Monster Hunter Pioneer〜少女と竜と『その他』の物語〜 (アリガ糖)
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1、所詮は虫ケラなのでした。

 

 

あるところに、一匹のちっぽけな虫がおりましたとさ。

堅牢な甲殻も持たず、鋭利な角も持たず、素晴らしい機動力を持つ訳でも、圧倒的物量を持つわけでもない、それはそれはちっぽけで、弱々しい虫だったそうです。

 

その虫の名前はオルタロス。

十メートルを超す巨大なモンスター達が闊歩するこの世界では、まさしく蟻に等しい存在。鈍間で、ひ弱で、力も無く、大して群れもしない、雑魚がその大半を占める甲虫種界隈でも、極め付きの雑魚と言って然るべき存在でしょう。

 

例えば、群れからはぐれようものなら、たちまち自然の脅威に呑まれて、消えてしまうような……

しかし、その虫は死にませんでした。そこに大した理由やカラクリなどありはしません。ただひたすらに、ただ純然に、ただ、思わず呆れ返ってしまうほど、その虫は運が良かった(・・・・・・)のです。

 

残念ながらこれは、後世に語り継がれるような英雄譚でも、最強の龍の成長記でも、様々な思惑渦巻く偶像劇でもありません。

これから始まる物語は、たった一匹の、ちっぽけで脆弱な虫のお話です。

ある日ある時ある場所で、群れからはぐれてしまったオルタロスが、生きるために空回りの努力を続けながらも、最終的にはなんだかんだ生き残ってしまう、そんなお話。

 

 

***

 

多種多様な生態系を擁する絶海の孤島に、一陣の潮風が吹き抜け、海水の水面が俄かにざわめき立ちます。

人間で言うならば丁度足元が水に浸かる程度の水深でしょうか?海水に浸された広い広い岩場を走る、四つの影。先行する緑がかった黄色い影と、それを追う三つの真っ黄色の影。大きさと色こそ似てはいるものの、両者の姿、動き、そして現在の状況は全く違う様相を呈しておりました。

 

まず、先行する緑がかった黄色い影、オルタロスは、六本の足を懸命に動かして前に進もうと試みますが、その特徴的な頭部の形状が仇となり、重い海水の抵抗により思うように進めていません。それでも命惜しさにひたすら無策に逃走を続けます。

一方で、それを追う三つの真っ黄色の影、ルドロス達は、まるで苦労している様子はありません。当然でしょう、海水というのは彼女達の真のホームグラウンドです。迷い込んだだけの虫ケラ如きとはまさに年季が違います。ルドロス達は最早真剣に追ってすらいません、完全に遊んでいます。いつまでこのオルタロスは逃げ続けることができるものかと、三匹という数の力も用いてオルタロスの動きを巧みに誘導しながら遊んでいます。

 

誰が見てもこの状況からオルタロスの生還は絶望的と感じるでしょう。どう足掻いたところで数分後にはルドロス達におやつ感覚で齧られるオルタロスの姿が容易に想像できます。

ですが、運命というのはなんとも面妖なもので、その結末が訪れることはありませんでした。

 

サラサラと波の音に包まれていた孤島に、けたたましい火薬の炸裂音が響き渡ります。銃口から放たれた数発の凶弾は、そのままルドロス達の頭に突き刺さり、決して浅くない傷をその滑らかな黄色い皮に刻み込みます。

ですが、ルドロス達はその痛みに仰け反りはすれど、その一撃だけで絶命してしまうほどひ弱ではありません。彼女達はスッパリとオルタロスの追跡を取りやめ、自らを攻撃した存在を睨みつけます。

 

その視線の先に居たのは、小さな人間の少女でした。ルドロス達が伏せている姿勢なのに対し、人間は直立ですから、どうしてもルドロス達が少女に見下ろされる形になりますが、その実、両者には三倍以上の体格差がありました。

三倍以上の体格差で、数も三倍。これで負けるなどと誰が考えるでしょうか?

少なくともルドロス達は、自分達が目の前の少女に負けるとはまったく思って居ませんでした。寧ろ、もっと柔らかくて食べやすい獲物がやってきたと歓喜の声すら上げます。

 

彼女達の失敗を挙げるとするならば、人間に対する恐れを欠いていたことでしょう。まだ今年生まれたばかりの若い個体である三匹は、人間という生き物の怖さを知らなかったのです。

 

瞬間、三匹の中で一番左にいたルドロスが、真っ赤な血を吹き出します。首筋に赤い線を描かれたルドロスは、海水を赤く濁しながら倒れ伏し、やがて動かなくなりました。

刹那の間にそれを行なったのは、少女ではありません。どこからともなく現れた、自らの身の丈よりも遥かに長大な太刀を振るう、中性的な顔立ちをした子供でした。その子供の印象を一言で述べるならば、「黒」。ユクモ美人よりも純然たる黒髪に、静かな闇を湛える黒目、身に纏う装備もわざわざ黒に着色してあるので、おそらく黒い色が好きなのでしょう。

 

仲間が一匹斃れ、敵がさらにもう一人増えたことにより、ルドロス達に数の利は無くなります。それに、不意打ちとはいえ仲間を軽々と仕留められたのですから、例え体格で勝ろうとも、実力的にも有利であるとは言えません。ルドロス達に唯一残された利といえば、この場が人間にとり動きにくい水場であるということでしょうか?

彼女達は自分達の不利を悟り、逃走を選択しました。さっきまで戯れでオルタロスを追っていたルドロス達が、命を惜しむが故に逃げ出したのです。しかし、狩人達はそれすらも赦しません。凶弾がルドロス達の足を止め、鋭い太刀筋がその命を刈り取ります。

 

時間にすれば1分に満たない短いものでした。そんな短い時間で、三匹のルドロスはアッサリとその生涯を閉じたのです。

これがこの世界の理、弱い者は死に、強い者だけが生き残ります。それがどれだけ理不尽なことであっても、弱肉強食の世界は常に生者達にその牙を剥き続けるのです。

 

やがて二人の狩人がルドロスの亡骸を剥ぎ取り、その場を後にすると、放置されたルドロス達の死骸に、一つの影が近付きます。そう、どこに隠れていたのやら、先程追われていたオルタロスです。

オルタロスは物言わぬ屍となったルドロス達の体に登ると、なんと驚いたことに、その大きな顎で新鮮な肉を喰らい始めたではありませんか。先程まで自分が食われそうになったことなどまるで覚えていないかのような振る舞いです。いえ、虫にそのような記憶を期待すること自体が間違いのような気も致しますが……。

因みに、オルタロスが肉を捕食するというのはかなり珍しいことです。彼等の主食といえばもっぱらキノコや木の実といった物ですから、肉を喰らっている場面に遭遇することはまずほとんどありません。しかし、群れからはぐれて餌も少ない海辺に放り出され、よっぽど空腹だったのでしょう。オルタロスは一心不乱に肉を食み続けます。

 

しかし、ここで一つ大きな問題が発生してしまいました。

ルドロスの肉によってオルタロスの腹袋がパンパンに膨れてしまい、ただでさえ水の抵抗で動きづらかったのに、なおさら動けなくなってしまったのです。馬鹿です。正真正銘の馬鹿です。

大きくて遅い虫が、波に足を取られながらたった一匹……鴨葱どころか鴨が葱と鍋とおまけに豆腐や白滝や山の幸の詰め合わせを背負って来たような状況です。もし今捕食者に見つかりでもすれば、今度こそ絶体絶命のピンチでしょう。

 

……と、思いきや、数秒もしないうちにオルタロスの腹袋が元の大きさに戻っていきます。なんと驚異的な消化能力でしょうか。暴食の王として悪名高いイビルジョーもびっくりです。

そうして、なんとか機動性を取り戻したオルタロスは……再びルドロス達の肉を食み、腹袋をパンパンに膨らませます。なんというお粗末な記憶力でしょうか。学習能力のがの字もありません。これには比類なき咬力をもつイビルジョーも開いた口が塞がらないでしょう。

 

そんな馬鹿なことを繰り返しているうちに、案の定オルタロスの前に捕食者が現れます。くすんだオレンジの体色の二本足の立つ竜、ジャギィです。しばらくして漸くジャギィの存在に気が付いたオルタロスは、慌ててその場から逃げ出します。しかし、その時には彼の腹袋はパンパンに膨らんでおり、押し寄せる波によってアッチヘふらふらコッチへふらふら、大層お粗末な迷走っぷりを見せております。

勿論、ジャギィだってそれを見逃してくれるほど甘くはありません、大きく口を開けて牙を剥き、迷走するオルタロスに襲い掛かります。

 

しかし、幾ら馬鹿で弱っちくてお粗末なオルタロスでも、黙ってやられる程愚かではありませんので、口を開けて迫ってきたジャギィ目掛けて、腹の先から酸を吹き出します。

地味に高い精度で放たれた酸の塊は、見事にジャギィの顔面を捉えました。流石に即死するようなものではありませんが、目や口の中に入れば相当に痛いものです。ジャギィは堪らずその場で悶絶します。

その隙を突くように、オルタロスも逃走を開始します。アッチヘふらふらコッチへふらふら……これでも逃げているつもりなのです。

 

結局、その場ではしばらくの間悶絶するジャギィとふらふらするオルタロスというシュールな絵面が展開されることとなりました。結果から言えばジャギィが転がっているルドロスの死骸で妥協したので、オルタロスは何とか無事に危機を乗り切ったのですが……こんなので本当にこの厳しい自然界を生き延びることが出来るのでしょうか?語り手である私も不安な限りで御座います。





※オルタロス
当作の主人公。おそらくモンハン小説界で最もお馬鹿な主人公。オルタロスとは言っても、普通のオルタロスとは少し違うようで……?

※少女
???ライトボウガンを使っているハンター。まだ何処と無く幼さが残っている。

※黒い子供
???太刀を使っているハンター。見かけによらず実力は高そうだが、不思議な雰囲気を放っている。

※ジャギィ
永遠のライバル(爆弾発言)


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2、食欲は蟻を殺しますか?

 

 

あれから運良くジャギィから逃げ延びることに成功したオルタロスは、しかし前回の反省をまるで活かすことなく腹袋がパンパンになるまで近くに生えていたキノコを詰め込みます。

実を言うと、このオルタロスは一匹で行動しているので、本来ここまで食料を詰め込む必要はありません。もともとオルタロスが腹袋に食料を詰め込むのは、女王個体や幼虫などにその食料を分け与える為なので、それを行う必要のないこのオルタロスは、単純に自らの食欲を満たすためだけに、生き延びる上で最も重要な機動力を殺してまで満腹になるという命知らずな行動に出ているということになるのです。完全に世間を舐めています。一度死んでみてはどうでしょうか?

 

しかも、よりにもよって今オルタロスが食べているのは毒テングダケです。オルタロスの……というより、甲虫種の共通の弱点としてまず挙げられるのが、そう、毒です。毒で仕留めれば通常攻撃すると砕け散ってしまう死体が砕け散らないので、毒を使ってオルタロスなどを仕留めたハンターも少なくないでしょう。

そうであるにも関わらず、このオルタロスはよりにもよって、あろうことかその弱点である毒を持つ毒テングダケを食べているのです。あまりにも無謀です。控えめに言って自殺行為でしょう。

しかし、どれだけ待とうとも、オルタロスが毒で苦しむ様子を見せることはありません。それどころか、その肥大化した腹袋が、紫色に染まっているではありませんか。

そう、このお馬鹿で弱っちいオルタロスの、唯一と言っていい自慢できる点がこの消化能力……というか適応能力。目につくものは手当たり次第に食べてみるという彼のある意味命知らずな性格が、思わぬ結果を結んだのです。

 

とはいえ、別に彼は毒テングダケの毒を克服したわけではありません。その腹袋が紫色に染まっていることからもわかるように、毒の成分だけを分離して腹袋の中に溜め込んでいるだけなのです。

そういうわけですから、当然溜め込んだ毒を排出する必要があります。オルタロスは何度か膨らんだ腹袋をブルブルと震わせると、その先端から紫色の液体を吹き出しました。

本当に何も考えずに噴出されたそれは、綺麗な放物線を描いて飛び、あろうことか近くを飛んでいたブナハブラに命中してしまいました。突然攻撃(本虫にその意図無し)されたブナハブラは、当然のようにオルタロスに反撃せんと尻先から鋭利な針を覗かせます。しかし、先述したように甲虫種の弱点はなんといっても毒。それもオルタロスの腹袋の中で濃縮された毒を浴びてしまったものですから、哀れなブナハブラは数瞬後には甲高く弱々しい羽音をたてて地面に落ちてしまいました。

 

意図せずブナハブラを殺してしまったオルタロスは、たまたま近くを飛んでいたブナハブラが突然落ちてきたことに驚き、すわ天敵か!?とでも考えたのか、即座に警戒態勢に移ります。しかし、どれだけ周囲を警戒しようとも彼の視界にブナハブラを殺した犯人が入ってくることはありません。だって犯人は他ならぬオルタロス自身なのですから。

しかし、このお馬鹿虫はそうとは露程にも思わず、虚空を威嚇するばかりでございました。

 

暫くその場で警戒していたオルタロスですが、やがて敵が既に周囲にいないことを悟ると、今度は地面に落ちたブナハブラの死骸を食べ始めます。

ブナハブラとオルタロスは蜂と蟻、そしてどちらも特徴的な形状の頭部を有していますから、生物学的にはそう遠くない親戚に当たるのですが、このオルタロスにそれを言ったところで意味は無いでしょう。百パーセント理解できないと断言するまであります。

 

というかそれ以前に、つい先程毒テングダケを山ほど食べたにも関わらず、まだ食べ足りないのでしょうかこのお馬鹿虫は?

 

さて、オルタロスがブナハブラを食べ終わると、日は既に西に傾き始めているではありませんか。燃えるような夕日が、海を、そして空を真っ赤に染め上げ、昼間の命溢れる蒼とはまた違った、幻想的な風景を作り出しておりました。

そんな風情に魅入られることも知らないオルタロスは、強靭な顎と前脚を器用に使って、その場に穴を掘り始めます。オルタロスは夜に活動することも無くは無いですが、基本的には昼行性の虫なので夜は休むのです。しかしこのオルタロスには帰るべき巣穴が無いので、こうして自ら一匹入れる程度の小さな穴を掘り、そこでたった一匹で夜を過ごします。

 

普段はお馬鹿な行動ばかりしていますが、そんな様子を見ると、何処か寂しそうでもあり…………ませんね。今も簡易巣穴の中でアオキノコを食べながら、気楽な一匹狼ならぬ一匹蟻生活を満喫しております。一瞬でも同情した私が馬鹿でした。

 

 

***

 

真夜中の孤島は、昼間のそれとはまるで違う様相を呈します。

静寂と、闇。その二つが人間に容易に牙を剥き、今自分が立つ場所が、日々命のやり取りが行われる「狩場」であることを嫌が応にもこの身に刻み込んでくるのです。

ふと空を見上げてみれば、まるで黒いキャンパスに色とりどりの宝石を散りばめたかのような美しい星空が見れるでしょうが、それに魅入られたが最期、弱肉強食の理によって自らがそのお星様の一つになってしまうことでしょう。美しく、残酷。ここはそういう場所です。

 

冷たい陸風が吹き荒れ、少し冷え込む夜の孤島に、二人のハンターが足を踏み入れました。

軽弩を背負ったまだあどけなさの残る少女と、「黒」という印象が強い太刀を背負った中性的な子供。それは間違えなく昼間にオルタロスが邂逅(両者にその自覚があるとも思えませんが)した二人組でした。

ハンターという業の深い仕事をしていると考えるには、二人ともどう見ても幼すぎるように感じますが、訳あって幼少期からハンターをすることになってしまった子供というのは案外少なくありません。両親が狩人で、その両方が殉職したことにより孤児になった子供などもその一例でしょう。中には他の職業を見つける子もいますが、その殆どは狩人の道に進み、そして大抵は早死します。最近ではハンターズギルドでも問題視されるようになってきた案件です。

ですが、今それを語れば長引くこと必至なので、この場は割愛させていただくとしましょう。

 

軽弩を背負った少女が、自らの細身な体を抱き、小さく震えながら声を出します。

 

「うう〜、夜は冷え込むね……。ネロは大丈夫なの?」

「…………別に。」

「アオアシラを狩ったことはあるけど、まさか夜にやることになるとは思わなかったよぅ。」

「…………確認不足。」

「うっ!?……そ、それを言ったらお終いだよ。」

 

基本的に、軽弩を背負った少女が喋り掛け、黒い子供が短くそれに応えるというのが、二人の間に交わされる主なコミュニケーションのようです。一見すると気が抜けているようにも見えますが、二人とも周囲の警戒は怠っていません。その証拠に……

 

「……っ!」

 

……例のオルタロスがモゾモゾと巣穴から出てきた瞬間、二人は素早く軽弩と太刀を構えました。特別言葉を交わした訳でも無いのに二人が戦闘態勢に移行したのはほぼ同タイミングですから、見かけによらず相応な実力が備わっているのだということが見て取れます。

そんな二人ですが、出てきたのがオルタロスであると知ると、ホッと構えた武器をその背中に背負い直しました。もともとオルタロスは甲虫種モンスターの中でも最も温厚な性格をしていると言われていますから、警戒に値する存在では無いと考えたのでしょう。

 

当のオルタロスの方も、一瞬自分が攻撃されそうになっていたなど露程にも思っていないようで、二人の狩人には一瞥もくれずに何処かへ向けて走っていきます。六本足でシャカシャカと動くその様は、見る人が見れば大層不気味なものなのですが、虫嫌いはハンターなんてとてもでは無いですがやってられません。罠やら薬やら……狩猟生活に虫というのは必要不可欠なものですから。

 

さて、オルタロスが一目散に走っていった方を見れば、そこには星明かりに照らされてキラキラと輝く、濃密な蜜を垂らしたハチの巣があるではありませんか。

ハンター二人組の目的であるアオアシラも蜂蜜は大好物ですから、ここで待ち伏せすればアオアシラと邂逅出来るだろうと当たりを付け、二人は手頃な場所に隠れます。しかし、そんなことは知ったこっちゃ無いオルタロスは、真っ直ぐにハチの巣へと向かっていきました。

 

地面に滴り落ちた琥珀色の蜂蜜を、オルタロスは一心不乱に舐めとります。すると、あっという間に彼の腹袋は黄色く膨れ上がり、やがて満腹となったオルタロスは、満足げにその場を立ち去ろうとしました。

しかし、そんなオルタロスの頭上に、突如として影が差します。

熊のようなシルエット、軽く6メートルを超すであろう体格、鋭利な爪や牙、太い前脚は堅牢な甲殻で覆われており、見るからに強そうです。それこそ、この前オルタロスを追い詰めたルドロス達や、ジャギィなど比べ物にならないほどに……。

 

 

このモンスターこそ、青熊獣アオアシラ。

オルタロスがその生涯で初めて邂逅した大型モンスターなのでした。



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3、悪運の良さは主人公ですね。

 

オルタロスの実に三倍以上の体長を誇るモンスター、アオアシラの視線が、足元のオルタロスへと注がれます。

アオアシラは蜂蜜好きのモンスターとして良く知られていますが、実は肉と蜂蜜どちらが好きかというのは、割と個体差があることも割と有名な事実です。傾向としては、ロイヤルハニーが存在する渓流のアオアシラは蜂蜜好きが多く、逆に孤島のアオアシラは肉や魚が好きな個体が多いと一般的には言われております。

そして、オルタロスを見据えるこのアオアシラは……

 

ドスッ!

 

生粋の蜂蜜好きなのでありました。

オルタロスなどには目もくれずハチの巣の前に座り込んだアオアシラは、その長い舌を器用に動かして、滴る蜂蜜を一心不乱に、それこそ比喩でも誇張でもなく浴びるように舐めとり始めます。種族はまるで違うのに、その様子は先程のオルタロスとそっくりです。オルタロスとそっくりということは、必然的にこのアオアシラもお馬鹿なのでしょう。Q.E.D(以上証明完了)。

そんな酷い風評被害を受けているアオアシラの背後から、岩陰から飛び出した二人の狩人が襲い掛かります。この時を今か今かと待ち望んでいた少女ハンターと子供ハンターです。隙だらけの背中を晒しているアオアシラに、まず身軽な子供による太刀の一閃が振るわれます。すると必然、アオアシラの青色の毛皮に一筋の赤が描かれ、アオアシラは痛みのあまり悲鳴を上げます。子供なので力はありませんが、それを補うだけの鋭さがその一閃にはあったように思えます。

悲鳴を上げるアオアシラに追い打ちをかけるように、少女の手に握られたライトボウガンの速射機能による連続攻撃が放たれました。しかし、いくらお馬鹿疑惑があろうとも、いつまでもやられるままになっているようなアオアシラではありません。大好きな蜂蜜タイムを邪魔されたアオアシラは、腕を大きく持ち上げ、体を出来るだけ大きく見せるようにして二人を威嚇します。

しかし、二人の狩人は自分より遥かに巨大な相手に対し、全く臆する様子を見せません。むしろより一層戦意を滾らせ、凛然と武器を構えてモンスターと相対します。

 

アオアシラは、自分に傷を与えた相手のあまりの小ささに、一瞬理解を遅らせました。しかし、今自分の命が脅かされているのは紛れも無い事実、自分より遥かに小さかろうと、全力で叩き潰さんと爪をふるいます。

アオアシラの力強い一撃が、子供ハンター目掛けて振り下ろされました。小さい体など軽々と吹き飛ばせてしまうであろうその一撃は、しかし子供ハンターによってひらりと躱され、お返しと言わんばかりに反撃の太刀筋が振るわれます。

子供ハンターの腕が短く、リーチが狭いばかりに、その鋭い一撃はアオアシラの身を穿つことはありませんでしたが、しかしそれでもその太刀筋は、さっき背中から切られたことも相まって、アオアシラに危機感を抱かせるには十分だったようです。

 

先程まで怒りに身を任せんばかりだったアオアシラが、冷静さを取り戻して二人のハンターを見据えました。そして何を悟ったのか、太刀使いの子供ハンターには目もくれず、軽弩を構えた少女ハンターに襲い掛かります。その判断は強ち間違いではありませんでした。ガンナーである少女の身を守る防具は、弾薬を収納したり、遠距離での立ち回りを補助したりといった関係上、剣士のそれと比べると半分程度の強度しかありません。しかも、少女の持つライトボウガンには、身を守る盾などもありませんから、防御面で考えれば少女は非常に脆いのです。

そういう意味では、この時のアオアシラの判断は正に的確であったと言えるでしょう。

ただ、一つ誤算があったとするならば……この少女が、「バレットゲイザー」と呼ばれる狩技を習得していたことでしょう。

アオアシラが少女に迫ったまさに次の瞬間、少女の身軽な体が激しく後方に吹き飛ばされ、それと同時に地面に設置された地雷が炸裂することにより、アオアシラの全身を激しい火柱が包み込みます。アオアシラは非常に火が苦手なモンスターで御座いますから、思わぬ相手の反撃に仰け反っていますと、当然その隙を逃してくれる筈もなく、背を向けてしまった子供ハンターに手痛い一撃をもらうことになります。連続で強烈な攻撃を受けたことにより、アオアシラは堪らず転倒してしまい、大きな隙を晒すことになってしまうのでありました。その間にも狩人達の猛攻は続き、アオアシラは少しずつ体力を奪われていきます。

なんとか狩人達の猛攻を耐え切り、ゆっくりと立ち上がったアオアシラは、見ればその口元から荒々しい息をのぞかせております。アオアシラからしてみれば食事中に突如攻撃を受けここまでボコボコにされているわけですから、とうとう怒り心頭に発したというわけです。

 

アオアシラが怒り状態に移行したことにより、二人の狩人はより一層気を引き締めます。ここまでずっと戦況を有利に運んできたのですから、普通ならもう少し油断してもいいのではと思えてしまいますが、その慢心こそが地獄への片道切符であることを彼等はよく知っていたのでした。

両者の緊張は徐々に高まっていき、雲一つ無い星空の下、命がけの戦いはその激しさを増していきます。

 

 

……と、そんな戦いの中で件のオルタロスは何をしているかと言えば、ちょくちょく両者の戦いに巻き込まれそうになりながらも、懸命に殺伐とした戦場から逃げようとしている最中で御座いました。

まず最初に、背中から不意打ちを受け前のめりの姿勢になったアオアシラに危うく踏み潰されかけたのを皮切りに、ライトボウガンの流れ弾が至近距離を掠め、子供ハンターに向けて振るわれたアオアシラの腕にぶつかって吹き飛ばされ、少女に襲い掛からんと駆けるアオアシラにまた踏み潰されそうになり、なんとか事なきを得たかと思いきや至近距離で爆炎に煽られ、すぐ目の前を鋭利な太刀が掠め、転倒したアオアシラに巻き込まれて転がり、隙を晒すアオアシラに対する狩人達の猛攻に巻き込まれ……それはもう踏んだり蹴ったりで御座います。逆に言えば、それだけのことに巻き込まれながらも大きな傷を負っていないオルタロスの、なんとも悪運の強いこと。みてくれ的にはシュールでしかありませんが、その悪運の強さには眼を見張るものがあります。

 

しかし、そんなオルタロスも、流石にここまで踏んだり蹴ったりにされれば、アオアシラ同様……いや、それ以上に怒り心頭に発するというものです。彼も食事を邪魔されたのは同じですし、何より戦ってすらいません。ただ戦いに巻き込まれているだけです。しかも巻き込んでいる方はオルタロスの存在にはまるで気付いてすらいないのですから、この戦いの一番の被害者は間違いなく彼でしょう。

さて、普段お馬鹿で大人しい分、本気で怒ったオルタロスは大層恐ろしく…………ありませんでした。誰一人として見ていないのに、負け犬の遠吠えのようにその場で数回威嚇すると、オルタロスはシャカシャカとその場から逃げ出していきます。これの何処に脅威を感じろと言うのでしょうか?ただ一つ、間違えなく言えるのは、もし彼に口があったのならば間違えなく捨て台詞を吐いていたということでしょう。

何処と無く哀愁を漂わせるオルタロスの後ろ姿を、省みる者は誰一人としていませんでした。

 

まぁ、別にオルタロスは間違った事をしたわけでは御座いません。幾ら怒ろうとも脆弱な甲虫種風情がハンターやアオアシラなんぞに襲い掛かったら、せいぜい返り討ちに遭うのが関の山です。この場で逃げ出すというのは、お馬鹿なオルタロスにしては随分と妥当な判断と言えました。

しかし、それでいいのでしょうか主人公。このままでは主人公という称号の隣に、(笑)という不名誉な付属パーツが付くことになりかねません。もっとも、オルタロスにそんな事は理解出来ないのでしょうが……。

 

ズコズコと不貞腐れた様子で簡易巣穴に戻ってきたオルタロスは、近くに生えていた薬草とアオキノコを、やけ食いのように食べ始めます。するとどうでしょうか、先程の戦いに巻き込まれて傷付いた体が、見る見るうちに回復していくではありませんか。

薬草とアオキノコと、そしてハチミツ。グレート☆御三家とも呼ばれるその三つを知っているとは、このオルタロス、ただのお馬鹿という評価を改めねばならないかも知れません…………が、アオキノコと一緒に毒テングダケも大量に食べているところを見ると、まず間違えなく偶然なのでその必要はないようでした。

 

やけ食いで十分に腹を膨らませたオルタロスは、そのまま眠りに就き、夜明けまで眼を覚ます事はありませんでした。実はアオアシラが逃げ込んだことによりすぐ側で戦闘が勃発したこともあったのですが、この無警戒オルタロスはそれにすら気付かずに熟睡しておりました。おそらく雷が落ちても(幻獣が現れても)地震が起きても(大海龍が暴れても)眼を覚まさないのではないでしょうか?本当にありそうで怖いです。

 

 

翌朝、オルタロスが朝一番に目にしたのは、全身に傷を負って斃れたアオアシラの死骸でした。

これだけ大きな肉の塊ですから、当然オルタロスは喜んで飛び付きます。無我夢中に食事に勤しむオルタロスは、その背後からジャギィの群れが迫っているなど夢にも思わないのでありました。

 

オルタロスの受難は続きます。



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K1、例えば煉獄の奥地で

これは、時々挿入される番外編のようなものでございます。当然ここでスポットを浴びるのは二人組のハンター……ではありません。残念ながらまた虫でございます。

そう、言ってみるならば、これは主人公のオルタロスと同期に当たる虫のお話。



灼熱の大地、煉獄の大河、高温の大気。

火山……。それは人類が知る中でも最も過酷な世界です。ただその場に立っているだけで命の危機に晒されるほどの高熱、一歩でも足を踏み入れればまず助からない赤熱の溶岩流、一瞬で身を焦がす程のガス噴出……そのどれもが、人間の命を容易に奪う程の脅威を持っております。しかし、モンスター達というのは何とも理不尽なもので、人間では踏み込むのさえ命がけなその地でも、ちゃんとした生態系を築いているモンスターは多々存在いたします。

例えば、ウロコトルなどのように、もともと火山にしか生息しない生き物や、甲殻種や甲虫種のように、例え極寒の地でも遥かな高所でも最悪食料さえあればどんな環境でも適応できるような無敵生物。

そして、熱地どころか溶岩流さえものともしない屈強な大型モンスター達。

このように、常識ではとても生き物が住んでいるとは思えない火山でも、実は結構な種類の生き物が生息しているのです。

 

そんな生物の中に混じってしまったのが、ハンター達の間では一般に盾虫、クンチュウと呼ばれている甲虫種のモンスター。それは元々火山地帯に適応する個体も確かに存在はしますが、ここ、ラティオ活火山には本来生息するはずのない生き物でした。

クンチュウの特徴は、なんといってもその並桁外れた防御力。その金属を思わせる堅牢な甲殻は、小型モンスターはおろな名だたる大型モンスターの甲殻さえも上回る強度を有しており、鉄をも切り裂くと謳われる脅威的な斬れ味を持つハンターの武器さえも簡単に弾いてしまうほどであります。ですが反面、その堅牢な甲殻に覆われているのは背面のみである関係上、腹部の防御力は非常に低く、ひっくり返されて仕舞えば途端に無防備になってしまうという弱点を有しております。

このクンチュウ……いえ、クソチュウではありません。例え大型モンスターとの戦闘中に横槍を入れようとも決してクソチュウではありません。例えここがチャンスだと思って振るった渾身の一撃をその甲殻で阻まれても、終いには大型モンスターの盾となるように張り付き始めても……もうクソチュウでいいです。

……このクソチュウ、一般には腐肉食、腐葉土食として幅広く知られておりますが、実はその無敵とも言われる甲殻の強度を保つ為に、若干の鉱石食性も有しているのです。そういう観点で言えば、鉱石の宝庫として名高いこのラティオ活火山は彼にとってまさに天国と言えるところ…………では残念ながらありません。

 

その要因の一つが、ウロコトルやガブラスといったモンスターの存在です。いくらウロコトルやガブラスでも、流石に圧倒的防御力を誇るクンチュウにまで襲い掛かるようなことは致しませんが、両者共にスカベンジャーである関係上、当然クンチュウとの生存競争を繰り広げる関係にあります。ですが、クンチュウの攻撃手段といえば地面を転がる程度しかありませんので、地中へと潜るウロコトルや、空を飛べるガブラスなんかにはそもそも攻撃が届かず、更に悪い事に両者共に遠隔攻撃手段を有しておりますから、もし鉢合わせした場合クンチュウは成すすべなく一方的に攻撃を受けて追い立てられてしまうのです。

そういうわけですから、せっかくクンチュウが死肉を見つけても、ウロコトルやガブラスに横取りされるのが常でありました。勿論、ロクに植物が生息できない火山で御座いますから、栄養豊富な腐葉土など望むべくもありません。

 

結果としてこのクンチュウは、大した栄養にもならない鉱石を日々食すしかありませんでした。毎日のように鉱石が生成されるこのラティオ活火山では、鉱石だけは山ほどあったのです。

そんな、鉱石だけを食すという偏った生活が、まさかあのような結果をもたらすとは、一体誰が考えたでしょうか?

 

 

***

 

それはある日の事でした。ここで天気の様子でも述べるのが情景的な描写なのでしょうが、生憎火山の天気が変わることは滅多にございません。専ら毎日晴れ一部黒煙といった様相でございます。

そんなある日のこと、クンチュウは新鮮なアプケロスの死骸を発見しました。ウロコトルやガブラスなどのように優れた嗅覚を持たないクンチュウが一番に死肉を発見するというのは珍しいことですから、クンチュウは当然このチャンスを逃すまいとアプケロスの肉を喰らい始めます。久々の肉、それもアプケロスのような大きな獲物、まさにクンチュウにとっては至福の時と言えるでしょう。

 

しかし、幸せな時間というのはそう長くは続かないもので、一心不乱に肉を貪るクンチュウに、ウロコトル達やガブラス達の影が迫ります。彼等も中々に狡猾なモンスターでありますから、これまでの経験でクンチュウの追い払い方は心得ており、ガブラスは上空からひたすらに毒液を吐きかけ、ウロコトル地中から半分体を覗かせた状態で炎のブレスをクンチュウに浴びせます。

ですが、いつもは攻撃を受ければすぐさま逃げ出すクンチュウの様子が、この時ばかりは違いました。まるで攻撃が通じていない……それどころか攻撃されていることに気付いてすらいないかのように、夢中で肉を貪り続けたのです。

そんなクンチュウの様子を鬱陶しく思ったガブラスが、今度は空中からクンチュウ目掛けて飛びかかります。クンチュウとガブラスでは体格が大きく異なりますから、ガブラスの飛び蹴りを食らえば、クンチュウは容易く吹っ飛ぶはずでありました。しかし、結果から言えば、クンチュウはガブラスの蹴りを受けてもその場からピクリとも動かず、代わりに、ガブラスの足にはまるで岩盤でも蹴ったかのようなジーンとした痛みが走ることとなりました。

その衝撃で漸く、クンチュウは自分の周囲にウロコトルやガブラスがいることに気が付きます。するとさっきまでのまるで攻撃が通じていないような態度は何処へやら、すぐさまその場でまるまって防御体制に移行しました。

その場で丸まって鎮座するクンチュウをウロコトルが嘴で退かそうとします。しかし、何かがおかしい。どれだけウロコトルが力を込めようとも、クンチュウの体はビクともしないのです。そこでウロコトル達は漸く気付きました。このクンチュウ、凄まじく重くなっているのです。

それもそのはずでしょう、腐肉にありつく事が出来ず、ずっと鉱石ばかりを食べ続けたクンチュウは、驚くべきことに、食した鉱石を甲殻に反映する能力を手にしていたのですから。ドラグライト鉱石や鎧玉を中心として様々な鉱石の成分を含んだ甲殻は、その堅牢さもさることながら、何よりも凄まじいのが重量でございます。なんと言ったって非常に高密度の重金属の塊のようなものでございますから、比較対象がいないので分かりづらいですが実は通常のクンチュウよりもふた回り近く大きいその体躯も相まって、その重量は五百キロに迫らんばかりの勢いです。

そんなクンチュウに攻撃するのは、言ってしまえば巨大な岩塊に攻撃を加えるようなもの、この上なく不毛です。ウロコトルやガブラス達もそれを悟ったのか、クンチュウを退かすことを早々に諦め、無視の姿勢を決め込んでアプケロスを食い始めます。

 

ふと、自分が攻撃を受けていないことに気が付いたクンチュウは、なにぶん自分が凄まじく硬く、そして重くなっていることを知らないものですから、何故見逃されたのかを不思議に思いながらも、食い荒らされるアプケロスの死骸を惜しみつつその場を立ち去ります。

 

アプケロスの死骸を横取りされ、渋々と立ち去ったクンチュウは、やけ食いのようにその辺で見つけた鉱石の塊を食しますと、それから間もなくして、ふと体に違和感を感じ、素早く岩の陰に身を隠しました。

するとどうでしょうか、圧倒的な堅牢さを持つクンチュウの甲殻が、前後に大きく裂け、中から真っ白な甲殻が覗いているではありませんか。クンチュウがその場でもがくように体を震わせれば、裂けた甲殻がだんだんと剥がれていき、やがて白い甲殻が剥き出しになります。そう、これこそがクンチュウの脱皮の様子です。

さて、やがて脱皮を終えたクンチュウですが、食料の少ないこの火山においては自分の脱皮殻でさえ貴重な栄養源、当然のように脱皮殻を捕食致します。

 

……この習性のおかげで脱皮の痕跡が残ることはありませんが、実はかのクンチュウの脱皮回数は控えめに言って異常でした。何せ既に十分以上に育ったはずの今でさえ二週間に一度は脱皮を行い、その度に一回り大きくなっていくのです。クンチュウにとって脱皮というのは結構命がけの作業ですから、それだけの回数をこなしていると聞いただけで生物学者は有り得ないと口にするでしょう。しかし、これはまぎれもない事実だったのです。

 

この少し哀れで、そして凄まじく異常なクンチュウこそが、やがて世界で最も硬く、世界で最も重く、世界で最も巨大であると謳われた、後の"王蟲アルマ"でございました。





主人公より主人公っぽい番外編主人公の登場でございます。
オルタロスももたもたしているもK編に本編を乗っ取られるかも知れませんよ?ええ、人気次第で。


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4、酷さも極めると芸術らしいです。

 

不幸にもハンターとアオアシラの戦いに巻き込まれてしまった翌朝、太陽が東の空に登り始めた頃に目を覚ましたオルタロスが朝一番に目にしたものは、アオアシラの死骸でございました。

その青色の毛皮には無数の切り傷が刻まれ、大量に流れ出して乾いた血によって全身がドス黒く染め上げられており、ところどころ肉が抉れたような場所も見受けられ、特に酷いところでは肉の隙間から白い骨が剥き出しになっております。

アオアシラの死体のあまりにも凄惨な様でありますので、それは普通ならば目を覆いたくなるような光景でしたが、残念ながらオルタロスにそのような可愛らしい感性など存在いたしません。彼の心情を表すならば、たった一言で事足りてしまいます。「餌だー!」という……本当にたったそれだけです。つい昨晩その脅威をまざまざと見せつけられたはずなのに、オルタロスはまるでそれを覚えていないかのように、目の前に横たわる肉塊を「餌」としか認識していないのでありました。なんという図太さでしょうか。これには流石の私も感心されられ…………ません。何故ならこのお馬鹿オルタロスは、目の前の肉塊が昨晩邂逅したアオアシラであることを、本当に覚えていない(・・・・・・・・・)のですから。

 

さて、そんなお馬鹿なオルタロスがアオアシラの死骸を貪っておりますと、そんな彼の背後から数匹の影が迫ってきておりました。言わずと知れたジャギィ達です。小型の肉食竜である彼等にとっても、大きなアオアシラの肉塊は言うまでもなくご馳走の塊なのでありますから、それを手に入れる為であるならば、たかだかオルタロス一匹敵に回す程度彼等にとっては全く苦ではありません。寧ろ下手に抵抗してくるならばアオアシラの死骸にオルタロスが一匹添えられるだけだという、その程度の認識なのでしょう。

しかしこのジャギィ達は、数秒後にはその認識を大きく改めることになります。当然でしょう、曲がりなりにもこのオルタロスはこの物語の主人公なのですから、例え数匹のジャギィに囲まれようとも、その力を使って無双……しません。ジャギィ達の存在に気が付いたオルタロスは、その瞬間にそそくさとその場から逃げ出しました。しかもちゃっかり持てる限りの肉塊は持ち出すというみみっちさです。

ジャギィ達はその瞬間、オルタロスに対する認識を大きく改めました。オルタロス一匹敵に回す程度……と先程までは思っておりましたが、肝心のオルタロスは、敵に回ることすらない正真正銘の雑魚であったのです。臆病なモンスターの代表格であるアプトノスだってもう少し気概があります。

オルタロスのあまりの弱虫(物理)ぶりに呆気に取られつつも、ジャギィ達はアオアシラの死骸を貪り始めました。その中の一匹が空を仰いで大きく吠えれば、何処からか沢山のジャギィやジャギィノスが集まってきます。おそらく彼等は群れの家族なのでしょう。

やがて、アオアシラの死体の周囲にはジャギィ一家の団欒が催され、誰もがオルタロスの事など忘れてしまうのでありました。

……ただ一匹、若いオスの個体を除いては。

 

***

 

さて、ジャギィ達に餌を横取りされたオルタロスは、次なる食料を探して孤島を彷徨います。コイツは食う寝る逃げるしか脳が無いのでしょうか?無いのでしょうね。一応フォローを入れておきますと、通常のオルタロスも基本的には食料を求めて徘徊している場面しか見せませんから、彼のこの行動は本能的なものであり、このオルタロスがお馬鹿であるという事実とは関係無いのです。逆に考えれば、オルタロスというのは種族を挙げてお馬鹿なのでしょう。酷い風評被害です。

それはさておき、オルタロスが次に発見した食料は、赤い木の実でございました。大きさは大体人間の拳よりふた回りほど小さいといった程度でしょうか?赤い実が穂のようにまとまってなっているこの植物こそ、一般に「怪力の種」と呼ばれ親しまれている、ハンター達御用達のドーピング薬でございます。この怪力の種の齎す効果は非常に単純かつ強力なもので、怪力の種を食べると一時的に筋力が上昇するという、なんとも摩訶不思議な植物です。

 

目の前の木の実がそんなものであると知ってか知らずか、オルタロスは怪力の種をそれはそれは嬉しそうに食べ始めました。もっとも、このオルタロスが何か食べている時に嬉しそうな表情をしていないことなどこれまで一度たりとも無かったのですが。

数分と経たない内にその場になっている怪力の種を粗方食べ尽くしてしまったオルタロス。ですが、怪力の種はそこまで大きな木の実ではないため、それだけではこのオルタロスの膨大な食欲を満たすには到底足りえません。次に彼が目をつけたのは……青色の甲殻を持つ小さな甲虫、にが虫でございます。その名の通り……或いはそれ以上に凄まじく苦い虫ではございますが、その体液の成分には非常に多種多様なな薬効があり、多くの薬品の調合素材にが虫の体液が用いられているほどです。

因みに、そこそこ珍しいことではありますが、もともとオルタロスという種族は虫を食べることがございます。その証拠に、腹袋を膨らませたオルタロスを倒してみたら中から虫の死骸が出てきたという経験があるハンター諸氏も少なくないのではないでしょうか?

にが虫というのは、その強烈な味の関係上天敵が少ないからなのか、とてもノロマな虫です。しかし、オルタロスにとっては苦味などさしたる問題にはならないため、そのノロマさが仇となって格好の餌となってしまうのでございます。

 

さて、オルタロスがそんな調子で、いつものように目に付くものを取り敢えず食べるという一種異様な日課を果たしておりますと、そんな彼の目の前に突如として一匹の若いジャギィが立ちはだかります。

この若いジャギィは、つい先日三匹のルドロス殺害事件の折、波に足を取られていたオルタロスに襲いかかろうとして見事に反撃を食らい、顔面に彼の腐蝕液を浴びたことによって悶絶することになったあの個体でした。自業自得とはいえ酷い目に遭ったのは事実なので、若いジャギィはこのオルタロスの事を執念深く覚えていたのです。

一方、オルタロスの方はと言えば、曲がりなりにも食われかけたにも関わらず、この若いジャギィの事などカケラ程にも覚えていませんでした。何かと天敵の多い上に無駄に悪運の強いオルタロスですから、外敵に襲われた事など一々覚えてなどいられないと言われればそれまでなのですが、もう少し学習能力というものを見せていただきたいと思ってしまっても贅沢ではないでしょう。

 

そのように、どうにもやや温度差のある両者は、しかし互いに真剣な様子で真正面からじっと睨み合います。状況だけ見れば非常に緊張感がある場面なのですが、片や逆恨み、片やお馬鹿であることを考えると、どうにもコメディチックに見えてなりません。

しかし、例えそんなコメディチックに見える場面であっても、ジャギィはれっきとした獰猛な肉食竜であるという事実を忘れてはなりません。その大きな口を目一杯開いて凶暴な牙を剥き、オルタロスに襲い掛かります。猛然と襲い掛かるジャギィに対して、後手に回ってしまったオルタロスは……その口目掛けてさっき食べたばかりのにが虫の苦味成分を濃縮したものを吹き掛けました。これは酷い。

どうやら学習しないのはジャギィも同じだったようです。前回と同じ過ちを犯して反撃を食らったジャギィは、口の中に飛び込んできた液体のあまりの苦さに思わずその場で悶絶致します。ですが、それで突撃の勢いが消えた訳ではありません。そのまま倒れこむようにオルタロスに襲い掛かったジャギィは、口の中に広がる苦味にのたうち回りながらも、力を振り絞ってオルタロスの体をひっくり返しました。ですが、ジャギィに出来たのはそこまでです。オルタロスの体をひっくり返したジャギィはその場で倒れこみ、か細い悲鳴を上げて苦味に耐えます。その隣では、ジャギィによってひっくり返されたオルタロスが、わしゃわしゃと足を動かして起き上がろうとしておりますが、いかんせん腹袋が膨れているがために上手く起き上がることができておらず、無防備な体制でもがいております。

強烈な苦味に悶えるジャギィと、満腹なせいで起き上がれないオルタロス。なんという……なんという低レベルな争いでしょう。もしかしたら、この弱肉強食の理が支配するモンスターハンターの世界でも有数の、超低レベルな争いなのではないでしょうか。

 

悶絶するジャギィと、ひっくり返ったオルタロス。どうやら先に体勢を立て直したのはオルタロスの方であったようです。苦労の末に何とか起き上がることに成功したオルタロスは、悶えるジャギィに対して追撃と言わんばかりに腹袋から出た液体を吹きかけます。ですが、それがなんともお馬鹿な話で、にが虫の苦味成分は既に使い切っていたオルタロスがジャギィに吹きかけた液体は、なんと怪力の種の増強成分だったのです。

怪力の種の増強成分を全身に浴びたジャギィは、体から力が湧いてくるのを本能的に感じとり、漸く治ってきた苦味に耐えながら通常よりも強化された力でオルタロスに襲い掛かり……しかしその場で倒れ込んでしまいました。今度はビクビクと小刻みに震えながら悲鳴を上げるジャギィ。そうです、苦味に悶えて変な姿勢をとっていた時に突然外的な要因で筋力を増強されてしまったがために、足が攣ってしまったのです。しかも怪力の種で増強されておりますから、普通に攣った時よりも更に痛いです。

 

目の前で痙攣を始めたジャギィにビビったのは、他ならぬオルタロス自身でした。自分は相手を痙攣させるような事はしていないはずだと思っているので、姿を見せていない第三者がジャギィを攻撃したのだとでも思っているのでしょうか?オルタロスは見えない敵に恐れをなしてその場から逃げ出しました。

 

それ以来、孤島では定期的に低レベルな争いが繰り広げられるようになったとかならないとか……。





※ジャギィ
(モンハン世界お馬鹿決定戦においての)永遠のライバル。


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5、虫の報せと言いまして

※人が死にます。苦手な方はご注意くださいませ。


 

孤高の一匹蟻である某オルタロスは、今日も今日とて相も変わらず食料を求めて島を徘徊し、ジャギィやルドロスに見つかれば途端に背を向けて逃走する。そんな少しデンジャラスではあるものの、非常に気ままで自由な生活を送っておりました。

しかし、いつの日からか、元々挙動不審だったお馬鹿なオルタロスの動きが、更に怪しいものに変わります。不意に周囲を見回したり、岩や草の影に隠れたり……それは側から見れば、まるで何かに怯えているかのようにも見て取れました。

実を言うと、臆病で弱虫なオルタロスではありますが、これまで何かに怯えたといった様子を見せたのは極々稀なことでした。ジャギィやルドロスなどの肉食竜に出会った時などは、怯える素振りを見せる前に無駄に抜群の決断力を発揮して逃走を図りますから、このように恐怖に震えるような行動を見せることはこれまで滅多になかったのです。

 

そんな少々珍しい態度を露わにするオルタロスではありますが、どんなに怯えていても結局腹は減るものなのか、ビクビクと周囲を警戒しながらも今日も食料を探しに行きます。しかし、その食料探しの様子もいつもと比べると明らかに変です。いつものオルタロスならば手頃な食料を見つければ喜んでその場で食べ尽くすのですが、最近では顎で持ち運べる量だけを確保すると、まるで逃げ帰るように何処かへ消えてしまうのです。その様子は、無警戒、無遠慮、無関心を地で行くこれまでのオルタロスからは到底考えられない態度でありました。

さて、そんなオルタロスが確保した食料を一体何処に運んでいるのかと問われますと、その答えは彼の築き上げた巣にありました。巣とは言ったものの、それは群れのオルタロスが作るものと比べると大層小さく、まさにこのお馬鹿なオルタロス個人用といった程度の、ほんの小さな横穴でございます。まあ、それでも体長2メートルを優に超すオルタロスが作っただけあって、横になれば大の大人が数人は入れる程度の広さがあるのですが……。

そんな横穴の中を覗いて見れば、そこにはオルタロスによって運び込まれた大量の食料が山積み……ではなく、よく見ると驚いたことに綺麗に種類分けして置いてありました。薬草やアオキノコ、カラの実、ハリの実、怪力の種、毒テングダケ、クタビレタケ、マヒダケ、特産キノコ、ネンチャク草、ツタの葉……果ては何故かクモの巣や石ころといった食料でもなんでもないものまで多種多様です。

極力隙を晒さないように食料を蓄え、巣に籠る。それはまるで籠城戦でも始めるつもりかと問いたくなるような行動でした。

 

周囲に目を向けてみても、挙動不審なのはオルタロスだけです。ジャギィ達やルドロス達といった孤島に存在するポピュラーな小型モンスター達は、普段と至って変わらぬ様子で生活しており、まるでオルタロスだけが目に見えない脅威を感じ取ったかのような……そんな不気味な状況が、実に一週間近く続いておりました。

 

 

***

 

「ハッハッハ!今日も大漁だぜぃ!」

 

豊かな自然の宝庫、孤島。

その近隣に存在する村や集落では、その豊かな自然の恵みが最後に流れ着く、偉大なる海の恩恵を最大限に享受するため、漁業などを筆頭とした水産業が非常に発展しております。それは孤島地方に存在する唯一の都市と言って過言ではないタンジアの港や、かつて孤島周辺の村落を震撼させた古龍、大海龍を退けた英雄がいるということで一躍有名になったモガの村などでも例外ではありません。

吹き荒れる潮風のためにお世辞にも農業に向いているとは言い難い地域でありますから、海の資源をどれだけ活かすことができるか、それがこの地方で生きる人々の永遠と言ってもいい命題となっているのです。

 

そして、その海の多大なる恩恵を最も直接的に、最も強く受けることが出来るのが、他ならぬ漁師の方々でございます。

膨大な知識と経験と力を使って海に挑み、時には自分よりも遥かに巨大な生物でさえ腕っ節を頼りに捕まえて見せる。その様子は危険ではあれど非常に男気に溢れており、事実、この地域の子供達に将来の夢を問えば、誰もが一度は夢見るハンターよりも、真っ先に漁師の名が挙がる程に、周囲からは憧れの的となっております。

そんな豊かな海ではありますが、その豊かさを求めるのは決して人間だけではございません。大洋を支配域とする強大なモンスター達も、その海の恩恵を求めて集まり、そして人間と頻繁に衝突致します。そのようなモンスターを退けるのはハンターの仕事ではございますが、漁師だって不意にモンスターに邂逅してしまった時の為に、討伐とまでは行かずとも撃退……せめて逃げるくらいは可能とする程度の実力を要求されます。それが出来なくては、待っているのは死だけであるからです。

その一例として、とある村の漁師達の船団が、少なくない被害を出しながらも海竜ラギアクルスを撃退まで追い込んだという話はあまりにも有名でしょう。

 

結果として、この孤島地方で長年漁業に従事している人物は、その殆どが相当な……少なくとも新人ハンターよりは遥かに上と言っていい程の戦闘能力を有しております。中には、モンスターが現れない限り収入が安定しないハンター稼業と、禁漁期間中は仕事が無い漁師とを兼業している者さえいるほどです。

ですから……その長年漁業に従事してきた漁師達の船団が、一人残らず全滅したという事態は、明らかな異常事態と言えるでしょう。

 

 

「見ろよこのハリマグロ!金冠付きそうな大きさだぜ!」

「こっちなんていつもの二割増しで獲れたからな!最近は大型モンスターもあまり現れていないみたいだし、ずっとこの調子が続くといいねぇ!」

「ハハッ!違え無ぇ!」

 

お互いの船の上で、各々の穫れ高を自慢する海の男達。最近は捕食者である大型モンスターが減少したためなのか大漁が続いており、彼等の機嫌は非常に良かったのです。

 

「この調子なら他も期待出来そうだな……。よし野郎共ぉ!第三ポイントへ移動するぞ!」

「アイアイサー!」

 

漁師達の船団長の合図で、いくつもの船が一斉に移動を開始します。当たり前ではありますが、漁というのは一箇所で行うものではありません。漁師達は、彼等が独自に決めた縄張りの中にいくつかの狩場を持っており、そこを順番に回ることでより多くの収穫を得ているのです。そうである関係上、良質な狩場を得る、或いは守るために、漁師間での縄張り争いも絶えません。そういう意味でも、広大な縄張りを持つ彼等の腕っ節は相応に上等なものでございました。

ですが……、

 

チャポン....

 

「……ん?」

「どうした『空読み』、突然変な顔して。」

「いや、一瞬空が暗くなったなぁと思ったんだけど……気の所為か。」

 

そう、言ってみれば、人間の一流のハンターと一般人との間に隔絶した実力差があるように……モンスターにもまた、通常と比べて特別武芸に秀でた者がいるという、簡潔に述べるならばただそれだけの話でありました。

 

ドボォォォォオオオン!!

 

「なっ!?」

 

船団の最後尾から突如激しい水飛沫の音が鳴り響いたかと思うと、殿を務めていた漁船が瞬く間に転覆いたします。たかが漁船とはいえ、それは大型モンスターが蔓延る海を渡るための船です。海竜の猛攻にさえ辛うじて耐えうるように設計された漁船が一瞬でひっくり返る様に、誰もが一様に驚愕いたしました。

 

「敵襲!六番艦がやられた!敵影の確認は無し、海の中にいるぞ!総員戦闘準備!」

「取舵一杯!まずは六番艦の乗組員を救助する!」

 

ですが、そこは流石経験豊富な漁師達。

即座に危険を察知すると、各々が迅速に行動を開始します。素人や経験が浅い漁師ならば、この時点で恐れをなして逃げてしまうのでしょうが、彼等はそうは致しません。それは蛮勇というわけではなく、大海を渡るモンスター達に対してはどう足掻こうとも機動力で上回るのは現実的では無いため、逃げるよりは集団で迎え撃つ方が良いという、長年の経験からくる行動でありました。

素早く舵を切って反転した船団は、それぞれにロープを出して転覆した六番艦の乗組員を救助しようと試みます。しかし、次の瞬間彼等の目に飛び込んできたのは、あまりにも衝撃的な光景でありました。

 

「ひっ!?」

 

転覆した六番艦の周囲の海水の蒼が、瞬く間に霞んだ赤色へと変化していきます。

海の中から海面へと浮かんできた六番艦の乗組員に、五体満足な人間は誰一人としていなかったのです。中には、四肢を全て失い達磨のようになって溺れる者や、上半身と下半身が死に別れた者なども存在致しました。

そんな中でまだ死んでいない……いえ、死ねていない者達は、肩や太腿から噴き出した鮮血によって海を真っ赤に染めながらも、海面への浮き沈みを繰り返して絶叫のような悲鳴を上げます。

 

「だずげ……っ!でぇ」

「あづいぃぃぃ!」

 

ズバリ、ズブリ。

そして、悲鳴を上げつつ海面へと上がっていった者から、まるでモグラ叩きでもしているかのように謎の黒い刃に引き裂かれ、海の藻屑へと変わっていきます。一つ、また一つと悲鳴の声が消えていき、海は次第に本来の静寂さを取り戻していきました。

転覆した船、浮かび上がる死屍累々、消えゆく悲鳴、鮮血の海。そのどれもが、歴戦の海の男達を恐れさせるには十分な恐怖を醸しておりました。

当然、無数の死体の内いくつかは、他の船の側まで流れ着いて来ます。ただし、腕や、足や、上半身や、右半身や、生首のみのカケラとなって……。部位こそバラバラではありましたが、そんな多種多様な死体の数々には、ある一つの共通点がございました。

 

「……食べられた痕が無い…………。……遊んでる。楽しみで殺してやがる!」

 

誰もがその事実に戦慄と動揺を覚えました。

未だに姿を見せない敵、突然の奇襲、理解不能な目的。目の前で凄惨な光景が繰り広げられ、その時、猛々しい海の男達の戦意は、完全に折られてしまったのです。

 

ザバァァァァァアアアアン!!

 

そして、そんな絶望的な状況を作り出した張本人が、激しい波飛沫を上げながら海面を飛び出し、ついにその姿を現しました。転覆した六番艦の上にふわりと着地し、ブルブルと身を震わせて水気を払ったそのモンスターは、本来この地域には……それどころか、海には存在するはずのない……

 

 

––––––––ギャォォォォォッ!!

 





さて、グダグダ感が否めなかったこの小説で、漸くモンハンっぽい脅威が登場致しました。そのモンスターの正体とは…………ヒントは散りばめてあったりします。


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6、そして人々は動き出すのです。

虫が本気を出し始めます。



ズルリ......ズルリ......

 

孤島の片隅に、全身を血で染めた一匹の獣が、重々しくその足を引きずりつつ上陸致しました。その巨体を染め上げた大量の血は、決して返り血だけではありません。全身を見渡せば切り傷や刺し傷が至る所に点在し、中には今もなお刃物の刃先が刺さったままになっている箇所さえあります。息遣いは荒く、目は気怠そうに半目になっており、そこに活気は感じられません。

……そのモンスターは確実に手負いでした。

 

それは、勿論相手の男達が相応に強かったというのもありますが、もともとそのモンスターにとって水上戦というのは一番苦手な分野(・・・・・・・)であったというのが主な原因でしょう。実力を十全に発揮できない環境では苦戦するのも当たり前という話です。

それでも戦った理由は……いえ、そのモンスターにとっては、戦いこそが何よりの目的なのです。例えそれが、生き物の理にかなっていなかったとしても……。

 

さて、そんな血を垂れ流しにした手負いの獣が居ますと、その血の匂いを嗅ぎつけたルドロス達が集まってまいりました。

そのモンスターはルドロス達よりもずっと大きな相手ではありましたが、ルドロス達は彼我にそこまで絶望的な体格差は無いこと、そのモンスターの外見がさして強そうではないこと、そして何より相手が手負いであること、以上のことを吟味して集団でかかれば十分に卸せる相手であると判断したのです。

そのモンスターを囲みこむように円陣を組んだルドロス達。その内の一匹が鳴き声を上げれば、ルドロス達まるで示し合わせたかのように一斉にそのモンスターに跳びかかります。最近はジャギィの群れの台頭もあり、陸上で得られる食料がだんだんと減ってきた今日この頃、ルドロス達は久し振りの大きな獲物に歓喜していたのです。

 

ですが、彼女達のそんな歓喜は、次の瞬間には全く別の感情に塗り替えられます。全く別の感情とは言っても、それは驚愕、恐怖、困惑、悲哀……そのどれでもない、完全なる"無"でありました……。

 

それが何故かと問われれば––––––

 

刹那、一閃。

日光を反射して黒光りする鋭い鉤爪が、大きく円を描きつつ周囲を薙ぎ払います。一見適当に薙ぎ払われただけに見えるそれは、しかし確実にルドロス達の急所だけを捉え、触れる全ての命を刈り取るが如く、瞬く間に鮮血の沼を築き上げました。

最早戦闘とも言い難い一方的な蹂躙劇は、時間にしてみれば1秒にも満たない僅かな時のことでございました。ついさっきまで多くのルドロス達が群がっていたその場には、しかし今はたった一匹のモンスターが赤き血溜まりに佇んでいるのみでございます。

ルドロス達は、自分達が何をされたのかもわからぬまま、その命を散らしたのです。

 

––––––そう、言ってみれば、"死人に口無し"と同じような理論でございました。

 

 

***

 

孤島周辺地域でも名の知れた漁船団『青鮫』の全滅が知らされたのは、彼等が行方をくらませてから数日後のことでございました。

その衝撃の事実を確定的なものとさせたのは、『青鮫』が行方不明となった事を好機と見て彼等の縄張りに勝手に侵入し、その狩場で漁を行おうとしていた所謂『狩場泥棒』と呼ばれる連中が、大量の船の残骸を発見した事でございました。その残骸に使われていた船体の質が相当に上質なものであったこと、さらに流れてくる瓦礫の一部に『青鮫』の意匠が施されていたこと、大型船が全部で六隻であったこと、それら全ての事実が、漁船団『青鮫』の全滅という最悪の状況を示していたのです。

 

そこからのギルドの対応は迅速でした。

即座に『青鮫』が全滅したという海域に上級ハンターを護衛につけた調査船を派遣し、その結果によっては即座に非常事態宣言を発令し、周辺住民に避難を促す準備を進めたのです。

 

あれほどの大人数な漁船団が、誰一人逃げることすら叶わず全滅させられた。それは、どれほど強大なモンスターが現れたとしてもそうそうあり得ることではありません。大抵の大型モンスターは縄張りから追い出すためか、或いは食料にする為に人間を襲いますから、前者である場合は撤退は比較的容易であり、後者の場合であっても『青鮫』の規模ならば仲間が食われている間に逃げる事は十二分に可能です。ですから、誰一人残らず全滅させられるというのは、相応に異常な事態でございました。

それこそ、古龍種などの規格外の中の規格外のモンスター出現の可能性さえ考慮しなければならないほどに。

 

「ここ最近平和が続いたと思えばすぐこれじゃ。難儀なものよのぉ……」

 

ギルドの職員が忙しなく動き回るのを見ながら、タンジアの港ギルドのギルドマスターは一人そうごちます。いや、そんなことしてないでお前も働けよと思う方もいるやも知れませんが、緊急連絡を一早く知ることができるこの場所で待機し、何かあったら即座に対応することこそが彼の背負った最大の責務です。現状の指揮は非常事態マニュアル通りに進めているだけですが、それ以上の異常事態が発生した場合にどうしてもギルドマスターの指示が必要になってくるのでございますから、彼がこうしてここに腰掛けている事は非常に重要なことなのです。

 

「はぁ、これも海の(ほと)りに生きるものの宿命(さだめ)……かのぉ。」

 

雲一つない青空の下、サファイアよりも青く輝く海を見つめ、ギルドマスターはそこには居ない誰かに語りかけるように呟きました。

 

 

***

 

「……おかしい。」

 

絶海の孤島の真っ只中、ふと空を見上げた黒い子供のハンターは、そう言って訝しげな表情を浮かべました。実は、この時既にハンターズギルドからは全ハンターに対する孤島からの撤退が指示されていたのですが、ある職員のほんの些細なミスにより、まだハンターになって間もない二人組にその指示が行き届かなかったのです。

これでもし二人に何かあれば本当に首が飛びかねない事態なのですが……それは一先ずさておくとして、空を訝しげに見上げる子供ハンターに対し、その隣を歩く少女ハンターが問いかけます。

 

「…?どうしたの、ネロ?」

「…………ブナハブラが一匹も居ない。」

 

少女ハンターの問いかけに対して、子供ハンター……ネロは簡潔にそう答えます。ブナハブラと言えば、その非常に高い適応能力により何処の狩場にも大抵存在し、狩に出かければ最低一度は見つけるだろうとさえ言われているほど個体数の多いモンスターです。そんなモンスターが、今日に限っては一匹も見当たらないのですから、ネロが不思議に思うのも無理もない話でありました。

とは言え、そんなこと普通のハンターは気付きませんし気にも致しません。ブナハブラというモンスター自体単体では大きな脅威とはなり得ませんし、普段はハンターの死角となる位置を飛んでいることが多いですから、例えブナハブラが居なかったとしてもそれに気付ける人間……ましてやそれを気にかける人間がそもそも少ないのです。そんな事に目敏く気付いたネロに、少女は感嘆の声をあげます。

 

「ほへー。よく気付いたね、私全然分からなかったよ。」

「……不注意。」

「うっ!?…普通に耳が痛いです。」

 

それは、いつも通りのやりとりでした。

二人の間では何十回も繰り返された、いつもと同じような会話。

孤島周辺でどのような異常事態が起きており、それによってハンターズギルドがどれだけ騒いでいるか……それすらも知らない二人は、勿論狩場において決して油断はしてはおりませんでしたが、その警戒が一段階足りなかったと言えるでしょう。

 

何も知らぬまま狩場を歩く二人組の背後から……そのモンスターは足音も無く近付いてきました。静かに、しかし素早く。そう言わんばかりに接近したモンスターは、二人がその気配に気が付いた時には、既にすぐ目の前まで迫っておりました。

 

「……え?」

 

……そう、オルタロスが。

腹袋を大きく膨らませたオルタロスは、そのままシャカシャカと足を動かし、ハンター二人組を一瞥もくれることなく追い越します。重い腹を背負いながらも懸命に前に進むその様子は、どこか慌てているようにも見て取れました。

その様子を不思議に思った二人のハンターは、別にそうする理由など特に無かったにも関わらず、そのオルタロスの後ろを追い始めました。水場を超え、岩場を超え、時にはソロリソロリとジャギィ達の縄張りを通過して、オルタロスは何処かを目指して歩き続けます。

 

「……妙に速いな、あのオルタロス。」

 

オルタロスの後を小走りで追いかけつつ、ネロは誰に言うでも無く呟きました。通常のオルタロスは、腹袋に何かを詰めた状態だと人間が普通に歩くよりも遅くなるため、こうして小走りでないと追いかけられないというその事実に、ネロは僅かな驚きを抱いていたのです。

そうしてオルタロスを追い続けて数分、ハンターズギルドの地図で言えばエリア3に指定されている狭い通路に辿り着いた二人は、目の前に広がる光景に絶句しました。

 

「なに……これ」

「………巣」

 

そこにあったのは、ちっぽけで独りぼっちな虫が、身を守るためにたった一匹で築きあげた、ある種の要塞でございました。



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7、一寸の虫に五分の魂があるのなら

お久しぶりです。
諸事情により執筆が止まっていましたが、誠に勝手ながら執筆を再開させて頂きました。


まずはじめに、この物語の語り手であるこの私は、皆様に謝らねばならない事がございます。

これまで私はずっと、オルタロスのことを"馬鹿"であると形容し続けて来ました。

 

……それは嘘です。

 

いえ、もっと正確に言えば嘘ではなく、彼が馬鹿であることに一ミリも相違は無いのですが……しかし彼は"馬鹿"でこそあれ"愚か"では無かったのです。

考えてみればなんとも単純な話でございまして、この世界に闊歩する強大なモンスター達のように圧倒的な体躯も持たず、力も無く、防御力も、機動力も、技術も、仲間さえも持たない、まさに無い無い尽くしの彼が……

 

–––––––"運"だけで生き延びる事が出来るほど、この世界は甘くはございません。

 

彼が今日まで生き延びて来たのは、彼に今日まで生き延びる事が出来るだけの素質があったからに他なりません。群であることを自然とするオルタロスが、たった一匹で放り出されたとして、他の個体であれば、一日としないうちに野垂れ死にます。

にも関わらず、彼は今もこうして生きているのです。

 

貪欲に食料を求め、多少食べ辛いものでも迷わず口にすること。

敵対者が現れれば、実力差に関わらず瞬時に逃走を選ぶこと。

休息は取れる時に出来るだけ取り、逃げる時の体力を温存すること。

比較的温厚なモンスター(アオアシラ)の縄張りで生活し、そうでない凶暴な(ドスジャギィや)肉食性モンスター(ロアルドロス)の縄張りには極力入らないこと。

 

些細なことを確実に積み重ねて、彼は自らが生き延びる道を残し続けました。自分の弱さを認め、その上でこの残酷な世界を生き抜こうと懸命に足掻いたのです。

 

 

そして、今日(こんにち)……

 

オルタロスは危機を察知しました。

それは弱者たる彼が先天的に持っていた、言ってしまえば野生の勘のようなもの。彼は何よりも弱かったが故に、何よりも臆病で注意深かった。それだけの話です。

彼は逃げられる相手とそうでない相手を見分けることも出来ます。そして、野生の勘が今回の敵は見つかれば絶対に逃げられない相手であることを告げていたのです。

 

オルタロスは危機に備えました。

それは彼が後天的に得た、彼だけの技能。集めた食料の特性を扱えるという、本来群れで生息するか弱いモンスターが、たった一匹で暮らすために編み出した特別な業。

あのオルタロスと同等レベルにお馬鹿なジャギィと非常に低レベルな戦いを繰り広げている最中にも、その片鱗は伺えました。怪力の種とにが虫を食した直後、ジャギィの力を強める作用を持つ液を噴出したその時のように……、

例えば、ネンチャク草やツタの葉、蜘蛛の巣などを食して、腹袋の中で頑丈な糸を合成したり、光蟲の発光成分を濃縮したり、毒テングダケの毒成分だけを抽出したり……それはとても拙く、地味な能力では有りましたが、無い無い尽くしの彼がたった一つだけ持っている明確な武器なのです。

 

そして、オルタロスは危機を静かに待ちました。

やれるだけのことはやったから……後は、自らが行ったことが本当に正しかったのか、その答え合わせをするだけ。勝てば生き延び、負ければ死ぬ、ただそれだけの単純な賭けです。

 

 

孤島に一陣の風が吹き抜け、彼の者の来訪を告げます。

オルタロスは、自らの罠の下で呆然と立ち尽くしている狩人達などには一瞥もくれることなく、何処か遠くを見据えていたのでした……。

 

***

 

孤島のエリア3に突如として気づき上げられた謎の"巣"に、ハンター二人が呆然としていたまさにその時、ネロは突如として強い殺気を感じとり、瞬時に太刀を構えて反撃の姿勢をとりました。

それは言うなればただの勘……それも、狩人としての経験から積み上げられたものですら無い、ただ命に危険が迫った時のみに感じられる、"生物としての勘"を根拠に行われたものでした。

 

しかしそれこそが、直後ネロの運命をすんでのところで繫ぎ止める結果となったのです。

 

 

––––––ギャリリィィインッ!!

 

 

直後、硬質物同士がぶつかり合う甲高い衝撃音が、そりたった岩壁に反響します。そのあまりにも突然の事態に、ネロの相棒である少女ハンターも、そしてずっとこの場で待機していたオルタロスですら驚愕に顔を染め、しかしすぐさま何らかの敵性の存在が現れたことを察し、行動を開始致します。

 

そして、ネロは………

 

「…………ぐっ……ぁ」

 

消え入るようなか細い呻き声と共に、ネロの口からどろりと赤黒い血が流れ落ちます。先程まで少女ハンターと並んでいたはずであるにも関わらず、ネロの小さな体は僅か刹那の内にそこから5メートル以上離れた岩壁に打ち付けられていました。

ネロは確かに咄嗟の判断と抜群の反射神経で太刀を盾にし、死角からの奇襲を防いだ筈でした。しかしそこには二つほどの誤算があったのです。

一つは、襲撃者の膂力が予想以上に強かったこと。もう一つは……襲撃者の力の伝え方が、異常に上手かったこと。まるで防がれることを前提として、その防御の上からネロの小さな体を吹き飛ばすように計算されたかのような攻撃だったのです。

 

「ネロっ!?」

 

相棒に襲いかかった余りにも突然の窮地に、少女ハンターは思わず叫び声を上げます。それは刹那の動揺でした。普段から警戒心を解かない人間であっても、突然仲間がやられれば誰もが動揺するもの……。

そして、この襲撃者はそのことを良く知っていたのです。

繰り返しになりますが、それは本当にほんの刹那の動揺でございました。時間にすれば1秒にも満たない、小さな小さな隙でだったのです。

 

 

––––––––あまりにも、長過ぎる。

 

 

「アリス、上ッ……!」

 

全身を苛む鈍痛を抑え、なけなしの力を振り絞って、ネロは狩場においてこの時初めて少女ハンターの名前を呼びました。そもそも二人組である上に、ネロは基本的に無口な子供でございますから、他人の名前を呼ぶことなど滅多にございません。

あるとしたら、それは致命的な危機に繋がりかねない、窮地くらいなものでしょう。まさに今、この瞬間のように……。

 

そんなネロの警告を受け、少女ハンター……アリスは咄嗟に上を見上げました。太陽の光を遮る巨大な影……そこから零れて見える黒光りする鋭利な鉤爪……彼女はすんでのところで、自らの窮地に気が付きました。

 

……しかし、それがどうだと言うのでしょう。

 

人間の反応速度はせいぜい約0.2秒、あまりにも遅すぎます。ましてや彼女の武器はライトボウガン……咄嗟に行える行動などたかが知れている上、その脆弱な防具でいくら軽いとはいえ防御していたネロを5メートルも吹き飛ばした攻撃に耐えられるとは思えません。

 

 

–––––––死。

 

その一文字がアリスの脳裏を過ぎりました。

実際、それは間違ってはいなかったのです。この状況からアリスが襲撃者の攻撃を躱す術は残されていませんでした。防具も心許無く、仮に致命傷を避けられたとしても逃走に使う体力さえ残らないでしょう。それほどの窮地でございました。

 

しかしながら、結果から述べれば、先程アリスの脳裏を過ぎった一文字が現実のものとして顕れることは、いつまでたってもありませんでした。

 

命の危機を前にアリスが超人的な動きをした?

相棒の危機を前にネロの真の力が覚醒した?

奇跡的に孤島に残っていたハンターがすんでのところで助けに来た?

 

否。

そんな都合の良いことがそうそうあってたまるものでしょうか。奇跡というのは大概は何らかの意思によって仕組まれた必然です。勿論例外はあるでしょうが、それは決して都合良く実現してくれるものでは無いのです。

滅多に起こらないからこそ、"奇跡"と呼ばれているのですから……。

 

 

でも、だとするならば……

 

たった今、アリスを救ったのは"何"だったのでしょうか?

 

 

 

その答えは––––––––

 

 

 

 

––––––––ズドォォォォォォオオオオン………

 

 

思わず呆然としていたアリスの目の前に、突然真上から大きな木の枝が落ちてきました。何者かによって襲撃者を狙って落とされたであろうそれは、しかし襲撃者を圧し潰すことなく硬い岩の地面を打ち付け、虚しくその役目を終えます。

 

もし、この木の枝が襲撃者に命中していたとしたら……小さなアリスの体は襲撃者ごと巻き込まれ、運良く致命傷を避けたとしても戦闘の続行はおろか逃げることすらままならない状況となっていたことでしょう。しかしこの木の枝が無かったとしても襲撃者の攻撃によって次の瞬間にはアリスは死んでいたはず……。

 

そんな状況で、アリスがこうして無事に立つことが出来ているその要因は、大まかに言って二つ。

 

一つは勿論、襲撃者を狙ってこの罠を仕掛けた者がいたこと。

 

もう一つは…………

 

 

 

「ギュォォォォォオオオッ!!」

 

襲撃者の、"反射神経"といったところでございましょうか。





襲撃者の正体を明かすのは次回に。


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8、小さな虫の、小さな罠

その"巣"は、硬い岩壁に無数に開けられた穴と、地面から数メートルの高さに無数に張り巡らされた糸によって構成されておりました。

ちっぽけなオルタロスが作ったと言うには、あまりにも巨大な要塞……。

 

オルタロスの巣というのは、地域によって……或いは群れによってもその姿形は全く異なります。

ある場所では地面に掘られた横穴、ある場所では竜の体高ほどもある巨大な蟻塚、ある場所では大木の中をくり抜いて作られ、またある場所では岩の地盤の中にあったりもします。しかしながら、まるで蜘蛛の巣のように糸を張り巡らせ、一枚岩の岩盤に大量に穴を開ける巣というのは、全く以って前代未聞の話でございました。

ましてやそれが、群れではなくたった一匹の手によって作られたものであるなどと……そう言ったところで、信じる者がどれだけいることでしょうか?

 

しかし、そんな無謀とも思えることを、あのお馬鹿なオルタロスはやってのけました。愚直に、堅実に、生きる為の努力を重ねたのです。

 

 

たかが、アリ一匹。

 

されど……オルタロスは紛れもなく"アリ"だったのです。

オルタロスの体長は大型のもので2メートルを優に越し、小型のものでも成人男性ほどの大きさがあります。すると必然、その大きさの分だけ体重は重くなり、個体によっては100キロに迫るものすらいるのです。

 

……そして、先程も言ったように、彼等は"アリ"です。

アリは自らの体重の約百倍もの重さの物を運ぶ事が出来ます。つまり、大型のオルタロスが運ぶことができる物の重さは、単純計算すると最大10000キロ……実に10トンにものぼります。

勿論、これは地面を引き摺って運ぶ時の話であり、持ち上げたり引き上げたりといった場合にはこの限りではありませんし、物体の形状や性質によっても結果は大きく異なるでしょう。しかしそれでも……

 

……2トントラックぐらいは余裕で運べる。それがどれだけ恐ろしいことかなど、考えるまでもありません。

 

 

そんな強力な力を……ましてや怪力の種によるドーピングで更に底上げした状態で運用すれば、岩に穴を開けるくらい造作も無く、巨大な枝を釣り上げるくらい朝飯前です。

 

とはいえ、オルタロスは機動力や防御力が他のモンスターと比べても非常に低く、その力が戦闘で発揮されることはほとんどありませんし、大型の飛竜ともなれば素の状態でも大岩を体当たりで砕きますから、相対的には非力と言っても過言では無いのですが……しかし、彼等は、彼は"非力"ではあれど"無力"ではないのです。

 

 

……しかし、やはり非力な者がどれだけ準備しようとも、圧倒的な力の前には風前の灯に等しく、容易く吹き消される程度のものにしかなり得ません。それほどまでに、"種族の差"というのは大きいのです。

非力な者に残された数少ない逆転の目である知能でさえも、虫というのはお粗末なものです。ましてや彼はお馬鹿なオルタロス……どれだけ考え抜いても、大したことは出来ません。

 

力の差を埋めての勝利など、そうそうあり得ることでは無いのです。

 

そう––––––––

 

 

 

––––––––"勝利"……は。

 

 

***

 

その襲撃者(モンスター)は、随分と特徴的な姿をしておりました。

 

大きな目、大きな耳、長い鼻、鋭い鉤爪、細長い手足、鞭のような尾。しかし何よりも特徴的なのは、前脚から後脚にかけて張られている薄い膜のようなものでしょう。

 

その襲撃者(モンスター)は、相当な手負いでした。

 

赤黒く固まった血栓によって小麦色の毛並は所々燻んだ茶色に変色し、一部では海水によって皮がめくれ上がり、痛々しく炎症を引き起こしています。右耳の先の一部も欠け、よく見れば後脚の爪も一本折れているようでした。

 

 

その襲撃者(モンスター)の姿を見て、ネロとアリスはそれぞれに驚愕を抱きました。

 

だってそれは、本来この地域には存在しない生き物だったのです。

 

だってそこに刺さっていたのは、見覚えのある鉈だったのです。

 

 

 

「ギュォォォォォオオオッ!!」

 

襲撃者(モンスター)の口から発せられる甲高い咆哮が、狭い岩壁に反響します。その瞬間、何故このモンスターがここにいるのか、何故青鮫の漁師が持っていた鉈がそのモンスターに刺さっているのかなどという疑問よりも先に、狩人の体が動き出しました。

 

突如現れた危機に対して、アリスとネロは迅速に対応を始めました。ネロは素早く回復薬を呷って太刀を構え、アリスは愛用のボウガンに弾を詰め込み、即座に臨戦態勢に移行します。

 

その判断は決して間違いではありませんでした。

 

そのモンスターは、初見ということもあって確かに少々厳しいところはございますが、本来であればアリスとネロの実力ならば決して勝てない相手ではなかったのです。

仮に勝てなくとも、一時的に行動を制限して逃げ出すくらいは造作も無い相手である筈だったのです。

 

 

そこに間違いがあったとするならば……

 

…………奇襲を受けたその時点で、襲撃者(ソイツ)の異常さに気付くべきだった。

 

……襲撃者(ソイツ)の体に刺さっている鉈の意味を、もう少し考えるべきだった。

 

 

 

「…………シッ!」

 

鋭い吐息と共に、目にも止まらぬ速度でネロが襲撃者の間合いに飛び込みます。大人顔負けのそのスピードは、子供ならではの軽い体重と、人間の子供としては異常なレベルの身体能力によって生み出される、単純ながらに必殺の一撃でした。

その動きを援護するように、小さな火薬の破裂音と共に数発の弾丸が襲撃者に向けて放たれます。本来なら危険であるはずの踏み込んだ前衛の背後から銃弾を放つというその行為は、しかしネロの体の小ささとアリスの集中力によって、初見殺しの包囲網を築き上げるレベルに達していました。

 

太刀を防げば銃弾が、銃弾を防げば一閃が、どちらを選んでも確実にダメージを負う結果となる苛烈な攻撃に対し……しかし襲撃者は、笑っていました(・・・・・・・)

 

まるでその程度の攻撃、どうとでもなると言うかのように……。

 

 

迫り来る攻撃に対し、襲撃者は身を引きました(・・・・・・・)

ハンターの攻撃を、明確に躱した(・・・・・・)のです。

 

モンスターがハンターの攻撃を避けるということは滅多にありません。強靭な生命力を持つモンスターにとって、ハンターの攻撃というのは一撃一撃は微々たるものであり、その巨体が仇となって細かい攻撃を躱し続けるよりは早くハンターを殺してしまった方がずっと安全となりうる場合が多いからです。

勿論、ジャンプしたり飛び立ったりした結果偶然にもハンターの一撃を回避する結果となった事例もありますが、このように明らかに意図的に攻撃を躱すという行為は、無いとは言いませんが非常に珍しいことでした。

 

少なくとも、ネロとアリスにとっては初めての経験。

 

 

襲撃者が後ろに下がった事によって、間合いが大きくズレます。そのズレによってネロはほんの僅かの間攻撃タイミングを見失い、その一瞬のうちにアリスの弾丸がネロを追い越してしまいました。

 

そして、どんな高精度の同時攻撃も、タイミングさえズレてしまえば、後は順番に処理するのみ。

 

襲撃者は鉤爪を用いて飛来する弾丸を容易く撃墜し、最早止まることの叶わないネロを冷静に迎え撃ちます。

 

 

––––––––ガキンッ!

 

「………っ!?」

 

体格差があるとは言え、ネロの全体重を乗せた、トップスピードの一撃を片手で(・・・)容易く受け止め……

 

……ネロの体を、蹴り飛ばす(・・・・・)

 

大して力の乗っていなそうなその一撃で、しかしネロの体は蹴鞠のように放物線を描いて容易く吹き飛び、短い草の生えた湿った地面を無様に転がりました。

 

「ネロッ!?」

「……チッ」

 

倒れ込んだネロにアリスが慌てて駆け寄ると、ネロは痛みを堪えるように身を起こし、短く舌打ちをして襲撃者を睨みつけました。

 

 

ただその、たった一回の攻防で、二人は気付いてしまったのです。

初見殺しの攻撃に、平然とカウンターを決められ、もう片方の爪を振るえば簡単に仕留められるのに、手加減でもするかのように、わざわざ蹴り飛ばした……それによって。

 

自分達の力では、絶対に敵わないと……

いつでも殺せる上で、甚振って遊んでいるのだと……

 

 

 

かつてない程の絶望感に苛まれる二人に、襲撃者はゆっくりと歩み寄ります。まるでジワジワと近付く死の気配に怯える表情を愉しんでいるかのように、ゆっくりと、ゆっくりと……

 

 

 

 

–––––––カサカサ……

 

……突如、緩やかな風と共に小さな音が聞こえたまさにその瞬間、襲撃者は歩みを止め、しきりに周囲の様子を伺い出しました。

 

この時、襲撃者は空腹でした。

肉や魚はどうしても口に合わず、孤島(こちら)に着いてからは何故か異様に獲物に出会わず、しばらくまともな物を食べていない中で……突如風と共に漂った、主食(むし)の匂い。

 

それは、"遊び"をやめる理由としては十分だったのです。

 

 

…………。

 

 

……そしてそれは、"罠"への足掛かりでもありました。

 

ちっぽけなオルタロスによる、絶対に敵わず、逃げる事すら許されず、知恵でも勝てる筈が無く、築いた巣さえ無意味にし、どんなに群れを成しても蹂躙されるような、絶対的な天敵……

 

突如としてこの地に飛来し、血塗れの惨状を生み出した……

 

 

 

 

––––––––"ケチャワチャ"に対する、罠への。




オルタロスの天敵で、
飛行能力を持ち、
ある程度の遊泳も可能で、
黒く長い鉤爪を持ち、
遊ぶほどの知能があり、
ルドロスとそこまでのサイズ差が無いモンスター。

襲撃者の正体は、ケチャワチャでした。


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9、得てして未知は恐ろしい。

–––––––ケチャワチャ

 

 

バルバレギルド管轄内で発見された大型牙獣種であるそのモンスターは、高い知能によって成り立つ狡猾さと好奇心旺盛な性格、体が通る空間さえあればどんな地形にも対応できてしまう運動能力によって、"行商人の天敵"とまで呼ばれた危険なモンスターです。

しかしながら、その食性は昆虫食寄りの雑食であり、凶暴性も低く、ハンターから見ればその戦闘力は下から数えた方が早い程度で、一般的な脅威度というのは他のモンスターと比べても大したことはありませんし、ましてや古龍や古龍級生物などとは比べるべくもないでしょう。

 

その程度のモンスターであれば、先の壊滅した漁船団、『青鮫』であっても当然梃子摺るような相手ではありません。それどころか、海の上ならば一方的に討伐することさえ可能でしょう。

例えそれが特殊個体であったとしても、普通ならばいくらでもやりようのある相手であった筈です。

 

 

しかし、今回現れたこのケチャワチャに対し、その『青鮫』は誰一人として生存者を残すことも叶わず全滅しました。古龍や古龍級生物相手ではないにも関わらず、誰一人として生きて地上に戻ることはなかったのです。

それは別に、このケチャワチャが古龍や古龍級生物並みの戦闘力を誇っているというわけではありません。確かに、一般的なケチャワチャに比べれば十分に強いでしょうが、それでもまだ、一般的なモンスターの範疇に収まる程度の力しかありませんでした。

 

 

 

ただ……彼には他のモンスターとは明確に違う点が、たった一つだけ存在した。

 

 

それはとても純粋で、かつ異質なもの……

彼は、縄張りから追い出す為でも、何かを守る為でも、餌にする為でもなく……殺すために(・・・・・)襲撃を仕掛けたという点において、通常のモンスターはおろか古龍や古龍級生物からもかけ離れて異質だったのです。

 

食料にまともに目もくれず、撤退を決して赦さず、傷を負うことも厭わず、動く者のある限りただひたすらに虐殺を繰り返す。

自然の理から外れたその異常性……それは、彼が賢い生き物だったから。

 

 

とても賢く、愚かな生き物。

 

それはまるで––––––––。

 

 

***

 

一瞬。

ケチャワチャがハンターの二人組から視線を外したのは、ほんの一瞬の出来事でございました。時間にすれば1秒にも満たない、ほんの僅かな逡巡だったのです。

 

–––––––––あまりにも(・・・・・)長過ぎる(・・・・)

 

 

カツンッ……

 

僅かな風の音ばかりに包まれる岩場に小さく、しかしハッキリと響いたその音に、優れた聴覚を持つケチャワチャは的確に反応し、素早くハンター二人の方を振り返りました。

空気を切り裂くような一閃や、軽弩から放たれた弾丸を容易く見切り、初見殺しの攻撃に初見から(・・・・)カウンターを加えたその異常なまでの反応速度と判断力。その精度は例えケチャワチャの気が逸れている間にハンター達が逃げ出すことを試みようとも一瞬で仕留められるだけの絶対的な速度を誇っておりました。事実として、二人のハンターのアクションによって発生した隠しきれない僅かな音に、彼はこうして反応することが出来ていたのです。

 

しかしながら……

…………それが仇となることも、またあるのです。

 

 

振り返った直後、ケチャワチャの視界に映ったのは、中に光蟲が閉じ込められた人間の拳ほどの大きさの小さな玉でした。

 

––––––––カッ!!

 

直後、小さな破裂音と共に閃光が閃き、岩場に囲まれた薄暗いエリアを真っ白に染め上げます。その光の拡散はケチャワチャの反応速度を遥かに上回り、不意を打たれた彼の網膜を直撃しました。

 

……閃光玉。

一般的にハンターの間ではそう呼ばれているその道具は、絶命時に閃光を発する光蟲という蟲の性質を利用し、莫大な光によって優れた視力を持つモンスターの視界を封じ、一時的に行動を制限するという、狩りにおいても撤退するにおいても非常に重要な役割を持つ手投げ玉の一種です。

その利便性から特別貧乏だったり新人だったりしない限りは殆どのハンターがこれを常備しており、人によっては調合分まで用意しているというケースも決して少なくは無い程、非常にポピュラーな道具なのです。

 

そして勿論、ベテランに比べればまだ狩人となってから日が浅いアリスとネロも、閃光玉を常備しておりました。年齢的には破格の実力を持つ二人ですが、ハンター全体で見ればまだヒヨッコも良いところ。当然ながら仮に遥か格上のモンスターと遭遇してしまった時の備えをしていない筈が無いのです。ましてや、孤島に生息する危険な大型モンスターはリオレウスやラギアクルスなど閃光に弱い者が多いですからなおのことでしょう。

そして今、アリスが閃光玉を投げたその判断とタイミングは、この状況においては非の打ち所が無いくらい的確なものでした。突如乱入してきた異常な程に強いケチャワチャ、何者かの手によって激変してしまったエリア3という環境、どう考えてもクエストの遂行を諦めてでも即時撤退が望まれる中で、手持ちの道具の中で最も確実に効果を発揮できるであろう物を選択し、最大限の効果を望めるタイミングで投擲しました。

その判断力も観察力も、褒められこそすれ貶される謂れも余地も到底ございませんでした。

 

だから、彼女は何も悪くありません。追い詰められた状況で、最善を尽くしました。

 

 

…………ただ、相手が最悪過ぎた(・・・・・・・・)

 

 

閃光が瞬く中で素早く立ち上がったアリスは、未だケチャワチャに蹴られた衝撃が抜けていないネロを何とか抱き起こし、一刻も早くこの危険区域を脱しようと走り出しました。

勿論この時アリスは知りませんでしたが、一般的なケチャワチャの閃光玉の効果は約20秒程。完全に動きが止まるというわけではありませんが、逃走するだけならば十分な時間が稼げるはずでした。怒り状態ならば無効化されてしまいますが、通常状態ならば20秒という猶予が出来る…………その筈でした(・・・・・・)

 

閃光が収まり、真っ白に染め上げられた岩場は、徐々にその色を取り戻していきます。それに倣って、ほぼあやふやな記憶のみで走り出したアリスも明確な行き先が視えるようになり、その足取りを僅かに早め…………

……しかし、その動きが突如として止まりました。

 

 

そこにいたのです。

 

先程まで自分達の後ろにいたはずのケチャワチャが、目の前にいたのです。

 

 

先述したように、閃光玉というのは強大なモンスターと戦う上でも逃げる上でも欠かせない非常に利便性の高い道具です。

ハンターならばよほどの新人か貧乏人で無い限りは必ず備えておくべき道具です。

 

勿論、それはハンターのみならず、大自然の中にある心許ない街道を行き交う行商人や、数多のモンスターの遍く海に挑戦する漁師、果ては一般人でさえ例外ではありません。

 

––––––––そして勿論、大きな漁船団である『青鮫』が、備えていない道理は無いのです。

 

 

それは、アリスとネロには……いや、それどころか現状では誰一人として知り得ない、想像も出来ないことでした。

このケチャワチャが、大きな漁船団である『青鮫』をたった一匹で壊滅させ、さらにその交戦経験を経て、閃光玉への対抗手段を学習していたなどと……一体誰が考えつくでしょうか?

 

いえ、それ以前に……

 

彼が、目が見えなくとも(・・・・・・・・)戦えるほどの聴覚(・・・・・・・・)と嗅覚を持った存在(・・・・・・・・・)であること自体が、そもそもイレギュラー過ぎるのです。

 

 

 

「…………ぁ」

 

一瞬掴んだかに見えた希望が、絶望へと塗り変わったことを知ったアリスの口から、消え入るようなか細い声が漏れ出しました。

理不尽過ぎる。つい先程までは何ら変わりの無かった日常が、数分も経たないうちに崩れ去ろうとしているのです。

 

世界というのはそういうものだと、知ってはいたつもりでも……、

簡単に割り切れる、訳では無い……。

 

 

……だから、

 

 

 

––––––––ザンッ……

 

 

肉を引き裂く鈍い音が、嫌にハッキリと響きました。

生暖かい鮮血が目の前で吹き出し、自分の顔に飛び散ってべっとりと張り付きます。

だけど不思議と痛みは無く、それどころか恐怖すらも、アリスは感じませんでした。

寧ろ、その時彼女の中に湧き出した感情は、"頼もしさ"。

 

「ネロ……。」

 

そう言う彼女の視線の先にあったのは、一瞬でケチャワチャの横腹を掻っ捌いた世界で一番信頼できる相棒の姿でした。

 

 

 

……だから精々、足掻かせて貰おう。





全く登場しない主人公。
実は理由があります。


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10、故に狩人は奮起します。


長らくお待たせ致しました。
それではどうぞ。


 

──先程とは、比べ物にならない程速い。

 

この戦いにおいて初めて自らに明確な傷を刻み込んだ、神速と呼ぶに相応しいその斬撃に、ケチャワチャは僅かに警戒心を高めました。完全な奇襲であったにも関わらず、直前に僅かに体を逸らすことによって深傷を回避してみせましたが、逆に言えば、その斬撃はそうしなければ確実にケチャワチャに少なくないダメージを刻んでいたであろう攻撃だったのです。

 

……とはいえ、それは警戒には値しましたが、脅威にはなり得ませんでした。

相棒であるアリスでさえ動けないと思い込んでいた状態からの奇襲、完全に不意を突いていたにも関わらず、自分に致命傷を負わせることも出来ない攻撃など、二度とは通じないと。

 

事実です。

それは強者故の慢心などではなく、純粋な事実でした。いつでも戦いを欲し、強さに焦がれてきたケチャワチャにとって、彼我の実力差を正確に測る技能は最早大前提として存在しております。そして、ネロやアリスに自らの実力を悟られないようにする技能はない以上、その計測は非の打ち所がないほど正確なものでした。

 

そう、覆しようのない現実として、ケチャワチャと二人との間にある実力差は、あまりにも大きかったのです。

 

「…………アリス、助けを呼んできて」

 

そして、ネロもまた一端の実力者として、朧げながらにそれを悟っておりました。自身の出せる全力を持ってしても、目の前の相手を上回るにはまだ一歩足りないと。だから、今のネロに出来得る精一杯は、アリスを逃す時間を稼ぐことだけ。しかし、ただそれを正直に伝えるのでは、この心優しき少女は素直に逃げてはくれないでしょう。

故に、例えそれが何の意味もない欺瞞であるとわかっていても、ネロはアリスに助けを呼びに行くように要請しました。無論、聡明なアリスが今から助けを呼びに行ったところで間に合う筈もないという事実に気付かない道理はありませんが、同じくらい責任感の強い彼女であればこの提案を無下に断ることもできないだろうと、それはそんな計算づくで放たれた卑怯な言葉でありました。

 

「……っ!」

 

一瞬の逡巡。その間にアリスの内心にどれだけの葛藤があったのかは、とても外野には想像できるものではありません。

ですが最後には、彼女はこの場から走り去ることを選びました。それは一見すると非情な行いにも見えましたが、決してそんな軽い決断などではないということは、何よりも、二人がこれまでに築きあげてきた絆が証明しておりました。

 

ネロを信じ、ケチャワチャに背を向けて力の限り走り出すアリス。そんな彼女を、当然の如く残虐なケチャワチャはただで逃すつもりはありません。数多の生き物の血を啜ってきた鋭利な爪を振り上げ、その小さな背中を見るも無惨に切り刻もうと迫ります。

 

 

──ギャリリリィッ!

 

 

しかし、そんなケチャワチャの動きを、ネロは意地でも許しはしませんでした。その小さな身体からは想像もできないほどの速さで太刀を振るい、アリスに追い縋らんとするケチャワチャの動きを見事に止めて見せます。

……いえ、正確に言えば、止められたのはネロの方です。

先程の太刀の一閃は、ネロから意識を逸らしたケチャワチャの体を、背後から切り裂くつもりで振われたものでした。その渾身の一撃を、ケチャワチャはその堅牢な鉤爪でもって、あろうことかノールックで受け止めて見せたのです。

そして、しばしの鍔迫り合いも、最後にはケチャワチャの圧勝で終わります。片や正面への全力の一撃、片や背後からの攻撃に対する片手間の防御、それほどの条件差があってもなお覆せない膂力の差が、両者の間にはございました。

しかし、だからと言ってネロの行いは全くの無駄であったかと問われれば決してそんなことはなく、ケチャワチャは走り去るアリスから視線を外し、その表情に狂気を湛えつつネロの方を振り返りました。

 

──ケチャワチャの目的は、究極的に言えば殺戮と闘争の二つに帰結します。

 

であるならば、そこに命ある限りいつでも実行に移せる殺戮よりも、確かな実力を持つ相手がいなければ成り立たない闘争の方が、ケチャワチャにとっては優先度が高い事柄でございました。

そして、そんなケチャワチャの狂気じみた視線を浴びて、ネロはいよいよもって覚悟を決めます。後先のことは顧みず、今この瞬間に持ち得る全ての力を出し切って、例えこの命を散らそうとも、恩人の少女を逃すだけの時間は稼いでみせると。

 

その覚悟を果たすために、ネロは自らの内に眠る忌まわしき力を、今、全力で解き放ちます。

 

直後、ネロの存在感が急激に膨れ上がったかと思うと、刹那の内に禍々しい気配を放つ太刀の切っ先が、ケチャワチャの顔面に迫ります。

さらに一段階鋭さが増したネロの斬撃を、ケチャワチャは先程とは異なり真正面から左手の鉤爪で受け止め、反撃と言わんばかりに余った右手を突き出しました。

必殺の一撃を防がれた上での、手数で上回られている相手からの反撃。熟練の狩人であっても容易には避けられないであろうそれを、しかしネロは持ち前の身軽さと反射神経でもって華麗に回避してみせます。体が小さいことも、回避という意味では有利に働きました。単純に当たり判定が小さいというのももちろんありますが、それ以上に、体重が軽いために急制動が効くという点が、このレベルの戦いでは大きな意味を持つのです。

 

ケチャワチャの反撃を回避したネロは、間髪入れずに二の太刀を振るいます。それをケチャワチャが対応してさらなる反撃を放ち、ネロが再び回避して次なる攻撃を繰り出す。そんな、一見すると拮抗しているようにも見える攻防の中で、しかしネロは確実に己の不利を悟っておりました。

後先のことを顧みず持てる限りの力を解放し、彼我の実力差を無理矢理に埋めてもなお、払いきれない劣勢。

ケチャワチャの余裕は、この後に及んでも決して揺らぐことは無かったのです。

 

確かに、今のネロの纏う雰囲気は、これまでとはまるで様子が違っております。切り結んだ回数は片手で数えるほどではありましたが、攻撃の速さも鋭さも以前より格段に上がっていることは、誰よりもケチャワチャがよく理解しておりました。

しかし、だからなんだと言うのでしょう。

いくら力に覚醒しようが、いくら人の道を踏み外そうが、あの程度の肉体で出来ることなどたかが知れております。なにより、力に覚醒することも、道を踏み外すことも、ケチャワチャにとってはとっくの昔に通ってきた道でした。人が想いを力に変え、新たな力に覚醒すると言うのであれば、このケチャワチャはもう、とうの昔にそれ(・・)を済ませているのです。

 

現状で拮抗している時点で、既に勝敗は決しているようなものでした。ケチャワチャは未だ実力の底を見せておらず、翻ってネロは異常な負荷に身体が耐えられなくなるのを待つばかり。一瞬で勝負を決めに行くこともできず、さりとてこのまま時間が経てば急速に蓄積される疲労によっていずれは拮抗すらも保てなくなります。そして、その先に待つネロの運命など、わざわざ語るまでもありません。

 

これまでは漠然としたものでしかなかった、自身の死の明確なビジョン。それが明らかになって、しかしネロはなおも気丈に笑って己を奮い立たせます。

 

己の疲労を待つばかりの今の状況は、むしろネロにとっては都合の良いものでした。ケチャワチャが余裕をこいてネロとの戦いを愉しんでいるその時間の分だけ、アリスがケチャワチャから逃げ切れる確率は上がっていきます。そして、アリスが無事に逃げ切れば、その情報を元に自分達より遥かに実力のあるハンター達によって万全の対策の下に討伐隊が組まれ、間も無くケチャワチャはその生涯に幕を閉じることになるでしょう。例え自分はここで斃れようとも、負けるのは向こうです。

 

元より、とうの昔に潰えている筈の命でした。どこにも、意味などない筈の命でした。

それが今、こうして誰かのために散れるのであれば、それも悪くはないのかも知れないと、ネロは思うのです。

 

────ただ、

 

 

繰り返される攻撃の応報は、時間と共にさらに激しさを増し、ネロのなけなしの体力を削っていきます。どれほど鋭く太刀を振ろうとも、ケチャワチャの防御は一向に揺らぐ気配がございません。あらゆる攻撃を左手の鉤爪で容易く防ぎ、流れるように反撃を叩き込んで来るのです。

あちらは最低限の動きで攻撃を防いでいるのに対して、ネロの方はケチャワチャの攻撃を回避するのにどうしても大きい動きを強いられます。片や強大な大型モンスター、片や特別な力を持つとは言え人間の子供。元々の体力からしてかけ離れているのですから、ネロが追い詰められていくのは必然の流れでございました。

 

そのような攻防を続けていれば当然、ケチャワチャの反撃は次第にネロに届くようになってまいります。まだ致命的な一撃こそ貰ってはいませんが、ケチャワチャの鋭い鉤爪が掠めることによりネロの体にはあちこちに裂傷が刻まれ、流れ出した血液がより一層ネロの体力を奪い去っていきます。

一時は拮抗していたようにも見えた応報は、最早誰の目から見ても一方的なものに様変わりしておりました。懸命に足掻くネロを、ケチャワチャは嬲り殺しにする様に少しずつ切り刻み、まるで新しい玩具を与えられた子供のように命が失われていく様を愉しんでおりました。

 

このまま行けば、ネロの体力はあと1分も持ちません。

誰がどう見ても、この状況から逆転する目などあろうはずもございませんでした。このまま精根尽き果てるまで戦い、なけなしの時間を稼いでネロはその短い人生を終えるのだと、今この瞬間を見ている者が居たとしたら、誰もがそう考えるでしょう。

 

ただ、一人を除いては。

 

もはや何度目になるのかもわからない、太刀の一閃。あまりにもワンパターンな攻撃に憐れみさえ覚えつつ、徐々に鋭さが失われつつあるそれを、ケチャワチャはいつものように左手の爪でもって防ぎます。

 

いつものように、左手の爪でもって、防ごうとしました。

 

──バキィィィンンッ!!

 

これまでと同じような攻防。しかし、これまでとは明らかに違う、何かが砕け散る(・・・・・・・)ような音が、エリア3の岩肌に反響しました。

 

────ザクッ!

 

そして、その直後に僅かに聞こえた、柔らかいものを(・・・・・・・)切り裂く(・・・・)ような音。

 

しばしの無理解の後、自らの左耳に走った激痛によって、ケチャワチャは己の身に何が起こったのかを理解させられます。

 

左手の爪を、斬られた。

その先にあった左耳諸共、斬られたのです。

 

 

太刀越しに、確かに腕に伝わってきた何かを切り裂く感触に、ネロは小さな笑みを浮かべました。

ネロの実力では、ケチャワチャの防御の隙間を突いて真正面から攻撃することは、ほぼほぼ不可能でした。ケチャワチャの反応速度と先読みの能力は文字通り人外の域にあります。不意を突いてようやく、擦り傷程度のダメージを本体に与えられるというレベル。とても敵うものではありませんでした。

それはケチャワチャ自身もよく理解しており、ネロ程度の実力では己の防御を突破する術はないという、確かな自信があればこそのあの余裕だったのです。

 

 

でも、あるいはだからこそ、そこにはつけ入る隙がありました。

 

太刀の斬撃をあえて左の鉤爪で防がせ、常に一箇所に衝撃を与え続けることで、防御の要である左の鉤爪を破壊する。これまで決して揺らぐことのなかった防御、それを真正面から打ち崩しての攻撃は、ケチャワチャにとっては背後からの一撃などとは比較にならない、予想外の不意打ちとなり得たのです。

 

 

結果として、目の前の子供を所詮はただ死にゆくのを待つばかりの弱者と侮り、ここまで余裕をこいていたケチャワチャは、

 

そのツケを、己の左爪と左耳で払うことになりました。

 

 

 

 

「……油断」

 

 

────無傷じゃあ、カッコがつかないから。



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11、血溜まりの畜生

ネロの最後の足掻きによって、ケチャワチャは左爪と左耳を失いました。

 

それは、この孤島での戦いにおいてケチャワチャが初めて負った、明確な負傷でした。

いえ、それどころか、左爪の破壊音の直後に生存本能が働いていなければ、そのまま首を斬られていた可能性すらあります。もしそうなっていれば、流石のケチャワチャと言えど生きてはいられなかったでしょう。

つまり、さっきの一閃で、ケチャワチャは危うく殺されかけたのです。それも、自分の実力をも上回る強者にではなく、自分に弄ばれてばかりだった弱者に。

 

──それはケチャワチャにとって、とても看過できる事実ではございませんでした。

 

 

攻撃を一点に集中させることでケチャワチャの左爪を破壊し、そのままの勢いで耳まで切り飛ばすという離れ業をやってのけたネロに、しかしなおも油断はありません。

手傷を負わせることには成功したとはいえ、相手は未だ大部分が健在で、十分に戦闘を続行できるほどの余力があります。同じ手が二度も通じる手合いではありませんし、ここからは、ケチャワチャも一切油断なく全力でネロを仕留めに来るはずです。左爪が半ばから折れたことにより防御能力の低下こそ見込めますが、本気を出してくることを差し引けば戦闘力はむしろ上がると考えて差し支えないでしょう。

その相手を、尽きかけた体力でしなくてはならないのですから、油断など出来ようはずもございませんでした。

 

なんにせよ、一矢報いることには成功しました。

後は、残った力を振り絞って、1秒でも多く時間を稼ぐだけ──

 

 

 

────ズッギャアアァァァァアアンン!!!

 

 

 

直後、激しい衝撃と共に、ネロの意識は吹き飛ばされました。

 

浮遊感に包まれ、衝撃が打ち据え、世界が回り……そうしてネロの小さな身体は、捨てられた玩具のように弾き飛ばされ、無様に地面を転がります。

 

しばしの後、間近で香る土の匂いで、ネロは自分が倒れていることに気付かされました。さらに少しの間を置いて、肩口から脇腹にかけて迸る熱によって、ネロは自分が斬られたことに気付かされました。

そして理解したのです。これが正真正銘、ケチャワチャの本気なのだと。これまでの戦いは、奴にとって所詮ただのお遊びでしかなかったのだと。

 

──まるで、見えなかった。

 

油断は一切ありませんでした。

疲労はありましたが、集中力は極限まで研ぎ澄まされておりました。どれほど苛烈な攻撃が来ようとも、時間ぐらいは稼いでやろうという気概がネロにはありました。

 

……ですが、何も出来ませんでした。

 

本気を出したケチャワチャの実力の前には、たったの一合さえ持たせることが出来なかったのです。

 

 

──ドス…ドス…ドス…ドス……

 

地面が近いせいか、足音が妙にはっきりと聞こえてきます。

一定のリズムを刻むそれは、ネロの残りの寿命を示す秒針の音でもありました。

 

もはや、命運は尽きたのです。

 

自らの覆し様のない死を悟り、ネロは静かに瞼を閉じます。

覚悟はできていたことでした。あるいは、この戦いが始まるずっと前から。ハンターなどというヤクザな商売をするのですから、その命が失われる可能性があるということぐらいは、とうの昔から知っておりました。

むしろ、自分の死が原因で、仲間の命まで諸共失われることさえ珍しくないこの世界で、仲間が逃げる時間を稼いで死ぬと言うのは、かなりマシな死に方であるとも言えるでしょう。

 

……それなのに、わかってはいたはずなのに。

いざ実際に死を目の前にしてみると、湧いてくるのは余計な思考ばかり。楽しかったこと。苦しかったこと。共に乗り越えたこと。やりたかったこと。やろうと言ってくれたこと。日常の中で交わした小さな約束。普段であれば覚えてもいないようなことが、嫌になる程鮮明に思い出せます。

 

ネロが死んだら、きっとアリスは悲しんでしまうでしょう。

今はただ、それだけが、気掛かりで──

 

 

 

……。

 

 

…………。

 

 

………………。

 

 

 

しかし、どれほど待とうとも、トドメとなる攻撃がネロの体を引き裂くことはありませんでした。

 

その代わりに、ネロは聞いたのです。

遠くの地面から響く、ドタドタと騒がしい、群れの足音と……

 

 

 

「アッ、アッ、オーウゥ!」

 

 

──この地域のハンターなら誰もが聞いたことのある、間の抜けた鳴き声を。

 

 

***

 

 

ケチャワチャは、これまでにないほどに苛立っておりました。

 

左爪や左耳の痛みは、それほどでもありません。いえ、正確には普通のケチャワチャにとっては、重要器官である前脚の爪と耳の欠損はそれこそ悶絶モノの激痛を伴う重傷であるはずなのですが、このケチャワチャにとってはもはや痛みなどというものは、感じる価値すら無い瑣末な機能に成り下がってしまっていたのです。

それよりも何よりも、ケチャワチャは己が弱者にコケにされたことが気に食いませんでした。本気を出せば一撃の元に叩き伏せられるようなちっぽけな相手に、あろうことが左爪と左耳を奪われ、それを嘲笑されるなど、到底許しておけるものではありません。

故に、ケチャワチャは己にそんな苦痛を味合わせた相手を、確実にこの世から消し去るために、先程力任せに吹き飛ばしてしまったその先に、ゆっくりと歩み寄ります。

 

痛みも、空腹も、そういった本能的な感覚は全て忘れ去り、ただ狂気と怒りに身を任せる。その姿はさながら、気狂いの人間のようでもございました。

 

 

 

 

「アッ、アッ、オーウゥ!」

 

 

しかし、そんなケチャワチャの歩みは、突如として背後から聞こえてきた、間の抜けた鳴き声によって、中断させられます。

それは、この地域のハンターであれば、誰もが聞いたことのある鳴き声。そして、このケチャワチャもまた、大いに聞き覚えのある声でございました。

 

本来なら、己のプライドを傷付けた怨敵を処理しようというこの時に、いくら外野の声があろうとも、その歩みを止めるべきではありません。既に相手は死に体で、到底自力で動ける状態にあるとはとても思えませんが、万が一にも仕留め損ねるようなことがあってはならないからです。

 

ただ……それでも、振り返らずにはいられない理由が、振り返らねばならない理由が、このケチャワチャにはあったのでした。

 

ケチャワチャがネロから視線を外し、さながら亡霊のようにゆらりと鳴き声が聞こえた方向を振り返ると、そこには、獲物を見るような目でこちらを見据える、ドスジャギィの群れの姿がありました。

 

直後、ドスジャギィの鳴き声によって合図を受けた大勢のジャギィやジャギィノス達が、ケチャワチャを逃すまいと取り囲みます。

 

つい先日、縄張りを争っていたアオアシラが斃れたことで勢力を広げ、繁栄の最盛期を迎えているドスジャギィの群れは、棚ぼた的に目の前に現れた手負いの獲物に、歓喜の叫び声を上げました。

見たところ、相手はドスジャギィよりも少し大きいぐらいといった程度の体格で、強大な肉食竜というわけでもなく、身体中に傷を負いいくつかの部位も欠損した死にかけの個体です。群れで襲い掛かれば難無く仕留められそうな相手、しかもあれだけ大きければ相応に食いでもありそうですから、彼等の歓喜も当然と言えるでしょう。

愚かにも縄張りに踏み込んだ小さい獲物を追っていたら、思いがけない幸運に巡り合うことができました。どうやらその小さい獲物には逃げられてしまったようですが、目の前の収穫を思えば、その程度のことはさして気にもなりません。

 

不幸にも最盛期の群れの縄張りに踏み込んでしまった手負いの獲物を憐れみつつ、ドスジャギィは部下達にその獣を仕留めるように指示を出しました。

 

 

 

────狗竜達の宴は、一瞬のうちに鮮血の惨劇に変わり果てます。

 

 

先陣を切ってケチャワチャに襲い掛かった3頭のジャギィは、瞬く間に胴体から真っ二つに切り裂かれ、肉片となって飛び散りました。

何が起きたのかを理解する間も無く、ケチャワチャを取り囲んでいたジャギィノス達が首を斬り落とされ、鮮やかな血を孤島の岩盤に撒き散らします。

あまりに予想外の事態に呆けていたドスジャギィも、間も無く頭を真っ二つに引き裂かれ、あっさりとその命を散らしました。

群れの長であったドスジャギィが地面に崩れ落ち、ようやく己の身に迫る危機に気付いたジャギィやジャギィノス達は、命惜しさに我先にと逃げ出します。ですが、その決断はあまりにも遅く、凄まじい執念と速度でもって追い縋るケチャワチャに、彼等は片っ端から殺されていきました。

 

ドスジャギィの群れを殺戮するケチャワチャは、これまでとは明らかに様子が違っておりました。どこか飄々と、戦いを愉しんでいるような雰囲気や、相手を弄ぶために手加減を加えるような余裕は全て消え去り、ドス黒い憎しみと激情で修羅の如き形相を浮かべながら、極めて効率的に狗竜達を殺害していきます。

それは、他の生き物に向けるモノとは根底から異なる冷徹な殺意であり、また、恐怖でもありました。

 

そうして、逃げ惑うジャギィ達を無残な肉塊に変えていったケチャワチャは、しかし最後の1匹に手をかけようというところで、折り取られた左爪のリーチがあと数センチ足りず、手の届かない洞窟の中へと逃げ込まれてしまいます。

怒りで我を忘れていたケチャワチャは、なおも執念深くジャギィを追おうと洞窟の中に体を突っ込みますが、流石に入らないものはどうすることもできません。いくら戦闘に秀でているとは言っても、硬い岩盤を破壊できるほどの力は、ケチャワチャの体にはありませんでした。

 

そうしてしばらくの後、ようやくある程度の冷静さを取り戻したケチャワチャが、血溜まりに佇んで周囲に視線を巡らせると、無数に転がる狗竜達の死体の中に、先程自分と対峙していた人間の姿がどこにも無いことに気付きました。

 

 

──逃げられた。

 

その事実に、ケチャワチャの中で再び沸々と怒りが湧き上がりますが、その怒りをぶつける先はもうどこにもないと、すぐに冷静さを取り戻します。

そして、怒りや興奮といった感情が消えていくと、ケチャワチャはここまで来て漸く、自分が空腹であったことを思い出しました。一時の感情によって、本能的な感覚をほぼ完全に失ってしまう。それは生物としては完全に終わっている状態ではありましたが、ケチャワチャにとってはどうでもよいことでした。

 

一度空腹を思い出してしまえば、それは耐え難い苦痛となってケチャワチャの身に襲い掛かります。なにしろ、このケチャワチャは遥か海を渡りこの孤島に至るまで、一食たりともまともな食料を口にしていなかったのです。その上で体力を消耗するような戦闘行為を繰り返したのですから、極度の飢餓状態に陥るのは当然と言えました。

そうともなれば、すぐさま食料を探し当てる必要があります。しかし、思い返せばケチャワチャは、この孤島にたどり着いてから一度も己の主食たる甲虫種に巡り合っていないので、闇雲に探しても見つかる可能性はかなり低いと言わざるを得ません。

 

いったいどうしたものか……ケチャワチャがしばしその場で思案していると、突如としてその頭上から、吹き下ろす風と共になんとも芳しい甲虫種の臭いが漂ってまいりました。

そして、その瞬間にケチャワチャは思い出します。あの二人の人間の狩人と対峙していた時にも、同じような匂いが上から漂ってきたことを。

 

そのことが示す事実は、考えるまでもありません。

この岩盤を登った先に、食料となる甲虫種の巣があるのです。上部に張り巡らされた糸のようなものは、この見知らぬ土地に生息する甲虫種が作り出したものなのでしょう。

 

まさかこれほど近くで食料にありつくことが出来るとは。

 

ケチャワチャは己の身に降りかかった幸運を喜びつつ、甲虫種の巣があるであろう岩盤の上へ──

 

 

 

 

 

──オルタロスが築き上げた罠の中へと、登っていくのでした。



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12、小さな虫の、大胆な罠

芳しい甲虫種の匂いに誘われたケチャワチャは、前脚と後脚の爪をそれぞれ一本ずつ失っているにも関わらず、持ち前の身軽さでもって切り立った岩肌を器用に登っていきます。

普通のケチャワチャであれば到底できないような芸当を、しかしこのケチャワチャは平然とやってのけました。何度も壁にぶち当たり、幾度となく逆境に晒され、数多の艱難辛苦を乗り越えてきたケチャワチャにとって、この程度の苦境はもはやどうということもありませんでした。

 

そうして、大して苦労する様子もなく岩盤の中ほどに辿り着いたケチャワチャは、岩盤に空いた直径80センチほどの無数の横穴を発見します。身体は入りそうにありませんが、腕を突っ込むのには丁度いいくらいの大きさで、さらにその奥からは、濃厚な甲虫種の臭いが漂ってきました。

どうやら、ここが甲虫種の巣のようです。随分と見慣れない形をしておりますが、見知らぬ土地に住む未知の甲虫種のそれと思えば、さして違和感は抱きません。そんなことよりも、このサイズの巣に入るような甲虫種であれば自分の餌には丁度いい大きさだろうと、ケチャワチャが考えるのはそればかりでありました。

 

切り立った岩肌に、明確な凹凸が出来たことで体勢を安定させられらるようになったケチャワチャは、無数にある横穴の内の一つを覗き込みます。見たところ、さほど深い穴というわけでもなく、右手の長い鉤爪を持ってすれば奥まで届かせることができそうでした。

そうとなれば話は早いと、ケチャワチャは早速横穴の中に右腕を突っ込み、その奥にある何かに鉤爪を引っ掛けて腕を引き抜きます。すると、そこにあったのは意外にも、ケチャワチャ自身よく知っているブナハブラの死骸でした。

 

ブナハブラの巣はケチャワチャも何度か見たことがありましたが、記憶にある限りではこのような形ではなかったはずです。そもそもブナハブラの巣であると仮定すると、死骸でいること自体がおかしいですから、おそらくはブナハブラの捕食する何かしらの生物の巣なのだろうとケチャワチャは結論をつけました。

もっとも、この巣の主の正体など、ケチャワチャには微塵も興味がございません。生きていようが死んでいようが、食料さえ取れるのであればケチャワチャにとってはそれで十分でした。もしも食料を横取りしているところを巣の主に見つかっても、戦いになれば返り討ちにすればいいだけですし、それが甲虫種であるならば新鮮な餌が増えるだけのことです。

ということで、ケチャワチャは横穴から引っ張り出したりブナハブラの死骸を口元に運ぶと、限界近くまで来ていた空腹を満たしてくれる久々の食料に舌鼓を打ちました。

 

 

──その瞬間、これまで感じたこの無いような猛烈な苦味がケチャワチャの口内を蹂躙します。

 

 

予想だにしなかった衝撃に、ケチャワチャは思わず顔を仰け反らせてブナハブラの死骸を吐き出します。その拍子にバランスを崩しそうになりましたが、咄嗟に右の鉤爪を横穴に引っ掛かることでことなきを得ました。

吐き出されたブナハブラの死骸は崖の下まで真っ逆さまに落下し、ケチャワチャが作り出した血溜まりの中に沈んでいきましたが、当のケチャワチャはそんなことに気付く余裕もなく、ただ口内に残留する苦味と必死に格闘している最中でございました。

 

この、口の中に纏わりつくようなしつこい苦味……今まで感じたことがない程に強烈なそれは、しかしケチャワチャには確かに覚えがありました。

懐かしくも忌々しいこの味は、にが虫のそれです。かつてケチャワチャが吹けば飛ぶような弱者であった時代、その日食うものを得るのにも難儀していたあの日々に、飢え死にとの二者択一で選び取ったあの苦味を、忘れようはずもございません。

しかしながら、今ケチャワチャの口内を蹂躙する激烈なる苦味は、あの時のものとはまるで比較にならない程に凶悪です。言うなれば、大量のにが虫をかき集めて、その苦味成分だけを濃縮したような、もはや毒と言っても差し支えないレベルのそれでした。

 

暫くの後、ようやく苦味がある程度収まってきたケチャワチャは、とてもこんなものは食べられたものではないと、すぐさま別の穴の前に移動します。

その穴もやはり先程と同じくケチャワチャが腕を突っ込むのに丁度いいくらいの大きさで、奥からは甲虫種の臭いが漂ってまいりました。一度試しただけでは全てがあのように苦くなっているとは限らないので、ケチャワチャはとりあえずもう一度だけチャレンジしてみることにしたのです。

 

そうして穴の奥から引っ張り出されたのは、やはりブナハブラの死骸でした。先程の失敗の反省を活かし、今度は焦らず匂いを嗅いでおかしなところがないかを念入りに確認しますと、少なくともにが虫の独特な香りは香ってはきませんでした。

それでも念には念を入れて、体の一部を小さく齧るだけに留めることで様子を見ると、やはり今度は強烈な苦味が襲ってくることもなく、甲虫種らしい旨味が口の中に広がっていきます。もう暫く間を置いて、何も異常がないことを確認すれば、ケチャワチャは嬉々としてオルタロスの死骸を口の中に放り込みました。

 

久々のまともな食料に、ケチャワチャの胃袋は歓喜の鳴き声をあげます。そして、一度消化器官が活動を再開すれば、もう空腹を留めることは誰にもできません。ケチャワチャはその穴の中にあるブナハブラの死骸を全て引っ張り出して喰らい尽くすと、なおも足りないと別の穴の前へ移動します。

 

どうやらこの岩盤に空いている横穴は、殆どが同じ条件のようでした。直径80センチ深さ2、3メートルでギリギリ奥は見通せませんが新鮮なブナハブラの死骸が入っています。ブナハブラの死骸に関しては当たり外れがあるようですが、それは食べる前に確認しておけば問題ないでしょう。

新たな横穴の前に移動したケチャワチャは、さらなる食料を得るために横穴の奥へと手を突っ込みます。すると、今までとは明らかに違う、粘着質な感触が致しました。不審に思ったケチャワチャがすぐさま右腕を引こうとすると、予想以上の抵抗が返ってきます。それでもなんとか力任せに右腕を引き抜くと、ケチャワチャの右腕には白い粘着質の物体がびしっりとこびりついていました。

万が一にも毒物であったら困るので、念のため匂いを嗅いでみると、ほんのわずかに植物のような青臭さを感じますが、ほとんど無臭でした。長年の経験と勘によれば、それほど危険なものでは無さそうですが、ベタベタと纏わりついてきて鬱陶しいことこの上ありません。このままでは壁を登るにも余計な力が必要になって面倒なため、この場で引き剥がすことを余儀なくされました。

 

暫く苦戦はしましたが、なんとか許容できるレベルまで粘着質の物体を削ぎ落とすことに成功したケチャワチャは、気を取り直して他の穴を探します。何かと面倒なことはありますが、いずれも致命的なトラップではありませんし、未だ甲虫種を見かけたことのないこの孤島において、確実に甲虫種が得られる場所という魅力を見過ごすことはできません。

 

ケチャワチャが次に辿り着いた穴は、これまでのものとは様子が違っておりました。入り口から30センチ程のところを、周囲にも張り巡らされている糸のようなもので塞がれているそれは、さながらブナハブラの蛹が作る繭のようです。

もしかしたらこの繭の奥に、この巣を作り出した主がいるのかも知れないと、ケチャワチャは好奇心に身を任せて糸でできた壁を破ります。

 

──直後、穴の奥から飛び出して来たのは、大量の水でした。

 

丁度顔面を目掛けて飛んできたそれを、ケチャワチャはなんでもないことのようにヒラリと身を翻すことで躱してみせます。完全なる不意打ちにも関わらず見事に回避された濃縮海水は、そのまま綺麗な放物線を描いて虚しく地面に落ちていきました。

 

水の勢いが無くなった後、念のためケチャワチャが穴の奥を探ってみると、やはりそこには何もありませんでした。要するに、これは明らかに攻撃的な目的を持ったトラップです。そして、そんなトラップを仕掛けてくる相手に、ケチャワチャは心当たりがありました。

ハンターと対峙した直後、自分の頭上目掛けて大木を落として来た何者か。その直後に香ったブナハブラとは僅かに違う香りから察するに、なんらかの甲虫種だと思われます。それこそがこの巣の主であり、このトラップを仕掛けた張本人なのでしょう。

 

そうとわかれば話は早いと、ケチャワチャは己の感覚を研ぎ澄ませます。何度も殺戮を繰り返すうちにいつの間にか会得していたその感覚によれば、無数にある穴の内のいくつかに生体反応があるようです。そして、そこからは揃いも揃ってブナハブラとは少し違う甲虫種の香りが漂ってきております。

木を隠すなら森の中。沢山の穴を空けておいて、そのいくつかに身を潜めれば、見つかる可能性は大幅に減ずることができる。それは実に理にかなった生態ではありましたが、このケチャワチャの、生き物を殺すために培った感覚の前には甚だ無力でした。

 

さて、巣の主を見つけたとは言え、すぐさま殺しに向かうのは得策ではありません。的確に巣の主を殺して回れば、隠れていても意味がないことに気付かれて逃げられる可能性があります。巣の主が潜む穴は相応にばらけていますし、流石のケチャワチャと言えども岩盤に張り付いた状態ではいつものような機動力は発揮できませんので、一斉に逃げられてしまうと取り逃す可能性があります。まして、巣の主が飛べる相手だった場合はどうにもなりません。ケチャワチャは飛膜によっての滑空こそ得意ですが、急激な垂直上昇などはできないのです。

ということで、ケチャワチャは暫くは気付いていないフリをして、適度に他の穴を探りつつ少しずつ巣の主を食らっていくことに決めました。もちろん、巣の主が少しでも動きを見せたらすぐに対応できるように神経を研ぎ澄ませてはおきますが、多少罠に引っかかってやるのも相手を油断させる意味ではいいでしょう。

そう考えて、ケチャワチャは次の穴に移動するために、近場にあった手頃な岩の出っ張りに右の鉤爪を引っ掛けます。

 

 

──直後、ケチャワチャの体は真っ逆さまに落ちていました。

 

突然の浮遊感に一瞬戸惑いを覚えたケチャワチャは、しかしすぐさま状況を把握し体勢を立て直そうと身を捩ります。ところが、ケチャワチャがバランスを立て直すよりも先に、崖の間に張り巡らされた糸がケチャワチャの体の一部に接触し、結果としてケチャワチャは錐揉みするように回転しながら孤島の大地に強かに打ち据えられました。

幸いにも、ケチャワチャ自身が身軽かつ強靭であったために大事には至りませんでしたが、一切受け身を取れない状態での落下は少なくないダメージをケチャワチャに与えます。

 

それでも、痛みなど知ったことかとすぐに地面から起き上がると、ケチャワチャは自分と共に落ちて来た手頃なサイズの岩を見据えました。先程のケチャワチャが右の鉤爪を引っ掛けるのに使おうとしたそれは、しかしよく見れば裏面にどこかで見たような白い粘着質の物体がびっしりとこびりついております。

要するに、手頃な大きさの岩をすぐに剥がれ落ちる状態で壁に貼り付けることで、そこに手をかけた外敵を崖から落とそうという、それは実に卑劣な罠でございました。

 

 

────ッ!

 

こちらを小馬鹿にするような罠に、ケチャワチャはついに怒り心頭に発します。

 

そして、これまでとは比べ物にならない速さで岩壁の中腹まで登り詰めると、先程探り当てた巣の主が潜んでいるであろう横穴に手を突っ込みました。

指の先に感じる、甲虫種の甲殻の感触と、ささやかな抵抗。ケチャワチャはあのような罠を仕掛けた巣の主を、決して逃すまいと固く握りしめ、その面を拝むために思いっきり右腕を引き抜きました。

 

 

──ギギィッ!……ジジジ

 

 

 

 

そこにいたのは、甲虫種の香り漂う……何かの体液のようなものが塗りたくられた、死にかけのブナハブラでございました。



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13、天才オルタロスの最高にスマートな戦略

 

──さて。

 

 

ここまで、いくらでも見せ場があったにも関わらず、一切姿を表さず、ネロやケチャワチャに主役の座をほぼほぼ奪われかけていた、我らが主人公(笑)たるオルタロスが、どこにいるのかと申しますと。

 

……空を、飛んでおりました。

 

とは言っても、どこぞの飛竜のように自在に空を翔けているわけでも、ケチャワチャのようにスタイリッシュに滑空しているわけでもありません。ネンチャク草とツタの葉と蜘蛛の糸によって編み上げたパラシュートのようなものにぶら下がって、ただ海風の吹き荒れるままに飛ばされておりました。

 

──バルーニング。

 

一部の蜘蛛の幼体などが行う、糸を風に乗せることで空中を移動し広範囲に移動するその技を、当然このオルタロスが初めから知っていたわけではございません。天敵への対策として様々なものを用意している中で、一際強烈な海風が吹き荒れた時に飛ばされてしまったことから生み出された、それは偶然の産物でございました。

そうして会得した、バルーニングという新たな技術を駆使して大空を移動し、このオルタロスが一体何を企んでいるのかと申しますと。

 

 

 

……逃げております。

 

何を言っているんだと、そう思われるかも知れませんが、何を隠そう正真正銘、このオルタロスは絶賛逃走中でございました。

逃げられないと思ったから準備をしていたんじゃないのかだとか、戦うどころかエンカウントすらせずに逃げ出すとかそれでも主人公かだとか、そう言った文句はいくらでもあることでしょう。実にごもっともな意見です。もっと言ってやってください。

 

しかし、事実としてこのオルタロスは、早々に戦場を逃げ出してしまっていたのです。

 

 

改めて言いますが、このオルタロスは基本的には馬鹿です。

本能的な鋭さや偶然を上手く活かす能力にはそれなりに恵まれているようですが、本質としてはアホでドジで鈍臭いおたんこナスのすっとこどっこいに違いありません。

そんなお馬鹿であるオルタロスが、遥かに格上である捕食者を打ち倒せるような極めて高度かつ最高にスマートな戦術を考えられるかと言われますと、当然そんなことはないわけで。

 

毒をばら撒いて巣ごと仕留めたブナハブラを使って、嫌がらせ程度の地味なトラップぐらいは作ることができましたが、それをどう運用すれば格上相手にも戦えるか、などというきちんとした作戦を考えることはできませんし、抜群の破壊力をもたらすような高度な仕掛けも作れません。

ケチャワチャの頭上に投下した大木のトラップが、今のオルタロスにできる精一杯の攻撃でございます。つまりは、最初にそれを躱された時点で、すでにオルタロスは万策尽きてしまっていたわけです。

 

ちなみに、オルタロスの預かり知らぬ所で唯一ケチャワチャに明確なダメージを与えた『外れる足場』のトラップは、別にああなることを想定した上で作ったものではなく、落石トラップの失敗作だったりします。その失敗作が一番の効果を発揮しているところを見るに、やはりこのオルタロスの悪運の強さは相当なものと言えるでしょう。

 

さて、話は戻りまして、結局のところ、オルタロスが直接ケチャワチャに対して仕掛けた攻撃は、最初の大木落としだけだったわけです。

それが躱された以上、決め手を失ったオルタロスが打てる一手は、もはや逃走しかありませんでした。

 

一見情けなくもありますが、それは実に合理的な判断でございました。

 

マトモに戦えば、戦いにすらならない相手。見つかってしまえば、逃げられない相手。

相手の位置もわからないまま闇雲に逃げ出せば、運悪く不意に遭遇してしまった時点で詰みとなります。相手の正体もわからないまま適当なトラップを張れば、場合によっては何も活かせないまま一方的にやられてしまいます。

そんな、どうやっても勝ち目の無さそうな相手でも、しかし確実に逃げられる状況が、ひとつだけありました。

 

それは、こちらが相手の位置を正確に把握していて、かつ相手がこちらに気付いておらず、何か別のものに気を取られている時。その、極めて限定的な状況下であれば、確実に相手から見つからずに逃げ出すことが可能なのです。

 

そして、オルタロスが大木のトラップを回避され、万策尽きたその瞬間、まさしくその状況は目の前にありました。

天敵であるケチャワチャが、確実にエリア3にいることがわかっていて、明確にこちらの存在には気付いておらず、二人のハンターに気を取られている、最大にして最後かも知れない大チャンスが。

 

それに気付いた瞬間、オルタロスはすぐさま思考を切り替え、落陽草の成分によって自身の体臭を消し去ると、念のために用意しておいたバルーンで海風に乗り、あっという間に逃げ去りました。

時間をかけて築き上げた要塞も、足りない頭で考え抜いて作り出したトラップも、必死の思いで巣を襲撃してかき集めたブナハブラの死骸も、毎日孤島を駆けずり回って用意した備蓄の食料や材料も、全てをあっさりと投げ出して逃走したのです。

 

虫の香りに誘われて天敵が横穴に顔や体や腕を突っ込んでいる最中に、その真上から落石を落とすトラップ。マトモに当たれば強大な相手とはいえ大怪我をしかねないでしょう。ついでに穴の奥に粘着トラップを仕掛けてやれば、場合によっては回避すらままなりません。

ブナハブラの死骸ににが虫の苦味成分を濃縮して塗すことで、天敵に強烈な苦味をお見舞いするトラップ。苦味に悶絶して隙を晒す天敵に、様々な追撃をお見舞いすることができます。あるいは直接的なダメージを期待して、毒テングダケやネムリ草の成分を混ぜ込むのもアリでしょう。

天敵が牙などを用いて横穴に張られた膜を破った瞬間、その顔面目掛けて濃縮された海水ぶちまけるトラップ。水の衝撃に落下するも良し、刺激で目を開けられなくなるも良し、過剰な塩分で脱水症状を引き起こすも良し。一つのトラップから様々な効果が期待されます。

安全策として、あえてブナハブラを仕留め切らずに死にかけで留めておき、さらに自分の匂いを塗り付けておくことで、天敵に対するカモフラージュとして利用するのもいいでしょう。自分の正確な位置を悟らせなければ、こちらは自由に動いて罠を仕掛けていくことができますから、間接的に攻撃力の上昇も見込めます。

さらに、自前の酸や光蟲から抽出した発光成分を使って相手の視力を奪えば、あの立体的な高所では相当な有利を取ることも可能だったはずです。

それら全てを活かし切ることができれば、もしかしたらどのような天敵であっても、退けることができたのかも知れません。

 

それなのに、時間をかけて準備したそれら全てを無駄にして、オルタロスは逃走を選びました。

 

きっと、オルタロスが人間であったのなら、そんなことは出来なかったでしょう。

必死の思いで作り上げた集大成を全て出し切るために、あのケチャワチャに挑みかかって、あるいは善戦しつつもその命を散らしていたかも知れません。

 

ですが、オルタロスは人間ではなく虫ですし、策士ではなくお馬鹿でした。

故に、策に溺れることなく、クレバーにただ生き残るために必要な選択を選び取ることができたのです。

 

 

 

そう、それこそが、天才オルタロスの最高にスマートな戦略。

 

揺るぎない、ただ一つの行動原理。

 

 

 

 

 

──この世界では結局、最後に生き残った奴が、勝ちなのです。






ようやくケチャワチャ編が終わりました。
いやー長かった。3年ぐらいかかってしまいましたね。


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K2、灼熱の地の邂逅

 

 

立ち昇る噴煙、鳴り止まぬ地響き、脈動する溶岩。

 

麓に生える気持ちばかりの植物の他は、ひたすらに岩石と溶岩流があるだけの殺風景な世界。おおよそ生き物の住める環境とは思えないそこには、しかし数多くの命が息づき、過酷な環境を生き抜く為に今日も凌ぎを削っています。

 

狩人の侵入を阻む灼熱の大地、ラティオ火山。

その近辺に何の因果か棲みついているひとりぼっちのクンチュウは、近頃、急成長を遂げておりました。

 

あれから暫く経ち、相も変わらず異常な頻度で脱皮を繰り返していたクンチュウは、今となっては全長5メートル近く、体重は1トンを超え、もはや小型モンスター如きの力では微動だにしなくなっています。さらに、本人は未だ気付いてはおりませんが、その甲殻にはドラグライト鉱石特有の鮮やかな緑色が入り混じり、本来ですと多少くすんでいるはずの表面は磨かれた鏡のように艶めき立ち、すでに一般的なクンチュウとはだいぶかけ離れた姿になってしまっておりました。

そのように劇的な成長を遂げたクンチュウですが、その生活が以前と劇的に変わったかと言いますと特にそんなことはなく、相も変わらず死肉を見つけてはガブラスやウロコトルに追い払われ、鉱石をやけ食いする日々を送っておりました。

 

普通の物語ですと、クンチュウのように急成長を遂げた主人公は、それまで自分を虐げていた相手に逆襲するのが一つのお約束ではありますが、残念ながら自然界はそう甘くはありません。

確かに、今のクンチュウの甲殻と体重をもってすれば、ガブラスやウロコトルの攻撃など擦り傷にもなりませんが、彼らもまたこの厳しい火山という環境に適応した強かな生き物ですから、いくら正面からは攻撃が通らなくなろうと、みすみす餌を譲ってやるつもりはありません。試行錯誤を繰り返してクンチュウを追い払う方法を模索した結果、ガブラスはクンチュウの顔付近に毒液を吐きかけることで、ウロコトルはクンチュウの柔らかい腹側を地中から突っつくことで、それぞれ防御力や体格差を無視して追い払う方法を確立したのでした。

 

そんなことをされてしまえば、クンチュウはいくら硬くなろうとも大人しく引き下がるしかありません。唯一の幸運は、長らく鉱石を食べ続けたことによって獲得した強靭な口によって、ガブラスやウロコトルが食べないような硬い骨すらも食べられるようになったことでしょうか。もちろん肉に比べれば美味しくはないですし食べ辛いですが、骨髄には非常に豊富な栄誉が含まれていますから、以前ほど空腹に苦しむことはなくなりました。

 

それにより、以前のように空腹を紛らわす為に鉱石を貪り食う必要性は無くなりましたが、だからといって鉱石類の摂食量が減ったかと申しますとそんなことは全くなく、クンチュウはガブラスやウロコトルに追い立てられた苛立ちをぶちまけるように、より強靭に発達した口でもってバリバリと鉱石をかっ喰らっておりました。

 

そうして、ガブラスやウロコトルの間で顔が知られるようになり、ラティオ火山でも少々目立つ存在になってきたクンチュウは、ある日の朝、ついにその存在と遭遇することになるのです。

 

 

***

 

 

「だぁーっ!チクショウ、またダメだ!」

 

黒煙渦巻く火山の空に、狩人の嘆きが響き渡ります。

ボサボサの赤い髪と火山焼けした褐色肌が特徴的な細身の少女は、今しがた仕留めた草食竜アプケロスの亡骸に寄りかかり、鬱憤をぶちまけるように絶叫しました。

死者を背もたれにするようなその行為は、見る者が見れば眉を顰めるでしょうが、実の所、倒した小型モンスターの亡骸に身を預ける行為は、特に火山を中心に活動するハンターであればよくやること……というより、無意識のうちにやらずにはいられないことなのでした。

 

何しろ、大地が灼熱を発する火山という環境に於いては、壁や岩が高熱を帯びているなどさして珍しいことではありませんから、安易にそれらに寄り掛かって休憩するなどとても出来たものではありません。ましてや、さらに高温を帯びている可能性がある上に、ウロコトルやガミザミが潜んでいる危険性まで存在する大地に寝転がるなどもっての他です。

 

よって、一度(ひとたび)火山の地に足を踏み入れれば、クーラードリンクを飲んでなお肉体と精神を蝕む灼熱の大地と、過酷な環境を生き抜く屈強かつ狡猾な小型モンスターに悩まされながら、休憩すらなくひたすらに駆け回ることを求められるのです。

いくらハンターが強靭な肉体を持つと言われようとも、そんなことを続けられるのはほんの一部の狂人くらいなもので、大半のハンターは当然の如く休息を必要とします。そして、どこが高熱を帯びているかもわからない火山において、唯一低温であることが保証されているのが、小型モンスターの亡骸の上というわけなのです。

中には地面も熱いからと小型モンスターの亡骸の上に全身を預けて寝転がる者もいるほどですから、その点で言うと赤髪の少女はまだ行儀が良い方であると言えました。

 

「だいたい、よく考えたらなんでアタシがアプケロスのキモなんて面倒なモン取ってこなきゃなんねーんだよ!そんなに欲しけりゃ養殖しろ養殖!」

 

……もっとも、お口の方は少々お行儀がよろしくないようですが。

 

ちなみに、世間一般で広く家畜化されているアプトノスやポポなどと違い、アプケロスの養殖というのは至難を極めます。何しろ縄張り意識がとても強く攻撃的なものですから、一般人が飼い慣らすことなど到底できたものではありません。例えアプケロスを飼い慣らすことに成功したとしても、牧場規模の多頭飼いをすると小規模なグループ同士での縄張り争いが勃発し、無駄に傷を負う個体が続出します。それら全ての障碍を掻い潜って養殖に成功したとしても、得られる肉はアプトノスやポポと比べると量は少なく味は劣り、商品価値があるのはせいぜい少量しか取れないキモくらいなもの。明らかに投資と利益が釣り合っていないので、アプケロスの養殖に手を出す者はほとんどおらず、キモの供給は未だハンターが取ってくる天然物に大きく依存しておりました。

 

「オラ、死ねや雑魚が。……よし、こっからだ、集中集中っ!」

 

とはいえ、ハンターであるならば簡単に入手できるのかと問われればそう言うわけでもなく、アプケロスのキモは内臓の奥まったところにある上に、剥ぎ取る過程で周りの臓器(胃や腸など)を傷付けてしまえばダメになってしまうので、こちらはこちらでそれなりに熟練のいる作業ではありました。

 

「…………。………っ、…………っしゃあ!やっと取れた!」

 

とりわけ、赤髪の少女のように経験が浅く性格も大雑把な典型的な新人狩人にとっては、数頭のアプケロスを仕留めてようやく一つ取れるか取れないかというレベルのレアものです。悪戦苦闘(主に戦闘面以外)の末に漸く手にしたそれに、赤髪の少女は思わず歓喜の雄叫びを上げました。

 

「……はぁ、これだけやってやっと1つかよ……あと4つとか正気の沙汰じゃねえ……大型モンスターの相手する方がナンボかマシだ」

 

一般人からしてみれば、強大な大型モンスターを相手取るより草食種のキモを集める方が面倒などとは何事かと思われるかも知れませんが、事実、赤髪の少女の言葉は多くのハンターの内心を代弁しておりました。

灼熱の火山という最悪のロケーションに、クーラードリンクという制限時間が存在する中で、アプケロスを探す手間、ランゴスタなどの邪魔者を排除する手間、そして他の内臓を傷付けないように丁寧にキモを摘出する手間。それら全てを加味すると、特に戦闘を得意とする脳筋ハンターにとっては大型モンスター戦と同等かそれ以上に、キモ納品というのは面倒なクエストなのです。

 

そして言うまでもなく、この赤髪の少女は典型的な脳筋ハンターそのもので、扱う武器もその性格を表すように小細工無しで相手を叩き伏せるハンマーなのでございました。

さらに言うのであれば……

 

「えぇい、やってやる!アタシがただ殴り倒すだけの脳筋じゃないんだってトコロを、アイツに見せつけてやるんだ!」

 

幼馴染の受付嬢の安い挑発に乗せられ、誰もやりたがらない面倒な納品クエストをまんまと押し付けられた、お馬鹿さんでもあるのでした。

 

 

***

 

古くから人類が棲み着いている現大陸においては、大型モンスターの出現や自然現象などと同じように、ハンターの活動もまた生態系の仕組みの一部を担っております。

 

ハンターが討伐したモンスターの亡骸は、その殆どが自然界にそのまま還元されます。いくらハンターが屈強とは言え、体長10メートル越えの怪物達がざらに存在するこの世界において、倒した獲物を全て持ち帰るなどとてもできたものではありません。下手に欲を張って、大量の荷物という足枷を抱えた状態で別のモンスターに襲われてしまえばそれこそ元も子もありませんから、殆どのハンターは行動を制限されない程度の素材を手にすると、さっさと自分達の拠点に戻っていきます。

そうなると当然、ハンターによって打ち倒されたモンスターの亡骸の大部分は自然界に放置されることになりますが、それらは肉食や屍肉食のモンスター、あるいはもっと小さな生き物達の腹を満たす重要な食料資源となり、食物連鎖のループを作り出す重要な因子の一つとなっているわけなのです。

 

……結局のところ何が言いたいのかと申しますと。

 

赤髪の少女の活動によって作り出されたアプケロスの亡骸は、彼女の後を追うように移動しているクンチュウによって、それはもう美味しくいただかれておりました。

火山では滅多に手に入らない、本当の意味での新鮮な肉。あるいは初めて口にしたかも知れない貴重な食料に、クンチュウは大興奮で食らい付きます。骨にこびりついて乾き切った腐肉や、骨の奥深くに僅かにあるばかりの骨髄とはまるで違う、ダイレクトに体に行き渡るような栄養の塊。それをガブラスやウロコトルに妨害されることもなく貪り食うことが出来るのですから、クンチュウにとってはまさに今が我が世の春といった状況でしょう。

 

……ちなみに、滅多に手に入らない貴重な食料を前にして、何故ガブラスやウロコトルがやって来ないのかと言いますと、その答えは単純明快。クンチュウが新鮮な肉を食べるのに夢中になるあまり、ハンターである赤髪の少女に近付きすぎてしまっているからです。ガブラスもウロコトルもその性質故にハンターからはかなり嫌われている存在で、ハンターに見つかってしまうと依頼外であっても掃討されることすらあるほどですから、彼等は必要以上にハンターに近付くような愚は犯さず、十分に遠ざかるのを待って安全であることを確かめてから死肉を食らうようにしております。いくら火山において食料が貴重と言えども、それに夢中になってみすみす危険に身を晒すような愚か者は、狡猾なガブラスやウロコトルの中にはおりませんでした。

 

翻ってこのクンチュウ、お察しの通り頭の方の出来は少々……いえ、かなり残念でして、しかも一度(ひとたび)餌を見つけると、いつしかのように攻撃されていることにも気付かなくなるほど夢中になってしまうほど食い意地が強いものですから、目の前に武装した狩人がいることにも気付かずに、より新鮮な肉の匂いがする方にフラフラと引き寄せられてしまっているわけなのです。

 

「うおぁ!?……な、な、なんだコイツ!?」

 

そして当然のことながら、今のクンチュウほど大きく目立つ色合いをしたモンスターに接近されれば、新人とはいえ一端の狩人たる赤髪の少女が気付かない道理はございません。アプケロスほどではありませんが小型モンスターとしては大柄な体格とピッカピカに輝く緑がかった甲殻という存在感マシマシなモンスターの登場に、赤髪の少女は思わず目を白黒させます。しかし、そこは流石に何が起こるかわからない自然界を生き抜く狩人と言うべきか、すぐに冷静さを取り戻した少女は、愛用のハンマーを構えて臨戦体勢に移行します。

 

……先程、ガブラスやウロコトルがハンターから嫌われていると申しましたが、ではクンチュウはどうなのかと言いますと……素早い転がり攻撃による的確な妨害に、モンスターに張り付いて盾になるという厄介な性質、そしてその性質を凶悪化させるあまりにも硬すぎる甲殻……知れたこととは思いますが、それらのモンスターと同じレベルで嫌われております。

さらに言えば、クンチュウから剥ぎ取れる素材はそこそこ需要が高いものが多く、特にモンスターの体液と呼ばれる素材はその漏れ出しやすさ故にクンチュウ以外の甲虫種からの入手が至難を極めることから、純粋に素材目的で狩られることもあるようです。

要するに、そんなクンチュウがハンターに見つかってしまうことは、絶体絶命の大ピンチというわけでして……。

 

「……。」

 

つい先程剥ぎ取りに失敗して地面に放り投げたアプケロスのキモの欠片を、まるでこちらに気付いてもいないかのように一心不乱に貪り食らうクンチュウを、赤髪の少女は真っ直ぐに見据えます。火山の暑さと先の見えない作業にだれきっていた表情はすっかり鳴りを潜め、狩人らしい猛々しくも冷徹な眼光がハンターの宿敵たるクンチュウを貫──

 

 

「……うーん、なんだこいつ」

 

 

──くことはなく、赤髪の少女の目に浮かぶのはひたすらに疑問ばかりでございました。なんのことはない、生まれも育ちもラティオ火山近辺である彼女は、そもそもクンチュウなどというモンスターなど見たことも聞いたことも無かったのです。当然、狩の妨害をしてくることも貴重な素材が取れることも知りませんから、少なくとも彼女の中で目の前のクンチュウを積極的に討伐しようなどという気持ちが湧き出てくることはございませんでした。

 

「あっ!ちょっと待て!こっちは剥ぎ取り中だ!」

 

とはいえ、流石に剥ぎ取り中のアプケロスの亡骸に接近するのは看過できません。殆ど目の前にいるも同然の状況でなお赤髪の少女の存在に気付いてすらいないかのように振る舞うクンチュウに、赤髪の少女は愛用のハンマーでもって渾身の一撃をお見舞いしました。

 

「あっち行けっ………っ!?いっ……てぇ!?」

 

並の小型モンスターなら一撃であの世行きになるほどの強烈な叩き付け。しかし、赤髪の少女の腕に返ってきたのは硬い岩盤を殴りつけたかのような衝撃でした。彼女にとってはまだまだかなりの強敵であるラングロトラ、その堅牢な甲殻すらも柔らかく感じるほどの圧倒的な硬度の前には、数多のモンスターを叩き伏せてきた愛用のハンマーなどまるで歯が立ちません。

 

「……っ、まずい!」

 

そして、跳ね返ってきた衝撃と驚愕のあまり、致命的なまでの隙をさらしてしまう赤髪の少女。無謀にも自らに攻撃を仕掛けてきた不届き者に対して、クンチュウがとった行動は──

 

「………………あれ?」

 

──丸まって身を守ることでございました。

 

当然反撃されるものと思って目を瞑ってしまった赤髪の少女は、いつまで経っても来るべき衝撃が訪れないことを不審に思い、ゆっくりと目を開きます。すると、そこにあったのは大したダメージでもなかろうにガチガチに防御を固めているクンチュウの姿でございました。あまりにも動きがないために、思わず好奇心をそそられて試しにツンツンと小突いては見ますが、まるで反応が見られません。

 

そう、賢明な皆様であれば既にお気付きかとは思いますが、クンチュウは赤髪の少女に殴られるその瞬間まで彼女の存在に本当に気付いておりませんでした。クンチュウの視点からすれば突然近くから大きな音が聞こえてきたようなもので、本質的には臆病で小心者であるこのクンチュウは、驚きのあまり竦み上がってしまったのです。

 

「え……あの、えっと……どうすんだコレ」

 

そうなると困るのは赤髪の少女で、この状態では当然のことながら討伐することも撃退することもできません。しかし、小型モンスターが背後にいる状態で神経を使う剥ぎ取りを行うというのも憚られます。なんとか移動させるだけでも出来ないものかとハンマーを納刀して両の腕で力の限り押して見ますが、どうやら大きさの割に尋常ではない程に重いらしくクンチュウの体はピクリとも動きません。

 

その後暫く、ハンマーで殴りつけたりテコの原理を使って動かせないものかと試行錯誤を試みましたが、まるで効果が見られないまま時間だけが経過し……赤髪の少女が気付いた時には、アプケロスのキモはすっかりダメになってしまっていたのでした。

 

「あぁーーーーーっ!!!」

 

こんなことなら、クンチュウなど無視してさっさと剥ぎ取ってしまえば良かったという後悔の絶叫が、火山の空に虚しく響き渡ります。

 

 

 

 

──この、なんとも締まりのない邂逅が、後の赤髪の少女とクンチュウの生涯に、あまりにも大きな影響を及ぼすことになるなど、この時はまだ、誰も知りませんでした。



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