実況パワフルプロ野球if 天空の司令塔 (中矢)
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炎天下の闘い

 真夏の昼下がり。 地上に出て七日間という短い生命を謳歌するが如く、蝉たちの必死の叫びがこだまする。

 現在、全国シニアリーグの地区大会決勝が行われている、パワフル県営球場には、最後の夏に決死の想いで挑む球児たちがいた。

 肌を焼く太陽の照りつけと、うだるような暑さの中、観客達の歓声や球児たちの応援歌、激励の叫びなど、様々な音が混じりあって球場に響き渡る。

 

「天川っ……!!」

 

 バッターボックスに立つ少年は、強豪『青空レインボーズ』のエース、『虹谷誠(にじたにまこと)』。

 輝くような長い金髪を紫のリボンで結んだ少年で、多彩な変化球と糸を引くような直球が持ち味の自他ともに認める天才投手である。

 野手としての能力にも優れており、身体能力が高い選手だ。

 

 そして、彼がキッと睨みを利かせて見据えるのは、炎天下のマウンドに立つ一人の黒髪の少年。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 荒い呼吸を繰り返す『星空ボーイズ』のエース、『天川蓮太(あまかわれんた)』。

 名門シニアであるレインボーズを相手に、七回を投げて被安打四、奪三振九、自責点なしという驚異的とも言える記録を叩き出していた。

 

 万年初戦敗退が板につくほど弱小であった星空ボーイズが、強豪ひしめく地区大会の決勝まで駒を進められたのは、ひとえにこの天川の力があったからと言っても過言ではないだろう。

 

 そして今は八回裏の青空レインボーズの攻撃。

 なんと2対0で弱小星空ボーイズがリードしている状況だ。

 

 さて、緩やかに呼吸を整えた天川は、自身を睥睨する虹谷に視線を合わせる。 

 

(負けられない……まだ終われないっ!!)

 

 滴り落ちる汗。 今すぐにでも倒れ込みたいほどの疲労感。 緩やかだが確実に襲ってくる右腕の痺れ。

 それでも天川は内なる闘志を燃え上がらせ、痛む身体を奮い立たせる。

 

(あと二回……)

 

 スっと振り上げれた豪腕。 ワインドアップモーションから左足を上げて、五角形のホームベースに向けて真っ直ぐに踏み出す。

 それにならうように右腕が鞭のようにしなり、手に持つ硬式ボールが放たれた。

 

 空を切り裂くノビのある直球は茶色のキャッチャーミットを目掛け、唸りを上げて真っ直ぐ進んでいく。

 

(皆と一緒に……全国にっ!!)

 

 虹谷のスイングを掻い潜り、ミットの乾いた音が爽快に響き渡る。

 観客や球児たちの爆発的な音は、それに合わせたように更に音量を上げた。

 

 だがその日、炎天下の中で行われた全国シニアリーグ地区大会決勝は、2対3という結果で、星空ボーイズは敗退した――





 読んで頂きありがとうございます。
 初めましての方も、そうでない方も、楽しんでもらえると幸いです。
 気まぐれに投稿させて頂きます。


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球友

 人口九百万人という大都会。 

 古くから野球が盛んで、多くの高校が存在しており、数々のドラマを生み出してきた地区でもある。

 今現在、プロ野球界は三つのリーグが存在しており、パ・リーグ、セ・リーグ、レ・リーグで構成されている。

 近年では女子選手の姿も珍しくなく、プロ野球でもその実力を遺憾なく発揮している。

 その中の一つ。 赤のユニフォームがトレードマークの、『頑張パワフルズ』の本拠地でもあるのがこの街だ。

 

 その街の中心から離れた二階建て木造一軒家で、俺――天川蓮太(あまかわれんた)は暮らしていた。

 

 

――チュン、チュン。

 

 小鳥たちの朝を告げるさえずりが耳に響いた。

 

「う〜ん…………今何時……?」

 

 カーテンの隙間から差し込む朝日が、容赦なく視細胞を刺激してくる。

 置時計の時刻表示を見ると、午前六時半過ぎを示していた。

 

「……そろそろ起きないとな」

 

 まだ肌寒い季節。 俺は後ろ髪を引かれる想いで暖かいベッドを抜け出した。

 

「寒っ……」

 

 ブルっと起き抜けに身震いし、身体をさすりながら自室を出る。

 階下からは、朝餉の香りが漂ってくるので、どうやら妹は既に起きているらしい。

 

「あっ、お兄ちゃん。 おはよ」

 

「おはよう。 天音(あまね)

 

「これ作ったら起こしに行こうと思ってたんだけど、必要なかったみたいだね!」

 

「うん。 今日くらいは自分で起きないとな」

 

「お兄ちゃん、野球以外の所では結構ダラしないもん。 特に朝起きることに関しては! あまがいなかったら絶対遅刻数増えてるからね?」

 

「……返す言葉もないです」

 

 天川天音(あまかわあまね)――俺の一つ下の妹で、現在俺と同じ『星空中学』に通う二年生である。

 ピンクの可愛らしいエプロンを中学の制服の上に纏い、母親譲りのシルバーブロンドの髪を側頭部で一つにまとめており、いつものクッキングスタイルとなっている。

 

 俺の家は両親が共働きで、朝は日が昇る前に家を出て、夜は日付けが変わるくらいに帰ってくることが日常茶飯事である。

 なので、少しでも両親の負担を減らそうと、天音はこうして家事全般を受け持っているというわけだ。

 

 俺も部活が休みの時はなるべく手伝うようにしているが、天音いわく「お兄ちゃんは野球だけに集中してればいいの!」ということで、その言葉に甘えてしまい、ほとんど妹に丸投げしているようなものだ。

 

 兄としては非常に心苦しい限りだが、それなら妹の為にも野球を頑張ろうと必死に練習しているのが俺の日常である。

 

「まっ、いいんだけどさ。 それよりお兄ちゃん、いつまでも突っ立ってないで、顔洗って歯磨いてきなよ。 その間にあまが朝ご飯の用意終わらせとくから」

 

「ふわぁ……ん。 頼みます」

 

 俺は一つ、大きな欠伸をして洗面所へ向かった。

 今日は『天空中央高校(てんくうちゅうおうこうこう)』の入試なのである。

 

 

 天空中央高校――勉学、スポーツ、文芸。 全てにおいて名門と呼ばれている、超エリート高校である。 これだけを聞けば、堅苦しい校風を思い浮かべるが、実際は雰囲気も和やかなもので、校則自体もガチガチに厳しいわけではない。

 

 学校の理念としては、生徒の自主性を尊重しつつ、名門として君臨すること。 つまり結果さえ出せば、ある程度の緩さは黙認されているらしいのだ。

 

 これらの事柄は、実際に学校見学で見てきたことなので、確かな情報である。

 

 余談ではあるが、名も知らぬとある先輩は、校内を何人もの女子生徒を引き連れて歩いているのを目撃したし、学校見学に来ていた生徒にまで魔の手を広げていたので、恋愛に対しても寛容な体制をとっているようだった。

 

 さて、学校の説明はこのくらいにしておこう。

 人の大きさと同じくらいの天使像が受験者たちを温かく迎え、その側のカーブを描いた階段を上がると、天空中央高校の玄関と入学試験の案内板があった。

 

「っと……受験番号は……」

 

 いざ出陣の時。 というほど気合が入っているわけではないが、無論、野球に関しても、例年全国大会に出場しているほどの成績を残しているこの高校には受かっておきたい。

 

 というのもあながち嘘ではないのだが、一番の理由は何より家から近いからだ。

 天空中央高校は少し特殊な場所に位置している。 何が特殊かと言うと、校舎までロープウェイで通学しなければいけないという、高地にあるということ。 一応緊急車両の通行や教員の通勤、部活動などの為に車道が一本だけ通っているが、在校中の生徒が部活動以外で利用することは、ほとんどないらしい。

 高みを目指すという校風を、文字通り再現したと言えるだろう。

 流石にやり過ぎだし、不便だとは思ったが……。

 

 しかしそのロープウェイ乗り場までも、自宅から出て徒歩十分ほどの場所にある。 特殊な位置を差し引いても、朝にあまり強くない俺からしてみれば、この高校はとても魅力的である。

 

「えーっと……200045番は……」

 

 どうやら俺は、一階の一年二組の教室で試験を受けるらしい。

 そうこうしている内にも続々と入学希望者達が集まってきている。

 

 緊張の面持ちでやってくる入学希望者達に触発されるように、俺の心拍数も徐々に上がってくる。

 

『落ち着いて! 平常心でね!』

 

 ハンカチやポケットティッシュは持ったかと聞き、自分のことのように緊張していた妹の表情が不意に浮かび、俺は思わず笑ってしまう。

 

「……ん?」

 

 そんな俺のダラしない顔を訝しげに見る入学希望者の一人。

 

「……コホン」

 

 気恥しくなった俺は軽く咳払いをしてごまかし、足早に一年二組の教室へ向かおうとした。

 

「蓮太くん! 待つでやんす!」

 

 特徴な語尾の持ち主に呼び止められた。 中学時代から、学校でも野球部でも聞き慣れた声だ。

 

「矢部くん。 おはよう」

 

 星空中学の制服――紺色の学ラン姿で現れたのは、メガネがトレードマークの矢部明雄(やべあきお)くんだ。

 星空ボーイズでは一番センターを務めていた、我らが切り込み隊長である。

 残念ながらチャンスでの打率はすこぶる悪かったが、チャンスを作る側としてチームの主力だった人物。

 そんな矢部くんがささやかに息を切らしながら、俺のもとに小走りで駆け寄ってくる。

 

「おはようでやんす。 蓮太くん、今日は珍しく早いでやんすね」

 

「流石に入試だからね。 余裕を持って着いておきたかったんだ。 それに、星中に比べると近いから」

 

「どうせ天音ちゃんに起こしてもらったんでやんす。 キィーッ! あんな可愛らしい妹さんが居るなんて羨ましい限りでやんす!」

 

「失礼だなぁ、今日は自分で起きたよ」

 

「何でもいいでやんす。 天音ちゃんをおいらにくれでやんす」

 

「……矢部くん。 論点がすり変わってるよ」

 

 いつの間にか妹を矢部くんに嫁がせる話になっている。

 そんなことにはもちろんさせないが、矢部くんも冗談で言っているんだろうし、いちいち本気にする必要はない。

 

 別に矢部くんがダメだというわけではないが……いや、やっぱりなんか嫌だな。 友達としてはすごくいい人なのだが、如何せん女の子に目がない部分がある。 そんな人に大事な妹は任せられない……別に俺が決めることじゃないんだけど……。

 

「というか、矢部くん。 勉強の方は大丈夫なの?」

 

「……分からないでやんす。 でも、蓮太くんと天空に通うために、野球部を引退してから死ぬほど勉強したでやんすから、多分大丈夫でやんす!」

 

「ふふっ、そっか」

 

 俺は思わず笑みがこぼれる。 友人としてこうまで言ってもらえるのは、素直に嬉しいものだ。

 

新太(あらた)はどうなの? ちゃんと勉強してた?」

 

「新太くんは――」

 

「呼んだか?」

 

 噂をすれば何とやら。 短い赤髪を逆立てた、表情の読みづらい長身の少年が現れる。

 名前は出雲新太(いずもあらた)。 星空ボーイズの三番ファーストを務めていた、見た目通りのパワーヒッターだ。

 身長は恐らく俺より五センチ以上高いので、百八十近くはあるだろう。 中学三年生にしてはすごく大柄な少年である。

 言うまでもなく、彼も天空中央高校の受験生だ。

 

「新太。 おはよう」

 

「おはようでやんす」

 

「おはよう。 で? なんの話してたんだ?」

 

「新太くんがちゃんと勉強してたかどうかの話でやんす!」

 

「そういうことか。 一応数年分の過去問とかの対策はしてきた。 久しぶりにマジで勉強したから、ようやく解放された気分だ」

 

「結構ちゃんとやってたんだ。 新太の事だから面倒くさがると思ってたんだけど」

 

「意外でやんす」

 

「見損なうなよ。 俺だってお前らとまだまだ野球やりたいんだ」

 

 仏頂面とも取れる表情でそう告げる新太。 こう見えて、意外と自分で言ったことに照れている。 彼のポーカーフェイスに慣れるまでは時間がかかったものだ。

 

「そんなことより。 お前達はどこで試験受けるんだ?」

 

「おいらは一年四組の教室でやんす」

 

「俺は一年二組だったよ」

 

「綺麗にバラけたな。 俺は一年三組だ。 まぁ同じ場所で試験を受けても合格率が上がるわけでもないしな」

 

「えぇ〜、おいらは三人同じ場所で受けたかったでやんす。 知らない人ばかりの場所でテストを受けるなんて拷問でやんす!」

 

「ガキじゃねぇんだから。 蓮太はともかく、矢部は馬鹿なんだから必死で受けろよ。 落ちたら友達やめるからな」

 

「あんまりでやんす! ますますプレッシャーでやんす!」

 

「あはは、新太。 あんまり矢部くんにプレッシャーかけたらだめだよ。 矢部くんここぞという場面に弱いんだから」

 

「やんすっ!? 蓮太くんまで! ひどいでやんすー!」

 

「違いないな。 だからこそのメンタルトレーニングだ。 プレッシャーを跳ね除けろ」

 

「わー! 二人しておいらをいじめるでやんすー!」

 

 矢部くんはついに眉を下げて涙目になっていた。

 そんな様子に俺は再び笑ってしまう。

 とはいえ、そろそろ教室に向かった方が良さそうだ。

 

「矢部くん弄りはこの辺にして、そろそろいこうか」

 

「喋りすぎたか。 勉強する時間も取っておきたいしな」

 

「やんす! いざ出陣でやんす!」

 

 先ほどまで涙目だった矢部くんは、すぐに表情をキリッと引き締めていた。

 飄々とした矢部くんだが、何だかんだオンオフの切り替えは得意なのだ。 まぁ長年の付き合いだからこそってやつかな。



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入試

 矢部くんと新太と別れた俺は、一年二組の教室に入った。 教室ではすでに半数以上の受験生達が席について勉強している。

 どこにでもあるようなごく普通の教室だが、机や椅子にどことなく高級感がある。 空調設備も整えられており、床や窓ガラスも綺麗に拭き上げられていた。

 流石は名門校。 入試があるからとはいえ、細かいところにも気をつかってるなぁ。

 

「っと、俺の席は……」

 

 ぼんやりと考え事をしている暇はない。 俺は指定された席を見つけ、そこに座る。

 ロープウェイに揺られる中でも参考書を開いていたが、最後にもう一度見直しておきたかったのだ。

 

 しばらくパラパラと参考書をめくり、要点をもう一度見直していると、試験開始まであとわずかとなる。 ふと隣の席から可愛らしい唸り声が聞こえてきた。

 

「むぅ〜……」

 

 ちらりと声の方を確認すると、艶やかなライトイエローのロングヘアをリボンで結んだ、どこかおっとりした雰囲気を持つ少女がいた。

 彼女は形のいい眉を下げ、眉間にシワを寄せている。 俺はその顔にどこか見覚えのあるような気がした。

 

「まいったなぁ……どうしよう……」

 

 何となく聞き耳を立てていた俺は、彼女が漏らす声を聞き取る。

 どうやら彼女はシャーペンを忘れているようだった。

 

「誠に借りてこようかな……でも、もう時間もないし……」

 

 彼氏の名前だろうか? それにしても『誠』とは、変な縁もあったものだ。

 俺達星空ボーイズが最後の夏、地区大会決勝戦で戦った相手のエースの名前も、『誠』だった。 とはいえ珍しい名前ではないし、彼女の顔に見覚えがあるのも、単なる偶然だろう。

 

「う〜ん……」

 

 まぁ、これも何かの縁だし、困っているのを聞いたからには放っておけない。 少しおせっかいな気もするが、俺は自分の筆箱から予備で持ってきておいた鉛筆を二本掴んだ。

 

「あの、すみません」

 

「ふぇっ?」

 

 声を掛けられるとは思ってもいなかったのだろう。 彼女は気の抜けた声を出していた。

 

「驚かせてごめんなさい。 これ、もし良かったら使って下さい」

 

「あ、えっ? いいの……じゃなくて、いいんですか?」

 

「はい。 一応もう一本予備は持ってきてますし。 試験官の方に借りればいい話ですが、迷惑じゃなければどうぞ」

 

 受験というのは初めてだが、筆記試験は初めてではない。

 何か忘れ物をして、試験官に申し出るのは意外と勇気がいるものだ。

 特に受験となれば尚更だろう。 そんなことはないと思うが、忘れ物をしたことにより、受験結果に影響が出るのではないかと考えてしまうものなのだ。

 

 彼女は俺が差し出した鉛筆をおずおずと受け取る。

 

「ありがとう……ございます」

 

「いえ」

 

 俺は彼女から視線をそらし、最後にもう一度要点を一瞥して参考書をカバンにしまった。

 その間も何故か彼女はこちらに視線を送っており、首を傾げていた。

 

「……あれぇ? どこかでみたことあるような……」

 

 彼女の呟きは、現れた試験官の声により俺に届くことはなかった。

 

 

「終わったー……」

 

 吐息混じりの呟き。 もちろん落胆の要素はない。 問題自体は確かに難しかったが、勉強していた点が集中的に出ていたし、自慢じゃないけど俺はそこそこ頭がいい。 自慢じゃないけど。

 

「矢部くんと新太はどうだったかな……」

 

 俺は二人の出来具合を聞くため、そそくさと帰宅の準備を始める。

 今日は筆記試験のみで、面接試験は明日行われる予定だ。

 

「あの……」

 

 声をかけてきたのは、隣の席に座っていた例の少女である。

 

「鉛筆、ありがとう。 助かりました」

 

「ああ、そういえば。 いえいえ」

 

 俺は差し出された鉛筆をカバンにしまう。 今の今まで彼女に鉛筆を貸したことをすっかり忘れていた。

 

「それと……いきなりなんだけど、お名前聞いてもいいかな?」

 

「ん? えっと……」

 

 これはもしかするともしかするのか? なんて考えるほど、俺は甘くないぞ。 いくら可愛い女の子に突然名前を聞かれたからって、そんな期待を抱くほど俺は恋愛体質じゃない。 

 矢部くん辺りだと、こういうことは有頂天になって報告してくるんだろうな……。

 

「天川蓮太です」

 

「やっぱりー! どこかで見たことあると思ってたんだー! 何ですぐに気が付かなかったんだろ」

 

 美少女のふわりとした微笑みと、おっとりとした砕けた口調に、俺は一瞬だけドキリとしてしまう。 これじゃあ俺も矢部くんのことは言えないな。

 まぁそれは置いといて、彼女の口ぶりから察するに、俺のことを知っているらしい。

 

「あーそっか! 帽子被ってたし、雰囲気も違うし、そんなに近くで見てたわけじゃないものね」

 

「へ? んと、どういうこと?」

 

 一人で納得しているらしい彼女に、俺は首を傾げて問いかける。

 

「気付かない? 私達、一応双子なんだけどな。 あ、そういえばまだ名前言ってなかったよね」

 

 彼女は気恥しそうに笑い、

 

「私の名前は――」

 

「おーい、姉さん! 帰るよ!」

 

 彼女の言葉は、教室のドアから一人の少年が呼びかけたことにより遮られた。

 

「あ、誠。 ねぇねぇ、ほら! 天川くんがいるわよ」

 

 彼女がいうより前に、金髪の少年は俺をみとめて、驚きをあらわにしていた。 かくいう俺も、目の前の少年――虹谷誠と同じような表情をしていたことだろう。

 

「なっ……なんで君がここにいるんだっ!! 天川蓮太!!」

 

「憶えていてくれたんだ。 質問にそのまま答えるなら、天空中央高校の入学試験を受けに来たからだけど。 俺も驚いたよ」

 

 とはいいつつ、よくよく考えてみれば予想できない話ではない。

 虹谷誠くんは強豪シニアのエースで、最後の大会は全国大会のベスト4まで上り詰めいてる。 野球に関しても名門である天空中央高校を受験することは、なんら不思議ではない。

 

「忘れるわけがないだろう! というより、キミほどの者を知らない選手はこの地区にはいない!」

 

「光栄だけど、それは虹谷くんの方だよ。 地区どころか全国区の選手じゃないか」

 

「ま、まぁボクくらいの大投手を知らない者は、全国にもそうはいないだろうね」

 

「あかつきには行かなかったんだね」

 

「ボクのようなあざやかな人間には、こちらの学校の方が合っているのさ……って! それはこっちのセリフだ! キミの方こそ何故あかつきに行かなかったんだ! 噂ではあの猪狩守(いかりまもる)とも知り合いだと聞くし、あかつきのスカウトはキミをマークしていたはずだ!」

 

 まくし立てるように喋り出す虹谷くんに、俺は思わず苦笑いした。

 そんな様子を見ていたあの少女が、

 

「誠、めっ! 天川くんが困っているでしょ!」

 

「うっ……姉さん。 そ、そうだ! 第一キミは、なぜ姉さんと仲良さげにしている! 面識はなかったはずだぞ!」

 

「天川くんは困っている私を助けてくれたの。 私ったら、筆記用具を忘れちゃって……」

 

 俺が話し出すより先に、少女が話し出した。

 ここまでくれば流石に、彼女が虹谷くんの姉なのだということは理解出来た。 先程の会話では双子という単語が出ていたので、彼女達が同学年ということにも納得だし、俺自身が彼女に見覚えがあったのも、虹谷くんを知っていたからということで頷ける。

 

「く……姉さんのドジっ子がこんな所で発揮してしまうなんて……」

 

「こ〜ら〜、誠。 聞こえてるわよ! いつもはこうじゃないのよ? 今日はたまたまなんだからね!」

 

「そうなんだ……」

 

 後半の言葉は俺に向けられたものだった。

 照れ隠しのように頬をプクッと膨らませ、人差し指をビッと立てている。 何とも可愛らしい仕草である。

 

「あぁ! 信じてないでしょ! ホントなんだからね? 昨日は遅くまで勉強してて、ちょっとだけぼんやりしてただけなんだよ?」

 

 グイッと顔を近づけてくる少女。 くっきりとした二重瞼と、赤みがかった紫の大きな瞳。 目尻が垂れた、怒っていても隠せない柔らかな印象は、母性に満ちた姉というステータスにぴったりに思える。

 

 なんて冷静に分析しているが、流石にこの距離まで女の子に近付かれると、否応なしに緊張してしまう。

 

「わ、わかったから。 そ、それより、まだ名前聞いてないよ」

 

 俺は無理やり話題をそらすことにした。

 

「あっ! いけない、忘れてた! ごめんね、うっかりしてて……」

 

 やはり、虹谷くんが言っていた「ドジっ子」という表現は的を得ているような気がする。 初対面である俺にも、なんとなくそれが理解出来てしまった。

 

「私の名前は虹谷彩理(にじたにさいり)です。 見ての通り、聞いての通り? 誠のお姉さんだよ。 よろしくね! 気軽に彩理って読んでいいから!」

 

「うん。 よろしく。 彩理さん」

 

「彩理さん……かぁ。 うん! 天川くんにそう呼ばれるとしっくりくるし、今はそれでいいよ!」

 

 彼女はもう完全に砕けた口調になっていたので、俺も敬語をやめることにした。 とはいえ、いきなり呼び捨てには出来ない。 彩理さんもそれを容認してくれたらしい。

 そんな俺達のやり取りを、虹谷くんは面白くなさそうに見ていた。

 

「まだ受かるかも分からないんだ。 それに、姉さんとよろしくさせるつもりはないよっ!」

 

「もうっ! 誠はどうしてそう天川くんに突っかかるの! いつもは優しい子でしょ!」

 

「で、でもっ!」

 

「でもじゃないの! 最後の大会で完全に抑えられたことと、ホームランを打たれたことをいつまでも根に持たないの!」

 

「べっ、別に根に持ってなんかないさ! ボクは過去の事は引きずらないタイプなんだ!」

 

「……ホントに?」

 

 彩理さんが虹谷くんに疑惑の目を向ける。 恐らく根に持っているんだろうな。 もちろん勝負の結果とは別に、俺自身が理由で……。

 

「うっ、姉さん! 試験も終わったんだし、もう帰るよ!」

 

「むー。 分かったわよ。 それじゃあ天川くん、またね!」

 

「あ、うん。 二人とも、またね」

 

 風のように去っていく虹谷くん、とそれに引っ張られるような形の彩理さん。

 入学したら、何かと騒がしい毎日になりそうな予感がした。



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かつてのチームメイト

 虹谷くん達が去った後、俺もそれにならうように教室を出る。

 何かと騒いでいた為、受験生達に変な注目を浴びてしまった。 幸いなことに試験官は退室していたので、注意を受けるようなことは無かったが。

 

 教室を出ると、すでに一人の待ち人がいた。

 

「お疲れ、蓮太」

 

「新太の方こそ。 その様子じゃ問題なかったみたいだね」

 

「まぁな。 俺の場合、鬼門は面接だ」

 

 新太は自嘲気味にそう言う。 この無表情が、面接官にどうとられるか。 それが心配らしい。

 

「しっかり受け答えが出来ればきっと大丈夫だよ」

 

「そうだな」

 

 受け答えの面では、新太は全く問題ないだろう。

 雰囲気に気圧されるタイプでもないし、矢部くんと違いチャンスには滅法強い打者だった。

 

「それより……さっきの様子だと、蓮太も知ってるみたいだな」

 

「あぁ、虹谷くんのこと? ん? 『も』ってどういうこと?」

 

「俺が試験を受けた一年三組にもいたんだよ。 青空レインボーズの二番打者がな」

 

「二番打者……東雲(しののめ)くんも天空を受験したんだね」

 

 東雲翔也(しののめしょうや)くん――虹谷くんと同じチームだった人だ。

 ポジションはショート。 広角に打ち分けるバッティングと、広い守備範囲、更には足も早いという三拍子揃った選手である。

 

「みたいだな。 この様子だと、矢部の方も――」

 

「大変でやんす! 大変でやんす! 大変でやんす!」

 

 新太の言葉を遮るように廊下に響き渡る騒がしい声と、バタバタとした足音。

 

「うるさいぞ、矢部」

 

「矢部くん、廊下はもう少し静かにしないと。 受験結果に響くかもしれないよ?」

 

「やんす……でもそれどころじゃないのでやんす!」

 

 俺と新太のもとに一目散に駆けてきた矢部くんは、一瞬反省の色を見せたが、興奮冷めやらぬと言った様子で声を上げる。

 

「か、神成(かみなり)くんがいたでやんす!」

 

「な? 言った通りだろ?」

 

「みたいだね」

 

 神成尊(かみなりたける)くん――こちらも同じく、虹谷くんと同じチームに所属していた。

 ポジションはキャッチャーで四番打者。 チャンスに強いパワーヒッターで、ダイナミックなフォームから繰り出されるシャープなスイングは、打球に鋭い回転を与えてノビを生み出していた。 

 捕手としての才能も申し分なく、虹谷くんや東雲くんと並ぶ、青空レインボーズの主力選手であった。

 

「二人とも知ってたんでやんすか?」

 

 俺達の反応を見た矢部くんは、意外そうに問いかけてきた。

 

「知ってるも何も、一年三組の教室にも東雲がいた」

 

「こっちには、虹谷くんの双子のお姉さんがいたよ。 それで、俺も虹谷くんが受験してたことを知ったんだ」

 

「やんす!? あの二人もいたんでやんすか!?」

 

 矢部くんは更に二人の名前が出たことで、更なる驚きを見せる。

 オーバーなリアクションのせいで、メガネはズレまくりだ。

 

「とはいえ、宿敵とチームメイトになる可能性が出てきたなんてな。 全く予想してなかったわけじゃないが、実際に目にすると驚く」

 

「言うほど驚いているようには見えなかったけど。 まぁ、うん。 不思議な縁もあるものだね」

 

 俺は新太の言葉に多少の異議を唱えながらも、後半には納得するように頷く。 虹谷くんだけではなく、東雲くんや神成くんも居るなんて驚きだ。 付け加えるなら、虹谷くんに双子のお姉さんがいたことにも驚きだったけど。

 

 そして、そのことを今更になって矢部くんが拾ってきた。

 

「虹谷くんに双子のお姉さんがいたでやんすか!?」

 

「その事は歩きながらでいいだろ。 流石に矢部がうるさい。 こいつは女子のことになると興奮するからな」

 

「あはは……そうだね。 ひとまず校舎から出よう」

 

「オイラが興奮するほどの美少女なんでやんすか!?」

 

 矢部くんは話題が女子なら、結構誰にでも興奮するでしょ。 

 と内心で思ったが、言葉を飲み込む。 これ以上ここで雑談するのは、あまり得策ではない。

 新太も俺と同じような考えが浮かんだのか、何かをいいかけ、そしてやめた。

 

「続きは外でね」

 

 こうして俺達は、天空中央高校の筆記試験を終えた。

 

 

 帰宅途中、矢部くんと新太に彩理さんの話をした。

 別に誇張したつもりはないし、ありのままを話したつもりだったが、矢部くんはやはり興奮していた。

 矢部くんや新太の話では、それぞれの教室にも美少女と呼ぶにふさわしい女子が何人かいたという。 俺はそんな風に女子を観察していなかったので、彩理さん以外の女子の情報はない。

 

 こうして、男子中学生の好物である『女子の話題』に華をさかせ、俺達はそれぞれの帰路を辿ったのだ。 そして――

 

「やぁ。 意外と早かったじゃないか」

 

 二階建て木造一軒家の前で、茶髪のプライドが高そうな少年(実際に高いと思う)が待っていた。

 

「守? どうしたの?」

 

「どうしたも何も、キミは本当にあかつきに来なかったんだな」

 

「前からそう言ってたじゃないか。 俺は天空に行くって」

 

「まさか本当に、幼馴染であり、練習にも付き合った恩人の頼みを断るとは思わなくてね」

 

「うぅ……ごめん」

 

 目の前にいる美少年の名前は猪狩守。

 小学生の頃、同じチームに所属していたが、俺の親の転勤でこちらに引っ越すことになり、一度は離ればなれになった。

 しかし先日、偶然彼と再会し、少しの間お世話になっていたのだ。

 

「まぁいい。 昔の約束は果たせないままだったからね。 同じ高校に行ってしまえば、それは一生果たせなくなる」

 

「……そう。 実は俺、その事を考えて天空を受験したんだ」

 

「嘘だな。 今の妙な間はなんだ。 キミの嘘はボクには通用しないぞ」

 

 俺の咄嗟のデマカセは守には通用しなかったらしい。 即座に一刀両断されてしまった。

 

「でも、結果的にはそれが果たせるようになるよね。 練習に付き合ってもらった恩は試合で返すよ。 あかつきとは同じ地区だし、甲子園を目指すなら避けては通れないから」

 

「そうだな」

 

 二人の約束。 それは小学生時代、俺が引っ越す日に交わしたものだ。

 

――次は敵同士のチームで、お互い全力で戦おう!

 

 残念ながら、中学時代はその約束を果たすことは出来なかった。

 守の所属していたチームとは別区だったし、星空ボーイズが全国大会に出場することは結局なかった為だ。

 最後の大会ではそのチャンスが少なからずあったのだが――

 

「ところで……肘の調子はどうだ?」

 

 守は真剣な顔つきで問いかけてくる。

 そう、最後の試合の敗因は俺にあったのだ。 守にお世話になったのも、野手としての特訓をする為だ。

 

「だいぶ回復したよ。 やっぱり投手としては無理だけど、野手としてならもう問題はないってさ。 今は病院にも通ってない」

 

「……そうか。 喜ぶべきか分からないが……」

 

「そこは喜んでよ。 野球を続けられるだけマシさ」

 

 星空ボーイズには、俺を含めて投手が二人しかいなかった。

 ただでさえ人数が少なく、もう一人の投手は一つ年下の女の子。 ここぞという場面を任せられるほどには成長していなかった。

 弱小チームを引っ張るため、まだ身体の出来上がっていない段階からのオーバーワークと大会での連投が続き、結果として俺は投手生命を失ったのだ。

 

「投手としては無理だけど、打者として守の前に立ち塞がるからさ。 あっ、なるほど。 俺ほどの打者が同じ地区にいることを、喜ぶべきか分からないって言ったの?」

 

「フッ……キミは相変わらずだな。 そんなわけないだろう。 むしろそう言う意味では喜ぶべきだね。 キミほどの打者と甲子園を賭けて戦えるんだ」

 

「あ……そこは否定しないんだ」

 

 ほんの冗談のつもりで自信家な発言をしたのだが、普通に肯定されてしまっては反応に困ってしまう。 昔から、守は妙に俺に対して買い被り過ぎている面があるのだ。

 

「少年野球チームで初めて見た時は、キミとこんな風に話すなんて思いもしなかったけどね」

 

 前言撤回。 最初は馬鹿にしていたらしい。

 

「光る才能があるわけでもなく、恵まれた体格を持っている訳でもない。 低身長でいつもヘラヘラした気に食わないやつだったよ」

 

「流石に傷つくんだけど……それに一応今は173センチあるから……」

 

 馬鹿にされていたどころか、嫌われていたようだ。

 そんな風に嫌われていて、よく当時の俺は挫けなかったものだなぁ。

 記憶を振り返る俺を余所に守は続ける。

 

「だが唯一にして最大の武器を持っていた。 『吸収力』だ。 凄まじいスピードでの成長と、努力を疎かにしない人間。 だからこそボクはキミをライバルと認めたのさ」

 

「守って落としてから上げるタイプなんだね。 でも、流石に落とし方が強すぎて戻ってこれないんだけど……」

 

 嘘だ。 単にこれは照れ隠し。

 投球に関しても言えることだけど、守は結構ストレートに言葉を投げ掛けてくるから、たまに困ったりする。

 

 そんな俺の照れ隠しを見破ったのだろう。 いつものようにキザっぽく鼻を鳴らす。

 

「フッ、まぁいい。 それじゃあボクはそろそろ行くよ」

 

「えっ? それだけ? 上がっていかないの?」

 

「用事があってね。 時間に余裕があったから寄ってみただけだ」

 

「もしかして……デートとか?」

 

「さぁね。 天空を受験したキミとはもはや敵同士だからね。 プライベートな事でも、教えてやるわけにはいかないよ」

 

 意地悪な笑みを浮かべ、守は手を上げて去っていく。

 

「……冷やかし?」

 

 俺は首を傾げてそう呟いた。

 



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兄妹の日常

 守が帰った(用事に向かった?)後、俺はまだ誰も帰ってきていない自宅に入り、天音が朝のうちに用意していた昼食をとった。

 受験生である俺達は試験が終わり次第帰宅となるが、在校生である天音達は、まだ学校で勉強しているのだ。

 

 昼食を済ませた俺は天音の負担を少しでも軽くするため、食器を洗って拭きあげる。

 そして翌日に控えている天空中央高校の面接対策の為、用意している志望動機や高校に入学して努力すること、中学時代に頑張ったことなどの項目を、再度暗記していく。

 

 それすらもある程度仕上がってきた俺は、トレーニングウェアに着替え、気分転換と体力づくりを目的としたランニングに向かう。 

 ランニングを終えてからは、自宅の庭で素振りを始めた。

 

 金属バットよりもだいぶ重みのある木製バット。

 このバットは、守に譲ってもらったトレーニング用の特注バットだ。

 高校では野手として野球を続ける俺の為に、守が専属のバット職人に頼んで作ってもらったものらしい。

 流石は猪狩財閥の御曹司である。 そして、何だかんだ言いながらも俺を気にかけてくれる、優しい友人だ。

 

――ビュッ! ビュッ! ビュッ!

 

 三百回ほど空を切るスイング音を確かめた後、シミュレーションを兼ねて、居ないはずの守の姿を作り上げる。

 

 浅く被った帽子。 威圧的な鋭い眼光。 左手に握る赤い縫い目の白球。

 場所はどこかの球場で、グラウンドには俺と守と名も知らぬ捕手がいる。

 

 守はマウンドプレートにのった土を爪先で払い除け、一呼吸置いてから両腕を大きく振りかぶる。

 闘志のオーラのようなものが見えるほど全力の守は、鋭い回転のかけられたボールを左腕から放つ。

 コースは内角。 胸元を抉るスライダーは、このままいくとギリギリストライクゾーンだ。

 俺は守の投球動作に合わせて軽く上げた左足を、強く斜め前に踏み出す。

 そこから腕をたたみ、横回転の加えられた白球を芯で捉えた。

 そのまま腰を回転させて、白球をレフトスタンド目掛けてはじき返す。

 

 記録はフェンス直撃のツーベースヒットと言ったところだろう。

 

 そんな風にしばらく素振りを続けていると、いつの間にか太陽が茜色に変わり始めていた。 

 

「かっきーん! これは大きいぞ〜! 入った〜! ホームランです!」

 

「……びっくりした」

 

 俺のシュミレーションに突然可愛らしい実況が加えられ、素振りを中断して振り返ると、帰宅した天音が制服姿でカバンを手に持ったまま立っていた。

 

「えへへ、ごめんなさい。 お兄ちゃん。 ただいま!」

 

「謝らなくていいよ。 おかえり。 今帰ったの?」

 

「うん! 庭の方から素振りしてる音が聞こえたから、見に来てみた!」

 

「そっか。 もうそんな時間か」

 

 俺は左手首に付けていた、防水、防塵、耐衝撃に優れた腕時計を見る。

 時刻は五時になろうとしているところだ。 

 

「あ! そういえば! 試験はどうだったの?」

 

「ん、問題ないと思うよ。 一応、全問しっかり答えられたと思うし、後は結果を待つだけだね」

 

「さっすがお兄ちゃん! あ、でも明日は面接試験だったよね? ちゃんと面接対策はしたの?」

 

「ちゃんとしましたよ。 何聞かれても答えられると思う」

 

「おぉ〜! それじゃあ、後であまが面接官やったげよっか?」

 

「……ちゃんと出来るの?」

 

 面接練習の最中、堪えきれずに吹き出してしまう天音が目に浮かぶ。

 

「失礼だなぁ! お兄ちゃんの為だし真面目にやるよ! 任せといて!」

 

 とはいえ、天音はやるべき所はやるタイプだ。 しっかりと務めを果たしてくれることだろう。

 それに来年は天音が受験生だから、その予行練習も兼ねて面接官の立場で勉強してくれれば、兄としては願ったり叶ったりだ。

 

「分かった。 頼むよ」

 

「おっけー! ひとまず夜ご飯にしよ! 今日はカレー作るよ〜」

 

「お、楽しみだな」

 

 市販のルーを使えばどれも味は変わらないと思うかもしれないが、天音の作るカレーは何故かとても美味しいのだ。

 

 俺は夕食の献立に心を踊らせながら、天音と家の中に入った。

 

 

「ふぅ……ごちそうさま。 美味しかったよ」

 

「お粗末さまでした。 良かった!」

 

 椅子がけのテーブル机の向かい側にかけてカレーを食べる天音は、嬉しそうに破顔する。

 天音いわく、作る側としては食べてもらう側に素直に感想を言ってもらえるのが一番の励みらしい。

「美味しくない時は正直に言ってよね!」と言われたこともあるが、天音の作る物に美味しくないものは思いつかない。

 天音がいつから料理が出来るようになったのかは、もうあまり覚えていない。 俺が野球を始めて、しばらく経ってからだったような気もするが……。

 まぁ、その事は今はいいだろう。

 

 俺は腹休めをすることも兼ねて、グラスの麦茶を飲みながら天音に問いかけた。

 

「天音。 学校はどうだった?」

 

「ん〜? いつもと変わらないよ! 楽しかった!」

 

「そっか。 好きな人は出来た?」

 

「出来てませんよ〜。 学生の本分は勉学に励むことですから」

 

「ふふっ、そっか」

 

「もう……なんでいつもあまが好きな人いないって言うと、お兄ちゃんは嬉しそうなのさ」

 

「否定はしないけど……まぁ兄としては、妹が好きになる相手には興味があるからね。 そんな子が出来たら、ウチに連れてきなよ」

 

「当分出来ないでしょうからご安心を」

 

 天音は少しだけ鬱陶しそうに吐き捨てる。

 可愛い妹にも遂に反抗期が来たのか……と、ささやかに傷心する俺を余所に、天音は何かを思い出したように声を上げた。

 

「そういえば! 明日の夕方、学校が終わってからみずきと聖が泊まりに来たいって言ってた」

 

「みずきと聖ちゃんが?」

 

「そう。 いいかな?」

 

「ん。 別に俺は構わないよ。 父さんと母さんには連絡したの?」

 

「まだだよ〜。 今思い出したし、どうせ先にお兄ちゃんに聞くつもりだったし」

 

「そっか。 後で電話しとくんだよ」

 

「は〜い! あと、お兄ちゃんって明後日の土曜日空いてる?」

 

「ん? んーと、明後日……」

 

 明日の面接試験が終われば、ひとまず俺の高校受験は終了だ。

 急いで勉強することもないし、誰かと会う予定も特になかったと思う。

 

「多分空いてるけど、何かあるの?」

 

「みずきや聖と街に買い物に行く話をしてたんだけど、お兄ちゃんも空いてるなら付き合って欲しいなぁ、と思ってさ」

 

「荷物持ち?」

 

「それもあるけど、世の中何かと物騒でしょ? 中学生の女の子だけだし、昼間だからって事件に巻き込まれないとも限らないじゃん? その点お兄ちゃんがいれば一石二鳥だし」

 

 天音の言うことには、確かに一理ある。

 世の中には常軌を逸した変な人もいるわけで、いくら昼間だからと言って、女の子だけでの街への外出は安心できない。

 

 とは言っても、やはり一番の目的は荷物持ちだろう。 比率としては八対二くらいの割合で、荷物持ちの役割が大きいはずだ。

 まぁ、天音には日頃から色々任せっぱなしだし、荷物持ちぐらいの雑用は引き受けてもいい。 ただ――

 

「みずきや聖ちゃんが嫌がるんじゃない? 女の子水入らずって感じだし」

 

「はぁ……あの二人がお兄ちゃんのこと嫌がるわけないじゃない。 むしろ二人ともお兄ちゃんに付いてきて欲しいみたいだよ」

 

「そうなんだ。 良かったな、天音。 後輩に慕われる良いお兄ちゃんが持てて」

 

「はいはい、そうですね〜。 それで? どうする?」

 

「分かった。 行くよ。 今のところ、特に予定はないし」

 

「もう予定入れちゃだめだよ。 二人ががっかりしちゃうから」

 

「天音はがっかりしないの?」

 

「それはどうでしょう……っと。 ふぅ、ご馳走さま」

 

 天音の方もようやく食事が終わったようだ。 手を合わせた後、ウェットティッシュで口元を拭っている。

 先程の俺の質問の答えは、はぐらかされてしまったらしい。

 まぁ、否定しないだけ良しとしておこう。

 

「さてと、お風呂は先に入ったし、食器は俺が洗っとくよ。 天音はお風呂に入っておいで」

 

「いいよ、手伝う。 お兄ちゃんがスポンジ係ね。 あまが拭き上げ担当」

 

 我が妹ながら、いじらしいものだ。 食器の片付けくらい兄に任せればいいというのに。 本当にしっかりした子だ。 うん、いいお嫁さんになるな。

 

「なにニヤニヤしてるの〜? 早く片しちゃおうよ!」

 

「ふふっ、そうだね」

 

 俺たち兄妹は、仲良く流し場に立ったのであった。

 

 その後、天音が入浴を済ませてから約束通り面接練習を行い、万全の準備を整えて、俺は床についた。

 それと同時に新太から面接終了後の昼食の誘いのメールが届き、俺はそれに了承の返信をしてから、今度こそ眠りについたのだった。



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試験終了

 翌日、俺は前日と同じように天音の揺り起こしに頼ることなく目覚め、余裕を持って家を出た。

 面接試験では虹谷くん達と会うこともなく、見知らぬ受験生と共に集団面接を受けて、恙無く終了した。

 

「蓮太」

 

「おーい、こっちでやんす!」

 

 面接試験終了後、天空中央高校の玄関を出ると、前のグループで先に面接を終えていた新太と矢部くんが待っていた。

 俺は軽く手を上げて二人の元に小走りで駆ける。

 

「お疲れ様でやんす! やっと解放されたでやんす!」

 

「お疲れ様。 そうだね」

 

「どうだった? 蓮太の事だからあまり心配はしてないが、手応えはあったか?」

 

「もちろん。 特に問題なかったよ。 二人は?」

 

 俺の問い掛けに、二人も自信ありげに頷く。

 

「完璧でやんす! 何も指摘されることはないでやんす!」

 

「この表情を面接官がどう捉えるかだが、受け答えはしっかり出来た」

 

「そっか」

 

 この様子なら、入学式に誰かが欠けてしまうということは無さそうだ。

 だが、俺はふと気になったことを矢部くんに視線と共に問い掛ける。

 

「そういえば、矢部くんのその『やんす』って言うの、面接の時はどうしたの?」

 

 すると矢部くんは眉を上げて、キリッとした表情になる。

 

「ふっ、愚問でやんすね」

 

 まさか面接でもその語尾を用いたのか……何たる勇者。 というかそれは蛮勇だ。 無謀すぎる。

 

「もちろん普通に喋りました。 僕のこれは親しい相手との一種のコミュニケーションのようなものですから」

 

「……誰?」

 

「……気持ち悪い」

 

 矢部くんのあまりの変わりように、新太は珍しく感情をあらわにしていた。

 

「二人とも失礼でやんす! 一生懸命練習したんでやんすよ!!」

 

「一種のコミュニケーションって……親しくなる前からそんな感じだったよね」

 

 矢部くんと初めて出会ったのは、中学に入ってからだった。

 小学生の時から付き合いのある新太と、星空ボーイズに入部する話を廊下でしていた時、初めて聞く特殊な語尾の持ち主が、会話に入ってきたことがきっかけだ。

 

――二人とも星空ボーイズに入るんでやんすか? それならおいらたちはチームメイトでやんす!

 

 その時は、俺も新太も『やんす』という聞き慣れない語尾に、思わず気の抜けた声が出てしまったものだ。

 

「おいらのやんすは方言みたいなものでやんす! 父ちゃんも母ちゃんも、じいちゃんもばあちゃんも、みーんなやんすを使うのでやんす」

 

「へぇ……何だかすごいね」

 

 余談だが、昔からそのような語尾を用いた言葉があるらしい。

 何やら軽い丁寧の意を示す断定語なのだと。 それだけ聞けば面接でも問題ない気もするが、まぁ現代の俺達にはあまり馴染みのない言葉なのは確かだ。

 

「先祖代々受け継がれてきたのか。 まぁ……そんなかっこいいものでもないがな」

 

「新太くんは一言多いでやんす!」

 

 失礼だが、新太の言葉には同意せざるをえない。 とはいえ、人の伝承に口を出すのは野暮というもの。

 俺は苦笑まじりの笑顔を浮かべて受け流す。

 そんな中、誰かの空腹を告げる腹の虫が鳴いた。

 

「やんす……お腹すいたでやんす」

 

 犯人は矢部くんだったようだ。

 腕時計を見ると、時刻は午後十二時を回ったところ。

 確かにお腹がすいてくる時間帯だ。

 

「それじゃあ、そろそろ『波和一(パワイチ)』に向かおうか」

 

 俺の言葉に二人は同意し、下界へと続くロープウェイ乗り場に向かった。

 

 

 波和一(パワイチ)。 様々な飲食施設が立ち並ぶこの街でも人気のラーメン屋である。

 創業三十年の比較的新しい店ではあるが、出汁のきいた臭みのない豚骨スープと細麺ながらコシのある麺が人気を呼び、瞬く間に全国区の店舗に上り詰めた。

 何より人気なのは、ラーメンの器の中心に落とされた真紅に輝く秘伝のタレ。 熟成製法により辛さの中に旨みが濃縮されており、豚骨スープと抜群の相性となっている。

 

 お昼時ということで混んではいたが、ちょうど良くひと席空いたようだ。

 俺達三人はテーブル席に腰を下ろし、ノーマルなラーメンを三杯注文した。

 

「ふひぃ〜、もう受験はこりごりでやんす〜」

 

 椅子にもたれかかり、溶けるように脱力する矢部くん。

 

「確かにな。 バット振ってた方が楽だ」

 

 そんな矢部くんに同意を示す新太。 よく矢部くんに毒を吐いているが、何だかんだ二人は気が合うらしい。

 

「そうだね」

 

 かくいう俺も、もちろん勉強しているより野球していた方が楽なタチだ。

 例え全身の筋肉が震えるほどの練習でも、机に座って複雑な計算式を覚えることや、読む機会などないであろう古文を音読するより全然マシである。

 

「これからは高校野球に向けて自主練でやんす!」

 

「お、矢部くん。 やる気だね?」

 

「当たり前でやんす! 蓮太くんにばかり頼るわけにはいかないでやんす!」

 

「だな。 中学野球で身にしみた。 いくら蓮太が上手くても、周りの俺らが足を引っ張ってたら世話ない」

 

「足を引っ張るなんて……そんなことないよ。 二人はチームの主力ですごく努力してたし、結果だってついてきてる」

 

 自らを卑下する物言いの二人だが、実際はそんなことない。

 矢部くんは一番打者として、何としても塁に出ようという気迫に満ちた巧打者だったし、新太は三番という立場ながら、臨機応変に送りバントやエンドランもこなす仕事人だった。

 二人がいなかったら、星空ボーイズは最後の夏、ベスト8にすら入れなかっただろう。

 

「蓮太くんの言葉は嬉しいでやんす。 でも、おいら、あの夏は今までの人生で一番悔しかったでやんす」

 

「ああ。 蓮太は肘が壊れるまで投げ抜いて、レインボーズ打線を抑え込んでいたのに、俺達はそれを守り切れなかった」

 

「……誰の責任でもないよ」

 

 あの試合は最後まで両チームとも必死だった。 

 弱小だった星空ボーイズはもちろんだが、エリートが集まった青空レインボーズまでも、必死になってベースに頭から飛び込み、格下相手に送りバントまで用いていた。

 泥臭いのが嫌いだと有名な虹谷くんですら、バントミスの小フライに食らいつくように飛びついていたのだ。

 

「あの試合はいい試合だったから。 悔いがないと言えば嘘になるけど、負けたことにも意味はあったと思う」

 

 勝敗は関係ない。 お互いにガッツ溢れるプレーで、最後まで力を尽くした。 唯一、最後まで投げ抜けなかったことは心残りだが、それはどうしようもなかったことだ。

 

「確かに意味はあった。 自分の力の足りなさに気づけたんだからな。 バネになったというべきだな」

 

「やんす。 悔しいと言っても、マイナスのことばかりじゃないでやんす。 もっと上手くなろうと思えたでやんす」

 

「そっか」

 

 自責ばかりかと思ったが、二人とも思いのほか吹っ切れているようだった。

 まぁ、あれから四ヶ月以上経っているし、受験を終えたこれからは次の目標がある。

 

「甲子園、目指そうね」

 

「やんす! まずはレギュラーになるでやんす!」

 

「ああ。 レインボーズの連中には負けられない」

 

 受験結果も出ていないのに、などという野暮なことは言わない。

 二人とも、必死に勉強してきたはずだし、これだけの熱意を見せているのなら、試験で落ちるようなヘマはしないからだ。

 

「そうだ。 この後バッティングセンターに行かないか?」

 

「いい提案でやんす! おいら思いっきり打ちたいでやんす!」

 

 新太の提案に矢部くんは前のめりに反応する。

 

「蓮太はどうだ? 空いてるか?」

 

「えーっと……」

 

 確か、今日はみずきと聖ちゃんが泊まりに来るらしい。

 天音には早く帰ってくるようにと釘を刺されていた。

 とは言っても、中学の下校時間にはまだまだ時間がある。

 

「うん。 大丈夫だよ。 行こうか」

 

「決まりでやんす! 楽しみでやんす!」

 

「勉強があって素振りしか出来てなかったからな。 マシーンとはいえ、久しぶりに球が打てる」

 

 興奮する矢部くんと、嬉しそうな新太。

 二人とも受験による禁断症状の限界だったようだ。

 

 そうこうしているうちに、俺たちのラーメンが運ばれてきた。

 豚骨スープの香りが食欲を激しく刺激してくる。

 

「腹が減っては戦は出来ぬ、だよ。 とりあえず食べよう」

 

「やんす! 頂くでやんす!」

 

「だな。 いただきます」

 

 成長期であり空腹も重なった俺達は、一杯目を一分足らずで平らげ、最終的には、俺が二回、矢部くんが四回、新太が三回替え玉を注文し、しっかりスープまで飲み干して、波和一を後にした。



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バッティングセンターにて

 さて、昼食を充分すぎるほどとった俺達は、平日のバッティングセンターにくり出した。

 野球が盛んなこの街にはいくつかの野球施設がある。

 中でもバッティングセンターは一般向けからプロ向けまで、大小様々な施設が存在している。

 俺達が選んだのはそのどちらの機械もある、俺の家の近くのバッティングセンターだ。

 一般向けは60キロから、プロ向けは150キロまで。 もちろん変化球機能も搭載されており、この街に引っ越してから長らくお世話になっている。

 

「参上でやんす!」

 

「平日の昼間だけあって空いているな。 周りを気にせず打ち込めそうだ」

 

「そうだね」

 

 二人はすでに臨戦態勢。 受験帰りの為、マイバットがないことが唯一悔やまれる。

 

 現在、客足は落ち着いており、俺達と同じような受験帰りの生徒が数人いるだけだ。

 

「おじさん。 こんにちは」

 

 俺はカウンターの店主に挨拶する。

 矢部くんと新太も俺に続いて頭を下げていた。

 

「おぉ、蓮太くんか。 それに矢部くんと出雲くんだね。 久しぶりじゃな」

 

「はい。 受験勉強が忙しくて、中々顔を出せませんでした」

 

「そうかい、そうかい。 蓮太くん達は今年受験じゃったな」

 

 最寄りのバッティングセンターの店主。 頭髪は真っ白に染まっており、年齢は六十代といったところだろうか。 野球好きの好々爺で、何かと我らが星空ボーイズを応援してくれていた。

 

「ということは、今日は受験帰りかね?」

 

「はい。 試験の日程が終了したので、立ち寄らせてもらいました」

 

「ふむふむ。 蓮太くん達は天空中央高校だったかな? 手応えはありそうかい?」

 

「結果が出るまでは気は抜けませんが、自信はあります」

 

 受からなかった場合は、すべり止めで受けた高校に入学することになる。

 だけど、一応筆記試験の自己採点も問題なかったし、面接もしっかりこなせたと思う。

 

「またみんなで野球が出来るといいね。 君達のことは応援しておるよ。 ほれ、サービス券じゃ。 他のお客さんには内緒じゃぞ?」

 

 穏やかに微笑んだおじさんは、十ゲーム無料のカードを三人分差し出した。

 いつもこうして俺達にサービスしてくれるのだ。

 

「いつもありがとうございます」

 

「ありがとうでやんす!」

 

「有難く頂きます」

 

「いいんじゃよ。 野球を楽しんでくれることが、わしの生き甲斐みたいなものじゃから」

 

 本当にいい人にめぐり逢えたものだと思う。

 ここまでしてくれるおじさんの店だからこそ、俺はここの常連になったのだ。 もちろん、サービスしてくれた分以上は毎回打つようにしているが、それでもおじさんにとっては赤字である。

 いつか必ず恩返しをすることを、俺は密かに誓っている。

 

「それじゃあ打ってきます」

 

「ふむ。 楽しんできなさい」

 

 俺達はそれぞれ店主に会釈し、バッティングルームへ続く奥の扉を開けた。

 

 ネットの張り巡らされた空間には、小気味よい金属音が断続的に鳴り響いている。 野球をやっている人にとって、その音はとても心地よい音色だろう。 

 

「まずはおいらが一番乗りでやんす!」

 

 矢部くんはそう言って、カバンと学ランを備え付けのベンチに放り投げ、最速130キロで3球種の変化球が搭載されたマシーンの打席内に入っていく。

 まったく……せっかくおじさんが厚意でサービスしてくれたんだから、もう少し行儀よくしようよ……。

 と俺は内心思うが、長らく受験勉強に追われていただろうし、今回は言葉をのみこみ、脱ぎ捨てた学ランを簡単に畳んであげた。

 

 こういう際には真っ先に注意しそうな新太も、今はどの機械で打とうか迷っているようだった。

 

「やんすっ!」

 

――キィン!

 

 このような場面でも切り込み隊長な矢部くんは、早速マシーンを起動させており、初球からしっかりミートしていた。

 

――ククッ、キィン!

 

 緩やかな変化球にも難なく対応していく。

 

「……へぇ、しっかり練習してたみたいだね」

 

 俺はひとまず矢部くんの打撃を観察しながら、小さくつぶやく。

 冬の間に走り込んだのか、下半身がしっかりしており、以前よりフォロースルー後のブレも少なくなっている。

 

――キィィン!

 

 ライナー性の痛烈な当たりを放ったのは、隣の打席で打ち始めた新太だ。

 球速140キロの4球種のマシーン。 矢部くんが打っているものより、ワンランク上のクラスのマシーンである。

 

――キィィン!

 

 地を這う低い弾道の当たり。 低めのストレートを綺麗に弾き返した。

 

「新太も良くなってる……」

 

 中学時代、長打は多かったものの、それと同じくらいフライを打ち上げてしまう事が多かった新太。

 そんな新太が、今では火の出るようなゴロを連発している。

 スイングスピードもそれに比例するように上がっており、140キロのストレートにもまったく押し負けていなかった。

 相当な数の素振りをこなしたことがひと目でわかる。 

 

 二人は次々と快音を響かせ、ヒット性の当たりを連発していた。

 

「ふぅー。 上出来でやんす!」

 

「お疲れ様。 良かったよ」

 

 先に一ゲーム終えた矢部くんが打席から出てくる。 

 矢部くんはささやかに汗ばんだ額を拭いながら、俺の隣に腰を下ろした。

 

「相当走り込んだみたいだね。 フォームがしっかりしてたし、綺麗に芯で捉えられてたよ」

 

「おいらの役目は、何としても塁に出ることでやんす! だから、強い当たりや大きい当たりは捨てたのでやんす」

 

 矢部くんはホームランが狙えないほどパワーがないわけではない。

 しかし、自分の役割をこなす為に長打を完全に捨てた。

 金属バットを用いる高校野球では、軽く振っても芯に当たりさえすれば外野まで飛ばすことが出来る。

 ミート打ちに徹して、出塁率を上げようという矢部くんなりの考えのようだ。

 

「長打は新太くんや蓮太くんに任せるでやんす! おいらは出塁して次の塁を狙うことだけ考えるでやんす!」

 

「うん。 それでこそ一番打者だよ」

 

「むふふ、天空中央高校の一番打者はおいらで決まりでやんす!」

 

「ふふっ、そうだね」

 

 練習の成果を発揮できて上機嫌な矢部くんは、恍惚の表情を浮かべていた。

 

「まだ分からないぞ。 東雲だってミート力はあるし、虹谷は蓮太と同じくらい俊足だ。 一番打者を不動のものにするには、まだまだ安心は出来ない」

 

 悦に浸る矢部くんに横槍を入れるのは、遅れて一ゲーム目を終えた新太だ。

 

「そんなの分かってるでやんす! おいらだってまだ満足してないでやんす!」

 

「それならいいさ」

 

 新太はそう言って、矢部くんとは反対側の俺の隣に腰を下ろす。

 

「新太もお疲れ様。 打撃スタイル変えたんだね」

 

「ああ。 俺も矢部と似たような考えだ。 ホームランを打つことをやめたわけじゃないが、俺の役目は矢部をホームに返すことと、次の打者に繋げることだ。 まぁ気持ちとしては、ランナーがいる場面で馬鹿みたいに大きいのを狙いまくるのはやめた」

 

 新太は確かにチャンスに強いバッターだった。

 だがそういう場面こそ、凡退する時はフライだったのだ。 一発を狙おうとして打ち損じてしまう。 それをなくすため、今の打撃スタイルが出来上がったというわけだ。

 こちらのチャンスは、相手のピンチ。 ピンチの場面であれだけ鋭いゴロを打たれれば、守備側としては大きな重圧となるだろう。

 

「二人とも、やるね」

 

 俺は素直にチームメイトを賞賛した。 彼らの今の実力があれば、名門である天空中央高校のレギュラーもまったく夢ではない。

 ともすれば一年生や二年生など、早いうちから出番がある可能性も大いにあるだろう。

 

「そろそろ蓮太くんも打つでやんす! 猪狩くんとの練習の成果を見せて欲しいでやんす!」

 

「同感だ。 高校で打者としてやっていくなら、確実にレベルアップしてきたんだろ? 出し惜しみはナシだぞ」

 

 二人は多分に期待の含まれた視線を向けてくる。

 それじゃあ俺も、二人に成長した所を見せますか。

 

「分かったよ。 驚いて腰抜かさないようにね?」

 

「言うでやんすね〜? 覚悟しておくでやんす!」

 

「力入れて座っておくから大丈夫だ」

 

 真面目な返答に苦笑いを浮かべながら、俺は学ランを脱いで新太が打っていたマシーンの隣の打席に入る。

 

「いきなりでやんすか!?」

 

 矢部くんが驚きをあらわにした。

 俺が選んだマシーンは、最高球速150キロで緩急としてスローカーブが搭載されたものだ。

 

「すぅ……ふぅ……」

 

 俺は軽く深呼吸してから、打席の扉を開く。

 約十八メートル先には、見るからに厳ついバッティングマシンが存在し、挑戦者を悠然と待ち構えているように見えた。



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バッティングセンターにて2

 蓮太達がバッティングセンターで汗を流していた時、二人の男女が同じバッティングセンターに到着した。

 

「ね? 誠。 学校から結構近いでしょ?」

 

 そう言って柔らかな笑みを浮かべたのは、ライトイエローの髪を紫のリボンで結び、肩に流した美少女。

 そんな彼女に聞こえないように、声をかけられた美少年は呆れたように溜息をつく。

 

「はぁ……今日は仲良くなった受験生の女の子と遊びに行くはずだったんだけどな……」

 

 まったく、姉さんは強引だ。 と美少年――虹谷誠は内心呟く。

 昔から姉である彩理にはどうしても逆らえない。 というより、弟としての良心が働いて、逆らうことを許さないのだ。

 その影響もあり、彩理は誠のことをとても優しい弟だと思っている。

 

「まぁ……彼も天空に入学するなら、ボクも気は抜けないしね……」

 

 投手としても打者としても、彼の才能は侮れない。

 並以上の才能を持ちながら、ここぞという場面で鬼気迫るほどの集中力を見せる天川蓮太。

 最後の試合。 個人の成績で見れば、虹谷は天川に完敗している。

 そして高校からは恐らくチームメイトになる。 敵であれ、味方であれ、負けたままでは終われない。

 スマートに振る舞うことを信条としている虹谷だが、内なる負けん気は人一倍強かった。

 

 押し黙って何かを考えている様子の弟を、彩理は静かに見守り、ふわりと微笑んだ。

 

「さっ! 入ってみよう!」

 

「ん……あっ、ちょっと、姉さん! 引っ張らないでよ!」

 

「早く早く! 時間がもったいないわ!」

 

 彩理は誠の腕を引いてバッティングセンターの扉を開ける。

 

「こんにちは!」

 

「いらっしゃい。 おや、これは可愛らしいお嬢さんが来たものだね」

 

「わぁ! 誠! 可愛いだって!」

 

「分かったからそろそろ放してよ、姉さん」

 

「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。 ご姉弟かね? 仲が良さそうで微笑ましいものじゃ」

 

 はしゃぐ彩理と、困ったように眉を下げる誠を見つめ、店主は穏やかに微笑んだ。 そして何かに気づいたように眉をぴくりと動かす。

 

「おや? きみはもしかして、虹谷誠くんかね? 青空レインボーズの」

 

「あ……はい。 そうですけど」

 

 その答えを聞いた店主は、再び穏やかな笑みを浮かべた。

 

「珍しい縁もあるものじゃ。 とは言っても、鉢合わせる可能性は無きにしも非ずじゃったな」

 

「ん……?」

 

「どういうことですか?」

 

 誠は一人納得する店主に首を傾げ、彩理はその意味を知ろうと問いかける。

 

「ここは蓮太くんの行きつけの店でね。 ちょうど十分ほど前から、彼とその友達が来ておるよ」

 

「えっ!? 天川くんがいるんですか?」

 

「うむ。 ほれ、あそこに」

 

 店主はカウンターから身を乗り出して指さすと、その先にはちょうど打席に入っていく蓮太が見える。

 

「誠、早く行こっ! 天川くんが打つよ」

 

「ちょっ! だから姉さん! 引っ張らないでって!」

 

 彩理は奥へ続く扉を開け、誠をグイグイと引っ張っていく。

 

「ん?」

 

 矢部と新太が見えた時、二人のどこか緊張した様子が、誠にはやけに場違いなように感じた。

 

「あの人たちが天川くんのお友達だよね? 二人ともどうしたんだろ?」

 

 彩理も二人の様子に気づいたようで、誠に振り返って問いかける。

 

――キィィィィン!!

 

 瞬間――機械が暴力的に軋む音が鳴り、その後に空気を切り裂く甲高い音と、凄まじい快音が響いた。

 

「ひゃっ!」

 

 突然の甲高い音に、振り返っていた彩理はビクリと震える。

 

「なっ……」

 

 その音の根源を視界に捉えていた誠は、思わず絶句した。

 

「ま、誠?」

 

 そのまま導かれるように彩理を置いて、音の根源に近付く誠。

 

 虹谷誠の存在に気付いた矢部と新太。 しかし、ちらりと一瞥しただけで、再び食い入るように打席に立つ少年に視線を戻す。

 そして虹谷誠もまた、矢部や新太と同じように、緊張した面持ちで打席に立つ少年を見つめていた。

 

 遅れて弟のそばに立った彩理はようやく、何故彼等が緊張した表情を浮かべているのかを理解した。

 

――それは圧倒的な威圧感というもの。

 

 張り詰めた空気を作っているのは、他ならぬ打席に立つ少年だった。

 先日、初めて蓮太と近くで顔を合わせ、言葉を交わした彩理。

 ささいなやり取りの中でも、彼が温厚で優しい人なのだということがすぐに分かった。

 

――キィィィィン!!

 

 だが、今打席に立つ蓮太はまるで別人のようだ。

 背筋が伸びるような張り詰めた空間を作り出し、荒ぶる機械の魔物に相対する少年。

 

――キィィィィン!!

 

 三度快音を響かせる蓮太のスイング。 彼の打撃フォームは、ただ美しかった。

 背筋をピンと伸ばし、両の腕を交差させるようにバットを握り、利き足を引き上げながらタイミングを合わせ、達人の居合切りが如くスイングを放つ。

 

――キィィィィン!!

 

 この場所にいる者の中で、最も野手に関する知識が浅い彩理。

 そんな彼女が内心に浮かべた言葉は、

 

――なんて綺麗なんだろう……。

 

 作り出す空気感も、しなやかな身のこなしも、凄まじいスピードのスイングも、彩理の目には神秘的に見えた。

 弟の応援で駆けつけた地区大会の決勝戦。 あの時から蓮太の才能には惹かれるものがあった。 

 

 しかし、あの時とは比べ物にならない。

 彩理の素人目から見ても、それは明らかだった。

 

「マシーンとはいえ、球速は150キロ……加えてスローカーブの緩急ありか」

 

 誠は唇を噛み、小さく呟く。

 彩理ですら蓮太の成長を認識していたのだ。 誠がこの変化に気付かないはずがない。

 

――キミはどこまで成長するんだ……。

 

 鳴り響く快音に誠は、生まれて初めて焦燥感にも似た感情に駆られていた。



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バッティングセンターにて3

 十球目、最後の球は外角低めのストレートだった。

 俺は利き足を打席の内側に踏み出し、流れに逆らわないように弾き返す。

 

―キィィィィン!!

 

 うん。 今のは良かった。

 少しタイミングがズレたけど、狙い通りライト方向に打ち返せた。

 

「ふぅ……」

 

 相対するマシーンが動きを止めた所で、俺はゆっくりと息を吐き出す。

 矢部くんや新太と同様に、久しぶりの打撃練習に高揚していたのは俺も同じ。 いい所を見せようとして気合いを入れすぎた感は否めないが、まぁ納得のいくバッティングが出来たと思う。 

 もちろん、変化球に対応出来ずに打ち損じたり、思っていたより重いストレートに差し込まれたり、まだまだ課題は山積みだが。

 

 俺は二人の感想を聞こうと振り返る。

 

「あれ?」

 

 そこには矢部くんと新太に加え、いつの間にか彩理さんと虹谷くんがいた。

 

「二人とも、いつの――」

 

「すごい!! すごいよ天川くん!! 私びっくりしちゃった! それに見惚れたゃった!」

 

「あ、えと、ありがと」

 

 興奮した様子の彩理さんに、俺は若干気圧されてしまう。

 それに虹谷くんの表情が怖いんだけど……。

 

 そんなことを思いつつ、俺はネットの張り巡らされた扉を開け、新太に視線で問いかける。

 

「蓮太が打ち始めたのと同じくらいだ」

 

 新太は俺のテレパシーをしっかり察知してくれたようで、言葉にしなくても答えてくれた。

 なるほど、周りが見えなくなるくらい気合い入れちゃってたのか。

 今更ながら、少し恥ずかしい。

 

「えっと……彩理さんと虹谷くんも打ちにきたの?」

 

「見たらわかるだろ」

 

 うわぁ……虹谷くんすごく不機嫌なんだけど。 俺なんかしたかな……。

 

「誠!」

 

「……姉さん。 今日はもう帰ろう。 また日を改めて来ようよ」

 

「誠……?」

 

 虹谷くんはそう言って、スタスタと出口へと歩き出す。

 

「……ごめんね。 天川くん。 それに二人とも、弟が失礼な態度をとってごめんなさい」

 

「俺は大丈夫だよ。 ちょっとびっくりしたけど」

 

「おいらも大丈夫でやんす!」

 

「俺も。 それにアンタが謝る必要は無い」

 

「ううん。 私は誠の姉として、謝る義務があるから。 でもありがとう。 それじゃあ」

 

 彩理さんは最後にささやかに俺に笑いかけ、そのまま虹谷くんの後を追っていく。 その表情は、どこか力ないものだった。

 

「……性格に難がある弟を持つと、上の子は大変でやんすね。 まぁ、気持ちは分からなくもないでやんすが」

 

「同感だ。 あいつは人一倍プライドが高そうだからな。 ピッチャーの性ってやつか」

 

「えっ、ちょっと待って。 二人は虹谷くんが不機嫌な理由を知ってるの?」

 

 納得するように相槌を打ち合う二人に、俺は疑問を投げ掛ける。

 

「まぁ、予想はつくな」

 

「でやんすね」

 

「……どういうこと?」

 

 さっぱり分からない。 確かに、決勝での途中降板や姉である彩理さんと話していた事で、虹谷くんはあまり俺を良く思っていないみたいだけど……。

 その瞬間、俺は閃いた。

 

「もしかして、彩理さんが俺のことを褒めてたことに怒ってたの?」

 

「虹谷くんってそんなにシスコンなんでやんすか?」

 

「ん……多分そうだと思う」

 

「蓮太と同類だな」

 

「まぁ、否定はしないけど……」

 

 矢部くんや新太は、俺と同じ星空中学に通っているため、当然天音の事を知っているし、俺が天音を猫可愛がりしている事も知っている。

 だから否定はしない。

 

「それを考慮するとそっちの線も考えられなくはないが、あいつは蓮太が打ち始めてからあんな感じだったぞ」

 

「やんす。 最初から難しい顔していたでやんす」

 

「うーん? つまり?」

 

「単なる予測だが、虹谷は蓮太の凄まじい成長に焦りを感じた。 そんな自分に腹が立って不機嫌になった。 てとこか」

 

「おいらも同感でやんす」

 

「……あの虹谷くんが?」

 

 少し言い方は悪いが、どこかキザったらしい虹谷くんが、誰かに焦りを感じたりという状態があまり想像つかない。

 が、すぐに可能性は無くはないことに気づく。 彼はああ見えて負けん気の強い人種だ。 その証拠に、あの決勝戦は死に物狂いで勝ちにきていた。

 

「でも、それならそれで、いいことしたのかも」

 

「いいこと?」

 

 新太は俺の言葉に疑問符を浮かべて首を傾げる。 矢部くんも同様だった。

 

「だって虹谷くんはこれからチームメイトになる人だよ。 ほぼ間違いなく、今後の天空のエースナンバーを背負うのは彼。 そんな彼はそれだけの実力を持ちながら、どことなく本気にならない所があるみたいでしょ?」

 

 噂では女子に目がない事で有名だ。 その点で言えば矢部くんと同類に思えるが、彼はとてつもなくモテる。 その結果、彼の野球への熱意は抑圧されているのだと、俺はにらんでいた。

 別に女子と遊ぶことを悪いとは言わないが、日毎に相手を変えるようじゃ得るものなんてない。 ……なんて、偉そうに言ってみても、俺自身恋愛経験はゼロに等しい。

 とまぁ、話を戻すとして、

 

「だから、発奮してくれたなら好都合じゃない? 真面目に取り組めば、彼は守にも劣らない一流の選手だよ」

 

「……蓮太くんって、優しそうな顔してたまに鋭いこと考えるでやんすね」

 

「普段の蓮太を見ていると、余計に不気味だな」

 

「失礼だなぁ。 俺は思ったことを言っただけだよ。 だってそうでしょ? 彼が本気になれば、甲子園だって夢じゃない。 決勝戦のこと覚えてるよね?」

 

「ああ。 覚えてる。 五回の表の俺達の攻撃だったな」

 

「あの時の虹谷くんは神がかってたでやんす」

 

「うん。 あの時、守以外で初めて人の才能に嫉妬したよ」

 

 地区大会決勝。 五回の表の星空ボーイズの攻撃。

 一番の矢部くんが、初球から意表を突くセーフティバントを決めた。

 その後、二番打者だった聖ちゃんが進塁打を転がし、新太が送りバントを決めた

 そして四番だった俺が、先制となる本塁打を放った。

 

 虹谷くんが覚醒したのは、その直後。

 凄まじいキレの変化球に手元で伸びるストレートを織り交ぜ、ストライクゾーンの四隅に散らす投球。 本気になった虹谷くんに、我らが星空ボーイズは圧巻の六連続三振を決められた。

 そしてホームランを打った俺自身も、最後の打席は空振り三振に終わったのだ。

 

「だから、俺を目の敵にしてくれてるのなら、虹谷くんはもっと上手くなるよ。 それに――」

 

 俺は繋げるように、二人を順に見ていく。

 

「矢部くんと新太も」

 

 発奮されたのは何も虹谷くんだけじゃない。

 目の前の二人からも、凄まじい闘志が感じられるのだ。

 

「……すぐ追いついてやる」

 

「追いつくだけじゃだめでやんす! 追い抜くんでやんす!」

 

「……珍しくいいこと言うな?」

 

「珍しくは余計でやんす!」

 

「あはは! 一緒に頑張ろうね」

 

 頼もしいチームメイトの発言に、俺は思わず笑声をあげた。

 

「それにしても……」

 

 矢部くんは繋げるよう呟き、

 

「虹谷くんのお姉さん、すごく可愛かったでやんす!!」

 

「……前言撤回。 やっぱり矢部はくだらないな」

 

「せっかく頼もしいなぁと思ったのに……」

 

「な、なんでやんすか!? 二人とも目がすわってるでやんす!」

 

 自分の顔は見えないが、矢部くんのことを精いっぱいの冷めた目で見てあげた。



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後輩

 それからたっぷり二時間ほど。 俺達はバッティングセンターで汗を流した。

 そして矢部くんと新太と別れて、俺が帰宅したのは三時過ぎのことだった。

 

「あ、お兄ちゃん!」

 

 愛しい妹の声が聞こえたのは、俺が家の鍵をカバンから取り出しているところだった。 そして、天音の両隣には二人の見知った女の子がいた。

 

「やっほー! 蓮太くん!」

 

「こんにちは、蓮太先輩」

 

 一人は水色のショートカットで、側頭部で一束の髪を結んでいる少女。

 パッチリとした瞳と、八重歯がチャームポイントの可愛らしい後輩である。

 名前は橘みずき。 橘財閥の次女で、星空ボーイズの二番手投手だ。

 

 そしてもう一人は紫色の髪を後頭部で結った少女。 名前は六道聖ちゃん。 西満涙寺というお寺の一人娘だ。

 どことなく楚々とした雰囲気の女の子で、星空ボーイズでは俺の女房役を務めてくれた。 

 相手は女の子なので『女房役』という言い方は少し変かもしれないが、別にそういう関係ではない。

 今では立派に星空ボーイズの主将を務めている。

 

 二人とは、俺達がこっちに引っ越してきてから仲良くさせてもらっている。 つまり小学校からの仲だ。 

 

「おかえり、天音。 それといらっしゃい。 みずきと聖ちゃん」

 

「お兄ちゃんもおかえりなさーい! それとただいま!」

 

「なんか久しぶりに会った気がするわね!」

 

「受験で忙しかったからね。 とは言っても、一昨日は学校に来てたんだし」

 

「学校にいても学年が違うと話す機会がないじゃない」

 

「まぁそうだね」

 

 みずきちゃんは頬をふくらませてジト目でこちらを見てくる。 不満げな様子だ。

 

「みずき。 その前に言うことがあるだろ。 先輩。 宿泊の許可をいただき、感謝するぞ。 明日の買い物にも付き合ってもらえるらしいな。 迷惑をかけて申し訳ない」

 

 二人はすでに宿泊用のバッグを肩から下げており、泊まる準備は万端と言った様子。 

 みずきはミゾットスポーツのロゴが入ったパーカーにジーンズ。 聖ちゃんはいつもの如く和服に身を包んでおり、それぞれ私服だ。

 

 それにしても相変わらず聖ちゃんは礼儀正しいなぁ。

 彼女みたいな娘がいたら、どこに出しても恥ずかしくないだろう。

 

 そんな聖ちゃんに促され、みずきちゃんも照れくさそうにそっぽを向いて告げる。

 

「悪いわね。 受験直後の休みを潰しちゃって」

 

「別に構わないよ。 それに迷惑なんてこともないから。 俺も久しぶりに二人と話せて嬉しいよ。 明日は楽しみだね」

 

 やはり後輩というものはいいもので、引退した後もこうして壁を作らず話せる関係はとても心地いいのだ。

 なので休みの一日や二日潰れるくらいなんともない。

 

「相変わらず臭いセリフ吐くわね」

 

「みずきは楽しみじゃないの?」

 

「……別に楽しみじゃないわけじゃないわよ」

 

 照れてる照れてる。 みずきは子供っぽいところがあるが、それを他人に見せるのを嫌がる節がある。 だからあえてこうしてぶっきらぼうな口調で返してくるのだ。

 

「照れなくていいのに。 だれも馬鹿にしたりしないよ?」

 

「うっ……た、楽しみよ! 当たり前じゃない!」

 

 ようやく素直になってくれた。 みずきはこうして柔らかく解いてやれば反応を返してくれる。 伊達に小学校からの付き合いではないのだ。

 

「相変わらずはみずきも同じだな。 蓮太先輩が絡むとすぐ素直になる。 普段もそうしてくれれば、こちらは助かるんだがな。 やれやれだ」

 

「う、うっさいわねっ! 私はいつでも素直よ!」

 

「どうだか……」

 

 肩をすくめて首を振る聖ちゃん。 確かにみずきの豪放磊落ぶりは噂にも聞いている。 半ばお目付け役のような聖ちゃんには負担が大きいのだろう。

 

「立ち話もそのくらいにして、そろそろ中に入ろうよ」

 

 それまで黙して話を聞いていた天音が、機を見てそう言った。

 

「確かにまだまだ外は冷えるしね。 それじゃあ入ろうか」

 

 俺は今度こそ玄関の鍵を開けて家の中に入り、三人もそれに続くように天川家の暖簾を潜った。

 

 

 家に入った俺達は、一階のリビングでテレビゲームなどをして過ごしていた。 もちろん野球ゲームである。

 

「ぷぷぷ。 聖、下手くそ〜。 もう三振十個目だよ〜ん」

 

「ぐぬぬ……配球を読んでいても、かーそるとやらを上手く動かすのは至難の業だ……」

 

 現在はみずきと聖ちゃんが試合をしている。

 試合はすでに最終回。 8対0で聖ちゃんが大いに負け越している。

 

 そして、結局聖ちゃんが操作するバッターが空振り三振に倒れ、ゲームセットとなった。

 

「やった〜! アタシの勝ちっ! 最後は華麗なスクリューでトドメをさしてやったわ!」

 

 至極ご満悦な様子のみずき。 対する聖ちゃんは、悔しそうな表情を見せていたが、すぐにゲームだと割り切ったようで、コントローラーから手を離して自らの肩を揉んでいた。

 

「慣れないことをすると肩がこるな。 思いのほか力が入っていたようだ」

 

「鍛え方が足りないのよっ!」

 

 相変わらずなみずきに、聖ちゃんはやれやれと肩をすくめていた。

 

 そして時刻が四時半を回ったところで、俺と一緒に試合を観戦していた天音がソファから立ち上がる。

 

「そろそろご飯の準備しなきゃ。 今日は人が多いから沢山作らないとね!」

 

「天音。 それなら私も手伝うぞ。 ゲームは下手だが、料理にはささやかだが自信があるからな」

 

「わぁ、助かる! 聖は料理上手だからね! ありがと! じゃあお願いしようかな!」

 

「うむ。 さて……みずきはどうする?」

 

「へっ!? あ〜アタシは……」

 

 決まり悪そうな表情に一変するみずき。 彼女はお世辞にも料理が上手いとは言えない。

 聖ちゃんはさっきの仕返しのつもりだな……。 分かってて聞いてるんだろうし。

 

「さぁ、どうする?」

 

「うっ……」

 

 さすがにみずきが可哀想になってきた。

 自尊心の強いみずきは、苦手なことを苦手だと素直に言えないところがある。 仕方がない。 ここは俺が助け舟を出すとしよう。

 

「天音。 夕飯の準備は二人で大丈夫?」

 

「ふふ、うん! 大丈夫だよ! 任せて」

 

 天音は俺の意図に気づいたらしく、口角を上げて頷いていた。

 

「だったら、みずき。 夕飯が出来るまで、俺とキャッチボールでもしない?」

 

「ふえっ?」

 

「俺が引退してから、キャッチボールする機会も減ったでしょ? いい機会だし、夕飯前の軽い運動だと思ってさ」

 

「……うん。 やる」

 

 みずき自身にも俺の意図が伝わったらしい。

 まったく、世話の焼ける後輩だ。

 

「はぁ……蓮太先輩はみずきに甘いぞ……」

 

「妹みたいなもんだからね。 もちろん、聖ちゃんも」

 

「……だったら私も呼び捨てで呼んでくれてもいいだろう」

 

「うーん……聖ちゃんは聖ちゃんだもんなぁ。 考えとくよ。 それじゃあ行こう、みずき」

 

「うん!」

 

 みずきはすでにご機嫌になっていた。 天邪鬼ではあるが、みずきは何かと扱いやすい。 

 

 こうして俺達は夕飯が出来るまでの間、庭でキャッチボールをすることになった。

 



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