になる。」
「…ほぉ。これはまた、『アラヤの抑止力』を希望とは。」
剽軽な口調だった主の声音が変わる。
意表を突かれたというより、興味深いといった様子だった。
まだ二十歳過ぎの青年が抱くには、あまりに現実離れした願望。いや、もはや願望とも呼べない。
彼は、なると断言したのだ。
そこに至るまでの過程など吹き飛ばし、ただ結果だけを見据えている。
それは、人の生き方ではない。
彼はすでに、今の人生を捨てて、死後の人生を見つめているのだから。
「人を守るために自ら縛られる選択をするか…冠位の称号を君にあげれるなら、あげたいくらいだと言うのにね。」
主は益々、青年に興味を抱いた。
その青年の姿、在り方がありし日の王を彷彿とさせた。
「その道を行けば最後、君は人間ではなくなるよ。」
だから否定した。
手にした先に待つ無惨な最期を迎えるだろうと。
主は知っている。抑止力がどういう存在であり、地位も名誉も矜持や信念すら何も守れない事を。
「…いや。」
けれどやはり、青年は否定する。
あの日のかの王のように。
「ーー俺がそう決めたんだ。ならきっと、間違いじゃない。」
しかし、彼女のように人の為ではなく。
自分の為だけに彼は告げた。
「…そうか。なら、君の揺るがない決意に敬意を表して、少しだけ手を貸してあげよう。」
言って、楽園の主…キングメーカーにして花の魔術師マーリンは手にした杖を振り翳す。
きっと、後悔するだろう。
けれどボクは君と彼らの行く末を見守ろう。
君らが挑むのは、人類悪に比類する悪。
君達人間が聖杯という願望器を生み出し、英霊を使い魔としたがために振り撒かれる聖なる呪い。
これは僕ら英霊ではなく、君達人間が解決しなければならないモノだ。
その果てに、例え一つの世界が潰えたとしても。
故にボクはこう名付けよう、“聖呪大戦”と。
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プロローグーー2
――――2020年 12月15日
すべての魔術師が目指すべき悲願、『根源の渦』。
過去、現在、未来の魔術師が目指す最終到達点にして、すべての始まりであり、すべての終わりであり、すべてがあるとされる場所。
すべての現象、因果はこの根源から始まっており、物質、概念、法則、時間、空間、星・・・etc
過去現在未来から平行世界にまで渡る情報、知識もそこにはあるという。
まれにそんなとんでもないモノと生まれながらに接続した化け物もいるらしいが、元来『根源』は人が手にしてはならない力であり、そこへ至ろうとする全ての者に『抑止力』と呼ばれる防衛装置のようなものが発動される。
と、まぁそんな所謂『世界の外』へと至ろうとした頭の悪い人達がいたらしい。
およそ二00年前、アインツベルン、マキリ、遠坂、始まりの御三家と呼ばれる彼らが画策したものが『聖杯』の再現である。あらゆる願望を実現させる万能の願望器。
この三つの家の魔術師は互いの秘術を提供しあい、ついに聖杯を現出させた。
結局、代償と引き換えに現出させた聖杯が抱えていた予想外の欠点。
『聖杯が願いを叶えられるのはただ一人の人間のみ』という事実がその御三家やその他を巻き込んで血で血を洗う戦争へと形を変えた。
それが、『聖杯戦争』。
以降、六十年の周期で聖杯は始まりの地である極東の地『冬木市』に顕現し、聖杯に選ばれた七人の魔術師同士でただ一人を選ぶ為の戦争を繰り返してきた。
『根源』にあるとされる『英霊の座』と呼ばれる過去、未来、現在の英雄達のデータベースからコピーした最高ランクの使い魔『サーヴァント』。これを七人のマスターに英霊召喚させ、誰が聖杯で願いを叶えるに相応しいか競わせるらしい。
『聖杯』は血を求めているようで何よりです。
しかし、今回冬木市で起きた『第五次聖杯戦争』のとき同様に、イレギュラーが発生した。
――――という所まで説明が終わり、カレン・オルテンシアは軽く瞑っていた目を開けた。
「ちゃんと私の話しを聞いていたのかね、君は。」
堅苦しく、遊びのない冗長な説明を終えた男性は眉根を寄せ、指に挟んだ葉巻を不服げに口に運んだ。
「今更そんな復習に時間を割く暇があるくらいの事態と言うことですね。ロード・エルメロイ。」
カレンの歯に衣着せぬ物言いに、無造作に伸びた長い髪の男、エルメロイⅡ世は更に眉間に皺を寄せた。
「口の粗暴さには目を瞑ろう。だが、せめてⅡ世をつけてくれ。カレン・オルテンシア。」
「あら失礼しました。エルメロイ偽。」
「・・・・・話を進めよう。」
エルメロイⅡ世は軽く咳払いし、本題へと戻す。
「先ほど話した前提を踏まえて見ても、今回の聖杯戦争はあまりに“異質”過ぎる。」
紫煙を吐き出し、エルメロイⅡ世は緊迫した口調で告げた。
「今回の聖杯戦争の舞台は本来、聖杯があるはずのない冬木市から遠く離れた都市だ。」
「冬木市じゃ・・ない?」
「あぁ。それはありえない事だ。」
聖杯のない場所で聖杯戦争が起きるなんてこと、あるはずがないのだ。
先の通り、聖杯が七人の魔術師を選定し、サーヴァントを用いて行われるのが正しい形だ。その聖杯がない場所でマスターが現れるはずがないのだ。
「何かの間違いではなくて、ですか?」
「いや、すでにその地にて『令呪』を宿したモノが確認されている。」
『令呪』。聖杯からマスターに与えられる、自らのサーヴァントに対する3つの絶対命令権。英霊の座から招かれたサーヴァントに背負わされる膨大な魔力の結晶。それはつまり、英霊とのパスが繋がっている。もしくは繋がりつつあるかだ。
令呪こそ、聖杯戦争への参加権に相違ない。
「・・・・その令呪を宿した人物の名は?」
事態をようやく重く見たカレンは腕を組み尋ねた。
「玲瓏館美沙夜。魔術協会でも複数系統の魔術に精通する有数の名家の跡取りだ。」
「つまり冷やかしや虚言ではない、ですか・・・。」
玲瓏菅家は先代の当主が聖杯成就のために娘にすら呪いを掛けようとしたと聞く。それは水際で防がれたものの、かの一族が聖杯を求めていることは確かだ。つまり、令呪が現れたなどと
「その英聖市には魔術協会から遣いを送っていなのです?」
「当然送ったさ。だが、英聖市に足を踏み入れた途端、身体中の穴から血を噴出して悶死したのが付き人により確認された。」
その言葉に、カレンはここに自分が呼び出されるという異例の理由を悟った。
「魔術的な結界のようなものが張られているということですか。」
「どちらかと言えば、特異点と呼んだ方が早いやもしれん。」
「我々が暮らす時層から切り離された場所と化している、ということですね。」
カレンの言葉に、葉巻を口に運びながらエルメロイⅡ世は首肯した。
「つまるところ、聖杯が認めた者以外の魔術に通ずる者を寄せ付けない牢獄だ、あそこは。」
「そこで聖堂協会と魔術協会の怨恨を越えてまで、私に無様に泣きついて来たわけ。」
侮蔑する視線はどこまでもエルメロイⅡ世を見下している。
本来、神秘の秘匿を目的とする魔術教会と、全ての異端を消し去り、人の手に余る神秘を正しく管理するのが目的の聖堂教会では幾度となく刃を交えたほどの間柄だ。その垣根すら越えて、エルメロイⅡ世はカレン個人に頼み込んできたのだ。カレンとて、今回の一件が極めて特殊、看過できない問題であるのは承知している。
「そうだ。君の得意な体質を持ってすれば、この呪いの元を探り当てれるかもしれないと期待しての頼みだ。君にとっても無視できない一件だと思うが?」
「私に英聖市で起こる聖杯戦争の監督役をやれと?」
カレンの問い返しに、エルメロイⅡ世は深く頷いた。全くどこまでぬけぬけしいのか。カレンは深くため息を吐き、彼をじとっと
「英聖市に赴く術は?」
「君の影をその戦地に落とす。問題はないさ、絶えず私と連絡が取れるよう配慮しておく。」
「…言っておきますが、私も聖堂教会に知られれば追放どころでは済まないのですからね。」
「なに心配ない、私もだ。」
エルメロイⅡ世の不適な笑みにカレンは頭痛を覚えた。
「いいでしょう、ただし条件があります。一、私のやり方に口出ししないこと。二、私の意見を疑わないこと。三、私の悪魔祓いに意見しないこと。四、二度と私の目の前でその煙臭い葉を吸うなサラサラロン毛。」
それ、三までは一と同意じゃないかという言葉を押し殺し、エルメロイⅡ世は指で挟んでいた葉巻を灰皿に押し付けた。
「・・・善処しよう。」
「善処でなくこれは絶対遵守です。葉巻で格好を付けても中身は陰鬱なままですよ、ロード。」
エルメロイⅡ世はクスクスとせせら笑うカレンを見下ろして、次回からは選出する人材の性格も考慮する必要があると心に誓ったのだった。
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プロローグーー3
聖杯を手に入れる。それが一族の、玲瓏館家の悲願だと、幼い頃からお父さまに聞かされていた。
正直に言えば、私は聖杯に興味なんて微塵もなかった。
願いとは、人に頼るべくものでなく。ましてや万能の願望器なんてものに縋って叶えるものでもない。
それが、奇跡でしかなしえないものでもない限り、人は自分自身の裁量で願うべきだ。
高校を卒業した私は、全世界の魔術師を束ねる魔術協会の総本山、『時計塔』へ入学して自らの魔術師としての力を磨いた。いずれ、お父様のような極東随一の魔術師になる為に。
優秀な素質が自分に備わっている事は理解もしていたし、私は超一流だと自負している。けれど、その能力に磨きを掛けることを忘れた事はないし、幼少の時分から研鑽を怠った事もない。魔術師とは、無力な一般の民を庇護するものだと考えて生きてきたために親しい友人こそいれど、本当の意味での友達はいない。…ただ一人だけ、親友と呼べそう奴はいた。結局、喧嘩別れのような形で離れてしまったけれど。いや、違うわ。
あいつは親友ではない。ただの幼馴染に過ぎない。今では生きているのかさえ知らないけれど。
そいつは、馬鹿だった。救いようのない愚かさ。
それこそ聖杯に縋れば簡単に叶えてくれるだろう願いを、血を吐き続け、誰に助けを求めるでなく、私達学生にとってもう二度と戻らない青春を、人の一度限りの人生を捨てた。捨てることができた。
誰がそうしろと言ったわけではなく、呪いをかけられたわけでもない。
ただ、そうしなければならないと自分に呪いをかけたのだ。
いまだかつて、こんな滑稽な魔術師がいただろうか。あぁ、思い出すだけでも腹立たしい。忌々しい。
そう、本来聖杯を求めるべきはアイツのような間違った人間だ。私のような優秀で、才に溢れ、資産を持て余す恵まれた人間が挑むものじゃない。
「だと言うのに…どうして私なのかしらね。」
忌々しげに、玲瓏館美沙夜は自身のうなじに現れた翼のような赤い、紋様を鏡越しに睨みつけた。
美沙夜は、たまたま時計塔のあるイギリスから地元である英聖市へと里帰りをしていた。その里帰り初日の深夜、丑三つ時にこの紋様はうなじに痛みともに現れた。
もしかすると、何日も前から薄く浮き上がっていたのかもしれない。けれど、うなじなんて毎日自分で確認するわけもないし、そもそもどうしてうなじなのか。
大概の『令呪』は右手に現れると聞いていたのに。これじゃ確認しづらいったらありゃしない。
令呪が現れたということは、自分は聖杯戦争の参加権を得たというわけだ。
けど、ここ英聖市には争うべき聖杯が存在しない。アレは冬木市にしか顕現し得ないものの筈だ。勝ち取るべきものがないというのに何を目指して争えというのか。
「それに、あの“声”は?」
美沙夜は令呪が付与された夜に不可思議な声を聞いた。
思い出すのもおぞましい声。例えるなら、ゴボゴボと口から嘔吐物を撒き散らしながら話しているような聞くに堪えない醜悪な声だった。仮に絶対音感を持つものが聞いたなら、発狂しかねない不快音。流石の美沙夜といえど、それには青ざめた。
「 “全ての人類に呪いを…。”」
確かに、そう言っていた。呪い? 今回のイレギュラーな聖杯戦争となにか関連があるのだろうか。
時計塔でお世話になっており、自身も聖杯戦争を経験しているエルメロイⅡ世に相談してみたが、これといった回答は得られなかった。むしろ、美沙夜のような優秀な魔術師がこんなイレギュラーな聖杯戦争に願いもなく挑むことを反対された。
令呪を譲渡すれば、聖杯戦争からは開放される。
けれど、美沙夜は自身に宿った令呪に不気味なものを感じ取っていた。
それは魔術師としての能力で感じ取ったものでなく、第六感で感じたものだ。
この令呪を他人に渡せば、取り返しのつかない事になる気がする。
「まあ、挑んでみるのも面白いかもね。」
通常の聖杯戦争とは違う明らかな異変。これを解決すれば、自分の魔術師としての箔もあがるというものだ。
美沙夜は丁重に鍵つきのケースに保存された小瓶を手に取った。ガラス製の小瓶の中身は透かしてみると染みがみえた。ここに何かが入っていたのは間違いない。
英霊の座から英霊を召還するために必要な縁、それが聖遺物。本来ならマスターに近い性質を持つ英霊を聖杯が選ぶのだが、この聖遺物があれば狙った英霊を呼び出すことができる。
美沙夜はその小瓶を握り、ほくそえんだ。その笑みは優雅でいて、淫ら。
彼女が選んだ英霊は決して優秀なサーヴァントではない。だが、それこそが彼女の狙いだった。
「決行は今夜、楽しみだわ…」
自らの類まれな才能を測る戦いが、今夜始まる。
その家は、由緒正しき血を受け継ぐ家系だった。
およそ四○○年前に天下分け目の戦いと呼ばれる関が原の戦いを制し、日の本を平定。年数にして二六五年もの統治を継続させた三英傑が一人、徳川家康。
そんな日本で知らぬものはいない戦国大名の血筋は現代まで続いていた。しかして、一時代を築きあげた英雄の一族は今やそのかつての威光に縋るしかなかった。
中には成功し、名を上げた親族もいた。が、いまだ政権を握るにはいたらず。かといって日本中が彼らを敬愛し、ひれ伏す事もない。
家康の血を受け継ぐ正当後継者にして現状の末代である徳川家霊は、幼い頃から口うるさく、あるいはすっぱく父上から言われ続けてきた。
『我々徳川家は、再び天下を取らねばならん。でなければ、ご先祖の家康様に顔向けできようか。』
代を重ねるごとに薄れていく威光を父上は良しとしなかった。
故に、家霊に魔術を学ばせた。
妻に魔術師として優秀ながらも跡継ぎも居らず、目ぼしい相手もいない女性を金を積んで娶り、父は家霊を産ませた。更に、魔術師にとって歴史と共に受け継いできた最大の家宝である一子相伝の魔術刻印を家霊に幼い頃に移植させた。
全ては聖杯戦争に参加し、聖杯を勝ち取る為に。家霊が無理でもその子に、その子が無理ならさらにその子に。一族の復興のために。
そして、徳川家にとって予期せぬタイミングで聖杯戦争は開始された。まだ家霊が十四歳になったばかりの幼さで。
その夜、家霊は聞いた。思い出すのも恐ろしき声を。まるで溺れながら話しているかのような不気味な声を。
『全てを、呪え。』
右手を襲った痛みと共に、その声は頭に響いた。
気がついたとき、右手に紋様が浮かび上がっていた。
父はそれを手放しで喜び、母は悲しげに家霊を抱きしめた。ただ家霊だけは冷静に違和感を分析していた。ここは、冬木市でも英聖市でもない。なのになぜ自分に令呪が宿ったのか。
「それに…あの声は一体何だったのでしょう。」
大仰な屋敷の一角に与えられた自分の畳張りの部屋で座禅を組み、精神を統一させていた家霊は一人呟いた。その眼前には、幼少の頃から肌身離さず、寝食を共にしてきた脇差が置かれている。この小刀こそ、父が家霊が生まれる前に拵えた徳川家にふさわしき英傑との縁。聖遺物である。
今から今回の聖杯戦争の舞台であると魔術協会から知らされた西にある英聖市へと赴き、サーヴァントを降霊する。
その英霊と共に家霊は聖杯戦争に挑むことになる。
マスター同士が聖杯を求めて行う殺し合いに。若干十四歳の家霊が。
父が用意したサーヴァントはこれ以上ないくらいに卓越した英霊なのは間違いない。だが、自分で果たして勝ち抜けるだろうか。相手は魔術師と呼ばれる異能を操る者達。自分にも、母から教わった魔術の教養はあれどもいざというとき頼りになるのは剣術くらいだ。
けれど、やらなければならない。
父が聖杯を望み、母が自分を案じてくれているのだから。
自分が失敗すれば、母は父に責め立てられるだろう。家から追い出されるかもしれない。
それだけは、嫌だ。
「家霊、時間だ。」
父が自分の名を呼ぶ。
「畏まりました、父上。すぐに参ります。」
家霊は小刀を布で包み、自らの愛刀を手にして立ち上がる。
向かう先は、英聖市。果し合いの場だ。
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