Die Zeit heilt alle Wunden《完結》 (日々あとむ)
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序幕

あらすじの※とかタグをしっかり読んでね。
 


 

 ――〈静寂(サイレンス)〉。

 範囲内の音を殺す魔法で、まず鎧の軋む音や地を駆ける音を消す。その後、〈透明化(インヴィジビリティ)〉で不可視となって目視される危険性を極端に減らした。

 静かに、そして素早く。四つの見えない影が暗い森に閉ざされた、岩の隙間にある岩戸へと滑り込む。岩戸へと侵入した四つの見えない影――その先頭の影は懐から三十センチの蛍光棒を取り出す。蛍光棒は歪めると明かりが灯る仕組みになっている。蛍光棒は地面に落とされ、足で踏まれ歪む。淡い光が岩戸の中を照らし、周囲の光景を少しだけ見せた。

 岩戸の中を確認した四つの見えない影は、即座に蛍光棒を破壊し、その残骸を土の中に隠した。そしてしばらくすると――四つの見えない影の姿が現れる。〈透明化(インヴィジビリティ)〉の効果が切れたためだ。

 現れたのは、奇妙な四人組だった。男二人と女が二人。珍しい組み合わせではないが、しかしその格好が統一性を感じさせない。軽装鎧を装備した二刀流の戦士に、重装鎧を装備した神官戦士。この二人はまだ分かる。だが残った女の内一人は軽装鎧を装備しているが弓を持ち、そして耳が長い。残った女は更に変わっている。自らの身長と同じくらいの長い鉄の棒に、ゆったりとしたローブを着た彼女は、とても他の三人と統一性が無かった。挙句、彼女はまだ少女と言ってもいい外見をしている。

 ……しかし、統一性が無いように見える四人組は、だからこそ逆に統一性があるとも言えた。このような四人組が集まる場合、それは冒険者と呼ばれる、組合に所属して人々を守る正義の味方。あるいはそれとは逆の、善意であれ悪意であれ欲望に濡れた逸れ者――ワーカーのどちらかでしかない。

 そして、四人組は後者――ワーカーだった。

 彼らはバハルス帝国に居を構える四人組のワーカーチーム。そのチーム名を“フォーサイト”。前衛戦士にしてリーダーのヘッケラン・ターマイト。神官戦士のロバーデイク・ゴルトロン。森妖精(エルフ)の射手イミーナ。まだ二十も生きていないのに第三位階魔法を行使する天才魔法詠唱者(マジック・キャスター)――魔術師(ウィザード)のアルシェ・イーブ・リイル・フルトである。

 先頭に立っていたのはイミーナだ。彼女は野伏(レンジャー)の技能を持つため、先頭に立って探索するのに向いている。実際、この岩戸まで無事に切り抜けられたのは彼女の功績が大きい。

 四人はまだ〈静寂(サイレンス)〉の魔法がかかっているため、無音だ。互いの姿を確認した後、すぐに岩戸の奥へ向かっていく。森の外にいる魔物に気配を察知され、無駄な戦闘行為を行わないためだ。

 岩戸の奥へ無音で侵入した四人は、充分に岩戸の入り口から離れたのを確認した後、残った〈静寂(サイレンス)〉の魔法が切れるのを待った。そして――魔法効果が切れた後、ヘッケランが口を開く。

「ふぅ……無事に辿り着けたな」

「……運が良かった」

 ヘッケランの言葉に頷いたのはアルシェだ。そして、ロバーデイクが続く。

「マンティコアの巣が近くにあった時は冷やっとしましたが、どうやら留守だったようで助かりましたね」

「確かにな。遭遇してたら面倒なことになってただろうし」

「それよりさっさと終わらせましょ。あんまり長居したい場所じゃないわ」

 イミーナの言葉に、三人頷く。同感だった。依頼とはいえ、この森に長居はしたくない。

 ここは人外魔境、トブの大森林。アゼルリシア山脈の南端に広がっているこの巨大な森林地帯は、様々なモンスターの棲み処となっており、例え凄腕の冒険者やワーカーであろうと、生きて還るのは至難の業なのだ。

 そのような人外魔境に“フォーサイト”が訪れた理由は単純、依頼を受けたからである。依頼人よりトブの大森林の深淵部に存在する、貴重な薬草の採取を依頼され、“フォーサイト”はこの地を訪れた。

 そしてこの岩戸――かつてはトブの大森林に居を構えていたと言われる闇妖精(ダークエルフ)達の遺跡だったようだが、この奥に貴重な薬草が幾つも自生しているのだ。そのため、定期的に薬草を採取するために一部のワーカーがよく出入りしていた。

 ……ちなみに、ワーカーが雇われる理由は簡単である。帝国の薬師達も、競合相手に貴重な薬草の採取場所を知られたくないからだ。冒険者を雇えば、組合の情報網から他の薬師達に薬草の自生場所が露見する。そのため、一部の薬師達が結託し、特定の信頼出来るワーカー以外には依頼を出さないようにしているのだ。

 “フォーサイト”はワーカー達の中でも口が堅く、そして義理堅い。欲望に塗れたワーカー達の中で、善人寄りだ。そのため、ある種の依頼人達には信頼されていた。今回の依頼も、そのような経緯で依頼を回された過程がある。

 “フォーサイト”もその辺りの機微には納得しているので、薬師達に特にとやかく言うつもりはない。口が軽いと商売あがったりであるが、それ以上に不特定多数に貴重な薬草の自生場所を教えると、今度は採取のし過ぎで自生しなくなるという最悪な結果が起きることもある。善人寄りなワーカーとして、そういった逆に人々が困るような事態は避けたかった。

 そして――四人は岩戸の奥へと再び進んでいく。アンデッド特有の臭気はしないが、ここは大森林の深淵部にある人のいない岩戸だ。何が出るか分からない。トブの大森林では、一ヶ月で勢力図が変わるということもおかしくないのだ。

 だから四人は慎重に、貴重な薬草を目指して岩戸の奥へ進んでいった。

 

 

 ――結論から言ってしまえば、四人は無事に貴重な薬草が自生する部屋まで辿り着けた。

 ただし、四人はそこで驚愕の光景を目にすることになる。部屋の壁の一部が、崩れているのだ。そしてそこにぽっかりと、人が通れるほどの穴が開いている。その穴の先には、間違いなく道が続いており――つまりは、隠し通路が人目に晒されていた。

「……イミーナ」

「分かってるわ、ヘッケラン」

 ヘッケランの要請を受けて、イミーナが調べる。崩れた壁や奥の隠し通路を見通ししばらく調査したイミーナは、三人を振り返った。

「間違いなく、誰かが壁を壊して通った跡よ。しかも、それほど時間が経ってない。意図的に破壊しているみたいだから、隠し通路の存在を知った――あるいは知っていた奴が壊して通ったんでしょうね」

「どうする、ヘッケラン」

 アルシェの言葉に、ヘッケランは考えた。

 ……今回の依頼は単なる薬草の採取だ。当然、この闇妖精(ダークエルフ)の遺跡を調べるという依頼は受けていない。というより、おそらくだが誰も隠し通路の存在なんて知らなかった。

 つまり現在、二つの可能性が考えられる。一つは先に何者達かがこの岩戸を訪れて、そして隠し通路を発見した可能性。そしてそのまま隠し通路の探索に出た可能性だ。ただ、この可能性の場合、ある種の無理がある。

 トブの大森林は人外魔境。間違いなく危険地帯だ。余程の理由でもないかぎり、基本は誰も近寄らない。浪漫は溢れているが、危険地帯過ぎて探索から帰還出来る人間の方が少ないのである。現実的な問題として、メリットよりデメリットの方が大き過ぎた。歴史上、一度たりともどこかの国が本腰を入れて調査に乗り出したということさえ無いのだから。

 依頼が被っていて別のワーカーが発見したとは思わない。そういう危険は、入念に事前に調査する。冒険者組合に所属しないワーカーだからこそ、そういう事前調査には誰も手を抜かないのだ。よって、依頼のブッキングによる別ワーカーとの遭遇の可能性は皆無だ。

 そうなるとこの隠し通路の先にいる存在は、浪漫を求めてやって来た、凄腕の冒険者チームという可能性が高かった。ワーカーと冒険者は、共に依頼を遂行することもあるが、基本は出会うことがない。アンデッド蔓延るカッツェ平野は例外だが、それ以外の場所で冒険者と遭遇することは、ワーカー達には面倒事を意味する。何せ、ワーカーは信用出来ない相手であるからだ。同じワーカー同士ですらそうなのだから、正規の組織に所属する冒険者達の反応なぞ言わずもがなである。

 そしてもう一つの可能性。それは――最初からここに隠し通路があることを知っていた存在。つまり、この岩戸の持ち主――闇妖精(ダークエルフ)達が何らかの理由でここを訪れている可能性だ。

 これはこれで面倒事である。何せ、闇妖精(ダークエルフ)は人間と交わることもある森妖精(エルフ)と違って、人間と関わることが無いからだ。何が起こるのか、まるで予測出来ない。予測出来ないのは、恐ろしいことなのだ。

「…………」

 だからこそ、ヘッケランは考える。どちらも面倒事としての要素が強く、しかしだからこそ、正解がすぐに選べない。

 当然、薬草の採取なぞしている場合ではない。問題は、やり過ごす方法だ。

 確かに、薬草の採取をしている場合ではないだろう。しかし、依頼の遂行を失敗するのだけは避けたいのがワーカー事情だ。冒険者だったならば、依頼の遂行に失敗しようと組合がある程度保障し、多少名声に傷がついても再起出来る可能性がある。

 だが、ワーカーにはそれが無い。後ろ暗いことが多い彼らは、一度名前に傷がつくと取り戻せないことが大半だ。だからこそ、舐められるわけにもいかず、依頼失敗だけは避けなくてはならない。

 依頼は確実に遂行し、しかしこの隠し通路の先にいるであろう存在と遭遇するのだけは避けたい。そうなると――

「……ちょっと、ヘッケラン」

「あ? なんだよイミーナ」

 ヘッケランが色々と考えていると、イミーナが強張った声をかけた。イミーナは視線が自分に集まるのを確認すると、口元に人差し指を立てた手を持って来て、静かにするようにジェスチャーする。そして続くハンドサイン。

 ――来た道から、何者かの襲来だ。

「……!」

 全員の表情が一斉に強張る。そのまま、イミーナに導かれて身を隠す。幸い、壁が壊れて瓦礫が幾つもあったために、身を隠すのは難しいことではない。

 しばらくそのまま四人が身を隠していると、何かを引き摺るような音と、カチカチと鳴る硬い音。そしてシュー、シューという呼吸音と共にそれ(・・)はやって来た。

「――――!!」

 その瞬間、誰もが叫び出さなかったことは奇跡に等しい。それほどまでに恐ろしい存在だったのだ。

 全長十メートルもの体躯と、八本の足に王冠のような鶏冠。ミスリルに匹敵するほどの固い鱗で覆われたその巨大な蜥蜴に似たモンスターの名を、ギガント・バジリスク。たった一体で町を一つ軽々と滅ぼせる最悪のモンスターが、そこにいた。

「――――」

 全員が無言で息を潜める。これは“フォーサイト”の手には余る。オリハルコン級の冒険者であろうと、このモンスターに勝つのは至難の業。このモンスターを討伐するのは、アダマンタイト級冒険者に相応しい偉業なのだ。精々ミスリル級冒険者の実力でしかない“フォーサイト”には、このモンスターは討伐出来ない。逃げることさえ無理であろう。

 これは“フォーサイト”が弱いのではない。むしろミスリル級の実力者揃いの“フォーサイト”は、ワーカー達の中でも実力者だ。だがそれとは別に単純に、ひたすらに無慈悲な現実として、ギガント・バジリスクが強過ぎるのである。

 故に取れる手段は一つだけ。このまま息を潜め、気づかれないよう祈り、ギガント・バジリスクが去っていくのを待つ。四人に出来るのはそれだけだ。見つかったその時は――死ぬ。

(くっそ! 頼むぞおい……!)

 ヘッケランは瓦礫に身を潜めながら祈る。ギガント・バジリスクが持つ致命的な能力――石化の視線は、対策が無ければ無抵抗で石化させられ、しかも視線で捉えられているかぎり、距離で威力が減衰することもない。よって、逃げることもままならないのだ。ヘッケランには、他の三人も息を潜めて必死に祈っていることが手に取るように分かった。

 ……ギガント・バジリスクは尾を引き摺りながら、八本の足で部屋の中を歩き回る。自生している薬草の匂いを嗅いだり、壁に張り付く何かを首を傾げて見つめている。

 そしてどれだけの時間が過ぎたのだろうか。ヘッケラン達には一日以上の凄まじい疲労感を覚える時間の経過が過ぎ、ギガント・バジリスクが身を翻す。部屋から出て行くようだ。

(よーし。よーし! いい子だ。そのまま出て行けよ……)

 ヘッケラン達がその後ろ姿を見送っていると、途端――ぐるんとギガント・バジリスクがヘッケラン達の方へ首を向けた。

「――――!」

 全員、再び悲鳴が出そうになる。寸でのところでそれが阻止されたのは、誰も石化しなかったからだ。視線で捉えられたら防げない、石化の視線。それは未だに、ヘッケラン達の一人も捉えていない。つまり、ギガント・バジリスクはヘッケラン達に気がついたわけじゃない。

 だからこそ、誰もが冷静にギガント・バジリスクの様子を探る。ギガント・バジリスクはじっとヘッケラン達の方向に――隠し通路に視線を向けており、そこでヘッケランもようやく気づいた。ギガント・バジリスクに意識を向けていたため、気づくのが遅れたが隠し通路の奥から足音が聞こえてくる。

 それは、金属音。鎧が掻き鳴らす、金属の音だ。つまり、何者達かがこちらにやって来ている。

(マジか……! マジかよ、オイ!)

 最悪であった。この状況で、新たな勢力の登場なぞ、大惨事しか起きはしない。

 何せ、相手はギガント・バジリスクなのだ。アダマンタイト級冒険者ならばまだしも、それ以外の冒険者なぞお呼びでは無いのである。もし戦闘になれば、隠れていることなぞ出来ず――ヘッケラン達も交えての大混戦になる。そして、自分達人間に勝ち目は無い。

 この鎧の音からして、何者達かが闇妖精(ダークエルフ)の確率は低い。イミーナを見て分かる通り、全体的に華奢なのだ。彼らはあまり重い金属鎧を装備することは無いのである。森の中で生活する上で、重りにしかならず身軽に動けないからだろう。いないとは言わないが、重装備の戦士は彼らの中にほぼいないのである。種族特性として、向いていない。

 だから、やって来るのはおそらく闇妖精(ダークエルフ)では無い。だからこそ、最悪だった。

「――――」

 カツン、カツンと足音が鳴る。金属の擦れる音がする。闇の中から、何者達かが現れる。そして――――平然と、その男は現れた。

「――――」

 それは、真紅のマントと金と紫の紋様が入った漆黒の全身鎧(フル・プレート)を装備した偉丈夫。胸元ではプレートが光り、その頭部は面頬付き兜(クローズド・ヘルム)に覆われて、その顔を見ることは叶わない。

 そんな漆黒の戦士がたった一人、闇から抜け出すように隠し通路の奥から現れた。

「――――」

 漆黒の戦士はギガント・バジリスクの視線を平然と受け止め(・・・・・・・)、片手に巨大なグレートソードを持つ。背中には更にもう一本。

 ギガント・バジリスクは漆黒の戦士を見咎め、石化もせず平然と立つ漆黒の戦士に唸り声を上げ、その巨体で突撃する。

 そしてその代償は、即座に訪れた。

「――――」

 一閃。漆黒の戦士が手に持つグレートソードを振るい、ギガント・バジリスクとすれ違う。いや、すれ違ったようにヘッケラン達には見えた。漆黒の戦士は通り過ぎたギガント・バジリスクを振り返ることなく、そのままグレートソードを宙で横薙ぎに振るい、こびりついたであろう何かを剣から飛ばすと、手に持っていたグレートソードを背中にもう一本と同じように背負って去って行く。

 漆黒の戦士は、ギガント・バジリスクに興味の一つも示さない。そして、ヘッケラン達に気がつくこともなく漆黒の戦士は悠々と、その場を去って行った。

 直後――ずしん、とギガント・バジリスクの巨体が倒れる。そしてずるりと巨体が真ん中からずれた。そのまま、二つに別れた体は床に投げ出され、切断面からは内臓と猛毒の体液が零れ落ちていく。

 体の中央線から真っ二つにされたギガント・バジリスクは、完全に息絶えていた。

 そんな町を一つ滅ぼす魔物の無惨な姿を見て、四人は恐る恐る瓦礫の影から姿を現す。ギガント・バジリスクの無惨な死体を確認し、そして全員で顔を見合わせた。

「……え?」

 同時に、声を漏らす。次の瞬間四人が同じ表情で声にならない叫びを上げた。

「マジか? え? マジかよ!?」

「一撃!? 一撃なんですか!? 嘘でしょう!?」

「信じられない! 夢? ねぇこれ夢なの?」

「嘘……あり得ない!」

 ヘッケランが、ロバーデイクが、イミーナが、アルシェがそれぞれ現実を疑う悲鳴を上げる。しかし、どれだけ否定しようと現実として、その死体は無言で横たわっていた。

 漆黒の戦士は、石化の視線を物ともせず――気軽に、一撃で彼の怪物ギガント・バジリスクを葬り去ったのだと。

 それぞれ四人はひとしきり、悲鳴を上げた後に現実を受け入れる。どれだけ否定しても現実は変わらないのだ。これからのことを考えた方が有意義である。

「と、とりあえず! 危機は脱したな!」

 ヘッケランの言葉に、イミーナが頷いた。

「……そうね。隠し通路の先にいたのも、彼だったのね」

「仲間がいる様子も見えませんし、何かマジックアイテムでも使って隠し通路を発見したのでしょうか?」

「ギガント・バジリスクを一人で、一撃で討伐出来るような人間なら、一人でも納得」

 アルシェの言葉に、全員が頷いた。冒険者もワーカーも、基本的にはそれぞれ似た実力の相手とチームを組む。突出した力の持ち主は、チームワークに向かないのだ。バランスが悪い、という奴である。突発的な何かが起きた時、チームバランスが悪いと非常に困るのだ。

 そのため、実力が突出した者は自らチームを抜けていく。そしてギガント・バジリスクを一人で討伐出来るような実力者がこの世に易々と存在するはずがなく――ともすれば、一人になってしまうのも納得だった。あの実力ならば、とてもチームなぞ組めないだろう。足手纏いを増やすだけである。

「しかし……先程の方、一体何者なのでしょうか?」

 ロバーデイクの言葉に、全員が彼の漆黒の戦士を脳裏に描く。帝国――それもヘッケラン達のいる帝都の冒険者では無い。絶対にあり得ない。

「……プレートの色、誰か覚えているか?」

 胸元に光っていたプレートは、おそらく冒険者組合のプレートのはずだ。その色を思い出そうとするが、ヘッケランはあの漆黒の戦士の姿が思い浮かぶだけで、プレートの色までは思い出せない。

「…………」

 そのヘッケランの言葉に、一人が手を上げた。アルシェだ。全員がアルシェに視線を向ける。アルシェは口を開いた。

「……確か、アダマンタイト」

「……やっぱりか」

 しかし、アダマンタイト級の冒険者だからと言って、それは帝国にある冒険者組合に所属している人間ではない。帝国に存在するアダマンタイト級の冒険者チームは二つ。一つは英雄の領域にまで到達した吟遊詩人(バード)がリーダーをしている、様々な特殊な職業に就いている“銀糸鳥”。もう一つは個々の能力は他のアダマンタイト級に劣るが九人という構成人数の多さを誇る、多種多様な事柄を可能とする“漣八連”。

 ――はっきり言おう。どちらも、ギガント・バジリスクを一人で相手に出来るような戦士は所属していない。というより、帝国の最強の存在(アダマンタイト)は不可能を可能にする人類の切り札――という扱いを受けていないのだ。ハマった時の爆発力はあるが、基礎能力が他のアダマンタイト級に対して一歩かそれ以上劣るのである。

 故に、あの漆黒の戦士は帝国のアダマンタイト級冒険者ではあり得ない。そんな話も四人は聞いていない。

「王国の冒険者かしら?」

「片方は“蒼の薔薇”で全員女だし、もう片方は“朱の雫”だろ? ――つうか、ギガント・バジリスクを一刀両断なんて、あの王国戦士長だって無理だろ」

 リ・エスティーゼ王国の戦士長ガゼフ・ストロノーフ。周辺国家最強の戦士として名高く、その名声は帝国にも当然届いていた。しかしその王国戦士長であろうと、ギガント・バジリスクを一刀両断――なんて、無理だろうと思える。

「……一体、どこの冒険者なのでしょうか?」

 ロバーデイクの言葉は、全員の疑問だった。

「でも――それより、これ(・・)どうするの?」

 イミーナの発言に、はっとする。イミーナは嫌そうに真っ二つになったギガント・バジリスクを指差していた。

「確かに……これ、どうするかな」

 ギガント・バジリスクの死体は貴重だ。鱗や牙など、当然宝の宝庫である。出来れば持って帰りたい。しかし――

「問題は、これを討伐したのが私達じゃないことですよね……」

 ロバーデイクが溜息をつく。その通りだ。これは先程の漆黒の戦士が討伐したモンスター。彼は何もせず平然とギガント・バジリスクを置いていったが、だからと言ってヘッケラン達が持って帰っていいはずがない。確実に面倒になる。

「でも、必要」

 アルシェがはっきりと、力強く告げる。何せ、金になる。金は時に命より重い。一応、誤魔化せなくはないのだ。流すところに流せば、しっかりと買い取ってくれるだろう。

「……どうするのよ」

 イミーナがヘッケランを見る。ロバーデイクも、アルシェもリーダーであるヘッケランの答えを待っていた。

「――――」

 ヘッケランはその視線を受けて、心の中で頭をしっかりと抱えて、今目の前にある問題に答えを出すために口を開いたのだった。

 

 

 




漆黒の戦士とかどこの誰なんだろうね。
 


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第一幕 漆黒の英雄 其之一

 

 バハルス帝国――それは人間国家の中でもスレイン法国やリ・エスティーゼ王国同様に大きな、周辺国家でも注目される国だ。皇帝のジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは鮮血帝という異名を持ち、絶対支配者として君臨しておりその統治は見事と言う他ない。ここまで安定している国は、人間国家の中では他にスレイン法国くらいであろう。

 その帝国国土のやや西部に位置するのが帝都アーウィンタールであり、“フォーサイト”はこの帝都にある酒場との兼業宿屋のうちの一つ“歌う林檎亭”を拠点として活動している。いや、正確に言えばワーカーチームの幾つかがこの宿を拠点として扱い、滞在しているのだ。ワーカーは汚れ仕事が多いため、あまり有名で品性のある宿に滞在するのは合理的ではない。他にも幾つか理由はあるが、様々な理由のためにこの“歌う林檎亭”には“フォーサイト”以外のワーカーチームも滞在している。

 ヘッケラン達四人が、その食堂――酒場でもあるが――でヘッケランの好物である豚肉のシチューを食べていると、四人に話しかけてくる人物がいた。

 同じワーカー……パルパトラ“緑葉(グリーンリーフ)”オグリオンである。

「ほっほっ。お前さんたち、元気そうしゃの」

 濁音の無い空気がまるで抜けるような、そんな独特の喋り方をするのは、パルパトラが既に老齢――八十にもなり、前歯のほとんどが抜け落ちているためだ。二つ名の由来は、装備する鎧の色。これはグリーンドラゴンの鱗から作られた鎧であり、朝露に濡れた美しい緑の葉の如き輝きを放つ。

 竜狩り(ドラゴンハント)――そんな偉業に成功したチームのリーダーであるため、例え老人であろうと誰もパルパトラを粗末に扱う存在なぞいない。全盛期の力は、オリハルコン級冒険者に匹敵するほどだったという。

「老公。お元気そうで」

 話しかけられたヘッケランは、軽く会釈する。実力的には同じなので、そこまでへりくだる必要は無い。ワーカーとしてはへりくだってはまずいという判断もある。老人も気にした様子は無かった。

「聞いたそお前さんたち、あのキカント・ハシリスクを持って帰って来たそうしゃの?」

 パルパトラの言葉を聞いて、ヘッケランは苦笑した。やはり、その話題かと。

 ――あの後。散々悩んだがヘッケランはギガント・バジリスクの死体を持ち帰り、売り払うことにした。口止め料と解体料など諸々費用として取られたが、それなりの金額は手に入った――しかし人の口に戸は立てられない。この分では、他の連中の耳にもそれなりに入っていることだろう。

 パルパトラがヘッケラン達に会いに来たのは、つまりそういうことだ。“フォーサイト”の実力ではどう足掻いても勝てないような怪物を相手に、どうやって死体を手に入れたか気になったのだろう。もしかすると、死体の損傷具合も聞いているかもしれない。

「言っておきますが、俺らが倒したんじゃないですよ」

「そりゃ知っとるわい。さすかにアレを仕留めるのはお主には無理しゃろうからな」

 パルパトラはそう言うと、ヘッケランを見つめた。

「――て、何に遭うたんしゃ?」

 パルパトラの質問に、ヘッケラン達四人はそれぞれの顔を見つめると、意を決して告げた。

「冒険者ですよ、老公。アダマンタイトのプレートの戦士が、奴を一刀両断しちまいました」

「……なんと!」

 さすがに一刀両断されたと言うのは驚いたのか、パルパトラは両目を見開いて驚愕する。ロバーデイクはパルパトラに訊ねた。

「老公は知っていますか? アダマンタイトのプレートの、漆黒の戦士なんですが……。どこの国の冒険者なんです?」

「……漆黒の戦士?」

 パルパトラはその特徴を聞くと、見開いていた瞳を細め、少し考えると――やがて溜息をついて答えた。

「あー……なるほとな。確かに、噂か本当なら……一人心当たりかあると言ってもいいしゃろな」

 どうやら、パルパトラは漆黒の戦士に覚えがあるらしい。全員は身を乗り出した。

「老公、一体どんな方なんです?」

「――アークラント評議国のことは知っとるかの?」

「アーグランド評議国ですか? 確か、王国とアゼルリシア山脈の向こう側――この大陸の端にある国ですよね? 五匹だか七匹だかのドラゴンが評議員を務めているという、亜人たちの国でしたか」

 ロバーデイクの言葉にパルパトラは頷いた。

「そうしゃ。その国の冒険者組合に、有名なアタマンタイト級の冒険者かおるんしゃ。おそらくそ奴しゃろうて」

「そ、それは一体……?」

 ヘッケラン達は頭の中に評議国の有名な戦士を頭に思い浮かべるが、だがあんな漆黒の全身鎧(フル・プレート)の亜人はいなかった気がする。

「まあ、主らか知らんのも無理ないわい。なにせ、一〇〇年前(・・・・・)から組合に所属しておる、生ける伝説しゃからの」

「――へ?」

「ひゃ」

「一〇〇年!?」

「――うそ」

 その言葉に仰天する。パルパトラでさえ、齢は八〇なのだ。そのパルパトラも上回る年齢で、かつ一〇〇年前に組合に所属していたとなれば、本当の年齢は幾つなのだろうか。

「評議国の冒険者組合は、評議国の特性上亜人たちも冒険者として活動しておるからの。あそこの冒険者は年齢なんかあてにはならんよ。ここ十数年ほと話は聞かんかったか、やはりまた生きておったんしゃの」

「あー……」

 評議国は亜人の国なのだから、当然組合に所属する冒険者も亜人が多い。人間がいないとは言わないが、極稀だ。彼の国では人間が有名になるのは難しい。

「老公は、その方なら一人でギガント・バジリスクを討伐しても不思議ではないと?」

「儂か昔耳にした噂か本当ならの」

「どんな噂だったんですか?」

 パルパトラから聞く話は、例えギガント・バジリスクを一刀両断していたのを見ていたとしても、信じがたいものだった。

 曰く、たった一人でエルダーリッチの居城である墳墓を制圧した。

 曰く、たった一人でフロスト・ジャイアントを討伐した。

 曰く、たった一人で成体のレッドドラゴンを討伐した。

 そして――

「――第五位階魔法の使い手、だって?」

 位階魔法は幾つもの段階に分かれており、通常の魔法詠唱者(マジック・キャスター)では第二位階までだ。第三位階魔法を使用出来る者は、冒険者でいうところの白金(プラチナ)級のプレートを約束される。それくらい、第三位階魔法の領域まで届いている魔法詠唱者(マジック・キャスター)は少ない。

 更に、第三位階魔法の上の第四位階魔法は完全にその手の才能が無いかぎり届かない天才の域だ。この周辺国家で探してもそうは見つからないだろう。

 そして第五位階魔法。これはもう完全に英雄の領域である。法国の神官、王国の“蒼の薔薇”……伝説でいうところの“国墜とし”や竜王(ドラゴンロード)など。吟遊詩人が歌を綴ってもおかしくない領域の話なのである。

 そんな高位階魔法の使い手――俄かには信じ難かった。何せ、彼はギガント・バジリスクを一刀両断するような凄腕の戦士なのだから。

「つまり魔法戦士ですか? 有り得ませんよ。普通、どちらかがおざなりになるでしょう?」

「普通ならの。たか、アヤツは普通しゃなかった。エルフみたいな寿命か長いタイプの亜人なんしゃろな。魔法を極めたたけしゃ飽き足らす、戦士にまて手を伸はしてしまいよった」

 そして、恐ろしいことに彼は戦士としても一流に成長したというのか。絶対に敵に回したくない相手である。

 ……よく、そんな存在が英雄譚(サーガ)にもならず吟遊詩人にも歌われずにいるものだ。それとも、単に距離があり過ぎて帝国までは噂が届かないのだろうか。しかし他の評議国の戦士などは噂が届いてくるので、もっと別の理由があるのかもしれない。

「……それで、老公。その漆黒の戦士ってなんて名前なの?」

 イミーナの問いに、パルパトラは思い出すように「確か――」と呟いて口を開いた。

 

        

 

 漆黒の戦士が月明かりのみが照らす暗い夜道を歩いている。漆黒の戦士の歩調に乱れはなく、まるで太陽で照らされた道を歩いているような迷いの無さだった。

 ……事実、彼にとって夜道とは闇に非ず。彼の種族特性は月明かりしか存在しない夜道であろうと、昼間のように視界を確保している。

 何故なら、もとより彼は闇を歩む者。本来は暗闇の中にのみ存在する者なのだから、昼であろうが夜であろうが関係は無い。そう、()だろうが夜だろうが関係は無いのだ。

 漆黒の戦士は迷いない足取りで道を歩く。夜風が鎧を撫でる度に、真紅の外套が揺れ動いた。静かな夜の闇に、金属同士の擦れる僅かな音が響いている。

「――――」

 その金属音が、ぴたりと止まった。漆黒の戦士は立ち止まると、背後を振り返る。

「……何か用かな?」

 漆黒の戦士がそう自らの背後に顔を向けて語りかけるが、しかし漆黒の戦士の視線の先には何も見えない。ただ漠然と闇が広がるのみであった。だが漆黒の戦士はそこに何かがいるのを確信している。物陰に隠れているのであれ、透明化しているのであれ、そこに何かがいるのが漆黒の戦士には見えているのだ。

 そして漆黒の戦士の言葉に誘われるように、暗闇に紛れるように姿を隠していた者が現れた。それはまるで、不浄なる者が墓場から這い出て来るような歪さとおぞましさ、そんな気味の悪さを感じさせる。

 いや、事実その通りなのだろう。暗闇から出てきた者は真実、不浄なる者。墓場から這い出てきた生きとし生ける者の天敵。即ち――アンデッドである。

 暗い、闇と同化したような色のローブを羽織り顔を隠した死者が口を開く。その声はしわがれているが、どことなく女のように甲高い声色に思えた。

「――お久しぶりです。漆黒の英雄殿」

 死者の言葉に、漆黒の戦士は少しだけ考える素振りをみせ――思い至ったのか軽く一つ頷く。

「ああ、君か――何か用かな? 私も忙しい身であるんだが」

「――申し訳ありません。しかし、神出鬼没の貴方と接触するのは我々では難しく……。このように機会があれば逃すわけにはいかず」

 事実、漆黒の戦士は神出鬼没である。漆黒の戦士にとって、距離とは存在しないも同然であった。もっとも、漆黒の戦士に言わせてみればそれは風情の無い手段。あまり多用したいものでは無いのだが。

 漆黒の戦士は顎でしゃくり、無言で話を促す。死者は謝意のため頭を一度下げ、話を続けた。

「無礼をお許し下さり感謝します。――では、話を続けさせていただきますが、カッツェ平野を御存知ですか?」

「カッツェ平野? ああ――あのアンデッドが無限湧きする面倒な場所か」

 漆黒の戦士の言葉に死者は頷く。カッツェ平野は帝国と王国を挟むように存在する、常に濃い霧で覆われた呪われた平野だ。呪われたというのは誇張ではなく、事実呪われたとしか思えない現象を起こしているのだ。

 それが、アンデッドの連続召喚。漆黒の戦士の無限湧きというのは誇張でも何でもなく事実である。カッツェ平野は呪われている。常に、アンデッド系モンスターが蔓延っているのだ。例外は一つ、帝国と王国が戦争を起こすその日のみ。その日だけは、彼の地ではアンデッド達が姿を消し、霧が晴れる。

「その平野に噂される、幽霊船の話は?」

「それも聞いたことがあるな。噂だけで、会いに行ったことはないが」

「話が早くて助かります。――その幽霊船の船長と、交渉をお願いしたいのです」

「――ほう?」

 漆黒の戦士は興味を持ったのか、死者の言葉にようやくしっかりと耳を傾けた。死者はそんな漆黒の戦士の様子に安堵の息を吐くような仕草をして、話を続ける。

「件の幽霊船の船長にとある者が話をしに行ったのですが、どうやら交渉は決裂したようで――帰って来ません。別に土に還ったかそうでないかはどうでもいいのですが、その者が持っていたマジックアイテムなどは返却してもらわないと困ります。そのため、貴方に交渉をお願いしたく」

「ふむ。……自分たちで行った方が早くないかそれは?」

 漆黒の戦士の言葉に、死者は苦笑した。漆黒の戦士ならば簡単だろうが、自分達にそれが出来れば苦労はしない。

「ご冗談を。……スケリトル・ドラゴンの闊歩するような地獄を、我々のような魔術師が気軽に散歩出来るとお思いで?」

「――そうだったな。スケリトル・ドラゴンは第六位階までの魔法を無効化する。君たちには不可能だった」

 スケリトル・ドラゴンとは滅多に遭遇することは無いそうだが、遭遇してしまえば魔術師は無力だ。あのアンデッドは魔法に依らない純粋な破壊力で退治するしかない。

 そのため、カッツェ平野に向かうのを死者は躊躇する。極力、近づきたくない。件の幽霊船の船長はよく平気で駆け回っているものだ。

「――しかし、組合を通さない依頼は高くなるぞ」

 漆黒の戦士の言葉に、死者は躊躇わず頷いた。元より覚悟の上である。

「承知の上です。回収したマジックアイテムの中に眼鏡にかなうものがあれば、それを報酬の一部として受け取っていただいて構いません。勿論、追加で依頼料もお支払いいたします」

 そのくらいは必要経費だ。死者達が安心安全に交渉出来る相手は漆黒の戦士のみ。勿論、情報網から人間の協力者を募ることは出来るが、それでも不信感が勝る。その点、この漆黒の戦士はある一点においては同族だから信用出来る。付き合いも長い。

「ふむ。――ならばもう何も言うまい。その依頼、受けるとしよう」

「感謝します」

 深々と頭を下げる死者に、漆黒の戦士は続けて訊ねた。

「しかし――返却交渉が決裂した場合はどうする気かな?」

 面白がるようなその口調に、死者はカラカラと骨が鳴らすような笑い声を上げた。いや、事実骨を鳴らしていたのだろう。何故ならば、ローブに隠された死者の顔には、ただ不気味な、腐りかけの皮が張り付いただけの頭蓋骨が存在するのだから。

「勿論――生死は問いませんのでご随意に」

 件の幽霊船の船長や船員達がどうなろうと、知ったことではない。重要なのはマジックアイテムの回収だ。漆黒の戦士にとってはそうではないだろうが、死者達にとっては重要なマジックアイテムもある。回収は是が非でも行いたい。件の幽霊船が討伐され、人間達に回収されるその前に。

「なるほど。では好きにさせてもらおう」

「感謝いたします――――それと」

 死者はその場に跪き、こうべを垂れた。冒険者と依頼主という関係を放棄するように。目の前にいるのが冒険者では無く、まるで崇拝する神がそこに降臨しているかのように。

「――我々“O∴D∴U∴(おーでぃーゆー)”はいつでも、貴方様も崇拝し、その降臨を心待ちにしております。偉大なる死の王よ。いと深き死の御方――」

 

 不死者たちからなる黄金の夜明け団――通称“O∴D∴U∴”。

 エルダーリッチを初めとした、多様なアンデッドの魔術師達からなる魔術師団――かつて漆黒の戦士と遭遇した際にとある死の支配者を崇拝する教団の側面も持ってしまったその組織こそ、この死者が所属する組織であり漆黒の戦士に依頼した秘密結社である。

 

 死者は崇拝する神に告げる様に述べた後、再び頭を深々と、ゆっくりと下げた。まるで高貴な相手に従僕が頭を下げるような、深い敬意に溢れたような礼だ。死者はその後再び暗闇に潜む。漆黒の戦士はそのまま死者の気配が遠ざかっていくのを察知したが、特に追おうとはしない。追う意味も無いからだ。彼らの本拠地は既に知っているので、行こうと思えばいつでも行ける。

 だから漆黒の戦士は死者の言葉に兜の上から頭を掻き、か細くも苦渋に満ちた唸り声を上げた。

「その組織名――まだ変えてないのかよ……ッ! いや、俺が自分で考えた名前をつけるよりはきっとマトモなんだろうけどさぁ!」

 まるで自分の恥ずべき過去を赤裸々に暴かれたかのような、そんな哀れを誘う唸り声を聞いた者は誰もいない。

 

 

 



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第一幕 漆黒の英雄 其之二

 

 ――それは、緑のほとんど存在しない赤茶けた大地。

 数百年前のものであろう、崩れた建造物が幾つもあり、瓦礫となってその存在感を嫌な意味で示している。

 王国、帝国、法国、そして竜王国に接した呪われた大地。常にアンデッドが蔓延るこの世の地獄。濃霧に覆われ、視界は晴れず、挙句その濃霧からアンデッドの反応が感知されるためにアンデッド探知さえ不可能。

 そのおぞましい土地の名こそ、カッツェ平野。

 数多のアンデッドを生み出し、生と死が混同し、争う六道の一、修羅道の権化である。

 そのような土地なので、王国は冒険者を、帝国は兵士を出して常にアンデッドの討伐任務を行っていた。国にとっては出費と犠牲のかさむ頭の痛い問題であったが、冒険者やワーカーにとっては食い逸れなくてすむ良い稼ぎ場所だった。

 ……もっとも、それは命懸けであることに変わりはないのだが。

 スケルトン、ゾンビ。そういった低級アンデッドが遭遇する主なアンデッドであるが、中には運の悪い者もいる。

 白金(プラチナ)、ミスリル級でなくては勝てない第三位階どころか第四位階魔法さえ行使するエルダーリッチ。あるいは魔法を無効化してしまうスケリトル・ドラゴン。これらが場合によっては徒党を組み襲ってくるのだ。

 そして恐ろしいことに、アンデッドが集まっている場所にはより強いアンデッドが生まれる傾向がある。低級のアンデッドが幾つも増えた結果エルダーリッチやスケリトル・ドラゴンが生まれるように。彼らが生まれ、増えた暁にはより強いアンデッドが生まれるのは自明の理。事実、帝国の一部では一度不幸な遭遇戦があったのだ。

 幸運であったのは、これに遭遇したのが帝国兵であったことだろう。これに遭遇したのが冒険者やワーカーであったならば、事態はより深刻化していたに違いない。

 だからこそ、帝国はカッツェ平野のアンデッド討伐任務を国家事業として力を入れている。彼らは決して油断しない。

 そして今日も一人、その呪われた大地に愚かな贄が訪れようとしていた。

 

 帝国の首都である帝都に存在する冒険者組合、そこに一人の冒険者が訪れる。組合の中にいた様々な冒険者達は職業病とも言うべき癖で組合の扉を開いた冒険者に視線を向けた。そして、そのまま目を見開き驚愕の色に瞳が染まる。

 見事なまでの、美しい漆黒の全身鎧(フル・プレート)。それだけならばまだ、ただの観察で済んだだろうが胸元で輝くプレートの色はどう見てもアダマンタイトの輝きだ。

 つまり、アダマンタイト級冒険者。それも帝国のアダマンタイト級冒険者ではない。そんな者の登場に冒険者達だけでなく、カウンターにいた組合の受付嬢達も笑顔が固まり驚愕の視線を向けている。

 漆黒の戦士は彼らのことなどまるで気に留めることもなく、依頼の羊皮紙が張り出されているボードに進むとその前に立ち、幾枚か張り出されている羊皮紙を眺めていた。

 しかし、それもすぐに終わる。当然だ。アダマンタイト級冒険者に相応しい依頼など滅多に来ない。これは帝国が国家事業として周辺モンスターの討伐に乗り出している証だ。手が付けられる前に目ぼしいモンスターは帝国軍達が討伐してしまうのである。だから、滅多なことでは高位冒険者に依頼するような依頼内容は張り出されない。

 時折、護衛などで名指しされることがあるくらいだ。勿論、内密に組合を通して依頼されることもあるだろうが――やはり稀である。

 冒険者達に溢れるほどの依頼が無い。その結果こそ、帝国が、人々の暮らしを守る大国として十全に運営されている証だった。

 漆黒の戦士はボードから視線を逸らすと再び歩を進め、カウンターの前に立つ。ちょうど、一組の冒険者の相手が終わり手の空いた受付嬢がいたためだろう。漆黒の戦士は受付嬢に向けて口を開く。

「――すまない。カッツェ平野の仕事を探しているんだが、何かないかな?」

「あ、は、はい! カッツェ平野の仕事ですね! ……あの、その。出来ればその前に、そちらのプレートを確認させていただいてもよろしいですか?」

「うん? ……ああ、忘れていた」

 漆黒の戦士は受付嬢の言葉で、胸元のプレートを外して受け渡す。受付嬢は手の汗を拭うようにハンカチで手を拭くと、一礼して漆黒の戦士からプレートを受け取った。

 ……他国、というより他の都市の冒険者は時にこうして組合の中でもプレートの提示を求められる。冒険者のプレートは身分証明書にもなっており、同時にその冒険者の能力の高さを証明しているからだ。最低位は(カッパー)であり、最高位はアダマンタイト。八種の金属から分類別になっている。

 最高位のアダマンタイトは希少金属であり、偽装はほぼ不可能だ。鍍金のように外側だけアダマンタイトで中は銅――などという偽装さえ難しい。アダマンタイトはそれほどに珍しい金属なのである。

 故に偽装はほぼありえない。それでも、他の白金(プラチナ)までのプレートの場合は偽装されることが無いわけでもなく、こうして他の都市や他国の冒険者は組合でプレートを提示するのが規則となっていた。

 更に、プレートの裏側にはチーム名やその冒険者の名前など様々な情報が記載されている。他国の組合と情報を共有する意味でも重要な確認であった。

 受付嬢はプレート裏に書かれていた情報を読み、確認を終えたのか丁寧に漆黒の戦士にプレートを返す。

「確認させていただきました。評議国でご登録された“漆黒”のモモンガ様ですね。現在、カッツェ平野関連の依頼は常設されているアンデッド討伐依頼しかございません」

「常設のアンデッド討伐依頼?」

 漆黒の戦士が首を傾げたのを見て、受付嬢は評議国の冒険者は帝国や王国と違いカッツェ平野の常設依頼を詳しく知らないのだろうと判断した。

「はい。出来高制のモンスター討伐があると思いますが、そちらのアンデッド版です。カッツェ平野では常にアンデッドが多発しているので、別口で常に国から依頼が存在しているんです。討伐したアンデッドの数や種類によって報酬が支払われますよ」

 受付嬢の説明に、漆黒の戦士は更に考え込む素振りを見せた。何か問題があったのだろうかと不安がる受付嬢に、漆黒の戦士は気まずそうに声をかける。

「あー……すみません。その出来高制のモンスター討伐とは、いつからあるんですか?」

「え? その、五年近く前からありますが……」

「五年前か……なるほど」

 組合から依頼を受けるのも久しぶりだからなー、と漆黒の戦士が呟くのを受付嬢は聞きながら、困惑する。冒険者組合が存在する国ならば、もはやどこでもやっている仕事だが、漆黒の戦士が知らない素振りを見せたためだ。評議国の冒険者については詳しく知らないが、彼らは亜人が多いためそういった規則や新しい仕事に大雑把なのだろうか。

「出来高制ということは、契約や期日などは無いということですね」

「はい、そうなります。帝国ではカッツェ平野のアンデッド退治は国家事業となっておりますから、帝国行政府窓口の方で報酬を受け取れるようになっています。こちらがアンデッドを討伐した際証明となる一覧です。ご確認ください」

「なるほど。丁寧な説明ありがとうございます」

 漆黒の戦士は受付嬢にそう告げると、羊皮紙を一枚受け取ったら踵を返し組合から去って行った。後には、奇妙な客人を見て呆然とした組合員や冒険者達が残される。そしてわっと騒ぎ先程の冒険者の話題をそれぞれが語っていた。

 受付嬢も他の受付嬢と話をしながら、先程の漆黒の戦士の情報を組合に登録してある登録簿から探し出す。アダマンタイト級冒険者ならば、他国でもそれなりに伝わってくるものだ。名前に聞き覚えがなかったが、思い出せないだけで情報登録簿には記載されているだろう。

「……あれ?」

 受付嬢は評議国の情報が記載された項目を探し、先程プレートで確認した名前を確認するが“漆黒”のモモンガという名前は、現在存在するアダマンタイト級冒険者情報の中に記載されていなかった。

「え? なんで?」

 アダマンタイトはその希少性から、偽装はほぼありえない。故にアダマンタイト級冒険者を偽装するような存在はいないのだが、それでも確認出来ない名前に受付嬢は一人混乱した。

 

        

 

 絢爛豪華、という言葉がある。贅沢で、華やかで、美しいことを表現する言葉だが、その部屋はまさにそうとしか言えない部屋であった。

 敷き詰められた柔らかな真紅の絨毯。上質な天然木にフレンチロココ調の彫刻が細かく彫られ、座面に黒色本革が張られ光沢を放つ二人掛けの長椅子。

 そしてその長椅子にすらりと伸びた長い足を放り出し、深々とかけている一人の男もまた芸術品のように美しかった。星のように煌く金の髪、切れ長の瞳の色は宝石のような紫。眉目秀麗としか言いようのない美青年。

 だが、彼を実際に見た人間は誰もが彼を芸術品のようだと表現はすまい。その第一印象は、必ずたった一つに固定される。

 即ち、支配者。彼こそ帝国の皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスである。

 その若き皇帝の前に緊張感なく腰かけているのは自らの身長の半分ほどの長さを持つ白髪をたたえた老人だ。顔には生きてきた年齢が皺となって現れているが、しかしその鋭い瞳には歴然たる叡智の輝きが宿っている。

 この老人こそ前人未到の第六位階魔法を行使する人類最高峰の魔術師。帝国歴史上最高位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)にして大賢者。“三重魔法詠唱者(トライアッド)”のフールーダ・パラダインである。

 つまり、この場に帝国にて最高峰の知名度と権威を持つ者が両名揃ったことになる。ならばさぞや後ろ暗い策謀渦巻く、おぞましい腹の探り合いが発生したのか、と思えばそうではない。二人の間に緊張感は皆無だ。互いに、互いのことを一切の緊張感なく受け入れている。

 まるで、親が子を受け入れるように。子が親を受け入れるように。二人の間には言葉には言い表せない親愛が溢れていた。

 それも当然だろう。フールーダは六代前の皇帝時代から宮廷魔術師として最高位権力者達と関わりを持っていた。六代前の最初の皇帝とは不仲であったが、歴代の皇帝は誰を見ても無能は一人として存在しない。フールーダは優遇された。

 そして、世代を重ねるにつれてフールーダは歴代の皇帝達と親密になり――今の皇帝ジルクニフとは、父と子のような関係を築いている。

 そう、互いに確信しているのだ。この相手は自分を親あるいは子のように想ってくれていると。そして自分もまた、相手のことをそう親愛している。

 だから、この二人の間にはどこまでも親愛しかない。互いに信用しない暗い親子関係もあるだろう。いや、権力者ならば信頼関係のない親子関係も当たり前かもしれない。だが、この二人にそれは絶無だった。

「――それで」

 ジルクニフが口を開く。ここは皇帝の執務室だ。現在、特に重要な案件は取り扱っていないのでこの場にいる誰もがリラックスしている。ただ一人を除いて。

 そのただ一人こそ、緊急の用件としてジルクニフに情報を持ってきた帝国が誇る四騎士の一人、“激風”のニンブル・アーク・デイル・アノックだ。ニンブルは伯爵位を持つ貴族であり、更に言えば元から男爵位の貴族であった。だがその手腕から帝国最強の騎士である四騎士に取り上げられ、伯爵位を授けられた。容姿は金髪に青い瞳という端正な青年。騎士とはかくあるべし――という典型的な表情をしている。まさに物語に登場する騎士の姿を、そして性格もそれを体現していた。

「何かあったのか、ニンブル」

「はい、陛下。帝国を訪れた冒険者の件なのですが」

 帝国では他国の冒険者――それも高位冒険者が訪れた場合、必ずジルクニフに報告が来るようになっていた。あわよくば鞍替え――帝国の冒険者として活躍して欲しいという望みと、更に言えば冒険者を辞めて帝国軍として働いて欲しいという思いからだ。

 帝国を訪れる他国の冒険者は、帝都の闘技場など観光名所を訪れる者が多い。そういう場で内密に、こっそり優遇するように手配しておくのだ。そうしておくと、帝国の方が住みやすいことに気がついた冒険者が帝国に居つき――そしてそのまま帝国に仕えてくれるほどまでになることもある。実際、冒険者として活動するより軍に入隊する方が美味しい思いを出来ると悟った冒険者が軍人になることもあった。

 そのため、帝国では必ず上層部に、高位冒険者が訪れた際に報告義務があったのだが――ジルクニフのもとまでくるということは、中々に厄介な案件ということだろう。

「何か問題でもあったのか」

「はい。まず、関所で確認したプレートなのですが、アダマンタイトです」

「ほう!」

 ジルクニフは喜びを露わにする。アダマンタイト級冒険者は滅多に拠点から動くことはないからだ。その実力からどこの国も手放したがらず、必ずその国の首都などを拠点として活動。滅多に他国は訪れない。

「どこだ? 竜王国の“クリスタル・ティア”か? いや、竜王国の状況ではまずありえないか。ということは王国か? “朱の雫”か“蒼の薔薇”か? 出来れば“蒼の薔薇”がいいんだが――」

 “蒼の薔薇”にはラキュースという、第五位階魔法の一つである復活魔法を行使出来る神官戦士がいる。残念ながら、帝国にはそこまでの実力者は存在しない。是非とも欲しい逸材だった。

「いえ、違います。評議国なのです」

「なに?」

 その報告に、ジルクニフもさすがに驚く。確かに、帝国は隣国の王国と違いまだ亜人種に対して寛容だ。特に冒険者ならば問題にはしないだろう。冒険者の亜人種は身分を保証されている。

 だが、それでも評議国の冒険者が人間の国家を訪れるというのはほぼ皆無であった。珍しいどころの騒ぎではない。

 しかしそれは同時に、評議国の話を聞くチャンスでもあった。評議国はアゼルリシア山脈を間に挟み帝国より遠く離れ、隣接している国は王国のみ。その王国も他国の情報を吟味するような余力がなく、国内の問題だけで精一杯だ。いや、国内の問題さえどうにか出来ていない。そのため、評議国の情報は滅多に入って来ない。

 勿論、帝国は評議国と外交くらいしたことはある。評議員達と話をしたことも。それでも亜人の国というのは人間として忌避感を覚えずにいられないため、深い国交を築かずにいた。それが互いのためだと互いが気づいていたからだ。評議国が唯一明確に、嫌悪の態度を取っている国家は法国くらいだろう。

「評議国の冒険者か……。出来れば会って話がしたいな。どのチームだ?」

「それが……情報が無いのです」

「なんだと?」

 その奇妙な答えに、さすがのジルクニフも困惑を覚える。アダマンタイト級冒険者なのだ。情報が無いなどというのはありえない。

「それは、まだこちらに情報が届いていないというわけではなくか?」

「はい。プレート自体は真新しいというより、どちらかというと古い方だったそうです。ただチーム名と名前の情報が無く……関所を通ったのも一名のみでした」

「……なるほど。確かに奇妙だな」

 冒険者というものは基本チームを組んでいるものだ。それはモンスターを討伐ないし秘境を探索するに当たり、どうしても一人では手が回らないことを意味する。

 戦士に魔術師の真似事は出来ず、そして魔術師に野伏の真似事は出来ない。適材適所の言葉が示す通り、それぞれにはそれぞれの役割がある。現実的に、それらの全てをカバーする超人は存在しないのだ。

 よって、彼らはどうしてもチームを組む必要性が出て来る。チームを組まないのは余程の馬鹿だけだ。まして評議国から来るとなると、必ずモンスターのいる場所を通る。人のいる街道だけを通って帝国に来れるはずがない。だからこそ、たった一人の客人はありえなかった。

「どのような名前の人物だ?」

 人物、と言っていいのかは分からないがジルクニフはそう訊ねた。ニンブルは淀みなく答える。

「はい。外見は漆黒の全身鎧(フル・プレート)の戦士で、チーム名は“漆黒”。名前はモモンガだそうです」

 ニンブルがそう告げた瞬間、それまで静かにニンブルの話を聞いていただけのフールーダが長椅子から立ち上がり、反応した。そのフールーダの突如の変わり様に、室内の全員が視線を向けている。

「ほ、本当に“漆黒”のモモンガというのだな?」

 鬼気迫る表情のフールーダに、ニンブルは若干引き気味になりながら頷く。

「は、はい。確かにそのようにプレートには書かれていたそうです」

「じい、落ち着け」

 慌てた様子のフールーダに、それとなくジルクニフは落ち着くよう促す。フールーダはジルクニフの言葉に深呼吸すると、落ち着いて再び席に着いた。

「……申し訳ありません、陛下。お見苦しい姿を見せましたな」

「かまわんとも。じいと私の仲だろう? ……それより、じいは“漆黒”のモモンガを知っているようだな。どのような人物なのだ? 本当に評議国のアダマンタイト級冒険者なのか?」

 ジルクニフの疑問に、フールーダは頷く。

「その通りです、陛下。彼の方は確かに評議国のアダマンタイト級冒険者です。当時はよく話題になったものですが……さすがにここ十数年、噂を聞くことがなかったために引退したのかと思っておりました」

「ふむ」

 十数年前から噂を聞かなくなった冒険者。つまり、結構な年なのだろう。引退しても不思議ではないほどに。冒険者という職業で十数年も噂がなければ、それは引退したと思われるだろうし、現在の情報では忘れられるのも無理はない。

「しかしアダマンタイト級冒険者ですよね? 何か伝説とか残っていないのですか? さすがに何の話も無いのは……」

 この部屋にいた秘書官のロウネが不思議そうに訊ねる。それはジルクニフも思った。アダマンタイト級冒険者ならば一つや二つくらい伝説とも言うべき偉業がある。実際、帝国のアダマンタイト級冒険者チーム“銀糸鳥”にもレイディアントクロウラーというモンスターを討伐した英雄譚が存在するのだ。何も無いのは考え辛い。

 その話題に、初めてフールーダが言い辛そうな表情を浮かべた。言ってもいいものか、という表情だ。どうやら、偉業があっても噂にならないその理由を、フールーダは知っているらしい。

「じい、何か知っているのか? そいつの偉業も含めてな」

「はあ。偉業ならば私が知っているだけでも、成体のレッドドラゴンやフロスト・ジャイアントの討伐、それにエルダーリッチに支配された墳墓の制圧など……他にも幾つかありますな」

「はあ?」

 竜退治(ドラゴンハント)巨人討伐(ジャイアントキリング)。これだけでもありえない功績だ。無名なのが信じられない。後世で伝説になるのは確実で、英雄譚になっていなければおかしい話だ。

「確か“漆黒”はモモンガ殿一人のチームなので、彼の方の偉業の噂はほとんどたった一人で作られた伝説になります」

「……おい」

 更に、そこに付け加えられた驚愕の事実。“漆黒”がたった一人のチームということは、その偉業は文字通りたった一人で築き上げられた伝説になる。吟遊詩人が歌わないはずがない。

 つまり――そこには裏があるということだろう。何か、表立って言えない裏が。

「実は一人じゃないとかか? 協力者がいて、評議国のプロパガンダに使われているとか」

 それならば理由が納得出来なくもないのだが。わざわざそういったことをするメリットがあるかは別として。しかしフールーダは首を横に振った。

「いいえ。そもそも、彼の方は戦士の格好をしていますが、魔力系第五位階魔法の使い手でもありますので。そもそもチームを組めるような相手がいないのです、陛下」

「……どこの伝説の英雄だ、それは」

 一流の戦士で、一流の魔法詠唱者(マジック・キャスター)。ますます伝説にならない理由が分からない。だが、一つだけフールーダの様子がおかしかった理由は分かった。

「しかし第五位階か……なるほど。じいが興味を示すわけだ」

「……お恥ずかしいかぎりです、陛下」

 さすがのフールーダもジルクニフの言葉に気まずげな表情を作る。フールーダには魔術の深淵を覗きたいという願望がある。そのため、高位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)に対しての興味は尋常ではない。フールーダが英雄譚の作られていない“漆黒”の話を詳しく知っていたのは、第五位階魔法の使い手ということで興味を持っていたからだろう。

 いつか――いつか、魔法の話が聞けないかと信じて。

「それで、じい。何故そいつの偉業は英雄譚になっていない?」

 最大の疑問。本来、ありえない事象。英雄が英雄にならない理由。その理由を問うたジルクニフに対し、フールーダは言い辛そうに告げた。

「それは――彼の方が、亜人種ではなく異形種だという話からでしょうな」

「――――は?」

 その、信じられない言葉に、その場にいた全員が間抜けに口をぽかんと開いた。

 

 

 



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第一幕 漆黒の英雄 其之三

 

 この世界には、主に三つの種族が存在している。

 一つは人間種。これは主に人間のことを指す。

 身体能力が他の種族と違い大きく劣り、これといった特徴的な能力を持たない。世界的に見ても完全な劣等種族であり、現在の人間の住む周辺国家は他の種族に暮らし難い大陸北部の平野部に追いやられた結果だ。

 二つ目が亜人種。人間とはかけ離れた姿をした者が多く、獣に似た姿の細かな種族が多くいる。ゴブリンやビーストマンがこれに当たるだろう。

 そして、そうした獣に相応しい高い身体能力を持っていて、種族として強力な代わりに文明はあまり成長しない。だが大陸中央には大きな亜人種国家が六つほど存在し、現在大陸の覇権を争って日夜戦争を繰り広げていた。

 最後に、異形種。人間とも、亜人ともかけ離れた姿をした者達。アンデッドやスライム、ドラゴンなどがこれに該当する。

 彼らはかなり特異な者達だ。まず、大きな特徴としてはっきりとした寿命が無い。更に一部を除いて意思疎通自体が不可能に近いので、どういった生態をしているのかさっぱり分からない。いつ、どこで、どのように暮らしているのか謎の多い種族と言える。つまり端的に言って詳細不明。

 世界には、主にこうした分類に別けられた三種族が存在し、更にそこから細かな種族に別れている。

 この三種の中で、一番厄介なのが異形種である。寿命が無いというのは、それだけで強みだ。たかが一〇〇年も生きられない人間種、身体能力に優れていてもやはり寿命は人間種とそう変わらない亜人種。彼らと違って、異形種には老化という衰退がほぼ無く、そして際限なく知恵を蓄えることが可能なのだ。

 時間の概念があまりに違い過ぎる――あまりに生命として異質過ぎる。それが異形種と分類される種族達だ。

 

「――なるほど。確かに異形種ならば、英雄譚が綴られないのも納得出来る」

 ジルクニフはフールーダの話に、そう結論付ける。確かに異形種は異質であり、人間とはあまりに価値観が違い過ぎるために共存もほぼ不可能だ。それが出来るのは一部の知恵あるドラゴン達くらいだろう。そのドラゴン達だって、人間のことは敵対するほどでもない矮小な生命としか思っていまい。

 人間と異形種は分かり合えない。意思疎通の出来ないスライム。人間を堕落させる悪魔。生命を憎むアンデッド――そして存在が強大過ぎるドラゴン。

 英雄に力を貸す味方として、あるいは英雄譚を飾る最後の敵として。そうした特異な存在として物語に描かれることはあっても、主役として物語が綴られることがあまりに少ない異形種達。それが彼らだ。

 “漆黒”のモモンガも異形種だというならば――確かに、この周辺国家で噂が耳に入らないのも当然だろう。十三英雄とて人間以外の存在が味方だったと知る人間は少ない。人間を重視する者達からしてみれば、他種族が活躍した英雄譚はあまりに都合が悪いからだ。

 例え人間に好意を持つ異種族がいたとしても――大多数の異種族は人間を劣等種族として見ている。人間に味方するような者達は特異な者達なのだ。人間を受け入れている亜人の国家たる評議国でさえ、人間の姿は稀だ。そして竜王国の現状を思えば亜人種でさえ分かり合えないことがよく分かる。異形種など論外だろう。

 それが、数多の偉業を達成しながら英雄譚が綴られない無名の英雄――“漆黒”のモモンガ。冒険者はその性質上、人員の入れ替わりが激しい職だ。十数年も経ってしまえば人間側は記憶が薄まってしまう。そしてきっと本人も、名声なぞ気に留めていないのだろう。そうでなければ説明のつかない異質さだった。

「しかしそうなると別の問題が出て来るな。……コイツ、一体何をしに帝国までやって来たんだ?」

 ジルクニフはそう呟き、脳内で思考を巡らす。ジルクニフの言葉は全員の疑問だった。今更、名声なぞ欲してはいないだろう。権力にも興味があるようには見えない。今までの彼の行動が、それを裏付けている。

 だとすれば、一体何をしに帝国までやって来たのか。評議国と帝国は遠い。王国を避けるならばアゼルリシア山脈やトブの大森林を越えるか、あるいは海路を選ぶか以外にない。

(……いや、第五位階魔法が使えるんだったな。確か転移魔法があったか)

 転移魔法は皇帝として危険度の高い、警戒に値する類の魔法としてフールーダから幾つか見せてもらっている。移動距離の短い転移魔法もあるが、フールーダが行使する魔法は長距離の移動も可能としている。勿論、長距離を移動出来る代わりに何の準備もなく即座に移動出来るわけではないが。

 しかし帝国も王国も――そして評議国も二〇〇年前は存在しなかった国だ。人間の国が出来る前に目印か何かをどこかにつけていて、転移魔法で移動した線も考えられる。フールーダに視線をやると、ジルクニフの思考が伝わったのか、こくりと頷いてその考えを肯定したように見えた。

 つまり――帝国を通り道にしただけの可能性もある。偶然、その関所が邪魔だったというだけの可能性もあるのだ。そうなると考えすぎなだけになるが、しかし万が一は考えるべきである。

 全員がそうして無名の英雄について考えるが――しかし答えは近日中、すぐに見つかった。

 

        

 

 漆黒の戦士――モモンガは一人カッツェ平野へとやって来ていた。噂に聞くことはあっても、モモンガ自身が実際にこの地を訪れたのは一度だけである。今までは主に評議国内や、アゼルリシア山脈を探索して回っていたからだ。トブの大森林も、数えるほどしか探検に出ていない未探索の場所だった。

「しかし相変わらず、面倒な場所だなここは」

 モモンガは溜息をつく。噂通り霧が濃く視界は悪い。そして周囲からは絶えずアンデッド反応。さすがに辟易としそうだった。

「一応ある程度の情報は連中から聞いていたとはいえ、これは骨が折れるぞ……」

 件の船長は文字通り幽霊船の船長。この広い平野の霧の中を縦横無尽に進む、陸地の海賊だ。さすがのモモンガでも発見するのに数日はかかるだろう。“O∴D∴U∴”の連中は魔法でぱっぱと探せると思っているのだろうが、モモンガが習得している魔法に探知系の魔法は少ない。モモンガの習得魔法は主に死霊使い(ネクロマンサー)系の魔法だ。勿論、他より魔法習得数は圧倒的に多いと自負しているが。

「まあ、まだ一度しか来ていない場所だし。ゆっくり観光がてら調査するとするか」

 何かレアなアンデッドを発見出来れば、いい土産話にもなる。モモンガはカッツェ平野の探索を開始した。幽霊船の船長、エルダーリッチのヴィリアム・ダンピーアーを求めて。

 

 

 ――カッツェ平野に幾人もの人影が見える。それはアンデッドではなく、生者であった。帝国ワーカーの“フォーサイト”である。

「……来ちゃったよ」

 ヘッケランがポツリとそう呟く。呆れたようにイミーナの言葉が続いた。

「そりゃ、あの話を聞いたら会いに来たいと思うでしょ。っていうか、ちょっと話もあるわけだし」

「そうですね。ちょっと後ろ暗いことがあるので、早い内に探して接触した方がいいと思います」

「私も同意する。すぐに接触して謝るべき」

 続いてロバーデイクやアルシェも口を開く。ヘッケランもその言葉に頷いた。

 彼らがカッツェ平野を訪れた理由はただ一つ。冒険者組合とは内密に“漆黒”のモモンガと接触するためだ。

 ワーカーである彼らは組合に所属していないため、彼らに依頼されないかぎりは組合から情報がもたらされることはない。しかし、何事にも例外はある。さすがに帝都の組合に現れた、奇妙な客人のことはヘッケラン達の耳にも入っていた。そしてその客人の、ちょっとした情報の遅さも。

 組合で“漆黒”のモモンガは、出来高制のモンスター討伐報酬の件を知らなかったらしい。パルパトラから聞いた話によれば十数年噂話もなかったそうなので、しばらくは活動していなかったのかもしれなかった。

 そして活動を再開したモモンガは、組合で話を聞いておそらく自分が倒したギガント・バジリスクのことを思い出すだろう。ギガント・バジリスクの死体がすぐになくなるはずがないので、取りに戻るかもしれない。戻った時、彼は討伐したモンスターの死体が無いことに驚くだろう。何せ、モンスターはギガント・バジリスクなのだ。あの猛毒そのものとも言うべき死体を食らうモンスターがいるはずがなく、朽ちるにはまだ早過ぎる。

 つまり、即座に誰かの手で持ち運ばれたことに気がつくはずだ。そしてヘッケラン達はその死体泥棒の犯人。帝国に持ち帰り、売ったのも記憶に新しい。

 モモンガから組合に話が通れば、きっとすぐにそれらしいギガント・バジリスクの死体の件が見つかるだろう。悲しいことに、アダマンタイト級冒険者とミスリル級ワーカーではあまりに対応が違い過ぎる。誰だって、“フォーサイト”よりアダマンタイト級冒険者の方を選ぶ。

 そのため、ヘッケラン達は自分が選んだ道とはいえ、すぐにモモンガに接触する理由が生じてしまった。同じワーカー仲間は何も言わないだろうが、組合は違う。帝国での活動が間違いなく厳しくなるだろう。それを避けるためにも、モモンガに接触して何とか謝罪を受け入れてもらう必要があった。売却した金貨は謝罪金として全て渡す必要もあるだろう。一時の金に目が眩んで、とんでもないことになってしまったものである。

(これからは、もうちょっと考えて行動した方がいいな)

 今後二度と、こういった面倒な事態に陥らないために。もう少し金銭に関して謙虚になろうとヘッケランは誓うのだった。

 不幸中の幸いは、モモンガも急用があったのかギガント・バジリスクの死体のあるトブの大森林ではなく、カッツェ平野に向かったことだ。つまり、ギガント・バジリスクの件が露見するのに猶予が与えられたことになる。トブの大森林に向かわれたのでは、間近で見た彼の強さを思えば間違いなく、ヘッケラン達は追いつけなかっただろう。しかしカッツェ平野はその性質上どのような冒険者やワーカーがいても不思議はなく、この付近で宿泊出来る帝国側の都市は決まっている。そこを毎日往復していればモモンガの動きは自ずと知れるのだ。彼の姿は目立つので。

 このカッツェ平野にモモンガがいる内に接触し、謝罪。そのためだけに、ヘッケラン達はカッツェ平野にやって来た。パルパトラに笑われながら。組合を避けながら。

「とりあえず、話によるとまだカッツェ平野と近隣の街を往復しているらしいから、急いで接触するぞ。今回はアンデッドの討伐は考えずに、強いアンデッドに対しては逃げの手を打とう。いいな?」

「ええ、任せてヘッケラン」

「マジックアイテムの消耗も度外視する羽目になりますね」

「仕方ない。これからの活動を思えば、必要経費と見るべき」

 本当に、ただより高いものは無いとはこのことである。四人は溜息をつきながら、カッツェ平野の霧の中に消えていった。

 

 

「――さて、ではこれより『客人』捜索の任務に入ります」

「――は!」

 帝国騎士達は上司からの命令に、ハキハキと答えた。帝国騎士達の前に立つのは片方の顔を髪で隠した陰鬱な美しい女性――四騎士の一人、“重爆”のレイナース・ロックブルズである。その背後にはフールーダもいる。

 帝国では件の客人――“漆黒”のモモンガがカッツェ平野に向かったという話を聞き、偶然を装い接触するべくこうしてレイナースとその部下達。そしてフールーダを派遣していた。

 遠い国であり異形種とはいえ、評議国のアダマンタイト級冒険者と僅かでも関係をもつのは重要であり、そして彼の御人と話がしたいというフールーダの強い要望もあって、今回の軍隊は派遣された。

 レイナースが派遣されたのは、レイナースが元々は貴族令嬢であり家の所領に侵入するモンスターの掃討を行っていたこともあって、四騎士の中でもっともモンスター討伐に慣れているためだ。カッツェ平野は油断出来ない土地であることを、帝国の軍人ならば誰もが身に染みて知っている。しかしある程度の地位があり、交渉に長けた人物でなければ自由気儘な冒険者であり、アダマンタイト級冒険者の地位を持つモモンガに交友を持つ前に拒否されかねない。フールーダは地位が高いが魔法のことになると他が目に入らなくなる悪癖があり、交渉には長けていない。モンスターの討伐経験が豊富で、地位が高く、貴族として交渉にも長けている。全てに合致するのはレイナースくらいだ。ニンブルも悪くないが、モンスターの討伐経験は浅い。

 それに、レイナースにとっても今回の仕事は悪い話ではなかった。理由は、レイナースの受けた呪いにある。

 彼女はかつて、貴族としての誇りを胸に領土のモンスターを掃討していた。しかしあるモンスターの死に際に呪いを受け、顔の半分が醜く膿んだものに変貌させられた。もはやその半分は、かつての美貌をまったく思い起こせないほどに。

 そうして顔の半分が二目と見られない姿になったレイナースを、世間体を気にする実家は追放。婚約者にも捨てられ――今もその呪いを解くのに彼女は躍起になっている。

 最高位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるフールーダにも解けなかった呪いであるが、しかしフールーダと同じくらい、あるいはそれ以上に生きているであろうモモンガ。それも第五位階という高位魔法の使い手ならば、あるいはレイナースの呪いを解く方法を何か知っているかもしれない。ヒントだけでもいい。そのためならば、レイナースは何でもする。

 故にレイナースもまた、モモンガと接触し友好関係を築くというこの仕事に真剣に取り組んでいた。

 付近の都市では、まだモモンガはカッツェ平野を離れていない。このカッツェ平野で何をしているのか知らないが、場合によっては協力した方がいいだろう。街には何人か部下を残しているので、入れ違いになっても即座に馬を走らせて帝都に情報を届ける手筈になっている。

 唯一の不安は――レイナースはチラリと、背後に存在する頭の痛い問題を見た。

「パラダイン様、分かっていると思いますが」

「分かっているとも。まずは君たちの話が済んでから――彼の方との魔法談義はその後で、だな?」

 フールーダの言葉に、レイナースは本当に分かっているんだろうな、と不安になった。ジルクニフからも口を酸っぱくして言われているが、フールーダは魔法のことになると何も見えなくなる。そのため、モモンガがどういう性格なのか分からない内には決して。そう――決して、話をさせてはならないとレイナースは注意を受けていた。

 レイナースにも個人の狙いがあるので、フールーダの気持ちも分からなくはないが……それでも、帝都で待っていて欲しかったのは確かだ。

 しかし四の五の言ってもいられない。フールーダは止められないのだ。ジルクニフにも止められない存在を、レイナースが止められるはずがない。場合によっては誠心誠意モモンガに謝罪する事態もありえるだろう。

(まあ……なるようにしかなりませんわね)

 フールーダの件については、何とかこちらで臨機応変に対応するしかない。願わくば、この老人が本当にしっかり、自分の理性で本能を抑えてくれることを願うばかりだ。

「では、アンデッドたちに十分注意し――捜索を開始いたします」

「――は!」

 レイナースの言葉に、騎士達が続く。そして彼女達はカッツェ平野に踏み込んだ。濃霧が彼女達の姿を覆い隠す。騎馬兵はいない。この見えない場所で騎馬兵は邪魔にしかならないからだ。故に歩兵の類のみである。

 そしてレイナース達に、フールーダと魔法省の魔法詠唱者(マジック・キャスター)達も続いた。この地は地獄。警戒に警戒を重ねて無駄なことは無い。石橋を叩き過ぎて割ることだけは、決して無いのだ。

 何故なら、まだ記憶に新しいから。このカッツェ平野で五年前に遭遇してしまった、あの伝説のアンデッドの姿が、まだフールーダ達の脳から消えていないのだ。

 いや、きっと一生消えることは無いだろう。帝国魔法省の地下に封印されるアレ(・・)が存在するかぎり、その恐怖を一生彼らは振り払えない。

 勿論、まだあの伝説のアンデッドが出現してからそれほど時間が経過していない、というのもある。しかしこの地はアンデッドが常に蔓延る死の螺旋。いつ、いかなる時だろうと強力なアンデッドが発生する可能性は消えないのだ。

 今も、同じようなアンデッドがそこにいるかもしれない。五年もの時間は、もしかしたらあまりに長い時間なのかもしれない。その不安を振り払えないから、彼らは周囲を最大限に警戒しながら霧の中を進んでいく。

 そんな彼らの不安を体現するかのように、カッツェ平野の霧はより一層強く、周囲を覆い隠すように蠢いていた。

 

 

 



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第一幕 漆黒の英雄 其之四

 

 耳が痛くなるほどの静寂と、視界の晴れない濃霧の暗闇。光の一切差し込まない呪われた大地を警戒しながら進むのは“フォーサイト”の四人だ。

 “フォーサイト”がカッツェ平野に到着し、モモンガの姿を探して既に三日が経過している。街の人間の話ではカッツェ平野を離れる際には声をかけていくと告げていたらしいので、“フォーサイト”は未だモモンガがカッツェ平野を離れていないことを知っていた。

 しかし彼らからしてみればアンデッド多発地帯であるこの地に三日も滞在すれば、装備品やマジックアイテムの消耗が激しくなる。いよいよモモンガの捜索も難しくなってきた。

「最初から無茶だろうとは思ったけどよ、やっぱ見つからねぇわな」

 ヘッケランの言葉に、ロバーデイクが呆れた声をかけた。

「分かっていたことですね。カッツェ平野も広いですし。彼の目的が分かっていれば、接触出来る可能性もありましたが」

「さすがに、そろそろ諦めた方がいい」

 アルシェの言葉に、ヘッケランは頷いた。

「だな。こうなりゃ組合にバレるの覚悟で、街の方で待ち伏せして接触するか。今日中にカッツェ平野で接触出来なかったら諦めよう」

 ヘッケランの言葉にロバーデイクとアルシェが頷いた。イミーナは細心の注意を払って周囲を警戒しているため、返事はない。だが離れずにしっかりと姿は見えている距離にいるため、返事がなくても気にしなかった。

「他の冒険者やワーカー、それに帝国軍までいるし……。あと二、三時間捜索したら帰るか。イミーナ、それでいいか?」

「――待って、ヘッケラン。周囲に誰かいるわ。かなりの人数……アンデッドの集団かも。注意して」

「あん?」

 イミーナの言葉が頭の中に浸透し、ヘッケラン達は表情を変える。このカッツェ平野で集団ということは可能性は二つ。一つは帝国軍。もう一つはアンデッドの集団だ。帝国軍であれば、このカッツェ平野ならば殺し合いにならずに済む。さすがにこの土地で冒険者やワーカー、軍隊が争うことは無い。そうなれば諸共死ぬだけだと全員知っているからだ。

 だからもう一つの可能性――これがアンデッドの集団だった場合、それこそ最悪の可能性を想定しなければならない。単なるスケルトンの集まりだといいが、そこにエルダーリッチなどが加わっていた場合死を覚悟する必要がある。

 だからこそ、四人は気を引き締めて注意を払った。如何なる状況でも対応出来るようにと。そして――

「――あら」

「――ふぅ」

 こちらと向こう、互いにその可能性にならずに安堵の息を吐いたのだった。

 出てきたのは帝国軍だ。向こうもどうやらこちらを警戒し、進んでいたらしい。互いに単なる人間だったと理解し、思わず緊張が解れる。

 互いに姿が遠くからでは確認出来ないため、よくこういう事態が起こるのだカッツェ平野では。どちらも近づくまで互いの正体に確信が持てないので、緊張したまま接触し姿を確認した後は安堵の息が漏れる。よくある光景だった。

 そして、互いにこの後の行動もよく知っている。

「……私は右の方へ行かせてもらいます。よろしくて?」

「ああ。俺はこっちに行くぜ」

 互いに反対の方向を指差し、確認する。もう一度緊張感ある接触をしないため、互いに反対の方角へ向かうことを提案するのだ。これで迷子になるような馬鹿は、カッツェ平野に来るような人種ではいないため、これで大丈夫なのである。もし道に迷った場合は――諦めてもらう。

 そして互いに別れようと方向転換しようとして――思いがけない人物から声をかけられた。

「……もしや、アルシェ・イーブ・リイル・フルトかね?」

「……パラダイン様?」

 女騎士の背後から、老人が声をかけ――その言葉に、アルシェが驚きの声をあげた。

 

 ――アルシェはワーカーになる前、帝国魔法学院に在籍していたことがある。そして十代という若さで第二位階魔法を覚え第三位階魔法さえ到達しかけていた、という天才の名を欲しいままにしていたのだ。

 現在はある事情から中退してしまったのだが、それでもある程度のコネを今でも維持している。

 しかし――

 

「さすがに、あのパラダインに顔を覚えられてるとは思わなかった」

「私も」

「私だってそうです。彼女は本当に天才少女なんですねぇ……」

 フールーダと話をしているアルシェを見物しながら、ヘッケラン達三人は呟く。確かにとんでもない才能を持っているとは思っていたが、あの逸脱者フールーダ・パラダインの覚えもいいとは誰が思うだろうか。彼らにとっては一生関わるはずのない雲の上の人物なのだから。

「申し訳ありません。少しお時間をいただいてしまってますわね」

「あ、いえ! 大丈夫です、はい!」

 女騎士――こちらも四騎士の一人というかなりの権力を持つレイナースに声をかけられ、ヘッケランが上擦った声を上げる。レイナースはヘッケラン達のことを特に気にしていないのか、ただ少し面倒そうな表情でフールーダの話が終わるのを待っていた。

「……辞めてしまったとはいえ、才能を腐らせてはいかんぞ。毎日の予習・復習はちゃんとしているのかね? 今はどこまで上り詰めた?」

「はい、師よ。毎日の魔法学習はかかさずに行っています。現在は第三位階魔法を行使出来るようになりました」

「――素晴らしい」

 フールーダとアルシェの会話はこちらまで聞こえる。フールーダはアルシェの言葉に感動しているらしい。確かに、自分が目をかけていた弟子が順調に大成しているのは、師としてはこの上ない喜びなのだろう。

「もし帰ってくる気があるのであれば、それなりの地位を空けておく。私が君に期待しているということを、忘れず覚えておいて欲しい」

「――それは。ありがとうございます、師よ」

 アルシェもまたフールーダの期待に感動しているようだった。第六位階魔法を行使する伝説その人に、こうまで気にかけてもらえるのは元弟子であるアルシェとしてもこの上ない喜びなのだろう。

(……場合によっちゃ、アルシェのやつ抜けちまうかもな)

 ヘッケランはイミーナとロバーデイクに視線を向ける。二人もまたヘッケランを見ており、それぞれ肯定するように頷いた。

(ま、しょうがないか!)

 ヘッケラン達はアルシェを妹のように可愛がっている。もとより、彼女にワーカーは似合わないのだ。魔法省務めの役人の方がアルシェのためには余程いいだろう。ワーカーは危険な仕事だ。アルシェのような少女がワーカーでいること自体が、そもそも間違いなのだから。

 もしこの後彼女が“フォーサイト”でなくなったとしても、笑って受け入れて――そして送り出してあげよう。三人はひっそりとそう心に決めた。

 そしてフールーダとその弟子達、アルシェの会話を手持無沙汰に聞いていたヘッケラン達三人と、レイナース率いる帝国軍。その途中で――イミーナがぴくりと反応した。

「……待って。何か来る」

「――――」

 その言葉に、全員が一瞬で反応を示し、即座に戦闘態勢を取る。

「どっちだ?」

「……左斜め上から。でも、何か変だわ」

「どういうことです?」

 静かに聞いていたレイナースもイミーナに声をかける。イミーナの顔には困惑の表情が浮かんでいた。

「……これ、たぶん戦闘音だと思うんだけど。滑るように(・・・・・)移動してるの」

「……はあ?」

 イミーナの困惑がよく分かる、奇妙な音の移動。全員が視線をイミーナが音が聞こえるという方角に向け――そして次第にそういった技能を持たないヘッケラン達の耳にもその奇妙な音は届いてきた。

 

 金属のぶつかり合う音。響く怒号。確かにこれは戦闘音だ。何者かが戦闘しているのだろう。しかし――

 

「嘘だろ。マジに滑るように移動してやがる」

 何故かその音が、本当にそのまま移動しているのだ。それぞれに別れて近づいてきているのではない。まるで地面ごと移動しているように、あらゆる音がこちらに移動してきている。

 ごくり。全員がその奇妙さに喉を鳴らす。そして――音の発生源がついに、霧を裂くようにして現れた。

「なっ……!!」

 全員が呆気に取られる。それは、この陸地ではありえない、巨大な帆船だったのだ。

 三本のマストの最後尾に縦帆が張られ、残りは横帆。衝角は異様に鋭く突き出していて、磨かれたように美しさを保っている。しかもその衝角は魔法のようなおぼろげな輝きが宿って、船自体がそれを誇りに思っているかのように感じられた。

 だが、一番の問題は全体的にオンボロだということ。間違いなく、幽霊船そのものだったのだ。

 幽霊船は地上から一メートルほど浮遊して進んでおり、全員が呆然とその姿を見上げる。船の上では――スケルトン達アンデッドが雄叫びを上げながら、必死に何かと戦っていた。

 幽霊船の船員達が、必死に船に侵入した何かと戦っている。そう理解した全員は何と戦っているのか確認しようとし――船尾に取り憑くようにしがみついている、そのおぞましい何かの姿を確認した。

「げぇ!?」

 叫び声が響いた。まるで、鶏を絞め殺す際に、鶏が上げるような奇声のような悲鳴が。

 その声の主こそ、フールーダ。彼の逸脱者が船尾に取り憑くようにしがみつく何かの姿を見た瞬間――瞳を驚愕に見開いて悲鳴を上げたのだ。

 いや、それだけではない。悲鳴はフールーダだけでは終わらなかった。フールーダが連れてきた弟子などの魔法詠唱者(マジック・キャスター)達……彼らもまた悲鳴を上げたのだ。

「あ、ありえない!」

「馬鹿な!」

「防御魔法だ! 早く!」

 彼らの誰も彼もが悲鳴を上げる。ヘッケラン達は呆然と、それをじっと見つめた。見つめるしかなかった。

 それはまごうことなき異形。黒い鎧に身を包み二メートルを超える巨大な体躯を持つ、恐ろしい化け物。幽霊船の船員達はその怪物を振り落とそうと、必死に恐怖さえ感じ取れる雄叫びを上げていたのだ。

「オオオオオォオオォオ!!」

 びりびりと大気が震えるような雄叫び。全身を強打するようなおぞましい叫び声を、黒い鎧に真紅の瞳を持つ巨大な何かが上げていた。船員達が武器を手に必死になって、船からそれを叩き落そうとするがしかし――びくともしない。その強大な力で握り締めた部分を砕きながら、それは船の上へと乗り上げていく。

「ギャア! ギャア!」

 そして、いつの間にか三本のマストの上に鳥の形をした骨が群がっていた。骨の鳥達は船員の奮闘を嘲笑うかのような鳴き声を上げ、マストを止まり木にしてくつろいでいる。

「……アンデッドが、アンデッドを襲っているのか?」

 そうとしか言えない、おぞましい光景にヘッケランはぽつりと呟いた。ヘッケラン達を気にも留めず幽霊船は通り過ぎていく。その姿を呆然と見つめることしか彼らは出来ない。

 更に、呆然と見つめる彼らを尻目に霧を裂くようにして漆黒の影が現れた。影は幽霊船を追いかけるように凄まじいスピードで迫り、幽霊船の横を並走する。

 幽霊船を追いかけているのは骨で出来た獣だ。揺らめくような靄が肉の代わりに取り巻いていて、膿のような黄色と輝くような緑色が靄のあちこちから点滅していた。

 その骨の獣の上に――いつかどこかで見た、漆黒の戦士が騎乗している。

「――奴だ! 追いついてきた!」

「速度をもっと上げろ! 急げ!」

「早く! 速く!」

 騎乗した漆黒の戦士の姿を確認した船員達が、悲鳴のような怒号を上げている。何体かのアンデッド達が漆黒の戦士に向けて弓や大砲を放つが、漆黒の戦士が片手に持つグレートソードで簡単に切り払われる。爆発する大砲の弾。漆黒の戦士は勿論のこと、骨の獣さえこゆるぎもしない。

 悲鳴と怒号を響かせながら、幽霊船と漆黒の戦士は霧の中に消えていく。その姿を呆然と見送っていたヘッケラン達は――女騎士の声で、意識を覚ました。

「総員! 先程の幽霊船を追います! パラダイン様や魔法詠唱者(マジック・キャスター)は〈飛行(フライ)〉で先行! 幽霊船の足止めを行ってください!」

 レイナースの言葉に、帝国騎士達が背筋を正す。レイナースはフールーダ達に視線を向けた。

「出来ますね!?」

「――聞いたなお前たち。あの幽霊船の足止めを行う。〈雷撃(ライトニング)〉などで船体を狙い、船を止めるように!」

「は、はい! ……しかし、師よ」

「分かっておる。ロックブルズ殿、あの船尾に張り付いていたアンデッドには近寄らぬように。近寄れば死ぬと思ってくだされ」

「ご忠告感謝します。――つまり、乱戦になりますわね」

「そういうことです。幽霊船、あのアンデッド、そしてモモンガ殿――三つの勢力が集まって戦っていると思った方がよろしいですな」

「分かりましたわ。では足止めをお願いします」

「行くぞお前たち!」

 フールーダ達魔法詠唱者(マジック・キャスター)が〈飛行(フライ)〉で空を飛び、走る速度より速く幽霊船を追いかけていく。レイナース達歩兵も後に続いた。

 そして、ヘッケラン達“フォーサイト”だけが取り残される。

「……どうする?」

 ヘッケランは三人を見る。三人は難しい顔をしていた。

「目的の人を見つけられたのはいいけど……」

「とても、私たちが話かけられる雰囲気ではありませんね。終わるまで待った方がいいのでは?」

「でも、帝国騎士たち……あの人を追っていた感じがする。ここで引き離されたらまずいかも」

「……だな」

 レイナース達が何故カッツェ平野に来ていたのか知らないが、しかしモモンガを追っていることだけは把握出来た。ここを逃すと、おそらくヘッケラン達が内緒で接触する機会はない。それどころか、言い訳の機会も得られないかも知れない。

 それを考えると――追いかけた方がいいかもしれなかった。

「うし! じゃあ周囲を警戒しながら、俺らも追うぞ! 数の上じゃ多いんだし! まず負けないだろうしな」

 何せアダマンタイト級冒険者モモンガに、逸脱者のフールーダ。そして帝国の四騎士レイナースまでいるのだ。これで負けると思う方がおかしいだろう。多少なりとも顔を覚えてもらうために、ヘッケラン達“フォーサイト”も彼らを追うことにしたのだった。

 

        

 

 ――ヘッケラン達が幽霊船に遭遇する少し前。甲高い鳴き声を上げながらモモンガのもとにボーン・ヴァルチャーの内の一体が帰ってきた。

「……見つけたか」

 骨で出来たハゲワシ――ボーン・ヴァルチャーはモモンガの手甲に止まると、主人へ見つけた情報を届ける。モモンガは再びそのボーン・ヴァルチャーを空へ放すと、他のボーン・ヴァルチャー達を集めた。

「……お前たち、幽霊船を監視しろ。俺が到着するまでな」

 他のボーン・ヴァルチャー達も主人の命を受けて再び空へ飛び立っていく。モモンガは背後を振り返ると、モモンガを守るように背後に立っていた存在を顎をしゃくって動かした。

「行くぞ」

「――――」

 背後に控えていた存在は、モモンガの命令に忠実に従い歩き出す。無言のまま。言葉を知らぬように。

(結構かかったけど、まあいいか)

 モモンガは幽霊船捜索の日々を思い、溜息をつきたいような気分になる。アンデッドは命令が無いかぎりアンデッドを襲わないので、モモンガはボーン・ヴァルチャーなどを使って広範囲に地道な捜索作業を続けていた。

 万が一も考えて護衛も使いながらの捜索は、結局誰に襲われることもなかった。別に襲われないのはいいのだが――しかしカッツェ平野で見つけたアンデッドはどれもこれも、アインズの目を引く存在ではなかった。

(スケリトル・ドラゴンやエルダーリッチさえ、珍しいとはなぁ……せめて中位アンデッドくらいいて欲しかったけど)

 これでは特に面白い土産話にならないだろう。モモンガは気疲れを起こす。

(件の幽霊船の船長とやらが、“O∴D∴U∴”の連中みたいに普通のエルダーリッチじゃなかったらいいんだけどな)

 あの魔術師団の中のエルダーリッチには、通常のエルダーリッチではなく近親種などがいる。通常のエルダーリッチより強さが違うのだが、出来れば幽霊船の船長もそうであって欲しいものだ。

 モモンガはそう少しだけ期待を込めて、ボーン・ヴァルチャーの導きに従って歩を進めた。背後に、モモンガと同じような漆黒の鎧を纏う――けれど明らかにおぞましさしか感じられない、モモンガとは異なる気配の、あるアンデッドを伴って。

 

 

 



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第一幕 漆黒の英雄 其之五

 

 カッツェ平野には幾つもの伝説や噂話がある。そして、その内の一つに陸地を進む幽霊船というものがあった。

 その陸地を進む奇妙な幽霊船――その船長の名はヴィリアム・ダンピーアー。正体はこのカッツェ平野で自然発生したエルダーリッチである。

 死の中で発生するアンデッドという種族は、基本的に生命を憎み、そして命を奪うことに腐心する傾向にあった。だが一部の知性あるアンデッドは生者に対する憎悪を抑え、生者と関係を持つ者もいる。

 例えば、“O∴D∴U∴”。彼らはアンデッドの集まりであるが、生者達の前に現れることは滅多になく、現れる時は交渉するためであり、そして命を奪うことに腐心するのではなく魔法を探求することに腐心している。

 例えば、王国の裏組織“八本指”の“六腕”、“不死王”。彼もまた生命を奪うことに固執することなく、魔法の探求に偽りの生命を費やしており、裏組織とはいえ人間の組織で共存を果たしていた。

 知性あるアンデッドは、このように時に他の知恵ある生命と交渉し、共存する。他生命に認められるかどうかはともかくとして、彼らは理性が無いわけではない。

 そして幽霊船の船長ヴィリアムもまた、そういった知恵あるアンデッドの内の一体だ。このカッツェ平野で生まれた彼は、ある一つの夢を持って生まれていた。

 それは――――海原を駆けること。誰にも支配されず、自由のみを隣人として旅をすること。

 彼が発生するに至った負のオーラの持ち主がそういった思いを持っていたのか、それとも彼がひたすらに変わり種であったのか……真実は誰にも分からない。ただ、彼はそういった夢を持って生まれた事実だけがある。

 彼は夢を携え、その生まれ持った実力で下級アンデッド達を支配し――カッツェ平野を旅して、遂に帆船の残骸を見つけたのだ。カッツェ平野には奇妙な建築物の残骸が幾つもある。この壊れた帆船もまた、その一つだった。

 帆船を見つけた彼らはそれをそれらしく(・・・・・)修理し、自らの負のオーラや魔力を使って浮遊させ、ついに陸を奔る幽霊船が完成した。

 そして彼らはアンデッド兵団からアンデッド船団となる。目的はただ一つ。海原を駆けること。今はカッツェ平野に留まっているが、この呪われた大地で負のオーラを食らい自らを進化させ続ける。そしてこの世界(・・)という途方もなく広い海原を、地平線の彼方を目指すのだ。

 しかし――

 

「……うん?」

 ヴィリアムは空を見上げる。今日もいつもと変わらない、薄い霧に覆われたカッツェ平野だ。天気は相変わらず見えはしない。

 だが、マストの上に幾体かの鳥型アンデッドが集まっていたのを確認する。骨の鳥達はマストの上に止まり木のように集まるが、とりわけ何をすることもない。だからだろう。船員達も物珍しそうに見物するだけで、特に慌てた様子もない。

 だが……ヴィリアムは数ヶ月前に訪ねてきた愚かな魔術師を思い出す。

 何らかの組織名を名乗ったヴィリアムと同じ魔術師のアンデッドは、ヴィリアムに対し「宝を寄越せ」と強請ってきた。当然、その愚かな魔術師には偽りの生命を終えてもらったが、その魔術師がこのカッツェ平野で自分達を発見した方法が、使い魔のアンデッドに探らせるという方法だったのだ。

 その時のアンデッドはこのような鳥型のアンデッドではなかったが――いや、分かっている。そもそも、数がありえない。集まっている骨の鳥は五体以上――とても使役出来る数ではない。偶然のはずだ。しかしヴィリアムは嫌な予感を覚え、見張り役に周囲に何かおかしなものが見えないか確認するよう命令を下した。

 船長の命令を受け、船員達に緊張が走る。彼らはこのカッツェ平野でヴィリアムに支配され長い時を過ごした。そのため、ある程度の知性が宿り対話などが可能となっているのだ。他の下級アンデッド達とは一線を画す。

 船内に緊張が走り、見張り達が慌ただしく動く。そして――

「船長! 誰かこっちに向かって来ています!」

「……ふん」

 やはり、何者かが接触しようと近寄っていたらしい。おそらくあの骨の鳥達の中に一体だけ、使い魔を紛れ込ませていたのだろう。中々にうまい手だ。同じようなものに集まられては、珍しくは思ってもそのまま見過ごしてしまったかもしれない。

 だが、自分には通用しない。

「錨を降ろせ!」

 ヴィリアムの命令に従い、船員達が錨を降ろして帆船を止める。別に錨など降ろさなくても停止出来るが、浪漫は大事である。ヴィリアムは様式美というものをよく理解していた。

「どんな奴だ!?」

「真っ黒な鎧を着た野郎一人です! あ! でもアイツ(・・・)じゃありません!」

「当たり前だ! ……鎧ィ? 魔術師じゃないのか? しかも一人?」

「はい! 船長! 顔も見えないです。たぶん人間じゃないかと」

「……うーむ?」

 以前の魔術師のお仲間かと思ったが、そうでもないようだ。顔も見えないほど鎧を装着するアンデッドは、このカッツェ平野に存在しない。更に、魔術師が全身鎧(フル・プレート)はありえないだろう。

 そうなれば、考えうる可能性は人間達。よく見かける軍人か、あるいは冒険者とかいう奴らか。戦って情報を得たり、マジックアイテムを奪うことがある。だがたまに交渉するだけの時があるので、今回はそういう類の者だろうか。

「お前たち! お客さんを出迎える準備をしておけ!」

「はい! 船長!」

 ヴィリアムの命令に従い、船員達が慌ただしく動く。出迎え準備とは当然、交戦準備だ。大砲に弾を込めたり、弓矢で狙う準備のことである。この巨大な帆船がある以上、それを物陰にして準備を整えるのは当たり前だ。これで確実に優位を取れる。

 ましてや遠距離攻撃手段の無い戦士――良いカモである。

 ――そしてヴィリアム達が待ち構えていると、その漆黒の戦士はついに霧から姿を現した。

 それは奇妙な男だった。一目で高価と分かる煌びやかな漆黒の全身鎧(フル・プレート)と、目も冴えるような真紅のマント。どう見ても、このカッツェ平野で見かけるにはありえない格好だ。ヴィリアムはカッツェ平野から出たことはないが、しかし長年の経験から物の良し悪しの区別はつく。

 そのヴィリアムから見て、間違いなく最上級。軍人達よりも冒険者達よりも、比べ物にならないほど高価な装備品だろう。むしろ美術品というのは、ああいう物を言うに違いない。

 そんな煌びやかな装備の戦士が、わざわざカッツェ平野まで来て自分達と接触する。わけが分からなかった。

「――失礼。カッツェ平野の幽霊船、その船長ヴィリアム・ダンピーアー氏と見受けするが?」

 漆黒の戦士が口を開く。ヴィリアムはいつでも魔法を撃ち込めるように警戒しながら、その言葉に頷いた。

「その通り。私が船長ヴィリアム・ダンピーアーだ。……そちらは何者だ?」

「私の名はモモンガという。ところで……“O∴D∴U∴”の名に聞き覚えは?」

「――――あるな」

 その組織名は耳に新しい。かつて訪ねてきた、愚かな魔術師の所属する組織の名だ。

「なら話は早い。私はそこの雇われ冒険者でね……彼ら曰く、マジックアイテムの返却を願いたいそうだ」

「はあ?」

 ヴィリアムは不快なその要望に、小馬鹿にしたような声色を向ける。ありえないだろう、それは。奪われたのならば奪い返す。この世は弱肉強食。それが世界に共通する唯一の掟のはずだ。

「私もドロップアイテムの返却を願うというのは、少し思うところがあるが――何せ雇われの身だ。そういうのは本人たちに言って欲しい。返答如何によっては死んでもらうことも考慮しているんだが……どうだね?」

「――あの世で連中に『ママのおっぱいでも吸ってろ』と言っておいてくれ」

「……なるほど」

 交渉は決裂だ。そもそも交渉とは、立場が上位の者が、下位の者に投げかけるもの。下位の者が交渉したところで、死より搾取される羽目になるのは当たり前だ。下位の者がする交渉とは、つまり相手に勝てないからやめてくれという哀願と何も違わないのだから。

 故に、交渉は決裂した。ヴィリアムはマジックアイテムを返すつもりは無い。“O∴D∴U∴”の者達が自分達で交渉に来ず、代理を遣した理由は魔術師としてヴィリアムも分かる。だからこその戦士。そしてあの使い魔はおそらく、マジックアイテムか何かで召喚したものなのだろう。見れば、いつの間にか骨の鳥達は既に姿が消えている。一体は召喚時間の限界に達し、他の骨の鳥達は戦いの気配を察知して逃げたに違いない。

「野郎ども! 奴の鎧を剥ぎ取って、その死体をバウスプリットに括りつけて晒してやれ!!」

「オオオオオオ!!」

 船員達が叫び、臨戦態勢であったためすぐに攻勢に移ろうとする。錨を回収し、帆船を自在に動かせるように準備。同時に船員達は大砲を撃とうと魔法で着火しようとし、ヴィリアムは帆船の上空を下からは見えないように飛んでいた、二体のあるアンデッドを呼ぶ。その姿を見た漆黒の戦士は――

「なんだ? スケルトン達のような下位アンデッドが喋れるのか? ふーむ……船長より船員の方が興味深いな。カッツェ平野で負のオーラに揉まれて、長年過ごした結果か? この土地、中々に興味深い……今後も検証のために観光に来るか」

 よく聞き取れなかったが、わけのわからないことを言い、背中から二本のグレートソードを引き抜く。そして――

「――――出番だ。出ろ」

 その一言の後の光景に、全員が凍りついた。

 黒い靄が中空から滲み出るように出現すると、それが膨れ上がり人型を形作っていく。二メートルを超える身長、血管のように浮き立つ赤い紋様に黒い鎧。一メートルを超える巨大なフランベルジュに、タワーシールド。まさに暴力の権化のようなその姿。

「――――」

 それは間違いなく、五年近く前にヴィリアム達が遭遇した悪夢そのもの。それを認識した瞬間――

「退却! 退却だ! 逃げるぞ!!」

 ヴィリアムの命令と、船員達の行動は同時だった。弾けるように全員が慌ただしく動く。この場からの離脱に向けて。

「おいおい……遭遇済みか? 少し話がしたくなったぞ」

 漆黒の戦士の暢気な言葉も耳に入らない。ヴィリアム達は脱兎の如く逃げ出すために、帆船を動かす。そして、ヴィリアムは上空の二体に命令した。

「スケリトル・ドラゴン! 足止めをしろ!」

 ヴィリアムの命令と共に、地上へと二体のスケリトル・ドラゴンは降りて来る。さすがにあの二体を同時に相手にするのであれば、あの悪夢も中々追いつけまい。かつての遭遇時には一体しかおらず、その時のスケリトル・ドラゴンは破壊されたが、今は二体もいる。その間に距離を取るのだ。

「スケリトル・ドラゴンが二体か。なるほど、確かに魔法詠唱者(マジック・キャスター)じゃどうにもならないな」

 漆黒の戦士は呟き、グレートソードの一本を何故か振り被る。だがヴィリアム達は気にしない。帆船を動かこの場から脱兎の如く去って行く。そして――帆船に衝撃が加わり揺れた。

「何が起こった!?」

 ヴィリアムの言葉に、見張り台の船員が悲鳴を上げた。

「船尾のど真ん中に、野郎の剣がぶっ刺さってます! ……あぁ、嘘だろ……船長! アイツ(・・・)が剣を足場にして……船体に取りついて登って来ようと!」

「何とかして落とせ! 甲板まで登られたらおしまい(・・・・)だぞ!」

 ヴィリアムの命令で、槍や剣を装備した船員達があの悪夢を帆船から振り落とそうと躍起になる。その間にヴィリアムは操縦室で舵を取る船員達に指示を送った。

「お前たち! 船尾にアイツ(・・・)が取りついている! 振り落とせ!」

 ヴィリアムの指示に従い、帆船がありえない軌道を描く。ゆっくりとではなく、馬車が急スピードで急カーブを曲がるように、ぐるりと方角を変えたのだ。

 海を奔る船ではありえない動きだが、これは陸地を奔る幽霊船。そのような常識の外にある。船員達は当然、振り落とされないよう各々注意しているので、振り落とされるような間抜けはいない。

 だが――常識外れなのは幽霊船だけではない。

「駄目です船長! 落ちません!!」

「――化け物め!」

 船体に取りつくアンデッドも、当然振り落とされない。その腕力で無理矢理に縋りつき、船体に取りついたまま決して離れなかった。振り落とされることなく、最上甲板まで登ってこようとしている。

「もう一度振り払え! 今度は連続でだ!」

 ヴィリアムはまたも指示を出し、操縦室の船員達は応えて猛スピードを出しながら船体を傾ける。遠心力で振り払うために。

 だが、振り落とされない。あの悪夢は決して、墜落しない。

「ギャア! ギャア!」

 頭上から聞こえる鳴き声と悲鳴に、ヴィリアムはマストを見る。見張り台にいた船員達が先程見た何体もの骨の鳥達に、死体を漁るハゲワシのように群がられ、見張り台から叩き落されていく。

「……まさか」

 そこで、ようやく悟った。あの骨の鳥達は全て、あの悪夢のように漆黒の戦士の味方なのではないか、と。ならば――ならば、あの漆黒の戦士は果たして何者なのだろうか。

 自分はもしかしたら、とんでもない大失態を犯したのではないかと今更ながらに気づき――別の船員達の悲鳴を聞いてそちらを振り返った。後悔する。見てはいけないものを見てしまって。

「げぇ!」

 あの漆黒の戦士が、膿のような黄色と輝くような緑色の靄を纏わせた骨の獣に騎乗して、追いかけて来ている。この短時間でスケリトル・ドラゴン二体を滅ぼしたというのか、ありえない。

 だが――納得するしかない。漆黒の戦士は船員達が放つ矢や大砲をものともせず、片手に持つグレートソードで切り払ってこの船の横を並走している。魔法に至っては防御さえしないのだ。

 そして――再びの衝撃。今度は船尾ではない。船首からだ。

「何事だ!?」

「船長! 人間たちが俺たちの船を魔法で狙ってる! あぁ――船が止まってしまう!」

「――――は」

 どうやら仲間がいたようだ。船の速度が落ちていく。落ちていくから、もう振り払えない。つまり――

「――やあ、また会ったな」

「…………」

 衝撃を受けた一瞬の隙に船体に飛び乗っていた漆黒の戦士が、ヴィリアムに声をかける。ヴィリアムは震えながら振り向いた。無傷の漆黒の戦士がそこにいる。

 あの悪夢を恐れた船員達が、我先に次々と船から飛び降りるように落ちていく。しかし、帆船の外に待ち構えていたのだろう他の人間達の手によって、船から降りた者から次々と偽りの生命を終えていった。けれど、きっとその方が幸せな死に様だろう。あの悪夢に嬲り殺しにされるくらいだったら、人間達に討伐される方がずっといい。

 だが……漆黒の戦士に狙われている自分はどうなってしまうのだろう。

「あの……あの、降参だ、降参する……しま……す」

「ふむ」

「それで……その、マジックアイテムも全てお返しします」

「ああ」

「それで……あの、あの、それで……今まで溜めこんだ宝も全てお渡しします」

「だから?」

「え? えっと、えっと……」

 漆黒の戦士が悠然と立つその背後から、あの船尾から最上甲板まで登り切った悪夢が歩いてくる。その姿を横目で見ながら、震える声でヴィリアムは漆黒の戦士に語りかけた。

「わ、私は役に立ちます! 立ってみせます! 部下になるのであの、その……え、えへへ……」

 卑屈な笑いをしている自覚はあった。しかし、それを直そうとは思わなかった。両手を組んで慈悲を乞うが、漆黒の戦士は「ふぅん」と興味無さげだ。それで、自分の未来が変わらないことを悟った。

「――私はな」

 漆黒の戦士がポツリと語る。

「基本的に、警告を二度以上しない。何故なら他者の選択を尊重するからだ。例え結果がその他者にとって不幸になるものであろうと、だ」

 兜のスリットから、赤い燈火が見える。絶望の燈火が――

「ヴィリアム・ダンピーアー。お前は私がマジックアイテムの返却を求めた時、何と言った(・・・・・)かな?」

「――――」

 漆黒の戦士に告げられて、脳裏に浮かぶのはかつてのあの悪夢と遭遇した時の記憶だ。珍しい、見たこともないアンデッドであったから捕獲して部下にしようと、そう意気込んで絶望を味わったあの日の記憶。船員達が嬲り殺しにされ、命からがら無様に逃げ出した忘れられない、あの日の記憶だ。

 それが迫っている。自分に狙いをつけて、あの悪夢が悠然と歩み寄ってくるのだ。

「嫌だ! 殺さないで! 死にたくない!!」

 こんなところで、結局生まれた場所から動けないままで死にたくない。外を見るのだと。そう誓ったのだ。自由だけを隣人に、世界を海原として駆けるのだと夢見たはずなのに。

 現実はこの薄い霧に囲まれた、どこまでも閉鎖的な場所で偽りであっても生命を終えるのは耐えられない。だからヴィリアムは背を向けて逃げ出した。悪夢から逃げるために。漆黒の戦士から逃げるために。――死から逃げるために。

 しかし――

「――――やれ」

「あ」

 漆黒の戦士の一声で、自分の体を叩き潰すようにしてあの悪夢が携えていたフランベルジュが降ってくる。凄まじい衝撃の後――体がボロボロと崩れていった。崩れる端から空気に溶けるように消滅していく。

「あ、あ……」

 崩れる体を押し留められず、自分の意思が薄れていくのを感じたヴィリアムが最後に見たのは――どこまでも現実でしかない、空の天気さえ見えない何も無い薄い霧だった。

 自由なる海原を夢見た変わり種のエルダーリッチ……ヴィリアム・ダンピーアーはこうして、その偽りの生命を終えたのだ。

 

「うーむ……一撃か。デス・ナイトの件を聞こうと思ったんだが……存外脆かったな、コイツ。所詮――贋金持ちじゃない、ただのエルダーリッチか」

 ぽつりとつまらなそうに呟いた漆黒の戦士の言葉は、幸いにもヴィリアムに届くことはないままに。

 

 

 



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第一幕 漆黒の英雄 其之六

 

 ヘッケランは幽霊船の宝物庫らしきドアを開ける。その中から暗い室内だというのに、無数の煌びやかな輝きが放たれた。

「……すご」

 イミーナの言葉に、ヘッケランも同意する。おそらく、ロバーデイクやアルシェも同じ気持ちだろう。中からは金や銀などの無数の硬貨、更に冒険者や帝国軍の鎧といった、様々な装備品が積み上げられていたからだ。

「どれだけ溜めていたんでしょうかね、この幽霊船は」

「けっこう長い間噂になってたからなー。さすがカッツェ平野の幽霊船だぜ……」

 カッツェ平野の陸を奔る幽霊船は有名だ。噂になる前からの期間を考えると、十年以上――その間に殺して強奪したもの、交渉で手に入れたもの、冒険者達の骸から回収したものなど様々な宝物がそこには積み上げられている。

「集めたら、たぶん金貨五〇〇枚以上いく」

 アルシェはそう言うと、金貨の一枚を手に取る。いつもの無表情が少し動いた。しかし、ロバーデイクがアルシェがそれ以上動く前に止める。

「やめておいた方がいいですね。確実に身体検査がありますよ」

「……わかってる」

 ロバーデイクの言葉にアルシェは頷き、金貨を元の場所へ戻した。帝国軍の装備品はともかく、冒険者達の装備品や金貨などは全て、モモンガにまず所有権があるだろう。今回の自分達にそういった分け前は無い。

「そろそろ話は終わったかな?」

 ヘッケランの言葉に、全員先程の狂乱(・・)を思い出したのか渋い顔をする。

「なんというか……凄かったわね」

「ええ。……ああいう方だったんですか?」

 ロバーデイクの問いはアルシェに向かっている。アルシェは珍しく眉根を寄せ困った顔で、首を横に振った。

「知らない。たぶん、皆初めて知ったと思う」

「だろうなぁ……」

 あの狂態を思い出し、全員が納得の声を上げる。帝国軍は勿論、他の魔法詠唱者(マジック・キャスター)達でさえ瞳を丸くしてあの狂態を呆然と眺めていたのだ。少しの間弟子だっただけのアルシェだけでなく、付き合いの長い者達まで仰天していたのだから、アルシェが彼にああいう一面があったことなど知るはずがない。

「モモンガさん、可哀想……」

 アルシェの同情の言葉に、全員同意した。ヘッケランはぽつりと呟く。

「……俺ら、いつ目的を果たせるんだろうな」

 

        

 

 幽霊船に存在した偽りの生命を全て駆逐し終えた後、船から漆黒の戦士が飛び降りる。背後に漆黒の戦士に付き従うようアンデッドの騎士が続いた。

 帝国騎士達が漆黒の戦士とその背後のアンデッドの騎士を見て、ぎょっとした表情を作りながら警戒する。漆黒の戦士は彼らを特に気にせず、船尾まで歩いていく。そこには漆黒の戦士が投擲したのであろう、彼が持つものと同じデザインのグレートソードが一本刺さっていた。

 アンデッドの騎士がグレートソードを引き抜き、漆黒の戦士に恭しく献上するように差し出す。漆黒の戦士はアンデッドの騎士からそれを受け取ると、もう一本と同じように背負った。

 ――そんな漆黒の戦士にレイナースは声をかける。

「失礼いたしますわ。……“漆黒”のモモンガ殿でよろしいでしょうか?」

「うん?」

 漆黒の戦士――モモンガが振り返り、レイナースの姿を確認する。そして頷いた。

「ええ。確かに私はモモンガです。帝国軍の方々ですね? 先程は助かりました、感謝します」

「いいえ、お気になさらないでください。私どもの仕事でもありますから」

 モモンガが頭を下げるのに合わせ、レイナースも頭を下げる。続いて、レイナースはモモンガの背後に控えているアンデッドの騎士に視線を向けた。

「……ところで、そちらのアンデッドは?」

「ああ、これですか? 私が召喚したアンデッドです。そろそろ規定の時間が過ぎるので、全員消えると思いますよ」

 モモンガが召喚したアンデッドは、骨の鳥達数体とアンデッドの騎士。そして骨の獣だという。召喚されたモンスターは規定の時間を過ぎると跡形もなく消えてしまうのだ。ちょうどモモンガが告げるとともに、アンデッドの騎士の姿が解けるようにその場から消滅した。どうやら、このアンデッドの騎士が一番に召喚されたもののようだ。ほどなくして、他のアンデッドも消えるだろう。

 ただ……このアンデッド達が召喚モンスターだとすると、とんでもない事実が判明してしまう。

「モモンガ殿は魔法詠唱者(マジック・キャスター)、なのですよね?」

「御存知ですか? 評議国以外だと評判は悪い自覚があったんですが……帝国にも私が魔法詠唱者(マジック・キャスター)だと知っている人間がいるとは驚きました。法国くらいだと思ってましたよ」

「帝国にはパラダイン様がいらっしゃいますから」

「ああ……あの“三重魔法詠唱者(トライアッド)”は帝国所属でしたね。彼の年齢なら確かに、私を知っていてもおかしくない」

 モモンガも、帝国にある程度自分の情報があるのを納得したようだ。それより、彼自身知名度が低い理由を自覚しているのが驚いた。モモンガの強さを考えると、自身の知名度の低さに苛立っていてもおかしくはないはずなのに、欠片もそんな様子は窺えない。本当に、金や名誉に全く興味が無いのだろう。

「ところで、不躾だとは思うのですが……何故この幽霊船を追っていたのでしょうか? もしよければ、理由を伺いたいのですけれど」

「ああ、それはですね……」

 モモンガが口を開こうとした瞬間――レイナースにとって聞き覚えのある叫び声が聞こえた。

「デス・ナイトはどこにいった!?」

「師よ! 先程確認した時は船尾の方に――」

 フールーダとその弟子達だ。レイナースはモモンガに「失礼」と一言告げて、フールーダの声がする方へ向かう。

「パラダイン様、落ち着いてください。どうされました?」

「ロックブルズ殿! そのように呑気している場合ではないですぞ! あの危険なアンデッド――デス・ナイトを探さねば……!」

「あのアンデッドの騎士ですか? それなら、モモンガ殿が召喚していたものらしく、先程時間制限で消えましたわ」

「――――ぇ?」

 レイナースの言葉に、フールーダだけでなく弟子達まで動きが止まった。その気持ちがレイナースにも分かる。あのアンデッドの騎士は、とても恐ろしい存在だ。レイナースの実力でも、一対一では確実に勝てないだろう。あの周辺国家最強の戦士でさえ、勝てないかもしれないとレイナースは思う。

 そんなアンデッドを召喚したというのだから、確かに驚きだ。更に言えば、あの骨の獣もまたかなり強い。アンデッドの騎士と同じくらい、強力な存在だろう。それだけの強力なアンデッドをモモンガが召喚したというのだから驚きだ。彼は魔力系の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だというから、十三英雄の一人と同じように、ネクロマンサーとしての能力が高いのだろうか。

 レイナースはそう、モモンガの魔術師としての高い資質に驚嘆する程度で済んだが……フールーダとその弟子達はその程度の衝撃では済まなかったらしい。かつてのフールーダの弟子だという少女のいる四人組がこちらを見つけ、近寄ったのと同時に、フールーダ達の叫び声が響き渡った。その声に全員が驚いていると、フールーダがレイナースに掴みかかる。老人とは思えない力だ。レイナースはぎょっとする。

「ろ、ろっくぶるずど、の!? 今、今召喚したと言いましたか!? モモンガ殿が!?」

「え、ええ。モモンガ殿が召喚したのだと、先程彼の口から――ち、ちょっとやめてくださいませんかパラダイン様! そう揺さぶらないでください!」

「そのようなこと言っとる場合かぁ――ッ!!」

 異常に興奮したフールーダに、首をがくがくと揺らされるレイナース。本来師を止めるはずの弟子達もまた魂が抜けたように呆然としているので、慌てて元弟子の少女とその仲間が止めに入った。

「ちょ、お、落ち着いてください!」

「パラダイン様! その人味方! 味方ですよ!」

 数人の帝国騎士達も加わり、興奮するフールーダを止めに入る。そこに、更に暢気な声が加わった。

「急に叫び出してどうしました? 何か出ましたか?」

 モモンガである。騒ぎを聞きつけて船尾の方から歩いて来たらしい。モモンガの登場に、フールーダの動きがピタリと止まり、首が奇妙な動きでぐるんとモモンガの方へ曲がる。その様子を見たモモンガが一瞬体をびくんと揺らしたが、おそらく驚いたのだろう。

 そして――フールーダがモモンガの方へその身を投げ出した。

「モ、モ、モ、モモンガ殿!」

「え、あ、はい」

 身を投げ出し、自分の前に膝をつく老人の姿にモモンガはドン引きしている。

「先程伺いましたがデス・ナイトを召喚したのだとか!」

「うん? デス・ナイトを知ってるんですか? かなりマイナーなアンデッドのはずですが、どこで――」

 しかしモモンガが全てを口にする前に、フールーダが言葉を重ねてくる。

「ど、どうかそれをご教授願いたい! ど、どうやってデス・ナイトを召喚しておられるのですか!? 探知防御をしているようですが――まさか、貴方は……いや、貴方様は第七位階かそれ以上に到達しておられるのでは!?」

「は!?」

「どうか! どうかそれを私に伝授してくだされ! 我が師よぉッ!!」

「ち、ちょっとおち! 落ち着いてください! ――だ、誰かこの狂人を止めろォッ!!」

 自らの足に縋りついて哀願してくる老人に、鎧ごしとはいえおぞましさを感じたのか、モモンガが叫ぶ。そのフールーダの奇行に全員が愕然としていたのだが、モモンガの叫び声に慌ててレイナースはフールーダを取り押さえようと近寄った。

「パラダイン様! 落ち着いてください! モモンガ殿が驚いていますわ!」

 というか、自分達の話が済むまで魔法の件については自分から質問しないと誓ったはずだ。そんなことは完全に頭から抜け落ちているのか、今のフールーダには理性のりの字も見当たらない。

「だ、黙れ小娘が! これが! これが落ち着いていられるか!? 今、私は更なる魔法の深淵を覗けるかもしれない場所にいるのだ! そのためならば何を犠牲にしようとかまわん!!」

「犠牲にする前に目の前のことをきちんと認識していただきたい!」

 何かを犠牲にする前に、自らの理性を犠牲にしてどうするというのだ。というか、そもそも肝心のモモンガに完全に引かれている。もし肌が見えたのなら、確実に彼は鳥肌を立てているだろう。このままではモモンガの中で帝国の印象は最悪だ。レイナースは必死にフールーダを抑えた。視界の隅で、ひそひそとかつての弟子だったという少女や仲間の四人組が、フールーダを見て小声で話し込んでいる。部下達もフールーダの奇行に驚き、引いてしまっていた。

「――ふぅ。とりあえず、一言告げておきましょう」

 フールーダを引き離してもらい、落ち着いたのだろうモモンガが妙に冷めた口調で告げる。先程とは声の調子が全く違う。この一瞬ですぐさま精神を落ち着かせたらしい。

「私が召喚した先程のアンデッド達は、私の魔法で召喚したわけではありません」

「――――え」

 モモンガがそう告げた瞬間、フールーダの動きがピタリと止まった。そして、呆然とモモンガの顔を見上げている。レイナースも驚いた。

「どういうことですの、モモンガ殿?」

「ちょっとした能力ですよ。一日に複数回、アンデッドを召喚出来るんです。彼らはその能力で召喚したもので、私が魔法で召喚したアンデッドではないんですよ」

 ――生まれながらの異能(タレント)と呼ばれるものがある。文字通り、その人が生まれた時に得る才能のことであり、天気予報や魔力探知など様々な異能が確認されている。

 例えば、ここにいるフールーダは魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)の修める位階を知ることが出来る、看破の魔眼とも言うべき魔力探知の異能を持っている。

 その異能が自身の才能と噛みあうかはどうかは、天のみぞ知るところであるが――世の中にはこのように、不思議な異能を持って生まれてくる存在がいるのだ。

 どうやらモモンガはその類――アンデッド召喚系の異能を持っているらしい。先程のモモンガの発言はそうとしか考えられない。

 つまり――別にフールーダ以上の魔法を修めているわけではない。そうレイナースは理解し……フールーダも理解したのか、いつも通りの真顔になった。落ち着いたようなので、レイナースはおそるおそるフールーダを放すが……フールーダの先程の狂態は完全に身を潜めていた。着ていたローブの乱れを正し、いつも通りの落ち着いた表情に戻るとモモンガに話しかける。

「ふぅ……誠に申し訳ない。少々取り乱してしまいましたな」

 まったくだよ。この場の全員の心が一つになった瞬間である。今、彼らの心は職業どころか種族の垣根を越えて一つになったのだ。

「さて――改めまして、失礼を。私の名はフールーダ・パラダインと申します。モモンガ殿の噂は昔からよく聞いておりました」

「――はぁ。まあ、いいか。はい、さっきまでのは忘れることにしよう。……こちらも改めまして、“漆黒”のモモンガです。こちらもパラダイン公の噂はよく聞いていますよ」

 “漆黒”と言っても、自分でつけた名前じゃないんですけどね。そうモモンガは告げ、フールーダが差し出す手を握り握手をする。モモンガがフールーダの手を握る寸前、一瞬モモンガの手が躊躇するように震えたのはきっと気のせいではないだろう。レイナースは勿論、帝国騎士達も一瞬身構え、フールーダを凝視してしまった。

「ところでモモンガ殿、どうやらかなり特殊な生まれながらの異能(タレント)をお持ちの様子。少し聞きたいことが――」

「――おほん!」

 フールーダが再びモモンガに質問攻めをしようとしたところに、レイナースは咳を一つして止める。フールーダはレイナースの姿を見ると、口をもごもごと動かし――沈黙した。ようやく、皇帝や自分との約束を思い出したらしい。

「――その話はまた後でお願いしますわ、パラダイン様……。――先程は、本当に――本当に! 失礼いたしました。名乗るのが遅れましたが、私は帝国騎士のレイナース・ロックブルズと申します」

「――ああ、うん。もう気にしていないので顔をお上げください、ロックブルズ殿」

「感謝いたしますわ、モモンガ殿」

 レイナースは顔を上げる。そして、先程フールーダとの騒ぎが起きる前の質問をすることにした。

「ところで――話を戻すのですが、モモンガ殿はどうしてこのようなところに? 幽霊船を追っていらしたようですけれど」

「そういえば、先程までその話をしようとしていましたね。まあ……ちょっとした形見の回収ですよ。知人がこの幽霊船と交戦し、帰らぬ人となったので。その形見を回収に来たというのが真相です」

「それは……申し訳ないことを訊いてしまいましたわ。お悔み申しあげます」

「お気になさらず。こういう生活なので、よくあることですよ」

 モモンガは本当に気にした様子が無い。わざわざ形見を回収に来るということは、かなり深い仲のように思えるが――彼からはそういった辛気臭い感傷が皆無だった。本当のところは、モモンガではなく別の知り合いの友人に頼まれて回収に来た、というのが真相なのかもしれない。

 基本的に冒険者は組合を通さない依頼は受けてはいけないことになっているが、知り合いの頼みをロハで引き受けることが冒険者達には稀にある。今回はその類なのだろう。あまりつっこんで訊ねない方がいい、とレイナースは判断した。

「では私どもが周囲の警戒をしていますから、その間に中を探索なさっては?」

 レイナースがそう提案すると、モモンガは驚いたようだった。

「よろしいんですか? そちらも忙しい身でしょうに」

「かまいませんわ。この幽霊船も、モモンガ殿がいなければ討伐出来なかったでしょうから。そのお礼と思っていただければ」

 これは事実だ。実際、モモンガが幽霊船を追い立て、アンデッド達の注意を惹いていなければ、レイナース達では遠距離攻撃でかなり不利な立場に立たされたはずだ。フールーダ達もいるが、下手に空を飛ぶと地上から撃ち落されることもある。モモンガが彼らの注意を惹いていたからこそ、フールーダ達も簡単に接近して魔法を撃ち込めたのだ。

「話は終わりですかな!? では私も少し質問が――!」

 その後の話になるのを察したのか、フールーダが身を乗り出して迫る。レイナースは自分の顔がひくりと歪むのが分かった。顔から膿が垂れる。モモンガもフールーダの形相に押されたように仰け反り気味になり――そこで別の声が入った。

「あの……幽霊船の中も罠がたくさんあるかもしれませんし、俺らが見てきましょうか?」

 レイナース達が視線を向けた先にはあの四人組。モモンガは今気がついたと言わんばかりに、首を傾げている。

「おや? 君達は――?」

「俺ら、“フォーサイト”って言います。はじめまして、モモンガさん」

「ああ、はじめまして。それで、先程の話だが――」

「俺らは探索者(シーカー)含めた四人組なんで、探索するのに長けてますから。帝国騎士とかじゃ気づかないことにも気づけますし、一応幽霊船なんで俺らが探索した方がいいんじゃないかと思って。――あ! 勿論、中の物を勝手に取ったりしませんよ!」

「――ふむ」

 確かに、帝国騎士では探索に向いていない。周囲の警戒が関の山だ。モモンガも聞いた話では魔法戦士――モンスター退治ならばともかく、探索となれば難しいだろう。

「では、お願いしてもかまわないだろうか? その――まあ、さすがに彼の老人をこのままひっつけて歩きたくないしな」

 最後の方はぼそりと呟いたに過ぎないが、レイナースや“フォーサイト”にはしっかり聞こえた。聞こえた全員の顔が引き攣る。先程のフールーダの狂態を見るに、モモンガの気持ちが痛い程分かったからだ。確かに、いつまでもぬらぬらと狂人を憑れて(・・・)歩きたくはないだろう。

「じゃあ、俺らが責任持って探索してきまーす……」

 そして、そそくさと“フォーサイト”が幽霊船に入っていく。その姿を見送ってから、レイナースは改めてモモンガを見た。

「では……その、申し訳ありませんけれど、パラダイン様のお話に付き合っていただけますか。本当に、本当に! 申し訳ないのですけれど――」

「ああ、いえ。はい。私も実は訊ねたいことがあったのでかまいませんよ。では、少しばかり話をしましょうか」

 モモンガの言葉に満面の笑みを浮かべるフールーダを横にしながら、レイナースはモモンガに何度も頭を下げた。モモンガは気疲れしたような声色で、フールーダと会話をはじめる。

 レイナースは、フールーダが再びモモンガに対して狂った行動を取らないよう、横で彼らの会話をハラハラと聞き続けた。

(皇帝陛下――本当に、恨みますわ)

 フールーダの世話を自分に押し付けた皇帝に対して、レイナースは心の中で罵倒する。今日の日記には、どこかの権力者と魔術師について書こうと心の中で誓うのだった。

 

 

 



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第一幕 漆黒の英雄 其之七

 

 ――五年近く前。カッツェ平野で帝国騎士達の一個中隊が、見慣れないアンデッドに遭遇した。カッツェ平野のアンデッド討伐が国家事業である帝国騎士達は、特に気にすることもなく、いつも通りの任務として討伐を開始。そして――それが愚行であったことを悟るのに、数十秒。それほど長い時間はかからなかった。彼らは、その数十秒の間で本当の恐怖と絶望(・・・・・・・・)がどういうものなのか、身をもって知らされたのである。

 圧倒的。そして一方的に、帝国騎士達は蹂躙された。

 その後はさすが帝国と言うべきか、即座に最適な判断を下す。撤退した騎士達の情報をもとに討論を開始、初手で切り札である最強戦力フールーダ率いる高弟達が動員された。

 結果は、帝国の勝利。空を飛ぶ手段のない未知のアンデッドは、フールーダ達の絨毯爆撃――〈火球(ファイヤーボール)〉に為す術なく、一方的な連射でなんとか無事に捕縛されたのだ。

 

「――なるほど。それが、パラダイン公やあの幽霊船の連中がデス・ナイトを知っていた理由ですか」

 幾つかの会話の後にモモンガが訊ねた質問に答えたフールーダは、そのモモンガの言葉に頷く。

「あの幽霊船のアンデッド達がデス・ナイトを知っていたというなら、おそらく私どもが遭遇する前に遭遇したのでしょうな。自分を過信して、ちょっかいでもかけたのでしょう」

 アンデッドは同じアンデッドには滅多に反応しない。生者にしか基本興味が無いのだ。幽霊船の船員達がデス・ナイトに怯えていたということは、つまり自分からちょっかいを出して手痛いしっぺ返しをもらったのだろうとフールーダは判断する。モモンガも同じ気持ちのようだ。

「あの……そのデス・ナイトとはどういうアンデッドなんですの?」

 レイナースの疑問はもっともだろう、とフールーダは思う。何故なら、デス・ナイトは伝説のアンデッドであるために、逆に知名度が低いのだ。このデス・ナイトがむしろ周辺に広く知られるようになっては、世界はおしまいであろう。

「デス・ナイトはゾンビ系のアンデッドの一体ですよ」

 レイナースの質問に、モモンガが気軽に答える。

「難度的には――あ、難度は分かりますか?」

「知っていますわ。冒険者の方々がモンスターの強さを数値化している、と――ただ、どのモンスターがどの難度か、というのまでは詳しくありませんけれど」

「なら、少し説明をしましょうか。例えばエルダーリッチですが、彼らの難度は大体六〇前後です。そしてスケリトル・ドラゴンなんかは五〇前後になりますね。前後するのは年齢や体躯の大きさで同じ種族なんかでも数値が変わるからなんですが――」

「複雑なのですね。では、その二体は冒険者の強さで現すとどうなってしまうんですの?」

「エルダーリッチは白金(プラチナ)級チームとミスリル級チームの間くらいの強さ、ですね。スケリトル・ドラゴンはミスリル級くらいでしょうか」

「それは……なるほど。今まで部下達が一対一だと手も足も出ない理由が分かりましたわ」

 レイナースの苦虫を噛み潰したような声色とともに、フールーダも少し驚く。帝国騎士達は専業騎士だ。もとから戦士として鍛え上げられており一般人より遥かに強い。その専業騎士達でも強さは冒険者でいうところの(シルバー)級――白銀近衛隊でさえ強さは(ゴールド)級だ。道理で強いはずである。だが――

「エルダーリッチの方が難度が高いのに、スケリトル・ドラゴンの方が苦戦するのですか?」

 レイナースの質問はもっともだ。モモンガは苦笑気味に答える。

「ああ、それはですね――スケリトル・ドラゴンには魔法が通用しないので。そこのパラダイン公でも一対一だとスケリトル・ドラゴンには勝てませんが、オリハルコン級の戦士ならば一人でも勝てるでしょう。……勿論、パラダイン公も召喚魔法で召喚するモンスター次第で勝てますが」

「えぇっと……つまり、スケリトル・ドラゴンの基礎能力値自体は、空を飛ぶのと巨体以外はそう特出したものはないということでしょうか?」

「魔法が通用しない、空を飛ぶ――そういった特殊な能力でスケリトル・ドラゴンは難度五〇前後になるわけです。対して、エルダーリッチは基礎能力値はスケリトル・ドラゴンの遥か下をいきますが、魔法無効化と飛行能力以外特に能力が無いスケリトル・ドラゴンと違って、第四位階魔法まで使えますので。……エルダーリッチが第四位階魔法で召喚するスケルトン・ウォリアーなんかは、難度四五くらいでしたかね? ……こういった能力の差で、難度が変わるんです。オリハルコン級の戦士一人で勝てるスケリトル・ドラゴンと、白金(プラチナ)級チームで挑まなければ勝てないエルダーリッチ……。どちらが敵として厳しいかは、言うまでもありませんね」

「なるほど、よく理解出来ましたわ。難度も色々と複雑なのですわね」

 レイナースが頷くと同時に、聞いていたフールーダも冒険者の難度というのが、改めて大雑把なことを確認した。だが、指標とするのには悪くない。だとすると――

「ふむ。モモンガ殿はデス・ナイトをどのような難度と設定しているのですかな?」

 フールーダの質問に、モモンガは平然と答えた。

「そうですね――大体、一〇〇から一五〇くらいでは?」

「…………はい?」

 驚愕の数値が耳に入り、思わずフールーダとレイナースは声を揃えてモモンガを見つめる。モモンガは苦笑気味に答えた。

「たぶん、そのくらいですよ。何分私も、少しばかり常識外れですから難度の設定については難しいものがありまして。まあ、評議国の同僚達曰く、そのくらいじゃないかと言われています」

「え? えっと、あの……それ、冒険者の難度で表すとどうなってしまうんですの?」

 レイナースが唖然と訊ねるが、返答は思わず耳がおかしくなったかと思うものだった。

「冒険者の難度ですか? そうですね――アダマンタイト級がおよそ難度九〇以上だったはずですから、アダマンタイト級でよいのでは?」

「きゅうじゅう!?」

「そんなに驚かなくても」

 レイナースの叫び声に、モモンガは苦笑しながら冒険者の難度について教えていく。

「アダマンタイトもピンキリですからね。チームとしての難度が八〇程度――これはギガント・バジリスクくらいの難度ですが――それより上であれば、全員アダマンタイト級に押し込められるんですよ。オリハルコン級よりは強いからアダマンタイト級、というチームもいれば、私のように一人でそれくらいの難度の冒険者もいます」

「は、はあ……?」

 モモンガの説明に、レイナースは口をあんぐりと開けて聞いている。フールーダも同じ気持ちだが、知識を求めるフールーダの性質が、更なる質問をモモンガに浴びせていた。

「デス・ナイトの難度がそこまで開くのは何故なのですかな? やはり、例の増殖能力が原因で……?」

「まあ、そうですね。デス・ナイトは特殊な能力を幾つも持つアンデッドなので。アンデッド自体、色々と特殊な性質をしているんですが」

 アンデッドは精神作用系能力の無効化、飲食や状態異常の無効化など、様々な特殊能力を基本的な能力として備えている。この言い方は間違っているだろうが――一種族(・・・)としては、アンデッドは基礎能力が優れているといっていい。これほど特異な基礎能力を備えた種族は、ドラゴン種くらいだろう。

「デス・ナイトの基礎ステータスは防御特化で、攻撃力は難度に対してそれほど高くなかったりするんですが――まあ、能力が特殊でして。ゾンビを幾つも量産しますから、対応の仕方を間違えると町が平気で滅びますからね。他にも幾つか能力があるんですが」

「そうなのですか?」

 さすがにそれは初耳のため、フールーダは驚いた。

「ええ。無理矢理自分に注意を惹きつける能力と、あとどんな攻撃を受けても一度は死ぬ寸前で耐えきる能力が。この能力の方が私には厄介でして――それこそ自分の耐久力以上の攻撃などを受けても、一度だけ耐えきってしまうんですよ」

 まさに盾そのものですね、というモモンガの言葉は、贅沢な悩みだろう。そもそも、デス・ナイトを退治出来るような人間自体、伝説の中にしかいないだろうに。

 しかしこのような発言が出るあたり――モモンガは、難度一五〇以上の存在であることは確実だ。デス・ナイトを倒せる存在でないかぎり、こんな発言は絶対に出て来ない。

「ああ、それと――確か他のアンデッドとは違って、炎属性が弱点じゃなかったはずです。あまり〈火球(ファイヤーボール)〉は通用しなかったのでは?」

「――なるほど。参考になります」

 モモンガの言葉に、フールーダはかつて遭遇したデス・ナイトの異常な打たれ強さに納得がいった。アンデッドだからといって、必ずしも炎が弱点とは限らない。まさに未知の存在とは恐ろしさに満ちている。

「しかし召喚出来るだけあって、デス・ナイトに御詳しいのですな。正直、また遭遇する可能性を考えると、助かりますぞ」

「それはよかった」

 モモンガの訊きたかったデス・ナイトの件はこれで終わりらしい。フールーダはこの時の会話で、更に出た疑問を確かめるためにモモンガに質問を重ねていく。彼はフールーダより、ある意味知識が豊富だ。魔法の腕は自分の方が格上だと判明したが、知識の量ではもしかすると負けかねない。素晴らしい。

「気になったのですが、モモンガ殿はアンデッドの支配についてはどういった感覚を? 私はエルダーリッチ級までなら支配出来るのですが……さすがにデス・ナイトは無理でして。デス・ナイトを支配している時、どのような感覚なのですか?」

「……それは、私の感覚は参考にならないと思いますが。普通に召喚で呼び出したモンスター同様の感覚しかないので」

「なるほど。……うーむ、やはり魔法による支配と生まれながらの異能(タレント)の差か」

 さすがのフールーダも、生まれながらの異能(タレント)による能力では分からない。あの異能は、本当に個人によって能力も使用感覚も違うからだ。やはり参考にはならなかった。

「では魔法はどのように覚えていったのですかな? 独学で? それとも評議員の中には確か第五位階魔法を行使するドラゴンがいると聞いたことがあるのですが――その方に?」

「あー……それはなんと言いましょうか。一応、独学になると思いますよ」

「ほほう! 出来れば教材にしたものなど教えて欲しいのですが!」

「……まあ、お見せするだけなら」

 モモンガはそう言うと、腰に下げている袋を取り出した。その中から、一冊の本を取り出す。

(む?)

 サイズ的に見て、その本が入っているようには見えなかった。しかし、中から実際に出てきたところを見ると――何らかのマジックアイテムだろう。かなり高価な代物だ。

「一応、これが教科書の一つですね」

 モモンガがフールーダに差し出した一冊の本は、かなり古びた本でかび臭かった。しかし不思議と、虫食いの跡などは一切無い。

(……なるほど。これ自体がマジックアイテムというわけか。私の知らぬ魔道書であればいいのだが)

 フールーダは魔法の深淵を探るにあたり、かなりの魔道書を集め、その知識を読み解いた。それこそ、人類圏の魔道書は全て読解したと言っても過言ではないと、フールーダは自負している。

 そのため、如何に古く高価な魔道書に思えても、写本が無いとはかぎらない。既に写本が作られており、フールーダは読んでいた可能性もある。

 フールーダはモモンガから魔道書を受け取ると、ページを開く。しかし――

(……うーむ。読めん(・・・)

 フールーダにはその魔道書は読めなかった。何故なら、それは知らない言語で書かれた魔道書であったからだ。モモンガの顔を見るが、特に何の反応もしていない。フールーダが読めないことに気がついていないようだった。

「……これは、読解の魔法か何か使用しておいでで?」

「……ああ! 申し訳ない。そういえば違う言語で書かれていたんでした。このモノクルを少しお貸ししますよ」

 そう言うと、モモンガは不思議なモノクルを取り出してフールーダに差し出す。フールーダは受け取ったモノクルをまじまじと見つめた。これもマジックアイテムなのだろう。フレームに細かな文字が彫られていたり、レンズ部分が何らかの水晶で出来ている。

 フールーダはモノクルをかけて、開いたページを見つめた。そして――

「こ、これはぁ!?」

 そこに書かれていた内容を読み、フールーダは思わず叫ぶ。そこには、フールーダが望む知識について書かれていたからだ。

 即ち――死者変質にかかわる、魂の異質化についての知識。フールーダが煩わしいと思っている、魂の寿命に対する解決策である。

「つまり魂とは大いなる世界の流れから打ち上げられた飛沫のようなもの――おお! おおおぉおお!!」

 フールーダは更に読み進めようとページを捲る。いや、捲ろうとした。しかし――漆黒の籠手が、ページを捲る手を止める。

 その力強さに、フールーダは絶望の表情を浮かべて顔を上げた。モモンガが、しっかりと本を持っている。

「えーっと……返していただけます? お見せするとは言いましたが、本は貸すとは言ってませんよ」

 フールーダはくわっと両目を見開いた。もはや理性は彼方へと遠ざかっている。これは自らの野望の敵だと、フールーダは頭ではなく心で理解した。

「否! これこそ私が求めていた知識! どうか! どうかこれを譲っていただきたい!!」

「いやいや、一応貴重品なんでそういうの本当困るんですが!」

「渡さん! 断じて渡さんぞ! これは私のものだ!!」

 フールーダは魔道書をしっかりと抱え込み、舐め、頬擦りした。そうすることに躊躇いは一切無かった。もはやフールーダの中で、この魔道書は殺してでも奪い取るものとなったのだから。

「はぁ……本当、魔法狂いはこれだから困る」

 モモンガがそう呟くと同時に、フールーダは自らの頭上に凄まじい衝撃を受けた。

(し、しまった! 先手を打たれたか!)

 魔道書に夢中になり過ぎた。そう理解したがもはや遅い。その衝撃はフールーダの意識を飛ばすのに十分なもので――もはやフールーダがどれほど意識を保とうと思おうと、フールーダの意識は闇の中へと沈んでしまった。

 

 

 ――そして、レイナースは白目を剥いて意識を失っている帝国最強の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の、心底情けない姿を見下ろして、溜息をつく。視線を上げると、モモンガが握り拳を作って立っていた。この握り拳は、先程フールーダの脳天に炸裂したものの正体である。

「はぁ……その、謝罪はいりますか?」

「いいえ! 本当に――本当に! 申し訳ありませんわモモンガ殿……お手数をおかけして、本当に申し訳ありません」

 レイナースは果たして、今日だけで何度モモンガに頭を下げただろう。これも全てこの魔法狂いのせいだ。レイナースの中で、フールーダと押し付けたジルクニフに対しての恨み辛みが募っていく。

「とりあえず、このマジックアイテムは回収させていただきますね」

 モモンガはそう言うと、気絶しているフールーダからモノクルと魔道書を回収する。レイナースは、近くの部下達に、フールーダを引き摺って、弟子達に押し付けてくるよう命令した。

 ようやく汚物(・・)がいなくなり、互いに溜息をつく。

「その……大変ですね」

「モモンガ殿……本当に、本当に普段はあのような方ではないのです。その、少しばかり今日はちょっと異常なだけで」

 レイナースの言い訳を、だがモモンガは寛大に許した。

「ああ、分かってますよ。こういう反応も初めてではないですから。……まあ、パラダイン公ほど強烈なのはさすがに、私も見たことありませんが」

 聞けば、魔術師というものは大なり小なり、ああいう反応を返すらしい。フールーダのは今までで一番強烈だったようだが、対応が慣れた手つきだったのはそのためだろう。

 ……一体、何度彼はこういった目にあってきたのだろうか。さすがに同情を禁じえない。

「しかし、随分と貴重なマジックアイテムをお持ちなのですね。その魔道書を長期間拝借する場合、どのような条件ならば可能でしょうか?」

 フールーダがあそこまで狂う魔道書だ。このままモモンガの手にあっても、フールーダが理性を投げ捨てて追いかける未来しか見えない。それに、もしかするとその魔道書の中には、レイナースの望む知識があるかも知れなかった。

 レイナースの質問に、しかしモモンガは厳しい答えを返す。

「そうですね……正直、お貸し出来ないというのが本音なのですが」

「そこを何とかお願いしたいのですが……やはり難しいですのね」

 モモンガの答えも予想出来ていた。貴重な魔道書だ。貸し借りが難しいのは当たり前だろう。

「何分、私も一応は評議国の住人ですから。さすがに帝国にはお貸し出来ません」

「……ええ、分かっておりますわ」

 評議国は亜人の国で、帝国は人間の国だ。つまり――敵国も同然なのである。モモンガは人類に対し好意的だが、さすがにそこまでは力を貸してくれない。当たり前だ。

「ただ……この魔道書ですが、おそらく“エリュエンティウ”や法国ならお持ちですよ。評議国の住人である私に頼むより、そちらと接触してみた方がよいのでは?」

「それは……なるほど。感謝いたしますわ」

 モモンガの言葉に、レイナースは頭を下げる。確かにその通りだ。特に法国は人間の国であり、渡りをつけるのは難しいことではない。――少なくとも、評議国の住人と貸し借りを作るより、法国と交渉した方が難易度は低いだろう。

「おーい! 全部探索終えましたよー!」

 そして、話が一段落した時ちょうど“フォーサイト”も探索を終えたのか、そう声をかけてきた。レイナースとモモンガは“フォーサイト”の方へ向かう。幽霊船の最上甲板に、幾つもの財宝が並べられていた。

「一応、これで全部だと思うんですけど」

 “フォーサイト”のリーダーの言葉に、モモンガは財宝を見回し――目的の物があったのか、一つのマジックアイテムを手に取っていた。

 美しい、綺麗なブレスレットだ。幾つもの紫色の水晶が埋め込まれている、金色の金属のブレスレット。よく見れば、金属部分に文字が幾つも彫られている。

「――これだな。あとは……」

 モモンガは周囲を見回し――続いて、ローブと杖を回収していた。そのまま幾つか確認するが……モモンガは、それ以上のアイテムを手に取ることはなかった。

「――後は好きにしていいですよ。私の目的はもう果たしたので」

「え!?」

「あの、モモンガさん! 本当にこれ以上いらないんですか!?」

 “フォーサイト”が驚き、訊ねる。レイナースだって驚いた。帝国騎士の装備品はともかく、おそらく冒険者達の装備品やこの金貨は、はっきり言って残らずモモンガの物と言っていい。しかし、そのモモンガはいらないと言うのだ。

「ええ。正直、私が持っていてもしょうもないものばかりですから。硬貨の類も、別に困ってませんからね。これでも高給取りなので」

 嵩張るだけなので、貰っていっていいですよ。そう言うモモンガに、全員が驚愕の視線を向ける。大きい。器が大き過ぎる。

 ただ――レイナースは何となく、察した。確かに、モモンガが今まで見せたマジックアイテムを思うと、このカッツェ平野で手に入れられる財宝は魅力を感じないかも知れない。鎧や剣とて、彼が今身に着けている全身鎧(フル・プレート)やグレートソードに比べれば、完全に見劣りするだろう。

「……あのー、モモンガさん。実はちょっとお話が」

「はい?」

 ちょっと失礼します、とレイナースにそう断って、“フォーサイト”がモモンガを隅に連れて行く。そのままぼそぼそと何かを語り……“フォーサイト”が頭を下げていた。レイナースはその様子に首を傾げる。

 だが、頭を下げる“フォーサイト”を、モモンガは特に気にした様子もなく止めていた。何か謝罪しなくてはならないことがあったようだが、モモンガは気にしていないようだ。レイナースはそう見る。

「――さて、では私はもう帰ります。パラダイン公が目を覚まさない内に」

「――あ、はい。本当に申し訳ありませんわ。その方がよろしいかと思います」

 “フォーサイト”との話が終わったモモンガが、再びレイナースのもとまでやって来てそう告げる。レイナースは引き留められない。何せ、フールーダの狂態を見れば、あれにかかわりたくないと思うのは当たり前の感情の動きだろう。レイナースだってかかわりたくない。

「ですが、もしまた帝国に御用がありましたら、是非とも陛下に拝謁していただきたく思います。陛下もモモンガ殿と話をしてみたいとおっしゃられていましたから」

「はは――そうですね。帝国には興味深い施設が色々ありますから、また機会があった時にでも」

 体の良い断り文句だが、当然の反応だろう。しかしこれで、またモモンガが帝国に現れた時に話しかけやすくなる。今回はフールーダが色々仕出かしたので、このあたりで妥協した方がいいだろう。というより、フールーダのせいで「二度と来ねぇよッ!!」とキレられても文句が言えない立場なので、この優しい対応に感謝しかなかった。

「それでは、お元気で」

 モモンガはそう告げて、再びカッツェ平野の霧の中へ消えていく。その姿をレイナースと帝国騎士達は見送り……その後、一緒に見送っていた“フォーサイト”の面々を見た。

「それで――貴方たちはどうするおつもりですの?」

「あー……ちょうどいいんで、帝都に帰ります。さすがに、そろそろ消耗品が限界に近いんで」

「なるほど」

 レイナースはそれを確認し、彼らに対して興味を失った。彼らに背を向けて、部下達を見る。

「では、私たちも帰還しますわ。パラダイン様がおられないので、警戒を強めるように」

「は!」

 フールーダがいないという単語に、誰も反応しない。当たり前だ。あの狂態は全員見ていたのだから。弟子達は物凄く微妙な顔をしている。見てはいけないものを見てしまった、と心底から後悔している顔だ。

 そしてレイナース達もまた、帝都へ帰還する。帰りの道中、レイナースはジルクニフに報告する事柄を幾つも頭の中で纏め――ついでに、ちょっとした嫌味も考えておくことにしたのだった。

 

 

 



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第一幕 漆黒の英雄 其之八

 

「――以上が、ことの顛末になりますわ、陛下」

 執務室。ジルクニフは秘書官のロウネと帝国四騎士の一人、“雷光”のバジウッド・ペシュメルとともに頭痛を覚えながら、そう報告を締めくくったレイナースの言葉を聞いていた。

「……聞くが、フールーダのアホはどうした?」

 ジルクニフが震える声で問うと、レイナースは心底疲れ切った表情と声色で、ジルクニフに報告する。

「法国に関する書物を調べるとかで、一人転移魔法で先に帰られました。今頃は魔法省で書物を漁っているのでは? ……先にパラダイン様に報告しておかないと、モモンガ殿を追いかけ回す勢いでしたので」

「いや、いい……。よくやった、レイナース」

 気絶から復活したフールーダはレイナースに詰め寄り、仕方なくレイナースはモモンガから教えてもらえた、同じような魔道書のある場所の情報を教えたらしい。確かに、これ以上モモンガの不興は買いたくない。レイナースは正しいことをした。

「……じいの魔法狂いも困ったものだ」

 ジルクニフは盛大な溜息をつき、柔らかな長椅子に身を沈める。そのままごろごろと悶えたくなるが、人前であることを強く認識し、自重する。

「それで、モモンガの用件も無事分かったが――もう一度、訪ねそうか?」

「観光くらいは。ただ、冒険者組合にはもう顔を出しそうにありませんわ。依頼がありませんから」

「観光か……。そうなるとチャンスは少なそうだな。闘技場あたりで張った方がいいか」

 帝国――特に帝都には闘技場や魔法省など、観光としての見所は多々ある。特に闘技場は周辺国家でも有名なので、何度か訪れる可能性は高いだろう。

「陛下。部下に引き入れるんで?」

 バジウッドの疑問に、ジルクニフは首を横に振る。

「いや、話を聞くかぎり無理だろう。帝国に生涯仕えてくれれば助かるが、そういった性格じゃなさそうだ。人類に好意的だがあくまでその程度――やはり評議国寄りなのだろうな。仕方のないことだが」

 異形種だと聞いた時点で、仲間に引き入れるのはほぼ諦めている。重要なのは、評議国との間にパイプを作ることだ。

 モモンガはアダマンタイト級冒険者という地位を持ち、その強さは他のアダマンタイト級さえ一蹴するということが分かった。おそらく、この情報を知るのは人類圏では法国と帝国くらいなものだろう。そしてこのことから間違いなく、評議国の議員達とモモンガは何らかの繋がりはあるだろう。もしかすると、あの永久評議員達の誰かとも交友があるかもしれない。強さとは、それだけの価値があるのだ。評議員達が放っておくはずがない。

 そんな彼から、帝国に好意的な印象を与えられれば帝国は他の国家より優位に立てる。潜在的敵国とは言っても、ジルクニフはさすがに評議国に喧嘩を売って勝てると思うような馬鹿ではない。種族としての寿命が圧倒的に違うのだ。出来れば友好関係を築いて、同盟国として末永くやっていきたいと思う。

 そして評議国と仲良くやっていく上で、人間至上主義を掲げる法国との関係が少しばかり不安になるが――しかし、法国とて確実に分かっているだろう。評議国とは執拗に、隣同士にならないように避けている節があの国からは透けて見えるのだ。さすがの彼の国も、評議国と敵対するのは避けているのがジルクニフからは窺える。

 帝国が王国に戦争を仕掛けるのを黙って見ているのも、おそらくそのあたりの事情があるに違いない。おそらく、彼らは帝国が王国を滅ぼし、帝国が評議国と隣接しても内心はどうあれ受け入れるに違いない。自分達が隣接するよりは、よほど安全だからだ。

 国民感情とはそれほどに、細心の注意を払って気をつけなければならない、恐ろしい爆弾なのだから。

「それじゃあ、マジに普通に友好関係を繋げようってだけですかい」

「ああ。それが最善手だろうよ。王国を取った際の布石にもなる。――さて、レイナース。私が欲しい報告がまだ足りていないように思えるが?」

 ジルクニフがそう告げると、レイナースは呆れたようにジルクニフを見る。レイナースはジルクニフに対する忠誠心が、もっとも低い騎士だ。実際、そこまでするジルクニフに呆れているのだろう。そして、こうしてジルクニフの言いたいことを理解し、呆れた視線を向けるレイナースだからこそ、今回の任務につけた甲斐があった。バジウッド達では、こうはいかない。他の三人はレイナースと違って、善良なのだ。

「そう言うと思っていましたわ、陛下。ちょっとよろしくないところの噂ですが、道中で調べておきました」

 レイナースはそう言うと、ジルクニフに帝都のとある噂話を報告する。

「最近、ギガント・バジリスクの死体が闇市場で出回ったそうです。――ちなみに、我が国のアダマンタイト級やオリハルコン級冒険者たちの当時の居場所は、全て確認済みですわ」

「ふむ」

「それと、モモンガ殿ですが……どうも出来高制モンスター討伐という依頼制度を、つい最近まで知らなかったのだとか。組合で説明されて驚いていた姿が確認されています」

「なるほど」

「最後に――“フォーサイト”ですが、“歌う林檎亭”を拠点にしているようですわね。商人、神官、元貴族、ハーフエルフの四人組です。ワーカーでは珍しいことに、あまり悪い噂を聞かないチームですわ。ただし、少しお気楽なところが傷、といったところでしょうか」

「そうか! ――――で、痛い(・・)か?」

「正直に言わせていただければ、少し(・・)だけ。なのでどうするかは、陛下のご判断にお任せしますわ」

「ふむ……」

 ジルクニフは頭の中に天秤を描く。その天秤にそれぞれ比べるものを乗せ――すぐに結論が出た。

「よし。かまわん――やれ(・・)

「かしこまりました、陛下。ではそのように(・・・・・)

 レイナースに退出を促すと、レイナースは一礼して執務室を去る。その後ろ姿を見送ったジルクニフは、よく分かっていないバジウッドの姿と、先程のやりとりで何が起こるか察し苦笑しているロウネの姿に続けて視線を向けた。

「さて、お前たち。モモンガについては一旦保留だ。じいには後で話を聞きに行くとして――今日の仕事を済ませようじゃないか。ロウネ、今日の予定はなんだったかな?」

「はい、陛下。本日のご予定は――」

 ジルクニフの言葉に苦笑しながら、ロウネはスラスラと今日のジルクニフの予定を読み上げていく。彼らの頭からは、既に先程のやりとりについてすっかり抜け落ちていた。もう、終わってしまうことなのだから。

 

        

 

「いやー……それにしても、モモンガさんが太っ腹で助かったわ、ホント」

「まったくだわ……器がデカいってああいうのを言うのね」

 ヘッケランの言葉に、イミーナが安堵の声を漏らす。ロバーデイクが苦笑しながら口を開いた。

「そうですね。正直、ギガント・バジリスクの死体を盗んで売ったなんて、普通なら許してもらえない所業です。モモンガさんがギガント・バジリスクの報酬程度まったく気にしない、余裕のある生活と実力をしていたおかげで助かりました」

 ロバーデイクの言葉に、全員が同意した。幽霊船で全員で頭を下げ、罪を告白したのだがモモンガの返答は随分と素気ないものだったのだ。何せ――全く気にしておらず、別にいらないから好きにしろという返答だったのだから。

「今回は幸運だった。でも、もう二度とこんなことはしない」

 アルシェがそう言うと、三人も同意した。もう、こんなことはこりごりだ。生きた心地がしなかった。ただより高いものは無いと強く実感した。

 四人は“歌う林檎亭”に戻って来ている。そして、口々に今回の冒険について感想を語り合った。

「しかし、間近で見たけどやっぱアダマンタイト級は凄いな。全然勝てる気しなかったぜ。いや、まあギガント・バジリスクを一刀両断の時点で絶対勝てないと思ったけど」

 ヘッケランの言葉を皮切りに、次々と感想を言い合っていく。

「アンデッドを召喚していたようですが、凄いですね。召喚したアンデッドの方も勝てる気がしませんでした。見事に手綱を握っていましたが、魔法詠唱者(マジック・キャスター)としても一流というのは、本当だったんですね」

「四騎士の“重爆”も初めて見たけど、あの人にも勝てる気しなかったわ。確か白銀近衛の隊長さんと同じ強さなんだったかしら?」

「その“重爆”が一〇〇人いても、モモンガさんに勝てるイメージが湧かない。あの人、凄い」

 その日はモモンガやレイナースのことで、四人はとても盛り上がった。しかし、誰もフールーダについては話題にしない。必死に頭の外に追いやり、見なかったことにしようとしていたからだ。

 帝国最強の魔法詠唱者(マジック・キャスター)にして“逸脱者”のフールーダ・パラダイン。その伝説の人があそこまで魔法に頭がイカれていたとは、誰も信じたくない。彼らは必死に、不自然なまでにフールーダについての話題は避けた。

 そして大分盛り上がった後――アルシェは席を立つ。そろそろ、自宅に帰らないといけない。

「申し訳ない。私はそろそろ失礼する」

 アルシェの言葉に、他の三人は気にせずアルシェを送り出した。三人はこの“歌う林檎亭”に宿泊しているが、アルシェは別の所へ去って行く。それが日常だったからだ。

 勿論、三人はアルシェに何の理由があって宿を離れるのか知らないし、聞いていない。アルシェも話していなかった。そして、アルシェが帝都にいる時はいつもどこへ帰って寝ているのか気になるだろうに、聞かない三人にアルシェは感謝していた。とても、話せるような内容ではなかったからだ。

 アルシェは夜道を歩く。アルシェが向かった先は帝都の一区画である高級住宅街だ。帝都でも非常に治安が良い区画なので、閑静な街と言えた。しかし、それにしては静か過ぎる。観察眼に優れた者ならば、この街が静か過ぎる理由にすぐに気づいただろう。

 ――人の気配が少ないのだ。数多ある家屋には、人の気配を感じられない物の方が多かったのである。

 実は貴族達というのは帝国で年々減ってきている。鮮血帝に身分を剥奪され、邸宅を維持出来なくなった元貴族が多くいるからだ。いずれはこの高級住宅街も、貴族達の街ではなく財産を多く持つ、商人達の街となるだろう。

 アルシェの家も、そうして貴族位を剥奪された元貴族の一つだ。もはやアルシェの一族――フルト家にはこの高級邸宅を維持する力は無い。ただの平民なのだ、既に。平民らしく、細々と生活するべきだった。

 だが、それがアルシェの両親には分からない。もう貴族では無いのに、貴族と讃えられるような能力なんて無いのに、いつまでも貴族の地位に固執している。

 結果、アルシェは全ての夢を諦めてワーカーになるしかなかった。魔法学院を中退したのはそのためだ。更に冒険者として一からやっていくより、ワーカーとして荒んだ生活をする以外に、彼女が家族を守りながら生活する方法は無かったのである。

 けれど――そのアルシェに、一つの光明が見えた。今回のフールーダとの再会だ。

(師は、まだ私を覚えてくれていた)

 更に、魔法省で席を一つ空けておいてくれるという。危険な仕事をするより、確実に安全に稼げる仕事だ。これなら、家族全員を養っていけるかもしれない。

 ただ――ヘッケラン達三人のことを考えると、アルシェは安易にそちらへ進めない。自分が抜けて、彼らはやっていけるだろうか。

(少し、相談しないと)

 アルシェは不安を押し殺しながら、後日のことを考える。彼らは優しいから、笑って送り出してくれるかもしれない。けれど、礼儀に欠ける真似はしたくなかった。

 そうしてフールーダのことを思い出し――アルシェは少しだけ、不安を覚える。それは先程の仲間達に対する不安ではなく、もっと漠然とした、言葉に出来ない何かに対しての不安だ。

 自分は、何か失敗していないか。何か妙な見落としをしてしまったのではないか、という言葉に出来ない不安。

 ……この時アルシェが感じた不安は、虫の報せとも言うべき第六感だった。短い間ながらも、貴族として生活したその経験が、アルシェに対して最大限の警報を鳴らしていたのだ。

 アルシェの不幸は――“フォーサイト”の不幸は、たった一つ。あの場にいたのがレイナースだったことだろう。

 例えば、他の三騎士――彼らであれば、“フォーサイト”は何の問題もなかった。“フォーサイト”がモモンガに頭を下げて謝罪している姿を見ても、彼らは何も気にしなかっただろう。その場で気にせず忘れていたに違いない。ジルクニフのもとまで、絶対に報告は届かなかった。

 ただし、あの場にいたのはレイナース。四騎士の中で唯一、魑魅魍魎だらけの貴族社会にどっぷりと浸かっていた女である。他の三人は平民であったり、貴族でも男爵家の次男であったり……高貴なる者の機微にそこまで詳しくない者達だ。

 レイナースはジルクニフへの忠誠心が薄い。だがそれは、決して、ジルクニフの機微を感じ取れないという意味では断じてない。むしろレイナースが一番、四騎士の中でジルクニフの裏の真意を感じ取れる人間だろう。

 故に、レイナースは見逃さない。ワーカーがアダマンタイト級冒険者に頭を下げていた姿を。モモンガが帝国にとってどういう意味を持つのかを。正しく理解(・・・・・)して、正しく(・・・)ジルクニフへと報告し、ジルクニフが望む結果を用意する。

 忠誠心が低いからと言って――主人の意を汲まない行動をするとはかぎらない。

 ヘッケランは元々は商人の四男だった。ロバーデイクは元々は神官だった。イミーナはハーフエルフだ。そしてアルシェは、魔法学院という閉鎖空間で天才少女として育った。悲しいことに全員、貴族社会と縁が無かったのである。唯一アルシェには貴族として生活していた時期があるが、そのアルシェも悲しいかな。社交界デビューの前に貴族ではなくなってしまった。

 だから、四人の不幸は一つだけ。あの場にいたのがレイナース……魑魅魍魎だらけの貴族社会にいた女だったこと。貴族社会は時として、モンスターなどより余程おぞましい姿を晒すのだ。

 その社会で長年生きていた経験がある女は、“フォーサイト”を見逃さない。疑わしきは罰せよ。転ばぬ先の杖。念には念を入れよ――それが骨の髄まで染みついた女である。レイナースは正しく(・・・)、ジルクニフの言いたいことを理解していた。“フォーサイト”にとって悲しいことに。

 レイナースは、モモンガという重要人物の不興を買うような真似をした者達を見逃すほど、甘くない。優しくない。例え会話の内容が聞こえないように移動し、謝罪した姿を見せただけであっても、そこから徹底的に会話の内容を予測出来るよう情報を洗い出す。

 実際にモモンガが不快に思っていたかどうかは、関係無いのだ。僅かな可能性だけで、それは綺麗(・・)にしておくべきものと扱われる。ジルクニフはそうやって(・・・・・)、かつて帝国を綺麗に整備した。

 アルシェは言い知れぬ不安を胸に、家族の待つ自宅へ帰る。暖かな双子の妹がいる、自分が帰るべき場所へ。

 ――その後“フォーサイト”がどうなったかは、誰も知らない。

 

        

 

「ほら、君たちの目的の品だ。確認するといい」

 モモンガは“O∴D∴U∴”の本拠地である地下遺跡、その応接室とも言うべき場所で用意されていた骨で出来た長椅子に座り、例の死者に依頼されたマジックアイテムを渡していた。死者はモモンガの手から、恭しく受け取る。

「確かに……ありがとうございます、漆黒の英雄殿。助かりました」

 互いに、どういった経緯で手に入れたかは語らない。幽霊船の船長がどうなってしまったかは、火を見るよりも明らかだからだ。

「お眼鏡にかなうものはございましたか?」

「いや、一つも無かったな。まあ、所詮カッツェ平野から出たことのない井の中の蛙だ。集めていた財宝も、大したものは無かった」

「そうですか」

 モモンガの落胆を滲ませた声に、死者も同情を寄せたようだ。モモンガが悲しめば、彼らも悲しい。それは崇拝者として、当然のことであると言うように。

「では、こちらが今回の依頼の報酬金となります。どうぞお受け取りください」

 死者はそう言うと、モモンガに献上するように宝箱一杯に詰め込んだ交金貨などの硬貨を差し出す。宝箱は縦三〇センチ、横四五センチ、高さ十五センチくらいの大きさだ。ただし、骨で出来ており、趣味の悪さが窺えた。

 モモンガは宝箱の中身だけを受け取り、骨で出来た宝箱はそのまま机の隅に寄せる。持って帰る気はまったくなかった。死者が悲しそうな表情でモモンガを見ているのは、たぶん気のせいだろう。

「ああ、そういえば――君たち」

「はい。なんでしょうか?」

 用件は済んだと席を立ち、この場から立ち去る前にモモンガは死者を見る。見送りをしようと同じく席を立っていた死者は、不思議そうな表情をしていた。

「その、なんだ」

 モモンガはかねてより考えていた、とある意見を告げる。

「いい加減、“O∴D∴U∴”という組織名は変えないか、うん。元の組織名に戻したらどうだ?」

 モモンガがそう告げると、死者は慌てたように首を横に振った。

「とんでもございません! 偉大なる死の王から受け賜わった栄光ある名を捨てるなど! ……勿論、御方が別の名をとおっしゃられるならば、我らはそれを受け入れる所存ですが」

「あ、はい」

 別の名前なんて与えられるわけがない。かつての友人達からは、揃ってネーミングセンスが皆無だと言われる男なのだ。今彼らが名乗っている“O∴D∴U∴”だって、組織の目的を聞いたモモンガがオカルト趣味であったかつての友人が教えてくれた魔術結社の名――“黄金の夜明け団”のことを思い出してぽろっと出た言葉を、神託だなんだと彼らが勝手に盛り上がり、そこに不死者(Undead)の“U”を加えて、名乗り始めただけなのだから。

 これでモモンガが一から名前を考えると、中二病的な名前ではなく、もっと恐ろしい何かになっただろう。かつてギルド名に“異形種動物園”とつけようとして、仲間達に優しい微笑みを向けられたのは未だに忘れられない。

「うん、まあ、君たちがそれでいいなら、うん。それでいいさ……はぁ」

 なので、モモンガはもうこの組織名については諦めることにした。どうせ世間に台頭する気のない組織だ。どこかの書物にこっそり名前が載るくらいなら、許容範囲だろう。モモンガはそう自分を納得させた。

「では私は帰るが――まあ、時折様子は見に来る。その時に、君らの研究成果を教えてくれ」

「かしこまりました、我が君」

 モモンガの命令とも言える言葉に対して、死者に躊躇いは一切無かった。既に身も心も、魂さえも彼らはモモンガに明け渡しているからだ。便利ではあるが――正直、モモンガには迷惑な話である。

 モモンガは地下遺跡を去っていく。そのモモンガの後ろ姿を、先程まで会話していた死者と――いつの間にか増えた、様々なアンデッド達が跪き、見送った。

「――ふぅ」

 地上に出たモモンガは、空に浮かぶ満月を見上げる。そして友人のことを思い出し――「帰るか」とポツリと呟いて、評議国へと向かったのだった。

 

 

 



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幕間 稀人の墓守

 

 西暦二一三八年、某日。

 ある一つのDMMO-RPGがその日、十二年の月日を経て、サービス終了を迎えようとしていた。

 

「……どんな設定をしていたかな?」

 サービス終了を迎えるゲーム〈ユグドラシル〉、そのプレイヤーの一人であるモモンガは自らのギルド本拠地であるナザリック地下大墳墓の最下層、玉座の間にいるNPCアルベドの設定を確認しようとしていた。

 コンソールを操作し、設定を閲覧しようとして――ふと、思い出した。

「あ」

 慌ててモモンガは左手を持ち上げ、時計で時間を確認した。――まだ、サービス終了までの時間は残っている。

「思い出してよかったぁ……」

 モモンガはそう呟き、すぐさまアルベドの設定を確認しようとしていたコンソール操作を中止した。続いて、ここまで連れ歩いてきた他のNPCのセバス達を見る。

「元の場所に返すか」

 まだ時間はあるのだから、モモンガは命令(コマンド)を入力して、彼らを元の場所へ戻しておく。続いて自分は、右手薬指に装備している指輪――リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを操作し、転移先一覧を確認した。

「まずはこのギルド武器を返しておくか。無いとは思うけど、途中でプレイヤーに遭って破壊されるのもなぁ……」

 貧乏性というべきか、ラストエリクサー病とも言われる、勿体ない精神を持つモモンガは、サービス終了最後の日であろうとナザリック内ならばともかく、外へギルド武器を持ち出す気にはなれなかった。円卓の部屋へ行き、ギルド武器を元の場所へ戻しに行く。

「よし」

 大事なギルド武器を元の場所へ無事戻し終えたモモンガは、また指輪で転移先一覧を確認する。今度転移する場所はナザリック地下大墳墓地表部中央霊廟――この指輪の力で転移出来る、もっとも地表に近い場所だ。

 モモンガは指輪の力で転移すると、ナザリック地下大墳墓の外へ出て、〈飛行(フライ)〉の魔法を行使した。歩いたり走ったりするより、この方が余程早いからだ。

 モモンガは空を飛ぶ。目的地は霧が立ち込める沼地――グレンベラ沼地だ。

 この沼地には面倒なモンスターがいるのだが、サービス終了日ということもあって、全てのモンスターがノンアクティブ化しており、攻撃をしないかぎり攻撃してくることはない。

(……だから、挑みに来てくれるプレイヤーがいると思ったんだけどな)

 モモンガは全く動かないモンスター達を空から見下ろしながら、寂しく思う。本当に、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』は過去の遺物になってしまったのだなぁ、と哀愁を抱いて。

「いや……違うか。俺のギルドだけじゃない。このゲーム自体が、もう終わっちゃうんだもんな……」

 過去の遺物になったのは『アインズ・ウール・ゴウン』だけではないのだ。このゲームそのものが、既に十二年の歳月を経て終わりを迎えるのだ。それはゲームである以上、当たり前のことだった。

 モモンガは哀愁を抱きながら、目的地へと到着する。そこは広大な沼地に奇妙な島が浮かんでおり、円筒形の筒のようなものが幾つも並んでいた。

 その円筒形の筒の正体を、モモンガは知っている。自分が並べたからだ。

 ……これは、製作が安く販売していた花火である。モモンガはそれを五〇〇〇発ほど買い込み、この島に並べたのだ。

 最後に、仲間と共にこの花火を見上げるために。

 だが、誰も来なかった。顔を見せた人間くらいはいるが、誰もモモンガと共にサービス終了を迎える人間はいなかった。

 ……分かっている。誰が悪いわけじゃない。ただ、皆は当たり前に、現実の世界へ還っただけだ。いつまでもゲームに夢中になるわけにはいかない。そんな現実へ、還ったのだ。

 そして、モモンガもこれから還る。皆が還らざるをえなかった、何も無い現実の世界へと。

「またどこかでお会いしましょう――か」

 最後に会いに来てくれた仲間の言葉を思い出す。言われた時は腹が立ったものだが――

「そうですね。またどこかで、お会いしましょう」

 モモンガはそう、囁くように呟いて時計を確認した。ちょうどいい時間だ。モモンガは地上に降り立ち、空間から花火のスイッチを取り出した。

「――よし! 行くぜ!」

 モモンガらしからぬ、強い口調で叫ぶと同時にそのスイッチを押す。その瞬間、上空へと花火が打ち出された。密集して配置され打ち上げられた花火は一つの光弾のようであったが、上空で爆発とともに光り輝く。まるで超位魔法の輝きのように。

「……四時起きか」

 その輝きを見ながら、明日の予定を思い出し憂鬱になった。しかし、その気持ちを振り払うようにして目を閉じる。

 寂しいし、辛いし、悲しい。だが――

(光に包まれて終わるなら、少しは気持ちがいいもんだな)

 この閃光のような瞬きの輝きこそが、モモンガの、いや――鈴木悟という人間の、楽しみ方だ。

 モモンガはそう納得して――ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の、ユグドラシルの終わりを受け入れた。

 

 

「…………ん?」

 モモンガは目を開ける。いつまでも、ログアウトしたという感覚が無かったためだ。実際、目を開いて見えた景色は見慣れた自分の部屋じゃない。というか、先程までいた場所じゃない。

「…………え?」

 モモンガは呆然と、視界に入る光景を見つめる。そこには、全く知らない光景が広がっていた。――どこか遺跡を思わせる、荘厳な気配を感じさせる建物の内部だ。

「…………は?」

 モモンガは首を傾げ、思わず左手の時計を確認する。間違いない。時間は完全にサービス終了時間を過ぎている。

(えー!? もしかしてサーバーダウンの延期か!? 運営しっかりしろよ本当にもー!)

 モモンガは慌ててコンソールを開こうとして――それが全く、開く気配がないことに気がついた。

「……あれ?」

 他の手段を試そうとする。無理だ。最終緊急手段であるGMコールさえ、全く反応が無い。何がなんだかさっぱり分からなかった。

「――ねぇ、君」

「おぅわぁッ!?」

 そして――途方に暮れていたモモンガは急にかけられた声と肩に触れられた感触に、心底驚いた。思わずびくりと身体を浮き上がらせるほどに。

 だが――その驚きが何故か、即座に抑圧される。一周振り切れて、元に戻ったかのように冷静さが頭に戻ったのだ。その異常に、モモンガは更に驚いた。

 そもそも――なんで今、意識だけでなくアバターごと驚いて、身体が動いたのか。

 あまりの異常事態にモモンガは内心で冷や汗をかきながら、話しかけられた方向へ振り返る。自分の背後へと。

 そこに――

「――――」

 白金色の美しい鱗を持った、巨大なドラゴンが身を起こしてモモンガを見つめていたのだった。

「は、え、な……え?」

 あまりの事態に、モモンガは混乱する。思わず口に手をやり……自分の口が動いていることに気がついて、更に驚愕した。

 ゲームであるならばありえない、数々の現象。モモンガの混乱はピークに達し――また、何故か冷水を浴びせられたかのように、精神が冷静になったことが分かった。

「――なんだ、これは?」

 モモンガは呆然と自らの頭を抱え、自らを襲う数多の異常について考える。そんなモモンガを見下ろしていた白金色のドラゴンは、ゆっくりと鼻息を吐いて口を開いた。

「とりあえず、私の話を聞いた方がいいんじゃないかな? ぷれいやーさん」

 

        

 

 鼻先で突如生じた空気の流れの変化に、評議国の永久評議員の一体であり、“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”の二つ名を持つドラゴン、ツァインドルクス=ヴァイシオンは浅い眠りから意識を取り戻した。

 ……見ていたのは、懐かしい夢だ。一〇〇年くらい前、今と同じように、突如として感じた空気の流れの変化に驚いて、眠りから覚めたものである。

 ドラゴンの知覚能力は鋭敏であり、人間や他の種族を遥かに凌ぐのだ。相手が不可視化していようと、幻術で誤魔化していようと、遠く離れた地の気配もドラゴンは即座に感じ取れる。例え今のように、眠っていようとも。

 だからあの時は、またいつもの友人がやって来たのかと思ったものだ。自分――ツアーを訪ねる者はかぎられているから。

 ただあの時は――全く別の、初対面の存在だったのだけれど。

「やぁ、おかえり」

 ツアーは転移魔法で平然と、突如としてこの場に現れた一〇〇年前に出来た新たな友人――モモンガに声をかける。

「あぁ、ただいま」

 モモンガは漆黒のローブを翻し、適当に魔法で椅子を作るとツアーの傍に座った。冒険者としての戦士の姿ではない、彼本来の――魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての姿だ。あの戦士の姿では、魔法が五つ程度しか使えないらしく、彼がこの場に転移魔法で帰ってくる時は、決まって本来の姿で帰ってくる。

 初対面の時と同じ、アンデッドの姿で。

「しかしよく寝ているな、ツアー。暇なのか?」

 椅子の背凭れに思い切りもたれかかり、ツアーの顔を仰け反るようにして見つめるモモンガに、ツアーは欠伸をすることで答えた。

「まぁね。ここから動けないと暇なもんだよ。君がいるから、以前よりはマシになったけど」

 ツアーはある理由から、ここから動けなかった。しかし、モモンガと友情を結ぶにあたってある程度余裕が出来たため、以前ほど雁字搦めではない。いや、まあ、モモンガとかかわることでむしろ、逆に意識を別に向けることが怖くなったところもあるのだが。

「俺からしてみれば、よくも今までギルド武器を守っているのに、こんなノーガードでやってきたもんだなって感じだったけど」

 モモンガがカラカラと骨の顔で笑う。そのことについては、ツアーもモモンガに対する反論を持たない。ツアーはかつて大陸を支配した八欲王も、人類を守護した六大神も知っているが、自分と同程度の強さのユグドラシルプレイヤーが味方になって初めて、彼らがどれほど恐ろしいことが出来るか身に染みたものである。

 今、このツアーの寝床にはモモンガが持っていたマジックアイテムが、山ほど置いてある。無造作に、倉庫のように置いてあるわけではない。プレイヤー対策のためだ。モモンガからしてみれば、まだ不安が残るらしいがツアーからしてみればもう十分なんじゃないかな、と思っている。かつて平然とツアーの寝床に近寄れた友人も、今ではそこまで近寄る前にツアーに気づかれるだろう。マジックアイテムが教えてくれるので。

「ところで、今回の旅はどうだったんだい? 何か目ぼしいものはあったのかい?」

 ツアーが訊ねると、モモンガは「いや」と首を横に振った。

「トブの大森林のダークエルフの元棲み処を漁ってみたが、目ぼしいものは何も無かったな」

「ふぅん。まあ、あそこも広いからね。ゆっくり探してみればいいんじゃないかい?」

 ツアーがそう言うと、モモンガは元よりそのつもりらしく、「ああ」と返事を気軽に上げた。

「しかし、さすがにあの魔樹みたいなのは、もう勘弁して欲しいけどな」

 モモンガがそう草臥れたように告げた言葉に、ツアーは苦笑する。

「そうは言うけどね、私としては君が遭遇してくれてよかったと思っているよ。アイツは、君以外が遭遇していたら大変なことになったんじゃないかな」

 数年前、モモンガがトブの大森林を探索していた時に遭遇したという魔物。その強さを聞いたツアーとしては、本当にモモンガが遭遇してくれてよかったと思う。きっとモモンガ以外では、ツアーのような竜王(ドラゴンロード)級でないと、遭遇戦で対処出来なかっただろう。何故ならツアーは、その魔樹の正体に心当たりがあった。というより、モモンガにも心当たりがあるだろう。噂に聞くトブの大森林の竜王(ドラゴンロード)とは、きっとあの魔樹のことだった。

「俺からしてみれば、枯れ木があるのが気になって近寄ったら、いきなり馬鹿でかいトレントに襲われたようなものだったんだが。……はぁ。本当、特殊技術(スキル)の垂れ流しには気をつけないと」

 その時は、こちらの世界に来てからは展開していなかった一部特殊技術(スキル)を、偶然展開していた時だったらしい。おかげで、モモンガは本来はまだ寝ていたはずであろう寝る子を起こしてしまったのだ。

「まあ、ああいうのは滅多にないだろうし。これから気をつけていればいいんじゃないかい?」

「そうするよ。敵対する気もないのに、敵認定されても困るしな」

 モモンガは溜息を一度ついて、気分を切り替えたのか話題を変える。

「ところで、何かあったか?」

 モモンガの質問に、ツアーは首を横に振る。

「特に何も。この国はいたって平和だよ。……うん、まあ……ちょっとしたいざこざは毎日のように起きているけどね」

 様々な亜人が集まっている弊害だろう。評議国では、よく刃傷沙汰が多発する。ただし、誰も彼も丈夫に出来ているので、次の日にはケロッとした様子で街中を歩いているのだが。……勿論、僅かにいる人間種とはそもそも喧嘩が発生しないが。

「相変わらずだなぁ。そういえば、俺が昔作ったソウルイーター、まだ驢馬やっているのか?」

「相変わらず、驢馬をやっているねぇ。便利だから、特急便として大活躍だよ彼らは」

 どんな巨大な荷物も、疲労を感じさせず平然と運んでくれるアンデッドの馬は、とても重宝されている。モモンガが生み出したので、暴れないのもいい。今では街の住人も慣れたものだ。

「昔は目撃したビーストマンがいつも驚いてくれたのに、もう完全に驢馬と化したかアイツら……」

「それ、数十年前のことじゃないか」

 かつてソウルイーターは僅か三体という数で、大陸中央部にあるビーストマンの国の都市を制圧したことがある伝説のアンデッドであるが、悲しいことに評議国では驢馬と化していた。勿論、モモンガが製作した安全なアンデッドだからという理由もあるが。

 ただ、数十年以上前は誰もが驚き、腰を抜かしていたことがあったのだ。今となっては過去の栄光である。生物とは、どれほど恐ろしかろうと慣れる生き物なのだから。

「今じゃあ、彼らが走っている時は急ぎの荷物って認識が浸透しちゃって、単なる宅急便だよ本当」

 普通ならば馬を使うのだが、評議国の大都市には今では数体のソウルイーターが必ずいる。何か急ぎの荷物を運ぶ時に使用するためだ。既に何度か使用されているし、普段は何もせずに馬小屋でぼぅっとしているので、国民は慣れてしまった。一部では時々、悪戯好きの子供に落書きをされているとも議会で聞いたことがある。酷い。

「あぁ、そういえば――魔術師組合の組合長が、巻物(スクロール)の製作に協力して欲しいって言っていたよ」

 ツアーは議会の内容を思い出し、モモンガに告げる。モモンガは面倒臭そうな声を上げた。

「えー……あのオッサン、俺をこき使うんだよなぁ。しかもそれ、絶対スヴェリアーの奴がいるだろ?」

「仕方ないよ。彼は第五位階魔法の使い手だからね。別系統であっても、君の魔法が気になって仕方ないのさ」

「あー……面倒だなぁ。まったく、魔法狂いどもは……」

 そう、心底面倒そうに言っているが、モモンガは律儀な奴なので、後で魔術師組合を訪ねるだろう。“青空の竜王(ブルースカイ・ドラゴンロード)”のことも、邪険にはしないはずだ。彼は身内に優しいのである。

「他には何かあるか?」

 モモンガの問いに少し考え――首を横に振った。前の議会でモモンガに対する伝言は、これくらいだったはずだ。

「モモンガ、そういう君は何かあったかい? 今回は随分とお疲れのようだけど」

 だらけきっているモモンガに訊ねると、モモンガは「あぁ……」と心底疲れ切った声色で答えた。

「ちょっとカッツェ平野に用事が出来て、行ったんだけどさぁ」

「うん」

「例のフールーダに会ったんだよ、そこで」

「へえ……」

 ツアーもフールーダの存在自体は知っていたが、会ったことは無い。人間であり、プレイヤーの血が入っていないにもかかわらず第六位階魔法に到達した凄腕だ。多少の興味はあった。

「そしたらさぁ……」

 ツアーはモモンガの冒険譚を静かに聞く。これが、モモンガが評議国に帰ってきた時の日課だった。モモンガが冒険者として旅に出たり、どこかへ気ままに旅に出たり。そして帰ってくると一番に、ツアーへ何があったか報告するのだ。ツアーはその、モモンガの少し変わった冒険譚を聞くのを楽しみにしていた。

 そして、今日もツアーはモモンガの冒険譚を聞く。新しく出来た友人の、ちょっと感性がズレている冒険譚を。

 ただ今回ばかりは――

 

「え? なにその老人、こわっ!」

「だろ!? もうアイツに比べたら、スヴェリアーとかの方が全然マシっていうか……!」

 

 フールーダの話を聞いて、心底震え――モモンガの感想に、心の底から同意したのだった。

 

 

 



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第二幕 蜥蜴人と山小人 其之一

 

 アゼルリシア山脈。それは王国と帝国の間に境界線を引くように存在する、魔の山脈だ。南側の麓にはトブの大森林が広がっており、極寒の山々の北側は海に隣接している。

 生態系の頂点としてフロスト・ドラゴンやフロスト・ジャイアントなどが生息しており、彼らは日々この山脈の覇権を争い――有象無象のその他として、ドワーフや多数の亜人種が暮らしていた。

 そんな山脈にある山の一つを、ある亜人種が登っていた。

 奇妙な亜人種だった。

 人間のように手足を持ち、ワニのような硬い鱗と長く伸びた尾を持ち、二足歩行する種族。その爬虫類に似た姿を持つ亜人種を、一般的にはリザードマンと呼ぶ。しかしその山の中を歩いているリザードマンは、同じリザードマンから見ても「異形」としか言いようのない体躯をしていたのだ。

 二メートルを超える巨体。異様に右腕の筋肉が発達し、シオマネキのような姿。薬指と小指が根元から欠けてしまった左手。胸に押された焼印。

 彼の名は、ゼンベル・ググー。外の世界へ飛び出すことを決め、リザードマンの階級社会から外れた、“旅人”である。

 ゼンベルは背の高い木々に囲まれた、坂になっている荒れた草と土の上を踏んで歩く。リザードマンの足の指の間には水かきのヒレがあり、水の中を走ることは得意であるが反面、陸地を歩くのには適していない。そのため山を登る速度は遅々として進まないが、それでもゼンベルは山を登った。

 登っていく内に青空は茜色に染まっていく。木々の隙間からその光景を見たゼンベルは、さすがに夜闇の中を歩くほどの蛮勇は持ち合わせていなかったので、この近くで一晩を明かすことにした。

 ゼンベルはちょうどよい茂みを見つけ、その背の低い草をクッションにして座り込む。途端、凄まじい疲労が全身を襲いかかってきた。

(……山を舐めてたな)

 ゼンベルは心の中で舌を巻き、その場で疲労を回復する。寝そべることはしない。いつこの山に棲息するモンスターに襲われるか分からないのだ。身を起こす一瞬の隙が煩わしい。

「……ふぅ」

 ゼンベルは息を整える。周囲の警戒は怠らない。何か敵意がある存在が近寄ったら、即座に反応するためだ。そうして座り込んでいると、茜色の空はすぐに暗くなっていき――木々が月や星の輝きさえ遮って、周囲を暗闇が覆う。ほとんど、何も見えなかった。

 ゼンベルは緊張に震える。たった一人で、こうして大自然の中を過ごすということが、ここまで恐ろしいとは今まで想像もしていなかった。

(……ここまで疲労が強いと、明日は食料と水の確保に専念した方がいいな)

 だが、水場には動物だけでなく様々なモンスターが集まるのが常識だ。果たして明日までにこの疲労が完全に取れているか――

(いや! 関係ねぇ! 俺は強くなるためにこの山を登ったんだ! ……多少、コンディションが悪い程度で負けるってなら、俺は所詮そこまでのオスだったってわけよ!)

 ゼンベルは自らにそう喝を入れ、精神を落ち着かせる。例え万全の状態でないとしても、明日は食料と水の確保だ。例えモンスターがいようが、その予定を確定とする。

 強くなるのだ。強く。リザードマンの誰よりも。――“鋭剣(シャープ・エッジ)”の族長よりも。自分が敗北した、あのリザードマンよりも。

 ゼンベルは、そのためにリザードマンの集落を離れ、旅人となったのだから。

 

 翌日、なんとか無事に夜の山で一夜を明かせたゼンベルは、予定の通り水場を探す。しかし、体調はやはりと言うべきか、万全とは言い難かった。むしろ――

(クソが! 全然寝た気がしねぇ……)

 休む前より悪化しているような気がする。当然だ。意識が沈もうと些細な物音がする度に目を覚まし、何度も浅い眠りを繰り返すばかりでは疲労が回復するはずが無い。幸い、ゼンベルの手に負えないモンスターには今のところ遭遇していないが――このままではいつかは、手に負えるはずのモンスターでさえ手に負えなくなるだろう。

 ゼンベルは何度も足を止め、耳を澄まし、木々の騒めきの他に水の音がしないか確認する。動物の鳴き声がした場合は、そちらに足を進め――時折空を見上げては、木々の隙間から空の色を確認した。日が暮れる前に、なんとか水場を発見したかった。

 そうして何度も注意深く、根気強く探っていたためか――ゼンベルの努力は天へ通じ、ゼンベルは大きな水場ではないが、ちょろちょろと水が流れる小川を発見することが出来た。

「水……!」

 ゼンベルは地面に膝をつき、顔を水に浸けて喉を潤す。川底は浅く、手を伸ばせば川底の石を探れそうだ。川底の石を退かすと、その石の下に潜んでいた蟹が驚いて別の石の下に逃げようとする。ゼンベルはそれを捕まえ、口の中に放り込んだ。蟹はゼンベルの好物である。

「あー……うめぇ」

 口の中で咀嚼し、飲み込む。一応、普段は全く食べない木の実などで飢えを凌いでいたが、やはり食べ慣れない物なだけあって、全く食べた気がしなかったのだ。酸味と甘味が融合したような、果実の味はリザードマンの舌にはまったく合わなかったのである。

「……今日から、この川の上流を目指して進むか」

 ゼンベルはそう決め、その日は小川の近くで一夜を明かす。勿論、昨夜と同じように寝そべることはしない。

 ――次の日。ゼンベルはやはり、疲れの取れない、睡眠不足のまま行動を開始した。しかし、前日ほどの疲労は感じない。これは水場の近くを歩いているという、精神的な意味での安息がもたらした結果だろう。

 ゼンベルは小川の上流を目指し、足を進める。何度かモンスターに襲われたが、幸いにもゼンベルで対処出来る程度の強さのモンスターだった。

 そうして数日間かけてゼンベルは山を登っていく。小川であったものが段々と横幅が広くなり、流れも速くなっていた。もはやゼンベルの足腰であっても、流されないのが精いっぱいの流れだ。対岸に渡ることは不可能だろう。

(……まずいな)

 それが意味することを悟ったゼンベルは、内心で舌打ちをしながら上流を目指す。そして――

「……ケッ! やっぱり滝かよ……」

 段々と大きくなる、爆音とも言えるような水の音を捉えたゼンベルは、溜息をついた。おそらくこのまま川に沿って歩いても、そこには滝と崖があるだけだろう。崖の高さ次第では、ゼンベルは迂回するしかない。

「……とりあえず、滝壺までは進むか」

 ゼンベルはそう決めて、足を進める。叩きつけるような水の音は激しくなる一方で、ゼンベルの予想を確信に導いていた。

「――――はぁ」

 そして、ゼンベルは滝壺に到着する。滝を見上げたゼンベルは、その滝が三〇メートルはあろうかという長さなのを見て、早々に崖を登ることを諦めた。

「すぐに迂回道が見つかればいいんだがなぁ……」

 尾を不機嫌にびたんびたんと地面に叩きつけ、ゼンベルは呟く。とりあえず、今日はこの近くで一夜を明かそうと決めて――水の音では無い、別の物音に気がついた。

「……なんだ?」

 その奇妙な音の発信源を探す。水の音に紛れているこの奇妙な音。これは――滝の上から聞こえてきていた。

 何かが、滝から降りてくる。それに気づいたゼンベルは、急いで近くの木に身を隠す。正直、ゼンベルの巨体では頭隠して尻隠さずといったところだが、それでもそうしないよりマシだ。

 ゼンベルが身を隠して滝を窺っていると――ついに、その巨体(・・・・)は滝から降って来た。

(――デケェ! なんだありゃ!?)

 それは、細長い体躯の魚だった。しかし顎が異様に伸びており、口の中は鋭い歯がびっしりと生えている。何よりも異様だったのはその体躯だ。あまりに大き過ぎる。おそらく、十メートル近くあるだろう。ゼンベルでさえも一飲みにしてしまいそうな巨大魚だ。そんなものが滝から降ってきたのだ。

 バン、と巨大魚が滝壺に叩きつけられる。大きな水柱が上がり、雨が降るように、水飛沫が周囲に降り注ぐ。

 巨大魚は滝壺に降りたと同時、何故か異様に暴れている。ぐるん、ぐるんとその巨大な体躯を動かし、何かを振りほどこうとしているようだった。

 そして、ゼンベルは見た。巨大魚の上に乗る、漆黒の影を。

「――――!」

 巨大魚の上に漆黒の全身鎧(フル・プレート)を装備した戦士が、大きな剣を突き立てて、立っている。おそらく、あの巨大魚は漆黒の戦士を自らの体躯の上から落とそうと暴れているのだろう。

 しかし、漆黒の戦士は大剣を巨大魚に突き立てたまま、平然と暴れる巨大魚の上に立っていた。そして――もう片方の手に握っていた、同じような大剣を巨大魚に振り下ろす。

 一閃。血飛沫が舞い、巨大魚の頭部が胴体から切り離される。

 巨大魚は完全に沈黙し――漆黒の戦士は沈む巨大魚の上から飛び去るように跳躍。そのたった一度の跳躍で、滝壺から岸辺へと降り立った。

 漆黒の戦士に汚れは、何一つ存在しない。舞った血飛沫さえ、漆黒の戦士を汚すことは叶わない。漆黒の戦士に飛び散る前に、その戦士は既に血飛沫の範囲から逃れていたが故に。

(出来るか――俺に! あの巨大な魚モンスターを、あそこまで鮮やかに倒すことが!)

 不可能だ。ゼンベルには出来ないだろう。討伐することは可能だろうが、あそこまで完璧に、鮮やかに完全勝利を収めることなぞ出来はしない。

 そして――かつて自分が敗北した、あのリザードマンでさえあそこまでの完全勝利は不可能だろう。

 凄まじい技量をゼンベルに見せつけた漆黒の戦士は、背中に両の大剣を仕舞うと崖の上を見上げる。ゼンベルが何をするつもりかと眺めていると――漆黒の戦士は再び跳躍した。

「――――」

 ゼンベルは口をぽかんと開けて、漆黒の戦士を見送る。たったの五度(・・・・・・)。それが、漆黒の戦士が崖を登るのに足をつけた回数だった。

 漆黒の戦士は全身鎧(フル・プレート)と大剣二本という、超重量を身に着けたまま、三〇メートルもの崖を五回跳躍しただけで登り切ったのだ。信じられない身体能力である。

 後には――呆然とするゼンベルと、頭部の無い巨大魚だけが残された。

「…………」

 ゼンベルは崖と、頭部を失った巨大魚を見比べ――

「――オオオォオォォオッ!!」

 咆哮。その絶叫染みた声は山に響き、木の上にいた鳥達が驚きで飛び去っていく。

「フーッ! フーッ!」

 心の底から、腹の底から咆哮を上げたゼンベルは、続いて心を落ち着かせるように息を吐くが、それも乱れていた。

 ――悔しかった。そして、同時にやはり旅人になったのは間違いではなかったと……心の底から確信した。

 世界は広い。リザードマンの世界は狭い。こんなところに、自分やあのリザードマンでは勝てないような相手がいる。

 強くなるのだ。必ず。あの凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)を持つリザードマンよりも、強く。

 ゼンベルがそう決断し、最初の一歩を踏み出そうとしたその瞬間――

「――え?」

 背後から、物音。続いて、裂くような絶叫。まるで断末魔のような……。

 ゼンベルが慌てて背後を振り返ると、まるで揺らめくように、滲み出るようにゼンベルの体躯より巨大な蜘蛛が現れた。口らしき部分から泡と粘ついた血液を溢れ出させ、その胴体部分には深々と大剣が突き刺さっている。胴体に大剣を突き刺され地面に縫い付けられたその姿は、まるでモズのはやにえを思わせた。

「な、な、な……」

 何が起きたか分からない。分かるのは一つだけだ。この大剣を、自分はつい先程見た気がする。頭上から声が降りてきた。

「不可視化が出来る蜘蛛が潜んでいるから、この山ではそう大きな声を出さない方がいいですよ。転移門のせいで、生態系が狂っていますから」

 その声に弾かれたように頭上を見上げる。滝のある崖の上、そこに――先程去ったはずの、漆黒の戦士がゼンベルを見下ろしていた。

 

        

 

 漆黒の戦士の名はモモンガ。このアゼルリシア山脈の近くにある、亜人達の国アーグランド評議国で冒険者をしているのだとゼンベルは説明を受けた。崖の上に去った後のモモンガは、ゼンベルの咆哮に驚いて踵を返し、ちょうど不可視化している蜘蛛系モンスターがゼンベルを襲おうとしているのを発見。背中のグレートソードを投擲して助けてくれたらしい。

 助けてくれた理由は、評議国にもリザードマンが住んでおり、冒険者の同僚がいたので()かと思ったのだそうだ。勿論、咄嗟にグレートソードを投擲した後に別人だと気づいたらしいが。

「――それで、君はどうしてこんな山に?」

 モモンガの疑問は当然だ。リザードマンは湿地ならともかく、陸地を歩くのに適していない。それがこんな山の中を歩いているのだから不思議に思うだろう。ゼンベルは説明した。

 別部族の族長であるリザードマンに負けたこと。強くなりたかったこと。この大きな山になら、強い者がたくさんいるだろうと思い武者修行にちょうどいいと思ったこと。そして――知識を得るために、ドワーフを探していたこと。

 ドワーフを探していると告げたゼンベルに、モモンガは驚いたようだった。

「ドワーフ? なんだ、ということは目的地は同じなんだな。私も私用でドワーフの国を探していてね」

「そうなのか?」

「ああ。評議国では作れない装備を作って欲しくて、ドワーフなら出来るかもと思ってな。とは言っても、見つけた都市は廃墟でどうしたものかと思っていたんだが」

 (ゼンベルにムズムズするからやめてくれと言われて)敬語をやめたモモンガの言葉に、ゼンベルも驚いた。廃墟、聞いていない。

「西の方にあった裂け目の奥に存在する都市を見てきたが、何かに襲撃でも受けたのかとても住めるような状態ではなかった。ただ、噂話を聞いたかぎりでは、人間の国の一つ、バハルス帝国は未だにドワーフが数人貿易に来ているようだから、どこかにはいるんだろう」

「へぇ……」

 ドワーフはまだ生きている。それを聞いてゼンベルは安心した。さすがに、目的の一つがこうもあっさり消えてしまうと、悲しいものがある。

 ただ――知識を得るという目的は、目の前の戦士からでも得られるような気がした。強さの方も。しかし――

「――私に稽古? あー……やめておいた方がいい。私も他者に教えられるような腕ではなくてね。それに、私の本分は魔法詠唱者(マジック・キャスター)……君とはあまりに、戦闘スタイルが違い過ぎる」

 魔法戦士。魔法を使うことが前提の戦闘スタイルは、確かにゼンベルの戦闘スタイルとは全く違う。ゼンベルは魔法なんて使えない。

 戦士としての腕前はゼンベルから見て、謙遜が過ぎると思ったが――おそらく、モモンガはまだ自分の腕に納得がいっていないのだ。未だ精進の身であると本人が告げる以上、稽古をつけてくれとゼンベルは確かに言いにくい。

 だが――

「なら、せめて一度でいいから戦ってくれよ。俺とアンタの間にある、強者の差ってやつを心に刻んでおきたい」

「……手加減は苦手なんだが」

「構わねぇさ。死んじまったら、それまでよ(・・・・・)

 ゼンベルはそう断言し、モモンガに立ち向かった。

 結果は、言うまでもなく。ゼンベルが目を覚ました時、太陽は既に真上にあった。ずっと気絶していたらしい。

「起きたか? さて、私はもう行くが――ここから崖沿いに十キロ進んだところに、坂道がある。ただ、この川をもう一度見つけて川沿いに進もうと思うのはやめておけ。崖の上は熱帯雨林染みたことになっていてな、あの蜘蛛みたいなのがうじゃうじゃいるし、川沿いなんて歩いていると魚に一飲みにされるぞ」

 見張りをしてくれていたらしいモモンガが、ゼンベルが起きたのを見てそう忠告する。ゼンベルは痛む頭を抑えながら、素直にモモンガの忠告に頷いた。不可視化する魔物に襲われては、さすがのゼンベルも対応出来る気がしない。

 奇妙な戦士との会話はこれで終わり。モモンガは前と同じように、平然と跳躍だけで崖を登って姿を消し、ゼンベルは再び、ドワーフの姿を探して山を登っていく。

 同じくドワーフの国を探す者同士。再び、どこかで出会うこともあるだろう。ゼンベルはこの偶然を偶然として片付けて、再び山を登っていく。

 モモンガにグレードソードの柄で小突かれたであろう額だけが、一夜明けても無性に痛かった。

 

 

 



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第二幕 蜥蜴人と山小人 其之二

 

「――ってのがまあ、俺がアンタら探している間に遭った、モモンガって奴の話なんだがよ」

 ゼンベルがそう言うと、仲良くなったドワーフのドドムは、「ふーむ」と呟いて考え込んだ。

 ……ゼンベルは一ヶ月ほど山をさ迷い歩いた。遭遇するモンスターを蹴散らし、しかし時には身を隠し。だがさすがに一ヶ月近く彷徨えばもう無理なのではないかと諦めきっていたのだが……運の良いことに、ちょうど地表に出て地上を探索していたドワーフを発見したのだ。

 最初は、警戒されてまったく話にならなかった。外見が違うためだろう。だが根気強く、腹を割って酒を飲み交わしながら話すことでなんとか信頼を得ることに成功した。

 結果ゼンベルはこのドドムというドワーフと仲良くなり、ドワーフの国の南の都市フェオ・ライゾに案内してもらったのだった。

 そして他のドワーフ達にも紹介してもらい、酒場で酒を飲み交わしていたのだが――ふとゼンベルは同じくドワーフを探していたモモンガのことを思い出し、ドドムに訊ねた。ドドムはモモンガのことを知らず――あれほど存在感のある男を知っていたら忘れるはずがないので――まだ会っていないのだろうと気づいたゼンベルが、モモンガのことを説明したのだ。

「そのモモンガという奴が見つけた都市は、たぶんフェオ・テイワズじゃな。昔二匹のクソッたれフロスト・ドラゴンが殺し合いをしていての。それに巻き込まれてあの都市は放棄せざるをえんかった」

「ほー。モモンガが見つけた荒れた廃都って、そんなことになってたのか」

「しかし評議国の冒険者が仕事の依頼か。うーむ。まあ、一応他の連中にも見かけたら声をかけるように伝えておくぞ」

「あんがとよ」

 モモンガへの恩は、これで何とか返すことが出来るだろう。亜人の国の出身なのだから、あの鎧の中身はゼンベルと同じようにドワーフとは違う形をしているに違いない。信用されなくては仕事の依頼も出来ないであろうから、こうして先に接触出来た自分が、話を通しやすくしておいた方がいいはずだ。

 冒険者がドワーフに鍛冶仕事の依頼、というのも分かり易かったのだろう。ドワーフは特にモモンガに対して警戒心もなく、ゼンベルの話を受け入れていた。

「しかし武者修行じゃったか? お前さんも無茶するのぅ」

「そうかい? 強い奴が正しい――どこだって、そんなもんだろ?」

「うーむ」

 ゼンベルがあっけらかんと言うが、しかしドドムは考え込んだ。

「なんだ? 違うのかよ?」

「いや、そうなんじゃが……うむ。世の中には場合によりけり、という言葉があるんじゃよ。強いだけじゃどうしようもない時も、やはりあるんじゃないかのぅ。……わしはそう思うよ」

「そうかい」

 ゼンベルには理解出来ない話だ。いや、リザードマンの世界では、か。世の中は弱肉強食で、強い者が常に正しい。そういう世界で生きてきたゼンベル達リザードマンにとって、ドワーフのような高度文明の者達の考え方はあまり理解出来ない。

 だが、郷に入っては郷に従えとも言う。ゼンベルは、理解は出来なくともそういう考え方もあるのだと納得した。

「まあそんなことより、ほれ! 飲め飲め! 新たな友との出会いにの!」

 ドドムがそう言ってゼンベルに更に酒を振る舞う。周りのドワーフ達も口々に同意した。

「そうとも! まずは酒じゃ!」

「友と酒を飲むことで親友となる! それがわしらの教えじゃからの! 飲むんじゃゼンベル!」

「今夜は宴じゃ!」

「そうじゃ! 毎日宴じゃ!」

 ドワーフ達の大笑いを聞きながら、ゼンベルは苦笑し――酒の入った杯を掲げた。

「乾杯!」

 

        

 

「何故、生命というのは――例えそれが偽りであっても――他者より優れたモノになろうとするのか、貴方は考えたことがあるだろうか?」

 自らの質問に、目の前の男は首を横に振った。興味が無いとばかりに。

「私が思うに……それは、安心感を得たいからだと思う」

「安心?」

「そう。安心感だ。生きていれば必ず苦難は訪れる。その訪れた苦難を楽なものにしたい。辛い思いをしたくない。悲しい思いをしたくない。だから生命は、他者より優れたモノになろうとするのだ。……貴方にそうした思いは?」

「無いな。全く無い。そういう意味では、私は欠陥品なんだろう」

「なるほど……実に、強者らしい発言だ」

 男の感情の灯らない言葉は、まさに強者の発言であった。それを欠陥(・・)だと冷静に分析するところも含めて。

「私にはある。他者を蹴落としたいという思いが。苦痛から逃れたいと思う臆病さが。ああ、そうだ――私はずっと、絶対的な安心を得たかった」

 その言葉に、男が興味深そうに自分の瞳を見つめたことに気がついた。男の興味を引くために、更に言葉を続ける。

「私はずっと、恐ろしかった。他者が怖かった。だから強くなろうと思ったのだ。安心を得るために」

「ふむ」

「他者より先へ。他者より上へ。自らを脅かすものを恐れ、排除する。そうすることで安心を得られると、私は生まれてからずっと信じていた」

 そう、信じていたのだ。他者より秀でることこそが、より強い安心を得られるのだと確信していた。

 それは――なんて愚かしい、勘違いだったのだろう。

「私はその思いに突き動かされ、常に強者たらんとした。邪魔者を排除し、弱き者に傅かれることに私は至上の喜びを見出していたのだ。事実、私を敬う弱き者たちを目にした時、私はいつも口元が歪んだ。命乞いをする弱き者たちの言葉は、私をいつも強者であると認識させ、私の呼吸は荒れていた」

 だが――。

「だが、私はある日気がついてしまった。私を敬う弱き者たちを目にした時、私の口元が歪んでいた原因に。命乞いをする弱き者たちの言葉を聞く度に、私の呼吸が荒れる理由に」

 そこで言葉を一度切る。男は興味深そうに、瞳を見つめている。

「私は――そう、私は……」

 声が震えた。今から吐く言葉が、心底嫌で堪らない。

「私は――本当は羨んでいたのだ。敬られる度に、降りられないと思った。命乞いをされる度に、いつかそうなることを恐れた。私は、臆病だった。――誰よりも」

 それが本心だった。常に、心の奥底で思っていたことだった。

「安心感など一つも無い。私は、勝利する度に次に訪れる苦難に怯えていた。次など来なければいいと、心底願っていた。私は――」

 止まらない。言葉は止まらない。堰を切ったように、決壊した雪崩のように言葉が紡がれる。

「私は弱き者たちを羨んでいた。本当は、彼らのように跪いてしまいたかった。誰かを敬う生を羨み、命乞い出来るその誇りの低さを羨んだ」

 そう、ずっと羨ましかった。ずっと――本当は、ずっと。

「私は、この勝利から逃れたかった。弱き者たちと同じように、誰かに全てを預けてしまいたかった。私は彼らの生き方を強く羨望し、嫉妬し、憧れていた。私は――本当は、ずっと、彼らのような生き方をしたかったのだと、ある日気がついてしまった」

「――――」

「気がついてからは、地獄の日々だった。私は強き者でいられるほど、精神が強くなかった。強者で有り続けることが苦痛で、恐怖で、安心感などどこにもなかった。そう……この生き方のどこにも、安心感など存在しないことに気がついてしまった」

 だから、気がついてからは地獄のような日々だった。勝者でいることが恐ろしくて堪らない。しかし敗北することは出来ない。敗北によって得られる無様な死さえ、自分には恐ろしいものだったのだと知っていたから。

「私は――私は、絶対的な安心を得たい。この苦痛から逃れられるなら何でもしたい。だが、不幸なことにこのアゼルリシア山脈で、ラッパスレア山で、私よりも強き者はいなかった。空を舞うポイニクスも、溶岩の海を泳ぐラーアングラーも。フロスト・ジャイアントにあの白き竜王……どれも、私と同格なだけで、強き者ではない」

 そう、彼らと自分は対等だった。少なくとも、一対一であればどちらが勝つか分からない程度には、その力量差は縮まっていた。

 だから、まったく安心出来ない。

「私は安心したい。誰よりも、何よりも。支配するより、支配されることにこそ幸福があるのだと、私は気がついてしまった。そして――」

 目の前の男を見上げる。男は自分より身長が低かった。故に視線は下を向いていた。だが、心はひたすらに上を見上げていた。太陽を眺めるように。

「そして、私は貴方に出逢った。どうかこの瞬間に言わせて欲しい。私にとって、貴方こそが神だ。偉大なる死の支配者よ。どうか――どうか、私を支配して欲しい。私に、絶対的な安心を与えて欲しい。この恐怖から、どうか私を助けて欲しい。そのためならば、なんだってしよう。全て――そう、私の全てを! 貴方にこそ捧げたいのだ」

「ふむ――」

 男は切実な訴えを聞きながら、首を傾げて訊ねた。

「狭い世界しか知らないようだから言わせてもらうが。私と同格の存在なぞ、評議国にもいるぞ。いや、評議国以外にも、だ。安心が欲しいのなら、同じ種族である彼らに頼んだ方がいいのではないか?」

「酷なことを仰る――」

 男の言葉に苦笑した。そういうことが嫌で、煩わしいから目の前の男に平伏しているのだ。

「私が欲しいのは、絶対的な安心感だ。なるほど、確かに世界は広いのかもしれない。貴方より強い者がいるのかもしれない。だが――私が欲しいのは、安心感なのだ。分かるだろう、偉大なる死の支配者よ。私は、貴方に支配されたいのだ」

 そう。支配されたい。全てを握られたい。どうか自分を管理して欲しい。魂さえも全て。

「どうか、私の忠誠を受け取って欲しい」

 自らの発言の、誠実さを汲み取ったのか。あるいは話に飽きたのか。男は告げる。

「なら――私に渡すモノがあるだろう?」

「ああ――」

 その言葉に歓喜を覚え、目の前の男に渡さなければならないものを差し出す。躊躇いは無かった。そう、断じて躊躇しなかった。未練は無い。数百年の時を共にした心臓を、自らの爪で軽々と抉り、男に差し出す。

 血濡れの心臓は、びくびくと動いていた。歓喜に震えているようだった。

「さあ――偉大なる死の支配者よ。私の心臓を受け取って欲しい」

「許そう。――そういえば、お前の名は何て言ったんだったか……」

 男の質問に、歓喜に震える声で答える。声が震えているのは、死へと刻々と近づいているためだったのだろうが、それを自分は歓喜に震えているのだと断定した。それ以外の理由などあるものかと。

「私の、名は――」

 オリヴェル=ベーヴェルシュタム。ラッパスレア山の支配者、エインシャント・フレイム・ドラゴン。支配することに怯え、支配されることを羨み続けたドラゴンの恥晒し。

「では、オリヴェル――今から、お前は私の物だ」

「ああ――感謝します。我が主よ……」

 男の言葉に目を瞑る。次に目覚めた時は、きっと新しい自分になっているだろう。ただ支配されるだけの、つまらない何かに。

 

「――ああ、私だ。……うん? ……お前ら……いい加減〈伝言(メッセージ)〉に慣れたらどうだ? 私以外にここまで正確に〈伝言(メッセージ)〉を飛ばせる存在は、そうはいないぞ? ……はあ。分かった。君と私は六〇年前に出会い、そして名が変わった。これでいいか? ……ああ、うん。……かまわんとも。では本題に入るが……そうだ、少々預けたいものが出来てな。ドラゴンゾンビを一体、番犬? いや、番竜? まあ、門番にでもしておけ。名前はオリヴェル=ベーヴェルシュタムだったか? ……そうだ。〈転移門(ゲート)〉で今から送るから、後のことは任せる。私はまだアゼルリシア山脈でやることがあるから――そうだ。君らはドワーフのことは……知らないか。……いや、いい。こう、闇の中をランタンのか細い明かりで照らして進むような旅は、別に嫌いじゃない。むしろ好きな類だ。心躍るという奴だよ。……ではな」

 かつてエインシャント・フレイム・ドラゴンであった、ドラゴンゾンビの体躯の上に玉座のように君臨しながら、男は自らを崇拝する組織に連絡を入れた。

 ――そして、ラッパスレア山の地上の支配者はいなくなる。三大支配者の内の一角が消えたのだ。ただでさえ狂っていた生態系が、変動する縄張りによって余計に狂う。

 その結果がどうなるか――――今は、誰も知らない。

 

        

 

 ――ゼンベルがドワーフの都市フェオ・ライゾで世話になってから、三ヶ月の時が過ぎた。ドワーフの戦士達は身体能力ではゼンベルに劣るが、武器を操ることなどの技術力に長けており、ゼンベルは日に日にその技術力をゆっくりとだが身に着けていた。

「おーい! ゼンベルや!」

「あん?」

 そしてその日もゼンベルは暇なドワーフの戦士達と模擬戦を行っていたのだが、知り合ったドワーフのドドムが声をかけてきたのを見て、模擬戦を中断する。

「どうしたんだよ、今日は仕事だったんじゃないのか?」

 ドドムは魔法詠唱者(マジック・キャスター)であり、仕事はトンネルドクターだ。トンネルドクターは坑道の中を魔法の力で強固にし安全に補強したり、水脈やガス溜まりなどを調査することが仕事である。鉱石を掘り起こし、都市内部と坑道を連結しているドワーフの国では最重要職と言っても過言ではなく、ドドムの仕事はとても重要である。仕事中は四人ものドワーフの戦士が警護につくくらいに。

 そのトンネルドクターのドドムが、仕事もせずにゼンベルに話しかける。ゼンベルが不思議に思うのも無理はなかった。

 ゼンベルの疑問にドドムは苦笑しながら答えた。

「うむ。先程まで仕事をしていたんじゃがな、ちょいとばかり奇妙なことになっておるから仕事が一時中断したんじゃ」

「はあ? なんでまた?」

「どうも、坑道にモンスターが出現したらしくてのぅ。トンネルドクターは全員大事をとって避難じゃよ」

「またか」

 ドドムの言葉をゼンベルの横で聞いていたドワーフの戦士も、渋い顔をする。ここ最近、モンスターが頻繁に出没するようになっている。様々なモンスターが、移動を繰り返しているのだ。

 何があったか知らないが、そのため採掘が遅々として進まない。摂政会では地上に出て調査をしてはどうかという話もあるようだ。もしかすると、何らかの理由で縄張りが変動し、モンスター達が活性化している可能性があると。

 ただし――

「摂政会はやはり、まだ渋っておるのか?」

「聞いた話では総司令官が摂政会で地上の調査に出させてくれ、と言っておるらしいが……やはり難しいらしいぞ」

「兵士がいないからのぅ……。今のところどうにかなっておるし、それにクアゴアの件もある」

 クアゴアというのは、ドワーフ達の天敵だ。二本足で直立したモグラのような姿の亜人種で、一.五メートルほどの体躯を持つ。纏う毛皮は子供の頃に摂取した鉱石によって硬度が変わるため、鉱石を掘るドワーフ達としばしば殺し合いになるらしいということをゼンベルは聞いていた。

「地上にクアゴアは出んと思うが、しかし地上に出ると空から強襲される可能性もあるからの。さすがに探索に出るのは厳しいわい」

「しかしこうもモンスターが出没すると、早めに調査しないとまずいことにならんか?」

「分からん……問題は地上で起きたわけではないかも知れんしな」

 ドワーフ達の話を聞きながら、ゼンベルはふと漆黒の戦士を思い出す。モモンガは今どうしているのだろうか。ここではないもう一つのドワーフの都市、フェオ・ジュラの方に辿り着いたのだろうか。見つけられずに諦めて評議国に帰ったという可能性もある。

 そこまで考えて――ゼンベルはドワーフ達に思いついたことを口にした。

「なあ、じゃあ俺が地上の探索に行くのはどうだ? 見た目でアンタらよりは襲われにくいし、丈夫さが違うから長期間調査出来るぜ?」

 ゼンベルの言葉に、ドワーフ達は驚いて顔を見合わせ――頷く。

「そうじゃのう……ゼンベルなら問題無いかもしれんの」

「ああ、そうじゃな。総司令官に少し話をしてみるわ。しかしいいのかゼンベル?」

「かまわねぇよ。ちょっとした恩返しって奴だ」

 今まで世話になっているのだ。多少、肌を脱いでやってもかまうまい。

 その日の頻繁に出没するモンスターの件はこれで終わったが、数日後――ゼンベルはドワーフの総司令官に呼び出された。

「――お客人にこのような頼みごとをするのは、大変に心苦しいのだが」

 おそらく申し訳なさそうな表情を浮かべた総司令官が語るには、摂政会で本格的な探索の許可が下りることは無かったらしい。だが、ゼンベルと三人ほどのドワーフ兵を探索に出すことは許可が出たのだと言う。二人の戦士と一人の魔術師だ。

「人数に不満があるかもしれないが、これが精いっぱいだ。君の好意に甘えさせて欲しい」

 総司令官の頼みごとに、ゼンベルは頷いた。

「かまわねぇよ――あ、です」

「……敬語が苦手なんだろう? かまわんよ、いつもの口調で」

「そうかい? ならよかった。……別にかまわんぜ。むしろ一人でもいいくらいだ。どんくらい鍛えられたか知りてぇしな」

「そうか……すまない。恩に着る」

 総司令官に頭を下げられ、そしてゼンベルと共に探索に出るドワーフ兵を紹介された。ドワーフの兵士二人はよくゼンベルと模擬戦をする二人で、魔術師はドドム。つまりは顔見知りだ。

「いいのかよ? 俺に付き合って?」

 ゼンベルが訊ねると、三人はいつもと同じように大きな声で笑った。

「まあ、かまわんじゃろ!」

「そうじゃ! それにわしらの国のことじゃからな!」

「とりあえずは一週間ほど調べてみるとのことじゃ! よろしく頼むぞゼンベル!」

 気心が知れた仲だ。四人は幾人かのドワーフに見送られながら出発し、地上へ出る。出入り口である裂け目から出ると、視界に広がるのは岩だらけの山場だ。森林限界地であるため、木々が既に育たない地表になっている。

 ゼンベル達は警戒しながら、地上を探索して回る。朝陽が昇ったばかりの頃に出発し、日が暮れる頃には、既にゼンベル達は以前地上に出た時との違いを発見していた。

「なあ? これってよぉ……」

「ああ。そうじゃな……」

 日が暮れ、ちょっとした岩の裂け目に四人で隠れて会話する。ゼンベルの言葉を皮切りに、全員で頷いた。

「どうやら、地上の縄張りが完全に変わっちまっとるみたいじゃな」

 その通りだ。何があったか知らないが、モンスター達の縄張りが変わっている。以前は遭遇しなかったモンスターが、何故か縄張りの範囲を広げて出現するようになっているのだ。

「どうするよ? 一応、理由っぽいのは分かったけどよぉ……もうちょい調べておくか?」

「そうじゃな。何が原因で縄張りが変わったのかだけでも、調べておいた方がいいと思うぞ」

「じゃな。もしかしたら何か、変なものでも入り込んだのかもしれん」

「確かにの。縄張りが変わった理由は出来れば調べておきたいぞ」

「……変なもん」

 ゼンベルは「変なもの」と聞いて漆黒の戦士を思い出す。もしや、そんな馬鹿な。いや……あれだけ強いのなら、あんなに強いのなら。もしかすると……長時間同じ場所に居座られたら縄張りが変わってもおかしくないんじゃないか、と。

「……うん?」

 その時――全員が妙な物音を聞いた。急いで明かりを消し、身を隠す。そしてゼンベルが岩の裂け目からこっそり、外の様子を探る。

 ざっ、ざっ……まるで足音のような物音が聞こえた。どうやら何かが近くを通っているらしい。そのまま観察を続ける。

 しばらくすると――奇妙な、見たこともない存在が現れた。

(なんだ、ありゃ……)

 それは、夜の闇よりも濃い漆黒のローブを纏い、腕にはガントレット嵌め、仮面で顔を隠している何かだった。一目で、魔法詠唱者(マジック・キャスター)だと分かる姿をしている。そんな魔術師が夜の闇を平然と、歩いているのだ。

 仮面の魔術師は散歩をするような気軽さで、この恐ろしい夜の山を平然と歩く。仮面の魔術師はゼンベル達が身を隠す岩の裂け目を通り過ぎようとして――くるりと仮面がゼンベル達の方を振り向いた。

「――――ッ!!」

 目が合った(・・・・・)。仮面で見えないはずなのに、ゼンベルはそう感じ肌が粟立つ。咄嗟に身構えようとし、ゼンベルが身構えようとする姿を見てドワーフ達にも緊張が奔る。瞬間。

「なんだ、ゼンベルじゃないか。ドワーフの国は見つかったのか?」

「……あん?」

 平静そのものとも言える言葉がゼンベルに向かって放たれた。ゼンベルはその声の主が誰だったか思い出そうとして――あの、漆黒の戦士と似た声であることに気がついた。

「……おい、もしかして……モモンガ、か?」

 ゼンベルがそう訊ねると、仮面の魔術師は腕を組み、ゼンベルに向かって頷く。

「そうとも。――ああ? この格好か? ……俺の本分は魔法詠唱者(マジック・キャスター)だと言っただろう?」

 仮面の魔術師がそう語ると同時、何らかの魔法を唱え――仮面の魔術師は、かつてゼンベルが見た漆黒の戦士そのものの姿を取っていた。

「え? …………え?」

 刹那の内に見覚えのある姿になった仮面の魔術師――いや、漆黒の戦士に、ゼンベルはぽかんと口を開き――直後ゼンベルの叫び声が、夜の山を木霊した。

 

 

 



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第二幕 蜥蜴人と山小人 其之三

 

「ふーむ。なるほどなぁ」

 それぞれ自己紹介が終わり、ゼンベル達が地上へ出て調査していることの説明をすると、モモンガは神妙に頷いた。

「縄張りの変動か……まあ、心当たりがある」

「あん? やっぱりモモンガが原因なのか?」

 モモンガの言葉に、原因がモモンガだと多少疑っていたためゼンベルは訊ねる。しかし、モモンガは首を横に振った。

「いいや、()じゃないさ。――オリヴェル=ベーヴェルシュタムという奴を知っているか?」

 ゼンベルにはまるで覚えのない名前だ。ドワーフ達も首を横に振っている。

「そうか、知らないか……。ラッパスレア山にいるエインシャント・フレイム・ドラゴンのことなんだが」

「む。それなら知っておるぞ。そういう名前じゃったのかアヤツ」

 ゼンベルは知らないが、そんなゼンベルのためにドワーフ達が説明をする。曰く、ラッパスレア山にいる三大支配者の内の一体なのだとか。確かにドラゴンならば、一つの山を支配するに相応しい存在だと思うが。

「そのオリヴェルなんだがな。実は数ヶ月前に縄張りを放棄したのだよ」

「なんじゃとぉ!?」

 モモンガの言葉に、ドワーフ達が驚きのあまり叫び、立ち上がる。それをモモンガが落ち着けと言わんばかりに「座れ」と地面を差した。しかし、誰も座らない。

「これが落ち着いていられるか! あの炎竜が縄張りを放棄したなど!」

「そうじゃ! 炎竜ほどの強大な支配者がいなくなってしまえば、この山の地上は大混乱じゃぞ!」

「道理でモンスター共が色んな場所で見つかるはずじゃ!」

 慌てる三人に、モモンガは溜息をつく。その溜息をつくモモンガの横で、慌てるドワーフ三人を見ながらゼンベルはモモンガに話しかけた。

「なあ、ヤバい(・・・)のか?」

「ああ。かなりな。おそらくだが、良くも悪くもオリヴェルは圧倒的な強さを誇る支配者だった。……まあ、一応同格がいるにはいるんだが。これは支配部分が綺麗に分かれて激突しないから、今は放っておこう。それで話は戻るが、オリヴェルはこの山の地上部分を支配していた。何せ、エインシャント級のフレイム・ドラゴンだ。誰もおいそれと逆らえない」

 モモンガの説明に、ゼンベルは頷く。長く生きたドラゴンはそれだけで災害だ。誰も逆らおうとは思わないだろう。

「ところが、このオリヴェルが自分の縄張りを放り出して出て行ってしまった。先程も言った通り、オリヴェルは良くも悪くも、圧倒的な強さを持つ誰も逆らえない支配者だ。これが出て行ってしまうと、必然、次の地上の支配者という立場を巡る縄張り争いが起こる」

「おう」

「オリヴェルを倒すような後釜がいれば話は別なんだが、そんな後釜はいない。そうなると今までオリヴェル以下だった連中が、自らの縄張りを広げようと活性化するわけだが……ここでオリヴェルの存在感が問題になる。何せ、オリヴェルは強い。誰も逆らえない。そんな奴がいなくなったんだ。次の後釜は生半可な強さでは務まらん。前任者と比べられるからな。少しでも手が届きそうな相手なら、対抗心剥き出しになるだろうよ」

「あー……なんとなく分かったぜ」

「そういうことだ、ゼンベル。大なり小なり、組織というものは絶対的な頂点がいなくなると、瓦解する。なにせ勝てない相手ならばともかく、頑張れば勝てそうな相手なんだ。どいつもこいつもな。自分が一番美味い汁を吸いたいと思うのは当然だろう」

 だから、オリヴェルは良くも悪くも強過ぎたと言われるのだろう。絶対的強者のいなくなった縄張りで起こるのは、群雄割拠の世界だ。大混乱もやむなしである。

 ただ……少しだけ不思議なのは、そのドラゴンが縄張りを放棄した理由だった。そのドラゴンは、どうして縄張りを放棄したのだろうか。自分の縄張りよりも大事なものでもあったのか。

「さて――そういうわけで、しばらくはこの山はかなり荒れるだろうな。いや、アゼルリシア山脈全体が、か。まあ、私にはどうでもいいことだが」

 モモンガはそう、慌てるドワーフ達を横目に呟く。ゼンベルとしては、戻る予定のある故郷……トブの大森林にまで影響は出ないだろうかと不安になるが、さすがにこれは解決出来ない。大人しく嵐が過ぎ去るのを待つしかないのだろう。ドワーフ達もゼンベルと同じくそう結論付けるしかなかったのか、落ち着いた後に溜息をついていた。

「見張りは私がしておこう。朝陽が昇る頃に起こせばいいかな?」

「ああ、頼む」

「すまんの。明日フェオ・ライゾに連れて行ってやるわい」

 モモンガに見張りを任せ、眠る。モンスターの出没数が増えた原因は判明したので、予定外に早く帰還することになった。モモンガの案内も追加だ。四人は種族的特性で夜目の効くモモンガを残し、目を瞑った。

 

 ――次の日、朝陽が昇った頃に起こされた四人は、モモンガを連れてフェオ・ライゾに帰還する。フェオ・ライゾに帰還した後は、まずゼンベルとドドムが総司令官に報告しにいくことになっており、残り二人がモモンガの案内をすることになっていた。

「じゃあ、ちょっと行ってくるわ」

「ああ、私は私の用事を済ませてくる。また縁があれば会おうゼンベル」

 ゼンベルはモモンガと別れ、ドドムと共に総司令官のいる会議所へ向かった。ゼンベル達の報告を待つために、フェオ・ジュラから出張して来ているのだ。

 総司令官に会い、ゼンベルとドドムはモモンガのことやモモンガから聞いたドラゴンのことなどを話す。全てを聞き終えた総司令官は、やはり難しい顔をして悩み始めた。

「そうか……これは……非常に厄介なことになっているな」

 総司令官はそう呟くと、この話を吟味するのかゼンベルとドドムに「帰ってよろしい」と許可を出す。ゼンベルには、後で礼を弾むそうだ。

「――そうだ。後でそのモモンガ殿に、詳しい話を聞くことになるかも知れん。数日間滞在して欲しいのだが」

「そりゃ大丈夫じゃないですかい? 鍛冶仕事を頼みに来てるっつってたから、しばらくはいると思いますぜ」

「ならよかった。ドドム、モモンガ殿に後で兵が向かうと伝えておいて欲しい」

「かしこまりました、総司令官」

 総司令官は幾人かの護衛の部下達とともに、フェオ・ジュラへと帰っていく。今回の件を摂政会で報告するためだろう。暇になったゼンベルとドドムは、顔を見合わせた。

「……んじゃ、さっそくモモンガにでも会いに行くか。アイツどこ行ったんだろうな?」

 ゼンベルが頭を掻きながら呟くと、ドドムがニヤリと笑って語る。

「鍛冶の依頼じゃろ? あの見た目じゃから生半可な腕じゃ満足できまいよ。フェオ・ライゾ一番の鍛冶職人のもとに決まっとる」

 

        

 

「はぁ…………」

 ゴンド・ファイアビアドは溜息をつきながら、とぼとぼと歩く。そのささくれた姿を見て、声をかける人物がいた。

「どうしたんじゃ、ゴン坊」

 ゴンドが視線を向けると、そこには頬を赤らめた知り合いのドワーフが立っていた。酒場で飲んでいた帰りなのだろう。

「なんでもないんじゃ。なんでも……」

「……もしや、まだ研究しておるのか?」

 言葉と共にゴンドに向けられる視線に、憐れみが混じる。その視線にゴンドはカッとなるが、すぐにその気持ちも萎んだ。それが被害妄想で、その視線の意味が憐れみではないことを知っていたからだ。

 何故なら、このドワーフもまたゴンドと同じ、既に未来の無い技術に固執していた職人だったのだから。

 ……ドワーフの国には、ルーン技術と呼ばれるものがある。普通の武器や防具にルーン文字を刻み、追加効果を得るための技術だ。似たような技術に魔化と呼ばれるものがある。

 この魔化は二〇〇年前に王都が魔神に襲撃され、ドワーフの王が討伐するために国を出た際に外から持ち込まれた技術だ。ルーンは材料費がかからないが、しかし――魔化はそれ以上に製作時間がそれほどかからず、更にルーン技術よりも適正を持つ者が大勢いた。そのため、ルーン技術は廃れてしまったのだ。

 ゴンドはルーン技術開発家を名乗っている。ゴンドの父も祖父も、優れたルーン工匠であり、その技術を終わらせたくないと願っているためだ。

 ただ、悲しいことにゴンドには才能が無かった。

 しかし才能があろうと、どうしようもないことはある。今隣にいるドワーフはまさにそうだ。彼は優れたルーン工匠だが、それでも未来に希望が持てない。

 もう、どうしようも無いと分かっているのだ。あるいは才能があるからこそ、はっきりと行き止まりが見えてしまっているのか。自分達の技術には、もう希望が無い、と。

「おや? ゴン坊……知らない奴が歩いておるぞ」

「うん?」

 ゴンドが視線を向けると、そこにはドワーフ二人と共に歩いている漆黒の戦士がいた。肌がまったく見えないが、見た目の身体的特徴を見るにおそらく人間だろうと思われる。

「おーい!」

 隣のドワーフが声をかけると、三人は立ち止まり、ゴンド達へ視線を向けた。

「そやつは誰じゃ? 何しとるんじゃ?」

 隣のドワーフが疑問を投げかけると、二人は揚々と答える。

「こやつは評議国で冒険者をしておるモモンガっつう奴じゃ。なんでも、わしらに作ってもらいたい物があるとかで、わしらの国を探しておったらしいぞ」

「それで、今わしらがおすすめの工房まで案内しておるっちゅうわけじゃ」

「モモンガと言います。しばらくお世話になりますね」

 漆黒の戦士は礼儀正しく、握手を求める。隣のドワーフと同じくゴンドもついでに握手をした。

「しかし、どんなものがお望みなんじゃ? 欲しい武器によっては別の工房の方がいいこともあるぞ」

 隣のドワーフが訊ねると、漆黒の戦士――モモンガは口を開く。

「評議国では加工出来ない金属を加工してもらいたく思ってまして。うちでは加工技術が追いつかず。一応、研究自体はしているんですがね。……ドワーフの加工技術なら可能かも知れないと思って、アゼルリシア山脈を探索するついでに探していたんですよ」

「まあ、わしらの加工技術は普通の国より優れておると自負しておるがのぅ」

「あと……」

 この後モモンガの口から放たれた言葉に、ゴンドも隣のドワーフも仰天した。いや、他の二人もだ。それほどまでに、意外だったのだ。モモンガから語られた言葉は。

ルーン(・・・)技術について、少々知りたいことがあるくらいですかね?」

 

 

「――――」

 ゴンドは言葉も出なかった。いや、ゴンドだけではない。ゴンドと共にいたドワーフ……ストーンネイル工房のルーン工匠もまた、言葉も出ない様子でそれ(・・)に魅入っていた。

 今、二人はモモンガと共にストーンネイル工房にいる(他のドワーフは他にも用事があるためゴンド達に案内を任せて帰った)。ルーン技術についての話ということで、ルーン工匠がモモンガから話を聞くために自分の工房へ案内したのだ。

 そして、ゴンド達はモモンガの出した剣に魅入っていた。ありえない物を目にした時、人とはこうも何も見えなくなるものなのだ。

「――で、話の続きを語ってもかまいませんかね?」

 黙って二人の様子を見ていたモモンガが、指先で机を叩く。椅子に座って熱心にその剣を見ていたゴンド達はその声にはっとし、急いで佇まいを直した。

 しかし、視線はすぐに剣へと吸い込まれる。その様子を見てモモンガは二人に見せていた剣を回収すると、マジックアイテムの袋の中にしまって二人の視線を遮った。二人の口から、つい「あ……」と名残惜しそうな呟きが漏れる。

「――評議国ではルーン工匠がいないものでね。知り合いに訊ねるとドワーフの国ならルーン工匠がいるはずだと聞いたもので、こういうものを作って欲しいと思って来たんですよ」

 まあ、無駄足の予感がしてますが。そうモモンガが語った言葉に、ゴンド達は縮こまることしか出来ない。確かに、今のところモモンガは無駄足になっているからだ。

 モモンガが語ったことによると、ルーンについてはちょっとした知的好奇心だったらしい。ルーンは手間がかかるために評議国でも別件より本格的な研究はしていないらしく、少し話が聞ければいいな程度の気持ちでいたらしかった。

 そうしてモモンガが再現可能なのか否か訊ねるために持ち出した剣――それは、あまりに常識から外れていた。

 ルーン文字は精々、三つや四つ刻むのが限界だ。かつていた王のハンマーには更に刻まれていたようだが、それも一桁。――決して、二桁には到達しない。

 だが、どうだ。先程モモンガが見せたあのルーンの刻まれた黒い刀身の剣。あれは、ありえない。あれには二〇ものルーンが刻まれていたのだ。

 かつて存在した工匠の神業を見せつけられ、ゴンドは勿論……もっとも力のあるこのストーンネイル工房のルーン工匠でさえ黙るしかない。

「……頼む! あの剣をもっとよく見せてくれ! 何か分かるかも知れん! お願いじゃ!」

 ルーン工匠は土下座せんばかりに、机に手と頭を打ち付けた。しかし、それに対するモモンガの返答はつれないものだった。

「ですが、再現不可能なのでしょう? 貴方々のその態度を見ていれば分かりますよ。ちょっとした知的好奇心程度の気持ちですし、こちらとしては何が何でも再現して欲しいわけではないので」

「…………」

 ルーンは廃れていく技術だ。魔化の方が材料費がかかるが、しかし生産力が違う。魔化の三倍はかかる製作時間と、そもそものルーン技術に対する適正の少なさ。これらを考えた時、多少の材料費は必要経費として受け入れられてしまう。

「じゃが、それが再現出来れば更なる可能性が広がる! 素材を新たに用意しなくとも、お主の持つ武器や防具を強化出来る可能性が……!」

「そちらの件なのですが、実はそっちも行き詰まってましてね……」

 ルーン工匠が更に言葉を重ねると、今度はモモンガから溜息でもつくような言葉が告げられた。ゴンドは口を開く。

「どういうことじゃ?」

「どうもこうも。ルーンと同じですよ。評議国の加工技術じゃ、この金属が加工出来なくて困っている――先程も言ったでしょう」

 モモンガはそう言うと、ゴトリと見たこともない金属を机の上に転がした。興味を持ち、ゴンドは手に取る。

「これは?」

 ゴンドの質問に返されたモモンガの言葉に、またもや二人は仰天した。

「アダマンタイトより硬い金属。名前は確か――」

 モモンガが語る言葉を聞きながら、ゴンドは手の中のインゴットを見つめる。あれほどのルーンの剣を持つ戦士だ。おそらく、この金属もモモンガの言う通りアダマンタイトよりも硬い金属なのだろう。

「――ところで、ここではアダマンタイトより硬い金属は……なさそうですね」

 ゴンドとルーン工匠の顔色を見たモモンガが、少し落胆したような声を出す。アダマンタイトより硬い金属が無い……つまり、モモンガの出したこの金属を加工する技術は、ドワーフにも無いということだった。勿論、実際にやってみると案外出来るかもしれないが、可能性は低いだろう。

「うーむ。となると、ドワーフの国における目的の大部分を消費してしまったな。研究だけなら評議国でも出来る――ん?」

 モモンガは独り言のようにそう呟くが、言葉を途中で切り席を立った。

「失礼。友人から〈伝言(メッセージ)〉が」

 モモンガは二人に断ってから工房の外へ出る。会話を聞かれないためだろう。だが、ゴンドの手には先程のインゴットが残されたままだ。ルーン工匠が頼み込むのでゴンドはそれを手渡し、目をぎらつかせてインゴットを凝視しているルーン工匠の隣で、ゴンドは耳を澄ませた。失礼だとは思ったが、話の内容が気になったのだ。

「――で――迷子――俺に――くらい――」

 モモンガの呆れたような声が小さく聞こえてくる。その口調から、気心の知れた友人なのだろうことが窺えたが、ゴンドとしてはよく〈伝言(メッセージ)〉を信用できるなと感心した。〈伝言(メッセージ)〉で滅んだ国のことを知らないわけではないだろうに。

(もしや、それくらい急な用事なのかのう)

 だが評議国からよくここまで届かせることが出来るものだ。確か、聞いた話では〈伝言(メッセージ)〉の魔法は距離が離れるほど聞き取りにくくなるとか。評議国には魔法を使うドラゴンもいると聞くし、もしかすると会話の相手はドラゴンなのかもしれない。

 ゴンドがそう考える内に、モモンガとその友人の通話は終わったようだ。ゴンドは帰って来たモモンガに思わず背筋を伸ばす。モモンガはゴンドのことを気にする様子もなく、二人に告げた。

「失礼。少し友人から頼まれごとが出来たので、私はこれから外に出ます」

「なんと。急ぎか?」

「ええ。ちょっと迷子が出たらしくて。……まったく、俺に迷子の捜索なんてさせるのはツアーくらいだぞ」

 最後は何か愚痴を言ったようだが、小声であったためによく聞き取れなかった。ゴンドに聞かせる気も無いのだろう。

「迷子? このアゼルリシア山脈でか?」

「そのようです。評議国の冒険者チームが一つ行方不明でして……最後の依頼でラッパスレア山に向かったのだとか。ちょうどよく私がいたので、ついでに捜索を頼まれたんですよ」

「大変じゃのう……」

 ゴンドとモモンガの会話に、ルーン工匠が割って入るように叫ぶ。

「その! ……頼みがあるのじゃが?」

「はい?」

 インゴットを持ったまま、ルーン工匠は椅子から立ち上がり、モモンガに土下座を行った。

「頼む! その捜索が終わる間だけでいい! ……先程の剣とこのインゴットを預からせてくれんか! この通りじゃ!」

 ルーン工匠の気持ちが、ゴンドには痛いほどに分かった。目の前に自分達が想像もしない頂きが見えるのだ。それを研究したいと思うのは当然のことだ。

 だって、嫌なのだ。本当は自分達の扱うこのルーン技術が、廃れていくだけなんて耐えられないのだ。だが、それが解決するかもしれない。これがルーンという先細りの技術にしがみついている自分達の目の前にふって湧いた、最後の機会かもしれないのだ。

 栄光を手にする最後の機会――絶対に逃がすことは出来ない。ゴンドにはこのルーン工匠の気持ちが痛いほどに分かった。だからこそ、自分もまた地面に膝を突いた。

「わしからもお願いする! どうか、お主が留守にしている間だけでいい! わしらにそれを調べさせてくれ!」

「――――」

 頭を下げる二人をどう思ったのか。モモンガは二人を見ながら顎に手をやり――少しの無言のあと、口を開く。

「わかりました」

「――――え!?」

 聞こえてきた声に、驚愕の声を上げる。だが、勿論それで終わりではない。

「一応、一週間ほど探索に時間を割きます。もしかするとそれより短くなるかもしれません。その間だけそのインゴットと先程の剣をお貸ししましょう」

「ほ、ほ、本当か!?」

 詰め寄るルーン工匠に、モモンガは頷く。

「ええ。ただし――調べた結果がどうあれ、二つとも回収させていただきます。例え、何か発見があろうと」

「それは――! あ、いや……うむ。わかった」

 ルーン工匠は何か言いかけたが、しかし首を横に振って何らかの思考を振り払うと頷いた。モモンガは先程の剣を取り出してルーン工匠に渡す。

「念のため言っておきますが、持ち逃げなどしないように。持ち逃げしたらどうなるか――分かりますね?」

「わ、分かっておる! 誓おう!」

「……その言葉、一応信用しておきましょう」

 モモンガはそう告げると、再び二人に背を向けて工房を立ち去ろうとする。

「では、また後日――何か発見があるといいですね」

 一応の応援の言葉を告げて、モモンガは立ち去った。モモンガが立ち去った瞬間、ルーン工匠はゴンドに視線を向ける。そして興奮したまま言葉を吐いた。

「ゴン坊! 悪いがしばらく工房は閉めきるぞ! これから忙しくなる!」

「ああ、うん……気持ちは分かっておる」

「お前たち! 急いで片付けろ! 今はそんなことをしておる場合ではない!」

 ゴンドに告げた後は工房の奥にいる弟子達に声をかけ、ルーン工匠は奥へ引っ込む。命令されたのであろう弟子が急いで奥の部屋から出て来て、ゴンドに申し訳なさそうに声をかけながら工房の外へ追い出した。そして、入り口が「入店お断り」の看板を掲げる。

 追い出されたゴンドは顔を顰めた。そして、盛大に溜息をつく。とぼとぼと工房から歩き去った。

「……分かっておる。分かっておるとも。出涸らしのわしでは、役に立たんと……」

 ゴンドはルーン工匠としては無能に近い。父や祖父は有名なのだが、残念ながらゴンドは才能を受け継ぐことが出来なかった。だからこそ、大人しく引き下がったのだ。例え共に研究したとしても、ゴンドは足を引っ張ることしか出来ないだろう。

 しかし――

「いや――」

 ゴンドは決意を固めた瞳を宿し、とぼとぼと歩くのを止めて前を見据える。そして、急いで走った。目指すのはフェオ・ライゾの出入り口だ。そこに。

「――待ってくれ!」

 知り合いのトンネルドクターであるドドム。噂に聞いた旅するリザードマン。そして、先程別れた漆黒の戦士がいたのを見つけたのだった。

 三人はゴンドを見ると、ドドムは驚いたようだった。雰囲気でリザードマンも驚いている気がする。モモンガだけは、欠片たりとも気配がぶれない。ゴンドは三人に近づくと、モモンガの顔を見て告げた。

「さっきの迷子の捜索……わしにも手伝わせてくれんか!」

 その言葉に、初めて――モモンガの気配が驚いたように揺れたとゴンドは感じたのだった。

 

 

 



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第二幕 蜥蜴人と山小人 其之四

 

「オラアアアァァッ!」

 ゼンベルは高く跳躍し、飛びかかってきた後ろ足に巨大な鉤爪を持つ爬虫類を右腕で殴り迎撃する。殴られた爬虫類は「ギャッ!」と悲鳴を上げ地面に叩きつけられるが、そのゼンベルの攻撃直後の隙を縫うように同じ姿をした別の爬虫類がゼンベルに飛びかかった。

「グゥ!」

 背中に伸しかかられ、バランスを崩しそうになる。後ろ足ほどではないが前脚の巨大な爪がゼンベルの背中に食い込み、鱗を引き裂き肉に食い込む。

「ウオオオオォッ!」

 だがゼンベルは引き倒されずに、腰に力を入れて逆に背中に伸しかかった爬虫類を背負い投げるように地面へ叩きつけた。叩きつけられた爬虫類は短い悲鳴を上げるが、即座に身を起こす。ゼンベルが殴り倒した爬虫類も同様に、既に身を起こしていた。ただし、そちらは顎が砕け口から血が滴り落ちているが。

「ギャアッ! ギャアッ!」

 二匹の爬虫類――デイノニクスはゼンベルを睨みつけながら、威嚇するように叫ぶ。ゼンベルは二匹の挙動を見逃さないよう、警戒しながら体勢を整える。

 そんなゼンベルとデイノニクス二匹の様子を、ゴンドにドドム、モモンガは見物していた。

 

 ――四人は今、ラッパスレア山を探索している。モモンガが評議国の友人から迷子の捜索を頼まれ、フェオ・ライゾを出る時にゼンベルとドドムに偶然会い、ゼンベルがその捜索の旅に付き合わさせて欲しいと頼み込んだのだ。モモンガは特に気にする様子もなく、快くゼンベルの頼みを引き受けた。ゼンベルくらいの実力ならば自分の身を自分で守れるからだろう。あるいはゼンベルの目的がそもそも武者修行の旅であったから、暇潰しに付き合ってやる気になったのかもしれない。

 ドドムは、ゼンベルとモモンガの二人の実力者がいるから、ついでに外の縄張りの調査をさせて欲しいと二人に依頼したのだ。現在、ラッパスレア山は不安定になっている。実力者がいる今の内に外の調査をしっかりしておきたいらしかった。上層部からもそう指令が下り、モモンガに多少の依頼金を払って護衛をしてもらっている。

 そしてゴンドは――何とか、モモンガからルーンについて他に何か情報が無いか、あるいは下心で多少打ち解けて欲しいという思いからついてきた。仲良くなれば、モモンガにとっつきやすくなるかもしれないと思って。

 モモンガはそのゴンドの思いに気づいていたか知らないが、了承した。曰く、護衛しなくてはいけないドワーフが一人二人増えても変わらないからだとか。この山に棲むモンスター達の強さは、モモンガにとってはびくともしない程度のものしかいないらしく、子守り(・・・)程度へでもないらしい。

 

 そして――ゼンベルは武者修行のために、遭遇するモンスターと戦っていた。基本、モモンガは手助けをしない。それどころか、モンスターを惹きつける臭い袋というアイテムを使って、逆にモンスターを呼び寄せている。

 曰く――「効率的なれべるあっぷ」らしい。モンスターを山ほど倒して経験値を稼いだ方がいいとかなんとか言っていたが、ゴンドにはよく分からない話だ。

「ギィッ! ギィッ!」

「グエグエグエッ!」

 二匹のデイノニクスが叫ぶ。鳴き声が変わったのを見たゼンベルは、即座に二匹に殴りかかった。狙いは顎を砕いた方だ。だがゼンベルが殴りかかる瞬間――茂みから三匹目が飛び出してきた。三匹目がゼンベルに襲いかかる。しかし――

「気づいてんだよクソがァッ!」

 ゼンベルは叫ぶと、片手で飛びかかって来た三匹目の喉を握る。「ギャッ!」と悲鳴を上げた三匹目はそのまま喉を片手で締め付けられ、口から泡を吹き出し始めた。その姿に慌てて二匹が飛びかかるが、ゼンベルは蹴りを繰り出し、その蹴りが顎が砕けていない方の胴体にめり込む。

 悲鳴を上げるデイノニクス。痛みに悶絶し地面に倒れたそれをゼンベルは足を振り上げて踏み潰した。「グエッ!」と叫び声を上げて踏まれ胴体が陥没した方が動かなくなる。同時、ボキリと骨が砕ける鈍い音が響いてゼンベルに喉首を握られていた三匹目が動かなくなった。仲間の無惨な姿にか細い悲鳴を上げ、顎が砕けている最後の一匹が逃げようとする。だが遅い。

 ゼンベルは背を向けて逃げようとする最後の一匹に飛びかかり、尾を掴んだ。そのまま尾を持って振り回し、近くの太い幹を持つ木へ叩きつける。最後の一匹も叫び声を上げて動かなくなった。

「ふぅー……」

 全て討伐し終えたゼンベルはそう一呼吸し、周囲を見回す。もう何かが襲いかかって来る様子は無い。例え他に仲間がいても、逃げ出した可能性が高かった。ゼンベルは何も襲いかかって来ないのを確認し、地面に座り込む。

「あー! もうダメだ! 動けねぇ! 無理! モモンガ、もう無理!」

「ふむ……疲労限界か。仕方ないな」

 汗だくで地面に座り込んだゼンベルを見つめ、モモンガは頷く。手に持っている奇妙な絵が描かれた袋をびりびりに引き裂き、臭い袋は役目を終えたのか消滅した。

「さて、ではここで一旦休息を取るとするか。――ちょっと失礼」

 モモンガが一枚の羊皮紙を広げる。ゴンドはチラリと羊皮紙を覗いたが、それは地図のようだった。ただ、なんて書いてあるのか分からない。少なくともドワーフ語ではない。どこの言葉だろうか。

 モモンガ――今は漆黒のローブを羽織り仮面とガントレットをつけた魔術師の姿をした男は、魔法を幾つも唱えていく。

「〈偽りの情報(フェイクカバー)〉、〈探知対策(カウンター・ディテクト)〉、〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉」

 モモンガは魔法を唱えると、広げた地図をじっと見ながら頷く。

「ふむ。やはり移動していないな。……数時間経っても移動してないとは……これは、あの馬鹿ども全滅したか」

「確か、特定の物体を捜索する魔法じゃったか? お主、聞いたこともない魔法を使うんじゃのう」

「まあ、世間一般には出回っていない高位魔法ですから。私はこれでも高位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)ですからね。物探しは得意ですよ」

 ドドムが感心したようにモモンガを見る。ドドムも一応魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるため、モモンガの使う魔法に興味があるのだろう。ドワーフは引きこもりなので、多少知識が偏っているのだ。ゼンベルに至ってはお手上げという顔をしている。

「しかし移動していないのか? 怪我でもしておるんじゃろうか?」

 ゴンドが呟くと、モモンガは首を横に振った。

「いえ、探知場所の都合上――おそらく、全滅した可能性の方が高いですね。まあ、死体くらいは残ってそうですが。……やれやれ」

 面倒そうに呟くモモンガに、ゼンベルが気まずそうに告げる。

「全滅って、そりゃまずいんじゃねぇのか?」

「評議国には復活魔法を使える奴がいるから大丈夫だ。死体を持ち帰ってやれば、なんとかなるだろ。むしろ死体を持ち帰る方が面倒そうだ……」

 モモンガの溜息に、ゼンベルが「贅沢な悩みだな」と呟く。ゴンドも、ドドムもゼンベルの言葉に頷いた。少なくともドワーフの国には復活魔法を使える者はいない。やはり大国は軍事力が違う。

「っうかよぉ……どこに向かってるんだよモモンガ。なんか、どんどん熱くなってるけどよ」

 ゼンベルの言葉通り、モモンガが指示して向かう先は、何故か気温がどんどん上昇している。この気温はあり得ない。

「説明していなかったか? このラッパスレア山には空間の裂け目みたいなものが幾つもあってな。その空間の裂け目に入ると思いもしない場所に出る。空間が別の場所に繋がっているんだ。今向かっているのは、溶岩流のある場所だよ。地下数キロしか潜っていない場所でも、その空間の裂け目――私は転移門(ゲート)と呼んでいるが――それから、別の溶岩流と繋がってしまっているのさ。それが、この気温の正体だ。熱帯雨林と化している原因でもある」

「……空間の裂け目だぁ? とんでもねぇ山だな、ここ」

 ゼンベルの呆れた声に、ゴンドも頷く。ただ、モモンガの言葉でドドムはどこに向かっているのか気づいたらしい。

「……もしや、三つの難所の内の一つか?」

「三つの難所?」

 三人の視線がドドムに向かう。ドドムは首を傾げる三人に説明した。

 ――ドワーフの国の王都フェオ・ベルカナ。フェオ・ジュラからそこへ向かうには三つの難所が存在するのだとか。

 最初の難所は、大裂け目。巨大な谷が広がっており、そこに吊り橋をかけて渡るそうだが、その崖下には何があるか全く不明。調査隊を送ったが、誰も生還者はいないのだとか。迂回すると地中モンスターと遭遇する確率が当然跳ね上がり、非常に危険だ。唯一の安全な道は地上へ出るルートらしいが、地上のモンスターだけでなく飛行モンスターにも襲われるために、別の意味で危険である。

 次の難所が溶岩地帯。地下数キロという深度であるにもかかわらず、マグマが流れており凄まじい熱気が周囲を覆う。しかも、十メートルを優に超える超巨大モンスターがマグマの中に棲みついており、遭遇すれば死ぬしかない。

 最後の難所が死の迷宮。火山性ガスが噴き荒れる、洞窟の中に存在する天然迷路。致死の猛毒が所かまわず噴き荒れるために、生者は誰も攻略出来ないおそろしい迷宮こそが王都へ向かう最後の難所。

 ドドムの説明が終わった後、モモンガの言葉の端から感じられるのはおそらく――超巨大モンスターがいるという溶岩地帯のことだろうとゴンドは理解した。ゼンベルも驚いた顔でモモンガを見ている。モモンガはドドムの説明を聞いても何処吹く風だ。

「なるほど。そこかどうかは分かりませんが、似たような場所でしょうね。まあ、そのマグマを泳ぐ巨大モンスターに遭遇しても、オリヴェルと同程度の強さならどうとでもなります」

 ゴンドはオリヴェルという名前を聞いたことはなかったが、他の二人は違うらしい。モモンガの言葉にドドムもゼンベルも驚愕の視線を向けていた。

「どうにかなっちまうのかよ……えぇ……マジでぇ?」

アレ(・・)をどうにか出来るとは、本当、お主強いのう……」

 さすがは一人でアゼルリシア山脈を踏破していることはあるの、とドドムは呆れ声だ。ゴンドもアゼルリシア山脈を本当に一人で歩き回っているということが分かり、モモンガに驚愕の視線を向けるしかない。不可視化して姿を隠して歩いているという様子でもないことを、ゴンドも悟ったからだ。

 そうこう話をしている内に、モモンガはデイノニクス三体を力技で解体する。魔法で作り出した肉切り包丁などで肉を削げ落とし、骨や牙などを引き摺り出す。

「ほら」

「む、すまん」

 骨や牙を受け取ったドドムが〈清潔(クリーン)〉の魔法を使い、血を拭きとる。ゴンドはそれを見て慌ててドドムから骨や牙を受け取った。貴重な武具などの材料であり、あまり役に立てないゴンドが荷運び役を買って出ているのだ。

 そして、削ぎ落とした肉はモモンガが全て周囲に投げ捨てた。すると、周囲の茂みに隠れていた小型の肉食モンスターがやって来て、肉を咥えて再び茂みに隠れていく。フェオ・ライゾを出てから繰り返された光景だ。

 あの小型の肉食モンスター……先程のデイノニクスをかなり小型にしたようなモンスターだが、どうやらモモンガの周囲にいると肉にありつけると学習しているようで、ずっとゴンド達の後をつけているのだ。十匹以上の群れで活動しているため、襲われたらと思うと気が気でないが、彼らはこちらを襲う気配がない。少なくとも、モモンガやゼンベルと一緒に行動しているかぎりは襲われないだろう。

 茂みで肉を咀嚼する音を聞きながら、疲れ果てたゼンベルが寝転がる。そして寝そべったまま、嫌そうな顔をしながらドドム達が持って来ていた干し肉を齧り始めた。あまり陸上動物の肉は好きではないようだ。

 ゴンドとドドムもゼンベルの近くに座り、食事を始める。モモンガだけが食事をとることもせず、少し離れた場所へ座り地図を広げたまま何か考えているようだった。ゴンドはドドムとゼンベルが何か会話を始めているのを背にして、モモンガの隣へ座り直し訊ねる。

「他に何かあるのか?」

「いえ、ちょっと地図の修正をしているだけです。私に正確な地図製作(マッピング)技術はありませんから、来る度に情報修正する必要があるんですよ。特に今回はオリヴェルがいなくなったので、縄張りの変動が凄まじいですからね」

 そのオリヴェルというモンスターは、よほど大きな縄張りを維持していたようだ。ゴンドはそう話の内容から思い至る。だが――ゴンドは少し口をもごもごと動かした後、意を決してモモンガに話しかけた。

「なあ、モモンガ殿。お主はどうしてルーン技術を調べに来たんじゃ? 本当に単なる知的好奇心なのか?」

 ゴンドがそう訊ねると、モモンガは視線を地図から逸らさずに答える。

「ええ。本当に、単なる知的好奇心ですよ。評議国ではなく――私の遠い故郷でも、一応ルーン文字というものがあったのですが、何分私の故郷とは歴史的背景などが違う様子でね。あの剣もその故郷で職人が作った物ですが、既にその職人はこの世にいません。だから――まあ、再現可能なら面白いなと、そういう程度です」

 モモンガには何の気負いも無かった。本当に、ただ興味が少しあった程度の、その程度の感慨しか抱いていない。

 ゴンド達が持つ消えゆく技術にしがみつく、狂おしいほどの情念が――モモンガには欠片も無い。目の前の男は自分達職人の理解者などでは断じて無かった。

「そうか――」

 目の前の仮面の魔術師は、魔法で武器も防具も作る凄腕の魔法詠唱者(マジック・キャスター)。そんな彼からしてみれば、職人などいてもいなくても同じなのかも知れない。ゴンドはこの旅について行って、初めて――魔法詠唱者(マジック・キャスター)の理不尽さを理解した。いや、思い知った。

 ルーン技術が廃れたのは、悲しいくらいに必然であったのかも知れない。そう納得せざるをえないほどに、この仮面の魔術師は圧倒的であったのだ。

 もはや、ゴンドはモモンガに何かを訊ねる気にはなれなかった。何か質問しても、それはひたすらルーン技術が時代遅れの烙印を押され続けると言うだけならば、何も知りたくはない。

 ペンを片手に地図を睨み続けているモモンガを置いて、ゴンドは再びドドムとゼンベルの横へ座った。そして、二人と話す。暗い気持ちを振り払うために。

 

 

「朝ですよ、皆さん」

 次の日、ゴンド達は見張りをしていたモモンガに起こされた。太陽が出て、周囲は多少の明るさを維持している。

「さあ、ゼンベル。疲れは取れたか? 今日も始めよう」

 ゼンベルはモモンガが片手に臭い袋を持っているのを見て、口の端をひくりと動かしながら「せめて飯食わせてくれ……」と呟いていた。ゴンドはドドムと共に、少しゼンベルに同情しながら朝食を食べ始める。

「しかし、モモンガ殿。お主いつ寝たり食べたりしておるんじゃ?」

 ドドムが訊ねると、モモンガはマジックアイテムで食事や睡眠の必要性を無くしているのだと言った。故郷では山登りの必須アイテムであったらしい。

「そろそろ目的地も近いからな。今日中には辿り着きたいものだ。ゼンベル、あと十キロほど進むが行けそうか?」

「十キロ!? あと十キロか! 全然行けるぜ!」

「……途端に元気になったな君は。まあ、途中でちょいとトロールに遭遇するだろうが、頑張って倒せ」

「……あ、はい」

 モモンガの言葉で元気になったり、気が沈んだり、忙しいゼンベルであった。しかし、戦うことは嫌いではないらしく、本気で嫌そうにしているわけではない。

「さて、では出発するか」

 食事を終え、少し腹休みをしたのを確認した後、モモンガはそう告げるとびりっと臭い袋の口を開く。途端、周囲にモンスターを呼び寄せる臭気が漂い始めた。相変わらず鼻腔をくすぐる臭いで、なんとなく興奮する。ゼンベルはモモンガが臭い袋を破いたのを見て気合いを入れ、先頭に立って先へ進み始めた。ゴンドとドドムは間で、最後尾はモモンガだ。……正確には、そのモモンガの背後の茂みに更に小型モンスターの群れがついて来ているのだが。

 モモンガの指示に従って、先へ進む。ゼンベルは幾度もモンスターに襲われ、その度に迎撃し――時にゴンドやドドムが襲われそうになった時はモモンガの〈雷撃(ライトニング)〉が飛んで、襲って来たモンスターは即死する。そしてモモンガは全く襲われない。

 そうして先へ進みついに――岩の裂け目を見つけた。そこから、凄まじい熱気が溢れ出ている。

「この奥だな。……どうやら、本気でモンスターの腹の中にいそうだな」

「あー。あー。あー! あー! マジか! マジで溶岩地帯に入るのか! さっきヴォルケイノ・トロールに遭遇した時点で、もしやと思ってたけどよぉ!」

「諦めるんじゃな、ゼンベル。それとも、迷惑になってはいかんし、わしらはこの入口で待つか?」

「それがいいんじゃないか? モモンガ殿、ここで待っておった方がいいかの? わしら、溶岩も平気な熱耐性なんぞ持っておらんぞ」

 訊ねると、モモンガは少し考え込んだ後――頷いた。

「そうですね。溶岩の中にころっと滑って落ちて死体が蒸発しても困りますし。ゼンベル、お前はここでドワーフ二人のお守りだ。二、三時間で帰ってくるからよろしく頼む」

「……一応聞くけどよ、その時間内に帰って来なかった場合は?」

「ん? そんなもの、死んだと思ってさっさと帰れ。生きていたらフェオ・ライゾに行くさ」

 モモンガは平然とそう告げ、更にアイテムを取り出した。小さな角笛の形をしたアイテムだ。それをドドムへと手渡す。

「これはゴブリン将軍の角笛というアイテムで、角笛を吹いたらゴブリンを複数体召喚します。いざという時にでも使用してください」

「む、分かった。まあ、使うような事態には遭いたくないが」

「そうですね。まあ、囮くらいにしか使えないと思います」

 モモンガはそう言うと、「では」と告げて岩の裂け目へ消えていった。

「んじゃ、モモンガを待つか」

「そうじゃな」

 ゼンベルとドドム、そしてゴンドは岩の裂け目の近くで待機する。モモンガがいなくなると、茂みからあの小型モンスターの群れが姿を現した。

「キィ、キィ」

 小型モンスターの群れは三人を見回すと、つかず離れずの距離を取る。ただし、茂みには隠れない。じっとゴンドやドドムを見つめている。

「…………」

 ゼンベルが近くの小石を拾い、投げた。小型モンスターの群れは小石を身を翻して避けると、先程より少し離れた距離へ移動し、再び三人を見つめてくる。

「…………」

 その距離の取り方に不吉なものを感じ、ゴンドはごくりと喉を鳴らした。

「……面倒なことになりそうだぜ」

 ゼンベルの言葉が、ゴンドの耳に嫌に響く。天気は段々と翳り、真っ黒な雨雲が姿を現し始めていた。

 

 

 



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第二幕 蜥蜴人と山小人 其之五

 

「あー! クソ! やっぱ降りやがった!」

 ゼンベルは大声で叫ぶ。稀に見る豪雨という奴で、雨が地面や葉に叩きつけられる音で叫ぼうと周囲に音が響かない。そしてあまりの激しい大雨に、小型の肉食モンスター達は雨を避けるように茂みへ再び隠れてしまった。

「まさかこんな天気になるとはのう」

「今すぐモモンガ殿が帰って来て、魔法で天気をどうにかしてくれんものか……」

「無理じゃろ、ゴン坊。雲を操作する魔法は第四位階魔法にあるが、ここまで天候が確定しちまえば、〈雲操作(コントロール・クラウド)〉でも変えられないと思うぞ」

 ゴンドとドドムが隣で喋る会話を聞きながら、ゼンベルは厄介な状況になったことを確信した。

(マジでヤバいな……この雨で、あのチビ共があのままどっか行ってくれればいいんだが)

 あの小型の肉食モンスター……コンプソグナトゥスはモモンガが離れてから、こっそりと集まってきていることをゼンベルは気配で感じ取っていた。モモンガがいた時は完全に勝ち目がないことを悟っていたようで、全く襲う素振りを見せなかった。しかしゼンベルだけが残ったこの状況では、大きな肉を食べられると思っているようで、群れが集まって来ている。

 勿論、ゼンベルだけならば何の問題もない。コンプソグナトゥスはゼンベルの鱗に傷一つ付けられず、むしろゼンベルに握り潰されて終わるだろう。だが、ドドムやゴンドはそうではない。戦士ならばともかく、二人では群がられると死にかねない。ゼンベルが一匹一匹引き剥がして潰していけば大丈夫だろうが、だがそのゼンベルが別のモンスターと戦っていた場合は大変だ。おそらく、それを危惧してモモンガもあの変な角笛を置いていったのであろうが。

(頼むから、何も来るなよ……)

 この土砂降りでは、ゼンベルは奇襲を見逃す可能性が高い。初撃は相手に譲らざるを得ないだろう。だがそれでもゼンベルは全神経を集中して、激しい雨音に紛れるモンスターの足音を聞き逃すまいと耳を澄ませた。

 雑音ばかりの激しい豪雨。それに紛れた、キィキィとか細く鳴く、コンプソグナトゥスの鳴き声。ドドムとゴンドの雑談。

 そして――幾ばくかの時間が過ぎた時、ゼンベルの耳にコンプソグナトゥスが悲鳴を上げて離れていく音を聞いた。

「――――」

 ゼンベルは微かに届いたその音に反応し、その方向を見る。急に何らかの反応を示したゼンベルに驚き、二人がゼンベルを見た。

「どうしたんじゃ、ゼンベル」

「何かあったのか?」

 二人の反応に、ゼンベルは緊張感を持って答えた。

「――何か、来るぜ」

「!」

 ゼンベルの言葉に二人は驚き、身構える。しかし激しい雨音で何も聞こえない。コンプソグナトゥスの悲鳴も届かない。何が起こったのか、さっぱり分からない。

 一旦この場を離れた方がいいのか。ゼンベルは色々と考えるが――その全てを放棄した。考えるのはあまり得意ではない。だからこそ、全神経を向かってくる何かに集中させる。

 聞こえるのは激しい雨音。何も聞こえない。茂みから、何も出て来る気配は無い。ゼンベルは奇襲されないように、茂みや森林から離れ岩だらけの方へ移動する。ドドムとゴンドも慌ててゼンベルについて行く。

 何も聞こえない。激しい雨音。足音さえ無い。その様子にゼンベルはモモンガの言う不可視化する蜘蛛を思い出し――

「――――あ?」

 ゼンベルはふと、自分の鱗に当たる雨が一部無くなったことに気がついた。雨は止んでいない。雨音だけで何も聞こえない。屋根などあるはずがなく、けれど体の一部が雨に当たっていない……。

「――ウオオオオォッ!?」

 ゼンベルはその瞬間、叫び声を上げてドドムとゴンドを引っ掴み、その場から離れた。泥の上に転がるように跳躍し、その場から逃げ出す。

「ぶ!?」

「な、なん!?」

 ドドムとゴンドがゼンベルの奇行に驚き、思わず口を開いて口から泥が入る。三人は体中泥まみれとなったが、ゼンベルは気にしなかった。そんなことよりも、大事なことがあるからだ。

 ゼンベルはすぐさま身を起こし、先程まで自分達がいた場所を見る。

 ばしゃり。そんな、明らかに雨音でない音が聞こえた。まるで、巨大な水桶を引っくり返したような音が。

「――スライム!?」

 ゼンベルはその正体に思い至り、叫ぶ。ゼンベルは近くの石ころや木くずを拾い、投げた。石ころは空中で止まり、木くずも同じように空中で止まるが石ころと違ってじゅうじゅうと妙な音を立てて木くずは溶けていく。

 間違いない。この物質の溶解現象は不可視化する蜘蛛などではなく、スライム系だ。だが――

「マジかよ……見えねぇ(・・・・)……ッ!」

 ゼンベルはあまりの見えにくさに震え声を発する。どこにいるのか、よく分からないのだ。豪雨のおかげで水の動きが多少おかしいと分かるが、それでもあまりにこのスライムは見え辛い。

 

 ――スライム系モンスターには様々な種類がいる。例えば人間の都市の下水や洞窟に棲み、腐敗物などを食して生活するスライム・モールド。迷宮で冒険者達やモンスターの死体を漁る迷宮の掃除屋ゼラチナス・キューブ。伝説に聞くブラック・プディング。

 彼らスライム系モンスターの多くは、ある特徴を備えている。知覚に対するマイナス効果だ。そしてこのスライムの名は、グレイ・ウーズ。

 その特性は、冷気と火に対する完全耐性。更に透明化。石以外の金属や有機物を溶かす酸攻撃。

 本来は寒冷地や湿地帯に棲むグレイ・ウーズは、溶岩流により温まったこの周囲には出現しない。トブの大森林の地下洞窟や、標高が高い山頂に近い場所に棲んでいる。

 だが、それぞれのモンスターの縄張りが急に変動したことにより、こんなところにまで出て来ていた。

 

「ラ……〈(ライ)――」

「闇雲に撃つなドドム! 絶対に当てられる状況じゃないかぎり撃つんじゃねぇ!」

 スライム――グレイ・ウーズに第二魔法を使おうとしたドドムを止め、ゼンベルはグレイ・ウーズがいるであろう場所に突進する。

「こおぉぉおおおお!」

 〈アイアン・スキン〉と〈アイアン・ナチュラル・ウェポン〉を発動させ、そのまま殴りかかる。――触れた。間違いない。まだここにいる。

 だが――

「――――ぎッ!?」

 異様な手応え。ぐにゃりとした気色の悪さ。そして――熱湯に拳を突き入れたかのような痛み。拳から伝わってくるぶるんという奇妙な振動。まるで形を変えたかのような――。

「うおぉぉお!?」

 ゼンベルはすぐさま距離を離し、後退する。ゼンベルのいた場所がまたばしゃりと音を鳴らす。おそらく、グレイ・ウーズがゼンベルを捕まえて溶かそうと不定形の肉体を動かしたのだろう。

「……クソがッ!」

 予想以上のやり辛さに、ゼンベルは悪態を吐く。スライム系モンスターと戦うのは初めてではない。リザードマンはトブの大森林の湖の近く――湿地帯で生活をするのだ。水たまりなどに化けるスライムと戦う経験は、リザードマンの戦士や狩人なら必ずあるだろう。

 だが……それでも、ゼンベルが見たことの無いこのスライム――グレイ・ウーズに対して攻撃した際の手応えは、死闘の予感を感じさせた。

 ……それも当然だろう。ゼンベルの知らないことではあるが、グレイ・ウーズの難度は冒険者で言う金級である。ゼンベルが一人で討伐するには、手に余る難度と言っていい。

 何せ、冒険者達の設定した難度はそもそも、複数人で当たることを前提にした難度なのだ。一対一で戦うことを前提にした難度になれば、途端にあらゆるモンスターの難度が跳ね上がる。

 故に、ゼンベルは不利であった。前衛の、しかも素手で戦う戦士であるゼンベルにとって、接触すれば酸による追加ダメージを与えるグレイ・ウーズは天敵と言ってよかった。

 そう……たった一人で戦うならば。

「〈下位感知増幅(レッサー・センサーブースト)〉」

 ゼンベルのもとへ支援魔法が放たれる。更に、〈下位属性防御(レッサー・プロテクションエナジー)〉もだ。

「ドドム!」

「わしが使える支援魔法はこれくらいじゃ! 前衛は任せるぞ!」

「ありがてぇ!」

 ドドムが放った魔法により、ゼンベルの知覚が増幅された。ゼンベルは元々修行僧(モンク)のクラスを修得しているので、知覚が鋭くなっている。そこから更に知覚が増幅された。ゼンベルは見えないながらも、グレイ・ウーズの居場所にある程度見当がついた。

 更に――。

「オラァッ!」

 ゼンベルが再びグレイ・ウーズに殴りかかる。相変わらずの、いやな感触であったが先程のような痛みは無い。あるにはあるのだが、少量だ。属性ダメージを軽減させる魔法を受けたため、酸による追加ダメージが減少したのだ。

(これなら――いける!)

 ゼンベルは確信し、更に追撃を放っていく。ゼンベルの腕力に物を言わせた攻撃に、グレイ・ウーズは悶えた。ぶるぶると震え、ゼンベルに向かってその触腕を伸ばしてくる。

 だが、今のゼンベルはそれさえ感知している。例え見えずとも、今のゼンベルには気配探知など容易い。ゼンベルはバックステップで距離を取り、グレイ・ウーズの攻撃を回避した。

 そして、酸で拳が焼け爛れながらも――何度か攻撃を繰り返し、ついに。

「と、ど、め、だぁぁぁあああッ!」

 ゼンベルがその巨大な右腕で最大級の一撃を放った。グレイ・ウーズは完全に沈黙し、粘着性を失ってその場に溶けていく。その肉体の跡も、豪雨で流され消えていく。

「つ、疲れた……」

 ゼンベルはその場に座り込み、荒い息を吐く。そんなゼンベルにドドムとゴンドが心配して近寄ってきた。

「大丈夫か、ゼンベル!」

 ゼンベルの両の拳は酸で酷く焼け爛れている。鱗や爪が溶けており、肉は勿論、筋肉の繊維まで見えているその様はグロテスクであった。ゴンドは真っ青な顔で口を押さえて、今にも吐きそうになっている。

「おう、なんとかな」

 この状態では、満足な戦闘行為は行えないだろう。回復魔法も回復アイテムも無いので、フェオ・ライゾに帰るまで治癒も出来ない。

「角笛を吹いてフェオ・ライゾに帰るか?」

 ドドムに手渡されたのであろう角笛を持ったゴンドの言葉に、ゼンベルは少し考える。

 その沈黙をどう思ったのか、ドドムが頷いた。

「それがいいと思うぞ。モモンガ殿は勝手に帰って来れるじゃろうし、このままじゃわしらも危ないわい」

 ゼンベルが戦闘出来ない以上、身を守る術はモモンガの渡したゴブリンを召喚するという角笛しか存在しない。だからこそ、それを使って急いでフェオ・ライゾに帰る方が生存率が高いだろう。

「……そうだな。そうし――」

 ゼンベルは、言葉を途中で止めた。止めざるをえなかった。豪雨が不自然に、いきなり止んだのだ。その異常現象に思わず言葉を止めて、空を見上げる。絶句した。

 突如止んだ豪雨と、呆然としたゼンベルの姿を見て、ドドムやゴンドも空を見上げる。そして、ゼンベルと同じように間抜けに口を開いて絶句した。

 

 ――空に、真っ赤な炎のとばりが降りている。太陽の如き美しい火のとばりが、雲を、雨を蒸発させて青空を覗かさせていた。

 そしてその青い空に、真っ赤な流れ星が降っている。流れ星が円を描くように曇った空を横へ進む度に、火のとばりが降りて切り裂くように青空が見える。

 その、あまりに美しい赤い流れ星の名は――

 

「ポイニクス・ロード……」

 ゴンドが喘ぐ様に呟いたのを、ゼンベルは聞いた。赤い流れ星――いや、火の鳥は、煩わしい積乱雲を自らの肉体で蹴散らしながら、このラッパスレア山の上を旋回する。

 その姿は、まさしく空の支配者。この姿を見れば、誰もがその二つ名に納得を示し、畏怖せざるをえないだろう。

 ポイニクス・ロードは雨雲の全てを片付け終えた後、満足したのか山の頂へ消えていく。優雅に舞いながらもその輝きが消える姿は流れ星が墜落するような、そんな物悲しさを覚えた。

 そして、雨は止み、空は澄み切った青空へと変貌する。ぬかるんだ地面と、木々の葉から滴り落ちる雫だけが、先程まで雨が降っていたことを証明する全て。

 三人がしばらく、ぽかんと青空を見上げていると――背後から聞き覚えのある声がかけられた。

「待たせたな、ゼンベル。それにドワーフの御二方」

 その声に呆然としていた三人は振り返り、モモンガの姿を確認した。どうやら、かなりの時間空を眺めていたらしい。モモンガの背後には、五人ほど傷だらけの亜人種達がいる。一人はリザードマンだ。リーダーのようで、先頭に立っている。

 ゼンベルはそのリザードマンを見て驚いた。ゼンベルは、自分の姿がリザードマンの中でも異形と言っていいほど並み外れていると思っていたが、このリザードマンの戦士も負けていない。ゼンベルのように右腕がシオマネキのように巨大化していないが、しかしその分厚く盛り上がった筋肉は全体を覆っており、挙句引き裂かれたように左側の口の端が裂けてしまった跡がある。

 そして、胸には旅人の焼印――ゼンベルはかつてモモンガが言っていた、ゼンベルと間違えたという知り合いのリザードマンは彼のことなのだろうと察した。

「……どうしました?」

 三人の様子がおかしいことに気がついたのか、モモンガが首を傾げる。そんなモモンガに、ゴンドが今見たものを興奮しながら教える。

「さ、さっきじゃな! 真っ赤な火の鳥が! 空の雨雲を消し飛ばして!」

 慌てたように告げるゴンドの言葉に、モモンガは「ああ」と納得したように頷いた。

「なるほど。ポイニクス・ロードを見たんですね。この山を登っていると、時々見かけますよ」

「アイツか……見てる分には綺麗だけど、襲われたら死ぬしかないよネ」

 モモンガの後ろで、リザードマンが頷く。どうやら、彼らも見たことがあるらしい。

「襲われたらっていうか……君ら、よく生きてたな本当」

「ホント! 襲われたら死ぬしかないよネ!」

 モモンガの呆れた声と、リザードマンの震える言葉に、ゼンベルはぴんとくるものがあった。リザードマンの仲間の四人も、少し明後日の方角を見ている気がする。

「なぁ……もしかして、襲われ」

「あー! あー! 思い出させないデ! 聞こえなイ! 聞こえなぁイ!」

 ドドムの言葉にリザードマンが耳を抑えて叫ぶ。確定だ。どうやら彼らは、先程の火の鳥に襲われた経験があるらしい。

「しかし見つけた時は驚いたぞ。まさかあの変なチョウチンアンコウの胃の中にいるとは」

「モモンガさんが来なきゃそのまま死んでたぜ!」

「本当それ。生きたまま胃の中で一週間生活とか、気が狂うかと思ったよ」

 他の亜人達がそれぞれ告げる言葉に、なんだか嫌なものを感じ聞こえないふりをする。詳しく想像したら、ゼンベルも発狂してしまう気がしたのだ。ドドムやゴンドも同じ気持ちだろう。真顔になって口を閉じていた。

 だが、モモンガ達はそうではないらしい。

「ポイニクス・ロードに追いかけ回されたあげく、岩の隙間に落下して真下にいたあの魚に丸呑み……君たちは本当、なんていうか……うん。芸人として最高だと思うぞ。帰ったらこの出来事を歌にでもしてもらえ」

「ただの黒歴史じゃないですかーやだー」

 平然とそのまま笑い合うモモンガ達に、ゼンベルはげっそりした。

(冒険者って……図太いんだな)

 よく見れば、モモンガの胸元で光る冒険者のプレートと、彼らのプレートは同じ金属が使われている。気安い同僚なのかも知れない。

「ところで、そろそろ帰らんか?」

 ゴンドの言葉に、全員が頷く。迷子だったという冒険者達も傷だらけであるし、ゼンベルも酷い怪我だ。ドドムやゴンドも泥まみれと擦り傷がある。服にさえ汚れ一つ存在しないのは、モモンガくらいなものだ。

「それもそうですね。君らはどうする? ドワーフの都市に寄って、休んでから評議国に帰るか?」

「あー、うン。出来ればちょっと泊めて欲しいかナ。ドワーフさん方、俺らは泊めてもらえそうかネ?」

 リザードマンの言葉に、ドドムは「かまわんと思うぞ」と頷いた。冒険者達は口々に喜びの雄叫びを上げる。よほどお疲れらしい。当たり前であるが。

「じゃあ、さっさとフェオ・ライゾに帰るか。その前に、申し訳ないのですが角笛を返してもらっても?」

「あ、そうじゃったな。ほれ、返すぞモモンガ殿」

 モモンガの言葉にゴンドが角笛を渡す。モモンガは角笛を受け取ると、懐にしまった。

「さて――じゃあゼンベル、帰りもしっかり頼むぞ」

 そう言ってモモンガが懐から例の臭い袋を取り出す。ゼンベルの焼け爛れた両腕なぞ見えぬと言わんばかりのその行動に、ゼンベルは真顔になってモモンガを見た。

「…………冗談だ。そう、子犬みたいな目で見るな」

 モモンガが気まずげに呟いて、懐に臭い袋をしまう。果たして本当に冗談であったのか――ゼンベルには判断がつかなかった。

 なんとなく、本気のような気がしたが――精神の衛生上、冗談だと思っていた方がいいと判断し、ゼンベルは無言を貫いた。

 帰りはこの人数だからか、それともあの火の鳥に怯えているのか、特に何かのモンスターに襲われることもなく、ゼンベル達はフェオ・ライゾへと帰還した。

「じゃあ、わしはまた報告があるから失礼するぞ」

 ドドムはそう告げて、ゼンベル達と別れる。

「俺はちょいと神殿に行って、この傷治してもらってくるぜ。モモンガたちはどうするんだ?」

 ゼンベルが両腕をぶらぶらさせながら訊ねると、モモンガがゴンド達を指差しながら答えた。

「私はこの馬鹿たちを紹介しないといけないからな、このゴンド経由で説明してくる。その後は少し別件の用事があるな」

「ここでお別れだネ、ゼンベル君。縁があったらまた会おウ」

 モモンガはそう言うと、ゴンドと冒険者達を連れて去って行った。ゼンベルはその後ろ姿を見送った後、神殿へと向かう。

「――疲れたぁ」

 呟くと同時、じくじくと、両腕がとても痛んだ。

 

 

 



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第二幕 蜥蜴人と山小人 其之六

 

『――で、俺としては中身(・・)が気になるんで、さっさと漁ってみたいんだが』

 頭の中に届いた言葉が、如何にもレアコレクターらしくて苦笑が浮かぶ。

「――気持ちは分かるけど、破られる気配はゼロだったんだろう?」

『ああ。〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉で見に行ったけど、あれは単なる爪とぎにされているな』

「じゃあ、必要無いよ。中身が破られるって言うなら、こっそり探して来て欲しいと思うけど」

『ふぅん……。まあ、お前の話を聞くかぎり、一番レアな奴でもしょぼそうな感じだけど』

 かつての旅の仲間が持っていた国宝のことだろう。友人にとっては魅力的なマジックアイテムでは無いが、現地産(・・・)という意味では興味を持っていたのを自分は知っている。

「まあ、そういうわけだからまだ放っておいていいよ」

『連中、くたばりそう(・・・・・・)だけどな。大丈夫かアイツら? 危機意識がヤバいくらい低くて、見てるこっちの方がハラハラしたぞ』

「うーん。そんなにヤバそうかい?」

 訊ねると、友人は断言した。

かなり(・・・)な。俺は野伏(レンジャー)じゃないんで、詳しくは分からないが……それでも、さすがにあの現状であの危機意識の低さはどうかと思ったぞ。近い内にモグラ共に皆殺しにされるんじゃないか?』

「それはなんと言うか……寝覚めの悪そうな話だね」

『まったくだ。……でも、メリット無いんだよなぁ』

「その様子じゃあ、彼らでも無理だったんだ?」

『ああ。鍛冶は得意だって聞いてたんだが……やっぱり、レベルキャップの低さかな問題は』

「れべるきゃっぷ……成長・才能限界という奴だね。君らの血が混ざると、吃驚するくらい変わるんだけど……」

『ああ、あの神人って奴か。俺からしてみれば、俺たちの血が混じってレベルキャップが低くなるとか勘弁して欲しいんだが……はっきり言って、こっちからしてみれば退化だぞ』

 耳が痛い話だ。こちらからしてみれば超進化を遂げているようなものだが、友人達からしてみれば退化以外の何物でもないのは間違いない。

「君が子孫を残せたらもっと色々出来ただろうけど」

無茶を言うな(・・・・・・)。そういうのは他の連中に期待しろ。――まあ、他の連中、こっちに来れるのか分からないが』

「すまないね。当時詳しい話をもっと聞けていればよかったんだけど。片方は不可侵で、もう片方は完全に敵対していたし」

『しかも三〇〇年前の奴はアイツ怒らせてぶっ殺されてたんだったか? 同胞としては、もうちょっとよく考えて行動して欲しいな、本当』

「君は慎重派過ぎるけどね。どうするんだい、私の部屋をこんな(・・・)にして」

 周囲を見回し、友人が必要だと言って置いてあるマジックアイテムの数々を確認する。本当に困ったものだ。

『何を言うかと思えば――まんざらでもない癖に(・・・・・・・・・・)

「――うん。ちょっと……いや、正直に言ってしまおうか。凄く嬉しい」

 これらを見ていると、自分の本能がとっても疼いていけない。腹の下に敷いて、ごろごろと寝そべりたくなる誘惑があるのだ。さすがにアレなので、せめてと友人が邪魔だからと置いていっている、彼の故郷の金貨の上に寝そべるが最高過ぎる。

『お前らの性癖って、困ったものだな本当に』

 デレデレとした気配を声から感じ取ったのか、呆れたような友人の声が頭に響く。誤魔化すように一度咳をして、話を元に戻した。

「――ところで、彼らでも無理そうだったってことは、君も何もせずに帰るのかい?」

『ああ。用は無いし。この山脈は粗方調べ尽くしたから、本気でもう来る意味が無いな。時々依頼にかこつけて、様子見するくらいで充分だ』

「その様子見も、君が頑張って詳しい地図を作ってくれたから君が行く必要は無さそうだけどね」

『そうだな。行方不明者が出たら俺が見に行く程度でいいだろうよ。……次はトブの大森林でも見て回るか』

「それも必要無さそうだけどね。何せ、ほら。私も見たことは無いけれど、あそこは厄介な竜王が棲み処にしているそうだし」

『そうなんだよなぁ……。ダークエルフの遺跡くらいしか、調べるもの無いんだよなぁ本当』

 しかも王国や帝国、それに法国の人間と遭遇する確率がぐんと上がる。帝国の冒険者なら、それほど面倒な事態は起きそうにないが――王国は貴族が面倒なことを言ってきそうだ。そして、別の意味で法国は面倒臭い。

「とりあえず、観光ついでにある程度調べるくらいでいいと思うよ。トブの大森林はダークエルフ以外は魔樹と竜王くらいしか特筆すべきものもないからね」

『魔樹ねぇ……二〇〇年前にお前の友人たちが遭遇した魔物だっけか? まあ、俺の出る幕は無さそうだが』

「そりゃあ君が出張るほどの事態になったら困るよ」

 友人が本気で戦わなくてはならないような相手なぞ、心底いて欲しくない。

「当時の彼らが勝てた強さだから、君じゃあ遭遇しても気づかないかもね。それよりは、あそこを棲み処にしている破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)って奴に気をつけておいた方がいいんじゃないかな。今は封印されているらしいけれど」

『竜王もピンキリ過ぎて、正直扱いに困るんだが。あそこにいた奴、クッソしょぼいぞ。トブの大森林の方も大丈夫か?』

「それは私に言われても困るよ……」

 困った声を出せば、友人の笑い声が響いた。からかっていただけらしい。

『じゃあ、子守りついでに帰ってくるから。土産話に期待していていいぞ。アイツらの迷子の理由、面白かったからな』

「へえ? それは期待して待っているよ」

 通信を切ろうとして――最後に、友人が訊ねた。

『おっと。一応訊ねておくが――なあ、ツアー。ドワーフたちはこのまま放っておいていいんだな?』

 友人の言葉に少し考えて――。

 

「うん、構わないよモモンガ。内政干渉はよく無いからね」

 

 巨大な俯瞰で物事を捉えるツアーは、あっさりとそう言い切った。

 

        

 

「少しの間ですが、お世話になりました」

「泊めてもらって悪いネ。俺たちもモモンガさんと一緒に帰るヨ」

 モモンガと冒険者達はゼンベルとドドムに、評議国へ帰ることを告げた。

「あん? もう帰るのか? 結局お願いはよかったのかよ?」

 ゼンベルはモモンガがドワーフの国を訪ねた理由を思い出し、訊ねる。モモンガは疲れたように答えた。

「ああ。そっちはもういい」

「ふぅん……。で、アンタらも帰るわけか」

「俺たちは依頼もあるからネ。依頼自体は終わっているけド、帰らないと依頼達成にならないかラ」

 依頼人をあまり待たせるものではない、とリザードマンは告げる。

「ゼンベルはまだここにいるのか?」

「ああ。俺はまだここで鍛えておくぜ。――正直、お前ら見てるとまだまだ先は長い気がするしな」

 強くなるために、ドワーフの国を探しアゼルリシア山脈を歩いて武者修行の旅に出た。その過程で、ゼンベルは圧倒的強者というものに出会ってしまった。

 あまりに遠過ぎてさっぱり分からないモモンガ。そして今、まるで巨大な城塞が目の前にいるかのような圧迫感を持つ冒険者チームのリーダーのリザードマン。

 自分は、彼らに遠く及ばない。分かっている。彼らはかつて敗れた、フロスト・ペインの持ち主よりも遥かに強いと。だから比べる必要なぞ無いのだと。

 それでも――強くなりたいという思いがある。フロスト・ペインの持ち主よりも。この目の前にいるリザードマンのオスよりも。強く。

 何故なら自分もまた――オスなのだから。夢を見て何が悪いというのか。夢さえ見られない生涯なんて御免だ。

 だからゼンベルは、もう少しこの山で自分を鍛え抜くことにした。

「そうかイ。先達として、君を応援するヨ」

 ゼンベルの気持ちが分かるのか。リザードマンはゼンベルに向かって手を差し出す。ゼンベルは、その手を力強く握った。互いに、勇気を分け与えるように。

「脳筋オス同士の友情の深め合いはどうでもいいとして、リーダー。なんかすっごい慌てた様子の人達がこっち来るけど」

「うン?」

 冒険者の一人が告げた言葉に、ゼンベル達はそちらを見る。すると、大荷物を抱えた集団が大慌てでこちらへやって来ていた。さすがに驚く。

「なんじゃ? ストーンネイル工房の奴らじゃないか」

 ドドムが呟いた言葉に、モモンガがげっそりした雰囲気で呟いた。

「うーん。連中、まだ諦めてなかったのか? いや、でもあの大荷物は……」

 全員で困惑していると、工匠であろうドワーフがモモンガの前に立った。息を切らしているので整えているようだ。

「どうしました? 一応、何度言われようと駄目ですよ」

「そうじゃないわい。分かっておるわ。そうじゃなくてじゃな――」

 息を整えながら、工匠は告げる。

「このストーンネイル工房は、評議国に引っ越すことにするぞ!」

 ――――。

 一瞬の静寂の後、全員が驚愕の叫び声を上げた。

「ほ、本気ですか? え? 本気で?」

「本気も本気じゃ! この国じゃ研究出来んと言うなら、引っ越せばいい……そうじゃろ!」

 既に国を移動する許可は取ってあると、工匠は意気込んで伝えた。どうやら、元から決めていたらしい。上層部との話し合いでも、もとよりルーン技術は廃れていくもの。ストーンネイル工房はルーン技術を扱う工房の中でもっとも力のある工房だが、それでも引っ越し先に与えても惜しくはないと判断したようだ。

「じゃから! わしはお主らについて行くぞ! 評議国で工房を開き、研究を続ける! あれを伝説からこの世に引き摺り落としてやるわい! ――お主も、評議国の住人ならあれを貸してくれても文句なかろう!」

「え、えぇー……」

 工匠の瞳には、力強さが宿っていた。きらきらと輝いていた。未来を信じていた。ゼンベルには、それが分かった。

 彼は――ストーンネイル工房の者達は本気で、生まれ育った国を捨ててまで、前へ進むのだと決めてしまっていたのだ。

 それが分かったのか、それとも実のところ興味なんて持っていなかったのか。ゼンベルには、分からない。ただ。

「――はぁ。なら、好きにすればいいのでは?」

 そう、モモンガは工匠達のことを肯定した。工匠達はモモンガの言葉を聞き、喜びを顕わにする。

「君たち、せっかくだから評議国まで護衛してやったらどうだ? それで迷子代はチャラにしてやるぞ?」

「迷子代チャラにしてくれるんです? やったー!」

 モモンガにそう言われた冒険者達は、諸手を挙げて喜んだ。どうやら遭難の救助代があったようで、それがこのドワーフ達の護衛で無料にしてもらえると聞いて喜んだのだろう。冒険者達はドワーフ達にそれぞれ自己紹介をしていき、ドワーフ達も世話になる相手に自己紹介をしていく。

「うーむ。何と言っていいのか分からんが……うむ。いや、職人として先へ進みたいという気持ちは分かるぞ。わしは職人じゃないがの」

 ドドムはそう告げ、工匠達に笑顔を見せた。

「じゃあな、マヌケ面ども! 元気で暮らせよ!」

「ふん! 貴様らこそな! ……いつか、わしの名をこの国まで轟かせてやるわい!」

 少し涙を浮かべて、互いに抱き合う。その別れの儀式の後に。

「元気でな」

「ああ」

 それが今生の別れになろうとも。彼らはそんなあっさりとした離別で、ドワーフの国を出て行った。そんな彼らをゼンベルはドドムと見送りながら――モモンガが、ふとゼンベルへ振り返る。

「ゼンベル」

「あん? ――――っと」

 モモンガが、ゼンベルに向かって何か投げてきた。ゼンベルは反射的にそれを掴み、受け取る。

「記念だ。やろう。……山登りにはそういうのを持つのが基本だぞ?」

 ではな。モモンガは最後にそう言うと、彼らを追って去って行った。

 

        

 

 ――――夢を見ていた。懐かしい、武者修行の旅をしていた頃の夢だ。

「…………んぁ」

 ゼンベルは寝そべっていた体を起こし、欠伸を一つする。少し爪で目元を擦った後、立ち上がった。

「っ、おー……」

 体を伸ばすと、バキバキと音がする。リザードマンは基本的に眠りが浅い。しかし、久しぶりにかなり深く寝入っていた気がする。この体のだるさは間違いなく、眠り過ぎによる弊害だろう。

 全身の筋肉を動かしてほぐしたゼンベルは、家から出て階段を下りる。太陽が眩しい。

 家から出てきたゼンベルを見た他のリザードマンがゼンベルへ声をかける。

「族長、おはようございます」

「おう、おはようさん」

 ゼンベルが挨拶を返したのを聞いた後、「では失礼します」と言ってリザードマンは去って行く。何か仕事があるのだろう。

 ……ゼンベルは、ドワーフの国を出てアゼルリシア山脈を下り、自らの故郷であるトブの大森林のリザードマンの集落へと帰って来ていた。武者修行の旅を始めたのは、旅人になりこの集落を出て行ったのは、既に四年も前のことになる。

 この集落に……自らの故郷である、“竜牙(ドラゴン・タスク)”族に帰って来てからも、色々あったとゼンベルは空を見上げながら思い出す。

 例えば、部族に帰ってきてから族長選抜の戦いを余裕で勝ち抜き、族長になってしまったり。

 例えば、主食の魚が獲れず、不漁が続き――他の五部族が戦争になり、二部族ほど消滅したりだとか。

 そして――部族としての形が取れなくなってしまった二部族を、ゼンベルは受け入れた。何故なら、ゼンベル達はそれほど不漁に困っていなかったのだ。

 当然、魚は満足な量を獲ることが出来なくなった。喧嘩が無かったとは言わない。しかし――“竜牙(ドラゴン・タスク)”には、他の部族と違ってあるマジックアイテムがあったのだ。

 それが、『酒の大壷』と呼ばれるリザードマンの部族に伝わる四至宝の一つである。これは酒が尽きぬほどに湧き出て来て、腹を満たしてくれるのだ。

 更に言えば、他の部族と違い力こそが全てという信条を掲げる“竜牙(ドラゴン・タスク)”は、魚を巡って殺し合いをする道ではなく、まったく違う道を選んでいた。もともと、他の部族と交流が無い“竜牙(ドラゴン・タスク)”は、他の部族と戦争になると連合を組まれて数の差で負けてしまう危険性が高かった。

 フロスト・ペインの持ち主であろうと、負けてしまったように。

 そのため、ゼンベル達が選んだのは同族同士での殺し合いではなく――湿地を離れて、陸地に出て陸上生物を狩ることだった。

 リザードマンは雑食性だ。魚が主食ではあるが、別に木の実や果実、動物の血肉が食べられないわけではない。ただ、苦手なだけで。――そう、苦手なだけなのだ。

 故に、ゼンベルは族長として平然と、空を見上げてその日の天気を呟くように、部族の者達に告げたのだ。森の中で、狩りをしようと。

 当然、陸地に出れば危険度は跳ね上がった。湿地に棲んでいるのは自分達が暮らしやすいからだけではない。陸地のモンスターは、リザードマンにとって強敵なのだ。

 だが、ゼンベルは告げた。そんな諸々を無視し、森に入り、動物を、モンスターを狩ってそれを食べる、と。

 異論はきっとあっただろう。だが、“竜牙(ドラゴン・タスク)”は強さこそが全て。圧倒的強者であり族長であるゼンベルが決めたのだから、それが“竜牙(ドラゴン・タスク)”の決定だ。

 そして、彼らは何とかなってしまった。何とかしてしまった。陸地での狩りを成功させ、それらの血肉を食らい、平然と生き残ったのだ。

 同族同士、殺し合うこともなく。もしくは――ひっそりと、罪を犯して生き延びてしまった一族と同じこともせず。“竜牙(ドラゴン・タスク)”はあの絶望的大飢饉の年を、正面から突破したのである。

 勿論、この部族以外にこの方法を取れる部族はいないだろう。陸地で狩りをする危険性を無視する勇気、アルコールでストレスを緩和する方法、強さこそが全てという単純な精神構造――この全てが揃って、ようやくゼンベル達と同じ方法が取れるのだ。

 主食が食えぬなら、他の物を主食として生きていく。これはゼンベルが、アゼルリシア山脈で旅をする上で学んだことだ。いや、たぶん――きっと、この考えは当たり前のことなんだろうとゼンベルは今では思う。

 あの山には、ゼンベルでは勝てないモンスターがいる。どこかの国には、ゼンベルが足元にも及ばない強者達がいる。そう、この世にはゼンベルでは想像も出来ない強者がいるのだ。ゼンベルはそれを知ってしまった。

 だから――ゼンベルは自らの部族を抱えて、知恵を絞りながら生きていく。この世には自分達ではどうにも出来ない存在がいるのだ。そんな相手と戦って勝たなくては主食が食べられないと言うのなら、そんなものは欲しくない。生きていくことこそが重要だ。

 環境の変化とは突然起きるものではない。もしそれが起きた時、何らかの原因があるのだとゼンベルはそれをアゼルリシア山脈で学んだのだ。

 強大な炎竜が縄張りを放棄して、ラッパスレア山が大混乱に陥ったように。

 だからゼンベルは、この故郷を捨てて別の場所へ避難することさえ考えていた。陸地で狩りをするという決定は、部族の者達に食べ慣れない物を食べなくてはならない経験を積ませようとしたからだ。いつか――いつか、湿地から出て行くことになっても、やっていけるように。

 あの時は何とかなった。部族が減り、リザードマンの全体数が減り、魚が行き渡るようになった。でもそれは、本当は何も解決していないだけなんじゃないかと――今のゼンベルは頭の片隅で考えてしまう。

 昔は、夢を見るだけでよかった。前を見て進むだけでよかったのだ。

 でも、今のゼンベルにそれは出来ない。何故なら、ゼンベルは族長なのだ。部族の皆を背負う義務がある。責任がある。これを捨てることは出来ない。捨てたくない。

 だから――ゼンベルはフロスト・ペインの持ち主が死んだと聞いても、決してこの集落を離れなかった。例え、胸にぽっかりと穴が開いたように、空虚な思いが到来したとしても。

 だから――ゼンベルは新しいフロスト・ペインの持ち主に戦いを挑みにも行かなかった。決してこの集落を離れなかった。例え、その新たな持ち主が旅人になり、いずこかへと去ってしまったと聞いても。

 それでも、ゼンベルはここにいる。部族の者達と生きていくのだ。これからも。

「まぁ、それでも――夢は捨てられずにいるんだけどよ」

 自分の胸元を見る。そこには、小さな鳥の翼を象ったネックレスがあった。かつて、モモンガが山登りの必須アイテムだと言って去り際にゼンベルに渡してきたアイテムだ。

 このマジックアイテムに、ゼンベルは幾度か助けられた。崖から落ちそうになった時だとか、空から強襲してきたハルピュイアなどに捕まって、空に放り出された時だとか。

 その度に、この空を飛ぶことが出来るアイテムに助けられたものだ。確かに、山登りの必須アイテムだとゼンベルは納得したものである。

 そして、自分の家にはドワーフがくれた槍がある。使えないからいらないと言ったのだが、出会いの記念だと言われたら受け取らないわけにもいかない。

 ――そうだ。夢は捨てられない。これからも、ゼンベルはこのリザードマン最強の戦士になりたいという夢を捨てられないまま、部族の皆と共に生きていく。

 重荷などではない。ゼンベルは、この責任を好んで背負ったのだ。族長選抜の戦いの時、知っていて族長の道を選んだ。この不自由さを抱えながら生きていこう、と。

 ゼンベルは――どこまで行っても、一人で生きていけるほどの孤独に耐えられないと知っていたから。

「さて、今日も頑張って族長の仕事をやりますかね」

 ゼンベルは目を細めて太陽を見上げて――呟いた。今日も一日、変わり映えのない日々を目指して。

 

 

 



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幕間 万能なる薬草を求めて

 

 リ・エスティーゼ王国。それは総人口九〇〇万とも言われる大国であり、生活圏は二四〇〇〇平方キロにも及び、単純な国土としてはもっと広いだろうと言われている。

 帝国やローブル聖王国、評議国と同じく二〇〇年前の魔神と十三英雄の戦いの後に出来た国家であり、アゼルリシア山脈とトブの大森林の西側に位置する国だ。立地的に、もっとも魔物の侵略に怯えなくてよい平和な国だと言っていい。

 しかし、その平和なはずの国は、まさに太陽の沈みゆく黄昏も同然の有様を見せていた。

 

「――――それで組合長、ご用件はなんでしょうか?」

 王国の首都、王都リ・エスティーゼ。その王都を活動拠点とするアダマンタイト級冒険者“蒼の薔薇”の一人は、冒険者組合の組合長にある日呼び出された。“蒼の薔薇”のリーダーである、神官のラキュース・アルベイン・デイル・アインドラは呼び出された組合長室で紅茶を受け取り、少しの世間話を終えた後で用件を促す。

 元ミスリル級冒険者であった女性の組合長は、ラキュースに促された後も少し言い淀み、それから口を開く。

「実は、トブの大森林に向かって欲しいの」

「トブの大森林、ですか?」

「ええ。そこに、特殊な薬草が生える場所があるんだけれど――」

 組合長が言うには、どんな病も癒す特殊な薬草が生えている場所がトブの大森林奥地に存在し、その薬草を入手してきて欲しいとのことだ。依頼主は、秘密。

 かつてはヴェスチャー・クリフ・ディー・ローファンが率いるアダマンタイト級冒険者チームが、ミスリル級冒険者チームを二つ連れて三〇年前に達成した依頼であり、今度は“蒼の薔薇”にお鉢が回って来たということである。

「ごめんなさい。本来は、貴方たちにも他のチームを寄越すべきだと思うんだけれど……今は難しくて」

「いえ、組合長。そんな顔をしないでください。分かってますから」

 組合長の申し訳なさそうな顔で下げる頭を見て、ラキュースは慌てて顔を上げるように告げる。かつての冒険者チームのように合同チームで当たるべき任務で、ラキュース達に別チームの援護を加えるのが難しいという理由が現在存在する。

 それは、まだ記憶に新しい大事件だ。おそらく、あの事件はこの王国で延々と語り継がれるだろう。あの“ズーラーノーン”の高弟が起こしたエ・ランテルの事件は。

 エ・ランテルはその事件のせいで今もアンデッド達の巣窟であり、生存者は誰もいないという見解が出されている。現在はエ・ペスペルやエ・レエブルなどの周囲の都市が冒険者チームを何度も派遣し、アンデッドの掃討に尽力しているが未だ解決の目処は立たない。エ・ランテルは未だ死の螺旋から抜け出せないのだ。

 そして、王都の方でも更に重要な問題が起こっている。戦士長ガゼフ・ストロノーフの暗殺事件だ。

 ……勿論、表向きは全く違う。エ・ランテル付近の王国国境で目撃されているという帝国騎士達の発見と討伐に赴き、そのまま帰らぬ人に――行方不明になったという話である。

 だが、多少の知恵がある者は皆気づいている。彼はきっと、貴族達に暗殺されたに違いないと。

 戦士長とその部下達が複数行方不明になったことで、ガゼフの率いていた戦士団は解体されることになった。その後、王がめっきり老け込んだというのもラキュースは友人から聞いている。

 そんな不安定な状況のために、冒険者組合もおいそれと人数を割くことが出来ないでいるのだ。

 だが、“蒼の薔薇”は危険な任務であろうと単独でこなせるだけの実力がある。ましてや、ラキュースは知らないがこの依頼は急がなくてはならない理由も存在した。そのため、“蒼の薔薇”に白羽の矢が立ったのである。

「私たちに任せてください組合長!」

 胸を張るラキュースに、組合長はほっとしたように微笑んでその依頼を“蒼の薔薇”に任せた。

 ……そして依頼内容の細部を確認した後に冒険者組合を出たラキュースは、急いで自分達が拠点にしている王都の最上級の宿、冒険者達の集まる宿泊施設へと向かった。宿泊施設に到着した後は、酒場兼食堂になっている場所へ向かう。店の一番奥の丸テーブルに、他の四人が集まっていた。

 大柄な、巨石のような印象を受ける筋肉の塊のような女性の戦士ガガーラン。

 スラリとした肢体を全身にぴったりと密着するような服で身を包み、同じ顔をした双子――本当は三つ子だが――の女忍者ティアとティナ。

 そしてチームの中でもっとも小柄でありながら一番年上の、仮面をつけ、漆黒のローブで全身を覆っている女魔法詠唱者(マジック・キャスター)イビルアイ。

 その四人がそれぞれ、椅子に座り同じテーブルを囲んで思い思いに時間を過ごしている。最初にラキュースに気づいたのは勿論、盗賊系や野伏(レンジャー)系の技能を修得しているティアとティナだ。

「鬼リーダー、お帰り」

「鬼ボス、お帰り」

 二人の呼び方にラキュースは頬を膨らませるが、いつものことなので誰も気にしない。何度訂正しても治らないからだ。

「おうラキュース。組合長は何て?」

 ラキュースが彼女達の傍まで近寄って立ち止まるのを見てから、ガガーランが首を傾げる。ラキュースは先程組合長に依頼された任務を四人に告げた。

「トブの大森林までお使いよ。とある薬草を手に入れて欲しいんですって。まずはエ・レエブル領へ行って、そこからトブの大森林の北に向かうわ。すぐに出発するわよ」

「トブの大森林か……厄介なモンスターが多いが、まあ大丈夫だろう」

 イビルアイの言葉に、誰も文句は出ない。本来ならばもっと慎重にいくべきなのだろうが、しかしイビルアイはこのメンバーの中でも突出した力の持ち主だ。断言するが、イビルアイと本気で殺し合いをすればラキュース達四人は四対一の状況下であろうと、為す術なく殺されるだろう。それほどに、力の差が歴然としているのだ。

 本来、そんなバランスの悪いパーティーを組むなどありえないし、そもそもそれだけの力の持ち主が王国の冒険者をしているというのもおかしな話なのだが――彼女達は気にしない。伊達に長年の付き合いではないのだ。

 そのイビルアイがいるからこそ、大丈夫だと確信が持てる。本気のイビルアイが勝てない存在なぞ、この世にはほとんど存在しないのだということをラキュース達は知っているのだから。

 ――そう、だから彼女達は安心して、しかしそれでも注意しながら彼の人外魔境を数日かけて渡ったのだ。

 油断も慢心もしなかった。彼女達“蒼の薔薇”は順調に、何日もかけて目的地へと進んだ。

 だが――

「……なにこれ」

 そうして苦労して辿り着いた目的地は、状況が一変していた。

「おいおい、どういうことだこりゃあ?」

「全部枯れてる」

「ぺんぺん草も生えてない」

 目的地であろう場所へ辿り着いた時、そこには何も無かったのだ。本当に、何一つ。ただひたすらに荒れ果てた荒野が広がるだけの、朽ち果てた場所。ここにかつて万能な薬草が生えていたとは誰も思わないだろう。

「ふむ。道を間違えたか?」

 イビルアイの呟く言葉には説得力があったが、しかしこの周囲の木々は枯れ、地面は荒れているのだ。何があったのかさっぱり分からないが、多少の場所の差異があったとしても誤差は少ないように思えた。

 そもそも、特殊な薬草の採取出来る場所の周囲で、こんな異常事態に遭遇したのだ。何かあったと見る方がいいだろう。

「少し周囲を探索しましょう。何か分かるかも」

 ラキュースの言葉に頷き、ティアとティナが周囲の地面を見て回る。ラキュースやガガーラン、イビルアイは探索技能に優れていないので、何かあった時のために武器を抜いてすぐ行動出来るようにした。

 ある程度の時間、周囲を探索して回ったティアとティナはラキュース達のもとへ戻って来る。

「……正直、よく分からない。何か巨大な長細いのが何百メートルも這ったような跡が、複数ある」

「戦闘があったにしては、さすがに規模が大き過ぎる。まるでドラゴンでも暴れたみたい」

 ティアとティナの言葉に、イビルアイが「ふむ」と頷いた。

「もしかすると、本当にドラゴンが暴れたのかも知れんぞ」

「どういうことだよイビルアイ」

 ガガーランが首を傾げると、イビルアイがラキュース達にトブの大森林の秘密を教えてくれた。

「実はな、このトブの大森林には竜王(ドラゴンロード)が一体棲みついているという噂が昔あったんだ。この噂が本当だったとすると、暴れたのはソイツの可能性もある」

竜王(ドラゴンロード)……」

 ラキュースは思わず、喘ぐ様に呟いた。というより、全員イビルアイの言葉に顔色が変わっている。ただのドラゴンならばイビルアイでもどうにかなるが、竜王(ドラゴンロード)は数少ない、イビルアイでも勝利が難しい相手だ。

「その竜王(ドラゴンロード)が戦っていたんだとしたら、一体何と戦っていたのかしら……?」

「さぁな。……もしかすると、法国の特殊部隊とやり合ったのかもしれん」

 一番可能性が高いのは、確かにその可能性だろう。法国は亜人や異形種を目の敵にしており、その絶滅を誓っているのだ。実際、その重大な(・・・)任務中であろう秘密部隊と遭遇し、戦った経験が“蒼の薔薇”にはある。

「――――」

 会話していると、ティアとティナが同時に、こっそりと指を動かした。ハンドサインだ。意味は――付近に気配有り。

 瞬間、全員が一瞬緊張する。再度のハンドサインを確認した後、互いにこっそりと目配せを行い、それぞれの役割をこなす。

「とりあえず、もう一度調べましょう。私はこっちを調べるわ」

 ラキュースの言葉に、全員が了解の意を示す。互いが互いの姿を確認出来る位置にいながら、バラバラに探索する――ふりをする。ただ一人を除いて。

 少しした後――

「――わきゃ!」

「――ドライアードか」

 不可視化し、隠れて近寄っていた者を蹴り倒してイビルアイが現れた。イビルアイはこっそり魔法を使って不可視化し、枯れていない木々の合間を渡ってティアとティナのハンドサインで示された、何者かが潜んでいた場所へ向かったのだ。

 小柄なはずのイビルアイによって蹴り出され、木々から姿を現したのは一体の女性の姿に酷似したドライアードだった。ラキュース達はそのドライアードを取り囲む。ドライアードはおろおろとラキュース達を見回した。

「手荒な真似をしてごめんなさい。私たちに何か用かしら?」

 ラキュースは意識的に優しく声色を変えてそのドライアードに訊ねる。ドライアードはおろおろしていたが、ラキュースに促されて口を開いた。

「いや、別に何か用事があったわけじゃないんだけど……。ただ、前に来てくれた人たちが来てくれたのかなって」

「? 前に来てくれた人たち?」

「うん。若い人間が三人と、大きい人が一人、年寄りの人間が一人と、羽の生えた人が一人、あとドワーフの人だよ。たくさん太陽が昇った頃に来た七人組さ」

「…………」

 互いに目配せし合う。かつて、前に来た人間達と言えばローファンが率いる冒険者チームだ。ただし、ミスリル級冒険者チームもいたために、七人組なはずがない。

 ラキュースはイビルアイを見る。イビルアイはその七人組に覚えがあるのか、頷いた。

「ああ、その七人組なら知っているぞ。ただ、もう寿命で何人か死んでいるがな」

「え? そうなの? ……うーん、まあ、いいかな。昔約束してくれたんだけど、もう必要なくなっちゃったっていうことを言いたかっただけだし」

「約束? 何を約束していたんだよ?」

 ガガーランの言葉に、ドライアードは昔の約束について語った。

「えっと。世界を滅ぼせる魔樹を倒してくれるって約束をしていたんだ。でも、少し太陽が昇った頃に来た人が、倒しちゃったからもう必要なくなっちゃった」

「世界を滅ぼせる魔樹だと?」

「うん。ザイトルクワエって言ってたかな。そいつが時折枝分かれさせた奴を暴れさせてたんだけど、前にその七人組の人たちがやっつけてくれたんだ。で、いつかアイツの本体が復活したら自分たちが倒してやるって言ってくれてたんだけど……その。……真っ黒なローブと仮面を着けた人が、その魔樹の本体をぱっぱっぱーってやっつけちゃった」

「……はあ?」

 噂の七人組が頑張って分裂体相手に成し遂げたことを、たった一人で本体相手に成し遂げた存在。そんな存在がいるのかと首を傾げざるをえなかった。何故なら、イビルアイが覚えがあるという七人組は、きっととっても強かったに違いないからだ。自分達よりも。

「仮面に黒いローブ、なぁ……。一応、知っている奴のような気もするが……」

「そうなのイビルアイ?」

「うーむ……。私も、何分()については数回会っただけの、顔見知り程度だ。友人の友人という、かなり曖昧な関係でな。……仮面に漆黒のローブという、魔法詠唱者(マジック・キャスター)然とした姿の時もあれば、確か全身を漆黒の全身鎧(フル・プレート)で覆っている戦士然とした姿の時もある。あまり話したこともなくて詳しく知らん。確か、あの婆も私と似たようなものだと思うぞ」

魔法詠唱者(マジック・キャスター)に戦士ぃ? なんだそりゃ? 魔法戦士でもやってんのか?」

「いや、聞いた話によると本業は魔法詠唱者(マジック・キャスター)で、戦士業は趣味なんだとか。評議国のアダマンタイト級冒険者で、一人で成体のドラゴンも倒せる実力を持つから私と同程度には強いと思うぞ」

「一人でドラゴンを……」

 一人で成体のドラゴンを討伐出来るなど、それだけで英雄級だ。そんな存在なら、確かにこのドライアードの言ったことを出来るかもしれない。

「そんな人なら納得」

「で、その人がどうにかしてくれたからもういいって言いたかった?」

「うん。その人にもお礼が言いたかったんだけど、さっさと面倒そうにどっか行っちゃったから、お礼を言いそびれてさ」

 ティアとティナの言葉に、ドライアードが言葉を続ける。

「それで、君はその人と知り合いみたいだし……もしよかったら、今度お礼を言っておいてくれないかい? 私の本体が近くにあったから、アイツを倒してくれて助かったありがとうって」

「かまわんぞ。今度会ったら、お前の代わりに礼を言っておいてやろう」

「ありがとう」

 イビルアイの言葉に、ドライアードは笑顔を浮かべる。話をしている内にこのドライアードはこの付近に詳しそうなので、ラキュースは気になっていたことを訊ねてみた。

「ねえ、ところでちょっといいかしら?」

「なんだい?」

「この辺りにどんな病気も治せる薬草が生えているって聞いていたんだけれど、心当たりはないかしら?」

「あー……」

 ラキュースがそう言うと、ドライアードは心当たりがあるのか表情を変え、けれど言い辛そうに口をもごもごと動かした。

「おい、何か知っているのか?」

 ガガーランがドライアードの体を小突くと、ドライアードは口をもごもごと動かしながら、ぽつりと呟いた。

「えっと、その……それ、もう無いよ」

「…………え?」

 ドライアードの言葉に呆然とする。

「ど、どうして?」

「どうしてって……そりゃ、うん。その薬草、魔樹に生えてた奴だと思うし。その魔樹、黒い人が爆発させちゃったし」

 まごまごと体を揺らしながら語られた言葉に、ラキュース達は悲鳴を上げた。

「ちょ……! そ、それ……!」

「絶句。これは完璧に」

「任務達成不可能」

「あー! マジかよ! もう存在しねぇとか!?」

「ふむ……参ったな」

 それぞれの悲鳴に、ドライアードは申し訳なさそうな顔をする。

「えっと……必要だったのかい? ごめんね、他にも幾つかの薬草は知ってるけど……あの魔樹に生えてた奴くらい強力な薬草は、私も知らないかな……」

「いや……かまわん。不幸な事故だったと思って諦めるしかあるまい。すまなかったな、もういいぞ」

 イビルアイが手で払ってドライアードを追い払う。ドライアードは「それじゃあ、ばいばい」と言ってこの場から去って行った。後には荒れ果てた荒野と、途方に暮れた“蒼の薔薇”だけが残される。

「……どうしましょう」

 ラキュースは呆然と呟いた。まさか、薬草が魔物に生えていた物で、そしてその魔物が既に討伐されており薬草が手に入らないなどという状況なぞ、想定しているはずもなかった。

「ありのまま告げに王都に帰るしかあるまい。後は冒険者組合が事の真偽を確かめるために評議国に便りを出すだろうさ。……つまり、評議国からの返答次第だな」

「その人、評議国の組合に報告してるかな?」

「分からん。もしかすると、組合には報告していないかもしれん。その場合はあっちの組合が本人に確認を取るだろう」

「――つまり、やっぱり評議国からの返答待ち」

「そういうことだ」

 イビルアイとティアとティナの会話に、ガガーランは面倒臭そうに声を荒げる。

「あークソ! っつうか何で評議国の冒険者がふらっとこんな所にいるんだよ……。こういうの、マジ困るぜ」

「同じ国同士ならまだしも、別の国とは最低限しか連携を取っていないからな。こういうこともある。まして評議国は亜人たちの国だ。王国とはほとんど関係を築いていないのだから、仕方あるまいよ」

 それぞれ帰宅準備を整え始めるが、ラキュースはイビルアイにふと気になって訊ねた。

「ねえ、イビルアイ。その評議国の冒険者の人……なんて名前なの?」

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)でありながら、戦士もこなすアダマンタイト級冒険者。その人物の名前をラキュースは知りたかった。ラキュースは英雄の冒険譚が大好きだからだ。

 イビルアイはラキュースの言葉に、一言呟くように返す。

「――確か、モモンガという名前だったよ」

 

 

 




 
申し訳ありませんが諸事情により一ヶ月ほど更新停止します。
更新再開はおそらく五月くらいからとなります。
 


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第三幕 彼方より来たる 其之一

 

 カツン、カツン。鉱石同士がぶつかる軽い音が室内に響く。

「……ふむ。なるほどね。君の言い分は分かった」

 カツン。男の言葉に合わせて、チェスの黒い駒が動く。その一手を確認し、王国の第三王女であるラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフは美しい白魚のような手で白い駒を掴み、男の一手に対抗した。

「上がってくる報告書を読んで気になってみたので、つい接触してみたが――ふむ。君はまさに精神の異形種。その精神構造は酷く我々に近い。セバスと比べれば、君より本物の異形種であるセバスの方が余程人間らしい精神構造をしているだろうね」

 カツン。また一手。黒い駒を動かした男はしかし、そこで申し訳なさそうな顔をする。

「いや、失礼――。さすがに同胞を人間という下等生物の精神構造に似ている、などというのはこの上ない侮辱だった。後で謝罪をしておこう」

 美しい人間の少女であるラナーを化け物呼ばわりした口で、しかし男はそのラナーに謝罪するのではなくセバスという同僚へ謝罪した。色々と複雑な関係ではありそうだが、男も同僚を人間如きに例えるのは気が引けたのだろう。

 勿論、ラナーには関係のない話だけれど。

「さて……話を戻そう。君の言い分はつまりこうだね。その、クライムという少年と幸せになりたい(・・・・・・・)

「その通りですわ、偉大なる御方」

 カツン。白い駒を進めながら、ラナーは男の言葉に頷く。ラナーの願いはそれだけだ。猿の群れに一人取り残された人間のような、そうした周囲からの無理解によって精神構造が歪に捻じれたラナーは、幼い頃に出逢ったクライムという少年と、幸せになりたい。愛する男と一緒にいたい。鎖で繋ぎたい。犬のように這いつくばって慕って欲しい。それだけを想って生きていた。

 だが、ラナーはこの国の第三王女。しかしクライムは単なる貧民。今は王女付きの護衛兵士という身分であるが、もとはどこの馬の骨とも知れぬ卑しい少年。ラナーと結ばれる可能性は皆無であった。

 故に、ラナーは兄である第二王子と取引し、第二王子を王座に就ける働きをする代わりに辺境に土地を貰いひっそりと暮らすか、あるいは第二王子が懇意にしているあの頭の良い大貴族も共犯に巻き込んで、嫁ごうと思っていたのだが――。

 現在、ラナーは難しい状況にある。ラナーにとっては自明でもあったのだが、しかし王国の崩壊が早過ぎる。本来ならば自分が生きている間には崩壊しないように、立て直しを図る予定だった。

 だが、エ・ランテルの死都化。そして痺れを切らした法国による介入によってもたらされた、戦士長の暗殺。そうした嫌な事件が重なった結果、王国の滅びはラナーが生きている内に起きそうだ。

 それは困る。本当に困るのだ。腐っても第三王女である自分だ。王国の滅びは間違いなく他国の介入ではなく民衆からの糾弾――自滅になるだろう。その時王族の血を引く自分は、多少の人気取り程度では誤魔化せないほどの殺意を持たれることになる。

 勿論、愛する男に守られながら、愛する男と共に命を終える生というのも、中々に素敵だろうとは思う。しかしクライムを馬鹿にされるのは許せない。無知で愚昧な民衆どもに、愛する男を愚弄されて許せる女がいるだろうか。

 だからこそ、ラナーは今かなりの気を遣いながら、メイドを、貴族を、陰から操作していた。そうと露見しないように。

 万能薬になるという薬草を必要としたのも、ここで父親に――王に崩御されては困るからだ。もう少し生きて、粘り、自分に時間を作って欲しい。

 だが、その最後の目論見はしくじった。まさか薬草が魔物に生えていて、しかもその魔物が既に他国の冒険者に討伐されていたとは思いもしなかった。こういう時に、ラナーは自らの手足である王国の情報網のみすぼらしさに舌打ちしたくなる。幸い、その魔物を討伐したという冒険者とは話がつき、組合経由で代わりの治癒魔法の巻物(スクロール)が送られてきたらしいが、さすがのラナーもその込められた魔法は探れない。例の大貴族ならば知っているだろうが、未だラナーは接触するに相応しい機会がなかった。この件に関して知っていることは一つだけだ。

 王国は、その巻物(スクロール)のために国宝を一つ手放した。

「なるほど。なるほど……で、あるならば、私が言いたいことは分かるね。賢い君のことだ」

 カツン。男の手で動かされる黒い駒。ここまで、何一つ男はミスを犯していない。だからラナーも、決してミスを犯さなかった。一手でも油断した瞬間――男は平然と、ラナーの首を折るだろう。

 価値を、示さなくてはならない。役に立つことを、見せなければならない。そうでなければ生き残れない。これだけの頭脳の持ち主だ。ラナーは今までの短い人生で、一度として自分と同格の頭脳と渡り合ったことが無い。故に不利。男の雰囲気は、自らより格上の頭脳とやらが存在することを、疑っていないのだ。

 信じられない悪夢である。この目の前の男より、頭のおかしい持ち主がいる。絶対にいる。そうでなければおかしいほどに、男はラナーの手を読んでいる。慢心はしても、油断はしていない。傲慢なまでの自負によって、男の精神は支えられている。格上がいることも、格下がいることも、男は何も疑っていない。

 ラナーは知らなかった。自分と同じ頭脳の持ち主がいるなんて、一度だって思いもしなかった。

 だから、ラナーは油断も慢心も出来ない。価値を見せなければ。役に立つということを示さなければ。でなければ、自分に未来はない。男は実に呆気なく、ラナーという王国一の美少女の首を圧し折るだろう。そこいらの有象無象と同じように。

 カツン。ラナーも白い駒を動かして一手打った。

「勿論ですわ、偉大なる御方」

 男は遠い場所からやって来た。よって、周囲の情勢について無知である。最初に目を付けたのがズタボロの王国であったとは運が良い。勿論、この国をもっと無様で惨たらしい目に遭わせてやろうという趣味の一環だったのだろうが、ラナーにとっては実に運が良い。帝国に行かれなくて、本当に良かった。

「ところで――」

 カツン。男が打った一手に、即座に一手を打つ。安堵の息が内心で漏れた。なんとか、最後までミスを犯さずにゲームを終えることが出来た。チェスというのは先手が圧倒的に有利だ。同格同士で戦えば必ず先手が勝つほどに。

 だからこそラナーは先手である白を選び、男は後手である黒を選んだ。巻き返しを許すようでは価値が無く、先手で必ず勝利出来ないようならば意味は無い。二人のチェスゲームとは、即ち最初から勝敗の分かりきったゲームであったのだ。

「チェックですわ、偉大なる御方」

「ふむ……」

 男は顎に手をやり、くつくつと嗤った。おぞましい、人間にはとても出せないような、悪魔の笑みであった。男は笑みを浮かべながら片手を持ち上げる。そして――ラナーが気がついた時、チェス盤には黒のキングのみが存在し、他の駒がどこにも存在しなかった。

「今、何かしたかね?」

「いいえ、何も」

 男の言葉に、ラナーは首を横に振る。そうだ、最初から勝ち目など無い。幾らゲームで打ち勝とうと、男がその気になれば、容易く盤上は薙ぎ払われる。

 勝敗は初めから分かりきっている。どれだけ盤上で他の駒が敗北しようとも、肝心のキングが無敵であったならそれは意味を成さない。これは初めからそういう勝負。最初から、ラナーに勝ち目などありはしないのだ。

「君には期待しているよ、お嬢さん。君が献上してくれた情報は、こちらでしっかりと役に立てよう」

 男は席を立つ。カチンカチンと、床で音が鳴った。男の腰から生えた金属質な長い尾が、床を擦る音だった。

「シャドウデーモンを幾つかつけておこう。何かどうしようもなくなった時は、声をかけるといい。場合によっては手助けしてあげよう」

「感謝いたします、偉大なる御方」

 ラナーは椅子から立ち上がり、膝を折って忠誠を示した。勿論、男はラナーが困り果てようと手助けなどしないだろう。ラナーにつけられた魔物は、ラナーの周囲の変化を探り、どう行動するのが一番効果的か見極めようとする監視に過ぎない。

「では、また会おうお嬢さん。君の手腕に期待している。フフ……」

 金属質な長い尾を翻しながら、男が室内の明かりの届かない闇へと消えていく。その姿をラナーは見送り……そして完全に姿が消えた後、立ち上がって自らの影を見た。

「…………」

 この影の中に、魔物がいる。しかしラナーは気にしない。彼らの目的を考えれば、ラナーが期待に応えるかぎりは生かしてくれるだろう。しくじれば即座に首が物理的に飛ぶ命綱無しの綱渡りめいた、危ういものであったが、それでもそうすることが最善手。

 そう……これが最善手だ。彼らに魂を売る。人類を裏切る。それがもっとも幸せになれる方法だとラナーは一目見て理解した。

 あれは勝てない。“蒼の薔薇”でも勝てない。アレはきっと、そういう領域の生き物ではない。おそらく、神話の域にいる魔物だ。それがラナーと同様の化け物染みた知性を使って侵略に来ているのだ。抵抗なぞ出来るはずもない。

 ラナーとクライムが幸せになるためには、これがきっと最善手。

「……クライム。貴方は私が守ります」

 愛する男を思い、ラナーは呟いた。その囁くような呟きは、螢の光のように呆気なく闇に溶けていく。

 

        

 

 絶望と共に、彼らは産声を上げた。

 

 

 ある日、気がつけば最後の支配者が姿を現さなくなっていた。

 それは最後の支配者が玉座の間を訪れた時のこと。幾人かを連れて、美しい白い悪魔をじっと見つめていた日のことだ。彼は何かを思い出すように呟いた後、白い悪魔から視線を逸らし連れ歩いていた部下たちを元の場所へ戻し、そしてギルド武器を手放して足早にこの地下墳墓を去っていった。

 彼がどこへ消えたかは分からない。誰も地下墳墓の外へ向かうことは許されていない。だから彼らは、いつも通りに飽きもせず退屈な日常を過ごしていた。

 幾ら待っても、かかさず地下墳墓へと姿を現していた最後の支配者が還って来なくとも。

 その悲しく惨めな日常が崩れたのは、第一階層から第三階層の守護者がある報告を部下から受けた時である。陽の差し込まぬ地下墳墓の地表に続く道に、日が差し込んでいたと言うのだ。

 その報告を聞いた階層守護者は異常有りと認識し、地下墳墓の外へ一歩出た。そして――美しい吸血鬼の目の前に広がったのは、どこまでも続くような草原と、美しい晴れた青空であった。

 その、あまりに変わってしまった地表部分に、吸血鬼は混乱した。必死に知恵を振り絞り、無い頭で考えて……けれど結論が出ずに、彼女は守護者統括である美しい白い悪魔へと魔法で報告した。

 外の世界を一度も見たことはない彼らであったが、それでも外がどういう世界かは知っていたのだ。だからこそすぐさま階層守護者たちは集められ、第六階層で議論を交わし……外の世界を確認するための部隊の編成が行われた。

 第七階層守護者の赤い悪魔と、第六階層守護者の双子の闇妖精、そして吸血鬼。四者の部下たちと戦闘メイドの人狼。

 彼らは周囲を調査し、知恵のありそうな者達を見つければ地下墳墓へと連れ去り、脳を解剖する。そうして周囲の森と草原周辺を捜し回って出した結論が、ここは自分たちの知る世界――『ヘルヘイム』では無いということだ。

 彼らのいた世界――『ヘルヘイム』は常闇と冷気の世界であり、常に空は厚く黒い雲に覆われている。夜の世界はひたすらに陰鬱だ。水晶平原、紫毒の沼地、氷河城。異形種たちの楽園こそ彼らの故郷。

 だが……ここは違う。『ユグドラシル』の『ヘルヘイム』ではない。

 美しい晴れた青空。のどかな草原。広がる豊かな大自然。これではまるで、話に聞く『アースガルズ』や『ミズガルズ』……人間種や亜人種のサラダボウルである。

 故に、彼らの結論は早かった。ここは『ヘルヘイム』ではなく別の『ユグドラシル』世界なのだろう、と。

 『ユグドラシル』という世界はおかしいもので、その世界は巨大な樹木の形をしている。そこにある葉の一枚一枚こそが一つの世界。この世は無数の世界の集合体なのだ。

 もっとも、その葉を喰らうというワールドエネミー……九曜の世界喰いなる化け物もこの世には存在するようだが。既に討伐されているので、世界滅亡の危機は既に終わったと思っていいだろう。勿論、ワールドエネミーは他にも存在するのだが、『ユグドラシル』を喰らおうとするような気狂いはソイツだけなので大丈夫だろう。

 問題は、世界が複数存在すること。そして自分たちは一度も地下墳墓より出たことがなく、別世界へと渡る秘奥を知らないことだ。

 勿論、偉大なる至高の四十一人は平然とその秘奥を修得しているし、一部のネームドモンスターなどもその秘奥を修得しているそうだが、残念ながら彼らはその秘奥を修得していなかった。手段があることは知っていても、肝心の術式を知らなかったのである。

 偉大なる支配者の一人でもいれば、話は違ったのかも知れない。しかし現在は誰もいない。最後の支配者も帰らなくなって久しい。

 そう……そこで、彼らは最後の支配者が帰らなくなったのではなく、帰って来れなくなったことに思い至った。

 なにせ、この地下墳墓は丸ごと移動してしまっているのだ。間違いなく、ここは『ヘルヘイム』ではない。地下墳墓へと帰還した支配者は、おそらく酷く驚いたことだろう。あるべき場所へ、あるべき物が無いことに。

 これはいけない。非常にまずい。このような不敬が許されるはずがない。

 あの慈悲深き支配者はまず『ヘルヘイム』中を探すだろう。そして『ヘルヘイム』の隅から隅まで探した後に、別の世界を探すはずだ。地下墳墓の姿を探して。

 そのような手間を、支配者にさせるわけにはいかない。支配者にそのような手間をさせるなど、従僕として恥ずべき行為だ。ならばやるべきことは一つ。

 最短で、この世界を支配する。この世界に我らの名を轟かせ、支配者がすぐに分かるようにするのだ。

 そうすれば、この世界に来た途端に支配者に気づいてもらえるはずだ。勿論、支配するだけでは終わらない。世界を渡る秘奥を我々が知らないのなら、他からその知識を奪えばいい。そして『ヘルヘイム』に還るのだ。

 そうと決まれば話は簡単であった。地下墳墓でも一、二を争う頭脳の持ち主である白い悪魔と赤い悪魔は知恵を出し合い、まずは周辺の森や草原を支配することから始めた。更に、人間の大きな国を幾つか見繕い、いい感じに終わっている国家を見つけて、人間種の見た目に変化出来るあるいは人間種にしか見えない者達を情報収集に送り込む。

 最初は慎重だった。慎重すぎるほどだった。しかし――

 一ヶ月も過ぎない頃に、彼らは警戒するだけの理由がこの世界に存在しないことに気がついてしまった。

 弱い。あまりに弱過ぎる。誰も彼も、どこにも自分たちを脅かすほどの生命種が見当たらない。あの大森林に棲息する弱過ぎるゴブリンやオーガ、トロール。リザードマンなど。リザードマン最強というシャシャ兄弟の貧弱さ。争うに値しない。少し小突いてやれば(・・・・・・・・・)、森の生き物たちは、彼らはすぐに格の違いを悟って平伏する。

 人間の国もそうだ。人間の国を調べて、周辺国家最強の戦士が既に死亡していることを知り、ちょうどよく人間狩りの中にいた武技という未知の技術のサンプルとして捕獲した男が、その最強の戦士に匹敵する戦士だと知った時のやるせなさ。舐めているのか、と思ったほどである。白い悪魔や赤い悪魔などは馬鹿にされているのかと憤った。

 だが違う。違うのだ。本当に、彼らは全体的に貧弱な世界で生きていたのである。

 そうと知った時、彼らは警戒を止めた。そんなものよりも、名を轟かせることを重視する方向にシフトしようとしたのである。

 そして――彼らはその無警戒を、ある日唐突に突きつけられた。自分たちが支配者抜きで動かせる最大戦力……階層守護者の吸血鬼が彼らを裏切ったのである。

 その日、吸血鬼はいつものように現地の者たちを従僕化させて、地下墳墓へと連れ帰ろうと出かけていた。吸血鬼の従僕化で安全に、完璧に相手の支配が行えるからだ。

 そうして吸血鬼は外へ出て――そこで何があったのか。吸血鬼はあり得ないことに何らかの状態異常を起こしたのだ。幸い、同時に行動させていた別の階層守護者が吸血鬼に何かした連中は皆殺しにしたが、しかしその階層守護者は状態異常を起こした吸血鬼と戦闘になり、性能で劣っていたその階層守護者は吸血鬼のことを諦めて帰還する他なかった。

 一体何が起こったのか。様々な議論が交わされたが、しかし結論は出なかった。幸い、吸血鬼をその状態異常にかけた術者は排除しているため、放置という選択も取れる。こういった状態異常は、術者以外に命令(コマンド)入力は行えないものなのだ。

 よって、彼らは結論付けた。接触すれば死に至る爆弾として使おう、と。

 吸血鬼は強い。自分たちの中で最強であり、最大戦力である。勿論倒せないわけではないが、急ぎ倒す必要も無いのならそのまま使用すればいい。

 ――勿論、危険はあった。しかし、彼らは仲間想いでもあった。殺して状態異常が解除される保証はなく、至高の四十一人なくして自分たちの蘇生は叶わない。仲間想いでもあった彼らは、必要以上に仲間を殺すことを忌避したい感情もあった。

 彼らにとって、警戒すべきは未知の異能のみ。戦闘能力という意味では、この世界の者たちは圧倒的に自分たちに劣る。比べることさえ烏滸がましい。ならばそれでいいじゃないか。

 だから今も、敵も味方も区別できなくなった美しい吸血鬼は呆けたまま、夢遊病のように地下墳墓に近い草原を彷徨っている。

 そして彼らは、失ったものを求めて、あるかも分からないモノを探し続けている。

 

 今も、ずっと――――。もはや還らないモノを求めて――――。

 

 

 



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第三幕 彼方より来たる 其之二

 

 みち。みち。みち。みち。ぴんと引っ張られ、切れそうで切れない糸の音がする。イビルアイは自らの身体から聞こえる音を、種族的特徴によって高揚しない精神で冷静に判断した。

 端的に言って、油断したと言う他ない。

 王国の王都に潜む外道、“八本指”の持つ拠点の一つであろう場所を襲撃するために“蒼の薔薇”は秘密裏に活動していたのだが、そこで悪魔が出て来るとは思いもしなかった。

 ラキュースとガガーランは逃げ切れただろうか。少なくとも、ティアとティナは死んだだろうな、とイビルアイは上の空で思う。二人は自分と一緒に行動していたから。

 ラキュースとガガーランに魔法で緊急の合図を送ったが、本当に逃げ切って欲しいと思う。自分が為す術なく捕まり殺されそうになっている以上、それも希望的観測であろうが。

 本当に、なんでこんなことになったのだろう。“八本指”の奴らは一体、何を呼んでしまったのだろうか。イビルアイはゆっくりと引き千切られていく身体を呆然と見ながら、過去に思いをはせた。

 

        

 

「――では、交渉は成立ということで」

「……ええ。感謝します、モモンガ殿」

 冒険者組合の一室で、秘密裏に行われた会合。そこにはモモンガと呼ばれた仮面の魔術師と、王国六大貴族の一人侯爵のエリアス・ブラント・デイル・レエブンが互いに机を挟んだ対面の椅子に座って、後ろ暗い取引を行っていた。

 現在、王国の国王であるランポッサ三世は病気である。ただでさえ体調が優れなかったところに、ガゼフの訃報が重なり倒れたのだ。これを治癒するために万能薬のもとになるという薬草を求めたのだが、既にその薬草は失われていた。原因は、レエブン侯の目の前に座るこの仮面の魔術師である。

 しかし仮面の魔術師を責めることは出来ない。彼はトブの大森林で魔物を討伐しただけだ。まして、彼は評議国の冒険者であり、しかも最高位のアダマンタイト級である。王国でもっとも力のある貴族と言っていいレエブン侯であろうと、おいそれと文句を言える存在ではない。例え冒険者という権力から外れた存在であろうと、それは表向きだけだ。実際は、冒険者と言えど所属国の支配から完全に抜け出すことは出来ない。仮面の魔術師との会話は、評議国との会話だと思うべきなのだ。

 だからこそ、評議国に言いがかりに近い難癖の文句を王国が言えるはずがなかった。評議国に文句を言えるような国力のある国家は人間国家の中では法国だけだろう。帝国であろうと、そう易々と文句を言える立場ではなかった。これが現状を理解出来ていない他の貴族たちならば話は別だろうが、レエブン侯は王国の現状がよく分かっている。

 故に、レエブン侯はなんとか評議国の冒険者組合に打診した。高位の治癒系のマジックアイテムなどは存在しないか、と。第五位階以上の魔法の力が宿ったような。

 本来、こういったことは法国に頼むべきなのだろうが、しかし彼らには頼めなかった。理由は、彼の国は王国に見切りをつけてしまっていることだ。彼の国は既に王国には一刻も早く滅びてもらいたいような、そんな思考が垣間見えた。そんな相手に堂々と弱味を晒せるはずがなく……評議国という王国などへとも思っていない亜人たちの国を頼らざるを得なかったのだ。

 しかし、そんな長い寿命を持つ彼らでもこの注文は難しかった。いや、簡単と言えば簡単なのだが、特定人物の協力を避けようと思えば頼れる存在は限られる。

 例えば、永久評議員のドラゴンたち。彼らに頼るという選択肢は、最初から存在しなかった。彼らならば難なく注文をこなすのではないかという予感はあったが、そんなことは出来ない。彼らに王国に来てもらえば目立つし、そして国王を評議国へ移動させるには体力がもたない。

 よって、自由に国家間を移動できる人物――そうなると冒険者くらいで、その冒険者の中でも信仰系最高位の魔法の使い手はドラゴンだ。マジックアイテムに頼るならばそんな超希少マジックアイテムを、王国などという彼らにとっての塵のような国家に渡す希少な精神の持ち主は存在せず……いや、一人しか該当者がいなかった。

 それが、王国が苦悩することになった元凶人物。“漆黒”のモモンガである。人間ではないようだが、見た目だけならば仮面で顔を隠しローブを羽織った人間にしか見えず、彼はちょっとした道具蒐集家(アイテムコレクター)であり、王国の注文に該当するマジックアイテムを所有していたのだ。

 ――つまり、神代の時代のマジックアイテム。高位の治癒魔法の巻物(スクロール)を所有していたのである。

 当然だが、交渉は難航した。モモンガはちょっとした人間贔屓ではあったが、しかしこの希少マジックアイテムを渡すほどの好感度など、自分や評議国とは無関係の王国国民に抱いているはずがなく。王国はそんな希少アイテムと交換出来るようなマジックアイテムなぞ持っていないのだ。他国民どころか種族さえ違う存在に、感情による訴えが効く筈もない。金銭で釣るしかなかった。

 だが肝心のモモンガが、金銭でさえ靡かない。当たり前だ。彼はアダマンタイト級冒険者。王国が用意する金銭などたかが知れている。よって交渉は難航するしかないのだが……この交渉に時間をかけられない理由をレエブン侯は抱えていた。……他の貴族に交渉が漏洩する危険性を。

 王国の危機的現状を認識出来ていない他の貴族にことが露見すれば、当然彼らは口々に好き勝手なことを言い始めるだろう。「我らが献上せよと命令しているのに、冒険者風情が何様だ」――と、このようなことを。そうなれば、当然評議国が黙っていない。王国が先に口出しをしてきたのだから、評議国の口出しを止める方法もない。そうなった時どうなるか――火を見るより明らかだろう。

 よって、レエブン侯はこの交渉を最速で纏める必要があった。悩むレエブン侯を見かねてか、そこでモモンガが提案してきたのが王国の秘宝についてだった。

 曰く、幾つか目の前に持って来てくれないか……と。

 断るのは簡単だ。しかし、その時点でこの交渉には先が無いだろう。王国の四宝物は大切だが、国王の命には代えられない。レエブン侯は国王その人に断って、モモンガの前へ現物を差し出した。

 モモンガはその一つ一つに魔法をかけ、調べていき――興味を引いたのだろう一点。魔化された鎧さえもバターのように切り裂く魔法の剣、剃刀の刃(レイザーエッジ)を指差して告げた。

「これと交換しましょう。このマジックアイテムならば、巻物(スクロール)と交換してもかまいません」

 全て根こそぎ持って行かれると思っていたレエブン侯は、この提案に一も二もなく飛びついた。他には目もくれず、この魔法の剣だけを選んだ理由は気になるが、しかしそんな疑問は後回しだ。今はただひたすらに、時間が惜しい。どの道自分たちが差し出せる物なぞたかが知れている。これで良しとする他無い。

 そうして交渉は成立し、それぞれ物品を交換する。なんとか首の皮一枚繋がったことに、レエブン侯は内心で安堵した。

 ……現状、王国は危機に瀕している。エ・ランテルで起こった事件は幸いレエブン侯の領地に近いため、連日冒険者たちを集め話を聞いたり、自分の領地の兵士たちで下位のアンデッドを討伐したりしているが、それでも解決の目処は立たない。唯一助かったのは、エ・ランテル付近がレエブン侯の領地と、そして王派閥のペスペア侯の領地に近かったことだろう。

 王国は王派閥と貴族派閥に分かれ、日夜権力闘争を続けている。レエブン侯は両者の間を行ったり来たりしてバランスを保ち、なんとか王国の維持に努めているが実際は第二王子を次期国王に推していた。しかし肩入れしているのは王派閥だ。貴族派閥は主に第一王子を推しているのだが、論外だ。王国を保とうと思えば、第二王子以外あり得ない。外からは帝国に侵略され、内では権力闘争。そして“八本指”という裏組織に表まで侵食されているこの状況。頭の悪い第一王子に王位を継承させれば、王国は滅びるだろう。

 故に、今最も重要なものは時間だ。ひたすらに時間が欲しい。それがもっとも得難いものだとは分かっているが、ただ時間が欲しく、惜しかった。国宝の一つを渡してでも、今はランポッサ三世にまだ国王として君臨してもらわなければ困る。第二王子に王位を継承させる準備がまだ整っていない。

「では、私はこれで失礼します」

「ええ……今回は無理を言いました。モモンガ殿」

 レエブン侯に別れの挨拶を告げ、モモンガが部屋を出る。一人残されたレエブン侯は、椅子に深く身体を沈め、深い溜息を吐いたのだった。

 

 

「――出て来た」

 冒険者組合の奥から出てきた漆黒の戦士に、目敏くティアとティナが反応する。もっとも、彼は目立つのですぐに誰でも気づいただろうが。

「モモンガ!」

 イビルアイが手を振ると、それを見つけた漆黒の戦士――モモンガは、“蒼の薔薇”の集まっているテーブルへ歩み寄って来た。

「すまんな。こんなところまで呼び出して」

 イビルアイの言葉に、モモンガが溜息を混ぜて返事をする。

「まったくだ。俺が何処にいたと思っている? エリュエンティウだぞ? そこから評議国まで帰って来てくれなんて言われた挙句、王都まで来てくれなんぞ……俺でなかったら何ヶ月かかったことやら」

「う……すまん。お前が転移魔法を使えて助かった」

 モモンガの嫌味混じりの言葉に、イビルアイは素直に謝罪している。ラキュースはそんな少ししおらしいイビルアイの様子に、驚いた。ティアやティナ、ガガーランもラキュースと同じ反応をしている。イビルアイは基本的に、誰に対しても偉そうな態度を崩さない。こうも素直な反応を返すとは、少し意外ではある。

 もっとも、一応は古い(・・)知人ではあるため、そういう反応を返しただけかも知れないが。

「あの……エリュエンティウに行っていたんですか?」

 ラキュースはおずおずとモモンガに声をかける。今まで知らなかったが、モモンガは一応冒険者にとっては大先輩にあたる年齢と経験値を持つし、それにそれほど深い仲ではない。もっとも深い仲であるイビルアイでも友人の友人という薄い繋がりなのだ。ラキュースの口調は敬語になってしまう。

 しかし、モモンガも初対面に近い相手に対しては年下であろうと丁寧な口調で返すのか、イビルアイに対するような嫌味混じりの気安い口調でラキュースには返さなかった。

「ええ。ちょっとばかし縁がありまして……まあ、十年に一度会いに行く程度の仲なので、また十年程度は間を空ける予定ですけど」

「はあ……」

 エリュエンティウの住人と何の関係があるのかは知らないが、随分と顔の広い男のようだ。イビルアイも初耳だったのか首を傾げている。

「でも、助かったぜモモンガさん。アンタがわざわざこっちまで足を運んでくれなきゃ、ちょっと困ったことになっちまっただろうからな」

 ガガーランの言葉に、ラキュースも慌てて首を下げた。

「本当に、その件についてはありがとうございました。無理を言ってしまって……」

「かまいませんよ。いい物々交換でしたし。まあ、アレで治らなければさすがに私もお手上げなんですが」

「貴重な巻物(スクロール)を吐き出させたんだ。きっと治るだろうさ。誰かは知らんが」

 イビルアイはそう言うが、しかしこの場の全員なんとなく王国の誰が治癒を必要としていたのか察している。ここまで躍起になっているのだ。ただの貴族ではありえず……それに、ラキュースは友人であり第三王女であるラナーから少しだけ話を聞いていた。その友人の彼女に頼まれたから、ラキュースはイビルアイに頭を下げてモモンガに王国まで来てくれるようお願いしたのだ。

「そういえば、出来れば私が王国にいることは秘密でお願いしますよ。私の種族的に、帝国と違って王国を出歩くのは厳しいものがあります」

「ああ、分かっている。お前が異形種だということは、調べると分かるからな。王国では亜人種でさえ、冒険者であろうと歩けんだろう。秘密にしたい気持ちも分かる」

 王国は帝国と違ってそういった寛容さは持ち合わせていない。同じ異形種(・・・・・)として、イビルアイもモモンガの苦労は避けてやりたいのだろう。

「ええ。誰にも言いません。内緒にしておきます」

 ラキュースはモモンガの言葉に頷いた。ラナーにも教えたい気はあるが、モモンガは気分を害するだろう。組合経由でマジックアイテムが送られたことにして、モモンガのことはラナーにも告げないつもりだ。

「ところでモモンガさんよ、アンタこれからどうするんだい? 評議国に帰っちまうのか?」

 ガガーランの問いにモモンガは首を横に振る。

「いえ、少し別の用事があります。それが済んでから評議国に帰りますよ」

「なんだ? 他の用事があったのか?」

 イビルアイの質問に、モモンガは頷いた。

「ああ、この後カウラウとちょっと会って来る。カウラウの奴、探し物をしているらしくてな……彼女は俺よりは使える魔法系統が少ないから」

「なるほど。それなら確かにお前の力がいるだろうな……あの婆は死霊術特化だから、お前ほど幅広く魔法系統を行使出来ない」

「ああ……うん、そうだな……」

 なんだか微妙に言い淀んだような返事をするモモンガに、ラキュースは首を傾げる。しかし意味が分からないのであまり気にしないことにした。

「それじゃあ、モモンガさんはこれからリグリットに会いに行くんですね。私たちにとっても知り合いなんです。もしよかったら、リグリットに会ったらまた私が会いたがっていたって、伝えてくれますか?」

「その程度ならお安い御用ですよ。……じゃあな、イビルアイ。それと“蒼の薔薇”の皆さんも。また縁がありましたら会いましょう」

 モモンガはそう言って、冒険者組合を去って行く。それを見送って、ラキュースたちも椅子から立ち上がった。

「それじゃあ、私たちも行きましょう。ラナーに呼ばれているもの」

 これから自分たちは王国に潜む裏組織“八本指”の力を削ぐ行動をしなくてはならない。そのための打ち合わせをラキュースはラナーの部屋でするつもりだ。

「ああ、いい加減にヤバくなってるしな」

「これ以上の成長は危険。早急に始末をつけないとヤバい」

「同感」

 ガガーラン、ティア、ティナの言葉にラキュースは頷く。“八本指”は成長し過ぎた。危険な麻薬を王国内に蔓延させるだけでなく、帝国にさえその影響を及ぼしている。あまり放置していると、帝国が例年の戦争で本腰を入れて来てしまうだろう。王国と帝国は例年秋に戦争をしており、毎年帝国は王国の国力を最小限の労力で削って王国に犠牲を出させている。だが、麻薬が帝国に悪影響を及ぼし過ぎると帝国も戦争で犠牲が増えるのもやむなしと、本気で王国を潰しにくるだろう。今はまだ、“八本指”の影響が帝国には少ないからクレームをつける程度で収まっているのだ。

 不幸中の幸いとして、エ・ランテルがズーラーノーンの起こした例の事件のせいで潰れたために、今年帝国が王国に戦争を仕掛けてくることは無いというのがラナーの予測であるが……。しかし、王国にとっては帝国に例年通り戦争を仕掛けられた方がマシな被害である。当時エ・ランテルにいた住民は全員死亡ないし行方不明なのだ。ミスリル級の冒険者たちが潰れたのも、人間の国と隣接する場所が無くなったのも痛過ぎる。

 現在王国は、亜人種たちの国である評議国、人外魔境のアゼルリシア山脈とトブの大森林、そしてアンデッドの楽園カッツェ平野に囲まれてしまっていた。一応南部に聖王国や法国が存在するが、別の山脈がかかっていたりあのアベリオン丘陵がその前にある。この中でまともに交易出来そうな場所はもはや評議国だけであり、その評議国も現在の王国ではまともな交渉は見込めないだろう。

 ……致命的だ。もはや少し知恵が回る者なら、王国を捨てて帝国に移住することを考えるが、そのためにはやはりモンスターとの連戦をくぐり抜けなくてはならないという悪循環。冒険者たちでさえ、易々と拠点を移せない異常事態になってしまった。

 ……エ・ランテルは王国にとっても重要拠点なだけあって、冒険者組合の実力や都市の衛士たちの実力も悪い方ではなかった。だが、やはりアダマンタイト級冒険者である“蒼の薔薇”か“朱の雫”のどちらかがいた方がよかっただろう。結果論であるが、どちらかは拠点を移動しておくべきだった。王国を、友人を大切に思うならそうするべきだった。ラキュースは痛感する。自分たちの内のどちらかがエ・ランテルにいれば、こんな一手で致命的な状態にはならなかっただろう。

(……やっぱり、モモンガさんをラナーに紹介しておいた方がよかったかしら)

 評議国で権力者である永久議員の全員とも顔見知りであり、アダマンタイト級冒険者という実力のモモンガ。彼と王家に繋がりがあれば現状を何とかすることが出来るかも知れない。ラナーは異形種であろうと差別はしないであろうし。

 だが、それはラナーをよく知るラキュースだからそう思うのであって、ラナーをよく知らないモモンガにとっては別だろう。彼はラナーに自分のことを知られたら不快に思うに違いない。マイナスの感情を持った状態で親友を紹介したくはなかった。

(まずは、私たちのことを知ってもらってからよね。幸い、顔見知り程度だっていうイビルアイとも仲が悪いわけじゃないみたいだし)

 評議国の付近に行く依頼があれば、今度は率先して受けよう。そうして自分たちがモモンガの信頼を勝ち取ってから、ラナーに紹介するしかない。ラナーならば信頼出来る。そして評議国と渡りをつけることが出来れば、下手に貴族や他の王子たちもラナーを簡単に売ったりは出来まい。親友の地位は安泰というわけだ。出来ればラナーと彼女の騎士には幸せになってもらいたい。

 ラナーと評議国の間に深いパイプを繋ぎ、王国を首の皮一枚で繋げる。そのためには“八本指”の……特に麻薬部門の壊滅は必須条件だ。あれがいるかぎり、誰も王国に協力はしてこない。

(頑張らなくちゃ)

 ラキュースは自分たちと、故郷と、親友のためにより一層決意を固め、仲間を連れてラナーのもとへ指示を仰ぎに向かったのだった。

 

 

 



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第三幕 彼方より来たる 其之三

 

 王都の倉庫区――その幾つもの巨大な倉庫が並ぶ区画にある寂れた小さな倉庫の集まり。その小さな倉庫――とは言っても平民や農民の住む並みの家屋よりは大きいのだが――その一つに、一人の老婆が人を待っていた。

 いや、待ち人を人と呼んでいいのかは分からない。何故なら、彼は一〇〇年より前に存在し、そして今なお全盛期の亜人たちの国の冒険者。

 老婆――二〇〇年前にあった伝説の十三英雄の一人であり、『死者使い』という異名を持つ魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるリグリット・ベルスー・カウラウは倉庫の裏口であるドアがノックされた音に待ち人が到着したことを察し、「どうぞ」と声をかける。

 そのドアは開かない。しかし、リグリットの声が室内に響いた数秒後に、倉庫内で姿を現した存在がいた。漆黒のローブを羽織り、肌をガントレットと仮面で隠して決して見せない魔法詠唱者(マジック・キャスター)。即ち待ち人のモモンガである。おそらく、不可視化の魔法で姿を隠蔽し、別の魔法で壁をすり抜けたのだろう。モモンガはリグリットより幅広い魔法を行使することが出来る、凄腕の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。リグリットと同じようにより魔法系統を特化させて修得していた場合、彼はどれほどの実力者になったのだろうか。リグリットはそのような思いを時折抱く。

「待たせた。少し野暮用でな」

「気にせんでいいぞ。急に用事を頼んだのはわしじゃしの」

 それほど親しい間柄ではなく、王国から遠く離れた場所にいたモモンガを呼びつけたのはリグリットだ。リグリットにとって頼れる凄腕の魔法詠唱者(マジック・キャスター)がこのモモンガと帝国のフールーダしかいないので、必然モモンガに頼むことになる。大昔に何度か会った程度だが、もう片方は色々と性格に問題があるので。

 しかしモモンガはリグリットの言葉に首を横に振る。

「そんなことは関係ない。仕事の決められた時間を守れないのは問題だ。俺は遅刻をするのもされるのも嫌いなんだ。だからこそ、謝らせてほしい。すまなかったカウラウ」

「そこまで気にしなくていいんじゃが……まあ、その謝罪を受け入れよう。モモンガ殿」

 妙なところで神経質な男だ。モモンガの強さならイビルアイと同様に調子に乗ってもいいものだが、彼からはそういった気配はあまりない。ツアーの影響だろうか。

「さて、わざわざここまですまなかったの、モモンガ殿。〈伝言(メッセージ)〉で告げた通り、探し物を手伝って欲しいんじゃが……」

「どんな探し物だ。アイテムくらいならなんとかなるが、さすがに人探しは厳しいものがあるぞ」

「昔、わしが装備していた指輪じゃよ。あれを探して欲しいんじゃ」

 リグリットがそう告げると、モモンガは首を傾げる。

「うん? あの指輪か? よく知らないが、ツアーに貰った物なんだろ? どこかに引っ掛けて抜けたのか?」

「あー……その辺り、少し事情があっての。出来ればツアーにバレる前に回収したいんじゃ。ほれ、さすがにばつが悪いしな」

 あの指輪はツアーに貰った物なのだが、その昔共に旅をした友人から貰った物を無くしてしまって謝るのは最後にしたかった。まずは見つけてから謝るべきだろう。あの指輪はツアーが作った物で、貴重な指輪なのだが製作者のツアーでもどこにあるのか知る術は無い。そのため、道具探知の魔法が必要なのだ。なんとなく、どこにあるのか察してはいるのだが万が一もあり得る。これはモモンガ以外には頼めなかった。

「まあ、気持ちは分かる。友人から貰った物を無くすのは心苦しいし、本人の目を見て謝るのも苦痛だしな。俺も昔友人から貰ったアイテムをどこにやったか分からなくして――いや、まあ落としたと思っていたら、るし★ふぁーの奴が……今はそんな話どうでもいいな、うん」

 自らの記憶にある思い出話に思考が沈みそうになっていたモモンガが、気まずそうに呟く。そして懐から幾つか巻物(スクロール)を取り出した。

「確認するが、例の指輪を落とした場所に心当たりは?」

「たぶんじゃが、法国の可能性が高いの。拾われておるかも」

「ふむ……そうなると、少し警戒が必要だな。念には念をいれておくか」

 モモンガが幾つも取り出した巻物(スクロール)を使い、魔法を唱えていく。彼は用心深く、探知魔法を使う際は必ず幾つか魔法を発動させていた。以前見た時は精々三つか四つであったが、今回はそれに加えて更に魔法を増やしている。法国を相手にする時のモモンガは更に用心深い。

 ――もっとも、彼は本来これに更に特殊技術(スキル)による強化や対策をかけるのだが、法国が相手ならばまだそこまでの対策は必要ではなかった。

 よって――。

「〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉――――え?」

 瞬間、モモンガとリグリットのいる場所を中心に、倉庫区の倉庫が幾つも爆発した。

 

        

 

『――アルベド』

 ――まるで、神話の中にいるようなこの世の華美を全て詰め込んだかのような、そうとしか形容することが出来ない場所。一つの世界に匹敵するほどの能力を備えた玉座が飾られた間で、この主のいないナザリック地下大墳墓の統治を行っていた白い悪魔――守護者統括の地位を持つアルベドは、自らの頭の中に響いた硬質な声に返事を送る。

「どうしたの、コキュートス」

 コキュートスは第四階層の階層守護者だ。現在は別の用件のために護衛をつけて少し外に出ているのだが、普段はナザリックの警備を行っている。そのコキュートスからの珍しい、〈伝言(メッセージ)〉の魔法にアルベドは首を傾げた。勿論、内心ではコキュートスがそのようなことをする以上、緊急事態であろうと思い第七階層守護者の赤い悪魔デミウルゴスに連絡を入れようとしているが。

『私ニカケテモラッテイタ攻性防壁ガ発動シタヨウダ。逆探知ヲカケタ方ガイイノデハナイカ?』

「――すぐに姉さんに連絡するわ。コキュートスはそのまま警戒していてちょうだい」

『了解シタ』

 アルベドはコキュートスとの連絡を切ると、デミウルゴスにすぐに指示を飛ばす。

「オーレオール! 聞こえていたわね!? デミウルゴスに連絡を入れて! それから私をすぐに第四階層の姉さんのところまで転移させてちょうだい!」

 玉座の間を出たアルベドは、即座にナザリックの転移魔法を管理している領域守護者の手で目的地へと転移させられる。デミウルゴスならば先程の会話を伝えられるだけで何をするべきか判断するだろう。

 目的地へ転移したアルベドは赤ん坊の人形を掴み、扉を開ける。扉の中の部屋から赤子の泣き声が不協和音として響き渡り、黒い喪服の……それも顔面の皮膚を引き剥がされた女が巨大な鋏を携えて絶叫しながらアルベド目がけて疾走してきた。

「どうぞ、姉さん」

 アルベドが手に持っていた赤ん坊の人形を渡すと、女はアルベドの目の前で停止し、人形を受け取る。態度はころっと変貌した。

「私の可愛らしい方の妹、ご機嫌よう」

「ごめんなさい、姉さん。急いでいるの。すぐにコキュートスに情報収集系魔法を使用した相手を特定してちょうだい」

「あらそうなの。ちょっと待っていなさい」

 アルベドが姉と呼ぶ女……ニグレドは情報収集系の魔法に特化した魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。このよく分からない世界に来てたぶん数ヶ月ほど経過したが、ニグレドの魔法を防げるような存在は見つかっていない。いや、正確には一度遭遇したのだがコキュートスが皆殺しにしてしまった。レベル的に戦闘メイドであり神官職のルプスレギナの蘇生魔法に耐えられるレベルであったので、蘇生魔法をかけたのだが彼らは全く反応しない。緊急事態であったためにしょうがなかったが、惜しい存在を殺し尽してしまった。

 ニグレドが映像を流し、アルベドにも確認出来るようにする。そこはアルベドたちからするとみすぼらしい倉庫街のような場所で――爆発で幾つも倉庫が消し飛び大騒ぎになっている。

「生命反応は無いわ、妹よ。〈爆裂(エクスプロージョン)〉で犯人は消し飛んだんじゃないのかしら?」

「そう……誰か転移魔法を使用して逃げた形跡は?」

「無いわ。あれで死なないような強さの存在も見つからないし、周囲の生存者は全員一般メイド並みに弱そう。転移魔法で逃げた様子も無いんだからやっぱり死んだんじゃないかしら」

「そうね……ここはどの辺り?」

「手に入れた脳味噌で作った地図によると、たぶん王国の王都。向こうも探知妨害をしていたから少し手間取ったわ」

 ニグレドの言葉に、アルベドは眉を顰める。

「……探知妨害、してきたの?」

「ええ」

「失礼しますよ、アルベド。ニグレド」

 新たに室内にもう一人。アルベドが連絡を入れたデミウルゴスだ。

「コキュートスにはまた攻性防壁を仕掛けておきました。それと、オーレオールたちにも一時的な監視の強化を。件の犯人は見つかりましたか?」

 眼鏡にスーツを着た細身の男。デミウルゴスの言葉にアルベドは首を横に振った。

「いいえ。というよりも、さっきので死んでしまったみたい。場所は王国の王都よ。ただ――こちらからの探知妨害をしてきていたらしいわ」

「ふむ……そうなると、犯人は法国ですかね?」

「可能性としてはやっぱりそうなるかしら」

「現状、そういった経験がありそうな連中は帝国の第六位階を使用する魔法詠唱者(マジック・キャスター)と、法国くらいのものです。それと評議国ですね。まあ、勿論この周辺国家より更に視野を広げれば分かりませんが……コキュートスを探る必要があるような存在は、例の連中の仲間くらいでしょう。コキュートスには、指輪を持たせていましたし」

「あのマジックアイテムね。確か、一番強い槍遣いが持っていたアイテムだったかしら」

「ええ。コキュートス曰く彼が一番強かったのだとか。命令を飛ばすリーダーであったようですし。勿論、他の連中もそれまでに集めた連中と比べれば雲泥の差であったのですが……。やはり、シャルティアの件があったとはいえ短絡に過ぎましたね」

「仕方ないわ。コキュートスにそこまでしろ、というのは酷よ。むしろ彼はよくやったわ。一番厄介な世界級(ワールド)アイテム持ちに逃げられずに済んだんだもの」

「ええ。もしそちらに逃走を許してしまっていた場合、シャルティアはどうしても殺す必要が出てきました。御方々がお隠れになっている以上、戦力を減らすのは得策ではありません」

「……デミウルゴス、まだモモンガ様はお隠れになったと決まったわけではないわ」

「――失言でした、アルベド。ニグレドも」

「気にしないで」

 アルベドの言葉に、デミウルゴスが唇から血が滲むように噛み締めて頭を下げる。それをアルベドとニグレドは止めた。そうだ。まだ、ナザリックの誰も信じていない。ナザリック最後の支配者であるモモンガがナザリックを去ったなどと。

 証拠はある。自分たちの現在の居場所だ。明らかに『ヘルヘイム』ではない。外の世界のことはよく知らないが、異形種の楽園である『ヘルヘイム』でも『ムスペルヘイム』でもこの世界は無いだろう。

 主はナザリックを去ったのではない。自分たちの方が、予期せぬ転移をしてしまったのだ。

「他の死体とアイテムはナザリックに保管中ですし、さすがにナザリック内部を探知するのは不可能――ですね?」

「ええ。オーレオールやシズの話では不可能だそうよ。パンドラズ・アクターがこの場にいればもっと詳しい話が分かったのでしょうけれど……」

 アルベドの俯き気味の言葉に、デミウルゴスも顔を伏せる。それが無い物ねだりであることを知っているからだ。

「不可能ですね。私も詳しくは知りませんが、パンドラズ・アクターは宝物殿の領域守護者……。指輪を持たぬ私たちでは接触不可能です」

「マジックアイテムに関してはきっと彼が一番詳しいはずよ。宝物殿の管理をしているのだし……ナザリックの財政管理もしているはずだから、異常事態には気がついているかも知れないけれど……宝物殿から出るのは不可能なのが痛いわ。知恵を合わせることが出来れば、もっと良かったのだけれど……」

「仕方ありません。〈伝言(メッセージ)〉も通用しませんし……やはり、一度も会ったことが無いせいでしょうか」

「でしょうね。おそらく、至高の御方々以外にパンドラズ・アクターと連絡を取るのは不可能と見るべき、か」

「ならば我々だけでどうにかするしかないでしょう。ルベドやガルガンチュアが動かせるならば戦力としてはよかったのですが……」

 アルベドはデミウルゴスに首を横に振る。

「駄目よ。妹やガルガンチュア、ヴィクティムにオーレオールは御方々の命令無くして動かせないわ。というより、ヴィクティムやオーレオールを持ち場から動かさないといけないなら、それは致命的失策を私たちが犯したということ」

「分かっています。ルベドを動かすような事態とは、我々の籠城戦を意味しますからね。今のところ、その気配が見えないのが幸いですが……」

「……やっぱり、マジックアイテムに詳しいパンドラズ・アクターと接触出来ないのが苦しいわ。彼がいれば、シャルティアの現状もどうにか出来たかもしれないのに」

 今も夢遊病に侵されたように草原を彷徨っている階層守護者に、アルベドは沈鬱になる。それはデミウルゴスや横で二人の会話を聞いていたニグレドとて同様だ。アレは自分たちの手痛い失敗だった。

「幸い、刺激を与えなければいいというのを知っているは私たちだけです。ましてシャルティアなら戦って負けることはまず無いでしょう。命令が無いので一定以上の距離を行動しませんし。守護者としての使命は、まだ全うさせることが出来ます」

「…………ええ。彼女はまだ、ナザリックを守る守護者だわ。殺す必要は無い」

 二人はそう結論付けて、話を戻す。

「話を戻しましょう。探知しようとしたのは、まず間違いなくコキュートスに持たせている例の指輪ね?」

 アルベドの言葉に、デミウルゴスは頷く。

「間違いないでしょうね。私たちでは効力を少し知ることしか出来ませんでしたが、コキュートスやシャルティアのような戦士系に持たせることに意味があるマジックアイテムです。例の槍遣いが装備していたのも当然ですね。あのマジックアイテムは躍起になって探すでしょう」

「そうよね……。コキュートスには外から入手したアイテムはあの指輪しか持たせていないから、探知されるような物はそれしかないもの。そして指輪の持ち主である人間の強さと今の探知魔法の情報から、彼らは法国の連中と見ていいわね。やっぱり、最優先で法国を攻め入るべきかしら。法国ならばプレイヤーがいるでしょうし……私たちが知らない、あの世界を渡る秘奥を持っているかも」

「ええ。ですが、同時に警戒すべきです。そこいらの下等生物たちはどうでもいいですが、プレイヤーは私たちでさえ警戒が必要だ。まだ御方々全員がおられた頃、侵攻してきたプレイヤーども……連中は、第八階層で御方々が殲滅しましたが、私どもは破れました。無論、今度は敗北などしませんが……」

「分かっているわ、デミウルゴス。戦いは始まる前に終わらせること……戦うのは必勝の土台を用意してから、ね」

「その通りです。今の我々に――勿論、昔の我々とてそうですが――敗北は一度として許されません。欠員を出してしまえば、私たちが『ヘルヘイム』に帰還した際、慈悲深きモモンガ様はさぞ悲しまれることでしょう。まず必勝の策を用意し、それから戦闘を仕掛けるべきです。まずは情報収集で法国を丸裸にし、ドラゴンたちがいるという評議国は最後に回します。さすがの我々も、プレイヤーでなくともドラゴンを相手にするのは注意が必要だ」

「ええ、そうね。それで、一応王国に潜ませているセバス、ソリュシャン、ユリから何か報告はあった? 王国は裏だけ支配して、評議国の盾に最後まで残しておくのでしょう?」

 セバスにソリュシャン、ユリは見た目だけなら人間にしか見えない者たちだ。他にも人間にしか見えない姿の者はいるが、他は外には出せない秘密を抱えていたり、別の部署の方が役に立ったり……そういった者たちのために人間の国で情報収集はさせられない。

 更に、王国は魔法詠唱者(マジック・キャスター)を軽視しているために、見破られる危険性が少ない。冒険者なる存在とて、そうやたらめったら看破の魔法を使用もしないだろう。性格も柔軟で人間に対して問題を起こす可能性が少ないため、最適な役割分担だった。

 セバスとユリがその優しさのために少々問題を王都で起こしかけたが、幸いソリュシャンに言い含めておいたためにソリュシャンが二人を説得し、二人は件の人物に苦痛なき死を与えることで合意した。勿論、その死体は持ち帰ってナザリックで有効活用させてもらったが。ナザリックのために働けて、彼女も幸せだろう。

「王国についてなのですが、セバスからの報告で面白いことが分かりましたので、この後少し出てきます。これがうまくいけば、王国は裏表完全に支配出来そうです」

「そう、楽しみに待っているわ。エ・ランテルについてはどうするの?」

「そちらもティトゥスにアウレリウスをお借りして、対処する予定です。近い内にズーラーノーンでしたか? あちらごと根こそぎ持って行きましょう。ただ、エ・ランテルはしばらくは解決させない予定です。エ・ランテルにはしばらく帝国の盾になっていてもらいますから」

「分かったわ。ティトゥスに話を通しておきます」

「頼みますね、アルベド。ではお二方、また後で」

 デミウルゴスが去って行く背中を、姉妹二人で見つめる。見送った後にニグレドはアルベドに声をかけた。

「ところで妹、監視はどうする?」

「もういいわ。幸い、あの倉庫区は“八本指”の息がかかっている場所ばかり……何もしなくても、“八本指”のせいになるでしょう。それに、デミウルゴスが帰り際にどうにかするでしょう。私はコキュートスにもう警戒を解いてもいいと伝えてくるから。……姉さん、ありがとう」

「いいってことよ、妹よ」

 アルベドの言葉にニグレドは茶目っ気を出したように親指を立てて答えた。それにアルベドは苦笑し、ニグレドの部屋を去って行く。

 そんな妹の姿を見送って――室内に一人残されたニグレドは寂しげに呟いた。

「ああ……本当に、スピネルを動かすような事態にだけは、ならないで欲しいわ」

 スピネル……ルベドは、ニグレドとアルベドの末の妹は、自分たちとは全く違う創造の仕方をして作られた。あれは決して、胸襟を開いていい存在ではない。

 あれはきっと、ナザリックに大いなる災いをもたらすだろう。

 だから、あれは動かしてはならない。ルベドは起動させてはならない。もし自分たちが追い詰められることがあって、ルベドを起動して敵対者全てを粉砕したその後に――ナザリックは、彼女の存在によって滅ぶだろう。

「……早く、『ヘルヘイム』に帰らなくては。モモンガ様のもとへ……致命的な失敗を犯すその前に」

 ニグレドはそう呟き、赤子の人形をそっと抱き上げた。

 

 

 



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第三幕 彼方より来たる 其之四

 

 王国に潜む“八本指”に対して、“蒼の薔薇”は度々襲撃を仕掛けている。それは友人であり王国の第三王女からの極秘依頼であり、冒険者組合を通さない危険な行為だ。だが、そうしなくてはならない理由がある。“八本指”は育ちすぎ、かつ王国が王派閥と貴族派閥に対立しているために国家所属の兵士たちでは迅速な対応が取れないのだ。

 更に、王直属の戦士団は戦士長であるガゼフを暗殺され、王の力は減退した。ここぞとばかりに貴族派閥の者たちに付け入られ戦士団は解体してしまうことになる。結果として、信用できる兵士さえいなくなってしまった。

 そのため、ラナーの個人的な伝手でラキュースたちが動かざるをえないのだ。しかし、圧倒的に人手が足りず単なる時間稼ぎにしかならない。それでもやらないよりはマシであるために、ラキュースたちは動いていた。

 つい先日ラキュースたちは“八本指”の重要な資金源の一つである麻薬栽培をしている村を襲撃し、村を一つ焼き払った。村人に被害は出ただろうが仕方がない。これも多数のための少数の犠牲だ。

 そして、そこで暗号文が発見され七つほど拠点らしきものが露見することになる。ラナーが暗号文を即座に解読してくれたおかげだ。話し合いで、それは一箇所ずつ極秘裏に襲撃し、潰していくことが確定した。

 そして……ラキュースたちは今、その襲撃場所の一つに向かっている。

「しかし、倉庫区で謎の爆発騒ぎとは……何があったんだろうな?」

 襲撃場所の一つに向かう途中、ガガーランが小さな声で呟く。それは記憶に新しく、つい先日の出来事だ。

「わからん。どうせ、“八本指”の連中が何か仕入れて下っ端が使い方を誤ったんだろう」

 イビルアイはガガーランの言葉にそう返し、先を急がせる。

「それより、そろそろだぞ。行動を開始しろ。私とティアとティナが先行する。お前たち二人は合図を待て」

「ええ、お願い三人とも」

 ラキュースはイビルアイとティアとティナにそう声をかけ、三人はラキュースに頷いて姿を消した。魔法と特殊技術(スキル)で不可視化したのだ。よほどではないかぎり、これで三人は見破れない。

 三人がまず先行し、周囲を探索。それから合図を待ち、前衛をガガーランに後衛をラキュースにして突入だ。これが五人の“八本指”襲撃のパターンだった。まずは厄介な〈伝言(メッセージ)〉を使える者たちを、三人で行動不能に陥らせる必要がある。ガガーランとラキュースは三人ほど速度が無いために、行動すると向こうに先手を打たれる危険性がある。“八本指”には“六腕”と呼ばれる凄腕の護衛がいることもあるので、強襲するにしても警戒は必要だった。“六腕”は自分たち――イビルアイを除くが――互角の実力を持つ。

 だから――

「え……?」

 イビルアイが魔法で緊急の連絡を送ってきたことに、ラキュースは心底驚いた。空に浮かぶか細い灯火。今にも消えそうな光が浮かべるその色の意味は……即時撤退。脇目も振らず逃げろという、危険な合図だった。

「ガガーラン!」

「おう!」

 ラキュースはガガーランと顔を見合わせ、即座に撤退を選び来た道を全速力で走る。イビルアイは強い。自分たちが救援に向かっても足手纏いにしかならない。だからこそ、即座に撤退を選べる。

 イビルアイなら勝てる。あるいは、イビルアイなら逃げきれる。ここで重要なのは、復活魔法の使えるラキュースが死亡しないことだ。ラキュースが死にさえしなければ、例え死んでもまだ希望はあるのだから。

 しかし――

「…………ぁ」

 空から、ラキュースとガガーランの目の前に一体の悪魔が降って来た。広げていた翼を閉じ、悪魔は二人に視線を合わせる。

 身長は二メートルほどだろうか。筋骨隆々な肉体だが、爬虫類を思わせる鱗に包まれて、蛇のような長い尾がのたうっている。頭部は山羊の頭蓋骨があり、その眼窩には青白い炎が灯っていてじっと二人を見下ろしている。

 簡単に人間の骨を砕いてしまいそうな筋肉質な太い腕に、人間を一撃で挽肉にしてしまいかねない巨大な大金槌(モール)を携えて。

 恐ろしい鱗の悪魔はじっと、ラキュースとガガーランを見つめていた。

「…………」

 その恐ろしい悪魔を目の前に、二人は武器を手に取って構える。自分たちの武器が酷く頼りなく思えた。全身から冷や汗が止まらず、本能と理性が自分たち二人だけでは絶対に勝てないと警鐘を鳴らしている。

 だが、この悪魔を倒さないかぎり前へは進めない。逃げられない。

 だから二人は覚悟を決めて、武器を手に取った。もはや生き残る方法はたった一つ。イビルアイがどこかで何かを足止めしているその内に帰ってくるだろうティアとティナを待ち、二人と合流するまでこの悪魔の攻撃を耐え忍ぶしかない、と。

 絶望的な戦いが、今まさに始まろうとしていた。

 

        

 

 時間の存在も不確かな、漆黒の海。

 自分が何か分からない。

 ここがどこなのかも分からない。

 ただ、全身が蕩けて自分という境目さえ分からない。

 蕩ける。消えていく。無くなる。不確かな境界線。自分とは何か。感覚は無い。目は開けているのか。手は動くのか。足は。自分はどこだ。分からない。ただ漆黒の海を揺蕩う。

 何も分からない。ただ、消えていく。蕩けていく。

 何かが自分を掴む。水の中の海月を掬い上げるように。ゆらゆらと引かれていく。どこかへ。感覚が無いから何も分からない。ただ引かれていく。

 それは、完結していたはずの壊れた世界。

 本当は閉ざされていたはずの小さな箱庭。

 穴が開いている。小さな、けれどぽっかりと致命的な穴が。

 完結した世界。壊れた箱庭。取り戻せない黄金。致命傷染みた諦観による支配。堕落した愛情。

 苦しい。辛い。寂しい。自分を海から引くその手が、ただひたすらに哀れだった。

 そして、全にして一から離脱する。

 

「――――む、ぐ……ぁ」

 気がつけば、リグリットの身体は酷く硬直し、そして気怠かった。先程まで何か感じていたはずだが、何も覚えていない。覚えている最後の記憶は……

「気がついたか、カウラウ」

「やあ、無事に生き返ったみたいだね友よ」

 リグリットは二つの声に驚き、うまく動かない身体を必死に動かして声の方向に視線を向ける。それはすぐに視界に入った。漆黒のローブを羽織ったアンデッドと、白金色の鱗のドラゴンがじっと自分を上から覗き込んでいる。

「な、なにが……」

 リグリットは呆然と二人を見上げた。アンデッド……モモンガが口を開いてリグリットに説明する。

「覚えていないか? お前が俺に探し物を依頼して、俺が魔法を使った後向こうが攻性防壁を発動させて、辺り一帯消し飛ばしたんだがな」

「さがしもの……あぁ、思い出してきたぞ……」

 そうだ。確か、リグリットはモモンガに探し物を頼んでいたのだ。ドラゴン……ツアーから貰った大切な指輪を無くして、モモンガに探してくれるよう頼んだのだ。それで――自分の視界が閃光で潰された後の意識がまるで無い。先程のツアーの発言を思い返してみるに……。

「わしは……死んだのか、モモンガよ」

「ああ。さすがに、あの位階の魔法をお前のレベルで喰らえば死ぬだろうよ。あの後は大変だったぞ? 相手の逆探知に気をつけて、死んだふりをする羽目になったからな。察知された場合の対策を覚えていてよかった」

 ぷにっと萌えさんに感謝だな。モモンガはそう呟き、そしてじろりとリグリットを見つめる。

「さて、カウラウ。あのレベルの攻性防壁は明らかに、法国が相手ではあり得ない。一体、お前は何を相手にしていたんだ? 指輪を無くした状況を詳しく話して欲しいもんだがね」

「私も気になるね、リグリット。君、あの指輪をどんな状況で無くしたんだい? 私に知られるのはばつが悪いんだろうけれど、さすがにこの状況では教えて欲しいもんだよ」

「あー……うむ、すまん。しかしわしにも何がなんだか分かっておらんのんだが……」

 リグリットは二人に詳細を話した。ツアーから貰った指輪は、既に別の信頼出来る若者に渡していたこと。その若者が法国の特殊部隊であろう聖典の何れかに、暗殺されてしまったこと。若者の死体は見つかっておらず、おそらく蘇生を阻止するために法国が回収したのだろうこと。指輪は、そのまま法国に流れてしまったのだろうと思ったこと。

「場所さえ分かれば、わしが一人侵入して回収出来るかと思ったんじゃがな……。だから、さすがにこれ以上のことはわしにも分からんわい」

「……確かにそうだな。これでは状況証拠的に法国の連中が持っていないわけがない」

 リグリットから一連の話を聞いたモモンガは、考え込む。ツアーも少し目を閉じて思考しているようだ。そして、少ししてツアーが瞳を開いた。

「うーん……考えられるのは法国が指輪を誰かに持たせて、その誰かは別の誰かに殺されたってところかな」

「やはり、それしか考えられないか。どういう指輪なんだ、ツアー。性能が分かったなら、俺も法国の漆黒聖典の連中には会ったことがあるから、誰が持っていそうか分かりそうなものなんだが」

「君に分かり易く言うと、戦士としての強さを本人の才能さえ超越して限界突破させるマジックアイテムさ。もう成長できない強さの完成形なのに、そこに更に追加で戦士として才能を突破させるんだ。……魔法詠唱者(マジック・キャスター)の君には珍しいだけのゴミアイテムだね」

「戦士レベルの限界突破ぁ? それは、とんでもない性能のアイテムだな。俺には何の役にも立たんゴミアイテムだが、確かに近接系プレイヤーにとっては涎もの…………あー……あー! 法国で誰が持っていたか分かったぞ! そんな貴重アイテム、装備させるなら漆黒聖典のあの男しかいない!」

 モモンガが叫び、頭を抱える。漆黒聖典と顔見知りだということにも驚いたが、心当たりがあることにも驚いた。

「なんだい、モモンガ。君が漆黒聖典と会ったことがあるってこと自体初耳なんだけど、それに加えて心当たりもあるのかい?」

「ある……あった。しかし……あの男を倒してドロップ品を回収出来る実力者となると……あー……マジか。マジか……メンドクセー!」

 モモンガはそうしてしばらく頭を抱えた後、リグリットに視線を戻した。

「……指輪の件は俺が何とかしよう。ツアーの大切な指輪だしな。回収は俺がするから、カウラウ。お前はこの件からは手を引いて置け」

 モモンガの言葉に、ツアーが瞳を細める。

「君がそう言うってことは……ぷれいやー関連かい?」

 ぷれいやー。ユグドラシルという世界から来た、奇妙な旅人たちのことをこの世界ではそう呼ぶ。例えば法国が信仰している六大神もぷれいやーであり、そして悪名高い八欲王もまたぷれいやーだ。伝説の十三英雄もまた何人かぷれいやーが混じっていた。

 ……そして、リグリットはモモンガとツアーの会話で初めて、モモンガもまたプレイヤーであることを知った。友人の友人という関係で、あまり交流が無いものだから知らなかった。リグリットは驚きでモモンガを見つめる。

「十中八九そうだろうな。そうなると……あー、面倒な……。あの件もプレイヤーが関係しているか……。本当にめんどくせー」

 モモンガがグチグチと独り言を呟く。そんなモモンガを尻目に、ツアーはリグリットに視線を移した。

「すまないね、リグリット。指輪の件は、しばらくモモンガと私が預かるよ」

「ふーむ。ぷれいやー……ぷれいやーのう……。仕方ない。ぷれいやーのことは、同じぷれいやーが一番分かっているじゃろうからな」

 自分たちが知るぷれいやーの知識は、結局のところ伝聞でしかない。リグリットは確かにぷれいやーと共に旅をし、彼らに実際に会って知っているがそれでも正確な情報を持っているわけではなかった。ツアーとてそうだろう。ならば、ぷれいやー自身であるモモンガに任せるのが一番良い方法だ。

「それと……すまんかったな、友よ。指輪を無くしてとんでもないことになってしまいおった」

 リグリットがツアーへ頭を下げると、しかしツアーは首を横に振った。

「気にする必要は無いさ、友よ。その若者は、君が指輪を渡してもいいと思えた素晴らしい人だったんだろう? なら、私から言うことは何も無いよ。私は、君を信じている。……今回は、少し不運だっただけさ」

 ツアーの優しい言葉に、リグリットは更に深く頭を下げた。しかし指輪を無くしたことに言い訳は出来ない。だからこそ、この信頼がとても胸にくる。痛いほどに。

「……では、わしはまた旅に戻るよ。何かあったら連絡して欲しい。なんでもするぞ、指輪を無くした本人としてな」

「ああ、ありがとうカウラウ。――それと、“蒼の薔薇”がまた会いたがっていたぞ。偶には顔を出してやるといい」

 モモンガが顔を上げてリグリットに告げる。その言葉に、あの泣き虫の吸血鬼や貴族のお転婆娘を思い出した。思わず、表情が緩む。

「そうじゃな……久しぶりに、彼女たちに会いに行こうかの」

 リグリットはそう告げて、評議国を去って行った。

 

 

「――何考えてるんだい、君? “蒼の薔薇”が会いたがってるだなんて……君が私に彼女たちの現状を教えてくれたんだろうに」

 ツアーはリグリットが去った後、呆れ顔でモモンガを見た。ツアーはリグリットが生き返る前にモモンガから、色々と話を聞いている。

 リグリットを蘇生させたのは信仰系魔法の第五位階を行使する竜王ではない。リグリットは都合よく勘違いしているようだが……蘇生させたのはモモンガの所有するマジックアイテムだ。モモンガはあのカウンター攻撃をくらった後に、細心の注意を払って王国領を出るまでは転移魔法を使用しなかった。そのため、しっかりと“蒼の薔薇”の話は――訃報は届いている。彼女たちの死を、ツアーの友人であるあの吸血鬼の娘の死を伝えたのはモモンガだ。

「それとも、君。ここでリグリットと同じようにインベルンにも蘇生魔法を使う気かい? 君のマジックアイテムなら、五体が欠損したリグリット以上の損失具合――遺体が無くても、蘇生魔法が使えるとでも?」

 ツアーの言葉に、モモンガは首を横に振る。

「いや、そもそもイビルアイの奴が死んだとはかぎらないしな。……ああ、別に死体が無くてもやろうと思えば蘇生は出来るんだが……とりあえず、本当に生死を確認してからだ。蘇生はその後だな」

「ふぅん……君も大盤振る舞いするねぇ」

「そりゃ、お前の友人だからだよ。そうでなければ、基本は助けないさ」

 モモンガの言葉に、少し照れ臭くなる。リグリットたちは別にモモンガと親しい仲では確かに無い。それでも蘇生させてくれたのは、ツアーのためだとはっきり言われたのだ。友人として、これほど嬉しい言葉は無い。

 だからこそ、ツアーはモモンガにもちゃんと友情を返さないといけない。

「それは嬉しいけどね。でも、君だって私の友人なんだ。あまり甘やかさないでくれよ」

「うん? そうか? 別に甘やかしているつもりは無いんだが……」

 モモンガの言葉に、苦笑する。ツアーだって長い時を生きてきた異形種だ。それ相応に、出会いと別れについては覚悟を決めている。友人の生死にだって、ちゃんと向き合って穏やかにいられるのだ。だから補充も出来ない消費型アイテムを使用して貰うのは、少し気が引けた。

「自覚無いのかい? まあ、いいけどね……うん。私も同じくらい、君を甘やかせば釣り合いはとれるだろうし。……話を戻そうか? ……それで、なんで君はリグリットに“蒼の薔薇”の訃報を教えず、会いたがってたなんて言ったんだい? 彼女は、王国に行ったら現実を知ることになるよ」

 そこまで言って、ツアーは頭の中にぴんとくるものがあった。もしや、この男。

「君さぁ……もしかして、私の作った指輪に関わっているぷれいやーが、“蒼の薔薇”の生死にも関わっているって思ってるのかい?」

「ああ。……イビルアイは強い、この世界ではな」

 だけど、ユグドラシルという世界からやって来たぷれいやーからしてみれば、彼女は簡単に無力化出来る程度の存在だ。少なくとも、ツアーはモモンガがその気になれば簡単に、彼女程度は魔法の一発で殺せるということを知っている。モモンガは強いぷれいやーなのだから。だからこそ。

「彼女を殺せるようなぷれいやーと、漆黒聖典の君の知り合いを殺した奴、同一人物だと思ってるんだ?」

「同一人物かどうかは知らん。だが、関係者だとは思っている。イビルアイを無力化することが不可能じゃない程度のレベルのプレイヤーが、そう何人もいるとは考え辛い。……漆黒聖典のアレも、イビルアイを殺せる程度のレベルはあったはずだしな」

「ふぅん……彼女を殺せる実力ねぇ……」

 法国がそんな実力者を持っているとは知らなかった。というより、それほどの実力者はこの世界では滅多に育たない。……ぷれいやーの血を入れないかぎりは。だからこそ、帝国のフールーダ・パラダインは特別なのだ。

(釘は刺しておいたはずなんだけどなぁ……)

 まあ、今はいいだろう。それより問題は、そんな神人――ぷれいやーの血が入った先祖返りをそう呼ぶ――を殺し、指輪を手に入れたぷれいやーらしき存在のことだ。

「確かに、彼女を殺せる実力者がそう何人もいて欲しくないね。それに、ちょうど一〇〇年が近い。それを考えると、来たばかりのぷれいやーが犯人というのは、ありえるかも」

「あー……メンドクセー。プレイヤーかぁ……俺の話、聞いてくれるかな? 俺、ユグドラシルじゃ悪名高いプレイヤーだからなぁ……っていうか、“蒼の薔薇”殺してる時点で、あんまり穏便に済ませるのは難しいタイプのプレイヤーな気がするけど」

「彼ほどとは贅沢は言わないけど、せめて君やアステリオスくらいの穏健なぷれいやーが来てくれれば助かるんだけどね。八欲王みたいなタイプは勘弁して欲しいな」

「アステリオス? あぁ――例の賢者くんか。俺も会ってみたかったな、そいつ。人類圏じゃ全然話を聞かないが、向こうじゃ有名人でしょっちゅう話を聞くしな」

「もう一〇〇年早くここに来てれば、会えただろうね。まあ、その場合は十三英雄の伝説が無くなっちゃいそうだけど。君が魔神全員皆殺しにして」

 十三英雄が戦った伝説の魔神は、六大神の従属神たちだ。色々あって暴走した彼らを止めるために、十三英雄は戦った。モモンガがいれば、さぞ楽に制圧出来ただろう。

「段々話がずれてきたね。また戻そうか。……それで、なんでリグリットに教えたんだい?」

 ツアーの言葉に、モモンガは言い辛そうに告げる。

「あー……うん。どうせバレるし、だったらちょっと釣りでもするかなぁって。“蒼の薔薇”を詳しく調べればカウラウに辿り着くのは難しいことじゃないし。……それこそ、イビルアイを生かしたまま捕まえた場合は、カウラウは勿論俺やツアーも余裕で分かる」

「……彼女は異形種で、アンデッドだよ? 精神操作系の魔法は効かないはずじゃないかい?」

「精神を操作するんじゃなくて、記憶を操作する魔法が第十位階にあってだな。俺もちょいと昔実験したことがあるが、ありゃヤバい。記憶の中身が全部露見する。第十位階魔法が使えたら、イビルアイは生かしたまま無力化なんて余裕だろうし……うん」

「うーん、君、ちょっと昔ド畜生なことしてないかい? まあいいけど――いや、よくはないけど。とりあえず昔の君のオイタは忘れておこうか? それじゃあ、君は“蒼の薔薇”の誰かから情報を聞いたプレイヤーが、リグリットに接触すると思ってるんだ?」

「ああ。接触するのが誰かまでは操作出来ないが、向こうはこちらを知っているのに、こちらは何の情報も無いのは避けたい。召喚モンスターがリグリットに接触したなら、そいつの得意分野が分かる。NPCやプレイヤー本人なら尚良い。そういうわけで……ちょっとカウラウに協力してもらおうかと。なんでもするって言ってたし」

「ははは、君って酷い奴だね。知ってたけど。もうちょっと異形種の精神を抑えようか」

「失礼な! ツアー、俺はこれでも頑張っている!」

 モモンガの友人の友人を平然と囮にする畜生行動に、ツアーは苦笑した。彼だって好きで平然とそんな鬼畜な行為をしているわけではない。ただ、この世界に来ることで精神が変質してしまって、精神が望まないままに捻じれ狂ってしまったのだ。口だけの賢者だって、それで悶え苦しんでいた。

 自覚が無いまま精神が狂っていく。ぷれいやーは、ある意味哀れな存在なのかも知れない。もっとも、狂ってこの世界に完全に適応してしまうことと、狂えずに誰かを殺すことで精神に致命的な傷が残ること。どちらが不幸なのかはツアーには判別出来なかった。

「まあ、蘇生出来るんだからあんまり責めないけど。じゃあ、今からリグリットをつけ回すのかい?」

「ああ。お前もついて来いよ、ツアー。前衛がいた方が気楽でいい」

「ん。まあ、君は後衛タイプだしね。それに私も、少しばかりぷれいやーは気になる。じゃあ、私が前衛を務めようか」

 ツアーはモモンガから視線を逸らす。ツアーの視線の先には、白金色の全身鎧(フル・プレート)が鎮座していた。

 

 

 



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第三幕 彼方より来たる 其之五

 

「なんという……なんという……あぁ……偉大なる御方よ、私は貴方に従います」

 アゼルリシア山脈にあるドワーフの国、その王都に巣を作るフロスト・ドラゴンの一匹ヘジンマールは、自らの親も親戚も皆殺しにした凍河の支配者に対して、震えながら床に頭を擦りつけた。

 四本の腕を持つ、ライトブルーの外骨格。長い尾。彼の名はコキュートス。ナザリック地下大墳墓という場所からやってきた誇り高き武人にして第四階層の守護者である。

 コキュートスはドワーフの国の王都に棲む、ヘジンマールを除いた全てのフロスト・ドラゴンを討伐し終えて不機嫌に鼻を鳴らした。

「ツマラヌ……ナントイウ脆弱サカ……。誰モ、最期マデ戦オウトイウ気概ハナイノカ!?」

 これなら麓の大森林にいたリザードマンたちの方がまだマシであった。彼らは誇り高き戦士として、最後までナザリックに抵抗したからだ。だが、ここにいたドラゴンたちにそんな気概はない。デミウルゴスから最初に遭遇した一匹が賢そうなら、それを回収。他は殺して構わないと言われていたので、最初に一匹で現れ即座にコキュートスに隷属することを選んだヘジンマールを生かすことにしたが、他は知能をどこかに置いてきたのかと言わんばかりだ。父であり支配者オラサーダルクも妃たちも、揃ってコキュートスの強ささえ分からない。一匹だけは例外だったが、そもそもコキュートスが創造主から受け賜わったマジックアイテムの数々を献上しろなどと言ってきた時点で、彼らに生存権なぞ存在しない。

 コキュートスが心底侮蔑しきりながら部下を待っていると、フロスト・ヴァージンの一体がやって来る。

「ソチラモ終ワッタカ」

「はい、コキュートス様。クアゴアたちは全て捕獲しました。大森林にあるデミウルゴス様の牧場へ輸送致します」

「デミウルゴスカラモ貴重ナ材料ダト言ワレテイル。逃ガスナヨ。私ハコレカラ、コノドラゴンヲ連レテ、コノママアゼルリシア山脈ヲ制圧スル。終ワッタラ合流スルヨウニ」

「かしこまりました」

 フロスト・ヴァージンが頭を下げた。コキュートスはそれに頷き、ヘジンマールに視線を送る。ヘジンマールは震えながらコキュートスのもとへ近づき、コキュートスが歩き出すと後を追った。

 王都の外へ出ると、既に幾人かの部下たちが跪いてコキュートスを待っている。姿を見ない者たちは、デミウルゴスの牧場へクアゴアたちを送っているためだろう。

「デハ、ヘジンマールヨ。我ラヲ案内セヨ。コノ山脈ノ支配者ヲ名乗ル者タチノモトヘ」

「か、かしこまりました。偉大なる御方。……この山脈の支配者は、我らフロスト・ドラゴンの他にフロスト・ジャイアントたちがいます。それと、ポイニクス・ロードにラーアングラー・ラヴァロード。……アンデッドたちが所属する魔術師団です」

「ム。アンデッドノ魔術師団ダト?」

「は、はい。この山脈でも奥地にある、深い谷間に、かつてラッパレス山の支配者の一体であったフレイム・ドラゴンのドラゴンゾンビを門番にして、魔法の研究をしているのだと父たちからは聞いていました。かなり変わった者たちだそうで、滅多に山の表層に姿を現さないのだとか」

「フゥム……。マア、イイ。奥地ナラバソコハ一番最後ダ。マズハ近場カラ制圧スル」

「ハハァ!」

 ヘジンマールは再度、頭を地面に擦りつける。コキュートスたちは山脈を進軍した。そして――――全てを圧倒的に蹂躙し、あらゆる生命を支配下においたその先で。

「…………馬鹿、ナ」

 コキュートスは、そのドラゴンゾンビとついに遭遇した。

「グルルル……?」

 ドラゴンゾンビは、コキュートスを見下ろす。この目の前のライトブルーの異形種が、主人と同じく自分より遥かに格上であろうということは、分かる。だが、同時に意味が分からないことも分かってしまう。

 まるで、所属が同じであるような、そんな違和感。このドラゴンゾンビにとっては、意味の分からない感覚だった。

 しかし……コキュートスからしてみれば、むしろ仲間の気配がすることがあまりに衝撃だった。

 ナザリックには、ドラゴンゾンビのシモベは存在しない。ドラゴンゾンビ――しかもこのレベルのシモベは自動POPするようなレベルではないのだ。だから……コキュートスは、配下のナザリックのシモベたちはドラゴンゾンビを凝視する。

「名モ知ラヌドラゴンゾンビヨ……、オ前ハ、一体何者ナノダ!?」

 コキュートスは震える声でドラゴンゾンビに訊ねる。ドラゴンゾンビはコキュートスに訊ねられ、威風堂々と、自らの主人の名に恥じないよう奇形染みた雄叫びを上げた。

「――ォオロロロロロロン!!」

 入口を通ろうとする、この魔術結社に所属しない、あらゆる存在を排除せよ。かつて主人から与えられた命令を忠実にこなすために、かつてラッパレス山の三大支配者の一体であったドラゴンゾンビ……オリヴェル=ベーヴェルシュタムは膿んだ知性を携えて、目の前のよく分からない敵たちへと襲いかかった。

「コキュートス様!」

 連れていたフロスト・ヴァージンの一体が悲鳴を上げる。この程度のドラゴンゾンビ、コキュートスは勿論フロスト・ヴァージンたちとて障害に値しない。だが。

「無傷デ無力化サセルノダ!」

 コキュートスはそう叫ぶように部下たちに指示を出す。このドラゴンゾンビがコキュートスたちには何者なのか分からない。だが、自分たちと同じ気配がする以上、無関係ではありえない。確実に、このドラゴンゾンビは至高の四十一人の内の誰かと、何らかの関係を持っている。

 例えば――これをドラゴンゾンビに改造したのが、御方々の内の誰かであるとか。

 そのような可能性がある以上、御方々の内の誰かの所有物である可能性がある以上、コキュートスたちはこのドラゴンゾンビに傷一つつけられない。で、あるから。

「ウォォオオオッ!?」

 コキュートスはドラゴンゾンビの攻撃を避ける。その程度の一撃は、喰らったところでダメージなど無いに等しい。だが、当たるわけにはいかない。当たって、ドラゴンゾンビに傷が入ってしまったらと思うと、怖くてとても触れられない。他のシモベたちとて同様だ。無傷で無力化させるなど、無理な話なのである。

「コキュートス様。ここは一旦引くべきかと……デミウルゴス様に知恵をお借りした方が良いのでは……」

「ヌゥ……」

 口惜しいが、部下の言う通りだ。コキュートスには、この状況を打破する手段が思いつかない。ただ一振りの剣であれとという理念を持つコキュートスは、ひたすら頭を使わなくてはならない状況は不得手であった。

「ヤムヲエヌ……一時撤退スル」

 コキュートスはそう部下たちに告げ、全員ドラゴンゾンビの知覚へ引っかからぬ場所まで距離を離す。十分な距離を取り、ドラゴンゾンビの視界から消えたコキュートスは、緊急用に幾つか持たせられていた〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)を使い、デミウルゴスへと連絡を入れた。

「デミウルゴス、知恵ヲ貸シテ欲シイ。――ウム。奇妙ナドラゴンゾンビニ遭遇シタ。ソレトイウノモ……」

 コキュートスの言葉を聞いたナザリックは、あらゆる案件を放置してアゼルリシア山脈のドラゴンゾンビへと注視する。

 結果として――彼らは、王国で起こった出来事を見落とすことになったのであった。あまりにも、タイミング悪く。

 

        

 

 リグリットは王国の王都の裏路地にある、寂れた廃墟で情報を整理する。

 王都へ“蒼の薔薇”を訪れたリグリットに待っていたのは、“蒼の薔薇”の訃報であった。

 彼女たちはある貴族の建物に不法侵入。貴族の館に存在したマジックアイテムを奪取しようとしたところを、マジックアイテムの力が暴発。帰らぬ人となった――それが、現在王都の中で囁かれる“蒼の薔薇”の話であった。

 彼女たちがそんなことをする筈がない。だが、状況証拠は揃ってしまっている。全員死人であり、口に出すことは出来ない。ましてや“八本指”の息のかかったところへ、冒険者チームが依頼も無いのに武装し潜入した形跡があるのだ。彼女たちの評判がどれほど凄かろうが、この状況証拠を覆すことは出来ない。“朱の雫”が何とか名誉を回復させようと奮闘しているようだが、難しいだろう。

 致死量の血液痕。確認された死体の一部。“蒼の薔薇”本人たちが名誉を回復させることは不可能だ。絶対に死亡している。

 だからこそ、リグリットはかなり気を付けながら情報収集せざるを得なかった。あのイビルアイさえ殺し切った何かが、“蒼の薔薇”を抹殺した犯人。断じて、一部で極秘裏に囁かれている“六腕”が……“八本指”が犯人ではありえない。たかがアダマンタイト級の実力者に殺し切れるような存在ではないのだ、イビルアイは。……勿論、モモンガのような例外は除くだろうが。

(……第五位階の復活魔法は身体が欠損していれば、成功率は格段に下がり、死体が無ければそもそも不可能。……インベルンの嬢ちゃんも、ラキュースたちも諦めざるを得んとは)

 法国ならばそれでも蘇生出来るかもしれないが、法国にツテなどない。モモンガはあるような感じのことを言っていたが、彼は今指輪の……プレイヤーの件について忙しい。ツアーと法国は不倶戴天の仲だ。頼ることは出来ない。

 だから、せめて仇を。彼女たちの魂の名誉を取り戻す。

 リグリットは細心の注意を払いながら情報を求めて、王都の中を走り回る。かつての仲間を頼ったり、あるいは金を積んで“八本指”とは関係の無い裏情報屋を頼ったり。

 そしてリグリットは――蔦で覆われた貴族の館のように大きい建物のある敷地へ辿り着いた。おそらくは何かが起きたのだろう、何らかの拠点へと。

「…………」

 リグリットはごくりと生唾を呑み込みながら、アンデッドを召喚して前を歩かせる。何か罠が仕掛けられたとしても、最初にかかるのはアンデッドだ。自分の安全を真っ先に確保するのは当然である。

「…………」

 リグリットはゆっくりと歩を進める。明かりの届かぬ暗い館へ侵入し、魔法で視界を確保した。アンデッドの後を歩いていく。静かな廊下。寒気がするほどに。

 注意深く歩いていると、下部から血痕がはみ出しているような壁を発見した。そっとその壁を調べていると、それが隠し扉だということを確信し、リグリットはアンデッドで壁を破壊して中を見る。

「う…………ッ」

 むわっとする、濃い血の臭い。それだけではない、まるで腐乱した食べ物を放置しているような、酸っぱいえづくような臭いもある。リグリットは思わず吐きそうになるが、長年の経験がこの場で両手が塞がることの危険性を告げてこみ上げてきたものを飲み込む。

 リグリットはアンデッドに先を歩かせながら、歩を進める。進めた先に、広い空間に出た。まるで広間のような。リグリットの影が蠢く。自らの影が突拍子もなく蠢いた瞬間――リグリットは瞬時に、自分が誘い込まれたことを悟り、踵を返して離脱しようとした。

 だが……広間の奥の暗闇からリグリットにかけられた声が、リグリットのその行動を制止する。

「まあ、待てリグリット・ベルスー・カウラウよ。逃げるのはまだ早いのではないか?」

「――――」

 名前を知られている。ならば、この場ですぐ逃げるのは悪手だろう。何らかの情報は掴まねばと覚悟を決めて声の方向を見た。暗闇から、ゆっくりと何かが出て来る。

「――――な」

 それは、まるで人間のカリカチュアのような姿をしていた。膝辺りまである長い二本の腕に、二本の脚。骨と皮しか存在しないような、枯れ木のような姿。頭部があるべき場所には三つの枝が伸びており、三つの実がなっていた。

 白い鱗を持つ爬虫類のような首と、美しい人間にしか見えない少女の首が二つ。そこにぶら下がっている。

「あ……あぁ……」

 白い鱗のリザードマンの首は誰なのか、リグリットは知らない。だが、少女の首二つは、あまりにリグリットにとって身に覚えがあるものだった。

 リグリットが呆然とぶら下げている首を眺めているものだからか、枯れ木のような姿の――悪魔としか思えない所業を為している魔物は、リグリットに優しく声をかけた。

「ああ、この首たちか? 一つはトブの大森林で入手したものだ。他にも二つほど、そこで入手していたのだが……こちらの方が優秀でな。挿げ替えさせてもらった。本当は、別の連中の首が欲しかったのだが……そちらはシルクハットが優先であったので、仕方なく」

 三つの首は何も言わない。ただ、白目を剥いて虚ろな表情を浮かべるだけだ。だから、どこから出ている声なのかは分からない。

「この首たちは優秀だぞ。前の連中ほどではないが、下等生物どもにしては素晴らしい働きを見せる」

 少女たちの首を枯れ木のような指で差し、自慢げに話す。

「だが……情報を入手する前に首を引き千切ってしまった。あの御方には叱られてな、お前は是非とも生かしたまま連れてくるようにとのことだ。あの御方々に蘇生魔法を受けているというのに、蘇生拒否とは不心得者もいたものだ」

「き……貴様ァアアアアアアッ!!」

 少女たちの首……イビルアイとラキュースの首を見たリグリットは、その枯れ木のような姿の魔物にアンデッドを襲いかからせた。続いて、沸騰した頭の隅で冷静な部分がアンデッドを更に召喚して自分を防御するように訴えて来る。その訴えに従い、更にアンデッドを召喚。

「ふん……影の悪魔たちよ」

 リグリットがアンデッドを召喚すると同時、リグリットを尾行していたのであろう影絵のような悪魔が出てきた。そして、枯れ木のような魔物は向かって来たアンデッドに向かって、魔法を唱える。ラキュースの口が動く。信仰系魔法が唱えられ、アンデッドは軽々と灰になった。

「〈結晶散弾(シャード・バックショット)〉」

 同時(・・)に、イビルアイの口が動き魔法を唱える。水晶で出来た散弾がリグリットに向かって放たれ、アンデッドが即座に粉々になった。

「ふざけるな! わしの友人たちをどこまで侮辱する気だ!?」

 彼女たちの首を使って平然と魔法を唱える外道を前にして、リグリットは血反吐を吐くように叫ぶ。だが、同時に状況の悪さを悟った。

(距離を放すのはまずいか!)

 あの魔物はどうやら、手に入れた首の魔法を使えるらしい。それも、同時に行使出来るようだ。先程はイビルアイとラキュースの魔法を使用したようだが、まだあの残ったリザードマンの首が何の魔法を使えるのか分からない。よって油断は出来なかった。更に言えば、距離を詰めさせないように影の悪魔が二体もいる。これでは接近戦で勝負を仕掛けることも出来なかった。

 即ち――もはや、ここに来た時点で詰みなのだと、リグリットは悟らざるを得ない。

「存分に抵抗するがよい。何をしようと、結果は変わらんぞ」

 嘲りを含んだ言葉に、脳に血が上るような怒りを覚えるがその感情に身を任せることは出来なかった。さあ、どうするか……そう困り果てた瞬間に、二体の影の悪魔が消滅した。

「なに!?」

「……そこまでだ。これは見るに堪えない。私の友人たちを侮辱するのはやめてもらおう」

 白金の全身鎧(フル・プレート)の騎士。それが二体の悪魔を一刀で両断し、消滅させる。そのまま白金の騎士は枯れ木のような姿の魔物へと突っ込んだ。

「おのれ……!」

 魔法を同時に三つ行使する。三つの首の口が開き、それぞれの最強魔法であろう魔法が白金の騎士に放たれた。しかし白金の騎士――ツアーは、平然と真っ直ぐに向かっていく。

「なんだと!?」

 接触した魔法は、ことごとく無効化された。

「この感触は……おのれ! もう一人魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいるな!」

「答える必要はないね」

 魔法を無効化したツアーは、幾つもの剣を枯れ木のような姿の魔物へと突き刺す。動きが鈍ったところで魔物を掴み、そのまま猛スピードで広間へ走り廊下へと駆け抜けた。魔物を引き摺ったままに。魔物の悲鳴が響く。

 リグリットはツアーと魔物を追う。ツアーは無理矢理魔物を引き摺りながら、玄関口で床に魔物の身体を押し付けて剣で突き刺し固定した。

「では、いこうか」

「て、転移魔法……!」

 枯れ木のような姿の魔物が、周囲の魔力を感知して何をされるのか悟り叫ぶ。有利な場所から、不利な場所へ転移させられる行為。次元を封鎖して転移魔法を阻害する隙さえ与えない。

 その、鮮やか過ぎる拉致には誰の手も口も挟ませなかった。置いて行かれたリグリットは目まぐるしく変わった状況にしばし呆然としながら……気づいた瞬間には転移魔法を使用されていた。

 この、魔力の感覚は……おそらくモモンガだろう。リグリットは抵抗せずに、そのまま身を任せる。気づけば、評議国のツアーが寝そべる場所へ帰って来ていた。

「やあ、友よ。お帰り」

「……友よ、ただいま」

 暢気に声をかけるツアーへ、リグリットは呆然としたまま口を開く。反射のようなものだ。だが、頭が状況に追いついてくると即座に文句が出た。

「お、お主! お主なぁ!」

「いやいや、ごめんよリグリット。“蒼の薔薇”の件はこちらとも関係が深そうだったらしくて、モモンガと相談したんだ。君に内緒にしたのは悪かったよ」

「あー……もう、いいわい。まったくお主は昔から、肝心なことは中々告げてこんなぁ……」

 リグリットは白金の鎧を思い出し、呆れた声でツアーに告げる。そのことを言われるとツアーも弱いのか、ドラゴンの表情が申し訳なさそうに動いた。

「それで、さっきのはどうしたんじゃ?」

「あの首を下げた悪魔……クラウンとか言うらしいけど、あれならモモンガが相手をしているよ。首はちゃんと回収して、モモンガのマジックアイテムで蘇生させるから二人については安心するといい。……あのリザードマンの首は知り合いじゃないよね?」

「わしもあのリザードマンは知らんな。後で丁重に葬ってやらねばの。……しかし、二人とも蘇生出来るのか?」

「モモンガの持っているマジックアイテムならね。その気になれば、死体が無くても蘇生出来るみたい。……まあ、向こうがこっちに還って来る気があればだけど。何せ、悪魔に生首にされたわけだから」

「あの嬢ちゃんなら還ってくると思うが……ラキュースは微妙じゃな。嬢ちゃんが声をかけてやれば、還ってくるかのう……」

 復活の魔法は、蘇生対象が拒否すれば蘇生出来ない。中には無理矢理に蘇生させる魂を冒涜するような何かが存在するかもしれないが、今のところそういった魔法もマジックアイテムも見つかっていなかった。

「モモンガ殿一人で大丈夫か?」

「大丈夫だよ。モモンガは、第六位階以下の魔法は全て無効化してしまうから。大抵の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は無力さ。私の魔法なら話は別だけどね」

「ははぁ……随分、希少なマジックアイテムばかり持っておるのぅ」

 二〇〇年前の当時に彼がいれば、冒険はもっと楽だったろうし、リーダーももっと長生きしたかもしれない。同族殺しにも発展しなかったやも。そう思えば、リグリットはなんだかやり切れない気持ちになった。

「リグリット、疲れただろう。街で宿をとったらどうだい? 後で、インベルンをそちらに向かわせるよ」

「あー……そうさせてもらおうかの。わしも歳じゃからな」

 ツアーの提案に、リグリットは頷く。ただし……

「……今度は内緒話は無しじゃぞ? わしだってな、友人のために何かしたいし……その友人の友人のために何かしてやりたいって思うことはあるんじゃ」

「うん、分かっている。モモンガに何か、聞いておくよ」

 ツアーの言葉に、リグリットは苦笑いした。リグリットから見たモモンガは無欲な男で、とても何かして欲しいと言うような姿が浮かばない。それでも、言わないよりはマシであるし、今回の囮にされたこともそこまで怒っていなかった。

「じゃあ、また後で会おう友よ」

 リグリットはツアーへ別れを告げて、休息をとるために街へと向かった。

 

 

 



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第三幕 彼方より来たる 其之六

 

 コキュートスからの連絡を受けたナザリックのNPCたち……代表のデミウルゴスとアウラは、最速でコキュートスと合流した。

「コキュートス、間違いないのですね?」

 デミウルゴスの言葉に、コキュートスは頷く。その辺りは間違うはずがないのだが、それでも訊きたくなるほどに信じられないのだ。このような夢のような状況はあるだろうか。

「本当なの? あたしたちと同じ所属の気配がするドラゴンゾンビって! そいつ、御方々のこと何か知ってるかな!?」

「落ち着きなさい、アウラ」

 今にも駆け出しそうなアウラをデミウルゴスは止める。

「私たちは代表として、ここにいるのです。あまり落ち着きのない行動は弁えるように」

「あ、ごめんデミウルゴス。……そうだよね、マーレだって本当は来たかったんだと思うし」

「ええ。ですが来たい者を集めるとナザリックが空になりますからね。そのような事態は避けなければなりません。だからこそ、私とアウラがコキュートスと共に向かうと決めたんでしょう」

「うん。……でも」

 アウラはコキュートスとデミウルゴスを見比べる。

「ねぇ。コキュートスにどうして襲いかかったのかな? 仲間なのに」

「……考えられることは幾つかあります。まず、そのドラゴンゾンビが特定の指令しか受け取っていないために、融通が利かなかったこと。あるいはドラゴンゾンビの主人が、私たちとここで遭遇することを想定していなかったために、ドラゴンゾンビに私たちの情報を与えていなかったことです」

 もう一つの可能性……自分たちが用済みであったためという理由は、あまりに恐ろしい考えなので除外する。コキュートスやアウラに言って、二人を不安がらせることもないだろう。この可能性は自分とアルベドだけが胸に秘めておけばいい。

「だからこそ、例のドラゴンゾンビを飼っているアンデッドたちの魔術師団と接触しなくてはなりません。もしかすると……」

 その魔術師団は、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の死霊使い(ネクロマンサー)、モモンガの息がかかった組織かも知れない。

 言外の言葉を悟った二人は、興奮気味に頷く。デミウルゴスはアウラとコキュートスに再び、落ち着くように告げると配下たちにここで待っているように告げ、三人だけで歩を進めた。配下たちは置いていくが、ナザリックではニグレドの力を使い他の者たちが自分たちを観察していることだろう。

 三人は魔術師団のアジトを目指した。

 

 

 デミウルゴス、アウラ、コキュートスはいざ魔術師団のアジトの入り口に辿り着いた時、驚く。例のドラゴンゾンビの横に、エルダーリッチが立っているのだ。

「……どうやら、我らに御用がお有りのようですね。はじめまして、奇妙なお客様方。何の御用でしょうか? このオリヴェルめは、我らが偉大なる死の支配者に預けていただいた門番。あの御方のペットであるので、出来れば傷をつけないでいただきたいのですが」

「……話が早くて助かるね」

 エルダーリッチの言葉に、デミウルゴスは頷くと告げた。

「我らはギルド『アインズ・ウール・ゴウン』たる至高の御方々に創造されたシモベです。私はデミウルゴス、彼女はアウラ・ベラ・フィオーラ。彼はコキュートス。ナザリック地下大墳墓より来ました。その偉大なる死の支配者なる人物について、お聞きしたいことがあります」

「…………」

 無言で先を促すエルダーリッチに、少しばかりプライドを刺激されるが今は無視する。自分たちの力関係は、どちらが上なのか分かっていないのだ。単純な力の差という意味ではなく。

「その御方の名は――もしや、モモンガ様と名乗られておりませんでしたか?」

「……なるほど。その名の御方は、魔法詠唱者(マジック・キャスター)であられる?」

「ええ、その通りです。種族はアンデッドであるはずですが……」

「なるほど。なるほど……であれば、我らは同士と見るべきなのでしょうか?」

 エルダーリッチは呟くと、デミウルゴスたちに向けて申し訳なさそうな気配を滲ませる。

「申し訳ありませんが、モモンガ様は神出鬼没の御方です。滅多なことでは、ここには来られません。更に、我々の実力では、どこにおられるかも分からないモモンガ様へと〈伝言(メッセージ)〉を届けるのも不可能。モモンガ様をお訪ねになられたのなら、ここではない別の場所へ向かうべきでしょう。……もっともモモンガ様が普段は何をしているのか知りませんが」

「そうですか……いえ、情報提供を感謝いたします。もしモモンガ様が訪れになりましたら、ナザリックの者が『ヘルヘイム』より移動してしまったということをお伝えください。この世界にいると」

 デミウルゴスの伝言に、エルダーリッチは困惑の表情を見せた。何か、よく分からない言葉を言われた。そう言外に告げているが、デミウルゴスの方こそエルダーリッチの困惑が分からない。

 

 ……そう、互いに情報が足りないのだ。互いが互いで、知っていることに齟齬があり、勘違いがあるから致命的なところがずれている。

 

「……モモンガ様には伝えておきましょう。貴方の名はデミウルゴス、でしたか?」

「ええ、感謝します。私どもの用事は、以上です」

 デミウルゴスはエルダーリッチに感謝を告げ、踵を返す。黙って二人の様子を見守っていたアウラとコキュートスも促して、谷から離れた。エルダーリッチはオリヴェルという名のドラゴンゾンビと共にそんな三人の姿を見送る。

 そして彼らのアジトから離れた後、アウラが口を開いた。

「デミウルゴス、あの程度の奴なら支配の呪言を使って無理矢理聞いたらいいじゃん」

「それは悪手ですよ、アウラ。彼らの立ち位置がどの程度の位置なのか、私たちには分かっていないのです。レベルが上だからとそうやって無理に聞き出せば、後でモモンガ様のお耳に入った時に失望されるかもしれません」

「……私たちより、大事にされているってこと?」

 暗い声色で訊ねたアウラに、デミウルゴスは首を横に振る。

「いえ、そういう意味ではなく。……彼らは魔法の研究をしている魔術師団なのですよね? モモンガ様が、何らかの魔法の研究をさせている可能性があります。彼らを威圧することによって、モモンガ様の研究に何か手違いを起こさせたくはないでしょう?」

「うー……確かに、モモンガ様に迷惑はかけたくないかな」

「そういうことです。この程度の情報で十分でしょう。後は再びモモンガ様が連中を訪れた時に、ナザリックか私たちの名を出せばモモンガ様にも私たちの現状は伝わります。あのエルダーリッチからは私たちのような気配は感じませんでしたが、それでもかまいません。あのオリヴェルとやらからは間違いなく、ナザリックのシモベのような気配がします。モモンガ様謹製のアンデッドならば、モモンガ様にあのオリヴェルから情報が伝わるでしょう」

 例えアレがモモンガが作ったアンデッドでなくともかまわない。主従として、互いに意識が多少は繋がっている。エルダーリッチが何も言わなくとも、再び主人が会いに行った時にオリヴェルから情報が伝わるだろう。そのために、わざわざ入口で、オリヴェルがいる横で話をしたのだ。

「シカシ、デミウルゴスヨ。コノ世界ニモ至高ノ御方々ノ手ガ伸ビテイルトナルト……」

「ええ、そうですねコキュートス。これからは更に慎重に行動しなくては……。知らぬ内に、至高の御方々の持ち物を我らが破壊していた……と、なるかもしれません。さすがに法国には何の手も入っていないと思いますが……」

 あまりに、『アインズ・ウール・ゴウン』の思想と違い過ぎる。異形種を、亜人種を徹底的に排除する法国はむしろ敵対者と見るべきだ。だから、シャルティアの件で皆殺しにした連中は違うと思うが……。油断は出来ない。これからは、更に注意して行動を起こさなくては。

 そう決めて。そしてアゼルリシア山脈最後の領域の支配は取り止める。あれは至高の御方々の持ち物である確率が高い。手は出さない方がいい。そのように決定したデミウルゴスの脳裏に――。

「――――なに?」

 誰もがこちらを注視して監視が疎かになったこの瞬間、自らの配下である悪魔――三つ首の悪魔が敗れたという情報をデミウルゴスは受け取ったのだった。

 

 

「……本当に、教えてよかったのか神の情報を」

「ん?」

 アジトの奥へ帰還したエルダーリッチに、仲間の声がかかる。オリヴェルよりも強い気配を感じ取り、オリヴェルを殺されないために話し合いをするため入口で待っていた彼女は、仲間の不安を一蹴する。

「かまわないでしょう。御方が普段おられる御国については、何も言っていませんし」

「それだ。何故、連中はモモンガ様が普段おられる国のことを知らぬのだ? 御方の御作りになられたオリヴェルは、何やらどうやってか知ったようだが」

「そこが、私もよく分からないのですよね……」

 彼女も、仲間と同じでその辺りは分からない。モモンガ本人に訊ねれば何か分かるかも知れないが、評議国にいる時のモモンガには、接触しないようにしている。モモンガ本人からも、評議国にいる時の接触は禁止されていた。評議国にいる時は冒険者としてのスタンスを崩さないようにしているらしく、自分たちのことを表沙汰にしたくはないらしい。

 ……まさか、組織の名前が恥ずかしいからという理由などとは、彼女たちはさっぱり分からない。

「連中、なんだか『ヘルヘイム』だとかよく分からないことを言ってしましたし、モモンガ様が再びこちらにおられた際に訊ねればいいでしょう。御方は定期的にここに研究成果を調べに来られるのですから」

「そうだな……全て、御方の御心に従えばよいか」

「その通りです。我らが偉大なる死の神の命じるままに、我らは存在すればよろしい。今となっては、それが我らの存在意義」

 よって、この話は終わりだ。互いにそう納得し、彼女たちは再び魔法の研究に没頭するために、アジトの奥へと潜っていった。

 

        

 

「…………」

 モモンガは、枯れ木の悪魔――王冠の悪魔(クラウン)の話を聞いて、頭を抱えた。クラウンはモモンガの前で、震えながら頭を床に擦りつけて跪いている。

「お、お許しください至高の御方よ……。全ては、私の不足のなすところ。如何様にも、罪を償います……」

 全てを吐き出したクラウンは、罪の意識に苛まれながらモモンガからの裁定を待っている。クラウンはモモンガが自らに下す決定を、座して受け入れるつもりだ。それ以外方法は無い。勿論、自分の命如きで許されるなぞ欠片も思わないが差し出せるものは殆どありはしない。

「……確認するが、お前はナザリック地下大墳墓から来たんだな?」

「その通りです、至高の御方。私どもはそこで御方々から生み出され、呼び出されたモノ。我らのあらゆるモノは、全て御方々のためにあります」

 クラウンはそう告げると、震えた声でモモンガに訴えた。

「お許しください、モモンガ様! どうか、どうか私の命だけで! 私が悪いのです! 同胞たちの……デミウルゴス様方は悪くないのです!」

 必死に、クラウンはモモンガに訴える。モモンガの知り合いだという命を二つ摘み取った罪は、クラウンだけのもの。他の誰も関係は無いのだと。だからどうか、ナザリックの者たちに失望し、永久にナザリックを去るのだけは許して欲しい。

 もはや、ナザリックにはモモンガ以外の至高の四十一人は存在しないのだから。モモンガに仕えることだけが、この御方に全てを捧げることだけが彼らの全て。

 モモンガに捨てられてしまったら……自分たちは、一体どこに行けばいいのか。何のために存在すればいいのか。

「――――」

 クラウンのその言葉を聞いて、モモンガは――笑った。笑うしかなかった。

「ふ……ふふ……はは……」

「…………」

 モモンガの笑い声を聞きながら、クラウンは必死に頭を下げる。だから、ひたりと置かれた手に思わず顔を上げようとして――

「なんだ。結局、お前ら……自分が一番大事なんだな」

 似た者同士だな、俺たちは。

 そう呟かれた言葉に思わず顔を上げようとして、クラウンは……それさえ出来ずに永遠の眠りについた。

 

「…………忠義を尽くすことが存在意義で、そのためには俺にいて欲しいだって? それはつまり、要は自分のためじゃないか。断じて、俺のためなんかじゃない。なるほど。相応しい言葉だよ。ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の系譜に相応しい言葉だ」

 モモンガは呟き、脳裏の思い出に思いをはせる。かつて、この異世界で遭遇したプレイヤーとの思い出を。

「あぁ……俺たちはどいつもこいつも似た者同士だった。お前の言葉は正しい、ぱらのいあ。……本当に、お前の気持ちを痛感する。俺も、お前と同じ気持ちだ」

 これからも、ずっとこんな気持ちで生きていくんだろう。ぱらのいあと名乗ったプレイヤーと同じように。

「ふふ……ふはは……あははははは……」

 モモンガは、自嘲の笑いを止められない。ひとしきり自分を笑った後は、モモンガは立ち上がって首を二つ手に取った。

「さて……イビルアイとアインドラを蘇生させた後は、シャルティアのことを解決してやるとするか……」

 

 

 



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幕間 Interview with the Overlord 其之一

 

「まあ、かけてくれたまえ」

 漆黒の戦士に促されて、仮面の槍遣いは「失礼します」と頭を下げて目の前の席へ腰かけた。

 仮面の槍遣い……法国の特殊部隊漆黒聖典の隊長を務める彼は、目の前の漆黒の戦士……評議国のアダマンタイト級冒険者モモンガをじっと観察する。

 モモンガと漆黒聖典が遭遇したのは、ほんの偶然だった。モモンガはエリュエンティウで取り引き……ユグドラシルという神の世界の金貨を、砂漠の浮遊都市の者たちと何らかのアイテムを代価に交換しているらしく、十年に一度だけ訪れているのだとか。もっとも、今回のモモンガは別の用事でエリュエンティウを訪れていたようだが。

 そして漆黒聖典の作戦区域内に、帰りがけのモモンガが通りかかったのがこの遭遇の真相だ。モモンガは転移魔法を使用出来るので、滅多なことでは居場所を掴めない。評議国に行けば少し待つだけで会えるのだろうが、あの白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の膝元で会おうとは思わない。

 だから、今回の遭遇は僥倖だった。思えば、もっと前から接触しておきたかったのだが、法国はひたすらに縁が無かったのだ、モモンガとは。この、ぷれいやーである神の一人とは。

 近くの町の酒場……それも個室を借りて二人は向かい合う。同僚も話したそうにしていたが、あまり失礼なことを訊くわけにはいかない。そのため、彼は必要最低限のことだけを訊ねることに決めていた。

「さて……私としても、あまり友人と友好的でない相手と会話するのは好まない。しかし、一度は法国の者たちと話してみたいとは思っていました」

 モモンガはそう告げ、彼をじっと見つめる。

「では、改めて名乗りましょう。私の名はモモンガ。ユグドラシルのプレイヤーの一人であり、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に所属し、そこでギルド長を務めていた者です」

「ご丁寧にありがとうございます、モモンガ様。私は訳有って名乗れませんが、漆黒聖典で隊長を務める第一席次です。第一席次、とそうお呼びください」

「ふむ。……ギルドの名に覚えは?」

「申し訳ございません。こちらで伝わっている御方々の逸話の中には、登場しておりません」

「あぁ、やはり……。ツアーの知る過去のプレイヤーの持ち物から、私のギルドではまあ私以外が転移するとは思っていませんでした。……これでも、昔は期待していたものですが」

 モモンガは「何か飲みますか?」と訊ねるが、彼は首を横に振った。彼は実のところ、まだ法国で言うところの二十歳以下の未成年なのである。酒は嗜まない。勿論、モモンガが飲む分には構わないが。

 そう告げるが、しかしモモンガは苦笑したようだった。

「いえ、私も結構ですよ。何せ、お宅のスルシャーナと同じ異形種なので。飲食は不要です」

「そうですか。スルシャーナ様の名に覚えは?」

「申し訳ありませんが、聞いたことは無いですね。何せ、プレイヤーと言っても何万人もいましたから。余程の有名人でないと、分かりませんよ。まあ、そもそもこちらで名乗っていた名前とそちらで名乗っていた名前が、一緒だとはかぎらないので」

「そうですか……」

 少しだけ、落胆する。スルシャーナと同じ種族というからには、モモンガもアンデッドなのだろう。もし知り合いであったなら、法国にとっても喜ばしい立場を取ってくれるのではないかと期待出来たから。

 だが、モモンガは評議国の住人という立場を崩す気は無いようだ。もっとも、自分たち人類を積極的に害する気も無さそうな雰囲気だが。

「さて……今回の目的ですが、私の話を聞きたいのでしょう?」

 モモンガが告げた言葉に、彼は少し迷ったが肯定した。そう、モモンガは一体これからどうするつもりなのか。かつて、何をなしていたのか。これから、何をなすのか。法国は、それを知りたかった。味方でないのなら、ぷれいやーは要警戒対象だ。

「ちょうどよかった。どうぞ、私の過去の話をお聞きください。実は私も、少しばかり記憶を整理したいと思っていたところです。ツアーには語ったことがあるのですが、プレイヤーを知る者として、法国の方もどうぞお聞きになられたらいいでしょう。……私が、一〇〇年前にこの異世界に転移してからの話を」

 モモンガは静かに、とうとうと語り始めた。

 

        

 

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』は四十一人の異形種プレイヤーからなる、異形種の少数ギルドだ。しかしユグドラシルではかなり悪名高いギルドで、周囲からは嫌われ者の扱いを受けていた。

 もっとも、ユグドラシルでは異形種は元々嫌われていたのだが。かつては、異形種狩りというのも流行ったほどに。異形種を一定数PKすればなれるクラスがかなり強力だったこともあり、異形種はどこにいても狩られる対象であった頃もある。

 モモンガがこのギルドに入ったのは……そもそも、まだギルドではなくクラン『ナインズ・オウン・ゴール』という名であった頃だった。最初の九人。まだ、モモンガがギルド長ではなく、たっち・みーという別のプレイヤーがリーダーを務めていた。

 そこから、モモンガたちは仲間を増やしていった。辞めてしまった仲間もいた。しかし、モモンガたちは旅を続け、ギルドとなり、モモンガがギルド長となって更に多くの冒険をこなしてきた。

 もっとも、その最後は儚いものであったのだが。

「――『沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす』。誰かが歌った句ですが、真理だと思いますよ。私たちのギルドも例外ではなかった。ユグドラシルに数多あるギルドの中でも、上位ギルドとして君臨したことがある私たちですが、しかし時の流れには勝てなかった」

 時間の流れとは残酷であるもので、どれほど栄華を誇ったギルドだろうと……最後には、衰退するのが定めだ。モモンガのギルドも例外ではなく、四十一人から一人、また一人とギルドを抜ける者が後を絶たなかった。

 仕方のない話だ。モモンガたちはユグドラシルの中だけで生きていたわけではない。本当は、ちゃんとした居場所があり、ユグドラシルのことは儚い夢のようなものであったのだから。

「……うん? えぇ、そうです。私たちには本来いるべき居場所があった。そこがどれほど苦痛でも、そこから逃げることは許されない。そんな現実があったんですよ。今でこそ超越者として君臨していますが、私たちの誰もが、ユグドラシルから離れれば搾取されるだけの弱者だった」

 一人、また一人と抜けていくメンバー。最後に残ったのはモモンガただ一人。その果てに……モモンガは、おそらくは他の残っていたプレイヤーたちも、この異世界へと辿り着いた。

「最初は、結構楽しみましたよ。期待もしていました。私はアンデッドでしたからね。ユグドラシルからこちらに転移してきた時点で、精神が異形種へと変質しましたが……私は、その変異にそれほど苦労しなかったプレイヤーです。他の人間種や亜人種……飲食が必要な種族のプレイヤーは、苦労したんじゃないでしょうか? 知的生命体を食べる行為に」

 モモンガはアンデッドであるために、精神の変異がスマートに終わった。感情は抑制され、あまりに強い感情は沈静される。そのため、適度に世界を楽しむことが出来たのだ。喜びも楽しみも抑圧される代わりに、痛みも苦しみも抑圧される。この文字通り、弱肉強食の異世界ではその変異は便利以外の何物でもなかった。

 最初に遭遇したのは、ツアーという大きなドラゴン。ツアーは、右も左も分からぬモモンガにこの異世界についての多くのことを語ってくれた。

 この異世界の仕組み。一〇〇年ごとに転移するプレイヤーの、奇妙な共通点。かつてプレイヤーが犯してきた、多くの伝説を。

 その話を聞いたモモンガは、まず拠点を確保するためにツアーの提案を受け入れて、評議国で冒険者になることにした。幸い、ツアーのお墨付きがあったためにモモンガは怯えられながらも、アンデッドでありながらも、冒険者として受け入れられた。

 その後の活躍は、ひたすらに噂通りだ。

 モモンガは一人きりのチームであったが、ツアーに助言を貰いながらも熱心に請け負った依頼をこなした。評議国の住人を傷つけることもしなかった。人間種と違い、亜人種や異形種はシンプルな物の考え方をする。

「そのおかげか、十年も経つ頃には完全に受け入れてもらえましたね。魔力系で、第五位階魔法が使えると言っていたので、少しスヴェリアーの奴がしつこかったんですが、まあそれも楽しい思い出です。……本人に言ったことはありませんが」

 モモンガは完全に評議国に受け入れられた。なので、十年が経過する頃から冒険者としては余程のことがない限り活動しなくなった。モモンガが活動すれば、その分他の者の仕事がなくなるからだ。飲食不要のアンデッドであるモモンガは、とりわけ生活に必要な物が最低限――もはや無いに等しい。暇な時はツアーのもとで過ごしていたこともあって、モモンガの仕事は緊急時以外に無くなった。

「その頃からですね。評議国以外を旅するようになったのは」

 ツアーから、転移するプレイヤーの奇妙な共通点を聞いていたモモンガは、自分のギルドでは自分以外は当てはまらないと気づいていたが、しかしツアーも転移条件に確信を持っているわけではない。そのため、モモンガは諦めきれずにいた。

「もしかすると、他の皆もこちらの世界に来ているんじゃないか――そう思う心が止められなかった。その頃にはツアーとの仲も完全に良好で、親身になってくれたこともあってギルドメンバーと同じような親愛も感じていたんですが、それでも諦められなかった。……おそらくは、アンデッドに精神が変質して、強い影響が残ったのはここ(・・)でしょう」

 モモンガは仲間のことを忘れられなかった。ギルドメンバーが大切だった。だからこそ、もしかしたと思う気持ちを止められず、旅に出ることにしたのだ。

 もっとも、評議国の外というのは、辟易するような世界であったが。

「当時は王国は勿論、帝国もそれほどまともではありませんでしたからね。いつの世も、権力者というのは腐っていくのが常なのか、あまり長居したいとは思いませんでした。おそらく、他のプレイヤーもあまり長居したがらないだろうと思いまして、もっと大陸の奥の方へ旅に出てみたんですよ」

 アゼルリシア山脈で遭遇した、奇妙なアンデッドの集団もいた。王国を通り、山脈を通り、帝国を通り、都市国家連合や、竜王国。そして法国に聖王国。まともなのは法国だけで、竜王国や聖王国は常に亜人種の脅威に晒されている。

 このような国家では、異形種であるプレイヤーが受け入れられるはずもない。法国の理念もまた、同様だ。あまり異形種プレイヤーとしては歓迎されない理念だろう。勿論、深部まで到達すれば法国はプレイヤーを歓迎してくれただろうが、当時ツアーからあまりいい噂を聞いていなかったモモンガには、法国を訪れる理由は無かった。外から見るだけに留めたのである。

 エルフたちの国を越え、大陸の中央へと向かっていく。人間種の国よりは、異形種プレイヤーがいる場所は亜人種の国の方があり得るだろう。幸い、大陸の端にあった評議国はそうやって虱潰しをするのに都合がよかった。

 そして――

「私は、あるトロールの国の辺境の地で、一人の亜人種プレイヤーに遭遇したのです」

 それは、モモンガと同じ時間軸で転移してきたプレイヤー。そのプレイヤーは、とても変わったプレイヤーだった。モモンガをして、変わっていると言わざるをえないプレイヤーであったのだ。

「彼の名は、ぱらのいあ。元の世界に帰りたがっている、とても奇特な精神の、トロールのプレイヤーでした」

 辺境の地で遭遇したそのプレイヤーもまた、モモンガと同じく異世界を旅するプレイヤー。しかし決定的に違ったことは、ぱらのいあは元の世界へ戻る方法を求めていたプレイヤーであり、他の数多のプレイヤーと異なる精神力を有していたことだろう。

「そこから、私と彼は共に旅をすることになったのです――」

 

        

 

「これから、よろしくお願いしますねモモンガさん。いやぁ……まさか、あのDQNギルドの代名詞『アインズ・ウール・ゴウン』のギルド長と一緒に旅をする仲になるとは思いませんでした」

 トロールの姿のプレイヤー、ぱらのいあは朗らかに笑ってそう告げる。モモンガはそんなぱらのいあに苦笑した。

「私も、異形種や亜人種、人間種の縛りをこえて他のプレイヤーと旅をすることになるとは思いませんでしたよ」

 モモンガたちは悪い意味で有名人だった。特にモモンガは最後まで残ったプレイヤーなので、ギルドの維持費を稼いでいる時は他のプレイヤーに怯えながら、ひっそりと出稼ぎをしていたものだ。もし他のプレイヤーに見つかれば、袋叩き必須であったのだから。

「まあ、こんな異世界です。プレイヤー同士仲良くしましょう」

「ですね」

 ぱらのいあは神器級(ゴッズ)アイテムを一つも持たない、一般的プレイヤーだ。更に、転移する寸前まで死にながらあるダンジョンの最奥部をソロでクリアするために行動していたと言うのだから、レベルまでかなりダウンして転移してしまった。旅をするのも不安で仕方無かったのだとか。

「一〇〇レベルの後衛が仲間になってくれるとか、助かります。俺は前衛職なので。六〇レベルだと不安で不安で……」

 ぱらのいあの気持ちも分かる。もし自分もレベルダウンをしていたら、不安でしょうがなかっただろう。何せ、この異世界はユグドラシルのシステムが見え隠れしているのだから。

「そうですね。私の初期位置の評議国なんかには、一〇〇レベルプレイヤーにも勝てるようなドラゴンがいましたよ。おそらく、六〇レベル程度なら探せば見つかるでしょうね」

「うっわ! マジですか!? 本当、モモンガさんに会えて助かりました……」

「いえいえ」

 お礼を言うぱらのいあを止めて、二人揃って先程まで会話していた場所から歩き出す。

「そういえば、モモンガさん。この異世界から元の世界に帰る方法って、知ってます?」

 ぱらのいあの言葉に、モモンガは首を横に振った。

「いいえ、まったく。他にも大昔に何人かプレイヤーが転移してきてますが、元の世界に帰ったプレイヤーの話は聞いたことがありません。評議国のツアー……先程の、一〇〇レベルに勝てるドラゴンですが。彼も昔から生きているそうですが、元の世界に帰還したプレイヤーは知らないみたいです」

 最初に、この異世界の説明を受ける時にツアーはモモンガにそう教えてくれた。申し訳なさそうな雰囲気だったが、モモンガは特に気にしなかった。どの道、元の世界に未練は無いのだ。特に還りたいとは思わない。

「そうですか……。そのツアーさんが知らないとなると、結構困りますね」

「還りたいんですか?」

 モモンガはぱらのいあを驚愕の視線で見つめる。それほどまでに、ぱらのいあの言葉はプレイヤーにとって驚きに値する言葉だったのだ。

 何せ、元の世界――ユグドラシルではなく現実は、地獄のような世界だからだ。そこにはひたすらに無力な自分がいて、ただ搾取されるだけの人生がある。その人生の続きを行いたいかと問われれば、大抵のプレイヤーは断じて「否」と答えるだろう。モモンガとて、家族が生きていれば何が何でも還りたいと思っただろうが、独り身である今の自分は、還りたいとは思わない。

「ええ、俺は還りたい。変な奴だと思われるでしょうが、それでも俺は元の世界に還りたい」

「――――」

 その、強さを感じる言葉に。モモンガは同じプレイヤーとして頷いた。

「ええ、分かりました。協力しましょう。私は特に還りたいとは思いませんが、かと言って還りたいと思うプレイヤーを邪魔しようとは思いません。それに、私は寿命の無い異形種プレイヤーです。時間は無限に近い」

 モモンガの言葉を聞いたぱらのいあは、涙さえ滲ませてモモンガに頭を下げた。

「あ……ありがとうございます、モモンガさん! 俺の我が儘を、手伝ってくれて! 本当に――本当に、ありがとう!!」

 モモンガの手を握り、何度も頭を下げるぱらのいあにモモンガは優しく答えた。

「いいえ、いいんですよ。先程も言った通り、私には時間がありますから。……とりあえず、この国から北部に向かう評議国までの間には、プレイヤーの伝説は残っていても還る方法は聞きませんでした」

「そうなんですか……じゃあ、ここからどんどん南下した方がいいんですかね?」

「でしょうね。ツアーの話だと、ツアーと同じく長生きしているドラゴンが何体かいるそうなので、彼らに話を聞くのもいいんじゃないでしょうか?」

「なるほど……すみません、ありがとうございます」

 そして、モモンガとぱらのいあは手を取り合って、元の世界へ戻る方法を探し始めた。ひたすらに、必死に。様々な国を見て回って。

 人間種の地位を必死に向上させるために戦った、アステリオスという名のプレイヤーがいたミノタウロスの国があった。

 ビーストマンの国が、トロールの国が。様々な亜人種や異形種の国が存在した。

 常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)。かつてプレイヤーを完殺した、最強のドラゴンロードの内の一体のもとを訪ねたこともある。

 そのドラゴンロードから、とんでもない変態だが頭がいいというドラゴンロード。七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)の話も聞いた。

 そこから、二人の目的地はそのドラゴンロードのもとへ辿り着くことになった。彼が知らなければ誰も知らないんじゃないか。そう告げた常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)の言葉を信じたのだ。ツアーに〈伝言(メッセージ)〉で、彼の話は本当か訊ねてみるとツアーからも太鼓判を押されたからだ。

 そうして、二人は旅を続けた。大陸の中央にある、とある山の頂上にいるというドラゴンロードの姿を。

 そして――二人は遂に、そのドラゴンロードと出会った。出会って、しまったのだ――。

 残酷な、現実を知るために。

 

 

 



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幕間 Interview with the Overlord 其之二

 

 モモンガは、ぱらのいあに何と声をかけたらいいのか分からなかった。

 ここはある亜人種の国の領土。その森近くの丘の上でぱらのいあは膝に頭を埋めて、ひたすらに絶望に耐えていた。

 遂に出会えた七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)。その博識なる彼からもたらされた情報とは――「ぷれいやーが元の世界へ還る方法は知らない」という、冷たい現実だったのだ。

 信じられず、くってかかるぱらのいあにドラゴンロードは申し訳なさそうにしながら、還る方法は無いだろうことを告げた。告げられたぱらのいあの絶望は酷いもので、しばらくは自暴自棄であった。

 もはやぱらのいあは旅を続けられる状態ではない。モモンガはぱらのいあを連れて、トロールの国へと向かった。憔悴する彼をトロールたちは優しく迎え入れ、モモンガの旅は一人に戻ったのだ。

 

        

 

「――ぱらのいあとの旅は十年ほど続けました。こちらに来てから、およそ二十年の月日が経過した計算になります。私は一人きりに戻った後、再びギルドメンバーの誰かが来ていないか探す旅に戻ったのです」

 その過程で、モモンガは砂漠の浮遊都市に辿り着いた。そこは八欲王の拠点であった場所。プレイヤーであったモモンガは警戒されたが、同時にツアーの名前を出すことで受け入れられもした。ツアーは、十三英雄として活躍した時期がある。その時に十三英雄のプレイヤーと共に、彼らと会話の機会があったのだ。そもそも、ツアーは八欲王の持つギルド武器を預かっている。

「私も二十年以上の時間、この異世界で暮らしてきましたから。持っている消費アイテムが心許無くなってきたんですよね。ポーションなんかは自分では使わないので、気にする必要は無かったんですが……何分、巻物(スクロール)の在庫が減っていました。彼らの中に巻物(スクロール)を製作する能力がある者がいたので、彼に頼み込んだんです」

 その対価は、ユグドラシルの金貨。ギルド拠点を維持するのは金がかかる。しかしエクスチェンジボックスによって得られるユグドラシル金貨は、この異世界のアイテムを査定しても微々たるものだ。だが、ギルド拠点を持たないプレイヤーにとってはユグドラシル金貨は重い荷物にしかならない。経済が完全に破壊されてしまうので、この異世界で金貨を使用するわけにはいかなかったのだ。

 だからこそ、彼らはユグドラシル金貨を求めた。ギルド維持費をもっとも便利に稼ぐ方法は、プレイヤーから金貨を貰うことだ。幸い、モモンガはユグドラシル金貨を必要としない、ギルド拠点を持たないプレイヤーだった。モモンガは快く、その交換に応じることにした。

巻物(スクロール)の材料であるドラゴンハイドなんかは、ちょっとツアーに頭を下げて頼みました。ツアーも皮を剥がされるのは少し嫌だったみたいですが、回復も出来ますし少しならということで、私はツアーから材料を受け取りました。ツアーは今でも時々嫌そうな顔をしていたなぁ……」

 とは言っても、ツアーの巨体なら多少剥がされても問題にならない。色々とモモンガに恩を感じてもいたツアーは、モモンガの頼み事に協力した。

 十年に一度。モモンガは八欲王たちのNPCと物々交換を行う。そう約束をしてモモンガは再び旅へ戻った。

「――そして、私がこの異世界に来て三十年ほど経った頃でしょうか。再び、私はぱらのいあと会ったんです。……いえ、ぱらのいあが私を追って来たと言えばよいでしょうか?」

 

        

 

「ぱらのいあさん!」

「モモンガさん……久しぶりです」

 大陸中央より少しばかり離れた山脈を旅していたモモンガは、自らを追って来たらしいぱらのいあに驚愕した。

 ぱらのいあはあの頃とは打って変わった雰囲気で、なんとも言えない雰囲気だ。妙に達観したというか、諦観を滲ませているというか……やる気というものが、欠片も感じられない。

 おそらく……この十年の月日で、彼は元の世界に還れないということにある種の悟りを得たのだろう。諦観を抱き、今の自分に納得したのだ。それが悲しいと言えば、悲しかった。

「十年も俺の旅に付き合わせてしまいましたからね。これからは、寿命で身体が動かなくなるまでは、貴方の旅に付き合おうと思いまして。精々七〇レベルの前衛ですが、それでもわざわざ召喚するより便利でしょう?」

「そんな……ゆっくりあの国で過ごしていた方がいいんじゃないですか?」

 モモンガがそう言うと、ぱらのいあは頬を掻いて、申し訳なさそうに告げた。

「実はと言うと……せめて、元の世界の話が出来る人がいてくれた方が嬉しくて。トロールたちの食事も、どうにも俺には馴染めなくてですね……うん。あの口だけの賢者が生涯二度と口にしなかったっていう気持ちが、俺も分かると言うか……」

「ああ……彼らがもてなしてくれるのは分かりますけど、元人間の私たちにはちょっとキツいですよね……」

 モモンガは精神がアンデッド……異形種と化しているために、それほど困った覚えはない。だが、亜人種のプレイヤーはこちらでの食事に心底困り果てているようだった。

 何せ、この異世界でもてなすための豪勢な食事と言えば、人間の胎児やら赤ん坊やら、子供の姿作りであったりするからだ。彼らは好意でプレイヤーに振る舞ってくれているのだろうが、本当は人間であるプレイヤーにとって、その食事は地獄絵図以外の何物でもない。口にする勇気は、中々出なかった。知的生命体を胃の中に収めるという、完全に人間性を捨てる勇気は。

 だから、食事の必要がなく、食欲を感じたこともないモモンガには無縁の悩みであったが、多少の理解は示すことが出来る。ぱらのいあの気持ちは分からないが、彼が苦痛だと思うのならそれを助けてやろうと思った。

「それじゃあ……私の旅に協力してくれますか? とは言っても、世界中を見て回るだけなんですけどね」

 モモンガがそう告げると、ぱらのいあは笑顔で頷いた。

「いいですね! 未知の世界の冒険譚! 昔のユグドラシルを思い出しますよ!」

「そうでしょう! じゃあ、未知を探して回りましょう!」

 本来はギルドメンバーを探す旅であったが、しかしそれを告げるのは憚られた。ぱらのいあには傷がある。ならば、そういったものには触れないのが社会人としての礼儀だ。それに、未知の世界を旅して回るという目的も、別段嘘をついているわけではない。

 モモンガとぱらのいあは共に、様々な場所を見て回った。妖精たちが棲む生命の泉。水晶で出来た王城。真水の海上に浮かぶ巨大都市と夢見るままに眠るプレイヤー。

 そうして、再び十年の歳月が経過した。その頃には、モモンガとぱらのいあは割と親しい友人同士のような関係を築いており、冗談を言い合える仲にもなっていた。

 ……勿論、モモンガは何度かツアーのもとへと転移魔法で帰って、旅の経過を幾度も話していたのでツアーとの仲もより深いものに変わっていた。ぱらのいあとツアーなら、ツアーの方が仲が良かったと言える。

 奇妙な話だが、ユグドラシルプレイヤーと話すよりは、この異世界の生物と話す方が心の内を曝け出す気になれるのだ。プレイヤーとは、どうにも熱を共有出来ない。プレイヤーの方がユグドラシルの思い出も共有出来るし、現実での辟易するような社会の愚痴も言える。なのに何故か、プレイヤーには中々心の内を明かせなかった。

 その理由。無意識で出していた結論。モモンガの――鈴木悟という人間の本性。そうした、無意識に目を背けていた現実を、モモンガはある日唐突に突きつけられることになる。

 

 ――それは、モモンガが心を許し始めたある日のこと。既にこの異世界に来て四十年の月日が経過していた、ぱらのいあとも三十年の付き合いになったある日のことだった。

 モモンガは、その頃にようやく……ぱらのいあにこの旅の目的を語ったのだ。

 最初の切っ掛けはなんであったか、今でも思い出せない。きっと、何でもない、日常の会話だった。そこから話が発展して、ふと……ぱらのいあに真実を告げる気になったのだろう。

「……実はですね、私が世界を見て回ってるのは、もしかしたらギルメンがいないかと探していたんですよ」

 モモンガがそう告げた時、ぱらのいあは目を丸くした。続いて、納得の色を見せる。

「そういえば、『アインズ・ウール・ゴウン』は異形種ギルドでしたね。異形種は寿命がありませんから、確かに気ままに探せばいつかは会えるかも……素の肉体強度的にも、どこでも暮らしていけるでしょうしね」

 ぱらのいあの言葉に、モモンガは頷く。そう、異形種ならば例え一〇〇年経とうと希望を持っていられる。いつかは会えるかもしれないと、再会を夢見ていられるのだ。

「お恥ずかしい話ですが、私にとってはユグドラシルが……『アインズ・ウール・ゴウン』こそが青春みたいなものでして。あまり現実で友人がいなくて……毎日、社畜生活でしたよ。それに、家族もいない天涯孤独の身でしたからね。ギルメンの皆が、初めて出来た友人だったんです」

「そうなんですか……。いや、俺にも気持ちは分かりますよ。あの現実世界じゃあ、周囲と人間関係を築くのは難しい。俺も、中学校は親が死んだんで中退しましたよ。それから、一生懸命社会に出て働いて……うん。あの世界には、辛い思い出ばかりだ」

 ぱらのいあは現実での不条理を思い出したのか、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

「私は、彼らに会いたい。どうしても会いたい。だからこう……彼らがこの世界に来ていないか、探しているんですよ」

「なるほど……そういえば、モモンガさんの友人のツアーさんが言うには、転移するプレイヤーには共通点があるんでしたっけ? どんな共通点があるんですか?」

 そういえば、ぱらのいあにはまだ教えていなかった。ぱらのいあも興味津々なようで、モモンガは口を開く。

「確か……世界級(ワールド)アイテムを所有していることが第一条件でしたね」

「……ワールド……」

 ごくり、と生唾を飲んだ音が聞こえた。気持ちは分かる。世界級(ワールド)アイテムはユグドラシルの中にも二〇〇しか存在しない貴重なマジックアイテムだ。しかも、かなり強力なアイテムで、持っている者と持たざる者とでは雲泥の差があった。ユグドラシルでも二〇〇の奪い合いをよくしたものである。

 ぱらのいあは装備している鎧の隙間から、あるネックレスを取り出した。みすぼらしい、鈍い色の石ころが飾られた黄金の鎖のネックレス。それが彼の持つ世界級(ワールド)アイテム。

「まさか、転移の条件の一つが世界級(ワールド)アイテムの所持だったなんて……。それじゃあ、ほとんどのプレイヤーが転移は不可能ですね」

 ぱらのいあはそう言うと、再びそのネックレスを懐にしまう。

「あ、でも『アインズ・ウール・ゴウン』は確か世界級(ワールド)アイテム所持数最多ギルドでしたよね? ってことは、何人か来る可能性が?」

 そう、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』は二〇〇の内十一を所持していることで有名でもあった。次点のギルドの所持数が五つもないと言えば、その数の多さは凄まじい。ギルドメンバーの人数全員に行き渡らなくとも、個人所有していないとは言い切れなかった。ぱらのいあはそう思ったのだろう。

「いえ、実は個人所有していたのは私だけで、基本はギルドの宝物殿に置いて動かさなかったんですよ。だから、個人所有している可能性は低いんじゃないでしょうか」

「……? ギルメンは、持っていない可能性の方が高いんですか?」

「ええ」

「……モモンガさん。それ、第一条件ですよね? じゃあ、他にも幾つか条件が無いと転移しないんですよね? 他はどんな条件だったんですか?」

「次は……」

 ぱらのいあに促され、モモンガは口を開く。ぱらのいあの空気に、モモンガは気づかなかった。

「確か、ユグドラシル最終日にログインしていること、だと思います。ツアーの知るプレイヤーは基本、その日に転移しているらしいですから」

「……俺も、最終日の終わりでした」

「私もです」

「……モモンガさん、他のギルメンの人たちも、ログインしていたんですか?」

「いえ。なので、彼らがこの異世界に来ている可能性は少ないです」

「それでも、探している」

 ぱらのいあの言葉に、モモンガは頷いた。

「ええ、そうです。それでも彼らに会える可能性を捨てきれない。彼らが、こちらに来てくれていないかと。そう思う心を捨てきれない。だって、彼らは私の全てだった」

 そう、モモンガにとって『アインズ・ウール・ゴウン』は全てだった。彼らがひたすら大事だった。ギルドを辞めてしまっても。もうユグドラシルにログインしなくなってしまっても。それでも去っていく時の申し訳なさそうな彼らの顔を忘れられない。

 誰もが、好きで去っていったわけじゃない。ただ、あまりに現実が厳し過ぎてユグドラシルをする時間が無くなってしまっただけだ。止めたくて止めたわけじゃない。ただどうしようもなくなっただけだ。

 そう告げたモモンガだが…………ふと、気づく。ぱらのいあは、信じられない顔をしてモモンガを見ている。

「モモンガさん。アンタ……おかしい」

「はあ?」

 急に精神異常を告げられて、モモンガは困惑するしかない。それは、確かに少しばかり友情が重たいかもしれないが、しかしはっきり「おかしい」と言われる覚えはない。誰だって、大切なものはあるはずだろう。

「いいや、絶対におかしい。おかしい。アンタは、絶対に頭がおかしい! 自分で気づいてないのか、アンタ!?」

「だから、何が?」

 そう何度も連呼されては、あまりに不快だ。

「友人を大切に思うのは悪いことだとでも? 勝手に人の大切なものにイチャモンをつけてくるんですか、アンタ」

 だからつい、モモンガも口調が厳しくなる。だが、ぱらのいあはそんなモモンガこそ、信じられないと告げる。

「別にそこにケチをつけているわけじゃない! ……なあ、モモンガさん。そこにとんでもない矛盾があることに、アンタ本当に気づいてないのか?」

「矛盾?」

 何も矛盾なんてない。モモンガはギルドメンバーを愛している。大切だ。だから会いたいと強く願う。彼らがこの異世界に来ている可能性が皆無だとしても、それでも会いたいと思う心は止められない。だから探す。そこに矛盾などあるものか。

「いいや、ある!」

 だが、ぱらのいあは断言する。そこには、致命的な論理破綻があるのだと。

「なあ、モモンガさん……。友人が大切なんだろう? 何をしても会いたいと、強く願っているんだろう?」

「ええ、勿論」

 超位魔法で、思わず願ってしまおうかと思う程度には。彼らを無理矢理にこちらの世界に呼び出してしまいたいと、そう思う程度には。その欲望を捨てきれない程度には。

「だったら、尚更アンタはおかしい。そんなにも大切なのに、なんで」

 なんで。どうして。アンタはと。ぱらのいあは告げる。はっきりと。その大矛盾を突きつける。

「だったら、アンタ――――なんで、元の世界に還りたいって、そう願わないんだ?」

 俺のように。

「――――あ?」

 ぱらのいあが告げた言葉が、モモンガはまったく理解出来ない。頭が真っ白になる。

「俺たちは転移してこの異世界に来た。転移したなら、逆に元の世界に転移出来るかもと考えるはずだろう? アンタだって、一度は元の世界に還る方法はあるのか考えたはずだ。還りたいと思うかはどうかとして」

 モモンガも、確かに一度は考えた。しかし、結論は唯一つ。父も母もいない、元の世界に未練はない。それだけだ。だから還る意思は初めから無い。

「だから、それがおかしいって言ってるんじゃないか!」

 ぱらのいあは絶叫する。

「そんなにも友人が大切なら! そんなにも会いたいなら! こんな――会えるかも分からない異世界なんかじゃなくて、確実に元の世界に存在しているはずなんだから……元の世界に還りたいと思うものなんじゃないのかよ!」

 この異世界に彼らのいる可能性は皆無に等しい。逆に言えば、元の世界には確実に彼らが存在している。当たり前だ。だって、彼らは元々その世界の住人なのだから。

「――――」

 ならば。ならば。ならば……モモンガの理論は。最初から。

「破綻してる! 誰がどう聞いたって、破綻してる! アンタの目的は最初っからおかしい! 友人が大切だって言いながら、元の世界に未練は無いなんて、それは絶対に矛盾してる!」

 大切ならば、元の世界に還ろうと思わなくてはならない。元の世界に未練が無いなら、友人が大切なはずがない。

 この大矛盾。目を逸らすことも出来ない、致命的な破綻。それを突きつけられて、モモンガは――。

「わ、分かるかぁ!!」

 モモンガは、絶叫するように叫んだ。

「元の世界に未練は無い! 本当だ! 断言出来る……俺は、元の世界に未練が欠片も無い! ……でも」

 しかし、それでも。

「友人は大切だ! 彼らは大切だ! 本当だ……それも、俺にとっては本当なんだ……!」

 だから、この矛盾の付き合い方が分からない。途方に暮れる。どうすればいいのか、さっぱり分からないのだ。

 モモンガのその訴えに、ぱらのいあは呼吸を荒げながら、頭を振った。

「……ごめん、モモンガさん。頭に血が上った……」

 そう、謝られて。モモンガも感情が抑制されて即座に冷静になる。わけの分からない感情は、今も燻っているけれど。

「いえ、私もすみません……。お互い、少し冷静になりましょうか」

「ええ、そうですね……。俺、少しそこで頭を冷やしてきます」

 ぱらのいあは頭を下げると、そうモモンガに告げて草陰に姿を隠していった。ぱらのいあの姿が見えなくなった後、モモンガも冷静になるために深呼吸をする。

 言われるまで、告げられるまで、まったくこの矛盾に気づかなかった。どうして、何故自分は。この矛盾に気づかなかったのだろう。

 そう、思い悩んで。どれほど時間が経っただろうか……モモンガはある気配を感じ取った。

 死臭だ。

「――――」

 モモンガは、すぐにその死の気配に導かれるように歩き出す。草陰へ。ぱらのいあが去っていった方へ。そこに。

「……あぁ」

 ぱらのいあの首が、胴体が、二つに別れて転がっていた。手には、彼の武器である片手剣が握られている。

 思いの他、モモンガの心は冷静だった。そんな自分が、とても信じられない。

 近寄って確認すると、武器を握っていないもう片方の手には、紙切れが握られていた。即ち、遺書である。モモンガは自分に対してだろうと、それを読む。

 

『この異世界には耐えられない。人間じゃないものに変わっていく自分が恐ろしい。モモンガさん、アンタのようにおかしくなっていくのは絶対に嫌だ。

 俺は、俺のまま死にたい。せめて、人間性が僅かでも残っている内に。

 アンタと話して、そう悟った。だから、決意する。

 友人のいる元の世界に還れない俺は、生きる気力を失っていた。でも、新しく友達になれたと思ったアンタの異形種としての精神の変貌が、俺にはとても恐ろしい。

 だから、死にます。迷惑をかけました。俺の持っているアイテムは、全部貰っていっていいです。

 

 この世には、もう、未練は無い』

 

「…………はは、お前、思い切りが良すぎるだろ?」

 決意して、すぐこれ(・・)とは。潔いにも程がある。きっとさぞ、周囲に決断力の即効性で迷惑をかけたに違いない。

 でも、彼の友人たちはそれでもよかったんだろう。彼が元の世界に還りたいと思うほどに、彼は友人を愛していたのだ。なら、彼だってそれほど友人たちに想われているに違いない。

「……なら」

 なら、自分は一体何なのだ。ぱらのいあは友人のいる元の世界に強く還りたいと、そう思って行動した。

 対する、自分はどうだろう。モモンガは、還りたいと思ったことは一度も無い。断言出来る。そう願ったことは一度も無い。友人たちにこちらに来て欲しいと思ったことはあっても、自分から還ろうと思ったことは一度も無かった。

「探さなくては」

 その理由。この決定的な論理破綻。どうしてそうなったのか、その理由を探さなくては、モモンガは自分が駄目になるとそう思った。

 ……今にして思えば、辛い現実に還りたいなんて頭のおかしい奴だと、そう結論付けてさっさとツアーの元へ帰るべきだったと思う。

 だが、モモンガはその理由を探そうと思ってしまった。目を逸らすべきモノに、目を向けてしまった。無意識に避けていた自意識を、見つめようと決意してしまったのだ。

 ……そう。自分は、やめておけば良かったのだ。

 

 

 



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幕間 Interview with the Overlord 其之三

 

「う、うぅ…………」

 泣いている亜人の子を前に、モモンガは途方に暮れる。

 それは、ぱらのいあの死から更に十年が経過した、異世界に来てから五十年の月日が経過した頃。ツアーに「旅に出るからしばらく帰らない」と告げて、ツアーとの接触さえ十年も断ったある日のことだ。

 その頃のモモンガは、ひたすらに、幽鬼のような足取りで旅を続けていた。その姿はまさにアンデッド。

 そうしたある日、大陸中央より更に向こうの、海沿いに小さな人間の村を見つけたのだ。

 切っ掛けは、その人間の村へ向かう狩人たちを亜人種たちから助けたことだと思う。狩人たちはモモンガに感謝し、村へ案内して村人たちはモモンガに感謝を告げた。

 それは、秋の終わり頃の季節。冬へなろうかという、貯蓄が死活問題になる頃の狩猟だった。故に、モモンガは狩人たちに、村人たちに感謝を告げられたのだ。

 彼らは細々と、日々を耐えながら暮らしていた。人間のいる国までは遠過ぎる。だからここで、耐え忍びながら生活するしかない。家畜としての生だって、耐えられないならそうするしか無い。

 モモンガは人間としての心というモノを理解するために、思い出すためにその頃はひたすら人間種の味方をしていた。ぱらのいあが言っていた、人間性を捨てたくないという思い。それはモモンガには理解出来ない思考だったが、彼が気づいてモモンガが気づけなかった論理破綻の原因は、そこにある気がしていたのだ。

 だから、人間性を思い出すために、ひたすらに人間種の味方をした。評議国から離れていたことも、都合が良かった。ここではどれほど暴れても、評議国にはその噂は届かない。

 故に、モモンガは乞われるままに村人たちの願いを聞いた。この冬を越すために、あの亜人たちの集落を潰して欲しいという願いを。

 結果は、至ってスマート。漆黒の戦士の姿をしたモモンガは、呆気なく亜人種たちを討伐してのけた。

 彼らの抵抗は、モモンガにとっては微々たるものに過ぎない。あまりに、レベル差があり過ぎる。装備で埋められるレベル差は精々が十レベルだ。それ以上のレベル差は、どうやっても覆せない。

 まして、モモンガの身に着ける装備品は全てこの異世界では破格の、レアアイテム。当然ながら、元々のレベル差が更に絶望的な壁となって、亜人種たちを追い詰める。

 だから、あまりに簡単に全て滅ぼした。村人たちは、これで冬を安全に越せるだろう。

 モモンガの心は凪いだまま。何の感慨も浮かばずに。人間性なんて今も分からず。モモンガは作業のように全てを終えた。

 そして、最後の一人。亜人種ではあるが、何故かその集落では浮いている、全く別の亜人種の子の首を狩る時に、子供は泣きながら呟いたのだ。

「う、羨ましい…………」

「…………」

「ぼくにも、そんな力があれば……みんなの仇を討てたのに」

「――――は?」

 そう、泣きながら告げたトロールの子に、モモンガは呆然と視線をやる。首を狩ろうとしていた大剣は、止まった。

 訊けば、子供はこの集落の者たちに村を襲撃され、子供は全て食料のために飼われていたのだと言う。そして、この子供はその最後の生き残り。自分の番が来るその日に、モモンガが殲滅したために食べられずに済んだのだと。

 喰われることは、確かに恐ろしい。しかし、弱肉強食は世の常だ。自分が弱いのが悪いんだと、子供は悟っている。ただ、弱くて友達の仇が討てないことが辛いんだと。

 だが、全ての仇はより強大な力で、呆気なく潰された。仇はいない。なら、もう未練は無い。ただ、モモンガに対する羨ましさだけが存在する。

 だから自分も、皆と同じところへ送って欲しい。そう告げて、子供はモモンガに首を差し出した。

「…………」

 その子供の首を、刈り取る。だが、先程までは感じなかった、後味の悪さが身に染みた。

 居心地が悪い。なんだか、むずむずする。何か、致命的なモノを見つめてしまったような、後悔。

 モモンガは、ひたすらに考えた。考えて、考えて、考えて――ある結論に到達する。

 同じだ。亜人種も、人間種も、異形種も変わらない。誰かを思いやる心があって、誰かのために生きていける優しさを持っている。先程のトロールの子供。ぱらのいあ。ツアー。皆、他人を思いやれる心があって、誰かのために生きていた。

 そこに違いはない。平等だ。その他人を想う気持ちは、間違いなく等価値だ。違いは無い。有るなんて、絶対に言わせない。

 なら、自分は一体何なんだ。モモンガは、一体何なのだ。どうして自分は、破綻していたのだろうか。

 決まっている。

「あぁ…………」

 何のことは無い。単純に、自分は。

「……俺、自分が一番好きなだけの、人間だったんだ……」

 自分が一番大好きで、他人は二の次。だから自分に都合のいい状況しか認めない。

 元の世界に未練が無いのは当然だ。この異世界の方が、どう考えても居心地がいい。還りたいとは、絶対に思わない。

 友人たちに会いたくて、この異世界にいないかと願うのも当然だ。元の世界に還りたくないのなら、この異世界に呼び寄せるしかない。

 単純で、当たり前の結論だけがそこに存在している。破綻なんてしていない。最初から、自分は破綻などしていなかった。人間性を失ってなどいなかった。

 何よりも、誰よりも、モモンガは。

「俺……自分が一番、可愛かったんだ…………」

 それを悟った時、モモンガの中で、自分に対する愛想が尽きた。

 心を占めるのは、ひたすらに諦観。自分はこういう人間だという悟り。故に、友人に会いたいという願いは尽き果てた。その感情は未だ燻るが、しかし今までほどの情熱は抱けない。情けない自分の本音に、ひたすら侮蔑が向けられる。

 この諦観。鏡を見ればきっとすぐに気づく。今の自分は、あの時のぱらのいあと同じ表情をしているのだろう。

 ……そう。これから自分はどうあっても苦しむのだ。自分が一番可愛くても、友人たちを大切だと想う心に嘘偽りは存在しないから。

 目を背けていた事実に、無意識に避けていた自己に。モモンガは見切りをつけた。

 十分だ。自分は、どうあっても苦しむ。これから、異形になって狂った精神を抱えたまま、情けない自分の人間性を見つめて生きていくのだろう。

 かつて出会った、あの、プレイヤー(ぱらのいあ)のように。

 モモンガはそう悟って、静かに、友人と自分探しの旅を終わらせた。

 

        

 

 旅を終わらせて帰って来たモモンガを、ツアーはいつものように暖かく出迎えた。

「やあ、おかえりモモンガ。今度の旅はどうだったかい?」

 いつものように、気軽に訊ねるツアーへモモンガは自嘲と共に吐き出した。

「そうさな……自分探しの旅って奴をやってみたんだが、それをやる奴は、頭がおかしいってことが分かった」

「なんだい、それ?」

 笑うツアーに、モモンガは苦笑を向ける。自分なんか、探したって碌なことはない。あんなのは、やめておけば良かったのだ。さっさと、この国に帰って来るべきだった。

 だからこそモモンガは自嘲と共に、その自分探しの旅の結末をツアーへと語った。

「ふぅん……」

 全てを聞き終えたツアーは、そう呟くと、再び頭を床につけて寝そべる。

「つまんない話だね。今まで君から聞いた冒険譚の中で、一番つまらない話だ」

「そうか? ……そうだな、俺もそう思う。あまりに得る物が無さ過ぎて、正直頭がおかしくなりそうだ」

 そう、得られる物は何も無い。ただ、自分に愛想が尽きただけの、つまらない旅だった。

「うん。だから……」

 ツアーは寝そべりながら、いつもと同じ調子でモモンガに告げる。

「今度から、自分探しの旅なんてやめるといい。いつもと同じように、未知を探す冒険譚を綴ればいいよ。私も、その方がずっと楽しい」

 そう告げたツアーに、モモンガは微笑みかける。声は震えていた。もし自分が泣けるのなら、泣いていたかもしれない。

「ああ……そうだな」

 自分に対する愛想は尽きた。元の世界に未練は無い。友人たちは、きっとこれからもダラダラと適当に探し続ける。けれど心を占めるのは諦観で、もう情熱は抱けない。

 だから、せめて。

 この異世界で出来た友人を大切にしよう。今、同じ世界に生きるツアーのことを、一番に考えて行動しよう。

 だって、自分に対する愛想は尽きたのだ。自分を大切に出来ないなら、他人を大切にするしかない。今は、ツアーが一番大切だから。この友人を、生きているかぎり大切にしていこう。

 

 ……鈴木悟という人間の物語は、これで終わりだ。三十と五十年の年月をかけて、モモンガはひっそりと鈴木悟という人間の人生に終止符を打った。

 後に残るのは、評議国のアダマンタイト級冒険者にして、ツアーの友人であるモモンガというアンデッドだけ。これからは、ツアーのために生きていく。壊れた人間性を抱えながら。情けない、自分の本質をチラチラと横目で確認しながら。

 それが、モモンガの新しい人生だ。

 

        

 

「――以上が、私のつまらない話です」

 モモンガはそう締め括り、彼を見つめる。彼は、何とも言えない表情でモモンガを見つめた。

「その……何と言うか……」

「ああ、はっきりどうぞ。超越者の気配なんて欠片もない、ひたすらに惨めで情けない人間がいただけでしょう? プレイヤーなんて、もしかすると基本はどいつもこいつもこんなものかも知れませんよ。所詮、元々は人間だったんですから」

 モモンガの言う通り、その人生は超越者のものじゃない。ただ、情けない人間が二人いただけだ。八つ当たりをして、人生に疲れ切った男と。そして目の前の、自分に愛想が尽きてしまった男が二人。

「それが(ぷれいやー)の正体だと言うのなら、なんとも……」

 その先は、言葉に出来ない。ただひたすらに、後味の悪い思いが浮かぶだけだ。

「まあ、持っている力は残念ながら本物なので、超越者では無い分タチが悪いかも知れませんね」

 その結果が、八欲王なのだろう。あそこまで欲望のまま、思いのままに行動していたぷれいやーは伝説でもそうはいない。彼らの欲望の伝説の前では、人類を救った六大神以外は霞むだろう。

「さて、他に何か聞きたいことはありますか?」

 モモンガの問いに、首を横に振る。自分にだって、浪漫を大切にしたい心はある。こんな神の情けない裏話なんて、ひたすらに聞きたくなかった。

「そうですか。では――――」

 モモンガがそう呟いたその瞬間、彼は跳ね上がるようにして椅子から飛び退いた。その動きはまさに一級の戦士。ユグドラシルでも通用する身体能力だ。

 そして、彼が先程まで座っていた場所が真っ二つに裂けた。ある魔法で完全に不可知と化していたアンデッドの姿が、その一撃で現れる。

「〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉で完全に隠していたんだが、よく気づいたな。随分と勘がいい。そして身体能力もユグドラシルレベル……中々の実力じゃないか、若いのに」

「アンデッドの、ドラゴン……」

 ドラゴンロードとさえ思えるほどの、凄まじい魔力に満ちた、腐った皮膚と骨を曝け出すドラゴンのアンデッド。スケリトル・ドラゴンというアンデッドがこの世には存在するが、明らかにそれと比べれば猫と虎ほど違いがある。

 どうやったのか、狭い室内の天井に張り付くように存在したアンデッドのドラゴンは、彼の姿をじっと見つめていた。

「さて、怪物役としてはここで君に襲いかかり、君を殺してしまうのが話のオチなのだろうが――」

 モモンガは片手を軽く振り、アンデッドのドラゴンの姿が天井から消滅する。

「俺が与えるのは、先程の一撃だけだ。避けた以上は、何もしない。大人しく国に帰るがいい」

「…………それは」

「ツアーへの義理立てだよ。ツアーが法国と敵対するかぎり、俺も法国と敵対する。だが、今回だけはプレイヤーへの義理立ても兼ねて一撃だけで見逃そう」

 モモンガはそう言うと、席を立った。漆黒の戦士は酒場の個室を出ていく。

「スルシャーナたちのNPCに、よろしくな」

 最後にそう囁いて、モモンガは彼の前から去って行った。

 

 

「――以上が、彼に対する報告ですよ」

「ふぅん」

 カチャカチャと、六大神が広めた玩具ルビクキューで遊びながら、漆黒聖典の番外席次“絶死絶命”は彼の報告を聞いていた。

 先程まで、彼は上層部にモモンガと遭遇したことと、そのモモンガが語った話を伝えていた。モモンガの身の上話はともかく、モモンガの扱いに上層部は頭を抱えることだろう。

 モモンガは、完全にツアー寄りだ。ツアーと敵対関係に入ってしまえば、最強のドラゴンロードとぷれいやーの二人を相手取ることになる。そうなれば、果たして自分たちに勝ち目はあるのか。あの白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)だけでもキツいと言うのに。更にそのドラゴンロード級のぷれいやーと戦わなくてはならないのだ。

「残念。敗北を知りたかったのに。……そのぷれいやーさんじゃあ、私に勝っても私を孕ませることは出来ないわね」

 彼女の言葉に苦笑する。それはそうだ。何せ、モモンガはアンデッド。他人を孕ませられるわけがない。

 しかし、モモンガの話は全く意味が無かったかと問われれば断じて違う。ぷれいやーというモノに対して、法国としても行動指針が明確に決まり始めていた。

 モモンガの告げる、ぷれいやーなんて所詮は力があるだけの、情けない人間に過ぎないという事実。六大神と、八欲王の異世界に対する対応の違い。当たり前だ。長年の答えがようやく出た。ぷれいやーの真実は、自分たちと同じちっぽけな人間に過ぎない。

 だからこそ、対応が慎重にならざるを得なかった。それはつまり、ちょっとしたことで容易にぷれいやーは悪魔に変わるという証明でもあるのだから。

 超越者ならば、まだ余裕があった。超越者というものは、総じて気が長いものだ。自分が圧倒的に格上だと知っているものだから、度が外れたことでもないかぎり怒らない。ツアーなど、最たるものと言えるだろう。八欲王との戦争に参加しなかったドラゴンロードたちも、そうした超越者の心で暢気に構えていたに違いない。

 だが、ぷれいやーは違う。六大神のような、人間を救おうと考える者は稀に過ぎない。大抵は、自らの欲望を満たすことを優先する。八欲王は、その最たるものだ。

 そう……だから。あのエルフの王の行動にも、なんとなく納得がいった。所詮は神なぞではなく、人間の手で欲望のままに生み出されたモノ。アレには、何かを期待すること自体が間違っているのだろう。

「今のところ、評議国と戦争の予定は無いのよねぇ……ねえ?」

「駄目ですよ、動いては」

 興味深そうな表情を作った彼女に、苦笑いしながら釘を刺す。彼女は頬を膨らませた。彼女には使命がある。六大神の遺した遺産を守るという、重大な使命が。

「そのモモンガって奴、どれくらい強いか興味あるのに。あなたの不意を平然とついたんでしょう?」

 そう、神人である彼の不意を、モモンガは平然とついた。あのアンデッドのドラゴンの攻撃は、本当に寸前まで気が付かなかった。何時からいたのか。ずっと何をしていのか。彼にはさっぱり分からなかったのだ。

「モモンガ様は、〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉で隠したと言っていました。おそらく、第八位階以上の魔法なのでしょう」

「第八位階……私たちじゃあ、さっぱり分からないわね」

「ええ」

 自分も、彼女も魔法は使わない。かと言って、他の者達もそこまで高位の魔法は使えない。一応、信仰系なら裏技で使えなくもないが、それでも知識はそこまで深くない。

「戦争になったら、会えるかしら?」

 そう微笑みかける彼女に、彼は心の底から呆れた声を出した。

「勘弁してください」

 彼女は自分より強い者を探している。

「だって、それほどの魔法の使い手なら、アンデッドでも子供の作り方くらい心得ているかもよ? 気にならない?」

 気にならない、と言えば嘘になる。確かに、高位の魔法の知識は貴重だ。是非とも何が出来るのか知っておきたかった。しかし――

「評議国との戦争は、上層部が避けるでしょう。それに――そろそろ、一〇〇年の嵐が近づいています」

「ああ……もう、そんな時間」

 彼女も、彼の言葉にモモンガのことを諦める。モモンガは、評議国にいる基本は無害なぷれいやーだ。評議国をどうこうしなければ、モモンガは何もしないだろう。

 だが、ぷれいやーは一〇〇年周期で出現する。その時期が、そろそろ近づいてきていた。つまり、自分たちが警戒しなければならない時期がやって来たのだ。

 願わくば。どうか。モモンガやぱらのいあのような、口だけの賢者のような。十三英雄のような。そんな人間種にそれほど敵対的ではないぷれいやーが良い。

 彼はそう、無言で天へ祈りを捧げたのだった。

 

 

 



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第四幕 時間はあらゆる傷を治す 其之一

 

 デミウルゴスはナザリックの第九階層を歩く。至高の四十一人と、限られたNPCたちだけが許された神話の地を。

 本来、デミウルゴスはこの階層を歩いていいような身分ではない。例え第七階層守護者の地位を頂いているのだとしても、それでもデミウルゴスが許された領域は第七階層。この階層を歩いていい身分では、決して無かった。

 しかし、今は非常時。デミウルゴスだけでなく、階層守護者は用がある時は出入りをしていた。

「失礼、シクスス。アルベドはどの御方の御部屋かな?」

 廊下を歩いていたメイドNPCに声をかける。シクススはデミウルゴスに声をかけられると、一礼しながら快く答えてくれた。

「はい、デミウルゴス様。本日のアルベド様はモモンガ様の御部屋にいらっしゃっておいでです」

「ありがとう」

 目的の人物の現在地を聞いたデミウルゴスは、シクススに礼を言って再び歩を進める。

 アルベドは、玉座の間でマスターソースなるものを確認していない時は、必ず御方々の私室へ入り浸っていた。それが許されるのか、と問えばアルベドの答えはぐうの音も出ない正論を返す。

「タブラ・スマラグディナ様がそう設定なされたのよ。私は数多の殿方の部屋を渡り歩く、御方々だけの女であると。だからこうして毎日、御方々の寝室にお邪魔して、匂いをつけているの」

 アルベドは誰彼構わず――御方々全てに体を売り歩く女であれと創造された。事実、彼女には自室というものが用意されていない。であるならば、誰がアルベドを見咎められるであろうか。

 そう告げたアルベドを、昔シャルティアがハンカチを噛み締めて「羨ましいでありんす!」と憤慨していたが、御方々にそうあれと創造されたのだから、仕方がない。受け入れるのみだ。受け入れられないのならば、それは不敬である。

「デミウルゴスです。入室いたします」

 シクススに教えてもらった目的地、モモンガの私室の前に立つとデミウルゴスは扉をノックして声をかける。無論、悲しいことに部屋の主人は不在だ。しかし部屋自体が敬意を示すべき場所なのだから、声をかけることに何の疑問も抱かない。

 返答が無い部屋の中にデミウルゴスは入り、そして真っ直ぐに奥を目指す。目指すべき部屋は主寝室だ。ノックをして、返事を待たずにドアを開ける。

 そして予想通り、キングサイズのベッドがもこりと膨らんでいて、もぞもぞと動いていた。

「アルベド」

 デミウルゴスの言葉に、ぴょこりとアルベドがシーツから顔を覗かせる。当然、アルベドの姿は全裸だ。

「何か用かしら、デミウルゴス」

「ええ。我々がアゼルリシア山脈の方へ気を取られている内に、シモベが一体討伐されました」

「そう……誰?」

「クラウンです。例の、リグリット・ベルスー・カウラウという“蒼の薔薇”の師を捕獲するための準備をしていたはずですが……返り討ちにあったようですね」

 デミウルゴスから受け取った情報に、アルベドは眉を顰めた。

「まったく……“蒼の薔薇”といい、つくづく失態を犯す……。それで、その老婆はどうしたの?」

「現在、捜索中ですが……位置情報だけでいいのなら、おそらく評議国の可能性が高いと姉君はおっしゃっていたよ」

「姉さんが? ……評議国、ドラゴンのいる国ね。逃げるなら法国かと思ったけれど、どういうことかしら?」

「私も人間である以上、逃亡先があるなら法国かと思ったのですが……。少しキナ臭くなってきましたね」

 デミウルゴスの言葉に、アルベドは頷いた。

「そうね。あの“鍍金”女の証言では、“蒼の薔薇”はアダマンタイト級冒険者で、その内の一人イビルアイという女は吸血鬼。そして、リグリットという師の老婆がいる。……あの女は、これ以上の情報を知らなかったと見るべきかしら」

「彼女は優秀ですが、如何せん肝心の手足となる王国がほぼ腐っていますからね。探れる情報には限りがある。“蒼の薔薇”は便利に使っていたようですが、その“蒼の薔薇”に黙秘されると、途端に情報が狭まってしまう。それが彼女の弱点でしょうね。王国内で暮らす内や、帝国の情報を得るだけならば問題は無かったでしょうが……」

「ふん」

 アルベドは鼻を鳴らす。デミウルゴスは苦笑した。コキュートスやアウラと共に手に入れた情報もあるし、思いのほか早く捨てる日が来たようだ。

 アルベドも、そう思ったようだ。

「至高の御方がこの世界にいるのは確実……そうよね?」

「ええ」

「なら、もうあの“鍍金”女は必要無いでしょう。制圧計画は現時点をもって中止。水面下に潜り、至高の御方の情報収集を優先して行動します」

「かしこまりました、アルベド。彼女はこちらで処理をしておきましょう。“八本指”はまだ役に立ちますので、生かしておきたいと思います。教育も行き届いてますし」

「そうしてちょうだい。次は、帝国で活動します。セバスたちを呼び戻して、すぐに情報収集に当たらせてちょうだい」

 アルベドの言葉に、デミウルゴスは頷いて部屋を出た。すぐに〈伝言(メッセージ)〉でセバスたちに連絡を取る。

「――ああ、セバスかい? 王国はもう必要無いから、撤収していいよ。そのまま帝国に向かって、今度は帝都での情報収集に当たってくれるかな? ……ああ、そちらも気にしなくていい。ただ、ちょっとソリュシャンを貸してくれたまえ。なぁに、少し証拠隠滅作業を手伝ってもらうだけさ」

 

        

 

「……本当に、いいのかい?」

 ツアーは久しぶりの本来の装備品……神器級(ゴッズ)アイテムで全身を武装したモモンガに、そう声をかける。

 今まで、モモンガは長らく神器級(ゴッズ)アイテムを装備して出歩かなかった。この異世界の周辺環境において、そこまでのレアアイテムで武装する意味が無かったことと、万が一を考えてツアーのもとへ預けていたのだ。

 だが、それももう終わりだ。モモンガはクラウンから聞かされた情報……シャルティア・ブラッドフォールンの現状を聞き、それを解決するために本来の装備品で身を固めた。

「ああ。必要なのはこれだけだ。他の物は、全てお前に渡しておく」

 ユグドラシル金貨や、今まで装備していたものと、そして様々なマジックアイテム。モモンガはその全てをツアーへと渡す。消耗品も、必要な物だけを手に取って。

「連中の扱いも、全てお前に任せるよ」

 あるマジックアイテムをツアーに投げ渡す。それを受け取ったツアーは、苦虫を噛み潰したような顔をして、モモンガを見た。

「君から聞いた情報だと、正直仲良くなれる気がしないんだけどね」

「だろうな」

 ツアーの言葉にモモンガは頷いた。モモンガも断言出来る。連中と、ツアーは仲良くなんて決してなれないだろう。これは自分の責任の放棄かもしれない。

 だが、きっと…………モモンガが今までの自分を清算できるのは、このタイミングしか無いのだ。

 そんなモモンガを、ツアーは不安そうな顔で見つめていた。苦笑する。

「そんな顔をするなよ。気が向けば、還って来るさ」

「なるべく早くにお願いするよ。私だって、まだ君に恩を返していない。君は私に何かしてやろうとするばかりで、私にはあまり何かをさせてくれなかったからね」

 そんな拗ねた表情に、モモンガは首を傾げざるを得なかった。

「そんなことは無いぞ。お前は十分、俺のために何かしてくれたよ」

「いいや、逆だよモモンガ。私が何かをする以上に、君が私に何かしてくれたことの方が多い。これは等価交換なんかではない。これでは真の友情とは程遠い。私はそこまで恥知らずじゃない」

「…………」

 真の友情。モモンガにとって、苦い記憶しか無い言葉だ。そうかもしれない。

「俺は……俺は、お前に十分救われていたさ、ツアー」

 だから、モモンガははっきりと告げた。ツアーにもたらされた恩は、今まで自分がやって来たことなんかより、余程大きいものだった。ツアーがいなければ、きっとモモンガはここまでしっかり前を歩いていけなかった。

 例えそれが、諦観を前提にしたものだとしても。それでも今もこうして生きていたのは、何も言わず、ただ受け入れてくれたツアーの存在があってこそだ。

 こんな情けない、自分自身でさえ自分に対する愛情が尽きた存在のことを、それでも受け入れていつもと同じように接してくれたツアーがいたから、モモンガは生きていこうと思えた。

 だから。

「俺は、俺の人生を清算しにいかないと。だから……今は、お別れだツアー」

「そう……さよなら、モモンガ。また逢おう。行ってくるといい」

「ああ……また逢おう。さよなら、ツアー。行ってくる」

 ツアーはいつもと同じように、モモンガの旅路を送り出した。それに泣き喚きたいくらい感謝して、すぐに感情を抑制されながらモモンガは評議国を後にした。

 目指すは、ナザリック地下大墳墓が出現したという、トブの大森林近くの草原。その周囲を夢遊病のようにうろつく、皆に忘れられた吸血鬼のいるところだ。

 ……ユグドラシルからこの異世界に辿り着くのは、基本的にプレイヤーが主軸になっているのだと思っていた。だから、プレイヤーが存在しないのなら来れないのでは、と。

 理由は、ギルドは必ずプレイヤーがいたことと、そのプレイヤーが必ず世界級(ワールド)アイテムを所持していたこと。他のプレイヤーが所持していなくとも、一人でも所持していたら同時に転移する。

 だが、本当は違うのかも知れない。ナザリックには、絶対にプレイヤーなんているはずがない。何故なら、あのユグドラシル最後の日、モモンガはナザリックの中にはいなかったのだから。

 しかし、世界級(ワールド)アイテムは別だ。ナザリックの中には、幾つもの世界級(ワールド)アイテムが存在している。ならば転移の主軸になるものは、世界級(ワールド)アイテムに違いない。だとすれば――あの日ユグドラシルに存在していた、ワールドエネミーたちもまた、この異世界に来てしまうのかも知れない。

 ならば、ツアーにはモモンガの持つマジックアイテムは必要だ。ワールドエネミーが襲来してきた時のために、絶対に、ツアーには必要なのだ。

 モモンガには、もう必要が無い。

「…………」

 転移魔法で、トブの大森林付近まで移動する。クラウンの言葉が真実ならば、おそらくナザリックのNPCたちが定期的にシャルティアを監視しているため、モモンガが来たことに気が付いているはずだが――

「――誰も、俺の邪魔をすることは許さない」

 だから、はっきりと、そう呟いた。独り言のようで、けれど独り言じゃない。明確に、誰かに伝えるための言葉を。

 歩を進める。微風で闇色のローブが揺れる。完全武装。モモンガの最強形態。これ以上にない、相応しい姿。そこに、あるべき物を欠けさせて、そして余分を一つだけ。

 歩を進めるのだ。シャルティアを目指して。

「いいか、誰も、俺の邪魔をすることは許さない」

 ツアーにさえ、許しはしなかった。ツアーにさえ許さないのだから、当然、一〇〇年も前の遺物たちに許すなんてあり得ない。絶対に、あり得ない。

 自分の邪魔をすることは、絶対に許さない。

「俺が、これからすることを、邪魔することは、絶対に誰であろうと許さない――!!」

 引き攣るように叫んで、宣言して、さぁいざ行こう。

 罰を受けよ。罪を背負え。報いを受けるがいい。これが『アインズ・ウール・ゴウン』の真実で、所詮自分たちはちっぽけな人間でしかないという事実があるから、それを受け入れるのだ。

 我らが生み出したモノを見るがいい。このおぞましさ。これが『アインズ・ウール・ゴウン』の真実で、自分たちはこんなにも醜いから。

 これが、あの時代に生きていた人間なんだと。

 だから、泣きたいと強く想う。この異世界は綺麗だ。我が友白金よ、お前はかくも美しい。

 

 ――俺も、そんな風に生きたかった。

 

「――待たせたな、シャルティア・ブラッドフォールン」

 辿り着いた場所には、真紅の鎧、奇妙な形の槍。美しい鮮血の戦乙女。それが、定まらない視線で上の空になっている。

「今、お前を正気に戻してやる」

 その時こそ、『アインズ・ウール・ゴウン』は終わりを迎えるのだ。何故なら、とっくの昔にあのギルドは終わってしまっているのだから。

 惨めになりながら先延ばしにしていた終焉を、いざここに告げよう。例え、誰も幸せになれなくても。そんなのはきっと、自分と同じようにただの勘違いに過ぎないだろうから。

 自分が、何も失っていなかったのと同じように。

 

 モモンガは、シャルティアの前に立った。

 

        

 

 ――その日、ナザリックに激震が走った。最初は、ニグレドの悲鳴がアルベドに届いた時から。

『――アルベド!!』

「……どうしたの、姉さん」

 その日も玉座の間でマスターソースを開き、ナザリックの状態を確認し、シャルティアの名前を少し愁いを帯びた瞳で見つめていた時のこと。急な姉からの〈伝言(メッセージ)〉に、アルベドは怪訝な表情を浮かべる。

『……モ、モモンガ様が……』

「え?」

『モモンガ様が、シャルティアのもとへ向かっていらっしゃるわ! シャルティアがいる場所へ、転移魔法で現れたのよ!!』

「――なんですって!?」

 アルベドは叫び、すぐに姉に指示を出す。

「姉さん! モモンガ様にすぐにお声をかけて! シャルティアの件についてと、それとすぐにモモンガ様のもとへ私を含め護衛を向かわせるわ!」

『――ダメよ!』

 だが、アルベドの言葉にニグレドが震える声で絶叫した。

「何が駄目なの!?」

 カッとなって、自分の姉を怒鳴りつける。

「姉さん! モモンガ様こそ、ナザリックに残られた最後の至高の御方なのよ! 今のシャルティアは正気じゃない! その身に危険が生じるのであれば、私たちが身を盾にして守らなければならない! あの御方こそ……私たちが忠義を尽くせる、最後の御方なのに! 姉さん……どうして!?」

 アルベドの言葉に、ニグレドがぼそぼそと告げる。

『モモンガ様が……おっしゃられたのよ』

「え?」

『邪魔をするな――って。御方がこれから行うことを、決して邪魔をするなと。邪魔をする者は、決して許さない――と』

「……何か、お考えがあるのかしら?」

 あの偉大なる至高の御方が、何の考えもなくそのようなことを言うはずがない。ましてや、彼の御方はそもそも、シャルティアの現状をどこで知ったのだろうかという疑問もある。至高の御方は、自分たちでは及びもつかない力と叡智を秘めている。

 だとすれば、自分たちが困り果てたシャルティアの状態異常を解呪する方法を、何か知っているのかもしれない。そして、それを成すには自分一人の方が成功率が高く……自分たちでは足手纏いになるのでは。

「……分かったわ、姉さん。ただ、そのまま繋げておいて。全階層守護者たちと、セバス……プレアデスも集めるから。モモンガ様の身に、傷が付きそうな時は――」

『ええ、分かってるわアルベド。オーレオールにも、準備するように伝えておく』

「お願い、姉さん」

 そして、アルベドはすぐに連絡を入れる。数分と経たずして……件のシャルティアを除く全階層守護者たちと、帝都へと向かっていたはずのセバス、プレアデスが第六階層の闘技場へと集まった。

「姉さん、繋げてちょうだい」

『ええ……』

「それと、デミウルゴス。分かっていると思うけど」

「ええ、分かっております、アルベド。モモンガ様がおっしゃられた以上、モモンガ様にお任せします。しかし――モモンガ様の身に、もしもがあるのなら」

「ええ、その時は邪魔なんて絶対にしないわ。例え、後で叱責され、命を奪われようとも――モモンガ様の命を優先します。シモベとして、当たり前のことよ」

「なら、よろしい」

 そして、アルベドたちはニグレドの力によって映し出されたモモンガとシャルティアを見つめる。

 もっとも――アルベドたちは、モモンガを助けに行く以前の問題に陥るのだが。

 

 何故なら――モモンガは、ナザリックと決別するために、シャルティアの前に現れたのだから。

 

 

 



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第四幕 時間はあらゆる傷を治す 其之二

 

 最初に音がした。まるで、火の灯った棒を水面に落としたような、そんな音を。

 

「ぐ、が、あぁあはぁかぁあはははは!!」

 周囲の大地一帯が黒く覆われ、あまりの熱量に硝子化を起こしている。煙が燻っている場所さえある。そこに。

「あ、あははははははははは!!」

 全身から煙を上げながら、シャルティアはその中央で嗤い声を上げた。

 愚かなり。確かに、威力は凄まじいがそれでも一度で自身を滅ぼすには、この火力では不足である。故にシャルティアは真紅の瞳を見開きながら、真っ直ぐにこの凶行を為した愚か者を見つめて――

「――――え?」

 その焦土と化したクレーターのぎりぎりの淵に立つ、漆黒のローブを纏ったアンデッドを発見して、まるで幽霊を見たかのようにあらゆる感情が停止して呆然とそのアンデッドを見つめた。

「あ……あぁ……」

 短い間だけど、ずっと探し求めたその姿。自分たちの大事な、最後の至高の御方の御一人。慈悲深き支配者を見つけて、シャルティアは一歩、また一歩とゆっくり歩を進めた。

 この一瞬。この時ばかりは、シャルティアの精神は世界級(ワールド)アイテムの支配下の外にあったと言っていい。それほどの衝撃だったのだ。目の前にいる御方は。

「モ、モモンガ、さまぁ……」

 視界が涙で滲む。顔がくしゃりと歪む。シャルティアは一歩、また一歩と誘われるように男へと近づこうとして――

「――おい」

 その歩が止まる。目の前の男からの、非情な言葉を聞いて。

「今から、俺はお前を殺そうとするわけだが」

「え?」

 シャルティアの頭の中が真っ白になる。言われた言葉が理解出来ない。

「モ、モモンガ様……私は、御方と戦う理由がありません。それとも、私が何か仕出かしたのでしょうか? であれば――」

「いや、そんなことは関係無い。お前に落ち度は皆無だともシャルティア」

 男はそう、シャルティアを肯定する。お前に落ち度は何も無い。そして、戦う理由も特に無い、と。シャルティアの現状を分かっていながら、男はシャルティアを肯定した。

「ならば、どうして――」

 泣き出しそうな顔で、シャルティアは訊ねた。そこに。

「何でも何も無い。そもそも、俺はお前たちなんぞ知らん。モンスターと遭遇したから殺すだけだ。こんなのは、ただのPVEに過ぎん。ナザリックなんぞ知るものかよ」

「――――あ」

 ぴしり、と。その言葉でどこかに亀裂が走った。絶対に聞きたくない言葉。口に出されたくない単語を出されて、シャルティアは糸の切れた人形のように膝をつこうとする。

 だがしかし、思い知るがいい。世界級(ワールド)アイテム、“傾城傾国”の恐ろしさを。六大神の手によって法国に残されていた聖遺物。あらゆる耐性を無視し、対象を洗脳するそのマジックアイテムは本来、戦闘不可能なほどの致命的な傷がもたらされた精神さえ無視し――

「……なるほど。ならば、貴様は我らナザリックの敵である」

 ナザリック地下大墳墓、最強の守護者シャルティア・ブラッドフォールンを、完全なる戦闘態勢でその場に立ち上がらせた。

「そうだ、それでいいシャルティア。それがお前の為すべきことだ」

「づ……ッ、アアァァァァアアアアアアアッ!!」

 シャルティアは絶叫し、疾風さえ置き去りにする高速で、男へ向かって手に持つ武器スポイトランスを構えながら突撃した。その衝撃で、地面が爆発したように捲れ上がる。

 この目の前の男から、これ以上無情な言葉を聞かないために。

 

        

 

「ああああああああああああああああ!!」

 同時刻、ナザリックでも絶叫が響き渡った。その絶叫は、一体誰が上げたものだったのか。それは誰にも分からない。だって、自分と他人の区別がつかないほどに、全員が同じ気持ちを抱えて絶望している。

 どう見ても、どう感じても本人以外にあり得ない者の口から、自分たちを否定する言葉を吐かれた。お前たちに落ち度は無いと優しく慈愛溢れる言葉を告げながら、同時に全員を否定する。

 俺に、お前たちは必要無い、と。

「どうして! どうして! どうして! どうして!」

 頭を掻き毟る。髪を振り乱す。床に頽れ膝をつき、目を見開いて顔を歪めながら、ひたすら同じ言葉を繰り返す。

 こんなのは酷過ぎる。こんな現実は惨過ぎる。

 何が悪かったのか。優しい慈悲深い支配者であったから、自分たちの罪を責めないのか。それとも本当に自分たちに罪は無いのか。

 分からない。分からない。真実は、誰にも分からない。

 ただ、どうしようもない事実だけがそこにある。

「モモンガ様……ッ!!」

 ナザリック地下大墳墓の支配者、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の最後の一人、至高の御方モモンガは、ナザリックを捨てたのだ。

 シャルティアのように世界級(ワールド)アイテムで精神を支配されていない彼女たちは、この時点で心が折れた。立ち上がる気力さえ無い。ただ現実を否定するように、その場で丸まり蹲ることしか出来ない。

「うー! うー!」

 泣いて、泣いて、泣き喚く。もはや自分の口から何が漏れているのかさえ、分からない。もはや監視をするどころではなくなったために、二人の姿を映す画面さえ消えているのも気づかない。

 全員がその場に蹲って、必死になって体を丸めた。この辛い悪夢が、早く過ぎ去ってしまうように、と。シャルティアが、今までのことを無かったことにしてくれるように、と。

「お願い、シャルティア……ッ!!」

 どうか、目の前の悪夢を消し去って。彼に今の発言は嘘だと言わせて欲しい。どうか、私たちのことを必要だと告げて欲しい。

 ナザリックはもう、彼がいないと生きていけないのだから。

 

 皆に忘れられた地下墳墓で、墓守にさえ捨てられた者たちは、必死に現実を否定していた。

 

        

 

「アアアアアアアアアッ!!」

 絶叫を上げながら、特殊技術(スキル)と魔法を駆使して、シャルティアは幾度かの突撃を敢行した。

 頭には、血が上っている。〈血の狂乱〉は使っていない。そもそも、目の前のアンデッドはスケルトン系。血など出ないのだから、〈血の狂乱〉が起きる可能性は皆無だ。

 それでも、シャルティアの頭は沸騰している。

(モモンガ様! モモンガ様! モモンガ様! モモンガ様! モモンガ様ぁ!!)

 精神はひたすら狂乱し、目の前の男……モモンガを殺すために、何度も魔法を駆使し続ける。

 精神は狂乱しているが、しかしその戦闘法は十分にモモンガを追い詰め殺すもの。神器級(ゴッズ)アイテムで武装しているが、しかし回復手段の無いモモンガはじわじわとシャルティアに削り殺されるしか無い。

 自らの最強の特殊技術(スキル)、“エインヘリヤル”を使用する必要さえ感じない。このまま、順当にいけばモモンガは殺し切れる。だからシャルティアは、絶叫しながら告げた。

「撤回して下さいモモンガ様! 私たちが必要無いという言葉を! 私たちを知らないなどと、そんなことをおっしゃらないで――!!」

 殺そうとしながら、泣き出す一歩手前の表情でシャルティアは告げる。それに、モモンガは無情に告げた。

「出来んな。だって、本当に俺はお前たちを必要としていない」

「そんなことを、言うなぁぁぁあああああッ!!」

 更に絶叫しながら、スポイトランスをモモンガに突き刺した。同時に捻り、モモンガの身体を吹き飛ばす。魔法で追撃しようとするが、すぐに〈飛行(フライ)〉で体勢を立て直したモモンガが、シャルティアの追撃を許さない。

「必要無いなんて言わないで! そんなことを言われれば……最後の御方に、そんなことを言われてしまえば――私たちは! 私たちの忠義は、何処に行けばいいんだぁああああッ!!」

 絶叫。叫ぶのはナザリックの総意。忠義を捧げるために創造されたから、それ以外の生き方を知らないから、このまま投げ出されるのが酷く恐ろしい。何も考えられない。

 相手を殺そうとしながら、相手を必要とする。その矛盾、“傾城傾国”によって壊れたその精神。そこに……モモンガの手によって、今。致命の一撃が与えられようとしていた。

「だからだとも、シャルティア。気づかないのか? ……ああ、分かるぞ。俺も中々気づかなかった。ぱらのいあに言われて、初めて俺は自分の矛盾に気がついたからな」

「――、あ?」

「なあ、シャルティア。お前たちは忠義を捧げるために存在するんだな? だから俺を求めるんだな? それに間違いは無いんだな? それがお前たちナザリックの総意なんだな?」

 是。これはシャルティアの一存ではない。ナザリックの誰もが持つ、完全なる総意。ナザリックの者たちは忠義を捧げるために創造された。よって、誰もが至高の支配者を求めている。それを。

「なあ、シャルティア。気づかないのか? そこにある矛盾に? 決定的な、論理破綻を。やはり俺たちは似た者同士だよ、シャルティア。きっと、『アインズ・ウール・ゴウン』は、所詮そんな集まりだったんだろう」

 ひたすらに諦観を滲ませて、モモンガは告げる。

「なあ、シャルティア。……気づいていないようだから、教えてやろう」

「なに、を……」

 震える声で、シャルティアは問う。駄目だ、その先は言うな。聞きたくない。同時に脳裏でそんな警鐘が鳴り響く。けれど、モモンガの口は止まらない。

「俺に忠義を捧げることと、忠義を捧げるために俺を必要とすることは、イコールじゃないんだぞ」

「――――え?」

 モモンガは、はっきりと。ナザリックの誰もが目を逸らしていた事実を口にした。

「俺が好きだ。尊敬している。崇拝している。だから忠義を捧げる。――なるほど、どこも壊れていない、ちゃんとした論理展開だ。矛盾なんて一切無い。整然としている」

 しかし――。

「忠義を捧げるために存在しているから、四十一人の一人である俺を必要とする。――なんだ、それは。それは、一体俺である必要がどこにあるんだ? 創造主とその関係者なら、誰でもいいのかお前たちは」

「あ……あ、あ、あ…………」

 否定しなくてはならない。なのに、声が出ない。何故か、否定の言葉が出ない。おかしい。

「それは忠義か? いや、違うだろう? そんなものは、単なる形式と何が違う? そう設定されているから、というのが理由ならばお前たちは人形だよ。そんなものと寂しく一人遊びなんて、俺はしたくない。俺には、ちゃんと友達がいるんだからな」

 違う。違うんだ。確かに設定は大事だけど、でも自分を作ってくれたのはペロロンチーノで、そして同じギルドであるはずの『アインズ・ウール・ゴウン』だから。だから自分は忠義を誓って。

捧げる(・・・)ことが重要で、相手は俺じゃなくて別の四十一人でいいんだろう? なあシャルティア」

「――、あ」

 違わない。自分たちは、ずっと言っていたじゃないか。自分たちが忠義を捧げることが出来る、最後の御方を探すのだ、と。

 そこにモモンガの都合は、一切ありはしないのだ。

「俺たちは似た者同士だよ、シャルティア。きっと、『アインズ・ウール・ゴウン』の誰もがそうだった。俺たちは、単に、自分が一番可愛いだけの、どこにでもいる、ちっぽけな何かに過ぎない」

「うわあああああああああああああッ!!」

 叫び、シャルティアは突撃してモモンガの身体にスポイトランスを突き刺した。彼にHPは残されていない。この一撃で、モモンガは死ぬだろう。アンデッド同士の身体が密着する。

 そして、シャルティアの背中に、そっと両手が回された。

「捕まえたぞ、シャルティア。――――さあ、これを受け取るといい」

 モモンガの手に握られ、シャルティアに押し付けられたそのマジックアイテムの名は、“黄金鹿の結石(ゴールデン・ハインド・ベゾアール)”。

 かつて、ぱらのいあというプレイヤーが所持していた、あらゆる状態異常を完全に無効化し、解呪する世界級(ワールド)アイテムである。

「――――ぁ」

 シャルティアの脳裏に霞がかっていた霧が晴れる。意識がしっかりとする。自分が今、何をしたのか理解してしまう。

 “黄金鹿の結石(ゴールデン・ハインド・ベゾアール)”は対象に接触させるだけで、あらゆる状態異常を完全に無効化する。よって、それと接触したシャルティアは正気を取り戻した。取り戻してしまった。だから気づく。

 今、自分がモモンガを刺し殺したことにも。

「う、うぁ、ああああああああ」

 スポイトランスを震える手で、必死に引き抜く。ふらふらと、そのまま倒れ込むように後退り……。

「おっと、まだ手渡していないから逃げるなシャルティア」

「え?」

 死んだ……殺したはずのモモンガが、しっかりと地面に立ち、シャルティアの片手を握った。

「あ、え、あ……」

 その姿に、わけが分からなくて混乱する。HPの残量は確認していた。モモンガのHPはゼロのはずなのだ。死んでいなければならない。でも何故か、モモンガは地面に自分の足でしっかり立っている。

 呆然とするシャルティアの姿を気にせず、モモンガはシャルティアの首にネックレスを通した。

「この世界級(ワールド)アイテムは、ナザリックにやろう。シャルティア、お前が持って帰るといい」

「あ、あの……モモンガ様……? どうして……?」

 死んでいなければならないのに、死んでいないモモンガの姿を見て困惑していることに、モモンガはようやく気づいたのか。その骸骨の顔に苦笑を浮かべる。

「ああ、とあるゴミ魔法だよ。魔王ロールの一環で取った〈死に際の遺言(ダイイング・メッセージ)〉って言うんだが、この魔法はHPがゼロになって死亡した時に、数分間だけその場に留まれるようになっているんだ。とは言っても、魔法を使えたり特殊技術(スキル)を使えたりするわけじゃなくて、精々こうして言葉を交わしたり、所持アイテムを一つ誰かに渡したり出来るだけなんだがな」

 しかも邪魔をすることも出来るから、本当に役に立たない魔法なんだと。モモンガはそう告げた。

 そう……モモンガは、シャルティアにある言葉を告げるためにこの場に留まっているのだ。

「モ、モモンガ様……私たちのことは、もう要らないんですか?」

「ああ、いらん」

 震える声で、泣きそうな顔で告げたシャルティアの問いに、モモンガは無慈悲に答える。

「だとすれば、どうか自死を御命じください……。忠義を尽くせないシモベに、一体何の意味があるでしょうか?」

「それは、お前の勘違いだよ、シャルティア」

 優しく、モモンガはシャルティアに告げる。

「お前たちはちゃんと、自分のことを考えて、自分の幸せを考えられている。だから、今更俺のことなんて必要としていないんだ。俺がいなきゃ生きていけないなんて、そんなのはお前たちの勘違いだ」

「違う!」

 勘違いなんかじゃない。決して、これは勘違いじゃないのだとシャルティアは涙を流しながら首を振る。

「いいや、勘違いだよシャルティア。だって、俺たちの本質は、自分が可愛いだけのちっぽけな生き物なんだから」

 罵倒の言葉であるはずなのに、その言葉は慈愛に満ちていた。幼い子供を諭すような、優しさに満ち溢れていた。

「お前たちの忠義は偽物だ。設定だけの存在なら、それは人形と変わらない。生きているのなら、その設定に拘る必要は存在しない。だって、俺たちでさえ、そうなんだから」

「え……?」

「俺たちだって、木の又から生まれたわけじゃないぞ? 宗教的に言うのなら、全知全能の聖四文字が存在して、それに創造されて生み出された。だけどな、聖書に書かれている戒律を後生大事に、完璧に守っている人間なんていやしない。そんな奴がいるのなら、あの世界はもっと美しいものだった」

 モモンガは、とうとうと語る。シャルティアを諭すように。

「そう、全知全能に生み出されたはずの俺たちでさえ、設定を遵守して生きていない。なら、こんな不出来な俺たちから生み出されたお前たちだって、設定が無くても生きていけるはずなんだ。お前たちには、既に自分があるんだから」

「じぶん……」

「そう、自分だ。忠義を尽くせないシモベとか、そんなのは関係無い。お前たちは、初めから忠義とは無縁の生き物だ。自分のことしか考えていないからな。でも、それでいい」

 モモンガは、シャルティアを抱きしめて。

「俺たちは似た者同士、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』とナザリックは親子だ。親は子に似る。……だから、シャルティア。お前たちは、自分のことだけを考えて、幸せになれるように生きろ。俺が、本当は自分のことしか考えてなかったみたいに。俺みたいに、自分に愛想が尽きてしまう前に」

「……モモンガ様は」

「うん?」

「モモンガ様は、御自分が御嫌いになられてしまったのですか?」

 シャルティアの問いに、モモンガは頷いた。

「ああ、嫌いだ。俺は、心底自分に愛想が尽きた。これは忠告だが、自分探しの旅はしない方がいいぞ、シャルティア。あれは碌なもんじゃない。もしあの日に戻れるのなら、俺は絶対に自分探しの旅になんか出ないぞ」

「モモンガ様……」

 ふと、気づく。モモンガの身体が透けている。魔法の効果が切れ始めたのだ。モモンガは、これから死ぬ。

「時間か。さて……色々言いたいことはまだあるが、まあいい。後は自分で考えて、行動しろシャルティア。ナザリック最後の支配者として、言えることはそれだけだ。そして、それさえ強制じゃない。俺は、お前に強制はしない。ただ、忠告を残すだけだ」

 ただ、と。一つだけ、お願いがあるのだとモモンガはシャルティアに告げる。

「俺が死んだら今の俺が持つ全ての所持アイテムが放り出される。それを全て回収し、このリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使って宝物殿へ行ってくれ。そこに、俺の作成したNPCがいる。そいつにアイテムを全て渡して、他のアヴァターラと同じように処置をするように、と伝えてくれないか?」

「モモンガ様の御作りになられた、シモベ……」

「そうだ。名を、パンドラズ・アクターと言う。あとは、まあ、なんだ。好きにしろ」

 世界を滅ぼすのも自由。世界を救うのも自由。ひっそりと、世界に埋もれるのも自由。

 このまま、自殺するのも自由だと。

「さらばだ、シャルティア・ブラッドフォールン。『沙羅双樹の花の色。盛者必衰の理をあらわす』……どのような者も、必ず朽ちる時がある。『アインズ・ウール・ゴウン』は、今、朽ちる」

 でも。

「まあ、アレだ。今は俺の言葉に傷ついても、異形種なんだから、時間は山ほどある。その間に色々折り合いをつけておけ。生きるってのは、たぶんそういうことだ」

 モモンガは最後にそう、苦笑してシャルティアに告げて――――溶けるように、所持アイテムだけをその場にガシャンと落として消え去った。

「あ――あ、あー! あー!」

 シャルティアはその残された漆黒のローブをしっかり握り、抱きしめて、ひたすらその場で蹲って泣き続けた。

 でも、その嘆きも長くは続かない。シャルティアはひたすらに、どれだけ泣き続けたのかも分からない時間が経った後に、アイテムを全て掻き集めて、ぶるぶると震えながら立ち上がった。

 この傷は、時間が治してくれると彼は言った。シャルティアは、頭が良くない。だから、モモンガの言った言葉を信じる。いつかこの傷は、治るのだろう。

 好きに生きて、好きに死ね。だから、シャルティアは生きる。好きに生きて、好きに死ぬ。その忠義は不純だと否定された。でも、確かにまだ胸の中にあるのだ。

 自分を作ってくれた、ペロロンチーノが愛おしい。自分に忠告してくれた、モモンガが大好きだ。

 だから、生きる。好きに生きて、好きに死のう。モモンガは、自分たちを要らないと言ったけれど、それは別に自分たちのことを嫌いになったわけじゃない。あれは、ひたすらに自分たちへの親心なんだと。

 好きにしろと言われたから、シャルティアは好きに信じることにした。モモンガが言っていたのは、そういうことなんだと。例え、誰に否定されても。シャルティアだけは、モモンガの言葉をそう信じている。

 

 ――――それじゃあ、まずは。モモンガにお願いされた、最後の言いつけを守りに行こう。

 

 シャルティアは、涙を必死に拭いながら、ナザリックの宝物殿を目指して歩き出した。

 

 

 



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終幕

 

 ――シャルティアは、数多のマジックアイテムを抱えながら、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを手に取った。目指すべきは宝物殿。そこに、モモンガの求めた最後の守護者がいる。

 ナザリックへと辿り着いたシャルティアは、涙を拭いながら指輪の力を起動させようとし……鬼女の形相で息を乱しながらそこに立つ、アルベドに気がついた。

「アルベド……」

 アルベドはシャルティアの抱えている荷物を凝視すると、真っ直ぐにシャルティアへと向かってくる。シャルティアはアルベドの歩を止めず、そのまま待った。

「シャルティア……それは、どういうことかしら?」

 鬼女の形相を浮かべた女。髪を乱し、涙でぐちゃぐちゃになっているその姿。それを前にしても、シャルティアは物怖じせずに静かに告げる。

「……モモンガ様から、これを持って宝物殿に行くようにお願いされたでありんす。だから、今から宝物殿に」

「だから! モモンガ様はどうしたの!?」

 最後まで言わせず、アルベドが絶叫する。シャルティアはそんなアルベドの姿を憐れみながら、それでも一言告げた。モモンガの、遺言を。

「好きにしろとおっしゃっておりんした。好きに生きて、好きに死ねと。……だから、私はこのまま好きに生きんす」

「……え」

 何を言われたのか、分からないと。絶対、監視をしていたはずなんだから気がついていないはずはないのに、アルベドは何を言われたのか分からないという顔をした。

 本当は、気づいているのに。それでも、アルベドは――ナザリックの者たちは、きっと気づかないふりをしていたかったんだろう。自分たちが、もう至高の四十一人の誰にも必要とされていないという、事実に。

「さよなら、アルベド。……私、もう行かないと」

 アルベドの横をすり抜けて、そして指輪の能力を起動させた。最後に、何かが頽れ女のすすり泣く声が聞こえたが、シャルティアは聞かなかったことにした。

 これは、自分たちが自分の力で解決しなくてはならない問題なのだから。

 

 ――宝物殿に辿り着いたシャルティアは、思わず周囲を見回す。そこには、眩いまでの宝物が満ち満ちていた。

「これが……至高の御方々が御集めになりんした、数多のアイテム」

 ユグドラシル金貨に、宝石。工芸品に魔法の武器や防具。そのどれもが、美しい輝きを放っている。

 しかし、今手に持っているマジックアイテムと比べると、その全てが色褪せて見えた。当然だ。これ以上の宝は存在しない。同程度が、きっと四十人分あるだけだ。

「――パンドラズ・アクター!」

 シャルティアは大きく息を吸い込み、そして宝物殿全体に聞こえるような声量で叫ぶ。

「モモンガ様のことで、お話がありんす! すぐに姿を見せんさい!」

 その名前が示す効果は、抜群であった。すぐに、カツカツと宝物殿奥から足音が聞こえてくる。

 そして、宝物殿の奥から出てきたのは、一体のドッペルゲンガーだ。黄色い色の軍服を身に纏ったそのNPCは、シャルティアの前まで来ると優雅に一礼した。

「これはこれは……第一階層から第三階層守護者、シャルティア・ブラッドフォールン殿ではありませんか? どうされました? それに、その手に抱えているマジックアイテム……」

 シャルティアの抱えるマジックアイテムを見たパンドラズ・アクターの雰囲気が、一変した。殺意と敵意に濡れている。何故、それをお前が持っていると言葉にせずとも言っている気がした。

 だが、シャルティアは決して怯えずモモンガの遺言を届けた。

「モモンガ様から、遺言でありんす。他のアヴァターラ同様、これらも処理するように――と」

「――――そうですか。ついに、その時が来てしまったのですね」

 シャルティアの言葉に、パンドラズ・アクターは一瞬顔を伏せるが、しかしすぐに顔を上げて、シャルティアを促した。

「どうぞ、シャルティア殿。霊廟まで、私が案内してあげましょう」

 パンドラズ・アクターの不思議な言葉に促され、シャルティアは歩を進める。奥へ進むと、闇がぽっかりと広がっており、パンドラズ・アクターはその場で立ち止まった。

「かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗きものは全て汝より離れ去るだろう」

 パンドラズ・アクターが闇の前でそう告げると、広がっていた闇がある一点に吸い込まれるように消えていく。その奥には先程まで無造作に置かれていた宝物が、今度はきちんと整頓されて並べられていた。

「この奥からは、ナザリックでも貴重なマジックアイテムの保管庫になります。あまり、勝手に触れないように――とは言っても、両手がそれで塞がっている以上、必要は無いでしょうが」

 シャルティアはその言葉にこくりと頷いた。この両手に抱える荷物を手放してまで、周囲のマジックアイテムに興味をそそられるはずがない。

 更に奥まで進むと、がらんとした待合室らしき部屋に出た。部屋に置かれているのは、ソファーとテーブルのみ。左右を見回すと、通路の出口らしきものがある。

「さて、申し訳ございません、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンをここに置いて行って下さいますか? この先の霊廟では、その指輪をつけている者を襲うよう設定されているゴーレムがいるのです。それは、我らは勿論至高の御方々であろうと例外ではありません」

「ふぅん……。なら、外しんす」

 シャルティアはパンドラズ・アクターにマジックアイテムを預けると、指輪を指から引き抜いて、そして絹のハンカチを取り出すと包んでテーブルの上に置いた。マジックアイテムは、決して床にもテーブルにもつけない。それを互いに了承していた。

「さあ、では参りましょう……御方々の霊廟へ」

「――――」

 パンドラズ・アクターの言葉に、シャルティアは息を飲む。今、初めて。ここがどういった場所なのか理解してしまった。最奥にあるのが、何なのかを。

 そして廊下の先に、それらは鎮座していた。

「あ……あぁ……」

 そこには、ずらりとゴーレムが並べられている。その数は三十七体。そのゴーレムたちが何を象っているのか、そして、何を装備しているのか気づいてしまったシャルティアは、ふらりとその場に頽れた。

「霊廟って……まさか、そんな……」

「ええ、そうです。シャルティア殿。ここは――『アインズ・ウール・ゴウン』の霊廟です」

 そこに並んでいる全てのゴーレムは、至高の四十一人を象っていた。

 ウルベルト・アレイン・オードル。たっち・みー。弐式炎雷。やまいこ。ぶくぶく茶釜。他にも。他にも。他にも……! ペロロンチーノの姿まで!

 空席は四つだけ。その内の一つはきっと……今、埋まるのだ。

「……ところで、シャルティア殿。今まで何があったか、訊いてもよろしいでしょうか?」

 パンドラズ・アクターの言葉に、シャルティアは嗚咽を漏らしながら語った。シャルティアの記憶は一度、ある不思議な部隊と戦ってマジックアイテムを使われたことで途切れていたが、しかし戦闘は覚えている。コキュートスとの戦闘。よく分からない雑魚モンスター。そして、モモンガとの戦闘は。モモンガに言われた言葉も。

 全てを語り終えたシャルティアに、パンドラズ・アクターは顔を伏せた。

「……そうですか。モモンガ様は、好きにしろと」

「ええ。……モモンガ様は好きにしろ、とおっしゃいんした」

 だから、まだよく分からないけれど、シャルティアは好きに生きて、好きに死のう。モモンガを、好きに信じて。

「そうですか。貴方は、好きにするのですね」

「ええ、私は好きにしんす。……お前は、どうするのかえ?」

 モモンガに生み出されたNPC、パンドラズ・アクター。彼はどうするのだろうか。シャルティアの問いに、パンドラズ・アクターは答えた。

「勿論、私も好きにしますとも。差し当たっては、とりあえずモモンガ様のアヴァターラの作成ですね。その後は、まあ……適当に過ごしますよ」

 この、ナザリックの最奥で。

「そう……また、ここに来てもいいでありんすか?」

 シャルティアの問いに、パンドラズ・アクターは微笑みを浮かべたようだった。

「ええ、勿論! どうぞ、いつでもお越しください、シャルティア殿。私以外に御方々の墓参りをする者がいないのは、寂しいですからね」

 

 

 ――そして、シャルティアの去った宝物殿に、一人残されたパンドラズ・アクターは、モモンガの遺した装備品を見つめながら、ぽつりと呟く。

「酷い御方だ……我が創造主よ」

 おそらく……自分はナザリックのNPCの中で、唯一明確に創造主から存在を否定されたNPCとなった。シャルティアから話を聞いた時は、思わずその場で自害したくなったほどだ。

 けれど。

「シャルティア殿は、好きに生きて好きに死ぬとおっしゃいましたからね。それなら、出来るだけ彼女が好きに生きられるようにギルドを維持するのが、私の仕事でしょう」

 好きにしろとそう言ったのだから、好きにしよう。自分は、シャルティアほど前向きになれない。自分に愛想が尽きたと言った創造主……そんな創造主の子である自分は、きっとそこまで前向きに生きていけるようには出来ていない。自分たちは、似た者同士なんだと言ったのは彼なのだから。

 シャルティアが前向きなのは、きっとペロロンチーノが前向きな男だったからだ。けれど、そんな風に生きられないパンドラズ・アクターは、ここでひっそりと、墓守をすることにした。

「他の者たちは、どうするのでしょうか?」

 他のNPCたちに思いをはせる。外でも生きていけるようなNPCは、きっと何人もいまい。レベル的な問題もある。多くのNPCは、このままひっそりとナザリックで閉じこもって暮らすだろう。精々、可能性があるとすればコキュートスくらいか。社交的なデミウルゴスでさえ、きっと不可能だ。

 いつか、蘇生したモモンガがこの地へ還って来てくれることを願って。

「せめて、一人一人にしっかり言葉を残して欲しかったですね、我が創造主よ」

 

 ……無理な話だ。モモンガは、シャルティアとパンドラズ・アクター以外、正直に言ってナザリックのNPCなんてほとんど覚えていない。一〇〇年の歳月は、それほどまでに長かった。ましてや、NPCなんてほとんど拠点の付属品だ。自分が作成したNPCと、そして友人がいつも自慢してきたNPC以外、まともに覚えていられるはずがなかった。シャルティアを覚えていたのさえ、奇跡に等しい。

 例え、目の前で無事に再会出来たとしても、その時モモンガは悪気無く告げるだろう。誰だ、お前――と。

 それを考えれば、むしろこの出会いは奇跡に等しかった。モモンガが最初に接触したNPCがシャルティアであったことは、まぎれもなく彼らの幸運であったのだ。そうでなければ、こんな別離さえ互いに出来はしなかった。

 けれど、パンドラズ・アクターを含め、彼らはそんなことさえ分からない。

 だから、ひたすらに彼らは悲しむのだ。ああ、至高の御方よ――何故ですか、と。

 

「安らかにお眠りください、我が創造主よ。私は、今まで通りここに埋もれたまま生きることにします」

 パンドラズ・アクターはそう呟いて、アヴァターラの製作を開始した。

 

        

 

 それから、どれだけの月日が経ったのか。いつもと同じように霊廟を眺めていたパンドラズ・アクターは、宝物殿の入り口の方から誰かが歩いてくる気配を感じ取った。

 シャルティアだろうか。いや、シャルティアから指輪を借りた別の誰かかも知れない。デミウルゴスやアルベド、セバス、アウラにマーレ。シャルティアから霊廟の話を聞いたらしいNPC達は、毒無効系のマジックアイテムや能力を使って、毎日のようにここを訪れる。

 毎日訪れないのは、パンドラズ・アクターの予想通り、シャルティアとコキュートスくらいだった。プレイアデスは代表が必ず一度はここに来ている。

 しかし、今感じる気配はその全てとも違う気がした。

「――やあ、邪魔するよ」

 現れたのは、白金の全身鎧(フル・プレート)の騎士だった。何だか無機質な気配を感じるその騎士は、気軽にパンドラズ・アクターに挨拶をすると、遠慮もなく霊廟の中へと入って来た。

「……どちら様でしょうか?」

 パンドラズ・アクターが訊ねると、白金の騎士は答える。

「私の名は、ツアー。評議国の者でね。モモンガの友人さ」

「これはこれは……私は、パンドラズ・アクターと申します。モモンガ様が創造なされた従僕でございます」

「ああ、君が……」

 ツアーと名乗った騎士は、興味深そうにパンドラズ・アクターを見るが、すぐに興味が逸れたのか視線を外し、パンドラズ・アクターが製作したアヴァターラを眺める。この中で唯一、モモンガが作らなかったゴーレムを。

「上手に作れているじゃないか。モモンガが、自分は手先が器用じゃないなんて言うから、それを見て笑ってやる気持ちでここに来たんだけどね」

 他のアヴァターラと同じく、どこか歪なモモンガの像。だが、モモンガが一生懸命製作した結果歪になった他のアヴァターラと違って、このモモンガのアヴァターラはわざとそういう風に作られている。パンドラズ・アクターは、モモンガほど不器用では無かったので。

「ありがとうございます。……ツアー様は、モモンガ様の御友人ということですが……」

「うん。彼とは一〇〇年以上の付き合いさ。君とシャルティアという吸血鬼のことなら、少しだけ知っている」

 モモンガが覚えていられた二人の名を告げて、ツアーは再びアヴァターラを見上げた。

 そんなツアーの姿に、パンドラズ・アクターはかねてから不思議であった、ある疑問を口にする。

「ところで、ツアー様はお分かりになられるのでしょうか?」

「何をだい?」

「モモンガ様が、どうして死を選んだのかを」

 モモンガとシャルティアの遭遇時の出来事を思い出しながら、パンドラズ・アクターは告げる。

「モモンガ様は、シャルティア殿の状態を知っていてシャルティア殿に会いに行かれました。しかし、あの御方はシャルティア殿に勝つ気がまるで無かった。当時の状況を聞けば聞くほど、そう思います。どうして、あの御方は勝つ気が無かったのでしょうか?」

 ナザリックと決別するため? いや、それだって自分の口で告げるだけでいいだろう。装備品だって、さっさと自分で歩いて渡しに来ればいいだけだ。

 自分たちにしっかり何かを残したかった。それにしては手落ちである。この異世界の状況説明さえ怠って、ただ好きに生きて好きに死ねとだけ告げるのは、あまりに無責任では無いだろうか。

 それとも、それが彼なりの責任の取り方だったのだろうか。自分たちの自由意志を信じた、彼の。

 そんなパンドラズ・アクターの問いに。ツアーは何でもないかのように告げた。どうして、パンドラズ・アクターたちがそんなことを疑問に思うのか、さっぱり分からないといった様子で。

「何でも何も、簡単じゃないか」

 ツアーは、モモンガが救われた無関心さで、モモンガの友人として……正確に、モモンガの気持ちを言い当てた。どうしようもない一言を告げたのだ。

 そう……モモンガは、プレイヤーは、どこにでもいる……ちっぽけな、人間なんだから。

 

「彼の自殺に理由は無いよ。単に、その日はそういう気分だっただけじゃないかい?」

 

 

 




 
おわり。
 


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後書き

 

 

 この作品を今まで応援して下さった皆様、最後まで読んで下さった皆様、感想を書き込んで下さった皆様、お気に入り登録をして下さった皆様、評価して下さった皆様等、この場で感謝を述べさせていただきます。

 今までありがとうございました。

 

 

◆設定

〈The Hermetic Order of the Golden Dawn Consisting of The Undeads:O∴D∴U∴:不死者たちからなる黄金の夜明け団〉

原作:エルダーリッチなど多様なアンデッド魔術師たちからなる魔術師団

今作:元々は原作みたいな組織だったが、ある日モモンガと接触してからガラリと組織が変貌した。元々の組織名も違ったがモモンガが昔タブラ・スマラグディナから聞いていた魔術組織みたいだなーなどと口走った結果こんな名前に。

モモンガ自体は新たな組織名を「黄金の夜明けじゃなくてアンデッドなら黄昏だろ……」と思っている。

でも自分でつけるより絶対まともな名前なので、何も言わない。ちなみに、モモンガは別に所属していない。

 

〈ヴィリアム・ダンピーアー〉

原作:カッツェ平野の幽霊船の船長

今作:自由に世界を駆け巡りたかった変わり種のエルダーリッチ。“O∴D∴U∴”の連中のマジックアイテムを回収して運の尽き。

依頼されたモモンガに舐めた態度を取ったので、滅ぼされた。

 

〈ドドム〉

原作:ゼンベルの知り合ったドワーフ

今作:トンネルドクターのドワーフ。

 

〈オリヴェル=ベーヴェルシュタム〉

原作:エインシャント・フレイム・ドラゴン、ラッパスレア山の地表の支配者

今作:支配するよりされることを望んでいたドラゴンの恥晒し。臆病で、文字通り自分の全てを預けられる支配者を待ち望んでいた夢見るドラゴン。モモンガと出逢い、ようやく絶対的な安心感を得る。その後はドラゴンゾンビになった。

 

〈黄金鹿の結石:ゴールデン・ハインド・ベゾアール〉

原作:ワールドアイテム

今作:ワールドアイテムの一つ。あらゆる状態異常を無効化するネックレス。みすぼらしい鈍い色の石ころが宝石の代わりについている。鎖の部分は純金。元ネタはベゾアール石という鹿の胃から取る結石。これの凄いところは既にワールドアイテムで状態異常を起こしていても、その効果を問答無用で無効化してしまうところ。ぶっちゃけ、システム上の都合で解呪せざるを得なかっただけ。

 

 

 

◆その後

 

■モモンガ

所持マジックアイテムはほぼ全てツアーに預け済みなので、気が向いたら評議国でスヴェリアーによる蘇生魔法かアイテムで復活する。

ちなみに、ナザリックからの蘇生嘆願にはノーサンキュー。蘇生拒否でギルドでの復活は無し。

いつか、何処かで白金鎧のツアーと一緒に観光している姿が見られるかも。

 

■ツアー

ナザリックとはウマが合わないと思ってるし、実際その通りな竜王。指輪を使ってナザリックにこっそり出現したりする。

ギルド武器? 勿論、ナザリックのNPCが暴れ回った時用に持ち出してますが何か? あと、コキュートスに指輪は返して貰った。

寂しいので数年もしない内にモモンガは復活させる。一緒に世界を観光しようね。

 

■スヴェリアー

よく名前が出る評議国の永久評議員。魔法狂いなのでツアーからモモンガが遠い旅に出た(隠喩)と聞いて不貞寝。

モモンガとはツアーの次に仲が良かったりする。

 

■O∴D∴U∴の皆さん

うちの神様来なくなったし、オリヴェルが動かなくなったけど特に気にしない。いつかひょっこり、モモンガが顔を出しに来る。

 

■リグリット及び蒼の薔薇

復活した後はリグリットは旅に戻って、蒼の薔薇は名誉回復するために王国に帰ってびっくり。ラナー……死んでるしクライム打ち首になってるやん(震え)。

 

■ゼンベル

ナザリックが戦争仕掛けてくる前に、大森林の環境変化を感じて部族の皆と一緒に大森林を離脱。長い旅の果てに評議国に辿り着く。

顔見知りのアダマンタイト級冒険者リザードマンに話を通してもらって、評議国に住み付いてる。

 

■その他のリザードマン

部族の戦えるリザードマンの皆は基本コキュートス率いる加減なしナザリック戦力により戦死。他の皆はデミウルゴス牧場へ。

クルシュはクラウンに装備。

 

■その他のトブの大森林の皆さん

基本はリザードマンと同じ末路に。どっかの森の賢王とか西の魔蛇など魔法の使い手はクラウンに装備。

 

■アゼルリシア山脈の皆さん

コキュートスに完全制圧完了。O∴D∴U∴の皆以外、まともに生活出来てる奴はいない。生態系完全変貌。

 

■ドワーフの国

アゼルリシア山脈の狂った生態系のせいで、滅び確定。モグラなんかよりもっと怖い事になった。

 

■漆黒聖典の皆さん

死んだよ。魔法の使い手はシルクハットが装備。

 

■法国

漆黒聖典全滅で人類ヤバすぎ。古田をスカウト確定。陽光聖典は無事なので竜王国はなんとかもつ。

 

■聖王国

特に被害なんて無いよ。でも、アベリオン丘陵で間引きしてくれる人がいなくなったから、束の間の平和。

 

■アベリオン丘陵

我が世の春が来た。

 

■王国

未来が絶望的過ぎてもうどうすればいいか分からない。牧場の両脚羊はここ産。

 

■八本指

ナザリックに完全制圧されたけど、いきなり放り出すのはやめて欲しい。いつか連中がまた現れた時のために、謙虚になりながらいつも通り人々を肥やしにしている。

 

■ズーラーノーン

ナザリックに完全制圧されたけど、いきなり放り出されてわけ分からん。とりあえず、ナザリックの反感を買わないような生活を心掛けましょう。

 

■帝国

古田は法国に取られるし、憤慨。ジル君、頑張ってハゲろ。人類の未来は君にかかっている(割とマジで)。

 

■デミウルゴス牧場

アベリオン丘陵じゃなくてトブの大森林に出来た。最終的にナザリックが管理放棄したので地獄絵図に。大森林の生態系が狂いますね……。

 

■ナザリック

皆でやさぐれモード。完全に引きこもり。毎日霊廟まで会いに行きます。現実逃避でルーチンワークをこなしている奴が多い。

お外でやった色々は完全放置。そんなのにかまっていられるか。

 

■シャルティア

他の皆と違ってやさぐれモードじゃない。毎日お外に出ては、日々新しい発見に目を輝かせている。

時折現れては、シャルティアの疑問に答えてくれたりする謎の漆黒の戦士に首を傾げてたり。

 

■コキュートス

他の皆と同じやさぐれモードだけど、真面目で武人体質、お外で長期任務をこなした経験もあって比較的外に出る。パンドラ以外でツアーに接触した唯一のナザリック員。

アゼルリシア山脈で時折遭遇する、謎の漆黒の戦士と戦ってみたいなーって思っている。

 

■パンドラ

他の皆と同じやさぐれモード。完全なる引きこもり。お外に出ないので、謎の漆黒の戦士と遭遇する事は無い。

 

 

 



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