君の名は。〜after story〜 (ぽてとDA)
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〜プロローグ〜
第1話「君の名前は」


君の名はのその後が気になりすぎて、だったら自分で書いてしまえということになりました。よろしくお願いします。


朝、目が覚めるとなぜか泣いている、そういうことが、時々ある。

 

 

 

 

 

 

 

見ていたはずの夢はいつも思い出せない。

 

 

ただ…

 

 

 

 

 

 

 

ただ、何かが消えてしまったという感覚だけが、目覚めてからも、長く、残る。

 

 

 

 

 

 

 

ずっと何かを…誰かを、探している。

 

 

 

 

 

 

 

そういう気持ちにとりつかれたのは多分、あの日から。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星が降った日

 

 

 

 

 

 

 

 

それはまるで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで夢の景色ように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただひたすらに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美しい眺めだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

君の名は。 〜after story〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつのまにか、癖になっていた。ふと右手を見て、そこにあった何かを思い出しそうになる。でも、思い出さないといけない、忘れちゃいけないその何かは、頭の中からすっぽりと抜け落ちて、そこに空白を作る。どんなに思考を凝らしても、その空白はまるで桜の花びらのようにするりと抜け落ちていく。私はいつもそこで諦めてしまう。

 

4月も中頃を過ぎ、社会人としての生活にも慣れたころ、俺はいつもの携帯のアラームで目を覚ます。見慣れた天井、見慣れた部屋。普通のことなのに、何故か悲しい気持ちが溢れてくる気がした。あぁ…またか、頰をつたる違和感を感じて手を当てると、何故か涙を流している。何度目だろう。こういうことが、時々ある。もう、そんなことも気にしなくなってしまった。

氷のように冷えた水で顔を洗う。顔を上げて鏡を見ると、自分の顔がまるで誰か違う人のように感じる。何かを思い出しそうな、でも、思い出せない。終わりのない螺旋階段を登り続けるような、そんな感覚に襲われて、俺はまたそこで諦めた。

 

 

玄関を開けて外へ出ると、見慣れてきた東京の街並みが広がっている。大小様々に立つ高層ビル群は、そのガラスに春の暖かい日差しを反射して、幻想的な光のアーチを描いている。あぁ、なんでだろう…ここに引っ越してくる前にも、この景色を見たことがある気がする。そんなわけはないのに、私の中の何かが、この景色に懐かしを感じさせる。もう、こんなことを思うのも何回目だろうか。

 

 

朝日を浴びながら人混みの中を歩く。東京の朝は人が多い。俺はあの日から、いつも誰かを、何かを探している。何故だろうか?赤いゴムで髪を留めている女性を見かけ、少しだけ心が跳ねる。でも、すぐに違うとわかり、目を伏せる。あの人じゃない、答えは今日も見つからない。

 

 

 

 

ただ、私には1つだけ分かっていることがある。

 

 

 

 

それは

 

 

 

きっと、答えは

 

 

 

 

一目見ればすぐにわかる。

 

 

 

 

きっと…

 

 

 

月曜の朝の駅は、いつもより少しだけ混んでいる気がする。電車に乗ると、乗り口とは反対側のドアまで移動し、そこに寄りかかる。俺が降りる駅までこのドアは開かない。だから、俺はいつもここに立つことにしている。

 

 

私がいつもの場所に移動すると、ゆっくりと電車は動き出す。それに合わせて、快速電車だろうか、向かい側の電車も並走するように動き出す。いつもの、何も変わらない、そんな日々が、また始まろうとしている。

 

 

 

ふと、顔を上げると

 

 

 

並走する電車のドアに寄りかかる男性が見えた。

 

 

 

何かが、はまりそうになかったパズルのピースが、あるべきところにはまろうとしている。そんな感覚だった。

 

 

 

あぁ、そうか…あの人だったんだ…

 

 

 

やっと、やっと、

 

 

 

見つけた

 

 

 

 

 

いつも、誰かを探している

 

 

 

 

 

 

 

その答えが、見つかった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで、世界の時が止まってしまったように、2人は見つめ合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「降ります!すいません降ります!」

 

電車が止まった瞬間、俺は駆け出した。あの人だ!きっと!

会ったことはない、見たこともない、それでも、俺の体全身があの人だとそう告げていた。

 

 

あの人が、答えだと。

 

改札を駆け抜けて、彼が乗っていた電車が止まったであろう駅に向けて走りだす。タクシーだとか、バスだとか、そんなことを考えている余裕なんてない。

こんなに走ったのは何年振りだろうか、ヒールを履いた足が悲鳴をあげようとも、御構い無しに私は走り続けた。

 

 

「あっ」

 

 

見上げると、階段の上に彼女は立っていた

 

 

 

 

 

桜の花びらが2枚、木から落ちようとしている

 

 

 

 

階段を上る、ただ、ただ、君に会いたくて

 

 

でも、会ったことも、話したこともない

 

 

どうしてだろう、何故こんなにも、嬉しいのだろうか

 

 

すれ違う

 

 

だめだ、あと少しだけでいい、もう少しだけでいいから、君と一緒にいたい。

 

 

声をかけないと…

 

 

たった一言、それだけでいいから

 

 

 

 

 

「あの!」

 

振り向いた彼女は、その顔を涙で濡らしていた。どうして泣いているのだろう?あれ?

 

 

声をかけてくれた彼の顔は、涙を流していた。どうして泣いているのだろうか。私も、とても嬉しいはずなのに、幸せな気持ちなのに、どうして涙が出てくるのだろうか。

 

 

 

 

「…俺…君をどこかで…」

 

 

声をかけた彼女は、その言葉に少しだけ驚いた顔をした。そして、微笑む。

 

 

「…私も!」

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも誰かを探している。その答えが、やっと見つかった。きっと、君がそうだ。だから、また、ここから始めよう。

 

 

 

 

 

 

二人で、まるで、せーのっと掛け声を合わせたように

 

 

 

 

 

始まりの合図を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「君の名前は」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桜の花びらが2枚、ふわっと地面に落ちた。

 

 



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〜再会編〜
第2話「始まり」


「すいませんでしたっ!」

 

開口一番、俺は課長に頭を下げた。

時計の針はすでに10時を回っていて、この会社の始業時間は9時からだった。遅刻も遅刻、大遅刻だ。

 

「まぁまぁ、寝坊なんてよくあることだよ…俺もやったことあるし、何回もやらなければ問題ないよ、立花君」

 

「いえ…でも、ほんとうにすいませんでした。もう二度とないように気をつけます…」

 

「はいよ、それじゃ仕事の準備、ちゃっちゃとやっちゃいな」

 

そう言い残すと課長はヒラヒラと手を振りながら自分のデスクに戻って行った。

 

まだ研修中だってのに、やってしまった。でも…今日は…

 

「おいおい瀧…」

 

ため息をつきながら自分のデスクに座り、仕事の準備を始める俺のところに、チャラチャラした笑顔の男が近づいてくる

 

「お前ってやつは、早速ネタを作ってくるとは、なかなかやるじゃないか」

 

 

笑いながら俺の肩を叩くこの男は、同期で唯一同じ部署に配属された吉田だ。いいやつだが、こういところが癪に触る。

 

「うるせぇ、お前だって寝坊くらいしたことあるだろ?」

 

「残念、俺は小学生から皆勤賞だ、ん?」

 

ヘラヘラと笑っていた吉田の顔が怪訝な表情に変わる。

 

「お前、今日の遅刻、寝坊じゃねーな…」

 

あぁ、あとこいつは妙なところで鋭い。そんなところも癪に触る

 

「はぁ?ね、寝坊だっての!」

 

「ふーん、じゃあお前、自分の顔鏡で見てみろよ」

 

こいつは何を言っているんだ、そう思いながら手鏡を取りだし自分の顔を見た。

 

 

 

そこには…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、なんなんやさーー!!」

 

思わず方言が出てしまったがそんなことはどうでもよかった。鏡には、頰がだらりと下がって、始終笑顔の、言い方を変えるとニヤニヤした自分の顔が写っていた。頰を引っ張ったりつねったり、どんなに頑張って真面目な顔をしようとしても、すぐに笑顔に戻る

 

「な、なんで…」

 

「寝坊で遅刻した人がそんな顔できるとは思いませーん」

 

同期の夏海が怪訝な表情で詰め寄ってくる。夏海は同い年で、去年から一緒の部署に配属された、ショートカットが似合う女の子だ。今では一番気軽に話せる同期でもある。

 

「さっさと白状しなさい!なんか良いこと、あったんでしょ!」

 

「な、なんもないって!ほんとに寝坊なんよ!」

 

「ダウト、三葉の方言がでるときは焦ってるときか嘘ついてるとき」

 

「うっ…」

 

まだ1年くらいしか一緒にいないのに、どうしてこう私の癖を見抜いてくるのだろうか

 

「わ、わかったから!話すから!近い!夏海近いってば!!」

 

鼻先が擦れるくらいまで近づいてきた夏海を押し返して、三葉は観念する。もう逃げ場が無かった。

 

 

 

 

「その、なんていうか」

 

 

 

 

「うまく言えないんだけど…」

 

 

 

 

「「運命の人、見つけちゃいました…みたいな?」」

 

 

 

 

「「はぁ?」」

 

 

 

 

とある2つの会社で、とある男女が全く同じタイミングで同じ言葉を発した瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「立花…瀧です」

 

 

「宮水、宮水三葉です」

 

 

三葉…三葉、三葉、三葉

頭の中でなんども反復する。宮水さんに頭の中を覗かれたら、きっとドン引きされるだろう。でも、とても良い名前だ、とてもしっくりくる。なんだろうか、初めて聞いた名前なのに、初めてじゃないような、そんな名前だ

 

「三葉…良い、名前ですね」

 

「え、そ、その、ありがとうございます…瀧くんも、とっても良い名前だと思います…」

 

「瀧…くん」

 

「あっ、ごめんなさい!いきなり下の名前で…」

 

「いやっ!いいんです!むしろそっちの方が…」

 

「えっ?」

 

2人して顔を真っ赤にして俯く、あぁ何をやってるのだろうか、初対面の相手の名前をいきなり褒めるなんて…これじゃ下手なナンパだ…

 

「いきなり声をかけてごめんなさい、電車で貴方を見て、どこかで会った気がして、それで…」

 

「わ、私も!貴方をどこかで見た気がして!それで…電車を…」

 

今から考えると、おかしな話だ。どこかで会ったことがある気がする…それだけで電車を降りてわざわざ走ってくるなんて

 

そのことに気づいて、2人ともまた顔を赤くする

 

「あの…もしよかったら、連絡先、交換しませんか?」

 

首の後ろをかきながら、恥ずかしいけれどもそう聞いてみる。相手も俺のことを探してわざわざ電車を降りてきたんだ、つまり、脈アリってことだよな?

 

 

「はい!是非!そうしましょう!」

 

 

できる限りの笑顔で、そう答える。恥ずかしさやら、嬉しさやら、色んな感情が折り重なって、変なテンションになっている自分がわかる。

 

また、2人して顔を赤くする。

 

なんだか恥ずかして、でもどうしようもないくらい嬉しくて思わず笑ってしまう。

 

今度は2人して笑い出す。

 

 

「ふふっ、なんだかおかしいですね、私たち」

 

「ええ、こんなこと普通はしませんよね」

 

 

笑いながら、泣きながら、穏やかな雰囲気の2人を春の陽気が包んでいた、が

 

「「あっ!」」

 

連絡先を交換しようと携帯を開いた2人は同時に声をあげる。

それもそうだろう、2人の携帯には出勤時間を過ぎてもなお姿を見せず、連絡もないことを心配した同僚や上司からのメールや電話がひっきりなしに入っていた。

 

「あっちゃ〜…やっちまった…」

 

額に手を当て思わず空を仰ぐも、失った時間は元には戻らない。いや、この場合は戻ってもらうと困るか…

 

「私も…初めてやっちゃったかも…」

 

宮水さんは困り顔でそう言ったが、俺とは違ってなんだかちょっと、楽しそうだ。

だが、新人研修中の俺にとっては遅刻で評価が下がるのは結構痛い…

 

とにかく、俺達はささっと連絡先を交換すると、携帯をポケットにしまう

 

「とりあえず、連絡先は交換したし、今はお互い会社に急ぎましょうか」

 

「そうしましょう。ごめんなさい、私のせいで遅刻になってしまって…」

 

「いえいえ、声をかけたのは俺ですから。宮水さんこそ、俺のせいで遅刻してしまってすいません…」

 

「大丈夫ですよ、私はそんなに怒られないと思うし…立花君は、怒られちゃいそう?」

 

「実は俺、まだ研修中なんで、きっと大目玉です」

 

はにかみながらそう言う、怒られることは目に見えてるのに、何故か気分は悪くない

 

「あっ、それは大変!早く行かないと!」

 

俺の言葉を聞いて、宮水さんは焦り出す。

 

「そうですね!宮水さんも!遅刻はまずいですよね!」

 

俺も、そんなことを言って、でも、まだそこに立ち止まっていた。

 

「……」

 

「………」

 

お互いに、相手の目を見ながら、動けない。頭ではわかってる。さっさと会社に行かないと、上司や同僚に散々なことを言われると。でも、なんでか、体が動かない、動きたくない。宮水さんと、もう少しだけ一緒にいたい。

 

俺は、別れの言葉を言おうとして、口を開くけど、やっぱり言えなくて、口をパクパクとさせる。よく見ると、宮水さんも、苦しそうな表情で口をパクパクさせている。それが面白くて、俺は吹き出してしまう。笑う俺を見て、宮水さんも口を押さえて笑い出した

 

「くくっ、ご、ごめんなさい、早く行かないとですよね」

 

 

「ふふっ、私こそごめんなさい。なんだか、もう少しだけ話していたくて…」

 

あー、ダメですよ。宮水さん。そう言うことを言うと、男は期待しちゃうんです。そんな馬鹿なことを考えながら、俺は自分の顔が赤くなるのがわかった。

 

「あ…えっと!俺も、宮水さんともう少し話していたいんですけど、ここは、お互い急がないとですよね」

 

とにかく、顔が赤いのをごまかすために、会話を続ける

 

「そうですね、それじゃあ、行きましょうか…」

 

宮水さんは、どこか悲しそうにそう言う。そんな顔をされると、このまま会社をさぼって宮水さんと一緒にいたくなってしまう。俺は、宮水さんにバレないように太ももあたりをつねって、正気を取り戻す。

 

「じゃあ!俺、行きますね!」

 

俺が笑顔で言うと、宮水さんも、笑顔に戻る

 

 

「うん!私も!」

 

その別れの声とともに、俺たちは振り返る。

 

そして、俺は階段を駆け上がり、宮水さんは下って行った

 

 

階段の一番上で、また振り返る

 

 

下を見ると、宮水さんもこちらを見ていた

 

 

「宮水さん!あの!…会えて、会えて良かったです!また連絡します!また会いましょう!!」

 

 

「私も!立花君に会えて良かったです!連絡待ってます!また会いましょうね!」

 

 

 

 

 

 

そう言った宮水さんの笑顔は、まるで花が咲くような

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美しい笑顔だった

 

 

 

 

 

 



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第3話「立花瀧」

あの日から、ふと右手を見る癖がついた。

 

 

あれは、いつからだったか…

 

 

 

 

 

俺は、東京で生まれ、東京で育った。父さんと母さんは俺が幼い頃に離婚したから、今は父さんと2人で都内のマンションに住んでいる。父さんは公務員だ。霞ヶ関で働いていて、俺が金で困らないように、頑張って働いてくれている。最近はあんまり話さないけど、仲は良い方だと思うし、実はかなり感謝もしている。

 

それなりにいい高校にも入れて、大学も問題なく受かった。

 

それに俺、結構、モテたんだ…

恋人は作ったことないけど…

 

作れないんじゃなくて作らないんだ

 

どんな女性に告白されても、なんだか違うような、しっくりこない、そんな感覚があって、いつもすぐに終わってしまう。

 

いつの日からだったか、なんだか悲しい気持ちになることがよくある

 

何をしても、何か足りない、大事なものが抜け落ちてしまったような

 

そんな感覚に襲われている

 

それは、今もで、探しているのは、誰なのか、何なのか、わからなかった。

 

そして今、4月から入社した建築関係の会社で新人研修を受けている。建築関係とは言っても、実際に工事をする現場の人間ではなく、建物の外観や内装、それに付随する様々なデザインなどを考えるのが仕事だ。

 

昔から勉強は割とできた、中学ではバスケ部に入っていたおかげか、運動神経も悪くなかった

 

就活はかなり苦戦したが、今の会社は東京都心に本社を構える結構な大手だ

 

そう、俺は昔から色々と卒なつこなしてきた。勉強も運動も人間関係も、大体上手くやってきた。だから、きっと、仕事でも上手くやっていけると思っていた。思っていたのだが…

 

 

 

 

 

 

 

「瀧君、それはこっちに頼むよ」

「瀧君!だからそれはそっちの棚に頼むって!」

「おい!瀧!!何度言えば分かるんだ!」

「瀧!!そこは違うと言っただろ!」

「どうしてこれをシュレッダーにかけるんだ!!!」

「違う瀧!こっちの書類だ!」

「瀧!!おい!」

「なんだそのニヤケ顔は!馬鹿にしてるのか!?」

「おい!瀧!」

「瀧ぃぃーー!!」

「瀧ぃぃいいいい!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まぁ…こんな日もあるさ…」

 

 

会社の屋上のベンチで、昼飯のサンドイッチを食べながら、吉田は俺を憐れみの目で見てくる。

 

「なぁ、その目はやめてくれ、惨めな気分になる」

 

「わりぃわりぃ、でもよかったな、あのだらけきった顔もやっと締まりが出てきたじゃねーか」

 

午前いっぱいで一生分くらい怒られた俺の顔は、さすがに朝のニヤニヤ顔から真っ青なしょぼくれ顔に変化していた。宮水さんのことが頭から離れずに、仕事に全く集中できない俺は、上司からの怒声を浴び続けていた。

 

「それにしても、運命の出会いねぇ…」

 

吉田はいつものニヤニヤ顔に戻り俺を揶揄う。こいつに宮水さんとのことを話したのは失敗だった。たぶん。いや、絶対。

 

「運命って言葉以外に、なんかあるかよ…恥ずかしいけど、それ以外言葉が思いつかねーよ」

 

「まぁたしかに、2人して電車降りてまで会おうとするなんて、普通じゃないもんな…んで、返信はきたのか?」

 

「いや、まだ…だけど…」

 

「瀧君よ、男はいつも待つもんなんだぜ…」

 

「なんだよそれ…」

 

俺は事の顛末を話した後、吉田に促されてすぐに宮水さんにLINEを送った。

 

《朝会った立花です。今日はいきなり声をかけてごめんなさい!遅刻大丈夫でしたか?俺のせいでもあるんで…もしよかったら、今日の夜お詫びに何か奢らせてください!良いカフェを知ってますので、そこでどうでしょうか?》

 

お詫びという口実で、貴方と会いたいからご飯に行きたいです。という気持ちを隠してるように見えるけど、きっと女性から見たらバレバレなんだろうな。でも、きっと宮水さんも会いたいと思ってる、そんな確信がある。自惚れではないけど、何故かそう思うんだ。

 

「男は黙って待つ、そういうことだよ。そろそろ携帯から顔を離せや、午後もあんな感じだったらほんとに瀧の評価が下がっちまうぞ?」

 

「あぁ、すまん。そうだよな…」

 

「…元気ねーなー」

 

吉田はため息をつき、残っていたサンドイッチを頰に詰めると立ち上がった

 

「んじゃ行くか、もう昼休みも終わるぞ、シャキッとしろや瀧」

 

「あぁ…」

 

そのとき、ポケットにしまった携帯がブルルっと震える。これは、何かを受信したときの振動だ。俺は急いで携帯を取り出し画面を開く。

 

《宮水です!私の方こそ立花君を遅刻させてしまってごめんなさい…やっぱり怒られちゃいました?むしろこちらが奢らせてください!でも、良いカフェっていうのはちょっと気になるので、連れて行ってくださいね…笑 待ち合わせは何時にどこにしましょう?私は職場から出れるのが6時半くらいです!》

 

 

 

 

 

 

「なぁ瀧…お前、その顔で仕事戻ったらまたどやされるぞ…」

 

「はっ!吉田!一発殴ってくれ!!」

 

「よしきた!!この幸せやろうがっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

俺と吉田は、その場面を先輩に見られてこっぴどく叱られた。殴り合いの喧嘩をしてると思ったそうだ。

 

 

 

 

 

 

《遅刻以外のことで怒られました…笑 先に声をかけたのは俺ですから!俺が奢りますよ!もちろんです!お洒落なカフェなんで、きっと気にいってくれると思います。待ち合わせは7時半に四ツ谷駅前でどうでしょうか?》

 

《え?なんかやらかしてしまったんですか?笑 いえ!私が奢るんです!笑 カフェ楽しみにしてますね!7時半で大丈夫ですよ!一応仕事が終わったら連絡しますね。立花君も残りの仕事頑張ってくださいね(^^)》

 

《後で話しますよ…笑 俺が奢ります!!って、これじゃあ終わらないですね笑 では!7時半に四ツ谷で!宮水さんも頑張ってください!俺も仕事が終わったら連絡します!》

 

恋っていうのは、こんなに甘酸っぱいものなんだろうか。どうしてだろうか、送る言葉の全部にエクステンションマークが付いてしまうんだ…宮水さんのLINEを見るたびに、全身が熱くなって火照り出す。次になんて返事をしようか、そんなことで頭がいっぱいになる。でも、今は仕事に集中しないと、宮水さんにも怒られてしまう。だから、今は頑張って、楽しみは後にとっておこう。俺は携帯をデスクの中にしまって、仕事に取りかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

吉田に殴られた左の頬が、ズキッと痛んだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第4話「宮水三葉」

私は、岐阜県の田舎町、飛騨の糸守町出身で、大学に入ると同時に上京してきた。でも、その理由は東京に憧れてとかそんな理由じゃなくて

 

もう、8年も前のことになるのかな。約1000年ぶりに地球に最接近したティアマト彗星は、その核を分裂させた。2つに別れた彗星の片割れは、大気圏を突き抜け、私の生家である糸守町の宮水神社を直撃した

 

 

その衝撃と爆風で、糸守町の半分は一瞬で蒸発した。その日、宮水神社で行われる予定だった秋祭りが通常通り行われていたら、きっと私はここにはいなかったと思う

 

 

けれど、500人以上の死傷者が予想されたこの事件は、死傷者0人という奇跡に幕を閉じた。その日何故か、町をあげての避難訓練が行われたのだ。そして、その避難場所は、彗星落下の被害を免れた糸守高校だった

 

 

まさに奇跡だった。当時のニュースではひっきりなしにこの話題が取り上げられ、避難訓練を強行した糸守町町長の宮水俊樹…私のお父さん…は、予言者なのではとか、根も葉もない噂が好き勝手に飛び交った。

 

 

実を言うと私は、その当時のことをほとんど覚えていない。でも、とても大切な誰かを、大事なことを、忘れてはいけない何かを、忘れてしまったかのような、そんな感覚に襲われるようになったのは、たぶん、あの日から

 

 

星が降った日

 

 

 

後から聞いた話によると、お父さんに避難訓練をしてほしいと申し出たのは私らしい。でも、これもほんとかどうかはわからない。お父さんに聞いても、何も言ってはくれなかった。そもそも、私とお父さんの仲はそんなに良くなかったから、詳しくは聞けなかった…

 

 

私は、その日から癖になってしまったことがある。時々、ふと、自分の右手を見て、泣きそうになる。何故かはわからない。私の中の何かが、叫び声をあげているような、何かを求めているような、でも、何も思い出せずに、そこで諦めてしまう。

 

 

答えを見つけたかった。私は何を、誰を探しているのだろうか?その答えは、どこに行けば見つかるのだろうか

 

 

私は、まるで答えを追い求めるかのように、東京に出てきた。3年生から編入した岐阜の高校を卒業すると、おばあちゃんを妹の四葉に任せて、私は東京の大学に入学した。

 

 

大学に入ってすぐ、まだ、ショートカットに切り揃えた私の髪が伸びきっていない頃。とある神社の横の階段を降りているとき、1人の高校生とすれ違った。なんだか、懐かしいような、どこかで会ったことがあるような、でも、思い出せない。そんな気がして、声をかけようか迷ったけど、その高校生は私をチラリと見るとすぐに歩いて行ってしまった。

 

 

私も、すぐにそのことは忘れてしまった

 

 

でも、思い出したかもしれない、もしかしたら…

 

 

結局、大学生活でも答えは見つからなかった。はまりそうなパズルのピースは、ほんのすこしだけずれていて、うまくはまらなかった

 

 

私は大学を卒業すると、世間でいう大手のアパレル企業に勤めることができた。それでも、私の中の空白は埋まることはなかった

 

 

答えはまだ、見つからない

 

 

社会人にも慣れてきたころ、四葉がこっちに越してきた。おばあちゃんとお父さんの仲違いがやっと終わりを告げたそうだ。四葉は高校は東京の学校に進学すると言って聞かず、それならば私と一緒に暮らしなさいと言われ、今では四葉と一緒に住んでいる。

 

妹は私が彼氏を作らないことが心配だそうだ、たしかに、今まで何人もの男の人にお誘いを受けたり、告白されたりしたけれど、私は頑なに首を縦に振らなかった。どうしてだろうか、私から見てもカッコいいと思う人、すごくいい人もたくさんいた。でも、何かが違った。

 

このひとじゃない。私が探しているのはもっと、誰か、別の人だと、そう思った

 

だから私は、いまだに彼氏の1人もいたことがない。

 

でもそんな悩みは、今朝1人の男性に出会ったことで吹き飛んでしまった。

 

今まで生きてきた、その意味がやっとわかったような、そんな感覚

 

大袈裟だけれど、きっと彼が、運命の人なんだろうな。だって、だってこんなにも私は、幸せな気持ちになっているのだから…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うふっ、うふふ…ふふふふふ…ふふふっ」

 

「……」

 

私の同僚が、昼休みに入ってから携帯を見ながらずぅーっとニヤニヤと笑っている。さっきから軽蔑の眼差しを向けているのだが、一向に気づく気配はない。

 

「…ねぇ三葉、さっきから気持ち悪いんだけど…」

 

「なっ、なによ、いきなり失礼な…」

 

「あんたのそんな顔、初めてみたわ…男ができると、こんなにも変わってしまうもんなのねぇ〜、あの鉄の女三葉がねぇ」

 

「男ができたって、まだ…彼氏でもなんでもないんだから…」

 

「あら、予想してあげるわよ、あんたら間違いなくすぐくっつくわ、全財産かけてもいいわよ」

 

「な、なんでそんなこと言えるのよ…」

 

「あんたねぇ…電車で目があっただけでわざわざ降りて走ってきた男よ、三葉にベタ惚れに決まってるでしょ」

 

「でも…私だって電車から降りて会いに行ったし…」

 

「あぁ、あんたが彼にベタ惚れなのは顔見れば分かるから、ごちそうさま。それで、彼からのLINE、返信したの?」

 

「それが…なんて返そうか迷っちゃって…」

 

朝、出勤するとすぐ、彼からのLINEが届いていた。遅刻は大丈夫だったのだろうか…でも、とりあえず仕事に集中して、昼休みに返信しようと思っていた。

 

三葉はだらけきったニヤケ顔をしながら、テキパキと自分の仕事を片付けていた。その様子を見ていた夏海は恐怖に慄いていたが、とうの三葉本人には全く自覚がなかった。

 

「さっさと返しちゃいな、彼、待ってるかもよ」

 

「う、うん、そうだよね」

 

私は彼からのLINEに無難な感じの返信をした。すると、すぐに立花さんから返信が戻ってきた。

 

 

 

 

「なつ!な、夏海!!立花君が!今日の夜会おうって!!」

 

「あーよかったじゃない…って、聞いてないし…」

 

三葉は満面の笑みで、携帯をすごいスピードで操作している。返事をしているのだろう。

 

「夏海!その…あの、今日の残業なんだけどね…」

 

携帯から目を離した三葉が、突然何かを思い出したような顔になる。そして、ウルウルとした目でこちらを見てくる。そういえば、今日は三葉が遅番だった気がする。

 

「はいはい、貸し一つね、まったくもう」

 

「夏海ぃぃい!!!大好き!」

 

「わかったって!わかったから三葉!近いってば!」

 

 

抱きついてきた三葉を引き剥がして、私は微笑む

 

三葉がこんなに笑うのは、実を言うと始めて見た。三葉とは去年この部署に配属されてから一年ほど一緒にいるけど、最初の印象は、暗い女だな、だった。

 

三葉は社交的だし、きちんと笑顔も作るから他のみんなはそんなこと思っていないだろうけど、私は、三葉が笑うときに、本心から笑っていないのがすぐにわかった。みんなで馬鹿な話をして笑いあっても、テーマパークに遊びに行っても、心の底から笑うことはなかった。私にはそれがわかってしまう。仲良くなって、私も三葉に笑ってもらえるように頑張った。けれど、やっぱり三葉は笑ってくれなかった。

 

だから、今日の朝はほんとに驚いたのだ、あの三葉が、隠しきれないほどのニヤニヤ顔で出勤してきたのだから。それはもう驚いた。話を聞くと、運命の人にナンパされただとかどうとか…この子はどっか抜けてるところがあるから、その男に騙されてないか心配だけど、とりあえず、この三葉の笑顔を引き出してくれた瀧君とやらには感謝しよう。

 

私は、また笑顔で携帯をいじりはじめた三葉を見ながら微笑む

 

 

 

 

 

 

ほんとに、よかったね。三葉

 

 

 



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第5話「失われたあの日の景色」

JR中央線はいつも混んでいる。特に帰宅ラッシュのこの時間は凄まじいものだ

 

「降ります!すいません!」

 

俺は四ツ谷の駅で降りると駆け出した。まるで朝と同じだ。

 

午前中やらかしまくった俺は、そのツケが仕事の最後に回ってきて約束の7時半ギリギリになってしまった。改札を駆け抜けて、宮水さんを探す。駅の時計は7時半を少しだけ過ぎていた。

 

さらりと揺れる黒髪に、赤い髪飾り。人だかりの中にまるで浮かび上がるように俺の目を捉えて離さないそれは、くるりと振り返った。

 

「「あっ」」

 

目が合って、2人して息を飲む。今朝方ぶりに会った宮水さんは、やっぱり綺麗で…可愛かった。

 

「ごめんなさい!仕事が長引いてしまって…待ちましたか?」

 

「ううん、そんなに待ってないですよ、遅れるって連絡もくれたし、そんなに謝らないでください。それよりも!カフェ、連れてってくれるんですよね?」

 

「えぇ!それじゃあ!行きましょうか!」

 

微笑みながらそう言う宮水さんの言葉をありがたく受け取って、カフェまでの道を歩き出す。思わず、宮水さんの手を取りそうになり、慌てて引っ込める。

 

気のせいだろうか、宮水さんは少し残念そうな顔をしていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わぁー、すごい、お洒落なお店…」

 

「そうですよね、内装がすごく凝ってて俺もお気に入りの店なんですよ、気に入りました?」

 

「とっても!あっ、このパンケーキ、すごく美味しそう…」

 

メニューを見ながら宮水さんは目を輝かせている。きっとパンケーキが好きなんだろう

 

「なんでも頼んでくださいね、今日は俺の奢りですから」

 

「え、ほんとに悪いですよ!それに、立花君、歳下ですよね?ここは歳上が奢らないと!」

 

宮水さんはそう言って胸を張る。いちいち仕草が可愛くて、俺は目をそらしてしまう。反則だろ…

 

「俺は22歳です。あの、宮水さん、これからは敬語じゃなくて大丈夫ですよ?…」

 

「私は25歳だよ、3歳年下なんだね。それじゃ、敬語はやめよっか。実を言うと、なんだか敬語に違和感ありまくりやったんやよ、立花君も、敬語じゃなくて大丈夫やよ」

 

そこまで言って、宮水さんはハッと口元を抑える

 

「あっ、ごめんね今、ちょっと訛りが出ちゃった…」

 

「あ!じゃあお言葉に甘えて俺も敬語はやめますけど…実は俺も敬語に違和感があって、普段はこんなこと思わないんだけどさ。あと、訛りとか全然気にならないよ。むしろその…自然体の方がいいって言うか、上手く言えないんだけど、えと、俺は、嫌いじゃないですよ?」

 

俺の言葉を聞いた宮水さんはふふふっと笑って俺を見つめる。

 

「な、なんすか…」

 

「瀧君、敬語になっとるよ」

 

「あっ、やべ!ごめん!緊張して…あの、今、瀧君て…」

 

「その、ええよね?瀧君って呼んでも…こっちの方が呼びやすくて、しっくりくるって言うか…私もなんだか上手く言えへんかも…瀧君?」

 

宮水さんは心配した顔で俺を覗き込んだ。どうしたんだろうか?

 

「瀧君…なんで泣いてるん?」

 

「え?あれ?」

 

頰に手を当てると、たしかに涙が流れていた。こんなにも楽しくて、嬉しい時間なのに、何故涙が出るのだろうか

 

「ご、ごめん、なんでだろ」

 

慌てて手で拭っても、崩壊したダムみたいに、次から次へと涙が溢れでてくる。

 

宮水さんがそっとハンカチを渡してくれて、ありがたく俺はそれを受け取った。

 

「ありがとう…」

 

「ううん、私もよくあったから、悲しくないのに、いつのまにか泣いてること…」

 

「俺も、あった…いつからだか、忘れてしまったけど…宮水さん、俺も、宮水さんのこと、三葉って呼んでも…いいかな?」

 

「えっ、ええよ!」

 

そう言った三葉の目からは、涙が溢れ出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私たち、朝から泣いてばっかりやね」

 

三葉に自分のハンカチを渡して、2人で涙を拭きながら、俺たちはたわいもない会話に花を咲かせる。

 

「でも、三葉と会ったときも、今も、すごく楽しいのに、なんで涙が出てくるんだろう?」

 

「嬉し泣きってやつやね」

 

「それはちょっと、自意識過剰だな」

 

「あっ瀧君酷い!」

 

 

頰を膨らませた三葉は、そのまま笑い出す。俺もそれにつられて、2人で笑いあった。

 

 

幸せな時間、今まで生きてきて、これほどまでに充実した時間はあっただろうか

 

 

「なんだか、瀧君とは初めて会った気がしないんよ。自然体で話せるっていうか、昔から知ってたみたいな、そんな感じがする」

 

「俺も、そんな感じ、三葉とは昔からの知り合いみたいな…でも、思い出せないんだ…」

 

「…瀧君、でも私、きっと、何かを思い出せる。瀧君といると、そんな感じがする」

 

「そうだな、三葉…これからもよろしくな」

 

「…瀧君、それは告白じゃないよね?」

 

「なっ!ち、ちげーよ!、まだ!」

 

「まだ?」

 

「三葉!お前俺をからかってるだろ!?」

 

「なんのことかわかりませーん」

 

「この…」

 

「ふふふっ」

 

そしてまた、2人で笑い合う、まるで昔からの親友が再会したような、そんな雰囲気が2人の間には流れていた。きっと誰も、この2人が今日初めて出会ったなんてことは思わないだろう。

 

「三葉は、どこの出身なんだ?」

 

注文したパンケーキを食べ終え、一息ついたとき、俺は何気なしにそう聞いた。ただ単純に、三葉の訛りからどこか地方の出身だってことは分かったが、詳しい地名まではさすがにわからなかった。

 

「……実は、私、糸守の出身なんよ」

 

さっきまでコロコロと笑っていた三葉の顔に、影がさした。

 

「糸守…あっ!あの、彗星の!…ごめん…」

 

「ううん、ええんよ、町は無くなっちゃったけど、被害にあった人は誰もいなかったから…」

 

「確か、その日偶然避難訓練が行われってニュースでは言ってたけど…」

 

「私、その日のことってほとんど覚えてないんよ。忙しかったからか、ショックだったからか、今でもわからないんやけど」

 

「…実は俺、一時期糸守に凄い興味を持っていたことがあって、高校生のときに糸守まで行ってるんだ」

 

「そうなん!?糸守まで?」

 

「ただ、興味を持った理由も、糸守に行った理由も、今では思い出せない…」

 

「なんなんやろうね…やっぱり私たちは、どこかで会ってたのかな…」

 

「わからない、でも一つ言えるのは、今日、三葉に会えて良かった、俺の中の、空白っていうか、すっぽりと抜け落ちてしまった何かが、埋まった気がした。きっと、俺が探していたのは、三葉なんじゃないか。今は、そう思ってる」

 

「私も、瀧君に会えて良かった。こんな気持ちになったのは初めてやし、私も、瀧君のことを、探してたのかな?」

 

頰を赤らめてそう聞く三葉は、どうしようもないくらい可愛くて、ここが公共の場でなかったら、俺は三葉を抱きしめていたかもしれない。

 

「なぁ三葉、今度、糸守に連れて行ってくれないか?もしかしたら、糸守に行けば何かわかるかもしれない」

 

「ええけど、今の糸守は、なんもないよ?」

 

「いいんだ、それでも。家に、俺が糸守に興味を持ってた頃、描いた糸守の風景画があるんだ、それを見ながら、糸守を回ってみたいんだ」

 

「そうなんだ…糸守の風景画…ねぇ瀧君、その絵、今日見に行ってもええ?」

 

「いいけど、え?今日?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お邪魔します…」

 

「誰もいないから、そんなに緊張しなくていいよ、父さんは出張中だし」

 

今考えると、軽い気持ちで言ってしまったが、私は今、初めて男の人の家に上がっている。緊張するなと言われても無理がある。

 

それなりに綺麗に整理された家で、ところどころダンボールに物が詰め込まれている。男の2人暮らしと言われても全く違和感のない家だ。

 

私は瀧君に案内されて部屋に入る。

 

壁のいたるところに建物や内装のデッサンなどが貼り付けてある。

 

「絵、上手いんやね」

 

「そうでもないよ、これはただのデッサンだし」

 

そう言いながら、瀧君は1つのスケッチブックを取り出す。

 

「これが、俺が高校生のときに描いてた糸守の絵だよ」

 

瀧君が見せてくれた絵を見て、私は目を見開いた。

 

そこには、私が知っている、あの懐かしい糸守があった。

 

「すごい…すごいよ瀧君…とっても懐かしい…」

 

「そうかな?ほら、他にもあるんだ」

 

瀧君から渡された絵を見ていくと、そのどれもが糸守の、彗星が落ちる前の私の故郷を忠実に再現していた

 

そして、ある一枚の絵で私の目は驚愕に変わった

 

「こ、これ!…瀧君…なんで!」

 

「どうした?」

 

「この部屋の絵…これは…私の部屋…糸守に住んでいたときの…」

 

「えっ…」

 

「間違いない…この鏡、この箪笥、間違いなく私の部屋だよ…瀧君、どうして私の部屋を知ってるの?」

 

瀧君は、何かを思い出そうとしているのか、目を瞑るけど、やがて諦めたかのようにこちらを見る

 

「だめだ、やっぱり何も、思い出せない、きっと何か、俺たちを結びつけていた何かがあったんだと思う。けど、どうしても思い出せないんだ…」

 

「そっか…私も、何か思い出せそうで、思い出せない…どうして…」

 

「やっぱり、今度糸守に行こう、俺たちの答えが、そこにあるかもしれない」

 

「…うん!私も、そんな気がしてきた!」

 

「よし、じゃあ、日程はまた今度話そうか。で、三葉、時間は大丈夫なのか?もう9時になるけど」

 

時計を見ると、時計の針はすでに9時を回ろうとしていた。でも…もう少しだけ、あと少しだけでいいから、瀧君と、一緒にいたいな…

 

「うーん、じゃあもう少ししたら帰るね」

 

 

 

 

だから、あと少しだけ

 

 

 

 

「そっか、紅茶かコーヒー淹れるけど、どっちがいい?」

 

「紅茶!!」

 

「だよな、甘党だもんな。じゃあちょっと待っててくれ」

 

瀧君は部屋を出て行ったけど、私、甘い物が好きなんて瀧君に言ったっけ?

 

私は瀧君のベッドの上に座ると、少しだけ横になってみる。

 

 

瀧君の匂いがする

 

 

なんだか、体の底から幸せだな

 

 

瀧君に出会って、仲良くなって

 

 

神様がいたとしたら、きっと感謝しちゃうな

 

 

しばらくすると、リビングから紅茶の甘い香りがしてきた

 

 

とってもいい気持ち

 

初めて会った男の人にこんな気持ちになるなんて、これが、恋、なんだろうな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まじか…よ」

 

部屋に戻ると三葉が俺のベッドで寝ていた。何度も揺すって起こそうとしたのだが、一向に起きる気配はない。

 

極めつけに、俺が離れようとすると

 

「たきくぅーん…」

 

と言って、服の裾を握りしめてきた。

 

俺は今、頭の中で理性と欲望との全面戦争を繰り広げている。

 

この状況で、手を出すななんて言う人間がいるか?

 

待て待て、三葉とはすぐに仲良くなったが、出会ったのは今日だぞ

 

落ち着け立花瀧

 

 

 

 

「はぁ〜〜」

 

 

 

 

俺は一際大きなため息をつくと、三葉の手を服の裾から離し、床に寝そべった。

 

ベッドの上を見ると、三葉が満面の笑みで寝返りを打った

 

「ったく、無防備なやつめ」

 

 

 

 

 

 

俺は笑いながら、襲ってくる眠気の中に意識を手放した

 

 

 



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第6話「まどろみの中に」

夢の中で、2人は再会する…


大きな湖が太陽の光を反射して、その光で生い茂る草木が輝いているように見える。建物もどことなく古風な感じを残していて、まるで故郷に帰ってきたような、そんな懐かしい気分になる。

 

 

いい町だな、糸守は

 

 

俺は今、何故か高校生の時の制服を着て糸守の道を歩いている

 

 

しばらく歩くと、俺とてっしーが作った糸守オープンカフェ(仮名)があった。場違いなパラソルが風に揺れてゆらゆらとはためいている

 

静寂に包まれている糸森で、自販機がガシャンっと大きな音を立てる

 

 

俺がブラックコーヒーを自販機から取り出そうとすると、後ろで木々がざわめく音がした

 

 

「来るのが遅いぞ、三葉」

 

 

俺はゆっくりと振り向く。そこには、髪をショートカットに切りそろえた高校生姿の三葉が立っていた

 

 

「瀧君の方こそ、遅すぎるんよ。私は8年も待ったんやからね!」

 

 

「あー、そりゃ仕方ないだろ…」

 

 

俺は頭の後ろをかきながら答える

 

 

そして、ふんっとそっぽを向く三葉に向けて、俺は新しく買ったミルクティーを放り投げた

 

 

「あ、ありがとう」

 

 

「まぁ座れって」

 

 

ベンチに座った俺は横をポンポンと叩いて三葉を誘う

 

 

三葉が俺の横に座ると、2人で飲み物を飲む。飲み物が喉を通る音以外、何も聞こえない。ただ、木々がざわめく音が、森の音が聴こえる、ただそれだけだ。

 

 

「待たせて、悪かったな」

 

 

「ん、いいんよ。さっき瀧君が言ったやろ?仕方ないって」

 

 

「でも、8年は長かったろ?」

 

 

「瀧君だって、5年待ったんやし、平気やよ、それよりも、私を見つけてくれてありがとう」

 

 

三葉は、花咲くような笑顔で俺を見る。俺が好きになった笑顔だ。

 

 

「お前に、言いたかった言葉があるんだ」

 

 

「お前が世界のどこにいても、必ずもう一度、会いに行くって」

 

 

「…なんやそれ、臭いセリフやな」

 

 

「じゃあ、なんで泣いてるんだ?」

 

 

「しらんよ…ばか」

 

 

優しく、三葉を抱きしめる

 

 

「瀧君…瀧君…」

 

 

「ん?どうした?」

 

 

「ううん、なんでもない。ただ、名前を呼びたかっただけやよ」

 

 

「そっか」

 

 

抱きしめる力を強める。三葉の心臓の鼓動が聴こえる。こんなにも愛しい人が、こんなにも近くにいるんだ

 

 

「三葉…好きだ」

 

 

「私も好き…でも瀧君、ちゃんと好きって言えるようになったんやね、あんなの、手に書くなんて、反則やよ」

 

 

「あれは…しょうがないだろ…」

 

 

「しょうがないってなんよ!あれじゃあ…名前…わかんないよ…ばか」

 

 

「すまん、でも、気持ち、伝えたくてさ」

 

 

「…しょうがないから、許す」

 

 

今度は、三葉が俺のことを強く抱きしめてきた。でも、何かを思い出したように、顔を赤くしてこちらを見る

 

 

「あっ、でも、胸を触ったことはまだ許さへんからね!」

 

 

「げっ!お前まだそんなこと覚えてんのか…だから、一回だけだって!」

 

 

「一回でも何回でも同じ!、瀧君のエッ…んっ」

 

 

ぷりぷりと怒り出した三葉の言葉を遮って、その唇を奪う

 

 

まるで世界の時が止まったように、永遠に感じるように、幸せな瞬間だった

 

 

そして、2人は離れる

 

 

「キスして…誤魔化そうとするなんて…瀧君のバカ…エッチ…変態…」

 

 

顔を真っ赤にした三葉は、どうやらまだ怒っているようだ

 

 

「おいおい、そこまでいうかよ。でもな、三葉お前…俺の体で風呂入ったろ?お風呂禁止って言ってたくせに」

 

 

「な、何言うてんの!入っとらんよ!」

 

 

「嘘だな、朝起きたらシャンプーの香りがしてたからな」

 

 

「……瀧君は、乙女心がわかっとらん…」

 

 

「まぁおあいこってことだな」

 

 

「うぅ、なんだかうまく丸め込まれた気がする…瀧君はもっと歳上を敬いんさい」

 

 

「入れ替わってたときは同い年だろうが」

 

 

「でも、実際は3歳も年上やんね」

 

 

「まぁ、俺が中学生の時に会いにきたもんな」

 

 

「ショックやったよ…好きな人に、誰お前って言われた私の気持ちがわかる?」

 

 

三葉はまたぷくーっと頰を膨らませて俺を睨んでくる

 

 

「知り合う前に会いに来てんだから、しょうがないって…、まさか三葉、そのショックで髪切ったのか?」

 

 

「似合ってないって言いたいんやろ…」

 

 

「だから…悪くは無いって」

 

 

「嘘やね!すぐわかるんやから!」

 

 

そう言って、三葉は俺の目を手で隠した

 

 

「何してんだ?」

 

 

「いいから、目瞑って」

 

 

言われた通りに、目を瞑る

 

 

「ええよ、開けて」

 

 

目を開けると、いつもの、ロングヘアーを組紐で留めた三葉がいた

 

 

「ほら、これで文句ないやろ」

 

 

「あー、俺は…そっちの方が好き、かな」

 

 

「っとに、この男は…」

 

 

幸せな時間、いつまでも、こうして一緒にいたかった

 

 

燦々と照りつけていた太陽は、いつのまにか地平線にその姿を消そうとしていた。もうそろそろかな。

 

 

「もう、日が落ちるな」

 

 

「そうだね…瀧君、私たち、大丈夫かな、上手く、やっていけるかな?」

 

 

「当たり前だろ?だって、こんなにも、お前のことが好きなんだから」

 

 

また三葉を抱きしめる

 

 

暖かい、そして、三葉のシャンプーの香りが、俺の鼻をくすぐる

 

 

「私も、大好きだよ…瀧君」

 

 

日が落ち、昼でも、夜でもない時間

 

 

 

 

 

 

 

 

「かたわれ時だ」

 

 

 

 

 

 

三葉が、そう呟く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はもう一度、その唇に深い、深いキスをした。

 

 

 

 

 



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第7話「姉と妹」

私が小学生4年生のとき、生まれ育った糸守町に彗星が落下した。綺麗で、静かで、一年中森の香りがする私の故郷は、一瞬で消え去ってしまった。

 

 

あの町には、もう二度と、戻れない

 

 

中学は岐阜の県立中学に入学したけど、姉は一足先に東京の大学に行ってしまった。

 

 

「ごめんね四葉、おばあちゃんのこと、頼んだよ」

 

「任せとき、お姉ちゃんは早く、探しもの、見つけなよ」

 

「…ありがとう、四葉」

 

 

あの日、星が降った日から、明るくて、真面目で、でもどこか抜けている私の姉は、ずっと暗い表情を残していた。ずっと何かを探しているような、そんな感じだったと思う。

 

そして、ある日突然東京の大学に行きたいと言い出し、お父さんとおばあちゃんを説得して、おばあちゃんを私に託して行ってしまった。

 

姉とは喧嘩もしたけれど、いつも優しくて、私を気にかけてくれる姉が大好きだった。

 

だから、私もお姉ちゃんのところに行きたかった。少しだけ、そう思った

 

 

私が中学3年生のとき、お父さんとおばあちゃんの仲違いがやっと終わりを告げた。お父さんが、おばあちゃんに謝ったのだ。

 

どうやらお父さんは、糸守町町長として、この彗星事件の後始末が終わったらおばあちゃんに今までのことを謝罪しに行こうと思っていたらしい

 

直角に頭を下げたお父さんを、おばあちゃんは優しい目で見て見つめていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お父さん、おばあちゃん、私も、お姉ちゃんのとこに行きたい」

 

 

3人一緒に住みだしてしばらく経ったある日、夜ご飯を食べているとき、私はそう告白した

 

 

「そうか…私は何も言わん、四葉の好きにしなさい。なに、学費やらなんやら、金のことは心配するな」

 

「これもそう言っとる、四葉の好きにしいんさいな。四葉、三葉のこと、頼んだよ」

 

 

そうして、今、私は姉の借りているアパートに転がり込んで、一緒に生活をしている

 

姉の探しものはまだ見つからないみたいだ。まだ時々、暗い表情をして右手を見つめている。あの日から、変わらずに…

 

彼氏でもいれば、姉も少しは明るくなってくれるのだろうか、でも、きっと望み薄だと思う…

 

姉は、正直言ってかなり美人だ、綺麗な黒髪、可愛らしさと美しさを両立したような顔、あれでモテないわけがない。

 

でも、もう25歳になり、そろそろアラサーの域に達しようとしても、姉は頑なに彼氏を作らなかった。

 

どんなに男に誘われても頑として首を縦に振らない姉は、会社では鉄の女なんて言われてるらしい。この前家にきた姉の同僚の夏海さんに聞いた。それを聞いた姉はぷりぷりと怒っていたけれど

 

とにかく、だから姉はいつも、仕事が終わるとすぐに家に帰ってくるし、夏海さんや他の同僚と飲みに行くときも、必ず連絡をしてくれる。男の影なんて姉にはなかった。なかったのだが…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅い…」

 

リビングのソファに座って私はそう呟く。時計を見るとすでに11時も中頃を過ぎようとしていた。携帯を開いても、姉からの連絡は一向にない。

 

 

「なにしとるんよ…」

 

 

正直かなり心配だった、遅くなるならいつもは必ず連絡をくれる姉からの連絡がない。LINEを送っても、電話をしても出ないし、何か事件にでも巻き込まれていないといいんだけど…

 

まさか、男ができて、相手の家に泊まっているとか?いや、そんな訳はない、あの姉に彼氏なんてできっこない。きっともうすぐ、何食わぬ顔をして帰ってくるだろう。

 

 

「まったく、今日の夜ご飯当番…サボりよって…」

 

 

あとちょっとだけ、姉を待とう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガチャリ、扉が、玄関が開く音で目がさめる。意識を急速に覚醒させた私は、すぐに思い出す。お姉ちゃんを待っていたら、ソファでそのまま寝ちゃったんだった…今、何時だろう

 

時計を見た私は思わず目を見開いた、もう、日が昇りかけ、時計は5時を指していた。

 

「5時!もう朝やん!」

 

私はソファから飛び上がってリビングを出る

 

 

 

 

 

 

そこには、顔を赤くした姉がもじもじしながら立っていた。

 

 

 

 

 

「……あの、四葉…連絡するの忘れてて…ごめんね」

 

舌をちろっと出して謝る姉、きっと私が男だったらこれで許してしまったったんだろう。けど、残念ながら私は妹で、男ではない。

 

「お姉ちゃん…LINEも返さないし、電話も返さん…挙げ句の果てに朝帰りとは…しっかり説明してもらうんやからね」

 

まずはリビングで話を聞こう、そう思い踵を返すと、姉はまだもじもじしながら玄関の前に立っていた。

 

 

「なにやっとるん!はよきない!!」

 

「ひぃっ!」

 

お姉ちゃんが情けない声をあげた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、簡単にまとめると、朝ナンパされた男の家に行って、眠くなってそこで一晩過ごしてきたと…」

 

「ナ、ナンパやないもん」

 

「つっこむところはそこなん?」

 

姉は一旦シャワーを浴び、着替えてから私の前にちょこんと座った。時間はすでに6時を過ぎているが、私の登校にも姉の出勤にもまだ2時間以上時間がある、たっぷりお話しができる。

 

「てか、お姉ちゃん…世の中ではそれはナンパって言うんやよ…」

 

「ち、ちがうんよ!なんていうか、お互いを探してたみたいな!運命の人に巡り会えたみたいな!そんな感じなんよ!」

 

お姉ちゃんは、そこまで言って自分の言ったことに恥ずかしくなったのか、顔を赤くして俯く

 

「どっちにしても、その日に知り合った男の人の家で一晩過ごすのは、どうかと思うよ」

 

「うっ、でも…瀧君は悪い人じゃないし、何もされなかったよ?」

 

「されてたらどうするん…そんな無防備なことしてたら、襲われても文句言えへんよ!」

 

「で、でも、瀧君になら別に…」

 

そう言ってニヤニヤと笑い出した姉に呆れながら私は立ち上がる。たぶんこれは、何を言ってもだめだろう

 

「はぁー、もうええよ、とにかく遅くなるときや、泊まるときは連絡を入れること!わかった?」

 

「は、はい…」

 

なんだか、どっちが姉なのか、わからないけど、とりあえず、学校の準備をしに自分の部屋に行こう

 

 

「四葉…」

 

 

「ん?なに?」

 

 

「心配かけてごめんね…ありがとう」

 

 

そう言って、姉は笑った。まるで花が咲くような、美しくて、綺麗な笑顔だった。あの日から、姉のそんな笑顔を見たことは一度もない。

 

きっと、その瀧君とやらが、姉を変えてくれたのだろう。電車でナンパをするような男は信用に値しないけれど、そこだけは、その瀧君に感謝してあげよう

 

 

「もうええって、お姉ちゃんも今日会社やろ、さっさと準備しいんさい」

 

「うん!」

 

「あと、今度その瀧君って人、紹介してね」

 

四葉は、手をヒラヒラと振りながら自分の部屋に戻って行った。四葉には申し訳ないことしちゃったな、きっと心配してたんだろうな

 

でも、あの後、瀧君に揺り起こされて目が覚めたとき、すでに時間は4時半だった、四葉に連絡を入れている余裕なんてなかったのだ

 

 

朝を思い出し、三葉はまた頰を赤くする

 

 

もう完全に、瀧君に恋しちゃったな…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三葉…三葉、起きろ三葉!」

 

「ん、うん?」

 

目を開けると、瀧君がいた

 

 

あー、幸せだな

 

 

なんだかとっても幸せな夢を見てた気がする。唇がなんだか熱い

 

 

夢で瀧君とキスでもしてたのかな?

 

 

あっ、でも、瀧君が私の家にいるはずないし、これも夢だよね。リアルな夢だなー、夢なら、キスしてもいいよね?

 

 

「瀧君…ちゅー、しよ?」

 

 

 

「なっ!!お前、三葉、寝ぼけてるだろ!起きろって!」

 

 

顔を真っ赤にした瀧君にガシガシと肩をゆすらされて、私の意識は急速に覚醒した

 

思い出した、瀧君の家で絵を見て、糸守に行く約束をして、それで…それでそのまま眠くなって…

 

「あっ!ご、ごめんね瀧君!、今!今何時!?」

 

跳ね起きた私は慌てて時間を見る。今日も会社がある、流石に2日連続で遅刻はできない

 

「まだ4時半だよ、今から出れば始発で家に帰れるだろ?そうすればシャワーくらい浴びてからでも仕事には間に合うよな?」

 

「う、うん…起こしてくれてありがと…でも瀧君!なんで昨日起こしてくれんかったの!」

 

「…あんな幸せそうな顔して寝てる人を起こせないって…」

 

「うっご、ごめん…」

 

お互いに、顔を赤くして俯く

 

「と、とにかく、駅までは送るから、もう行けるか?」

 

「うん!でも送らなくて大丈夫やよ、瀧君だって今日仕事やろ?」

 

「いいから、三葉寝ぼけてるから心配なんだよ」

 

「あ、歳上のおねーさんになんてこと言うんやさ!」

 

「歳上に見えなくなってきたよ」

 

瀧君はくくくと笑って私を見る。

ほんとに、昨日出会った人とは思えないな、そんな、安心感が、瀧君といると感じられる

 

大急ぎで家を出た瀧君と私は、駅までの道を急ぐ

 

まだ早朝で、人も車も少ない東京の街はなんだか幻想的だった

 

駅に着くまでも、私と瀧君はたわいもない会話で盛り上がった。どうやら瀧君も、なんだか幸せな夢を見てた気がするんだって

 

その夢に、私はいたのかな?

 

 

駅に着き、改札を抜けるとき、瀧君が何か言いたそうな顔をしているのがわかった

 

「どうしたん?」

 

「あ、あのさ、今度の土曜日、暇か?もし暇なら、2人でどっか行かないか?」

 

頭の後ろをかきながら、瀧君は恥ずかしそうにしている

 

これは、デートのお誘いかな?

 

 

「うん!暇やよ!でも、どこ行くの?」

 

「まだ決めてない、詳しいことはまたLINEか、その…電話で、話すよ」

 

つまり、電話もしたいってことやね、瀧君ってイケメンやのに、以外に奥手なんやね

 

そんなことに気づいて、思わず笑みが零れる

 

 

「ふふっ、じゃあ、電話、待っとるよ、瀧君」

 

「あ、あぁ!それじゃ三葉、気をつけて帰れよ」

 

「うん!またね!瀧君!」

 

そうして私たちはお互いの家に向かって歩き出した

 

駅のホームに降りる階段の手前で、振り返る。すると、瀧君も駅の出口でこちらを振り返っていた。

 

私は、嬉しくなって、大きく手を振った

 

 

瀧君は恥ずかしそうにチョコチョコと手を振っていた、それがまた可愛くて、私はもっと、瀧君が好きになっていた。

 

 

 

幸せな気持ちで、ふと、携帯を開くと

 

 

 

四葉からの電話やLINEが携帯の画面を埋め尽くしていた。

 

 

《お姉ちゃん!!こんな時間までなにやっとるん!!!はよ帰ってきない!!!》

 

 

 

 

 

 

 

 

あー、四葉…ごめんね

 

 

 

 

 

 

 

私は、どうやったら四葉の怒りを鎮められるか考えながら、駅のホームへの階段を降りて行った

 



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〜日常編〜
第8話「再開」


ここからまた、新しい2人の物語が始まっていきます。


それから、私と瀧君の日々が始まった

 

 

 

 

 

楽しくて、幸せな、三葉との日常が

 

 

 

 

 

 

 

 

瀧君は都心の建築会社に勤める普通の社会人で、お父さんと2人で住んでいるみたい

 

 

三葉は、アパレル企業に勤める普通のOLで、妹の四葉ちゃんと2人暮らしをしているそうだ

 

 

まだ、四葉を瀧君には合わせてないけど、きっと四葉も瀧君のことなら気に入ってくれるだろうな

 

 

きっと俺は、妹からただのナンパ男だと思われていそうで、実はちょっと会うのが気まずかったりする

 

 

あの日、私と瀧君が出会った日から、私達は毎日仕事終わりに、瀧君オススメのカフェで会うことにした

 

 

名目上は、良いカフェを巡るっていう話だけど、本当は、俺はただ、三葉に会いたいだけだった

 

 

瀧君も、きっと会いたいと思ってる

 

 

そんな確信があった

 

 

私より3歳も年下の瀧君だけど、なんだか年下って感じがしなくて

 

 

三葉とタメ口で喋るようになってから、俺たちはすぐに遠慮なく喋れるようになった。

 

 

知り合ってまだ一週間くらいだけど、私たちはまるで、昔からの幼馴染みたいに仲が良い

 

 

なんでかはわからない、きっと昔、どこかで、三葉とは会ってたのかもしれない、それがいつなのか、俺たちが小さい頃に会って、忘れてしまったとか?

 

 

もしかしたら私達は、前世の記憶があるのかな?そんな話もした

 

 

もし前世の記憶が残ってるんだとしたら、きっと俺たちは相当愛し合ってた恋人なんだろうな

 

 

だって私は

 

 

だって、俺は

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなにも君が愛おしいんだから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでさー、高木のやつ、俺がスーツ似合ってないからって、わざわざ誕生日プレゼントで新しいスーツを買ってきやがったんだぜ」

 

「ふふっ、高木君と、司くんやっけ?なんだかとっても良い人やね、私も会ってみたいな」

 

金曜日の夜、この前とは別のカフェで、俺たちはまた会っていた。ここはいつも混んでいるのだが、金曜日だからか、結構な客が居酒屋に流れているのか、そんなに人は多くない

 

「あぁ、今度2人には紹介するよ」

 

「…でも、なんて紹介するん?俺の友達ですって?」

 

「あー、そりゃ、できれば…かの…」

 

「かの?」

 

「うっ、三葉!歳下をからかうなよ…」

 

「あら、お互い遠慮なく話そうって言ったのはどこの誰やっけね」

 

そう言って三葉はくすくすと笑う

 

「ったくこの女は…」

 

俺も三葉につられて笑い出す。なんだか、三葉といると常に笑っていられる気がする。

 

ふと、時計を見ると、すでに時間は9時を過ぎていた

 

「そろそろ出るか、三葉ももう帰るだろ?」

 

「そうやね、明日は、10時に新宿でいいんやっけ?」

 

前に約束した土曜日のデートも、明日に迫っていた、とりあえず、待ち合わせを新宿にしたのはいいのだが、実はデートプランは何も考えてなかったりする。いや、考えには考えたのだが、頭がパンクしそうになって諦めたって言うのが本音だ

 

「あぁ、大丈夫だよ」

 

「どこに連れてってくれるん?」

 

「あー、秘密だな」

 

「あっ、嘘やね、ほんとは何にも考えてないんでしょ」

 

「う、うるさい」

 

たわいもない話に花を咲かせながら、店を出ると、春の暖かい風が俺たちを優しく撫でた

 

「風、気持ちいいね…」

 

横を見ると、三葉の黒髪が風で柔らかくたなびいていた。その横顔はとても綺麗で、美しくて、でも、そんなことはとても口には出せなくて、どこかもどかしい

 

「…なぁ三葉、あの、俺達が出会った階段、この近くだよな?ちょっと、行ってみないか」

 

「うん…ええよ、私も、行きたいかも」

 

「じゃあ、行こうか」

 

俺は、三葉の手を取って、歩き出す。

 

「あっ…」

 

 

 

 

瀧君が、私の手を取って歩きだした。今まで、瀧君は私に触れなかった。あの日、瀧君の家で一晩明かしたときも、こんなに仲良くなった後でも

 

 

そんな瀧君が、私の手を取ってくれた、それがたまらなく嬉しくて、恥ずかしくて、下を向いてしまう

 

 

瀧君の顔、見れへんよ…

 

 

「なぁ、三葉」

 

歩きながら、前を向きながら瀧君は話しかけてきた

 

「俺、三葉に会えてよかった」

 

「急に、どうしたん?」

 

「いや…なんでもない…ただ、言いたくなって…」

 

瀧君も、恥ずかしいのか、下を向いてしまう。そんな瀧君が可愛くて、愛おしくて

 

 

この気持ちを、早く伝えたい

 

 

まだ、出会って1週間も経ってないけど、早く、瀧君と、結ばれたい。そんな気持ちが、瀧君に会うたびに溢れ出てくる

 

 

だから、明日のデートで、伝えよう

 

 

この気持ちを

 

 

 

 

 

 

 

「着いた…」

 

「うん…」

 

 

俺たちは、階段の上に立っていた。

 

 

横に立つ三葉を見つめると、それに気づいた三葉もこちらを見る

 

 

決めたんだ

 

 

ここから始まった

 

 

だから、ここで、もう一度始めたかったんだ

 

 

「なぁ、三葉、話したいことがあるんだ」

 

 

「…なに?」

 

 

そよ風が、俺達の間を通り過ぎていった

 

 

「あの日、ここで三葉と出会って、俺の中にあった空白が埋まった気がしたんだ。俺はいつの日からか、何かを、誰かを探しているような、そんな気持ちに取りつかれていて、三葉と出会うまで、ずっとその何かを探していた。でも、三葉と出会ってからは、そんな気持ちは消え去って、代わりに、楽しさとか、満足感がずっと俺の中を満たしてた。だから、きっと俺が探してたのは三葉なんじゃないかなって思うんだ。三葉といると、俺、幸せで、もう、三葉を失いたくないんだ、だから、三葉…」

 

 

 

「三葉のことが好きだ、俺と、付き合ってくれますか?

 

 

 

 

言えた、やっと言えたんだ、

 

 

気持ちを伝えられた。言った言葉は全部本心で、これ以上ないってくらい緊張したけれど、年齢=彼女無しの俺にしたら、上出来な告白だと思う

 

 

 

「…ばか」

 

「え?」

 

 

「言うのが…早いんよ。私…明日言おうと思ってたんに」

 

「えっ、そうだったのか、すまん!」

 

三葉は、目から大粒の涙を流しながら、笑っていた

 

 

「私も、今まで何かを探しているような、そんな感覚がずっとあったんよ。でも、瀧君と出会って、嬉しくて、楽しくて、言葉が見つからないくらい幸せで、そんな感覚は消えて無くなっちゃった。きっと私が探してたのは、瀧君なんよ。いま、そう確信できたの。だから、私ももう、瀧君とと離れたくない」

 

 

「瀧君が、好きだよ」

 

 

三葉は、今までに見た中でもとびきりの笑顔でそう言った

 

「じゃ、じゃあ、返事は?」

 

「…こんな女だけど、よろしくお願いします。」

 

「…三葉っ!」

 

泣きながら、俺は思わず、三葉を抱きしめる

 

 

「ひゃっ!」

 

 

驚いた三葉は、最初は俺に体を預けていたけれど、やがてゆっくりと、俺の背中に手を回してきた

 

 

一体どれほどの時間が経ったんだろうか、永遠にも感じるような、そんな時間だった

 

 

やがて、背中をポンポンと叩く感触で我に返った

 

 

「瀧君…くるしいよ」

 

「あっ!すまん!」

 

慌てて三葉を引き離して、謝る

 

「もう…付き合ってすぐ窒息死したら流石に笑えんよ?」

 

「その…嬉しくて、思わず…」

 

「しょうがないから、許してあげる」

 

「お、おう」

 

 

そうして、2人で笑い会う。嬉しくて、笑いながら泣きあった

 

「瀧君、これからずっと、よろしくね」

 

「三葉も、よろしくな」

 

 

 

どちらからともなく、また、抱きしめ合う

 

 

 

もう少しだけでいい、あと少しだけでいいから、くっついていたいんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺達の物語は、まだ始まったばかりだけど、きっとこれからは幸せな日々が待ってる

 

 

 

 

 

 

 

 

だって隣には、君がいるんだから

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえ、星が降っても、世界が消えようとも、君といれば平気だ

 

 

 

 

 

 

 

 

何があろうと、この愛は消えることはないんだから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、また、始めてみよう、2人の物語を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう二度と、忘れることのない、君の名前とともに

 



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第9話「嬉しくて泣くのは」

お姉ちゃんは、根暗な性格でもないし、別段明るすぎる性格でもない。妹の私から見ても割と普通な人だと思う。

 

 

昔糸守に住んでた頃に、ちょっとおかしくなる日はあったけど、あれもきっとストレスが原因だろうと思っていた。ただ、今と違うのは、あの頃のお姉ちゃんはよく笑っていた

 

 

もちろん最近だって笑いはするけれど、なんだか、心の底から笑っていないような、目の奥に影があるような、そんな気がしていた。

 

 

いつも寂しげに窓の外を見る姉を見て、その理由を考えていけど、私には分からなかった。

 

 

1つ分かったのは、私が何をしても、お姉ちゃんの影が消えることはなかったということだ。

 

 

お姉ちゃんを心の底から笑わすために、遊びに連れ出したり、色んなことをしたけれど、てんでダメだった

 

 

だから、瀧さんと出会ってからのお姉ちゃんを見て私は本当に驚いた。そして、驚いたと同時に嫉妬した

 

 

私が何をしても引き出せなかったあの笑顔を、簡単に引き出してしまった瀧さんっていう人に

 

 

瀧さんって、どんな人なんだろうか

 

 

姉から毎日聞く瀧さんの惚気話はもう聞き飽きた。こんど、自分の目で見て、本当にお姉ちゃんに相応しい人なのか見極めてやろう

 

 

私はそんな決意を密かに胸に秘めていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そろそろ12時になる。連絡はもらったけど、お姉ちゃん、遅いな…

 

 

そんなことを考えていると、玄関のドアが開く音が聞こえる。

 

 

やっと帰ってきたんね

 

 

私は立ち上がってお姉ちゃんを迎えるためにリビングのドアを開けてあげた

 

「お姉ちゃん、遅いって…っ」

 

 

その瞬間

 

 

「よぉーつぅーは〜〜♡」

 

語尾にハートマークが付きそうなくらい甘ったるい声と顔をした姉が飛びついてきた

 

 

私は猫が獲物を仕留めるときのような俊敏さでそれを躱す

 

 

私の胸に飛び込むはずだった姉はそのままリビングのソファにダイブして動かなくなった

 

 

(…やばい…やばいよ…これはやばいよ…)

 

 

全身が警告を鳴らして汗が出てくる、こんなにもやばいと思ったのは、昔、姉が泣きながら胸を揉んで私に襲いかかってきたとき以来だ

 

 

「んふふっ…もう四葉〜、なんで避けるんよ?お姉ちゃんのハグはいやなん?」

 

 

(こいつ、誰や)

 

 

思わずそう思った。目の前の姉は、あのいつもどこかに影のある、儚くも美しい姉のはずなのだが

 

 

「もう四葉ったらぁ、ツンデレなんやからね」

 

 

私の目に入っているのは体をくねくねさせながらうふうふと気色悪い笑みを浮かべた何かだった。こいつは…誰や…

 

 

「お、お姉ちゃん…?なんか…いいことでもあったん?」

 

「あっ…聞きたい?ねぇ四葉、聞きたいんやろ?でもどうしよっかなぁ〜、今避けられたしなぁ〜」

 

 

落ち着くんよ四葉、ここでキレてもお姉ちゃんには効果がない、もうちょっと耐えるんよ四葉

 

 

「わかった、わかったから、私が悪かったから、教えてくれる?」

 

 

「ふふっ、まったく四葉ったら、しょうがないなぁ」

 

 

これから一生、このことでからかってやろう。私はそう決めた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、瀧さんに告白されて、付き合ったってこと?」

 

「うん、私が先に言おうと思ってたのに、瀧君ったら早いんやから」

 

 

シャワーを浴びた姉は少し落ち着いたのか、普段の姉に戻りつつある。けど、未だにだらしない顔をしている。たぶん言っても無駄だから、言わないけど

 

「2人って出会ってまだ5日目だよね…早くない?」

 

「…ちょっと早いと思うけど、でも…しょうがないんよ」

 

「なにが?」

 

「だって、私たち、ラ、ラブラブやし?」

 

そう言った姉は恥ずかしがってクッションに顔を埋める。

 

 

「はいはい、ごちそうさま。まぁ、お姉ちゃんが決めた人ならもうなんも言わんよ。ただし、前も言ったけど、今度私にも紹介してよね」

 

「当たり前やろ、期待して待っといてね」

 

「期待って何をよ」

 

 

まったく、幸せそうな顔しちゃって

 

 

私といるときはそんな顔しなかったくせに

 

 

ちょっぴり悔しくて、でも、幸せそうな姉を見てると、嬉しくて

 

 

 

 

 

瀧さん、まだ会ったこともないけど、お姉ちゃんをよろしくお願いします。

 

 

「んじゃあ私はもう寝るけんね、お姉ちゃんも早く寝ないよ」

 

立ち上がって、自分の部屋のドアを開ける

 

「うん!…四葉!」

 

「ん?」

 

「その…なんやろ…ありがとう?って、急に、言いたくなって…」

 

もじもじと、お姉ちゃんは恥ずかしそうに言う

 

ほんとに、妹ながら、可愛いお姉ちゃんやなぁ

 

「…ばーか。明日、瀧さんとデートやろ?楽しみなよ」

 

私はそう言って、ドアを閉めた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四葉は、とっても優しい顔で部屋に戻って行った

 

四葉には、本当に色々と感謝している、私が寂しいとき、辛いとき、必ずそばにいてくれたのは、あの子だった。

 

だから、急に、お礼が言いたくなった

 

うまく伝わったかはわからないけど、きっと伝わったと思う

 

だって、あんなに優しい笑顔をしてたもの

 

 

「私…こんなに幸せでええんかな…」

 

ふと、そんなことを思う。

 

 

なんだか、幸せすぎて、怖くなる

 

この幸せが、壊れてしまうのが怖い、失うのが怖い

 

 

昔、何かを失くしたように

 

 

思わず、自分の体を抱きしめる

 

 

 

 

失いたくないよ…

 

 

 

 

「瀧君…」

 

 

携帯が震える

 

そっと手を伸ばして、画面を開くと瀧君からの着信だった

 

ほんと、なんでこうタイミングよく電話してくるのかな

 

「…はい」

 

『もしもし、三葉?どうしたんだ?』

 

「ん?何が」

 

『いや、声に元気がないから…まさか…やっぱり俺の彼女になるのが嫌になったとか!?』

 

電話の向こうで瀧君が焦るのがわかる

 

 

まったく…なんだか考えてたことが馬鹿らしくなってしまった

 

 

何も心配することなんてないよね

 

 

だって…

 

「馬鹿やね、そんなこと思っとらんよ」

 

『そ、そうか…』

 

 

「ねぇ…瀧君」

 

『どうした?』

 

「瀧君は、私のこと、離さないよね?ずっと一緒に、いてくれるよね?」

 

『…当たり前だろ…離さない、何があっても、たとえお前が世界のどこにいたとしても、必ず会いに行くよ』

 

「何よそれ、臭いセリフやね、それに、どっかで聞いたことある気がするけんね」

 

『え、マジかよ…こんなセリフ、俺くらいしか言わないって…』

 

「ふふっ、冗談やよ」

 

『なぁ、三葉』

 

「何?瀧君」

 

『…泣くなよ』

 

 

お前が世界どこにいても、必ず見つけに行く

 

 

その言葉を聞いた私の目からは、とめどなく涙が溢れていた

 

 

どんなに拭っても止まらない涙は、悲しいからじゃなくて、嬉しくて、ただひたすらに嬉しくて、流れ出てくる

 

 

「ごめんね…その、嬉しくて」

 

『泣きすぎだって、三葉。俺は、お前の笑ってる顔が、好きだよ』

 

「あっ、また臭いセリフやね」

 

泣きながら、笑いながら

 

『う、うるさい。こっちは心配してるってのに…』

 

「もう大丈夫やよ、それより瀧君。明日のデート、エスコートよろしくね」

 

『あー、任せとけ』

 

「なんや、頼りない彼氏やね」

 

『うるせ、期待して待ってろよ』

 

瀧君のおかげで、私の中にあった怖さや不安は消え去ってしまった。ただ、瀧君の声を聞くだけで、それだけでいい

 

 

私は、瀧君と一緒にいれれば

 

 

それだけで、いくらでも強くなれる

 

 

「はいはい、それじゃそろそろ寝よか、明日もあるし」

 

『そうだな、それじゃあおやすみ、三葉』

 

「おやすみ…好きやよ、瀧君」

 

『俺も…すきだよ、三葉』

 

そんな言葉を交わして、電話は切れた

 

 

ツー、ツーッと、電話が切れた後の音は切ない

 

 

 

 

 

けれど、私の心は幸せでいっぱいだった

 

 

 

 

 

 

瀧君がいれば、私は大丈夫

 

 

 

 

 

さてと…今日は久しぶりに、四葉と寝ようかな…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ううん、四葉ぁ〜」

 

「ちょっ!お姉ちゃん、何暴れとるん!!え、待ってこの人、これで寝てるん!?やばい、やばいよ…やばいよ…」

 

 

その日四葉は思い出した。姉の寝相の悪さは、半端じゃないってことを

 



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第10話「昨日までは序章の序章」

「たーきくんっ」

 

「うぇっ!」

 

突然、視界が真っ暗になる

 

慌てて振り返ると、そこにはいたずらっぽい笑みを浮かべた三葉が立っていた。白い花柄のワンピースに、カーディガンを羽織り、いつもの赤とオレンジの組紐で髪を結っている。贔屓目に見ても可愛い。

 

「三葉!びっくりした…何高校生みたいなことしてんだよ…」

 

「むっ、失礼やね、ちょっと嬉しかったくせに…」

 

三葉は、頰を膨らませてふんっとそっぽを向く。最近分かったことなのだが、三葉は拗ねるとすぐそっぽを向く。正直、死ぬほど可愛いのだが、これはきっと無意識でやってるんだろうな

 

天然って怖いな

 

「う、嬉しくねーし」

 

「瀧君ってほんま、わかりやすいなぁ」

 

「てか、いつからいたんだよ…」

 

「んー、瀧君が、焦りながらここをウロウロしてるときから?」

 

「最初からじゃねぇか!」

 

「ふふっ、遅れるほうが悪いんよ。女の子を待たせよって…まったく」

 

「だから、連絡しただろ、電車が遅延してて…それに、5分くらいしか遅れてねーぞ!」

 

「瀧君、社会人は15分前行動が基本です」

 

「なんだよそれ…5分前行動じゃないのかよ…」

 

前々からデートの約束をしていた土曜、俺と三葉は今、新宿の駅前で待ち合わせている。とにかく、電車が遅延して俺は待ち合わせの10時から5分ほど遅れてしまった。駅について慌てて三葉を探し回り、どこにもいないことに不安になって携帯で電話をかけようとしたその瞬間、目の前が真っ暗になったのだ

 

「とにかく、もう行こうぜ、ほら」

 

「うん!それじゃあエスコート頼むね!」

 

花咲くような笑顔を浮かべる三葉の手を取り、歩き出す。

 

幸せな2人の一日が始まる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても、新宿御苑でピクニックかぁ、瀧君にしては、上出来かな」

 

「…やけに上から目線だな…」

 

俺たちは、新宿という大都会のど真ん中にあるオアシス、新宿御苑に来ている。

三葉と話しながら少し散歩をした後、原っぱまできて、そこにレジャーシートをひいて、持ってきた弁当やらなんやらを広げた

 

「だから瀧君、私に弁当を作ってほしいって言ってきたんやね」

 

「あぁ、三葉の手料理、食べてみたかったし」

 

「朝から腕によりをかけて作ったんやよ」

 

「ありがとうな、三葉」

 

えへんと胸を張る三葉が可愛くて、思わずその頭を撫でてしまう

 

「あっ…」

 

「あ!わりい、なんか…三葉が可愛くて」

 

「…もっと…してくれてもいいんやよ?私、瀧君の彼女なんやから」

 

 

そう言って、三葉は俺に擦り寄ってきて、肩にコトンと頭を預ける

 

 

ほんと、反則だよなぁ

 

 

「じゃあ…お言葉に甘えて」

 

そんな三葉の頭を撫でると、三葉は気持ちよさそうに目を閉じた。だが、しばらく撫で続けているうちに急に恥ずかしくなって俺は手を離した。三葉を見ると、三葉は俺のことを見つめていて、ほんのりと頰が赤くなっている

 

 

三葉の頰に手をあて、撫でる

 

 

すべすべで、柔らかい肌が、熱を持ってるかのように熱い

 

 

俺も、三葉も、お互いの目から視線を離さずに、見つめあった

 

 

どれくらいの時間そうしていたかわからない

 

 

ふと三葉が目を閉じる

 

 

今、ここでしないと、男じゃないよな

 

 

俺は三葉の頭に手を添えて、ゆっくりと顔を近づける

 

 

 

 

 

 

刹那

 

 

 

俺の後頭部に衝撃が走った

 

 

「いってぇ!!」

 

 

驚いて振り返ると、小さなサッカーボールがコロコロと転がっている

 

「だ、大丈夫!?瀧君」

 

三葉が、慌てて俺の頭を見て心配している

 

「ご、ごめんなさい!」

 

小さな男の子が、そのサッカーボールを追って走ってきた

 

どうやらサッカーをしていたようで、蹴り損ねたみたいだ…

 

 

…神様がいるなら、ぶん殴ってやる

 

 

「あ、あぁ、大丈夫だよ、ほれ」

 

ボールを蹴って、男の子に返す。

 

「あ、ありがとうございます…」

 

男の子は、頭を下げると友達の方へと走っていった

 

「…」

 

「……」

 

俺も三葉も、なんだか呆然としながら見つめ合う、やがて、どちからともなく笑いあう

 

「ふっふふ、瀧君、タイミング悪すぎるんよ、ふふっ」

 

「くくっ、俺だって、好きでボールくらったわけじゃないって」

 

「もう、瀧君って、そんなんばっかやね」

 

「何がだよ!こんなことはじめっ…ん」

 

 

三葉が、キスをしてきた

 

 

そのことに気づくまで、数秒かかった

 

 

頭が、脳が、理解できなかったんだ

 

 

「ぷはっ、み、み、三葉…」

 

「っん…わ、私の方が歳上やし、その、リードしないとって思って…」

 

三葉は、顔どころか、首まで真っ赤にして俯く

 

 

なぁ…神様、もう、いいよな

 

 

俯く三葉の顎を手であげて、無理矢理こっちに向ける

 

 

そして、三葉の唇に口づける

 

 

「はぁ…たき、くん」

 

「三葉…」

 

「…お兄ちゃんとお姉ちゃん、仲良いね」

 

「「はぇ!?」」

 

突然俺たちの世界に入ってきた言葉に、思わず変な声を出してしまった

 

さっきの男の子と同じくらいの女の子が、サッカーボールを持って俺たちをみていた

 

「あう、えっとこれは…」

 

三葉は完全に真っ赤に茹で上がっている

 

 

そうだ、忘れてた…ここは、他にもピクニックをしてる家族やカップルなんかが、たくさんいるんだった…

 

「ご、ごめんなさーーい!!」

 

すると、その女の子の親だろうか、茶髪のショートカットの女性がすごいスピードで走ってきた

 

そして、女の子を抱いて戻ろうとしたとき、目を見開いて三葉を見る

 

「三葉!?」

 

「な、夏海!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はじめまして、立花さん。三葉の同僚の、篠原夏海です」

 

「ど、どうも…」

 

「もう、夏海…こんなとこで会うなんて、びっくりしたよ!」

 

「私だってびっくりよ!ずーっとイチャイチャイチャイチャしてたカップルが、まさか三葉だったとはねぇ」

 

「うっ、そんなに、イチャついては…」

 

「あんたねぇ、あんなに見せつけるようにキスしててよく言うわ。あっ!立花さんは気にしないでくださいね!」

 

「えっ、えぇ…」

 

なんだか、ついていけない、女子の会話ってこう、勢いがあるよなぁ

 

「じゃあ、私はお邪魔みたいだし、そろそろ失礼するね。立花さん、三葉をよろしくお願いしますね」

 

そう言って篠原さんは笑った。三葉、お前にも、いい同僚がいるんだな

 

「えぇ、任せてください」

 

「明里ちゃんも、またね」

 

三葉が篠原さんの娘さんに声をかける、今5歳の娘さんらしくて、さっきから黙ってこちらを見ていた

 

「…またね」

 

篠原さんの足に隠れた明里ちゃんは恥ずかしそうにそう言った

 

「ふふっ、じゃあいくよ明里、またね三葉!お幸せに!立花さんも」

 

篠原さんは明里ちゃんの手を引きながら、家族の元に戻っていった

 

「いい人だな、篠原さん」

 

「うん、夏海とは去年知り合って、今では色々相談とかもできるくらい仲良しになったんよ」

 

「そっか、篠原さんなら、三葉を任せられるかな」

 

「あっ、ちょっとなんよそれ!」

 

「ほれ、三葉の弁当、食べたいからさ、早く出してくれよ」

 

「あっ、ごまかした!」

 

ふくれ顔で弁当を取り出す三葉を横目に見ながら、思う。

 

 

家族か、なんか、いいな

 

 

ふと、そんなことを思った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「明里!ここはボール遊び禁止だって言ったでしょ!」

 

「でも、遠野君が…」

 

「じゃあ遠野君にも言ってきなさい!」

 

「う、うん…」

 

とある2人の子供が、お互いに駆け寄る

 

 

風に煽られて、花びらが落ちる。

 

 

この子供達も、いずれ、運命的な恋をする。

 

 

 

 

 

 

 

でもそれは、また別のお話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三葉…お前の弁当、めっちゃ美味いよ」

 

「ほ、ほんと?」

 

俺たちは、レジャーシートの上に広げた三葉の弁当を食べはじめていた

 

「あぁ、サンドイッチも、このコロッケも!」

 

「あっそうだ!」

 

ふと、三葉が何か思い出したように俺の手から弁当を奪い取る

 

「あ、おい」

 

「これを、こうして、はい!卵コロッケサンド!」

 

三葉が満面の笑みで差し出してきたのは、サンドイッチにコロッケを挟んだだけのものだった

 

「お、おう…」

 

「私、これ、大好きなんよ…いつからだったから忘れちゃったんやけど、いっときこれにはまってて。すごい食べてたなぁ」

 

懐かしそうに三葉は呟く

 

「そうなのか…まぁ、たしかに美味そう…」

 

そう言って、俺は卵コロッケサンドに、かぶりついた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの後、俺たちは新宿で色んな店を回ってショッピングを楽しんだ。

 

三葉に似合う服を探してルミネを何周も回ったのは、疲れたけどいい思い出だ、

 

んで、そのあと、今度は三葉が俺に似合う服を探し回った

 

そして、お互いクタクタになりながら、夜ご飯を食べに店へ向かった

 

選んだのは、洋風で、完全個室のお洒落な居酒屋だ。新宿の居酒屋をネットで調べまくった俺に不覚はない

 

 

「わぁー、居酒屋なのに、お洒落な店やね」

 

「な、いい感じだろ。ところで三葉、酒はどのくらい飲める?」

 

「んー、まぁまぁ飲めるかな?」

 

なんだか、三葉が目を合わせないけど、こいつほんとに飲めるのか?

 

 

 

まぁ、答えは、すぐにわかった

 

 

 

 

 

「たきくぅーん、ねぇ、ちゅー、して」

 

 

結構飲める俺に合わせて飲んでいた三葉は、7杯目のカシスオレンジを飲み干したあと、甘える乙女と化した

 

「お、落ち着け三葉」

 

「落ち着いとるよぉ、瀧君がぁ、私をエッチな目で見るからぁ」

 

「いや、見てねーし…」

 

対面に座ったはずなんだが、いつから三葉は横に座っていた…

 

そして、横を見ると、その本人は幸せそうに眠り出していた

 

「はぁ、ほんと、世話がかかる歳上だなぁ」

 

でも、やっぱりそんなところが可愛くて

 

俺も中々、重症だよな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よっと…」

 

眠る三葉を、そっとベッドの上に寝かす

 

ここは俺の部屋で、あのあと眠った三葉をタクシーに乗せ、おぶって家まで帰ってきた

 

幸い父さんは今日も出張中だ

 

父さん、ナイス

 

「たき…くん…」

 

また、俺の夢でも見てんのかな

 

 

そう思って頭を撫でると、三葉はふふふっと笑い出して寝返りをうった

 

 

可愛いな、ほんと

 

 

「とりあえず、シャワーでも浴びて、俺も一眠りするか」

 

 

眠ってる三葉に何かするなんて、考えもつかなかった

 

 

ただ、愛おしくて

 

 

シャワーから上がった俺は、三葉と同じベッドに横になって、三葉を抱きしめる

 

 

三葉の柔らかさや、匂いが、俺の本能をくすぐる

 

 

あー、やばいかも

 

 

何が、考えもつかなかった、だよ

 

 

 

 

 

「はぁ、こいつは気楽でいいよな」

 

 

 

 

 

こちらに寝返りをうった三葉の顔からは、幸せが溢れ出ていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おやすみ、三葉。

 

夢の中で、会えたりしねーかな

 

ふと、そんなことを思ってみた

 




実は、君の名はで一番好きなセリフは

高木「卵コロッケサンドにしようぜ」

だったりします笑

尚、この話に出てくる秒速の2人は、あの世界の2人とは全く違う名前だけ一緒のキャラクターになります。秒速が好きなので、ちょっとだけゲスト出演してもらいました。


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第11話「教室の窓の外に」

静寂な廊下に、ただ、足音だけが反射する。

 

 

 

俺は今、三年間通った高校の廊下をただ歩いている

 

 

 

その足音は、やがて1つの教室の前で止まると、そのドアを開け放った

 

 

 

窓から日が差して、幾ばくか幻想的な空間を作り出しているその教室の、窓際の席に、一人の女の子が座っている

 

 

座っているというか、寝ている。の方が正しい

 

「おい、三葉、起きろよ」

 

肩を揺すっても、三葉は一向に起きる気配がない

 

 

 

ふと、目の前に、女性の象徴とも言えるあの柔らかな膨らみが見えた

 

 

 

そういえば、俺たちって、付き合ってるんだよな…

 

 

 

じゃあ、いいよな

 

 

 

そう思って、その膨らみに手を伸ばし

 

 

揉む

 

 

 

その柔らかさは、あの頃と変わらない

 

 

 

いや、俺も三葉も、今は高校生のときの体なのだから変わるはずがない

 

 

「うっ、うぅん、はぁ」

 

 

三葉の顔が少しづつ赤くなってきて、吐息も荒くなってきた

 

 

俺はそこで少し楽しくなってきて、揉む力とスピードを強めた

 

 

そして、制服のボタンはずし、ブラの中に手を伸ばそうと…

 

「瀧君、何やっとるん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、グーは、酷いと思うんだ。せめて、パーにしないか?」

 

俺は完全に腫れている左頬をさすりながら、三葉に愚痴を漏らす

 

「うるさい、私の半径2メートル以内に近寄らんといて」

 

「なっ、そこまで言うかよ…」

 

「当たり前やろ!この変態!エッチ!スケベ!おっぱい星人!」

 

「べ、別に付き合ってるんだからいいだろ!」

 

「ちゃんと告白して付き合ってるのはあっちの二人やね!私はまだ瀧君から告白されてないもん!」

 

「すきだって書いたろ!」

 

「付き合ってとは言われてないでね!」

 

「うぅ、わかった、降参。俺が悪かったよ。三葉」

 

こりゃ勝てそうにないな、そう思い、手を合わせて三葉に謝る

 

「ほんとに、思っとる?」

 

三葉がジトーッとした目で見てくるので、俺は慌てて

 

「あぁ、もちろん」

 

そう言って三葉を抱き寄せる

 

「そういえば、まだ俺は言ってなかったっけな。三葉、お前がすきだ、俺と付き合ってくれ」

 

「…あんなことされた後に言われても、ロマンチックやないね…」

 

「で、返事は?」

 

「わかっとるやろ?」

 

三葉に、キスをする。あっちでしてるような、ただ唇を合わせるだけのキスじゃなくて

 

もっと深く、奥に届くような、熱いキスを

 

「あぁ、はぁ…たき…くん」

 

「三葉…」

 

声を漏らす三葉の唇から、銀の糸が垂れる

 

その糸を落とさないように、再び唇を合わせる

 

「もう…だめやよ…頭、変になる」

 

「そういうこと言うから、したくなるんだよ、バカ」

 

今度は、強く抱きしめる

離さないように、離れないように

 

「ねぇ瀧君」

 

「ん?」

 

「私たち、いつ会えるのかな?」

 

「そりゃ…俺たち次第だろ」

 

「迎えに来て、くれるよね?」

 

「当たり前だろ、俺も、三葉も、必ず来る、だから、もう少し待ってような」

 

「うん…」

 

「大丈夫だよ、俺がいるから」

 

「瀧君…」

 

今度は、三葉からキスをする、お互いを求め合うように、舌を交えて

 

長い長いキスを

 

「あぁ、はぁ…瀧君…すき」

 

「三葉…俺も…」

 

そっと、三葉の胸に手を当てる

 

三葉の体がビクッと跳ねるけど、舌を入れればそちらに気を取られてしまう

 

そのまま、ゆっくりと揉み出す

 

「あっ、あぅ、たきくん…」

 

俺が手を動かすのと同時に三葉の口から可愛い声が漏れ出す

 

「だめっ、あぁっ、だめやよ…もう、変になる…」

 

三葉の体から力が抜け、キスをしながら俺が支えてやる

 

三葉が、こんなに可愛いのが悪いんだ

 

 

今度こそ制服のボタンを外し、ブラの上から胸を揉む。そういえば、服の上からは揉んだことあるけど、ブラの上からは初めてだな

 

「た、たきくん…はぁんっ、恥ずかしいよ…」

 

「綺麗だよ…三葉」

 

そう言って、また優しく三葉の胸を揉みしだく

 

「はぅっ、も、もう、胸ばっかり…たきくんのエッチ…」

 

「でも、嫌じゃないだろ?」

 

「…うん」

 

 

では、今度は生で揉ませてもらおう。そう思い、三葉のピンク色のブラジャーを外そうとした瞬間、今まで明るい光を差し込ましていた太陽が陰った

 

もうすぐ、日が落ちる

 

「あー、タイミング、悪いな…」

 

「はぁ…はぁ…たきくんの、えっち…」

 

もう三葉はふらふらだ、俺が支えてあげてなかったら崩れ落ちているだろう

 

「可愛かったよ、三葉」

 

「も、もう、次こんなことしたら、怒るんやからね」

 

三葉を抱きしめる、最愛の人を

 

「離れたくないな…」

 

「私もやよ…でも、またすぐ会えるよね」

 

「あぁ、きっとすぐだろうな」

 

また、三葉にキスをする

 

 

俺たちは夢の中でしか会えない

 

 

だから、また会えるときまで

 

 

おやすみ、三葉

 

 

 

 

 

世界から、光が消えた



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第12話「父と息子」

瀧のお父さんの名前ってなんなんやろうね?


目を覚ますと、三葉の顔があった

 

 

美人で、どことなく儚い美しさを残すその顔は、本当に自分の彼女でいいいのか不安になるほど、可愛いかった

 

 

頭を撫でると、サラサラとした黒髪が俺の手によく馴染む

 

「うーん…たきくぅん、もう…だめ…」

 

まったく、こいつはどんな夢見てるんだ

 

 

そう思いながら笑みをこぼす

 

 

ふと、目線の端にちらつくものに気を取られる

 

 

三葉の着ていたカーディガンがはだけて、ピンク色のブラジャーが覗いている

 

 

三葉の胸は、25歳にして十分すぎるほど発達していて、男の俺にしては少々刺激が強すぎた…

 

 

三葉は寝ている、それに、俺たちは付き合ってるんだ

 

 

こんなことで気後れしてたら、一向に先なんて進めないぞ、瀧

 

 

ありがとうございます

 

 

なんの神かは知らないけど、とりあえず神に感謝してから、その柔らかな膨らみに手を伸ばす

 

 

「あっ…」

 

 

寝ている三葉の寝息が少し荒くなる

 

 

すげぇ…初めて触ったのに、なんだか懐かしいな…

 

 

初めて手に伝わる感触に思わず感動する

 

 

「た…たき…くん」

 

 

三葉の顔が赤くなるのがわかる、でも大丈夫。まだ寝てる

 

 

俺はそこでようやく、花柄のワンピースの胸元にあるボタンを外す

 

 

そして、その中にある女性の神秘に手を伸ばそ…

 

「なにしとるん、瀧君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「デ、デジャヴ…なあ三葉、朝一でビンタはキツいって」

 

「うるさい!グーじゃないだけマシやと思いんさい!私の半径5メートル以内に近寄らんといて!」

 

「なっ!そこまで言うかよ!なんか伸びてる?あれ?いや、俺たち付き合ってるんだし…ちょっとくらいは…」

 

「それとこれとは話が別や!触りたいなら…ちゃんと言ってくれれば…」

 

そこで三葉は顔を真っ赤にして俯く、言葉も尻すぼみだ

 

「え?なに?」

 

聞こえてたけど、あえて聞く

 

「うるさい!この変態!エッチ!スケベ!おっぱい星人!」

 

 

なんだろう!いわれもない罵倒なのに、なんだか懐かしい、そんな気がする

 

忘れてた夢を、思い出すような、記憶の中にある何かが掘り起こされるような、そんな感覚に襲われる

 

「み、三葉!今のもう一回言ってくれ!変態ってやつ!」

 

「な、なんでや」

 

三葉がゴミを見るような目で俺を見てくる

 

違うんだ、三葉さん

 

「ち、違う!なんか今ので!なんか思い出しそうな気がして!頼む!もうちょっとなんだ!」

 

「う…本当?わ、わかったよ。へ、変態!」

 

「もっとだ!」

 

「変態!エッチ!スケベ!」

 

「もう少し!」

 

「このど変態!おっぱい星人!!」

 

「あと一回!」

 

「変態!!!瀧くんの変態!!」

 

 

ふと、何か気配を感じて部屋の入り口を見ると

 

父さんが立っていた

 

…何を言っているかわからないだろう?俺もわからないんだ、ただ、父さんが立ってるんだ

 

 

「……」

 

 

 

 

「………」

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

沈黙

 

 

 

 

 

 

 

ただ、沈黙。もしかしたら、この世界の全てから音が消えてしまったのかもしれない

 

その沈黙を破るように、父さんが言葉を発する

 

 

「………その、すまなかった。瀧」

 

それだけ言うと、父さんはリビングに戻っていった

 

眼鏡が反射して、目はよく見えなかったけど、もしかしたら泣いてたかもしれない

 

「ち、違うんだ!」

 

俺は震えながら父さん追う

 

「違うんだよぉぉぉおおお!!!父さぁぁぁん!!!!!」

 

俺は、藤原竜也ばりの迫力で父さんを追いかけた

 

そういえば父さん、朝には帰るって言ってたっけな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初めまして…瀧君とお付き合いさせていただいてます、宮水三葉と申します」

 

「なに、緊張しなくて大丈夫だよ、そんな堅苦しい言葉はやめよう。初めまして、瀧の父の、立花龍一です」

 

私と瀧君のお父さんは、リビングに対面で座りながらお茶を飲んでいる

 

「あ、はい…その、先程は変なところをお見せしてすいませんでした…」

 

「いや、いいんだ…瀧からさんざん言い訳を聞かされたからね」

 

私は、恥ずかしくて顔を真っ赤にして目を伏せる

 

あぁ、最悪や…よりによってあんな場面を見られるなんて

 

「ほんとうに…すいません…」

 

「大丈夫だよ。それに、君をの目を見れば、あいつを、瀧のことをどれだけ大事にしてくれているか、すぐにわかるよ」

 

お義父さんは…お父さんは、とっても優しい顔でそう言ってくれてた

 

当の瀧君は、あのあと私が往復ビンタをしたのと、あの場面を見られたことのショックで部屋でのびている

 

「瀧君は、ほんとうに、ほんとうに大事な人です。私は歳上ですから、瀧君のことをしっかりリードしていきたいと思っています!」

 

思わず、言葉に熱が入ってしまう

 

お父さんは、それがおかしいのか、少しだけ笑う

 

笑った顔が、瀧君にそっくり…

 

「そうか、宮水さんになら、あいつを任せられるかな。私は…父親らしいことはあいつには何もしてあげれなかったからね」

 

どこか寂しげな顔で、お父さんは言葉を続ける

 

「いえ…そんなことないと思いますよ。瀧君前に言ってました。父さんには実は感謝してるんだって」

 

「あいつが?そうか…」

 

寂しげな顔だったお父さんが、少しだけ、笑った気がした。そして、そのまま話しだす

 

「まぁ、話は聞いているかもしれないが、あいつには母親がいない。瀧が小さい頃に、私が離婚してね。男手一つで育ててきたが、あいつには母親の、女性からの愛情ってのに慣れてないんだ。だから、昔から女の子を相手にするとなんだかドギマギしていたものだよ。もちろん、中学、高校くらいからはそんな様子も無くなったが、正直、あいつに彼女ができないのは俺の離婚が原因なんじゃないかって、そんなことも思ったりしたね」

 

「いえ…お父さんのせいなんかじゃ、ないと思いますよ…」

 

私はただ、そう言うことしかできなかった。

 

「そうかな?でも、どうやらもう心配はいらないね。だって、こんなに美人な彼女を連れてきて、しかも、あんなに仲良さそうに会話をしていたしね」

 

お父さんはそう言ってクスクスと笑った

 

きっと、さっきの事を言っているのだろう

 

「あっ、もしかして…からかってます?」

 

「いいや?なんのことかな?」

 

ほんとに、瀧君にそっくりだな

 

そんな事を思いながら、2人で笑いだす

 

 

ガチャリ、と音がして、リビングに瀧君が入ってくる。どことなく頰が腫れている気がする。

 

「おい、父さん、三葉に変なこと言ってねーだろうな」

 

「ん?変な事言わせていたのはお前だろ?」

 

「なっ…」

 

きっと、瀧君もお父さんには敵わないんだろうな

 

そんなことを思い、私はクスクスと笑ってしまった

 

「も、もうそのことは忘れろよ!」

 

「いや、あの光景は俺の目に焼き付いて離れんな」

 

「あの、お父さん、それは忘れてくれた方が私的にも…」

 

なんて言っても、お父さんは眼鏡を光らせているだけで聞いてくれなかった、やっぱり瀧君ににてる…

 

「くくく、それじゃ瀧、父さんは少し寝る、出てくときは声をかけなくていいからな」

 

お父さんは、どこか疲れた顔でそう言う。そういえば、お父さんが帰ってきたのは今朝だから、昨日は徹夜だったのかもしれない

 

「あっ!すいません…お疲れだったのに私の話に付き合わせてしまって…」

 

「いやいや、宮水さんは気にしないでいいよ、私も、綺麗な女性と話せて楽しかったからね」

 

お父さんの眼鏡が、キラリと光る

 

「おい!三葉に変なこと言うなよ!」

 

「ははは、それじゃ宮水さん、またいつでもきてくださいね。瀧、宮水さんのこと、大事にしろよ」

 

それだけ言うと、お父さんは自分の部屋に戻っていってしまった

 

 

「…お父さん、いい人やね」

 

「そうか?でも、笑ってる親父、久々に見たかも」

 

「きっと、息子が美人な彼女を連れてきてくれて嬉しいんやよ」

 

「そうだな」

 

「ちょっと!そこはつっこむとこやよ!!」

 

私は瀧君の肩をガシガシと揺すって怒るけど、瀧君は口笛を吹いている

 

私の方が歳上なのに、最近からかわれてばっかりな気がする。

 

でも

 

実はちょっと嬉しかったりする…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瀧君の家でシャワーを借りて、持ってきた着替えを身につけると、瀧君が不思議そうな顔をしている

 

「三葉、なんで着替え持ってきてるんだ?」

 

「えー、あー…一応?」

 

そこで、昨日、出かける前にあった一騒動を思い出す

 

 

 

 

 

「うーん、こっちもいいし、こっちでも…でもちょっと大人っぽすぎ?もうちょっと可愛いほうが…どっちがいいかな四葉?」

 

「もう!いつも通りでええんやって!どいてお姉ちゃん!」

 

朝、お弁当を作り終えた私は、デートに着ていく服で迷いに迷っていた

 

そんな中、学校を遅刻しそうな四葉がドタドタと部屋の中を駆け回る

 

「うーん、青か、白か、どっちにしようかな…四葉?どっちがいい?」

 

「もう!ほんと!遅刻しちゃうって!お姉ちゃん!いやぁぁぁ!!」

 

 

 

 

散々悩んだ挙句、白の花柄のワンピースに決めた

 

「あっ、お姉ちゃん!一応着替えとか!持ってきないよ!」

 

玄関で靴を履きながら、四葉が言う

 

「なんで?」

 

「そりゃ、お泊りになるかもしれんやろ?だったら次の日も一緒やに、着替え持ってったほうがええって!」

 

そこまで言うと、四葉は玄関から飛び出していった

 

 

 

 

 

 

 

 

私はまた、服を並べて悩みだした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな事を思い出して、私はひとり苦笑する

 

「もしかしたら泊まるかも、みたいなことを四葉と話してたんよ」

 

「あっ、そういえば、四葉ちゃんに連絡入れてないけど、大丈夫なのか?」

 

「うん、今日はたぶん大丈夫やよ」

 

昨日あんな話をしてたんだ、夜帰ってこないならそれだけでわかるはずだ

 

そっと携帯を開くと、一件だけ、四葉からLINEが届いていた

 

 

 

《お姉ちゃん、避妊はちゃんとしないよ》

 

 

 

私は速攻で携帯をカバンの中に放り込んだ

 

「ど、どうした三葉」

 

「ううん、なんでもないよ」

 

「顔、赤いぞ三葉」

 

あたりまえだ、四葉のせいで想像してしまった

 

瀧君と…

 

あっ、だめだ、顔が赤くなっちゃう

 

顔をあげると、瀧君が目の前にいた

 

顎に手を当てられ、頭の後ろに手を添えられて、逃げられない

 

そして、そっと口づけされる

 

「あっ…」

 

思わず出た声も、すぐに塞がれる

 

ついばむように、2人で唇を合わせる

 

そして、瀧君の一部が私の口の中に侵入してきて、交わった

 

キスって、なんでこんなに心地いいんだろう

 

そういえば私、瀧君がファーストキスやね

 

瀧君は、どうなんだろうな…

 

 

やがて、満足したかのように瀧君が離れていく

 

「もう…瀧君急すぎやよ」

 

「三葉が可愛いのが悪い」

 

「あっ、もしかして照れとるん?可愛いわぁ」

 

「お、おい!男に可愛いとか言うなよ!」

 

瀧君は頭の後ろをかきながら顔を赤くする

 

ほんとにかわいいな、瀧君

 

「それじゃあ、そろそろ行こ、お昼ご飯、奢ってくれるんやろ?」

 

朝、勝手に私の胸を揉んだことのお詫びとして、瀧君が何か高級なお昼を奢るということで結着がついていた

 

「あー、はいはい。んじゃ行くか」

 

2人で立ち上がって、家を出る準備をする。そのとき、瀧君の携帯が震える

 

「あ、わりぃ、ちょっと電話」

 

「うん」

 

誰からだろう?

 

「司か?なに?いまから?あー、ちょっとな…あっ、そうだ」

 

瀧君は、電話をしながら少し悩んだ後、何か思いついたかのように私に話しかけてきた

 

 

 

 

 

 

「なぁ三葉、昼なんだけどさ…」

 

 

 

 

 

 

 

瀧君の提案を聞いた私は、快く頷いた

 

 

 

 



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第13話「親友」

「初めまして、瀧君と付き合ってる宮水三葉です」

 

 

三葉が、自己紹介の言葉とともに頭を下げる

 

 

「…」

 

 

「……」

 

 

が、こいつら、俺の学生時代からの親友、高木と司は目を見開くばかりで一向に言葉を発さない

 

 

今日の朝、司から電話があって、昼飯でもどうかと誘われたんだ

 

 

で、せっかくだから三葉を紹介しようと思い4人でとあるカフェに来ているのだが…

 

 

「お、おい」

 

 

「あっ、!すまん!俺は、瀧とは高校のときからの友人で、高木真太っていいます!」

 

 

「同じく、藤井司です。今日はすいません。お二人の時間を邪魔してしまって」

 

 

「いえ、いいんです!お二人のお話は前々から聞いていたので、一度会ってみたいと思ってたんです!」

 

 

司と三葉が話し出したとき、2人には背を向けるような形で高木が俺に肩を組んできた

 

 

「な、なんだよ?」

 

「んで?どうやってあんな超絶美人手に入れたんだ?まさかお前…金か?」

 

「ばっ!ちげーよ!」

 

「じゃあ、やっぱり美人局か…」

 

「だぁーかぁーら!!」

 

ほんとこいつ、いつかぶん殴ってやる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺と三葉の出会いを話したら、高木も司も目を丸くしていた。まぁしょうがないと思う。こんな話、そうそうないしな

 

「はぁー、そりゃたしかに、運命的な出会いだなぁ」

 

「瀧も成長したな…初めて会った女性に声をかけるなんて、昔からしたら想像できない」

 

「え!昔の瀧君の話、聞きたいかも…」

 

「あぁ!いいから聞かなくて!司!余計なこと言うなよ」

 

三葉は、高木と司の2人とすぐ仲良くなった。ほんとに初めて会ったのか?って思うくらい

 

 

そして、俺を蚊帳の外において、かってに俺の話をし始めた

 

 

 

「んで、ラブレターもらった瀧がどんな反応したかわかります?」

 

「んー、顔が真っ赤みたいな?」

 

「残念、瀧のやつ、いきなり逃げ出したんですよ」

 

「えぇー!嘘!女の子可愛そう…」

 

「そう、こいつは昔からヘタレなんです」

 

「お前らうるせーぞ!かってに人の過去を言いふらすな!」

 

「…瀧君、ヘタレやったんやね」

 

「ちげーよ!」

 

「私にはあんなにカッコいい言葉を言ってくれたんやけどねぇ」

 

「「三葉さん!その話詳しく」」

 

高木と司の2人とも身を乗り出して三葉に詰め寄った

 

俺はため息をついて手を額に当てる

 

ダメだこいつら

 

三葉は、俺のことをペラペラと話すし、司は何故か携帯でメモ帳を開いてそれを記録している。

 

司曰く、お前の弱みはいくつあっても困らない、だそうだ

 

ちなみに、高木は三葉の話を聞いて必死に笑いを堪えている

 

こいつらと友達、やめようかな

 

「君が、世界のどこにいても」

 

「必ず会いに行く」

 

「ぶっ飛ばすぞ」

 

高木と司は、まるでミュージカルのように俺の耳元で、いつか俺が三葉に言ったセリフを言い出す。

 

当の三葉は、手を合わせて、目でごめんと言っている

 

俺、たまには怒ろうかな…

 

「瀧よ、お前がこんなにも成長してくれてお父さん嬉しいぞ」

 

「誰なんだよお前」

 

高木がまた俺に肩を組んでにひひと笑う

 

「三葉さん、こいつはどっか抜けてるところがあるんで、よろしく頼みますね」

 

「うん、よろしく頼まれました」

 

「お前ら俺の保護者か」

 

「「みたいなもんだろ」」

 

2人同時に、そう言い切った

 

「お前はたまによくわからん行動をするし、危ないんだよ」

 

「そういえば、五年前の秋頃、急に岐阜まで1人で行くって言い出したよな?結局俺達が付いて行ったけど」

 

高木と司の話に、俺と三葉は思わず反応する

 

「高木君、司君、その話、詳しく覚えてる?」

 

「いや、俺は瀧のために代わりにバイト入っただけで、実際に行ったのは司と、当時のバイトの先輩の奥寺さんって人なんすよ。あ、もうすぐ藤井か」

 

「え?藤井?」

 

「あー、そうですね、実はそのとき一緒に行ったその奥寺さんって人と婚約しましてね」

 

「そんなんだ…奥寺さんって、女性なんやね…」

三葉が俺をジーっと見てくる

 

「いや、昔の話だろ」

 

「ふんっ」

 

ほんとに三葉はわかりやすい。拗ねるとすぐにそっぽを向くのが癖なようで、こういうときはだいたい三葉のことを褒めれば機嫌が直る。のだが…

 

「いやいや、三葉さん。瀧に女性に手を出す度胸なんてありませんよ」

 

「う、うるせえ!」

 

思わぬ邪魔が入ってしまった

 

「…まぁ、瀧君ヘタレやもんね」

 

「だから!ヘタレだったら三葉に声をかけてないっての!」

 

「あぁ、だから俺たちは非常に驚いたんだよ瀧君」

 

「三葉さんが脅されてるのかと思ったほどだ」

 

「お、お前ら…」

 

きっとこいつらは、俺をからかうことに楽しみを見出している。三葉はさっきからクスクスと笑っているし

 

「ま、冗談はこの辺にして、あのときは、結局最後に瀧1人がどっかに行ってしまって、俺達は先に帰ったんです。だから俺達に聞くよりも、瀧本人が一番知ってると思いますよ」

 

「実は俺、あのときのことがよく思い出せないんだ、何か、大事な事をしに行ったはずなんだけど、そこだけすっぽり記憶が抜け落ちてる」

 

「不思議だな、わざわざ岐阜まで行ったんだろ?そんな大事な事、そうそう忘れやしないだろ」

 

高木がそう言いながら、頭をひねって考え出す。

 

たしかに、そんな大事な事、なんで忘れたんだろう

 

糸守のこと、俺は、あそこに何を、誰に会いに…

 

「…だめだ、やっぱり思い出せない」

 

「瀧君…無理しなくてええよ?」

 

三葉が、心配そうな顔をしている

 

「すまん…でも、俺と三葉のこと、なんかわかるかもしれないのに…」

 

「瀧、どうゆうことだ?」

 

「いや…」

 

「ええんよ、瀧君、この2人なら、大丈夫」

 

三葉が俺の言葉を遮って、頷く

 

「実は私、その瀧君が行った岐阜の糸守町出身なの」

 

「それは…糸守って、あの彗星の…」

 

「そう、今から8年前に、私の故郷は彗星の落下によって消えた。でも…瀧君がその糸守に興味を持っていたっていうのを聞いて、何か、私と瀧君が惹かれ合う理由でもあるのかと思ったの」

 

その話を聞いて、司は顎に手をあてて何かを考える

 

「…瀧は、あのとき、誰かに会いに行くと言っていた」

 

「え?」

 

三葉が驚きの声をあげる

 

「覚えてるのか!司!」

 

俺も思わず大声を出してしまう。でもしょうがない、俺が、無くした記憶、それを思い出せるかもしれないんだ

 

「あぁ、図書館で、糸守町彗星被害に関する本を瀧は必死に読んでいた記憶がある。ただ、何故だ…俺もそのときに瀧と何を話したのか、全く思い出せないんだ…」

 

「…そうか、司も」

 

でも、これは大きな一歩だ、俺は糸守に、誰かを探しに行った

 

それは、思いつく限りでは、1人しかいない

 

俺は、三葉を見る

 

「もしかしたら、瀧は、三葉さんを探しに行ったんじゃないか?」

 

さっきから黙って話を聞いていた高木は、俺が思っていたのと同じ言葉を発した

 

「あぁ、2人の、はっきり言って運命的だが、異常な出会い。消えた糸守。それに瀧が会いに行った誰か。バラバラのピースを合わせていくと、謎が解けるかもしれない」

 

そう言った司に、三葉が反論する

 

「で、でも、私は瀧君が糸守に行った頃には、もう東京にいたんだよ?なのに、どうして瀧君が私を糸守に探しに来るの?」

 

そうだ、何かが、何かが足りない。大事なパズルの一欠片が。

 

「わからない。でも、俺が探していたのは、三葉だと、俺も思う…確証はないけど、いままで、ずっと探していたのは三葉だったんだ、今はそう思ってる」

 

「瀧君…」

 

「すまないな瀧、俺も記憶が曖昧なところがあって、的確な言葉が言えない」

 

司は眼鏡を拭きながら、申し訳なさそうに謝る

 

「いいんだよ司、お前のおかげで、一つ思い出せたんだ」

 

「まぁ、とりあえず、2人で一緒にいれば、何か思い出すんじゃないか?」

 

「あぁ、そのつもりだよ」

 

「それに、瀧君とは今度糸守に行く約束もしてるからね」

 

「そうなのか、なら、そこで、お前の答えを見つけてこい、今度こそな」

 

「応援してるぞ、瀧」

 

2人が、ニッと笑い親指を立てる。俺もそれに応える

 

こいつらは、いつもふざけてるけど、なんだかんだ、俺のことを気にかけてくれている

 

それは学生時代からよく知っている

 

俺が気づいてないと思ってるだろうけど、高木と司に、何度も助けられていることは俺が一番よくわかってる

 

だからやっぱり、こいつらは親友だ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

店の外に出たときには、すでに時刻は3時を回ろうとしていた。どうやら話し込みすぎたようだ

 

「んじゃあ、俺たちはこの辺で」

 

「また、今度、4人で飯でも行きましょう」

 

「うん!今日はありがとう!高木くんも藤井くんも、またね!」

 

「じゃあな、高木、司」

 

三葉はぶんぶんと手を振り、俺は軽く手をあげる

 

 

それに答えるように高木が手をヒラヒラと降り、司は軽く頭を下げて歩き出す

 

 

 

 

「高木くんも、藤井くんも、いい人やね…」

 

「まぁ、あいつらには色々と世話になったかな」

 

就活で苦戦したときも、あいつらなりに冗談で励ましてくれた。それに、誕生日にはわざわざ2人でスーツまで買ってくれた。だが、今までありがとうなんて言ったら、それこそ頭を心配されるから、口が裂けてもそんなことは言えない

 

「大事にしないよ、友達は」

 

「おう」

 

「そうや、私にも高校のときからの親友が2人いるんやけど、今度紹介させてくれる?」

 

「あぁ、いつでもいいよ」

 

三葉は、俺の答えに嬉しそうに微笑んだあと、何か思いついたようにこちらを見る

 

「あ、そうだ、2人よりも先に紹介しないといかん人がいたんやった…」

 

「ん?誰?…まさかお父さんとか言うなよな…」

 

「言わへんよ、お父さんは今岐阜やし…ところで、瀧君この後時間大丈夫やよね?」

 

「あぁ、日曜だし、なんもないよ」

 

「んじゃ行こっか」

 

「今から?どこへ?」

 

その言葉で、三葉はいたずらっぽく微笑んだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「決まっとるやろ、私の家やよ」

 

 

 

 



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番外編 第1話「卵コロッケサンドにしようぜ」

ずーっと、この話が書きたかったのです笑

尚、番外編は本編とはあまり関係ありませんので、読まなくてもストーリー的には問題ありません。これからちょくちょく番外編もやっていきます


 

「あぁ…お腹減ったなぁ」

 

私は今、東京の都心のど真ん中で、途方にくれていた

 

 

事の発端は今日の朝から

 

 

私はいつも、少し早めに起きて簡単なお弁当を作ってから家を出る

 

 

少しでも節約をしたいのと、栄養バランスを考えて、出来るだけ自分で作るようにしているからだ

 

 

だが、今日の朝は珍しく寝坊をしてしまった。きっと夜遅くまで瀧君と電話をしていたからだろう

 

 

もちろんお弁当を作っている時間なんてなく、最小限の身だしなみを整えて急いで家を出た

 

 

始業時刻にはギリギリ間に合ったのだが、私は一つ、重大な失態を犯した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

財布を、家に、忘れたのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼休みに、しょうがないからコンビニでお弁当でも買おうと思いカバンの中を漁った私は、財布がないことに気がつく

 

 

一瞬で思考回路を働かせて思い出すと、昨日は仕事終わりに瀧君とデートがあるから、いつもと違うお洒落なコートで出勤した。そしておそらく、そのコートの右ポケットに私の財布は眠っている

 

 

最悪や…

 

 

お弁当も、財布もない

 

右の席、つまり同僚の夏海の席を見ると、コピー用紙に可愛らしい文字でこう書いてあった。

 

 

【三葉へ、溜まってた有給がやっと取れました♡私のデスクの一番上に、資料が入ってるから、仕事に使うなら勝手に取ってね♡】

 

 

私は、ため息をつく

 

 

もしお金がなくても、夏海なら気後れせずにお金を借りることができるし、おそらく自分のお弁当を分けてくれたりするだろう。彼女は何だかんだとってもいい子なのだから

 

 

だが、頼みの綱の夏海までいないこの状況で、どうすればいいのか

 

 

他の同僚にお金を借りるのは、正直気が進まない。夏海のように気軽に話せる人は、実を言うとあんまりいないのだ

 

 

しょうがない…スイカの中にチャージしたお金がいくらか入ってることを願おう…

 

 

私は、スイカはパスケースに入れて財布とは別に持ち歩いている。財布を忘れたことに気づかなかったことの理由の一つだ。

 

 

改札を通るときに、チャージ金額は表示されるけど、遅刻しそうだった私はそんなもの一片も見ていなかった。だから、チャージ金額にかけるしかない。せめて、100円でもあれば…

 

 

 

神さま…お願いします…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘…やろ」

 

コンビニの端末には、28円の文字が表示されている。

 

28円、小学生だってそんな金額を見たら鼻で笑うだろう

 

28円じゃ、駄菓子しか買えない

 

 

神さまなんて、信じない。巫女だったけど、私はそう決めた。今決めた。

 

 

コンビニの店員は、苦笑している

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お腹減ったなぁ」

 

私は、コンビニを出て会社まで戻る道のベンチに腰掛け、途方にくれていた

 

今日は、遅刻のせいで朝ご飯も食べれなかった。お腹がぐーぐー鳴いている。

 

「しょうがない…戻っていっぱいお茶でも飲もうかな」

 

私は、深くため息をつくと立ち上がる

 

 

その時、ふと、聞いたことのある声がした

 

 

振り向くと、見覚えのある2人がこちらに歩いてくる

 

 

「んでさぁ、また怒鳴ってばっかで、何言ってるかよく分かんないんだよな、あの先輩」

 

「あぁ、それは確かに酷いな、ん?もしかして、三葉さんですか?」

 

スーツにシャツの出で立ちをした高木君と藤井君が、私に気づいて声をかけてくれた。仕事中かな?

 

「高木君に!藤井君!こんなところで奇遇だね!」

 

「あぁ俺たち、会社が近いんですよ、だからこうして、たまに昼飯一緒に食うんです」

 

「ま、そんなに時間がないんで、コンビニ弁当ばっかりですけどね」

 

「そうだったんだね!私もこの近くの会社だから、もしかしたらよく会うかもね」

 

「あぁ、そういえば、アパレル企業って言ってましたよね?ってことは、あそこの…」

 

「そうそう!すぐ近くの…」

 

そこまで言った瞬間、私のお腹は盛大な音をかき鳴らした

 

「…あー、ごめんね」

 

恥ずかしくて、思わず目を伏せる

 

「いや、いいんですけど、昼飯、食べてないんですか?」

 

心配したのか高木君が声をかけてくれる

 

「あー、それが…」

 

こんなこと、人に話せるようなことじゃないけど、なんだか高木君と藤井君には素直に話せた。初めて顔を合わせたときも、この2人には初めて会った気がそんなにしなかった。

こんな感覚は、瀧君と出会ったとき以来だったから、実はちょっと驚いていたりする。

 

そんなこんなで、私は2人に事の顛末を話した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、それは…災難でしたね」

 

高木君は目をつぶってうんうんと頷く

 

「そういう運の無い日、ありますよね…高木、なんかあるか?」

 

そう言うと藤井君は自分の持っていたサンドイッチの袋を開けて、一枚取り出す

 

「卵コロッケサンドにしようぜ」

 

高木君は、自分のお弁当の中からコロッケを2つ取り出して、サンドイッチに挟む

 

「はい、どうぞ」

 

高木君は、にひひと笑って私に卵コロッケサンドを差し出した

 

「あ、ありがとう…」

 

「どういたしまして!それじゃ三葉さん、せっかくなんで3人でランチでも…って三葉さん!?」

 

高木君が、慌てた表情で私の顔を覗き込む

 

藤井君も、なんだか驚いている

 

「どうしたの?」

 

「どうしたの?って、三葉さん…なんで泣いてるんですか?もしかして、嫌でした?」

 

言われて、自分の目に手を当てると、確かに涙が流れている

 

高木君は、オロオロとし始め、藤井君は眼鏡のズレを直しはじめた

 

そんな様子が面白くて、思わず笑ってしまう

 

「ふふっ、ごめんね、なんだか、嬉しくて泣いちゃった。2人とも、ありがとね」

 

その言葉を聞いて、2人はやっと落ち着いてくれた

 

「な、なんだ、よかったぁ…三葉さんを泣かしたら、瀧にどやされるところでしたよ」

 

「いや、泣かしたには泣かしただろ」

 

「嬉し泣きはノーカウントだ」

 

高木君はにひひと笑い、藤井君もつられて笑う

 

「実は私、卵コロッケサンド、昔からよく自分で作って食べてたの、ほんと、美味しいよね」

 

「え?そうなんすか?卵コロッケサンドって、結構珍しくないですか?」

 

「高木、具材のセンスが良かったな」

 

「お、おう」

 

「ふふっ、それじゃあ、一緒にランチ、お願いしてもいい?」

 

 

 

 

2人は顔を見合わせて、微笑む

 

 

 

 

 

 

「「もちろんです!」」

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに食べた卵コロッケサンドは、とっても懐かしい味がした



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第14話「初めまして」

「……」

 

 

 

 

「………」

 

 

 

 

時計の針がチクタクと動く音が聞こえる。それ以外、この部屋で音を発するものはなかった。

 

 

その静寂を破るため、私が声を発しようとした瞬間

 

 

今まで微動だにしなかった彼女は声を上げる

 

 

「お初にお目にかかります。わたくし、そこにおります三葉の妹、宮水四葉と申します。この度はこのような場を設けさせていただき感謝しております」

 

「あ…はい」

 

瀧君は困惑した表情で答えた後、こちらを見る。まるで、助けてと言われているようだ

 

「よ、四葉、何ふざけとるん、瀧君困っとるやろ」

 

「お姉ちゃんは黙っといて」

 

キッと睨まれ、思わず口ごもる。その隙をみて、四葉は立ち上がり、何故か正座している瀧君の周りをぐるぐる回り出した

 

何かぶつぶつと呟きながら

 

やがて、うんうんと頷いた後また自分が座っていた場所に戻った

 

「外見は合格やね。まず、結構うらやましいくらいのイケメン。それから、背もわりかし高い、おそらく175センチ。あと、服のセンスもなかなかのもんやね。ちなみにメンズの香水もつけとるね、いい香りがただよってる」

 

「ど、どうも…」

 

四葉は、目をつぶりながら淡々と瀧君の長所を語り出した。瀧君は目を丸くして驚いている

 

「よ、四葉!いい加減に…」

 

「では質問です!瀧さん。お姉ちゃんの好きなところは?」

 

私の言葉を遮り、四葉は瀧君のほうに身を乗り出してそんなことを聞いた

 

私は、怒ろうかと思ったけど、その質問だけはちょっぴり聞きたかった。

 

ちょっぴりやよ?

 

「……うーん」

 

瀧君は、その質問に対して唸りながら考えている

 

また、チクタクと時計が動く音だけが聞こえる

 

私、そんなに悩むほど好きなところないん?

 

ちょっぴり、泣きそうになったところで、瀧君が声を出した

 

「…全部」

 

「ほんとですか?具体的には?実は好きなところが思いつかなかったのでは?」

 

四葉の目がキランと光り、瀧君に質問攻めをする。

 

「…いや、本当に、全部好きなんだよ。恥ずかしいけど」

 

瀧君は、頭の後ろをかきながら、私の方を見る

 

「三葉の声が好きだ。長くてサラサラの髪も好きだ。それに、俺にはもったいないんじゃないかってくらい美人っていうか、可愛いっていうか…いつも元気で、俺を笑わせてくれるところも好きだし。とにかく、あげたらきりがないんだよな…って、恥ずかしいな、なんだこれ…」

 

私は、もうこれ以上赤くなれないんじゃないかってくらい真っ赤になっている…と思う。恥ずかしくて、嬉しくて、瀧君の顔が見れない

 

「あ、ありがとう…瀧君…」

 

俯いたまま、そう言うので精一杯

 

「いや、今まで、どこが好きだとかちゃんと言ったことなかったし…」

 

きっと、瀧君も顔真っ赤なんだろうな。そう思ったところで、四葉がやっと声を出した

 

 

「なんや…お姉ちゃんに相応しいか試そうと思ってたんやけど、馬鹿らしくなってきたわ」

 

「なっ、四葉!さっきから瀧君に失礼やろ!」

 

「いいよ三葉、俺も途中から試されてるってわかったから。で、四葉ちゃん、俺はどう?」

 

「完璧。合格。二重丸です。失礼なことしてすいませんでした」

 

四葉はそう言って素直に頭を下げた。

 

「いいって、だって、どこの誰とも知らない男がお姉さんの彼氏だったら不安だよな」

 

「いえ、瀧さんがお姉ちゃんのことをちゃんと大事にしてくれてるのは、もうわかりましたよ」

 

「なら良かったよ…三葉、合格だってさ」

 

瀧君はどこか安心したような顔で私に向かって微笑む

 

「当たり前やろ!四葉!何勝手なことしとるん!」

 

「いいやろべつに、瀧さん気にしてないし…お姉ちゃんどっか抜けてるから色々心配なんよ」

 

「あっ、抜けてるってのはわかるな、三葉ってたまに変なことするよな」

 

「そうなんですよ!この前なんて…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2人は、私を蚊帳の外において楽しげに話し始めた

 

 

すぐに仲良くなるとは思ってたけど

 

 

ちょっと仲良くなりすぎやない?

 

 

「むぅ…」

 

なんだか、気に入らないかも…

 

「ほら、三葉、おいで」

 

「ひゃっ…」

 

そんなことを思ってると、瀧君が私を抱き寄せて隣に座らせた

 

ほんとに、瀧君って

 

ずるい…

 

「ほぉーうほうほう、瀧さん…すでにお姉ちゃんの扱いをマスターしてますね?」

 

「まぁ、まだ出会ってから1週間くらいだけどな、三葉ってほら、わかりやすいから」

 

「なっ!瀧君に言われたくないわ!」

 

「今だってお姉ちゃん、私と瀧さんが仲良くしてて嫉妬してたやろ?」

 

いたずらっぽく笑みを浮かべる四葉が私の脇腹をつんつんつつく

 

「ちょ!やめなさい!」

 

「顔赤いよお姉ちゃん」

 

「ほんとに怒るよ!」

 

キッと睨みつけても、四葉は未だにニヤニヤしている。ほんとにこの妹は…

 

「まぁ怒るなって三葉、俺には三葉だけだよ」

 

「な、なんで今日はそんなことばっかり」

 

瀧君がふざけて言っているのはわかるけど、わかるけど顔が赤くなってしまう

 

「あっ、お姉ちゃん女の顔になっとる」

 

「も、もう嫌やぁぁ!!」

 

 

 

私は思わず叫んだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

台所では、三葉が所狭しと動き回っていて、ほのかないい香りが漂ってくる

 

三葉が料理を振舞ってくれるそうで、今はその最中だ

 

俺は四葉ちゃんとリビングに座って、三葉の料理ができるのを待っている。

 

最初は四葉ちゃんも手伝おうとしていたのだが、初めての手料理は1人で作りたいとのことだ

 

そんなわけで、すぐに仲良くなった四葉ちゃんと、お茶を飲みながらたわいもない話をしてしていた

 

ずっと笑っていた四葉ちゃんが、ふと、真面目な顔に戻った

 

「瀧さん、お姉ちゃんに出会ってくれてありがとうございます」

 

「え?うーん、どういたしまして?でいいのか?」

 

俺はいきなりの言葉に戸惑ってしまい、そんな返答しかできなかった。それがおかしいのか四葉ちゃんはクスクスと笑う

 

「お姉ちゃんは、昔、ある日を境に、心の底から笑わなくなってしまったんです」

 

「それって、もしかして…糸守の?」

 

「…聞いてたんですね。そうです。あの日、星が降った日から、お姉ちゃんはいつも何かを探してるような、どことなく影があるような、そんな風に見えました。それは、東京に出てきてからも変わらずでした」

 

四葉ちゃんは、そこで一旦区切るとお茶を少しだけ飲む

 

「そう、だったのか…」

 

「はい…私や、お姉ちゃんの友達が何をしてもその影は消えませんでした。ですが、ある日、お姉ちゃんからその影が綺麗さっぱり消えてしまったんです」

 

「それって、いつ?」

 

三葉から、影が消えた日か…なんだか気になって、思わず聞いてしまう

 

「…瀧さんって、鈍感なんですね…」

 

「えっ!?なんだよいきなり…」

 

いきなりそんなことを言われても困る。でも、もしかして

 

「もしかして、俺と三葉が出会った日?」

 

「そうです。あの日から、昔のお姉ちゃんが帰ってきました。あの、花が咲くような笑顔、私がどんなに頑張っても引き出せなかった笑顔を、瀧さんは出会っただけで出してしまったんですよ」

 

「そう、だったのか…俺、三葉の昔の話、あんまり聞いてないんだ、その…聞きづらくてさ」

 

正直、地元の話など、してみたいときはあったけど、俺のことは話しても、三葉にそれを聞くことはほとんどなかった

 

彗星が落ちて消えた町

 

そんなこと、気軽に聞けるわけない

 

過去のトラウマだったり、ショックだったり、きっと三葉にもあると思っていた。だから…聞けなかった

 

「…瀧さん、ほんと優しいですね」

 

「いや…普通だろ」

 

「知ってます?優しい人って損するんですよ?」

 

「な、そんなこと言われてもな…」

 

「お姉ちゃんも、優しいんです。昔から、いっつも人のことばっかり気にして、自分の言いたいことは言わなくて、ほんと、馬鹿で、でも、優しいお姉ちゃんなんです」

 

「………」

 

「だから、瀧さん、お姉ちゃんのこと、よろしくお願いします。瀧さんみたいに、優しい人なら、お姉ちゃんのこと、いつも気にかけてくれると思います。お姉ちゃんが、自分の中に溜め込んでしまったら、瀧さんが、少しだけでいいですから、お姉ちゃんの受け皿になってください。お願いします」

 

そう言って、四葉ちゃんは頭を下げた

 

 

この子は、ほんとうに姉が好きで、大事なんだろう。

 

 

三葉…いい妹がいて良かったな

 

「あぁ、任せてくれ。俺が三葉のことを守るよ。三葉に何かあったら、俺が一番に気づいて、どこにいても、何があっても助ける。俺がずっと、三葉のそばにいる。だから俺に三葉を任せてくれるか?」

 

自分でも臭いセリフだなと思いながら、今度は俺が四葉ちゃんに頭を下げる

 

「…瀧さん、なんだか、今のプロポーズみたい」

 

だが、四葉ちゃんはクスクスと笑ってそんなことを言ってきた

 

せっかく真面目に頭を下げたのに

 

「ええ!ちがうって!」

 

「今の、お姉ちゃんに直接言ってあげてください。きっと泣いて喜びますよ」

 

「い、いや、直接はなぁ…」

 

直接はむりだろ…はずいし

 

俺はそんなことを思いながら頭の後ろをかく

 

「…へたれ」

 

「あっ、聞こえたぞ!!」

 

そこに、三葉が料理を持って戻ってきた

 

「あ、お姉ちゃんありが…お姉ちゃん!!!」

 

「三葉!」

 

俺も四葉ちゃんも慌てて三葉のところに駆け寄る

 

それもそのはずだ

 

 

 

 

 

 

料理を置いた三葉の顔は、それはもう

 

 

 

 

 

 

大号泣だった

 

 

 

 

 

「うぅ…うぇ、四葉もぉ…たきくんも…ばかぁ…全部聞こえとるよぉ…うぅ、涙…止まらんよぉ…うぅ」

 

俺と四葉ちゃんは、顔を見合して、微笑んだ

 

 

 

そして、2人で、三葉を抱きしめる

 

「もー、よしよし、馬鹿なお姉ちゃんやなぁ」

 

「ほら、三葉、泣きやめよ、可愛い顔が台無しだぞ」

 

「うぅ…無理やよぉ…」

 

そう言って、三葉は俺たちの胸に顔を埋めて、また泣き出した

 

 

 

 

俺たちはしばらくそんな三葉の頭を撫でながら、三葉が落ち着くまで待っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その…急に泣いてごめんなさい」

 

俺の前には、目を真っ赤にした三葉と、四葉ちゃんが座っている。

 

三葉の料理を食べ終えて、片付けが終わった後、こうしてまた3人でお茶を飲むことにした

 

「なんで謝るんだよ、泣かしたのはむしろ俺たちだし…ごめんな」

 

「ううん…私、嬉しかったんよ、2人が、私のことこんなに真剣に考えてくれてるんやって思ったら、涙が止まらんくて…」

 

そこまで言って、三葉はまた下を向く

 

「あっ、お姉ちゃん!また泣かんといてよね!」

 

四葉ちゃんがつっこむけど、これはもしかしたら、また泣くかもしれない…

 

「だ、大丈夫やよ!」

 

泣くのを我慢しているなって、すぐわかる顔だ

 

まぁ、こういうところが、可愛いんだよな

 

「あっ、瀧君笑っとるやろ!」

 

「さぁね、三葉、料理ありがとな、ほんとに美味かった」

 

「え?あ、うん、ありがとう」

 

三葉の料理は、和風料理って感じで、魚の煮物やら、揚げ出し豆腐やら、とにかくほんとに美味しかった

 

「ほんと、いつもこんな美味しければいいのに、私と2人のときなんて手抜いてていつも…ぐっ」

 

そこまで言った四葉ちゃんのおでこに三葉がチョップを入れる

 

モロに食らった四葉ちゃんはそのまま動かなくなった

 

三葉は、怒らせないようにしよう

 

そう、心に決めた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「瀧君、そろそろ時間大丈夫?明日仕事やろ?」

 

「あー、そうだな、それじゃあ、そろそろ帰るよ」

 

時計を見ると、すでに9時を過ぎていて、明日のことを考えると、ここら辺で撤退しておく方が良かった

 

「今日はありがとな、三葉に、四葉ちゃんも」

 

「いえ、私も瀧さんに会えて良かったです。またいつでもきてくださいね」

 

いつのまにか復活した四葉ちゃんは、そう言って俺にウィンクしてきた。きっとこの子もモテるんだろうな

 

「じゃあ瀧君、私が駅まで送るよ」

 

「いいって、それじゃあ駅から家まで三葉1人になっちゃうだろ?」

 

俺たちは、三葉の家の玄関で少し言い争いになった

 

「ええって!いつも仕事帰りは1人やし」

 

「いいから!夜の街は危険なの!」

 

「う、うぅ、だって…もう少し…一緒にいたいんやもん」

 

あー、反則だろ

 

そんなこと言われたら、ダメと言えないじゃないか…

 

「うっ、そりゃ、俺だって、一緒にいたいけど…」

 

「あー!お熱いですね2人とも!私がいるのを忘れないでくださいね」

 

そんなやりとりをしてると、四葉ちゃんがパンパンと手を叩いて俺たちの間に割り込んだ

 

「お姉ちゃん、瀧さん困っとるやろ、瀧さんはお姉ちゃんが大事やからそう言っとるん、お姉ちゃんならわかるやろ?」

 

「う、うん…瀧君ごめんね」

 

「あ、あぁ」

 

「よろしい、んじゃお姉ちゃんは瀧さんをアパートの下まで送ってあげて、それじゃ瀧さん!また今度会いましょうね」

 

「あー、またな四葉ちゃん。それと、ありがとな」

 

「いいえ!ほら!お姉ちゃん!さっさと行きなさい!」

 

俺と三葉は、四葉ちゃんに追い出されるように家を出た

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「四葉ちゃん…いい子だな」

 

俺たちは、三葉のアパートの下で、少しだけ話をしていた

 

「うん、自慢の妹やよ」

 

「そっか、大事にしろよ」

 

そう言って、俺は三葉に笑いかける、三葉も笑顔になり

 

 

 

 

 

俺たちはどちらからともなくキスをした

 

 

 

 

 

「瀧君、今日は来てくれてありがとね」

 

「三葉も、誘ってくれてありがとな」

 

そこで、幸せそうな笑顔の三葉が、ふと、何か思い出したかのような顔に変わる

 

「あっ!そや!すっかり忘れてた…瀧君って、ゴールデンウィーク何か予定ある?」

 

「ゴールデンウィーク?んー、今のところ何もないな」

 

「そっか、よかった。実はね、私と四葉で、ゴールデンウィーク実家に帰るんよ。あっ、実家って言っても、糸守はもうないから、近くの町に住んでるおばあちゃんとお父さんのところね」

 

そこで、三葉は一旦言葉を区切り、少し悩んだ後、こちらを見る

 

「でね、前言ってたやろ?いつか、糸守に2人で行こうって。だからそのタイミングで行けたらなって思ったんよ」

 

「あー、つまり…俺が、三葉のお父さんとおばあちゃんのところに行くってことか?」

 

「あっ、ぜんぜん!泊まるところは別でいいんやけどね!もしよかったら、お父さんにもおばあちゃんにも紹介したいし、四葉と3人で、行けたらなって思って…どうかな?あっでもお父さんはもしかしたら出張でいないかもしれないけど…」

 

なるほど、これが試練か

 

お父さん

 

恋人との仲を深めるための大きな壁であり、超えないといけない壁

 

それがお父さんだ

 

きっとおばあちゃんはなんとかなる気がする

 

だが、三葉のお父さんには、何か、何かわからないけど、会うのがとても気まずいのだ…

 

でも、ここで引いたら、また高木や司、それに四葉ちゃんにもヘタレと言われ続けるだろう

 

覚悟は決めた

 

…お父さん、出張してください…

 

「うん、行くよ、俺も」

 

「ほんと!瀧君来てくれるんや!」

 

三葉は、飛び上がって喜ぶ

 

それを横目に、俺はため息をつく

 

お父さんかぁ…付き合って1ヶ月でお父さんは早いんじゃないか…

 

三葉との旅行は楽しみだけど、憂鬱だ…

 

 

俺は、飛び跳ねる三葉を捕まえて、キスをする

 

 

とりあえず、先のことは考えずに、今を楽しもう

 

 

顔を真っ赤にして逃げ出そうとする三葉に、俺は何度もキスをする

 

 

しばらくして、三葉の顔が蕩けてきたころに、解放してあげると、なにやら三葉が俺に向かって声を上げている

 

 

 

 

 

 

あー、幸せすぎて、聞き取れないな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アパートの二階の廊下の手すりに、肘をついて下を眺める。下では、姉とその彼氏が熱い口づけを交わしている真っ最中だ

 

「あー、私も彼氏作ろうかなぁ〜」

 

 

 

そんな私のつぶやきは、夜の街に溶けて消えていってしまった

 



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第15話「君のもとへダイブを」

四月もそろそろ終わりを告げ、ゴールデンウィーまであと一息、三葉と出会ってからは、もう2週間ほどの日が経っていた。たった2週間、今までの自分だったら、ただ毎日をなんとなく過ごす、それだけの日々だったと思う

 

けれども、今は違う、この2週間、俺の隣にはいつも三葉がいた。三葉と一緒に笑って泣いて、怒って、そんな日々が、楽しかった

 

三葉と出会って、ねずみ色に染まっていた俺の人生は、なんの色だか、パステルカラーに染められてしまった

 

いつも元気で、でも真面目で、と思ったらどこか抜けている。そんな三葉が可愛い

 

ほんとはもっと距離を縮めたい

 

もうキスはした。だけど、俺たちは高校生じゃない。いや、今時高校生だってもっと先に進んでるだろう

 

だが、まだ出会って2週間、付き合って1週間だ。そんなに急ぐことはないんじゃないかと思う自分もいれば、早く三葉の全部を奪ってしまえと思う自分もいる。

 

なんだろうか、まるで、いままでの時間を埋めるために急かすような、そんな自分がいるのだ。

 

 

記憶の中の、どこかに、もう1人の自分が…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしたん?瀧君?」

 

はっとして、急速に考え事の世界から戻ってきた俺の目の前には、可愛い三葉の顔があった

 

「また、考え事しとるん?最近多いよ、1人で考えてること」

 

「あ、すまん…大したことじゃないんだ」

 

「私たちの記憶のこと?だったら、私も考えるよ?」

 

三葉は、心配そうに、まるで自分だってできると言いたげな子供のような顔で、俺を見つめる

 

「いや、違うんだ、それは、今度糸守に行ったときにきっとわかる。だから実は、そんなに心配してないんだ。それより、今は三葉との時間を楽しみたくてさ」

 

そう言って俺は三葉を抱き寄せる

 

三葉は、この急に抱かれるのが好きだ。本人に聞いたわけじゃないけど、反応を見たらすぐにわかる。顔を真っ赤にして俯く、そして、しばらく何もしないと、物欲しげに俺を見つめる。そして、キスをしてあげると満足するのだ

 

ほんとにわかりやすい

 

ちなみに、今は俺の部屋で三葉と2人っきりで、金曜日の仕事を終えたあと、俺の家に泊まるという予定だった

 

父さんは例のごとくいない、夜勤だろうか、徹夜だろうかわからないけど、今日も帰らないから、飯は勝手に食ってくれ、というLINEが届いた。だから、今日のお泊まりデートを考案したのだ。

 

ちなみに、ゴールデンウィークは来週の火曜からだ。そこで、三葉と、妹の四葉と一緒に糸森に行くことになっている。

 

「瀧君…」

 

ふいに、三葉が俺に声をかける

 

「どうした?」

 

「…なんもせんの?」

 

「して欲しいのか?」

 

俺は、ちょっとからかい気味に言葉を返す。そして、キスをする。いつからかするようになった。熱いキスを。

 

お互いに求めあうように、激しく舌を絡め合う。ときおり三葉の妖艶な声が聞こえてきて、それが俺の本能を奮い立たせる。もっと求めたい。そんな思いで、俺は三葉の唇を奪い続けた。

 

「あぅ…はぁ…はぁ…瀧君」

 

長い口付けが終わり、三葉は酸素不足で息切れしているように吐息を漏らす。

 

「大丈夫か?」

 

優しく声をかけて、その頭を撫でる。すると、三葉も俺にしなだれかかってきて、その体をあずける。

 

「ねぇ…瀧君」

 

「ん?」

 

頭を撫でながら、俺は答える

 

「もっと、しても、ええんよ」

 

思わず、動かしていた手を止めてしまう。三葉の顔を見ると、今までにないくらい真っ赤で、目はウルウルとしている

 

「それって、いいってことか?」

 

「…うん」

 

コクリと、三葉は頷いた

 

「手加減しないぞ?」

 

「ちょっとは、手加減してよ…」

 

顔を赤くして俯く三葉、その顎に手を添え、無理矢理上を向かせる、そして、プルプルと震えるその口にキスをする

 

ついばむように、三葉の唇を甘く挟み込む、そして、お互いに舌を絡ませあった

 

ときおり恥ずかしげに、でも大胆に、三葉の舌が自分の中に侵入してくるのがわかる

 

「んっ、瀧君…」

 

「どうした?」

 

「…好き」

 

今度は三葉が、攻めに回る、でも、まるで割れ物に触れるかのような、そんなキスをしてくる。恥ずかしいのだろうか、それがまた可愛くて、すぐにこちらが攻め返す。が、なんだか三葉が不満そうな顔で見てくる

 

「たまには、歳上にリードさせてくれてもええんよ?」

 

「三葉は歳上な感じしないからだめだな」

 

そう言うと、三葉は頰を膨らませて赤くなる

 

「うるさい、瀧君が大人びすぎなんやよ…」

 

「三葉が子供すぎるんだよ」

 

今度は三葉の頭を撫でる。すると、すぐに三葉の顔がにやけてくる。ほんと、わかりやすい。

 

また、キスをする。本日何度目だろうか。前は1日何回キスできたか数えていて、その回数が増えるごとにニヤニヤしていた。今考えると気持ち悪いと思う。三葉には死んでも言えない

 

そして、三葉の膨らみに手を伸ばす

 

「あっ…瀧君」

 

「いいんだろ?」

 

「…うん」

 

許可は得た。今度はグーパンはされないだろう。いや?ビンタだったっけ?あんまり覚えていない。

 

「うぅ…たきくぅん…」

 

柔らかいその膨らみを揉むたびに、三葉の口から嬌声が漏れ出す

 

「頭変になりそうやよぉ…」

 

「こんなことされるのは初めて?」

 

実は気になっていたが、今まで聞けなかった。三葉に彼氏がいたか。いや、俺はきっといたと思っている。だって、こんな美人を世の中の誰がほっておくというのだろうか。だから俺が付き合えたのは本当に運が良かったと。だが、三葉の口から告げられたのは、俺の思いとは正反対のものだった

 

「初めて…やよ。彼氏も、瀧君が初めてやもん」

 

「ほ、ほんまか?」

 

「瀧君…なまっとる…」

 

驚いた、まさか俺が初めてとは…三葉の顔を見るに、とても嘘をついているとは思えなかった。おそらく本当なのだろう

 

「瀧君は?」

 

「え?」

 

「瀧君は、私が初めて?」

 

少しだけ、ジトッとした目で見られた。これは信じてくれるのだろうか。だが、神に誓って、三葉が初めてだった。彼女ができたのも、キスをしたのも、その先も…

 

「三葉が初めてだよ、本当に」

 

しばらく、見つめ合う。

 

「…本当やね、瀧君、嘘ついたらすぐわかるから」

 

「ほんとか?」

 

「うん、耳が赤くなるんよ」

 

そんな癖は、初めて知った。そういえば、高木と司にはいつも一瞬で嘘がバレていた。あいつらがおかしいのかと思っていたが、どうやら俺のせいだったようだ

 

パチンっと音がする

 

「ひゃっ!待って!」

 

三葉は慌てて胸を抑える

 

実は、話してる間に、三葉のシャツのボタンを外し、ブラのホックも外していた

 

「うぅぅ、瀧君のエッチ…」

 

「あのな、男にそういうこと言っても喜ばせるだけだぞ」

 

そう言って、三葉の腕を取って、広げる

 

大きすぎず、小さすぎず。形の整った綺麗な胸が、そこにはあった

 

「は、恥ずかしすぎて死ぬぅ…」

 

三葉は恥ずかしくて顔を真っ赤にしてあらぬ方向を向いている

 

「綺麗だよ、三葉」

 

そして、三葉の胸に、口付けをする。その膨らみの先端に、舌を這わせる

 

「あっ、だ、だめ瀧君っ」

 

体をくねらせて、逃げようとするが、俺はそれを腕で押さえる

 

最初は右、次は左と、その膨らみを口に含む

 

「はぁ…もうだめ…頭変になりそうやよぉ」

 

「いいんだよ、三葉」

 

今度は唇にキスをする

 

「…愛してる、三葉」

 

「…私も愛してるよ、瀧君」

 

そして、もう一度、深く、愛のこもった口付けを交わした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この夜、俺たちは初めて1つになった

 

それは

 

ただ、ただ、幸せな時間だった…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「瀧君…」

 

「どうした?」

 

俺たちは、1つのベッドに入り、三葉は俺の腕枕で横になっている。アレの後だから、もちろん2人とも生まれたときの姿のままだ

 

「もうすぐ、糸守に行くやろ?私たちの答え、見つかるかな?」

 

「…わからない。正直、俺たちが何を求めているのかも、わからない。三葉に会ったことで、俺の中の何かが埋まった。大きな空白が埋まった気がした。けど、まだ足りないんだ、俺の空白はボコボコの穴だらけで、一番大きな穴が埋まっても、他が残ってる。その穴を埋める答えを見つけに行きたい。今はそう思ってる」

 

俺は、三葉に思いの丈をぶつける。そうだ、確かに三葉に会って、いつも俺を蝕んでいたあのよくわからない虚無感は無くなった。けど、まだ思い出したい、思い出さないとだめなことが残っている気がする。

 

「私も、同じなんよ。沢山の空白が、私の心の中を彷徨ってる…その答えを見つけに行きたい。でも、糸守に行ったらどこに行けばいいんやろ…」

 

「そういえば、糸守町の中は立ち入り禁止なんだっけな…」

 

「まぁ、入ろうと思えば入れるけど…」

 

俺は、しばらく考えて、ふと思い出す

 

「…そうだ、あそこだ、俺が昔行った、糸守の山の上。あそこに行きたい」

 

そう言って俺は起き上がり、しまってあったスケッチブックを取り出してパラパラとページをめくる。そして目的のページを開くと、それを三葉に見せる

 

「ここは…御神体…」

 

「御神体?」

 

聞き慣れない言葉に、思わず聞き返す

 

「そう、この山の中心にあるのが、宮水神社の御神体なんよ。でも、ここは宮水の人間しか知らないのに、どうして瀧君が知ってるんやろ…やっぱり、私と瀧君は昔、何かで繋がっていた?」

 

今度は三葉が考え出す。確かに、この絵は見れば見るほど、俺と三葉に何か繋がりがあったことを示唆しているとしか思えない

 

「…わからない。でも、間違いない。俺たちは繋がっていた。じゃないと、この絵は説明できない。その答えを見つけに行こう。2人で、この御神体のところまで行くんだ」

 

「そうやね、わすれてしまった何かを、大事な何かを見つけに」

 

そして、2人で、頷き合う。きっと答えはある。だから、それを探しに、迎えに行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でもね、瀧君…」

 

「ん?」

 

「それは…隠した方が、ええかも…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、俺は素っ裸だった…



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第16話「ここでないどこかを夢に見た」

星が綺麗に光っている

 

 

そして、まるで空を2つに分かつように、彗星が尾を引いて流れている。それは、まるで夢の景色のように、美しい眺めだ

 

 

眼下には、広大な糸守湖が広がり、その周辺にポツポツと家が見える。和洋折衷のデザインで作られている家々は、星々を反射する糸守湖と絶妙にマッチして、これもまた美しさに拍車をかけている

 

 

後ろを振り返れば、山の頂上が窪地のようになっており、その真ん中に岩でできた洞窟がある。その中に、宮水神社の御神体が祀られているのだ

 

 

俺は、あのとき、三葉と、出会った場所に立っている。

 

 

あの瞬間、俺達は、運命だとか未来とか、そんな言葉がいくら手を伸ばそうとも届かない、そんな場所で恋をした

 

「三葉…」

 

不意に口にしてしまう言葉は、いつもこうだ。忘れない、もう忘れることはない。なのに、無性に心配になる。

 

手の届かないところに、どこかに、行ってしまいそうで。

 

その瞬間

 

誰かが後ろから抱きついてきた。背中の低いところに、何か柔らかいものが2つ当たるのがわかる

 

「大丈夫、私はどこにもいかんよ」

 

そして、優しく、そう告げられる

 

「あぁ、あの日、あのときから、俺達はずっと一緒だ」

 

ふと、彗星に手を伸ばす。届かないけれど、もし届いたら、何をしようか。きっと、壊してしまうかもしれない

 

「あの彗星のせいで、俺達はこんな思いをしてるんだよな…」

 

「でも…彗星がなかったら、私たちは出会ってなかったんやよ?」

 

そこで、振り向く。あの日のように髪をショートにした三葉が、そこにはいた

 

「…今日はショートなんだな」

 

「…文句あるん?」

 

「いや、ないです。可愛いよ三葉」

 

三葉はフンっとそっぽを向くけど、可愛いって言葉に反応して機嫌がよくなる。扱いやすいなぁ…

 

「…彗星がなくたって、俺達は出会ってたよ、それこそ、この世界がなくなろうと、俺はお前を探し始めてたよ」

 

「ほんと?」

 

「あぁ」

 

そこで、三葉を抱きしめる。三葉も、俺の背中に手を回して、力を込める。三葉のシャンプーの香りが鼻をくすぐる。髪を撫でながら、その髪に顔を埋める。いい匂いで、あったかくて、幸せだった。

 

 

 

 

 

「あっ、匂いかがないでや!」

 

瀧君が私の髪に顔を埋めて、スーハーし始めたので、思わず体を離してしまう。

 

「なんでだよ…せっかくいい匂いだったのに」

 

瀧君は、頭の後ろをかきながら、少しだけ拗ねた顔をする。ほんとにこの男は、乙女心がわかっとらん

 

「瀧君…そんなことだからモテへんのやよ」

 

「なっ!関係ないだろ」

 

「あります〜。瀧君は乙女心が全くわかっておりません」

 

「く、こいつ!ていうか!三葉だって全然モテてなかっただろうが!」

 

「私はラブレターもらってるからええんよ!」

 

「あれは俺がお前になってるときだろ!」

 

「でも体は私やね!」

 

「なるほど、つまり三葉は性格がモテないってことか。お前やっぱり俺に人生預けた方がモテんじゃね?」

 

ニヤッと、瀧君は私を挑発してくる

 

「はぁー、自惚れんといてよね!瀧君やって私が入っとったほうが今の100倍モテるわ!奥寺先輩とデートの約束までこぎつけたのは誰やと思ってるんですか?」

 

今度は私も挑発し返す、すると、瀧君は何か思い出したようにこちらを指差す

 

「あっ!そういえばお前!あのとき奥寺先輩と仲良くしすぎたせいで、先輩からめちゃめちゃなじられたんだからな!俺の人間関係勝手に変えやがって!」

 

「別にええやろ、嬉しかったくせに…」

 

私は、フンっとそっぽを向く。ほんとこの男は…

 

その瞬間、抱きしめられた

 

顔中に瀧君の服の匂いがする。体全体が瀧君に包まれて、底知れない安心感と幸福感が、体の中を駆け巡り始める

 

「…抱きしめても許してあげんよ」

 

「えっ、まじ?」

 

顔を上げると、瀧君が困った顔をしている。ほんとにこれだけで私の機嫌が直ると思っていたのだろうか。私はそんなに扱いやすくはない

 

「ちゅー、してくれたら、許してやってもええよ…」

 

ふいに、そんな言葉を口走ってしまい、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。思わず俯いてしまう。

 

スッと、瀧君の手が私の顎に添えられて、無理矢理上を向かされる。いつもの、私が逃げられないように、逃がさないようなキス、私はこれが、実は好きだ

 

「んっ…」

 

唇を奪われて、思わず嬌声が出てしまう。でも、瀧君のキスはとても上手い。まるで脳みそが溶けてしまいそうになるくらい

 

そっと、唇を離す

 

「これで、許してくれるか?」

 

「んー、しょうがないから、許してあげましょう」

 

恥ずかしくて、思わずそんな言葉つかいになる。瀧君を見るとクスクスと笑っていた。私もつられて笑ってしまう

 

2人で笑いあって、抱きしめ合う。とても幸せで、でも…

 

とても悲しい時間

 

私たちは、朧げで、いつ消えてもおかしくない、そんな存在。夢のような、記憶のような、曖昧な存在だ。今この瞬間、ここで瀧君と2人でいれることがすでに奇跡だ

 

「瀧君…私たち、まだ、大丈夫だよね?」

 

「当たり前だろ、それに、もうすぐ、来てくれるって、三葉も聞いてたろ」

 

「うん、でも、ちょっと心配で…」

 

「大丈夫、俺と三葉を、信じよう。きっと、来てくれる」

 

瀧君は、そう言って私を強く抱きしめる

私も、強く抱きしめ返す。

 

ふと、瀧君が空を見上げる

 

「今日は、ここなんだな、てっきり、俺の部屋か三葉の部屋かと思ってた」

 

「うん、でも、私たちがいるのは、あの日からずっとここやよ。糸守も、瀧君の学校も、ただ、私たちの夢」

 

「…わかってる。ただ、夢の中でくらい、どこか別の場所を夢見てもいいんじゃないかなって、そう思ったんだ」

 

瀧君はそう言って、また空を見上げる

 

日が落ちるとき、昼でも夜でもない瞬間が少しだけある。人はそれを、黄昏時とか彼は誰時などと呼んだ。でも私の故郷の糸守では、こう呼ぶ

 

「かたわれ時…」

 

この世界は、この夢は、いつもかたわれ時だ

 

まるであの日から全てが止まったように、動かない。空を落ちる彗星は、落ちているように見えても、一向にその場を動かない。

 

私たちは、あの日から止まってしまった

 

でも、ここには瀧君がいる。瀧君がいれば、たとえ世界がなくなっても、この体が散り散りになろうとも、何も心配ない。瀧君は必ず私を見つけてくれる。この宇宙をゼロから始めることになったとしても

 

きっと来てくれる

 

そう信じている

 

だから、もう心配はいらない

 

 

 

「瀧君…もし会えたら、なんて言う?」

 

 

 

「あー、何年待たせるんだバカ野郎、とか?」

 

 

 

「ふふっ、瀧君らしいね」

 

 

 

「じゃあ三葉は?」

 

 

 

 

「んー」

 

 

 

 

私は少しだけ悩む

 

 

 

 

でも、答えは決まっていた

 

 

 

 

 

 

 

 

「見つけてくれて、ありがとう。かな」

 



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〜糸守編〜
第17話「ひとときの休息」


最近お気にりが増えて嬉しいです。一応物語の最後まで話は考えておりますので、早めの更新を心がけます。


朝起きると、なぜか涙を流している

 

そういうことは、もうなくなったはずなのに、俺の目からはとめどなく涙が溢れていた。いくらぬぐっても、止まることのない涙が

 

ただ、不思議なことに、泣いてはいても、そこに悲しみはなかった。上手い言葉が見つからないが、嬉し泣きってやつだと思う。

 

横を見ると、布団に丸くなった三葉が、俺の手を握って離さない。昨日は、三葉のことを抱いて、それから眠った。三葉と繋がれたことが嬉しくて、泣いたのだろうか、それとも、もはや思い出すことのできない夢を見て、泣いたのだろうか。俺には分からなかった。

 

「たき…くん…」

 

三葉の寝言は、ほとんどいつも俺の名前が出てくる。そんな三葉の頭を、優しく撫でる。サラサラの黒髪が、寝癖であちこちに跳ねているのを押さえつけるように。

 

三葉が寝返りをうつ

 

すると、三葉の目からも、涙が流れていた

 

「三葉…」

 

俺は思わずそう呟いた。三葉の目から涙を拭ってあげて、またその髪を撫でる。

 

 

いったい何が、誰が、俺たちに涙を流させるのだろうか

 

 

忘れちゃいけない何か、誰かが

 

 

俺たちに何かを訴えているのだろうか

 

 

でも

 

 

 

 

見ていたはずの夢は、いつも思い出せない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ!瀧さーん!!」

 

ゴールデンウィーク初日、人がごった返す東京駅のど真ん中で、四葉ちゃんが飛び跳ねながら手を振っている

 

「こ、こら四葉、やめなさい!」

 

「何言っとるん!瀧さんに気づいてもらえんよ!ほら、お姉ちゃんも!」

 

今度は、四葉ちゃんが三葉の手を取って、一緒に手を振り始めた。その光景は、とても心暖かいというか、和むもので、俺は苦笑しながら2人に近づいて行った

 

「すまん、遅れた」

 

「瀧さん、女を待たせるなんて、偉くなったじゃないの」

 

「ふっ、だがまだ待ち合わせ時間の30分前だぞ妹よ」

 

「ほら、ふざけてないで2人ともはよ行くよ、先に新幹線のチケット買わないといかんのやから」

 

俺たちは揃って「はーい」と言って、冷めた目をした三葉についていった。

 

そこで、四葉ちゃんが俺に耳打ちをしてくる

 

「瀧さん…こんなの珍しいよ、お姉ちゃんがつっこんでくれない」

 

「緊張してるんじゃないか?家族に彼氏を紹介するわけだし」

 

まぁ、俺たちの本当の目的は別にあるんだけど

 

「…普通瀧さんが緊張する側じゃないの?」

 

「あぁ、俺は緊張しすぎて、一周回ってリラックスしてるから問題ない」

 

「それ…問題ありまくりだと思います…」

 

「それに、お父さんは出張なんだろ?だったら俺はそんなに気にすることないな」

 

「瀧さん、おばあちゃんを甘く見てると痛い目見ますよ…」

 

そんなことを話しながら、チケットを購入して、俺たちは時間通りの新幹線に乗り込んだ。東京駅からJRひかり広島行きで、名古屋まで乗る。そして東海道本線を使って岐阜まで行き、そこからはレンタカーを借りることになっている。糸守のあたりは電車で行くととんでもない時間がかかるが、いつも帰省するときは電車を使っているそうだ。ただ、今回俺たちは宮水神社の御神体まで行かないと行けない。そのため、レンタカーを借りることにしたのだ。

 

「なんだか、旅行みたいでちょっとわくわくしてきたな」

 

指定席に座ったところで、俺はそう呟く。三葉と、四葉ちゃんもいるけれど、こうしてみんなでどこかに行くのは、やっぱり楽しい

 

「もう瀧君、私たちの目的、忘れとらんよね?」

 

三葉が少しだけ心配そうな顔で聞いてくる。おそらく、三葉は、俺たちが探しているもの、何かはわからないが、それが見つかるかどうか心配なのだろう。だから、妙に緊張しているのだ

 

「あぁ、でも、今から気にしてもしょうがないだろ。とりあえず、今を楽しまないか?」

 

そんな心配顔の三葉を抱き寄せて、頭をわしゃわしゃと撫でる

 

「ひゃ!た、瀧君!髪セットしたんに!やめてやぁ!」

 

三葉は俺の手から逃れようと暴れるが、あくまで抱き寄せた手を払おうとしない。抱かれているのは、好きなんだろうな

 

俺がクククと笑いながら三葉をいじっていると、対面に座る四葉ちゃんが駅で買ったミルクティーをストローで飲みながら、ゴミを見るような目で見ていた

 

「あ、わりい、忘れてた」

 

「でしょうね、まさかお姉ちゃんも、私がいるってことをお忘れではないでしょうか?」

 

四葉ちゃんがジトーッとした目で俺たちを見てくる

 

「ご、ごめんね四葉!これは瀧君が悪いんよ!」

 

「なっ、俺のせいにするなよ!」

 

「瀧君がからかうからやよ!」

 

三葉はまるで猫みたいにフーッと威嚇してくる。正直それがたまらなく可愛くて、思わずキスしそうになるが、四葉ちゃんが見ていることを思い出して、思いとどまる。何度も忘れてごめんよ四葉ちゃん…

 

「はいはい、もういいですよ、お2人がイチャイチャしてるのはもう見飽きました。どうぞお好きにイチャコラしてくださいな」

 

フンっと四葉ちゃんはそっぽを向く

 

あー、やっぱ、三葉の妹なんだな…

 

俺はそう思うと、必死に四葉ちゃんをなだめる三葉を見ながら笑ってしまった。三葉も拗ねるとすぐにこうなる。姉妹って似るんだな

 

「あっ!瀧君笑ってないで助けてよ」

 

「はいはい、四葉ちゃん、ごめんって、ほら、みんなでトランプでもやらないか?」

 

俺は、暇つぶしのために持ってきたトランプを出しながらそう言った

 

 

 

 

 

「13」

 

「1」

 

「あ、えと…2」

 

「「ダウト!」」

 

「ひぃ!な、なんで2人とも私のときばっかり…」

 

三葉の手には、それはもう大量のカードが握られている

 

「そりゃお姉ちゃん顔に出るんだもん、あんなにわかりやすいババ抜きしたのも初めてやったよ」

 

「くくっ、今の三葉も、わかりやすすぎ」

 

俺たちはあの後トランプでババ抜きやら、大富豪やら、ダウトなんかをやったのだが、三葉は何をやってもすぐ顔に出てしまう。だから今のところほぼ三葉の全敗で終了しているのだ

 

「むー、おもしろくない」

 

「あ、お姉ちゃん拗ねた」

 

三葉は、そっぽを向いて拗ねる。さっきの四葉ちゃんと同じじゃないか…

 

「あー、ほらほら、いじめすぎたな。こっちおいで、三葉」

 

四葉ちゃんの隣に座っていた三葉を無理矢理隣に座らせて、頭を撫でる。

 

「瀧君…歳上をいじめるのは悪趣味やよ」

 

「三葉がわかりやすいのが悪いからしょうがない」

 

「むっ、ほんとに、この男は…」

 

「ごめんって」

 

俺は笑いながら、三葉の頭を撫でながら考える

 

もうすぐ名古屋に着くな

 

そうしたら、岐阜まで電車に乗って、そこからはレンタカーで、あの御神体まで行くんだ。俺が、五年前に行った、あの場所に。

 

 

 

あれ…

 

 

 

俺、五年前に、あそこに?

 

 

 

いったい、何を

 

 

 

俺は何を

 

 

 

そうだ、思い出した。何かを探しに、誰かを

 

 

 

でも、誰を?

 

 

 

誰かを…

 

 

 

…三葉?

 

 

 

「瀧君?瀧くん!」

 

 

なんだ、だめだ。考えられない。何かが邪魔をする。なんだ、邪魔をしないでくれ

 

 

もう少しで、思い出せる…

 

 

思い出せ…

 

 

 

「瀧君!」

 

 

ガシガシと、肩を揺すっても、瀧君は目を開けない。さっきまで、私の頭を撫でていた瀧君は、突然何か悩むような顔をしたと思ったら、私の肩に頭を預けて、寝てしまった。静かな寝息がスースーと聞こえるから、本当に寝ているのだろう

 

「お姉ちゃん…瀧さん大丈夫?いきなり寝ちゃうって、なんかやばない?」

 

「うん、心配だけど…別に苦しそうじゃないし、昨日夜遅くまで仕事だったって言ってたから、もしかしたら疲れが溜まっとったのかも…」

 

瀧君は、眠っているけど、どことなく笑顔で、とても苦しそうには見えない。何故かはわからないけどきっと大丈夫だという確信があった

 

「もう少しだけ様子を見よう」

 

「うん、でも、このまま永遠に起きないなんてことないよね?」

 

四葉は本当に心配そうに尋ねる。きっと不安なんだろう

 

「大丈夫やよ」

 

瀧君は、まだ変わらず気持ちよさそうに寝息をたてている

 

 

「…瀧君」

 

 

3人を乗せた電車は、なおも変わらず走り続ける



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第18話「電車に揺られ運ばれる朝に」

低評価って結構、心にきますね…頑張ります!


ガタガタと窓が揺れて、外の景色はじっくりと見る間もなく後ろに流れて行ってしまう

 

軽快に走る新幹線の中で、俺は窓際に肘をついて、なんとなしに外の景色を眺めていた。

 

車内には、自分以外の客はいない。今回は三葉も来れないだろう

 

ただ一人で、朝が運ばれてくるのを待つ

 

ただ、それだけだ

 

 

 

 

 

 

 

 

「すいません、相席、よろしいでしょうか?」

 

不意にかかってきた声に、驚いて仰け反る。そのせいで電車の窓に頭をぶつけてしまった

 

「いったぁ…」

 

頭を抱えてうずくまると、先ほどの声がまた話しかけてきた

 

「あ、ごめんなさい、驚かせてしまって…大丈夫ですか?」

 

俺は涙目になりながら、その声の主を見る

 

「あっ…」

 

言葉がでない

 

一瞬、三葉かと思った。だけど、すぐに違うとわかった

 

三葉にそっくりの綺麗な顔立ち、でも、どこか可愛らしさを残すその顔は、おそらく30代も半ばに差し掛かっているだろうけれども、その美しさにまったく衰えを感じさせない。そして、その髪の後ろは、もう何度も見たあの組紐で結われていた。

 

つまるところ、三葉にそっくりの超絶美人がそこに立っていた

 

「あの…」

 

なんて言えばいいかわからず、言葉に詰まってしまう。

 

「ふふ、相席しても、よろしいですか?」

 

その様子がおかしかったのか、少しだけ笑うと、彼女は最初と同じ質問を繰り返す

 

「あっ…どうぞ」

 

「ありがとうございます」

 

すると、彼女は俺に対面する席に、スッと座って、先ほどの俺のように、窓の外を眺め始めた

 

「…」

 

「……」

 

しばしの間、沈黙が訪れた

 

俺は彼女を見て、彼女は窓の外を見る。変な構図だ

 

しかし、その横顔も、綺麗な黒髪も、見れば見るほど三葉に似ている。いや、違う。この人が似ているんじゃない

 

「…あなたは、三葉の…」

 

そこで、一度言葉を区切る。すると、彼女はこちらに振り向いてクスッと笑う

 

「えぇ、あなたの想像通りの者で合ってると思いますよ」

 

「そう…ですか」

 

何と…言っていいかわからない、言葉が見つからない

 

「その…こんなところで、会うなんて、えっと…いったい何故です?」

 

俺がまず最初に聞いたのは、単純なこと。何故、ここで出会えるのか…それが聞きたかった。ここは、夢であり、記憶であり、存在してはいけない、朧げな世界だ。そこに何故彼女がいるのか

 

「ごめんなさい…あなたが、あのままでは壊れてしまいそうでしたので…」

 

彼女は申し訳なさそうに顔を伏せる

 

壊れる?何のことだ。わからない…

 

「すいません…いったい何のことです?よく、わからないんです」

 

彼女はまた、一旦窓の外を見ると、静かに語り出した

 

「…先ほど、あなたは、過去を思い出そうとしましたね」

 

過去…たしかに、糸守のことを思い出そうとしていたはずだ

 

「えぇ、五年前に、三葉を探しに糸守に行ったことを思い出しそうに…なったんですけど、何かが邪魔をして…それで、気づいたらまた夢の中に…」

 

俺の言葉を聞いて、彼女は少し悲しそうな顔をしてから、目を瞑る。やがて、何かを覚悟したように頷くと、俺の目を見ながら話し出す

 

「この世界は…貴方と、三葉が…出会うことを良しとしていません」

 

「え?」

 

いったいどうゆうことだ、俺と三葉が会ってはいけない?何故?

 

「もともと、三葉含め、糸守に住んでいる500余りの人々は、あの日彗星の落下によって亡くなるはずでした。しかし、貴方と三葉の頑張りによって、人々は命を救われました。このことは、とても感謝しています。あの子を、救っていただいて本当にありがとう…」

 

「いえ、俺はただ、三葉に恋をして…好きな子には、死んで欲しくなくて…ただ、それだけだったんです…」

 

「ふふっ、あの子は幸せ者ね、こんな風に思ってくれる子がいるなんて」

 

「でも、それが…いけないことだったって、ことですか?」

 

俺は、話の続きが気になって、そう問う。みんなを救ったことが、世界にとっては良くないこと、そういうことなのだろうか

 

彼女は、また悲しそうな顔に戻り、話し出す

 

「いえ…ただ、この世界の運命は、すでに最初から決まっています。ですから、その運命を覆した貴方達は、この世界にとって、異端なんです」

 

運命が決まっていた?だったら俺達の入れ替わりは運命じゃないのか?

 

「で、でも、俺たちの入れ替わりは?あれが運命じゃないなら、いったい何なんですか!」

 

俺は思わず、席を立ち上がって叫んでしまった

 

「…糸守の地にはおよそ1000年周期で、彗星が落下しているそうです。何の奇跡か、きっと、神の力…なんでしょうか」

 

「1000年周期で、彗星が…」

 

そうだ、あの、宮水神社の御神体。あそこにも、天井に彗星が描いてあった。あれは、そういうことを意味していたのか。そういえば、テッシーも言っていた。糸守湖は、隕石湖なんだって

 

「けれど、糸守の神様は、彗星によって糸守の人々が亡くなることを良く思いませんでした。そして、貴方達にその力を分け与えて、こうして人々を救うことができたんです」

 

「それが…入れ替わり…」

 

神の力…そんなことを言われても昔の自分なら到底信じないが、入れ替わりなんて、それこそ神様じゃないとできっこないだろう。今は簡単に信じてしまう

 

「そうです。しかし、世界の運命を覆してまで得た命の代わりに、貴方達は大事な物を失いましたね?」

 

大事な物…俺達が探し続けていたもの、忘れたくない、忘れちゃいけない、忘れちゃダメなもの。それは…

 

「記憶…」

 

「えぇ、世界はその理が崩れてしまうことを恐れて、貴方達の記憶を消し去りました。本来ならば、貴方達2人は出会うはずのない存在、出会ってはいけなかった存在。その2人が出会うことを恐れたのです」

 

そうか、だから…あの後すぐ、俺は三葉のことを忘れてしまった。あの時点で、すでに世界の修正する力が働いていたってことだろう

 

でも、だったら、何故…

 

「でも、だったらなんで…俺はここにいるんです?」

 

俺は思わず、思っていた言葉を口に出した。

 

「世界が俺達の記憶を消し去ったなら、俺は消えているはずです。だって、だって俺は、ただの…」

 

そこで一旦区切り、そして、苦しみを押し殺しながら続ける

 

 

「ただの…記憶なんですから」

 

 

彼女はそれを聞いて、また悲しそうな顔をする。だが、俺は記憶で、朧げな存在。世界の修正する力が働いていたのなら、俺の存在なんてとっくに消えていてもおかしくない。もちろん、あの三葉も…

 

「それは…糸守の神様のおかげです。貴方達が人々を救ってくれた御礼なのでしょう、神様は貴方達にチャンスを与えました」

 

「それが、俺達?」

 

「そうです。もし、貴方達が出会うことができれば、きっと記憶も元に戻ります。世界の運命を乗り越えて、本当の意味で、再会することができるでしょう」

 

俺は、少し考える。なんとなく、俺と三葉が、あそこまで来てくれれば、俺達はただの記憶じゃなくて、本当の意味で出会うことができると、そう思ってはいたのだが…まさか、世界が敵とは…笑えない

 

「俺と、三葉は今、糸守の御神体に行くことになっています。もうすぐ、迎えに来てくれるんです」

 

「えぇ、知っています。だから…先ほど貴方が思い出そうとしたとき、邪魔が入ったのでしょう」

 

「そう…ですか、つまり、この世界は、運命は、俺達を再会させる気がないと」

 

「おそらく…ただ…私は貴方に聞きたいことがあるのです。たとえ世界が、運命が邪魔をしようと、あの子と再び出会う覚悟が、貴方にはありますか?」

 

彼女は俺の目を見て問う。俺もその目を強く見返して、答える

 

「前に、三葉にも言ったんです。俺達は、運命だとか、未来だとか、そんな言葉がいくら手を伸ばそうとも届かない場所で恋をしました。だから、たとえ、この体がなくなって散り散りになっても、また一から三葉のことを探し始めます。たとえ、この世界がなくなってしまっても、またゼロから宇宙を始めて、そこで会ってやります。何があろうとも、三葉とは離れません。どんな世界だろうと、2人で一生、いや、何章でも生きてやります。」

 

全部、吐き出した、思いの丈を。そうだ、たとえ世界が邪魔をしようと、だから何だ。俺と三葉は、全てを乗り越えてあの場所で出会うことができた、だったら、何であろうと、もう一度会ってやる。必ず

 

「貴方は…本当に、三葉のことを愛しているんですね」

 

彼女は、とても優しい笑顔で、そう言った。先ほどまでの、悲しい顔はそこにはなかった

 

「当たり前です。この気持ちは、三葉も一緒です。俺達はもう、2人で1つの存在なんです。どちらかが欠けていては、生きていけません」

 

「よかった…貴方に覚悟があるのなら、私は貴方を助けます。できるだけのことになってしまいますが…」

 

「いえ、心強いです。だって、こんなに強い仲間がいるんですから。糸守の神様と、三葉のお…」

 

そこまで言ったところで、急に電車が減速し始めた。

 

「どうやら、そろそろ時間のようです。私はここで降りなければいけません」

 

「…そうですか」

 

「貴方とお話ができて、良かったです。貴方の覚悟も、見せてもらいましたから」

 

「俺も、話せて良かったです。きっと、きっと俺達は、もう一度出会ってみせます」

 

そこで、電車が止まる。

 

 

 

 

 

 

 

俺と彼女は、開いた電車のドアまで歩き、彼女は外に出て、俺はそのまま中に残った。

 

外に出た彼女は、くるりと振り返って、こちらを見て微笑む。組紐がさらりと揺れて、笑顔の彼女は本当に美しかった。その笑顔は、本当にそっくりだった。

 

 

 

 

 

「宮水…二葉さん」

 

 

 

 

 

 

俺は、初めてその名前を呼ぶ。名前を呼ばれた二葉さんは、さらに明るい笑顔になった

 

「はい、三葉の母の、二葉です。自己紹介が遅くなってしまってごめんなさい」

 

「いいんです。一目見たときに、わかりましたから」

 

それもそのはず、三葉とそっくりな顔、三葉がお母さんの形見と言って肌身離さず持っているあの組紐を見て、気づかないわけがない

 

「ふふっ、あ、そうだ、君の名前を、教えてもらってもいい?」

 

いたずらっぽく笑みを浮かべた二葉さんが、俺の名前を聞いてきた。俺もまた、笑みを浮かべながら返す

 

「立花 瀧といいます」

 

「瀧君か、とってもいい名前ね」

 

「あ、ありがとうございます」

 

なんだか照れてしまって、頭の後ろをかく。それを見た二葉さんは、クスクスと笑っている。やがて、優しそうな笑顔で、俺の目を見る

 

「瀧君、あの子を、三葉をよろしくお願いします」

 

「えぇ、もちろんです。三葉は俺が守ります」

 

「頼もしいわね。あ、そうだ、結婚するなら、お母さんは許しますから、あとはお父さんだけね」

 

「え!えっと、結婚は、まだ、その…」

 

俺は、突然の結婚許可にしどろもどろになってしまう。それを見た二葉さんは、またいたずらっぽい笑みに戻った

 

「ふふっ、お父さんは頑固なところがあるから、頑張ってね」

 

「えぇ…二葉さん助けてくれないんですか?」

 

「あら、貴方ならきっと大丈夫よ」

 

「だと、いいんですけど…」

 

きっとお父さんには殴られるんだろうな、なんて思っていると、シューっと、電車が動く音が聞こえてきた

 

「そろそろね。瀧君、これから大変なこと、辛いことはたくさんあると思うけど、どうか三葉と一緒に頑張って、たとえ世界が敵になろうと、私は2人の味方だから」

 

「えぇ、俺と三葉はずっと一緒です。だから、心配しないでください。必ず俺が三葉を幸せにします」

 

 

 

電車がもう、動き出す

 

 

 

「それじゃあ、またいつか、瀧君」

 

 

 

 

 

 

そう言って手を振った二葉さんの笑顔は、まるで

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで、花が咲くような笑顔だった



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第19話「嵐の中に」

そろそろクライマックスに近づいてきました。


「瀧君!」

 

「瀧さん!」

 

目を覚ますと、三葉の顔が目の前にあった。

俺はどうやら三葉に膝枕されながら寝ていたようだ。辺りを見回すとまだ電車で、車掌が間も無く名古屋に到着するということを車内アナウンスしている最中だった

 

「三葉、俺、寝ちゃったのか」

 

「うん、いきなり眠っちゃうからびっくりしたんよ」

 

「そうそう、永遠に起きなくなるかと思いましたよ」

 

「なんだそりゃ…縁起悪い」

 

「でも、ほんとに心配やったんからね?」

 

そう言う三葉をよく見ると、その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。本当に心配してくれたのだろう。横を見ると、四葉ちゃんもホッとした様子で俺のことを見ている。

 

「2人とも、ごめんな。なんだろうな、昨日遅くまで残業してたせいかな…」

 

2人に申し訳なくて、俺は素直に謝った。だが、2人ともなんだか驚いた顔をして俺の方を見つめている

 

「瀧さん…涙が」

 

目を触ると、たしかに俺は泣いていた。

 

「また、夢を見たん?」

 

そう言われると、何かが引っかかった

 

そうだ、俺は夢を見ていた。そこで、何かに、誰かに会った…誰に?何を言われた?いや、だめだ…思い出せない

 

「あぁ、たぶん…けど、思い出せないんだ…なんで、大事な…忘れちゃいけない夢だったと思うのに…」

 

俺は頭を抱えて悩んだ。今回ばかりは、どうしても思い出したい。俺の中の何かが、思い出せないといけないと言っている気がする。そんなとき

 

ふと、三葉が俺に抱きついてくる

 

「そっか、私もよく夢を見るんよ。でも、何も思い出せない。瀧君前に言っとったやろ?夢よりも、今を大事にしようって…私は今、こうやって瀧君といることが一番大事やよ」

 

そう言って笑う三葉を見て、俺も抱きしめ返す。そうだった、俺の隣には三葉がいる。愛する人がいるんだ。だったら、何を悩む必要がある。夢は夢、ただの夢だ。

 

「ごめん三葉。俺、なんだか混乱してて、大事なものを見失ってた、思い出せない夢よりも、目の前の三葉が一番だ」

 

その言葉で、三葉は嬉しそうに微笑む。そして、その黒髪を結う組紐が、さらりと揺れた。

 

 

組紐が…

 

 

あれ?

 

 

一瞬、三葉に似た誰かが、微笑んでいた気がした。しかし、その誰かは、ぼんやりとして、霞の中にいるような感覚だった

 

「瀧君?」

 

「あ、わりぃ。なんだかまだぼーっとしててさ」

 

慌てて取り繕うけれど、動揺は隠せなかった。それを見た三葉がまた心配そうな顔をして、何か言葉を発しようと口を開いた瞬間、電車が減速し始めた

 

「お姉ちゃん!瀧さん!もう駅に着くよ!はよ荷物準備して!」

 

「あっ!うん!」

 

四葉ちゃんに、促され、俺はとりあえず散らばったトランプを集め出した。最後に残った裏返ったカードを拾おうとして、一瞬腕を止める。

 

三葉にはあんな風に言ったけれど、やっぱり気になる。俺はなんの夢を見た?

 

今まで何度も夢を見たが、こんなに気になったのは初めてだった。今回の夢だけは忘れちゃいけないはずなのに…

 

 

 

 

カードを裏返すと、不気味な悪魔が俺に向けて微笑んでいる

 

 

 

 

 

最後のカードは、ジョーカーだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん!瀧さん!こっちやよ!早く早く!」

 

先を行く四葉ちゃんに呼ばれ、俺は三葉の手をとって走り出す。ホームでは電車が間も無く出発することを示す音楽が流れている。名古屋駅からJR東海道本線新快速に乗れば、岐阜まではほんの二駅だ。そこからは、レンタカーを借りるから、電車の時間を気にすることもなくなる。

 

「はぁ…はぁ、間に合った」

 

「もう!お姉ちゃんこんなときにトイレ行きたいなんて言い出すから」

 

「うぅ…2人ともごめんなさい…」

 

「いやいや、しょうがないって」

 

乗り換えのために駅を歩いていると、突然三葉が腹痛を訴え出し、俺と四葉ちゃんは慌ててトイレを探すことになった。新宿駅や東京駅なんかに比べればそこまで複雑じゃない名古屋駅だけど、慣れない俺たちからすると、トイレを探すのにも一苦労だ

 

岐阜に着いた俺たちは、旅行前に事前予約済みのレンタカー屋を探す。駅から徒歩3分とネットに書いてあったが、なんだか迷ってしまって、結局10分くらい歩いた気がする…

 

 

 

 

「よし、んじゃ行くか!」

 

「……」

 

 

「………」

 

3人で車に乗り、張り切って声を上げて2人を振り返ると、2人ともなんだか微妙そうな目でこちらを見ている。

 

「なんだ!どうした!」

 

「えぇと…」

 

三葉は何か言いたげな顔をしたが、俯いてしまう

 

「瀧さん…車運転したことあるん?」

 

「は、ははは!当たり前だろ!何言ってんだ妹!」

 

「いや…瀧さんそんなキャラじゃないでしょう?それに、背筋張りすぎだし、肘伸びすぎやから、それじゃハンドル切れないですよ…」

 

「あぁ!すまん!すまん!久しぶりだからな!緊張しちまって!」

 

「久しぶりって、瀧君、前に運転したのいつなん?」

 

三葉が、苦虫を噛み潰したような顔で俺に問う

 

「あー、免許を取ったのが18になってすぐで、そこから運転してないから、だいたい5年ぶりかな。ははは…」

 

男ならとりあえず免許は取れ、そう言う父の言葉に従い18になってすぐに免許を取った。しかし、都心に住んでいる人なら分かると思うが、都内の移動ならだいたい電車でカタがつく。車に乗る必要があんまりないのだ。友達との旅行のときなんかも、ほとんどバスやら新幹線を利用していたせいで、俺が最後に車のハンドルを握ったのは、教習所の卒業検定だった

 

「いややぁぁ!お姉ちゃん!私まだ死にたくない!」

 

俺の言葉を聞いた四葉ちゃんが叫び出す。でも、叫びたいのは俺も同じだった

 

「お、落ち着いて四葉!」

 

一瞬にして、車の中は阿鼻叫喚の地獄絵図になった

 

「わ、わかった!瀧君!私が運転するから!無理しなくてええから!」

 

「いいのか?でも、俺男だし…」

 

「今さらカッコつけへんでもええって!もう遅いよ!十分カッコ悪いから!」

 

俺は少し泣いた

 

 

 

その後、俺と三葉は席を交代した。運転席に座る三葉は、キリッとしていて、なんだか少しカッコよかった。車はレンタカー屋を出るために少しバックして、そのまま後ろから電柱に衝突した。

 

 

 

 

 

電柱に衝突した

 

 

 

 

 

は?

 

 

 

 

 

 

「三葉…」

 

「お姉ちゃん…」

 

俺達の声に反応した三葉はゆっくりと振り向く

 

「なぁ三葉…お前、最後に運転したのはいつだ?」

 

「えっとね…7年…8年ぶりくらい…かな」

 

 

 

 

そう言って微笑んだ三葉は、泣いていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リアバンパーを少し凹ませた白いミニバンが、岐阜の道をトロトロと走っている。中には3人の男女が乗っていて、運転手は慣れない運転に緊張して無口。助手席の女性は窓の外を見ながら泣いている。後部座席に座っている女子高生はその2人を哀れみの視線で見ていた。

 

「よかったね、お姉ちゃん。瀧さんがちゃんとレンタカー保険入ってて」

 

「そうね…」

 

少しだけ窓を開けて、風にたなびく黒髪はとても美しく、三葉の綺麗さにより一層の拍車をかけていた。ただ、彼女は泣いていた。

 

あの後、三葉はレンタカー屋に土下座した。

通常レンタカーで事故をした場合、事故そのものについては保険が効くので問題ないが、それとは別にノン・オペレーションチャージ料というのが取られる。まぁいわゆる迷惑料みたいなものだ。

 

しかし、泣きながら土下座をする三葉を見て、レンタカー屋のおっさんは通常のチャージ料の半分でいいと言ってくれた。本当にありがたい。

 

「私、こんなにお姉ちゃんに幻滅したのは、お姉ちゃんが朝起きて泣きながら胸揉んでたとき以来やさ」

 

「そ、それどうゆう状況だよ」

 

三葉にもそんな時期があったんだなぁと思うけど、正直ちょっと引くな…

 

「な!ち、違うからね瀧君!私そんな事した覚えないんよ!四葉!変なこと言わんといて!」

 

さっきまで泣いていた三葉は顔を真っ赤にして言い訳をまくし立てる

 

「ほんとやってお姉ちゃん、あの日はほんとやばかったんやから」

 

「まぁまぁ四葉ちゃん、三葉にも、そういう時期があったってことだよ」

 

「な、なんやろ…瀧君にだけは言われたくない気がする…なんでかわからんけど」

 

三葉は猫みたいに俺のことをウーッと睨む。さっきまで意気消沈していたのだが、どうやら復活したようだ

 

「それにしても、瀧さんもお姉ちゃんも、本当にこのまま家に来なくてええの?」

 

「あぁ、ちょっと寄るところがあるからな、多分そっちに着くのは夜になると思う」

 

「四葉はおばあちゃんに伝えておいてくれる?」

 

「ええけど、2人ともどこ行くん?」

 

「あー、ちょっとな…」

 

思わず、三葉と目を合わせて、2人で苦笑する。別に言ってもいいんだが、なんだか言いにくいというか何というか…

 

「怪しい…」

 

四葉ちゃんは俺と三葉を交互に睨み始めた

 

そんな時、視界の端にある建物が見えた。

 

あそこは…

 

俺は車についている時計を見ると、時刻は12時の中頃といったところだった。よし、丁度いい時間だな

 

俺は、車を駐車場に滑り込ませた

 

 

 

 

 

 

 

「高山ラーメン1つと」

 

「高山ラーメン1つ」

 

「あ、じゃあ俺も…」

 

「はい、高山ラーメン3つね」

 

こんなやりとり、前もしなかったか?そんなことを思っていると、ラーメン屋のおばちゃんが話しかけてくる

 

「それにしてもびっくりしたわ〜、五年前のあの子がまた来てくれるなんて」

 

「あ、あのときはどうも」

 

今来ているのは、五年前、司と奥寺先輩と立ち寄ったラーメン屋だ。ここの親父さんに車を出してもらって、俺は糸守に行ったんだ

 

「しかも、こんな可愛い子達を連れてくるなんて…」

 

嬉しそうに話していたおばちゃんが、三葉と四葉を見て目を細める

 

「あら…もしかして、貴方達、宮水さんのとこの三葉ちゃんと四葉ちゃん?」

 

「あー、どうも、ご無沙汰しております」

 

三葉が軽く頭をさげ、それに合わせて四葉ちゃんも頭を下げる

 

「まー、珍しいこともあるもんやね、ちょっと!あなた!宮水さんのところの三葉ちゃんと四葉ちゃんが来てるわよ!」

 

おばちゃんが呼んだちょっと後に、親父さんがラーメン3つを乗せたお盆を持って歩いてきた

 

「おう坊主、彼女が2人もできたのか」

 

「ち、違いますよ!彼女はこっち!こっちは妹!」

 

「知っとるわ」

 

そんなことを言いながら親父さんはラーメンを置く。この人こんなキャラだったっけ…

 

「あの…以前は、本当にありがとうございました」

 

「いや、いい。お前の絵。ありゃ良かった。懐かしいものを見せてくれた礼だ」

 

「それでも、本当に助かりましたから…あ、そうだ」

 

俺はゴソゴソとリュックを漁ると、中からスケッチブックを取り出す。そして、目的の絵を見つける

 

「これ、親父さんに差し上げようと思いまして」

 

俺が昔書いた、糸守の絵だ。三葉ですら懐かしいと言っていたくらいだから、本当に上手く描けているのだろう

 

「そりゃ…お前の大切なものだろう、もらうわけにはいかん」

 

「いや、もういいんです。もう俺は大丈夫ですから」

 

そう言って俺はなおも親父さんに向けて絵を差し出す

 

しばし見つめ合い、親父さんが絵を受け取る

 

「わかった、前も言ったが、こりゃいい絵だ、うちに飾らしてもらうぞ」

 

「そんな、そこまでしてもらわなくても…」

 

「あなた、それいいわね。うちには糸守出身の客も多くくるから、きっと喜ぶわよ」

 

おばちゃんは嬉しそうに微笑んだ。

 

「それじゃあラーメンを早く食べな、伸びちまうだろう」

 

「あっ、そうですね」

 

「宮水さんとこの嬢ちゃん達も、大したものじゃないが、食ってくれや」

 

「いえ!とても美味しそうです。お言葉に甘えて、頂きます」

 

ずっと蚊帳の外だった三葉は突然話しかけられてびっくりしていたが、いただきますと言ってからラーメンをすすり出した

 

 

 

5年ぶりの高山ラーメンは、懐かしい味がした

 

 

 

 

 

 

「いや、本当に、払いますから…」

 

「いいのいいの!絵をもらったお礼よ!あなたも、いいでしょう?」

 

親父さんはコクリと頷く

 

「あー、わかりました、ありがとうございます。でも、また来ますから、そのときは払わせてくださいね」

 

「いつでもいらっしゃい!三葉ちゃんと四葉ちゃんも!またいらっしゃいね」

 

三葉と四葉はその言葉に軽く頭を下げて返す

 

奥から、親父さんが軽く手をあげる。俺もそれに手をあげて返した

 

 

 

 

 

 

 

 

ラーメン屋を出た俺達は、また先ほどの道を走り始めた

 

「三葉と四葉ちゃん、あのラーメン屋さんと知り合いだったんだな」

 

俺は、ずっと思ってたことを口にする。すると、三葉と四葉ちゃんは目を合わせて苦笑した。

 

「えっとね…実は私達、あの人達が誰だかわからなかったんよ。糸守では宮水の名前は有名やから、向こうは私達のことを知っとっても、私達が知らない人は沢山いたんよ」

 

少し、悲しそうに三葉は答える

 

「お姉ちゃんは特に有名やったからね、糸守にいたときからいろんな人に声かけられてたもんね」

 

「そうだったのか…」

 

人口の少ない糸守で、一番大きな神社の跡取り娘となると、やはり有名にもなるものなのか、まぁ、その神社ももうなくなってはしまったが

 

そうこう話しているうちに、三葉と四葉ちゃんの実家が見えてきた

 

もうすぐ、俺達の目的の場所に行ける

 

そう思うと、少しだけ胸が高鳴った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ2人とも、気をつけてね」

 

「うん、四葉も、おばあちゃんによろしくね、夜には帰るから」

 

手を振る四葉ちゃんに、三葉が言葉を返す

 

三葉と四葉の実家の前で、四葉ちゃん1人を下ろして俺達は御神体に向けて出発しようとしていた。四葉ちゃんにむけて軽く手をあげて、俺はアクセルを踏み込む。

 

さっきまで快晴だった空は、いつのまにか雲を増やし、暗くなってきていた。

 

「雨、降るかな?」

 

「わからない、けど、雨具も持ってきてるだろ?」

 

「うん…でも、ちょっと不安かも」

 

車を運転する俺に、三葉が心配そうに話しかけてくる。俺達は、最初から、山を登るための格好と装備を整えてからここに来ていた

 

もちろん、雨が降った時のために雨具も持っている

 

「ここだ、ここから山道に入るんだ」

 

五年前の記憶と、スマホのナビを頼りに、俺達は御神体を目指す。ハンドルを切って、舗装された公道から、山道へと入っていく。

 

突然、雨が降り出す

 

小雨、なんてものじゃない、まるでゲリラ豪雨のように

 

「うわ、すげぇな」

 

「なんだろう…まるで、私達が山に入るのを拒んでるみたいやね…」

 

三葉がそう呟く。

たしかに、これではまるで、世界が、俺達に御神体まで行って欲しくないと、そう言っているような突然の雨だった

 

「関係ないさ、行かなくちゃいけないんだ、俺達がずっと探してた答えがあそこにあるかもしれないんだから」

 

「うん、私も、答えを見つけたい。それに、瀧君がいれば、嵐だって何だって、それこそ、星が降ったって乗り越えられるよ」

 

「はは、大袈裟だな…っと、これは…」

 

思わず、言葉に詰まる。

 

さっきまで進んでいた山道の真ん中に、巨木が倒れている。これでは、この先には車で進めそうにない。雨の中の行軍になるのだから、できるだけ車で進んでおきたい気持ちがあった。これはかなり厳しい…でも、こんなところで止まってはいられない

 

「ど、どうしよう瀧君…」

 

「…行こう三葉、今じゃないと、ここで諦めたらダメだって、そう…何かが言ってる気がするんだ」

 

心配そうな三葉の目を見てそう言う。俺の目を見て、三葉も覚悟を決めたのか、先ほどと打って変わった顔で頷いた

 

「わかった、行こう瀧君、私達の答えを、見つけに」

 

「あぁ」

 

俺は雨具を装着すると、運転席から出て、助手席のドアを開ける。

 

そして三葉の手をとる

 

「行こう三葉」

 

その手を取って、三葉も頷く

 

 

降りしきる豪雨の中、歩く俺達の背に、大きな雨粒がひっきりなしに打ちつけてくる

 

その中を俺達は進む

 

 

 

 

 

見つけるために

 

 

 

 

 

会うために

 

 

 

 

 

君にもう一度、会うために



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第20話「転落」

吹きつける風に乗って、雨が強く体を打つ。雨具で全身を覆ってはいるが、雨のせいで視界が悪い。さらに、地面の状態も悪く、ちょっと気を抜けば、ぬかるみに足を取られて転んでしまうような状況だった

 

「ほら、三葉」

 

「うん、ありがと」

 

俺の腰の高さほどの段差を乗り越え、下にいる三葉に手を出す。その手を取った三葉は、俺の力を借りてどうにか段差を登りきる。

 

「まったく、なんでこんなに宮水神社の御神体は遠いんだ」

 

疲労からか、歩きながら俺はつい憎まれ口を叩いてしまう

 

「私にもわからんのよ、おばあちゃんによれば、私の先祖の繭五郎って人が、神社に関する文献なんかを全部燃やしてしまったから、御神体のことも何もかも、ほんとはよくわからんのやって」

 

三葉も疲れているのか、その顔にはかなり疲労を溜め込んでいるように見える

 

「宮水神社…それで大丈夫だったのかよ…」

 

「まぁ糸守では一番大きい神社やったけど、他のところと比べれば小さい神社やから…」

 

田舎の神社事情はよくわからないが、伝統の続く宮水神社だからこそ、文献がなくなっても続けられるのだろう。

 

「とにかく、今は前に進むしかないな」

 

「そうやね、でも、無理しないで、少しずつ休憩して行こう」

 

「あぁ、ただ、この雨だ…どこか雨が凌げる所がないと、とても休憩なんてできないな…」

 

そんな風に話をしながら、俺達は雨の中山道を進んでいった。自分たちがどこにいるか確かめるために、スマホと、紙の地図を照らし合わせながらの行進だったため、スピードは遅く、ぬかるんだ地面によって俺達はかなり体力を減らされていた。

 

「あっ…」

 

三葉の声が後ろから聞こえ、振り返ると、三葉が何かに足を取られたのか、転んでうずくまっていた

 

「三葉!大丈夫か!」

 

「う、うん…ちょっとつまづいただけやよ」

 

「怪我は?」

 

「大丈夫、どこも痛くない」

 

嘘だな、三葉の顔を見ればわかる。おそらく、先ほどの転倒が原因ではなく、無理をして歩き続けたことによる疲労によって、足に痛みが来ているのだろう。俺でさえ足の節々がかなり痛いんだ、女の三葉にとってはどれほどの痛みなのか想像もできない

 

「きゃあ!た、瀧君!」

 

俺は三葉を無理矢理背中に乗せると、歩き出した

 

「な、何しとるん!こんなことしてたら、瀧君持たへんよ!」

 

「うるさいぞ、俺にとっては何よりも、三葉が大事なんだ…だから黙っておぶられてろ」

 

「瀧君…」

 

三葉は、俺の言葉を受けて少しだけ俯く、そして、背負われたまま思いっきり抱きしめられた

 

「…苦しいぞ、三葉」

 

少しだけ、笑いながらそう言うと、三葉はもっと強く抱きしめてくる

 

「好きやよ…」

 

「ん?」

 

「ほんとに、どうしようもないくらい好きなんよ…」

 

「そうか…俺もだ」

 

「ほんとに…ばかなんやから…」

 

「そうか?だったら三葉はアホだな」

 

「うるさい…好き…」

 

「ははっ、なんだよ、会話になってねーぞ」

 

「……」

 

「おい、無視すんな」

 

「三葉?」

 

三葉を揺さぶっても、反応がない。まさかと思い、すぐに三葉を下ろす。

 

熱はない、動悸も普通だ。ってことは、ただ寝てるだけか…

 

「ふぅ…」

 

ため息をつき、空を見る、雨はまだ止みそうにないな…

 

ふと、横を見ると、岩でできた洞窟があることに気づく、これは良い。一旦休んで、三葉が起きたらまた出発しよう。

 

俺はまた三葉を背負うと、洞窟の中に入る。三葉を寝かし、その横で地図を確認する。おそらく今の時点で3分の2程度まで進んでいる。もう少し登れば山頂が見えてくるはずだ。

 

俺はリュックの中から水筒を取り出して、コップに注ぐ。象の印の水筒は、数時間も経っているのに中に入れた熱いお茶を保温してくれていた。

 

俺はそのお茶を一気飲みすると、一息つく。体があったまる。三葉にも飲ませないとな。

 

「三葉…三葉!」

 

少し語気を強めて三葉を揺する。すると、薄っすらとその目を開けて、三葉が目を覚ました。

 

「瀧君…」

 

「よかった、目覚ましたか」

 

「うん…私、寝ちゃったんやね…」

 

「いや、俺が無理させすぎたせいだ…すまん」

 

「瀧君のせいやないよ、私がもっと頑張らんと」

 

起きた三葉は、目をこすると、自分で頰をパチンと叩いた

 

「よし、気合い入れたよ。瀧君、私どれくらい寝てた?」

 

「ほんの10分くらいだよ」

 

「じゃあ時間は大丈夫やね、そろそろ先に進もう」

 

「あっ、その前に…」

 

俺はコップにお茶を注ぐと、三葉に渡す。受け取った三葉は、少し微笑んでからそれを飲む

 

「あったまるね…」

 

「だろ?これでもうちょっと頑張れそうだ」

 

そう言って立ち上がろうとしたとき、三葉が悲しそうな顔をしているのが見えた

 

「どうした?」

 

「…私ね、今、夢を見たんよ。でも思い出せんの。誰かに、頑張れって、諦めるなって言われたんに、思い出せんの…」

 

三葉は、手で顔を覆う。どうして思い出せないのか、そんな葛藤があるのだろう

 

「三葉…」

 

俺はそんな三葉の手を取る

 

「いいか、夢は夢だ…気にしてもしょうがない。三葉が言ってくれた言葉だろう?俺達は、俺達の今を進もう」

 

「…そう、そうやね、瀧君」

 

それを聞いた三葉は、また覚悟を決めた顔に戻る。夢が気になるのは俺もだ、見ていた夢はいつも思い出せない。だから、見つけに行くんだ。

 

答えを…

 

 

全てを…

 

 

君を…

 

 

俺達は洞窟の外に出ると、再び歩き出す。今度は三葉も自分の足で、しっかりと地面を踏んで立っていた。もうすぐで、山頂が見えてくる。そうすれば、御神体まですぐそこだ

 

「よし、行こう」

 

「うん!

 

そして、俺達が先に進もうと足を踏み出した瞬間

 

 

 

 

地面が割れた

 

 

いや、正確には崖になっていた部分が崩れたのだが、上に立っていた俺達には突然地面が割れたようにしか見えなかった

 

 

「三葉ぁ!!」

 

「瀧君!!!」

 

 

体を襲う浮遊感に気味の悪さを感じながらも、三葉に向かって必死に手を伸ばす。三葉も、必死の形相でこちらに向けて手を伸ばしていた

 

あと少し

 

 

世界がまるでスローモーションになっているような感覚だった

 

 

ゆっくりと落ちて行く

 

 

伸ばしたその手は

 

 

愛する人の手を

 

 

 

 

 

 

 

掴めなかった

 

 

 

 

 

 

 

「三葉ぁぁぁ!!!」

 

俺は自分が崖から転げ落ちて行くのを感じた、全身が痛い、グルグルと視界が回って何も見えない。

 

やがて、衝撃とともに視界の回りが止まる。息ができない。視界もぼやけている

 

 

三葉…

 

 

 

 

三葉、頼むから…

 

 

 

 

無事でいてくれ…

 

 

 

 

そこで俺は意識を失った



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第21話「君は誰?」

目を開けると、世界が揺れていた

 

白く、まるで世界に輪郭がなくなってしまったような

 

 

 

頭が痛い

 

 

俺は何でこんなところに

 

 

何で…

 

 

そうだ…思い出した

 

 

俺は…俺達は…

 

 

 

 

「み…つは」

 

 

 

 

必死に口から出した言葉は、それだった

 

 

行かないと…三葉のところに

 

 

きっと怪我をしてる、あいつを助けてやらないと…

 

 

足を動かそうとすると、動かない。立てない

 

腕を動かそうとすると、動かない。わずかに指だけが地面をえぐる

 

力が入らない

 

 

「く、くそ…」

 

 

早く行かないと…

 

 

すると、突然、白くぼやけた視界の奥から、人のような何かが歩いてくる

 

 

「だれ…だ」

 

 

その人影は、俺の前で止まるとしゃがみこむ

 

 

「あー、お前が来るの遅いからさ、ちょっと様子を見に来たんだけど、こりゃ酷いな…」

 

 

人影は、頭の後ろをかくような動作をしながら言葉を発した。どうやらほんとに人間のようだ。だが、何か、おかしい

 

 

何かが…

 

 

「なぁ…いつまで待たせんだよ。俺だってな、たまには怒るんだぜ?」

 

 

「な、なにを…」

 

こいつは何を言ってる?だめだ、グラグラと揺れる頭じゃなにも考えられない

 

 

「こんなところで止まってていいのか、三葉は先に行ってるぞ、お前が遅れたらまずいんじゃないのか?」

 

 

三葉が先に…

 

わかってる。わかってるけど、力が入らないんだ。足が動かないんだ…

 

 

「ま、こんなときだし、俺も少しは力を貸すよ。でも、出来るだけ早めに来てくれよな。実はもう、あんまり時間ないんだよ。俺…」

 

そう言って苦笑するその影に、俺は気づく

 

 

この笑い方…

 

 

この声…

 

 

どこかで見たことのあるような、そんな既視感…

 

 

そうだ

 

 

これは、こいつは…

 

 

いや…

 

 

「お前は…」

 

 

そこまで言った俺の肩を、影がポンと叩く

 

 

「ここまで迎えに来てくれたお礼ってやつかな…とりあえず、これで貸し借りなしだぞって…自分に言うのもなぁ…」

 

 

何やら影が言っていたが、最後の方は小さくて聞き取れなかった

 

そして、影が触れた肩の部分から、何かが広がる。その広がりは、触れたところから身体中のあらゆる痛みを消し去って行く

 

 

「これは…」

 

 

視界が元に戻って行く。もう少しで見える。あと少しで…

 

 

「それじゃあな、待ってるから、早く来いよ」

 

 

だが、影はそれだけ言うと立ち去って行く

 

 

「待ってくれ…」

 

 

あと少しだったのに、あと少しで

 

 

お前が…

 

 

……

 

………

 

 

 

世界が元に戻った。揺れていた視界も、今は安定している。そして、いつのまにかあれほど降っていた雨は止み、ところどころ雲の間から日が差している。

 

俺は立ち上がり、体を確認した。服も顔も泥だらけだが、どこも折れてないし、どこも怪我はしてない。それどころか、かすり傷1つ負っていない。

 

俺は上を見ると、10メートルは上の方にある崖の一角が崩れている。俺はあそこから転がり落ちてきたのだろう。

 

 

「冗談だろ…」

 

 

思わずそう呟く。それは、あんな高さの崖から落ちたことに対してなのか、あれほどの崖から落ちたのにもかかわらず、かすり傷のないこの状況に対して言ったのかは、自分でもわからなかった

 

「三葉…そうだ!三葉!」

 

俺は思わず叫び、あたりを見回す。俺の叫びがこだまして響くが、三葉から返答が来ることはなかった。

 

きっと、三葉は崖の反対側に落ちたのだろう。しかし、反対側に行くには巨大な岩を乗り越えて行かないといけない。今の装備ではとても行けそうにない…

 

 

どうする…

 

 

「そうだ!携帯!」

 

 

俺は携帯を取り出して三葉に電話をかけようとする。しかし、その電波状況が圏外になっていることに気づく

 

「くそ…肝心なところで!」

 

俺は思わず携帯を地面に投げつけた

 

「三葉…頼む…無事でいてくれ」

 

そう呟いたとき、ふと、あの影が言っていたことを思い出す。

 

 

『三葉は先に行ってるぞ』

 

 

そうだ…あの影は言っていた。三葉が先に行っていると。だったら、俺も早く行かなければ…

 

あの影の言うことは、信じられる。俺の中の何かがそう告げていた。

 

 

きっと三葉は無事だ

 

 

そして、山頂に向かっている。

 

 

間違いない

 

 

わからないけど、わかるんだ

 

 

俺は、山の上を見る。

 

 

山頂まで、あと少し。ここからならそう遠くない。

 

 

「待っててくれ…」

 

 

 

それは、三葉に言ったのか、誰に言ったのか、自分でもわからなかった。

 

 

そして

 

 

俺はその足を前に向けて、進み始めた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うっ…」

 

目を覚ますと、世界がぼんやりとしていて、まるで霞の中にいるような感覚だった。落ちたときに、頭を打ったのか、視界が揺れて、よく見えない。

 

「た、き…くん」

 

瀧君は無事だろうか?怪我をしていたら、私が助けに行かないと。だから、こんなところで這いつくばってないで、早く立たないと

 

そう自分に言い聞かせて、腕に力を入れる。少しだけ体を持ち上げることができたが、途中で耐えきれずに潰れてしまう

 

「ど、どうしよ…」

 

体が動かない。足も腕も、全く言うことを聞いてくれない…

 

これじゃあ…瀧君のところに行けない

 

思わず涙が溢れて来る

 

 

 

 

瀧君…

 

 

 

 

光の中から、人影のような何かが、2つ近づいて来る。

 

 

「たき…くん?」

 

その影は私の前で立ち止まると、1つはしゃがみこんで、もう1つは立ったままだった

 

 

「お願い…瀧君を…助けて…」

 

 

私は必死にその影に向かって訴える。私より、瀧君を…

 

それを聞いた影は、苦笑しながら言葉を発した

 

「あー、こんなときでも、自分より瀧君が心配なんやね…ほんと、我ながら瀧君が好きなんやなぁ」

 

 

何を…

 

 

この影は何を言ってるのだろう

 

 

どうして瀧君のことを?

 

 

あなたは…

 

 

「あなたは…だれ?」

 

 

ぼやける視界で、顔は見えない。ただ、女性のようなシルエットが2つ。それだけはわかった

 

 

「ちょっと…そのセリフは私にとってはトラウマなんやから…あんまり言わんでよ」

 

 

影が、腰に手を当ててそっぽを向く。

 

 

怒っている?

 

 

なぜ?

 

 

「それにしても、来るのが遅いから様子見に来たら、こんなところで何やってんやさ」

 

 

何って…私たちは、見つけるために来た

 

 

探しに来たの

 

 

答えを

 

 

「うんうん、わかっとるよ。でも、そうじゃなくて、ここで寝ててもいいの?ってこと。瀧君、きっと先に行っとるよ。そうやよね?」

 

影が振り向いて、もう1つの、立っている方の影に話しかける。

 

その影には、ぼんやりと見える輪郭に、赤い糸が

 

 

いや、あれはきっと

 

 

組紐が、見えた

 

 

「そうね…三葉、瀧君は先に行ってるわよ。あなたがここで止まっていたらダメじゃない」

 

優しい声、懐かしい声

 

 

そんな声が、私に向かって話しかける

 

 

「あ…うそ…あなたは…」

 

 

私は、その影に向かって必死に手を伸ばす

 

 

信じられない

 

 

この声、この優しい雰囲気。間違いない。

 

 

あなたは…

 

 

「頑張りなさい三葉。私はあなたの味方やよ。瀧君は大丈夫。あなたを待ってるわ。だから、もう少しだけ頑張るのよ」

 

 

影が、伸ばした手を優しく包み込む

 

 

すると、優しい感触が手を伝って、全身に広がる。あれほど動かそうとしてもピクリともしなかった体が、自由をとり戻してきた

 

「ほんと、早く迎えにきてね。私もそろそろ、時間なくなってきちゃったんよ…」

 

もう1つの影が苦笑しながら言う

 

 

この声…既視感のあるシルエット

 

 

あなたは…

 

 

あなた達は…

 

 

 

 

「さぁ、行きなさい三葉、瀧君と一緒なら、きっと大丈夫やよ。私はいつも、見守ってるからね」

 

 

光がより一層強まって

 

 

やがて弱まる

 

 

それと同時に影も消えていく

 

 

 

「待って…」

 

 

まだ行かないで…その声を

 

 

 

もう一度だけ…

 

 

 

 

 

 

 

 

「お母さん…」

 

呟くと、ぼんやりと霞みがかっていた世界が、色を取り戻してくる。頭のふらつきもなくなり、視界も安定した

 

私は立ち上がると、あたりを見回す。いつのまにかあれほど降っていた雨は上がり、ところどころ光が雲の間から差し込んでいた。

 

体を見ると、服はぐちゃぐちゃの泥だらけ。でも、体に痛いところや、異常のあるところは一切なかった。

 

上を見れば、10メートルほどの切り立った崖の天辺が崩れている。どうやら私達はあそこから落ちたみたいだ

 

 

私達…

 

 

そうだ…

 

 

「瀧君!!」

 

思わず叫ぶ

 

しかし、その返答はなく、ただ小鳥がさえずる音が聞こえるのみだった。

 

「どうしよ…瀧君がおらん…」

 

私は焦って携帯を取り出す。もし瀧君が大怪我をしてれば大変だ。

 

しかし、無情にも取り出した携帯は画面が割れて使い物にならなくなっていた

 

「嘘やろ…」

 

思わず呟き、涙が出てくる

 

 

そのとき

 

 

あの影が言っていたことを思い出した

 

 

『瀧君は先に行って、待っている』

 

 

そうだった…

 

 

瀧君は、大丈夫

 

 

だって、あの人が言っていたんだから

 

 

私が大好きだった、あの人が

 

 

世界でたった1人の

 

 

私の

 

 

 

 

 

お母さん…

 

 

 

 

 

 

 

私は山頂を見る。あと少しでたどり着く。きっと瀧君もあそこにいる。だから行かなくちゃ。

 

「待ってて…」

 

それは瀧君に向けて言ったのか、別の誰かに向けて言ったのか、自分でもわからない。

 

でも、これだけは確かだった

 

 

答えはきっと、あそこにある

 

 

私は前に、進み始めた

 

 

 

 



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第22話「君の手を離さない」

「三葉ぁぁあ!!!」

 

君の名を叫びながら走る。やっとの思いで山頂までたどり着いた俺は、三葉を探して走り回っていた。頂上は、真ん中が窪地のようになっていて、その中央あたりに石窟と木が見える。あれが御神体だ。俺は今、その窪地の周りを走っている。

 

「三葉!どこだ!」

 

立ち止まって、周りに叫ぶ。

 

 

必ずいる。三葉も来ているはずだ。

 

 

眼下には、もうなくなってしまった糸守の町が見えている

 

 

「…くん!」

 

 

振り返る

 

 

聞こえた…

 

 

「三葉!!」

 

 

その名前を呼ぶ、三葉に聞こえるように

 

 

「瀧君!!」

 

 

今度こそ、しっかりと聞こえた。声の方向を振り返ると、三葉が俺の方に向かって走ってくる。

 

 

俺も三葉に向けて走り出した。

 

 

きっと、今の走りは俺の人生で一番早いダッシュだったと思う。

 

 

そして…

 

 

 

 

 

 

2人は抱き合った

 

 

 

「三葉…三葉!」

 

 

「瀧君!!よかったぁ…」

 

 

大粒の涙を流しながら、三葉は俺の胸に顔を埋めてくる。その三葉を抱きしめながら、撫でながら、俺も涙を流す。

 

「三葉!怪我はないか?痛いところは?」

 

「平気やよ、瀧君こそ!どっか怪我しとらん?」

 

「俺は平気だ!三葉、ほんとにどこも怪我してないんだな?」

 

俺は三葉の体を全身くまなく見る。見たところ、骨折や、大きな外傷はなさそうだ。

 

「瀧君…泥だらけやから、あんま見んといて…」

 

少しだけ、恥ずかしそうに、三葉が体をよじる

 

「ばか、こんなときに何言ってんだ。それに、俺だって泥だらけだよ」

 

自分の服を見ると、むしろ泥を着ていると言っても過言ではないくらい汚れていた。登山靴のブーツもドロドロで、気をぬくと滑って足を取られそうだ。もちろん三葉も同じで、顔も髪も泥だらけだ。女子としては恥ずかしいのだろう。もじもじとしながら髪の泥を落としている。

 

「私達、どっちも泥だらけやね」

 

「あぁ、あんな崖から転がり落ちたんだし、しょうがないな」

 

「でもほんと、怪我がなくてよかった…」

 

「そうだな…」

 

 

俺は、あの影を思い出す

 

 

あの崖から落ちて、怪我がないわけがない。普通は…

 

 

俺はきっと、腕も足も折れていると感じていた。それほどの痛みと違和感があった。だが、あの影に触られてから、その痛みは消えてしまった。

 

 

あいつは…

 

 

 

俺は御神体を見る

 

 

 

行かなくちゃ…

 

 

 

あいつが待ってる

 

 

 

「行こう、三葉」

 

 

 

隣を見ると、三葉も同じように御神体を見つめていた。そして、俺の言葉に頷く。

 

俺は三葉の手を取り御神体のある窪地に降りていった。今度はその手を離さないように。離れないように…

 

御神体の近くまで来ると、目の前には小さな小川…だったのだろうが、あの雨で池になってしまったものが広がっている。

 

「こりゃ、また濡れるな」

 

せっかく体が乾いたってのに、また濡れるのは良いことではない。三葉を見ると、その池を見つめながら、何か考えている

 

「三葉?」

 

「…前におばあちゃんに言われたんやけど、この池の向こう側はね、幽世…なんやって」

 

「幽世…」

 

聞き慣れない言葉に、思わず呟いてしまう

 

「あー、えっと、つまり…」

 

 

「あの世…」

 

言い淀む三葉の言葉を続けるように、俺の口から勝手に言葉が出てきた。知らないはずなのに、一体なぜだ…

 

「…瀧君、知っとったの?」

 

三葉は不思議そうな顔でそう尋ねてきた

 

「いや…わからないけど、なんか口から出てきたっていうか」

 

「…そっか、もしかしたらどこかで聞いたことがあったんかもね」

 

「でも、あの世なんだろ?簡単に入って大丈夫なのか?」

 

俺は気になっていたことを尋ねる。そんなに簡単にあの世に行けるはずがない、きっと何か対価が必要なはずだ。いや、宮水の巫女が一緒なら平気なのか?厳密にはもう巫女ではないが…

 

「えっと、あの世からこっちに戻るには、一等大事な物を置いて行かなければならないんだって…」

 

そう、思い出すように三葉は言うが、俺はそれを聞いて戦慄する

 

「だ、だめだ!!」

 

 

一等大事な物?

 

 

そんなもの、決まっている

 

「絶対にだめだ!そんなの!俺は三葉を置いていかなきゃならなくなる!」

 

俺は必死になって訴える

 

 

どうすればいい…

 

 

三葉を失うなんてことになったら…

 

 

俺は…

 

 

泣き出しそうな俺の顔を見て驚いた三葉は、やがて、ぷっと吹き出すと、笑いを抑えるために口を抑える

 

「な、笑い事じゃないぞ!三葉!」

 

「ご、ごめんね瀧君。ふふっ、ようはね、一等大事な物っていうのは方便で、お参りに来たらお供え物を置いていきなさいよってことなんよ」

 

「え、え?」

 

俺は困惑して、言葉が出ない

 

「私達は、神社で作った…えー、お酒!そう、お酒をお供え物にして持って行ってたんよ」

 

何か言おうとして迷った三葉は、やけにお酒の部分だけ強調してそう言った。つまり、お供え物をしっかり置かないとダメですよという伝統が、年月の中で、一等大事な物を置いていけなどということに変わっていったのだろう

 

「でも、俺今お供え物になりそんなものなんて、なんも持ってないぞ」

 

俺が持っているものといえば、既に電池の切れた泥だらけの携帯電話と、軽い登山道具。それから今着てる服くらいだ。そんなものでいいならいくらでも置いていくが…

 

「ううん、ええんよ、お供え物は、私が持っとるから」

 

三葉はどこか寂しそうな顔で言う。

 

「ほんとか?」

 

三葉とは崖から落ちるまでずっと一緒にいたし、行く前にお互いのリュックの中も確認している。だが、その中でお供え物になりそうなものなんてなかった。

 

「ほんと。だから瀧君は心配せんでええよ。ほら、もう行こう?」

 

三葉は首をひねって考える俺の手を取ると、池の中を進み出す。雨が溜まっただけだろうが、意外と深く、俺の腰、三葉の胸あたりまで水に浸かった。

 

池を上がると、目の前にぽっかりと入り口を開けた洞窟がある。その上には大きな木が生い茂っていて、まるで洞窟を隠しているようだ。この中に、宮水神社の御神体がある。

 

今度は俺が三葉の手を取って進む。中は暗いと思っていたが、少しだけ太陽の光が差し込んでいて、ぼんやりと洞窟内全体が見えた。

 

段差を降りて進むと、行き止まりに突き当たる。そこには、石碑と、その前に置かれた2つの瓶が置いてあった。

 

「やっとついた…」

 

俺は呟く。五年前、確かにここにきた。今はもう、はっきりと思い出せる。俺は誰かを探してここまで来たんだ。でも、それが誰なのか、全く思い出せない…

 

あと少しで完成するパズルは、ピースが1つだけずれていた

 

「そうやね、せっかくきたんやから、お参りして…」

 

「どうした?」

 

途中で言葉を止める三葉は、石碑の前にある瓶をまじまじと見る。

 

「開いとる…」

 

「は?」

 

「これ…これ開いとるんよ!!、わ、私の!…」

 

三葉は蓋が開いている瓶を手に取ると、ワナワナと震えだした

 

「私のって…それただのお酒だろ?」

 

「ち、ちが!いや!お酒なんやけど!そうなんやけど!」

 

三葉は何か言いたげに、でもそれを飲み込むように騒ぎだした。そして、ふと俺の顔を見つめると、今度は目を細めて睨み始めた。

 

忙しい奴だな…

 

 

「わかった…」

 

「何が?」

 

「犯人がわかったんよ…」

 

「おー、そりゃ良かったな」

 

俺は、石碑に何か、俺たちの答えを見つけるためのヒントがないか探していた。そんな俺に向かって三葉はビシッと指を突きつけた。

 

「犯人は瀧君や!!瀧君5年前にここに来たって言っとったやろ!」

 

「は、はぁ…」

 

確かに来たが、この酒を飲んだ記憶はない。いや、ないと言うか、よく思い出せない。なんだか飲んだような気もするし、飲んでないような気もする。

 

「よく覚えてないけど、別にどっちでもよくないか?俺がそれ飲んでたら、なんか問題あるのかよ?」

 

「大ありやよ!!ありもあり!この変態!」

 

飲んだとも言ってないのにこの言われようである。

 

「飲んだなんて言ってないだろ…それに、なんで酒飲んだくらいで変態になるんだよ…」

 

「うっ、うぅ…瀧君はほんと、乙女心がわかっとらん…」

 

「わかんねぇって」

 

俯く三葉の頭をポンポンと叩くと、俺は喋りながらも続けていた答え探しを諦める

 

「どうやらなんもないみたいだな、とりあえず、お参りだけして帰ろう」

 

「う、うん」

 

渋々と頷く三葉は、まだ何か言いたげだが、これ以上は話が長くなりそうだから、俺は手を合わせて目を瞑る。隣で三葉も同じことをしてるのだろう。パンッと手を合わせる音が聞こえた。

 

「…それじゃあ、もう行くか」

 

やっぱり、何も起きないか…

 

実は、こうして手を合わせて目を瞑れば、何か起きるんじゃないかと少し期待していた。だが、現実には何も起きなかった。

 

「待って、瀧君、お供え物…置いていかんと」

 

そう言って三葉は、自分の髪を結っていた組紐をするりとほどく。綺麗な黒髪がパサリと落ちた。

 

「まさか…お供え物って…」

 

「組紐は、もともと神様にお供えするために作ってたもんやし、これは私の中でもとっても大事なものやから、きっと効果あると思うんよ…もちろん、瀧君より大事な物なんてないんやけどね」

 

そう言って微笑む三葉はどこか、悲しそうだった…

 

「それは…それの他には、なんかないのかよ」

 

何故かわからないけれど、その組紐はダメだと、俺の中の何かが言う。今だけは三葉の組紐が、まるでかつて、それが自分の物だったような感覚に陥っていた

 

「でも、これ以外にはないんよ…」

 

「お母さんの形見だろ?ほんとにいいのかよ」

 

なんとか説得しようとするも、三葉はゆっくりと首を振る

 

「ええんよ、お母さんは、私の中にずっといてくれとるから、組紐がなくても大丈夫やよ」

 

「…そうか…わかった」

 

俺は、その笑顔に含まれた覚悟と決意に、もう何も言えなかった

 

 

三葉はそっと、2つの瓶の間に組紐を置く、そしてもう一度手を合わせると、静かに祈っていた。

 

 

やがて、目を開けた三葉と目が合い、互いに頷き合う。そろそろここを出よう。もうすぐで夜になる。夜になったら山を降りるのは危険だが、ここで野宿するほどの装備も知識もない。だから、日が落ちる前に車まで戻らないといけない。

 

「おいで…三葉、戻ろう」

 

俺は三葉の手を取って歩き出す。

 

 

答えは見つからなかったけど、ここに来たことは無意味じゃなかった

 

 

何か大事な物と出会えた気がするし、5年前の糸守に来ていたときの記憶も徐々にだが戻りつつある。

 

 

このまま、糸守のほかの場所を回れば、いつか俺たちの探しているものも見つかるかもしれない。

 

 

 

だから、進もう

 

 

 

そう思い、洞窟から出ようとした瞬間

 

 

 

 

俺は段差に足を滑らせた

 

 

「なっ!!」

 

 

言葉が出ない。ブーツが泥に邪魔されて段差を捉えきれなかったのだろう。俺の体は地面に向けて落ちて行く。

 

まるで、あのとき、崖から落ちたときのように世界がスローモーションに見える

 

手を繋いでいた三葉は、転びそうな俺の体を支えようとするが、俺の体重に耐えきれず、一緒になって地面へとその体をダイブさせようとしていた

 

 

 

転んだら、すぐ起き上がって三葉に謝ろう。

 

 

 

 

そんなことを、スローモーションになった世界で俺は考えていた

 

 

 

 

だから、早く落ちてくれないかな

 

 

 

 

そして…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界が暗転した



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第23話「君の名を今」

目を開けると、洞窟の中だった。

 

「うっ…」

 

そうだ…俺は転んで、世界が暗くなって…

 

 

頭でも打ったのか?三葉は?

 

「っ…三葉!」

 

俺はすぐに立ち上がって叫ぶ。周りを見回しても、三葉の姿はどこにもない。確かに俺たちは一緒になって転んだはずだ、しっかり覚えている。それなのに三葉の姿がないということは、目覚めない俺を心配して、どこかに助けを呼びに行ったのかもしれない。

 

「くそっ…」

 

思わず口から汚い言葉が出る。今日はもう2度も三葉を見失っている。この手はもう離さないと、決めたのに。とにかく、三葉を探して早く山を降りないと。

 

俺はそう思い洞窟を飛び出す。外にも三葉の姿はない

 

「三葉…どこに行った…」

 

一度、三葉の名前を叫んでみる。しかし、帰ってくるのは山に反射したこだまだけ。とにかく、もし助けを呼びに行ったなら、必ず車まで戻っているはずだ。どれくらいの間自分が気絶していたかわからないが、おそらくそう長い時間ではないはず。だとしたら、今から降りても、三葉には追いつける。

 

池を越えて、窪地を走り抜ける。空を見ると、すでに太陽は落ちかけていて、その空を夕焼けに染めていた。

 

俺は窪地から下りるために、その外側、窪地を囲むように盛り上がっている外縁部分に登った。眼下には、夕焼けに照らされてきらびやかに反射する糸守湖と、彗星の落下によってできたもう1つの湖が広がっていた。どこか幻想的で、ただ、悲しい景色だった。俺はしばらくその景色に目を奪われてしまう。

 

「三葉…」

 

なんでかわからないけど、いつも、つい口をついて出てくるのはこの名前。愛する人だからだろうか、三葉の故郷である糸守の町を見たからだろうか…

 

しばらく景色を見ていた俺は、すぐに思い出す。こんなことをしている場合ではない、三葉に追いつかないと。俺はまた、山を降りるために走り出そうとした。

 

 

その時

 

 

 

 

夕焼けに染まっていた世界が

 

 

 

 

暗くなった

 

 

 

 

 

「あっ…」

 

 

 

 

 

 

夕方でも夜でもない時間がほんの少しだけある。黄昏時、世間ではそう呼ばれるこの時間だが、俺の口から出てきた言葉は、違うものだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かたわれ時だ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一陣の風が、俺の顔に吹き付ける

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆっくり振り返ると、あいつが立っていた

 

 

 

 

 

 

 

「あー、なんていうの?その、お前に会えたら、こう言うって、三葉に言っちゃったから言うけど…何年待たせるんだよ、ばかやろう」

 

 

 

そう言って笑うあいつは、高校の制服を着た。顔も背丈も当時のままの、俺だった

 

 

 

目の前に立っているのが自分だったら、普通は混乱して、取り乱すだろう。

 

 

 

でも、俺の中には、そんな気持ちはなかった

 

 

 

ただ、ただ…

 

 

 

やっと会えた…

 

 

 

それだけだった…

 

 

 

 

「…すまん、でもほら、しょうがないだろ?」

 

 

俺は手を合わせて謝る。

 

 

「お前…5年待たされたのに、すまんで済まされるとは思わなかったわ…」

 

 

「いや、他になんて言えばいいんだよ…」

 

 

「もういいよ、お前に語彙がないのは知ってるから。俺だしな」

 

 

あいつは、また笑う。そして、空を見上げる。

 

 

俺もそれに合わせて空を見る

 

 

「かたわれ時か…お前、もう思い出しそうか?」

 

 

「あぁ、なんだかお前と喋ってると、頭の中に何かが渦巻くんだ。でも、俺が記憶をなくしたことも、それがお前だってことも、なんとなくだけど、わかる」

 

 

俺は空から目を離し、あいつを見る。彼もまた、それに合わせてこちらを見る。2つの目線が交差して、でもそれは、本当は1つだったものだった

 

 

「そうだな…俺はお前の片割れだ。あのとき失くした。置いていかれた記憶だ」

 

 

「だから、迎えにきた。5年かかったけど、俺ならそのくらい許すぞ」

 

 

俺がニッと笑うと、あいつも笑い返す。

 

 

「そういえば、さっき俺が崖から落ちたとき、助けてくれたのはお前だろ?」

 

 

俺はずっと聞きたかったことを口に出す。聞いて、もしそうだったら、お礼を言わないと。そう思っていた

 

 

「あー、やっぱバレた?」

 

 

 

「バレバレだっつの、せめて声とか変えろよ…」

 

 

 

「いやだってお前、頭フラフラだったろ?声なんてわかんないかなーって思って」

 

 

 

「22年間聞いてきた自分の声なんだから、フラフラでも分かるわバカ」

 

 

 

「お前…そのセリフは自分に言ってるのと同じなんだぞ…」

 

 

 

「あ、そっか…」

 

 

 

俺達はまた笑い合う。バカみたいに、2人で

 

 

 

「とにかく…あの時は助かった、ありがとな」

 

 

「うわっ、俺からお礼言われるとか…なんか気持ち悪いな」

 

 

「なっ!お前、人の気持ちを無下にしやがって!」

 

 

「いや…お前の性格なんだからしょうがないだろ…」

 

 

まさか自分とこんなくだらない言い合いをするなんて思わなかった。しかも、高校生の自分と…

 

ふと、俺は空を見る

 

 

「かたわれ時が…終わる」

 

 

あいつもまた、同じように空を見る

そんなあいつの横顔を見ながら、俺はずっと心配だったことを聞く。あいつなら、きっと知っているから

 

「なぁ、三葉は…三葉は大丈夫なのか?」

 

 

「大丈夫。あっちはあっちで、三葉がついてるから、またすぐに会えるよ」

 

 

「…そうか、よかった」

 

 

俺はほっとして、胸をなでおろす。おそらく、俺以外の人間が聞いてもさっぱりわからないセリフだろうが、俺にはわかった。俺と同じように、三葉の片割れが、三葉にもついているということだろう

 

 

「そろそろ時間だな…」

 

 

あいつが、少し寂しそうな顔で言う

 

 

「あぁ」

 

 

俺はそれに、頷いて返す。

 

 

「全部思い出す覚悟、できたか?」

 

 

「そんなの、とっくの昔からできてる、そのために、ここまで来たんだから」

 

 

「だったら問題ないな」

 

 

あいつが、ゆっくりと近づいてくる

 

 

俺はその目を、ただ見つめている。

 

 

俺の目の前、手を伸ばせば届くところまで来ると、あいつは止まった

 

 

 

「なぁ…三葉のこと、頼んだぞ」

 

 

「頼んだ、じゃねぇだろ」

 

 

俺はそこで一旦区言葉を区切ると、あいつに向かって微笑む、そして、俺の胸を、心を叩く

 

 

「一緒だろ?」

 

 

 

それを聞いたあいつは、少し驚いた顔をして、やがて、微笑み返す。

 

 

 

「あぁ!」

 

 

 

 

あいつが、俺の手を掴んだ

 

 

 

 

 

 

 

 

その瞬間

 

 

 

 

 

 

 

まるで、濁流のように、何かが

 

 

 

 

 

 

 

記憶が

 

 

 

 

 

 

 

 

頭の中に流れ込んできた

 

 

 

 

 

『お姉ちゃん何しとるん?』

 

『お前は誰だ?』

 

『宮水三葉?この人生はなんだ?』

 

『もしかして俺達、入れ替わってる!?』

 

『あの女はぁ〜』

 

『人の金で勝手に飲み食いしやがって!』

 

『てめぇ三葉!俺の人間関係勝手に変えるなよ!』

 

『お前俺に人生預けた方がモテんじゃね?』

 

『あんた今、夢を見とるな?』

 

『なんだか瀧くん、今日は別人みたいね』

 

 

『お前も覚えてるだろ、三年前の…彗星…』

 

 

『三年前に…死んだ?』

 

『うそだ!』

 

『三葉の、半分…』

 

『だめだ三葉、そこにいちゃいけない』

 

『逃げるんだ!』

 

 

『ここにいたらみんな死ぬ!』

 

『…そこにいるのか?三葉…』

 

『あのときあいつは!俺に会いにきた!』

 

『三葉…』

 

『お前さぁ、知り合う前に、会いにくんなよな』

 

 

『目が覚めても忘れないようにさ、名前、書いとこうぜ』

 

 

思い出した…

 

 

 

全部

 

 

 

君は…

 

 

 

 

君の名前は…

 

 

 

 

『、、くん…』

 

 

 

『瀧くん…』

 

 

 

『私…覚えて、ない?』

 

 

 

『あんたの名前は!』

 

 

『名前は!…』

 

 

名前は!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三葉!!!!」

 

 

 

 

かたわれ時が、終わった

 



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第24話「もう一度」

目を覚ますと、まだ御神体の洞窟の中だった。

 

「あれ…」

 

 

瀧君が、いない…

 

私は立ち上がると辺りを見回す。そこには、私が愛してる人の姿はなかった

 

ついさっきまで一緒だったのに…

 

いや、もしかしたら私は、頭でも打って、長い間気絶していたのかもしれない。だとしたら、瀧君は助けを呼びに行ったのかも

 

とにかく、ここでじっとしてはいられなかった。携帯電話は使い物にならないし、瀧君もいない。私がどれくらい眠っていたかわからないけど、今から全力で走れば、瀧君に追いつけるかもしれない

 

私はそんな思いで御神体を出る

 

上を見ると、さっきまで明るかった空は、夕焼け色に染まっていた。

 

「急がないと…」

 

夜になったら、山を降りるのは危険だ。早く瀧君に追いつかないと。きっと瀧君は車まで戻っているはず。私も急ごう

 

池を抜けて、窪地を走る。

 

窪地の淵まで駆け上がり、また辺りを見回す。やっぱり瀧君はいない

 

「瀧君!!!」

 

叫んでも、何も返ってはこなかった。やっぱり、もう下まで降りているのかも

 

眼下に広がる糸守だった場所を見つめながらら、私は泣きそうだった

 

やっぱり1人は、心細い…

 

 

 

 

 

そのとき

 

 

 

 

 

世界が暗くなった

 

 

 

 

 

「あっ…」

 

 

 

 

 

 

空を見上げる

 

 

昼でも夜でもない、世間では黄昏時と言われているその時間は、私の故郷ではこう言う

 

 

 

 

 

「かたわれ時だ…」

 

 

 

 

 

 

一陣の風が吹き抜け、私の髪をさらりと揺らす

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…あのー」

 

 

「ひゃぁ!!!!」

 

 

突然かけられた声に、私は思わず飛び上がる。

 

 

「あ、ごめん、驚かすつもりはなかったんやけど…」

 

声の主は、申し訳なさそうに言う。私はゆっくりと、そちらを振り向く。

 

そこには

 

高校の制服を着て、三つ編みを組紐で結ぶ、あの髪型をした私が立っていた

 

 

「あなたは…」

 

 

なんと言えばいいか分からず、私はそんなことしか口にできない

 

 

「えへへ、なんだか自分に会うって、恥ずかしいね」

 

 

彼女は少し顔を赤くして言う。最初は驚いたが、どうしてだろう、自分が目の前に立っていたら、もっと混乱するはずなのに、もう私は、彼女が目の前にいることに疑問がなくなっていた

 

「あっそうだ…あなたに会ったら、最初にこう言うって、決めてたんよ」

 

彼女はにっこりと笑う

 

 

 

 

 

「見つけてくれて、ありがとう」

 

 

 

 

 

その言葉を聞いた私の目から、涙が溢れ出てくる。拭っても、拭っても、その涙は止まらない

 

 

「ご、ごめんね…待たせて、ごめんね」

 

 

「あ!ちょっと!泣かんでよ…私も泣きそうになるやんか…」

 

 

彼女も、目をウルウルとさせて、やがて泣き始める

 

 

「でも、8年も待たせちゃって…ごめんね」

 

 

「もうええんよ…ちゃんと迎えに来てくれたんやから。それに、文句を言うならあの男に言わんとね。まったく、何年も待たせよって」

 

 

彼女はいたずらっぽく笑う。あの男っていうのは、きっと瀧君のことだろう。彼女と話していると、何か、私の中に記憶のようなものが入ってくる気がする。

 

 

「瀧君はちゃんと私を見つけてくれたんやし、文句は言えへんよ…」

 

 

「んー、でもきっと、記憶が戻ったら瀧君を怒鳴りつける私が見えるなぁ…」

 

 

「瀧君私に何したん…」

 

 

「それはお楽しみやよ」

 

 

その時、私は思い出した、あのとき、崖から落ちた時に、助けてくれた影のことを

 

 

「ねぇ、あのとき、助けてくれたのは、あなたよね?」

 

 

「うん、私と…」

 

 

「「お母さん」」

 

 

声が揃う。やっぱりそうだった。お母さんが、来てれたんだ。私はまた泣きそうになるのを必死にこらえて、微笑む

 

 

「ありがとうね…」

 

 

「ううん、ここまで来てくれたんやから、少しは力を貸さないとって思って…」

 

 

そこまで言うと、彼女は何か思い出したような顔をする。

 

 

「あっ、忘れとった。ほら、これ、忘れ物やよ」

 

 

彼女は髪を結っていた組紐を取ると、私に向かって差し出した。

 

 

「それは…」

 

 

それは、私がお供え物として御神体に置いてきた組紐だった

 

 

「もう大丈夫なんやって、だから、これはあなたに返すって」

 

 

それは誰からの言葉なのだろうか。けれど、聞かなくてもなんとなくわかる。私は彼女に近づくと、そっとその組紐を受け取る。そして、胸に抱く

 

 

「…ありがとう」

 

 

お礼を言う私に、彼女は首を横にを振る。その顔は、とても優しくて、私の心もあったかくなる

 

 

「ええって、それよりも、ほら、その組紐ちょっと貸して、後ろ向いて」

 

 

「な、なんで…あげへんよ!」

 

 

「いや…自分から物とらんよ…」

 

 

呆れる彼女に促され、私は後ろを向く。彼女は私の髪を手に取ると、慣れた手つきで編み込んでいく。あれだけ泥だらけだった髪は、まるで、お風呂上がりに丁寧に手入れしたときみたいにサラサラになっている

 

「ちょ、ちょっと…」

 

 

「あー、動かんといて!変になるやろ!」

 

 

怒られた私は、大人しくじっとしていた。やがて、彼女の手が髪から離れる。

 

 

「はい!完成!」

 

 

髪を触ると、三つ編みを組紐で結ぶ、私が高校生の時によくしていた、いや…さっきまで彼女がしていた髪型になっていた

 

 

「あ、ありがと…」

 

 

「どういたしまして、我ながら、よく似合っとるね」

 

 

微笑む彼女に、私も笑い返す。自分に髪を結んでもらうなんて、もう一生できない体験だろう

 

 

「そういえば、瀧君は大丈夫かな…」

 

 

ふと、先に行ってしまった瀧君のことが気になって、そう呟く

 

 

「大丈夫やよ、あっちはあっちで上手くやっとるから」

 

おそらく、向こうにも、彼女と同じような存在が行っているということだろう。だったら、心配はいらない

 

 

そこで、ふと、2人で空を見上げる

 

 

「かたわれ時、もう終わるね…」

 

 

「そうやね…」

 

 

私たちは、見つめ合う。その目には、ただ、優しさがこもっていた。

 

 

「私は、あなたの片割れ、あなたの記憶、全てを思い出す覚悟は、できた?」

 

 

「うん、そのために、ここまで来たんやから」

 

 

私は力強く頷く。

 

 

それを見た彼女は、少しだけ微笑む

 

 

「瀧君のこと…お願いね?」

 

 

「ううん…違うやろ」

 

 

私は、そんなことを言う彼女に首を振る。そして、胸を、心を叩く

 

 

 

 

「あなたと私は、一緒やろ」

 

 

 

 

それを聞いた彼女は、まるで花が咲くような笑顔で笑った

 

 

 

 

「うん!」

 

 

 

 

 

彼女が、私の手を握った

 

 

 

 

 

その瞬間、何かが、

 

 

 

 

 

 

記憶が

 

 

 

 

 

 

 

まるで濁流のように流れ込んできた

 

 

『今日は普通やね』

 

『昨日はやばかったもんなー』

 

『おはよ!テッシー!サヤちん!』

 

『ありゃ絶対狐憑きやって!』

 

『お前は誰だ?って、なんやこれ』

 

『瀧、父さん先に出てるからな、遅刻でも、学校にはいけよ』

 

『司?だれ?』

 

『卵コロッケサンドにしようぜ』

 

『あー!!この夢いつ覚めるんやさー!!!』

 

『瀧君、意外と女子力高いのね』

 

『もしかして、私達、入れ替わってる!?』

 

『男子の視線!スカート注意!人生の基本でしょ!?』

 

『なんで女子から告白されてんの!?』

 

『あの男はぁぁー!!!』

 

 

『瀧君、明日はデートか…』

 

『お姉ちゃん!どこ行くん!』

 

『ちょっと東京に…』

 

 

『あの…私…覚えてる?』

 

『だれ?お前…』

 

 

『三葉!その髪!!』

 

『私…あの時…死んだの?』

 

 

 

『三葉…』

 

『瀧君…瀧君がおる…』

 

『お前、すげぇ遠くにいるから、大変だったよ』

 

『三葉、まだやらなきゃいけないことがあるんだ』

 

 

 

全部…思い出した…

 

 

 

 

 

 

 

『あの人の名前が!思い出せんの!!』

 

 

 

 

 

 

君は…

 

 

 

 

『目が覚めても忘れないようにさ、名前、書いとこうぜ』

 

 

 

 

君の名前は!

 

 

 

 

 

『これじゃ…名前…わかんないよ…』

 

 

 

 

 

『すきだ』

 

 

名前は!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「瀧君!!!」

 

かたわれ時が、終わった



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第25話「after story」

この話は、かたわれ時のBGMを流しながら書きました


振り返ると、君がいた

 

 

 

 

 

叫んだ君の名前は、ただ空の中に消えて行く

 

 

 

 

 

そして、かたわれ時が終わり、月が顔を覗かせ、空には星が瞬き始める。そんな透き通った夜空の下で、2人は出会った

 

 

 

 

 

初めて…

 

 

 

 

 

再び出会うことができた

 

 

 

 

 

 

「三葉…」

 

 

そう呼びかけると、三葉の目にみるみる涙が溜まっていく

 

 

「瀧君?瀧君?…瀧君や…」

 

 

馬鹿みたいに繰り返しながら、三葉は俺の両手を握る

 

 

「瀧君がおる…!」

 

 

絞り出すようにそう言って、ぽろぽろと涙を流す。

 

 

「お前…前と言ってること同じじゃないか」

 

 

俺は微笑んで、三葉の手を強く握り返す。

 

 

 

「だって…だってぇ…」

 

 

三葉は地面に大粒の涙を落としながら、俺の胸に飛び込んできた

 

 

やっと逢えた

 

 

俺も三葉も、全てを思いだして、世界や運命、そんなものを全て乗り越えて、ここで向き合っている。俺は本当にホッとする。心の底から、穏やかな喜びが体中に満ち溢れてくる。そして、ただ俺の胸の中で泣きじゃくる三葉に、俺は言う

 

 

 

「待たせて、ごめんな」

 

 

 

それにしても、いつも思うけど、三葉の涙はまるでビー玉みたいに透き通ってコロコロしているな。俺は笑いながら続ける

 

 

 

 

「ホント、こんなに時間がかかるとは思わなかったな…」

 

 

 

そう、俺は5年、三葉は8年かかった。俺たちがあの日、電車で目が合わなければ、きっと、この今はないのだろう。今ここで、こうして三葉と抱き合っている今は、本当に奇跡だ

 

 

 

「でも、瀧君はちゃんと私を見つけてくれたよ?」

 

 

 

涙で顔を濡らしながら、三葉はそう言う。

 

 

 

「当たり前だろ。前にここであった時、言おうと思ったんだ。お前が世界のどこにいても、俺が必ず、もう一度会いに行くって」

 

俺がそう言って笑いかけると、三葉はさらに涙を流す。もう止まらないのだろう。なんせ、三葉にとっては8年ぶりの恋人なのだから

 

「うん…うん…ほんと、かっこいいんやから…」

 

 

「ほら、もう泣き止めって、泥だらけの顔がもっとひどいことになるぞ?」

 

 

俺は言いながら三葉の涙を拭ってやる。三葉は目を閉じて、嬉しそうにそれを受ける。だが、やがて何かを思い出したのか、俺の方をジーっと見る

 

 

「どうした?」

 

 

「そういえば…口噛み酒…やっぱり犯人は瀧君やった…」

 

 

今度は完全にジト目になって俺を睨む

 

 

「げっ…お前…それは前に許してくれたはずだろ?」

 

 

「許しとらん!口噛み酒飲んだことも、勝手に胸触ったことも、まだゆるしてないんやから!」

 

 

三葉は、フンっとそっぽを向いてしまう

 

 

「えぇ…胸触ったのは、一回だけだって…」

 

 

「前も言ったやろ!何回でも同じや!あほ!それに…絶対一回やないやろ…?」

 

 

また、三葉が俺を睨んでくる。俺は考える。どうやったらこの窮地を乗り越えられるか。とにかく謝るしかないか?だが待て、何回も胸を揉んでたことがバレたら、きっとグーパンが飛んでくる。それは避けたい

 

 

「ど、ど、どこに証拠があるんだよ」

 

 

動揺からか、俺はつい口ごもってしまう

 

 

「動揺しとるやん…あんた、夢の中でも私の胸勝手に揉んでたの…覚えてるんやからね」

 

 

「ゆ、夢は!ノーカンだろ!」

 

 

「違います!ほんっとにこの男は…」

 

 

そのとき、そっぽを向く三葉の髪に、赤い組紐が揺れるのが見えた。あれはさっき、御神体のお供え物として置いてきたはずだが…

 

 

「その組紐…」

 

 

「あぁ、これ…もう大丈夫やから、持って行きなさいって」

 

 

「そう、なのか…じゃあ、これからも大事にしろよ」

 

 

誰に言われたか、聞かなかった。けど、わかるんだ。なんとなく…

 

 

「もちろんやよ、実はこれ、もし子供ができたら、その子にあげようかなって思ってるんよ」

 

 

何気なくそういう三葉の言葉が、一歩遅れて俺の耳に入ってくる

 

 

「こ、子供か…まだ、ちょっと早いんじゃないか?」

 

 

「んなっ!だ、だ、誰も瀧君と作るなんて言っとらんよ!!」

 

 

俺の言葉を聞いた三葉は顔を真っ赤にして怒る。俺じゃないのかよ…

 

 

「えぇ!!?お、俺じゃないの!?」

 

 

「え!?えっと…えっと……えっとね…」

 

 

徐々に小さくなっていく言葉の最後に、ボソリと、三葉が呟く

 

 

「瀧君がいい…」

 

 

 

その言葉を聞いた俺は、三葉を抱きしめる。可愛すぎ、反則だな。

そして、三葉も、俺に負けないくらいの強さで抱き返してくる。2人で、窒息しそうなくらい、お互いの温もりを感じ合う

 

 

「三葉、もう離さない…逃がさないからな」

 

 

「どこにも逃げんよ…あほ」

 

 

もう、俺達の間を邪魔するものは何もない。俺達の愛を止めるものは何もない。だからこれからの人生を、三葉と2人で生きていきたい。ずっと一緒に…

 

 

「なぁ三葉、もう2度と忘れないようにさ、名前、書いとこうぜ」

 

 

俺は、ペンを取り出してそう言う。三葉はキョトンとした顔になるが、すぐに笑顔になり、頷く

 

 

「ふふっ、もう忘れんって」

 

 

「一応な、一応」

 

 

「あ、そういえば瀧君!あの時瀧君がちゃんと書いてくれなかったから、名前忘れちゃったんよ!」

 

 

俺が三葉の手を取ると、思い出したかのようにまた三葉が怒り出す

 

 

「あー、いや、気持ち、伝えたくて…」

 

 

「口でいいなさい!」

 

 

「すきだ」

 

 

「もう遅いわ!」

 

 

笑いながら、そんなことを話しながら、俺は三葉の手に文字を書き入れる。もう、忘れないように

 

 

今度は三葉がペンを取って、俺の手に文字を書く

 

 

「今度は、途中で消えるなよな」

 

 

「消えへんよ。それに、あれは瀧君がモタモタしとるから間に合わなかったんやからね」

 

 

「全部俺のせいか…」

 

 

俺は、笑いながらため息をつく。そして、書き終わった三葉からペンをもらう。

 

 

 

「み、見ていいよ…」

 

 

 

何故か顔を赤くして、もじもじとしながら三葉が言う。ただ名前を書いただけで、そんなに恥ずかしがることはないだろうに

 

 

 

「いや、先見ていいよ」

 

 

 

「じゃ、じゃあ一緒に」

 

 

 

「おう」

 

 

 

俺達は、二人で同時に手のひらを見る。

 

 

まず始めに、笑いが出てくる。そして、その後に涙が溢れ出てきた

 

 

 

お互いに、泣いて、笑いながら、手のひらを見せ合う。

 

 

 

 

 

俺の手には『結婚してください』

 

三葉には『結婚しよう』

 

 

 

 

そう、書いてあった

 

 

 

 

笑いが止まらない、でも、涙も止まらない。嬉しくて泣くってのは、きっとこういうことなんだろう

 

 

「くくっ、俺達、やっぱり相性いいな」

 

 

「ふふふっ、なんで同じことしよるんよ」

 

 

 

俺は三葉の手を取る。そして、その目をしっかりと見て、言葉を紡ぐ

 

 

「三葉、これからの人生、お前と一緒に歩いていきたい。何があってもお前を守る、何があっても必ず側にいる。だから、」

 

 

そこで、一度言葉を区切る

 

 

俺は5年、三葉は8年待った

 

 

 

でも、この時間は、決して無駄ではなかったと思う

 

 

 

なぜなら、俺達は今ここで、こうして出会えたのだから

 

 

 

もう一度、三葉の目を見る、涙を浮かべるその目を、そして…

 

 

 

 

「三葉…結婚しよう」

 

 

 

「はい…」

 

 

 

その唇に、キスをする

 

 

今までで一番熱く、一番愛のあるキスを

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空には星が瞬き、三日月に欠ける月は、この世界を優しく照らしていた。まるで2人を祝福するかのように。

 

 

 

 

 

その世界で、2人は恋をした

 

 

 

 

 

 

決して叶わぬと思われたその恋は

 

 

 

 

 

 

世界の運命や理屈、そんなものを全て吹き飛ばして、ここで叶った

 

 

 

 

 

 

この2人に、もう邪魔をするものはない。きっとこれから、新たなる物語を、紡いでいくのだろう

 

 

 

 

 

 

2人で始める、その後の物語(after story)を

 



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〜宮水家編〜
第26話「明日に向けて」


「お姉ちゃん!?瀧さん!?どうしたんその格好!!」

 

 

私は思わず叫んだ。でも、目の前にいる姉とその彼氏は、全身泥にまみれて、顔まで汚れているような有様だったのだからしょうがない。

 

私の叫びを聞いた後、2人は顔を見合わせて、気まずそうに微笑んだ。その手を握りしめて、離すことなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

私はお姉ちゃんと瀧さんと別れた後、実家でおばあちゃんと一緒に2人を待っていた。夜になるとは言っていたけど、2人と別れたのが昼くらいだから、きっと7時ごろには戻ってくると思っていた。

 

でも、いつになっても2人は戻ってこないし、急激に天気が悪くなったことで、心配した私はお姉ちゃんに電話をかけた。でも、その電話にお姉ちゃんは出ないし、瀧さんにかけても同様だった。おばあちゃんに2人は大丈夫かなと聞くと

 

「大丈夫やに、心配いらんよ」

 

と言いながらお茶を啜っていた。なんの根拠があるのかわからないけど、おばあちゃんは2人のことをまったく心配していなかった…あげく、9時くらいになると、自分の寝室に戻って寝てしまった。もうちょっと孫を心配してあげてもいいんじゃないかな、と思うけど…

 

9時も半ばに差し掛かったころ、玄関の方で車のエンジン音が聞こえた。ソワソワと2人を待っていた私は思わず駆け出して、玄関の扉を勢いよく開けた。

 

そこで、冒頭に戻るわけだ

 

 

「ま、まさか…」

 

私は、顔を青くする。

 

聞いたことがある。大人の世界では、愛が強すぎる故に、普通とは違った愛し方をしてしまう人たちがいるらしい。大人の世界はよくわからないが、お姉ちゃんも瀧さんも立派な大人だし、もしかしたら、あの人たちはそっちの道へと進んでしまったのかもしれない…でも、私は妹、お姉ちゃん達の恋に口出しはできない…

 

 

「まさか…お姉ちゃん達、泥だらけで、そういうプレイでもしてきたん?」

 

 

だから私は、偏見など持たずに、ただ、ちょっと聞いただけみたいな感じで、尋ねてみる。もしそうだったとしても、別に引いたりしないし…しない。しないよ?たぶん…

 

まぁでも、これに関しては私の間違えだった。だって、私の言葉を聞いた2人は、さっきまで嬉しそうにお互いの目を見つめ合いながら手を繋いでいたのに、突然顔を真っ赤にしてキレたのだから。

 

 

「「違うわアホ!!!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えーと、つまり、瀧さんを宮水神社の御神体まで案内してたら、途中で雨になって、転んで泥だらけになったと。そういうこと?」

 

「まぁ、そんなとこやね」

 

「ごめんな四葉ちゃん、連絡入れられなくて」

 

私たちは今、実家の居間で団欒している。あの後すぐにお姉ちゃんと瀧さんをお風呂に入れようとしたんだけど、この2人、何故かお互いに手を離そうとしない。私が無理矢理引き離そうとすると、まるで死が迫っているかのような顔をしてお互いに抱き合う。ロミオとジュリエットか、とツッコミたくなったけど、もう放っておいた方がいいと思ってやめた。

 

結局、お姉ちゃん達は仲良く手を繋ぎながら一緒にお風呂に入って行った。何が悲しくて姉とその彼氏が一緒にお風呂に入っていくのを見なくてはならないのだろうか。

 

今だって、普通に話しているけど、瀧さんがお姉ちゃんの肩を抱いて、その中でお姉ちゃんは猫みたいに頰をスリスリしている。正直、もう寝たかったけど、とりあえず、何があったかだけでも聞きたかった。この2人は確かにバカップルだけど、今朝まではここまで酷いものではなかった。御神体に行っただけでバカップルになって帰ってくるなんて、そんな馬鹿な話があるわけない。

 

 

「んで、他には何があったん?」

 

「ほ、ほ、他ってなんよ!」

 

「な、なんのことだ妹…」

 

最近わかったけど、この2人は、異常にわかりやすい性格をしている。きっと嘘とかすぐバレる。…だから相性がいいのかな?

 

「動揺しまくりやん…さっさと白状した方が楽やよお姉ちゃん」

 

私の言葉を聞いた姉は額に手を当てて考え出す。おそらくなんて言おうか迷ってるんだろう。

 

「なぁ四葉ちゃん、本当に何もないって。ただ、2人でずっと一緒にいたから、なんていうか…あー、愛が深まった?みたいな感じだよ」

 

悩むお姉ちゃんを見て、瀧さんが助け舟を出す。それが本当かどうかわからないけど、どうやらこれ以上聞いても無駄なようだ

 

「はぁー…もうわかりました。これ以上は聞きません。でも2人とも、連絡なしに帰って来ないと、私やって心配なんやから、ほんとに気をつけてね」

 

「「は、はい…ごめんなさい…」」

 

2人して同じ言葉で謝るあたり、どうやらほんとに愛は深まっているらしい。どうでもいいけど…

 

「それじゃ私は寝るから、2人ともあんまり夜更かししてちゃダメだよ。瀧さんは、明日ちゃんとおばあちゃんに挨拶してね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四葉ちゃんは、そう言って居間を出て行った

 

 

「…なんだか、四葉ちゃんの方がお姉さんっぽいな…」

 

「ちょっと、それはどういう意味よ」

 

つい口をついて出てしまった言葉に三葉が反応する。

 

「い、いや、しっかりしてるって意味だよ」

 

「それは、私がしっかりしてないって、そう言う意味やね?」

 

「ち、違うって」

 

「むぅー…」

 

膨れる三葉は、なんだかんだ言って、俺の腕の中にずっと収まったままだ。帰ってきてから、片時も離れない。

 

「怒るのに、離れないんだな」

 

俺は笑いながら三葉の頭を撫でる

 

「違うよ、瀧君が離してくれへんのやよ」

 

撫でられながらそっぽを向く三葉は、25歳の女性とは思えないくらい、幼いというか、なんというか…とにかく可愛かった。

 

「そうか?離れたいならいいぞ?」

 

俺はちょっと意地悪したくなって、手を離す。すると、三葉は、目をウルウルさせながら俺を睨む。

 

やべ、泣かせたか?

 

「わ、うそうそ!ほら!ぎゅーがいいんだろ!よしよし!」

 

俺が相手にしているのは、犬でも子供でもなく、歳上のお姉さんなのだが、まるでそんな気はしなかった

 

「瀧君の意地悪…」

 

そう言って三葉は俺の胸に顔を埋める

 

「ごめんって…」

 

そんな様子に、俺は笑いながら頭を撫でてあげる。

 

「やっと…やっと記憶を取り戻して、本物の瀧君に会えたんやから、離れたくないんよ…」

 

「本物って…それじゃ前の俺は偽物みたいじゃんか」

 

「…言葉のあやってやつやね」

 

そんなことを言って三葉はクスッと笑う。俺もそれにつられて笑みをこぼす。

 

「ほんとに…長かったな」

 

「うん…でも、ええんよ。こうして会えたんやから」

 

「あぁ、それに、これからはもう、ずっと一緒だもんな」

 

「絶対離さんよ…瀧君」

 

三葉が俺を抱きしめる。強く

 

「俺もだよ…三葉」

 

それよりもさらに強く、俺は三葉を抱きしめた

 

時計の針はそろそろ11時を半ばといったところで、流石に瞼が重くなってきた。それもそのはずだろう、朝早く起きて、昼から夕方にかけて山を登ったり崖からおちたり、走り回ったりと、それはもう動き回ったのだから。

 

よく見ると、胸に抱いた三葉も眠そうだ。

 

 

……

 

 

これは、今日はダメかな?

 

 

「三葉、眠いか?」

 

「ん…ちょっとね」

 

「じゃあ、そろそろ寝ようか、三葉の部屋、あるんだろ?」

 

「うん、お父さんが、三葉が帰ってきたときのためにって…私の部屋作ってくれたんよ」

 

なんだか釈然としない顔で、三葉は言う

 

「お父さん、いい人だな」

 

いつ帰ってくるかわからない娘のために、家に1つ部屋を設けるなんて、家族思いのお父さんだなと思う。あのとき、胸ぐらを掴んでごめんなさい…

 

「でも、こんな時ばっかり父親みたいなことして…おばあちゃんと四葉はもう許したみたいだけど、私はまだ…お父さんのこと完全に許しきれんよ…」

 

「…でも、お父さんは三葉のことを信じてくれたんだろ?だから三葉や、四葉ちゃん、それにおばあちゃんも生きてる。違うのか?」

 

「あの時は…確かに、信じてくれた…でも、それとこれとは話が別やよ!」

 

「そうか…だったら、今度ちゃんと、話してみろよ、親子なんだから、きっと分かり合えるって」

 

三葉は苦い顔をしていたが、そう言われて、渋々と言った感じで頷く

 

「だったら、明日、お父さんが帰ってきたときに話すよ、瀧君も挨拶できるし」

 

三葉の言葉が、少し遅れて耳に入ってくる。

 

 

お父さんが帰ってくる?あのお父さんが?え?

 

 

「み、三葉!お父さんは俺が帰るまで出張で大阪の方まで行ってるって…」

 

「うん、それが…私が帰ってくるからって、帰りを早めたんやって、だから、明日の夜には帰ってくる予定やよ。言ってなかったっけ?」

 

キョトンとした顔で言う三葉とは反して、俺の顔がみるみる青くなっていくのが、自分でもわかった。

 

これは、まずい、お父さんに挨拶するつもりなんてなかった。服もラフな物しかないし、心の準備もなかった。

 

 

「み、三葉!ここら辺にスーツを売ってるところはあるか!?」

 

とにかく、明日の夜までにスーツを揃える。それで、なんとかしなければ…

 

面接というのは、その90%が第一印象の見た目で判断される。然り、お父さんに第一印象でダメと判断されれば終わりだ。しかも、俺は以前お父さんの胸ぐらを掴んでいるという前科があるから尚更だ。向こうは知らないだろうけど

 

 

「街まで出ればあるけど…結構遠いよ?そんな気にせんでも、いつも通りでええと思うよ?」

 

「ば、ばか!結婚の挨拶するのに!スーツじゃなくてどうするんだよ!」

 

「え!え!も、もう結婚の挨拶するん!?」

 

「え?だって俺ら婚約したじゃん…」

 

「した!!したけど…えっと…心の準備が…」

 

2人してオロオロする。側から見たらきっと馬鹿みたいな光景だろう。

 

「と、とにかく!明日は朝出て俺のスーツを買いに行こう!いいな?」

 

「え、ええよ!」

 

とりあえず、一旦それで落ち着く。このままあたふたしていたらたぶん朝になる。

 

「はぁ…なんだか疲れたな」

 

俺は天井を仰ぎながら呟く、今日一日、色んなことがあった。こんな日は、もう2度とないだろう。

 

「そうやね…瀧君、今日はありがとうね」

 

「俺の方こそ、ありがとうな」

 

お互いに、お礼を言い合う。何に対してとか、特に言及はしない、ただ、お互いに感謝している。それで十分だからだ

 

「もう、三葉とは絶対離れない。離さないからな」

 

「わかっとるよ。私のこと、離しちゃいかんよ」

 

そう言って、お互いに唇を重ねる

 

 

「瀧君…」

 

 

三葉が、なんだか切なそうな顔で俺を見る。眠いのだろうか?

 

 

「どうした?」

 

 

「えっとね…」

 

 

何か言いづらそうに、顔を赤くして、三葉が下を向く

 

 

「…よ」

 

 

「なに?」

 

 

「……いんよ」

 

 

「わり、もうちょっと大きな声で…」

 

その言葉で、三葉はまた俺の方を見る。顔は、真っ赤だ

 

 

「た、瀧君と!したいんよ!ばか!」

 

 

三葉は、そう叫んで、俺の胸に飛び込んでくる

 

 

これは…

 

 

もう、何されても文句言えないからな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、再び出会えた2人は、ただひたすらに愛し合った。

 

 

 

 

これから始まる、新たなる日々に向けて



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第27話「ただ、貴方達の幸せを願って」

目を開けると、見慣れない天井があった。いつも家で見る白い天井ではなく、綺麗な木張りの天井だ。

 

横を見ると、俺の婚約者が、幸せそうな顔で眠っている。その顔をよく見ると、寝ているのに、口元がずっとにやけている。

 

俺は少し面白くなって、そのほっぺたをつねる。ぷにぷにのほっぺは、あらゆる方向にグニグニと伸びていく

 

「ぅー…」

 

三葉が変な声をあげるが、まだ寝ている。俺は迷う。この無防備な女にどんないたずらをしてやるか…

 

ふと、布団がはだけているところから、三葉の胸がチラリとのぞいている。昨日、これ以上はもう勘弁してくれというくらい、したので、俺も三葉も何も着ていない。

 

俺は布団を剥ぎ取ると、その綺麗な胸を露わにする。形が整っていて、張りもある、美しい三葉の神秘。

 

俺は生唾を飲み込む

 

昨日あれだけ、これでもかっていうくらい色々したのに、また触りたいという願望が湧き上がってくる。だが勘違いしないでほしい。俺は三葉が言うところのおっぱい星人でもなんでない。普通の男子だ。男というのはみな、こんなものだ。

 

俺は無意識のうちに、三葉の胸に手を伸ばす。

 

だが、あと1センチというところで手を止める。確かに、もう俺と三葉はそういう関係だが、三葉の許可なく勝手に触るのは、ダメだ。そんなの、男じゃない。

 

 

「三葉に…悪いよな…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうせまだ寝てるだろうと思って、襖をゆっくり開けると、裸の瀧さんが、お姉ちゃんの胸を揉んでいた。無言で。

 

私は、その光景をただ見ていることしかできなかった。瀧さんは、まるで職人のように、目を光らせながら、眠っているお姉ちゃんの胸を揉みに揉んでいた。

 

どれくらいの時間そうしていただろうか、1分、いや、10分だったかもしれない。私は、そっと襖を閉じて、踵を返した。

 

 

私は、何も、見ていない。

 

 

いい?宮水四葉、貴女は何も見ていないの。ただ、1つの愛の形を知ってしまっただけよ。

 

そう自分に言い聞かせる。そして、自分の寝室に戻ると、もう一眠りする。2人を起こして朝ご飯を作ろうと思っていたけど、精神的ダメージが大きすぎて無理そうだ。おやすみなさい。できれば、起きたら全てを忘れていますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は三葉の胸を揉み終えると、そっと、三葉の寝室を出て居間に入った

 

昨日はじっくり見ることができなかったが、この家は、以前の三葉の家を模して作られているみたいだ。居間は、窓から朝日が差し込んでいて、いい感じに暖かい。居間から縁側に出ると、小さいけれど、よく手入れされている庭がある。なんだか懐かしい感じがする。そんな家だった。

 

俺が居間の方を振り返ると、隅っこに置かれている本棚が目に入った。その上には、3つほど、写真立てが置かれている。しかし、太陽の光に反射して、どんな写真かはわからない。

 

俺は、写真立てに近づくと、一番左の写真を手に取る。そこには、おばあちゃんと、三葉のお母さんの二葉さん、それから、三葉のお父さんが、幸せそうな顔をして写っていた。三葉はまだ幼稚園くらいだろうか、嬉しそうにお母さんに抱かれている。

 

それにしても、この頃の二葉さんは本当に三葉にそっくりだな…

 

次に、真ん中の写真を見る。今度は、先程の3人に加え、四葉ちゃんがいた。何歳だろうか、小学生くらいの三葉に抱かれている。この頃から、今の三葉の面影がかなり出てきている。小学生にしてこの可愛さ、きっとモテただろうな…言っておくが、俺は断じてロリコンではない。とにかく、この写真も、みんな笑顔で、幸せそうな顔をしている。

 

最後に、一番右の写真を見る。

 

まず最初に気づくのは、そこに二葉さんがいないこと。代わりに、お父さんが、二葉さんの写真を持って立っている。それから、全員の顔が前の写真と比べて暗いということだ。おそらく四葉ちゃんの小学校の入学式だろう。お父さんは硬い顔で写っているし、おばあちゃんも笑顔ではない。三葉に関しては、少し下を向いている。四葉ちゃん本人は笑ってピースをしているが、それでも、なんだか無理をして笑っているみたいだ。

 

でも…どうして…

 

 

「どうして、その写真も並べているのか、そう思ったんやろ?」

 

 

突然の声に振り返ると、おばあちゃんが立っていた。着物をしっかりと着付け、身だしなみも整えている。そういえば、誰かに言われたことがある。ご老人の朝は早い。

 

 

「あっ、おばあちゃん!」

 

つい口を出てしまった言葉に、しまったと思った。俺からしたら、何度も話したことのあるおばあちゃんだが、向こうからしたら、朝起きたらいきなり家にいる知らない男なのだから。とりあえず、言い直さないと

 

「えっと!三葉のおばあちゃんですよね?ごめんなさい!あの!昨日こちらに来るのが遅れてしまって、挨拶が遅れてしまいました!私、三葉さんとお付き合いさせていただいてます。立花瀧と申します!」

 

とりあえず、挨拶の言葉をまくし立てて、頭を下げる。なんとか、失礼のないようにしなければ…

 

「そんな堅苦しい挨拶はいらんよ、ほら、いいから座りんさい」

 

だが、そんな俺に見向きもせずに、おばあちゃんはテーブルの前に座る。

 

「は、はい」

 

おばあちゃんに促されるままに、テーブルに座ったが、その時に気づいた。俺は、洗面所で顔を洗おうと、寝室から出てきたのだ、だから、必要最低限の衣服しか身に付けていない。つまり、Tシャツに短パンだ。そんな格好で、初対面の、恋人の祖母に会ってしまった。これが面接なら失格待った無しだ。

 

「あ!えっと!俺!ちょっと着替えてきます…」

 

とにかく、この格好はなんとかしなければ、そう思い俺は立ち上がる。

 

「ええと言うとるやに、いいから座りんさい」

 

「え!えっと、ご、ごめんなさい」

 

俺はさっきから動揺してばかりの気がするが、もう、とりあえずおばあちゃんの言うことを聞いておくことにした。

 

俺が座ると、おばあちゃんが俺の目を見る。俺も、気まずいけれど、その目を逸らさないように、しっかりと見返す。やがて、おばあちゃんが口を開く

 

「ふむ…あんた、私とどっかで会ったことあるかね?」

 

「えぇ!!いや!ない!ないと思いますよ!」

 

突然の言葉にまた動揺してしまう。おばあちゃんは、入れ替わってる時ですら俺が三葉ではないことを見抜いてきた。気を抜くと、三葉に入っていたのが俺だとバレてしまいそうだ

 

「そうか、ならええんやけど…まぁ、まず、あんたにはお礼を言わんとね」

 

「お礼、ですか?」

 

「そうやね、四葉から聞いたよ、あんたは三葉の笑顔を取り戻してくれたって、四葉も、あんなに嬉しそうに話しとったからね」

 

「いや、まぁ…それは、俺の力だけじゃなくて…その、色んな人が、三葉の笑顔のために頑張ったからなんです…」

 

なんて言っていいのかわからないけど、それは俺の力だけじゃないんだ。四葉ちゃんもだし、二葉さんだって、力を貸してくれた。でも、うまく伝えられない…

 

「ほう…あんた、なかなかええ男やないか」

 

それを聞いて、おばあちゃんは少し微笑む。そして、先程俺が見ていた写真を見る。

 

「さっき言うたやろ。なんであの写真をあそこに並べてるのか、気になったんやろ?」

 

「それは…」

 

 

俺は少し言い淀む。正直、気になった。あの2つの写真だけだったら、きっと、あんな気持ちにはならなかった。なぜ、あの2つの横に、あれを並べたのだろうか。

 

「あの写真はね、糸守がなくなってしまう前に、最後に撮った家族全員の写真なんや」

 

「そう…なんですか…」

 

「あのバカ息子が出て行ってから、私たち家族は全員が集まることがなくなってしまった。けれども、あの写真の時だけは、全員が写ることができた。撮った当時は、すぐに押入れにしまったもんやけど、今では、あれは大事な写真なんやね」

 

淡々と話すおばあちゃんに、俺は黙って聞き入ることしかできない

 

「あの写真を見ると、糸守を思い出すことができる。失った時間は戻らないけれども。ほんの少しだけ、思いを時に馳せることができる。それが、写真やね。だから、あれもあそこに並べてるんや」

 

「つまり…思い出を、忘れないように?ってことですか?」

 

俺は、思ったことを口にする。おばあちゃんの話は難しい。だけど、言いたいことはなんとなくわかる。

 

「まぁ、そういうことやね。わしら年寄りは、時間が流れるのが早いでね。あぁやって写真を見て、時には思い出に浸る。そんなことも大事なんや」

 

「俺も、その気持ちはわかります。思い出とか、記憶とか、俺にとっては、すごく大事で…それを失うのは、とっても、辛いですよね…」

 

三葉との記憶、それを失った俺は、抜け殻みたいなものだった。いつも何かを探している。そんな気持ちに取りつかれていた。もう2度と、あんな気持ちにはなりたくなかった

 

「なんや、まるで記憶を失くしたことがあるみたいな言い方やな」

 

俺の言葉を聞いたおばあちゃんは、眉を少し寄せて言う。

 

「え!あ、いや、なんていうか…そんな風に、思っただけです。俺も、三葉との思い出がなくなったら、悲しいですから…」

 

「ふむ、だったら、大事にしいんさい」

 

おばあちゃんは頷くと、言葉を続ける

 

「ところで、三葉とはどうやって出会ったんかね?」

 

「あー、まぁ…偶然三葉と目があって、お互いに話しかけて、気が合ったって感じですかね…」

 

「なるほど、一目惚れってやつかね」

 

「そんな、感じです」

 

俺は少し、恥ずかしくなって、はにかみながら答える。三葉との出会いは、詳しいことは言えないけど、それなりに上手く言えたと思う。もし本当のことを言うなら、三葉とは5年前に出会っているけど、そんなこと、言えるわけがない。

 

「その出会いもまた、ムスビ、やね」

 

おばあちゃんはまた頷くと、そう呟く

 

「ムスビ…」

 

俺も同じように呟く。以前、三葉だったときに聞いた言葉だ、人と人との繋がりや、時間の流れ、そういうことを、ムスビと言うらしい

 

「糸守の古い言葉でね、糸を繋げること、人を繋げること、時間が流れること、その全てが、ムスビと言うんやね。だから、あんたと三葉が出会ったのも、ムスビ。そういうことや」

 

その言葉を聞いた俺の口から、無意識のうちに言葉が出てくる。

 

「縒り集まってかたちを作り、捻れて、絡まって、時には戻って、途切れて、また繋がり...」

 

そこまで言ったところで俺ははっとする。

これは、おばあちゃん本人と、それを聞いていた三葉と四葉ちゃん以外は知らないはずの言葉だ。それを知っているってのは、明らかにおかしい

 

「って!前に、三葉から聞いたような…気がして…はは…」

 

動揺からか、思わず乾いた笑いが出てしまう。おばあちゃんは、今度は明らかに眉をひそめて俺を見る。

 

「…あんた、まさか…」

 

「な、なんです?」

 

まずい、バレたか?

流石にそう思う。おばあちゃんは勘が鋭いから、ここまでボロを出したらバレない方が不思議だ

 

そして、おばあちゃんが、俺に何かを言おうとした

 

その瞬間

 

 

 

 

居間の襖が勢いよく開いた

 

 

 

 

「瀧君!!」

 

パジャマを着崩して、寝癖でボサボサの三葉が、俺の胸に飛び込んでくる

 

「ど、どうした三葉!?」

 

「勝手に!勝手にいなくならんといてよ!不安になるやんか!」

 

そう叫ぶ三葉の目は、よく見ると涙目だ。どうやら、起きてまた俺がいないことで、不安にさせてしまったようだ

 

「あ、わるい…」

 

「許さんよ…瀧君のバカ…」

 

三葉は、そう言って俺の胸の中に、顔をうずめる。

 

俺は、気まずそうにおばあちゃんを見る。おばあちゃんは、目を丸くしてその様子を見ていたが、やがて、ため息をついて声を出す。

 

「三葉」

 

「え?」

 

その声で、初めておばあちゃんがここにいることに気づいたのだろう。三葉が素っ頓狂な声を上げる。

 

「いい大人が、みっともない真似しない、さっさと顔を洗ってきんさい」

 

「あ!お、おばあちゃん!いたの?え、今の、見てた?」

 

顔を真っ赤にして、三葉がしどろもどろに言う。その言葉に、おばあちゃんは黙って頷く

 

「うぅ…うぅーーー!」

 

真っ赤になった三葉は、恥ずかしさからか、唸り声を上げると、走って居間から飛び出して行った

 

「み、三葉!?」

 

俺が呼び止めるのも聞かず、三葉はそのまま行ってしまった。おばあちゃんに見られたのが、相当恥ずかしかったようだ。

 

俺は苦笑いをしながらおばあちゃんを見る

 

 

「あの…すいません…なんか」

 

 

「ええんよ、ほっとけば、そのうち勝手に戻ってくるでね」

 

 

 

 

そう言ったおばあちゃんは、ころころと、楽しそうに笑っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、おばあちゃん、いるならいるって言ってよ!」

 

「あんたが急に入ってきたんやろ」

 

あの後、顔を洗って着替えた三葉に倣って、俺も身だしなみを整えた。そして、3人で居間で団欒している。すると、何やら思い出したように三葉が言う

 

「それにしても、この時間になっても四葉が起きないなんて、珍しいね」

 

そういえば、俺が三葉に入っているときも、必ず四葉ちゃんが起こしに来ていた。三葉よりも四葉ちゃんの方が朝は強いはずなのだが、今日は寝坊らしい

 

「あぁ、さっき起こしに行ったんやけど、何やらうなされてたからほっておいたんよ」

 

おばあちゃんの言葉に、大丈夫なのかそれ?と思う。それを、三葉が代弁してくれる

 

「お、おばあちゃん…うなされてたなら起こさないとダメやん…」

 

「まぁ、そのうち起きてくるでね」

 

そう言っておばあちゃんはお茶をすする。どうやら、おばあちゃんはかなりマイペースのようだ。

 

「で、瀧君、とりあえず、今日は瀧君のスーツを買いに行くってことで、ええんよね?」

 

 

「あぁ、それでいいよ、ただ…」

 

俺はそこで言葉を区切ると、居間の隅を見る。そこには、3つの写真が並べられている。

 

 

 

 

 

 

「その前に、俺、会いたい人がいるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前の石は、綺麗に磨かれている。誰かが毎日のように手入れをしているようだ、そして、いつ置かれたのか、綺麗な花がすでに置いてあった。

 

 

 

宮水 二葉

 

 

 

そう、書かれた、お墓の前に俺は立っていた。二葉さんのお墓は、もともと糸守にあったらしいが、三葉のお父さんが、避難するときに遺骨を持ってきたらしい。そのおかげで、こうして二葉さんに会うことができた。俺は、お墓の前でしゃがみこむと、目を瞑る。

 

 

二葉さん…俺、やっと三葉と出会えました。だから、報告にきました

 

 

俺はもう、三葉を離しません。何があろうと、守ってみせます。星が降っても、世界がなくなっても、俺が三葉を見つけて、救ってやるんです。

 

 

だから

 

 

どうか、安心して、眠ってください…

 

 

 

俺が三葉を、幸せにしますから

 

 

 

そして、目を開けると、花を置く、綺麗な、白のカーネーションを。

 

生前、二葉さんが好きだった花らしい。

 

 

その花言葉は

 

 

 

『純粋な愛、私の愛は生きています』

 

 

 

というものだった。

 

何があろうと、たとえ亡くなっても、自分の愛は生きている。二葉さんにぴったりの花言葉だと思った。それは、三葉のお父さんに向けてなのか、三葉や、四葉ちゃんに向けてなのかはわからない。

 

でも、きっと、二葉さんは

 

 

家族全員を、愛していたのだと思う。

 

 

俺は、立ち上がると、また目をつぶって、手を合わせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手を合わせる瀧君を後ろから私は見る。

 

「お姉ちゃん…瀧さんって、お母さんに会ったことないんやよね?なんでお墓参りしたいって言ったんやろ…」

 

隣に立つ四葉が、不思議そうに聞いてくる。うなされていた四葉を起こして、お墓参りをするとここまで連れて来たのだ

 

「…お母さんにも、挨拶したいって、ことじゃないかな」

 

ほんとのところはよくわからない、けど、きっと瀧君は、お母さんに会ったことがあるんだろう。それは夢の中だろうか、記憶の中だろうか、わからないけれど、そうでもでなければ、あの言い方はできない

 

『会いたい人がいる』

 

普通、亡くなった人に対して、この言葉はあまり使わない。けど、瀧君はなんの迷いもなく、その言葉を使った。だからきっと、瀧君とお母さんには、何か繋がりがあったのかもしれない。

 

私は瀧君の横に立つと、お花を置いて、目を瞑る

 

 

お母さん…あの時は、助けてくれてありがとう。お母さんが来てくれて、ほんとに嬉しかったんやからね?

 

あの後、瀧君とは、無事に出会うことができました。

 

これからは、瀧君と一緒に生きていきます。きっと幸せな人生を送れるはずやから、お母さんは、安心して見ててね

 

 

それから、お母さん…組紐、返してくれてありがとう。一生大事にするね

 

 

私は立ち上がると、瀧君と同じように、目を瞑って手を合わせる。

 

 

 

 

 

しばらくそうしていた後、ふいに目を開け、隣を見る。そして、目と目が合って、お互いに微笑んだ。

 

 

その時、ふと、2人の間に、一陣の風が通り過ぎる

 

 

 

その風は、とても優しくて、まるで、2人の頰を撫でるように、通り過ぎて行く

 

 

 

 

 

風が過ぎ去り、また、お互いに微笑む

 

 

 

 

 

きっと、お母さんが、撫でてくれたんだな

 

 

 

 

 

空を見ると、その青空は、やけに透き通って見えた

 

 

 

 

 

きっとお母さんは、見守ってくれている。

 

 

 

 

 

あの、花が咲くような笑顔で

 



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第28話「家族」

俺達は、お墓参りを終えた後、近くの街まで出て行ってスーツを買うことになった。

 

 

だがこのスーツ選び、なかなかに困難を極めたのである

 

 

「ど、どうだ…」

 

「あっ…まぁ、割と…ええんやない、かな?」

 

「…なんで疑問形なんだよ…似合ってないならそう言えよ…あってなんだよあって」

 

「四葉ちゃんはどう思う?」

 

 

 

「…ふっ」

 

「鼻で笑うんじゃねぇ!!!」

 

とにかく、俺が選んだスーツはことごとく三葉と四葉ちゃんにダメ出しをくらった。

 

確かに、自分でも特段スーツが似合ってるとは思わないが、ここまでとは思わなかった。就活のときに、高木と司に散々言われたが、あれはただ俺を揶揄っているだけだと思っていた。

 

まさか本当に似合っていないのか?

 

 

「こ、これは!?」

 

「はは…」

 

三葉の苦笑い

 

「こっ、こっちは!?」

 

「くっ…」

 

「だから笑うんじゃない!!」

 

そうして俺がいいと思うスーツが店からなくなった頃、三葉と四葉ちゃんが、俺に似合ったものを見繕い始めた

 

「お姉ちゃん、こっちのはどうかな?」

 

「ううん、それよりも、こっちの方がええって、瀧君は身長そんなに高くないし、足もそこまで長くないから、縦のストライプが入ってた方が格好良く見えるんよ」

 

「おぉー、さっすがアパレル企業勤めやね。たしかに、よく見るとこっちの方が良さそう。顔もシャキッと見えそうで」

 

2人の話を後ろで聞いていた俺は、さりげなく色々な悪口を言われている気がしたが、聞こえないことにした。

 

結局、俺は三葉と四葉ちゃんが選んだスーツを着て、試着室を出た

 

 

「…どう?」

 

「お、おぉ…瀧さん、見違えたわ…さっきより全然ええよ!」

 

目を見開いて四葉ちゃんが拍手する

 

「瀧君…その、私も、カッコいいと思うよ」

 

今度は、三葉が恥ずかしそうに顔を赤らめながら言う

 

「はは…まぁ、似合ってるんならいいんだけどさ…」

 

なんだろうか、釈然としない。要は、俺はスーツが似合わないのではなく、スーツを選ぶセンスが絶望的だった。そういうことだろう

 

地味にショックだ…

 

俺はふと、先程からこちらを気にかけていた店員の女性がチラチラと見ているのに気づく。最初から店員さんに似合うスーツを聞いとけばよかったかな、なんて思っていると、その店員さんが近づいてくる。

 

「あ、あの…」

 

「はい?」

 

「お客様、とても…お似合いでございます…」

 

店員さんはぽっと頰を赤らめると、俺を上目遣いで見てくる。

 

 

あー…これは…

 

 

横を見ると、三葉と四葉ちゃんが笑っている

 

 

 

 

生まれて初めて、笑顔が恐ろしいと思った。

 

 

 

 

 

…これは、俺が、悪いの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家に帰ると、三葉と四葉ちゃんが夕飯の準備をし始める。お父さんが帰ってくる前に支度を済ませてしまいたいそうだ。

 

かたや、俺は買ったばかりのスーツをぴっちりと着込んで、居間に座っている。緊張からか、至る所から汗が出てくる。

 

「そんなに緊張せんでもええんに…」

 

おばあちゃんはそう言ってくれるが、無理な話だ。彼女のお父さんに会うのに、緊張しない男なんていないだろう

 

「そ、そうは言っても、やっぱり緊張してしまいます…」

 

「そんなんじゃまともに話せんやろ」

 

おばあちゃんはため息をつくと、立ち上がって台所に行く。そして、しばらくすると、湯呑みを持って戻ってきた

 

「ほら、これで一息つきんさい」

 

「あ、ありがとうございます」

 

おばあちゃんからもらった湯呑みには、お茶が入っていて、俺はそれをゆっくりと飲む。温かいお茶が全身の緊張をほぐしてくれるのを感じる。

 

「そんな緊張しとったら、喋れるもんも喋れなくなるわ、少しリラックスしんさい」

 

「すいません…でも、お茶を飲んだら、少し余裕できました。これなら大丈夫そうです」

 

「うむ、それならええ」

 

おばあちゃんはその言葉を聞いて頷く。それと同時に、三葉と四葉ちゃんが居間に戻ってくる。

 

「夕飯の準備、できたよ」

 

「お姉ちゃん、瀧君がおるからめちゃくちゃ張り切ってたね」

 

「う、うるさいわ!」

 

ニヤニヤする四葉ちゃんを三葉が叱りつける、その光景に、俺の心はまた少しだけ癒された

 

「ありがとな、三葉。また三葉の料理食べれるの、楽しみだよ」

 

「う、うん。頑張ったんやから、残さず食べてね」

 

「おう」

 

だが、三葉の手料理という極楽の前に、お父さんという大きな壁が建っているのは変わらない。

 

玄関の方で車が止まる音が聞こえ、四葉ちゃんが迎えに行った。

 

 

そう、お父さんが…俊樹さんが

 

 

帰ってきた…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

「…………」

 

 

チクタクと、壁掛け時計が動く音が異様なほど大きく聞こえる。

 

それほど、この空間は静寂に満ちていた。

 

俊樹さんは俺の対面に座り、じっとこちらを見ている。俺の横には、何故かスーツに身を包んだ三葉がちょこんと座っていて、テーブルの横には、おばあちゃんと四葉ちゃんが座っている。

 

だが、誰も喋らない。

 

ふと、俊樹さんが目の前の湯呑みに手をかけ、一口お茶を啜る。

 

 

「…あの」

 

沈黙に耐えかねて喋りかけようとした俺の声に重ねるように、俊樹さんが湯呑みをテーブルに置く音が響く。

 

それで、その先を喋ろうとしていた俺は急に口が開けなくなってしまう。横を見ると、三葉も冷や汗を垂れ流している。

 

どうすればいい…

 

ここで三葉に先に喋ってもらうのも手だが、それでは、俺は先に挨拶の言葉すら言えない男なのか、なんてことを思われかねない。

 

さぁ、喋るんだ。俊樹さんに思いを伝えるんだ。

 

就活のとき、散々やったろ。自分の事をいかにアピールするか、いかに上手く伝えるか、それが大事だ。だから、俺から…

 

そう、覚悟を決める

 

「…あの」

 

だが、喋り出そうとした俺に合わせるように、俊樹さんは口を開く

 

「君は…立花瀧君、と言ったね」

 

先に言われた。これはマイナス点だ…しかし、ここから挽回していかなければ

 

「は、はい!ご挨拶が遅れてしまって申し訳ありません。三葉さんとお付き合いさせて頂いてます。立花瀧と申します」

 

そう言って、俺は頭を下げる。自己紹介として平々凡々だが、まぁ及第点だろう。

 

顔を上げると、俊樹さんはまた俺の方をじっと見ている。もしかして何か、俺はミスを犯したか?そう思い、また新たな冷や汗が頰をつたる

 

やがて、俊樹さんがまたゆっくりと喋り始める

 

「私は、三葉の父の宮水俊樹だ。立花君…いきなり不躾な質問をするが…」

 

そこで、俊樹さんは言葉を区切る

 

 

 

不躾な質問てなんだ?

 

 

 

だめだ、わからない…

 

 

 

 

「君は…私とどこかで会ったことがあるかね?」

 

「へ?」

 

 

 

 

突然のことに、脳みそがフリーズする。まさか、もうバレたのか?

 

「い、いや!私は!お義父さん!あ、宮水さんと会ったのは初めてです!」

 

ひどい言い間違いをしたが、気にしないことにした。俊樹さんはそれを聞いて、少しだけ悩んだそぶりをすると、またこちらを向く

 

「そうか…ならいいんだ。今日はわざわざこんなところまで来てもらってすまないね」

 

「あ、いいんです!三葉さんのご家族には会ってみたかったので!それに、家に泊まらせてもらった上に、ご飯やら何やら色々としてくださって、本当に感謝しています」

 

俺はまた、頭を下げる。

 

これはなかなか、いいんじゃないか?しっかりと会話になっている。五分前の沈黙の時間に比べれば、雲泥の差だ

 

「お客をもてなすのは当然だから、気にしないでくれ。それよりも、立花君がスーツなのは分かるが、何故三葉、お前もスーツなんだ」

 

「えっ!?あっ…」

 

 

俊樹さんは、急に三葉に焦点を変える。いきなり話を振られた三葉は、何か喋ろうとして失敗し、喉に何かつっかえたような体制になる

 

「…2人してスーツとは、まさか、もう結婚の挨拶をしに来たんでもあるまいに」

 

その言葉は、核心をついている。

 

まさに、俺達は結婚の挨拶をしに来たのだ

 

俊樹さんが帰って来た途端に、三葉は自分の部屋に行くと、スーツに着替えて戻ってきた。普通挨拶される側の家の人間は硬い格好はしないと思うが、緊張してそれどころではなかったのだろう

 

俺達が黙って冷や汗を流していると、俊樹さんは俺達2人を交互に見る。だんだんと眉が寄っていくのが見えた。

 

「まさか…本当に結婚の挨拶に来たのか?」

 

 

「は、はい!三葉さんとは、結婚を前提としたお付き合いをさせて頂いています!」

 

俺は、とにかく、俊樹さんに俺がいかに本気かということを分かってもらうために、語気を強める

 

「…君達は出会ってどれくらいになる」

 

「えっと…」

 

その言葉に、俺は迷う。俺達にとっては、この質問にはいくつも答えが存在する。

 

俺と三葉が実際に知り合ったのは、入れ替わりの時期。その頃を軸にするなら、俺は5年、三葉は8年前からの知り合いってことになる。

 

しかし、記憶をなくした後、再び出会ったときを軸にするならば、まだ1ヶ月経っていないくらいだ。

 

むしろ、記憶を取り戻して、本当の意味で出会ってからを考えると、まだ1日しか一緒にいない。

 

だが、三葉さんとは、昨日会うことができました!なんて、口が裂けても言えない。

 

 

そう俺が思い悩んでいると、隣の三葉がやっと口を開く

 

 

「瀧君とは、まだ1ヶ月くらいしか付き合ってないんやけど…実は、知り合ったのは、もう8年も前のことになるんよ。だから、出会ってからは、8年かな」

 

これは上手い言い方だ。思わず手を叩きそうになるのを堪える。

 

確かに、付き合って1ヶ月で結婚なんて、普通なら許されないが、それが8年来の知り合いだったとなると、そう簡単には決めつけられない。しかも、嘘はついていないのだ。俺達は本当に8年前に会っているのだから

 

 

「8年…というと、お前はまだ高校生じゃないか。いつ、どうやって立花君と知り合ったんだ?立花君は糸守の人間ではないだろう」

 

俊樹さんはやっぱり甘くない。痛いところをついてくる

 

「あー…私が、ちょっとだけ東京に遊びに行ったときに知り合ったの。それは、四葉に聞けば分かると思うけど…」

 

俊樹さんは無言で四葉ちゃんの方を見る。四葉ちゃんは少しため息をついてから、喋り出した

 

「確かに、お姉ちゃんは高校のとき1人で東京に行ってたよ。何でかは分からんけど」

 

その言葉に乗るように、三葉も口を開く

 

「って感じで、私達は知り合ったんよ」

 

俊樹さんはその言葉に頷くと、また眉をひそめて何かを考えている。

 

「なるほど…三葉、お前が東京の大学に進学したいと言った理由は、彼か?」

 

「え?あー…まぁ、言ってしまえば、そう…なんやけど…」

 

三葉が、少しだけ顔を赤くして、歯切れが悪そうに言う。これも、嘘はついてない。三葉は間違いなく、俺のことを探して東京に出てきている。その当時の本人に自覚はないだろうが…

 

「…そうか」

 

俊樹さんは、ただ一言、呟く

 

俺は、俊樹さんの目を見つめる。攻めるなら、今しかない。

 

 

そう思った

 

 

「宮水さん。私は、三葉さんのことを心の底から愛しています。この気持ちは、何があろうと揺らぐことはありません。そしてそれは、三葉も同じだと思います。私は…いや、俺達は、もう、2人で1つなんです。どちらかが欠けていては、生きていけません。それほどまでに、愛してるんです」

 

そこで一旦言葉を区切る。そして、また、強く、俊樹さんの目を見つめる

 

俊樹さんも、俺の目を見て、けして逸らそうとはしなかった

 

 

「俺は、金持ちでもなくて、権力があるわけでもありません。でも、三葉を愛している気持ちだけは、世界で誰にも負けていない自信があります。三葉は、俺の運命の相手なんです。三葉以外には、考えられないんです。だから…」

 

 

俺は三葉を見る

 

 

三葉は、俺の視線に気づくと、赤くなっている顔を上げて、微笑み、頷く

 

 

俺もそれに、頷き返す

 

 

 

そして、言葉の続きを

 

 

 

「俺が、三葉を幸せにします。三葉を…俺にください!!!!」

 

 

俺は、頭を下げる。隣で一緒に、三葉が頭を下げるのがわかった。テーブルの下、俊樹さんからは見えないところで、俺の手に、三葉が手を重ねて、ぎゅっと握りしめられる。

 

 

 

俺達は、俊樹さんの言葉を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…運命の、相手…か」

 

 

「え?」

 

そのつぶやきに、思わず顔を上げてしまう。

 

俊樹さんは、そのまま立ち上がると、ハンガーにかけてあったジャケットを羽織る。

 

「ちょ、ちょっとお父さん!どこ行くん!?」

 

慌てて三葉が呼び止めるも、お父さんは支度をして、居間から出ようとする。俺は、唖然として見ていることしかできなかった。

 

 

思いが…通じなかった…

 

 

そう思った

 

 

しかし、居間の襖を開けたところで、俊樹さんは立ち止まる。

 

 

「私は、これから会議がある。無理をして抜けてきたものでね。すまないが夕飯は一緒にできなそうだ」

 

 

そして、背を向けたまま、顔を少しだけこちらに向ける

 

 

「立花君…三葉のことを、よろしく頼む。今、糸守は復興の途中にある。時が来たら、一度糸守に遊びに来るといい。あそこは…いい町だ」

 

 

 

俊樹さんはそれだけ言うと。立ち去っていった。

 

俺は、俊樹さんの言葉を理解するのに、かなりの時間がかかった。三葉も同じようで、口をぽかんと開けて、俺の方を見ている。

 

そのとき、おばあちゃんが、大きなため息をつく。

 

「はぁ…まったく、わかりにくい男やね…つまり、結婚を認める。三葉のことを頼むって、あのバカはそう言ったんやよ」

 

 

結婚を認める…

 

 

その言葉が、脳みそに染み渡る

 

 

「や、や、やったぞ!!!三葉!!!」

 

「瀧君!!私達!結婚できるんやよ!!!」

 

俺は思わず飛び上がって喜んで、三葉を抱きしめる。三葉も、負けじと俺に抱きついて来る

 

「あー、子供みたいに喜んじゃって…」

 

そんなことを呟く四葉ちゃんも、その顔はとても嬉しそうだった

 

 

 

 

「…瀧君」

 

不意に、幸せで死にそうな俺を、三葉が何か言いたげな目で見てきた

 

「どうした?三葉」

 

そう聞いた俺に向けて、三葉は何やら覚悟を決めたような顔をする

 

「私…やっぱり、お父さんとちゃんと、話して来る!今!」

 

昨日言っていた。三葉とお父さんのわだかまり。それを解きたいのだろう。だったら俺は三葉を応援するまでだ

 

「…そっか、んじゃあ、行ってこい!三葉!」

 

俺は、三葉を離すと、その背中をポンと押した

 

三葉は一度だけ振り返ると、微笑む

 

「ありがとう…瀧君」

 

 

そして、三葉はお父さんのところに走って行った

 

 

「頑張れよ、三葉」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玄関を出ると、待たせていた運転手が車にエンジンをかける。このまま、復興のための会議に向かわなくてはならない。

 

 

車に乗り込む前に、立ち止まる

 

 

そして空を仰ぐ

 

 

 

二葉…これで、よかったのだろう?

 

 

 

私は、間違っていないよな?

 

 

 

夜空には綺麗に星が瞬いていて、その景色は目を奪われるほどのものだ。

 

 

この夜空を、君と2人で見たかった

 

 

そんな、もう何万回思ったかわからないことを、また考えてしまう

 

 

 

「お父さん!!!」

 

 

 

 

突然の呼び声に、振り返る。

 

 

 

 

二葉?

 

 

 

 

一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、そう思ってしまった。走って来る三葉に、二葉が重なってしまった。三葉は本当に、二葉に似ている

 

 

「お父さん!」

 

 

駆け寄ってきた三葉は、私の前で止まる。息を切らして、相当急いで出てきたのだろう

 

 

「どうしたんだ、そんなに急いで」

 

 

三葉は、顔を上げて、俺の目を見る。

 

 

「私!私!ずっと逃げてたんよ!」

 

 

そして、その目に涙を浮かべながら叫ぶ

 

 

「お父さんが、私を信じてくれたから、糸守の人達は助かった!でも、お父さんは私を、四葉を!家族を捨てた!ずっと、そう思って…意地になってた!」

 

 

 

三葉は、そこで一度言葉を区切る、そして…

 

 

 

「ほんとはね、ずっと…ずっと言いたかったの」

 

 

 

 

 

あの、二葉と同じ、花が咲くような笑顔で

 

 

 

 

 

微笑んだ

 

 

 

 

 

「お父さん、ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は…」

 

私は…いや、俺は…なんて馬鹿だったのだろう…

 

 

 

『僕が愛したのは二葉です!宮水神社じゃない!』

 

 

 

その昔、一葉お母さんに言った言葉が、フラッシュバックする。

 

 

 

なんて馬鹿なことを…今の俺は、そう思う。

 

 

 

俺が愛したのは、宮水神社でも、二葉だけでもない…

 

 

 

俺が愛したのは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家族だ…

 

 

 

 

 

 

 

「私は…本当に大馬鹿ものだ、三葉や四葉、それに一葉さんを放って、自分の道を進んでしまった。本当に、すまなかった、三葉」

 

 

私は、頭を下げる。実の娘に向かって

 

 

「お父さん…もういいんよ。もう、許したから、四葉もおばあちゃんも、私も、もう何にも思ってないよ」

 

 

その言葉で私は顔を上げる。三葉は、まだ、あの笑顔のままだった

 

 

「むしろ、私や四葉の学費とか、何にも困らないようにしてくれてありがとう。こんな立派な家を建ててくれありがとう。しかも、私の部屋まで作ってくれてありがとう。って、全部言ってたらキリがないね」

 

 

そう言って、三葉ははにかむ

 

 

「ほんとに、お父さんには感謝してるんやよ。そりゃちょっとムカつくところもあるけど、家族って、そんなもんやろ?」

 

 

「そう…だったな」

 

 

私は、三葉に顔を向けないように、振り返る

 

 

「三葉…幸せにな」

 

 

「うん、ありがとう。お父さんも、復興頑張ってね。次帰って来るときは、瀧君に糸守観光させるんやから!」

 

 

「そうか…期待して待っててくれ」

 

 

私は、その言葉を最後に、車に乗り込む。三葉が外で、フリフリと手を振っている

 

 

「出してくれ」

 

 

若い運転手に向かって、そう告げる

 

 

「町長…ハンカチ、使いますか?」

 

 

「いや、いらん」

 

 

「では、向こうに着いたら、一度顔を洗われた方がよろしいでしょう。その顔で会議は出れませんよ」

 

 

そう言って、運転手は、静かに車を出す

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二葉、私はまた、自分の道を進むことにするよ

 

 

 

 

 

 

 

ただ、今度は、家族も一緒にな

 

 

 

 

 

 

 

走る車の窓を開けると、糸守の綺麗な風が舞い込んでくる

 

 

 

 

 

 

 

その内の1つが、私の頰を優しく撫でる。まるで、二葉の、柔らかい手のように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は微笑んで、また、綺麗な夜空を見上げた

 

 



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第29話「あの日見た景色を」

「…瀧君」

 

夜、俺の手を枕にして添い寝する三葉が、優しく呼びかてくる

 

「ん?」

 

俺はその声に、手放しかけていた意識を目覚めさせて答える

 

「…私ね、今、幸せやよ」

 

微笑んだ三葉の体は、布団にくるまってはいるが、その下はなにも着ていない。結婚を許してもらえた喜びで、今日は中々に盛り上がってしまった。

 

「俺だって、幸せだよ」

 

俺は、そんな三葉の頭を優しく撫でながら答える。俺は本当に、幸せだった。これ以上ないってくらい。今この瞬間が、泣きたくなるくらいに嬉しくて、愛おしかった

 

「私達…こんなに幸せで、いいのかな…」

 

しかし、ふと、三葉の表情が曇る

 

「高校生のときにね、学校で国語の先生が言ってたんよ。人生っていうのは、幸せとか、苦しみとか、困難とか、そういうのがバランスよく訪れるんだって。ほら、人生谷あり山ありってよく言うやろ?」

 

そこで三葉は、言葉を区切って俺を見つめる

 

「だからね、怖いんよ…この幸せの代償に、瀧君がまたいなくなってしまうんやないかって…そんなこと、考えちゃうんよ…」

 

さっきまで幸せそうに微笑んでいた三葉の顔は、今は泣きそうになっている。

 

俺は、そんな三葉のほっぺたをつねる

 

「ひゃっ!な、なにすんの瀧君!」

 

「くくっ、三葉が泣きそうだったからさ」

 

俺はそう言うと、三葉の目を見つめて、言葉を紡ぐ

 

「三葉の言うことが本当なら、俺たちはこれから先ずっと幸せに生きていけると思うな」

 

「な、なんで?」

 

俺の言葉を聞いた三葉は、困惑からか首を少し傾げる

 

「だって考えてみろよ。俺達は、今まで何してきた?頑張って糸守の人達を救ったのに、好きになった人の記憶を消されて、何年も記憶のないままお互いを探し続けて、やっと再会したと思ったら、今度は崖から落ちて死にかけるわ、結構散々じゃないか?」

 

三葉は、目を丸くして俺の話を聞いている

 

「考えてみたら、三葉に出会えた事は、俺の人生で一番最高な出来事だったけどさ、それ以外は、俺達めちゃくちゃ困難とか苦難を味わってるじゃないか。それで、それを乗り越えてきたからこそ、今俺はこうして三葉を抱きしめられてるんだ」

 

俺はそこで言葉を区切ると、微笑みながら三葉の頭を撫でる

 

「だからさ、もし、本当にバランスが取れてるなら、俺達にはこれから幸せな事しか起こらないって、だって…もう一生分の苦難は乗り越えたんだから」

 

そこまで言うと、三葉は、撫でられながら俯いてしまう。やがて、ポタポタと音がして、布団に水滴が落ちる

 

「…ほら、泣くなって」

 

ぎゅっと、三葉を抱きしめる。胸の中で、静かに嗚咽を漏らす三葉が、愛おしくて。

 

「…瀧君…ありがとう…」

 

細く、消え入るような声で、三葉が言う。でも、その声はしっかりと俺の耳に、心に届く。

 

「ばーか、お礼を言いたいのはむしろこっちのほうだよ…」

 

その声に、三葉はゆっくりと顔を上げる。その顔は、涙で濡れていて、目は真っ赤だが、優しく微笑んでいる。

 

「俺を、見つけてくれてありがとうな、三葉」

 

微笑む俺に、三葉も笑い返す

 

「瀧君も、私を見つけてくれてありがとう」

 

そして、2人で、抱きしめ合う。心を君で、満たすために

 

 

 

 

「私ね…今とっても幸せなんよ」

 

 

 

「奇遇だな、俺もだ」

 

 

 

「ふふっ、似た者同士やからね」

 

 

 

「俺は三葉ほど単純じゃないぞ」

 

 

 

「うるさい…私は純粋なんや」

 

 

 

「自分で言ったらおしまいだな」

 

 

 

「…瀧君好き」

 

 

 

「おいおい、会話になってないって…」

 

 

 

「だって…好きなんやもん」

 

 

 

「…まぁ、俺はもっと好きだけどな」

 

 

 

「じゃあ、その10倍好き」

 

 

 

「じゃあその100倍…ってこれ、終わらないやつだよな」

 

 

 

「私には敵わんよ、瀧君」

 

 

 

「あー、なんか尻に轢かれそうだな」

 

 

 

「そうそう、私の方が歳上やからね」

 

 

 

「精神年齢は俺の方が上だけどな」

 

 

 

「そんなことない、瀧君意外と子供やし」

 

 

 

「…そうか?」

 

 

 

「そうそう、思ったことすぐ口に出るとことか」

 

 

 

「…入れ替わってる時の話か?」

 

 

 

「さぁ…自分の胸に聞いてみんさい」

 

 

 

「三葉さんお願い。教えてくれ」

 

 

 

「じゃあ…教えてあげる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと、優しいキスが俺の唇を奪う

 

 

 

微笑んだ三葉は、そのまま俺の胸に顔を埋める

 

 

 

「愛してる…瀧君」

 

 

 

人間って、この上ないくらい幸せになると、涙が出てくるんだ

 

 

 

もう、俺の想いを三葉に伝える言葉は、たった一言で十分だった

 

 

 

「…愛してるよ、三葉」

 

 

 

 

俺達は、その日、抱き合いながら眠った

 

 

 

 

 

 

 

ただその温もりを、離さないように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、また来んさいね。今度は、ひ孫が見れるとええのう」

 

おばあちゃんは笑いながら言うが、俺と三葉は顔が真っ赤になる。

 

「あっ、てことは、私まだ10代なのに、おばさんになるやん…」

 

そんな思いはつゆ知らず、四葉ちゃんは勝手にショックを受けている

 

「ちょ、ちょっと!まだ子供とか!全然考えてないんやから!」

 

三葉が叫ぶが、おばあちゃんはニコニコしているし、四葉ちゃんは眉をひそめる。

 

「何言うてんの…あんだけしてるんやに、絶対すぐできるわ…」

 

「な!っ…はっ!?」

 

四葉ちゃんの言葉に、三葉は声にならない叫びをあげる

 

「まさか…お姉ちゃん聞こえとらんと思っとったの?私隣の部屋なんやから、もうちょっと声抑え…「いやぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」

 

四葉ちゃんの声に被せるように、三葉は叫び出して、車に走る。その顔は、赤を通り越して黒くなりかけている。三葉は、車に勢いよく乗り込むと、後部座席で泣き始めた。

 

「……」

 

俺は、ジトッとした目で四葉ちゃんを見る

 

 

「…あー、その、しょうがないやん…」

 

その目を見て、少し、申し訳なさそうに、四葉ちゃんは目をそらす

 

「はぁー…」

 

俺は久々に大きなため息をつく。たしかに、四葉ちゃんの部屋は隣だったのに、まったく気にしてなかったな…それに、他の人のことは知らないけど、たぶん、三葉は…その…かなり…あー…声が大きいほう…だと思う。

 

結局、泣き出した三葉をなだめるのに30分以上かかった。最初の方は、

 

「もうお嫁に行けん…」

 

「妹に…妹に…ぁぁ」

 

ってずっと嘆いていたが

 

「大丈夫、お前はもう俺の嫁みたいなもんだから、心配すんなって」

 

となだめ続けたら、次第に落ち着いてきた。泣いてはいたが…

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあねー!!おばあちゃん!また来るね!!」

 

「ありがとうございました!また今度お邪魔させていただきます!」

 

「ほらお姉ちゃん!いつまでもいじけてないで、おばあちゃんにさよならしんさいよ…」

 

「うぅ…おばあちゃん、また来るね…」

 

 

おばあちゃんは、窓の外でフリフリと手を振っている。その顔はとても優しい笑顔だった。

 

俺はもう一度会釈すると、そのまま車を出した。

 

 

今日は東京に帰る日なのだが、俺達は復興中の糸守に立ち寄っていくことにした。俺が五年前に見た、あの荒れ果てた糸守が、どれほどまで復興されたのか、気になったからだ。

 

ただ、五年前まで立ち入り禁止になっていたので、行っても大丈夫なのか悩んでいたところ、昨日三葉がお父さんに確認を取ってくれたのだ。結果、来ても大丈夫と言うことで、このまま車で向かうことになっている。

 

 

 

「……」

 

「………」

 

「…………」

 

 

車の中は、何故か無言だった。おそらく三葉が拗ねているからだろうか、四葉ちゃんも気まずそうにしている。きっと今回の旅行で三葉にとって車に思い出はないだろうな…そんなことを思いながら、のどかな岐阜の道をひた走る。

 

あの日見た、糸守を目指して

 

 

 

 

 

 

 

 

大通りから外れ、山道を抜けると、一際大きな建物がその姿を現わす

 

糸守高校、俺が三葉に入っていたときに通った、ある意味馴染みのある高校だ。糸守から人がいなくなったことで廃校になってしまったが、今では糸守復興のための本部として使われているそうだ

 

高校の敷地内に入ると、多くの人々が動き回っている。そして、待っていたのか、その中から俊樹さんが俺達の車の方に歩いてくる

 

「あ、お父さんや!」

 

車の中から手を振る四葉ちゃんに軽く手を挙げた俊樹さんは、運転席の俺に話しかける

 

「なんだ、遅かったじゃないか。三葉が寝坊でもしたのか?」

 

俊樹さんは、後部座席で、いつの間に寝ている三葉を見ながら言う。おそらく、泣き疲れたのだろう。

 

「あー…はは…まぁ、そんなところですかね…」

 

乾いた笑いしか出ないが、俺は俊樹さんをごまかすためにその場を取り繕う

 

「まぁ、あの子は小さい頃から朝が弱い。仕方ないだろう。車は向こうに止めてくれ」

 

「はい、わかりました」

 

その指示に従って、俺は校庭の一角に作られている、簡易的な駐車場に車を止める。止まっている車は、そのほとんどが作業車だった。ミニバンやハイエース。クレーン車にトラックなど、様々な車が止まっているが、俺は、その車の多くに、とある文字が書いてあるのが目に入った

 

 

勅使河原建設

 

 

「テッシー…」

 

俺の口から、ふと、ある人の名前が出る。

 

話したのは、三葉としてだけだったが、あいつはとても良いやつだ。もし、機会があるならもう一度、今度は俺として会ってみたいな

 

そんなことを思いながら、俺は車のエンジンを止め、後ろを振り返った。四葉ちゃんと目が合ったが、彼女は眠ってる三葉を見て、肩をすくめた。

 

「ほら、三葉、もう着いたぞ」

 

そう言って三葉の肩を軽く揺すると、三葉はゆっくりとまぶたを開ける。その顔は未だに眠そうだ。

 

「瀧君?私、寝ちゃったん?」

 

「あぁ、ぐっすりな」

 

「ほんと、気づいたら寝とったよお姉ちゃん」

 

俺に続いて四葉ちゃんも答える

 

「それより、着いたからさっさとお父さんのところに行くぞ」

 

その言葉で、三葉はあたりを見回した

 

「あ…ほんとや、ごめんね…」

 

そう言って、自分の鞄を持つと車の扉を開ける。俺もそれを見てから外に出た。

 

外は、これ以上ないってくらいの快晴で、雲もなく、風がとても気持ちよかった。大きく深呼吸すると、心地よい空気が肺を満たすような気がした。

 

 

どこか懐かしい、糸守の空気だ

 

 

「瀧さん、何しとるん?」

 

「ん?ちょっと深呼吸だよ。ここは空気がいいな」

 

「んー、確かに、東京に比べるといい感じかな?」

 

首を傾げながら、四葉ちゃんは言う。その仕草に、俺は不覚にもちょっとドキッとしてしまった。

 

「むぅー…」

 

俺はハッとして後ろを振り返ると、三葉がジト目でこちらを見ている

 

「な、なんだよ…」

 

「…別に」

 

そして、フンっとそっぽを向く。

 

いつも思うんだが、どうしてこう、女って生き物は鋭いのだろうか。いい意味でも、悪い意味でも…

 

 

校庭を歩いて、事務所らしきテントに向かう。歩く途中に周りを見たが、ここには、糸守町役場の職員だった人達や、ボランティア、建設関係の人達などが、忙しなく動き回っている。

 

事務所らしきテントの下では、パソコンなら何やらが設置されていて、どうやら臨時の本部になっているようだ。

 

俺は、その中にいる俊樹さんに話しかける。

 

「宮水さん、今日はお忙しいのに、本当にすいません…」

 

「いや、いいんだ。君が糸守に興味を持ってくれて嬉しいよ。だが、基本的にこの校庭より下はまだ立ち入り禁止なんだ。もう8年も経っていると言うのに、まだ政府の許可が降りん。そもそも、復興のためにこうして動き始めることができたのですら、去年のことだ」

 

「去年…そんなに、どうしてそんなに遅れてしまったんですか?」

 

俺は素直に、気になって尋ねる。俺がここに来たのは五年前だから、隕石が落ちてから少なくとも3年間は復興が始まっていなかったということになるが、そのすぐ後にでも復興に着手して、今はかなり進んでいるものだと思っていたのだ

 

「政府の連中だ。隕石の調査、町を再建するために地盤に影響が出ていないか、その他様々な諸事情、によって、私達は復興を始めることができなかった」

 

俊樹さんはそこでため息をつくと、話を続ける

 

「まぁ、復興と言っても、実際にそのための金を出すのは国だ。だから、ここまで復興を始めるのを渋ったのだ。しかも、ここは人口の少ない田舎町、ほとんど森と山だ。その上、この町で被害に遭った人は幸いなことに誰もいない。だから政府は、町の住人を移住させるための費用さえ出せばいいと、タカをくくっていたのだろう」

 

「それは…」

 

その話を聞いて、俺は言葉に詰まる。何といえばいいかわからない。確かに、復興には莫大なお金がかかるというのは分かるが、今でも糸守に戻りたいと思っている人はたくさんいるはずなのに…

 

「俺…知りませんでした…」

 

「…まぁ、地震や台風の多いこの国ではよくある話だよ。君にこんな愚痴のようなことを言ってもしょうがなかったね。この校庭と、学校から少し降りたところ以外は工事中で立ち入り禁止だから、入らないようにしてくれ。では、私はそろそろ仕事でここを離れる。三葉も四葉も、気をつけて帰りなさい」

 

「…うん、お父さんも気をつけてね」

 

「じゃあね、お父さん」

 

三葉と四葉ちゃんに軽く頷くと、俊樹さんは部下を引き連れてテントから出て行った。

 

 

「…糸守、大変なんだな…」

 

俊樹さんの話を聞いて、町を一つ復興するのがどれだけ大変か、ほんの少しだけどわかった気がする。

 

「うん…私も、あの後すぐ東京に出て来たから、こんな話聞いたのは初めてやったよ」

 

三葉も、俺と同じ気持ちなのだろう。どこか、その表情は暗い

 

「私は…お父さんが色んな町とか他の県に行ったりして、復興の支援をお願いしてたのは知っとったけど…思った以上に大変なんやね…」

 

「でも…きっとこの町はすぐに復興できるさ。これだけの人達が力を合わせてるんだから」

 

俺は、今も忙しなく動き回っている人達を見ながら言う。

 

「なぁ、ちょっと糸守を見に行ってもいいか?」

 

だから、見ておきたいんだ、もう一度、この町の姿を

 

「あ、私も行くよ。四葉もおいで」

 

 

俺達はテントを出ると、五年前に、俺が糸守を見下ろした校庭の端に向かった。

 

 

 

 

あの日見た景色を、もう一度見るために

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私…糸守に住んでたのに、この景色をちゃんと見るの初めてかも…」

 

眼下に広がる糸守を見下ろしながら、三葉は呟く。

 

五年前に来たときとなんら変わらない。糸守の姿がそこにはあった。彗星の落下によって2つに増えた糸守湖と、その衝撃と爆風によってなぎ倒された家々が、今も広がっている。ただ前と違うのは。ところどころの道に、瓦礫の撤去のためか、ダンプカーやクレーン車が走っていることだ。

 

 

「そうなのか?避難してたときはしばらくここに居たんじゃないのか?」

 

「そうなんやけど、避難したお年寄りの世話とか、若い人達は色々なことを手伝わされて、じっくりこの光景を見る暇なんてなかったんよ…」

 

まだ、糸守から目をそらさずに三葉は言う。その目には、ただ、悲しみがこもっている

 

「私ね、ここに住んでたときは、こんな町嫌やとか、早く都会に出たいとか、そんなことばっかり考えとった。けど、こうやって見ると、やっぱり思うんよ…」

 

そこで、三葉は初めて俺の方を見る

 

 

「やっぱりここが、私の故郷なんだって…」

 

 

そう言って、三葉は悲しそうに笑う

 

 

「お姉ちゃん…」

 

 

そう呟く四葉ちゃんも、その目には悲しみがこもっているように見えた

 

俺は三葉を優しく抱き寄せる

 

 

「三葉…この町が、復興することができたら、たくさん遊びに来よう。もし、三葉が望むなら、こっちに引っ越したっていい」

 

「そんな、ええって…仕事とかもあるし…」

 

「仕事なんて、こっちで見つければいいさ。仕事はたくさんあるけれど、故郷は一個しかないだろ?それに、お父さんにも言っちゃったしな、お前を幸せにするって。俺にとっては、お前が俺の一番で、全てなんだよ。だから、三葉が望むことなら、なんでも叶えてやりたいんだ」

 

そう言って、微笑みかける。三葉の目には、いつのまにか涙が溜まっている。そんな三葉を撫でながら、糸守の方を見る

 

「だから、今この景色を、目に焼き付けておこう。そして、いつかまた、ここから見下ろすんだ。あの、綺麗な糸守を…」

 

 

三葉も、俺に合わせて、糸守に向き直る

 

 

「うん…いつか…また見たい…私達の糸守を…」

 

 

頰をつたる涙は、太陽の光を反射して、キラキラと輝いている。そんな三葉を見て、俺はまた微笑んだ

 

 

「それじゃ、帰ろうか、東京に」

 

「うん!」

 

 

頷く三葉を見て、その手を引く、そして振り返る。

 

が、

 

 

「よ、四葉!?」

 

三葉の叫び声で、俺は立ち止まる。振り返ると、三葉が驚きの表情で四葉ちゃんを見ている。

 

「ど、どうした?」

 

俺も四葉ちゃんに近づいて、その顔を覗き込む。

 

すると、三葉が叫んだ理由がわかった。

 

 

四葉ちゃんは、それはもう

 

 

号泣していたのだ

 

 

「もぅ…お姉ちゃんも…瀧さんも…感動させんといてよぉ…うぅ」

 

 

泣きじゃくる四葉ちゃんを見て、俺達は顔を見合す。そして、笑い合う。

 

「よしよし、四葉…お姉ちゃんと一緒に帰ろうね」

 

「意外と子供なんだな、四葉ちゃんも」

 

俺達は、四葉ちゃんを優しく抱き寄せながら、慰める

 

そんな俺達に、糸守の太陽が優しく光を照らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わ、忘れて!!」

 

「無理やなぁ」

 

「俺もむり」

 

顔を真っ赤にして唸る四葉ちゃんの前を、ニヤニヤしながら俺と三葉で歩く。

 

「くっ、このバカップルめ…」

 

「四葉、それは褒め言葉にしかならんよ」

 

「あ、でももうすぐ夫婦だな」

 

「じゃあバカ夫婦で」

 

「それじゃただ頭が悪そうな夫婦になっちゃうじゃんか…」

 

そんなくだらないことを話しながら、俺達は車に戻る。これから、東京に戻らなければならない。明日から、また仕事が待っている。それに、仕事の他にも、色々とやらなきゃいけないことがある…

 

俺達が車の近くまでくると、その横に止まっている車の前で、2人の男女が話している。1人は高身長の男で、少し伸びた坊主に無精髭を生やしている。もう1人は、髪をショートカットに切り揃えた女性だ。

 

その姿を見て、俺と三葉は同時に叫ぶ

 

「「テッシー!!サヤちん!!」」

 

その声で、2人がこちらに振り向く

 

「あ、やべっ」

 

思わず叫んでしまったが、俺は、俺として2人に会うのは初めてだった。だから、バレたらまずい…三葉の叫びと被っていたのが幸いだった。

 

三葉がバカという顔をしながらこちらを睨んでいる。

 

しょうがないだろ…

 

「三葉?三葉!三葉やないか!!」

 

「ほんとだ!!三葉や!こんなところで何してるん!?」

 

2人はこちらに走ってくると、三葉を取り囲む

 

「ゴールデンウィークやから、たまには帰省しようと思って、あと…家族に紹介したい人もおったから…」

 

三葉はそう言ってこちらを見る。それに合わせて、2人もこちらを向く。

 

「あっ…もしかして、この前三葉がLINEで言ってた彼氏って…この人?」

 

そう言うサヤちんに、三葉は恥ずかしそうに頷く

 

「はぁー、ほんまに、あの三葉に彼氏ができたんやな…っと、紹介が遅れてたわ、俺は勅使河原克彦、三葉とは昔からの馴染みなんや。俺たちも、帰省でこっちに戻ってきとる」

 

テッシーがニッと笑い、俺に簡単な自己紹介をする。

 

「私は名取早耶香、克彦と同じで、三葉とは幼馴染やよ」

 

サヤちんもテッシーにならって自己紹介をする。2人とも、俺はすでに知ってるんだけどな…

 

とにかく、向こうは俺のことを知っているはずもないので、改めて自己紹介をする

 

「俺は立花瀧です。東京で三葉と知り合って、今は付き合っています。よろしくお願いします」

 

なんだか、違和感しかないが、かしこまって挨拶をする。

 

下げた頭をあげると、テッシーが渋い顔でこちらを観ている。

 

「…立花君、でええか?あんた、ちょっとタメ口で話してくれんか?」

 

「え?あ、一応俺三葉より3歳年下なんで…」

 

「かまへんって、いいからちょっと話してくれんか?」

 

「わ、わかり…わかったよ、これでいいか?」

 

どうしてもと言うので、俺は笑いながらそう言ってみせた。すると、テッシーは目を丸くして、今度は何かを考え始めた。そして、今度はさやちんの方を向く

 

「早耶香…わかるか?この感じ」

 

「うん…言いたいことはわかるよ」

 

「ちょっと…2人ともなに言っとんの?」

 

そうつっこむ三葉を無視して、2人は俺にぐいと顔を近づけると、同時に言葉を発した

 

「「どっかで、会ったことある?」」

 

俺の頭は一瞬思考停止する。俊樹さんにもすぐに疑われたし、テッシーとサヤちんにもか…

 

「い、いや、ないよ、ない。初めましてだよ…」

 

俺は焦って、言葉が変になっているが、とにかくこの場を取り繕わなければ…

 

「っかしーな、絶対どっかで会ったことあると思ったんやけどなぁ…」

 

テッシーはなおも首をひねりながら言う

 

「私も、最初に声聞いたときから思っとったわ」

 

助けを求めるために三葉の方を向くと、彼女は苦笑いしながらこちらを見ている。なんとかしてくれ…

 

「ま、まぁいいじゃんか!とりあえず、2人の話は三葉からよく聞いてたから、今日は会えてよかったよ」

 

なんだかんだ言って、俺も敬語で話すよりはこっちの方がしっくりくる

 

「んー、まぁそうやな、俺も、三葉の彼氏ってのがどんな奴か気になっとったし、俺も会えてよかったわ」

 

テッシーはそう言って微笑む。こいつは、ほんといい奴なんだ

 

「私も!ずっと気になってたんよ!三葉、イケメン彼氏見つけられてよかったね」

 

いたずらっぽく微笑むサヤちんに、三葉もいたずらっぽい笑みを返す

 

「ふふん、自慢の彼氏やよ」

 

「イケメンやなくて悪かったな…」

 

何故か勝手に落ち込んでるテッシーは、サヤちんを睨む

 

「あー、私には克彦が一番やって」

 

「ほんとに思っとるんかいそれ!!」

 

そんなことを言い合う2人を見て、三葉は優しく微笑んでいる。旧友に会えて、三葉もかなり嬉しいのだろう。

 

「あっ、そうや!そんなことより、俺達な、実は結婚するんや。んで、今年中には式をやろうと思っとる。もちろん三葉には出席してもらうけど、瀧がええなら、お前も出席してくれんか?」

 

「え、いいのか?」

 

「当たり前や!もう友達やろ?」

 

テッシーは、親指を立ててニッと笑う

 

俺も、それに返すように、親指を立てる。何回も言うけど、こいつは本当、いい奴だな…

 

「早耶香もええやろ?」

 

「もちろん、私も、立花君には是非来て欲しいよ!」

 

サヤちんも、笑顔でそう言う。

 

「…だったら、私達の結婚式にも、2人は呼ばんとね」

 

ふと、三葉がそんなことを呟く。その発言に、2人は目を丸くする

 

「な、なんや!もう結婚するのか!?」

 

「嘘やろ!?彼氏ができたって言ってからまだ1ヶ月経っとらんやん!」

 

2人は今度は三葉に詰め寄る。俺は苦笑することしかできない。三葉が助けてと目線を送ってくるが、目を逸らす。さっきのお返しだ、三葉

 

「ま、まぁ色々あって結婚することになったんよ…ただ、私達は本当に大丈夫やよ」

 

「色々…まさか、三葉、あんたできたの?」

 

「できた?」

 

できたという言葉に、三葉は一瞬考えるように首を傾げたが、すぐに意味を理解したのか、今度は顔を真っ赤にして叫ぶ

 

「ちゃ、ちゃうわ!!あほ!」

 

「な、なんだ…俺もてっきり…」

 

「テッシーもサヤちんもばかや!」

 

そんな光景を見ながら、俺は黙って苦笑いをしていた。

 

 

 

そのとき、ふと、俺の視界の隅に、誰かがいた。振り向くと、四葉ちゃんと目が合う。

 

 

「あっ…」

 

 

四葉ちゃんのこと、すっかり忘れてた…

 

テッシーとサヤちんもそんな四葉を見て冷や汗を垂らす

 

「あ…四葉ちゃん…ひ、久しぶりやな?」

 

「忘れてたわけでは、ないんよ?」

 

 

四葉ちゃんの頰を、ぷくぅーーっと、膨れ上がっていった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご、ごめんって!四葉!」

 

「ふんっ、どうせ私はお邪魔ですよ」

 

必死に言い訳をしながら四葉ちゃんを追いかける三葉を見ながら、俺はまた苦笑していた。

 

「それじゃ、俺はこの辺で」

 

「おう、またな、瀧」

 

「ばいばい立花君!」

 

俺は、手を振る2人に返すように、振り返りながら手をあげる

 

 

 

 

 

「またな!!テッシー!サヤちん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ」

 

走っていく瀧の姿を見て、俺の脳裏に、とある昔の日の記憶が蘇る

 

制服を着た三葉が、振り返りながら、手をあげて、自分の家の方に走っていく

 

『まったねー!!テッシー!サヤちん!』

 

 

 

俺は、早耶香の方を向いて、驚きを隠せないまま言った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…思い出したわ…狐憑きや…」

 

 

そんな言葉が消えていった空には、ただ、太陽が照りつけるばかりだった

 




更新が遅れてしまい申し訳無いです


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第30話「素晴らしい未来を夢に見て」

ガタガタと揺れる窓に、長閑な田舎の景色が過ぎ去っていく。帰りの新幹線の中、俺と、対面に座る三葉は、ただ、窓の外を眺めていた。

 

「四葉、ぐっすり寝とるね」

 

ふと、三葉が四葉ちゃんに向き直る

 

「あぁ、なんだかんだ疲れが溜まってたんだろ」

 

四葉ちゃんは、新幹線に乗ってしばらくしてから、ぐっすりと、眠りに落ちてしまっていた

 

しばらく、お互いに見つめ合う。その愛する人の目を

 

そして、三葉は優しく微笑んだ後、俺の手を握る

 

 

「私、瀧君と会えてよかった…」

 

「…なんだよ、いきなり」

 

俺は、その手を握り返しながら言う

 

「いきなり言っちゃいかんの?」

 

「いや…そんなことはないけど…」

 

恥ずかしくなって、頭の後ろをかく。

 

「でも、会えてって、いつのことだ?ほら、入れ替わりの時のことか、再会したときのことか?それとも記憶を取り戻してからのこと?俺たちには、たくさん出会いがあるだろ?」

 

その言葉に、三葉は静かに首を振る。

 

「ううん、どれか一つとかじゃないんよ。全部…瀧君と出会えた、その全てに、感謝しとるんよ」

 

「なぁ…ほんとに照れるんだが…」

 

嬉しくて、少し俯く、そんなことは、俺だって思っている。だから、俺も三葉に思いを伝えようとしたとき、三葉は、対面に座っていた席から、俺の隣に移動する。そして、コトンと、その頭を俺の肩に預ける。

 

「ねぇ瀧君…」

 

「ん?」

 

「好きで好きでしょうがない時って、どうしたらええんやろ」

 

「んー、抱きつくとか」

 

「足りんの」

 

「じゃあ、キスする」

 

「まだ足りんの…」

 

そこで、三葉は、今度は俺の目をジッと見つめる。

 

「抱きしめても、キスしても、いくら体を重ねても、好きな気持ちが溢れ出てきて、変になりそうなんよ…瀧君…なんだか、私、どうしちゃったんやろ…」

 

三葉の目は、まるで人の庭に迷い込んだ子猫のように、不安な表現だった

 

「三葉…俺だって、同じ気持ちだよ。三葉を想うと、その全てを手に入れたくなる。好きで好きで、堪らなくなる…」

 

「瀧君…」

 

三葉の柔らかい唇に、優しく口付ける。薪を与えられた焚き火が燃え上がるように、俺達はお互いを求めあった。

 

電車の中だと言うのを忘れて、ひたすらに、愛の口付けを…

 

やがて、どちらかとなく離れる。その表情は、お互いに優しく微笑んでいた

 

「少し、落ち着いたかも…私、瀧君が好きすぎて変になってた…」

 

「俺も、ちょっと変だったかも」

 

そして、そんな自分達がおかしくて、2人で笑う

 

「ふふふっ、好きすぎ病だね。あ、瀧君の場合、三葉病か…」

 

「うわ…自意識過剰だな。それじゃあ三葉は、瀧君病だろ」

 

「先生…瀧君病はどうやったら治りますか?」

 

「うーむ。これは、間違いなく不治の病ですな」

 

「そ、そんな、困ります!私、胸の動機が治らないんです!」

 

「それでは、簡単な治療で病を和らげましょう」

 

そしてまた、三葉の唇を奪う。少し強引に

 

「あっ…ん…」

 

三葉は、嬌声を上げるが、その顔は微笑んでいる

 

唇を離すと、三葉が頰を膨らませてこちらを見ている

 

「先生…セクハラです…」

 

「くくっ、残念だが治療法はこれしかないんだな」

 

「くっ、こんなことになるなんて…」

 

そこで、耐えきれずに2人して吹き出す。

 

「あははっ、もう私達、何やってんやろうね」

 

「くくっ、ほんと、ふざけすぎだわ」

 

「でも、ちょっと楽しかったかも」

 

「俺も、子供のときに戻った気分だよ」

 

そこで、いきなり三葉は俺の胸に顔を埋める。

 

「ほんとに、今日は甘えん坊だな」

 

「むり…好き」

 

「はいはい」

 

言いながら、その頭を撫でる。ただひたすらに、可愛くて、愛おしくて、どうしようかと思う。三葉の可愛さについてだけで、論文が書けそうだ。

 

「なぁ三葉」

 

俺は、頭を撫でながら言う

 

「なに?」

 

 

 

「東京に戻ったら、籍を入れようぜ」

 

 

 

 

何気なく言ったその声で、三葉はガバッと起き上がる。

 

「えっ!!えっ!、え、も、もう、ええの?」

 

その顔は、嬉しいのか、困惑なのか、しかめっ面なのか、よくわからない表情だった。それがおかしくて、俺は思わず笑ってしまう

 

「ちょ!笑ってる場合やないわ!ほんとに、ええの?でも、まだ瀧君のお父さんに挨拶にも行っとらんし、荷物も纏めとらんし…四葉もおるし」

 

早口でまくしたてる三葉は、今度はうんうんと頭を抱えて唸りだした

 

「いや、別に帰ったらすぐとは言ってないぞ。ただ、帰ったら色々準備を始めて、それが整い次第、籍を入れようってことだよ」

 

その言葉で、混乱していた三葉は、ようやく落ち着きを取り戻し始める

 

「そ、そうだよね…でも、色々大変やね」

 

「まぁ、結婚するんだしな」

 

「2人の家も見つけんとね」

 

「そうだな、三葉はどんな家がいい?」

 

「んー、どっちにしろアパートかマンションを借りることになると思うから、駅から近くて、築年数が比較的新しくて、1LDKがいい!」

 

「お、意外と注文が多いんだな」

 

「あ、あとね!カウンターキッチン!ずっと夢だったんよ!それに、バスとトイレは別で、エアコンがついてて、それから、プロパンガスはダメやね、もうほんと、アホみたいに高いんやから!」

 

目をキラキラと輝かせて、三葉は、2人の家について語る。そんな様子が愛らしくて、俺はニヤニヤしながら見ていた

 

「む、なにニヤニヤしとるんよ、瀧君も真剣に考えてよ、2人の生活がかかってるんやから」

 

「あー、はいはい。でも、都心でそんな家探したら、家賃がとんでもないことになるぞ」

 

俺は苦笑しながら言う。

 

「あっそうだよね…んー、でも、別に都心じゃなくても、ちょっと外れたところでも全然ええよ」

 

「それなら、大丈夫かもな。まぁちょっと通勤は長くなるけど、俺もずっと都心住みだったから、ちょっと別のところに行きたい気持ちはあるな」

 

「じゃあ、そうしようよ!それに、いずれは、2人で家を建てたいな。それで、子供達と一緒に暮らすんよ…」

 

目をつぶりながら、天を仰ぐ三葉は、おそらく将来の生活を想像しているのだろう。その顔はフニャッとしてにやけている

 

「子供かぁ、三葉は何人欲しい?」

 

「え!?えっと、えっとぉ…ふ、2人?、いやでも…3人でもええかも…」

 

三葉は顔を赤くして、小声になりながら言う

 

「くくっ、ほんと、三葉のことが好きすぎて、気をつけないと、子沢山家族になりそうだな」

 

「あ!そうやよ!ほんと!この前だって、つけてないのにいきなり…」

 

そこまで言って、赤くなっていた三葉の顔がさらに真っ赤になる。もしこれがアニメの世界なら、確実に湯気が出ていただろう

 

「こ、この変態!」

 

「な、なんだよいきなり」

 

いきなりの罵倒、完全に八つ当たりだ

 

「ほんっとにこの男は、すぐそういう話に持っていこうとするんやから」

 

三葉はフンっとそっぽを向く。

 

「ごめんごめん、三葉さん。俺が悪かったですよ」

 

子供をなだめるように、その頭を撫でる。三葉はムッとした表情でこちらを睨んでくるが、手を払いのけないあたり、心では嬉しがっているのだ

 

「ゆ、許さないんやから…」

 

「別にいいよ、でも、撫でられるの嬉しいんだろ?」

 

俺はニヤッと笑い三葉に言う

 

「うっ、嬉しくなんてない!」

 

「ほんとは?」

 

 

「嬉しくない」

 

 

「ほんとに?」

 

 

「…嬉しい」

 

そこで、たまらずに三葉を抱きしめる。どうしてこんなにも、愛らしいのだろうか。どうやら俺は、三葉病にかかってしまったようだ。

 

「三葉先生、どうやら俺は、三葉病にかかってしまったようです。どうやったら治りますか?」

 

俺は心底困った表情で言う。そして、三葉は、まるで医者が患者に残酷な結果を伝えるときのような神妙な顔で返す

 

「残念ですが…この病とは、一生付き合い続けなければならないでしょう」

 

「そ、そんな!俺は四六時中三葉先生を抱きしめたくなるんです!これじゃ生活できません!」

 

「うーん。では、私が治療法を教えて差し上げま…」

 

突然、三葉が言葉を止める。さっきまで楽しそうに茶番をしていたのに、その顔は、今は真っ青だ。そして、向いている方向は俺の方ではない。

 

三葉が向いてる方に俺も顔を向ける

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

四葉ちゃんと、目があった

 

 

 

 

「あの…」

 

 

 

 

申し訳なさそうに、四葉ちゃんは、口を開く

 

 

 

「ごめんなさい…私…また、眠りますので…どうぞ…続けてください…私は…私は…」

 

 

 

そう言って四葉ちゃんは席を立つと、フラフラとどこかへ行ってしまう。

 

 

数秒遅れて、三葉が必死の形相で立ち上がった

 

 

「ち、違うんよ!!違うんよ!!!四葉!!戻ってきて!!!お姉ちゃんのところに戻ってきてぇぇ!!」

 

 

三葉が走り去って、そこには、唖然とした表情の俺だけが取り残された。

 

 

 

 

 

しばらくして、俺は一つ、大きなため息をつくと、また窓の外を眺める

 

 

 

 

 

先程まで田舎を写していたその景色には、今やところどころ大きな建物を写している。

 

 

そんな景色を見ながら、俺は呟く

 

 

「なんか、楽しいなぁ…」

 

 

 

 

 

そんな呟きは、ただ、窓の外を流れていく景色と一緒に、遠くへと過ぎ去っていった

 



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番外編 第2話「君の名を」

久しぶりの番外編です


 

「ただいま、父さん」

 

糸守への旅行が終わり、東京に戻って三葉を家まで送った俺は、夜10時ごろに家の玄関を開けた。父さんはまだ起きていて、リビングでテレビを見ている。

 

「あぁ、おかえり。どうだ、旅行は楽しかったか?」

 

父さんは軽く手をあげると、そう聞いてきた。俺は父さんの対前に座って答える

 

「楽しかったよ、ほんと。なんていうか、旅行なんて久々だったからさ」

 

「そうか、そりゃよかった。三葉さんは元気か?」

 

「あぁ、相変わらずだよ」

 

「そりゃよかった」

 

 

 

 

俺は、視線をテレビに移す。テレビでは、今流行りのお笑い芸人が、持ちネタを披露している真っ最中だった。

 

俺は、テレビを見ながら言葉を発した

 

 

 

「…父さん、俺、結婚するよ」

 

今度は、父さんの方を向く。父さんは、少し目を見開いた後、微笑んで、一言

 

「…そうか」

 

そして、飲んでいたお茶を一口啜る

 

「…なんか言わないのかよ」

 

「何をだ?悪いが、三葉さんが相手なら、俺は何も文句はないよ」

 

「…そんなもんなのか?」

 

俺は、眉をひそめて父さんに聞く

 

「そんなもんさ。親が子供の決めたことに一々口出しするのは、俺はどうかと思うね。それに、お前は今まで、俺が口出ししなくても上手くやってきだろう?だから、今回も心配はしてない」

 

そこで父さんは、さっきよりも笑顔になる

 

「おめでとう、瀧」

 

そんな父さんに、俺も笑顔になる

 

「…ばーか、それは結婚してから言えよ」

 

「くくっ、もう結婚したも同じだろう?で、どうだった?相手の親へ挨拶はしたんだろう?」

 

「あー、まぁ、最初は気まずかったけど、三葉のお父さんもいい人だったよ」

 

「そうか…殴られはしなかったんだな…」

 

「なんで残念そうなんだよ!」

 

俺がつっこむと、父さんは楽しそうに笑う。父さんがこんなに楽しそうに笑うのは、久しぶりに見た

 

「じゃあ、俺とお前で、こうやってこのテーブルに座ることも、もうあまりないのか…」

 

「なんだ、柄にもなく寂しいのかよ」

 

「いや、まったく」

 

「っとにこの親父は…」

 

笑う父さんにつられて、俺も笑ってしまう。和やかな雰囲気が部屋を包む

 

 

 

「…なぁ瀧」

 

しかし、ふいに、父さんが真面目な顔に戻る。そして、言葉を続ける

 

「結婚というのはな、それから先の人生、一生お互いに支え合って行かないといけない。共に支え合い、共に生きる。それが結婚だ。だからまず、何があっても、三葉さんのことを信じろ。そして、お前が三葉さんを守れ。そうすれば、三葉さんもお前を信じてくれる。俺から言えるのは、こんなことだけだ。だが、できれば忘れないでほしい」

 

父さんは、まっすぐ俺の目を見つめる。俺は驚いた。父さんがこんな、アドバイスみたいなことを言ってくるのは、恐らく初めてだった。今まで父さんは、受験勉強のときも、就活のときも、お前なら何とかなる。そう言って、特に具体的な言葉を言ってくれたことはなかった。

 

だから、嬉しかった

 

 

「…ありがとな、父さん。俺、忘れないよ」

 

 

「あぁ、頑張れよ、瀧」

 

テレビは、すでにお笑い番組も終了して、夜のニュースが機械的に流れている

 

 

「それじゃ、俺はそろそろ寝るよ」

 

 

俺は席を立つと、自分の部屋の扉を開ける。そして、振り返る

 

「おやすみ、父さん」

 

「おやすみ、瀧」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

息子が部屋に戻ると、ただ、ニュースの音だけが寂しくテレビから流れている。

 

俺は、ふいに、携帯をとる。電話帳を開き、押す番号は、もう何年もかけていない番号だ。繋がらないなら、それでいい。

 

トゥルルルル、トゥルルルル…と電子音が響く、やがて、ガチャと音がして、彼女が出る

 

『はい、もしもし…あなた?』

 

 

『あぁ、突然すまない』

 

 

『いや…いいのよ、久しぶりね。でも、どうしたの?』

 

 

俺は、少しだけ間をあけて、言う

 

 

 

 

『瀧が…結婚することになったんだ』

 

 

『それは…』

 

 

彼女は、なんて言おうか迷ったようで、少し逡巡する間があった

 

『私には…いえ、言っていいのかしら…おめでとうと、あの子には、言えないわよね…」

 

放たれた言葉には、悲しみが籠っている。電話越しでも、それが痛いほど伝わる

 

「あぁ、だから、お前の代わりに、俺がおめでとうと言っておいた」

 

『そう…ありがとう…』

 

また、しばらくの間。お互いに、言葉を発することができなかった。やがて、彼女が先に喋り出す

 

『あの子は…あの子は元気?』

 

「元気だよ、最近は本当に。よく笑うし、仕事も頑張っているようだ」

 

『よかった…あの子ももう、仕事をする年になったのね…』

 

「もう、23だからな」

 

彼女は、瀧が物心ついて、成長してから一度も会っていない。もちろん、会えない理由があるのだが

 

『私達も、歳をとったのね…ねぇあなた、あの子の相手にはもう会った?』

 

「会ったよ。とてもいい子だった。美人で、心から瀧のことを愛していた。見ただけですぐわかったよ。あの子なら、瀧を任せられる」

 

『あら…あなたの目じゃ心配だわ…』

 

彼女はそこで、一度言葉を区切る。そして、また、悲しみの篭った声で言う

 

 

 

 

 

『だってあなたは、私を選んだじゃない…』

 

 

 

 

 

その言葉に、しばらくの間無言になる。やがて、俺は目をつぶりながら、答える

 

 

「あぁ、でも、後悔はしてない」

 

 

『…本当に?』

 

 

「あぁ…」

 

 

『そう…』

 

 

そこで彼女は、初めて笑みをこぼす。俺が昔、惚れた笑顔が、脳裏に浮かぶ

 

 

『あなたは、変わらないのね…』

 

 

「君も変わらないな」

 

 

『そうかしら?きっと今の私を見たらそんなこと言えなくなるわよ』

 

また、彼女は笑う。

 

『ねぇあなた…』

 

 

「なんだ…」

 

 

『あの子を…たっちゃんを…お願いね…』

 

今度は、寂しそうな声で、彼女は言う

 

「…わかった。だが、もうあの子は、私がいなくても、きっと大丈夫だろう」

 

『ううん…それでもよ、それでも、あの子にとっては、あなたが…あなただけが…唯一の、親なんだから…」

 

あなただけが…唯一の

 

その言葉に、いったいどれほどの悲しみが籠っているのか、俺にはとても想像ができなかった。ただ、彼女の想いは、しっかりと伝わった

 

「…わかった」

 

『お願いね…それじゃあ、私はもう寝るわ』

 

「…そうか、突然電話してすまなかった」

 

『いいのよ、嬉しかったわ』

 

そう言った彼女は、本当にどこか嬉しそうだった。そして、別れの言葉を紡ぐ

 

『おやすみなさい。龍一…』

 

 

 

 

「おやすみ……」

 

 

……

 

 

ほんの少し、何かを待つような、そんな間があった後、電話が切れる。機械的な電子音が、やけに耳に触る。

 

 

 

 

 

名前を、言えなかった…

 

 

 

 

 

君の名を…

 

 

 

 

 

俺は、天井を仰ぎながらため息をつく。そして、おもむろに冷蔵庫を開けると、食材や調味料の奥に転がっていた、いつ買ったかもわからない缶ビールを取り出す。

 

テーブルに座ると、その蓋を開ける。プシュッと、爽快感のある音が、リビングに響き渡る。

 

 

「やめてたんだがな…」

 

俺は、缶ビールを見て一言呟く。そして、その缶を、頭の高さまで上げる

 

 

「息子の結婚に」

 

 

一人で、乾杯の音頭を取り、一気に飲む。ゴクゴクと、苦味のある、ビールが胃を満たしていくのを感じる。

 

 

俺は、缶をテーブルに置くと、また、天井を仰ぎ見る

 

 

 

 

 

「美味いな…」

 

その言葉は、寂しくリビングに響き渡った

 




この話は、一応番外編になります。
瀧のお父さんと、「彼女」との間に何があったかは、読者様方のご想像にお任せします


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〜新たなる日々編〜
第31話「この空の下で」


「これでよし!瀧君、どうかな?」

 

私は、出来上がったそれを取り付けると。満面の笑みで瀧君に向けて振り返った。

 

 

「お、たしかに、いい感じだな」

 

 

瀧君も、満足そうに頷いている。

 

 

私達の目の前には、ドアと、その横に取り付けられた。一つの表札がある。

 

木の絵がお洒落に描いてあるその表札には、一つの苗字と2人の名前が書いてある。

 

 

 

立花 瀧&三葉

 

 

私は、その表札を見て、嬉しくて、嬉しくて、瀧君に抱きついてしまう。

 

「な、なんだよ…」

 

そんな風に言う瀧君も、その顔はとっても嬉しそう。

 

「私ね、幸せすぎて死にそうやよ?」

 

だから、ついそんな言葉が口をついて出てきてしまう

 

「そりゃ困るな、どうすればいい?」

 

「んー…」

 

私が、瀧君に何をさせようか悩んでいる間に、瀧君はそっと顔を近づけてくる。私が気付いた時には、もう、唇が重なっていた

 

「これでいいんだろ?」

 

唇を離した瀧君は、ニヤッと笑う

 

「ばか…余計死んじゃうよ…」

 

ほんと、この男は…そんなことを思いながらも、私は愛する人の顔を見て微笑んだ

 

 

 

 

私達が糸守から帰って来てから、すでに1ヶ月程時間が経っていた。

 

糸守で全てを取り戻し、本当の意味で再開できた私達は、こうして夫婦になることができた。

 

東京に戻った私はまず、四葉と話し合った。もちろん四葉はしっかりしているから、一人暮らしなんて問題ないけれど、やっぱり、姉としては心配なところがあった。だから、瀧君にも許可をもらって、四葉に瀧君と三人で住もうという提案をしたのだけれど、四葉は絶対に嫌と言う。

 

 

「毎日2人のラブラブ見せられたら、私溶けちゃうやん…」

 

 

ということで、四葉には、元々私達が住んでいたアパートに一人暮らししてもらうことになった。

 

 

次に私は、瀧君のお父さんに挨拶に行った。お父さんは…お義父さんは、全く反対なんてせずに、私達の結婚を心から喜んでくれた。

 

 

「三葉さん、息子をよろしくお願いします」

 

 

帰り際に、玄関で頭を下げたお義父さんは、少しだけ、寂しそうに言った。瀧君は、今までずっとお義父さんと2人で生活してきたのだから、お義父さんもやっぱり寂しいのかもしれない。私は、そんなお義父さんを不安にさせないように、はっきりと、任せてくださいと言い、頭を下げた。その後、頭を上げた私を見たお義父さんは、とっても嬉しそうだった。

 

それから、今度は親同士の顔合わせ。忙しいのに、わざわざ東京に出てきてくれたお父さんには、本当に感謝している。なんだかわからないけど、お父さんとお義父さんは、とても気が合うみたいで、仲よさそうにお酒を飲み交わしていた。でも、親同士仲が良いのはとても良いことなので、私と瀧君はその光景を笑いながら眺めていた

 

 

実は、こうして籍を入れる準備をしている間に、瀧君がこっそり婚約指輪を買おうとしてたのだけど、それを見つけてしまった私は、もう十分だから要らないと、瀧君を説得したりした。あの日、あの場所でもらった言葉だけで、私には十分だった。だから、婚約指輪よりも、これからの2人の生活にお金を使おうと、そう説得した。これから、結婚式や、新婚旅行で、たくさんお金がかかるのだから。最初は絶対に買うと言っていた瀧君だったけど、最後は理解してくれた。けど、代わりに結婚指輪はとっても良い物を買うという条件付だった…

 

 

 

 

そして、ついに私達は籍を入れることになった

 

 

 

 

 

5月28日 それが私達の、結婚記念日

 

 

 

 

 

2人の、新たなる日々の、始まりの日

 

 

 

 

2人して、緊張した面持ちで、婚姻届を窓口まで持って行く。それを見た窓口のお姉さんは、にっこりと笑った

 

「ご結婚おめでとうございます」

 

その一言で、私達の緊張の糸も切れてしまった。2人で顔を見合わせて、微笑む

 

もう、私達は夫婦だった

 

 

 

一緒に住む家は、都心からは外れるけれども、都内のマンションを借りることにした。最寄駅はJR三鷹駅まで徒歩10分、1LDK、築4年。家賃は10万の後半くらいで、ちょっと高いかもしれないけど、これでもめちゃくちゃ探し回ってやっと見つけた良物件だった。

 

 

そんな新しい家の前に、私達は立っている。抱き合いながら、希望のこもった目で、ピカピカのドアを見つめている。

 

 

引っ越しには、業者は使わなかった。代わりに、四葉と、こっちに戻ってきたテッシーとサヤちん、それから高木君や藤井君に手伝ってもらって、みんなで引っ越しをした。その日は、お礼に私の手料理を振る舞って、みんなにお腹を満たしてもらった。私達の友達だけあって、全員がすぐに仲良くなってくれた

 

そういえば、四葉と高木君、やけに仲が良さそうだったな…

 

 

 

 

「なぁ三葉」

 

「ん?」

 

今までのことを思い出しながら振り返っていた私に、瀧君が話しかけてくる。

 

「やっと、一緒になれたんだな」

 

瀧君は、表札の、名前の部分を指で撫でながら、感慨深そうに言う

 

「そうやね…私達、ほんとに色々あったからね」

 

「あぁ、でも、乗り越えてきた。そして、それは、これからもだ」

 

瀧君は、今度は廊下の手すりの部分に肘をついて、空を眺める。雲一つない空は、東京の空とは思えないくらい澄み渡っていた。

 

私も、そんな瀧君の横に並んで、一緒に空を見上げる。

 

 

 

ふと、瀧君が、空に向かって手を伸ばす

 

 

「何してるん?」

 

 

「昔さ…三葉と入れ替わってたとき、よくやってたんだ…」

 

そこで、瀧君は一度言葉を区切る。そして、私の方を向くと、また言葉を紡ぐ

 

「三葉が、どこまでも繋がっているこの空の下に、いるんだって思うと、届くわけないのに、無性に手を伸ばしたくなってさ…昔の、話だよ」

 

そう言いながら、瀧君はまた空を向く。

 

 

同じだ…

 

 

そう、思った

 

 

私も、届くわけがないのに、瀧君がいるであろう東京の空に向けて、手を伸ばしたことがある。

 

けれども、繋がっていると思っていたそんな空は、時間の流れに引き裂かれていて、繋がっていなかった。私達の手は、一生届くことも、繋がることもないはずだった。

 

 

でも、今は違う

 

 

「瀧君…」

 

そっと、私は、伸ばされた瀧君の手に、自分の手のひらを重ねる

 

瀧君が驚いてこちらを見る

 

「届いたよ…瀧君の気持ち、私には届いてたよ…だから、ほら、こうして繋がったでしょ?」

 

私は、微笑みながら、瀧君の手を握る

 

驚いた顔をしていた瀧君は、やがて、微笑みながら、私の手を握り返す

 

「ありがとう、三葉…」

 

「お礼を言うのはこっちやよ…」

 

私達は、抱きしめ合う。ただ抱き合うだけではなく、優しく、お互いの存在を確かめ合うように、包み込むように、そんな風に、抱きしめ合う。

 

 

私達の空は、繋がった。彗星によって2つに分かたれたあの空は、私達の愛で1つになった。

 

だから、これからは、2人で生きていく。この綺麗な空の下で

 

 

「じゃあ、行こっか」

 

瀧君が、私の手を取る。そして、玄関の扉を開ける。

 

「うん!」

 

私も、笑顔で、瀧君に答える

 

扉を開けてくれた瀧君は、目で、レディファースト、と言っている。だから私は、遠慮なく踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

新たなる日々への、第一歩を



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第32話「3万分の1の朝」

朝、目が覚めると、なぜか微笑んでいる、そういうことが時々ある

 

 

 

 

見ていたはずの夢は、いつも思い出せない

 

 

 

 

ただ…心が…優しい愛で満ち溢れている

 

 

 

 

そういう気持ちにとりつかれたのは、多分あの日から

 

 

 

 

 

あの日

 

 

 

 

 

君と出会えた日

 

 

 

 

 

そして、2人で恋をしたあの世界は

 

 

 

 

まるで

 

 

 

 

 

まるで夢のように

 

 

 

 

 

 

ただひたすらに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美しい世界だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を開けると、言いようない幸福感が全身を満たしている。まるで、幸せという何かが詰まった風呂に浸かっているような、そんな気持ちだった。腕の中には、愛する嫁がすやすやと寝息を立てていて、彼女もまたその顔は幸せに満ち溢れていた。

 

カーテンの隙間から差し込む光は、寝室を幻想的に照らしていて、その光に照らされた彼女は、まるで天使のような美しさを感じさせる。

 

「三葉…」

 

俺は思わず呟く。全てを分かたれたあの日から、追い求めて、追い続けて、探し続けた。そして、ついにその手に掴んだ君の名は

 

 

三葉

 

 

忘れない。もう、忘れることができない。この世界が無くなろうとも、魂に取り付いてしまったこの名前を、俺から剥ぎ取ることはできないだろう。たとえ、神様だって。

 

「うぅん…」

 

三葉が寝言を言いながら、さらに俺の胸の中に顔を埋めてくる。そんな三葉が可愛くて、俺はその頭を撫でる。そのよく手入れされたサラサラの黒髪は、掬っても掬っても、すぐに手からこぼれ落ちてしまう。寝ていても撫でられていることがわかるのか、三葉の顔は、気持ちよさそうに微笑んでいた。やがて、薄っすらと、三葉が目を開ける。

 

俺と視線が合った三葉は、微笑みから、笑顔に変わる

 

 

俺が恋をした笑顔に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝目を覚ますと、何故か微笑んでいた。その理由は、すぐ目の前にある。

 

「瀧君…」

 

口を出るその名前は、私がいつも追い求めていたもの。探しても探しても、見つからない、出口のない迷路のような場所をくぐり抜けて、やっと見つけた君の名は

 

 

瀧君

 

 

忘れちゃいけない、忘れることのできないその名前は、私にとっては、命と同じくらい大事なもの。あの日、星が降った日に、分かたれてしまった私の片割れ、私の半分が、夢の中に留めてくれた、2人の愛のカケラ

 

微笑みながらこちらを見つめる瀧君に、私はそっと口付ける。恒例になってしまった、朝の挨拶。おはようの言葉よりも早く出てきてしまうそれは、愛故に、止められない。そして、その余韻を確かめ合ったあと、どちらかとなく、言葉を発する

 

 

「おはよう、三葉…」

 

「おはよ、瀧君…」

 

 

毎朝、こうやって2人で朝のひと時を楽しむ。なんてことのない日常。それでも、私達にとっては、特別で、かけがいのない日常だった。

 

 

 

 

君と2人で過ごすその毎日は

 

 

 

ただひたすらに

 

 

 

美しい世界だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、どうぞ!」

 

三葉がテーブルに並べるのは、簡単な朝食。ウィンナーに目玉焼き、納豆に味噌汁。これぞ朝食と言ったところだろう。ただ、そのどれもがしっかりと調理されており、ウィンナーの皮はパリッと、中は柔らかい。目玉焼きはしっかり半熟になっている。簡単と言えども、三葉が手を抜いていないことが窺い知れる。

 

「すげぇ美味しいよ」

 

俺は、本当にそう思ってその言葉を口にする。

 

「当たり前やろ?私を誰やと思ってるん?」

 

胸を張って威張る三葉が可愛くて、俺はエプロン姿の三葉を抱きしめる

 

「な、なに…」

 

戸惑う顔も、また可愛い。俺はいったい、1日に何度三葉に恋をしなくてはならないのだろうか?

 

「んー?俺の奥さんが可愛くてさ、思わず」

 

俺はニヤッと笑って、三葉のほっぺたを少しつねる。すると、三葉はいきなり俺の腕の中から脱出して、カウンターキッチン(三葉の夢だったらしい)の中に逃げ込んだ。そして、頰を膨らませて、こちらをジッと見つめ出す

 

「な、なんだよ…」

 

「…ずるい」

 

「なにが?」

 

「そういうこと言うの。ずるい…」

 

三葉は頰を膨らませたまま、キッチンから顔を半分だけ出してこちらを覗いている。

 

 

あーもう、ほんと…可愛いなぁ…

 

 

「ほら、隠れてないで来いよ。三葉も早く食べないと遅刻するぞ?」

 

俺は、このまま三葉をベッドまで連れて行きたい衝動を抑えて、食事を勧める。その言葉で時計を見た三葉は、焦ったようにテーブルに着く。

 

そんな三葉を見て、俺は笑いながら、また食事を再開する。

 

なんでもない、朝のひと時。しかし、それは、堪らなく幸せな時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「瀧君!お弁当!忘れとるよ!」

 

ピンクのパジャマから、いつも会社に行く時に着るカジュアルな格好に着替えた私は、お弁当を持ちながら玄関に走る

 

「あ、わりぃ」

 

頭の後ろをかきながら謝る彼は、愛しい旦那様

 

私と瀧君は、会社の最寄駅は違うけれども、路線は一緒だった。みんな大好き、JR中央線だ。だから、行けるときは毎日一緒に出勤するようにしている。何年もお互いを探し続けた私達は、他の人達よりも、一緒にいれる時間というのを大事にしていた。むしろ、私達に1人の時間というのはいらなかった。もう、私と瀧君は2人で一つのようなもの。2人でいれる時が、心の底から幸せだった。

 

 

ドアを開けてくれた瀧君にお弁当を渡すと、私もハイヒールを履いて外に出る。一瞬、目が眩みそうな太陽の日差しで目を瞑るが、すぐにその景色が見えてくる

 

都心に住んでいたときは、まず目に入ってくるのは高層ビル、そして人。

 

雑多な大都会は、まさに日本一の人口を誇る東京を表していた。けれども、ここには、高層ビルも、ごった返す人々の姿もない。ただ閑静な住宅街と、綺麗な公園、はるか遠くに薄っすらと見える山々がある。そんな景色が、私達の前に広がる。

 

 

「なんか…落ち着くね…」

 

私は、故郷の糸守を思い出しながら言う。もちろん、ここ三鷹市は普通の街で、住宅街に溢れているし、ビルだって沢山ある。それでも、私の目には、都心の景色よりも、こちらの景色の方が心地よく入ってくる。

 

「まぁ、そうだな…俺もずっと都心に住んでたから、こんな静かな朝は久しぶりだな」

 

瀧君も、私と同じ景色を見ながら言う。

 

「新宿とか、朝からすごいもんね。初めて入れ替わったときは、なんかお祭りでもあるのかと思ったほどやし…」

 

私は、あの頃を思い出す。初めて入れ替わった日。藤井君に呼び出され。迷路のような新宿を彷徨い歩き。一度も通ったことのない学校までやっとの思いで辿り着いたのだ。あの頃は、まだそれを夢だと思っていたから、夢を楽しむつもりで学校に行ったが、まさか、その未来がこんなことになるなんて思わなかった。

 

 

けれど、その未来は、本当に、素晴らしい未来だった

 

 

瀧君の横顔を見ながら、私はそう思う

 

 

 

 

 

「瀧君!」

 

 

私は、満面の笑みで瀧君を呼ぶ。呼ばれた瀧君は、キョトンとした顔でこちらに振り向く

 

 

 

 

そんな瀧君に手を伸ばして、私は言う

 

 

「ほら!行こ!」

 

瀧君は、微笑んで、その手を取る。

 

 

「あぁ!」

 

2人で一緒に、階段を降りていく

 

 

 

もうすれ違わない。なぜなら、この手は離れないからだ。

 

 

 

 

人の一生は、およそ3万日と言われている

 

 

 

 

これはその中の、ただいつもの、朝のひと時

 

 

 

 

 

 

 

でも、それは

 

 

 

 

 

 

 

私達にとっては

 

 

 

 

 

 

 

 

かけがいのない幸せな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3万分の1の朝…



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第33話「めくるめく日々の中で」

しばらくは新婚生活編が続いていきます


「おはようございます!!!」

 

自分の部署の扉を思い切り開けて、挨拶をする。自分の声が部屋中に響いた気がするけど、別に気にならない。そのまま鼻歌まじりに自分の席に着くと、仕事の準備に取り掛かる。

 

だが、ふと自分の肩を叩かれて、隣を見ると、同僚の夏海が怪訝な表情をしてこちらを見ていた。

 

「な、なに?夏海」

 

不思議そうに聞く私に、夏海は大きくため息をつく

 

「なに?じゃないでしょ…ずっと言おうと思ってたけど、あんた、結婚してからキャラ変わりすぎよ…」

 

「え?そうかな?別にいつも通りだけど」

 

「よく言うわよ、あんな新入社員みたいな挨拶して入ってきて、仕事中もずっと笑顔だし…あんた知ってるの?あんたの笑顔に堕ちた男どもが、いつのまにか三葉ファンクラブ作ってんのよ?」

 

 

「な、なんよそれ!聞いてないよ!」

 

「なまってるわよ。とにかく三葉、嬉しいのは分かるけど、少し落ち着きなさいよ」

 

「えぇ…そんな事言われても…」

 

本当に、そんな事言われてもである。私はいつもどおりに会社に出勤して、いつもどおり仕事をしているだけなのだから。結婚してから変わったことと言えば、瀧君と一緒に出勤しているから、会社の最寄りまで瀧君と一緒だということだけだ。

 

 

 

そういえば…今日は電車を降りるとき他の人に隠れるように瀧君にちゅーされて…

 

 

「ふへへ…」

 

 

「み、三葉…」

 

そんな事を思い出して、つい出てしまった笑いに、明らかに夏海はドン引いている。

 

「まったく…こりゃダメね。ほんと、お幸せねぇ」

 

「あ、ちょっと…夏海!」

 

結局夏海は呆れながらどこかへ行ってしまう。そんな夏海の背中を見ながらぼうっとしていると、ポケットがブルルっと震える。携帯が何かを受信したようだ。

 

取り出して画面を開くと、ポップアップされたLINEのトークが表示される

 

 

《今日も一日頑張ろうな!三葉!》

 

 

 

 

私は、旦那様からのLINEを見て、次第に顔がにやけていくのが自分でもわかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なにニヤついてんだよ、瀧」

 

会社の屋上で、昼飯の卵サンドにかぶりつきながら、吉田は俺を怪訝な目で見る

 

「え?ニヤついてねーよ」

 

「いや、めちゃめちゃニヤけてるからな…」

 

 

 

俺は、朝に三葉から届いた返信のLINEを見返していただけで、別段ニヤついてなどいないはずだ

 

 

 

《瀧君も頑張れ!今日も大好きやよ…笑》

 

 

 

最初にそのLINEを見たとき、なんだか無性に体をかきむしりたくなった。嬉しいとか、恥ずかしいとか、そんな気持ちが混ざっていた。

 

頭をデスクに打ち付けてニヤける俺を、吉田が冷たい目で見ていたのは言わずとも分かるだろう

 

 

 

 

「ところで瀧、結婚式はいつやるんだ?俺はまだ招待状もらってねーぞ」

 

今度はミックスサンドを口に入れながら吉田は話を変える。食べながらじゃないと喋れないのかこいつは…

 

「それがなぁ…多分半年以上先か、下手したら一年後とかになるよ。とりあえず新婚旅行が控えてるからな。新社会人の経済力には限界があるぜ…」

 

俺は吉田の言葉に難しい表情をする。とにかく、結婚というのは意外とお金がかかる。よく漫画やアニメの中だと、キャラクターが結婚してすぐ結婚式、新婚旅行なんて流れになるけど、実際問題そうはいかない。たとえば、2人の引っ越しにもお金がかかるし、結婚指輪もそうだ。結婚式の費用だって、招待する人数いかんによってはとんでもないことになってしまう。新社会人で、今まで貯金なんて大してしてこなかった自分には大きな問題だった

 

 

「まぁ、先に新婚旅行が妥当だな。なるべく早く結婚休暇申請しとけよ。籍を入れてから3ヶ月以内が期限だったよな?」

 

 

「そうだな。それはもう課長と相談してるから大丈夫だよ」

 

俺の会社では、結婚すると、新婚旅行のために5日間の結婚休暇がもらえる。少ないと思うかもしれないが、土日を挟むと計9日間の休みになる。まぁ大体の人はそこに有給を加えて10連休とかにするのだが

 

「んで、どこ行くんだよ、新婚旅行」

 

「嫁はハワイって言ってるけど、せっかくだしアメリカとか、ヨーロッパもいいかなって思ってさ」

 

海外旅行の定番と言えばハワイやグアムだろう。実際、新婚旅行でハワイやグアムに行く夫婦の割合はかなり高いようだ

 

ただ、こんな言い方をするのはどうかと思うが、ハワイやグアムは定番すぎると思っている。ツアーやプランも豊富で、飛行機の時間もそこまで長くない。特にグアムなどあっという間に着いてしまう。つまるところ、結構簡単に行けてしまうのだ。だから、普通の旅行でハワイやグアムに行って、せっかくの特別なハネムーンは、普段行けないようなアメリカやヨーロッパに行ってみたかった

 

「アメリカはいいなぁ、グランドキャニオンとか見れるのか?」

 

「まぁ、プランにもよるけど、グランドキャニオンを入れるなら、見に行くのでアメリカ内をかなり移動しなきゃならないな」

 

「楽しそうだけど…大変そうだな…」

 

「海外旅行なんてそんなもんだろ」

 

本当に、海外旅行は楽しいけど、お金と手間は国内旅行に比べて段違いに高いものだ

 

「俺は結婚したら沖縄とかでいいかなー」

 

「まぁ、それもありっちゃアリだぞ」

 

「だよな…なんか、結婚はいいけど、色々大変だな」

 

吉田はサンドイッチのゴミをゴミ箱に放り投げながら言う。

 

「ほんとなぁ…思ったより家計はきついし、俺より嫁の方が給料高いしなぁ」

 

俺はそんな小さい愚痴を吐きながら、空を仰ぐ。はるか遠くに、小さな鳥が羽ばたいている。その鳥は風に煽られて、前に進んでいない。だがはたして、俺はあの鳥と違って前に進めているのだろうか?

 

「って言いながら、お前毎日楽しそうだぞ?」

 

吉田も、空を見上げながら、そう言う

 

「そりゃ…嫁が美人で可愛いし…家事もしっかりできるし…完璧だからな…」

 

「…お前そりゃ自慢かよ」

 

「あ?事実だよ」

 

吉田は一つため息をつくと立ち上がる。腕時計を見ると、もうすぐ昼休みは終わってしまうころだった。

 

「ま、結婚式するなら呼べよ。行ってやるからさ」

 

俺は、そんな吉田に苦笑する。なんだか、コイツと話していると悩みが馬鹿らしくなってくる

 

「やたら上からだな…もうちょっと待っててくれよ、多分呼ぶからさ」

 

俺はそう言って、吉田より先に歩き出す。

 

 

「あ、おい!多分ってなんだよ!おい!」

 

そんな吉田の叫びを無視して、俺はまた空を見上げる。

 

 

その綺麗な青空は、まるで自分の心を表しているみたいだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トントントン、と小気味よく包丁がまな板を叩く。それに合わせて、玉ねぎが綺麗に切れていく。定時に仕事を終わることができた私は、瀧君より一足早く家に帰って、こうして夕飯の準備をしている。

 

「瀧君まだかな…」

 

私はそんなことを呟きながら時計を見る。もうすぐ時刻は7時になるところだった。つい30分くらい前に仕事が終わったという連絡が来たので、もうそろそろ帰って来るころだろう

 

とにかく、今は瀧君のために美味しい料理を作らなきゃ

 

 

あ、ちなみに、今日の夕飯は肉じゃがです

 

 

そして、出来上がった料理をテーブルに並べていく。瀧君が帰ってきたらすぐ食べれるように。きっと瀧君はお腹を減らして帰って来るんだから

 

その時、玄関の方でドアの鍵が開く音が聞こえる

 

私はすぐにリビングを出て瀧君を迎えにいく

 

 

「わり、遅くなった」

 

 

片手を上げてはにかみながら謝る瀧君に抱きつきたい気持ちをぐっと抑える。

 

「もう!待ってたんやよ!」

 

だから、ぷりぷりと怒ったフリをする

 

「ごめんって、それより、すげえいい匂いするな…今日のご飯何?」

 

「んー、当てたら食べさせてあげる」

 

そう言うと、瀧君はうーんと額に手を当てて考え出す。肉じゃがって一発で当てたらキスしてあげよう…そんなことを思いながら、私は瀧君を見つめる

 

「わかった!煮物!」

 

瀧君は指をパチンと鳴らして答える。でも、残念…

 

「あー、不正解やね、残念…瀧君は夕飯なし!」

 

「うそだろ!絶対そうだと思ったのに…」

 

瀧君は笑いながら靴を脱いで家に上がる。本当に、こんな毎日が楽しい。ただ、ただ、そう思う

 

「じゃあ、夕飯無しなら、代わりに三葉のこと食べてやる」

 

瀧君はニヤッとして私を見る

 

「はぇ?」

 

突然の発言に私の頭はフリーズしてしまう。すると、瀧君が近づいてきて、私は後ろに下がるけど、廊下の壁に阻まれてこれ以上下がれなくなった。そんな私の頭の横に瀧君は手をつく。

 

 

あ…これ

 

 

テレビとか漫画でよく見るやつや…

 

 

 

私はそんなことを考えながら、瀧君に唇を奪われる

 

 

 

 

どれくらいキスをしただろうか、この時間は、幸せすぎて、どれ程の時間が経っているのかいつも曖昧になる

 

 

 

……

 

 

 

 

「瀧君…壁ドンなんて、どこで覚えてきたん…」

 

 

私は、やっと唇を離してくれた瀧君をジーッと睨む。そんな瀧君は未だに余裕そうに笑っている

 

 

「さぁね、こんな可愛い奥さんがいるからな、多少は男らしいことしないとさ」

 

「なんやそれ…」

 

 

ほんと、この男は一日に何度私に恋をさせるのだろうか。これでは私の心は持たない

 

 

「このままベッドに連れてってもいいんだぞ?」

 

ジト目で睨む私に、瀧君は爆弾発言をする。ほんと、心臓に悪い

 

「な、な!何言ってんの!!?」

 

「嫌か?」

 

「え!嫌じゃ…嫌じゃないけど!ほら!…あ、ご飯まだやろ!?せっかく作ったのに冷めちゃうから!一緒に食べよ?」

 

とにかく、この窮地から脱するために、私は必死だった。このままでは本当にベッドに連れていかれて、瀧君の虜になってしまう

 

「あー、そうだった。じゃあとりあえず飯食べるか」

 

「うん!うん!ほら、いこ!」

 

私の言葉で瀧君はご飯のことを思い出したのか、手を離してわたしを解放してくれた。そして、一緒にリビングに向かう

 

 

 

瀧君がテーブルにつくと、私は炊飯器からお茶碗にご飯を盛る。ピカピカのお米は、湯気を立てて本当に美味しそうだった

 

「食べ過ぎかな…」

 

瀧君と同じくらい盛ったお茶碗を見ながら私は呟く。

 

「ま、いっか」

 

たしか、女の子はよく食べる方がいい。誰かがそう言っていた。誰かは知らないけど…

 

 

「「いただきます!」」

 

2人で手を合わせて、食事を始める。こんな風に、瀧君と一緒に夫婦として夕飯を食べることが、本当に嬉しい。何気ない一挙手一投足が、私達にとっては幸せなこと

 

 

かけがいのない幸せな2人の時間だった

 

 

「やっぱ三葉の料理は美味いな…」

 

瀧君は、空になったお皿を前にして言う。ビックリするくらいの速さでご飯を食べ終わった瀧君は、すぐにお代わりをしていた。やっぱり仕事でお腹を減らしていたのだろう

 

「瀧君やって、料理美味いやん」

 

「俺のはダメだ、味だけなんだよな。三葉の料理は、なんていうか…家庭的?実家の味?とか、そういう感じなんだよな」

 

「なんよそれ…」

 

「まぁ端的に言うと美味いってこと」

 

そんな風に言ってくれる瀧君は苦笑する。私も、それに返すように微笑む

 

 

「ありがとね…瀧君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕飯を食べ終え、風呂に入った俺は、パジャマに着替えてリビングでテレビを見ている。三葉は今、俺の後にシャワーを浴びている。先に入っていいと言ったのだが、俺の方が疲れてるからとお風呂を譲ってくれたのだ。ほんと、なんていい奥さんなのだろうか…

 

 

やがて、シャワーの音が止み、ドライヤーで髪を乾かす音が聞こえる。

 

しばらくすると、リビングの扉が少しだけ開いた。そして、ちょこんと三葉が顔だけをこちらに出している

 

「何してんの?」

 

気になってそう聞くと、三葉はほんのりと顔を赤くする

 

「…そこに干してある、下着取って」

 

三葉は、相変わらず顔だけを出して、指で洗濯物の下着を指す

 

どうやら、変えの下着を持って行くのを忘れたようだ。ほんの少し前なら、俺が三葉の下着を触るだけでぷりぷりと怒っていたのだが、今では気軽に下着を持って行ける仲になったようだ。

 

「あぁ、ちょっと持ってろ」

 

俺は室内用の物干しから三葉の白い下着を取ると、ドアから顔だけ出している三葉に手渡そうとする。

 

 

 

 

 

ちょっと待て…

 

 

 

 

 

三葉は今、何も着てないのか…

 

 

 

 

 

 

俺の中に、悪い思考が渦巻く

 

 

 

 

 

「瀧君?早く頂戴よ…」

 

手を伸ばして困り顔をする三葉は、死ぬほど可愛い。

 

そんな三葉を隠している扉を勢いよく引く。そこには、タオル一枚に身を包み、湯気と熱気で顔をほんのりと赤くしている三葉が立っていた

 

 

「ちょ!何しとんの!?」

 

 

三葉は顔を真っ赤にして手で体を隠そうとする。しかし、その割と豊満なバストは手で隠しきれるものではない。

 

 

「ひゃぁ!!!」

 

 

俺はそんな三葉をお姫様抱っこすると、そのまま寝室に連れて行く

 

 

「ちょ!!瀧君!いきなり何よ!!」

 

 

「ほら、暴れんなって、落っこちるぞ?」

 

 

三葉は顔を真っ赤にしてジタバタするけれど、俺はそんな簡単には離さない

 

 

 

 

そして、寝室のダブルベッドに優しく三葉を寝かせ、俺はその上に覆い被さるように手をつく。

 

「ぁ…瀧君…こんなの、急すぎやよ…」

 

「嫌か?」

 

「やじゃない…やじゃないけど…」

 

「けど?」

 

顔を真っ赤にして俺の視線から逃げようとする三葉の顎に手を添える。逃げられないように

 

俺は知っている。三葉はこれが意外と好きだ。

 

「ぁ…」

 

逃げられなくなった三葉は、俺の視線に吸い込まれるように目を合わせる

 

「瀧君…」

 

「なに?」

 

 

「ちゅー…して?」

 

 

 

なぁ、世の中の男に聞くけど、これで我慢できるやつがいるか?いないだろ?

 

誰に聞いたかわからないけど、俺はそのまま三葉に唇を重ねる

 

「はぁ…ん…」

 

三葉の口から嬌声が漏れる

 

そして、どれほどの時間そうしていただろうか

 

お互いに離れ、見つめ合う

 

 

 

 

「瀧君…」

 

 

 

 

「三葉…」

 

 

 

 

「「愛してる…」」

 

 

 

 

ただ、一言、それで十分だった

 

 

 

 

そして俺達は、ひたすらに愛し合った

 

 

 

 

 

もう二度と、君を失くさないように



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第34話「最後のピース」

「うーん…」

 

「どうしたんだ?」

 

私は今、リビングのソファーで、瀧君に抱かれながらテレビを見ている。けれど、画面の中の番組には一切集中せずに、私は考え事に耽っていた

 

「…いやね、なんか、足りないような気がして…」

 

「足りない?」

 

私の言葉に、瀧君はキョトンと首を傾げる

 

「うん…なんか、パズルのピースの、最後の1つが、まだ埋まってないみたいな?」

 

「…あー、それ、俺が三葉を探してる時にずっと思ってたな…でも、三葉と出会ってからは、そんなことないぞ?」

 

「なんやろ…なんでなのか、私も分からんのよ」

 

相変わらず瀧君の胸に抱からながらも、私は考える。最近家にいる時は、1人でいるよりも瀧君にくっついている時間の方が長い。けど、それが幸せなのだからしょうがない

 

「…まだ、何か思い出してないことがあるとか?」

 

瀧君も真剣に考えてくれてるのか、目を細める

 

「ううん、全部覚えとるよ。瀧君が口噛み酒飲んだこととか、胸触ってたこととか、私の体でマイケル踊ってたこととかね」

 

私はジトッとした目で瀧君を見る

 

「げっ…だ、だから、なんでそういうことばっかり覚えてるんだよ…」

 

「忘れるわけないやろ!後輩の女子に、マイケル踊ってください!って頼まれたときの私の気持ちがわかる!?」

 

「最高じゃんか」

 

そんな瀧君のほっぺたを、私は軽くつねる。瀧君は痛がって逃げようとするから、私は瀧君に覆い被さって逃げれないようにする

 

いつも私は瀧君の下だけど、今日は上になる。下からこちらを見つめる瀧君を見て、私は1人優越感に浸る

 

「ふふ、私が上やね」

 

「あぁ、で、どうするんだ?」

 

私が優位なはずなのに、瀧君は不敵に微笑む。余裕綽々と言ったところだ

 

「む、どうしようかな…」

 

瀧君に何をしてやろうか、私は考える

最初に浮かんだのはキス。この体勢なら、いつも蕩けさせられてしまう私も、瀧君を虜にすることができるかも?

 

次にくすぐり、いつもからかわれているお返しに、やってやろうかな?

 

けど、そんなことを考えているうちに、瀧君の腕が、私の後頭部と腰を優しく掴む

 

「えっ…」

 

言葉を発したときには、すでに口付けられていた

 

 

「……!!」

 

 

私は声にならない悲鳴をあげて、瀧君から離れようとする。けれども、瀧君の腕は私を離してくれない

 

あぁ…もうだめかも…

 

結局、いつもの通り、瀧君に堕とされてしまう

 

私は、幸せでとろとろになった頭で、そんなことを考えていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅ…ばか!瀧君のばか!」

 

「いや、何もしてないだろ…」

 

苦笑する瀧君に、私は八つ当たりをする。ほんとにこの男は…

 

「んで、最後のパズルのピースは、埋まりそうか?」

 

瀧君は、思い出したように話し出す

 

「ううん、まだ…なんやけど、やっぱりなんだかわからない」

 

「おかしいな…俺はそんな感じないんだけどな…」

 

「んー、私だけ、まだ何かやってないことがあるのかな?」

 

考えても、わからない。瀧君にはないらしいこの感覚。一体なんなのだろうか?

 

「誰かを探してるような、そんな感覚か?」

 

「ううん、違うんよ。探してるっていうより、会いたい?って感じ?わかる?」

 

「会いたいか…でも、誰に?俺以上に会いたい人がいるのか?」

 

瀧君はニヤッと笑う。どうやらからかわれているようだ

 

「自意識過剰男やね…そんなんやとモテへんよ」

 

「ふっ、モテる必要がなくなったからな…」

 

キメ顔をする瀧君を無視して、私はもう一度考える。

 

私が会いたい人

 

 

瀧君にはないこの感覚から、瀧君はすでに会っている人

 

 

私が会ってなくて、瀧君は会っている人

 

 

 

 

 

ふと

 

 

 

 

私の頭の中に、とある人が浮かんでくる

 

 

整った顔立ちにに、サラサラの綺麗な髪、そして、モデルかと疑わんばかりのスタイルのいい身体

 

 

「あっ…」

 

私は、目を見開いて瀧君を見る

 

「ん?なんか分かったのか?」

 

「瀧君…なんで私すぐ思いつかんかったんやろ…藤井君とは何回も会ってるのに…」

 

「司?なんで……あっ」

 

瀧君も、目を見開いて、パチンと手を叩く

 

 

そう、私たち2人共がお世話になったあの人は

 

 

「「奥寺先輩!!!」」

 

 

そんな2人の声が、部屋に響き渡った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新宿のとあるカフェの席に、俺と三葉は座っている。そのお洒落カフェは、俺と司と高木でカフェ巡りをしていた時に見つけた場所だ。ちなみに、俺達の知っているカフェランキングではこのカフェは第2位に位置している。

 

「ね、ねぇ瀧君…私なんか変やない?」

 

三葉はもじもじと体をくねらせ、髪やら服やらをいじっている。俺達はこのカフェで奥寺先輩と待ち合わせている。だから、三葉も緊張しているのだろう

 

「んー、どこも変じゃないぞ。いつも通り可愛いよ」

 

俺はとりあえずそう言う。実際、三葉はいつも通り可愛いくて綺麗だった。艶のある長い黒髪に、可愛さと綺麗さを両立させている顔立ち。文句なしの美人だ。正直、三葉を連れて歩いてるときは優越感すらあるほどだ

 

「瀧君の言うことは信用できへん…」

 

だが、三葉は俺の方をジトッとした目で睨む

 

「な、なんでだよ…」

 

「初めて会ったとき、私の髪型似合っとらんのに、似合っとるって嘘ついたやん」

 

「げっ、またそんな昔のことを…てかあれは!ほんとに似合ってたって!ただ、俺の好みが黒髪ロングなだけなの!」

 

「ふーん…」

 

「あ、お前信じてないだろ!」

 

「日頃の行いのせいやね」

 

「くっ…まぁとにかく、三葉はどんな髪型だろうと、どんな服だろうと可愛いよ」

 

そう言うと、三葉の顔がみるみる赤くなる。ほんとに、感情豊かで、それがすぐ顔に出るから面白いなぁ…

 

「ば、ばか…そんなこと言うても、許さんからね!」

 

顔を真っ赤にして、三葉がフンっとそっぽを向く。そんな三葉を見て、俺はクスクスと笑う。結婚しても相変わらず、三葉のこのクセは直らない

 

だが、そっぽを向いたまま、三葉が固まっているのに気づく

 

俺も気になって、三葉が向いている方向に目を向ける。

 

そこには

 

 

「あら、久しぶりね、瀧君」

 

 

おそらく、俺の初恋だったかもしれない人が立っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの…初めまして、立花三葉です…」

 

三葉は、そう自己紹介して、おずおずと頭を下げる。そんな三葉を見て、奥寺先輩はふふっと笑うと、俺と目を合わせる

 

「瀧君ったら、こんな可愛いお嫁さんを見つけたのね」

 

「ええ、自慢の嫁ですよ」

 

俺も、そんな奥寺先輩に微笑む

 

「ふふっ、自己紹介が遅れたわね、私は藤井ミキ。司とは何回か会ってるんでしょ?三葉ちゃんの話は彼から何度も聞いてるわ。話通り、可愛い子ね」

 

不敵に笑う奥寺先輩は、昔と変わらずやっぱり美人だ、というか、歳をとってむしろ大人の魅力が増したように見える。これで三葉と同い年とは、信じられない…

 

「可愛いなんてそんな…おくで…えっと、ミキさんの方がずっと素敵です!」

 

「あら、ありがとう」

 

微笑む奥寺先輩を、三葉はキラキラした目で見る。なんというか、三葉にとっては奥寺先輩が憧れの人のようだ

 

「あ、そうだ、三葉ちゃん私と同い年でしょ?いつまで敬語のつもり?」

 

「え!いや、なんか、年上の感じがして…」

 

「じゃあ今からタメ口で話すこと」

 

そう言って、奥寺先輩はウィンクをする。パチンと音がしそうな、そのウィンクで、三葉の顔に笑顔が広がる

 

「うん!じゃあ、ミキちゃんでええかな?」

 

「ええ!もちろん!…」

 

しかし、そんな三葉を見て、奥寺先輩は突然目を細める。そして、俺を見て、三葉を見て、を交互に繰り返す。

 

 

「ミキちゃん?」

 

 

「ど、どうしたんすか?」

 

 

俺も、気になって思わず聞いてしまうが、奥寺先輩はうーんと唸ると、やがて、うんうんと一人で頷き、俺の目を見つめる

 

 

 

「ねぇ、瀧君…探しもの、見つかったのね…」

 

 

 

そして、奥寺先輩は優しく微笑む

 

 

その言葉に、俺も三葉も驚いた。

 

 

俺にとっての探しもの、つまりは三葉のことだが、それを知っているのは、この世界で俺と三葉だけだ。だが、奥寺先輩は、明らかに三葉が探しものだと知っていたかのような言葉を使った

 

 

「え!あ、あの…奥寺先…いや、藤井先輩?ミキさん?えっと…」

 

しどろもどろになる俺を見て、奥寺先輩はクスクスと笑う

 

「名前で呼びにくいなら、奥寺先輩、でいいわよ?なんだか瀧君に名前で呼ばれるとムズムズするし」

 

「あっ、じゃあお言葉に甘えて…でも、奥寺先輩、どうして、その…探しもののこと…」

 

焦りからか、うまく喋れない。三葉を見ても、驚きで声が出ないといった感じだ

 

「うーん、なんていうかな…女の…勘?」

 

だが、俺と三葉の耳に入ってきたのは、思ってもない言葉だった

 

 

「か、勘?」

 

「そ、勘よ、勘。あなた達を見てるとね、すっごく落ち着くのよ。まるで、元々は1つの存在だったかのように、2人には違和感がないの。だから、きっと瀧君が探してたのは、三葉ちゃんなんだなって、そう思っただけよ」

 

奥寺先輩の話を聞いて、俺の心臓の鼓動は落ち着いてくる。どうやら、俺と三葉の関係がバレたわけではないらしい

 

「それは…ありがとうございます…」

 

俺は、気恥ずかしくて、頭の後ろをかきながら言う

 

 

「ふふっ、なんだか、昔の岐阜旅行、思い出すわね…」

 

奥寺先輩は少しだけ目を瞑る。昔のことを思い出してるのだろうか

 

「あー、あのときは…なんか色々、すいませんした…」

 

俺は、1人で勝手に行ってしまったことを思い出して、頭を下げる。今考えると、せっかくついてきてもらったのに、書き置きだけ残して1人で出て行くなんて、失礼にも程がある

 

「もういいのよ。それに、瀧君今幸せそうじゃない。去年会ったときとは大違いね」

 

「そう…ですかね?」

 

「うん、全然違うわよ。就活が上手くいってなかったからなのか、スーツが似合わなすぎたからなのかわからないけどね」

 

奥寺先輩はいたずらっぽく笑う。この人の笑顔をもまた、昔から変わらない

 

「うっ、それは禁句ですよ…」

 

「でも瀧君、別にスーツが似合わないわけじゃないもんね」

 

そう言う三葉に、気になったのか、奥寺先輩が体を乗り出す

 

「ん?それってどうゆうこと?」

 

「あー!三葉!言わなくていいからな!」

 

「瀧君に拒否権はないんよ。実は瀧君って、スーツが似合わないんじゃなくて、スーツを選ぶセンスが絶望的にないんよね」

 

三葉は、クスクスと笑いながら話す。三葉と四葉ちゃんでスーツを選んだときのことを思い出しているのだろう

 

「あー!なるほどね!確かに…瀧君のルックスでスーツが似合わないのは、少し変だなって思ってたのよ」

 

「そうなんよ!瀧君ったらイケメンやのに、スーツだけはセンスがないんやよね」

 

「あ、あんたら…」

 

俺は繰り出される罵詈雑言の応酬に、苦笑いを浮かべるしかなかった

 

「うーん…私が選ぶとしたら、縦ストラプの入った紺のスーツかな?」

 

「ミキちゃんさすが!私が選んだのもそんな感じのやつやよ!」

 

「あら、やっぱり気が合うわね」

 

楽しそうに笑う2人を見て、やっぱり今日奥寺先輩と会ったのは正解だったと思う。同い年の2人は、まるで昔からの友達のように笑いあっている

 

「わり、俺ちょっとトイレ…」

 

「あ、瀧君が逃げた」

 

「逃げてねぇよ!」

 

「ふふっ、行ってらっしゃい」

 

 

 

 

 

 

瀧君に向かって、楽しそうにちょこちょこと手を振るミキちゃんを見つめて、私は微笑む。今日、ミキちゃんと会えて良かった…

 

そこで、私の目線にミキちゃんも気づく

 

ずっと手をつけていなかったミルクティーを一口すすると、ミキちゃんは言葉を発する

 

「三葉ちゃんと会えて、よかったわ」

 

微笑むミキちゃんは、本当に綺麗だった。あの頃と変わらずに

 

「私もやよ、なんだか、話してるだけで、とっても楽しいんよ」

 

「そうそう!三葉ちゃんとは自然に話が弾むのよ、なんだか昔からの知り合いみたいな感じだわ…」

 

「あー、でも、今日が初めましてやし…きっと私達も相性が良いんやね」

 

思わず私は苦笑する。もう、入れ替わりのときに会ってたほとんどの人に、この台詞を言われてしまった。私達はお互いにどれほどボロを出していたのだろうか?正直、今まで気づかれなかったのは運が良かった

 

「ふふっ、たぶんそうね」

 

ミキちゃんはコロコロと笑う。隣のテーブルの男子高校生3人組がさっきからこっちをチラチラと見ているけど、私は気づかないフリをしていた。おそらく、ミキちゃんの美貌にあてられたのだろう

 

ミキちゃんは、彼らの方をチラッと見ると、ウィンクをする

 

そのせいで、2人がテーブルに突っ伏して、もう1人は鼻血を出した

 

「ちょ…ミキちゃん…」

 

「あら、初々しいわね…」

 

そんなことを言うミキちゃんに、私は吹き出す。なんだか懐かしい…入れ替わっていたとき、一番仲が良かったのは間違いなくミキちゃんだった。あのときは、東京のお姉さんに憧れていたのもあったけど、今は、とても仲の良い友達になれた感じだ

 

だから、1人でこっそりと計画していたこの話をしてみることにした

 

「ねぇねぇ、ミキちゃん、実はね、来月瀧君の誕生日なんよ」

 

「あー、そういえば、そうね…昔、バイト先のみんなで祝ったことがあったわ」

 

ミキちゃんはまた、昔を懐かしむような顔をする

 

「それでね…まだ誰にも話しとらんのだけど、こんなこと考えとるんよ…」

 

私は、ミキちゃんに近づいて、耳打ちする

 

すると、ミキちゃんの顔がパッとほころぶ

 

「それ!いいわね!私も協力するわよ!」

 

「ほんと!?ミキちゃんありがとう!」

 

私はつい、ミキちゃんに抱きつく。シャンプーだか香水だかわからないけど、とてつもないいい香りでクラクラしそうだ

 

そんなミキちゃんは、私が憧れていた、綺麗な笑顔で言う

 

 

「三葉ちゃん、瀧君を、よろしくね」

 

 

だから、私も笑顔で答える

 

 

「うん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

最後のパズルのピースが、今埋まった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ2人とも、仲良くするのよ」

 

「今日はありがとうございました」

 

「ミキちゃん!またね!」

 

私が手を振ると、瀧君は恥ずかしそうに頭を下げて、三葉ちゃんはぶんぶんと大きく手を振る。ほんと、どっちも可愛いわね…

 

別れの言葉とともに、2人は手を繋いで歩いていく。後ろ姿だけでも、2人が愛し合っているのがよくわかる。私は、携帯を取り出すと、連絡先の一番上に出ている名前にかける

 

 

『もしもし、ミキ?どうしたんだ?』

 

 

「司?今、瀧君と三葉ちゃんに会ってたのよ」

 

 

『あー、なるほど…で、どうだった?』

 

 

「あなたの言ってたこと、本当だったわ…」

 

 

『だから言ったろ?三葉ちゃんってさ…まるで…』

 

 

 

 

 

私の脳裏に、とある昔の記憶が浮かぶ。

 

 

バイト帰りに2人でカフェに行って、帰るとき

 

 

瀧君は、まるで女の子のようにぶんぶんと大きく手を振る

 

 

 

『奥寺先輩!また明日!』

 

 

 

 

 

 

私は、そんな記憶を思い出して、思わず微笑む

 

 

「まるで、瀧君みたいよね…」

 

 

 

 

遠くを歩く2人は、楽しそうに笑いあっていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







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第35話「ささやかなバースディパーティー」

ふと、窓の外を見る

 

 

外の景色は、いつもと変わらずで、雑多な東京の街並みが広がっている

 

 

 

俺は目をデスクの上に戻して、散らばっている書類を適当に搔き集めていた。

 

そこから大事な書類だけ引き抜くと、あとはシュレッダーに放り込む。前はよく大事な書類ごとシュレッダーにかけるというアホなミスを何度もやったが、もうそんなことはしない。

 

そんなとき、定時を知らせるアナウンスが社内に流れる。今日は金曜日、社員の多くが立ち上がって、それぞれに帰りの準備を始める。この会社には、いわゆるノー残業デイというものがある。毎週金曜日は、残業をせずにすぐ帰りましょうという、いわゆる働き方改革の一環だ。

 

「ほーらお前ら、今日は金曜だぞ!さっさと帰れ!」

 

課長がデスクから立ち上がり、パンパンと手を叩きながら課内を回る。それによって、ギリギリまでパソコンにかじりついていた人達も、溜息をつきながら帰りの準備を始めた

 

実際のところ、このノー残業デイは嬉しいには嬉しいのだが、この部署ではあまり評判が良くない。要は、金曜に残業すれば終わった仕事が、これのせいで月曜日に回ってくるのだ。次の日が休みのときに残業するより、週始めの月曜から残業する方が辛いと言う意見が多いのだが、確かに俺もそう思う

 

 

だがまぁ、俺は今日の分の仕事はしっかり終わらせているから問題ない。

 

それに、今日は…

 

 

「おい、瀧」

 

 

鞄を持って、もう帰ろうというところで、隣の吉田に声をかけられる

 

 

「なんだよ?もう俺は帰るぞ」

 

 

すると、吉田は机の中をガサゴソと漁ると、何やら封筒を取り出し、俺に渡す

 

 

「お前、今日誕生日だろ?これやるよ、人から貰ったんだけどさ、俺、お前と違って一緒に行く人いないからさ」

 

そう言ってニヒヒと笑う吉田に、俺は驚きながらも、封筒を開ける

 

そこには、日本でも大人気の、某ネズミランドのチケットが2枚入っていた

 

「お前…これ、本当にいいのか?」

 

「いいっていいって!ほら、さっさと帰れや、嫁さんが待ってんだろ?」

 

そう言ってしっしと手を払う吉田に、俺は微笑む

 

 

 

「ちょっと待てよ、そういえば、俺もお前に渡すものがあるんだ」

 

俺も、デスクの1つの引き出しを開ける。そこから、1枚の封筒をとり出し、吉田に渡す

 

「ほら、遅くなったわ」

 

それを受け取った吉田は、中身を見ると、初めは驚いた顔をして、そして、笑顔になる

 

「ったく、待ちわびたぜ…」

 

「ま、そういうことだよ」

 

俺は笑いながら鞄を持ち、部屋の出口に向かう。そんな俺の背中に、吉田が声をかける

 

 

「瀧!おめでとう!」

 

 

俺は振り向かないで、笑いながら軽く手をあげる。そして、会社を後にした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そろそろ夏が近づいてきた今日この頃、太陽がその姿を消そうとしていても、外の気温は高い

 

俺は、会社から駅までの道を歩いていく

 

 

 

夕方が終わりを告げ、夜になる

 

 

 

その時間は、俺にとっては特別な時間だ

 

 

 

この時間になると、俺はいつも空を見上げる

 

 

 

もう癖になってしまった

 

 

 

そして、空が暗くなる

 

 

 

 

「かたわれ時…」

 

 

 

俺は、見上げた空に、そう呟いて、微笑む

 

 

 

 

いつ見ても、この空は変わらない。俺達の上にあって、俺達を見守ってくれる。

 

 

 

 

俺は、前を向くと、少しだけ小走りになる。

 

 

 

 

さぁ、早く帰ろう

 

 

 

 

愛する人のところに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま!」

 

玄関を開けた俺は、すぐに、違和感に気づく。まず1つ、玄関も廊下も真っ暗なこと、それから、いつもならすぐに出迎えに出てくる三葉が出てこないこと。

 

三葉は今日、有給を取って休みのはずだから、家にいないはずがない

 

「三葉?…」

 

 

俺は、玄関の電気をつけ、廊下を進む。リビングの扉ガラスを見ると、リビングの中も真っ暗なことが分かる。

 

もしかしたら、買い物に出てていないのか?そんなことを思いながら、俺はリビングの扉を開ける

 

 

 

 

 

そして、中に入ったその瞬間

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「瀧君!!!誕生日おめでとう!!!!」

 

 

パンッ!というクラッカーの音とともに、部屋が明るくなった。

 

 

俺は眩しさと、その音に驚き竦んでしまう。手で顔を隠して、ぼやけた目で辺りを見回す。すると、次々と俺の耳に祝いの言葉が入ってくる

 

「瀧さん!おめでとう!」

 

 

「瀧!来てやったぞ!」

 

「おめでとう瀧」

 

「ふふっ、驚いた?」

 

 

「三葉の計画が上手くいったなぁ!」

 

「おめでと!立花君!」

 

 

 

 

 

ぼやけた視界が元に戻る。そこには

 

 

みんなが、いた…

 

 

 

 

 

「お姉ちゃんったら、結構サプライズ好きやよね」

 

 

「四葉ちゃん…」

 

四葉ちゃんは、楽しそうに微笑んでいる

 

 

「驚いたろ?」

 

「三葉さんがみんなを集めてくれたんだぞ」

 

「あら、私だって色々考えたのよ?」

 

 

「高木…司、奥寺先輩まで…」

 

 

3人もまた、これ以上ないくらいの笑顔だ

 

 

「友達の誕生日は、祝わんとなぁ」

 

「うんうん!うちらの結婚式にも来てもらったし!」

 

 

「テッシーに、サヤちん…」

 

 

2人も、俺に向けて笑いかける

 

 

 

そして…

 

 

 

 

 

 

「瀧君…おめでとう」

 

 

一番愛しい人が、そばに来る

 

 

「これは、三葉が?」

 

「ふふっ、驚いたやろ?この前ミキちゃんと会ったときから、計画してたんやよ」

 

「そう…かよ…」

 

 

俺も、次第に笑みがこぼれてくる。嬉しくて嬉しくて、しょうがないのだ。こんなに幸せでいいのだろうか?

 

 

俺は、みんなを見回す

 

 

 

最高の嫁に

 

 

 

最高の友人達

 

 

 

「あっ、ちょ…瀧君?」

 

 

突然、三葉が慌て出す。どうしたのだろうか?

 

 

「瀧君、泣かんでよ…」

 

 

「え?」

 

 

俺は目を触ると、確かに、その手は濡れていて、俺は涙を流していた。

 

 

「あはは…おかしいな、今、すげぇ嬉しいのに、なんで涙が出てくるんだろうな…」

 

「ふふっ、嬉し泣きってやつやね、ほら、瀧君、行こ?」

 

三葉が、手を出す。そして、笑う。

 

 

俺が恋をした、花が咲くような、最高の笑顔で

 

「あぁ!」

 

俺は、その手を取る。そして、みんなの輪に入っていく

 

 

 

 

 

俺は今、最高に幸せだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三葉、その、色々ありがとな…」

 

「ううん、私がやりたくてやっただけやし…」

 

俺は今、三葉と一緒に台所で食器を洗っている。

 

あの後、女性陣が作った渾身の料理を食べてから、みんなにプレゼントを貰った。

 

ちなみに

 

四葉ちゃんからはネクタイピン

 

高木と司はスーツ

 

奥寺先輩からはメンズの香水

 

テッシーとサヤちんからは仕事で使う画材道具

 

 

 

 

そして、三葉からは、お揃いの腕時計を貰った。銀のバンドに、綺麗なブルーの文字盤の腕時計は、一目で俺のお気に入りになった。

 

「この腕時計、めっちゃ気に入ったよ…ほんと、ありがとうな」

 

俺は洗い物をするために今は外している腕時計を見ながら言う

 

「喜んでくれてよかった、私、この時計選ぶのに1日使ったんやから…」

 

「考えすぎだろ…」

 

「瀧君の趣味はようわからん」

 

「悪かったな…」

 

「だって瀧君いっつも黒のGショックしか付けへんやろ?」

 

「仕事で便利なんだよ」

 

「とか言って、時計を選ぶのにセンスも無かったりして…」

 

「う、うるさい…」

 

 

俺達は、そんなことを話しながら、笑い合う。すると、三葉が突然何かを思い出したかのように手を止める

 

 

「あ、そうや、そういえばもう一個プレゼントがあるんやった」

 

「ん?そうなのか?」

 

「うん!ちょっと待っとって!」

 

そう言うと、三葉はリビングに置いてある鞄の中に手を入れて、何やら箱を取り出し、こちらに持ってきた

 

 

「これ、なに?」

 

「いいから、ほら、開けてみて」

 

俺は、その箱を開ける、そこには、青い砂が入った、綺麗な砂時計が2つ、入っていた

 

「これ、この腕時計を買った人にサービスで付けてるんやって、しかも、私達で最後だったらしいよ」

 

俺は、砂時計を取り出すと、ひっくり返す。サラサラと、星のように輝く青い砂が、上から下へと落ちる

 

「これ、すげぇ綺麗だな…気に入った。ありがとう三葉」

 

「うん、まぁ、サービスでつけて貰った物だから…」

 

三つ葉も、もう1つの砂時計を取り出すと、ひっくり返す

 

 

 

互いの砂時計は、同じように、時を刻む

 

 

 

この砂時計のように、俺達は今、同じ時間を生きて、そして、歩いていく

 

 

 

 

だからこれからも、2人で、時を刻み続けよう

 

 

 

 

俺も三葉も、互いの砂時計を眺める

 

 

 

 

そして、今度はお互いに見つめあって、微笑んだ

 

 

 

 

どちらからともなく、キスをする

 

 

 

 

「瀧君…」

 

離れた三葉は、名残惜しそうな声を出す

 

「ほら、みんなにバレるぞ、さっさと洗い物しようぜ」

 

俺は笑いながら、洗い物に戻る

 

というか、みんなこちらを見ていた気がしたが…

 

 

 

 

 

俺はもう一度、砂時計を見る

 

 

 

 

砂時計はなおも、サラサラと青い砂を落としていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで?聞かんでええの?」

 

「だから、なんて聞くねん。三葉、瀧に身体を乗っ取られてたやろって?」

 

「いや、そこまでど直球にとは…」

 

「でも、やっぱり2人も、気づいてたんやね…」

 

俺は今、早耶香と四葉ちゃんと雑談中だ、隣では、真太や司とその奥さん(めちゃめちゃ美人やった…)が楽しそうに話している。

 

 

「とにかく、この話はもういいんや。今の2人を見てみい。あー…キスしとるわ…」

 

「「え?」」

 

女子2人が身を乗り出して台所の2人を凝視する。どうしてこう女子ってやつは…

 

俺はそんな2人を苦笑しながら見る

 

「ま、ほら、2人はあんだけ幸せそうやろ?あれ以上もう、余計なことはせんでいいねん。それよか、俺達がそんなことを聞いて何の意味がある?」

 

「うーん…そうなんやけど、話せば話すほど、あの時の三葉って、立花君にそっくりなんよね…」

 

「私も、実はずっと思ってたんよ。昔のお姉ちゃん、まるで瀧さんみたいって…」

 

「俺だってそりゃ思ったわ。けどな、あの2人に何があったとしても、もう俺達には出る幕はないと思うんや。きっと、そうやな…あの2人は、運命の赤い糸ってやつで、結ばれてるんやないか?…」

 

俺は、ゆらゆらと揺れる、三葉の赤い組紐を見ながら言う。

 

「克彦…あんたそんなロマンチックなこと言えたんやね…」

 

「意外です…」

 

「お、お前らな…」

 

俺達は、今も台所で楽しそうに話している2人を見て、微笑む

 

 

このままでいい、これは、2人の物語だ

 

 

 

 

きっと、その時がくれば、2人の方から話してくれるはずだ

 

 

 

 

だから、俺達は、見守ろう

 

 

 

 

 

あの、大好きな友人達を…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ?いいの、このまま何も聞かないで」

 

私は、高木君と司にそう聞く。私があの子達に会ってすぐ感じたもの、それは、既視感だ。初めて会った三葉ちゃんが、まるで昔からの友人のように感じた。そして、それはまるで、5年前の、あのおかしな時期の瀧君と話しているときのような感覚…

 

それを、この2人も感じたそうだ

 

「んー、まぁ、気になるっちゃなるんですけどねぇ…」

 

「まぁな、でも、ほら、あの2人を見てると、そんなことどうでもよくなってきたよ…」

 

2人は、苦笑しながら、台所で洗い物をしている2人を見る。いや、洗い物をしてるはずだったのだが、今はキスの真っ最中のようだ

 

「ふふっ、ほんと、仲が良いわね…」

 

「あの2人って、喧嘩するんすかね?」

 

「言い合いはよくしてるけど、俺達からしたらイチャついてるようにしか見えないからな」

 

「なんだか…余計なことを聞くのは、野暮なことなのかもね…」

 

私は、こちらに見られていることに気がついたのか、慌てて離れる2人を見なが言う

 

「俺も、そう思いますよ」

 

高木君も、頷く

 

「瀧があんなに笑うようになったのは、三葉さんと会ってからだよな」

 

「あぁ、あいつのあんな顔、久しぶりに見たぜ…」

 

「私も、去年会ったときと別人みたいだから、ビックリしちゃった」

 

あの時の瀧君は、どこかその表情に影を落としていた。今、三葉ちゃんの横にいる瀧君の顔には、そんな影は消えてしまって、明るさが満ち溢れている

 

 

「この話は、もうやめましょうか…きっといつか、あの子達から話してくれるわよ」

 

私は、高木君と司に向かって微笑む

 

そんな私を見て、彼らは頷く

 

「えぇ!そうですね!一応あいつの親友ですから!気長に待ちますよ!」

 

「それに、あいつに隠し事は向いてない、その内ボロを出すさ」

 

「ふふっ、瀧君嘘が下手だものね」

 

私たちは、笑いながら視線を2人に向ける

 

 

 

台所で今も楽しそうに話している2人は、とても幸せそうだった

 

 

 

 

その幸せを、私たちは見守ろう

 

 

 

 

そして、何かがあったら、助けてあげよう

 

 

 

 

あの、大好きな友人達を…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、みんな、今日は、俺のためにわざわざありがとう…」

 

俺はみんなの前で、頭の後ろをかきながら、軽く頭を下げる

 

「くくっ、何照れてんだよ」

 

「う、うるさいぞ高木…」

 

俺は、茶々を入れてくる高木を黙らせて、みんなを見回す

 

 

「それでだ…あー、なんていうか、今日はみんなに渡したいものがあるんだ」

 

「渡したいもの?」

 

サヤちんが、不思議そうに聞いてくる

 

「うん、ちょっと待っててくれ。三葉、持ってきていいよ」

 

「うん!」

 

俺は後ろにいた三葉に声をかける。すると、三葉が前に出てくる。その手には、人数分の封筒が握られている。そして、その表面には、それぞれみんなの名前が書かれている

 

俺と三葉は、その封筒を手分けして全員に手渡した

 

「あー、やっぱり、お父さん本当に…」

 

四葉ちゃんは、その封筒を見て、1人苦笑している

 

「これ…!」

 

もらったテッシーは、きっとなんだか分かったのだろう!ハッとした顔でこちらを見る

 

「瀧…お前、費用は大丈夫なのか?」

 

しかし、司は、心配そうな顔で尋ねてくる

 

「あー、まぁな…なぁ…三葉」

 

俺は、なんともいたたまれない気持ちに苦笑しながら、三葉を見る

 

「あはは…その、私のお父さんがね、いいって言ってるのに、費用は全部持つって聞かなくて…」

 

三葉も、苦笑している。だがその顔には、隠しきれない嬉しさが籠っている

 

 

「全部って!そりゃすごいね…さすが元町長…」

 

サヤちんも驚いて目を見開く

 

「瀧君…おめでとう、なんだか私、自分の時よりもワクワクしちゃうわ」

 

奥寺先輩も、優しい笑顔で微笑んでいる。

 

「な、なぁ、みんな、分かるのか?これ、なんなんだ?」

 

高木だけは、なんだか分かっていないのか、みんなの様子を見てあたふたしている

 

そんな姿がおかしくて、俺達は顔を見合わせて笑い合う

 

「お、おい!」

 

「まぁまぁ、高木、お前にも来てもらうんだからな。その封筒、開けていいぞ」

 

俺は笑いながら、高木にそう促す

 

「じゃ、じゃあ…」

 

高木は何やら神妙な面持ちで、封を開け、中から1枚の紙を取り出す

 

しばらくその紙を見つめて、高木は次第に笑顔になっていった

 

そして、俺の方を見て一言

 

 

「結婚式か!!!」

 

 

その言葉に、俺も三葉も大きく頷く

 

 

「みんな、俺達の結婚式、よかったら来てくれないか?みんなには、祝って欲しいんだ」

 

俺は照れ隠しに、少しだけ下を向きながらそう言う。すると、みんなは顔見合わせて、微笑む、

 

 

そして

 

 

まるで、せーのっと掛け声を合わせたかのように

 

 

「「「「「「もちろん!!!」」」」」」

 

 

 

 

 

俺は、また、みんなを見回す

 

 

 

 

みんながいなかったら、俺と三葉は、出会ってなかったかもしれない

 

 

 

みんなは、俺と三葉の物語には欠かせない存在だ。1人1人が大事なパズルのピースで、誰が欠けても、俺達のパズルは完成しなかった

 

 

 

でも、今こうして、俺達のパズルは全てぴったりとハマっている

 

 

 

だから、こうしてみんなで笑い会える

 

 

 

誰1人、欠けることなく

 

 

 

 

もしいつか、俺達の心の準備が整えば、みんなには全てを話したい。俺達の物語の、1人として

 

 

 

けど、今は

 

 

 

 

自分の幸せを感じたいんだ

 

 

 

 

だからみんな、もうちょっとだけ、待っててくれないか?

 

 

 

 

 

俺は、隣に立つ三葉の手を握り、その目を見る

 

 

 

 

三葉は笑う。俺が大好きな笑顔で…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、とある晴れた日の

 

 

 

 

 

 

ほんのささやかな

 

 

 

 

 

 

 

バースディパーティー

 



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最終話「夢灯篭」

これは、その後の物語…


「君の名前は」

 

 

 

この一言で、物語は始まった

 

 

 

 

俺にとって、かけがいのない、大切な名前…

 

 

 

 

 

 

忘れたくない、忘れたくなかった、忘れちゃダメな人

 

 

 

 

 

 

でも、忘れてしまったその名前を

 

 

 

 

 

 

私達は取り戻した

 

 

 

 

 

 

たとえ世界が邪魔をしたって、なくなったって、この体が散り散りになろうと、関係ない

 

 

 

 

 

 

探して、探して、探し続けて、

 

 

 

 

 

俺は

 

 

 

 

 

私は

 

 

 

 

 

 

出会うことができた…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この世界で、一番好きな人に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『それでは、新婦の入場です』

 

 

俺は、ゆっくりと、振り返る

 

 

私は、大きく深呼吸をする

 

 

 

ステンドグラスから光が差し込み、幻想的な空間を作り出す大聖堂の奥、真っ赤に彩られた絨毯、バージンロードの先にある大きな扉が開く

 

 

 

 

 

目の前の大きな扉が開く、現れたのは、真っ赤な絨毯と、荘厳な大聖堂。そして、その奥でこちらを見つめる瀧君の姿

 

 

 

 

 

開いた扉から現れたのは、純白のウエディングドレスに身を包んだ三葉の姿

 

俺はその姿に目を奪われた。まるで、世界の時が止まってしまったかのように…それほどまでに、彼女は美しかった

 

 

 

 

 

真っ白なタキシードに身を包んだ瀧君は、とってもかっこよくて、思わず目を奪われる

 

その目に…優しく微笑む彼の目に、私の視線は奪われて、離れない

 

 

 

 

純白のベールに隠された三葉の顔は、薄っすらと微笑みを隠していて、でも、その目は、10メートルは離れているのに、俺の目を捉えて離さなかった

 

 

 

『皆さま、ご起立願います』

 

 

神父の声で、会場の全員が立ち上がり、三葉に注目した。そして、それと同時に大聖堂の中に、新婦入場の伴奏曲が奏でられ、三葉の入場をさらに引き立てる

 

 

 

私は、扉の横に立つおばあちゃんから、綺麗な彩りのブーケをもらう。おばあちゃんは、私に向かって、今までにないくらいの優しい笑みを向ける。そんなおばあちゃんに、私も微笑み返して、頷く。そして、真っ赤な絨毯を、お父さんに手を引かれながら瀧君の方へ、ゆっくりと歩いて行く

 

 

 

 

 

長いようで、短い、そんな時間だった

 

 

 

 

 

一歩ずつ、三葉は歩く

 

 

 

一歩ずつ、私は歩く…

 

 

 

 

一歩…俺達は、決して出会うはずじゃなかった。けれど、この世界で、運命に導かれて出会うことができた…

 

 

 

一歩…私達は、人々の命を救うために、走り回った。記憶という、大事な物を犠牲にして…

 

 

 

一歩…俺達は、偶然か、必然か、再会することができた。そして、そこからまた、新しい物語が始まった…

 

 

 

 

一歩…私達は、全てを取り戻して、本当の意味で、再び出会うことができた…

 

 

 

 

一歩…そして俺は、この世界で

 

 

 

 

 

一歩…そして私は、この世界で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

君に恋をした…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前の三葉は、まるで輝いているように見えた。今、この世界で一番美しいのは、間違いなく三葉だ。例え、どんなに有名な女優だって、今の三葉に比べたら霞んでしまうだろう…

 

 

目の前の瀧君は、太陽の光のようにキラキラとして見えた。きっと、世界で一番カッコよくて、どんな俳優だろうと、今の瀧君の前では霞んでしまうと思う

 

 

 

 

 

 

俺は、三葉をここまで連れて来てくれた俊樹さんに一礼する

 

 

俊樹さんも、礼を返し、三葉の手を、俺の手へと預けた

 

 

 

そのとき、一瞬だけ、俊樹さんと目が合った

 

 

 

俊樹さんは、笑っていた

 

 

 

笑顔で、俺に向かって、頷く

 

 

 

だから俺も、大きく、頷き返す

 

 

 

 

 

…三葉を、任せてください

 

 

 

私の手を取った瀧君は、私のことを見つめて、微笑む。私も、この幸せいっぱいの空間で、とびきりの笑顔をする。

 

 

 

そして、私の手を取ったまま、ゆっくりと、階段を上っていく。その手の温もりは、優しくて、暖かくて、もう、絶対に離したくない、離れないものだった

 

 

 

そして、2人で、祭壇の前に立つ

 

 

神父は、優しそうな顔で俺達を見て、頷く

 

 

それを見て、緊張していた私達も、少しだけ心が和らいだ気がした

 

 

『それでは皆さま、ご起立したままでお願いします。讃美歌312番を、斉唱します』

 

 

神父の言葉を合図に、美しいピアノの旋律が流れ出す

 

讃美歌312番 祈祷

 

チャペルでの讃美歌の代表的なもの

 

やがて、その旋律が終わり、聖堂内が静けさに包まれる

 

 

神父さんはそれを見て、また、言葉を発する

 

 

『では、聖書を読ませていただきます…愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません…』

 

神父は、俺達の目をしっかりと見ながら、一言一言に気持ちを込めて、聖書を読み上げる

 

そして、終わりに聖書を閉じると、今度は微笑む

 

「それでは、私の方から、お2人に、幸せな結婚生活のアドバイスを、させていただきます」

 

丸っこくて、人の良さそうな神父さんは、手に原稿すら持たずに、私達に向かって話しかける

 

「今、お2人からは、目で見えるほどの幸せを感じます。その幸せを、これから先の人生、一生続けるのは、難しいことです。なぜかと言いますと、人というのは、年月のうちに、変わっていくものです。考え方、感性、捉え方、色んなことが、年をとるごとに変わっていきます。ですから、今、相性がぴったりと思っているお2人も、いずれどこかで、すれ違いが出来てしまうかもしれません…では、どうすればいいのか。それは、相手を、思いやることです…常に相手の気持ちを考え、自分を中心にせず、少しだけ、へりくだってみてください。そうすることで、おのずと、お互いの気持ちが理解でき、そして、良好な関係を続けることができるでしょう。これは、私からの、ちょっとしたアドバイスです」

 

神父はその言葉とともに、俺達に笑いかける

 

その言葉は、俺の心に響いた。相手を思いやる気持ち、人と付き合っていく上でかかせないことだ。俺は、三葉を思いやれているのだろうか

 

 

そんなことを思って、横目でチラッと三葉を見ると、ベールに隠された下で、三葉も同じようにこちらを見ているのが分かった

 

それを見て、俺は少しだけ微笑む

 

 

きっと、俺達は大丈夫…

 

 

 

神父さんの言葉を聞いて私は考える。私は瀧君を思いやれているのだろうか?私はわがままで、変なところで頑固だから、もしかしたら、瀧君に迷惑をかけているのかも…

 

そんなことを思って、横目で瀧君を見ると、緊張で冷や汗を流した瀧君も、横目でこちらを見ているのがわかった

 

それを見て、私は微笑む

 

 

きっと、私達は大丈夫…

 

 

『それでは、次は、誓約です…』

 

神父の言葉を聞き、俺達は、互いに向き合う。そして、三葉の手をとる

 

神父さんに言われて、私は瀧君の方を向く。瀧君は1つ頷くと、私の手をとる

 

瀧君は、緊張しながらも、優しい笑みを浮かべて私のことを見てくれる。それが、私の心を温かくする

 

 

 

『瀧さん。あなたは、三葉さんと結婚し、妻としようとしています。あなたは、この結婚を神の導きによるものだと受け取り、その教えに従って、夫としての役割を果たし、常に妻を愛し、敬い、慰め、助けて変わることなく、その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、死が二人を分かつときまで、命の日の続く限り、あなたの妻に対して、堅く節操を守ることを約束しますか?』

 

俺は、三葉の目を見て答える

 

「はい…誓います」

 

 

『三葉さん。あなたは瀧さんと結婚し、夫としようとしています。あなたは、この結婚を神の導きによるものだと受け取り、その教えに従って、妻としての分を果たし、常に夫を愛し、敬い、慰め、助けて、変わることなく、その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、死が二人を分かつときまで、命の灯の続く限り、あなたの夫に対して、堅く節操を守ることを約束しますか?』

 

「はい、誓います」

 

私は、瀧君の目を見つめながら答える

 

神父は、俺達の返事に満足そうに頷くと、ゆっくりと言葉を発する

 

『それでは…指輪の交換です』

 

 

神父さんが、瀧君に指輪を渡す

 

『新郎から、新婦へ…』

 

そして、大好きなその手が、ぎこちないけれど、しっかりと、私の左手の薬指に、優しく指輪をはめ込む。私達の愛を誓う、その指輪を…

 

 

神父が、三葉に指輪を渡す

 

『新婦から、新郎へ…』

 

三葉の柔らかい手が、緊張で震えながらも、俺の左手の薬指に、指輪をはめ込む。俺達の愛を誓う、その指輪を…

 

 

 

お互いの指輪をはめ込み、俺達は見つめ合う

 

 

 

 

 

 

そして…

 

 

 

 

 

 

 

 

『では…誓いのキスを…』

 

 

 

 

その言葉で、まるで、世界の時が止まってしまったかのように感じた

 

 

純白のベールを優しく上げると、俺が愛した彼女は、微笑んでいた…

 

今、探し続けた彼女は目の前にいて、俺はその彼女と、人生を共にする誓いを立てようとしている。

 

 

この世界で、この宇宙で…一番の…

 

 

 

 

俺が愛した君の名は

 

 

 

 

「三葉…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

優しく呼ばれた名前に、私は微笑む。上げられたベールの先には、私が愛して止まない彼がいる

 

 

 

一度は途切れた運命の赤い糸を、手繰り寄せて、手繰り寄せて…そしてやっと手に入れた、この最高の瞬間を、彼と一緒にいれることが何よりの幸せだった

 

 

何があっても、無くならない…

 

 

 

この愛を捧げる君の名は

 

 

 

 

 

「瀧君…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

唇が重なる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誓いのキスは、ほんのりと、甘かった…

 

 

 

 

 

 

 

 

止まっていた時が動き出す。俺の耳に、割れんばかりの拍手の音が聞こえる。

 

 

そして、目の前には、薄っすらと涙を流す三葉がいる。

 

 

俺達は今ここで、結婚を誓い合った

 

 

全てを君と、共にする誓いを…

 

 

 

 

 

 

 

 

『それでは、結婚の証明に、サインをお願いします』

 

その言葉と共に、2人で前に向き直る

 

祭壇の上に置かれた結婚誓約書。それに、お互いがサインを書き残す。こうすることで、2人が、結婚を誓い合ったということが、形として残るのだ

 

結婚誓約書にサインした俺達は、みんなの方を向く

 

そして、神父さんが私達の横に出て、みんなに向かって語りかける

 

『私は、瀧さんと、三葉さんの結婚が成立したことを宣言いたします。お二人が今、私たち一同の前で交わされた誓約を、神が固めてくださり、祝福で満たしてくださいますように…』

 

 

その神父さんの言葉が終わると共に、私達の結婚を祝うように讃美歌が奏でられる

 

頌栄という名の讃美歌は、聖歌隊によって、美しい旋律と共にこの大聖堂に響き渡る

 

 

やがて、歌が終わり、その響きが静けさに変わったとき、神父さんが、言葉を紡ぐ

 

 

 

『ご列席の皆さん、瀧さんと、三葉さんの上に神の祝福を願い、結婚の絆によって結ばれたこのお二人を、神がいつくしみ深く守り、助けてくださるよう祈りましょう…』

 

神父は、また、みんなに向かって語りかける。ゆっくりと、その言葉を刻むように

 

 

『宇宙万物の造り主である父よ、あなたはご自分にかたどって人を造り、夫婦の愛を祝福してくださいました。今日結婚の誓いをかわした二人の上に、満ちあふれる祝福を注いでください。二人が愛に生き、健全な家庭をつくりますように…喜びにつけ、悲しみにつけ、信頼と感謝を忘れず、あなたに支えられて仕事に励み、困難にあっては慰めを見いだすことができますように。また多くの友に恵まれ、結婚がもたらす恵みによって成長し、実り豊かな生活を送ることができますように。わたしたちの主によって…アーメン…』

 

 

神父さんに続くように、会場の全員が、アーメンと続ける

 

それを最後に、今まで真面目な顔をしていた神父さんが笑顔になる。そして、今までで一番大きな声で

 

 

 

「皆さん!今日この日!夫婦となったお2人を!盛大な拍手と、フラワーシャワーで!祝福しましょう!」

 

 

俺達の耳に、また割れんばかりの拍手が送られる

 

 

俺達は、2人で顔を見合わせて、笑い合う。そして、腕を組みながら、バージンロードを扉に向かってゆっくりと歩き出す

 

 

そんな私たちに向かって、花のシャワーが浴びせられる

 

 

みんな、とびきりの笑顔だ

 

 

 

四葉ちゃん…いつも三葉のことを見守ってくれていた、とっても良い妹だ

 

 

四葉…私が辛いとき、悲しいとき、いつもそばにいてくれた、大好きな妹

 

 

 

高木に司…憎まれ口は叩くけれども、いつも俺を助けてくれて、力になってくれた、最高の親友達

 

 

高木君に藤井君…入れ替わっていた時に、いつも優しくしてくれて、私の心の支えになってくれた、今では大事な友人達

 

 

 

奥寺先輩…俺が、三葉に恋をしていることに気づかせてくれた人。昔から優しくて、美人で、今でも、俺の大事な友人だ

 

 

ミキちゃん…私が入れ替わっていた時に一番仲良くしてもらった大事な人。綺麗で、それでいて優しくて謙虚な彼女は、私の憧れの人だった。今では、とっても仲良しな友人の1人

 

 

 

テッシーにサヤちん…俺が入れ替わっていた時も、三葉として変わらずに接してくれて、彗星からの避難にも協力してくれた。今では俺の大切な友人達

 

テッシーとサヤちん…幼い頃から私といつも一緒にいてくれて、星が落ちるなんて突拍子も無い言葉を信じてくれた、私の最高の親友達

 

 

 

 

そんなみんなが、俺達に向けて祝福の花びらを散らす

 

 

 

真っ赤な絨毯を歩き抜けて、また、大きな扉が開く

 

 

 

その先にあるのは、目が眩むほどの眩しい光

 

 

 

 

 

 

外には、どこまでも続く海が広がっていた

 

 

 

 

 

私達は、テラスのように広がっている教会の広場に出る。そして、振り向くと、先程まで会場にいたみんなが、俺達に続いて外に出てくる

 

 

『皆さま、ここで、花嫁からのブーケトスが行われます』

 

 

司会の言葉を受けて、私は、今度はみんなに背を向けて海の方を向く。そして、手に持つブーケを、後ろに向けて、思い切り投げる

 

この幸せのほんの一部だけど、誰かに受け取ってもらえるように…

 

 

 

綺麗な曲線を描いて飛ぶその花束を掴んだのは…

 

 

 

 

 

「わ、私!?」

 

 

「四葉!!!高木君と仲良くねー!!!」

 

 

「え!?ちょ!お姉ちゃん!!なんで知っとるん!!?」

 

 

「高木!!犯罪だぞー!!!」

 

 

「ちょ!!?おま!!ちげぇよ!!!!」

 

 

 

俺達は、顔を見合わせて笑い合う。みんながいて、三葉がいる。この幸せで、最高の瞬間を迎えられたことが、心の底から嬉しい

 

 

 

振り返ると、どこまでも続くように見える海は、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。まるで、地平線の彼方、世界の端まで届いているような…そんな景色が、俺達の目の前に広がっている

 

 

 

俺は、空に向かって手を伸ばす。あの日、君を掴みたかったその手を

 

 

私は、手を重ねる。あの日、君に届いたこの手を

 

 

 

 

重なったこの手は、二度と離れない

 

縒り集まってかたちを作り、捻れて、絡まって、時には戻って、途切れて…

 

 

そして、また繋がったこのムスビは、二度と離れることはない

 

 

 

 

 

 

 

それは、愛によって

 

 

 

 

 

 

 

 

結ばれているのだから…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あぁこのまま僕たちの声が

 

 

 

 

 

 

 

「私ね…あなたに会えて、本当に幸せだよ」

 

 

 

 

 

 

 

世界の端っこまで消えることなく

 

 

 

 

 

 

 

「俺も…お前に会えて、本当に幸せだ」

 

 

 

 

 

届いたりしたらいいのにな

 

 

 

 

 

 

 

「これからは、ずっと一緒やよ」

 

 

 

 

 

 

 

そしたらね2人で

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ、2人で、あの日から始まった俺達の物語を」

 

 

 

 

 

 

どんな言葉を放とう

 

 

 

 

 

 

「また新しく、ここから始めるんやね」

 

 

 

 

 

 

消えることない約束を

 

 

 

 

 

「だから…」

 

 

 

 

 

 

 

2人で

 

 

 

 

 

 

「もう一度だけ…」

 

 

 

 

 

 

せーので

 

 

 

 

 

 

「始まりの合図を」

 

 

 

 

 

 

 

言おう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「君の名は。」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、1つの愛の物語の、エンディングであり

 

 

 

そして

 

 

 

 

また新しく始まるその後の物語(after story)の

 

 

 

 

 

 

 

 

オープニングである…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

君の名は。 〜after story〜

 

 

fin

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




というわけで、皆様、よろしければ、エンディングに夢灯篭を流してみてください。私が一番好きな曲です。

そして、本当にここまでありがとうございました。これにて最終話となります。では最後に、エピローグをご覧ください


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〜エピローグ〜
「君の名前は」


病院のロータリーに、一台のタクシーが滑り込むように停車した

 

そして、そのドアが勢いよく開き、1人の男性が飛び出す

 

 

「お釣り!!いりませんから!!」

 

 

「あ!お客さん!!」

 

 

男性は、どう見ても多すぎる量のお札を運転手に投げつけるようにして、駆け出す

 

その背中を、タクシーの運転手は唖然としながら眺めていた

 

 

 

 

 

 

自動ドアが開く速度さえ遅く感じる。ひどくもどかしい。俺は、開きかけの自動ドアに肩をぶつけながらも、中に駆け込む。そして、周りの目線など気にせずに、総合受付と書いてあるカウンターへと直行する。

 

2、3人並んでいる人がいたが、その人達の間をすり抜けて、受付の事務員に叫ぶように話しかける

 

 

「立花!!立花三葉の夫です!!!彼女は!三葉はどこですか!?」

 

 

目の前の事務員は、一瞬驚いたような顔をして、やがて、事態を把握したのか、すぐにどこかに電話をかける。

 

そして、ほんの少しだけ話すと、受話器を置く

 

「立花さん!奥さんは3階の分娩室です!すぐに行ってあげてください!」

 

俺は、受付の彼女が指でさした地図の場所を一瞬で記憶すると、走り出す

 

階段を駆け上がり、3階の廊下を走る

 

病院は走ってはいけない。そんなことはわかっている。ただ、今だけは…今だけは許してほしい

 

 

 

 

 

 

そして、目的の部屋の前に立ち止まる

 

 

あれだけ急いで来たのに、目の前に立つと、急に臆してしまう。何が怖いのか、自分でもわからない。

 

 

震える手で、その手を引き戸にかける

 

 

 

どんな結末だろうと、きっと、それは幸せに繋がるはずだ

 

 

 

俺達は、幸せをこの手で掴み取ってきたのだから…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「瀧君…」

 

 

三葉は、微笑んでいた。愛する我が子を抱いて…

 

 

疲労が目に見えて現れているその顔には、疲れと一緒に、溢れんばかりの幸せが見えた

 

 

 

「三葉…」

 

 

俺は呼ぶ。君の名を

 

 

愛して止まない、その名前を

 

 

 

「瀧君…私、頑張ったんやよ…」

 

 

「三葉…本当に…本当に…」

 

 

俺は、目に涙を浮かべながら、三葉の側へ行く

 

そして…

 

 

 

「ありがとう…」

 

 

泣きながら、笑いながら、俺は伝える。全部言葉に出したら、キリがない。だから、一言だけでいいんだ…それだけで、俺達には十分だった

 

 

「うん…うん…」

 

 

三葉も、その目に涙を浮かべながら、笑って頷く

 

 

「遅くなってごめんな…こんな時に出張なんて、ほんと、ダメな夫だよな…」

 

 

「ううん、ええんよ…家族のために、仕事を頑張ってくれてるんやから…それに、ほら、こうして元気に生まれてきてくれたんやよ?」

 

 

三葉は、抱いているその子を、俺に見せてくれる。眠っているのだろうか、目を閉じてはいるけれど、その鼓動を、その命を、確かに感じることができる

 

 

俺は、三葉を思い切り抱きしめたい気持ちを必死に押し込める。出産で体力のなくなった三葉に、そんなことはできない。だから、その頭を、優しく撫でる

 

 

「よく、頑張ったな…」

 

 

三葉は、それを嬉しそうに受けると、少しだけ苦笑する

 

 

「もう…瀧君たら、それは、この子に最初に言ってあげんと…」

 

 

「あぁ、でも、俺は最初に、三葉に言ってあげたかったんだ…」

 

 

俺は微笑んで、三葉の目を見つめる。三葉の目からは、その言葉を聞いて、新たな涙をその頰に垂らしていく

 

「お前も、よく頑張ったな…」

 

そして、俺達の、愛する我が子に向けて、笑いかける

 

本当に…2人とも、よく頑張ってくれた

 

こんな幸せなことがあっていいのだろうか

 

俺は今この瞬間を噛みしめるように目を瞑る

 

 

「元気な、女の子やって…」

 

そんな俺に、三葉が話しかける

 

「女の子か…きっと三葉に似て、美人になるんだろうなぁ…」

 

「もう…またそんなこと言って…」

 

俺も三葉も、笑い合う。この子の将来を夢に見て

 

「大きくなって、彼氏とか連れてきたらどうしよう…」

 

「殴ったりしたらダメやよ?瀧君意外と喧嘩っ早いんやから…」

 

「うーん…まぁ、相手の出方次第だな…」

 

「あー…こりゃ親バカになるわ…」

 

「悪いのかよ?」

 

「度が過ぎると嫌われるんやよ、気をつけんさい」

 

そんな会話が、堪らなく楽しい。この子は一体、どんな子に育つのだろうか?どんな人生を送るのだろうか?

 

そして、どんな物語を作るのだろうか…

 

 

 

 

 

 

「なぁ、俺達で、最初に名前を呼んであげようよ」

 

 

 

 

 

 

名前は、俺達にとっては、命と同じくらい大事なものだ

 

 

 

 

 

 

「でも、本当にいいの?この名前で…私は良いんやけど、伝統とか、そんなものに縛られなくてもいいって、おばあちゃん言っとったよ?」

 

 

 

 

 

 

だから、最初に、俺達で呼んであげたいんだ

 

 

 

 

 

 

「散々考えただろ?それでも、この名前に決めたんだ。意味だって、ちゃんとある」

 

 

「そっか…それじゃあ、大丈夫やね。私も、とっても良い名前だと思う…けど、瀧君が良いのか、心配だっただけやよ」

 

 

 

 

 

 

これから一生を共にする。その名前を…

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、問題ないな、それに、結婚記念日まで、名前を意識しちゃったしな…」

 

 

 

「ほんと、男の子やったらどうするつもりだったんよ…」

 

 

 

 

 

君と一緒に…

 

 

 

 

 

「ま、結果オーライだろ。それよりさ、ほら三葉も一緒に」

 

 

 

「うん、瀧君も、一緒に」

 

 

 

俺達は、愛する我が子の顔を覗き込む

 

 

 

 

2人一緒に、とびきりの笑顔で…

 

 

 

 

 

 

 

 

そして再び

 

 

 

まるで、せーのっと、掛け声を合わせたかのように

 

 

 

始まりの合図を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「君の名前は」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからまた、新しい物語が始まる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもそれはまた、別のお話…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

the end

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これにて本編は完結となります。ここまで応援してくださった読者の皆様、本当にありがとうございました。勢いだけで書き始めたこの物語が、こうして無事に完結するとは思わなかったです。気づけばランキングにも上がり、評価バーも真っ赤に染まり、沢山の応援や、感想を頂き、本当に本当に、嬉しかったです。そして、それは、ひとえに皆様のおかげです。

尚この後に、蛇足にはなってしまうかもしれませんが、番外編をいくつか投稿する予定です。

本当に、最後までありがとうございました。





では、またいつか、どこかの物語で


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〜番外編シリーズ〜
番外編 第3話「あの日見た夢の記憶を」


第20話「転落」にて、三葉が見た夢とは…


「お母さんー!!」

 

「ちょ!五葉!!走るなって!危ないだろ!」

 

家のキッチンで料理をしていると、リビングの方から愛しの娘がトテトテと私に向かって走ってくる。その後ろを、愛しの夫があたふたしながらついてきた。まったく…情けない旦那様やね…

 

私は五葉を抱きとめると、そのまま抱っこして、楽しそうに笑う五葉に話しかける

 

「まったく〜、瀧君に似てやんちゃに育ったんやねぇ、お父さんにいじめられたの?」

 

「お、おい!」

 

瀧君が何か言っているけど、私は聞こえないフリをする。

 

「お父さんがね!お母さんのこと大好きやって!」

 

「あっ!五葉!言っちゃダメだって言ったろ!?」

 

瀧君は顔を赤くしながら頭の後ろをかく。この癖は、何年たっても変わらない

 

「ほんと?お母さん嬉しいなぁ!でもね五葉、それと同じくらい、お母さんもお父さんのことが大好きなんよ?」

 

「ほんと!?お父さん!お母さんが大好きやって!!」

 

「あ、あぁ…」

 

瀧君は、また少し顔を赤くしながら苦笑する。私もそんな瀧君を見て、クスクスと笑う。

 

「ねぇねぇ、じゃあ、五葉のことは?」

 

そんな娘からの質問に私と瀧君は顔を見合わせて、微笑む

 

「そりゃもちろん…ねぇ瀧君」

 

「当たり前だろ?」

 

首を傾げる五葉に向けて、私達は一緒に言葉を発する

 

 

 

「「世界で一番大好きだよ」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瀧君に抱っこされながらリビングに戻る五葉を見て、私は改めて自覚する。もう、自分もお母さんになったのだと…

 

 

 

「お母さん…」

 

 

 

私の口から、不意にそんな言葉が出てくる。そして、少しだけ、思い出す

 

 

私と瀧君が、記憶を取り戻すために糸守に行ったとき、私は途中で、瀧君におぶられながら寝てしまった。あのとき…

 

 

あの日…

 

 

 

あの日見た夢の記憶を…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うるさい…好き…」

 

その言葉と共に、私の意識は落ちていった。あれほど降りしきっていた豪雨の音も、次第に耳から遠くなっていく

 

 

そして…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真っ白な廊下が目の前に広がっていた

 

 

「あれ?」

 

 

ここは、どこ?

 

 

 

私は、辺りを見回す。そこは、どう見ても、病院の廊下だった

 

そして、気がつくと、先程まで誰もいなかったはずの廊下に、人が溢れている。書類を何枚も抱えて小走りで歩く看護師や、入院服を着た患者。友達のお見舞いに来たのだろうか、健康そうな学生の集団。そんな人達が、突然私の周りに現れた。よく見る、普通の病院の風景、しかし私には、それがとても異質なものに見える

 

 

「なに、これ…」

 

 

私は困惑していた。これは夢だ。私は夢を見ている…でも、いつも夢で会う瀧君は、ここにはいない。それに、瀧君以外の人が夢に現れるのは、いったい、いつ以来だろうか…

 

 

困惑しながら、私は歩く。前から、学生服を着た集団が歩いてきて、私とすれ違う。そんな彼らを、私は無意識のうちに振り返って眺めてしまった。すのとき、小走りで歩いていた看護師の女性と肩がぶつかってしまう

 

 

「あっ!ごめんなさい!」

 

私のせいで、彼女が抱えていた沢山の書類が散らばる。私は、散らばった書類を集めて、彼女に渡す。彼女は、頭を下げて、ありがとうございますと言うと、また小走りで去って行った

 

 

 

 

これ…

 

 

 

なにか、おかしい…

 

 

 

これは、夢なのに、ただの、取り残された記憶のはずのなのに…

 

 

 

まるで…

 

 

 

まるで現実にいるような、そんな感覚だった

 

 

 

 

 

私は、病院の窓ガラスに映る自分を見る。高校の制服に身を包み、組紐で髪を結っている。いつもと変わらない.あの日から変わらない姿が、そこにあった

 

 

 

私はまた、あてもなく病院の廊下を歩き出す。やがて、廊下の突き当たり、一番端の病室の前まで来ると、立ち止まった

 

そして、私は何気なく、その病室の名札を見た

 

 

 

 

 

 

 

宮水 二葉様

 

 

 

 

 

 

一瞬、息が止まるかと思った

 

 

 

思い出した…

 

 

 

 

ここは…ここは、お母さんの、病室だ…

 

 

 

 

 

 

「お母さん!!」

 

突然、私の真横を幼い子供がすり抜ける。その子は勢いよく病室の扉を開けると、中に入っていく

 

「こら!四葉!病院では走っちゃダメやって!!」

 

その後ろから、また1人の子供が追いかけていく。走っちゃダメと言いながら、自分も走っていたのだが…

 

「まったく…あの子達は…誰に似たんだか」

 

そして、1人の男性が、苦笑しながら歩いて来る。その男性の顔には、見覚えがあった。

 

 

 

「あっ…うそ…」

 

 

 

お父さん…

 

 

 

思わず声を出してしまった私に気がついて、お父さんがこちらを向く。私は、咄嗟に下を向いて顔を隠す。何故だか、バレてはいけない気がした

 

 

「ん?妻の病室に何か?」

 

 

「あ、あの…ちょっと迷っちゃって…」

 

 

気づかれてはいけない。そんな思いで、ごまかしの言葉を口にする。一本道の廊下で迷うなんて、おかしな話だけど、そんなことを気にしている余裕はなかった

 

 

「そう…ですか。では…」

 

お父さんは、そんな私のことを少しだけ見ると、先程の子供達に続いて病室の中に入って行く

 

 

そんな光景を見ながら、私はただぼうっと立っていた

 

 

 

この夢は…これは…

 

 

 

 

いったいなに?

 

 

 

 

お母さんの病室に、お父さん…っていうことは、さっきの子供達は、四葉と…

 

 

私?

 

 

 

頭がパンクしそうだった。これはまるで、夢を見ているというよりも

 

 

 

過去に戻っている

 

 

 

そんな感覚だった

 

 

 

 

私は、廊下の窓から外を眺める。外には、ポツポツと民家が見えるけれども、他には木々が茂っているばかりだった。そんな様子から、ここは糸守に近い病院で、名古屋や東京にある大きな総合病院ではないということが分かる。

 

お母さんの病気は、命に関わる重篤な病気だったはず。なら何故、お母さんはこのようなところにいるのだろうか、どうしてお父さんは、すぐにお母さんをもっと大きな病院に移さないのだろうか

 

そんな思考が、私の脳内を渦巻く。

 

そして必死に、この頃の記憶を掘り起こそうとする。あの頃は、毎日のようにお母さんのお見舞いに行っていた。お母さんはすぐに良くなる。そう信じていた。

 

だから、お母さんが死んだときは、信じることができなかった

 

しばらくは、毎日泣いて、泣いて…

 

ご飯も食べられず、生活もままならなかった。幸いなことに四葉は、まだ死という概念がよくわかっていなかったため、お母さんはどこか遠くに行ってしまって、いつか戻って来ると思い込んでいたから、すぐに元気になった

 

 

でも、そんな私も立ち直ることができた

 

 

それはもしかしたら、私よりも、お母さんの死を悲しんでいる人がいたからかもしれない…

 

大きな背中が、お母さんの遺骨の前でうずくまり、ただひたすらに涙を流す姿が、私の脳裏に浮かぶ。おばあちゃんと言い争い、何故みんなすぐに立ち直れるのかと大声で怒鳴る姿に、幼心で恐怖してしまったことを思い出す。

 

そして、私はその手を、私は取れなかった…

 

きっと、一番孤独に苛まれていたであろうその手を、私は恐ろしい目で見てしまったから…

 

 

 

 

 

そこで、再び、病室の扉が開く。

 

 

 

 

私は咄嗟に、廊下の壁の影に隠れて、姿を隠す

 

 

「お父さん、お母さん、すぐ良くなるよね」

 

「…あぁ、三葉は心配しなくて大丈夫だよ。お母さんはすぐに元気になる」

 

「うん…」

 

「それに、お母さんはもうすぐ大きな病院に移る。そうしたら、あっという間に良くなるさ」

 

お父さんは、微笑みながら、幼い私を撫でる。

 

「お父さんも、お母さんも…2人とも、どこにも行かないよね?いなくならないよね?」

 

幼い私が、心配そうな顔で聞くと、お父さんは一瞬辛そうな顔をして、そしてすぐに笑顔に戻る

 

「当たり前だ。私も二葉も、どこにも行かない。ずっと三葉と四葉と一緒だ」

 

その言葉に、暗い顔をしていた幼い私も、笑顔になる。そして、2人で手を繋ぐ

 

「お父さん!お姉ちゃん!早く行こ!お母さんがね!帰りにお父さんが美味しいご飯に連れて行ってくれるって!」

 

そこで、後から出てきた四葉もお父さんの手をとる

 

「お父さん、ほんと?」

 

「あー、まったく…二葉のやつ…よし!それじゃ2人は何が食べたい?」

 

「私はハンバーグ!」

 

「うーん…私はオムライス!」

 

「いつも和食ばっかりだからなぁ。わかった!じゃあ行くぞ」

 

3人は、仲良く手を繋いで、歩いて行く

 

 

あの頃の私は、とてもお父さんが好きだった。ただ、それは、お母さんの死によって、変わってしまった…

 

 

私は、歩いて行く3人の背中を眺めながら、病室の前に立った

 

そして、前に向き直る

 

この手を少し動かせば、会える

 

 

大好きだった、お母さんに…

 

 

でも、震えた手は、ドアに手をかけたまま動かない

 

 

どうしてだろうか、とても怖い

 

 

この姿で、お母さんに会って、私は何がしたいのだろうか

 

 

きっとお母さんは、私のことがわからない

 

 

お母さんと呼ぶことも、抱きつくこともできないのに、お母さんに会って、私は…

 

 

私は…

 

 

 

 

 

 

気がつくと、私はドアを開けていた

 

 

 

 

窓の外から、光と、柔らかい風が吹いていて、窓際のベッドに座るお母さんの髪は、優しくたなびいていた

 

 

「あら…何か忘れ物?」

 

そう言って振り向いたお母さんは、私のことを見て、少しだけ驚いた顔をする。どうやら、お父さん達が戻ってきたのだと思っていたのだろう

 

「あの…」

 

私は、なんて言っていいかわからずに、俯いてしまう

 

 

しばらく、ただ風の音だけが聞こえる

 

 

「此方を、向いてくれるかしら?」

 

そんな声で、私は弾けるように顔を上げる

 

「ふふ、やっぱり…とっても可愛い子ね。どうしてここに?」

 

「えっと…その…へ、部屋を間違えてしまって…」

 

我ながら、苦しい言い訳だと思う。病室の名札に、名前が書いてあるのだから、間違えるはずはないのだ。それでも、お母さんは優しく微笑んでいる

 

「そうなのね…ねぇ、せっかく会ったのだから、何かお話しましょう?」

 

「え?あ…はい」

 

 

お母さんは、楽しそうに笑い、こちらに手招きをする。私は、困惑しながらも、その手に誘われておずおずとお母さんに近づく

 

手が届く距離まで来ると。お母さんは今度は私の目を見つめる

 

「可愛いお客様ね、私の娘に、よく似ているわ」

 

一瞬、心臓が跳ねた。似ているというか、その娘そのものなのだから…

 

何故かはわからないけれど、私が宮水三葉だということを、この世界の誰にも知られてはいけないという思いが、私の頭の中にあった

 

だから、どうしても、顔を見られないように、少しだけ俯いてしまう

 

「あの…ごめんなさい…やっぱり私、帰ります…」

 

 

きっと、ここにいたらバレてしまう。だって、この人は私のお母さんなのだから…

 

 

「いいのよ、私、あなたと少しお話がしたいの。さっきまで家族がお見舞いに来てくれていたのだけれど、帰ってしまったから、暇なのよ…」

 

 

少しだけ、寂しそうに笑うお母さんに、思わず私は抱きつきたくなる。家族なら、ここにいると、娘はここにいると、そう言ってあげたい。でも、その気持ちを必死に心に押しとどめる。

 

「家族…ですか…」

 

「ええ、娘が2人いてね、お姉ちゃんの方は三葉、妹の方は四葉というの。可愛い名前でしょ?」

 

「は、はい!とっても!」

 

なんだか、むずむずする。お母さんと話しているのに、まったく他人のふりをしなければいけない。そんな状況が、心をくすぐる

 

「三葉はほんとに手がかからない子でね、とっても良い子で…でも、たまにやんちゃで頑固なところとか、お父さんにそっくりなのよ」

 

お母さんの言葉に、私は泣きそうになる。お母さんとの記憶が、私の頭の中を駆け巡る。

 

 

 

 

台所で、お母さんと一緒に里芋を剥いている

 

『お母さん…』

 

『なぁに?』

 

『これ、すごくめんどくさいやつ…』

 

『そうよー。だからお手伝いが要るの。えらいわねー』

 

クスクスと笑うお母さん。それは、今目の前で笑うお母さんと、まったく一緒だった。ただ、違うところがあるとすれば、病気によってお母さんは少し痩せていた。けれど、今は比較的症状が軽い時期なのだろう。末期には、お母さんは…この時から見る影もなく痩せ細っていたのだから。

 

 

「あなたは今…幸せですか?」

 

 

不意に、私の口からそんな言葉が出て来てしまった。そんなこと、言うはずじゃなかったのに

 

お母さんは、少しだけ、驚いた顔をして、やがて、優しく微笑む

 

「とっても、幸せよ」

 

その言葉が、全てを表していた。命に関わるの病気に罹っていても、まったく淀まずに幸せと言い切れる。それほどまでに、お母さんは幸せだったのだ

 

私は、涙を流してしまった

 

溢れ出るそれは、止めることができなくて

 

拭っても拭っても、また次が溢れ出て来る

 

 

 

 

急に、手が、私を抱きしめた

 

 

柔らかい感触と、花の香りのような匂いが、私を包み込む

 

 

「私の病気はね…きっと治らないの…でも、私のことを愛してくれる家族がいて、私も、愛する家族がいる…それで、十分なの」

 

泣きじゃくる私を抱きしめながら、お母さんは言葉を紡ぐ

 

「だから、あなたも頑張って…きっとあなたには、幸せが待っているわ。諦めないで、めげないで、前を向いて、走り続けなさい。そうすれば、きっと、あるべきようになるから…」

 

優しく頭を撫でるお母さんの手の感触は、あの頃と何も変わらない

 

 

どれほどの時間、そうしていたのだろうか

 

 

明るかった外の景色も、すでに夕方に変わっている

 

 

私は、そっと、お母さんから離れる

 

 

目を拭って、少しだけ残っている涙を振り払う

 

 

「ありがとう…」

 

 

ただ、一言、私はそう言う

 

その言葉を聞いて、お母さんは優しく笑う

 

 

「こちらこそ…ありがとう」

 

なんのお礼かは、わからない。けど、それでいい

 

「私、頑張るね…きっと、全部取り戻して、幸せになるから」

 

私は、お母さんの目を見つめる

 

 

 

 

そのとき、太陽の光が強くなって、私の目を遮る。世界の輪郭がぼやけて、まるで光の中に包まれるような感覚になる

 

 

 

 

 

あぁ…目覚めてしまう

 

 

 

 

 

最後に

 

 

 

 

 

 

もう一度だけ…

 

 

 

 

 

「っ!…お母さん!!!!」

 

 

力の限り、私は叫ぶ。止まっていた涙を、また流しながら

 

 

 

 

 

 

 

光の中から、声が聞こえる。大好きだった、優しい声が

 

 

 

「頑張りなさい…三葉」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お母さんー?」

 

はっとして、私の意識は記憶の中から急速に戻ってきた。下を見ると、五葉が心配そうに私のスカートの裾を握ってこちらを見上げている。私は、五葉の目線に合わせるようにしゃがみこむ

 

「五葉?どうしたの?」

 

「お母さん…どこか痛いの?」

 

「んー?痛くないよ、どうして?」

 

「だって、お母さん、泣いてるんやもん…」

 

心配そうに言う五葉の言葉に、私は目を触る。すると、たしかに涙を流していた。

 

「あ、ほんとやね…でも大丈夫やよ、お母さん元気やから!」

 

私は、五葉を安心させるために、サムズアップしてみせる。すると、五葉も心配そうな顔から、笑顔に変わっていく

 

「じゃあ五葉、せっかくだから、お母さんの料理のお手伝いしてみよっか?」

 

「え!いいの!する!する!!」

 

私は、立ち上がると、転がっている里芋と、小さな果物ナイフを手に取る

 

「じゃあ里芋の剥き方を教えます。刃物を使うんやから、充分注意すること。危ないと思ったらすぐ手を離すこと」

 

私がそう言うと、五葉は神妙に頷く

 

戻ってこない五葉を心配したのか、瀧君がいつのまにかキッチンの入り口に立ってこちらを見ている

 

私は、ナイフを持つ五葉を心配そうに見つめる瀧君に近づいて、小声で話す

 

「この子には少しでも早くいろいろなことを教えておきたいんよ」

 

「あぁ、良いことだな…ちょっと心配だけど」

 

私たちは、私に教えられた通り、難しい顔をしてまな板の上で芋の皮を削いでいる五葉を見ていたが、五葉はしばらくすると、その目を芋から離さないままで

 

「お母さん…」

 

「どうしたの?」

 

「これ、めっちゃめんどいやつや…」

 

「そうやねー。だからお手伝いが要るんよ。えらいわねー」

 

私は、未だに芋と格闘している五葉を見ながら、そんなことを言って、クスクスと笑う。横では、瀧君も楽しそうに微笑んでいる

 

 

 

 

 

私は今、幸せだった

 

 

 

間違いなく、この世界で一番かもしれないくらいに、幸せだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お母さん…私は今、幸せやよ

 

 

 

 

私、お母さんみたいに、なれたかな?

 

 

 

 

 

少しだけ、昔の記憶に思いを馳せる

 

 

 

 

記憶の中のお母さんは、いつも、いつまでも、優しく笑っていた

 

 

 

 

 




この物語を完結させた後に、君の名は。の映画と小説を全部見直しました。やっぱり、君の名は。は最高の作品ですね


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番外編 第4話「前日譚(before story)」

語られなかった、1日目の入れ替わり。寝癖だらけの瀧は、一体どんな1日を送ったのか…


朝、目を覚ますと、いつもの天井が広がっていた。真っ白な天井に朝日が反射して、少し眩しい

 

俺はベッドから立ち上がると、窓から入ってくる風によってひらひらと揺れているカーテンを見て、ため息をつく

 

まったく、三葉のやつ、昨日窓閉め忘れたな…

 

後ろを振り返ると、愛しい2人が寄り添うように寝ている。おっと、そういえば、そろそろ3人になる予定だった…

 

 

 

でも、これは…

 

 

そう、言うなれば

 

 

まるで夢のような、素晴らしい景色だ

 

 

愛する妻と、愛する娘が何か夢を見ているのか、ニヤニヤしながら抱きあって寝ているのだ。そう、本当に素晴らしい

 

 

 

そんな馬鹿なことを思って1人でクスクスと笑い、ベッドに腰掛ける。

 

 

「お父しゃんは…五葉の…」

 

 

「だめやよぉ…お父さんは…あげへん…」

 

 

ったく、なんの夢を見ているんだか。俺は、2人の頭を交互に撫でる。そして、ふと思い出す。あの時見ていた夢を、記憶を…

 

 

初めは、ただの夢だと思い込んだ

 

 

何故なら、夢のように、起きたらすぐ忘れてしまうからだ。でも、今は覚えている。最初から、全て、鮮明に…

 

 

 

三葉と俺が繋がった。最初の交わり。あの頃はすぐに消えてしまった記憶。

 

 

どこか懐かしくて、俺は、天井を仰ぎ見る。

 

 

 

ちょっとだけ、昔の記憶に、思いを馳せてみよう…

 

そう、俺と三葉の、最初の入れ替わりに…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知らないベルの音だ…

 

まどろみの中で、そう思った。目覚まし?でも、俺はまだ眠いのだ。昨夜は絵を描くのに夢中になっていて、ベッドに入ったのは明け方だったのだから

 

「…くん。…たきくん」

 

 

今度は、誰かに名前を呼ばれている。女の声だ

 

 

女?

 

 

「たきくん、瀧君」

 

泣き出しそうに切実な声だ。遠い星の瞬きのような、寂しげに震える声。

 

「覚えて、ない?」

 

その声が、不安げに俺に問う。でも、俺はお前なんて知らない。電車が止まり、ドアが開く。

 

そうだ…電車に乗っていたんだ

 

そう気づいた瞬間、俺は満員電車の車軸に立っている。目の前の見開いた瞳は、真っ直ぐにこっちを見つめている。制服姿の少女は、降車する乗客に押されて遠ざかり…

 

そして

 

 

「名前は!みつは!!」

 

 

少女はそう叫び、髪を結っていた暇をするりとほどき、差し出す。俺は思わず手を伸ばし、その色を、夕陽みたいな赤とオレンジが混ざり合った綺麗な色を、強く掴む

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ!!!」

 

そこで目が覚めた。あの少女の声は、残響だろうか、未だに耳に残っている。

 

みつは?

 

 

名前は、みつは…

 

知らない名前で、知らない女だった。でも、なんだかすごく必死だった。涙が溢れる寸前の瞳、見たことのない制服。まるで宇宙の運命を握っているかのような、シリアスで、深刻な表情だった。

 

でも、まぁ…ただの夢だ

 

夢に意味なんてない。気づけばもう、少女の顔も思い出せない。そんなものだ

 

 

それでも

 

 

それでも、俺の鼓動はまだ、異常に高鳴っている。奇妙なほど胸が重い。汗が体から吹き出したのか、体中が汗ばんでいる。

 

とりあえず、俺は深く息を吸う

 

「……?」

 

風邪か?鼻と喉に違和感がある。空気の通り道がいつもより細いような、そんな感じだ。

 

胸もやっぱり奇妙に重い。なんというか、物理的に重いのだ。俺は自分の体に目を落とす。そこには胸の谷間があった。

 

 

 

そこには、胸の谷間があった

 

 

 

 

「……は?」

 

 

2つの膨らみに朝日が反射し、白い肌が滑らかに光っている。意味がわからない。

 

 

揉むか…

 

 

俺はとりあえず、そう思う。家に帰ったら、玄関を開けて、靴を脱ぐ。そんな当たり前のことのように、そう思った。

 

 

……

 

………

 

…………

 

 

すげぇ…俺は感動してしまった。

 

 

胸というのは、こんなに柔らかいのか…前に学校で、馬鹿なクラスメイトが、おっぱいの柔らかさを再現したとかいうおもちゃを持ってきたことがある。女子は散らかったゴミを見るような目をしていたが、男子はそれに群がっていた。我ながらアホだと思う。もちろん俺も、ほんの少しだけ、それを触らせてもらった。

 

けど、やっぱりあんなもの、ただのおもちゃだ。本物に比べたら、雲泥の差があった

 

 

まぁ、つまるところ、初めて触った女の胸に、俺は感動していた。

 

女の体ってすげぇ…

 

 

 

 

「お姉ちゃん、何しとるの?…」

 

ふいに声がした。そちらを見ると、小さな女の子が襖を開けて立っていた。俺は胸を揉みながら、素直な感想を言う。

 

「いや、すげぇリアルだなって…え?」

 

俺は改めて少女を見る。まだ10歳かそこらだろう、ツインテールでつり目がちの強気そうな女の子だ

 

「…お姉ちゃん?」

 

俺は自分を指差して問う。こいつは、俺の…いやこの体の妹か?

 

すると、その子は呆れきったような顔で言う

 

「何寝ぼけとんの?ごーはーんっ!早よ来ない!」

 

ぴしゃり!と叩きつけられるように襖を閉められる。そういや、腹が減ったな…

 

俺がそんなことを思いながら立ち上がると、視界の隅に姿見が置いてあるのに目がとまる。畳の上を歩き、鏡の前に立ってみる。

 

ゆるいパジャマが肩からスルスルと落ちて、俺は裸になった。そして、鏡に映った自分を見つめる。

 

寝癖がぴょんぴょんと飛び跳ねた、黒い綺麗な髪。小さな丸顔に、不思議そうな大きな瞳。ふっくらとした唇に、細い首と深い鎖骨、おかげ様でこのように育つことができました!と自慢げな胸の膨らみ。

 

 

間違いない。これは、女の体だ

 

 

 

女…

 

 

女?俺が?

 

 

突然に、それまで眠気でぼんやりと体を覆っていたまどろみが振り払われる。頭が一気にクリアになって、そして一気に混乱した

 

俺は、顔を両手で挟み込み、自分の目を疑うかのように鏡に近づく

 

やはり映っていたのは、女の体だった

 

 

「ええ!…えぇぇぇぇぇえええええ!!!!!」

 

 

たまらずに、俺は叫んだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界には、説明がつかない不思議なことが色々ある。例えば、物が自然に落ちたり、グラスがいきなり割れたりする、俗に言うポルターガイスト。または、突然飛行中の飛行機が消えてしまい消息を絶つ魔の三角海域など、様々だ。ただ、そういったことは、頭の良い学者さんやら何やらが徹底的に調べ尽くして、実はこんな理由で〜とか、こんな原因が〜とか、既に解明されている物が多い。

 

じゃあ、これについては、何の原因で、どんな理由で、こんなことになっているのだろうか、教えてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

つまるところ、俺は女になった。

 

 

しかも、知らない女だ。どうやら妹がいるみたいだが、それもまた知らない女の子だった。

 

俺は、鏡の前で、驚きを隠せない顔をする知らない女を見ている。右手を上げると、鏡の中の女も右手を上げる。左手を上げても同様に…

 

頬っぺたをつねると、鋭い痛みと共に、鏡の中の女が顔をしかめる。

 

 

間違いなく、この体は女で、女は俺で、俺は女だった。しかし、俺は男だ、意味がわからない。

 

しかも、これは夢のはずなのに、夢のような感覚がまるでない。夢ならいい、目覚めてしまえばそれで終わり。こんなことも忘れてしまうからだ。でも、この感触、目覚めの感覚。これが夢ではないと、俺の脳内…いや正確にはこの子の脳内がそう告げていた

 

やはり意味がわからない。俺は、とりあえず鏡から目を離して、自分がいる部屋を見回す。

 

どうやら、この女の子は、この和室の六畳間が部屋のようだ。畳敷きの部屋に、学習用デスクと椅子が置いてある。なんだかのび太の部屋みたいだ

 

とりあえず、畳の上にデスクを置く部屋が本当にあるということにまず驚く。だが、それだけではなく、結構色々な物がこの部屋には置いてあった。

 

長押には、女子用の制服がかかっていて、スカートのプリーツには、しっかりとアイロンが押してある。押入れを開くと、そこには衣装箱がみっちりと詰め込んであって、これでは布団を上げるのに苦労しそうだ、なんてことを少しだけ思う。

 

窓の外には木の葉が揺れていて、差し込む光も揺れている。なんだか、光が緑色の訳ではないのに、グリーンな雰囲気を感じる。そんな部屋だ。

 

ひとしきり部屋の状態を見回してから、俺は額から汗を噴き出させた。今までは、寝起きだったから自分の体の感覚がぼんやりとしていた。しかし、こう感覚がクリアになってきて初めて、自分の体を襲う違和感に気づく。

 

肉付きが薄すぎて、寒気がした。つまり、今までは自分を覆っていてくれた筋肉がなくなってしまった感じがするのだ。右手で左手を掴むと、あまりにもそれは柔らかい。ほんの少し力を込めれば簡単に折れてしまいそうなほどに。

 

とにかく、身体の品質というものが自分の知っているものとは違う。男ではなく、女の身体だ。

 

 

「なんだよ…これ…」

 

俺は、呆然としながら呟く。喉から出てくるのは知らない女の声だ。とりあえず、これはリアルな夢に違いない。そう思い込むことにした。そうじゃないと、説明がつかないからだ。眠りの中で知らない女になって、知らない場所で生活している。そういう夢を見ている途中なんだ

 

そう思わないと、やってられなかった

 

 

夢なら、適当に、その場の流れに任せればなんとかなるだろ…俺はとりあえずそう思考して、部屋の襖を開けた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん遅い!って、まだ着替えとらんの!?もう!早くご飯食べちゃって!」

 

階段を降りた第一声は、先ほどの妹らしき女の子のものだった。茶碗を誰かに手渡している。

 

「はい、おばあちゃん」

 

「ん、ありがとう」

 

和風の居間に置いてあるテーブルには、既に簡単な朝食が並べられており、かなり年がいっているであろう白髪の老人がそこにちょこんと座っていた。先ほどの会話からして、この人はこの身体と、妹のおばあちゃんなのだろう。ちなみに、妹は自分のご飯を炊飯器からよそっている最中だ。

 

 

「おはよう三葉」

 

おばあちゃんがこちらをチラと見てそう言う。俺は誰のことかわからずに、自分の後ろを見る。もちろんそこには誰もいないから、今の挨拶は、俺、つまりこの身体の女の子に言ったことになる。どうやら、この女の名前は、みつはと言うらしい

 

 

「……っ」

 

 

おはようと返そうと思ったのに、声が…出せない…何故か、元の体の、男の声が出てしまうような気がして、声が出せなかった。先程叫び声を上げたときに、女の声だと言うのは確認したのだが、それでも、何故か言いようのない不安感が全身を襲った。

 

「ん?」

 

おばあちゃんが、怪訝な目でこちらを見つめる。俺は身体中のいたるところから汗を噴き出しながら一歩下がる。目が合い、心拍数が跳ね上がった。

 

 

……

 

………

 

 

しばらく無言で見つめ合う。やがて、おばあちゃんが口を開きかけたとき、俺は決心する。

 

 

そうだ、これはただの夢だ。夢の中で、びびってどうする!

 

 

「お、おはようございます!!」

 

 

直角の90度、最敬礼の姿勢で、俺は朝の挨拶をした。自分から出たとは到底思えない甲高い声が、居間に響き渡った

 

 

カチャン…と、妹が目を見開きながらしゃもじを落とし、目の前のおばあちゃんも驚きを隠せない顔をしている

 

 

これは、まずったか…

 

 

「ま、まぁ…挨拶が大きいのは悪くないのう…」

 

おばあちゃんは、そのあと、何もなかったかのように前に向き直り、テーブルの上の味噌汁をすすり出した。

 

しかし、妹は俺の方に恐る恐る近づいてきて、怪訝な目を向ける

 

 

「お姉ちゃん…ちょっとしゃがんで」

 

「へ?」

 

「いいから!はよ!」

 

俺は、妹の言う通りしゃがみこむ。すると、妹は心配そうな顔で俺の額に手を当てる

 

「うん、熱はないみたいやね。お姉ちゃんほんとどうしたん?さっきは上で叫んでたし、寝癖だらけで着替えてもこんし、今日おかしいよ!」

 

「あー…いや、なんていうか…」

 

なんとも言えない。言えるわけがない。実は俺、まったく知らない男で、ここがどこだかもわからないんです。そんなことを言えば、おそらく救急車を呼ばれて脳神経外科と精神科をたらい回しにされるだろう。せっかくの夢なんだし、もう少しだけバレずにやりたいところだ

 

「その、ごめん、なんだかまだ寝ぼけてるみたい」

 

とりあえず、苦笑しながら、ぼんやりとそんなことを言ってみる。すると、妹はため息をついて離れてくれた

 

「まったく、ほんとにお姉ちゃんは朝に弱いんやから…とにかく、さっさと朝ごはん食べるんやよ」

 

この子、かなりしっかり者だなぁ。ぼけっとしながら、そんなことを思う。もしこんな妹がいたら、ちょっと嬉しいかもしれない。

 

俺はテーブルに着くと、目の前に置いてある朝食に手をつける。

 

夢の中で朝ごはんを食べる。なんとも言えない光景だ…

 

大きな目玉焼きに醤油をたっぷりかけて、ご飯と一緒に口に入れる。その時、視界の端でおばあちゃんと妹が怪訝な目でこちらを見ていることに気づく、やはり、明らかに俺は変なのだろう。でも、しょうがないことだ。なにせ、俺はこの妹とおばあちゃんどころか、この身体の持ち主すら知らないのだから。仮にこれが知り合いだとすれば、ちょっとした癖や、喋り方なんかは真似することができる。けれど、この状況ではそんなことは期待できないため、俺は別に劇団員でもなんでもないのに、この女の子を演じきらないといけないのだ。無理も甚だしい

 

「お姉ちゃん…目玉焼きはソース派やったのに、鞍替えしたの?」

 

妹が、自分も目玉焼きを食べながら言う。食べながら喋るのは行儀が悪いぞ、妹よ

 

「は?目玉焼きにソースとか…何言って…」

 

そこまで言って気づく

 

そうか!この女はいつも目玉焼きにはソースなのだ!俺は生まれてこのかた目玉焼きには醤油をかけて生きてきた、けれど、それと違う食べ方があっても不思議ではない。関西の方ではお好み焼きをおかずにご飯を食べると言うし、日本の中でだって、食文化というのは違ってくるものだ

 

「あ!いや!なんでもない!なんていうか!たまには醤油で食べてもいいかな〜なんてね!ははは!」

 

乾いた笑いを出す俺に、妹がはやはり怪訝な目をしながら頷く。どうやら、誤魔化せたようだ

 

 

 

 

 

朝ご飯を食べ終わると、俺はぼっーと部屋を見回していた。この部屋は、完全に和風かといえばそうでもない。どこか和洋折衷のデザインだ。なかなか嗜好があるな…なんてことを思っていると、妹が俺の目の前に顔をずいっと突き出してきた

 

「お姉ちゃん!遅刻するよ!さっさと着替えて来ない!」

 

 

 

妹にけしかけられて、俺は部屋に戻ってきた。ほんと、リアルな夢だなぁ、学校まであるのか…そんなことをぼんやりと考えながら、俺は長押にかけられている制服を取る。ちゃんとアイロンがかかっていて、シワのない綺麗な状態だ。この女が、結構身だしなみには気を遣っているというのがわかる。

 

 

「つか、いいのか…これ」

 

俺は、制服を持ちながら考える。なんだか、服を脱いで制服を着るということに、言いようのない罪悪感を感じる。先程まで胸を揉んでいた男の考えとは到底思えないが、基本的に男というのはそんなものだ。

 

パジャマを床に落とし、まずはワイシャツを羽織る。なにか忘れてるような気がするが、女の服の着方なんて知らん。

 

胸にワイシャツが張って、少しだけ違和感があるが、特に気にしない。次にスカートを履く。腰部分のフックをかけ、ファスナーを閉める。すると、腰のくびれでうまい感じに固定されるのだ。

 

 

初めてスカートを履いた感想は

 

 

とても怖い。だった

 

 

 

女子という生き物は、こんなものを履いて、街中を我が物顔で歩いているのか…この恐ろしいスカートというものは、男の俺からするとパンツの上に薄くて短いタオルを巻いているのとなんら変わらない感覚だった。ズボンが防御力10ならスカートは2くらいだ。装甲が足りない。

 

俺は太ももを通り過ぎる風の違和感にヒーヒー言いながら、部屋を出た。とりあえず制服は着たし、妹がさっきから下で自分を呼んでいたからだ

 

 

下に降りて俺の姿を見た妹は、もう一度ため息をつく。

 

 

「あー…もうほんとお姉ちゃん…一体どうしたん?とにかく、はやく学校行くよ!」

 

妹は俺の格好を見て頭を抱えていたが、そんなにまずいところがあったのだろうか、制服は着たし。寝癖もとりあえず手で押さえておいた。もう跳ねてきているけど、女の髪の整え方なんて知らん。

 

 

 

 

 

「いってきまーす!!」

 

妹が元気よくそう言い、俺の手を引っ張りながら玄関を出た。

 

外では、盛大に夏の山鳥が鳴いている。斜面沿いの狭いアスファルトを下り、いくつかの石垣の階段を降りると、山の影が切れて直射が降り注ぐ。そして、その眼下には丸い湖があった。

 

「すっげぇ…」

 

俺は、光を反射してキラキラと輝く湖と同じくらい瞳を輝かせながらその景色を見た

 

生まれも育ちも東京23区、しかも山手線の内側で暮らしてきた俺には、この景色はまるで別世界のように感じた

 

くろぐろと静まり返った山の景色からは、風が吹き込んできて、身体をなぶる。髪を揺らす。

 

その風には匂いがあって、まるで水と土と樹木の気配が、見えないくらい小さな透明のカプセルに封じ込まれていて、それが頰にあたって弾けるような、そんなかすかな匂いだ、

 

風が薫る。まさに、その言葉がぴったりだった。きっと、この景色を何度見ても、俺はそう思ってしまうだろう

 

 

「なにやっとるの、お姉ちゃん?」

 

「あ、いや!なんでもない!」

 

ふいにかかった声に、俺は意識を戻して、妹の後について行く、肩から下げた鞄はゆらゆらと揺れて、俺の背中にぶつかっていた

 

 

 

 

 

やがて、道が二手に分かれていて、妹はそこで振り返る

 

「それじゃあね!お姉ちゃん、今日はやばそうだから学校終わったら早く帰って寝なよ」

 

「えっ…あ、うん…」

 

妹は、フリフリと手を振ると、坂の上を上って行く。それじゃあと言われているのだから、俺の行く道はこの下る方なんだろうけど、あいにく俺はここがどこだかも分からないから、学校の場所なんて知らない。去っていった妹の背中から目を外し、俺は途方に暮れていた。横に広がる湖は、相変わらず綺麗に輝いていた。

 

そんな景色をまた見ていると、視界の奥に、1つの建物が小さく映った。沢山の窓に、大きな時計が1つ。日本という国ではほとんど共通のデザインを持つその建物は、ここからかなり歩くだろうが、それでも目に見えるところに存在した

 

 

「あるじゃん…学校…」

 

 

ふいに、口から言葉がでる。それと同時に、俺はその学校へと、歩き出した。あそこが目的の学校かは正直分からないけど、行けばなんとかなる。そんな気がした。道には迷いそうもなかった。何故なら。この町は湖を中心として作られているようだからだ。その湖は山地に取り囲まれたような状態になっていて、湖の周りはほぼ全て斜面だ。民家や道路は、その斜面をところどころ盛ったり削ったりして半ば無理やり作った水平地にできている。だから、道路も概ね環状線だ。

 

ようは、戻っても進んでも、同じところを通ることになる。

 

 

 

俺は歩きながら考える。まず、これは夢だと仮定して、ここは一体どこなのだろうか?夢というのは、全く知らない人達や全く知らない土地がこうも出てくるものなのだろうか?そんな疑問が、頭の中を渦巻いていた。

 

 

「三葉〜!!」

 

ふいに、後ろから声がかかる。また女の声だ。さっきあの老人、いや、おばあちゃんに名前を呼ばれていたので、俺は気づくことができた。

 

 

みつは

 

 

 

やはりこれがこの女の名前で合っているようだ

 

 

なんか、どっかで聞いたことあるような…そんな名前だった。もしかしたら、昔知り合いだったのかも。俺が覚えてないだけで、小さい頃に知り合ったていたとか?

 

そんなことを考えていると、俺の横に自転車が停止した。

 

 

「おはよ!みつ…って、三葉!?どうしたんその格好!」

 

「うぉ!なんや!寝坊でもしたんか!?」

 

自転車に跨っているのは、坊主頭でスラリと痩せた男。第一印象は、野球部の補欠メンバーみたいな奴だな、と思った。

 

後ろの荷台にちょこんと座っているのは、どこか田舎臭さを隠せない顔に、前髪ぱっつんのおさげの女の子。

 

どっちにしても、俺はこの2人に失礼だと思った。

 

「髪はぼさぼさの寝癖で結んどらんし、制服のリボンもつけとらんやん…ほんまどうしたん?」

 

「あー、いや…ちょっと寝坊しちゃってさ…」

 

とりあえず、そん感じで愛想笑いしながら誤魔化す。残念だけど、俺はあんた達2人の名前も知らないのだから。

 

「寝坊て、お前…そんなんやったら遅刻してでもちゃんとしてから来た方がいいんやないか?なぁサヤちん」

 

「ほんと、テッシーの言う通りやわ。いつもあんなにきちんと身だしなみ整えてるんに、熱でもあるん?」

 

 

「いや…そういうわけでは…」

 

言葉に詰まる。正直、話しづらくて仕方がない。この身体に入っているのが俺だと気づかれないためには、下手なことを喋れないからだ。きっとこの2人は、かなり仲のいい友達なのだろう。ともすれば、もし俺が不用意な発言をすれば、すぐにボロが出て気づかれてしまうはずだ。

 

なんというか、めんどくさくて仕方がない…

 

俺はだんだんと自分が不機嫌になっていくのがわかった。なんだって、こんな夢を見なきゃいけないのだろうか。別に今すぐここで、俺はそのみつはではないとカミングアウトしてもいいのだが、何故かこの身体か、もしくは俺の頭が、それはダメだと警告してくるのだ。

 

まぁとりあえず、この夢が覚めるまではバレずにやるつもりだ。それに、今の会話で分かったことが2つある。

 

1つ、この坊主頭の名前はテッシーだか、テシだかどっちか

 

2つ、このおさげの子はサヤちん

 

俺は、未だ怪訝な表情でこちらを見る2人に向けて、また愛想笑いをする

 

「あー、あのさ…なんだか今日は調子が悪くて、変なこと言うかもしれないけど、気にしないでくれ」

 

「あんた、ほんとに大丈夫?喋り方もなんか変やし…」

 

「妙に男っぽい感じがするなぁ」

 

「えっ…そ、そんなことないよ…はは」

 

「ま、大丈夫ならいいんやけど…とりあえず、学校ついたらその髪なんとかするでね」

 

「後ろ乗れや三葉、体調悪いなら、乗せてやるで」

 

「あー!テッシーうちが乗るときは渋ってたくせに!」

 

「あー!うるさい!お前は重いんやさ!」

 

「なっ!乙女になんてこと言うんよ!」

 

「三葉の方が細いのは確かやろ!」

 

俺は眼前で繰り広げられるコントに目を瞬かせていた。これがいわゆる、夫婦漫才というやつだろうか。

 

とりあえず、終わりそうのないそのコントを終わらせるために、俺は声を出す

 

「あ、あのさ!俺…」

 

「「おれ?」」

 

やべ…俺は今、みつはとか言う女の子なんだった。テシとサヤちんが怪訝そうに顔を見合わせる

 

「あ、その、ええと…わたくし?」

 

「「んん?」」

 

「あたい!」

 

「「はぁ?」」

 

「…私?」

 

うん。と、怪訝そうな顔を浮かべながらも、2人は頷く。なるほどね、「私」ね。心得た。

 

「私は歩くからさ、2人は自転車乗りなよ」

 

「い、いや、でもなぁ…」

 

「いいって、私、歩くの好きだから」

 

「あー分かった!じゃあ行くぞ、このままやと俺らまで遅刻や」

 

「なんか三葉…性格変わっとる気が…」

 

 

俺は話しかけてくる2人に適当に返事をしたり、相槌を打ったりしながら、学校への道道を歩いた。太陽は燦燦と照りつけていて、世界を光で照らしていた。俺の気分とは裏腹に

 

 

 

 

 

 

 

こうして、俺の長い長い一日が始まった

 

 

 

 

 

 

これは、とある運命的な出会いの、物語が語られる前のお話。そうだな、言うなれば

 

 

 

前日譚(before story)ってところかな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、私のロッカーって、これ?」

 

俺は、宮水三葉と書いてあるロッカーを指で指しながら、テシにそう聞く。

 

「はぁ?当たり前やろ、何言ってんのや」

 

「あー、なんでもない、大丈夫」

 

俺は苦笑いを浮かべながらロッカーを開ける。成る程、この女の名前は宮水三葉というらしい。読みはミヤミズでいいのだろうか、ミヤミかもしれないな…

 

ロッカーから上履きを取り出して履きながら、俺はテシとサヤちんのロッカーをこっそり盗み見た。

 

勅使河原 克彦

 

名取 早耶香

 

とりあえず、勅使河原ってなんて読むんだ?チョクシガワラ?いや、あだ名がテッシーなんだから、テシガワラだろう。たぶん合ってる。女の子のほうはサヤカか、これもたぶん合ってる。たぶんな…

 

 

教室に着くと、テシが扉を開けて入っていく、続いて俺も中にはいると、全クラスの半分以上がすでに来ていた。女2人、男1人の3人組が、引き戸のそばの席に座っていたのだが、俺が入ってきた瞬間、目を見開いてこちらを見てきた。そして、その後に3人で顔を付き合わせて、小声で何か喋ってクスクスと笑い出した。

 

嫌な感じだ、初対面でそう思った。おそらく俺の格好を見て笑っているのだろうが、あの笑い方、アレは、仲のいい友達同士が揶揄いで笑うようなものじゃない。完全にこちらを馬鹿にしている笑い方だ。それくらいすぐにわかる。

 

俺はそんな3人を無視してテシの後に続く。後ろではサヤちんがなんだかあたふたとしている。

 

そして、2人が席に着いた後、俺は辺りを見回す。空いてる席は4つ。

 

 

「なぁ…」

 

「あ?どうした三葉?」

 

「私の席って、どこだっけ?」

 

 

「「は?」」

 

2人の声は、綺麗にユニゾンしていた。

 

 

 

 

 

俺が席に鞄を置いたタイミングで、先ほどの3人が宙に向かって何か言葉を吐いている

 

「ねぇ見た?あの髪…ふふっ」

 

「見た見た、なにアレ、ありえないよね」

 

「女とは思えんガサツさやなぁ」

 

お嬢様は、身だしなみも気にせんでええって?

 

ちょっと顔がいいからって、勘違いしてるのかな

 

あーゆう格好なら目立つからやない?

 

そうやって親父の選挙の手助けでもしとるんか

 

だとしてもダサすぎ(笑)

 

 

 

 

サヤちんの顔が強張っている。どうやらアレは俺に向かっての言葉らしいが、別に俺自身は全く気にならない。だが、どこに向かって話しているのでもない大きな声はまだ続いた

 

 

それにしても、男受け狙うなら、やり方間違ってるよね

 

髪ボサボサで、天然女子みたいな?

 

正直キモいよね

 

 

テシがいきり立って立ち上がる。大きな音を立てて椅子が倒れ、クラスがしんと静かになる。

 

やがて、3人組の中の男が口を開く

 

「なんだよ?なんか文句ある?」

 

「っ!…お前らなぁ!」

 

「別に俺らはただ話してただけや、誰の名前も出しとらんけど?」

 

「くっ!さっきからいい加減に!」

 

テシが3人組のところに行こうとした時、俺は立ち上がってそんなテシを引き止めた。さっきからぼうっとしていたが、この喧嘩は俺が原因のようだ。だったら、俺が止めないといけない

 

「あのさ、もういいから、やめようよ…」

 

俺は、心底申し訳なさそうに言う。正直、喧嘩とかその内容もどうでもいいのだけど、俺が目立ってしまうのはとても良くない。目立てば目立つだけ、正体がバレる確率が高まるからだ。だから、ここは穏便に…

 

俺の言葉に、テシは一瞬悲しそうな顔をして、溜息をつく。

 

「なんや…今日は変やと思っとったけど、やっぱりいつもの三葉やなぁ…」

 

そして、黙って席に座ってしまった。それと同時に、クラスの冷えついた空気が元に戻る

 

俺は首を傾げながらも、席に座る。いつものってことは、この女の特徴を真似るには、申し訳なさそうに控えめでいればいいのだろうか?

 

そんなことを考えていると、肩をチョンチョンと叩かれる。横を見ると、サヤちんが不安そうな目でこちらを見ていた。

 

「大丈夫?三葉」

 

「大丈夫って?何が」

 

「…ううん、何でもない。こんなんじゃ、ストレスも溜まるよね…」

 

サヤちんは、下を向いて俯いてしまう。おそらく、さっきの3人組のことを言っているだろう。

 

「あー、私は、大丈夫だよ?」

 

俺は、また、苦笑いを浮かべながら答える。さっきから苦笑いしかしていない気がする。けれど仕方がない、こんな状態で心の底から笑うのは無理がある。

 

俺の言葉を聞いたサヤちんは、さっきのテシのように悲しそうに笑うと、手元に筆箱のような何を用意する

 

「じゃあ三葉、まずはそのボサボサの髪から、何とかするでね」

 

手渡された鏡を覗き込む。そこには、不機嫌そうな顔の寝癖女が写っていた。俺はまた、大きな溜息をついた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カッカッカッと黒板が音を立てて、文字が書きつけられる

 

 

丑三つ時

 

 

「はい、皆さん、丑三つ時、この言葉を知っていますか?」

 

綺麗なお姉さん風の先生が、澄んだ声で、そう言う。その言葉に、何人かの生徒が手をあげる

 

「たしかー、夜中の2時のことやろ?」

 

「うんうん、ほとんど正解です。昔の時間の数え方は、24時間を干支で表していました。だから、1つの干支で2時間刻みです。そして、丑の刻は午前1時から3時の間を指しています。それをさらに4当分すると、丑の3つ目の時は2時から2時半までのこととなりますね」

 

先生は、時計の形に絵を描いて、そこに干支の文字を重ねていく。すると、確かに、丑の3つ目が午前2時と重なった

 

「前にテレビで言ってたで、丑三つ時は、お化けが一番出やすいんやって」

 

「ふふっ、それも、昔からの言い伝えが残ってるせいね。丑三つ時は昔から、死後の世界である常世へ繋がる時刻と言われていました。だから、お化けと出会いやすいなんて言われているのでしょうね。実は、そんな時間が、もう一つあるのだけれど、誰か…」

 

先生がみんなを見回す

 

俺はさっきから机に肘をついて窓の外を眺めながら、この夢について考えていた。そろそろ覚めてもいいと思っていた夢は、一向に覚める気配がない。もしかしたら、このまま永遠に覚めないのでは、なんてことを考えて、少しだけ寒気がした。

 

「…さん!次、宮水さん!」

 

誰かが先生に呼ばれているけど、別にどうでもいいことだ。俺は今、考えるのに忙しいんだ

 

「ちょ、ちょっと三葉!呼ばれとるよ!」

 

「へっ!?」

 

グイと肩を掴まれ、俺は振り返った。みんながこちらを見ていて、先生も困った顔でこちらを見つめている

 

そうだ…俺は今、宮水三葉なんだった

 

俺は立ち上がると、思っていたことをそのまま口に出した

 

「す、すいません、自分の名前、忘れちゃってて…」

 

あ、やばい…また変なこと言っちまった…

 

 

そう思ったときには、クラス中が爆笑の渦に包まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前やっぱおかしいわ!なんや、狐にでも憑かれとるんか?」

 

「いや、至って普通なんだけど…」

 

「ほんとか?熱でもあるんとちゃうか?」

 

「妹にも言われたけど、ないって」

 

そう答えて、俺はバナナジュースをすすった。ほんとはコーヒーを買おうと思ったのに、テシが勝手に買って、俺に放り投げてきたのだ。

 

テシいわく、今日は調子悪そうやから奢ったる。どうせいつのもやろ?

 

ということで、この女がいつもバナナジュースを飲んでいるのが知れた。割とどうでもいい情報だが…

 

「でも、ほんと、今日の三葉は変やわ。自分の机もロッカーも分からんし、なんかちょっと不機嫌やし…」

 

「いや、別に不機嫌ってわけでは…」

 

俺は頭の後ろをかきながら答える。なるべく顔には出さないようにしていたのだが、どうやら不機嫌なことがバレていたようだ。

 

俺達は昼休みになってから、校庭の隅にでだべっていた。ここは、使わなくなった机や椅子が置いてあるから、休むにはちょうどいい

 

「三葉、なんか悩みがあるんやったら、聞くよ?」

 

「あー、何年の付き合いやと思っとるんや、たまには弱音、吐いてもいいんちゃうか?」

 

2人は、心配そうな顔でこちらを見つめる。そんな2人を見返して、俺は思う。この女、結構いい友達、いるんじゃないかと

 

「いや、本当に大丈夫だよ。きっと明日になったら元に戻るからさ。今日はほら、朝も言ったけど、ちょっと体調が悪くてさ…」

 

「本当に?そうならええんやけど…」

 

「んー、やっぱり狐憑きか…」

 

「あんたはまたそうやってなんでもオカルトにして!」

 

「だってなぁ…」

 

「三葉はストレス溜まっとるんやよ。ねぇ三葉」

 

「え?あ、あぁ、まぁそんなとこかも…」

 

「ほんと、この町におったら、私やってストレス溜まるわ…」

 

「お前らなぁ…」

 

テシが何か言いかけた時、昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴り響く。それを合図に、校庭にいた生徒達が次々に、校舎に入っていく

 

何か言いかけていたテシは、代わりに大きな溜息をつくと、立ち上がる。

 

空では、ぴーひょろろーっと茶化すようにトンビが鳴いていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあな三葉!ちゃんとおばあちゃんにお祓いしてもらえやー!」

 

「またね三葉!」

 

夕方、俺は手を振る2人に軽く手を上げて返すと、家への道を歩き出した。夕焼けに染まる湖の景色は朝見た景色とはまた少し違うが、変わらずに美しかった。

 

俺は途中で立ち止まると、道路の端で1人、その景色を見つめていた。太陽の光が大きな湖に反射して、まるで世界がオレンジに染まってしまったんじゃないかと思うくらいに、綺麗な色だった。

 

東京に住んでいたときには絶対に見れない光景に、俺の目は奪われてしまった。

 

やがて、夕焼けも終わり、目に映る景色も暗くなっていく。この町は全方位が山に囲まれていることから、日照時間が短いようだ。だから、学校が終わってすぐだというのに、もう暗くなっていく。

 

 

昼でも、夜でもない時間

 

 

そんな時間には、名前があるらしい。

 

 

今日の授業で、先生が詳しくは明日やると言っていた

 

 

 

それは

 

 

 

たしか…

 

 

 

 

「黄昏時…だったっけ?」

 

 

 

俺は、暗くなった空の下で、1人呟く

 

 

やがて、朝歩いてきた道を必死に思い出しながら、帰路についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁーーー……」

 

部屋の襖を開けると、俺は疲れから一気に座り込んで、溜息をつく。本当に疲れた。知らない女のフリをすることがこんなに疲れるなんて、知らなかった。

 

「ほんと、変な夢だな…」

 

倒れ込んで、天井を見上げる。知らない天井だ。

 

そういえば、よくSF物の小説とかであるよな。目が覚めたら、知らない天井だったってやつ。まさか、自分が本当にそんな状況になるとは思わなかった。

 

でもまぁ、この1日はなんとかやり遂げることができた。知らない町、知らない家族、知らない友人、そんな中で、我ながらよくやったと思う。

 

 

俺は起き上がると、姿見の前に無造作に放り投げてあるパジャマを手に取る。ふと鏡を見ると、そこには、疲れを隠しきれていないそれなりに可愛い少女が写っていた。

 

試しにもう一度ほっぺをつねってみる。鏡の中の女はわずかに顔を顰める。朝とおんなじだ、やはり、夢は覚めない

 

 

「お前、誰なんだよ…」

 

 

俺は、鏡の中の女に問いかける。もちろん、返答はない

 

 

 

この夢はなんなんだ

 

 

 

一体なんの意味がある?

 

 

 

これは、本当に夢か?

 

 

俺は手に取ったパジャマをもう一度放り投げると、学校のカバンをあさる。中から適当にノートを取り出すと、一番新しいページにマジックでデカデカと文字を書いた

 

 

 

 

お前は誰だ

 

 

 

 

イライラをぶつけるかのように、大きく文字を書く。こんだけ大きく書けば、見落としはしないだろう。もし、仮にこれが夢じゃなくて、現実のことだったら、戻ったときにこの女はこの文字に気づくだろう。

 

 

 

戻ったとき…

 

 

 

そういえば…

 

 

 

俺は大事なことを忘れていた

 

 

 

もしこれが夢じゃなかったとして、この女はどこに行った?

 

 

いや、正確には、この女の中身だ。この身体の中には、俺が入っている。じゃあ、この女の中身は?もしかして、俺の身体の中に?

 

 

俺はゾッとした。もしかしたら…これは…

 

 

 

 

 

そこで、俺はぶんぶんと頭を振る。いや、そんなことはありえない。そんな都合のいい話があるはずがない。

 

 

 

中身が入れ替わる、なんて、それこそSFじゃあるまいし…

 

 

 

俺はまた、溜息をつくと、今度こそパジャマに着替える。そして、畳まずに放置していた布団に潜り込み、知らない天井を見上げる。

 

窓からはすーすーと冷たい風が入ってきて、とても心地よい。俺は襲いくる睡魔に身を任せて、目を閉じた

 

 

きっと目が覚めたら、俺の知ってる天井があるはずだ

 

 

まぁ、でも

 

 

 

こんな夢もたまには

 

 

 

 

悪くないかな…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の意識は、まどろみの中に沈んでいった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を開けると、俺が知っている天井があった。

 

 

「あれ?」

 

 

どうやら、昔のことを思い出してるうちにまた眠ってしまったようだ。

 

横を見ると、相変わらず愛しい2人がすやすやと眠っている

 

俺はクスクスと笑い、2人を撫でる。すると、三葉がゆっくりとその目を開けた。

 

「瀧君?おはよ…」

 

微笑みながら言う三葉に、俺も笑いかける

 

「おはよう三葉」

 

「ふふっ、この子、よく寝とるね」

 

「お前もぐっすりだったぞ?」

 

「あー、瀧君たら、人の寝顔かってに覗かんでよ…」

 

「可愛いんだから、しょうがないだろ?」

 

「もう…許す」

 

「許すのかよ」

 

俺達はお互いに笑い合う。その声で、間に挟まっていた五葉が起きてしまった

 

「うーん…お母さん、お父さん、おはよ…」

 

「おはよう五葉」

 

「おはよ、よく寝れたか?」

 

「うん…でも、まだ眠いぃ…」

 

「まったく、五葉はお母さんに似たんだなぁ」

 

「ちょっと瀧君…どうゆうこと」

 

「こうゆうこと」

 

 

 

俺は2人を抱きしめる

 

 

 

「ひゃ…瀧君…どうしたん?」

 

「お父さん…苦しいんよ…」

 

 

困惑した顔を浮かべる2人に俺は笑いかける

 

 

 

「俺、すげー幸せだよ。お前達と一緒にいれる、この瞬間が、嬉しくてさ」

 

その言葉で、腕の中の2人は顔を見合わせる。そして、微笑んだ

 

「私もやよ、瀧君」

 

「私も、お父さんが大好きやよ」

 

 

3人で、笑い合う

 

 

 

あの日、俺が君になった日

 

 

 

 

 

 

 

それは、始まりの日

 

 

 

 

 

そして…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺と君との、運命の日だった

 




投稿が遅れました。君の名は。何度見ても飽きませんね。もう何回観て、読んだかわからないです笑


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番外編 最終話「この物語を読んでくれた全ての人達へ」

これにて最後です。投稿遅れて申し訳ないです。番外編は完全に蛇足ですので、オマケとして読んでください


パラパラと、ページをめくる音だけが部屋に響く。私は今、自分にあてがわれた小綺麗な六畳間の部屋で本を読んでいる。

 

こんなに集中して本を読むのはいったいいつ以来だろうか。それでも、本の内容はまるで映画を見ているかのように私の頭の中に浮かび、流れて行く。面白い本とは、こんな風に自然に情景が頭の中に浮かぶもののことを言うのだろう。私が読んでいるこの本は、私のお母さんが書いたものだ。お母さんは、本業とは別に副業として作家をやっている。まぁしかし、書いた作品はこれ一冊のみで、それ以降はもう書かないらしい。だが、それでも十分すぎる程、この作品は多くの人を虜にしてしまったのだ。

 

お母さんとお父さんの馴れ初めにありえないようなフィクションを交えた、SFチックな恋愛ドラマ。それがこの本の内容だ。二人の男女が突然精神だけ入れ替わり、隕石が落ちて、二人は記憶をなくし…だが、それでも運命は二人を結びつけ…

 

斬新な恋の物語。これに心を奪われた人は多かった。週刊誌に載った作品があっという間に話題になり。その数ヶ月後には単行本が出版され、そしてさらに数ヶ月後には、映画化までされたのだ。単行本は初日から重版がかかり。映画は興行収入が第4位にまで上り詰めた。私は今まで、親が作った作品だからなんとなく恥ずかしくて、本も映画も見なかった。だが、妹が買ったのだろうか、家に帰ってテーブルの上に置いてあるこの本を手にとって軽く目を通すと、私の目はもうそこから離れなかった。

 

物語をめくる手が止まる。どうやら私は、あっという間に最後のページまで来てしまったようだ。

 

自然に涙が落ちる

 

なんて、切ない恋の物語なのだろうか

 

この後2人はどうなったのだろうか?

 

お母さんに聞いてみたい…

 

 

……

 

 

 

コンコンと、扉がノックされる

 

「…なにー?」

 

「七葉だけど、お母さんがご飯できたから呼んで来いって」

 

少しだけ扉が開き、長い黒髪を赤い組紐で結んだ少女がちょこんと顔を出す

 

「あー、うん…ちょっとまっといて」

 

私は妹にバレないように急いで涙を拭う。

 

「お姉ちゃん…また訛ってる。お母さんの影響受けすぎだよ…」

 

「別にいいやろ?恥ずかしくもないし…」

 

「えー、東京生まれの東京育ちなのに訛ってるって変だと思うんだけど」

 

妹がこちらに近づいてくる。見れば見るほど、妹は本当にお母さんに似ている。お父さんに言わせると、本当に当時のお母さんの生き写しらしい。性格もお母さんに似ているらしいが、こんなガサツな妹があの完璧お母さんと同じ性格とは思えない。一方で、私はお母さんとお父さんを足して2で割ったような見た目をしているらしい。髪も妹のようなロングじゃなくてショートだ。まぁ髪については、バスケをやるときに邪魔だから自分で短くしたのだが。

 

妹は私の横で立ち止まると、私が読んでいた本を覗き込む

 

「あー!お姉ちゃん!やっぱり私の本持ってってた!」

 

「あー…ごめん。つい気になっちゃって…」

 

「もー、しょうがないなぁ、まぁ寛大な妹だから許してあげます」

 

「ふふっ、うるさいわ」

 

「でも、どうだった?お母さんの本!」

 

「なんて言うんやろ。言葉が見つからんのやけど、端的に言えば面白かった、かな…」

 

我ながら稚拙な感想だが、それ以外に言葉が見つからない。適切な感想が浮かばないのだ。この作品を表現するにあたって、簡単な言葉を使うなら「面白い」以外にない気がする。

 

「なにそれ、お姉ちゃん本当にちゃんと読んだの?」

 

「読んだわ!ちょうど今、最後のページやし!」

 

「あ、本当だ。ねぇお姉ちゃん。このあとがきの言葉って、誰に向けてるんだろ?」

 

「うーん…読者とか?」

 

「…それにしてはなんかおかしくない?」

 

「まぁ、そうやね…でも考えても分からんね…」

 

2人して首をかしげて唸る。妹の黒髪が小刻みに揺れている。やがて、ため息をついて顔を上げる。

 

「だめだ、わかんない。それに、このあと2人がどうなったかも気になるんだよねー。お姉ちゃんも気になったでしょ?」

 

「うんうん。お母さんもここで終わらせるとか、なかなか粋なことするんやね」

 

「でもこれってお母さんとお父さんの出会いを元にした話なんでしょ?だったらお母さんとお父さんは今結婚して私達を産んでるんだし、あの後2人は記憶を取り戻して結ばれたんだよ!」

 

「でもそうだったら、どうやって記憶を取り戻したんよ…」

 

私の言葉に妹はまた唸り出す。そんな妹が面白くて私はクスクスと笑いを零してしまう。

 

「わからんよー、もうお母さん続き出してくれないかな…ほら、題名に、after story とか、それっぽい言葉つけて」

 

「安直やね。でも、なんていうか、この物語はここで終わってるからこその良さがある気がするんやよね。この続きはさ、いくらでも考えられるやろ?この物語を見た全ての人が、この2人のこれからの物語を想像できるやん。100人が見たら、また100の物語が生まれるやろ?それって結構すごいことだと思うなぁ」

 

「…なんかお姉ちゃん、粋なこと言うね。まぁたしかに、私はこの後2人が記憶を取り戻したと思うけど、そう思わない人だっているもんね。うーん、深いなぁ」

 

「ふふっ、でもやっぱり、続きは気になるんやよね」

 

「ほんと気になるよぉ、お母さんに聞いてこようかな…案外この物語もフィクションじゃなかったりして…」

 

「それはないやろ…精神が入れ替わるとか、SF映画じゃあるまいし」

 

「でも変だよね。田舎育ちのお母さんと都会育ちのお父さんが出会ったってのも。それに、隕石は実際に糸守に落ちてるんだし…なんか本当にあった話の気がしてきたよ!お姉ちゃん!」

 

妹は急に顔をワクワクさせながら私の手を握る。たしかに両親の出会いは珍しいけど、きっと修学旅行で知り合ったとか大した話じゃないと思うんだけどなぁ。しかし、目の前の妹はきっとこの物語の主人公達と両親を重ね合わせているに違いない。目が輝いている。

 

「こうなったらもうお母さんに直接聞こ!」

 

「えー…絶対教えてくれんと思うんやけど…」

 

「いいから!ほら!それにお母さんがダメだったらお父さんに聞けばいいんだよ!今までお父さんが私達の頼み事に首を縦に振らなかったことある?」

 

「ないけど、我が妹ながら卑怯やねぇ…」

 

「ふふふっ、お父さんは甘々だからね!じゃあ行こ!」

 

そして、私は妹に手を引かれて走り出した。家族の待つリビングを目指して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

机の上に、一冊の本が置かれている。ページは最後で、ただ一言だけ、あとがきが書かれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私達を愛してくれたみんなに、この物語を捧げます。そして、ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開けた窓から風が吹き。本はひとりでに閉じる。

 

 

 

 

 

表紙に書かれたタイトルは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君の名は。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これにてafter storyの全てが完結です。三葉は、最後に本を通してみんなに真実と、感謝を伝えました。

ちなみに五葉(いつは)の妹は七葉(なのは)です。なぜ六じゃないのかと言うと、6は縁起が悪いですし、可愛くないので、飛ばしたそうです笑

最後の最後に少ない文章ですいません。応援してくれていた方々、本当にありがとうございました!もしかしたら、また君の名はの別な話を書くかもしれません。それではまたどこかで


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