殺人についての考察、及び被害者からの見地 (matotakkei)
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殺人についての考察、及び被害者からの見地
▼ほぼインセプション要素はありません。
▼外伝だけど単体でも読めます。
っていうか単体でしか読めません。
『殺人についての考察、および加害者の告解』はどこにもありません。探さないでください。
0(嘘)
「鳥海さんってもっと怖い人だと思ってた。」
冗談めかし、笑いながら伝えられたその言葉は少しショックだった。恐れられていた事が、ではない。知ってしまえば恐れるに足りない人間であるという事が、だ。
安堵をわざわざ面と向かって伝えるくらいなのだから、以前――去年までどう見られていたかは推して知るべきだろう。学校にはロクに来ず、来ても常に仏頂面、遅刻早退を繰り返し、そして順当に留年。そんな噂(事実じゃん)の不良が、今年同じクラスの隣の席と来たら、怖いに決まっている。我が身の事だったら半年は目を合わさない。
しかしそれは中身のある恐怖ではなく、得体の知れないが故に抱いた恐怖であり、蓋を開けてみれば登校すら儘ならない病人だった。不良ではなく、体調不良だったという話だ。まったく、お後がよろしいようで。
しかし、その弱さにしても、生きるや死ぬやと陰鬱に浸っていた頃が嘘のような復調を見せ、今や病弱というより虚弱の範疇で。
かつて友人を殺しかけた異能は過去ごと消され。
一時は独立や置換の兆しすらあった副人格はまるで顔を見せない。
なんてことはない。隣の席の彼女が正体不明の人間を怖がったように、あれだけ憧れた『普通』という未知の状態に恐怖していたのだ。
お前は普通――面白みのない奴だと言われる事に怯えてしまった。あれだけ嫌悪した不調を、悪性を、異端たらしめた因果のすべてを、どこか物語性に富んだ悲劇のヒロインのようで、『使える』とでも思っていた厚顔無恥の証左である。
どうせ矯正するのなら、こういう所ごとやってくれてもよかったのに……というのは口が裂けても言えないにしても。
とにかく、渇望した平穏に、法外に恵まれ過ぎた幸福を維持する為に、尖った設定は必要ないのだ。ようやくできた友人や……彼氏が当然進級し、一人になった教室で話しかけてくれた彼女の為、捨てる事に後髪など引かれない。
キャラクター性に溢れる一人称も、もういらない。
だから"私"は
「わかってくれて嬉しいよ。迷惑をかけるかも知れないけど、仲良くしてくれるとありがたい。」
だなんて、一昔前だったら口が裂けても言えないような台詞を、ちょっと前までだったらつけていた余計な一言も加えず、素直に紡いで見せるのだ。
どうだ、人がまるで社会不適合者みたいな心配の仕方をしてくれちゃって。やれば出来るんだ。とか、あとでする名誉挽回トークの材料を手に入れた事に心中でしたり顔を浮かべていたりして。
その直後の学年集会で貧血を起こし小慣れた倒れ方を再演。それが彼等の耳に入り、不安の色を更に色濃く浮かべられてしまったので、いつも通り開き直るしか無かったりして。
まったく、前途多難である。
0(本当)
――そんな風に、ありがちな挑戦と失敗を繰り返し。時に頑張り、時に挫け、時にヤケを起こし、時に拗ねてみて。しかしその度に世界は広がり、繋がった世間に救われて、いつか誰かの役に立てれば最良だ……とか。
思っていたのは事実だが、そんな筈は無いな。とも感じていた。
罪人故の報いとか、出来すぎた話の揺り返しとか、そんな殊勝な心持ちではない。単なる経験論である。
そこまでの覚悟があったかと問われれば、正味怪しいと言わざるを得ないが、想いだけは確実にあった。
だからこそ今回の事も、起こるべくして起こった事態ではある。巻き込まれて良かったとすら感じる。
……とは言ってもいきなり『悪の組織に狙われる』はやりすぎなんじゃないか。と、そう”ボク”は思うんだ――
1
気がつくと、見知った部屋に立っていた。
――いや、これじゃ何が何やらだ。
学校の教室だか、廊下だか、細かいことは思い出せないが。とにかく現実で生活していたはずが、サイケなカラーリングでアンティーク調の装飾を彩った、趣味の悪い、夢を象徴する小部屋に来ていた。しばらくぶりだ。いつ以来だろうか。
しかし、様子がおかしい。煌々と灯っていた蝋燭は燃え尽き、ランプには煤がこびりついていてとても暗い。混沌としているようで整然と並んでいた調度品の数々は配置がメチャクチャだし、どこからともなく聞こえてくる蓄音機の音色も響かない。体重を架け替えただけで足元の床がきしんだ。それに、とても埃っぽい気がする。少し来なかっただけでここまで荒れるものでも無いだろう。そもそも夢の中の建築物って風化するものなのか。
「……風化はしないけど、劣化はするんじゃないかな。建物が、じゃなくて、なんだろ、
驚いた。驚きすぎて死ぬかと思った。
ただでさえ視界が悪いのに、椅子へ態度悪く、もたれかかるように座っていたから気づかなかったが、自分一人では無かったらしい。
しかし話しかけてきたのが誰かなんて、確認する必要はない。可愛げのある顔も、長い栗毛も、トレードマークの青いエプロンドレスすら見ずともわかる。――聞き間違え様のない、自分と同じ声だ。
「やあ、久しぶり。顔を見せないからくたばったのかと思っていたよ、有栖。」
「知らなかったかもしれないけど、元気な人間にとって無沙汰は無事の便りになるの。あんたと一緒にしないで。有子。」
……あっはっは。小粋な挨拶に全然腹なんて立って無いし、仲のいい間柄だからできるほんのジャブだよ。同じ鳥海じゃないか、争いなんて無意味だよ。と、殺意をギリギリの所で抑えた。(喧嘩すると困る人達がいるから、上辺だけは仲良くしようね、という平和条約を結んである。が、誰も見ていなかったら結構ファジーに破られる。)
まあ、心底から仲良くなれないのも道理なのだ。ボクからすれば、鳥海有栖とは結実した幼い憧憬であり、無い物をねだった未熟さの指摘であり、失敗の象徴であり――単純に、恋敵でもある。
彼女からしても、そんな姿勢の『ボク』が好きなタイラー・ダーデンなんて、存在しないに決まっている。『俺は自分を慰める為の人格なんて作っちゃいない』、だ。
曲がりなりにも和解を遂げた『自分達』だが、禍根を残さなかったとはとても言えない。しかし、それでいいと思っている。せっかくの副人格、鎬を削った末の着地点を模索するのも面白い。結局、上辺だけは仲良く、が最良なのである。
さて、とは言え現状は腑に落ちない。何度でも言うが、お互い好き好んで二人きりになりたい間柄でもなし。この夢見には何らかの意図が絡んでいて、それは落ち着き払った彼女が知っているはずなんだけど――
「あ、ちなみにあんたとは久々だけど、透とは会ってるよ。……聞いてないの?」
いい加減どっちが上なのか教えてやるほうが先みたいだ。
醜い争いの仔細は、割愛とさせて頂こう。
2
自分との戦いなんて、決着のつかないことが常である。だから人は怠惰な気持ちを抱えたまま勤勉に動く事になったり、罪悪感を抱えながら怠惰を享受したりするのだ。しかし、そうやって脳内で分派した双方の合意が得られないままでも、結論が得られる場合はまだ良い。『その考え方は気に食わないから消えろ』だなんてやきもきしてみた所で、余計に存在が大きくなり、無駄な疲労を覚えるのみで無益極まりない。
こんな事を幾度となく繰り返したような気もするが、ここまでの大喧嘩は初めてだった気もする。夢のことなんてよく覚えては居ないのだ。だが、今回ばかりは何とか記憶しておこう。
「もう二度と……ゴメンだからね……有栖、お前は覚えていられるのか。」
埃っぽいソファに仰向けで倒れ込んだまま、息も絶え絶え尋ねると
「そりゃー……忘れないけど……あたしだけ、止めたって……止まらないでしょ。」
元々座っていた椅子で、荒い息の有栖はそう答えた。確かに、我ながら一理ある。
その後無言で息を整えること数分。なんとか身を起こし、棚上げにしていた質門を投げかける。
「……それで、ボクをわざわざここに呼んだのは、お前で間違いないと思うんだけれど。」
まさか、喧嘩をする為でもあるまい。要件を話してくれ。そう促すと、真剣な表情で呟いた。
「透が、夢の中で悪い奴らをやっつけに行ったら、返り討ちにあっていてピンチ……らしい。」
「何を言ってるんだ馬鹿なのかお前は。」
と反射的に突っ込んだけど、そうか。透ならありえるのか。
「ああ、いつもの『悪夢』が拗れて、ちょっと苦しそうだから助けに行こうとか。かい?」
半ば確信を持って尋ねたが違うらしく、有栖はかぶりを振った。
「そういうのじゃなくて。……エクストラクトって、知ってるでしょ。」
エクストラクト。乱暴に言ってしまえば特殊な薬剤と神経に流す電流を併用することで他者と夢見を共有、深層心理が反映された世界を知り治療行為に活用する、メンタルヘルス分野の技術だったか。
「知っているよ……最近論文が出されたやつだろ。ほら、マイルズ、なんとかっていう教授の。それがどうしたんだ。」
門前のなんちゃらではないが、色々とそういう小話が多く入ってくる環境にいることは確かだ。夢の中ではインターネットで検索、という訳にも行かないから詳細はあやふやだけど。まあ概ね間違ってはないだろう。
「それを踏まえて、今回のことが如何にマズいか説明する4つのポイントがあるの。」
「へえ、聞こうじゃないか。」
間延びと脱線が常の彼女がそうしてくれるというのならありがたい。
「まずそれが既に実用化しているらしい、っていうのがいっこめ。」
「いま使っているのが悪用に対抗するための訓練をする軍隊と、悪用する犯罪者、っていうのが二個目。」
「その犯罪者が蓮乃のおじさんを狙っていて、どういう経緯かそれを知った透が『夢側』から阻止しにかかったらしい、というのが三つ目。」
――それが本当なら、本当に。洒落にならない事態なのでは無いか。しかし、気になる事があった。今度は悪い予感が浮かんで、先程同様に否定してくれることを祈りながら尋ねる。
「……さっきから、らしい、らしいとそればかりだけど。誰から聞いたんだい。」
やはりそれが核心だったらしく、一層険しくなった表情で口を開いた。
「そう、それが四つ目。……舞亜ちゃんが、助けを求めに来た。ボロボロで、今の話を説明して――消えたの。」
「そんな事になってて、ボクなんかにどうしろって言うんだ。」
頭を抱えるしかない。絶体絶命、とはこういう事を言うのか。
基本無敵の内藤舞亜がやられた事は相応の危機感を演出していたが、そうではない。彼女は無敵だが
しかし、鳥海有栖――引いては
親友にして妹分、自分に歪んでしまった少女、蓮乃咲と。
自分が歪めてしまった最愛の兄、内藤透に他ならず。
この瞬間にどちらか、あるいは両者が苦境に立たされているという、動かぬ証左だ。
そして有栖の『夢渡』を模倣する以上、少なくとも
しかし、自分で言うのもなんだが荒事において役に立たない筆頭みたいなボクと、以前は本当に『無敵』だった頃の内藤舞亜と対等に渡り合えたものの
――なるほど、話が見えた。
「ま、普段なら最強の有栖ちゃん一人で十分なんだけどねー。今回はちょっと本腰入れなきゃダメかなーって、さ。」
「よく言うよ、そんなボロボロの身体で。」
そう、本来
こんな切迫した状態でボクを挑発してまで取っ組み合いの喧嘩を演じてみせたのは、その事を理解させるためであり、
「舐めるな。ボクが透の助けになる事に、二の足なんて踏むものか。第一、お前が弱ってる事は最初からお見通しだよ。」
自分と同じ、弱った人間の発声だったから。
簡単に隠せると思うな、体調不良に関しては一家言あるんだ。と、見得を切ってみたら、呆れ顔と溜息で返された。
そしてポケットから何かを取り出し、こちらへ放り投げる。――鍵だ。
やっぱりそういう事だよな。と、納得し、ソファから立ち上がる。ドアへ向かい歩き出した所で呼び止められた。
「あたしが聞くのもなんだけど――いいの?」
今更な質門だった。
透の努力を無に帰すこと。善意を踏みにじること。願いを拒否すること。欲を否定すること。
好意を忘却すること。――自分を、喪失すること。
全部理解した上で、覚悟を決めず、気負いなく。当然のように踏み出せる
「いいに決まってるだろう。ボクは、お前の事が嫌いだけど」
な?と有栖に目配せすると、いつもの彼女らしい勝ち気な表情を浮かべ、宣言する。
別れの挨拶を。あるいは最後の言葉を。
「そうだね……あたしも、あんたの事は嫌いだけど」
「「透の事は好きなんだ。」」
その相互理解がある限り、呉越の同舟は破綻しない。
上辺だけでも仲良くできる。
軽い気持ちでドアを開き、暗澹たる虚空に身を投げた。
3
浮遊感。エアセクションのように一瞬途切れる意識。覚醒より早く規定される自分『座っている』。これに従えば無様な着地は晒さず済むので座面を認識。あとは何食わぬ顔でいれば、夢に小慣れた風の格好いい登場ができる。――完璧。
意識を持ってまず感じたのは、薄めた水彩絵の具のような、鼻をつく消毒液の匂いだった。次いで目に入る情報を脳が映像として処理し始めると、性格の悪そうな少女がリクライニングベッドの背中を起こし、携帯ゲームで遊んでいるのを理解した。
性根の捻くれていそうな少女はおそらくこちらに気づいていながらも顔を上げる気配はなく、やり古したレトロゲーム全ステージが終わるまでは相手をする気がないらしい。
ベッド脇に貼られたネームプレートの色から時期を推察するに、頭からやっても15分は切っていた頃だと思うけど、ここは気質が暗そうな少女に対してこれからすることを考えたら、一発かましておくのが正解だろう。
と、いうことで。
「えい。」
ベッドの脇に置かれた丸椅子から名作携帯ゲーム機(軽くなったカラーの方だが、ACアダプタが繋がっているので結構重かった)を奪い取り、飛んでくる宇宙人の上半身にやられるのを見てから電源を落とした。
しかし関わり合ったら損な人となりをしていそうな少女は気を害した様子もなく、小さく息をついてこちらを見た。
まあ、楽しんでやっていたわけじゃないからね。
空想以外の娯楽が惰性になり、空想は現実の揺り返しが辛くなった頃だ。
何も考えずできる事が過去やりこんだレトロゲームで、繰り返しプレイしていたら更に頭が空にできるから、とやっていた頃だ。
こちらを見る嫌な目をした少女――、いや、こちらも目を逸らすのはやめるか。
鳥海有子が、こちらをじっと見ていた。
鳥海有子を見ていた。
……延々と気まずいお見合いをしていても仕方がないので話しかけようとしたら、意外にも向こうから声をかけて来る。
「えっと、わかるよ。キミはボクを切り捨てた鳥海有子で、ボクは内藤くんに殺された鳥海有子だ。」
俯きがちでボソボソとした喋り方だが、聞き取れる。何を言おうとしているのか、なんとなくわかってしまう感じが新鮮で、気味が悪い。有栖には無かった感覚だ。
ルートウィッジ先輩が三年前の自分と話したことがあるらしいけど、こんな気持ちだったのだろうか。
「理解が早くて助かるね。いかにも、ボクが偽物の鳥海有子だ。今日はその、切り捨てたキミが必要になったからここに来た。不要になった異能がもう一度必要になったから、拾おうとしている。」
少し面食らったように表情が動いた、ような気がした。表情筋の衰えが底知れない。
「……いや驚いた。驚きすぎて死ぬ所だった。」
デジャブだ。愛するべきものではない。
「何に驚いたって、皮肉を物ともしない面の皮の厚さと、その上で頼みを聞き入れてもらえると思っている傍若無人っぷりだよ。ボクは世間知らずで通っているが、恥くらいは知っていたはずだ。」
「そうだろうね。お願いが聞き入れられるとは思ってないよ。……わかった上でのお願いだ。ちょっと、雑談しよう。」
お断りだ、と言おうとしたのか。まあそれくらいならと言おうとしたのかは定かじゃない(嘘である。ほぼ前者で間違いない)が、もう一度強引に行かせて貰おう。
返事を聞かずに自身の唇に軽く触れ、意識を集中。目を閉じ、匂いをイメージ、雑音を想起、輪郭を描き、感触を覚え、存在を信じる――と。
私は翠京駅前にあるファミレスの、ドリンクバーコーナー前に立っていた。
無秩序に蔓延る植物どころか書割の人間もいない、違和感だらけで実に簡素な舞台演出。今やこんなものかと思うけど、頑張った方だろう。
空間の想像。則ち、世界の創造。『箱庭』。それだけが、
4
従来の作法に則って紅茶を用意しようかと思ったが面倒になり、蛇口を捻って水を二杯コップへ注いだ。
それを持ち、えっと――居た。パジャマ姿で机に突っ伏した彼女の元へ向かう。今気がついたが、自分の服装は夢の中特有の青いそれではなく、翠京学園の制服だった。夢への適性がここまで落ちている、ということだろうか。
席に着いても反応はない。しかし気を失ってはいないようなので、一方的に話し始める。
「ここが昔から一度来てみたかった、ファミレスだ。言うまでもないけど、『このファミレスに』ではなく『ファミレスという店舗に』って事だよ。他人のイメージで作った所に、有栖が行った時の記憶を再構成しただけで、ボクもまだ現実じゃあ行ったことはないんだ。多分、本物のドリンクバーコーナーに蛇口は無い気がする。どう見てもミスマッチだったからね。」
まだ反応は無いので、続ける。
「そこの真偽を確かめる方法はないからここはひとまず置いておき、だ。キミと話したかったというのは、たったひとつ聞いてみたかったからなんだよ。キミはさっき、『殺された』と言ったじゃないか。消された、でもなく。否定された、でもなく。透に『殺された』と。――――恨んでいるのか?」
十年前の出会いから今に至るまで、
どうしてもこれだけは確認しなきゃ不味い以上、根比べのつもりで待っていたら、彼女の纏う空気が変わったのを感じた。反応ありだ。
それから少し間を置き、ゆっくりと顔を上げた彼女が、ぽつりぽつりと口を開く。
「正直な所を言うと、別に、かな。感謝なんてしないけど、恨み言をぶつける気もないよ。っていうか『箱庭』であれだけ好き勝手したんだから、手放すときには本当に殺されるものだと思っていたからね。――そういう意味では、責任の取り方が半端だ。と怒っても良いのかもしれないね。」
救うのではなく苦しめるだなんて、彼も大概底意地が悪い。だとか言いながら昏く口角を上げる彼女を見て、本当に相容れない。そう思った。
何を口にするべきか迷っていると一転、怒気を滲ませ言葉を続けた。
「と、言うか、だ。ボクが恨んでいるのは内藤くんじゃない。キミだよ、鳥海有子。ボクの預かり知らぬ所で幸せにやっているのはどうでもいい。快方に向かうべく重ねた努力、耐えた苦痛には敬意すらを払おう。でも、だ。ボクがまだ
段々とヒートアップし、最後には激した。そんな事ができる状態じゃ無いだろうに。
気持ちはわからないでもないが、ぶつけられた感情に共感できなかった事が本当に、何より、自分と彼女が『別モノ』だと証明している。
ボクはもう、そこまで鮮烈に、狂信的に、生死への執着を捨てられない。
生きていてもしょうがないと信じ、死への軟着陸を志としていた頃の、どこか泰然とした一貫性。悟りが、残滓すら残されていないらしい。
死ぬのが、本当に嫌だ。
「どう、と言ってもね。ついさっきまで知りすらしなかったんだよ。それについては本当に謝る。悪かった。」
頭を下げると、一瞬まごついてから息を吐き、背もたれに身体を預けた。元来どうでもいい、を極めた性格である。怒りが持続しないのだ。
「謝られてもね。……で、異能を拾うとかなんとか言っていたな。ボクとしては自覚して使っていた訳ではないから良くわからないんだけど、エネルギー?みたいなものだろう。それが無くなれば、
さあ、やってくれ。と仰々しく芝居がかり両手を広げるが、それは間違いだ。
「――――それも、ごめん。できない。っていうか」
真逆の事をする。そう伝えられた彼女は、何を宣告されたのかわからないように、理解を拒むように固まっていた。
「
「っっ……ふざけるな!」
「いや、大真面目だよ。冗談でこんな事が言えるか。」
ああ、本当に怖い。
「ボクだって消えるのは嫌なんだ。生きるのが嫌なキミと痛み分け、って事で勘弁してくれると嬉しいんだけど。」
――ボクの人生を、本来の鳥海有子に返す。それだけが内藤透を救うためにできる唯一であり、最善であり。
有子と有栖の、選択だ。
「断る。無理だ出来ない絶対に拒否する。もうボクが消える消えないは自分で何とかするから、異能だなんだ、ファンタジーはそっちで勝手になんとかしてくれ。その願いを聞き届ける気だけは一切無い。」
顔を青くし、赤くし、恐怖と怒りを選べずにコロコロ変わる態度は可愛らしく見えたけれど、同時に申し訳なくも思う。
勘違いさせちゃったかな、と。
狙い取りに。
「お願いしたのは、雑談に乗って欲しいって事だけだよ。なんとか融和の道も探りたかったし、再び透に害を成そうって気があるなら、有栖辺りに後を頼まなきゃならなかったからね。最初から
怯えた目で口を開閉し、二の句の継げない彼女を見て、勝利を確信した。
実は権利の上ではおそらく五分、下手すれば彼女側の方に天秤が傾いている可能性すらあったのだけど。夢の中で勝敗を決めるのは戦力の多寡ではない。負けたと思ったら負けなのだ。
焦りを気取られぬよう、しかしハッタリがばれる前に急いで。放心状態の彼女の手を取り、唇に指を――添えようとして、ふと気がついた。
ひとつは悪逆非道に対するアフターケアであり、ほんの少し感じた違和感から手繰り寄せる、まだ残された希望の可能性。
もうひとつは単なる悪戯心。鳥海有子を連れ出すのに、これは違うよな、と。
『偶然』隣の席に忘れられていたシルクハットを頭に載せ、高らかに響くフィンガースナップをひとつ。
――世界が反転して――
5
主権の返還。現実への送還。言葉にしてしまえば簡単で、彼等が幾度となく達成するのを目の当たりにはしたのだけど。実際にどうやるのか、正直まったくわかっていない。当然だ。ボクがしたのは貶め、眺めている事だけであり、誰ひとりとして掬い上げたことなど無いのだから。医療ドラマを視聴するだけで医療行為が身につくのならば、世の中は名医で溢れることだろう。
やったことがないから出来ない。出来ないからやれない。当たり前に一生ついてまわる循環だ。
しかしまあ、やらなきゃならないことだし、ぶっつけ本番で臨むしか無い。幸いにも『やれると思えれば』それだけで、方法は問わずに物事を為せる世界である。人は夢想においてのみ、不可能循環から抜け出せるのだろう。
目にした類例から説得力のあるシーンを思い出し、考え至った結論はこうだった。
『ボクから彼女に主権を返還するべく、ボクは死んで自我を消そう。』
そして
『落下する夢って目覚めるよね。』
を加え、手っ取り早く両方こなせそうな移動先を考えると高所。翠京上空の適当な所……ってつもりだったんだけど、思いつきでちょっとだけ予定変更。
今度は足元も、姿勢も気にする必要がない。だって落ちるだけなんだから。さあ、エアセクションから抜けて――――
「ああああああああああああああああ!!!!!!!」
「あははははははははははははははは!!!!!!!」
落ちる。落ちる。落ちる。
遥か遠い色がわずかに近づくだけの風景と強風だけが高速の移動を教え、根源的恐怖に襲われこの状況の原因であるボクに抱きつく自分みたいな自分が温かく、小賢しく落下までの猶予だとかを弾こうとする脳の中身を止め、ああ――――――気持ちいい。
「馬鹿か!馬鹿!馬鹿もぅあああああああ!!!」
過去無いほど幼稚な罵倒を繰り返し、ボクの胴体にしがみつきながら頭突きを入れてくる。気圧とか気温とかはよく知らないけど(知らないから再現されてないのか?まあ、宇宙どころか山の上すら行ったこと無いし)、声が届くのは御都合主義だろう。便利だから良し。
「やめろ!おろせ!止めろ!何なんだよお前、もう!」
「やめないし!止めない!ボクは自分勝手で、他人の迷惑を顧みず欲望に忠実な、キミさ!」
ホログラムのように浮かんでいるオーロラを貫通し、すぐ近くで燃え尽きる流星を視界の端に捉え、尚も落下を続ける。概ねメチャクチャだが、それでも人間である限り落下は否定できない嫌悪感を伴う。かく言うボクも、自分よりビビってる人間が居なかったらそろそろ泣いてたと思う。
さて、追い打ちをかけよう。
「何をする気かって意味ならさ!『このまま落ちて!ぐちゃぐちゃに混ざる!』夢の中じゃ死なないから!溶けて、混ざって!復活したときにはキミがいるんじゃないかなあ!」
彼女が騒ぐのを止め、息を呑むのがわかった。
「今!潰れたトマトみたいな自分を想像したろう!?実際そうなるかはわからなかったけど、『もうこれで、そうなる』!二人だけでおんなじ恐怖を抱いたらさ、それがここの法則じゃないか!」
これだけのことを言われておきながら、回された腕は離されない。むしろ強くなったような気さえする。縋るように、纏わりつく。
「第一、死にたかったんだろ!一旦心中に付き合ってやるだけ、ありがたいだろ!」
彼女の腕を掴んでいない方の手で髪を掴み、顔を身体から引き剥がし、目を見て言ってやる。
「自分に優しくしない奴が!自分に優しくしてもらえると思うな!」
そう言い放った時、多分、生まれて初めて。
彼女はキレた。
悲しんだことはあっても。不条理に直面し落ち込んでも。拗ねても。己を害す者へ怒る事は無かった。害されたことすら無かった、が正しいか。
あれだけ力の入っていた腕から力が抜け、彼女の身体がふわりと離れたのも一瞬。左腕でボクの制服の胸倉を掴み、
思いっきり殴られた。
女子の顔を、ぐーで。
殴った右手で左襟を手繰り寄せ、泣きながら叫ぶ。
「誰が死にたいなんて言ったんだ!!」
お前だよ、と咄嗟に言いたくなったがここは堪える。
「楽して生きたいんだ!生きるだけで辛いんだ、頑張ったら死ぬ!頑張って生きても、そしたら死ぬのが怖くて辛い!
ああ、もう雲があんなにも近い。
それよりも、彼女が近い。
「大体ボクはボクにこんなに優しくしてるのに!めちゃくちゃ言うのはお前じゃないか!なんだよ羨ましい!不安も何もないような面してさあ!あいつらが
彼女の言う事は支離滅裂で、子供の我儘で、だからこそ偽らざる本音で。そして何より――
「うん、すごいわかる。透が励ましてくるの、九割方は鬱陶しかった。」
共感できた。
誰に言っても鼻で笑われる幼稚な本音。
こんなの、自分しかわからない。
自分にしか、響かない。
如何に遠くかけ離れていようと。
だとしたら考えられるのは最早他人レベルで違ってしまったか、よそ行きの仮面を被っているのかのどちらかだろう。
「ただ、感謝はしてる。本当に、本当に大好きだ。死にたくないけど。本当に死にたくないけど、透が死ぬくらいなら代わりに死ぬ。それくらい、今は死ぬのが怖くて幸せだし、納得の行く死に方があって幸せだ。」
雲を抜け、視界が開ける。むかし見た、翠京の俯瞰図と同じだ。
「それで、まあ、ボクが苦労して小康状態は手に入れといたからさ。行ってきなよ。咲ちゃんの所の温泉ならすぐ行けるだろうし、部活には一応入ってる。海は今度行くって約束した。パーティは……追い追い、かなぁ。」
地面が見えた。雲から地面までって、こんなに短いんだな。
「代わりと言ったらなんだけど、透の事は、頼んだ。流石に三度目は相当キツいだろうし、実は現在進行形で相当切羽詰まってるんだよね。……こんな所かな。」
さて、これだけ『同じ』だとわかれば、あとは一緒に誰かから『観測』された時、一つになるだろう。
もう本当に落ちる必要はない。っていうか車道と歩道が識別できる高さまで落ちてきて、真剣に怖くなってきた。
いつのまにか彼女は再び抱きついて来ているから、はぐれることはないだろう。
イメージは有栖の待つあの部屋。頭を触って確認すると、乗せただけのハットは無くなっていなかった。本当に適当極まりないが、それが今はありがたい。
やはりここでするべきは、こっちだろう。目を閉じ、合図を一つ。
フィンガースナップをパチンと――
鳴らせなかった。
「あれ?」
指がかじかんだ気がして、とか。
恐怖で手が震えて、とか。
色々理由が浮かんでは消え、でも指が鳴らないのは事実であり。
「あっ、マズっ……」
「はぁ!?」
思わず漏らした一言に、抱きついてきた彼女が吠える。今回の件で大分口調が崩れてるなあ。だなんて、やってる場合じゃない!
頭に上っていた血が引くのを感じる!
視界の水平に翠京ビルの屋上!
焦ってもう一回、もう一回!と繰り返すが、焦れば焦るほど指なんて鳴らない!
超高速で通り過ぎる窓!みるみる近づく高度0m!彼女への謝罪も、彼女の罵詈雑言も間に合わぬまま、二重の悲鳴を上げて翠京ビルのポーチに身体が叩きつけられる直前!
タイルの床にあるはずがない、アンティークなドアが見えたような気がしたが、確認する暇もなく意識が途切――
6
――……口の中、変な味がする。
今まで感じた中で一番近いのは布かなぁ、と思ったが、不快にザラついた事と、自分が倒れていることで土だと気がついた。ばっちい。
ねじくれた体勢からなんとか横を向いて唾ごと吐き出し、仰向けになる。夜空と、鬱蒼とした樹木が見えた。知っている。ここは――
「そ、”あの”森。透がこれを使うまで追い込まれたのか、使って追い込まれたのかはわかんないけど。間違いないと思う。」
あたしも一遍ここで死にかけてるからねー。だとか、そんな軽口が頭の上から届く。
青いエプロンドレスの彼女は不満そうに、そして少し不安げに。十全に善性を発揮している、可愛らしく憎めない、いつもの理想だった。
「随分元気そうじゃないか。見違えたね。」
「そういうあんたはいつにも増して満身創痍だけど。っていうか、何があったらあんな速度で、雲の上から降ってこられるのよ。あたしに力が戻って様子を見に行ったらこれだもの。いきなりだったから速度を殺し切れなかったんだけど――――生きてる?」
「……一説によると、投身自殺は着地前に脳が『絶対死ぬ!』と判断した時、苦痛を遮断するために死ぬらしいよ。絶対死ぬ高さから落ちて、偶然死ななかったけど死んでいた。だなんて、矛盾もいいところだし、普通、証明なんてできないんだけど。そう言う意味では稀有な一例となったのがこのボクだ。どうだい?幽霊も仮想人格も平行世界も”アリ”なんだ、実は死んでいたりしてね。」
「……その減らず口が健在なら大丈夫だね。」
ため息混じりで、呆れたように言われた。時折多弁が過ぎることに多少の自覚はあったけど、やっぱりそうだったのか。気をつけなきゃなあ。
そうじゃなくて、と有栖は続ける。
「夢の中じゃそうそう死なないだろうけど……ええい、まどろっこしい、あんた!今
世界を捨てて、自分を愛した鳥海有子か。
世界を愛して、自分も愛した鳥海有子か。
いまどちらの人格を持ち、どちらの記憶が消失したのか。そういうことが聞きたいのだろう。
まあ、最初から以心伝心ではあったけれど、その上で誤魔化した。
「さあ?
夢から覚めた直後、昨日の記憶か、遠い過去の記憶か、夢の記憶か混乱するように。もしくはラブロマンス映画を見た直後、言葉が芝居がかってしまうように。でも良いかもしれないが。とにかく、本当にわからなかった。
今日はいつも通り学校に行っていた気がするし、いつも通り病室にいた気もするが、腕を上げて確認すると、服がいつの間にか夢の中特有の青いそれになっていて判別がつかない。
体調が悪いのは多かれ少なかれいつもだし、楽なのも夢の中なら幾分あることだ。
――有栖が元気になっている以前に、自覚がある。異能――『箱庭』が、使える。今頃、廃墟のようだったあの小部屋は絢爛豪華な装飾を取り戻しているだろうし、雑草一本に至るまで違和を感じさせない翠京を作り上げられるだろう。その前提がある以上、考えるまでもなく初期の人格で相違ないはずなんだけど。どういう事だ。
世界が、輝いて見えるから、わからない。
星空は美しく、木々のさざめきは冒険心を踊らせ、土の上に寝転ぶという未体験すらが楽しい。
明日を希望し、将来を期待し、世界の仔細まで愛好するだなんて、彼に作り上げられたボク以外ありえない。
死んでいるのに死んでいない、矛盾。それに理解が及んでいるのかどうかは定かではないが、少なくとも異能の件に関しては気づいているだろう。その確認だったはずが……あるいは、初期のキャラクターではないボクに微々たる愛着があり、万が一を期待していたりして、かもしれないが。とにかく、煙に巻かれたようなものだ。それは怪訝な表情も浮かべようと言うものだ。良くない。実に良くない。
だから、安心させてやろう。
「まあ、心配しないでくれよ。目覚めたらはっきりする事だろうし、――それに、断言できる。”透”の事は、好きなんだ。」
彼女は大口を開けて、理解できないとばかりに呆然としていた。
そうそう、有栖にはこういう間の抜けた表情が似合う。小馬鹿にしたり、小難しかったり。本来、あらゆる悪辣はボクの職掌だ。
これが、彼女をこの場だけでも納得させるべく出したリップサービスなのか、本心から出た言葉なのかどうかすら、今のボクにはわからない。
でも、甘っちょろくなった今のボクは、真実だったらいいな、とか思ったりして。
それが気恥ずかしく、誤魔化すために跳ね起き――ようとしたが、失敗して後頭部を打った。その場で締められた魚のように跳ねただけだった。どちらに転んでも(痛みで転げ回っているのとかけた、高度な洒落だ)、身体能力の高い鳥海有子になんてなりようも無いのだから、当然なのだけど。
ああもう、なにやってるの――そう言いつつ慌てて駆け寄ってきた有栖に手を差し伸べられ、なんとか立ち上がる。
ふらふらだった、色々ありすぎて体力が足りない。身体にガタが来ている。ふと見ると、結構離れた位置に開け放たれたアンティーク調の扉があった。あそこから転がってきたのだろうか。切り傷や捻挫の類は無いようだけど、節々が痛い。急激な動作の数々が祟ったのか、胸焼けが酷い。
立ち上がるのは億劫で、歩くのは難しい。走ることは出来ないだろうし、転べばそのまま死にかねない。
つまり、常日頃と大差なく、元気と言って差し支えない。
「ありがとう、有栖――じゃあ、行こうか。透が待ってる。」
故に、窮している人間を助けるくらいしたって、バチは当たらない。
他人でも、友人でも、恋人でも、だ。
「うん、行こう。――ありがとう、有子。」
ボクらは連れ立って向かう。
恩を返すため、否。彼女たちへの責任から、否。
やるべきことを、やるためだ。
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エピローグ
「――そっちはそんな感じだったの。トールからあらすじは聞いてたけど、ユーコたちも無茶してたのね。……一応、年上として言っておくわ。二度としないこと。危ないことは、じゃなくて。自分を犠牲にするような真似は、よ。救うなら自分ごと救える策を考えなさい。算段を立てた上で、危険をコントロールしなさい。……ユーコは他人に頼る事を知っているから、トールと差し引きちょうど良い気がしていたのだけど、追い詰められると駄目なのねー。……我が身を棚上げにしすぎてて、恥ずかしくなってきた。私には謝らなくていいわ。でも、心には刻んでおくこと。いい?……良し。
でも、バレた年上が私でよかったわよ。トールは蓮野の社長さんと高原さんにとんでもない怒られ方をしていた、って咲ちゃんから聞いたもの。……怖いわよねー……流石に、死んだ妹さんの幽霊と今でも仲良くしてて、エクストラクトを用いず夢を渡れるトンデモ超能力者だ!なんて所までは伝わってないだろうけど、どんな言い訳をしたのかしら。
そう、エクストラクトについて。これが本題だったのだけど、ユーコはあの男……ドミニクと話したのよね。じゃあ彼等の狙い、素性も……そう。なら報告だけ。あなた達が今後狙われることは、無いと思っていいでしょう。複合分野であるエクストラクト技術の薬学部門が噛める範囲で、更に学生の私がコネを使っておべっか振りまいて雑用受け持って知れる範囲で、だけど、安心してもいいはずよ。……あ、押し付けがましく聞こえた?そう感じたなら事実よ。なんか送りなさい。高い醤油とか、出汁の素とか。
おっと、脱線しちゃった。……その理由は三つ。まずは『階層』を軸にする現行技術と、『回廊』を基礎にするあなた達、あえて言うなら私達の夢理論はまるで違うこと。解明すら出来ず、どう弄り回しても発展の礎にすら出来ない。アリスの『夢渡』やマイアの『模倣・夢渡』を逆用しての、夢側からのアクセスじゃあ埒が明かない事が判明した。
次に、今回の一件が案外大きくなっちゃって、当局に目をつけられたこと。手を組んだギャングまがいの組織をトカゲの尻尾にする事で直接の摘発は免れたけど、研究チームの上の方は大わらわだったらしいの。だからこそ私みたいなのが潜り込めた、とも言えるのかもね。まあ、だから少なくとも、当面は非合法な手の出され方はしないんじゃないかしら、という見解。
最後に、これはオマケなんだけど……今回の実働チーム、半分くらいが過眠症を発症、もう半分は不眠症っていう、悲惨な壊滅状態で、『割に合わない』って。……前者はユーコでしょうけど、後者は――ああ、そう。アリスの夢断ち鋏にそんな使い方が――。相当悪名高いみたいよ。ホラ、こっち信心深い人が多いから、魔女だなんだって。ポスト魔女はユーコが襲名ね。あははー……はあ。
そんな所かな。それじゃ、そろそろ切るけど。……ねえ、いま、貴女――――いえ、いいわ。ゴメンね。夏にはそっち帰るから、また遊びに行きましょ。
……ちょっと重いかもしれないけど、こっちは言っておこうかしら。私の好きだった人を助けてくれて、ありがとう。」
先輩は逃げるように通話を切った。それは純粋に照れ故だろう。
――他意はない。そう考えるのは信頼だろうか、逃避だろうか。
ヘッドセットのコードを束ねながら考えたが、答えが出ないので止めた。今日はデートである。どの道もう時間だったのだ。そろそろ家を出よう。
玄関で前日用意した靴を履いていると、帽子掛けに、いつの間にか失くしたはずの白いキャスケットがかかっていた。
懐かしく思い、それを被る。彼は覚えているだろうか。そんな楽しみが増えたことを嬉しく感じ、胸を弾ませ、いつになく軽い足取りで歩き出した。
あとがき
本編ラスト及びFDの彼女を『鳥海有子さん』として、改心前の彼女を『初期海有子さん』、過去スタイルを『ロリ海有子さん』と読んでいたのですが、人格統合後大人モードの呼称を決めかねていました。
そこで唐突に降って湧いた発想こそ『トリニティ有子さん』なのですが、冷静に考えたら一人足りなかったので、足す話を書きました。
嘘です。ごめんなさい。
初期海さんブランケットの発売にいても立ってもいられず書きました。皆さん買いましょう。
彼女が好き過ぎて服装を寄せたり、体重を40キロ落としたりしましたが、妄想に取り込めるくらい折り合いがつけられたようで良かったです。
拙作にお付き合い下さりありがとうございました。
またの機会がありましたら、よろしくお願いします。
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