どうだ、私は頭がおかしいだろう!? (まさきたま(サンキューカッス))
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第一章
プロローグ「頭おかしいんじゃねぇの」


 個性。

 

 それは、進化の過程で個体の均一性を放棄した結果。

 

 それは、自己を見て貰いたいと言う欲求の表出。

 

 それは、自身の望まぬ隠れた本性。

 

 

 

 

 人は、同調圧力により他人と近しい価値観を共有する。特異な行動を避け、常識的に振る舞おうとする。狂った人と思われることを、恥だと固く信じている。

 

 だけど、私は目立ちたかった。つまらないじゃないか、そんなのは。常識的な枠に囚われたくない。私は人に注目されたい、みんなにチヤホヤされたい。

 

 だから私は、個性的になりたい。

 

 

 

「クハハハハ! クラスのみんな、初めましてーでございます! 私は気紛れでこの世に舞い降りた、悪魔とキリストの間に生まれた隠し子、マリーキュース・デストロイヤーと申し上げまーす! ヨロシクね!」

 

 ────コレが、私の入学式の日の自己紹介。

 

 この革新的自己紹介により、私が1年A組のヤベー奴として学年中に広がるのに3日とかからなかった。

 

 この結果には、大変満足である。

 

 

「マリキュー、カラオケ行かね?」

「ウェイト・ア・ミニッツ。今私に下ってる仏罰を禊ぎ終わったら行くわ!」

「あー、宿題の事? オッケオッケ」

 

 そして、一週間後。

 

 1年A組において、非常に暖かく私のキャラは級友達に受け入れられていた。

 

 ……何故か受け入れられちゃっている。

 

 

 おかしいぞ? もっとこう、腫れ物を触るようなリアクションを期待してたんだが。

 

 普通はもっと距離を置いたり、虐めたりするよね? そんな逆境から色々と変事件を起こし、校内の隠れた奇人仲間を募り、少数精鋭でこの学校を伏魔殿にするプランだったのに。

 

 初日に私が名乗ったマリーキュース・デストロイヤーとかいう痛々しい名前は、何の抵抗もなくクラスメイトに土着した。

 

 果ては、担任教師までマリーキュース・デストロイヤー呼びしてくる始末だ。まだ、入学してから一度も本名で呼ばれていない。

 

 私の本名を知っている人って、校内に私だけじゃねーの。

 

 このままではイカンと目立つために、机の上でコマのように昼休みの間延々と回り続けたこともあった。スカートもはためいていたしソコソコに注目はされたんだが、みんな何故か生暖かい目だった。男子諸君、もっと性的な目で見て良いんだよ? その幼い子供を見る目をやめなさい。

 

 なんでみんなこんなに優しいんだろう。この学校の懐の深さが底知れない。少し不安になってくる。

 

 大丈夫だよね、ちゃんと私は個性的だよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何言ってんだマリキュー? お前はなんだかんだマトモじゃん」

「ファッ!!?」

 

 カラオケで級友達と戯れながら、私は衝撃の一言を耳にしてしまった。

 

「お前、目玉腐り落ちてないか……? 私が、マトモだと?」

「いや、間違いなく変人奇人には属してるけど……。何て言うか、人が嫌がる事しないしなお前」

「頼めば気前よく掃除替わってくれたし」

「貧血で倒れたウチに真っ先に駆け寄って来たの、マリキューじゃん。あの時は運んでくれてホンマ感謝」

 

 ウゴゴ。しまった、私の数少ない短所である”無意識のお人よし癖”のせいでマトモ認定を食らってしまってたのか。

 

「いやだって、その、聖人キリストの隠された一人娘として他人を見捨てるのは設定に反するし……」

「設定って認めんなし」

「あっはは、根っこが善良な奴は少し行動が変でもあんま気にならないよな。マリキューみたいにさ」

「この学校には、もっとヤバイ奴いるしな」

「あー奇特部ね」

 

 奇特部?

 

 聞いたことの無いクラブだ。部活紹介になかったぞ、なんだその謎すぎる部活動。

 

「なんぞソレ?」

「ん、マリキュー知らねーの?」

「あー、マリキューとは違う本物のヤバい奴の集まり。マリキューも近づくなよ、何されるか分からんぞ」

 

 何おう!? 私が偽物のやべー奴とでも言いたいのかこの野郎!

 

「あそこの部長、ヤクザに喧嘩売って命狙われてるらしいな」

「他にも、部員が教師相手に売春して、部室の無断使用を見逃して貰ってるらしいと聞いた」

 

 なんだソイツら、頭おかしいんじゃねぇの。

 

「その噂マジなん? 確か今年も、1年だとB組の娘も奇特部入りしたんだよね、あーいう地味な娘に限ってウリするんやね」

「奇特部入りって確か川瀬さんだっけ? 結構可愛いよなあの娘、俺の好みじゃねーけど」

「……そんな娘居たっけ? 地味過ぎて覚えてねぇわ俺」

 

 とはいえ、良いことを聞いた。元々少数精鋭でこの学校をキ○ガイの伏魔殿にする予定だったのだ。

 

 既にそんな集団が結成されているなら話が早い。明日、川瀬さんとやらについて行って奇特部の連中とやらに会ってみるか。私がそいつらを率いて事件を起こせば、予定より早くこの学園を伏魔殿にできるだろう。

 

 うふふ、この学校は私が貰った!!

 

「って、マリキュー歌めっちゃ下手いな」

「可愛い音痴と可愛くない音痴が有るけど、これは後者かな」

「よ、女ジャイアン」

「てめーら磔にするぞ」

 

 思いかけず良い情報を聞けてテンションが上がった私の歌は、クラスメイトからたいへん不評でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の放課後。

 

 私はクラスメイトの静止を振り切り、奇特部入りした川瀬さんとやらを訪ね1年B組に突撃した。

 

 少し聞き込んだだけで、お目当ての彼女はあっさりと見つかった。B組の人が指さしたのは、一番後ろの席で1人、ポツンと本を読む眼鏡をかけたショートカットの少女。

 

 うわぁ、キャラ薄っ! いかにもありきたりな文学少女って感じだ、こんなのが悪名高い奇特部の部員なのか。

 

 とは言え、変人集団は私の野望には必要不可欠。実際に話してみて、本当に変人かどうか確かめるのも良いだろう。

 

 中身がおかしい可能性もあるしな。軽く挨拶してみよう。

 

「ハロー、ミス川瀬? あー、ワタシニホンゴワカリマセーン!!」

「こんにちは。私に何かご用ですか」

「……ホーリーシット」

 

 アメリカンに肩を抱いて話しかけたのに、冷静に返答された。悔しい。

 

「ユーのクラブ、奇特部に興味が有りマース! ミーをアブダクションしてクダサーイ」

「何言っているのか分からないけれど。奇特部に入りたいの?」

「オーイエース」

 

 思いっきり変な話しかけ方なのに、彼女の反応が至ってまともだ。……これはあまり期待できないかな、奇特部。ひょっとしてコミュニケーション能力が低い人の集まりなのかも。

 

「分かった。ついてきて」

「ダンケシェーン!」

 

 内心少し落胆しつつ、私は無表情な文学少女について行く。

 

 ────まぁ、他の奇特部の連中を見てから、私の下僕にするかどうか決めてやるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ついた。此処が部室、入りたければどうぞ」

「おっしゃ、オラワクワクして来たゾ!」

 

 案内されたのは、1階の職員室の隣の倉庫と書かれた部屋。非正規のクラブらしい、寂れた静かな部室だ。

 

「あー、テステス。奇特部の皆さまこんにちはー! キリストの生まれ変わり、学校内一の美少女マリーキュース・デストロイヤーちゃんの降臨だよ!」

 

 その寂れぷりに負けない様、元気いっぱいに私は部室に足を踏み入れた。私は、明るく可愛い元気なキチガ○がモットーなのだ。

 

 さて、反応は……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「補習を取り消せー……!」

「出席回数を誤魔化せー……!」

「内申点上げろー……!」

「フゴッ!! フゴゴオ!!?」

 

 部室に入ってまず目に入ったのは、縄で縛り上げられた全裸の中年数学教師、佐藤先生。

 

 その中年男性を囲む、カメラを構えた金髪の男子生徒と、ムチと蝋燭を握り締めた女生徒。

 

「この写真をばらまかれたくなければ、俺達の言う事を聞くんだな」

「オーホホホ!! 今の貴方を見て、奥様は何とおっしゃるかしら?」

「ヤメッ・・・フゴフゴ、放せっ、フゴフゴ、フゴー!!」

「まだ反骨心が残っているようだな。次は熱湯攻めなんてどうだ?」

「そうねぇ、そろそろ心を折りにいきましょうか」

 

 ……大声で挨拶して入ってきた私に目もくれず、縛られた中年男性を撮影し陵辱している二人を尻目に文学少女ちゃんは部屋の隅でスマホゲーを始めた。私はひとり呆然と、その場に立ち尽くし荷物を取り落とす。

 

 な、な、な……

 

「何やってんですか貴方ら!?」

「うおっ!! 誰だお前!」

「なんですのいきなり大声出して。はしたない」

「お前らの方が100倍はしたないよ!!」

 

 目の前で繰り広がっている、明らかな犯罪現場。

 

 く、油断していた。クラスの皆が絶対に関わるなと言っていたのに。

 

 ああ、認めよう訂正しよう。コイツらはやべー奴だ。間違いなく頭のネジがダース単位で腐り落ちてるやべー奴だ!

 

 想定外の事態に慌てた私は、思わず佐藤教諭の傍に駆け寄る。

 

「だ、だだ大丈夫ですか、佐藤先生」

「こら、アナタ何をしていますの! わたくしの豚ですわよ!」

「おいおい落ち着け、謎の女子生徒。これはあれだ、合意の上のプレイだから気にするな」

「明らかに合意してなさそうだよ!?」

 

 ダメだ、この犯罪者ども話が通じない。

 

 早く佐藤教諭を救出せねば。話は眠いけど、彼は必ず授業の5分前に教室に来て黒板を綺麗にしてから授業する、真面目で実直な良い先生なのだ。

 

「佐藤先生、今猿轡を外します! 大丈夫ですよ、これから助けます!」

「ぷはっ!! おや君はマリー君だったか……」

 

 奴等を威嚇しながら佐藤先生の背中に周り、猿轡を丁寧に外す。これで少なくとも喋られるだろう。

 

 覆われていた口が解放され、息を整える汗で乱れた髪型の佐藤教諭。可哀想に、佐藤先生が何をしたっていうんだ────

 

「……マリー君。プレイの邪魔だ、下がっていなさい」

 

 私をキッと睨み付けた佐藤教諭は、そうほざいた。

 

「ほうら言っただろう、女子生徒。よっしゃ、もっかい猿轡付けるぞ」

「どうせなら今度は、練りワサビいりの猿轡にして差し上げますわ」

「おー! 実に興奮するプランだ。早く、早く私を縛りなさい」

 

 嬉々として、佐藤教諭を取り囲むキ○ガイ2人。佐藤教諭もニッコリである。 

 

「……えぇ?」

 

 いかん。手に負えない。

 

 

 

 

 

 

 

「タクさん。来客を放置するのはどうかと思う」

「……はっ!? よく考えればそうだな」

 

 文学少女ちゃんの一声で金髪が近寄ってきたけれど、私の心は既に敗北を認めてしまっていた。

 

 自信を打ち砕かれ傷心中の私は、何をするでもなくアヒンアヒン鳴いている全裸の佐藤教諭を体育座りで眺めているだけ。

 

 こいつ等、変人奇人とか言うカテゴリーではない。私と価値観が違いすぎる。これが、個性……っ!

 

「……今日は負けを認めますけどね!! 何時か貴方達にギャフンと言わせてあげますから!!」

「お、何か知らんが俺の勝ちなのか? やったぜ、報酬として胸触らせてくれ女生徒」

「お好きにどうぞチクショー!!」

「え、マジで!? 良いの!?」

「駄目に決まってるでしょう、愛しますよタクさん」

「ひっ!? ゴ、ゴメン」

 

 イヤらしい手つきで私の胸部に腕を近付けるタクさんとやらは、B組の文学少女ちゃんに凄まれて逃げ出した。

 

 愛しますよって何だ? 文学少女ちゃん、マトモに見えたけどやっぱりこの娘もどこかヤバいんだろうか?

 

「ブン子ちゃん、シャレにならないからその脅し文句は封印なさって? チビったらどうしてくれますの?」

「煩いです、マイ先輩。お前も恋愛対象にしてやろうか?」

「ヒィ!?」

 

 うわぁ、キチ○イ二人が完全に怯えてる。そうか、この娘も相当にヤベーのか。

 

「あの。貴方と恋愛するとどうなるの、えーと、ブン子ちゃん?」

 

 興味本位で、聞いてみる。

 

「別に……? 普通に幸せになるだけよ。お互いに」

「今のところソイツの恋人候補は、全員廃人になってるか自殺してるけどな」

「その、何というか。メンヘラと言う奴ですわ、彼女は。しかもタチの悪い事に両刀だから、被害者の数は数え切れず……。調査の結果その話が真実だと分かったので、ウチの部活に収容することになりましたの。野放しは危険ですし」

「この部活、そういう立ち位置なの!?」

 

 変人の収容施設か何か? じゃあ、私はなぜ収容されていない……!?

 

「ねえ、1年にもう一人ヤベ―奴が居るって話、聞いたこと無いですか……?」

「あん? あー、もう一人変わった女子が入ったって聞いたけど……。変わりモン程度ならうちの部活に入らせる意味無いしな」

「確か、思春期にはありがちな、軽い中二病を患ったお方らしいですね。そのお方をお探しでしたらごめんなさい、ウチの部には所属しておりませんの」

「ありがちで悪かったな!! 私だよ!」

 

 チクショーこの異常者共め。ちょっとばかり個性的だからって、この私を凡人呼ばわりするとは許しがたい。

 

「お前が……? 話に聞いてたよりまともだな」

「自分でもビックリだよ! この私が未だにまともな事しか言わせて貰えてない事実にビックリだよ!」

「貴方のような普通の方がなんでワザワザこんなクソみたいな場所にいらしたの?」

「違うもん、私だって変人だもん! この部が私に相応しいか見に来てやっただけだもん!」

 

 こんなはずではなかったのに。この私の溢れんばかりのキチ〇イオーラでこの部全員を下僕にする予定だったのに。

 

 今の私は、奇人を前に取り乱すただの没個性な美少女ではないか。情けなくて涙が出る。

 

「うーむ……。よし、つまりお前は入部希望か?」

「……はぁぁ。それで良いです、入部希望で良いです。お前らを見て世界の広さを知りました」

「よかろう!! ならばテストをしてやろう」

 

 そう言って私の前に歩いて来たのは、一見すると何処にでも良そうな短い金髪の青年。ガタイが良くて所々にケンカ傷が有る事くらいしか見た目の特徴はない普通の青年に見える。

 

 だけど、先程嬉々として佐藤教諭を縛り上げていた光景は記憶に新しい。間違いなくキチ〇イだろう。

 

「ここ最近の、お前のぶっ飛んだ経験を教えてくれ。それ聞いて判断してやる」

「ほほう。つまりこの私、神と悪魔の混血マリーキュース様の日常を聞きたいのだな!?」

 

 そしてその青年の出してきた課題は”ヤベー奴自慢”の様だ。

 

 ならば任せてもらおう。このマリーキュース、変人ネタには事欠かない。この私がいかに変な奴かを語れば、こいつ等も少しは恐れおののく筈だ。

 

「私の朝は早い。来るべき闘いに備え、登校前にブリッジをしながらワサワサと公園を1週するのが日課だ」

「……ほう、それで?」

「それは、一昨日の事だったか。私の朝のブリッチ移動の最中に視線を感じてな、見ると中学生くらいのガキ共が私の姿を面白そうにスマホで撮影してやがった」

「そんなのが公園に居たら当然だろうな」

「肖像権の侵害である。私は怒り心頭に、ガキ共に近付いて注意しようとした。その時、」

「その時?」

「凄い衝撃を感じて私はふっ飛ばされたんだ。どうやら怒りのあまり周囲の確認を怠って他人とぶつかったみたいでな。即座に私は、ぶつかったその人に謝ったさ」

「はぁ」

「……そして、その私がぶつかった相手がなんと警察から逃げていたひったくり犯だった。私はめでたく感謝状を貰って、その場で同時に職務質問される羽目になった」

「なんとまぁ……」

「その様子はガキどもによりTw〇tterにアップされて、しかも2万RT達成してた」

「あ、その動画見たこと有る。お前かよアレ」

 

 これが、ここ最近の私のハイライト。因みにブリッジしながら公園を歩くのは、周囲の確認が出来ず危ないからやめなさいと怒られたのでもうやってない。

 

「どう? これが私の実力の、その一端かしらね?」

「うーん。まぁ、悪くはないけど……そうだな、少し弱いな」

「よ、弱い!?」

 

 い、今のでも弱いの? 結構自信あったのに。

 

「あ、さては納得いってないな? ようし、お手本というか、昨日の俺の話をしてやろう。この国最大の指定暴力団の若頭やってる男をだな————」

「あ、タクさんストップ」

「その話は刺激が強すぎますので、やめてくださいな。多分その子、即座に通報いたしますわよ?」

「アンタ何やったんだ」

 

 青年が昨日の話を喋ろうとしただけで、即座に真顔になった他の部員二人が止めに入る。

 

「……じゃあ、一昨日の話にすっか。この国の最大手の新聞社の社長宅でだな————」

「それはもっとダメ!」

「タク! 貴方、後輩の女生徒になんて不埒な話をするつもりですの!?」

「すでに開幕で不埒なモン見せられてるんだが!?」

 

 縛られた全裸の中年男性より、一昨日のコイツの話の方が不埒なのか?

 

「えー、じゃあ何の話すればいいんだよ。コイツが納得しそうな奴で」

「タクさんが話しなくても、ここで見ただけで分かるおかしいのが居るじゃないですか。”これ”で納得して帰って貰えば良いのでは?」

「……ブン子ちゃん? 先輩を”これ”呼ばわりはどうかと思いますわ」

 

 文学少女ちゃんが無言で指さすのは、ふわふわした髪の毛のお嬢様言葉の女生徒だった。

 

 ……ぶっちゃけかなりの美少女である。私もまぁ美少女である自負はあるけれど、このお嬢様は私よりランクが一つ上というべきか。

 

 なんだあの肌ツヤ、睫毛の長さ。アレ自前だろ多分。女神かよ。

 

「おおそうだ、マイがいたか。紹介しよう後輩ちゃん、我が部が誇る女装癖の変態、舞島信彦君(17)だ」

「この見た目で男とかやってられない。しかもノーメイクとか腹立たしくて仕方ない」

「……ひょ?」

 

 ……女装? 男の子?

 

 ……ノーメイク?

 

「男に……美少女レベルで負けた!?」

「あらあら、傷ついていますわねオーッホッホ。ところがぎっちょん、これが現実。私は立派な象さんを生やした、男子高校生なのですわ。オーッホッホ!」

「何だよコレ……何だよこの個性力……! 私がまるでモブキャラじゃないか……」

「悔しがる点はそこなのか」

 

 ちょっと女装が似合う可愛い男の子、どころじゃあない。絶世の美女とも評せる目の前の女生徒が、存在する価値のないモノの代名詞である男子高校生だと……?

 

「お前は今まで、何人の恋人を自殺に追い込み、廃人にしてきた?」

「……恋人出来たこと無いです」

「お前は男装したとして、同性100人が告白の列を作ることはできるか?」

「そ、そんなことあったんですか?」

「昔の話ですわ」

「お前はヤクザの若頭に鼻フックしながら、高層ビル30階から飛び降りた事はあるか?」

「アンタはそんなことしでかしたのか!?」

 

 信じられないような出来事を、まるで事実の様に話す目の前の短髪の青年。

 

 これらの話がデマであったら、そう頭によぎったけれど。彼らの表情がすべてを物語っている。

 

 彼らは今の出来事を、まるで当たり前の出来事だという表情のまま、スラスラと語ったのだ。きっと紛れもなく、真実なのだろう。

 

「分かったかな、マリーキュースとやら。君はまだ”俺達の領域”には達していないという事を」

「そう、アナタでは役者不足。はっきり言うけど、アナタに”こちら側”でやれるほどの素養は無い」

「今後絶対に、貴女では“壁”を超えられない。おほほ、そう言うことですわ」

「格好つけてるけど、お前らが超えてるの単なるキチガ〇の壁だからな!?」

 

 その日。

 

 私は泣きながら奇特部の部室を後にする。涙を拭きながら廊下に出ると、心配してついてきてくれていたクラスメイト達に温かく出迎えてくれた。心配して待ってくれていたらしい。

 

 彼らに慰められながら、私は下校した。

 

 そして私はもう、二度とあいつ等には関わらない。涙をポロポロ零しながら、そう決心した。奇人としての格の違いを見せつけられ、私の心は折れてしまったのだ。

 

 キチ〇イには勝てなかったよ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてこれは、物語のプロローグにしか過ぎない事を、私は気付いていなかった。

 

 この日こそ、私を中心とした絡み合うべき運命の鎖がやっと交じりあった、一つの契機だったのだ。




次回は1月20日の17時更新予定です。


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第一話「ヒロシ」

「マリキュー。これマジのマジなんだけどさ」

 

 4月も半ばを過ぎた頃。

 

 奇特部に心を折られた私は健全で安全なキチ〇イと言うよく分からない評価を得て、平凡な学園生活を享受していたそんな折。

 

 私は今、放課後に仲の良い男子生徒から手紙で呼び出されていた。

 

「俺と付き合ってみねぇか? 損はさせねーから」

 

 そう。なんとビックリ、私に告白してくる勇者が出現したのである。出会って半月のクラスメイトから屋上(告白スポット)へ呼び出され、何かなーとノコノコ誘いに乗ったらこの始末。

 

 キチ○イに、淡い春が訪れようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが正直、すげぇ困る。

 

 いや何が困るって、ほんとに困る。

 

 他人を好きになるというその感情は仕方がない。

 

 だけど告白はまだ早くないか? 入学してまだ半月だよ? 

 

 いくら私が超絶美少女だからといって……いや、そんなモテカワである私に、男子どもが告白してくるの仕方ないのだろうか。

 

 だが、私は色恋の類に興味がない。いや、かまける余裕が無いというべきか。

 

 何せ私には、この学園を混沌に染め上げるという使命がある。色恋等と言った青春ゴッコにうつつを抜かす暇などないのだ。

 

 運が悪かったな少年、貴様の惚れた相手は人類悪のようなもの。貴様の失恋もまた、宿命だったと言うことだ。

 

 ……そうと決まれば、後腐れなくサクっと振ってやろう。いかにもチャラそうなコイツは、軽い気持ちで告白してきただけの様だ。バッサリいってもそんなに傷つけることにはならんだろう。

 

 ようし。深呼吸して、なるべく強い言葉を選んで……。

 

「……私ににゃ、しょの様なことに、かまける暇は無い!!」

「どうどう。落ち着け、マリキュー」

 

 おっと、セリフを考えすぎて声が裏返った。これじゃテンパってるみたいじゃないか。

 

「大丈夫、落ちちゅちゅいてるから」

「いや動揺しすぎでしょ。マリキューってば案外ウブ? それとも脈アリって事なんかね」

「誰がウブか!! 誰が処女かぁ!?」

「そこまでは言ってない。え、処女なの?」

「そりゃあ、って! 答える訳無いだろ!?」

 

 なんつー事を聞いてくるんだこの野郎。危なかった、すんごいセクハラ質問に答えるところだった。

 

 おかしい、上手く口が回らない。いや、というか、何だコレ別にコイツ好きでも何でもないのに直視できない。

 

 ……ウゴゴ、何が起こっている? 絶対おかしいぞ。このチャラ男め、どんな魔法を使いやがった!?

 

「……はっはっはっは! 悪い、そこまで追い詰めるつもりはなかったんだ。マリキュー、ちょっと時間置くからゆっくり考えてくれ」

「……へぇあ?」

 

 言葉に詰まった私が恨めし気に目の前の男を睨みつけていると、その無粋な男は大笑いして私から一歩離れた。

 

「このまま強引に迫っても面白そうだけど……マリキュー、自分の気持ちがよく分からないままOK出しそうだし。時間あげるからよく考えてくれ」

「あ、あ、えー。……ありがと、助かる」

「おう。3日以内に答え出してくれねぇか? 腹が決まったら、返事をしに来てくれ」

 

 そう言うと、目の前の男子生徒はニカリと笑う。

 

「いい返事期待してるぜ、マリキュー」

 

 ……そう言うと、チャラ男っぽいその少年は、グッと爽やかに親指を立て颯爽と屋上から去っていった。

 

 

 

 

 完全敗北。何故か、そんな言葉が頭をよぎった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒロシ、ついに告りやがったか」

「マリキューどうすんの? 保留中なんだよね」

 

 翌朝。やつの告白は既にクラス中に知れ渡ることとなっていた。私は一言も話してないのに。

 

 誰だ、噂を広めた下手人は!?

 

「マリキュー存外にウブな反応でさ、ありゃ可愛かったぜ。俺の理性を褒めて欲しいもんだ」

「ヒロシかっこつけすぎだし」

「マリキューは癒し系だよな、実は」

 

 告白してきた張本人が、ドヤ顔で噂を広めている件。

 

「ちょ、おい! 何で噂を広めてるのさ貴様!?」

「マリキューじゃん、オッスオッス」

「えと、その! あんま話広まると、恥ずかしいっていうか。だから噂広めないでよ!!」

「あー……悪い悪い。でもさ、マリキュー人気あるから、俺が告白したぞって広めておかんと牽制にならんでしょ」

「……牽制? なんの?」

「分からんならソレでいいよ。まぁなんだ、威嚇みたいなもんだ」

 

 男子生徒は、不敵に笑う。

 

「それよりどうだマリキュー、考えてくれた?」

「う……あ、ちょっと、もうちょっと時間ください」

「おう」

「うっわマリキュー顔赤っ!」

「これは確かに可愛い」

「こっち見んな!!」

 

 級友達はここぞとばかり、偉大なるこの私をからかってきやがる。ぐぬぬ、なんたる屈辱か。

 

「ヒロシ、これ貰っただろ。すでにオチてんじゃん」

「そう言うこと言うのやめろ、意地張られるだろ」

「なーんか腹立つわー。俺が告っときゃ良かった」

 

 やめろ。やめてくれ、微笑ましいモノを見るかの如く私に接するな。

 

 顔赤いのは自覚してるから。頼むから突っ突かないでくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 

 私はいつもの如く、学校で宿題を終えてから下校する。

 

 だが、今日はいつもと違い……

 

「マーリキュー? 良いじゃん、手繋ぐくらい」

「あばっばばばば」

「攻めるなーヒロシ」

 

 今日は私の帰りに合わせ、ついてくる無粋な男が居るのだ。

 

 その男は、あろう事か高貴なる私の手を握りしめてさっきから離そうとしない。

 

「緊張せんでも良いって。普通に話そうぜマリキュー」

「ほら、マリキューよく見てみ。ヒロシって、言うほどイケメンじゃないだろ? 雰囲気でイケメンぶってるだけで、わりかし不細工だから」

「はっ倒すぞお前」

 

 そ、その通りだ!

 

 そもそも、私は緊張してなどいない。しているはずがない。こ、こんな雰囲気イケメンにこの私が緊張する筈がないだろう。

 

 これはアレだ、無粋な男に対する不快感とかそういう感じのアレで。決して意識してるとか、そう言った話では────

 

「でも、もっと肩の力抜いて欲しいかな。普段の明るいマリキューが好きなんだ」

「あひゃあ!」

「お、マリキューが茹で蛸みたいになっとる」

 

 そう言うのやめろ馬鹿!

 

 

 

 ピーポー、ピーポー。

 

 

 

 男子生徒が、ニヤニヤとヒロシの胸を突っ突き。ヒロシはばつが悪そうに、私と男子生徒の間で溜息をつく。

 

 そんな時だ。間抜けなパトカーのサイレンの音が、私達の耳に響いたのは。

 

「ん、パトカー? 事故でも起こったんかね」

「この先の大通りからだな」

 

 私が顔の熱を冷ましている脇で、男2人はパトカーに興味を移す。男子ってやはり、乗り物が好きな生き物なのだろうか。

 

 男子生徒の怒濤の冷やかしから逃れて一息つき、私は平常心を取り戻す。ふぅ、落ち着いた。

 

「……うおっ! よく見たらマリキュー車道側じゃん。ゴメン、気付かなかったわ」

「え、あ……」

「こっち来なよ、女の子に車道側歩かせる訳にはいかない」

「フゥー! ヒロシ、ポイントを露骨に稼ぎに来るぅ!」

「もーホント黙ってろよ。さ、マリキューこっちだ」

 

 ヒロシ少年は、私を道の内側へと手を引く。

 

 そんなのいちいち気にしないんだけどなぁ。事故に遭う事なんて滅多に無いのに。そう言うのでポイント稼ぎに来るのってどーなんだろ。

 

 所詮、私の色香に惑った男の浅知恵よな。

 

 

「にしても、さっきからパトカー多いね」

「お、おい。見ろよ、あそこ。カーチェイスしてねぇかアレ」

「うおー映画みたい」

 

 ヒロシの指差した方を見ると。成る程、黒塗りの車をパトカーがサイレンを鳴らしながら追いかけていた。

 

 黒塗りの車は信号など知ったことかと、縦横無尽に走り回ってパトカーを混乱させている。け、結構ヤバイ事件じゃないアレ?

 

「近づかない方が良いな。少し遠回りになるけど一本違う道で帰ろうぜ」

「さ、賛成」

「ヒロシィ、普段なら面白がって見に行く癖に。何格好つけてんの? それともわざと遠回りしたい系?」

「お前なんでさっきから俺の邪魔ばっかすんの!?」

 

 ヒロシの提案に乗って、私達は1つ道を外して帰ることにした。

 

 奴の思惑は透けていたけど、触れてやらないのがいい女ってヤツなのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 私達は歩いた。

 

 人気の無い、大通りの狭間の脇道を。

 

 ヒロシは、私の方を向きながら後ろ歩きで冗談を飛ばしている。

 

 ヒロシの友人らしい男子生徒も、合わせて大爆笑している。

 

 気付くべきだった。徐々に大きくなっていたサイレンの音に。2人の男子生徒に囲まれて下校している状況がとても居心地良かったから、私はいつしかパトカーの事なんか忘れてしまっていた。

 

 いつしか男子達と一緒に笑いあっていた私は、なんとも言えぬ羞恥心と、少しばかりの楽しさを覚えながら。ヒロシのアピールの様な、他愛ない自慢話を聞き────

 

 

 

 

 

 私は、真っ正面から見てしまった。

 

 後ろ歩きをしていたヒロシが、脇道から大通りへと出たその瞬間に。

 

 右から凄い速度で突っ込んで来た、暴走する黒塗りの車に跳ね飛ばされたその瞬間を。

 

 

 ────ぐしゃり。

 

 

 暴風が、私のスカートを揺らす。直後、追従するいくつものパトカーがけたたましいサイレンを鳴らしながら車を追いかけていく。

 

 鈍い音を立て勢いよくガードレールにぶつかったヒロシ少年は、あらぬ方向に首を曲げ地面に叩きつけられる。先ほどまで、私達と笑いあっていたままの表情で。

 

 激突した衝撃でひしゃげたガードレールの下、うつ伏せに横たわっているヒロシ少年は、私に足を向けたまま、首筋から血を吹き動かなくなった。

 

 そんな有様でなお、彼の顔は血の気を失いながら、私と視線を合わせ笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからの記憶は、曖昧だ。

 

 私は、その場で尻餅をついたのだと思う。その夜、私のスカートには、血がベットリと染み付いていたからだ。

 

 ヒロシの友達だった、男子生徒の怒号が響く。通行人から悲鳴が上がり、男子生徒がヒロシへと駆け寄る。

 

 

 この時の光景で、私がぼんやりとでも覚えている事は。

 

 カーチェイスをしていたパトカーの1台が停車し、慌てた表情のお巡りさんがその場を仕切りだしたこと。

 

 ヒロシは、私から視線を外さず、血を吹きながら笑いかけ続けていたこと。

 

 野次馬の連中が、面白そうにスマホで撮影を始めたこと。

 

 その景色全てに、まるで現実感がなくて。全部全部妄想としか思えない、現実と幻覚の区別がいまいちついていない。

 

 ただ、1つだけ確かなのは。私の手には、握りしめられていたヒロシの爪痕が、擦り傷となってシッカリと残っていた事だけだ。

 

 きっと、あの光景は、現実だったのだろう。

 

 

 

 

 

 そのまま警察署に行って、確かアレコレと話を聞かれたんだっけか。私には答える余力が無く、別室にいた男子生徒クンに任せきりだったけれど。

 

 帰り際、父さんと母さんに迎えに来て貰って私は帰宅した。私は終始無言で、父さんに掴まって家に入った。

 

 どこかふわふわとした感覚で、つま先から下の感覚がなくて、歩くときに地面を上手に押せなくて。

 

 誰かに掴まっていないとマトモに歩けなかった。

 

 そしてその晩は、なぜかよく眠れた。クラスメイトが目の前で死んだというのに。私は随分と薄情な人間らしい。

 

 あの景色に現実感がなさ過ぎたことも、理由の1つかもしれない。あんな、非現実的な光景を、脳が認識するのを拒んだのだろう。

 

 笑いかけてくるヒロシの死に顔が、何かの映画のワンシーンにしか思えないのだ。

 

 きっと、明日になると全部嘘になっていて。私が学校へ行くと、ヒロシが何時ものように笑っていて────

 

 そんな有り得ない幻想を、私は本当に起こると思い込んで、凍り付くような寒気から逃げるように布団へ潜り、眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

 

 なんとか歩けるまでに回復した私は、何時もと変わらない様に接してくれた両親に別れを告げ学校へと向かう。

 

 1つ外れた道で凄惨な事故が有ったとは思えない、普段のままの通学路。同じ高校の制服を着た生徒達が、眠そうな目を擦りながら歩いて行く。

 

 ふと、小さな脇道が目に入る。それは昨日、ヒロシが事故に遭った時に通った、1つ隣の通りへと繋がる細道だ。

 

 ……今日は目が覚めるのが早かった。まだ、授業まで存分に時間はある。

 

 折角なので、ヒロシ少年の事故現場に行って手でも合わせようかと考えた。ほんの少しでも、供養になるかもしれないし。でも、私はその細道へ足を向けようとして、すぐに思いとどまった。

 

 

 ────私にまだそんな精神的余裕はなかったらしい。ガクガクと脚が震え意識が遠くなりそうになったのだ。

 

 

 ヒロシ、ごめん。まだちょっと、心の整理がついてないの。帰りには寄るから、貴方の通夜にも行くから、今は許してください。

 

 

 心でヒロシ少年に詫びながら、私は真っ直ぐ学校を目指す。運動部が朝練しているのを尻目に、私は教室へと足を踏み入れ────

 

「よう、マリキュー」

 

 私の肩を気さくに叩く、にこやかな笑顔の男に目を見張り、私はビクンと振り向いた。

 

 教室には、奴がいた。

 

 彼の笑顔は、昨日のままだ。昨日の、事故の、あり得ない方向にねじ曲がっていた時と全く同じ笑顔だ。

 

「どう? 告白の返事、考えてくれたかい?」

 

 何の罪もないヒロシ少年の命を奪った、あの残酷な事故の翌日。

 

 登校した私を出迎えたヒロシは、少しばかり顔を赤らめながら、昨日の様に笑いかけてきた。




次回更新日は一週間後です。


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第二話「妄想」

コメディ何処に行った? と言うコメントをいくつか頂きました。
ご安心くださいませ、本作はコメディです。


 変人とは。

 

 行動が常軌を逸してしまっている、理解しがたい人間である。

 

 キチ〇イとは。

 

 変人を呼称する際の侮蔑的な罵声であり、その行動は変人より更に常軌を逸してしまっている。

 

 

 

 そして、可哀そうな人とは。

 

 変人やキチガ〇とは区別されるべき存在であり、“夢と現実の区別がつかない、有りもしないことを本気で思い込んでしまう”等と言った特性を持った同情されるべき人である。

 

 

 

 

「ひ、ヒロシ?」

「どうしたマリキュー。まだテンパってんの?」

 

 登校した私を澄ました顔で出迎える、私に告ってきやがった雰囲気イケメン。

 

 何という事だ。ヒロシ少年は既に死んだ筈なのに、こんな朝っぱらから化けて出てくるなんて。

 

 おそらく彼は自分が死んだことに気付かず、血迷って学校に化けて出て私に話しかけているのだろう。

 

 

 ────いや、待て。お化けなんて非科学的な存在、有るわけない。これはつまり、私の妄想の産物なのだ。目の前に居るヒロシは私にしか見えない、非実在青少年なのだ。

 

 何という事だろうか。私の頭がトチ狂っているという自覚はあるが、遂にここまで来てしまったか。

 

 

 ……いや、まだ他にも可能性がある。昨日のヒロシの死こそが、私の勘違いではないか?

 

 目の前で現在進行形に、幻覚が語りかけてくるなんて事はあり得ないだろう。だとしたら、私はどれだけ末期なんだ。

 

 昨日の事故こそ、妄想。夢で見た光景を、私が現実だと思い込んでしまったパターン。

 

 目の前のヒロシさんが、幻想。幻覚に侵され、私の脳はとうとう終末期パターン。

 

 

 ……さぁて、どっちだ? どれが妄想で、どの記憶が事実なんだ。ここは対処を誤ると、今後の私の学園生活は大変なことになるぞ。

 

 

 この教室のクラスメイトから見た私は、誰も居ない場所を見つめ続け、死んだ筈のヒロシ少年と歓談しているとてもアレな図なのか。実在するヒロシ少年に、顔を青ざめながら後ずさっている彼が不憫な図なのか。

 

 ウゴ、ウゴゴゴゴ……。

 

「どうしよう。私って、ひょっとしたら可哀そうな人なのかもしれない……」

「いきなりどうした? 朝からそんなまともな事を言うなんて、マリキューらしくない」

「どういう意味だコラ」

 

 色々とショートした私の頭が、自身を可哀そうな人認定していたらこの始末。

 

 コイツ本当に私の事好きなのか? 実はからかってるんじゃないか?

 

「冗談だよマリキュー。それより告白の返事、早いとこ頼むぜ」

「あー……。その返事が聞きたくてこんな朝から化けて出て来たの?」 

「おいおい、人をお化け扱いしないでくれ」

 

 お化けが何を言う。

 

「告白? 何、ヒロシ遂に告ったの?」

「おう、昨日ガツンと決めてやったぜ!」

「マリキュー狙いは正解だよなぁ、隠れた名店みたいな女子だし」

「その例え、シックリ来るような来ないような」

 

 ふぅむ。皆、このお化けに話しかけている。ヒロシ少年は、皆にも見えているようだ。

 

 よし、これで虚空を見つめて死んだ少年と談笑しているパターンは除外できるな。

 

「あ、そーだみんな。今日の現国、抜き打ちテストらしーから勉強しとけよ」

「うげ。またかー」

「あーまただよ。あの不細工、抜き打ちテストは成績に加味しませんとか言っときながら補習にはかけてくるからな。面倒くさいったらありゃしない」

 

 ん、現国の抜き打ちテスト? それ、昨日もやったじゃないか。

 

「2日連続でやるの? 面倒だなぁ」

「ん? 2日? まぁ何だ、放課後を補習なんかに縛られたくないからみんなベンキョーしとこーぜ」

「だな。マリキュー、じゃあな」

 

 そういってヒロシは、私の手にハイタッチをかました後にゆっくり自分の席に戻っていった。

 

 その時私はほんの少し、周りの雰囲気に違和感を感じたけれど。ヒロシの手に触れて、ヒロシの存在を確認できたことで頭がいっぱいだった。

 

 勿論テスト勉強とかはしていない。それどころじゃないし。

 

 

 

 

 

 

 

 「……あれ?」

 

 現国の不細工がニタニタしながら、着た瞬間に配り始めた小テスト。全てを諦め菩薩の様な目になっていた私は、その問題文に目をやって、気付く。

 

 ────昨日と、同じ問題じゃん。あの不細工、間違えやがったな。

 

 これはラッキーだ。あの不細工自身が間違えたんだから、文句を言われる筋合いもない。わざわざ報告して別の日に再テストされるのも馬鹿らしい。

 

 昨日覚えた解答を頭に浮かべながら私はサクっと問題を解き終わり、残りの時間を爆睡して優雅に使い切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてその日の、昼休み。

 

 いつも通りの、仲の良いメンバーと机を合わせて昼食タイム。

 

「ねぇ、その。今日の授業、なんか変じゃなかった?」

「そうかぁ? 別に普通じゃね。……マリキュー、どうかした? 元気ないぞ?」

「いや、うん。大丈夫、ありがと……」

 

 今日、いつになく私は疲弊しきっていた。

 

 なぜ誰も突っ込まないのか。来る先生、皆揃って昨日と全く同じ内容の授業をしていったぞ。

 

 というか時間割まで昨日と一緒だ。

 

 というか。

 

「スマホの日付も、昨日と一緒……はぁ。私、頭が変になっちゃったのかなぁ」

「マリキュー……。貴女がいきなり頭がおかしいことを自覚しちゃうなんて。これ、ホントに頭の病気なのかも知れないよね」

「確かに心配だな。病院に行くか? カナの家、確か医者だったろ?」

「アタシんち? ウチ耳鼻科だぞ、鼻詰まりしか治せねぇ。マリキューに必要なのは、頭の病院やわ」

「お前ら、もう少し私に優しく心配する気ない?」

 

 そうだけど、そうじゃない。

 

 だって、コレって。私の主観が確かなら、同じ日を繰り返している事になるよね。

 

 昨日は4月20日。今日も4月20日。じゃあ明日は何日?

 

「何よこれ……。あー、頭がおかしくなりそう」

「お、良かった。いつものマリキューだ、どうやらまだ頭がおかしい事に気付いてない」

「待って、安心しちゃダメ。これ以上頭がおかしくなると、マリキューが奇特部ラインになっちゃうかも。ここらで医療機関を受診しておく方が良いよ」

「そうやな。予防は大事やしな」

「おかしい。誰も私をまっとうに心配してくれない」

 

 とは言え、こんなこと誰にも相談できないのだけれど。私のキャラ的に、こんな話をしたところで新しい設定と思われるのがオチだ。

 

 真剣に話せば話すほど、場が白けていくだけだろう。うぐぅ、自身の奇天烈なキャラのせいでこんなことになるとは。

 

 

 

 結局、その日の午後からの授業も私の記憶のまま全く一緒で。

 

 

 私は、昨日と同じ板書を、昨日と同じノートに書き連ねた。

 

 不可解なことに、昨日の私が写したノートは昨日の分だけ綺麗さっぱり消えていて。昨日私が授業を受けた痕跡なんて一切残っていなかった。

 

 4月20日という日を私が過ごした痕跡は、何一つ残っていなかったのである。

 

 これらをすべて踏まえ、私は結論づけた。

 

 昨日の私の記憶の方こそ、事実無根の妄想だ。今私が過ごしている、ヒロシの生きているこの世界こそ、現実だ。

 

 私は、悪い夢をみてしまっただけなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よー、マリキュー。今日は1人で帰さねぇぞ?」

「野生の ヒロシが 現れた! マリキュー は どうする?」

 

 

 それも昨日と、同じだった。

 

 いや、”私の妄想”と同じだった。

 

 ヒロシ少年と、その友人の男子生徒が、私の靴箱近くで待ち伏せしていたのだ。話しかける台詞も、仕草も表情も、何もかも記憶の通り。

 

 いや、よく見るとヒロシ少年が少し照れている。昨日は突然のヒロシの襲撃に戸惑って気付かなかったが、どうやら彼も、私の手を取って誘うのは照れくさい様だ。

 

 やや顔を赤くしたヒロシは、強引に私の手を握り、一緒に帰ろうぜと笑いかけてくる。

 

 ────記憶と、全く一緒だ。

 

 ……つまり。私の妄想は今のところ、全て的中していると言うこと。

 

 このまま帰宅すれば、ヒロシ少年は帰り道に事故に遭い、そして────

 

 

 

 

 

「やだ。私、あんたと一緒に帰らない」

「……え?」

 

 私は出来る限り冷静に。ぱっ、とヒロシの手を振り払った。

 

 これで、昨日とは違う展開。ヒロシが死ぬ可能性は、グッと減った筈。

 

 だが、ヒロシ少年は非常に傷ついた顔をしている。そりゃそうだ、これじゃあ振ったようなモンだ。

 

 それに、私がいないからといって事故に遭わないとも限らない。

 

 こんなに気まずくヒロシと別れて、明日事故で死んでましたじゃ、すこぶる後味が悪い。

 

「……ヒロシ、私は今日、映画見に行くって決めてたの」

「は? 映画?」

「だから、そ、その」

 

 だから、これは監視的な意味を込めて。ヒロシが事故死した時間までは、責任を持って私が一緒に居てやろう。

 

「私と一緒に映画、どうかな?」

 

 そう言って私は、顔が熱を持つのを自覚しつつ、おずおずとヒロシに右手を差し出した。

 

 

 

 

 

 

 そんな私の言葉を聞いたヒロシ少年は、靴箱の前で腕を突き上げガッツポーズをかまし。

 

 ヒロシ少年の友人である男子生徒は、ガラ空きになったヒロシのボディに、割とマジの拳を叩き込んでいた。

 

 鈍い音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー面白かったな、”俺の名を”」

 

 そんなこんなで、放課後。私はヒロシと共に、今流行っているらしいアニメ映画を鑑賞しに行ったのだった。

 

 ちまたで大流行しているだけあって、その映画は次々に怒濤の展開で観客を魅せ、盛り上げた。正直、めちゃくちゃ面白かった。

 

「まさか仮面の男が主人公の兄とはね~。あの弟への妄執には心打たれたなぁ」

「仮面の男がビルの屋上でガソリン撒き散らして火を放つシーンは、圧巻だったな。アレ、CGじゃなくて手書きなんだろ?」

 

 ああ、気分が高揚してやまない。良い映画を見た後は、こうして誰かと話をしたくてたまらなくなるな。ヒロシが話を聞いてくれて、ホント助かる。

 

 もう完全にデートしちゃってるが、コレはヒロシを生かす為には必要な処置だったから仕方が無い。

 

 代金は全てヒロシ持ちだったし。ありがたや、ありがたや。

 

 

 

 

 ……そんな、凡俗な美少女の様な一日を過ごした罰が当たったのだろうか。

 

 大ヒット映画だけあって映画館を出た付近の人混み激しく、手を繋いでいた私とヒロシは人肉の圧力で分断されてしまった。

 

 彼と繋いでいた手が、引き剝がされる。

 

「……いたっ」

 

 人混みをかき分けて、ヒロシとはすぐに合流は出来た。けれど、彼と繋いでいた私の手には、薄く血が滲んでいる。

 

 軽く切ったらしい。

 

「ん。なんだマリキュー、手怪我してんじゃん。ちょっと見せて」

「え、あ、うん」

 

 私は左の掌を持ち上げ、血の出所を探す。どこを切ったのだろうか?

 

 痛む部位を探し、私は手を裏返す。

 

 左手の甲には、強く何かに引っ掛かれた古傷があった。そこの傷口が開いて、ジンジンと痛み、血が垂れてきてしまっている。

 

 ────いつのだ? いつ私はこんな怪我をしたんだ?

 

 受傷して1日くらい経った、まだ少し痛々しいミミズ腫れみたいな傷痕────

 

 

 

 

 ヒロシの死に顔が、フラッシュバックする。

 

 

 

 事故の瞬間まで彼に握り締められていた、私の手。

 

 そうだ、この傷は。

 

 ヒロシが車に跳ね飛ばされた時、彼が吹き飛んだ勢いで手が離れ、強く引っ掛かれて、そして。

 

「お、おいマリキュー。どうした、顔真っ青だぞ」

 

 いや、違う。

 

 昨日のアレは妄想だったと、そう結論付けたじゃないか。ありえない、何であの時の傷がまだ私の手に残っている?

 

 それとも昨日の記憶は、妄想じゃなかった? 今目の前に居るこのヒロシこそ、ひょっとして幻覚?

 

 今のこの状況自体が、ヒロシとデートしているこの時間がすべて私の妄想で、夢で、虚構?

 

 もし今頬をつねれば、私は誰も居ない部屋の中で目を覚ますのか?

 

 

 ────くらり。くらり。

 

 

 ああ、頭がふわつく。吐き気が込み上げてきて、地上が歪んで見えて────

 

「っ!! マリキュー、おいってば!」

 

 突如襲ってきた眩暈で立っていられなくなった私は、姿勢を維持することを早々に放棄し、空中へと身を委ねた。

 

 ……そして支えを失った無様な私の身体は、誰かに優しく抱きしめられたのだった。

 

 ガッシリと、筋肉に包まれる感触。ゴツっとした、温かい生身の人の温もり。

 

 目の前には、心配そうにのぞき込んだヒロシの顔。

 

「……大丈夫かマリキュー。体調、悪いのか?」

 

 ……居る。

 

 ヒロシは、目の前に居る。だから昨日、ヒロシが死んだなんて事実はない。

 

 そうだ。この傷は、きっと知らない間にどこかで付いた傷だ。何を私は混乱していたんだ。馬鹿じゃないのか。

 

「ご、ゴメン。その、少し気分が悪くなって」

「風邪か? ちょっと待ってろ、タクシー呼んでくる」

「だ、大丈夫だから! そんな大げさに……」

 

 ヒロシの目は真剣だった。うわ、やらかしちゃった。

 

 ……私って最低だな。

 

 いきなりぶっ倒れて、人にこんなに心配かけておいて、その理由は“夢でアンタを殺してました”だからなぁ。

 

 ああ、人として恥ずかしい。でもよし、これで冷静になった。

 

 昨日のアレが、リアルな私の妄想。今の目の前の光景こそ、ちゃんとした現実。

 

 もう迷わない、もう惑わない。

 

「マリキュー。良いから、俺に任せてくれ」

「ホントに、ホントにただの立ち眩みで。タクシ―呼ばなくたって……」

「オレがタクシーに乗りたくなっただけだ。マリキュー、ついでに家まで送っていくから、一緒に乗ってけ」

 

 そう言って私を抱きしめたまま、ヒロシはスマホを片手に電話を始めた。此処にタクシーを呼ぶつもりらしい。もう大丈夫だってのに。

 

 とはいえ、存外に頼りになるなこの男。

 

 律儀というか、カッコつけというか。私の色香に惑っているとは言え、ヒロシの奴は全く……。

 

 ……待て。

 

 この状況でずっと、タクシー来るまで待機?

 

 公衆の面前で、抱き合ったまま?

 

「えっと!! 本当に、本当にもう大丈夫だから。ちょ、恥ずかしい! 恥ずかしいから放せって! てか胸にガツガツ手が当たってるし!! セクハラだぞ!」

「ふらついて倒れかけた奴が何をぬかす。セクハラで訴えたけりゃ好きにしろよ、俺は放さん」

「いや、あ、あ、ホントに恥ずいってば」

 

 ヒロシめ、変な所でガンコな。こんな思いっきり抱き合って人の目とか気にならんのか────人の目?

 

 横目で周囲を見渡してみる。

 

 うわ。よく見たら私達めっちゃ目立ってる。人混みに野次馬がめっちゃ居る。生暖かい目で見られている。

 

 そりゃそうか。映画館の前で、人目もはばからず抱き合ってるなんて完全なバカップルだ。

 

「はな……放して、本当に、コレ、恥ずかしくて死ぬから」

「あん? うおっ! 今度は顔真っ赤になっとる、スマン!」

「うん、その、羞恥心ヤバイから勘弁してホント」

 

 私の本気で困った声を聴いて、周囲の目を自覚したのだろうか。辺りを一瞥し、私の顔を見て慌てたヒロシは、シュバっと私を解放した。

 

 ふぅ……。

 

「……す、すまん。ちょっとマリキュー心配し過ぎて暴走してたわ」

「いや、その、それはありがとうって言うか。ゴメンね、心配かけて」

 

 ヒロシ少年も、いきなり私がふらついてテンパったのだろう。確かに暴走していたが、それはまぁ仕方のない事だろう。

 

 むしろ良く咄嗟に支えてくれたモンだ。

 

「タクシー、呼んでくれたんだよね」

「おお。あと10分くらいで来るらしいから」

「ありがと」

 

 電話を終えたらしいヒロシが、性懲りも無く私の手を握ってくる。

 

 今はその温もりが心強かったから、私もその手を握り返した。

 

「その、ヒロシ。聞いてくれる?」

「何をだ?」

「少し、変な話。その、ね、凄く失礼で変な事を言うけど」

 

 ……謝ろう。勝手に人を死人扱いして、その挙句ぶっ倒れて。正直に話した上で、笑い話にしよう。

 

「ヒロシが、死んじゃう夢を見たんだ」

「俺が? どういう事さ」

「……分かんない。でも変にリアルでさ、本当に現実みたいで」

 

 私は、そこで目を閉じた。

 

 想起する。ヒロシの死に顔を、昨日の事故を、あの残酷な景色を。

 

「でも、それは現実じゃなくて、ただの私の妄想。それは分かってるんだけど、頭が認識しきれてなかったみたいで」

「……」

「この手の傷もね、その夢の中で負った傷と酷似してるの。それで、一瞬夢と現実がごっちゃになって、ヒロシが死んじゃった気がして。それが怖かったの」

 

 目を閉じたまま。私は、想起した昨日の景色を強い気持ちで否定する。

 

 今度こそ。これでもう、私はヒロシが死んだなんて妄想を完全に否定して、正気に戻る。

 

「ごめんね、失礼で変な事を言って。聞いて欲しかったんだ、嫌だったよね自分が死んじゃうなんて話────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前には、誰も居なかった。

 

 

 

 

 

「え?」

 

 ヒロシは何処へ行ったのか。

 

 先ほどまでずっと一緒に居たのに。私が数秒目を閉じている間に、私を置いてこの場を離れたらしい。

 

 手が、いつの間にか空を握り締めていた。さっきまでの温もりは、もう何処にもない。

 

 なんだよ、離れるなら一言言えよ。目を瞑ってペラペラ喋っていた私が馬鹿みたいじゃないか。

 

 

 ────いや、待て。誰も居ないのはおかしくない?

 

 今さっきまでたくさん人がいたぞ? たくさんのギャラリーの中で抱き合って、辱められたのは記憶に新しい。

 

 そんな映画館の客が、一瞬で全員消え去るってどういうことだ?

 

 

 

 

 私は振り返った。先ほどまで居た映画館の方へ。

 

 ヒロシが何処かへ向かったとしたら、映画館だろう。何か忘れ物をして、慌てて戻ったのかもしれない。

 

 なんて奴だ。女の子を一人置いて、一人で勝手に忘れ物を取りに行くなんて。

 

 そんな文句を頭に浮かべて────

 

 

 電気の落ちた真っ暗な映画館の、開かない自動ドアを目視した。

 

 

 私は、呆然と立ち尽くす。

 

 辺りには人っ子一人いない。当然だ、営業していない映画館の入り口に、人間が集まるもんか。

 

 ぽつん、と独り。私は、誰も居ない映画館の入り口の前で、立ち尽くしていた。

 

 

 ヒロシは、居ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その場で待つこと、一時間。タクシーは来なかった。

 

 当たり前だ。だってタクシーを呼んだのはヒロシ少年なのだ。

 

 既にこの世を去ったヒロシに、タクシーを呼ぶ事なんて出来るわけが無い。

 

 ────私は今日、誰とデートしていた?

 

 ────私は今日、何処で何をしていた?

 

 この時ようやく私は悟ってしまった。妄想は、どちらだったのか。

 

 虚構なのは昨日の記憶か、目の前に広がる現在進行形の景色か。

 

 

 

 

 ああ。授業を受けた記憶があった時点で気付くべきだった。ただの妄想が、ああも正確に未来を予知できるモノか。

 

 今日の私の見た景色は。今日の私とヒロシのデートは。

 

 先程までの、幸せな1日こそが。

 

 

「あ、あ、あ────」

 

 全て私の、妄想だったのだ。

 

 

 そこで、私は遂に意識を手放した。

 

 冷たいアスファルトの感触に抱かれ、私はドサリと倒れ込む。

 

 今度は、私を抱きとめてくれる人は、居なかった。

 

 




次回更新は1週間後です


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第三話「理解」

 人の動く気配。どたどたと走り回る、誰かの足音。

 

 ────ここは?

 

「あ、意識戻りました?」

 

 私の、顔の近くから声がする。

 

「弓須さん、弓須マリさん、聞こえますか? 手を握っているのが分かりますか? 分かりましたら、私の手を握り返してください。出来ます?」

 

 見渡す限り真っ暗な世界に、凜とした女性の声が響く。

 

 その声の言うとおり、私の手にはひんやりと触られる感触があった。言われたとおり、私はその冷たい手を握り返す。

 

「お、従命通った。先生、先生。3番さん、意識が戻ってきてます」

 

 眩しさを覚えつつ、私はうっすらと目を開き周囲を伺う。

 

 どうやら私は、ふかふかのベッドの上で点滴やら血圧計やらを付けられ寝かされている様だ。そんな私のベッドの傍らで、白い服を着た女性が私の顔を覗き込んでいる。

 

 察するに私は、病院に運ばれたようだった。

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、まずはナースさんが色々と説明をしてくれた。私は深夜の3時頃に、映画館の前で倒れているところを通報されたらしい。

 

 あたりには人っ子一人いなくて、何時ごろから倒れていたのかは定かではない。3時頃、たまたま通りがかった飲み会帰りのオジサンが私に気付いて通報してくれたのだとか。

 

「あなたは夢遊病、と呼ばれる状態だったと考えられます」

 

 そしてナースさんの話が終わると、若くて頼りなさそうなメガネの男が私のベッド際にきて説明を始めた。

 

 どうやら、彼が医者らしい。

 

「昨日、あなたは映画館に行く夢を見ませんでしたか?」

「……はい、見たと思います。それで、ふっと気づけば、みんないなくなってて、真っ暗で」

「ええ、ええ、そうでしょう。夢と現実の区別がつかなくなっていたあなたは、寝ているままに映画館に向かい、そこで目を覚まされたのです。きっと、とても混乱された事でしょう」

「訳が分からくなって、怖くなって、意識が遠くなって」

「それは恐ろしかったですね」

「……私の頭は、おかしくなったんでしょうか?」

「いいえ。念のために頭や心臓を検査させてもらいましたけれど、何処にも異常はありませんでした。血液検査も、問題はなさそうです」

 

 そう言って彼は、謎の数値が大量に書かれた紙を渡してくる。血液の数値らしいが、意味が分からないからいらん。

 

「確認ですが、違法ドラッグを含めサプリメントや痩せる薬など飲まれたりもないですね?」

「……ないです」

「ならば、夢遊病で間違いないでしょう。尿検体からも、薬物反応の類はありませんでしたしね」

「はぁ」

 

 ……尿検体? どうやって取るんだソレ。いや、深く考えないようにしよう、マジで死にたくなる。

 

「今後自宅では、離床マットを購入していただくことをお勧めします。離床マットは貴女がベットから降りると、反応してブザーを鳴らす仕組みになっています。そこで目が覚めるので、今後貴女が無意識に家を飛び出してしまうことは無くなると思います」

「……分かりました」

「夢遊病自体は、成長と共に自然に治っていく事が多いです。治る気配が無いのであれば、近くの神経内科さんを受診していただくことをお勧めします」

「はぁ」

「では、念の為今日は病院で様子を見ましょうか。明日に退院できますよ」

 

 そう言って彼は微笑んだ。コイツのいう事が正しいならば、どうやら私の頭に異常はないらしい。

 

 ……とんだヤブ医者だ。

 

 私は、何が現実で何が虚構かすら区別が付けられないんだぞ。そんな私の頭が、おかしくない訳が無いだろう。

 

「先生、先ほどお見舞いの方がいらしてました。お通ししてもよろしいですか?」

「おや、まだ居るのか? 弓須さんは意識が戻られたから面会謝絶は解除。会って貰って良いよ」

「はい。」

 

 ────あぁ。誰か来てるのか。

 

 壁にかかった時計を見ると、午後5時を回っていた。学校も終わっており、学生が来るのはちょうどよい時間だ。

 

 こんな時間に人が来るとしたら、十中八九、あの優しいクラスメイト達だろう。私の為に時間を割くなんて、奇特な人達だ。

 

 でも、私は今、無性に誰かに会いたかった。結局、私はヒロシのお通夜に顔を出せていないんだ。

 

 仲の良い級友が亡くなったというのに、一日中幸せな夢を見ていた。私はなんとおめでたい女なのだろう。

 

 何かに、謝りたかった。誰でも良いから、この胸の中の罪悪感をぶつけたかった。

 

 それが死んだヒロシにとって、何の意味も成さないと理解していながら。私の自己満足に過ぎないことも、分かっていながら。

 

「学校のお友達が来てくれてますよ。弓須さん、お会いしますか?」

「ええ。通してください」

 

 皆には、心配をかけてしまった。

 

 だから、謝ろう。胸の奥に抱えてしまった、言いようのないこの暗い感情を自分勝手に押しつけよう。

 

 誰かに謝るという行為で、私自身を救うんだ。

 

 ────ああ、私って最低な人間だ────。

 

 

 

 

 

 

「うーす、マリキュー。倒れるなんてどうした?」

「ヒロシが告ったせいじゃないの?」

「そうだな、ヒロシが悪いな。謝罪しろ謝罪」

「勘弁してくれよ……」

 

 

 

 

 

 ……。

 

「マリキュー? なんでそんなヒロシをガン見してるの?」

「やっぱヒロシが悪いんじゃね?」

「ウッソ? え、ホントに俺なの? 俺が告ったのが原因なの?」

 

 見舞いの客は、案の定というか、いつも仲良くつるんでいる友人達だった。

 

 その中にいたヒロシ少年はにこやかに、私のベッドの脇の椅子に座り込み、見せつけるようにフルーツの入ったバスケットを持ち上げる。

 

 

 ヒロシ生きとったんかワレ!?

 

 

「ほうら、結構高かったフルーツ盛り合わせだぞ。言うても1000円くらいだが」

「ヒロシ、フルーツ大好きだもんね」

「スイーツ(笑)」 

 

 何時ものように皆にからかわれる、ヒロシ少年。

 

 そんなヒロシ少年の目は、見舞い品のバナナに釘付けだった。欲しいのだろうか? そのバナナ。

 

 その欲望のまなざしに負け、食べて良いよとヒロシに告げると、彼は嬉々としてバナナの皮をむき始めた。どうやら、このヒロシには実体があるらしい。

 

 

 

 

 ……昨日のアレって、全部私の妄想じゃなかったの? 

 

 何処から妄想だった? 初日のヒロシの事故死からずっと妄想? え、それはおかしいでしょ、まだ手に傷残ってるよ?

 

 あれ? 

 

 あれぇ?

 

 

 

「看護師さん……大変です」

「どうかしましたか?弓須さん」

 

 入院している患者には皆、心強いスイッチが存在する。

 

 ────ナースコール。

 

 それは、入院中の病人が身体に不調を感じた時に、看護師さんに助けを求める事が出来るように設置された、救いの手である。

 

「……さっきから、幻覚が見えるんです。私は、相当ヤバイんじゃないでしょうか?」

「幻覚ですか。それはどのようなモノでしょうか?」

 

 折角学友たちが見舞いに来てくれているというのに申し訳ないが、私は迷わずナースコールを押した。

 

 私の頭の状態は、非常に良くない。幻覚が見えるなんて、末期もいいとこだ。

 

 私は震える手で、質量のある幻を指さし、看護師さんに泣きついた。

 

「死んだはずの友人が、そこで私の見舞い品を食ってるんです……」

「む? それはまさか俺の事かマリキュー。すまん、旨そうでつい」

「弓須さん。そこでバナナを貪っている男性の事でしたら、私にも見えますので幻覚ではありませんよ」

 

 ……だよね。やっぱり幻覚じゃないよね。

 

 いや、なんでさ。何で奴が平然と生きてんのさ。

 

 訳が分からない。狐に化かされた気分だ。

 

「弓須さん。申し訳ないのですが、余り悪戯にナースコールを使わないで頂けると……」

「違うんです。マジで、本当に、私の中では彼は死んだ男なんです。コイツが目の前に居て今、私は凄く混乱してるんです」

「ああ、お通ししないほうがよかったって事でしょうか? 今すぐ追い出します?」

「ちょ、え? マリキュー、何か怒ってる? 俺、何かした?」

 

 ヒロシ少年は慌てて、私のベッド際へ寄ってくる。2本目のバナナを食べながら。

 

「人の見舞い品をモリモリ食う時点で、人としていかんだろヒロシ」

「死んだ人扱いも頷けるし。告った次の日にそれはねーわ」

「いや、その、だって! マリキュー食べて良いよって言ったじゃん!」

 

 うん。見舞い品云々はどうでもいいんだ。問題なのは……

 

「何でヒロシは生きてるの? 本気で理解できない」

「そこまでか! そこまで俺のこと嫌いかマリキュー!?」

「なんて無垢な顔……。マリキューってば、心の底からヒロシが生きている事を疑問に思ってるね」

「濁り一つ無い目だ。あれは人をからかってる目じゃあない、本気で不思議に思ってる目だ」

「えええ!?」

 

 いや、その、ヒロシすまん。

 

 いや、別にお前を嫌ってる訳じゃないんだ。本気で不思議なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後。涙目になったヒロシに優しく微笑んで、“私、少し寝ぼけていたみたい”と謝っておいた。

 

 ヒロシ少年はそれを聞き、安心した顔になり、そして笑って許してくれた。

 

 学友達の見舞いは1時間ほどで終わり、私は一人病室に残されると、おそるおそるスマホを開く。

 

 今日の日付を、確かめないと。何が妄想で、何が現実か、それを知るために。

 

 ────予想は出来ていたけれど。スマホの画面には、4月20日と表示されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間跳躍(タイムリープ)。私は、そんな奇妙な現象に巻き込まれてしまっているらしい。

 

 どういう理由で、どういった条件で、何がきっかけで。そんな事は何1つ分からないが、ここまで来れば確実だろう。

 

 私は、何度も4月20日を繰り返していたんだ。

 

 見舞いに来た皆に手渡されたノートには、私が昨日で受けた授業と同じ板書が書かれていた。妄想なら、授業の内容を完全に予知するなんてあり得ない。

 

 そもそも昨日や一昨日の経験は、妄想で片付けるにはリアルすぎる。

 

 昨日の、二回目の4月20日。映画を見終わってヒロシに抱きつかれた私は、おそらく目を閉じている間にタイムリープしたんだ。

 

 その前の、最初の4月20日。ヒロシが事故で死んだ日のタイムリープはおそらく、私が寝ている間。

 

 あの日、私が朝起きた時の両親の態度が、あまりにもいつも通り過ぎた。アレは、事故で友人を失って心が弱っている娘にとる態度ではない。

 

 今日も、両親は深夜から病院に駆けつけてきてくれたらしい。その後ずっと私の傍に付いていてくれたらしいが、疲れが限界に達したのか、今は帰って寝ているのだとか。

 

 私が目を覚ましたと言う連絡はもう看護師さんがしてくれて、もう少ししたら両親はまた病院に来てくれるらしい。

 

 そんな人の良い両親が、私を気遣わないなんて考えにくい。

 

 

 

 

 

 

 ────よし、両親がここに来るまでに、少し状況を整理しておこう。

 

 時間跳躍(タイムリープ)に巻き込まれたのは確定だとして、繰り返しているこの2日間で私が得た情報はいくつかある。

 

 まずは、時間跳躍の起こるタイミングについて。

 

 ヒロシと映画を見終わったのは、確か夜7時過ぎ。一昨日私が寝たのは、深夜11時を回ってから。

 

 タイムリープの時間帯に法則性はなさそうだ。何を契機に時を越えているのか、追々検証していく必要があるだろう。

 

 だが、2回のタイムリープの直前に、私には共通している動作があった。あの動作が、おそらくタイムリープの1つの条件だろう。

 

 そしてもう一つ。同じ日を繰り返しているのは、恐らく私だけだと言うこと。

 

 昨日の4月20日、教師や級友達は最初の4月20日と全く同じ言動を同じタイミングで繰り返していた。

 

 私だけが記憶を引き継ぎ、同じ日を過ごしている。つまり、断定は出来ないが、私がタイムリープを引き起こしている、少なくともタイムリープ現象と深く関わっていると考えて問題ないだろう。

 

 

 

 

 

 さて。

 

 情報を整理したところで、今の私の抱えるヤバイ問題について考えよう。

 

 いつタイムリープするか分からない。それはつまり、いつどの瞬間にナースさんが豹変して、

 

「貴女は誰ですか! 何で勝手に病室に居るんですか!?」

 

 となるか分からないのだ。

 

 そう、昨日にタイムリープしてしまったら、私はもれなく不法侵入者になる。

 

 対策としては、常にスマホの日付をチェックし続けるしかない。時が飛んだら、速やかに病院から抜け出す。起きている間はこれでいいだろう。

 

 問題は眠ってからだ。 

 

 私の睨みでは”タイムリープの条件”は、深く目を閉じることだと考えている。

 

 最初のタイムリープは眠りについた時、二回目はヒロシに抱きついていた時。この二つのタイミングに共通する動作は、私が目を閉じていること。

 

 まだ時間跳躍は2回だけだし、情報が少なすぎるから的外れの可能性も高い。だが、現在の状況ではこれが一番しっくりくる。

 

 と、言うことは。私が病院で眠ってしまったら、高い確率でまた4月20日の朝になるのだ。次の朝には通報されて、私の社会的なアレが終わる。

 

 今夜は、徹夜するのが無難だな。こっそり売店でコーヒーを買っておくか。

 

 

 

 

 

 

 私が考えを整理していると、まもなく、両親が病院に到着した。

 

 両親は、私の病室に来て最初に、声を上げて泣いた。

 

 真夜中にいきなり電話がかかってきて、娘が外でぶっ倒れて入院していましたでは、そりゃ混乱する。

 

 しかもずっと意識を失ってた訳だ。両親は気が気でなかっただろう。

 

 母は、何か変な事件に巻き込まれていないか、と何度も何度も聞いてきた。父は、私のためなら何でもするぞと、鼻息を荒く身を乗り出した。

 

 ────まぁ実際、変な事件に巻き込まれているんだけれども。

 

 だが正直に「私は時間を────飛び越えているんだ!!」なんて言ってしまえば、精神科に移ってて入院継続だろう。

 

 だから私は、何ともないよ、ちょっと寝惚けただけだよ、と荒ぶる両親をなだめ続けた。心配そうな顔の両親は、何度も何度も私を抱き締めて、泣き続けた。

 

 愛されてるなぁ、私。

 

 本当、こんな頭のおかしい娘には、勿体ない両親だ。そんな親の温もりを肌で感じながら、私は面会時間いっぱいまで両親と話し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。そんな両親が面会時間が過ぎて帰った後。

 

 私は眠くならないよう、コーヒーをガブ飲みしつつ、適当なスマホゲームをインストールして徹夜の構えを取った。

 

 病院内でスマホは、今は特に禁じられていない。

 

 一応個室を取ってもらえたから、徹夜で遊んでも同じ部屋の人から苦情が来る可能性もない。

 

 よーし。今日はこのよく分からないゲームを徹夜で楽しむぞ。もしタイムリープしたら、アプリが端末から無くなって直ぐ分かる仕組みだ。

 

 ……無くなるよね? 私の身体の傷とかは引き継がれたけど、スマホの日付は遡ってるし……。

 

 まぁ、少なくともサーバーと繋がってるはずだから、タイムリープしたらエラーか何か起きるだろ。

 

 よし、とりあえずDLランキング1位のやつをインストールするか。さぁ、チュートリアルだ。面白いゲームであってくれよ?

 

 む、いきなり最高レアが引けたぞ。ついてるな、攻略サイトで評価を見てみよう。

 

 なるほど。このアルトって剣士キャラが最強なのか。せっかくの星5だけど、私の引いた回復職の娘は糞雑魚ナメクジらしい。

 

 どのゲームも火力キャラが優遇されてるんだな。よし、データ消してチュートリアルやり直すか。

 

 この最強のアルトって奴か、せめて評価上位の星5を引いてから始めよう。

 

 うーん、このアプリ、チュートリアル長くて面倒くさいなぁ……。

 

 ……ふぅ、やっとリセマラ終わった。サイトでは星5上位だし、まぁこれでいいだろ。よし、いよいよ私の冒険は始まるのだ……。

 

 

 

 ……なんだこのクソゲ。バグ多すぎね? ガチャ渋くね? しかもストーリー激寒じゃね?

 

 しかも周回ゲーか。むぅ、インストールしちゃったものは仕方がない。夜は長いし、おとなしく周回してやろう。

 

 周回……。

 

 周回……。

 

 

 

 

 

 

 

 ……スヤァ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「弓須さん。お大事になさってくださいねー」

「ど、どうも」

 

 ────朝。

 

 鼻提灯を膨らませて爆睡していた私は、若い看護師さんにやさしく起こされた。そんであんまり旨くない病院飯を平らげた後、荷物をまとめさせられて、速やかに病室を追い出された。

 

 ……普通に朝が来て、普通に退院できた件。

 

 寝オチしちまった時は焦ったけど、スマホを見ると4月21日と表示されていてホッと一息。

 

 ただ、安心した反面困惑もした。タイムリープの発動条件が、全然わからなくなったからだ。

 

 ……本当に私って、タイムリープしてたんだよね? いや、してるはず。

 

 

 

 そんなこんなで、私は結局自分の正気を疑いながら、昼休みに間に合うよう、退院したその足で高校へと向かうのであった。

 

 昨晩、両親がしっかり新しい着替えを持ってきてくれて良かった。洗ってない服を着て学校へいくのは、女子的にNGだろう。

 

 ……マジでタイムリープしてるなら、丸3日くらいあの制服を着続ける事になるし。時を超えるたび、汚れとか匂いとか落ちてるよね?

 

 まさかヒロシに抱きつかれた時、私って結構臭かったりしたのかな? だとしたら割と死ねる。




次回は一週間後に更新いたします。


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第四話「始まり」

 私が病院を退院したのは、ちょうど1時間目が終わったくらいの時間だった。学校には、電車を使えば昼休みに間に合う時間だ。

 

 まっすぐ学校へ向かった私は、遅刻届を職員室で書いて、教室へと向かう。

 

 堂々と遅刻していく学校というのは、中々に新鮮だ。誰も居ないガランとした廊下を、私はなんとも言えない気持ちで歩いて、教室とドアの前に立った。

 

 そこで、ふぅ、と深呼吸。私は静かにドアを開け、授業をしていた佐藤教諭(へんたい)に会釈して席につく。

 

 ───視線が、私に集まる。ヒソヒソと、話し声が響く。

 

 まぁ仕方が無いか。クラスメイトが入院したんだ、そりゃあ良い話題になるだろう。 

 

 昼休みは、問い詰められるだろうな。

 

 

 

 

「つまりだ。マリキュー、お前が言うには……」

 

 

 

 

 そして、昼休み。

 

 『病院に運ばれたらしいけど、何があったの?』『ついに来るべき時が来たの? 頭の方はもう末期で治らないの?』などと、クラスメイトに囲まれた私は、容赦の無い罵声を浴びせられていた。

 

 入院明けの美少女にケンカを売ってくるとは、流石は我がクラスメイト。

 

 売られた喧嘩は買わねばならない。タイムリープとか全部ぶちまけて、お望みどおりに末期な人を演じてやろうかと思ったけれど。

 

 ……集まってきた人の何人かは、私を本気で心配してくれている様だ。特に、昨日見舞いに来てくれた、ヒロシを含めた仲良しメンバー。

 

 そんな彼らに、さらに心配をかけるのは申し訳ない。適当な嘘をでっち上げ、 笑って誤魔化すとしよう。

 

 こんなこともあろうかと、優秀な私は完璧な言い訳をしっかり用意しておいたのだ。

 

 

 

 

 

「マリキュー、お前は真夜中に無性にカップ麺が食いたくなったと」

「ど〇兵衛が私を呼んでいた」

「そんで深夜にこっそり家を抜け出しコンビニに行った」

「腹をすかせた私を止められる存在などいない」

「そして、道端で出てきたイタチに驚いてうっかり失神して」

「マジ怖いよね、深夜のイタチ」

「通りすがりの人に救急車呼ばれて、そのまま入院したと」

「うん」

 

 

 

 

 ……時間跳躍よりは、まともな言い訳ではなかろうか。

 

 

 

 

「マリキュー。前から思ってはいたんだが、お前って……アレだよな」

「まぁ、確かにマリキューはアレだけど、いいところもあるし俺は気にしないぜ」

「マリキュー元気出しーや。私はマリキューがアレだからって、そんな気にせえへんし」

「いや、大丈夫だから。そんなに気を使ってぼかさなくても、私はメンタル強い娘だから」

 

 皆の目が、心配から呆れに変わっていく。さ、作戦大成功だね。

 

 ヒロシは、なんとも言えない顔になりつつ、恐る恐る私に話しかけてきた。

 

「その、マジで俺の告白関係ないんだな? ソレ気にした結果なら、その、バッサリ振ってくれてもいいし」

「あー違う違う。本当に無関係なんだって。むしろ、今となっては告白とかどうでもいいくらいだし」

「それはそれで傷つくかな!? なぁ、だったら返答くれよ!」

 

 ……あー。こいつへの返答、何も考えてなかったなぁ。どうしよ。

 

 こいつ結構頼りになったし、映画デートの時。でも、あのデートの記憶はコイツにはない。

 

 うーん……。あ、というかヒロシ側はどうなんだろ。

 

「というかヒロシよ、お前こそ告白取り下げとかしないの? かなりアレな感じの事件起こしたよ私」

「HAHAHA! 何をいまさら」

「いやいやいや、元々そういう感じのアレじゃんマリキュー」

「むしろアレの化身じゃんマリキュー」

「代名詞が最も似合う女じゃん」

「そこまで言うか」

 

 ヒロシの、私への気持ちはあんまり変わっていない様子。さぁどうしよう。

 

 マジでどっちでも良い。ヒロシを好きかどうかって言われたら多分違うけど……。付き合ったら好きになるかもしれん、そんな気がする。

 

 よし。一回、試しで付き合ってみようかな。合わなかったら別れればいいだけだし。

 

 

「……じゃあさ、ヒロシ────」

 

 そう考え、ヒロシのほうへ向き直り。教室のど真ん中、なるべく平静を保ちつつ返答を告げようとして────

 

 

 

 

 

「少し、時間もらっていいかしら。弓須さん」

 

 油断しきった折、いきなり誰かに肩をつかまれた。

 

「ほえ?」

「ごめんなさい。大事な場面だったかもしれないけれど、こちらにも大事な要件があったの」

 

 どこかで聞いた、女性の落ち着いた声が背後で響いた。私はゆっくりと振り向き、その声の主と目を合わせて、

 

 ────背筋が凍り付いた。

 

「……そんな顔をされると、少々傷つくわ」

「え、あ、いや、その?」

 

 そこに居たのは、川瀬だった。

 

 2週間前、私の心をへし折った、悪名高き奇特部の一人。

 

 私が代名詞(アレ)の化身であるならば、こいつ等は”名前を言ってはいけない例の人(ヤベー奴)”の権化。

 

 そんなB組の奇特部女子部員、川瀬が私の肩を掴んでいた。

 

「な、何か御用ですか……」

 

 川瀬を下手に刺激しないよう、なるべく穏当に声を絞り出す。級友たちは、唐突なキチガイに凍り付いている。

 

 なんで!? なんでこんなヤベー奴がいきなり話しかけてくるの!? 私何かした!?

 

 基本的にこっちから手を出さなければ、こいつ等は人畜無害なはずなのに! 

 

「重要な要件だけど、ここじゃ話せない」

「えっと、場所変えるって事? その、教室から出るのはちょっと……。私、友達とご飯食べる約束あるから」

「大丈夫。要件は、手紙にしている」

 

 そう言って彼女は、手に持った袋から小さな封筒を取り出した。用意が良い。

 

「この手紙を、誰もいないところで読んでほしい」

「お、おう。おう?」

 

 その封筒を、きょとんとしている私の手に握らせて。彼女は私を見据え、何度も念を押す。

 

「絶対の絶対の絶対に、人前で読んではいけない」

「わ、わかりました」

「絶対だよ。約束、したから」

 

 私は、川瀬に握らされたその封筒を見る。

 

 

 

 ラブレターだった。

 

 

 ハートマークのシールで閉じられた、私の名前だけが書いてあるピンク色のその封筒。

 

 よく見ると、川瀬さんはほんのりと頬を染めている。その目からは、強い親愛の情を感じる……

 

 

 

 

 

 

『その、何というか。メンヘラと言う奴ですわ、彼女は。しかもタチの悪い事に両刀だから、被害者の数は数え切れず……。調査の結果その話が真実だと分かったので、ウチの部活に収容することになりましたの。野放しは危険ですし』

『この部活そういう立ち位置なの!?』

 

 

 

 

 ……はわわ。

 

 

「そしてできれば、今日中に返答してほしい」

「や、やだ、積極的……?」

「返事、待ってるから」

 

 

 そう言って彼女は、私をじっと見つめた後。その場で振り返り、海が割れるように級友たちが避けてできた道を、悠々と歩いてB組に戻っていった。ああ、なんて男らしい。

 

「……その。マリキュー、川瀬さんの噂、聞いてるよな?」

「い、いえす」

 

 冷や汗を垂らしたヒロシが、それとなく聞いてくる。ああ、当然知っているとも。

 

 奇特部で聞かされた彼女の噂は、すでに学校中に広まっていた。唐突に誰かを好きになり、そのまま付き合った相手を精神崩壊させるヤベー奴、メンヘラ川瀬。

 

 その噂は、奇特部調査によると真実らしい。その証拠に、あの奇特部の連中すらビビっていた。

 

「知ってるなら話は早い。どうする?」

「ど、どうしたら良いんでしょう……?」

 

 神様はどうやら、とっても意地悪だ。時間跳躍(タイムリープ)の事で手一杯だっていうのに、さらにこんな爆弾を投下していくなんて。

 

 付き合うのは論外だ。私に同性愛の趣味はない。というか、たとえ異性だったとしてそんなヤベー噂を持ってる人と付き合うわけがない。

 

 問題は、どう断れば川瀬さんを刺激しないか。この1点だろう。

 

 下手な振り方をしてストーカー化されたら、私は精神崩壊するまで追いつめられることになる。

 

「てかさ、その手紙、なんて書いてあるの?」

「え、えっと」

 

 そうだ。いきなり手紙を渡されて混乱してしまったけれど、ラブレターとは限らないじゃないか。

 

 中身は案外、大した事じゃなくて業務連絡的な────

 

 

 

『約束は破っていませんよね?』

 

 手紙の入った封筒を開くと、その接着面には濃い字でそう、書かれていた。

 

 顔を引きつらせながら手紙を取り出すと、『親愛なる弓須様へ』と書かれた紙が折りたたまれており、さらに、その下に小さな文字で『まさか人前で開けていませんよね?』と追記されていた。

 

 

 

「ヒェッ」

「あかん」

「行動が完全に読まれてる……」

 

 怖いよ。なんだよこれ。

 

「……怖いから、トイレ行って読んでくる」

「あー……。ドンマイ、マリキュー」

 

 仕方ない。学校で一人になれる場所ってトイレくらいだし、そこで読もう。

 

「おいカナ、トイレまでついて行ってやれよ」

「んー。まぁ、いっか。マリキュー、連れションしようべ」

「男子の前だよカナ……」

 

 女子が連れションとか堂々と言うなし。カナはそのあたり一切気にしないパワー系の女子だが、私まで下品と思われるだろう。

 

 黙って男子トイレで用を足すのが、真のキチ〇イというものだ。普段は清楚に振る舞うからこそ、行動は変態的でエキセントリックになるのだ。

 

「んじゃ、読んだら報告ヨロ。出来る範囲で力貸すぜマリキュー」

「ありがと、ヒロシ」

 

 そう言って私は、開きかけの封筒をポケットにしまった。カナの目があるので、仕方なく女子トイレへと向かう事にしたけれど。

 

 さぁ、リベンジだ。一度は私の心をへし折った奇特部だが、流石に手紙だけで私の心を折るのは不可能だろう。一人でも大丈夫。へーきへーき。

 

 ……ないよね? さすがに、読んだだけで精神崩壊するような、おぞましい手紙な訳ないよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼休み真っただ中で、人気の少ない女子トイレに、私とカナは連れ立って入る。

 

 個室の入り口で私はカナと別れ、カタリと鍵を閉め。そのあと、私は深呼吸をして心を落ち着かせ、ゆっくりと手紙を開いた。

 

『最後の確認です。ここは、誰かの前ではありませんね? どこかから、この手紙の内容を盗み見ができるような環境ではありませんね?』

 

 ……しつこいな。どれだけ読まれたくないんだ、ラブレター。

 

 川瀬さんは案外シャイなのか、それともこれはサイコパス特有の謎のこだわりなのか────

 

『ここから先の内容だけは、だれにも読まれないように気を付けてください。単刀直入に聞きます。』

 

 そこで途切れた手紙の1枚目をめくり、2枚目への読み進める。うーん用心深いなぁ、彼女の偏執性が伺えるなぁ。

 

 その2枚目には、冒頭に小さく質問が記されていた。

 

 

 

 

 

『貴女は、時を繰り返していますか?』

 

 

 

 

 

 その一文は、私の頭を真っ白にするだけのモノを持っていた。

 

 ────なぜ、それをお前が知っている? いやむしろ、お前は何を知っている!?

 

 

『この文の意味が理解できないのであれば、貴方は安全です。何も知らないまま、その平和で掛け替えのない日常を享受していてください』

 

 

 無駄に達筆な彼女の手紙は、そう続いていた。意味が理解できないのであれば、私は安全だと。

 

 その書き方だと、その文に身覚えがあれば、私はどうなる? 

 

 

『だがもし、心当たりがあるなら──── 』   

 

 

 頬を伝う冷や汗を感じながら、私は夢中でその手紙を読み続け、そして。

 

 

『貴方は、命を狙われうる存在です。可及的速やかに、奇特部の部室に逃げてきて』

 

 

 その文を目にした時、言いようのない悪寒が背中を伝った。

 

 

『奴等に、見つかる前に。貴女は、狙われている────』

 

 

 

 狙われる? なんだソレ、意味が分からない。

 

 少し顔を青ざめさせながら、私はその手紙を呆然と眺める。

 

 悪戯? ドッキリ? キチガイの考えることはよく分からない。よく分からないから、キチガイなんだとも言えるけど。

 

 そうだ。私はからかわれたんだ。ビクビクしながらトイレから出てきた瞬間、キチガイどもに囲まれて散々に煽られるのだろう。

 

 きっとこれは、悪ふざけだ。

 

 

 

 

 ────その時背後に、誰かの息遣いを感じた。

 

 

 

 

 直後、私は背後へ振り向く。冷汗が背中をびしょびしょに濡らし、制服が皮膚に張り付く。

 

 頭の中にけたたましいアラートが鳴り響いている。

 

 なんだ、この感覚は。誰かに見られた? まさか、ここは女子トイレの個室だぞ。誰も居るはずがない。

 

 振り向いた先には、カギのかかったトイレのドアがあるだけ。隙間から誰かが覗いている様子もない。

 

 なのに、なのに、なんだこの胸騒ぎは────?

 

 

 

 ……そして、私は、直感的に。

 

 ()を、見上げた。

 

 

 

 

 

「……カナ?」

 

 

 

 

 

 いつから、そこに居たんだろう。

 

 虚ろな目をした、仲の良いクラスメイトであるカナが。

 

 トイレの個室の上の隙間から身を乗り出して、手紙を読む私を凝視していた。

 

 

「ちょ、ちょっとカナ? 何やってるの? 流石に気持ち悪いよその行動は」 

 

 

 一人であの奇特部の手紙を読む、私を心配しての行動だろうか。でも、だからと言ってコレはやりすぎではないか。不気味にもほどがある、心臓が止まるかと思った。

 

 そんな気持ち悪いカナはというと、私が上を見上げ、カナに気が付いてなお、凝視するのをやめる気配はない。

 

「……カ、カナ?」

 

 語りかけても無反応。き、気味が悪いってレベルではないぞ。

 

 そんな彼女の顔を見て、私は気づいた。

 

 ……目と目が、合わないのだ。カナの目は、私を見ているようで、私を見ていない。

 

 ────じゃあ、何を見ている? その視線の先は、私の手元の、

 

 

 

「見ツケタゾ」

 

 

 

 無機質な声がして。

 

 

 それと同時に、私の目と鼻の先に、急降下したカナが居た。

 

 

 カナは、私が手に持っていた、奇特部の川瀬さんからの手紙を凝視しながら、表情を一切変えずに。

 

 上の隙間からのぞき込んでいたカナは、大きく体を乗り上げて、私を目掛けて個室へと飛び落ちてきたのだ。

 

 

「カ、カナ!?」

「見ツケタゾ」

 

 話が通じない。

 

 先ほどまで私と笑いながら話をしていたカナは、眼の光を消して私へと襲い掛かる。

 

 何を言っているのか。これはいつもの悪ふざけなのか。混乱の真っただ中にいた私は、抵抗する事すらせず、

 

 

 

 ────そのまま首を、絞められた。

 

 

 

 理解が追い付かない。何が起こっているのかもわからない。

 

 私が友達だと思い込んでいた彼女は、私の命を奪うべく凄まじい力で首筋を圧迫する。

 

 しまった、声が出ない。こんな、意味の分からない行動をされた時点で絶叫しておくべきだった。

 

 首を押さえられてしまえば、私の口から出るのは掠れた呼吸音ばかり。助けも、呼べない。

 

 こひゅー、こひゅー。

 

 弱弱しい叫びが、人気のない女子トイレに響く。

 

 ……目の前が暗くなる。脳に血がいかない。チカチカと、目が危ない光であふれ、そして……

 

 

 

 

「っ!!」

 

 

 

 すんでのところで、カナは私の首から手を放した。同時に、カナは大きく目を見開き、何かを抜こうともがいている。

 

「ァ、ガハッ、ハァ」

 

 危ない呼吸音が私の口から垂れた。目は涙で充血し、口からは情けなくよだれが滴っている。

 

 殺す気か。殺す気か私を! これは冗談なんかで済ませられない。カナ、いくら友達の貴女でも────

 

 

 

 

 私は顔を上げ、カナをキッと睨みつける。そのカナは相変わらず無表情の、生気のない顔つきで目を開き、ドアに寄りかかって、

 

 

 

 死んでいた。

 

 

 

 胸から日本刀を生やし、真っ赤な血しぶきを私のほほに浴びせながら、あっけなく絶命していた。

 

 

 

 

 ギィィ、と鈍い音がする。カナの胸から、ゆっくりと日本刀が引き抜かれる。

 

 日本刀が抜けきると、カナの死体が重力でずるりと滑り、私のスカートに生暖かい血を吹きかけながら、ばたりと便器にうつぶせに倒れた。

 

 

 

 なんだ、これは。また、夢か。

 

 

 

 私は定期的に、誰かが死んでしまう白昼夢をみる病気にかかっているんじゃないか。

 

 時間跳躍なんて、そんなことがあるわけないだろう。全部全部妄想だったんじゃないか。

 

 助けて。誰か助けて。意味が分からない、教えてよ、何が起きたのか、どういう理由でカナが死んで倒れているのか────

 

 

 

 

「誰も居ないところで読んで、と言ったでしょう。ああ、もう取り返しがつかない」

 

 

 ドアの外から、声がした。

 

 女子生徒の、声がした。

 

 

「聞いているかしら? 弓須さん」

 

 

 がきん、と耳を切り裂く甲高い金属音がトイレに響く。

 

 直後、日本刀が再びドアへ突き刺さり、そのドアの鍵が切り落とされてしまった。

 

 

 ぎい、と鈍い音を立てながら、ドアはゆっくりと内側へ開き、死んだカナの太ももに当たって止まる。

 

 

 開いたドアの隙間から、見えたのは帯刀した少女。

 

 

 最悪の権化、奇特部の誇る人格異常者、B組川瀬が血が滴る日本刀をぶら下げて、悠然と立ち尽くしていた。




次回更新は1週間後です。


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第五話「奇特部」

 少女の携えた日本刀は、ポタリと赤い雫をこぼす。無機質なトイレの床に、どす黒い血痕を残しながら。

 

 半開きのドアから覗き込む、頭のおかしい殺人者。奇特部、川瀬は横目で私を見つめながら、視線を外そうとしない。

 

 今は、学校の昼休み。多くの生徒が平然と廊下を行きかうこの時間。彼女は、何のためらいもなく、人を刺し殺した。

 

 

「弓須さん。外へ出て」

「……っ!?」

 

 

 正気の沙汰ではない。明らかな異常人格者だ。

 

 彼女は、人間を殺しておいて表情一つ変えていない。それどころか日本刀を突きつけて、血塗れの私に外へ出ろと睨み付けている。

 

 

「手紙、読んでくれたでしょ」

「う、あ」

 

 

 手紙。

 

 そうだ。あの手紙の内容のことを問い詰めないと。

 

 いや、待て。その前に、もっと根本的な説明をしてくれないと。

 

 なんで、カナを殺した?

 

 なんで、カナは私を襲った?

 

 なんで、平然と日本刀を持ち歩いている?

 

 なんで、私が時間跳躍してることに気付いた?

 

 なんで────

 

「悪いけど。混乱してもらう時間はないの」

 

 意味が分からず呆然と立ち尽くす私に、彼女は日本刀を振りかぶった。

 

 日本刀を上段に構え、彼女は私と相対する。

 

 その刃には、どす黒いカナの血がゆっくりと滴っている。彼女がそのまま剣を振り下ろせば、私の脳天は真っ二つだろう。

 

 ───日常で体験したことの無い、涙が出るほどの恐怖。

 

 私は明確に、生命の危機に瀕している。口元が震え、 動悸が激しくなり、息が乱れ頭が真っ白になる。

 

 

「貴女が私についてこなければ、ここで殺す。理解した?」

「……っは、いぇ、え」

「良いから、廊下へ出ろ」

 

 

 それは、命令だった。目の前でカナをためらいもなく殺した少女が、日本刀を振りかぶり、私へ下した命令。

 

 私に、抵抗する気力なんて無かった。

 

 

 

 

 

 廊下に出ると、たくさんの生徒が行き来していた。

 

 女子トイレから出てきた私の制服は、カナの返り血で真っ赤だった。しかも、私の後ろには、日本刀を携えたキチガイが悠々と歩いている。

 

 そうなれば当然……

 

 

「いやあああああ!!」

「なんだ!! 何だよアレ!!」

 

 

 生徒で溢れる廊下には、甲高い悲鳴が木霊した。

 

 血塗れの私を、日本刀を持った彼女を、多くの生徒が恐怖の対象と認識したのだ。至極、当然の結果だ。

 

 かくいう私も、怖くて怖くて仕方がない。いつ、脳天を割られるかわからない恐怖。後ろのキチガイが少し気まぐれを起こせば、私は殺されてしまうのだ。

 

 死にたくない。助けてほしい。いやだ。なんで私がこんな目に。

 

「そのまま、奇特部の部室へ向かって」

「は、はは、はい」

「走って! 今は、そんなに余裕がないの!」

 

 キラリ。

 

 風切り音と共に、私の顔の横から、日本刀が生えてくる。私の横髪が、パラパラと肩に落ちる。

 

 ヒ、ヒィィィ!? この女、突きやがった! 私のこめかみの真横を突きやがった!!

 

「う、うあああん!! 誰か助けてよぉ!」

「良いから走れ!! 私にビビってでも、何でもいいから!! 部室へ向かって!!」

 

 彼女の声にも、余裕がない。このまま彼女の機嫌を損ねれば、カナみたいに叩き切られるかもしれない。

 

 その重圧とプレッシャーに負け、私は走り出した。彼女の言う通り、部室へと向かって。

 

 違う場所に逃げれば、切り殺されるかもしれない。彼女に逆らったら、きっとそうなる。

 

「良いよ、そのまま!」

 

 川瀬は、恐怖で全力疾走している私の背中にピタリ張り付き、少しも距離を離せない。

 

 なんだよ、なんで日本刀持ってるのにお前の方が足早いのさ! おかしいよ、そんな文系っぽい見た目して運動神経抜群かよ!

 

 誰かの助けを期待し軽く振り向いたが、川瀬以外には誰も私達を追いかけてきていなかった。そりゃそーか、誰だって関わりたくないわな。

 

 ああ。私、このまま殺されちゃうのかな────?

 

 

 

 

「そう、降りて、旧校舎の方へ────っ!!」

「マリキュゥゥゥゥゥゥッ!!!!!」

 

 

 

 背後から、きゃあ、と言う短い悲鳴と、野太い男の絶叫が廊下に木霊した。

 

 

 同時に、私を追いかけてくる殺人者は、激突音を響かせ壁に叩きつけられた。

 

 振り向くと、肩を怒らせた男子生徒が仁王立ち、壁にもたれる川瀬を見下ろしていた。

 

 どうやら彼が、日本刀を持った女子生徒に決死の覚悟で体当たりをかました様だ。

 

 不意打ちだったのだろう。川瀬は大きく吹っ飛び、体を強打した後に立ち上がる気配が無い。

 

 かなり鈍い音だった。骨が何本か折れているかもしれない。

 

 

 

「っはぁ、っはぁ。ぶ、無事かマリキュー」

「ヒロ、シ」

 

 

 そんな、私の絶体絶命の窮地に割って入ってくれたのは、ヒロシだった。

 

 彼は、日本刀を持つ殺人者に対して臆さず、私の窮地を救ってくれたのだ。

 

 

 

 

「────は、走って」

 

 

 

 川瀬の声が、なおも続いた。

 

 

 何処かを切ったのだろうか。口元から血を零しながら、縋るように私を見て、彼女は嘆願する。

 

 

 

「部長の、所へ。今なら部室に居るから、走って逃げて!」

「おい、お前! 何でこんなことしやがった!! てか、その血誰のだ!? まさかマリキュー切りつけたんじゃねぇだろうな!!」

「走って、走って、走ってよ!」

「何を、意味わかんねぇことを! 今先生が警察読んでるからな、覚悟しろよ!」

「走って、部長に、タクさんに会って!! お願いだから、嘘じゃないから、信じて────」

 

 

 川瀬は、起き上がろうとして、起き上がれない。どうやら、ヒロシのタックルで足が折れているらしい。

 

 それでいてなお、私に走れと、懇願するように叫んでいた。

 

 

 

 その目には、大粒の涙が浮かんでいた。何時しか川瀬の声は掠れ、鼻声になって、なお私に逃げろと絶叫している。

 

 

 

 

 

 ───あれ。なんでだ。

 

 あんなに酷い目にあわされたのに。いつ殺されるのかと、恐怖に怯えきっていたというのに。

 

 私の直感は、この少女を信じろと叫んでいた。

 

 この場所から離れろと、脳内でけたたましく警報が鳴り響いていた。

 

 

 

 

『貴方は、命を狙われうる存在です。可及的速やかに、奇特部の部室に逃げてきて』

 

 彼女の手紙の内容が、頭にフラッシュバックする。

 

『奴等に、見つかる前に。貴女は、狙われている────』

 

 豹変した、カナの声が耳によみがえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見ツケタゾ」

 

 

 

 

 その時廊下に、無機質な声が響いた。

 

 

「……ちょうどいいところに! おい、そこのアンタ! このキチガイ女を縛るモン、何か持ってないか!?」

 

 誰も追いかけてきていないと思ったが、ヒロシの他にも男子生徒が一人、私を追いかけてきたらしい。

 

 ソイツは見覚えのない、普通の男子生徒だった。間違いなく初対面だ。

 

 その男子生徒は、こちらを一瞥し、まっすぐ走り出した。

 

 たた、まっすぐに。私をめがけて、無表情に。

 

 まるで、あの時のカナみたいに。

 

 

「ダメ! 逃げて、逃げてぇ!」

 

 

 川瀬の声が、廊下に響く。彼女の足は折れ、日本刀は廊下に転がっている。

 

 そしてヒロシは、走ってくる男子生徒に手を振り、川瀬を取り押さえ様としている。

 

 考えろ。どうすれば良いのかを。私は、私のとるべき行動は────

 

 

 

 

 目の前の状況を客観的に判断し、男子生徒の到着を待つ?

 

 叫ぶ殺人者を信用し、ここから逃げ出す?

 

 

 いや、違う。私は、私がすべきなのは、

 

 

 

 

 ────自分の勘を、信じる事!

 

 

 

 

「ヒロシ、ついてきて!! 私、一旦ここから、逃げる!!」

 

 殺人者を無条件で信用するのではない。自分の頭に鳴り響く、奴から逃げろという警報に従うんだ。

 

 彼女の言葉に嘘はないという、私の勘を信じるのだ。

 

 ……私一人での逃走じゃ、正直心細い。そしてヒロシは、とても頼りになる男だと私は知っている。

 

 だからヒロシに付いてきて貰って、ここから逃げよう。

 

 

 

 

「は? マリキュー?」

「ゴメン、ヒロシ、私を助けて! よくわかんないけど、何もわかんないけど、多分アイツから逃げなきゃダメっぽいの!」

 

 

 そう言って私は、廊下を再び駆け出した。その男子生徒から、逃げるように。部室の、川瀬の言っていた部室を目指して。

 

 戸惑った声を上げた後、ヒロシは私を追いかけてくれた。よかった、普段は弄られキャラの癖に、こういう時はとっても頼もしい。

 

 

 ────奇特部の部室を目指せ。

 

 

 川瀬の、殺人者の言うことを真に受けるなんて私はどうかしている。やっぱり私は、頭がおかしいのかもしれない。

 

 

「待てってマリキュー! どこに行くんだ?」

「旧校舎よ! ごめんヒロシ、ついてきて。全部後で話すから、今は傍にいて!」

「な、なんか知らんけど了解!」

 

 

 でも、よく考えたらおかしいのだ。川瀬が私を害そうと企むのであれば、機会はいくらでもあったはず。

 

 カナを殺したことは許せないけど、あの時のカナは様子がおかしくて、むしろ私が殺されそうで────

 

 

 あの時は強引に、川瀬さんは私を助けようとした様にも思えたから。

 

 

「マリキュー!! さっきの男子生徒、まだ追ってきてるぞ、知り合いか?」

「見たことない人、多分先輩? なんか様子がおかしいでしょ、きっと近寄ったらダメ!」

 

 

 背後から、表情を変えず淡々と私を追い続ける男子生徒。目の感じが、おかしくなったカナと酷似している。

 

 アレに近寄っちゃいけない。さっきからずっと、何の根拠もない勘が告げている。

 

 

「見えた! あの部屋!」

「ゲッ、奇特部の部屋じゃねぇかマリキュー!?」

「そうよ、あそこの部長が何か知ってるらしいの!」

 

 

 以前川瀬に案内してもらった、正式な部ではないので不正使用しているという、物置のような寂しい部室。

 

 調子に乗っていた私の心を粉砕した部屋。そしてきっと、こんな非常事態から私を助けてくれるだろう何かがある部屋。

 

 私は無我夢中で、その部屋のドアを全力で開き、転がるように部室の中へ駆け込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……最早、たまんねぇよ。たまんねぇんだよ!!」

「イケませんわタク、目を覚ましなさい! ほら、私は男ですのよ!」

「それが何の問題だっていうんだ!? 良いから脱げこのカマホモ野郎!」

 

 

 

 

 

 扉を開けると、薔薇色の世界が広がっていた。

 

 全裸になったガタイの良い金髪の男が、女装した男子生徒に発情して組ん解れず、吐息のかかる距離で見つめあっている。

 

 

 

 あっふーん、お二人はそう言う……。

 

 

 

「マリキュー、この部屋に入るのはやばいって……、ってウワアアアアアァ!! やっぱりやばかったじゃん!! 2人だけの世界が広がってるじゃん!!」

 

 

 私に続き入り込んできたヒロシが、本格的♂な二人を見て絶叫する。

 

 そうだね。早くもこの部室に入ってしまった事を、私は後悔し始めていた。

 

 

「ちょ、え、お前ら何しに来た!」

「これは、その、違いますわ! 発情したタクが強引に迫ってきただけで、私に同性愛の趣味はありませんわ!」

「マイィ! その口縫い合わすぞ、それじゃ俺一人が変態じゃねぇか!! 女装してる時点で貴様もド変態だバーカ!」

「発情して襲ってきたのは貴方でしょう! このド変態!」

 

 

 頭が痛くなる会話が、繰り広げられている。こんなアホなことをしている場合ではないのに。

 

 川瀬が人を殺したこと、そして奇特部の部長に会いに行けと言われたこと。それらをかいつまんで説明しようとして────

 

 

 ガァン!!

 

 

 と、扉の開く音がした。

 

 男子生徒が追い付いてしまったらしい。奇特部の部室の入り口には、無表情な男子が仁王立ちをしていた。

 

 

「……うわ、来ちゃった!」

「は? ……オイ、オイオイ」

 

 その男子生徒は、私を見つめて表情のまま、ゆっくりと迫ってくる。

 

 ────そんな、彼の姿を見た瞬間。ホモホモしい奇特部2人の、目付きが変わった。

 

 

「おい、そこの乱入女子生徒。なんで、ここに逃げてきた?」

「……川瀬さんに、ここに逃げろって」

「あー、把握。ブン子の差し金かよ」

 

 

 金髪の奇特部は、忌々しそう呟いた。

 

 一方、男子生徒は脇目も振らず、私めがけて突進して来る。その目には、明確な害意が浮かんでいた。

 

 生理的な恐怖で、びくりと私は部室の奥の壁に張り付く。

 

「っと! 何なんだアンタ!」

 

 その様子に反応して、ヒロシが私を庇うべく男子生徒の前に立ちふさがり、私を背中に隠した。

 

 

 

 ────その時だ。何かを諦めたような台詞が、奇特部の方から聞こえてきたのは。

 

 

 

「壁、越えちゃったんだなお前」

 

 

 

 ────ずどん。

 

 発砲音が部室に響く。

 

 

 

 振り向くと、金髪の男子生徒が何かを構え、血を噴き出して倒れる男へ向けていた。

 

 嗅いだこともない鼻につく異臭が、部屋にこだまする、硝煙の匂い、という奴だろうか。

 

 男子生徒が血飛沫を上げ、前のめりに倒れ伏す。

 

 奇特部の金髪は、私に迫りくるその男を、小型のハンドガンで銃殺してしまったのだ。

 

 

 

 

「は、は? はぁぁぁ!?」

 

 

 目の前で人を撃ち殺されたヒロシが、恐怖で絶叫する。私も、思わず尻もちをついて倒れこんでいた。

 

 こいつらは、なんで躊躇いもなく人を殺せるんだ? というか、銃刀法……?

 

 

「越えちゃったなら仕方ねぇ、アンタを守るのは俺の領分だ」

「……はぁ。部員が増えるのを喜ぶべきか、新しい被害者を憐れむべきか。悩みますわ」

 

 

 何とも言えない表情の二人と、いきなりの銃殺に混乱しきっているヒロシ、震えて物も言えない私。

 

 何が起こってるのか、早く誰か説明してくれ。展開に全くついて行けないぞ。

 

 

「おい女子生徒! マリキューと呼ばれてたやつ、お前だ!」

「は、ハイィ!」

 

 尻餅をついて目を回していると、奇特部の金髪は私に向かって叫んだ。

 

「ここ最近の、お前のぶっ飛んだ経験を教えてくれ! 改めて、お前の入部テストだ」

「え、あ、えっと。ここ最近、で、ぶっ飛んだ経験って」

 

 

 

 ……それは、初日に聞かれたのと、同じ質問だった。確かあの時は、近所のガキに撮影され、Twitt〇rに動画を上げられたことを言ったんだっけ。

 

 今は、違う。ここ最近でぶっ飛んだ経験と言えば、一つしかない。

 

 

「実は最近、本気で頭がおかしくなったんだと思ったんです」

「それはどうしてだ? マリキュー後輩」

「だって何度も! 何度も何度も何度も! 同じ日を繰り返してたんですよ!! 死んだ人が次の日には生き返ってるし! ヒロシが突如として跡形もなく消え去るし!」

「え、俺?」 

「先生は同じ授業を繰り返すし、気がついたら真夜中になってるし、皆は何も覚えてないし!! こんなの意味が分からないよ! 誰か説明してよ!!」

「くっ、あーはっは!! そりゃあ間違いねぇな、お前はとうとうこっち側に来ちまったんだ!」

 

 

 

 私の答えを聞いたタクは、哀しそうに大爆笑して、流れるように銃の撃鉄を鳴らした。

 

 クルクルとハンドガンを回しながら、なんとも言えぬ表情を浮かべ、自分のこめかみに銃口を向けて。

 

 息を呑む私を尻目に、引き金に手をかけながら、引き攣った笑顔で語りかけてきた。

 

 

「さて、マリキュー後輩。覚えていられるなら、昨日(・・)の放課後、この部室に来てくれ。いいな?」

「は? 昨日?」

「待ってるぜ、後輩。歓迎パーティーの、準備をしておくよ」

 

 

 

 

 ずどん。

 

 

 

 二発目の銃声が、部室に響く。奇特部の男の脳漿が、部室の壁にこびりつく。

 

 笑顔で、自らの頭を撃ち抜いたキチガイが、赤い飛沫をまき散らしながら、糸が切れた人形の如く倒れこんだ。

 

 

 自殺した金髪から目を背けるホモ女装先輩と、展開ついていけずに困惑しきっているヒロシ。

 

 私だってそうだ。いきなり銃で自殺したキチガイに、言葉すら発せずその場に座り込む。

 

 どう言うつもりで、何が目的で、どうなったんだ。

 

 誰か。誰か、説明しろよ本当に。

 

 

 

 

 

 

 

 ────その直後。時間逆行(タイムリープ)が始まった。

 

 

 

 

 

 

 凄まじい不協和音が、耳をつんざく。壊れた逆再生のスピーカーが、高周波で鳴り響いたような、そんな雑音。

 

 私がまず最初に見たのは、自殺したその男の脳漿が、巻き戻しを見ているが如く逆再生に起き上がったその男の頭へと吸収されていくシーン。

 

 視線を移すと、私を追いかけ回し銃殺された男子生徒が、物凄い速度の後ろ走りで部室から出て行くところだった。

 

 部室の壁には、血痕一つ残っていない。

 

 男子生徒だけではない。ヒロシも、金髪も、誰も彼もが時を巻き戻され、後ろ走りで目眩がしそうな速度で動き回っている。

 

 部室にかけられた時計を見ると、凄まじい速度で逆回転していた。

 

 

 

 

 ────時間逆行(タイムリープ)が、目の前で起こったんだ。そう、理解した。

 

 

 

 

 

 やがて、巻き戻しは加速していく。

 

 空では、プラネタリウムみたいな速度で太陽が東へ沈んでいた。

 

 日が隠れると外は暗くなり、部室の中に誰も居なくなっまま、数秒後には西から日が昇る。

 

 再び明るくなった部室に、後ろ歩きで入ってきた少女が椅子へと座った。

 

 そして。徐々に時間の巻き戻る速度が、緩やかになってきて。本を読み戻る彼女の手が止まり、やがて────

 

 

 

 

 ────ページを逆回ししていた川瀬の手が、次のページへと読み進むようになった。

 

 部室の時計に目をやると、時計回りに秒針が刻まれている。

 

 

 

 

 

 時間逆行が終わり、再び時が未来へと流れだしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「か、川瀬さん?」

「……っ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 私は、私に逃げろと叫んだ少女、川瀬に話しかける。

 

「いつ、から、そこにいた?」

 

 私に声をかけられた彼女は、目を見開き、動揺して声を震わせた。

 

 そうか。彼女にしてみれば、いきなり目の前に私が現れた事になるのか。

 

 

 ……川瀬には、聞きたいことがたくさんある。

 

 今のタイムリープ現象について、とか。川瀬は何を知っているのか、私に何故逃げろと言ったのかとか。

 

 貴女の言うとおりに、私はここへ逃げてきた。だが、結局何もわからないままだ。

 

 今こそ。すべてを話してもらうぞ、川瀬さん────

 

 

 

 

「というか、何故貴女がこの部室に来たの? 二度と来ないで欲しかったのだけれど」

「……えぇ?」

 

 

 

 

 そんな感じで色々期待しながら彼女を見ていたら、めっちゃ不機嫌そうに私は睨み付けられた。

 

 何でや。




次回更新は1週間後。
やっと、序盤のシリアスさん終了です。
もっとコメディっぽくするつもりだったのに、どうしてこうなったのか。


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第六話「真相」

説明回。
展開はあまり動きません。


 日本刀少女、川瀬は寂れた部室の椅子に腰掛け、私を睨み付けている。

 

 その目には、僅かな敵意が宿っていた。

 

 私何か、川瀬さんを怒らせるような事をしたかな。あー、そういや「誰も居ない所で手紙を読んで」っていう約束を破っちゃったっけ。

 

 でも、今の川瀬さんは時間が巻き戻ってる事に気付いているのか? 反応的に、気付いてない様に見える。

 

 鬼の形相、とまでは行かないが。彼女は間違いなく、私を敵視している様子だ。

 

 その鬼気迫る表情を見て、日本刀を振りかざし追いかけてきた時の彼女を想起し、思わず私の顔が引きつる。

 

「ノックもなしに、勝手に余所の部室に入るなんて、不作法ではないかしら」

「えー、と。あ、あはは、急いでたんでノックとかする余裕がなくってね。ごめんね」

「急いでいた、ね。急いでいた癖に、きっちり音は消して入ってくるのね」

 

 川瀬の不満は、続く。

 

 しょうがないじゃん、誰かに日本刀持って追いかけまわされたんだから、ノックとかする余裕あるわけないでしょ。

 

 それに、私はかなりデカい音を立てて入ってきたよ? 難聴かな?

 

 

 ─────いや、彼女がそう言う意味で発言していないと、分かってるけと。

 

 

 ……まぁ、やっぱりそうだよな。彼女には、明日の記憶は無いらしい。

 

 つまり。

 

 

「川瀬さん、今日は4月20日ですよね」

「……それが、何?」

「約束通り、私はこの部室に来たわけですけれど。タクさん? って人から何か聞いてない?」

「聞いてないわ。……ちっ、あのキチガイは何を企んでいるんだか」

 

 

 ……彼女は、時間逆行に直接関わってはいないと言うことだ。

 

 私は、川瀬の命令のでこの部室まで逃げ込み、タクさんとの約束通りに私は”昨日の放課後”に部室に居る。

 

 明日のことを覚えているのなら、ここに私がいても何も不思議ではないはず。

 

 

「タク、という人が来るまで待ってていい?」

「部長の客人なら、私に追い返す権利はない。好きにすると良い」

 

 

 そう言って彼女は、再び読書へと戻った。

 

 結局、何の情報も得られないまま、会話が終わってしまった。

 

 ……彼女には、明日(・・)の記憶はないけれど。明日(・・)に渡された手紙から考えるに、私の時間逆行について何かは知っている。

 

 そのことについて、聞いてもいいのだろうか。何やら、初めて会った時より、彼女は攻撃的で刺々しい気がする。

 

 明日の昼休み、彼女がラブレター(?)を手渡してきた時は、もうちょい親しげだったのになぁ。

 

 川瀬さんは、日によって性格が変わるタイプのキチガイなのかな。

 

 あの時はどっちかって言うと、かなり親愛の情を感じる目をしていた様な。

 

 ……まさか、好き避け? 私のことを性的な目で見ていて、照れてつれない態度を取っているとか?

 

 噂では、彼女は同性にも手を出して、欲望の限りを尽くし廃人まで追い込むキチガイ。

 

 私は今、非常な危険な状況なのかもしれない。

 

 

「ねぇ川瀬さん」

「……何かしら。あまり、私に話しかけないでほしいのだけれど」

 

 

 この避けっぷりが、逆に怪しくなってきた。川瀬さんを、少し揺さぶってみよう。

 

 キチガイはどれだけ対策しても、しすぎということは無いのだから。

 

 

「川瀬さんは今、好きな女の子とか居るの?」

「……どういう意味かしら」

 

 

 ────まずは普通の恋バナっぽく、話を振ってみる。私を性的に意識してるなら、ちょっとは動揺するだろう。

 

 ……しかして。私の質問を聞いた彼女の顔からは、僅かな困惑が見て取れた。

 

 これは、当たりかもしれん。

 

 

「ただの雑談だよ、川瀬さん。川瀬さんはどんな女の子が好みなの?」

「ちょっと待って。え、何、どういう質問?」

 

 ぐ、と顔を近づかせてみる。

 

 すると川瀬は目を丸く見開き、あたふたと緯線を泳がせた。

 

 明らかに動揺している。チャンスだ、畳みかけよう。

 

 

「ああ、大丈夫。私は同性愛とか、気にしない方だから。川瀬さんも素直になると良いよ」

「!?」

「おお、何か顔赤くなってきてない? あれ、ひょっとして気になる子がいるのかな? まさか私か?」

「ちょ、待って。ああ! あの噂を真に受けたのかしら? あれは脚色されていて、私にソッチの気は……」

「とか言いつつ、顔真っ赤だけど? 私は言いふらしたりしないよ、大丈夫」

 

 

 ……さっきまでのツンツンはどこにやら。私が少し顔を近づけると、机の上に本を開いたまま、川瀬は視線を激しく左右に揺らし動揺している。

 

 

「女の子には興味ないんだ?」

「な、無いに決まってるでしょ」

「じゃあなんで、そんなに顔が赤いのかしら?」

「えっ、それは……」

 

 当たりだな。この川瀬という女子は、やっぱり私に性的な興味を抱いている危険な女に違いない────

 

 

 

 

 

「……マリキューちゃん。お前、そっちの趣味だったの?」

「き、き、キマシタワー?」

 

 

 

 

 

 おや。

 

 部室のドアが開き、例のキチガイ先輩共が私と川瀬さんを遠巻きに覗いていた。

 

 

「あの、その、気持ちはうれしいけど、その、私そっちの趣味は本当になくて、」

「ふーん?」

 

 

 ……川瀬さんは、まだ動揺している。だがしかし、この期に及んでなお、私への想いを誤魔化すつもりらしい。

 

 私は鈍感では無いのだ、態度でバレバレだっていうの。二人ほど野次馬がいるが、奴らは気にせずもう少しぐいと顔を近づけてみようか────

 

 

 

 

 

 ────って!

 

 これじゃ、私から迫ってるやんけ!

 

 

 

 

「って、違うそうじゃない! 私はその、川瀬さんの気持ちを確認してただけで!?」

「落ち着け後輩。俺は別に、同性愛とか気にしないよ。マイというド変態で耐性あるから」

「私を変態呼ばわりはいただけませんが、タクに同意見ですのよ。恋愛とは、自由な形でいいのですわ」

「待って、変な方向に収束させないで! 本当に違うの! その、私が両刀って噂は、あそこでニヤニヤしてるキチガイ共がバラまいたデマで、私は普通にノーマルで…………」

 

 

 あ、川瀬さんが動揺してたのって、そういう……。

 

 

 

 

「誤解だぁ!!」

「あら~^^」

 

 

 

 

 この後めっちゃ弁明した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぜー、ぜぇ。これで私がノンケなことは理解していただけましたね!」

「お、そうだな」

「そうですわね」

「……」

 

 だめだ。みんなの目が生ぬるい。

 

 こんな頭のおかしい連中に、こんな扱いをされるなんて。なんたる屈辱か。

 

「ねぇ川瀬さん、なんでさっきから私の方見ないの?」

「……別に、何も意図はありませんよ?」

「ちっくしょう! 全然目を合わせてくれない! しかも敬語になりやがった!」

 

 私の川瀬さんの心の距離がぐーんと開いた模様。

 

「どうどう、もういいかマリキュー後輩」

「良くないですよ! このままじゃ、変な噂が広がって私の学園生活が終わってしまう!」

「既に結構ヤベぇ噂広がってなかったか、お前」

 

 この金髪の言うとおり、私の珍妙な行動の数々は学校中で噂になってはいる。だが、それは私の望むところ。

 

 「変な奴」という噂が広がる分には構わない。

 

 ただしレズはダメだ。本物サンが沸いて迫られたら、扱いに困るし、その相手にも失礼だ。

 

「それよりさ。マリキュー後輩、そろそろ本題聞きたくないのか?」

「本題?」

「お前、何の説明もされないままここに来ただろ。質問攻めにあうと思って、気構えてたんだが」

「……あ」

 

 そういやそうだった。いや、そうだ。

 

 そうだよ! それが本題だったよ!

 

「おい金髪先輩!! やっぱりあんた何か知ってるんですね!」

「金髪先輩は勘弁してくれ……。タクな。柊卓也、あだ名はタク」

「名前とかどーでもいいです! あんた、何を知ってるんですか!? あんたは明日の事、覚えてるんですか!?」

「失礼な奴だなー。質問に答えると、俺は覚えてるぞ、明日の事。俺だけは、な」

 

 そう言って、タクと名乗った金髪の男は、自らのこめかみを指で撃ち抜く動作をする。

 

 それは明日、タク先輩が自殺した時の動作にそっくりだった。

 

「コレ、だろ?」

「……本当に、覚えてるんですね。時間を超えてるの、私だけじゃなかったんだ」

 

 これで疑いようもないだろう。彼は、時間逆行現象について何かを知っている。

 

「なぁ後輩。何から聞きたい?」

「そうですね、ではまず────」

 

 

 

 

 タク先輩には色々と、聞きたいことがある。順位をつけるのが本当に難しいくらいに。

 

 ただ、強いて最初に聞いておきたいことがあるとすれば、

 

 

 

「タク先輩はホモなんですか? 女装先輩とのご関係は?」

「よりによってそこか」

 

 

 いや、だってそこも重要だし。

 

 正直、私も女の子なので、ちょっと興味があります。

 

 

「タクとはただの同級生ですのよ。最初は普通の娘と思ったけど、あなた少し変わってますわね」

「え、本当ですか? ふふ、よく言われるんです♪」

「褒めてませんわ、嬉しそうな顔しないでください。……で、どうしてそんな質問を?」

「明日、お二人は部室でシッポリ行為をなさってたので」

「タクゥゥゥ!! あなたまたヤりましたの!?」

 

 

 女装先輩は激おこの様だ。タク先輩の胸ぐらをつかんで揺さぶりながら、裏声で絶叫した。

 

 この人は女装をしている変態さんなのに、同性愛者ではないらしい。そういうタイプの人も居るんだな。

 

 

「その、アレだ、すまん。ヤクザ共との追いかけっこがやっと終わってだな、一息ついたら無性にムラムラしてきて」

「だからって私に手を出さないでくださいまし!! これで何度目ですの!?」

「き、昨日は最後までヤれなかったから!! 大丈夫、ヤってもちゃんと無かったことにするし」

「無かったことにされようと、同級生に掘られるとか気持ち悪すぎますわぁぁ!! 確かに今まで、私の主観的にはなにもされてませんけど、絶対に時の狭間で何度かヤってますでしょアナタ!!」 

 

 

 女装先輩は本気で嫌がっているようだ。ゾワリと鳥肌を立て、タク先輩から距離を取っている。

 

 ……彼女(彼)は、存外にまともな人なのかもしれない。金髪は疑いようなくキチガイだけど。

 

 いや、それよりも気になる言葉があったな。

 

 

「……なかったことにする? 時の狭間?」

「お、食いついたか。ソコを今日は主に説明するつもりだったんだ。じゃあ、種明かしと行こう」

 

 

 

 金髪の男、奇特部の部長、タク先輩は語りだした。

 

 私が、一体どんなものに巻き込まれてしまったのか。明日の、意味の分からない数々の事件について。

 

 時間逆行の、真実について。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まぁなんだ。端的に言うと、俺は時を巻き戻せるんだ」

「先輩が……ですか?」

 

 

 金髪の青年は、半笑いのままに説明を続けた。

 

 先ほどと同じく、指で自分の脳みそを撃ち抜くジェスチャーをして、

 

「俺が死んだら、その瞬間からきっかり24時間、巻き戻るんだわ」

「……それ、証明はできますか?」

「うっ……出来るけど、つまり俺に死ねって事? めっちゃ痛いからなるべく死にたくないんだけど」

「いや、いいです。次、先輩が死んだときに確かめます」

「そーしてくれ。俺の家は時々、時を巻き戻す能力をもって生まれてくるガキが居る。たまたま俺がそうだったって話」

 

 タク先輩の言葉を聞いて、チラリと周りを見渡す。残りの二人の反応が見たかったのだ。

 

 ────ド真剣な顔で、タク先輩の後ろ側、二人は私を見据えていた。人をからかっている雰囲気では無さそうだ。

 

「まぁ、それで何でマリキュー後輩の時間まで巻き戻っているかというとだな……」

 

 男はニヤリと口元を歪め、話を続ける。

 

「おめでとう、後輩。お前は、俺と同じ能力を発現した」

「……え?」

「時空跳躍能力者の、能力発現の第一歩。それは、時間が動かされた時にそれを感知できる能力なんだ。ちょうど、今のマリキュー後輩みたいにな」

「……正しく、タクに後輩が出来たってことですわね」

 

 ほ、ほーん。

 

 いかん。話は理解できるけど、私がいきなり超能力者に? 正直、ついていけんわぁ。

 

 ……このキチガイ共によって、私も自殺とかさせられるのだろうか。絶対嫌なんだが。

 

「もっとも、発動条件は人によって違う。俺の能力は自分の死で自動発動するタイプだが、お前はそうとは限らないぞ」

「貴女には貴女の能力発動条件があるということですわ。もしあなたが時間を巻き戻した時は、その時の状況をよく覚えておきなさい」

「時間を巻き戻せるとも限らないがな。今は、後輩ちゃんは時間系の能力者って事しかわかんねぇ状況だ。……俺の知ってる他の時間系能力は、時を止めれるけど自分も動けなくなるっていう欠陥能力だった」

「ゲームでいうポーズ画面みたいな感じですわね、あの人のは。咄嗟でも思考時間が稼げるのは、確かにメリットですけれど」

 

 そ、そっか。話の流れ的に、私も死んで時間逆行とかさせられるのかと思った。

 

 生き返れると分かってても、さすがに嫌だわ死ぬのは。目の前のタク先輩とやらは、ここ数日で3回くらい死んでるけど。

 

 そういや、何でこの人死んだんだろう。

 

「……ちなみに、4月20日に何度も死んだ理由は?」

「ん? ヤクザに追い回されて射殺された」

「ヤクザに喧嘩売ってるって噂、やっぱりマジなのか……」

 

 私を混乱の渦に叩き込んだ、繰り返す4月20日現象。それは単に、ヤクザに喧嘩を売ったキチガイの時間逆行に巻き込まれただけだったらしい。

 

 私が時間逆行を知覚出来るようになったから、こんな酷い目にあったのか。

 

「最初の4月20日は自殺だけどな。あれだ、ヤクザから車奪って上手い事逃げだせたんだが、警察共が参戦してきて追い回されてな……」

「……タク先輩、車運転できるの?」

「出来るに決まってんだろ。ヤクザとカーチェイスして何度も死に覚えたんだ。その辺のやつよりかはずっと運転上手いぜ?」

「あー、成程」

「でもあの日は、いきなり飛び出してきたうちの生徒をひき殺しちまってなぁ……。警察からは上手い事逃げ出せたんだけど、後味悪いから自殺してやり直した」

「気に入らないことがあれば何度でもやり直せるのが、タクの能力の強みですわ」

「……めっちゃくちゃ痛ぇけどな」

 

 

 そうか、うちの生徒をひき殺しちゃったから、深夜に自殺して4月20日をやり直したのか────

 

 

「つまりあの黒塗りの車はお前かぁぁぁ!!」

「ッグエ!?」

「お前が私にトラウマ植え付けた張本人か!! 目の前でクラスメイト跳ね飛ばされて、私がどれだけ苦しんだと思ってるこの野郎!!」

「そ、そんなこと言ってたな。スマン、お前の知り合いだったか」

「当事者じゃあ!! 目の前でヒロシの首がエライ方向に曲がって今でも夢に見るわ!」

 

 私のここ3日くらいのストレス要因は、半分くらい初日のヒロシの事故に起因しているのだ。

 

 絶対にゆるさん。

 

 

「そもそもアンタ、なんでヤクザなんかに喧嘩売ってるんですか! 馬鹿じゃないんですか!?」

「あー、まぁそこは事情があってだな。まぁ、なんだ────」

 

 

 その言葉を聞くと、タク先輩は少し嫌悪感を言葉に乗せ、質問に答えた。

 

 

「ヤクザの連中、能力の存在を知ってるから、積極的に能力者を拉致ってるんだよ。基本、裏社会の人間は能力者を見ると追っかけまわしてくるな」

「というよりはむしろ、能力者がヤクザ組織を運用してるというべきかしら? ヤクザのトップ層はほぼ能力持ちですからね」

「能力に目覚めたせいで社会からはみ出しちまった連中は、裏社会での生活を選ぶって事。で、俺もウッカリ能力バレして、ヤクザに追われる身な訳」

 

 ……ヤクザの正体は、異能力者の集いだった? え、そうなの? そういうもんなの、やくざって。

 

 そういやこの人達も、学校の中で浮いてるもんなぁ。

 

 超常現象に巻き込まれまっとうに生きることが出来ず、生きるために犯罪に手を染めた結果、ヤクザになっちゃうのか。

 

「さて、マリキュー後輩。この奇特部の真の存在意義について述べておくぞ」

「反社会的勢力以外にも、能力を持ってしまった者に居場所を用意する。それこそが、この部活の意義な訳です」

 

 で、能力者を犯罪者にさせない為の組織が、この部活。

 

 そういう話でいいのかな。

 

「我が部の目的は、一言でいえば”能力者同士の互助組合”だ。社会から隠れて生活をする上で、互いが互いに助け合い、一般人として生活を送るための部活。……で、俺の役目は、ヤクザみたいな直接的に襲ってくる連中の処理。絶対死なんしな」

「私だって協力してますわよ。まぁ、タクを矢面に立たせているのは事実ですが」

「……私は、その」

「ブン子はまだ見習いだからいいんだよ。能力制御も出来てねーんだし」

 

 なんか思ってた以上にまともな組織なんだが、この部活。

 

 要するに、変な能力に目覚めた人を、普通に生活させましょーっていう活動内容でしょ。キチ〇イの巣窟じゃなかったの?

 

「うちのOBに、運命操作系の能力持ってる人がいてだな。ここ近辺で能力発現する可能性がある奴は、みんなうちの学校に通う様に運命を捻じ曲げたらしい。だから、ここら一帯の能力者は、みんなこの学校に入学するんだ」

「そして在学中に、能力を隠して生きる生徒を見つけ出して勧誘するのも、我が部の活動内容の一つですわ」

 

 ……入学早々奇特部入りした、川瀬さん。つまり、

 

「……川瀬さんを勧誘したのも、活動内容の一環だったってことですね」

「ブン子は分かりやすかったしな。少し経歴を探ったら、すぐ能力者だと当たりがついた」

「……今の話を聞いて、私はこの部活に入ったの。悪質なデマを流されたのは正直腹立つけど」

「ま、能力者は元々孤独なもんさ。少なくとも能力の制御が付くまでは、ブン子はボッチの方がいい。それは納得したんだろ?」

「……うん。私が人と距離を取る必要があったのは認める。だから、文句は言わない」

 

 そうか。何かしらの事情があって、敢えて人から引かれる噂を流してたのね。

 

 ……あれ? じゃあ川瀬さんが、両刀メンヘラって情報は嘘なのか?

 

「つまり俺も、好きでヤクザに喧嘩売った訳じゃない。奇特部部長として、ブン子やマイを守るために仕方なくやりあってるだけ」

「ちなみに、私も女装癖なんてありませんわよ? 能力の制約上、やむを得ない事情で女装しているだけですから。勘違いなさらないでくださいまし」

「嫌々女装してる割には、女の仕草とか完璧だけどな。正直に言えよ、ちょっと興味あったんだろ?」

「ありませんわ! あなたも知ってるでしょ、この姿の意味!」

 

 ホモ女装先輩も、嫌々女装してるだけなのか。

 

 

 あれ、じゃあ……

 

 

「ひょっとして、本当に頭がおかしいのって、私だけだったり?」

「そうだな」

「そうですわね」

「……」

 

 

 お、うおおおお!!!

 

 

「よっしゃあ!! やっぱり、私の個性こそが学校で一番だったんだ!!」

「喜ぶのか」

「この子、やっぱり変わっていますわね」

「能力者って、個性的な奴ばっかだよな。この娘はとびっきりのイカレ具合だが」

「だろう? だろう? もっと私を褒め称えるがいい!! フーッハッハッハ!!」

 

 やっぱり私は個性的だったんだ!

 

 能力なんて言う意味の分からない超個性に後れを取ってしまっただけ! 私自身が能力とやらに目覚めた今、究極完全絶対無二な個性を手に入れたのだっ!!!

 

 

「ふーっはっはっはぁ! 私の天下だぁ!!」

「あーそうそう。この学校が能力者が集まる学校だっていうのは、さっき話したよな?」

「……それが何か?」

 

 何だよ。せっかく人が喜んでいるときに、水差さすなよ。

 

「その情報、最近ヤクザ連中に流れたっぽい」

「おい」

 

 じゃあ私ら一網打尽じゃないか。

 

「幸いにも奇特部の正体までは特定されて無さそうだけどな」

「ただ、探りを入れるべくヤクザさんも色々も暗躍しているようですわ」

「それで、去年から校内にヤクザ側の生徒が沸いてる。……多分、洗脳系のヤクザに操られた可哀想な生徒だ。 お前さんを追いかけた連中も、ソレだよ」

「洗脳? そんな能力も有るんですか」

 

 そういや私、カナに襲われたんだっけ。川瀬さんの日本刀のインパクトで忘れてたけと。

 

 あの時のカナはどう見ても正気じゃなかった。洗脳とかもアリなのね。

 

「おう。むしろ洗脳系はかなりメジャーな能力だぞ? 能力の大原則として、基本的に物理法則は覆せないってのがある」

「ん? それってつまり?」

「瞬間移動したり、何もない場所に火を出したり、触らずにモノを動かしたりみたいな能力は存在しないって事ですわ」

「能力ってのは他人の目から分かりづらいモンなのさ。俺みたいに意識だけを過去に戻してるとか、誰かを精神的に支配してるとか、微妙に運を良くしたりだとか。目で見てわかる超能力ってのは、この世に存在しない」

「……それが、歴史上に能力者の存在が明るみに出ていない理由でもありますわね。ぶっちゃけますけれど、私も洗脳系ですわ。ブン子ちゃんは詳しく知りませんけど、彼女も精神系でしたわよね」

「……まぁ、否定しない」

「この二人の能力はまだ知らん方がいい。後輩、探ろうとするなよ?」

「う、うす……」

 

 よく分からんが、残り二人の能力についてはあまり教えてもらえないらしい。

 

 結構気になってたのに。この先輩が女装してる理由、結局何だよ。

 

「さて、次に聞きたいことはなんだ?」

「あ、え-と。じゃあ……」

 

 

 TRRRRRRRR、TRRRRRRRR……

 

 

 と、他に色々と聞こうとした時、突然私のスマートフォンが震えた。

 

 着信の様だ。

 

 

「すみません、ちょっと」

「おう、良いぞ。でも学校では電源切っとけよな」

「あなたにマトモなこと言われると違和感凄いのでやめてくれません?」

「そんな理不尽な」

 

 さて。普通に学校の時間だというのに、わざわざ電話してくるバカは誰だ……?

 

 ……お母さん?

 

 

「もしもし?」

『マリ!? 貴女今、何処にいるの!?』

「え? が、学校だけど」

『分かった、すぐに迎えに行くわ! 絶対に動いちゃだめよ!』

 

 ……母さんは、切羽詰まった声で、私に怒鳴りつけた。な、何事?

 

「母さん、どうしたの? 何か事件でも起こったの?」

『それを聞きたいのは私達よ!! 目が覚めたなら、何でおとなしく病院で待ってないの!? 何で勝手に抜け出しちゃうの!? 先生も大慌てだったんだから!!』

 

 ……。

 

 ……あ、そういやこの時間の私って、入院してたんだっけ。

 

 

「その、えっと、あははは」

『きっちり説明してもらいますからね!! 校門でおとなしく待ってなさい!!』

 

 

 プツリ。

 

 母親の泣きと怒りの混じった声が途切れ、ツー、ツー、と通話終了音が部室に木霊する。

 

 

 

「後輩?」

「あっはっはそうだった、今日は私、入院してたんだった」

「入院? お前、どっか悪いのか?」

「あー、半分は運が悪かった感じで、残り半分くらいはヒロシを轢き殺した先輩が悪い感じです」

「そっか、なんかスマン」

 

 

 うるせぇぶっ殺すぞ。

 

 

「じゃあ話の続きは、また今度やろう。じゃ最後に、この部のルールを説明して終わりにする」

「貴女には3つ、守って欲しい事がありますの。1つ、誰かに襲われた時、絶対に自分だけで対処しようとせず、すぐさま私かタクに助けを求めること」

「了解っす」

「んで2つ目、能力を匂わせる言動は禁止だ。どこに洗脳された生徒がいるかわかったもんじゃねぇからな……。万一、能力の事が誰かにバレたら、即座に俺に連絡しろ。バレる前まで時間を戻すから」

「あー。成程、それで明日の川瀬さん、タク先輩に会いに行けって言ったのか」

「3つ。貴女の能力の使い方が分かっても、むやみに使用しないこと。どんな副作用が有るかわかったもんじゃありませんので」

「副作用とかあるんですか」

 

 なんかイメージしてた超能力と違うなぁ。成果を得るには、何か代償が必要って話か。

 

「俺やマイはなるべく部室にいるようにしてる。けどお前さんはクラスに馴染んでるみたいだし、無理に部室に顔を出す必要はない。困った時だけ、俺達を頼れ」

「私達もそうやって先輩から守ってもらいましたわ。そして貴方達が先輩になったら、きちんと能力に悩んでいる生徒を見つけ出して、貴女達が守ってあげなさい。いいですこと?」 

「それと、空いてる日は俺に会いに来い。能力を使いこなせるようになるのも、能力者として生きていく上で必要な事だ。同じ系統の俺が鍛えてやるよ」

「タク。下心スッケスケですわよ?」

「いや、流石にこんな脳みそぶっ壊れた娘に下心は湧かねーわ」

「失礼な」

 

 可愛い美しい元気で魅力的なキチガイを自称するこの美少女に向かって、なんたる言い草だ。

 

 

 

 

 

 その後、彼等と別れた私は生徒の行き交う中を歩いて校門へと向かい、母親の運転する車で病院へと戻った。

 

 病院に到着したら、看護師さんや眼鏡のお医者さんから凄い勢いで頭を下げられた。

 

 目が覚めたときに気付かなくて申し訳ない。いきなり知らない場所で寝ていたら混乱するだろう。思わず知っている場所へ向かってしまうのも当然だ、悪いのは我々だ。病院としても最大限の謝罪をするつもりだ。

 

 要約すると、こんな感じだった。

 

 ────罪悪感沸くからやめて欲しいわぁ。 

 

 

 




次回は1週間後。
第1章はこれにて終了。次回は幕間、文学少女川瀬の話です。


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幕間「川瀬文子」

閲覧注意です。

本作はコメディをうたっておりますが、川瀬文子視点のストーリーはコメディ要素は有りません。

むしろ胸糞の悪い話です。正直に申しますと、「作者が書きたかっただけ」の部類な話になります。


 ────誰かが泣いている。

 

 

「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!!!」

 

 

 泣かないでほしい。あなたは笑顔が素敵な女の子。だから、

 

 

「わからない、わからないんだ! 何でよ、どうしてなのよ!?」

 

 

 公衆の面前。一人の少女が、駅のど真ん中で泣き叫んでいた。

 

 

 誰もが、彼女に触れようとしない。

 

 

 誰もが、彼女に関わろうとしない。

 

 

 

 

 ホームで一人、泣き崩れる少女と目線を合わせることなく、私は座っていたベンチから立ち上がり改札へと向かう。

 

 これ以上、彼女の姿を見るのは辛かったから。

 

 

 

 

「返事をしてよ。答えてよ、話しかけてよ、無視しないでよ!!」

 

 

 

 

 後ろから、悲痛な叫び声が木霊する。

 

 私は、震える足を必死で動かし、目から零れ出る涙を必死で抑えながら、その声から逃げるように駅から逃げ出した。

 

 

 

「どこにいるの! 居るんでしょう、何処かで見てるんでしょ!」

 

 

 

 ごめんなさい。私は、貴女を壊したくないから。

 

 その叫びには、答えてあげられない。

 

 

「誰だっけ、どんな人だっけ、男の子だっけ、女の子だっけ、同い年だっけ、ああ、何も思い出せないよ!」

 

 

 彼女は泣いていた。

 

 彼女は、私のせいで、泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 記憶捕食能力。

 

 それが、私が生まれ持った呪いだった。

 

 誰かの、記憶や経験を奪い取る。

 

 その人が大事に培ってきた研鑽を、何の苦労もなく体得する。そんなふざけた能力を持って生まれた私は、幼少期神童と呼ばれ育った。

 

 

 川瀬文子。私の名前は、公開模試の順位表を見れば常に最上位に記載される。

 

 当然だ。

 

 私は、教師の記憶をすべて奪い取っていたのだから。教えることを専門とした成人の知識を、そっくりそのまま持っていた私はまごうことなく神童だった。

 

 私を教えた教師達は、1年持たずに精神科病棟へ入院して、今なお廃人として過ごしているそうだけれど。

 

 

 

 

 私は、親しい人間の記憶を奪う。

 

 そして記憶を奪われた人間は、今まで培ってきた知識を、経験を、人格を、そのすべてを失う。

 

 私が自分がどんなに罪深い存在かを知ったのは、小学校の高学年になった頃だ。

 

 

 その年齢になるまで、私は何も疑問に思わなかった。

 

 生まれつき、私が児童施設に入所していたことも。

 

 児童施設で私を世話してくれた人は、みんな半年と経たずにいなくなってしまったことを。

 

 私が、いつしか気味悪がられ、邪険に扱われていたことも。

 

 

 

 

 私の両親は死んだ。私を育てたせいで人格を失って、精神が抜け殻になり衰弱死したのだ。

 

 私を世話してくれた施設の優しいベテランの保母さんは、私を受け持って一月ほどで言語を失い、涎をたらして失禁を繰り返し、その介護に疲れた家族から冷たい扱いを受けていると聞く。

 

 私の施設の友人は、私と一緒に遊ぶたびに妙な言動が増え、やがて人形のように何も話さなくなった。

 

 それが全部、全部私のせいだなのだと。そう、理解してしまった時、私は自分の罪をやっと自覚したのだ。

 

 

 ────そもそも。

 

 元々の私は、既に存在しないのかもしれない。

 

 数多の人間の記憶と人格を吸収し、整理して統合した果てに生まれた人格、それが私。

 

 つまり私は、今まで私自身が奪った記憶の被害者の集合意識、なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 私は、他人を避けるようになった。

 

 私と親しくした人間は、みな私に記憶を奪われて廃人になる。

 

 私に好意を向けた人間は、私に記憶を引き抜かれる。

 

 

 だから、私は誰とも親しくしないことを選んだ。

 

 誰かと親しくならなければ、私は誰も傷つけない。そう、理解したのである。

 

 

 

 

 

 

 

「……それは、辛かったね」

 

 

 

 そんな私の、唯一の友人はメールだった。

 

 

 ある日、施設の庭に引っかかっていた風船の先に手紙が括り付けられ、メールアドレスも書いてあった。

 

「文通相手を探しています。この手紙を読んでくれたなら、私と文通してくれませんか」

 

 その手紙を読んだ私は、即座にメールを送ったのだ。

 

 1日ほど経って。風船の手紙の主から、メールが返ってきた。

 

「本当に返してくれるとは思わなかった。私と、これからもお話ししてくれませんか?」

 

 その日から、私と彼女の文通が始まった。

 

 

 

 幸いなことに、手紙でのやり取りくらいなら私の呪いは発動しないらしい。

 

 弓須マリ、と言うらしい少女とのメール文通は、この日から2年間ずっと続くことになる。

 

 

 

「でも大丈夫。私だけは、貴女の味方だよ」

 

 

 

 私は、彼女に自分の持っている呪いについて、隠さずメール上で打ち明けた。

 

 向こうからしたら、ファンタジーな作り話としか思えないだろう。仮にそう取られても、別に私は気にしなかった。

 

 でも、弓須マリという少女は、私のメールに書いた内容を、あっさりと信じたのだ。

 

「ずっとあなたとやり取りしてるから、貴女はそんな嘘をつく人間じゃないことくらいは分かる」

 

 彼女は、合ったこともない私を、心から信用して、理解してくれた。

 

「でもいつか、貴女とお話ししたいな。もし、あなたが記憶を奪い取っちゃうっていうのであれば、私は呪文のようにあなたの名前を唱え続けて、絶対に忘れないように気を付けるから」

「それはだめよ。貴女が私を忘れてしまったら、私はきっと生きていけない。お願いだから、ずっと私の文通相手でいてほしい」

「大げさだなぁ。うん、そこまで言うなら会いに行かないけれど……」

 

 

 メールの上でしかやり取りができないとはいえ、彼女は私にとって、救いの女神だった。

 

 本当は、女の子のふりをしたオジサンかもしれない。

 

 本当は、人をからかいたいだけの悪戯かもしれない。

 

 でも、それでもいい。私は、少なくともこの数年間、彼女からのメールに助けられ続けたのだ。その事実は、覆らないのだから。

 

 誰からも距離を取り、誰とも親しくできない私にとって、彼女こそが唯一の希望だった。

 

 出来ればずっと出会うこと無く、彼女の文通相手で居たかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 だけど、そんな私のささやかな願いは、あっさりと叩き潰される。

 

 

 

 

 

「えーと、変な時期に転校してきてごめんなさい? 私は弓須、弓須マリと言います。仲良くしていただけると嬉しいです」

 

 その日、私が通っている中学に転校してきた少女は、私がよく知っているその人だった。

 

 

 

 

『……実は、親の都合で急に転校することになったんだけど、その、もしかして貴女クラスにいなかった?』

『なんで……どうして! よりにもよって私のクラスに来るの!? 会いたくないって書いたでしょ!?』

『無茶言わないでよ。どうやって察知しろと? ……あはは、フミちゃんには話しかけないほうがいい感じ?』

『絶対に話しかけちゃだめよ。貴女とはずっと、友達でいたいから』

 

 

 その日の夜。私は、弓須マリとメールを交わしていた。

 

 

『でも、フミちゃんの話だと、記憶を全部抜かれるまでに半年くらいかかるんだよね?』

『……今までは、そうだったね』

『じゃあさ、一度だけ何処かに遊びに行こうよ。それとも、1日で一気に記憶全部吹っ飛ばした経験はある?』

『それは、ないけど。でも……』

『大丈夫。私、ずっとフミちゃんの方だけを見てるし、フミちゃんの事しか考えないから。それでフミちゃんを忘れるなんてできっこないよ』

『ダメ。絶対に嫌。貴女が少しでも私を忘れてしまったら、私はきっと気が狂う』

『つれないなぁ』

 

 

 

 

 彼女は。

 

 結局、私と直接話さないという約束を、しっかりと守ってくれた。

 

 夜は、家に帰って、ずっとメールでやり取りをして。昼は、学校で目も合わさず、すれ違っても声をかけない。

 

 そんな弓須マリとの、隠れて付き合っている恋人のような関係が、中学校生活でずっと続いていた。

 

 ────あの日までは。

 

 

 

 確か、雪の降る冷たい早朝の出来事だったか。

 

 私は、いつも通りに一人ぼっちで学校へと向かい、一人寂しく校庭の裏で本を読みながら朝食を食べていた。

 

 広々とした校庭を独り占めできるこの時間は、私にとって数少ない憩いの時間だった。あの鬱屈とした施設から離れて、誰にも邪魔されずにノンビリと本を読む。

 

 自分が生きていることを実感できる、数少ない至福の瞬間だ。

 

 

 ……そんな私は、いつも運動部がパラパラと姿を見せ始めたころを目途に、図書館へ移動する。

 

 雪の降ったその日も、かじかむ手に息を吹きかけながら、私はいつもの様に本を読み進めていて。

 

 運動場をチラリと見つめたとき、気が付いてしまったのだ。

 

 校舎の屋上から飛び降りようとする、女子生徒の姿に。

 

 

 

 無我夢中に、私はその娘のもとへと駆け出す。理由なんてない。本能的なものだった。

 

 何かを叫んだ気がする。やめろ、とか早まるな、とかそんなありきたりな言葉だった。

 

 そして。その少女は、やがてゆっくりと力を抜き、校庭めがけて真っ逆さまに落ちていき────

 

 無我夢中で。私は、落ちてくる彼女を受け止めた。

 

 当然、漫画の様に無傷でキャッチとはいかない。校舎の屋上から落ちてきた肉の塊の衝撃は、想像を絶するものだった。

 

 落下の勢いは、殆ど殺せなかった。何とか女生徒の上半身だけ受け止める。

 

 そしてそのまま、私は衝撃で体勢を崩し、尻もちを突くような形で地面へと倒れこんだ。

 

 幸いにも、私が倒れた先にあったのは花壇だった。ふかふかの土と、園芸部が手塩にかけて育てたリリーカーネーションが、二人分の衝撃を押し殺すに役立った。

 

 嫌な感触がした。口から血が滲み、息が苦しい。呼吸するたび、胸が差すような痛みが走る。肋骨が、何本か折れたらしい。

 

 誰だ。いきなり落ちてくるなんて、そんな非常識な────

 

 

 

 

 

 

「マリ、貴女……」

「あ、あはは。なんで落ちた先にフミちゃんが居るんですか……」

 

 

 

 

 

 

 私が無意識に抱き留めた、死にたがりの女の子は。私を救ってくれた女神、弓須マリだった。

 

「何、してんのマリ」

「は、恥ずかしいとこ、見られちゃった。ごめんね、痛かったよね、フミちゃん」

「何で!? あなた、何したかわかってるの!?」

 

 親しい人間の人の記憶を、奪い取る。それが、私の呪い。

 

 今の今まで、彼女と正面を向いて話したことはなかった。これが、正真正銘の、最初の会話だ。

 

 記念すべき弓須マリとの初めての会話は、金切り声だった。

 

「ふざけんな! 貴女が、貴女で私がどれだけ助けられたと思ってる!!」

「ちょ、落ち着いて」

「世界が私の大事な人を、友達をみんな奪い去った時に! 貴女が手紙をくれて、どれだけ救われたと思ってる!」

「フ、フミちゃん」

「貴女が死んだら!! 私には、何も残らないだろうが!!」

「でも、だって」

「何で飛び降りなんてしたんだ!! 弓須マリ!!」

 

 

 激高。

 

 私の中のあらゆる感情が、堰を切ったように濁流する。

 

 何を言いたいのかわからない。何がしたいのかも分からない。

 

 ただ、私は、泣き叫びながら、彼女に対し怒鳴り続けた。

 

 

 

 そんな彼女から帰ってきた返事は。

 

 弱々しく、そして、負の感情を煮詰めたような、絶望に満ちた呪詛だった。

 

 

「だって、もう、無理なんだよフミちゃん。嫌だ、私はもう、あんな奴らに────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弓須マリは、汚れていた。

 

 弓須マリの性格は、素直で、謙虚で、お人好しで。

 

 そして頼まれると断れない、押しの弱い性格。

 

 そんな彼女は。あまり治安のよくなかった学校で、騙されて性の餌食になるのに時間はかからなかった。

 

 

 彼女は、親に言い出せなかった。

 

 自分が、不良の言いなりになり、良いように使われて。

 

 写真で脅され、にっちもさっちもいかなくなった状態だと、言い出せなかった。

 

 それが災いしたのだろう。結局、親が愛娘の異変に気付いて、転校させるまでの数か月間。彼女は、まさに生き地獄を味わっていた。

 

 

 そして、転校した先で過ごした1年間。彼女は、クラスの男性に怯え、ロクに会話もできなかったという。親しい友人も出来ず、居心地の悪かったその高校で、悲劇は繰り返された。

 

 弓須マリを脅していた不良共が、校門で待ち伏せていたのだ。どうやら転校先を突き止めたらしい。

 

 幸いにも、優秀であった警備員が異変に気付き、その不良連中は即座に追い払われたという。

 

 だが。不良共の脅し文句が、彼女の耳から離れなかった。

 

 

「あの写真ばらまくからな。逃げやがった報いだ、覚悟しろ」

 

 

 弓須マリは、自分の屈辱的な写真が流布されることを恐れた。怖くて怖くて仕方がなかった。

 

 そして、何より辛かったのは。自分のそんな写真があることを知った、クラスメイトの男子の目が変わったこと。

 

 男子達は下卑た興味の目で、無遠慮に私を眺めている。

 

 ────こんな扱い、耐えられない。

 

 しかし、弓須マリの家はあまり裕福ではない。両親は、借金を抱えてまで私を転校させたのだ。これ以上の負担はかけたくない。

 

 弓須マリは結局、また親に何も話さなかった。

 

 その代わりに彼女は、学校に行くことをやめた。

 

 自らの部屋で一人きり。自分の殻に閉じこもることにしたのだ。

 

 

 

 ────そんな生活が続いた、ある日。

 

 人との接触に飢えた彼女は、気まぐれで風船に手紙書いて飛ばした。

 

 返信は期待していなかった。だがもしかして、と言う希望は有ったのかもしれない。

 

 結論から言うと、返信メールは一日経たずに送られてきた。

 

 返信相手は、同世代の女性の様だ。本当かどうかは分からないが。

 

 だけどインターネットを使えない弓須マリにとって、それは引きこもり生活の貴重な刺激となった。

 

 ネットに流れている写真があったらという恐怖から、彼女はインターネットを使えなかったのだ。

 

 

 

 その文通相手のメールは、摩訶不思議な創作であふれていた。

 

 話す相手の記憶を奪い、孤立している女の子。一体、どんなファンタジーだ。

 

 だけど。彼女の送るメールの節々から感じたのは、圧倒的な孤独感。

 

 彼女の手紙の内容は、創作かもしれない。でも、創作をしないといけない理由があるんじゃないか?

 

 彼女にも、私のように人に言えない事情があって、それを誤魔化しながら話し相手を求めているのじゃないか?

 

 弓須マリは、その少女の話を信じることにした。いや、乗っかってあげたというべきか。

 

 

 

 

 文通を続けて、1年がたった。

 

 いつしか弓須マリにとって、川瀬文子のメールは無くてはならない存在になった。それほど、弓須マリにとってメール文通が楽しかったのだ。

 

 彼女のメールを、ただひたすらに心待ちにして。彼女の他愛ない創作を、全力で楽しんで。

 

 いつしか彼女の孤独を、癒してあげることに全力を注いでいた。

 

 

 会ってみたい。この人に、会って話してみたい。

 

 

 でも。私は部屋から1年間、外に出ていない。

 

 こんな私が、外に出たって。きっと、軽蔑されるだけ。

 

 引きこもったままの私では、この人に会えない。

 

 

 

 ────まず一歩、踏み出そう。

 

 

 

「父さん、母さん。心配かけてごめんなさい。私、もう一度学校に行きたい」

 

 引き篭もること、1年間。

 

 弓須マリがようやく部屋から出てきた時、両親は感涙したという。

 

 

 

 いつからだろうか。

 

 弓須マリの心の傷は、川瀬文子と同様に癒されていた。

 

 弓須マリが抱えていたのも、圧倒的な孤独感。そんな彼女に出来た、メールでの親友。

 

 川瀬文子もまた、彼女を救っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「それで。両親に頭を下げてもう一回転校した先に、たまたま貴女がいたの」

「……マリ。そんなこと、一度も」

「話せなかった。話して、汚いって思われたくなかったの」

 

 そう言って、こわごわと泣き笑う弓須マリは。

 

 どうしようもなく、絶望しきっていた。

 

 

 

 

「……でも昨日、見つかったの」

「誰に」

「あいつらに。コンビニの前で見咎められて、制服から学校もバレて!」

 

 ガクガクと震えながら、弓須は啼いた。

 

「呼び出しに応じないと、今度こそ校庭に私の写真をばらまくって、それで────」

 

 

 

 

 なんて、身勝手だったのだろう。

 

 私は一人、救われていただけだった。

 

 弓須マリと言う少女の、私を救ってくれた女神の、耐え難い苦痛を何も理解できていなかった。

 

 自分1人が不幸なんだと思い込んで、弓須マリの苦しみなんか考えた事も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 ────ああ、そうか。何で、私がこんな呪いをもって生まれてきたのか分かった。

 

 今日の。この日のためだ。

 

 

「で。呼び出された場所はどこ?」

「え?」

「どこに呼び出されたの?」

 

 

 私が。今度は私が、この身に宿る忌々しい呪いを使って彼女を救う。

 

 そう、決意した。

 

 花壇の土に刺さった、弓須マリのスマートフォンを拾い上げる。画面は速やかに動いた。まだ、壊れていない様だ。

 

「危ない、危ないよ! アナタがそんな危険な────、ってソレ私のスマホ?」

「大丈夫。マリは、気にする必要はない。ふぅん? このメールだね」

「ちょ、ダメ! そこは、すっごい治安の悪いところで!」

 

 弓須マリのスマートフォンに届いた最新のメールを開けると、表示されたのは2つの画像。

 

 1つは、貧民街の空き地を指し示した地図。ここに、呼び出されていたらしい。

 

 ────もう一つは。虐げられている、涙を流した親友の屈辱的な画像だった。

 

「ふぅん。こんな事、されたんだ」

「え。ちょ、何でメール開いてるの、見ないで!!」

「ごめん。ねぇ、マリ、1つ聞いて良い?」

 

 彼女は顔面を蒼白に、スマートフォンを奪い返そうと飛び掛ってくる。

 

 

 

 私は、マリが好きすぎて。

 

 マリも、私を親友と思ってくれて。

 

 そんな私たちが正面切って話をしてしまったら、どうなるか。

 

「質問よ。私の名前、言えるかしら?」

「……え?」

 

 そろそろ、マリとの話を切り上げないといけない。これ以上話せば、廃人にしてしまう。

 

「え、あれ?」

「貴女のメール、すべて消しておくね。貴女は忘れればいいわ」

「ちょ、え、嘘。貴女、誰、え?」

「さようなら、マリ」

 

 

 

 

 

 行こう。

 

 彼女を傷つけた、ふざけた畜生どもを許してはおけない。

 

 ああ。なんて素晴らしい気分だ。こんなふざけた呪いを持って生まれて。

 

 生まれて初めて、感謝した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「……」

 

 

 

 監禁されたのは、数時間程度だった。

 

 空き地のど真ん中に建てられた木製のぼろ小屋の周囲には、見るからにガラの悪そうな男がたむろしていた。

 

 その場に独り乗り込んで、弓須マリの代わりに来た親友だと言ったら、畜生どもは喜々として私を弄ぼうとした。

 

 触られるのは嫌なので、全力で抵抗させてもらった。いずれはマリのような地獄を味わうのだろうが、私を傍に置いて数か月もすればこいつらは全員廃人である。

 

 此奴らが廃人になるまで、数か月は何をされても耐えるつもりだった。ところが、少し服を破られただけで、徐々に彼らの動きが緩慢になってきた。

 

 親しい人間の記憶を奪う。

 

 私の呪いの正体は、そんなものだと思っていた。

 

 どうやら、実際はそんな生やさしいものではないらしい。下劣であろうが何だろうが、私に好意に類する感情を向ければ、問答無用で記憶を奪えてしまう。

 

 ……性欲は、好意の一種だったのね。

 

 私が押さえ込まれ服を脱がされる頃にはもう、奴等はおかしくなりはじめ。

 

 全裸にされる頃には、奴等は赤子のように混乱し。

 

 そのまま、優しく彼等を誘惑してみたら、彼等は直ぐに廃人になった。

 

 同時に私の中に、かつてこの屑共が食い物にした婦女暴行の記憶が流れ込んでくる。吐き気がする。

 

 そして。奪った彼等の記憶から、違法なお薬を持っている事を知り。

 

 私は、タバコに火を付け、シンナーをバラ撒き、小屋を焼いた。

 

 奴等の溜まり場は、ゆっくりと炎に包まれる。廃人となった彼等は、エヘエヘと笑うだけで逃げようともしない。

 

 近隣住民の方には迷惑を掛けて申し訳ないが、此奴らは焼け死んで然るべきだ。

 

 炎で被害が広がらないように消防車を呼んで、私はその場を後にした。

 

 

 

 放火って重罪らしいけど。

 

 状況的に、どう見てもヤク中のタバコ不始末である。恐らく、バレることは無いだろう。

 

 初めて人を殺したけど、こんなにも清々しいものなんだな。

 

 いや。違うか。

 

 

 私は、生まれて初めて────

 

「誰かを、助けたんだよね」

 

 燃えさかる木の小屋を、遠目に眺めながら。私は独り呟いた。

 

 

「殺人なんかで。人を廃人にするなんて方法で。そんな残酷な方法しかとれない私が────」

 

 ────何にも代え難い親友を、助けられたんだ。

 

 

 

 自虐気味に私は笑って、震える手でスマートフォンを操作する。

 

 私は、もう届く事の無いだろう電話帳から、弓須マリの情報を削除した。

 

 ────あぁ。分かってしまった。

 

 また、奪ってしまった。

 

 ああ。弓須マリは────

 

 

「こんなに、私のこと、想ってくれたんだ」

 

 

 涙が溢れ出す。

 

 奪ってしまった彼女の記憶から、マリが私をどれだけ大切に想っていたか、知ってしまった。

 

「こんなに、大事な気持ちを、奪っちゃったんだ」

 

 そして。それが、意味するのは。

 

 弓須マリはもう、私の友人では無くなったと言うこと。

 

「もう、マリは、私のことを好きでも何でも無いんだ────」

 

 全てを終わらせた後。

 

 私は、独り静かに泣き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その、次の日。

 

 弓須マリは、様子がおかしかった。

 

 

 

 

「ゆ、弓須さん?」

「ホントなの! 私にしか見えない、たった1人だけの親友がイマジナリーフレンドしてるの!!」 

「その親友こそ幻想(イマジナリーフレンド)じゃないんですかね」

 

 

 私が中途半端に、彼女の記憶を奪ってしまった結果。マリは、少し痛い娘になってしまっていた。

 

 ざ、罪悪感感じるなぁ。

 

 

「えっと、私は名前すら覚えてないんだけど、その娘とは無二の親友だったの!」

「無二の親友なら、名前くらい覚えて差し上げろ」

「そーだけど! そう、名前なんかどうでも良い親友だったんだよきっと!」

「親友ならせめて名前くらい大事にしてやれ」

 

 

 哀れ。マリは完全にボケキャラと化していた。

 

 クラスメイトの的確なツッコミにより、空気は完全に漫才のソレである。

 

 ……今の、私のことを覚えていない彼女になら。私は後少し、話しかけても良いのだろうか。

 

 それが、また彼女の記憶を削り取る結果となってしまうかもしれないけれど。

 

 どうしても一言だけ、彼女にお礼を言いたいんだ。

 

 親友だった貴女に、最後に話をしておきたいんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 挙動がおかしくなった弓須マリは、1人で見えない親友を探して、放課後になるやすぐさま駅に飛び出していった。

 

 溜息をついて、私はマリの後を追う。

 

 これが、恐らく私の人生で、最後の親友との会話になる。

 

 言いたいことを、良く吟味して、まとめて、私は────

 

 駅でキョロキョロと、何かを探すマリ。

 

 私はその背後から、コッソリと近づいて。

 

 

 

 

「振り向かないで」

「っ!?」

 

 

 

 

 弓須マリ(しんゆう)を、背後から抱き締めた。

 

 

 

「誰、あなた、まさか」

「そのまま、聞いて」

 

 混乱する彼女の耳元で、私は囁くように、彼女に語りかけた。

 

 

 

「助けてくれて、ありがとう。居なくなって、ごめんなさい」

 

「どうか私を忘れて、過去を忘れて、幸せになってください」

 

「辛い過去なんか、忘れちゃって良いんだ。これから貴女は、普通に生きて、幸せな人生を掴んでね」

 

「何、何を言ってるの……」

 

 噛みしめるように。

 

 万感の思いを込めて。

 

 私は、マリとの最後の会話を、終えた。

 

 

「────またね」

「ちょ、待って!」

 

 

 私はすっと彼女から離れる。

 

 そして彼女が振り向く前に私は人混みに紛れ、そして静かに、駅のベンチに座った。

 

 慌てて駆け出すより、こうした方が見つかりにくいのだ。

 

 何せ、彼女はもうすぐ、親友(わたし)が居たことすら思い出せなくなるのだから。

 

「行かないで! 私の大切な、誰かぁ!!!」

 

 

 ごめんね。私の大切な、マリ。

 

 

「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!!!」

 

 女子生徒は、泣き叫んだ。

 

 直感的に感じているのだ。このままだと、大切なものを失ってしまうと。

 

「わからない、わからないんだ! 何でよ、どうしてなのよ!?」

 

 だが、幾ら直感が鋭くても。見たことのない少女を、親友と認識することは出来なかった。

 

 

 

 

 誰もが、彼女に触れようとしない。

 

 

 誰もが、彼女に関わろうとしない。

 

 

 

 

 ホームで一人、泣き崩れる少女と目線を合わせることなく、私は座っていたベンチから立ち上がり改札へと向かう。

 

 これ以上、彼女の姿を見るのは辛かったから。

 

 

 

 

「返事をしてよ。答えてよ、話しかけてよ、無視しないでよ!!」

 

 

 

 

 後ろから、悲痛な叫び声が木霊する。

 

 私は、震える足を必死で動かし、目から零れ出る涙を必死で抑えながら、その声から逃げるように駅から逃げ出した。

 

 

 

「どこにいるの! 居るんでしょう、何処かで見てるんでしょ!」

 

 

 

 ごめんなさい。私は、貴女を壊したくないから。

 

 その叫びには、答えてあげられない。

 

 

「誰だっけ、どんな人だっけ、男の子だっけ、女の子だっけ、同い年だっけ、ああ、何も思い出せないよ!」

 

 

 

 さようなら。

 

 大好きだったよ。

 

 ──────私の、女神様。

 

 

 

 

 

「………っあ、あれ?」

 

 

 

 

 少女は、まもなく泣き止んだ。

 

 

 

 

「私ってば、何をしてたんだ?」

 

 

 

 きょとん、と。彼女は、公衆の面前で意味も分からず泣き叫んでいた自分を、心底不思議に思うのであった。

 

 彼女は、照れくさそうに笑いながら、駅のホームを後にする。乗客達に怪訝な目で見られ、顔を真っ赤にしながら。

 

 

 ────弓須マリは、川瀬文子は、こうして、大切なものを失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おかしい。

 

 何でだろう。

 

 このまま、言いなりになって良いのか?

 

 言いなりって、何だ? 私は誰に何を言われたんだ?

 

 

「貴女は、普通に生きて、幸せな人生を掴んでね」

 

 ……誰の言葉だろう。

 

 何でこんなありきたりな言葉が、私の頭に残っているのだろう。

 

 でも、彼女の言うとおり。平穏無事に、幸せな人生を────

 

 

 

 

 

 ────過ごしちゃ、ダメだ。

 

 

 何かを忘れちゃダメなんだ。そんな、気がする。

 

 この言葉に甘えて、普通に生きてしまったら、私は大切な何かを失ったまま。

 

 普通に生きちゃ、ダメ。

 

 この言葉に、逆らえ。あの人を、忘れるな。

 

 あの人って誰だ?

 

 ああ、ああ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 普通に、生きるだけじゃ、つまらないよな。

 

 せっかくなら、私は。

 

 

 

 

 

 

 個性的に、なりたい。

 

 個性的になれば、何かを忘れない気がする。

 

 個性的になって、誰からも注目されて、そしたら。

 

 大切な誰かが、私を見てくれる気がする。

 

 

 

 

 そうだ。私は、個性的になろう。

 

 

 

 

 その日から。弓須マリは、校内で一番の変人として奇行の限りを尽くし、長々と語り継がれる伝説をその中学校に刻みつける事になる。

 

 それは、せめてもの。

 

 弓須マリの、川瀬文子への抵抗だったのかもしれない。




このお話の第一章は完結。
次回はまたプロットを固めて、なるべく間を開けず再開いたします。
少々お待ちください。


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第二章
第七話「取引」


「私の歌を聞けぇぇぇぇっ!!!」

 

 天を見上げ、腕を掲げ。私はクラスのアイドルとしての義務を果たすべく、美声を存分に披露する。

 

 今日は、華の金曜日。以前より企画されていたヒロシ会の日である。すなわち、我が級友にして私にゾッコンなヒロシの、地味に広い顔により集った10人近いメンツで合コン的カラオケ大会が開催される日だ。

 

 結局、ヒロシの告白はどうなったかって?

 

 ────実は私の入院やら何やらで、彼の告白の返答期日は明日まで待ってくれる事になっている。元々のヒロシの予定では、この場で私とつきあってます宣言をしたかったらしい。

 

 退院したあと、それはそれはヒロシに心配され、何だかんだでもう3日ほど時間を貰えたのだ。ありがてぇ。今日は気兼ねなく、カラオケを楽しむとしよう。

 

 

 店員に案内された部屋に入ると、ヒロシはビニル袋で封されたマイクを手にとって私へと向け、派手に頼むよと言って笑った。

 

 なるほど、盛り上げ隊長と言う奴だな。学園一の美少女たる私の美声でカラオケを開幕する事により、初っぱなから皆のテンションを全開にするヒロシの名采配だ。

 

 では、さっそく。マイクを握り決めポーズを取った私は、日曜日の朝に流れる子供向け魔法少女ソングを大声で熱唱するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

『今夜はドッキン!! ラブデスボンバー!!』

作詞:とある方  

 

秋葉の夜に訪れた 不敵な最凶暗殺者(ウフフッ)

史上最低のテロリズム 場所を選ばず仕掛けるの

そう、私は爆弾魔 恋の爆弾 無差別爆撃

巡り合ったが最期 避けられぬ宿命(爆死・殲滅)

この世は既に焼け野原(アルカディア) 私という花を求めて

無粋な(オス)ども 群がるの(どかーんッ)

それが それが それが カ・イ・カ・ン

今夜はドッキン!! ラブデスボンバー!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ホンマ、期待を裏切らん女やわマリキュー」

「トップバッターは、羞恥心のない奴に任せるに限る」

「音痴は次に歌う人にプレッシャーもかけない。まさに理想のトップバッターだな」

「ヒロシ、良い判断だ。開幕マリキューは正解だ」

「……あー、いや別に俺はそこまで考えてた訳では。単にマリキューが歌いたそうにしてたからで……」

 

 歌い終わった私に降り注ぐ、容赦のない罵声の嵐。そこまで音痴だろうか。私の歌声は点数に反映されにくいだけで、天上の調べの筈なのに。

 

 解せぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────宴もたけなわ。

 

「貴女が噂のマリキューなのですねー」

 

 むぎゅう、と。無駄にイケメンボイスでロックを熱唱したヒロシにヤジを飛ばしていた私は、面識のない女生徒に抱きしめられた。

 

 見ると、ゆるふわな髪型で垂れ目の女性が私に密着している。おっとりした雰囲気で、柑橘系の香りのする女性だった。

 

「これは確かに、可愛いのです。私がやってるデレストに出てくるキャラにそっくり。痛々しいところとかー」

「初対面の人に正面から痛々しいと言われたのは久しぶりです。どうもどうも、神と悪魔の隠し子にして齢50万歳を迎えました、残虐超人のマリーキュース・デストロイヤーです」

「私は二年の、泉小夜と言います。うん、この痛さが心地良い……」

 

 泉小夜、聞いたことの無い名前だ。2年ってことは先輩なのか。なんか間延びのする話し方の人だな。てか、話したことも無い先輩が、何で初対面で抱き着いてくるんだ?

 

「ヒロシー、この娘をお持ち帰りして百合調教したいのですー。2人でカラオケ抜けて良いですー?」

「ゆ、百合っ!?」

 

 やば、こいつ危険人物やんけ。私はノンケなのだ、いくら私が超絶美少女だからといって、同姓にまで好かれるのは困る。

 

「泉さん、マリキューは見た目より初心なんで、からかわないでやってください。後マリキューが俺の告白先だって知ってるでしょ」

「先輩なのですー、欲しいのですー。可愛いマリキューちゃんを百合調教して、ショウケースに入れて飾るのですー」

「猟奇的!? てか泉先輩、彼氏いるじゃないっすか」

「あー、もう別れたしー」

 

 あ、圧がすごい。パーソナルスペースとか気にしないのだろうか? グイグイ来るな、この人。

 

 言ってることも電波そのもの。成る程、さてはキチガイの逸材だな。

 

「また振ったんすか」

「なんか違ったのでー。そうだ、ヒロシも一辺、私と付き合ってみますか?」

「俺はマリキューが好きなんで」

「……んあーっ!! これですよ、コレが正解ですよ!」

 

 新たなる奇人に遭遇して喜んだのもつかの間。ガチ百合らしき女先輩は私を全身で抱き締め拘束した。

 

 口元にピッタリ胸を押し付けるな、息が出来んぞ。つーかミカンの匂いきつすぎ、香水つけすぎだ。

 

「信じられます? この前のデートの時に、聞いたんですよ。私のこと好きですか? って」

「……そうですか」

「そしたらあの野郎、ソコソコって答えやがりましたよ。ソコソコって言いやがりましたよ!!」

「は、はぁ」

「お世辞でもなんでも世界で一番愛してるっていうべきでは!? ひょっとして、私はキープか何かですか!? で、喧嘩別れして、今フリーなのです……」

「世界で一番愛してるぞ、マリキュー」

「私に言えや!!」

 

 待って、マジで解放してくれって。息が、息が……

 

 息が────、息が出来ない────

 

「あ、先輩ストップ。マリキュー窒息しかけてる」

「やだー!! 色々とストレスフルな私は、この子を百合調教するのー!!」

「ちょ、マリキュー顔青いですって。先輩、まずいですよ先輩!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんね、マリキューちゃん。ちょっと私、荒れてたみたいなのです。反省します」

「い、いえ」

 

 泉先輩、と言ったか。

 

 私にグイグイ迫ってきたこの女先輩は、帰り道が私と同じ方向だったので一緒に帰ることとなった。あんまり面識ないからやり辛い反面、この先輩と仲良くなれるチャンスと考えよう。

 

 私個人としては、泉先輩に散々に振り回されてしまったので、彼女には苦手意識を持っているのだが。

 

「ごめんなさい、見苦しかったですね」

「普段の私も見苦しいので大丈夫ですよ先輩」

「……マリキューちゃん、自覚有るのね」

「バッチコイです。先輩こそ、今日の荒れ方はかなり個性力のポテンシャルを感じましたよ。さぁ、先輩も私と一緒に個性派を目指しましょう」

「あれ!? 私マリキューちゃんに仲間意識持たれてます!?」

 

 

 この人はかなりのポテンシャルを秘めている、とも感じた。

 

 口調もなんか気持ち悪いし、初対面の相手にも物怖じせず抱きついてくるし。

 

 奇特部が思ったより真面目なトコだったので、この学校を征服するための変人仲間は自力で探さねばならない。そして、あつらえたかのように現れた基地外候補。

 

 手始めにこの先輩を引きずり込むとしよう。変人たちによる学校征服計画は、まだまだ進行中なのだ。

 

「先輩は、歌が上手かったですよね。明日朝一番、運動部の駆け巡る校庭のど真ん中に立って、2人で校歌を熱唱しませんか?」

「完全に仲間意識持たれてる! しないよ、そんなことしたら変な子だよ!」

「成る程。先輩はまだ、変な子だと自覚を持たれてないのですね。早く気付かれた方が良いですよ」

「マリキューちゃんは今、スッゴい失礼な事言いましたよ!? 気付いてます!?」

 

 ……むしろ、個性的だと褒めてるつもりなんだけどなぁ。

 

「その、今日はむしゃくしゃしてたというか。少し暴れちゃいましたけど、忘れてくれると嬉しいのですー」

「……まぁ、今日はこの辺にしときますか。自分の異常性が自覚できましたら、また私にご連絡ください泉先輩」

「うわーん!」

 

 まだまだ自分のことをまともだと思い込んでいる段階のようだ。いや、あるいは先輩は自分の異常性を理解できないタイプのキチガイなのかもしれない。 

 

 後者であれば間違いなく逸材だ。自覚のないタイプのキチガイは、安定して高品質の奇行を繰り返してくれる。

 

「くすん、色々と言いたいけど、すっごく文句言いたいけど、一旦おいておきます。マリキューちゃん、少し相談があるんですけどー」

 

 私が先輩の将来性の考察に耽っていると、彼女は目を伏せながら、指を絡めて言葉を濁した。

 

 今日出会ったばかりの私に相談とはなんだろう。口を濁しているあたり、近しい人には言い辛い事なのだろうか。

 

「スッゴく卑怯で、スッゴく虫の良い話です……」

「して頂く分にはご自由に、泉先輩。私は神と交信してますのでお気になさらず」

「聞いてよぉ! 何でヒロシはこんなの選んだんでしょう……」

 

 こんなの、て。先輩も大概に失礼では? 

 

「その、ね。マリキューちゃんらヒロシの告白、保留してるんだよね」

「明日、返事は返しますよ」

「……受けるのですか?」

 

 ……切り出されたのは、ヒロシの話だった。

 

 この先輩と私は完全に初対面。共通の話題があるとしたら、ヒロシの事だけだろう。恋バナだろうか。

 

「実は、まだ決めてません。明日ヒロシの話聞いて、その場の空気で決めようかと」

「ヒロシは返事をずっと待ってたのに、まだ決めてないんですかマリキューちゃん」

「いや、答えは出すつもりですよ」

 

 先輩の言葉に、少しトゲを感じる。ヒロシには確かに結構待ってもらっていたけど、先輩には関係ないだろう。

 

 それとも何か。さては泉さん、ヒロシの事が────

 

「……ヒロシを、振ってくれませんか?」

 

 ヒロシの事が、好きなのだろうか。

 

「先輩、それってどういう……」

「卑怯な事を言っている自覚はありますよ」

 

 冷たい声が、路上に響く。

 

 先程までは喜怒哀楽に溢れていた彼女の顔から、表情が消える。夜の闇に溶ける、泉先輩の瞳の光。

 

「先輩は、ヒロシが?」

「もう、一度振られているんですがねー。でもさ、やっぱり未練はあったのです……」

 

 ……周囲の気温が下がる。

 

 泉先輩は俯いたまま、顔を上げない。その目元は髪に隠れよく見えないが、口元は真一文字に結ばれていた。

 

「その、私にヒロシを振れって、どういう意味ですか?」

「慰めます。失恋をしたヒロシの、弱った心につけ込みます。ええ卑怯ですよ、罵ってください」

 

 ゴクリ、と唾を飲む。

 

 なんだこれ。ヒロシって案外モテるのか。楽しいカラオケ会が終わったと思ったら、修羅場が待ち構えているなんて聞いてない。

 

「……ただ言えるのは、貴女より私の方が、絶対にヒロシの事を愛してますよ?」

 

 泉先輩の感情のない瞳の奥が、ドロリと歪む。その瞳の揺らめきからは、ハッキリと私に対する負の感情が滲んでいた。

 

「……そこは同意してくれますよねー?」

 

 私は、顔がひきつるのを感じた。

 

 無表情に私を睨む泉小夜からは、目的のためなら何でもしてきそうな、そんな凄みを感じる。

 

 

 ────恐怖。ごくり、唾を飲んで私は一歩後ずさる。

 

 ────殺意。私の腕は泉小夜に掴まれる。後ずさったはずの私の目前には、彼女の無表情な瞳が揺らめいている。

 

 

 泉先輩は逃げようとした私に警告したのだ。逃がすつもりはないと。

 

 何だこれ、私そんなに悪いことした?

 

 というかカラオケ中、泉先輩はニコニコと私に笑かけてましたやん! あれ、まさか全部演技なの?

 

 ……こ、怖っ!?

 

「なんで貴女なんですかね。ヒロシと私は一応、中学からのつきあいなんですよ?」

 

 テンパった私が身動きできないでいると、迫ってきた泉先輩に壁際まで追い込まれ、疑似壁ドン状態に。しまった、逃れられなくなった。

 

「出会ってひと月なのに、貴女はどうやってヒロシを誘惑したのですかね。私と貴女の差は何なのですかね」

 

 髪で目元が隠れたまま、泉先輩はギリギリと私の手を握り締める。小刻みに震える口元から、私への呪詛が零れる。

 

「ねぇ、マリキューちゃん。もし、まだ悩んでるくらいの気持ちなら。……譲って、くれませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこで、私は泉小夜と目があった。

 

 彼女の瞳には、憎悪が揺らいでいる。人気のない夜道で、壁際に追い詰められた私は、まさにまな板の鯉。

 

 結局、数分の睨みあいの末、私は生命の危機を感じ、重圧に負けてコクりと頷かされてしまった。

 

 

 

 ───この時、私が泉小夜の脅しに屈した瞬間。私を含め空回りしていた数奇な運命の歯車が、小さな音を立てて噛み合い始めていた。

 

 噛み合った歯車は伴って動きだし、周囲の人間を巻き込みながら、巨大な回路を組み上げていく。そしてやがて、この小さな恋のすれ違いが大きな事件の引き金となるのだけれど。

 

 私がその事実に気付けたのは、すべてが終わった後だった。




次回は一週間後です。

※読者サービスのコーナー
とある方よりご寄稿頂きました「『今夜はドッキン!! ラブデスボンバー!!』」は著作権のフリー歌詞素材として配布いたします。

日常生活の中で痛いポエムが必要になったり、仕事の最中に気持ち悪いポエムを口ずさむ必要のある方は、是非ご活用くださいませ。

私は要りません。


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第八話「時間」

「……そっか、マリキュー」

 

 土曜日の、放課後。

 

 私はヒロシを伴って二人きり、校舎の裏の人気のない場所に来ていた。散々じらしていたヒロシ少年の告白の、返事をするために。思いを告げられたものの責務を果たすために。

 

 

 

 

「私は貴方の告白に、応えられない────」

 

 

 

 そしてこの日、ひとつの恋が終わった。

 

 

 

「ゴメンね。ヒロシのことは、その、まだよくわからないから。嫌いじゃない、と言うかむしろ好きの部類には入るんだけど、その」

「良いよ、そういうのは未練が湧くから勘弁してくれ。うーん、そっか、まだ出会って1か月だもんな」

 

 ああ、振ってしまった。罪悪感で胸が押し潰れそうになる。ヒロシには、本当に色々と助けてもらったというのに。

 

 彼は覚えていないだろうけれど、映画館でふらついた私を抱き止めてくれたり、日本刀持って追いかけてきた川瀬に1人突撃したり、操られた生徒から咄嗟に私を庇って立ち塞がったり。彼は間違いなく真摯で、情熱的で、頼りになる好青年だ。私にはもったいないくらいの優良物件と言える。

 

 ……正直なところ、私がヒロシを意識していなかったと言えば嘘になる。むしろ、知人の男子では一番好意的に想ってる人間だろう。

 

 でも。

 

「……あー、告白焦りすぎたかぁ。でもさ、マリキュー地味に人気あったんだぜ?」

「私が人気? またまたぁ」

「多分、明日か明後日にはちらほら告ってくる奴が出てくる筈さ。そしてたっぷり苦労すると良い、俺を振ったことを後悔してもらうぜ」

「うぐっ……、はぁ。ヒロシ、私ね、実はまだ恋人とか作ったことなくてさ。正直に言うと、怖かったの」

「そーだよなー、めっちゃ初心だったもんなぁマリキュー。ガツガツしすぎたかぁ……」

 

 恋愛に不慣れな私が、臆病な選択肢を選んだ。ヒロシにはそう言い訳したが本当は、違う。彼と恋人になるのが怖かったのは事実だが、それは恋愛に対する忌避感ではない。

 

 泉先輩が怖かったのだ。

 

 無感情な瞳で睨みつけられまま、気圧された私は拒否も出来ずにヒロシを振る約束をさせられていた。

 

 最後には喉元に拳を突き付けられ、「嘘だったら許さない」と念を押され。コクコクと頷く私を、泉小夜は無表情に見つめ続けた。

 

 ────そんな私がヒロシと付き合ったら、泉小夜はどんな行動を取るだろうか。

 

 私自身ヒロシは好きだが、ゾッコンと言う訳でもない。どんな障害をはね除けてでもヒロシと付き合う、と言う情熱も気概もない。

 

 こんなに色々とヒロシに助けられてきたというのに、好きだと告白までされたのに、私はどこかでヒロシを恋人と別の位置に置いていた。彼を身近に感じすぎていたのかもしれない。私は存外に、情が薄い女らしい。

 

 

 

「ま、いいさ。俺を振った事を後悔させてやるぜマリキュー。それはそれとして、お前と一緒にいると楽しいからこれからも一緒に遊ぼーな」

「すまん、恩に着る。……いい男だなヒロシ」

「今気づいたのか? 遅いぜ、まったく」

 

 そう言いながら口元を歪めるヒロシは、成程格好いい顔をしていた。振られる前のいつものひょうきんさは鳴りを潜め、耐える男の顔をしていた。

 

「ただ、さ。今週末はちょっと顔合わしにくいわ。マリキューを遊びに誘わんけど、許してくれ」

「……あー」

「ごめん、な。月曜日までには整理つけるから。……じゃあなっ」

 

 ……すごく、勿体ないことをしたかもしれない。彼ほどいい男が、今後どれだけ出会えるだろうか。彼はきっと、本心から私の事を好いてくれていた。私も、少しヒロシが気になり始めてはいた。

 

 ヒロシを振ったのはただの損得勘定だ。私がリスクを背負ってまで、付き合う勇気が無かったって話。

 

 

 

「……あー、振った側なのになんだこの悔しさ」

 

 

 

 この辺も全て、泉先輩の思惑通りなんだろうか。いや、そうなんだろう。汚い人だ。

 

 ────うん、家に帰ろう。私も一人になりたい。この胸の奥のモヤモヤとした何かが無くなるまで。

 

 どうしようもない苛立ちが、私を包み込んだ。今日はちょっと、誰にも会いたくない。

 

 

 

 

 

 

 ……と、思っていたのに。

 

 土曜日の放課後、一人寂しく変える道すがら、突如鳴り響いた私のスマートフォンに表示された登録名は『キチガイ先輩(金)』だった。

 

 

 

 

 

『ようマリキュー後輩! ちょっと能力開発つきあえや』

「タク先輩は何もわかっていませんな。今日は半日授業、土曜日ですよ? クラスの人気者マリキューちゃんには予定が詰まってるに決まってるでしょうが。可愛く可憐で可哀想な頭の私の放課後は、そう簡単には────」

『お前1年の同級生を振ったんだっけ? で、ソイツの残念会が開催されてるそうじゃねぇか。お前、今一人だろ』 

「何故その情報を……」

 

 情報早すぎだろ。なんでヒロシを振った事がもう学校中に広がってるんだ。

 

 ちくせう。アンニュイなマリキューちゃんは、自分を見つめるべく一人になりたかったのに。

 

『30分後、14時にハチ公前な。この前の話の続きもしなきゃならんし』

「あれ、部室じゃなく外でやるんですか。私服で来いって事?」

『制服で構わん。補導されたそのピンチで、能力覚醒するかもしれんし』

「着替えていきますので、14時半にしてください」

『オッケー』

 

 ……んー、まぁでもこれもアリか。むしゃくしゃした時は、なにか別のことに没頭して忘れてしまうのも良いかも知れない。それに能力開発とか、なんかわくわくする響きだ。今日はあの先輩に付き合ってやろう。

 

 補導されたくないから着替えていくのは確定として。受けを狙ったネタ服にするか、目をつけられないよう目立たない服にするか、それが問題だ。当然デート用のお洒落服は論外、万一ヒロシに見られたら気まずすぎる。

 

 結局。無難なTシャツジーパン姿で、私は指定された場所へと向かうのだった。いつものごとく目立って写メでも取られたら面倒くさい。

 

 スパイ○ーマンのタイツはまた今度にしよう。

 

 

 

 

 指定された場所へいくと、タクは妙に洒落た出で立ちで私を出迎えた。ドクロのネックレスに黒を基調としたヤンチャな男って印象の服装であり、金髪と顔の傷が絶妙にマッチしている。

 

 ────せっかくの私服姿だが、正直近寄りたくないな。私の嫌いなタイプのルックスだ。こう、不良チックと言うか。

 

「来たな後輩。何だ? 随分地味な格好だな……。てっきりスパイダー○ンのタイツでも着てくるかと思ったが」

「そ、そんなありきたりなネタをする訳がないでしょう?」

 

 あっぶね、読まれてた。

 

「んじゃ行くぞ、目的地は近くの本屋。そこの店主も関係者だから。つまり、お前の紹介も兼ねてる」

「らじゃ」

「ここは人目があるから、詳しくは店内でな。じゃ、ついてこい」

「ほいほーい。……あ、開発ってどんなことを?」

「ああ、勉強だけど」

 

 ……勉強? この見るからにチンピラで、授業なんてサボってそうな男が何を言い出すんだ?

 

「……勉強って何?」

「ああ、量子力学とか運動物理学とかに数学的な空間を軸に加えた4次元理論とその解釈だ。現代物理学というのはすごいんだぜ? 能力の原理とかも、頑張れば説明付くかもしれない程度には研究が進んでる」

 

 しかも凄い高度な内容だし。

 

 私、高校一年なんだが。まだ運動方程式を習った直後だぞ。4次元理論ってなんだ。ド〇えもんでも召喚する気か。

 

 超能力の開発って、普通はもっとこう特別感あふれる修行じゃないの? クローンを1万人殺したりだとか、水で満たした器に葉っぱを浮かべたりだとか。

 

「……瞑想とかそういう修行はないんですか?」

「精神系はそれでいいかもしれんけどな。俺ら時空系は、能力の発動条件が力学的に理解できることが多いんだ。だからまずは基礎知識として物理知識を持ち、自身の能力と発動条件に対して考察する事から始まる。それに、物理法則に干渉してそうな能力を除外しないといけないだろ? 今のところ、物理法則に喧嘩を売る能力に俺はお目にかかっていないからな」

「何か想像してたのと違う。こう、めっちゃ不味くて飲むとものすごく苦しむ代わりに、無理矢理に能力を引き出す魔法の水とかないの?」

「そんな都合のいいものはない」

 

 超能力の特訓って聞いて微妙に期待してたのに……。理科の勉強ってアンタ、そりゃないよ……。

 

 その後私は意気消沈しながら、ポケットに手を突っ込んでがに股で歩くタク先輩に連れられて、無事に少し古めの小さな緑色の屋根の古書店へとたどり着いた。

 

 この人やっぱガラが悪いなぁ。タク先輩は普段からヤクザとやりあっている人だ。自然と態度もチンピラっぽくになったのだろう。友達と思われたくないな。

 

 さて、タク先輩は書店の中で、レジ付近に座ってあた小太りの店員さんに一言挨拶し、奥の部屋へと私を連れ込んだ。

 

 案内された部屋の中には長方形の机が一つ用意されており、壁際に設置された本棚には難しそうな本が並ぶ。店員の休憩スペースか何かだろうか。

 

「さぁ、授業を始めるぞ。お前は高校一年だから、基本的な話からミッチリ教えてやろう。んじゃ、その『キチガイでも理解できる相対性理論』の本を開け」

「こりゃまたスゲェ本が出てきた」

 

 私にピンポイントすぎる表題の本だ。よく見つけたな、そしてよく出版する気になったな。

 

 いかん、このままでは貴重なJKの土曜日の放課後が、意味の分からない高尚で学術的な勉学に塗りつぶされる。上手く話をそらさねば。

 

「その前に、先輩。その、まずは時空系能力って言うのを理解するために、先輩の能力とかについて詳しくおしえてくださいませんか?」

「俺の能力についてか? んー、まぁいいか。本当は他人に能力の詳細を話すのは愚策だが、俺はもう敵さんにバレ切ってるしな」

 

 やったぜ、このマリキューちゃんにかかればこんなもんよ。上手く話題を変えることが出来たぞ、あとは適当におだてて持ち上げてタク先輩を良い気にしてから帰ろう。

 

「俺の能力は自分の死亡を契機に24時間、地球自転一回分の時間逆行が強制発動する能力だ。逆行を起こさないという選択肢はない。これは、死んだ瞬間に能力が発動する制約上、自身で能力の発動の有無を選択できないからだ」

「自動発動って事ですか。逆に気を失った後に殺されても発動するんですね」

「そうだな。そんでここからが大事、俺は24時間以上は遡れない。死んでタイムリープして、時間を巻き戻したその直後に自殺しても、48時間前には戻れない。その場合は、1回目にタイムリープした時刻までしか遡れないんだ」

 

 あ、そうなんだ。無限に遡れるのかと思ってたけど、そこまで万能な能力じゃないのね。

 

「俺の能力の弱点は2つあって、そのうちの1つがさっき言った24時間しか遡れないって制約。んでもう一つは、予知能力者に弱い事だ。例えば『Aという行動を選んだ結果死んでタイムリープ』して、『Bという選択肢を選びなおして』も、予知能力者はその度に選択した俺の行動を読んでくる。予知能力者が敵に回ると、ループ脱出が死ぬほど難易度上がるって訳だ。一回これで詰みかけたし」

「ああ、予知能力者が天敵なんですね」

「まぁ、そんなところだな。ヒントにはなったか?」

 

 うーん。どう見ても最強じゃんと思っていたタク先輩の能力にも、穴はあるのね。だけど、それを差し引いても、かなりエグい能力だと思うけどなぁ。上手くいくまで無限にやり直せるんだったら、いつかはタク先輩が勝つじゃん。もしかして回数制限とかあるんだろうか。

 

「そうはいっても先輩の能力ってかなり強いですよね。タイムリープは無制限にできるんですか?」

「まぁな。死にさえすればいつでも絶対発動する能力だ、たぶん無限に発動する」

「……良いなぁ、絶対便利ですよねソレ。私の能力もそういう感じだといいなぁ」

 

 回数制限なしなのか。じゃあ、好きなだけやり直して好きなだけいい未来を選びなおせるのね。どおりで、今まで奇特部なんて怪しすぎる部活があるのに、ヤクザさんに我々の正体が露見していない訳だ。

 

 陰でタク先輩が頑張ってくれていたのだろう。

 

 

 

「────本当に、便利なだけの良い能力だと思うか?」

 

 

 

 そんな風にぼんやりとタク先輩の能力をうらやんでいた私を、彼はひどく不快そうに睨みつける。

 

「タク、先輩?」

 

 何か、気に障っただろうか。怪訝そうな私の前で、男は凍えるような目つきのまま、ゆっくりと口を開いた。

 

「俺の叔父の話をしようか。叔父も、俺と同じ能力者だった。言っただろ? この能力は、ウチの家系にポツポツ発現する能力なんだ」

「は、はぁ」

「叔父は10年前の大地震の日、たまたま震源地の都市に家族旅行に行っていた。そして、運悪く車ごと土砂崩れに巻き込まれたんだ。……考えてもみな。叔父はタイムリープ能力者だ、すぐさま自殺して家族旅行を中止にすればいいだけの話だろ?」

「……そう、ですね」

「だが思い出してくれ。俺や叔父の能力の弱点は、24時間しか巻き戻せないこと。土砂崩れから掘り起こされた叔父の車は、運転席が大きく損傷していた。おそらく叔父は、土砂崩れの衝撃で気絶してしまったんだ。少なくとも丸一日、な」

「それ、どうなるんですか? 24時間以上気を失っちゃったら、時間逆行しても地震の前の日まで戻れない────」

「そうだ、それが俺の能力の限界でもある。地震の後、掘り起こされた叔父の遺体が握りしめていた手帳には、『殺してくれ』と書きなぐられていたそうだ」

 

 タクはそこで、話を切った。

 

 ごくり、息を呑む。

 

「わかるか、マリキュー」

「……まさか」

「叔父の視点に立って考えてみろ。そういう話だ」

 

 殺してくれ。

 

 遺体となった筈の叔父がそんなことを願った理由は、それはつまり。

 

「叔父は今も、息が出来ずもがき苦しむ家族を見つめながら、死ぬ直前の最期の24時間を繰り返し続けてるんだ」

「……でも叔父さんは、もう死んで」

「俺の視点だとそうだな。時間系能力者がタイムリープに巻き込まれるためには、ある程度近くで能力が発動しないといけない。俺は叔父さんと距離が遠すぎたから、叔父の死のループに巻き込まれずに済んだ」

 

 タクの叔父の主観では、彼はまだ生きて続けているのだ。無限に窒息し続け、絶望に歪む家族の顔を見てそしてまた生き返らされ続ける。

 

「こんなふざけた能力(ちから)があるか!」

 

 それは、呪詛だった。タクという金髪の飄々とした男が初めて見せる、恐怖と苦痛に歪んだ絶望の顔だった。

 

「叔父は、きっと今も窒息死し続けている。終わらぬ24時間を永遠に繰り返しながらな。うらやましいよ、俺は普通に死ねる人がうらやましい。いつか俺は、逃れられぬ死に出くわした時、無限地獄に叩き落とされるんだ」

 

 そして、それは。今日、明日、明後日か、いつ訪れるか分からぬ柊タクへの無間地獄への予告状。彼は生まれながらにして、永遠に解放されることの無い牢獄への切符を手渡されているのだ。

 

「わかったか。俺の背負った呪いが、お前の背負うことになる十字架が。間違っても、能力を肯定的なモンだと捉えるんじゃねぇぞ? 能力を使って幸せになっている奴なんぞ見たことがねぇ。俺もいつ、死のループに捕らわれるか怖くて気が気じゃねぇ」

 

 鼓動が早くなる。ああ、思い違いをしていた。私は、私はワクワクしていたんだ。

 

「忘れるなマリキュー、能力者の全員が間違いなく、自分の能力なんか消え去ればいいと思っている。俺たちは呪われた人間なんだ。神様に呪われた、哀れな子羊さ」

 

 超能力なんて信じられないほど強力な個性を持って。これから始まる危険なスリル溢れる非日常に、少なからず胸を躍らせていたのだ。

 

「いつか、お前さんは言うだろうさ。能力なんて、無ければよかったってね」

 

 私はただ、貧乏くじを引いただけだった。私はこの時やっと、それを自覚したのだ。

 




次回は1週間後です


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第九話「呪い」

「よし、ここまでにしとくか。今日はもう帰ってよし、お前も能力の性質の悪さが理解できたみたいだしな。今日の一番大事な話はそこだ」

 

 やっと、長きにわたる勉学の時間は終わりを告げた。

 

 タク先輩はその後、絶望気味の私に追い討ちをかけるように相対性理論の授業を始め。結局私は夕方まで、高校物理を逸脱した高度な内容をひたすらに聞かされ続けた。

 

 何で試験に出ないのにこんな勉強をさせられるのか。何で、わざわざ放課後の時間を割いてまで時空方程式なんて聞いたこともない単語を教えられるのか。

 

「色々と意味が分からない」

「何だ、分かりにくかったならもっかい授業しようか? ちょっと痛いがもう一回、今日を繰り返しとくか?」

「……遠慮します」

 

 見た目とは正反対に知的な話を延々と繰り返す金髪の先輩は、机の上に腰かけたまま皮肉げに笑う。人気の無い筈の古書店の、店員が本を整理する音だけが部屋に響いている。

 

「そう、その暗い顔で良いんだ。能力なんて厄介モンに目覚めまったんだからな」

 

 タク先輩は満足そうに私の顔を見つめ、そう吐き捨てた。今の私はどうやら、かなりひどい顔をしているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マジかぁ……」

 

 帰り道、空はもう暗みを帯びていた。

 

 どうしようもなくブルーな私の口から思わずこぼれたこの言葉こそ、まさに今の気分を完璧に表現した一言だ。

 

 聞いてない。そんな鬱な話、聞いてない。

 

 超能力に目覚めたら、その能力を使って好き放題できるもんだとばかり考えていた。

 

 せいぜい命を狙われたり、能力者同士のバトルに巻き込まれたりする程度のリスクだと思い込んでいた。

 

 もっというと、絶体絶命のピンチで遂に能力に覚醒した私が、強大な敵を打ち破り世界に平和を取り戻す中二病的な妄想までしていた。

 

 タク先輩が言うには、私達が手にしたのは能力というよりは呪いの類だとか。こんなもんには一生目覚めない方が幸せなのだそうだ。

 

 だが能力に目覚めてしまったからには、制御出来るようにならないとさらに悲惨な目に合う。そんな破滅の袋小路に迷い混んでしまっているのが、今の私の状況だ。

 

「マジかぁ……」

 

 意外にも紳士的に駅まで送ってくれたタク先輩と別れ、私は人の少ないホームで一人、頭を抱えていた。

 

 ただでさえ、今日はイベント盛り沢山で疲労が溜まっていた。ヒロシの告白の返事から始まり、知りたくなかった能力の裏事情を教えられ、おまけに相対性理論の授業を延々と繰り返され。

 

『後輩、時間逆行以外の非現実的な事態が発生したら即座に俺に連絡しろ。いや、やっぱ時間逆行が起きても連絡してくれ、お前自身が引き起こしたかもしれないからな。お前の背負い込んだ呪いの正体が判明したら、対策も取りやすくなる』

 

 別れ際、呪われた我が先輩はこんなことをのたまった。

 

 これから私は、常に周囲に気を配らなければならないのだ。どんな些細な変化でも、それが私の能力に関係するかも知れない。風が吹けば能力を疑い、水が滴れば呪いの可能性を考える。

 

 うーん、ストレスフルだ。私は今、日本一気苦労の多いJKでは無いだろうか。せっかくの美少女マリキューちゃんも、眉間にシワが寄ってしまっては台無しだ。ネタキャラとして生きていくためにも、顔は常に笑顔でないと。

 

 私は負けん。辛い運命なんかに屈したりせず、笑顔のまま生きていくんだ。

 

 そうと決まれば面白いことを考えよう。明日は仲の良い女子を集めて女子会でも開くか。ちょうど、昨日の泉先輩の所業について相談したいし。

 

 少なくとも、ヒロシの告白を断るに至った泉先輩の一件はかなりストレスになっている。昨日はモヤモヤして、よく寝れなかった。

 

 アレってかなり汚い行為じゃないか? 少しきつい言い方になるけど、ド畜生以外のなんでもないだろ泉先輩。優柔不断な私を責めたくせして、泉先輩本人は自分の事しか考えてないじゃん。先輩なら、ヒロシの恋を応援してやれよ。

 

 思い返すとなんか、スゲー腹が立ってきた。いかん、誰かに話さずにはいられない。カナとかその辺相談しやすいし、ついでに奴の悪評も広めてくれるかもしれん。私も率先して泉先輩の陰口を広めてやろう。

 

 それくらいの報復、良いよね。悪いのは泉先輩だし────

 

「……マリキューちゃん?」

「っえ!?」

 

 色々疲れていたからだろうか。その時私は、妙に苛立っていた。駅のホームの待ち時間、フツフツと沸き上がるどす黒い感情を持て余していた。

 

 そんな折、寒気がする猫なで声が背後から聞こえてきて。

 

 振り向くと、今まさに憎悪に狂っていた相手、にっくき泉小夜が私の顔のその先にいた。

 

「ちょ、マリキュー!?」

「あらら、マリキューちゃんもお出掛けしてましたかー?」

 

 それだけではない。

 

 泉小夜は、一人ではなかった。満面の笑みを浮かべて私を見つめながら、一人の男に抱き着いていた。

 

 気まずそうに目線を漂わせながら、泉小夜に密着されているその男は、まぎれもなく。

 

「ヒロシ?」

「……よ、よお」

 

 昼間に振ったばかりの、私が今最も顔を合わせたくない男。即ち、ヒロシその人だった。

 

 

 

「今日は随分地味な格好なのですね、マリキューちゃん」

 

 そんな私とヒロシの気まずさを知ってか知らずか。泉小夜は、いつもの如く気安げに話しかけてくる。

 

 泉小夜の姿は、あざといフリルのワンピースに胸元を大きく開いた、男を落とすためだけの戦闘衣装だ。Tシャツジーンズの私とは正反対である。

 

「……ええ、塾帰りでしてね。学校では常日頃から派手な行動をしてはいますが、この時間に変なことをすると職質されるので地味な姿なんです」

「流石マリキューちゃんです。職質について知り尽くしているのですね」

 

 

 クスクス、とおかしそうに笑みを浮かべる泉小夜。おいお前、何がそんなに面白いんだ? ひょっとして私を馬鹿にしてるのか?

 

 

「あ、それとねマリキューちゃん。ひとつ報告が有るのですよー」

「報告?」

「先輩、ちょっ!?」

 

 いかん。コイツと面と向かってしゃべると、ますます苛立ちが収まらない。気持ちが整理できるまで会いたくなかったなぁ。思わず罵倒してしまい、ヒロシに性格悪いとか思われたらどうしよう。

 

 とりあえず、何か言いたいことがあるらしい泉小夜に暫く喋ってもらって……

 

「私達、今日から付き合うことになったのです~」

 

 そして、私の頭は真っ白になった。

 

 

 

 

 ……。

 

 付き合う、ねぇ。

 

 私達付き合うことになりました? つまり、泉小夜と、ヒロシが付き合い始めたの?

 

 ……へぇぇ。

 

 

「……ねぇヒロシ、ちょっとそれは腹が立つかな。今日私の返事聞いた直後だよね?」

「そ、そうなんだが。すまんマリキュー、その」

「私への告白は、粉をかけただけだったの? 断られたらその日のうちに、次の娘にアタック?」

「いや、違うんだ。た、確かにそう見えるかもしれんが」

 

 

 だめだ。感情が荒らぶって、押さえきれない。

 

 何だこの、心の奥底から沸き立つどうしようもない黒い感情は。先ほどまで泉小夜に対して感じていた「憎悪」とは違う。

 

 悔しさ? 悲しさ? 苛立ち? 

 

 おかしいな。私はヒロシが誰と付き合おうと激怒する必要性もないし、文句を言う資格もない筈なんだが。ダメだ、我慢できない、感情が高ぶってくる。

 

 

 

「ひょっとして私に断られるのを待ってたのかな。ごめんね、ずいぶん返事をするのに時間がかかって。さっさと振ってあげれば良かったかな」

「あ、その、マリキュー違う────」

「どうどう、マリキューちゃん落ち着くのです。私から強引に迫っただけなので、ヒロシをそう責めないであげてください」

 

 不快な声で笑いかけてくる泉小夜は、ヒロシを庇う様に私の前へと割って入る。ヒロシの首筋に、手をかけたまま。

 

「私の想いが成就した、それだけの話ですよ」

 

 鳥肌が立ちそうな猫なで声で、この女はぬけぬけとそう言い放ったのだ。

 

 ……私の脳内で、何かが切れる音がした。半笑いのまま、ヒロシの腕に抱きついた状態で話す泉小夜(クソビッチ)。おぞましい。吐き気がする。

 

 何より許せないのは。泉小夜の私を見つめるその表情が、その顔が────

 

 

「それに、マリキューちゃんはヒロシをもう振ったのでしょう? なら貴女にはもう関係ないじゃないですか」

 

 

 まぎれもなく、私を見下していた。

 

 

 

 

 ぶちまけてやろうか。昨日のお前の、汚い策謀を。あのふざけた提案を。

 

 お前に何をされるか分からなかったから、私はヒロシを振らされた。下賤で、粗暴、愚鈍、無様なその所業。その事実を突きつければ、少しはその余裕の表情も揺らぐだろうか────

 

 燃える。

 

 私の中の熱い何かが、グツグツと込み上げてくる。感情が炎となって、私の全身を焼き焦がしている。

 

 

 

 

 

「すまん、マリキュー。お前への告白は嘘とかじゃない。でも、今好きなのは泉先輩なんだ」

 

 

 

 

 そんな、マグマの如く煮立っていた私の心を氷点下に冷やしたのは、他でもないヒロシの独白だった。

 

 

「結構期待してたんだ、マリキューの反応も悪くなかったしさ。振られたの、本気でショックでさ。情けないことに俺は周囲に当たりつくして、愚痴り倒したんだ。その時、泉さんはニコニコ笑って、ずっと俺の愚痴受け止めてくれた」

 

 ……。

 

「前々から好きだって言われてたこともあって、1度付き合ってみるとこにしたんだ。不誠実に見えるだろうし、俺が嫌いになったならそれでも構わない。ごめん、マリキュー」

 

 それは、予定通りの行動。泉小夜は、振られて弱ったヒロシの心に付け込んで、優しく慰め、取り入った。

 

 ヒロシは単純だ。だが誠実で、真っ直ぐで、熱い情熱を持つ男。この女の姦計を見抜けるはずもない。彼は純粋に、慰めてくれた泉小夜に感謝しただけ。

 

 結局、全て泉小夜の目論見通り。今まで私に向いていたヒロシのその熱い感情は今、泉小夜に向いた。それだけの話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 ────言葉が出ない。脳天をバットでぶん殴られたような、衝撃が走る。

 

 涙腺が腫れ上がり、涙が溢れそうになる。体の芯まで火照ってきて、上手に息が出来なくなる。

 

 なんだ、これは。私は、何にそんなに衝撃を受けているんだ? 泉小夜に良い様にされた悔しさ? ヒロシが騙されてしまったことへの罪悪感?

 

 ……違う。これは、この感情は。まさか、私はひょっとして。

 

 

 

 ────ヒロシのこと、本気で好きだったんだ。

 

 

 

「勝手なこと言うけどさ。俺、恋心とか抜きにしてもマリキューとは仲良くしていたい。お前と一緒に居るの、なんだかんだ楽しいんだわ」

「────そ、か」

「月曜日から、その、良ければまた一緒に遊ぼうぜ」

「うん、う、────ん」

 

 

 馬鹿じゃないのか。

 

 私は、馬鹿じゃないのか。大事なものは失って初めて気付くって、そんなのドラマでしょっちゅう聞いたセリフだろ。

 

 なのに、何で気付いていなかったんだ。何で────

 

「マリキュー? ど、どうした?」

「何でも、何でもない」

 

 やめてくれ。今は私に話しかけないでくれ。

 

 ふざけるな。ああ、私はバカだった。気づけよ、それくらい。こんなに、こんなにもヒロシが近くにいることに、安心感を覚えていたじゃないか。

 

 泉小夜のせいだけじゃない。私がとっとと気持ちに気付いて、ヒロシに返事をしていれば、そうしたら。

 

「ちょっ、え、涙? マリキュー、マジで何が────」

 

 でも、もう遅い。何もかもがもう遅い。もう、ヒロシは泉小夜(クソビッチ)に奪われてしまって────

 

 

 

 

 

 

 

「────っ!? あ、熱っ!?」

 

 

 

 

 

 涙があふれたその瞬間。私は目の前に、凄まじい熱源を感知した。

 

 ヒロシも同様だ。いや、ヒロシに至ってはその『熱い何か』に接触していたようで、叫び声をあげ、着火した服の袖を払っている。

 

 幸いにも、ヒロシについた火はすぐに消えたが。息を整えるヒロシの服の袖は焼け焦げ、小範囲が焼き切れていた。

 

 

「ヒッ、ヒロシ、どうしたの?」

「いや、なんか手が急にめっちゃ熱くて……痛て、見てくれマリキュー、赤くなってる」

 

 嗚咽がしゃくりあげるのを堪え、私はヒロシの焦げた腕先を見る。

 

 痛そうに顔を歪ませるヒロシのその腕は、破れた服の間からピンク色の皮膚が覗いていた。

 

「……火傷?」

「みたいだな。誰だ、こんなとこで火なんか扱った奴は……。喫煙所があるだろ────」 

 

 

 駅のホームで、未だに堂々と煙草を吸いだすマナーの悪い人種は少なからずいる。そんな悪漢が、ヒロシの服をたまたま燃やしてしまったのだろう。

 

 ……火傷をしたヒロシには悪いが、少し助かった。零れる涙を何とか拭いさる時間が稼げた。

 

 どうせなら泉小夜が火傷してくれると、なお素晴らしかったのだが。

 

 うん? そういえばその、泉小夜はどこだ?

 

 

「……泉さん、いなくなった?」

「あれ、本当だ。泉先輩、何処ですか────」

 

 

 つい先ほどまで、ずっとヒロシの腕にしがみ付いて媚びを売っていた泉小夜。私とヒロシが話をしているときもずっと、ニヤニヤと笑って私を見下していた女。

 

 そんな彼女は、突如として私たちの目の前から消え去った。ここは駅のホーム上で、隠れる場所もない。駅のホームにはちらちらと人影はある。だが、人混みというほど多くはない。あの目立つ洒落た服を着た泉小夜を、こうも一瞬で見失うなんてありえない。

 

 

 

「……、ぁぁぁ」

 

 

 掠れた声が、何処かから響く。ゾンビ映画のうめき声みたいな、不気味な声だ。

 

 泉小夜の、悪戯か? あの性悪女は、こんな状況で人をからかおうとどこかに隠れたのか? 何処だ、何処にいる。

 

 ああ、分かった。駅のホーム上で身を隠せる場所があるとすれば。立っている私達が、彼女を見失ってしまう位置といえば。

 

 それは、線路上しかありえない。

 

 

 

 

「……ぇ、けてぇ……」

 

 

 線路上に、ソイツはいた。

 

 おぞましい化け物だ。火に包まれて蠢く、映画に出てくるモンスターだ。

 

 皮膚はドロドロに溶け、全身の所々が赤く腫れあがり、部位によっては炭化してしまっている。乾ききった枯れ声で呻きながら、線路の上をモゾモゾとはい回る、人の形をした何か。

 

 まさか、人なのか。アレが人だというのであれば、一際激しく燃えているあの丸いものは、頭なのだろうか。

 

 ああ。見えた。見えてしまった、その人物の顔が。焔に包まれ渇き、白く濁ったその目からは、何の表情も読み取れない。口はパクパクと陸に上がった魚のように、何かを求めて動き続ける。赤く腫れ上がったその人の両手は、何かを探し左右へと揺れていた。

 

 そして私は、僅かに燃え残ったその人物の服から、その正体に思い至った。

 

 

 

「────泉、先輩?」

 

 

 

 

 あの、白いフリルのついた切れ端はまぎれもなく、泉小夜の身に着けていたものだ。

 

 その瞬間に、火傷だらけの顔が泉小夜とリンクする。間違いない。あの、大やけどを負って線路に転落した女は、泉小夜に相違ない。

 

 

「は? え、ちょっ……」

「っ!! 警報だ! 誰か、警報をならしてくれ! 人が線路内に落ちてる!」

 

 混乱した私は、どうすれば良いか分からず右往左往した。一方でヒロシは、緊急停止信号を鳴らすように怒鳴る。

 

 だが、間が悪い。停止ボタン付近に乗客は居らず、そこから比較的近くにいた人達は怪訝そうにこちらを見るだけで動かない。

 

「くそったれ!!」

 

 ふがいない周囲の人物に悪態をつきながら、ヒロシは緊急停止ボタンへと走りだした。私は、混乱しつつも大声で駅員を呼びつけて、線路の下で燃えている泉小夜を指差して────

 

 

 水風船が破裂するような音と共に、赤い血飛沫をあげてトマトのように踏みつぶされた泉小夜を、しっかり見てしまった。

 

 一拍遅れて、通過する列車が風を起こし。急停車する電車を見つめ、私はへなへなとその場にうずくまって、そして静かに嘔吐した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「事情は分かった。明日、すぐに部室に来い」

 

 私が警察のあれこれから解放されたのは、深夜近くになってからだった。家まで警察に送ってもらい、そして私はタク先輩へと電話を繋ぐ。

 

「いつ火がついたかは分かんねぇんだな」

「ええ。私もヒロシも気付かない間に、突然火がつくなんて変です」

 

 そうか。これか。

 

 今までの、巻き込まれただけとは違う、加害者としての感覚。

 

 意味が分からない非日常。周囲を巻き込んでしまっただろう罪悪感。

 

 

「確かに変だな、後輩。ようし分かった、後は任せろ」

 

 

 深夜にいきなり電話を掛けたと言うのに、タク先輩は気を悪くした様子もなく、私の話を聞いてくれた。 

 

 

 

 ────私は今日、泉小夜を呪った。

 

 呪った結果、泉小夜は凄まじく哀れな末期となった。

 

 

「先輩。その、ごめんなさい」

「良いって、今日はもう寝ろ。そして今日(あした)の朝、改めて話しよーぜ」

 

 

 これが、私の能力によって引き起こされたものだとするならば。私は今日、初めて人を、自分の手で殺したのだ。

 

 そして。私のその不始末を何とかするために、タク先輩は自殺をしてくれる。

 

 やがて。通話の先で、銃声が聞こえて。不協和音と共に、時間の逆行が始まって。

 

 私は胸いっぱいの罪悪感に震え、自分の引き起こした現象を恐れながらも、布団に入ればすぐ疲労であっさりと意識を失った。

 

 ────時間は金曜日の夜へと、巻き戻る。




新年度忙しすぎるので、次回更新は未定とします。
1週間以内に書き上げれたら、更新いたします。


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第十話「告白」

「……発火、ね。パイロキシスト、なんてもんは存在しない筈なんだがな」

 

 翌朝。いや、今朝というべきだろうか?

 

 さわやかな風が心地よい今の時刻は、泉小夜が燃え尽きた土曜日の朝7時。朝練中の運動部員しかいない静かな学校に、私は眠い目を擦りながら登校し、奇特部の部室でタク先輩に昨夜の出来事を報告していた。

 

「泉さんが憎くて、ヒロシを振っちゃった後悔とかで心の中が真っ黒になって、そしたら泉さんが……」

「突然火だるまになって、線路に墜落したと。話を聞く限りじゃ、誰かの煙草で火が付いただけの事故って可能性もなくはない。だからまだマリキューの能力とは断定できないが……。状況的には、お前の能力の可能性が高いな」

 

 タク先輩は、難しい顔でノートに昨日の状況のメモを取っている。

 

 泉小夜の焼死は、やっぱ私のせいなのだろうか。

 

 燃え盛る炎、むせそうになる強烈な肉の焼ける匂い、水風船が弾ける様に飛び散った泉小夜の肉片。……昨日の光景は、思い出すだけで気分が悪くなってくる。いかに憎たらしい泉小夜とはいえ、私はあそこまで酷い目に合わせようなんて考てはいなかった。

 

「私が泉小夜を呪ったから、なんでしょうか」

「憎しみが鍵となって能力が発動。うん、そりゃありえない話じゃない。実は一人、よく似た発動条件のやつを一人知ってる」

「その人は、どんな能力なんですか?」

「内緒だ。ただソイツは、人から好意的に思われると呪いが発動する事が分かってる。マリキュー後輩が誰かを強く憎むことによって能力が発動した、ってのは十分ありえる話だ」

 

 くるくる、とペンを回しながら、タク先輩はそこで言葉を切った。彼はそこで大きく眉をひそめて、ビシっと私にペンの先を向ける。

 

「ただし。問題は、何もないところから火が出るわけがないって事だ。お前の能力が発火だっていうなら、物理法則に正面から喧嘩を売ってる」

「ですよね」

「……まぁ、俺はもうその発火のメカニズムについての仮説は思いついているんだが。なぁ後輩、泉が焼死する直前に何か変わったことが起きなかったか? 時間が止まったりだとか、音が聞こえなくなったりだとか」

「え、えっと……無かったと思います」

「ん、そか」

 

 その返答を聞いた先輩は、再び唸りながら考え込み始めた。

 

 タイムリープする前の土曜日の夜、あの時の私は泉先輩が燃えているのに気づく直前までずっと、ヒロシと話をしていた。会話は途切れたりしていない、時間停止とか時間の逆行とかはなかった筈だ。

 

 そう。あの時私は、泉小夜に対しての好意を語るヒロシに打ちのめされ、そして憎悪した。だからはっきりと覚えている。

 

 そっか。そうだ、泉小夜に対するゴタゴタで頭から抜けていたけど。いや、思い出さないようにしていたのかもしれない。私は、ヒロシに振られたのだ。

 

 いや。私が振って、そして勝手に失恋しただけだ。

 

 ……失恋のショックが、今改めてズシリと臓腑にのしかかり、テンションが下がってくる。自分が好きだった人間に、ああもはっきり「泉小夜が好きだ」と言われたらかなり凹む────。

 

 ────いや待て。待て、今日は昨日だ。あれ、ヒロシに告白の返事をしたのはいつだ? えっと、昨日の昼だから今日の昼で、って事はヒロシに告白の返事をするのは今日の放課後で!

 

「思い出せ後輩。本当に、何でもいいから普段と変わったことは────」

「ああああ!! 私ってばヒロシへの告白の返事、やり直せるじゃん!」

「……。それは好きにしたらいい、今はまずお前の能力をだな」

「あ、ああ、そっかそっか、やったあああああ!!」

 

 よし。よし、これであの女狐の毒牙からヒロシを守ってやれる。ヒロシは元々私が好きなのだ、私もヒロシへの好意に気付いたからこれで両想いだ。

 

 問題はあの女狐が約束を違えた私に対して、強硬策に出てくる可能性。せっかくヒロシと付き合っても、その日の夜に、背後から髪を咥えて眼の光を失った泉小夜(ヤンデレ)に刺殺されては世話がない。

 

 誰か護衛を雇うべきか? 探偵さんとか、何だったら普段からヤクザとやりあっているキチガイ金髪に頼むのも────

 

 そうか。この金髪キチガイがいるじゃないか。確かに闇落ちした泉小夜は怖いけど、私が殺されても金髪の能力で蘇生してもらえばいいだけの話じゃん。

 

「タク先輩、その、もし私が泉小夜に襲撃されたら助けてください! 私、ヒロシと付き合う感じにします!」

「わかった、わかった。もしお前が泉に何かされたら、俺のスマホをワンコールだけ鳴らせ。ちゃんと対応してやるから」

「あざっす! ……あれ、万一殺されちゃった場合って私、生き返るんですかね?」

 

 私が死んでも、金髪キチガイが自殺してくれれば私が死ぬ前まで巻き戻る。……で、良いんだよね?

 

「一応確認なんですけど、時空能力者は生き返らないとかそんな制限はありませんよね?」

「ねーよ、生き返るに決まってんだろ。時空系の俺も、毎回生き返ってるだろうが。お前の主観的には、死んだ直後に五体満足になって昨日の日付で意識が戻る感じだ。時間が戻れば、記憶以外のすべての情報はリセットされる。死んだ直後に昨日に意識が飛ぶから、混乱して変な声出さんようにな。いきなり絶叫とかしたら目立つ……。……うん、お前は特に気にしなくていいや」

「いきなり叫びだしても違和感ねーなこの女みたいな目で見るのやめてくれません?」

 

 ……そっか。そりゃそうか、金髪先輩も毎回死んで、すぐ生き返ってる。私が万一殺されても、きっとこの男が何とかしてくれるだろう。

 

 よし、これで泉小夜対策は完璧だ。と、なると後は―────

 

「じゃ、考察を再開するぞ。まず、泉の燃え方についてだが……」

「はい、あの時は」

 

 私自身の、呪いについて向き合う時間だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つまり。泉は発火する直前まで一切声を出さず、火が付いた瞬間も悲鳴一つ上げず。服だけじゃなく彼女の全身は炎に包まれて、線路に転落して電車に跳ね飛ばされたと。運転手は燃え盛る死体が目に入らなかったのかね」

「言われてみればおかしいですよね」

 

 改めて昨日の状況を分析してみると、奇妙な事が多すぎる。何で泉小夜は悲鳴一つ上げなかったのか。なぜ電車の運転手は、燃える死体なんて目立つものを見落としたのか。

 

 やはり、たまたま駅のホームの人間の煙草で着火して転げ落ちた等の事故というより、私の能力に起因する可能性が高い。

 

「まだ情報が少なすぎるし、何が起こったかは断定が出来ない。だがとりあえず後輩、お前は当分人を憎むな」

「そんな無茶な。釈迦にでもなれと?」

「そうだ、やれ。また誰かを火あぶりにしちまったら、その都度俺が自殺しないといけなくなる。知ってるか? めっちゃくちゃ痛いんだぞ銃自殺」

「……はーい。仕方がない、暫くは菩薩メンタルで生活しますよ」

 

 タク先輩に睨み付けられ、眼力に負け頷く。……怒るな、と一言で言われても難しいんだが。

 

 感情を完全にコントロール出来たら、そりゃあ人間じゃない。心の広い私と言えど、泉小夜みたいな人種には吐き気を催す。

 

 ……精神修行でも始めるかな。手始めに、どっかで滝に打たれてるか。

 

「にしても、泉ってそんなキャラだったんだな。おっとりした癒し系だと思ってたわ」

「タク先輩、泉さんと知り合いですか?」

「同じクラスだ。話したことは殆ど無いがな」

「一度話してみては? 何か情報があるかもしれませんし、ひょっとしたら泉さんの能力かもしれませんし。HRまでまだちょっと時間があるので」

「……そーだな。ただ、俺はクラスの連中に毛嫌いされててなぁ……。ま、やれるだけやってみっか」

 

 ……そういや、あんたの悪評は一年の教室にまでとどいてたな。タク先輩というか、奇特部の悪評だけど。

 

 

 

 

 ────こうして時空系能力者会議は終了し、それぞれが分かれて自らの教室に向かった。

 

 彼女は、弓須マリは気付かない。

 

 彼女の左手には、もはや古傷となった何かに強く引っかかれた痕跡(ヒロシの事故の古傷)が、今もなお残っていることに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来たな、マリキュー」

 

  もう体験するのは何度目かは分からない、既視感(デジャヴ)。巻き戻った時間は、私が別の選択肢を選ばない限り、寸分たがわず再現される。

 

 放課後、ヒロシへの返事をしに行った私は、昨日と何もかもが同じなヒロシの声に、涙ぐみそうになるほど安心した。良かった、私はやり直せるんだ。

 

「お待たせ。さぁヒロシ少年、心の準備はよろしいかな?」

「そりゃこっちの台詞だよ。やっと心の準備が出来たんだな、マリキュー? 一週間も悶々とさせてくれおってからに」

「……そ、そりゃすまんかった」

 

 昨日(きょう)と何も変わらぬ、ヒロシの姿。だが、昨日(きょう)とは違い、彼は余裕に満ちていた。

 

 

 

 昨日(きょう)の告白は、1回目の告白では、私は開口一番ヒロシに謝った。

 

 その瞬間に、ヒロシはだいたい察してくれた。その後の私の言い訳を、涙を堪えながら聞いてくれた。

 

「うん、周囲確認よし。こっそり覗きに来てるバカはいなさそうだね」

「だな。で、どうだ? 俺はマリキューのお眼鏡に叶ったか?」

 

 だが、今日(いま)は違う。私は、ここにヒロシの告白を受けに来ている。

 

 私の態度を見て期待を持ったのか、ヒロシはニヤリ、と不敵に笑っている。だが、よく見たら微妙に頬が引きつってもいる。

 

 不安か。期待か。高揚か。

 

 彼は、ヒロシは内心でいろいろな感情がせめいでいるというのに、それを悟られまいと格好つけているのだ。うむ、なかなか愛い奴だ。

 

 さて、私の返事は決まっているわけだが。今この瞬間が、私の人生初の恋人誕生の瞬間である。さて、どう答えたものだろう。

 

 オッケー、といつもの如く気軽に答えるか。永遠の愛を、みたいに仰々しくドラマチックに答えるか。

 

 うーむ、後者はなんか私のキャラじゃないな。前者はなんか軽いし却下。よし、真顔でたっぷりと焦らした後で、ニコリと笑って快諾する方針にしよう。

 

 

『ヒロシよ、貴様は神の血を引く悪魔の片腕として私に忠誠を誓うのであれば、我と共に歩むことを許す』

 

 

 うん、セリフはこんな感じでいいかな。中二病くさい? HAHAHA、何をいまさら。

 

 さて、ここからが私の時間だ。クイズミリオ〇アの如く返答をよく溜めて、タイミングを選びぬいて。真顔を維持したまま、私はジィ、とヒロシを睨むがごとく見つめ続けた。

 

「……」

「……マリキュー?」

 

 まだだ。

 

 私と見つめあい、徐々にヒロシの顔から余裕がなくなってくる。そうだよな、こう焦らされると答えを聞く方は不安になってくるよな。先程の余裕の表情から一転、ヒロシはゴクリと唾をのみ真剣な顔になってきた。

 

 脳内でドラムロールが鳴り響く。屋上には涼やかな風が吹き抜け、タラリと滴ったヒロシの汗を運び去る。

 

「……」

「え、えっと。おーい、マリキュー?」

 

 ヒロシはやがて、心配げな表情を隠そうともせずに私の目の前で手をひらひらと振り始めた。違う、そうじゃない。焦らしてるだけだから、私は。

 

 とはいえ、少々溜めすぎたか。ネタも通じていないようだし、そろそろ答えてやるとするか。

 

「……」

「……」

 

 わたしの沈黙に耐え兼ね、やがてヒロシも黙りこくった。

 

 今が返答するチャンスかな。えっと、セリフはなんだっけ。どう応えるつもりだったっけ、えっと、えっと。

 

「……」

「はぁ。マリキュー、生きてるか―?」

「……」

 

 えっと、あれ。私は、その、何を言えばいいんだっけ。上手く頭が働かない、おかしいな。

 

 と言うか、頰が熱い。目もぐるぐる回ってきた。めまい、なんだろうか? クソ、何でこんな時に。

 

「……」

「ダメだこりゃ、フリーズしてやがる。はやく再起動しろマリキュー、顔真っ赤になってるぞ」

 

 ……えっと。いかんこりゃダメだ、落ち着け、落ち着け私。

 

 思い出せ。私は絶対にここで、ヒロシに返事をしないとダメだってことを。

 

そうだ。そうじゃないか。ここで返答できなかったら、ヒロシはあの女に、泉小夜に取られ────

 

 

 

「ヒ、ヒロシィ!!!」

「うおっ!!」

 

 

 

 脳裏に、私を見下す奴の顔が浮かんで来て。反射的に私は、ヒロシに向かって叫んでいた。

 

 驚きの表情で、目を丸く私を見つめるヒロシ。

 

 言うんだ、今がチャンスだ。もう言葉なんて何でも良い。

 

 付き合うといった旨の言葉を、告白を了承するといった旨の発言を、絞り出してぶつけるんだ!

 

 思い出せ、あの屈辱を。泉小夜に見下され、ヒロシに見捨てられ、挙句殺人に手を染めてしまった虚無感を。

 

 ああ、そうだ。私はここで告げないといけないんだ、ヒロシへの想いを。彼は、正面から私を好きだと言ってくれた。なら私だって逃げずに、正面からこの男に返答しないと失礼じゃないか。

 

 

 

 

「私の方が! ヒロシをスッゴい好きだし!!」

 

 

 

 

 い、言った。よし、なんかチープな言葉だけど、とりあえずこれでヒロシが奪われる心配は────

 

 

 

「……」

 

 

 

 ……あれ? 今、何を言った私?

 

「……くく、そりゃ光栄だな」

 

 何か、とてつもなく恥ずかしい事言ってなかったか私?

 

 え、ちょっと。あれ、何でヒロシお前そんなにニヤついてんの? 何でそんなに調子乗ってるの? アレ?

 

 

 

「これから宜しくな、マリキュー」

「……あれぇ?」

 

 

 笑いを必死で堪えながら、ヒロシ少年は私を抱き締める。

 

 突然の抱擁に言葉を失い、頭が真っ白になって棒立ちしていると。彼は私の頬に、優しく口付けをし愛を囁き始めた。

 

 

 つまり、私にとって色々衝撃が強すぎたのだろう。

 

 

 直後に私は、「ちょ、ちょっとタイム!」と叫んで、ヒロシから逃げ出し校舎へ戻るドアを開けて。

 

 

 ────ドアの前で、私の返事を覗き見ていた魑魅魍魎(クラスメイト)達の姿を視認した。奴等は、私と目が合うと蜘蛛の子を散らすように逃げ出して、ブチキレた私は怒りのままに悪霊(きゅうゆう)どもを追いかけた。

 

 つまりまぁ、誰にも怒らないという菩薩メンタルの誓いは、半日も持たなかった訳だが。この日は誰も焼け死んでいないから、セーフとしておこう。

 

 

 こうして。良くわからないウチに、私は人生初の告白イベントを終えたのだった。




GWで書き溜め予定。
1週間後の更新を目指します。


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第十一話「既視感」

 4月の最後の日曜日。それはすなわち、私の初デートの日である。

 

 巻き戻った時間軸でヒロシの告白を受け入れた私は、周りに唆されたヒロシによってデートへと誘われ、なし崩しに二人きりで出かける運びとなった。からかい交じりの級友たちの祝福が、なんとも腹立たしい。

 

 デート自体は、別に良い。ヒロシとのデートが別に嫌なわけではない、むしろ楽しみですらある。

 

 問題なのは、私は異性と二人きりで出かけた経験がない事だ。いきなりデートとか誘われても、心も衣服も化粧もひっくるめて何の準備も出来ていない。明日は何をすればいいのか、どう振る舞えばいいのか、勝手が何も分からない。

 

 時刻は土曜日の深夜11時、私は悩みに悩み抜いていた。

 

 

「あちらを立てればこちらが立たず……。人生って難しい」

 

 

 私のベッドの上には、2着の服が並べられている。当然、明日に来て衣服の候補である。

 

 私から見て右に置いてある服は、以前に血迷って買ってしまった、淡い水色が基調のオサレな勝負服だ。確か『清楚な貴女の春一番!』が謳い文句の、露出は少ない代わりあざとさは満載のブランド服のワンピース。

 

 かつてこの服に袖を通し誰かと出かけたことはなかった。『いつか私にデートする日が来たら』と衝動買いしてしまい、そのままタンスの奥に封印されていた聖遺物である。

 

 去年に購入した品であり私も成長している為、このまま着るとスカート丈が短くなってしまう。これではせっかくの清楚が台無しである。だが、今更直す時間もないし、私自身の裁縫スキルでブランド服を弄る度胸なんてない。

 

 とはいえ、春用のデート服はこれしか存在しないのも事実。明日のデートは、この服を着ていくべきだろうか。

 

 

 

 一方、私の左に置いた服は、もはや服とは呼べないが、馴染み深い逸品である。即ち、ユニ○ーサルスタジオで購入したスパイ○ーマンタイツである。

 

 インパクトという点では、前者とは比べ物にならない。街ゆく人の視線も独り占めできるし、着慣れているから私自身も快適である点も高評価だ。

 

 この服の弱点は、顔まですっぽりと隠れてしまうため不審者扱いされやすい所だろう。さらに、タイツなのでボディラインも透けてしまいかねない。だが、一周していい誘惑になるかもしれない。

 

 少し冒険をしてオシャレ服を着るか。安定感のあるスパイダー〇ンスーツを身に纏うか。

 

 ああ、全く悩ましい。明日のデートは、この2着のどちらかで決まりだろう。だが、その二択を選べないのだ。

 

 結局、私が心を決めて、一着の服をハンガーにかけたのは深夜を過ぎてからだった。

 

 デートに着ていく服に悩むなんて、凡俗なJKと何ら変わりがないが、たまにはこんな日があってもいいだろう。初めてのデートに高鳴る胸を抑えつつ、私はベットに潜って寝息を立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、デート当日。

 

 ヒロシとの待ち合わせ時刻は午前10時だ。時間ギリギリに出掛けるのはよろしくないので、私は早起きして化粧を整え、朝早く午前7時には家を出ていた。待ち合わせの2時間前には、余裕をもって到着するだろう。ヒロシが到着していなければ、周辺を下見してもいいかもしれない。

 

 家を出た後、念のため周囲を警戒する。特に怪しい影は見当たらない。見慣れた普段通りの道である。キョロキョロと曲がり角に差し掛かるたびに前後確認を行いながら、私は忍び足で駅へと向かっていった。

 

 私は何故、これほど慎重に行動しているのか。それはこんな早い時刻に家を出たもう一つの理由、すなわち泉小夜への警戒である。

 

 今回のデートの最大の障害は、ヤンデレによる急襲だろう。うっかりタク先輩に電話する余裕すらなく死んでしまえば、最悪24時間経過して時間逆行が間に合わない。そんな状況だけは避けねばならない。

 

 なんとかヒロシと合流できたら、泉小夜の襲撃リスクはぐっと下がるだろう。ヒロシの心証を下げてまで私への恨みを優先するとは思えない。むしろ、奴なら私の死に付け込んだ策を用意するはずだ。

 

 それに近くにヒロシがいれば、きっと私を守ってくれるだろう。なので危険なのは、ヒロシと合流するまでのこの時間である。

 

 警戒を緩めず歩を進めるが、襲い来る人間の気配はない。流石に泉小夜も、物理的手段は取らない程度の良識的を持ち合わせているのだろうか。時刻が早すぎて、泉小夜の襲撃を先んじてかわせたのだろうか。

 

 結局、特に何か起こることもなく。私はあっさり駅に到着し、人混みの中へ無事に潜り込めた。こうなってしまえば、襲撃されたとして、衆人環視の目の中である。すぐに助けを呼ぶことができるだろう。

 

 ひと安心、ひと安心。

 

 

 

 

 

 

 ────と、思っていたのだけど。

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 満員電車とはいえないにしろ、休日の朝の8時頃はそれなりに混雑するものである。私が乗った電車もたくさんの人間で溢れていた。

 

 そして不運にも座席に座ることが出来ず、ドア側の窓に張り付くように立っていた私は、ケツに何やらが押し当たっている感触に気づく。じんわりした熱を持っているその何かは、おそらく誰かの手であろう。

 

 うーん、混んでるからな。痴漢か、はたまた事故か。

 

 窓ガラス越しに反射した、私の背後に立つ人物を確認する。中年で、スーツ服の男性。そのオッサンの手の甲が、私のケツと接触しているらしい。

 

 ギルティかなぁ? 仮に事故だとしても、文句言うくらいは許される状況だろう。でも、しらばっくれられるかもしれない。

 

「……」

 

 相変わらず、オッサンの手の甲は私のケツをプニプニ触り続ける。畜生、金払え。

 

 よし、一言声をかけよう。そして、睨み付けよう。溜め息を溢しつつ、いざ振り向こうとしたその瞬間。

 

「……っ」

 

 ────うおいっ!!

 

 ゾワッとした不快感が、背筋を駆け上がる。なんと私の背後に立っていた男性は、触り続けていた手の甲をひっくり返し、私の美尻を鷲掴みにしやがったのだ。

 

 これは、事故ではない。明確な痴漢に他ならない。

 

 フツフツと怒りがこみ上げてくる。勝手に人の尻を撫でまわしやがって、そんなに私がおとなしそうに見えるのか。

 

 もはや許せん、ここは一つ本気で頬を張り飛ばしてやろう。狙いを定めるべく私は振り向いて、その無粋な男を睨み付けようとして。

 

 

 血走った眼で冷たく私を見下す、自分より背の高い太った男と目があった。

 

 

 その直後に背後からの圧力が増し、私はドアへと押し付けられる。その男は、そのまま私の足と足の間にグイと膝を突っ込んで、スカートを捲りあげた。

 

 その、あまりに非常識でふてぶてしい痴漢の行動に、声を失って硬直していると。その男は私の腹に手を回し、上腹部から恥丘にかけて緩やかに、スカートの中へ手を滑り込ませて撫でるようにまさぐり始める。

 

 待って。それは流石にヤバイだろ。

 

 私は背後から、見知らぬ男に股間を生で触られようとしている。どんな状況だ、安っぽいAVか。

 

 無遠慮なその腕を必死で引きはがそうと抵抗するが、いかんせん筋力差が大きく歯が立たない。背後から聞こえる鼻息の音が荒くなってくる。怖気が走る。

 

 どうすれば、良いのだろう。どう言えば、止めてくれるのだろう。何だこれは、どうして私がこんな目に合うのだ。

 

 あれか。さては泉小夜の策略か。畜生、あの女絶対に許さねぇ。だか、今は黒幕に怒りをぶつける暇はない。一刻も早くこのオッサンを撃退せねば。

 

「……っ、っ!」

「……」

 

 不快感で、嗚咽が漏れる。

 

 大きな声を上げようと息を吸い込むも、何故か上手く息が出来ない。

 

 頬を、冷たい水滴が伝う。嗚咽がこみ上げ、肩は震えるが肝心の声は出てこない。

 

 そして私は、窓ガラスに映った自分の顔を見て驚愕した。

 

 泣いている。目に一杯の涙を浮かべて、私は声を押し殺して泣いている。

 

 何故、声をあげないのか。何故、痴漢の頬を張り飛ばさないのか。

 

 何故、私はこの男の為すがまま、良い様にされているのか────

 

 

 

 

「アンタ、何してる」

 

 

 

 

 情けないことに。私の異変を察知した、近くの他の乗客がその中年の手を掴むまで、私はとうとう一言も喋らず良いようにされてしまっただけだった。

 

 乗客に腕を掴まれた中年の男はギャアギャア何かを騒いでいたが、よく聞こえない。私は痴漢から逃れた解放された安堵感と、何も出来なかった悔しさで、その場にしゃがみこんで泣き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「災難だったな」

 

 私はその次の駅で下車をして、駅員や警察官に囲まれながら、何が起こったかを詳しく事情聴取(セクハラ)された。調書を作るのだとか。

 

 示談金にするか否かとも聞かれた。そんなもん要らないからヤツを豚箱に突っ込んでくれと、そう言ってやった。

 

 ため息が零れる。とんでもなく嫌な思いしたのに、何で詳しく思い出させるのか。男の警察官に痴漢の内容を質問攻めにされた私のメンタルは、ボロボロだった。警察め、少しは配慮しやがれってんだ。婦警さんよこせ婦警さん。

 

「……ありがとうございました」

「おう、嬢ちゃんも元気だせよ」

 

 そして。

 

 わたしが今頭を下げている相手は、先程私を痴漢から助けてくれた若い大学生くらいの兄ちゃんである。うん、この人はいい人だ。わざわざ時間を割いて、私の事情聴取に付き添ってくれた。

 

 ……改めて向かい合うと、兄ちゃんは黒髪で爽やか、筋肉質でがっしりとした体つきの偉丈夫だった。うん、助けられた補正も相まってかなりのイケメンに見える。

 

 ただし冷静観察すると普通程度の顔であり、雰囲気イケメンに分類されるだろう。

 

「怖くて叫ぶ事が出来ないなら、防犯ブザーくらい買っとくと良い」

「その、一応、もっと反撃とか出来ると思ってまして」

「案外、怖かったろ? 一回目は仕方ないが、二回繰り返したらただのアホだ。次は、気を付けてな。アンタ可愛いんだから」

 

 兄ちゃんはそういってにこやかに笑った。さらりと出てくる誉め言葉に、僅かに動揺し紅潮してしまう。むむ、よろしい。君はイケメンに認定してあげよう。

 

「んじゃ、俺は待たせてる女が居るんでな。この辺で失礼するぜ」

「あ、それはどうも、その。ありがとうございました! あ、そうだ、お名前を……」

「じゃあな、マ……、いや女生徒ちゃん。名前? 内緒だ、名乗るほどのモンじゃねぇ」

 

 その男は、そう言葉を区切って笑った。

 

「あっ、そうだ! 一つだけアドバイスしておくよ女生徒。アンタ、人難の相が出てるから気を付けな? くれぐれも、安易に人を信用するんじゃねぇぞ?」

「はい? 人難?」

「具体的には今日明日、簡単に人を信用しちゃいかんぜ。そんじゃなー」

 

 最後によくわからない、妙なアドバイスを残して。その男はテクテクと、人混みの中に歩き去った。そそ妙なアドバイスについて詳しく聞こうと、私はその男を追いかけ――――

 

 瞬きをしたその瞬間、男は煙のように消え去った。同時に、微かに小さな不協和音が聞こえたような、そんな気がした。その後あたりを見回したが、あの兄ちゃんを見つけることはできなかった。見失ってしまったようだ。

 

 ……人難の相って、何だ。意味深な事を言いやがって、妙に気になるじゃないかあの雰囲気イケメン。

 

 

 ……。

 

 

 先ほどの兄ちゃんの顔が、妙に引っかかる。別に恋とかじゃない、純粋に記憶のどこかで引っかかっているのだ。

 

 気のせいか? いや、何処かで見たことがあるような気がする。

 

 何処かの誰かに、とても良く似ていたような──? 

 

「って、もうこんな時間!?」

 

 その誰かを思い出すべく、私はスマホの電話帳を開こうとして、時刻に気付く。

 

 午前9時42分。ヒロシとの待ち合わせまで、後18分。ここから待ち合わせ場所までの移動時間は、10分強。

 

 これじゃ、ギリギリである。早めに到着してヒロシを出迎えてやるつもりが、逆に待たせてしまう事になりかねない。

 

 初デートに遅刻なんてあってはならない。そこに思い至った私は先程の男の事などスッカリ忘れ、私は待ち合わせ場所へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒロシと待ち合わせていた、駅から少し離れた喫茶店に着いたとは、午前9時55分。なんとか、間に合った形だ。

 

 ヒロシは案の定、既に喫茶店で私を待ってくれていた。ガラス張りの窓から、愛すべき恋人が1人腰かけているのが見える。

 

 まだ、私には気付いていなそうだ。私は店員に待ち合わせていることを告げ、息を整えてからヒロシの背後へ忍び寄った。

 

 そして。退屈そうにスマートフォンを弄るヒロシの肩を、トンと叩いて話しかける。

 

「お待たせ」

「っと、マリキューか。すまん、気付かなかっ────」

 

 小さなドッキリ成功といった所か。うん、なんかこの行動は恋人っぽい。

 

 私に肩をつつかれたヒロシは少し驚いた顔で、私へと振り向いた。こっそり忍び寄った甲斐があったといえる。悪戯の成功にほくそえみながら、私はニパッとヒロシへに笑いかけた。

 

 ……ところが、私の顔を見たヒロシは、そのまま硬直して喋らない。ぱくぱくと口を動かして、やがて押し黙った。

 

 泣き腫らして赤くなった目元を誤魔化すため、キッチリと化粧を整えたはずだ。恐らく、泣いていた事を気付かれてはいないと思うのだが……。何で固まっているんだ?

 

「────あ、その、マリキューか?」

「何を言ってるんだお前」

 

 長い沈黙を破ってヒロシの口から絞り出てきた言葉は、まさかの本人確認だった。私以外に私は居ないぞ。

 

「ヒロシ、ひょっとして寝惚けてる? 昨日はワクワクし過ぎて眠れなかった系?」

「いや、その。マリキューなんだな、そっか」

 

 何やら挙動不審なヒロシは、私をチラチラと見てはすぐに視線を反らす。

 

 何だ、その珍妙なモノを見る反応。あれか、さてはこの服じゃなくてスパ〇ダーマンタイツを期待してたのか。なら次からはそっちでデートを……

 

「その、すまん。マリキュー、お前ってそこまで可愛いかったんだな……」

「────はぁ。ヒロシ、何をそんな当たり前の事を?」

「あー、やっぱマリキューだわお前。その、何だ、凄い似合ってるよ、その服。ナンパとか痴漢とか大丈夫だったか? マリキュー、今のお前やばいぞ」

 

 ふむ。ご心配の通り痴漢には遭遇したな、思い出させるなヒロシこの野郎。

 

 だが、ヒロシのこの反応は面白い。ヒロシの奴、この私に見とれてやがったのか。迷いに迷ったあげく、去年のオサレ服『清楚なわたしを見て☆』な一年遅れのファッションを選んだこの私を。

 

 ふふふ、この服を選んで正解だったようだ。

 

「いや、そのなんだ、見違えたわマリキュー。お前、ちゃんとした格好すればここまで可愛くなんのか……」

「おい普段の私ディスってんのか?」

「……普段の私服、ネタTシャツとかスパ○ダーマンタイツとかじゃねーか。うわ、なにこれマリキューが正統派に可愛い」

「スパイダー○ンタイツを着た私も愛して」

「スパ○ダーマンタイツ着てる人とデートはしたくないなぁ」

 

 そうか。あの蜘蛛男タイツを選んでいたら、今日のデートはお流れになっていた可能性が高いのか。危ないところだった。

 

「それじゃあさ、行こっか」

「オッケー、ところで何処行くの?」

「ん? 映画だよ、こないだ『俺の名を』見たいとか言ってなかったっけ」

「……そ、そうだったっけ」

 

 あふん。それ、こないだ一緒に見に行きましたやん。そうか、覚えてないのかヒロシの奴。

 

 

 

 ……見たことのある映画だったけど、既にチケットを用意していたヒロシにそんなことを言い出せず、私は2度目の『俺の名を』を鑑賞する事となった。

 

 ただし。一度見たことのある映画だったからこそ、怖がるタイミングやドサクサで抱き付く瞬間を逃さず有効活用出来たのは、不幸中の幸いか。

 

 少し積極的に行こう、そんな私の思惑通りに存分にヒロシに甘えてやった。普段の落ち着いたヒロシとはまた違う、頬を赤くして動揺しているヒロシをからかうのは楽しい。

 

 こうして私は、人生初のデートを存分に満喫出来た。

 

 危惧していた泉小夜の乱入等や突然変異の人体発火といったトラブル等もなく。4月最後の日曜日は、実に平和で牧歌的な休日となったのだった。

 

 




定期更新がつらいので不定期に、土曜日の17時に更新いたします。


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第十ニ話「陽炎」

「恨むのです、恨むのですよ……」

 

 

 

 

 

 

 それは、月曜日の朝の出来事。

 

 楽しい人生初デートを満喫し、ヒロシの恋人として初めて登校する日。そんな記念すべき一日の、朝一番に私はヤンデレから急襲を受けていた。

 

「譲ってくれるって言ったじゃないですかー!! マリキューちゃんの嘘つきー!」

「えっと、その。先輩に詰め寄られて思わず頷いちゃったんですけどね。その夜、ヒロシを振るって考えてたら自分の気持ちに気づいちゃいまして」

「藪蛇だったぁー!! 余計なことしちゃった私ー! うええええん!!」

 

 登校して間もなく廊下のど真ん中で壁ドンされた私の目の前には、頭を抱えプルプルと震えながら慟哭する泉小夜がいた。

 

 情けない仕草だ。無様な姿だ。今まで私は何をこの先輩に怯えていたのだろうかと、馬鹿らしくなってくる。涙を浮かべながらポカポカと貧弱な筋力で殴りつけてくる泉小夜からは、いつぞやの凄みを一切感じなかった。

 

「何で私ばっかり、ロクな男に引っかからないのですかー? 嵌め手に手を出した私への天罰なのですかー! 神様ー!」

「……泉先輩?」

「うぐっぐー、付き合っちゃったなら諦めますよもうー! でもマリキューちゃん、顔広いでしょー? 代わりに一年のいい男を紹介して欲しいのですー」

 

 涙声で私をゆすりながら、廊下のど真ん中で男乞いをする先輩。チラチラと道行く同級生から奇異の目で見られている。あんたそれでいいのか。

 

「え、いい男? いや、そんなこと言われても」

「約束破った罰としてそれくらいは、それくらいはー!! 顔は最低限でいいです、面と向かって私を好きだといってくれる、浮気性じゃない男の子を紹介しやがれー!」

「そんな無茶な」

 

 泉小夜はそんな情けないことを叫びながら、目を吊り上げて私に詰め寄った。分かった、この人アレだ。ヤンデレじゃなくて、単なるダメな人だ。適当に弄ばれて三十路まで売れ残る系の残念女子だ。

 

「ひ、ヒロシの友人勢くらいしか紹介できませんぜ先輩。もう、アイツ等とは知り合いでしょ?」

「……ヒロシ経由以外の男友達、いないのですかー?」

「えっと。あ、二年ですがヤクザに喧嘩売るのが生きがいのタク先輩、女装で女子の自信を粉砕するマイ先輩とかも知り合いですよ」

「ヒェッ……。そ、その辺は紹介されたら困るかなー? うん、もう彼らはよく知ってるのです。あんたっちゃぶるなのです」

 

 そんな男に飢えた泉先輩でも、奇特部はNGらしい。

 

 ヒロシ経由以外の男性で、話ができるのはその二人くらいなのだが。流石は我が敬愛すべき奇特部の先輩方、既に悪名は学年中に轟いている様だ。

 

「絶対、絶対にその二人を刺激してはいけないのですよー?」

「そんなにヤバイんですか?」

「……男に彼氏を寝取られる、そんな悪夢を現実にしたくなければ舞島君に近付いては行けないのですー。柊君に至っては、彼と恋人になったが最後ヤクザに売り飛ばされますよー」

「成る程」

 

 ────色々と話に尾ひれがついている。タク先輩はむしろヤクザの天敵なんだが。

 

 

 

 その後、我が頼もしい先輩方に戦々恐々と震える泉小夜は、結局男に対する愚痴を喋るだけ喋って私を解放してくれた。

 

 こうして話してみると、泉小夜は思ったほど悪人では無い印象だ。ただ単に、人としてダメな先輩というだけだった。彼女はどうしようもないクズなだけで、危険人物ではない。

 

 泉小夜と仲良くしていくつもりは無いが、私にとって大きな障害にはならないだろう。よかったよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「成る程ね、だから泉の奴は俺に話しかけられた瞬間に脱兎のごとく逃げ出したのか」

「タク先輩、嫌われすぎでしょ」

「能力者は嫌われてナンボなんだよ。特にマイは去年、ロクに能力を制御できてなかったしな。先輩と相談して、一緒に学校で孤立するような噂を流すことにしたんだ」

 

 放課後、奇特部の部室にて。

 

 私は日曜日のデートの結果と、泉小夜との朝の話し合いを報告していた。

 

「その、おほほほほ? 泉さんの彼氏を寝取ったのは事故と言うか、うっかりしたというか? まだ、怒ってますのこと?」

「マイ先輩、アンタやっぱり寝取ったのか……」

「だから、単なる事故ですわ! 着替えを見られて発情させてしまっただけです! 今はもう、彼とは何の関係もありませんわよ」

「こいつ、女装始めたことを忘れてて男子更衣室で堂々と着替えやがったんだ。あの時はパニックになってたぜ」

「忘れてくださいましぃぃ!!」

 

 何故男が男子更衣室で着替えてパニックに発展するのか。私、気になります。

 

「そんな事より。後輩、お前あれから何か変な事起きたか?」

「いえ、何も。強いて言うなら痴漢にあったくらいで」

「あー、お前見てくれだけはまともだもんなー。超常現象が起きてないなら構わん、好きなだけ痴漢されろ。俺の考えが正しければそうそう発火は起きんだろうし」

 

 チンピラ染みた見た目のくせして嫌に難しい数式をノートに羅列しながら、タク先輩は呟いた。その隣では、相変わらず悪魔じみた美貌で紅茶をすする美女♂が、なんとも蠱惑的な流し目で私を見つめている。一方で部屋の隅では、川瀬さんが一人でスマホを弄っていた。

 

 いつもどおりの奇特部の部室だ。

 

「ただ、今度から俺が死んで時間逆行する度に、霧吹きと水を用意しとけ。普段から携帯しといた方が良い」

「水?」

「何なら小さな消火器でも構わん。俺の考えが正しければ、時間逆行が起こるたびに発火が起こる危険性がある」

「タクがそういうなら従っておきなさいな。この男、頭の良さはピカイチですわ」

「またまたそんなご冗談を。こんな社会のド底辺丸出しの男が、そんな馬鹿な」

「お前、先輩をなめすぎだろ」

 

 ヤクザと抗争してるチンピラ高校生が頭良かったら、キャラがブレすぎだ。

 

 とはいえ、タク先輩は頭がいいアピールしたいのだろう。恥ずかしい男だ。やはりチンピラ、自分を大きく見せたい習性を備えているらしい。

 

「じゃ、伝えたからな。水か消火器、ちゃんと用意しておけよ」

「分かりましたよ。それじゃ、今日はこれにて帰ります」

「何だ、もう帰るのか。ははん、成程な」

「そういえば恋人が出来たんですってね。一緒に下校でもするのかしら?」

「悪いですか」

「!?」

 

 マイ先輩の言うとおり、私は今日、ヒロシと一緒に帰る約束をしていた。奇特部の部室には、泉小夜の報告をしに寄っただけである。

 

 ニタニタと面白いものを見つけたかの如く、二人の口元が歪む。この場で焦った顔をしているのは、B組川瀬だけであった。

 

「ちょっ……、え、聞いてない。私聞いてない」

「じゃぁなマリキュー後輩」

「それではさようなら」

 

 何故か上ずった声を上げる川瀬さんを尻目に、私は先輩二人に頭を下げて奇特部を後にした。こんな瘴気の吹き出そうな小汚い部室に用はない。何せこれから、楽しい楽しい下校デートの始まりなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ご、ゴメン佐藤教諭に捕まった……、再テストさせられるらしいから1時間待ってくれ』

 

 ……そんな私はウキウキしながらヒロシに連絡を取ろうとスマホを開いて、愛しの彼からそんな連絡が届いていたのを知る。またか。また私の前に立ちふさがるのか佐藤教諭。よくも放課後デートの邪魔をしてくれおってからに。

 

 ……そういや、アイツも能力関係者なんだろうか。初めて部室へと訪れた日に、上級生組とSMプレイをしていた衝撃映像は、未だに私の目に焼き付いている。 

 

 時間も出来てしまったし、佐藤教諭についてタク先輩に聞いてみよう。私は肩透かしを食らってため息をつきながら、今来た道を引き返し、部室へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あははははっ!! マイ、お前それはヤバいって!!」

 

 廊下を歩く最中、タク先輩の大きな笑い声が聞こえてくる。よほどおかしな話なのだろう、廊下には彼の笑い声が響き渡っていた。

 

「それマリキュー後輩が死んでしまうだろ、アハハ! いやでもまぁ俺の能力で生き返せるし、採用しよっか。く、くくく」

 

 ……ちょっと待て。何の話だ。

 

 部室からは心底愉快そうな、タク先輩の笑い声が木霊している。

 

「そうそう、ちょっと荒療治だけど、能力が判明してくれないと対策が取れん。もし奴が消火器を用意してなかったらさらに酷い目に遭う、それもいい忠告になるかもしれん」

 

 何やらキチガイ共は不穏な計画を立てていやがるらしい。冷汗を垂らしながら部室の廊下の前に立った私は、息を潜めて部室の会話に耳を傾けた。

 

「じゃあ、マリキュー後輩による、炎のタネ無し脱出マジックは近日開催する方向で────」

 

 ……本当に何の話だ!? その謎イベントは何なんだ!?

 

 嫌な予感しかしない。ただ一つ確実なのは、ロクでもないことに巻き込まれるということだ。一刻も早く奴等の計画を叩き潰さねば。

 

「ちょっと待てこのキチガイ共!!」

「うおっ!! 何だ、まだ居たのか後輩」

 

 気合一発。部室のドアを力いっぱい開け放ち、私は部室へ足を踏み入れる。本人のいないところで何を話しているんだ、私に何をさせるつもりだ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────不協和音が、耳をつんざく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タク先輩は、笑っていた。

 

 部室の中で一人きり。タク先輩はマイ先輩の隣の席に腰をかけ、一人笑っていた。

 

 タク先輩の他には、誰もいない。先程まで紅茶を飲んでいたマイ先輩やスマホを弄っていた川瀬文子は、部室の中には存在すれど、そこにはいなかった。

 

 

 

 ────首から生々しい血飛沫をあげた、首の無い生徒の死体が二つ、奇特部の部室に転がっていた。

 

 

 

 

「いやいや、先輩にキチガイはいかんぜマリキュー後輩。ブン子といいお前といい、近頃の若い連中は敬意が足らん。そう思うだろ、マイ」

 

 タク先輩は笑顔のまま、ドクドクとドス黒い血を垂れ流し倒れ伏す死体に向かって話しかけた。

 

 その死体の先には、ひしゃげたボールみたいに歪んだ人の生首が転がっている。紛れもなく、マイ先輩の生首であろう。

 

 壁の傍にはセーラー服を真っ赤に染め上げた首のない女生徒が椅子に座り、その足元には黒い球体が転がっている。顔が見えないから断言は出来ないが、おそらく川瀬文子の遺体に相違ない。

 

「そう、マイの言うとおり。今の話はお前の呪いに対しての検査の一環なんだよ」

 

 濁流が噴き出すがごとく飛び散る血飛沫を顔に浴びながら、タク先輩は可笑しそうに笑っていた。何も変わらぬ日常の如く、いつもの飄々とした笑顔で笑っていた。

 

 

 

 私の頭は真っ白になる。二の句が継げない。

 

 異常な光景だ。ありえない景色だ。そんな摩訶不思議な光景に気を取られ、私は背後から迫りくる脅威に気付くのが遅れてしまった。

 

 

「……っ!」

 

 

 血しぶきを纏った黒い刃。

 

 重く硬く鋭そうなその刀身は、いつか見た、川瀬文子の持っていた日本刀だろう。

 

 私の左肩が、激痛と共に血飛沫を上げる。ぶおん、と日本刀が風切り音を奏でる。

 

 幸いにも私の首を両断しようと振り下ろされた凶刃は躱せたが、体をひねるのが精いっぱいであり左肩に受傷することまでは避けられなかった。

 

 だが、激痛なんて気にしている余裕はない。状況は何も把握できないが、この場に留まってしまえば私は殺されるだろう。走らねば、逃げねば。

 

「どうした後輩、妙に乗り気だな。まぁお前は目立つのが好きだもんな」

 

 タク先輩の能天気な声が、部室に響く。彼の目は、虚空を見つめ嬉しそうに笑っていた。

 

 ダメだ、先輩は頼りにならない。洗脳か、幻惑かは分からないが、私の声が届いているようで届いていない。

 

「なら、明後日くらいでいいか。準備は任せろ、派手にやってやるよ────」

 

 私は襲撃者の方へと向き直り、その姿を視認する。

 

 ソイツは、男だった。黒ずくめの衣装を着て、顔をマスクで覆った不審者だった。

 

 その男は私に向け、改めて日本刀を振り上げている。即座に踵を返し、私は廊下へと駆け出した。

 

 その、第一歩目。全身に力を込めて駆け出したその瞬間、肩に激痛が走り、思わずつんのめる。左肩の傷は、思った以上に深い。走ろうと手を動かすだけで、身を焼く激痛が走るようだ。

 

 だが、それが幸いした。思わず屈み、前のめりにバランスを崩した私は、奴の第二撃を奇麗にかわすことが出来た。奴が放ったのは首狙いの横薙ぎの一閃だったのである、前のめりになることで剣劇は私の頭の薄皮をかすめるだけにとどまった。まさに奇跡的回避だ。

 

 そして前かがみになった状態からクラウチングスタートの要領で、私は全速力で駆け出していく。地面を階段に見立て、強く蹴り進むことにより通常よりもずっと早く加速できるのだ。陸上をやっていた友人の受け売りだが。

 

 追撃はないどうやら、追ってくる気配もない。私は無事に部室の外へと脱出し、そして。

 

 

 

 ……右足に衝撃が走り、バランスを崩し倒れてしまう。

 

 

 

 廊下に金属音が鳴り響き、私の足元で音を鳴らし滑る日本刀を目視した。敵は、日本刀を投擲したらしい。逃げる私を目掛けて、背後から日本刀をぶん投げたのだ。

 

 だが、幸いにも私の足は切れていない。刃が当たったのではなく、柄の方が当たった様だ。襲撃者は未だ部室の中、転倒したとはいえこの距離なら逃げきれる――――

 

 

 奴の位置を確かめようと振り向いた私の目に映った光景は。ハンドガンを構えて私に狙いを定める男の姿だった。

 

 

 銃声が響く。私は無我夢中に転がるように、部室の外へと逃げ出した。廊下の床には黒い穴が開き、小さな煙が上がっている。

 

 外れた。奴の銃撃を、私は回避した。

 

 あとはもう無我夢中で逃げるのみ。痛む左肩と右足を堪えながら、私は廊下を全力で疾走し、部室から逃げ出した。

 

 




もうすぐ佳境に入るので頑張ります。
3か月以内に完結したい。


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第十三話「復讐者」

 奇特部は、襲撃者により壊滅しかけていた。

 

 既に事態は火急を要している。私の味方は殺された二人、そしてもはや頼りにならぬ糞雑魚タク先輩。このままでは奇特部はおしまいだ。

 

 

 

 ならば今、私がすべき事は何か。

 

 そして今、私に出来る事は何か。

 

 

 

 旧校舎の廊下を駆けつつ、私は考え続けた。あの襲撃者を撃退し、時間を逆行させるその術を。

 

 私の能力は、未だ不明だ。敵は能力者の可能性が高く、私一人で解決するのは難しい。頼りの筈のタク先輩は、敵の術中に陥っている。

 

 ……助っ人が欲しい。この事態を対処しうる人物が欲しい。

 

 私の中の頼れる男筆頭はヒロシなのだが、能力関連の話に彼を巻き込めない。と言うか、ヒロシを危険な目に合わせたくない。ならば、他に頼れる人物は誰か。

 

 この学校にいる、生き残っている能力関係者は誰か。

 

 

 

「さ、佐藤教諭!!」

 

 

 

 わたしが息も絶え絶えに駆け込んだ補習室には、ヒロシを含めた数人の生徒が講義を受けていた。壇上には、無愛想な顔の佐藤教諭が黒板に板書をしている。

 

 痛む肩を押さえながら血飛沫を撒き散らし、私は補習室に転がり込んで叫んだ。

 

「私達の仲間を、助けてください!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「能力関連の話なのだね」

「はい、佐藤教諭」

 

 佐藤はすぐさま、補習を中断し私を保健室へと連れて行った。心配そうな顔をしたヒロシが保健室までついてきたが、佐藤に睨みつけられて外で待機させられている。

 

 ここでの話をヒロシに聞かれるわけにはいかないのだ。

 

「洗脳系、幻惑系、どちらかだろうね。話を聞く限りは幻惑系の可能性が高い」

「ヤクザ達の襲撃ということでしょうか」

「だろうね。柊だけ生かしている当たり、敵は柊の能力を熟知している様だ。彼が24時間騙され続ければ、舞島も川瀬も生き返らないからな」

「……ならばいっそ、説得せず隙をついてタク先輩を殺しますか」

「それもアリだな。時間逆行しても記憶を保持できるという、君が生き残ってくれたのは幸いだ。不意打ちで彼を殺したとして、時間逆行後に説明することも出来る」

 

 佐藤教諭は、真剣な面持ちでそう言った。タク先輩を不意打ちで殺す、そんな手段すら辞さない状況らしい。

 

「幸いにも、私の能力は暗殺に向いている。保健室で待機していたまえ、マリキュー君」

「……お任せします。教諭もお気をつけて」

 

 私が知る限り、現在校内で唯一の能力関係者。それは、佐藤教諭だった。確証は無かったが、やはり佐藤教諭も能力者だったようだ。

 

 タク先輩のような学生ではなく、きちんとした大人。きっと見事に問題を解決してくれるに違いない。

 

「初めてお会いした時はドン引きしましたけど。教諭が縛られていたのも、能力関連だったんですね」

「いやそれは趣味だ、私の能力とは関係ない」

「アッハイ」

「良ければ景気付けに、君も私を蔑んで行きたまえ」

「良いからとっとと行けゴミ教師」

「うぉっふぉう!!」

 

 佐藤教諭は大変良い笑顔を浮かべ、身を震わせながら保健室から出ていく。やめろよ、その変に発情した顔。外で待ってるヒロシに誤解されたらどーする。

 

 前言撤回、コイツで大丈夫だろうか。大人とはいえ、ドMの変態だぞ。

 

 いや、性癖と能力は関係ない筈。例え変態中年教師だとして、今の状況を打開できればそれで良し。私の怪我に対しては応急処置してもらったし、救急車も手配してもらっている。後はあの人に任せて────

 

 

 

 

 

「ぬわーーーーー!!」

 

 

 

 

 

 その直後。保健室の外から、何とも情けない中年男性の悲鳴が木霊した。

 

 おい、まさかアイツ。

 

「何の声かしら……、ってきゃあああ!?」

 

 様子を見に行った、影の薄い保健の先生が悲鳴をあげ、その直後に保健室へなだれ込んできた男子生徒に組み伏せられてしまった。

 

 男子生徒は全身が血に染まっている。その背後の開いたドアからは、血塗れで倒れている中年男性(へんたい)が見えている。

 

 もう負けとるやんけ!!

 

 

「……ミツケタゾ」

「あー、はいはい。成る程、やっぱあの襲撃者はヤクザさんなのね」

「……ミツケタゾ」

「この怪我だし、この人数だし、私も死んだかなぁ。タク先輩さえ気が付いて自殺してくれたら、生き返れるんだけど」

「……ミツケタゾ」

「気付いてくれるかな、タク先輩」

 

 

 情けなく佐藤教諭が死んだを眺めている私へ、表情のない生徒たちが私をじぃと見つめ近づいてくる。

 

 そんな、わらわらと保健室に入り込んでくるヤクザの下僕達を前に、早々に私は生きることを諦めた。

 

 無理だ、これ。ざっと、20人弱の生徒が保健室に押し寄せてきている。怪我で満足に動けないこの状況下で、どれだけ抵抗しても焼け石に水だろう。

 

 よくみると、カナも居る。カナはヤクザに洗脳されている生徒だもんな。そりゃ居るわな。

 

 無表情に私を見つめる生徒の群れ。殺されるのか、それとも洗脳されるのか、どちらにせよ私はここでおしまいだ。せっかく、人生で初めて恋人が出来たのになぁ。

 

 ここで死んでも、タク先輩さえ無事なら、私は生き返るはずだ。

 

 それで、また時が戻れば全部やり直して、ヒロシとデートしたいな────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「素晴らしい。能力者共が、こんなに集っているとはな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな他愛ない妄想をしていたその時、世界は紅く塗り上げられた。閉鎖された空間を引き裂くように、機械的な爆音が響き渡る。

 

 ドドドドド、と凄まじい発砲音と共に、保健室が真っ赤に染め上がり。無表情に私を見つめていたカナの頭が、スイカ割りの後みたいに赤く弾けて。

 

 入り口に目を向けると、先ほど奇特部で襲い掛かってきた襲撃者がいた。

 

 その手にはフルオートの、サブマシンガン。日本では滅多にお目にかかれない、軍隊が使用する人を殺すためだけの武器。どっから入手しやがった、そんなもん。

 

「……能力者に与える慈悲は無い」

 

 その喧噪の合間、やさぐれた男の声が途切れ途切れに聞こえた。呆然自失として、呆けるように私はその男の虐殺を眺めていた。

 

 やがて保健室に死が充満した後。銃声が止み、場に静寂が訪れる。血まみれの保健室のなかで動くモノは、その男と私だけになった。

 

 

 ……なぜ、襲撃者が、ヤクザ側の生徒を殺している? それは、味方ではないのか?

 

 

 

 

「マリ。弓須マリ、あとは貴様だけだ」

 

 

 

 

 生徒を全滅させたそのあと、何でもないことのように、黒ずくめのマスクの男がジャキンと私に銃口を向けた。

 

 マスクを被っているせいでその表情はよく見えないが、それは酷く聞き覚えのある声な気がした。

 

 どこかで聞いた、男の声だ。だが、その正体を想起するほどに、私の精神に余裕はなかった。

 

「少々計算が狂ったが、許容範囲だ。お前もここで死ね」

「え、あ。ちょ、ちょっと待って」

「待たん。貴様が生まれたての能力者であることは知っているし、未だ誰にも害をなしていないことも知っている。だが、それは今だけだ」

 

 ゆっくりと。その男は銃口を向けたまま私に近づき、絶対に外さないだろう至近距離まで歩いてきて、改めて私の脳天に狙いを定めた。

 

 この男はなんなんだ。ヤクザの仲間じゃないなら、何で私が殺されないといけないんだ。

 

 カキン、と冷たい無機質な音が、銃から聞こえてくる。サブマシンガンに撃鉄なんてついてたっけ、なんてどこかズレた考えが頭をよぎる。

 

「……言ってる意味が分からない。襲撃者さん、何で私は殺されないといけないの」

「決まっている。貴様が生き続けることで、貴様は周囲に不幸と害を振りまくからだ」

「何でそんな事が言い切れるの。この優しく素直で清楚なマリーキュース・デストロイヤー様が、人に迷惑なんかかけるものか」

「貴様が能力者である限り。やがて貴様は、人の人生を食い物にするだろう。それは、避けられん」

「そんな横暴な。貴方によるただの決めつけじゃない、差別じゃない。世界人権宣言に則った正しい判決を要求するわ」

「余裕な口先とは裏腹に、顔は真っ青だな弓須マリ。……それに、俺は断罪者ではない。正義を振りかざすつもりは毛頭ない」

 

 男は、底冷えする様な低い声で、私にこう呟いた。その声は少しばかり、自嘲げな音を帯びている。

 

「能力者に人生をすべて奪われた男が、能力者を殺して回って何が悪い?」

「……うわ、そういう系なの」

「能力者を一人殺す度、俺は胸がすく。だから、俺は俺のために貴様を殺す」

「いや、いい歳してそんな子供染みた事しないでよ……。多分結構年上でしょ、襲撃者さん」

「ああ。俺はどうやら年上らしい、お前よりもずっと。何せ」

 

 時間を稼がないと。状況を出来るだけ整理して、死ぬ直前ギリギリまで情報を集めて、巻き戻った時に有利に立ち回れるようにしないと。それが今の私の役目。

 

 なるべく刺激しない様に、私は彼と会話をつづけた。

 

「何せ、洗脳能力者に支配された俺が、自分を取り戻して最初に見た日付が10年後の未来だったんだ」

「……」

「俺はどうやら、いい歳らしい。信じられるか? つい最近まで俺は中学校に通って、野球部で練習して、勉強も頑張って、そんな毎日を過ごしてたんだ。そんな俺が、気づけば大人だ。どれだけ絶望したと思う?」

 

 男は私の会話に乗った。どうやら、彼なりに溜め込んでいるものがるらしい。

 

「……家族は、貴方を探さなかったの?」

「当然、すぐに実家に戻った。家族はどうなったのか、10年もいなくなって心配をかけていないか、それを確かめるために。……もう、一人も生き残っちゃいなかったがな」

 

 この男の独白の中身は、幼稚だった。家族を殺されたから、能力者を皆殺しにする。まさに子供の発想だ。

 

「半年かけて、使える手段はすべて使って、俺は家族の行方を調べたさ。父さんと母さんは、銀行強盗の実行犯になって刑務所で自殺していた。盗んだ金の場所は、絶対に吐かなかったそうだ。姉は覚せい剤漬けになってて、風俗嬢として働き、発狂死してた。妹の面影のあるよく似た女がAVに出てたよ、1年前に謎の不信死を遂げてたけどな。一家そろって食い物にされて金を搾り取られた中、俺だけ奇跡的に自分を取り戻せたんだ」

 

 その襲撃者の、不安定で偏執的で未熟な感性は紛れもなく。彼の成人した外見とは裏腹の、思春期真っただ中の少年の精神だった。

 

「思うだろ、運命的だって、神様がくれたチャンスだって。復讐をなす機会だって、そう思うだろ弓須マリ!」

「……うん、貴方に同情はするけど。私はそれに付き合ってやる義理はない」

「関係ない、ここで死ね。俺の人生のように不条理に、ここで死ね」

 

 子供染みた復讐劇。

 

 なるほど、状況は整理できた。この男は、ヤクザ側の人間ではない。

 

 ヤクザにより洗脳された被害者の、そのなれの果て。能力者に偏執的に恨みを感じる、未熟な復讐者。あとは、この男の素顔を知っておきたいのだが、頼めば見せてくれるだろうか。

 

「死ぬ前にさ。貴方の声を何処かで聞いたことがあるんだけど、私たち知り合いだったりしない?」 

「……いや。知り合いではないな」

「含みがあるね。知り合いじゃないけど、何か関係はあったって事?」

「言ったろ。俺は最近までずっと、10年以上ヤクザの下僕として動いていたと。貴様と知り合えるわけがないだろう」

「あ、そっか。そうだよね」

 

 うーん。どこかで、この男の声を聴いたことがあるのだが……。わからんな、殺される直前まで考えてみよう。

 

「じゃあな、能力者」

「あ、一つだけ良い? 貴女は精神面では思春期真っただ中なんだよね」

「何だよ、精神面というか、中学生から記憶が飛んでるだけで」

「死んだ後、私の身体にえっちな悪戯しないでね。私彼氏いるから」

「するかっ!! 顔は可愛い癖に、頭の中は残念だなお前!」

「うん、顔は可愛いってよく言われるし、頭が残念ともよく言われる」

「ほ、本当に残念な奴だな……」

 

 馬鹿な下ネタを振ってみても、流石は中身中学生、しっかり拾ってきてくれる。もう少し揺さぶってやれば、案外良い情報をくれるかもしれない。

 

 それに、ひょっとしたら間に合うかも? 

 

「やっぱり、聞き覚えあるよ、貴方の声。うん、何処だったか分からないけど……」

「はぁ。……冥途の土産に教えてやる、確かに貴様とは一度会ったよ」

「うお! 冥途の土産、そのセリフ現実で初めて聞いた! 良いな、私も死ぬまでに一回言いたいなそのセリフ!」

「なら今言えよ、お前もう殺される寸前だ。死ぬまでに言っときたいなら、もう今しかチャンス無いからな?」

「なら、遠慮なく。冥途の土産、もっと頂戴。何処で会ったっけ?」

「冥土の土産をねだる為に使っただと!?」

 

 うん、コイツは幼稚ではあるが、思ったより常識が残ってそうだ。上手く私のペースに乗せられている。

 

「……前会ったときは、ガン泣きしてたくせに。もう少しおとなしい奴だと思ってたよ」

「は? ガン泣き? この私が?」

「昨日、痴漢されてガン泣きしてただろーが。迷ったけど、感情による能力暴発が怖かったから、俺が助けに入ってやったんだぞ」

 

 

 ……あ!!

 

 

「あの時の雰囲気イケメン大学生!!」

「いや、俺は大学行ってないし。能力者の巣の候補として奇特部には目をつけててな、一番警戒心が薄そうなお前を付け回したんだよ」

「げ、ストーカーじゃん!? へ、変態!」

「やましい事は何もしとらんわ!」

「いや、めっちゃ人殺してるし!」

 

 そうだ、あの若い大学生の兄ちゃんの声だ。大学生じゃないらしいけど。

 

 ああ、やっとスッキリした。これで大体情報はつかめたかな、タク先輩に色々と報告できそうだ。

 

 ……さて。

 

「オッケー、ありがと。ところで、タク先輩が催眠状態っぽくなってたのもアンタの仕業?」

「……それは、あー。お前ひょっとして、情報集めに来てないか?」

「もう死ぬのに情報集めてどうするのさ。気になってるだけだよ」

「そっか。催眠というか、何と言えばいいのかね? あれは俺もよくわからん、多分本人にとっての現実を歪めてるんだと思う」

「自分の能力なのにそんな事も分からないのか」

「自分の能力すら分からんお前が言うな」

 

 せやな。

 

「中途半端に私の声が聞こえてたっぽいね。タク先輩の中では、私の声が歪んで認識されたってとこかしら?」

「スマンが検証したことない。でもまぁ、確かに気になるな。今度、その辺のやつで調べてみよう」

「いや、それだけ分かれば十分なんだ。中途半端だとしても、私の声が認識出来たらそれでいい」

 

 私はそこで、ニヤリと笑った。

 

 さっきから、1分おきに何度も何度も、私は繰り返していたのだ。ポケットの中の、スマートフォンのショートカットキーに設定した、とある動作を。

 

「何が言いたい?」

「つまりね、タク先輩は音が聞こえるんだよ。貴方が此処にいるということは、スマホで音が鳴っても、止めたり壊したりする人がいないの」

「……それで? あの男の認識は今、平和な日常の中にいる。きっと悪戯とでも判断するさ」

「それが、しないんだよなぁ。前もって、合図を決めておいたからね」

 

 ────そう、それはつい数日前のこと。

 

 タク先輩は、こういった。泉小夜に襲撃されたらスマホをワンコールだけ鳴らせ、と。

 

 もう、3度目だ。私は3度、ワン切りを繰り返している。タク先輩は今回無能だったが、彼は元々そこまで頭の回転の遅い人間ではない。

 

 三度もワン切りされたら、今見ている現実を疑い始めるはずだ。

 

「合図だと。それは、どういう────」

 

 その言葉が、続くことはなかった。ピタリ、と襲撃者は動きを止め、ゆっくりと背後へ歩き始める。

 

 凄まじい不協和音が、耳を切り裂く。

 

「ふぅ、間に合ったか。殺されずに済んだ、儲け儲け」

 

 そして。世界は、不協和音と共に逆行を始めた。柊卓也は、異変に気が付いてくれたようだ。

 

 もう何度目かわからぬ逆行する世界の中、痛む肩に気を配りながら、私は奇特部の部室へと走り始めた。



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第十四話「能力判明」

『──話し合いたい事がある。悪いけど今すぐ部室に来て欲しい』

 

 

 

 

 

 

 誰もいない奇特部部室。私は痛む肩に耐えながら、ヒロシとLINEで甘く語り合い、無能どもを待っていた。

 

 今の時刻は、日曜日の18時過ぎ。巻き戻った先は幸いにも、ヒロシとのデートは解散し別れた直後だった。スマートフォンには、愛すべきヒロシからの他愛ない新着メッセージが届いている。『今日は楽しかった』と、昨日と同様に返信しておく。

 

 ……デートの最中に時間逆行しなくてよかった。デート中に忽然と私が消えたら、怪奇現象に他ならない。話していた相手が突然音もなく消え去る恐怖は、よく知っている。あれはマジで怖い。

 

 最愛の人からのメッセージに癒されながら、タク先輩に怒りのLINEを飛ばし、私はがらんどうとした奇特部の部室で仲間の到着を待つのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「お待たせいたしましたわ、マリキューちゃん。緊急事態なのですね」

「ああ、あまり状況はよくない。マリキュ―後輩、詳しく説明してくれ」

 

 日曜日の深夜、人気のなくなった学校の旧校舎。

 

 一番最後にマイ先輩が部室へと顔を出し、奇特部が全員一堂に会した。

 

「この無能が」

 

 真剣な顔をしているタク先輩が無性に腹立たしかったので、とりあえず一発蹴飛ばしておく。何故か一瞬、川瀬さんが羨ましそうな眼をしたのが気になった。

 

「……弓須さん。こんな時間に呼び出したからには重要な話なんでしょ? どうして怒っているのか知らないけど、さっさと本題に入って」

「そうですわね。お二方の反応を見るに、時間逆行後なのかしら。明日何かが起きるということですわね?」

「……すまん、俺はぶっちゃけ全容を把握できていないんだ。マリキュー後輩が目の前で三回連続ワン切りしてきた上に、その言動も怪しかったんでな。洗脳を疑って一回時間を戻した。お前目線だと、俺の事はどういう風に見えてたんだ? なんか妙に俺を敵視してるっぽいが」

 

 すぅ、と無能が目を細めて私を睨みつける。まさかまだ、自分が洗脳されてたと気づいていないのかこの無能は。

 

 コイツの視点では、私が洗脳されて妙な行動を取っていると見えていたのか。

 

「マイ、万一の時はマリキュー後輩を洗脳上書きさせる。構えとけ」

「……そんな」

「わかりましたわ。では、貴女視点での明日の話を、聞かせてもらえますか?」

 

 タク先輩の言葉を聞いて、みんなが私に疑いの目線を向ける。ヤクザ共の手先になり下がったのではないかと。この金髪チャラ男め、シリアスな顔を作りやがってからに。

 

 あーそうかい、わかった聞きたけりゃ聞かせてやるよ。お前がいかに無能だったかを、この部員全員の前でなぁ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それ、マジ?」

「マジだよ無能先輩。痛いよ、未だに切りかかられた肩が痛くてしょうがねーよ。そんな最悪のコンディションでなお情報をかき集めた私と違って、お前はヘラヘラ部室で死体と会話してたけどな」

 

 説明、完了。

 

 明日何が起こるかの話を聞き終えた3人は、顔を真っ青にして黙り込んだ。特にタク先輩はしどろもどろとしている。うん、お前どう控えめに考えても戦犯だからな。

 

「……二通り、考えられますわね」

 

 最初に沈黙を破ったのは、マイ先輩だった。

 

「洗脳能力者に騙されたのが、マリキューちゃんなのかタクなのか、の二通り。ただ話を聞いている限りは、正気なのはマリキューちゃんっぽいですわ」

「だろうね。弓須さん視点の方が、いろいろ筋が通っている」

「……嘘だろ。いつだ、いつの間にそんなことになった?」

「おそらく、その襲撃者はずっとマリキューちゃんを付け回していたんでしょう。そしてタクの能力についても詳しい情報を持っていた。最近、タクに能力について詳しく尋ねたりしませんでしたの?」

「あっ……、土曜日! 確か土曜日に、私タク先輩の能力について詳しく聞いたような……」

「それですわね。能力者に対する復讐心に取りつかれたその男は、自身の幻覚能力を用いて私とブン子ちゃんを殺害し、タクを騙して24時間稼ごうとした」

「は、はい」

「そして、その幻覚能力には効果範囲がありそうですわね。マリキューちゃんが部室の到着した直後、貴女も含め部員全員が幻覚に囚われてしまった。だけど、マリキューちゃんだけが部室から出て幻覚の効果範囲から逃れる。その後引き返してきたマリキューちゃんは、幻覚に捕らわれる事無く私たちが殺されている状況を認知した……」

「おお。成程」

 

 マイ先輩は流々と流れるように状況を整理していく。流石、どこかの無能とは違って頼りがいがあるぜ。精神系の人だし、同系統の能力者には詳しいのかもしれん。

 

「ああマイ、だいたいそれで合ってると思う。ただ一つ気になるのは……、俺が能力の詳細をマリキュー後輩に解説した土曜日は、時間逆行で無かったことになってる事だ。その襲撃者が俺の能力の詳細を知っていたとすれば、奴は時間逆行しても記憶を保持できる存在。つまり、幻覚能力とかじゃなくて時空系の能力なのかもしれん」

「あ、そっか。あの土曜日はやり直して、ヒロシの告白に応じたんだっけ」

「……え、告白? 弓須さん、その話何?」

「あるいは時空系の能力者が彼の協力者にいる、という線も考えられますわね」

「……もしヤツの時間逆行しても情報を持ち越しているのであれば、明日の奴の出方は大きく変わってくるはずだ。後輩、油断するな」

 

 成る程、敵も時間を繰り越して記憶が保持できるなら、明日の襲撃のタイミングは予想出来ない。朝一番に急襲してくる可能性もあるし、逆に明日は襲撃せず日を改める可能性もある。

 

 まぁ、お前さえ騙されなければ万事解決するけどな。

 

「そうだ。私、良いこと思いついた。柊先輩の頭を爆発させるスイッチを作って、みんなで共有すれば良い。そして、異変に気付いた人が時間を巻き戻す訳」

「おいブン子、なんだその非人道的な提案は」

「名案ですわね」

「川瀬さん頭いい」

「何でみんな乗り気なんだよ! 嫌だからな!」

 

 明日の襲撃に対する対策に頭をひねっていると、ここまでおとなしく口数も少なかった川瀬が、まさかのウルトラCな提案を出してきた。

 

 確かに、それは有効だ。襲撃者は私を殺そうとした時に、幻覚能力を使っていなかった。つまり、あの幻覚は複数個所で使えない可能性が高い。

 

 ならば、一か所に部員がとどまり続けない限り誰かは異変に気付ける。

 

「何で爆発なんだよ!! いいじゃん、毒薬とかでいいじゃん! ワンギリみたいに合図決めといて、その都度服薬自殺するよ!」

「派手で面白いから爆殺がいい」

「柊先輩だし」

「毒は時間かかりますわ。スピーディに巻き戻す必要がある時を考慮なさい」

「お前ら俺の命を何だと思ってる! いつ頭が爆発して爆死するか戦々恐々としながら過ごさなきゃいけないだろ!」

「銃殺も似たようなもんでしょうが」

「あれは覚悟を固める時間がある分マシなんだよ! あと比較的痛くない場所分かってきたし!」

 

 我ら三人の本気の空気を感じ取ったらしい。かつてないほど、無能先輩は焦った顔で叫んでいた。

 

 だけど、実際有効だし。昨日の無能を挽回する意味を込めて、タク先輩には遠隔操作型リモコン式爆弾になってもらおう。

 

 ……一回くらいなら、ネタで爆発させても許してくれるかな。

 

「まぁ、冗談はこのくらいにしましょう。タクは明日、私達からの着メロを変えておきなさい。連絡はライン通話で行えばよろしいですわ。もし通常の電話がかかってきたらそれは、時間を戻しての合図とします」

「え、冗談だったんですか」

「マリキュー後輩はやっぱ本気で言ってたよ!! この人の皮を被った悪魔!」

「私も冗談じゃなかったんですが。残念」

「ブン子ォ! お前もか!!」

 

 あ、良かった。川瀬さんは本気だったんだ。いきなり頭が爆発するとか、絶対面白いもんね。

 

 彼女、話してみれば案外私と仲良くなれるかもしれん。なんか嫌われてるっぽいけど、意外と気が合いそう。

 

「では、明日注意すべきことを整理しますわ。部員は定期的に部室を出て、戻ってくるのを繰り返す。これは幻覚対策としてですわね」

「もし時間逆行が必要だと判断したら、即座に俺のスマホ鳴らせ。明日は口の中に毒薬仕込んどくから、すぐ飲み込む」

「あと、3人以上が同じ部屋に留まるのもやめておきましょう。こんなところですかね」

 

 先輩どもが総括を始めた。まぁ、無難なところではある。異論はない。

 

「それと、一応俺とマリキュー後輩は同じ様に登校して同じように過ごすこと。敵が同じタイミングで仕掛けてきたら、向こうは記憶を持ち越せてない事が分かる。逆に同じように過ごしたのに襲撃タイミングが変わったなら、記憶は持ち越していると確定する」

「あ、そうですわね。ならいつも通り放課後に3人、部室に集まりましょうか。マリキューちゃんも、同じ時間に部室へきて同じ時間に部室を出てくださいまし」

 

 だが、話が進むにつれ先輩共はそんな無茶を言い始めた。さっきタク先輩は私に人の皮を被った悪魔とか言ってたけれど、この先輩二人も大概冷血だと思う。

 

 さっき話したでしょうが。私は今肩に大怪我してて、保健室で応急処置だけされただけの状態だって。

 

「……いや、無理です。私、今必死で痛み堪えてますけど重傷なんですよ? 今日は夜、暴漢にでも襲われたことにして病院に行きます。多分入院になるので明日は学校いけません」

「は、入院? 何言ってんだ、気でも狂ったのか? あ、いや、元々か」

「だ、か、ら! 私は肩をパックリ切りつけられて重傷なんです!! これから病院に行きます!」

 

 そして、じんわり涙が浮かびそうになる痛さに耐えている私を、平気な顔で煽ってくるタク先輩。マジでお前こそ人の皮を被った悪魔だよ。

 

「……弓須さん!? 血、制服に血が滲んできてる!」

「って、うわ、叫んで傷開いた!? ちょ、どうしよこれ!?」

「……え?」

 

 しまった。怒りのあまり怒鳴った結果、傷が開いて来たらしい。肉が裂ける鋭い痛みを感じる。

 

 い、痛い。ぐぬぬ、何でこの私がこんな目に。これ絶対、傷跡残るよなぁ。服脱いだ時、グロかったらどうしよう。

 

 ああ、だんだん凹んできた。体の傷程度でヒロシに嫌われるようなことはないと思うけど、そういうことするとき傷が気になったりするかもしれん。

 

「待て。待て、何で傷が残ってるんだよ。だって、時間逆行で傷は────」

「傷? ……そういや、時間逆行したのに傷残ってるのって、何かおかしいような」

「おかしいに決まってるだろ! だって、今日は日曜日で、日曜日の時点のお前は無傷だったはずだ!」

 

 タク先輩は、露骨に動揺し叫んでいる。叫ぶな、傷に響くからやめてくれ。

 

「……ちょっと、お待ちくださいまし。すぐに車を手配しますわ、近くの協力者さんに連絡を取ります! 貴女は傷が動かないよう、ジっとしていなさい!」

「……了解です、マイ先輩」

「えっと、えっと。そうだ、私、保健室に行って包帯を借りてくる!」

「保健室は日曜だから空いてませんわ! それより運動部の部室棟に行ってくださいまし、ブン子ちゃん! 日曜日に部活してる方々なら、応急箱くらい持ってるはずですわ」

「あ、はい! 弓須さん待ってて!」

 

 あわただしく駆け出す川瀬さんを見送り、マイ先輩はどこかへ電話をかけ喋っている中、タク先輩は無能にも棒立ちして私を見つめていた。

 

 いや、何かしろよ。この傷、アンタの責任は一番大きいんだからな。

 

「そっか。そっか、あの発火のメカニズムも、それならつじつまが合う。くそ、何で考えが及んでなかったんだ、そりゃあそうじゃねーか」

 

 ブツブツと悔し気に、無能先輩は私を見て独り呟いている。もういいや、コイツは放っておこう。じっと、無言で痛みに耐え続けるとしよう。

 

「……なぁ、マリキュー後輩。1個、確認したい」

「今、マジで痛いんで話しかけないでくれます?」

「大事な事だ。お前さ、今日は何で学校に一番乗り出来たんだ? 制服に着替えてまで、さ。確かお前、デートだったんじゃないの?」

「は? デートは昨日の話で、今日は学校に登校したからに決まってますよ」

「ははぁ。時間が巻き戻ったのに、お前は時の流れを無視して学校に留まり続けた。そういうことか?」

「は、はい」

「オーケー、オーケー。……成る程、物理法則に喧嘩売る能力なんて無いと思ってたが……」

 

 タク先輩は、頭をくしゃくしゃとかきあげながら私の方を、うさんくさそうに見つめた。

 

「もしかしたら、お前の能力を使えば応急処置ができるかもしれん。よく聞け後輩」

「応急処置ですか」

「お前の能力は、固定なんだよ。時空間を固定し、干渉を不可能にする能力。ひょっとしたらお前が幻覚から逃れたのも、この能力が関係してるのかもしれん」

 

 そして、タク先輩は語り始めた。私の能力についての詳細を。

 

 

 

 

 空間を固定する。

 

 言葉にすれば一言であるが、その能力の詳細は複雑だ。そもそも固定、とは何なのか。

 

 空間を硬く変化させ質量を持たせることが出来る、と言うわけではない。私が能力を使いこなした結果、いつでもどこでも透明な壁をつくれたり……みたいなカッコいいことにはならない。

 

 私が固定する事が出来るのはただひとつ。それは、空間の時間軸を固定する能力。私は無意識のうちに「時間よとまれ! ザ・ワー◯ド!!」な結界を、自身の周囲数ミクロン言う極小範囲で展開しているらしい。

 

 そしてわたしは停止した時間のなかで、普通に動き続けることが出来る。その結果、他の人からも、自分も含め「時間を停止させれていることに気付いていなかった」らしい。

 

「時空間摩擦、って知ってるか。時空方程式の時にも話したが、空間同士にも摩擦に似たエネルギーが存在している。乾ききった空気のなか、後輩が時空間の流れを激しく操作してしまえば、時空間の摩擦により発火が起きても不思議じゃない」

「もっと、簡単に説明してください」

「お前が能力の制御を誤ると、時空間が激しく擦り合わせれて火が点く」

「何それヤバい」

 

 何と言うことか。

 

 タク先輩の話は難しくて完全には分からなかったが、理解できた範囲で纏めると要するに、私は常時発動型のDI◯様的な能力だったのだ。強い。

 

 しかも制御を誤ると発火するって、それ裏を返すとうまく制御出来れば意図的に火を起こせる奴やん。炎の時間停止能力者(ファイヤーディオ)マリキューちゃん、爆誕。

 

「その時空間固定能力を応用して、傷口周囲の時間を停止させてみろ。うまくいけば、これ以上ない止血になる」

「……どうやって能力ってコントロールするの?」

「知らん、本人にしか分からん。あと、そう簡単にコントロール出来んとは思う」

「使えねぇ……」

 

 だが。それもこれも、うまく能力が操れるようになってからである。

 

 後、一見強力そうではあるが、能力である限りとんでもなく辛いデメリットがあるのだろう。楽観してはいけない、用心に越したことは無い。

 

「時空間を動かす感覚、分からねぇか? 予想だが、前の泉の時みたいに感情を揺れ動かす必要があるかも知れねぇ」

「うーん……」

「極小範囲での時間停止とは言え、時間停止した状態で身動きが取れるのは破格だと思う。こりゃ、俺の跡継いで戦闘要員になってもらえる可能性があるな」

「いや、無理無理。と言うかまだ能力の使い方が全く分からんし」

「使いこなせたら、の話だよ。あ、そーだ、あの人に連絡して来てもらうとするか。前に言ったろ、時間停止能力者が俺達の先輩に居るんだよ。……あの人は時間止めても、自分の身動きは取れないタイプだけど」

 

 私はタク先輩に言われるがまま、何とか時空間を動かそうとアレコレ試しているが、出来る気がしない。

 

 自分の能力が分かったのは良いが、空間を操作する感覚が全くわからないのだ。四苦八苦としていると、やがて部室の扉が開く音がする。

 

「ゆ、弓須さん、借りてきた。傷、傷口見せて」

「おお、川瀬さんサンキュー。……よし、先輩方は部室から出てくれ」

 

 そうこうしているうちに、川瀬さんが救急箱を持って部室に戻ってきたのだ。かなり走ったのか、川瀬さんは息が上がっており、ぜぇぜぇと肩で息をしていた。

 

「お? ……おお、そうか後輩は女か」

「タク、早く出ますわよ。マリキューちゃん、間もなく近場の協力者が車を出してくれますわ。応急手当が終わりましたら、すぐ校門前に移動しますわ」

「まか、任せて弓須さん、私が包帯巻いたげるから」

「……あ、ありがと。ありがとう?」

 

 肩の傷を手当てするには、上着は脱がないといけない。なので男どもを部室から追い出し、私は川瀬さんに向き合った。

 

 全力で走ってくれたらか、少し鼻息の荒い川瀬さんの前で私は服を脱ぎ、優しく包帯を取り替えてもらった。

 

 手当てが終わると、マイ先輩に付き従って校門前の車に乗り、私はそのまま病院へと搬送される。以前にも入院した、あの病院である。

 

 マイ先輩も川瀬さんも、良い娘だなぁ。怪我した私にこんなに親身になってくれるなんて。タク先輩は何もしてくれなかったけど。

 

 ──だから、

 

 

 

 

「……スベテは、マイ様のお心のママに」

 

 

 

 

 だから、車の運転手が片言だったのは、気にしないでおこう。

 

 そっか、そういやマイ先輩は洗脳系か……。



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第十五話「そして彼女は」

「ふ、また戻ってきてしまったか。この場所に」

 

 眩しい朝日が昇ると共に、うら若き純白の女性が私を起こしにやって来る。

 

 腕には点滴がテープで固定され、医療ドラマで聞いたような良くわからない名前の液体が私の体内に注入されている。

 

 その点滴の袋も、量が減ってきたからか看護師さんによって取り替えられていて。私はのんびりと微睡み、そんな看護師さんの朝の業務を眺めていた。

 

「弓須さん、おはようございます。お加減はいかがですか?」

「点滴のお陰か、痛みはマシになりましたね」

「この点滴には痛み止めなんて入ってないので、気のせいでしょうね」

 

 真新しい制服を身に付けた看護師さんは、病院着でまぶたを擦る私に、そう言って微笑む。

 

 今日は、月曜日。一月の間に二度目の入院を果たした私は、未だにチクチクと痛み続ける肩に耐え、個室の病室でぼんやりとベットに腰掛けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マリ、そろそろ本当のことを話して。今度は、一体何に巻き込まれているの?」

「いやですね母さん。私は別に危険な事には、あー、巻き込まれてないこともないんだけど、いや、巻き込まれてるのかな? あ、巻き込まれてるわ、どうしよう母さん」

「ほら見なさい!! 何に、どんなことに巻き込まれているの!! こんな肩に大怪我して、絶対に普通じゃないわ!」

「えーあー、そのどう説明したものか……。その、私の所属してるグループ(奇特部)が、あるグループ(ヤクザ)と敵対関係だったみたいで、その争いに巻き込まれた感じ?」

「学内派閥? ……だったら、そんな危ない人と連るまなければいいじゃない!! 人間関係は怖いのよ、頭が変な人は何をしでかすか分からないんだから!」

「……事情は複雑で、今さらグループを抜けたら私が一人狙い打ちされるだけなの。安全のためにもグループを抜けるわけにはいかない、それに一番頭がおかしいのはわた……ゲフンゲフン」

「そ、そんな危険な高校だったのね。生徒同士のグループ抗争だなんて、それに刃物まで持ち出してくるなんて……。また、転校したほうが……?」

「刃物どころか銃火器の類も飛び交ってるよ。そろそろ、硝煙の匂いには慣れて来たかな」

「ねぇそれ本当の話なの!? それって本当に日本の高校の話なの!!? 変なドラマの影響受けてデマカセ言ってないよねマリ!!」

 

 あ、しまった。なるべく嘘をつかず抽象的に説明するつもりだったのに、銃火器なんて言ったから一気に現実味が無くなった。

 

 上手く誤魔化さないと。銃火器はあんまり使われてない、と言い訳しておこう。

 

「銃火器は割とレアだし、大丈夫だよお母さん。うん、銃を使うのは最終手段みたいなところがある。私が見た感じ、人に向けて撃つというよりは、にっちもさっちも行かなくなった時の自決用に隠し持つってイメージかな」

「高校内で銃による自決が多発してるの!? どんな修羅の国だよ!! どれだけ命が軽い高校だよ!!」

「や、その、それは特殊な例で、あー」

 

 いかん。どうやら私、頭が回っていないらしい。

 

 話を聞いていた母さんの顔が、どんどん呆れ顔になっていく。

 

「……はぁ。そこまで言いたくないなら、話してくれるのを待つわ。見た感じ、そこまで余裕がなくなってるわけじゃなさそうだしね」

「割と事実しか話してないんだけどなぁ」

「言ってなさい。私はマリの味方よ、それだけは絶対に忘れないで」

 

 結局私の言い訳は母さんに虚偽と断定されてしまい、大きな大きなため息をつかれた。まぁ、誤魔化されてくれるならソレで良いか。

 

「父さんも心配してたわよ。今夜は仕事終わりにかっとんでくると思うから、それまでに話せることを整理しておきなさい」

「はーい」

 

 信じてもらえるとは思わない。信じてもらえる手段も少ない。能力者の異常な力は、客観的に気付けないものばかりなのだ。

 

 今、時間が巻き戻ったとして、それを母さんが探知する術はない。だから、能力の事は胸にしまっておこう。

 

 母さんは、「また来るわ」と言い残し病室を後にした。まだ、パートの仕事が残っているのだろう。これ以上、親に負担はかけたくない。一刻も早く、私は自分の問題を解決しなければ。

 

 とりあえず、当面の問題は件の襲撃者だ。最初の月曜日と違い私が入院してしまったことで、彼がどのような動きをするか予想がつかない。

 

 さらに、私の能力は時空固定という使い勝手の悪いものだった。このせいで、私は時間逆行による負傷回復の恩恵を受けられない。というか、この能力が今後私にとってプラスに働くビジョンが想像つかない。まぁ、呪いってもともとそういうものらしいけど。

 

 というか、アイツは私を付け回していたんだっけ。最悪中の最悪、回復できない私を殺す為に病院へ襲ってくるかも……。いや、その可能性は低いか。

 

 あの男は、タク先輩の能力を知っているようだった。私が殺されたとして、タク先輩により生き返らされると考えるだろう。万が一襲ってきたら、その時はその時だ。

 

 現状あの襲撃者に関しては、奇特部の先輩方がうまくやってくれること信用するしかない。私は昨日やれるだけの手は打ったし、情報は持ち帰れるだけ持ち帰った。その結果負傷してしまったんだから、いわば肩の傷は名誉の負傷と言えよう。

 

 きっと、先輩方はうまくあの襲撃者をぶっ殺して、東京湾に沈めるなりマイ先輩の洗脳奴隷にするなりしてくれるはずだ。

 

 私は静かに、怪我を癒すことに専念しよう。それでよい。

 

 

 

 

 

 

 

「……おい。マリキュー、無事か?」

 

 それで、まだ授業中だろうに血相を変えて私の病室に駆け込んできた、愛し麗しの恋人に甘えるとしよう。

 

 

 

「ヒロシ、授業は?」

「フケた。……入院したなら昨日のうちに連絡しろっての、朝っぱらから血の気が引いたわ。で? マリキュー襲った男って、どんな奴なんだ?」

 

 我が恋人はお怒りだった。やっぱりヒロシは優しい男だ。家族でもないのに授業をぶっちして病院に駆けつけてくれるなんて、なかなかできん。

 

「あー、覆面してたから顔は……。でも、少し話した感じ幼稚な性格だってことはわかったよ。年は大学生くらいかな? ただ、危ないから探し出して復讐とかやめてよね」

「……うちの生徒とかじゃないんだな? それ、警察には話してるよな」

「あー……。ま、まぁその」

 

 そういわれてみれば、まだ警察に通報とかはしてない。というか、出来ない。未来で切りつけられましたなんて被害届、持って行っても鼻で笑われるだけだろう。

 

 さて、どう言い訳したものか。目を泳がせて中途半端な笑顔を浮かべる私に、ヒロシはふぅとため息をついた。

 

「なぁ。違ったらすまんマリキュー、なんか俺に隠してないか?」

「ん?」

「その、さ。やっぱ何か、隠してるだろ。その傷まさか、知り合いにやられたとかじゃないよな?」

 

 あかん。どうやら私は、隠し事が苦手な人種らしい。

 

 そうだよな、肩を切りつけられて警察行ってないのはおかしいもんな。というか、短期間に二度も入院してるわけで、何か隠してると思うわな。

 

「一部のな、他クラスの奴等から聞いたんだが、お前危ない連中とつるんでるとか、援助交際やってるとかかなり滅茶苦茶言われてたぞ。全員締め上げておいたけど」

「……はい? 私が?」

「そ。なんか危ない街でお前を見かけたとか、ヤクザと親しげに話してたとか」

「ちょ、何だそれ!? ヤクザの知り合い何ていないぞ!」

 

 冗談だろとヒロシを見つめたが、彼の表情は真剣そのものだった。

 

 清楚で可憐でぷりちーな私が売春だと? 誰だ、どこのどいつがそんな根も葉もない……

 

「2年のヤクザのブローカーやってる柊先輩と仲良いとか、その斡旋でウリやってるとかそういう話らしい。俺も、柊先輩とマリキューが話してるのは見たことあるんだが……どういう関係なんだ?」

 

 ……根も葉もあったわ。そっか、タク先輩と話してるの見られて私にも風評被害が及んでたのか……。

 

 学校内ではタク先輩、ヤクザの下っ端と思われてるもんなぁ。

 

「あー、タク先輩は、その何というか……。あー」

「マリキューの事は信用している、噂を信じるつもりはない。普段のお前を見てるから分かる、マリキューはそんな人間じゃない。だけど、お前の抱えてる本当の事情も話しておいてほしい。俺を、あまり不安にさせないでくれ」

「……」

 

 ふとヒロシの目に、涙が浮かんでくる。

 

 ああ、そうだよな。今は信じてくれているけれど、何も話さない私に対する疑念も広がってきちゃってるのか。

 

「まさかあの男に脅されているのか? 相手がヤクザだろうと俺は怖くない、本当のことを話してくれ。俺は絶対にお前の味方だから。……その傷、柊先輩につけられたんじゃないよな?」 

 

 そして、誤解も広がっていると。

 

 いや、まぁあの無能先輩のせいでこの傷を負ったと言えなくもないから間違っちゃいないが……。

 

「……それは、違う。あー、タク先輩は一応味方側、というか」

「マリキュー……」

 

 どうするべきか。

 

 どう誤魔化すべきか。

 

 ヒロシの心配もよくよく理解できる。でも、私が能力関係の話をすべて話したとして、信用してもらう手段はない。

 

 親にも、能力のことは内緒にしているのだ。恋人とはいえここは、喋ることは出来ないと謝って────

 

「信じてくれ、マリキュー。俺は何があってもお前の味方だから。どんな事情を抱えていても、お前を見捨てたりしないから。……話してくれ、マリキュー」

 

 ……いや。

 

 逆か。私が、ヒロシを信用していなかったのか。

 

 あんな途方もない与太話を話したところで、ヒロシは私を疑って信じてくれないとそう思い込んでいる、私が博を信じていないのか。

 

 否定されたらどうしよう。そんな馬鹿な話を信じられるかと、罵倒されたらどうしよう。

 

 そんな、ヒロシに嫌われる恐怖から私は逃げだしていたんだ。ヒロシは、私に嫌われるかもしれないという覚悟で、私の事情を聴きだしに来てくれているのに。

 

 ……話してしまえば、ヒロシを巻き込むことになる。

 

 一般人で何の能力も持たないヒロシを、呪われた集団の抗争に放り込むことになる。

 

 それが、嫌だった。でも、

 

 

 

 

「ねぇ、ヒロシ。本当に私の味方でいてくれるんだね?」

「勿論だ」

「途方もないことを話すけど、信じてくれるんだね?」

「当たり前だ、マリキュー」

 

 

 

 

 信じてみよう。

 

 私も一度、大好きなこの人を信じてみよう。

 

 それがきっと、恋人だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もご、もご」

「結局、昨日と襲撃タイミングが全く一緒だったな。コイツ、時空系の能力じゃなくて精神系だ」

「拘束できまして? ならタクはこの男にこれ以上近づくなかれ、ですわ。精神系能力者は、私が管理いたします」

「餅は餅屋ってコトね、りょーかい。逃がすなよマイ」

「……コイツが、マリを」

「ブン子、その辺でやめとけ」

 

 夕方、PM6時、学園奇特部部室。

 

 ガムテープにより簀巻きにされた20代の男が、目隠しをされ猿轡をはめられ、部室の床にモガモガともがいていた。

 

「さて、だ。この男の確保はこれでいいとして、問題は外の洗脳生徒連中だな」

「銃声、鳴り響きましたわねぇ。事情を探りに、わらわらと集まってますでしょうね」

「いったん部室を離れるぞ、見つかると面倒だ。ドM教師の車を使わせてもらおう」

 

 

 そう言って、男はニヤリと笑い車のカギを取り出した。彼らの身内である教師から、預かっていたものである。

 

 校内に徘徊する、ヤクザの斥候と化した生徒たち。彼らの目をかいくぐり、3人の能力者は一人の襲撃者を乗せ、車へ向かった。

 

 幸いにも、首尾よく事は進み。能力者たちは誰にも気づかれることなく、自身の知り合いである奇特部OGの元へ車を走らせる。

 

「あまり、好ましくありませんが。この愚かな男も、洗脳してしまったほうが良いのでしょうね」

「……まぁな。これじゃ、やってることはヤクザと変わんねぇよな、俺達」

「コイツは自分勝手に、他者を傷つける人間。もしコイツに能力がなかったとして、どうせ警察に捕まってた。マリを傷つけたこの男を、洗脳する分には罪悪感を感じる必要はない」

「んー!! んー!!」

「ま、そっか。可愛い後輩を傷者にされたんだ、そう考えるとちっとは気が楽かな。なぁ、マイ」

「……そう割り切りましょうか。貴方には復讐というくだらない生き方を選んだその報い、受けていただきますわ」

 

 車の中で、能力者たちは方針を話し合う。

 

 この能力者を洗脳し、自らのグループの戦力とし。これから向かうOGに、この男の身柄を預けてしまう。

 

「念のため、時間を巻き戻せるようにこの男の洗脳は明日行いますわ。今日の夜洗脳に失敗して逆に私が操られてしまったら、また今日の朝からやり直しになりますし」

「だな。この男は死なない程度に拘束して、一日絶食させて消耗してもらおうか。その方が、マイの洗脳も通りやすいだろ」

「ちなみに私は舞島先輩の能力、まだ見せてもらえないの?」

「ブン子、基本能力は秘匿すべきだっての、仲間でもな。俺のは敵にバレてるから説明しただけ」

 

 そんな彼らは、気付かない。

 

 いよいよ、彼らが必死に維持し続けていた日常に、亀裂が走りつつあることに。

 

「じゃあ、安西さんに今回の件とこの男の事を報告して、解散にしよう。今日はもう遅い、面会時間を過ぎてる。後輩の見舞いには明日行くか」

「そうですわね。面会は夜8時まで、でしたっけ?」

「……私は行かない。行けないから、お二方に任せる」

 

 そして。

 

 この日、弓須マリへの連絡を取らなかったことが、致命的であった。

 

 ────日常の崩壊が、始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが、私の事情だよヒロシ。信じられるかな? 意味の分からない能力だとか、時間を巻き戻す前にヒロシが死んでただとか、ヤクザに洗脳された生徒が学校にいるとか」

 

 私一人の病室。

 

 ヒロシは、二人きりの閉鎖されたこの空間で、時折相槌を打ちながら私の話を聞き続けた。

 

「その、何だ。マリキューの話が本当だとして、柊先輩が能力者なんだな? で、現状マリキューは柊先輩に守られている立場と」

「昨日は実質、助けてあげた立場だけどね」

「ほかにも奇特部連中や、佐藤先生にこの学校のOB、OGその辺が能力者と」

「……信じて、くれるの?」

「当たり前だ。他に、何か知ってることはないかマリキュー?」

「えっと……。ごめん、もう話せることないかな。全部、全部話したよヒロシ」

「そっか。分かった」

 

 私の不安は、結局のところ杞憂に過ぎなかった。

 

 ヒロシは、私を疑う様子を微塵も見せなかった。我ながら途方もない与太話だと思うのだが、真剣な表情で一言一句聞き漏らさずに、私の話を聞いてくれた。

 

「ありがと、マリキュー。色々葛藤もあっただろうに、俺を信じて話してくれてさ」

「うん。だって、私はヒロシを信じてるって決めたから」

「……ありがとう、本当に」

 

 まだ、午前中。本来なら、学校に行っている時間。

 

 頼れる恋人と二人きり、すべてを話し終わった私は病室の中でヒロシの胸板に体を預け、甘えるように目を閉じ────

 

「アリがトウ まリキュー」

 

 その時、耳元から感情の消えうせた、冷たい声が聞こえてきて。

 

「……ヒロシ?」

 

 今の、なんだ。ヒロシの、声なのか? どちらかというとまるで、洗脳された生徒の様な。

 

 でもそんなはずはない、だってヒロシは、ヒロシは私の恋人で、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ミツケタゾ」

 

 その無機質な声が耳に響くとともに、私の意識は途絶え、病室に静寂が訪れた────

 

 

 




第二章最終話です。
今までの視点キャラだった弓須マリは、哀れにも洗脳されてしまうため次回より主人公交代です。


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第三章
三章プロローグ「文学少女」


間が空いてすみません。


 貴方は、ジャムを塗らない生のパンの味を知っているだろうか?

 

 スーパーの特売で1斤60円の値札シールが貼られ、消費期限が間近に迫った生のパンの味を知っているだろうか?

 

 無味に見えて仄かに小麦の甘い味がする。僅かに防腐剤の香りがする。

 

 誰もが進んで食べようとは思わない、生ゴミと大きな差はないけれど、食べてみればちゃんと味がある。

 

 

 ──私の人生は、まるでジャムを塗らない生のパンだった。

 

 

 無味無臭に見えて、僅かな甘味があった。柔らかくジドリと湿った、儚く脆い人生だった。

 

 家族の食卓に並ぶには役者不足で、独りの人間には分相応のメインディッシュ。

 

 そう、私はいつも(ジャム)を求めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中学時代。親友である弓須マリは、私に過去を奪われて平穏を取り戻した。

 

 それは、私の記憶補食能力(のろい)が生まれてはじめて役に立った瞬間で。同時に呪いは、私からかけがえのない親友を奪い去った。

 

 だけど、弓須マリと2度と会えないなんて私には耐えきれない。話しかけることは出来ずとも、彼女の傍らにいて見守っていたい。

 

 だから、弓須マリの進学する高校へ同じく入学した。

 

 二度と話すことが出来ない親友と同じ学校に通うことに、躊躇いは無かった。確かに寂寥は感じているが、私にとって弓須マリは全てだった。彼女に気付かれることなくとも、彼女の側でずっと見守るつもりだった。

 

 私の呪いによって、彼女の性格までゆがめてしまったのだ。記憶を失う前の彼女は、遠慮がちな笑顔を浮かべる、温和で穏やかな女の子だった。間違っても中学校の卒業式に、覆面レスラー姿で参列するような不審者ではない。

 

 そんな彼女も、愛らしく可愛くて私としては別に構わないのだけれど。

 

 変わってしまった彼女をなんとか正気に戻してあげたいような、正気に戻ったら戻ったで羞恥心で自殺する可能性があるから元に戻すのが怖いような。そんなおバカな事を考えながら、私はクラスが違う親友を想い、話しかけることはできずともずっと陰から見守っていた。

 

 

 

 

 

 

「なぁ。お前、普通じゃないだろ? 俺について来いよ」

 

 入学後そんな私に話しかけてきた、目つきの悪い上級生の男。その見た目からしてヤンキーっぽく、あまり関わりたい部類の人間には見えない。

 

 柊先輩はそんな風貌だったから、声をかけてきた理由も最初はナンパだと思った。なのでぞんざいに、適当にあしらってマリウォッチングを続けるつもりだった。

 

 でも、その男の誘いはあんまりにしつこくて。辟易した私は、少しだけ彼と話をしてみることにした。

 

 私と話をするだけで人間は勝手にボケていく。少しくらい記憶を抜いた方が、この男から逃げるのが楽だと思ったのだ。

 

 

 

 ところが、その男は。私に話しかけてきておいて、『私と目を合わせようともしない』。その男と目が合わぬまま、記憶を奪い取ることも出来ず私は旧校舎の怪しげな部屋に連れ込まれた。

 

 ほんの僅か、警戒心が湧く。この男、私の秘密を知っているのか?

 

 でも仮に、この男の目的が私への乱暴だったとしても問題はない。私に性欲を向けるという事は、廃人になることを意味するからだ。

 

 そう判断した私が余裕をぶっこいて男の行動を見守っていたら、私のスマートフォンに見知らぬ番号から着信音が鳴った。

 

 そして。私をここに連れてきた男は部屋を去り、電話越しに話しかけてくる。『お前の能力についてはよく知っている』と。

 

 

 

 

 

 

 話を聞けば、その男はタイムリープなんて非現実的な力を持っているらしい。

 

 別の時間軸で私は一度、あの男を廃人寸前に追い込んだのだそうだ。そして、あの男の記憶を奪った私は即座に男を射殺したという。この男の記憶を知って、全てをやり直すために。

 

 そしてやり直した彼が今、こうして私の能力を対処しつつ話をしているのだと、彼は話した。

 

 

『お前が能力をある程度制御できるようになれば、親友とやらと談笑できる日が来るかもしれないぜ』

 

 

 話をまとめると、私の勧誘だった。能力者の互助組織に入り、呪いに負けず生きていこうという話だそうだ。うまくいけば私は、誰からも記憶を奪うことなく他人と関われるようになるらしい。

 

 その男の誘い文句は、この上なく魅力的だった。あまりに都合がよすぎて一抹の怪しさを覚えながらも、私はその誘惑に抗えず奇特部に所属することに相成った。

 

 弓須マリの友人として、何気なく談笑する。それはどれだけ幸せな事だろうか。どれだけ素晴らしいことだろうか。

 

 親しい人間と笑顔を共有できる、それ以上に素晴らしい時間などこの世に存在するだろうか。

 

 私には、それ以上に幸福なことが思いつかなかった。だからこの見るからに胡散臭い組織に所属してでも、忌々しい能力を何としても制御してみせるとそう決心した。

 

 その数日後。変人の巣窟であることをかぎつけた弓須マリが奇特部へ突撃してきて、運よく二、三言ほど言葉をを交わすことが出来た。相変わらずマリは、エキセントリックモードの様だ。

 

 引っ込み思案でおとなしい彼女は、どこにいったのだろうか。案外これが素なのだろうか。

 

 でも。その日は久しぶりにマリと話せて、うれしくて寝付けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「約束通り、私はこの部室に来たわけですけれど。タクさん? って人から何か聞いてない?」

 

 ────ところが現実は残酷で、蠱惑的だった。

 

 その数日後。私の親友もまた、あの男にスカウトされてこの部室に来てしまった。呪われし者の巣窟、奇特部へと。

 

 柊先輩曰く、マリは『時空系の能力者』だと言う。あれよあれよと言う間に、彼女は私達の仲間となった。柊先輩の時間跳躍に巻き込まれても記憶を保持しており、それで彼女が能力者だと分かったのだとか。

 

 ふと、マリの過去を思い起こしてみる。彼女の過去は私の記憶に封印されているが、実に悲惨なものだ。

 

 たまたま入学した中学に『頭がいかれたレイプ魔』がいて被害にあい、それを何故か『教師は見て見ぬふりをし』たせいで生き地獄を味わい、『挙げ句どこへ逃げ出そうとも不良共に見つかってしまう』。

 

 弓須マリが呪われていると今まで気づけなかったのが恥ずかしいくらいに、彼女は不幸だった。一般人だと思っていた彼女もまた、私と同じく呪いの被害者だったのだ。

 

 その能力の詳細は不明だが。私が力になれるのであれば、何でもしようと思った。その為にはまず、自らの呪いを律しないといけないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

「ブン子ちゃん、覚えておきなさい。精神系の能力を制御する肝は、すなわち感情のコントロールですわ」

「感情、ですか」

「ええ。精神系は能力の出力に、少なからず自分の精神的なコンディションが関わってきますの。自身の能力が発動している時を思い出してくださいまし? どのような精神状態だと出力が下がるのか。どのような精神状態だと、暴発するのか」

 

 私の能力の指導に当たってくれたのは学校一の美少女である男、すなわち舞島先輩だった。電話越しに、彼は私に色々と指導してくれている。

 

 実は彼も、入学当時は殆ど能力を制御できていなかったらしい。今でも、女装をしていないと能力を律しきれないのだとか。

 

「私自身の感情で、あまり能力が強くなったりする印象はありません。どちらかと言うと、他人との距離感が深く関わっていますね」

「いいえ、精神系であるならば少なからず貴方の感情が関わっていますのよ。それと、距離感が能力に関わる事は私も伺っておりますわ。申し訳あませんが貴方に直接指導はいたしません、電話越しの無礼をお許しくださいまし」

 

 彼は、電話越しにそう謝った。

 

 自分の呪いに苦しんでいた彼だからこそ、精神系能力という呪いの恐ろしさをよく分かっている。私としても、彼のようにキッチリと気を付けて関わってもらった方が気が楽だ。

 

「最も、精神系の能力者は他人の精神系の能力に対し耐性があるらしいですわ」

「そうなんですか?」

「なので、ブン子ちゃん。貴女がいつか自身の呪いを制御できたか否かを確かめる時は、私自身がお相手いたします。制御、ちゃんとお願いしますわね?」

 

 彼は、そう電話越しに告げた。その声色は、優しかった。

 

 

 

 

 

 

 そして。折角マリが奇特部に所属してくれたものの、私から彼女に話しかけることはしなかった。

 

 電話越しなら、メール文通なら、交換日記なら。そんな誘惑に必死で耐え、私はツンとマリから距離をとった。

 

 マリと面と向かって話すこと、これが私の目標である。その為に、日々舞島先輩の指導を受けて能力を制御しようとしているのだ。

 

 中途半端にマリと会話してしまうと、モチベーションが落ちてしまう。マリと親しくなってしまうと現状に満足してしまう。

 

 それが、怖かったから。

 

 それに彼女の側には、たくさんの友人がいた。彼女は私がいなくても、笑顔で学園生活を謳歌していた。私のような嫌われ者が彼女に近づいても、きっと彼女の学園生活の邪魔になるだけだ。

 

 いつか、私も彼女の友人の輪に加われる事を夢見て。私は今日も、いつも通りに、無心で自身の心に語りかける。自身の能力を制御する術を身につけるため────

 

 

 

『緊急事態です 本日中に学校の奇特部部室に集まられたし 弓須マリ』

 

 

 

 そんな折、短い文面のグループメールが私のスマートフォンを鳴らした。私は、即座に制服へ着替え下宿を飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奇特部の部室へ行くと、無言で椅子に腰掛けるマリがいた。

 

 肩に重傷を負った親友、そんな彼女から知らされた『襲撃者』の存在。彼女によると私は明日、襲撃を受けて首を切り落とされるらしい。何それ怖い。

 

 それにしても殺人鬼とタイマンを張ることになるなんて、彼女は本当に呪われている。次から次へとよくもまぁこんなに不幸を手繰り寄せられるものだ。

 

 おまけとばかりに「時間逆行から切り離されて傷が治癒しない」などという不幸に見舞われていた。そのお陰で、彼女はまた入院である。

 

 とはいえ。今回の不幸は、人災といっていいだろう。実にフザけた奴がいたものだ、能力者というだけで何も悪くないマリに手を出そうとは。

 

 明日の学校が、楽しみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、私は女性で後輩ということで安全のために部室には近付けない。先輩方二人で応戦するらしい。

 

 この手で親友を傷つけたクソ野郎を血祭りにしてやりたかったのだが残念である。

 

 そんな私の役目は図書館の個室ブースにこもって、部室に仕掛けられた監視カメラの映像を見続けること。舞島先輩曰く、襲撃者が精神系の能力者であれば機械越しの映像で他者を騙すことはできないはずだそうだ。

 

 そして、放課後。柊先輩と舞島先輩が談笑するさなか、マリの情報通りの黒ずくめの男が部室に現れた。カメラに明確に映るその襲撃者なのだが、不思議にも先輩方はその存在に気づいていない。

 

 奴は、そのまま部室に隠された武器庫に直行し、ガサゴソと物色を始めた。これはもう、間違いないだろう。

 

『先輩方。武器庫前目掛けて一斉攻撃してください』

 

 私は短く、先輩方の耳元に設置されたイヤホンにそう囁きかけた。

 

 その結果、日本刀を手に持ってニヤリと笑っていた襲撃者は、柊先輩に椅子を投げつけられ頭を強打しその場にばたりと伏した。

 

 こうして、私達はマリを傷つけた悪の権化を確保するに至る。

 

「ようし、コイツを安西さんの元へ連れて行くとしよう」

 

 危険極まりないこの男の処遇については、柊先輩の運転の元、私達のOB組織に連行する事となった。そこで洗脳処理を行い、二度とコイツが敵に回らないようにするのだとか。

 

 そういえば、私もこいつらの言う組織とやらについて詳しく知らない。安西さん、というのは私達のボスの名前なのだろうか?

 

 これもいい機会だと、私は二人に連れられて組織のアジトとやらについて行く事となった。実は未だに、先輩の言う「能力者達の互助組織」に胡散臭い空気を感じているのだ。一度、自らの目でその実態を確かめられるのなら行く価値はあるだろう。

 

 舞島先輩と私を乗せた灰色の中型車は、柊先輩の運転のもと夕焼けの空を走り続ける。後部座席に簀巻きで放置されている男と共に。

 

 

 

 

 

 

 

 これは、変人になりたい女の子の親友のお話。

 

 これは、幸せを求める女の子の物語で、生まれながらに幸せになれない運命を背負った女の子の物語である。

 



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第十六話「復讐と断罪」

「……これほど、自業自得という言葉が似合う話もないわね」

 

 アジトへと向かう車の内には、豚のように醜く悲痛な悲鳴が響いていた。私の右手には高価なシャープペンシルが握りしめられ、その尖った先端は男の太ももに紅い穴をいくつも開けている。

 

 移動中、簀巻きにされ後部座席に放られている憎らしきこの男を、私はただ無表情に文房具で滅多刺しにしていた。

 

「ブン子ちゃん、あまり悪戯に人を傷つけるものではありませんわ。この男の主観では、まだ何もしてないんですから……」

「何もしていない? いいえ、私たちを殺そうと『計画』していた筈です。現にマリの情報がなければ、舞島先輩も私も殺されてますから」

「それはそうですが……」

 

 男を痛めつける私に、舞島先輩がやんわりと制止をかける。舞島先輩は存外に優しい。

 

「この男が自我を保てるのはあと少しの間だけなんですのよ? アジトに着いてしまえば、おそらく洗脳処理されてしまうでしょう。彼が彼でいられる最後の時間くらい、優しくしてあげては如何?」

「コイツが洗脳され人形みたいになっちゃったら、それこそ復讐する機会が失われます。キチンと『反省』出来るのは今だけ。だから今のうちに思い知らせてやらないと」

「……っ!! んー!!」

 

 今まで観念したかのように大人しく痛みに耐えていたその男が、突然に暴れだす。

 

 私達の言葉で、自身に待ち受ける運命を察してしまったのだろう。男はよりいっそう激しくもがき始めたので、すかさず鳩尾を打ち付けて男を黙らせた。

 

 ぐぉ、と苦悶の声をあげたその男はギリギリと歯軋りして、額に脂汗を滴らせて静かになり。舞島先輩は、哀れむようにそんな男の無様を眺めている。

 

「ま、安西さんも反対はしないだろ。またマイの手駒が増えるんだ、喜ばしいと考えようぜ」

「タク。それは何も、喜ばしい事ではありませんわ」

「喜んどけ、マイ。お前の、そういうとこまで背負っちゃうのが良くないとこだぞ」

 

 不自然に陽気な声で、柊先輩は女装の美少女に語りかける。苦虫を噛み潰すような表情の舞島先輩は、柊先輩の言葉に軽く頷いた。

 

 他人を洗脳できるらしい舞島先輩も、彼なりの苦悩があるのだろう。彼の能力や悩みについて詳しく聞いてはいないけれど、なんとなく察しはつく。

 

「哀れな復讐者さん。……ごめんなさい、決して物言わぬ人形となったあなたを無為に辱しめる様な真似は致しませんわ。だから、安心してください」

「……んん、んぐぐ」

「納得いきませんわよね、悔しくて腹立たしいですわよね。ですが、伝えましたわよ」

 

 そう声をかけられた男は、静かに黙りこくった。観念したのかもしれない。私は血塗れのシャープペンシルをよく拭き筆箱にしまって、簀巻きの男から視線を外した。

 

 慈悲のつもりではない。変に苦痛を与えるより、じっくりと洗脳されるまでの時間悩み続けさせたほうが本人にとって辛いのではと考え直したのだ。

 

 身勝手な理由で親友を傷つけられ、あげく殺されかけたこの男。できる限り苦しめて殺さないと私の腹の収まりがつかない。

 

 洗脳されるだけで今後も生かしてもらえるだけ、彼は感謝すべき立場だ。とことんまで苦しめてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「復讐か。成る程、大いに結構!!」

 

 そして、私達は目的地にたどり着いた。

 

 二人の言うアジトとやらは、オフィス街の一角にあるビルだった。そのビルは特別新しいわけではなく、かといってオンボロと呼ぶには失礼な、どこにでもありそうな普通のビルだ。

 

「あの、安西さん? 大いに結構って……」

「ふはは、来たかタク吉!! 報告は聞いている、お疲れだな!」

 

 そんなビルの最上階に、葉巻を加えグラサンを装備した『いかにも大物ですよ』と言った風貌の女性が、高価そうなソファにドッカと腰を下ろして私達を出迎えた。この女が、安西さんか。

 

 正直、見た目はヤクザっぽい。というか映画に出てくるヤクザそのものだ。狙ってやってるんだろうか。

 

「……と言うか、タク吉ってなんです?」

「タクのあだ名ですわ。ブン子ちゃん、後輩をあだ名呼びするのも我が部の伝統ですのよ?」

 

 そっ、と舞島先輩が私に耳打ちしてくれる。成程、そういえば私もマリも本名で呼ばれてないな。

 

「お前が噂のブン子ちゃんか!! 覚えておけ、本名がバレることで不利になる能力も存在するからな!! 貴様らも極力、身内を呼ぶときはあだ名を使うがいいぞ!!」

「正直、今のご時世で本名を隠しきるのは無理なので、ほぼ形骸化してますけどね。ネット普及前とかですと、割かし重要な情報の自己防御だったみたいですが」

「そんなことを言うなマイマイ!! 少しでも効果があるかもしれないなら、やって損はないだろう!!」

 

 あぁ、能力対策なのね。一利ないこともないか。

 

「それより安西さん。……コイツに関して何だが、仕出かしたことは報告の通りです。洗脳処理でいいんですよね?」

「洗脳? 何で? そんなことするつもりは無いけど」

「あれ?」

 

 安西と呼ばれた女性は、キョトンとサングラス越しに目を丸くする。意外な提案をされた、と言わんばかりだ。

 

「だってこいつの目的は俺達の命ですよ? ハイさよならと逃がしてやる訳にはいかんでしょう。洗脳しないなら、殺しちまうって事ですか?」

「かぁーっ!! 視野が狭い! これだからタク吉はタク吉なんだ!! 惨めで矮小で馬鹿でのろまでケツ穴の小さい蛆虫以下のタク吉なんだ!」

「俺、そこまでディスられるほどの事言いました!?」

 

 安藤と呼ばれたその女は、ソファで寝そべったまま柊先輩に暴言を吐き散らした。流石は奇特部のOB、彼女は一癖も二癖もある女傑(へんじん)の様だ。

 

「おいタク吉! 私達の理念とモットーは何だ!」

「……え? あー、呪いによって歪められた人生と戦い、人間として真っ当な生き方をするための互助組織?」

「その通り! で、貴様らを殺そうと目論むこの男は敵か? 味方か?」

「いや、言わんとする事は分かりますけれども」

「私達の救うべき人間ってのは、まさにそこで簀巻きにされた様な男の事だ。能力によって反社会的行動を取らざるを得なくなった救うべき人間を、洗脳処理しようだなんて二度と考えるなタク吉。洗脳ってのは殺人とほぼ同義だからな」

 

 そこで安西は言葉を切る。ぶおん、と静かな空調の音だけが部屋に響く。

 

「我々が洗脳処理を行うのは、救いようのねぇヤクザか既にもう向こうさんに洗脳された被害者に限る。覚えておけ」

「えぇ……?」

 

 バシン、彼女は机を殴打した。そして鶴の一声、なんとこの襲撃者を身内に迎え入れると宣言してしまった。

 

 いや、彼にも同情されるべき部分があることは分かっているけれど。それでも────

 

「納得出来ません。彼の身勝手な襲撃によって、我々の仲間が重傷を負っています。彼を仲間と見なすことは出来ません」

 

 自分は許されるのかもしれない、そう目に希望を抱いている襲撃者の腹を蹴り上げて。ありったけの憎しみを込め、安西さんとやらを睨み付け反論した。

 

 弓須マリを、私の大切な親友を傷付けたこの男をそう簡単に許せるものか。

 

「無論である!! ブン子の気持ちもよく分かるぞ!!」

 

 そんな、私の敵意満々な目を見て。安西とやらは実ににこやかに、目を閉じたまま腕を組んで切り返す。私の反応は想定内ですよ、とでも言いたげに。

 

 ……目を閉じられた。流石に私の能力については知っているようだ。この女、案外強かもしれない。

 

「殺人は罪である。殺された人間とは、二度と会えない。それは悲しく罪深い事だ。だから、この男も我々の仲間になるにあたって、我が後輩を傷付けた罪を当然償って貰う」

「……具体的には?」

「んー……よし。『削ぎ落とす』で良いか」

 

 削ぎ、落とす?

 

「元来、男は女を襲撃する生き物だ。今回の襲撃だってタク吉以外全員、つまり女生徒のみが殺される未来だったと聞いたぞ」

「安西さん、私の性別を間違えておられませんか?」

「つまり、この男は女性を狙う卑劣漢。ならば二度と女性を襲撃できないよう、削ぎ落とせば良いのだ」

「……おい安西さん、アンタまさか」

「何を切り落とすおつもりですの!? ちょっと、安西さん?」

 

 ……。この女が削ぎ落とすって、まさか。

 

「そんなもん! ポコチンに決まっとろーが?」

「んんんーー!? んー! んー!」

 

 言い切りやがった。

 

 仮にも女性が、白昼堂々男のアレを削ぎ落とすとか言い切りやがった。

 

 襲撃者は必死の形相で逃げ出そうと、もがきにもがいている。だがアイマスクで目隠しされ、縄で両手両足の自由を奪われている男に出来るのは、哀れな悲鳴を上げる事だけだ。

 

「そんなだから何時まで経っても結婚できねぇんだ……」

「何か言ったかタク吉。私はあくまで呪いのせいで結婚できないのであって……」

「……そんな外道を行うくらいでしたら、せめて一思いに洗脳してあげては?」

「洗脳なんて可哀想だろう、命とは自我があってこそだ。何、安心しろ。私のポケットマネーから当座のオムツは支給してやる」

 

 ……襲撃者は顔を青くしてブンブンと左右に首を振っているが、安西さんとやらはニコニコ笑ってその様を眺めているだけ。判決が覆ることは無さそうだ。

 

 だが、この判決は私側も色々と納得しがたい。大した理由も無しに大切な人(マリ)を傷つけられ、挙げ句殺されかけた。

 

 こんな男には、相応の報いがあって然るべきだ。男性器を切り落とす、等と言った下らない刑罰で済ませるべきではない。

 

 ……いっそ今、隙をついて殺るか?

 

「ああ、これは決定だから妙な真似はしてくれるなよ? そこのブン子、お前だ!」

「っ!」

 

 ソッと。

 

 私が内ポケットに隠した小型のナイフに手を当てたその瞬間、機先を制する怒号が部屋に響き渡った。

 

「この男を殺すことは許さん! この私の決定だ。まさか、逆らおうなんて奴はおらんよな」

「……」

「そう睨むな、ブン子。私を信じろ、私の選択が不幸の引き金になることはない! 貴様なら言ってる意味がわかるな、タク吉? 私には、この男は見えているのだ」

「見えている? ……あ-了解です、安西さん」

 

 柊先輩はそれを聞くと、私の肩を掴んでナイフを握り締めている私を復讐者から引き離した。苛立った私の舌打ちが、小さく響き渡る。

 

「ブン子。あとで説明してやるから、安西さんには逆らうな」

「了解です」

 

 だがそう、睨みつけられてしまえば手を出せない。私は肉体派ではないのだ、タイマンで先輩方に勝てるとは思っていない。忌々しいが、この男を殺すのは諦めなければならないようだ。

 

「では、この男は私が預かることとする! しっかり罰は与えておくからそれで気を収めろ、ブン子よ。女であるお前にはピンと来ないだろうが、イチモツを切り落とされるのは大変な苦痛を────」

「私、男性の記憶も持ってるのでその辺は知ってます」

「む、そうだったか。……あまりおおっぴらに自分の呪いの話をするではないぞ? それは自身の身を滅ぼしうる情報だ、それ以上詳しい話はここでしちゃイカン」

「……はい」

 

 まぁ私は能力がバレたところで、大して困ることなどないのだが。もともと有ってないような、無味無臭の人生である。

 

 私は生きているだけで人を傷つけてしまう存在。マリが私を忘れた今、私の死を悲しむ人間はこの世界にいないだろう。

 

「では、今日はもう遅いから帰れ。あ、私の部下に送らせるから待っていろ。タク吉の無免許運転がバレたら面倒くさいからな」

「分かった、サンキュー安西さん」

「それとブン子。一寸先は闇、我々は常にそんな状況の中で生きているのだ。くれぐれも、死がそこらじゅうに転がっている事を忘れるな」

 

 安西女史はそんな、ありきたりな助言を残して奥の部屋へと引っ込んだ。

 

 この時はさもありなん、と聞き流していたけれど。安西は、能力者として私のずっとずっと先輩なのだ。

 

 理不尽な呪いという現象に付き合い、生きてきた先達なのだ。私はそれを失念していた。

 

 まさか本当に、この時一寸先の闇が待ち受けていようとは思っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。マリは退院し、包帯を巻いて学校に登校してきていた。彼女の様子は、普段と何も変わらない。

 

 いつももどおり、にこやかに。活動的で、きさくな少女として学園生活を楽しんでいた。そんな彼女を、私は遠くから見守っている。

 

 早く放課後にならないだろうか。放課後になれば、マリが入院していた間の出来事を詳しく情報共有する予定だ。つまり、私からは積極的に話しかけられないけれど、マリと共に過ごせるのだ。

 

 それだけで、私は神に奇特部に入れたことを感謝した。呪いなんてものをこの世に生み出した神も、たまにはいいことをする。

 

 HRが終わると、私は無言で速やかに部室へと向かう。窓際のパイプ椅子、それが私の指定席。

 

 読みかけの小説を手に持って、麗らかな陽の光を見に浴びて、私は椅子に腰を落とす。そして、彼女を待つのだ。

 

 かけがえのない親友で、いつかまた談笑してみせると誓ったその少女を。孤独な私の人生の唯一の光であった、弓須マリを。

 

 

 

 

 

「ねぇ、川瀬さんて眼鏡を取ると可愛いよね」

 

 

 

 

 

 ……一寸先は、闇である。

 

「あー、私に恋人ができたって話? あれは嘘だよ、タク先輩が色目使ってきたから牽制のつもりでそういうことにしたの」

「あの、えっと、弓須さん?」

 

 油断していた。いつも部室に一番乗りに到着するのは私だったから、まさかもう彼女が部室に隠れているなんて考えていなかった。

 

 このままでは正面切って話をしてしまうことになる。私は咄嗟に目線を切って、本を読む振りをしながらマリへ返事をした、のだが。

 

「まつげ、長いよね。川瀬さん、この前の続きしない?」

「こ、こ、この前?」

「そ、この前。……ねぇ、川瀬さん」

 

 彼女は、そんな私のそっけない態度をモノともせずに背中越しに抱きついてきた。耳元に囁くように、彼女は蠱惑的な声で囁く。

 

「川瀬さん。今、好きな女の子はいないのかな?」

 

 そして彼女の指が、ゆっくりと私の脇腹をなでるように制服の中へ侵入してきた。

 

 

 

 

 助けて、先輩方。助けて、安西女史。 

 

 こんな展開はさすがに予想してない。



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第十七話「種籾爺」

 それは、吐息のかかる距離。

 

 かけがえのないマリ(とも)の手は遠慮なく、学生服の中へと侵入してきて。突然の出来事に私は反応できず、身体を強ばらせてされるがまま。

 

 ────私は親友に襲われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で? 申し開きはあるかマリキュー後輩」

「何となくムラムラしたので、おとなしそうな川瀬さんに迫りました!」

「頭は大丈夫ですの?」

 

 そんな夢のような、いや想定外の展開は部室に来た先輩方によって間もなく阻止された。

 

 放課後になれば、元々みんなで部室に集まる予定だったのだ。こうやって邪魔が入るのは目に見えていた。私とマリの蜜月は、最初から彼女の悪ふざけの産物らしい。

 

 そもそも、本気で私に性欲を向けてたなら廃人になるだろう。焦りすぎて、そんな基本的なことも忘れてしまっていた。

 

「……」

「ちょっと、そんなに怒らないでよ川瀬さん。ほら、ここは退院記念と言うことで1つ」

「昨日の今日だというのに、随分と元気になりましたわね」

「いつも明るく、元気なキチ◯イがモットーですから!」

 

 そう言ってニコニコと笑っている彼女を、可愛さ余って憎さが沸く。私の動揺と焦燥と期待を返して欲しい。

 

 だが、このエキセントリックさが今の彼女なのだろう。肩に巻いた包帯が痛々しい事以外は、マリは既に普段通りと言えた。

 

「じゃ、話を始めんぞ」

 

 柊先輩は、そんなマリの様子を特に気にすることもなく、昨日に起こったことをツラツラと彼女に説明した。

 

 襲撃者を捕らえたこと、安西女史の元へ連行したこと、彼を組織で保護したこと、そして股間を削ぎ落とすこと。

 

 途中、マリは安西女史の話を聞いて大いに興奮していた。『そんなに残念で頭のおかしい大人がいるとは』との事だった。

 

 確かに安西女史と今のマリ(エキセントリックモード)は、相性が良いかもしれない。普通の人間はポコチンを削ぎ落とすなどと宣言しない。

 

「良いなー、私も削ぎ落としたい」

「女ってのは、なんでこう猟奇的かなぁ」

「いやだって殺されかけたし。あいつ自身、復讐であんなこと仕出かしたんだから自分も復讐されても文句言えないでしょ」

「ま、まー……一理ありますわね?」

「それに、『男のブツを削ぎ落とした女』ってフレーズ、カッコ良くないですか!?」

「誰がどう聞いてもキ◯ガイだな」

 

 目を爛々と輝かせて男性器切除のロマンをを語る親友は、私の肩に手を置いたまま手刀で素振りを始めた。彼女の発言を聞いている限り、アレを切り落とす素振りらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後の話し合いの結果、マリは暫く部活不参加で治療に専念する方針になった。退院したとは言え、まだまだ肩の傷は癒えていないのだ。

 

 能力の制御トレーニングも、負傷してしまっていては効率が悪いだろう。暫く、マリの顔が見れなくなるのは残念だが致し方ない。

 

 私は私でいつも通りに、舞島先輩の能力制御講座を受け続ける。今週はマリの負傷や殺人鬼の襲撃などかなり盛沢山だったが、ようやく一息がつける様だ。

 

 戻ってきた、日常。いつも通りの日々。

 

 柊先輩の時間逆行は、本当にありがたい能力だと思う。淡々と柊先輩の指示に従うだけで危機を乗り切ってはいたが、それも彼の能力による繰り返しがあってこそ。

 

 私もどうせなら、そんな人の役に立つような能力が良かった。彼は彼なりに悩みを抱えているらしいが、他人と話が出来てその悩みを分かち合えるだけで十分に幸せだと思う。

 

 人間は、誰かに認められてこそ人間たりうる。誰とも話が出来なかった私からしたら、他人の役に立てる時間逆行能力と言うのは酷く魅力的に思えた。

 

 

『隣の芝は青く見える、そんなものですわ。……彼は彼で可哀想ですのよ』

 

 

 電話越しに、舞島先輩はそんな事を言った。

 

「可哀想ですか?」

『死ねば1日巻き戻るからと言って、いつもいつでも理想の展開を選べる訳ではない。そう言うことですの』

「自殺してやりなおせば、選べるのでは?」

『自分の命と大事な人の命を、天秤にかけないといけない時。彼が選べるのは、自分の命だけですの』

「……成る程」

 

 そんな無敵に見える柊先輩の能力にも、意外に制限が多いらしい。

 

『自覚なさい。能力と言う呪いが、その人に取ってプラスに働くことは有り得ません。貴女と同じように、能力者はみな苦しんでいるのです』

「それは、舞島先輩も?」

『……無論ですわ。能力を制御できるまで私は────、いえ、何でもありません』

 

 舞島先輩は暗い声で何かを話しかけて、そして強引に会話を切った。

 

 成る程。先輩方も苦労していたらしい。あまり詳しく話してくれるつもりは無さそうだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日マリは、部活に顔を出さずさっさと帰ってしまった。肩の傷が癒えるまでとは言え、少し寂しい。

 

 柊先輩や舞島先輩は、いつも通りに部活に顔を出して佐藤先生を相手に怪しげな事をしていた。縛られた佐藤先生が恍惚の表情で悶えているのを、私は意図的に無視してスマートフォンを弄り続ける。

 

 ……先生については単なるドM教師だと思っていたが、さりげなく様子を伺う限り虐められているのは能力の制約の様だ。

 

 舞島先輩も柊先輩も、加虐癖は無さそうである。わざわざ太った中年男性を苛め尽くしても、彼等からしたら何の得も無かろうて。

 

「ぬるっぽう!! はぁはぁ、はぁはぁはぁ」

「生徒にこんな無様を晒してまで、貴方に生きる価値はあるのかしら!? オーっホッホッホ!!」 

「おいおいオッサン。鼻息荒いぜ? 何興奮してんだよ」

「ふぁびゅーぅぅ!! はぁはぁはぁ」

 

 ただ、佐藤教諭がドMなのは事実だろう。おそらく性的興奮をキーに発動する呪いを持っている、と言った当たりだろうか。

 

 というか何あの喘ぎ声、キモい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、私はいつも通りに帰宅する。

 

 部活に顔を出し、能力制御の資料を読み、興奮したドMを無視し。この高校に入ってからの、これまでと違う新しい日常。

 

 相変わらず、誰とも話はできないけれど。大事な人が近くにいてくれる、それだけで今は満足だ。

 

 あと暫く待てばマリは部活に復帰するし、それまでに私が能力を制御出来るようになっていれば簡単な世間話が出来るかもしれない。

 

 そんな幸せな日々が待っている、空っぽだった私に訪れた明るい未来。私は、かすかに胸を躍らせながら校門をくぐり抜け────

 

 

 

「……むむー。まったく、マリキューちゃんは横暴なのですー」

 

 

 

 喧騒の中、何より大切な親友の名前が聞こえてくる。さりげなく目をやれば、校門前でのんびりとした表情の女生徒が困り顔の男子生徒に話しかけていた。

 

 ……その女生徒に、見覚えがないではない。確か、マリの知り合いの上級生だったか? 

 

「泉先輩も、厄介な事を押し付けられましたね」

「……これで本当に男を紹介してくれなかったら、呪い殺してやるのですー」

「いや、そんなに期待しないほうが。マリキューの男子の知り合いってそんなに多くない筈……。あ、柊先輩狙いとかっすか? 奇特部の」

「その名を出すな、なのです。奇特部はあんたっちゃぶるなのです」

「アッハイ」

 

 どうやらマリは、あの女に何か頼みごとをしたらしい。何が頼みがあるなら、私に言ってくれれば良いのに。

 

 ……まだ、今の彼女と親交を深めれていないのは理解している。けれど、親友が悩みを相談してくれないことに、私は一抹の寂しさを覚えた。

 

「でも、マリキューがバイトしてたって話は聞きませんでしたけどね。ウェイトレスやってたなんて知らなかったなぁ……。てか先輩、接客とかできるんですか?」

「まぁ何とかなるのです。いきなりバイトを代わってくれだとかー、あの娘は礼儀がなってないのですー」

 

 ……何やら、マリはあの女にバイトを代わって貰った様だ。マリ、バイトなんて始めてたのか。

 

 これは気になる。バイトをドタキャンしないといけない様な何かが、彼女の身に起こったのかもしれない。マリの事情を知りたいが……。

 

 ────少し、彼らの記憶を盗ませてもらおうか。いや、まずは普通に聞いてからだな。答えてもらえなかったら、呪いに頼ろう。

 

 

 

「少し、良いかしら」

「あらー? どちら様ですー?」

「ウゲッ!!?」

 

 

 思い立ったら即行動だ。校門前で駄弁っていた二人の間に、私は割って入った。

 

 私を見て、心底嫌そうな声を上げたのは同学年の生徒だった。確か、マリとよく一緒にいる男子だったか。名前はよく覚えていない。

 

「さっきの弓須さんの話が気になって」

「弓須さんって誰ですかー?」

「……マリキューですよ」

「おおー。では貴方は、マリキューちゃんのお友達ですか?」

「……違いますね。そういう訳ではないです」

 

 話してみると、女生徒は何とも間延びのする眠たい口調の女だった。そして、少し媚びた声を出している。同性から嫌われそうなタイプの女子だ。

 

「なんか、急に野暮用が出来たとかだそうですー。どーせ急にデート誘われたとか、そんな話なのですー」

「……そんな訳ないですよ。マリキューは案外律儀だし、そんなことでバイトさぼったりしませんて」

「どーだか。男が出来ると、女は愛に生きる機械になっちゃうのですよー。覚えておくのです、ヒロシ」

「何が言いたいのかよくわかんないです先輩」

 

 ぷんぷんと自分で擬音を口ずさみ、頬を膨らませる上級生。色々と狙ってやってそうだ。

 

 そして、ヒロシと名前を聞いて思い出した。この男の名前はヒロシだ。マリと付き合ってるとか噂が飛び交っていたが、この二人の会話の様子だと噂はデマらしい。

 

 マリとこの男が付き合っているのであれば、デート云々の話が出る訳ないだろう。

 

「あ、そーだ。バイト先の店長なら、詳しい理由とか聞いてそうですねー。よかったらウチの店に来ますかー?」

「……わかりました。ご一緒します」

「せ、先輩? あ、いや、この子は奇……。あー、行きます、俺も付いていきます」

 

 余計なことを言いそうだった男子生徒を一睨みし、黙らせる。

 

 マリのバイト先。何それすごく知りたい。

 

 偶然を装って店に行けば、休みの日でも堂々とマリに会えるのだ。そんな素晴らしい情報を、取り零してなるものか。

 

「じゃあ、しゅっぱーつ!! なのです」

「よろしくお願いします」

「……」

 

 こうして私は、このよくわからない3人組で喫茶店に行くことになったのだった。

 

 ……この先輩がバイトで抜けるなら、私はこの男とサシで席に座ることになるのだろうか。ヤダなぁ、必要な情報がもらえたら一杯だけ飲み物を頼んでさっさと帰ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませ、お館様!!」

「殿中にござる! 殿中にござる!」

「ぬっ! 曲者!」

 

 

 ……何これ。

 

 

「えっと……戦国女中喫茶『淀』って此処ですかー?」

「左様にござる」

「私はその、マリキューちゃんの代理でバイトに来た……」

「ぬっ、つまり曲者か!! 出あえ出あえ!」

「バイトだって言ってるのですー!」

 

 マリは一体、何の店でバイトしているのだろう。

 

 店のなかでは妙に裾の短い着物を着た女性が、時代がかった口調で客を応対していた。恐らくメイド喫茶の亜種……なのか?

 

 客層は若い男性だけでなく、時代劇が好きそうなお爺ちゃんも来ている。衣装の貸し出しもやっているらしく、武士っぽい格好をした客も散見している。

 

 ……成る程。エキセントリックモードのマリには、ピッタリの職場かもしれん。

 

「神妙にせよ! お店長様のもとに引っ立ててやる!!」

「お店長様!? あー、店長の所に連れていってくれるのですねー?」

「そこでお上の沙汰を待つが良い」

「……その口調、徹底しているのですねー」

 

 店の中身は色々と衝撃だったが、結構客は入っている様だ。意外と流行っているのだろうか。

 

 「お館様ぁ! 座して料理をお待ちください」と、目の座った店員に案内されて「この程度のもてなししか出来ませんが」と巻物にかかれたメニューを渡された。

 

 団子やお茶等の和風なメニューに加え、オプションで『浪人モード』『打ち首獄門』などよくわからない単語が並んでいる。

 

 取り敢えず、あの女を待つか。マリが休んだ事情を聞けたら、こんな場所に用はない。メニューを見る感じ、お茶だけを頼むのが一番安上がりだな。

 

「店員さーん、この打ち首獄門お願いします」

「毎度あり……曲者じゃ、引っ立てろぉ!!」

 

 目の前の(ヒロシ)は果敢にも、打ち首獄門とか言う意味不明なオプションを頼んでいた。

 

 興味があったのでチラチラ見ていると、彼は引っ立てられて箱に入れられ、首だけ出して生首みたいになった。

 

 晒し首みたいだ。そのまま村娘っぽい服を着た店員が、涙を流しながら料理をヒロシの生首に食べさせていた。

 

 ────どういうプレイだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マリキューちゃんの都合って、なんか病院に行くことになったらしいのですー」

「病院!?」

 

 和服っぽい衣装になったその先輩が、店員として姿を見せたのは30分ほど経ってからだった。私は待ちに待ったマリの情報を、聞くことが出来た。

 

「泉さん、どういう事だ。マリキューの奴、また怪我でもしたのか?」

「何かマリキューちゃん、今週の初めに肩を怪我したらしいのです。そこの包帯から血が滲んできてて、傷口が開いたかもしれないから病院に行ったそうなのです」

「あー、肩の傷が開いたのか。……怪我してる時くらいおとなしくしろって言ったのに」

 

 話をまとめると、そういう事らしい。結局、マリにあんなに深い傷を残したクソ男が諸悪の根源だ。

 

「ラインして容態を聞いてみます。泉さん、ありがとう」

「どういたしましてなのですー。さて、私はバイトに戻るのでゆっくりしていくとよいのですー」

 

 知りたいことはもう知れた、後はもうここに用はない。この男越しにマリの容態を確認して、帰るとしよう。

 

「……泉先輩、情報ありがとうございました。ですが、私はここで失礼いたします」

「あらら、つれないのですー」

 

 泉という女生徒に礼を言って、私は会計を済ますべく伝票を手に取った。……この男の代金も、私が奇特部だと黙っていてくれたから奢ってやろう。

 

 ……私の財産は、両親の遺産とマリを虐めていた連中から奪った金だ。それなりの額が、銀行に預けられている。

 

 ここで多めに支払うことくらい、造作もない。

 

「気を付けて帰ってくださいですー。この店の治安はあまり良くないのでー」

「店の治安って」

「店の治安、なのですよー」

 

 彼女に一礼して席を立つと、先輩はずいぶんと妙な事を言い出した。最初は意味が分からなかったが、つられて周囲を見渡すとその言葉の意味に納得する。

 

「あぁん? 貴様、この私を愚弄するのか?」

「お許しをー、お許しをー」

 

「ヒャッハー!! 新鮮な種もみだぜぇ!!」

「おやめくだされ……。その種もみは我らの希望、我らの明日なんじゃぁ」

 

 見れば店の中のあちらこちらで、小芝居が繰り広げられていた。これは確かに、治安が悪い。

 

「寸劇に巻き込まれたらちゃんと乗るのが、この店のルールなのです。巻き込まれない様にお気をつけて」

「……善処します」

 

 ニヤニヤと面白そうな笑みを浮かべた先輩に手を振って、私はレジへと歩いた。

 

 

 コツ、コツ。

 

 

「おい女ぁ。俺好みの顔じゃねぇか、少し御酌をしてくれよぉ」

 

 間もなく、武士の格好をした客が話しかけてくる。これは、寸劇にかこつけたナンパだろうか。成程、そういう目的の奴もいるのね。

 

「あー、病気の父のもとに向かう途中ですので、何卒ご容赦を」

「何を!? この宇治御奉行様の癪が出来ないだとぉ!? 貴様、自分の立場が分かっているのか!」

「えー、急ぐ道筋ですので、失礼します」

 

 ……やりづらい。

 

 寸劇に乗るのがこの店のルールらしいから、私はキッチリ時代劇風に断った。が、武士風の男は逆上して今にも詰め寄ってきそうだ。

 

 劇にのめりこんでいるのか、はたまたそういう輩なのか。

 

「出あえ!! 狼藉者だ、この女をひっ捕らえろ!」

「そんなご無体な」

「この俺に逆らった罪、後悔させてやるぞ」

 

 あぁ、面倒くさい。この店でナンパを断るの、無駄に骨が折れる。

 

 もういっそ、素で対応してやろうか。店の空気を壊してしまうが、いつまでもこの男の相手をしていたくない。

 

「お武家様、この女でございますね。引っ立てておきます故、何卒怒りをお沈めください」

 

 男を睨みつけて罵倒しようとした、その瞬間。店員らしき女が十手を持って現れ、『御用だ』と言いながら私をその場から連れ出した。

 

 ……後ろから男の罵声が聞こえてきたが、別の店員が割って入って男を足止めしている。何で私が御用されるんだと思ったが、あぁ成程、私を助けてくれたらしい。

 

 

 

「……お客様、対応が遅れて申し訳ありません。えー、私が店長の松本と申します、改めて謝罪いたします」

 

 そのまま女の店員に連れられ、私は従業員用の個室へと通された。

 

 何事かと思って身構えたら、奥に座っていた偉そうな男が土下座せんばかりの勢いで謝ってきた。

 

 ……謝罪、らしい。

 

「たまになのですが、その、出会いを目的に当店を利用されるお客がおりまして。あの男は出入り禁止としますし、今回のお代は結構です。ですので何卒、今後も当店をご利用くださるとありがたいです」

 

 そう言うと男は、机にぶつからんばかりの勢いで頭を下げた。

 

 「対応が遅れた」と言っているが、あの店員さんが割って入ってくれたのはかなり迅速だったと思う。それでもこんなにキッチリと頭を下げるのか。

 

 この店、エキセントリックな店の空気とは裏腹に割と客への対応はしっかりしているらしい。

 

「ええ、気にしておりません。こちらこそ、助けていただいてありがとうございました」

「そんな、頭を下げないでください。店の中での出来事はすなわち、店長である私の責任です。不愉快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ありません」

 

 額の汗をこぼしながら、申し訳なさそうに頭を下げ続ける男性に会釈して私は席を立つ。

 

 私の呪いの都合上、あまり長時間他人とサシで話すのはマズい。不愛想に見られるかもしれないが、さっさと帰らせてもらうとしよう。

 

「いえ、申し訳ありません。誠に申し訳ありませんでした」

 

 ペコペコと頭を下げ続ける男を尻目に、私は部屋のドアを開こうとする。が、

 

「あ、あのー。鍵、閉まってますよ」

「ええ、申し訳ありません」

 

 部屋のドアが、開かない。見ると、ドアの取っ手には鍵穴がついており、部屋の外側から鍵をかける構造になっているらしい。

 

 まさか、外から鍵を閉められた? 一体何故、何のために?

 

「申し訳ありませんじゃなくて。鍵開けてよ」

「おっしゃる通りです。今回はお代は結構ですので、どうかご容赦ください」

 

 振り向いて店長に向き直り、私は文句を垂れる。だが、店長は壊れたスピーカーのように噛み合わない謝罪を繰り返すばかりだ。

 

 店長の、様子がおかしい。

 

「あの。私の声、聞こえていますか?」

「今後ともどうか、当店のご利用を続けていただけると幸いです」

 

 そして、気付く。店長の目の、焦点が合っていない。やがて彼の足は小刻みに痙攣をし始め、グルリと目が上転する。

 

 そのままエヘエヘと不気味な笑みを浮かべて、男はスマートフォンを取り出しどこかに電話を掛け始めた。

 

 ……この男、正気ではない。

 

「申し訳ありマセン、誠ニ申し訳アリまセン」

 

 ……これは。この様子、どこかで見たことある。そうだ、まるで洗脳された生徒と同じ────

 

 そう思い至った私は警戒心を最大に高め、今まで座っていたイスを手に武器として構えた。ヤツが誰かと電話している今がチャンスだ。

 

 全身の筋肉をフル稼働し、男目掛けて椅子を振りかぶり、

 

 

 

 

 

 

「ナルホド、貴女のお力ハ危険です。味方にシテモ、役に立ちソウにナイ。ソウデスネ」

 

 

 

 

 

 そんな、私の貧弱な戦闘態勢をあざ笑うかのように。男は懐から小型の銃を取り出して構えた。

 

 体が、恐怖で硬直する。

 

 店長はブツブツと、目に見えない誰かと会話しながら。ニヘラと笑みを作って、唐突に私に向けて発砲した。

 

「記憶を奪ウ、そンな能力恐ロシい恐ろシイ。殺すベキ、そうすベキ。お前ハ下僕に必要ナイ」

 

 その銃弾は、まっすぐに私の眉間を貫く。

 

 反応する余裕なんて無かった。硝煙の煙が立ち込めるその銃身を薄目で捕らえ、私は全身の力が抜けてへたりと腰から砕け落ちる。

 

 腰元に、熱い液体が滴る。股間に不快感が広がるのを自覚し、自分の眉間を指でなぞって────

 

 

 

 

 幸いにも、特に怪我はない様だ。

 

 

 

 さっき、間違いなく銃弾は私にまっすぐ飛んできた。走馬燈がよぎり、目の前に超スローペースで銃弾が迫る光景を幻視した。

 

 というか、思わず死の恐怖で失禁した。だと言うのに、私は無傷だ。

 

「エエ!! 始末しマシたとも、女は殺しマシた! では、死体を引き取りに来てくだサイ。そレマで死体は、この部屋に放置しておキマす」

 

 私を銃撃した店長はというと、何もないところを見つめて満足げに笑い、喜々として電話に応じている。そして懐に銃をしまい、近くの椅子に腰かけた。

 

 ……私を殺した? 思わずへたり込みはしたが、私はまだピンピンしているぞ。あの男、洗脳されているせいで知能レベルが下がってるのか?

 

 何にせよ、今が好機。不意をついてこの男を殴り殺せば……

 

 

 

 

 

 

 

「あー。何も話すな、何もするな。そこで静かにしててくれ」

 

 そんな私の耳元から、聞きなれぬ男の声がした。思わず振り向いたが、私の周囲には何もない。

 

「あの男が出て行ってから姿を見せるけど、絶対に大声出すなよお前。ここ、ヤクザの下部組織だからな? 敵の本拠地だ、騒いで生きてるのがバレたら今度こそお陀仏だ」

 

 その幻聴はなおも続く。そして、立ち上がろうとした私の肩を誰かが抑えている。

 

 姿は見えぬ、謎の男の声。だが、私はどこかでこの声を聞いたことが有るような?

 

 やがて、店長は部屋の鍵を開けて出ていった。そして部屋の外側から、ガチャリと鍵をかける音がする。

 

 閉じ込められてしまったらしい。

 

「もういいか。おいアンタ、姿を見せるけど騒ぐなよ」

「……」

 

 そして、ゆらりと部屋が揺らめいた。

 

 至近距離の蜃気楼が、ゆらゆらと揺れて黒い影を形成していく。今の今まで気づけなかったが、何かが私の傍らに立っていた。

 

 その、何かとは。

 

 

 

「────お前、は」

「……まーそう言う反応だよな。信じてくれ、味方だよ俺ァ」

 

 

 

 マリに肩の傷を負わした、張本人。

 

 つい数日前、奇特部の部室を襲撃し私や舞島先輩を殺したかもしれない男。

 

 復讐に取り憑かれた殺人鬼が、黒い防弾装備を身に纏って私の背後に立っていた。




2週間おきペースで更新続けます


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第十八話「本気を出すのです」

 生暖かい静寂が、部屋を包んでいた。

 

 死への恐怖に腰が砕けた私を、無表情に見つめる黒ずくめの男。ソイツは、面倒くさそうに頬を掻き、やがて観念したかのように私へと言葉をかけた。

 

「……早く行くぞ。いつまでも此処に残って、奴等に鉢合わせたら最悪だ」

「……貴方」

「良いから今は信じろっての。あんたに害意があるなら、助けたりしないって」

 

 何ともやりにくそうな声色だ。昨日の移動に車内でこの男が縛られている間、私はずっと彼を虐げ続けていた。加害者であり被害者である私に、何かしら思うところがあるのだろう。

 

 だが男は腰元に小柄な銃を構えながら、慎重に部屋のドア近くで手招きしている。見たところ、彼に嘘をついている様子は無さそうだ。

 

 先ほど店長が私を殺したと誤認したのも、この男の能力によるものだろうか。だとすれば、本当に私を助けてくれたことになる。

 

 ……一応、信用していいかもしれない。と言うか、この男まで敵だったとしたら状況的に詰んでいる。今は彼を信じるしか道はない。

 

「分かった。信じる」

「それでいい」

 

 男は私の言葉を聞くと満足げに含み笑いをこぼした。何とも胡散臭い笑顔だ。とは言え、信じると決めたからにはしょうがない。

 

 ただひとつ、どうしても気になることがある。これだけは、確認しておくとしよう。

 

「……ところで、もう削ぎ落とされたの?」

「落とされてねーよ!」

 

 だよね。男の象徴を切り落とされたにしては、妙に元気だよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「情報提供と取引によって、俺は大事な息子(チ◯コ)を守れたんだ」

「……ちっ!」

「そんなに削ぎ落としたいのかよ……」

 

 結局、安西女史はこの男に大した罰を与えぬまま解放してしまったらしい。それで良いのか、私らの組織。

 

 ここで私がぶっ殺してやろうか。でも、助けられちゃったし……。ぐぬぬ。

 

「良いから、とっととズラかるぞ。俺は他にもやることが有るんだよ」

「……まーた能力者を狙ってるの?」

「否定はせん。だがよ、もうアンタらの組織のメンバーには手を出さねぇから安心してくれ。悪かったよ、人間には良いヤツもいればゲスもいる。そんな事を忘れちまってた、俺は視野が狭くなってた」

「……そのせいで、マリは」

「悪かった! それは本当に悪かった! いや、俺的にはまだ何もしてないんだけども!」

 

 この男によってつけられた親友の肩の傷を想起し、思わず男を睨み付ける。男は、慌てた様子で両手を振って私をなだめる。

 

「俺的には計画を未然に防がれた形だけど、確かにアンタら殺す気だったし言い訳はせん。心から謝る、すまんかった」

「で? その私達を殺す気満々な人が、何で私を助けたの?」

「そりゃ、安西さんの命令だ。別件でこの店に張り込んでたんだけど、アンタが部屋に拉致られたのが見えて報告したら、すぐ助けに入れって怒鳴られてさー」

「アンタ、あの人の命令で動いてるのね」

「俺の股間の恩人だからな」

 

 嫌な恩人もあったものだ。

 

「結論から言うと、この店はヤクザの直営店だ。つまり敵の本拠地。アンタは何でまた、こんな店に?」

「……マリ、この店でバイト始めたみたいでね。様子を伺いに来たの」

「そりゃまた。マリって弓須マリだよな? お前らの仲間だろ、早くバイト止めるよう勧めておけ。いつ洗脳されてもおかしくねーぞ此処」

「伝えておくわ」

 

 そう言うと、彼は部屋のドアを開いて周囲を確認し、手招きした。

 

 遠くから注文をコールする声が聞こえているが、この部屋から見た限りで近くに店員は居なさそうだ。

 

「おい、今誰もいねーぞ。とっとと逃げろ」

「……あれ、鍵かかってないの? さっき店長が閉めてなかったっけ」

「店長に鍵穴の場所ズラして認識させたの。俺の能力」

 

 男は目線を私に合わせないまま面倒そうに呟いて、顎で部屋の外へ私を誘導する。めっちゃ便利な能力持ってんなお前。

 

 やはり、人の気配はない。そのまま周囲を警戒しつつ歩を進め、私と男は無事に店の裏口に辿り着いた。

 

「はい、出口。気をつけて帰れ」

「……どーも」

「ほい。服屋は、ここを出てすぐ左に50mだ。寄るだろ?」

「……」

「金はあるか? ちょっとなら貸せるが」

「煩いわね」

 

 ……裏口に辿り着いたは良いのだが、失禁してしまった私のスカートはびしょ濡れだ。こんな姿では、とても帰れない。

 

 この男もそれを見越したのだろう、近くの服屋の場所をスマホでググって教えてくれた。その気遣いがなんとも腹立たしい。

 

「まーなんだ。女の方がチビり易いっていうしな、あんま気にすんな」

「これ以上その話題を続けたら削ぎ落とすわ」

「へいへい」

 

 私が吠えるように一睨みすると、男は口元を緩めなら両手をあげて降参のポーズをとった。

 

 からかってやがる。この男、私が失禁したのを面白そうにからかってやがる。本当にぶっ殺してやろうか。

 

「んじゃあな。俺は張り込みを続けないといかん」

「ならとっとと失せろ、任務にもどれ」

「辛辣だねぇ」

 

 機嫌がよさげな男はヘラヘラ笑い、私に背を向けてゆらりと陽炎に消えた。立ち去り方カッコいいな、変態のくせに。

 

 そして、1人取り残された私は、濡れてしまったスカートを鞄で隠して教えられた服屋に向かって走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

『了解ですわ。ブン子ちゃん、その戦国喫茶とやらにはもう近づいては行けませんこと』

「分かりました」

 

 服屋で購入した安い私服に着替えた私は、まず先輩に連絡を取ることにした。辺りを気にしつつ人気の少ない小道へと入り、蔦の絡んだ塀に腰を預けて通話を始める。

 

 ホウレンソウは大事なのだ。

 

「柊先輩にも、私から連絡します」

『いえ、必要ありませんわ。今タクは電話が繋がりませんの。おそらく戦闘中ですわ』

「そうですか」

『私からメールで伝えておきます。明日学校にタクが現れたら、戦国喫茶の1件を口頭で報告しましょう。それと、ブン子ちゃんは念のためアジトで一泊してくださいまし』

「アジトって、安西さんの居たビルですね?」

『そうですわ。アジトの場所は覚えてますわね? タクと連絡が付かないことといい、今日は敵の動きがきな臭いですわ。よくよく注意なさってください』

 

 舞島先輩は、そう言うと電話を切った。

 

 敵の動きがきな臭い、ね。そんな話を聞かされたら少し不安になるが、何か致命的な事態になっても柊先輩がうまくやるでしょ。

 

 そう考え舞島先輩との通話を終えた私は、スマホで再び電話帳を開いた。次の通話先は、マリだ。

 

 彼女のバイト先がヤクザの配下店だから、早めに辞める様に告げなくては。舞島先輩経由でマリに連絡が行くかもしれないが、念のため私からも電話しておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『えー……。えぇー……』

 

 私からの電話にマリは少々驚いた様子だったが、私は気にせず淡々と業務連絡するがごとく、マリにバイトを辞めるよう通告した。

 

 彼女の反応は、それはそれは未練がましいモノだった。

 

『あの店は、私が私で居られる理想のバイト先だったのに』

「……」

『はぁ……。敵の本拠地かぁ、はぁ……。何かの間違いではないんだよね?』

「ええ」

『そんなぁ……』

 

 溜め息の数が尋常ではない。そんなに気に入っていたのか、あのお店。

 

 確かに、客や店員のほとんどがマリのテンションについていける貴重な店ではあると思う。だが、あんな所で働いていたらいつ洗脳されるか分からない。

 

『分かったよぅ。辞めるよぅ』

「そう」

 

 マリもそれは分かっている様だ。しぶしぶ、バイトを辞めることを納得した。かなり、苦渋に満ちた声だったけれど。

 

 これで、伝えるべきことは伝えた。後は早々に会話を切り上げてしまおう。

 

 今日はマリの事をいっぱい知れたし、電話で話せたし良い日だ。殺されかけた事を差し引いても、気持ちよく眠れそうだ。

 

『あ、それとさ。念のため、私もそのアジトとやらで泊まっていい? 今日は両親居ないんだわ』

「御両親が?」

 

 ところが、マリは会話を切り上げることを許さなかった。それどころか、

 

『二人で旅行に行ってるの。私、家で一人居るよりかはそのアジトって所の方が安心っしょ?』

「構わない、と思う」

『じゃー決まりね。でもさ、私はアジトの場所知らないから川瀬さんが案内してくれる?』

 

 ……。これは。

 

「わかったわ。アジトまで案内するから、○○駅に来てくれるかしら」

『よろしくねー』

 

 よくわからないが、私はマリとの二人っきりになる時間(デート)を確保できたようだ。能力を制御できるまではマリと二人になるつもりはなかったがこれは仕方ない、不可抗力と言うヤツだろう。

 

 漏らした甲斐があったかもしれん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 待ち合わせた駅に行くと、そこに制服姿のマリが立っていた。

 

 待たせてしまったかな。

 

「あっ!! 川瀬さん、ヤッホー!」

「……ええ」

 

 ブンブンと右手を振る、新品の包帯を巻いた笑顔の彼女に声をかけられる。一方で私は目をそらし、鉄面皮を作り上げて応対した。

 

 日々努力をしているが、まだ能力の制御には自信がない。あまり親しげに話すのはやめた方が良いだろう。

 

「で、さ!! 今からその、アジトへ行くんだよね。安西さんって人のところにつれてってくれるんだよね?」

「そうね」

「んふふ、楽しみだなぁ!! くー、もうちょい時間あれば蜘蛛男タイツに着替えていったのに……。こんな平凡な制服姿で会って失礼とか思われないかな?」

「全身タイツの方が失礼よ」

「ま、一度安西さんに会って見てから判断するか! 悪漢の股間を削ぎ落としたと言う女に会えるのが、楽しみで仕方ない!」

 

 マリは昨日から、安西女史の話を聞いて会うのを大層楽しみにしていたらしい。彼女は随分とワクワクとした表情で、口取りも軽やかに語り始めた。

 

 まぁ、股間を削ぎ落としてないみたいだけどね。

 

「誘えば一緒に『魔法少女リリックなのか』コスチューム着てくれるかなぁ? あれ、二人一組的な衣装だから一人で着ると恥ずかしいんだよねー」

「二人で着ると倍恥ずかしいと思うの」

「聞けば、安西さんって結構年上なんでしょ? なおさら魔法少女服はよく似合うと思うなー」

「……」

 

 何やら、彼女の頭の中はまだ見ぬ安西女史の妄想で膨れきっているようだ。安西女史もマリに仲間意識を持たれて羨ましいような、可哀想なような。

 

「で? その、私達の秘密のハウスはどこなの川瀬さん」

「……案内するわ。着いてきて」

 

 ハイテンションで滑っている親友に何とも言えぬ残念な気持ちになりながら、私は昨日教えられたアジトに向かって移動を始めた。

 

 私の後ろからはニコニコと、満面の笑みのマリが歩いてついてくる。まぁ、マリが笑顔なら何でも良いか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふっふふー、男を紹介するのですー」

「げ、出た」

 

 そして私達はアジトに向かう道端、寂れた裏路地へ入り人気が無くなった瞬間に、突如として沸いて出た見覚えのある変な女生徒に捕獲された。

 

 なんだコイツ。

 

「約束どーり、あの妙チクリンな店のバイトを代わってあげたのですー。私的に、精神が磨り減る地獄な時間だったのです」

「えー? めっちゃ楽しくなかったですか?」

「楽しくなかったのです」

 

 彼女は、何やらすマリと親しげに話している。あ、そーか、昼に会ったマリのバイトを代わった人か。

 

 いきなり男を紹介しろだとか、不審者かと思った。

 

「店の空気が独特すぎるのですよー。あのテンションについていけるのは、変な人だけなのですー」

「だから先輩にお願いしたんですけど」

「てめぇぶっ殺してやるー」

「うわ、目がマジだ」

 

 この先輩も、あの後苦労したらしい。客として行くならばともかく、バイトとして運営する側に回るのはキツイ職場だろう。

 

「まぁ任せてください。一途で高収入の、包容力のある優しい大人の男性を紹介しますよ」

「むー? 本当なのですねー?」

 

 マリがそう言うと、女生徒は少し頬を染めてくねくねと動き出した。マリは顔が広いな、そんな知り合いがいるのか。

 

「少しMっぽい人ですけど、逆に言うと大抵の事で怒らない人です」

「むー? まぁ、ちょっとくらいなら変態でもまぁ」

 

 ……。

 

「でも先輩の望み通り、すごく一途ですよ。……奥さんいるけど」

「んー? 今、最後にボソッと何か……」

「言ってないでーす」

 

 妻が居るドMの成人男性……? それってまさか。

 

 

『ぬるっぽう!! はぁはぁ、はぁはぁはぁ』

 

 

 深く考えない様にしよう。

 

「ところでー、後ろの貴女は昼に会った子ですねー。やっぱりマリキューちゃんのお友達ですかー?」

「あれ、それ川瀬さんのこと? 昼間に会ってたの?」

「ええ。詳しくは後で話すわ」

 

 先程からずっとマリと話していたその女生徒は、ようやく私に気がついた様だ。いや、最初から私に気が付いていたがマリに対する恨み節を優先したのかもしれない。

 

 マリとの会話をしている間も、たまに目が合っていた。時折妙な方向に目をやっていたが、私の方向も間違いなく見ていた。

 

「こんな時間に二人でお出かけですー? それとも、病院帰りでしょうか?」

「まぁそんなとこです」

「ふーん。じゃあ、」

 

 私の存在を特に気にする事無く、その女の先輩は話を続けた。

 

 そんな彼女の様子を、私も私で気にすることはなかった。私と泉先輩はあまり親しくない、最初はマリに話しかけるのは当然のことだ。

 

 ……だから、気がつかなかった。

 

 

 

「あの後、二人でマリキューちゃんのお見舞いに行ったのですねー」

 

 

 

 私の背後に、いつの間にか佇んでいたその男の存在に。

 

 ヘラヘラ笑いながら、気配を殺して私の肩を叩いたその男に、反射的に振り向いた私は───

 

「こんバンは」

 

 目つきが凍りついた、明らかに自我のない男子生徒(ヒロシ)と目があった。あの泉小夜(せんぱい)が、時折私の後ろに視線をやっていたのをもっと気にするべきだった。

 

 居たのだ、この男は。私とマリが合流したその時から、ずっと私の後ろに。

 

 どうみても、まともな状態じゃない。男と目線は合わないし、口元がピクピクと小刻みに痙攣している。(ヤクザ)だ、そう判断するのに時間はかからなかった。

 

 そこからの私の動きは、何も考えていない反射的なモノだ。咄嗟に地面を蹴って距離をとり、同時にポケットに収めたスマートフォンに手を伸ばして、

 

 全力疾走しながら柊先輩へ電話を繋げようと踏み込み────、突如目の前に現れたマリに遮られ、敢えなくスマホを掴み取られた。

 

 

「あー。川瀬さんゴメンね? 今の状況分かるかな?」

「……弓須、さん?」

 

 

 マリはそのまま、いつかのように私のスマートフォンを勝手に弄り電源を切ってしまった。

 

 何をしているんだ、彼女は。まさか気が付いていないのか、その男が操られていることに。

 

 いや、違う。これは、まさか。

 

 

 

 

「ごメンね、川瀬サン。私、こっち側ナンだ」

 

 

 

 

 ……マリも、もう手遅れだったのだ。

 

 こうなってしまえば、私に出来ることは何もない。柊先輩へと連絡し、彼女が洗脳される前まで時間を戻すほかない。

 

 だがしかし。そのための手段だったスマートフォンは、既に彼女に奪われてしまった。

 

「んー? 何をしているのですー? 喧嘩ですかー?」

「先輩ハちょっと待っテテくださイね」

「んー?」

 

 状況が飲み込めていないらしい女先輩は放置しよう。考えろ、この辺に公衆電話はあったか? いや、それ以前に(ヒロシ)に腕を掴まれているこの状況から、どうやって脱出する?

 

「ちょっと、マリキューちゃん大丈夫ですかー? 呂律が回ってませんよー?」

「……」

「というかー、ヒロシもいきなりその子の腕を掴んだりして乱暴なのですー」

 

 力尽くで振りほどこうと暴れてみるも、筋力の差からか彼の腕を振りほどける気配はない。よく見ると、道の遠くに黒塗のクルマが止まっているのが見える。ヤクザの車だろう。

 

 このままだと、何の連絡もできないまま拉致される。怖い、どうしよう、大声で叫ぶか?

 

 そう思い息を吸い込んだが、今度は背後に居るマリに首を絞められた。これでは、声が出せない。

 

 ……酸欠で、意識が遠のく。体の力が抜けていくのが分かる。まずい、このままじゃ。

 

 このままじゃ、マリが洗脳される前まで時間が戻せないかもしれない。そうなったら────

 

 

 

 

「……無視するなですー!!」

 

 

 

 

 そして、私は投げ飛ばされた。同時に、美味しい新鮮な空気が喉を通る。

 

 正確には、私を掴んでいた男が泉先輩に投げ飛ばされて。引っ張られ私も転倒した結果、首を圧迫していたマリの手からも逃れられた。

 

「いきなり何をやっているのですか貴方達はー! 冗談にしてもやりすぎなのですー」

 

 思わずむせ込んでしまった私を庇って、泉は洗脳された2人の前に割って入る。その顔は、憤怒に染まっていて。

 

「ヒロシ、マリキューちゃん。どんな事情が有ろうと、暴力はいけないのですよ? ここはちょっと先輩らしく、お説教させてもらうのですー」

 

 何も知らぬであろうその女先輩は、恐れも知らずにそう言い放ったのだった。



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第十九話「泉小夜と言う女」

 狭い裏路地に、のんびりとした怒声が響き渡る。

 

「ぷんすかぷーん!!」

 

 女生徒の口からこぼれた、アニメ調の間抜けな擬音。それは、きっと彼女なりの怒りの表現だったのだろうか。

 

 非力な泉小夜(せんぱい)は、尻餅をついた私の前に立ち、目元を釣り上げて洗脳された二人を睨み付けていた。

 

「そコをどケ」

「お前ハ標的(ターゲット)ではナい」

「むー? 反省の色、なっしんぐですー」

 

 二人は彼女を脅しつつ、戸惑ったように硬直していた。

 

 マリと男子生徒は、想定外の事態にどう動いたものか混乱しているらしい。命令され動く人形である二人は、自分で思考してものを考えるのは苦手なんだろう。

 

 この女先輩には悪いが、逃げ出す好機だ。まさに、九死に一生を得た。柊先輩に連絡を取り、この時間をやり直す事さえ出来れば万事解決である。

 

 背後には、ヤクザのモノらしい車が止まっている。あの方向に逃げ出すのはリスキーだろう。ならば、奥へ行くしかない。

 

 行き止まりかも知れない、待ち伏せされているかも知れない、リスクだらけなこの裏路地の奥へ!!

 

「マて!」

 

 二人の脇を、私は屈んだまま全速力で駆け抜ける。当然それを見逃す男子生徒ではなく、先ほどのように私の首根っこを掴もうとして、

 

「秘技! 小手返しなのですー」

 

 その手を掴まれ、女の先輩に綺麗に投げ飛ばされていた。……え、強っ!

 

「マリキューちゃんもまだ暴れちゃいますかー? ふふふ、いいのですよ? 合気道黒帯の私に勝てると思ってるのであるならー」

 

 ドヤ。

 

 満面のドヤ顔で男子生徒を見下し笑う先輩、泉。コイツ、予想外に役に立つ。

 

「一旦逃げて、人の多い所に行きましょう泉さん!」

「それもそーですねー」

 

 とはいえ、このまま泉を放置していたら洗脳されて敵に回るのがオチだ。この謎に強い合気道黒帯が、敵に回るのは避けたい。

 

 最悪この人は見捨てて逃げるつもりだったが、護衛にもなりそうだから同行してもらおう。

 

「連絡ヲ……」

「我らの手ニ負えヌ……」

 

 洗脳された二人は、追いかけてこなかった。ただ、どこかに通話して連絡を取っているのが見えた。

 

 何か策でもあるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駆け抜けた先にあったのは、開けた道路だった。薄暗い街灯に照らされて、仕事帰りであろうサラリーマンが往来を行き来している。

 

 早くタクさんに、柊先輩に連絡を取らねばならない。だが私のスマートフォンは、既にマリの手の中だ。

 

 公衆電話を使うか? 万一に備えて、柊先輩の電話番号は記憶している。……いや、携帯電話の普及しきった今の時代で公衆電話を探すのは一苦労だ。それよりも、

 

「あの、泉先輩。……申し訳ないんですが、とある人に連絡を取らないといけなくて。さっきマリにスマホ取られちゃったので、貸していただきたいんですが……」

「ねー、災難だったのです。私のスマホでよければ、どうぞなのですよ」

 

 目の前の女性に借りるのが一番手っ取り早いだろう。

 

 泉先輩は眠たそうな目付きのまま、嫌な顔一つせずにスマホを貸してくれた。それだけじゃなく辺りにマリや男子生徒が来ていないかキョロキョロと警戒してくれている。この人は、かなり良い人らしい。

 

 言葉に甘えて私は柊先輩に電話をかける。これで、後はこの男がうまくやってくれる筈……。

 

 

 

 

 

 

 

『────お前らは何とまぁ。何でこう次から次へと、厄介事を運んでこられるんだ?』

「……私の責任じゃありません」

 

 幸いワンコールで、柊先輩はスマートフォンに出てくれた。通話ごしに、機嫌の悪そうな彼の様子がうかがえる。

 

「そちらも、大変だったんですか?」

『まぁな。ソレはどうでも良い、マリキュー後輩があっち側に行ったのが最悪だ。奇特部の情報全部筒抜けじゃねーか……。とりあえず自殺して時間戻す』

「お願いします」

『ブン子、お前は情報集めにかかれ。マリキューカップルに突撃して、誰と通話しているのか探ってこい』

「……はぁ」

『過去に戻るにしろ、情報は多い方が良いからな。万一死んでも大丈夫だ、俺の能力で生き返れる』

「えー……」

 

 そして先輩は、何と私に「二人に自殺特攻しろ」と言う命令を出した。どうせ巻き戻すから、私がどうなろうと知ったことじゃない訳か。

 

 まぁ、実際に問題ないんだろうけど。私が死ぬ前提で作戦を立てられるのは、あんまり嬉しくない。

 

『マリキューのためだぞ、ブン子』

「はいはい分かったやりますよ、やりますけど先輩は人間としてアレです」

『好きなだけ文句垂れろ。お前からの信頼がいくら下がっても、時間が戻れば元通りだ。とっとと有益な情報を落として死ねブン子』

「それがアンタの本性ですか……」

 

 柊先輩には、少しも悪びれる様子がない。

 

 機嫌悪そうに暴言を吐き捨て、冷たく私に命令を出した。

 

 こ、こんな人だったのか柊先輩。私達能力者のために一人で戦ってるって聞いて、ちょっとは尊敬してたんだけどなぁ。

 

『奴らが通話しているスマホを奪って連絡先を見られれば最高だ』

「そう簡単にいくでしょうか?」

『ま、失敗して元々だよ、失うものは何もない。じゃ、頑張れ』

 

 そんな身勝手な指令と共にツー、ツーと無機質な音が流れ、柊先輩との通話が終了した。

 

 あの野郎。能力者はだいたい性格がひん曲がっているって聞いたけど、あの先輩も例外じゃなかったか。

 

 だが、マリの為と言われたら断る理由はない。やってやろうじゃないか、自爆特攻。少しでも情報を多く稼いでやる。

 

 小さな決意を固め、私は切れたスマートフォンを先輩へ手渡した。

 

「通話は終わったのですか~?」

 

 ニコニコと笑いながら、泉先輩が私からスマホを受けとる。うん、この人が手伝ってくれたら、成功率はかなり上がるだろう。

 

 さて、でもどうしたものか。本当にこの人の良い先輩を巻き込んでしまって良いものか? 

 

 どうせ、全部無くなる事だ。柊先輩の言う通り、信頼を損ねてでも有益な情報を拾えた方がいい。

 

 この女も巻き込んで、マリと男子の二人を襲撃した方がよっぽど成功率が高い筈。何せ合気道の黒帯だ、一対一なら負けないだろう。

 

 でも、もしマリが応援を呼んでいたら? もう一度あそこに向かったら、山のようにヤクザが(たむろ)しているかもしれない。そうなれば、私や泉先輩の末路も想像がつく。

 

 いくら、時間が戻って何もなかった事になるからって────

 

 

 

「ありがとうございました、泉先輩。また絡まれると厄介なので、早く帰りましょう。ここでお別れです」

 

 

 

 巻き込んでいい、なんて話にはならない。私は、ここで泉先輩に別れを切り出した。

 

 今日、泉先輩には十分すぎるほど助けてもらった。これ以上、何の関係もない彼女を巻き込むのは気が引ける。

 

 そもそも、タク先輩と連絡がついた時点で私たちの勝ちなのだ。あとは、より勝利の質を高めるだけの作業。

 

 この人の良い先輩を巻き込むのは、忍びない。

 

「そうですかー、気を付けて帰るのですよー」

「ええ。先輩もどうか、気を付けて」

 

 その言葉と共に、私は来た道を引き返し。単身、先ほどの裏路地へと走っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気配を殺して、裏路地を進む。

 

 あの二人は何処だ。路地に、人の気配はない。もう別の場所に移動したのかもしれない。

 

 更に、進んでいく。辺りはシンと静まりかえっており、人影ひとつ見当たらない。都会の喧騒から切り離されたままである。

 

 結局、裏路地を大通りに抜けても、誰とも出会えなかった。先程、裏路地の出口付近に停車していた車も何処かに消えている。

 

 もう引き上げたのだろうか。

 

 ならばこれ以上、この辺を彷徨いても時間の無駄である。私はふぅ、と一息ついて踵を返した。

 

 周囲は、喧騒に包まれている。往来に人の行き来する、安全な場所に私は立ち尽くしている。

 

 さて、私の手元にもうスマートフォンは無い。でも、駅の近くにいけば公衆電話くらいあるだろう。

 

 これ以上粘っても、情報獲得は難しいだろう。柊先輩に連絡を取って、もう時間を戻して貰うとしよう。

 

 そう考え、私は駅に戻るべく来た道を引き返した。再び人の居ない裏路地へと足を踏み入れて────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、私の足が吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

 痛みより先に、身体がぐらついた事で私は自身の異変を察知する。往来から道一つ外れた裏路地で、私は血を撒き散らしながらバランスを崩して路上に突っ伏した。

 

 驚愕で、一瞬意識が飛ぶ。その一瞬の空白の思考停止時間に、私は誰かにのし掛かられ取り押さえられた。

 

「ハァイ、川瀬さん? ご機嫌イカが?」

 

 聞きたくなかった、親友の声。

 

 冷たい何かを私の後頭部に押し当てながら、マリは私を嘲るように笑っていた。

 

 つけられていた。私は、尾行されていたんだ。

 

「ふぅん。音を聞こえナクするだけデも気付かれないもんナンだね?」

「日本で生きていれば普通、銃の存在なんて頭にない。銃声が聞こえなければ、発砲したなんて誰も思わんよ」

 

 マリのお尻にのし掛かられて、全く身動きのとれない。そんな私の背後から聞き慣れぬ声がした。

 

 先ほど見た、洗脳された男子生徒の声か? いや、とても流暢な話し方だ、とても操られているようには思えない。声も嗄れて、幾分年を食っているように思う。

 

 となると、こいつは。

 

「お前、ヤクザか」

「んー? ま、確かにそう呼ばれているけどのぅ、ヤクザ呼ばわりはあんまり良い気持ちがせん」

 

 マリに押さえ込まれているせいで、その男の姿を確認できない。だが、その声や態度からはっきりと分かった。

 

 この男は、悪だ。

 

 何の躊躇いもなく人を撃ち殺せる、悪の権化だ。直感的に、私はそう悟った。

 

「そういう貴様こそ、なかなか危険な能力持っとるそうじゃないか。記憶簒奪、とは恐ろしい。確か目で見て話をするのが条件、だったかの? お前ら目を潰せ」

「仰せノマまに」

 

 私にのし掛かり体重を預けるマリは、男の命令に応える。彼女は無表情に私の眼球を抉るべく手を伸ばして、私は両目を強く抉られる。思わず、苦悶の声が漏れてしまう。

 

「ごめんナサい川瀬さん」

 

 圧が、強くなる。私は、観念して抵抗をやめた。

 

 駄目だ。殺されてしまうか洗脳されてしまうか分からないが、作戦は失敗らしい。

 

 まぁ、ダメで元々だ。後は柊先輩に任せよう。

 

 ……そして、彼女の白い指が眼球を抜き取るべく私の眼窩を強く圧迫したその一瞬。不意に、彼女の指の動きが止まった。

 

「……どうした?」

「妙な気配がアリます」

 

 マリは、訝しむヤクザに向き直り。釣られて私も、男の方向を向いて、気が付いた。

 

「────あっ」

 

 先ほどからずっとマリに命令を出していたその男は、今まさに殴り掛かられようとしていたのだ。マリは機敏に私から離れ、自らの腕でヤクザの男を庇った。

 

 襲撃者は小さく舌打ちして、一歩距離をとる。そして、倒れこむ私にハンドサインで逃げるように指示をした。

 

 私を救った、若い女の襲撃者。目付きは鋭く、ヤクザの一挙手一投足に集中して睨み合っている。

 

 彼女は肩で息をしながら、新聞紙を丸め剣のように構えて立っていた。

 

 その男を威圧し、そして私を守るべく立っていた。

 

 

「……やっぱり、嫌な予感がしたのですー」

 

 

 先ほど別れたはずの、泉先輩。

 

 眠たそうな眼を見開いて、額に汗を浮かべながら彼女はヤクザに対峙した。

 

「この女は?」

「同ジ学校の知リ合いでス。この現場を見られてシマったので洗脳スることを提案シマす」

 

 なぜ、彼女が此処にいるのだろう。この先輩を巻き込みたくなかったから、私は彼女と別れて一人でここに戻ったのに。

 

 危険だ。相手は銃を持ったヤクザなのだ。私のように足を撃たれてしまったら、いくら合気道の達人でも勝てる訳がない。

 

「殺すと始末が面倒だしな。よし、捕らえろ」

「捕獲ハ先ほど失敗していマス。あノ女、体術を使いマス」

「面倒だな、ハァ」

 

 男はそういうと、再び銃を構えた。やはり、足を撃ち抜く算段らしい。

 

 銃を見た後の、泉先輩の反応は早かった。ギリ、と新聞紙を握りしめ彼女は銃に臆さず単身突っ込んでしまう。

 

 それは無茶だ、近づいたらますます当たりやすくなってしまう。そもそも男の近くにはマリと男子生徒が立っているのだ、接近戦を挑んだら囲まれて取り押さえられてしまうのがオチだ────

 

「新聞紙は、広げて使うものなのですよ!!」

「なっ!?」

 

 そして、彼女は予想外の行動に出る。泉先輩はなんと、丸めていた新聞紙を突如広げ男目掛けて派手にばらまいたのだった。

 

 一瞬とはいえ、男は視界を失う。風に舞う新聞紙の目隠しを振り払い、再び銃を構えた男の目に映ったのは。

 

 ────自分に向かってぶん投げられた、ガタイの良い男子生徒の姿だった。

 

 泉は新聞紙でヤクザの視界を塞ぎ、慌ててヤクザを庇おうとした男子生徒の腕を掴んでヤクザに投げ飛ばしたのである。自分より重い男がタックルの如くぶつかってきたわけで、ヤクザは堪え切れずに尻餅をついて男子生徒ごと倒れこんだ。

 

「……はぁ、はぁ。捕まるのですー」

 

 見れば、男は転倒した際に銃を取り落としたらしい。マリが慌てて、路地の奥に転がった銃を追いかけている。

 

 その間、完全にフリーになった私を担いで。泉先輩は、裏路地から人気の多い往来へと逃げ込んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女は、足を撃たれた私を往来へと運び、そして叫んだ。

 

「通り魔です、この娘は足を怪我しています、誰か救急車を呼んでください」と。

 

 いきなり重症な私を担いだ人間が、道端で叫んだのだ。周辺は大パニックである。

 

 遠目に、裏路地を引き返すヤクザの姿が見えた。

 

 流石に、ヤクザたちはこの状況でなお襲ってくるようなことはしないらしい。リスクリターンを考えての事だろう。

 

 救われた。完膚なきまでに、私はこの人に救われた。

 

「はー、はー。心臓が止まるかと思ったのですよー」

「い、泉先輩……」

 

 彼女は顔面も蒼白なまま、引きつった顔で私に話し掛ける。

 

「本当、馬鹿じゃないのですかー……? 何で貴女、戻っているのですー?」

「その、少し事情がありまして……」

「マリキューちゃんもヒロシも、どー見ても正気じゃなかったのですよ。下手したら殺されていたのですよ?」

 

 泉先輩が私を説教するその声には、僅かな怒りと多分な私への心配が篭っていた。そこは本当に申し訳ない。

 

 確かに、どうせ生き返るからと私は自身の命を軽く見ていた。

 

 でもやはり、冷静になると殺されたとして大丈夫だなんて思えない。どんな状況でも、死は死なのだ。

 

 私は、死にたくない。マリがあんな状態だというのに、彼女をおいて死ぬ訳にはいかない。

 

「助けてくださってありがとうございました、先輩」

「ん? そんなの、人として当たり前なのですよ。それより、あの二人です……。何がどうしたら、あんな感じになっちまうのですかねー?」

 

 泉先輩は、私の肩を抱いたままウンウンと唸っている。マリと男子生徒の知り合いだったらしいからな。二人の豹変ぶりに困惑しているのだろう。

 

 ……まさか、超能力で操られているだなんて想像だに出来まい。

 

「何か知っていませんか、川瀬ちゃん?」

「……いえ、何も」

「むむむ、隠すなですー。貴女にどんな事情があったか知らないけれど、少しは先輩を頼れですー」

 

 何も知らない振りをして誤魔化そうと試みるが、残念なことにアッサリ見破られた。私は、嘘をつく才能が無いらしい。

 

 眉間にシワを寄せた泉先輩は、慈しむように私の肩に手を回した。

 

「貴女は人を信用する事を覚えるのですー。手始めは、私からで良いですから」

 

 そして泉は、私の肩を抱いたまま手元に引き寄せ、ギュッと体幹を抱き締める。

 

 は、はわわ。目を、目を反らさないと。

 

「私には、何に巻き込まれているのか知りませんけれど。貴女は他人に甘えることに、怯えすぎなのですよー」

「……」

「困った時に、助けてと言う勇気を持つのですよ。私でよければ、力になりますから」

 

 必死で目を背け顔を見ないようにしている私の頭を、泉先輩は優しく撫でて。心地よい、柑橘系の香水が香る。

 

 駄目だ。この優しさに甘えては駄目だ。私はまだ、能力を制御しきれていないのだ。

 

 泉先輩の差し出した手を握ってしまったら、彼女を深く傷つける事になってしまう。

 

 マリの時みたいに。

 

「何を怖がっているか知りませんけれど、大丈夫なのです」

「……」

 

 やめて。その優しさが、今は辛い。

 

 他人の体温を、肌で感じる。私が求めてやまなかった、自分以外の誰かの温もり。

 

 足の痛みで、気が弱くなっている。このまま、誘惑に負けてしまいそうになる。冷静になれ、自分を見失うな。

 

 優しいこの女性を、傷つけたらだめだ。

 

「ほら、目をそらさないで。じっくり、私の顔を見て話すのです」

 

 ぐい、と顔に手を押しやられ。泉先輩は、強引に私と顔を向い合せた。

 

「……あ」

「そう、人と話をするときは、ちゃんと目を見て話すのですよー」

 

 そう言って笑う彼女と、目が合う。

 

 その瞬間に凄まじい幸福感が、全身を包みこんだ。澄み切ったその泉先輩の目に、何もかも吸い込まれそうになった。

 

 良いかもしれない。こんなに頑張って逆らわなくても、良いかもしれない。

 

 だって、泉先輩はこんなにモ素敵な人だ。優しくて、頼りがいがあって、何より私の命を助けてくれた。

 

 いずれ巻き戻ってしまうとはいえ、彼女は命の恩人なノだ。泉先輩に何もかも、任せてしまってもいいかもしれない。

 

「そうなのです。ゆっくり、私の目を見て深呼吸するのです」

「……はい」

 

 彼女の言うとおりに、ゆっくりと泉先輩の目を見て深呼吸する。

 

 すぅ、と足の痛みが和らいでいく。ビリビリとした快感が、全身を支配していく。

 

 ああ、幸せだ。他人に抱きしめてモらって、頭を撫でられるなんて幸せだ。

 

 泉先輩に抱きしメラれるのは幸せだ。

 

 彼女の言うとおりニスるのが、正解だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。再び、街中に銃声が木霊する。

 

「それが、お前のやり口ね。貴重な情報ありがとさん」

 

 心地よい微睡は、凄まじい発砲音で切り裂かれた。ハっと私は銃声がした方向を振り向いたが、そこには誰も見当たらない。

 

 ただ陽炎が、微かに揺らめいているだけだった。

 

「あ、い、痛っ……」

「泉先輩!?」

 

 だが、銃撃の被害者は確かにそこにいた。見れば、泉先輩は呻き声をあげながら赤いシミが広がる腹部を押さえ倒れこんでいる。

 

 泉小夜が、銃撃されたのだ。

 

 私を取り囲んでいた野次馬が、再び騒然とする。自分も打たれるかもしれないのだ、無理はないだろう。

 

 彼らは慌てて散開し、動けない私が一人ポツンと泉先輩の傍に取り残される。

 

「何で、誰が、私を……?」

「泉先輩、しっかりしてください。動いては……」

 

 冷汗を浮かべ、泉先輩はうずくまる。その眼には、困惑と焦燥が浮かんでいた。

 

 ヤクザの奴、やりやがった。私だけではなく、無関係な泉先輩を巻き込みやがった────

 

 

 

 

「声出すな、ブン子とやら。俺だよ、さっきぶり」

 

 

 

 その時。

 

 私の耳元で、聞き覚えのある囁き声が聞こえた。

 

「その、声……」

「いや、助けに入るのが遅れてすまなかった。俺の責任じゃねぇよ? 安西さんが様子見ろっていうからさ」

 

 それは、あの男の声だった。マリの肩に重傷を負わせた、子供染みた復讐者。今は安西女史の指揮下で何やらコソコソ動いていた、股間をそぎ落とされかけた男。

 

「助けに、って全然間に合ってない。どこかからヤクザに銃撃されてる、もう泉先輩が怪我を────」

「その女を銃撃したのは俺だよ」

「は?」

 

 理解不能なその返答に、一瞬理解が遅れて私は閉口した。

 

 直後ビシャリ、と不思議な音がする。何か液体をばらまいたような、みずみずしい音だった。

 

 同時に、香り立つ科学的な異臭。何だ、何が起きているんだ?

 

「そこに……誰かいるのですかー?」

「おうとも。……話すだけで口が腐り落ちそうだ、とっとと死ねよお前」

 

 ジッ。

 

 それは、何かを擦るような音だった。同時に私は誰かに強く引っ張られ、泉先輩から引き離される。

 

 

 

「ぎゃあああっ!!!」

 

 

 

 そして、人が燃えた。

 

 泉先輩は、ごうごうと燃え盛る炎に身を包まれ絶叫する。咄嗟に燃え盛る服を脱ぎ捨て、半裸になり体を赤く腫らしながら泣き叫んでいる。

 

 ガソリンだ。そうか、さっきの異臭はガソリンだ。この男、ガソリンを泉先輩にぶっかけて燃やしやがったんだ。

 

 その凄まじい光景を見た野次馬の中から、二人の人間が飛び出してきた。

 

「マリっ!?」

 

 それは、男子生徒とマリだった。2人は全力で泉先輩の元へ駆け寄って、そして手に持った消火器を彼女へ噴射する。

 

「行くぞブン子、ここも危ない」

「待って、何をやってるの!? アンタなんで泉先輩を────」

「状況から察しろ! まだ分かんねぇのか、洗脳された二人が慌ててあの女を助けに入ってんだぞ!? それとももう洗脳されてんのか?」

 

 ……洗、脳?

 

「教えてやるよ。俺があんた達に目をつける前からずっと追っかけていた能力者候補の名前。おそらく洗脳系能力者で、10年間も俺を操っていた諸悪の根源。それが────」

 

 

 吐き捨てるように。

 

 私の手を引いてその場から離れようとする襲撃者は、二人に消火されている泉小夜を見て、そう言い捨てたのだった。

 

 

「あの悪魔みたいな女。弱った人の心に付け込み、信頼を得て服従させる能力者。それがアソコで無様に燃えてる、泉小夜って奴だよ」

 

 



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第二十話「復讐と慟哭」

 駅内部に併設された小さなファーストフード店には、テーブル席は少ない。

 

 いつも大入りの客でごった返しているので、座席を確保するのは至難の業である。

 

 だが、それは帰宅ラッシュの時間まで。午後9時を回り、電車の座席に空席が出来る頃になるとポツポツと空いたテーブルが出てくる。

 

「任務ご苦労、ブン子。さて、報告会の時間だ」

「……ええ」

「ブン子ちゃん、どうしましたの? なんだか機嫌が悪いですわよ」

「ハムッ……ハフッハフッ、ハフッ……」

 

 私は逃げ出した後に(タク)先輩と連絡を取り、この店で待ち合わせをすることになった。死に戻る前に情報共有をしたいらしい。

 

 ついでとばかりに舞島(マイ)先輩も呼び出され、4人揃って今に至る。襲撃者……そういえば名前を聞いていない私を助けてくれた男は、山盛りのチーズバーガーを嬉しそうに頬張っている。そっとしておこう。

 

「で、単刀直入に聞く。何か新しい情報はあるかブン子」

「……そうですね。泉小夜が敵側の能力者だった、というのはご存知でしたか?」

「ああ。それは昨夜、そこでハンバーガー貪ってる馬鹿から聞いた。その情報は確定なのか?」

「ほぼ確定みたいです」

 

 そう言って、奢って貰った(時間が戻るのでノーカウント)コーヒーをグイと飲み干した後。私は、簡単に先ほどヤクザに襲われてから泉小夜に助けられるまでの経緯を説明した。

 

 あの時は気がつかなかったが、よくよく考えれば今日の泉は不可解な点が多かった。遭遇率といい、私を助けに入るタイミングといい、泉が狙い澄ましていたかのようなタイミングだった。

 

 全てはマッチポンプだったという訳だ。

 

「はーん。聞く限りじゃ洗脳の条件は『信頼してもらうこと』あたりかね? 割と良い情報持ってきたじゃないかブン子」

「……可能性は高いですわ。他人からの好意は、精神系能力の良い餌ですもの。成る程、それであの娘は妙に私達を避けていたんですね。奇特部だなんて怪しい集団、ヤクザ側なら調べに来ますわ」

「自分の正体がバレたら、絶対に洗脳出来なくなる。自分は遠い位置で探らないといけない。だから近寄ってこなかったのか」

 

 恐ろしい話だ。あともう少しあのまま流されていたら、私もあちら側になっていた。

 

 それにしても『好意は精神系能力の良い餌』か。それは嫌というほど思い知っている。実に納得できる言葉だ。

 

「他に何か、情報はないか。特にマリキューが洗脳された時間帯に繋がる情報だ」

「わかりませんわね。昨夜、彼女は病院で入院しておりましたので……。あの病院の面会時間は確か、夜8時迄だったはずですわ」

「だったらもう24時間過ぎてるな」

 

 そうだ。昨日マリは入院していた、もし彼女が泉に洗脳されたとすれば面会時間内の可能性が高い。面会時間を過ぎて病院での洗脳は、敷居が高いだろう。

 

 あれ? じゃあ間に合わなくないか?

 

「……もし間に合わなくて、マリが救出不可能だったらどうするんですか」

「そりゃ、もう仕方ねぇよ。マイに洗脳上書きをして貰……って、オイ!」

「今すぐ死んで確かめてこい……、まだ間に合うかも知れないだろ……っ!」

 

 咄嗟に手が伸び、私は柊先輩の首筋を締め上げようとした。

 

 何をノンビリしているんだこの男は。マリが助からなくなるかも知れないというのに、何故こんなゆっくり時間を割いて話し合いなんかしている。

 

「待て、待てってばブン子! 予知能力者が敵にいたら、安易に自殺すると俺が『詰む』んだよ! ちょっとは慎重にやらせろ馬鹿!」

「うるさい。そもそも電話上でさっと情報共有すれば良かったでしょ。何でワザワザ集めたのよ」

「電話みたいな音声だけの情報共有とか怖すぎるわ、この前それで騙されたばっかじゃねーか。それに死に戻りってのは慎重に慎重を重ねてやるもんなの。自殺する時は毎回こうやって石橋を叩き、『詰み』がないのを確認してから戻るべきなの」

「……タクがそう言うなら、そうなんでしょうね」

 

 まったく、憎たらしい事この上ない。

 

 この男は、マリを助けられる可能性を削って自分の安全を確保している。いくら私が時空系能力の専門外だからといって、そこまで慎重にやる必要はないと思うのだが。

 

 そんなもん、一度死んでから考えろよ。

 

「ぷはぁ、食った食った」

「で? お前は他に何か知らねぇの? 少なくとも安西さんに話した情報は全部話せ」 

「もう大体話した」

「私も同じですわ」

「そうか。ふむ……」

 

 そんな自分の身が可愛くて仕方ない柊先輩は、皆の話を聞き終わると両手を組んで考え込み始めた。良いからとっとと死ねよ。

 

 私にとっての『詰み』は、マリを救えなくなる事だ。いっそのこと、隙を突いて今殺ってしまおうか。

 

「ふむ。情報の整理が終わった。それじゃ、俺そろそろ行くわ」

「タク、頑張ってくださいまし。昨夜の今頃でしたら、私はまだ起きていましたわ。連絡をくださいまし」

「……マリを、お願いしますよ」

「ま、やれるだけやってみるよ」

 

 そして、柊先輩はやっと重い腰を上げた。地面に置いたカバンの中から、黒光りするハンドガンを手に持って額に構える。ふぅ、ひと安心だ。

 

 昨日の私は、今何をしていたっけ。寝る前の読書でもしていただろうか?

 

 だが何をしていても、マリの危機とあっては即座に行動するだろう。私が死にかけてまで手に入れた情報は役に立つだろうか。

 

 泉小夜を信じるな。この一言をマリにメールするだけで、状況は大分変わるはずだ。マリの命運を柊先輩に託すしかないのが癪だが、ここは彼を信じるしかない。

 

 ……お願いだから、なんとかマリを……。

 

 

 

 

 パン、と間抜けな音がして。

 

 柊先輩の持っていた銃から、糸で結ばれた万国旗が飛び出した。おもちゃの銃のようだ。

 

 

 

「……」

「あれ? 滑ったかな」

 

 この男、何をやっているんだ。まさか、今のはギャグのつもりだったのか? 

 

「タク……。いえ、何も言いませんわ。早く為すべきことをしてくださいませ」

「ちぇー、みんな遊び心を介さないなぁ」

 

 そう言ってヘラヘラ笑う柊先輩に、殺意が沸く。

 

 一刻も争う状況だと、この男もわかっているだろう。何をふざけているんだ。何がしたいんだ。

 

 そもそも、わざわざ集合をかけてまで情報共有する必要なんてあったのか? さっきからずっと、時間を無駄に浪費したがっているとしか思えない────。

 

 

 

 そこで、私は気づいた。

 

 ……奇特部の面々を一纏めにして時間稼ぎをする意味ってなんだ?

 

 既にマリは、敵の手に落ちた。奇特部メンバーの情報は、全て敵に筒抜けだ。

 

 だとすれば、ヤクザが次に洗脳しようとするのは誰だ?

 

 マリの呼び出しに簡単に応じるだろう、奇特部の最大戦力は誰だ?

 

 

 

 

 

 ドサリ。

 

 ひたすら黙々と、ハンバーガーを食べ続けていた馬鹿が寝息を立て始めた。何か薬でも盛られたかのように、全身の力が抜けて崩れるようにテーブルに突っ伏した。

 

「おいおい、こんなところで寝たら風邪引くぞ」

「……妙ですわね。さっきまで元気に喋っていらしたのに……」

 

 ああ、不審だ。幼児じゃないんだから、こんな時間に寝落ちするなんてありえないだろ。

 

 だとすれば、何だ。ハンバーガーに何か入っていたのか? この店に仕掛けがあるのか? この店を指定したのは誰だ?

 

 ────それは、柊先輩だ。

 

 

 

 

 敵ならば殺せば良い。私はそう、直感的に判断した。

 

 いずれにせよ、柊先輩は自殺する予定なのだ。私の勘違いなら、生き返った柊先輩は『とっとと死ね』と私がしびれを切らしたと判断するだろう。

 

 だから私は。無防備に眠りこけている復讐者に注意を向けた、柊先輩の首筋を締め上げた。

 

 

 

「……気ヅイたか」

 

 

 直後私のお腹に、凄まじい衝撃が通る。それは、私の鳩尾へのブローだった。

 

 痛みと反動で首筋を締め上げていた手が離れる。鈍痛で息が出来ず、前かがみになった私はそのまま柊先輩に蹴っ飛ばされた。

 

「タクッ!?」

「動クな」

 

 ああ、最悪だ。私の予想はあたっていた。

 

 変だと思ったのだ。柊先輩は何だかんだ言って、私を勧誘してくれたりマリを助けたりと間違いなく善人だった。いきなり、あんな冷酷なことを言い始めた時点で疑ってかかるべきだった。

 

 柊卓也はもう、ヤクザに敗北していた。今ここにいるのは、自我のない人形だ。

 

「薬を盛って寝かセタほうが、騒ぎになラナくて良かったんだが。……仕方あルマい」

「タク、貴方まさか……」

 

 舞島先輩も、彼の異変を察したらしい。……洗脳された(おかしくなった)柊先輩と一番会話したのは私だ。迂闊だ、私が気付くべきだった。

 

 こうなればもう、殺すしかない。

 

 洗脳される前の時間まで、柊先輩を殺して強制的に洗脳状態から戻す。幸いにも2対1だ、女二人とはいえ十分に勝機は……、いや舞島先輩は男だったか。

 

 何にせよ。公衆の面前故に仲裁が入ってしまう可能性があるが、ここで何とかして奴を殺し────

 

 

 

「しょうガナい。取り押サエろ」

「ハイ」

「ハイ」

「ハイ」

 

 柊先輩の一声で、周囲の客や従業員が一斉に立ち上がった。

 

 ああ、そうだ。この店は、柊先輩が指定した店だった。昏睡した私たちを運ぶため、仲間を手配していて当然じゃないか。

 

 ここに呼び出された時点で、ここに座ってしまった時点でもう、

 

「もう詰んデルだよ、お前達ハ。抵抗すルナ、おとなしくしろ」

 

 その、柊先輩の冷たい言葉と共に。周囲で無関係を装っていたヤクザの手先どもが、私達に襲いかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご機嫌よう、なのですよー」

 

 あれから少し、気を失っていたらしい。

 

 少し間延びした不気味な声により覚醒した私は、夢うつつとしながら周囲を見渡す。

 

「お加減は如何ですかー? 痛いところはありませんかー?」

 

 暗い。

 

 ここは何処だろう。そうだ、確か私は拉致されたんだ。敵の手に落ちていた柊先輩に嵌められて、ファーストフード店で襲撃されたんだ。

 

「聞こえていますかー?」

「……ここ、は」

「おおー。意識が戻ったみたいですねー」

 

 少しずつ、目が慣れてくる。ここは、何処だ?

 

 暗いが、室内ではない。涼やかな風が吹き通っているし、環境音とでもいうのだろうか、水のさざめくような心地よい音が微かにに聞こえる。

 

 夜、か。そうか、今は深夜なんだ。だからこんなに暗いんだ。

 

 周囲を見渡そうとして、気が付く。体が、よく動かない。体幹の向きを変えられない。

 

 これは、縛られているのか?

 

「眠ったまんま楽に死なれちゃったら、私の腹の虫がおさまらないのですよー。しっかり目を開けやがれですー」

 

 

 

 

 

 いや。私は縛られちゃいない。埋められているんだ。何かの中に。

 

 うっすらと視界の端に映る、錆びた金属の淵。この体の周囲の生ぬるい感触、まさかこれはうわさに聞く伝説の……。

 

「今からいよいよ、お前はドラム缶の中にコンクリート詰めされるのですよー。ヤクザを怒らしたらどうなるか、思い知ると良いのですー」

 

 ……こんな昭和みたいな事をマジでやるのか、このご時世に。

 

 だが、これで状況が読み込めた。ここは、港なのだ。つまり、こいつらは今から私を、

 

「覚悟は良いですかー? 今から東京湾に沈めてあげるのですよー」

 

 沈めるつもりなのだ。

 

 本当に、ヤクザだったんだなコイツ。能力だの呪いだのであまりイメージしていなかったが、そういや普段から柊先輩とドンパチやってるんだっけ。

 

 コイツらのヤクザらしいところ、初めて見たかもしれん。

 

「……何か、余裕そうなのですねー。もっと取り乱しやがれー」

「あら。……そうね、私には失うものなんて何もないから」

「ふーん。空虚な人生送ってきたのですねー」

 

 そして、ようやく目が慣れてきたのか泉先輩が目に入った。

 

 体中に包帯を巻きつけ、話に聞くゾンビの様な出で立ちで、私の前で車椅子に座っていた。きっと火傷でまだ動けないのだろう。

 

「お前とあのくそやろーだけは、目の前で死ぬ瞬間を見ないと腹の虫がおさまらないのですー」

「私は悪くなくないですか? あの男だけにしましょうよ」

「お前も大概性格悪いのですねー」

 

 私は少し呆れられた。

 

「……聞こえてるぞ、ブン子お前」

「ちなみにあなたの後ろで、くそやろーは滅多打ちにされて塩辛みたいになっているのです。いい気味です」

「おや」

 

 視界に入っていないので気が付かなかった。どうやら私の後ろには、例の男がリンチされて横たわっているらしい。可哀想に。

 

「舞島君は、慈悲の心で眠らせたまま沈めてあげるのですよ。あまり騒いで、起こさないで上げてほしいのですー」

「貴方、マイ先輩に彼氏とられたから恨んでるんじゃなかったでしたっけ」

「あ、やっぱり起こすのです」

 

 む、しまった。余計なことを言ったか。

 

「糞女め、洗脳能力者め。お前を殺し損ねた事だけが無念だ……」

「お、悔しいですか? 悔しいですよね? 残念、ヤクザにとって銃撃なんて日常茶飯事なのです。防弾装備くらいは仕込んでいるのですよ、おほほほ」

「防火もしといた方が良いんじゃねぇか? まだ髪の毛がチリチリになってるぜ」

「道端で火を放つキチガイなんてお前くらいなのですよー」

 

 背後から、震えた声で泉を煽る男の声がする。直後、殴る蹴るといった凄まじい暴行の音が鳴り響いた。

 

 私からは見えないだけで、まだ後ろには沢山ヤクザがいるらしい。襲撃男のうめき声が、夜の闇に木霊する。

 

「おほほほほ。いい気味なのです」

「黙れ、この性悪女……。いや、悪魔め。人の人生を何だと思ってやがる……」

「私が進むのは私の人生だけなのですよ。他人の人生なんぞ知った事ではないのです」

 

 その男の怨嗟の声は、またすぐ暴行音によってかき消される。それでもなお、男は口を開けば泉を怨嗟する。

 

 ……私も、殴られ蹴られるのを覚悟で煽ってやろうか。マリを、こんな人間の手先にされるのは我慢できない。

 

「貴方の親の顔が見てみたいわ。貴方を生んだ親ってのは、そりゃろくでもない奴だったんでしょうね」

「ん、親? 今、私の親を馬鹿にしましたかー?」

「したけれど?」

 

 私がかつて奪った不良共の記憶に、煽りの基本として『親を煽れ』と刻まれていた。親が族上がりで親を尊敬してる奴や小さいころ親が死んでいる奴は、すぐ挑発に乗るそうだ。

 

 さて、泉小夜は。私の挑発に目を丸くした後、何故か大声で笑い始めた。

 

「あっはっはっはっは!! 傑作、なのですよ!」

「何がおかしいのかしら」

「いやだって、だって! 私の親は本当にろくでもない奴ですからね! 全く、同意なのですよー」

 

 だが、しかし。私の決死の挑発は、不発に終わったらしい。泉は心の底から愉快そうに、腹を抱えて笑い出した。

 

「私の両親はー、銀行強盗して捕まった後に自殺しちゃったのですよー。カスですねー」

 

 くすくす。泉は心底楽しそうに、自分の親をけなし始めた。

 

「私の姉は、風俗嬢なのですー。国のお偉いさんのプレーに耐え切れず、膣が破裂して発狂死しちゃいましたー。血がつながっているのが恥ずかしいですねー」

 

 私の後ろで、息を呑む音がする。それに構わず、泉はニヤニヤと笑いながら話を続けた。

 

「私の兄はー、ヤクザの下っ端でー。あろうことか、世話になった組を裏切り復讐と称して暴れまわっているのですよー。その挙句、捕まって海に沈められるのですー」

 

 それは、満面の笑みだ。醜悪に顔を歪ませながら、嬉しそうに泉は私の背後へと車椅子を漕ぎ進めた。

 

「カスですよねー、お兄ちゃん?」

「お前っ……。ミサ、なのか?」

 

 

 

 泉小夜の機嫌は、一気によくなった。何かを話すのが楽しくて楽しくてしょうがない、そんな表情だ。

 

 後ろからは当惑した声がする。何かに気付いて、それを認めたくないような、必死の声だ。

 

 

 

 

 

「お前、は……。違う、ミサは、お前じゃない。そんなことがあるもんか!」

「まぁ、でも今のは全部……」

 

 だが今の話は、聞いたことがあった。

 

 そうだ。確かこの復讐者の家族の末路だった筈だ。たしか、彼の家族は全員死んだのではなかったか。いや、確か彼の妹は────、よく似たAV女優が死んだだけ、だったっけか。

 

 だとすれば。彼を10年以上操って、家族を破滅に追いやった張本人は、つまり。

 

「ぜーんぶ、私の命令で死んじゃったのですけどねー。ミサ、反省なのですー」

「お前。お前えええええええ!!」

 

 夜空に、絶叫が響く。この世の負の感情全てを煮しめた様な、醜悪な慟哭が響く。

 

 実の妹だったのだ。家族全てを失ったと思っていた復讐者にとってたった一人の生き残った肉親。そして、彼の全てを奪い去った憎むべき復讐対象。

 

 それが、泉小夜だったのだ。

 

「能力に目覚めるのが早くてよかったのですよー。利用価値があると思われたから、私もヤクザの仲間に入れてもらったのですー。目覚めるのが遅ければ、お兄ちゃんみたいになっていたかもしれませんねー」

「何でだ! 何で、俺達を、家族を!」

「組の命令に逆らえば、洗脳されて一生奴隷なのですよー。でも、家族を差し出すだけでヤクザの幹部になれるなら、従いますよねー?」

「お前っ……、それで売ったのか!? それで俺達を、俺の一生をヤクザに売り飛ばしたのか!?」

「能力サマサマなのですよー。実の兄に燃やされるまでは、大した怪我もせず順風満帆に生きてこられたのですから―」

 

 私の背で、暴行の音が激しくなる。あの男は、いっそう激しく暴れているらしい。

 

「言ったでしょう? 私が進むのは私の人生だけなのですよ。他人の人生なんぞ知った事ではないのです」

 

 そして、その言葉と共に音が急に止む。男はやがて、糸の切れた人形のように動かなくなったらしい。

 

「あっはっはっはっは!! なんて顔をしているのですかー」

「……」

「ひ、ひひひー。笑った、笑ったです。少しは腹の虫も収まったと言うものですー」

 

 絶望したのだ。死ぬ間際に、知りたくなかった真実を知ってしまい、復讐者は絶望してしまったのだ。

 

「さて、と。これ以上弄っても、面白い反応は帰ってきそうにないですね。じゃ、沈めますか」

「……」

「あ、そーだ、舞島君を起こさないといけないのでー。おーい、舞島君? ご機嫌如何ですかー?」

 

 そして、いよいよ。私の死の時間が迫ってきたらしい。

 

 死ぬのはあまり怖くない。いや、何処かで『私が生きていてもいいのか』という負い目を持ち続けてきたのだ。無念なのは、マリを助けられなかったことだけ。

 

「あら、私は……一体……」

「お目覚めですかー? 舞島君」

 

 せめて、苦しまないよう一息に溺れよう。変に粘ったりせず、さっさと水を飲み込んで酸欠で気絶しよう。

 

 ごめんなさい、マリ。私、結局あなたを助けられなかった────

 

「……そこにいらっしゃるのは泉さんですの? 申し訳ありません、前髪が垂れて前が良く見えませんの……」

「はい、私は泉小夜なのですよー。偽名ですけどー、ふふふ」

「少し、髪を挙げていただけませんか?」

「良いですよー」

 

 私の左側から、寝ぼけた舞島先輩の声がする。彼も目が覚めてしまったらしい。

 

 泉が何やら、舞島先輩の髪を掴み上げているのが横目で見えて、

 

 

 

 ────舞島は、首を素早く振り乱し。彼が常に身に着けていた金髪の付け髪(ウィッグ)を振り払った。

 

 

 

「……はい?」

「ねぇ、泉さん……」

 

 

 突然、聞き覚えのない声がする。

 

 それは、甘ったるくて耳の奥からしびれるような、心地よい天の福音だった。

 

 左を向きたい。誰の声だ、コれは。コンクリートが邪魔だ、上手く視界にとラエられない────。

 

「ブン子は、正面だけを見据えて校歌でも歌っていて。でも、泉さんはダメ。僕と向かい合って、お話して欲しいんだ」

 

 その声は、私に命令を下しタ。『前を向いて校歌を歌え』と。

 

 逆らっテはいケない。私は素直に、正面を見据えて校歌を歌い始めた。左隣から聞こえテくる心地よい美声に酔いしれながら。

 

 

 

「ねぇ泉さん、お願い。僕を、助けて?」

「……っ!!」

 

 

 

 そして。甘える様な母性をくスぐるその声が、私の快楽中枢を直撃した。

 



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第二十一話「兄妹」

 傾国、と言う言葉がある。

 

 その称号は、たった一人の『美貌、魅力』によって国の行く先すらねじ曲げてしまう存在に与えられた。太古の昔より、超人的な魅力だけで歴史を動かしてきた人間の逸話は世界各国にありふれている。

 

 そして彼もまた、「傾国」と称される存在だった。

 

 

 

 

 

 

 その少年が物心ついた時には、父親は居なかった。兄妹もおらず、母親と二人質素に暮らしていた。

 

 決して恵まれているとは言い難い家庭環境ではあったが、幸福なことにその少年は母からは溺愛されて育った。だから、彼が愛に飢えるような事はなかった。

 

 その少年が人生で最も幸せだった時期はいつかと聞かれたら、間違いなくこの幼少期と述べるだろう。彼とその母親は、貧しいながらも仲睦まじく暮らしていた。

 

 

 少年が自らの異常性に気付き始めたのは、小学校に入ってからだ。子供が性別の差を自覚し始めるのが、この頃からだからである。

 

 特に、女子という生き物は性差を意識するのが早かった。元々小学生において精神的な成長は女子の方が早く、しかも少女マンガや女児向けアニメですぐさま恋と言う概念を得ることが出来るのだ。

 

 そして、その少年は自覚した。自分は、非常に異性から好かれやすい人間なのだと。

 

 彼が入学して、半年経った頃には。既にクラスの女子全員から、愛の告白を受けたのだから。

 

 

 

 

 最初は、調子に乗った。付き合う、なんて事の意味を理解していなかった彼は、軽い気持ちで可愛い女の子を選んでは付き合った。

 

 女子達は、少年が何を言っても喜んで従った。惚れたら負け、惚れられた方が一方的に命令を下せる、それが恋愛なのかと少年は歪みきった理解をし始めていた。

 

 ────そして。クラスの女子の一人が倒れ、入院するまで彼の暴虐は続いた。

 

 入院した娘は、少年のお気に入りの娘だった。毎日のように話しかけ、仲良くしていたつもりだった。何か病気にでもかかったのか、と心配になった彼は仲の良い女子を誘って見舞いにいった。

 

 そこで、彼が見たものは。面会謝絶と書かれた立て札と、半狂乱になって彼に近付こうとする女の子の狂いきった成れの果てだった。

 

 流暢な言語すら失い、カタコトのままその女子は彼に近付いてこう言った。

 

「キョウ、は、ナニをナサイ、まスカ、マイジマ様」

 

 それは、誰が見てもわかる、単なる壊れた人の姿だった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は、それを自分のせいだと認めなかった。自分と共に過ごしたから彼女が狂った、等と言う残酷な事実は受け入れなかったのだ。

 

 それから数年とたたない間にまた一人、一人と彼のお気に入りの女子は壊れていって。やがてクラスから女子が半減し、彼の周りに居る女子も残り数人となった時。

 

「2度とウチの娘に近付くな!」

 

 残った壊れかけの女生徒の父親に殴られ、彼はようやく自己の非を認めた。

 

 薄々感づいていて、そして認めたくなかった事実を認めた。少年は今まで、多くの人間を壊してきたのだと。

 

 

 

 

 

 

 

「ノブヒコ、貴方は悪くないわ」

 

 そんな彼の味方は、母親だけだった。罪を自覚した舞島信彦は学校に通うのをやめ、自宅に引きこもった。

 

 怖かったのだ。何でも言うことを聞く女性が。

 

 人は簡単に壊れてしまうと知った幼い舞島少年は、誰も壊さないために誰とも会わなくなった。それは、彼なりの良心の呵責だったのかもしれない。

 

 そして、気付く。おかしなことに、家から出ず誰にも会わなくなった生活となった彼は、全く寂しくなんかなかったのだ。

 

 彼は不登校となった後も、普段と変わらぬ精神的コンディションを維持できた。それはつまり、

 

 

 ────少年は、今まで人と話してなんか居なかった。ずっと自分の意見を肯定してくれるだけの、人形と話していたのだ。

 

 生きた人間を使った人形遊びをして居ただけの彼は、いざ他人に会えなくなっても寂しくなかったのだ。

 

 

 それを自覚した少年は、一人で吐いた。

 

 

 

 

 

「ノブヒコはそのままで良いのよ。貴方には、貴方の素晴らしさがあるんだから」

 

 そんな彼が、唯一話をする相手。それは彼の実母だった。

 

 舞島家は決して裕福な家ではない。だから彼の母は、常に内職やパートを掛け持ちして息子を育てて来た。

 

 舞島信彦に取って、母親は唯一の癒しだった。いくら話しても、いくら甘えても、母親だけは壊れなかったから。

 

 母親は、異性たり得ない。同様に、母親からしても息子は異性たり得ないのだ。だから彼の母親は、壊れずに来れたのだ。

 

 人形(ともだち)を失った舞島少年は、母親の稼いだお金を食い潰し、母親に甘えて生きていくだけの穀潰しだった。そんな彼にすら、母親は今まで通り優しく接し続けた。それが、どれだけ少年にとって支えだっただろう。

 

 

 

 

 次に彼が気付いたのは、母親の身体の異常だった。無理に無理を重ねて仕事を掛け持ちしていた彼の母親の身体は、とうとう悲鳴をあげて動けなくなったのだ。

 

 少年は狼狽し、心配した。母親が彼にとっての、全てだったから。

 

 だがそんなボロボロの状態でなお、彼の母は膝を震わせながら仕事を続けようとした。その狂気染みた執念に動揺し、舞島少年は母親に休むよう『命令』した。

 

 命令、してしまったのだ。

 

「わかりました……」

 

 すると彼の母親は、その命令を二つ返事で了承した。仕事をする事に異常な執念を見せていたにも関わらず、である。

 

 ニコニコといつもの優しい微笑みを浮かべ、彼の母親は仕事を休んでしまった。それは、つまり。

 

 

 

 ────彼の母親も、とっくに人形だったのだ。舞島少年が物心ついた時には彼女は壊れすぎていて、少年が気付けなかっただけである。

 

 母親になる年齢まで生きた彼女は、子供と違って壊れ切ってもなお流暢な言語を失わなかった。だから、壊れていないように見えた。それだけの話である。

 

 

 彼は、その事実に気付いて発狂した。今の今までずっと、家族だと思っていた相手は人形だったのだ。自分の意見を肯定するだけの、意思のない肉の塊だったのだ。

 

 怖くなった。死にたくなった。逃げ出したくなった。関わりたくないと思った。

 

 そんな舞島少年は、感情のまま叫んでしまった。

 

 

「2度と僕に近付くな!!」

 

 

 

 

 

 

 こうして、舞島少年はたった一人の肉親を失った。

 

 母親は、律儀に彼の命令を守った。幼い息子を置いて遠く離れた場所に居を構え、移り住んだ。そして舞島少年の姿を視界の端に捉えると、一目散に逃げ出した。

 

 彼は、自分を生んだたった一人の肉親とすら話せなくなったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな彼が高校に入学し、安西響子のいう女生徒に救われるのは別のお話。彼女の指導により彼は自身の能力を律する手段を手に入れ、そしてタクという対等に話し合える親友を得たのだった。

 

 つまり。

 

 彼の存在を一言で表せば、舞島信彦は究極の『女性キラー』だ。特別な条件を満たさずとも、姿を見せるだけで女性を虜にしてしまう最凶の洗脳能力者。彼の能力は強力すぎるがゆえに、その有害さもまた一際である。

 

 そんな彼が安西女史の指導の下、自らの能力と戦うために選んだのは『女装し、更に女性から嫌われるタイプの女子を演じる』事だった。お嬢様口調の高慢な女子を演じる事で、彼は女子から多大な嫌悪を獲得することに成功し、ついに普通に生活することが可能になった。

 

 ただし、女装した弊害で男子に対し微妙な魅了効果を発揮しているが。その男子への魅了は笑える程度の影響なので、彼は学校に通ったまま他人から距離を置き続ける方針にした。

 

 そして舞島はタクと共に根も葉もない悪い噂を流し、今もなおクラスで孤立している。たとえ孤立しようとも、隣に「タク」という親友がいる事だけで彼は幸せだった。

 

 その彼の能力は強力無比。殆どの女性は話しかけられるだけで脳が蕩けるし、顔を正面から見て甘えられたら理性など吹っ飛ぶだろう。

 

 人類の約半分、女性に生まれた人間に対し無敵となる能力。その凶悪な能力は奇特部に限らず、その後ろ楯である能力者互助組合全体を含めてもなお「洗脳系最強」の能力者と評されている。

 

 そして実は彼こそが、奇特部の最大戦力だった。問題無用に女性を洗脳出来る、神の様な存在。

 

 彼が表立って戦わずタクにヤクザとの抗争を任せきりにしているのは、そんな彼の能力を隠蔽するのが主目的なのである。一応、ヤクザに『男』が多いことも理由ではあるが。

 

 

「ねぇ泉さん、お願い。僕を、助けて?」

「……っ!!」

 

 

 そんな彼の顔を、泉小夜は正面から見てしまった。

 

 甘い声で耳をくすぐられながら、誘われるように話しかけられてしまった。一般人なら、もう気を失っていてもおかしくないだろう。目の前にいる舞島という少年は、全ての女性の天敵なのだ。

 

 不敵に笑っていた泉小夜のその目から、光が徐々に消え始める。無言となり、ガクガクと膝を震わせながら痙攣し始め────

 

 

 泉小夜は、咄嗟にドラム缶に頭を打ち付けた。

 

 

「ふんっ!! なのっ!! ですっ!!」

 

 

 舞島信彦は困惑する。素顔を見せてなお、女性が命令に従わなかったことなんて『殆ど』無かったからだ。

 

「……何をしているのかな、可愛い泉さ────」

「黙りやがれこんちくしょー! 危なかった、危なかったのです……」

 

 即座に。泉小夜は舞島の手で口を塞ぎ、続けて何度も何度も頭をドラム缶で強打した。

 

 それは、抵抗。目を閉じ舞島の口を塞ぎ、そして洗脳した奴隷に向かって叫ぶ。

 

「舞島サマ────じゃなくて、このくそやろーの顔にバケツをかけてくださいなのです! こいつ、ヤベー奴なのです!」

「了解しマシた」

 

 泉小夜は、洗脳能力者だ。

 

 精神系の能力者は、同じく精神系の能力に対し強い耐性を持つ。

 

 いかに舞島信彦が強力な能力者とはいえ。僅か数秒間見つめあっただけでは泉小夜を籠絡するには足りなった。

 

 

 やがて舞島信彦は頭からバケツを被せられ、そのバケツにはお馬鹿な顔の落書きが描かれる。バケツで肝心の顔を隠されたことにより、舞島の能力はほぼ無力化されてしまった。

 

 奇特部勢の最後の逆転の目は、こうして潰えたのだった。

 

「────はっ!? 私は今まで何を!?」

「あー、ブン子ちゃん? ごめんなさい、失敗しましたわ」

「今さっき、何だかとんでもなく幸せな声が聞こえてきたような……」

「それは忘れてくださいまし。あー、そうですか、そういうことですのね」

 

 舞島信彦は、薄く笑う。強力すぎて散々扱いに困った能力だというのに、最期の最期に「能力不足」で命を落とすことになろうとは。絶対優位のはずの「女性」に効かなかった事で、彼は自嘲したのだ。

 

 そして、彼はもう一つ重要な事実に気付いていた。こうなったらどうあがいても助からないという自己の運命を悟った上で、今の状況に小さな小さな救いを見出したのだった。

 

 舞島信彦が殆ど経験したことの無い、貴重な『女性に能力が効かなかった』ケース。それは、

 

「お、おぼえとけーなのです……。本気でヤバかったのですよ、今のは……。死ぬ前になぶり殺しにしてやるーとか考えたけれど、殴る蹴るの最中にバケツが零れて洗脳されるのも怖いのです……ぐぬぬ」

「ねぇ、泉さん」

「何ですかー? あ、次にさっきみたいな気持ち悪い声出したら、即座に射殺してやるのですー」

「いえ、大したことではありませんわ。……貴女も、被害者だったのですね」

 

 舞島の言葉に、泉小夜はキョトンとする。何を言っているのか、まるで理解できない様子だ。

 

 呆然と舞島の言葉を聞いている泉小夜に、最強の洗脳能力者は告げた。

 

「貴女は、意識が残るタイプの洗脳を受けていますわね。行動理念や道徳観などを操作され、ヤクザの駒にされておいでですわ」

「……はっ、馬鹿を言うなですー。私はきちんと、自分の意志で、」

「先ほど『僕』と見つめあったあの時。貴女の見せたあの反応は、洗脳に抵抗する能力者のものではありません。そもそも、正気の女性が『僕』に声を掛けられて抵抗できるわけがありませんから」

 

 確信をもって話す舞島の話を聞き、泉小夜の額に小さな汗が滴る。それは「まさかそんな」という疑心と焦りだ。

 

「私、あの反応は何度も見たことがありますもの。『洗脳された人間を上書きして洗脳する』時、先ほどの貴女の如く、目から光が消え無言となり痙攣し始めるのですわ」

「デタラメを言うな、なのです。私は、最初からずっと」

「そうでなければ、おかしいですもの。そもそも『能力者』である貴女が本当に正気であるなら、さっきの様な言葉が出てくるはずがありませんし」

 

 舞島信彦は、涙をこぼした。目の前で自らを殺そうと君臨する、一人の少女を想って泣いた。

 

「能力者が、自らの能力が発現した事を喜ぶなんてありえませんの。『能力サマサマ』なんて、正気の能力者に言える訳ありませんわ」

 

 洗脳され、利用され、家族全てを自ら殺す羽目になった哀れな少女を想って。舞島信彦は、人生最期の涙をこぼしたのだった。

 

「聞いていますか、襲撃者さん。貴方の妹は外道などではありません。ヤクザに利用された哀れな被害者にすぎませんの」

「……今の話は本当なんだな、洗脳能力者」

「ええ、神に誓って嘘などついておりません」

 

 泣いたのは、舞島一人ではない。妹に裏切られ、人生全てを否定されたかに感じて絶望の淵にいた復讐者もまた、大粒の涙を目に浮かべていた。

 

「そうだよな。何で信じてやれなかったんだ。ミサはそんな奴じゃ無かったって、俺はよく知ってたじゃねぇか」

「黙れですー、根も葉もない不快な妄想を、私の前で繰り広げるな―」

「アイツはなぁ。俺が部活から帰ってくるとな、ニコニコ笑いながら水を汲んできてくれるんだ。『喉が渇いていたんだ、ありがとう』って一度誉めたらさ、部活から帰ってくるたびに汲んできてくれるようになった。優しい女の子なんだ、ミサは」

「うるさいのです、うるさいのです」

「屈託のない笑顔が可愛い、自慢の妹だった。こんな醜悪な笑い方を擦る奴じゃなかった。そっか、お前はまだ捕らえられているんだな。いち早く解放された俺と違って、まだそこで助けを待ってるんだな」

 

 殴る、蹴る。男が妹を想って涙を流し、その妹の命令で男は蹂躙される。

 

 顔面を赤く腫らし、目玉は潰れて落ち窪み、頬骨は砕け鼻骨は割れ、四肢はあらぬ方向に折れ曲がっている。そんかいつ死んでもおかしくないような重傷を負いながら、男は笑顔を浮かべていた。

 

 男の声が、皴がれて。鼻血鼻水、涙に唾液でぐちゃぐちゃになりながら、男は泉小夜に向けて叫んだ。

 

「頼りない兄貴ですまん! 勘違いして襲ってすまん! お前を助けてやれないダメ兄貴ですまん!」

「納得するな! 私は正気なのです、お前らの言うたわけた妄想で、勝手に被害者に仕立て上げるななのです!」

「俺は兄貴失格だ! お前に対してしてやれることは何もない。だけどさ、一言だけ言わせてくれミサ」

 

 叫ぶ男に、再び殴る蹴るの暴行が襲う。血を分けた肉親たる泉小夜の命令により、手加減を知らぬ人形たちに袋叩きにされながら、それでもなお男は叫ぶのをやめなかった。

 

「たとえお前に殺されたって! 俺はお前を愛しているぞミサ!」

「うざいのです! このままリンチにリンチを重ねて、苦痛の中で死ね勘違い男!」

「大好きだミサ! だから、だからよぉ」

 

 男が、どんどん弱りゆく。命の灯が消えていく。そんな彼は残りの力を振り絞るように、泉小夜に向けて言葉を残した。

 

 

 

「もし正気に戻っても、俺を殺したことなんか気にせずさ。俺の分まで、生きてくれよ……」

「死ね! 苦しみの果てに死ね、糞兄貴!!」

 

 

 

 

 

 

 少女が絶叫する。丁寧な口調を投げ捨て、何かに怯えるように泉小夜は人形に男の身体を打ち据えさせた。

 

 やがて、致命の一撃が男を襲う。人形が彼の顔面を地面へと叩きつけ、衝撃で頭蓋骨が大きく陥没する。

 

 コポリ、とグロテスクな水音が鳴り、男は血反吐を撒き散らして。それを皮切りに、男は小刻みな痙攣をして、やがて動かなくなった。

 

 男は喋らない。もう二度と話せない。彼は妹に僅かな遺言を残したきり、その短く哀れな人生を終幕した。

 

「ああ、不快。なんて不快な男だったのでしょー……」

 

 そう言って眉をひそめ、忌々しげに男の死体を蹴り飛ばす泉小夜の目からは。

 

 

 

 ────確かに、一筋の涙が零れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、不快。なんて不快な男だったのでしょー……」

 

 私からは、何も見えなかった。執拗なまでの暴行音と、半狂乱の泉小夜の絶叫と、無様な男の愛の叫びだけが背中越しに聞こえていた。

 

 能力は、必ず自らを不幸にする。それは、私達であろうとヤクザであろうと、きっと変わらないのだろう。

 

 舞島先輩の話が本当なら、今この場で一番不幸なのは彼女だ。自分の意思をねじ曲げられ、たった一人の肉親をなぶり殺しにしてしまう。それは、どれだけ辛いことなのか。

 

「あー気持ち悪い。鳥肌が立ったのです、お前達、この男の死体をさっさとドラム缶に詰めるのですよ」

「了解シマシタ」

「それで、いよいよフィナーレなのです。今からこのくそやろー共をコンクリに沈めて殺すのですよ、各自用意をするのですー」

 

 そして着々と、私たちの処刑の準備が進んでいく。どうすれば、この結末を回避できたのだろう。せめてマリだけでも助けることはできなかっただろうか。

 

 悔しい。ヤクザ共に良い様にされ、親友を奪われ、そして死ぬ。しかも、目の前にいるのは敵ではなくただの被害者ときた。これじゃ、隙をついて噛みついたところで復讐にすらならない。

 

 そうか。私も死ぬのか。とうとう、死ぬのか。

 

 ヌッ、と大きなバケツを持った人間が私の前に立つ。なみなみと柔らかなコンクリで満たされたそのバケツを見て、私はいよいよ覚悟を決めた。

 

「そっか。マリ、貴女が私を殺すのね」

 

 私に死を下す人間は、幸いなことにマリだった。私が死ぬ直前に見る顔は、彼女の顔なのだ。

 

 ああ、よかった。

 

「はやくそのくそやろーを放り込むのです。死んでるから楽でしょう? もう、他の二人の準備は済んでいるのですよー」

 

 そんな間の抜けた声と共に、ガコンと大きな音がする。おそらく、あの男の死体がドラム缶に投げ込まれたのだろう。

 

 これでいよいよ、死の時間だ。

 

「んふふー、色々疲れたのですー。これでやっと、お仕事終了なのですよー」

 

 私はマリの顔を見上げる。無表情で、目に光がない。普段の快活さは身を潜め、無機質な印象を受ける。せっかくかわいらしいマリが、これでは台無しだ。

 

 だから、私は。せめて最期に、彼女に満面の笑顔を向けた。能力の都合上、決して彼女に見せることが出来なかった、私の笑顔を。

 

「……ありがとう、マリ」

「さぁ、バケツを上げるのですよー」

 

 その、泉小夜の命令を皮切りに。無言のまま、ガクガクと痙攣しながら、弓須マリは不気味にバケツを持ちあげた。

 

 そんな彼女の無残な姿に、嘆息をこぼしながら。私は目を閉じ、彼女に最期の言葉を告げた。

 

「愛していたわ」

 

 その、直後。私の口は生暖かい何かに塞がれ、息が出来なくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……は? 何を、しているのですかー?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何が、起きている。

 

 目を、開く。コンクリートは流されていない。ただ、目の前にはマリがいた。

 

 私の目と鼻の先に、彼女のきらやかな瞳があった。

 

「ん。ぅん……」

 

 口は、塞がれている。他でもない、彼女の唇によって。

 

 私を殺さんとバケツを持ちあげた弓須マリは、なんと私にキスをしていた。

 

 

 

 

 

「ちょ、何なのですー?」

 

 泉小夜の命令ではない。彼女の命令なら、あんなに呆けるはずもない。

 

 ならば、何だ。マリは、一体誰の命令で────

 

 

 

 

 彼女の、唇が私から離れる。

 

 唖然として、私はマリを見上げる。そこには、小悪魔な表情を浮かべた弓須マリが、唇に人差し指をあてたまま微笑んでいた。

 

 

「遅くなってごめんね、フミちゃん。確かに、返してもらったよ」

 

 

 そして彼女は、クルリと背を向ける。手に持っていたバケツを投げ捨て、悠然と泉小夜に向かい合った。

 

 それは、操られた人形の言動ではない。明確な意思を持った、人間の所作だ。

 

 ……戻っている。間違いない。

 

 彼女は、マリは、洗脳された状態から間違いなく正気に戻っている。

 

「……何ですかー。マリキューちゃん、自力で洗脳に抗ったのですかー?」

「そうみたい。……あはは、ミサさんだっけ? そんな泣き顔で凄んだって怖くないよ」

 

 そう言って、彼女は遠慮がちに笑った。その、慎ましく儚げな笑顔には見覚えがある。

 

 待て。まさか。そういや今さっき、彼女は何て言った? 『返してもらう』って何を返してもらったんだ?

 

 

 

 

 

 

 そして、私は自らの記憶をたどり。「マリのものだった」記憶だけが、根こそぎなくなっていることに気が付いた。

 

「あ、あ、あ────」

 

 つまり、それは。今の彼女は、弓須マリは────

 

 

「ミサさん。悪いんだけど私の親友を、殺させるわけにはいかないの。やっと、会えたんだから」

 

 

 私を知っている、記憶を失っていない、『私の親友(マリ)』だ。




3章最終話。
何故か正気に戻ったので、次回からマリキュー視点です。


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終章
終章プロローグ「目覚め」


 ────はぁ。これ、戦犯は私だよなぁ。あの世があるなら、皆に土下座しないと。

 

 

 泉小夜の命令に従い、妹に裏切られた復讐者の顔面を何度も踏みつけながら。弓須マリは、まんまと洗脳されてしまった自らの失策を自嘲していた。

 

 数日前。弓須マリは、豹変した最愛の恋人「ヒロシ」から、身を呈して助けてくれた「泉小夜」を信頼してしまう。そして泉小夜に心を許したその瞬間からずっと、弓須マリは彼女の操り人形となっていた。

 

 意識はあれど、体は動かせず。泉小夜の命令を淡々とこなすだけの存在、それが今の弓須マリだ。

 

 自分さえ敵の手に落ちなければ、柊卓也まで洗脳されることはなかっただろう。彼さえ正気なら、こんな状況に陥っても手はあった筈だ。襲撃者の存在に気付かなかった彼を『無能』と散々あざけっておいて、一番の無能は自分だったというオチである。

 

 彼女の命令に逆らえず弓須マリは無抵抗な男に暴行を加えながら、ただただ悔いていた。

 

 

 

 だが弓須マリは、気付かない。今の自分が、いかに特異な状況下に置かれているかに。

 

 本来ならば、泉小夜に洗脳された者に自意識など存在し無い。意識があるように見えていても、それは「普段通り振る舞え」と言う命令を忠実に実行しているだけだ。

 

 彼らはただの、操り人形である。だからこそ、襲撃者も洗脳されている間の記憶を全て失っていた。

 

 ところが、弓須マリには意識があった。洗脳下には変わりがないが、しっかりと自分の意識を保ち泉小夜の命令に従い続けていた。

 

 

 

 

 ────何がどうなってるんだろうね、これは。他の皆も同様に、意識はあれど体の自由がきかないのかな? 洗脳能力って悪辣だなぁ。

 

 

 泉の命令に逆らえる訳ではない。自由意思で行動できる訳ではない。ただ、意識があるだけである。

 

 弓須マリは泉の命令に淡々と従う自分を、ぼんやりと主観的に見つめる事ができるだけ。これなら、いっそのこと意思がない方が罪の意識にさいなまれない分楽だろう。

 

 

 そんな絶望に染まった彼女の頭の中に、誰かの声が響いた。

 

 

『お前の望みはなんだ?』

 

 

 聞いたことの無いような、何度も聞き続けたような、そんな誰かの声。

 

 これも、泉の洗脳能力の一種なのか? ならば下手に返事をしないほうが良いのか?

 

 ……いや。もうとっくに洗脳されていて、体の自由を奪われているのだ。たとえ洗脳能力の一種だとしても、これ以上悪い状態にはなりようもない。

 

 ならば、答えてやろう。

 

 

『お前の望みはなんだ?』

 

 

 私の『望み』か。そんなものは決まっている。私は、『個性的になりたい』んだ。誰もが私に目を奪われ、意識し、話しかけずにはいられない様な存在。平凡に生きるなんて、つまらないじゃないか。どうせなら私は、個性的になりたいんだ。

 

 そんな弓須マリの答えを聞き、頭の中に響く声色に嘲笑が混じった。

 

 

『それは、手段だろう。目的はなんだ?』

 

 

 頭の中の声は、なおも弓須マリに問い続ける。

 

 手段って、何だ。私の目的は、個性的になる事で間違いない。

 

 特別になりたいと願って、何が悪い。私は個性的になって、みんなに特別視されたいだけだ。

 

 そう、『あの人』が私に気付いてくれる様に────。

 

 

 

 

 待て。あの人って、誰だ?

 

 

 

 ────思い、出せない。

 

 何か大切なことを、忘れている気がする。

 

 絶対に忘れちゃいけない何かが、失われている気がする。

 

 

『そうだ、思い出せ。頼むから、思い出してくれ』

 

 

 ……でもまぁ、良いや。思い出せないものは仕方がない。

 

 そのうち思い出すだろう。だから今は、そんな曖昧なモノは放っておいて。

 

 ────私は個性的に生きよう。

 

 

 

 

 そして洗脳された弓須マリは、頭のなかで響いている誰か(じぶん)の声から耳を塞いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。最期の時は、あっさりとやってきた。弓須マリにより頭を地面に叩きつけられたボロボロの襲撃者は、不気味な痙攣と共にこの世を去った。

 

 そして、泉小夜は命令する。奇特部のメンバーの処刑を、自分を仲間に入れてくれた仲間の抹殺を。

 

 ……割り当てられた相手、川瀬文子を殺すため。弓須マリはなみなみと注がれたコンクリートをバケツに入れて、川瀬文子の前に立った。

 

 

 ────ごめんね、川瀬さん。時間の狭間で一度命を救われたのに、恩を仇で返す形になっちゃった。

 

 

 そう、心の中で静かな文学少女に謝ったその時。

 

「……ありがとう、マリ」

 

 殺される側の少女は笑顔を浮かべ、弓須マリに礼を言った。目に、大粒の涙を浮かべながら。

 

 そして何かが、弓須マリの中で弾け飛んだ。

 

 

 ────何だか、懐かしい気がする。殆ど話したこともないのに、それでいてかけがえのない誰かの声。

 

 

 ────忘れちゃいけない、誰かの声。

 

 

「愛していたわ」

 

 

 そして弓須マリは、直視する。その声の主を。

 

 目に涙を溜めながら、満面の笑みを浮かべ呟いた少女の顔を。

 

 親愛の情により繋がった相手の記憶を奪い去る能力者の目を、弓須マリは直視してしまった。

 

 

 今まで何故か消え去っていなかった弓須マリの意識は、この瞬間に失われてしまう。

 

 

 命を救いあった、かけがえのない相手。そんな、生涯の親友(とも)の好意が直撃した弓須マリは、不幸にもその親友の能力によって。

 

 文子の笑顔を見た瞬間、『弓須マリの精神は、完全に川瀬文子に捕食された』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古来より、能力は世界各国で存在していた。それは、人を不幸にする呪いであると同時に、歴史を変えうる転換点となった。

 

 圧倒的な魅力で、国の行く末を動かした美女。未来を見たかの如く鋭い読みで、無敗を誇った名将。凄まじいカリスマを発揮し、英雄がその旗下に集った名君。

 

 良くも悪くも、彼らの持つ『能力』は歴史を動かしてきた。

 

 

 その強力な『能力』と呼ばれる力の根源は、強い願望である。『あの時に戻る事が出来れば』『あの人が配下になってくれたら』『異性から魅力的に見られたい』。

 

 そんなありふれた願いは、強く強く念じられれば一つの『現象』となる。そして、極まれにその願望を具現化した『現象』が、願った者に宿るのだ。

 

 これが、能力と呼ばれるものの正体。

 

 だが、神は公平だった。望みを叶え能力者となった人間は、願いの代価を支払わされた。『能力』などという超常の力を纏った人間は、能力を行使する度に自らの運命をも悪い方向へ捻じ曲げてしまう。

 

 能力なんてモノに目覚めた人間は、すべからく不幸である。それは、どの時代においても能力者の共通認識だった。

 

 

 

 

 ────つまり、能力とは願望の具現なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お前の望みは、何だ?』

 

 またお前か。さっき答えただろう? 私は個性的になりたいんだ。

 

『本当にそうか?』

 

 そうだ。だって私は、個性的になって、それで。

 

『良いぞ、その調子。そのまま、ゆっくり思い出せ』 

 

 思い出す? 何をだ? ……私は何かを、忘れているのか?

 

『そうだ。思い出せ、お前(わたし)は願ったはずだ!』

 

 そうだ。違う、私の本当の願いは個性的になることなんかじゃない。

 

 何を願った? あの時、私は何を呪った?

 

 あの時? あの時って、何時の事だ?

 

 分からない、分からないけれど、私は何かを強く願ったんだ。そう、何かを忘れたくなくて、思い出せなくて、歯痒くて。

 

 

 ────そうだ。

 

 私は、何かを忘れそうで、必死に忘れまいとして、願ったんだ。

 

 何を願った? 何を望んだ? 何を────

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 私の両目から、ポロポロと涙が零れる。

 

 何かが、私の中に戻ってくる。それは、私が絶対に失いたくなかったモノ。

 

 呪いなんかで奪われて堪るかと、必死で抵抗したモノ。

 

『そうだ』

 

 そうだ。

 

お前(わたし)は願っただろう?』

 

 あの時、私は、願ったんだ。

 

 

『────能力なんかに、負けて堪るかって』

 

  

 ソレが、私の本心だとしたら。

 

『能力なんか、みんな私が打ち消しちゃえって!』

 

 ソレが、私の能力だとしたら!

 

『私はフミちゃんと、本当の親友になるって!』

 

 ソレが、私の願いだとしたら!

 

『私はそう、願ったんだ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その少女の願いは、一風変わったものだった。

 

 自分の欲望を満たす願いではない。富や名声を求めたわけではない。助けを求め、友を想う願いだった。

 

 『とある能力者』の支払った代価に巻き込まれ、その少女はかけがえのない親友を失った。

 

 その不幸を呪い、そして少女は願ったのだ。

 

 

 

 

 ────嗚呼。私だけでも、能力なんてモノの影響を受けなければ良いのに。

 

 

 

 

 

 その少女は、不幸だった。神が代価を要求するまでもなく、不幸のドン底を歩み続けていた。

 

 そんな少女が、他人の能力の『代価』に巻き込まれ親友を失う。神なんてものが実在するのであれば、きっと彼女に同情したのかもしれない。

 

 結果として、少女は能力を得た。その能力の内容は、少女の願望の通り。弓須マリは『今後は他者の能力の影響を受けない』能力者になった。

 

 

 

 

 ただ、不幸だったのは。弓須マリの願望の具現化として宿ったその能力は、『弓須マリがその願望を忘れてしまった』事により力を失っていた。

 

 能力とは、願望の具現である。その根幹たる『願望』を忘れてしまった能力者は、その能力の大半を失ってしまうのだ。結果、彼女の能力は中途半端に自己に降りかかる能力の影響を打ち消すのみに留まっていた。

 

 能力者はすべからく不幸である。弓須マリもまた、不幸に見舞われていた。

 

 

 

 

 

 

 だから、これを幸運と呼んでいいのかは分からない。

 

 元々、彼女の能力だったのだ。それが、数年越しにようやく「覚醒」しただけ。本来であれば、弓須マリに対してはあらゆる異能が無効化されるはずだった。

 

 不幸にも彼女はその能力の根源たる願望を失い、「中途半端に」能力を無効化していた。失った記憶も戻せていないし、洗脳能力者にもあっさり洗脳されてしまった。

 

 そして、今も川瀬文子の「精神捕食」にも抵抗できず、弓須マリの全ては川瀬文子に奪われる。

 

 ────それが契機だった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 その結果、弓須マリの「強い願望」に宿ったその能力は、『川瀬文子の中』で覚醒し、即座にその川瀬文子の能力を打ち消した。

 

 永い眠りからようやく目覚めた弓須マリの能力は、奪われた記憶と意識を同時に取り戻したのである。

 

 彼女は記憶さえ戻れば、「あらゆる能力を打ち消す」能力者なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────意識が、クリアになっていく。

 

 見える。目の前で、私に満面の笑顔を向けているフミちゃんが。

 

 動く。今まで自分の意思では指一本動かせなかった身体が、私の意思通り自由に動かせる。

 

 そうか、これか。これが、私の能力か。まだいくつか記憶の抜けは有るけど、大体全部取り戻せたと思う。

 

 ……馬鹿みたい、私。こんな能力が有ったって知ってたならもっと早く、彼女(フミちゃん)と再会できたはずなのに。

 

 彼女と一言、笑顔で話をするだけで何もかも思い出せたのに。ああ、ずいぶんと遠回りしてしまった。

 

 だけどもうこれで大丈夫。私は二度と、彼女を忘れることはない。

 

 たった一人で、私を不良共から救いだしてくれたヒーロー。引きこもっていた私を元気付けてくた、親友。フミちゃんが居なければ私は自殺していたか、今も自分の部屋に閉じ籠ったままだっただろう。

 

「……」

 

 そんな愛しい親友は、私の前で死を覚悟して目を閉じた。

 

 ────色々な感情が、沸き上がってくる。

 

 愛しくて、我慢できずに私はフミちゃんの唇を奪った。こうした方が良いと、直感的に思った。

 

 何となく、分かる。これが私の能力の、使い方。

 

 そしてじっくり数秒かけ、彼女の能力の私への影響が全て完全に消え去るのが分かった。フミちゃんに食べられた細かな記憶の一つ一つが、私のもとに帰ってくる。

 

「遅くなってごめんね、フミちゃん。確かに、返してもらったよ」

 

 いきなり唇を奪ってしまった親友に万感の思いで謝って、私はフミちゃんに笑いかけた。

 

 私は、粘膜接触(キス)で、他人に掛けられた能力を破れるらしい。流石は対能力のためだけに覚醒した能力だ、私は能力者相手には無敵に近い。

 

 ……だからもう、私は彼女に笑顔を向けても大丈夫だ。

 

「……何ですかー。マリキューちゃん、自力で洗脳に抗ったのですかー?」

「そうみたい。……あはは、ミサさんだっけ? そんな泣き顔で凄んだって怖くないよ」

 

 ふと、声をかけられた方向を見る。そこには、泉小夜──いや、ミサさんなのかな? 憐れな洗脳能力者が、動揺を隠そうともせず私を見つめていた。

 

 私が急に能力無効化に目覚めるとか、さすがの彼女も考慮していなかったらしい。動揺で声を震わせながら、彼女はジトリと私を睨み付けていた。何か大事なものが壊れて泣いている、無垢な赤子の様な表情で。

 

 ────大丈夫。貴女のその不幸、私が全部壊してあげる。

 

 

「ミサさん。悪いんだけど私の親友を、殺させるわけにはいかないの。やっと、会えたんだから」

 

 

 私は背後の大事な人を守るため、目前の哀れな少女を救うため。ミサさん目掛けて一目散に、駆け出した。

 

 

「え、ちょっ!? 誰ぞ、誰ぞあるのです! 私を庇え────」

「命令が遅い! この距離なら、私の方が速いよ!」

 

 突然の奇襲に、動きが固まる人形達。彼らには自立した思考はない、だから想定していない展開には対応できない。前もって命令していなければ、動かないのだから。

 

 私が走り出して数秒後、悲鳴のようなミサさんの叫びに反応し何人かが私に駆け寄ってくる。が、もう遅い。

 

 私は、火傷まみれでロクに動けぬ哀れな少女に組み付いて、そして。

 

 

「……んっ!!」

 

 

 ぶちゅう、と一発。粘膜接触(キス)をかました。

 

 そして、耳を切り裂かんばかりの不協和音が世界に響く。泉小夜だったモノが、粉々に壊れさる。

 

 ヤクザにより作りあげれた残虐なミサの人格が、弓須マリの能力に叩き壊される。

 

 

 

「……あ」

「目、覚めました?」

 

 

 

 そして、そこに残ったのは。

 

「あ、あ、あ、あ、ああ、ああ、あ────」

 

 自らの手で何もかも叩き壊して全てを失った、哀れな哀れな少女だった。

 

 服を実兄の血飛沫で赤黒く染めた、兄思いの妹だった。

 

 

「あ、あ、あああ、あああっ────!!」

 

 

 言葉にならない慟哭が、夜闇に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『ミサさん』と呼ばれた少女は私の接吻を受けた後、ヨロヨロと顔を真っ青にしてドラム缶に歩み寄った。周りが何も見えていないらしい。声を掛けてみたが、全くの無反応である。

 

 ……少し、一人にしてあげよう。取り敢えず先に、ドラム缶詰めにされた奇特部二人を救出しないと。

 

「貴女は、マリキューちゃん? ですわよね。その、何だか雰囲気が……」

「ええ。本物の私ですよ、マイ先輩」

「……また誰かに新しく洗脳でもされましたの? 私が知っているあの娘は、こういう場面で静かに微笑んだりしません。ブリッジしながら高笑いすると思いますわ」

「あ、あははー。確かにやりそうですね」

 

 マイ先輩の私に対する偏見がスゴい。いや、妥当な評価なのだろうか? 過去にしでかした私の奇行を考えると、ブリッジしながら高笑いしていても全く違和感がなさそうだ。

 

 ……思い出すと鬱になってくる。不幸だ……。

 

「取り敢えずドラム缶を横に倒しますので、後は自分の力で抜け出してください。ひょっとしてコンクリート、もう固まりきってますか?」

「下の方は固まってそうですねぇ。でも、これでも男の子ですのよ? 何とかしてみますわ」

「頑張ってください」

 

 渾身の力を込めて、まずはマイ先輩を救出。さて、これで邪魔は無くなった。私は心の整理と付けて、いよいよ彼女へと向き直る。

 

 そう、涙やら鼻水やら何やらでとんでもない顔になっちゃってる親友だ。

 

「フミちゃん。まずは顔、拭いたげるね」

「……ん」

 

 コクンとフミちゃんは素直に頷いたので、撫でるように優しく彼女の顔を綺麗にする。黙りこくって為すがままになっている親友は、なんだか子犬の様で愛らしい。

 

 さて。次はフミちゃんの救出作業だけど────

 

「よ、と。完全に固まってませんでしたわね、抜けれましたわ」

「うん。じゃマイ先輩、一緒に助けましょう」

「ええ。ブン子ちゃん、ちょっとご辛抱くださいまし」

 

 こういう力仕事は男の人に手伝ってもらおう。私は能力が効かないだけの、非力で平凡な女の子なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、改めてお尋ねしますわ。貴女は誰ですの?」

「……あははー。弓須マリ、本人です。フミちゃんが証言してくれるかと」

「……」

 

 フミちゃんを救出しおわると。彼女は何も言わず無言で、私に抱き着いて来た。なんでさっきから、何も喋らないんだろう。

 

「あの、フミちゃん?」

「もう二度と忘れられたくない。喋りかけないで」

「あー……」

 

 彼女はぎゅ、と私の胸に顔をうずめている。そうか、『目を合わさず喋りかけない』が彼女の能力制御法なんだっけ? 洗脳されたタク先輩が、そんな事を言っていたような。

 

「大丈夫、フミちゃん。ほら、私の顔見て?」

「だ、ダメっ……」

「もう大丈夫だから。もう二度と、フミちゃんの事忘れたりしないから。ね?」

 

 念願の再会なのに、顔を隠しちゃうなんて勿体ない。よほど、私に忘れられたのがトラウマになっているのだろうか。

 

 そんないじらしい親友に、キスが出来そうなほど顔を近づけて。私はフミちゃんの目を見てしっかり、笑いかけてやった。

 

「ほら、大丈夫」

「……っ!!」

「そう言うの、もう効かないみたい。だからもう二度と、忘れたりしないよフミちゃん」

 

 ……そのまま、フミちゃんと数秒は見つめあった後。彼女はまた、嗚咽をこぼし私の胸に抱きついてきた。

 

 また、顔が隠れちゃった。結構泣き虫だな、フミちゃん。

 

「マリキューちゃん貴女、明らかに人格が変化していますわね」

「ん、んー? 変化しているというか、今までが変だったというか。これが地なんですけどね」

「……もしや貴女も精神系能力者だったんですの? 自己暗示系統の能力者であれば、自力で洗脳を解いたのも納得できますわ」

「いえ。あー、何と言えばよいのか……。面倒なので説明を省きますと、私は突然『一切能力が効かなくなり、まともな人格になる能力に目覚めた』って事でひとつご納得を」

「そんなの全然納得できませんわ!?」

 

 投げやりな私の説明を聞き、ガァーっとマイ先輩が吠える。ごめんなさい、今の私の状況は色々と説明し辛いんです。

 

「多分、キスを介したら他の人の洗脳も解けると思いますよ。信じられないなら、実践してみましょうか?」

「……キスですの?」

「ええ、キスです」

 

 こうなりゃ実践して見せた方が、納得するのも早いだろう。そう考え一度抱き合っていたフミちゃんから離れ、私は表情が削げ落ちて棒立ちしている人形系タク先輩に近づこうとして……。

 

 フミちゃんに、何故か止められた。

 

「……ん?」

「キスはダメ」

 

 ダメらしい。

 

「此処にいる人全員とキスする気?」

「いや。今はタク先輩だけでいいかなーって。……だってタク先輩の能力で時間を戻してあげないと、あの男の人が浮かばれなさすぎるよ」

「それでもダメ」

「え、ええー……?」

 

 やはりダメらしい。何でさ。

 

 タク先輩と私だけが記憶を引き継げるんだから、タク先輩には正気に戻って貰わないと……。

 

 

 

 

 

「別にそんなことしなくても戻せるよ、正気に。私が一声かければ」

「あ、泉先輩……じゃなくて、ミサさん?」

 

 ヌ、っと一人の少女が私の目に現れる。その目の奥まで凍り付いた少女は、泉小夜と名乗っていた哀れな少女だ。

 

 ミサさんはハキハキと、単刀直入に話に入り込んできた。彼女も、なんかキャラが変わってる。

 

「あそこでボケッとしてるタイムリープ能力者を、正気に戻せば良いんだね?」

「あ、はい……」

「キーワードで正気に戻るように催眠かけてるから。柊卓也、『お前は用済み』だ」

 

 ビクン。

 

 ミサさんに『用済み』と切って捨てられたタク先輩は、白目を剥いてガクガク痙攣し始めた。なんか気持ち悪い。洗脳が解ける時とか上書きされると、あーなる様だ。

 

 私がキスして洗脳を解いても、あー言う感じになるんだろうか? キスで目覚める王子様とは程遠いなぁ。ロマンも何もあったもんじゃない。 

 

「あーえっと? ミサさん、と呼べばよろしいですか?」

「それで構わないわ。……泉小夜、なんてのはヤクザが用意した戸籍上の名前に過ぎないし」

「なんか、泉さ……、ミサさんが間延びした話し方してないと、違和感が凄いですわね」

「あれは、キャラ演じてただけ。穏和な子を演じて学園に溶け込めって言われてたから」

 

 ……まぁ、キャラ作ってるんだろうなとは思ってたけど。ただ「ですー」口調は男に媚びやすいかもしれないが、かなり同姓受け悪かったんじゃないか?

 

 初見の時は、少しイラっとした記憶がある。あのエキセントリックモードの私ですら。

 

「はっ!? 泉が何だか凄く頼りになった気がするぜ!!」

 

 ……そして、いよいよタク先輩が正気に戻ったらしい。なんか唐突に、残念な事を叫んでいる。

 

 でもタク先輩か洗脳されたのは私の責任だから、私から彼を責めるに責められない。

 

「ほら、彼も正気に戻ったわ。……私、洗脳できる人数に上限があるの。最大で11人、それを超えたら洗脳が弱まって正気に戻っちゃうみたい。だからちょくちょく、今日みたいに洗脳を解いて定期的に東京湾に沈めていた訳よ」

「そんな事を、してたんですわね」

「……その中には私の家族も居たわ。私は高笑いしながら、絶望に染まった顔のお姉ちゃんを────っ!! 本当に、本当に許せない!」

 

 般若のごとき表情、とはこの事だろう。

 

 火傷で赤く腫れた皮膚に出来たかさぶたを、ミサさんは握りつぶす。赤みを帯びた透明な汁が、彼女の腕を滴る。

 

「で? 私は何をすればよい? どうすれば、奴等に地獄を見せてやれる?」

「……まぁ、まずはタクさんに事情を説明してからだね」

「……ん!? なんか夜になってる!? あれ、ここどこ!?」

 

 キョロキョロと、困惑しきった表情でタク先輩は周囲を見渡している。そろそろ、タク先輩は残念モードから復活してほしい。私達のリーダーなんだから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと待ってくれ、状況を整理させてくれ。えー、そこの明らかに変なモノ食べたとしか思えないホンワカ系美少女がマリキュー後輩で?」

「あ、あははは……」

「そこで目を尖がらせてハキハキ喋ってる泉が復讐馬鹿の妹で?」

「……そうよ」

「マリキューの能力は『能力完全無効』で、俺が洗脳されて負け確定だった状況からマリキュー覚醒での奇跡の逆転勝利?」

「うん。フミちゃんを忘れたくなくて、そんな能力に目覚めたんだと思う」

 

 つまり、私は時空系でも何でもない。タク先輩の言うように時間止めたりとか出来ないし、炎を操ることも出来なかった訳である。

 

 ……今思えば、私がヒロシに振られたあの日。いきなりミサさんが焼け死んだのはきっと、今日のようにお兄さんがガソリン蒔いて焼き殺しでもしたのだろう。

 

「能力無効って、そんな能力まであり得るのか……」

「多分間違いないですよ」

「……ええ。お陰でこうして、私も元に戻れたし。で? 私は何をすれば良いの? 何でも協力するわ。お兄ちゃんを助けてくれるなら。あの、あの外道共に復讐が出来るなら私はなんでも!」

「お、落ち着け泉……。じゃなくてミサちゃん」

 

 捲し立てるかのように、ミサさんはタク先輩に詰め寄った。彼女も冷静に見えて、内心激昂しているのだろう。

 

 今までの、操られた自らの所業を全て自覚したのだ。むしろ、よく正気を保っていられるなと思う。私なら発狂しているだろう。

 

「お前にしてもらいたい事はもう決まってる、まずは敵の情報をくれ」

「何でも聞いて。私の知ってる範囲であれば何でも答えるから。本拠地の住所が知りたい? 能力者の数? 種類?」

「お、おお。その辺全て覚えるから順番に頼む。マリキュー、お前も覚えるんだぞ」

「分かりました」

「……素直なマリキュー、調子狂うなぁ」

 

 そして、私は彼女の知る敵の能力者とその人物名、敵の潜伏先などの情報を全て暗記していった。

 

 敵の能力者の数自体は、20人を超えているらしい。ただ、その内5人はミサさんの支配下だそうだ。ミサさんは、能力に目覚めた人を洗脳して仲間にする役割を担っていたらしい。

 

 そして洗脳系の能力者はミサさんの他にも何人か居る様で、それぞれミサさん同様に洗脳されている可能性があるのだとか。

 

 能力者を配下においた洗脳能力者を、更に洗脳して従える。成る程、効率が良い。

 

「よし。後は……ミサちゃん、お前昨日は何処で寝てた?」

「自宅よ」

「だったら、今から自宅にマリキュー連れ込んでくれ。タイムリープが発生しても、コイツは場所が動かないんだ。つまり、昨日の深夜のミサの家に突如としてマリキューが出現する」

「あ、そっか。それで、私がミサさんの寝込みを襲って洗脳を解いちゃうんですね」

「了解よ。……実質瞬間移動じゃないの、それ?」

 

 瞬間移動、か。能力無効のお陰で、タクさんの能力と組み合わせると四次元的移動が可能になってる。ちょっとズルしてる気分だ。

 

 と言うか、私の能力無効であーなるってことは、タク先輩の能力は『時間逆行』じゃなくて『世界逆行』なんだね。意識を過去に飛ばしてるんじゃなくて、世界そのものを巻き戻す能力なんだ。

 

「あ、マリキューちゃん、ちょっと良い?」

「何ですか?」

「素の私は、かなり警戒心が強いわ。洗脳が解かれても、貴女を最初から信用したりはしないと思う。だから怪しまれた時には、私にこう囁いて。『私はナオヤのお嫁さんになるのが夢』」

「……それは?」

「私が洗脳される前の、小学校に入る前の女の子だった時の夢よ」

「……あはは、可愛い夢ですね」

「幼稚園児の頃の思考を当てられたら、貴女がよほど怪しいことをしない限り信用すると思う。……頼んだわよ」

 

 ミサさんはそう言うと、私の手を握りしめて頼み込んだ。

 

 任せてくれ、ミサさん。私だって、あんな悲しい結末は御免だ。何としても深夜のミサさんの家に忍び込んで、上手く寝込みを襲ってキスしてやる。

 

 

 ……あれ? この時点で既に怪しいような。

 

 

「……ねぇ、マリ。時間が戻ってもまた、私を甘えさせてくれる? きっと、私は感極まって同じ様に抱きついちゃうと思うわ」

「うん。……こんなに待たせちゃったからね。全部終わった後、何処かに二人で出掛けよう」

「そう、ね。楽しみだわ」

 

 そして。さっきから引っ付いて離れる様子のないフミちゃんの頭を撫で、私は立ち上がった。

 

 ミサさんを、助ける。あの妹思いの兄を助ける。そして、全部全部取り戻してから再びフミちゃんに会いに行こう。

 

「人肌が、温かい」

「……フミちゃん」

「温かい、温かいよ」

 

 人の温もりを忘れきって凍えていたフミちゃん。彼女は、やはり私に抱きついたまま離れようとしない。

 

 こんなに、寂しい思いをしていたんだ。今度こそ、それをずっと顔に出さず一人で耐えてきた親友を救って見せよう。

 

 次のループで、全部終わらせるんだ。

 

 私はそう決意して、フミちゃんの肩を抱いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、何故あの二人がイチャイチャしていますの? 異様に仲良くなってません?」

「あいつらはなぁ。まぁ、色々あるんだよマイ」

 

 端から見たら百合にしか見えない二人の少女を、事情を全く知らぬ舞園少年は困惑した目で見ていた。



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第二十二話「罪悪」

『ここが私の家』

『……一人暮らしですか?』

『家族はみんないなくなっちゃったからね』

『……すみません』

 

 タク先輩達と別れた後、私がミサさんに案内されたのはマンションの一室だった。高校生が1人で住むには分不相応な、いわゆる高級マンション。

 

 ヤクザ子飼いの能力者であるミサさんだ、さぞ豪勢な暮らしをして居るのか……と思いきや。彼女の家に、生活感はまるでなかった。まるでロボットに手入れされていたかのような、飾り気のない味気なく無機質な部屋だった。

 

『ここが私のベッド』

『はい』

『以前の私は人形だから、プログラムされた規則正しい生活しこなし続けているわ。夜12時きっかりに眠り始めて、朝まで目覚めなかった』

『なら、私が大きな音を立てない限りは目も覚まさない』

『ええ』

 

 私にそう説明しながらもタラリ、とミサさんの火傷した跡から赤黒い汁が滴る。見るからに痛そうだ。

 

 顔も真っ青、全身火傷の重症だというのに彼女は、その痛みに耐えて私を案内してくれている。そんな彼女の想いには、応えてあげないといけない。

 

『お願い。頼んだわ。私を────、お兄ちゃんを、助けて』

 

 心の奥底からの頼みであろう。私は震えるようなミサさんのその声を、確かに耳に入れ頷いた。

 

 救って見せる。救わないといけない。だって、彼女を救うことができるのはこの世で私1人なのだから。

 

『任せてください。私が、全部全部ぶち壊しますよ』

 

 それは、私の仕事なのだ。その場で涙を溢したミサさんの手を取って、私は微笑んだ。

 

 そして、私はタク先輩にスマホで「準備完了」と連絡し。直後、耳を切り裂く不協和音とともに、世界の逆行が始まった────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐーすかぴー、なのです……」

「……」

 

 巻きもどって時刻は、昨日の深夜4時。

 

 私は静かに一人、洗脳されたミサさんの眠るベッドの前に立ち尽くしていた。

 

「むにゃむにゃ……」

 

 狙い通りだ。恐らくまだ催眠状態にあるだろうミサさんが、無防備に鼻提灯を膨らませて爆睡している。今なら赤子の手を捻るより容易く、彼女の唇を奪うことができるだろう。

 

 時計の音だけがカチカチと響くベッドルームで、私は静かに獲物(ミサさん)を見下ろす。最早彼女は、まな板の上の鯉だ。

 

 

 

 ────ただ問題は。ベッドの中でミサさんが一糸まとわぬ姿で熟睡している、その一点に限る。

 

 

 

 裸族なんだ。ミサさん、寝るときは裸族なんだ。

 

 さて、どうしたものか。このままだと、裸の女性の寝込みを襲って唇を奪う事になる。どうみても変態ですね。

 

 ……いや。ちゃんと本人(ミサさん)の許可も貰っているんだ。未来の彼女から、助けてくれと念を押されているんだ。私はやるぞ。やらなきゃいけない。

 

 こうしてみると、結構ミサさん美形だな。睫毛が長くて、髪もサラサラで身体も豊満で、って馬鹿! 私は何を考えているんだ、変な気分になるだろうが。

 

 余計なことを考えるな、慎重に行かないと。出来るだけ音を立てないように、私は静かにミサさんに覆いかぶさり、そして。

 

 

 

 

「……んあ? マリキューちゃん?」

「あ」

 

 

 

 パチクリ、と見開いた裸の女性と目が合った。

 

 殆ど気配を殺しきったつもりだったが。不幸にもミサ……泉小夜は目を覚ましてしまった。ベッドに体重をかけたのがまずかったか。

 

「え? えー……なのです。これ、何ですか?」

「夢ですよ泉先輩」

「そっかー。夢かー」

 

 だが、幸いにも彼女は寝ぼけている。今が最後のチャンスだ、完全に覚醒されたらめんどくさい。

 

 彼女は確か、ヤクザに合気道を仕込まれていたはずだ。肉弾戦になったら押し負けてしまう。

 

「夢の中のマリキューちゃんは何でこんなところに?」

「先輩の唇を奪うためですよ。泉先輩?」

「…………え?」

 

 よし、行くぞ。ミサさんの洗脳を解くのは、状況が飲み込めず惚けきってている今しかない。私は裸の泉小夜に覆いかぶさり、そして体幹を逃げられぬように押さえ込んだ。体重を使って押さえ込めば、非力な私でも力押し出来る。

 

 ────目と鼻の先に、泉先輩の顔がある。そして、

 

「目をつぶってください、泉先輩」

「…………はい?」

「いただきます」

「…………んっ!? んん、むん────」

 

 私はそのまま、彼女の唇を強引に頂戴したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「信じられない!! このレズ強姦魔!! 私に近寄らないで!!」

「痛たたた。な、投げ飛ばさなくても」

 

 ミサさんの唇を奪うことに成功した私は、涙目のミサさんに腕を捕まれ軽やかに宙を舞い、受け身も取れずフローリングの床に叩きつけられた。合気道ってスゴい。

 

「どうやってうちに入ってきた!? このマンションのセキュリティはどうなっている!?」

「いや、その忍び込んでなんか居ませんよ。私は、普通にミサさんに部屋に入れて貰った訳でして」

「馬鹿言わないで、そんなことしてないし! あなたが勝手にやったんでしょう!?」

「違うんですよ、聞いてください。実は私は未来から来た人間でして、未来のミサさんが私に許可をくれたんです。このままだと貴女は不幸な事になりますので、どうか寝込みを襲ってくれ、よろしく頼みますって」

「いやあああああ!! 電波ね! これが噂に聞く、本物の電波ね!! あなた、頭がおかしいんでしょう!?」

 

 せやな。自分で言ってて何だけど、電波にしか聞こえない。

 

 全部事実なんだけどなぁ。

 

「落ち着いてくださいってば。……ゆっくりと、今の自分を思い出してください」

「電波には何を言っても無駄ね。悪いけど通報させてもらうから!」

「警察だけはやめてください。本気で、マジで」

 

 警察経由でヤクザに情報が漏れたりしたら洒落にならない。と言うかそれ以前に、私にとんでもなく不名誉な前科がついてしまうからやめてほしい。

 

「ソコを動かないでよ……、近付いたら大声出すからね……!」

「落ち着いて。このままだと貴女は、生き残った唯一の肉親を殺す事になるのですから」

 

 彼女は頑なに私の話を聞こうとせず、スマートフォンを取り出して通報の構えを見せた。だが、じきに彼女も気が付いてしまうだろう。その、自らの過去に行った所業を。

 

「は? 私の家族は誰も死んで、なん、か……」

「全部思い出すのは辛いと思います。でも、貴女は思い出さなきゃダメなんだ。前に進むために、家族を守るために、思い出さないと」

「わた、し、は」

 

 だって、もう彼女の洗脳は解けているのだから。私の接吻の後、ミサさんの口調は明らかに変化している事からもそれは確実だ。

 

 だから、あとはゆっくり説明してやれば良い。

 

「私は、何で─────」

「大丈夫。大丈夫です、貴女のせいじゃない」

「あ、あ、あ─────」

「大丈夫、ですから」

 

 だから私は、彼女が早まった行動をしないよう。混乱し崩れ落ちたミサさんを、ゆっくりと抱きしめたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……未来の私は、何て?」

「えっと。『私はナオヤのお嫁さんになるのが夢』、こう言えば信じてくれるだろうって」

「そうね。私が正気だとしたら、きっと合言葉にそれを選ぶでしょう。貴女が単なる敵対組織の人間じゃないってのは信じるわ」

「良かった。それじゃ、私はタク先輩に連絡を取りますね」

 

 スマートフォンを通じて、私は彼に「首尾は上々」と送信した。これで、作戦の第一段階はクリアだ。後はタクさんと合流し、アジトに向かうだけである。

 

「兄さんは、生きているのよね」

「元気にしてますよ。私の肩を切り刻めるくらいには」

「そう。ご、ごめんなさいね?」

 

 最も、ミサ兄につけられた傷は大分塞がって来たけれど。でも、女の子として一生残る傷をつけられたのはちょっと腹が立つ。

 

 うん。全部終わったら、一回ビンタしよう。それくらいは許されるかな。

 

「タク先輩からの連絡待ちです。ちょっと待っててくださいね」

「分かった」

 

 時間逆行から、それなりに時間も経っている。恐らく、タク先輩も準備を終えているだろう。返信まで、そんなに時間はかからない筈だ。

 

「ですので、ミサさんは今のうちに服着ててください」

「……え、ええ」

 

 だから私は、未だに堂々と全裸で仁王立ちを続けるミサさんに、それとなく着替えを促した。

 

 いくら同性とはいえ、さっきから気まずいんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして私は無事、ミサさんの洗脳を解くことに成功した。ここまでは作戦通り。後は、タク先輩と合流するのを待つばかりだ。

 

 因みに、ミサさんは少し天然系らしい。あのボケボケしたキャラクターは作っているモノだと思っていたけど、本人も少しボケていた。

 

 何故なら。全裸を恥じたのか頬を赤らめ「服を着る」と言って部屋を出ていった彼女は、何故か熊の耳がついた茶色の着ぐるみ風パジャマを装着して現れたからだ。

 

 今から我々のアジトに来てもらう、と説明して再度着替えて貰った。どうやら彼女、明日の朝まで寝るつもりだったらしい。

 

 ミサさんは生まれもってののんびり気質のようだ。寝惚けて頭が回ってないだけかもしれないけど。

 

 

 

 外は、まだ真っ暗だ。まだ季節は春である、午後4時に太陽が昇るべくもない。

 

 そんな早朝に、タク先輩から送られてきた地図を見ながら私とミサさんは並んでアジトに向かう。タク先輩とは、アジトで待ち合わせるのだ。

 

「と言うかミサさん。あのパジャマ何なんですか」

「冬用パジャマよ」

「いや、そうじゃなくて」

 

 道中話題もなく気まずい沈黙が続いていたので、あの熊さんパジャマについて聞いてみたが。そっか、冬場は寒いから裸族じゃないんですね。いや聞きたいのはそこじゃなくてセンスの問題で……。

 

 小学生みたいなパジャマ、と言いかけてふと気づく。

 

 そっか、もしかして。小学生の頃に人格を歪められたから、そう言う嗜好も小学生で止まっているのかも。少なくともあれは、高校生女子のセンスでは無い。

 

 

 

 ────チラリと、自宅に封印されている赤い蜘蛛男スーツが頭をよぎる。あ、私も人の事言えないや。

 

 

 

「変に見えるかしら? 昔ね。兄さんが、あんなタイプのパジャマ着たら可愛いって言ってくれたの。それだけよ」

「……ミサさん」

「兄さんは、その、貴方達のアジトに居るのね? もうすぐ会えるのね」

「はい」

 

 ジワ、とミサさんの目尻に涙が浮かぶ。そっか、彼女に取って彼が唯一の肉親か。家族を殺し尽くした後の、最後の生き残りか。

 

「覚えているわ。兄さんをね、殺そうとした日の事を」

「え? ミサさん、1度あの人を殺そうとしたんですか?」

「ええ。洗脳する人数がいっぱいになったから、枠を空けるために洗脳を解いて東京湾に沈めようとしたの。そしたら、逃げられちゃった」

「自力でですか?」

「そう。今思うと、兄さんも能力に目覚めてたんだね。ドラム缶に詰めていざ捨てようとした瞬間、あの人は煙のように消えていた。化かされたみたいに」

「……成る程」

 

 そっか、あの人は殺される直前に能力に目覚めて助かったのか。

 

 それで、生き延びた挙げ句自分の妹を殺しかけて、逆に妹に殺されてしまうのだから彼も報われない。

 

「兄さん、私の事をどんな風に言ってた?」

「今の時点だと怨敵、て感じだと思います。でも、全部知ったらミサさんを愛しているって絶叫してましたよ」

「……そう。でも私、パパもママもお姉ちゃんも、皆殺しちゃったわ。謝って、許してくれるかな。許して貰おうなんて虫がよすぎるかな」

「ミサさんは悪くない。それは私が保証します」

 

 ポロポロと、ミサさんは涙をこぼし始めた。やはり、洗脳が解けた直後の彼女はまだ心の整理はついていないようだ。

 

「兄さんに嫌われたりしないかな。土下座して、一生懸命謝れば良いのかな」

「大丈夫です。大丈夫ですから」

「私、私────」

 

 小さく震え、崩れ落ちそうになるミサさんの肩を抱いて。私はゆっくり、アジトの中へと入っていった。

 

 私がここで100の言葉を掛け慰めるより。実の兄に会って、彼の言葉を聞く方がずっとずっと支えになると思ったから。

 

「怖い。兄さんに会うのが、怖い!」

「……大丈夫です」

 

 私は、パニックになりかけているミサさんを両手で優しく包み込んだ。それはそうだろう、自ら家族を殺した彼女の心の傷は、きっと誰よりも深いのだから。

 

 だけど。きっと、あのミサ兄に会って話をすれば全部上手くいくはずだ。あの優しい男なら、絶対にミサさんを許すはず。

 

 私は、震えるミサさんを抱き締めたままゆっくりとタク先輩の指定した三階の部屋の扉を開け────

 

 

 

 

 

 

 

「どうかぁぁぁぁぁぁ!!! 俺のチン●削ぎ落とすのだけは許してくださいませ安西様ぁぁぁぁぁ!!」

「ガハハハハハ!! その調子だ、お前の立場は何なんだ!? 教えた通りに言ってみろぉぉ!!」

「俺は卑しい豚野郎です!! 豚野郎の粗末なポークビッツに、安西様の御慈悲をくださいませぇぇぇぇ!!」

「ガッーハハハハハッ!! そうかぁ! 私の慈悲が欲しいかこの豚野郎!!」

「ブヒブヒブヒィ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 ノリノリで土下座している男を目視し、そのまま無言で扉を閉めた。

 

 私達は何も見ていない。

 

 うん。おとなしくタク先輩が来てから、部屋に入ろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────てな訳でして。安西さん、今はミサちゃんは味方って訳です」

「……ほう! なかなか修羅場を潜ったようだな」

 

 タク先輩と合流した私はソファの上にどっしりと腰を下ろした女傑、安西に報告を行った。その傍らには、先程必死で股間乞いをしていたミサ兄も立っている。

 

「マリキュー!」

「は、はい!」

「能力無効とは凄いな! 惚れ惚れする! これからは洗脳された憐れな人間を、洗脳上書き以外の方法で救うことが出来るのだろう?」

「そうなります……」

「いや、天晴れ!」

 

 安西女史は、豪快に笑いながら天晴れと書かれた扇子を広げた。

 

 何だこの人。真夜中だと言うのに物凄い勢いで、矢継ぎ早に話しかけてくる。

 

 深夜のテンション、というやつなのか? いや、この人はなんかコレが地っぽいぞ。あまり関わりたく無いな。

 

「ミサ……なのか!? うおおおおお!! ミサ、ミサぁぁぁぁぁ!!」

「ごめん兄さんはちょっと近付かないでくれるかな。キモいし」

「あれぇぇぇぇぇ!?」

 

 一方で、妹の目前でSMプレイに興じていたド変態は、感動の再会から早くも兄妹の縁を切られかかっていた。そうよね、汚すぎてドン引きするよねあの光景は。出来れば私も、記憶から消し去りたい。

 

「で、だ。安西さん、今度はこっちから攻め込まねえか?」

「ふむ?」

 

 そんな微笑ましい兄妹喧嘩は捨て置いて、これから真剣な話だ。タク先輩は安西女史に、最終決戦を提案した。これは、ついさっき逆行する前に奇特部みんなで話し合って決めた提案である。

 

「ミサちゃんの内通がバレてない今が一番のチャンスだ。敵のアジトの場所も能力者の数も種類も、かつてないほど情報が揃ってる」

「成る程な。大チャンスには違いない」

「加えて、日にちが経てば経つほどミサが洗脳されてないと露見するリスクが増える。もしバレたら、ミサが再度洗脳されたり殺されたりして一気に不利になる。時間をおいて行動するメリットなんざ皆無だぜ」

「そうだな。しかも、仮に失敗してもタクが自殺しまたやり直せば良い訳だし」

 

 ソレは、今日この日に全員で奇襲をかけて、全てを終わらせると言うもの。私さえいれば、洗脳された哀れな人たちをすべて救済できるのだ。ミサさんの様な不幸な人間を、もう見たくはない。

 

 この世の不幸な能力者を、一人残らず笑顔にしてやる。それが、私の立てた誓いだった。

 

「徹夜でそこの馬鹿を苛めてたせいでちと眠いが、うむ、良かろう! 兵隊に準備をさせておく。お前達も今は休んでおけ」

 

 安西女史は自信満々にそう言い放って腕を組んだ。……乗ってくれるようだ、私たちの決戦に。

 

 体感でほんの数週間ではあるが、私を散々に翻弄し追い詰めた敵。ヤクザの親玉には、どれだけ文句を言っても足りない。

 

「ようし! 各自散会!! 作戦開始に向けて鋭気を養え!」

「はい!!」

「ようしミサ、積もる話もあるしここは俺と一緒に────」

「私は眠いから寝る。1人にして、兄さん」

「あれぇ?」

 

 あと兄は、早く失った信用を取り戻せ。さっきからミサさんの目が死んでるから。

 

 あ、そう言えば……。

 

「あ、あの……。お兄さん? そういや貴方の名前、聞いてないんですけど」

「お? そっか、名乗ってなかったかマリキューちゃん」

 

 心の中ではずっとこの人を「ミサ兄」と呼んでたけど、名前も知らないのは失礼だよね。一度聞いておかないと。

 

「肩の傷の件は悪かった、この通り謝るよ。俺は、轟ナオヤと言う。罪滅ぼしなるかはわからんが、困ったことがあれば何でも言ってくれ。何でも力になろう」

「……え、ええ。よろしくお願いしますね轟さん」

「ナオヤで良いぜ。ミサだって同じ苗字なんだから」

 

 お、おお。昭和の番長みたいな名前だ。ってことは、ミサさんは轟ミサって言うのか……。ちょっとカッコいいな。

 

 それにしても轟ナオヤか。ナオヤ、どこかで聞いたような。……ナオヤ?

 

 

 

『私はナオヤのお嫁さんになるのが夢』

 

 

 

 バッ、と私は咄嗟にミサさんの方へ振り替える。私の目線を受けたミサさんは少し頬を染め、目を背けながら「何よ」と睨み返してきた。

 

 あ、あー……。ミサさん、あんたそう言う……。



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第二十三話「巨悪」

 その老人は、とあるビルの最上階に鎮座していた。

 

 腕には何本もの点滴が繋がれ、首には大きなカテーテルが挿入され、鼻から小さな管で酸素を流し込まれながら、微動だにせず静かに座っていた。

 

 それが、私達の倒すべき巨悪のその正体だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 兵隊を集める、そう言った安西女史の言葉通り。徹夜だった私達が床につき、昼過ぎに目覚めた頃にはアジトに沢山の人間が集まってきていた。部屋を見渡せば、ざっと十数人は居るだろう。

 

 その中には、佐藤教諭も混じっていた。授業あるだろうのに、急に学校抜けて大丈夫だろうか。

 

「能力者勢揃い、って奴だな。俺もここにいる先輩方の半分くらいしか顔知らねぇ」

「こんなに居るのか。能力者ってもっと希少だと思ってたぜ」

「……でも、これでも向こうの方が数が多いわ。私が洗脳してる能力者を合わせてもね」

 

 こんなに居るのか、と言うナオヤさんの感想には同意だ。私もこんなにゾロゾロ集まるとは思っていなかった。

 

 でも、よく考えたら一学年に能力者が2人と考えれば、これくらい居ても不思議じゃないよな。

 

「あ、マイ先輩にフミちゃんだ」

「おお、アイツらも来たか」

 

 そして遠目に、よく見知った金髪の美少女風男性と眼鏡の文学少女を見かけた。タク先輩が声を張り上げ、私が小さく手を振って呼んであげる。

 

「タク、こんにちは。……で、何事ですのこれ。いきなり安西さんから『決戦じゃ、者共集え』と来たから出向いたのですが」

「……と言うか、何故お前が此処にいる。弓須さんから離れなさい」

 

 マイ先輩は困惑した表情を浮かべ、フミちゃんは敵意ビンビンにナオヤさんを睨み付けていた。そーいや、彼女達からしたら昨日捕まえた直後だっけ?

 

 まだ敵って意識が強いんだろうか。

 

「それに、どうして泉さんが此処にいますの?」

「ご、ご機嫌よう。事情は後で、は、話しますわ」

「マイのお嬢様口調に合わせなくて良いぞミサちゃん。そいつ、キャラ作ってるだけだから」

 

 マイ先輩に緊張してか、ミサさんまでお嬢様口調が移ってしまっていた。やっぱり、まだ苦手意識有るのかな。洗脳中とはいえ、彼氏取られたり誘惑されたり散々だったからな。

 

「で? お前はきちんと削ぎ落とされたの?」

 

 一方因縁をつけるかのごとく、フミちゃんはナオヤさんを睨み付け股間の有無を尋ねた。女の子がそんなこと言っちゃいけません。

 

「必死でチン●乞いしたら、何とか許してもらえたぜ」

「は?」

 

 ああ、あれは信じられないほど見苦しい光景だった。……じゃ、なくてフミちゃんを宥めないと。このままじゃこの場で削ぎ落としそうだ。

 

「どーどー。フミちゃん、私はもう怒ってないから」

「でも! コイツが居なきゃ……」

「分かってる分かってる、全部説明があるよ。今は落ち着いて、ね」

 

 ちょっと興奮気味のフミちゃんを落ち着けるため、私は背後からゆっくり彼女を抱き締めた。ふぇ、と間抜けな声がフミちゃんから零れる。

 

 記憶戻ってることも、話してあげないとね。

 

「そこの、ナオヤさんって言うんだけどね。彼にもやむにやまれぬ事情があったんだよ。今は味方だから、怒らずに話聞いてあげて?」

「……え、はぁ。ゆ、弓須さん?」

「大丈夫、大丈夫だから。私のために怒ってくれて、ありがとう」

 

 そのまま数秒ほどフミちゃんを抱きしめてやると、何時しか彼女は頬を染めおとなしくなった。よし、説得成功。

 

「タク? なんかマリキューちゃんのキャラ壊れてません? あんな感じの優しい笑顔出来ましたっけ?」

「気持ち悪いよな、アレ。でもあれが素らしいぞ」

 

 先輩方、空気の読めない発言は止めてくれ。そんなに今の私は気持ち悪いだろうか。ちょっと傷つくんだが。

 

「……はぁ。フミちゃん、ちょっと目を瞑ってて」

「はい? え、ちょ、え?」

「すぐ分かるよ。ほら、こっち見て。抵抗しないでね」

「え? え?」

 

 まぁ、良いや。取り合えず先輩方に文句を言うより、フミちゃんに状況を説明するのが先だ。記憶を回収したら彼女も今の私の状況を理解するだろう。

 

 思い出すのもおぞましい、悪夢のような記憶だけれど。そんな嫌な経験を、親友に預けっぱなしと言うのも良くない。

 

 今の私はもう記憶が戻ってるんだ。だからもう、フミちゃんに記憶を預かってもらう必要は無い。

 

「お、早速やるのか」

「……キマシタワー?」

「あの娘、妙にキス上手いのよね……。川瀬さん、のぼせなきゃ良いけど」

 

 ミサさんがちょっと困ったような笑みを浮かべた。そりゃまぁ忌々しいけど、男性経験豊富なもんで。

 

「────っ!?!?」

「んー……」

 

 私はタク先輩のモノだろうスマホのシャッター音を小耳に挟みながら、フミちゃんが気を失うまでじっくりねっとり接吻した。

 

 何撮ってんだタク先輩このやろう。後で送ってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 そして私達は、安西さんに促され皆の前で今日の夜に起こった悲しい事件の顛末を話した。

 

 私が洗脳されていたこと。タク先輩も洗脳され、絶体絶命だったこと。ナオヤさんが愛を叫んだ事。私が能力無効に目覚めました事。

 

 それを聞いた反応は、人によりまちまちだった。

 

「……では、マリキューちゃんは私の『僕』モードを見ちゃった訳ですのね」

「ええ。信じられない美形で、ちょっとびっくりしました」

「私のあの状態を見てその反応であれば、能力無効は本物でしょう。普通は『僕』の事以外何も考えられなくなります」

 

 マイ先輩は納得したようにウンウン頷いている。洗脳下の泉先輩の正気が揺らいでいたし、それは事実なのだろう。でもなんかナルシストっぽい。

 

「俺、そんな死に方したのか。────馬鹿だな、妹に火を放つ兄があるか。そんな男ならなぶり殺しにされて正解だ」

「……だってそれは、兄さんは悪く……」

「ミサ、許してくれ! お前の玉の様な肌を傷付けた馬鹿な俺を! 苦しんでいる妹に気付けず襲いかかった俺を!」

「わっわっ、抱きついてくんな!」

 

 そして、ブラコンシスコン兄妹はイチャイチャし始めた。そのままどうぞお幸せに。

 

「……」

 

 最後にフミちゃんは、キスの後目覚めてからから無言で私に抱きついたまま離れなくなった。彼女も色々言いたいことは有りそうだが、何かを喋ろうとする度に滝のように涙を溢して喋れなくなってる。もうちょっと落ち着くまで待ってあげよう。

 

「と、言う訳なのだ先輩諸兄! 今日お集まり頂いた理由がお分かり戴けただろうか!?」

 

 安西女史が声を張り上げ、場が静まり返った。

 

「今聞いた通り! 我々がずっと苦汁を飲まされてきたあの社会の癌どもに、ようやく正面から対抗しうる日が来た! この若き新鋭たちの活躍を無駄にするべきではないと考える!」

「安西! 肝心のお前の見立てはどうなんだよ!」

「悪くはない! だが、よく見えないのが本音!」

 

 何の話だ? と思って首を捻っていたら、タクさんがこっそり耳打ちしてくれた。安西女史は未来が見える系の人らしい。

 

 成る程。前にタク先輩が未来予知能力者が天敵って言ってたのは、この人の事か。予知能力者に詳しいと思った。

 

「駄目ならやり直せば良い! 上手くやれば、積年の問題の殆どが解決する! 勇気を出すべきだと、私は考えた! 先輩諸兄も、奴等に飲まされた煮え湯の味をまだ覚えているでしょう!」

「勿論だ!」

「ならば、行きましょう! 私だって、最愛の夫を奪われた身! 決して奴等を許しはしない!」

「おお!」

 

 安西女史の演説で、集まった能力者たちが士気高揚している。安西さん、若いのにリーダー的存在になってるのね。

 

 と言うか安西さん、結婚してたの? まだ高校卒業して数年なんじゃ……。旦那さんを奪われたのか。それは、さぞ悔しかっただろうに。

 

「……いや、唯一良い感じの関係だった男友達が洗脳されただけですわ。安西さん、ガッツキ過ぎて異性にモテないので」

「あの二人、付き合ってすら無かった筈だ。安西さんの中で勝手に旦那に昇格してるのが全く笑えん」

 

 ……安西さん、アンタ。

 

「場所と敵の情報は、配布したメールの通り! では行きましょう、我等の大切なものを取り返しに!」

「おお、やるぞお前ら!」

「強い一体感を感じる……なんだろう、風、吹いてきている」

 

 こうして。かつてない大規模な対ヤクザ作戦が実行に移された。意気揚々と小グループに別れた私達は、さりげなくヤクザ本拠地に再度集まり、時間を決めて一斉に襲撃する。奇襲を察知されないための作戦らしい。

 

 と、言っても、私は最後尾なんだけれど。戦闘能力は全くないし、最年少組の一人だし。

 

 私の仕事は主に洗脳解除だけ。楽なもんである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは高級オフィス街の一角、ヤクザの事務所の偽装として立ち上げられた小企業。そここそ、ミサさんの情報によれば彼らが『ボス』と崇める存在が指示を出す所だ。

 

 ビルの1つの階をまるごと買い占めたというその企業は、その事業内容も何もかも不透明。だが、確かに上場しており利益も確かに出ていると言う。

 

 『怪しい』を絵にかいた企業である。

 

「で? こっからどうするんです?」

「まずボスを押さえて洗脳する。んで、配下の洗脳能力者をみんな此方側に寝返らせる」

「向こうには、洗脳能力者を束ねる洗脳能力者が居る筈だ。つまりミサを洗脳した能力者だな。ソイツさえ何とか出来れば私達の勝ちって訳よ」

 

 そう、敵の弱点もそこである。一人一人が自由意思で繋がっている私達と異なり、ヤクザは大半が洗脳により支配されているらしい。だから、能力者を束ねる洗脳能力者を押さえれば一網打尽なのだ。

 

 最も。今まではその詳しい情報が無かったから、行動に移せなかったのだが。

 

「ミサさんの配下の能力者は?」

「うん、集めたよ。能力持ってない子も、念のため呼んでる」

「……てことは、ヒロシもですか? その、ヒロシには危ないことさせないでくださいね」

「分かってるわ。集めただけで、戦力として使う気はないから。雑用担当よ、この襲撃が終わったら解放するわ」

 

 ミサさんが目配せした方向に、カナと二人、ファーストフードで食事しているヒロシが目に映った。パっと見、デートしているようにしか見えない。

 

 ……ヒロシの意思では無いんだろうけど、浮気現場目撃したみたいでモヤモヤするなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「取り戻すぞ、私達の大切な人を!」

 

 午後五時。奇襲部隊の第一陣が、同時にビルに突撃した。

 

 一般人を巻き込む訳にはいかないので、最初はスーツを着てる大人組がさも仕事をしているかのように侵入する手筈だ。

 

「大人組が制圧してから、俺達も参戦する。心の準備しとけ」

 

 襲撃部隊として後方に配置された私達奇特部は、タク先輩をリーダーとした四人小隊だ。予備戦力として位置付けられているが、ぶっちゃけ戦闘は危ないから大人に任せなさいって話である。

 

 制圧した後から悠々乗り込んで、私が被害者の救済を行う形だ。

 

「……やっぱり、マリがキスする必要なんて無くない? だって本当に洗脳されてるかどうか分からないわ。罪を逃れたいから、マリにキスして欲しいから、洗脳されたフリするかもしれない」

「後者はあんまり居ないんじゃないかなぁ? 後、それは大丈夫だよ。私、能力を破った時は分かるから」

「そうなの?」

「破ったら、もの凄くうるさいの。キィィン、みたいな不協和音が鳴り響く」

 

 そう、思い起こせば不協和音が耳をつんざく時は能力を破った時だけだった。時間逆行の時とか、幻覚を見抜いた時とか。

 

 洗脳されてない人にキスしても、音はしないから分かる筈。

 

「へぇ、便利だなお前の能力。……そう言うのが良かったなぁ、俺も」

「隣の芝はなんとやら、ですわよ。あんまり他人の能力を羨むものではありませんわ」

「あー、ゴメン」

 

 ばつが悪そうに、タク先輩は謝った。能力って、その人のトラウマそのものだったりするからね。

 

 私の場合はあんまり気にならないけど。

 

「それに。その、あんまりキスとかは他人とすべきでは……」

「ははは、今更だよフミちゃん」

 

 親友は若干貞操観念が堅いらしい。ろくに他人と付き合ってないから当然だろうか。高校生にもなってキスを躊躇うのは少しお子様過ぎるよ。

 

 今度、濃密な(キス)をお見舞いして性倫理観を矯正してあげようかな。

 

「……? 何か、寒気が」

「ふふ、どうしたのフミちゃん」

 

 悪戯な笑みを浮かべる私を、フミちゃんは困惑した目で見ていた。うーん、可愛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし。制圧が終わったらしい、乗り込むぞ」

「はい」

 

 その知らせは、程なくしてやってきた。乱戦になればタク先輩やマイ先輩も参戦する予定だったが、思った以上に敵の抵抗がなかったそうな。

 

 時間逆行能力のおかげでほぼ完全な不意打ちである。敵もきっと、対応しきれなかったのだろう。

 

 

 

 オフィス街に堂々と佇むそのビルの13階。その最奥にある閉ざされた個室の中に、老人は居た。

 

 白髪は抜け落ち、目は窪み、息も荒く。首筋や両腕に無数の点滴が繋がれたその老翁は、部屋に押し入った私達を興味が無さそうに眺めていた。

 

 周囲にズラリ、と目が死んで微動だにしない人を並べ。その老人は、1人静かに君臨していた。

 

「こいつが、ボス……?」

「間違いない、写真の通り。指定広域暴力団組長、泉源次だ」

 

 この弱り果てた爺こそ、私達を苦しめたヤクザのトップ。そう聞くと、確かに何か悪そうな顔をしているように見えてくる。悪役面と言う感じだ。

 

 彼は何かを喋ろうとしたのだろう、突然にこひゅー、こひゅーと彼は苦し気にむせこんだ。彼のすぐ近くに座っていた1人が、すぐさま酸素マスクを老翁につける。

 

 控えめに言って私達がたどり着いたそのラスボスは、瀕死と言った様子だった。

 

「これ。俺達が奇襲かけなくても、数ヶ月で寿命迎えたんじゃね?」

「……いや、数日持たんだろう。この老人は、もう末期だと思う」

 

 タク先輩の言うとおり。目の前に座っている老人には、既にはっきり死相が見えている。

 

 この老人は、もう長く持つまい。何のために襲撃をしたのか、馬鹿らしくなってくる。

 

「……か」

「あん? 爺さん、何か言ったか?」

 

 酸素マスクに頼りながら、その翁は私達に何かを言った。その言葉を聞き取るべく、タク先輩が老人に詰め寄る。

 

 絵面的には、瀕死の老人にチンピラが詰め寄っている形だ。タク先輩がなんか悪者っぽいが、悪役は死にかけな老人の側である。

 

「……来たか」

「あー。そーだぜ、来たぜ。アンタの悪事もここまでだ、って言いにな」

 

 ボソボソ、とかろうじて聞き取れる声量で老人は呟いた。まだ、ボケてはいないらしい。

 

 こんな成りではあるが、ミサさんを長期間洗脳し、ナオヤさんを殺しかけた極悪組織のボスである。死ぬ前に、反省させてやらないと。

 

 人の命は、心は、玩具にして良いものではない。能力者になってしまったからといって、絶望して好き勝手して良い訳ではない。

 

 私は、この男のした事を許すつもりはない。

 

 

 

 

 

 

 

「────やっと。わしを殺しに、来たか」

 

 その老人は、やがてそう呟いた。はっきりと、聞き取れる声量で。

 

「やっと、解放されるのか────」

 

 呆気に取られ、その老翁を見つめると。彼は乾ききったその眼から、静かな涙の滴を溢し。

 

「何だ。何泣いてんだこの爺!」

「なが、かった。長かったなぁ」

 

 そして静かに、頭を垂れた。まるで、早く殺してくれと言わんが如く。その、予想外の反応にタク先輩だけでなく、その場にいた全員が固まる。

 

「なんだよそれ。何だよお前! 自殺志願者か? もう十分生きたから、とっとと殺してくれってか!?」

「……は。は、は、は。お前は、アレじゃろ。能力者、じゃろ」

「そーだよ。お前に散々苦しめられて、それでもヤクザなんかに墜ちなかった能力者だよ!」

「はは、は、は……。なら、次は、お前かの。頑張、れ……。応援、してやるぞ」

「何を、言ってんだ? 結局、ボケてんのかお前」

 

 老人の発言は、主語も目的語なく要領を得ない。死の間際で、思考が纏まらなくなっているのかもしれない。真面目に話を聞く必要は無さそうだ。

 

 ……正気じゃないなら、反省も促せない。この老人は、人を食い物にするだけしておいて、幸せなまま死に逃げる。私の胸中は複雑だった。

 

 だが。

 

 

「若い、の。お前、好きな女は居るか?」

「あん? 居ねぇよ、まだ」

「そ、か。それ、わしの、すぐ後ろ。居るじゃろ、婆さんが」

「……居るな」

「わし、の、最愛の人。どうじゃ、美し、かろ?」

 

 ふぉふぉ、と潜もった声で笑う瀕死の老人。その後ろには、成る程、目に光のない老婆が車椅子に乗って座っていた。

 

 最愛の人、か。こいつ、恋人すら洗脳しているのか。いや、あるいは洗脳して恋人にしたのかもしれない。

 

 吐き気がする。この邪悪な老人を、ぶん殴りたい衝動に駆られる。

 

「……で? 何が言いたい」

 

 タク先輩も同じ気持ちらしい。低く不機嫌そうな声で、彼はその翁を睨み付けた。

 

 この老人に、手を下すまでもない。むしろわざわざ殺したりしたら、無駄に殺人の罪に問われるだけ。それをきっと、この老人は分かっているのだ。

 

 だから、こんな挑発を────

 

「少年。……守りたい者は、居るかの?」

「いっぱい居るよ。そんで、いっぱい守ってきたよ」

「わしも、だ」

 

 その時。老人が、小さく血を吐いた。タク先輩が一歩下がり、地面にボトリと血だまりが広がる。

 

「老婆心、という奴じゃ。聞かせ、ておこう」

 

 その、吐き出した血を拭うこともせず。老人は静かに、何かを語り始めた。

 

 この場の誰でもなく、タク先輩1人に向けて。

 

「洗脳する気かもしれませんわ、タク、耳を塞ぎましょう」

「いや、マリキューが居るから大丈夫だ。……聞いてやろうじゃねぇの、この糞爺の遺言を」

 

 マイ先輩の忠告も聞かず、タク先輩は老人の言葉に耳を傾ける。えー、キスするの私なんだけど。まぁ良いか。

 

「のう、少年。わしは、作りたかったんだ」

「……何を?」

「……食うに困り、盗みを働き、……やがて、捕まり撲殺される事もなく。能力なんぞに目覚めても、普通の人間の如く暮らせる為の、能力者の組織を。能力者が、笑顔で生きていける互助組織を!」

 

 ぐ、と老人の拳に力が入る。老人の心拍を記録するモニターが、ピーピーと成り始める。

 

「能力なんてもんに目覚めて、絶望の縁に立った彼女を、救える組織を。作りたかった……」

 

 何処かで聞いたことのある話を、のたまって。そして老人は、静かに語り始めた。

 

 罪と悪にまみれた己の半生を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦後。

 

 この老人が生まれたのは、四方八方が焼け野原となり、戦争の爪痕が色濃く残るそんな時代だった。

 

 彼は生まれもって、能力に目覚めていた訳ではない。ありふれた家庭の六人兄妹の真ん中に生まれ、ゲンジと言うありふれた名前を与えられ、何処にでもいる平凡な少年として幼少期を過ごした。

 

「ねぇ」

 

 彼の家は裕福とは言えなかった。闇市で盗品の横流しをして生計を立て、時には捕まって散々に打ち据えられて。彼は生きるために必死に、ありとあらゆる手段を使ってきた。

 

 時代が、彼の道徳倫理を奪ったのかもしれない。彼は、他人とは生きるために利用するものだと思い込んでいた。そして、それはこの時代に生きる人間にとって珍しいことでない。

 

「少年。お姉さんが良いことしてあげるからさ」

 

 そして、彼が色を知る年頃になると。女という生き物は生きるために、体を使って金をせびってくる事を学んだ。

 

 調子にのって大枚をはたいて、安い女を買って後悔した事もある。そんな彼がある日、夜道で若い女性に出会った。

 

「良いことした後、幸せな気分絶頂のあたしをさ」

 

 その女性は美人だった。今まで抱いてきたどんな女より、色っぽくて美しかった。むんむんとした色気に負け、自分の財布の中身を確認しようとした男は、

 

「────殺しておくれよ」

 

 その女が、死を求めてさ迷っていた事を知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そいつはチヨ、と名乗った。

 

「あたしはね、幸運なのさ。生まれもっての、絶対的幸運の持ち主」

「良かったじゃねぇか」

「そう思うかい?」

 

 そんなとんでもない事を頼まれたら、勃つものも勃たない。男は何とか普通に抱けはしないかと、女と話を続けることにした。

 

「あたしさ。空襲から逃げ遅れても、爆撃に巻き込まれなかったの」

「ついてるな」

「巻き込まれたのは、私のお母さんだけだったよ」

「ほーん」

 

 この時代、孤児は珍しくもなんともない。空襲で一家まるごと焼け死んだ、なんてのはよく聞く話だ。家族に不幸があったのは同情出来るが、だからと言って死を求める気持ちが分からない。

 

「こないだ米兵に襲われてさ。裸にされたからひっぱたいて逃げ出そうとしたら、殺されかけたよ」

「そうか。生き延びれてよかったな」

「ええ。撃ち殺されたのは、姉と妹だけだった」

 

 米兵も酷いことをする。敗戦国の国民の末路なんそこんなものか。大人どもはなんで戦争なんぞおっぱじめやがったんだ。

 

 お前らが負けなきゃ、俺はもっと楽に生きることが出来たのに。

 

「昨日は追い剥ぎに遭ったの」

「なんでぇ、お前服着てるじゃねぇか」

「ええ。兄が抵抗してくれて、あたしが逃げる代わりに殺されたから」

 

 成る程ね、昨日兄を失ったって訳か。こいつが今1人で居ることを考えると、最後の家族だったのか?

 

「あたしの大切な人はね。あたしが死にそうになると、代わりに死んじゃうんだよ」

「馬鹿言え、そいつらが死んだのはそいつらの運命だ。お前の代わりになんてなるものかい」

「なるの。そう言う、ものなんだよ」

「あー。お前さん、気狂いかい?」

「そうかもしれないわね」

 

 そう言って、女は悲しそうに笑った。

 

「だから、殺してよ。殺した後も、身体はあんたの好きにして良い」

「死んだ女に欲情するかい! まったく見てくれは良いのに、勿体ねぇ女だ」

 

 その美しい笑顔に、後ろ髪を引かれつつも。男はチヨを抱かず、静かにその場を後にした。

 

 気狂い女に関わると、ろくなことにはならいと思ったから。

 

 

 

 

 

 

 

 その、次の日。

 

「火事だ!! みな、手伝え!」

「はようバケツを持て! 列にならんで隣に回せ!」

 

 男の寝床のすぐ近所にある民宿が、炎に包まれていた。自分の住まいまで燃えたら堪らない、男も慌ててバケツリレーに参加する。

 

「桑原桑原、火の不始末だとよ」

「焼死体がもう2つも出て来てるってさ」

 

 迷惑な話だ。マリファナの不始末かヤク中が火の扱いを誤ったかは知らないが、ろくに水源もないこんな貧民街で火事なんて起こされたら堪らない。

 

 焼死体を踏みつけてやろうかと、消火した後の家屋に入り込んだ男が見たものは。

 

「……待て。コイツ、生きとるぞ」

「気を失ってるだけだ」

 

 昨日の女が、焼け残った畳の上で火傷1つ負わずにスヤスヤと寝ている姿だった。

 

 奇跡的に火が及ばなかった部屋のその一角に倒れ込んだその女は、煙を吸って気を失っただけらしい。人工呼吸をしてやれば、まもなくソイツは息を吹き返してしまった。

 

『私はね、幸運なのさ』

 

 昨日聞いた女の与太話が、頭の中で反芻される。

 

『生まれもっての、絶対的幸運の持ち主』

 

 その通り。確かに、その女は幸運だった。異常、と頭につけても良いくらいに。大火事の中、女の周囲だけ奇麗に焼け残るってのはどれほどの確率なのだろうか。

 

 そして男はその女の知り合いだと名乗り、女を自分の家に連れて帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だ君、あたしを引き取ってくれたのか」

 

 チヨは目を覚ますと、男を見て軽く笑った。

 

「あたしが寝ている間に、助平な事でもしたのかな」

「お前の頭の中はそればっかりか」

 

 はぁ、と男は溜め息をつく。男がその女を引き取ったのは、ただ理由を聞きたかったからだけだ。

 

 何でお前が焼けた家から出てきたのか。何でお前だけ、火傷1つ負わなかったのか。

 

「ああ。あたしは、そー言う人間なんだよ」

 

 女は、何でもないことのようにそう言った。

 

「男に囲まれて家に連れ込まれ、襲われそうになった。そしたらたまたま家に火がついて、みんな気を失って焼け死んじゃった。それだけ」

「……幸運だとかなんとか言ってたよなお前、それは何だよ」

「いや、あたし幸運でしょ?」

 

 何が分からないのさ。そう、女の顔には書いてあった。

 

「あたしの不幸はみんな、近くのあたしを好いた誰かに行っちゃうの。だから、私は超幸運」

「馬鹿な」

「あたしが望まない限り、私はきっと死なないんだよ。だから言ったのさ」

「……」

「あたしを殺しておくれよ、ってね」

 

 そして男は、チヨの話を聞いて能力者と言う存在を知った。

 

 理解を超えた何かを持ってる、超常の存在を知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最初は、利用するつもりで、チヨに近付いた」

「……」

「わしは、チヨを使えば何か凄いことが出来る。……そんな妄想に取りつかれていた」

 

 ちらり、と老翁は背後で動かぬ老婆を見やる。目に光の無いその老婆は、何も反応を見せない。

 

「いつからじゃったろうなぁ」

 

 呟くように。その爺は、話を続けた。

 

「利用してやろうと、散々世話してやってるうちに、気付いたら、わしはチヨに惚れとった……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男は、甲斐甲斐しく女の世話を続けた。身体を欲するでもなく、ただそれが当然であるかのように。

 

「なぁゲンジ。いつになったらあたしを殺してくれるんだい?」

「馬鹿言え。お前にいくら手間隙かけてやったと思ってる。返してから死ね」

「頼んだ訳じゃないわさ」

 

 一方でチヨも、その男の元から離れなかった。家族も何もかも失った女は、ただ殺してもらえることを期待してその男に付き従った。

 

「今日の飯は何だ」

「昨日アンタが盗ってきた大根の漬物」

「それだけか」

「それだけよ」

 

 端から見れば、夫婦にしか見えない。と言うか近場に住む貧民達は、彼らを夫婦として扱っていた。

 

 男が娼婦を養うなんてのは、珍しい話でもなんでもないからだ。

 

「あのさ。一応聞いとくけど、ゲンジあたしに惚れちゃいないよな?」

「何でこんな穀潰しに惚れなきゃならん」

「なら良いよ」

 

 だが、男は頑としてそれを認めなかった。男はチヨを利用するためだけに手元に置いているつもりだった。自分の心すら騙して、男はチヨと共に有り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────やがて、一発の銃弾が男を射抜くまで。

 

 

 

 ある日、村に熊が出て人が襲われる事件が発生した。

 

 すぐさまマタギが呼び出され、山狩りが始まった。男も村の人間として当然山狩りに参加していた。

 

 だがその最中、チヨを残してきた村から悲鳴が聞こえる。

 

 なんと熊は、山に帰っておらず再び村を襲ったのだ。慌てて引き返した男は、チヨが熊に襲われかかっているのを見た。

 

 男は、駆け出した。

 

「チヨから離れろ、熊公!!」

 

 理由も糞もない。ただ、チヨを守るため無意識に走っていた。熊の目の前に立って威嚇し、チヨから熊を遠ざけようとした。

 

「今や、撃てぇ────」

 

 いきなり乱入した男を警戒して熊が硬直した今が好機、そう判断した仲間たちは銃撃を始めた。

 

 男はそんな中、熊目掛けて一斉に撃ち始めたマタギの中にチヨに当たりそうな銃口に気付いてしまい。咄嗟に身体で、男はチヨを覆った。

 

「熊を仕留めたぞ!!」

「阿呆!! 人に当たっとるけ!」

 

 チヨを庇い猟銃に撃たれ腹から血が噴き出しているその時、初めて男は気付いた。自分が彼女を好いていたことに。

 

「……チヨ、生きとるか」

「生きとるに決まっとる、あたしは幸運だから」

 

 意識は遠退き、クラクラと血が足りなくなる。その迫り来る死の気配の中で、男は目にした。

 

「嘘つき。あたしのこと、好いとらんと言うとった癖に」

 

 ポロポロと涙を溢す、大好きな女の顔を。

 

「やっぱり、お前もあたしを好いとったんね。いつもこうだ。あたしを好いた人は、いつもいつも────」

 

 そして女は、大声で哭き始める。まるで男を怨むかのように。

 

「だから殺してくれと、言うたのに────」

 

 いや、むしろ。駄々をこねる子供のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時、男は思った。自分の命が助かりたい、なんて自己中心的な願いではない。

 

 ────可哀想なこの女を笑顔にしてやりたいと。男は、そう強く願った。

 

「どけ、チヨちゃん。コイツ、医の爺のとこに運ぶぞ!」

「女庇って銃弾受けるたぁ見上げた男だ! 殺すな、殺すな」

「誰か先に行って、医の爺に知らせぇ!」

 

 そんな、村人の献身が通じたのかは定かではない。男は数日間に渡り死の縁をさ迷った後、無事に生き延びた。

 

「ゲンジ、お前が捕まえた女は薄情じゃ。手紙一つ置いて、どこぞに蒸発しよったぞ」

 

 だがしかし。生き永らえたその男が最初に目にしたものは、チヨではなく1枚の手紙だった。

 

『あたしもアンタのこと、好いとうよ』

 

 それは愛した女からの、別れの手紙だった。

 

『だから、もう会うこともなかろう。探さんでね』

 

 チヨは、こうして男の前から姿を消した。自分の身代わりに男が死ぬことを嫌ったのである。以後数年間、男はずっとチヨを探し続ける事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で。その時から、不思議なことにのぅ。わしにも能力が宿っとった。能力ってのは、強い感情から生まれるものかも知れんの」

「それは……」

「わしは、……他人の性格を、好きに弄れるようになっていた。笑ってほしい相手に、笑って貰える能力じゃ」

「それって、ミサさんが掛けられてた」

「彼女の様な異能に目覚めたのだ。コレで大手を振って、彼女に会えると思うたんじゃ。わしは自らの異能を駆使して、チヨを探し回った」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男は、能力を使って他人を最大限に利用した。他人を自分にとって都合が良い性格にして操り、チヨの情報を集めて回った。数年後、男がチヨを見つけ出すまで。

 

 男は気付いていた。性格操作は、他人を殺すに等しい行為だと。今まで積み上げてきた倫理観や行動指針を丸ごと強引に書き換えるこの能力は、人を殺して作り変えているのと同義だと。

 

 だが、彼にとってそんなことはどうでも良かった。ただ、男はチヨに再会したかった。

 

 

 

 数年後。男と再会した彼女は、疲弊しきっていた。

 

 寂れた河原の一角で、身体を売って日銭を稼いでいた彼女は。目に生気も無く、生きるのに疲れ果てていた。

 

「……チヨ、か」

「ああ。見つかっちゃったか」

 

 女の瞳は濁っており。ボロボロの小汚い服を着て、下半身を丸出しに雑魚寝していた。頬はやせこけ、髪も短く切り落とされていた。

 

「探したぞ、来い」

「いかん」

「良いから、来い」

「いやだ」

 

 その、あんまりにみすぼらしい彼女の姿に耐えかね、ゲンジは彼女に自分の服を被せ連れ出そうとした。だが、ガンとして彼女は動く気配を見せなかった。

 

「お前は、運よく生き延びたんだ。もう、私に関わるな」

「うるさい。俺はお前を利用するだけだ」

「やめてくれ。もう、失いとうない。私が心から好いたゲンジだけは、死んで欲しゅうない」

 

 その表情は、絶望だ。生きることに何の希望も見出していない表情だ。

 

「なぁゲンジ。生きるって事は、何なんやろうね」

「……そんなもん、坊さんに聞け。俺は知らん」

「お前から離れてから、3人死んだ。私を庇って、私の代わりに、3人死んだ」

「ソイツらの運が悪かったんじゃ」

「……私が自殺しようとしても、私の代わりに大事な人が死ぬ。もう、自殺すら出来ん」

 

 女は、深い絶望の淵にいた。彼女は、死ぬことすら許されないのだ。

 

「初めて会った頃のお前は、私の事を間違いなくただのモノだと思ってた。その頃のお前なら、きっと私を殺せてた。なぁゲンジ」

 

 そんな彼女の望みはただ一つ。

 

「何であたしを殺してくれなかったん?」

 

 自らの、死だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……でもなぁ」

 

 何かを懐かしむかのように。老翁は、そこで話を区切って笑った。

 

「チヨはの、その後笑ったんじゃ」

「……そんな状況で、なぜ?」

「笑わせたからじゃよ」

 

 老翁の瞳が、狂気に染まり。得意げに、自慢するかの如く、老人は話し続けた。

 

「他人が死ぬのが嬉しくて仕方がないと。そう、性格をねじ曲げてやったんじゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 それは、男が初めて見た、彼女の満面の笑みだった。

 

「そうか。別に気にしなくてよかったんだ。あたしはあたしの心配だけしとけばよかったんだね!」

 

 初めてあった時から、一度も見たことの無い。彼女の満面の、心からの笑みだった。

 

「なぁゲンジ、お前についていって良いか? お前は私を好いているだろ?」

「……」

「なら、お前の近くにいた方が安心だ」

 

 ────男は気付いていた。性格操作は、他人を殺すに等しい行為だと。今まで積み上げてきた倫理観や行動指針を丸ごと強引に書き換えるこの能力は、人を殺して作り変えているのと同義だと。

 

「なぁゲンジ。これからも、ずっと一緒に居ような!」

 

 だとしても。

 

 

 

 

 

 

「笑ってくれたんじゃ」

 

 ポロリ、と爺は涙をこぼす。

 

「何を犠牲にしてでも、笑顔にしたかったその女が。わしの能力で、笑ってくれたんじゃ」

 

 

 

 

 

 以後。男は、彼女を守るための組織を作りあげることを決意する。自分が彼女の能力で死んだ後も、彼女を幸せなままにするために。

 

 その途中で、男は異能を持つ人間が自分たちの他にもたくさん存在する事を知った。そして、そのすべてが不幸のどん底にあることをも知った。

 

「最初は彼女を守るため。次に、哀れな能力者を救うため」

 

 男は、自らの強力な洗脳能力を用いて能力者に笑顔を配っていった。最愛の人にした事と、全く同じ方法で。

 

 人格を弄れば、能力者は皆が幸せそうに笑った。不幸のどん底にあるはずの彼らを、疑似的に幸せにし続けた。

 

「能力者を救う手段は、洗脳か死だ」

 

 洗脳がきかぬ者。洗脳したとして、危険すぎて管理できない者。そういった能力者は、迷わず殺した。

 

 その全ては、チヨの笑顔を守るため。一人でも多くの能力者を、笑顔にするため。

 

「正気じゃなくなれば、能力者は幸せなんだ。笑顔になれるんだ」

 

 彼は、自らの最愛の人のみならず。いつしか能力者そのものをも、大事にするようになっていった。彼自身も能力者であり、仲間意識を持っていたからかもしれない。

 

 不幸に苦しむ能力者を救うため。彼は、能力者を集め続けた。

 

「正気を保つのは、わし一人で良い。他の能力者はみんな、夢を見ているかのように幸せに過ごせ」

 

 それは、自己献身と言えるのかもしれない。

 

 その男は自らが死ぬまでずっと、他の能力者の為を想い、最愛の人を隣に置いて組織を拡大し続けた。ただ一人、正気を保ったまま。

 

「チヨ。もうすぐ、わしは死ぬ」

「……」

「この前仲間にした、運命操作系の男が居たじゃろ。あの男を呼んで来てくれ」

 

 そして、年齢も80近くなり。自らの死期を悟った老人は、配下の能力者に呪いをかけさせた。

 

 

 

「わしを殺した人間が。次の世代の能力者を統べる存在となるように」

 

 老翁が死んだら、残されたチヨや能力者たちの洗脳が解けるかもしれない。そうなれば、今まで老翁が守り抜いて来た笑顔が崩れ去ってしまう。

 

 老翁は、跡取りを欲したのだ。

 

「わしが死んだ時、最も近くにいた能力者が、次の世代のわしとなる」

 

 配下の能力者に、そう運命をねじ伏せさせて。老翁はゆっくりと、やがて来るだろう襲撃者を心待ちにした。

 

 能力者の笑顔を、守るため。不幸な能力者を救済するため。

 

「これで、わしの仕事は終わり。やっと、解放される」

 

 そして老人は心待ちにしていた。自分を殺す者を。自分の重責を継ぐ者を。

 

「これでやっと、謝れる」

 

 そして、彼が死んだらまず最初にする事はただ一つ。

 

「……チヨ。お前の心を捻じ曲げて、すまんかった」

 

 ────それは洗脳(ころ)してしまった最愛の人への謝罪。




次回、最終話。


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最終話「未来」

 老人は、そこで話を終えた。

 

「……」

 

 数多の能力者を『救済』の名目に乗せ、洗脳と殺害を繰り返してきた巨悪。そんな彼の行動原理は、壊れきって空回った愛情だった。

 

 きっと心の何処かで、彼はその過ちに気が付いていただろう。だが愛する人を犠牲にしたことで、いつしか止まることが出来なくなったのだ。

 

「馬鹿だな、この爺」

「……は、は、は。わしはこれで、お役御免────」

 

 目から徐々に光を失いながら、老人は嬉しそうに笑う。ずっと苦しんでいた何かから解放された、乾いた笑顔だった。

 

「やってる事が馬鹿すぎて。俺達じゃ、救いようがない」

 

 タク先輩は、苦々しげに呟いた。

 

 救いようがない、か。確かにこの老人は救えない。救われるには、あまりにも罪が大きすぎる。

 

 でも結局この人も愛する人が発現した能力と目覚めてしまった自らの能力に、人生を狂わされた被害者だ。

 

「……先に、行くぞぉ。なぁチヨ、死んじまったらよぅ。今度こそ、あの世で二人で────」

 

 やがてその翁は虚空を見つめ、ブツブツと独り言をこぼし始める。きっと、もう長くは持つまい。

 

「安西さん、コイツどうする」

「あ? 私がぶっ殺すよ」

「良いのか?」

「良いも何も、既に私は能力者を纏めあげる立場じゃん。暫定議長みたいなもんだけど」

 

 そんな、老人の話をつまらなそうに聞いていた安西女史は、懐から小さな銃を取り出してその翁の額に突き付けた。

 

「グロいのが苦手な人は目を閉じてな」

「は、は、は。何だ。お前がわしを殺すのか。そうか、頑張れ」

「言われんでも。お前の下手くそなやり方より、ずっとずっと上手くやってやる」

「後を頼む。チヨを頼む、みんなを頼む────」

「勝手な事を」

 

 それは、安西さんなりの救済なのかもしれない。

 

 この老人が、助かることはないだろう。だからこそ、あえて殺す。

 

 それは老人を断罪し、そして安らげる唯一の方法かもしれない。

 

 ────だけど。

 

「じゃ。死ね糞爺」

「……は、は、は」

 

 安西の指が、拳銃の激鉄に沿って伸び。無表情に老人を見下げる彼女が、ゆっくりと引き金を引き────

 

 

 

 

 

「……何の真似だ、マリキュー」

「ちょっとだけ待って、安西さん」

 

 その銃口に、私の手が重なった。その老人を守る為に。

 

「お、おいマリキュー! 何やってんだ」

「まだ殺しちゃ、駄目ですよ」

「ふむ。止めたからには何か理由があるんだな? 良いだろう、言ってみろ」

「いいえ。私は何も言いませんよ」

 

 その私の返答を聞いた安西は、怪訝そうな顔で私を見つめている。

 

 だけど私は思うのだ。まだ、この老人を殺すべきではないと。もっと、反省させてやるべきだと。

 

「私ではなく。()()に、言いたいことがあるそうです」

 

 だから、私は老人を庇った。己の罪の重さを、自覚させてやるために。

 

「────彼女?」

「このお爺さんには、私たちが何を言っても届きません。だけど、彼女の言葉なら」

 

 そして。

 

 

「ここ、は。あたし、は? え、え?」

 

 

 その老人にとってもっとも大切な人間が。今、正気に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────それは、いつ頃の記憶だろう。

 

「なぁゲンジ。お前、能力者を集めて何するつもりだよ」

「決まってるだろう。救うんだよ」

「何の関係もない赤の他人をか?」

 

 組織がある程度形になり、戦後の荒れ狂う日本を舞台に昭和の経済界に乗り込んだ矢先の事だったか。

 

「そうだ。奴らは生きているだけで不幸なんだ。そんな可哀想な連中は、誰かが責任を持って管理してやればいい」

「あたしみたいに? 気付いてるよ、自分が正気じゃないことくらい。前は人が苦しむ姿を見たって胸が痛いだけだったのに、今はこんなにも心地良い。これはあんたの能力かい?」

「ああ」

 

 雑多に立ち並ぶ新築ビルの一角で、男は女と二人話し込む。

 

 女は能力により正気を失っていて、男は正気を保ったまま狂っていて。

 

「で、あんたはちゃんと自分にも能力をかけてるのか? 自分の良心も消しちまえば楽だろう?」

「……ふふ、出来ないんだよそれは」

 

 女の提案に、男は寂しそうに笑った。彼女の言うように自分の心を騙せるなら、どれだけ心が楽になるだろう。

 

「自分には、かけられなかったんだ。他人にしか能力は有効じゃないらしい」

「あれま」

 

 そう。男は何度も、自分に自分の能力をかけられないか試していた。だが決して、上手くいくことはなかった。

 

 能力に目覚めた者はすべからく不幸である。それは、この男も例外ではない。

 

「同情してくれるかいチヨ。俺は、俺一人だけはずっと正気のまま、こんな君と相対しつづけないといけないんだ」

「そりゃ、ご愁傷様。あはははは!」

「以前の優しい君とは二度と話すことはできない。君は最早、死人も同然。でも、君が笑ってくれていることだけが救いなんだ」

「良いね、愛されているねぇ私は」

 

 ゲラゲラと、下品に笑うかつての想い人。心を悪に染めたその女は、苦しむ男を愉快千万と言った顔で眺めている。

 

「ああ。愛していたよ、チヨ。君が正気に戻ってしまったら、俺はどんな叱責を受けるだろうね」

「そりゃ、絶対許さないんじゃねぇの?」

「だろうね。知っている」

 

 そんな彼女を、男は静かに抱きしめた。

 

「それでも、俺は君が好きだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ああ、あああっ! あああああ!!!」

「……チヨ。何が、どうし────」

 

 蘇る。

 

 老婆の中で蓄積された、悪魔の記憶。人を人と思わず、救済を名目に他人を殺し続ける男と共に歩み続けたその人生を。

 

 人を傷つけたくなくて死を選ぼうとした女は、自らの命の為に沢山の人を害し続けた。目の前の老人に、心を操られたせいで。

 

「貴方の洗脳を、解きました。私はそう言う能力ですので」

「は? 何、を。貴様何をした、何をしている!? お前たちは、能力者を救うためにわしを殺しに来たのだろう!」

 

 それは、老人を動揺させるに十分な出来事だったらしい。今まで、殺そうが好きにしろと言った態度だったその翁は初めて声を荒げ叫んだ。

 

「やめてくれ、チヨをそっとしてやってくれ! 彼女は、優しい女なんじゃ! 今までの自分のしてきた所業をしって、気に病まぬはずもない! もう残り少ない彼女の余生、平穏で過ごしてやってはくりゃせんか!」 

「……あたし、は。嘘、嘘、嘘だ────」

「ああ、チヨ。こっちを向け。わしの目を見て、そしてゆっくり────」

 

 先程まではずっと、人形のごとく黙りこんで動かなかった老婆は。目を見開き、両の手で頭を押さえ突っ伏した。

 

 操られていた間の記憶があるのだ。この老婆にとって、それはどれ程苦痛だろう。

 

 老人は、震える手つきで老婆へと寄り。荒い息を吐きながら、その婆の顔を覗き込んだ再び、洗脳しようと言う心算だろうか。

 

 ────だが。

 

「あ?」

「何て、馬鹿なことをしてたんだい、お前は……」

 

 瀕死の老人は、静かに抱きしめられていた。それは老人の予想を超えていたのだろうか、彼はシワの寄った目を丸く見開いて硬直した。

 

「なぁ、ゲンジ。悪かった、死にたいなんて言ってさ。悪かった、お前はこんなにあたしを想ってくれていたのに、お前の元を離れてさ」

「チ、ヨ」

「あたしが受け止めるべきだったんだ。あたしがあんたの死をも覚悟して、あんたと添い遂げる覚悟があればこんなバカな事には────、ごめん」

 

 だが、ただ抱き締められているだけじゃない。

 

 その老婆は、老人を包み込むように首筋を抱き。翁の口元に当てられた酸素マスクを外し、正面から向かい合った。

 

「……一緒に死のう、ゲンジ」

「チヨ、お前は」

「もう終わろう。終わんないとダメなんだよ、こんな事はさ」

 

 それは、さながら愛の告白の瞬間のようで。老いた女の皺が寄った両手は、愛しいものを包むが如く。

 

 ────静かに、老人の首を絞めた。

 

「確かに能力者ってのは生きてるだけで辛い、そんな法則があるみたいだね。でも、それでも────大切な誰かと出会えたその瞬間は幸せなんだよ」

「────か」

「ごめんね、泣き事を言いすぎたんだねあたしは。ゲンジと出会ったこと、とっても幸せだったんだよ。だから、人の心を握りつぶしちゃダメなんだ」

「────エホッ」

「もっとちゃんとあたしが言葉に出せば、こうはならなかったんだね。アンタと出会えたことだけは、くそったれなあたしの人生最高の瞬間だった」

「────」

「どんなに不幸でも、どんなにドン底でも、死んだ方がマシだと思っても。その中に、小さな幸せを見つけて生きていかなきゃ駄目なんだ」

 

 

「だから。……バイバイ、ゲンジ」

 

 

 これが、その日私が見た、悲しい老人の生の終幕だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ。あいつら放置してきて良かったのか安西さん」

「……もう、あの婆も長くないのだろう。それに、諸悪の根源はもう死んだ」

 

 結局。私達はせっかく敵の本拠地を制圧したと言うのに、洗脳された能力者の情報と連絡先を控えただけで引き返した。

 

 あの場に残っても、出来ることは何もない。いや、何かをしてはいけない。そんな気がした。

 

「愛した女に説教されながら殺される事ほど、辛いことはないわな。死んでからたっぷり反省すると良いさ」

「はぁ。でもあの爺、ほっといても後数日で死んだよな。俺達は何の為に頑張ったんだが……」

「少なくとも部員の命は守れましたよ、タク先輩」

「……そっか」

「そうですわ」

 

 タク先輩は、気怠そうにそうぼやくけど。

 

 実際、この人が洗脳されたまま東京湾に沈められたならタイムリープは発生しなかった可能性が高い。そうなれば、フミちゃんやマイ先輩は生き返らせられなかっただろう。

 

「あ、マリキューよ。明日は放課後開けておけ!」

「放課後ですか?」

「ヤクザ配下の洗脳能力者達を救わないと」

 

 む、そうか。それは私の役目だ。

 

 私は安西女史に了解ですと答え、明日の予定を思い起こす。大丈夫よね、洗脳中に変な約束して無いよね。

 

「洗脳能力者さえ正気に戻したら、後は順次洗脳解除出来る筈よ」

「本当に便利だよねぇ、私の唇……」

「……ただ、術者の意思で洗脳が解除出来ないケースも有りますわ」

「そうなったら面倒ですよねー。私が片っ端からキスして回らないといけないので」

「マリがそこまで自分を犠牲にする必要は……」

 

 いや、そこはどうでもいいんだよフミちゃん。問題はキスした連中に、キスシーンの記憶が残るかどうかだ。覚えられてたら間違いなく気まずくなる。

 

 しかも私がキスした相手は、白目剥いて痙攣し始める訳で。地獄絵図かな? ロマンもへったくれもない。

 

「でも、爺さんの言うことに賛同してる奴はどうするよ。洗脳されたままの方が幸せだった! とか言い出す奴も居るかもしれん。安西さん、そういう場合はもっかい洗脳してやるか?」

「あん? そんなのほっとけ」

 

 そんなタク先輩の疑問を、安西女史は面倒臭そうに聞き流した。

 

「それがソイツの人生だ。他人がケチつけて良いことじゃねぇ」

 

 それが安西女史の答えだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フミちゃーん!」

 

 あの日から、一週間。

 

 洗脳されていた能力者達の処遇や支援で、安西女史は大忙しらしい。タク先輩やマイ先輩も、彼女の手伝いをするべく放課後に駆り出されていた。

 

「一緒に帰ろ?」

「ええ」

 

 私達も時折駆り出されていたのだが、漸く一段落したので休みを貰えた。そろそろ、フミちゃんとの約束を果たさないといけないと言ったら女史は快く許してくれた。

 

「ヒロシったら酷いんだよ! ちょっと性格イメチェンしましたって言ったら、今の私がちと不気味だって」

「成る程。なら一刻も早く別れるべきね」

「それは極端かなぁ。ねぇ、そんなに不気味?」

 

 ヒロシやカナなど、ミサさんに洗脳されていた人達はその間の記憶がなかった。

 

 ヒロシの私への告白自体、洗脳された時のものじゃないかと一瞬ビビったが……。洗脳が解けたヒロシは私を彼女と認識していたので、一安心する。そうよね、最初ヒロシはめっちゃ私の事助けてくれたもんね。洗脳されてる訳ないか。

 

「前の私は結構内気だったからなぁ……、落差が激しいのかも」

「確かに落差は酷いかもね」

 

 一方、私は記憶が戻ったことで露骨に性格が変わってしまった。ヒロシに心配かけないよう以前のようにエキセントリックに振る舞おうか迷ったけど、パンツ見えるかもしれないのに机の上でクルクル回ったりするのは無理だ。何考えてたんだ私。

 

「でもマリ、貴女絶対に初めて会った時より明るいわ」

「……そっかな?」

 

 けれど、フミちゃんは私を見て少し嬉しそうに微笑んだ。以前より明るい……のは、確かにそうかもしれない。前が暗すぎたと言う話でもあるが。

 

「多分記憶を無くして過ごした期間の、ちょっと変わった性格の貴女が混じってる」

「まぁ、どっちも私だからね。……でも出来れば思い出したくないから、あんまりマリキュー時代は触れないで」

「結構面白かったんだけどね、あのマリも」

 

 からかうように、彼女は笑う。そりゃあ面白かっただろうさ、他人から見る分には。

 

 神と悪魔の隠し子、マリーキュースデストロイヤーと自己紹介する女子高生。ヒロシはよく告白する気になったもんだ。

 

「今更、クラスでの扱いは変わらないけどね。性格が変わったら、私は『高校デビューを目論んで失敗した痛い娘』扱い」

「成る程。そう取られたの」

「ちょっと変な方向にデビューしちゃったね、なんて笑われちゃった。とほほ、やっぱり能力者って基本不幸なもんなのねー」

 

 あんな高校デビューがあるか。でも、本当の事なんて話せないし。私は今後一生、この黒歴史を抱えて生きていく羽目になる。

 

「でも────」

 

 でも。

 

「フミちゃんともう一度出会えたこと、私は幸せだよ」

「……ええ」

「こうして一緒に出掛けられたなんて夢みたい」

「……」

 

 能力のせいでどんなに嫌なことがあっても、幸せは間違いなくここにある。

 

 不幸のドン底だった中学時代の私を救ってくれた親友。絶対に並んで歩くことなど出来ないと思ってた、大事な友達。

 

「辛い事に負けず生きていこう。それが、例え死すら生ぬるい程に悲惨な事だったとしても」

 

 それは、彼女からしてもきっとそうだ。誰とも話せなかった、誰とも仲良く出来なかったフミちゃんも……、きっとこうして普通に誰かと遊べる日を心待ちにしていた筈。

 

「不幸に耐えれば、いつか願いは叶うと知ったから」

 

 そしてそれは実現した。今日、親友と二人並んで遊びにいく私達は間違いなく幸せだ。

 

「たった一度の出会いが、その不幸を上回れるって知ったから」

 

 能力者達の未来に、幸多からんことを。




 これにて長らく連載しておりました「どうだ、私は頭がおかしいだろう!?」は完結となります。ここまでお付き合いいただけた読者の皆様にや、励みになる感想をくださった読者の方々に心よりお礼申し上げます。

 また、本作を書き上げるにあたり色々とご指導いただいた師匠や兄弟子弟弟子諸兄にもこの場を借りて謝辞を申し上げます。ありがとうございました。

 今後の更新予定としましては、後日談が1話ほど用意しておりますので、よければお待ちください。


 ここから下は、余談と裏話になります。興味のない方は読み飛ばして下さい。


 ……もしこの最終話にもやもやした感覚を抱かれた方もいらっしゃれば、私はその方に感服いたします。はい、本作は残念ながらプロット通りの終わり方ではありません。プロットが崩壊してから無い頭を捻って何とか軌道修正を試みたのですが、不時着の様な終わり方になってしまったことをお詫び申し上げます。

 小説と言うのは本当に難しいと実感しました。私の力不足を認めるところでございます、申し訳ありません。

 と言うのも、原因はハッキリしておりまして。そう、「ヒロシ」って奴が何もかも悪いのです。



 ────はい。白状しますとヒロシと言うキャラクターは、プロットに名前がありません。彼は単なるモブです。

 もっと言うと、本作でヒロシの立ち位置となる本来のヒーロー役はタク先輩です。ヒロシとタク先輩の二人のキャラが微妙に被っているのはそのせいです。つまり、本来の最終話は「マリとタク先輩が能力と言う不幸に見舞われつつも、出会えた喜びを叫び老人を諭す」のが初期プロットです。

 なので何故か1年生のヒロシが2年生の泉小夜と親しかったり、後半のタク先輩のムーヴが見せ場無しの無能キャラになったり結構プロットがボロボロに破綻していました。隔週更新に切り替えたのも、軌道修正を考える時間が欲しかっただけです。

 では、そもそもヒロシって何で出てきたのか? それは、私がちょうど一年ほど前に本作のプロットを師匠に見せた時の会話が原因となります。

「……師匠、如何でしょうか。前作でプロットの重要性を学んだので、本作は最終話までガチガチにプロットを固めてみました!」
「ふむ……」

 ギャクコメディは既に書いたことが有ったので、スキルアップの為に短くまとまったシリアス異能バトルを書こう。それが本作のモチーフであり、師匠に見せたプロットも4人の主要キャラクターの過去をまとめて「何話までにどんなイベントを起こすか」を箇条書きした簡素なものでした。

「聞け、弟子よ。……序盤が薄すぎないかこれ」
「……っ!!」

 その、第一章のプロットを指さしながら師匠は渋い顔をします。師匠の言葉は正鵠を射ていました。私は伏線を張るイベントをいくつか箇条書きにしてはいましたが、マリが襲撃される事件が起こるまでは時間が巻き戻るくらいしか大きなイベントがありません。日常の中で淡々と伏線を張るだけの味気ない展開です。

「……流石師匠、では私はどうしたら!」
「ふ。俺に良い考えがある、任せておけ」

 師匠にプロットを見てもらえてよかった。私は心からそう思いました。

 自分ではなかなか気づけないようなことでも、読者目線と作者目線の両方の立場からアドバイスをくれる。師匠は、私にとってまさに神様のような存在です。

「────ヒロシを使え」
「……ん?」

 ヒロシを使え。それが師匠のアドバイスでした。

 私はプロットを読み直します。そこにはどこにも、ヒロシなんて登場人物は存在しておりません。

「あの。誰かと名前を間違えていませんか師匠。ヒロシなんてキャラは本作には────」
「ヒロシを変幻自在に操れ。さすれば、序盤の展開はもう少しましになるだろう」
「いえ、ですから師匠……」

 大変です。酒が入っているからか、師匠がボケてしまわれました。使えない師匠も居たもんです。

「……ヒロシを出したり入れたりしろ!」
「ははぁ、隠語ですか? ひょっとして師匠の中で、ヒロシはチ●コの隠喩か何かなんですか?」
「そう、上手く外角と内角にヒロシを使い分けるのだ……。ヒロシを出し入れして、読者を幻惑するのだ……」
「変化球!? ヒロシは変化球か何かなんですか!?」

 師匠はたいそう機嫌よく、そんな無茶ぶりをしてきました。何を言っているのかよくわかりませんが、とりあえず師匠の言うことなので素直にプロットにヒロシの事を書き加えます。

「では書くが良い。天下無双のヒロシ捌き、期待しておるぞ弟子よ……」
「は、はぁ」




 ……そして、目の前が真っ暗になり────





「……はっ!? 夢!?」

 その辺で私は目が覚め、布団から飛び起きました。そして先ほどの師匠は、夢の中の登場人物だったことを知ります。

「師匠……。夢にまで出てきてアドバイスをくださるとは、なかなかできる事ではない。流石です師匠……」

 そして、私は寝起き一番にスマホを開き、執筆を始めたのでした。せっかくの師匠のありがたいお言葉を忘れないうちに。

 だがその時に付け加えてしまったプロット通り、ヒロシを出し入れした結果。何故かマリキューとヒロシにでかいフラグが立ってしまい、付き合うまでに至りました。

 そう、師匠の余計な一言のせいで私は終始苦しむ羽目になったのです。そのことについて現実の飲み会で師匠に文句を言った結果、

「お前(の精神状態)おかしいよ……」

 と可哀想な目で見られました。解せぬ。




 これがヒロシの誕生秘話であり、嘘の様で本当の話です。少し遊び心としてキャラを足したら、プロットを固めすぎていたせいで修正が効かず最後まで突っ走ってしまった形になります。

 本作は失敗が目立ちましたが非常にいい勉強になりました、次回作はもうちょい余裕のあるプロットを練ります。

 次回作は……、匿名で投稿している話を完結させてからにしたいのでしばらくかかります。短編をハーメルンに時折上げる程度の活動になるかもしれません。

 匿名で投稿したその作品は、ぶっちゃけ匿名機能使って知り合いの名前で投稿してやれという遊びで匿名にしただけなのでそのうち匿名解除するつもりです。ただ解除するタイミングが分からない……。

 丁度向こうは1部完みたいな感じで更新が止まっているので、2部再開と同時に解除を考えてます。なろうには投稿してませんのでなろうから読まれている人は御免なさい。

 では、またどこかでお会いしましょう。


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