OVER (SPEC DOWN) LORD (御堂@鈍感力)
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第1話『別れ』

「……本当にすみません、モモンガさん」

 

「謝らないでください、ネバギアさん。ネバギアさんはなにも悪くないんですから。リーブさんにはお大事にとお伝えください」

 

「ありがとうございます。妻が元気になったら、必ず戻ってきます」

 

「はい。一日も早いリーブさんの回復とお二人の復帰を、心から祈ってます」

 

「本当にありがとうございます。その時はまた、あの子を連れてきていいですか?」

 

「勿論、大歓迎ですよ! その時はギルドメンバー総出でお祝いさせてもらいますね!」

 

 

 

 

 

「モモンガさんが、リーブさんお大事にってさ。それと元気になって復帰したら、ギルドメンバーの皆がお祝いしてくれるって」

 

「じゃあ何が何でも元気にならないとねっ……あのさ……」

 

「ん?」

 

「……ごめんね」

 

「何が?」

 

「私の為にユグドラシルの活動を休止させちゃって……」

 

「流石に大事な嫁が重い病気を患ってる時にゲームするほど俺は酷くないつもりなんだけど?」

 

「それは分かってるよ! それでも――」

 

「そういう時は謝るんじゃなくてお礼」

 

「……うん、わかった――ありがとう、****……よし、頑張って闘病生活を送るぞー!」

 

「辛いと思うけど、一緒に頑張ろうな……?」

 

「****が着いてくれてるから大丈夫! それに知ってるでしょ? 私は最後の最後まで諦めが悪いんだから!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦2138年。深刻な環境汚染により地表は荒れ、空には常に霧がかかり、専用の防護マスクがなければ外を出歩けないほどに、世界は穢れきっていた。

それは環境だけに留まらない。巨大な複合企業が政府を傀儡化し、本来弱者を守るべきである法律さえ、今となっては富裕層の懐を更に豊かにするためのものとなっている。

そんな救いようのない現実世界にある娯楽の一つ、巨大複合企業によって発表された体感型ゲーム。

DMMO-RPG。正式名称<Dive Massively Multiplayer Online Role Playing Game>である。

サイバー技術とナノテクノロジーの粋を集結した脳内コンピューター網――ニューロンナノインターフェイスと専用コンソールを連結させることでまるで実際にゲームの世界に入り込んだかのように遊べるゲームだ。

世界中の――現実世界から逃れたいという――人々の夢を疑似的に叶えてくれるこのゲームは爆発的な人気を誇り、瞬く間に普及した。そして、そのDMMO-RPGの中に燦然と輝く一つのタイトルが存在する。

 

YGGDRASIL(ユグドラシル)

 

十二年前に日本のメーカーが発表したこのゲームは当時の他のDMMO-RPGと比べて圧倒的な自由度を誇るものとしてDMMO-RPGを遊ぶ者たちから絶大な人気を得ていた。

職業(クラス)の数は2000を超え、その職業(クラス)さえレベルを調整すればありとあらゆる組み合わせを可能としている。唯一無二の自分だけのキャラクターを制作するさえ可能と言っても過言ではないのだ。

外装(ビジュアル)も別売のクリエイトツールを用いれば、キャラクターの外見どころか武器や防具、保有する住居のデザインや設定さえ自由に変更することが出来る。

加えて、九つの世界が用意された広大なマップ。

広大な世界。膨大な職業(クラス)。自由自在の外装(ビジュアル)。日本人のクリエイト魂にガソリンさえ生温い、ニトロをぶち込むようなやり込み要素の数々から大きな人気を博したユグドラシルは、DMMO-RPGの代名詞としてプレイヤー達に愛されていた。

 

――しかし、人間の心の移り変わりとは無情なものである。

 

人々に愛されたユグドラシルの人気はもはや一昔前のものとなり、多くの人々が去っていた。

しかし、それは誰が悪いというものではない。ゲームという娯楽の避けられる宿命である。

 

 

「ただいま……」

 

たった今――あと数時間で日付が変わりそうかという深夜に――、生気のない疲れ切った様子で自宅の――やけに重く感じる――扉を開けて帰宅した一人の男性。彼もまた、ユグドラシルのプレイヤーだった(・・・)一人である。

防護マスクを気だるげな緩慢な動作で脱いだ男の瞳は暗く淀み、目元に深い隈を刻んだその顔には覇気というものがまるでない。

まさに生きる屍の如き有様だった。そんな今にも消えそうな男はリビングの棚に飾られた写真立てへと視線を向ける。

 

「……ただいま」

 

そしてその写真にもう一度、帰宅の挨拶を告げる。

当然、写真から返ってくる言葉はない。

それでも男は、一日たりとも写真への声掛けを欠かしたことはなかった。

写真に写る自分と、その隣で満面の笑みを浮かべる女性。写真の中の自分に寄り添う女性の笑顔に思わず口元に笑みを浮かべた男は、そういえば、と先日届いていたメールを思い出し、端末を起動してそれを開く。

自分が所属していたギルド――プレイヤー仲間によって構成され、組織運営されるチーム――のギルド長から届いた一通のメール。そこには自分と妻の体調を気遣う優しい言葉と、公式から終了を発表されたユグドラシルのサービス最終日をギルドメンバーで迎えないかという誘いの内容が記されていた。

 

 

「ユグドラシルも、今日で終わりか……」

 

 

そう、今日がその最終日。事情があってユグドラシルの活動を休止して三年近く経ってはいるが、幸せで楽しい時間と思い出をくれたゲームが終了するというのは寂しいものがある。

幸い、活動を再開する気力こそなかったが定期的にアップデートの更新だけはしていた。今からログインすれば、僅かだが遊ぶことはできるはずだ。

 

 

「…………皆さんには心配や迷惑かけたし、最後くらい挨拶しないとな」

 

 

自分たちを心配してくれたギルドメンバーたちとギルド長の顔――勿論ゲームにおけるアバターのものである――が頭に浮かぶ。

彼らに会いたい。会って謝罪とお礼を言いたい。

迷惑をかけてごめんなさい、と。

心配してくれてありがとう、と。

男はゆっくりとした足取りで自宅の一室へと向かい、扉を開く。

そこにあるのは二台のリクライニングチェア。DMMO-RPGで遊ぶための機体である。

その内の一台にゆったりと腰掛け、そして隣の空席を見つめる。

 

 

「……」

 

 

かつてそこに座って一緒にユグドラシルの世界に飛び込んでいた愛しい人の面影を想いながら、ヘルメット型の端末を被る。

 

そして――

 

 

「いってきます」

 

 

男は首の裏にレセプタを挿入し、三年ぶりにユグドラシルの世界へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「またどこかでお会いしましょう」

 

 

別れの挨拶を最後に、コールタールを思わせる黒色のスライムモンスター、古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)のヘロヘロが掻き消える。

そうして生まれる静寂。本当は最初から誰もいなかったのではないかとさえ思えるような静けさが室内を包み込んだ。

 

【ヘロヘロさんがlogoutしました。】

 

代わりに目の前に表示される、ヘロヘロが現実世界に帰還(アウト)したことを知らせる通知。

ヘロヘロはいたのだ。そして帰ってしまった(・・・・・・・)

モモンガは先程までヘロヘロが座っていた椅子に視線を送りながら、ヘロヘロに言おうとして飲み込んだ言葉を吐き出す。

 

 

「今日がサービス終了の日ですし、お疲れなのは理解できますが、せっかくですから最後まで残っていかれませんか――」

 

 

当然返答はない。ヘロヘロはもうユグドラシルの世界にはいないのだから。

無論それがわかっているからこそ、先程の言葉を漏らしたのだが。

 

 

「はぁ」

 

 

モモンガは溜息を一つ吐く。

ヘロヘロの前であんな事は言えるはずがなかった。

二年前にブラック企業からの脱出を夢見て転職をしたヘロヘロ。しかし現実は残酷で前よりも更に酷いブラック企業に捕まっていた。

体を酷使する日々に時間の感覚まで曖昧になってしまった彼が、今日という日の為に貴重な時間を削ってまで顔を見せに来てくれた。それだけで感謝するべきなのだ。それ以上は迷惑というものだろう。

頭では理解していても、心のどこかで納得できない自分がいる。

 

 

「どこかでお会いしましょう……か」

 

 

そんな言葉は何度も言われてきた。しかしその再会の約束が果たされたことは殆どなかった。

誰も、モモンガの前に戻ってくることはなかった。

 

 

「どこで何時会うのだろうね――」

 

 

皮肉めいた笑い混じりの独り言を零した後、モモンガは肩を震わせながら長い沈黙を守り、そして一気に感情を爆発させた。

 

 

「――ふざけるな! ここは皆で作り上げたナザリック地下大墳墓だろ! なんで皆そんなに簡単に棄てることが出来る!」

 

 

モモンガの怒号と、彼の憤る感情を表すように振り下ろされた拳が黒曜石の巨大な円卓を殴りつける音が響き渡る。

自分の怒声と円卓から鳴る打撃音が部屋を反響して霧散するのを理解したモモンガは、己に言い聞かせるように呟いた。

 

 

「……いや、違うか。簡単に棄てたんじゃないよな。現実と空想。どちらを取るかという選択肢を突き付けられただけだよな。仕方ないことだし、誰も裏切ってなんかいない。皆も苦渋の選択だったんだよな……」

 

 

分かっている。分かっているのだ。

しかし、それでも、胸のうちの寂寥感はどうすることもできなかった。

そんなモモンガの目の前に新たな通知が表示される。

 

【ネバギアさんがloginしました。】

 

 

「な――っ!?」

 

モモンガは思わずバネのように勢いよく首を跳ね上げた。

そして、慌てて円卓を取り囲む豪華な椅子へと視線を移す。

自分以外は空席ばかりの円卓。それらを唯一埋める存在を認識するのに半秒もいらなかった。

 

 

「ネバ、ギア、さん……」

 

「お久しぶりです、モモンガさん。もう、三年になりますか?」

 

 

半透明の銀色の粘液の中に浮かぶ機械仕掛けの(コア)から懐かしい声が届く。

無感情な単眼(モノアイ)が真っ赤な光を宿す鋼鉄の球体は、挨拶の時によく使われる感情(エモーション)アイコンを浮かべた。

機巧核の粘体(メタルコアスライム)。モンスターとしてはヘロヘロの古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)と同等の種と認識されている、スライム型の特殊個体である。

 

 

「っ、お久しぶりです、ネバギアさん! こういう言い方は失礼だとは思いますが、まさか来て頂けるとは思っていませんでしたよ!」

 

 

モモンガの白骨のアバターが表情はそのままに驚きと喜びの声色で挨拶を返す。

言葉にした通り、彼――ネバギアが来てくれるとは思っていなかったからだ。

三十六人が辞め、残った四人のメンバーの一人であるネバギアが最後にログインした日も、そして無期限の休止期間に入った理由もモモンガはよく覚えている。だからこそ、彼の登場は意外という他になかった。

 

 

「こんなギリギリの時間になってしまいましたが、ようやく戻ることが出来ました。モモンガさん、色々とご心配とご迷惑をかけて、本当にすみませんでした」

 

 

ネバギアがまるで蛇が頭を下げるかのように、頭と呼べる(コア)だけの身を深々と下げた。

そんな登場早々の深い謝罪に、モモンガは骨だけの両手をブンブンと振りながら言葉を返す。

 

 

「謝らないでくださいっ。それよりも、ネバギアさんがここに来たってことは――!」

 

「はい。妻のリーブは退院が間に合わなかったので、来ることが出来るのは私だけですけど……」

 

 

今日来ることが出来なくて悔しがっていました、と今度は苦笑いの感情(エモーション)アイコンを浮かべるネバギア。

その反応にモモンガは先程とは違う安堵の溜息を吐きながら胸を撫で下ろした。

 

 

「そうですか、本当によかった……皆、心配していましたよ。お二人の事を」

 

ネバギアが無期限の活動休止をモモンガに相談してきたのは三年前。

理由はプレイヤーの一人であり、彼の妻であるリーブが重い病気を患ったためである。

ネバギアが医者に聞いた話では非常に厄介な病気で治療が難しく、また闘病生活も苛酷になるらしい。

しかし、当の本人であるリーブは迷うことなく治療と闘病生活を選択した。どこまでも明るく諦めが悪い性格は、その種族故にギルドメンバーでこそなかったがネバギアの妻としてナザリックによく遊びに来ていたためモモンガもよく知っている。

そして、そんなリーブを傍で支えてあげたいと、ネバギアはリーブの病気が完治するまで活動を休止することを相談してきたのだった――当然モモンガはそれを快諾。当時残っていたメンバーからも異論や非難は一切なかった――。

 

 

「皆さんにもご心配とご迷惑をお掛けしてしまいました。申し訳ないです……皆さんはどちらに?」

 

「――っ」

 

 

ネバギアの言葉に、モモンガは一瞬言葉を失う。

なんと言えばいいのだろう。ようやく戻ってきてくれた仲間に。

真実を話す?それとも適当に取り繕うか?

モモンガは迷った。そして意を決する。

 

 

「……モモンガさん?」

 

「……実は――」

 

 

モモンガが選んだのは前者だった。

モモンガはネバギアがいなかった間のナザリックの、アインズ・ウール・ゴウンの全てを語った。

あれから多くのメンバーが辞めていったこと。名前が残っているメンバーは自分を除いて四人しかおらず、その四人もほとんど姿を見せていなかったこと。そして最終日である今日、名前の残っているメンバーは来てくれたが皆最後を待たずに帰還(アウト)したこと。

モモンガが全てを打ち明ける間、ネバギアはただ静かに彼の言葉を聞いた。

そしてモモンガが話し終えた事を数秒の静寂で理解すると、今度はネバギアが無い口を開く。

 

 

「……モモンガさん、ありがとうございます」

 

「……!」

 

「モモンガさんがどれだけアインズ・ウール・ゴウンを大事にしてくれていたのか、よく分かりました。あなたのようなギルド長がいたからこそ、このナザリック地下大墳墓は今もこうして存在しているし、私もこうやって戻ってくることが出来ました……全てあなたのお陰です。本当に、ありがとう」

 

「……っ!!」

 

 

ネバギアの言葉に、モモンガは胸の内がいっぱいになるのを感じた。

取り繕うことも出来た。ユグドラシルのサービス最終日。適当に嘘を並べて気まずい空気などなく過ごすことも出来たのだ。

しかしそれをしなかったのは、知ってほしかったからだ。ユグドラシルへの、アインズ・ウール・ゴウンへの、ナザリック地下大墳墓への思いを。――大切な仲間たちと作り上げてきた宝への想いを。

恨み節のように聞こえたかもしれないそれはモモンガの寂しさの現れであり、仲間たちに戻ってきてほしいという悲痛な叫びだったのだ。

無情にも辞めたメンバーが戻ってくることはなく、名前を残していたメンバーも既にいない。自分しか、残っていない。

そんな酷い孤独感を感じていたモモンガにとって、ネバギアの登場と言葉は救いのように感じられた。

 

 

「ネバギアさんっ……ありがとう、ございます……っ」

 

 

モモンガは顔を伏せ、声を震わせながら感謝の言葉を絞り出す。

ネバギアはそんなモモンガの傍へと――スライムらしく地面を這うようにしながら――近付き、粘体の腕でモモンガの背中をゆっくり撫でた。

 

 

「うう……っ……ぅっ……」

 

 

円卓の間に、モモンガの嗚咽が静かに響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみません、さっきはあんなみっともない姿を晒してしまって……」

 

 

モモンガが左手で頬を掻きながら申し訳なさそうな、そして照れくさそうな声色で謝罪する。

気恥ずかしそうに謝るモモンガにネバギアは白銀の粘液の体を――まるで頭を左右に振るかのように――揺らして否定した。

 

 

「謝る必要なんかないですよ。それより、少しは気分は晴れましたか?」

 

「はい、おかげ様で。泣いたらスッキリしました。ありがとうございます、ネバギアさん」

 

「それはよかった。今までお世話になりっぱなしだったギルド長に少しでもお返しができて嬉しいです」

 

 

二人は朗らかに笑いあう。

思いを吐露し、そして感情を曝け出したモモンガは先程のなんとも言えない感情が嘘のように晴れやかな気持ちだった。

そんなモモンガは隣を歩くスライムへと視線を向ける。

 

 

(本当、ネバギアさんには頭が下がるなぁ。思い返せば、ギルドの中で良くない雰囲気になっちゃった時もネバギアさんがフォローしてくれてたっけ)

 

 

彼が活動を休止する何年も前の話、ギルドの一部のメンバーで年齢の話題になった時に彼が同年代であることを知ったが、時折彼が自分よりも年上に感じる時がある。そう思わせるほどに、ネバギアという男はどこか包容力めいたものを感じさせる存在なのだった。

 

 

(これがモテる男ってやつなのかなー……リア充めっ)

 

 

モモンガは心のうちで呟くがそこに後ろ暗い感情はなかった。あくまで気心の知れた仲間に対する冗談の域である。

ギルド長の心中を知るはずもないネバギアはアバターの身長差の関係上、見上げるような形でモモンガへと、正確にはモモンガの右手に持つ杖へと視線を向けた。

 

 

「それにしても、改めて見ると本当に立派なギルド武器ですね。スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン……私たちの努力と絆の結晶であり、アインズ・ウール・ゴウン(我々)の象徴」

 

 

楽し気に話すネバギアの言葉にモモンガは同感です、と頷いた。

各ギルドにつき一つしか持つ事ができず、それが破壊された時ギルドが崩壊するというギルドの心臓とも呼べる特殊な武器。それがギルド武器である。

本来ギルド長が持つべきそれは、普段は円卓の間に飾られている。理由は前述の通り、破壊されればギルドが文字通り崩壊するからだった。それ故にギルド武器というものはその力が発揮されることは少なく、安全な場所に保管されるのがユグドラシルという世界における暗黙の了解なのである。

しかし、それが今は本来の役割通りギルド長であるモモンガの右手にあった。

他のメンバーが来ることはないだろうと判断し、最後の時は玉座の間で迎えようという事で意見が纏まった時、ネバギアがスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持っていくことを提案したのである。

モモンガはそれにやんわりと反対した。アインズ・ウール・ゴウンはギルドの方針を多数決で決める。そんなギルドの長である自分が他のメンバーの意見も聞かずに、それもギルドの輝かしい栄光と記憶の象徴とも言えるこの武器を勝手に持ち出していいものかと考えたのだ。

 

 

「アインズ・ウール・ゴウンの象徴だからですよ……残念ですけど、他のメンバーはこれ以上待っても来ないでしょう。それならギルドの象徴を、皆さんとの思い出が詰まったこの武器を持っていくべきだと私は思います」

 

 

ネバギアの言葉は少し残酷だが尤もだった。これ以上待っても他のメンバーは来ないことはモモンガが一番分かっていた。なればこそ、今はもういないメンバーたちの思い出が詰まったこのギルド武器と共に最後を迎えるべきだという気持ちも理解できる。

それでも、とモモンガの中でどこか踏ん切りがつかないでいると、ネバギアは続ける。

 

 

「なら、多数決で決めましょう。私はスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持ちだすことに賛成です」

 

 

ニュッ、と銀色の粘体がまるで挙手するように上へと伸びる。

 

 

「……モモンガさん。私たちアインズ・ウール・ゴウンの象徴に、今まで本来の役割を果たせなかったその武器に、最後くらい役目を与えてあげてください」

 

「ネバギアさん……」

 

 

本当に、この人には敵わない。

モモンガは目の前の男の凄さを改めて思い知らされながら頷く。

 

 

「……私もスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持ちだすことに賛成です。賛成二票、反対〇票。よって、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持ちだすことに決定します」

 

「ふふっ、異議なし」

 

笑顔の感情(エモーション)アイコンをネバギアが表示する。

そして、輝かしい彼らのギルド武器は今、ギルド長であるモモンガの手にあるのだった。

 

 

「思えばこれを作るために皆無茶しましたよね。ヘロヘロさんなんか仕事で疲れた体に鞭打って来てくれてましたし」

 

「たっち・みーさんなんか家族サービスを切り捨てて奥さんと大喧嘩したらしいですよ? 実際には大喧嘩というより、奥さんが大激怒してたっち・みーさんは平謝りだったらしいですけど」

 

「それは駄目ですよたっち・みーさん……いくらなんでも家族サービスを切るのは……そういえば、期間限定の素材アイテムを取るためにペロロンチーノさんは有休取ってましたっけ?」

 

「それでぶくぶく茶釜さんに窘められてましたよね。それはそうと、さっきギルド武器を掴んだ時のエフェクト凄かったですね。作り込みへのこだわりが感じられました」

 

 

スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンから懐かしい思い出話に花が咲いた。

おしゃべりや馬鹿話で一日潰れた事、冒険して宝を漁り未発見の資源を見つけた事、敵対ギルドを奇襲したり逆にナザリックに突入してきたプレイヤーを撃退した事、隠しボスである世界級(ワールド)エネミーによって壊滅しかかったが最終的にはメンバーの見事な協力プレイでそれを討伐した事。

本当にどれも輝かしく懐かしい思い出ばかりである。

そして話題は次に、装備の話へと移り変わった。

 

 

「スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンもそうですけど、それ以外の装備もビシッと決まってますね、モモンガさん」

 

「やっぱりギルド武器を持つ以上、それに相応しい格好をしないといけませんからね」

 

 

モモンガは胸を張って返答した。

円卓の席に座っていた時とは違い、今のモモンガは指輪やネックレス、小手、ブーツ、マント、上着、サークレット。それら全てが神器級(ゴッズ)アイテムで纏められている。胸当てや肩当てからは立派なガウンが流れており、足元からは『禍々しいオーラ』のエフェクトデータによって赤黒いオーラが溢れ出ていた。

完全武装をした死の超越者(オーバーロード)がギルド武器を持つ姿は実に様になっている、とネバギアは自信たっぷりにその姿を誇るモモンガを見て思った。

 

 

「ところでネバギアさんはよかったんですか? あの装備(・・・・)を取りに行かなくて」

 

「ああ……いいんです。取りに行きたくないわけではないですけど、今はそれより玉座の間に行きたいので」

 

 

お気遣いありがとうございます。

ネバギアは穏やかな口調で返答した。

当の本人にそう言われてしまえば、モモンガとしてもそれ以上何も言えない。

 

 

(でも、あれを装備してこそのネバギアさんってイメージなんだけどなぁ)

 

 

武器であり防具であるネバギアの装備。

あれを装備したネバギアはアインズ・ウール・ゴウンの特攻隊長でもあった。

当然、ただ突っ込んで好きなだけ暴れてやられるだけの猪武者などではない。

彼になら安心して一番槍を任せられる、というのがギルドメンバーたちの総意であるほどにネバギアという男は優秀だった。

 

 

「本当、いつ見てもこのナザリック地下大墳墓の作り込みには圧倒されちゃいますね」

 

 

そんな特攻隊長は天井を見上げ床を見下ろし、右へ左へ視線を移し、実に忙しなく移動している。

まるで田舎者が都会の様相に圧倒され、落ち着きなく周囲を見渡すようなその反応は、ある意味仕方ないとモモンガは思った。

白亜の城を彷彿させる、荘厳さと絢爛さを兼ね備えた世界。高い天井に一定間隔で吊り下げられたシャンデリアは暖かい光を自分たちに注いでいる。

悪名高い自分たちの本拠地であるナザリック地下大墳墓にこんな場所があると部外者が知ったら、きっと唖然とするに違いない。

そう確信させるほど精巧に作り込まれた空間を見る度に、モモンガは制作に携わったギルドメンバーたちを誇りに思う。

この神々しい世界を作ったのは、他でもない自分たちのギルドメンバーなのだと。声高らかに言ってやりたい程に。

先程までの彼ならそんなことを思う余裕はなかったであろうことにモモンガは気付かぬまま、ネバギアと共に幾つめか分からない曲がり角を曲がった。すると一人の金髪の女性が二人の方へと歩いてくるのが見える。

美しい金髪と豊満な身体つきの美しい女性はメイド服を着こなし、モモンガとネバギアとの距離が縮まると、通路の脇に寄って深いお辞儀をする。

 

「仕事、ご苦労」

 

モモンガは通りすがりに左手を軽く上げてメイドへと声をかける。

しかしメイドからの返事はなく、ただ頭を下げて二人を見送るだけ。彼女はNon Player Character(NPC)の一体であり、誰かの操作ではなくプログラムに基づいて行動している存在だからだ。故に返答はなくて当然。むしろ、歩いているプレイヤーに反応して通路の隅に移動してお辞儀をするという一連の行動が取れていることに驚くほどである。

しかも、あのような一般メイドは四十一名おり、その一人ひとりはデザインが異なっている。原画を担当した者の名はホワイトブリム。今や売れっ子漫画家となったギルドメンバーであり、そのハンドルネームから窺える通りメイド服に熱い情熱を注ぐ男である。

そしてその原画を元にホワイトブリムが作ったNPCのメイドたちはどれも美しく、着ているメイド服はエプロンに細かい刺繍が施されているほど巧緻な出来だった。

 

 

「『メイド服は俺の全て(ジャスティス)!』がホワイトブリムさんの口癖でしたよね。彼が納得するようなAIを作るためにヘロヘロさんたちと頑張ったっけ」

 

「そういえばネバギアさんもプログラマーでしたね」

 

「はい。私はギミック担当だったんですけど、人手が足りないって泣き付かれて」

 

 

実はあのまま数秒近くにいると、メイドが小首を傾げるポーズを取るんです。またこの角度にも色んなメンバーのこだわりがあってですね――。

ネバギアが饒舌に語るメイドたちのAIプログラムの豆知識を、モモンガは笑みを浮かべる。

この人がいてくれて本当に良かった。きっと自分一人だけではこんな気持ちではいられなかっただろうから。

 

 

「他にも隠しポーズがあるんですけど……」

 

「是非見てみたいですが、そうすると時間が無くなってしまいますね」

 

「ですね。先を急ぎましょうか」

 

 

その隠しポーズを二度と見る機会がないことを心の奥で残念に思いながら、二人は玉座の間へと足を進める。

そして真紅の絨毯が敷かれた巨大な階段を下り、二人はとうとうナザリック地下大墳墓の最下層である十階層に到着した。

階段を降りきった先は広間になっており、そこには一列に並んだ七人の人影が見える。

一番手前の位置で二人を迎えるのは執事服を着こなした老人。髪も口元に蓄えられた髭も白く染まっているが、老人特有の弱弱しさは微塵も感じられない。

真っ直ぐ背筋を伸ばした姿勢には力強ささえ感じられ、まるで鋼で出来た剣を思わせる。そして彫りの深い顔立ちにいくつも皺を刻んだその顔は温厚そうな印象を受けるが、鋭い目は獲物を狙う鷹のようだ。

そんな執事の横には六人の美しいメイドたちが一列に並んで付き従っている。しかし、その姿は先程モモンガとネバギアが遭遇した一般メイドとはまるで違う。

手甲や足甲、メイド服を想起させる鎧を身に纏い、それぞれが手に武器を携えている。まさに戦闘用メイドといった格好だ。

 

 

「セバス・チャン……プレアデス……」

 

 

ネバギアが自分たちを出迎えた者たちの名を呟くように呼ぶ。

まるでそれに応えるように、彼らは一糸乱れぬ動きで(こうべ)を垂れ、臣下の礼を取った。

セバス・チャン。家令(ハウス・スチュワード)の仕事まで任されている執事(バトラー)

“プレアデス”。セバス直属の部下である戦闘メイド。そんな彼らの役目はこの最下層まで到達した侵入者の迎撃である。

しかし、ネバギアの記憶が正しければアインズ・ウール・ゴウンの最盛期に起きた1500人の大軍隊の迎撃戦でさえ、敵が到達したのは八階層まで――その階層までギルドメンバーが赴いて直接迎撃したから当然と言えば当然なのだが――。自分が活動を休止していた間にこの階層にまで到達する侵入者がいるとはとても思えない。

 

 

「彼らには玉座の間を守ってもらっていたけど、とうとうここまで攻め込んできたプレイヤーはいなかったな……」

 

 

モモンガがどこか寂しさを感じさせる声色で呟く。やはり、ネバギアの記憶と予想通り、ここまで到達した敵は誰一人としていなかったようだ。

そしてそれは同時に、彼らにはただの一度もその役目を果たす機会が与えられなかったということである。

彼らもまた、ギルドメンバーたちが愛情を込めて作り上げたNPC。それが全く働く機会を得ないままに終わりを迎えるというのは実に憐れだった。

 

 

「モモンガさん」

 

「分かってますよ、ネバギアさん。最後くらいは彼らを働かせてやりたいですよね……付き従え」

 

 

自分の作ったNPCがいるなら尚更だ(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

ネバギアの意を汲んだモモンガが一つ頷くと、セバスとプレアデスたちに命じる。命令を受諾したことを示すように一同はもう一度頭を下げると、モモンガとネバギアの後ろに続くように歩き始めた。

七名の部下を連れて、二人は再び歩き出す。

供を連れた二人が次に到着したのは半球状の大きなドーム型の大広間だった。天井に四色のクリスタルが白い光を注いでいる。

壁には七十二個の穴が掘られ、それぞれに悪魔を模した彫像が置かれている。

部屋の名はソロモンの小さな鍵(レメゲトン)。ナザリック地下大墳墓の心臓部である玉座の間を守る最終防衛の場所である。

配置された悪魔の彫像はソロモン七十二柱の悪魔をモチーフとして制作されたもので、その全ては超希少魔法金属を使用されて作られたゴーレムだ。その七十二体のゴーレムの内、五体だけは製作者が異なる(・・・・・・・)

その五体の製作者(・・・・・・)は懐かしむように部屋を見渡した。

 

 

「るし★ふぁーさんは本当に自由な人でしたよね。七十二体作る予定で始めたのに、あと五体ってところで飽きて止めちゃって……」

 

「そうでしたね。それで残りの五体分はネバギアさんが引き継いだんでしたっけ?」

 

「ふふっ、はい。流石に作られなかった五体が可哀想でしたから」

 

 

アバターに表情はないが、きっとネバギアは苦笑いを浮かべているのだろうとモモンガは思った。

一癖も二癖もある人物たちが集まるアインズ・ウール・ゴウンにおいても問題児として認識されていたゴーレムクリエイターと彼は親しい間柄だったことを知っているからである。メンバーには、るし★ふぁーという暴れ馬の手綱を握る存在だ、と評する者がいたほどだ。

そんな二人の作品たち並ぶ広間を抜けて、一同は大きな扉の前に到着する。

 

 

「……」

 

 

モモンガとネバギアは静かに扉を見上げる。

右の扉には女神の、左の扉には悪魔の彫刻が施されている。それは今にも扉から離れて襲い掛かってきそうなほど繊細に作り込まれており、製作者の技量の程が窺えた。

 

 

「……襲い掛かって来たりしませんよね?」

 

 

モモンガが苦笑いを含んだ声色で呟く。

自分の知る限りではなにもギミックは施されていないはずだが、全てのギミックに携わっているわけではない。

しかもこの扉の製作者はあの(・・)るし★ふぁーだ。とんでもない置き土産としてそういった仕掛けを残していても可笑しくはなかった。

 

 

「大丈夫だと思いますよ」

 

 

そんなモモンガの不安を払うようにネバギアは優しい口調で語り掛ける。

 

 

「モモンガさんはウルベルトさんの言葉を覚えていますか?」

 

「ウルベルトさんの……」

 

 

ギルド一“悪”にこだわったギルドメンバー、ウルベルト・アレイン・オードルの言葉をモモンガは思い出す。

 

――ここまで来たならば、その勇者さまたちを歓迎しようぜ。俺たちを悪とかいう奴が多いけど、ならその親玉らしく俺たちは奥で堂々と待ち構えるべきだろ。

 

そう。自分たちが自信をもって作り上げた最高にして最強最悪のナザリック地下大墳墓。その防衛を全て突破した者たちの実力と努力は称賛するべきだし、そんな難敵こそ正々堂々とぶつかり返り討ちにしようとメンバーの皆で決めたのだ。そしてそれに強く賛成したメンバーの中には、自分が警戒していたるし★ふぁーもいた。

ならばるし★ふぁーもこの扉に細工はしないだろう、とモモンガは自分のうちでストンと納得する。

 

 

「……そうでしたね。じゃあ、行きましょうか、ネバギアさん」

 

「はい」

 

 

二人が頷き合うと、モモンガが扉に触れる。

すると女神と悪魔の巨大な扉は自動ドアのようにひとりでに、その重厚感に相応しい遅さでゆっくりと扉が開いた。

今までも神殿のごとき静謐さと荘厳さを兼ね備えた空気が更に凄みを増してモモンガとネバギアを包み込む。

天井には七色の宝石で作られた巨大なシャンデリアが幻想的な輝きを放ち、壁にはギルドメンバーたちを示す異なる紋様の旗が四十一枚垂れ下がっている。

正面には数十段の階段の上に背もたれが天を衝きそうなほど巨大な玉座。そしてその後ろにはギルドを象徴するギルドサインが施された巨大な布が掛けられていた。

贅を尽くし、しかし品格を損なわないその空間こそナザリック地下大墳墓の最奥にして最重要の場所。玉座の間である。

 

 

「おおぉ……」

 

「素晴らしい……」

 

 

モモンガとネバギアは思わず感嘆の声を漏らす。

この場所こそ、ユグドラシルの終わりを迎えるに相応しいと二人は改めて思った。

そんな二人を玉座の横に立つ女性NPCが出迎える。

純白のドレスを身に纏い、それとは逆の艶やかな黒髪の美女だ。こめかみからは山羊を思わせるねじれた角が生えており、金色の瞳は瞳孔が縦に割れている。そして腰からは黒く染まった天使の羽が広がっていた。

彼女の名はアルベド。ナザリック地下大墳墓に七人存在する階層守護者纏め上がる階層守護者統括の地位に存在する、いわばナザリック内のNPCの頂点に立つキャラクターだ。

だからこそ、玉座の横に立つことを許される彼女へと視線を向けた二人は、一方は少し険を持って、もう一方は驚愕を持って口を開いた。

 

 

「ここに世界級(ワールド)アイテムがあるのは知っていたけど、二つもあるのはいかがなものかな」

 

「あれは……真なる無(ギンヌンガガプ)!?」

 

 

絹のような光沢を放つ手袋をしたアルベドの細い手に握られた、長さ四十五センチほどの短杖(ワンド)

真なる無(ギンヌンガガプ)。広範囲の破壊を可能とする世界級(ワールド)アイテムである。

ユグドラシルにおいて二百しかない究極のアイテム。一つ手にするだけでユグドラシルの世界に名を残せるほどのアイテムを、アインズ・ウール・ゴウンは十一個持っている。その次に多く持っているギルドの所持数が三つなのだから、アインズ・ウール・ゴウンの凄さが改めてよく分かる。

そんなアイテムの内の一つは、モモンガが――ギルドメンバーたちの許可を得た上で――個人的に所持しているが、それ以外の大半が宝物殿の最奥で守られるように眠っているはずなのだ。

その秘宝の一つをアルベドが手にしている理由は一つしかない。彼女を制作したギルドメンバーが持たせたのである。

 

 

「タブラさんは何故、アルベドに真なる無(ギンヌンガガプ)を……?」

 

「分かりません。けど、誰に相談するわけでもなく独断で、しかもよりによって世界級(ワールド)アイテムを持ち出してNPCに持たせるなんて……」

 

 

アルベドの生みの親であるギルドメンバー、タブラ・スラマグディナの意図が読めないネバギアがスライムの首を捻る。

その隣でモモンガは僅かな怒りと呆れを含んだ溜息を吐きながら言葉を返した。

しかし、今日がユグドラシルの最終日であることや、ネバギアの言葉もあったとはいえギルド武器を持ち出したりセバスたちを連れ立っている自分が強く言える立場ではないという結論に至ったモモンガはそれを取り上げることなく、アルベドが持つ事を良しと判断する。

ネバギアもモモンガが何も言わないのならタブラの意を汲んでやった方がいい、という考えに至り特に言及することはない。

そうして二人は階段の前まで到着すると、そこで一度足を止める。

 

 

「そこまでで良い」

 

 

モモンガは魔王のロールプレイを行っているかのような重々しい口調で命じる。

そんなギルド長にネバギアは微笑ましい吐息を吐きながら言った。

 

 

「モモンガさん、それではセバスたちは止まってくれませんよ?」

 

「……あ、そうでした。ちゃんと決められた言葉じゃないとダメですよね――待機」

 

 

ネバギアの指摘を受けたモモンガが所定の文言で命じると、セバスとプレアデスたちは一礼をした後、脇へと移動する。

それを見届けた二人は苦笑交じりに話しながらゆっくりと階段を上った。

 

 

「あんな初歩的なことを忘れるほどNPCと接してなかったんだなぁ」

 

「フフッ、でも私は今の嫌いじゃないですよ? 彼らの事をNPCとしてではなく、一つの存在として扱ってた気がして」

 

 

ネバギアの明るいフォローにモモンガは、そうですかね、と骨の指で頬骨を掻きながら苦笑する。

そうして階段を上がりきり、玉座へと到着するとネバギアはアルベドとは反対の位置に移動する。その行動は暗に玉座に座るべきはモモンガ、という彼の意思を示していた。

それを正確に読み取ったモモンガも特に何か言うわけでもなく、ネバギアに一つ頷いて返すとゆっくりと玉座に着く。

 

 

「こうやって改めて見ると、アルベドは本当に美人ですね」

 

 

真正面に立つネバギアが感心するようにその容姿を褒める。

彼が妻帯者であることを知っているモモンガはどこかふざけた調子でそれを窘めた。

 

 

「ネバギアさん。そんなこと言ってたらリーブさんに怒られちゃいますよ?」

 

「別にやましい気持ちはないからセーフです。美人なのは事実なんですから、それを褒めるのに何の問題もありません。あ、勿論私が一番好きなのは妻ですよ?」

 

「はいはい。ご馳走様です」

 

 

こうやって平然と惚気る癖に嫌味ったらしくないのが不思議なところだ。モモンガはヒラヒラと手を振ってふざけた調子のまま返しながら思った。そして思考は次に、そんな彼が容姿を褒めたアルベドへと移る。

この玉座の間に来ることがほとんどなかったということもあり、彼女が守護者統括であることやナザリック地下大墳墓の最上位NPCということくらいしか知らない。

そう考えるとモモンガはアルベドの詳細な設定が知りたくなった。好奇心に心が躍るのを感じながら、モモンガはコンソールを操作して彼女の設定を閲覧しようとする。

 

 

「長っ!?」

 

 

すると開かれた画面いっぱいに文字が溢れ返っていた。そこでモモンガはようやく、彼女の生みの親であるタブラは設定魔と言われるほど設定にこだわる男であったことを思い出す。

 

 

「それってアルベドの設定ですよね? タブラさんもよくここまで詳細に設定を思いつきますよね」

 

 

モモンガの一連の行動を横で見ていたネバギアが苦笑いのようなものを含んだ声色で語り掛ける。

彼の言葉に同感しながら、モモンガは画面をスクロールして設定を流し読みする。じっくりと読んでいてはそれだけでサービス終了時間が来てしまいそうなほどなのだから仕方ないことだった。

スクロールで文字が一気に流れていくのを眺めながら、かつてアルベドの設定を読んだことのあるネバギアはそういえば、と何かを思い出したように無い口を開く。

 

 

「タブラさんってギャップ萌えだったじゃないですか。それのせいか、アルベドの設定の最後が酷くてですね」

 

「え? 酷い? どういうものだったんですか?」

 

 

ネバギアの言葉に興味を持ったモモンガの指の動きが少し速まり、それに合わせてスクロールする速度も上昇する。

 

 

「確か、実はビッチである、とかそんな内容だったと思いますよ」

 

「ビッチって……流石にそれは、酷す、ぎ……」

 

 

幾らなんでもそれは酷いだろう、とモモンガは思いながらその一文を確認するためにスクロールを続ける。

そうしてようやくスクロールが止まり、モモンガが最後の一文を確認すると、彼の言葉が不自然に詰まった。

そして――

 

 

「うわあああ! 何やってんだよタブラさんは!! 恥ずかしいいぃぃ!!」

 

 

白骨の顔をこれまた白骨の手で覆いながら絶叫した。

予想だにしないモモンガの反応に、横にいたネバギアも少し取り乱す。

 

 

「ど、どうしたんですか、モモンガさん? アルベドの設定に何かあったんですか?」

 

 

自分が見ない間にアルベドの設定に変更があったのか、変更があったとして一体どんな内容なのか。

ネバギアはモモンガが絶叫した理由を知るために開きっぱなしの設定画面を覗き込み、そして最後の一文へと視線を向ける。

 

『モモンガの伴侶である。』

 

 

「……え?」

 

 

まさかの真相に流石のネバギアも思考が一瞬停止する。

そして半ば思考が固まったまま、その絶世の美女を妻に貰っていることになっているギルド長へと尋ねた。

 

 

「モモンガさん、これはいったい……」

 

「……実は、二年くらい前にギルドメンバーの皆と色々話してた時に、自分の作ったNPCが結婚することになったら相手は誰がいいか、っていう話題になって……その時タブラさんはアルベドの相手に俺を指名してくれたんです……」

 

 

羞恥心からか、一人称は崩れ声色も震えている。色々とギリギリなモモンガのまるで弁解のような説明を、ネバギアは静かに聴き続けた。

 

 

「周りは囃したてるし、俺もアルベドみたいな美人な子がお嫁さんだったらいいなって思ったので……それで俺で良ければ是非、って答えちゃって……」

 

「モモンガさん……」

 

「お願いですから何も言わないでください! まさか俺もこんなことになるなんて思ってなかったんです!」

 

 

それはそうだろう。他愛のない例え話、冗談の類の会話が数年の間を空けて取り上げられるなど、誰が思うだろうか。

恐るべし、タブラ・スラマグディナ。無断で世界級(ワールド)アイテムをNPCに持たせるより遥かに破壊力のあるサプライズである。

その証拠にモモンガは未だに悶絶するような唸り声を上げては、チラリとアルベドへと視線を向け、そしてまた唸り声をあげるという奇妙な行動を繰り返している。

しかし、いつまでもこの調子というわけにはいかない。そんなことでは羞恥心でなにも分からないままサービス終了を迎える羽目になるのだから。

 

 

「モモンガさん、モモンガさんはどうしたいんですか?」

 

 

ネバギアはモモンガが冷静に思考を働かせることができるように質問する。

彼の質問が届いたのか、モモンガは唸るのを止めて顔を上げた。

 

 

「え?」

 

「まさかの事態に驚くのは分かります。しかし、偶然にもモモンガさんはこの設定を見つけた。そしてギルド長ならばその変更も可能……ここであなたに渡される選択肢は二つです」

 

 

一つはギルド長の権限を行使して最後の一文を削除し、設定が変更される前のアルベドに戻す。

もう一つは、過去の自分の発言の責任を取ると共に、タブラの意を汲んでアルベドを妻に娶る。

突然突き付けられた二択にモモンガは黙考する。彼の脳内に様々な思考が駆け巡ること一分。

異様に長く感じられる一分間を経て、モモンガは決心する。

 

 

「変更はしません」

 

 

モモンガはコンソールを閉じる。アルベドを娶ることを選んだのだ。

本来ならNPCとの仮想の結婚。いわばごっこ遊びの類である。軽くふざけた気持ちでそれを選択することも出来た。

 

 

「やっぱり、自分の発言には責任を持たないといけませんからね」

 

 

しかし、モモンガは違う。ギルドメンバーの事を大切に思い、そんな彼らが作ったNPCもまた大切に思う彼は真剣に考えた結果、自分の発言に責任を持つ決心をしたのである。

場合によっては、何をそこまで本気にするのか、と笑う者もいるだろう。だが、ネバギアはそうではない。

 

 

「流石です、モモンガさん。そんなあなただからこそ、タブラさんも安心してアルベドを任せることが出来たのでしょう」

 

 

ご結婚おめでとうございます。

ネバギアはとても穏やかで優しい声色で、ギルド長と守護者統括の結婚を祝福した。

モモンガはネバギアの祝福の言葉に幸福感と羞恥心を覚えながら頭を下げる。

 

 

「ありがとうございます」

 

「そしてようこそ、弄られる(こちら)側に」

 

「うわー! そうだったー!」

 

「あははははっ」

 

 

相手がNPCではあるが、妻や恋人がいる(リア充)サイドになったことによって安全圏にいられなくなった事実に気付いたモモンガが悲鳴を上げ、その反応を見てネバギアが笑う。

最終日とは思えない、実に楽しい時間を二人は過ごす。

そして、その時間はもうすぐ終わろうとしていた。

 

 

「そろそろ、時間ですか?」

 

 

左手をあげて時間を確認するモモンガを見て、ネバギアが尋ねる。

彼の問いにええ、と短く返答すると、モモンガは過去の記憶を辿りながら右手を軽く上げ、そして下げながら命じた。

 

 

「ひれ伏せ」

 

 

モモンガの命令に応じて、NPC一同が片膝を落とし、臣下としての礼を尽くす。

自分の妻となったアルベドにまで片膝をつかせてしまったことに少し申し訳なく思いながら、モモンガは背もたれに体重を預けた。

 

23:55:48

 

討伐隊を返り討ちにしたギルドの本拠地だからこそ、最終日に乗り込んでくるパーティーがいるかもしれないと思っていたが、都合良くとはならなかった。

自分一人であれば物悲しさを覚えていただろう、とモモンガは考える。

しかし、メールの呼び掛けに応えてくれる仲間がいた。そして、その内の一人が最後の時を共に過ごしてくれる。

過去の話に華を咲かせ、自分たちの栄光の道程を振り返り、――紆余曲折あったが――妻を娶ることも出来た。

ギルド長と守護者統括の夫婦なんて中々様になっているじゃないか、などと思い始めるほどにはそれを受け入れることが出来ている自分がいる。

最盛期には程遠いかもしれないが、今の自分の中には確かな満足感があることをモモンガは感じていた。

 

 

「俺、たっち・みー、死獣天朱雀、餡ころもっちもち――」

 

 

モモンガは壁に垂らされているギルドメンバーの紋章が記された旗を一つずつ指差す。

 

 

「ヘロヘロ、ペロロンチーノ、ぶくぶく茶釜、タブラ・スラマグディナ――」

 

 

モモンガの淀みなくメンバーの名前を読み上げる声が玉座の間に反響した。

ネバギアは、モモンガの指の先に示されるメンバーたちの旗を視線で追いながら清聴する。

 

 

「武人建御雷、ばりあぶる・たりすまん、源次郎、ネバギア――」

 

 

そしてモモンガはメンバーの名前を全て読み上げる。仲間たちの名前を挙げるのにそれほど時間はかからなかった。

モモンガの脳裏に思い出と共に焼き付いている友の名は、決して忘れることはないだろう。

 

 

「ネバギアさん、楽しかったですね……」

 

 

月額利用料金無料にも関わらず、大金を課金した。アインズ・ウール・ゴウンが社会人だけで構成されたギルドということもあって、相当な額が投資されていたはずだ。つまり、それだけ皆がこのゲームに夢中だったのだ。

 

 

「はい、モモンガさん。私は三年間休止した身ですけど、それでも――楽しかったです」

 

 

冒険が楽しかった。制作が楽しかった。育成が楽しかった。戦闘が楽しかった。そしてなにより、仲間と遊ぶのが楽しかった。

ユグドラシルで過ごした時間は間違いなく掛け替えのないものであり、アインズ・ウール・ゴウンはその輝かしい時間の結晶と言える。

 

それが今、消えようとしている。

 

それのなんと悲しい事か。最後の時間は刻一刻と近付いている。

だが、決して救いがないわけではない。確かに目に見えるものは何一つ残らないかもしれない。

しかし、初めからなにもなかったわけではない。大切な思い出は自分たちの記憶に必ず残るのだ。

そう考えると少しだけ救われた気がする。

 

23:59:35、36、37……

 

 

「ネバギアさん、今日は本当にありがとうございました。リーブさんにもよろしくお伝えください」

 

 

23:59:48、49、50……

 

 

「…………こちらこそ、今日はありがとうございました。はい、必ず伝えます(・・・・・・)

 

 

23:59:58、59――

 

 

二人は静かに目を閉じた。そして迎える。幻想の終わりを――

 

 

0:00:00……1、2、3……

 

 

「……ん?」

 

 

二人は目を開く。視界に映るのはナザリック地下大墳墓の玉座の間。

見慣れた自分たちの自室などではない。

 

 

「……どういうことでしょう?」

 

「……わかりません。時計の時間はどうなってますか?」

 

 

ネバギアの質問にモモンガは左手の時計を確認した。

 

0:00:38

 

現実世界の時計ならともかくゲーム内の時計はシステム上、決して狂う事はない。つまり、〇時は確実に過ぎている。

そして〇時を過ぎたということはユグドラシルのサービスを終了しなければならないはずなのだ。

だが、現実として二人は未だ玉座の間にいる。

 

 

「サーバーダウンが延期になった?」

 

 

モモンガは僅かではあるが、決して〇ではない可能性の一つを挙げると、それを確認しようとする。

しかし、コンソールが浮かび上がらない。

 

 

「何が……?」

 

「モモンガさんもコンソールが出ないんですね。私の方もです……強制アクセス、チャット機能、GMコール、そして強制終了……どれもできませんでした」

 

 

隣にいたネバギアがやけに滑らかで流動的な動きでモモンガへと向きながら話す。

その(コア)である一つ目の赤い光は僅かに光度を変化させていた。まるで感情を表すように(・・・・・・・・・・・)

 

 

「……どういうことだ!」

 

 

モモンガの怒声が玉座の間に響く。

自分たちの輝かしい栄光を綺麗に終えることができない事が、自分たちの美しい思い出を綺麗に締めくくる事が出来ない事が、彼を苛立たせた。

その気持ちを理解しながらもモモンガを宥めようとネバギアが言葉を発そうとして、

 

 

「どうかなさいましたか? モモンガ様? ネバギア様?」

 

 

それよりも早く、女性の声が二人の耳に届いた。

始めて聞く綺麗な女性の声。

二人は唖然としながらもその声のした方向へ、言葉を発したであろう存在へと視線を送る。

視線の先にいたのは顔を挙げたNPC――アルベドだった。

 

 

 

 

 




今回は全然絡まることはできませんでしたが、次回からは少しずつシズとも絡ませる予定です。
同時に、次回からガーゴイルの姿になると思います。


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第2話『起動』

「何か問題がございましたか、モモンガ様? ネバギア様?」

 

 

アルベドが言葉を変えて再度尋ねるが、その相手である二人は思いもよらぬ事態の連続に思考が半ばショートしていた。

 

 

「失礼いたします。何かございましたか?」

 

 

一言断りを入れてから立ち上がったアルベドを、二人はぼんやりと眺める。

そんな二人を他所に、アルベドはモモンガの顔を覗き込むように顔を近付けた。美しい顔が可愛らしく傾き、そして二人の距離が縮んだことでモモンガの視線は彼女の豊満な胸の谷間に釘付けとなる。

異性――それも絶世の美女――にこれほどまでに接近されたことのないモモンガは、その美しさの淫靡な雰囲気に心がざわつき、そしてその感情がまるで何かに抑制されるかのように沈静化されていくのを感じた。

異様なまでに一瞬で落ち着きを取り戻した自分に僅かな戸惑いを覚えるモモンガの鼻腔に、芳しい香りが届く。その香りが混乱した思考を落ち着かせたのか、モモンガは少し戸惑いながらも口を開く。

 

 

「…………GMコールが利かないようだ」

 

 

データ上の存在でしかないNPCに相談する行為は、普段であれば滑稽に映るだろう。

しかし、アルベドの動きや表情はあまりにも生き物らしい自然さがある。

一つの命を得たかのように自然な動きで、アルベドは申し訳なさそうに目を伏せて頭を下げた。

 

 

「……お許しを。無知な私ではモモンガ様の問いであられる、GMコールというものに関してお答えすることができません。ご期待にお応えできない私に、この失態を払拭する機会を頂けるのであれば、これに勝る喜びはございません。何卒、なんなりとご命令を」

 

 

その自然すぎる異常(・・・・・・・)な反応に、ネバギアは困惑と何故かそれが急激に治まるのを繰り返しながら状況を分析する。

 

 

(アルベドは間違いなくモモンガさんの言葉を理解し、それに応じて返答をしている。つまり会話が完璧に噛み合っている)

 

 

ありえない。あっていいはずがない。

プログラマーであるネバギアにとって、それがどれだけ異常なことなのかすぐに理解できた。

NPCが声を発するようにプログラミングすることは可能だ。雄叫びや歓声などのデータも公式によって用意されている。

しかし、それはあくまで声であって言葉ではない。流石のDMMO-RPGでもNPCが会話をするようなデータは作っていないし、ましてや話しかけられた内容を理解してそれに合わせて的確に返答するようなプログラムなど不可能なのだ。その証拠に、先程セバスやプレアデスはモモンガから正式な命令を受けないと後に続くのを止めようとしなかった。

 

 

(しかも、アルベドの表情。ユグドラシルの世界では口元が動くことさえなかったというのに、言葉に合わせて細かく唇が動き、感情に合わせて表情が変化している)

 

 

まさかアップデートか、と可能性の一つを挙げるがすぐに否定する。

まずアップデートの通知が公式から全くなかった。これほどの大掛かりのアップデートを隠しておくメリットがない。

自由度が売りのユグドラシル。もしNPCに表情や声や仕草などまで細かく設定できるとしたら、どれだけ多くのプレイヤーが戻ってくるのか、そしてどれだけ人気を取り戻すことができるのか、想像するのは容易い。それこそ、サービスを終了しなければいけないという事態を覆すことも出来ただろう。

次に、可能性を否定する材料として単純な技術の問題が挙げられる。

表情を変化させたり会話を成立させることできるほどのAIを組み込むことは、想像するより遥かに難易度が高い。仮にそれが叶ったとしても、ユグドラシルの世界全てのNPCが同じようになれば簡単にデータの容量は限界を超えるだろう。見るだけでは小さな変化かもしれないが、それを行うために組み込まれるデータは膨大なのだ。

 

 

(なにより、この状況そのものがアウトだ)

 

 

DMMO-RPGの基本法律である電脳法において、相手の同意を得ず強制的に相手を参加させる行為は営利誘拐として扱われる。無理にテストプレイヤーとして参加させることは摘発の対象であり、強制終了ができないとなればもはやこれは監禁と言ってもいいだろう。

もしそうなればリアルのネバギアたちを知る者たちが調べるだろうし、現実世界に戻ることが出来ていないとわかれば警察が動く。運営の人間たちは瞬く間にニュースを騒がせる存在になるだろう。

そんなことを運営会社は絶対に望まないし、リスクを犯すような真似はしない。

 

 

(そして、この体(・・・)……)

 

 

今自分の感覚が正常ならば、この体には手も足も存在しない(・・・・・・・・・)

本来、どれだけ異形の姿をしていようが、体感はあくまで人間の体のものであるはずなのだ。

でなければ、現実世界に戻った時にその人間と異形の体の感覚のギャップから生活に支障をきたしてしまう恐れがある。

しかし、自分の体はどうだ。半透明の銀色の粘液の中に浮かぶ機械仕掛けの球体。ただそれだけ。

 

 

(ありえない。これはもうゲームの域を超えている)

 

 

もはや仮想世界などではない。これはもう新しい一つの現実世界(・・・・・・・・・・)と言っても過言ではない。

至高に耽るネバギアの――粘液に包まれているはずなのにやけにクリアな――視界には口元に骨の手を当てているモモンガの姿があった。そして、目が合う。

 

 

「ネバギアさん……これは、いったい……」

 

「わかりません。とにかく、今は状況把握の為にも情報を集めるべきかと」

 

 

確信を確実にするために(・・・・・・・・・・・)

ネバギアの冷静な思考にモモンガは静かに頷く。

そして先程自分の指示によって玉座の下の階段の前でひれ伏す執事の名を呼んだ。

 

 

「――セバス」

 

「はっ」

 

 

呼び掛けに応じて上げたセバスの顔は真剣そのもの。アルベド同様、生き物らしい自然さが感じられる。

そんなセバスを見て、命令をして問題がないのか、NPCは自分たちに忠誠を誓っているのか、そもそも彼らは自分たちが作ったNPCなのか、と次々に不安や疑問が浮かび上がる中、意を決して命令する。

 

 

「大墳墓を出て、周辺地理を確認せよ。もし仮に知的生物がいた場合は交渉して友好的にここまで連れてこい。交渉の際は相手の条件をほぼ聞き入れても構わない。行動範囲は周囲一キロに限定。戦闘行為は極力避けろ」

 

「了解いたしました、モモンガ様。直ちに行動を開始します」

 

 

本拠地を守るために作られたNPCが外に出ることは、本来ユグドラシルの世界なら不可能。

セバスが本当に外に出られるまで確定では出来ないが、ますますこの世界がユグドラシルではない可能性が高まる。

少しずつ状況を把握しようと情報を整理していくモモンガの横から、今度はネバギアがプレアデスへと視線を移して名を呼ぶ。

 

 

「ソリュシャン・イプシロン」

 

「はい、ネバギア様」

 

 

金髪の縦ロールの髪型と豊満な肉体、それが纏う胸元の開いたメイド服とスラリと伸びる脚を覆うグリーヴが目を引く美女が呼び掛けに応じる。

ソリュシャン・イプシロン。種族は不定形の粘液(ショゴス)で、暗殺者(アサシン)職業(クラス)を持つプレアデスの一人だ。

ネバギアはモモンガだけでなく自分に対しても臣下としての礼節を取るその姿に、また一つの情報を得ながら命令を下した。

 

 

「……聞いての通りだ。セバスにはこれよりナザリック周辺の確認に向かってもらう。それに同行せよ。もし戦闘になり、且つそれが強敵であった場合、情報を持ち帰り帰還するように。暗殺者(アサシン)職業(クラス)を持つお前ならば広範囲の索敵、そして隠密による撤退が可能なはずだ。今回の作戦でセバスの補助をするにあたり、お前以上の適任はいないだろう」

 

「かしこまりました、ネバギア様」

 

(え? 誰この人?)

 

 

普段の明るく優しい声色のネバギアしか知らないモモンガは、あまりにもそれとは違う冷徹な口調にモモンガは内心で唖然とした。

そんなモモンガの心情を知らぬネバギアたちは会話を続ける。

 

 

「あくまでもお前たち二人の実力をもってしても撃退が困難であり、ソリュシャンのみであれば撤退が可能な場合に限定する――セバス、ソリュシャン」

 

『はっ』

 

「私たちは情報を欲しているが、それ以上にお前たちが無事に戻ってくることを望む。決して無理はするな。必ずこのナザリック地下大墳墓に帰還せよ」

 

『っ、はっ!』

 

 

ネバギアの言葉にセバスとソリュシャンは一瞬言葉を詰まらせながらも、先程よりも力強い返礼で命令を受諾した。

モモンガはネバギアの口調に困惑しながらも、セバスたちの身を案じる言葉からやはり彼は彼のままであることを理解し、安堵の息を吐いた。

ふぅ、と一息吐くモモンガに対し、ネバギアは粘液の中の(コア)だけをくるりと向ける。

ネバギアの今まで見たことのない動きにモモンガはドキリと身体を小さく跳ね上げた。

 

 

「モモンガさん。差し支えなければ、このまま進行しても?」

 

「あ、ああ。構わないとも。ネバギアさんになら安心して任せられる」

 

「感謝します。もし何かあれば遠慮なく仰ってください」

 

 

銀色の粘液の中で、まるでお辞儀をするように単眼の球体が揺れると、再びネバギアはセバスやプレアデスへと向き直った。

 

 

「ユリ・アルファ、ルプスルギナ・ベータ、そしてナーベラル・ガンマ。メイドたちや男性使用人たちに異常がないか確認せよ。異常があった場合、可能であればルプスルギナはこれを魔法で治療するように。八階層からの侵入者が来る可能性も否定はできない、警戒は怠るな」

 

『はっ』

 

「シズ・デルタ、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。ナザリック内のギミックが問題なく作動するか確認せよ。シズがメイン、エントマはサポートだ。確認を終え次第エントマはユリたちと合流、シズは私のところに戻ってこい」

 

『はっ』

 

 

残りのプレアデスを二つのチームに分けて指示を出したネバギアは、これで問題がないか無言の視線をモモンガに送る。

それに対して特に問題はないと判断したモモンガは頷き、セバスたちへと向き直った。

 

 

「流石はネバギアさん、見事な采配だ――各自、ネバギアさんの指示に従い、直ちに行動を開始せよ」

 

「承知いたしました!」

 

 

セバスとプレアデスはモモンガたちに跪拝すると、一斉に立ち上がり歩き出す。

一同が大扉を抜けて玉座の間から退室するのを見送ったネバギアが振り返ると、モモンガがスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンから手を放していた。

我らがギルド武器は重力に従って倒れることはなく、まるで誰かがまだ握っているかのように宙に浮いている。物理法則を無視した光景だが、手放したアイテムが空中に浮遊するというのはユグドラシルでは珍しくなかった。しかし、その光景が二人の思考を惑わせる。

 

 

「これはユグドラシルのまま、か……」

 

「となると、ここがユグドラシルの世界である可能性も否定できませんね」

 

 

浮遊するスタッフを眺めながら二人は次の手を考える。

ここがユグドラシルの世界である可能性が〇でないとするならば――

 

 

「……運営との連絡」

 

「ですね……」

 

 

自分たちがいる場所がユグドラシルの中ならば、一番状況を把握しているのは間違いなく運営だ。

問題はその運営と連絡する手段。本来ならGMコールなどで簡単に連絡できるのだが、今はそれが出来ないのは確認済みである。

ならばどうするか――

 

 

「<伝言(メッセージ)>?」

 

「なるほど、試してみる価値はありますね」

 

 

モモンガが思いついたように呟いたそれは、連絡を取り行うことを可能にする魔法である。

特殊な状況や場所でしか使われることはないが、今ならこれを効果的に使用できるかもしれない。勿論、本来プレイヤー同士が連絡する為のものでしかないそれで運営と連絡が取れる可能性は限りなく低い。

しかし、ネバギアが言った通り試す価値は十分あるし、なにより自分たちが魔法を使えるかどうかの確認は必要だ。

魔法職のモモンガは言わずもがな、ネバギアもある程度の魔法は使用する。これらが使用できるか否かは非常に大きい。もし魔法が使えなければ、二人の戦闘能力は勿論、活動範囲や情報収集能力も格段に落ち込んでしまう。それを見極めるためにも急いで確認する必要があった。

 

 

「では、まずは我々で。私がネバギアさんに繋げますね」

 

「了解です」

 

 

<伝言(メッセージ)>はユグドラシルでは相手がゲームに入っている場合は電話のコール音のようなものが聞こえ、ゲームに入っていなければコールもなくすぐに切れてしまう。

 

 

『ネバギアさん、聞こえますか?』

 

『おお。はい、大丈夫です。問題なく聞こえます』

 

 

結果として、<伝言(メッセージ)>の魔法は問題なく使用できた。

確定ではないが、これで他の魔法も発動できる可能性は高まる。

 

 

『他の魔法も試してみる必要がありますよね』

 

『私もそう思います。我々にとって魔法が使えるかどうかは戦闘やそれ以外においても重要な要素ですから。モモンガさんの場合は私以上にね』

 

『はい。なので後で場所を移して試してみようかと』

 

『それがよさそうですね。では、一度切って運営に向かって発動してみましょうか』

 

『そうですね。では、一度切ります』

 

 

傍から見れば白骨とスライムが無言で見つめ合うという不可思議な光景だろう。

当の本人たちはそんなことは気にも留めず、今度はそれぞれが運営に向かって伝言(メッセージ)を発動する。

しかし、結果は実りの無いものだった。まるで糸のようなものを伸ばして何かを探すような不思議な感覚はあるが、それが誰かに繋がることはない。

一縷の望みにかけて今度は他のギルドメンバーに向かって発動するが、それも空振り。念には念を、とそれぞれが残りの三十九名に向けて発動するがいずれも反応が返ってくることはなかった。

 

 

「やっぱりダメみたいですね……」

 

「そのようです……」

 

「あの、モモンガ様? ネバギア様?」

 

 

落胆して項垂れるモモンガと最悪な方向に確信が一歩進んだことで押し黙るネバギアに、アルベドが少し困惑した様子で声をかけた。

数分もの間二人揃って無言となり――正確にはその間に<伝言(メッセージ)>を何度も発動していた――放置してしまったことに、二人は僅かに罪悪感を抱く。

 

 

「あ、ああ……すまなかったな、アルベド。ネバギアさんと少し話し合いをしていた」

 

「とんでもございません。むしろ、私が話しかけてお二人のお邪魔をしてしまったのでは……?」

 

「そんなことはないから安心するといい。必要であれば、私たちの方から断りを入れる」

 

「かしこまりました、モモンガ様……そして、ネバギア様――」

 

 

アルベドは一礼をして感謝を述べると、次は片膝を置いてネバギアの前にひれ伏した。

 

 

「ナザリックへのご帰還、心よりお待ちしておりました。遅ればせながら守護者統括官アルベド、ナザリックの全(しもべ)を代表しお祝い申し上げます」

 

「……ありがとう、アルベド。長い間留守にして、すまなかった」

 

 

アルベドの言葉に、ネバギアは申し訳なさそうに静かな声色で謝罪した。

活動を休止していた三年間。その間の事がNPCたちの記憶にあるのかは定かではないが、もし記憶があったのだとしたらその三年もの間彼女たちを待たせてしまったことになる。

事情が事情ではあったが、仕方がなかったのだと言い捨てることができるほど、彼は非情ではない。

そんな彼に対してアルベドはいいえ、と首を小さく振りながら続けた。

 

 

「なにを謝ることがございましょうか。恐れながら、ネバギア様がナザリックをお離れになった理由は存じ上げています。ネバギア様の御正室であらせられるリーブ様が重い病にて伏せてしまったことで、リーブ様のお傍にいて差し上げるためだと……そしてこうしてネバギア様がお戻りになられたという事はリーブ様が快復なされたということ。リーブ様の全快、重ねてお祝い申し上げます」

 

「…………」

 

 

続けて述べられる全快祝いの寿ぎ。

本来なら感謝の一つでも返すべき場面だが、ネバギアからは重い沈黙が返るのみ。

 

 

 

「? ネバギアさ――」

 

「ありがとう、アルベド。リーブもお前たちの祝いの言葉を聞けばきっと喜ぶだろう」

 

「はっ」

 

 

その予想とは異なる反応にモモンガが声をかけようとすると、まるでそれを制するように返事をした。

ネバギアの反応にモモンガの中に小さな違和感が残るが、しかし今はそれよりも確認することがあまりにも多い。

ネバギアと違い確信を得られていない(・・・・・・・・・・・・・・・・・)モモンガは、確信へと近付くための情報収集として、アルベドを傍へと呼ぶ。

 

 

「アルベド、私の元まで来い」

 

「はい、モモンガ様っ」

 

 

アルベドはネバギアに見せた凛々しい姿から一変し、心底嬉しそうな声で返事をしてモモンガへとにじり寄る。アルベドの持つ黒い球体の浮かんだ短杖(ワンド)真なる無(ギンヌンガガプ)にモモンガは一瞬警戒するが、それが使用される気配がない事を察するとその警戒を脇に退けた。

その間にもアルベドはより距離を詰め、抱き付かんばかりである。より距離が詰まったことで良い香りがモモンガの鼻腔をくすぐるが、それに思考が僅かに微睡むのを振り払う。

 

 

「アルベドよ、腕を触るぞ」

 

「どうぞ、モモンガ様――……っ」

 

 

アルベドは喜色満面の笑みを浮かべて己の片腕をモモンガへと差し出す。その腕にモモンガが触れると、アルベドは何かに耐えるかのように顔を僅かに歪めた。

その反応にモモンガは自分が何かしてしまったのかと不安を抱くが、その正体はすぐに見つかる。

死の支配者(オーバーロード)の下位職である死者の大魔法使い(エルダーリッチ)がレベルアップによって得られる特殊能力の一つ、負の接触(ネガティブ・タッチ)。接触した相手にダメージを与えるそれが、アルベドが表情を歪めた理由だとモモンガは推察した。

本来ユグドラシルでは同じギルドに所属している者たちの間では同士討ち(フレンドリィ・ファイア)が禁止されているはずだが、それが解除されているのかもしれない。

無言で情報を整理していたモモンガは意識を浮上させ、アルベドの腕をすぐに放した。

 

 

「すまなかった、アルベド。負の接触(ネガティブ・タッチ)を解除し忘れていた」

 

「お気になさらずに、モモンガ様。あの程度はダメージのうちに入りません。それに、愛しい旦那でしたらどんな痛みでも……きゃっ!」

 

「あ……うん……そうか……。だ、だが、お前は私の妻だ。どんな理由があっても己の伴侶を傷付けるなど、男としてあるまじき行為だ。許してくれ」

 

「妻……伴侶……はぁんっ」

 

 

照れたように頬に手を当てるアルベドに対してどのような態度を取るべきか迷いながら、モモンガは自分が思う支配者らしい――会社の重役のような――演技を意識しつつ謝罪する。

彼の配偶者となった統括守護者は、自分の支配者でありながら夫であるモモンガの甘美な言葉に身を震わせて悶える。

破瓜の痛みがどうのこうのと大きな独り言を言っているアルベドと、その様子を見てドン引きしている――表情がないため分かりにくいが小さく「えぇ……」と困惑した声を漏らしていたから間違いないだろう――ネバギアから視線を逸らしつつ、モモンガは常時発動型の能力の一時的な解除の方法について思案し――その切り方を唐突に悟った。

人が呼吸をするかのように、まるで身体が覚えているような感覚で死の支配者(オーバーロード)が行使できる能力の使い方が理解できる。

異常事態が重なり続ける状況下に置かれるモモンガにとってそれは大したものではなく、むしろ簡単に使い方が分かって良かった、という程度のものだった。

 

 

「触るぞ、アルベド」

 

「あっ」

 

 

能力を解除したモモンガは、トリップしかかっているアルベドを引き戻すように彼女の手首を掴む。その際に漏れたアルベドの声に内心で少し動揺しながら。

白魚のようなその手に触れたモモンガは、アルベドの手の美しさよりも脈があることに驚く。生き物ならばあって当然の命の鼓動。

チラリと視線を移せば、紅潮したアルベドの顔。体温が急上昇しているのが見て取れる。

モモンガは思わずネバギアに向けて<伝言(メッセージ)>を発動する。頭によぎった予測を否定する為の助けを求めて。

 

 

『ネバギアさん……脈が、あります……』

 

『彼女の顔が紅潮しているのがわかりますし、血が通っているのは間違いないでしょうね』

 

『っ、じゃあ彼女たちは生きているって言うんですか……!?』

 

『そう考える方が自然でしょう』

 

『そんな、ありえません!』

 

『確かにその気持ちはわかります。しかし、プログラミングに関わる仕事をしてきた私からしてみれば、彼女たちがAIだという方がありえない』

 

『……っ』

 

 

やけに冷静なネバギアの返答は、悉くモモンガの不安を煽る。

ネバギアの言葉は正しい。詳しいことはわからないが、素人である自分でもここまで自然な動きをするAIなど、今の技術で作ることができるはずがないのだ。

しかし、ファンタジーのような夢物語を信じることもそう簡単にできるわけがない。例えそれに納得する自分が己の中にいたとしても。

モモンガは纏まらない思考の中で、結論を出すための最後の一手を捨て鉢気味に打った。

 

 

『ネバギアさん』

 

『はい?』

 

『アルベドの胸を今から触ります』

 

『……はい?』

 

 

モモンガがどういう結論からそのような選択肢を取ったのか、ネバギアには全く理解できなかった。

そんなネバギアにあらぬ誤解をかけられないように、モモンガは慌ててその理由を語る。

 

 

『本来ユグドラシルで十八禁行為をすれば強制的にログアウトされ、アカウントを停止されます! それがなければここはもうユグドラシルじゃないという確信が得られます!』

 

『……なるほど。確かに理屈は通っていますね』

 

『はい……だから、あの、本当に誤解しないでくださいよ?』

 

『わかっていますよ、安心してください』

 

 

警察官(たっち・みー)のお世話になりたがるような人でなくてよかった、とモモンガに悟られないように思うネバギア。

彼の内心を知る由もないモモンガは自分を信じてくれていたネバギアに感謝しながら意を決する。

 

 

「アルベド……む、胸を触っても良いか?」

 

「え?」

 

 

モモンガの言葉にアルベドは大きな瞳をぱちくりとまばたきさせる。

問いかけたモモンガはまるで時が止まったかのように固まっていた。

仕方がないとはいえ女性に、それも――あくまで設定上ではあるが――自分の妻に何を言っているのだろう。自分は最低だ。モモンガは叫びたい気持ちでいっぱいだった。

 

 

(こ、これは必要なことなんだ! そう! 自然に、自然に聞けば……!)

 

 

自分に強く言い聞かせ、精神の安定化を図るモモンガ。しかし、既に自分の中で彼女は生きているという可能性があることや、もしそれが事実なら自分が今から行うことの重大さを考えると中々落ち着くことができない。

それでもモモンガは、支配者として威厳と威圧を精一杯込めて口を開く。

 

 

「構わにゃ……ないか?」

 

 

結果は散々なものだったが。

そんなモモンガの言葉に、アルベドは花が咲いたかのような輝かしい微笑みを浮かべて返す。

 

 

「勿論です、モモンガ様。どうぞ、お好きに――」

 

「ならば、私は席を外そう」

 

 

喜んで胸を差し出そうとするアルベドの言葉を遮るようにネバギアが言う。

 

 

「ま、待つのだネバギアさん」

 

「そうです、お待ちくださいネバギア様」

 

 

ネバギアの言葉にモモンガとアルベドは慌てて呼び止める。

一人は状況把握ができていない状態で別れるのは危険だという思いから。

もう一人は自分たちのために尊い存在が気を遣う必要などないと思って。

 

 

「私がいては二人とも居心地が悪いだろう?」

 

「そ、それは……」

 

 

確かにネバギアの言う通り、自分が女性の胸を揉んでいるところを見られるのは嫌だ、とモモンガは押し黙る。

しかしアルベドは違った。その豊満な胸の前で両手の拳を強く握り、勢いよくそれを否定する。

 

 

「そんなことはございません。お気遣いは大変ありがたく思いますが、私は見られていても全然平気です」

 

『……え?』

 

 

まさかの返答にモモンガとネバギアは揃って疑問符を浮かべる。

 

 

「モモンガ様がお求めになられるのでしたら、私はいつでも、どこでも、誰の前であろうとも――!」

 

「何を言っているのだ、アルベド!?」

 

 

ヒートアップして暴走しそうになるアルベドをモモンガが慌てて諫める。

まさか伴侶となった相手がここまで酷いとはモモンガも思わなかっただろう。

これからの苦労が偲ばれる、と今後モモンガに降りかかるであろう不遇を想いながらネバギアは球体の体を左右に振って否定の意を示した。

 

 

「私にそんな趣味はない。それにシズが戻ってくる可能性もある。守護者統括が目下の者にそのような姿を晒すわけにはいかないだろう。私は扉の向こうでシズを待つ」

 

「それは……申し訳ありません、短慮な私をお許しください」

 

 

流石のアルベドもそのあたりの分別はつくようだ。しおらしい表情を浮かべて頭を下げる。

ネバギアはそんなアルベドを粘液の中で見つめながらそれを操ると、銀色の粘体は放物線を描くように階段の下へと伸びた。

粘液の先端が階段下の床に接地すると、ネバギアはその粘液の中を泳ぐように素早く移動する。予想もしない移動の仕方にモモンガが骨の口をあんぐりと開いて眺めている間にネバギアは階段下に移動し、銀色の粘体はゴムが元の形に戻るかのように後を追う。

 

 

「モモンガさん。事を終えたら<伝言(メッセージ)>で連絡してください。それでは……」

 

 

ユグドラシルの世界では見たこともない――というより、見られるわけがない――動きをしたスライム種の仲間の姿に唖然とするアインズは、「りょ、了解した」と一言だけ返して見送った。

その言葉を背に受けてネバギアはゆっくりと開く大扉を通って玉座の間を抜け、ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)の中央へと移動する。すると調度良いタイミングで反対側から一人の人影が近付いて来るのが見えた。

 

 

「…………お待たせしました、ナザリック内のギミックの作動確認を完了しました。一部入ることが不可能な場所を除き、確認できたギミックにおいて問題は見られませんでした」

 

 

人影の正体である少女はネバギアの前にひれ伏すと、物静かで平坦な口調で淡々と報告を行う。

シズ・デルタ。正式名称はCZ2128・Δ(シーゼットニイチニハチ・デルタ)。種族は自動人形(オートマトン)という異業種で、職業(クラス)はガンナー。大型アップデート『ヴァルキュリアの失墜』以降のアップデートで実装された種族と職業(クラス)を持つ戦闘メイド(プレアデス)の一体であり、ネバギアが唯一制作したNPCだ。

片膝をついて報告を終えたシズが顔を挙げると、感情の籠らない冷たい輝きを放つ翠玉(エメラルド)のような瞳がネバギアへと向けられる。

 

 

「ご苦労だった、シズ」

 

「…………勿体ないお言葉、ありがとうございます。博士」

 

 

ネバギアの労いの言葉にもシズは表情を崩さない。表情の変化の乏しさは少しばかり寂しいものがあるが、自分がイメージして設定したものなのだから仕方がない、とネバギアはシズの在り方を認めた。

メイド服に合わせて着込んだ都市迷彩色の小物や、剣のように腰に下げた魔銃、スカートの裾に貼られているネバギアお手製の「一円」シール、天井のクリスタルから注ぐ光によって煌めく赤金(プラチナブロンド)の長い髪。

それら全てが完璧な調和によって形を成しているシズという存在は、まさにネバギアの自慢のNPCだった。

 

 

「…………博士は何故ここに? モモンガ様とアルベド様は……?」

 

 

シズは僅かに首を傾けながら、率直な疑問をネバギアへと向ける。

まさかモモンガがアルベドの胸を揉んでいるから席を外した、などとは口が裂けても――その裂ける口も今はないのだが――言えないネバギアはあらかじめ用意していた説明を述べた。

 

 

「今モモンガさんとアルベドは重要な打ち合わせをしている。そのために一時的に席を外しているのだ」

 

「…………お言葉ですが、至高の御方の一人である博士が席を外す必要があるとは思えない」

 

 

シズはほんの僅かに表情をしかめながら尋ねる。まるでネバギアの言葉に不満があったとでも言いたげな様子で。

そんなシズの反応をネバギアは内心で意外に思いながら、これも用意していた説明で返す。

 

 

「ギルド長と守護者統括官という立場だからこそ二人きりで行うべき話もある、ということだ。それよりもシズ、お前は先程僅かではあるが表情を歪めていたな? 何かあったか?」

 

「…………いいえ。私は別に――」

 

「つまり、私の目が節穴だと?」

 

 

我ながらなんとも底意地の悪い事をする、とネバギアは内心で苦笑いを浮かべる。その証拠にシズは小さな困惑を見せて視線を横にずらした。

そんなシズの反応に罪悪感を抱かないわけではないが、彼女の真意を知っておきたいという気持ちの方が勝ったので無言を貫いて返答を促す。それに応えるかのように、シズは数秒口ごもった後に回答した。

 

 

「…………博士が不当な扱いを受けているのでは、と大変失礼な事を考えました。申し訳ありません」

 

「!」

 

 

まさかの返答に、ネバギアは先程よりも大きな衝撃を受ける。感情を表に出さないシズが顔を歪めた理由が、自分を想ってのことだったとは。なんといじらしく、愛らしいことか。

三年もの間、会いに来てやることさえ出来ていなかった自分をここまで想い、慕ってくれる存在がいる。

自分たちの娘(・・・・・・)の優しさに心が温まるのを感じながら、ネバギアは穏やかな口調で語り掛けた。

 

 

「シズ、ありがとう……お前のように心優しい娘がいて、私は嬉しい」

 

「…………! ……ありがとうございます」

 

 

シズはいつもよりわずかに高揚した声色で感謝の言葉を述べて平伏した。

そんなシズの頭を粘液の触手のような腕で――薄い膜が張ってあるような表面なので、シズの髪の毛を汚すようなことはない――撫でるネバギアの許に、<伝言(メッセージ)>が届いた。

 

 

『ネバギアさん、聞こえますか?』

 

『はい、聞こえますよ。どうでしたか?』

 

『えっ、その……柔らかかったです』

 

『誰が揉んだ感想を言えと?』

 

 

モモンガの友人(ペロロンチーノ)でもあるまいに、とネバギアは内心で呆れながら言う。

それだけ衝撃的だったということなのだろうか。――ネバギアの知る限りでは――女性経験のないモモンガにとっては刺激が強すぎたのかもしれない。

モモンガは慌てふためいた後、一瞬で落ち着きを取り戻す。

 

 

『あ、いえ、その……! ……失礼しました。結論から言うと、十八禁行為を行ってもなにもありませんでした。ここがユグドラシルの世界なら私は既にアカウントを凍結されてここにいないはずです』

 

『つまり……』

 

『はい。ここはもうゲームの中じゃない、一つの現実世界だと、思います……』

 

 

モモンガの言葉尻が弱まるのを聞きながら、ネバギアはそれも仕方がないことだろうと考えた。

あまりにも常識の範囲外だ。しかしその答えこそ真実なのだと思える要素がいくつもある。

二人は認めるしかなかった。

 

――仮想現実が現実になった、と。

 

そう結論付けた二人は次に今後の方針を話し合う。

 

 

『ネバギアさん、これからどうします?』

 

『私はまず“アルゲース”を取りに行きたいと思います』

 

『“アルゲース”ですか! 確かにあれは大事ですもんね!』

 

 

同意するモモンガの言葉に、隠しきれない興奮があった。

ギルドの特攻隊長である彼の勇ましい姿をモモンガは好んでいたし、なによりネバギアの最強装備である“アルゲース”は男の浪漫とも言える存在だからである。

モモンガの反応に微苦笑を浮かべながらネバギアは続ける。

 

 

『そのためにも私は一度、九階層にある自室に移動しようと思っています。幸い、指輪は手元にありますから』

 

『では“アルゲース”を回収した後に色々と話し合いましょう。その後に階層守護者たちに会おうと思うんですけど、どうでしょうか?』

 

『異論ありません。いずれ会う必要がある者たちですから』

 

 

それが忠義に厚い臣下としてか、油断ならない敵としてか。今の二人にはそれを確証させるための情報はない。

今のところ会ったNPCは全員が高い忠誠心を示しているが、それが全ての者たちに当てはまるかは不明なのだ。

だからこそ、ネバギアも装備を整える必要があるし、この後の行動について相談する必要がある。

 

 

『なら、今から二時間後に第六階層のアンフィテアトルムに各階層の守護者が集合するよう伝達するように、アルベドに命じておきます。来る前に各階層に異常がないか確認させるように伝えておくので、自然に時間は稼げると思います』

 

『流石ですね。よろしくお願いします』

 

『はい。それと、守護者たちにはネバギアさんの帰還は伏せておくよう伝えておきます。表向きはサプライズってことで。守護者たちの前に出るときも最初は私だけで行くので、ネバギアさんは後から来てください』

 

 

モモンガの言葉にネバギアは変化しないその顔を顰めながら苦言を呈した。

 

 

『モモンガさん、それは受け入れられません。モモンガさんが危険に晒されるリスクが高くなる』

 

 

モモンガは魔法職。対するネバギアは前衛職。どちらが前に出るべきかなど、考えるまでもない。

だというのにモモンガが矢面に立って自分が後方で控えるなどありえない。ネバギアが異を唱えるのは当然だった。

それを承知の上で、モモンガはネバギアの意見を拒絶する。

 

 

『私の存在は間違いなくナザリックの全NPCに知られている。それなのに守護者たちの前にギルド長が出てこないとなれば、守護者たちが怪しみます』

 

 

確かにいる事がわかりきっているトップの者が姿を現さないとなれば不信に思われるだろう。

それでも、と食い下がろうとするネバギアにモモンガは言った。

 

 

『大事な仲間を命の危機に晒すわけにはいきませんから。大丈夫です、守護者たちが敵になると決まったわけじゃありませんから!』

 

 

わざとらしいほど明るい口調で語るモモンガにネバギアは言葉を失う。

こういう時に真っ先に無理をしようとするのが彼の美徳であり欠点でもある、とユグドラシルの頃から時折見せていた彼の一面に色んな感情を混ぜながら、ネバギアはモモンガの意を汲むしかなかった。

 

 

『わかりました。ただし、無理はしないようにしてくださいよ』

 

『はい。ありがとうございます……すみません』

 

『……謝るくらいなら最初から無理言わないでくださいよ。とりあえず、私はシズを連れて一足先に自室に移動します』

 

『シズを……大丈夫ですか?』

 

 

NPCを同行させることにモモンガが暗に不安を訴える。

彼の不安を理解した上でネバギアは答えた。

 

 

『大丈夫です。少なくとも彼女は我々に敵対することはないと確信していますし、もしもの時は私が……』

 

 

静かな決意を持って答えるネバギアの言葉を、つい先程己の我儘を通したばかりのモモンガは受け入れるしかなかった。

願わくばそうならないことを祈りつつ、シズの同行を了承する。

 

 

『……わかりました。私もアルベドに指示を終えた後にネバギアさんの自室に向かいます。ネバギアさんは念の為、ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)のゴーレムたちのプログラムを書き換えて我々二人の命令しか受け付けないように設定しておいてください』

 

『了解です。では、後程』

 

 

モモンガとの通話を終えたネバギアはまず、今までずっとシズの頭を撫でていた粘液の触手を引っ込めた。

創造主に与えられた甘美な時間が唐突に終わりを告げたことを理解すると、シズはいつもの無表情に欠片ほどの寂しさを含めた顔でネバギアを見上げる。

 

 

「シズ、今からソロモンの小さな鍵(レメゲトン)のゴーレムたちのプログラムを変更する。それを手伝ってほしい。ゴーレムたちが私とモモンガさんの命令しか受け付けないように設定し終えた後、私の自室に戻り“アルゲース”を回収する」

 

「…………」

 

 

ネバギアより指示を受けたシズはコクリと小さく頷くと立ち上がり、すぐに作業に取り掛かる。ナザリック内のギミックの把握と操作を行えるという設定が活きているのか、次々に設定を上書きしていく。その無駄のない仕事ぶりに感心しながら、ネバギアも作業を開始した。

そのゴーレムたちを見る度にかつての思い出が蘇るが、今はそれに浸っている時間はない。あくまでも頭の中は冷静であることを保ちながらプログラムの書き換えをしていく。

シズという優秀なアシスタントがいたことで、予想していた作業はあっという間に完了した。それらを終え、ゴーレムたちが元の穴に戻っていくのを見届けていると玉座の間が開く。思わず視線をそちらに向けるとアルベドが出てくる姿が見えた。

 

 

「やぁ、アルベド。どこかに行くのか?」

 

 

ネバギアはモモンガとの打ち合わせの内容を知らない振りをしてアルベドに声をかける。

その単純な問いには、アルベドがこちらに素直に情報を提供するかどうか、虚偽の情報を渡して二人の連携を阻害しようとする目論見はないかを図る意味もあった。

 

 

「はい。モモンガ様の命により、これから第四と第八を除く全ての階層守護者に各担当の守護階層の異常の有無を確認するよう伝達しに向かうところです。加えて、二時間後に六階層のアンフィテアトルムに集合するように、とも」

 

 

アルベドはあっさりと、しかし臣下の礼を損なわない言葉と所作で返答した。

その姿には彼を欺こうとするようなものは一切感じられない。

ネバギアは再び彼女の忠誠心が再確認しながら了解する。

 

 

「そうか。モモンガさんから与えられた命令を遂行しに向かうところだったというのに、呼び止めてすまなかったな」

 

「ネバギア様が謝罪するようなことは何もありません。ところで、ネバギア様は何を?」

 

 

可愛らしく首を傾げながらアルベドが尋ねる。

それに対してどのように返答するべきか数秒思案した後、ネバギアはモモンガと会話をしたことだけを伏せて説明する。

 

 

ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)のゴーレムたちのプログラムを書き換えていた。私とモモンガさんの命令しか受け付けないようにな」

 

「! それは、何故でしょうか……?」

 

「確定ではないため詳細は説明できないが、このゴーレムたちを起動させなくてはいけない可能性があるからだ。いざという時にそれらの支配系統を奪われないよう事前に手を打った……何か問題があるか?」

 

「っ、いえ! 出過ぎた質問をしました、お許しください!」

 

 

アルベドは慌てて謝罪する。そこにはどこか恐怖の色さえ見えた。

余計な詮索を防ぐとともにゴーレムを自分たちだけの物としたことに対する反応を見るためだったが、やはりアルベドの反応を見る限り自分たちに反旗を翻す可能性は限りなく低いと感じられる。

しかし、可能性は〇ではないのだ。自分の考えだけで判断するのは危険だと内側で己に言い聞かせながらも、ネバギアはやんわりとフォローを入れてやる。

 

 

「謝罪は不要だ、アルベド。お前に非はない。それでも気にするというのであれば、モモンガさんから与えられた命令を確実にこなせ」

 

「はっ、温情感謝いたします。それでは……」

 

 

アルベドが一礼をして再び出口へと向かうのをネバギアはただ静かに、彼の背後に立つシズは小さく一礼をして見送る。

やがてアルベドの――少し小さく見えた――背中が見えなくなるとネバギアはシズの方へと向き直った。

 

 

「さて、私たちも移動するとしよう。こちらに来い、シズ」

 

 

ネバギアが呼びかけるとシズは無言で頷き、彼の傍に寄る。

近くに来たシズを、まるで肩を抱くように粘体の腕で更に抱き寄せるとネバギアは己の中に意識を集中した。

今は(コア)だけの体だが、ユグドラシルの中なら指輪は装備できていたはず。しかし、今の自分は指輪を装備できる手すらない。ならば指輪はどこに行ったのか。

 

 

(……なるほど。この(コア)の中に組み込まれているのか)

 

 

ゲーム内で装備していたいくつかの装備品が機械のボディの中に組み込まれているのが、ネバギアには理解できた。

色々とユグドラシルに似通っているところがある世界だが、今回はそれに素直に感謝しておくことにしよう。

ネバギアは大切なギルドの指輪が失われていないことに安堵しながらそれを起動した。

リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。

ナザリック地下大墳墓の中において名前が付けられている部屋であればどこにでも、そして何度でも転移が出来るというアイテムだ。しかも、外から内部へと一気に転移することも可能という代物。ナザリック内は特定の場所を除くほとんどの領域に転移魔法を阻害しており、そんな中で好きに転移が行えるこの指輪は非常に便利なのだ。

行けないのは玉座の間やギルドメンバーたちのプライベートルームなど極少数。しかも、この指輪なしでは入れない場所も存在する。そのため外部の者に奪われることは決して許されない、ある意味世界級(ワールド)アイテムよりも重要度の高いアイテムである。

 

 

(これが問題なく使用できるかどうか一抹の不安はあるが、試してみない事にはな……さて、自室には転移ができないから――)

 

 

ネバギアは自室に最も近い転移可能な部屋を頭に思い浮かべ、指輪の力を起動する。

すると視界が一瞬で黒く染まり、そして一変した。

ネバギアは周囲を見渡してそこが思い描いた通りの場所であったことを確認し、そして隣に視線を移してシズも問題なく転移できていることを把握する。

 

 

「よし。私の部屋に行くぞ」

 

「…………はい、博士」

 

 

ネバギアとシズは部屋を出るとネバギアの自室――通称・研究室(ラボ)――へと向かった。

三年近く訪れていない部屋だが、そこまでの道はしっかりと記憶に残っている。

全く迷うこともなく二人はそこに到着した。

 

 

「……」

 

 

ネバギアは存在しないはずの胸の高鳴りを感じながら、ゆっくりと扉を開く。

扉の向こうに広がっていたのはとても懐かしい、ユグドラシルにおける彼の自室だった。

重たい駆動音を立てて絶えず動く機械。電子音と共に、意味がありそうでなにも意味はない文字や図形を画面に流すモニター。部屋の隅に張り巡らされたパイプやコード。研究者らしい室内の一角に必要最低限用意された応接用のスペース。何もかもが昔のままだった。

 

 

「…………博士」

 

「ん?」

 

 

懐かしむように部屋を見渡すネアギアの背中に、シズが呼びかける。

ネバギアがゆっくりと振り返ると、そこには口元に小さく笑みを浮かべて優しい瞳でこちらを見つめるシズがいた。

 

 

「…………お帰りなさい」

 

 

シズは小さく、そして嬉しそうに言う。

そこには彼の帰還を長く待ちわびた彼女の万感の思いが込められているように感じられた。

ネバギアは優しく出迎えてくれた娘に応える。

 

 

「ああ、ただいま……」

 

 

ナザリックに戻ってきてようやく言うことが出来たその言葉をネバギアは噛み締める。

じんわりと沸き上がるその感情が謎の抑制で抑え込まれても、すぐにそれは沸き上がった。

それを数回繰り返し、ようやく落ち着いた頃、二人の背後の扉から軽いノックの音が響く。

 

 

「ネバギアさん、いますか? モモンガです」

 

 

扉の向こうから聞こえてきたのは、前もってこちらに来ることを伝えていたモモンガだった。

ネバギアはシズに視線で扉を開けるよう示し、それを理解したシズは頷いて対応する。

 

 

「どうぞ、モモンガさん」

 

「ありがとうございます、お邪魔します――うむ、ご苦労」

 

 

ドアボーイのように扉を開けたシズに片手をあげて労うモモンガ。静かに一礼をするシズの横を通り抜けた彼はネバギアの前に立ち、そして彼の背中の向こうにあるものへと視線を移す。

 

 

「なんとか間に合ったようですね」

 

「心配しなくても、モモンガさんが来るまで待つつもりでしたよ」

 

 

ネバギアは苦笑を漏らしながらそれ(・・)に近付く。

機械に埋め尽くされた研究スペース。その奥の壁に作られた穴状の格納庫。そこに格納されている一体の黒いロボット。

二メートル半はあろうかという大きなヒト型のロボだ。しかし、その顔は人間とかかけ離れた一つ目で、瞳は暗く今は機能を停止しているのが窺えた。その証拠にボディの胸元は展開されており、中のコクピットが空になっていることを教えている――ちなみにコクピットの中は非常に狭く、人間が入り込めるような構造でもない。言葉にするなら筒状の水槽に近い――。

 

 

「……待たせたな、アルゲース」

 

 

アルゲース。『ヴァルキュリアの失墜』で実装された職業(クラス)を習得することで装備が可能な『ドローン』という武器種に当たるネバギアの武器である。数多の神器級(ゴッズ)アイテム級の素材を使って作り上げたそれはスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンにこそ及ばないが、それに次ぐほどの性能を持つ彼の自慢の最高傑作であり、これにネバギアが搭乗することで真価を発揮することができる。

 

 

「では、乗りますね」

 

 

ネバギアは振り返ることなく、後ろに立つ者たちに言う。

銀色の粘液をコクピットへと伸ばすと、粘液の中を泳ぐように(コア)の体を移動させ、最後に粘液をコクピットの中にしまい込む。彼の本体と粘液が全てコクピットの中に入り込むプシューッと音と僅かな煙をあげてハッチが閉まり、ネバギアの姿は完全に中へと消えた。

そして、今まで沈黙を守っていたアルゲースが瞳を紫色に輝かせ、重たい駆動音をあげてゆっくりと起動する。

 

 

「……おお!」

 

「…………!」

 

 

モモンガは思わず声をあげ、シズは見開いた瞳を輝かせた。

そんな二人の視線を一身に受けるアルゲースが顔を上げると、観客へのデモンストレーションだとでも言わんばかりにガンガンと力強く自分の両拳をぶつけ、腕部のギミックを少しだけ展開して眩い紫電を放出させる。

そんなアルゲースの、ネバギアの全盛期の姿にモモンガは興奮を隠せない口調で尋ねた。

 

 

「調子はどうですか?」

 

「良好です。むしろユグドラシルの時よりも一体感があって非常に動きやすいですよ」

 

 

肩を回したり手を握った後に開いてみたりと様々な動作を確認しながらネバギアは返答する。

ユグドラシル時代ではアバター越しに操作していたが、今はまるでアルゲースそのものが自分の体であるかのような感覚をネバギアは感じていた。

これならば問題なく戦える。ネバギアは鋼鉄の拳を握り締め、それを見つめる。

 

 

「…………カッコいい」

 

 

シズがネバギアを見上げながら呟く。

戦闘メイド(プレアデス)として常に九階層にいたシズは、ネバギアのもう一つの姿を見たことはほとんどない。そんな創造主の勇ましい姿に彼女は感動していた。

 

 

「フフッ、そうか。シズも中々話がわかるようだな」

 

「…………はい。博士のそのボディには、乙女の浪漫が詰まってる」

 

 

どうやら彼女の言う浪漫はモモンガやネバギアのものととても似通っているらしい。

ともあれ、シズにこの姿を受け入れられたことに密かに安堵したネバギアは先程してやったように、今度は鋼鉄の大きな手で彼女の頭を撫でる。傷つける事がないよう、優しく慎重に。

 

 

「後でアルゲースの性能を再確認したい。手伝ってくれるか?」

 

「…………! はい、勿論です。博士」

 

「フフッ、ありがとう」

 

 

了解の言葉の裏には、是非とも手伝いたい、という興奮が僅かに滲んでいる。

隠しきれないシズの一面に微笑ましさを感じながら、限りある時間を有効に使うために気持ちを切り替えた。

 

 

「ではシズ、私とモモンガさんはこれから大事な話がある。お前は部屋の外で待機していてくれ。もし誰かが来ても絶対に中に入れるな」

 

「…………了解」

 

 

ネバギアの真剣な声色から思いが伝わったのか、シズの明るい一面は一変して感情の無い冷たいそれへと変貌する。

腰に帯びた魔銃の位置を整えた後、シズはネバギアたちに一礼して退室する。シズが部屋を出て扉が完全に閉じるのを見届けた不死者の王と黒鉄の雷神機は静かに向き合う。

 

 

「――じゃあ、話し合いを始めますか」

 

「ええ」

 

 

約束の時間まで、後一時間。

 

 

 

 

.




というわけでガーゴイルの姿になりました。名前は『アルゲース』。ギリシャ神話において雷の精とも言われるサイクロプスの三兄弟の長男の名前です。一つ目の雷神ならピッタリだと思ったので。
ちなみに、起動時のデモンストレーションはゲーム内におけるガーゴイルの初登場シーンをイメージしました。カッコいいので興味がある方は動画で見てみてください。


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第3話『階層守護者』

100名を超える方々にお気に入り登録を頂けました。この場を借りて、感謝申し上げます。
お気に入り登録してくださった皆様、本当にありがとうございます。
これからも皆様に楽しんで頂けるように頑張っていきたいと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。


ネバギアの自室で今後の相談や打ち合わせを行うこと三十分。

この後に起こりうる状況――この中には全NPCの反逆も含まれている――に対する策をいくつか用意し、それを踏まえて今後の方針を固めたモモンガとネバギアは二手に分かれた。

ネバギアは自室でアルゲースの性能を確認中。シズはそのサポートして彼の傍にいる。

そしてモモンガは指輪(リング・オブ・アインズ・ウールゴウン)の力で第六階層のアンフィテアトルムに転移していた。

何層にも重なる客席が取り囲む円形闘技場(コロッセウム)。客席は観客代わりのゴーレムたちが並び、<永続光(コンティニュアル・ライト)>の魔法で照らされた中央の空間を見下ろしている。

ユグラシルではこの闘技場で多くの侵入者が最期を遂げた。貴賓席にギルドメンバーが座り、観客のゴーレムたちと共に侵入者を俳優にして繰り広げられる殺戮劇を観賞していたのを思い出す。円形劇場(アンフィテアトルム)とはよくいったものである。

そんな物騒ながらも間違いなくアインズ・ウール・ゴウンの思い出が詰まっている場所に予定よりも早く来たのは、懐かしい思い出に浸るため……ではない。自身の能力の確認を行うためだった。

魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるモモンガにとって魔法とは生命線そのもの。ネバギアの協力によって<伝言(メッセージ)>の魔法の発動が確認できたことで魔法が発動できないという可能性はほとんどないが、何もかもがわからない現状では石橋を叩きすぎるくらいが今は調度いいとモモンガは考えていた。

そして慎重に慎重を重ねたモモンガが一足早く六階層にて魔法の試し打ちをしたところ、理屈では説明できないがモモンガにとっては非常に良い結果となった。

効果範囲、次の魔法発動までの必要時間、自分の魔力量と魔法の発動に伴う消費。いずれもが感覚的に、しかしはっきりと理解することができたのである。ユグドラシル時代にも感じたことがない満足感と充足感を、モモンガは感じていた。

その後、ギルドメンバーの一人、ぶくぶく茶釜が作ったNPCであり、第六階層の守護者である双子の闇妖精(ダークエルフ)、アウラとマーレの協力を得て同士討ち(フレンドリィ・ファイア)について細かい調査を行い、外に探索に出ているセバスに連絡を取って外の地形を把握した後――勿論、得られた情報は逐一<伝言(メッセージ)>を通してネバギアに報告し、情報共有を行っている――双子たちの、というよりアウラの暇つぶしのために召喚した根源の火精霊(プライマル・ファイヤーエレメンタル)と双子の戦闘をぼんやりと眺めながら、状況と情報、そして思考の整理を始める。

 

NPCはプログラムか? 否。彼女たちは間違いなく生を得ている。

 

この世界はなにか? 不明。二手に分かれる前に行った議論の結果、未だゲームの中にいるという可能性は否定された。

 

自分たちはどう行動すべきか? まだNPCたちが敵対しないという保証はなく、仮に彼らが忠誠を誓っているとして、それは自分たちの事を支配者として認めているというのが根底にある可能性がある。自分たちがそれに見合う実力を持っていないと思えば反旗を翻すことも十分考えられる。油断ならない状況である今、支配者然とした威厳ある行動を取るのが得策だ。

 

これからの方針は? 情報収集に努める。ユグドラシルの魔法が使えるのだからユグドラシルの世界に入り込んだ可能性が高いが、そうでない場合、自分たちはあまりにも無知だ。慎重を重ねて情報を集めるべきだろう。

 

ここが異世界だった場合、元に戻るための努力はするべきか? 疑問だ。友達もいない。恋人もいない。両親も、子供も、誰もいない。会社に行って働いて、疲れきった身体を引きずって帰って寝る。そんな生活。灰色の生活の中に唯一色を与えてくれていたユグドラシルもサービスを終了した――にも関わらず自分たちがこうしてここにいるというのが何とも締まらない話ではあるが――。

 

 

(そんな世界に、帰る価値はあるのだろうか……)

 

 

帰るべき理由が、見つからない。

ゲームに熱を注いだくらいしか青春らしい思い出のない生活などなんとも寂しいものだが、事実なのだから仕方ない。

モモンガは素直に自分の本心を認める。彼の中に、帰りたいという願いは欠片ほどもなかった。

しかし、だからといって帰る方法を探さないわけにはいかない理由も存在している。

 

 

(ネバギアさん……)

 

 

ネバギア。自分の呼び掛けに応えてくれたギルドメンバーの一人。

自分の心の中にあった(わだかま)りを取り払い、ユグドラシルの最後を共に迎えてくれた恩人とも呼べる人物。

彼の私生活について多くを知っているわけではないが、彼が妻帯者であることはギルドメンバーの全員が知っている。

リーブという名前でユグドラシルを遊んでいたその女性プレイヤーはまさに明朗快活な人物で、異性としてではなく友人として非常に好感の持てる女性だった。種族が異業種ではなかったためギルドに所属することはできなかったが、何度もユグドラシルに遊びに来てはギルドメンバーたちとの交流を深めていた。

難病の治療と闘病生活の為にユグドラシルから離れた彼女。先日その病に打ち勝ったというその女性は今、現実世界にいる。

ネバギアは愛する女性と離れ離れになってしまっているのだ。国や星などの騒ぎではない。世界そのものが違うという大きな壁がそこには存在していた。

 

 

(……俺のせいだっ)

 

 

モモンガは心の中で深く己を責める。

自分がわがままを言わなければ、彼は自分に気を遣って最後まで一緒にいることはなかったかもしれない。

もし数秒でも早く帰還(アウト)して現実に戻っていれば、自分に巻き込まれて異世界に囚われることもなかったかもしれない。

彼は自分のせいで愛する者と引き離されたのだ。きっとリーブのことを心配しているに違いない。

ネバギアは自分の事をどう思っているのだろうか。自分の事を恨んでいるだろうか。それとも心優しい彼は、こんな状況でも腐ることなく帰る方法を考えているのだろうか。

そう考えるとモモンガは更に自分を責める暗い気持ちに押し潰されそうになる。

自分に戻る気持ちがなくても、帰る方法はなんとしても探さなければならない。

それが自分に許される唯一の贖罪の方法なのだから。

 

 

(……いや、そんな考えこそ俺の自分勝手な思い上がりなのかもしれないな)

 

 

しかし、その考えが思い上がったものであることにモモンガは気付く。

帰る方法を探すことが贖罪になるなど自分本位の考え方でしかない。

罪を償い、そして許されることが前提の考え方。なんと自分勝手な思考だろう。

彼が許してくれる保障などない。それだけの罪を自分は犯している。

最悪、彼に殺されたとしても、それは仕方がないことなのだ。むしろ、命で償うしか方法はないのかもしれない。

モモンガの虚ろな視界にアウラとマーレによって蹂躙されて消滅する根源の火精霊(プライマル・ファイヤーエレメンタル)の姿が映る。

その掻き消えていく姿はもしかしたら自分の末路の暗示なのかもしれないと、モモンガは空っぽの胸の内で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モモンガがアンフィティアトルムで魔法について諸々の確認を行っている間、ネバギアはシズと共に室内でアルゲースの性能を確認していた。

機巧核の粘体(メタルコアスライム)のネバギアにとってもう一つの姿でもあり、彼の最強武器であるドローン、“アルゲース”。

このドローンという武器はユグドラシルの中においても一際自由度が武器として有名だった。

NPCのようにプレイヤーのサポートとして自動で動くように設定することが出来たり、ドローンの中に乗り込んで中から操作するように出来たり、いくつかの変形を可能とするギミックを組み込むことが出来たりと選択肢の幅がとても広い。

メイン武器やメイン防具の枠を潰してしまうという特有のデメリットが存在するが、その自由度の高さやファンタジー要素の高いユグドラシルの世界において珍しいロボ要素は多くのプレイヤーを魅了していた。

ネバギアもその一人である。元々ネバギアはロボやメカ系統の要素を非常に好んでおり、だからこそ当初最も機械的な要素を含んでいた種族である機巧核の粘体(メタルコアスライム)をアバターに選んだというエピソードがある。

そんな彼が知識と技術、時間と熱意、数多の資源を結集させて作り上げたのが彼の最高傑作である“アルゲース”だった。

 

 

「……ふむ、変形機構には問題はないな」

 

 

ネバギアは腕部に組み込まれている武器の展開・収納を繰り返し、それらに問題がないことを確認する。

ユグドラシルの頃はアバターが乗り込んで操作をするような感覚だったためそれらの武器の展開や変形にはコマンド操作が必要だったが、今は意識が統合化されているためかまるで己の手足のように自在に変形を行うことが可能だった。自分の最高傑作の性能を十分に発揮できることを理解したネバギアは満足そうに頷く。

 

 

「…………」

 

 

そして、次の自分の隣で感情の乏しい瞳に僅かな輝きを宿して己を見つめるシズへと視線を移した。

ネバギアにとっては娘同然である彼女が子供らしい反応を示していることに思わず笑いが漏れる。

 

 

「フフッ、今日はシズのいろんな表情が見られる。実に良い日だな」

 

「…………! 失礼しま――」

 

「私は良い日だと言ったんだ。謝る事などないさ。むしろ嬉しくさえ思う。私の最高傑作であるこの体を、お前は好んでくれているのだろう?」

 

 

シズの謝罪を意図的に遮って、ネバギアは鋼鉄の腕でシズの頭を優しく撫でる。

本日何度目かとなる至福を与えられるシズは、小さく俯いてそれを享受した。目は僅かに細められ、口元は小さく笑みを浮かべている。

上から見下ろす形になるネバギアは表情こそ窺えないが、好印象であることは間違いないことを察して一つの提案を出す。

 

 

「この後、アンフィティアトルムに向かうことになっている。そこでもっと良いものを見せてやろう。お前ならきっと喜んでくれるだろうからな」

 

「…………はい」

 

 

字面では素っ気ないが、返答の際に上げられた顔は僅かに喜色を浮かべていた。

物静かながらも可愛らしい一面を覗かせるシズをネバギアは再び撫でる。武骨な黒鉄の手が赤金(ストロベリーブロンド)の髪を少しばかり乱した。

そうしてネバギアが手を下ろすと、シズは静かに髪の毛を整える。その手つきはまるで幸せな時間の名残を確かめるようにゆったりとしている。

そんなシズを微笑ましく見ているネバギアにふと、モモンガから<伝言(メッセージ)>が届く。

 

 

『ネバギアさん、たった今階層守護者が全員揃いました。<敵感知(センス・エネミー)>にも反応はなかったので、少なくとも今のところは心配はなさそうです』

 

 

モモンガからの報告に、ネバギアは内心で安堵の息を吐く。

モモンガが問題なく魔法を行使できることはそれが確認できた時点で<伝言(メッセージ)>で連絡されていたし、アルゲースの性能も確認出来ていたので戦闘になっても問題はないと思っていたが、大切な仲間たちが生み出したNPCと戦いたくないという思いは二人とも同じだった。

まだ安心しきることは出来ないが、今はそうはならないことを喜びながら、今度はネバギアが言葉をかける。

 

 

『まだ確定ではないですけど、今すぐ階層守護者たちと戦闘という最悪の展開はなさそうですね。了解です。私が出るタイミングはモモンガさんにお任せしても?』

 

『わかりました。こちらから再び<伝言(メッセージ)>でタイミングを伝えますから、ネバギアさんは今からアンフィティアトルムの通路まで転移しておいてください』

 

 

階層守護者たちが集合したことは今伝えられたが、彼らの様子がわかっているわけではない。

それならば実際に彼らの前にいて様子やタイミングを窺えるモモンガに任せた方が確実だろう。

モモンガもそれ同意し、快く請け負うとネバギアが姿を見せるタイミングになった時に行動できるよう移動するよう促した。

 

 

『了解です。そうだ、シズも連れていっていいですか?』

 

『シズを? 構いませんが、どうしてですか?』

 

 

今回集まっているのは階層守護者たちだ。いくら戦闘メイド(プレアデス)のメンバーだろうと、はっきり言って格が違う。言い方は良くないだろうがそれは紛れもない事実だ。

それはネバギアもわかっているだろう、と考えながらモモンガは同行を求める理由を尋ねる。

 

 

『いえ、せっかくですから派手に登場してやろうかと思いまして』

 

『ネバギアさん、そんなキャラでしたっけ?』

 

 

ネバギアという人間は穏やかというか落ち着いているというか、そういうことをする人間を微笑ましく後ろで見守っているような印象を抱いていたモモンガにとってネバギアの申し出は少々意外だった。

僅かに驚きを含んだ声色で尋ねるモモンガに、ネバギアは苦笑混じりに返答する。

 

 

『私だってロールプレイや演出が嫌いなわけじゃないですよ? むしろ好きな方なんですから』

 

『で、今からするのをシズに見せてやりたいと?』

 

『はい……駄目ですか?』

 

 

まるで恐る恐る、といったような声色で尋ねるネバギアにはいつもの頼れる兄のような様子はなく、逆に兄や親の窺いながら願い出るような弟のように感じられた。

そんな様子にモモンガは笑いが零れないように努めながら了承する。

 

 

『勿論いいですよ。守護者たちやシズにカッコいいところを見せてやってください』

 

『ありがとうございます。はい、モモンガさんもしっかり見ててくださいね』

 

『え?』

 

 

それってどういう――。

モモンガの言葉が途中だったことを理解した上で、ネバギアはわざと通信を切ると、シズへと向き直った。

 

 

「シズ、モモンガさんから連絡があった。今から六階層のアンフィティアトルムへと向かう」

 

「…………了解しました」

 

 

シズはコクリと頷くとネバギアの傍へと近寄る。

ネバギアはシズの肩を抱くと本体の体内に収納されている指輪を起動すると、二人は一瞬青白い光に包まれ姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ネバギアさんの最後の言葉、あれってどういう意味なんだ?)

 

 

おそらく意図的に通話を切ったネバギアの真意がわからず、モモンガは顎に手を当てて考える。

そのまま数秒考え込むが、彼が登場する際に何かするという程度しか思いつかない。なにより、そこまで真剣に考えてもいなかった。

 

 

「モモンガ様? どうかなさいましたか?」

 

 

傍に立つアルベドが少し不安気な様子でモモンガの顔を見上げる。

その背後には彼女同様表情や雰囲気にモモンガを案じていることを映す階層守護者たちの姿があった。

 

 

「いや、なんでもない。少しばかり考え事をしていただけだ」

 

 

モモンガは意識して低い声色と自分が思う支配者らしい言葉でそう答えると、軽く白骨の手を振って言葉同様なにもないことを示した。

そんなモモンガの返答に守護者たちは未だに少し不安を残しながらも、統括官であるアルベドが数秒の間を置いた後「……わかりました」と引き下がることで後ろに立つ守護者一同も無言で了解する。

 

 

「では皆、至高の御方に忠誠の儀を――」

 

「待て」

 

 

アルベドの言葉に守護者たちが隊列を並べようとするのを、モモンガは手を前に出して制した。

守護者たちにとって忠誠の儀は己の忠心を至高の存在に捧げることを示す、貴くも至福の儀礼。

それを捧げるべき相手であるモモンガに遮られたことに守護者たちの内に動揺が広がる。

自分たちは何かしてしまったのだろうか。次々に姿を消してしまう中、たった一人残って自分たちの上に君臨し続けた尊い存在が、まさかいなくなってしまうのだろうか。

そう考えるだけで目の前が絶望で黒く染まってしまいそうな錯覚を覚える。

 

 

「も、モモンガ様……いかが、なさいましたか……?」

 

 

最悪の予想が次々に頭を過り、それを必死に振り払いながらアルベドが尋ねる。その声色は恐怖に震えていた。

そんな明らかに動揺が見て取れる守護者一同にモモンガは内心で困惑する。

 

 

(え? なんで皆こんな今にも死にそうな顔してるの? 俺なにかした!?)

 

 

モモンガはわけがわからず戸惑うも、それがすぐに鎮まるのをどこかで感じると今度は真剣に考える。

そして彼女たちが明らかな動揺を見せたのは自分が忠誠の儀とやらを遮ったことが原因であることに気付くと、何故それだけでここまで動揺するのかはわからないまま自分がそれを遮った理由を説明した。

 

 

「お前たちの忠誠の儀、今はそれを受け取るべきではない」

 

『――っ!!』

 

 

守護者たちの雰囲気が明らかに変化したことにモモンガは気付く。それも、悪い方向に。

モモンガは自分の推察が間違っていない事に安堵し、そして守護者たちを悲しませてしまった事に罪悪感を感じながら、誤解を解くためすぐに二の句を紡いだ。

 

 

「私がそれを受け取るのは、()が来てからだ」

 

「! かしこまりましたっ」

 

「っ、まさか……!」

 

『?』

 

 

モモンガの言葉に、その意味を知っているアルベドが表情を一変させて歓喜を隠しきれぬ声色で了承し、その後ろに立つデミウルゴスが僅かな情報から導き出された可能性から期待に声を震わせた。

そして他の守護者たちは頭に過った最悪の事態は避けられるであろうことを察しながらも事情が呑み込めず首を傾げる。その後アルベドとデミウルゴスを見つめて視線で訴える。説明しろ、と。

しかし、その要求が二人から叶えられることはない。

 

 

「頃合いだろう」

 

 

その代わりにモモンガが答えを示すかのようにある一点へと視線を移す。

守護者たちもそれに倣ってその先に顔を向ける。一同の視界に映ったのは自分たちがいるコロッセウムに繋がる鉄格子。その鉄格子の一つが持ち上がった(・・・・・・)

 

次の瞬間――黒く巨大な何かの影が勢いよくそこから飛び出した。

 

 

『!』

 

 

一同がその影を追うように視線を動かし、それを捉え、そして驚愕する。

 

 

「あ、あのお姿は……!」

 

 

シャルティアは知っている。かつて己の創造主と共に天空を駆けたその姿を。

 

 

「お、おお、お姉ちゃん……!」

 

「そんな……! 本当に……!」

 

 

アウラとマーレは知っている。自分たちの創造主と共に常に戦場の最前線で戦っていたその存在を。

 

 

「オオ、マサカアノ御方ガオ戻リニナラレルトハ……!」

 

 

コキュートスは知っている。正々堂々真っ向から敵とぶつかり、その悉くを打倒してきた雄姿を。

 

 

「なんと荘厳な……!」

 

 

デミウルゴスは知っている。敵の策略や知謀の全てを打ち砕き、蹂躙していたナザリックの英雄を。

 

影の正体は漆黒の戦闘機。その戦闘機はまずは大きくコロッセウムを一周すると、少しずつ範囲を狭め、そして高度を上げながら旋回し続ける。

まるでとぐろを巻くように飛行するそれは一同の頭上に到着すると、駆動音をたてて一瞬でその姿を変形させ、モモンガと守護者たちの間に降り立つ。片手と片膝をついたそれの重さを教えるかのように地面が轟音と共に揺れ、大きな土煙をあげた。

立ち込める土煙の中に黒く大きな影と真紅の光が守護者たちを見つめている。

 

 

「お前たちの忠義は私一人に向けられるべきではない。何故なら、彼はこのナザリック地下大墳墓に戻ってきた……」

 

 

階層守護者たちはモモンガの言葉を聞き漏らすことなく、しかし視線はその土煙の中にいる影へと向け続ける。

 

 

「さあ、共に祝おうではないか――我が友、ネバギアの帰還を!」

 

 

モモンガの言葉に応えるように、ごうっ! と一迅の風が舞い、土煙を一瞬で払い去る。

そこには片腕を横に広げた黒鉄の兵器がそこにいた――先程の突風は彼が腕を横に振った圧によって発生したものだと、その場にいた全員が理解した――。

 

 

「――久しいな、ナザリック地下大墳墓を守りし階層守護者たちよ」

 

 

階層守護者たちの耳に、長らく耳にしていなかった尊い声が届く。

 

 

「長い間ナザリックを留守にしたことを詫びよう。そして私が不在の間、見事にその務めを果たしてこの大墳墓を守り続けてきたお前たちに感謝の意を示す」

 

 

その声が紛れもない本物であることの証明であり、目の前の存在が忠誠を捧げるべき主君の一人であることを理解した守護者たちは歓喜に身を震わせた。

 

 

「不肖このネバギア、ようやくナザリックに戻ることができた……今まで苦労を掛けたな」

 

 

謝罪と感謝の後に述べられた正真正銘の帰還宣言。

誰もが待ちわびた至高の存在の帰還に守護者たちは一斉に膝をついてひれ伏した。

 

 

「お帰りなさいませ、ネバギア様。守護者一同、あなた様のご帰還を心よりお喜び申し上げます」

 

 

守護者を代表してアルベドが述べた言葉は、間違いなく守護者たちの真意であり総意だった。

皆の姿をゆっくりと単眼(モノアイ)の視界で眺めると、ネバギアは鷹揚に頷きそれを受け取り、モモンガの隣へと移動する。

モモンガは自分の隣に友が並び立ったことを確認すると守護者たちへと向き直った。そして視線は守護者たちへと向けたまま、隣にいるネバギアへと呼びかける。

 

 

「ネバギアさん、今度は私と共に彼らの忠誠を受け取ってほしい」

 

「ああ、勿論」

 

 

自分たちの前に君臨する尊い存在たちの言葉に、守護者たちは心のうちで歓喜する。

どこまでも自分たちの心を掴んで離さぬ、偉大さと慈愛に満ち溢れた主たちへ、今度こそ彼らは臣下の儀礼を取った。

アルベドを前に、階層守護者たちがその一歩後ろで並び立つ。

その列の端。漆黒のボールガウンドレスを身に纏う絶世の美少女が胸に手を当てて跪き、深く頭を垂れた。

 

 

「第一、第二、第三階層守護者、シャルティア・ブラッドフォールン。御前に」

 

 

“鮮血の戦乙女”、真祖(トゥルーヴァンパイア)のシャルティア・ブラッドフォールン。

それに続くように、まるで甲冑を思わせる甲殻が特徴的な二足歩行の巨大な昆虫の怪物が一歩前に出る。

 

 

「第五階層守護者、コキュートス。御前ニ」

 

 

“凍河の支配者”、蟲王(ヴァーミンロード)のコキュートス。

シャルティアと同じように頭を下げるコキュートスの次に、今度は褐色肌の双子が前に出た。

 

 

「第六階層守護者、アウラ・ベラ・フィオーラ。御前に」

 

「お、同じく、第六階層守護者、マーレ・ベロ・フィオーレ。お、御前に」

 

 

“名調教師”、闇妖精(ダークエルフ)のアウラ・ベラ・フィオーラと、“大自然の使者”、同じく闇妖精(ダークエルフ)のマーレ・ベロ・フィオーレ。

対極的な双子はやはり跪いて頭を下げる。そして次に二人の隣に立っていたスーツ姿と丸眼鏡が知的な印象を与える男が一歩前へ踏み出す。

 

 

「第七階層守護者、デミウルゴス。御前に」

 

 

“炎獄の造物主”、最上位悪魔(アーチデヴィル)のデミウルゴス。

彼もまた優雅な姿勢で、そして敬意のこもった所作で跪く。そして最後にアルベドが一歩前に出る。

 

 

「守護者統括、アルベド。御前に」

 

 

モモンガとネバギアの前に跪いて頭を下げると、アルベドはそのまま透き通るような声で最後の報告を行う。

 

 

「第四階層守護者ガルガンチュア及び八階層守護者ヴィクティムを除き、各階層守護者、御方々の前に平伏し奉る……ご命令を、至高なる御方々。我らの忠義全てを捧げます」

 

 

自分たちの前で下がる六つの頭を眺め、ネバギアは今は己の肌のように感じられる黒鉄の体がビリビリと空気が張り詰めているのを感じた。守護者たちの見事な所作に圧倒されそうになったがそれを耐え、まるで当然かのように立ち続ける。

自分は圧倒されかけたが隣に立つギルド長はどうだろうか、とネバギアは僅かに首を動かして視線を横に向ける。

するとそこには、特殊能力の絶望のオーラを発動させているモモンガがいた。

 

 

『……モモンガさん、何故絶望のオーラを発動してるんですか?』

 

 

まさかの反応にネバギアは<伝言(メッセージ)>を発動して、守護者たちにばれないように尋ねる。

 

 

『……どうすればいいのかわからなくてつい』

 

 

つい、で絶望のオーラを放ってしまうのは許されるのだろうか。これは確かオーラに触れた者を即死させることも可能な能力だったはず。

しかし、発動してしまったものは仕方がない。それを今解除しては不自然なだけなので、そのまま押し通すことをネバギアは提案する。

 

 

『モモンガさん、オーラはそのままに支配者ロールしましょう。それしかありません』

 

『わ、わかりました』

 

 

モモンガはネバギアに言われるままに、現実世界で見たテレビや映画などのシーンを思い浮かべながらそれらしく振る舞うべく行動する。

 

 

「面を上げよ」

 

 

モモンガの言葉に従い、守護者たちが一糸乱れぬ動きで顔を上げる。まるで何度も練習したかのような見事な動きに密かに驚きながら、モモンガは続ける。

 

 

「では……まず良く集まってくれた、感謝しよう」

 

「感謝などおやめください。我らは至高の御方々忠義のみならずこの身全てを捧げた者たち。至極当然のことでございます」

 

 

アルベドの言葉に他の守護者が口を挟む様子はない。アルベドの言葉に皆が同意しているからかもしれないが、流石は守護者統括といわざるを得ない。

そんなアルベドたちの顔を見て、モモンガは次の言葉を失う。何を命じればいいのか、頭で考え、案が浮かんでは不安がそれを掻き消す。

自分たちの命運は自分の命令で左右される。自分の判断がもしかしたら、ナザリックを崩壊させてしまうかのしれないという迷いがモモンガの中に巣食っていた。

決定することに迷いが生じてしまうモモンガはそれを払拭するべくネバギアに助けを求めようとする。

それよりも早く、アルベドは優しい微笑みを浮かべてモモンガに進言した。

 

 

「……モモンガ様はお迷いのご様子。当然でございます。モモンガ様からすれば私たちの力など取るにならないものでしょう」

 

 

しかしながら、とアルベドは微笑みを決して凛々しい顔で告げる。

 

 

「モモンガ様からご下命をいただければ、私たち――階層守護者各員、いかな難行といえども全身全霊を以って遂行いたします。造物主たる至高の四十一人の御方々――アインズ・ウール・ゴウンの方々に恥じない働きを誓います」

 

『誓います!』

 

 

アルベドの宣誓に合わせて、それを階層守護者たちが唱和する。その声には力強さと忠誠心に溢れていた。

それこそ、モモンガとネバギアが一抹の不安を覚えていたNPCたちの反逆という可能性を嘲笑し消し飛ばすほどに。

 

 

『……ネバギアさん』

 

『……なんですか?』

 

『なんだか自分が恥ずかしいです。皆の想いの結晶である彼らのことを疑ってしまうだなんて……』

 

『あの状況下では仕方がない事ですよ。ですが、同感です……』

 

 

二人は自分たちの浅はかさを恥じ入りながら、守護者たちの顔を見渡した。

彼らの顔は自信と誇りに満ち溢れている。そんな仲間たちが作ったNPCたちの素晴らしさに心が震えるのを感じた。

そして不安が払拭されたモモンガの口からは、自然とギルドマスターとしての言葉がこぼれ堕ちる。

 

 

「素晴らしいぞ。守護者たちよ。お前たちなら私たちの目的を理解し、失態なく事を運べることを今この瞬間、強く確信した。この気持ちはネバギアさんも同じだ」

 

 

モモンガの言葉に守護者たちは表情は引き締めながらもその内側で心が高揚するのを感じた。自分たちの主人の隣で、ネバギアがゆっくりと頷く姿を見るとそれが更に強くなる。

そんな守護者たちの顔を見渡しながら、今度はネバギアは無い口を開いた。

 

 

「守護者たちよ、これから私たちが話すことを心して聴いてくれ。現在、ナザリック地下大墳墓は原因不明かつ不測の事態に陥っている可能性が高い。そして、それが事実だとすれば過去最大の緊急事態と言えるだろう」

 

 

ネバギアの言葉を聞く守護者たちの表情は真剣そのものだ。その表情を確認しながらネバギアは続ける。

 

 

「原因は不明だが、少なくともナザリック地下大墳墓がかつてあったグレンベラ沼地からただの草原へと転移したことは確実となっている。その証拠に、本来毒の沼地を住処とするモンスターであるツヴェークの姿は一切確認出来ていない。こんなことは前代未聞だが、前兆と思えるような心当たりなどはないか?」

 

 

アルベドが肩越しに階層守護者たちの顔を見据える。一同の表情から返答を受け取ると、ネバギアへと向き直り口を開いた。

 

 

「申し訳ありませんが、私たちに思い当たる点は何もございません」

 

「そうか。では次に各階層守護者たちよ。モモンガさんの指示で担当階層に異常がないか確認をしてきたと思うが、何か異常事態はなかったか?」

 

 

直接問いを投げかけられた守護者たちは順に報告を行う。

 

 

「第七階層に異常はございません」

 

「第六階層もです。ね、マーレ?」

 

「う、うん。お姉ちゃんの言う通り、です」

 

「第五階層モ同様デス」

 

「第一階層から第三階層まで異常はありんせんでありんした」

 

 

守護者たちからの返答はいずれも異常なしというもの。全く情報が得られなかった事にネバギアは内心で頭を悩ませながらも、それを表には出さないようにモモンガへと振り返る。

 

 

「そうか……さて、どうする? モモンガさん」

 

「――早急に第四、第八階層の探査を開始したいと思います」

 

 

モモンガが返答するよりも早く、守護者統括のアルベドが跪いたまま申し出る。

命令されるよりも先に自分たちが何を行うべきかを考えて動こうとする優秀な僕に、モモンガはゆっくりと頷いた。

 

 

「うむ。ではその件についてはアルベドに任せるとしよう。だが第八階層の探査は注意して行え。もしあそこで異常事態が発生していた場合、お前では対処できない可能性がある」

 

 

了解の意としてアルベドは深く頭を下げる。

それに続くようにシャルティアが声を発した。

 

 

「では地表部分はわたしが――」

 

「いや、それについては不要だ。セバスに地表の探索を命じている」

 

 

その場にいたアルベド以外の守護者たちの顔に押し殺せない動揺が一瞬だけ浮かぶ。

瞬きの間とはいえ主人たちの前で動揺を見せたことを無様と思う者はいなかった。

ナザリック地下大墳墓における肉弾戦最強の四人のNPC。そのうちの一人として名を連ねるのが何を隠そうセバスなのだ。

絡め手無しの真っ向勝負において無類の強さを誇るセバスの実力は守護者たち全員が知っている。そんな彼が偵察などという任務に出されていることは十分驚愕に値した。主人たちが異変に対してどれだけ警戒心を強めて行動しているのかを理解し、守護者たちは危機感を覚える。

 

 

「先程帰還するよう連絡したから、そろそろだと思うのだが……」

 

「モモンガさん。彼が戻って来たようです」

 

 

ネバギアの言葉と視線に一同が反応し、彼の視線を追う。

その先には小走りで向かってくるセバスの姿があった。

セバスはモモンガたちの許まで来ると、他の守護者たちと同じように片膝をついた。

 

 

「モモンガ様、ネバギア様、遅くなり誠に申し訳ありません」

 

「いや、構わん。探索ご苦労。では、周辺の状況を聞かせてくれないか?」

 

 

モモンガの労いの言葉に深く頭を下げた後、セバスはゆっくりと顔を上げ、跪いている守護者たちへと視線を送る。

 

 

「セバス。今は非常事態だ。お前が持ち帰った情報は当然、各階層守護者たちも知るべきものだ」

 

 

ネバギアの言葉を受け、セバスは「了解しました」と報告を始める。

 

 

「モモンガ様のご命令で周囲一キロを探索しましたが――草原でした。人工建築物は一切確認出来ておりません。生息していると予測される小動物を何匹か見ましたが、人型生物や大型の生物は発見できませんでした。ソリュシャンの能力を使用しましたが、結果は変わらずでして……」

 

「セバスよ、その小動物というのはモンスターか?」

 

 

セバスの報告が一区切りしたことを察したモモンガがセバスに問う。

モモンガの質問にセバスは一度だけ首を横に振った。

 

 

「いえ、戦闘能力がほぼ皆無と思われる生き物でした」

 

「なるほど。ではその草原というのもただの草原か? 刃のように葉が鋭く凍り付き、歩く度に突き刺さる様なものでもなく?」

 

「はい、ネバギア様。単なる草原でした。これもソリュシャンに罠などの有無を含めて探知させましたが、何もありませんでした」

 

 

ユグドラシルの世界にあったとある草原を思い出してそれを尋ねるネバギアにも、セバスはやはり首を横に振って否定する。

それに再びモモンガが質問を投げかけた。

 

 

「天空城などの姿もなかったか?」

 

「はい、ございません。空にも地上にも人工的な明かりのようなものは一切ございませんでした」

 

「ふむ、そうか……ご苦労だった」

 

 

もう一度モモンガが労うと、セバスは深々とお辞儀をする。

その姿を見ながらモモンガは密かに<伝言(メッセージ)>をネバギアに対して発動した。

 

 

『あまり情報は得られませんでしたね……』

 

『しかし、ここがユグドラシルではないという確信は得られました。一キロに及んで人工物なし、モンスターもいない、しかもただの草原……そんな場所はなかったはずですから』

 

 

これらの情報からユグドラシルの世界を基にした異世界という可能性、そして自分たちがゲームの世界に入り込んだ可能性は否定できた、とネバギアは語る。

それもまた貴重な情報か、とモモンガは自分に言い聞かせるように納得すると、何故ユグドラシルの装備や魔法が問題なく使用できるのかという疑問を置いて相談を続けた。

 

 

『とりあえず、ナザリックの警備レベルを上げておこうと思うんですけど、どうでしょう?』

 

『それでいいと思います。何が起こるかまだわかりませんし、ナザリックの存在に気付いた何者かが攻め込んでくる可能性もありますから。用心するに越したことはないでしょう』

 

 

ナザリックが転移した場所が誰かの所有地という可能性も完全には否定できない。仮に誰かの領地だとすれば、自分たちは突如現れて土足で踏み込んだ侵入者だ。怒られるだけで済んだりはしないだろう。

それを理解したモモンガは当初の予定通り、守護者たちへと命じる。

 

 

「守護者たちよ。まず各階層の警備レベルを一段階上げろ。何が起こるか不明な点が多いので、油断はするな。侵入者がいた場合は殺さず捕らえろ。できれば怪我もさせずにというのが一番ありがたい。言うまでもなく何もわからない状況下で厄介事はゴメンだからな」

 

『はっ』

 

 

守護者たちは一斉に、了解の言葉と共に頭を下げる。

階層守護者たちの力強い返答を見たネバギアが、統括官たるアルベドに質問した。

 

 

「アルベド、組織の運営システムについて確認したい。各階層守護者たちの間の警備情報の共有はどうなっているのだ?」

 

「各階層の警備は各守護者の判断に任されておりますが、デミウルゴスを総責任者とした情報共有システムは出来上がっております」

 

 

アルベドの返答に質問したネバギアと二人の会話を聞いていたモモンガが内心で小さく驚く。

ユグドラシルの時はプログラムに従って動くだけのNPCだった彼らが、しっかりと情報共有を行えていることは意外であり、僥倖でもあった。

 

 

「なるほど。ではナザリック防衛戦の責任者のデミウルゴス。そして守護者統括のアルベド。両名の責任の下で、より完璧なものを考案せよ」

 

「了解いたしました、ネバギア様。それは、八、九、十階層を除いたシステム作りということでよろしいのでしょうか?」

 

「八階層はヴィクティムがいるので問題はないと思うが――どうします? モモンガさん」

 

 

隣に立つ不死者の王である朋友に、ネバギアは静かに問いかける。

モモンガは数秒黙考した後、ゆっくりと白骨の口を開いた。

 

 

「いや、八階層は立ち入り禁止とする。アルベド、先程お前に与えた命令も撤回だ。あそこには原則、私とネバギアさん、両名が許可した場合のみ進入を許す。七階層から直接九階層に行けるように封印を解除し、九階層と十階層も警備を行う対象とせよ」

 

「よ、よろしいのですか?」

 

 

アルベドが驚愕の色を含んだ声を上げる。その背後では、デミウルゴスが眼鏡の奥で瞳を大きく開き、その内心を吐露していた。

 

 

「至高の方々が御座(おわ)します領域に、シモベ風情の侵入を許可してもよろしいのでしょうか? そ、それほどまでに」

 

 

アルベドの言うシモベとはアインズ・ウール・ゴウンのメンバーたちが作っていないモンスター、つまり自動的にわき出(POPす)るモンスターたちのことだ。そういえば九階層と十階層には一部の例外を除き、シモベは存在しないことをモモンガは思い出しながら、こちらの様子を不安げに伺うアルベドを見つめた。

アルベドは第九階層と第十階層をまるで聖域のように考えているようだが、実際はそんな理由ではない。

単純に最強の存在である第八階層を突破された時点で、アインズ・ウール・ゴウンの勝算は低くなるため、ならば玉座で悪役らしく待ち構えようという“悪”にとことんこだわった男(ウルベルト)の提案が採用されていたからだ。

そんなユグドラシル時代の思い出を脳裏に浮かべながら、モモンガはほんの僅かに気まずそうな声色で言う。

 

 

「……問題はない。非常事態だ、警護を厚くせよ。ネバギアさんもそれで構わないか?」

 

「ええ」

 

「畏まりました。選りすぐりの精鋭かつ品位を持つ者たちを選出いたします」

 

 

ネバギアの短い了解の言葉で至高の存在たちの了承を得られたことを理解すると、アルベドはそんな尊い主人たちの品格を損なわなず、そして彼らの期待に応えられる警備の構成を考えるべく思考を巡らせる。

静かに頭を働かせるアルベドへと、今度はネバギアが命令を下した。

 

 

「アルベド、先程のモモンガさんの命令と並行し、外部の偵察を行うための人員の選抜は可能か? 今回セバスたちに一キロ四方の探索は行ってもらったが、それより先は未知の領域だ。広範囲の探索と隠密行動が取れる部隊を編成し、調査を行ってもらいたい」

 

「はっ、調査と偵察に優れた部隊を至急考案、編成し調査に向かわせます」

 

「頼んだぞ。言うまでもないが命じるのは調査と偵察までだ。それ以上は私かモモンガさんに指示を仰いでから行うように。それと、もし調査中に生命体を発見し、その生命体がこちらに気付いて警戒、もしくは敵対行動を見せた場合は即座に撤退させろ。決して戦闘は行うな」

 

「畏まりました」

 

 

下手な攻撃は相手を刺激するだけだ。そのせいで不要な敵を作る様な愚は避けたい。

そんな思いを胸に命じるネバギアにアルベドが承諾を示すと、彼は次に視線を双子へと向けた。

 

 

「アウラ、そしてマーレ……ナザリック地下大墳墓の隠蔽は可能か? 幻術だけでは心許がない上に、維持も簡単ではないだろう。それよりも確実、かつ維持もしやすい方法があるなら挙げてみてほしい」

 

(そうだよなぁ。ずっと幻術で隠そうなんてものなら、維持費用が馬鹿にならないし……)

 

 

モモンガは決して行動には出さず心のうちで腕を組んでうんうんと頷いて同意した。

ギルドメンバーが誰も来ずに一人でナザリック地下大墳墓を維持してきた身としては、コストの削減は非常に重要と言える。

そんなモモンガの心情を知ってか知らずか、二人の守護者に向けたネバギアの質問にアウラとマーレは顔を見合わせ、考え込む。しばらくして口を開いたのは、マーレ。

 

 

「ま、魔法という手段では難しいです。地表部の様々なものまで隠すとなると……ただ、例えば壁に土をかけて、それに植物を生やした場合とか……」

 

「栄光あるナザリックの壁を土で汚すと?」

 

 

アルベドがマーレの言葉を遮るように背中越しに尋ねる。その口調は柔らかいが、そこに含まれている感情は真逆のものだ。

マーレがびくっと肩を跳ねさせる。周囲の守護者たちは無言だが、マーレを庇う様子がないことからアルベドに賛同しているということだろう。

しかし、今はそんなことを考えている事態ではないと、ネバギアは単眼(モノアイ)に宿る真紅の光を一層強く輝かせる。

 

 

「アルベド、口を慎め。今は私がマーレと話している」

 

 

無機質で厳かな声色と共に、腕部が展開して放出された紫電がアルベドの眼下の土を軽く焦がし、アルベドを咎める。

 

 

「はっ、申し訳ありません、ネバギア様!」

 

 

恐怖に凍り付いた顔を伏せ、アルベドは深く頭を下げて謝罪した。その背後にいるセバスたちや守護者一同も、彼女に向けた叱責が自分にも向けられているのだと感じ、表情を一気に引き締める。

流石にやりすぎでは、と思いながらも彼のおかげで話を進められそうだと感じたモモンガは、アルベドたちへの助け舟を出すことも兼ねてネバギアの質問を引き継ぐようにマーレに尋ねる。

 

 

「壁に土をかけて隠すことは可能か?」

 

「は、はい。お、お許しいただけるのでしたら……ですが……」

 

 

モモンガの問いにマーレがおどおどと、しかしはっきりと可能であることを宣言する。

その返答に頷いたモモンガは「だが」と考えつく問題を挙げた。

 

 

「遠方より観察された場合、大地の盛り上がりが不自然に思われないか? セバス。この周辺に丘のような場所はあったか?」

 

「いえ。残念ですが、平坦な大地が続いているように思われました。ただ、夜という事もあり、もしかすると見過ごした可能性がないとは言い切れません」

 

「そうか……しかし確かに壁を隠すとなると、マーレの手が妙案。であれば周辺の大地にも同じように土を盛り上げ、ダミーを作れば?」

 

「そうであれば、さほどは目立たなくなるかと」

 

 

実際に地表を確認してきたセバスの言葉からマーレの提案した方法を採用することで問題ないと判断すると、モモンガは黙して会話を聞いていたネバギアへの方を向く。

 

 

「ネバギアさん。私はマーレが提示した策を採用したいと考えるが、なにか問題はないか?」

 

「……強いて言うなら、上空部分に不安が残ります。壁を隠すことはできても上から覗かれてしまえば簡単にバレてしまうでしょうから」

 

「ならば隠せない上空には私が幻術を展開するということでどうだろう? その程度の幻術なら維持も容易い」

 

「……それならば問題ないかと」

 

「うむ。マーレとアウラで協力して取り掛かれ。その際に必要なものは各階層から持ち出して構わない」

 

「は、はい。畏まりました」

 

 

先程からやけに口調が重苦しいネバギアの様子を訝しみながらも、マーレとアウラに指示を出して返事を受け取ったモモンガは念の為<伝言(メッセージ)>で確認する。

 

 

『今のところ思いついた問題への対策は全て終えたと思いますけど、ネバギアさんは大丈夫ですか?』

 

『え、ええ。大丈夫だと思います』

 

 

少し動揺しながらも同意の返答を行うネバギアの様子にモモンガは更に心のうちで首を傾げ、後で何かあったのか尋ねようと考えつつ守護者たちへと言葉をかける。

 

 

「さて、今日はこれで解散だ。各員休息に入り、それから行動を開始せよ。どの程度で一段落つくか不明である以上、決して無理はするな」

 

『はっ!』

 

 

守護者一同が頭を下げて了解の意を示すのを確認すると、モモンガは最後の確認のために守護者たちへと問うた。

 

 

「最後に各階層守護者に聞きたいことがある。お前たちにとって、私やネバギアさんはどのような人物なのか――まずはシャルティア」

 

「モモンガ様は美の結晶。その白きお体と比べれば、宝石すらも見劣りしてしまいます。そしてネバギア様は輝きの象徴。天空を駆けるお姿はまさに決して堕ちることのない流星のようです」

 

 

モモンガの問いに打てば響くようにシャルティアが答える。その表情や迷いのない即答からは、彼女が本心を語っていることが窺えた。

 

 

「――コキュートス」

 

「オ二方共守護者各員ヨリ強者デアリ、モモンガ様ハマサニナザリック地下大墳墓ノ支配者ニ相応シク、ネバギア様ハ誉レ高キ至高ノ御方々ノ一番槍ヲ名乗ルニ相応シイ猛将カト」

 

「――アウラ」

 

「モモンガ様は慈悲深く、深い配慮に優れたお方です。ネバギア様は冷静沈着で、合理的なお方です」

 

「――マーレ」

 

「も、モモンガ様は凄く優しい方です。ね、ネバギア様は、か、カッコいい方だと思います」

 

「――デミウルゴス」

 

「モモンガ様は賢明な判断力と瞬時に実行する行動力も有される、まさに端倪すべからざるお方です。ネバギア様はその知識と技術でナザリックを支える賢人であると共に戦場では数多の敵を薙ぎ払う、無双という言葉が真に相応しいお方です」

 

「――セバス」

 

「モモンガ様は至高の方々の総括であり、最後まで私たちを見放さず残っていただけた慈悲深き方です。ネバギア様は私たちの許にご帰還くださっただけでなく、私たちの為にお心を砕いてくださる慈愛に満ちた方です」

 

「最後になったが、アルベド」

 

「モモンガ様は至高の方々の最高責任者であり、私どもの最高の主人であります。そして……私の愛しい旦那様です」

 

 

アルベドの言葉に守護者たちの間に静かに衝撃が駆け巡る。

しかしそこは栄光あるナザリック地下大墳墓の階層を任される守護者たち。取り乱すことも喚き散らすこともなく静かに平伏し続ける。

その様子を見ながらモモンガはその先を促した。

 

 

「では、ネバギアさんはどのような人物だと考えている」

 

「厳しくも深い愛情を持ち、そして大切なものを守るために叡智と猛勇を振るう素晴らしいお方です」

 

 

アルベドの言葉を最後に数秒の静寂が生まれる。その数秒の後――この間に再び<伝言(メッセージ)>を発動してこの後の行動をネバギアと打ち合わせ行っておく――モモンガは威厳があるようにゆっくりと頷いて見せた。

 

 

「……なるほど。各員の考えは十分に理解した。今後とも忠義に励め」

 

 

拝謁の姿勢を取る守護者たちに向け、モモンガがそう言いくくると、二人は転移してその場を後にする。

瞬時に視界が変化し、闘技場からレメゲトンに移動したことを理解した二人は、周囲を見渡して誰もいないことを確認した上で大きく息を吐いた。

 

 

「疲れましたね……」

 

 

ネバギアが重く呟く。肉体的疲労は一切感じないが、その分精神的疲労が彼らの心を擦り減らしていた。

モモンガは同感だと頷いて示しながら、守護者たちの評価を思い出す。

 

 

「……え、何あの高評価」

 

 

守護者たちの話を聞いていて、笑いながら突っ込みを入れてやりたかった。全くの別人だろ、と。

しかし自分たちに向ける表情や声色、雰囲気には一切冗談の類は見られなかった。つまり、――彼らは本気(マジ)なのだ。

もし仮にその評価を崩してしまった場合どうなってしまうのか、モモンガは考える。

 

 

「失望されるよな……それは避けないといけませんね……ネバギアさん?」

 

「モモンガさん……」

 

「は、はい」

 

 

少し震えるように己の名を呼ぶネバギアに、モモンガはどうかしたのかと焦りながらも応じる。

そんなモモンガにネバギアはゆっくりと向き直ると、黒い鋼鉄の巨体の腰を折り曲げ、綺麗なお辞儀をしてみせた。

 

 

「アルベドを怖がらせちゃってすいませんでした!」

 

「え、ええ!?」

 

 

一体なんのことを言っているのか、とモモンガが尋ねようとしてその理由が頭に浮かぶ。

彼は先程闘技場でナザリックの隠蔽方法についてマーレと話していた時、異を唱えようとしたアルベドを叱責したことを謝罪しているのだと理解した。

自分の妻となった彼女を怖がらせてしまったことを謝罪するネバギアの姿を見て、本当にこの人はどこまでも真面目で優しい人間だ、とモモンガは笑みを零しながら自分よりも高い位置にある肩に手を置く。

 

 

「謝らないでください、ネバギアさん。あの時は間違いなく、マーレの作戦を採用するのがベストでした。そしてネバギアさんのお陰で、それをスムーズに通すことができました。本当に感謝しています。むしろこちらこそ、嫌な役を任せてしまってすみませんでした」

 

「モモンガさん……」

 

 

お辞儀をしたまま頭だけをあげてこちらの様子を窺うネバギアを見て、モモンガは思わず笑みが噴き出した。

精神的に疲れ切っていたのが、少しだけ和らいだように感じる。

 

 

「お互い相手に申し訳なかったってことでおあいこにしましょう。ね?」

 

「……はい、ありがとうございます」

 

 

モモンガの提案を受け入れてネバギアはようやく背筋を伸ばす。その声色は何時もの彼らしい穏やかなものだった。

その様子をうんうんと頷いて見上げると、モモンガは自分たちの自室がある第九階層へと向かう。

 

 

「ところでさっきの登場の仕方、滅茶苦茶カッコよかったですよ!」

 

「フフッ、だから言ったでしょう? モモンガさんもしっかり見ていてくださいねって?」

 

「いやぁ、思わず見惚れちゃいましたよ! あ、そういえば、シズはどうしたんですか? 連れてくるって聞いてたと思うんですけど……」

 

「シズは観客席にいましたよ。そこで私の登場を見届けてから他のプレアデスたちに合流するように伝えておいたので、もうユリたちのところにいると思います」

 

「そうなんですか? 全然気付かなかった……」

 

 

今回は指輪を使用せず、あえて徒歩で向かう。

その道すがらの会話を楽しむために。

 

 

「やっぱりNPCたちの前で支配者ロールは必要ですかね? あれめっちゃ疲れるんですけど」

 

「やるしかないでしょう。大丈夫ですよ、モモンガさんの演技はバッチリでしたから」

 

「それって喜んでいいんですかね。というか、ネバギアさんだって――」

 

 

死の支配者は黒鉄の雷神機と朗らかに語らいながら、静かな無人の廊下を歩き続ける。

これから待ち受けるであろう苦労と、隣にいる友がいればそれも乗り切れるだろうという確信を胸に。

 

――その時ばかりは、彼への罪悪感は心の奥に押し込んだ。

 

 

 

 

 

.




ギルドメンバーがいることで原作と比べるとモモンガ様のメンタルは少し余裕があるのかな、と。しかし同時にメンバーを巻き込んでしまったことで別の問題を抱えてしまいそうだなとも思いました。
今回一番やりたかったお披露目の登場シーンとアルベドへの叱責ができたので満足。ごめんねアルベド。
そして、守護者たちの主人公への評価が一番悩みました。語彙力がなさすぎ問題。

2018/02/05 セバスの登場に合わせてシズとソリュシャンも登場していたのですが、絶望のオーラに二人が耐えるのは難しいのではと判断し、内容を修正しました。


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幕 間『守護者たちの決意』

偉大な主君たちが姿を消すと共に、全身を上から押し潰そうとするような重圧が掻き消える。

絶対的な支配者であり崇拝すべき主人たちはその場にいないと理解しても、立ち上がろうとする者はいない。

そんな状態で数分時間が経過すると、ようやく空気が少しずつ弛緩していく。誰かが安堵の息を吐いた。

その後、最初にアルベドが立ち上がる。白いドレスの膝部分が少し土で汚れているが、気にする様子は一切ない。むしろ、その汚れこそ自分たちの創造主に対する忠誠を誓った証なのだと、まるでそれを見せつけるように堂々としている。

そんなアルベドに勢いづけられたように他の者たちも立ち上がると、誰からともなく口を開いた。

 

 

「す、凄く怖かったね、お姉ちゃん」

 

「ほんと。あたし押し潰されるかと思った」

 

「流石はモモンガ様。私たち守護者にすらそのお力が効果を発揮するなんて……」

 

「至高ノ御方デアル以上、我々ヨリ強イトハ知ッテイタガ、コレホドドハ」

 

 

モモンガの印象を守護者たちが次々に口にする。

守護者たちを地面に押し付けるほどの重圧。その正体はモモンガは発していたオーラによるものだ。

絶望のオーラ。ユグドラシルの世界では恐怖効果と能力ペナルティ、場合によって対象を即死させる能力を有するその力は、レベル上は同格である守護者たちに対しては本来効果を発揮されない。

しかしモモンガが手にしていたギルド武器、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンによって強化されたその力は容易く守護者たちを圧倒していた。

 

 

「あれが支配者としての器をお見せになられたモモンガ様なのね」

 

 

自分の主人であり、そして夫でもあるモモンガへの愛と敬意の念を更に強めながらアルベドが呟く。

誰かに向けたものではない彼女の言葉に反応したのはデミウルゴスだった。眼鏡のブリッジを指で押し上げる手の向こうでは、神とも呼べる偉大な創造主の威光を目の当たりにできた幸運に笑みが浮かんでいた。

 

 

「私たちが地位を名乗るまではモモンガ様は決してお持ちだった力を行使しておられませんでした。ですが、守護者としての姿を見せた瞬間から、その偉大な力の一部開放されていました」

 

「ツマリハ、我々ノ忠義ニ応エ、支配者トシテノオ顔ヲ見セラレタトイウコトカ」

 

 

デミウルゴスの言葉に得心がいった様子でコキュートスが頷く。

 

 

「ええ。確実にそうでしょうね」

 

「あたしたちと一緒にいた時も全然、オーラを発してなかったしね。すっごくモモンガ様、優しかったんだよ。喉が渇いたかって飲み物まで出してくれて」

 

 

アウラの言葉に対し、守護者たちの間にピリピリとした気配が立ち込める。嫉妬心から放たれるその気配は目で見えそうなほど強い。一際強いアルベドに関しては手が震え、爪が手袋を突き破りそうなほどである。

それに気付き自分と双子の姉の身の危険を感じたマーレは肩をビクリと震わせ、いつもより少し大きな声を上げた。

 

 

「あ、あれがナザリック地下大墳墓の支配者として本気になったモモンガ様なんだよね。凄いよね!」

 

 

聞く者によってはわざとらしく聞こえる――事実マーレの心の内には紛れもないモモンガへの敬意や畏怖はあるものの、先の発言自体はアルベドの機嫌を取るためのものなのだが――マーレの言葉によって、一瞬で纏う空気が変化する。

 

 

「全くその通り。私たちの気持ちに応えて、絶対者たる振る舞いを取っていただけるなんて……流石は我々の造物主。至高なる四十一人の頂点。そして最後までこの地に残りし、慈悲深き君」

 

 

アルベドの言葉に守護者たちが陶然とした表情を浮かべる。ただ一人、マーレの顔には安堵の色が濃く窺えたが。

自分たちの創造主たる至高の四十一人。絶対的な忠誠を尽くすべき存在の真なる態度を目の当たりにすることができたという至福が、今もなお守護者たちを喜びで包み込んでいた。

至高の存在の役に立つ事こそ、彼らに生み出された僕たちにとって何にも代えがたい至福なのである。それは至極当然の理であり、守護者だけでなく他の僕たちにも当てはまる。

 

 

「それを言うならネバギア様もでしょう。あの御方も我々の気持ちに応えてくださったのですから」

 

 

デミウルゴスはナザリックに帰還し、自分たちの忠義を受け取ってくれた至高の存在の一人の名を挙げる。

コロッセウムの上空を駆け、そして自分たちの前に降り立った力強く雄大な姿を脳裏に今一度刻み付けながら。

 

 

「ウム。モモンガ様ノ威圧ヲ間近デオ受ケニナラレテイタトイウノニ、実ニ堂々トシタ佇マイデアッタ」

 

 

コキュートスは自分たちでさえ地面に頭を押し付けられるような重圧を感じたというのに、そのすぐ傍にいたにも関わらず平然と佇立していた造物主の一人を思い出す。

モモンガのように威圧感を放っていたわけではないが、絶望のオーラをものともしない姿に自分たちとの格の違いを改めて認識させられた。

ギルド武器によって強化された絶望のオーラの影響を受けなかった理由は、ネバギアの種族である機巧核の粘体(メタルコアスライム)と“アルゲース”そのものが持つ特性にあった。

機巧核の粘体(メタルコアスライム)はスライム種の中でも特殊で、高い防御力と幅広い耐性を持っている――蛇足ではあるが、スライム種は筋力が低いという特徴も、この種族は例外とされている――。

加えて彼のもう一つの肉体ともいえるアルゲースにも、ギルドメンバーたちの協力を得たネバギアが数多の素材、そしてユグドラシルと現実の資金を多く継ぎ込んだことで、本体同様に高い物理防御力と魔法防御力、そして幅広い耐性を持っていた。その結果、弱体化や状態異常を一切受け付けず、敵に突撃して蹂躙する最強最悪の殺戮兵器が完成してしまったわけだが。

閑話休題。そんな高い耐性を持つからこそ、彼はギルド武器を装備したモモンガの絶望のオーラを受けることがなかったのである。

 

 

「ですね。そしてただ粛然とそこにいらっしゃったわけではなく、我々が過ちを犯そうとしたときは厳しくお教えくださいました」

 

 

デミウルゴスの言葉に、アルベドの漆黒の羽がピクリと震える。

アルベドの胸中を察しながら、セバスは一礼と共に口を開いた。

 

 

「では私は先に戻ります。モモンガ様たちがどこにいかれたかは不明ですが、お傍に仕えるべきでしょうし」

 

「……分かりました、セバス。モモンガ様たちに失礼が無いように仕えなさい」

 

 

自分と同じ轍を踏まぬように。

セバスに向けたアルベドの言葉には、先程失態を演じてしまった己を責めるかのような思いが含まれているような気がした。

セバスはゆっくりと頷く。

 

 

「了解しました、アルベド。では申し訳ありませんがこれで失礼します」

 

 

最後に守護者各員にも一礼して別れの挨拶をすると、小走りで走り去る。

その後ろ姿を見送った後、未だ重苦しい空気に包み込まれているのを感じたアウラは少しでもそれを軽くしようと話題を変える。

 

 

「と、ところでさ! さっきから静かだけどどうかした、シャルティア?」

 

 

アウラの言葉と目線に続くように、シャルティア以外の守護者全員の視線が集まる。

見れば未だにシャルティアは跪いている状態だった。

 

 

「ドウシタ、シャルティア。何カアッタノカ?」

 

 

コキュートスが声をかけると、そこで初めてシャルティアが顔を上げる。

その瞳は蕩けたように濁り、夢心地のように締まりがなかった。

一体どうしたのか、と守護者たちが視線で尋ねるとシャルティアはうっとりとした顔のまま答える。

 

 

「も、モモンガ様のあの凄い気配を受けて、ゾクゾクしてしまって……少うし下着がまずいことになってありんすの」

 

 

シャルティアの言葉に全員が言葉を失い、どうすべきか互いに顔を見合わせた後――唯一マーレのみが、その表情を曇らせることなく純粋に不思議そうにしていた――打つ手無しとして一斉に匙を投げる。

シャルティアは守護者たちの中で最も過激で歪んだ性癖の持ち主。そんな彼女の性癖の一つに死体愛好家(ネクロフィリア)がある。それにピッタリと当てはまるモモンガの威圧は彼女にとって素晴らしい褒美だった。

その性癖が純粋に彼女のものであれば不敬と叱責することも出来たが、その性癖は彼女の創造主である至高の存在の一人、ペロロンチーノによって与えられたもの。それを考えると彼女を責めるのも憚られた。

しかしこの場が治まることはないだろう、とデミウルゴスは思う。そして、その思考に至った理由である守護者統括へと視線を移した。

 

 

「私の愛しい夫であるモモンガ様が穢れるからやめてくれないかしら、このビッチ」

 

 

ああ、やはり。デミウルゴスは額に手を当て(かぶり)を振った。ついでに大きなため息を吐き出す。

この後の展開を予想して軽い頭痛を覚えるナザリックの知恵者を他所に、シャルティアは挑発とも軽蔑とも取れる視線で睨みつけた。

 

 

「はぁ? 至高の方々の御一人であり、超美形なモモンガ様からあれほどの力の波動――ご褒美をいただけたのよ。それで濡りんせん方がおかしいわ。そんなぬしが……」

 

 

アルベドに反論していたシャルティアの語気が急に弱まると、彼女は俯いてわなわなと震える。

これまたどうした、といつもの姦しい反応とは違う彼女に一同が首を傾げた。

そして勢いよく上げられた彼女の顔を見て、驚愕する。

シャルティアは、泣いていた。

 

 

「そんなモモンガ様の魅力を全然分かってないあんたが……どうしてモモンガ様の伴侶なのよ!」

 

 

シャルティアからしてみれば全く納得がいく話ではなかった。

自分にとって恋敵であり――認めたくはないが――恋の好敵手(ライバル)として鎬を削ってきた相手が突如、その想い人の伴侶となったのだ。自分の知らないところで、実に呆気なく、彼女は敗北していたのである。

“そうあるべし”と定められた間違った廓言葉(・・・・・・・)ではない、素の口調で叫ぶ彼女の心中を慮りながら、しかし憐れむことはなくアルベドは先程の侮蔑の色を一切見せず、凛々しい表情で返す。

 

 

「言葉を慎みなさい、シャルティア。私がモモンガ様の伴侶となったのは、タブラ・スラマグディナ様の御意向によるものです。そしてモモンガ様はそれを良しとして、お認めくださいました」

 

「な――っ!?」

 

 

シャルティアの表情が驚きに歪む。

彼女がモモンガと結ばれる事を、彼女を生み出した至高の創造主が定め、それをモモンガが認めたのだ。

至高の存在が定め、認めた婚姻。それを知ってしまった以上、異を唱えることは不敬以外の何物でもない。

そうと分かったシャルティアは異を唱えることはせず、それを認めないと喚くようなことはしない。

 

 

「……くっ、うぅ……ぅっ……」

 

 

だが、悔やみきれない惨めな思いは拭い難く、彼女はただ声を押し殺して泣くしか出来ない。

そこにいるのはナザリック最強の守護者ではない、恋の勝負に敗れた乙女だった。

そんな儚い少女の姿にアルベドは僅かに表情を歪める。蔑みからではない、誰よりもその少女の心の痛みが理解できるが故に。

しかしアルベドが彼女に慰めの言葉をかけることはない。それがシャルティアにとって何よりの侮辱であることを知っているからである。知っているからこそ、かける言葉が見つからない。

他の守護者たちも慰めの言葉が見つからず、口を噤んだままだった。

 

 

「なに泣いてんのよ!」

 

 

ただ一人を除いては。

 

 

「あんた、みっともなく泣いて終わるつもり? いつもの憎たらしいほどの余裕はどこいったのよ!」

 

「チビすけ……」

 

 

アウラがいつにも増して強い口調でシャルティアへと言葉を投げつける。

まさかの人物にシャルティアは思わず涙を引っ込め、呆けた顔を浮かべた。

 

 

「お、お姉ちゃん……」

 

「マーレは黙ってて!」

 

 

「まだ何も言ってないよぅ」と涙目で呟いて、姉に一喝された気弱な弟はすごすごと引き下がる。

その様子を一瞥して再びシャルティアへと向き直ったアウラは、やや纏まりを欠いた思考のまま続ける。

 

 

「確かに至高の御方が定めた以上、それを覆す事なんて出来ない! でも、だからって諦める必要なんかないじゃない! 頑張れば、モモンガ様だってあんたに振り向いてくれるかもしれない!」

 

「お姉ちゃん!?」

 

「アウラ、流石ニソレハ不敬デハ……」

 

 

マーレの驚愕の声とコキュートスの僅かに責めるような声が背中に刺さる。

アウラとて自分の言っていることが滅茶苦茶な自覚はあるし、アルベドがモモンガと結ばれたことを祝福しないわけではない。だが、いつも憎まれ口を叩き合いながらも憎からず思っている彼女も幸せになってほしいという気持ちも確かにあるのだ。だが、ならばどうすればいいのかがわからない。

アウラが次に何を言えばいいのか分からず言葉に詰まりかけると、意外な人物から助け船が出た。

 

 

「いえ、確かに彼女の言葉にも一理あります」

 

 

デミウルゴスである。ナザリック一の知謀の持ち主である彼がアウラの言葉に同意を示したことに、マーレとコキュートスだけでなく、当人のアウラさえも驚きの色を隠せなかった。

 

 

「で、デミウルゴスさん。それは一体どういう意味でしょうか?」

 

 

マーレがその言葉の真意を問う。隣ではコキュートスもまた感情の読み取れぬ瞳でその先を促した。

二人の疑問を解消するべく、デミウルゴスは眼鏡のブリッジを押し上げながら口を開く。

 

 

「いいですか。モモンガ様は至高の四十一人の総括であり、このナザリック地下大墳墓に君臨し続ける絶対的な支配者です。そんな尊い御方が、妃を一人しか持てないというのはおかしいと思いませんか?」

 

 

デミウルゴスの言葉になるほど、と一同が納得する。

確かに彼の言う通り、至高の存在の頂点に君臨する絶対主が、たった一人の女性しか娶ることが出来ないなど奇妙な話だ。むしろ、美しい女性たちを侍らせている姿こそ支配者に相応しい姿のように想える。

モモンガが知れば卒倒しそうな光景を皆が思い浮かべた後、アウラは――不器用な友を励ます手伝いをしてくれた悪魔に心の中で礼を言いながら――シャルティアへと語り掛ける。

 

 

「……シャルティア。あんたが諦めるのはまだ早いわよ。頑張んなさい」

 

 

まるで姉が妹に語り掛けるような優しい口調と微笑に、シャルティアは口元に小さな笑みを浮かべた後、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 

 

「――フン。そんなこと、言われなくてもわかっているでありんす。余計なお節介はやめてくんなまし」

 

「なっ! あ、あんたねぇ――!」

 

「……ただ、今回はそのお節介はありがたく受け取っておくでありんす」

 

 

そっぽを向いたシャルティアの瞳だけが視線を動かし、アウラへと向く。

その瞳には素直になれない彼女なりの感謝の気持ちが込められていた。

アウラはやれやれと言った様子で溜息を吐く。しかし、その顔は呆れているだけではない、シャルティアが元気を出したことに対する安堵の笑みが含まれていた。

 

 

「……アルベド」

 

 

シャルティアはアルベドへと向き直る。その顔には先程の弱弱しさはない。

彼女の瞳には決意の炎が宿っていた。

 

 

「……なにかしら?」

 

「ぬしがモモンガ様の伴侶となったのは至高なる御方々の御意向。なればわらわはそれを認めざるをありんせん」

 

 

そこで一呼吸を置いた後、しかし、とシャルティアは続ける。

 

 

「正室の座はぬしに取られんしたが、側室の座を諦めるつもりはありんせん。そして、正室のぬしがモモンガ様より賜る御寵愛以上のものを賜ることも……形だけの正室で終わりんせんよう、精々気を付けなんし?」

 

「……いいでしょう。モモンガ様がお認めになるのであれば、あなたが第二妃となった時、私はそれを素直に認めます……でも、モモンガ様の御寵愛は絶対に譲らないわ」

 

 

正々堂々とした宣戦布告に対し、アルベドも真っ向から返答する。

常ならば一触即発、周囲の者が肝を冷やすようなやりとりを、今回ばかりは他の守護者一同は微笑ましく見守っていた。

 

 

「さて、アルベド。命令をくれないかね? これから色々と動かないといけないのだから」

 

「そうね。ではまず現状の再把握と計画立案のための協議を行います」

 

 

デミウルゴスの言葉に頷いたアルベドが守護者たちに向き直る。

守護者統括としての姿を見せたアルベドに対して一同は頭を垂れて礼儀を示した。

しかし、モモンガやネバギアに見せたように跪くことはない。

それにはこの場にいる全員が至高の四十一人によって生み出された存在であることに差がないためである。

守護者統括という上官である以上敬意は見せるが、それは絶対的なものではない。

生まれた経歴に差はない。しかし、彼女を守護者統括としたのは至高の存在。故にそれに相応しい態度を見せているということだった――当然アルベドもそれについて承知しており、その態度が正しいと思っている――。

 

 

「まずナザリック地下大墳墓の状況。第九、第十階層の調査は行われていないため断言はできないけれど、現段階ではナザリック内においては異常は発見されていないわ。しかし、セバスの情報によると外の地形は大きく変化している……これらの情報を鑑みるに、私はこのナザリック地下大墳墓そのものが別の場所に転移したのでは、と考えています」

 

 

アルベドの推測に異を唱えるものはいない。皆が同じ考えに至っていたからだ。

勿論、全員の脳裏には何故、どうして、どうやって、という疑問は残っているが。

 

 

「そして、今回の異常事態を至高の御方々は事前に察知していたのでは、とも」

 

 

アルベドの言葉にデミウルゴス以外の面々が、どういうことだ、と顔に浮かべる。

彼らの表情がそれを察したアルベドは自分がその推察に至った理由を語った。

 

 

「今回の一件が起きた前日、数名の至高の御方々がナザリックにお越しになられていたわ。そして、タブラ・スラマグディナ様が御一人で玉座の間に来られた際、私に世界級(ワールド)アイテムの一つ、“真なる無(ギンヌンガガプ)”をお与え下さったのよ」

 

 

その言葉に今度は全員が驚愕を顔に映した。

世界級(ワールド)アイテムがどれほど価値のあるものかは知っている。だからこそ、それを守護者統括とはいえ一僕でしかないアルベドに与えたことに驚きを隠せなかったのだ。

アルベドは続ける。

 

 

「その時、タブラ様は今までナザリックに戻れなかった事を詫びていたわ。そして、もう二度とお前たちに会えないと思うと寂しい、とも……」

 

 

その言葉に、守護者たちの体が深い悲しみと安堵に震える。

一人、また一人と姿を見せなくなった至高の存在たち。挙句の果てには、自分たちの創造主さえいなくなった。

そんな悲哀と寂寥の念を禁じ得ない日々のうち、彼らは言葉にこそしないが胸の内に最悪の予想が生まれていたのを感じていた。

 

創造主たちは、自分たちの事を捨てたのではないか?

 

何度か姿を見せない時はあったが、ほぼ毎日のようにモモンガがナザリックに姿を見せていたことは知っている。

しかし、他の主人たちは姿を隠して久しい。不敬と分かっていても、その不安が生まれてしまうのは仕方がないことだった。

 

最後まで残ってくださった慈悲深い死の王も、いつの日か自分たちを見限っていなくなってしまうのではないか。

 

そんな不安に駆られる日々が続いた。

しかし、その不安がたった今、取り除かれたのである。自分たちは捨てられたのではないのだと、創造主たちにはやむを得ない事情があったのだと、アルベドの言葉から知ることができたのだから。

だがそれと同時に、深い悲しみを覚える。アルベドの言葉によれば、偉大な大錬金術師はもうナザリックに戻ることは出来ないと言っていた。

自分たちの別れを惜しみながらも、もう戻ってくることはない。そしてそれは、他の至高の存在も同様である可能性が高かった。

 

 

「タブラ様はこうも仰っていたわ。『自分はもう行かなければいけないが、お前は最後までモモンガさんの力となって傍にいてあげてほしい』と……そして私をモモンガ様の伴侶と定め、“真なる無(ギンヌンガガプ)”をお与え下さったわ」

 

 

つまり自分たちが離れる代わりに、守護者たちがモモンガの力になれ、ということか。

至高の存在が離れることは確かに悲しいが、その尊い主君たちから与えられた大命に、守護者たちは四肢に力が込もるのを感じる。

 

 

「つまり、至高の御方々は今回の異常を事前に察知していたから、それが起きる前にナザリックに戻って何かしらの対処をしたっていうこと?」

 

「そ、そしてもう戻ってくることが出来ないから僕たちにナザリックを任せ、す、少しでもモモンガ様のお力になるよう命じたということなのでしょうか……?」

 

 

アウラとマーレが自分たちの推測を述べる。

それにアルベドはゆっくりと頷いて同意を示した。

 

 

「私はそう考えているわ。勿論、至高の存在であるあの御方たちは我々の想像の遥か上を行く存在。お戻りになられる可能性も十分考えられる。けれど、その至高の御方々が二度と戻ることが出来ないことを覚悟するほどの事態に直面されている可能性が高いのも事実よ」

 

「ナラバ至高ノ御方々ガオ戻リニナラレルマデノ間、我々ガコノナザリック地下大墳墓ヲ守ラネバナラヌナ」

 

 

コキュートスが決意と覚悟、そして僅かな痛恨の念を含んだ声色で言葉を漏らす。

本来自分たちは至高の創造主のために存在している。しかしその主人たちが自分たちの想像を絶する苦境に立たされているかもしれないというのに、その力になることができない。

実に歯痒く感じるが、こればかりは如何ともしがたい。ならば自分たちはモモンガたちの手足となってナザリック地下大墳墓を守ろう。今は遠い彼方の地にいる主君が後顧の憂いなく、戦えるように。そしていつの日かナザリックに戻れるように。

コキュートスは新たな決意を胸に、凍てついた呼気を力強く吐き出す。

 

 

「だがしかし、我々は今モモンガ様とネバギア様の信頼を失いつつある……そうでしょう、アルベド?」

 

「……ええ」

 

 

デミウルゴスの言葉に、アルベドが神妙な面持ちで頷く。

 

 

「なっ!? それはどういうことでありんすか、デミウルゴス!」

 

 

ナザリックにおいてトップクラスの頭脳を持つデミウルゴスの言葉に、シャルティアが説明を求める。

その声色と表情には、彼の言う支配者たちの信用を失いつつあるという言葉に対する不安が見て取れた。アウラとマーレ、コキュートスにも同様の気配が窺える。

 

 

「まず我々は今回モモンガ様とネバギア様にお教えいただくまで、今回の異常事態に気付いてすらいませんでした。ナザリック内に異変はなかったとしても、この大墳墓の守護者を任される我々が揃いも揃ってそれに気付けなかったという事実に、御二方は失望を禁じ得なかったでしょう」

 

 

デミウルゴスの表情は重い。それだけ自分の無能さに対する自責の念の強さが感じられた。

 

 

「モモンガ様はいつもなら円卓の間に収められているギルド武器であるスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンをお持ちになっていらっしゃったわ。そしてネバギア様は、帰還した直後は本来の御姿だったけれど、この第六階層にいらっしゃった時はあの御姿になっていた」

 

 

ギルドの心臓であると共に世界級(ワールド)アイテムにも匹敵するギルド武器、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。そしてネバギアの最強装備であり神器級(ゴッズ)の枠に収まらない性能を誇るアルゲース。

それぞれが最強の装備を身に纏っていたことが、異常事態に対する彼らの警戒心の高さと自分たちへの失意と信用のなさの現れだったのかもしれない。

 

 

「そして本来ならシモベたちへの立ち入りが許可されるはずのない第九階層と第十階層への警護の許可。これも御二方がどれだけ今の状況を――」

 

「それだけではないわ、デミウルゴス」

 

「……どういうことでしょう?」

 

「ネバギア様は、レメゲトンのゴーレムたちに御二方以外の命令を受け付けないよう手を加えていらっしゃったのよ」

 

『なっ!?』

 

 

アルベドにもたらされた情報に、守護者たちが思わず声を上げる。

レメゲトンのゴーレムたちは至高の御方によって作られた特注のゴーレム。その制作にはネバギアが関わっていることも守護者たちは知っているし、当然そのゴーレムたちがナザリック地下大墳墓の最終防衛ラインであることも理解している。

アルベドの情報が確かならば、ネバギアは侵入者がレメゲトンの間まで侵入し、あまつさえゴーレムたちの支配系統を奪取されることを危惧していたということに他ならない。

アインズ・ウール・ゴウンの全盛期に起きた1500人の大軍勢によるナザリック地下大墳墓への侵攻。あの歴史上最も苛烈な大戦でさえ、侵入者たちは第八階層でその命を悉く散らしたのだ。

しかし、今回はその八階層さえも突破して玉座の間に迫る敵がいるかもしれない。主人たちはそこまで警戒していたというのに、自分たちのなんと呑気なことか。

守護者たちはたたただ情けない自分たちを恥じた。特にアルベドの内にある思いは一際強い。

ナザリックの隠蔽方法について思案していた際、自分は愚かにも偉大なる存在の会話に口を挟んでしまったのだ。

ナザリック地下大墳墓の栄光は確かに大切だが、今が緊急事態であること理解できていなかった。ネバギアの叱責の名残が、今もなお彼女の足元に黒く残っている。

 

 

「私たちが考える以上にナザリック地下大墳墓は今、重大な局面に立たされています。ナザリックだけではなく、私たちも」

 

 

ナザリック地下大墳墓を守り、我々は至高の存在たちから信用を得なければならない。

自分たちは託されたのだ。恐れ多くも、今はナザリックを離れている至高の存在から。

自分たちは主君から失望されている。今回の異常事態に無様を晒してしまったことで。

ならば守らねばならない。取り戻さなければならない。

守護者一同の胸と瞳に、決意と覚悟の炎が灯る。その灯火の輝きに恥じぬ働きをすることを皆が誓った。

 

 

「さあ、私たちの現状を正しく把握できたところで、今後の計画を立てましょう。至高の御方々の名に、このナザリック地下大墳墓の名に、そしてアインズ・ウール・ゴウンの名に恥じぬ働きをするために」

 

 

統括官の凛とした言葉に対する守護者たちの返礼が、闘技場の夜空に響いた。

 

 

 

 

 

.




今回は幕間ということでいつもより少し短めです。物足りないと感じた方、申し訳ありません。
今作においてはアルベドがモモンガ様の奥さんであることが決定されているので、シャルティアにとっては無念だろうな、思いながら執筆しました。
しかし、彼女は第二妃の地位を狙い続けますし、アルベド以上にモモンガ様に愛して貰うために行動するのでそこら辺は原作と大差はないと思います。


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第4話『黄昏の追悼』

300名を超える方々にお気に入り登録を頂けました。この場を借りて、感謝申し上げます。
お気に入り登録してくださった皆様、本当にありがとうございます。
これからも皆様に楽しんで頂けるように頑張っていきたいと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。


モモンガとネバギアが異世界に転移してから約三十六時間が経過した。

二人は今、モモンガの自室に隣接しているドレスルームにいる。そこは足の踏み場もないほど乱雑に、あらゆるものが置かれていた。モモンガが装備するのであろうローブから、逆に彼が使うことなどないであろう兜や鎧。武器も同様でスタッフからグレートソードまで様々だった。

そんな有様の部屋では流石にアルゲースの巨体で入るわけにもいかず、今回は本来の機巧核の粘体(メタルコアスライム)の姿で訪室している。

 

 

『モモンガさん、もう少し綺麗に片付けた方がいいんじゃないですか?』

 

『す、すみません。いつかやろうと思いながら先延ばしにしてしまって……』

 

 

室内にメイドが控えているため<伝言(メッセージ)>の魔法を使い、ネバギアは密かにモモンガのことを窘める。

それに帰ってくるのはバツの悪そうなモモンガの苦笑混じりの謝罪。きっと人目がなければ申し訳なさそうに頬を掻いたりしていただろう。

そんなモモンガを見ながら、ネバギアはそれ以上言及することなく、放置されているアイテムたちを粘液の触手を使って種類別に分けていく。

 

 

(それにしても、モモンガさんもズボラというかこういうのをめんどくさがるところあるんだなぁ)

 

 

スライム種の体をフルに活かして武器と防具、そしてそれらも武器や防具の種類別に分別して片付けながらそんなことを考える。

モモンガにコレクターの一面があることはネバギアも知っている。

ユグドラシルでは、モンスターを倒した時に入手できるデータクリスタルを外装に用いることで自分だけのオリジナルアイテムを好きなだけ作ることができる。そのため、気に入った外装を見つければ買い込むプレイヤーは多かった。それはネバギアも同じだったし、だからこそモモンガの気持ちも十分分かる。

しかし、ネバギアは買い集めたものを整理するタイプの人間だったこともあり、ギルド長としての仕事をこなしていた姿のイメージが強い彼の部屋がこのように散らかっているのは少々意外だった。

 

 

(ま、宝物殿の整理をしてた源次郎さんも自分の部屋は汚れているって言ってたし、普段はそんなイメージがない人もプライベートな空間は散らかってるものなのかもしれないな)

 

 

久しく会っていない――もう会えないかもしれないという予測はあえて考えなかった――ギルドメンバーの一人が自室を『汚部屋』と称していたことを思い出しながら、ネバギアは視界の端でメイドたちが蒼褪めた顔で落ち着きのない視線を向けてきていることに気付く。

そのただならない様子に原因が思い当たらないネバギアはメイドたちに尋ねた。

 

 

「……どうかしたか?」

 

「お、恐れながら至高の御方の御一人であらせられるネバギア様が使用人のようなことをされる必要はないかと……一言命じてくだされば、直ちに清掃に取り掛からせていただきますのでっ」

 

 

メイドたちの言葉にネバギアは、ふむ、と小さく言葉を漏らす。つまりは上役クラスの人間に清掃員の真似事をさせるのは居心地が悪いということだろうか。

 

 

(確かに上司が下っ端同然の扱いされて他部署の連絡係として走り回ってたら落ち着かないよな……)

 

 

自分の想像できる範囲のスケールに落とし込んで考え込むと容易に彼女たちの気持ちが理解できた。

ネバギアは「それでは」とメイドたちの気苦労を少しでも解消できるようにと命令を与える。

 

 

「私と同じように武器と防具に分けて整理を行ってほしい。武器と防具もそれぞれ種類に応じて細かく分けてほしい。判断が難しいものはその都度私かモモンガさんに確認するように」

 

『畏まりました』

 

 

ネバギアから命令を与えられると、メイドたちの表情はみるみる華やぎ、明るい声色で返事をすると手早く、そして丁寧に分別を始める。

そんなメイドたちの手際に感心したネバギアの横で、モモンガは未だ整理されていない武具の中から何気なく一本のグレートソードを手に掴んだ。

重厚感のある見た目に違わぬ重量を持つその大剣を、モモンガは軽々と持ち上げる。

魔法職として魔法に関する能力値が高いモモンガではあるが、それでもレベル100ともなれば肉体に関する能力値も中々に高く、片手でグレートソードを容易く持ち上げるほどの筋力も備わっていた。低レベルのモンスターが相手ならスタッフで撲殺することも可能だろう。

剥き身の刀身が照明の光に照らされて白銀に輝いているのを眺めながら、モモンガは改めてその軽さと、そう感じさせる筋力を再確認しながらゆっくりと構える。

次の瞬間、金属と堅いものがぶつかり合う音が室内に響く。音の正体はグレートソードが床に落ちたものだった。

突然の音に、モモンガ以外の全員の視線が一気に集まる。そして近くにいたメイドがグレートソードを両手でしっかりと支えるように持ち上げてモモンガの許へと運んだ。

 

 

「モモンガ様、お怪我はございませんか?」

 

「……心配は無用だ。それはもうよい、片付けておけ」

 

「畏まりました」

 

 

モモンガの言葉に大剣を手にしたメイドが一礼すると、グレートソードを剣が纏められている場所に運んでいく。

他のメイドたちも既に先程と同じように作業を再開していた。

メイドたちが不審な目を向けてこなかったことに安堵したモモンガの脳内にネバギアの声が響く。

 

 

『モモンガさん、どうかされましたか?』

 

『……ネバギアさん、ここはユグドラシルの世界ではない。私たちはそう結論付けましたよね?』

 

『ええ、そうですけど……』

 

 

一拍置いた後に帰ってきた質問に、ネバギアは何を今更、という雰囲気を僅かに滲ませながら肯定する。

ネバギアの返答に対してモモンガは再び間を置いた後、たった今得た情報から考えられる可能性を提示した。

 

 

『先程、私はグレートソードを振ろうとしました。つまり使おう(・・・)としたんです。なのにそれは出来ず、何故か剣は腕から滑り落ちるように離れてしまいました』

 

『つまり、それは……』

 

『はい。おそらく、この世界にはユグドラシルの法則が適応されている可能性があります』

 

 

モモンガの言葉に、ネバギアは無言で思考を回転させる。

NPCたちは間違いなく命を得ている。プログラムでは不可能な行動を取っているのだからそれは間違いなく、そしてそれは自分たちがいる世界がユグドラシルの世界、つまりはゲームの世界の中ではないことの証明でもあった。

しかし、モモンガの言葉がその通りなのであれば全くユグドラシルと無関係とも言い難い。

技術云々を無視して、ただ剣を振るだけなのであれば誰にでもできるはずだ。それこそ、剣術の心得など一つもない素人でも。しかし、モモンガにはそれが出来なかった。

その理由として考えられるのはモモンガが戦士職を一つも習得していないから、というものである。

ユグドラシルの世界では職業(クラス)に応じて装備できる武器がある程度決定される。そして、その武器に対応するクラスを習得できていなければいくらレベルが高かろうがそれを扱うことはできない。

 

 

『ふむ……モモンガさん。クリエイト系の魔法で作った装備などはどうですか?』

 

『なるほど。試してみましょう』

 

 

ネバギアの提案の意図に気付いたモモンガが一つ頷く。

 

 

「――<上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)>」

 

 

そしてモモンガが魔法を唱える。

次の瞬間、豪奢な衣装を纏った骸骨の全身が漆黒の鎧に覆われた。

溝付鎧(フリューテッドアーマー)と呼ばれるその鎧は金と紫色の紋様が施されており、まるで芸術品のような美しさを感じさせる。

 

 

「なるほど。魔法で生み出したものであれば、ユグドラシルの時と同じように装備できるというわけか」

 

 

ゆっくり頷きながらモモンガが確認する。

その姿を眺めつつ、ネバギアは次の調査を依頼する。

 

 

『モモンガさん、次は戦士化の魔法をお願いします』

 

『了解です』

 

 

次の検証内容は『戦士化した状態ならば、本来装備できない武具を扱えるようになるのか』というもの。

これも、ユグドラシルの世界ならば可能だった。

モモンガの持つ戦士化の魔法、完璧なる戦士(パーフェクト・ウォーリアー)を発動すれば、先程扱う事ができなかったグレートソードのような武器も装備できるだろう。

 

 

完璧なる(パーフェクト)――」

 

『あ、待ってください』

 

 

モモンガが戦士化の魔法を唱えようとするのをネバギアが止める。

まさかの制止にモモンガは首を捻るが、ネバギアの視線の先に気付いてすぐに理由を理解した。

モモンガは発声練習も兼ねてわざとらしく咳払いをする。すると、メイドたちがすぐにモモンガへと顔を向ける。

 

 

「……今からとある検証を行う。ネバギアさんと共に一度退室せよ」

 

「行くぞ、お前たち」

 

『畏まりました』

 

 

至高の存在である二人からそう言われれば、メイドたちには疑問も否もない。言われるがままに了解し、銀色のスライムの後に続く。

メイドたち一人ひとりが丁寧にお辞儀をして退室していくのを見送った後、モモンガは魔法による鎧を消滅させ、いそいそとローブを脱ぎだした。

 

 

「確かにメイドたち、というか女性の前で裸になるのは不味いよなぁ。いやー、危うく変態になるところだった」

 

 

モモンガはひとりごちながら装備を外していく。

モモンガが今装備しているローブなどは魔法職に適応される装備であり、もし魔法によって戦士化してしまえば適応外となるこの装備は強制的に外れてしまう可能性がある。そうなればどうなるのか、ひとりでに装備が外れるだけならまだしも、最悪散り散りに破れてしまう恐れもある。

しかも、過程がどうであれメイドたちの前で全裸になる可能性が高かった。

白骨だけの体ではあるが、女性の前で全身を晒すような趣味など当然モモンガは持ち合わせていない。

 

 

「これでよし、と……」

 

 

モモンガはコレクションの中にある簡素なローブ――これは低ランクである代わりに魔法詠唱者(マジック・キャスター)以外の、それこそ戦士職でも着用が可能な初心者向けのものである――を身に纏った。

そうして部屋の一面を覆うような巨大な鏡へと全身を向けて、己の姿を確認する。映っているのは衣服を着た骸骨。

人間とは程遠い異形の姿であるにも関わらず、モモンガには本来あるべきはずの恐怖や困惑が一切感じられなかった。それどころか、まるで最初から自分はこの姿だったかのような感覚さえ覚えている。

その理由は、ユグドラシルの世界で長い時間をこの姿で過ごしたから――ではない。

 

 

「やっぱり、アンデッドの肉体に精神が影響されているからなんだろうか……」

 

 

アンデッドとは肉体や精神に人間の残滓がこびりついた存在。故に精神の動きはあっても、一定以上に揺れ動こうとするとそれが瞬く間に抑制されてしまう。加えて、欲望に関しても非常に薄らいでいるのも感じていた。

食欲も睡眠欲も性欲も、まるで感じない。アルベドに近付かれた時はドキドキすることもあったがそれも一瞬で抑圧されてしまう。

 

 

「折角アルベドっていう美人な奥さんを貰ったのに……実戦使用出来ないまま無くなるなんて」

 

 

大きな喪失感を覚えながら、モモンガは自分の腰の辺りへと視線を向けた。

絶世の美女と呼ぶに相応しい彼女が妻となったことは素直に嬉しいが、ちゃんと愛し合えないというのは寂しいものがある。

気持ちが繋がっていれば、とは思うがそれがただの強がりでしかないことも彼は理解していた。肌の温もりを求めるのは人間の性なのだ。

しかし今は考えても仕方がない、とモモンガは頭を振る。現状を打開する方法が思いつかないのだから、悩んでも今は徒労でしかない。

冷静に割り切ることができる思考に今は感謝しつつ、モモンガは今度こそ魔法を発動した。

 

 

「――完璧なる戦士(パーフェクト・ウォーリアー)

 

 

戦士化の魔法を唱えた瞬間、モモンガは自分の肉体を不思議な力が包み込むのを感じた。

常とは違う力強さを身に覚えながら、モモンガは近くにあった大斧を手に取る。

それを両手で握り締めて大きく振り被り、振り下ろした。

次の瞬間、まるで空気を断ち割るかのように斧の左右から突風が噴き上がり、モモンガの頬を撫でる。斧は滑り落ちることなく、白骨の両手に握られていた。

検証結果が出たことを理解したモモンガは再び<伝言(メッセージ)>を発動する。

 

 

『ネバギアさん、検証が終わりました。やはり、戦士化すれば本来使用できない武器は扱えるようです』

 

『お疲れ様です、モモンガさん。そうですか、そこもユグドラシルの世界と同じですね……とりあえず、着替えが終わったらまた声をかけてください』

 

 

ネバギアの言葉に「了解です」と一言返して会話を切ったモモンガは再び着慣れた装備を纏う。

三分程度で身なりを整えたモモンガは、今度は<伝言(メッセージ)>ではなく直接扉越しにネバギアたちに声をかけた。

 

 

「遅くなってすまなかったな、もう入ってきてもらって構わない」

 

 

モモンガの言葉を受けてネバギアを先頭にメイドたちが順番に入室する――一礼して入室するメイドたちの一連の所作は実に見事なものだった――。

最後の一人が入室したのを確認すると、横並びに整列したメイドたちにネバギアが作業の再開を命じる。主人の指示を承ったメイドたちは一糸乱れぬ動きで頭を下げるとそれぞれがドレスルームの片付けを再び始めた。

メイドたちがそれぞれの作業に入ったことを確認すると、二人は次に何を行うかを思案する。

 

 

「失礼いたします。モモンガ様、ネバギア様、アルベドでございます」

 

 

そこに、唯一の出入り口の扉越しに美しい女性の声が届く。それは二人がよく知る守護者統括のものだった。

 

 

「アルベドか。入室を許可する、入ってくるがよい」

 

 

モモンガの厳かな口調の許しにアルベドはもう一度扉の向こうで「失礼いたします」と断りを入れて入室する。

そして片膝を床について跪くと、胸に手を当てて臣下の礼を取って口を開いた。

 

 

「ご報告いたします。ネバギア様のご命令で偵察に向かわせた各部隊から報告が届いております」

 

「ご苦労。アルベド、報告の内容を」

 

「はい、モモンガ様。南に向かった部隊は城壁に囲まれた都市を発見いたしました。そこには多くの人間たちが暮らしているようです」

 

 

偵察部隊の存在に気付くような者はいませんでした。

最後にそう締めくくるアルベドの言葉に、二人は内心で喜ぶ。それほどまでにアルベドの報告の価値は高い。

まだ一日と半分程度しか経過していないが、それまでこのナザリックのNPC以外の知的生命体と呼べる存在は発見されていなかった。お互いに口にしてはいないが内心では『自分たち以外に知的生命体はいないのではないか』と考えていたほどだ。

その可能性が否定されたことはとても喜ばしいものである。

しかし、手放しに喜ぶことはできない。その者たちが自分たちに対して友好的に接してくれるという保証はないからである。異形の存在が嫌われる経験は、ユグドラシルの世界で嫌というほど味わった。

苦い記憶を思い出しながら、モモンガはアルベドに指示を与える。

 

 

「その都市の調査は入念に行うよう伝えておけ。くれぐれも存在を気付かれるな、万が一の時はすぐに部隊を撤収させよ」

 

「畏まりました、モモンガ様」

 

「アルベド、他の部隊からの報告は上がっているのか?」

 

 

モモンガの次にネバギアが報告の続きの有無を尋ねる。

 

 

「はい、ネバギア様。南東に向かった部隊からは広大な平野が存在していました。そこは霧掛かっており、低級のアンデッドモンスターが多数存在しているとのことです。また南西から西には山脈をの一端を囲むように森林が広がっているとの報告がありました」

 

「モンスターの存在も確認できたか。場合によっては我々のように知性のある異業種も存在するかもしれないな」

 

「仰る通りかと。最後に城壁に囲まれた都市より更に遠方には平原が広がっており、所々に小規模の村が存在していたとの報告も届いております」

 

「ん? いた(・・)?」

 

 

謎の過去形にネバギアが首を捻る――かのように銀色の粘液の中で球体の体を傾けた。

その過去形が間違いでない事を示すかのようにアルベドは頷いて補足する。

 

 

「偵察部隊が確認した村はいずれも何者かの襲撃を受けたかのように荒れ果てておりました。全滅したのか村を捨てて移住したのかは定かではありませんが、その村々には人間も亜人も異形種も確認出来ておりません」

 

「……そうか」

 

 

アルベドの報告にネバギアは数秒の間を置いた後に返答する。

そして、くるりとモモンガの方へと向くと彼に一つの提案を行った。

 

 

「モモンガさん、その廃村に行ってみませんか?」

 

「廃村に?」

 

 

モモンガのオウム返しのような問いにネバギアは頷く。

 

 

「はい。放棄された村なのであれば我々が行動しても、仮に何かを持ち帰っても問題が発生する可能性は少ないでしょう。情報量として先程報告にあった城壁の都市が一番だとは思いますが、ノーリスクで情報を得られるのはそちらの廃村たちの方だと思います」

 

「なるほど、確かに……」

 

 

モモンガが顎に手を当て思案する。

ネバギアの提案はとても理に適っている。確かに情報は欲しいがリスクは避けたい。そんな自分たちの現状において情報は僅かだとしてもローリスクでそれが得られるというのは魅力的だ。

友の提案を否定する要素がないことにモモンガは一つ頷くと、アルベドへと向き直った。

 

 

「アルベドよ。私たちはこれよりその廃村へと向かう」

 

「畏まりました。では私がお二人のお供を――」

 

「いや、お前はここに残り私たちが不在の間のナザリックの指揮を執れ」

 

「そんな――!」

 

 

却下されるとは思っていなかったのだろう。アルベドは驚愕とも悲哀ともとれる色を顔に浮かべて声を上げる。

 

 

「お待ちください、モモンガ様! 至高なる御方々のみでは、御身になにかあった時に私たちが盾となることができません!」

 

 

アルベドにとってモモンガとネバギアはこのナザリック地下大墳墓に残ってくれた偉大なる存在。そんな彼らの身に万が一何かあれば自分たちの存在意義は無に等しいものとなってしまう。

それは彼女たちにとって死よりも恐ろしいこと。故にアルベドは二人に僕の同行を嘆願しようと考える。

 

 

「案ずるな、アルベドよ。これから向かう村は既に放棄された廃村だ。生命体の存在が確認されていないのは偵察部隊により確認済み。それはお前もよく理解しているはずだ」

 

「それは、そうですが……」

 

「ならば我々の身に危険が及ぶ可能性など皆無。ましてや、ネバギアさんも同行するのだ、心配は無用だろう」

 

 

モモンガの言葉にアルベドは反論できる要素がない。

敵対勢力がいないのは偵察部隊によって明らかにされているし、仮に敵が現れたとしても至高の存在が二人並び立てば、もはやそれは敵と呼べるほどの脅威ではなくなる。

しかし、自分たちがいる世界は未だに未知の部分が多い。用心はするに越したことはないのだ。ましてや、自分の夫の身を案じるのは妻として当然のこと。

 

 

「しかし――」

 

 

尚も食い下がろうとするアルベドに、モモンガは手を前に出して無言で制する。

 

 

「お前の気持ちはわかる。我々の身を案じてくれているのだろう?」

 

「……はい。至高なる御方々のお力の程は存じ上げております。ですが、未だにこの世界について不明瞭な点が多い現状でお二人が外を出歩かれるのは危険であると具申いたします」

 

 

アルベドは努めて冷静な口調でモモンガに進言する。

モモンガは彼女の思いを受け止めた上で、言葉を返した。

 

 

「アルベドよ、お前の言葉は正しい。そして、我々も最悪の状況は常に頭では考えている。何者かと交戦に陥る場合は即座に撤退し、このナザリックに帰還するつもりだ」

 

だから安心しろ。

アルベドの肩にそっと手を乗せて、モモンガは威厳があるような口調を意識しつつ彼女が少しでも安心できるように言葉を選ぶ。

 

 

「モモンガ様……」

 

 

ゆっくりと顔を上げてモモンガを見つめるアルベド。

そこに、今まで二人のやり取りを見守っていたネバギアが言葉をかける。

 

 

「心配は無用だ、アルベド。今回の廃村の探索、行きは私の飛行による移動になるが戻る際は指輪なり転移魔法なりで瞬時に行うことができる。それに、モモンガさんはアインズ・ウール・ゴウンの長だ。ギルド長を守るのはギルドメンバーである私の務めでもある。不測の事態に陥ろうとも、必ず守り通してみせよう」

 

「ネバギア様……」

 

 

至高の存在であるギルドメンバーの特攻隊長に言われてしまっては、アルベドも言葉に勢いを失ってしまう。

行きがネバギアの飛行形態によるものであるならば、相当なスピードによるものだろう。その速度とそして長距離の飛行を可能とする能力を有するシモベはナザリックにはいない。当然、同行するシモベの移動速度に合わせてもらうなどという愚かな考えは彼女の中には存在しなかった。

説得する理由を失いつつアルベドに対して「それに」とネバギアは続ける。

 

 

「モモンガさんはお前の身を案じてもいるのだぞ?」

 

「なっ!?」

 

「まぁっ!」

 

 

ネバギアのまさかの言葉に、モモンガは骸骨の口をあんぐりと開いて、そしてアルベドは思わず喜色に染まった顔の口元を手で軽く隠しながら、それぞれ驚きの声を漏らした。

 

 

「我々が向かう場所は確かに危険の可能性はある。そんな場所に大事な人を連れていきたくない、というのはモモンガさんも同じという事だ。勿論、守護者統括としてのお前の手腕を信頼しているからこそ留守を任せることを決めたのだろうがな」

 

「ちょっ、ネバギアさん!?」

 

「まぁ! まぁまぁ!」

 

 

慌てるモモンガと喜びに胸を躍らせるアルベド。

対極的な夫婦の反応にネバギアは悪戯心を働かせ、モモンガを無視してアルベドへと語り掛けた。

 

 

「夫であり主君である彼を信じて留守を預かってやるのだ、アルベド。それが妻として、そして守護者統括としての務めだ」

 

「はいっ、畏まりました! モモンガ様、ネバギア様、行ってらっしゃいませ!」

 

 

もはやアルベドの顔に不安の色はなかった。

恍惚とも表現できるうっとりとした表情のアルベドにネバギアは「うむ」と鷹揚に頷いてドレスルームから退室していく。

その場を掻き回してから部屋を出ていくネバギアを、アルベドやメイドたちは綺麗な一礼で、モモンガは唖然とした様子で見送った。

 

 

「…………はっ! ま、待つのだ! ネバギアさん!」

 

 

そして数秒遅れて現状を再把握し、モモンガは慌てながらネバギアの後を追う。

そんな彼に対してもやはり僕たちは恭しく頭を下げて主人を見送るのだった。

 

 

「くふふっ、くふふふふふっ」

 

 

ただ一人、主人たちが部屋を出ると共に思わず笑いをこぼしていたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ネバギアさん、ちょっと待ってくださいよ!」

 

 

ドレスルームを出た後に二人が転移した先は大きな広間だった。

現在は一つも使われていないが、遺体を安置するための細長い石の台が左右に幾つも置かれている。

 

 

「どうしたんですか、モモンガさん?」

 

 

床は白亜の石畳。まるで宝石のように美しく磨き上げられている。

階段を上っていく二人の後ろにはやはり階段が存在してる。下り階段の先は行き止まりの両開きの大扉――ナザリック地下大墳墓の第一階層への入り口がある。

 

 

「どうしたじゃないですよ、あんなこと言っちゃって……!」

 

 

壁に作られた松明台に灯りは灯っていない。しかし、二人の向かう先にから白い陽光が射し込んでおり、二人の足元を明るく照らしている。

ナザリック地下大墳墓地表部霊廟。指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)で転移できる中で最も地表に近い場所である。

 

 

「なにか問題ありました? っと、モモンガさん。とりあえず続きは外に出てからということで」

 

 

半ば一方的に会話を中断するネバギア。どうしたのかとモモンガがネバギアの視線の先を窺うとそこには入り口から注ぐ日光を避けるように日陰に佇む人影が幾つか存在していた。

その正体は当然、人間ではない。

枯れ枝のような腕の先には鋭い爪。空虚な眼窩は真紅に染まり、悲鳴のような唸り声を漏らす口からはこれまた鋭い犬歯が覗いている。

下位吸血鬼(レッサーヴァンパイア)。シャルティア配下のアンデッドの一種で、ナザリックにおける浅い階層に常駐しているモンスターである。

流石に素の自分たちの会話を聞かれるのはまずいだろうという考えに至ったモモンガも無言で頷き、怪物たちの間を横切る――本来なら何者よりも大事で守るべき存在である主人たちが供回りも連れずに外に出ようとすることを見過ごすべきではないのだろうが、低位の存在である彼らにはそこまで思考する力がないのかただ頭を下げて主人たちが外へ出るのを見送ることしかしない。

 

 

『おお……』

 

 

霊廟を出た二人は思わず声を漏らす。

そこには二人が感嘆の声を漏らさずにはいられない光景が広がっていた。

墓地の下生えは短く刈り込まれ、さっぱりとした印象を見るものに与える。しかし一方で巨木がその枝を垂らし、その影が陰鬱な雰囲気を醸し出していた。そして下生えの印象を崩すかのように白い石材で作られた墓石が乱雑に並べられている。

更にはまるで芸術品のような天使や女神の彫刻も点在しており、墓地の雰囲気をより混沌めいたものにしていた。

ようやくナザリックの地表に到着した二人は世界を見渡す。

空を見上げれば今まで見たことがない美しく澄んだ青空がどこまでも広がっている。その天空を泳ぐ雲は汚染された大気で薄汚れたりしておらず、まるで純白の羽毛が浮かんでいるかのようだ。

 

 

「こんなに綺麗な空は初めて見ました……ブルー・プラネットさんが見たら喜ぶでしょうね」

 

「同感です。こんなに綺麗な空気なら、人工肺なんていらないでしょうね」

 

 

自分たちが見てきた空を思い出し、改めて頭上に広がる青空の美しさを再認識する。

現実の世界は勿論の事、ユグドラシルの世界でも自分たちの拠点であるナザリック地下大墳墓が存在していたワールド、ヘルヘイムは常闇と冷気の世界で空は暗雲が立ち込めていた。だが、今自分たちの頭上に広がる空はそんなものとはまるで比べ物にならない。

一分ほど無限に広がる晴天を眺めた後、二人はようやく本来の目的である廃村に向かう事に意識を向けた。

移動の方法については既に決まっている。ユグドラシルにいた頃でも利用していた方法だった。

ネバギアが頭の中でアルゲースのとある形態を思い浮かべ、体を軽く捻る。

すると機体は駆動音をたてて素早く変形し、一瞬でアンフィティアトルムで見せた飛行形態へと姿を変えた。

この形態は特徴の一つとして、その機体の上に一人だけ乗せて飛行することができるというものがあった。飛行魔法よりも遥かに素早く空を飛ぶことができるその方法は、利便性の面と戦闘機の上に乗って大空を飛ぶという浪漫溢れる面からギルドメンバーから非常に人気だった。メンバーの一人が「まるでアトラクションだ」と笑っていたのがとても懐かしい。

 

 

「さあ、モモンガさん。どうぞ」

 

「ありがとうございます。それでは……」

 

 

モモンガは軽く跳び上がり飛行形態のネバギアの上に乗る。

足場こそあるが、その足が固定されるわけでもない、本当にただ上に乗っているだけの状態ではあるが不思議とバランスを崩す感覚はない。まるで見えない不思議な力で体を支えられているかのように、モモンガは危なげなくネバギアの上に立っていた。

 

 

「少し揺らしますよ」

 

 

ネバギアが一言断りを入れた後に、機体を右に左にと何度か傾けた。

しかし、モモンガはそれによって振り落とされる事もなく、機体に合わせるように体が左右に傾く。

 

 

「ここら辺もまるでゲームみたいですね。流石に真下に向けられたら堕ちちゃうと思いますけど……」

 

「落とす心配がないのはこちらとしてはありがたいですけどね。気兼ねなく遊覧飛行にお連れすることができますから」

 

 

モモンガの言葉にネバギアが朗らかな口調で返す。

確かに上に乗る人物を落とさないように飛行するとなれば彼の神経は急速に擦り減る事になるだろう。気負うことなく、以前のように誰かを乗せて飛べるのはネバギアにとっても非常にありがたかった。

 

 

「ああ、そうだ。モモンガさん、念のため不可知化の魔法を使用してもらっていいですか?」

 

「了解です―― <集団標的(マス・ターゲティング)完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)>」

 

 

ネバギアの依頼を受け、モモンガは最高位の不可知化魔法を発動する。

これを使用すれば音や気配、そして体温、果てには足跡や振動さえも隠蔽することができる。

未だに未知が多い世界において、外に出る際に探知への対策を行うのは当然、というのが二人の認識だった。

 

 

「では、行きましょうか」

 

 

モモンガだけでなく自分にもしっかりと不可知化の魔法が作用していることを確認すると、ふわりとネバギアの機体が浮き上がって高度を上昇させる。

どんどん高度が上がっても、やはり落ちてしまいそうな不安定さはない。

なのに、心地良く全身を撫でる風は感じることができる。現実ともゲームとも言い切れないこの世界特有の感覚に、二人は少し困惑しながらも、今まで見たことも体験したこともない空中飛行に興じることに意識を向けた。

 

 

「では、出発します」

 

「はい、お願いしますっ」

 

 

ネバギアの声にモモンガが返答する。

その短いやり取りの直後、機体は空中でグルリと方向を変え、そして――一気に空を駆けた。

紫とも青とも表現できそうな炎をバーニアから噴き出して空を飛び、機体で空気を切り裂いていく。

 

 

「おおっ!」

 

 

物凄いスピードで空を飛ぶ感覚にモモンガは楽しげに声を上げる。

本来なら物理法則に則ってこの白骨の体に相当な負荷がかかるのかもしれないが、彼が感じるのは己の体で空気が裂けていく心地良い感覚だけだった。

猛スピードで天空を駆けていることを教えるように体に吹きかかる突風は、ユグドラシルの時代でも味わえなかった快感だ。

 

 

「ははっ! あははっ! ネバギアさん、最高です! これ最高ですよ!」

 

 

まるで子供のように笑い声を上げ、死の支配者たるその身を広げて全身で風を受ける。

普段は頭蓋骨を覆っているフードの部分も、飛行によって生じる風で捲り上げられ、豪奢なローブは風でバタバタとはためくが、それさえも今のモモンガには楽しく感じられた。

 

 

「フフッ、それはなによりっ」

 

 

対するネバギアも、モモンガが心の底から今の状況を楽しんでくれていることに喜びを覚えていた。

これまで自分たちの宝と思い出を守り続けてくれていた心優しいギルドマスターに少しでも恩返しがしたい。ネバギアの心にあるのはそれだけだった。

 

 

「本当に、本当に綺麗だ――」

 

 

モモンガは世界を見渡す。

空を見上げれば清々しい青と美しい白が、大地を見下ろせば温かく優しい草木の緑が広がっている。

現実の世界では失われて久しい大自然。雄大な世界が果てしなく続いていた。

そんな世界を眺める彼の胸中に一つの思いが生まれる。

 

 

(この世界にずっと居たい)

 

 

自分の宝であるナザリックが、アインズ・ウール・ゴウンが存在するこの世界に。

夢にも見ることができなかった、壮大で美しい大自然と青空が広がるこの世界に。

現実の世界では手に入れられないものが全て揃っている素晴らしい最高の世界に。

 

 

(でも、それは駄目だ。少なくとも帰る手段を見つけないという選択肢は、ない)

 

 

モモンガは視線を足元へと落とす。

そこには自分を乗せて空を飛ぶ漆黒の戦闘機。自分を運んでくれている彼のことを考えると、やはり帰る手段は探さなければ、とモモンガは胸の内で呟いた。

 

 

「そういえばモモンガさん、さっきの話の続きですけど――」

 

 

モモンガの足元、飛行形態となって彼を運ぶ戦闘機から声がかかる。

その言葉にはっと思考を戻したモモンガは視線を下に向けた。

 

 

「そうでした! すっかり忘れるところでしたよっ、なんでアルベドにあんなこと言ったんですか!?」

 

「何か問題ありました?」

 

 

焦りの色が混ざったモモンガの言葉にネバギアは先程と一字一句同じの返しをする。

とぼけるような口調で――実際彼はとぼけているのだろう、とモモンガは考えている――そう言うネバギアに対して、モモンガは先程よりも強い口調で返した。

 

 

「問題ありますよ!」

 

「具体的にどんな?」

 

「そ、それは……」

 

 

まさかの質問返しにモモンガは言葉に詰まる。

その反応が応えだ、と言わんばかりにネバギアは声色に笑みを含んで語り掛けた。

 

 

「確かに私がアルベドに言ったのは方便だったのかもしれません。モモンガさんの心の内を私が知るはずないですから……でも、私は嘘を言ったつもりはありません。その証拠にモモンガさんはアルベドの事を大事にしているし、信頼もしている……違いますか?」

 

「うっ……」

 

 

モモンガは思わずたじろぐ。

ネバギアの言葉は確かに正しい。アルベドのことは大事に思っているし信頼もしている。

しかしそれを言葉にするのも、誰かに指摘されるのも照れ臭く感じてしまうのだ。

故にモモンガはその言葉に対する返事はせず、話題を変えるように「でも」と反論する。

 

 

「帰った後にアルベドになんて言ったらいいんですか! 俺は女性と付き合った経験なんてないし、上手い返し方なんて分からないですよ!」

 

「別に上手く返す必要ないじゃないですか」

 

「え?」

 

 

予想外の返答にモモンガは呆気に取られる。

 

 

「上手く返す必要なんてないんです。確かに言葉を選ぶ必要はあります。でも選ぶのは言葉だけで、本心は取り繕わずに伝えたらいいんですよ。妻への日々の挨拶と感謝、それから本音を伝えるのは大事ですよ。いや本当に」

 

「ネバギアさん……」

 

「――大丈夫、心配しなくてもお二人はお似合いのカップルですから」

 

 

穏やかな、そして優しい声色でネバギアはモモンガを励ます。

その後に「いや、伴侶なんだから夫婦か」と一人で自分の発言にツッコミを入れて笑う友人に、モモンガは再び助けられた気がした。

心のうちで感謝の言葉を言いながらも、言い包められたと共に妻帯者としての余裕を見せつけられた気がしたモモンガは右手に握るスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンのレプリカの杖先で軽くネバギアの背をカンカンと軽く衝く。

 

 

「……もしもの時はちゃんと助けてくださいよ?」

 

「フフッ、了解です。なんなら、色々相談にも乗りますよ」

 

 

モモンガの照れ隠しを甘んじて受けながらネバギアは笑う。

そして、二人は再び遊覧飛行に興じた。

 

 

「あそこに見えるのが先程報告にあった城壁の都市でしょうか? 遠目から見てもかなり多く感じますね」

 

「その近くに広く霧掛かっている平野がありますから、間違いないでしょう。やはり、ここはユグドラシルの世界ではなさそうですね」

 

 

防壁に囲まれた都市と霧に覆われた平野を遠目に眺めながら、二人は己の知識を元にこの地が自分たちの記憶に当てはまらない、すなわちユグドラシルの世界ではないことを再認識する――都市に向かってゆっくりと移動する一団も確認できた。その一団は人間だけで構成されており、異形の姿は確認できない――。

 

 

「あちらにある山脈、そしてその端を囲むような森林。なんだか冒険心を擽られますね」

 

「ああいう場所にはモンスターがいるのが相場ですからね。ユグドラシルプレイヤーとして、その探究心は当然でしょう」

 

 

反対側に望む雄大な山脈と木々が生い茂る大森林に二人は冒険心を刺激された。ユグドラシルにいた頃は仲間たちと多くのフィールドを散策したものだ。あの楽しいひと時を思い出すと、またそれを味わいたいという欲求が湧き起こる。

そうして世界の一端を眺めて冒険者としての血を沸かせながら、二人はようやく目的地と思われる廃村を目視するまで接近した。

 

 

「あれですかね」

 

「恐らく。しかし、これは……」

 

 

酷い。その一言に尽きる。

上空から見下ろすだけでも蹂躙の爪痕がはっきりと見てとれた。

 

 

「……モモンガさん、とりあえず下りましょう」

 

「……ええ」

 

 

僅かに不快な気分を覚えながら、二人は短く言葉を交わす。

そして、モモンガはネバギアの背から飛び降りた。ローブをはためかせながら、重力に従い勢いよく落下していく。

そして今にも地面に激突しそうなところで飛行魔法を発動し、ふわりと危なげなく着地した。

一方ネバギアはモモンガが着地したのを見届けた後に空中で変形すると、先程のモモンガ同様勢いよく落下する。彼は途中で浮遊するようなことはなく、力強く大地へと降り立った。その巨体の重さと落下の速さを示すように轟音と共に地面が揺れ、彼の足元を中心に蜘蛛の巣状のひび割れが起きている。

 

 

『……』

 

 

二人は無言で辺りを見渡しながら、ゆっくりと廃村の中を歩いていく。

ほとんど燃え尽き、灰と木炭の塊と成り果てた家屋。僅かに形を残している家々も窓や扉が破壊され、そこから中の様子が窺えるが酷く荒らされているのが分かる。

そしてどの方向を向いても夥しい血の跡が視界に映る。屋内では床や壁、そして家具が。屋外では地面が赤黒く染められており、どれだけの量の血が流されたのかが一目瞭然だった。

そして村の一端は墓地が設けられており、急ごしらえの墓が幾つも作られている。

廃村の状態をじっくりと観察し終えた後、それまで沈黙を守っていたネバギアが存在しない口を開いた。

 

 

「……村が襲われたのはつい最近。そして村人は全滅したわけではないようですが、残った人々は村を捨てて出て行ったようですね」

 

「何故そう言えるんです?」

 

 

モモンガがそのような推測に至った理由を尋ねる。

ネバギアは燃え尽きている家屋の成れの果てを指差した。

 

 

「まず焼けた家々の状態です。ほとんど焼け落ちていますが、灰や木炭は状態が新しく、そして火が燻って煙が出ています。つまりこれらが燃やされてから日が浅いと考えられます」

 

 

次に、と今度は全滅を否定するに至った理由を語る。

 

 

「全滅していない理由は、墓地に作られた墓の状態から説明できます。いくつかの墓は土が新しく、最近土を掘って作られたことがわかります。そしてそれは埋葬された者と埋葬した者がいたということです」

 

 

もし村人が全滅していたら、死体を埋葬する者がいないはず。

村人は全滅し、その後に訪れた第三者が殺された村人たちを埋葬したという可能性もなくはないが、新しく作られた墓の数の多さとそれに伴う手間を考えると、やはり生き残った村人たちが行ったと考える方が自然だった。

ネバギアの理路整然とした推理に、モモンガは「なるほど」と顎に手を当てながら頷く。

そんなモモンガを他所にネバギアは完全に焼け落ちている家屋の前まで移動すると、片手を家だったものへと片手をかざした。

 

 

「<完全修復(フルリペア)>」

 

 

ネバギアの魔法を受けた炭と灰の塊が淡い光を帯び、その光が一瞬強まると元の家屋へと姿を変えた。

完全修復(フルリペア)。第一位階魔法の一つである修復魔法の上位互換である。本来これは壊れた物を直すだけの補助魔法なのだが、ただの修復(リペア)と違って耐久値の低下が発生せず、ドローンを武器とするプレイヤーにとっては必要不可欠と言える魔法の一種でもある――ドローンを武器にすることができる職業(クラス)にはこの魔法を習得できるものも存在する――。

その魔法によって元通りになった家の中へと、ネバギアは入っていく。モモンガは首を捻りながらもそれに続いた。

ネバギアは鋼鉄の巨体を屈めながら中を見渡し、棚に並べられた数冊の本のうちの一冊を手に取り中を開く。

 

 

「……モモンガさん、これ読めますか?」

 

「どれどれ……」

 

 

大きな黒鉄の手で開かれた本――持ち手のせいで酷く小さく見える――を横から覗き込む。

その内容はファンタジー風、といった印象を受ける記号のような文字の羅列だった。モモンガの記憶にそんな文字は覚えがない。

 

 

「……読めませんね」

 

「やはりですか。つまりこれは我々の知らない文字。そして文字が違うということは、言葉も違うという可能性も否定できません」

 

 

ネバギアの予測を聞いたモモンガの顔は、もし表情が作れるのだとしたら今後予想できる問題に歪んでいたことだろう。

文字や言葉はコミュニケーションに欠かせない。それが通用しないというのは非常に厄介だ。下手をすればそれによって生じた擦れ違いから警戒心や敵対心を持つ者がこの世界にいる可能性もある。少なくとも円滑な交流は難しいだろう。

ユグドラシルの世界に文字読解の魔法は存在していたが、アイテム等で簡単に代用できるためその優先度は非常に低く、モモンガもその魔法は習得していない。

異世界に転移するなどという可能性を日頃から考えるわけがないのだが、こんなことになるならばと思わずにはいられない。

 

 

「<解読(デコーディング)>」

 

 

内心で頭を抱えるモモンガの隣でネバギアが一つの魔法を発動する。

アルゲースの一つ目が僅かに輝いたかと思うと、ネバギアは手にしていた本のページをパラパラと捲っていった。

 

 

「……なるほど。この本は童話の類のようですね」

 

「え、ネバギアさんってその系統の魔法使えるんですか?」

 

 

はっきり言って使用する価値の低い魔法を習得していたことにモモンガは驚く。

モモンガの視線を受けながら本を閉じたネバギアは「ええ」と頷いた。

 

 

「以前にも言いましたけど、私も結構ロールプレイが好きなんです。その一環でいくつか習得したんです。ほら、ロボットとかが文字の解読とかデータの解析とかするのって格好いいじゃないですか」

 

「なるほど、確かに!」

 

 

自身もロールプレイの一環として雰囲気を重視していたモモンガにとってネバギアの気持ちはよく分かる。

プレイヤーとして雰囲気を重視したビルド構成も、ロボットの浪漫溢れる要素も、モモンガを首を縦に揺らすには十分すぎた。

しかも、そのおかげで彼は今非常に助かっている。本当にネバギア様様、というやつである。

そこまで思考が働いた時点で、自分もそれに協力できるアイテムを持っていることをモモンガは思い出した。

 

 

「そういえば、文字の解読を可能にする片眼鏡(モノクル)型のアイテムを持ってました。それを使えば魔法を使用しなくてもこの文字が読めるようになるかもしれません」

 

「素晴らしい。書物を幾つか持ち帰ってナザリックで試してみましょう。解読ができるならこの世界の情報も少し手に入れやすいかもしれませんし」

 

 

ネバギアは虚空に開いた暗い穴へと書物を次々に放り込んでいく――アイテムボックスが使用できるのは一日目で確認済みである――。

先程確認したものは童話だったが、他のものにはこの世界の歴史や情勢などについて詳しくすることができるものがあるかもしれない。

少しでも多く情報を得られることに期待しながら、そして焼け落ちた家を修復し、その中を物色して勝手に物を持っていこうとする自分たちの行為に僅かな罪悪感を覚えながら本を次々に仕舞い込んだ。

そうして家の中のものを物色し終えたら、モモンガの魔法で再び家を焼き、別の家を修復しては中を物色するという行為を繰り返す。

 

 

『……』

 

 

これって完全に泥棒だよな。

今更ながらそれぞれがそんなことを心のうちで呟きながら。

そうやって行われた作業を終え、粗方書物の採収を終えた頃には、日が傾きつつあった。

夕焼けが景色を赤く染め、そして黒い影を落とす。

傾いていく陽光に照らされながら、二人は墓地に佇んでいた。

ナザリックに帰還する前にもう一度墓地に寄りたいというネバギアの希望によるものである。

 

 

「…………」

 

 

ネバギアは無言で墓の一つを静かに見下ろす。

いったいどうしたのか、とモモンガは怪訝な様子でそれを見守り続けた。

 

 

「モモンガさん。あなたは、これ(・・)を見て何か思うものはありますか?」

 

 

ふいに、ネバギアが視線を動かすことなくモモンガへと尋ねる。

その真意を測りかねるモモンガは首を傾げながらも、特に何か考えることもなく感じたままに返答した。

 

 

「いえ、特には。結構大勢死んだんだな、としか……」

 

 

そこまで言ってモモンガは自分の異常(・・)に気付く。

今の自分は人間が死んだという証拠を目の前にしているのに、それを淡々と受け入れている。

思い返せば、村を上空から見下ろした時に目の当たりにした蹂躙の爪痕にも僅かな不快感を覚えただけだった。

凄惨な光景に対して、死んでいった者たちへの憐憫も、その者たちを襲った存在への憤怒も、なにも感じない。

まるで動物や昆虫たちが同種族と争っているような、自分たちとは違う生き物同士の争い(・・・・・・・・・・・・・・・・)を見ただけという感想しか湧かなかった。

自分は体だけでなく心まで人間ではなくなってしまったのだろうか。

モモンガは自分に起きている変化に戸惑う。

 

 

「モモンガさんもですか」

 

「も、って……ネバギアさんも?」

 

 

モモンガの見上げるような視線を受けて、ネバギアはゆっくりと頷く。

 

 

「モモンガさんも私も精神作用の系統が一切発揮されない種族です。だからこそ、この村で見てきたような光景を前にしてもなにも感じなかったのかもしれません」

 

「……私たちは異形の体になってしまったことで、人間を同族と認識できなくなっているんでしょうか?」

 

「わかりません。少なくとも、この体を得たことで心もそれに近いものに変化しているのは確かだと思います」

 

 

しかし、とネバギアは墓標眺めながら続けた。

 

 

「だからといって我々はそれを良しとするべきではないと、私は考えています」

 

「え?」

 

「我々は確かに人外の体と力を手に入れました。以前は仮想世界の中でしか行使できなかった仮初のものを、現実に振るうことができる。私たちは間違いなく強大な力を手に入れたと言えます。ですが、それと引き換えに人間の心を捨てる必要はありません。いえ、捨てるべきではないんです」

 

 

語るネバギアの声色は静かで、しかしハッキリとモモンガの耳に届く。

 

 

「もしかしたら、今後我々は誰かと戦わなければいけない時があるかもしれない。その果てに誰かの命を奪うことになるかもしれない」

 

 

ネバギアの言葉にモモンガは静かにその状況を思い描く。

確かにこの世界は未知に溢れ、敵対する勢力の存在も十分考えられる。そしてそれは、戦闘に陥る可能性があることにも繋がる。

そうなれば当然命のやり取りをすることもあるだろう。自分の命を奪われることも、逆に相手の命を奪い取ることもあるだろう。

そう考えて、やはりモモンガは自分の内心でそれに対する恐怖が湧かないことに気付いた。

 

 

「……仮に誰かの命を奪っても、私たちは平静でいられるんでしょうね」

 

 

モモンガは白骨の拳を軽く握る。

人の命を奪うことができるかもしれない力を秘めた体と、そこに躊躇いを感じない心。

自分は化物になったのだと改めて思い知らされるような気分だった。

 

 

「きっとそうでしょうね。ですが、だからこそ我々は人の心を維持し、人間だった頃の自分を保つ努力をしなければいけません」

 

 

ネバギアもモモンガと同じように黒鉄の拳を握る。しかし、その拳を握るために込められた力はとても強かった。

静かな決意の声が墓標に向かって零される。

 

 

「誰かの命を奪う時、その業の重みを理解し、それを背負う覚悟を以って臨まなければいけません。誰かの命が奪われた時、それに憤り、それを悼まなければいけません」

 

 

それはまるで、物を言わぬ墓標に自分の宣誓を聞かせているかのようだった。

しかし、その言葉には不安の色があるようにモモンガは感じられた。

異形の存在となってしまった自分が、それをどこまで守ることが出来るのだろうという大きな不安。

だがその不安は仕方がないことである。現に自分たちの心は人間だった頃のそれから変化してしまっているのだから。

自分にもそれは当てはまることを理解しながら、モモンガはネバギアに呼びかける。

 

 

「ネバギアさん」

 

「……はい」

 

 

モモンガが自分に呼びかけた意味を彼の動作から理解したネバギアは一つ頷き、一緒に墓標へと向き直る。

そして、共に無言で合掌してそれを拝んだ。

夕焼けとそれによって生じる影が、墓地を赤と黒で染め上げる。

そこに立つ不死者の王と単眼の機械兵器が揃って死者を追悼しているその光景は、もし誰かが見ていたとしたら不可思議な印象を与えただろう。

 

 

「…………」

 

 

しかし、そんなことは構わずに二人は静かに哀悼の気持ちを向けた。

死んでいった者たちが少しでも安らかに眠ることができるように。そう思って。

自分たちの不安など無視して、ただ死者たちの安息を願った。

そんな彼らは間違いなく人間だった。例え姿は怪物でも、例えそれがこの場限りのものでも。

そうして数分の黙祷を捧げた後、どちらからともなく合わせていた手を下ろす。

 

 

「……帰りましょうか」

 

「……そうですね」

 

 

踵を返して墓地へと背を向けると、モモンガは片手を前にかざして魔法を発動する。

 

 

「<転移門(ゲート)>」

 

 

空間が歪み、楕円形状の漆黒の空間が生成された。

ユグドラシルでも何度も使用していた転移魔法である。この中に入ればその先は慣れ親しんだナザリックだ。

モモンガとネバギアは無言で<転移門(ゲート)>の中へと入っていく。立ち止まることもなく、振り返ることもなく。

二人の姿が完全に異空間の中に姿を消した後、その漆黒の門は一瞬で姿を消した。

そして再び廃村に静寂が訪れる。

ただこの世界の無情さをまざまざと見せつける跡地に、夕闇の肌寒い風が一陣吹いた。

風の音はまるで人の呻き声のような音を奏でる。その音が自分たちを殺した者たちへの怨嗟なのか、それとも自分たちの死を悼んでくれた者たちへの感謝なのか。それを判断してくれる者はいなかった。

 

 

 

 

 

.




異形の存在となってしまったことに対する戸惑いを感じたり、それを理解した上で自分たちはどうするのかという決意や不安などについて色々考えるだろうなと思いました。
原作よりは人間寄りな行動を取ることが多くなるとは思いますが、やはり異業種の体に精神が引っ張られてるところはあるので時折非情になったり、冷徹に割り切ったりとかもするでしょう。
それより、今回夜空を拝んでもらうつもりだったのに中々進まない……もっとテンポよく話を進める才能が欲しい。


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第5話『夜の誓い』

600名を超える方々にお気に入り登録を頂けました。この場を借りて、感謝申し上げます。
お気に入り登録してくださった皆様、本当にありがとうございます。
これからも皆様に楽しんで頂けるように頑張っていきたいと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。


転移門(ゲート)>を通じて廃村から帰還したモモンガとネバギア。

暗い亜空間を通ってナザリックの出入り口である地表部に戻った二人を出迎える影が一つあった。

 

 

「お帰りなさいませ、モモンガ様。ネバギア様」

 

 

その影の正体は美しく恭しい所作と穏やかな微笑み、そして僅かに棘のある声色で二人の主君を出迎えた。

微笑を浮かべるその顔には、皺と彫りの深さによるものとは別の影が差しているようにも見える。

 

 

「う、うむ。出迎えご苦労、セバス」

 

 

どこか威圧感のある笑みを浮かべる執事に、モモンガは言葉を詰まらせながらも支配者然とした振る舞いで労う。

モモンガの一歩後ろで彼の反応を見たネバギアは、冷静に己の小さな動揺を鎮めた後に続けるようにセバスに尋ねた。

 

 

「……それで、我々に何か用か?」

 

「用と言うほどのことでは……ただ、供を連れずに(・・・・・・)外出された御二人のお戻りをお待ちしていただけでございます」

 

 

ネバギアの問いに、セバスは笑みを浮かべたまま腰を更に折り曲げる。

しかし、その言葉には先程以上の大きな棘が含まれていた。

やはり供無しの行動を取ったことはセバスとしても看過できなかったらしい。

『不用意な外出は厳に慎んでいただきたい』。そんな彼の心の声が聞こえてくるかのようだ。

 

 

(うわ~、これ絶対怒ってるやつだよ~!)

 

 

モモンガはもし自分が生身であれば冷や汗を流していただろう、と考える。

モモンガにとっては恩人とも言えるギルドメンバー、たっち・みーが作ったNPC。それが目の前にいるセバスだ。

NPCは創造主に似るのか、怒らせると怖いところまで似ている。

そんなところまで似なくてもいいのに、とモモンガは内心で呟きながら、なんとか己を奮い立たせて言葉を返した。

 

 

「気苦労をかけたようだな、セバス。すまなかった。だが、我々もなんの準備や対策もなく行動したわけではない、案ずるな」

 

「それについてはアルベドより報告を受けております。至高の御方々である御二人であれば万に一つも抜かりはないのでございましょう」

 

 

「ですが」とセバスは続ける――モモンガにはその時、セバスの目が鋭く光ったように見えた。

 

 

「未だこの地は未知の部分が多く、安全とは言い切れません。どうか、ご自重くださいませ」

 

「う、うむ……」

 

 

セバスの言葉にモモンガは歯切れ悪く返答する。

家臣としての礼は保っているが、これではどちらが上か分かったものではない。

少なくとも今のモモンガに支配者としての威厳はまるで感じられなかった。

二人のやり取りを後ろで見ていたネバギアは内心で溜息をこぼしながら会話に入る。

 

 

「セバス、お前の言い分は理解できる。だが、この原因不明の緊急事態に我々がただ座しているわけにはいかないだろう」

 

「しかし、ネバギア様……」

 

「その辺にしたらどうかしら? セバス」

 

 

尚も苦言を呈そうとするセバスの背に、それを諫める声が投げかけられる。

一同がその方向に視線を向けるとそこにはアルベドがいた。優雅に歩く彼女の後ろにはマーレと三匹の悪魔を引き連れたデミウルゴスがいる。

アルベドとデミウルゴス、そしてマーレはセバスの隣に並び立つと、片膝を落とした。

守護者たちの後ろには三種の魔物たちが彼らと同じように跪いている。

 

 

「モモンガ様、ネバギア様、お帰りなさいませ」

 

 

皆を代表して、アルベドが出迎えの言葉を述べる。

先程のセバスとは違う棘の無い声色に、モモンガとネバギアは内心で安堵しながらもそれを感じさせないように鷹揚に頷いた。

 

 

「うむ、ご苦労」

 

「ところでお前たちは何故地表部に?」

 

 

自分たちを出迎えるためであれば、セバスと同じように最初から地表部にいたはずだろう。なのに遅れて姿を現したアルベドたちには違う理由があると考えたネバギアはそれを本人たちに尋ねた。

質問を投げかけられた僕たちは跪いたまま主人たちに報告する。

 

 

「このナザリック地下大墳墓の出入り口の警備を強化するためにデミウルゴスと僕の配置について思案しておりました。予断を許さぬ現状では今までのような下級アンデッドだけでは万全とは言えませんから」

 

「ぼ、僕は御命令通りにナザリックを隠している途中でした」

 

 

アルベドとマーレの回答にモモンガは「なるほど」と納得すると、彼女たちの背後にいる三体の悪魔たちへと視線を移した。

鱗に覆われた肉体。恐ろしい顔つきの口に鋭い牙を、剛腕にはこれまた鋭い爪を備え、蛇のように長い尻尾と燃え上がる翼を持った実に悪魔らしいモンスター。憤怒の魔将(イビルロード・ラース)

もう一体は黒い革で出来たボンテージファッションに身を包んだ女体と黒いカラスの頭を持つモンスター。嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)

最後の一体は黒い蝙蝠の翼とこめかみから伸びる二本の角、そして永久に満たされる事のない欲望に目を輝かせるモンスター。強欲の魔将(イビルロード・グリード)

この三種のモンスターたちは全員がレベル八十台で、本来ならばデミウルゴスが担当する第七階層、それも第八階層へと続く門が設置され、同時にデミウルゴスの住居でもある赤熱神殿で重要警護要員を務め上げる、いわばデミウルゴスの親衛隊だ。

そんな彼らをナザリックの玄関とも呼べるこの場所に配置するのは、侵入者の実力をある程度判断する為にも有効だろうとモモンガたちは考える。

ユグドラシルの世界ではレベル差が十もあればその時点でほぼ勝敗が決してしまっていた。無論、この世界でその法則が当てはまるかは断言できないが、仮に侵入者が現れ、その者たちが彼らを倒した場合、八十レベルの魔物を倒せるだけの実力はあるという証明になる。勿論彼らが討たれることを望むわけではないが、彼らが討たれることによって生じる情報の価値は高いと言えるだろう。

 

 

憤怒の魔将(イビルロード・ラース)嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)、そして強欲の魔将(イビルロード・グリード)よ。ナザリックの門を守るという事はお前たちが考える以上に重要な役割を担っている。それをしかと胸に刻み、励むがよい」

 

『はっ!』

 

 

モモンガの言葉に対し、三魔将は力強く返礼する。

彼らの耳には偉大なる至高の存在から賜った激励の言葉がはっきりと残っている。その言葉を決して忘れるまいと記憶に刻み付けながら、悪魔たちは身体に力を漲らせた。

その様子を見て満足気に頷いたモモンガは、自分の中で勢いに乗った支配者ロールを維持したままセバスへと視線を向ける。

 

 

「――セバスよ」

 

「はっ」

 

「先の忠言、その言葉こそお前の忠誠心の現れだと私は思う。我々が万全の対策を取ればお前たちの不安を拭えると考えていたが、それは私の思い上がりだったようだ。許してくれ」

 

「至高の存在である御身が謝罪など……私こそ、一僕でありながら出過ぎた発言でした、お許しください」

 

 

モモンガの謝罪にセバスはより低く頭を下げる。

その忠臣と呼ぶに相応しい男を見下ろしながら、モモンガは「うむ」とゆっくりと頷いた。

 

 

「私はお前の全てを許そう、セバス・チャン」

 

 

そして私たちの全てを許せ。

慈悲に溢れたモモンガの容赦と命令の言葉に、セバスは己の心を歓喜に震わせながら言葉を返した。

 

 

「……温情、感謝いたします」

 

「うむ。お前たちにも心配をかけてしまったな、すまなかった」

 

 

モモンガはアルベドとデミウルゴス、そしてマーレにも一言詫びを入れた後、彼女たちが発言する前に「だが」と言葉を続ける。

 

 

「今ナザリックの現状を想えばこそ、私たちも行動したいのだ。我らがギルド、アインズ・ウール・ゴウンの全てが詰まったこのナザリック地下大墳墓を、そして私たちやギルドメンバーのために忠義を尽くしてくれるお前たちを守るために。そのことを理解してもらいたい」

 

 

至高の存在の纏め役である偉大なる王の慈愛に満ちた言葉を、アルベドたちは心のうちで歓喜に打ち震えながら静聴する。

無論、至高の存在である彼らの為ならば己の命さえ惜しくはないし、貴き主人の役に立つために命を捨てる覚悟はとうの昔に出来ていた。

しかし、死の超越者である御方はただの僕でしかない自分たちさえ庇護の対象として慈しんでくれている。それが心の内を喜びで支配する。

まるで甘美な毒のような心地良い支配にいつまでも囚われていたい思いをなんとか振り払いながら、ナザリックの知恵者たる悪魔は忠臣として物申した。

 

 

「モモンガ様」

 

「なんだ、デミウルゴス?」

 

「至高の御方々のお力と叡智が我々の想像の遥か上を行かれることは重々承知しております。しかしながら、やはり供を連れずに、というのはお控えいただけないでしょうか?」

 

 

デミウルゴスの隣で片膝を地につけるアルベドも無言でモモンガとネバギアに視線を向ける。

恐らく彼の発言は両者で話し合った上でのものなのだろう、とネバギアは一歩引いた位置で冷静に分析した。

臣下の礼を取ったまま願う彼の言葉には自分たちを案じる思いが込められているように感じられる。

 

 

(しかし、そう簡単にわかったと言えないんだよなぁ……)

 

 

まだ一日半程度しか過ごしていないが、その間中ずっとNPCやモンスターに囲まれて生活することの息苦しさに、ネバギアは内心で大きく溜息を吐く。

自分たちの後ろをぞろぞろとついてくる儀仗兵。行く先々で深々と頭を下げる臣下たち。忠誠を尽くしてくれる彼らには申し訳ないと思うが、その行為がとても重いのだ。

しかも、普段の自分とは違う、ナザリック地下大墳墓を拠点とする至高の存在として演技をし、情けない姿を決して見せないように神経を張り詰めていなければいけない。

片時も心が休まらず、加えて美しい女性たちに囲まれて世話をされることによって生活圏を犯されていると感じる圧迫感。

はっきり言って、元々ただの一般人でしかないモモンガやネバギアにとってそれらは非情に精神的な疲弊を与えていた。

自分たちの種族の特性からか感情の起伏が一定以上激しくなると、それが一転して冷めてしまう。だが逆を返せばそのラインを越えぬ感情の変化は抑えられない。故に、じわじわと二人の精神に負担をかけるようなものには対処のしようがないのだ――そういう意味では廃村の探索やそこに向かうまでの道中は良い気分転換になったと言える――。

どうしたものか、とネバギアは内心で思案する。

 

 

『ネバギアさん、どうしましょう……?』

 

 

ネバギアの頭の中にモモンガの声が届く。

伝言(メッセージ)>の魔法で相談してきた彼の内心も自分と似たようなものだろう、と考えながらネバギアは答えた。

 

 

『正直言って判断が難しいところですね。我々の精神的負担は言うまでもありませんが、それにさえ目をつぶれば我々の安全はより確かなものになります。それに、お供を一切許さないというのは彼らとの関係性に不要な隔たりを作りかねません』

 

『なるほど……うーむ……』

 

 

モモンガは音のない唸り声を漏らす。ネバギアの言っていることは確かに正論だが、目をつぶるべきものがあまりにも大きすぎるのだ。

しかし、安全の確保は重要なのは確かであり、モモンガとしてもNPCたちの間に余計な壁は作りたくない。むしろそういったものは出来る限り取り払いとも考えている。

加えて、自分たちが廃村の調査の際にお供を許さなかったのは完全に自分たちの我儘だったことを考えると、それをずっと押し付け続けるのも気が引けた。

 

 

「至高の御方々の為に忠義を尽くすことこそ私たち僕の存在意義であり本懐。ご迷惑は重々承知しておりますが、何卒この哀れな従僕たちに寛大な御慈悲を賜りますようお願い申し上げます」

 

 

伝言(メッセージ)>を使用した音のない会話によって発生した無言を、自分たちの身勝手な望みに対して機嫌を損ねているのかもしれないと判断したデミウルゴスは、その可能性に恐怖しながらも忠誠心故にそれを撤回することなく嘆願する。

デミウルゴスのその重たすぎるとさえ評価できるその忠義厚い部下の姿に、モモンガは本来の彼が持つ人の良さから了承した。

 

 

「――デミウルゴスよ。お前の願いを聞き届けよう。詳細は後程調整するとして、我々も供回りを連れぬ外出は極力控えよう。ネバギアさんも、それで構わないか?」

 

「ええ、勿論」

 

「おお! 至高なる御身の御慈悲に感謝いたします!」

 

 

自分たちの哀れな望みを聞き入れてくれた主人たちの顔を仰ぎ見たデミウルゴスは再び頭を垂れて感謝の意を示した。

モモンガの返答に感激と安堵を覚えたのは他の者たちも同じようで、デミウルゴスと同じようにモモンガとネバギアを仰ぎ見た後に頭を下げる。

僕たちの反応を余裕たっぷりに見下ろしながら、モモンガは繋いだままの<伝言(メッセージ)>ですぐさまネバギアに詫びた。

 

 

『すみません、ネバギアさん!』

 

『大丈夫ですよ。あんな風に一生懸命お願いされたら聞いてあげたくなる気持ちはわかりますから。それに、先程言わせてもらいましたが安全性を考えるのであればお供を連れるのは良策です。我々の精神的負担に関してはなにかリフレッシュできる方法や妥協案を考えましょう』

 

 

モモンガの謝罪をネバギアは朗らかな笑いで受け止める。

彼の言葉に偽りはない。モモンガに述べた通り、供回りを連れることは安全面を考えれば必要な事だ。なにより、自分たちの事を想って必死に懇願してくる者の言葉を跳ね退けるのが心苦しいのはネバギアも同じだった。

彼の声色から自身を責めるつもりがない事を理解したモモンガは心の中で頭を下げながら礼を述べる。

 

 

『ありがとうございます』

 

『いえいえ。ところで、私からも彼らに少し話をしても構いませんか?』

 

『勿論です』

 

 

進行の役を変わってもらえるよう確認を取った上で、ネバギアは一歩前に出てモモンガの横に並び立ち、ひれ伏す従者たちを見下ろした。

 

 

「さて、話が変わるのだが……私とモモンガさんが探索に向かった廃村で、我々はとある文献を手に入れた」

 

 

モモンガがアイテムボックスの中に腕を突っ込むと、そこから廃村で手に入れた本を四冊取り出して守護者たちへと手渡す。

彼らは片膝をついたまま両手で本を受け取ると、それぞれが本を開いて中身を確認した。

各々が目を滑らせて本の内容を頑張って理解しようとしている(・・・・・・・・・・・・・・)のを察した上で尋ねる。

 

 

「……アルベドよ、お前にはその本の内容が理解できたか?」

 

「……申し訳ありません。愚かで無知な私では全く読み解くことが出来ませんでした」

 

 

アルベドはネバギアの質問に答えられず、己の無知と無能故に至高の存在の期待に応えられない己に歯噛みしながら答えた。

守護者統括の予想通りの返答(・・・・・・・)を聞きながら、今度は他の守護者たちに同様の問いを投げかける。

 

 

「デミウルゴス、セバス、マーレ。お前たちはどうだ? 理解できたか?」

 

「申し訳ありません、ネバギア様」

 

「私にはどのような内容が書いてあるのかわかりませんでした」

 

「ご、ごめんなさい……!」

 

 

それぞれの回答もまた、文面は違えど意味は同じものだった。三人はアルベドと同じように質問に答えられない自分を心の内で責めながら謝罪する。

ネバギアはそれを手で制して謝罪する必要はない事を示すと、笑みを含んだ声色で返した。

 

 

「謝る必要はない。実のところ、我々にも読めなかった。<解析(デコーディング)>の魔法を発動してやっとだ」

 

「至高の御身も知らぬ言語とは……やはり、この世界は……」

 

 

いち早くネバギアの言葉に隠れた真意に気付いたデミウルゴスが本から視線を上げ、ネバギアの赤い単眼(モノアイ)を見つめた。

デミウルゴスの視線に応えるようにネバギアは頷く。

 

 

「そうだ。この世界は我々が居た世界とは違う場所である可能性が非常に高い。そしてこれはモモンガさんとも話したことなのだが、文字が異なるということは言葉も異なる可能性も十分考えられる」

 

「なるほど、確かに……」

 

「我々に今必要なのは情報だ。情報を集め、この世界を知ることが最も重要。故にこの世界の文字と言葉を知る必要がある」

 

「まさに仰る通りかと」

 

 

ネバギアの言葉にデミウルゴスが心からの同意を示すように力強く頷く。彼の横に並ぶアルベドたちも視線で同意を示していた。

部下たちが自分の考えに理解と共感を得てくれていることを理解し、ネバギアは今後の方針の一つとして新たな命令を下す。

 

 

「アルベド、デミウルゴス。大図書館(アッシュールバニパル)のティトゥス・アンナエウス・セクンドゥスを中心とした解読班を編成し、我々が持ち帰った文献の翻訳を行わせろ。もし可能であれば我々がこの世界の文字を学ぶための資料も制作するよう伝えておいてくれ」

 

「畏まりました」

 

 

ネバギアより拝命を賜ったアルベドは胸に手を当てて頷く。

その様子を見てネバギアは「うむ」と頷いた後に続けた。

 

 

「人手が足りなければ私にも声をかけてくれ。手伝おう」

 

「そんな! ネバギア様にそのような雑務を――!」

 

「お前の言いたいことはわかる。だが、先程も言ったようにこの世界の文字と言葉を知ることは重要なのだ」

 

 

アルベドの言葉を遮るように語るネバギアの言い分は尤もと言えた。

異世界の文字と言葉を獲得することはこの世界への足掛かりに大きく貢献する。そしてそれを少しでも早くものにすることがどれだけ重要な事なのか、アルベドもよく理解できていた。

しかし、主人たちに僕と同じような仕事をさせるというのは、最上位NPCである守護者統括として――全ての僕の統括官を任される者として受け入れ難いものがある。

ゆえにアルベドは一拍の呼吸を置いた後に答えた。

 

 

「……御身の手を煩わせることがないよう、努力いたします」

 

 

主人の手を借りなければ雑務もこなせぬような無様を晒すわけにはいかない。

アルベドは後程編成するであろう解読班に粉骨砕身の働きを厳命することを心に決めた。

そんな彼女の胸中を知らぬネバギアは僅かな違和感を感じながらも、それについて言及せず「頼んだぞ」と一言返すだけに留める。

そんなネバギアと守護者たちのやり取りを眺めていたモモンガが、再び守護者たちに呼びかけた。

 

 

「調度良い機会だ。お前たちに与えた任務の進捗状況を聞かせては貰えないか?」

 

 

視線で促すようにデミウルゴスとマーレの顔を交互に見ながらモモンガが尋ねる。

敬愛する王に自らの働きを示す機会を与えられた二人の反応は綺麗に二極していた。

まずは一人、デミウルゴスが常の余裕めいた笑みを更に深めながら報告する。

 

 

「早期警戒網の構築は既に整っております。おおよそ五キロ範囲内に知的生物が侵入した場合は相手に気付かれず即座に発見することが可能となっております」

 

「それは見事だ。だが……それはシモベを動員しての警戒網だな?」

 

「はい、その通りです」

 

「……私の方でも警戒網を作るのに心当たりがある。それを利用してくれ」

 

 

デミウルゴスの肯定を受け、念には念を入れて別の警戒網も作っておいた方が良いのではと考えたモモンガが、警戒網の改良の一助を提案する。

デミウルゴスは隣にいるアルベドへと視線を移し、それに気付いたアルベドが無言で頷いたことを認めた上で再びモモンガへと向き直った。

 

 

「畏まりました。詳細をアルベドと相談した上で組み込ませて頂きます」

 

「うむ。……さて、マーレよ。お前の報告を聞こう」

 

 

モモンガは次に視線をマーレへと向けた。

彼の視線と言葉に、マーレが肩を跳ね上げる。その様子には動揺が簡単に見て取れた。

予想外の反応を見せるマーレを訝しみながら、モモンガはもう一度、今度は少し優しい口調を意識して促す。

 

 

「どうしたのだ、マーレ。お前の成果を聞かせてくれ」

 

「も、申し訳ありません、モモンガ様。さ、作業の方があまり進んでいなくて……」

 

 

まるで親に叱られるのを恐れる子供のように、マーレは涙に潤んだ瞳で上目遣いをしながら報告する。その声はいつも以上におどおどとしており、言葉尻はまるで消え入るようだった。

 

 

「ふむ。どのように作業を進めていたのか教えてくれないか?」

 

「は、はい。スキルやクラススキルを使って範囲を広げた<大地の大波(アース・サージ)>でナザリック地下大墳墓の壁に土を盛りつけています。た、ただ、そのせいで地面が剥き出しになってしまうので、それを隠すために植物を生やしたりしないといけなくて……」

 

「なるほど。そのためお前の負担が大きくなってしまっているというわけか」

 

「も、申し訳ありません」

 

 

マーレは再び頭を下げる。

彼が言っていたことは事実なのだが、聞く者によってはただの言い訳とも捉えられるだろう。

そしてマーレ自身も、アルベドやデミウルゴスと違って確かな成果を上げられていない自分を責めていた。

もっと自分がしっかりしていれば、大事な主人に喜んでもらえるような報告ができたかもしれないのに、と。

そんな少年の胸中を慮りながら、モモンガはまるで落ち込むように下げられた頭を白骨の手でゆっくりと撫でる。

 

 

「これだけ長いナザリックの城壁を覆うのだ、時間は多少かかっても仕方がない。作業中に何者かに発見されては問題だろうが、デミウルゴスたちが構築した警戒網があれば心配も無用だろう。――アルベドよ。アンデッドやゴーレムなど疲労しないシモベにマーレの任務を手伝わせるよう手配するのだ」

 

「畏まりました、モモンガ様」

 

 

主人に頭を撫でられることに歓喜しながらも、結局は彼らの手を煩わせてしまったことにマーレは内心で落ち込む。

 

 

「マーレよ」

 

「は、はい……」

 

「私は、今回の任務をお前に任せてよかったと考えている」

 

 

モモンガの言葉にマーレは思わず顔を上げる。

それほどまでに、自分たちの王の言葉が予想外だったのだ。

 

 

「このような方法で隠蔽工作を行えるのはナザリックにはお前しかいない。加えて、剥き出しになった地面をしっかりと植物で隠しながら行っている。お前の丁寧な働きを私とネバギアさんは高く評価しているのだ」

 

「その通りだ、マーレ。作業の進みが遅いのはお前の負担量を考えれば致し方ない事。むしろそれを考えずお前だけに押し付けてしまっていた我々こそ恥じ入るべきだ、済まなかった」

 

「お、御二人が謝る事なんて……!」

 

 

モモンガとネバギアの言葉にマーレは感謝と申し訳ない気持ちになる。

期待に応えられていない不肖の身である自分を、主人たちは高く評価していると言ってくれたのだ。そして、自分の至らなさを許すばかりでなく、それを助けるためにシモベを動員することを約束してくれた。

 

 

「――モモンガ様とネバギア様のご期待に応えられるように、が、頑張ります!」

 

 

どこまでも優しい主人たちにより一層の忠義と奮起をマーレは誓う。

その思いをしっかりと受け止めたモモンガは支配者らしい余裕たっぷりの動作で頷くと、おもむろにアイテムボックスを開いてその中に腕を突っ込んだ。

 

 

「よいか、マーレ。お前が行っている仕事は非常に重要な事だ。警戒網を作ったとしても、この世界の住人は一般人でもレベル百を超えるという可能性だってある。そんな相手がいた場合、ナザリック地下大墳墓の発見を未然に阻止することが最重要だ」

 

 

アイテムボックスの中を手探りしながら話すモモンガに、コクコクとマーレは頷く。

 

 

「だからこそ、お前の働きに対して私たちがどれだけ期待しているか、そしてお前に任せることで私たちがどれだけ安心感を得ているのか知ってほしい」

 

 

優秀な上司は部下の仕事をちゃんと褒めるもの。それがモモンガが社会人経験から学んだ鉄則の一つだった。

守護者を含むNPCたちはモモンガやネバギアに対して、実態を遥かに超える高評価をしていた。そんな彼らの忠誠心を失わないためにも、モモンガとネバギアはその評価を損なわないよう対応を示さなくてはならない。

ギルドメンバーたちと作ったNPC――自分たちの黄金の記録たちに失望され、失格の烙印を押され、そして裏切られたりしたら……モモンガはそこで思考を振り払う。

意識を切り替えたモモンガはアイテムボックスの中で意中のアイテムを手にしたことを理解すると、その白骨の腕を引き抜いた。手には小さな鳥の羽を模したネックレスが握られている。

 

 

「<飛行(フライ)>の魔法が込められたネックレスだ。これを使って空を飛べば俯瞰的にナザリックの隠蔽工作の状況を自分で見ることが出来るだろう。受け取るがいい」

 

「そ、そんな! 僕たちは至高の御方々に仕える為にいるんです! だ、だから仕事をこなして当然ですし、ましてやまだ仕事をやり遂げてもいないのに受け取る事なんてできません!」

 

 

マーレはブンブンと首を振りながら答えた。

主人から与えられようとしているものを辞退し、拒むその反応をアルベドたちは不敬とは思わない。マーレの言い分も理解できるからである。

自分たちはモモンガたちに忠誠を尽くす存在。故に彼らの為に働くのは当然であり、ましてや十分な働きを示さぬまま褒美を受け取れるわけがなかった。

 

 

「マーレ、先程も言ったがこれはお前の今後の働きに期待して与えるものだ。それともお前は我々の期待に応えるつもりがないということか?」

 

「そ、そんなことはありません! か、必ずご期待に応えてみせます!」

 

「その意気だ、マーレ。だからこそ、お前はこれを受け取る義務があるのだ。今後とも忠義に励め」

 

 

マーレの意気込みにモモンガは優しい笑みを含んだ声色で返すと、マーレの首にネックレスをかけてやる。

彼が元々かけていた銀色のどんぐりのネックレスと合わせて、それは月光の光を受けてキラリと煌めいた。

そのアイテム自体はそこまで高価なものでも価値のあるものでもない。しかし、モモンガによって与えられ、そして至高の存在の手によって首にかけられたことは僕たちにとって非常に特別な価値を付与していた。

 

 

「あ、ありがとうございます、モモンガ様!」

 

 

自分の胸元で輝くネックレスを見ながら、マーレは喜色に彩られた声色で礼を述べた。

その頬には僅かに朱色に染まっており、自分に向けられた嫉妬と殺気の視線にさえ気付いていない――一方、それに気付いたデミウルゴスとセバスは冷や汗を流し、三魔将に至っては己にそれが向けられていないと分かっていても思わず死を覚悟した――。

 

 

「――さて、堅苦しい話はここまでにしよう。モモンガさん、私はもう一度上に行こうと思いますが、モモンガさんもいかがですか?」

 

 

その場の空気を――厳密には今にも暴れ出しそうな守護者統括の気持ちを切り替えるために、ネバギアは自然な振る舞いで提案する。

そうして上を指差した彼の示す方向に続くようにモモンガは思わず空を見上げた。そこには漆黒の夜空に月と無数の星が煌々と輝いている。

 

 

「それは名案だ。是非同行させてもらおう――お前たちもどうだ?」

 

 

モモンガは守護者たちに誘いの言葉をかける。

至高の存在たちが夜の遊覧飛行に興じようとしているのに、まさか同行を誘われると思っていなかった守護者たち。それを代表してアルベドが伺いを立てる。

 

 

「よろしいのでしょうか?」

 

「無論だ。お前たちも供回りがいた方が安心なのだろう? ならば、信頼できるお前たちが供をすれば問題あるまい」

 

 

お前たちが嫌でなければ、だが。

モモンガの最後の言葉に、守護者たちは至高を働かせるまでもなく答えた。

 

 

『是非お供させてください!』

 

「う、うむ」

 

 

まさか守護者たちが揃って一字一句違わずに願い出てきたことにモモンガは一瞬怯んだ。

しかしそれも一瞬。断られることがなくて良かった、と内心で安堵の息を漏らす。

 

 

『モモンガさん、モモンガさん』

 

 

そんなモモンガの脳内にネバギアの声が響く。<伝言(メッセージ)>を使用した呼び掛けにモモンガはすぐに応えた。

 

 

『どうかしましたか?』

 

『モモンガさん、さっきのはちょっと不味いですよ』

 

『え!? 私なにかやっちゃってました!?』

 

 

自分の中では支配者らしく振る舞っていたつもりだったモモンガはまさかの駄目出しに慌てた。

やっぱり空を飛ぶのに守護者たちを誘うのは支配者らしくなかっただろうか。守護者たちを連れて空を飛ぶのは支配者らしいとと思ったのだが。

自分のどこかよくなかったのか、モモンガは大真面目に自己を振り返る。

モモンガの様子から彼が夫として(・・・・)ミスを犯したことに気付いていない事に気付いたネバギアは溜息混じりに窘めた。

 

 

『……妻帯者が妻を差し置いて、しかも妻の目の前で誰かに贈り物をあげてどうするんですか』

 

『あ……』

 

『やっぱり気付いてなかったんですね。モモンガさんがマーレにネックレスを付けてあげてる時、アルベドは凄い顔してましたよ』

 

 

ネバギアの言葉にモモンガはゆっくりと顔をアルベドに向ける。

今の彼女は美しい微笑みを浮かべて自分を見つめている。そんな彼女がネバギアの言うところの『凄い顔』をしていた事を考えると、モモンガは冷や汗が止まらない感覚に陥る。

 

 

『ど、どうしましょう……!?』

 

『どうするもなにも、彼女のショックを帳消しにするくらいのサプライズをするしかないですね』

 

 

狼狽えるモモンガに対するネバギアの態度は冷静そのもの。そんな彼の冷ややかな反応が今のモモンガには恨めしく思える。

しかし、それは逆恨みや八つ当たりの類でしかないと自分に言い聞かせ、唯一この状況を打破するための助言を与えてくれそうな彼にモモンガは縋る思いで求めた。

 

 

『ネバギアさん、助けてください……!』

 

『いいですよ。廃村に行く途中でも約束しましたから』

 

 

モモンガの予想に反して、ネバギアはあっさりと承諾した。

彼の言う廃村に向かう道中の会話を思い返して、モモンガは彼が必要時には助力を約束してくれていたことを思い出す。

今こそ助けを請うべきだとモモンガは自分が何をすればいいのか策を求める。

 

 

『お、俺は一体どうすれば……!』

 

『安心してください。そして、私の作戦をしっかりと聞いていてください』

 

 

ネバギアはモモンガが心を落ち着かせられるように宥めた後、一つ一つ丁寧に作戦を説明していく。

その最中、モモンガは何度も脳内で大声を上げ強制的な沈静化を発動させたが、最終的にはネバギアに押し切られて決行することを了解した。

そして、しっかりと流れを頭に叩き込むと守護者たちへと顔を向ける。

 

 

「――では、行くか」

 

『はっ』

 

 

守護者たちの返事を受け、モモンガは<飛行(フライ)>を発動して上空へと飛び立つ。

その後に続くようにアルベドが漆黒の翼を大きく広げて羽ばたき、姿を半魔形態へと変化させたデミウルゴスと先程ネックレスを与えられたマーレが更に続く。

そして最後に己も形態を変化させようとするセバス。

 

 

「待て、セバス」

 

 

そこにネバギアが待ったをかける。

 

 

「いかがなさいました? ネバギア様」

 

「乗れ」

 

「は?」

 

「私の上に乗れ、セバス」

 

 

飛行形態へと変形したネバギアがセバスを急かす。

しかし、セバスは普段の落ち着いた様子には珍しい、慌てた様子でそれを辞退した。

 

 

「至高の御身たるネバギア様の上に立つなど、そのような事は出来ません……!」

 

「命令だ」

 

「し、しかし……! 如何にネバギア様のご命令と言えども、御身を足蹴になど……!」

 

 

ネバギアの今の姿が、装備品を纏ったものとはいえそれを靴裏で汚すなど到底許されるはずがない。

セバスは頑なに辞退する。例えそれが不敬とされ、処罰されようとも。

そんな忠義厚い執事の様子にネバギアに「やれやれ」とあからさまに呆れた様子を見せた。

 

 

「頑固なところも()譲りだな、セバス」

 

 

彼。ネバギアが言うところの存在が誰を指すのか、セバスはネバギアの言葉の文面からすぐに察した。

 

 

「お前は本当に、たっち・みーさんにそっくりだ」

 

「……ありがたきお言葉」

 

 

セバスは深々と礼をする。彼らNPCにとって創造主であるギルドメンバーに似ているというのは変えがたい褒め言葉だった。

勿論、セバスも例外ではない。敬愛してやまない己の造物主たるたっち・みーに似ていると言われて嬉しくないはずがなかった。

 

 

「では、命令するのは止めよう。私の願いとして、上に乗って欲しい」

 

「で、ですからネバギア様……」

 

「頼む、セバス」

 

 

ネバギアの声色から彼もまた譲るつもりがない事を理解したセバスには、彼の言葉を断ることが出来なかった。

至高の存在が自分に対して頼み込んでいる。それを拒否できるほどセバスは冷たい男ではない。

 

 

「……後程、如何様な罰でもお受けいたします」

 

「罰したりなどするものか。さあ、乗れ」

 

 

朗な口調で言い切るネバギアの言葉を受け、セバスは「失礼いたします」と一言断りを入れて彼の機体へと飛び乗った。

僅かに背中に感じた重みからセバスが乗ったことを理解したネバギアは、その場に残った三魔将へと言葉を向ける。

 

 

「済まないがお前たちは入り口に戻って警戒に当たってくれ。なにか非常事態があればすぐに連絡せよ」

 

「はっ、承知いたしました」

 

「皆様はどうぞ、ごゆるりと」

 

「お気をつけて行ってらっしゃいませ」

 

 

三魔将たちがそれぞれ返答すると、ネバギアは「頼んだぞ」と最後に一言言い置いて飛び立った。

機体を直角にし、真上を向いて上昇するネバギアの背に立つセバスはやはり、危なげはない。

NPCを乗せても問題ない事に密かに安堵しながら、ネバギアは三年以上前の思い出を蘇らせる。

 

 

「懐かしいな。ユグドラシルにいた頃は、こうやってたっち・みーさんを背に乗せて飛び、敵陣に突っ込んだものだ」

 

「そうだったのですか」

 

「ああ。私の飛行能力は小回りこそペロロンチーノさんに譲るが速度に関してはギルド一でな。そんな私がメンバーの一人を乗せて敵に強襲を仕掛けるのは何度やっても爽快だった」

 

 

ギルド内最強であると共にユグドラシルプレイヤーとしても屈指の実力の持ち主だったたっち・みー。そんな彼と共に正面から正々堂々と敵にぶつかって暴れ回ったのをネバギアは思い出す。

 

 

(その時は後で他のメンバーから『張り切りすぎだ』って怒られたっけなぁ)

 

 

二人が頑張りすぎたせいで良い意味で当初の作戦がご破算してしまい、作戦の立案者であるギルドの諸葛孔明ことぷにっと萌えに窘められたことや、ウルベルトが執拗にたっち・みーだけを弄って舌戦に発展したことまで思い出し、思わず苦笑が零れる。

そんな思い出もネバギアにとってはかけがえのない宝物だ。輝かしい思い出が詰まったナザリックを、ギルドメンバーたちが心血を注いで作り上げたNPCたちを守りたい。ネバギアは再びその思いを胸に刻む。

 

 

「……セバス」

 

「はっ、なんでございましょう?」

 

「私は……嫌、私たちはお前たちの事を大切に思っている。お前たちは言うなれば、ギルドメンバーたちの子供だ。仲間たちに託されたお前たちが大好きだし、そんなお前たちと共に暮らすナザリックを守りたいと思う」

 

 

セバスはネバギアの言葉を黙して聴く。

急上昇することで風を切る音が騒がしいが、それが気にならないほど彼は主人の言葉に聞き入っていた。

 

 

「そのために我々は無茶をすることもあるだろう。冷酷に、苛烈に振る舞うこともあるだろう。そんな時、お前はどうする? 我々の事をどう思う?」

 

「無論、御意のままにお供いたします」

 

 

ネバギアの問いにセバスは即答する。

その迷いのない言葉が、彼の本心を現していた。

 

 

「ネバギア様やモモンガ様が私たちのことをそこまで大切に想って下さっていることは望外の喜び。御方々の慈悲深き御心の内を教えていただき、感謝の言葉もございません。そんな御二人が我々のことを想ってくださった上で何かを実行されるのであれば、我々はどこまでも着いて行きます」

 

                                                   それがナザリックの僕たちの総意だとでも言わんばかりに、セバスは力強く言い切った。

 

 

「……我々が歩む先がどのような道であってもか?」

 

「はい。例えそれが茨の道でも、御身と供に歩めるのであれば」

 

 

決意と覚悟の籠った、しかしとても優しい声色でセバスは言う。

その言葉が、ネバギアに密かな決意を固める覚悟を与えた。

 

 

「――セバス」

 

「はい」

 

「……礼を言う」

 

「勿体ないお言葉」

 

 

その短い会話を最後に、ネバギアは更にスピードを速めて天へと昇る。

そうして数百メートル上昇し、モモンガたちに追いついたところでネバギアは機体を平行にさせてその場で滞空した。

 

 

「遅かったな、ネバギアさん。……ほう、セバスも一緒か」

 

「遅くなってすみません、モモンガさん」

 

 

視界に広がる夜の帳が下りた世界を眺めていたモモンガと守護者たちは遅れて到着した二人を出迎える。

モモンガは思わぬ登場の仕方に物珍しさを感じながらもそれを咎める様子はない。しかし、守護者たちは違った。

 

 

「セバス、あなた……!」

 

「至高の御方を足蹴に……! なんと不敬な!」

 

 

アルベドとデミウルゴスがその僕としてあるまじき姿のセバスに声を震わせる。

二人の傍で浮遊するマーレも、言葉にこそしないがその視線にはセバスを咎めるような色が籠っていた。

 

 

「良い。私から命じたのだ」

 

「ね、ネバギア様が、ですか?」

 

「ああ。昔を懐かしみたくてな……今度お前も乗ってみるか? マーレ」

 

「い、いえ! そんな! で、でも……」

 

 

見た目相応の子供らしい欲と葛藤するマーレを見つめた後、今度は視線をアルベドとデミウルゴスへと向けた。

 

 

「先程言った通りだ。これは私が命じた事。異論があるなら私に言え」

 

「ネバギア様……しかし……」

 

「その時はお前たちも背に乗せて飛んでやろう」

 

 

思わず異論を唱えたくなるのをなんとか堪えて、アルベドとデミウルゴスは口籠る。

 

 

(そんなに俺の背中に乗るって嫌なのか? まぁ、上司の上に乗るっていうのは落ち着かないとは思うけど……それでも、思わず乗りたくなるくらいは格好いいつもりなんだけどなぁ)

 

 

アルベドとデミウルゴスの反応を見ながら、ユグドラシル時代のギルドメンバーからの人気とのギャップに少し寂しいものを感じながらネバギアは内心で独りごちる。

しかし、これ以上蒸し返しても仕方がないと判断するとネバギアは早急に思考を切り替えた。そして、昼間とは違う顔を見せる世界を一望する。

月や星から降り注ぐ青白い光が、大地から夜闇を追い払っている。風が草原を撫でると、まるで世界が輝くようだった。更に天空には無数の星々と月が煌々と煌めいている。

 

 

「なんて素晴らしい……いや、素晴らしいの一言では決して収まらない……」

 

「ネバギアさんもそう思うか。全く筆舌に尽くしがたいとはこのことだな……。ブルー・プラネットさんならこの光景を見てなんと言っただろうか……」

 

 

ネバギアの言葉に同意するように頷いたモモンガが、今この場にいないギルドメンバーの一人を思い出した。

数年前、ある程度の数のギルドメンバーがリアルに集まった――所謂オフ会の場で自然への愛を語り、ロマンチストと評されて岩のような顔に優しい照れ笑いを浮かべていた男を。

環境汚染によってその殆どが失われたことを嘆き、現実では無理ならばとユグドラシルの世界でその理想の光景を再現することに心血を注いだギルドメンバー、ブルー・プラネット。

彼は自然を、そして夜空を愛していた。そしてそんな彼が気合を入れて作り込んだのが第六階層だった。夜空の作り込みに関しては、一切妥協のない彼の理想が具現化されていた。

 

――空が澄んでいれば、月と星の明かりだけで十分明るいんです。

 

モモンガの脳裏に、ブルー・プラネットが熱く語っていた言葉が蘇る。

それほどまでに自然への想いに燃えていた男が、土も水も空気も汚染されていないこの世界を目にしたら、どれだけの愛を語ったのだろう。

 

 

「久しぶりに、彼の自然への熱い語りを聞きたいものだな……」

 

「ですね……それにしても、本当に素晴らしい……まるで、宝石箱のようだ」

 

 

この光景を最も見たかったであろうギルドメンバーを思い出しながら、目の前に広がる美しい絶景に二人は溜息を零した。

薄汚く汚れた世界しか知らぬ彼らにとって、この光景は今まで見たことがない最高の芸術作品のように感じられる。そんな美しい世界を見下ろしながら呟いたネバギアの言葉に、モモンガの傍で翼をはためかせて滞空していたアルベドが美しい微笑で返した。

 

 

「まさに仰る通り、宝石箱のように美しい世界かと思います。そして、これほどの美しさならば、偉大なる御二人の御身を飾るに相応しい輝きかと」

 

「ネバギアさんもアルベドも、中々どうしてロマンチストだな。しかし、宝石箱のような星々で我らの身を飾るか……」

 

 

子供が語る夢物語を優しい気持ちで受け止める親のように、穏やかにモモンガは笑いながら夜空へと手を伸ばした。

顔の前に手を翳すと、それを握り締める。天空に輝く星々が握りこぶしに隠れ、まるで手中にその星たちを収めたかのように見える。そんな子供染みた行為を行う自分に肩をすくめながら、モモンガは語った。

 

 

「それも一興かもしれんな。誰も手に入れたことのないこの宝石箱を自分のものに……いや、この輝きこそナザリック地下大墳墓を、我が友たちと作り上げ、そしてお前たちがいるアインズ・ウール・ゴウンを飾るに相応しい」

 

「……それは非常に魅力的なお言葉です。御二人が御望みであり、御許可を頂けるのであれば、ナザリック全軍を以ってこの宝石箱の全てを手に入れてまいります。そして我らが敬愛するモモンガ様とネバギア様にそれらを捧げさせて頂ければ、我ら僕一同、これに勝る喜びはございません」

 

 

デミウルゴスの芝居がかった台詞にモモンガは笑う。

その笑いは静かで、そして優しいものだった。

 

 

「この世界の者たちの実力がどれほどのものか不明瞭な段階でそのような台詞を吐くとは、知恵者のお前らしくないな、デミウルゴス。だが、そうだな……世界征服なんて面白いかもしれないな」

 

 

デミウルゴスの言葉を優しく窘めたあとにポツリと呟いたモモンガの言葉に、守護者一同の内に衝撃が走った。

しかし、モモンガとネバギアは気付くことはない。ただの戯言として、悪役ギルドのメンバーらしくロールプレイのような会話に興じる。

 

 

「確かに面白そうですね。ギルドメンバーの中には、世界征服をしたがっていた人もいましたし……彼らの悲願を叶えるのも良いかもしれません」

 

「……ウルベルトさん、るし★ふぁーさん、ばりあぶる・たりすまんさん、ベルリバーさん……だったか」

 

 

「ユグドラシルの世界の一つぐらい征服しようぜ」などと冗談を言って笑っていたメンバーたちを思い出す。

もしメンバーが欠けることなくギルドが続いていればそれも夢ではなかったかもしれないな、とモモンガは胸中で呟いた。

しかし世界征服なんて、子供向けアニメの悪役の思想でしかなく、それを実際に行うことなど不可能であることは誰にでも理解できた。

征服後の統治の手段。反乱分子を未然に防ぐための治安維持の方法。無数の国々を統一することによって生じる様々な問題。

総勢四十一名というユグドラシル内でもどちらかといえば少数だったギルドの纏め役でさえ大変だったことを思えば、世界征服がどれだけ大変な事か。想像するに難くない。

 

 

(でも……)

 

 

モモンガは思う。

この未知の世界にいるのは、本当に自分とネバギアだけなのだろうかと。

ユグドラシルの世界ではセカンドキャラを作ることはできないが、一度辞めた仲間たちが「最終日だから」と新しくキャラクターを一から作った可能性もある。それにアウトした時間を考えるとヘロヘロがこの世界にいる可能性も〇ではない。

何より、こうして自分たちがここにいる事自体が自分たちの常識を超えているのだ。この異常事態にギルドメンバーたちが巻き込まれて、皆がこちら側に来ているかもしれない。

 

 

「……もし仮に、他のギルドメンバーたちもこの世界に来ているとしたら……我々の――アインズ・ウール・ゴウンの名を世界に轟けば……」

 

「それを知った仲間が、戻ってくるかもしれない……」

 

 

モモンガの言葉を紡ぐようにネバギアが存在しない口を開いた。

しかし、その声色は穏やかなものとは違う、どこか冷めたものに感じられる。

 

 

「……モモンガさん、あなたは自分がどれだけ可能性の低いことを口にしているか分かっていますか?」

 

 

ネバギアは残確にも論理的に現実を突きつける。

それは傍から見れば酷なことかもしれない。しかし、ネバギアには今伝えておくべきだという思いがあった。

そして、それはモモンガにもしっかりと伝わっている。

 

 

「……ああ、分かっているとも。ネバギアさん」

 

 

ネバギアの思いを受け止めた上で、モモンガは言う。

ただの希望的観測に過ぎないものだと分かっていても、モモンガはその可能性を捨てないことを選んだ。

それは仲間たちへの未練ではない、ただ仲の良かった友人に会いたいという人として至極当然の思いだった。

例えその結果、残酷な現実に打ちのめされるかもしれないとしても、モモンガはそれを受け入れる覚悟を決めた上で、僅かな希望を追うことを選ぶ。

守護者一同がハラハラとした様子で二人を見守る中、モモンガとネバギアは静かに見つめ合う。

そんな状態が数秒続いた後、ネバギアは溜息を吐いた。

 

 

「……なら、私は止めません――一にも満たない可能性に賭けてみましょう。一緒にね(・・・・)

 

 

一緒に。その言葉に込められた彼の思いをモモンガはしっかりと受け止める。

本当に、自分は得難い友を、仲間を得た。彼は何度目か分からぬ感謝を口にした。

 

 

「――ありがとう、ネバギアさん。あなたの存在を、私はとても頼もしく思う」

 

「恐縮です、ギルドマスター」

 

 

先程とは打って変わって、いつもの優しい口調でネバギアは微笑む。

表情のない、しかし声色から優しい笑みが透けて見えるかのような朋友の存在に感謝しながら、モモンガは次にアルベドへと視線を向けた。

 

 

「アルベドよ」

 

「なんでございましょうか? モモンガ様?」

 

 

愛しい主人にして夫に名を呼ばれる。それだけで天にも昇りそうな幸せを享受しながら、アルベドは美しく微笑む。

その完成された美貌にモモンガは少し照れ臭い気持ちになりながら、アンデット特有の精神の沈静化で何度も心を落ち着かせた後に意を決し、先程ネバギアから貰った作戦を実行に移した。

 

 

「……お前に渡したいものがある。左手を前に出せ」

 

「こう、でしょうか?」

 

 

アルベドは言われるままに左手をモモンガへと差し出す。

その様子にモモンガは「うむ」と一つ頷いた後、自分の白骨の指のうちの一本に嵌めていたとある指輪を外した。

そして、片手でアルベドの手を掴んで支えたまま、空いた方で彼女の手――薬指にそれを嵌めた。

 

 

「も、モモンガ様……! この、この指輪は……!」

 

 

アルベドは幸せよりも驚愕に言葉を震わせながら、その指輪を見つめる。

それは本来、至高の存在にしか所持を許されない、ナザリックにおける至宝の一つ。リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンだった。

 

 

「私の妻となったお前に指輪を送ろうと思ったのだが、どんな指輪を送ろうか思いつかなくてな……考えた結果、その指輪を送ることにした」

 

 

リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは元々はギルドメンバー専用として作られたもので、数は百個しか存在しない。

その内四十一個はギルドメンバーに配られた為、所有者のいないものは残り五十九――否、五十八個。そういう意味では非常に希少価値の高いものと言えた。逆を返せば、ただそれだけのもの。

しかし、僕である彼女たちにとってはその価値はモモンガたちが思う以上のものだった。

本来、貴き存在しか所持を許されない代物。それを自分に与えられた。それも、愛しい夫が使用していた物を。愛しい主人の手によって。

アルベドは、左手に嵌められた薬指を数秒見つめた後、その左手を右手で握り締めて俯いた。

 

 

「……モモンガ様」

 

「ど、どうしたアルベド? もし、私のお下がりが嫌であれば、新しいものを――」

 

「嫌なわけがありません!」

 

 

狼狽えながらアイテムボックスに手を入れようとするモモンガを、アルベドは思わず声を上げて止める――予想外の反応に、モモンガは反射的に手を引っ込めた――。

 

 

「モモンガ様――ありがとう、ございますっ」

 

 

顔を上げるアルベドの顔は涙に濡れていた。

しかし、その涙は決して悲しみから溢れるものではない。これ以上にない幸せに身を震わせるものだった。

流石のモモンガも、それに気付かぬほどの朴念仁ではない。彼女が喜びの涙を流していることを理解すると、白骨の指でその涙を拭ってやる。

 

 

「アルベドよ。この世界には未知が溢れている。そんな世界にある今、お前という存在は私にとってはもはや欠かせぬ存在だ……これからは妻として、そして守護者統括として私の支えとなってくれ」

 

「――っ、はいっ!」

 

 

感極まったアルベドがモモンガへと抱き付く。

その勢いの良さに、彼女を受け止めたモモンガは思わずバランスを崩した。

なんとかそれを抱き留めるも、全身で愛情を表現するかのように擦り付くアルベドにモモンガの体が激しく揺れる。

 

 

「お、落ち着くのだアルベド!」

 

「モモンガ様! モモンガ様ぁ! 愛しています! 愛しています!!」

 

 

モモンガの声を届かぬ程、アルベドは自制の効かない状態だった。

体を擦り付け、漆黒の翼を落ち着きなく羽ばたかせ、その全身をモモンガに押し付ける。

そんな彼女を宥めながら、バランスを崩さぬように飛行するようモモンガは努めていた。

セバスは二人のやり取りから視線を眼下へと向けて、自分を乗せる至高の存在へと尋ねる。

 

 

「ネバギア様、今回の一件はもしや、貴方様が?」

 

「私は、モモンガさんからアルベドに何か贈り物をすることを提案しただけだ。まさかプロポーズをするとは私も思わなかったよ。フフッ」

 

 

そう。彼がモモンガに授けた策とは、マーレに与えたネックレス以上に価値のあるものをモモンガの手でアルベドに与えることだけだった。本来はただそれだけのことだったものを、一大プロポーズにすることを決めたのはほかならぬモモンガ自身である。

男らしいプロポーズを決めたモモンガと、それに感極まって暴走しているアルベド。二人の騒がしくも微笑ましいやり取りを、ネバギアは機械特有の感情の籠らぬ瞳で見つめる。

 

 

「モモンガさん、お幸せに……」

 

 

しかし、その声色は酷く優しい。

 

 

「ネバギア様。申し訳ありませんが、御二人に近付いてもらえませんでしょうか?」

 

 

アルベドを止めなくてはいけないので。

セバスがそう頼む間にも、デミウルゴスとマーレがアルベドを宥めようと奮闘しているのが、そしてこちらに視線で助けを求めるモモンガの姿が見える。

それを理解した上で、ネバギアはそれに応じることにした。

 

 

「了解した――アルベド、気持ちは分かるがそろそろ落ち着け」

 

 

セバスに返答し、アルベドを宥めるネバギア。

そんな彼の声色はやはり、優しいものだった。

 

 

 

 

 

.




やっと宝石箱を見ることが出来ました。そしてモモンガ様プロポーズ。
モモンガ様とネバギアはそれぞれの存在のおかげで少し気持ちに余裕があるので、支配者らしく振る舞いながらも気持ちフレンドリーです。
そして、次回はようやくカルネ村。ネバギア、戦います。


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第6話『救済』

夜空の遊覧飛行と夜景観賞、そしてアルベドへの一大プロポーズから更に一日半。モモンガは自室である作業を行っていた。

椅子に座り、正面に据えられた鏡を眺める。直径一メートルほどの鏡中に映っているのはモモンガではなく、草原。鏡面はまるでテレビの画面のように、どこかの草原が昇り始めた陽に草原が照らされ、風に吹かれた草々がそよいでいる風景を映し出していた。

牧歌的な光景は、アインズ・ウール・ゴウンの拠点であるナザリック地下大墳墓があったワールドの一つ、ヘルヘイムのそれとはまるで違う、実にのどかなものである。

モモンガは手を持ち上げると鏡に向け、ゆっくりと右に動かす。するとその動きに合わせるように鏡に映る景色もスライドした。

遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)

指定したポイントを映し出すことが出来るアイテムである。

プレイヤーを専門に狙うPK(Player Killer)や、そんなPK(Player Killer)を狙うPKK(Player Killer Killer)が数多くいたユグドラシルでは――ちなみにアインズ・ウール・ゴウンもその例に漏れないPKを繰り返すギルドである――非常に重宝されそうな代物だが、実態は低位の対情報系魔法で簡単に隠蔽され、更にはその対情報系魔法の一種である攻性防壁による反撃も受けやすいため、多くのプレイヤーから微妙と評価されるアイテムだった。

しかし、外の風景をたやすく映し出して確認することが出来るというのは、今の状況には非常に役立っている。

 

 

「この動きで、画面のスクロール。で、こうやると視点を変更して同じ場所を観察するか」

 

 

モモンガは空中で円を描いたりしながら、鏡に映る景色を色々と変化させてみる。この作業を始めてからいったいどれだけの時間が経過したのだろうか。

アンデッドの体であるが故に肉体的な疲労はないが、精神的疲労は確実に蓄積している。しかし、部下や友人がナザリックの為に尽力している今、自分だけが休むわけにはいかないとモモンガは地道な作業に取り組み続けた。

この遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)の操作方法の解明を急ぐ理由は二つ。

一つは、先日デミウルゴスに提案した警戒網の強化のためだ。

シモベだけに任せるだけより、このアイテムを使用して俯瞰的に観察した方がより正確に状況を把握することが出来る。だからこそ、自分が操作方法を理解することでそれをデミウルゴスに教えようと考えたのである。

そしてもう一つは、アルベド経由で偵察部隊から新たな情報が入手できたから。

報告の内容曰く『これまで発見した廃村の付近に、人間が活動する村を発見した』とのこと。

人口は百二十名ほどの小規模の村ということだが、それでも人間たちが生活している村を発見したというのは大きい。

その村を遠隔視で確認することで、接触を図るか否かを検討するための判断材料を集めようと考えたのだ。

 

 

(皆頑張ってくれてるんだ。ギルド長の俺もナザリックの為に頑張らないと)

 

 

疲れる自分を励ますように、心の内で己にそう言い聞かせながら手を動かすと、モモンガの白骨の手に合わせるように視点が大きく切り替わった。

 

 

「おっ!」

 

 

驚きと歓喜の混ざった声がモモンガの口から飛び出す。

その声に答えるよう拍手が起こる。正体はそれまで静かに傍らに控えていたセバスだった。

 

 

「おめでとうございます、モモンガ様。このセバス、流石とした申し上げようがありません!」

 

 

そこまで賞賛されると少し恥ずかしいが、こうしてしっかりと頑張りの成果が現れ、それを賞賛されるのは悪い気分ではない。なにより、セバスの表情には心からの感嘆があった。ならば素直な気持ちで受け入れよう、とモモンガは判断した。

 

 

「ありがとう、セバス。それにしても長く付き合わせて悪かったな」

 

「なにを仰られますか。至高の御方のお側に控え、ご命令に従うこと。それこそがたっち・みー様によって執事として生み出された私の存在意義です。悪いだなどととんでもございません。……ですが、お時間が経過されたことは事実。モモンガ様もこの辺りでご休息を取られていかがでしょうか?」

 

 

たっち・みーによって、という部分にそれを誇る思いを滲ませながらセバスが提案する。

そんな彼の言葉にモモンガは微笑ましいものを感じながらやんわりとそれを断った。

 

 

「いや、それには及ばない。アンデッドである私に疲労というバッドステータスは存在しないからな。それよりも、生身の肉体を持つお前の方が疲れただろう。休んでも構わないのだぞ?」

 

「優しいお心遣いありがとうございます。ですが、全てを捧げている主人が働いている中、休む執事がおりますでしょうか? 私もアイテムによって肉体的な疲労という言葉は意味の無いものとなっております。モモンガ様のお側に最後まで付き従いたいと思っております」

 

「私から言わせれば、二人とも休むべきだと思うがね」

 

 

セバスの返答を受けたモモンガがこれまでのNPCたちの会話を思い返し、ゲーム的表現の言葉を用いてもごく普通に会話が成立する事に気付き、それはそれで便利がいいかと思っていると、二人の会話に第三者の声が混ざる。

その聞き覚えのある声の正体をモモンガは穏やかに、セバスは恭しく歓迎した。

 

 

「ネバギアさん。そちらも一段落ついたようだな」

 

「ええ。優秀な部下たちのおかげで。なあ? アルベド?」

 

 

訪問者であるネバギアは、共にモモンガの部屋を訪れた守護者統括へと話題を振る。

至高の存在に優秀な部下と評されたこと、しかも至高の存在の王であり自分の夫の前で褒められたことにアルベドは歓喜に心を震わせながら、守護者統括という最上位NPCとして品を損なわぬよう努めて返した。

 

 

「勿体ないお言葉です、ネバギア様」

 

「謙遜する必要はない。解析班とそれらを纏め上げるお前やデミウルゴスが優秀なおかげで私は随分楽が出来た。礼を言うぞ」

 

 

自分がしたことなど最終確認の為に目を通したことくらいだ、と――その目を通した資料の多さについてはその場では触れずに――ネバギアは笑う。

そんなネバギアの言葉を聞いて、モモンガは「ほう」と感心したように声を漏らした。

 

 

「流石はアルベド。まだその資料とやらは見ていないが、ネバギアさんがそこまで言うのだ。お前の仕事ぶりは疑うまでもないだろう。ご苦労だった。他の者たちも後から労ってやるとしよう」

 

「っ、はい! ありがとうございます、モモンガ様! そのお言葉だけで、僕たちにはなによりの褒美となると思います!」

 

 

モモンガの言葉に、隠しきれない喜びがアルベドの顔に表れる。

その花が咲いたような美しい顔に内心で少し見惚れながらモモンガは首を横に振った。

 

 

「労いの言葉だけというわけにはいかないだろう。何か褒美を取らせなくては」

 

「まあまあ、モモンガさん。それについては後程。今は休憩を――いや、報告が先だな」

 

 

モモンガに休憩を提案しようとして、それよりも先にやるべきことがあることをネバギアは思い出す。

ネバギアは同行者であり、その報告を読み上げる存在へと視線でそれを促した。

視線に対してアルベドは頷くと一歩前に出て、つい先程届いた偵察部隊からの報告を述べる。

 

 

「偵察部隊の一隊から報告がありました。先日発見した人間たちの村に向かって進行する一団あり、とのことです」

 

「なに?」

 

「一団は武装を統一しており、馬に乗って移動しております。なお、偵察部隊が気付かれる様子はありませんでした……いかがなさいますか?」

 

 

アルベドに問われたモモンガは口に手を当てて黙考する。

報告が届いたタイミングを考えればその一団を発見したのは夜明け前。つまり、陽も昇らぬ時間から行動していたことになる。

火急の用事があるのかもしれないが、まるで闇夜に隠れるかのようなその動きはモモンガに小さな違和感を与える。

加えて、統一された武装というのも気かがりだ。軍やギルドのような統率された集団なのだとして、そんな集団が夜闇に紛れて小さな村に近付いている。確信には程遠いが、どうにもキナ臭い。

モモンガはさらに数秒無言で思考を働かせた後に口を開いた。

 

 

「調度良い。先程遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)の使い方が分かったところだ。これを使用して偵察部隊が発見した村、そしてその村に接近する武装集団の様子を探るとしよう」

 

「畏まりました」

 

 

アルベドが胸に手を当て頷く。

そしてネバギアとセバス、そしてアルベドは遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)の鏡面を覗くためにモモンガの傍へと集まる――この時、ネバギアはモモンガのすぐ隣に、アルベドとセバスは一歩引いた位置にいる――。

先立って届いていた報告で件の村のおおよその位置は把握している。モモンガは(ようや)く操作方法が理解できた遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)を操りながら、その方法を一同に説明する。簡単に説明をしながら画面を動かせば、すぐにその村を画面へと映し出した。

その村はナザリック地下大墳墓から南西の方向におよそ十キロほど離れた場所にある。村の周辺には麦畑が広がっており、やはり牧歌的という言葉が似合う。その雰囲気からはあまり文明のレベルが高い様子は見られない。

 

 

(死獣天朱雀さんがいたら、この光景を見ただけでどれくらいの文明レベルなのかわかったりしたのかなぁ)

 

 

アインズ・ウール・ゴウン最年長にして現実世界では大学教授として教鞭を振るってたメンバーを思い出す。

最年長らしい落ち着いた物腰とその言葉の端々から窺える高い教養、しかしそれを嫌味に感じさせない人柄の良さ。

小卒で学生時代を終えてしまったモモンガに様々な知識と共に勉強の大切さと素晴らしさを教えてくれた仲間を思いだしながら、モモンガは映像の操作を続ける。

今度はこの村に近付いている武装集団だ。かなり近付いているのか、少し画面をスライドするだけでその一団を映像に捕らえる。

全身鎧(フルプレート)で武装を統一した騎士風の一団。馬に乗って駆けるその者たちはものの数分で村の入り口と思しき場所に到着した。騎士団の来訪は珍しいのか、村人と思われる粗末な服を着た人々が恐る恐るといった様子で近付いていく。

村人たちの先頭に立つ壮年の男性が、その騎士たちの鎧の紋章を見た瞬間驚愕に目を見開く。

 

そして次の瞬間――

 

 

『――!』

 

 

その男性は、騎士の一人に斬り殺された。

剣を抜き、構え、振り下ろす。その一連の動作であっさりの一つの命が生涯を終える。

袈裟懸けに斬られた傷口から鮮血を噴き出して、男だった(・・・)ものは力なく崩れ落ちた。

目の前で人を、それも同じ村に住む同胞を殺される瞬間を目の当たりにし、慌てふためき逃げようとする村人、それを追うべく剣を抜いて村になだれ込む騎士たち。

そこからはもはやただの殺戮だった。

 

 

「……」

 

 

モモンガは先日廃村で感じたものよりも強い不快感を覚える。しかし、その不快感はこの世界への足掛かりとなったかもしれない村を潰されたことに対するものだった。思考は冷静にナザリックの利益を計算している。

この世界の基準がわからない今、村を助けるために騎士と戦って勝てる保証はない。仮に勝てたとして、この騎士たちがどこかの国に仕えている者たちだった場合、その国までも敵に回す可能性がある。一国と敵対してまで助ける価値があるのか。

そこまで考えて、モモンガは自分が村で起きている虐殺を他人事のように見ていることに気付き、小さく頭を振る。

 

 

(駄目だ駄目だ、何を馬鹿な事考えてるんだ俺は!)

 

 

廃村でネバギアと交わした言葉を忘れたのか、と自分で自分を叱責する。

自分たちが異形種になったことで精神が変化してしまっても、人間だった頃の記憶と感情を忘れてはいけない。そんな思いを胸に、モモンガは再び映像を見つめる。

やはり虐殺は続いている。騎士たちが剣を振る度に村人が一人倒れた。村人たちに対抗する手段がないのか、彼らは逃げ惑う事しかしていない。必死に逃げる村人たちを騎士が追いかけ殺している中、騎士たちが乗ってきた馬たちは呑気に麦畑の麦を食んでいた。

モモンガはネバギアと共に訪れた廃村の光景を思い返す。焼け落ちた家屋。地面や廃墟を赤黒く染めた血痕。悲しく並ぶ墓標たち。

 

 

(この騎士たちは、こんな一方的な殺戮を他の村にもしてきたのか……)

 

 

これまで得た情報やこうして目の当たりにした状況を鑑みれば、彼らが犯人なのは間違いないだろう。

そう考えると、今度は先程とは違う不快感が静かに湧き起こる。思わず手が滑り、村の別の光景が映った。

揉み合う騎士と村人と、その村人を引き離そうとする別の騎士たち。無理矢理引き離された村人は二人の騎士に両腕を抱えられた状態で立たされる。

両手を塞がれ抵抗できない村人の前に先程まで掴みかかられていた騎士が立つと、その手に持った剣を村人の体に突き立てた。刺された剣は村人の体を貫き、男の口からゴプリと大量の血が溢れる。致命傷なのは明らかだった。

しかし、騎士は剣を突き立てることを止めない。二度、三度と何度も剣で男の体を貫く。まるで理不尽な怒りをぶつけるようにしつこく繰り返し剣を突き立てた後、騎士は虫の息の村人を蹴り飛ばした。

碌に受け身も取れず、村人は血を撒き散らして大地に転がる。男と目が合った気がした。

口の端から血の泡をこぼしながら、口を必死に動かしている。視線はぼやけ、どこを見ているか分からない瞳からは涙を流していた。その顔にただ無念の思いを浮かべて、消える寸前の命の灯火を賭して、言葉を紡ぐ。

 

 

――娘たちをお願いします――

 

 

「どう致しますか?」

 

 

一歩引いていた位置で同じ映像を見ていたセバスがモモンガに問いかける。

その静かな声にはどこか感情を押し殺しているようにも感じられた。そんなセバスに視線を移して、モモンガは彼の創造主を思い出した。

正義降臨の文字を文字通り背負って自分を異形種狩りから救ってくれた恩人。たっち・みー。

彼がいなければ自分はユグドラシルを辞めていただろう。自分たちのギルド、アインズ・ウール・ゴウンどころかモモンガという存在さえなかったかもしれない。

そんな恩人の言葉が、その声が、モモンガの脳裏に蘇る。

 

――誰かが困っていたら助けるのは当たり前。

 

 

「ネバギアさん……」

 

 

モモンガは隣にいるネバギアへと視線を向ける。

ネバギアからの返答はない。しかし、ゆっくりと力強く頷いた。それが自分の答えだ、とでもいわんばかりに。

彼の意思を汲み取ったモモンガもまた、無言で頷く。そして、セバスへと視線を戻した。

 

 

「セバス、ナザリック地下大墳墓の警戒レベルを最大限引き上げろ。我々は先に行くので、後詰の準備をしておけ。万が一我々が撤退できない場合を想定して、この村に隠密能力に長けるか、透明化の特殊能力を持つ者を複数送り込め。もし近辺に偵察部隊がいるのであれば、その者たちを向かわせろ」

 

「畏まりました」

 

 

モモンガの指示に、セバスは力強い声色で了解する。

その隣、鏡に映る虐殺の映像を強い不快感を含んだ蔑視で見つめていたアルベドが尋ねた。

 

 

「恐れながら申し上げます。ただの下等生物でしかない人間たちを助ける必要があるのでしょうか?」

 

「アルベド……」

 

「……」

 

 

まさかの反対意見に困惑気味にアルベドへと視線を向けるモモンガ。対してアルベドの質問に答えることなく、ネバギアは村全体を見渡せるように映像を拡大し、全体状況を把握する。

生きている人間を探すために鋭く動く彼の視線が、森へと向かう人影を捉えた。

画面をそこに合わせて縮小すると、少女が幼女の手を引いて必死に走っているのがわかる。その二人の背後には一人の騎士が剣を手にして追いかけていた。

 

 

「それも、至高の存在である御二人が直々に出向くなど――」

 

「モモンガさん、私は先に向かいます。アルベドへの説明はお任せします」

 

「……ああ。くれぐれも無理はしないように」

 

「了解です」

 

 

今度はアルベドの言葉を遮ると、ネバギアは立ち上がって片手を前に差し出し、<転移門(ゲート)>を発動させた。距離の制限もなく転移失敗の可能性もない、転移魔法の最上位に位置する、ユグドラシルでは最も確実でポピュラーな移動手段である。

目の前に漆黒の亜空間が展開されると、ネバギアは重厚な音を立てて<転移門(ゲート)>へと歩いていき、ふと足を止めた。

 

 

「アルベド。先程のお前の質問に対して私が言えることは一つだ……我々は、この村を助けなくてはならない(・・・・・・・・・・)

 

 

それだけ言うと、ネバギアは再び歩いて<転移門(ゲート)>へと進み、亜空間の中へと姿を消した。

 

 

「ネバギア様……」

 

 

既にこの場にはいない至高の存在の一人の名を、アルベドはどこか寂し気に呼ぶ。

アルベドの言葉は明らかに人間を見下し、それを助けることを良しとしないものだった。しかし、それを全て否定することはできない。それがアルベドの価値観であり、同時に至高の存在たちが戦場に身を投じるリスクを考慮した上での質問でもあったからである。

そう考えると、自分たちの為に意見したアルベドが可哀想に思える。モモンガはアルベドの肩に優しく手を置き、慰める意味も兼ねて説得を試みた。

 

 

「アルベドよ、我々がこの村を助けに赴くには理由がある」

 

「理由……?」

 

 

アルベドが寂しげに曇らせた顔でモモンガの方を向く。

それに対してモモンガは「それはいくつかあるのだが」と前置きをした上で説明した。

 

 

「そのうちの一つが、この世界における我々の戦闘能力についてだ」

 

 

アルベドを納得させるために思いついた論理的な理由ではあるが、嘘ではない。これは確実に必要な確認事項なのだ。

この世界の者たちの戦闘能力の基準やそれと比べた自分たちの能力がどのようなものか、いつかは調べなくてはいけない。今回は、それを行う良いきっかけなのだとモモンガは語る。

そのモモンガの説明はアルベドが十分納得するものであり、なるほどと腑に落ちた。

 

 

「……確かにその確認は必ず行う必要があると思われます。そのように重要なことに気付かなかった愚かな私をお許しください」

 

「お前の全てを許そう、アルベド。そして同時に、お前に名誉を挽回する機会を与える」

 

「ありがたき幸せ。何なりと御命じください」

 

 

アルベドは片膝を床についてひれ伏す。それを見て、自分の妻にそんなことをさせてしまっている事への申し訳なさや早く村を助けに行きたいという思いがモモンガの心中を逸らせる。それをなんとか抑えながら、モモンガは威厳のある調子を意識しながら命令を下した。

 

 

「直ちに武装を整えよ。完全武装だ。ただし、真なる無(ギンヌンガガプ)の所持は許さぬ」

 

「それは、つまり……」

 

「お前の思っている通りだ、アルベド。我々の供回りをせよ」

 

 

モモンガの慈悲深い命令にアルベドは胸が高鳴るのを感じた。目の前に君臨する愛しい主人はどこまでも僕たちの心を掴むのが上手い。汚名を返上する機会を与えるというだけでも慈悲深いというのに、この世界での初陣とも言える此度の戦闘の供回りを任される。それがどれだけ名誉あることか。

アルベドは歓喜に頬が緩むのを、叫びを上げそうになるのを守護者統括としての誇りと理性で抑えながら、必ずや立派に務めを果たすことを胸に刻みながら頭を下げる。

 

 

「――畏まりました。直ちに装備を整えてまいります」

 

「うむ」

 

 

アルベドとセバスが一礼して退室する。

二人を見送った後、モモンガは惨劇の一片を映す鏡面へと視線を移した。

そこには兵士の一人に少女が背中を切られる姿が映る。

自分が行っても間に合わない。モモンガは歯痒い気持ちを手に込めてアイテムボックスへと突っ込むと、力強くスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを握り締めた。

 

 

「頼みますよ、ネバギアさん――」

 

 

先行した特攻隊長への信頼を言葉にして、モモンガは鏡面に映る映像を見守る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カルネ村は帝国と王国の境界線であるアゼルシア山脈、その南端の麓に広がるトブの大森林の外れに存在する小さな村だ。

人口はおおよそ百二十。世帯は数は二十五。リエスティーゼ王国の辺境に位置する村としてはいたって普通の規模の村である。

辺境であるが故に外から人が訪れることはほとんどなく、同時に住民同士の繋がりが強いこの村に住む少女、エンリ・エモットはいつもと変わらない朝を迎えた。

日の出とともに起床し、井戸に水を汲みに行く。小さな甕に水を汲んで運ぶのを三往復程繰り返せば、その後は家族揃っての朝食だ。

特に珍しいこともない。いつも通りの朝を迎え、いつも通りの昼を迎え、いつも通りの夜を迎え、いつも通りの一日を過ごす。そのはずだった(・・・・・・・)

 

 

(どうして……! どうして……!!)

 

 

エンリは必死で走り続けながら、胸の中で叫んだ。

何故バハルス帝国の騎士がこんなところにまでいるのか。毎年戦争はしているらしいが、それは城塞都市エ・ランテルを中心にしていたものではないのか。まさか自分が知らない間に何か大きな戦争が起きたのだろうか。

様々な疑問が生まれるが、当然それに回答してくれる者はいないし、エンリもそんなことはどうでもいいとばかりに疑問を振り払う。

 

 

(お父さん……! お母さん……!)

 

 

家へと押し入ってきた騎士たちから自分たちを逃がすために立ち向かった父を、自分と妹を逃がすために己の命を(なげう)った母を、二人の優しい笑顔を思い出す。

両親たちが我が身を犠牲にして逃がしてくれたおかげで、エンリとその妹のネムは村の外れまで到着した。

それまでに聞こえてきた怒号と悲鳴、そして鋭い金属音。それを思い出すだけで足が凍り付きそうだった。

しかし、足を止めるわけにはいかない。エンリは大切な妹の手を握って走り続ける。

後ろからは騒がしく、しかし規則正しい金属音が追いかけてきていた。

祈る思いでチラリと後ろに一瞥すれば、最悪の予想通り一人の帝国騎士が追いかけてきている。

 

 

(森まであと少しなのに……!)

 

 

ギリ、と歯を食いしばる。そしてすぐに口から粗い呼吸が漏れた。

心臓が破裂してしまうのではと思う程激しく脈打っているのがわかる。足はガクガクと震え、今にも力尽きて倒れてしまいそうだ。

しかし、倒れるわけにはいかない。自分には守るべき存在があるから。

エンリはその守るべき大切な妹の小さな手を握る力を僅かに強める。今の彼女は妹のネムを助けるという思いだけで体を動かしていた。

今にも泣いてしまいそうになりながらも、自分を信じて心を奮い立たせて共に走る妹。その妹が走る気力と戦う勇気を与えてくれている。

絶対に妹は生かしてみせる。エンリは己の内で力強く誓いを立てた。

 

 

「あっ!」

 

 

しかし、現実はエンリの誓いを嘲笑うかのように残酷な方向へ進む。妹のネムが転んだのである。

そうなったことは冷静に考えれば必然でもあった。あまりに幼いネムの体力は多くなく、エンリ以上に疲弊していた。加えて姉との歩幅の差とその姉に引っ張られるように走るという方法。足がもつれ、大地を転がるのは道理と言える。

だが、そんなことにまで思考を裂ける余裕のないエンリはただただ自分たちの不運を呪った。否、呪う余裕さえもない。彼女が考えることはただ一つ。逃げること。

 

 

「早く!」

 

「う、うん!」

 

 

再び走り出そうとするが、ネムの足は痙攣して上手く動かない。すぐさま妹を抱えて逃げようと意識を切り替えて身体を動かそうとするエンリの耳にすぐ後ろで発生した金属音が届く。

エンリは恐怖に冷や汗を流しながらゆっくりと振り返る。そこには剣と鎧を血で汚した騎士が立っていた。

同胞たちの血を浴びた騎士から守る様に、エンリはネムを自分の背後へと庇いながら相手を睨む。

 

 

「無駄な抵抗はするな」

 

 

エンリの健気な行為をも嘲笑うかのような声色で騎士は言う。その言葉には「逃げてもすぐに殺せるから余計な手間を増やすな」とでも言いたげな風だった。そんな騎士の言葉にエンリの胸が一気に燃え上がる。

 

 

「なめないでよねっ!!」

 

 

エンリは上に掲げられた剣が自分に振り下ろされるよりも早く、鉄でできた兜に拳を叩きこむ。

全身に満ちた怒りと妹を助けなければという気持ちを拳に込めて、まさに全身全霊の一撃を見舞った。

骨が砕けるような音が響く。それから遅れるように拳に訪れる激痛。エンリが痛みに顔を歪めながらチラリと視線を拳に向けると、大量の血が滴り落ちているのがわかる。鋼鉄を殴りつけたのだ、肉が裂け骨が折れていてもおかしくはない。

そのおかげで、騎士は大きくよろめている。このチャンスを逃すまいとエンリは叫ぶように声を上げた。

 

 

「ネム! 早く!!」

 

「うん!」

 

 

苦痛を堪えて走り出そうとし――背中に生じた赤熱感に阻まれる。

 

 

「――くっ!」

 

「きさまぁああ!」

 

 

嘗めてかかった村娘に顔を殴られたという屈辱に騎士が怒声を上げる。その怒りの咆哮と共に振り下ろされた剣がエンリの背を切り裂いた。

本来なら死を迎えていたところを激痛程度で済んだのは、騎士が怒りに身を任せて剣を振るったからに過ぎない。

その証拠に兜から覗く目は怒りで血走っている。次は確実に命を奪う一振りが下ろされるだろう。

そして、たった今負傷したエンリにはもう逃げるだけの力はない。エンリは自分たちを見下ろす血に汚れた全身鎧を睨みつける。

振り上げられた剣の刃を流れる赤が、背中の痛みを嫌でも意識させる。だが、そんなことに思考を裂く余裕はない。エンリは必死に生きる道を模索する。

幼い妹を守るためにエンリは必死に考える。何度も浮かび上がる諦めという選択肢をその都度振り払いながら。

しかし、今の自分にはどうしてもこの場を切り抜ける方法が思いつかない。

相手は戦う事に慣れた騎士。対する自分は戦闘のせの字も知らない村娘。戦いを挑んだところで勝ち目はない。

この傷では逃げるのも不可能だろう。こちらは満身創痍。対する騎士は今こそ荒い呼吸をしているが、それは怒りからくるものであり、体力的には余裕があるはずだ。やはり、どうやっても自分は(・・・)もう助からない。

 

 

(なら、せめてこの子だけでも……!)

 

 

エンリは静かに覚悟を決める。

もはや助からぬこの命。両親が命を賭けて逃がしてくれたことを考えると申し訳ないが、妹を守る盾として捧げよう。

相手の体のどこかでも。あるいは、自分に振り下ろされる剣でもいい。とにかく相手を掴んで、命の灯火が消えるまで離さない。妹が少しでも遠くまで逃げられるように。

この地獄のような状況の村から逃げられるかは分からない。森へ逃げようとした先に見張りがいる可能性もある。運良く森に逃げ込めても、そこに住む魔物や猛獣に襲われる危険も〇ではない。

しかし、ここで死ねば全てが終わりだ。ならば、一縷の希望の為に全てを賭ける。

エンリは静かに微笑みを浮かべた。姉として妹にしてやれるのはこれくらいだろう。己の身を犠牲にする覚悟を決めたその笑みはまるで殉教者のそれだった。

 

 

(ごめんね、ネム……)

 

 

幼い妹を一人残して逝くことを心の中で詫びながら、エンリは涙を溢れさせる瞳を閉じた。

願わくば、幼い妹は生き延びることができますように。そう願いながら、エンリは襲いくるであろう痛みを受ける覚悟を決める。

 

 

(……あれ?)

 

 

しかし、いつまで経っても痛みはない。

どういうことなのか。エンリは答えを知るためにゆっくりと瞳を開く。

恐る恐る瞼を開き、視界を広げたエンリは自分たちの状況を理解すると同時に目を思い切り開いた。

自分たちは人型のなにか(・・・・・・)に守られていた。

それはまるで自分と妹を後ろから抱きしめるようにその黒鉄の巨体で包み込んでいる。

エンリの前に回された鋼鉄の腕が騎士の剣を受け止めている。見た目に違わぬ硬度を誇るのか、鋭い刃を当てられてもかすり傷一つ付く様子はない。

エンリは全く状況が呑み込めないながらも、必死に状況を把握しようと思考を働かせた。

これ(・・)は一体なんのか。人なのか。魔物なのか。

どこから現れたのか。なんのために現れたのか。

何故自分たちを守ったのか。そもそも、本当に守ってくれたのか。

あまりにも予想外の状況。思考を働かせれば働かせるほど、頭の中が纏まらない。

 

 

「お姉ちゃん……!」

 

 

ネムがエンリの腰に抱き付く。思わず、傷付いた方の手で妹の頭を撫でた。

自分は死なずに済んだのだろうか。妹を守れたのだろうか。もしかして、実はもう自分は死んでいて、都合の良い夢のようなものをみているのではないのだろうか。

死を覚悟したにも関わらず生きているという状況が、エンリの思考を混乱させた。

その混乱を落ち着かせるように、この状況が現実であることを教えるかのように巨大な黒鉄が告げる。

 

 

「――もう大丈夫だ」

 

 

その声はとても落ち着いていて、そして力に漲っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(なんとか間に合ったか……)

 

 

自分の腕の中で座り込む姉妹を見て、ネバギアは静かに安堵の息を吐いた。

念のため森の中に展開した<転移門(ゲート)>から移動したネバギアは、寸でのところで二人の少女を守ることが出来た事を心の内で喜ぶ。

そして次に湧いた感情は、怒り。いたいけな少女たちを手にかけようとする外道に対する当然の感情だった。

しかし、ネバギアは怒りに身を任せるような愚は犯さない。静かに、冷静に、相手の実力を推し量る。

 

 

(アルゲースの腕には傷一つ付いていない。少なくとも武器はあまり上等なものではないようだが……)

 

 

上位物理軽減化Ⅲ。

ネバギアが持つ常時発動型特殊技術(パッシブスキル)の一つであるこの力は、攻撃を行ってきた相手とのレベル差に応じてダメージを軽減するというものである。

似たようなスキルに『上位物理無効化』というものがあるが、それとは異なり攻撃を完全に無効化することはできない。

しかし、レベル差に応じてダメージが軽減するこのスキルは当然ながらレベル差があればあるほど効果を発揮するため、レベル四十以下はダメージが一桁、それ以下ともなればダメージが〇になる。

実質、無効化スキルの下位互換――否、無効化スキルはレベル六十を超えるものに効果を発揮しないのに対し、軽減化スキルは自身よりレベルが低ければ大なり小なり効果を発揮するため、上位互換とも言えた。ちなみにネバギアは物理軽減化と併せて魔法軽減化のスキルも取得している。

これらのスキルとアルゲースの堅牢さが噛み合うことで、ネバギアは高い防御力を誇っていた。

そんな彼に振り下ろされた剣は、黒鉄の腕を傷つけるどころか逆に刃こぼれを起こしているほどである。

 

 

「――フン!」

 

 

相手の武器がそれほど脅威ではないという判断を下しながらも、警戒心は緩めることなくネバギアは剣を受け止めていた腕を勢いよく振るった。

 

 

「ぐあっ!」

 

(ん……?)

 

 

剣を振り下ろしていた騎士が、その並外れた剛力の前になすすべもなく吹き飛ばされる。まともに受け身を取ることも出来ず、数回地面を転がりうつ伏せに倒れ込む。

剣を押し返すだけのつもりだったネバギアは、その脆弱性に違和感を覚え、真実を知るために一つの魔法を発動する。

上位能力解析(グレーター・ステータススキャン)>。

探知魔法にして第七位階にあたるそれは、敵のステータスが数値化されて認識できるというものである。

これを用いれば、敵の体力や魔力の残量、攻撃力や防御力、果てにはレベルまで把握できるという探知魔法でも非常に利便性が高い位置に存在するものだ。しかし、この魔法の習得条件にはオペレーターという職業(クラス)を取得する必要があるため、ドローンを武器に扱うプレイヤー以外は習得が難しく――厳密には、この魔法を取得する為だけにわざわざ死にクラスを得ようとする者がいなかった――しかも探知阻害の魔法を使用されれば、認識できる情報量が減少、もしくは完全に妨害されてしまうという欠点があった。

ネバギアもある程度妨害されることを前提にそれを発動させたのだが、またもや予想外の結果となる。

 

 

(なんだ、これは……?)

 

 

情報が丸見えだった。

体力も、魔力も、物理攻撃力も、物理防御力も、魔法攻撃力も、魔法防御力も、機動力も、何もかも。

全く妨害されることなく、倒れ伏した騎士の能力が(つまび)らかとなった。

その事実と、そうして明らかになった情報の内容に、ネバギアは僅かに驚愕する。

 

 

(あまりに弱すぎる……)

 

 

そう。たった今弾き飛ばした騎士のレベルと能力があまりにも脆弱なのである。

レベルはたったの六。ステータスもそれ相応の低値。はっきり言って雑魚という他なかった。

この世界の基準が自分たちの予想を大きく裏切るものであることに半ば唖然としていると、騎士がゆっくりと起き上がる。

 

 

「う、ぐぅ……――ひぃっ!」

 

「どうした? 女子供には剣を振るえても、異形の者には出来ないか?」

 

 

全身を殴りつけられたかのような身体中の痛みに騎士が呻き声を漏らしながら体を起こすと、そこには黒鉄の巨躯がこちらを見つめていた。

真紅の一つ目が赤く輝き、自分を凝視している。明らかに人ならざるその姿は、騎士の頭から戦闘という選択肢を消し飛ばすには十分だった。

騎士はへたり込んだ状態で足をばたつかせて、もがくように後退る。

その無様な姿にも、ネバギアは警戒心を緩めることはない。逆にそれを強めつつあった。

 

 

(こちらの探知魔法に対する妨害魔法で情報を偽っている可能性もある……それにあの反応が演技でこちらが接近するのを誘っている可能性も……)

 

 

ならば、とネバギアは立ち上がると姉妹たちの前に移動する。

まるで少女たちを守るかのように彼女たちの前に立つと、ネバギアはアルゲースの体を変形させた。

下半身は飛行形態に近い状態になり、紫色の炎を噴き出している。そして腕は二股プラグのコンセントのように二本一対の板金が展開されていた。

これがアルゲースの第三の形態。通称、ホバー形態である。

まさかの変形に騎士と少女たちが驚愕に目を見開くが、ネバギアはそんなことを気にする風もなく両腕のプラズマ・アームに力を籠める。

すると、バチバチと音を立てて眩い紫電が発生した。まるで球体のようにそれぞれの両腕で発生する雷に、騎士は戦慄する。その紫色の光に本能的な恐怖を、自らを死に至らしめる恐怖を感じ取ったのである。

 

 

「ひ、ひいぃぃっ!」

 

 

騎士は恐怖の声を上げて走り出した。

全身を震わせながらも、なんとか逃げようと村へと駆け出す。

 

 

「逃がさん」

 

 

当然それを許すつもりはない。ネバギアは両腕の雷球からそれよりも二回り以上小さな雷球を作り出すと、背を向けて走り出す騎士へと放った。

 

 

「ぎゃああぁぁっ!」

 

 

紫電の塊は光の速さで騎士を貫き、その全身を雷で焼いた。輝く紫色の光に包まれた騎士の絶叫に、姉妹は揃って目を硬く瞑って身を寄せ合う。

しかし、それを行ったネバギアは何も感じない。雷撃に襲われ絶叫する騎士を、その絶叫が途絶える様を、ただ冷静に状況を分析する。

 

 

(第五位階程度まで威力を絞っても一撃か……むしろ、それでも過剰のようだ……本当にステータス通りということか……そして――)

 

 

やはり、何も感じない。

紫電に焼かれて死に絶えた騎士の亡骸を見ても、ネバギアはまるで動揺がなかった。

始めて人を殺した。なのに自分の心は恐怖も混乱もない。

 

 

(やっぱり肉体に精神が影響を受けているのか……)

 

 

予想はしていたが、こうも自分の精神が変わってしまっているというのは少なからずショックだった。

ネバギアは小さく頭を振りながらもう一度騎士の死体を見る。

たった今自分が命を奪った存在。その騎士は間違いなく外道ではあったが、容易くその命を奪った自分もまた外道だろう。

沸き上がらぬ罪悪感を、それではいけないと自分の意思で作り出し、それを胸の内に仕舞い込む。

命を奪うという業の重みを仕舞い込みながら、ネバギアはボディを人型の形態に戻しながらゆっくりと振り返った。

少女が恐怖と困惑を滲ませた視線でネバギアを見上げる。幼女はその少女に縋る様に抱き付いていた。

幼女を守る様に優しく頭を抱き締めているその右腕の傷がネバギアの視界に入る。

 

 

「……怪我をしているな」

 

 

ネバギアはアイテムボックスを開き、そこから一つのアイテムを取り出す。

取り出した背負い袋の名は無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)。無限という名に反し、総重力五百キロの制限がある袋である。

この袋に入れたアイテムは、コンソールのショートカットキーに登録することが出来、瞬時に使いたいアイテムを取り出すことが出来る代物で、多用するアイテムを中に仕舞い込んで登録して持ち歩くのはユグドラシルプレイヤーの基本だった。

複数ある無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)のうちの一つから一本の赤いポーション、下級治癒薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)を取り出す。

ユグドラシルではHPを五十ポイント回復させるというプレイヤーが最初期に何度も世話になるアイテムだが、カンストプレイヤーでありドローンに搭乗して戦闘を行うネバギアにとってはほとんど使い道のないものだ。

そんなアイテムを持っているのはユグドラシル時代の名残。仲間や妻と冒険をした時に使うことがあったからだ。

 

 

「これを飲め。そうすれば傷が癒える」

 

 

大きな手で小さな瓶を摘まみながら、地面に片膝をつきつつ差し出す。

瓶の中の真紅の液体を見て、もしかして血なのでは、とエンリは表情を引き攣らせるが、目の前にいる存在は間違いなく命の恩人。そんな恩人が治癒の薬と言って渡そうとしてくれているものなのだから、信じても良いのではないかという思いも心の内に存在していた。

 

 

「お、お姉ちゃん……」

 

「……大丈夫――いただきます」

 

 

不安がる妹に努めて明るい声と笑顔で返した後、エンリは一呼吸置いた後に小瓶を受け取る。

そして、その中身を見つめて一息に飲み干した。

すると、騎士を殴りつけて傷付いた拳が、そして斬りつけられた背中の傷が瞬く間に癒える。

 

 

「うそ……」

 

 

恩人の言葉を疑うわけではないが、まさかこれほどまでに早く、そして完全に癒えたことにエンリは驚愕の声を漏らす。

その様子を見てネバギアは頷きながら、また一つの情報を得た。この程度の傷であれば下級治癒薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)で十分、という情報を。

これも後でモモンガに伝えなければ、と考えていると自分の視線の先、つまり少女たちの背後に<転移門(ゲート)>が展開される。

そこから現れたのは豪奢なローブと金色の杖を手にした死の支配者。そして、それに付き従うように悪魔のように刺々しい漆黒の鎧を纏った者が姿を見せる。鎧の手には病んだような微光を宿したバルディッシュが握られている。

 

 

「来たか。アルベドも一緒のようだな」

 

「遅くなって申し訳ない、ネバギアさん」

 

「申し訳ありません、ネバギア様。私が準備に時間をかけてしまいました」

 

 

漆黒の亜空間から現れた友と臣下をネバギアは起立して迎える。遅れて姉妹がゆっくりと振り返り、驚愕と恐怖に思い切り目を見開いた。

 

 

「あ、あ……」

 

「ひっ……」

 

 

姉妹たちの耳には彼らの会話は届かない。ただ目の前に現れた恐ろしい骸骨に対する恐怖に全身を震わせるだけ。

ガチガチと歯を鳴らし、顔は蒼褪め、二人は抱き合うように縮こまりながらモモンガを凝視する。

挙句の果てには――姉が、そして遅れて妹が失禁した。

 

 

『…………』

 

 

モモンガとネバギアが揃って声を失う。当然ながら、失禁してしまった女性に対するフォローの仕方など知るはずもない。

どうすれば良いのか分からず、お互いに相手に助けを求めるかのように<伝言(メッセージ)>を発動する。

 

 

『あの、ネバギアさん……これ、どうしたらいいんでしょう』

 

『私に訊かれても……まさか、ここまでビビられるとは……流石モモンガさん』

 

『一体何を指して褒めてるんですか。それより、私ってそんなに怖いですか?』

 

『私は見慣れていますし精神の安定化もあるから気になりませんけど、一般的な感覚では怖いでしょうね』

 

 

まるで状況から目を背けるかのように穏やかな調子で二人は静かに会話を交わす――ついでに、ここで騎士たちの脆弱性や傷の程度とポーションに関連する情報共有を行う――。

そんな二人に現実を突きつけるかのように、アンモニアの臭いが立ち込めた。

その様子を見たアルベドが身体を小刻みに震わせる。纏っている鎧がカチャカチャと音を立てた。

 

 

「……お前たちのような下等生物を助けるために、至高の王がわざわざ足を運ばれているというのに……! それに感謝の一言もないばかりか、そのような粗相を……!」

 

 

バルディッシュを力強く握りしめると、勢いよく持ち上げる。下手をすればそのまま振り下ろして二人の首を纏めて刎ねてしまいそうなほどの怒りがアルベドから滲み出ていた。

危険を承知で助けに来たというのにそのような出迎え方をされてしまえば、アルベドの言い分も理解できる。しかし、だからといって今からやることを許すわけにはいかなかった。

 

 

「落ち着け、アルベド」

 

「ですが、ネバギア様……!」

 

「お前の気持ちは分かる。だが、お前がこの娘たちを殺しては、私がしたことが全て徒労に終わってしまう」

 

「……っ、申し訳ありません」

 

 

アルベドは武器を下ろす。たとえ下等生物であっても、これらは至高の一人であるネバギアが助けた命だ。それを臣下である自分が一時の感情に任せて屠るのは不敬以外の何物でもない。

そう考えれば、アルベドに彼女たちを殺すという選択肢はもうなかった。

助けた命が部下の手によって奪われることがなくなり、ネバギアは内心で安堵の溜息を吐く。そして次に少女たちの恐怖と緊張を何とかしようと考えた。

 

 

「<修復(リペア)>」

 

 

まずは失禁によって汚れた衣服を、姉の方に限っては斬りつけられたせいで裂けた背中の部分も纏めて元通りに修復する。

一瞬で濡れた布が張り付く不快感が消え、加えてエンリは背中をはだけさせていたことによる肌寒さが消えたことに驚いた。

 

 

「心配は無用だ。この二人は私の友と部下。私と同じく、お前たちを助けに来た存在だ」

 

「私たちを……助けに……?」

 

 

恩人であるネバギアの言葉だからこそ、すんなりと耳に入れることが出来たが、それでもにわかには信じ難い。

その思いは表情にありありと表れていた。その様子をモモンガとネバギアは「仕方ないよな」という気持ちで、アルベドは「未だに感謝の一つもしないとは、この下等生物はどこまで無礼なのか」という気持ちで見つめる。

 

 

「お前たちは魔法という存在を知っているか?」

 

 

モモンガはこの世界の住人に必ずしようとしていた質問をする。これに対する答え如何で、今後どうするかも大きく変わっていく。非常に重要な質問だった。

それに対して少女は未だに拭いきれぬ恐怖に言葉を詰まらせながらも、なんとか答える。

 

 

「は、はい。む、村に時々来られる薬師の……私の友人が魔法を使えます」

 

 

少女の回答は是。魔法が存在し、それが認知されているということは非常に大きな情報だった。

望んでいた答えが返ってきたことにモモンガは安堵しながら、それを見せぬように厳かな口調で返す。

 

 

「……そうか、ならば話が早いな。私は魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ」

 

 

自分は魔法が使える存在であることを説明した上で、モモンガは魔法を唱える。

 

生命拒否の繭(アンティライフ・コクーン)

 

矢守りの(ウォール・オブ・プロテクション)障壁(フロムアローズ)

 

姉妹を中心に半径三メートルほどの微光のドームが形成される。続けて発動された魔法は目に見える変化はないが、僅かに空気の流れが変わる。

しっかりと魔法の発動を確認した後、モモンガは次に特殊技術(スキル)を発動してみる。

少しでも自分の能力を理解するために。自分の能力の把握は何をするにしても基本だ。

 

 

「――中位アンデッド作成 死の騎士(デス・ナイト)――」

 

 

モモンガが持つ特殊能力の一つであるアンデッド作成。それによって生み出せるモンスターの中で、特に愛用していたのがこの死の騎士(デス・ナイト)である。

レベルは三十五。攻撃力は二十五レベル相当で、防御力は四十相当。レベルやステータス的にははっきり言って雑魚ではあるが、死の騎士(デス・ナイト)が保有する敵の攻撃を完全に引き受けるという能力とどれほど強力な攻撃を受けても必ずHPを一残して耐えるという能力故に、モモンガは盾役として有効活用してきた。

これから与える任務を考えれば、守りに特化したこのモンスターは敵役だろう、とモモンガは考える。

そんなことを考えるモモンガの目の前に黒い靄が中空から滲み出る。ユグドラシルでは空中から沸き立つように現れていたが、どうやら少し勝手が違うらしい。

黒い靄は数秒その場に漂った後、先程ネバギアが仕留めた騎士の亡骸へと覆い被さった。

靄が膨れ上がり、騎士に溶け込んでいく。すると、完全に事切れていたはずの騎士が人間とは思えぬギクシャクした動きで起き上がる。

 

 

『ひっ』

 

 

姉妹はこの世の理を外れて起き上がった亡者の姿に悲鳴を漏らす。

 

 

『え』

 

 

そしてそれを行った張本人と、それを見守っていた友人は揃って驚きの声を漏らした。

姉妹は勿論、モモンガとネバギアも死体を使って召喚されるとは思っていなかったのである。

恐怖と驚愕の視線を受けながら起き上がった騎士の骸は、ゴポリという音を立てて兜の隙間から黒い液体を溢れさせた。

その粘液質の闇は止めどなく溢れて全身を包み込む。その様はまるでスライムが人間を捕食しているかのようである。そうして粘液が全身を包み込むこと数秒、闇が流れるように落ちるとそこにいたのは騎士とは全く別の存在だった。

身長は二~三メートルほどにまで延び、体の厚みも増している。左手には巨大なタワーシールド、右手にはフランベルジェ。それぞれが普通の人間なら両手で持っても扱えるかどうかという武具を、それは軽々と持っていた。

武器を構える巨体は黒い金属の刺々しい鎧で覆われ、血管のような赤い紋様が刻まれている。顔の開いた兜からは腐りかけた亡者の顔が覗いていた。

予想外の登場の仕方に動揺しながらも、モモンガはナザリックで実験としてモンスターの召喚を行った時と同じような繋がりを死の騎士(デス・ナイト)から感じる。

モモンガは静かに命令を待つ亡者の騎士に命じた。

 

 

死の騎士(デス・ナイト)よ、この村を襲っている騎士たちから村人を守れ」

 

「オオオァァァアアアアアア――!!」

 

 

主人から下された命令を承諾したことを示すかのように咆哮する。

空気が振動するような大音量で吼えた後、死の騎士(デス・ナイト)は村に向かって駆け出した。

 

 

「え」

 

 

疾風と評することができる速さで駆けていく死の騎士(デス・ナイト)の背を、モモンガは唖然としながら見送る。

ユグドラシルでは自分の傍に待機して迎撃するものであったが、こちらでは命令の意味を考えて自ら行動するらしい。この変化は未知の多い状況下では危険とも言える。

 

 

「いなくなっちゃったよ……。いや、命令したのは俺だけどさぁ……」

 

 

モモンガはブツブツと呟く。その様子にネバギアは「ハハハ……」と乾いた苦笑いを漏らしながら、姉妹へと向き直った。

 

 

「先程のモンスターを尖兵として向かわせた。村人たちを守るために戦ってくれるだろう」

 

「ほ、本当ですか……?」

 

「ああ。ちなみに、お前たちを覆っているそれは生物を通さない守りの魔法と射撃攻撃を弱める魔法だ。その中にいれば大抵は安全だ。――それと、念のためにこれをくれてやる」

 

 

ネバギアの隣まで移動しながらモモンガは簡単に魔法の説明をしてやると、ついでとばかりにアイテムボックスから自分の無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)を取り出し、そこからみすぼらしい角笛を二つ手にすると姉妹たちの前に放り投げた。

 

 

「それは小鬼(ゴブリン)将軍の角笛というアイテムだ。それを吹けば小鬼(ゴブリン)の軍勢がお前に従うべく姿を見せるはずだ。そいつらを使って身を守るが良い」

 

 

軍勢というには少なく、呼び出されるモンスターも弱いというゴミアイテムだが、召喚された小鬼(ゴブリン)たちは時間経過では消滅しないという小さなメリットを持つ。時間稼ぎにはなるはずだ。

自分でも何故破棄していなかったのか謎ではあるが、そんなアイテムを有効活用できて良かったとモモンガは考える。その隣のネバギアから「そんなアイテム渡してどうするんだ」という視線には気付かずに。

 

 

「――では行くぞ、二人とも」

 

「ええ」

 

「畏まりました」

 

 

モモンガはローブを翻して村へと歩き出すと、それに続くようにネバギアとアルベドが続いていく。

記憶の中で村の全体像を思い出しながら歩き始めると、数歩もしない内に声がかかった。

 

 

「あ、あの――た、助けてくださって、ありがとうございます!」

 

「ありがとうございます!」

 

 

一同が足を止める。(まなじり)に涙をにじませながら感謝の言葉を紡ぐ二人の少女を、三人が揃って振り返って眺める。

隣に立つアルベドの「下等生物が……」という呟きは聞こえないふりをして、モモンガは短く返す。

 

 

「…………気にするな。それにお前たちを助けたのは私ではない。私の友だ」

 

「あ、その……ありがとうございました!」

 

 

一番怖くて偉そうな人――人といって良いのか、という疑問は脇に置いた――に感謝を述べると、真っ当な言葉が返ってくる。

まさかの返答と正論にエンリは、自分が真っ先に礼を言うべき存在へと向いて再び頭を下げた。それに遅れて妹も続く。

 

 

「ありがとうございました!」

 

「気にする必要はない。救える命が救えてよかった」

 

「本当にありがとうございます……! あ、あの! ず、図々しいとは思います! で、でも、あなた様たちしか頼れる方がいないんです! どうか、どうか! 村の皆を、お母さんとお父さんを助けてください!」

 

 

エンリは額を地に擦り付けながら懇願する。

父と母が生きている可能性は低い。だが、その死に際を見ていない以上断言はできない。エンリは僅かな希望に縋りながら伏して願った。

 

 

「……了解した。生きていれば助けよう」

 

 

モモンガは頷く。元よりそのつもりだし、死の騎士(デス・ナイト)について説明した時もそう言ったはずだ。まだ信用されていないのだろうか、とモモンガは内心で溜息を吐く。

そんなモモンガの心情など露知らず、エンリはモモンガの言葉に勢いよく頭を上げた。その顔には感謝と驚愕に大きく目が開かれている。

そしてすぐに我に返ると再び頭を下げた。

 

 

「あ、ありがとうございます! ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」

 

 

ただただ感謝の言葉を述べ続けた後、エンリはごくりと喉を鳴らし、一つ尋ねた。

 

 

「お、お名……お名前は……あなた様たちのお名前は、なんとおっしゃるんですか?」

 

 

エンリの質問にモモンガは数秒の間を置いた後、モモンガは答える。

 

 

「我らの名を知るが良い。我らは……アインズ・ウール・ゴウン――!」

 

 

それはまるで誇るかのように。その名乗りは明るい力強さに満ち溢れていた。

 

 

 

 

.




ネバギア、戦いました。一瞬で終わりましたけど。
そして、やっぱり異業種なのでモモンガ様とネバギアはついつい無情な方向に思考が働いてしまいます。どこまでそれを自制して人間らしさを残せるか……。あと、助けたのはネバギアなので、モモンガ様に対する姉妹の信用度はまだ低いです。仕方ないね。
最後に、モモンガ様は独りではないので、自分の名前としては『アインズ・ウール・ゴウン』は名乗りません。ご了承ください。


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第7話『生き残る』

前回の投稿から一年以上空いてしまいました、申し訳ありません。
鈍足更新は相変わらずですが、少しずつ頑張って進めていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。


姉妹を助けた後、モモンガたちは村の中心部へとゆっくり移動していた。

右を向いても左を向いても、血溜まりと死体が目に入る。凄惨な光景を目の当たりにしても冷静を保っていられることに関しては異形となったことに感謝しながら、モモンガとネバギアは歩き続ける。

 

 

「モモンガさん。先程彼女たちにアインズ・ウール・ゴウンと名乗りましたが……我々はなんと名乗るつもりですか?」

 

「? どういう意味ですか?」

 

 

ネバギアの質問の意味が分からず、モモンガは首を傾げた。

自分たちはアインズ・ウール・ゴウン。だからそう名乗ったにすぎない。なのにどのように名乗るのか、という質問の意図が彼には掴めなかった。

モモンガの様子からそれを察したネバギアは苦笑混じりの声色で返す。

 

 

「すみません、私の質問の仕方が悪かったです。我々(アインズ・ウール・ゴウン)という集団の名は名乗りましたが、私たち……つまり、私とモモンガさんはどうするのか、という意味です」

 

「ああ、なるほど」

 

 

漸く理解できたモモンガは心の中で手を打ちながら頷いた。

確かに自分が少女たちに教えたのはギルドの名だ。個人の名前は教えていない。

さて、どうするか。モモンガは歩みを止めぬまま顎に手を当てる。

 

 

「私は、アルゲースと名乗るつもりです」

 

「うん、ネバギアさんはそれがいいと思います」

 

 

彼の装備品であり、もう一つの体とも言えるドローン武器。アルゲース。

アルゲースという名前もいってみればネバギアのもう一つの名だ。問題も違和感もない。

ならば自分はどうするか、とモモンガは再び考え込む。

 

 

(そのままモモンガって名乗るのもなぁ……)

 

 

ユグドラシル時代、遊びで魔王っぽいロールプレイをしたことを思い出す。

玉座に座り、『魔王モモンガ』と名乗った時は名前負けならぬ名前大勝利とまで言われた。あの時は少しショックを受けたが、今になって思えば確かに魔王の名前がモモンガでは格好がつかないだろう。

どうしたものかと考えるモモンガに、たった今もう一つの名を名乗ることを宣言したネバギアが提案した。

 

 

「……アインズ、というのはどうでしょうか?」

 

「アインズ……アインズ・ウール・ゴウンから取るわけですか?」

 

「はい、その通りです」

 

 

言葉同様首を縦に振って肯定するネバギアに、モモンガは小さく唸って考える。

アインズ・ウール・ゴウンは自分だけのものではない。大切な友であるギルドメンバー、そして今となってはその仲間たちから託された可愛い僕たちと共有する宝物だ。

そんな大切な宝物の名前を、たとえ一節とはいえ勝手に偽名として名乗って良いのだろうか。モモンガは頭を悩ませる。

うーん、と唸った後で自分たちに付き従うように数歩後ろでついてくるアルベドへと振り返った。

 

 

「……アルベドよ、仮に私がアインズと名乗るとして、それに対して何か思うところはないか?」

 

「非常によくお似合いのお名前かと思います。モモンガ様は至高の存在の長、言うなればアインズ・ウール・ゴウンの頂点に立つ御方。それ程の御方であれば、ギルドの名の一節を御身の名の一つとして名乗られるに相応しいかと」

 

 

禍々しい兜からその表情は窺えないが、きっと優しい女神のような微笑みを浮かべているだろう。そう思わせるほど、アルベドの声色は優しいものだった。

そのアルベドの言葉に同意するようにネバギアは再び頷く。

 

 

「モモンガさん。アインズという名は、あなたが名乗るに相応しい。それが私たちの総意です」

 

 

アルベド同様優しい声色でそう言われると、モモンガはそれに少し照れ臭さを感じながらもそれを受け入れることに決めた。

 

 

「――ではこの時より、私はアインズ、そしてネバギアさんはアルゲースと名乗る事とする。なお、これは我々ナザリックの者たち以外の存在がその場にいる時に限定する。アルベドよ、此度の一件を終えてナザリックに帰還した際、全僕たちにこのことを伝えよ」

 

「はっ。承知いたしました」

 

「それと、我々以外のギルドメンバーがナザリックに戻り、私がアインズと名乗ることに異を唱えた場合、私は速やかにその名を返上する……よいな?」

 

 

確認の問いはアルベドに向けられたものではあるが、そこにはネバギアに対するものでもあることが含まれていた。そして同時に、もしもの時は名前を返上する事に対する異論を許さぬという思いが込められているとネバギアは感じた。

メンバーたちが戻ってきても異を唱える者がいるわけがない。ギルドを想い、守り抜いてきた彼の功績を鑑みれば当然だ。

そう思いながらも、それを口にするのは野暮だろうと言葉を飲み込んだネバギアは、静かに一礼した。

 

 

「……了解しました」

 

「モモンガ様の仰せのままに」

 

 

ネバギアに続き、アルベドも跪いて了解の言葉を述べる。

二人の了承を受け取ったモモンガは鷹揚に頷いた。

 

 

「ところでモモンガ様、ネバギア様、急がなくてよろしいのですか? 勿論私は御二人のお側に控えさせて頂けるだけで満足ですが……」

 

 

アルベドが尋ねてくる。その質問の内容はもっともだった。

ネバギアは出発した際にこの村は助けなければならない、と言った。しかし、今の二人に急ぐ様子はない。

それを訝しむアルベドの反応にモモンガが答えた。

 

 

「うむ。死の騎士(デス・ナイト)が忠実に任務をこなしているようなのでな」

 

「たしかモモンガさんの特殊技術(スキル)には魔法や特殊技術(スキル)で召喚したアンデッドモンスターを強化するものがありましたね」

 

「その通りだ、ネバギアさん」

 

「なるほど……流石はモモンガ様のお作りになったアンデッド。見事な働きには感服いたします」

 

 

アルベドの褒め言葉にモモンガは「うむ」と自信たっぷりに頷いた。

しかし、そんな反応とは裏腹にモモンガの思考は冷静に状況の把握の為に働いている。

 

 

(確かに俺が作り出すアンデッドは通常のものよりは強い。でも所詮はレベル三十五のモンスターだ、はっきり言って弱い。ネバギアさんの情報では騎士たちのレベルは一桁程度らしいからそれでも充分なんだけど……)

 

 

現時点で危険はないことにモモンガはローブの下でぐっと拳を握って喜びながらも、村を襲った騎士たちがたまたま弱かったという可能性も頭の片隅に置く。

そんなモモンガの傍らでネバギアが数秒無言を貫いた後、存在しない口を開いた。

 

 

「複数の生命反応がこの村の中心地から確認出来ました。どうやら、生き残った村人たちは中央に集められているようですね」

 

 

それと、村を囲むように一定間隔に生体反応があります。

探知魔法を発動しながらそう締めくくるネバギアからの情報に、モモンガは頷いて理解したことを示し、移動する前にやるべきことを行う。

まずはスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンのエフェクトをカット。邪悪なオーラが霧散したのを確認すると、モモンガはアイテムボックスへと腕を突っ込んで一つのアイテムを取り出した。

それは頭をすっぽりと覆うような形状をした仮面。泣いているようにも、怒っているようにも見えるなんとも形容しがたい表情を浮かべている。

装飾過多なほど彫り込まれたその仮面に気付いたネバギアが、「あ」と短く声を上げて近付いてきた。

 

 

「それって確か嫉妬マスクですよね」

 

 

嫉妬マスク。正式名称は『嫉妬する者たちのマスク』。

異様な見た目とは裏腹になんの能力も付与されず、することもできないイベントアイテムの一つである。

クリスマスイブの十九時から二十二時までの間に二時間以上ユグドラシルいないと手に入らない――というより、二時間以上いると問答無用で手に入れてしまうという、ある意味呪いの装備品だ。

運営の悪ふざけともいえるこのイベントと装備品に、大型掲示板サイトのユグドラシルのスレッドが大いに賑わい、そして荒れたことは今でも記憶に残っている。

モモンガはその仮面とネバギアを交互に見ながら思う。

 

 

(……ネバギアさんはこれ持ってないんだよなぁ)

 

 

つまりはリア充な勝ち組(そういうこと)である。

 

 

「…………」

 

「な、なんですか?」

 

 

ネバギアが巨体を揺らしてたじろぐ。

思わず自分が友人に対して妬みの視線を送っていた事に気付いたモモンガは「……いえ」と更に一拍置いた後に仮面を被った。

そしてガントレットを取り出して白骨の腕を覆った。そのガントレットはかつてギルドメンバーと遊び半分で作ったものだ。筋力を増大させる能力しかないが、それを作った思い出を考えると貴重な一品である。

 

 

「ネバギアさん、こんな感じで大丈夫ですか?」

 

「え、ええ。それなら一目で異形だとバレることはないかと」

 

 

見た目が禍々しいままであることに変わりはないが。

咄嗟に続きそうな言葉を飲み込みながらネバギアは頷く。

モモンガが今になって姿を隠すのはネバギアの指摘によるものである。

ユグドラシルでのアバターとして見慣れた白骨の姿。モモンガやネバギアは勿論、アルベドたちのようなNPCにとっては恐ろしいものではない。

しかし、原住民たちにとっては紛れもない異形の化物。恐怖するのは仕方がないことだ。

先程助けた姉妹たちの反応を振り返り、自分たちと彼女たちの意識のギャップに気付いたネバギアによって、今のモモンガは邪悪な化物から邪悪な魔法詠唱者(マジック・キャスター)へとレベルダウンしている。

 

 

「そういえば、ネバギアさんのその姿はどう説明しましょうか」

 

 

「私は魔法詠唱者(マジックキャスター)ということで通してますが……」と言うモモンガの発言を受けて、ネバギアは自分の見た目の言い訳を考えていなかったことに気付く。

 

 

「そうですね……ゴーレムクラフターというのはどうでしょうか? で、本体は私たちの拠点にいてアルゲースを遠隔操作している、とか」

 

「なるほど。それなら問題なさそうですね」

 

 

即興で考えた設定としては上出来だろう。

この世界にゴーレムが存在するかは不明だが、ゴーレムを作るのも魔法の一種だとでも言えば問題ない。

モモンガの装備とネバギアの言い訳の準備が整ったところで、次にネバギアはアルベドへと視線を向けて尋ねた。

 

 

「アルベド、後詰の準備はどうなっている?」

 

「デミウルゴスの指揮の許、既に村の包囲を完了しております」

 

「そうか、了解した」

 

 

アルベドの返答を受けたネバギアは、次に包囲網の指揮を執っている配下へと<伝言(メッセージ)>を発動する。

 

 

『デミウルゴス、聞こえるか?』

 

『ネバギア様。どうかなさいましたか?』

 

『包囲網の指揮を執っているのがお前だと聞いたのでな。状況の報告を頼めるか?』

 

 

ネバギアの言葉に「勿論です」と力強く了解し、報告する。

 

 

『セバスからの伝言通り、隠密行動や透明化の能力を有するシモベたちで部隊を編成しました。既にご存知かと思いますが、村の包囲は完了しており、村を取り囲んでいた騎士たちの数も把握できております。無論、部隊の存在が気付かれるようなこともありません』

 

 

その余裕のある声色通りの手抜かりのない指揮にネバギアは思わず頷く。

血気流行って攻撃を仕掛けるような事もなく、すぐに行動に移せるように留めている辺り流石と言えた。

 

 

『流石はデミウルゴス、万に一つの手抜かりもないな』

 

『勿体ないお言葉……!』

 

 

ネバギアの称賛に対するデミウルゴスの声色には興奮と歓喜が窺えた。

もしかしたら会話の向こうでは跪いたりしているかもしれない、と内心で苦笑いを零しながら想像しつつ、それを悟られないよう意識して言葉を紡ぐ。

 

 

『我々はこれから行動を開始し、村の中央へと向かう。デミウルゴスは部隊を指揮して村を囲んでいる騎士たちを捕らえよ』

 

『畏まりました。捕らえよ、ということは無傷である方が都合が良いということでしょうか?』

 

 

デミウルゴスはネバギアの命令から、騎士たちは生かしたままである必要がある事、そして可能であれば傷つけぬ方が良い事を察し、その上で念のために確認する。

なんとも察しの良い部下に感心しつつ、ネバギアはその判断が間違っていないことを伝えた。

 

 

『その通りだ。出来るか?』

 

『勿論でございます。ただ武装しただけの騎士を捕らえるなど、造作もございません』

 

『そうか。では任せる……くれぐれも、傷つけぬようにな』

 

 

念押しを最後にネバギアは通話を切る。

その念押しは騎士たちを殺したくないという優しさ……からではない。今まで村を巡って虐殺を繰り返してきた騎士たちにかける情はないのだから。

にも関わらず無傷の生け捕りを命じたのはただ単純に、ナザリックの僕たちの戦闘能力では加減をしても騎士があっさりと死んでしまう可能性があるからである。

 

 

「モモンガさん、今しがたデミウルゴスに村を囲んでいる騎士たちの捕縛を命じました。我々もそろそろ動きましょう」

 

「わかりました。アルベド、行くぞ」

 

「はっ」

 

 

飛行(フライ)>の魔法を発動し、モモンガは軽やかに宙へと舞い上がった。その後に続くようにアルベドが浮遊した。

二人が上空へと移動したのを確認した後、ネバギアも身体を飛行形態へと変形させて上昇する。

三人はある程度の高さまで上昇すると一気に村の中央へと飛行した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モモンガたちが移動を開始する数十分前。

 

 

「オオオオァァァアアアア!!」

 

 

村の広場で大気を震わせる咆哮が轟いた。

それはまるで虐殺が別の虐殺に変わる事を、狩人が獲物となることを告げる号砲。

その号砲を正面から受け止めた男、ロンデス・ディ・グランプは心の内で己が信仰神に向けて何度も罵声を浴びせていた。

敬虔な信者である己を救うべく、自分たちを狩ろうとする化物を打ち倒すべく現れるべきではないのか。

神はいない。そんな戯言をのたまう不信心者を馬鹿にしていた過去をロンデスは思い出す。

そして現在のロンデスは思う。本当に神など存在しないのではないか。

 

 

「オオォォ……!」

 

 

そんな現実逃避も目の前の化物の唸り声で失敗に終わる。

怪物が重く一歩近づけば、自分は震える脚で二歩後退した。

小刻みに震える鎧が、カチャカチャと耳障りな音を立てる。両手で握っているはずの剣は、切っ先が二重にぶれるほど震えている。自分一人だけではない。共に化物を取り囲む十八名の仲間全員が同じだった。

ロンデスは救いを求めるように視線を動かす。

彼らがいるのは村の中央の広場。そこにはロンデスたちが集めた六十人弱の村人たちが怯えた表情でロンデスたちと化物の様子を窺っていた。

村の行事等で使用されるのであろう木製の質素な台座の陰に子供たちを隠し、その子供たちを守ろうとするかのように棒を持った村人たちが恐怖と困惑を綯い交ぜにした表情でロンデスたちと死の騎士(デス・ナイト)を見つめている。

それを見てロンデスは今の自分たちに救いの手はないことを悟る。

村人たちに自分たちを助けるだけの力があるのかどうかは問題ではない。そもそも、彼らが自分たちを助ける義理も道理もないのだから。

村を囲い、四方から村人たちを駆り立て、空になった家は中を捜索した後に錬金術用の油で焼き払う。殺しながら駆り立てた生き残りを村の中央に集め、適当に間引いた上で幾人かを生き証人として逃がす。仮に村の外に逃げようとしても馬に乗った弓兵がそれを仕留める。そうやっていくつもの村々を処理してきた。

この村も同じだ。敵国に襲われた可哀想な村(・・・・・・・・・・・・)。そうなる、はずだった――。

 

 

(まさか、こんな化物に出くわすとは……!)

 

 

ロンデスは自分の不幸を呪う。

そして、目の前の化物の後ろに転がっている仲間の亡骸を見た。

遅れて広場に逃げてきた村人たちを後ろから斬りつけようとした二人の仲間。しかし彼らの剣が村人たちの体に届くよりも、騎士たちの命が散る方が早かった。

一人は七メートル以上高く吹き飛んだ末に地面に落下。グシャリと嫌な音を立てたのを最後に、ピクリとも動かなくなった。

もう一人は右半身と左半身に分断されて地面に転がっている。鎧ごと真っ二つにされた死体の断面からは鮮血と糞尿に塗れた内臓がこぼれ、異臭を放っている。

ロンデスには二人が死ぬ瞬間を目で追うことはできなかった。ただ、突如現れた怪物が両手に持つフランベルジェとタワーシールドから血が滴り落ちているのを見て、一人は巨大な盾で突き上げられ、もう一人は波打つ刃によって両断されたのだと理解した。

魔法によって軽量化されているといっても重く固い全身鎧(フルプレート)を纏った、鍛えられた成人男性を空中に跳ね上げ、一太刀で切り捨てる怪物。

その存在はまさに絶望の二文字の具現化だった。

円陣を形成して怪物を包囲してはいるが、そんなものはこの魔物にとってなんの意味もない。襲い掛かられたら最後。瞬きをする間もなく殺されるだろう。

 

 

「神よ、お助けください……」

 

「神よ、どうか……」

 

 

面頬付き兜(クローズド・ヘルム)の下からくぐもった嗚咽混じりの祈りが聞こえる。自分と同じように運命を悟った者たちの哀願だ。中にはすすり泣く者もいる。

これまで無力な村人たちを蹂躙して命を奪い続けたからこそ、自分たちが同じ立場になるという覚悟が出来ていなかった。

そんな絶望的な運命を悲観して次々と心が折れていく者たちの中、未だに諦めず抗おうとする者がいる。

 

 

「き、きさまら! あの化け物を抑えよ!!」

 

 

しかし、それは勇敢さからのものではない。自分だけでも助かりたいという醜く、しかし生存本能として当然の感情からである。

その騎士が誰なのか。ロンデスは訝しむ。

面頬付き兜(クローズド・ヘルム)で顔が見えないその騎士は今すぐにも逃げ出したいのであろう、爪先立ちで腰が引けた状態でブルブルと震えて滑稽な様子だ。

無様な姿、そして恐怖してなお損なわれぬ傲慢さ。残念な事にロンデスはそんな人物に一人だけ心当たりがある。

 

 

「ベリュース隊長……」

 

 

ロンデスは思わず顔を顰める。

下種な欲望で村娘に襲い掛かり、その父親であろう男と揉み合いになった挙句、部下に助けを求める。そして部下の手によって男が引き剥がされると八つ当たりで何度も剣を突き立てる。そんな男だ。

国ではある程度の財力を持つ資産家が箔を付けるために隊に参加し、そしてその唯一の取り柄である財にものを言わせて隊長になっただけの彼が自分たちを助けるだけの力があるはずもなく、そして先の発言が照明する通り部下を助けようとする度胸など持ち合わせていない。

 

 

「俺は、こんなところで死んでいい人間じゃない! おまえら、時間を稼げ! 俺の盾になるんだぁあ!」

 

 

ベリュースの言葉を受けて動くものなど誰もいない。勿論、ロンデスもその一人である。

隊長という立場に胡坐をかいて威張り散らすだけの男に人望などあるはずもない。そして、そんな男の為に命を懸ける者がいないのは当然の事であった。

唯一、死の騎士(デス・ナイト)だけがベリュースの喚き声に反応してゆっくりと向き直る。

 

 

「ひぃいいい!」

 

 

恐怖に駆られ、ベリュースは甲高い悲鳴を上げる。

それでも部下たちが動く様子はない。そこで(ようや)く自分を助けようとする部下がいないことを理解したベリュースは、内心で無能で薄情な部下たちを罵りながら己にとって絶対な力に頼ることにした。

 

 

「かね、かねをやる。二〇〇金貨! いや、五〇〇金貨だ!」

 

 

資産家なだけあって、提示したのはかなりの高額だ。金貨が三十枚もあれば三人家族が三年ほど苦労することなく生活できるだろう。

しかし、それでもロンデスたちは動かない。いくら報酬が高額だからといって、誰が望んで死ぬことを選ぶだろうか。

 

 

「う、うぅ……! な、ならば一〇〇〇だ! 金貨一〇〇〇枚――!」

 

 

必死に大声を上げるベリュース。

彼の呼び掛けに応える存在が一人――否、半分だけいた。

 

 

「オボボオォォオオ……」

 

 

死の騎士(デス・ナイト)が広場に到着したと同時に両断された騎士の右半分だけがズルズルと這って近付き、ベリュースの足を掴んだのである。

従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)

ユグドラシルの世界での設定では死の騎士(デス・ナイト)の剣によって死を迎えた者は永遠の従者にされてしまう、というものがあった。

それを再現したシステムとして死の騎士(デス・ナイト)にはターゲットを殺害した際、殺した者と同じレベルのアンデッドをその場に出現させるスキルを有している。

その能力により化け物となって蘇った元部下の存在を(ようや)く頭で理解できたベリュースが次に行ったのは、

 

 

「――おぎゃああああ!!」

 

 

今日一番の絶叫を上げる事だった。

情けない悲鳴を上げるベリュースを責めることが出来る者はいない。

騎士たちも、村人たちも、その光景を見ていた全ての人間が同じように顔を引き攣らせる。

そんな周囲の反応を他所に、圧倒的恐怖に耐えかねたベリュースは悲鳴を上げながら背を向けて走り出した。

今の彼には自分たちが通ってきた道を辿る様に村の外へ逃げ出すことしか頭にない。

しかし、彼の行動はこの場においては正解であった。

死の騎士(デス・ナイト)がモモンガから受けた命令は村人たちを守ること。村人たちに危害が及ばないのであれば、騎士たちの生死や闘争・逃走の有無は重要ではないのである。

図らずも生還できる可能性を掴んだベリュース。

 

幸運な彼の唯一の不幸は――

 

 

「じゃ、邪魔だあぁ! どけえぇ!」

 

 

逃げ道を塞ぐ邪魔者を(・・・・・・・・・・)切り捨てようとしたことだった(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「ひぃっ!」

 

 

兜の隙間から血走った眼を見開いて走ってくる騎士に、広場に追い立てられてやってきた壮年の女性が頭を抱えて蹲る。

その女性の横を走り抜ければいいだけのことを、ベリュースは剣を振り上げ切ろうとした。その行動が彼の命運を分けた。

 

 

「ォォオオアアァァア!」

 

 

死の騎士(デス・ナイト)は咆哮し、その巨体と重装備を感じさせぬ速さで跳躍する。

たった一度の一足飛びで彼我の距離は縮まり、突き出された剣によってベリュースは串刺しにされた。

 

 

「――え? あ、ぇ?」

 

 

ベリュースは腹から突き出た刃をぼんやりと見下ろす。そして、全身の力が抜けると自分がたった今切ろうとした女の前で倒れ伏した。

倒れた衝撃で兜が外れ、脇に転がる。恐怖に引き攣る女性と目が合った。

そして、その女性と自分を覆うように大きな影が差す。ベリュースが力なく振り返ると巨大なフランベルジェを逆手持ちにして切っ先を自分へと向けた魔物がそこにはいた。

 

 

「た、たしゅけ――」

 

 

禍々しく波打つ刃が振り下ろされる。

 

 

「ぎゃああぁぁああ!!」

 

 

ベリュースの口から、喉が裂けんばかりの大絶叫が響く。

何度も何度も背中に刃が突き立てられ、その度に背中は焼けるように熱く、そして全身が凍り付くように冷えていくのをベリュースは感じた。

思わず彼は手を伸ばす。たった今自分が殺そうとした女性へと。

 

 

「たじゅけ、たじゅけて……! おねがい、じまじゅ! なんでもじまじゅ……!」

 

 

涙を流し、血反吐を吐きながら助けを求める。

 

 

「おかね! おがね! いくらでも、さしあげまじゅか、ら……!」

 

 

しかし、救いの手が差し伸べられることはない。

助けを求めた女性もまた、目の前で騎士を惨殺する怪物に対する恐怖で動けずにいた。

そして、仮に動けたとしても自分たちの村を襲ったことを棚に上げて、金で解決しようとするような男を助けることはない。

 

 

「お、が……! だじゅ、げ……!」

 

 

最期までそれに気付くことなく、ベリュースは体内を挽き肉のようにグチャグチャにされて、息絶えた。

 

 

「クゥウウウ――」

 

 

死の騎士(デス・ナイト)が高く唸る。その唸り声は喜び、昂っているように聞こえる。

事実、死の騎士(デス・ナイト)の唸り声は喜悦のものであった。憎き生者を惨たらしく殺戮できたことに、なにより、至高の存在の命令に従えていることに歓喜しているのである。

満足気に唸りながら、死の騎士(デス・ナイト)はゆっくりと振り返り、自分を取り囲む騎士たちと護衛対象である村人たちを一瞥した。

そうして視界の端に、次に処分すべき標的を捉える。

 

 

「オオォォ――!」

 

 

死の騎士(デス・ナイト)が再び雄叫びを上げ、今度は一塊になった村人たちへと駆ける。

 

 

「ひぃぃいい!」

 

「助けて――!」

 

 

村人たちが抱き合い、蹲りながら死の瞬間を待つ。

しかし、それが訪れることはなかった。

死の騎士(デス・ナイト)が凄まじい脚力で村人たちの一団を飛び越えたのである。

守るべき人間たちの背後にゆっくりと静かに迫るそれ(・・)に向けて、死の騎士(デス・ナイト)はタワーシールドを突き出した。

 

 

「オボォォ…!」

 

 

巨大な盾による盾打ちを食らったのは騎士たちの鎧を纏った亡者であった――広場にいる騎士たちや村人たちは知る由もないが、この動死体(ゾンビ)もまた死の騎士(デス・ナイト)が広場に向かう道中で村人たちを虐殺していた騎士たちを瞬殺して生成された従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)である――。

 

 

『なっ……!』

 

 

まさかの光景に一同は驚愕する。

生者たちの反応を無視し、死の騎士(デス・ナイト)はマントを翻して振り返ると、新たな標的に向かって走り出した。

次に狙われたのは、ベリュースに切られそうになった女性……の前に転がっていた、今まさに従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)として蘇り、目の前の女性に襲い掛かろうとしてるベリュースの亡骸である。

 

 

「ウゥゥオオ――!」

 

 

恐るべき速さでベリュースの死体に迫ると、片足を高く上げてそれを踏み潰した。

足元に不出来な血肉の花が咲く。その醜い花さえも踏み潰すかのように、死の騎士(デス・ナイト)は何度も何度も足を振り下ろし、元人間だったそれを完全な肉塊へと変える。

その光景に、騎士と村人たちはありえないと何度も頭の中で連呼しながら確信する。

 

この魔物は村人を襲おうとする存在に反応し、攻撃する。

 

本来アンデッドとは生者を憎み、殺戮を好む存在。アンデッド系モンスターについてある程度知識を持つ者にとってそれは常識である。

しかし、このアンデッドはその常識の外に位置していた。

その驚愕の事態に、村人たちの胸中に一筋の希望が射す。この魔物がいれば、自分たちがこれ以上傷付くことはないと。

同じく騎士たちの心の内にも生還できる可能性が生まれる。村人たちに攻撃を行わなければ、殺されないのではないか。

だが、騎士たちの中で生まれたその可能性はあまりにも不確定で不安定なものだ。彼らがここまでに来る間にどれだけ多くの人間を殺してきたかを考えれば、当然といえる。

それでも目の前の魔物に抗えば待っているのは死。自分たちから攻撃するなど論外である。

ならば、一粒の砂より小さな希望であっても、それを捨てるわけにはいかない。

ロンデスは僅かな希望を糧に己の心を奮い立たせ、拳を力強く握りしめる。そして、仲間たちに撤退を呼びかけようと息を吸い込む。

 

 

死の騎士(デス・ナイト)よ、そこまでだ」

 

 

一同の上空から声が響いた。

重く響く声の正体が誰なのか、その場にいる全員が空を見上げる。ロンデスもまた、言葉を発することも忘れ、天を仰いだ。

見上げた空に映るのは三つの影。

一つは……よくわからない。漆黒の鋼鉄の塊が空に浮いている。

もう一つは同じく漆黒の鎧を纏った人物。角の生えた面頬付き兜(クローズド・ヘルム)で顔は分からないが、胸部の膨らみや腰回りの細い鎧のデザインから女性であることは推察できた。

そして最後の一つは厳かな装飾があしらわれた漆黒のローブを風ではためかせている。右手に持つ金色の杖は、埋め込まれた宝石が陽光を浴びて煌めいていた。

突然現れた登場人物に驚愕する騎士と村人の視線を受けながら、モモンガとアルベドはゆっくりと地面に降り立つ。

 

 

「はじめまして、諸君。私の名はアインズ」

 

 

モモンガの挨拶に返事を返す者はいない。騎士たちは虚脱したように棒立ちのままモモンガを眺めている。

 

 

「投降すれば命は保証しよう。まだ戦いたいと――」

 

 

モモンガの言葉を最後まで聞くよりも早く、ロンデスが手に持っていた剣を投げ捨てた。

突然現れた目の前の人物の言葉が真実である保証などない。しかし、自分たちの隊長や同僚を惨殺した魔物を相手に逃げるより遥かに確実であるからこその行動だった。

そんな彼に続くように、他の騎士たちも次々と剣や盾を投げ捨て、無抵抗の意を示す。

 

 

「……諸君には生きて帰ってもらう」

 

 

その一言で騎士たちは安堵の息を漏らす。

 

 

「そして、諸君らの(じょう)――飼い主に伝えろ」

 

「……!」

 

 

モモンガは<飛行(フライ)>でロンデスの眼前に迫る。突然の接近に、ロンデスは息をするのを忘れ、全身を強張らせた。

目の前の騎士が怯えているのを察しながら、それを都合良しとして無視し、モモンガは片手で器用に面頬付き兜(クローズド・ヘルム)を剥ぎ取る。

 

 

「この辺りで騒ぎを起こすな。騒ぐようなら今度は貴様らの国まで死を告げに行くと伝えろ」

 

 

疲労と恐怖に濁ったロンデスの瞳に怒りと悲しみを表現したような不気味な仮面が映る。

ロンデスは頭を何度も上下に振る。震えながら必死に頷くその姿は憐れみを感じさせた。

 

 

「行け。そして確実に主人に伝えろ」

 

 

モモンガが顎でしゃくると騎士たちは一目散に走り出した。

少しでも早く、少しでも遠くに行くために。前のめりに倒れそうになりながら、時折本当に倒れ込みながら、それでも必死に逃げる。

 

 

「……演技も疲れるな」

 

 

小さくなっていく騎士たちを見送りながら、モモンガは小さく呟く。

ナザリック内での立ち振る舞いでもそうだが、リアルの世界ではただの会社員に過ぎなかったモモンガにとって今のような威厳ある人物の演技というのはどうしても疲労が溜まる。

本来なら肩でも回しながら一息つきたいところだ。と、モモンガは心の内で独りごちながら、演技を続ける。

 

 

死の騎士(デス・ナイト)従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)を片付けてこい。その際に隠れ潜んでいる騎士を発見した場合は殺して構わん。だが、村人は決して傷つけるな」

 

 

村人たちに聞こえるようにモモンガは命令する。そうすることで暗に村人達に自分たちは敵ではないことをアピールする。

 

 

「ウォォオオ――」

 

 

隠れた目的があることなど知らぬまま、死の騎士(デス・ナイト)は命令を受諾したことを示すように吠えると、力強い足取りで駆け出した。

走り去る死の騎士(デス・ナイト)を見送ると、モモンガは村人たちへと向き直る。

村人たちの顔には僅かに和らぎながらも混乱と恐怖の色が残っていることにモモンガは気付く。そして、自分という正体不明の強者――少なくとも騎士たちよりは――に怯えているために、自分たちが騎士たちを逃がしたことへの不満が出なかったことを理解した。

モモンガは反省しつつ、村人たちとの距離を開けたまま話しかける。

 

 

「君たちはもう安全だ。安心してほしい」

 

 

威厳を損なわず、しかし親しみを込めた優しい口調であることに努めて語り掛けるモモンガ。

その声色や言葉にまた少し恐怖が薄らいだのか、村人の代表者なのであろう人物が一歩前に出てくる。

 

 

「あ、あなた、あなたたちは……」

 

「この村が襲われていたのが見えたので、助けにきたものだ」

 

 

モモンガの言葉に「おお……」とざわめきが起こり、村人たちの顔に安堵の色が浮かぶ。しかし、中にはそれでもなお、不安の色は拭いきれていない。

 

 

(仕方ない。手段を変えるか。本当はこういうの、あんまり好きじゃないんだけど)

 

 

モモンガは取りたくない方法を選ばなければいけないことに仮面の中で小さく息を吐いた後に言葉を紡いだ。

 

 

「……とはいえ、ただというわけではない。村人の生き残った人数にかけただけの金をもらいたいのだが?」

 

 

報酬を要求されたことに村人たちが顔を見合わせる。金銭的余裕がないであろうことが、その様子から分かった。

しかし、同時に村人たちの様子から懐疑的な感情が薄れたことをモモンガは洞察する。

金銭を得るために助けただけ、という世俗的で現実的な言葉が村人たちの疑いと不安をある程度晴らすことに成功したのだ。

 

 

「い、いま村はこんな状態で――」

 

「勿論、村の現状は理解しているつもりだ」

 

 

村の代表者の言葉を、モモンガは手を挙げて中断させつつ話す。

 

 

「とりあえず、報酬などについては後程話し合うとしよう。先程ここに来る前、姉妹を見つけて助けた。その二人を連れてくるから、少々時間をくれないかな?」

 

「そういう事でしたら、私が行ってきましょう」

 

 

モモンガの言葉に反応し、それまで沈黙していたネバギアが――実は密かに探知魔法を発動し、広場以外に生体反応が残っていないか、そして騎士たちが大人しく村の外に逃げて行ったかを調べていた――存在しない口を開く。

今まで静かに宙に浮いていた正体不明の物体が声を発したことで村人たちがどよめいた。

村人たちの反応を受け、ネバギアはモモンガに<伝言(メッセージ)>を送る。

 

 

『……これ、やっちゃいましたよね』

 

『だ、大丈夫ですよ! 私が上手いこと言っておきますから!』

 

 

友人が己の失態に落ち込んでいるのを声色で察したモモンガはそれをフォローしようと咄嗟に言う。

そして自分の言葉で「そういえば」と姉妹を迎えに行くネバギアに一つ依頼をした。

 

 

『ネバギアさん、助けた二人には私たちの正体は黙ってもらえるよう説明してもらえませんか?』

 

『確かに、よくよく考えればモモンガさんの素顔やネバギアという名前への口止めがまだでしたね。了解しました。では私は彼女たちを迎えに行ってくるので、申し訳ありませんが彼らへの説明をお願いします』

 

 

モモンガの依頼を受諾すると、ネバギアは面倒事を押し付けてしまったことへの謝罪をして、高度を上げて姉妹たちを置いてきた方角へと移動を開始する。

その道中、今度はデミウルゴスに向けて再度<伝言(メッセージ)>の魔法を発動した。

 

 

『こちら、ネバギア。デミウルゴス、騎士たちは捕らえられたか?』

 

『おお、ネバギア様。ちょうど今、伝達能力を持つシモベに御連絡差し上げるよう命じていたところです。お手を煩わせてしまい、申し訳ありません』

 

 

どうやら良いタイミングで連絡できたらしい。

デミウルゴスの声色から問題はなかったのだろうと推測しながら、改めて同じ質問をする。

 

 

『気にする必要はない。それで、騎士たちはどうだ?』

 

『御命令通り、村を包囲していた騎士たちは全て捕縛いたしました。無論、傷一つ付けてはおりません』

 

『見事だ、デミウルゴス。モモンガさんも聞けば喜ぶことだろう』

 

『ありがたき幸せ……!』

 

 

ネバギアの労いと称賛にデミウルゴスは言葉に力を漲らせながら答える。

ネバギアに報告した通り、村を包囲していた騎士たちは一人残らず、そして傷一つなく捕縛していた。

村の四方にいた馬に乗り、弓を持ったただの人間。それを四人捕らえるなど赤子の手を捻るよりも容易いこと。

しかし、当然のことと慢心して不備があっては、ただでさえ失いつつある至高の存在からの信頼を失いかねない。デミウルゴスは細心の注意を払い、部下を指揮して事に当たった。過剰な戦力ではあったが、結果は上々。気高き主人からも褒めてもらうことが出来た。

紅蓮の悪魔は歓喜しながら、次にどう行動すべきか偉大なる主に尋ねる。

 

 

『ネバギア様。捕らえた騎士たちはいかがいたしましょうか?』

 

『この世界の情勢や周辺の国・都市の情報、騎士たちの正体や目的……可能な限り情報を引き出せ』

 

『畏まりました』

 

『任せたぞ。貴重な情報源だ、殺さぬようにな』

 

『はっ』

 

 

デミウルゴスの返礼の言葉を受けたことを最後に、ネバギアは<伝言(メッセージ)>を終了する。

普段と比べるとゆっくりとした移動ではあるが、それでも小さな村から出て森に到着するには十分な時間だったようで、姉妹たちを置いてきた場所へと到着する。

見下ろす大地に半球状の淡い光に覆われた姉妹の姿を確認すると、ネバギアはボディを変形させて降り立った。

聞き慣れない駆動音と大きな質量が大地に降り立つ大きな音に姉妹は抱き合った状態でビクリと身体を震わせる。

 

 

「待たせたな」

 

「あ、ネバギア、様……」

 

 

降り立った存在の正体が分かると、エンリは安堵したように表情を和らげた。

しかし、その表情は一瞬。すぐに焦る様な顔つきになり、余裕のない声色でネバギアに尋ねる。

 

 

「あ、あの、村は……村は、村の皆はどうなったのでしょうか!」

 

「村を襲った騎士たちは撃退した。村人たちも全員は無理だったが、我々が到着した際に生きていた者たちは全員無事だ」

 

「そうですか……! よかった……」

 

 

今度こそエンリは安堵の息を吐く。そして、優しく妹の頭を撫でた。

ネバギアは二人の顔には安堵と共に疲労の色が濃く見えることを洞察する。

突然の襲撃と殺戮。自分たちも死を覚悟するような目に遭ったのだ。気が休まらず緊張の糸が張り詰めていたのは想像に難くない。

二人の心労を(おもんばか)りつつ、ネバギアはその疲労を少しでも和らげてやれるように優しく状況を説明する。

 

 

「今、私の友人であるアインズが君たちの村の代表者と話をしている。そして私は、その間に君たちを迎えに来た、というわけだ」

 

「そうでしたか。ああ、なんとお礼を言っていいか……本当に、ありがとうございます!」

 

「ありがとうございますっ」

 

 

姉が深々と頭を下げるのを見て、妹のネムも後に続く。

二人の様子にネバギアは手を挙げながら首を横に振った。

 

 

「気にする必要はない。君たちから報酬を得るという目的があってのことだ」

 

「それでも、あなた様たちがいなければ、私と妹は死んでいたでしょう。それに村の皆も助かっていたかどうか……」

 

 

だから、ありがとうございます。

そう言って、エンリは再び頭を下げて感謝の意を示す。

そこまで言われてしまっては、その感謝を受け取らない方が失礼だろうと考えたネバギアは片膝をついて少しでも目線を近付けた。

 

 

「どういたしまして、とでも言えばいいのかな」

 

 

表情も感情も移さない無機質な一つ目で見下ろす恩人の穏やかな口調にエンリは微笑んで、ネムは笑みを浮かべて返す。

姉妹の緊張や心労が僅かにではあるがほぐれたことを理解すると、ネバギアは本題へと入った。

 

 

「さて、これから君たちを村まで送り届けるのだが……その前に君たちにお願いしたいことがある」

 

「お願い、ですか……?」

 

「うむ。我々にとっては重要な問題だ。ハッキリと言って、この願いを断られると我々は非常に困るし、最悪アインズさんに頼んで君たちを洗脳させてもらう可能性もある」

 

「せ、洗脳……!」

 

 

物騒な単語が出てきたことで、エンリの顔が少し強張る。

魔法に関する知識などほとんどないエンリだが、人の記憶を操る魔法がどれだけ高位のものなのかは察することが出来る。

そして、自分たちや村人たちの恩人がそれを容易く行えるだけの力を持っていることも。

再び心労を与えてしまう事を申し訳なく思うネバギアだが、それでも言葉を覆すことなく続けた。

 

 

「こうして話すのは私たちなりの誠意だ。力尽くで君たちを洗脳することも出来る。だが、我々はそうしたくはない。だからこそ前もって説明をしている。どうか、それだけは理解してほしい」

 

 

ネバギアの言葉に偽りはない。全て彼の本心からの言葉である。

言葉の通り、洗脳で記憶を弄るのが最も手早く、確実なのだ。それをしないのは、彼女たちという人間に対する誠意の現れに他ならない。

幼く状況が飲み込めないながらも、重要で真剣な話なのであろうことを察知したのか、ネムは不安げに姉の顔を窺う。

 

 

「お姉ちゃん……」

 

「大丈夫よ、ネム。……わかりました。そのお願いとやらを、お聞かせください」

 

 

エンリは優しい笑顔と言葉で妹を安心させてやると、目を伏せて数秒の間を置く。

そして、目を開くと決意を宿した瞳でネバギアを見つめた。

 

 

「感謝する。その内容だが二つある。一つはアインズさんのことだ」

 

「アインズ様、ですか……?もしかして、ネバギア様の後に来られた骸骨の……」

 

 

エンリは自分たちを防御の魔法で覆ってくれた骸骨の魔法詠唱者(マジックキャスター)の姿を思い出す。

 

 

「うむ。君たちが見た通り、アインズさんは骨だけの姿のアンデッドだ。しかし、ただのモンスターなどではない。理性と知性を持つ、私にとって大切な友人なのだ。……しかし、君たちの最初の反応を見る限り、人外の姿であるというだけで凶暴なモンスター、もしくは危険な存在であるという先入観を持たれるだろう」

 

 

ネバギアの言葉にエンリは失礼だと思いながらも、それを否定する材料を持っていなかった。

むしろ、それはそうだろうという思いさえある。

それを察しながら、あえて何も言わずにネバギアは続ける。

 

 

「だから、君たちにはアインズさんの正体を黙っていてほしい。要らぬ混乱や争いを回避するためにも。これが一つ目だ」

 

 

ネバギアは鋼鉄の指を一つ立て、そしてすぐに二本目を立てる。

 

 

「次に二つ目だが、私の名前についてだ」

 

「ネバギア様の、名前……?」

 

 

エンリとネムが揃って首を傾げる。

一つ目の理由は理解できる。あの――恐ろしい――見た目のせいで不必要な混乱や恐怖を相手に与え、無駄な争いを起こさないためにも必要なことだ。

しかし、二つ目の恩人の名前については理由がさっぱりわからなかった。

 

 

「君たちの前でアインズさんたちが呼んだネバギアという名前は、私にとって特別な意味を持つのだ。本来は、仲間でもない君たちに教えていいものではない」

 

 

字面だけみればとても失礼な話だが、事実なのだから仕方ない。

ネバギアという名前はユグドラシル時代の大切な思い出が詰まった名前であり、今となってはもう一つの本名のようなものだ。

未知の世界で誰が敵で誰が味方かもわからない状況でその名を知られてしまうのはあまり良い事とは言えない。

そう考え、ネバギアは己の名を秘するようエンリたちに伝える。

 

 

「勝手な話ではあるがこの会話以降、私のことをネバギアと呼ぶことは許さない。これからはアルゲースと呼んでくれ」

 

 

そう締めくくるとネバギアは自分の言いたいことは以上だとでも言うように無言となる。

突然の無言に戸惑うエンリだが、恩人からのお願いに対する答えは既に決まっていた。

 

 

「あの、えっと……わかりました。アインズ様の正体も、ネバ――アルゲース様の本当のお名前も、絶対に明かしません」

 

 

自分たちの命の恩人からのお願いなのだ。しかも、本来なら話しにくい本心までも語って誠意を見せてくれた。

ならば自分はそれに応えよう。秘密にしてほしいという言うのなら、墓場にまで持っていく覚悟だ。

エンリはそう決意して、自分の妹へと向き直る。

 

 

「ネムもいいわよね?」

 

「はい。アインズ様のことも、アルゲース様の本当のお名前がネバギア様だってことも、絶対誰にも言いません!」

 

「こら、ネムっ」

 

 

元気いっぱいに答えながら早速ボロが出ている妹にエンリは咄嗟に叱る。

その子供らしい失敗にネバギアは思わず笑いを漏らしながら手でエンリを制し、それを許すことをアピールした。

 

 

「はははっ。構わん。幸い、今は我々以外に誰もいないからな。だがネムとやら、次からは気を付けるようにな?」

 

「はいっ」

 

「うむ、よろしい。それでは今度こそ、君たちを村に送り届けるとしよう。立てるか?」

 

 

ネバギアは立ち上がって二人を見下ろしながら尋ねる。

エンリは改めてネバギアの体躯の巨大さに圧倒されながら頷いた。

 

 

「はい、大丈夫で――」

 

 

大丈夫ではなかった。

騎士たちの襲撃から逃げ続けた身体的疲労や精神的疲労、その危機から脱したことによる安心感により足が脱力してしまい、上手く力を入れることが出来ないのである。

それはどうやら妹のネムも同じようで「お姉ちゃ~ん……」と困ったように眉をハの字にして見つめてきた。

エンリはなんとか立ち上がろうと足に力を込めようとするが、軽く痙攣をおこすように震わせることしかできない。こんな調子ではしばらくの間立つこともままならないだろう。

 

 

「どうした? 立てないのか?」

 

 

姉妹の様子からそれを察したのかネバギアが尋ねる。

ネバギアに声をかけられたことでエンリは慌ててなんとかしようとするが結果は変わらず、足の自由は利かぬまま。

観念したエンリは深く頭を下げた。

 

 

「も、申し訳ありません、アルゲース様。足に力が入らなくて……。後で二人で戻りますから、どうぞアルゲース様はお気になさらず、先にお戻りください」

 

「ふむ……」

 

 

エンリの言葉にネバギアは顎に手を当てるような動作をすると拳を振り被る。

その動作に自分たちはなにか気に障るようなことをしたのか、という考えや恐怖に目を閉じるよりも早く、エンリたちの目の前で黒鉄の巨腕が振るわれた。

パリーン、という瓶が割れるような音を立て、自分たちを覆っていた微光の守りが粉々に砕ける。

一瞬の出来事に呆気に取られ、散り散りになって消えていく淡い光をぼんやりと眺める姉妹。

 

 

「抱き上げるから動かぬようにな」

 

 

唖然としている姉妹にネバギアは一言断りと入れると、動作が停止している二人をそれぞれ片手で抱き上げた。

 

 

「――え? え?」

 

「わー! 高ーい!」

 

 

突然の出来事にエンリの思考は追いつかず混乱する。一方ネムは日常生活では味わえない高い視界に思考が支配され、楽し気に声を上げている。

対極的な二人の反応をおかしく思いつつ、ネバギアは声色に笑みを含めながらエンリへと語り掛けた。

 

 

「私は君たちを村まで送り届けるために来た。だというのに手ぶらで帰ってはなんのために来たのか分からないだろう」

 

「で、ですが、これ以上ご迷惑をお掛けするわけには……!」

 

「こんなものは迷惑のうちに入らん」

 

「わ、わっ」

 

 

片手で器用に抱き上げられていた姉妹は更に高く持ち上げられ、そのままネバギアの肩に腰掛けさせられる――そうして空いた両手は二人が少しでも安定して座っていられるように彼女たちの足を支えている――。

 

 

「もっと高くなった! アルゲース様大きいー!」

 

「ふふっ、そうか。村に戻る間の短い道中だが、楽しむといい」

 

 

更に高くなった視線にテンションを上げるネムにネバギアは優しく返し、わざとネムが座っている方の肩を揺らしてやる。

そうするとネムは甲高い笑い声を上げ、足をバタつかせ、全身で楽しみを表現していた。

そんな幼い妹の様子にエンリは呑気なものだと思いつつ、恐怖で泣きそうになっているよりずっといい、と笑みを零す。

 

 

「君は立派だな」

 

 

ふと、ネバギアがエンリに言う。

 

 

「え?」

 

 

突然の言葉にエンリは思わず疑問符を浮かべた。

 

 

「私が君たちを助ける直前に見たのは、君が身を挺して妹を守ろうとする姿だった。もし私たちが間に合わなければ、君は確実に殺されていた。……君もそれは理解していたのだろう?」

 

「……はい」

 

 

エンリは自分とは反対側の恩人の肩に乗ってはしゃぐ妹の姿を再び眺めながら頷く。

幸い、ネムは高い視点に霧中でこちらの様子には気付いていないようだった。

愛しい妹が自分の方に注意を向けていないことを確認した上で、エンリはその時の思いを語る。

 

 

「騎士たちから逃げ切れないことを理解した時、私は死ぬつもりでした。自分の命を盾にしてネムを、妹の命を守るつもりでいました」

 

「……怖くはなかったのか?」

 

「勿論怖かったです。でも、あの時点で私は助かる見込みはなかったですから。それなら、妹を助けるために命を懸けようって思いました」

 

「……見込みはなくとも可能性は〇ではなかった。それでも君は妹を守るために命を(なげう)とうとした。何故だ?」

 

 

繰り返される問答にエンリはふと、気付く。

自分たちの命の恩人は、自分の回答からなにかを得ようとしているのだと(・・・・・・・・・・・・・・・)

それが何かは分からないし、自分が恩人にとって満足のいく回答を出せるかも分からない。

だからエンリはあの時に思ったことをそのまま言葉にして答えた。

 

 

「――大切な人には生きてほしいから(・・・・・・・・・・・・・・)

 

「――」

 

 

自分を支えるネバギアの腕、その指先が一瞬強張る様に震えたのを、エンリは感じた。

 

 

「……残された者は悲しみに暮れるかもしれない。寂しさのあまり、後を追おうとするかもしれない。それでもか?」

 

「確かに独り残されることは悲しいし寂しいかもしれません。でも、死んだ自分の後を追って自ら命を絶ってしまうなんてことは、私はしてほしくないと思います」

 

「……そうか」

 

 

ネバギアの最後の言葉は覇気のない、寂しそうな声色だった。

 

 

「アルゲース様、大丈夫?」

 

 

そこにふと、ネムが会話に入ってくる。

予想外の参加者にネバギアとエンリが揃って視線を向けると、ネムは心配するように眉尻を下げてネバギアの顔を見つめていた。

 

 

「私は大丈夫だが……何故そう思った?」

 

「よくわからないけど、なんだかアルゲース様が悲しそうに見えたから……」

 

 

ネムの言葉を受けて、ネバギアは昔どこかで子供は周りの感情に聡いという言葉を耳にしたことを思い出す。

この幼子は異業種であり、ましてや今はドローンという無機質な機械に搭乗している自分の感情の変化を察知したのか。なんとも機敏なことである。

そうして思考が別の方向に進むことで自分の内心を整理出来ていくことをネバギアは理解する。

そこからいくらか間を空けた後、ネバギアは再びエンリに尋ねる。

 

 

「君の名前はなんというんだ?」

 

「え? 私の名前、ですか?」

 

 

突然の脈絡のない質問内容の変化に、エンリは小さく狼狽える。

そんなエンリにネバギアは頷いて返した。

 

 

「ああ。妹の名前は何度か聞いたが、君の名前は聞いていないと思ってな」

 

 

ネバギアの言葉にエンリは思わず、確かにと納得した。

自分はネムの名を何度も呼んだが、妹は自分のことを「お姉ちゃん」と呼ぶばかりで名前では呼ばない。

それに気付いたエンリは今更ながら己の名を名乗る。

 

 

「エンリです。エンリ・エモット」

 

「エンリか。……感謝するぞ、エンリ」

 

 

その言葉に先程の寂しさはないことを理解して、エンリは微笑む。

 

 

「どういたしまして……とでも言えばいいんでしょうか」

 

「ふふっ。ああ、それでいいとも」

 

 

まさかの返しにネバギアは思わず笑みを漏らす。

自分の姉と恩人が楽しく話していると思ったネムは元気いっぱいに挙手をして自分も名乗ることにした。

 

 

「私はネム・エモットです!」

 

「自分から挨拶が出来ることは素晴らしいことだ。ネムは賢いな。それと、先程は心配してくれてどうもありがとう」

 

「どういたしまして!」

 

「……ふふっ、あははっ」

 

 

妹と恩人のやりとりが可笑しくて、エンリは堪らず笑う。

今この時は恐怖や困惑が完全に忘れられた気がした。

村に帰った時、どんな結果が待っているかは分からない。自分の想像を超える良い結果が、もしくは悪い結果が待っているかもしれない。

しかし、たとえどのような結果が待っていても生きようとは思う。

 

大切な恩人と、その恩人に伝えた己の言葉に恥じぬように。

 

そしてなにより、大事で愛しい妹の為に。

 

 

 

 

.




というわけで、モモンガ様はアインズと、ネバギアはアルゲースと名乗ることになりました。
会話と地文で名前が変わるので読みにくいかもしれませんが、あらかじめご了承くださいませ。
そして、死の騎士(デス・ナイト)は村人たちを守ることを優先したので騎士たちの被害は原作より控えめ。ただし、ベリュースはどう足掻いてもベリュース(ベリュースは必ず死ぬの意)。


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