風都探偵と黒の読姫 (スケノージ)
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ダリアンちゃんのかわいさに筆が動いた……


ここは、風都。風を愛し、風に愛された街だ。活気に溢れ、何かをしたい、という心持ちの人々がたくさんいる場所だ。

そんな風都の一角に構える、鳴海探偵事務所のデスクで、退屈げにしている男がいた。服装は黒を基調としており、ベストとスラックスの組み合わせは、いかにも彼がこの服を着慣れているかを表すように似合っている。

 

「翔太郎」

 

デスクで突っ伏していた体を起こす。翔太郎と呼ばれたこの男は、最近減少している仕事の依頼に気落ちしているのだった。

だが、彼を呼んだ者は、そんなことなど意に介さない。

 

「どうしたフィリップ。まーた何かあったのか?」

 

やに、不思議という言葉が様になる、フィリップという男。ゆったりとしたパーカー。伸びた髪をクリップで留めている彼は、翔太郎が言葉を返す前に続ける。

 

「これを見てくれないか」

 

フィリップが手にしていたのは一冊の本。やけに古ぼけていて、ところどころ傷んでいるのがすぐにわかった。

 

「なんだ、それ」

「この中に、興味深いことが書かれていた。断片的だけどね」

 

そこまで聞いて、翔太郎は軽くため息をつく。好奇心旺盛なフィリップは、一度何かに興味、関心を抱いてしまうとそれを徹底的に調べ上げ、己のものとするまで寝食を忘れるほど没頭するのだ。

今現在、翔太郎と関わり始めた時よりは節度というものを知ったフィリップだが、それでも根源的に彼のこの行動は止まらないし、止められないらしい。それを非常によく知っている翔太郎は、敢えて何も言わない。

相棒たるフィリップのことは、翔太郎が一番よく理解していた。

つまりは、この男はある程度は野放しにした方が、結果的に早く片がつく、ということを。

 

「へえ」

「翔太郎。幻書、という言葉を知っているかい?」

「なんだそりゃあ……聞いたことがな――――いや……? あるような……ないような」

「この本には、その幻書について僅かに書かれていた。概要、と言えばわかりやすい」

 

そのまま、フィリップはこう続けた。

幻書とはこの世にもう存在しない、例えば魔術書や、錬金術書などであり、その数は当然ながら凄まじい数になる。そしてそれを収める、書架なるものがこの世には存在する、と。

 

「で、それがどうしたんだ? お前のことだから検索してみたんだろ?」

「そう! 翔太郎、僕はまずそこから始めたんだ」

 

僅かに興奮気味な声音のフィリップの言う、検索、とはインターネットで調査する、という意味を持たない。

彼はその特異な出自により、己の脳を地球(ほし)の本棚と呼ばれるデータベースに接続することで、ありとあらゆる知識を得ることができる。いくつかのキーワードから、欲しい情報を、その名前の通り本棚から見つけ出す。それが彼の言うところの検索であった。

フィリップはワクワクと、不満げな二つの表情を見せた。どうやったらそんな顔ができるのか、と翔太郎は呆れた。

 

「しかし、結果は……この本と同レベルにしかわからなかった」

「わからな……い? そんなわけねぇだろ」

「僕も、とても驚いた。だが結果は依然として、だ」

「ンなことあるのか……」

「だからこそ、興味深いんだよ」

 

 

 

 

 

 

Sequel 01 : Dの書架/探偵は一人

 

 

 

 

 

「……!?」

 

がばり、と起き上がる。

すぐさま掛け時計を確認すると、十一時。午後ではなく、午前の。

いつもと変わらない、鳴海探偵事務所の机。翔太郎は辺りを軽く見回した後、深いため息をつく。

彼の相棒がいたはずのソファーは、しばらくの間体重がかけられていないのか、凹みが無く平らであった。

 

「ったく、なんて夢だ」

 

毒づく。

相棒は――フィリップは、もう、()()()

この愛すべき街――風都のために、何より翔太郎のために、彼は逃れられない運命を受け入れ、姿を消した。

フィリップという唯一無二の存在を失ってからというもの、翔太郎の心は、ずっとピースの欠けたパズルのようだった。

もう一度、ため息。

 

「寝ちまうなんてな」

 

デスクの上には、翔太郎がいつも記録用に使っている、古めかしいタイプライターがあるのだが、その横にはいくつかの機械の部品のようなものが散らばっていた。

今朝、事務所に届いていた封筒。紙とは異なった重みをもっていたそれを開いてみれば、この場に散らばっているパーツが入っていたのだった。

中身は翔太郎の見知ったもので、ギジメモリと――それそのものの名前は、EXTRAKEY、というらしい――と呼称される、コンピュータに接続するUSBメモリを何回りか大きくしたようなものの組み立て説明書と、おそらく組み上がるであろう部品類。

かつてはフィリップがこれの組み立てを行っていたが、当然彼はいない。なので翔太郎が遺された工具を手に四苦八苦するのだった。

だが現在、依頼をこなした後、作っていた最中に眠気に襲われたらしかった。

 

「しっかしこのメモリ……一体誰が送ったんだ?」

 

送り主は書かれていなかった。かつてギジメモリや、それに対応したガジェットを送ってきた女がいたが、フィリップと同じくこの世にはいない。

さりとて誰が、何のために、これを事務所へ持ってきたのか?

わかるはずもなかった。いくら探偵の翔太郎でも、証拠も何も無いのでは仕方ない。

ギジメモリは現在、完成にはまだまだ、といった風だった。

翔太郎は半田ごてを握り、慣れない作業に再び取り掛かる。

集中力と根気のいる作業をやっていれば、必然的に心は落ち着きを取り戻してゆく。ギジメモリと、もう一つ気になったこと――――夢として見た、フィリップとかつて交わした会話の内容。

今ならば言える。

翔太郎は、幻書について一つだけ知っていた。それは彼の師匠であり、この探偵事務所を作り上げた男、鳴海荘吉がかつて、翔太郎に一度だけ投げかけた言葉。

薄れていた記憶だが、このようなことを言っていたはずだ。その時、彼は一冊の古い羊皮紙でできた本をもっていた。奇怪なのは、その本には鎖が巻かれており、錠前によって固く閉ざされていたということだ。おそらく、それは、幻書だったのであると、翔太郎は確信していた。

――――世話になった奴がいたんだ。それが貸してくれたのが、この本だ……返しそびれちまってるんだがな。

と、荘吉は言った。

そこまで思い出してから、翔太郎は作業の手を止める。

事務所の地下にある秘密ガレージへ向かい、そこを手当り次第に漁る。十分と経たず、翔太郎はそれを見つけ出した。

錠前の付けられた古書。積み重ねてきた年月が、本に独特の雰囲気を纏わせている。

そこで、錠前を眺めた翔太郎は、頭上に電球が灯るように、ピンとくるものがあった。

ひらめきの焦点は、その本の鍵穴だ。それとやけに似たものを翔太郎は度々目にしている。

それはギジメモリが、擬似、である所以――由来であるアイテム……ガイアメモリを挿入するために人間の身体に刻印されるものと、かなり似ていた。

そして製作作業中であるギジメモリの名前は――――特別な鍵(エクストラキー)

偶然にしてはできすぎているように、翔太郎は感じる。

 

「ヤな予感がするな……」

 

 

 

 

 

同刻。一人の、小柄な少女が空を見上げた。

透き通るような白さをもつ肌と、まったくもって対照的な漆黒の長髪と、衣装。中世の典礼礼装をベースにしたような鎧を、真っ黒なドレスの上に包んでいた。

そして胸元には――――鎖で縛られた古びた金属の錠前がある。

明らかに場違いな、ともすれば人形とでも勘違いされそうな時代錯誤な服装だった。

 

「ソウキチは息災でしょうか……」

 

少女は、そっとつぶやく。

雲一つない蒼穹。少女の肌に、穏やかな風が当たる。やはり良い所だ、と少女はしみじみと感じた。

彼女が最後にここに訪れたのは、実に――――()()()()()だった。

その間に、街も変わる。風力発電のための風車が並び立ち、建て直されたのか、真新しい雰囲気のする、発電機と比べ、一際高い……しかし、それでもトレードマークのように風車をもっている、タワー。

とはいえ、そこに住む人々の息遣いが変わることはない。

少女は地図を取り出し、現在地を確認。その後に目的地に向けて歩き始める。行先は一つ。彼女が『本』を貸した男のいるであろう、風都風花一丁目二番地二号かもめビリヤード場二階――――即ち、鳴海探偵事務所。

さしたる時間もかからず、それは見えてきた。古臭い建物を見て、少女は頬を緩ませる。

 

「あのチンチクリンが、よくも…………なっ!?」

 

後ろから聞こえた唸り声。猫が威嚇する時のそれだ。灰色の毛並みは、少女の家がある英国発祥の品種、ブリティッシュ・ショートヘア。

原因は不明なのだが、そのまま少女が振り向いたところで、猫は飛びかかってくる。少女は凄まじく嫌な顔をする。少女はどうにか回避。

猫を睨み、少女は持っている鞄を死守する体勢をとった。中身は彼女が大好きな二つのもの――――本と、揚げパンが入っている。

猫は後者の匂いを嗅ぎつけたのか、執拗に鞄へ視線を向けた。

少女は断固拒否の姿勢をムッとした顔で表明する。

 

「渡しません! この中の物は決して!」

 

猫はもう一度飛びかかった。今度は躱すことができず、少女は悲鳴を上げる。可愛らしい、とは思い難い、心からの嫌悪を現した叫びを。

 

「は、離すのです! はーなーせーぇっ!」

 

その時。振りほどこうとする少女を鬱陶しがったのか、猫は、彼女の頬を引っ掻いた。

痛みで、鞄を手放してしまう。

少女の切ない声が放たれ、その目尻には光るものが。

猫はなんと傲慢にも、彼女の痛ましい姿なぞ眼中にもないらしく、鞄の中身を――――。

 

「おい! そこまでにしとけ、ミック」

 

――――取られる前に、首根っこを掴まれて引っ張り上げられる。

少女が聞いたのは、誰かの声だった。どこか、かっこつけたような口ぶりの。

少女は声のした方を見ると、そこには一人の男がいた。ハットを被り、どこかレトロチックな、黒をベースとしたベストとスラックスを纏う若者。

少女は半ば無意識に、句を漏らす。

 

「ソウキチ……?」

「ん? おやっさんじゃねーぞ、俺は」

 

少女は、その返しに得心がいったようだった。この男はあの事務所から出てきたのだ、と。

男は少女に、ミック、という名前らしい猫に取られていた鞄を返し、申し訳なさそうな口調でこう言った。

 

「悪ぃな。ウチの猫が」

「本当なのです。躾がなってないのです」

 

少女は辛辣だ。男は参ったような顔をつくる。

 

「それでは、とっとと案内するのですよ」

「え?」

「『鳴海探偵事務所』です。私は……ソウキチに貸した本を返却してもらいにここまでわざわざ、足を運んだのですから」

 

わざわざ、という部分は、やけに強調されていた。

 

 

 

 

 

事務所の中に入った少女を、翔太郎は訝しむ。少女の年齢は、まだ小学生に入ったかくらいに見えた。そんな彼女が翔太郎の師匠である鳴海荘吉の名前を言ったのだ。

荘吉に弟子入りした時期を考えても、翔太郎は少女と会っていてもおかしくはなかった。だが彼の記憶にはこんな女の子の姿はなかった。

忘れた、という線はまず考えられない。

まるで人形のように可愛らしく、人形くらいしか着ないような服装の少女を忘れるとは、甚だありえないだろう。

少女は……かつてフィリップが座っていたソファーに腰掛ける。まるで自宅のように、少女はくつろいでいた。

さっきの物言いといい、この少女は明らかに年相応でない空気を纏っている。どこか掴みどころのないような、神秘性をもった佇まい。

どこか、フィリップに近いものを翔太郎は感じていた。

そんな少女は、持参した揚げパンを三つほど平らげてから、翔太郎に声をかける。

 

「そこの黒帽子」

「黒帽子ってよぉ……。

俺はハードボイルド探偵こと……左翔太郎だ」

「なんでもいいのです。とっととソウキチを出しなさい」

 

少女がぶっきらぼうに放った言葉に、翔太郎は苦い顔になった。少女は知らないのだろう……鳴海荘吉(ソウキチ)は、既にこの世にはいないということを。

翔太郎の表情の変化に気付いた少女は、少し悲しげな顔をした。

 

「まさか……ソウキチは……()()()のですか?」

 

彼女の言う『いない』。それは出払っているから不在である、という意味ではないことを、翔太郎は察していた。

 

「……ああ。二年前に」

「な…………そうだったのですか……」

「悪いな、尋ねてきてくれたのはありがたいんだが……」

(ノウ)。それは仕方がないのです……。人はいつかは……死ぬのですから。しかし、私は『返却』をまずは果たしてもらう必要があるのです」

 

翔太郎はその意味を図りかねる。

 

「返すって?」

「多分、ここにあるはずです。一冊の本が」

「本っ!? もしかして……」

 

奇妙ななりの少女が取りに来るような奇妙な本なんて、翔太郎には一つしか浮かばなかった。少し前に地下ガレージで見つけた、古い本だ。

ちょっと待ってろ、と翔太郎は言って、即座にガレージから鎖で封じられた古書を持ってくる。

 

「ほら、これか?」

 

手渡されたそれを、少女は受け取る。少女はそれを見て、言葉を失っていた。驚愕と、懐かしさと、嬉しさが少女の浮かべた笑みに写っていた。

 

「ソウキチ……『使わなかった』のですね……。やはり……」

「おいおい……感謝とか……」

「なにか?」

「……いーや何でもない、何でもないぜ」

 

キッ、と睨まれて翔太郎はお手上げだ。さっきこの事務所の飼い猫であるミック相手に見せた狼狽とは大違いの顔である。

少女は本を鞄に仕舞いこんだ。

……天国にいるだろう師に、少しばかり恩返しができたのだろうか、と翔太郎は窓の外の空を何気なしに見上げた。

わずかばかり、感傷に浸っていたところで、少女は翔太郎に詰め寄った。

 

「それと、私はしばらくここに滞在するのです」

「えっ」

「なにを、ボケっとしてるのです? ここにいさせろ、と言っているのですよ」

「はぁっ!? なんだそりゃ、いきなり!」

「つべこべ言わないのです! さあ、早く昼食を出すのです!」

「オイオイお前さっき揚げパン三つも食ってたよな! まだ食うのか!?」

「つべこべ言わずに早く買ってくるのです!」

 

なんなんだこのガキゃいきなり――――っ!

翔太郎はあまりにも傲岸不遜、かつ急すぎる彼女の言いぶりに、堪忍袋の緒が切れる――というより、火山が一気に噴火するように、キレた。

 

「なんだよお前! 図々しいな!」

「なんだよはなんです! この黒帽子!」

「黒帽子だとぉう!? ってかなーんで俺が、お前の世話をしなくちゃならねぇんだ!」

「幻書を貸したのですから、それくらいのことはいいではないですか!」

「借りたのは俺じゃねぇ! おやっさんだろ!」

「ソウキチが師匠ならその責任は弟子が負うのです!」

「デタラメばっか言うな!とっとと出てけ! ここは探偵事務所だ! 保育園じゃねぇっての!」

 

そこで、言い争いは思わぬ介入によってストップする。

開かれた事務所のドアから、一人の女が入ってきて、開口一番。

 

「一体なにごと!? 外まで聞こえてきたじゃな――――誰この子ぉ!」

「オイ亜樹子ぉ! お前知ってんじゃねーのかこのチビ!」

「しししし知らないわよ!」

 

少女は介入者の女……鳴海荘吉の娘、現鳴海探偵事務所、所長である、亜樹子の顔をじっくりと見つめた。

 

「……娘ですか」

 

打って変わって落ち着いた声で、翔太郎と亜樹子もクールダウン。

亜樹子は少女の言葉を脳内で反芻する。

しかし、翔太郎に返したとおり、亜樹子はこの黒衣の少女を見たことはなかった。

亜樹子は気を取り直し、少女に問いかける。

 

「私は鳴海亜樹子、気軽に亜樹子でいいよ。あなたの名前は?」

 

そういえば、と翔太郎は気付いた。

このわがままな女の子の名前は、まだ聞いていなかったか……。

少女は少し渋っていたが、亜樹子の真っ直ぐな眼差しに折れた。

 

「……ダリアン」

「へぇー、ダリアンちゃんかぁ〜。本当、お人形さんみたい」

 

亜樹子は、目をキラキラさせる。翔太郎は顔に手を当てながら、ご愁傷さまだなと思った。こうなった亜樹子は、なかなか止まらない。

結果としてこの後およそ一時間の間、昼食すら忘れて亜樹子はダリアン、と名乗ったその少女と話した。……亜樹子が一方的に、だが。

そしていつの間にか事務所での居候が決まってしまうあたり、翔太郎も呆れ返るほかない。しかし所長である亜樹子が許可したのだから反論もできない。

荘吉のツケを返せ、という言い分。それは完全に筋違いというわけではないが、どうにも解せない感覚を、翔太郎は味わうのであった。

何気なく開いた窓から、風が流れ込んできた。いつもとどこが違うような気がするその風は、翔太郎の心をざわつかせる。

 

(あの届けられたメモリ……そんでもってあのダリアンってガキ……それとおやっさんが持ってた、やっぱり『幻書』ってヤツらしい本。

嫌な予感……どうも、風が冷たい。

こんな時、お前がいてくれれば……一発で検索して解決なんだがな……フィリップ)

 

事務所には、もう、嵐のように現れて場を引っ掻き回していった亜樹子とダリアンはいない。亜樹子がダリアンに風都の案内を提案して、ダリアンは渋々それを受け入れて外出していっていた。

翔太郎は、自分ではハードボイルドだ、と往々にして口にする。

だが、今の彼はいない人間を求める、ごくごくありふれた、ただのひとりの男だった。

相棒が消えて、いつの間にか心に棲みついていた弱さ。それをぬぐい去る日は、いつになるかは誰にもわからなかった。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

探偵事務所に住み着いてはや二日。ダリアンはそのルックスで亜樹子を利用……もとい可愛がってもらっている。だが誤算としては、亜樹子がダリアンをしつこくかまってくることが日々あった。

今日もまた……。

 

「ダリアン! 勝手にお客様用の菓子を食うな!」

「何を? 私だって客人なのです」

「不本意だがな、お前は同居人だっ! 」

 

今日もまた……。

 

「ダリアンちゃんダリアンちゃん、コレ着てみて!」

「またなのですか!?」

「いいからいいから! 私のお古なの!」

「ンな古ぃもん持ってんのかよ……」

 

今日もまた……。

 

「黒帽子、なぜここにはハードボイルド小説しかないのですか」

「当然だろ。俺はハードボイルドだからな」

「そんなこと言ってる時点でハードじゃないのです」

「そうかよ」

(イエス)。さしずめ半熟(ハーフボイルド)がお似合いです」

「お前もそれ言うか!」

「おや、かつて呼ばれたことがあるのですか。じゃあ黒帽子よりか、半熟がいいです」

「俺は、ハードボイルドだ!」

「うるさいです半熟。そこな額縁にもあるではないですか。半人前でもいーじゃん、と」

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

ダリアンに翔太郎は問いかけた。

 

「で、だ。お前はいつまでここにいるんだ?」

「さあ? 目的を終えられればですかね」

「目的? おやっさんの本を返してもらうヤツなら解決してるだろ」

「それだけではないのですよ、半熟」

「だーから俺は半熟じゃないっての」

 

翔太郎の抗議をダリアンは完全に無視する。

 

「私の目的はソウキチの本を返してもらうこと。それと、この街に蔓延る幻書を回収することです」

 

幻書。ダリアンが言ったその単語は、翔太郎の脳裏に不可解なもやもやを生み出した。

 

「幻書ってのは、おやっさんのあの本だろ?」

(イエス)。ソウキチに貸したのも幻書です。が、幻書というものは一つや二つだけなんてものではないのです」

「ああ、知ってる。魔導書とか、予言書みたいなオカルトブックのことだろ。ってもそれが、本当に効果を発揮しちまうとかいう」

 

ダリアンは驚いた風に翔太郎を見た。してやったり、と翔太郎は笑みを浮かべる。

傍から見れば、こんな小さな子に対して圧倒的に大人気ない顔だった。

 

「知ってたのですか。なら早いですね……この風都に、幻書が流れたということをツテで聞いて、私はここに来たのです」

「ちょっと待て、おやっさんの本は?」

「オマケです。アレは、ただあるだけであるならば、有害な書ではありませんから」

「なんだそらぁ……。で、その幻書は見当がついてるのか? 探すにしても情報が無いならどうやっても無駄だぜ」

 

翔太郎は探偵ゆえ、探したり調べたりするのは得意な領域だ。ダリアンよりも遥かに上手なのは言うまでもない。

 

(ノウ)。だから滞在するのです」

「オイオイオイ、それじゃ一生見つからないだろ」

(イエス)。だから半熟、お前を不本意ながら頼ることにしたのですよ」

「まーた、いきなりか」

 

ため息。

 

「いきなりではないのです。アキコに話はつけてもらったのです」

「亜樹子もグルかおい……。だけどよ、依頼ならキチンと金は出してもらうぜ」

「それについても既に終わっているのです。アキコは跳ぶように喜んでましたよ」

 

ダリアンの不敵な笑みに、翔太郎は呆れた。出自不明のこの少女、金はあるらしい。そういえば翔太郎が見てた範囲で、彼女は金をせがんだことはなかった。

ますます怪しいダリアン。フィリップがいれば一発で解決するが、それはもうどうしようもない。

翔太郎は亜樹子に契約内容を後で確認することに決めて、ポケットにギジメモリを戻してから立ち上がった。

ダリアンが不思議そうに翔太郎を見つめて問う。

 

「何を?」

「ったく。

探しにいくんだよ、その幻書ってのを」

 

仕事に対しては人一倍高いプライドをもっている翔太郎。一度依頼と決まったならば、依頼主が誰であろうと信頼し、問題解決に尽力するのが彼のポリシーであった。

それは第一印象最悪のダリアンとて例外ではない。

出かける用意を手早く整え、トレードマークの黒帽子を被り、戸締りをチェックして事務所を出る。その後ろには、ダリアンがついていた。

翔太郎が尋ねる前に、ダリアンが口を開いた。

 

「ついでに本屋に寄って買い物をするのです」

「しゃーねーな。じゃあ、情報を頼むぜ、本のな」

 

手がかりなしでは難易度が高すぎる故に、翔太郎は、ダリアンから本についての特徴を聞き出す。幻書、といっても数多存在し、さらには写本もままある。だがダリアンが掴んでいる情報は少なく、とにかく幻書がある、ということだけであった。

だが大概、幻書はそれなりに年季の入った書物である。翔太郎の洞察力、観察力なら、ボロの本を見つけ出すのはそう難しくないと、彼自身は踏んでいた。

風都イレギュラーズ、と呼ばれている翔太郎と親しい仲間たちにも協力を要請し、翔太郎も住民から目撃情報がないかを聞き出してゆく。あまりその効果は得られていないが、やっていけば必ずどこかに発見がある。

探し物とはそういうものだ、と翔太郎は考えている。

二人は古本屋に立ち寄った。ダリアンたっての要望なので、彼女はさっそく本をいくつか手に取って読み進めてゆく。翔太郎はそれを呆れながら見ていた。

読書狂(ビブリオマニア)。翔太郎も読書こそすれど……読むのは、例えばレイモンド・チャンドラーのような、ハードボイルド小説が主だ。

ただしハードボイルドに対しては余念がなく、経費で落として小説を購入しようとするくらいの熱の入りようではあるのだが。そして、それがかえってハーフボイルドさを出してしまっているのだが。

ダリアンはその小さな身体以上の高さまで本を積み上げたあと、店主を呼ぶ。

 

「これ、全部買うのです」

 

吹き出す翔太郎。その間にもダリアンは言われた金額を財布からどばっと出し、購入完了。

羽振りが良すぎないか、と翔太郎は口をあんぐりと開けていた。それは会計をしたここの店主も同じだった。

ダリアンは翔太郎に近付いて、こう言ってのける。

 

「運ぶのです」

「えぁっ!?」

「どうせ今日の捜索はロクにいってないのですし、コレ持ってとっとと帰るのです」

 

本探しが上手くいっていないのは事実だが、その言いぶりに翔太郎は怒り心頭だった。

だが、どうにか怒鳴りつけるのを踏みとどまる。ハードボイルドたるもの、女への優しさと配慮を忘れてはならない……既に幾度となくダリアンに憤慨しているが、外の目がある以上、今は大人しくダリアンに従うことにした。

なかなかキツい労働になる、と思ったその時、携帯電話(スタッグフォン)が鳴る。

かけてきたのは亜樹子だった。即座、思い切り外に漏れて聞こえるほどの大声が響く。

 

『ししし翔太郎くん! ドーパントが……!』

「えっ、ちょっオイ、亜樹子!」

『今、全力逃げてる! どこいるの翔太郎くん!』

「商店街ンとこの古本屋だ。そっちは!」

『よかった、そんなに遠くない! 店を出て少しの角を曲がった先の路地裏に!』

「っし、わかった」

 

翔太郎は駆け出そうとする。しかしそれを止める者がいた。服を右手で引っ張ったダリアンである。

 

「どこへ行くのです?」

「あー、今は構ってられねぇ。急用だ」

「その、ドーパント、という?」

「ああそうだ。悪いけどちょっと待ってろ」

 

ダリアンを振り払って、翔太郎は亜樹子の言った通りの場所へ走り出した。程なくしてそこに辿り着き、一体の異形をその双眸が捉えた。亜樹子は見えないので、上手く逃げてしてくれたらしい。

翔太郎はその異形……ガイアメモリと呼ばれる劇物に身を蝕まれた人間……ドーパントに言い放つ。

 

「そこまでだぜ」

 

帽子を右手で押さえながら、翔太郎は落ち着いていた。

ドーパントは翔太郎を睨み、言い返す。

 

「お前、幻書を持ってるだろォ」

「――――なんだと?」

 

今までのドーパントでは、決して聞かなかったであろう単語に、翔太郎は怪しむ。

だがその前に、眼前のドーパントを倒さなくては始まりもしない。

翔太郎はいつの間にか、右手にとあるモノを握っていた。メカニカルな趣の、奇妙な形状をしたそれを、翔太郎は腰に当てる。側部からベルトが伸びて、巻かれることで、その機械はバックルとなった。

さらに翔太郎の右手には、USBのような金の端子をもった黒いメモリがある。道化師を象った『J』のマーク。

切り札(JOKER)の記憶を宿した、ガイアメモリだ。

 

「いくぜ、フィリッ………………いっけね。ったく癖ってのは……」

 

翔太郎はメモリのボタンを押し込む。

 

〈JOKER!〉

 

そして、ジョーカーメモリをベルト……ロストドライバーの赤色部分に挿入した。力の奔流が今にも溢れ出そうになり――。

 

「変身」

 

挿入部が横に……『W』の左半分のような形状に、倒される。その瞬間、翔太郎は変身していた。

風都の涙を拭う、今や一色のハンカチ。

翔太郎/仮面ライダージョーカーの姿が、そこにあった。

彼がその指を差し向けて放つのは、街を泣かせる者への戦意表明たる――あの言葉。

 

「さあ、お前の罪を……数えろ」

 

そしてジョーカーは走り出す。メモリによって強化された身体能力は、ドーパントに対して有効打を与えることができる。

我流だが隙のない格闘術で、ジョーカーはドーパントを圧倒してゆく。

理性を喪失していれば、いくら強大な力があろうとも、持ち腐れる。仮面ライダージョーカーは、長きに渡って培われた戦いの経験、それに格闘術――理性の産物で、野生の怪物に打ち勝つのだ。

勝敗はもはや自明である。

だが、とっさに……ジョーカーの視界に、黒衣の少女が入った。それはドーパントも同じようだ。

 

「バッカ……!」

 

思考がフル回転して、ジョーカーの脳裏に最悪の状況を浮かばせる。それは、依頼人の生意気なクソガキが……命を落とす光景。

もうこれ以上、誰かが傷付いたり、いなくなったりするのは、嫌だった。

ジョーカーは即座にドライバーからメモリを抜き、右腰のスロットに装填する。

狙うは短期決戦。

 

〈JOKER! MAXIMUM DRIVE〉

「ライダーキック!」

 

跳躍。ガイアメモリの力を限界まで引き出したジョーカーの必殺の蹴りが、ドーパントに直撃する。

その異形を保てなくなったドーパントは、元の人間の姿へと戻り、その体から排出されたガイアメモリは、瞬時にヒビが入ったかと思いきや、そのま砕けた。

ドーパントだった男は、気を失って倒れている。変身を解き、携帯電話に119番を打ち込んで救急車を呼んだ。

ジョーカー/翔太郎は立っていたダリアンを睨んだ。その瞳には明確かつ強烈な怒気の炎が灯っている。

それは、今までダリアンが一度も見たことのない、翔太郎の顔だった。

怒鳴りこそすれど、翔太郎は真に心からダリアンに怒っていたわけでは、なかったのだった。

 

「ダリアン、俺はさっき言ったよな。待ってろって」

「ええ」

「じゃあなんで来たッ! 死にたいのか!」

(ノウ)。死ぬ気などさらさらないのです。それにいざという時は……半熟、あなたが守るのでしょう?」

 

ダリアンの頬が僅かに緩んだのを、翔太郎は見逃さなかった。探偵だからこそなせる、微妙な表情の違いの観測。

翔太郎はいつの間にか、ダリアンからある程度の信頼を得られていたらしい。毒気を抜かれたように、翔太郎はここ最近明らかに増えたため息をした。

頭を掻きむしり、諌めるように告げる。

 

「ったく、次は気ぃつけろよ」

「当然です。ところで半熟、お前のさっきのあれについて説明を求めるのです」

 

それはガイアメモリと仮面ライダーのことを指している、と翔太郎は理解した。

翔太郎は仮面ライダーが自分であるということを隠して戦っている。図らずしもダリアンには割れてしまったわけだが。

翔太郎は一呼吸おいて、ダリアンに真剣な面持ちで話し始める。

 

「わかった。さっきのあれはドーパント……ガイアメモリを体にぶっ差すとああなる」

地球の記憶(Memory of Gaia)……。なるほど、理解したのです」

「え? 俺、全然言い切ってないんだけど」

「そのドーパントとやらに近いものは何度も見たのです。幻書に心を喰われた者は、あれに近くなる」

「……ああ、なるほどな」

「それともう一つ。

ガイアメモリ……地球の記憶。この二つなら私がかつて収めていた幻書に心当たりがあるのです」

「――――なんだと?」

 

翔太郎の顔が驚きに変わる。

地球の記憶。それを読み取れた人間がいた。つまるところそれは翔太郎の相棒であった、フィリップだ。

ダリアンの言い分ならば、つまりこういうことなのだ、と翔太郎は推理した。

――フィリップは、幻書と何らかの関係性がある。

 

古代の智慧(エンシェントウィズダム)を読み解いたとされる女性、H・P・ブラヴァツキー。彼女が見出し、形にしたとされる、悠久の記録層――――アーカーシャ年代記(アカシックレコード)。またの名を…………」

 

一拍、翔太郎にとっては何倍にも感じられたその先にある答え。

 

「…………地球(ほし)の本棚、そう呼ぶのです」

 

 

 

 

 

 

 

――――これは、相棒を失ったふたりの物語。

欠けてしまったピースを、埋められないとわかっていながらも探したがる、そんな不器用なふたりの、ほんの少しの間の物語。

 




次回更新は多忙のため、全くの未定……お許しを



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