【完結】フーディーニの魔法 (ようぐそうとほうとふ)
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00.魔法使いの条件

 魔法界において生き残る秘訣は魔力の強さに非ず。コミュニケーション能力。これに限る。というのも20世紀も終わろうとしているこのご時世、魔法使いが杖でできることは多少の手間とお金をかければマグルでも可能だからだ。

 火をつけろと言われたらライターがあるし、皿の汚れを落とせと言われたら食洗機にぶち込んでやる。大抵の家事は僕に任せてくれ。そこいらの主婦の魔法より完璧にして見せる。自動筆記…はまだ無理だが書くのと聞くのなんて訓練次第。ここにあるコインを消せと言われたら、相手がまばたきしたすきに袖の下に突っ込んでやる。

 つまりいくら魔力に劣っていても小手先でごまかせるという訳。尤もそれは呪い破りや闇祓いといった実践的な職業には当てはまらない。しかし、魔法省の中間管理職という僕の役職ならば可能だ。

 

 僕はウラジーミル・プロップ。魔法省大臣上級次官付き秘書。おっと、僕の出世の目のなさに笑う事なかれ。僕にとっちゃこの仕事は天職なのさ。

 そう、たとえあのドローレス・アンブリッジの秘書でもね。スクイブすれすれの僕にとってはもうこれ以上ない職なのさ。

 

 さて、秘書の仕事は簡単だ。割り当てられる膨大な業務を噛み砕き、アンブリッジに要点を伝える。雛に日々の糧を分かち合う親鳥のように。

 事務仕事は魔法なんてあってもなくてもあまり関係ない仕事なのだ。書類を捲って理解し業務を整理することは魔法ですっ飛ばすことができない。もしどうしても魔法を使わないといけないのならば遠慮なく部下に声をかければいい。そう素晴らしき哉、中間管理職!僕のやる仕事はほとんど書類整理。単純なタスク管理に長けていれば評価されるのだ。

 僕は彼女の代わりに考える脳みそであればいい。彼女もそれを了承し、存分に利用している。出会って一年、僕らは心地よい共生関係を構築した。

 

 

さて、今日のご飯はこれだよアンブリッジ。

 

 

「ハリー・ポッターが告訴されます」

 

 僕の言葉を聞いたアンブリッジは爛々と目を輝かせ、ガマガエルのような大きな口を笑みの形に歪めた。

「まあまあまあ。それじゃあ成功というわけね」

「首尾よく。ただし襲撃の様子を近所のスクイブが目撃したとか…」

「ウラジーミル!たとえここが個室でもその言葉は控えなさい」

「大変失礼致しました」

 そう、ハリー・ポッターが吸魂鬼に“襲撃”された。これは現実に起こったことだが事実ではなくなる。これから法廷で描かれる“事実”は「ハリー・ポッターが面白半分にマグルをからかい魔法を使用し、事もあろうに吸魂鬼のせいにしている」というものだからだ。

 

「…該当吸魂鬼は今どこに?」

「通常業務へ戻っているはずです。残念ながらあれらを識別するすべを我々は持ち合わせておりません」

「まあそれは好都合ね。…ふう、まだまだこれからが本番ね」

 アンブリッジは僕の渡した資料を読み始める。裁判の日取りはまだ決定しない。これから先はおそらくアンブリッジとファッジの間で話し合われる事柄で、僕に回ってくるのは裁判員への招集命令だとかそういうつまらない雑務だ。

 まあその雑務こそアンブリッジの計画に欠かせないのだ。なんせハリー・ポッターに味方しそうな魔法使いをなるべくはじき、さらに最も手強い人物に不正のないように嘘を伝えなければならない。

 さらにこの事件が重大であると示すために一番厳かな法廷を押さえとかなきゃいけない。裁判は舞台装置だ。人々はいくら意識しても雰囲気や空気にのまれる。アンブリッジのご所望するウィゼンガモット10号法廷はかの有名なクラウチの“魔女裁判”にも使われた一番広くて格式高い法廷だ。これを借りるのにどれくらい袖の下を膨らませればいいのやら。

 

 まったくアンブリッジの権力好きにはあきれるが、僕はそんな彼女に尊敬の念すら抱いている。彼女は魔力こそ月並みだが、政治力…とりわけ上へ取り入るバイタリティは常人離れしていた。(その代わり彼女は同僚に嫌われている)彼女の出生を考えると納得も行くが、何も知らない人から見ればその熱量は異常とも取れる。だから彼女はひとりぼっち。

 魔法省になんの後ろ盾も無い僕にますますうってつけ。お似合いなのさ。

 

 さて、僕についての説明はまだ十分ではなかったね。

 ウラジーミル・ノヴォヴィッチ・プロップ。露系。今年でめでたく三十路を迎える。北の大地では名のしれた純血一族の傍系なのだが、残念ながら僕の魔力は凡人以下。スクイブすれすれだ。

 浮遊呪文で浮かせられるのはせいぜい小鳥の羽や毛糸くらい。何かを爆発させろと言われればちょっと火花が散るくらい。解錠呪文をさせようとしたら多分マグルのピッキングのほうがよっぽど早い。

 皆さんはメンデルを知ってる?そう、優性の法則。まず魔法族は遺伝子を知らないやつが多い。まあ要するに、僕の母親は混血だった。ついでに僕の祖父もマグル。父親の優性、母親の劣性。巡り巡って遺伝子の神様は僕に微笑まなかったわけ。しかし憐れむことなかれ。時代は僕に味方している。

 僕はずっと自分が魔法使いだと詐称して生きてきた。やってきた。やり過ごしてきた。それだけの器量が僕にはあるのさ。神は魔力こそ僕に与えなかったがそれ以外の全てを与えたというわけ。やっぱり礼拝は欠かさずに行くべきだよね。

 

 魔法界におけるスクイブはある種のタブーだ。長らく一家の恥とされ家の中に閉じ込められ、存在を知られることなくゆりかごから墓場までというのが通例だった。

 しかし我が誇り高きプロップ家は僕を恥だなんて思わなかった。スクイブと違って、僕はほんの少しだけ魔法が使える。だからスクイブではない。それが父の主張だった。

 けれども視力が落ちたら眼鏡をかけるように、魔力が極端に少ない僕には僕向けの矯正器具が必要だった。両親が僕に与えたのは杖ではなく、フーディーニの魔法。要するにイカサマだ。

 幸いソヴィエトにはイギリスやアメリカにあるような魔法学校はなかった。だから僕ら家族がイギリスへ亡命したあと、特に集団生活で魔法を披露する機会はなかった。本当に幸運だったと思う。もし僕がホグワーツなんかに入学したら、閉鎖的な環境下で僕の性格はネジ曲がりめちゃくちゃに破壊されただろう。凍土に感謝!溶けない雪にゲレンデが溶けるほどのキスを。

 

 亡命し無事イギリスの魔法使いとして戸籍を手に入れた僕は魔法省へ入省を決め、こつこつと仕事をこなしてガマガエルばばあアンブリッジの元へ流れ着いた。

 中々面白い人生だろ。ロックハートとどっちがエンタメ性があるだろうか。結構いい勝負ができそうだが、まあ僕は芸能人ではないからこれからの人生はずっとずっと地味であり続けるだろう。でもそれでいい。そうであるよう祈っている。

 僕は地味に地道に配られたカードで勝負していくのさ。政治も愛も戦争も僕の人生には必要ない。僕はただ適度に居心地のいいリビングと、趣味のいいダイニングテーブルと、そこそこ美味しいコーヒー豆があればどこだって幸せだ。

 

 さて、そんな僕ウラジーミル・プロップに与えられた人生最大の試練は「ホグワーツへの出向」だった。

 詳しい経緯はまた、後ほど。

 



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Плетью обуха не перешибешь.
01.悪役の資格


 史上最も邪悪な闇の魔法使いと聞いて思い浮かべる人物でその人の年齢がわかる、というちょっとした豆知識をご存知だろうか。残念ながらこれは地域差があるので僕には当てはまらない。

 イギリスにおいて闇の魔法使いナンバーワンに君臨するのはヴォルデモート卿という人物だが、大陸出身の僕に言わせてみれば、彼はグリンデルバルドより小物だ。グリンデルバルドは大陸を股にかけていたが彼は島から出なかった。ヴォルデモートは時代が悪かった。もし同年代に生まれていたら一二を争ったはずだが…まあそんな議論は無意味だ。

 なんにせよ、僕が子供時代を過ごしたサンクトペテルブルクにおいて最も恐れられていたのはグリンデルバルドだ。彼は1945年にはすでに自身の建築したヌルメンガードに幽閉されていたが、子どもたちはみんな「悪いことをしてるとグリンデルバルドが来る」と寝る前に聞かされていた。グリンデルバルドという魔法使いはもはや寓話的存在へ昇華され、今現在も牢獄でひっそり息をしていることを知っているものは少ない。

 彼の苛烈な理想主義のせいでこの北の大地で魔法使いの地域的コミュニティは統合される事を結果的に拒んだと言ってもいいだろう。ヨーロッパに散見する魔法自治体は極めて独立性が強く、イギリス魔法省のように中央集権的政治機構はない。

 団結をさせないと言うことは、人々を孤独にさせるということは、個人を覆う支配者の檻をより堅牢にする。グリンデルバルドは人々を分断し、そのまま冷たい時代の象徴として我々の心の中に根付いている。

 とはいえ地域ごとに細分化されたコミュニティは魔法使いにとってさして問題でも障害でもなかった。むしろ魔法使いだけの村や町があるおかげで過ごしやすかった。元来少数集団でほそぼそと生きてきた我ら魔法使いの気風にあっていた、とでも言うべきか。

 まあ、それでも僕たちは亡命せざるを得なかったわけだけど。

 

 さて、ハリー・ポッターについて話を戻そう。

 

 彼はイギリスで言うグリンデルバルドであるヴォルデモート卿を齢1歳で打倒した伝説の男の子だ。彼もまた神話的存在として語られていた。

 僕がイギリスに来たときにはすでにヴォルデモート卿は倒れお祭りモードも終わっていたので、彼の持ち上げられっぷりを肌で感じたことはない。

 ハリー・ポッターが11歳になってホグワーツ魔法魔術学校へ通い始めたという時も僕は出世のために上司の靴を舐めるのに必死だったのであまり知らない。

 今までの僕の人生にかすりもしなかったハリー・ポッターだが今年に入ってから事情が変わった。

 

 ヴォルデモート卿が復活した!

 

 と、ハリー・ポッターが騒ぎ始めたのだ。

 なんでも三大魔法学校対抗試合の最終試合で移動キーによりリトルハウジングへ移動し、彼の復活を目にしたとか。

 真偽はさておきファッジはおかんむりだ。当然我が上司アンブリッジも連鎖して怒る。さらに死亡したはずのバーティ・クラウチJrがシニアを殺害したとかいろんな事件が同時に発覚するものだから年度末は大忙しだった。

 彼らのヴォルデモート恐怖症は僕から見れば全く理解し難かった。残念ながら。

 

 特にファッジの取り乱しっぷりは尋常じゃなかった。後にわかったのだが彼の動揺はヴォルデモート卿に対してではなかった。彼が真に恐れていたのはアルバス・ダンブルドア校長だった。

 権力者というものは常に下から引きずり落とされる恐怖に震えている。アンブリッジはまだ這い上がる余地があるぶん下のことは忘れて上へ上へ手を伸ばすことができるが、魔法省で一番偉い魔法大臣となると上より下ばかりが気になる。若しくは自分と同じくらいの高さにいる誰かさんが。

 しかし傍から見てればファッジとダンブルドア、どちらが上かと言われれば言わずもがな。悲しいけれども格が違う。違うからこそダンブルドアは大臣職なんて見向きもしないはずなのだが、その感覚はファッジには理解できないらしい。

 彼はヴォルデモートとダンブルドアの板挟み状態。

 

「プロップ君!」

 

 そのファッジの覚えめでたい僕である。しかし僕は正直彼に顔を覚えてほしくない。魔法が全然だめなのに魔法が必要な指示を出されたら面倒だからだ。

「プロップ君、例の裁判の日取りだがね。陪審員へは手紙を出したかい?」

「ええ」

 ダンブルドア以外には。

「おお、ご苦労様。そうだ。君にいくつか頼んでおいたあれは…」

「万事滞りありませんよ。明日からは週刊魔女もダンブルドアを叩き始めるでしょう」

「君の人脈には本当に世話になるね」

「お役に立てて光栄です。大臣のためなら身を粉にせよとアンブリッジ女史からも言われておりますので」

「全くドローレスは良い部下を捕まえたものだな」

 ファッジはそう笑って執務室へ消えていった。ハリー・ポッターが裁判にかけられるのが愉快でたまらないのかご機嫌だ。彼はアンブリッジが吸魂鬼をけしかけた事を知らない。知っても何も言わないだろう。

 彼を見てると不安になる。彼は大臣に選ばれるほど優秀だ。少なくとも外交手腕は歴代大臣の中で一番だ。目的をはっきりさせ綿密に筋道建てる彼は平時においては極めて良いパフォーマンスを誇るが、非常事態においてパニックに陥りやすい傾向がある。

 非常事態…例えば闇の魔法使いの復活とか。

 

 僕も多分、グリンデルバルドがヌルメンガードから脱獄しノルウェーの森に隠れているよ。なんて言われたらノルウェーからの渡航を禁止するくらいはやるかもしれない。もしかしたらノルウェーの森にジェット機を落として焼き尽くすかも。

 けれども今回ファッジが目下取り組んでいる言論封殺は悪手と言わざるを得ない。ヴォルデモートという名を人々が口にしなくったってヴォルデモートという存在が消えるわけではないのだから。(僕の立場上ヴォルデモート復活についてはノーコメントだ。)

 

 さて、そのハリー・ポッターの裁判の日、僕は意気揚々と出かけていったアンブリッジからその日片付けるべき書類を山ほど受け取りエレベーターに乗った。

 

「おや。大丈夫かい」

 

 紙束で前が見えない僕に気取った声の男が話しかけてきた。

「ええ」

 返事をすると吐息にあおられた紙が一枚落ちた。気取った声の男が紙束で遮られた僕の視界の端を行き来する。紙を拾ってくれたらしい。それを山のてっぺんに置き、初めて僕と視線を合わせた。

 気取った声にふさわしい、やけに高そうな生地のスーツとプラチナブロンドの男だった。

「杖を使えばいいのに」

 そういう質問はいままで割と良くされる。紙束を浮かせようなんてスクイブスレスレの僕にできるはずがないだろう。

「僕のモットーでね」

「ほう」

「僕の故郷じゃ体を動かさなきゃ凍りつく」

「ふ」

 笑い方まで気取っているこの男は何度か魔法省で見たことがある。確か純血の名家の当主だ。

「君は確かアンブリッジ女史の秘書だったね」

「ええ」

「彼女はいま」

「裁判中です。例の」

「ほう。彼女は知っているのか?ダンブルドアがついさっき魔法省に来た」

「…なんですって?」

「どうやらどこからか時間の変更を聞いたらしいな」

「参ったな」

 アンブリッジのヒステリーを想像すると気が滅入る。ダンブルドアにかかればあの裁判のおかしさを覆うヴェールなんて一吹きだ。彼女にとってさぞかし不愉快な裁判になっているだろう。

「プロップ君、今回の一連の出来事は君がお膳立てしたそうだね」

「ええ。責任を感じます」

「いやいや、いい働きだったと思う。あのダンブルドアが上手だったというだけだ」

 なぜだか僕の名前を知ってる彼は懐から名刺を取り出すと僕に渡した。

「実を言うと個人的に君に一役買ってもらいたくてね。どうだろう?まずはそこの喫茶店で君の生い立ちからじっくり話すというのは…」

 

 

 

……

 

 マグルと魔法使いの決定的違いは当然魔力の有無だ。それ以外に何が違うか。強いて言うならばそれは心だ。何、観念的な話をしようってわけじゃない。

例えば家猫と野良猫。彼らは同じ猫だけど家猫は警戒心が薄く、野良猫は警戒心が強い。家猫は餌を食べかけでほっといても誰かに取られたりしないが、野良猫はそうじゃない。能力、環境により同じ種の猫にすら性質に大きな差が生まれる。

 魔法使いはマグルよりはるかにイージーに火をともし糧を得る。故にマグルのように集団で集まり生命の安全を保証し合う必要が少なかった。魔法使い同士ならばまだしも、マグルやその他自然の脅威に屈することはまず無かった。要するに彼らはマグルよりつるむ必要がない自律した精神を持つ。というのが彼らの意見。

 彼らは火をおこすにしてもものを片付けるにしろ杖をひとふりするだけだ。それはいい。便利だ。羨ましい。だがそのイージーさ、つまり言い換えれば物事の因果関係の単純さは必ずしもすべてが善しと言い切れない。

魔法はマグルが手順を踏み組み立てた論理を杖のひとふりで解決する。つまり彼らは過程への想像力に欠ける。行動がすぐに結果に結びつくということが当然だと思っている。だから彼らはいまいち…深みがないのだ。風が吹けば桶屋が儲かる理屈を理解してくれないというのが僕の私見。あくまで個人の感想です。

 

「ルシウス・マルフォイ氏。よく存じ上げております。先程は失礼しました、とっさにお名前が浮かばなくて。先日は聖マンゴに多額の寄付を」

「なに、気にしないでいいよ。君と直接話すのは初めてだからね」

 

 マルフォイ氏は間違いなく純血の聖28一族の筆頭で資産運用により富を得ている。よほどうまく行ってるのか寄付は年々増えている。

 彼はヴォルデモート卿の腹心(死喰い人とか名乗っている)だったと言われているが現魔法省内でも彼の言う事に逆らうやつはめったにいない。金、生まれ、育ちに恵まれているというわけだ。実に羨ましい。確か彼は一人息子がホグワーツに通っている。きっとこの男同様温室で栽培された野菜みたいな面をしているのだろう。

 

「それで」

 

 マルフォイ氏は話を続ける。

「ホグワーツの教員不足については君もよくご存知だろう。闇の魔術に対する防衛術の教員は一年ごとにやむを得ない事情で変わっている」

「ええ。一身上の都合ですね」

「任命権は校長にあるが、流石のダンブルドアも今回ばかりは後任を探すのに苦労していてね。あと2日で決まらない場合今回は我々理事から推薦された人物を就任させることになる」

 我々理事会、というが要するに彼の意向に沿っているのだろう。ルシウス・マルフォイが魔法省、死喰い人どちらの立場からそれを進めているかはわからないが、僕はどうやら彼の目に止まってしまったらしい。

「我々は君を推薦しようと考えている」

「一役人にすぎない僕には身に余る職務です。愚かしい質問ですがなぜ僕を?」

「初めはドローレス・アンブリッジをと考えていた。彼女は愚直なまでにファッジに忠実だからね。しかし、ファッジにしか忠実でしかない」

「仰っしゃりたいことはよくわかります」

 マルフォイ氏はさて、とひと呼吸おきカバンから茶封筒を取り出した。書類が山ほど入る大きな封筒だ。それを僕に手渡す。

 僕はさして動揺を見せずにそれを受け取り紐解いた。

 

「…これは…」

「覚えがあるんじゃないかと思って」

僕は黙ってマルフォイ氏の顔を見た。彼は僕のリアクションを見ている。

「混乱に乗じて上手くやったな。プロップ君」

「…」

 

つまり彼は、僕の秘密を調べ上げた。そういう事だ。

 

「ウラジーミル・プロップ。君には魔力がないね」

「…ええその通り。この資料に書かれているように、僕の戸籍は亡命時に急遽でっち上げた偽物です。傍系とはいえ純血の家にスクイブが出るなんて恥さらしだ」

 僕は封筒から落ちた僕の家族写真を見る。そこには僕の両親と兄と妹しか写っていない。

「マグルでの登記とあちらの魔法政府での登記は揃えるべきだったね」

「なんせ急な夜逃げでしたからね」

 写真をわざわざ手で拾い上げる僕を、ルシウス氏はどう思いながら見ているんだろうか。侮蔑でも軽蔑でも差別でもなんでもいい。もし彼が僕が出来損ないであるという事実を口外しないのであれば彼の口が何を奏そうが食そうが僕の知る事じゃない。

 僕は写真をテーブルに置く。そして胸に抱えた一キロあまりの鉄の塊を意識する。もちろん現実じゃ魔法使いに銀の弾丸は効かない。弾にいくら魔除けの言葉を書こうとも。

 錐は袋に隠せないというが今までうまくやってきてここに来てすべてが露呈するとは思わなかった。人の家に鼻を突っ込む愚か者が出るような地位ではないと思ったが、神はどこから見ているかわからないものだ。僕に目をかけたのが悪魔であったことを呪うしかない。

「そう殺気立つな。何も私は君を今の地位から引きずり落とそうってんじゃない」

 傷持つものほどよく語る。

「そうでしょうか?これは明らかに僕にとっての脅威です」

「ああ、確かに君の生殺与奪権を握っているのは私なのだろうね。けれども殺そうなんて思いもしなかった。そっちのほうが良かったかい」

「場合によっては」

「私は君を買っているよ。スクイブであり亡命者。根っからのアウトローの君が魔法省の喉元に食い込んでいるのだから」

「アンブリッジ女史を喉元とは、買いかぶり過ぎでは?」

 僕の冗談にルシウス氏はふ、と嘲笑う。

「君の世渡りの才能を私たちのために活かしてほしい。それが、君が平穏に生きるために一番ベストな選択だと思うがね」

 要するにルシウス氏は僕を強請っている。いや取引を持ちかけている。

「それがホグワーツの教員とは…才能の活かしどころが見つかりませんが」

「それがあるのさ。…君の今まで持った部下は何人いる?」

「それは直属の?」

「いや、パートタイマーも含めて」

「さあ。どうでもいい人の名前を覚えるのはどうも苦手で」

「ざっと3桁を超える。3桁だよ?これは尋常じゃない」

「数を数えられないやつがいたのかもしれませんね」

 ルシウス氏は笑わなかった。

「いいかい…君の周りに転がる死体を公にするほうが、よっぽど公共の利益であると私は考えている。しかし我々は今まさに公共の敵なのだ。革命には時として君のように汚れた手が必要なのだ」

 本音が出た。ここまで本音が出たならばもう変に煽る必要もなく喋ってくれるだろう。だいたい僕に断るという選択肢がない以上あとはいかに好条件を獲得するかということのみに意識をさくべきだろう。

「まず言っておきましょう。僕の手は汚れてない。…さて、詳しい条件は?」

「この書類は、君にあげよう」

「それは当然です。もう一つ、僕は魔法がほとんど使えない。この点はどうするのです?」

「息子が協力する。例えば君が窮地でしてきたように影で魔法をかけたりね」

「お子さんはお幾つですか?無言呪文はそれなりに高度です」

「案ずるな。純血の子息だ」

 恐れ多いね。耳が痛いや。

「それで、ただ教師ごっこをさせたいからといって僕を送り込むわけではありませんよね」

「勿論だ。君にしてもらいたいのは…ハリー・ポッター。例の子供をどうにかして学校から逃し、神秘部へ連れて行くこと」

「…まったく脈絡がないように思えますが」

魔法使いの悪い癖、ではないのだろうがあまりにも飛躍していやしないだろうか?

「奇妙に思うだろうな。それも致し方ない。私のすること、君のすること、役割分担だ。君が我々の計画すべてを知ることはないし、我々は君の取る手段を知り得ない」

「……あなたはその無茶な仕事を僕に、未成年の魔法使いの手助けのみで任せたいと?」

「ああ。というのもダンブルドアと魔法省は今最も警戒心を強めている。別々の方向にね。我々はどちらにもつかない人間の手助けが必要なのだよ。君のような」

「…今一度確認しますが、僕は出来損ないですよ。貴方方の言う理想の純血社会から真っ先に排除される存在だ」

 純血一族から出たスクイブ。彼らの光り輝く謳い文句の濃い影。

「ああ。でもそれは君がこの書類を持ち帰ればなかったことになる。前と同じように」

「…成功した場合は?」

「成功した場合、すなわち我々の理想の実現に際してはー」

ルシウス氏は紅茶を飲み終え、音も立てずにカップを置いた。

「君をアンブリッジより無能で鈍感で偉い人間の部下にしよう」

「いいでしょう」

 

 僕はルシウスの手を握った。そしてかちゃんと陶器の美しい音を立て、最後の一滴まで紅茶を飲み干した。

 

 

 恐怖は幾度も訪れるが、どうせ死は一度きりだ。



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02.内通者の心得

 さて、連続殺人は資本主義が産む病理であり、社会主義国家の人間にその様な精神的欠落は起こり得ないというのは(祖国において)常識であった。平等で幸福で平和な国民がなぜそのような凶行に走るのか甚だ理解できない。そのような幻想はかの有名な同志アンドレイ・チカティロの地道な啓蒙活動により粉々に打ち砕かれた。

 僕は彼同様、社会に認められなかった人間だ。

 魔法社会、とりわけ純血家族においてマグルの嫁より認め難いのがスクイブだ。たとえ一匹悪い種がまじろうとも強く気高き純血の幹から悪い実が結ぶはずがないと盲信的に彼らは信じているが、残念ながら悪い種は悪い実を結ぶ。確か神の子もそう言ってなかったっけ?

 両親は優しかった。僕を魔法族扱いしてくれた。けれども魔法使いとしての出生届を出さなかったのもまた事実である。それを恨んだことは、ないといえば嘘になる。けれどもわかった頃には僕はもう大人になってたし、それなりに酸いも甘いも噛み分けてきたのでなんとか飲み込めたさ。

 

 9月1日を翌日に控えた夏の最後に僕はアンブリッジの部屋で引き継ぎ用の書類を整理していた。

「まさかあなたが抜擢されるとはね」

「貴方のおかげです。貴方がいなければマルフォイ氏のお目に止まることもなかったでしょうし」

 アンブリッジは低い背を高い柱にもたげて僕を睨んでいる。彼女はホグワーツに行きたかったのだろうか?とても学校大好き!というふうには見えないが。

「いいかしらウラジーミル。貴方は魔法省の役人としてホグワーツを監視し、管理するために派遣されるのです。くれぐれもお忘れなきよう」

「大臣の、そして貴方の望むように。わかっていますとも」

 アンブリッジは僕の言葉に特大の獲物を飲み込んだ蛙のような笑みを浮かべた。彼女は強欲で、殊更自分に有益なものに関しての嗅覚は尋常ならざる勘を発揮する。ホグワーツへの出向は彼女の嗅覚にかかったのだろう。いい匂いのするそれを僕に取られて少し不機嫌だったのだろうが、その果実を僕が彼女に分け与えると告げたとたん上機嫌。わかりやすくて好きだよ。

 アンブリッジは陰謀や血と暴力の匂いには鈍感でまるきり不感症なのだ。彼女は僕の香りがわからない。だからこそ、僕は彼女の下にいる。それも今日でしばらくおさらばだ。

 

「いいですか、大臣はホグワーツの生徒が杖を持ち備えることを危惧しておいでです」

「大臣の憂慮は重々承知しています」

 大臣はホグワーツを兵士養成所だと勘違いしていて、ダンブルドアのアジテーションをちびるほど怖がっている。だから僕は魔法省役人としてファッジの夜が少しでも快適になるようにあそこを快適な牢獄に(若しくは鳥籠に)なるよう管理しなければならない。

「選定教科書には目を通したかしら」

「もちろんです」

 教科書は著しく退屈な一冊で、これを一年かけて薄く伸ばして生徒たちに教えなければいけない。それは今まで与えられたどの仕事より退屈そうだった。ルシウス・マルフォイの要請とは別に形だけの教職までこなさなければいけないと思うと少しだけ憂鬱だ。

 だがほんの少しだけ楽しみな点もある。アンブリッジの不愉快なピンクのオフィスとしばらくは、うまく行けば永遠におさらばできるからだ。

 皿の中の白猫がにゃあと鳴いた。

 

 

……

 

 

 ホグワーツ、というか学校自体行ったことのない僕にとってホグワーツ急行は新鮮だった。

 今まで見たことのない大勢の子供がぎゃあぎゃあと姦しい。子供は好きでも嫌いでもない。けどうるさいのは嫌いだ。僕はとりあえず荷物を積んでコンパートメントを占領しさっき売店で買った本を広げた。

 なるべく僕に近寄るなよ、というオーラを発して。そのおかげか、(あるいは単に僕が老けてるから)生徒は空いてる僕のコンパートメントを見ても素通りしていった。中には不思議そうな目でこちらを見てくる生徒もいたが無視した。

 順調に本を読み進めているうちに列車は発進し景色はどんどん都会から田舎へ移り変わっていく。車窓を流れる風景が平原から沼地へ変わる頃、遠慮がちなノックの音が聞こえた。

 

「あの」

 

 僕はノックの主に微笑んだ。

「いいですか?この子のマウスが逃げてしまったらしくって」

 ノックの主は赤毛でのっぽの少年で、後ろにこぢんまりした小さな男の子がおどおどしながらこちらを覗っていた。

「ネズミかい?悪いがここでは見てないよ」

「そうですか…」

 赤毛は男の子を横目に見て眉をくんとあげた。男の子はしゅんとした顔をして立ち去ってしまう。

「もし見かけたら捕まえておいてくれませんか」

「ああもちろん」

 僕はそう言ってすぐ本にもどろうとするが赤毛は出ていこうとしない。何を言いたいんだいという意図をこめて僕は赤毛をもう一度見た。彼は促されるように口を開いた。

「もしかして、新しい先生?闇の魔術の防衛術の…」

「鋭いね。まだ内緒だよ。僕はプロップ。君は?」

 赤毛はそれを聞いてまた僕を頭からつま先までジロジロ見た。遠慮のない子だ。僕の態度を気に入ったらしく赤毛は答えた。

「ロナルド・ウィーズリー。グリフィンドールの監督生です」

「そうか。ウィーズリー、よろしく」

 あの獅子のエンブレムの寮の生徒か。やたら警戒心がなく軽薄な態度は監督生には見えないが、彼が誇らしげに張った胸のうえにはしっかりときらりと監督生のバッジが輝いていた。ウィーズリー、確か四人在籍していてそのうち一人がハリー・ポッターの友人だったはずだ。背格好から見るに彼だろうか。

「授業が楽しみだな、毎年先生が…」

 ウィーズリーが雑談を始めようとしたとき、後ろから新たに女子生徒がやってきた。

「もう。ロン、何サボってるの?」

「サボってなんかないよ。先生の前でサボれると思う?」

「先生?」

 訝しげな声がしたあと、栗色の髪の女の子がこちらに顔を覗かせた。

「あっやだ。…すみませんお邪魔して」

「気にしないで。ウィーズリーは下級生のネズミを探してやっていたんだ」

 僕の言葉にウィーズリーはほらな?という顔をして女の子を見た。女の子はじろっとウィーズリーを睨んだあと僕の前だと言うことを思い出して慌てて普段通りの顔を作ろうとする。仲が良くて羨ましいことだ。

「ハーマイオニー・グレンジャーです。ロンと同じグリフィンドールの監督生です」

「僕はウラジーミル・プロップだ。早くも仕事熱心な生徒にあえて嬉しいよ」

「ウラジーミル?ロシア出身ですか」

「ああ。尤も僕が生まれたときはソヴィエトだったけどね」

「じゃああちらの魔法学校から?」

 グレンジャーは随分ハキハキした子だ。どこか抜けてるウィーズリーといいコンビなんだろう。目つきに知性を感じる。こういうタイプとお近づきになりたくないと思ってしまうのは僕が脛に傷持つものだからだろうか。僕の上っ面を貫通しそうな洞察力。

「いいや。あっちにはホグワーツほどの規模の学校はないよ。学びたかったらダームストラングへ行く。僕はそうしなかった」

 ダームストラングと聞いてウィーズリーは渋い顔をした。三大魔法学校対抗試合でカマでも掘られたのか?

「そうなんですか。でもよかった!優しそうな人で」

 グレンジャーの認識はすぐ覆るだろうなと思いながら僕は曖昧に微笑む。残念ながら僕は悪い種を蒔きにきたのだから。

「君たちはなにか仕事の途中だったのかな?」

 僕の言葉にグレンジャーはハッとする。

「そうよロン!私達見回りの途中なのよ。早く引き継ぎしてハリーたちを探しましょう」

「あ、いっけね!でもさあ、次スリザリンだろ。マルフォイが捕まるかな」

 驚いた。ハリー・ポッターともドラコ・マルフォイとも知り合いらしい。まあ同じ学校で同じ学年なら不思議じゃないけど、僕にとっては新鮮だ。同い年の友達なんて生まれてこの方できたことが無い。

「そういうきまりなの。ほら、行きましょう。先生、お邪魔しました。またホグワーツで!」

「失礼します」

 二人は嵐のように通路を歩き去っていった。僕はやれやれとため息をついてから読みかけの本を開く。そしてつい昨日ルシウス氏の応接間で話した仕事の詳細をゆっくり思い出した。

 

 

 

……

 

 高い高い天井は富の象徴。硬い硬い床は傲りの象徴。なんて韻を踏んでみようとしても僕の些末な語彙力では滑稽なだけだ。しかしそんななけなしのいたずら心をくすぐる程マルフォイ邸は豪壮な屋敷だった。

 暗く沈んだ悩ましい色合いの壁にくっきりとしたパールホワイトの柱。メリハリのついたマホガニーの家具。部屋の主もトータルコーディネートの一環とばかりにやたらといい布地のローブを着ていて、あのごみごみした魔法省の建物で見るより遥かに余裕そうに僕に微笑んだ。

「仕事を受けてくれて嬉しいよ」

「書類を」

 ルシウス氏は例の分厚い封筒を渡した。僕は中身をチラと覗き、それをそのまま火の灯ってない暖炉に突っ込みマッチを取り出した。

「いいのかい?君の家族の写真が…」

「構いませんよ」

 僕はマッチを擦る。僕はこの音が好きだ。リンと松ヤニが擦れる音。焦げ付く匂いも大好きだ。封筒の端からメラメラとオレンジの炎が封筒を焦がしていく。

「さて。部屋が暑くならないうちに話を終わらせましょうか」

「…そうだな」

 ルシウスは僕がマッチをしまってからようやく話し始めた。

 

「さて、闇の帝王がようやくお戻りになられたわけだが魔法省はそれを認めようとしない。現状我々にとって好ましい展開だ」

「不思議ですねえ」

「それも私の努力の賜物なのだよ」

 その言い方からして察しはつく。何故ファッジが頑なにヴォルデモート卿の復活を否定するか。それは彼がダンブルドアが自分を陥れようとしているという妄想から抜け出せずにいるからだ。

「彼は二年前のシリウス・ブラックの二度に渡る逃走からダンブルドアへの疑念をつのらせていた。その不安に私はうまくつけ込んだわけだ」

「毒を吹き込み続けたと」

「その通り。でなくても彼は元々ダンブルドアに劣等感を抱いていてね。そもそも今の職もダンブルドアが辞退したからありつけたおこぼれだ」

「彼は大変気の毒ですね。よりにもよってこの時期に大臣になんてなってしまうなんてついてない」

「運も実力のうちだ。…君はアンブリッジからファッジの意向を聞いているね?」

「ええ。学ばせず、振らせず」

「我々にもそのほうが好都合だ。君は学内を統制する必要がある。君の祖国のお家芸だろう」

「僕は祖国を誇っていませんよ。確かに故郷は指導者の名を冠していますがね。魔法使いにとってマグルの政治機構など流行りの歌手よりどうでもいいことです」

 ルシウス氏は僕の言葉に笑う。どういう意味の笑みだろうか。

「そうだったね、すまない。だがしかし、実際問題計画上それは不可避なのだ。我々はハリー・ポッターを孤立させてほしい」

「ハリー・ポッターを孤立させる?」

「孤立でなくてもいい。とにかく、彼をなるべく冷静でなくさせてほしい。そうすれば我々の仕事がうまく運ぶ」

「…貴方がたの仕事については聞きませんよ。わかりました」

「えらく物分りがいいようだが理解しているのか?」

「どうせ貴方はいずれ僕に細かい指示をだす。貴方がたのやりたいことは長期的なものなのでしょう。ならば僕がまず邁進すべきはハリー・ポッターの籠絡と学内統制です。僕は目の前に見えるものから片付けていくのが得意ですから」

「ふ、君に声をかけてよかったよ。詮索好きは嫌いだから」

「僕もです」

 封筒は燃え尽きた。炎に舐められた僕の罪状は跡形もなく天へ召された。もしルシウス氏を殺せばまた何事もなく無垢な羊のふりをして生きていけるのならばどんなにいいか。しかし毒を食らわば皿まで。毒はまだまだ僕の喉に引っかかり、とても皿まで食い終えられない。

「お互い相手の領分には踏み込まないまま仕事を終えられるように祈っています」

「私もだよ。プロップ君…」

 ルシウス氏はそう言って僕に金貨の詰まった袋を渡した。

「これは?」

「前金だよ」

「お金まで頂けるとはね。受けてよかったですよ本当に」

「君のイカサマにはそれが必要だろう」

「ええ。金こそ最大の魔法かもしれませんね」

 目も眩むし夢は叶うし。こういった価値観は今マグルの間でも魔法使いの間でも廃れつつある。金があっても解決しないサバサバとした血の通わない問題が多すぎるからだ。まあ、僕の場合人生すべてがうまく噛み合ってないせいもあって金という潤滑油は必需品だ。僕はそれをありがたく受け取り懐にしまった。

 

 



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03.新参者は語らない

 もし僕が完璧な魔法使いで、杖を振れば当たり前のように水が満ち火が灯り風が吹いたとしたら、僕はあの古いだけの隙間風だらけの狭い世間で居心地のいい人生を歩めたのだろうか。僕は時折そういう空想に耽る。歩めたとしたら幸せだったのだろうか?なんにせよもし、ならばという言葉ほど虚しいものはない。とりわけ年老いたものにとっては。足りない事こそ僕なのだから。

 

 キツネノテブクロとよばれる花がある。その花はよく手や指に例えられているが、その手は魔女や悪人の手だ。毒々しい模様が花弁の内側にあって嫌でもあばたを連想するから僕は嫌いだった。実際キツネノテブクロには見た目にふさわしい毒性が備わっている。しかし、母はその花を愛していた。

 キツネノテブクロ、英名ジギタリス。イギリスではジギタリスを使った強心剤の論文が掲載されていたし、ひょっとしたらイギリス人のほうがこの花に馴染みがあるかもしれない。かの有名なルイス・キャロルは不思議の国のアリスにおいてジギタリスの花を挿絵に描いた。彼もまたこの花の愛好者だった。彼がただ見て楽しむためにその花を世話していたのか、実用していたのかは藪の中だが。

 魔法を使えない僕だけれども魔法薬は煎じることができた。家の些末な庭にはたくさんの薬草が植えられていて、母は体の弱い妹のためにせっせと水をやっていた。その中にジギタリスもあった。魔法薬を煎じる際、多くは異臭を放つ蒸気をあげる。その煙に燻され続けたせいか母からはいつも変な匂いがした。だから僕はあの青臭く湿った、煮凝りのような匂いを嗅ぐたびに嫌でも母を思い出す。

 

 魔法薬学教授のセブルス・スネイプと会った際に真っ先に思い浮かべたのが力なく床に伏す母だった。

 

「なにか」

「いえ」

 彼もまた母同様ひどい憂鬱病を抱えているようだった。髪は他の色を混ぜたように冴えない黒で、土気色の顔とよく合っている。鷲鼻は萎れた花弁のようでその下にある唇は言葉を発するとき以外はきゅっと固く結ばれている。彼は私より5つか6つ年上のはずだが、死体よりも沈んだ表情のせいでずっと老けて見える。

「ここが研究室で、その扉の向こうが個室」

 彼は僕に城を案内してくれている。一年ごとに主の変わる闇の魔術に対する防衛術の教室は年月を経るごとに増えていく埃や匂いがなかった。がらんどうの部屋。壁のやけ方を見るについこの間までさまざまな表や絵が張りっぱなしになっていたようだが、前任者の不祥事(と言って適切か)により全て押収されたのだろう。とても古いはずの部屋なのに相応しい雰囲気はなかった。

「教室も含めて基本的に好きに装飾していいが、我輩はあまりおすすめしない」

 彼は皮肉混じりにいった。僕は皮肉が通じないふりをしてやあいい壁だ床だ机だと言わんばかりに部屋を見回した。もとより飾るつもりはない。

 彼は少しやきもきしているようだった。確かにもう職員はテーブルについている時間だった。

「ありがとう。ではもう行きましょうか」

 僕はこの人とうまくやっていける気がしない。ルシウス氏はスネイプをよく言っていたが、彼のどこに好かれる要素があるのかわからなかった。多分干物とかと同じでじっくり付き合えば良さがわかるタイプの人なのかもしれないが、僕にその時間があるかどうか。

 

 ホグワーツは雄大な自然に囲まれた城だった。僕が思う学校というイメージとはずいぶん違う。まるでここが一つの独立した世界であるかのように浮き世離れしていたし、実際マグルたちのいる世界とは切り離されているのだろう。柱一つからして歴史を感じる。壁にかかる絵も燭台もなにもかもが降り積もり年月に覆われている。

 教員テーブルにつくと大広間が一望できる。たくさんの目が新参者の僕に向けられているのがわかった。ヒッチコックのワンシーンのように群衆が僕を見つめ値踏みする。きっと僕はつまらない男に見えるだろう。平凡でどこかの受付にシフト制で座ってそうな男に見えるはずだ。

 組分けの儀式がはじまる。はじめは変わった風習だと感心していたが生徒の名前がLになるころには飽きてしまった。僕は根本的に他人への関心がかけているといつも兄が説教をしていたなと思い出し、アイルランドの荒涼とした草原で風に散った兄と、未だそこに原生していると言われる世界最小のドラゴンについて思いを馳せた。

 

「さて、それでは晩餐じゃ」

 

 と、校長が言うと空っぽの食器に食べ物が溢れる。これらの魔法は主として屋敷しもべ妖精に一任されており、彼らはこの大広間からわずか10メートル離れた厨で畜生のようにせっせと働いているはずだ。自分たちの吐いた息がすぐまた肺に戻ってくるほど混み合った厨房で、自分たちが口にすることのない料理を作る。

 奴隷の幸せについて考えてみたことがある。それは慎ましやかな肉体の喜び。甘受すべき労働の味わいは一度自由の味を知ってからでは味わえぬ。人は何かを得ることで何かを失う。しもべ妖精たちはまだ生涯何かを得ることはないだろうが、まだ何も失っていない。僕はたまに、彼らを羨ましく思う。

「どうです、美味いでしょう?ホグワーツにある畑からとっているの」

 僕の横に座るポモーナ・スプラウトが如何にもお人好しそうな笑みを浮かべ僕に話しかけた。

「ええ。とても新鮮でおいしいです」

「採れたてなの。これから毎日食べられるよ」

「健康になってしまいますね」

「ああ、おかげで私は健康になりすぎた」

 スプラウトは自分のやや肥満気味の頬を撫でて笑った。彼女はハッフルパフの寮監で、人懐っこい穴熊という感じだ。薬草学の教授をしているという彼女はかすかに土の匂いがする。この野菜も彼女が育てているのだろう。

 僕の左隣にはスネイプが座っていて、旨い料理を不味そうに食べる才能を発揮していた。

「それにしてもこんなに若い先生が来るとはね。セブルスより若いのは久々だ。ねえセブルス?あっと、ルーピン先生がいたか。やっと後輩ができて嬉しいね」

 スプラウトはスネイプの機嫌をあまり気にしてないらしく普通に話しかけている。

「後輩といえども甘くするつもりはありません。私が今までそうだったように」

「おや、私は優しかったろう?ミネルバはどうか知らないけどね」

「聞こえてますよポモーナ」

 スプラウトの横に座っていたミネルバ・マクゴナガルがマナーの悪い子どもをたしなめるような口調で囁いた。スプラウトはいたずらっぽく笑い皿の上に残されたぶどうをぱくっと食べた。寮別で様々なことを競わせているようだったが寮監同士の仲は良さそうだ。

「どうかお手柔らかに」

 とはいってみるが僕はあいにく魔法省の手先としてきているわけで、彼らもそれをわかっているはずだった。

 

 さて、これ以上冗長な会話を追想したところで得るものは何もないだろう。ここで重要なのは僕はほとんど警戒されていないということだ。生徒から見ればおっさんだが彼らから見れば僕は若造だ。

 

「さて、本年度も新しい先生を迎えることとなった。本年度の闇の魔術に対する防衛術はウラジーミル・プロップ先生」

 

 生徒たちから拍手が上がった。多くの人がここで一発噛ますことを期待しているだろうが僕はそんなことしない。僕の仕事は真綿で首を絞めるのと同じ。気道が次第に狭くなり、息苦しさは呼吸困難へ。居心地のいい緩やかな窒息。人間が窒息で死ぬのは脳に酸素がいかなくなるからだ。僕はみんなの脳を腐らせることに腐心しなければいけない。

 

 僕は礼をして、軽く微笑み生徒たちを見回した。「つまらないやつが来たぞ」と言う声が聞こえた気がした。悪かったね。

 

「てっきり」

 

 と、最初に話しかけてきた生徒はプラチナブロンドのデコっぱちだった。

 

「てっきり、もっと恐ろしい人が来るのかと思っていた」

 就任してすぐ彼は僕の研究室を訪ねた。このホグワーツ城でただ一人僕の無能を知るのがこの父親そっくりの生意気な子どもだと思うと、僕は無性に柔らかいものを手のひらで握り潰したくなる。

「僕は無害な役人ですよ。ドラコ坊っちゃん」

「その呼び方はやめてくれ」

 彼はホテルよりも殺風景な研究室を物珍しげに眺めた。

「父上から聞いている。あんたを全力でサポートしろって。……魔法が使えないって本当なのか?」

「使えますよ。ほんの少し。例えば羽を浮かすくらいなら」

「ハッ…聞いて呆れる!そんなので教職が務まるのか?僕は毎時間あんたの授業を受けるわけじゃない」

「勿論ここぞという時にしか使うつもりはありません。そうですね、合図を決めましょうか」

 ドラコは父親から僕のことをなんて伝えられたんだろうか?不遜な物言いは純血のおぼっちゃまらしいと言えばらしい。しかし、彼の態度から一辺の恐怖や怯えは見られないし、かといってなにか誇りや信念があるようにも思えない。彼は父親が死喰い人として僕に仕事を頼んだとは知らないようだった。

 さすがのルシウス氏も息子に「私は悪巧みをしています」とは言えないのだろうか。まあいい。魔法省から来たつまらない役人というのもまた事実だ。僕はみんなの良き脇役であり続けたくて今回わざわざこんな面倒を背負い込んだのだから。

「僕がこうして両手を祈るように組み合わせたら」

 僕は彼に見えやすいように両手のひらを顔の前で合わせ、指と指を絡めた。

「僕は君に希っている訳です」

「露骨にわかりやすい」

「それくらいのほうが誤解がない」

「間違って神に祈るなよ。あんたのローブの端が燃えてしまうかも」

 ドラコはさて面倒ごとを済ませたぞという顔をして寮へ帰っていった。僕は自室のベッドに寝っ転がり、ホグワーツ急行で読みかけだった本を読んだ。授業は明日から。まずは一年生なので気が楽だった。

 寝る前、今日眺めたたくさんの顔の中のどれがハリー・ポッターなのかを思い出そうとした。ウンウン唸ってそれが無駄だとわかるまでの五分間で僕はすっかり睡魔に取り憑かれていた。

 

 ハリー・ポッターについて、僕はもう一度きちんと考えるべきだろう。彼もまた死の縁に引きずり込まれずに生き残ったサバイバーだからだ。僕と彼、どちらが悲惨かといえば彼なのだろう。彼は物語の主役になってしまった。ヴォルデモート卿という物語のピリオドへ、そして始まりの一文「闇の帝王は復活したのだ、と彼は言う」。ああ、ちなみにヴォルデモート卿復活についてノーコメントというのは変わらない。僕は指示待ち人間だから。

 ハリー・ポッターの孤立を煽る理由は簡単。正常な判断をさせないため。ハリー・ポッターを罠にはめたいルシウス氏の下拵え…僕はこのたぐいの仕事に慣れている。ルシウス氏が僕に仕事を頼んだのはおそらく慣れだけが理由じゃないはずだ。

 彼は僕の経歴を調べ上げた。僕の以前の職場も、出先も、そこで消えた人々のことも。

 僕の前職は(今回教師になったから前々職か)魔法運輸部の移動キー管理者の助手だ。移動キーは作るのは簡単だが管理するのは容易ではない。行方不明になった数々のガラクタに扮した危険なキーがマグルの幼児の口に入りどこかとんでもない絶海の孤島やら樹海の洞窟やらに飛ばされた日には目も当てられない騒ぎになる。魔法事故巻き戻し部の連中はいつもイライラしているので頭を下げるまえに罵声を飛ばす。

 この仕事のいいところははっきり言ってない。何もない。喜び勇んでやるのは僕くらいだろう。行方不明の移動キーを探すためにイギリス国内を西へ東へ南へ北へ。移動、回収その繰り返し。それを一年中やり続けるのは拷問に等しいと前任者は語っていた。

 だがその移動の多さゆえに勤怠の管理は厳密でなく、僕は好きな時間に起きて列車に乗りゆっくり本を読むことができたし、誰にも行き先を知られないまま仕事という名目で名前もない森の中へ用事を済ますことができた。

 それと比べると教職員という職のなんと退屈なことか!

 まあいい。自分の仕事をやるまでさ。

 



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04.嘘つきの技巧

「さあ机の上に出した杖をしまって。教科書と筆記具を」

 僕の定規で測ったような単調な声がなんの装飾もない教室に響く。教室内に階段のある高めの天井と天窓まで届いて反射するようにやや遠目に向けて発声するのがコツ。フランクスに頼まれて受付を変わってやった時に知った。人々は自分に向けて発せられた声よりもまず一番大きく通る声を聴く。僕の声に釣られて手製のキャンドルの煙が渦を巻く。

「皆さんには毎回授業終了時刻15分前に小レポートを書いてもらいます。これらは毎授業回収され成績評価に直結します。質問などは次の授業の冒頭15分を使い答えます」

 僕が教卓から天井に向かって発する声を生徒たちはやや困惑気味に聞いている。今日はレイブンクローとスリザリンの5年生向けの授業だ。ちなみにどの学年でも同じことをやってるので大した苦労はない。そして用意してきた文言を言い終えた僕が懐中時計を見てから黙り込むと、生徒の一人が手を挙げた。

「あの…」

「発言する際は名前を」

「あ、はい。ええっと…パドマ・パチルです。残りの授業時間は何をするんでしょうか」

「教科書を読んでください」

「どこからどこまで?」

「君の読みたいところまで」

 僕の言葉に生徒たちがざわめく。

「小レポートは何を書けばいいんですか?」

 別の生徒が手を挙げながら発言した。スポーツ刈りのレイブンクローの男子だ。

「名前は?」

「マイケル・コナー」

「コナー。それも君の好きにしたまえ」

「そんな。自習と変わらないじゃないですか」

 コナーの発言にレイブンクロー生とスリザリンの生徒の何人かがウンウンと頷いた。そんなに勉強が好きだったことがあるのか?

「自習と変わらない。そうかもしれない。けれども君達が普段からしている自習と違うのはフィードバックがあるということ。この時間を活かすも殺すも君達の姿勢次第だ」

「じゃあこの時間に天文学の課題をやってあんたに提出してもいいのか?」

 威勢のいいスリザリンの生徒が突っかかってきた。

「発言する際は挙手と、それから名前を」

「ブレーズ・ザビニ」

「ザビニ。いい質問だ。その通り。提出されたら評価しよう。君たちの中で芸術家になりたいやつがいたら絵を描いて出したっていい。僕はきちんと評価するよ。僕はクソにはクソッタレと言う事ができるからね」

 僕のジョークにレイブンクローの一部が笑うが直ぐに消える。もっと笑っても僕は怒りはしないけど、彼らは今僕の事を推し量っているのだろう。

「ただし天文学や魔法史のレポートを出すことはオススメしない。次の授業まで課題は返ってこないからね。おすすめなのはこの教科書のどこからどこまでを読んだか。またそれについて自分なりに整理すること…つまりノートを取ることだね。これが一番わかりやすく得点が稼げる」

「はい」

「どうぞ」

「セオドール・ノットです。評価基準は?」

「ふくろう試験で問われる文章力や構成力に準拠する。…絵や詩となると話は違ってくるが。あとは題材、論点…色々ある。はじめは要領がつかめないだろうから三回までは成績評価に加味しない。どういった内容が良いかどうか君たちで掴んでくれ」

 ちなみに僕はおそらくはじめの三回分しか目にしない。とりわけ問題のある生徒以外の善良な子どもたちを選り分けるためのリトマス試験紙。残りは下請けへ回すことになる。僕は他人の文をよむのは嫌いだし。根本的に他人に興味がないせいかな。だから人を好きになった事もない。

「ダフネ・グリーングラスです。あの…あまりにも自由すぎませんか?」

「自由は嫌い?」

「そういう訳ではないんですけど。私達、ふくろう試験を控えてるんです。この授業方法でふくろう試験をパスできるとは思えません」

「できますよ。この」

 僕は机の上に置かれた薄っぺらな教科書に指を突き立てる。

「教科書を完全に理解すれば。不安はもっともだがね、これは魔法省の専門家が定めた選定教科書です。ふくろう試験も視野に入れて製作されています」

 僕は学校にも行ってないしましてや試験も受けたことないし、更に言うならば教育関係の部署も闇祓い関係の部署にも行ったことないのでこの教科書に果たして本当に彼らの学力を伸ばすかどうかわからない。僕は習うより慣れろ派なのだが、まあ魔法に関して言えば習うことしかできない。この教科書は…習うという点に関しては悪くはない。机の上で読むのにはうってつけだった。

「逆に言えば、この時間君たちは別の不安教科の内職をしても構わない。僕は課題を評価し成績をつけていくだけ」

 生徒たちは顔を見合わせてなんとも複雑な顔をした。僕がどんな教師か掴みかねているんだろうが、一つだけわかったらしい。こいつは生徒に無関心らしいと。全員が教科書を開き黙って自習を始めたので、僕は懐中時計を教壇に立てかけ、読みかけの本を開いた。

 

 スリザリン、レイブンクローは物分りがいい生徒が多いようだった。ほとんどの生徒が真面目に教科書の内容をまとめて小レポートにし提出した。数名は違う教科の勉強をしていたようだが僕は何も言わない。彼らの多くは保守的で堅実な道を選ぶようなので変に楯突くよりも与えられた時間を自分のために有意義に使おうと決めたらしい。

 一方でハッフルパフ、グリフィンドールの生徒は羊皮紙に疑問や怒りをぶつけているものが多数だった。多くの生徒が自由時間より実践的な技術を学びたいと思っているらしい。素晴らしい向上心だがクマが空を飛べないように僕に魔法は教えられない。

 寮ごとに気風がだいぶ違うと聞いてはいたがこうも違いが出るとなんだか僕がからかわれているみたいだった。特に寮ごとの色が出たのは5年生のグリフィンドール、ハッフルパフの合同授業だった。

 

「杖をしまって、教科書と筆記用具を」

 お決まりの文言。もう10回は言ったのでいい加減になりつつある。

「杖をしまうんですか?使わないの?」

「発言する際は挙手と名前を…って、君かウィーズリー」

 ウィーズリーは一応挙手してから発言し直した。

「この授業では杖を使わないんですか?」

「ああ。君の疑問ももっともだね」

 僕は再度僕を不安げに見上げる生徒たちへ向き直る。青や茶色の目、目、目。その中でひときわ疑念で淀んだ緑の目の持ち主がハリー・ポッターだった。

 ハリー・ポッターは僕が思っていたより小さかった。他の生徒たちと比べて突出するところは一つもなく、平凡の枠内に収まる見かけで、変わったところといえばやたら古めかしい丸眼鏡とその上にくっついた稲妻型の傷跡くらいだ。彼はどうやら腹に何かを溜め込んでいるらしく、吐き出したくてしょうがないといった顔で手を挙げた。

「納得行きません。杖を振らずして何が防衛術ですか」

「…君のことは流石に知っているよ。ハリー・ポッター。生き残った男の子」

 彼は僕をにらみつけている。僕はただの一言も自分が魔法省の手先であるとかルシウス・マルフォイに通じているとか、自分のバックグラウンドを話していない。けれどもこの薄っぺらく字の大きな教科書の奥付にある『魔法省大臣推薦』という文字を読めばすぐに察しがつくだろう。しまいに杖をしまえといえばもう決まったようなものだ。

「杖を振らないと不安?」

「不安というよりも不十分です」

「何が不十分?」

「闇の魔術に対する防衛術ですよ?奴らに対してですよ。当たり前じゃないですか!」

 その言葉に周囲がどよめく。ところで教卓から見る教室というのはおそらく生徒たちが思ってる以上に丸見えだ。生徒たち一人ひとりが僕に向けてるはずのない小さな声や表情の変化もわかる。

 そうやって全体を見回すとハリー・ポッターの言っているヴォルデモート復活論を本気で信じているのは数名に満たない。半信半疑の生徒はグリフィンドールが半分。ハッフルパフはせいぜい3割…いや、それ以下といったところか。ひと夏の大バッシングキャンペーンの成果としては上々なのかもしれない。全員が事の重大さについて腑に落とす前になんとか嘘で満たすことができた。人の悪口ほどうまい蜜はない。ましてや闇の帝王復活なんて苦い毒と比べたら安価な甘い蜜の方を何度も味わいたくなるだろう。

「なるほどポッター。じゃあ想像してくれ」

「は?」

「この教室で授業を受けてると、どんどん息苦しくなっていく。気のせいかな?と先延ばしにしているうちにどんどん頭も働かなくなっていく。吐き気もしてきてめまいで何も考えられなくなる」

 僕の唐突なたとえ話にポッターのみならず多くの生徒がきょとんとして顔を見合わせる。

「…どういうことですか」

「どういう事だと思う?」

「わけがわかりません。息苦しくなってるって言うなら…あぶく玉呪文でも使って空気を確保します」

「なるほど。いいアイディアだね。しかしここではあぶく玉をつくっていても苦しいんだ。なぜだと思う?」

「…わかりません」

「なぜならこの教室で煙っているキャンドル。これにキョウチクトウが混じっている」

 僕はあるはずもない毒々しい色合いの花を指し示す。その花はフリルのようなピンクの花弁が可愛らしく、いくつも寄り集まっているとパニエのようにふわふわとふくらむ。もしもアンブリッジが本物の猫を持っていたとしたら間違いなくオフィスに飾ってやるのに。

「キョウチクトウは毒性があり、煙を吸い込んだだけでも目眩や嘔吐を引き起こす。君は空気がないから苦しいんじゃないんだ。この植物の毒にやられて気道が腫れ、心臓が普段の倍以上に働くから。君の気道を通り肺に届いたその毒は呪文なんかじゃ消しされない。…安心して、いま現実にここにあるのはただのキャンドル。いい香りだろう」

 僕はハリー・ポッターの瞳をまっすぐ見た。アーモンド型の緑の目、曇り気味のメガネ、稲妻型の傷跡。彼の目は僕の言葉に揺れている。

「君たちの前任者の記録を見ました。ここ最近は…ロックハートの授業を除き…実践的な内容が多かったようだ。しかし君たちは果たして実践だけで空気中に色も気配もなく立ち込める毒に気づき、それを防げるだろうか」

 僕はハリー・ポッターから視線を切って全員を見渡す。僕が全能の魔法使いに見えるようにゆったりとした口調で重たく沈んだ声で言う。

「僕は君たちに物事の中身について少しでも考えてほしい。この薄い教科書から君たちが何を見つけるか、組み上げるかを見てみたい」

 

 僕は嘘をついている。耳触りのいい嘘が磨きたての床のように冷たく鼓膜を震わせて皆の思考を麻痺させようとしている。騙されるな若人よ。よく語る人間ほど嘘をついている。

 

「…さて、それじゃあ教科書を開いて」

 僕はハリー・ポッターを無視して有無を言わせぬ口調で懐中時計を見た。僕の締めより先に言葉は要らない。

 

「授業を始めましょう」

 

 

 

 当然、僕もこれでハリー・ポッターが納得したなんて思ってない。彼の授業後の不信感の募った顔を見ればわかるし、羊皮紙は白紙だった。怒りを半時間溜め込んだせいか彼の顔は赤かった。僕は9歳で死んだ妹とか煮だった鍋に放りこまれたシュリンプだとかを思い出した。最近遠き日の良き思い出を何度と何度も回想してしまう。子どもばかり毎日見ているせいだろうか?僕にもまだ望郷の念というものを捨てきれない人間味が残されていたことを嬉しく思う。

 人間が窒息により死に至るように、魔法使いもつまらない理由でよく死ぬ。イギリス全土にいる魔法使いの数はおよそ3,000人と言われている。ここは恐ろしい村社会だ。(ちなみにソヴィエトは当局が把握できる限り200名。すべて純血の家系の人物であり、僕ら家族は傍系ゆえに含まれていない)

 しかしこの数は全くデタラメと言わざるを得ない。ホグワーツ魔法魔術学校に在籍し魔法使いとしてのエリート教育を受けれる連中以外にも魔法を学び身に着けたものは存在する。そしてそういう入学許可証を受け取れず側溝の端を惨めにかける鼠のような魔法使い生を歩まなければいけない者はカウントされない。何人いようとゼロだ。

 そういった奴らはだいたいせこい悪党稼業やマグル相手の詐欺などで魔法省に御用となるわけだ。イエローカードをしこたま貰った崖っぷちたちを上手く使うのもまた僕の仕事だった。そしてうまく葬るのも。

 闇から闇へ。前々々々職である国際魔法協力部ではクラウチによる圧政のもとせせこましく外国籍の不法入国魔法使いのコネづくりをしたものだ。ロシア語話せてよかった〜。と一人きりの部屋でボルシチをすする毎日が懐かしい。国際魔法協力部にいたときに日陰者たちに日銭をばらまいていたおかげで魔法事故惨事部でも魔法運輸部でも僕は魔法を使わず楽に過ごせた。

 クラウチには感謝の念しかない。そうだ。息子を骨粉に変えられた彼に冥福を祈ろう。アーメン。あなたの死にやすらぎを。

 

「禁じられた呪文で死ぬ人間というのは死亡者リスト全体から見ると稀なんだ」

 

 僕は授業で出された小レポートの質問に答える。

 

「殆どの魔法使い…善良な市民はよくわからない魔法、薬、道具による事故死により命を落としている。僕から言わせりゃ闇の魔術よりもマグルのシステムキッチンの使い方をマスターしたほうがいい」

 

 マグルの技術の進歩は、オートマチック化は、産業化は、大量生産化は、僕たちが美しい花の煙でじわじわと首を絞められていくように生活を包み込んでいる。その流れはおそらく止められない。魔法使いはテクノロジーにより窒息寸前。

 

「君たちは、杖を振るだけの強引な戦いよりもどうすればそれを避けられるか?対面したときにどのように適切な対処法を見出すか?そういった事を鍛えるべきだろうね」

 

 魔法使いがマグルに殺される事も、実はよくある。例えば治安の悪い街で、就職が決まって気分良くなった若い魔法使いが杖を握る手もそぞろな状態で脇にいた屈強なスキンヘッドの肩にぶつかるとする。

 オブリビエイト、またはエクスペリアームズをする前に、君の脇腹にはスキンヘッドの彼が持っていた刃渡り12センチの折りたたみナイフが突き刺さり、慌てて杖を抜こうとするときには杖腕の薬指はへし折られている。または単に銃で撃たれて内臓を油で汚れた床にぶちまけるかだ。

 そういう事故は後を絶たない。魔法使いの意識の差。つまり杖を振ればだいたい解決という安直さは彼ら自身が杖を握り危険を自覚してからでなければ強みにならない。

 危険でなさそうな場所で不意に訪れる暴力。誰かが悪意を持ってその油断につけ込んだ場合に魔法使いはあっさり死ぬ。僕はそれを体験している。お墨付きだよ。

 

 ハリー・ポッター。君の死因もそうであるといいね。いや、何僕は君を殺そうってわけではないのだけれども。魔法使い全てに、僕より優れたすべての人間が暴力なんかと無縁で善良な神の子羊でありますように。

 僕を宣教師だと思ってるような生徒たちの前で、僕はこれから一年間空っぽの宣託を与え続けなければならない。

 

 全く、ルシウス。頼むから早く指示をくれ。

 



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05.役人の仕事

 役人のやることって言うのはだいたいお偉いさんの尻拭いか右を左と言い張る馬鹿のシッターだとBはいった。

「この世には…二種類の人間がいる。クソッタレか、小便ったれだ」

「君はどっちだ?」

「俺は俺さ。俺はこの世で唯一正気を保ってる。だからいかれちまったのさ」

 男は勤務明けの深夜2時のパブでもう5杯は飲んでいる。顔は真っ赤で呂律も回ってない。彼は魔法運輸部の後輩で僕の仕事を引き継いだやつだ。彼の名前はうろ覚えだが、彼との会話についてはよく覚えている。彼と話していると1分に一回はクソ上司、あばずれ、ビッチという汚い言葉を聞けたからだ。分速1暴言の男はベイトリールだったかブラウンだったかそんな名前だった気がしたが…まあいい。僕は彼をBと呼んでいた。

「ヴォーヴァ!こんな仕事とっとと辞めたいよ。お前はよくアンブリッジに拾ってもらえたな」

「僕の顔はご婦人受けがいいのさ」

 本当は彼女との出会いはとてもドラマチックで複雑でそれだけで一本映画ができるくらいのものなのだが、それを語るということはすなわち僕が魔法の使えないゴミクズであると自白することと同義だ。だから言えない。

「君の舌は乾くことがなさそうだ」

「そうかな?そうかも…」

 Bはものすごく上機嫌になり多弁になり、そして最後にはすやすやと眠った。彼は賢くもなければ魔力も平凡だが、一ついいところがある。僕の前で寝こける事ができるくらい素直で鈍感なところだ。

 彼はクィディッチワールドカップの為に急造された数多の移動キーを回収し破棄する仕事に従事してヘトヘトだ。お祭り騒ぎの後始末、つまりケツをふいてる真っ最中なせいで荒れていた。傍からみてる僕でもひく程の仕事量だ。彼くらい体力があっても移動に耐えられないらしい。姿あらわしは割と疲れるらしいので煙突ネットワークやマグルのタクシーというローテクを併用してイギリス中を飛び回っている。僕はできないからよくわからないが、少なくとも凡庸な魔法使いにとって姿あらわしは連続してやりたいものではないらしい。

「あの糞共に思い知らせてやりたいぜ。俺たちがいなかったらあいつら、まともに生きてけないくせに…」

 

 エントロピーいうものがある。簡単に言えば僕らの机は片付けなけりゃどんどん汚れていくということだ。それと同じで増えすぎて放置される魔法道具の数々はどんどん世界を猥雑にしていく。

 外遊びが好きな子どもがひょいと持ち上げたコインがスウェーデンの湖畔に繋がってたら?ごみ拾いに来た心優しい老人がゴミ片手にいつの間にかモンゴル平原に移動していたら?そういった事故はやがて蝶の羽ばたきが嵐に変わるように我々の世界に到達する。カオス理論。世界はカオスに落とされる寸前だ。廃品回収者に等しい僕らは世界を守る神の見えざる手。

「キリストもはじめは異端者だった」

 アルコールが作る深くてチープな眠りに落ちてしまったBに僕は慰めの言葉をかけた。彼はキリストになることも異端者になることも無かった。なぜなら、彼は後に三大魔法学校対抗試合において不法に作られた移動キーの解析中不慮の事故で亡くなったからだ。

 その一月後、このパブで食べた湿気たカシューナッツが彼の最後の晩餐だった。

 

 

……

 

「さて。前回寄せられた質問…教科書45ページで述べられているガンプの元素変容について…」

 闇の魔術に対する防衛術を3回こなす頃には生徒のより分けが終わった。真面目に自習をする生徒、時間を有意義に使う生徒、そして反抗的な生徒の三種類。割合は3:6:1といったところか。1年生、2年生へは要望があったので質疑応答の時間を多くとり、教科書の内容を噛み砕いてやることに重きをおいた。ふくろう試験を終えた上級生は殆どいもり試験に向けての自習をしている。5年生も大半はふくろう試験対策のためせっせと羊皮紙に論文作成の練習をし、下請けがよこした赤ペンをもとにペーパーの上でしか役に立たない機転を利かせている。

 厄介なのは反抗的な一部の生徒だけだ。特にハリー・ポッターはヤマアラシのように刺々しくささくれの様に挙手し続けた。

「プロップ先生、先生はついこの間僕が何を言ったかお忘れですか?」

「よく知っている。…ポッター、君とダンブルドアの名誉がああいうふうに貶められているのは残念でならない」

 僕は彼のあまりのしつこさに折れて彼と一対一で話すことにした。彼の熱量は冷めきった冬の大地から来た僕を溶かすほどだった、とうまいことを言ってみても披露する相手がいない。友達がいないというのは悲しい物だ。

 

 ポッターは僕の例え話のせいでがらんどうの部屋をやや警戒気味に眺め、出した紅茶にも口をつけなかった。失礼なやつだ。

「先生はどう考えてるんですか」

「僕がどう考えているかをしってどうするんだい」

「僕は…僕はあなたの授業方法に納得がいかない。教科書といい、杖をとらせないことといい、魔法省の意図が介入しているとしか思えない」

「鋭いね。でもそれはグレンジャーの意見だろう?」

 グレンジャーは初回の授業で似たようなことを羊皮紙に書いて提出した。僕は授業でいったことと同じ文を送った。それ以来彼女は真面目な三割の生徒になった。おそらく何を言ってもあまり意味がないと悟ったのだろう。彼女のレポートは常に満点だった。

「君が僕に正直さを望むなら、君も僕に正直であるべきだと思わないか」

 ポッターはやや逡巡した。彼はなにかに迷ったとき左下の方へ視線をそらす癖があるようだった。彼は既に決意した行動をするかしないか悩むタイプのようだ。つまり頑固もの。

「じゃあ、正直に言います。先生は魔法省から来た役人だ。そうでしょう?」

「正確には公設秘書だ。いや、だった。僕はダンブルドアが後任を決められなかったせいでババを引いたのさ」

「ババを?」

「教師に向いてなさそうなのは見ればわかるだろう」

「じゃあこの授業方針は貴方の上の方からの指示なんですか?」

「いや、僕が決めたよ。ポッター、僕も質問していいかな。君は一つ聞いた、僕は今答えた」

「…僕に答えられることなら」

「簡単な質問だよ。ヴォルデモートを見たと言ったね。彼を見てどう思った?」

「そんなことを聞いてどうするんですか?」

 彼は僕がヴォルデモートと名を口にしたので驚いたらしい。今やイギリスで彼の名を発語するものは少ない。

「いや。気になるんだよ。僕は彼が消えてからこっちに来たから彼の恐ろしさがいまいちよくわからないんだ」

 ポッターは僕を吟味しているようだった。「目の前にいるやつは魔法省からの使者に違いないが、ひょっとしたら僕の言うことを信じてくれているかもしれない。」

 そう、僕は本当のところヴォルデモートの復活を信じている。僕は彼の復活を裏付ける物証をこの手で握りつぶした張本人だからね。

 

「奴は僕の両親を殺しました。他にも大勢の人を」

 それじゃあ善良さにかけては僕と大差ない。

「差別的な根拠のない思想で、弾圧と虐殺をしました」

 それならまだまだ悪には程遠いな。

「もしあなたの身近な人が屁理屈にも似た理由で殺されたら、犯人を許せますか?」

 おっと、こればっかりは身に沁みる質問だった。

「赦さないね」

 復讐こそ我が命。それは兄がその場で実践し結果を示してくれた。首を絞められ脳血流が停まり、もうすぐにでも死にそうな赤ら顔の妹とそれに覆い被さる男。僕の人生はあそこで終わり、また始まった。

「ヴォルデモートの人道に対する罪はわかってるよ。でもそれは君の恐怖の根幹ではないよね?額面的な言葉ではない君の生の声が聞きたいんだ」

「奴は…とても、冷たかった。吸魂鬼と出会ったときの冷たさではなくってもっと、悪意があるっていうか…」

 ポッターはたどたどしく自らの感情を吐露していく。普段通りの教室だったら全然知らない僕にこんな事は話さないだろう。しかし「ヴォルデモート」この名前を発しただけで彼の警戒はかなり解かれた。普段過剰に言うことを禁じられているせいで彼の名はイギリスの魔法使い全員にとって特別な意味を孕んだ。その言葉に対して抱く感情が何であれ、発声することそれ自体が相手の心に踏み込むことになる。

「冬の日の窓ガラスのような冷たさと、寒くもないのに震えることは違いますよね。あいつは…僕の魂を握りつぶすような、そういう恐ろしさを持っている。と、思います」

「冒涜的な?」

「冒涜的…そうですね。あいつは現にセドリックを…」

「ディゴリー君は死の呪文で死んだんだっけ」

「そうです」

「死の呪文なら苦しまないのかな。彼は苦しそうだった?それとも本の通りあっという間なんだろうか?」

「そんな事を聞くために僕を呼び出したんですか?」

「いいや、違うよ。もしもあっという間だったのなら…彼に祈る冥福の質が違ってくる。僕たちが彼に祈るべきはあちらでの安らぎでなく、こちらでの心残りについてのほうが適切だろう」

「先生は霊魂を信じているんですか?」

「君が話してたんだ、報告書で読んだ。呪文の噴射で死者が現れたと。君はそれを霊魂だと思っていないのか?」

「いえ、魂だとは思いますが…」

 僕の論点ずらしにまんまと乗せられて彼は僕の下劣な好奇心を霊魂の存在という神聖なものと勘違いする。

「魔法で死者を蘇らせることは不可能だ。一瞬でも垣間見えた君は幸運かもしれない」

「幸運、とは思えません。確かに両親は僕を助けてくれた。そのことは嬉しい。けれどもそれは両親があいつに殺されたという事実を再確認する事だった。…だから…僕はこわい。そう、怖いんです」

「……よくわかったよ、ポッター」

 

 君の抱える苦しみがこのまま君の中で熟成されて腐っていけばルシウス氏から与えられた任務は成功するはずだろう。彼の求める成果の詳細は不明だが、ハリー・ポッターが悲しみや苦しみの中で一人きりであれば「孤立」は不可避。君の抱える毒の醸成。当面のところはそれを目標にしよう。

「辛いことを話してくれてありがとう。僕は君にとってたいしたことない人間だろうけど、君の告白は僕にとって大切なことだったと思う」

「僕はただ、皆にセドリックと同じようになってほしくないんです。だから奴等と戦う術を身に着けたい」

「君の気持ちはわかったよ」

 僕はすっかり冷めた紅茶を啜った。ポッターも一息ついたようだった。まるでひと泣きしたあとみたいな顔をしているが君は何も前進してない。激しい感情を発散しただけだ。

「僕も上司との板挟みでね…あの小レポートすら良くない顔をするやつがいるんだ」

「ファッジですか?」

「そんな偉い人はいちいち口を出さないよ。アンブリッジっていう上司でね…いい性格してるんだ」

「その人が先生にならなくてよかった」

 ポッターは初めて緊張を解いたようだった。表情のこわばりがとけて鼻の下を右手でかいた。

 

「もしよければ君には特別課題を出そうか。実際に起きた事件で使われた呪文とその対策についてのレポートなんかを。…君が闇祓いになりたいなら無駄じゃないと思うけど」

「本当ですか?」

 

ポッターは紅茶を飲んだ。

その紅茶がどんな葉を使っているのかも知らずに。

 



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06.友人の定義

 アズカバンに人権は存在しない。アズカバンは15世紀に建てられた(とされる)絶海の孤高にそびえる要塞で、表面にある複雑で幾何学的な紋様は近くで見ると瞳の中で渦を巻く。それらの模様は一見人工的だが潮風による侵食が彫刻したものなのだろう。コーヒーに浸され溶け始めた砂糖みたいだ。アズカバンは1700年代に監獄として利用されはじめた。その前に何に使われていたかというと、一言で言うならば屠殺だ。

 さて、魔法省が設立される以前の魔法使いと人間(つまりマグル)の関係についてだが、どちらが優位に立っているかは言うまでもない。魔法使いは魔力を持たない人間を愛すべき無能の隣人として扱うかこの世に跋扈する害獣と扱うかの2択だった。アズカバン最初の住人エクリジスという魔法使いは後者だった。

 彼は船乗りたちをセイレーンの如く誘い出し、そこで殺した。殺して殺して殺しまくった。マーダー&アビューズ。彼は僕と気が合いそうだ。その結果生まれたのがあの吸魂鬼という化物だ。彼らが地球で最も忌まわしい生き物だと言われるのは、彼らの外見がアズカバンの片隅に積み上がった腐肉と骨の山と彼らが着ていたであろう服の残骸を連想させるからかも知れない。人っていうのは不思議と穢れを本能で察し退けるから。

 賢明な魔法使いたちが彼の犯行の一部分を暴いたとき世間は阿鼻叫喚となった。吸魂鬼と言う訳のわからない新生物はいつの間にかその海域で大量の罪なきマグルの死骸の山に支えられた新生態系を構築していた。彼らがマグルを殺さないようにすれば“食料”を求め海の向こうから英国本島にやってくるのではないかと推察され、議会は大混乱。彼らに生死という境界があるのかわからない以上殺すことは不可能だ。困った役人たちは素晴らしい活用方法を考え出した。

 もういっそ死んでもいいやつを閉じ込めておこう!

 結果出来上がったのが絶対に生きて出られない監獄アズカバンというわけだ。吸魂鬼たちは定期的に新鮮な食料を受け取り悲鳴の享楽を甘受する見返りに看守を務めた。美しい共生関係。いや、ひょっとしたら魔法使いは自分たちが片方を使役しているのだと勘違いしているのかもしれないが、我々は死の奴隷である。

 そんな1キロ四方に満たない地獄が僕とアンブリッジが初めてであった場所なのだが、重ね重ね言っているように彼女と僕の出会いはとても感動的で長いのでまた別の機会に。

 

 

……

 

 はじめは僕の淹れた紅茶を飲もうとしなかったハリー・ポッターと対照的に、ドラコ・マルフォイはなんの躊躇もなくそれを飲んだ。もっとも彼は持ち前の高慢さと僕の弱点を握っているという優越感から臆することを自らに許さなかっただけで、紅茶を飲んだ事=僕を信用しているという図式に当てはめることはできない。

 

「着任してから杖は使ったのか?」

「いいや。まだ一度も」

「こんなに長続きするとは思わなかった。これ、父上からだ」

 ドラコは懐から上質な紙でできた封筒を取り出した。パールホワイトの落ち着いた色合いで縁がほのかに緑がかった手のこんだもので、真ん中には蛇の印璽の封蝋が押されていた。僕はそれを受け取り四辺をさっと指でなぞったあとドラコの顔を見た。

 

「一度開けたね?」

「なぜ?」

「わかるのさ」

 僕は封を開けて中からこれまた金のかかってそうな手紙を開いた。中身は詳しい仕事内容、もとい要求だった。

「何故わかる?」

「その言い方はやはり開けて中身を読んだね」

 

 僕はそれを一読したあと机の上に置いた。そしてやや警戒心を強めたドラコの方へ体を向け、余裕を示すように脚を組む。

「君達魔法使いはものぐさだからね。あらゆる事象には痕跡が残るのに消し忘れる」

 ルシウス氏がわざわざ封蝋という古典的な手を使ったのはドラコに盗み見しろと暗に言っているようなものだ。彼が僕を100%信用しているわけがない。彼の手紙の内容は理事会のホグワーツ魔法魔術学校における今後の方針についてだった。ドラコが盗み見ることで何かがマイナスになるということはない。ドラコが学内で(僕のためでも誰かのためでも)上手く立ち回るためにこれを見ておいて損はないのだ。

 僕はドラコに向けて封筒の上辺を向けだいたい真ん中のあたりを指で指し示した。

 

「つまんでみて」

 僕の指示に従い、ドラコは封筒を触った。親指と人差し指で紙を挟むとまた僕の方を見た。

「小さな折れがあるのがわかる?君はきっと蝋を魔法で剥がしたんだろうが、封をし直すときはこの封筒を手で押さえて再び蝋をくっつけた。この手紙は分厚い。ある一点を強く押さえつければ」

 

 僕はドラコと反対側の封筒を強くつまんだ。僕がつまんだあとには目に見えない小さな折がついている。ドラコはもう一度自分が触っている箇所を指でなぞり確認した。通常はこういった折れ目が出来ないように細心の注意を払う。ましてやマルフォイ家という純血の家系ならば召使いの一人や二人いても不思議ではない。こういう手紙や文書に関して扱うプロフェッショナルがこんなみっともない折れ目を残すはずがないのだ。

 

「次からは気をつけて。完璧な泥棒というのは完璧なハウスキーパーでもある」

「なんだそれ」

「一流の泥棒はタンスの奥底に眠っている金が盗まれたことに気づかれない程片付け上手なのさ」

 

 僕の言葉を本気で受け取るべきではない。語り部がいつも正直であるとは限らない。しかしドラコは感心したような表情を見せたので僕は嬉しいようながっかりしたような気持ちになった。

 

「プロップ先生、あんたは本当にスクイブなのか?」

「違う違う。魔力が全然ないだけさ」

 ドラコはあまり信用してないようだった。

「……まあ、次からは気を付けるさ。あんたが泥棒の友達を持ってる事は黙っておく」

 僕が泥棒という可能性も無きにしもあらず。

「放課後わざわざ足を運んでくれてありがとうね」

「別に。父上から仰せつかった事だから」

「君はお父さんを尊敬しているんだね」

「当然だろ?」

「君の常識がそのまま健やかに伸びていくことを願ってやまないよ」

「えらく皮肉っぽいじゃないか。不仲なのか?」

「不仲どころじゃないね。死んだから」

「あ…それは…すまない」

「いいんだ。元々仲も良くなかったし」

 僕の淡白な反応をどうか強がりだと勘違いしてくれ。それにしてもドラコは温室育ちの馬鹿だと思いきや芯のしっかりした子供らしく、時おり見せる高慢ちきや隠せないほど肥大化した自尊心を除けば他の生徒たちよりよっぽど自分の利益についてよく考えているように見える。まあその利益の価値については置いといて、客観的に損得を見られるのは一つの才能だ。

 人間の損得勘定は実は単純で、目先の利益を優先しがちになる。簡単な話今すぐもらえるなにかの価値が数年後もらえるものの価値を大きく下回ったとしても今すぐ手に入るものを優先するのだ。僕の賄賂は主にその価値判断基準のおかげで成り立っていた。ドラコは待つことを知った賢い犬だ。

 

「アンブリッジがね…僕のあくどい上司なのだけど。彼女は僕の権限を拡大させるつもりらしい。彼女はこの学校にーいや、世界に相応しくないものを摘み取りたいって願う純粋な女性なんだ」

「僕の記憶違いじゃなきゃ、アンブリッジってあの…」

 彼の言いたいことはわかる。純粋な女性があんなピンクの服を着て嬉々として他人を追い詰めるはずがない。

「これはジョークだよ、ドラコ」

「笑いにくい」

「それでね、僕はそういう面倒なことはしたくないから下請けを雇うことにしたんだ」

「あんたほんとに怠け者だな」

「ありがとう。そいつは僕らの事情を知らないんだ。ただ彼の唯一の取り柄は“愚直さ”でね」

「はっきりいって魔法省には愚か者と忠義者、賢者と反抗者のどちらかしかいない。名前は?」

「君も知ってると思うよ。パーシー・ウィーズリー」

 その名前を聞いてドラコは嫌そうな顔をした。どうやらよっぽどあの赤毛がお気に召さないらしい。

「ウィーズリーだって?グリフィンドール出身だぞ」

「君はグリフィンドール出身の殺人鬼を知らないのか?出身寮なんてあてにならんよ。彼は僕の大切な友人なんだ」

「シリウス・ブラックなら殺人鬼じゃ…。いや、あんたに友人がいるってことに突っ込むべきか」

「君も大切な友人だ」

 ドラコは今度こそ本当に嫌そうな顔をした。失礼なやつだ。もっとも喜んでほしくてこんなことは言わない。僕の友人は不思議と死亡率が高いんだ。なんでだろう。思うに僕の人生の線と彼らの線が交通事故のようにある日突然交わるとどうやら不慮の事故というものが非常に起きやすくなる。母は晩年僕の前世の業が招いたことだとよく言っていたが業の正体について教えてくれることはなかった。

「彼はね、本当に良き隣人だよ。忠実、誠実、几帳面、真面目…僕の語彙じゃあらわしきれないほど」

「あいつはただの出世欲の権化さ」

「出世欲をくすぐるだろうね、尋問官助手の立場は」

「…で、僕に何をしてほしいんだ?」

「簡単な話だよ。君が嫌いな先生に関するやばい話を密告してやってくれ。可能なら事件を起こしてもいいが…まあ君のお父さんが許さんだろうな」

「そういうネタならたくさんある。特にあの森番のハグリッド。今は何故か留守にしているようだけど」

「ああ。半巨人の…」

 彼のことは去年リータ・スキーターの記事で読んだ。彼の人生はなかなか興味深いし共感した。しかしながらルビウス・ハグリッドという人物のプロフィールを読むとはっきり言って今までなんで娑婆で暮らせたのか不思議なほど危険な人間(亜人?)だった。

「戻ってこられるといいけどな」

 ドラコはなにか知ってるようだが、僕は別にわざわざ聞く事はなかった。帰ってくるなら追い出すし、帰ってこないならそれでいい。

 

 

 

 

 パーシー・ウィーズリーと知り合ったのは昨年のクィディッチワールドカップ開催期間だ。国際魔法協力部主導とはいえ魔法省全体が取り組むべき重大イベントなので僕も駆り出された。元々国際魔法協力部にいた事もあって派遣はすんなりと決まった。その頃僕はすでにアンブリッジの手中に落ちていたのでアンブリッジからはよくよく「恩を売ってこい」と言われた。

「はじめまして」

 といって片手を差し出したパーシーは僕に興味があるようだった。

「ウラジーミル・プロップさん。クラウチ氏から聞きました。とても優秀だったそうで」

「とんでもない」

「ご謙遜なさらずに。なんて言ったってあのドローレス・アンブリッジの秘書になった人だ。それも魔法運輸部から。大出世ですよ」

「運が良かったんです。パーシー・ウィーズリー…貴方のようなエリート街道を歩むほうがよほど凄い」

 僕ら二人は中身のない会話をしながら何もない原っぱに立ち上げられた巨大な競技場とその周りに建設された招待客用のテントを回った。僕はパーシーの通訳として迷子になった要人をテントに導いたり、早くも場所取りにやってきたクィディッチファンたちのいざこざを解決しなきゃいけなかった。

 

 彼はホグワーツ魔法魔術学校を主席で卒業しそのまま入省。あっというまにクラウチ氏の補佐まで登り詰めた男だ。ちなみに間違いなく純血であるウィーズリー家の人間らしい。血が関係しているのかは置いといて仕事ができるやつであるのは間違いない。

「本当のことを言うと、クィディッチにあまり興味はないんだ。兄弟はみんなやってたけど、どうも僕には合わなくてね」

「僕もインドア派なのであまり。まあでも国際大会というの事自体は楽しいと思う。ほら、ケバブなんてものまで出店している」

「おかしいな…トルコからの客人なんていたっけ?」

 会場には様々な出店が充実しており、まだ開催は先だというのに競技場の入り口沿いに道のように店が並んでいる。当然無許可露店も多々あるので朝昼晩と3回警備のものがチェックしているが、何度摘発し撤収させてもその列が途切れることはなかった。

「こんなに魔法使いがいるとはね」

「素晴らしい。魔法界はまだまだ活気に満ちていると実感できる」

 パーシーは喧騒を見て目を輝かせていた。そういう見方もできるのか。僕はここに爆弾でも落としてやりたい気分だ。魔法使いはどれくらいの温度まで耐えられるんだろうか。熱線や放射線も防げるのだろうか?魔法が意志の力によるものならばどれほどの悪意まで耐えられるのだろうか。

「ウィーズリー、君は魔法界を憂いているのかい」

「正直ね。魔法使いは緩やかに減ってきている。これは事実だが、誰もそれを見ようとしない。魔法省は魔法使いが住みやすいよう身を粉にしているというのに、多くの人は従いこそすれ協力し邁進することは無い」

「人間なんてそんなものさ」

「マグルはそうかもしれない。けれども魔法使いはもっと先へ進めると思うんだ。全員が善くなるようにと意識すれば僕らはもっと素晴らしい社会を作り上げられる。そんな気がしないか?」

 

 パーシー・ウィーズリーの目指すものはグリンデルバルドが目指すそれと一致している。本人は気づいてないだろうが、グリンデルバルドがよく言っていた「より大きな善」は即ち強者による支配にほかならない。何故ならすべての人間がより善くなろうと思うことができる、なんていうのは幻想だからだ。

 彼とグリンデルバルドの大きな違いはそれを自覚しているかしてないかだ。

 

「そうだね。僕も賛成だ。世の中には自分がどんどん劣化していくことに気づかないやつが大勢いる。悪を悪だと気づけないやつが蔓延ってる」

 僕の強い口調にパーシーは頷いた。彼は本当はこういう話ができる友達を欲していたのだろう。けれども若者が真剣に世界について考えると老人はいつも嘲り笑う。バカ真面目であることは若者の特権だ。それに向かって突き進むことができるのも然り。老人たちは世界を変えることができると思い込んでる若者が羨ましいんだろう。

「だから僕はこんな仕事も真面目にこなすのさ。いつか必ず魔法大臣になるために…なんてね」

「立派な夢だよ。夢を持つことは簡単だが持ち続けることは容易ではない。君ならきっと叶えられるさ」

「ありがとうプロップ。まずは話の通じない違法露店の店主と話をつけなきゃね」

「ウラジーミルでいいよ。親しい人はヴォーヴァと呼ぶ」

「じゃあ僕もパーシーって呼んでほしい。さて、行こうか」

 

 こうして僕とパーシーは素晴らしい友人関係を構築したというわけだ。彼のような人間は殺すのはもったいなさすぎる。頭の中に詰まった知識は砕いて流すには惜しいし、純血の血を川に流すのは勿体無い。僕は彼の善き友人としてこの魔法界に寄生し続ける。それが僕の考える友人の定義だ。

 

 



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07.信用の稼ぎ方

 僕の授業もそろそろみんな慣れてきて授業時間は秩序が保たれていた。一番の懸念要素だったハリー・ポッターの懐柔はある程度成功したので、僕は授業中静かに読書に勤しむことができる。

 ただしポッターの完璧な恭順はハーマイオニー・グレンジャーにより阻まれているというのが現状だ。彼女は未だ僕を警戒している。毎回提出される小レポートの文体から内容まですべてから彼女の内面を知ることができなかった。彼女は僕に一切心を許しておらず、ポッターにもそのことを伝えているはずだった。

 確かに未だ世間のダンブルドアバッシングは続いているしヴォルデモートの復活はポッターの妄想扱いされたままだ。魔法省も学校に食い込んだ僕という楔を叩く準備をしている。もとより僕個人でどうこうできる問題ではないが、僕のかわいそうな権力の犬のフリはグレンジャーには通じていないようだった。

 

「先生、いいですか?」

 授業後に話しかけてきたのはハッフルパフの監督生、アーニー・マクミランだった。彼は最初こそ僕の授業方法に戸惑っていたが3回受けたら慣れたらしく、真面目に教科書に取り組んでいた。

「僕、どうしても杖を使って呪文を練習したくて…実技が今から不安で不安で仕方がないんです!先生。個人授業や課外講座などを実施する予定はありませんか?」

「なるほどマクミラン。君の不安はよくわかるよ」

 わかるが、なんの得にもならない時間外労働をすると思うか?そんなことをすればアンブリッジは怒りだしルシウス氏から毒入りの封筒が送られてくるに違いない。さらに実技の講習なんて幼児より魔法が使えない僕にできるはずもない。

「これまで僕の立場をわざわざ口にしてこなかったのは君のような生徒を置き去りにしているようなものだったね。反省している」

 もう生徒は全員教室を去った。次は昼休みなのであわてんぼうの生徒が入ってくる事はない。

「僕は魔法省からの派遣教師なんだよ。だからやれる事があまりないんだ」

「でも先生のレポート採点はとても役に立ってます!やれることが無いなんてことないでしょう?」

 レポート採点は外注にやらせてるから完璧でなければ困る。生徒1人あたり1ガリオンもくれてやってるんだぞ。君たちの赤ペン先生は全員ルシウス氏のお金で雇われているパートタイマーだ。時間を切り売りする彼女、または彼らは学歴に見合う仕事を見つけられなかった血統に恵まれない人たちで、マグル社会にも魔法界にも溶け込めず頭脳を持て余している。マクミランは純血だから1時間の重さを知ることは生涯ないだろう。

「それは教壇に立つ以上果たすべき最低限のことだからね」

「…」

「そう沈んだ顔をしないで。そうだ、いい考えがある。自主練習するなんていうのはどうだろう?」

「自主練習、ですか?でもそんな場所…」

「この教室を使いなさい。僕は補講も居残りも罰則もさせない主義だから放課後は誰も使わないし」

「監督してくださるという事ですか?」

「いいや、場所を貸すだけだ。黙認、ってやつだね」

 僕が人差し指を唇に当てて微笑むとマクミランはぱあっと花が咲くように笑った。僕は声をひそめて二人だけの秘密のように嘘を囁いた。

「僕が杖を振ることが嫌いじゃないっていうのは、くれぐれも内密に。信用できる友達だけ呼びなさい」

 

 アーニー・マクミランは友達を誘って放課後の教室で自主練習を始めることになった。彼はたいそう大喜びで、自身の監督生の適性を示さんと息巻いていた。彼は素直で真面目な模範的ハッフルパフ生だ。胸を張っていい。

 

 アンブリッジは怒るだろう。僕は授業では彼らに杖を振るう理由を奪ったがそのための別の場所を作ってしまった。ファッジの望みは、全ての生徒が暴力的な呪いを知らず黙々と机に向かってタスクをこなす事だ。アンブリッジの全意識はファッジの機嫌を損ねない事に注がれているので今回の事はいくら遠回しに報告しようと気付くだろう。

 事あるごとにアンブリッジの名前を出しているとまるで僕が彼女のことを好きみたいに思われるかもしれない。僕はたしかに彼女を引き合いに出し過ぎるフシがあるが、彼女を良く思ったことは一度もない。出会い方が違えば喜んであのシワシワの首を絞め上げていたはずだ。けれどもそうしないのは、やはり恩があるからとしか言いようがない。

 案の定アンブリッジは麻薬捜査犬より鋭い嗅覚で放課後の自主練習に関する文を見つけ出し、僕に問い詰めた。

 

「これはどういうこと?放課後生徒に教室を貸し出すですって?」

 

 朱い炎が燻る木炭の割れ目がアンブリッジの丸くて、なのに骨ばった頭蓋骨の形を作りあげている。炎が怒りを抑えた呼気のように頭の部分を覆い、くるくるしたカールの渦巻きを再現している。暖炉からニュと顔だけ飛び出たアンブリッジ。火かき棒でその鼻っ面を殴ったらきっと爽快だ。僕のパターは彼女の前歯を引っ掛けて遥か彼方の空へと飛ばし、お付きのドラコがファーと叫ぶ光景が脳内を横切る。…ゴルフなんてしたことないけど。

「生徒からの申し出がありました」

「杖を振らせるなと、私は何回も何回も貴方に言ったはずよ」

「申し出てきたマクミランの生活態度や成績から総合的に判断しました」

「総合的判断?ハッ…」

 アンブリッジは徐々にボルテージが上がってきてるようでぱちぱちと瞬きをした。彼女がプッツンするまでもう少し。僕は慌てて理由を述べた。

「マクミランは監督生です。レポートの出来を見るに真面目で向上心があります。論理的に考える事ができ、遵法精神もあります。」

「それで?」

 彼女は一応僕の言うことを聞いてくれる。

「彼が取るに足らない一生徒ならともかく、監督生です。ハッフルパフは血統や親の仕事で監督生を選びません。彼の信奉者は多い」

「つまり貴方はマクミランを通じて生徒たちを手懐けようとしていると、そういうこと?」

「おっしゃる通り」

「なるほど貴方らしいわね。だからウィーズリーを呼んで汚れ役を任せるわけ」

「ええ、その通り」

 アンブリッジはだいたいお見通しらしい。僕がウィーズリーを呼ぶ本当の意図は仕事をしたくないからではなく、彼にヴィランをやらせるためだ。彼を生徒たちを締め上げる悪役の立場に置き、僕はそれを影から助ける。何という出来レース。八百長。プロレス。ウィーズリーは適任なのだ。彼はその生真面目さ故に憎まれ役になりやすい。(だから彼はこの世界が間違っていると思うんだろう)

「優秀な生徒が出てこないよう頭をひっぱたいて押さえつけるよりも、優秀な生徒を引き抜くか刈り取るかした方がわかりやすいと思いませんか?」

「貴方の言うわかりやすさが血なまぐさいものでなければいいんですけれどもね。…貴方のやりたいことはわかった。検討するから時間をちょうだい」

「いい返事を待っていますよ」

 

 アンブリッジは僕の出世をすべて横取りできるから(そして僕はそれを許しているから)きっと公正な判断をしてくれるはずだ。正直僕もマクミランに教室使用を許可するのはある種の賭けだと思っている。僕は彼らの自習に全く介入するつもりはない。好感度を稼いだだけだ。マクミランのような生徒の好感度を上げることはそのリスクに見合う価値がある、と思う。

 マクミランは公正な生徒で、現在魔法省が取り組むハリー・ポッター断罪キャンペーンについてよく思っていない。初回レポートの端々からそれがわかった。そして彼は良い成績を取るためなら自分を抑えることができる。故に交友関係も広く信頼も厚いようだ。こういう人物はネガティブな感情の表出が少ない傾向にあり、マクミランはまさに善人と聞いて思い浮かべる人物像そのものと言える。

 彼には多少上司の不興をかおうが空き教室を貸してやるくらいの価値がある。とりあえずはそう判断した。僕はアンブリッジにマクミランの出したレポートのコピーとマグルのカウンセラーにやらせた分析の結果まで封筒に入れて送ってやった。フクロウは重たいそれを足に括られ、迷惑そうな顔をしていた。

 

 マクミランの他にも監督生全員と反抗的な生徒、ハリー・ポッターについてはマグルの精神分析医に鑑定を依頼している。とはいえポッター以外は簡単なプロフィールと書いた文章や僕から見た日々の言動といった、その人の全身を形作るには凡そ足りない面白みのない余白が描かれたパズルのピースのような情報しかなかった。

 逆に言えば、ポッターについては彼本人が知り得ない彼自身のことについてたくさんの情報で溢れていた。週刊魔女によれば彼はストロベリーよりチョコレートが好きで、女の子もビターな子が好み。月刊クィディチウィーザーによると箒に跨るときにローブを巻き上げる仕草がセクシーだと一部の熱烈なファンの間で話題だった。猫の目言論者によると彼は真実を呼びかけ続ける賢い魔法使いで、魔法省広報によるとダンブルドアに洗脳された哀れな未成年だった。

 ハリー・ポッターという像は本人を置き去りにして勝手に歪な鋳型を作られ、その殻しかない像を全員で叩き壊そうとしたり、新しい腕を継ぎ足そうとしたり、あるべき形に直そうとしている人間たちが集っている。ポッター本人に誰も興味はない。生き残った男の子、嘘つき、卑怯。そういう代名詞をみんなが捏ね繰り回したがってるだけで、そういう雑誌を買う連中の殆どは彼の中身に興味はないのだ。

 ポッターの青く固い肝臓や感情で凝った脳みそや、彼の西の浅瀬のような緑の瞳を見つめたいとは誰も思っていない。僕は違う。そういう意味では、僕は世間にあふれている一般魔法使いよりよほどポッターを尊重し、理解したいと思っているんだろう。

 

 僕は数多くの人と分かり合いたいと思っていたし、わかり合おうと努力していた。その努力はついぞ実ることはなかったしこれからも無いだろう。家族ですら、真実に心が通じたと思ったことはない。一番愛していた妹でさえ幼さや性差を差し引いても、理解し合えたことは無かった。

 妹が死んだのは重たい雪が振る12月の初旬だった。その日はめずらしく湿った空気が満ちていて、その水気が吐く息を凍らせていた。温かい血は循環が止まり次第冷えていき、バラ色の頬は青白い死んだ血管を透かすただの朽ち行く有機物へ。柔らかくカールした金髪は雪で濡れて茶色へ、そして溶かす温度を失った場所から雪で塗り潰されていく。

 頭のすぐ上までどっかりと雪を溜め込んだ、腹が膨らんでいるような曇り空、妹の下半身から流れる鮮血と、その横で死んでる妹を殺した男の割れた頭蓋にぶら下がる皮膚だけが赤かった。二人の作る染みはぐちゃぐちゃに湿った泥の中で混じり合い大地へ還ってゆく。妹も僕も兄も、まさか名も知らない男が人生にこんなに深く関わり合うとは思ってもなかっただろう。

 妹は僕たち兄弟のくびきだった。妹を失った僕らはもう二度と同じ歩調で歩くことはない。それを象徴するかのように、兄は手に持った血塗られたスコップを僕の目の前に突き出していった。

 

「…()()()()()()()()

 

 

 

 パーシー・ウィーズリーと再会した善きこの日はあの日の曇り空とよく似ていた。降り出すのは雨なのだろうが、彼の締めてる赤色のネクタイと白いシャツのコントラストを見ていると僕は自分の足元に2つの死体が転がっているような気がした。

「久しぶり、ウラジーミル。これまた出世したね」

「本当のところ、あまり望ましいことではないのだけどね」

 僕と彼はしっかり握手を交わし、校長室へ向かった。

 

 ホグワーツ高等尋問官として最初にする事はダンブルドアへの挨拶だった。

 はじめてこの老人と鼻を突き合わせたとき、僕はぼくの浅い中身を見通されたような寒気がして、腹のそこから腐ってくような苦い気持ちを味わった。あの透き通ったブルーの瞳。抉り出してやりたい。けれども僕の切りそろえられた爪が彼の瞼をこじ開けて、角膜を破り水晶体に到達するよりも先に、彼の圧倒的に理不尽な魔法が僕の指をめちゃくちゃに捻じ曲げて二度と利かないようにするはずだ。僕はまだピアノをひいたことがない。これから弾くことがあるかは疑問だが、可能性をわざわざ潰したくはなかった。

 僕の指は母の指に似ている。節くれだってささくれだった労働者の手だと母は言った。妹の手は僕と真逆で、未熟だったが貴族の持つ扇のようにしなやかで美しかった。彼女がもし生きていたら、英国に来れたとしたら、ピアノを弾きたがったかもしれない。

 そんなありもしない過程を思い描きながら、僕は校長室へ続く螺旋階段をパーシーと共に登った。



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幕間ーホグワーツ

「プロップ先生は、信用できない」

 と、ハーマイオニーは誰もがベッドに入ったあと、暖炉の火すら消えかかった談話室でハリー、ロンへ言った。それを聞いてハリーとロンは一度お互い顔を見合わせ、質問するタイミングを図る。まずはロンが口を開いた。

「そりゃ僕だって信用してるわけじゃないさ。でも、どこが?あいつ生徒にはなんの興味もなさそうだしこっちも放っておけばいいじゃないか」

「興味がない?とんでもないわ。あの人は私達を支配しようとしてるのよ」

「おいおい、陰謀論か?あのいかにもフツーっておじさんがそんな事するかな?」

「あのねえロン。外見なんてどうとでもなるじゃない」

「確かに去年は騙されたね」

 ハリーの横槍にロンは笑い、ハーマイオニーは笑わなかった。

「ハリー、特にあなたよ。あの先生と話したっていうのは聞いたけど、あれだけで気を許しちゃだめだわ」

「僕もあの時はちょっと感情的すぎたと思ってるよ」

 ハリーはやや渋い顔をして言い訳する。セーターのほつれを気にするふりをしてハーマイオニーの咎めるような視線から目をそらした。

「プロップ先生が例のあの人の名前を口にするのは、あの人が外国人だからよ」

「差別的なんじゃないの?」

「そういう話はしてないわ。神様と一緒よ。信じてないんだわ」

「…でも、支配っていうのは行き過ぎだと思う」

「そうかしら。貴方達はレポートの採点、ちゃんと見直してる?」

「えーっと…点数だけは見てるよ」

 ロンの言葉にハーマイオニーはやっぱりね!という顔をしてから続けた。

「じゃあ今度から内容をよく読んだほうがいいわね。この間ネビルのレポートを見せてもらったわ。訂正箇所をよく見ると、全体的に闇の魔法使いに関する所や防衛術に関してマイナスイメージを持つような書き方がされている」

「おいおいおい。それはさ…」

 ロンがそれを聞いて呆れた声を出した。

「君の被害妄想だよ!確かにプロップは間違いなく魔法省の手先なんだろうけど、そんなレポートの採点なんかで僕等を支配しようなんて、死喰い人も目からウロコだよ」

「僕も流石にそれは飛躍してると思うけど…」

「貴方達ねえ…授業前の質疑応答もちゃんと聞いてないでしょう?あの人の話すこと、婉曲だけど全てこれと同じよ」

 そう言ってハーマイオニーは机の上に放っておいてあった日刊預言者新聞をとり、五枚ほどページをめくったあとハリーたちの前にひろげた。

 そこにはガマガエルのような顔をした性格のきつそうな女の顔と、びっちりと紙面の隙間を埋めるコラムが載っていた。

「なになに?近代魔法界における教育の質と意義…ドローレス・アンブリッジ?」

 

 

近代魔法界における教育の質と意義 第一回

 

ゲスト ドローレス・ジェーン・アンブリッジ

インタビュアー リウェイン・シャフィック

 

 近代魔法界の教育について、世間で起きている様々な噂やスキャンダル、事件について交えながら魔法省次官にして初の高官魔女としてキャリアを積み上げるドローレス・アンブリッジさんと共に切り込んでいくシリーズです。

 

リウェイン:本日はお時間頂き誠に恐縮ですわ。さて、アンブリッジ女史といえば初の魔女魔法省大臣次官として一時期話題になりましたね。お仕事の方はどうですか?

アンブリッジ:こちらこそこういう機会を頂けて光栄です。順調ですわよ、おかげさまで。

リ:それはよいことですわ。さて、堅苦しい前書きはおっぽって、アンブリッジさんは最近教育問題についてとても憂慮なさっているとか?

ア:ええ。近代のホグワーツ魔法魔術学校の教育の質の低下はもはや知られているところではありますが、その問題についてきちんと分析している魔法使いはいません。ホグワーツ魔法魔術学校は我々魔法使いの伝統ある学び舎として何世紀もその役割を果たしてきましたが、近年その役割を疎かにしているのではないかと感じることが多いです。

リ:かくいうあたくしもアンブリッジさんも、きっと読者の皆さんもホグワーツの卒業生であることはほとんど間違いありませんからね。

ア:だから今のホグワーツを見れば皆さん驚かれるはずです。3年前に秘密の部屋事件で怪我人が多々出たことは記憶に新しいですし、昨年度は三大魔法学校対抗試合の事故とはいえ、生徒が一人亡くなりました。

リ:学校で人死がでるなんてそれだけで異常ですわ。

ア:その通りです。更に悪いことに、あの学校では闇の魔術に対する防衛術の教師がなんと一年おきに退職しています。

リ:それはこの新聞でも大きく取り上げました。今年はついに後任を見つけられずダンブルドアが理事会に泣きついたとか。

ア:それも当然でしょう。更に悪いことに…どうやら悪いことは続くようね(笑い声)ホグワーツには教師の水準に満たない教師が少なからずいるようです。

リ:まあ。どういうことですの?

ア:まず魔法生物飼育学。この授業で教鞭をとるルビウス・ハグリッドという半巨人は2年前ある生徒を危険生物に襲わせ、怪我を負わせました。(詳細は次号にて掲載いたします)このハグリッドは過去にアズカバンに収容されたこともある大変危険な人物で、以前は森番をしていたようなのですがダンブルドアはどう血迷ったのか、この危険極まりない人物を教師にしてしまったのです。

リ:まあなんてこと!!犯罪者に子どもを預けるなんて…保護者に事前説明はあったのかしら?

ア:ありませんでした。これもまたホグワーツが抱える病の一つでしょう。伝統はときに素晴らしい訓示を我々に授けますが、このような横暴に使われた際に我々に牙を向けます。伝統には守るべきものとそうでないものがあり、時代に合わせ変化していくべきでしょう。

リ:今回新設されたホグワーツ高等尋問官はそういった変化の一環でしょうか?

ア:その通りです。この役職の設立から公共の利益に準じた秩序がホグワーツに築かれることを祈ります。………(以下略)

 

 次回はホグワーツで起きた事件について、アンブリッジ女史のお話を伺います。

 

 

 

「なんだこのコラム!ハグリッドが人でも殺したみたいな書き方だ!」

「そう。このガマガエルババア。こいつはプロップ先生の上司なのよ!そして先生は、ここにかかれてるのとほとんど同じことを言ってるの。言い方を変えただけで毎回ね」

「ハグリッドの悪口を?」

「違うわ。秩序についてよ。もう…今度からちゃんと授業を聞いておいてよね」

 ハリーは憎たらしい顔を見てからその記事を上から下まで読み気づいた。

「こいつ、僕の裁判で僕をまっ先に有罪にしようとしたやつだ…」

「なんだって?」

 ほらね、と言いたげにハーマイオニーは肩をすくめた。

「そして、めでたくプロップ先生はホグワーツ高等尋問官に任命されるそうよ。すごく小さい記事だけど、候補者として名前が載ってた」

「尋問官って何をするの?」

「この言い方からして、先生たちを尋問するんじゃないかしら…詳しくはわからないわ。多分、あと一週間もすれば公表されるんでしょうけど」

 三人はうーんと唸って柔らかいソファの背に埋もれた。

「僕、シリウスに手紙を出すよ。確かにプロップ先生はあんまり信用できなさそうだし、やっかいそうだ」

「検閲されるかもしれないからそうと悟られないようにね」

「当然。いつもそうしてるって」

 ハリーはくしゃくしゃの前髪をかきあげた。なんだか前にプロップ先生の前で感情を吐露した自分が恥ずかしくなってきて気まずかった。彼はとても優しくて思いやりがあるように思えたが、この魔女の手先だと思うとなんだかその優しさも嘘っぽく思えてしまうし、あれが本当に優しさだったのかも疑わしく思えてくる。

 彼がセドリックに祈った安らぎまで疑いだして、ハリーは自己嫌悪に陥った。

 しかし高等尋問官が実際に設立され、パーシーが日刊預言者新聞の紙上でつのぶち眼鏡のつるを人差し指でクイッと押し上げているのを見てから、やや事態は変わった。

 

「あの、大間抜けの魔法省バカ!」

 

 開口一番ロンが吐き出したのはパーシーへの悪口だった。朝のふくろう便の時間で激昂する生徒は珍しいので一瞬注目を浴びたが、大半の生徒はすぐに新しく机の上に出てきたヨーグルトに気を取られた。

「どうしたの?」

 とっくにサンドイッチを詰め込み終わりいなくなってたハーマイオニーに代わってハリーが声をかけた。

「パーシーのやつ、僕にこんな手紙をよこしたんだ!」

 

 

親愛なるロンへ

 

 僕はたった今プロップから(君の新しい先生だね)君が監督生になったと聞いて、急いで筆をとった次第だ。僕は正直、君はフレッド、ジョージ路線を歩むのだと思っていたのではじめ彼のたちの悪い冗談だと思ったくらいだ!

 さて、もし君が日刊予言者新聞を読んでいるならもう知っているかもしれないが僕はホグワーツ高等尋問官助手に選ばれて数日以内にホグワーツに行くことになっている。立派な役職を得てまたホグワーツに戻ることができるのは喜びでもあり、また不安でもある。

 君のやっかいな友人について、つまりハリー・ポッターについてだが、今のうちに距離をとっておくのがいい。プロップと違い、僕は彼の嘘つきに我慢するつもりはない。君もやがて僕と同じ道に行くつもりなら、自分の身の回りはキレイにしておくべきだ。もし彼に関して困ったことがあったら僕に遠慮なく言ってほしい。僕には減点や罰則を課す権限はないが、それもいつまでかわからない。

 夏の間に君に会えなくて残念だ。監督生バッジを手にした今なら僕がなぜ両親を批判するのかわかるだろう。

 君に会うのが楽しみだ。それまでにぜひ考えておいてほしい。君のそばに落ちている大きな問題について。

 

君の兄、パーシー

 

「おっと…それで…君がもし僕と、つまり大きな問題を切り捨てたいと思うなら」

「それ以上言わないでくれ」

 ロンは手紙を引き裂きながら言った。

「あの、権力の犬ッー!」

 ずたずたになった手紙をロンは空中にばら撒き、それを雪に変えてしまった。

「あー、初めてうまくできた」

「次の呪文学のタイミングで手紙が来るといいね」

「二度とゴメンだ」

 ハリーはロンが怒ってくれたのが嬉しくて、その日一日上機嫌だった。スネイプがいくら通りすがりに嫌味を言おうと、スリザリン生が陰口を言ってるのを聞こうと、今日だけは怒らないでいてやろうと思えた。

 

 一方で発行された新聞に関してプロップ先生がさして気にしていなさそうなのも妙に思われた。本当に魔法省から来たのか怪しいほど、出世欲や権威欲が感じられなかった。ハリーが今までであった魔法使いのうち、アーサーおじさんと闇祓いたち以外の殆どは権力についてよく考えているように見えたので不思議だった。

 

「先生、先生のお名前を新聞でお見かけしましたよ…」

 と、ドラコとプロップが話しているのを見たときにプロップは

「そうか。もっと面白い名前だったら、誌面も賑わうのに」

 と素っ頓狂な感想を言っているのを見たくらいだった。ドラコはつまらなそうな顔をしてまた別の話題を振っていたが、あんまり立ち止まって聞き耳を立てているのも妙なので立ち去った。フレッド、ジョージの伸び耳の完成を祈った。

 ドラコはシリウスが動物もどきだと知っているに違いない。もしかしたらドラコはハリーを貶めるために手紙を見たり、いろんな手段を使うかもしれない。

 ドラコは今までハリーの事を積極的に邪魔してくることはなかった。言うなればハリーとドラコの道がたまたまかぶったときに衝突が起きるという状況で、彼が自分の道からハリーの道へハンドルを切って車体をぶつけるような真似はなかった。

 ドラコが本気になったときどこまでの事ができるのか、ハリーは興味が湧きつつも体験したいとは思えなかった。

 

 

 

「ポッター、ちょっと残ってくれるかな」

 

 授業後、珍しくプロップがハリーに話しかけてきた。ハーマイオニーの目に警戒の色が宿るが一見無害な教師の呼び出しを断ることはできなかった。

 プロップは今までハリーがこなした過去の様々な闇の魔法使いによる事件のレポートについて返却時の赤ペンよりも細かく、丁寧に指導した。

 

「あの、聞いてもいいですか?」

「なんだい」

「この事例はどれも1945年以前のものです」

 

 ハリーがプロップについて一番引っかかっていた点はそこだ。彼は一度もヴォルデモートやその配下が起こした事件の課題は出さなかった。

 

「何故ヴォルデモートの起こした事件について扱わないんですか?」

「それは簡単だ。僕はヴォルデモートよりもグリンデルバルドが好きなんだ」

「グリンデルバルドが好き…?」

「そうだよ。まあ僕の地元では彼のほうが有名だったというだけの話だけどね。親しみがあるんだ」

「親しみ、ですか」

「言い方が気になるのなら言い直すよ。怖い、だね」

 プロップはあまり怖くなさそうな顔で言った。

「僕はもう死んだ人より、今生きているヴォルデモートについて学びたいです」

「おや、ひょっとして君は魔法史の成績が悪い?」

 プロップが珍しくクスクス笑いをしたのでハリーは面食らってしまう。

「彼はまだ生きてるよ。ダンブルドアに閉じ込められているだけで」

「そうなんですか?全然知らなかった…」

「だから僕は怖いんだよ。死んでると思ってたら生きていた、なんて一番怖くないか?自分の中で葬った人間が本当はちゃんと息をして肉体を持って魂すべてをかけて僕を殺しに来るのだとしたら僕はもうなんだかすべてをかなぐり捨てて逃げ出したくなるよ」

 プロップは、突然長々と喋りだした。まるで幽霊でも取り憑いたかのように鬼気迫る台詞だったが、ハリーの驚いた顔を見ると取り繕うように普段の無表情に戻った。

「…まあ、たしかに偏りすぎていたね。次からは彼の事件も入れることにするよ」

「お、お願いします」

「うん。…君のレポートはとてもいい視点だと思うよ。僕は前々々々職のとき魔法法執行部の資料整理のアルバイトをしていてね。ボーンズ女史だったかな、あれは…彼女の切り込み方に似ている」

「先生、一体何回転職したんですか?」

「転職じゃなくて部署異動さ。まあ僕みたいな外国人は、仕事にありつけるだけ良い方だよ」

 プロップは今までのハリーのレポートを預かり、ハリーにいただきものらしい茶菓子を渡した。

 

「ポッター」

 

 去り際にプロップはハリーに問いかけた。

 

「問題だ。一人の魔法使いと哀れなマグル。足元には死体。凶器はスコップ。魔法使いとマグル、どちらもマグルが犯人だと言っている。君はまずどっちを疑う?」

 

 唐突な問にハリーは思わず反射的に答えた。

 

「マグル、じゃないですか?」

「なぜ?」

「だって魔法使いが犯人なら、魔法で殺すはずだ」

「いい視点だ」

 

 プロップは笑った。

 

「僕はこの問題で、杖じゃなくても人は殺せる。そういう教訓を得たよ」

 

 



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08.始まりは一つの石から

 発達しすぎた科学は魔法と変わらないというのは誰が言ったのだったか。マグルの科学は未だ中世魔法界並の煩わしさと荒々しさに塗れていてとても魔法と肩を並べる事はできないが、胸のあたりまでは近づいたかもしれない。

 そう、近年は元気爆発薬なんて飲まなくてもマーケットで売っているカフェイン飲料を飲めば程々に元気になれるし、杖使いが下手な魔法使いはライターやマッチを擦った方が遥かに労力が減るし、ロンドン在住なら深夜だってルーモス無しで徘徊できる。はっきり言って、凡庸な魔法使いにとっては魔法界よりマグル界のほうが楽に生きれる。もちろん隣人に常に隠し事をし続けるストレスはあるが、限界まで容量の減ったパイを奪い合うのとどちらが楽かは想像がつく。

 

 僕も本当ならマグルの仕事をするべきだった。でも僕はしがみつき続けた。こう目立つ立場に置かれた今となってはその選択が正しいかどうかわからない。僕の後ろ暗い過去がいつ照らされるかわかったものじゃないからだ。特に噂話に関しては日刊予言者新聞のリウェインというハイエナのような女記者がどこから湧いてくるのかわからないハエのようにふらりとホグワーツにやってくるかもしれない。

 リウェイン・シャフィックは僕の成功まみれの人選のうちの数多くある失敗の一つだ。僕は知っての通り知り合いをつくってそこからどんどん仕事を投げたり頼み事をしたり賄賂を受けたりするのが趣味なのだが、そういったお楽しみをともに楽しめる人物は限られている。女性関係と同じであちらを立てればこちらが立たないので、会社ごとにだいたい一人しか友達が作れない。

 日刊予言者新聞の記者というのは揃いも揃って飢えた農民よりがっつく。同じような資質を持つ彼、彼女たちの中からより良い友人を選ぶのは大変だ。僕が長年懇意にしていたのはリータ・スキータという変なメガネをかけた変な口調の女で、彼女は政治家の上の口より下の…おっと、少し下品だった。言い直そう。彼女は、ゴシップにしか興味がなかった。政策や経済に微塵も価値を見いだせないので、自分が社内で見聞きしたことを平気で僕に教えてくれた。

 

「ファッジは潔癖ヅラしているのが気に食わないざんす。ねえ、アンブリッジが彼とデートしたなんてことを聞いたりは?」

「ここ最近彼女と行動を共にしてるのは僕しかいない」

「魔法省のメギツネアンブリッジに若い恋人?うーん…いまいちざんすね」

「おいおいやめてくれよ。ビールを吐き戻しちまいそうだ」

 彼女がまだ芸能人たちを節操なく突っついてまわってたとき、僕はリウェインとリータどちらと仲良くすべきか悩んでリータを選んだ。リウェインは魔法省の不正を正すべく日々マスメディアの役割を果たそうとする先進的な魔女だったが、彼女と話すと常に頭を使った回答が求められるのにうんざりして付き合いをやめてしまった。いざ手を切らなければならないとなったらリウェインのような魔女よりリータみたいながさつな魔女の方が後腐れがない。

「ふっ。ウラジーミル、あんたがそんなに出世するとわかってたならあたしも政治部にいたかも知れないわね。いいネタが聞き出せたわ」

「政治の話をする君なんて退屈だ。君は馬鹿な魔女のケツを追いかけてるのがお似合いだよ」

「実際それが性に合ってるから売れっ子になったわけざんしょ?性悪の尻拭いをするのとどっちが上等かは互いの月収で判断すべきね」

「それじゃあ僕の完敗だ。アンブリッジは残業手当をケチるタイプの人間だからね。あ、これはオフレコで」

「残念だけど労働者の声なんて全然誌面にあってないざんす」

「それはよかった」

 リータの選ぶ店はノクターン横丁とダイアゴン横丁の狭間と言える場所にある怪しいパブだった。サラリーマンが少し火遊びしようと思うくらいの程よいスリルがある。例えば今横ではクィディッチワールドカップで仕入れたらしい薬草の取引が行われているし、僕らの前に座っていた男たちは怪しげな白い粉をテーブルと鼻の周りに撒き散らして帰っていった。

「三大魔法学校対抗試合、面白い事になってるの知ってる?」

「いや。今はワールドカップの後始末でてんてこ舞い」

「勿体無い!日刊予言者新聞で特集を組むからぜひ読んで頂戴な!」

「ふうん。どう面白いの?」

「ハリー・ポッター。あの不正に選ばれたかもしれない生き残った男の子に取材することになって…」

 

 

 と、まあこのときのことを詳しく話してもなんの意味もないので差し控えるが、ご存知の通り彼女はその後失脚した。何度問いただしても理由を話してくれることは無かった。あれは何か脅されてるんだろうが、僕に話したところで解決を見込めないと思ったんだろう。それか単に僕を信用してくれてなかったのか…まあそれはお互い様だ。

 

 

 さて、時間をちゃんと今に合わせよう。僕はリータと飲んでるときは想像もしなかった場所、つまりホグワーツの校長室でパーシー・ウィーズリーと共にダンブルドアと対面していた。

 

「新学期が始まってごちゃごちゃしたものが片付いたと思ったらまた新しいニュースじゃ。年を取ると何もかもあっという間じゃのう」

「我々がその境地へ至るにはあと70年は必要です」

 パーシーは卒業生なせいもあってかいつもより背筋が伸びていて、むしろ反り返っている。ちなみに僕とパーシーは10歳近く離れてるので僕は老年を憂う期間はあと60年。

「…当然聞き及んでいることでしょうが改めて口頭で通知します。」

 

 パーシーに目配せすると彼は魔法省の箔押しの入った羊皮紙を広げた

「教育令第23号。ホグワーツ高等尋問官を新たに設立する。ホグワーツ高等尋問官は魔法省の要求する水準を満たさないと思われるすべての教師を査察し、停職、解雇の権利を有するものとする」

「こちらのパーシー・ウィーズリーは僕のアシスタントです。僕は教師はおろか生徒であったことすらないので、彼に公正な目で見極めてもらおうと思いまして。…つきましては教育令第24号。高等尋問官は適格と思われる人物へ限定的権限を与えることができる」

「ふむ。卒業生と再び会えることは実に喜ばしいことじゃ」

 それを聞いたパーシーはぴくりと眉を動かしたがポーカーフェイスは崩さなかった。パーシーは根っからの役人でありファッジの信奉者なので恩師であろうとダンブルドアには憎しみの念を抱いているのだろう。

「早速本日から職務にあたらせてもらいます」

 パーシーは不遜に言った。

「よろしく、パーシー。お手柔らかに」

 彼はダンブルドアの柔和な笑みに、申し分程度の頬の痙攣を返した。ダンブルドアは何を考えているのかよくわからなかった。ただいつも通りの透き通るような青い目で僕たちを見送った。

 

 

「弟たちに挨拶しなくていいのかい」

 

 校長室から闇の魔術に対する防衛術の教室に戻る時にパーシーにそう聞くと、彼は肩をすくめていった。

「どうせ授業で会う。それに…弟たちは、特に双子は僕を歓迎しないよ」

「喧嘩しているとは聞いたけど、深刻なのかい?」

「ああ。深刻だ。悪いことに両親も兄弟もダンブルドアの信者だからね」

「なるほどね」

 兄弟は他人の始まりを地で行く僕からすればパーシーの家族仲はまだ修復可能だ。なんて言ったって生きているのだから。

 

「夢についてー君と話したときから」

 

 僕の研究室でジャムと紅茶を味わっていると、唐突にパーシーが語りだした。

「あの時からずっと考えているんだ。僕はなぜ働いているのか、なんのために生きてるのかを」

「偉いな。僕はまだ考えたことない」

「君はよく物思いに耽ってる顔をしているのに。本当は何を考えているんだ?」

「大体は飯のことかな」

「嘘をつけ」

 パーシーは僕の冗談に笑ってからさっきよりは緊張のほぐれた表情で話を続けた。

「僕はただ、家族を楽にしてやりたい一心だったのさ。父親はマグル好きが高じて仕事でろくに評価されない。母親はとても優しいけど、純血の誇りを持っているかは微妙だ。兄たちは皆立派に仕事をしているけど、好きなことが仕事になっているような人たちだ。僕は正直この仕事をとても向いていると思っているし、好きだけれども…楽しいと思えない」

「君は仕事に楽しさを求めているのか」

「そういうわけじゃないよ。ただ、他の兄弟と違うところを見つけたというだけで。…そう、つまりね。僕らは純血で、魔法使いの血を繋ぎ世界を維持しなければいけない役目を負うべきなんだよ。けれども彼らはその役目をおざなりにし過ぎていて、僕がすべてを負担しているような気になるんだ」

「確かに君達の血には責任が伴う。なぜ純血が社会的地位を得るかというとそれは血の濃さによるものではない。純血は魔法界の中枢として脈々と受け継がれてきた伝統や歴史の象徴だからだ」

 僕はジャムをすくったスプーンを口の中に入れて、それを舌の上に薄く伸ばした。そして濃い紅茶を流し入れる。

「象徴とは、記号や名前と違ってそうであるために一定の努力が求められる。相応しい能力が求められる。象徴たる努力をしているのはどうやらウィーズリー家では君だけのようだね」

「さすがウラジーミル。言いたい事をわかりやすくしてくれる天才だよ」

「仕事柄慣れてるのさ」

「でも僕はマグル生まれや半純血を差別しているわけじゃないよ。念の為」

 僕の生い立ち…つまり、純血の傍系でマグルの血が混じっていることを気遣ってか彼はそう付け加えた。言われなくても彼に悪意がないことはわかっている。

「わかっているよ。これはあくまで品格や役割の話だ。…じゃあ逆に、純血でないものたちはどのような努力が求められると思う?」

「そうだな。やはり魔法使いの社会を維持していくため、より善くするべきだと思うよ。純血は彼らの標。模範として存在価値がある」

「高等尋問官は」

 僕は唐突に夢や理想の話を現実に繋げ合わせた。

 

「礎だ。どんな城も、始まりは一つの石からだ」

「そうだ。その通りだよ!ヴォーヴァ。一緒に頑張ろう。より善い魔法界の秩序のために!」

「ああ。魔法省に栄光あれ。君のキャリアと、僕の上司に乾杯」

 

 紅茶はウォッカではないがそれでも彼は高揚していた。自らの光り輝く道を自ら拓いたものに思えたのかもしれない。パーシーは自分の進む道を自分で決めた気になっている。しかし魔法使いの進むべき道は実は限られていて、選択の自由と言うにはあまりに物足りない数しかない。選択の理由を見出すために言葉で飾っても内側にぽっかり空いた不自由さをごまかせない奴もいる。

 魔法省は限界だった。その不自由の穴をハリー・ポッターで埋めようとしているやつがいる。ヴォルデモートで穴を埋めようとしているやつがいる。何世紀にも亘り支配的だった純血主義はいよいよ周囲に息苦しさを与え始めている。その限界さが社会全体に広がっていっている。

 窒息死は息ができないから起こるとは限らない。酸素濃度が減れば、つまり二酸化炭素や窒素やらを普段より余計に吸っても起こる。そう、僕らは息をしているだけでも死ぬ事ができる。酸素をいつもの濃さで吸えなくなるだけで人間は大脳からやられていき、やがて死に至る。その過程は緩やかで自力での脱出は困難だ。

 今の魔法界は1970年代のソヴィエトに似ている。酸素が足りない。

 

 

「ウラジーミル君。君を歓迎するよ、心より。ここは生徒にとっても教師にとっても学び舎じゃ」

 初めてあったとき、ダンブルドアは文字で読めば済むような自己紹介と挨拶をした僕にシワシワの手を差し出していった。

僕はその思っていたよりも大きくて温かい手を握り命の温度について考える。

「学のない僕にはありがたいことです。三十路の手習いと言ったところですか?まだ教育がまにあえばいいんですが」

「人生に早いも遅いもありはせんよ。…さて、セブルスが君を案内するはずじゃ」

 

 初日にダンブルドアに会ってから高等尋問官設立を通知しに行くまで、彼は不気味なほど音沙汰がなかった。どうやら相当忙しいようだが、彼の周りにそんなに仕事が山積しているとは思えない。秘密主義の老人は自分の周りにいかなる痕跡も残していなかった。

 ダンブルドアのプロフィールは見た。ついこの間郵送されてきた分厚い手紙に仔細に書かれていた。それは図書館に行けばすぐにわかるような情報だったが、なるべく自分の名前を貸出履歴に載せたくなかったのでリータに調査してもらった。ちなみにアンブリッジは高官に図書館の貸出履歴を参照する権限を与える法案を提出していた。当然それは却下されていたがそれが万が一実現した際に変な疑いを持たれたくなかった。

 リータは困窮していて、こんなつまらない雑務でも喜んでやった。腹を空かせた野良犬のように。

 アルバス・ダンブルドアの来歴は彼の功績にはいささか相応しくないものだった。獄死した父親と出来の悪い弟妹。…妹は決闘中に事故で死んでいる。共感するところが少しあるな。さらに彼はグリンデルバルドと密な友情を育んでいた。結果から見るにひどい別れ方をしたんだろう。彼は僕の最も恐れる人物を見事に叩きのめした人物だが、かと言って味方ではない。

 

 僕はパーシーの熱っぽい語り口とかつてグリンデルバルドとダンブルドアの間でかわされた熱い友情と言葉について考えた。

 ソヴィエトの冬は僕らに若さゆえの情熱を許さず、見ず知らずの男の暴力による妹の死しか遺してくれなかった。ダンブルドアは決裂でなにを手に入れたのだろう。僕はその熱が羨ましかった。

 

 ソヴィエトの魔法使いはガバメントを持たなかった。むしろ200人の純血はボリシェヴィキとして共産主義に加担していた。というのも、魔法使いは国家への忠誠を持っていなくても出世できたからだ。マグルがマグルに求める誠実さや忠誠心は魔法でいくらでも演出できたし、服従させるのはもっと簡単なことだったからだ。

 僕らの生まれたサンクトペテルブルグ、当時のレニングラードは英雄の名を冠した海に面する街で、ある種の特権階級の人間…つまり魔法使いばかりが暮らす土地だった。当然プロップ家の傍系の僕らもおこぼれに与っており、普通の労働者よりは密告や強制労働に怯えずにはすんだが、常に同じ傍系の監視に怯えていたのをよく覚えている。

 舞台の上に立つ役者よりもつま先や指先、目線に込められた意図を気にした。僕らは通りで挨拶を交わすときさえいるかも知れない観客に演出する。僕らは社会を維持する善良な市民であると。

 だから英国のがさつさには驚いた。どこが紳士の国だ?これで紳士なら僕らは聖人だ。それか死体だ。

 

 僕はホグワーツの現状と魔法省の実態と、今まさに社会秩序を壊そうとしているヴォルデモートの3つ全てについて好ましく思っていない。特に魔法省にはヘドが出る。

 ヴォルデモートのする事も正しいこととは思えない。死喰い人はルシウス氏が平均値だとするとみんな間抜けに違いない。

 ダンブルドアは、一見正しく誠実に見えるが、僕の求める正しさは彼と対立するだろう。彼ほどの能力を持ちながらそれをこんな学校で浪費することそれ自体が反社会的だ、と父だったらそう言うだろう。

 

 僕は柄にもなく世界を革命できる気がしてきた。わくわくしている。子どもの頃僕たちは本当に革命を世界へ広げるための闘争中なのだと思っていたころのように、蝋で固めた羽を背中につけた瞬間のイカロスのように。

 

 この高揚がいっときの魔法であることは違いなかったが、僕の意識が次第に物事を前進させようという方向に向いたのは間違いなかった。

 その気持ちが本物かどうかは、ルシウス氏と会う頃にはわかるだろう。ドラコの運んできた手紙によると、ルシウス氏は第一回ホグズミード行きの日に理事への復職にちなんで挨拶しに来ることになったらしい。



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09.ベルカとストレルカ①

 ルシウス氏は2年前理事を解任された。理由は記載されていない。10月一周目の秋の空気が濃くなる校舎はホグズミードへ向かう生徒たちで浮足立っていた。1年生、2年生は寂しく留守番だ。ルシウス氏は列車がさり風通しの良くなった廊下を驕奢なローブを翻して意気揚々とやってきた。

 再び理事の座に返り咲いたこと。ダンブルドアの余命もあと僅かであることを暗に告げるため髪にたっぷりチックを塗ってやってきた。彼の完璧なブロンドが気まぐれな秋風に台無しにされないように。

 彼が持つステッキはどこまでも真っ直ぐでグリップから杖が引き抜ける仕様になっている。当然内蔵された杖も真っ直ぐだ。エボニーの上品な照りはくだらない塗料を使っていない証拠で、そのどこまでも深みのある軸はグリップの継ぎ目の蛇の頭の銀細工から直接生えてきているようだった。その銀細工というのもこれまた瀟洒な品で貴金属特有のいかがわしさを微塵も感じさせなかった。

 少なくともソヴィエトでは富は淫らだった。富をひけらかすのは、富を暗示するのは死を意味した。

 魔法使いは少なからず富を隠し持ってはいたが、何も知らないマグルの前で富の香りを振りまくような真似だけはしなかった。犯罪者が存在しないように、金持ちも存在してはならない。

 

「どうですか?凱旋の気分は」

 僕は校長室でほんの数秒の挨拶を交わしただけのルシウス氏を正門へ送るときに尋ねた。

「気持ちがいいよ」

 石畳の廊下を抜け、生徒たちが数名スニッチを模したおもちゃを放り投げあっている中庭を通り抜けたあと、ルシウス氏はようやく本題に入った。

 

「君の仕事だがね、ここ一ヶ月の君を見て、さらに身辺に関する調査をして決まったよ」

 平然と裏切りを告げるルシウス氏に思わずぎょっとして僕は彼の言葉を遮った。

「待って、待ってください。また僕を調べたんですか?勘弁してくださいよ」

「もちろん資料は渡すさ。それにこれは裁判記録だ。国立図書館に行けば誰だってわかる事だよ」

「旧ソヴィエトの裁判記録ですよ。今じゃ破棄されてるはずですが…貴方がそうやって僕の周りを嗅ぎ回るのをやめないのなら僕は協力しない」

 

 彼の傲慢さにはほとほと嫌気がさす。彼は僕が負い目を持ってるのをいいことにさらに自身の支配を強めようとしている。どんな人間を使って探らせたのかはわからないが、場合によっては始末しなければいけない。魔法使いを殺すのは骨が折れるから嫌いだ。

 

「そんなことを言える立場か?ライカ」

 ライカ、スプートニクに乗って星となったクドリャフカ。ライカはメスだった。僕をカマ野郎だと思ってるのか?このクズ野郎。

 殺気だつ僕を牽制するようにルシウス氏は僕の目線の高さまでステッキを掲げて言った。

「お前が仕事を上手くこなせないならお前の隠し持っている秘密をもっと掘り返してもいいんだ。私は君を信用したい。だから目に見える首輪がほしいんだ。いいか?君は放し飼いにするにはあまりに危険だ。その事にピンときてない君が怖いよ」

 要するに一度握った弱みは死ぬまで離さないと言うことだろう。僕はルシウス氏に心臓を握られているのだ。そして彼はそれをいいことに僕の骨の髄までしゃぶり尽くす。

 僕は突き出された蛇の頭を左手で握り押し殺した声で答えた。

「信用したいから疑うというのはいい心構えだ。けれども対等ぶるなよルシウス・マルフォイ。あんたは僕を卑劣に脅しているんだ。あんたは自分の下品さを自覚しろ」

「ハッ…聞いて呆れる。下品だって?下品なのはどっちだ」

「試してみるか?」

「魔法も使えんくせに?」

()()()()()()。もっともあんたが本当に俺のことを調べたなら試そうとは思わないが」

 

 僕の牽制がどういう効果を持ったか僕はじっくり待った。彼の目をまっすぐ見据え、ステッキを離さなかった。ルシウスの瞳は僕を見続け、僕が瞬きもせずに見つめ付けるとついに根負けして瞬きをした。

 彼の瞼が降りたとき僕はステッキを手放した。ルシウスはステッキを改めて握りしめ、また僕を見て息を吐いた。

「…ようやく素の君がでてきたな。しかしまだその仮面は剥がすなよ。たしかに私は君を脅している。だがそれを下品と思ったことは一度もない。繰り返し言うが君のような異常者は公のためにもすぐに死ぬべきだ」

 ルシウスは僕を嫌悪している。それだけははっきり伝わった。彼は僕の弱みすべてを手にしなければ安心できないんだろう。不安なんだ。彼が僕の心臓に爪を食い込ませれば食い込ませるほど僕も彼も後戻りできなくなる。

 

「そんな僕に頼みたい仕事があるのは誰だ?」

「そう、仕事だ。君たちは仕事が好きだろ」

 ルシウスは紙束をどこからか取り出し僕に渡した。彼は僕を完全に支配しきるつもりでいるのがやっとわかった。いざとなれば彼はためらいなく杖をふる。腹を括ったわけだ。

「長い話だ。我が主が所望するのは面倒な手続きが必要な代物だ」

「魔法使いはいつも前置きが長いな。簡潔に言ってくれ」

「予言だ。予言が要る」

「何?あれは確か本人しか…」

「そう、本人にしか取り出せない。ハリー・ポッター自身にしか」

「ヴォルデモートはそんなものを欲しがってどうする」

「おい!その名を軽々しく口にするな!」

「ったく…」

 僕は苛立ちを隠しきれなかった。予言だと?そんなものを欲しがってどうする。予言なんてものがあろうとなかろうと運命は決まっているのだから放っておけばいいだろう。

「我が主がご所望だ。それ以外に理由はない。我々はハリー・ポッターを神秘部に行かせ、予言を取り出させなければならない」

 ルシウスは今までにないくらい強く言った。ヴォルデモートへの恐怖からか目が血走っている。

「そんなでたらめな任務と聞いていればあの場であんたを殺してアルバニアにでも逃げてたのに」

「私としてもそのほうが楽だったかもしれないな。知らぬが仏という言葉の意味を、それを見てよくわかったよ」

「仕事相手にそれはないんじゃないか」

「は…ウラジーミル。ウラジーミル・プロップ。私は仕事をこなすという点において君を信用している。現状学校でもうまくやっているようだし、魔法省でもうまくやっているな。この仕事もうまくやれ」

「ではポッターをデートにでも誘うか。やあポッター、今度の休み神秘部へ行かないか?…馬鹿らしい」

「よく聞け。私が君に頼んでいるのはハリー・ポッターの掌握だ。彼の心を弱めればそこに押し入ることができる」

「開心術を使うのか?」

「いいや、違う。だが似たような手段で我が主は彼に干渉できる。しかし押し入るには、彼の心が弱ってないといけない」

「…当初とやることは変わらないってわけだ。それにしても…」

 僕は嘲るように笑った。

「本当に魔法使いは面倒な奴らだな。そんな回りくどいやり方をしなくても直接的手段に乗り出せばいいじゃないか」

「直接的手段?押し入り強盗でもしろと?」

「ああ。権力に物を言わせてポッターを連行してやらせればいいだろう。必要なら友人を人質にすればいい」

「そのためにはまずいくつか障害を取り除かないとな。まずダンブルドア。そのやり方じゃ夏の二の舞だ。そして闇祓い局長とファッジだ。ファッジはどう転ぶかはわからん」

「ヴォ…貴方のご主人様はなんて?」

「今は派手にすべきではない。せっかくまだ死んでいることになっているのだから、と」

「ふん、まだるっこしい」

 

 イギリスに移り住んでここ10年は魔法使いのやり方に我慢してきた。しかしその10年間の努力はもうルシウスによってめちゃくちゃに破壊された。僕のすべてがもう取り返しのつかないほどに破損していることは僕とルシウスにしかわからない。他人にとってはわからないがウラジーミル・プロップにとってはもう今が分水嶺だった。

 ルシウスの握った僕の秘密ーいや、秘密と言うにはいささか派手なものだが、それは単なる死体の山ではない。僕がウラジーミルとして生きるにはそれをバラされては困る。

 彼を殺してセストラルに喰わせようか悩んだ。しかし彼はもう僕の前で警戒を解くことはないだろう。僕は魔法使いじゃないんだ。僕の殺意は彼に届かない。

 

「…仕事はやる。やらねば僕に未来はないのだから」

「そのとおり。わかってくれて嬉しいよ。期待している」

 

 ルシウスは完全に僕を下した。僕はまたすべてが枯れた雪原に戻りたくはなかった。僕は文明を、消費社会を、カフェインとアンフェタミンを愛している。ここほど快適な狩場はもうない。居心地のいい住処を保つのもまた本能だ。しかし、僕はまだ諦めちゃいない。このままこの男の下僕として生きるくらいなら豚の餌になったほうがマシだ。全ての方がついたらこいつと、僕の経歴を漁った犬野郎を肥溜めにぶち込んでやる。

 

 僕が激しい怒りに燃えている時、ホグズミードの湿気たパブでグレンジャーがくだを巻いていたらしい。ドラコいわく「あんたあいつに嫌われてる」そうだ。女子に嫌われるというのはなぜか悲しいものだ。

 ハリー・ポッターの感情をコントロールするにはグレンジャーの信用を得るのが最優先だ。僕がいくら甘い言葉をポッターに囁いても彼女が四六時中疑いの言葉を口にしていたら意味がない。

 

「古今東西女の子を落とすなら」

 

 と、僕は旧友BDの言葉を思い出した。

 

「はじめはあえて悪印象を与えるんだ。そんでその後、最大のピンチを救う。…これでだいたいイチコロだね」

「最大のピンチが何回も来るのか?」

「くるさ。というか、つくるのさ。お前そういうの得意だろ」

 BDはバックドアと呼ばれていた。本名はわからない。彼はアフリカ系の黒人で、あちらの学校で学んだ祖母に自宅で魔法を教えられた。彼の両親は魔法使いではなく、彼も魔法省に認められていないので魔法使いではないのだ、と言う話を初対面の魔女にするのが好きだった。

 彼は職業泥棒だった。キーメイカーという異名を持つ彼は、名前通りありとあらゆる鍵を開けることができた。

「俺が黒人だったから泥棒になったわけじゃないぜ。泥棒の才能がある黒人だったのさ」

 ジョークが通じそうな相手にはよくこのセリフを言っていたが、笑っていいのか良くないのかわからない冗談は場を白けさせるだけだった。

「BD。お前はそれで何人抱けた」

「三桁は」

「だとしたらロンドンの魔女は全員お前と寝てるな」

「違いねえ」

 彼は珍しく存命中の友達だ。彼は僕のバックグラウンドに無関心で、僕の払うギャラにしか興味がない。僕も彼の技術にしか興味がない。僕とBDはシンプルな関係だが、数値化できる友情は居心地が良かった。少なくともパーシーとの虚飾で彩られる会話よりは。

 

 ホグワーツに電話がないのは面倒だった。フクロウは彼を見つけられないので、僕は電話をかけなければ彼と繋がれない。

 もしかしたら彼の助けが必要になるかも知れないし、必要でなくとも僕は今ルシウスへの罵倒を誰かに聞いてほしかった。

「クソッタレ、ルシウス」

 僕は校門を出て姿くらまししたルシウスに中指を突き立てていった。

 

 浮き彫りになった僕のやらなきゃいけない事と、明確な敵。認めることはしゃくだが、僕は今久々にワクワクしている。

 

 僕は急いで研究室に戻ると、アンブリッジへ手紙を書いた。

 

 

拝啓 アンブリッジ様

 

 日刊予言者新聞へハリー・ポッター個人のバッシングをもっと強化するようお伝えください。リウェイン・シャフィックが適任でしょう。その他息のかかるメディアにも話を通してください。

 ダンブルドアに関しても別のアプローチが可能でしょう。情報をあさるのが得意なフリーライターがいます。彼女の連絡先を記載しておきますのでご一考ください。

 

貴方の部下 ウラジーミル

 

 

 パーシーの本格的な職務は明日からだ。すべての授業を監察しなければならないが、初日から面倒を起こす教師はいないだろう。アンブリッジが以前よこした辞めてほしい教員リスト…もとい、教職に不適格と思われる教員リストにはダンブルドアを筆頭にハグリッド、マクゴナガル、フリットウィック、トレローニー、バーベッジと彼女のヘイトが高い順に名を連ねていた。

 彼女は半分を憎んでいる。半純血はそう珍しいものではないが、デミは別だ。フリットウィック先生はとても温厚で教えるのも上手なのにアンブリッジは人だと思ってないようだった。

 アンブリッジは半純血だ。なのでマグルと結婚した父を憎んでいたし、同時に素晴らしい魔法の力を授けた父を愛していた。杜撰でがさつな気の強い母親と安月給に甘んじる父親はいつも喧嘩していたらしい。複雑な愛憎に引き裂かれそうだった彼女はスクイブの弟の誕生により決裂した。

 僕に肩入れしてくれる理由はそこだった。彼女の愛憎が僕を生かしてる。僕の境遇に自身を重ねたのかもしれない。とにかく僕は彼女の言葉にできない部分をうまく揺さぶり身の安全を得たわけだ。

 まあ結局彼女に拾われたのが今僕がここでルシウスに脅される未来に通じているわけで、必ずしもいいことでは無かったのかもしれないが…。

 

 なんにせよ、僕がこれからやる事はハッキリした。

 僕は一度負けなければならない。



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10.怒れるポッター

 夕食前の賑やかなひと時。成長期の飢えた少年少女が定刻通りに出てくる彩り豊かな晩餐を今か今かと待っている。ホグズミードで買ったおやつを間食した上級生なんかはまだ席にはいなかったが、今が頃合いだろう。あまりに目立ちすぎてもだめだ。必要最低限な観客と役者は揃っている。

 ドラコが席についたのを確認してから僕は寮ごとのテーブルの間を抜けて、彼に話しかけた。

 

「マルフォイ、いいかな」

「…なんですか?プロップ先生」

 僕が人前でドラコに話しかけるのは初めてだったため彼はやや面食らったが、平静を装い返答した。

 

「今日君の出したレポートについて、いくつかね」

「レポート?ここでわざわざ?」

 

 彼の言いたいことはわかる。

 僕は普段すべての教務を、伝達事項を、規定された労働時間でしかしない。夕食は日給や年棒に含まれていたとしても時給には含まれない。

 ちなみに余談だが、僕の給料はコマ数×ガリオンだ。もっとも食事や部屋代なんかは取られないし、授業で使う羊皮紙やらの備品もタダなので結構いい金になる。他の教員は年単位で給料が出ているし、寮監のスネイプたちは特別手当が出ているはずだが、僕に限って言えば魔法省にも籍を置いたままなので非常勤講師扱いなのだ。一度魔法省を辞めた場合、アンブリッジにとっても僕にとっても面倒な手続きが増えるだけなので教育令22号で特例を作った。こうもポンポンと新しい法令を作ってると遵法している方が馬鹿なんじゃないかって思えてくる。

 また話が逸れた。

 要するに僕がこうやって授業時間外に話しかけてくるというのは、ルシウスから与えられた特別任務を抜きにしたって異常事態だ。案の定他のテーブルの生徒の何人かはこっちを見てる。

 

「看過できない内容だったからね。夕食が終わったら僕の研究室へきたまえ」

 

 そう言い残し、僕は教職員テーブルへ戻った。混乱したドラコとその取り巻きがヒソヒソと何かを話し合っていた。僕はそれを遠巻きに眺める生徒たちの中からグレンジャーを見つけたあと、自分の卓に出てきたキャロットジュースを飲んだ。

 当然ドラコは怒った。怒りながら部屋に入ってきて乱暴に椅子に座り、僕の出した紅茶を無視した。

 

「人前で話しかけるなんて。レポートの内容がなんだ?僕が書いたのはマンドレイクの利用法についての小論文で、しかもふくろう試験対策用にあんたが配ったやつじゃないか!」

「ああ。あれはパフォーマンスだから気にしないで」

 ドラコは顔に塗ったくられた泥を払うように垂れた前髪を元通り完璧な位置へ戻す。僕は完璧な前髪になった彼を無視して話し始める。

「明日か明後日の朝刊、日刊予言者新聞でハリー・ポッターに対する中傷記事が載る」

「いつもの事だろ?」

「いーや。今回ばかりは違うよ。彼の両親の名誉を著しく損ねる記事だ。君はそれを読んで、ポッターに喧嘩をふっかけろ。いいね?」

「…喧嘩をふっかけるのはいいが、なんでそれをあんたに指示されてやらなきゃいけないんだ?」

「おいおいおい…忘れたのか、ドラコ。君のお父さんは僕を助けてやれと言ってたじゃないか」

 僕は初日に彼にそうしたように両手を顔の前で組んだ。希うように。ドラコは長いため息をつくと渋々了承した。

「ちゃんと見て、止めてくれよ。罰則も厳しくやってくれ。あんた、一度も誰かに罰を下したことないよな?」

「ああ。減点も加点もね。僕の仕事じゃないから」

「チッ…」

 ドラコはさも面倒くさそうだった。普段は自分から意気揚々と喧嘩をふっかけに行ってるくせに妙なやつだ。思春期のオトコノコってやつなのか?僕にはわからないな。

 ドラコは僕を疑ってる。

「喧嘩をさせて…その後どうするつもりなんだ?」

「当たり前だろ。怒るのさ」

「そんなことしてなんの意味がある」

「あるんだよ。ドラコ、君女の子と付き合った事あるかい?」

「な、なんだよヤブから棒に。関係ないだろ」

「女の子を口説くようなものさ」

「意味がわからない。あんたは淫行教師になるつもりなのか?」

「まさか」

 僕ははじめからドラコにすべてを教える気なんてさらさらなかった。用件だけ伝えてわざとらしく時計を見て彼を追い出した。彼は不審そうに僕の顔を窺いつつも、父親から言われたことを思い出してからノーとは言えないまま寮へ帰っていった。

 

 午後十時。

 あとニ時間もすればロンドンの地下にある特大の印刷機がごうんごうんと嘶きを上げ、蹄を藁版くらい安価な紙に叩きつける。踏みつけられた紙は罵詈雑言の轍をのこし、それが何枚も何枚も重なって、3時間後にはロンドン中の集配所に行き渡る。それから2時間かけてふくろうたちはイギリス全土に飛び立ち、ポッター中傷記事は全英の、社会に属する善き魔法使いたちのポストに投函される。

 印刷所はインクが特別性だという以外、マグルのものと変わらない。機械油とインクの匂い、あと何日も機械の熱で蒸らされたむさいスクイブの汗の匂いで満ちている。魔法を使えないやつの就職先はだいたいこういう所で、湿気の多い密室に閉じ込められた人間は大抵皮肉っぽくなる。スクイブに皮肉屋が多いのはそのせいだ。

 インクの中に溶け込んでるムーヴィングオイル。この特殊なインクは南アフリカから原材料であるアドリシパを輸入して国内で調合されている。アドリシパは熱帯にしか生えないうねうねと動きまくる植物で、イギリスの消費量は生産国のおおよそ五十倍だった。生産国の五十倍の…ひょっとしたらもっと…インクたちは憎たらしい顔をした政治家の顔になってのべつまくなしにスローガンを叫んだり、シャッターの光に目を細めたり、まるで生産性のないものに変えられ、最後にはゴミ箱に捨てられる。

 南アフリカの魔法使いたちがこぞって生産し、恒久的に動くように日々品種改良を重ねられているアドリシパ。ここでただのゴミになるために作られてるわけじゃないのに。ほぼ永久に動き多様な動作を再現する最高級のインクは、政治家がバカ向けに丁寧にプロパガンダを解説するビラか、エロ本のポルノ女優の特別巻頭グラビアにしか使われない。

 

 僕とドラコが話した翌々日、日刊予言者新聞にはハリー・ポッターの両親への中傷記事が載った。安価なインクで印刷されたリリー・ポッターとジェームズ・ポッターがくっついて離れるだけの単純な動作を燃やされるまで繰り返す。

 手を握り、はにかみ、シャッターに驚き、離れてまた笑う。

 手を握り、はにかみ、シャッターに驚き、離れてまた笑う。

 その上にデカデカと上品ぶった書体で見出しが記されている。墓碑のように。細かく書かれているのは祈りの言葉ではなく、邪推から組み立てられた下卑た妄想文。記者名、リウェイン・シャフィック。彼らの恥辱刑執行係。

 

 

英雄?生き残った男の子はアヒルの子?

 

 根も葉もない噂を喚き散らす魔法界のお騒がせ屋といえばハリー・ポッター。もう皆さん彼の支離滅裂な言動はご存知の通りでしょうが、彼がどうしてそうなったのかについて注意を向ける人はあまりにも少ないですね。私達は、何故?についてやや無関心であると言ってもいいでしょう。

 ハリー・ポッターの両親、ジェームズ、リリー両名は不幸な事件により落命しました。彼等はその死ばかりが取り上げられ、生きていた間のことについて語るものは多くありません。私達は今年に入ってからのハリー・ポッターの異常行動の原因を探るべくホコリをかぶった過去へと杖をさしました。

 「ジェームズ・ポッターは褒められた人ではなかった」そう語るのは学生時代の彼を知る学校関係者Fさん。「悪ガキだった」なんとジェームズは他の寮の生徒から下級生、見境なくいじめ、さらには危険な挑発行動を繰り返したといいます。「あいつを抑えるために、私は文字通り骨を折った。あれ程手のつけられないやつはWたち(実名は伏せます)くらいのものだ」

 ジェームズは学校の備品を破壊し、校則を蔑ろにし、風紀を大いに乱していました。首席を勝ち取るために彼が一体何をしたのか。私は想像したくもありません!そんな男に靡くリリー・エバンス(旧姓)は権威好きだったのでしょうか?手のつけられないほどの悪童が首席の皮をかぶっただけでいいよる対象になり得ますでしょうか?彼女は優等生でしたが、なぜ優等生だったのかはジェームズの例を見てもわかります。おそらく、彼女もまた皮をかぶっていたのでしょう。

 そんな面の皮の厚さが子供に似てしまったことを悲劇に思えてなりません。ハリー・ポッターは自身と家族の名誉にかけても、間違った言動を正すべしでしょう。彼がモラルを理解することを祈るばかりです。

 

 

 

 

 

 死してなお名誉が貶められるのは道徳が存在する世界においては許されないことだ。けれども道徳と背徳はいつも表裏。ここには、道徳に飽きたやつがごまんといる。リウェインの記事はそういう奴らの受け皿で、そいつらはかつてはリータの顧客だった。大衆レストランのコックが変わってもまるで気にしないように、リータとリウェインどちらでも読者にとってどうでもいい。自分の頭の引き出しにない汚言を変わりにいってくれればそれでいい。

 

 ふくろうが一斉にやってきて、手紙と一緒に新聞を撒いた。購読している生徒はそこまで多くないが、それでもざっと16人は日刊予言者新聞を受け取った。今日の一面は東ヨーロッパで流行っている脱法スピード箒の在庫が暴走し百本を超える箒が西へ向けて時速200キロで飛んできているという記事だった。

 ポッターの両親の写真があるのはもっと内側。健康魔法薬や新刊の広告に紛れている。普段、誰かの中傷記事は2面3面に載る。今日はダンブルドアについてだ。多くの読者はダンブルドアをめためたにこき下ろすパトリック・ワーマイヤーの記事に満足して新聞を畳む。隅々読むのは極僅かで、これに反応をよこすのはきっとグレンジャーだけだと思った。

 グレンジャーはポッターにわざわざ報告しないだろう。自分の母親がアバズレ呼ばわりされてるなんて知らないほうがいい。父親が手のつけられない悪ガキで、誰かに瀕死の重症を負わせた過去なんて。

 

「君の嘘つきは遺伝だったのか?」

 

 朝食を終えたドラコは僕の方をチラと見たあと早速口火を切った。

 

「なんのことだ?」

 ポッターの刺々しい声にドラコの取り巻きだけでなく、大勢の子どもたちが火花をちらしている二人を見た。

「だから、君の父親も君同様、目立ちたがりの嘘つきだったのかって聞いたんだ」

「何?」

 ポッターの眉毛がつり上がる。横に並ぶウィーズリーの項がどんどん赤くなっていく。

 ドラコは日刊予言者新聞を開き、その記事を指差す。

「これによると父親はいじめの常習犯、母親は単に強い男が好きな尻軽だってさ。しかも殺人鬼、シリウス・ブラックと親友だったんだろ?あいつはお前の父親を裏切ったらしいが、裏切られて当然のヤツだったのかもな」

 ドラコの悪口は黒曜石のように鋭くポッターの繊細な部分を抉った。ポッターの顔はみるみるうちに赤くなり、怒りがはち切れそうなまでに膨らんだ。

「かせ!」

 ポッターはドラコから日刊予言者新聞をひったくり、その紙面を舐めるように見た。緑の瞳がくりくりと上下に動き、そして瞳孔が開く。ぱくっと割れた傷跡みたいに目を見開き、次の瞬間にはドラコに掴みかかっていた。怒り狂った相手の間合いに入るべきではない。

 ドラコはまず頬に一発くらい、額に頭突きを食らった。まだ彼の頭に星が瞬いてる間にポッターはドラコを押し倒し、更に跨って殴りつける。周りに野次馬ができて悲鳴が上がった。

 一発、二発、三発。

 ルシウスが僕にした失礼のぶんには足りないがまあいい。僕はドラコを助けるために野次馬をかき分け騒乱の中に割って入った。ちょうどそばにいたマクゴナガルが杖をすっと抜くのが見えたからだ。

 

 魔法で引き剥がされた二人は床に転がった。ドラコの顔はボクサーも真っ青なくらい血だらけだった。(青痣とかけている)ポッターは肩で息をして、まだ怒りを発散しきれてない様子でドラコを睨んでいた。ウィーズリーの差し出した手すら払いのける。

 新聞を拾い上げ、もう読んだ文を初めて読むふりをしてから僕は嘆息した。横で困惑しながら杖をしまうマクゴナガルに話しかける。

「日刊予言者新聞は校内では頒布禁止にすべきですね」

「そんなこと、あなたのボスが許さないでしょう」

「ええ」

 ポッターは石像のように真っ直ぐドラコを睨みつけていて動かなかった。ドラコは血を吐き出した。白い歯が一つ床に転がった。

「ポッター。今すぐ私の研究室へ。プロップ先生はマルフォイを医務室へ…ああ、フィネガン!急いでスネイプ先生に報告を…」

「我輩に何か用でも?」

 マクゴナガルが指示を飛ばし始めたら、いつの間にか影のようにスネイプが群衆の輪の外側に立っていた。生徒たちが道を開け、紙くずのように床に転がるドラコを見て土気色の顔が驚きに僅かに歪む。

「ポッターとマルフォイの喧嘩です。…事情は後で聞きます。とにかく今は彼を医務室へ」

「…僕にできることは?」

 それぞれの生徒を連れて行く二人に念の為尋ねた。

「その新聞を、どこかに捨ててください」

 固い声色でマクゴナガルが答えた。二人がいなくなると生徒達も飽きてそれぞれの寮へ帰っていった。グレンジャーが僕を見てるのに気付き、僕は床にべったりくっついたドラコの血と唾液を眺めるのをやめた。

 

「仕事が増える。余計な仕事が…」

 

 そしてどこからともなく湧いてきたフィルチがモップをかけ始めた。下準備は完了した。僕はぐちゃぐちゃになった日刊予言者新聞を篝火の中に突っ込んで授業へ向かった。憶測で塗り固められたインクはよく燃える。

 僕の午前の授業が終わる頃には、ポッターの大暴れについて様々な噂話が広まっていた。本当に噂の伝播ははやい。特に恋愛と、暴力は。

 

「プロップ先生、いいですかな。いま」

昼休み、相変わらず不機嫌そうな土気色の顔をしたスネイプが訪ねてきた。

「朝、ホールで何があったか貴方なら知っているはずでしょう。その場にいたのだから」

「本人たちから聞けばいいでしょう」

「二人とも頑として口を開けない」

「根性ありますねえ」

 僕は紅茶を出す。客人にいつも出す、マグル製のティーバッグ。僕は安価な輸入品の味が好きだ。着色料ででる赤みが好きだ。甘味料の栄養ゼロの甘さが大好きだ。これをわかってくれる人は少ない。

「新聞はお読みに?」

「3面までは。ほかを読むほど暇じゃない」

「じゃあどうぞご覧になってください」

 僕は『英雄?生き残った男の子はアヒルの子?』という文字が見えるようにして新聞を渡した。文字をおう目がどんどん見開かれていく。

 

「流石に今回ばかりは酷い記事だ。僕としてはいくら知り合いが…」

「黙れ」

 

 僕の言葉をスネイプが遮る。全く予想外の反応に僕は戸惑った。スネイプはまるで怒りでも抑えているかのように指先を震わせて新聞を机においた。そしてその怒りを飲み込むように紅茶を喉に流し込んだ。

「……魔法省の差金で、こんな記事が?」

「さあ。僕の部署ではないので…」

 嘘だ。

「……ポッターが怒るのも、無理はない。この事は我輩からマクゴナガル教授にも伝えておく」

「いえ、僕が行きますよ」

 スネイプは煩わしそうに僕を見た。煩わしさは僕ではなく、どちらかというと調子を崩した自分自身に向いているような気がした。

「ポッターが厳罰に処されたらたまったもんじゃない。彼が怒ったのはこんな記事があるせいだ」

「ああ」

 スネイプは思った以上に反応が薄かった。まあいい。僕はこの新聞に腹を立ててる演技をやや過剰にし続けなければいけない。そして、最終的にアンブリッジの怒りを買うまでハリー・ポッターを庇わなければいけない。

 

 僕はルシウスに弱みを握られた。そうなれば、誰の仕事を一番にこなすべきかは決まったようなものだった。全く以て遺憾だが、僕はおそらく魔法省で得たキャリアを捨てる羽目になるだろう。

 

 ときには我が身を切るような思いをし、古巣を捨てねばならぬときが来る。国を捨てるよりかは、職を捨てるほうがマシだ。

 けれども今回はもっといい事を思いついた。

 自分の次帰属する先は、自分で作ればいい。

 

「もしもし?バックドア。君に頼みたい仕事があるんだよ…」

 

ようやく手に入れた電話で、僕は旧友に声をかけた。

 

「ヌルメンガードを見つけ出してくれ。ああ。報酬は弾むよ」

 




アドリシパなるものは存在しません。
スピード違反の箒も存在しません。
日刊予言者新聞は虚偽の報道をしません。
アドリシパはフェアトレードにより輸入されています。
またマグルのポルノ女優を使った動くグラビアはマグル保護法違反です。
作中に出てくる雑学は殆どが原作には存在しません。
悪質なデマにご注意ください。


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11.傷跡がなければその痛みを忘れてしまう

人間が人間を拳で殴るとき、一方的に相手を傷をつけることは不可能だ。拳の皮膚は思いの外薄い。そして表皮には痛覚が集中している。相手に与えた傷に比例して拳に小さな擦り傷がたくさんでき、ファイト後も自分が誰かを殴りつけたという事実を感じさせる。その些細な痛みが自分が暴力を振るったという事実を、相手を一方的に叩きのめしたと実感させる。そう、杖を振るだけじゃ感じられない痛みだ。肉と骨。君達は魔法使いである前にみんな物質だ。

 魂。魔法は、肉体と薄皮隔てた概念だ。けれどもあくまで肉は肉。殺せば死ぬ。魔法使いだからといってマグルの毒ガスで死なないとは限らないし、鉛の弾が頭蓋骨の中で跳ねまわって脳味噌をシェイクしたらやっぱり死ぬ。問題は魔法使いにどうやって鉛弾をぶちこむか。

 

「ドラコ。怪我の具合は?」

「……最悪だ。父上に手紙を書くからな。後で覚えておけよ」

「おいおいおい。僕のせいだっていうのか?」

「あんたが指示したんだ」

「僕がしなくてもどうせ君はこうなってたよ」

 ドラコの無残な殴打痕はマダム・ポンフリーの素晴らしき医術で跡形もなくなっていた。残念だ。傷跡がなければその痛みをいつか忘れてしまう。彼のサイドテーブルには見舞いの菓子が山積みになっていた。思いの外寮内では人気らしい。女の子の手作りと思しき包もあった。羨ましい限りだ。

「それに、あんなキレ方するなんて予想できると思う?僕は初めて見たよ、あんなにキレる子どもは」

「…僕も想定外だった。でもあんたが助けなかったのも事実だろ」

「魔法使いじゃない僕があの場を杖無しで乗り切れると思うか?」

「この出来損ない」

「どうもね。…でもまあ、君のお父さんには手紙を書いてくれ。ポッターにボコボコにのされたってね。絶対だよ」

「書くに決まってるさ。あんたのことも書くからな」

「構わないよ」

 僕は差し入れとして日刊予言者新聞をやったが、ドラコはもう見たくもないと言いたげにそれを隅へ追いやった。

 

 ハリー・ポッターは減点50点、罰則一ヶ月、クィディッチの無期限禁止という重いものとなった。ドラコのあの血だらけの顔を思えばそれも妥当だと思えた。

 殴られた直後、彼の眼窩には鼻血が流れ溜まっていた。口から流れた唾液混じりの血はポッターの拳とまだ繋がっていた。ポッターはその拳をまた振り上げ、ドラコの唇とキスをする。あの光景は目撃する価値がある。カメラ好きのコリン・クリービーはその場にいたにも関わらずカメラを構えシャッターを切ることを忘れた。レンズ越しに見てはならない。

 暴力の行使者であるポッターは酷く落ち込んでいた。親友のウィーズリーとの会話すら拒み、いつもは怒る周りのひそひそ話さえ聞こえてないかのようだった。陰鬱な雰囲気をまとい始めたポッターのまわりは見えない結界でもあるように人が疎らだった。

 たしかに、あの殴打はやり過ぎだった。魔法使いはああいう傷には慣れてない。単なる喧嘩の小突きあいならまだしも、あれはまるでKGBの拷問だった。案の定ポッターは授業中もほとんど何も手がつかず、提出されたレポートも白紙だった。

 

「ポッター。いいかい。放課後」

「放課後は罰則があります」

「僕が一筆書くよ。成績に関する話ならマクゴナガル先生もわかってくれるだろう」

「…わかりました」

 と、まあすっかり意気消沈したポッターはあんな記事を書かせた魔法省の手先の僕にさえ反抗的態度を取らなかった。あの事件以降牙を抜かれた、いや、彼にもとから牙があったか定かではないか。

 

 

近代魔法界における教育の質と意義 第五回

 

ゲスト ドローレス・ジェーン・アンブリッジ

インタビュアー リウェイン・シャフィック

 

 近代魔法界の教育について、世間で起きている様々な噂やスキャンダル、事件について交えながら魔法省次官にして初の高官魔女としてキャリアを積み上げるドローレス・アンブリッジさんと共に切り込んでいくシリーズです。

 

リウェイン:第五回ということで、私達すっかり打ち解けましたね。さて、今までのテーマを振り返ってみましょうか。第一回は「ホグワーツ魔法魔術学校の抱える問題点」第二回は「教員資格認定試験を導入すべき5つの理由」第三回は「デミヒューマンの危険性、巨人と人狼」第四回は「魔法使いの情操教育」でした。振り返ってみるとなんと濃密なシリーズなんでしょうか。私、ここ最近急に自分が賢くなった気がしますわ。(笑い)

アンブリッジ:その感覚はきっと間違ってはございませんわ。少なくとも日刊予言者新聞を購読している魔法使いとそうでないものには、ほんのちょっとだけれども知識の差ができました。その小さな差が、より善い魔法界を実現する壁になっているのですわ。

リ:今回の第五回はこれまでの総まとめとなるわけですが、今まで取り上げてきた問題は教育だけでなく、魔法界全体に関わる問題だと感じました。

ア:私達はむしろ、教育が社会秩序の根幹を担っていると言う事を忘れています。ホグワーツの生徒が、つまり将来の魔法界を担う若者が問題まみれの環境で育つ事がどれだけ社会に影響をもたらすか。彼らの将来は無限大ですわ。けれども、ホグワーツでその将来への道が歪んでしまうということもありえます。クィッディッチ選手を目指す若者がヒッポグリフに足を噛みちぎられるかもしれません。闇祓いを志す若者が、うっかり人狼に噛まれるかもしれません。むしろ私は皆さんに問いかけます。「ホグワーツをこのままにしてもよいのですか?」と。……(以下略)

 

 

 

 

 

 アンブリッジはご覧の通り絶好調だ。リウェイン・シャフィックとも馬があってて結構な事だ。リータは彼女が看板記者の座をすっかりモノにしたことにおかんむりだろう。リウェインはスターダムを駆け上がる。リータは何らかの事情で彼女は記者を廃業しているが、リウェインを引きずり落とし、再び返り咲くことを目論んでいるのは間違いなかった。

 日刊予言者新聞はハリー・ポッターとダンブルドアへの中傷記事を相変わらず載せ続けている。内容は過激さを抑えてはあるが、巧妙に彼等を嘘つきに仕立て上げていってる。「嘘も1000回言えば真実になる」を実践している。

 

「ポッター、拳の傷はどう?」

「あ…はい。マートラップ触手液がよく効いたので」

 ポッターは僕の入れた烏龍茶を飲んで、慣れない味にすこし顔をしかめた。

「毒じゃないよ。安心して。烏龍茶は飲んだことない?」

「烏龍茶、ああ。初めて飲みます」

「100年前は紅茶より高価な品だったんだよ」

 今は両方共スーパー、雑貨店などでお買い求め頂けます。いい時代だ。ポッターは僕の雑談なんかじゃ笑顔を取り戻してくれない。

「気落ちしているね。あれだけマルフォイをボコボコにしたのに爽快感はなかった?」

「そりゃあ殴った瞬間はスカッとしたけど…僕、やりすぎました。あんな風に怒った事は無くて、すごく後味が悪い」

「それは君がまだ健全な証だよ」

 僕は微笑む、ポッターは戸惑う。数回彼と話してて気づいたが、彼は不思議で意味深なことを言えば言うほどその人物を賢いと思ってしまう傾向があるようだった。彼が今までで会った賢く優しい人物はすぐに答えを与えず、考える間をよこしてくれる人達だったのだろう。

「君が心配でね」

 僕の言葉に彼の瞳孔が開く。

「僕が心配しないと思った?魔法省の手先だから」

「い、いえ。そういうわけではないんですけど」

「はは。いいんだ。疑われてるのは知ってるし、事実アンブリッジには逆らえない」

「…アンブリッジって人の記事を読みました」

「ああ。僕も読んでる。はっきり言ってあの言い分は差別的すぎるし、言葉選びも恣意的だ。狡猾な人だよ」

「先生はアンブリッジの部下としてここに来ているんですよね」

「不本意ながらね。それにしても…」

 僕は間を作り、顎に手を当てて考えるふりをした。

「偏向報道をしてまで個人を攻撃するような人間だとは思わなかったよ」

「………」

 ポッターの顔色はまだ疑念が優勢だった。その疑いを咀嚼させる暇もなく、僕は言葉をつづける。

 

「ポッター、君は間違ってないよ」

 

 僕は彼の目を真っ直ぐ見た。唐突な言葉にまたポッターの瞳がギクリと揺れるのがわかった。

「死者の尊厳は守られるべきだ。君は正しい反応をしただけだ」

 君が怒りに任せてドラコの頭を掴み上げ、そばにある石柱の段差に頭蓋骨を叩きつけるような人じゃなくて残念だ。何百年もそこに在りすり減ってく石が彼の頭蓋骨を割って、髄膜を破り、とろとろした脳味噌をぶちまけてくれればいろんな手間が省けた。ルシウスへの復讐。君の投獄。僕のすべての任務が円滑に行くのに。

「そりゃあね、マルフォイの顔を岩塩みたいにしたのはいただけないが。ご両親はきっと草葉の陰で喜んでいるよ」

「そう…でしょうか」

「おかしいと思わないのか。ポッター、君はもっと怒っていいんだ。貶められて尚地面を舐める必要はない。君は君の自尊心を蔑ろにしているよ」

「でも、暴力に頼ることは許されません」

「誰かれ構わず殴ることが怒ることじゃないだろう」

 僕は荒げた語調を弱め、ゆっくりと落ち着いたトーンに戻す。

「ポッター。君はとても強い。僕は立場上明言を避けていたが、ここでは本音をいうよ。僕はヴォルデモートの復活を、信じてる」

 

 リトル・ハングルトンの墓地で回収され抹消された闇の魔法使いたちの痕跡リスト。

①なんらかの薬剤が入っていた瓶の破片

②埋め直されていた空の棺桶

③こぼれ落ちていた骨片

④複数名の足跡

⑤トム・リドル邸に残された指紋

 全てアンブリッジの指示により僕が焼き捨てた。ヴォルデモートが復活した証拠だ。僕が何よりも、誰よりも君を信じている。本当だよ。

 見開かれる瞳では疑いが涙で上書きされた。それが零れ落ちる前にポッターはすばやく瞬きして水気を飛ばす。

「そんなことを言って、大丈夫なんですか?」

「朝礼で言ったら間違いなくクビだろうね。パーシーに聞かれても」

「…言葉にしてくれて、ありがとうごさいます。そう言ってくれるのはロンとハーマイオニーと、先生くらいです」

「彼ら以外誰も君を信じてないのか?」

「わからない。その、マルフォイを殴ってから皆と話していないから」

「案外みんな大袈裟に怖がってるだけさ。君の眉間のシワが怖いのかもね。今の君の顔、ひどいもんだ」

 僕は自分のぶんの烏龍茶を飲んで、彼の今日書いたレポートを出した。白紙のそれを彼の前に出し、羽ペンを添えて言う。

 

「君が今思ってる事を作文してごらん。そしたらレポートを白紙で出した罰則はチャラ」

「…わかりました。闇の魔術に関係なくてもいいんですか?」

「ああ。いいよ。なんだっていい」

 

 ここですべてを曝け出し「死ね、ファッジ、殺す」とでも書いてくれれば僕も楽なのだが、流石にそこまで急に警戒を解いたりはするまい。これは全て前振りだ。僕は黙々と作文を書くポッターを尻目に、他の生徒のレポートを見るふりをした。心の中では過ぎ去りし栄光の事務職の有り難さについて詩を読んでみた。

 

紙束のあとは放蕩の日々

事務方の恵みは日々の糧

 

 だめだ。僕は吟遊詩人になれそうにない。意味不明だ。僕は他人に伝えたいことなんて何一つないから、何を書いても何を言っても空っぽに聞こえる。もし君がアパートの壁を叩いてぼん、ぼん、という低い音がしたら、気をつけろ。盗聴器か、あるいは盗聴器に類する下世話なものが空洞の中に隠されている。ふくろう便で送った品物のリボンには、箱との境目にこっそり小さな線をつけておくといい。一度開けられたか開けられてないかを確かめられる。ふくろうを捕獲するのはスクイブだってできるんだから。

 君が暖炉を使って誰かと話すとき、繋がれた通路は魔法省にある魔法運輸部の超大型会議室のボードで点滅する。そのボードにはイギリス中の暖炉が記されていて、アクティブになると緑色の光を点滅させる。回線が混む時間帯はアバダケタブラでも食らったみたいに閃光を放つ。だから君が本当に聞かれたくないことを話すなら、夕方四時か深夜0時に暖炉を使うことをオススメする。

 もっとも暖炉がみはられている場合はその限りではないが。グリフィンドールの談話室の暖炉は、どうやら不正な回線に繋がった形式があるようだった。

 

「ホント…これ、イホウですからね。アンブリッジさんがいうからやってますけど…ワタシの名前、出さないでくださいね?」

 そのボードの点滅を僕の研究室でモニターできるようにした。羊皮紙上にある虫眼鏡でも見えないような点滅を暇さえあれば眺めている。気の利いたことに不正な回線があった場合はあとからログが見れるようになっているのでずっと見ている必要は無いのだが、まあピカピカチカチカするものはそれに意味がなくてもある程度刺激になる。

 

 その点滅から目を引き剥がし、パーシーが上げてきた報告書を捲った。

 几帳面なパーシーの綺麗な行書体で事細かに記された教師たちの罪状。とりわけ文量が多いのは案の定シビル・トレローニーだった。パーシーが占い学という学問自体がまず馬鹿らしいと思ってるのが文面から伝わってくる。確かにあの科目は魔法にしてはオカルトだった。とはいえ、オカルトー神秘的なものについては部署が設けられているほど『ありふれた』ものであり、研究する価値がある。実際ルシウスだってハリー・ポッターを神秘部に行かせ、予言なんかをとってこさせるのに必死だ。

 予言、予言、予言。馬鹿らしい。僕にくだらない予言を吐いたやつがいたらその水晶玉で頭をかち割ってやる。

 

 かち割られた男の頭蓋が僕の頭にカットインした。フラッシュバック。あの、妹の死んだ日、兄が男を殺した日のことを思い出すと、僕はいつも気分が悪くなる。

 アンブリッジと出会った時もそうだった。僕は気分が悪くなり、しゃがみ込んだところを吸魂鬼に襲われかけた。

 

 アズカバンの空は、いつでも大荒れだった。船頭のジョージ・ウェルズは荒波の中、あの小さな地獄に向けて船を漕ぐことだけに人生を費やした男だった。彼は僕の不法侵入について何も言わなかった。アズカバンへ向かうすべての人間を見てきた彼は船を漕いでる途中、まるで波に聞かせるように独白した。

 

「俺は長いこと、いや、きっと生涯船を漕ぐだろうよ。行きの櫂は、それはそれは重い。娑婆への未練が船から岸へ伸びてんだろうな。帰ってこれるやつなんてほとんどいやしない。すくなくとも、目を見りゃわかる。本当に罪を犯したやつってのは、無実の罪を着せられたやつとは違った恐怖を感じるらしい。罪って言っても法律なんかで決められた罪じゃねえぜ。あんたはどうかな」

 

 僕は返事をしなかった。彼に金を払い、次の船の時間を知らされてから監獄へ登る急な石段を登った。アズカバンで生きてるやつは囚人しかいない。僕の用があるのは死人だった。アズカバンで死んだ死骸の引き取りてもないクズ共が棄てられた、ただの石が突っ立ってるだけの墓場だった。

 監獄内を徘徊する吸魂鬼たちに気づかれないよう、僕は絶壁に必死に足をかけ、クライミングに使うピッケルを使いしがみつき、なんとか迂回して墓場へたどり着いた。

 墓場は、そう言われなければ気付かないほどに粗末なものだった。申し訳程度の墓石がわずかと、ちょっとの盛り土。僕はこのただ埋まってるだけの骨の中から目的のものが見つけ出せるか不安になった。

 急いで掘った。爪の中に土が挟まる。腐肉だか土だかわからない、茶色の不気味な泥の中で死骸の中を泳ぐ。兄を探して。

 頭の中で脳髄が溢れる。ライトがつく。男が睨みつけ、僕の頬を叩く。次は拳で殴りつける。カンフル剤を注射し、朦朧とした僕に冷水をかける。

 僕は今、まさに吸魂鬼に襲われていたのだった。心が凍りつきあの冬の日のことが鮮明に思い浮かぶ。「お前がこれを持て」兄が言う。僕は男の死体をスコップの先端でなんとか切ろうとするが、うまくいかない。何度も突き立てたスコップの尖端は血油がへばりついてしまい、その鋭利さを失った。なんとか骨を叩き割っても引きちぎるのは苦労した。

 僕は兄が後頭部に突きつけた杖を意識しながら、泣いて懇願した。

 

「アリョーシャ!もうやだよ!魔法で片付けてくれよ!」

「魔法はだめだ。痕跡が残る」

「じゃあきみも、この左足を切断するのを手伝ってよ!」

「だめだ。指紋がついちまう」

 

 兄が僕に罪を被せようとしているのは明白だった。

 だから僕は同じ事を兄にした。

 

 その最後のケリをつけるために来たアズカバンで、シリウス・ブラックの逃亡について調査に来ていたアンブリッジと出会った。



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12.ベルカとストレルカ②

 静寂。殴られて鼓膜が破れたせいで、僕の世界に雪の日の夜のような静寂が訪れた。しかしそれも束の間。次の打撃で骨が震え、ごつ、という硬い音と鈍い痛みで脳みそがいっぱいになった。

 僕が生きてきた中で一番鮮烈で生々しい思い出は、妹を殺した男の死体遺棄事件の尋問だった。

 

「お前が殺し、捨てたんだな。アレクセイ・プロップ」

「……僕じゃなくて、あ、アリョーシャが…」

「そうだ。お前が殺したんだろう。アレクセイ」

 

 もちろん、僕はアレクセイじゃない。アレクセイは兄の名前だった。僕を拷問、もとい尋問しているこいつはプロップ本家の人間で、純血で、レニングラードを担当しているソ連国家保安委員会の一員だった。

 僕の父は反共産主義分子を告発するために放たれたおとり捜査官だった。傍系、そしてどこの馬の骨とも知らぬ混血の女と結婚した血を穢すものとして汚れ役を任されていた。僕の父は、アメリカのパンクロックのテープをたくさん持っていた。他にもソ連じゃ手に入らないありとあらゆる小説や雑誌を持っていた。モスクワから送られてきたリストに上がった人物へそれをチラつかせ、亡命へのあこがれを想起させる。そして獲物が十分餌に食いついた途端、告発する。そういう仕事をしていた。土地柄もあって、無垢なマグルを数多くシベリア送りにした。

 

 そして僕はプロップ家の逸れ者の子どもでいて、出生届すら出されなかったスクイブだった。双子であるにも関わらず僕とアレクセイはすべてが違っていて、さらに僕は全てにおいて劣っていた。

 

「ああ。わかってるよアレクセイ。不当だと、この暴力が理不尽だと思ってるんだな?安心しろ。傷跡なんていくらでも消せるんだ。あの男の事だって初めからいなかったことにできる。俺が欲しいのは、プロップの名を穢したことへの心からの謝罪だ」

 

 僕は兄の(或いは父の)身代わりに罰を受けた。男の頭をスコップで叩き割ったこと。妹を強姦したペドフィリアを泥との合挽き肉にしたこと。結果的に村を混乱に陥れたこと。僕とアレクセイが分かち合った罪の罰は僕一人で受けた。

 あとになってから考えれば僕とアレクセイは元々平等なんかじゃなかった。だって僕は、出来損ないのスクイブだったから。あの凍える冬の日、男を解体して家畜小屋に撒いた日。僕はあの日ようやくそれを自覚し、長い眠りから醒めたのだ。

 

 

 

「貴方の怒りももっともですね。ええ」

 僕は暖炉に向かって頭を下げた。遠くから見たら馬鹿げた光景だ。しかしいま暖炉にあるのはルシウス・マルフォイの顔で、ドラコの怪我について滅茶苦茶怒っている。暖炉本来の火なのか怒りの表出なのかわからないが、ぼっぼっと定期的に火が噴き上げている。

「でも貴方も知ってるでしょうが、僕の持ってる杖はこの前森で拾った棒きれですし、魔法無しでバチボコの喧嘩を止めるのは不自然です」

「君がドラコに喧嘩を示唆したんだろう!」

 ルシウスが珍しく怒鳴る。僕は悪びれずに答えた。

「あんな大事になると思いますか。僕は貴方の任務をこなそうとしました。おかげさまで順調ですよ」

「…プロップ、息子にこれ以上危険なことをさせるな」

「努力はしますよ。それで、本題ですが。どうせやってるんでしょう?ハリー・ポッターの処分の件」

「ああ。理事会に退学処分を提案した」

 彼ならそうしてくれると思った。学校内での怪我や事故は実にありふれた出来事だし、喧嘩だってしょっちゅう起きている。しかし今回の暴力事件は時期も相まって重要なファクターになるはずだった。

 ハリー・ポッターが退学になることはまず無いだろう。そのためにダンブルドアが必ず動くはすだ。ダンブルドアが動けば、ダンブルドア下ろしのための魔法省のプロジェクトが立ち上がる。すでに新聞各社はポッターの暴行事件について騒ぎ立てている。

 いよいよ生徒たちも事件について言及し始めたら、僕は彼を庇いはじめる。

 アンブリッジは絶対キレるだろう。しかしながら、今の僕はもう魔法省での出世は必要なかった。限界まで行き詰まった魔法省はもういい。僕はもっとマシで、楽しい生き方をしようと決めた。

 

 僕があのときアレクセイとして尋問を受けたのは、僕たちの暮らす世界が正しくあるために必要なことだと思ったからだ。より大きな善のため、秩序のためにもみんな僕がアレクセイじゃないとわかっていながら、僕をアレクセイとして扱い、殴り、謝罪を受け入れた。今思えば結局僕らは亡命した訳だし、あの行為はなんの意味もなかった。

 ハリー・ポッターがこうして執拗に叩かれるのも秩序のためだ。しかしその秩序に正当性はあるだろうか?この狭い狭い村社会。限界まで膿んだ魔法界は誰かが針でつつけば即座にはじけるだろう。

 

 ファッジの正当性を維持すること≠秩序を守ること

 

アンブリッジがファッジの機嫌取りに全霊を捧げているのは、そこの部分を見ないままにしているのが原因だ。同じことはヴォルデモートに仕える死喰い人たちにも言える。彼の美辞麗句に、どれだけの欲望が覆い被ってるのだろうか?僕は彼をこれっぽっちも知らない。けれども、少なくともヴォルデモートの望む世界に僕という存在は無いことだけはわかった。

 僕はウラジーミル・ノヴォヴィッチ・プロップとしての人生を諦めるつもりはない。どうせルシウスに従い続けてヴォルデモートを勝たせたとしても、僕に待ってるのは死だ。アンブリッジの望むままにファッジの理想を作っても、真実はいつか露呈する。その時まっさきにトカゲの尻尾になるのは僕だ。

 ルシウスに見出され、僕の秘密を掴まれてしまった時点で、こうするよりほかはなかったのだ。もう、諦めもついた。十年近く積み上げてきたものを崩すのは名残惜しいと同時に、気持ちよくもある。

 黒電話が鳴った。

 

「もしもし」

「よう。ウラジーミル。長電話…いや、暖炉だったな」

「モンスターペアレントの相手に忙しくてね」

「なんだよ、愛しのアンブリッジじゃなかったのか?まあいいや。ご依頼の件についてだ」

「ああ。見つかったか?」

 

 バックドアにセキュリティはあまり意味がないらしい。それとも魔法運輸部の暖炉監視網が筒抜けなのか?バックドアにはグリンデルバルドの幽閉されているヌルメンガードの場所の特定を頼んでいた。あれからまだ一週間も経ってないのにずいぶん早い連絡だ。

 

「見つかってはないが思ったより楽そうだ。君、スウェーデンの警察に捕まったことあるか?」

「いや、まだそこは未踏だ」

「そりゃ安心だ。あっちの魔法界じゃアズカバンみたいな便利な監獄はないみたいだ。ヌルメンガードを使ってるかもしれない」

「流石にそれは雑すぎないか?グリンデルバルドがいるってのに…」

「さすがにあいつは独房だろうよ。けれどもあの最強の闇の魔法使い特製の牢獄に加え、ダンブルドアのかけた魔法のおかげでマグルにゃ絶対見つけられない。俺だったら絶対利用するよ、そんなの」

「だとしたらスウェーデン人は歴史を学べないトロールだ」

「あんたのグリンデルバルド贔屓は相変わらずだね。まあいいや、この調子ならクリスマスにヌルメンガードにいけるかもな。サンタみたいに」

「わかった。そのまま頼む」

「早くすめば払う金も少なくて済むぜ。俺って友達思いだよな」

「ああ。愛してるよBD」

「オエッ!やめろよイワン!じゃあな、また何かあったらかけるから」

 

 バックドアは電話を切った。予想してなかった展開だ。僕なら絶対にグリンデルバルドのそばに人間や、生きとし生けるものを置かない。

 その愚策の理由は少し前の新聞を見てわかった。1991年、スウェーデン、フィンランド、ノルウェーといったフェノスカンジアの魔法使い共同体の魔法大臣にあたるポストに先進的な人物がついたようだった。名前はクリスティン・エンマーク。

 

 あちらで魔法使いの秩序がどう守られているのかについて補足しておかねばなるまい。イギリスがマグルの世界と切り離された独自の政治機構を持てたのは島国だからだ。独立した魔法政治機構がマグルの政治区分と一致しているのは他には日本と、大陸だがアメリカのみ。フランスやブルガリアといった魔法学校があるような地域でさえ多国籍な魔法使いたちが国境を越えて地域地域で共存し、日々秩序を守るべく連携しあっている。

 彼らの地方自治性は以前述べたようにグリンデルバルドの活躍によるものが大きいだろう。あとは単に、マグルにしか見えない国境線とかいうばかげた境界が魔法使いにはあまり意味がないというだけかもしれない。

 その点大魔法国家とも言えるアメリカにはアメリカ合衆国魔法議会があるが、魔法使いから見たらマグルっぽすぎる。最も魔法使い人口が多いアメリカは当然魔法使いによる犯罪も多く、日々マグルの世界と魔法界がせめぎ合っている。(グリンデルバルドがその馬鹿げたせめぎ合いについて否定的だったのは有名である。そしてそれの壁を打破できなかったのも)だからこそより厳格でシステマティックな血の通ってない制度が必要だった。それがすなわちマグルっぽさだ。

 それでも彼らのやり方はイギリスと、フェノスカンジア魔法共同体のものと比べれば幾分かマシだ。

 フィンランド、ノルウェー、スウェーデンの北欧三国による魔法共同体は政すべてを地方自治に任せているため「議会」という言葉は定期的に地域の代表が集まって地方情勢を報告し合う程度の意味しか持たなかった。議長はその時の司会進行役くらいの位置でしかなかったはずだが、エンマークは少々違った考えをお持ちのようで、他所にも積極的に口を出し始めた。彼女が就任してから決まったのは、犯罪者というものの定義と、その拘置先だった。今まで地域地域で裁いていた犯罪者を一同に、一括監視しようという名目だった。その拘置所に選ばれたのが、なんとヌルメンガードらしい。

 ダンブルドアは当然知ってる筈だ。なんと言ってもグリンデルバルドをヌルメンガードに閉じ込めた張本人なのだから。彼はどんな気持ちで許可を出したのだろうか。

 

 

 

「あっ!先生。あの…放課後、いいですか?」

 アーニー・マクミランは放課後にハッフルパフ生を集めて勉強会を継続中だ。僕はほとんど関与していない。しかし許可を与えて杖を使わせていることにパーシーはもう気付いているはずだ。今も僕に明るく声をかけたマクミランをパーシーが遠くから睨んでいた。

 僕は彼に返事をして少し雑談した後、ハロウィンの特別課題でのレポートを読みながら空きコマを過ごした。このレポートは出した場合は加点するというだけで出さなくても良いものだが、出せば成績にプラスされるので想定より多くの生徒が提出した。

 勤勉なグレンジャーも勿論出していて、ハロウィンの過ごし方が古代ケルトからどのように変化し今に至るかについての概説を書いていた。他の生徒で面白かったのはルーナ・ラブグッドというレイブンクローの4年生のレポートで、バンシーと庭小人の毒についてフラットな文章で書かれたものだった。

 無駄に時間のある7年生の長ったるいレポートを読んでいる途中、ノックがしたのでドアを開けた。いつの間にか放課後だった。

 

「こんばんはプロップ先生」

「マクミラン。どうぞ」

 

 僕はいつも一対一のときだけ茶をいれる。今日は紅茶だが、たまにアンブリッジがくれるいい方のティーバッグを使った。味の違いなんてわからないが、少なくともカップで揺蕩う紅色は天然由来の色なのだろう。

 

「どうしたの?」

「放課後の自主練習会なんですが、新しく人を誘おうかなと思っていて」

「好きに友達を呼んでいいよと言ったろ。信用できるならって条件付きだけどね」

「その…僕、ハリーを誘おうと思ってるんです」

 マクミランの発言に僕は少なからず動揺した。ポッターといえば先日のマルフォイボコボコ事件以降他の寮の生徒から避けられ続けている。学期のはじめはポッターを庇っていたマクミランも最近はあまり仲良さそうには見えなかった。

「何故?」

 僕のシンプルな問に対してマクミランは時間をかけて答える。おそらく、僕がポッターに対してどういう感情を抱いているのか計りかねているのだろう。

「この間の事件、かなりの大事になっているじゃないですか。彼、確かに酷いことをしたけどとっても反省しています。もともと僕は彼を信じていたし…それに、闇の魔術に対する防衛術はいつも成績優秀だったから」

「まあ殴ったのはまずかったね。でもあんな新聞記事を書かれちゃああなるよ」

「ですよね。日刊予言者新聞は最近胡散臭いです。あ、僕の主観ですが」

「はは。確かにあそこは魔法省の広報みたいになってるけど、僕に気を遣わなくてもいいよ。部署は違うし」

 僕の言葉にマクミランはホッとしたような顔をして紅茶を飲んだ。

「ポッターの成績も知ってるよ。ただ、やるなら場所を移したほうがいいだろうね」

「ウィーズリー尋問官助手のことですか?」

「ああ。彼は今は見逃してくれてるけど、ポッターが動くとなるとそうはいかない」

「ですよね…空き教室に忍び込むしかないんでしょうか」

「多分見つかるよ」

 パーシーの監視体制は日に日に網の目のように校内を覆い尽くしている。各寮のゴーストに見回り制を押し付け、屋敷しもべ妖精たちにまでシフトを与えているため校内のパブリックスペースの殆どに目が行き届くようになっている。マメな部下を持つと楽だ。

「あいにく、僕はここに来てまだ二ヶ月だからね…アドバイスはできないな」

「うーん。とりあえず、次のホグズミードで彼を誘ってみようと思います。それまでは使わせてもらってもいいですか?」

「ああもちろん」

 マクミランは嬉しそうだった。やはり彼は芯が真っ直ぐな子らしい。ポッターを心の奥底では信じている生徒は他にもたくさんいて、近いうちに新聞よりも彼の言葉に耳を傾けるものが増えていくだろう。

 次のホグズミード、ポッターがどう返事をするかでグレンジャーやウィーズリーの僕への印象は掴めるはずだ。兎にも角にも、物事はきちんと円滑に回りだしている。

 




世界の魔法界事情は魔法省の発表する公式情報に基づいておりません。根も葉もないデマであります。
ヌルメンガードの場所は未だ特定されておりません。ましてやフェノスカンジア魔法共同体による公営化など妄想甚だしく、空想じみているとしか言いようがありません。
この文章には一切の事実も書かれておりません。登場する人物、団体、事件はすべて架空のものです。
悪質なデマにご注意ください。


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13.Mondo Cane

 僕が今までであった数多くのアウトローたちの中で一際異彩を放っていたのは魔法生物の密売をしている老人だった。彼は十年は洗っていないもとが何色かもわからないローブを着ていて、その下にはありとあらゆる取引禁止の品をぶら下げていた。名前はネクラースと名乗った。ネクラースは醜男を意味する名前を聞いて驚く僕へ向かって言った。

 

「俺はずっとそう呼ばれてきた。それ以外の名前はない。いいんだ、名は体を表す。そうだろ」

 

 ネクラースはそう言って黄色い乱杭歯を見せて笑った。彼は見た目と裏腹にさっぱりした性格であり、独自の哲学を持って密猟に勤しんでいた。老人のぱさついた皮膚の下の筋肉は僕のものよりよっぽど硬く逞しく、おそらく多くの修羅場をくぐり抜けてきたのだろう。ちらりと見えた手の指は三本しかなかった。

「杖は嫌いだ。俺は必要以上に杖を使わんようにしている。つまり、隠された罠や俺の身の安全に関わる時だけだ。魔法生物を…ヒトを含めて…殺すとき、大体はこの手で絞める事にしている」

 

 魔法で済むなら魔法でやったほうがいいのに。けれどもそれは礼儀の問題らしい。手間と敬意の相関図には個人差がある。僕はどちらかと言うと手間をかけざるを得ないだけで敬意なんてこれっぽっちもない。人間は突き詰めてしまえば60キロはある物質で、切りにくい筋まみれの肉と206個の骨で出来た、処分に困る肉塊だ。

 ありとあらゆる生物はやがて朽ちゆく有機物。グリフィンの鋭くなめらかな鉤爪もフウーパーの色とりどりの羽毛もアッシュワインダーの赤く燃える卵も、そこに価値を見出せなければ全てがただの腐り掛けの生モノだ。(ファイヤ・クラブの殻にへばりつく宝石だけは別だ。あれは腐らない)

 どこまでも削ってゆく。削りきれないところまできて残った物がきっと本質なんだ。僕は一体何でできている?骨と肉といろんな有機物と魂以外に何もないのだとしたら、僕は今すぐ点を打つ。僕が穿ってきた点々、人々の言葉に穿つ最後の点。人生を修辞するに相応しいタイミングで言う言葉はどれも、人生はひょっとしてまるで意味の無いものなんじゃないかと僕に思わせるものばかりだった。

 初めてイギリスで殺した女の最後の言葉

「杖をアソコに突っ込んで唱えて。不妊の呪文よ。迷信なんかじゃないわ。今日刷ってた本に書いてあったから」

 数時間後、彼女はそのへんの道端にあるゲロとほとんど同じになった。

 

 僕はイギリスに来たあと、いきなり魔法省の仕事にありつけた訳じゃない。僕ら家族はボロボロだったし、おまけに母は死にかけてた。魔法省は『魔力を有する存在』として僕らを一応亡命魔法使いと認め、いくつか職を斡旋してくれた。その求人はどれも父と兄のプライドを満足させるには不十分で、二人はそれを蹴った。プライドなんてない僕はその中で一番労働時間が長く、家に帰らないで済みそうな仕事を選んだ。印刷所の仕事だった。

 魔法界の本は未だ手製本が主流である。新しい本が出るのは稀で、それも革表紙の本となるとますますだった。読み捨て雑誌以外の本は概ね持ち主本人よりも長く保つよう作られているので教科書や古典作品も新たに刷ることも少ない。書店の数も限られているため一冊一冊丁寧にかがり、背がためし、美しい装飾が施された表紙を貼り付ける。単純作業で、しかも杖でやるより手でやるほうが良いとされる作業だった。同じ仕事には三人ほど就いていて、みんな黙々と自分の机で製本していた。

 就職した1983年当時、世の中はヴォルデモートの戦後処理にやや飽きていた。僕は時たま現れる『例のあの人』の文字を見るたびに奇妙な気持ちになった。レニングラードでは聞かない名前をここではこぞって怖がっている。奇妙な気分だ。英語はもともと話せたが、日々アルファベットに翻弄されるにつれ僕の正気は削られていった。

 

 1985年。僕がそのしみったれた職をやめて魔法省を目指し始めた年の年間部数ランキング。

 

1位 フラウ・メイヤー著『夫を手放さない愛のテクニック』

2位 バーナバス・カッフ著『マグルに学ぶHow to SEX』日刊予言者新聞

3位 ブルータス・マルフォイ著『魔法族の誇りー闇の時代から光の時代へ(再版)』ウィザーズプライド社

 

 わかりやすい年だった。誰も彼も、闇の時代を過去のものにしたがった。そのための手っ取り早い方法はセックスとか飯とかそういう足し算だった。足し算、足し算。マイナスになった誇りを取り戻そう。今まで特に意識してなかった自尊心を取り戻そう。僕の働いていた印刷所は手製本以外の事業を開拓すべく、読み捨てを前提とした無線綴じの雑誌を刷るために新兵器を導入した。マグル製の人間より賢く正確な機械は秒間0.5冊のスピードで低俗な雑誌を刷り続けた。

 飯。セックス。広告。スポーツ。ゴシップ。広告。セックス。今話題の魔女のグラビア。ポルノグッズ。飯。セックス。スポーツ。広告。広告。ゴシップ。セックス。広告。今話題の魔女のグラビア。飯。セックス。スポーツ。広告。ゴシップ。セックス。今話題の魔女のグラビア。広告、広告。

 魔法界人口の2倍の部数の雑誌がーつまり、僕が一日で作れる本の1000倍がー刷り上がり箱にすとすと納まった時点で、僕は自分の限界を悟り、辞表を出した。

 

「私達、いよいよ時代に見捨てられるんだわ。マグルのほうがよっぽど凄いもの。やんなっちゃう」

 

 紙の色に似た肌の女は、落丁のあるはじかれた雑誌…よく燃える紙屑と同等のそれ…を勝手に拾って休憩時間に読んでいた。月刊魔女の看板魔女だったシャルロッテ・ウィガーンのセックス事情特集を開き、マグル製の安い紙タバコをふかしていた。紙みたいな女が紙を読み紙を燃やす奇妙な光景だった。

「絶望するわよね。魔法使いになれないってのはもう諦めついたけど、これじゃマグルにもなれないのかも」

 スクイブはわざわざ自分をスクイブだと宣伝しない。あたりまえだが、それは弱みだからだ。けれども彼女はむしろ宣伝していた。まるで誰でもいいから私をめちゃくちゃにしてほしいと言わんばかりに、堕落したさまを隠そうとしなかった。

 彼女は魔法使いの母を持っていたが、兄弟全員が父親のマグルの血を継いでしまったらしい。末っ子の彼女は魔力の発露をそれはそれは期待された。週に一度は魔力に目覚めさせるために2階の窓から落とされた。そのせいで左脚が僅かに変形しているのだという。ニュートンのリンゴ。彼女は重力に抗えなかった。

 長男はスクイブとしてダイアゴン横丁で清掃員をやっている。次男はマグルの会社に就職し、地方の老人に発電機を売りつける仕事をしている。三男はマグルに魔法薬をドラッグとして売り付けるバイヤーをやっていたが、最近マグルの刑務所に投獄されたという。

「あたしもいつか墓場行きなのはわかる。問題はどこの墓場なのか。墓地を選べるなら、あたし、家族と同じ墓だけは嫌」

 僕は彼女の願いを聞き届けた。彼女は粉砕機で四方一センチのブロックにされ、家畜の餌の中に撒かれた。これで少なくとも永遠に家族と顔を合わせずに済む。広義の弔いだ。

 

 

「俺はこの年齢にもかかわらず人間の首を絞めてる時だけは勃起する。多分そういう癖なんだな。ふつう杖を使ってセックスするか?え、する?最近はそうなのか。恐ろしいな」

「なんだよ、爺。飢えてるのか」

 一緒にいるのはマグルの男で名はレオン・レナオルド。彼はナチュラルボーンマグルであるにも関わらず魔法使いの存在を知っていて、魔法使いとマグルの違法取引の橋渡しをしていた。国際機密法なんてものは国際レベルで守られていてもマイクロの視点に立ち返れば取りこぼしはいくらでもある。彼はマグルの癖にやたらと賢く、魔法使いが杖を使って彼をだまくらかそうとしたら途端に見抜き、杖腕をへし折った。

 僕は彼から魔法使いが魔法を使えなくなる手段を伝授してもらった。レオンとネクラースはお互い僕より長く知り合い同士だったが交流は浅薄だった。僕が彼らの縁をより固く結んだとしたならば、僕は殺されるために産まれてきたユニコーンたちに死んで謝らなければならない。

 

「いや、アッシュワインダーが最近売れないのはなぜかと思ってたんだ。謎が解けたな」

「確かに愛の妙薬は人気ないね。もうどうしても手に入れたい相手なんてどこにもいないんだろ」

「同感だ。俺は女なんてもう何年も欲しくない」

「あれだろ、ヒツジとやるようにヒッポグリフとやってんだ、あんたら密猟者は」

「それでモノを失くしたやつを両手の指くらい見た」

「ああ?…それって何本だよ。あんた、指何本あったっけ…?」

 ネクラースとレオンと僕は概ね気があった。そして全員が協力すれば如何なるものも入手可能だった。僕が女を殺して始末に困ったとき真っ先に粉砕機の場所を見つけてくれたのはレオンだったし、女だったドロドロを撒き散らす場所を紹介してくれたのはネクラースだった。ネクラースの育てている数多くの魔法生物たちの一部(言うまでもなく違法である)は僕が育てたと言ってもいいかもしれない。

 

 

 そんな後ろぐらい過去を何故思い出しているかというと、今目の前に立つ若く新しい友人を見ていたら不思議と懐かしさに駆られたからだ。

 

「最近君、変だぞ」

「なにが?」

 

 パーシーは苛立たしげに手に持ったクリップボードをバシバシと腕に叩きつけていた。そこにはホグワーツ魔法魔術学校の教授たちの通知表が挟まっている。僕とパーシーとでキャッチボールされる教授の名前と評価はやり取りさせるたびに恣意的に改ざんされていく。アンブリッジの望む形に書き換えられていき、“精査”はほぼ終わった。

 

「何がって、ポッターだよ。ハリー・ポッター。君、彼に肩入れしていないか?」

「そんな事はない。確かに特別扱いは命じられたが」

「マクミランの放課後教室はまだいい。彼の父親は魔法省にとっても大切な取引相手だ。だが…」

「パース。親のことなんて今は関係ないだろ。たしかに彼らは規則に反した活動をしていることになる。君はまさか純血の子どもだけは罰さないつもりなのか?」

 

 先日発行された教育令25号「学生による組織、団体、チーム、グループ、クラブなどはすべて解散される。再結成にはホグワーツ高等尋問官の承認を必要とする。届け出、承認無き学生による組織、団体、チーム、グループ、クラブを結成したことが判明した生徒は退校処分とする」

 この教育令はポッターがマクミランの放課後グループに参加したことをパーシーが敏感に嗅ぎつけたことにより急遽施行された。マクミランは僕に行ったとおり、クリスマス前のホグズミード村でポッターを誘った。無事OKを貰ったらしく一生懸命場所探しをしている。

 

「純血だからって特別扱いする気はない!誤解しないでくれよ。ただ、君がどう思ってるのかわからないんだ。少なくともアンブリッジさんは今の状況を歓迎しないだろう?君が彼女の意向に沿わないなんてありえない」

 

 僕は長らく彼女の奴隷だったし僕はそれで良かった。だが奴隷とはいつか牙を剥くものである。それに僕は、彼女を一時的に裏切るかもしれないがかと言って徹底的に叩きのめし再起不能にするつもりはない。

「より大きな善について、君と話したことがあったね」

「え?ああ。覚えているよ」

「僕は善に向かって闘争中だ。パース、パーシー・ウィーズリー。君にはこの冬を使って考えてほしいことがある」

 僕は椅子から立ち上がり、ガラスの向こうの暗緑色をぼんやり眺めながら反射したパーシーの虚像をみつける。パーシーの心は僕にべったりと依存している。僕は彼の望むような理想的な言葉を吐き続けていた。僕の喉越しのいい言葉を丸呑みにした彼は、棘付きの言葉を前にしてたじろいでいる。

 

「素晴らしい社会ってなんだ?善ってなんだ?何をもってして幸福を測るつもりなんだい。君の理想がどんな形なのか、僕はまだわからないんだ」

「それは…」

 パーシーは言葉に窮した。

「魔法使いの高潔な魂を持って…より秩序ある」

「その言葉は空っぽだ。そうじゃないだろ。もっと削ぎ落とせ」

「削ぎ落とせってどうやって?」

「どうしたいかだけを考えろ。何が許せない?」

 僕の強い語気に押されつつ彼は自分の頭の中を隅々まで探して見合う言葉を発掘する。僕の研究室は僕の座る位置にだけ光が指すようになっていて、対面に座る人物には影がさすようになっている。基本的なテクニックで、マグルのカウンセラーのパクリだ。彼らは自分の城から決して動かない。それは診療室という空間そのものが彼らの武器であり城壁だからだ。

「あー…そうだな。ええっと。一番はやっぱりダンブルドアかな。だって彼は、全員が白だということを黒だと言い張る。白は白なんだ。彼の見える世界は理解し難い」

「ダンブルドアの見ている世界ってなんだと思う?」

 矢継ぎ早の質問に、パーシーは息継ぎをしてからまた自分の心の中へ潜るはめになる。今度はたやすく言葉を見つけた。

「マグルとの融和だとか、独善的な正義かな」

「調子が出てきたな。では言葉になった君の欲望から逆算して、もう一度君の理想について立ち返ろうか」

 僕は上体をパーシーの方へぐっと寄せる。僕の顔に陰ができて、顔の凹凸がより濃い陰影を作る。パーシーは闇に窪む僕の目を見てぱちくりする。

「…多分僕は、マグルに迎合することなく、僕らだけでやりたいのかな。魔法使いの強さについて、僕らは曖昧にしかわからない。けどそれじゃいけない気がするんだ。…ごめん、まだうまく言えないみたいだ」

 

「十分だ。パーシー、ぜひ考えてくれ。そして休みが明けてからもう一度話そう。そうすれば僕らの関係もスッキリする。もし君が僕を悪だと思うなら遠慮なく蹴落としてほしい」

もう今日は絞れないとわかって僕はスイッチを切り替える。普段の平坦な調子に戻し、威圧を一気にどけて淡々と言った。パーシーはホッとしたような顔をしてから、自分が今何を心の底から引き出されたかを理解しきれないまま僕に尋ねた。

 

「君はいったい何を考えてるんだ?」

「終わりについてだよ。僕の人生、それだけだ」

 

 

 僕の戯言について、薄っぺらい哲学について語る時間はもうない。

 物事は万事複雑に絡まり続け、キップルは溜まり続ける。持続的混沌を打破すべく、僕はこのクリスマスにヌルメンガードへ赴く。だからもう、夢想の話をするのはやめよう。三十路になってようやくわかった。全てを魂に託すのは、僕にしか意味がない。僕は僕だけで完結する世界から少し領域を広げるべきなのだ。

 

 



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幕間ーグリモールド・プレイス

 グリモールド・プレイスにはハリーがクリスマスに求めていた全てがあった。

「シリウス!」

「ハリー!心配してたぞ」

 扉を開けるやいなや、ひげを丁寧に揃え珍しくちゃんとしたローブを着たシリウスがハリーを抱きしめた。駅からハリー、ロン、ハーマイオニー、ジニーの四人を護衛していたリーマスはそれを見てうんうんとうなずき笑う。

 キッチンからはもくもく煙といい匂いがしてきて、玄関の物音を聞きつけてモリーとトンクスが顔を出した。

「フレッドたちは?」

「二人はマンダンガスとダイアゴン横丁によってから来るよ」

「やだわ!リーマス。あの子達とあのマンダンガスを一緒にするなんて…」

 モリーはオタマを持った手を額に当て嘆息する。それを見てリーマスは肩をすくめ、ハリーたちに目配せした。

「ハリーたちの警護を彼ひとりに任せるわけにもいかなくてね…」

「もっと護衛を多くしてもらうべきだったわ…ダンブルドアに言っとかなきゃ。あ、キングズリーにまず…」

「もう、モリー!今はこのスポンジに集中しなきゃ!ぺしゃんこのケーキなんてわたし嫌だよ」

 そんなモリーの背中を叩き、トンクスは笑ってこちらへ(リーマスへ)ウインクした。まだ小言を言い続けるモリーを引っ張りキッチンへ戻り、ジニーは手伝いをするために二人に続いた。

 

 

「流石にあの二人も違法なことはしないよね?」

「スナックボックスの件でしょ?そんなに危険なものは含まれてないとは思うわ」

「君、お菓子を食べるとき原材料を当てようとするの?」

「しないわよ。カロリーは気にするけど…」

 ロンとハーマイオニーも楽しそうだった。去年のクリスマスはクラムを巡る二人のいがみ合いで散々だったが、今年は争いの火種はないので三人で楽しめるはずだ。

「ハリー。ちょっとこっちで手伝ってほしいことがあるんだが」

 部屋に荷物を置くとシリウスがハリーに話しかけた。ハリーがシリウスについていくと、マグルの少年部屋のようなごちゃごちゃした部屋へ案内された。ホコリは一通り払われているが使われている様子もなく、部屋の空気は澱んでいた。

 

「ここは私の部屋だった」

 ハリーは部屋にでかでかとはられたポスターを見てたずねた。

「オードリー・ヘップバーンなんて好きだったの?」

「マグルっぽければなんでもよかったんだ」

 シリウスは恥ずかしそうに笑う。そのポスター以外はクィディッチチームのステッカーだとか少年っぽいのにオードリー・ヘップバーンだけが浮いている。

「永久粘着呪文がかけてあるから、外すに外せないんだよ」

 意固地になってポスターを貼った少年の頃のシリウスを想像してハリーは笑った。シリウスは当然そんな思い出話をするためにハリーを呼び出したわけではなかった。

 

「…ウラジーミル・プロップのことだが」

 

 

 シリウスとは学期中もプロップと、その背後にいるアンブリッジについて話した。シリウスは当然日刊予言者新聞に激怒していて、その日の夜に暖炉からこっそり顔を出した。しかしハリーはマクゴナガルとまだ面談中で会うことは叶わなかった。

 次の日、シリウスはまた深夜に顔を出した。その時ハリーは酷く落ち込んでいてみんなと同じベッドルームにいる気が起きず、一人談話室でウトウトしていたところだった。

 シリウスは開口一番に日刊予言者新聞への罵声を上げるところだったが、ハリーの様子を見て不審に思った。

「なぜ落ち込んでいるんだ?」

「シリウス…人を殴っちゃって」

「ハリー、喧嘩くらい誰だってする」

「違うんだ。あれは喧嘩なんかじゃなかった」

 ハリーは詳しく事の経緯を話した。マルフォイを殴ったこと、マクゴナガルに連れて行かれ叱られたこと。そして重い罰がくだされるであろうことを。

「マクゴナガルがそんなに怒るなんて。…酷くやったのか?」

「本当に酷かった。僕、マルフォイがメチャクチャになればいいって思って殴った。二度と顔が見れないようになればいいって」

「マルフォイはそうなるべき大馬鹿野郎だ。…ハリー、あんな記事を書かれてキレるなって方がおかしいよ。君は悪くない」

「プロップ先生にもそう言われた」

「プロップ?あの尋問官が?」

「うん。僕は正しい反応をしただけだって。あと僕を信じてるとも言ってくれた」

 シリウスは空中に視線をさまよわせた。暖炉の木炭の凹凸が作り出す微妙な光の加減でシリウスの瞳はゆらゆらと定まりがなく見える。

「そう、か」

 シリウスはずっとプロップを信用するなと言っていたし、事実そう思っていた。彼が魔法省側の人間なのは確実だが、やけにハリーに肩入れしているようにも感じられる。だが去年の偽ムーディの件もある。ハリーに近付くのはなにか理由があるはずだ。

「彼について、騎士団のメンバーが調べている最中だ。クリスマスに帰ってきたときにもう一度話そう」

 

 

 そして、クリスマス。

 プロップについて話すことは前よりも増えた。

 まずはアーニーの放課後自主連クラブ。そして新しい教育令。ハグリッドの復職とパーシーによる監視。どれにも全部、プロップが絡んでいる。

 

「…ウラジーミル・プロップのことだが、彼の経歴はやや特殊、だがそもそも亡命者という時点で特殊だ。そういう意味では目立っておかしいところはない」

「部署異動が多いことも?」

「アーサー曰く、本来ならばあまりないそうだ。基本的にその部署についた以上専門家となるべきで、一つのことをじっくりやるのが普通だから。…まあどうやら使いっパシリをやらされていたようだから、技能は必要なかったのかもしれん」

「どの部署にもそういう人がいるのかな」

「大きな部署、魔法事故惨事局や魔法生物規制局なんかはそうだね。プロップのいた部署はだいたい人手不足の部署だそうだ」

 それだけ聞くと、まるでプロップが使えないやつのようだった。たらい回しされるプロップ。今の彼からは想像できないし、何より変なのは…

「そこからどうやってアンブリッジの秘書に?」

「それが謎なんだ」

 シリウスはため息をつき、部屋に飾ってあるドラゴンの骨格標本を飛ばした。

「君の話を聞く限り、ファッジに心酔するような間抜けではないようだが、あまり信用してはいけないよ」

「プロップはあいつの復活を信じてるのに?」

「それでも、だよ復活を信じてるのは…こういっちゃなんだが、死喰い人も同じだろう。信じてるからって味方とは限らない」

「でも、アーニー達に自主連クラブを許してる」

「そこからわかるのは、プロップが魔法省第一主義ではないということだけだ。まあそういう点では気が合うかもしれない」

「んー、でもパーシーは魔法省大好き人間だ」

 プロップとパーシーは仲がいいようで、彼が廊下を歩いているときはいつもパーシーが横にいたし、夕食ももちろん隣同士でお喋りしてるのを見た。(何を話しているかは聞こえなかったが楽しそうだった)

「ああ。どうせハリーのことだから自主連には参加するんだろ?彼にだけは見つかるなよ」

 ハリーはこくんと頷く。パーシーの規則違反者摘発能力はハーマイオニーのそれを上回る。

「パーシーの取締は厳しくて。フレッド、ジョージたちがそろそろ爆発しそうなんだ」

「兄弟喧嘩か。懐かしいような羨ましいような…。私にはジェームズが兄弟みたいなもんだった」

「父さんと喧嘩をしたの?」

「そりゃするさ!親友だろうと譲れないものはあるしね」

「例えば?」

「リリー一筋のくせに女の子をナンパした時とかね。その子は私が狙ってたんだ。若かったよ」

 

 ジェームズの昔話をするときのシリウスは少年のようだった。よくよく考えれば36年の人生のうち12年も監獄にいたのだから時間が止まっててもおかしくない。監獄、密室、留守番。シリウスはいつも閉じ込められている。彼が今までいたところはどれもこれも彼に似合わない場所だった。

 ハリーは不意にかつて自分がシリウスを憎んでいた事を思い出した(とんでもない思い違いだったわけだが)その時はアズカバンに囚われているのを「それが当然の報いだ」と思っていた。なんだか不思議だった。立場が変われば、関係性が変われば、その人への印象は簡単に変わる。それは当たり前の事だけど時々思い出さなければいけないくらい大切なことだと思った。

 

 ハリーはこの三ヶ月で初めて心が落ち着いた気がした。五年生が始まってからずっと周りからチクチクと陰口を叩かれた。やっと信じてくれる人が出てきたと思った矢先にマルフォイ暴行事件だ。ハリーへの印象は一気に失墜し前よりも周りから避けられていた。

 そんな中、アーニーが誘ってくれた放課後自主連クラブはハリーにとって救いに等しいものだった。   

 アーニーが、ハッフルパフの生徒が信じてくれている。しかもハリーの魔法を頼りにしている。ハリーはすぐにイエスと答えた。しかし、その場にいたハーマイオニーは強く反対した。

 ハーマイオニーはいつもハリーやロンの行動に異議を唱える。五年目ともなれば彼女の異議はいつだって正しいとわかってきたが、それでも今の不安定な精神状態では「鬱陶しい」と思ってしまう。そのせいで最近ハーマイオニーとはギクシャクしている。ロンが(珍しく)間を取り持っているのでなんとかなっているが、ホグワーツからここまでの移動時間もやや気まずかった。

 さらに、ハリーが一番信頼していたダンブルドアと全くあっていない。例の吸魂鬼裁判と晩餐以外で顔すら見ていなかった。あのマルフォイ暴行事件の時でさえ、ダンブルドアは姿を見せなかった。

 

 僕が何をしたって言うんだ?

 僕は被害者なのに。いつだって誰かに指を差されて、馬鹿にされてるのに。

 

 ダンブルドアの不在がハリーのこめかみがチリチリするような惨めさをより惨めなものにしていた。今までずっとハリーの味方だったのに、リドルの墓から生還してハリーの肩を抱いたあのダンブルドアはどこへ行ってしまったのか。

 

 シリウスがずっとそばにいてくれたらいいのに。

 

 

『監獄に愛を。』

1987年上半期総括会にて

クリスティン・ロジェッタ・エンマークの演説

 

 (前略)…囚人たちの待遇について、私達はマグルにも劣る見識しか示してきませんでした。さきほどは各魔法政府ごとの司法体制についてそれぞれ触れていきましたが、どの政府をとってしても人権への配慮は微塵も感じられません。特に残酷なあの悪名高きアズカバン。人間が想像しうる最悪を体現したあの忌まわしき建物は、世紀をいくつもまたいでなお運営され続けております。さらにドイツ魔法連邦までもその人道に反する監獄を間借りしている有様で、収容人数はいつでも満杯。にもかかわらず、日夜囚人が送り込まれています。当然数週間で出る者も居ますが、殆どがそこから出てくる事はありません。アズカバンはもはや、魔法使いの犯罪者のと畜場と化していると言っても過言ではありません。

 マグルは更生について考えます。犯罪者は犯罪者であると括り、そのまま臭いものに蓋をする。そんな時代は終わりました。我々はマグルよりも知的で進歩的な存在のはずでした。その時代を取り戻しましょう。監獄へ愛を。それは我々の社会全体の発展でもあります。

 我が魔法共同体はマグルに習うべきです。これは決して魔法族の魂を穢すことではないのです。各自治体で蔑ろにされてきた犯罪者という一人のれっきとした魔法族を、我々の手で社会の愛の輪の中へ戻しましょう。…(後略)

 

 

 

 

 ハーマイオニーは魔法近代史の本をめくるのをやめた。眉間を押さえ、チカチカした目を治そうとする。グリモールド・プレイスに来てまで勉強?!とロンはからかってくるが、どの教科も手は抜けない。実家に帰ろうかと思ったが完全にマグルの社会に戻ったらこの緊張感が切れてしまうような気がしてやめた。

 これはマグル学の課題読書で、マグルと魔法使いの文化の違いを様々な社会機構から比較するというテーマで延々と演説や文献を並べてある。ロンから言わせれば「紙と時間を著しく無駄にする本」だ。

 

 ハリーはハーマイオニーを「絶対にプロップを信じようとしない」と評価していたが、事実そうだった。プロップの言動は騎士団派、魔法省派、死喰い人派のどの派閥のものとも取れる。その“余地”が潰れない限り信用できない。

 騎士団側から見れば、ハリーを信じているという点で味方に思える。しかしホグワーツでの締付けはパーシーを介して着実に強まっている。死喰い人派…これは魔法省派とほぼ被っている。理事会にルシウス・マルフォイが復職した事からしてもほぼ間違いないし、プロップを推薦したのは理事会だった。

 限りなくグレーだ。だからこそ、自分だけは彼を信じてはいけないと思う。ハリーはプロップとよく一対一で話していて親しみを覚えている。ロンはパーシーと仲良しという点以外では悪印象を持っていない。

 彼が味方だったら杞憂に終わる事だ。そうであることを祈るが、現実はそう単純には行かないのだろう。

 

 

 

 

ダイアゴン横丁にて

 

 催眠豆とマンドレイクを1ダースずつ。それだけでマンダンガスは20ガリオンせしめようとしていた。フレッド、ジョージは顔を見合わせ、眉をひそめた。俺ら、足元見られてるぜ。

「確かに合法じゃないんだろうな。値段的に」

 ノクターン横丁とダイアゴン横丁のちょうど間にある、地下室を改造した怪しげなパブで三人は額をくっつけあって商談を進めていた。

 

「俺が資格を持ってるように見えるか?…なァ。確かに高いよ。だけど、こういう取引は初回はこんなもんだ。信用できる相手としか商売できないだろ。金で信用を買うもんなんだ。リスクマネジメントってーんだと」

「そんなこずるい言葉を考えたの、誰だよ?」

「マグルだ」

 マンダンガスの言う事はもっともだった。裏家業の危険性については父親からしっかり聞いてたし、ダイアゴン横丁の店舗を買ったときも地元のヤクザに用心棒代と言う名のたかりを受けた。

 商売となると魔法使いもマグルも従うルールはあまり変わらない。だからこそやりがいがある、と二人は考えていた。

 

「あんたの言うことはわかるよ。でもさすがに20はぼりすぎだ。俺たちの身元に関しちゃ、あんたよく知ってるだろう?」

「住所、氏名、生年月日。他に何が居る?」

「金だ。それだけ」

 マンダンガスのバカに小理屈を教えたのは誰だ?さあね。二人はどうこいつを丸め込もうか考えを巡らせた。

 

「おぅ、マンダンガス」

 

 不意にマンダンガスの背後に人が立ち止まった。狭い机の間に立った男はマンダンガスの両肩を細い腕に不釣り合いの爪が長い手でガッチリとつかんだ。

「れ、レナオルド…」

 マンダンガスの禿頭からブワッと汗が流れる。

「まぁた若いやつ相手にせこい事してんのか?」

 男はメイクかと思うくらい濃いクマと、やけにテカテカしたスーツを着ていた。髪はボサボサだが、靴と時計はピカピカで、ネクタイはだらしなく緩められているのにネクタイピンはきっちりと合わせに直角に付けられていた。ひどくいびつな男だった。

 

「お兄ちゃんたち、いくらで何を吹っかけられてた?俺が代わりに売ってやろーか?こいつ、ホントせこいんだぜ」

「いやあ、マンドレイクと催眠豆1ダースで20はバカ高いですよね?」

「あっはっはっ!そんなの、下手すりゃバイブリーのマグルの庭で採り放題だぞ!」

 男はマンダンガスの背中を乱暴に叩く。豪快な笑いに釣られてジョージも笑った。マンダンガスはみるみる縮こまっていき、顔もどんどん青ざめてきた。

「いやー、お前、ふっかけるにしても限度があるよ」

「あァ…ウン。そうだな。次からはもっと、上手くやるよ」

「そうしろそうしろ。…お兄ちゃんたち、なんか困ったらこいつより俺に言えよ」

 男は胸元からファイヤ・クラブの幼体の殻でできた星屑が散りばめられたような名刺入れをだし、てかてか光る名刺を出して渡した。

 マグルが大好きな薄いプラスチックの名刺で、「レナオルド輸入品店代表 レオン・レナオルド」と書かれている。

「ありがとう…レオナルドさん」

「レナオルド。レナオルドだ。次間違えたら割引はしねーぞ」

「あ。すみません」

「いいっていいって。じゃあな」

 レナオルドはそう言ってふっと笑ってからカウンターへ向かっていった。突然やってきたくせに場の空気を無理やりつかんで、そのまま持ち去っていったようだった。

「あれ、誰?」

「レオン・レナオルド。…俺の同業」

マンダンガスはフレッドの問にバツが悪そうに答えた。

「ドロボーか」

「違う!輸入業者だ!」

「どっちでもいいさ。安くて…信用できるならね」

「ああ、わかってるって。10だ。チクショウ」

 フレッド、ジョージはにっと笑って机の下でガッツポーズした。密談中の予期せぬ乱入者は10ガリオンぶんの価値ありだった。フレッドは名刺をポケットにしまい、グリモールド・プレイスに帰った。モリーの説教をたっぷり聞かされたあとズボンはそのまま洗濯機に放り込んだ。 二人は商売の成功を予感しながらベッドにはいった。

 

 

 



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14.ヌルメンガード(前編)

笑うんだよ、ヴォーヴァ。笑え。お前が魔法を使えないと悟られる前ににっこり頬を吊り上げて笑うんだ。チェブラーシカのようにおすましで、あるいはブギーマンのようにいびつに。

 

 でももう僕は子供じゃない。笑ったって誰も喜ばない。救済がないことはわかっていた。安息も。遠い日の幼い二人、そして可愛い妹ももう戻らない。僕の、三十歳の笑顔は薬物中毒患者の書くスマイルよりもひどい。嘘っぱちとか作り物とかの次元を超えて、ただただ醜く怪しい皮膚のシワだ。そこから庇護欲なんて引き出せるわけもない。

 

 僕は子供でなくなってしまった。

 

 救済を。

「笑って」

 生き方を。

「もっと口角を上げて」

 僕に教えてくれ。

 

 死んでしまった両親が何かの間違いで生き返ってていても、多分僕に家族セラピーは無意味だろう。親の愛はだいたい子供のすべてを決定づける。だが、僕の場合は敷かれたレールがいくら真っ直ぐでも、変態ペドフィリアによる妹の死で破壊される。いや、もしかしたらもっと前から破壊されてて、レールはあると思い込んでいただけなのかもしれない。

 振り向けば死体の轍だ。

 

 僕ができる魔法。死体消失マジック!

 色情魔の売女の首をナイフで切り裂き、彼女の杖を眼窩に突っ込んでからめちゃくちゃに掻き回す。そして動かなくなった肉の塊を運び、粉砕機に、あるいはバスルームにおいて、牛刀で叩き切る。すっかりミンチになった細切れの女をさらにビニールで小分けにして、農村のごみ捨て場にわけて捨てる。(この魔法は被害者が男でも女でも手順は変わらない)

 厄介な頭蓋や大腿骨は念入りに砕き、焼く。僕の家の暖炉からたまに煙突から煙が出るとき、大体元ドーキンスだとかジャクソンだとかが焼かれてる。

 注意するのは匂いである。レモンのアロマなんかじゃ骨や肉が燃える匂いを誤魔化せない。

 おすすめは『インド自家輸入スパイス。バーフバリ!本場のカレーをイギリスで』これを薦めるのは、ロンドンのスーパーなら大抵おいてあるからだ。もちろん匂いはきついが、血と腐臭よりは目立たない。幸い、僕のアパルトメントは外国人向けでアングロサクソンがいなかった。ここでは他人に口出ししない。僕のカレー好きもやつらの大麻の栽培だとか政府に申請してない親戚について口出ししない限り誰も文句を言わない。

 

 

 僕は飛行機の荷物受け取り所からやや古風な革張りの鞄を見つけ出し、皮膚をきゅっと締め上げる寒さに身震いした。空港の出口を少し探すと、BDが人懐っこい笑みを浮かべて手を振っていた。

「よお!センセ」

「やめろよバックドア」

 僕とBDは抱きあい、すぐに空港前に停めていたBDの車へ乗り込んだ。骨董品にしか見えないボロい車だったが魔法をかけられていて中はふかふかしたクッションと圧迫感のない高い天井でリラックスできる。

「にしてもわざわざ飛行機使うかね」

「飛行機なら魔法省に気付かれないから」

 魔法使いに国境はあまり意味がない。それでも一応イギリスでは出入国管理をやっていて、魔法省職員は国外に行く場合届け出がいるし、箒などを使った不法入国を監視する局もある。だがマグルの通行手段はノータッチだ。

「俺なんて車ごと飛んできたぜ!」

 BDはわははと笑ってハンドルを切った。羨ましいことで。

「送った資料は読んだ?」

「ああ。短期間でよくやったな」

「お礼を言うなら俺じゃなくてエンマークだよ。わざわざあのヌルメンガードを公営化してくれたんだ。調べやすかったぜ。世も末だよな」

「事実世紀末だからな」

「魔法使いは長生きなんだから、もっと気長に生きればいいのに」

 BDには彼女の、ヌルメンガード立役者のクリスティン・エンマークの焦りがいまいち理解できない。BDは自由人で、国なんてなくても生きていける。でも多くの人間は自分の所属にアイデンティティを託す。自己改善や自己改革を組織に仮託する。個人の境界と社会の境界を取り違え、取り違えたまま生きていく。

 フェノスカンジア魔法共同体は超高齢化を通り過ぎ、レッドリスト入りだ。遺された子どもたちがほそぼそと子孫をつなごうとあがいている。彼らはイギリスより遥かに純血について拘りがあり、それにより身を滅ぼした。(彼らはマグルと交わるのを禁忌としてきた“過激派”だ)

「僕にはわからないよ。正気じゃない」

「グリンデルバルドがどうしてそんなに怖いんだ?」

「子どもの頃寝る前に毎日脅されたら怖くもなる。…情操教育って大事だな」

「まあ俺もばあちゃんにはよく脅されてたな…悪いことすると寝てる間に歯が抜けるって。一回だけ、本当に寝てる間に歯が消えたんだ。俺、それですっかり信じちゃったよ。今思うと、単に生え変わりの時期だったんだろうけど」

「情操教育の成果がこれか。ばあさん泣いてるぞ」

「まっさかあ。ばあちゃんの老人ホーム代、俺が払ってんだぞ」

 車はどんどん濃い森の中へ入っていく。魔法のおかげで密集した木々の間を抜ける事ができるが、歩いていくのすら厳しいほど生い茂る苔と下草と木。ヌルメンガードへ続く、道なき道。こんなに深い森の中に閉じ込められる彼の孤独を思うと狂っててもおかしくない。いきなり襲いかかられないように用心せねばならない。僕はリボルバーの弾丸の数を確認した。

「銃なんて、グリンデルバルドには効かないよ。杖なしの魔法くらい朝飯前だろーよ」

「まあ用心に越したことはないだろ」

 BDは僕の魔力の無さについて理解している。しかしながら魔法より強い武器はないと思ってるおかげで、僕のささやかな武装には冷ややかだった。だが銃は少なくとも剣よりは強い。やっぱり何もないよりはマシなのだ。

「近代的じゃないねえ」

「杖は近代的か?」

「杖こそ最先端だろ?杖一つで何もかもできちまう。俺が思うに、一つで何でもできるってのがモダンだよ。マグルの製品はどんどんちっちゃくなってくだろ?レコードもテレビも食洗機も。次はオールインワンになるさ」

「なるほど…」

 だとしたら僕はものすごいロートルだ。何をするにもそれ用の道具が欲しくなるから、僕の家のキッチンには刃物が山盛り。牛刀、ペティナイフ、筋引き、骨スキ、中華包丁、腸裂き、革包丁。そうだ、魔法省をクビになったら肉屋になろう。

 

「ここからは徒歩だ」

 BDは少し開けた場所で車を止めた。生い茂り折り重なる葉で周囲は暗い。その森は恐ろしく静まり返っていた。小鳥の鳴き声や獣の息遣い、風の音と言った環境音すらしない不気味な静寂が重く立ち込めている。この森は魔法で作られたのだろう。マグルだったらまず入ろうとは思わない森。僕は、一応魔力はある。だからいまここに立ってられるが、もしマグルだったら火の中に裸で突っ込むようなものだ。それくらい不吉な気配が森全体に漂っている。

 雑談しながら森を進むと、沈鬱な色をした高い高い塀があった。人工物なんて微塵もない森に不釣り合いだ。BDはポケットから杖を取り出し、壁にある僅かな裂け目に差し込んだ。すると裂け目は人一人がようやく通れるくらいの幅まで広がり、僕らはそこへ体を知恵の輪みたいにしながらすすんだ。

 

「クリスマス休暇でよかったよ。協力者とは話をつけてる。ウラジーミル、ロシア語忘れてないよな?」

「もちろん」

「あんたは一応ロシアの役人だって紹介してある。話し合わせてくれよ」

「ああ」

 ヌルメンガードの管理はノルウェーの魔法使いと共同体に属する自治体から選出された役員が取り仕切っている。BDはそのうち犯罪者の人権について熱心でない構成員を買収した。(もちろんルシウスの金で)その構成員は僕たちを「ロシアとナイジェリア政府からの見学者」という体でヌルメンガードに招き入れる。

 ヌルメンガードの入り口は不意に現れた。壁からも続く森を進み、ひときわ濃い藪を抜けた途端、目の前に崖がぽっかり口を開けていた。危うく落ちるところだった。

 崖の向こうは濃い霧に覆われていて、こちらとあちらの境界線を敷いていた。その崖の縁を左手に進むと、吊橋があった。吊橋は真新しく、乗っても揺れないワイヤーでできている。吊橋は霧の中に続いていて、中にはいるとすぐ前を行くBDの背中すら見えない。

 崖は、始まるのが突然だったように終わるのも突然だった。吊橋の板から一歩進んだ先にあったのは岩場で、目の前にBDの背中。僕は彼の背中にまともに突っ込んでしまう。

「これが…ヌルメンガード」

 BDが珍しく畏れた様子でつぶやいた。僕は鼻を押さえながら真っ黒な塔をみた。

 

 切り立った岩場の隙間からはえてるような、曇り空の色をした塔。シンプルな石造りの牢獄はかつてグリンデルバルドが己に逆らうものを収監し二度と出さなかった粛清の城だ。

 今や吐き気のする人道主義者の偽善の象徴。

 塔の前には真っ白いローブを着た男が腕を組んで待っていた。ローブにはよく見るとフェノスカンジア魔法共同体議会のマークが光っている。 

 

「ズドラーストヴィチェ」

 

 協力者は取り立てて特徴のない顔の男だった。看守服のせいで個性が完全に消えていて、量産型の笑みが映える。僕に握手したあとBDとも握手し、すぐにバインダーを寄越した。

 

「ようこそ、フェノスカンジア犯罪者更生施設へ。我が団体の取り組みに興味を持っていただけて幸いです」

 特にそう思ってなさそうな定型文のあと、協力者は息を潜めて僕たちに英語で囁いた。

「ようこそ!またの名を、毛布のような地獄へ。俺はルーカス・ビャーグセン。よろしくな、イワンにクロンボ」

「なかなかいいやつだろ」

 どうやら特徴のないふりをしてるだけでかなり口の悪い男らしかった。BDは何度か会ってるので打ち解けている。彼は僕らの書いた嘘っぱちの書類をちらっと見てはんこを押したあと、僕らから杖を没収し几帳面に軸と素材を書き付け、鍵付きの金庫に保管した。

「さて…これで手続きは終了。さっそくツアーの始まりだ」

 

 ヌルメンガードに常駐している職員は15名。そのうち七名は作業療法士で、マグルの大学で福祉に関する授業を45単位取得している。若き理想家クリスティン・エンマークは次々と、やる気のない魔法使いたちがやる気を出す前に権利と権威を刈り取っている。悪意なく、無自覚に。彼女はどんどんヘイトを稼いでいる。

 ルーカスは25歳くらいで、若く、反抗的で、理想について言葉にできなくてもヴィジョンを持っていた。そしてその理想はエンマークの目指す社会と違っていた。

 

「全く馬鹿げてるよな。『蛍光灯ではなく、この暖色の白熱灯を使ってください。優しい光でリラックスします』?ここにいるのは全員人殺しや強盗犯だぞリラックスもくそもあるかよ」

 

 ヌルメンガードはパノプティコンだった。全展望システム。ベンサムというマグルの考えた効率の良い監視の形態。

 通常は円筒だが、ヌルメンガードは四角い。壁に沿って放射状に独房が並び、その中央には螺旋階段がある。螺旋階段は独房からは中を見ることができないように特殊なガラスがはられていた。看守は中央螺旋階段を行き来するだけで全囚人の監視が可能であり、通常の監獄よりも少人数で効率のいい監視が実現する。

 これならば少人数で看守をしなきゃいけない時でも速やかに罪を摘発し、魔法使いならば即座に罰することができる。

 

「あいつは子殺し、あいつは浮気相手を爆発させた。あっちは…よくわからんが、三人殺した。ま、ここにいるやつ全員の殺した数でもグリンデルバルドのギネスは越えられんよ」

 

 このパノプティコンの最上階に、グリンデルバルドの独房がある。螺旋階段とガラスは後付で、この階段が建設される前まではグリンデルバルドは完全に塔頂上に幽閉されていた。

 

「グリンデルバルドと会ったことは?」

「ないよ。エンマーク議長様にとってあいつはいない事になってんのかも。まあ多分、じきに死ぬって思ってんだろうな」

「彼の食事は?」

「ああ、リフトで運んでる。…でもリフトをつける前は知らないな。何食ってたんだろう?」

「さあね…」

 

 BDのすごいところは人を見る目があるというところだ。彼は見極めるのが大変うまい。ヌルメンガードを管轄しているのがノルウェーだとわかった途端、車でノルウェーに駆けつけて魔法使いの村を巡った。イギリス製の魔法道具を売りつけるセールスマンのふりをして、酒場や商店をハシゴしていった。

 そしてようやく、議会から大量に食料を発注されてる業者を見つけ出し、その業者のたまり場の居酒屋に張り込み、ついにヌルメンガードの職員を引き当てたのだ。それがこのルーカスだ。

 ルーカスは超高齢化した魔法使い貴族のひと粒種であり、純血主義者だった。魔法族たる自信と覚悟はイギリスの魔法使いよりも強く、過激だ。イギリスではもはやなあなあだが、彼らはマグルとの交配を近年まで法律で禁じていたため一際マグルに対して差別意識を持っていた。(その差別意識故に衰退し、マグルの大戦後はむしろ混血を推奨した)

 

 ルーカスはマグルに倣えをモットーにしているエンマークを憎んでいる。BDは彼の憎悪を見抜き、グリンデルバルド脱獄計画の仲間に引き入れた。

 とはいえ、彼は脱獄自体が目的で僕らには手段だ。グリンデルバルドが脱獄した責任を負わせ、この馬鹿げた福祉施設を閉鎖する。彼はその先を全然考えてなかった。

 

 独房はハニーカムのように組み合い、決して他と交わらない。囚人たちは隔絶された新設の、人間工学に基づいた規則正しい法則に支配され“治療”される。

 先代の負の遺産、グリンデルバルドという病巣の真下でぬくぬくと“愛”についての講義を受ける。気が狂ってもしょうがないね、これは。

 古ぼけた外観と不釣り合いや明るい光に包まれたパノプティコン。僕らはダラダラと話し続けてやっと最上階についた。分厚い鉄の扉だけは100年前からあるような鈍色だ。

 

より大いなる善のために。

 

 BDは複雑な文様のかかれた小箱を取り出し、中にある褐色のペーパーナイフをルーカスに手渡した。

 

イデオロギーはまだ響いてる。

 

 特殊なナイフは彼の親戚が作った品で、杖なし魔法の粋を秘めた道具だ。このナイフはあらゆる鍵を開ける。たとえダンブルドアがかけた魔法であろうと。

 

「俺の切り札だ。特別だぞ。友情割引」

 

 時間をかけて丁寧に防御呪文を切り裂いていく。

 

「いそげ。あと五分で別の看守が来る」 

 

 見学者のルートは厳密に定められている。時計によると、僕らはもうすでに一階で行われてるセラピーの見学に居なければならなかった。 中階層にいる人殺しではない犯罪者集団と七人のセラピストの社会復帰に向けたトレーニング。

 

「セラピールームに毒ガスを流してやりたい」

 

 下層の看守が異変を察知し階段を登ってくる前に脳のシワより入り組んだ魔法の迷路を解かねばならない。キーメイカーの大勝負は傍から見てもつまらない。ただ焦燥感だけが募る。

 

「魔法使いでもマグルの神経毒に気づくのは難しい」

 

 ルーカスは不安を紛らわすために早口で捲し立てる。

 

「無味無臭の毒ガスだけはマグルの使える魔法だと認めてやってもいい」

 

 BDの息が止まる。鉄の扉の奥でなにか歯車が回るような重い音が聞こえる。

 

 救済を。

「成功だ」

 生き方を。

「一歩下がって、ルーカス、お前は杖を頼む」

 

 僕に教えてくれ、グリンデルバルド。

 

 

 



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15.ヌルメンガード(後編)

 まず初めに感じるのは冷気だった。そして次に感じたのは強烈な臭いだ。永久に閉ざされているはずだったヌルメンガードの最上階は獣の巣の中に入ったのかと思うほどに生々しい気配で満ち溢れている。

「閉じるぞ」

 BDが鉄門を閉め、また元通りに鍵をかける。彼は鍵を開けるのも閉めるのも得意で、後に開けることを考慮しない施錠に関しては歴史上の誰よりも上手かった。

 BDは扉前に待機する。僕は特別製ナイフをルーカスの持ってた箱にしまい、二人して廊下の先に続く階段を登った。

 S字結腸から大腸へ逆流してる糞のような気分だ。気配はますます濃厚になっていく。ルーカスは目に見えてビビっていた。なまじ魔法が使えるとグリンデルバルドの発する妖気にも似た魔力のおぞましさが判るんだろう。僕はさっぱりわからない。

「いるのか、本当に」

 ルーカスが僕に尋ねた。

「当たり前だろ」

 雨だれで削れた石壁、建築されて1世紀たとうとしているくせに全くすり減ってない階段。時間が止まり、彼の孤独が濃縮されたような空気を肺いっぱいに吸い込むと脈拍が上がった。

 ヌルメンガードの最上階へ続く階段は四角い外壁に沿って階段が巡らされて、明かりはなく、窓から湿気った風が入ってくるせいで空気がひどく篭っている。そのせいで僕たちは尚更生き物の体の中にずっぷりと這入り込んでるような気持ちになる。

 

「本当に行くのか?」

 そのために来たんだろ。

「辞めとかないか?」

 下に行っても捕まるだけだ。

「これはヤバすぎる。わかるだろ?」

 わからんね。

 

 ルーカスはさっきまでの威勢がどこへ行ったのか不思議なぐらい縮み上がっている。みっともない男だな、と不快感がこみ上げてくる。自分が何をしようとしているのか両足突っ込んでようやくわかったらしい。

 グリンデルバルドを野に放つというのは、手負いのドラゴンをマグルの街に解き放つようなものだ。または、僕が今のうのうと息をしているのと同じことだ。

 だがそれがなんだっていうんだ?

 

「落ち着けよ、ルーカス。お前は魔法族だろう。グリンデルバルドは少なくとも魔法族をゲットーに放り込んだりしなかった」

「ここがそうだったんだ!」

 ルーカスはしゅーっと歯の隙間から喋った。しかし恐怖のせいでどんどん前を行く僕から離れられない。今慌てて例の扉から飛び出しても(BDがそんなことするとは思えないが)捕まるだけだ。

 

 そうこうしているうちに階段が終わった。

 

 最上階は古代の王の眠る玄室のようだった。最上階のはずなのに地の底に居るような重々しい静寂と闇。その押しつぶしてきそうな闇の向こうにボロ布の山のような何かが壁にもたれていた。そこだけ妙に暗いような気がする。床は糞尿のせいか汚れていて、周辺には苔が生えている。その奇妙な緑と黄色と灰色の配色の中心にいるのが彼だ。

 僕はそちらとこちらを隔てる鉄格子に近づき、僕はそれに向かって声をかけた。

 

「ご機嫌よう」

 

 言葉と入れ替えで生臭い空気が肺に満ちる。胸の奥から腐ってきそうだ。身体がすぐに空気を押し返そうとするのを堪え、言葉を続けた。

 

「生きてますか」

「…誰だ、お前は」

 

 声は思ってたより小さく、嗄れていた。久しく人と話してないせいか酷くガサついている。その弱々しさに僕は不安になる。

「ほんとに…ほんとに、ぐ、グリンデルバルド…生きてた…」

 ルーカスが僕に囁く。わかっているから縮こまった陰嚢みたいに僕にまとわりつくのをやめてくれ。

 

 ゲラート・グリンデルバルド。歴史にその名を刻む最悪の魔法使いが死にかけの老人みたいな声で返事をしている。老いと衰弱は如何なる賢者も悪人も避けられない。彼も例外ではなかった。

 

「僕はウラジーミル・ノヴォヴィッチ・プロップ。後ろにいるのはルーカス・ビャーグセン」

「やめろよ…名乗るなよ…!」

「私が誰だか知ってて来たのか?」

 

 グリンデルバルドの声には嘲笑が含まれていた。闇の奥で何かが微かに動いた。僕らが思っていたほど、彼は生者の来訪に感動してくれていないようだった。

 

「勿論。貴方を助けに来ました。ゲラート・グリンデルバルド」

「助けだと?ハッ」

 グリンデルバルドの声は確かにか細く、今にも切れてしまいそうな糸のようだった。だが吐き出す言葉はどれも挑戦的で好戦的で、皮肉っぽい含みがあった。彼のいまだ燃え尽きぬ敵意を向けられて僕は少し安心した。彼がすっかり気が狂っている場合も考えていたからだ。

「そんな冗談を言うやつと会うのは半世紀ぶりだ」

「冗談ではありませんよ」

 グリンデルバルドはこちらを見向きもしてないようだった。部屋の隅の影から全く動こうとしない。

 

「確かに、今のヌルメンガードは脱獄しようとすれば前より楽だ。だがこの牢からは出られん」

「解錠に関しては問題ありません」

「錠の問題では無い。ここには必ず誰かが入ってなければいけない。そうしないとこのヌルメンガード全体が崩れる」

「おやまあ。斬新な設計ですね」

「ダンブルドアだよ。あの聡明な男は私の作った全てを否定したいのだろう。私の人生、すべてをな」

 

 グリンデルバルドの“偉業”の象徴、ヌルメンガード。今や彼の遺構は歴史の教科書のページとこの塔だけである。彼を崇拝する者は概ね死ぬか、辞めるか、新しい闇の魔法使いのスター、ヴォルデモートに夢中になっている。彼の幽閉後に生まれた多くの若者は彼をお伽噺の悪役として怖がってるか、大昔の災害程度にしか思ってない。

 彼の理想ー国際魔法使い機密保持法の撤廃と、その先。ダンブルドアにより愚かな夢として葬られた言葉たち。彼が一体何に従い突き進んできたかを本当の意味で理解している人間はもうダンブルドアしかいない。

 そのダンブルドアはグリンデルバルドからすべてを奪うために二重規範を強いたのだ。

 

 自分の成し遂げたものを否定するのか、そのまま死ぬか。

 

「十年前にあのいけすかない女が勝手にここを使い始めてから、脱獄しようとすればできた。だが…私は一人で戦うには些か年を取りすぎた。もう少し早ければまだ棄てる覚悟はできた。だが今は死を待つのみだ」

 グリンデルバルドは咳き込む。長い間使ってなかった声帯を震わせたせいで吐血したようだった。どうやら敵意は尽きねども、燃え尽きてしまったようだ。

 この牢獄に満ちる空気の何割かは彼の諦念なのだろう。諦念ならまだなんとかなる。インドの牛みたいに悟りきってしまったらそれこそおじゃんだった。

 彼は脱獄は容易いというが、あの扉の錠をBDの特別製ナイフなしの素手で突破する方法なんて思い付かなかった。

 

「確かに。誰もあなたを助けなかった。こんなに簡単に入ることができるのに、誰もね。それはつまり貴方はもう舞台に上がることを望まれてないと言うことでしょう」

「その通りだ。お前はわざわざそれを言いに来たのか?」

「まさか。僕は貴方のお伽噺を聞いて育ったんだ。悪魔がいなけりゃ話はまわらない。僕はヴォルデモートじゃ力不足だと思ってる」

「ふん。ヴォルデモート卿、か」

 その名前は彼の興味を引いたらしい。そうだ、いいぞ。もっとこの調子で彼の好奇心を煽らなければ。いくらBDが施錠が得意でも、警備員たちも手立てを講じてで僕らを捕まえにくるかもしれない。急がねば。

 

「僕はいろいろあってヴォルデモートに協力するよう強いられている。だが彼に従っても僕に未来はない。殺されるだけだ。僕は杖が使えないからね」

 

 ルーカスが息を呑むのがわかった。そして、グリンデルバルドがようやく体を起こして僕の方を見た。視線を感じる。闇に目を凝らせば、彼の黒と灰の瞳が闇に浮かび上がったかもしれない。

「ノーマジ?いや、スクイブか…」

「話の肝はそこじゃない。ようするに、僕は殺されるくらいなら殺す。そのためには矛がいる」

「私が協力すると思うか?」

「思わないが、あなたは知略家だ。魔法省のあばずれよりは僕を使いこなせるはずだ」

「お前は私に隷属するために私に会いにきたのか?」

「その通り。僕は出来損ないだ。自ら上に立とうなんて思えないが、腐ったものにぶら下がり続けるつもりもない。よりよい住処を求めるのは生き物として当然だろ」

「それでこの老いぼれを?ハッ。それだけじゃお前の動機すべてを聞けたとは思えんな」

「あいにくと時間が無い。続きは帰りの車の中ででもゆっくり話すさ」

 僕はある種の確信を持ちながら、奥にいるグリンデルバルドを見つめた。空気が微かに動いた。そして泥のような気配を携え、何かが牢の方へ歩み寄ってきた。階段から漏れる僅かな光でそれが照らされた。ルーカスがひいっと悲鳴を上げて縮こまるのが見えた。

 落ち窪んだ骸骨のような顔に、伸び切って絡まりあった白髪と髭。骨と皮だけの足がボロ布の下から枯れ木のように覗いていた。

 50年。沈殿した時間が悪のカリスマをここまで変えてしまったのだ。落ち窪んだ眼窩からてらてらぬめる眼球が僕を睨んだ。

 

「いいだろう…もっとも、ここから私を出せたらの話だが」

「…それじゃあ一歩下がって。ルーカス」

「な、なんだよぉ」

「お前の仕事だよ。早くこっちへ」

「お、俺何もわからないよ。そんな仕組みになってたなんて…」

 ルーカスは涙目でグリンデルバルドを見ないように俯きながら恐る恐る近づいてくる。僕は呆れ返って溜息を吐き、情けないルーカスが床しか見れない事を確認した。

「ルーカス。呪文の永続性について学校で習ったか?」

「え…なに?何だって?」

「複雑な呪文より単純な呪文ほど永く保つ。この監獄にかけられたダンブルドアの呪文は恐らく永続性の高いものだ」

 ルーカスはおそるおそる僕の顔を見た。グリンデルバルドの発する臭気に鼻が曲がりそうになりながらその表情を失礼と捉えられないように必死に修正しているせいで、子供の作った粘土細工みたいな顔になっている。

「つまり…『“グリンデルバルド”がこの房から出たら建物が倒壊する』という呪いより『この房に誰かがいなければいけない』という呪いの方が薄れないんだ。因果関係が単純だからね。ダンブルドアはもう二度とここに来たくなかっただろうから、複雑さより永続性を選んだはずだ」

「だ、だからなんだよ」

「こういう事だよ」

 

 ルーカスのあどけない顔。25歳の、一人っ子の、箱入り息子。欲しいものはすべて与えられて天まで高く伸び切った自意識は自分が捨て駒にされるなんて夢にも見なかっただろう。ああ、きっと僕たちはうまくすればルシウスみたいに仲良くなれたかもしれない。

 僕だってこんな事はしたくなかった。

 

「な」

 

 唐突だがレッスンだ。

 レオン・レナオルド直伝の魔法使いから身を守る方法についてーあるいはとてもシンプルな殺害方法ー。魔法使いの息の根を止めるのはマグルを殺すのとなんら変わらない。問題は殺す前だ。

 魔法を使うにはいくつか条件がある。①魔力があり②杖を持ち③集中し④呪文を唱える。

 このうち最も重要なのは杖だ。まずこれを握られたら魔力のない僕らは太刀打ちできない。ので、この方法は相手に杖を持たせないことに全てがかかっている。奴らは杖を持ってない限り斧でだって殺せる。グリフィンドール寮のゴーストが身を以て示してくれている。

 杖を持たせないための条件は①警戒されない。これにつきる。

 そして②危機感を抱く前に迅速に指を折るか気絶させる。警戒心の薄い相手が杖を持とうと思う前に意識を奪うことだ。

 最悪の場合は③即死させる。これは後始末もちゃんとできる場所でしかおすすめしない。例えば風呂場や誰もいないごみ捨て場。

 魔法使いでない人間が全てのステップをこなすのは難しい。平時なら尚更のことだ。文明の利器…即ち銃をぶっぱなせば③即死させる。は容易な気がするが、早まるなかれ。

 魔法使いをライフルで狙撃した馬鹿は僕の知る限り3人ほどいるが、誰も成功しなかった。どの三人もファッジ以前の魔法大臣 ミリセント・バグノールドを殺すべく、マグルのふりをして魔法省の目を欺こうとしたのだが、その試みはもはやお馬鹿な魔法つかいのイっちゃったジョークとして週刊誌を賑わせただけだった。

 魔法使いに気付かれないよう1キロ離れて撃てば、引き金を引いた瞬間に奴らは魔法のような勘の冴えにより瞬時に盾の呪文を唱える。近すぎれば要人警護の私服闇祓いに捕まるし、遠く離れれば自衛される。

 もし君が魔法使いを銃で殺したいと思うなら、魔法使いの目と耳を予め潰しておくといい。それか冷水につけ続けるとか、とにかく奴らの意識を痛覚で占有するのがいい。少なくとも凡庸な魔法使いならば痛みを感じている間は(杖があったとしても)まともな抵抗ができないはずだ。そして至近距離でぶっぱなす。マグルと同じ組成のストロベリーパイが出来上がる。

 

 さて、針を戻してルーカスだ。

 レオン・レナオルドの殺しの法則。ルーカスの全神経は柵の向こうの老人に注がれていた。杖を持ってない僕のことを警戒する余裕はなかった。

 なので僕が励ますように差し出した手に銃が握られてるなんて思いもしなかった。

 

 火薬が爆ぜる音で僕とルーカスの鼓膜は破れる。耳鳴りの中、悲鳴を上げるルーカス。僕は彼の杖腕を銃で撃ち、そして反対の手で胸ポケットにしまった杖を取り出そうとする前に股間を蹴り上げ、牢の方へ蹴り倒した。厚い壁越しに聞く情事みたいだ。柵へ体が打ち付けられた途端、グリンデルバルドの撓んだ細い腕がルーカスの首に絡みついた。

 ルーカスが魔力をうっかり暴発させる可能性は少ない。彼は純血の一人っ子だ。抑圧の強い環境で育てられたやつは()()()()。忍耐は発揮すべき場所とそうでない場所があるが、ここはそうではない。万が一に備え、グリンデルバルドが彼を絞め落とす前に僕は彼の肩に開いた穴に指を突っ込み、何度か捻った。もう片手でグリンデルバルドの手伝いをする。ルーカスは悲鳴とも断末魔ともつかないげえっと音を立てて動かなくなった。

 

「息が合うな」

「どうも」

 

 グリンデルバルドのお世辞に会釈し、僕はすぐにルーカスの脈を確かめた。幸い生きている。次は服を脱がせ、杖を奪い、止血する。

 

「あんたも脱げ。これを着て、これを飲め」

 

 僕はむしり取った毛髪と爪の隙間に挟まったルーカスの肉片を持ってきたポリジュース薬に入れ、牢獄の隙間からグリンデルバルドに手渡した。

「文明の味だ」

「こいつが文明的とは思えない」

 

 グリンデルバルドが脱いでよこした服にからみついた白髪をもう一瓶のポリジュース薬にいれ、ルーカスの喉に流し込まなければならない。僕はチューブを取り出し、それを彼の食道へ通してからポリジュース薬を流し込み、グリンデルバルドのきていた服というか布を着せた。芸術的手早さ。新記録だ。

 

「青臭い」

「鍵はなんとかなりそうだ」

 

 僕はグリンデルバルドに変身しつつあるルーカスを蹴飛ばし、錠の部分を弄った。単なる閂に錠前がついてるだけの簡素すぎるものだった。けれどもグリンデルバルドはそこから出なかった。出られなかった。

 

「開いた」

 

 心理的呪縛がこの闇の魔法使いに有効だというのは喜ばしくもあり、また残念でもあった。

 ルーカスに変わりつつあるグリンデルバルドと柵無しで向き合う。改めて見ると、とても小さな老人だった。蓋を開けてみれば僕の恐怖の対象は残骸だった。未来を託す先としては余りにも醜いその男は、ルーカスと入れ替わり柵の外側に出てからようやくはじめて、僕が求めていた言葉を発した。

 

「聞かせろ。お前の事を。協力するかどうかはそれからだ」

「是非もない。でもそれよりも前に僕たちは少し茶番を演じなければならない」

 僕はまだグリンデルバルドの形を残してる節くれ立った手をとって握りこぶしをつくらせた。

 

「僕を思いっきり殴ってくれ。僕らは規則を破りここに来た。その後ルーカスはグリンデルバルドを見て錯乱し、僕はルーカスを命からがら出口まで運ぶ。いいか、必ず狂ったふりをしてくれよ」

「問題は職員に拘束されたあとだ。いくら若造とはいえ錯乱した魔法使いをまともに扱うか?」

「この肥溜めから出れば、あんたはルーカスの杖で何でもできるだろ」

「忠誠心を得てない杖ではなんでもとはいかん」

「とにかく一時間でカタをつけてくれ。僕は森に標を残してきた。その先の車で集合だ。それまでは自由行動。いい社会復帰トレーニングだろ」

 僕の言葉にルーカスになったグリンデルバルドは微笑った。

「ここまで来てうまく行かなかったらどうする?」

「あんたは逆戻り、僕らは行方をくらます。今までどおりの日々を送る」

「ごめんだね」

 

 グリンデルバルドは拳を振り上げた。

 

「幸運を祈るよ。まずこのパンチで気絶しないことをな」

 




ヌルメンガードについて…情報が少ないので捏造です。ファンタスティックビーストにて詳細が分かり次第改稿、もしくはしらばっくれます。

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Сор над пылью смеется.
01.ルシウス・マルフォイ


 いつからか、何もかもしっくりこない日が続いていた。

 ルシウス・マルフォイが日常会話で強く感じているのはそういう漠然としたもので、言葉にするのは難しかった。

 だからといって失敗しているとか不調だとかそういう事はない。相変わらず魔法省とのコネは強固であり、死喰い人たちの中での発言力も強いままだ。息子の成績も良く、夫婦仲は良好で公私共に順調だった。

 だが今年からは事情が変わった。

 

 ヴォルデモート卿の復活。

 今となっては望まざる再来。

 

 闇の帝王は一時は我々に怒りもした。が、最終的にかつての恩知らずな配下なしでは再起は難しいと判断しお許しになった。しかしながら、あの方の心の中で私達“元”死喰い人への怒りが完全におさまったとは思えない。

 現に復帰早々に与えられた任務は予言の奪取だ。はっきり言って相当な無茶をしなきゃこなせない。人を殺すよりも攫うよりも難しい任務だ。なんといっても予言は予言された本人…つまりハリー・ポッターにしか取り出すことができない。

 神秘部へ這入る事自体は容易である。無言者の誰かを服従させてもいいし、買収してもいい。だが自分が入ったところで意味はない。

 予言者本人にあたる事もできるがその予言者は不明であり、現状本人に取り出させる他ない状況だった。彼が予言を取り出せば、あとはどうとでもなる。一度触れて棚から出してしまえば奪おうが殺そうが壊そうが自由だ。

 いかにして彼を神秘部に誘い出すか。闇の帝王は彼に無意識化での誘導のため神秘部を暗示する夢を執拗に見せ続けているが、まだ成果は実っていないようだ。

 

 その任務を少しでも楽にしようとホグワーツにスパイを飼ってみた。しかしながらそのスパイ、ウラジーミル・プロップは思っていたよりも厄介な男だった。

 

 

ウラジーミル・プロップに関する調査報告書(抜粋)

 

ウラジーミル・プロップ

1965年にレニングラードにて誕生。該当行政区に出生届が出される。同区の学校へ進学。以後記録なし。

1981年に妹のナージャが病死。翌年母親死去し、渡英。魔法族としての戸籍、経歴はこのとき捏造されたものである。サンクトペテルブルク(旧レニングラード)に保管されていたプロップ家の戸籍謄本にはウラジーミルの名はなかった。また英国魔法省に存在するウラジーミルのプロフィールは双子の兄、アレクセイとほぼ同一のものであり、この事も捏造の傍証である。

1985年。兄であるアレクセイ・プロップが父、ノヴァ・プロップを殺害した罪により逮捕される。

1986年より国際魔法協力部のパートタイマーに採用。ロシア語、ルシン語、ブルガリア語の翻訳業務に当たり、1988年に正式採用される。

1989年。魔法省大改革に伴い魔法運輸部へ異動。

1993年。ドローレス・アンブリッジの公設秘書に採用される。

 

アレクセイ・プロップによる父親殺害について。

 

 プロップ家は亡命以降ウラジーミルが家計を支えていた。アレクセイは具合の悪い父の介護をしており、日中二人きりの状態が続いていた。印刷所に勤務して家に帰ることは少なかったウラジーミルには家庭内で何が起きていたかわからなかった。

 1985年6月12日。アレクセイは寝ている父親の顔にクッションを被せ窒息死させた後、首吊り自殺を実行。運よく帰宅したウラジーミルにより一命は取り留めるものの脳に障害が残り発語が困難になり証言できない状態だった。同年7月には尊属殺人により重罪だと判断されアズカバンに収容される。

 

 この殺人については不審な点が多々ある。まず父親の病気そのものが何らかの毒物によるものの可能性が否定できない。また魔法使いが自殺する際マグルの自殺法を使うことはやや不可解だ。首吊りより楽な死に方は数多く存在する。その中でなぜ首吊りを選んだのか。さらに当時の魔法警察隊による現場検証は形式的なものに過ぎず、他の要素が全く検討されていない。(当然検視等も行われなかった)

 アレクセイ・プロップは1992年12月に獄死し、遺骸はアズカバン内の共同墓地に埋葬された。

 

 

 

 

 この時点でなぜ自分は彼を御しやすいと判断したのだろうか。親殺しは、言ってはなんだがそう不思議なことではない。最も親しい他人だからこそ殺すに至るなんてよくある話だったし、理解できる。

 ページをめくるにつれ出てくる彼の足跡とその轍に落ちる疑惑の数々。

 それを弱味だと確信したのは、彼の顔があまりにも平凡で気弱そうだったせいか、はたまたスクイブであると思ったせいか…。

 とにかく自分は焦っていた。闇の帝王の信頼を取り戻すため、また仲間内での地位を再確認するためにも指揮者としての能力を示したかった。

 

「ルシウス。例のプロップの調子はどうなんだ」

 

 純血を招いたクリスマスパーティーの後、死喰い人のメンバーで集まった際、本来いるはずのプロップが居ないことに全員が失望した。

 

「…やや手を焼いている。だが彼は有能だよ」

 ルシウスはまるで今も彼が任務を続行中であるかのように自信ありげに答えた。尋ねたノットは少し残念そうだった。

「ドラコがポッターに殴られたと聞いたが無事かね。痕が残っちゃ困るだろう」

「まさか。軽い怪我だ」

 ヤックスリーもどこか残念そうだった。

「まったくポッターはいつからそんなに凶暴になったんだかなあ?」

「所詮ガキ一匹だ。どうにでもなるだろ」

 クラッブ、ゴイルがフォローを入れているが周囲から浮かんでくるのはせせら笑いだけだった。いま娑婆にいる死喰い人は全員あの方からの不興をかっているというのに呑気なものだ。我々は皆同じ穴の貉だというのに、私も含めて全員自分はこいつと違うと思って座っている。そう考えると馬鹿らしく薄っぺらい集まりにも見える。

 水面下での足の引っ張り合い。闇の帝王の信頼を得るための椅子取りゲーム。

 

 結局のところ自分は失墜を期待されているのだ。

 

 肺の裏側がひりつく。

 焦り、苛立ち、不満が横隔膜を突き破ってきそうだ。

 視線が悪意を持って突き刺さる。けれどもそれを表に出したりなんて絶対にできないししない。そんなことはプライドが許さない。

 

 気高くあれ。古くより求められる純血の姿の体現者たれ。

 足を引っ張るだけの無能ども。指示待ちの馬鹿共の肴になってたまるか。スクイブ如きに翻弄されている場合ではない。

 

 プロップ本人のスペックは魔法が使えない以外全てにおいて高水準であり、殺しをやってのける度胸も評価していた。遠目から見るアンブリッジの忠犬は、いかにも賢そうなレトリーバーにみえた。その認識はいざ本人と言葉を交わし本題に触れたとき“過ちだった”とわかった。

 

 奴は犬のふりをした狼だ。

 

 調査書の大半を埋める、彼の関係者のプロフィール。半数以上が行方不明か自殺している墓標代わりの名簿。

 自分が彼に提示できる武器はその紙束と杖だ。そして杖は何よりも強い。

 

 

 

「休暇にどこに行ったっていいじゃありませんか」

 

 クリスマス休暇中全く連絡がつかなかったプロップは1/3の正午、ちっとも悪びれた様子なくマルフォイ邸に現れた。

「君は自分の立場を忘れているのか?」

「忘れていませんよ。あんたの無茶な仕事のせいで僕の日常が破壊された事はね」

 

 プロップは10月に会ったときから攻撃性を隠さなくなった。隠す必要がなくなったから晒しているのだろうが、その悪びれなさにたまに背筋がゾッとする。

 

 1987年。プロップが個人で雇ったアルバイトの数5人。うち3名行方不明。翌年、7名中4名が失踪。

 1989年。プロップの出張先のうち記録に残ってる場所、リヴァプールで発見された中手骨。エディンバラ、ファルマスで発見された末節骨基節骨とともに発見された複数の歯はDNAが同じだったため、マグルの報道はバラバラ殺人だと報じた。それ以上のパーツが集まらなかったせいであっという間に一面から消えた。

 プロップの住むアパートの住人のうち消息不明は約15名。移民や外国人労働者が多いのを差し引いても不審な点が多い。下水道の行き着く先の川、そこの澱みに沈んでいた夥しい数の歯。水道管に詰まった色とりどりの毛髪。

 遡り、1984年印刷所勤務で行方不明者一人。こちらは魔法省登録魔法使いで親族からも捜索願が出ており、プロップも捜査協力をしていた。

 

 死人の残した痕跡は彼と結びつけるにはあまりにも儚い。だがこうして攻撃性を顕にしたプロップを見ればその点を線にしてしまうのも無理のないことだった。

 

「とはいえ仕事は仕事だからきちんと報告しに来たんだ。その話をしよう」

 早速イニシアチブを取られてしまった。ルシウスは渋々鉾を収め、プロップを応接間に通した。革張りのソファに座るプロップの袖口から包帯が覗いていた。よく見ると頬には治りかけの傷跡もある。一体クリスマスに何をしていたのだろうか。嫌な予感が背筋を駆け巡る。

 

「まず…ハリー・ポッターの退学処分の申し出はダンブルドアの強い反対で通らなかった。だが新聞が大きく取り上げているおかげでホグワーツのダンブルドア体制については疑問を抱くものが増えたと言っていいだろう」

「把握しています。こちらで雇った覚えのない市民の投書やポッターへの嫌がらせメールを確認しています」

「校内での様子は?」

「落ち込んではいますが元気ですよ。前より魔法省への反感が強くなっているので近いうちにどでかい違反をしでかすかと」

「それはいい兆候だ」

 闇の帝王とポッターの絆を警戒してかダンブルドアはポッターに接触するのを避けている。そのかいあってか、ポッターの孤立と苛立ちは次第に強くなってきているようだった。民衆の煽動に関してはプロップの人脈が大いに役に立っている。そこだけは唯一彼を使って得をした点だ。

 

「そこでルシウス。僕は彼を庇うことにした」

「何?」

 

 ルシウスは思わず聞き返した。プロップは制するように左手をルシウスに広げ、今までと変わらない口調で続ける。

 

「怒らずに聞いてくれ。あんたが命じた仕事は二足のわらじじゃ達成不可能だ。僕は一度ハリー・ポッターを庇い魔法省から見捨てられる。そして彼の信用を一度掴み、神秘部へ誘導する」

「…正気か?アンブリッジは…」

「彼女の立場はどうでもいい。どうせあんたの主人は魔法省を乗っとるんだろう?もし転落してもその後適当な役職につかせてくれればいい」

 

 今まで自分の立場や地位について拘っていた男の言葉とは思えなかった。現状維持にすべてをかけているようなやつがここまで心変わりをするものだろうか?

 ルシウスはこの時点で目の前にいる男のことを何もわかっていなかった。

 

「僕は前進することにしたんだ」

 

 この言葉の意味も。

「そのための利害が一致した。魔法省側よりも。それだけさ」

「…利害、ね。確かにまともな人間なら魔法省に付いたりはしない。だがお前は信用できんな」

「信用するかしないかはご自由に。僕もあんたを信じちゃいない。今のところはお互い利用しあってるだけだ」

「随分不遜な物言いができるようになったじゃないか。クリスマスに何をプレゼントしてもらった?」

「惜しい。僕がプレゼントしたんだ」

 

 楽しそうなプロップを見て心がささくれだつ。彼は心底嬉しそうだった。羽を伸ばしてるようにも見える。

 

「あんたはご主人様に何かやったのか」

 

 本来ならばもっと怖気づいて私にヘコヘコ媚びへつらうはずなのに。

 

「闇の帝王のほしがるプレゼントってなんなんだろう」

 

 何もかもしっくりこない。

 

「彼の望むものはなんだと思う?」

 

 言葉が途切れ、沈黙が返答を促した。場の空気は完全にプロップが支配しており、このまま黙っていることは許されなかった。

 

「…力だ」

「力。力、ね…。力とはなんだ?」

「魔力、知力、体力、生命力…全てだ。あの方はすべての上にたとうとするお方で、我々はその姿勢に共感している。魔法使いはああなるべきだ。魔法使いのあるべき姿をあの方が体現している」

「はは…若い若い」

 

 プロップは苦笑いすると次は挑発的に言った。

 

「ならやつはあんたらのちっぽけな墓の冠石だな」

 

 

「プロップ。それ以上の侮辱は許さん」

 

 プロップはあからさまに私を挑発している。わかりやすく神経を逆なでする、子どもに話しかけているような首を傾げた仕草。こちらが凄んでも彼は全く動じず、その青い、平凡な瞳で私を値踏みしていた。

 

「僕はあんたに脅されてる。だが服従はしない。あくまで僕たちは対等だ。あんたは僕の人生を人質にしているつもりのようだが、じきにそんなものに意味はなくなる」

「殺人鬼の人生など取り繕うだけ滑稽だ。出来損ないのスクイブが。逸れ者の混血が。偉そうにできるのは今のうちだけだぞ」

 プロップは調子が出てきたじゃないか、と言って体を前に乗り出した。眼窩の影がより濃くなる。

 

「なあ、お前のいう力ってのは…お前の理想ってのはああいう成り損ないなのか?」

「貴様っ…!」

 

 ルシウスは立ち上がり、ステッキから杖を抜いた。まっすぐ伸びたニレの杖がプロップの脳天に触れている。それでも彼はルシウスの目を見ていた。

 

 狼。

 彼の全身は手負いの獣を思わせる精悍さを備えていた。今まで彼の持っていなかったあぶらぎった精気を感じる。

 

「俺の頭の中身を消して路上に捨てるか?残念ながらすぐバレるだろうな。ウラジーミル・プロップはホグワーツに公式に籍をおいた立派な社会人だ。お前の館に行くことも仲間に伝えている」

 

 青の瞳が濁りはじめた。

 

「もう少し慎重にすべきだったな。プロップなんてやつを引き当てたのを不運に思え。思ったところで後戻りはできんがな」

 

「…お前、」

 

「お前は常に狡猾に立ち回っているようだが、その才能を活かしたいなら俺の話を聞け。耳を澄まし、神経を研ぎ澄ませ」

 

 彼の顔にかかる影が一段と濃くなった。

 

()()()()()()

 

 

 ウラジーミルの顔をした何かはそれを聞いて嗤った。

 

 

 

 



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02.パーシー・ウィーズリー

書き足しました(4/15)


 僕は学校を卒業するまでは家族のことを本当に大切に思っていたし誇らしく思っていた。

 

 パーシーはモリーから届いたクリスマスカードとセーターを見て、胸の奥がぎゅっと締め付けられたように苦しくなった。すぐに包み直し、リボンを付け直し、フクロウに押し付けて返送した。

 

 たしかにうちは貧乏だったけど両親は立派に全ての子供達を学校に通わせ、教科書も制服も古本やお下がりでも必ず揃えてくれた。クリスマスには毎年プレゼントを贈ってくれていたし、年に6回ある誕生日は欠かさず祝ってくれた。

 それはたしかに慎ましやかで善良な家庭であるに違いない。しかしながら、入省試験で僕は思い知ったのだ。いや、目が覚めたと言ってもいい。

 素朴さは、善良さは、清貧さは多くの人にとってはちんけで、騙されやすくて、貧乏くさい。そういう意味だった。

 

「あのウィーズリーの?」

 

 と、面接で言ったのは誤報局のロウル係長で、四角い箱に無理やりスーツを着せたような男だった。

 誤報局は魔法省の中で一二を争う忙しい部署であり、面接の時間すら本来なら取れないはずだ。だがロウルはどこか余裕を感じさせる立ち振舞いでパーシーを上から下までじっくりと眺めた。そして次にパーシーの履歴書と成績証明書を見て鼻で笑った。

 

「ここじゃ無理だ。別の部署を探したほうがいい」

「何故ですか?僕は首席をとりました。監督生として寮生を監督し、成績もこの通り必須科目はすべて優です。適性については何ら問題ないはずですが」

「いいや、適性はない。この部署ははっきり2つの層に分かれてる。目の前のタスクを処理するだけの者と、それを眺める者。そして両者は決して交わることはない。ウィーズリー君。君はどちらも相応しくない」

 

 魔法省内のいくつかの部署、魔法運輸部や誤報局、魔法事故惨事部は現場で働く者と管理者とで職務内容がはっきり分かれていて、管理者は純血が占めていた。パーシーはイモリ試験での水準も満たしているため管理職を希望していたが、純血のコミュニティがそのまま職場に反映されているため、どこでも「適性がない」の烙印を押された。

 

「そうだな…国際魔法協力部あたりに行くといい。あそこならまだ出世のチャンスはある」

 

 面接の終わり際にロウルは苦笑しながら言った。

 

「裏切りの代償はでかいな」

 

 全く持ってくだらない話だが、僕は差別されているらしい。ウィーズリー。血を裏切る者。

 誰かが半世紀以上前に勝手に決めた聖28一族なんかに載せられたばっかりに他の魔法使いよりも過度にマグル好きが強調されて、さらに父アーサーの日々の言動がそれに拍車をかけていた。

 パーシーの描く理想のキャリアは本人とまったく関係ないところからくしゃりと潰れてしまった。そして家族への深い愛も同時にあさっての方向へねじ曲がってしまった。

 現状が悪くなると回想する過去も悪くなる。

 学校でも同じ監督生同士、つまりライバルを見比べていると劣等感で頭がどうにかなりそうだった。ほつれ一つないローブ。いつ見てもピカピカの革靴。実家から届いたとかいう高級菓子を下級生に配り、人望を撒き散らす。監督生同士の勉強会と言う名のお茶会を開いてマウンティングをし合うとき、パーシーはいつも自分には誰かを押しのけて一番を取れるような武器がない事で苦しんだ。

 

「あなたはとっても真面目で素敵よ。the、監督生様ね」

 

 ペネロピは僕をそう評した。規律を遵守する監督生が彼女の望む恋人像なのだと思い、僕は必死にそうなろうとして、現にそうなった。

 

「彼ってクソ真面目だったの。校則違反だからって人前で手を握る事すらしなかったのよ!」

 

 入省後別れた彼女が新しい恋人に言った言葉。僕はそれを魔法運輸部へはいったマーカス・フリントからエレベーターの中で聞いた。

 

 いや、もっと前から。11歳の頃から…もっと言うなら子供の頃から、パーシー・ウィーズリーの人生は劣等感で固められていたように思う。優秀な兄、自由な兄。平凡な僕。いたずら好きの双子の弟とそれにくっついてる末の弟。可愛い妹。親の目は成績表に向いているときだけ僕に向けられていた。一番になれる唯一の機会は結果を残すこと。

 

 いくら足掻いて何かを得ても充足しない。どこか違う。なにか違う。僕はそういう気持ちでいっぱいになると衝動に任せてなにかしでかしたくなる。けれどもそれは僕を構成する真面目、模範的、優等生といった看板たちを損ねる。僕からそれらを奪ったら一体どうなってしまうんだろうか。

 山積していく鬱憤を破戒してくれたのは君だった。ウラジーミル・プロップ。

 

1994年

クィディッチワールドカップ

喧騒の中に溶け込む無個性な男

僕と同じその他大勢の中の塵の一つ

 

 

 魔法使いらしくはないがどの国の人間にも受け入れられそうなフォーマルスーツにローブを被っただけのやる気のない服装。枯れ草色の髪が夜風で靡き、その下の青い目がゆらゆら揺れる松明の光を反射していた。

 

「はじめましてウラジーミル・プロップさん。クラウチ氏から聞きました。とても優秀だったそうで」

 

 といって片手を差し出す僕を、彼はいかにも興味なさげに見つめ返した。冷たくて大きな手はいかにも文官のような外見と反して節くれだっていた。

 

「とんでもない」

「ご謙遜なさらずに。なんて言ったってあのドローレス・アンブリッジの秘書になった人だ。それも魔法運輸部から。大出世ですよ」

「運が良かったんです。パーシー・ウィーズリー…貴方のようなエリート街道を歩むほうがよほど凄い」

 

 僕はこの時、彼の無関心さに大いにムカついたし、少なからず嫉妬していた。彼はなんの後ろ盾もないのに、次期重要ポスト間違い無しのアンブリッジの懐刀になった男だった。僕に適性のなかった現場と、その上層である管理職両方を経験している。僕なんか眼中にないのだと思うと対抗心がメラメラと燃え上がってきた。

 ウラジーミルは超然とした男だった。僕の中に渦巻く腥い感情と対照的に、ひどく乾いた男だと思った。彼とテント群を眺めながら何も感じてないのかと思うほど無味乾燥な会話を交わしていたが、彼はやはり何に対しても特に感想を持ち合わせてないようだった。

 その一方で魔法界に対してとても厳しい見解を持っているようだった。

 

「世の中には自分がどんどん劣化していくことに気づかないやつが大勢いる。悪を悪だと気づけないやつが蔓延ってる」

 

 偶然にも彼の言葉は二年前の僕が思っていて、今は心の奥底にしまいこんでたものだった。

 僕に渦巻く嫉妬が親近感に変わるのがわかった。彼との会話はそこからすべてが有意義になっていく。僕の中身を注ぎ足していってくれる。

 

「パーシー。君は誰よりも努力しているよ」

 

 僕の夢を聞いて笑わなかったのは君が初めてだ。

 勿論大臣職は血筋で全てが判断されるわけではない。大人になるにつれ、判断材料の割合は変わる。家柄と能力と実績。だが、実績を上げるために必要な環境は家柄で決まる。ウラジーミルはその不自由な枷から自力で這い登った。

 

ーウラジーミル、君こそ努力してる。

 

「パーシー。君は誰よりも報われるべきだ」

 

 彼は何気ない会話の中で言葉にし難い心の澱をバッサリと切り捨てていってくれた。未成熟の言葉たちをすくい上げ、形にして、叩き潰す。そうしていくうちに、まるでウラジーミルの手の中に体がすっぽり収まるような安心感を得られるようになる。

 

ーウラジーミル。君だってそうだ。

 

「パーシー。君は誰よりも高潔だ」

 

 彼と知り合ってたった1年で僕はすっかり彼の事を信頼していた。だから彼が僕を尋問官助手に指名してくれたとき思わず小躍りしたくなった。

 彼の期待に沿いたい。だからクリスマス休暇に彼からだされた宿題にどう答えればよいのか途方に暮れていた。

 

ーウラジーミル。君こそが高潔だ!

 

 

 

 

「どこに行ったか答えられない?」

「ああ…気ままな旅だったもんでなあ」

「気ままな旅で教職に空白を、ね」

 

 ハグリッドはクリスマス休暇の直前にひっそりと戻ってきていた。休暇明け一発目の授業で復帰するとの事だったので、高等尋問官として面談を設けた。

 2メートルをこす巨大に合わせた縮尺のおかしい小屋の中、むせ返る獣の匂いに顔を顰めながら手元のクリップボードに彼の発言、態度を記録していく。はじめは見知った顔だと安心していたハグリッドは僕の冷たい態度に怯え、質問を重ねるにつれどんどん不安になっていって笑える。

 

「それで、新学期はどのような授業計画を?」

「あー、そうだな…ちぃと考えてるのはニフラーの繁殖だ。グランプリー=プランク先生が途中らしいから」

 

 事前にグレンジャーあたりからの入れ知恵があったらしく、授業予定に関しては問題はなかった。今のところ。

 面白くない。

「今やホグワーツの教員の人事はプロップ尋問官が掌握している。彼の期待を裏切らないように。…僕も見知った人の解雇通知を書きたくはないからね」

「…おかしな話だ。ここに通ったわけでもねえ役人が教師をやって、しかも俺たちを審査するなんて…」

「制度に文句でも?」

「もちろんあるに決まっちょる!この学校にはダンブルドアがいる。それだけで充分だ」

「ほーぅ?ハグリッド、我々はダンブルドアにとって邪魔者だと、そう言いたいんだね?」

「そうは言ってねえ!」

 僕はわざとらしく羽ペンを大きく動かしてクリップボードの下に『反社会的な言動あり』と書き足した。ハグリッドはびくつき、巨体が一回り小さくなった。

 ウラジーミルは喜ぶはずだ。彼の上司、アンブリッジはハグリッドをまっさきにこの学校から消したがっている。彼のアンブリッジに対する貢献はすなわちファッジへの貢献だ。この横の繋がりが重要な泥縄の人事を乗り切るには上への取り入りが不可欠。彼と僕の出世への足がかり。

 

「明日の授業も楽しみだ。君がふさわしい振る舞いをすることを願うよ」

 

 僕は捨て台詞を残し、城へ戻った。

 ちょうど休暇から帰ってきた生徒たちとかち合ったせいで廊下はとても賑やかだった。私服の生徒たちがお土産や家から持ってきたおもちゃをぶん回して遊んでいる。

 その中で花火を投げてるバカを見つけてしかり、持ってるぶんを没収した。他にも様々規則に反する品ー主にフレッド、ジョージのくだらない発明品だーを持っている生徒を摘発しどんどん没収した。

 ウラジーミルの研究室につく頃には両手いっぱいにカラフルないたずらグッズ、花火、お菓子をかかえていた。

 

「わ、なんだい。クリスマスプレゼントには遅すぎないか?」

「ウラジーミル。そんなわけないよ。没収した」

 

 ウラジーミルはちょっと笑って僕が持ち帰った“戦利品”を手に取り眺めた。

 

「いいね。僕の子供時代、こういうものはなかった」

「ソ連には魔法使い向けの店とかはなかったんだ?」

「ああ。それにあっちはマグルの子ども向けのおもちゃさえ少なかったからね。こっちに来たときは驚いたよ」

 ウラジーミルの節くれだった手がフレッド、ジョージの作った蛍光色の菓子のパッケージを撫でる。まるで苦労せず、なんとなくそこに辿り着いたような見かけをしているのに手だけは違う。彼の人生の苦労がそこだけ隠しきれていない。

 ウラジーミルの過去について、本人から聞いた情報はごく僅かだった。だが僕のちょっとした貧乏なんて鼻で笑えるような苦労をしてきたことはなんとなく分かる。彼の目は時折羨望に眩んでるように見えた。

 

「ハグリッドの尋問はどうだった?」

 

 僕はクリップボードを渡す。彼は上から下まで目を通した。僕が大きく書きつけた『反社会的な言動あり』もきちんと目に入ったはずだった。

 

「旅の目的については話すつもりは毛頭ないようだった。必要なら手続きを踏んで尋問にかけるが…」

「ああ…そんなことで揉めてもしょうがないよ。放っておいても彼は問題を起こすさ」

「だが、ダンブルドアの命令でなにか特別な任務をこなしていた可能性がある。いや、絶対にそうだ」

「特別な任務って例えばなんだい」

「魔法省を揺るがすようななにかだ」

「憶測で決めつけた議論は無意味だ」

 プロップはクリップボードを僕に突き返した。

「ファッジのせん妄に付き合うのはもうやめよう。パーシー、本気でダンブルドアがファッジごときに構うと思うか?」

「それは…」

 ファッジの紡ぐダンブルドア陰謀論について、僕は思考をあえて麻痺させていた。上からの命令を噛み砕いていくだけの、ディティールを見ているだけのほうが出世向きの生き方だ。上からの命令に疑問を持つこと自体を、もう一年前からやっていない。

「……パーシー。君は本当はもっと思慮深いはずだ。可哀想に。魔法省で生き抜くために、君は牙を折る他なかったんだね」

「違う。牙はちゃんとあるさ!」

「そうか。ならわかるだろう。ファッジは嫉妬に狂った老いぼれで、注目依存症だ。ダンブルドアが本気で相手にするはずがない。ではここで質問だ。ダンブルドアが本気になる相手は誰だ?」

 

 質問の前提は真になる。

 ウラジーミルはファッジはイカれてると定義した。ウラジーミルの切り取る仮定は即ち僕にとっての真実だった。

 

「……あの人だ」

「そう、あの人だよ」

「ウラジーミル…君は、彼が復活したと…つまり、ハリー・ポッターの言ってることが真実だと思っているのか?」

「ああ。ポッターは事実を述べている」

「まさか、アンブリッジの腹心の君がそんなことを言うなんて…」

「僕が証拠を握りつぶしたんだ。だから知ってて当然だろ」

「なんだって?」

 僕は一瞬彼が冗談を言っているのだと期待した。だが彼は落ち着いた表情で僕をじっと見つめていた。取り乱しては失望される。僕は深呼吸をしてゆっくり尋ねた。

 

「なぜそんなことを?」

「魔法運輸部は古巣だ。遠巻きに指示があってね」

 

 僕は魔法運輸部の実質的支配者、ゴツゴツの岩を更にめちゃくちゃに叩き割ったような顔をしたエイブリーの心底バカにした表情を思い出す。ウィーズリーの名前を見て、赤毛を見て嘲笑ったあのクソ野郎。

 

「いいか。僕は誰かの味方をするつもりもない、単に見て聞いたことを言ってるだけだ。起きてる事だけを知ってるだけだ」

 

 ウラジーミルは、彼の側にだけ光の指す場所に座っている。彼の構築した研究室。椅子と本棚と照明器具しかないだだっ広い箱は彼の切り出す世界に似てる。その部屋は彼の手の中にすっぽり収まるような居心地の良さすら感じる。

 

「ヴォルデモートは復活した。ダンブルドアは備えている。それだけの事だ」

「そ…それじゃあ今ここでこうしている場合じゃないだろう?!なんでそれを知ってて、わかってて教師ごっこなんか…」

「そんなの、どうでも良かったんだ。誰が上に立とうと、僕は本当にどうでもいいんだよ」

 ウラジーミルの口調に偽りはなさそうだった。しかしどこか逼迫したものを感じる。まるで椅子の上でつま先立ちになった自殺志願者。彼の首に見えないロープが巻き付いているような気がして、僕は思わず自分の喉元を確かめてしまった。

 

「……何故、君は今それを話した?」

「仲間がほしいんだよ」

 

 僕は彼の子羊。香の焚かれたセラピールーム。マグルナイズされたシンプルでモダンな空間。彼が以前口にした喩えはなんだっけ。

 

「僕の出した宿題の答え合わせをしようか。あるいはこれは君と僕が袂を分かつ瞬間」

 

 彼は告解するかのように目を閉じた。これは彼と僕とのサクラメントだ。彼はエピタラヒリを着てはないけれども。

 

われは罪を犯したり。
主よ、われは罪を犯したり。

 

 だが彼が乞うのは赦しではない。

 

「思うに、これは単なるスクラップ・アンド・ビルド。それ以上の意味はない」

 

わが不義のゆえにわれを滅ぼし給え。
とこしえにわれを怒りて、わがために災いを貯え給え。

 

「僕は僕なりの冴えた方法を思いついたんだ」

 

さあ行って、神の激しい怒りの七つの鉢を地に傾けよ。

 

「僕と生きやすい世界を作ろう。きっと君も気に入るからさ」



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03.ドラコ・マルフォイ

 ポッターに殴られた時、本当に怖かったのは眼前に迫りくる拳でも、それに伴う痛みでもなく、自分を殴りつけるポッターの目だった。

 

 ドラコはクリスマスパーティーを終えて自室でゆっくりと両親からプレゼントされたネクタイピンを眺めていた。

 凍える硝子越しに屋敷へ何人か入って来たのがわかった。父上の“仕事”の仲間だろう。長い夜の真ん中に集う死喰い人たち。その中にあいつもいるのだろうか?

 

 ウラジーミル・プロップ。

 

 ポッターの目をあそこまで怖いと思ったのはプロップのせいだ。

 ポッターの見開かれた白目の中に浮かぶ緑の瞳は太陽に浮かぶ黒点のようだった。血走って浮き出た毛細血管。生き物の動の色と対照的に完全に静まった濁った目。プロップの普段の目。

 天文学でちらと触れた宇宙にあるというブラックホールの図を思い出した。マグルが知恵を絞って作った、遥か彼方を見るためのバカでかい望遠鏡で撮った動かない写真。鮮やかな星雲の中央に鎮座する穿孔。どこまでも黒く何もかもを吸い込むという星の残骸。

 何もないんだ、と。

 今のポッターには僕を殴りつけるということ以外何もないのだと思った途端、恐怖が全身を支配して動けなくなった。情けなさや恥ずかしさを感じる暇もなかった。(それは殴られて数時間たち、一人になってから訪れた)人間が力のすべてをある一つの行為に注いだらどうなるか。そのヒントがポッターの食らわした最初の一撃だった。

 拳が直撃し、目の前が真っ暗になる。そして遅れてきた痛みと脊柱への衝撃。あいつの血走った目。鮮烈な記憶は二ヶ月たっても色褪せない。消えたはずの傷まで痛む。

 

 そのポッターと同じ目をしたプロップ。彼が杖を使えない無能であるという致命的情報を握った僕を殴らせるなどとしたあの男には、怒りと同じくらいの不気味さを感じた。

 僕の命を危険に晒せば父上に殺されるに決まってる。または僕がちょっとでも気まぐれを起こせばやつが無能だとバラされる。そういうリスクを抱えているくせにあいつは躊躇も反省もしてなかった。僕が脅したあとだって父上に叱られたあとだってケロッとして反論までする始末だ。

 それは無謀なバカとか命知らずだとかそういう事でなく、単に僕たちの安全に全く興味がないのだと言うことは明らかだった。

 

 父上は一体何を思って彼を使おうと思ったのか。あんな不気味なやつ、できればもう二度と関わり合いたくない。僕はそれとなく何度もその旨を伝えた。けれども父上はそれをお許しにならなかった。

 勿論父上もあいつの異常さには気づいているのだろう。僕の怪我は明らかに彼が仕組んだものなのだから。それをわかっていてなお僕をプロップに協力させなければならない。それはつまり、プロップが単なる魔法省の犬ではなく例のあの人側の犬である可能性を意味する。

 はじめは単に、「私の重要な駒だから」と言われたプロップ。僕は魔法省がホグワーツを支配するための駒だと思っていた。だが父上のプロップの話をするときの緊張した表情を見るに、駒どころか生命線なんじゃないかと思う。

 

1/3の夜

屋敷にやってきたプロップ

盗み聞きしようと近付いた時、応接室のドアが開いた

 

「…おや」

 プロップと目があった。いつもどおりの平凡なつまらない顔をした男。暗い目をした男。

 その声のあと、父上が部屋から出てきて僕を見た。父上の顔面は蒼白で、ひと目で何かが起きたんだとわかった。けれどもそれを必死に隠すように父上は上品を取り繕って僕に声をかけた。

「ああ。どうしたドラコ」

「えっと…少し気になって。プロップ先生がいらしてたから」

「ドラコ・マルフォイ。用があるなら話そうか?二人きりで」

 プロップの言葉に父上の肩が僅かに跳ねる。

「…父上、大丈夫ですか?」

「いや。何でもない。大丈夫だ。…ドラコ、悪いが外してくれ。新学期になってから聞きなさい」

 

 父上はプロップを送ったあと、一人で酒を開けた。上物のオーク酒だった。機嫌がいいときには絶対に飲まない、舌の上を逆立てるような味のもの。グラスを持つ父上はとても真剣な顔で机の上をじっと見ていた。

 

「あいつがなにかしたんですか?」

 僕が勝手に部屋に入ってきても父上は何も言わなかった。僕の質問にも答えず、そのまま翌日にはキングスクロス駅で別れた。

 プロップへの恐怖が宙ぶらりんのままで休暇が終わってしまった。

 

 

 

魔法界の抱える病

寄稿 チャリティー・バーベッジ

   ホグワーツ魔法魔術学校 マグル学 教師

 

 魔法界は病んでいます。理由は、今あなたの開いている新聞にあります。

 三大魔法学校対抗試合から続く混乱はもはや泥沼化しており、ありとあらゆる種類の罵詈雑言、流言飛語がメディアを行き交いました。大変悲しいことに、そういった心無い言葉はある特定の人物に向けられています。

 一度杖を置いて、深呼吸してから新聞を見てください。

 真実が何か、私には判断できません。しかしながらこのような見るに耐えない言葉たちが未成年の魔法使いへ向けられているという事実がいかに歪かはわかります。

 皆さん、これが私達のあるべき姿でしょうか。私には今の魔法界は病んでいるとしか捉えようがありません。本来の理知的な思考に戻りましょう。何が真実かを考えるよりも、人の気持ちを考えましょう。子どもにもできることです。勿論、マグルにだって。

 

 

 

ーリップ音ー

 

 

 

 

「その文章を載せたやつがどんな目にあったか知ってるか?」

 

 プロップが僕の広げた日刊予言新聞越しに僕を見ていた。

 

「服従させられた。君の父親によってね」

「…何が言いたい?」

 僕は新学期早々プロップに呼び出された。理由は冬期特別課題の出来について。この大嘘吐き。

「魔法は便利だ」

 プロップは魔法が使えない。使えないはずなのに何故こんなに気味悪く感じるんだろう。

「僻みか?」

 僕の軽口に笑う。こいつは僕のことなんてちっとも怖がっていない。ポケットにある杖を強く意識する。

「どちらかというとやっかみかな」

「何が違う」

「語感」

 プロップの仕草は、言葉遣いは、全てがうんざりするぐらい計算されている。何もかも見透かした上で行動されると心を素手で触られたみたいに嫌な気分になる。

 杖でこいつをやっつけられたら、服従させられたら、若しくは失神でもなんでもいい。一発食らわせられたらどれほどスッキリすることか。だが理性はそれを許さない。

 

 父上はこの男を使わざるを得ない危険な任務を与えられている。自らリスクを背負わざるを得ない仕事を。

 こいつは父上に命運を握られているが、同時に父上の命運を握っている。そうでなければ生かしておく理由はない。

 

「ドラコ、君に怪我させたお詫びにいいものをあげよう」

 要らない。と答える前にプロップは僕の襟ぐりを掴んだ。僕は暴れだす恐怖感を抑えながらも身じろぎした。殺されるかと思ったがプロップはそのまま胸の部分になにかをつけた。彼が手を離すと深紫のリボンに魔法省のエンブレムが描かれたバッジが監督生バッジの横で揺れていた。

 

「君は今日から尋問官親衛隊だ」

「親衛隊…?あんたの?」

「そう。うちのおせっかいな上司がこの役職に箔をつけたいらしくてね」

「馬鹿らしい…名前だけ飾ったってあんたは何もしてないじゃないか」

「まあね。でも女性からのプレゼントは無下にできない」

「馬鹿いえ」

 プロップはクックッと笑った。

「そのバッジをつけてれば監督生同士でも減点できる。持ってて損はないよ」

「あんたの唆しには懲りてるんだ」

 僕は胸から親衛隊バッジを毟り取った。こいつの思い通りになるなんて僕のプライドが許さない。たとえ父上からよくよく言われていたとしても、だ。プロップは僕の反抗を見て困ったような顔をした。

「断る。また殴られるのはゴメンだ」

「そうか。まあ欲しくなったら取りに来てくれ」

「来るものか。僕はあんたの手助けをしろとは言われた。だがあんたに使われる気は毛頭ない」

「そうかい」

 プロップのなんでもない態度に思わず頭に血が昇る。ぶん殴ってやりたい衝動をぐっと抑えて、僕は何も言わずに研究室から出ていった。

 

 いらいらがどんどん募っていく。歳を重ねるごとにその解消は難しくなっていく。

 欲求が複雑に絡まり合って、どれかを解消してもまだどこかが解れない。そうやってくうちに放置していた小さなダマがいつの間にか大きく固い塊になっている。例のあの人が復活してから、プロップが来てから事態はどんどん悪化している。いや、加速度的に悪化している。

 フラストレーションがどんどん募っていく。ふくろう試験も控えているのに、勉強に手がつかない。ああグレンジャーのすまし顔が過ぎった。余計に腹立つ。

 

 

「では今日はゴールドスタインの提出したレポートを添削しようか。とても良くできていたので参考になるだろう。ラパポート法について…知らない人がいないことを願うが念の為に解説をしようか」

 

 これまで僕が考えてきたことを総括すると、様々な事実が浮かび上がってくる。

 例のあの人は父上をお許しになっていない。

 

「これはマグルと魔法族を徹底的に分離する北アメリカの法律で、1790年に起きた重大な国際機密保持法の違反によりやむなく制定されたものだ」

 

 父上は隠してはいるが、焦っている。何を命じられたかわからないが、どうやら遂行にはプロップが必要だ。

 

「このレポートではアメリカ魔法議会とイギリス魔法省の違いについて比較検討されている。比較部分については完璧だが一つ足りない要素がある。国際機密保持法とはなんぞや?説明できるものは?」

 

 この男は本当に父上の任務遂行の役に立っているのだろうか?甚だ疑問だ。最近じゃそれなりに授業もこなしているし、なんならどの寮生からも割と好かれている。

 

「国際機密保持法とは、魔法族とマグルが平和に暮らすために設けられた防壁だ。ラパポート法はこれのもとに制定されたのだから少しでもいいから触れるべきだった。そうすればゴールドスタインのレポートは一歩完璧に近づく」

 

 こいつはもしかしたら父上の命令をこなす、とか授業を適当にこなす、とかそんな目先のものを目指していないのかもしれない。この45分の退屈な授業は、4ヶ月の教師生活は、遠い目標の道程に過ぎないのかもしれない。

 

「更に言うならセーレム魔女裁判から見受けられるマグルの魔法への憎しみについて触れると、もう少し深みが出るだろうね。マグルが吊るした“魔女”にどんな仕打ちをしたと思う?」

 

 首元に食い込んだロープを外し、汚れた衣服を剥ぎ取る。脱力し、ありとあらゆる液体が零れ落ちる膣に指を突っ込み、処女でないことを宣言する。裸にひん剥いた死体は家畜よりも乱暴に荷車に積まれ、食べ残しと同じ場所に棄てられる。あるいはその場で、二度と復活できないように鋤や鍬で四肢をめちゃくちゃに耕したあとに燃やす。

 

「どれほどの行いをすればマグルの恨みをそこまで買えるのだろうね?確かに黒幕はいた。だがスカウラー達は種を撒いただけだ。けれどもそれだけでここまで人は人に残酷になれるのだろうか」

 

 バーソロミューとその仲間たちが撃った銃弾。弾頭に祈りを込めた人体を効率よく破壊するダムダム弾は誰一人として殺せなかったが結果的に世界の見えない部分を大きく変えた。

 

「マグルが魔法を知らないことは、果たして本当に善い事なのだろうか?」

 

 僕は、すべてを知りたい。知っていたい。自分の周りにどういう種類の暴力と陰謀が渦巻いているのか。僕は子どもでいたくない。僕は、父上を助けたい。

 

 

「ドラコ、見てくれよ」

 

 セオドール・ノットの胸に輝いてたのは尋問官親衛隊バッジだった。他にも官僚狙いの生徒たちは寮に関わらずバッジをつけている。人目を偲んで呪文の特訓をしているアーニー・マクミランまでつけていた。

 プロップは黙認しているとはいえ、マクミランの放課後自主教室を咎める立場だ。パーシー・ウィーズリーから反対が出なかったのか?

 プロップとウィーズリーは最近ピリピリしているように見える。少なくとも、授業中は。ウィーズリーによるプロップの授業視察は最悪の雰囲気だったらしい。なんせポッターのいるクラスでの授業だ。魔法省批判込のレポートが毎回出されているだろう。

 又聞きだが内容はこうだ。魔法省批判めいたレポートの質問にプロップは丁寧に答えた。いわく、「魔法省は古典的なカビの生えたマグルのまがい物政府」パーシー・ウィーズリーは顔を真っ赤にして怒る。「魔法省の役人たるものがそのような暴言を言うとは」プロップはひょうひょうと答える「真実を言うことが人を的確に怒らせる方法だ」。始まる口論、最終的にウィーズリーはクリップボードを投げつけて退席したらしい。

 それが生徒たちにプロップムーブメントを齎した。ガミガミ、パーシー・ウィーズリーをキレさせた男。反逆者ウラジーミル・プロップ。下級生の間ではファンクラブができたとか…。馬鹿げている!

 あの男のことだ、すべてが計算づく。いや、ウィーズリーと共謀して仕組んでいるに違いない。

 本来上司のプロップにウィーズリーが公の場で楯突くわけがない。あの愚直な男に限ってそれだけはあり得ない。加えてウィーズリーはプロップに心酔している。

 

 ではなぜここに来て魔法省へ逆らうような真似をするのだろうか?

 父上の任務を遂行するため…だとしたら父上の目的はハリー・ポッターの援護?それはありえない。例のあの人の復活は可能な限り伏せておくべきだ。

 魔法省の信用をガタ落ちにすること?信用を落としたところで死喰い人が得する事など何一つない。最高の隠れ蓑である魔法省はなるべくこのままの状態で置いておきたいはずだ。

 ハリー・ポッターを庇って一体どうなるというんだ?

 プロップはかなりの負けず嫌いだ。僕の封筒の盗み見への反論や普段の態度から言ってそれは間違いない。だがそれと同時に父上に命を握られているため、裏切りは考えにくい。だとしたらこれも任務の一環なのだろうか?

 考えれば考えるほど、プロップのポッター庇いは意味不明だ。

 

 

 その意味不明さはドラコの頭の片隅にずっと渦巻いて気分を悪くさせた。数日後には、さらなる混乱へと変化した。

 

 

【ウラジーミル・プロップ、降格】

 

 

 日刊予言者新聞にプロップのいけ好かない顔がでかでかと載っていた。

 紙面と同じ涼しい顔で、彼は朝食のキャロットジュースを飲んでいた。

 

 



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04.ネビル・ロングボトム

 両親の心がめちゃくちゃに破壊されたという事実にぶち当たったとき僕はいつもある時点で思考を停止させていた。

 おばあちゃんはパパを立派な戦士だと褒めそやし、ママを慈愛に満ちた魔女だと言い聞かせた。繰り返し繰り返し。(もちろん、それは疑いようがない事実だ!)けれども語られることによって立派な両親というのはおとぎ話の主人公たちのように思えて、出来の良くない僕とは乖離していくようだった。だから本当は、おばあちゃんの語り口はあんまり好きじゃなかった。

 僕の一番古い記憶はおばあちゃんの腕から亡霊のような人へ渡されそうになり泣き叫ぶというもので、たまに夢に見る。亡霊のような人はママだった。ママとパパは死喰い人に拷問されて心を壊された。

 その思い出は残念ながら心の中の恐怖の棚にしまってあるようで、時折悪夢として何度も登場した。5歳くらいのときはいつも泣き叫んで飛び起きた。もちろん今はそんな事はないけれど、子供心に罪悪感を持った。だってママは悪くないのにあんな夢を見るなんて…それもあって僕の夜泣きはひどかった。今でもおばあちゃんは文句を言う。

「今年はね…アーニーの自主連クラブに参加しているんだ」

 返事をくれたことは一度もない。この病室で話すのはいつも僕とおばあちゃんだけ。でもそれでいい。

 

 ネビル・ロングボトムにとっての家族の団らんは柔らかい白い光に包まれたこの瞬間だった。

 

 カーテンで仕切られた狭いパーソナルスペース。膝がベッドの縁にくっつくし他の人の話し声や叫び声が聞こえる病室。両親と唯一触れ合える場所。

 見る人によっては哀れんだり悲しんだり励ましたりするだろう。ネビル自身はこれを悲しい光景だなんて思ったことはない。しかし、そういう感情を掻き立てる光景だというのは嫌というほどわかった。だから誰にも話していない。

 

「僕なんか足手まといだ、って言ったけど快く受け入れてくれて、もう三回も盾の呪文に成功したよ」

 

 おばあちゃんが売店から戻ってくる足音がした。院内はクリスマスのせいもあって慌ただしいが、おばあちゃんの車輪が転がるような謎の足音だけはすぐわかる。僕は話を切りやめて、さっきママがくれたガムの包み紙をそっとポケットにしまった。

 

「ネビル、話はできたかね?」

「うん。おばあちゃん」

「それじゃあ、行こうかえ」

「うん。ママ、パパ、またね」

 

 病室を出るとき、奇妙な鉢植えがおいてあることに気付いた。病床の机の上に、鉢植えに適さない形の植物が無理やり鉢に入れられラッピングされていた。ベッドの主はじっと天井を見上げて動かなかった。

 

「あの、すみません…」

「はい?」

 

 シーツを畳んでいた看護士にひっそりと尋ねる。

「あの、あそこのベッドの患者さんは…」

「あっ。ごめんなさい。患者さんのプライバシーは話せないの」

「あ、いや。そうじゃなくて…鉢植えがあるじゃないですか。あの鉢植えがちょっと変というか…」

「鉢植え?…ああ。あるわね。変って?」

「見慣れない種類だったもので」

「植物好きなの?詳しいんだ!」

「あ、いや。まあ…」

 違う。本当に伝えたいのはその鉢植えが妙だってことで…。僕はいっつもこうだ。おばあちゃんも不審そうにこっちを見ている。早くしないと余計面倒なことになるので話を切り上げる。

「なんだかやな感じがして。それだけです。すみません…」

「ふうん?まあ様子、見ておくよ。ありがとうロングボトムさん」

「え…名前…」

「あっプライバシー…ごめん。よく顔見るから、つい」

「いえ。大丈夫です。えーと、じゃあ、僕はこれで」

「うん。ボードさんはちゃんと見とくから!」

「ありがとう!えーと」

「ジェーン。ジェーン・シンガー。じゃあね、孝行息子さん」

 シンガーと名乗った看護師はシーツをたたむと、ボードと呼ばれた患者のベッドの方へ行ってくれた。おばあちゃんはやり取りを聞いていたらしく色気より勉強はどうなんだえ?と嫌味を言った。

 休みが開ける前に自主連クラブでやった呪文の復習をしなきゃいけない。ハーマイオニーが教えてくれたわかりやすい教本を借りてきたのだ。それに教授たちが出した狂った量の宿題も。苦手なこととやりたくないことだが、やってると何だか自分が強くなっていくような気がした。

 

 アーニーの自主連クラブはそこそこ大きな規模になっていた。ハッフルパフの生徒7名ほどとレイブンクローの監督生とパチル姉妹。そしてハリー達3人組と僕。全員5年生で、ふくろう試験で出題される呪文の練習が主だった。

 ハリーは一番防衛術がうまいのでみんなに呪文を教えていた。ただ、攻撃的な(というと誤解が出るんだけど、要するに本格的に身を守るための)呪文をやらないことが大いに不満そうだった。

 アーニーとハリーはよく話し合っていて、時々ハーマイオニーもそれに加わっていた。ザカリアス・スミスは不満そうだったが会の主催者がハリーを歓迎している以上表立って文句を言うことはなかった。

 とても平和な会だと思う。教育令が発行されてから、会を黙認してくれていたプロップ先生に迷惑をかけないように必要の部屋でやっていた。必要の部屋は疲れたらふわふわのクッションもあるし、座り心地のいい椅子と高さのちょうどいい机も、防衛術の本もあって快適だ。

 プロップ先生ははじめこそ魔法省のスパイだのやる気なさすぎだの言われていたが、嫌われているわけではない。むしろレイブンクローやハッフルパフの生徒からは好かれている。どうやら授業後に自主的に質問しに行くと相当丁寧な指導を受けられるらしい。アーニーからそれを聞いた時に「あの人、あんまり仕事をしたくないから内緒にねって言うんだよ。おかしいよね」と笑いながら話していた。

 僕自身も悪印象は持っていない。確かに授業はつまらないけど、その間宿題もできるし、自主連クラブでの呪文の予習もできるし、そこまで悪い時間ではない。尋問官になってからも仕事は全部パーシーにやらせているようで本人は未だ誰からも減点していない。

 ハーマイオニーはプロップ先生はこれから本腰を入れるのだと言っているが、ロン、ハリーたちからは鼻で笑われている。僕もハーマイオニーは心配し過ぎだと思うけど、ハーマイオニーが間違ったことはないのでプロップ先生とは距離をとっている。…とはいえ、僕が距離をとっても取らなくてもあんまり意味はないんだろうけど。

 

 新学期早々、パーシーがプンプンしながら廊下横切っていて僕は苦笑いした。パーシーは尋問官助手として熱心に職務を熟しているが、監督生時代とやってる事は変わらない。ただフレッド、ジョージは心境複雑のようで前のように進んでからかいに行くことはなかった。

 休暇明けの晩餐はやっぱり美味しくて満足。ルーナとばったり廊下であって二三世間話をした。その後アーニーが嬉しそうに僕に新しく仕入れた防衛術の本を見せてくれた。実家の本棚にあったものらしい。談話室に戻るといつもの三人が深刻そうに何かを話し合っていた。

 ハリーへのバッシングは本当にひどくて、秋から日刊予言者新聞を読むのをやめている。それでも普通に生活してれば自然と紙面に踊るひどい言葉の数々を目にしてしまう。

 すごく酷いことだと思う。休暇前からハリーに対して酷い手紙が届くようになっていた。これから毎日美味しい朝食にあんな手紙が届くのだとしたら、今年はハリーにとって最悪の一年になるのは間違いない。

 案の定、新学期初日のふくろう便の時間、ハリーはとても憂鬱そうだった。

 僕は大抵この日に忘れ物が届く。が、今回は忘れ物はゼロだ。(5年も経てば僕だって進歩する)だがかわりに見慣れない手紙が一通届いた。

 

 薄紫の封筒には丸っこい文字でホグワーツのロングボトムさま、と書かれている。これで届いてしまうのはいいことなのか、悪いことなのか。差出人にはジェーン・シンガーと書かれている。

 一瞬誰だかわからなかったがすぐに思い出した。聖マンゴで妙な鉢植えについて話した看護師だった。

 

 

 

 

優しいロングボトムさんへ。

 

 クリスマスの日に話した看護師です。覚えていますか?

 貴方が教えてくれたちょっと妙な鉢植えなんだけど、実はあれはとっても危険な植物だったの。ニュースになってないのはオフレコ…っていうかもみ消したわけだから、あんまり人には言わないで欲しいんだけどね、あれは悪魔の罠の切り株だった。

 貴方がいなかったら大変なことが起きていたわ!本当にありがとう。貴方は命の恩人よ。

 今院内はこれの調査でてんてこまいでお礼を用意する暇もないけれど、すぐにでも貴方に伝えたかったの。

 本当に本当にありがとう!

 

ジェーン・シンガー

 

 

 読み終えてとても嬉しいと同時に、ここまで礼を言われたのは初めてだったので照れくさくなった。自分が役に立てて本当に良かった。

 けれども悪魔の罠の切り株がなぜ丁寧にラッピングされてプレゼントとして置かれていたのだろうか?奇妙だ。いや、明らかに変だ。

 悪魔の罠は触れたものを皆絞め殺す危険な植物で、取引はおろか栽培も厳しく規制されている。そんなものが見舞い品の鉢植えと間違えられたりするはずがない。

 まさかあの患者を殺すために…?

 そう考えると背筋がゾッとした。

 一日中罠を仕掛ける理由について考えてしまっていた。そのせいで魔法薬でまた大ぽかをやらかし、新年早々減点されてしまった。今日は自主連クラブもないし気分は沈んでいく一方だった。

 暗殺…だとして、悪魔の罠を使ったものなんてあるんだろうか?あまりいい方法とは思えなかった。だがあれは明らかにプレゼントに偽装された罠である。なぜあの患者は狙われたのだろう…?

 

 そう考えて廊下を歩いていると、プロップが教室の前で大きな家具を蹴ってるのを目撃してしまった。棚のような古めかしい何かだった。

 変なの見ちゃったよ…と踵を返そうとしたとき、運悪くプロップと目があってしまった。

 

「手伝いましょうか?」

 

 こういうときに無視を決め込められないのが自分の弱点だ。

 

 

「ありがとう」

 そう言ってプロップは紅茶を入れてくれた。いただきものらしい茶菓子も。がらんどうだがそれなりに調和した研究室に古ぼけた家具がどっかりと置いてある。

「この棚は…」

「モンタギューが最近トイレで見つかっただろう?彼いわく、トイレとこれは繋がってるらしい。闇の魔術の防衛術の教員として調べろとのご命令でね」

「へえ…変な棚ですね」

「面倒だがまあ仕方がないよな」

 

 プロップは自分のぶんの紅茶を飲むと僕を見た。ひょっとして名前を覚えられてないんじゃないかと思ったがプロップはちゃんと名前を呼んだ。

 

「ロングボトム。せっかくだしレポートについて質問とかはない?」

「あ、いえ!僕のは教科書をまとめてるだけですから質問のしようがないっていうか…」

「ああ、確かに。…でも最近のレポートは良くなってきているよ」

 プロップは本棚からファイルを取り出してめくる。提出されたレポートをまとめたものらしく、とても嵩張っている。

「マクミランのクラブの調子はどう?」

「とっても楽しいです」

「それはよかった。マクミランに任せて正解だった」

 プロップは本当にホッとしているかのような表情をしている。ちょっと意外に思って、思わず質問してしまった。

「先生はクラブを好ましく思ってるんですか?」

「どうして?」

「だって…魔法省は僕たちに杖を振らせたくないって…」

「グレンジャーの説は根強いね。まあ事実そのとおりだ。だが僕本人は別になんとも思ってない」

「そうだったんですか。なんだ」

「まあ尋問官になってからは流石に忍んでやって貰ってるけどね」

 プロップは想像していたより気さくで僕はなんだか拍子抜けする。紅茶と茶菓子のおかげもあって会話は楽しく進んでいった。

「あの、先生はハリーに闇の魔法使いの起こした事件について課題を出しているんですよね」

「ああ。本人の希望でね」

「闇の魔法使いって暗殺、とかはしていたんですか?」

「暗殺?そりゃするよ。闇の魔法使いじゃなくてもね」

「例えばなんですけど…悪魔の罠を使ったりするんですか?」

「悪魔の罠を?…例はないわけではないが。何故?普通は毒とか考えつくと思うんだけれども」

「ええっと…実は…」

 クリスマス、聖マンゴであったことを伝えた。もちろん両親のことは伏せて。奇妙な送り主不明の鉢植え。無言の患者に贈られた悪魔の罠。

 

「……ふうん。その患者の名前はわかるかい」

「えーと、なんだったかな…ボード…さんだったような」

「そうか。へえ。悪魔の罠を鉢植えにねえ…なかなかユニークだ」

「うまく行くんでしょうか?」

「ああ。行くだろうね。あの植物は触れたものだけ絞め殺すわけではなく時として自ら周囲のものを絞めに行く」

「そうか。密閉された袋のなかにいると…」

「そう。切り株となれば尚更栄養を欲するだろうね。君が気づかなければ近いうちにそのボードとかいう人は縊り殺されていたよ」

「やっぱり闇祓いに知らせるべきだった」

「手紙をくれた看護師によるともう調査をしているんだろう?任せておくべきだ。面子はむやみに潰さないほうがいい。癒師の奴らは根に持つからね」

「でも…」

「安心しなさい。暗殺は一度失敗したら暗殺じゃなくなる。聖マンゴも警戒の方法は心得ているさ」

 プロップはなにかを思案するような表情をしてから本棚に飾られている黒電話を見た。そしてまた僕に視線を戻すと「今日はありがとうね。」と言って部屋から追い出した。

 

プロップはああいうが、僕はボードという人が心配でたまらなかった。シンガーさんに返事を出し、ボードの身の安全を守るべきだと忠告した。

 そうこうしているうちに、周りは大きく変化していた。

 まず尋問官親衛隊なるものが設立され、パーシーの取締が強化された。続いて占い学のトレローニーが停職になった。

 ハリーは最近夜中に飛び起きて叫んだりするし、いやがらせの手紙が爆発した日にはアーニーと喧嘩してしまった。

 アーニーのクラブは保守的すぎるとハリーやザカリアスが文句をつけ、結果的にアーニーも怒り出したのだ。アーニーは尋問官親衛隊に抜擢されているから会の長にふさわしくないのではないか、とまで言うせいで議論は泥沼化し自主連クラブは過去最悪のギスギスっぷりを呈している。

 確かに放課後の自主練習クラブはその名の通り教科書に出てくる呪文を授業で使えないぶん使ってみようという、極めて平和なお勉強サークルだった。しかしハリーたち一部の生徒(主にあとから加わったハッフルパフ以外の生徒)は戦うために学ぼうとしている人たちだった。

 僕はどっちかというとアーニーのスタンスに同意していたが、心境としてはハリーによっていた。

 どちらに付くべきか悩んでいたところで、最悪の事態が起きた。

 

 

「一体!どういうことだね!!」

 

 パーシーは生徒たちが全員振り向くような大声で晩餐から立ち去るプロップに呼びかけた。

「どうとは?」

 プロップはいつもどおりの調子で答えた。

「生徒から密告があった。君が申請のないクラブの顧問をしていると!」

 パーシーの言葉に生徒たちに動揺が走った。自主連クラブについて知ってるのは極僅かで、全員メンバーとして署名していた。僕は胃がギューッと締め付けられる感じがした。

「ああ。そうだ。うっかりしていたよ」

「うっかりで済むことではない!君は魔法省に歯向かうつもりなのか?」

「そんなつもりはないよ。ただ僕は最大の利益について良く考えるのさ。彼らの行為はたとえ非公認だろうと、地下活動だろうと存続させるべきものだ」

「武装することがか?」

「そうだ」

 二人の声はホールにわんわんと響き、教職員テーブルからも席を立って見に来る教師がいるくらいだった。マクゴナガルもとめるべきかどうか迷ってるようだった。

「武装する必要などない。これは反体制的な違法行為だ」

「いいや。武装する必要はある」

「何に対して!」

 プロップは間をとった。言うか言わまいか逡巡しているように、葛藤しているかのように視線が地面の数センチ上をさまよっている。

 

「ヴォルデモート卿だ」

 

 生徒の中で悲鳴が走った。パーシーの眼が見開かれる。どよめきを掌握しきってから、プロップは言葉を繋げる。

 

「彼らが戦うのは、ヴォルデモート卿に、対抗するためだ」

 

 ゆっくりと、言い聞かせるように行ったプロップの声はホールに重たい沈黙の蓋を被せた。そして数秒後、パーシーはプロップの頬を殴った。

 

「バカを言え…!」

「僕はハリー・ポッターを信じている。いずれ君にもわかるさ」

 

 僕は思わず群衆からハリーを探した。

 ハリーは感激しきった様子でプロップを見つめていた。

 どこからか拍手がおこった。拍手はまばらだったが、パーシーが退場しプロップが立ち去るまで続いた。

 

 

 



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05.ドローレス・アンブリッジ

 私、珍しく怒っているわ。怒っていますとも。飼い犬に手を噛まれたのだから。

 

 ドローレス・アンブリッジはイライラしながら日刊予言者新聞を捲った。今日もたくさん、どうでもいい記事ばかり。民衆を煽動するための刺激的な言葉が大見出し。同じことばかり書かれているねちっこい文章。ああ嫌だわ。嫌な気持ちのまま過ごしていると何もかも悪いものに見えてくる。

 コラム欄にはリウェイン・シャフィックとの対談が大きめに載っている。前回のシリーズの評判が良かったからだ。リウェインはおだて上手なのもあって話しやすく、表面上はとても友好的関係を築けている。それにジャーナリストの友人は持っておくべきだ。嫌な気分を振り払い、記事を読む。

 

 今朝すれ違った誤報局のロウルは「あいつにも誤報を流してやりたいですよ」と嫌味なのか冗談なのかわからない不快な挨拶をしてきた。私より若いくせに、局長になりたてほやほやで自制心が馬鹿になっているんだわ。

 目下の悩みの種、ハリー・ポッターの処遇について、ウラジーミルは私を裏切った。なんの前触れもなく、唐突に。ウィーズリーから手紙を受け取って思わず日付を確認したほどに驚いた。残念ながらエイプリールフールではない。なんて言えば適切かしら?筆舌に尽くし難い、とでも言えばいいのかしら?頭に血が上って倒れるかと思った。すぐに暖炉に詰めかけたわ。

 ウラジーミルは暖炉では話せないの一点張り。仕方なく私は彼を呼びつけた。そして同時に新しい教育令の文を考えた。私が裏切り者を許すはずがないでしょう?

 降格を告げても彼は反論しなかった。悪いとわかってて何故ハリー・ポッターを擁護しようなんて思ったのかしら?理解し難い。

 手紙を受け取って数日後、ようやく怒りも収まってきたので冷静に彼が何を思っているのかを考えてみた。けれども答えは見つからない。

 アズカバンの泥の中で出会ってから彼は一度も私を裏切ったりしなかった。言うことは何でも聞いて完璧にこなしていたというのに、今更になってなぜ?命を救った恩は一年で賞味期限切れ?嫌だわ。また怒りが再燃してきてしまっている。

 時計を確認した。あと十数分もすればウラジーミルはここに訪れる。

 

 

 

 

1993年
忌々しいブラックの脱獄
輝かしいファッジの経歴に泥を塗った
その現地調査でのこと

 

 

 

 

 その日は酷い天気だった。もともとアズカバンの周りはマグルがうっかり足を踏み入れないように魔法で波を高くしてあるとはいえ、本島からの船着き場もすべてがぐしょ濡れで風が吹き荒れ、時折波飛沫が頬にかかった。

 船頭は醜い老人で、ブツブツと何かをつぶやきながら漕いでいた。魔法が使えないのだろうか。船が波で砕け散らないか不安になりながら、なんとかアズカバンへ到着した。

 何度来ても不快な場所。鬱積した数百年分の怨念と恐怖が空気を形成しているようで、ハンカチを口に当てたくなる。シリウス・ブラックの独房の中まで入らなきゃいけないと思うとゾッとする。とはいえ仕事だ。どのようにしてブラックが脱走したか。それを調査しているのは目下闇祓いだ。私はその調査が公正になされているかをチェックしなければいけない。

 スクリムジョール直々の調査なだけあって、落ち度なんてどこにも無いだろう。しかしファッジは次期大臣候補と呼ばれている彼の動向が気になってしょうがないらしい。私自身も、今後の出世に関係するし少しは気になる。

 ブラックの独房は(これを独房と言っていいのかしら?)まるで動物の巣のようだった。冷え切った石壁と腐食した床にボロ布が丸まって落ちている。吸魂鬼に怯えて包まってた布だろうか?擦り切れて、ところどころ変色したそれだけがブラックの持つ唯一の財産だったのだろう。彼が殺人者でなかったら同情に値する環境だ。

 アズカバンでは長生きできないのもさもありなん。当然の報いだけれども。闇祓いの出す守護霊に囲まれていても心は底冷えする程悍ましい。そんな場所で十数年も生きながらえている囚人たちはきっと狂ってる。終身刑なんてやめて積極的に吸魂鬼のキスをしてやればいいのに。むしろそっちのほうが慈悲深い。

 そんなことを考えながら独房の査察を終え、吸魂鬼が彷徨いていない外を見た。崖っぷちの崩壊しかかった塀にはいくつか盛り土があり、そのそばに石が転がっている。

 墓だ。

 あまりに粗末なのですぐにはわからなかった。人殺し共の末路。こんな埋葬、ペットにも劣るわね。そう思って視線を外そうとしたとき、さっきまでいなかった吸魂鬼が二匹、その墓場に向かっていくのが見えた。

 おや?と目を凝らすと、土砂降りの墓場で動くものがいた。

 人間の残骸が混じり合った泥の中で誰かが襲われていた。船着き場の職員か?はたまた闇祓いかしらないが、私はすぐに助けに向かった。

 

 それがウラジーミルとの出会いだった。

 

 

 

 私は確かに彼の命を救った。だが言い換えればたかだか命を救っただけの関係だ。裏切られていてもおかしくはない。ポケットにしまった真実薬の小瓶を強く意識した。これを使いたくはない。私にだって少しくらいは情があるもの。

 親のエゴで心を引き裂かれた子ども。彼は自分の力だけを使い、兄弟の間の苛酷な生存競争を生き残った。魔法が使えなかろうが、私は彼の能力を評価していたし、その生き様に敬意を評していたつもりだ。

 

ーノック音ー

 

 私達の一年の信頼関係を杖や薬で終わらせたくないわ、ウラジーミル。返答次第では何もかもがおじゃんよ。そこまで愚かではないわよね。私はノックの主を扉越しに睨む。

 

「どうぞ」

「失礼します」

「ウラジーミル。随分偉くなったじゃない?」

 

 早速嫌味を言ってやった。ウラジーミルはほんの少しだけ眉をひそめ、扉を閉めたあと立ったままこちらを見ている。

「さ…言い訳を聞かせて頂戴」

「まず言っておくが誤解しないでください。僕はあなたを最大限尊重しています」

「尊重?顔に泥を塗ることが尊重ですって?」

「そう熱くならないでくれよ。とりあえず僕の話を落ち着いて聞いてください」

「口のききかたがなってないわ、ウラジーミル。あなたいつからそんな不遜な口がきけるようになったの?!」

「あー、わかった。わかりました。すみませんでした。…落ち着いてくださいよ。僕は貴方への恩を忘れてなどいませんから」

 

 ウラジーミルはいつもより遥かに面倒くさそうだったが、一応丁寧な言葉遣いにもどした。私はそれにますますイライラする。本来ならば彼がもっと焦り、私の許しを得るために必死にならなければいけないはずなのに。

 

「まず、マクミランの地下クラブについては貴方もご存知のはずだ。報告書にある通り、摘発者はザカリアス・スミス」

「…ええ。よく読ませてもらったわ。なんだか随分子供っぽい理由よね?マクミランにイライラしたから告発した、なんて」

「彼らは子供ですよ」

「そういうことを言ってるんじゃありません。…貴方が何かしたのでしょう?」

「何故?」

 ウラジーミルはピリッとした声で尋ねる。私は毅然とした態度を心がける。

「一年の付き合いでもそれくらい予想が付きます。いい?貴方の仕事相手がいっつも行方不明になるのくらい、私は気づいていてよ」

 ここで怯えているようではこの男にのまれるだけだ。私の虚勢を見てウラジーミルはほんの少し微笑み、いたずらっぽく言う。

「おっとそれは予想外だ。黙っていてくれたという事は僕たちの間にはそれなりの親密さがあったんだろうか?」

「それも今日で終わりかもしれないわね」

「ああ。あなたの推理通りですよ。僕が促しました。マクミランの自習クラブはハリー・ポッターの唯一の心の拠り所でしたからね。…まずは敵情観察の結果をお伝えしましょう」

 

 ウラジーミルは立ち姿まで何だか堂々として見えた。まるで別人のようだ。嫌な予感。真実薬よりも杖が必要かもしれない。

 

「ダンブルドアは我々魔法省の動向など意に介さず、尋問官の活動にもほぼ無反応です。トレローニー、ハグリッドの停職の際に後任を命じた以外は特に何もありません。ポッターの退学を理事会へ進言した際は強くこれを拒否しました。ですがポッター本人との接触はゼロです」

「接触がゼロと言える根拠は?」

「ポッターがダンブルドアと話せているのならば、僕に相談を持ちかけたりしないはずだ」

「待って。つまり…貴方はいまポッターの話し相手になっている。そういう事なの?」

 頭がクラクラしてきた。ポッターを擁護するどころか相談相手になってるですって?ファッジは彼を断罪しようとしているというのに?

「そうです。彼からの信頼は絶大ですよ。ただ一言、馬鹿げた名前を呼んだだけだというのにね」

「どうして、そんなことを…!」

 ウラジーミルはさも愉快そうだった。ワナワナと震えた私を見て、じっくり見て、決定的な一言を静かな声で言った。

「アンブリッジ。一つだけ確かなことがある。ダンブルドアは我々など眼中にない。ましてや魔法省大臣の座を狙っているなどというのはありえない」

 

 私は自分の脳の血管が切れたのがわかった。

 

「なんてことを!」

 

 手元にあった紅茶のカップを思わずウラジーミルに投げつけた。茶葉を蒸らしていた蒸気と赤色の熱湯が彼の膝下にかかり、破片が床に飛び散った。

 ウラジーミルは熱さに眉をひそめ、紅茶がかかったズボンをジロっと見た。しかし変わらず直立したまま激高した私を冷静に眺めていた。

 

「あんたも本当はわかってるだろ。なあ、俺はあんたを助けてやろうと思っているんだ。頼むから暴れんでくれよ」

 

 ウラジーミルはそう言うと懐から見慣れない杖を取り出し、濡れたズボンをなぞった。そして床に飛び散った破片に杖を振ると、破片が寄り集まっていく。

 

「な………」

 

 私は言葉を失う。スクイブが突然呪文を習得するなど不可能だ。

 

「貴方は誰なの?」

 

 杖を構えた。ウラジーミルの顔をした何かの脳天に向けて。ウラジーミルはやれやれといった顔をして前髪をかき分け、ため息をつく。

 

「だから嫌だったんだ。俺は女との交渉は下手らしい。いつも怒らせてしまう」

「名を名乗りなさい!さもなければ」

「さもなければ?」

「攻撃するわ。人も呼ぶ。貴方、ウラジーミルをどうしたの?」

「どうもこうもあいつに頼まれてきたんだよ。穏便にあんたを説得してくれとな」

「ウラジーミルが…?」

 

 そいつは「ああそうだ…」とつぶやくと同時に私の杖腕を掴み、思いっきり上へ引っ張り上げた。肩が外れそうな痛みと恐怖で悲鳴が出かかる、が直ぐ様口を大きな手で塞がれる。ほとんど吊り上げられる形になって私の頭は恐怖と屈辱で塗りつぶされていく。

 

「まあ別に、殺しさえしなければどうなってもいいとの事だ。俺のやりやすい方法でやらせてもらおうか」

 

 ウラジーミルの杖が、私の見開いた眼球に突きつけられる。私は心の中で後悔した。あの日、泥の中で死にかけた彼に抱いたほんの少しの憐憫を。ああなんと愚かだったんだろう。思い上がりだった!こんな事になるならば彼を見捨てておくべきだった。

 

「インペリオ」

 

 重たい声が耳を通して脳に絡みつく。同時に暗闇にどこまでも落ちていくような浮遊感に襲われて、意識の幕が下りた。

 

 

 

 

……

 

 

「しまった。息は…と」

 

 ウラジーミル・プロップは慌てて彼女の口から手を離し、足が地面につくようにおろしてやった。しかし息ができないせいで気絶したらしく、そのまま床にべシャリと落ちてしまった。

 

「ブランクのせいか。加減がうまくいかんな」

 

 そのまま転がった彼女の頭から数本毛を毟り、胸ポケットにしまった瓶の中へ入れた。軽く振ったあと、事務所のロッカーから衣服を見繕う。

 ピンク色しかないロッカーを見て顔をしかめ、何度も他の服を探したが結局諦めた。そのまま上着だけ脱ぎ、瓶の中身を煽った。

 

「ゾッとする味だ…」

 

 独りごちた直後魔法使いの部屋にはそぐわない黒電話の音が部屋に鳴り響いた。プロップはズボンのポケットから電話の絵が書かれた小さな名刺を出して耳に当てる。

 

「はい」

 

 アンブリッジの声色で答えると、名刺に書かれた黒電話のちょうど受話器の部分からけたたましい笑い声が聞こえた。

 

『うわ、マジかぁ。想像するともう笑いがとまんねーんだが、うん。とりあえず味はどうだ』

「砂糖を喉に流し込んだようだと思いきや、とんでもない苦さが襲ってくる。おぞましい味だ」

『わははははは!!!』

 

 けたたましい声にアンブリッジは顔をしかめ、床に転がってるアンブリッジから靴を奪う。さっきまで来ていた男物のスラックスと上着をまとめて縮小呪文をかけ、羽織ったピンクのコートのポケットにしまった。

「今から潜入する」

『ん、じゃあ一時間後に例の電話ボックスの前に車留めとくから遅れんなよ』

 電話の向こうの男がそういうと名刺はうんともすんとも言わなくなった。

 横たわるアンブリッジをドアの死角に転がして隠し、床の紅茶のシミを消した。襟を正してからドアを開けて、前で待っていた男に声をかける。

 

「そっちの用は済んだか?」

「問題ない。万事滞りないさ」

 

 そこには未だ回復していないはずのボードがつまらなそうな顔をして立っていた。

 

「魔法運輸部は一番馴染み深い古巣だからね。むしろ歓迎された」

「ポリジュース薬は何分前に飲んだ?」

「ほんの数分前」

「よし」

 アンブリッジはドアから出て厳重に錠をかけた。

 

「似合っているわよ、制服」

 そう言ってアンブリッジはウインクする。ボードは思いっきり顔をしかめて体をひいた。

「茶番はやめろよ…気味が悪い」

「爺さんの知恵袋。変装のコツは中身もなりきる事だ」

「アンブリッジはそんな事言わない」

「そうなのか?…まあいい。お互い時間が押してる。急ごう」

 

 二人はツカツカと廊下を横切り、エレベーターに乗った。他に乗客はいなかったので一気に地下9階へ降りる。激しい浮遊感と横揺れ。居心地の悪さにアンブリッジは思わずつり革をつかもうとして失敗した。

「背が低いと苦労するな」

 ベルの音が響き、エレベーターが停止する。鉄格子の扉が開くと黒い大理石のホールが広がっていた。

「這入りかたは覚えているな」

「当然だ。何度も復唱させただろ」

 アンブリッジに囁かれ、ボードは迷うことなく廊下を進んでいく。冷え冷えとした無音にアンブリッジのヒールが床を打ち付ける音だけが響いた。そうして進んだ先に扉がある。

「さて」

 ボード呟くと、アンブリッジはその扉を押した。するとゆっくり扉が開いた。不気味なほど静かなホールに蝶番のきしむ音が響く。

 

「やけに静かだ。無言者はいないのか?」

「いや。いるはずだが見られても問題はないだろう。ボードは退院した。それは事実だ」

「退院ね…」

「幸運に感謝しなければね。それと余計なことをしてくれたルシウスに。仕事がはるかにやりやすくなった」

 

 廊下を進むと見たこともない道具の数々が棚に所狭しと並べられている。金の鎖でぶら下がったランプ。水蛆虫。脳みそ。すべてを無視し扉を抜けていくと円形闘技場のような吹き抜けの部屋に辿り着いた。中央にはアーチがあるがそれも無視して真っ直ぐ目的の扉を開けた。逆転時計の倉庫を抜けた先に今回のメインが待っている。

 

「圧巻だ」

 

 予言の間。冷たい空気の漂う薄暗い部屋に幾千もの、幾万もの水晶玉が霞むほど並んでいた。

 

「始めよう。泥棒のようになるべく手早くね」

 

 




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ークズがクズを笑うー

 暗く冷たい地下深くの倉庫での仕事を終えて長き沈黙の時を破り登場するのは僕である。いや、僕自身は黙った覚えはないのだが。僕、ウラジーミル・プロップはブロデリック・ボードの顔貌のまま複数の暖炉を経由してロンドン市内へ出た。無言者のユニフォーム。鯨幕よりダサいそれを脱いで飲食店裏のゴミ箱に突っ込む。そして足早にレナオルドの待つ電話ボックス前のバンへ向かった。

 

 さて、今回の任務で僕はまたもうまく面倒ごとを乗り切った。アンブリッジの説教を受けてくれたゲラートに感謝。そしてロングボトムの棚ぼた情報にも。彼がボードのことを救ってくれなかったら、僕はルシウスの馬鹿な独りよがりを知る由もないまま大きな不利を背負ってしまうところだった。

 無言者を服従させたところで予言は手に入らない。彼らは神秘に携わるが直接干渉することはできない。予言は予言された本人にしか取り出せない…このルールは絶対だ。

 ボードが殺されていた場合、ダンブルドア達は警戒を強めるだろう。下手したらその警戒の余波は魔法省の犬である僕にまで及び、後ろ暗い過去を暴かれて降格までして手に入れた周りからの信頼も失う羽目になるところだった。

 とはいえ、心神喪失した魔法使いをそのまま放っとくなんてもったいない。(ましてや殺すなんて!)僕はルシウスに一報入れてから『予言奪取の理想形』について話し同意を得、彼の件を引き継いだ。

 ルシウスの仕事をこなすため、僕はこの冬は蜂のように(もしくは蟻のように)働いたのだ。しかもヌルメンガード脱走時なんて怪我までした。今回の仕事でこれまでかけたリスク分のリターンは得られるだろう。

 

 バンを見つけて乗り込むと、拡張された車内にはルシウスが座っていた。

「上手く行ったのか?」

「ええ」

 すぐに反対側のドアがあき、アンブリッジ…もとい、アンブリッジに化けたゲラート・グリンデルバルドが入ってきた。

「ここ半世紀で一番ヒヤッとした」

 すぐにあわてて靴を脱ぎ捨てた。彼の足はメキメキと大きくなっていき、小さなアンブリッジの体が不気味に蠕動している。

『うわ、グロいな』

 スピーカーからレオン・レナオルドの声が聞こえる。このバンは運転席と後部座席をしっかり仕切ってある。彼は背後からの不意打ちが一番ムカつくそうだ。

 僕の体も多少ムズムズしてきた。幸いボードは同性で、しかもそこまで体格も変わらないので着替えの必要はない。ルシウスは変形していく二人の間で顔をしかめている。

「レナオルド、出して市内を適当に走ってくれ」

『はいよお客さん』

 エンジンがかかって車は前進し、マグルたちの車列に加わる。窓から見える人混みを見てルシウスの鼻が不愉快そうにひくついた。魔法使いの目には害獣の群れにでも見えるのか?僕は人混みを見ていると安心する。僕を知らない人がこんなにいるんだからリセットはいくらでもできると思えてくるからだ。

 

「前話した通り、準備はこれで終わりだ」

 僕がそう言うとルシウスは頬にほんの少しの紅潮を浮かべ、「よし」とつぶやく。それをみてアンブリッジから戻ったゲラートが窓枠に肘を付きながら言った。

「じゃあ次はあんたらの動向を教えてくれ。ここまで下準備して噛み合わないことされちゃたまらない」

 ルシウスは僕の事はまだ少し舐めてるがゲラートに対しては一歩引き慎重に接している。

「ああ…だが、ここで?」

 ルシウスは運転席の方へ目配せする。

「ああ。レナオルドなら大丈夫だ」

「だが彼はマグルだ」

「僕も似たようなものだ」

 レナオルドは純正マグルだ。僕と違って魔力のかけらもないので魔法使いの手に落ちた途端秘密をペラペラ喋りだす。だが僕は彼以上の適任を未だ見つけられていない。彼の能力は彼がいま正気で手足もちゃんと揃っているという点で証明されている。

 

 ルシウスと僕の関係は冬で変化した。一方的隷属は終了し共栄する方向にまとまった。というのもルシウス達死喰い人側でちょっとした権力闘争の火種がくすぶっているらしい。ルシウスと対立するのはヤックスリーら魔法省に勤務している死喰い人で、本来ならば予言奪取に最も貢献できる立場の連中だった。

 役人というのはたいてい金持ちが嫌いだ。正確に言えばサラリーで暮らす人間は金持ちを蹴落としたがっている。魔法使いにもしみったれた労働者魂があるらしい。(同士よとでも言えばいいのか?)ヤックスリーらはルシウスへの協力をそれとなくはぐらかして、別の大きな任務を勝ち取った。

 

「アズカバン集団脱獄も時間の問題だ」

 

 ヴォルデモート卿は昔の仲間が恋しいらしく、あの灰色の島に近々訪問予定。役人派は予言なんかよりも脱獄した死喰い人たちの受入準備や脱獄後の情報戦の用意で忙しいようだ。誤報局のロウルがかなり張り切ってるとか。

 どんな小さなサークルでも権力争いは起きるものだな。僕、ゲラート。人は二人揃えば社会になる。だが僕はありとあらゆる闘争において参加する権利を持たない。少なくとも魔法界においては。

 

「ポッターへの干渉はどうなっているんだ?」

 ゲラートはルシウスに尋ねる。…今更だが拡張された車内とはいえおっさんとおじいさんが三人並んで座っているのは滑稽だな。

「継続中だ。闇の帝王いわく、抵抗は弱まってきていると」

「ずっと神秘部への道のりを見せ続けているのか?」

「ああ。…いや、断言はできんが」

「そばで見ていて感触はどうだ。ウラジーミル」

「そうだね。彼はあの夢を密かに楽しんでいる。友達に言うといろいろ言われるようで、代わりに僕に話してくれる」

「よくそこまで心を許されてるな」

「心なんて知らないよ。ただ神秘部についてあの学校の中で一番詳しいのは僕だろうから聞きに来たんだろう。あとは彼の好奇心を刺激し続けるだけだ」

 

 ちなみに神秘部は数ある部署の中で唯一パートタイマーを一切雇っておらず、外注もゼロ。完全にブラックボックス化しているので僕は毎度それっぽい匂わせ話を創作している。一般的に知られている事実をちょっとずつ盛るだけとはいえ想像力に乏しい僕にはなかなかの苦行だ。

 

「例の降格キャンペーンのおかげで最近は心を開いていると言えなくもない。が、一方でセブルス・スネイプが探りを入れてきている」

「何?セブルスが?」

 ルシウスの瞼がひきつる。

「ああ。彼、二重スパイなんだろう?本当にこっち側なのか?」

「そのはずだ。いや、そうでなければ困る」

「困るじゃ困るのはこっちだ」

 ゲラートがやや苛立たしげに答え、ルシウスの眉間はますます狭まる。

「僕があんたの共犯なのは知ってるはずだ。なのに何故嘴を突っ込む?」

「ダンブルドアの信用をより一層得るため、だと思うが」

「なら嘘の報告でもすればいいものを。…まあ本人のいないところで白か黒か決めることほど無駄なことはないな。とにかく、僕はあんたにはじめ言われたとおり彼の行動をある程度左右する段階まできたわけだ」

「……ああ、不本意ながら認めざるを得ない。私は君を軽んじていたが、今となっては最も良き取引相手だ」

「あんたの認識がまた覆らないことを祈るよ。そして僕たちからのあんたの認識も」

「…とんだカードを拾ったな、プロップ。お前を支える力は運の良さだけだ」

「その点あんたはハズレをひいてるね。鞍替えならいつでも歓迎する」

「黙れ」

 ゲラートは僕とルシウスの間で散る火花をさも愉快げに眺めていた。

 さて後に続くのは事務的なやり取りなので割愛するが、要するに僕たちは予言を奪取する手はずを整えた。あとは機が熟すのを待つだけである。

 

 ハリー・ポッター籠絡キャンペーンはなかなかの効果だった。パーシーへヘイトを集め、彼と対立し、ポッターの肩を持つ。露骨にわかりやすい立ち回りだが、それを察知したのはダンブルドアとセブルス・スネイプくらいだろう。(もしかしたらマクゴナガルもだが)

 あのグレンジャーでさえ、僕のレポートで初めて自分の感情らしきものを書いていた。曰く「貴方の宣言には驚きました。」疑いとも取れる文だが無反応よりよほどいい。好きの反対は嫌いではなく無関心。嫌いの反対もそうだ。すくなくともグレンジャーの興味は引けたようだ。

 なによりポッター。彼の感情の針は振り切れていた。僕への疑いを懐きつつ、同じように虐げられている者として同情と親しみも感じている。馬鹿げたことに僕を頼れる魔法使いだとまで言っていた。

 「杖が振れなくても僕を愛してくれる?」父も兄も答えはノーだった。妹は尋ねる前に死んだ。僕の問は宙ぶらりんのまま墓場行き。

 僕は好きや嫌いがよくわからない。ただ抱く感情の大きさや割合についてはわかる。ポッターの中で僕の占める割合は大きくなっていく一方だ。ただ同時に彼の感情の中で別の大きな存在があるのに気付いた。彼には家族も恋人もいないはずだ。

 その疑問は今回のルシウスとの打ち合わせで解消された。にわかには信じがたいがあのシリウス・ブラックが彼の名付け親らしい。シリウスは不死鳥の騎士団の本部に潜伏しているそうで、ポッターはこのクリスマス休暇にも彼にあってるはずだった。

 ルシウスはかなりの情報を僕に隠していた。開示されたぶんだけ僕の立場は上がっているのだろう。これもグリンデルバルド様々だ。彼がいなけりゃ僕は永遠に馬鹿な頭の手足に甘んじたままだった。

 

 シリウス・ブラックは僕の間接的命の恩人だ。アンブリッジと出会えたのは彼が脱獄したおかげだから。もしかしたら兄のことを知ってるかもな。そこはどうでもいいけれど。世界は狭いものだ。

 シリウス・ブラックの話を聞いて一番悪い顔をしていたのはゲラートだった。彼は僕よりよっぽど老獪なので何か策でも考えついたんだろう。

 

 ルシウスと別れ、ホグワーツに帰る前にゲラートとレナオルドとマグルのバーで一杯やった。

「娑婆の味。ああ、ゲラートの前でそんなこと言っちゃ悪いか」

「本当の娑婆の味はファースト・フードだ」

 ゲラートはやけに高そうなコートとサングラスを着ていて、ついこないだまで糞まみれで床にうずくまっていたとは思えない。成金ヤクザみたいなレナオルドといるとマフィアのドンみたいで、平々凡々な僕はその場にいるのがひどく場違いな気がした。

 

「ウラジーミル!そういやお前の変態性癖は治ったのか?」

「変態性癖?なんだそれ」

「何ってお前、学校じゃ殺しの一つもできないだろ。溜まってんじゃねーかって…」

「まさかお前、僕がテッド・バンディかなんかの親戚だとでも思ってる?」

「いや、チカティロだろ」

 ゲラートが茶々を入れてレナオルドが笑う。僕は呆れながら酔い始めた二人を見た。

「僕は快楽殺人者なんかじゃないよ。そうせざるを得なかっただけだ」

「はいはい」

 レナオルドはすっかり上機嫌で僕の三倍のスピードで酒を飲み干し去っていった。

「魔法を使いたいと思ったことは?」

 ゲラートは尋ねる。レナオルドはもっと饒舌になる。

「ねえよ!いや、ごく稀にあるか?でも俺が思うに、魔法が使えないからこそこの商売はやりがいがある。俺はグラディエーターなのさ」

「剣闘士?」

「そう、命を張るなら魔法使い相手のほうが楽しい。だって魔法使いがマグルの俺にビビってんだぜ。マジウケるよな」

 レナオルドの愉しみは僕も概ね同意する。

 魔法使いはマグルに杖を向けることを躊躇しないが同族に向けることは極力避ける。容易に相手を殺し得る力を持っているものが互いに殺し合わないように社会を存続させるための知恵だ。

 誰しもが爆弾のスイッチを持っている。その中でその爆弾を同士に向けることはすなわち秩序の崩壊を招く。魔法使いという理知的な生物はムカつく同胞をどう始末するかで悩むよりは下等なマグルのケツを蹴っ飛ばしたほうが合理的だとわかっている。

 

「だから俺はこの仕事を楽しんでる。魔法なしでも最高にハッピーに生きてるぜ」

「それは結構」

 

 ゲラートはそんな秩序につばを吐いた。魔法使いは自らの殻に閉じ籠ったままその中でゆっくり衰退していく事を選んだ。消極的自殺。僕の頭の中で食事を受け付けなくなった母の痩せこけた顔が浮かぶ。

 僕は当初ゲラート・グリンデルバルドに魔法をかけられ、最悪殺されることも覚悟していた。(その時はきっと死んだ家族に再会できる)もちろん勝算があったからこそ実行したのだが、不確定要素が多すぎた。

 結果的に僕は賭けに勝った。ゲラートは僕を大いに気に入ってくれたらしい。彼の目指すものは僕の目指すところと概ね一致しているし、彼と僕は欠点を補い合っている。

 

 何がヴォルデモート卿だ。

 予言がなんだ?

 生き残った男の子。だからなんだって言うんだ。

 僕らが直面しているのはもっと漠然と目の前に立ち塞がる閉塞感で、生きれば生きるほど鬱積していく真綿のような絶望だ。

 この世の大半を占めるクズ共は揃いも揃って目の前のくだらない問題がいかに深刻かを語るが、それを解決したところでまた次のどうでもいい深刻な問題を見つけるために地べたを這いずり回るのだ。

 思うに、世界は少し複雑になりすぎている。個人が抱える問題はキャパシティーオーバー。溢れかえった心配事が僕らを窒息させる。もっとシンプルに生きようじゃないか。カテゴライズをやめて、価値基準をリセットしよう。

 思うに、その先に本当の自由がある。

 

 

 

 僕は姿くらましができないので近場までゲラートに付き添い姿くらましをしてもらい、そこから徒歩だ。少量でも歩いてるうちにいい具合に酒はまわるだろう。

 ゲラートと二人きりになって宵の口の森の中に立ち尽くす。手探りの闇。ルーモスすら使えない僕は月明かりを頼りに前に進むしかない。

「これ以上は気づかれるかもしれないからな」

 ゲラートはルーカスのものだった杖を振って僕を見送ってくれた。

 

「幸運を、ヴォーヴァ。寂しかったら電話しろ。あいつがいない時なら添い寝しに行ってやるから」

「ゾッとするね」

 

 

 



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06.クリスティン・エンマーク

 クリスティン・エンマークは自らが置かれた窮地についてよく理解できていなかった。というのも彼女は人の心を察するのがとても不得意だったからだ。唯一理解できるのは、グリンデルバルドがヌルメンガードから脱獄したということと、施設を考案した自分がその全責任を負わされそうになっているということだった。

 

 鬱蒼とした森により隔絶された牢獄の前、大きく刻まれた『より大いなる善のために』の文字を一瞥し、エンマークは忌まわしい事件の傷跡癒えぬヌルメンガードへ入っていった。

 もともとの重々しい雰囲気を塗りつぶすように設置した自然光に近い灯りを出す白熱灯(マグルの発明。光るガラス球)はすべて粉々に砕け散り、替わりに牢獄内は青白いルーモスの光に点々と照らされていた。そのせいでヌルメンガードは本来の死の足音が聞こえてきそうな牢獄の姿を取り戻していた。

 房にはまだ囚人が閉じ込められているが、グリンデルバルドによる一連の混乱に乗じて脱獄したものが3名、流れ魔法にあたって死んだのが1名、負傷により搬送が5名と大幅に数を減らした。

 唸り声やため息が聞こえる。生温かい息がかかった気がする。薄暗闇のせいで緊張が何重にも折り重なってそこかしこに幽かな気配を感じる。

 

 嫌な場所。本当に、嫌な場所…。

 

 グリンデルバルドの脱獄を手引きしたという魔法使いは未だ顔すら割れていない。グリンデルバルドは恐るべきことに、職員の一人を手にかけた後、半世紀ぶりに握った杖で残りの職員14名の記憶を消した。

 囚人たちの記憶を集め検証しても顔を見た囚人はいない。いや、むしろ顔を見た囚人たちは病院送りにされたか脱獄したかなのだろう。堂々と門をくぐってやってきた悪党たちだ。すくなくともここには証拠は残っていないだろう。職員の使っていた守衛室は焼かれ、杖登録書も署名も何もかも焼失した。手ががりは脱獄囚たちのみだ。

 

「脱獄した連中がもし国境を超え、ドイツやリヒテンシュタイン等に身を隠した場合見つけるのはほぼ不可能でしょうな」

 

 髭面のオランウータンみたいな顔をしたエルモ・ノルドレーンが重たい瞼の向こうからエンマークをじろりと見た。ノルウェー魔法省の役人であり、フェノスカンジア共同体の地域代表でもある。ヌルメンガードの利用に関して彼を口説き落とすのにえらく苦労した。エンマークはどこか嫌らしいノルドレーンの目つきに二の腕を粟立てながら相槌を打つ。

 

「おかしいわ。連盟に加盟しているくせに…」

「ノルウェー魔法省は加盟しているがね。彼らは、フェノスカンジア共同体を統一された魔法コミュニティだと認めていない立場だ」

「スウェーデンやフィンランドに魔法使いはいないとでも思っているのかしら。我々は地質学的繋がりで共同体だけれども、まとめてノルウェー魔法省の管轄にはなりたくないわ。なぜそんな簡単なことさえ認めてくれないのかしら。ほんの少し、名前と人数が変わるだけなのに」

 ノルドレーンはエンマークの物言いに呆れた表情を浮かべ、牢獄の最上階へ続く扉を開けた。錠は取り外されているが、扉をくぐった途端なんだか閉じ込められたような閉塞感がある。真っ暗な螺旋階段は恐怖を塗りつぶすためにたっぷり夜光虫のランプがとりつけられ、満点の星空にいるように明るい。だが頭の上にいるのは見るもおぞましいものだ。

 染み付いたけものの臭いと一緒に唸り声が聞こえてくる。涎と空気が混じりあい弾ける音。耳朶を這うような生理的嫌悪を掻き立てる音。

 かつてグリンデルバルドのいた柵の向こうに、それは転がっていた。

 

「身元はわかったのですか?」

 エンマークの問いにノルドレーンが答える。

「名簿と照らし合わせた結果…ルーカス・ビャーグセンだとわかった」

「ビャーグセンですって?」

 ビャーグセンは古くから純血を貫いてきた家で、かなりの資産家だ(彼らの金はほとんどマグルの企業に投資されている。周知の事実ではあるが、国際機密保持法でマグルの市場に魔法を介在させるのは禁止されている。故に共同体は資産家ばかりの純血たちの口座を監視する必要があったが、近年は形骸化していた)

 しかもルーカスは当主、テオドル・ビャーグセンの一粒ダネのはずだ。エンマークは気が遠くなる。前々からエンマークのやることなすこと全てにケチをつけていたのはこのビャーグセンを筆頭とする純血の一派だった。

 薄暗闇のむこうのルーカス・ビャーグセンを見る。

「ビャーグセンさん。私、クリスティン・エンマークです。お久しぶり…」

 戸惑いながら声をかけるがまるで闇に吸い込まれているように返事はない。ただ汁気のある呼吸音が響くだけだ。

「明かりはないの?暗くて何も見えないわ」

「明かりがほしいならルーモスを…おすすめしないが」

 ノルドレーンの忠告を無視し、エンマークは杖を取り出しルーモスを唱えた。

「ルーモス」

 青白い淡い光が杖先に灯った。その瞬間、生温かい風が顔面に吹き込み、一瞬遅れてゲロと、汗と、サビの混じったおぞましい臭気が無防備な嗅覚を襲った。そしてほとんど同時に、杖灯りのすぐそばに真っ赤ななにかが現れた。

「ひ…」

 反射的に数歩後ずさり、杖灯りをそらした。理性がそれを拒絶する。おそらくは、ルーカス・ビャーグセンだったそれを。

 

「な…なに…、あれは、ビャ、ビャーグセンなの?」

 

 吐き気を堪えながら、柵のすぐそばでこちらを睨みつけてるであろうルーカスから目を逸らした。唾液を啜る音と荒い呼吸音が聞こえる。野生動物と向き合っているみたいだ。これが本当にビャーグセン?少なくとも前にあった時は言葉は喋れてた。あんな顔ではなかった。

 

「ああ。発狂している。させられたのかもしれんが…来たときにはもうああだった」

「こ、こんな惨いことをする必要が…」

 

 エンマークは言葉を失っていた。その様子を見てノルドレーンの嗜虐心は満足したらしい。ほくそ笑みながら柵の向こうを一瞥し、杖を振ってカーテンを出現させて隠し、滔々と語り始める。

 

「グリンデルバルドはルーカスと入れ替わり共犯者の手立てで変身したんだろう。変身術かポリジュース薬か、はたまた剥いだ顔の皮膚をかぶったのかはわからんが。そして救護されるふりをしあの扉から出た後、救護室で職員を襲い火をつけた。共犯者も同様に事情を聞くために通された守衛室に放火。橋を落とし、森に火をつけ逃亡。ここまで好き勝手やられちゃフェノスカンジア共同体としてもノルウェー魔法省としても立つ瀬がありませんな」

「…確かに…このような、事態は想定していませんでしたわ」

 ノルドレーンはせせら笑う。エンマークはカッとなってつばを撒き散らしながら怒鳴った。

「誰があんな、死にかけの老いぼれを助けに来ると思うのよ!あと数年で死ぬようなやつを…!」

「物好きはいたようだね」

「ッ……!」

 ヌルメンガードの下層部、フェノスカンジア共同体の施した監視体制は万全だった。囚人たちは職員なしでは房から絶対に出れないし、作業室やセラピールームへの移動時につけられる足枷には強力な呪いをかけてある。識別番号入りの入れ墨そのものには追跡呪文がかけられている。(今回脱獄した他の囚人たちの房からは入れ墨部分の皮膚が遺されていた)

 しかしながら、グリンデルバルドに関しては何もいじっていない。そう、これはむしろアルバス・ダンブルドアの呪いの中途半端さが招いたのだ!エンマークがそう反論しようとする前にノルドレーンはその幼稚な論を叩き潰した。

「我々はダンブルドアの構築したヌルメンガードへ至るまでの魔法防御を台無しにし、グリンデルバルドの狂信者がやりやすいように下準備したという事だよ。全く情けない話だな」

「…そ、れは…共同体の意見ですか?」

「いいや。我々ノルウェー魔法省の見解だ。つまり、我々は間違った人物に舵を取らせていたのではないかと後悔している」

 事実上の最終通告だった。つまり、彼の発言は共同体からのノルウェー魔法省の離脱を示唆している。フェノスカンジア共同体は国際社会での発言力のほとんどをノルウェー魔法省に拠っている。彼らを失えばスウェーデン、フィンランドの魔法使いは辺境のちいさなコミュニティに逆戻り。国際社会からはほとんど締め出され、またほそぼそと凍土で生きていくしかなくなる。

「か、必ず。必ず捕まえます…ですから、ですからもう少し時間を」

「ああ、我々とてこの協力関係を崩したいとは思っていないよ。問題解決に向けてどうか尽力してほしい。ミス・エンマーク。我々の顔に塗った泥をどうか忘れずにね」

 顔が熱くなった。エンマークは行き場のない怒りを込めて牢獄の汚らしい、汚物で汚れた床を睨みつけた。

 そして自分は、フェノスカンジア共同体という拠り所は、グリンデルバルドを捕まえない限り消されるのだと確信した。

 

 

 

…………

 

 夜道。獣道からふいに舗装された道に変わる。左手を見上げるといつの間にかそこには五メートル近い高さの鉄門が聳えている。

 その脇にある使用人用の扉に手をかけると、ふいに背後から男に声をかけられた。

「こんばんは」

 クリスティン・エンマークは身構える。牢獄でみた暗闇から突如現れた顔を思い出し、恐怖で足がすくんだ。勢いよく振り返ると、最悪の想像に反して線の細い、夜の森にはひどく場違いなほど平凡な男が立っていた。

「こちらになにか御用ですか」

「……ええ。ダンブルドアに用が」

「ああ。客人ですか。よかった…不審者かと思いましたよ」

 男はホッとしたような顔をしてエンマークにドアをくぐるように促す。まだ恐怖の余韻が残っていたが、男はどうやらホグワーツの関係者らしいので素直にドアをくぐった。男は敷地に入るとほんの少し襟をただし、手を差し出した。

「僕はウラジーミル・プロップです。ここで闇の魔術に対する防衛術の教師をやっています。今日は私用でたまたま外に出ていまして」

「あら…先生だったのね。私はクリスティン・エンマーク…ごめんなさい。私もあなたを不審者かと思ったのよ」

 手を握り返すと、思ったより硬い手だった。ガッチリ握られたあとに男はにっこり微笑んだ。

「お気になさらず。最近何かと物騒ですからね」

「そうなの。なにか事件があったの?」

「細かいことの積み重ねですよ。…もしかしてスウェーデンからいらした?」

「ええ、そうなの。なぜわかったの?」

「別の言語を無理して使うとどこかに独自の訛りがでます。ほんの些細なものですが、一時期通訳をしていたのでわかるんです」

 プロップと名乗った男は自然と隣を歩き、会話を繋げる。ホグワーツの敷地内、魔法で守られた土地に入った途端すっかり安心してしまった。実際エンマークは移動中ずっと脱獄囚に殺されるのではないかと戦々恐々としていたのだった。

「ダンブルドアに用事とは?」

「…それは言えないわ。兎に角急用なの」

 プロップはそれ以上聞いてこなかった。校舎の入り口をくぐると生徒が疎らに廊下で本を読んだり立ち話していた。じろっと物珍しげにエンマークを一瞥したあと、個々の世界に戻っていく。

 思ったより活気のない学校だった。理由はわからないが、生徒たちは全員なにかからコソコソ隠れているような印象を受けた。奇妙に思いつつもホグワーツ城を歩いていくうちに、歴史ある建築に見惚れてしまった。

 プロップは「ご案内しましょうか?」と尋ねる。

「いいえ…確か使いの人が…あ」

 大広間の前に、如何にもな人物が不機嫌を撒き散らしながら立っているのが見えた。

「…ミス・エンマーク?」

 セブルス・スネイプ。ダンブルドアが彼が校長室まで案内すると言っていた。伝えられていた特徴通りの真っ暗、陰気、鷲鼻。フェノスカンジアにもよくいるチクチク嫌味を言うタイプの魔法使いだった。

「プロップ先生、なぜ貴方まで?」

「帰りにばったり出くわしましてね」

「ええ。城まで話し相手になってくれて」

「では我輩が引き継ごう」

 仲が悪いのだろうか?スネイプはプロップをじろりと睨みつけ、プロップは肩をすくめてエンマークに丁寧に挨拶して立ち去った。スネイプは禄に挨拶もせずにつかつか歩きはじめ、エンマークは慌ててそれに続く。

 なにか話しかけようと思ったが横顔を見るにスネイプはそれを望んでいないようだ。ただ黙々と階段をあがり、無言のまま鷲の彫像の前までたどり着く。

『ペロペロ酸飴』

 スネイプがそう唱えると鷲の像が回転し、中に螺旋階段があらわれた。

 

「校長がお待ちだ」

 

 とだけ言って、スネイプは階段を登っていくエンマークを見送った。

 階段を上がると、小さなプラネタリウムを思わせるドーム上の天井と、棚にところ狭しと並べられた魔法道具の数々が目に飛び込んできた。小さな博物館と言ったほうがいいかもしれない。

 その奥の机のあたりから白髪でひげの長い、紫のローブを着た老人が歩み寄ってきた。

 アルバス・ダンブルドア。イギリス魔法界の英雄にして国際魔法連盟のスター。グリンデルバルドをヌルメンガードに幽閉した本人だった。

 

「話は大方聞いておる」

 

 鋭い鈍器。そんな言葉が脳裏に浮かんだ。青い瞳が半月メガネの向こうから容赦なくエンマークを睨みつけている。

 

「ミス・エンマーク。儂はまた過ちを犯したようじゃのう」

「返す言葉もございません……」

 

 20年前にヌルメンガードの利用を求めた際、ダンブルドアは取り合ってくれなかった。イギリスはヴォルデモート卿の危機に直面しており、ダンブルドアは目下それと戦っていたからだ。それから6年間エンマークは手紙を送り続け、計画書を送り続けた。14年前にヴォルデモート卿が破れ、世間がお祝いモードになった中ようやく面会が叶ったときもまだ渋い顔をしていた。

 それから十年、国際社会に置き去りにされている地方魔法使いのコミュニティがどれ程魔法界から隔絶され孤独を感じているかや、フェノスカンジア共同体の活動や規模の拡大についてずっと説明と報告を繰り返し、ようやく1987年に「現状有効となっている防衛策をそのままにしておくなら」という条件でようやく許可が下りた。そして1991年、念願のフェノスカンジア共同体議長となりヌルメンガードの更生施設活動を果たしたのだ。

 議員人生すべてをかけた結果がこれなのか?

 

「ミス・エンマーク。まず『現行の防衛策に手を出さない』という約束が反故にされていたことを非常に残念に思う。そして…ルーカス・ビャーグセンについて、どうするおつもりか?」

「…ビャーグセンがあそこに居なければ、ヌルメンガードは崩れ去ります」

「そのとおり。あそこには誰か一人が必ず入っていなければならない」

「ですので」

「罪のない哀れな若者を、重傷を負い正気を失ったものをかわりにいれておく、と?」

「……そうする他、ありません。そういう魔法なのですから」

 エンマークの言葉にダンブルドアはより険しい目で睨む。

「そうか、ミス・エンマーク。貴方はどうやら人の尊厳よりもあの建物のほうが大事のようじゃの」

「そのような言い方は卑怯ではありませんか?しょうがない事です。彼を助けたいのなら、どうか力をお貸しください!グリンデルバルドを捕まえてください!」

 その名を口した瞬間、ダンブルドアの眉がピクリと動いた。

「彼を助けたいのなら?それは本心かの、クリスティン・エンマーク。残念ながらそうとは思えん。あのような出来損ないの建物は、崩れたほうが良いのじゃ」

「駄目です!あれはフェノスカンジア共同体が国際社会に囚人の人権について訴えるための…」

「それ以上聞いてられん。ミス・エンマーク。自分のしでかしたことの重大さをいまいち理解しておらんようじゃが…」

 ダンブルドアは一際険しい声で続けた。エンマークは剣幕に萎縮しきって、怯えながらダンブルドアを見上げた。ダンブルドアは不死鳥を撫でながら、ゆっくり息を吐く。

 

「ヌルメンガードから哀れなルーカス・ビャーグセンを救出し、あなたは職を辞す。話はそれからじゃ…もしグリンデルバルドがまだ生きていて、堂々と光の元を闊歩しているのならばより大きな混沌は時間の問題じゃろう。とにかく、ヌルメンガードは壊さねばならん。あなたのその夢はもうとっくに終わったのじゃ、エンマーク」

 

 エンマークは震える拳を強く握った。自分の政治家人生20年が木っ端微塵に砕かれた瞬間だった。

 なんとか、震える声で返事をした。

 

「じ…時間をください……」

「時間か。手遅れになる前によろしく頼む」



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07.セブルス・スネイプ

 校長室から出てきたクリスティン・エンマークの表情と言ったら死刑宣告でも受けたかのように蒼白だった。足元も覚束ず、これから帰る宿の場所すらわからないのではないかと思うほど茫然自失状態だった。

 かと言って学外まで送ってやるつもりはなかった。人が犯しうる多くの愚かな間違いについて、セブルス・スネイプはよく知っていた。彼女は驕っていたのだ。自らが踊らされているとも気付かずに。

 

 校長室の階段を登ると、ダンブルドアは珍しく眉間を押さえながら何か物思いに耽っていた。無理もない。グリンデルバルドとダンブルドアといえば魔法史に取り上げられる魔法使いで、ライバル関係で、宿敵だった。そのグリンデルバルドの脱獄と現在最も危険な闇の魔法使いの復活が重なればいくら勇猛な魔法戦士だって参る。

 闇の帝王の登場によりすっかり眩んでしまっているが、かつてはグリンデルバルドこそが帝王だった。

 

「全く。良くないことは立て続けに起こるのう、セブルス」

「ええ。先程のエンマークですが、校舎までプロップと歩いてきました」

「ああ…確か魔法省からの呼び出しがあったはずじゃな。事前に聞いてはいたが…ふむ」

「ヌルメンガード陥落は極秘ですが、もしエンマークの顔を知っていたら何か勘づくかもしれません」

「プロップはなかなか鋭い男じゃからの。しかし現状誰があやつの脱獄を手引きしたのか、目的はなにかもわからない。その情報が闇の帝王に渡ったところで支障はない」

「支障はない。そうでしょうか?闇の帝王とグリンデルバルドが手を組む可能性も…」

「それはあり得んじゃろう。二人の目的は似ているようで食い違う」

「ですが校長、両者とも貴方を殺したいと思っているのは間違いありません」

「…左様、わしの身の安全は確かに脅かされている。じゃが我々の方針は変わらぬ。ヴォルデモートの企みを阻止し、ハリー・ポッターを守ることが最優先じゃ。それに、グリンデルバルドの目的が若き日から変わっていないと言うならば行き先は東じゃろう」

「…ロシアですか?」

「最も可能性があるのはロシアじゃ。魔法族の独立統治機構のない国の中で最も彼の威光が残っておる」

「ロシア、と聞くと嫌でもプロップを思い出しますな」

「確かに今年に入ってから様々な場面で彼の名が影のように付いてまわるのう」

 

 ロシアに魔法省やそれに準ずる統治機構は存在しない。旧ロシア帝国では魔法族のみの話し合いの場や国際魔法議会の代表会議など緩やかな政治はあったものの、イギリスやアメリカのように明確な法や決まりはなかった。そしてロシア革命によりその緩やかな繋がりさえも消えた。

 彼らはグリンデルバルドの掲げた正義に賛同した。つまり、マグルの世界と魔法界を隔離する国際機密保持法の撤廃だ。とはいえこの強固な取り決めを堂々と横紙破りしたわけではない。彼らは魔法使いとしてではなく一党員としてソヴィエトの政治中枢へ潜り込み、マグルの権力構造の中に魔法使いの地位を築いたのだ。

 彼らは「革命により瓦解した魔法コミュニティにより仕方がなくマグルに扮して生活をしている」と主張する。連邦が崩壊した今もなお。

 プロップ家はソヴィエト魔法族連盟の一員だった。そして今もロシア政府に深く関与している。しかし多くの旧ロシア帝国の純血たちは同じ道を辿っているため彼の家だけ特別というわけではない。

 

 グリンデルバルドの脱獄とプロップを繋ぐものはない。彼とつながっているのは唯一ルシウス・マルフォイとドローレス・アンブリッジのみだ。なのになぜか様々な陰謀の兆しに彼の気配を感じる。

 

「彼はこれまでの刺客と比べると奇妙じゃ。我々の側でもなく、ヴォルデモートに心から賛同しているわけでもない。さらに言えば魔法も使えない」

「その点が不安です。なぜ彼は魔法が使えないことを隠して、隠し切って堂々と振る舞えるのか。不気味と言ってもいい」

「とても真似出来ぬよ。…彼には彼なりの生き方があるのじゃろう。わざわざそれにケチをつけるマネはしとうない。じゃが…そうは言ってられんかもしれんのう」

 

 ダンブルドアの言わんとしていることはわかる。プロップは駒を進めた。

 

「ヴォルデモートになんらかの進展があったのじゃろう。広間でのパフォーマンス、そして権威剥奪。一気に転がり込んだ生徒人気とハリー自身の信頼。非常に危険な兆候じゃ」

「…どうしてもポッターと接触しないおつもりで?」

「左様。セブルス、君が一朝一夕でハリーの信頼を掴むというのはドラゴンに読み書きを覚えさせるようなものじゃ。しかしプロップになら通じる手もあるやもしれぬ」

「確かに私は死喰い人の立場として接触しています」

 セブルスはプロップに対してあまり干渉してこなかった。何度かポッターと懇意にしていることに探りという名の嫌味を言ったことはある。しかし彼は基本的に自分の仕事を他人に話すことはないらしい。「何事も全て順調ですよ」としか言われなかった。 

「セブルス、プロップは本当に死喰い人に協力していると思うか」

「…予言の奪取のためにポッターの信用を得ようとしているのは確かです。ですが彼の担う役割が重すぎる。これが気になります。ルシウス・マルフォイは慎重です。仲間でもない人間に重要な仕事を与えるとは思えない」

「それはわしも疑問に思っておる。二人の関係性に何らかの変化があったのやもしれぬ。…どちらにせよ我々にとって良くない変化じゃ」

 

 要するに、何もかも暗雲の中でも進むしかない。いつもそうだった。これからも。

 

 

 

 その男はやはり平然と朝食の席に着き、日刊予言者新聞に載ったパーシー・ウィーズリーの尋問官昇格の報せを読んでいた。

 

「…ずいぶんと」

 

 と、セブルスが話しかけるとプロップはギョッとした顔をして振り向く。セブルスはそれにいささか不快感をいだきつつも言葉を続けた。

 

「随分と貴方と取り上げられ方が違うようだ。ニューエイジ、ウィーズリー尋問官」

「ああ。そうですね。写真映りもいい」

「日刊予言者新聞に仲の悪い魔法使いでも?」

「さあどうでしょうね。酷い振り方をした魔女ならいますが…」

 プロップはページを捲り、自分の名前が載っている記事を探した。しかし見つからなかったようでそのまま新聞を畳んだ。

「僕は名前も顔も目を引かないんです。取り上げても売上に貢献しないと思ったのでしょう」

 確かに魔法省としても、次官肝いりの役人がポッターの嘘を認めた狂人の仲間入りした事は報じたくないだろう。プロップ本人は飄々としているが、今までの地位を守るためにルシウスに与した男がその地位を捨ててなおその態度をとっているというのはやはりあまりにも不自然で疑わしかった。

「何故ポッターの主張を今になって認めたのです?」

「貴方の友人がそうさせたのです。…まさかご存知なかった?」

 と言ってプロップは挑発的に笑う。フォークに刺さったマカロニを口にかきこむと席を立ち、それでは。と言い残し去っていく。セブルスを避けているかのようだった。

 

 降格以降、彼の周りに生徒がたかっている光景をよく見かけるようになった。それを見てパーシー・ウィーズリーがやってくると、生徒たちは皆添削済みのレポートを持って「課題についての質問をしています」と答えて彼を撃退していた。生徒たちはいたずらっぽい笑みを浮かべ、プロップは共犯者のように微笑む。

 パーシー・ウィーズリーとプロップの関係はあれ以降目に見えて悪化していた。もちろん目に見えていることは全てではない。彼らの敵対関係はかなりきな臭い。少なくとも教員として見る限り、ウィーズリーは心からプロップに好意を寄せており、プロップはウィーズリーを支配している共生関係だった。

 その衡があれだけの衝突で外れるものだろうか?

 この胡散臭いウィーズリーvsプロップの構図はいかにも生徒達好みすぎる。

 

「スネイプ先生」

 魔法薬学の授業後、ドラコが沈んだ声で話しかけてきた。

「質問があるのですが放課後よろしいでしょうか?」

 彼の質問がプロップに関してである事は疑いようが無かった。

 

「先生…父上は一体何をしようとしているのでしょうか」

 ドラコの第一声はこうだ。

「父上はプロップに脅されているんです」

「ドラコ、落ち着け。まずなぜそう思ったかを話したまえ」

 スプラウトやフリットウィックならここで茶の一つでも出すだろうがあいにくセブルスはそのような社交性は持ち合わせていなかった。しかしドラコの感じているプロップへの恐怖心はたいへん興味深い。

「あいつが、クリスマス休暇が終わる直前に家に来たんです。その日父上は怯えていました」

「怯えていた?」

「ええ。父上が与えられた任務でなにか弱みを握られたんです。きっと…でも父上は何もお話しにならない。先生ならご存知でしょう?父上は危険な任務についているのですか?」

 なるほどダンブルドアの推論通り二人の関係性は変化していたらしい。しかし魔法の使えないプロップがイニシアチブを取れるのだろうか?弱みを握られたならばその場ですぐに魔法により処置してしまえばいい。それをしなかったのはなぜだろう。

 

「ドラコ、我々に与えられる任務は常に危険だ。ましてや筆頭のルシウスの任務は責任もまた重大だ。あの方の心臓すら握っているかもしれん。君のお父上が重圧にやられるのも無理はない」

「違う、そういう態度じゃなかった」

「ではどういう?」

「あれは…」

 ドラコは言葉に詰まった。

「怖がっている、のも違う。なんだろう。大きな賭けをしているような…」

 

 賭け。あのルシウスが?

 

「…先生は、感じませんか?」

「何を」

「気味の悪さを」

 気付けば足元に何もなかった。そんな気味の悪さを?冗談じゃない。

「僕はあいつを見ていたくない。けれども父上がもしあいつになにか脅されているのだったら助けになりたい。…先生、あいつは本当に僕たちの味方なんですか?」

 それは今まさにセブルス自身も悩んでいることだ。いや、このドラコの様子からしてプロップはプロップで何かを企んでいることは殆ど間違いなさそうだった。

「……」

 真実薬でも飲ませて洗いざらい吐いてもらおうか?長年魔法使いのふりをしてきた男がそんな罠にかかるはずもないが。そして何より…発覚した際にどのような弁明をするべきか。真実薬による自供は魔法法執行部の認可なしでは効力を持たない。死喰い人の会議の場ではルシウスの顔に泥を塗ることになる。しがらみがやつの寿命を伸ばしている。

 

「我輩が判断することではない。しかし君の不安ももっともだ。奴の動向は我輩もしっかり監視しておこう」

 この言葉に彼が安心するとは思わなかった。だが、いても立ってもいられない気持ちはいくらか晴れただろう。落ち着いた表情で寮に帰せた。

 

 死喰い人たちは今、セブルスの知る限り二派にわかれている。ルシウスら純血の中でも歴史が古く金を持つものと、魔法省勤めのかつて親族の誰かが投獄されたものたち。両者は以前より対立していた。自分を含めてアズカバン行きを免れたものたちはみな仲間の情報を売っている。つまり、そういう事だ。

 ルシウスの予言の奪取は今晩実行されるアズカバン破りの補佐よりもよっぽど困難だ。そういう意味ではルシウスに同情を禁じ得ない。

 プロップがポッターの心を支配するつもりなのだとしたら、自分はなるべくそれを阻止せねばならない。だとしたら出来ることは限られてくる。

 

 

 

 魔法薬学の授業でポッターに課した罰はセブルス自身も不当だと思った。しかし、プロップの研究室に入り浸るのをやめさせるには罰則を与え拘束することしか思い浮かばなかった。

 自分の不器用さは時折うんざりする。ポッターはアズカバンの集団脱獄のせいか、やけに気が立っていた。プロップとその件で話したかったのだろうか。 ポッターの単純さには呆れを通り越して哀れみが湧いてくる。なぜそう簡単に人を信じることができるのか。なぜあのバカバカしい演技に騙されるのだろう。子どもとはそこまで愚かなのだろうか?

 

 そう、若さはありとあらゆる間違いを引き起こす。

 15の時の最も愚かな間違いが脳裏によぎった。最悪の記憶が。

 

「鍋のくすみが取れないようならばもう一月罰則を追加せねばならんな」

 

 磨きたての大鍋の山越しに自分を睨め付ける緑の瞳はリリー・エバンズそっくりだった。彼女の賢さが全く受け継がれていないことは最大の悲劇と言っていい。

 父親譲りの短絡な思考がどれほどプロップに侵されているのだろうか。自分に知るすべも無いのがもどかしかった。

 

 

 

 

「ついに来ましたね…」

 

 ポッターの罰則の翌日、土曜の朝だった。シビル・トレローニーが停職になり、城を追い出されそうになったところをダンブルドアが救った。

 それを見ていたフリットウィックは悩ましげに言った。たまたまそばにいたチャリティ・バーベッジは顔面蒼白になりながら「次は私だわ」と呟いた。

 騒ぎの中心のパーシー・ウィーズリーを見つめる100を超える瞳。その中にプロップも居た。

 

「あなたの指示で?」

 セブルスの言葉にプロップは「まさか」と答えた。

「うちのアンブリッジの指示でしょうね。彼女、占いとか嫌いなんですよ」

「ならば次はやはりバーベッジ?」

「いいえ、十中八九ハグリッドでしょうね」

「それは少し愉快だ」

 

 プロップの言葉通り、次はルビウス・ハグリッドだった。停職後の代理はそれぞれケンタウルスのフィレンツェとグラブリー=プランクだった。両者ともダンブルドアの指名であり、ウィーズリーは初日こそ快諾していたものの翌日、フィレンツェの採用に猛抗議した。おそらく上から怒鳴られたのだろう。(それを見ていたプロップは「いやあ。降格されてよかったよ」と笑いながら言っていた。)

 

 そして週が開け水曜日になってから、再びクリスティン・エンマークがホグワーツへ訪れた。

 彼女はすべてを失う覚悟を決めたらしかった。

 

 

「ではセブルス、くれぐれも学内のことをよろしく頼む」

 

 近々世論は混乱するだろう。ヌルメンガードの脱獄と、アズカバンの脱獄。これらとヴォルデモートを関連付けるやつは必ず出てくる。(それも大勢だ)

 だとしたら結局、ポッターの主張を認めたプロップは正しかったとされるのだ。

 絡まりあった事態の中で一人勝ちするウラジーミル・プロップ。すべての糸が彼に繋がっているような気がして、ひどく気分が悪かった。




魔法界事情についてはウィキやポッターモアを参照しつつ勝手に想像しているものです。公式ではありませんのでご注意ください。


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08.ロナルド・ウィーズリー

 全部パーシーのせいな気がする。

 

 ロン・ウィーズリーは朝食の席でツカツカと通路を歩き生徒を監視するパーシーを睨みつけた。パーシーはそんな視線に気付きもせず、広間の端から端を縦断し続ける。行ったり、来たり。

 アーニーの自主連クラブ発覚による罰則で、パーシーは参加者全員に広大なクィディッチ競技場の草むしりをやらせた。そのような仕事は本来フィルチのすべき事だったが、パーシーはフィルチを味方につけるために罰則をうまいこと利用した。草むしりの次は学校中の絵画の掃除で夕食後から消灯までたっぷりと時間を使わされた。試験勉強をしなければならない5年生にとって最も効果的に体力と時間と精神力を削る拷問であり、ハーマイオニーはほとんど発狂する寸前まで追い詰められていた。

 そんな兄を持つものだから、ロンはどことなく居心地の悪さを感じている。もちろん、パーシーはパーシーでロンはロンなのだが、腐っても身内なわけで…自分自身がそう思ってなくても、周りのやつはそうは行かない。ウィーズリーだからという理由でまとめて憎まれるなんてよくあることだった。血を裏切るものと言うふざけた称号のせいで父親が閑職に追いやられていることも(本人はその仕事を天職だと思っていても)社会が家族という枠組みで自分たちを判断しているということの傍証だ。

 その狭苦しい木枠の中で、ロンをはじめとした5年生はせまりくるふくろう試験に苛まれている。全員が毛を逆立てたハリネズミのようになっている中、事態を悪化させる報せが日々新聞で、あるいは噂話でもたらされた。

 

 アズカバンで集団脱獄 シリウス・ブラックが関与か?

 昨晩遅く魔法省が発表したところによれば、アズカバンから集団脱獄があった。

 ファッジ大臣は記者団に対し特別監視下にあった囚人十名が脱獄し、シリウス・ブラックを旗頭にロンドンに潜伏している恐れがあると語った。…

 

 

 

 

「馬鹿げてる。こんな決定的なことが起きて尚、魔法省は真実を見ようとしないなんて!」

 

 ハリーは憤慨した。シリウスの名誉がまたしても貶められていることが彼の怒りに拍車をかけていた。ロンもハーマイオニーもそれについて激しく憤った。しかし罰則や課題といった時間の圧力がその怒りを発散させる場を奪い、反抗心を摘み取ってゆく。怒りはやがて恒常的に抱く感情になり、怒りの矛先はありとあらゆる場所へ分散されてゆく。

 

 

「さて。アズカバンの脱獄についての意見文を僕に送ってくる子達が出てくる前に、今日の授業では僕のおしゃべりの時間を多めに取ろうか」

 

 飾りっけのない教室にこつこつと板書の音が響く。プロップの文字は印字のように几帳面なくせに微妙に平行ではないので見ていると何だかムズムズする。

 プロップは生徒の人気を得たあとも変わらず淡々と日常業務をこなしていた。それ故にハーマイオニーは「油断してはいけない」以上に警戒を強めることはなかった。

 ハリーはプロップに対して幾らか親近感を抱いていたようだが、ハーマイオニーにそれを打ち明けることはなかった。何かを言われるのは目に見えている。ロンもロンでプロップに対する印象は前と変わらず、「ちょっと変わってるけど無害」のままだった。

 アズカバンが破られても彼の態度はやはり変わらず、むしろ魔法省の失態にほんの少し愉快そうだった。

 

「授業でも何度か取り上げているし魔法史でも触れているだろうが…いつもの事ながら君達の魔法史嫌いはよっぽどだからね。復習しようか。まず、アズカバンの成立は…」

 

 アズカバン脱獄により世に放たれた死喰い人は10名。どいつもこいつも生涯牢獄から出してはいけないような危険人物ばかりだった。例のあの人が破壊と殺戮の前準備をしているのは明らかであり、日刊予言者新聞以外の各社ではハリー擁護論がちらほら現れ始めている。

 ハリーに取材を申し込む手紙がいくつか来たものの、パーシーによりしかれた教育令によりメディア関係者との接触は全て校則違反となった。(この法令はルーナに大いにウケた。彼女の父親はザ・クィブラーの編集長であり、自分は家族との手紙のやり取りも規制されるべきだと主張していた)

 事態は緩やかに騎士団側に動いているように思われた。それを決定付けたのはアズカバン脱獄に引き続きもたらされた大ニュースだった。

 

 

ヌルメンガード崩落 グリンデルバルド脱獄か。悪夢再び

 恐るべきニュースです。あのグリンデルバルドの収監されていたヌルメンガードが倒壊しました。ヌルメンガードは1945年より悪名高い闇の魔法使いグリンデルバルドを収監しておりましたが、何らかの事件により倒壊した模様です。現在ノルウェー魔法省が調査にあたっているようですが詳細は不明であり、公式発表も未だありません。発表された三名の他にグリンデルバルドも脱獄した可能性があります。海外へ行く際は十分に警戒を…

 

 

 

 

 

 

 これには多くの生徒が「え?」と疑問符を浮かべていた。まずグリンデルバルドが生きていた事を知らない者ばかりだった。ハーマイオニーはホグワーツ生徒の魔法史嫌いを嘆きながら、ハリーとロンに彼の悪行を説明した。

 聞いているうちに、グリンデルバルドの偉業の断片をプロップの授業で幾度となく聞いた覚えがあることに気付く。三人はその幽かな繋りを考えもせずに霧散させる。無理もないことだ。

 

「彼はあの人よりも危険よ。もちろん、差し迫った脅威としてはあの人のほうが上だけど…」

「ハリーの命を喜んで狙ってるやつのほうが危険に決まってるだろ!」

「だから差し迫った脅威って言ったの!…まあ確かに、グリンデルバルドはハリーに見向きもしないでしょうね」

「待って、ハーマイオニー。この脱獄があいつの差金だとしたら…」

「その可能性は低いと思うわ」

「なぜ?」

「だって、例のあの人にとってグリンデルバルドなんて邪魔でしかないもの。グリンデルバルドにとってもそうよ」

「ああ。なるほど…それじゃあグリンデルバルドの脱獄は全くの別事件ってことかな」

「それにしてはタイミングが良すぎるけれどね…」

 

 結局ハーマイオニーもハリーも疑惑以上の推論をたてられなかった。グリンデルバルドの現在の情報は少なすぎる。ただ二人の議論は「例のあの人との関連性は低い」と結論に至ったらしい。ロンはそれをぼんやり聞きながら、自分がいずれ家族のために戦うだろうと意識した。そうすると、たしかに今の学校は最悪だった。

 ロンは漠然と持っていた危機感がより差し迫ったものに変化したのを感じた。そして、魔法省の行いが如何に不当で愚かかも身に沁みてわかった。それと同時に、魔法省に盲目的に従うパーシーへの怒りがふつふつと湧いてくる。

 

 どこまでも愚かな兄。パーシーのことをそう思い始めたのはいつのことだったか。少なくとも、ホグワーツ在学中はまだ嫌なやつで片付く程度だった。

 入省してからパーシーは決定的に悪い奴へ進化してしまったと思う。元来人並みならぬ出世欲を持っていたが魔法省で肥大化しいびつに凝り固まってしまった。

 なぜそうなったか、想像するだけの余裕がロンにもフレッド、ジョージにもなかったことが悔やまれる。(ジニーだけはパーシーに対してほんの少し同情の念をもっていた。兄弟の中で最もジニーに対して関心を示し、世話をしていたのはパーシーだった。)パーシーの置かれている状況と彼の持つ情報が騎士団側にもたらす恩恵は計り知れない。しかしこの場にいる誰もがそんなことを知る由もない。事物はただ淡々と時に従い流れ行く。

 

「あのさハリー」

「なに?」

 ロンはベッドに入って尚変身術の教科書を読みふけるハリーに声をかけた。杖明かりに照らされたくしゃくしゃ頭がシーツの中から飛び出してくる。

「グリンデルバルドってダンブルドアと戦って、負けて牢獄にいれられたんだよな?」

「うん。えーっと…1945年。ヌルメンガードにね」

「ダンブルドアの宿敵だったんだよね?そんなやつが脱獄したのなら、ダンブルドアも黙ってないと思うんだ」

「…あ」

 ハリーはロンの言わんとしていることを理解したらしい。

「もしかして…今ダンブルドアはホグワーツに、いや。イギリスにいない?」

「ありえるよね?だって最近は食事のときも見かけないし」

「しまった。あいつらが直接関係してなくても…」

「そう。…そうだよ。ハリー、僕らは今のほうがよっぽど危険だ」

 

 と、声に出したところでふくろう試験も魔法薬学の課題も消えてなくなるわけではないのだ。現実を埋め尽くす浮世離れした些事の数々。紙屑の中に埋もれて行くような気分。足掻いてもあがいても手足は紙を攪すだけ。僕らは生煮え。大人達の作った枠組みはいつだって高く厚い。

 

「ダンブルドアを遠くにやるためにグリンデルバルドを逃したのかな」

「そんな回りくどいこと、する?」

「わからないよ。でもいないにこしたことはない」

「ダンブルドアのいないうちに何をするつもりなんだろう」

「君を殺しに来るのかな」

「いくらなんでもホグワーツに堂々とはやって来ないよ」

「わからないよ。集団脱獄もあったし…」

 

 二人はそんなことを話しながらいつの間にか寝てしまっていた。翌朝、ハーマイオニーも加えていつもの三人で朝食へ向かうと、壁にびっしり打ち付けられた額に新たな教育令が追加されていた。

「なに?」

「あー、今日はまだマシ。『ティーン魔女リティ』の持ち込み禁止」

「またか」

 パーシーが好ましくないと判断した書籍の流通禁止令だった。この訳のわからない規制ももはや日常茶飯事になり、三人は黙って席につく。

 

「ねえ、ハリー。最近夢は見てるの?」

「え?なんでそんなことを聞くの?」

「クマができてるわ」

「違うよ、ハリーは昨日僕と遅くまで話し込んでてさ…。グリンデルバルドの脱獄について」

 

 ロンはほとんど反射的にハリーに助け舟をだしていた。アズカバンからの集団脱獄以降しかれた煙突ネットワークとふくろう便の厳重な監視体制のせいでハリーが心を許せる大人はプロップくらいだった。あの夢についても、プロップはマグルの夢診断とマグルの心理学の講義でハリーの気持ちを安らがせていた。(マグルの考えたしょうもない学問ではあるがトレローニーの授業よりも遥かに楽しいらしい)

 ハリーの精神状態ははっきり言って大変不安定だ。いつもならクィディッチで飛びまわって発散するところだが、ここのところフレッド、ジョージの罰則の余波で競技場が借りれないのだ。グリフィンドールが借りている日に限ってクィディッチ競技場の清掃を入れられる。

 今ハリーから息抜きを奪えば9月のころの逆だったハリーに逆戻り。こちらの胃までチクチクなる毎日が戻ってくる。それは面倒だった。

 幸いダンブルドアの不在はハーマイオニーの関心を大いにひいたようでハリーは夢に関する追求から逃れた。しかしそれは単なる一時しのぎに過ぎず問題は依然としてそこに横たわったままである。

 ハリーの見ている夢について。ロンの知っている限りでは内容は冬から変化していない。黒い扉。長い廊下。進んでも進んでも辿り着かずに終わる夢。しかし欲望は煽られ続け肥大してゆく。プロップの"カウンセリング"についてロンはこのときもっと知っておくべきだった。

 

 さて進路相談が始まって談話室での話題は脱獄より将来やりたい事、やりたくない事についてに変わった。ハリーはこっそりと闇祓いに憧れているようで、ハーマイオニーはあろう事かしもべ妖精福祉振興協会にまだ執着していた。…まあどちらも夢があって結構なことだ。

 ロン自身はというと、闇祓いになれたらいいなあと思ったりもするし、普通に暮らせるだけでなんでもいいとも思う。魔法省勤めはつまらなそうだ。ダイアゴン横丁のどこかとか、ホグズミード村の店でもいい。(ロスメルタの店のウェイターなんて第一志望にする価値がある。)ようするに、特に夢はなかった。

 

「薬草学者になりたいなって思ってるけど…ばあちゃんは闇祓いになってほしいらしいんだ」

 進路について尋ねるとネビルはちょっと困ったように言った。

「僕は新聞社かな。…まあ予言者新聞はごめんだよ。できればスポーツ部がいい」

 シェーマスはゴブストーンをしながら答えた。声をかけたせいで負けかけたのでロンは謝罪した。

「僕は入省したかったけど…どうだろうね。あんなことがあったから」

 アーニーは申し訳なさそうに言った。ロンは「気にするなよ。全部スミスのせいだから」と返した。

 

 闇祓いへの憧憬はずっと持っていた。けれどもすぐ隣にハリーがいて、ハーマイオニーがいて、その場で自分の願望を口にするのはなんだか気恥ずかしかった。ハーマイオニーより頭がいいわけでもなければ、ハリーのようにあの人と因縁があるわけでもない。自分の成績が闇祓いの水準を満たしていないのは明らかだ。

 

「ウィーズリー。貴方の成績はムラがありますが、平均を下回るわけではありません。希望する職種にもよりますが、今から努力すれば十分適うでしょう」

 マクゴナガルは横にいるパーシーをちらっと見て言った。なぜかパーシーは進路相談にまで干渉してきた。ロンは嫌がらせだろうかと勘ぐったが、極力存在しないものとして扱おうと決めた。

「あの…いま進路を決定しなきゃいけないんですか?」

「そんなことはありません。ただ職種によって必要となる科目が違います。いざその職に就こうとしても学位の関係上無理ということも起こり得ます」

「なるほど…」

「ぼんやりとでもいいのですよウィーズリー。貴方の双子のお兄さんたちに比べれば多少はまともでしょうから」

「フレッドとジョージは何を?」

「大富豪と」

 ロンはあの二人らしい進路希望にくすりと笑った。マクゴナガルも釣られて微笑む。

「あの…例えばなんですけど、闇祓いだとどんな科目が必要なんですか。参考までに」

「闇祓いとなると求められる資質は高くなります」

 頬が赤くなる気がしてほんの少しうつむいた。マクゴナガルはこちらを気にせず机の上に置かれたたくさんのパンフレットのうち闇祓い局のパンフレットを開く。

「あなたの場合は…魔法薬学と変身術は特に努力が必要ですね。呪文学ももう少しですね。フリットウィック先生は良でも受講を認めてくれますが、授業レベルは格段にあがります」

 パーシーの頬がぴくりと動く。ただの痙攣かもしれないが、なんだか嫌な気分になる。パーシーに成績で勝てるなんて思った事はないが、あらためて顧みると兄弟の中で自分だけ突出して優れたものがないと思い知らされる。

 

「参考までに、私が五年間あなたを見ていて適正があると思われる職業は…」

 

 マクゴナガルはパンフレットの中から魔法運輸部とグリンゴッツのパンフレット、それと箒用木材の植林場のパンフレットを出して一つ一つ必要科目を教えてくれた。マクゴナガルの声は右から左に流れていく。

 

 そうこうしているうちに次の面談者がやってきて、ロンは手渡されたパンフレットを眺めながら寮へ帰った。塔を登ってる途中、フレッドとジョージとばったり会う。二人はふくろうに荷物をくくりつけていた。パーシーの監視下では時間外のふくろうは小屋を経由しなければならない。今の時間塔の小窓に来るのは闇フクロウだ。

 

「よお。兄弟。言うまでもないが」

「内密にな」

「わかってるって。パーシーの監視は?」

「今丁度リーが絞られてる時間だから」

「リーはなにしたの?」

「わざとじゃないんだが、罰則のときこっそり除草剤を使ったせいで芝生の一部が永久にハゲちまった。それが今日バレた」

「リーにとっては災難だが、俺達にとっちゃラッキーさ」

 フレッドはフクロウの尻を叩いて旅立たせた。手紙でなく荷物を出すというのはどういう事だろう。以前より二人はなにかの準備をしているようだった。いたずらグッズの開発だけでなく、学外でなにか企んでいるようだった。

「ま、あと数ヶ月の辛抱だよな」

「ああ。今はただ着々とやることをやるだけさ」

「二人の口から出る言葉とは思えないよ」

「そうか?俺達こう見えてけっこうしっかり考えてるぜ。なあ?」

「ああ。大富豪目指して一直線」

「二人が羨ましいよ」

 

 結局その日は三人で寮に帰った。二人は談話室で早速なにかのリストをまとめだした。ロンは寝室に行き、うとうとしているハリーを眺めながらバンフレットを眺めた。

 ハリーが唸った。

 

「もう少し…」

 

 もう少しで、扉にたどり着く。それを二ヶ月は続けている。

「そこに何があるんだろうね」

 

 その呟きに返事はなかった。

 

 

 



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09.ハリー・ポッター

 ハリーは暗くなってきた空と7分遅れた腕時計を交互に見て、足早に廊下を通り抜けていく。廊下で屯う生徒はいない。パーシーの取り締まりにより公共の場所で時間を無駄に過ごす者は一掃された。

 生徒達はそれを恨みつつも、監視の目の行き届かない談話室で楽しくやるほうが合理的だと気付いたので、なんでもない日の宵の口に廊下を歩いているのはハリーくらいだった。日は伸びたものの、まだまだ夜は暗く、長い。

 

 ヌルメンガード崩落によりダンブルドアはホグワーツにいない。しかし不思議と不安はなかった。というのも、この一年ダンブルドアはハリーと目すら合わせていなかったからだ。秋から冬にかけて、そのことが大きなストレスになっていたが今は違う。

 プロップのあのドライな授業ははじめ感じた大きな反感に反しハリーの不安を和らげた。と、いうよりも未知からくる恐怖やバッシングによる怒りを冷ました。彼の冷たい無関心は何でもムカついていたハリーにとって新鮮だった。同時に、その無関心から関心を引いていくのはなんだか楽しかった。

 

 普通、ハリーと初めてあった人間は「君があのハリー・ポッター?」と言って目を見開き、ニヤニヤと笑いながら頭からつま先をじっと眺める。そのどこか脂っこい視線に耐えたあと、またしても脂っこい握手を求める。(それか最近だと「嘘つき野郎」とツバを吐きかける)基本的に全員がハリーを知りたがり、ざっとハリーがどんな人間かわかったらとたんに興味を失い普通の付き合いを始める。ハリーが思ったよりも平凡だったことに安心するか、失望するか。プロップはどちらでもない。

『ハリー・ポッターがいようといまいとどうだっていい。ヴォルデモートに殺されかけた?へえ。大変だね。』

 ハリーだから慈しむ人、嫌う人。ハリーだけど平等に扱う人。沢山いる。でもハリーである事を問わない魔法使いは初めてだった。

 

「ハリー?」

 ハリーが寮にもどると早速ハーマイオニーが棘のある声で呼び止めてきた。うんざりしながら、そしてうんざりする自分にも苛立ちながらハリーは振り向く。ハーマイオニーは校則違反を注意するときと同じ顔で口を開いた。

「プロップのところ?」

「うん。まあ…」

「ねえ、あなたはうんざりしてるだろうけど…」

 よく分かってるじゃないか。

「あいつを信用しすぎよ。去年の事を思い出して」

「ダンブルドアも同じ轍を踏まないよ。少なくともプロップは妙な液体を一時間おきに飲んだりしてない」

「そうじゃないわ!今は騎士団の人間以外に過度な信頼を置くべきじゃない」

「僕を信じてくれてる人を疑えって?」

「プロップは確かに、はじめ思っていたような人じゃなかったわ。でもそれはファッジ側じゃないってだけでしょう?もしかしたら死喰い人との仲間かも」

「あいつの左腕には趣味の悪いタトゥーはないよ」

「揚げ足取りをしたいんじゃないの!ねえ、どうしてそんなにイライラしているの?」

「さあ、わかんないけど…君こそどうしてそんなにプロップを毛嫌いするんだ?イライラしているのは君じゃないか!」

 ハーマイオニーは一度熱をさますように深呼吸し、目を瞑った。

「彼の言葉は…耳障りが良すぎる。私達が聞きたい言葉を喋ってるだけで、感情が全く伴ってない。根拠がないのは承知よ。でも、あまりにも不自然だわ」

「へえ。君がプロップを嫌うのは女の勘ってやつ?」

「そんな言い方よして」

 二人の間に一気に険悪な空気が漂った。まるでそれを察知してきたかのように、パーシーの罰則から帰ってきたロンが噛みあとだらけの手をひらひらさせて寄ってきた。

「信じられるか?!教室中にばらまかれた噛み噛みキャンディを素手で回収するなんて、これほとんど虐待だよ!」

 ロンは笑い半分怒り半分で言いながら軟膏を塗り始める。ハリーとハーマイオニーはお互いから顔を背けて一息つく。ロンは左手に軟膏を塗り終わってようやくいつもと違う二人の空気に気付き、おや?という顔をした。

「喧嘩?」

「…違うわ」

「またプロップのこと?」

 黙り込む二人にロンは呆れた顔をする。

「そんなに気になる?」

「そりゃ、なるわよ。目立つもの」

「放っておけばいいじゃん」

「ハリーが…」

 ハーマイオニーがハリーを横目で見る。ハリーはムッとした顔をして目を逸らす。そんな二人を見てロンは更に困った顔をする。

「私達じゃなくてプロップに相談してるのは、前に私が夢の事を強く追求したせいよね。わかってるわ。ごめんなさい。私はただ、あなたを心配して…」

「…心配してくれるのはありがたいよ」

「プロップと話していてなにか新しいことはわかった?」

 

 三人は近くのソファに座り、暖炉の火を眺めながらボソボソと話し始めた。パーシーが実権を握ってから、暖炉を使ったシリウスとのやり取りはできなくなった。全ての暖炉は不通になり、城に来るフクロウ便はすべて検閲されている。

 ダンブルドアとは会えないし、シリウスとも話せない。ハーマイオニーとロンに夢の話はし辛い。ハリーは限りなく孤独だった。今まで話そうとしてこなかった夢の話を二人にするのは気まずかったが、安心も少しある。

「プロップは、扉は間違いなく神秘部に実在するものだって言ってた。神秘部の中に何があるのかは断片的にしか知らないって」

「何があるのかわからないのに扉はわかるの?」

「うん。似たような意匠の扉がいくつかあるらしい」

 当然ハーマイオニーはそれだけの情報じゃ満足行かない。

「…他には?」

「あとは、このヴィジョンが恣意的に見せられているのか偶然見てしまっているのかについて。プロップはそれはたいした問題ではない、って」

「そんなことないでしょう?!」

「いや、どちらにせよ扉の向こうにあるものは『あいつにとって重要なものである』って。僕もそう思う。単に罠を仕掛けるならわざわざ神秘部になんて誘き出す必要はないよね」

「確かに。マルフォイの館とかでもいいよな」

「…でも、魔法省が死喰い人に乗っ取られる可能性もあるわ」

「そう、プロップもそう言っていた。だから、扉の中のものがなんにせよ、そこに置いておくべきではないとも」

 ハーマイオニーもロンも黙った。

「…だとしたら、ハリー。貴方がすべきなのはプロップに話すことじゃなくて、騎士団に話すことよ。騎士団に話して、それで…」

「騎士団に任す?あっちは僕たちに何も教えてくれないのに」

「ハリー!騎士団はあなたの味方なのよ!なんで全部一人で背負い込もうとするの?!」

 ハーマイオニーの怒声に、談話室でだらだらしていた七年生たちがぎょっとしてこちらを見ていた。ハーマイオニーは咳払いをし、小さくごめんなさいと呟いた。そんなハーマイオニーを見てロンがめずらしく畏まった口調で言った。

「そうだぜ、ハリー。忘れちゃってるかもしれないけど、僕らはプロップよりずっと前から君の味方だ。僕らに相談してくれてもいいんじゃないの?」

 ハリーはさっきまで取り憑かれていた異様な熱が嘘みたいに冷めていくのを感じる。孤独な闘争。陰謀についての複雑な事象ではなく友情というシンプルで重要な感情が心の中に溢れ出てくるのがわかった。

「そうだね…ごめん。僕、なんか熱くなってた。ロンとハーマイオニーの言うとおりだ」

 ハリーの言葉にハーマイオニーの笑顔がちょっとだけ戻った。

「私もプロップについて過敏になってたわ。私、あの人があなたを支配しようとしてるんじゃないかと思ってたの。ごめんなさい」

「支配欲ならパーシーのほうがよっぽどさ」

 二人がまた笑ってくれて、ハリーもホッとして笑みをこぼす。久々に対話をしたような気持ちになり妙な達成感があった。

 

 

 しかしながら、その達成感も時間が立つに連れ薄れていくものだ。翌朝、ハグリッドの無期限停職を告知した張り紙がすべてを台無しにした。

 

「パーシーの××野郎!」

 ロンが口癖となりつつある罵声を発した。ハーマイオニーは頭を抱えた。停職なのがまだ救いだ。追放だったとしたら森の中にいるグロウプの世話はハリーたちに回ってくる。それはごめんだった。

 授業後、ハグリッドの小屋を訪れるとひどく傷心してはいたが、バックビークの処刑が決まったときよりはマシだった。

「追い出されねえだけマシだと、そう思う事にした」

 しかしすぐにその認識は決定的な間違いだったと知る。ハグリッドはあの小屋と小さな畑より外に出ることを禁じられた。

 ご丁寧に魔法生物規制管理委員会からの監視までついているおかげで、ハグリッドはグロウプに会いに行けなくなった。ハリーたちの訪問も規制委員会の人間はいい顔をせず、誰が何時に何分間ハグリッドと話したかをいちいち書類に書き留めているようだった。

 そして次に、いよいよ一月後に迫ったふくろう試験のせいで5年生は次々と発狂していった。まさに束の間。あれだけ和やかな雰囲気を取り戻せたと思っていたが、ハーマイオニーはまたプロップの部屋に行くことについて目くじらを立てるようになった。とはいえ内容が「どうしてそばにいて答えを教えてくれないの?!」と変化したので一応進歩したと言える。

 たが折角和解したにも関わらず結局夢の話をする機会は訪れなかった。そして、シリウスへの連絡手段も得られなかった。

 

 

「…おや」

 

 

 例の夢をまた見て、朝からピリピリしているハーマイオニーをやり過ごし、なんとかずるを考えつこうと苦悶しているロンに流され、スネイプの嫌味を浴びたあと、現れるのはいつものようにプロップだった。

 

 

 

「悩み事かい?」

 

 ニコリと笑う痩せこけ気味の頬。草臥れたような冴えない髪色をした男。

 

「…先生、あの。僕…どうしても、連絡を取りたい人がいて」

 

「ふうん。とりあえず話を聞こうか。研究室へおいでよ」

 

 

 

 そしていつものように面談が始まる。

 

 

 

 

 

「アズカバンの脱獄が決行された。それとほぼ同時期にダンブルドアがノルウェーに旅立った。連日紙面で繰り返される在りし日の悪党共の犯行。世間は十年、五十年遅れで恐怖しとっくに土に還った犠牲者の冥福を祈る。

「時制も何もあったもんじゃないね。紙に滲むインクのシミ。そこに惨劇を描くのは筆者でも当事者でもなく今それを読んでる君で、君の想像力と経験に基づいたパラメーターの中でしか書かれていることを認識し得ないんだ。痛みから何まで経験したもの以外本当の意味でリアルなものなんてない。

「僕は魚を捌くとき魚の痛みについて全く想像がつかないし、屠畜場の牛の気持ちについても考えない。それと同じで群衆が記事を読んで感じてる憤りや悲しみや恐怖はすべてまやかしだよ。言いすぎかな?でも腹が立ったりしない?僕は、見ず知らずの誰かの冥福に価値があるとは思えない。

「僕の妹が死んだとき、潔癖ヅラした本家の連中はこぞって冥福を祈ったよ。けれどもみんな、本当に興味があるのは9歳の女の子がどういう手順で辱められて死んだのかって事だけさ。手順を聞いたところで妹の味わった苦しみを再現できるわけがないのに。そして僕たち兄弟が姦通していたかしつこく聞くのさ。嘘みたいだろ?けれどもよくある事さ。

「僕もやっていた。だからあれは報いだったのかもしれない。連れて行かれるバカな不穏分子!スパイの父に騙されて列車に積み込まれていくあの目。父が成果を上げると、僕らは必ずキャラメルを貰えた。他人の不幸は蜜の味だ。…笑いどころだよ。

「全ては確認作業に過ぎないのさ。自分より唾棄すべき存在がちゃんとある実感するための。偽物の実感を得るために、自分の足元を支えるものをより確かにするために、僕たちは歪んだ形に踏み固められてく。どこかで聞いた話だろう。君と同じだ。

()()()犠牲者なんだよ、みんなの正気のためのね。

「だけどね、僕は知っているよ。君はちゃんと経験しているんだから。緑の閃光、赤くぬらつく咥内と、セドリック・ディゴリーの青白い皮膚のコントラスト。君の恐怖は本物で、君の額に走る痛みは現実だ。君だけが真実を見ているのさ。

「さて君の夢、切実に感じる開けなくてはという衝動。それはどこから湧いてくるんだろうね。君の言うとおりその源泉は君のものではない。ヴォルデモートのものに違いないね。

「君とヴォルデモートの奇妙な関係についてはおいといて、彼はなぜ扉を開けたいのだろう。その扉の向こうに彼の欲するものが…例えば武器なんかが…あるのかもしれないね。

「魔法省内に出入りしている死喰い人疑惑者は凡そ7名。そのうち3名が現在局長クラスのポストについており、そいつらの指揮系統下にある部下まで数えると怪しい人物はネズミ算式に増えていくわけだが…それは置いておこう。

「派閥でいうと少数のファッジ派、死喰い人派、騎士団派、そしてその他多勢の4派閥がある。割合でいうと1:2:2:5といったところか。概算だけどね。死喰い人派もまだ自由に動き回れる状態ではない。故にヴォルデモートが欲するものが扉の向こうにあったとしても取り出すことはほとんど無理だろう。ましてや神秘部となれば、ね。

「このヴィジョンが偶然君に見えたのか恣意的に見せられたかが問題だ。だがどちらにしても言えることは『それはヴォルデモートにとって有益なものである』ということだ。ならばそのまま魔法省に置いておくべきである。それもまた真だね。

「しかしながら、またここで一つ問題がでてくる。そう、魔法省が掌握された場合、若しくは神秘部の協力者が現れた場合、扉なんてまるで意味がなくなるということだ。

「残念ながら僕は神秘部の協力者が現れるのは時間の問題だと思うね。魔法省内部の部署を渡り歩いた僕の個人的な意見だけれども、無言者たちというのは政には興味がない。そういう人間はあっさりくだるものさ。

「僕が昔付き合っていた無言者の魔女は、僕にタイムターナーの中にあるきらきらした砂粒をくれたよ。機密事項だろうが何だろうが彼女には関係なかったのさ。規則より興味優先の魔法使いは何人もいるよ。嘘じゃないって。その粒は出来損ないだと彼女は言っていたけれどね。一粒では意味がないのだとも。

「ああ、僕の話はどうでも良かったね。つまり何が言いたいかというと…危険物にはあるべき場所があるのさ。例えばダンブルドアの懐だとか、グリンゴッツだとかね。君もそう思わないか?

「ヴォルデモートにとっての実行の日は近いよ。夢の中で、君の手はもう扉にかかってるんだろ?もう君には時間がないんじゃないか?ハリー・ポッター。

「君たちは今、目の前にある学業のせいで大事な感覚…怒りだとか、直感だとか、危機感を…麻痺させられている。僕がなんのためにこの学校に来たのかわかるかい?それをするためさ。今はパーシーがやってくれているけどね。

「僕はホントは君たちのことなんて心底どうでも良かった。けれども自主連クラブだとかを見てたらどうにも情が湧いてきてね。というかアズカバンまで破られて、ヴォルデモートの復活を信じないふりをするのはもうほとんど不可能だろ。いい加減限界だった。いろんな理由が重なっての今なんだ。

「だからハリー、謝らせてほしい。()()()()()()()()()()()()()()



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10.ウラジーミル・プロップ

 僕と兄アレクセイが対等にいられるのは子供用二段ベッドの中だけだった。いや、厳密に言えば対等ではなく、子供用二段ベッドは上が兄、下が僕で一度も上を譲ってもらったことはない。

 僕と兄が二人きりになるのは寝る前のほんの数十分だけだった。昼間、兄は純血の一族たちが集まって魔法の勉強をする学校のようなところに通っており、夕ご飯になるまで帰ってこなかった。僕は自宅で母と父手製の教科書を読んだり、家にあった本を読んで過ごしていた。傍系とはいえプロップ家。本棚には貴重な本の写本が多く、僕の頭は使えもしない呪文や魔法理論でいっぱいになった。

 それでもやはり杖は僕を祝福しなかった。魔力はある、しかしながらどうしてもその魔力をのせることができなかった。双子が生まれて「代々受け継がれていた古い杖はどちらのものになるのでしょうね。」なんて悩んでいた両親はむしろ安心しただろうか?残念ながらその杖も、両親も、兄も妹も、何もかもこの世に残っていない。

 

「あーあ。行きたくない」

 

 兄は毎日のように上からものを言う。僕の行けない学校についての話を延々として睡魔が来るのを待っていた。僕は兄の声が止むまで寝れないから、兄の1日を思い浮かべながらおしゃべりの終わりを待った。

 僕と同じ顔をした兄が何を思って何をしたか。想像の中で僕と兄の区別はなかった。想像の中の少年は僕であり兄だった。そんな想像で心を慰める僕のなんていじらしい事。忍耐は美徳だと思わないか?惨めさが美徳だとすれば僕は相当美しく気高いわけだ。笑える。

 

「お前が魔法を使えたら替え玉になってもらえたのに」

「僕が魔法を使えたら僕も通ってたよ」

「あ、そうか。だめじゃん」

 

 兄に悪気がないのは承知だったが、僕にとって残酷なことを平気で言う。だから僕は本当は兄を憎んでいたのかもしれない。ただし当時の僕は刺すような悲しみから目に涙を溜めるばかりだった。

 僕は兄と違って家以外の世界を知らなかったし、下手したら一生知らずに終わるのかもしれない。今まで読んできた素晴らしい世界についての本の数々。まばゆい羨望が僕の目をくらませた。

 

「ヴォーヴァ、僕の友達が一度君にあってみたいんだって」

「アリョーシャ。僕は笑われたくないんだ」

「まあまあ、ただ会うだけだよ。僕はお前に友達が一人もいないのを心配してるんだぜ」

 たしかに僕は友達は一人もいなかった。家から出ることも少なかった。しかしそう言われた11歳の時には妹ナージャがいて世話で忙しかったし、孤独や退屈も紛れていた。余計なおせっかいだ、と突っぱねたかったが兄の頼みを断ると呪文が飛んでくるので結局は兄に従う羽目になる。

 大抵の理不尽は仕方のないことだと諦めがついていたが、兄の友達に会うなんてとんでもなかった。話を聞く限り兄と同じかそれ以上に野蛮なガキ共。奴らが魔法の使えない僕を見てどんな罵倒を吐き出すか、想像するのは容易だ。子供は弱者にどこまでも残酷だ。それでも僕は逆らえない。僕はまだこのとき痛がりやだった。

 当然、僕は兄の友達からも魔法が使えないことをからかわれ、四方から呪文をかけられて泥まみれになった。帰ってから母に服を汚すなとヒステリックに怒鳴られ、怒鳴ったという罪悪感から泣く母を慰めて、兄のいる二段ベッドで眠った。

 兄は幼い頃は無意識だったが、次第に意識的に僕に対して魔法の話題を振ってくるようになった。純血の子どもたちと傍系の子どもたちのカーストと、それにまつわる小競り合いについて。誰にもバレずに嫌いなやつのバッグに汚物を入れる魔法。僕が絶対に入れない世界にまつわる様々な話を。

 16歳になる頃にはさすがに寛容な僕も兄の悪意に辟易していた。そして可愛い妹、花を咲かせる魔法が大好きなナージャも意地悪な兄を避けていた。

 ナージャは名前通り僕にとっての希望のようなもので、泥の中で光る砂金のように僕の心を慰めてくれていた。

「ヴォーヴァ、わたしにはもっとわがままにしていいよ」

 マグルの図書館に通っていたことを咎められ、アリョーシャに本をすべて破かれたときにナージャが言った言葉はこれまで読んだどの本よりも実生活に役立つものだった。

「あのね。アリョーシャの杖隠しちゃえばいいんだよ!そしたらもう意地悪できないもん」

 ナージャのように伸びやかにたおやかに育てられると心まで澄み渡ったうつくしいものになれるのだ。僕も女の子だったら…いや、せめてアレクセイと双子でなかったらこういうふうな子供になれたのだろうか?ああ、でもこの子には魔法の才能がある。

 結局はそういう事なのだろう。

 

 

 さて、時間は飛んで現在はふくろう試験3日前。5年生は半狂乱で勉強に取り組んでいて、その他も学年末に向けて各々学習に励んでいる。素晴らしいことだ。

 闇の魔術に対する防衛術の教室ではアーニーの放課後自主連クラブが終わった代わりに放課後自習クラブが開催されていた。寮の得点がほしい監督生や首席が教師役になり下級生の勉強を監督するという極めて健全なクラブであり、一切の杖の使用を禁じている。これが意外と評判が良く、そこには自主連クラブの穏健派(僕に従順という意味だ)の生徒も多く通っていた。

 マクミランとスミスの亀裂はまさしく決定的なものであり、両者の間には冷戦期のソヴィエトとアメリカを思わせる緊張感がはしっていた。…我ながら実感のこもった喩えでは?

 

 パーシーの監視が時たま入る以外は至って平和で健全であり、僕は期せずして学級運営に成功していた。おまけに杖を生徒の前で振るわなくていい大義名分まで手に入れた。ようやく教師としての無駄な時間が実を結んだが、僕の目的はそんな平和なものではない。

 

『いいニュースと悪いニュースどっちから聞きたい?』

 黒電話越しにBDの低い、空気を震わす声が尋ねる。魔法を使ってるので電話回線と違って音の劣化が少なく、まるで耳元で囁かれているようだった。

 本物より優れたまがい物の黒電話でしか通信をしない風変わりなやつ。これは単なる彼の趣味で、マグル製品を改造して好事家に売り払うついでに営業をしている。彼いわく、最もよく売れるのはアンティーク銃。ついでアイロンだった。

 アイロン?何を馬鹿なと言いたいところだがマグル製品好きの変人は鉄とネジとギミックが好きで、中でも一風変わった蒸気を吹き出すアイロンはマニアにはたまらないらしい。

「じゃあ悪いニュース」

『近々ダンブルドアがあっちから引き上げる』

「いいニュースは?」

『それはル…旦那に聞いてくれ』

「それじゃあお前は実質悪いニュースしか持ってないじゃないか」

『まあな。ほら。キャッチが入るぜ』

 黒電話でウェイティングコールとは魔法は便利だな全く。割り込み音が入り、電話の主が変わった。(純マグル製と勝手が違うのはご愛嬌だ)

『ウラジーミル』

「ルシウス、貴方か。いいニュースは?」

『いいニュースだと?ああ、たしかにその通りだな』

 ルシウスの勿体つけた喋り方は癪に障る。手短に、用件を言えばお互い不快な思いをせずに済むっていうのに。

『機は熟した。ついにあの方がご決断なさった』

「やれやれやっとゴーサインか」

『やむを得まい。あの方はお前の働きに疑問を呈していた。あの方はここ最近の小僧の心を読んでようやくお前を信用したのだよ』

「そりゃありがたいね」

『相変わらず無礼だな。5日後、日暮れに』

「ああ」

 5日後のタイムテーブルを思い描き、そこから逆算して僕の行動を計画するに、僕はほとんど何もしなくていい。やれることはやりつくしている。

『ヴォーヴァ。ヴォーヴァってば』

「あ?まだ繋いでたのか」

『俺にもいいニュースがあったの忘れててさ。あの棚、直ったよ』

「間違いないか?」

『ばっちり。どうする?テストはいつにする』

「うん。本当にいいニュースだ。仕事が格段に楽になるよ。そうだな…早速明日取り掛かろう」

『はいよ。あ、ゲラートの爺さんが代わってほしいって言ってるけど』

「悪いが採点が残ってるんだ。決行日にまた」

 

 さて、秋から取り組んでいた仕事がようやく実るわけだし酒でも飲もう。スプラウトから貰った自家製オーク酒。創始者のハッフルパフは料理好きだったらしいが、寮監もそうでなければなれないのだろうか。彼女は時折手料理を振る舞ってくれるがどれも美味かった。美味しいですと伝えたら酒をもらった。

 なんやかんや、教師生活も悪くなかった。何度か杖を使わないと厳しい状況があったがなんとか乗り切ったしこのままパーシーの独裁体制が続くのなら続けても楽しいかもしれない。5日後のことの成り行き次第ではそれも可能だ。

 まあ偶然について考えても仕方がない。大抵のことはケ・セラ・セラ。なるようになるさ。

 

 

……

 

 ふくろう試験中、僕は綿密に段取りを復習し、可能な限りの不確定要素を排除した。計画に参加する死喰い人、魔法省内協力者とそれぞれの役割。誰がどういう無茶をするか。腹立たしいことにルシウスのための仕事は今までで一番やりがいを感じられる。

 真面目に働くのも今日が最後であればいいが、もし成功したらさらに難易度の高い仕事が待っている。グリンデルバルドを脱獄させた時点でとっくに覚悟していたが改めて思うと、いい住処、いい居場所を追い求めて随分遠いところに来てしまった。どこかで失敗すると思っていた綱渡りだがどういうわけかいつになっても失敗しない。

 万が一成功し続けていってしまったら、僕はどうなるのだろうか。片輪が歪んだ車輌では転ばなくてもまっすぐは進めない。確実に訪れる破綻を感じながら、もう15年経つ。それでもまだ僕は平気で息をしている。

 終わりはいつ来るんだろうか。僕はレイズし続けている。今まで誰もコールしてくれなかった。僕のゲームはいつも僕だけ。敗者も勝者もいなかった。しかし今回は違う。僕は勝つことも負けることもできるはずだ。

 

 中庭の松明が灯った。構内で一番早く灯る松明。夕暮れを告げる明かりだ。僕は席を立たずに待った。

 ヴォルデモートかゴーサインを出したということはポッターはやがてここに来るということだ。僕から探しに行く必要はない。やつはどうやらポッターの心をほとんど見透かしているらしいし、その上慎重で疑い深い。そんなやつの判断ならば確実だろう。

 魔法の才能があればマグルの不可能を千は可能にするのに、僕のような哀れな無能を使わなければ水晶玉一つ盗むことができないのだ。いや、むしろそれでも全てが完璧にはならないと考えると、人生という欠けた器を満たす空虚な旅に終わりなどないのだと思わされる。

 そんな物思いにふけっていると、外から扉が叩かれた。時計を見て、棚を見て、僕は首を傾げる。

 扉を開けてそこにいたのは予想に反してポッターだった。

 

………

 

 ポッターは息を切らしていた。走っただけでは出ないような汗が首筋にたれていて、ぜぇぜぇ言いながらたどたどしく僕に懇願する。

「暖炉を、貸してください」

「暖炉だって?何があった」

「いいから早く!」

 ポッターはドラコを殴ったときと同じような迫力で怒鳴る。おお怖い。僕は眉をひそめて彼を部屋に入れ、落ち着くんだ、とか何があった?とか適切な言葉を投げつける。

「事情を知らないままに緊急時の対応をするわけにはいかないんだよ。説明してくれ」

「僕の、大切な家族が拷問を受けているんです!」

「なぜそんな…」

「夢です!試験中に見たんです!お願いですプロップ先生、この学校で外につながる暖炉はここだけだ」

「はあ…単身箒で飛び出さないだけの理性はあるようだね」

 想定外だった。僕の授業のせいかハーマイオニー・グレンジャーの日頃の説得のせいか、彼は一時患っていたプッツン癖を治してしまったらしい。いや、それでもまだ自分へ頼ってくれただけマシか。スネイプやマクゴナガルに駆けつけられていたらすべてが水の泡だった。

 予想ではポッターは魔法省へ直行するはずだったが、もちろんルシウスのような狡猾な男がペテンを仕掛けてないわけはない。シリウス・ブラック家のしもべ妖精、クリーチャーだかモンスターだかそんな名前のやつが屋敷の暖炉に主を近付けないようにしているはずだ。そして彼の不在を仄めかすように指示している。(親戚同士で騙しあうなんて因果だねえ)

「でも僕もまた監視されているということを忘れないでくれよ。パーシーに訪問先がバレない時間は一分に満たない」

「それでもいいんです。罰はすべて僕が受けますから…!」

 こんなに必死になるポッターを見るのは新鮮だった。僕は2.3秒逡巡するふりをしてから渋々イエスを口にした。ポッターは煙突粉をひったくるやいなや暖炉に頭を突っ込む。僕はそれに耳を傾ける。

 

「シリウス!」

 ポッターの叫びは誰にも届かない。暫くすると彼の背中が不安で震えだし、すぐにびくんと跳ねてしもべ妖精の名を呼んだ。

「クリーチャー!シリウスはどこに?」

 数秒の間。ポッターは今度は怒りで震えだす。大声を出し始めたらすぐに辞めさせなければならない。袖をまくると同時にポッターの肺が大きく膨らんだ。

「この人でなし!お前なんかー」

 罵倒が完全に終わる前に僕は彼を引っ張り出し、尋常ではないポッターの声に慌てたふりをして肩を揺する。

「どうした。なにがあった?」

「シリウスが…」

 事情を知らないという体の僕に漏らすほど彼は動揺していた。怒ったり、恐れたり、震えたり…子供は流れる時間が違うんじゃないかってくらいに動的で忙しない。

「やっぱり魔法省にいる。僕、行かなきゃ…!」

「魔法省だって?」

「あの扉の向こうだ。あいつはずっとシリウスを殺すための計画を考えていたんだ。僕が気付けていれば…!」

「なんてことだ。…ポッター、自分を責めてはいけないよ。それにまだ間に合うかもしれない」

 僕は神と如何なる人間をも信じてないが、イヴを誘惑した蛇になったような気分でポッターに語りかけた。

 

「僕が君を魔法省に連れて行こう。なんてことは無い。ホグズミード村への抜け穴を、君は知っていたね?」

 

 

 

 

 



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ーКак волка ни корми, он все в лес смотрит.ー

 抜け穴は彼が以前話していたとおりゾンコの悪戯専門店に通じていた。誰が作ったのかわからないがこういう抜け穴は他にもいくつかあるようで脱出も侵入も容易だ。他にいくつあるかは知らないが、仮に学校を完全な檻に仕立て上げたいのならこれらを塞ぐためにかなりの労力を割かねばならないだろう。床板を外すと、もう閉店した店内が見えた。人の気配はない。

 僕がまず抜け出し、ポッターに手を貸す。そして店内を見回し暖炉を発見する。煙突粉もちゃんとぶらさがっていた。僕がそれをひとつかみするとポッターがおや?という顔をした。

「姿あらわしでは?」

「残念ながら魔法省は午後6時以降は姿あらわしは原則禁止なんだ。守衛に捕まって入場手続きに時間をかけたくないだろう」

「わかりました」

「いいかい。行き先は魔法省MM347V暖炉だ」

「はい」

 彼を先に行かせて僕は残ってもよかった。しかし彼は生還する筋書きだ。禍根を残す別れは良くない。きりきりと頭のネジを回して回して最善策を見つけ出そうとする。そうすぐには見つからなかった。

「君は試験中に慌てて飛び出してきたんだよな。少し落ち着いて友達に知らせるなりなんなりはしなかったのか?」

「ハーマイオニーならきっと僕に何が起こったかを理解してマクゴナガルに報告してくれているはずです」

「なるほどね…」

 僕が一番嫌いな瞬間はこのように自分の制御下にないものが悪化していくことであり、それは同時に僕がまだ何かを成し遂げようとする理由でもある。思い通りに行かないことが人生だなんてカビの生えた言葉を使うつもりはないが、仮に全てが僕の頭の中のとおりに行く世界があったら僕は即座に己の矛盾に捩じ切られて死ぬだろう。偶然性がなければゲームが成立しないように、僕の人生も君の人生も、誰も彼もが偶然により支配され、たまたま死なないでいるだけだ。

 ポッターがついさっきまで生還を約束されていたのも、最悪死んでも仕方がないかと判断を変えられたのも、全ては偶然の賜物だ。うん。ひょっとしたら妹もたまたま死んだだけで、男の下に組み敷かれるのは兄だったかもしれないし僕だったかもしれない。男の頭をシャベルで叩き割るのは僕だったかもしれないし、父を枕で窒息させるのは兄の役目になっていたかもしれない。

 この偶然性は誰にも彼にも適応可能で、ヴォルデモートにしつこく命を付け狙われるのがポッターである必然性は無い。闇の帝王様がポッターを殺さねばならない理由は様々な因果の組み合わせであり、おそらくそこには密接に予言が関わるのだろう。しかしながらその予言自体がナンセンスだ。ヴォルデモート卿は予言の存在する世界観を打破できぬまま愚かな手下と力への欲望に狂わされているにすぎない。

 彼のような強い人間でさえ己の身に降りかかるものをコントロールできない。ひょっとしたら予言とはその偶然性の理不尽さを方向づける力なのかもしれない。残念ながら僕には予言が出てない。仮に出ていて、死と敗北が明記されているのならば僕は安心してその日までの毎日を安寧と過ごせるのに。僕と僕の周辺は予言なんかよりもっと混沌とした静寂に沈んでしまった。

 

 さて、僕の語りなんて聞いてて飽き飽きしておいでだろうが、僕の独白抜きにして単純に起きる出来事を書き出せば、事態は三行で収束してしまう。しかしなんとか"物語り"の体裁を整えるべく、不自然なまでに人気の少ない魔法省の様子をお伝えしていこう。

 僕がポッターに伝えた暖炉はアンブリッジに割り当てられた執務室のものだった。胃がムカつくほどのピンクに先についたポッターが圧倒されていた。猫の描かれた皿が壁にかかっているが、今日はすべての猫達が不在だった。カーペットや部屋や単純な飾り以外何も書かれてない皿しかないピンクの部屋はなんの説明もなかったら狂人のそれに見えるかもしれない。

「大丈夫。僕の上司の部屋だよ」

「最悪の上司ですね」

「まあね」

 その上司は今服従の呪文でいくらかマシになっているよ。魔法って素晴らしい。

「穏便に侵入できたろう。じゃあ行こうか」

 僕の言葉にポッターは頷き、駆け足でエレベーターに乗り込む。行く手を遮るものはいない。

 神秘部についた途端、彼はまるで何度も訪れた場所のようにまっすぐ廊下を進んでいく。ボードから入手した神秘部の内部構造をお披露目する機会は失われた。壁中にメモの貼られた廊下やどこまでも本棚の続く部屋を経由して前へ進んでゆく。

 円形の中央にアーチが建っている広場に出ればあと少し。しかし、等間隔に設置された7つの扉にポッターは見向きもせずアーチの方をぼんやりと見つめていた。

「ここが目的地?」

「いえ…あの、あのアーチは一体なんでしょう」

「さあね。気になるならくぐればいい。時間の無駄だが辛抱しよう」

「いえ。先を急ぎましょう」

 あのアーチは神秘部の中で最も深遠なものだが、かと言って価値があるわけでもない。『死』なんてありふれている。

 

 扉をまたいくつか通り過ぎるとついに目的地だった。予言の保管庫。天井と地平線が霞むほどの空間にぎっちりと水晶玉が詰められた棚が並べられている。ポッターはそのある種幻想的な風景に圧倒され息を呑んだ。

 冷えた空気が上から積もってくる。呼吸をすると肺から身体が冷えてゆく。ポッターの心も冷静になり始めるだろうか?気になってちらりと見ると、まだ頬を紅潮させ焦りを拭えてない瞳でこちらを見ていた。

「先生、これは…」

「予言だね」

 僕は時計を確認する。もうとっくに試験は終わってて、グレンジャーがポッターの異変と不在を騎士団の人間に報告しているだろう。BDが外部からの侵入手段は制限しているとはいえ相手は優秀な闇祓いたちだ。時間的猶予はない。

「で、どこにシリウス・ブラックが?」

「多分この先です。先に進もう」

 彼は杖先に明かりを灯した。僕は手ぶらでポケットに手を突っ込んで、周囲を見回しながら彼のあとに続いた。彼の焦りが背中から伝わってくる。杞憂に終わったら彼はホッとするだろうか、怒るだろうか。彼の自然な感情の行き先を少し知りたかったが恐らく無理だ。残念。

 通路をまっすぐ。クラゲのようなぼんやりとした明かりを数万と通り抜けた先で、ポッターは叫んだ。

「そんな…!」

 ポッターは鬼気迫った表情でシミ一つない床に座り込み、手のひらで何かを感じようと必死に這いずる。

「確かにここに、シリウスがいたんだ」

「奇妙だな。ここで間違いないのか?周りをよく見て」

 ポッターはぐるりと周りを見回し、床から天井までを何度も見返し、自らの記憶と照らし合わせる。そして間違いなくここが目的地であることを思い知り、どこか違う点がないかと必死に探し始めた。

 そしてようやく見つけてほしいものを見つけてくれた。

 

「これ…僕の名前が書いてある」

 

 誘導完了。任務達成。さらば、ルシウス。僕は歓声を上げたくなったがポッターがおずおずと予言に手を伸ばすのをじっと見守った。

「…先生、なぜ水し」

 ポッターの言葉は途中でかき消された。彼が予言を握った瞬間、ポートキーが作動した。

 

「………はあ」

 

 僕はため息をつく。

 予言をポートキーにできるかどうか半信半疑だったが無事に成功して何よりだった。なんせポートキーにしたとしても、予言に触れてそこから動かせるのはポッターだけなので確かめようがなかった。

 やはりグリンデルバルド、良きヒッポグリフは馬にはならぬだ。

 ただ問題は僕だ。騎士団がやってくる魔法省から無能の僕は帰る手段がない。最も避けたかったことだが、ここで騎士団と刃を交えるつもりの死喰い人と交渉するしかない。

 

 早速通路の向こうから靴音がした。杖明かりが狐の嫁入りのように頼りなくこちらへ向かってきた。

 

「おや」

「やあどうも」

「おや、おや、おや。あんたはここに来る予定じゃないはずだ。ガキはどうした?」

 粗い口調で人を小馬鹿にした態度。斜視の目が上下左右に揺れる奇妙な男はラバスタン・レストレンジだ。続いて現れたのは浅黒い顔をした巨漢のアントニン・ドロホフ、そしてアバタの酷いオーガスタス・ルクウッドを始めとした冬にアズカバンを脱獄した面々だった。

「彼と一緒に来るハメになってね。時間がずれた。まあでも成功は見届けたよ」

「チッ…あんなむちゃが成功するとはね」

「まあね。僕も今までルシウスは頭がイカれたと思ってた」

 この作戦はすべてルシウスが計画し僕が実行したということになっている。見栄っ張りのブロンド野郎め。まあ僕もグリンデルバルドの存在を隠して自分の手柄にしているわけだから人のことは言えないか。

「あいつはいかれちゃいないさ。プライドのせいでだいぶ頭は悪くなってきているが」

 彼らはルシウスたちに対して冷笑的だった。アズカバン経験の有無は死喰い人内での関係に大きく響いているらしい。脱獄囚は当然自分たちを売って14年もぬくぬくと暮らしてきた奴らを恨んでいる。

 僕は彼らと何度か顔を合わせてはいるものの完全にお客さん扱いであり、さらにはルシウスの客であるがゆえに好かれていない。

 そんな相手に逃してくれと頭を下げるのは気乗りしないが、魔法の使えない僕が徒歩で帰って騎士団と会わずにすむはずもないし、グリンデルバルドに迎えを頼むこともできないわけで、是非もなし。

「プランB、あんたも参加してくか?」

 半ばからかうようにラバスタンは誘ってくるが、そんなノリで命をかける気にはなれなかった。

「遠慮するよ。それより誰か送ってくれないか?」

「ふざけるなよ。ここで騎士団の連中のうち誰かをとっ捕まえなきゃメンツが立たない」

 暗い声で反論するのはドロホフだった。彼は古参ということもあり意地でもルシウスの上に立ちたい人間の一人で、僕のようなすちゃらかを憎んでいた。

 

「俺が送ってやってもいい」

 

 と、手を挙げたのはエイブリーだった。彼はアズカバン脱獄組ではないが懲罰も兼ねてこの作戦に参加していた。神秘部に関する情報をルシウスより優位な立場を得ようと流したはいいものの、その情報は過ちだったのだ。罰として彼は権力闘争の場から蹴り出された。彼が僕に手を貸すのはこの場から逃げられるばかりか、ルシウスに恩を売ることにも繋がるわけだ。もちろん脱獄組がそれを許すわけもなかった。

「お前が?エイブリー。悪いがイワンの命よりお前の罰のほうが我々にとって重要だよ。…ヤックスリー。お前が行け」

 

 極めて合理的な人選だった。アズカバン脱獄組ではないものの、ルシウスと対立して脱獄囚を庇護している筆頭がこのヤックスリーだった。先頭指揮(戦闘とかけている)は彼でなくてもできる。可能な限り無傷であるべき人物。そして僕を懐柔できるかもしれない人物の2つを兼ねている。怪我の功名と言ってもいいのかもしれない。簡単な魔法を使えれば抜け出せるのに迎えを頼むなんて不自然だったが、その不自然さがまるで何か交渉を望んでいるように見えたらしい。

 ヤックスリーは僕に一声かけると足早に来た方向とは逆へ歩いていく。僕は彼を見失わないようにかけていった。

 やつは神経質そうな顔をさらにこわばらせ、出口という出口のノブを杖でガチャガチャやった。騎士団の手が回っているのならば姿あらわしにより脱出することはほぼ不可能だ。唯一外に繋がっているのはアトリウムの暖炉と職員用玄関で、僕たちは職員用玄関に通じる階段を登った。

 ここは各階に鍵がかけられており、アロホモラが使えない僕には脱出不可能だった。

 

「本当にルシウスがポートキーなんて思いついたのか?」

「さあね」

 ヤックスリーは僕を軽視するのを早々にやめ、味方に引き入れようとしていた。なので僕は杖をふるよう催促されることもない。二人で話す機会ができてこれ幸いと暗がりの中どんどん話を弾ませていった。

「なぜポッターはお前と来た」

「彼は僕を信じてるから」

「そう簡単に信じさせられるのか?惚れ薬でも使ったのか」

「魔法なんて使わなくてもそう難しいことじゃない」

 僕の言葉はよくある『人と仲良くなる方法』みたいな本に書かれている。それらを相づちを打つタイミングのルールに沿って吐き出すと、不思議なことにみるみる人は自分の内面を吐露しだす。言葉に価値を見出すのは聞き手だ。僕はこれをある種のゲームとみなし、暴露された秘密の数を記録し先月の自分と勝負していたことがある。そこそこ拮抗していて楽しかった。『秘密』の基準が明確ではなかったので未だ雌雄は決してない。

「ただここまで信頼されてるのは予想外でね。付いてくる羽目になるとは思ってなくて、準備してなかった」

「災難だったな。それにしても、まさかルシウスがこんなルーキーを見つけてこれるとは思わんかったよ。流石にここ10年以上、死喰い人に新人は現れてない。今回の働きを思えば、私は君を迎えるに値する人物と思うが」

 彼は魔法省の執行部に属しているので、当然仕事で何度か顔を合わせている。僕は魔法省で目立たないようにしていたとはいえ、流石に覚えられていた。ただしどうしても僕が具体的にどんな仕事をしているかは思い出せなかったようだが、今回の副業でようやっとまともに僕を審査してくれたようだ。(ありがた迷惑なことに)

「お誘いをありがとう。でも駄目なんだ。うちはエホバだから」

「はあ?」

「…このジョークは通じたためしがない」

「それはつまり面白くないってことだ」

 確かにそうかもしれない。勧誘をのらりくらりとかわしていくうちに、ようやくアトリウムまで辿り着く。職員用玄関はアトリウムの隅にあるスタッフオンリーの扉を抜け、狭苦しい廊下を抜けてからマグルのデパートのトイレにでる。もちろん百貨店がしまっている時間しか使えないし、何より不便なことから清掃員のスクイブくらいしか使っていない通路だった。

 それ故にアナログキーのみのセキュリティなので、魔法使いは見張ろうとすら思わず(もしかしたらそれを出入り口とみなしていないのかもしれない)暖炉を使うよりかはよっぽど安全に抜けられるわけだ。

 外に出て襟をただし、僕はヤックスリーに尋ねた。

「貴方は戦場に戻るのか」

「まさか」

 予想通り。抜け目ない狡猾な蛇というのはルシウスの専売特許ではない。彼は彼でルシウスのように欠点を持っているのだろうが、下草根性というかやや世間擦れしているせいかまだ親しみやすいとさえ思った。

 ルシウスとヤックスリー。秘密さえ握られてなかったら選択肢が増えたのに。グリンデルバルドがうっかり殺してくれたらいいのに。それも高望みか。

 

 さて、僕の行き先は普通にすればホグワーツだ。だが成功を祝ってレナオルドを訪ねるのも悪くないかもしれない。

 ハリー・ポッターには可哀想なことをしてしまっているが、彼の苦しみはむしろ今の僕にはいい酒の肴だった。

 顔を見られないように気をつけながら、夜のロンドンの街を歩く。商売女を買うのはやりすぎか。自制心を奮い起こし、猥雑な通りを一歩進んだ。



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Все под богом ходим.
01.不在①


 

 ボージン・アンド・バークスの店のバックヤードは店頭の飾り棚の猥雑さとはうって変わり、必要最低限の家具しかない寒々とした空間だった。天井のすぐそばに窓があるが、隣の倉庫のレンガ壁が邪魔して一日通して日差しが遮られている。さらに換気もろくにしてないおかげで酷く息苦しく感じられる。

 部屋の隅には新品のシーツが敷かれたベッドとブランケットボックスがあり、周辺には衣服と古新聞が散乱していた。埃と食べ物とで胸がムカつくような臭いが充満している。しかし肝心の下宿人はそうしたことを気にしていない様子だった。

 

「もう時間?」

「いいや」

 

 ゲラート・グリンデルバルド。年の割に元気すぎる老人は半年前に牢獄にいた頃より二十センチは身長が伸びたように見える。ロンドンの汚い空気を吸ってすくすく育ったグリンデルバルドはさも面倒臭そうに襟元をただしていた。時折痛そうにして腰を擦る姿が奇妙なまでに年相応で滑稽だった。

「飯でも一緒にどうかと思ってね」

「ああ、それはいい」

「…餌はやってるのか」

「ああ。そういえば忘れてた」

「呆れた。僕がやっとくから支度をしてくれよ」

 僕は姿をくらますキャビネット棚をあけた。空だった。今はあっちらしい。しかし、今ここで食べ物を置いたところでポッターと食べ物の位置が入れ替わるだけで彼は永遠に食べ物にありつけないのではないのか。

 

 「もう出られる」

 

 ゲラートはあっという間に小奇麗な老人に変身した。杖も使ってないのに、魔法のような早業だった。僕はポッターと朝食のいたちごっこについて考えるのをやめ、一緒に店の裏口から出た。

 現在彼の持っている杖はロンドンに来て二本目で、先日不運にも彼に喧嘩をふっかけたちゃちなチンピラのものだった。彼いわく、はじめに使っていたルーカス・ビャーグセンのものよりも使いやすいそうだ。

 というのは杖の忠誠心の問題で、ルーカスの杖はゲラートが奪ったわけではないため完全につかいこなせてなかったらしい。杖の使用感なんて僕にわかるはずもないので「へえ、よかったね」としか返事できなかった。

 ノクターン横丁からちょっと道を曲がればすぐにダイアゴン横丁だ。ダイアゴン横丁はいつもより人がいない。夏休みとはいえ、学期前にならないと子どもはあまり見かけない。それに加え、この6月にあったニュースのせいで人々は怯え、外に出るのを控えている。

 

ハリー・ポッター 未だ姿見せず

魔法省爆破に関与?生存は絶望的か

 

 

 僕らはゆうゆうと漏れ鍋に入り、ランチプレートを注文した。ここのランチは種類のわからない豆のスープと若鶏のグリル焼きという一人暮らしの料理と対して変わらないものだが、少なくともコーヒーは美味かった。

 

「中途半端な遠出は面倒だ。陸路となるとなおさらだ」

「姿あらわしは嫌いなんだ。今食ったものを戻していいのか」

「慣れればどうということはないのに。まあいいだろう」

 

 ゲラートはメガネをかけて変装まがいのことをしている。彼の若い頃の写真は街のいろんなところに貼り出され、多額の懸賞金もかけられているが、半世紀前の写真を見て彼を捕まえろというのも無理な話だ。ゲラートは自分の写真の隣に貼られたシリウス・ブラックやベラトリックス・レストレンジの写真を見て、自分のほうが美形であると冗談を飛ばしていた。見かけるたびにやるせいでもう笑えない。

 5月、ゲラートは脱獄したと大々的に報じられ、その翌月には魔法省爆破事件の容疑者にまでさせられていた。(もちろん言うまでもなくこれは濡れ衣だ。犯人の僕が言うから間違いない)今のところ世間はヴォルデモート卿復活論ではなく、グリンデルバルド再来の恐怖に怯えているわけだ。

 しかし一方でハリー・ポッターの失踪はグリンデルバルド再来論に一石を投じていた。魔法省爆破はグリンデルバルドを隠れ蓑に行われているヴォルデモート卿とその手下共の犯行だ、という説は多数派ではないものの多くの人によりまことしやかに囁かれている。

 真相はもちろん後者だ。ただしハリー・ポッターの失踪はヴォルデモート卿ではなくグリンデルバルドの、ひいては僕のしたことだ。

 

 あの日、ハリー・ポッターはポートキーにされた予言を握り、ボージン・アンド・バークスの棚の中に飛ばされた。そこに待っているのは輝きの手を持ったグリンデルバルドで、突然の移動と暗闇に驚くポッターを失神させ、予言をもぎ取り、縛ってまた棚に入れた。任務完了。そしてグリンデルバルドは屋敷で首を長くしているルシウスにそれを届け、あの汚いバックヤードでまたゴロゴロした。

 僕はヒーヒー言いながらホグズミード村の暖炉に戻り、抜け道をたどって部屋に戻った。校内は不気味なほどに静かだった。魔法省の地下では騎士団と死喰い人が死闘を繰り広げているはずで、ひょっとしたらマクゴナガルなんかも参戦してるかもしれない。なのに校内ときちゃまるで墓の下のような静けさだった。

 静かに研究室の鍵を開けると、パーシーが腕を組んで座ったまま寝息を立てていた。いつもは眉間にシワを寄せて厳しい顔をしているが、寝ている顔はまだまだあどけない。普段もこういった可愛げがあれば生徒たちから嫌われないのに。不器用な男だ。

 僕はキャビネット棚をそっと開けた。きちんとハリー・ポッターが収まっていた。まだ失神術が解けないのか、ぐったりと壁にもたれていた。目隠しと手錠がきつく巻かれているので暴れても抜け出すのは困難だろう。

 

「あ…ウラジーミル。戻ったのか」

「ああ。おかげさまで」

 パーシーが目を覚ましたので扉を締め、外側から鍵をかける。鎖も巻いておきたいが、それは彼を追い返したらだ。

「ちゃんと君の不在証明をしたよ」

「誰が訪ねてきた?」

「スネイプだけ」

「ふうん。妥当っちゃ妥当だが。なんて答えた?」

「暖炉の不正利用があったので事情を聞くと。暖炉の使用用途は不明。尋問中だと」

 

 こんな嘘、誰だって見破れるというものだが、この偽証は勘や空気、感情を無視した法廷の上ではそれなりの効力を持つ。嘘をついて損ということはない。法廷に呼び出されることはまず無いが。それにスネイプは死喰い人の協力者だ。騙しがいのないこと。

 そしてこの律儀な友は、僕のメモ書き通りには研究室に鍵をかけ、留守番に勤しんでくれたわけだ。持つべきものはなんとやら。

 

「棚を開けてはいないね?」

「開けてないよ」

「ありがとう。パーシー。君がいなかったら僕は何もかも成し遂げることができなかった」

「そんなこと言わないでくれ、ウラジーミル。君は素晴らしい人だよ」

 それはどうもね。

 さて、お礼も程々に彼を追い出し、棚に厳重に鎖をかけて布で覆った。そして棚に庭小人用の「防言スプレー」をしこたまふりかけてからソファの上で横になり、今頃魔法省で起きているであろう騒乱について夢想した。

 

 ポッターを追いかけてやってきた騎士団の戦力を削る。それもとびっきり残酷に。僕は招くだけ招いてガスでも流して殺そうと提案したが、何故か魔法使いは一騎打ちを好む。結局最終手段としての爆弾を仕掛けたのみで、あとは彼らに任せた。

 結果から言うと爆弾が使われたということは死喰い人たちは窮地に立たされたのだろう。エイブリー、ラバスタン、そしてロウルが逮捕されアズカバンに投獄された。(アズカバンはアズカバンで吸魂鬼の職務放棄や賄賂にまみれた人事異動により歯ぬけもいいところだ。)

 後日ルシウスに聞いたことだが、死喰い人側は逮捕者と負傷者を出す一方で騎士団員一名の捕縛に成功。スタージス・ポドモアがヴォルデモート卿に引き渡された。

 

 そして翌日、ハリー・ポッターの足跡が完全に途絶えたということで僕は目撃者としてマクゴナガル教頭と闇祓い局長スクリムジョールに直々に聴取を受けた。(ポッターが僕を訪ねたりするせいでこうした面倒ごとが降りかかった)

 幸い取調べ中の開心術、真実薬は違法であり、彼らは法の守り手だった。僕は途中まで真実を語り、暖炉の会話以降については戯言を騙った。パーシーの援護射撃はいささか過剰で僕は内心ヒヤヒヤしたものだが、現状魔法省法執行部は信用を失墜しておらず、パーシーの険しい態度はむしろ尋問官として当然であるようにみえた。

 

 残念ながら僕の嫌疑は晴れていないのだろう。ホグワーツからは一度辞令が出て、教師はクビになった。一応希望は出していたが、人事決定権は未だにダンブルドアにある。

 姿をくらますキャビネット棚は念の為元あった物置に戻させた。ポッターはボージン・アンド・バークスの店とホグワーツの狭間を夢心地で行き来しているはずだ。その狭間にある限り、彼の居所を掴むのは魔法でも困難だろう。もう一月以上仕舞いっぱなしだが、用事もないのでしょうがない。はじめのころは時折ガタガタ床を鳴らしていたが最近はご無沙汰だ。死んだのかな。

 

 

「ひどい味だよ、ここの飯は。まだ監獄のほうが人道的だ」

「…気になってたんだが、エンマークが改良するまで何を食べてたんだ?」

「主に野鳥だ。まず虫けらや、時には俺の指の肉なんかを使って獲物をおびき寄せ…」

「あ、もういい。ありがとう」

 そんな会話を交わしていると、待ち合わせしていたBDが店の入り口からやってくるのが見えた。今日は正装でこいといったがバカみたいなストリートスタイルだった。

「よ、お二人さん」

「珍しく遅れたな」

「マグルの公道だと5分前とはいかなくてねえ」

「全く馬鹿げてる。車なんて」

「爺さんそれはどうかな?車ってのはある種のライフスタイルなわけ。若い子が服に気を使うのと同じで…」

 話が長くなりそうだったので僕はコーヒーのお代わりをもらいに立った。(店員はめったにつぎに来ない)カウンターにマグを出してふと周りを見回すと、見覚えのある顔があった。

 

「あっ…プロップ先生」

「…やあ。休暇を楽しんでいるかい」

 

 ネビル・ロングボトムと見覚えのない女性が泡の消えたバタービールを前に神妙な顔をして向かい合っていた。デートだろうか?奥手に見えるロングボトムとホグワーツの生徒でもなんでもない女性という組み合わせは珍妙だった。

「楽しんでる…とは言えません」

「ああ、それもそうだね…」

 ポッターの失踪はグリフィンドール生に大いなる混乱と失意をもたらした。日刊予言者新聞はポッターは逃げたのだと報じ、バッシングを再開した。

「久々に生徒の顔が見れてよかった。デートの邪魔をしてすまない」

「そんな!デートだなんて…」

 ネビルは暗い顔からパッと赤面し、向かいに座る女性をちらっと見てますます赤くなる。初心そのものだった。その女性もクス、と笑って「いいんです。ごきげんよう」と上品ぶって答えた。

 と、そこで打ち合わせてたかのように乱入者がはいる。BDだ。

「誰かと思えば、ジェーン!お前なんでこんなところに?」

「えっ?うわ。やだ。ブルック兄さんじゃん!なんでいるの」

 どうやらロングボトムの連れとBDは顔見知りだったらしい。親しそうに挨拶して、互いの連れを律儀に紹介しあってる。

「彼はネビル・ロングボトム。病院で知り合ってね…彼、患者さんの命の恩人なの」

「そうか。こっちはウラジーミル・プロップ。教師をクビになったばかり」

「契約が終わっただけだよ」

「はじめまして、プロップ先生。ジェーン・シンガーです」

「ああどうも。看護婦さんですか?」

「ええ。どうして?」

「天使のようだから」

「あら〜上手いこと言う!」

 シンガーという看護師はどうやらロングボトムがボードを救った時に頼りにした人物らしい。頭はよくなさそうだが明るくハキハキしている。ロングボトムにBD…ブルック・ドゥンビアのことを説明している。というか僕は彼の本名を人の口から初めて聞いた。数年来の友なのに。

「彼は母方の親戚で、まあいろいろあってそのときに助けてくれて…」

「ジェーンは妹みたいなものだから、ロングボトム?だっけ。お前も弟みたいなものだな。よろしく」

 ロングボトムは困ってた。生来のお人好しさからむりやり兄弟の契のハンドサインをやらされているのが哀れだ。

「というかヴォーヴァの生徒って言うなら未成年じゃないか。お前、犯罪だぞ」

「違うってば!患者さんを助けてくれたお礼をしてただけなの。からかうだけならあっち行っててよ」

 僕に気づくまでは二人はそんな空気ではなかったが、BDのせいで尋ねられる空気ではなくなった。元より深く突っ込む気もなかったし、何よりゲラートが待たされてイライラしてくる頃合いだ。僕はBDに咎めるような視線をやる。

「はいはい悪かったよ。ほらヴォーヴァ、邪魔しないであっち行こうぜ」

「……。じゃあ、またいつか」

「あ、先生。先生はもうホグワーツには戻らないんですか?」

 ロングボトムは意外にも、寂しそうな顔で僕を引き止める。

「希望は出してるけどね。まだお呼びはかかってない」

「そうですか。あの、バタバタしてて言えなかったんですけど、僕は先生の授業、好きでした」

「ありがとう、ロングボトム」

 僕の授業が好きだなんて、今までまともな教育を受けてこなかったんだろうか。同情しながら出口付近で貧乏ゆすりをしているゲラートのもとへ駆け寄った。コーヒーのおかわりは飲みそこねた。

 

案の定ゲラートはイライラしていた。仕方あるまい。彼はおしゃべりが好きというわけではないが、かと言って禁止されても平気なほど寡黙でもないのだから。

 さて三人車に乗り込んでようやく本題だ。

 ハリー・ポッターというピースとそれを取り巻く3つの勢力について。それぞれの立場につくもの同士で話し合いの場が設けられることとなった。ルシウス、ヤックスリー、僕。そしてお客はポドモア。BDがエンジンをかけて、車はマルフォイ邸へと向かった。

 しかし僕の予想に反し、マルフォイ邸で待っていたのはセブルス・スネイプだった。

 

 

 

 

 

 プロップとブルックが立ち去って、ジェーンもネビルも一息ついた。そしてようやくバタービールに口をつける。

「なんか、ごめんね」

「ううん。楽しい人だったね」

 とはいえ、空気が和んだ。ブルックが賑やかすまで二人の間にはハリー・ポッターの行方不明、魔法省の爆破事件、アズカバンの脱獄犯にやられたと思しき患者の話など暗い話題しかなかった。

 ネビルはバタービールを豪快に飲むジェーンをじっと見た。彼女は現在22歳だが笑うと子供っぽくて自分と同じくらいに感じる。しっとりとした黒髪は病院であったときと違う結目になっていて、前より手が込んだ髪型に見えた。化粧も服装も同級生よりはるかに大人っぽい…というか大人なせいでなんだかどきどきする。

「それにしても、クリスマスから事態がここまで悪化するなんてね。どうなるんだろう、これから…」

「わからない。けれどもどこかで覚悟が必要になる気がする」

「ネビルは戦うつもりなの?」

「うん…あんまり実感がわかないけど…。僕の友達が、今生きてるか死んでるかもわからないんだ。そんなのおかしいよ。どうしたらいいのかって考えると、やっぱり戦うときが来ると思うんだ」

「君はとっても勇敢なんだね」

「や、そんなことないよ。さっきだって来るとき露天商に絡まれて、無駄に種を買っちゃった…」

 ネビルがポケットからただのハーブの種を出すとジェーンは鈴の音のように笑った。

「ハリー・ポッターってどんな子?」

「ハリーは僕と違って本当に勇敢だよ。例のあの人と戦って、生きて帰ってきたんだから。今回だってきっと…」

「待って。今回のって例のあの人のせいなの?」

「え?」

「だってさ。例のあの人の仕業なら行方不明になんてしないで、殺したぞーって宣言しない?」

「そうかな?」

「そうだよ!私も小さかったから詳しく知ってるわけじゃないけど、少なくとも前は見せしめにしてた。ましてやハリー・ポッターなら隠す必要ないと思う」

 見せしめという言葉を聞いてネビルの表情が陰るのを見て、ジェーンは慌てて付け足す。

「つまりね!彼はまだ生きてると思う」

「そうだよね。ハリーが死ぬわけない」

「そうそう。だからネビルも気を落とさないで。彼が戻ってきたとき、彼のためになるように頑張ろうよ」

「うん…そうだね。心配してるとなんにも手がつかなくて困ってたんだ」

 ジェーンはニコッと笑い、追加でパンケーキを注文した。ネビルは卵ゼリーを注文した。すべてを食べ終わり、ジェーンが会計を済ませると、二人は薬問屋へ向かい、共通の話題である薬草の活用方法や効能について話しながら店の中を見て回った。

 ネビルのはじめてのデートはこうして何も起きずに終わった。

 

 

 

 



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02.不在②

 ロンドン市街を抜けると道は次第に凸凹していき、マルフォイ邸のあるウィルトシャー州まで来る頃にはゲラートは車内にゆれ防止呪文をかけていた。

 

『……元気なコマドリちゃんは巨大なイグアナと日々死闘を繰り広げているそうです。…さて次は魔法省地下9階で起きた爆発事故の話題です』

 

 ラジオは平坦な声でニュースを読み上げていく。

 

『神秘部内の予言の間で起きた爆発は、所蔵していたすべての予言を破壊し尽くしました。使用された呪文、または薬品の特定には至っておりません。また省の結成した探検隊によると予言の他にも貴重な道具の数々が甚大な被害を受けており、復旧のめどは未だたたないとのことです。また、行方不明のスタージス・ポドモアさんのローブが焼け跡から発見されました』

 

 一応僕たちに関わることなので、BDもゲラートもおしゃべりをやめて耳を傾けている。大した新情報は得られなさそうだが。

 

『爆発について、今回逮捕された2名の脱獄犯、そして関与が疑われている職員1名は未だ黙秘を続けており、捜査は難航しています。職員に関しては服従の呪文の使用も疑われており…』

 

 名前の出ない職員とは誤報局のソーフィン・ロウルのことだが、やはりルシウスあたりが圧力をかけているようだ。(もしかしたら誤報局の人間かもしれないが)彼が服従の呪文にかかるなんてありえない。

 

『脱獄犯2名はハリー・ポッターの失踪についても何らかの事情を知っていると見て闇祓いは尋問を続けています。先日ダンブルドアの開いた会見によると、ダンブルドア自身は『闇の帝王の他、彼らを目くらましにしている者』の犯行の可能性を示唆しました。…5月にかの大悪人、ゲラート・グリンデルバルドが脱獄したことからもその可能性は捨てきれないということでしょう』

 

 ゲラートはちら、と僕を見てどこか自慢げに言った。

「言ったろう。ダンブルドアはいつだって冷静だ。もう俺がここにいることに勘付いてる」

「彼に勝てる自信、あるのか?」

「ない。それに、真っ正面から決闘しようと思えるほど若くない。そのために無理言ってポッターを飼ってるのだから」

「ああ、じゃあ一応生きているわけだ」

「もちろん。死体と同室かもしれないなんて気味悪いだろう」

「死喰い人は確実に寄越せと言ってくるぞ。力づくで奪うかもしれない」

「強欲だな」

 ゲラートはそれだけ言ってあくびでしめた。彼に力づくは確かに通用しないが、僕はそうじゃない。程々にしてほしいが、こればっかりは何回言ってもわかってもらえなかった。人の苦労も知らないで。

「心配性だねウラジーミル。骨は拾ってやるから安心しろよ」

「お前は黙って運転をしていろ」

 

 ラジオの音声は砂が混じったように荒れていく。ニュースは終わり、リウェイン・シャフィックの番組へ代わる。彼女はハリー・ポッター、ダンブルドアバッシングにより人気を獲得した次はアズカバンの集団脱獄にあやかりシリウス・ブラックを始めとした第2世代の死喰い人のゴシップの専門家となり、地位を盤石なものとした。本当に上手くやったと思う。

 ヴォルデモート復活論は、もはや魔法省すら積極的に否定するのをやめた。深部まで入られたあげく貴重な資料を破壊され、行方不明者まで出したのだ。ファッジの妄想はますます酷くなり、最近は『ダンブルドア、ヴォルデモート協調説』を提唱しているらしい。気が狂っているのは明らかだった。彼の側近はファッジをなるべく誰にもあわせないように細心の注意を払っている。

 死喰い人へのバッシングは"啓発的"であり"理性的"だったため、大衆はこぞってリウェインが毎週繰り返す過去の犠牲者リストに黙祷を捧げる。次に流れる死喰い人への自首を呼びかける優しい声はいかにも"道徳的"で、僕は聞くたびに鳥肌が立つ。

 演技でやってるならば大したものだが、彼女は素面で、それも本気で打ち込んでいるのだから恐ろしい。リータに足りなかったのはリウェインの分厚くねじ曲がった慈愛だった。

 

 車はろくに舗装されていない馬車道をすすみ、どこまでも続く草原が車窓を流れてゆく。雨を腹に溜め込んだ曇天が頭のすぐ上まで膨らんでいる。BDが車を止めた。道が終わったらしい。進行方向には小路と、黒く聳える館が見えた。

 深緑の蔦に覆われた塀沿いに歩くと、継ぎ目に黒光りする鉄門があった。僕ら三人が正面に立つとそれは霞のように消え、敷居を跨いだ後再び鉄門へ戻った。

 塀伝いに随分歩いたというのに、門の先にあるのは馬鹿みたいに広い庭園で、僕らはさらに歩く羽目になる。庭はとても美しい。一切の綻びのない池のそばでシミ1つないアルビノの孔雀が羽を広げていた。

「カルチャーショックだ」

「ドレスコードは大丈夫か」

 BDのつぶやきにゲラートが楽しそうに応える。もしあるとしたらBDは敷居をまたいだ途端出禁だ。玄関はひとりでに開き、僕たちを迎え入れた。ホールではマルフォイ婦人が待っており、丁寧な挨拶の後大広間へ案内してくれる。婦人は相変わらず体温を感じない美人で、ルシウス同様過剰なすまし顔で我々へのいらだちをやり過ごそうとしている。

 BDは「俺はやめとく、殺人鬼ばっかの場所なんてごめんだ」と言って頑なに大広間への入室を断った。婦人が「では屋敷を案内しましょう」と切り出したのを聞いた途端にすぐにイエスと答えるあたり、はじめからそのつもりだったのだろう。

 

 ルシウスは任務こそ達成したものの、後の監禁について追及を受けている。彼にとってここはそれを弁明する場でもあるわけだ。

 

「ようこそ」

 

 広間に入ると早速ルシウスが我々を歓迎し、がらんどうのテーブルへ着くように促した。そこにはヤックスリー、レストレンジ夫妻、そしてなぜかセブルス・スネイプがいた。

 あいかわらず色を混ぜすぎた絵の具のような冴えない黒い牧師服に脂ぎった髪。ここのところ暑いというのによくそんな厚着でいられるものだ。表情もたっぷり嫌を含んでおり、とりわけゲラートを警戒しているようだった。

 

「お前たちのボスはいないのか?」

 早速ゲラートが挑発し、ベラトリックス・レストレンジがのった。

「あの方は大変お忙しい身だ。お前のような時代遅れの老い耄れに割く時間などない」

「年寄りを邪険にするもんじゃないな。まあそのほうがこっちも都合がいい」

「ああ。正直会いたくない」

 ベラトリックスは僕らの態度に余計腹を立てたようだ。別に会わなくても不都合はないよと言っているのに理不尽ではないか。さて、なぜかウキウキしているヤックスリーが間に入り、話し合いが始まった。

「さて今回はまず我々が予言の奪取に成功したことについて礼を述べようか。プロップ。我が君も、少なくとも奪取までの働きには大変感心なさっていた」

 ルシウスは相変わらずの高慢な態度で厭味ったらしく続ける。

「しかし何故ポッターを監禁した?ホグワーツに送り返すはずでは?」

「それは変更せざるを得なかった。この作戦は彼が一人で突っ走るにせよ、仲間と立ち向かうにせよ、予言を掴んだ時点で成功した。僕が無関係のところで起きていれば、僕は《たまたま》ポッターを見つける事ができた。しかしポッターはあろうことか僕を頼ってきた。あのまま戻せば僕の関与は明らかだろう」

「では保身のためにポッターを監禁したと?」

 

 いいや、それは違う。例え全てが紙に書いたとおりに進んでもゲラートは適当な理由をつけてポッターを監禁した。

「保身?違うな。僕が捕まれば君たちの手は後ろに回っているぞ。君たちは勘違いしているようだが、僕はお前たちの仲間ではなく、損得で動いている」

「立派な言い訳だな」

「なあ、言い訳はもういいだろう。今後の話をしようじゃないか」

 ゲラートが口を開くと、場の空気が一気に緊張する。

「ゲラート・グリンデルバルド…そもそもなぜこの男を解放した?」

「ルシウス、あんたが脅すからだ」

「おかげさまで」

 緊張が高まり今にもベラトリックスが杖を抜きそうになった時、ようやくスネイプが口を開いた。

「それで、ポッターは生きているのか?」

「ああ」

 彼を見てない僕の代わりにゲラートが返事をした。

「このまま監禁し続ける気か?」

「まさか。いつかは解放する」

「グリンデルバルド。我が君がポッターに特別な関心をいだいておいでなのを知らないはずがない。それを知っていてなお、ポッターを引き渡す気はないと?」

「ああ。俺はどうしてもダンブルドアに返してもらいたいものがあってな。ポッターはその交渉に必要だ」

「ハリー・ポッターをダンブルドアに渡すつもりか?我々とて力に頼ることはしたくはないのだが…」

「俺たちはポッターのためにダンブルドアに引き渡そうとしてるわけじゃない。むしろ今まで通り協力していきたいくらいだ」

 ゲラートはまるで友人に語りかけるような調子で、ポッターの監禁などたいしたことないみたいに喋る。さすが年寄りだ。僕は冷静ぶっているがかなりキレやすいので、実はスネイプのような冷静で静かな交渉相手は苦手だ。

「確かに、俺とあんたらの主はよく比較される。心配するのもわかるよ、だが何も今から敵対する必要はないだろう?今のところ社会からしちゃ俺達は等しく犯罪者で、少数派で、追われてる。共通の敵であるダンブルドアをどうにかするまで手を取り合ってもいいんじゃないか?」

「手を取り合う?ハリー・ポッターを掠め取ったお前たちを信用できるか」

 ベラトリックスがここぞとばかりにテーブルを打ち鳴らした。旦那はムッツリ顔で黙り込んでいる。尻に敷かれているんだな。ヤックスリーが中立を装って、まあまあ、と言いたげに手を胸の前にあげる。

「そちらの言い分は分かった。そしてグリンデルバルド、貴方が絶対にダンブルドアと共闘しないということも。ハリー・ポッターの件については、我々がプロップに仕事を任せすぎたせいでもあると思うがどうかね」

 ルシウスは眉をひくつかせる。ヤックスリーはルシウスと僕のパイプをなんとかして奪おうと必死だ。(そして僕がどちらでもいいと考えているのを知っている)なので毅然と言い返す。

「私とプロップは互いに合意し作戦を遂行したのだ。ハリー・ポッターの監禁はいわば双方の責任であり、彼の身柄もまた双方の合意のもと決定されるべきだと思うが?」

 取引するならヤックスリー相手のほうがやりやすい。だがルシウスは未だに僕が魔法を使えないという事を他の死喰い人にバラしていないようだった。意外に忠義深い男だ。漏れるとしたらおそらく息子のドラコからだろう。だが漏れてない以上僕は彼を裏切るつもりはあまりない。

「個人的な意見だが、グリンデルバルドは絶対に譲らないよ。我儘さにかけてはヴォルデモート卿といい勝負だ」

「我が君を侮辱するな!」

 打てば鳴るようにベラトリックスが怒る。一方でこの場にいるベラトリックス以外の死喰い人は、十五年前に逮捕を免れた面々なせいもあって僕やグリンデルバルドの挑発には淡白だった。法廷で慣れてるのかもしれない。

「俺が確約できるのは、①ハリー・ポッターを守るつもりはさらさらない。②ダンブルドアとの個人的取引にのみ使う。③その取引でダンブルドアに不利益はあれど利益はほとんどない。ということだ。やつの得られるのは弱りきったハリー・ポッターか、俺の命かくらいのものだろう。そして④あんたらは俺の取引についての日時や場所を知ることができる。つまり殺すチャンスまで得られるわけだ。聞けば聞くほど得だと思わないか?」

「そもそもその条件を信用できんと言っているのだ」

 スネイプはびしりといった。ゲラートは肩をすくめ、軽い調子で返す。

「じゃあ破れぬ誓いを結ぼう。あんたでいい。手を出しな」

 あんまりに軽い調子でいうので僕は耳を疑い、目を疑った。スネイプも同じだった。ゲラートをじっくり見て、差し出された手を見て、判断を促すようにルシウスを見た。

「誓うというのなら…我々も文句はないが」

「じゃあ決まりだな。ウラジーミル、頼むよ」

 ゲラートの掛け声に僕は躊躇する。いちおう持っていたゲラートのお下がり、ビャーグセンの杖を取り出す前にスネイプが僕を制した。

「待て。その男はだめだ。ベラトリックス、頼めるか」

「…よろこんで」

 ベラトリックスは意地の悪そうな笑みを浮かべ、ゲラートの手を握ったスネイプの手に杖を押し当てた。

 僕はあっさりと誓いを結ぶゲラートと、僕を拒絶したセブルス・スネイプを見た。前々から感じていたことだが、彼は僕が無能であることに勘付いているようだ。

 誓いの呪文が二人の腕に絡みつき、消える。誓いは成され、二人の手がようやく離れたとき一瞬彼と目が合う。真っ黒い瞳。母親と同じ、不幸が詰まった匂いの男。心の中に湿った感情が湧き上がっていく。不快感が青粉のように僕の心を覆っていき、感情が機能不全を引き起こしていきそうだ。

 

「さて、親愛なる次世代の闇の帝王につたえてくれ。やり合うつもりはない。そしておそらく、俺達は戦うフィールドが違う。今のところは仲良くやろうとな。俺は豊かな老後を過ごしたいだけなのだから」

 

 

 会合は僕の立てていた予定通りの時間に終わった。BDは「はえーよ」と言っていたが、彼は彼でこの屋敷の見聞は済ませただろう。忘れられがちだが、本職は錠前破りだ。人の家への侵入方法を考えるのは彼の性癖なので、マルフォイ婦人のことを抜きにしてもそこそこ満足そうにしていた。

 帰り道はまた歩き、車に乗った。BDは姿くらましでとっとと帰りたがっていたのでその通りにさせてやった。僕の運転をゲラートは大いに不安がったが、魔法が使えない僕のアシはこれだけなのだから、BDよりよっぽど運転はうまい。

 助手席に座ったゲラートは目をつぶり、窓から入る星星の明かりを黙って受けていた。疲れたのだろうか。僕も黙って運転し続けた。

 一時間ほどして、ようやくグリンデルバルドが口を開いた。

「やはりBDの運転は酷かった」

「あいつ、泥棒の下見に僕たちを使いやがった」

「まったく善き友だよ。大切にしろ」

「ああ」

 また寝てしまうかと思ったので僕は聞いておきたいことだけ聞いておくことにした。

「誓いを結んで良かったのか?」

「ああ。あっちもそっちのほうが安心するだろう。幸いなことに、死喰い人は俺にかなり怯えているようだから」

「そうじゃなくて、守れるのか?その条件」

「守れるさ。俺はダンブルドアを知り尽くしている。あいつはハリー・ポッターの命を優先するさ。三つ子の魂百までって言うだろう。やつの愚かしいまでの慧眼は愛で曇りやすいからな」

「君が今ここにいるのは彼の愛のおかげかもな。僕なら絶対捕まえてすぐ殺してるよ。危険すぎる」

「はははは!」

 ゲラートは高らかに笑った。

「俺が脱獄したと聞いたときのやつの顔を見たかった。どれほど後悔したんだろうか?次会うときが本当に楽しみだ」

「僕が教師に採用されれば変身だけで事足りるのにな」

「自信がないのか?エントリーシートはきちんと書いたか?」

「全くない。が、別になれなかったらなれなかったでポッターの仕舞場所に気をつければいいだけのことさ。何より僕にはパーシーがいるからね」

「高等尋問官は引き続き設置…その役職さえ据え置けばなんとでもなると」

「それもある。だが、ポッターのいないホグワーツにはあまり価値がない。間接的にコントロールできれば充分だ」

「ふうん?でもどうする?校内にレジスタンスが結成されたりするかもしれん。俺は一度ダームストラングにそれをやられた」

「そりゃちびりそうだ。それより僕たちは優先すべきことがあるだろう。君のダンブルドアとの交渉もそうだが…」

「ああ、ヴォルデモートの不死もどきの解明だ」

「じつはもう見当がついてるんだろ?僕は歴代闇の魔法使い強さランキングではいつも君に投票していたんだぞ」

「いや。全くわからん。不死になろうと思ったこと、ないしな」

 だんだんすれ違う車も増えてきて、泥で汚れた車体がそぐわないまちなかへ車は溶け込んでゆく。ロンドンにつく頃にはゲラートはもう一度寝て、僕は運転疲れでクタクタだった。魔法使いが5秒で済ませる道程を二時間半かけた。それに付き合ってくれる友がいることを嬉しく思った。




はじめてプロップくんのファンアートをかいてもらいました。Twitterでタイトルを検索すると出てくるはずです。とてもかっこいいのでぜひ検索して下さい。


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03.不在③

 僕は母の乳で育てられたが母性については懐疑的だ。多くの人間は自分が産道を経てこの世に生まれたことを忘れがちだが、生まれてきた以上、へその緒を経た関係性は避けて通れない。

 へその緒から始まる他者との関係性は通常成長するにつれ多種多様になってくるわけだが、僕は17までそういった機会に恵まれず、成熟しつつあるからだと未成熟の体の中間を未だ母の腐った羊水の中をプカプカ浮いているような気持ちで過ごしていた。

 それからもう14年経った。僕はまだ、自分が母とへその緒で繋がってる気がしてならない。母親の腐った死骸をぶら下げた胎児。悪夢のような醜さだ。

 母親は妹のナージャに愛のすべてを注いでいた。というのも愛するには僕は出来損ないで、兄はできすぎていたからだ。兄は早々に母の庇護を必要としなくなり、父同様に家を飯と寝床のある場所としか見なくなっていた。僕は母親に愛されるほど素直ではなくなっていたし、何よりも家から出たがっていた。

 母親は愛情でナージャに依存していた。だからナージャの死と連鎖して母親が死んだのは当然で、母親が死んだら胎児も死ぬのと同じことだった。愛に関しては母と子の立場は一変する。

 母は見窄らしく死んでいった。死へ至るまでの人生の早回しはグロテスクで、僕が尋問によりおった傷なんかよりよっぽど周りを不快にさせた。

 愛を失った母を支える者はいなかった。父も兄も僕も自分の尻を拭くことで精一杯で、僕は物理的に尻を拭くことが困難だった。

 妹を死に至らしめた男は純血の家系の中でも最も血が濃い一族の三男坊だった。(血が濃いということはすなわち遺伝的欠陥が表出しやすいという意味で、僕はこれを褒め言葉に使ったことはない。)そいつは一族の手厚い保護で隠されていたスクイブであり、僕より高貴なくせして魔力はゼロで、知性も同様にゼロだった。

 ソヴィエトの魔法界がマグルの政治と密接に絡みついていることから考えれば妹の死の意味が拭い去られたことは想像に固くないだろう。

 妹と犯人の男は別々の場所で事故死したことになった。それなのに妹が辱められたという事実だけが幽霊のように人々の噂話に現れた。

 そして僕らは純血の面汚しを始末してやったのに、純血の血を流したからという理由で追放された。理不尽だが珍しくもないつまらない話だ。

 とっくに抜け落ちていた穴が覆いを失っただけだ。

 少なくとも、僕にはそうだった。

 

……

 

 グリモールド・プレイスにはどんよりした空気が始終漂っていた。家主のシリウスがハリーの行方不明に怒り狂った後、それでも外に出てはならないことをダンブルドアに諭された結果、葬式よりも酷い雰囲気に包まれた。

 昨年は夏の間滞在していたウィーズリー家もハーマイオニーもそれを取りやめ、騎士団の用事でもない限り屋敷はシリウスとヒッポグリフ、そしてクリーチャーだけだった。

 クリーチャーにとっては喜ばしいことだった。館を無遠慮に踏み荒らす子どもたちや、混血のくせに図々しい魔女。穢れた血の小娘が現れないばかりか、主人のシリウスはすっかり意気消沈して自分に文句をつける余裕すらなかった。

 屋敷の古道具にまみれて婦人の肖像画とともに過ごす穏やかな時間がもどってきた。さらに、もう一人のブラックの血を継ぐ素晴らしい女主人に貢献できている。

 ハリー・ポッターが屋敷の暖炉から顔を出したとき、万が一のときにくだされていた命令を即座に実行できたことはクリーチャーの惨めな人生の中で数少ない誇らしい出来事になった。僅かな慰みを毛布の中で何度も何度も反芻した。

 そうして微睡んでいると大きな物音が聞こえた。シリウスがまた暴れているのだ。館の貴重な品々を手当たり次第に壊すせいで、マンダンガスがどんどん手グセの悪さを発揮している。あのこそ泥に盗みをやめさせるように命じられれば、簡単にできる。だがシリウスはこんな屋敷は消え去ってしまえと思っているので放置している。

 なぜシリウスにはブラック家の価値がわからないのだろうか?クリーチャーにはさっぱりわからなかった。わからないし、わかろうとも思わなかった。傷つき嘆く姿をいくら見ても気持ちは動かなかった。

 

 ひとしきり暴れ終わった頃、来客を告げる鐘がなった。階段を降りてくる音がして、話し声が聞こえてきた。

 

「シリウス」

「ダンブルドア。ハリーは…」

「とりあえず座ってもよいかの」

 

 話し声が近づいてきた。荒々しく椅子を引く音がして、シリウスの不安と焦りで揺れた声が大きくなる。

「ハリーの、行方は」

「結論から言うとまだわからん。…が、やはりプロップが関与している可能性が高い」

「なぜそれがわかっていてやつを放置するんです?」

「彼にはアリバイがある。我々にとっては霞のように頼りないが、調べるべき機関にとっては鉛のような盾じゃ」

「パーシー・ウィーズリー一人の証言ではい無罪、だと?あのハリーが行方不明になってるんだぞ」

「残念ながら、魔法省にとってはハリーの失踪は好都合のようじゃ。ホグワーツへの干渉はいよいよもって強くなった。ついにわしは人事権を失った」

「なんだって?」

「わしの肩書は事実上飾りになったということじゃ。教師陣は現行のものは勤続。昨年度尋問官に目をつけられたものは解雇。魔法省の息のかかったものが任命される」

「なんてことだ。じゃあハグリッドは…」

「彼はひどく嘆いておった。プロップは死喰い人ではないが、それはクラップかテリアかくらいの差でしかない。…最悪の場合、校内に死喰い人が紛れ込むこともあり得る」

 

 代々ブラック家に伝わる家具がまた一つ壊れる音がした。クリーチャーは体を起こし、壊れた家具が何か見ようと慎重にダイニングへ近づいた。

 

「あんたは一体何をしてるんだ!」

「シリウス、君の怒りはようわかる。ハリーを最優先で探しだすべきだと、ほとんどの人間がそう思っておる。グリンデルバルドなどという老いぼれは放っておいてな」

 

 シリウスが黙った。クリーチャーは絵画に空いた小さな穴から様子をのぞき見た。部屋の中は、やはり汚い。床に散らばってるのはもうとっくに動かなくなっていた時計だった。奥様が購入したものだが、たしかあれは針の進む音が気に入らなくて居間に置いたものだった。

 

「…グリンデルバルドは、今ハリーが置かれている危険よりも重大なのか?」

「わからない。じゃが」

 

 ダンブルドアは一度言葉を切った。壊れた時計のガラス片を手で弄び、おもむろに魔法をかけて直した。

 

「奴はこの国にいる」

「…確証は?」

「いいや、勘じゃ。じゃが知っての通りわしの勘はよく当たる。そしてハリーの失踪に関わっている可能性が高い」

「なぜそんなことが言える」

「ハリー・ポッターを失踪状態にして得する人物を考えると自ずとそうなる」

「あいつが殺す時期を見計らってるに違いない」

「ヴォルデモートはそのようなリスクはとらん。手中に落ちたらすぐに殺すはずじゃ。やつは予言を奪ったのだから」

「だったら魔法省だ。ハリーが消えて一番好き放題してるのはいまややつらだ」

「魔法省は確かに悪い方向へとひた走っている。しかし暴走しているのは頭とその周りの一部でしかない。大勢の役人はヴォルデモートの復活を確信し、各々対策をとっている」

「…それで、あなたの答がグリンデルバルドと?」

「ああ。グリンデルバルドならばハリーを生かして使うじゃろう。このわしとの因縁を解消するためにな」

「……ならば、プロップは…」

「プロップこそがグリンデルバルドの脱獄を手引きしたのだと睨んでおる」

「魔法も使えないやつが?」

「そうじゃ。彼は奇術師のごとく成し遂げたのじゃ」

 

 ダンブルドアが直した時計は奥様のお嫌いな音を立てて時を刻み始めた。それを止めるべきか、止めないべきか。クリーチャーは悩んだ。しかし結局奥様は自分が持っていかない限りこの音をお聞きになることはない。ならば、自分だけで奥様の名残を堪能しよう。

 

「…あいつを捕まえよう」

「おそらくそれをもっとも警戒しておるじゃろう。彼は今年、教壇には戻らん。わしの手を完全に離れてしまった」

「じゃあどうしようもないって?!ふざけるな!」

 

シリウスはテーブルを叩き割りそうな勢いで怒る。ダンブルドアは不気味なほどに冷静な目でそれを見ている。

 

「時が来れば、わしのもとにかならず使いが来る。必ず、近いうちに。それまでは…」

「そんな事ができると思うのか?!ハリーはわたしのたった一人の家族なんだ」

「シリウス。大脱獄の主犯扱いされてるお主に何ができる?今ここで不用意に動き、捕まったら今度こそ確実に奴らはお主を殺すじゃろう。そうすれば戻ってきたハリーはどうなる」

「ただ待てと?このホコリとガラクタまみれの屋敷で、死体のように待てというのか?もうたくさんだ」

 シリウスの足音が遠ざかる。

「シリウス」

 ダンブルドアの鋭い声が追いかけるが、それも虚しく屋敷に反響するだけだった。ダンブルドアは深いため息をついてから席をたった。そして屋敷にはまた一人と一匹と、クリーチャーだけになった。

 誰もいないダイニングでは時計の音だけがした。

 

 

………

 

 僕は久々にハリー・ポッターを見た。かつて僕が妹殺しの犯人殺しをしたときに受けた拘留よりも長い期間閉じ込められていたにも関わらず、まだ元気そうだった。

 頬はこけ、髪は伸び、垢と一緒に汚らしく絡まっている。目隠しはズレて跡になるからと外した代わりに目には接着呪文がかけられていて僕の姿は見えないし、耳にも絶対取れない栓がはいってる。口輪も目隠しと同じようには済ましてやればいいのに、それはそのままだった。

 体は無事でも心は壊れてるかもしれない。そして心は体と違って修繕不可だ。

 臭いそれを引きずり出しシーツの上に落とす。そのままシーツごとシャワールームに引っ張っていき、冷たいタイルの床に転がした。服を剥がし、手かせと足かせで引っかかった部分を切り裂き裸にしてからシャワーを浴びせる。

 僕はサディストではないので温度は適温だが、ポッターは悲鳴のような声を上げて暴れだした。暴れ続けられたらめんどくさいなあと思ったが、垢が溜まった部分を入念に流してやるとこちらの善意も伝わったらしく、大人しく洗礼を受けた。水のせいでたまに酷くむせるが大声を出されては堪らないので無視した。

 

 手かせは抵抗したときについた傷が積み重なって消えない痣ができていた。手かせの縁に付着した皮膚の断片と、その下にあるずっと癒えない赤い肉からくる痛みはきっと彼の抵抗心を思い出させる唯一の感覚なのだろう。だとしたら癒やしの呪文をかけてやりたいところだが、僕は魔法が使えなかった。

 足も同様で、足首から下は血塗れだった。しみるのだろう。そこにお湯をかけるとよく呻く。

 今彼が感じているのは痛みだろうか。体を清めるという原始的な快感だろうか。それとも僕に対する憎しみ?わからなかった。

 ただ僕から彼に言えるのは(言っても聞こえないが)この苦しみはいずれ終わるという慰みだけだ。

 

 時間の密度はあとからいくらでも変わるのだから、今君が感じている辛いこと全て、どうせ圧縮されて無となるのだから。それが救いになるとは思えないけど、かつての僕はそれが救いで、事実今救われている。僕はこうして無力になったハリー・ポッターを見ていると自分を重ねたくなるらしい。

 感傷にひたっていてもいいが、全裸の少年を前にしてしみじみ過去を思うなんて変態臭い。乱暴に体を拭いてから病衣をかぶせ、ふたたびシーツに載せようとした。

 激しい抵抗を予想したが彼はぐったりと体をされるがままにしていた。抵抗する気がない、というよりかは今はシャワーの余韻に浸りたいというような様子だった。

 なるほどグリンデルバルドがペットのようだと言っていたが、こうして無力な人間を見てるとなんだか微笑ましくなるものだな。死体じゃなくても従順なんて新鮮だ。

 

 僕は彼をしまってある箱の中に蹴落とす。鈍い音がして、悲鳴が上がる。

 ここに閉まっておくのもそろそろ危険だ。ダイアゴン横丁で見かけない顔をよく見る。魔法使いに共通した特徴として、魔法無しで何かになりすますことがとても下手ということがあげられる。彼らは普通の買い物客のような振る舞いを心がけてはいたが、あれは捜索だ。

 グリンデルバルドを?ハリー・ポッターを?それとも僕を?ひょっとして脱獄した死喰い人だろうか。なんだっていいが、世間はどんどんきな臭くなっていき、僕のやるべきことは増えてゆく。

 加齢と同じだ。生きる上で本当に必要なこと以外がただただ降ってきて、積もってく。その堆積物は多くの場合今をより苦しくする要因でしかないというのに、僕はそれを処理せざるを得ない。

 ああ、これならばハリー・ポッターの置かれている立場のほうがむしろ苦しみは少ない。体の苦しみが在るのは痛んでいるその瞬間だけなのだから。

 

 ボージンの店を出て、僕はバーへ向かった。スクイブの店主が経営している、マグルの通りに面した店だった。

 そこで待っていたのは魔法法執行部のアルバート・ランコーンともう一人。

 

「はじめまして」

「やあどうも。私はホラス・スラグホーン。お話できることがあればいいが…」

「そう構えずに、僕はあなたにお会いできただけでも幸運ですよ」

 

 お世辞を聞くと、海象のような老人はこれまた利口な海象のように、頬をだらりとふるわせて笑った。

 

「聞いているよ、とても優秀だそうだね。是非とも君と仲良くなれたらと思うんだが」

「僕もそう思います」

 

 

 僕がほしいのは敵の情報だった。ホラス・スラグホーンはヴォルデモートことトム・リドルのことも、ダンブルドアのことも、さらに言えば僕が付き合うべき死喰い人たちの多くを学び舎で見守った人物だ。こんなに大きな断片は他にない。

 結果的にこの人選が奇跡のように適切だったことを知るのは、もっと後のことだった。

 

 僕という人間が携える経歴と、これから手にする栄光に舌なめずりするように、スラグホーンは手をすり合わせた。

「では、何か一杯。ハチミツ酒があるといいのだが」

 ランコーンがニコリと笑って返事した。

「当然、ございます。あなたの為に用意させました」

 

 僕の人脈が広いように、彼の人脈は広い。僕がやることはそれをちょっとお借りできるようにするだけだ。これからやろうとしていることはこうした地味な作業と手順の繰り返しだ。

 最終的に、そうまでしなければ僕が本当に叶えたい望みは叶わないのだ。

 人生とは大概そういうものだ。

 



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『リウェイン・シャフィックの魔女会』

ラジオ音声

 

「さて今週もこの時間がやってまいりました!今話題の魔女が喋るだけ、なのに話題沸騰の局にはとってもありがたーい番組『リウェイン・シャフィックの魔女会』!」

 

「お褒めの言葉をありがとう、スザンナ。私も最近本職の記者よりもラジオの仕事のほうが増えちゃってて、本当に参っちゃうわ!…というのは嘘で、お話している方が本当は好きなの。あ、これは予言者新聞には秘密よ。(SE:笑い声_basic)さて、そういうわけで今日のゲストは…」

 

(SE:ドラムロール)

 

「ドローレス・アンブリッジ!」

 

(SE:番組メインテーマ01)

 

「こんにちは、こんばんは。ここへ来るのはいつも楽しみですわ」

「ドローレスはもう常連と言ってもいいわね。今日はドローレス、私、そして日替りコメンテーター、変身現代のローレンス・ウッドお送りします」

「変身現代記者のローレンス・ウッドです。よろしくお願いします」

「ェヘン。いいかしら、リウェイン。今日の人選は独特ね。ちょうど三人とも違った立場ではありませんこと?」

「さすがドローレス。いいところに気が付きましたわね。そう…今日は魔法省の花形職員、学術雑誌の主力記者、そしてお茶の間代表ご意見番…言い訳させてくださいね?これ、台本にこうあるのよ!(SE:笑い声_high)」

「あら、あながち間違ってはないわ。リウェイン、貴方は最近とっても有名だもの」

「ありがとう、ドローレス。とにかくその違った立場の三人の魔女を集めた理由は一つ!」

 

(SE:ベル01)

 

「『例のあの人は本当に復活していないのか?』です。荒れそうな話題ね。どうですか、ローレンス。確か『変身現代』は復活については…」

「ええ。わたくしたちは名前を言ってはいけないあの人の復活について肯定的です」

「変身現代はよく読んでいますわ。おたくは断言はしないけれど、あの人や死喰い人から身を守る呪文のコラムを連載しているものね。そしてその記事は大人気だとか」

「ええ。あの記事の人気こそが、多くの人々が暗に『あの人が復活している』と危惧している証拠でもあると思います」

「確かに、私のところに届く手紙も…何というのかしらね?不安にかられているっていうか…ヒステリックなものが増えている気がするわ。魔法省側の意見も聞きたいわね」

「まず注意してほしいのは、私は確かに魔法省の役人だけど、今日来たのはリウェインの友達だからよ」

「あら、感動的だわ」

「フフ。つまり、私個人の意見だって事は忘れないでほしいの。さて…『あの人』についてね…これは本当に困った話題だわ」

「魔法省の見解は未だ『復活はダンブルドアの嘘』のままですよね。しかしどうも、最近打ち出している方針は違うように思えますが?」

「違う方針?ローレンス、例えば具体的にどういうもの?」

「これまでは闇の魔法使いについて過剰に話題を避けていたけれども、ここ最近実施が決まった『杖あらため』は実質的に大規模な魔女狩り法よね?…これはジョークではないですよ」

「さすがですわねウッド。貴方のおっしゃる通り今回成立した『魔法使い登録委員会設置法案』、通称『杖あらため法』は単なる戸籍調査ではなく、市民になりすましているであろう脱獄囚のあぶり出しも兼ねていますわ」

「私、記者の仕事が減ってからそのへん疎いのよ。良ければ説明してくれないかしら?」

「ええ喜んで。要するに、現在イギリスに住んでいる魔法使いすべてを召集し、その杖を登録します。登録されていない杖が使用された場合、直ちに闇祓いが出動し身柄を押さえます」

「まあ!そうまでする必要があるの?」

「ええ、ありますわ。というのも、昨年冬に脱走した囚人たちは全員が危険人物です。さらに、忌まわしきシリウス・ブラック。彼があの人の後継者として彼らを束ねているのではという推測もあります。我々はあの人であろうとなかろうと、危機に瀕しているのは間違いありません」

「…確かに、杖を登録することで身の安全は魔法省に保証されます。同時に市民は自由を差し出すことになりますが」

「あらウッド。それが健全な行政と市民の関係じゃないかしら?」

「ええ、勿論そうです。ですが…この法案の草案は一体誰が?」

「ウィゼンガモットの誰かだと思うけれど…」

「わたくしの危惧しているのは、登録データベースが悪用されるのではないかということです」

「あら!魔法省の中枢に囚人共が忍び込むとでも?」

「件の神秘部爆破事件はそうでしたでしょう?」

「あれは神秘部という特殊な部署が悪いわ。あそこだけは警備から人事、何から何まで独立しているのよ。今回の登録は魔法省内でも一番の魔法使いたちが管理します。私達も危険性は承知の上、市民の安全のために対策を施しておりますわ」

「ですが敵は我々と同等か、それよりも強い魔法使いなのです。わたくしにはどうも、心配に思えてなりません」

「議論もいい具合に白熱してきたわね。二人共、ちょっとお茶を飲みましょう。リスナーの皆さんは音楽でも聞いていて頂戴。今日の曲は、最近アメリカでヒットしている魔女ユニット『コウモリのクソ』…うん、どうやらロックのようね…から『割れ鍋に閉じ豚』」

 

(SE:インパクト)

(音楽:『割れ鍋に閉じ豚』(5.12秒)

 

 

 

「ローレンス、緊張してる?」

「ええ、少し」

「肩の力を抜いて。ここは議論の場じゃなくっておしゃべりの場なんだから」

「すみません。どうもお喋りというのに慣れてなくて…」

「個性が出て面白いのね。週刊魔女の記者はみんなお喋り好きだったけど…おたくは学術誌だからかしら?」

「ええ、おかたいんです」

「私も自分で友達としてきた…なんて言いながら熱くなってしまってごめんなさいね。ウッド」

「いえ、ミス・アンブリッジ。スポークス魔ン以外の人と話せる機会は貴重ですので…」

 

 

ー曲後奏ーキューランプ

 

「よし、あいうえおあおあえいうえおあお…後半もよろしく、二人共」

 

マイクON

(SE:番組メインテーマ01_piano)

 

 

 

「うぅ〜酷い歌…歌なのかしらこれは?コウモリのクソ、嫌でも覚えたわ。二度と聞かないためにね。さて…落ち着くための時間だったのにかえって疲れてしまったわね」

「平気よ。耳栓をしていましたから」

「あら、さすがローレンス。さて…さっきの騒音の前の話題を続けても?」

「構わなくってよ。どうせ台本にそうあるのだから」

「もう、ドローレス!楽屋ネタを使うくらいラジオ慣れしてしまったのね。まあいいわ。それで…そうそう。『あの人は本当に復活しているのか?』だったわね。さっきは固い話になってしまったから、ここでオカルトめいた意見も紹介しておきましょうか。なぜシリウス・ブラックが仲間を脱走させたか?…これこそまさに、あの人復活のための儀式である!という…」

「いやだわ、リウェイン!子どもじゃないんだから…」

「あら!これを話してくれた記者友達は大真面目だったわよ」

「ウッド女史の忌憚のない意見を聞きたいわね。ズバリ、死者蘇生は可能か?」

「不可能です。例のあの人が死んでいたなら、の話ですが。あの人がハリー・ポッターに討ち滅ぼされたときに死んでいなかったのなら話は別ですが」

「え?でも死なないなんてことは不可能でしょう」

「さあ。闇の魔術にはもしかしたら死を回避する術があるのかもしれません」

「ェヘン、ェヘン。…ちょっと、その発言は問題ではありませんこと?例のあの人が14年前に死んでないとなったら魔法省の見解が長らく間違っていたことになりますわ」

「正直なところ、わたくしは魔法省は近々見解を改めるだろうと思っています。近頃の政策といい、何らかの備えをしているように思えてなりません」

「そうなの、ドローレス。ちょっと陰謀めいているわ」

「陰謀というのは穿った見方よ。…確かに、去年の今頃とは事態が大きく変わっているわ。ウッド女史の言うとおり、近々我々の方で動きがあるでしょう」

「ローレンスの慧眼には驚かされるわ。…だとしたら、やっぱりダンブルドアは嘘をついていなかったと言うことかしら?」

「それはどうでしょう?…三大魔法学校対抗試合で起きた痛ましい事故とあの人の復活を結びつけるのと、死喰い人の大量脱獄と結びつけるほうがまだ自然だと思いませんこと?」

「あら、ここに来てまさかのオカルトが採用だわ。ローレンスはどう?あの人の復活には肯定的だけれども、復活の時期についてはどうかしら」

「ダンブルドアは偉大な魔法使いです。時期については、脱獄に結びつけたほうがもっともらしいし自然だとは思います。しかし…」

「やはりそうよね。去年とは本当に状況が違いすぎるわ。なんて言ったってあのグリンデルバルドまで脱獄したもの」

「ひょっとしてグリンデルバルドが復活した例のあの人のフリをしていたりして?」

「やだぁ。それこそオカルトだわ」

 

(SE:笑い声_long)

 

「グリンデルバルドはどこに行っちゃったのかしらね?」

「観光でもしてるのかしら」

「半世紀閉じこもってたものね。ダンブルドアはグリンデルバルドを投獄した張本人なわけだけど…どうなのかしら?捜査に協力しているのかしら。ローレンス、なにか知ってる?」

「ええ。協力要請を受けているようです。我々の情報筋によりますとノルウェー魔法省から数名こちらにやってきていると」

「やだ。じゃあもしかしてイギリスにグリンデルバルドが?」

「可能性はあります。しかしあの人は世界を股にかけていましたから…。世界中に使者が送られているとは思います。ですがどの魔法省も秘密主義ですから、詳しい情報は何も」

「ホント物騒ね。あなたの雑誌が売れるのもよく分かるわ」

「ありがとう、ミス・シャフィック」

「さて…暗い話はここまでにして、スポンサーのCMコーナーに移りましょうか。では皆様また1分半後に…」

 

ー小腹がすいたときにマグルの店に走るのってちょっと悔しくないですか?ピザだってやっぱり魔法使いのが一番!箒、暖炉、ヒッポグリフだって!お好みの配達方法でお届けします。フランツのピザ店は24時間注文を承っています。5分で届かなかったら料金はいりません!空に向かってこう唱えて!『ピザデマジデブー!』フランツのピザ店、ダイアゴン横丁店も近日オープン!ー

 

ーフローリシュ・アンド・ブロッツ書店より入荷本のお知らせです。ホグワーツ魔法魔術学校選定教科書は一通り入荷いたしました。生徒の皆さんはリストなしでも不足なくお買い求め頂けるでしょう。月刊誌クィブラー、月間紳士イズム、戦う魔法戦士(復刻版)も入荷いたしました。また、8/25には待望の新刊、リウェイン・シャフィック『ジャーナリズム』の販売を記念して12時より著者による握手会を開催いたします。大変な盛況が予想されるので午前8時より整理券を配布いたします。ー

 

 

「あのぉ」

 

 鈴のような声がラジオを遮った。

「あのぉ。ラジオちょっと止めていいですか?掃除したいんでー!」

 トンクスはため息をついてラジオを消した。不快な番組だが、敵の動きを知るためにできる事はしておきたかった。不死鳥の騎士団のメンバーだというのに、今はこんなくだらない仕事しかこなせない。

 看護師はトンクスの身の回りをあっという間に掃除する。杖を使わない分かなり几帳面に掃除をするものだから時間がかかる。

「杖は忘れちゃったの?」

 苛立ち紛れに声をかけると、看護師は頬を赤くして恥ずかしそうに言った。

「こういう細かいのはだめなんです。私、魔法が下手すぎて五年で卒業しちゃったので」

「えっ…ごめん」

 トンクスは看護師より顔を真っ赤にして俯いた。苛立ち紛れに八つ当たりした挙げ句、相手が気にしているであろうことをつっついてしまった。

「他意はなかったんだ」

「いえ、いいんです。私もムッとして怯むように言ったんですからあいこです!」

 看護師は朗らかに笑う。

「こうやって返して謝ってくれる人はみんないい人です」

「謝んないやつもいるんだ?」

「患者さんはピンキリですから」

「ふうん…。看護師ってふくろう試験の資格とかいらないの?」

「准看ですからね。医療じゃなくてこういう、患者さんの身の回りのお世話をするのなら資格はあまり関係ありません」

「そうだったんだ。知らなかった」

「トンクスさんは闇祓いでしたっけ。すごいな、尊敬します。早く元気になってもらってハリーを助けてもらわないと!」

「君、ハリーの知り合い?」

「友達の友達なんです」

「そうなんだ。わたしは友達なんだ。あなた、名前は?」

「ジェーンです。ジェーン・シンガー。ハリーの友達はネビルって言って…」

「ああロングボトム!知ってるよ。そうか、世界は狭いね」

「友達の友達の友達、もう実質友達ですね」

 シンガーは話しながらも掃除の手を緩めることなくすべてを磨きつくし、一礼した。

「それじゃあお大事に、トンクスさん」

「うん。ありがとう。治って落ち着いたらお茶を奢るよ」

「素敵!デートみたいですね。それでは」

 

 出ていくシンガーを見送り、トンクスは小さくため息をついた。やっぱり早く治して現場に復帰したい。呪文の後遺症は尾を引くばかりか、闇の魔術によりできた傷に対処できる癒者は限られていた。そのせいでずっと病院に閉じ込められている。

 自分以外にもムーディーやアーサーも大怪我をしたが、ムーディーはもうとっくに現職復帰している。アーサーも近々退院だというし焦る。

 

 控えめなノックの音がした。トンクスがぞんざいに返事をするとドアから思いもかけない人物が現れた。

「やあ、具合は?」

「な、なんで来たの」

 リーマス・ルーピンがいつにも増して悪い顔色で無理やり笑みを作っていた。まさかリーマスが来るとは思わなかった。トンクスは鏡で自分の顔を確かめたい気持ちをぐっと抑えた。

「お見舞いだよ、さっきアーサーにもあって来た」

「ふうん。そうなんだ。元気だった?」

「ああ。もうすっかり」

 平静を装うのも随分なれたものだ。いつの間にか彼のことを好きになった自分に気づいたときはなかなか苦労した。いつから好きだったかは覚えていないが、好きと気付いた瞬間のことはちゃんと覚えている。

「ほんとにお見舞い?なんかいつにもまして辛気臭いよ」

「ああ」

 ルーピンは杖を振った。

「盗聴は…されてないか」

「なに?物騒だね」

「トンクス、聞いてくれ」

 ルーピンは声を落とし、トンクスの耳の近くに口を寄せた。少女みたいに心臓が高鳴ってしまう。ほんとに馬鹿みたいだが、こんな緊迫した空気の中で舞い上がる自分がいるのがわかる。

 

「ダンブルドアが交渉を持ちかけられた。ハリーについてだ」

「え…」

「詳細は話せない。だが、万が一のために騎士団の数名がバックアップにはいる。私はそれに選ばれた」

「そう…」

「だから君に伝えたいことがあって…」

 トンクスはどんどん高鳴る心臓を引っ叩いてやりたかった。罪悪感と嫌悪感と、それを上回る喜び。なんで恋をすると馬鹿になるんだろうか!この文脈で愛を囁かれるなんてありえないのに。

「シリウスの事だ」

「シリウス?なんで?」

「彼は今回のメンバーに選ばれてない。万が一任務の途中で彼がそれを知った場合…」

「なんでシリウスが選ばれないの?ハリーの身内なんだよ」

「身内だからだ」

「ダンブルドアのやりたい事はわかるけど…わたしに何ができるの?」

「簡単だ、しばらく彼を慰めたり、話し相手になったりしてやってほしい。…いや、正直に話せば、監視してほしい」

「やだよ!そんなスパイみたいなこと」

「ハリーを無傷で奪還するにはこちらが完璧に冷静でなければならない。シリウスには無理だ。ただでさえ熱い男だし…それに今はかなり苛立っている」

「リーマス、あなた彼の友達でしょう?そんな不誠実なことを…」

「ああ、わかってるよ!でも僕は、ハリーを失うリスクをほんの少しでも減らしたい。全体のことを考えてしまうんだ。…嫌な大人になったよ」

 トンクスはそのセリフは卑怯だと思った。けど口に出せるわけがなかった。ルーピンはおそらく自覚的にそういう言葉を使っている。こういうときのルーピンは絶対に折れない。

「…約束はできないよ。わたし、感情的にはシリウス寄りだもん」

「それでも頼む。心に留めておいてくれ。敵は…我々が思っているよりも遥かに無機質だ」

「ねえ、ハリーをさらったのは一体誰なの?」

 ルーピンは答えなかった。

 

 

 

 

 



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04.交渉①

 子どもたちは今頃新学期の準備に勤しみダイアゴン横丁でちょっと早めに教科書を買い揃えたり新しいローブの裾を直したりしているんだろうか。一年面倒見てきたはずの生徒たちだが、残念ながら顔と名前はほとんど覚えていない。

 なにはともあれ、夏休みの期間で僕の腕が後ろに回ることもなく、ハリー・ポッターが衰弱死しなかった事をまず喜ぼう。

 僕は本当に、運がいい。

 

「聞こえたら首を縦に振って」

 

 僕はポッターにゆっくり話しかける。ポッターは前よりも痩せこけて軽かったので椅子に座らせるのは楽だった。腰と足と腕にぐるぐる紐が巻かれて動けないようになっている。

 その横でゲラートが髭を指に絡めて巻いている。最近整えたのを気に入ってるらしい。年相応に禿げてはいるが、風格がある。

 僕の質問を聞いてポッターの首が縦に揺れた。

「体に不調は?あっても何もしてやれないけど」

 ポッターは答えなかった。

 

「君は今自分が置かれた状況を理解している?」

 

 ポッターは少し間をおいてから頷いた。まだ考える力は残っているようだ。

「よし…わかっているのなら口輪を外そうか。大声を出しても無駄だけど、うるさかったらすぐに黙らせるよ」

 ポッターはすぐにうなずく。口輪を外してやると唇をモゴモゴやってから大きく息を吸って、吐いた。

「まず…君の知りたいであろうことから教えようか。君が持ち上げたあの水晶について」

 ポッターが目隠し越しに僕を睨むのがわかる。大声を出したらどこをぶたれるか覚えているおかげでまだ罵詈雑言は出てこないが、喉につっかえてるのがありありとわかる。

「あれは君とヴォルデモートに関する予言だよ。ヴォルデモートはそれにご執心でね。無事手に入って喜んでいるんじゃないかな」

「…僕の、予言…?」ポッターは久々に話すせいかしどろもどろで滑舌も悪かった。

「あれは当事者じゃないと手に取れないからね」

「あ…あなたは…嘘をついてた、のか…」

「つきすぎてどれのことだかわからないが、僕だって好き好んで教師ごっこをしてたわけじゃない。僕は奴らに脅されてるのさ」

「脅されてる…?」

「ああ。僕も我が身が可愛くてね。夜安心して眠るために君を攫ったんだよ」

「………意味がわかりません」

「だから、僕は君とほんの少し利害が一致しているんだよ。つまり、ヴォルデモートと死喰い人が心底邪魔なんだ」

 ポッターは僕の言葉を慎重に噛み砕き、審査している。若いって心底羨ましい。ここまで弱って痛めつけられてもまだ考える体力がある。

「どうして脅されてるんですか?」

「ささやかな犯罪がバレそうなんだ」

「犯罪?」

「そう。生きてくために必要なことさ。…移民は苦労するんだよ」

「いい先生だと思っていたのに」

「どうも。さて、話題を戻そうか。困ったことに、予言によるとヴォルデモートを倒せるのは君だけらしい」

「……予言なんて…先生、そういうのを信じるような人じゃなかったじゃないですか」

「ああ、僕もそう思う。けれども…あー。偉大なる僕の師曰く…『予言だから』そうなる、と」

 ゲラートがにんまり笑って僕を見た。いちいち表情までうるさいやつだな、と言う視線を投げてやった。

「僕にとって本当に邪魔なのは君なんかじゃなくてヴォルデモートなんだ。それを斃す手段が無くなるのは困る。だから君を生かした」

「…僕に何をさせるつもりなんですか?」

「まずは今まで通りおとなしくしてもらう。そして次に、僕の話を冷静に聞いてほしい」

 

 僕はゲラートと視線を交わし、その思いの外つぶらな瞳を見てから深く息を吸った。

「ヴォルデモートは殺すべきだ。奴や奴のシンパが魔法界の実権を握るのは僕としても望ましくない。犯罪のことはおいておいて、マグル生まれを許さないだとか支配するだとか、あまりに馬鹿げた妄想だと思わないか?そんなのに付き合うのはゴメンだ。だから君にはあいつを殺してもらわなきゃ困る」

「僕だってそんな未来は嫌だ。でも…こんな目にあってあなたに素直に協力すると思いますか?」

「協力なんて望んじゃいない。共通認識を持っておこうと言っているんだ。君はヴォルデモートの危険を誰よりも知っているだろう。だったら、僕みたいなチンケな悪党でも互いに倒す努力をしよう」

「でも先生の言葉は全部嘘だった」

「僕がついてたのはほんの小さな嘘だけだ。君へ語った僕の共感と、これからの魔法界への危機感は嘘じゃない。奴らがこれから何をすると思う?」

「…僕を殺して、マグル生まれを殺す。そして次はマグルを殺す」

「そして魔法界の存在がマグルにバレたとき何が起こると思う?」

「…戦争です」

「素晴らしい。僕の講義をきちんと聞いていたんだね。そう…容赦なく暴力を振るう敵がイギリス中に溢れてるとなれば動物だって牙をむく。魔法使いを殺すのに最も有効な武器は?」

「まずは銃です。ショットガンとか、猟銃とか、貫通力がある武器が望ましい。爆弾とか、毒ガスとか…そういう兵器」

「そう。闇祓いや決闘士ならともかく平凡な魔法使いだったらそれでいい。…マグルがまだ魔法使いとやり合おうって気持ちを持っていた頃、彼らは非力だった。だが今はそうじゃない」

 

 魔法のように無味無臭のうちに五感を麻痺させる毒物だとか、殺意でもって研いだ弾丸だとか、一万人を一度に殺せる爆弾だとか。

 台無しにする技術だけはとにかく発展した。エピスキー、エピスキー、僕が思うにマグルの破壊はいつか魔法使いの修繕の才能を上回る。量も、質も、何もかも、暴力においてマグルは魔法使いを上回る。

 ヴォルデモートがどんなに死の呪文を連射したって、マグルがマグル同士で殺し合った数には勝てない。年間殺人平均数。期間を限定すれば、ひょっとしたら僕でもヴォルデモートに勝てる。

 要するに、犠牲を厭わなければ数が多いほうが勝つ。良識ある魔法使いを見分ける方法はない。マグルに良識の有無は問わない。

 やつは誰にでも勝てるって思ってるのかもしれない。王は奉るものなしに王にはなれない。承認は他者なしでは得られない。

 

「先生が言うことはもっともです。魔法使いという種族全体のためにもヴォルデモートは倒さなきゃいけない。でも…貴方は?貴方はそれからどうするつもりなんです?」

「僕がマグル殺し大好きなように見える?」

「…いいえ。でも…現に僕はこんな目にあってる」

「安全措置だよ。君たちはもっと魔法がいかに暴力的かを知ったほうがいい。持たざるものがどれほどそれを恐れるかを、恐れが何を生むのかもね」

 

 過剰防衛。

 いや、僕の行為を正当化するわけではない。ただ僕や、妹を殺したあのスクイブは世界に対して過剰防衛しただけだという考え方も、できなくはない。だってそうだろう?僕たちを一瞬でイタチやネズミに変えてそのまま踏み潰せる隣人がいる。

 変身させられた人体を集めるのは骨だ。散骨されたバーティ・クラウチの遺体を集めるのに有した費用と時間は会計担当が顔をしかめるほどだった。人間と単なる有機物の違いはほとんどない。

 いつ兄が僕を気まぐれにカエルの餌にしないか気が気じゃなかった。兄の友達がうっかり僕を椅子に変えて、それを粉々に破壊するかもしれないと思うと心臓が凍る。

 魔法使いは本質的に僕らの恐怖を理解し得ない。

 

「それから…ね。死ぬまで生きるだけじゃないか。今まで通りだよ」

「…信用できない。たしかに貴方は虚栄心や出世欲とは遠い人だけど…」

「おいおいおい。そんなに僕と禅問答したいのか。僕の今後の人生なんてどうでもいいだろう。君の今のほうがよっぽど心配だ。どこまで僕の話を飲み込めたか一度整理してくれ」

 僕の言葉にポッターは出かかった言葉を飲み込み、咀嚼する。

「共通認識と、貴方は言いました。話を聞く限り、ヴォルデモートに対する考え方は共有できていると思います」

「うん。それでいいんだよ。その危機に対して対抗できるのは君だけだ。だから僕は君を殺さなかった」

「…理解しました」

「ハリー・ポッター。散々言われてうんざりしているだろうけど君は選ばれし者なんだ。その重荷が君を苦しめているのはわかっているが、もう君もいい加減諦めがついたろう」

「とっくに諦めていますよ。けど…」

「君がごねるのは僕のことが気に入らないからだ。君のことを騙して監禁した僕の意見が間違っていないのがムカつくからってだけだ」

 

 僕は意固地な彼の頭を押さえつける。物理的に。脂でベタベタの髪を触ったせいで反射的にスネイプを思い出した。彼は僕を敵視したまま放っておいている。あまりにも不気味だ。

 懸念事項は山ほどある。ポッターの懐柔は氷山の一角に過ぎない。

「まあいい、よく考えてくれ。今日はとりあえず後に予約が入っていてね」

「待って。またあそこに?」

「いつもそうだろ」

 ポッターは小さく「クソ」とつぶやいた。だがどうにもならないことを知っているので黙って項垂れた。

 ゲラートが魔法であっという間にポッターを梱包し直した。便利便利羨ましい。続いてポッターの懐柔と同じくらい重要な会合へ向かわねばならない。ホラス・スラグホーン氏との会食である。彼は無類の名声好き…と言っても自らの名声ではなく、名声を持つものとの関係性をコレクションしている。

 

 僕たちがやっているのは主に政治だ。お尋ね者と日陰者のやる政治とは、上に立たせる人間の選定とお膳立てだ。

 スラグホーンの持つ人物相関図は完璧だった。僕らは航海の地図を手に入れたも同然だった。さてあとは宝島へ一直線…とは行かないのが世の常ではあるのだが。スラグホーンにとっても、僕たちの企みはうまい話にほかならなかった。

 彼には今コレクションの自慢相手がいなかった。どれだけ美しい品を持っていてもホコリを被ってちゃ意味がない。価値とは他人に認められなければ創出されない。

 その点僕は完璧な聴衆で、買い手で、同時にコレクションすべき品だ。

「どうだ?お前がうるさいから大人しくしてみたんだが」

 そう言ってゲラートは薄くなった髪を整髪剤でなでつけた。テーラードジャケットがやや年不相応なやんちゃ感を出しているというか、端的に言うと若すぎる。全体的にはマグルのデパートで買ったマグルの老人用の服なのでなんだか色褪せた50代みたいだった。魔法使いの老人から遠いところにいるが、外を歩く分には悪目立ちしなさそうだ。

「まあまあだ」

 スラグホーンには彼をプロップ家の人間として紹介する。

 ニコライ・ボリス・プロップ。彼はきちんと実在するプロップ家の人間で、生きていたら今年で98歳になるはずだ。彼は混血の魔女と結婚したので籍を外されたが、性癖なんて気にならないほどにいい人だった。僕の中ではグリンデルバルドのおとぎ話の語り手として記憶されてる。

「ニコライ。面白くもなんともない名だ」

「そういうなよ。彼はあんたの大ファンだった」

「へえ」

 

 スラグホーンはマグルのレストランのすぐ地下に開設された会員制のバーにいる。バーとレストランの経営者は同じで、レナオルドの友達のマグル生まれだった。

 高級と謳われるマグル向けレストランで働くのは、たった一人の魔法使いだ。ワンオペレーションでも魔法を使えばなんて言うことはない。彼は15年前、ほんの少し流行に敏感だっただけで求人票を見る資格すらない。素晴らしき才能がコックとして浪費されている。昼はマグルに料理を、夜は魔法使いへ酒を。

 狭い世界だ。小さな間違いが致命傷になる。まだマグルの世界のほうがマシかもしれない。ここではないどこかの選択肢が広いから。

 特別予約席という札が下げられたテーブルで満足げに先に一杯やってるかもしれない。その予想はあたった。

 彼は特別扱いされてることに意味を求める。誰も特別に感じてない僕にはあつらえ向きだった。僕は待たせたことを詫び、(と言っても時間通りに来たのだが)特別に取り置きしてもらった熟成蜂蜜酒を持ってこさせ、彼に振る舞う。"ニコライ"は彼と握手し、ロシア風のジョークを飛ばす。僕はそれを冷ややかな目で見守る。

 上機嫌になった彼はいつもの自慢話を始める。ニコライは付け焼き刃のロシアジョークを飛ばす…幸い新鮮さがウケた。"ニコライ"はロシアの事情をさも知ったげに話す。大戦前の事情についてはワクワクして聞いてられたが、彼が投獄されて以降は僕がちょくちょく続きを補足したり、出来損ないのパッチワークみたいになってしまった。

 

 スラグホーンと交わす言葉の大半は僕とポッターの会話くらい意味がない。だが言葉はガラクタの山のように積み上がってある一つの文脈をなしてゆく。

 ファッジの狂気。次期大臣有力候補。各局の勢力図。手を組むべき外国の魔法省について。

 

「魔法使いの国際連携がマグルのそれより優れているのは我々はむしろ国や共同体としてではなく、個人として世界と繋がっているからだ。逆を言えば、魔法省といった組織観はマグルに大きく劣っている」

 "ニコライ"は腹の足しにもならなさそうな小さな白身魚を洗練された「粗野でいてエレガントな動き」でソースに絡めて口に運ぶ。

「ロシアでは『悪巧みはマグルに倣え』だ。我々は彼等を軽んじない」

「いや、ニコライ氏の言うとおりだ!」

 スラグホーンはすっかり"ニコライ"に魅了されてる。彼の語るシニカルな世界観とアイロニーは酒と交わると強い酩酊をもたらすらしい。スラグホーンは赤らんだ顔でグラスを空にしてますます饒舌になっていく。

「魔法省はもう煉瓦が抜けた家のようなものだ。今にも崩れそうな壁を支える役人たちは辟易してるだろう」

「ええ、僕もその一人です」

「嘆かわしいことだ!魔法使いは確かに個としては完璧に近い。だがそれが組織になると途端にめちゃくちゃになる。その点マグルは個としてはか弱いが、数が多ければ多いほど強くなる。魔法使いの総力を上回る日は近いかもしれん」

 

 もう来てるかも。と水をさすのはやめておいた。

 

「マグルは知性のある生物をコントロールする体系だった知識と方法論を長い歴史で組み上げました。そのノウハウを我々も取り入れるべきだと、強く思います。ロシアではむしろ我々がマグルの政治機構を間借りする形で秩序を保っていました。イギリスほどの人口があれば間借りせずともよい機構が作れると思います」

「イギリスの若者には、そういったパワーがあるような気がするね。…ダイアゴン横丁でよく子供を見かけますよ。あれはホグワーツの生徒?」

「そう、そう。懐かしい。私も教鞭をとっていたころはここで娑婆の飯を食べてから急行に乗ったものだ」

「ホグワーツの食事はとても美味しかったですよ」

「確かに絶品だ。だが舌というのは魔女のように気まぐれでね。…そういえばダンブルドアから教師にならないかとオファーが来ていたよ。勿論断ったが…」

「食事が恋しくなったりは?僕は早くもあの味が恋しいですよ」

「いやいや。リスクに見合わんよ…」

 スラグホーンはにっと笑って皿の上の最後の肉のかけらを口に運んだ。

 

「それに、こちらのほうがはるかにウマい」

 

 

 

 



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05.交渉②

 僕の魔法省勤務再開は9月1日からで、一年間の出向を終えた僕に用意されたポストはある人物のお下がりだった。必然的にオフィスも引き継がれるので、日曜だというのに荷造りの手伝いに来ている。

 

「ウラジーミル、お皿を重ねるときは注意して。順番があるのよ」

「わかってますよ。そう簡単に忘れません」

 

 ドローレス・アンブリッジは自身の引っ越しだというのに優雅に椅子に座り、大した量もない書類を延々揃えて作業をしてるふりをしていた。いつもの事なので文句を言ったりしない。むしろ懐かしさで気分がいいくらいだった。

 魔法省勤務で主として感じるのはいわばこのいらいらだ。アンブリッジの肥大化していく欲望の処理を手伝うことはレストランで客の食べ残しを片付けることに似ていたが、ながらく教職なんて体に合わないことをしていたおかげでむしろ安心する。

 他人の後始末をし続ける人生。誰も望まないがいつの間にか従事しなければいけないそれは教師なんかよりは僕の性に合ってる気がした。

 僕がいない間、彼女は不便していただろうか?新聞コラムやラジオ番組に出演しだしているあたり、魔法省内での仕事はそこまで精力的にしてなかったはずだ。

 

「不便ね、こういうとき」

「ええ。僕が杖を使えればさっさと貴方をお見送り出来るというのに」

「あら、そうやって手作業でしていると、余韻にひたれていいんでしょう?」

「…あなたがそんなことを言うのは珍しいですね」

 そもそもお前は何もしてないが。と心の中で毒づきながら皿を重ね、衝撃吸収材が敷き詰められた箱へ入れる。本も皿も文房具もそうしてどんどん箱に入れて、あとにはピンクの壁紙と備え付きの地味な家具だけか残った。

 

「ウラジーミル。私がいなくなって本当に大丈夫?あなたの大切な秘密はちゃんと守れるの?」

「ゲラートがいますから何とかなりますよ」

 

 アンブリッジはホッとしたような顔をした。らしくない。服従の呪文にかかってからヒステリック発作と常時イライラ病が完治したみたいだ。ゲラートの呪文の思わぬ副産物。

 アンブリッジの服従とファッジ信仰からの離脱はかなり時間をかけて丁寧にやった。服従の呪文から醒めるギリギリのところでファッジ派からの離脱とゲラートへの協力を呼び掛ける。それを何回もするうちに服従心と本心がまぜこぜになり、初夏には彼女は立派なゲラート信者へ改宗した。

 

「弟が…」

 アンブリッジは多分誰に向けてでもなく呟いた。

「言ってたわ。別れ際に。こういう人生の区切りは魔法がない方がきっともっと余韻にひたれるんだろうって」

「…人それぞれですよ、そんなものは」

 アンブリッジは僕の言葉に笑い、自分のハンドバッグと空間拡張呪文をかけすべての荷物がしまわれた小さなトランクを持ち、あっさりと執務室から出た。

 

「この部屋は好きにしてね。私の次の部屋はもっと良い部屋のはずですから」

「もちろん」

 

 こうして僕は新しい席に座るのだった。魔法大臣付上級次官。今までで一番高級な席に若干の居心地の悪さを感じるが、まあこれも全て僕とゲラートの野望のためだ。

 アンブリッジは何処へ?答えは簡単だ。教師不足に嘆くホグワーツはまたしても新任教師を見つけられなかった。これを機に、魔法省は教師決定権をも校長から剥奪した。

 

 僕の後釜は、ドローレス・アンブリッジ。闇の魔術に対する防衛術教師兼ホグワーツ高等監査官。

 

 お互い新しい職場になれるように努力が必要だろうが、今までの苦労を思えばきっとなんてことないさ。…さて、まずはピンクの壁紙を剥がそう。

 

 性格に難ありのアンブリッジが選出されたのは様々な利害が一致した結果だ。魔法省内での複雑な勢力争いがファッジ排斥へ作用したのだ。僕は以前ポッターに魔法省内の派閥を死喰い人派、ダンブルドア派、ファッジ派、その他と言った気がするが、実際はもう少し複雑だ。

 死喰い人派の中でも反ルシウス派やら過激派やらで勢力争いが起きているし、その他なんてもっと混沌としている。派閥内の勢力争いや組織図での横のつながりを図にしようとすると紙では足りなかった。…要するに、誰の願いも叶わない状況だった。しかし闘争の中で一番の邪魔者だけは一致していた。

 

 

 

「それで…」

 

 ルシウスは味気なくて安い壁紙に張り替えられ、モダンな家具が置かれた執務室でいつも通り気取った声で僕へ問いかけた。

 

「例の小僧はどうした」

「ああ…彼は元気だよ。近々日取りが決まる」

 

 アンブリッジを推薦…というか学校にねじ込んでくれたのは彼だ。理事会の連中にはお茶の間によく登場していたおかげかそこそこ受けが良かったらしい。

「上手く行くのか?」

「彼自身は何もしないんだからどうとでもなる」

「お前はそうやって適当にしているから神秘部に来るハメになったんだろう」

「…うるさいな。事実どうとでもなったろう」

「あれのせいで騎士団はお前に完全な疑いの目を向けている」

「遅かれ早かれそうなったさ。それに安心してくれ。僕がマグルを魔法で虐待したりなんてありえないんだから、捕まるはずがないさ」

「…過去の犯罪は?」

「騎士団はマグルの鑑識以下だ。僕の犯罪はほとんど君たちの残党の仕業って処理されてるんじゃないか?」

 

 僕は引っ越しの仕上げにどこにも繋がってない黒電話をおいた。すると早速ベルがなった。

 

『おつかれ』

「ああ」

『早速悪いんだが今夜会えるか?』

「もちろん」

 

 僕は言われた住所をメモにとった。BDはいつも新しい店を探している。ブリクストンの【マッケンワイヤー雑貨店】…また新しい店だ。雑貨店と名乗っているが、きっと魔法使いの秘密のバーか何かなんだろう。

『爺さんは抜きだ。念のためな…あの人今どこで何してる?』

「ネクラースの牧場にしばらく泊まるって言ってた」

『ああ、あいつんちなら安心か。…そこらへんも含めて今夜』

 

 そう言ってBDは電話を切った。ルシウスは勝手に執務室で一番いい椅子に座って杖の先についている蛇を撫でていた。

 

「悪巧みの相談か?」

「単なる食事の約束。…で、なんの用だ」

「私はあちらでは君の監査官扱いだ。これから役所で何をするか探りを入れに来たんだよ」

「ふん。騎士団も死喰い人たちも僕ごときにご苦労なことだ」

「グリンデルバルドを張れるならそれに越したことはない。…さすが潜伏のプロだ。絶対にこちらの都合であうことはできない」

「我儘だからね」

「つい先日、フェノスカンジアから決闘士が数名渡英した。名目上スポーツ交流だがグリンデルバルドを捕まえに来た精鋭だ」

「へえ。待ちくたびれてたところだった」

 ルシウスは僕の皮肉に例の気取ったせせら笑いをする。

「複雑なのだよ、あちらは」

「メンバーのリストはあるか?」

「私よりは君のほうが手に入れやすい。魔法スポーツ部に行けばすぐだ」

「なるほど…」

 実名でわざわざ登録するかはさておき、敵はグリンデルバルトがイギリスに潜伏しているとわかったらしい。ダンブルドアの協力のおかげか?痕跡らしき痕跡はすべて消したつもりでいたがもう一度洗い出す必要があるかもしれない。また一つ仕事が増えた。

「ハリー・ポッターを掌握されてる以上話し合いで解決した風を装っても一部はお前への憎悪をつのらせたままだ。夜道を一人で歩くのはやめておいたほうがいい」

「脅し?それとも忠告?」

「両方だ」

「それじゃあご忠告をどうも。僕のケツに犬が張り付いてるのは知ってる。せいぜい噛みつかれないようにするさ」

「どうだかな。誰もがみんな私のように穏健派なわけではない」

 

 確かに、事態が動けば僕を監視する誰かー騎士団か、死喰い人か、はたまた警察かーも行動に移すかもしれない。だけど結局「ケ・セラ・セラ」なるようにしかならない。力を持たざるものは先に何があろうとも大いなる流れに翻弄される他ないのだ。

 

 

 僕は引っ越しを終えルシウスと別れ、煙突ネットワークを使って【マッケンワイヤー雑貨店】へ辿り着いた。そこは繁華街のハズレのビルの二階で、予想通り魔法使い向けのバーだった。

 マグルの街に魔法使い向けの店を出す時は魔法省に申請し、適切な隠密呪文がかけられているかの審査を受けなければならないはずだ。大抵の店は入り口に認可書をかけてあるがここにはない。

 

「ウラジーこっち!」

 BDはすでにジョッキを握っていた。僕が席につくとすぐにウェイターが湿気たナッツを運んできた。

「まず要件な。全てこちらの希望通りの場所を見つけた」

「ありがとう。じゃあそこで決定だな」

「じゃあ日取りも予定通り?」

「ああ」

「よしよし…で、ゲラートのおっさんは牧場なんだな」

「ああ。明後日まではあっちだ。フェノスカンジアの動きはもう聞いたよ」

「お、さっすが。だがこれは聞いたかな…グレゴロビッチにグリンデルバルド捜索隊への声がかかってる」

「グレゴロビッチ?…あの杖作りの?」

「ああ。ゲラートのおっさんと因縁でもあるのかな」

「知らないな」

 

 なぜ杖作りなんかに声がかかるのだろうか。ダンブルドアがグリンデルバルド逮捕の音頭をとってるのだとすれば必ず理由があるはずだが、さっぱり思い当たらない。本人に聞くほかなさそうだ。

 

「防犯需要の高まりで表家業も裏家業も大繁盛だ。グリンデルバルド様々、ポッター様々だ」

「それは何よりだ」

 

 BDは支払いまでしてくれた。羽振りがいいのは本当らしい。ゲラートにフクロウを送り帰宅を促した後、僕は眠りにつこうとする。どこか犬の遠吠えが聞こえた。

 

 さて、BDの繁盛とは裏腹に他の商売は軒並み調子が悪いようだった。ダイアゴン横丁は例年より目に見えて客が減り、閑散としていた。レナオルドいわく、繁盛してるのはオリバンダーの杖店と新しくできたウィーズリーの悪戯専門店くらいだという。

「参ったよ」

 ボージンが商品を磨きながらレナオルドの愚痴を聞いてるのを聞いた。…この店は壁が薄いのだ。

「古着屋の魔女がヒステリックになっちまって、積立金をおろして防犯体制をしこう!だと。自分を要人かなにかだとでも思ってんのかねえ?」

「女はいつもしょうもない事でいちいちわめく…」

「ああ。…そこであのウィーズリー兄弟よ。アイツらは多分天才なんだろうな。悪戯専門店で防犯グッズを売り始めた。それがもうバカ売れで…」

「ホグワーツ出てきたばっかりの双子だろ。あんたケツ持ちしてるのか?」

「その通り!おかげでこっちも儲かった」

「チッ…うちなんて魔法省の査察がいつ入るか…」

 僕の友達は軒並み好景気らしい。良い事だ。だが僕自身はハリー・ポッターを使った交渉に向けて仕事が山積みだし、悲しいことに一文にもならない。本職も、公務員の給料はそう簡単に上がらない。

 僕のやるべきことは何もかも金にならないなあ。損な人生。生まれる時代を間違えた。

 

 

……

 

 

「無理よ」

 

 

 ハーマイオニーは毅然とした態度で言い放った。

「ハリーが攫われてるのよ。平然と学校に行くなんて無理だわ」

「だが君たちに何ができる。騎士団でさえ行方をつかめないんだ」

「嘘だろ」

 宥めるルーピンの低い声をロンがピシャリと遮った。

「手がかりくらい掴んでるはずだ」

「未成年の魔法使いは足手まといだ」

 ルーピンはハーマイオニーの静かな怒りを冷ややかに分析し、言い聞かすようにゆっくりと喋る。

「ハリーをさらったのは死喰い人ではない。魔法省の人間だ。匂いがつけられた君たちにできることは何もない。むしろ…学内にいる人物を探ってほしい」

「パーシーを探れっていうのか?」

「いや。パーシーじゃないよ。……今度の闇の魔術に対する防衛術の教師だ」

「また魔法省からの人なんですか」

 ハーマイオニーはがっかりしたような声で言った。

「ああ。ほぼ間違いなく、敵だろう」

「それで、その人を倒すなりなんなりすればハリーが帰ってくるとでも?」

「ハリーはじきにこちらに返される。それは間違いないんだ。ただ…」

「ただ?」

「それ以外の問題に手が回らない。魔法省はダンブルドアから学校を奪おうとしている。それに関して我々が手を出す余地がない」

「…ハリーのかわりに、僕達にそっちをやって欲しいって?」

「そうだ」

「親友の生死もわからないのにそんな…」

「じゃあやっぱり、グリンデルバルドはイギリスにいるのね」

 ハーマイオニーは目をつぶり、思案しながら言葉を続ける。

「そうだ」

「ハリーをさらったのはグリンデルバルドなの?」

「ほぼ間違いなく」

 事の深刻さにロンはいまいちピンときてないようだった。

「グリンデルバルドがなんでハリーに?あいつもハリーに倒されたっけ?」

「こんな時に茶化さないでよ!理由なんていくらでもあるわ。ダンブルドアよ」

「グリンデルバルドはダンブルドアに倒されて、ヌルメンガードに投獄されたんだ」

「あの人に匹敵する闇の魔法使いよ。ああ、ダンブルドア一人じゃとても手が足りないじゃない…」

「そのとおり。だから君たちにこそ、学内にいてほしいんだ。恐らく今後学内に部外者が入るのは難しくなる…たとえ公用でもね。魔法省はどうにかしてダンブルドアを追い出そうとしている」

「それは死喰い人の仕業なの?」

「ルシウス・マルフォイが主導しているのは間違いない。だが死喰い人の総意かは不明だ。というのもあの人の復活が暗黙の了解となった今、ダンブルドアの所在はむしろしれてる方が都合がいい。魔法省は魔法省で、例のあの人に匹敵しうる人物を投獄したり追放したりしたくはないはずだ。考えられるのは…」

「ここでもグリンデルバルドの影が…ってこと?」

 ロンの言葉にルーピンはうなずく。そして一枚のピンぼけした写真を取り出した。

「グリンデルバルドと、不可解な働きをしているマルフォイを繋ぐパイプは彼しかいない」

 

 その写真の奥の方で黒い外套を着た老人と佇んでいるのは、枯れ草色の髪にマグルの量販店のスーツを着たくたびれた男…紛れもなくウラジーミル・プロップだった。

 

「嘘だろ?」

「いえ、むしろこれで納得したわ…」

 ロンとハーマイオニーはそれぞれ複雑な顔をし、もう一度写真を覗き込む。黒い外套の人物の顔はよく写っていない。これがグリンデルバルドなのだろうか?二人は昔本で読んだ悪魔が突然現実に現れたような奇妙な感覚に包まれた。

 

「まだ騎士団の一部しか知らない情報だ。…僕らは必ず、ハリーを助ける。信じてくれ」

 

………

 

 

 その言葉を頼りに、ロンとハーマイオニーはホグワーツ急行へ乗った。監督生の仕事も下級生に任せ、コンパートメントで新聞をめくった。ニュースは憂鬱なものばかりだった。

 

【マクミラン宅へ押し込み強盗】

【変身現代の記者変死】

【ロンドン橋落ちる】

【匿名告発。政府高官マグルへの虐待発覚】

 

 そういうどうしようもない日々の中に落ちている大切な何かを探していると、時間はあっという間だった。グリフィンドール生は新入生歓迎ムードでは覆いきれない不安を抱え、拍手も笑顔もぎこちなかった。

 だが、多くの生徒たちの関心は、新しい先生に向けられていた。

 すべての新入生の組分けが終わり、ダンブルドアが立ち上がり、挨拶を述べた。

 

「新入生の諸君、ようこそホグワーツへ。魔法の学びを得る貴重な七年間のはじまりじゃ。在校生の諸君はおかえりなさい…」

 

 こないだまでプロップがつまらなさそうな顔でかけていた席には、全身ピンク色のガマガエルみたいな顔のおばさんが座っていた。

 ハーマイオニーはその顔に見覚えがあった。ハリーをバッシングしていたリウェインのラジオによく出てる"類友"だ。ファッジ政権の中で一番きな臭い女…そしてウラジーミル・プロップの元上司。

 

「こうして皆さんのお顔を見るのを楽しみにしていました」

 

 女はわざとらしいほど甘ったるい声でそう切り出した。

 

「闇の魔術に対する防衛術教授兼ホグワーツ高等監査官のドローレス・アンブリッジです。皆さんの学びの健全性を正すべく、やってまいりました。どうぞよろしく」

 



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06.交渉③

 僕はまた、ポッターを洗ってやっていた。なんだか小さい頃を思い出す。父も良くこうやって僕を洗ってくれてたっけ。

 

 父との思い出。

 冷水をシャワーでかけられた。心臓が凍りそうな温度の水でずぶ濡れになりうずくまって震えていると父の罵声が聞こえる。『なぜお前だけが出来そこないなんだ?』僕が聞きたいよ。

 

 それに比べればまだポッターはマシだろう。シャワーは温水だし、僕は無言だし、たわしじゃなくてスポンジで洗ってやってるし。僕がこんなに優しいのはきっと反面教師のおかげだな。

 なんて今更変えようのない過去の話は置いておいて、明日はいよいよダンブルドアとの【交渉】の日だ。ポッターには少しだけ見綺麗にしてもらわないと困る。痩せこけた頬と落ちた筋肉は隠しようがないが使い古しの雑巾みたいな格好よりはいい。

 

「さて、段取りの確認だ」

 

 僕はほとんど独り言のようにポッターに話しかける。彼は座ったまま微動だにしない。そのまま僕は伸び切った彼の髪の毛をつまみ、ハサミを突きつけた。

 

「君は黙って寝てる。それだけ」

 

 じょきんと言う音とともに、髪の束がタイルに落ちた。ポッターのくせっ毛がどんどん刈り取られて、閉じ込める前と同じくらいの長さになっていく。シャワーをもう一度浴びせ、服を着せる。攫ってきた日と同じ洋服だ。

 

 ポッターを綺麗にして、またいつもどおりの場所にしまってから夕食に出た。

 

「人形遊びをしている気分になるよ」

 

 僕の言葉にボージンとゲラートが愉快そうに笑う。食卓の上のワインを勝手に開けて飲んでいたらしい。なんということだ。

「ヴォーヴァ、人形ならこいつの店にもあったぞ」

「ああ、中にマグルの指の日干しが入ってる」

 高笑い、高笑い。下品な趣味をお持ちのようで何よりだ。けれどもそういった品はいつどの時代でも需要がある。だからボージンは"バークス"を欠いてもなおここにいる。

 ボージン&バークスは"&"の示すとおり二人で作った店だが、カラクタス・バークはある日突然姿を消したという。その時の様子を酔ったボージンはこう語る。

 

「ありゃいつだったかな…一番ダイアゴン横丁に活気がなかった時だ。うん…。ノクターン横丁はそれにくらべりゃ人が多かった。だからあいつが消えたとき、俺は本当に腹がたった。従業員を急遽雇おうにも、どこも人手不足でな。

あとから気づいたんだが、あれは相当なことをやらかしたんだろうな…。もう半世紀も前か。例のあの人が…ああ、これはあんまり言うなよ…あの人の若者時代を知ってるやつはもう少ない…。あの人が、昔ここで働いてたんだよ。驚きだろ?だからそんときに、なんかしちまったんだろうな」

 

 よほどいいワインだったのかペラペラとよく舌がまわっている。ゲラートも赤ら顔で間違って店に入ってきて呪われた子供のくだりで楽しそうに笑ってる。つまみも殆ど二人で消化して、僕だけシラフで置き去りだった。

 ボージンの話はなんだか新鮮だった。確かにどんな大悪人も生まれたときは赤ん坊だ。ゲラートだって僕だって。過去はいつまで経っても影のように自分の跡を付け回してくる。過ちや恥、恐れなんかは一生消えないあざのように憑いてまわる。ヴォルデモートさえも?

 

「人間、過去の話をし始めちゃ終わりだぞ」

「あんたは獄卒の割には無口だな」

「ああ、半世紀も一人でいると言葉も忘れちまうのさ」

「へっ…それでもアズカバンよりはマシさ…。あんたもこの国で悪さをするのは控えたほうがいい」

「余生を無駄にするつもりはないよ」

「ぜひそうしてくれ」

 年寄り二人の世間話に飽きた僕は立ち上がり、食器を下げた。ゲラートは酩酊しテーブルに突っ伏したボージンを運んだ後、邪魔な食べかすをゴミ箱につっこんだ。

「小僧は大丈夫そうか?」

「さあね。彼が何を言っても僕には関係ないことさ。ただ…」

「ただ?」

「魔法ってのはほんとに厄介だよ。舌を引っ掻こぬいて記憶を消しても復元できるんだから…」

「そんな事したらダンブルドアはすぐに俺たちを捕まえに来る。いいんだよ、殴りかかってくるぐらいの元気さで」

 

 僕たちがハリー・ポッターを馬鹿正直に無傷で返すのは【ダンブルドアにヴォルデモートを倒してもらうため】だ。あわよくば共倒れ。どちらかが生き残ったとしても彼らほどの魔法使いがぶつかって勝者が無傷なんてありえない。僕らはとことん漁夫の利狙いだ。

 魔法使いの"名誉ある勝利"なんてものはそれにふさわしい場がある時のみにしか与えられないまやかしだ。高貴なる決闘をするにはゲラートは長く閉じ込められすぎていたし、僕は若すぎる。

 そういうのは本場紳士の国の人間に任せよう。革命家も役人も、基本的に高潔さとは無縁なのだから。

 

 

 ハリー・ポッターの誘拐はあるものと引き換えにするためだった。ゲラートの目的は、アルバス・ダンブルドアの持つ杖だ。

 これだけのコストをかけて取り戻す必要があるのか?と聞くと「俺のやる気を出し続けたいなら、杖は必要だよ」とはぐらかしたような答えが返ってくる。まあ、モチベーションを保つのは難しいよな。

 自分の知らない人生を抱えた人々へできる一番の配慮は、相手の見せたカード以外の事項に触れないことだ。

 

「なぜ物事が中途半端な状態で膠着しているのか…それは俺とダンブルドアの特殊な関係と、ダンブルドアとトム・リドルの特殊な関係がうまく噛み合わないせいだ」

 

 ゲラートいわく、事態は三角関係よりも複雑らしい。

「昔はもっとシンプルだった。世界対世界。今はすべてのことに個人の、どうでもいい感情がぶら下がっている。全く以て煩わしい。個人の数だけ戦いが存在して、膨れ上がってる。俺が思うに…現代人はもっとシンプルになるべきだ。トム・リドルは成功しかけた」

「が、失敗した。あんたもな」

「そのとおり。だが俺は世界に対して自分の後始末をつけようって誠意はあるぜ。たとえそれが手遅れでもな」

 

 

 事態は時間が経つほどキップルにまみれていく。

 

今日の見出し

ホグワーツ魔法魔術学校魔法生物飼育学教師にニュート・スキャマンダー氏就任

マグルのカルト団体が不法廃棄された歌う鍋を教団のシンボルに

アイルランドの小鬼が独立宣言?一部地域が音信不通

ふくろう郵便局、配達員(魔法使い)を募集開始

 

 権力者は奇跡的に日常に埋もれなかった出来事のうち、何%が自分の制御下にあるのかを日々憂いている。僕も似た気持ちを味わってる。この島国に来てから(つまり、僕が本格的に社会人になってから…)僕は自分がここにいるという実感がないままに生活してきたが、ここに来て初めて社会に参画している実感が湧いてきた。

 

 さて、念願の取引において重要なのは他人の邪魔が入らないという点に尽きる。その点はBDやほか関係者のおかげでほとんどケチがつかないくらいに完璧だ。むしろ、重要なのは舞台装置ではなく、舞台の終わったあとの役者の動きだった。

 ほんの数分で終わる交渉の後に残る膨大な禍根の交通整理…の準備がどれほど手間だったかは言うまでもない。

 泣いても笑ってもその成果は間もなくわかる。

 

 

 

 「ネクタイ曲がってないか?」

 

 翌日、僕はマグルの駅ナカで拾ってきたみたいなグレーの、縦縞のスーツを着て鏡の前に立っていた。襟元には無難なストライプのネクタイ。そして手には大きなバッグ。だれがどう見たって変な情報教材なんかを売りつけてくるセールスマンだ。

 歯磨きしながらゲラートは適当にうなずく。信用ならんやつ。ここには割れた鏡しかないからしょうがないが。

 

「段取りは」

 

 キングスクロス駅の混み合ったホームを泳ぐようにして、僕らはなんとか目的の電車に乗った。ボックス席で向かい合う。乗客は疎らだった。駅の中で買った具の偏ったサンドイッチとパックの野菜ジュースを食べて、地図を広げ最後の打ち合わせをした。

 傍から見れば僕らはどう見えるのだろうか。おっさん二人のピクニック?親子の小旅行?なんにせよ、少しワクワクした様子だったのは間違いない。

 

 

 草原と湿原と、ぽつりぽつりとたった家。だだっ広い大地の、おそらく何も割り振られてないただの草原が待ち合わせ場所だった。

 僕はただ一人で立っている。ここが草原じゃなければ、時折手元の時計を見る仕草や足元に置かれたバックから、誰か人を待っているようにしか見えない。

 

 秒針が指定の時間を指すと、背後でバシッという音がして、さっきまでいなかった老人が佇んでいた。

 

「お久しぶりです」

「ウラジーミル・ノヴォヴィッチ・プロップくん。いやはや。君のような若者に一本取られたとは」

 薄紫のローブに半月メガネ。スーツの僕と比べるといかにも魔法使いだ。どちらもこの枯れ草色の大地に不似合いなのは変わりないが。この場所、待ち合わせ自体はこちらも罠を張ったりしていないしあちらもそれを確認済みだ。本当に、ただの草原。

 

「彼が生きている証拠は?」

「切った髪の束を送りましたよね?」

「受け取ったとも。じゃが…言い方は悪いが、死体からでも髪くらい採れる」

「はは…それもそうだ。とはいえ、貴方はそれを確かめないまま取引に応じた。つまり生死は取引要件に含まれない。…別に死んじゃいないが、ここまできたらそんなこと突っ込むのが野暮だ」

「なるほど、こちらの落ち度であると?」

「ああ。ゴネて長引かせるのは勘弁してくれ。僕みたいな凡夫は、時間通りに事が進んでないと正気を失う」

「それは難儀じゃのう。では…」

 

 ダンブルドアは懐から長い杖を取り出し、手元でくるりと回してから持ち手を僕に向け、差し出した。

 僕はバッグを持ち上げ、彼に差し出す。

 

 お互いがお互いの品を受け取り、僕らは静かに距離を取った。

 取引は一瞬だ。僕が杖を手にした瞬間、耳に挿しておいたイヤフォンからノイズの激しいゲラートの声がする。

 

『ヴォーヴァ、やっぱりおいでなすった』

 

 当然、この草原から見えない場所で騎士団が張っていたようだ。もちろん承知の上だ。

 僕は踵を返し、カバンを抱き姿くらまししたダンブルドアの立っていた場所を踏みつけていく。

 風を切る音ー空を仰ぎ見ると、黒い靄のようなものが地平線の向こうへ墜ちてゆき、バーンとおおきな音を立てて光線を発射した。

 死喰い人のお出ましだった。一瞬僕のことを殺しに来たのかと思ったが、狙いはどうやら騎士団らしい。僕は走り、草に足を取られて転びそうになりながら所定の位置へたどり着く。

 地面に落ちた、ブリキの箱。それを開けると中にはほとんど朽ちかけた紙の優勝メダルが入っていた。

 クィディッチワールドカップのときに大量に作られたうち、大量に遺棄され、回収されそこねた移動キーのうちの一つだった。

 それをつまみ上げようとしたとき、草をかき分ける音と、爪のようなものが地面をける、カリッという音がした。

 その音の方を見た瞬間、移動キーが発動し、景色が歪む。同時に無意識に顔をかばうようにしていた左腕に、なにか黒いものが噛み付くのが見えた。そして全てが無茶苦茶に混ぜた絵の具みたいになって、景色が変わった。

 

 

 

 熱い。まず感じたのは熱さで、その次に感じたのは鼻腔いっぱいに広がる獣臭さだった。鼻息と、唾液。目の前に広がる闇が単なる暗闇でなく、生き物の黒い毛皮だとわかった。

 狼のような動物が腕に噛みついている。そうわかった途端痛みよりもまず怒りが湧いた。完成前のドミノを崩された気分だ。

 狼はほとんど僕に覆いかぶさっていて、腕の骨を砕いただけじゃ飽き足らず、僕の喉笛を噛み千切ろうとしている。

 とにかく腹を蹴った。靴底越しに、皮越しに感じる内臓の柔らかさ。しかし何度も蹴り上げても狼はそこをどこうとしなかった。それどころかどんどん牙を腕に食い込ませていく。

 背骨を走るような悪寒。僕は悲鳴か罵声かわからない声を上げて必死に抵抗していた。脳の隅では左手が使えなくなって困ることを淡々とリストアップしていた。思ったよりも少なかった。

 なんて、走馬灯もどきを見ていると、どこからかやっと味方の登場だ。

 

「おいおいおい!こんなの計画になかったよな?」

 

 天からいがらっぽい声がして、上に覆いかぶさる狼目掛けて岩が飛んできた。岩は僕をしゃぶるのに夢中になってた狼に命中した。狼は吹っ飛び、僕の腹の上にはその岩が落ちた。

 咳き込んだのち、自分の受けたダメージに見合ったくらいのゲロを吐いた。

「クソ、遅いぞ」

 僕は吹っ飛んだ狼を探す。もうその場にいない。ただ木の影から突き刺さるような視線を感じた。

「しょうがないだろ。おまえが予定してたところ、ズレてたんだ」

 そう言って僕の左腕の傷を見て、ネクラースは眉をひそめた。自分のベルトを抜くと僕の方に巻き付け、一応の止血をする。こいつは度を越したナチュラリストだから、魔法による血止や治療は期待できなかった。

「こりゃ酷い。どうやったら狼をここまでキレさせられる」

「知るか。それよりまだ襲ってくるかもしれない」

「確かに。とりあえずジョンのところまで戻ろう」

 ネクラースは僕の肩をしっかり抱き、ほとんど引きずるようにして木々の間を走っていく。傷は思っているよりひどく、腕から先がとれてしまったみたいに何も感じない。ただ目で見えるミンチっぷりを見るに、癒者なしに完治しなさそうだった。

「クソ…なんで狼なんか。おい、あの地区に狼なんていたのか?」

「バカ、あれは犬だよ。バカでかい黒犬…」

「どうだっていい!なぜあんなものが。ペットかなんかかよ」

「んにゃ。ありゃ動物もどきだろうな。おまえ、ヘマしたんだよ」

「なに…?」

 

 ネクラースは人生の殆どを魔法生物を殺すことにかけたプロフェッショナルだ。彼が“動物もどき”だと断言するのならば間違いないだろうが、あいにく動物もどきに噛みつかれる心当たりがない。

「グリムみてえな犬だったな。まだすぐ後ろにいる」

「人には戻らないのか」

「さあな。俺たちを見てどっちが効率いいか考えてんだろ…おっと」

 木々の隙間に見える少し開けた場所が見えた。そこに横たわる大岩に、男が一人腰掛けていた。つやのある黒髪を編み込んだ、手のかかった髪型に、ルシウス・マルフォイを彷彿とさせる時代遅れな貴族衣装を着た男だ。

 彼はジョン・ドゥー。神秘部勤務の魔法使いであり、元呪い破りだった。

「おや」

 彼は僕の傷を見て顔を顰める。

「困るね、そういうことが起きるなんて聞いていないんだが」

「事故だ。犬に化けた何者かがまだそこにいる」

「ふぅン。そりゃ困ったね。顔を見られたかな?」

「犬は目が悪い。まだヤツは犬だ」

「じゃあ顔を隠しとこうかね…」

 ジョンはそういったがいいが、自分が顔を隠すものを何も持ってないことに気付いて空笑いした。ここには自分以外世間から一インチほど浮いた人間しかいない。

「ワンコちゃんが僕らを噛み殺す決心する前にやってくれよ」

「オォ、恐ろしい。ネクラースがいるから、まあそこは心配ないけどね」

 ネクラースは周りを取り囲む木々の一点を凝視していた。“そこ”にいるらしい。

 傷口に唸る僕を見てからジョンは懐からナイフを取り出し、自分の手に深く切り込みを入れた。そしてぶつぶつと聖書を諳んじながら、僕の体に手をかざした。聖書である意味はないというのに彼は神への祈りをやめない。

 

 ジョン・ドゥーは呪いを破ることに特化した魔法使いで、そのかわり杖が持てない。だから呪い破りをやってた頃は相方の小鬼とマンツーマンで墓破り金庫破り等々に携わっていたが、15年ほど前“うっかり”小鬼を千尋の谷に突き落としたそうだ。

「どうしてかな」

 本人はとぼけたように笑った。

「気が抜けたのかな」

 そうして呪い破りをクビになったのはヴォルデモートが死んだ年だった。そしてすぐさま死喰い人である嫌疑をかけられたが、彼の呪い破りの才能を欲した神秘部部長により拾われ、今に至る。

 彼は死喰い人ではないが、小鬼と結託し何かしら騒乱を企んでいたのは間違いなかった。そこそこの悪人がこうして普通に役人として飯を食ってるんだから世界はまだまだ改善の余地があるってもんだ。

 

「追跡呪文はかかってない。かかってても、今解けた。周囲も当然何もないからね。帰れる」

「セストラルも準備万端だ。200メートルはあるくが」

「とっとと行こう」

 僕は早くこの場を立ち去りたかった。治療したくてたまらない。不快な畜生の涎と、泥と、汚らわしい血を洗い流したかった。

 

「ここを離れた途端、あのワンコロは特攻してくるかもしれねえ」

「ぶっ殺してくれよ」

「ありゃ動物もどきだろ。人間のときならともかく、半端だから嫌だ」

 ネクラースの言い分は意味不明だった。

「兎にも角にもとっととずらかろう。本番はこれからなんだ」

「ネクラース、彼相当お冠だ」

「ああ…わかった、わかったよ…まったく…」

 

 ネクラースは渋々杖を抜き、のそのそと先導した。犬は襲ってこないまま、ずっと背後をつけていた。どうやら三人相手に戦いを挑むつもりはないらしい。安心しつつも、判断の冷静さになんだか嫌な感じがした。

 だが今の僕はそんな嫌な感じよりも、自分の腕が心配だった。失血のせいか、寒気までしてくる。

 

 セストラルに跨がり、蹄が地面を蹴り上げたあとに、自分に噛み付いた犬が躍り出た。

 爛々と輝く獣の瞳が、僕のことを見ていた。

 

 

 ーヘマしたんだよー

 

 

 ネクラースの言葉が脳内をぐるぐると回った。クソッタレ。

 このヘマは尾を引く。直感的にそう思った。




不定期更新と銘打ってましたが月一ペースで書いていけたらな…と思ってます。ファンタビまでに終わる気がしませんね


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07.時間①

 いつもはゆっくり時計の針が進む聖マンゴ病院特別病棟。ただし今日だけはすべてが慌ただしかった。

 まず、私…ジェーン・シンガーの勤める聖マンゴ病院特別病棟は、主に不可逆性の損傷を受けた患者の……ううん、こんな言い方じゃ回りくど過ぎる。要するに、もう手遅れでもとに戻らない人たちの病棟だ。

 例のあの人に拷問を受けて完全に頭がおかしくなった人だとか、忘却術が逆噴射しちゃった人だとか、頭をほとんど植物に乗っ取られた人だとか、そういう人たち。

 悲しいのは、魔法があれば肉体的な損傷はほとんど元通りにできるってこと。患者さんの家族は、そのどうしようもない欠落をむりやり覆い隠されたせいで余計にその欠落がいかに致命的かを突きつけられる。そして、いつの間にか見舞いには誰も来なくなる。

 ここはまるで宝箱みたいだ、とブルック兄さんは言った。

 

「あるのは宝じゃなくて、しまって忘れられたガラクタばっかだけどな」

 

 患者さんの前で言うもんだから引っ叩いてやったけど、この上なく的確だと思ってしまった。それに、兄さんの心無い言葉は患者さんの誰の耳にも届いてなかった。

 私みたいなほとんど杖の使えない落第生が曲がりなりにも看護助手なんて仕事につけるのは、彼らがモノ同然なおかげ。ここで必要なのは忍耐力と、鈍感さと、そういう物悲しさを割り切れるある種の冷徹さだけだ。

 

 そんな、浮世からさらにまた浮いた場所に、急患が担ぎ込まれてきた。

 極秘だと言われた。極秘ならもっとプロフェッショナルに任せるべきでは?と進言にもかかわらず、私はその急患の担当になった。理由は、魔法が下手だから。

 つまり殺そうと思っても殺す手段がないだろうという、簡単な理由だった。誰もペットの犬が寝首をかかないか心配しないのと同じだった。

 なんじゃそりゃーと思ったけど、それが理由で好かれることは意外と多かった。無力であることを開示する代わりに得られる他者からの信頼は、私がその場で残飯をケーキに変えたりしない限り揺るがないだろう。

 

ーようするに、舐められてるのだ。

 

 だからといって、怒りは湧いてこないけど。

 そもそも怒りを燃やせるほど生活に余裕はなかった。思うに、中途半端に満たされてるのが諸悪の根源なのだ。いつ貧困のどん底におちても不思議じゃない状態ならば、茶葉の模様に一喜一憂する暇なんてない。

 

ーそういえば、ここ数年茶葉で紅茶を飲んでいない

 

 だからといって、死ぬことはないけど。生活に余裕がないからね…。

 なんだかこうやって程々の諦めを繰り返していくうちにお婆ちゃんになっちゃいそうで嫌だな。そう思いつつ、日常はどうやったってやりたくない些事まみれで消費されていく。急患の担当は刺激のない毎日にとってはいい刺激かもしれない、とポジティブに捉えることにする。

 

 まず、私は誓わされた。

 

「私、ジェーン・ペトラ・シンガーはこの患者の情報をいかなる者にも漏らさないと誓います」

 

 後に致命的なことと知るのだが、どうやらこの誓は破れぬ誓いと言うらしかった。そして通されたのは痩せこけた少年のベッドだった。見覚えのあるその患者の名前を、口にするのは恐ろしかった。

 

 

 

……

 

 

「酷くやられたな」

 分かってることをいちいち言うなよ。と文句垂れたいのは山々だったが、治療してもらってる身なので治療者の機嫌を損ねることはしたくなかった。僕の傷は諸般の事情によりグリンデルバルド先生による外科治療と相成った。闇癒者の協力者は用意していなかった。

 とはいえ、実際魔法界において外科的治療は殆どのご家庭で容易に行えるたぐいのもので、呪文や謎の薬物による疾患よりもマシなのは間違いない。傷口から泥やゴミを取っ払い、傷の具合を見つつハナハッカを塗るだけだ。

 ゆっくりと時間をかければ綺麗に治る…とはいえ、僕にはゆっくりしている時間もなかった。ゲラートはハナハッカを塗りつつ、呪文をかけてどんどん傷口を癒やしていく。

 杖は、先程手に入れたダンブルドアの杖ではなくていつも使ってるなんの変哲もないオークの杖だった。

「おニューのは使わないのか」

「ああ。使えないだろ、あいつの手から奪ったとはいえ俺のものになったわけじゃない」

「ふうん」

「まあとにかく、この杖がダンブルドアの手元にないってことが重要なのさ」

「特別な杖なのか?」

「まあね」

 ゲラートはそれ以上話してくれなかった。

 

「明日は魔法省に行くな。理由を聞かれる」

「バカ言え、明日休んだらいかにもだろう。それにどうせ執務室にこもりきりなんだ。問題ない」

 

 結果的に、僕は助手に使っている、ホグワーツを卒業したてで僕のシンパだった学生に心配されただけですんだ。

 

 僕の腕をミンチにしかけたくそったれの犬について、歯型からネクラースはいくつか筋をあたってみると言って音信不通になった。彼は魔法生物に関して信頼が置けるが、動物もどきについてはわからなかった。

 とにかく、僕が犯人であるとわかってて噛み付いて、喧嘩を売ったやつがいることは間違いない。正直言っていつ闇討ちされるか気がきでなかった。だがそこで日和ってるようじゃ、これから僕とゲラートとで成そうとしている大事業は成功の見込みはない。

 これはもう魔法使いには決して理解できない感情だとはわかっているが、僕は魔法省のリノリウムを踏み鳴らす山高帽のすべてが剥き身のナイフみたいに鋭く、そして恐ろしく感じる。僕が悪事を働いてると知ってる誰かが、黒いマントの人混みからふらりと現れ、僕に緑の閃光を浴びせる。

 

 十分あり得るだろ。

 

 一皮むけば僕は悲しいほど無力で、弱くて、惨めな存在だと必死で隠している、ただの中年だ。若さゆえの万能感も肯定感もなく、きっと一生強者の慈悲に縋っていくしかない。

 魔法使いがマグルに対してどれだけ残酷になれるかは、数多の死喰い人、遡れば魔法族全体が示していた。彼らの歴史は表面こそ穏和で、賢く、調和に満ちているが、少し読み込めば、一行前に登場したマグルはうさぎのパイになっている。

 

「成功…と言っていいのか?」

 と、ルシウス・マルフォイはせせら笑うように、僕の袖口から覗く包帯を一瞥してから言った。

「ファッジから聞いてないのか」

「ああ勿論、私は彼の相談役と言っていいほど信頼されているから」

 わざわざ嫌味を言ってくるあたり、死喰い人の中での仲良しグループ闘争で一時的な勝利をつかめたらしい。わかりやすくてなによりだ。その勝利は杖改め委員会のそれなりのポストとの交換で、長続きしないことを本人もわかっていた。ルシウス・マルフォイは達成された欲望の賞味期限についてよく知っていた。

「僕が犯人だと確信したやつがひとりいる。動物もどきだ。おそらく未登録の」

「何?」

 ルシウスの表情は語調とは裏腹に変化がなかった。心当たりがあるんだろう。だがそれをジョーカーを切り終えたばかりの人間に対して尋ねるのはあまりに愚直だ。僕という札はそれなりの価値を持つ。情報の代償にふっかけられるに違いない。

「騎士団のメンバーなら問題ない。闇祓いだったら厄介だが…未登録ということはまず名乗り出られないだろう。一つ知っておいてほしいのは、ポッターはもう僕らの手元にないということだけだ」

「ああ、それはもう十分わかっている。それで、君はどうする?外国にでも逃げるのかね」

「ああ…それもいいかもしれない」

 嫌味を素直に肯定されて、ルシウスは面食らっていた。だが事実、僕は外国に行く理由が山ほどあった。

 

 魔法を使う人間は、概ね自らを他の生物より優れてると感じる。故に、『我々より知性の劣る』ものを保護しようというナルシズムに陥るらしい。(余談だが、マグルがイルカを殺すのを躊躇ってると聞いたときは笑ってしまった)

 しかしながらマグルに関してはそれは驕りであり、見当違いの気遣いだった。魔法使いはもっと早いうちにマグルを虐殺すべきだった。類人猿のときマグルがそうしたように。だが、もうそれも手遅れだ。

 僕は意外にも、まだ生きている。襲撃者はいつまでたってもやってこなかった。あれは本当に野犬だったんじゃないかと思い始めたとき、ネクラースの手紙をくくりつけたコウモリが僕が泊まっているマグルの安ホテルの窓に激突した。

 

 僕の心配事はネクラースのおかげでずいぶん楽になった。ルシウスに媚びへつらう必要もゲラートに泣きつく必要も消えて本当に安心した。

 気づかなくて本当に間抜けだが、実のところ、僕は毎日あの忌まわしい黒い犬につけまわされていたらしい。

「執念深さには感服するが、賢いとは思えん」

 と、ネクラースは言った。ネクラースは犬の写真とその犬をみかけた場所を示した地図を僕に渡した。

「あとは好きなように。ここからは有料だ」

 動物を、生き物を殺すことにかけてはネクラースはプロだ。処刑執行人ワルデン・マクネアなんか目じゃない。

「いくらだ」

「もどきだからな。700」

「なるほど、考えさせてくれ」

 ネクラースは確かに仲間だが、僕らの関係は予想される利益の額とほんの少しの夢で支えられたものであり、リスクとリターンについては別勘定だ。

 明確な値段を提示するということは、おそらくは人間の姿も捉え、さらには身元も住所も特定しているのだろう。だが僕の貯金はすっからかんで、僕はここに来て金に困るというしょうもない事態に陥っていた。

 そういう時はレナオルドの元へ行くのが常だった。

 レナオルドは勘定を人生にしていただけあって話が早い。だが700ガリオンの付加価値を彼に提示するのは困難だった。というのも彼はすでに僕にかなりの協力をしてくれていたからだ。

「ああ、あの犬か」

 レナオルドは事務所でそろばん(東洋の計算機)を弾きながら、絶えず飛んでくる紙飛行機を時々はたき落としていた。

「ネクラースに任せるが吉だが、こっちも好景気とはいかなくてね。死喰い人が暴れるもんだからどの店も支払いが滞ってる。儲かってるのはWWWって店だけだ」

「じゃあ単純に金がないわけか」

「まあね。ネクラースはそこまで考えちゃいないが、俺があんたに協力するのはある種の投資だし、あんたの命の危機を救わなきゃ回収できない」

「…しょうがない。いい話が出てきたらまた来るよ」

「本当にやばくなったら言えよ。最悪俺の方でなんとかする」

「ありがとう」

 レナオルドに汚れ仕事をさせるのは得策ではない。彼がやがて演じるであろう役はできるだけ潔癖であることが求められる。ともあれ、僕はお手上げだった。

 

「そういうときは、目の前の仕事に集中することだ。なんもかも忘れるくらい」

 

 レナオルドの助言は的確だった。目の前のことに焦点を合わせれば、背後に広がる不安事項はボヤけてく。黒犬の襲撃を避けるため、僕は毎日マグルですし詰めの地下鉄をくぐり、魔法使い用の偽装された入り口(最悪なことに駅のトイレ)を使うことにした。

 右も左も人間の吐息で生温かいが、突然野犬に腕を食いちぎられる危険は薄まった。

 さて、では彼の助言どおりに目の前のことに集中しよう。雑務はいつだってデスクに山をなしている。

 

……

 

 移動キーで消えたハリーをさらった人物の行方は巧妙に隠されていて、闇祓い数名を割いてるにもかかわらず未だ痕跡すら見つけられない。それどころか、マグルの交通機関での目撃情報すら集められない始末だった。マグルたちの監視はほとんど『カメラ』に入れ替わっていて、乗客一人一人の記憶を覗き犯人を探し出すのは砂漠でガラスの粒を見つけるようなものだった。

 何も書かれてないに等しい日報に目を通し、闇祓い局長スクリムジョールは、ぎゅっとシワの寄った眉間をゆっくりほぐした。

 

 何よりこの件で不愉快なのは、闇祓い局は騎士団の独断専行で行われた作戦の後始末をさせられているにすぎないということだった。

 スクリムジョールは騎士団に対して私情を挟まず公正に接してきたし、法のみでは立ち向かえない困難に対する重要な功績の数々に惜しみない称賛を送った。騎士団も闇祓い局へは敬意を持って接していた。メンバーの殆どが被っているというのもあり、関係は良好だった。

 しかしながらグリンデルバルド脱獄からハリー・ポッター失踪にかけて騎士団は動きを完全に地下にうつし、今まで最低限あった局長、スクリムジョールへの報告すら途絶えた。

 魔法省内に敵対勢力のスパイがいるのは確実であり、それは闇祓い局とて例外ではない。現状は痛いほど理解している。しかしながら、杖改法施行を始めとした大掛かりな事業や増加する犯罪もまた重大な危機であり、放置すれば膿む傷のように事態は時間を経るごとに悪化していく。

 最近、ファッジがマグル首相担当を新設し、魔法法執行部の人間を割り当てた。また杖改法に伴い臨時の人員を大量採用したせいで出入り口のガード魔ンはトラブル続き。現在の魔法省のセキュリティはその気になればアズカバン脱獄囚も紛れ込めるほどだった。

 それに死喰い人が絡んでいる確証はなかったが、この混乱は誰かが意図して起こしたものだという直感はあった。

 だとすれば考えられるのは…。

 

 スクリムジョールは紙束をおいて立ち上がった。すでに局長会議の時間だった。

 

 局長会議は事態が際限なく悪化し、各局ごとにどんどん状況が変わっていくのを少しでも共有するために設けられた。スクリムジョールを初めとする実務的な人間はこの会議を時間の無駄だと思っているが、魔法法執行部や国際魔法協力部あたりはグリンデルバルドがらみで共有事項が多く、随分ためになっているようだった。

 この日の会議は珍しく魔法生物規制管理部からも、保護区の生物の脱走についての報告があった。さらに国際魔法協力部からも巨人族の動きについての報告が上がり、事態は水面下で動き続けていると実感させられる。

 闇祓い局からももちろん重要な報告があった。

 

「まだ大臣しかご存知ありませんが…ハリー・ポッターが生還しました」

 

 報告に場の空気に緊張が走った。ヒソヒソ声が部屋の中を駆け巡り、たっぷり30秒黙ってから続きを報告する。

「衰弱してはいるものの目立った怪我も、呪文損傷もありません。ただしハリー・ポッター自身はダンブルドア以外への供述を拒んでいます」

「なんと生意気な!」

 と声を上げるのはファッジ派の魔法使いだ。(確かスポーツ部の課長だかなんだか。今日はクィディッチの準決勝だ。きっと貧乏くじを引いたんだ。)

「ポッターは今どこに。安全なのですか?」

「それは警備の都合上お伝えできません。勿論警備には万全を期しております」

「報道へ会見する予定は?」

 と尋ねるのは魔法法執行部の代表が連れてきた痩身の男で、枯れ草色の髪がやけにくたびれた印象をだしていた。包帯の巻かれた手を少し挙げ、こちらをまっすぐ見ていた。

「ない。彼が無事ホグワーツへ戻されるまでは」

「ホグワーツへ?」

 魔法事故惨事部のロウルがいささか驚いたように言う。

「いやそれが正解だよ。ホグワーツが現状最も安全でしょう?」

 と、運輸部がとぼけた声で言う。スクリムジョールの同意にファッジ派の魔法使いが次々と反論を唱える。

 議題はいつの間にかダンブルドアの陰謀論へ掏り替わり、会議は井戸端会議へ移行した。時間がどんどん無駄に過ぎていく。

 いつの間にか司会進行は先程挙手したくたびれた顔の男にかわり、場はどんどん加熱していった。ダンブルドアとグリンデルバルドの共謀、例のあの人復活論は小鬼が流したデマ。等々、口から出る言葉がゴシップ誌のような安っぽいものになったころ、場の空気はやや白け、スクリムジョールの号令で会議は終わった。

 

「全く、この会議のあとはいつも無駄に疲れる…」

 ロウルが会議後珍しく話しかけてきた。彼もまた四六時中事件が起こる職場にいるせいか、無駄な会議というものの愚かしさについては似たような感想を持っているはずだ。

「意味があるのかわかりませんな。誰が言い出したんだか、結局最後は噂話だ」

「確かに、情報の9割は屑だがね」

「ハリー・ポッターは本当に、何も証言してないんですか?」

「ああ。我々には何も。近々ダンブルドアが面会に来るそうだから、きっとそのときになにか話すだろう。もっともダンブルドアが我々にそれを報告するかどうかはわからんが…」

 ロウルは大きくため息をついた。

「我々役人は損ですよねえ」

「まったくそのとおりだ」

 

 

 



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08.時間②

 「ユニコーンの毛、アカシア材…30センチ。たおやかな曲線。貴方の産まれるより前から店に眠っていたものです」

 

 オリバンダーはダンブルドアの手に収まった深い赤みの杖を愛おしげに言った。その杖はオリバンダーの手によるものではなく、彼の父が晩年、最後に作った杖だった。

 アカシアの木材は扱える魔法使いが少ない。さらにこの杖に限って言えば作り手の最後の情熱が注がれているせいか、これまで百年近く誰も選ぶことがなかった。

 ダンブルドアの杖はハリー・ポッターと引き換えに奪われた。その事実を知るものは騎士団とオリバンダー、ウラジーミル・プロップに通じる者のみだった。

「よりによって老い先短い年寄を選ぶとはのう」

「いえ、あなたと出会うのをずっと待っていたのです」

 杖と魔法使いは比翼の鳥のようなものだ。父親の遺作はようやっと自身に見合った片翼を見つけられた。それも偉大な。ダンブルドアが杖を再び取り戻すまでの繋だとしても、ずっと棚の奥に仕舞われているよりよっぽどいい。

 

 それにしても、とオリバンダーは考える。

 何故敵は杖を奪うなんて半端なことを?

 勿論杖は魔法使いの生命線だ。だがその気になればこうしてすぐに合う杖をみつけられるし、合わなくても無理やり魔法を行使することはできる。杖の剥奪はいわば一時的な無力化に過ぎない。本当にダンブルドアを殺したいなら、杖作りの自分もまとめて殺すべきなのだ。

 それだけで敵は闇の帝王でないとわかる。だとすれば…

 頭のなかにあの白髪の、骸骨のような男の顔が浮かんだ。グリンデルバルド。今の子供にとっては昔話の悪役だが、オリバンダーにとっては未だ鮮烈で生々しい傷跡のようなものだった。

 

 ダンブルドアはミネルバ・マクゴナガルにオリバンダーを送らせる。入れ替わりで入室したのは、いつもどおり、渋い顔をしたセブルス・スネイプだった。

 

「それで、ポッターは?」

「良くない。と言っても、体はすぐに回復するじゃろう」

「では精神が?」

「いいや、発狂しているわけでも洗脳されているわけでもない。ただ些か秘密主義になったようでの。儂に全てを話してくれたわけではないようじゃ」

「プロップになにかされたと考えるのが妥当では?」

 

 ダンブルドアは悩ましげに半月眼鏡をはずし、薄いブルーの布で拭いた。こんな仕草は稀だった。

 

「聖マンゴの癒者がハリーを洗いざらい調べた。服従の呪文の二重検査まで施した。それでも呪文の形跡がない」

 

…服従の呪文二重検査とは…

本来服従の呪文はいかなる場合においても違法だが、極めて重要かつ緊急性を要する事態のみ認められた特例措置である。闇祓いの資格を有する者2名と癒療従事者1名の立会のもと行われる。服従の呪文にかかった疑いのある者に再び術をかける検査。服従の呪文は二重にかかることはない。被験者が激しい拒絶反応を示した場合、服従が立証される。そのまま服従した場合、呪文行使者は立会人の指示により速やかに術を解き、呪文後遺症の検査後二週間のカウンセリングが行われる。

 

 

 

「グレンジャーやウィーズリーにならばあるいは話したかもしれん。じゃが残念ながら、儂は彼の信頼を大きく損なったようじゃ…」

 

 ダンブルドアがハリーとの面会に漕ぎ着くまで、かなりの時間がかかった。検査や治療に時間がかかったのももちろんだがファッジが申請書にサインするのをギリギリまで渋ったせいもある。

 病室の扉を開けたとき、ハリーは本を読んでいた。テーブルには六年生用の教科書が積み上がっていて、ダンブルドアは心を痛めた。もう学校ではハロウィンの準備をしている。

「ハリー」

 声をかけてやっとハリーはダンブルドアに気付き、教科書を閉じた。

「ダンブルドア先生…」

「ようやく会えたのう」

 ハリーは顔を顰めた。彼の抱いてる不満はわかる。ここまで救出が遅れたこと、面会が遅れたこと。様々な自体がこんがらがった結果とはいえ、当の本人にはそんな事情は関係ない。

「まず君に謝らねばならない。すぐに助け出すことができなくて本当にすまない」

「…いえ、事情はわかってます」

「この場所にはいかなる魔法もかかっていない。盗聴の心配はない。君は今まで誰にも犯人について供述しなかった。わしには教えてくれるじゃろうか」

「ええ、先生。僕はあなたにしか話さないと決めてました」

 ハリーの言い草は些か奇妙だった。まるで魔法省への反感や騎士団への好意といった面で決定したのではなく、理性的な判断により決めたような口ぶりだった。今までのハリーには見られない判断基準だ。

「僕を誘拐したのは死喰い人でも魔法省でもありません。プロップ先生です」

「ああ、そうじゃろうと思ってた」

「そうだと思ってた、ですって?」

 ダンブルドアは自分がハリーの地雷を踏み抜いたことを悟った。

「去年は不干渉を貫いて、誘拐されて何ヶ月も放っておいたのも全部知ってたからですか?ヴォルデモートが暴れ、プロップが暗躍してるのも全部あなたの計画のうち?冗談じゃない!」

 癇癪を起こした子どもの扱いは苦手だった。正解はほとんど【静観】である。嵐が過ぎ去るのを待つ他ない。

「先生は何を考えてるんですか」

「ハリー。君が怒るのも当然じゃ。今からわしは、君にすべてを話す気でいる。どうか落ち着いて聞いてほしい」

 

 

 

 

「…ポッターにどこまで話したのです?」

「わしの把握している情勢じゃ。ヴォルデモートとプロップは緩やかな連合を組んでいること。ハリーの命が彼らの交渉材料になっており、命と引き換えにわしは杖を失ったこと。プロップはわしを消耗させることで、この三つ巴ができる限り長くもつれることを期待していること」

「そこまで話して…大丈夫なのですか?彼はまだ未成年なのですよ」

「勿論…だがそうは言ってられん。ハリーがこちらへ全幅の信頼を置くには曝け出さねばならん」

「……」

 セブルスは苦々しい顔をする。彼とて、ダンブルドアの命令で一切の手出しを禁止されていた。せいぜい死喰い人側の立場から安否を聞き出すくらいしか。彼がそれで納得していたのは、彼が大人だからだ。

「プロップはヴォルデモートを脅威に思っているとハリーは言った。もしかしたら共闘も…とまで。彼がプロップに対して、誘拐被害者であるにも関わらず信頼を寄せているのは驚愕じゃった」

「たしかに昨年度は懐いていたようですが…」

「ハリーがプロップ側に寝返るようなことはないじゃろう。これ以上彼と接触させなければ。ただ彼はハリーの心になにか芽を植え付けたような気がしてならんよ」

「…ポッターは危険思想に染まった、と」

「そうとはいっておらぬ」

 

 ハリーはきっと真っ当なままで、勇敢で、仲間思いで、今まで通りまっすぐ運命に立ち向かうだろう。ただしプロップが彼の向かうべき運命をこっそり書き換えているかもしれなかった。

 

 

 

 

 病室で、ダンブルドアはハリーに訴えかけた。

「プロップがヴォルデモートの打倒を目指すのは当然じゃ。なぜなら彼の背後にはグリンデルバルドがいる。自分より強い闇の魔法使いがいるのをグリンデルバルドは許さんじゃろう…」

 グリンデルバルドの話を持ち出すときのダンブルドアは遠くを見るような瞳をしている。ハリーはそれに気づいている。

「グリンデルバルドの目指す未来も、ヴォルデモートの目指す未来も、力に溺れた歪な世界じゃ。我々は三つ巴のさなかにいるのじゃ」

「わかっています。…どっちにしろ標的は僕なんでしょう。ずっとここに閉じ込めますか」

「まさか、そんなことはしない。君はクリスマス明けに学校へ帰れる」

「…ほんとうですか?」

「そうとも。君の無事はもうミスグレンジャー、ミスターウィーズリーには伝わっておる。騎士団にもじゃ。一度、騎士団本部によってから行くと良い。みなも喜ぶじゃろう」

 ハリーはやっと嬉しそうな顔をした。むりやり彼の喜ぶ話題にしたとはいえ、ダンブルドアはほっとする。

「それまでどうか、ここで療養しておくれ」

「……わかりました」

 

 けたたましくノックされた。面会時間はちょうど終了のようだった。

「では、ハリー…お大事に」

 

 感じのいいナースが入れ違いで出ていくダンブルドアに会釈し、ハリーに食事を運んでった。こうして面会は終わった。

 

 

 

「今は新聞もラジオも、真実らしきものしか伝えておらん。魔法界は今気付かんうちに混沌へ突き進んでいる」

 

 リウェイン・シャフィックは魔法省発表の法案を民衆にわかりやすく噛み砕く広報役になっている。 毎日マグルが殺されてるのに、マグル間の事故として処理されている。役人が、週に五人入れ替わってる。誰もそれに違和感を持たない。

 人事が流動していく。昨日までの上司がいない。毎日法令が作られる。守る暇もなく、廃止される。どんどん歯車が噛み合わなくなっていく。

 その全てがウラジーミル・プロップとその裏に控えるグリンデルバルドの謀略だとしたら、次に起こるのは魔法省の乗っ取りだ。ファッジを完全に操るか、それとも別の誰かを立てるか。

 難しい話ではないのかもしれない。死喰い人側と組んでるのならば、もう魔法省の半数の票は握っているも同然だ。

 ヴォルデモートの狙いがダンブルドアとハリーの殺害、そして虐殺という至ってシンプルなものなのに反して、グリンデルバルドは違う。

 政権奪取がかなったら、ついに彼の悲願、国際魔法使い連盟機密保持法の撤廃へと動き出す。そうなればもう、戦争だ。英国魔法界だけではない、世界を巻き込んだ…ひょっとしたらマグルも巻き込んだものになる。

 

「ブラックのことは?」

「…まだじゃ」

 

 ダンブルドアはシリウスの行方のことも、新しい教師のことも、結局ハリーに何も告白できていなかった。彼の癇癪が、動揺が…気持ちが離れていくことが怖かった。何かを失うことにこれ程まで躊躇うことがあっただろうか?老いとは抗い難いものらしい。いくら知恵で武装しても、身体の中から怖れで食い荒らしていく。

 

 

 

 若かりし日、二人で話した理想の世界について。

 若さゆえの過ちを、無謀を、彼はずっと持ち続けて、まだ挑戦している。

 ダンブルドアの胸に満ちるのは、老いた心では決して取り戻せない野心への羨望と、もう以前のように戦えない、ゆっくりと死へ沈んでいくだけの肉体へのどんよりとした諦念だった。

 

 馬鹿げた夢を。今度はプロップと叶えようだなんて。今更…何もかも変わっても、君は諦めないのか。

 本当に、君は無謀で無茶で、野心家だ。

 

 

 もう事態は絡まり合い、加速し、悪化していくばかりなのだ。

 今はまず、目の前の問題から片付けねばならない。つまりはヴォルデモートを殺さなければならない。

 

 

 

 

 

…………

 

 

 僕は別にレイシストってわけじゃないが、国ごとに人間、大まかなキャラクター分類ができると思ってる。ロシア人は無口だとか、フランス人は気取ってるとか…そういう類のもの。

 それでいうと今日あう相手は『いけ好かない高飛車女』か『人権屋』だったが、ドアを開けて待っていたのは『けばいセレブ女』だった。もっというとかなりマグルナイズされた金持ち女がいた。

 イギリスでは金持ちはむしろ中世のカッコに戻りたがる(マルフォイ夫妻がいい例だ)が、海の向こうはそうでもないらしい。洗練されたモダンな柄のスーツにメッシュのはいった髪。銀髪と赤というこれまた奇抜な組み合わせが驚くほど似合っていた。

 

「あーら…あらあらこんにちは」

「こんにちは。遠路遥々お疲れでしょう」

「そんな事はないわ。マグルの飛行機を使ってみたのよ、これがなかなか退屈しなくってね。だって空をあんな鉄の塊でわざわざ飛ぶのよ?スリル満点だったわ」

「はあ。…それでMrsマリー・カナデル、本日大臣はお会いできないとは聞いておいでで」

「ええ。あなたが代理なんでしょう?ずいぶん若いわね」

「見かけだけですよ」

「MACSA国際魔法協力部代表の私が渡英までして面会するには若すぎるって言ってるのよ。おわかり?坊や」

「…名乗り遅れましたね。僕は国際魔法法務部に昨日付で着任しましたウラジーミル・プロップです。以後お見知りおきを」

「じゃあ今度は貴方がこの国の外相なの?」

 カナデルは驚き、僕の頭からつま先までをもう一度よく見た。何度見たって僕は冴えない男そのものだが、肩書がつくだけで相手の目の色が変わる。

「ああ、それは国際魔法協力部全体のボスがいます。ですがあなたの用件…つまりグリンデルバルドに関しては僕が担当でして」

「それにしても、前任者と会ってまだ三ヶ月しかたってないわ。季節外れの人事異動?」

「ええ。イギリス魔法界は例のあの人に翻弄されていますので」

「…そう。有能な人材は内政に向けちゃったのかしら」

「年功序列は悪しき習慣です。ここにもまだ残滓があったのが救いでしたね」

 カナデルは赤いルージュを歪めて笑った。こういう挑発的なセリフが好きらしい。つくづく“っぽい”な、と心の中で悪態をつきつつ、話を進める。彼女の経歴は予め調べておいた。インタビューや紹介記事の内容すべて、アーカイブされてるものは目を通してる。

 もちろんそういうリサーチはこの女だけでなく、全ての国の外交官を対象にして進行中だ。グリンデルバルドへの危機意識は、ヴォルデモートのいるイギリスでは極端に低いが、他の国では依然高いままだった。特に東ヨーロッパとアメリカでは顕著だ。ゲラートがやらかしてきた事を考えればヴォルデモートなんて…いや、彼の悪行も偉大だがね。

 

「まあいいでしょう。…本当に、例のあの人ってのはこの国の癌なのね」

「ええ。グリンデルバルド狩りに力を貸せず申し訳ありません」

「ダンブルドアには同情するわ。厄介事を2つも抱え込んじゃ、どっちか疎かになるわよね」

「グリンデルバルドがイギリスに潜伏しているとは限りません」

「いいえ、確実にこの国にいるわ。そのことを話しに来たの」

「ああ、あまり聞きたくない話ですね。…いえ、拝聴しましょう」

 カナデルはアメリカ魔法議会の判が押された書類を小さなセカンドバッグから引っ張り出し、机に並べる。ゲラートの脱獄後の足取りの調査報告書だ。

「ビャーグセンの杖の行方を抑えるのはホントに苦労したわ。杖作りのグレゴロビッチにまで協力を要請したの…そのかいあって、彼の杖の魔法の痕跡がイギリスで見つかった」

「そんなことが可能なんですか?つまり、杖を追うということが…」

「熟練の杖作りでも難しいわね。でも今回ばかりは事情が特殊でね。ルーカス・ビャーグセンの杖が特注だったおかげよ」

 カナデルは僕が読んでいた書類をひったくり、何ページかめくって突き返してきた。

「あの純血一家はグレゴロビッチに一人一人杖を作らせていたの。杖の呪文の痕跡ってもちろん個人差があるんだけど、グレゴロビッチは特注の杖にだけこっそり特別な痕跡を残すように仕掛けを作るのが趣味だったの。偉業に我が技ありってね」

「………へえ。その痕跡ってのは?」

「ほら、ここ」

 そう言ってカナデルは写真を指差す。場所はヌルメンガードへ渡る橋の土台だった。ゲラートが落としたんだろう。風雨で削られた岩肌に直接刺さった鉄の支柱の根元に、小さく跡が刻まれていた。

 

 

「このマークは…」

「死の秘宝よ」

 

 カナデルは囁く。

「グレゴロビッチは神秘主義だったのね。それともダームストラング出身なのかしら…?あそこ、このマークが刻まれてるもの」

「あれはグリンデルバルドが刻んだんですよ」

 

 死の秘宝、名前は知ってる。この伝説の面白い点は、各国の魔法界に似たような伝承がいくつも転がってることだ。イギリス魔法界は『ニワトコの杖、蘇りの石、透明マント』だったか。ロシアでは『ニワトコ杖、呪われた宝石、氷の衣』だったか。変わり種だと日本では『サンシュノジンギ』とか呼ばれてたような。

 とにかく、それらが同一のものであることは我がプロップ家の祖先が証明している。さらに言えば、それらのルーツがこのイギリスの古い家系にあることも。

 魔法界屈指の人気アイテム…そして失われた神秘。そのマークをなぜわざわざ刻むのだろうか。覚えてたらゲラートに聞いてみるか。

 

「…この刻印が、ロンドンで見つかったわ…グリンデルバルドは何をするつもりなのかしら。…ねえ、例のあの人と戦うつもりなのかしら」

 

「さあね」

 そんなに知りたいなら聞いとくよ。君はきっと喜ぶ。マリー・カナデル、彼女はアメリカ魔法議会MACSAの中でも特に革新的な主張を持っている。

 アメリカ魔法界は「ノーマジ保護」から「ノーマジ隔離」へ移りつつある。つまりはマグルは守るべき存在ではなくなり、魔法族はいつまでも隠れていられないという考えだった。

 

 

ーやがて我々の存在は暴かれますー

 

 

 カナデルがインタビューで繰り返し使うフレーズは彼の旦那の経営する新聞社の謳い文句で、その雑誌はアメリカで一番売れている。

 彼らがよく言うのは、大戦がすべてを変えたということだった。あの戦争で確かになったのは、マグルの凶暴性は際限ないということと、彼らの進歩は歯止めが利かないと言う事だった。

 

 

ー世界をより良くする方法ー

 我々魔法使いはかつて世界の調停役でした。ノーマジの過ちを許容し、正し、彼らを導いてきました。ですがいつからか、彼等は我々の手を離れ、恩を忘れ、世界を鑑みずに破壊を繰り返し、無計画に増え、我々の領土を物理的に奪っていきます。

 もはや世界に神秘はほとんどありません。彼らは何もかも明らかにしなきゃ気がすまないのです。我々の秘密が暴かれるのも時間の問題でしょう。

 我々の過ち、それは進歩と成長に寛容すぎた事でしょう。ノーマジを弟分のように思えてたのは、我々に彼らが劣っているという確信があったからこそなのです。ですが今、それは揺らいでいます。

 世界が再び最良の形になるには、ノーマジが退歩し、我々がより厳格にならねばなりません……

 

 

 アメリカのノーマジ差別主義者は、魔法族のみの崇高な世界を諦めつつある。ヴォルデモートの理想は人と人が混じりすぎたアメリカでは通じない。

 求められる統治体系はまさにグリンデルバルドの目指した「調和」なのだ。

 

 





推薦ありがとうございます。


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三本の箒にて

 ジェーン・シンガーは現状に疑問を懐きつつもそれを飲み込むだけの器用さを持っていた。故に自分の担当患者がハリー・ポッターであって、それ故に命を狙われる危険があっても「誰かが貧乏くじを引かなきゃならない」と納得していた。

 

 

 ハリー・ポッターは世間で報じられるニュースとは違う印象の子だった。ネビル・ロングボトムから聞いていたハリー像は、もっとみんなを引っ張ってそうな明るい男の子だったが、病室のハリーはむっつりとした顔で黙り込み、ずっと本や雑誌を読んでいた。

 

「あの…看護婦さん」

 

 ハリーは時々遠慮がちに頼み事をしてくる。とはいっても可愛いもので、お菓子や新しい雑誌を買ってきて欲しいというお願いだった。私が買ってくるんじゃなくて、警護担当者にお伺いを立てて上が許可したら私に手渡されるわけだからドアの前にいる闇祓いに頼んだほうが手っ取り早いのだけど。

 

 これは私の看護婦力の勝利ね。

 

 誓いやなんやらで必要外の会話は制限されているし、あちらからも話をすることは無いけれど、ちょっとは信用されているんだろう。

 ネビルに話せないのがもどかしい。彼は元気だよ〜なんて言ったら心臓が止まる。

 ネビルとはずっと手紙でやり取りを続けている。最近は新しく赴任してきた先生の悪口ばかりだ。ネビルの主観だということを除いても、ずいぶんひどい先生のようだった。助手がいるのをいいことに生徒全員の得点管理をして点に応じて罰を与えているそうだ。寮ごとの差別もひどいらしいし、なにより肝心の授業は教科書を読むだけ。杖なし、質問なし、自習なし。ネビルは時間を浪費させられていると書いている。

 

 前の先生のほうが良かった。

 

 前任の先生は一度だけあった事がある。プロップ?とかいう草臥れた男の人で、ブルック兄さんの友達だ。

 ブルック兄さんは、最近すごく忙しそうだ。老人ホームにも顔を見せないらしくてお婆ちゃんも寂しがっていた。

 

 ジェーン・シンガーは15のとき生家を火事でなくした。孤児院を営んでいた母親と友達もろとも。それ以降ずっとドゥンビアの家で育ったのだから血がほとんどつながってなくても家族同然だった。

 ブルックは家で一番社交的で、手先が器用で、何より魔法が一番うまかった。何よりも彼が恵まれていたのは杖なし魔法の才能だった。

 

 ドゥンビア家は元々アフリカの魔法族だ。第二次世界大戦以後、家系のごたごたで渡英してきただけで祖母の代は生粋のアフリカ人だ。

 杖はもともとヨーロッパ発祥の道具であり、元来アフリカの人々は手や呪文だけで魔法を行使していた。杖はいうなれば補助輪であり、一人前の魔法使いたるもの杖なんてふってたら笑われるとまで言われている(らしいが、最近は杖でしか魔法をかけられない人も多いようだ)。

 結論から言えばブルックの才能はイギリスではあまり役に立たなかった。それどころか誤解の元であり、杖無しなんてはっきり言って人権がないのと同じだった。いちいち説明するのが面倒くさく、公職や名誉は諦めてしまったらしい。

 今はキーメイカーだかなんだか、いかがわしい職業をしているらしいが、それも仕方がないのかなとも思う。なにより役人なんかになるよりよっぽど儲けてる。

 

 そもそも選択肢がないからな…

 

 魔法界は狭すぎる。魔法使いとして半端なジェーンは、そんな世界の片隅にだってしがみつくのがやっとだった。

 その点ハリー・ポッターは世界の中心だ。

 そして、そのくしゃくしゃ髪のちょっと影のある少年は、特別警護の病室で厳戒態勢の中ゆっくりミートローフを食べるのであった。

 

 

 

 そのブルック・ドゥンビアはウラジーミルとゲラートと共に三本の箒に集まっていた。ホグワーツ生のいないホグズミード村は静かだが人気がないわけじゃなく、成人した魔法使いたちが思うままにゆっくりとすごしている。

 

 ゆったりとした野良着の客のばかりでスーツを着た僕、ウラジーミル・プロップとストリートから間違って迷い込んできたようなブルック・ドゥンビアことBDはひどく目立っていた。ゲラートだけは変装も兼ねて顎まである野暮ったいタートルネックと帽子と眼鏡という(ある意味)平均的魔法使いの格好をしてる。ちぐはぐな取り合わせなせいで三人共暗い色調の木製居酒屋では浮いていた。

「…しまったな、カードでも持ってくるんだった。俺たち目立ってないか?」

「キョドるなよゲラート。どうせアウェーだ。僕らは目立つ」

 何故か浮足立ったゲラートにピシャリと言うと、早速ロスメルタが注文を取りに来た。

「あら、見かけないお客様。いらっしゃいませ何頼みます?」

「バタービール3つ」

 僕がメニューも見ずに決めた注文にBDが早速異を唱えた。

「おい!バカ言え。俺はファイア・ウイスキーで」

「俺も」

 と思ったらゲラートまで乗ってきた。

「おいおいやめてくれよ、飲み会じゃないんだ」

「ふふ、うちのバタービールは特別熟成させてるんで、是非飲んでもらいたいところですけど…」

「悪いが俺は自分を曲げない質でね」

「俺も俺も」

「ああ、頭がおかしくなりそうだ」

 ロスメルタが助け舟を出してくれたが無駄なようだ。僕もここで抵抗する気力はなかった。

「ではバタービール一つにファイア・ウイスキー2つ…」

「ああ、ポテトフライもつけてくれる?ありがとうマダム…とっても魅力的だね」

 僕はBDを睨みつけた。するとBDは悪びれもせずに笑っていった。

「ヴォーヴァ、イライラしてんのはお前のケツを付け狙ってる犬野郎のせいだろ?俺たちのせいじゃない」

 BDは慰めるように僕の肩に手を置いた。全く慰めにならないし暑苦しいだけだった。

「ああ、そうだよ。もしかしたら店の前でおすわりして僕を待ってるかもな」

「つまらん冗談はよせ。とっとと話を進めよう」

 ゲラートは運ばれてきたグラスを乾杯もなしに飲み、僕たちもそれに続いた。バタービールはゲロ甘かった。余計に喉が渇くから好きじゃないのだが、職場の奴らと飲みに行く場合これを頼んでおけば煩わしい会話を少し削減できるので惰性で飲んでる。今日はそんなこと考える必要なかったっていうのに、習慣というものは恐ろしい。

「そうだった。悪いな、ハロウィンって飾り付けが凝ってるだろ?ついテンションが上がるもんで。観光気分が抜けないんだ」

「何年こっちに住んでるんだ?まったく。ウガンダの知り合いとは連絡ついたのか?」

「正確には南アフリカだけど…ああ、ついたぜ。近々こっちに来る用事があるから連絡するとさ」

「ありがとう。思ってたより早いんだな」

「まー時間にルーズってわけではないから。自分の時間のほうが優先的ってだけで」

「その時は俺が行っていいのか?」

 ゲラートの言葉にBDは頷き、その人物が参加する予定のオークションに話が移る。なんてことはない古道具のオーディションだが、コレクターでもない一見さんが席を取るのは極めて難しいとのこと。

 ボージンはだめだ。やつの店にあるのは真のコレクターが飽きて売っぱらったものか、土産物みたいなガラクタだ。本物のお宝は店頭には絶対に並ばない。

 では金持ちのルシウスに頼りたいところだが、生憎彼は小道具、骨董品に興味がない。旧家である彼の家には骨董品が多いが、集めてるのでなくいつの間にか骨董品になったものばかりだし、そもそも新しく集める必要はなさそうだ。

 なにより骨董品、古道具コレクターは血筋よりも鑑定眼の求められる特殊な世界で、実のところゴブリンが一番力を持っている。極めて競争性が高く、情報と戦略と決断力が求められ、マグルのオークション界とほとんど大差ない。

「しかたない。困ったときのスラグホーンだな。3時間ばかり昔話を聞けばどうにか席は取れるだろう」

 好かれたい人間がいるならば同じことに興味を持つことだ。ゲラートもそれをわかっている。スラグホーンならば骨董品マニアか鑑定士の友人を持っているだろう。そもそも人間関係コレクターなのだから、彼の席はもうあるかもしれない。

「じゃあ次回はオークションニア編だな」

「ああ、僕だけ魔法省スパイ編続投だが。…ポッターはクリスマスには学校に戻るそうだ」

「戻して大丈夫なのか?」

「むしろとっとと戻してダンブルドアを縛ってほしいものだ。ダイアゴン横丁はフェノスカンジアの連中ばかりだ」

「事実、効果はあるだろう。僕らにかまってちゃ例のあの人は好き放題だ」

「じゃあ聞くが、あの人は今何してんだ?」

「さあな。ルシウスも知らんと言うことはプライベートだろ」

「ママに挨拶しに行ってるとか?」

「あれが女の股から生まれたとは思えん」

「今の体は鍋から生まれたんだよ」

「あー、想像しちまった!食事中はやめないか?なんか気持ち悪くなってきた…」

 BDの一言で僕らは自然とグラスに手を伸ばした。バタービールは半分も飲めてない。この甘さはポテトの塩でも中和しきれない。

 

「僕は…とにかく、あの犬だ。くそったれの犬…レナオルドはまだこないのか?」

「お前は苦労人だねえヴォーヴァ。もう暴力に頼っちまえよ」

 それが出来たらこんなに苛ついてない。余計な遠回りをして出勤することも。

「あの犬が最悪なのは、暴力が許されない場所でしか姿を見せないところだ。あとはじっとりした気配だけ」

「女をひどく振った覚えは?」

 BDのからかいに僕もゲラートも両手をあげて呆れる。

「マヌケ。あれはハリー・ポッター絡みだよ。むしろポッターに異常な愛を注いでる誰かだろ、この執着度合いは」

 

 ゲラートの言葉になんだか喉に小骨が引っかかった気分になる。僕は何かを忘れてる気がする。

 

「愛ねえ。愛なんかで犬に身をやつしてつまんない男をつけまわすかよ!」

「哀れだなBD、お前女にモテたことがないんだろう」

「あんたはあるのか?」

「あるさ。まあ20才越したら追ってくるのは各国の闇祓いだらけだったが…」

「地獄の青春じゃないか。それでよく愛なんか語れるな」

「俺にもいろいろあったんだよ。だからわかる。わざわざ避けるのも、しつこく纏わりつくのも、結局はそいつへの執着を断ち切れないからだ。その執着を愛という」

「悪いがあんたの話、全然共感できねえ。ネガティブすぎるだろ、愛っていうのはもっと積極的で…ハッピーになれる…そういうものだろ?」

「もうその話はもうやめろ。ここは禅マスターのドウジョーじゃない」

「ああそうだな。とにかくその犬は不死鳥の騎士団のメンバーじゃない。だとしたらもっと違った手が打てる…というよりもお前をわざわざ付け狙う意味がないだろう?」

 確かに僕が騎士団だったら別件で起訴に持ち込む。マグルの刑事がよくやる手だが魔法使いには思いつかないだろう。あいつらマグルにばれないように証拠ごと消すから。

「お前が今いなくなれば魔法省はすぐ死喰い人に乗っ取られてる。そうなれば困るのはあっちだ」

 

 ゲラートがウイスキーを飲み干した。BDもそれに続きグラスをあける。

 

「現実、騎士団に勝ち目があるのか?例のあの人相手に。なあ?」

「その言葉はそっくり俺たちに帰ってくるぞ、BD」

「なんだゲラート、弱気じゃないか。あんたはヨーロッパが誇る大悪党なんだからもっと自信満々でいていーんだぜ?」

「俺は脱獄すら一人でできない老いぼれだ」

「だからつるんでる。そうだろ」

 僕はそう言ってバタービールを無理やり全部飲み干した。追加の注文のために手を上げカウンターを見るとロスメルタと目があって、少々待ってというジェスチャーを受け取る。…カウンターの男が料理に顔を突っ込んでいた。

 

「で、犬の話だけど」

 

 そこでタイミングよくドアがあき、派手な柄のシャツを着たレナオルドが入ってきた。

「わーお。オレたちお洒落すぎて最高に浮いてるな。ロスメルタ!ジンを一瓶、グラス4つ」

「あら!レナオルドさん。最近全然顔見せないで」

「忙しくってさあ」

「わかるわ、ロンドンからここは遠いものね」

 ロスメルタはレナオルドにウインクしてからカウンターに戻った。ホグズミード村にシマはないとはいえ顔馴染みになるくらいには通ってるらしい。ジンにつまみのサービスまでついてきた。

「犬の話だったな」

「そう、犬」

 今度は乾杯をした。社交的な人間が一人でもいればマナーを思い出す事ができる。つまりそういうのが必要な人間の前ではそう振る舞うことができるだけまだマシで、人格破綻者(アズカバンに何年も食らったやつ)はそういう礼儀さえ牢獄においてくる。死喰い人の晩餐会は酷かった。

「まだ解決してなかったのか」

「賢くってね」

「不死鳥の騎士団のメンバーだと思うんだがなあ」

「まだ言うのかBD」

 

 僕が複数人で会話するのが嫌いなのは会話が一生ループするからだ。目的のある会話はまだマシだが、時間を潰すためだけの会話は最悪だ。全員が分裂症にでもなったかのように自分のことを喚き散らす。印刷工場でのトラウマで手が震えそうだね。

 

 

「起訴ねえ。悪いがオレはいざとなったら死喰い人側につくぜ?死にたくないしムショも嫌だ。だから名前は出すなよ、絶対」

「僕が仲間を売ると思うか?」

「あー…ちょっと売りそう」

 僕はBDを睨む。ゲラートが笑う。女の子集団じゃないんだからくだらないおしゃべりはよしてくれよ。僕は咳払いをしてもっともらしく返す。

 

「とんでもないね。僕は君たちを家族のようにあい……」

 

 そこで僕はようやく自分がとんでもない間抜けだったことを知る。家族について、そこから連想されるまがい物の言葉たちについて。動機が僕が一番理解し難い感情なら普段の発想から一歩離れて考えるべきだった。

 

「クソッタレ。700出すから今すぐ犬を捕まえよう」

「あァ?なんだよ急に」

 今度こそ本当に手が震えてきた。

「僕は自分の失態を消すことに生き甲斐を見出してきたんでね。だから家族も殺した。だから今すぐ犬を殺そう」

「何だ落ち着けよ」

 ゲラートが珍しく恥ずかしがっている(?)僕を物珍しそうに見ながらも宥める。

「ハリー・ポッターに一番執着しているであろう人間を忘れてたんだよ、僕は大間抜けだ」

「ポッターにそんなやばいファンいたっけ?」

「あいつだよ…シリウス・ブラック。名付け親だ」

「動物もどきなのか?」

「知らない。だが消去法であいつしかありえないだろう?死喰い人がこんな地道な嫌がらせを思いつくはずがない。あいつら忍耐がないからな!僕を半分殺しかけたのにまだ殺しに来ないのは騎士団のせいだ」

 愛。人間が神の出来損ないたる所以の一つ。

 

「シリウス・ブラックだったら捕まえたらまずくないか?ポッターの名付け親…だっけ?恨まれそうだ」

「そんなの死喰い人のせいにすればいいだろ」

「俺たちの計画が崩れないならどうしたっていい。ヴォーヴァ、感情的になるな」

「たしかに僕はキレてる。だが自分がバカだってわかった日ぐらいヤケを起こさせてくれ」

 僕はジンをグラスいっぱい注いで飲み干した。BDは久々にキレる僕を見て困ったような笑いを見せていた。レナオルドはというとあごひげを触りながら頭の中で勘定してるんだろう。親指がせわしなく顎の下を撫でる。

 

「…しょうがねえな。ここにいる全員で協力するって言うならノーギャラで捕まえようじゃないか。リスク分散だよ。三人寄れば文殊の知恵だな」

「それ、何もかも間違ってるぞ」

 ゲラートのツッコミにレナオルドは煩わしそうに顔の前で手を振り、体をぐいっと前に出してささやく。

「どうせ今日も何処かでお前を待ってるよ。早速探し出して檻に仕舞おうぜ」

 

 

 




リック・アンド・モーティにハマって日付を跨いでしまいました。
20分で映画並みの情報量があります。ドープです。Netflixで配信してるのでぜひ見てください(ダイマ)


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転がる石は止まらない

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どうか途中で諦めずに聞いてほしい

君たちの人生に希望がないということを

責任の在り処はどこにもないということを

投げ出さずに人生を完走するつもりならば

"青いピルを飲みなさい"

見てみなさい、我々の痩せっぽっちの腕

まるで折れやすい枝のような腕!

 

ドメニク・カナデル『弾丸よ鏡を撃ち抜いて』

 

 

 

 シリウス・ブラック(?)にやられた腕の傷はきれいに元通りにはなっていなかった。とはいえ施術者に文句は言うまい。人前で半袖に、あるいは上裸になるのを我慢すればいいだけだ。

 ゲラートは「男には傷跡の一つあったほうがいい」というが、犬に噛まれた傷なんて毛の生えてないガキンチョじゃあるまいし。もう一つ立派な傷跡がほしいところだった。ドラゴンでもヒッポグリフでもなんでもいい。僕の頭を床にぶちまけたミートパイみたいにできるくらいのデカさなら泊がつく。

 しかし残念ながら、僕は再び犬に噛まれる覚悟をしなきゃならなかった。犬の狙いが僕をただずっと見張ってることならば目には目をだ。

 

 作戦はこうだ。僕らは三本の箒でもう何杯か飲んで連絡事項を話し合った後、僕とBDだけ暖炉を使い、二人でロンドン公衆暖炉からダイアゴン横丁までふらふら飲み歩いた。そのあとを姿くらまししてきたゲラートが僕をつけ、レナオルドがどんな大きさの生き物を殺しても問題ない完璧な場所を見つけたら捕獲する。

 二重尾行。実に初歩的だが人間相手には効く。だが犬ときたら!自分の体くらいのスペースがあればお構いなしに鼻から突っ込んでいく。汚かろうと臭かろうとだ。

 僕とBDは飲み歩いてるのに、腰をかがめて黒犬を探すゲラートはだんだんイライラしてくるだろう。魔法を使っちゃすぐ気付かれる。しかし捕まえるのは魔法じゃなきゃいけない。

 

 まったく。

 能無しの僕ときたら。

 犬一匹始末するのに往年の大魔法使いを動員するなんて。本当に嫌になる。

 僕の取り柄は魔法省でそこそこいい地位にいることくらいだ。けれども地位になんの意味があるんだろう。健康な体と寝床を保つ条件に過ぎない。本当に人生に賭けるつもりならまず全てを捨てなければならない。僕はそれを実行し続けている。

 

「なあヴォーヴァ…」

 

 BDは律儀に(?)行く先々で二杯飲んだ。酒に強いわけでもない彼はもうヘロヘロで、僕もほんの少し酒が回ってた。

 

「お前は何をしようとしてんだよ。世界中から妙な考えのやつ集めて、イギリスでさあ」

「時計の針を進めるのさ」

「いーのかよ、ゔぉ…あーいっちゃいけないあの人とか、ダンブルドアとか」

「よくはないさ。けど、彼らは進路に落ちてる石みたいなもんさ。本当の困難はもっと違う…」

 

 僕はいい気分だった。酒を飲んで気が大きくなってるのはわかってる。でも珍しく、それを表現したいと思った。BDと肩を組み、僕らはひそひそ話の体型になる。

 

「困難っていうのは…自分の中にあるんだよ。自己啓発じゃない。

 

相対的な自由

相対的な平和

相対的な健康

 

規範の打破。これが最も難しい。きっかけづくりは何よりも重要だよ」

「つまり?」

「ああつまり、いきなり今ここでクソを放り出すのは無理ってことだ」

 

 BDは爆笑する。僕らアウトサイダーも客の雰囲気に完全に混ざる。

「脳にある、規範という名の檻さ。僕たちはどう生きるべき?隣人を愛せ、罪を告白しなさい。魔法は悪いことには使っちゃいけません。…ははは!そういうことを白紙に戻すってことさ。

人間は、想像以上に今持ってるものを…枷になってるはずの煩わしいものも…捨てるのを怖がっちまう。

理解し難いよ、本当に。僕は人と話すたび、宇宙でひとりぼっちのエイリアンの気持ちだ…」

「ヴォーヴァ、俺は魔法使いだがあんたの友達さ」

 BDは人差し指を自分の顔の前に晒す。彼はなんでこう俗っぽいんだろうか。他のアフリカ在住の知人はむしろそんな娯楽を会話に持ち出すような無駄をはなからしようとしないというのに。

 僕は彼の指をグラスに置き直してやった。

「ああBD、ありがとう」

「そして俺はあんたの気持ちもちょっとはわかる。つまり、何もかも捨てたいんだよ、あんたは」

 BDはそのままグラスを持ち上げて口に運ぶ。もうこれ以上は飲めなさそうだ。こいつが潰れたら運ぶのは僕だ。ゲラートにそんなことさせられない。

 

「そうさ。そういうやつは…いま大勢いる。僕の事業は、そいつらへの救済、あるいは…」

「引導?」

「そう。とにかく大変なのさ。ふん、その僕の大事業すらゲラートの野望のおまけかもな」

「一石二鳥じゃねーか。気分が落ちてきたのかヴォーヴァ。次の店で葉っぱをいれよう」

「バカ、本来の目的忘れたのか?」

「おっといけねえ」

「お客さまの中に犬臭い人はおいでですか?」

「おりませ〜ん」

 

 僕ら二人は笑ってグラスを持ち上げた。BDはグラスに口をつけたまま囁く。

 

「でもそれらしきのは一人」

「どこだ?」

「あの奥」

 BDは目で示す。

「前の店でも見た。ゲラートも気づいてんだろ。店出たら実行だ」

「ああ…くそ、まだ半分も飲んでないのに」

 

 僕が飲んでるのはどうせマグルのスコッチのラベルを剥がして貼り直したパチモンだ。それがどうした?酔えることには変わりない。

 

 

鏡を見て。マグルが映ってるかも。

お子さんの魔力、大丈夫ですか?

絶対に目覚める!魔力開通パッチ

   ユーサイド通信販売社

 

 

 多くの子供はペットを友達にと望むらしい。

 いつでも寄り添う…あなたのそばに…?

 魔法族だとフクロウ。聡明な瞳が何を見据えてるってんだ?

 

 

 嘘っぱちだ。レナオルドはマグルの業者から仕入れたテリアに尻尾をはやしてクラップとして売ってた。誰も取り締まらない。なぜならそれが本物か興味ないやつに売ってるからだ。『クラップを買った』時点で欲望は満たされ、満たされた瞬間品物はどうでも良くなる。

 レナオルドが相手にするのはそういうやつばかりだ。工業製品に夢中のマグルとの違いがどこにある?購買欲はもはや四大欲求だ。それはもうどうしようもない事実だ。

 すなわち我々はほとんど飲み込まれかけている。消費社会に。欲望を肥大させるマグルの世界に。

 ドラッグと同じだ。一度ハマればそれなしではいられない。

 

 

 それでは行こう。

 Monde Cane(いぬものがたり)だ。

 

 

 

私が日本へ旅行した時、数少ない魔法使いだけの町であるイセで目にしたのはマグルカルチャーの雑誌です。ええ。いくらなんでも…とお思いでしょう?でもそれが一番売れているのです。

 つまりアジアの魔法界ではマグル文化は最先端でクール。もちろん大陸とは魔法文化の土壌が違います。とはいえ、魔法のあるなしに関わらず良いものは積極的に受け入れようという姿勢はこれまで大陸のどの魔法界でもありませんでした。

 同じ島国のイギリスではマグルと魔法使いは徹底的に分けられ、魔法使い側もマグルに興味を持ちませんでした。その結果、“名前を言ってはいけない例のあの人”などという危険思想に染まった人物が登場しました。

 現在アメリカではイギリスよりも厳しい分離主義を貫いてきた過去を捨て去り、新しいマグルとの向き合い方を模索する動きが出ています。

 私達はいい加減、徹底した分離は不理解と不協和を生み出すということを歴史から学ぶべきです。

イザベル・リヴァ『オカルトは死んだ』

 

 

 

 ダイアゴン横丁は不景気の嵐が吹き荒れている。夜道に誰もいない。人の集まるところ以外にとことん人がいない。死喰い人様々。街の美観を損ねるのは人間だ。

 壁にマグルのスプレー缶で落書きされている。

 

 

政府は嘘をついている!!騙されるな

ぐりーんでるばるとは死んでいる!ヴォルデモート卿は魔法省の作ったデマだ!

↑ー魔法界初めてか?力抜けよ

 

 消す人間がいないというのにヴォルデモートの名前だけはきっちり上から塗りつぶされている。信心深いばかめ。グリンデルバルドのほうがわかりやすいスペルだろうに。もっと頑張ってもらわなきゃな…。

 

 

……メディアは支配されてる…鵜呑みにするな。いや、メディアを見るな。耳を塞げ。

↑ラジオのダイマ、予言者新聞のステマ笑笑

 ↑クィブラーを読め

()()()()()

 

 

 同意だ。バカばかり。マグルも魔法使いも。

 

そしてひょっとしたら僕も。

 

 

「そういうもんだ。自分以外特別なものがなければ何もかもが凡庸、あるいはそれ以下。比較するものがなけりゃ…つまり自分を中間に置かなきゃ、俺たちゃたちまち均衡を失う」

 

 

 グリンデルバルドは犬を捕まえた。レナオルドは場所を見つけた。簡単なことだ。犬の手は杖を持つにはちょっと寸足らずだ。ストーカーが犬になった途端、つまり意識が人間から犬へ変化する10→1の中間を攫ったというだけ。

 

「もっと早くから俺に頼っとけばよかったっておもわないか」

「いいや。これで面倒ごとが起きることは確定した。此れからだよ、本当の厄介は」

「おいおいウラジ、お前がやるっていいだしたんだぜ?BDのゲロとオレんちのトイレットペーパーを無駄にすんなよな」

「わかってる。わかってるって…」

 

 

 友人たちは小うるさい。*1ただ僕みたいに才能に恵まれない人間には、人の手はなくてはならないものだ。

 犬の姿をしたそれは、犬のまま拘束されている。口輪と雑に足に巻かれた鎖。肉に喰い込んで痛そうだ。愛護団体が見たら僕らに石を投げるかもしれない。

 

「人間に戻すか?」

「そうだな。そっちのほうが“人道的”だ」

 

 ヒューマニズム。大体の人間が人生に一度はハマるドブ沼。僕も浸かったことがあるから二度と嵌まらない。

 ゲラートは杖を振る。犬の姿がみるみるかわり、毛は身体に吸い込まれるように消えていき、かわりに容積が増していく。捨て頃のモップみたいな犬はみるみるうちに膨らんで、あっという間にボロをまとった男になった。

 最悪なことに、臭いだけは変わらず獣だ。

 

「わーお!!なんとここにはお尋ね者が二人いるぜ。総額いくらだ?」

 レナオルドは口輪で窒息しかけているシリウス・ブラックを笑った。僕は予想が外れてなかったことに安堵と危機を感じる。ゲラートが杖をひとふりすると男の口輪は緩み、人用のそれへと変化した。

 

「鎖で足が潰れかけてるな。まあ僕の腕も潰されかけてるしいいか」

 

 男はゲラートではなく、僕を睨む。

 

「名乗る必要がある?」

「いや、黙秘のつもりなんじゃないか?」

「泣けるねえ。ただ生憎真実薬の在庫切れなんだよ。拷問なんてしたくはないんだがな。俺はそういうのは苦手だ」

「そもそも喋ってもらう必要があるか?不死鳥の騎士団なんてどうだっていい。このまま死んでもらおう」

「それは早計だ、ヴォーヴァ。どんな人材にも使い道はある。マグルだろうが元囚人だろうがな」

「じゃああんたに考えが?」

「勿論。とはいえ…かなり危険な道だが…野望実現の近道ではある」

「…ふうん。いいね。のった」

「そうこなくっちゃな」

 

 

 

 

ーラジオ音声ー

 

「さあ本日も始まりましてよ。リウェイン・シャフィックの魔女会!本日は特別編成でお伝えします」

「コメンテーターには変身現代のローレンス・ウッド」

 

「こんばんはローレンス。また来てくれて嬉しいわ」

「こんばんはミス・シャフィック」

「ドローレスがいないのは寂しいわね。彼女は今教鞭をとっているから…まあ二人でも楽しくやりましょう?さて…今日は魔法省会見の中継をお送りします」

「ええ。オーストリア出身の闇祓いが先日イギリスで殺された事件についての会見です」

「嫌な予感しかしないわよね?だって…」

「ええ。その不安をうけての会見でしょう。最近明らかになったとおり、ヌルメンガードはオーストリアに在りました。フェノスカンジア魔法共同体に吸収されて以降も地方政治機構として闇祓い他諸々の治安維持は独自に執行していました。その闇祓いがなぜイギリスで殺されたかなんて、言うまでもありません」

「と、なれば必然ダンブルドアへの協力要請がでるはずよね?」

「ええ。ですが魔法省はさんざん彼を否定してきましたからね…ひょっとしたら例のあの人についてもなにか触れるかもしれません」

「特別編成も頷けるわ。…会見が始まったみたい。中継へ繋げます」

 

 

ーノイズー

 

…えー、あくまで多くの可能性の一つにすぎません。“グリンデルバルドの所在地”は依然として謎のままです。様々な魔法省が彼の行方を追うために人員を配置しています。今回はたまたま、殺人事件の被害者がオーストリア出身だっただけです。

…犯行については、むしろ“死喰い人”を名乗る集団によるものだという前提で捜査を進めています。

「死喰い人の活動を公に認めるというのとは、すなわち例のあの人の復活を認めるということでしょうか?」

…えー、はい。そのとおりです。我々は間違っていました。これをもって魔法大臣、コーネリウス・ファッジ及び闇祓い局局長、ルーファス・スクリムジョール、ほか魔法法執行部、魔法大臣室、国際魔法協力部幹部が辞職します。会見が終わり次第詳細を告知いたします。

 

 

ーラジオ音声ー

「信じられない。スクリムジョールをクビにするですって…?」

「まあまあまあ…ファッジ辞職は納得だけど…」

 

ーノイズー

…お静かに!どうかお静かに。質問を受け付けます。挙手を。…ではそこの山高帽の方

「週間魔女のミルーです。次期魔法大臣は一体誰に?」

…後任がみつかり次第就任します。それまではファッジ大臣が続投します!お静かに!なんせ魔法大臣室付きのものも魔法法執行部長のものも辞職するので…その……後任が見つからないのです!

 

ーラジオ音声ー

「なんてこと!」

「ありえないわ…ええと、ちょっとまって。詳細が出ないことには何もわからないわ」

 

ーノイズー

…お、お静かにお願いします!どうか。とにかく、会見が終わり次第紙で発表しますから!どうかお静かに!これで会見を終わります!どいてください!そこをどいて!!

 

 

 

 

 

魔法族は杖を振ることのできるマグルだ。

魂の高潔さ、使命、愛は失われてる。

神話は終わる。世界がそうなるように仕組まれている。

 

規範を捨て去るために。禁忌を犯すために重要なのはきっかけだ。一線を踏み越えるためのきっかけは、多くの場合劇的な死である。

他人の言葉を信じちゃだめだ。僕の言葉さえも。

蝶の羽ばたきと同じだ。生きてる限り干渉され続ける。強い言葉はすなわち波だ。

 

 

*1
友人は水モノである。




ファンタビ観たので安心して書けます。


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Своя ноша не тянет.
マーケットにないものは世界に存在しないのと同じだ


ダイアゴン横丁

 

「…例のあの人復活なんて知ってたけどね。ようやく公式発表されて、盾の呪文シリーズはマジの爆売れ!大量発注してから在庫が山になり始めたときはまずいなと思ったけど、今や売り切れ続出!ウハウハだよ」

「在庫の山はガリオンの山へ早変わり。オレたち、またも大金持ちってわけ!あんたの助言を疑ってすまなかったよ」

「い~や、いいってことよ」

 レオン・レナオルドは薄暗いWWW店内でウィーズリーの双子とテーブルを囲み、ソロバンと発注書をめくりながらナッツを頬張っていた。

 WWWはダイアゴン横丁でも異例の大繁盛で夜9時まで営業時間を伸ばし休日返上で営業を続けていた。昨年度から地味に売り場を設けていた防犯グッズが爆発的に売れだしたからだ。

「金は血液みたいなもんだからな。あんたらが回さなかったらそれこそロンドンはおしまいだ」

「とはいえ、盾の呪文シリーズが全ロンドンに広まったら次何を売るかは考えないとな」

「そのへんは問題ない。グリンデルバルド様々のおかげで国外の需要も高いんだ。いい輸出業者を紹介してやるよ」

「最高だなあんたって」

 

 レナオルドにとって双子は一番の取引相手で、しかも騎士団との太いパイプだった。本人が公言しているわけではないが、双子の父親、アーサー・ウィーズリーが騎士団に所属しているのに無関係という事はあるまい。

 ウィーズリーの稼ぐ金が騎士団の資金になってるのは明らかだった。グリンデルバルドはガリオン金貨に魔法をかけてバラまいた。脚付き金貨は一定期間経った後、脚をはやして持ち主のポケットから抜け出し、戻ってくる。ロンドン中に散らばった金貨は地図に示され、最後の持ち主を記録する。

「これをグリンゴッツに持ち込んだ日には即パクられる」

 そうして記録された膨大な名前と地図とにらめっこすると不死鳥の騎士団のメンバーの足跡がみつかる。

 魔法使いは姿現しを使う。隠れ家を使う。透明マントを使う。とはいえ、パターンは存在する。特に顕著なのは女性の足跡だ。食料品だけは魔法で作り出せない。まあ要するにそういうことだ。

 

 レナオルドはもちろんウラジーミルに肩入れしているし、ウラジーミルの目指す社会でこそ自分のようなパイプ役が最も利益を得られると確信していた。だが万が一ヴォルデモートが覇権を握った場合のことを考えると、死喰い人やその周辺のチンピラとの関係も維持しづけねばならない。

 とはいえ今現在死喰い人との情報共有は円滑ではない。互いにカードを伏せて相手の出方を窺い続けている。けれどもそれじゃ何も進まない。停滞し続けて、あとには弱った市民のしょっぱい生活が待ってるだけだ。

 

 

 

 

魔法省混乱!前代未聞の辞職祭りに“あの人”も困惑?

 

 魔法省から信じがたいニュースが飛び込んできた。例のあの人の復活を認めるのと同時に官僚の半分が退陣するという異例の事態が起こったのである。

「正直、どちらに驚けばいいのやら…」

 政治部の記者はひっきりなしに届くフクロウ便に埋まりかけながら述べる。

「魔法省始まって以来のことです。大臣の辞職は幾度となく有りましたが執務室を始めとして各部署の長が次々辞職、もしくは降格しています。現場はもっと混乱していますよ。こんなので例のあの人に対応できるのか…」

 

 

辞職

魔法大臣 コーネリウス・ファッジ(後任が見つかるまで現職)

 

以下職員を懲戒処分とする。

 

免職

闇祓い局長 ルーファス・スクリムジョール

魔法大臣補佐官 ショーン・グリーングラス

魔法法執行部長 パイアス・シックネス

国際魔法協力部長 アナスタシア・マクラーゲン

魔法生物規制管理部ゴブリン連絡室長 ダーク・クレスウェル

魔法事故惨事部長 ウィリアム・スチュアート

神秘部長 セム・ゴーシュ

 

減給

神秘部施設管理課長 イーサン・ダーデン

誤報局長 ロブソン・ロウル

 

 

就任

闇祓い局長 ガヴェイン・ロバース

魔法大臣補佐官 アルバート・ランコーン

魔法法執行部長 コーバン・ヤックスリー

国際魔法協力部長 ウラジーミル・プロップ

魔法生物規制管理部ゴブリン連絡室長 ジョン・ドゥ

魔法事故惨事部長 バーニー・ピルスワーズ

神秘部長 ソール・クローカー

 

 

 

ーラジオ音声ー

 

「…ずばりこの"就任"名簿の中にファッジの後任がいるのではないかと思うのですが」

「ええ。やはり闇祓い局か執務室、法執行部あたりの長が改めて大臣に指名されるのではないでしょうか」

「最有力はやはりヤックスリー氏でしょうか?法執行部から大臣へのルートは王道ですものね」

「ええ。執務室のランコーン氏との関係から言って彼がもっとも妥当なポジションでしょう。しかし今までの大臣経験者から言うと彼は若すぎる」

「となると闇祓いのカヴェイン・ロバース氏でしょうか…?ですが、彼はいまいちぱっとしないですよ。スクリムジョール氏に次ぐ実力者と言って思い浮かぶのは彼でなくキングズリー・シャックルボルト氏ですが」

「ええ、シャックルボルトはとても優秀な闇祓いです。ですが彼はどちらかというとダンブルドア派ですからね…今回の新大臣たちにダンブルドア派は著しく少ない。ファッジ最後のわがままなんでしょうかね?殆ど若手、未経験者が占めている。言うなれば処女内閣でしょうか?…失礼」

「聞かなかったことにしましょうか…。年功序列で言うならガヴェイン、順当に行けばヤックスリー…うーんこれはまた微妙な」

「今の情勢を見ると仕方がないのかもしれません。往年の魔法戦士…つまりグリンデルバルドやあの人と戦ったような世代の人たちは姿を隠しています。引退した人物も多いでしょう。新たな世代が戦う時期なのかもしれませんね」

「いやねぇ。年寄り対若者って、いつでもどこでもあるわ」

 

「さて、その他の人事も一応見ておきましょうか?神秘部の人事異動には納得ですね。昨年の事件で管理体制の不備は明らかでしたから。ですがなぜ国際魔法協力部やゴブリン連絡室でも免職が?」

「国際魔法協力部に関して言えば、おそらくウラジーミル・プロップ氏を就かせたいがためかもしれませんね。彼はかなり優秀ですから」

「そうなんですか?…かなり特殊な経歴の持ち主のようですが」

「ええ。個人的にあった事があるのですがかなり頭の切れる人物でしたね。彼を秘書にしたがる人はかなり多かったようです」

「縁の下の力持ちがついに表舞台に出てきたわけですね?」

「ええ。そういう意味ではソール・クローカー教授もようやく部長ですか。もっとも彼は学問一筋ですから候補者が見つからず渋々ついたのかもしれませんね…」

「なんというか、堅実な人選というか…パフォーマー気質の人が一人くらいいてもいい気がしませんこと?」

「たしかに地味ですねえ。とはいえ、政治に派手さは必要ありませんから…」

 

 

 そこでラジオが途切れた。レナオルドはハッと我に返る。うっかり金を数えながら物思いにふけっていたらしい。慌てて指輪を確認した。

 レナオルドの指には昔職人の借金を建て替えたときに作らせた魔法の指輪がハマっており、普段は青の、自分に魔法をかけられたときは赤く染まる石がハマっていた。色は青…素でぼうっとしてしまったらしい。

「そんじゃ…オレはそろそろ行くよ」

「ああ。いつもありがとう。…送ろうか?」

「バカ言え」

 

 ウィーズリーの双子は悪いやつではないし、頭もいい。レナオルドは心のどこかで二人を仲間にしたいという気持ちが芽生えつつあるのを感じたが、すぐにそれを打ち消した。仲間になれるはずがない。自分はマグルなのだから。

 どんなに趣味があっても、どんなに一緒にいて楽しくても、マグルと魔法使いである以上平等じゃない。自分がマグルだとバレてから掌を返されたことが何回あっただろうか?確か三回あった。三回目でようやく、コイツラが相容れない存在だってことを受け入れたんだ。

 

「なるほど確かにやつらは善良で賢く、話していて心地がよくて、良き友人関係を築けそうに思える。…レナオルド、それは奴らの両手が落ちてるか、目が潰れてるか、とにかく魔法が使えなかったらの話だ」

 

 ウラジーミルは魔法使い殺しに関しては右に出るものがいないんじゃないだろうか?例のあの人の殺しもそりゃ見事だったが(なんせ魔法でぶっ殺して死体も消しちまう)ウラジーミルほど手際よくはなかった。獲物をギャーギャー喚かせたりしない。自分も楽しんでるわけじゃない。

 オレを裏切ったクソ野郎…狼人間と誘拐ビジネスをやってたケチな奴をバラバラにして浴室に流してるとき、やつはまるでしぶといカビを落としてる最中みたいな様子で滔々と語っていた。

 

「でも魔法が使えようと使えなかろうと、こうして下水に流されてるんだからわからなくなるな。実のところ、僕はずっと怖かったんだ。でもどうしてかまだ娑婆でぬくぬく生きている。父親も殺したし兄も牢獄に送ったのに、まだ報いが来ないんだ。…話が逸れたな。なんだっけ」

 

 ウラジーミルは肩甲骨や大腿骨といった太い骨を金槌で割ってクーラーボックスにしまっていく。明らかに人なパーツ、かさばるパーツ、大きな骨は知り合いの牧場で焼くか肥やしにするらしい。

 

「つまり…あまりにも無なんだよ。家族、他人、マグル、魔法使い。そんな言葉に意味もなかったし、命に意味も無い。死んだらみんなただの肉だ。だからまあ、お前が裏切られたことも大した意味はない。気にするな」

 

 だからオレは奴がグリンデルバルドを引っ張り出してきた時はむしろ生きがいができてよかったと思った。永く生きる虚無主義者は少ない。だが一方でネクラースはウラジーミルの行動すべてを「自殺のプロセス」と呼んだ。

 

 ウィーズリーの店の次に行ったのはノクターン横丁に最近オープンした魔法薬材料の輸入店で、その仕入れルートにはネクラースが一枚噛んでいる。closedの札のかかった店の中に入ると、ネクラースが相変わらずの湿気た顔でちびちび酒を飲んでいた。

 

「騎士団は…」

「ああ、犬のことだろ?さあねえ、ウィーズリー達は特に深刻そうでもなかった」

「そうか。やれやれ。人間じゃなあ。せっかくいい毛皮なのに」

「動物もどきの毛皮を欲しがる変態とかはいないのか?」

「最近売っちまったから」

「いるのかよ。世界は広いねえ」

「だから御飯にありつけるわけだ」

「ありがてぇこった。で…こっちは儲かってるのか」

「店のことは知らねえ。だが死喰い人から要請があってな…亡者用の死体をどっさり」

「墓を掘り返せばいいのに!」

 二人は笑った。

「慣れちまったんだろ、注文すれば届くことに。それか店頭に死体がズラリと並んでると思ったのかも」

「マグル式生活様式のほうが百倍便利だ。死体を動かすのはまあ魔法でしかできないだろうが…」

「俺は文明ってもんを受け付けないから、世界がどうなろうと今のままの生活を続ける」

「酒は文明の発明だが…」

「これは俺が作ったんだよ」

 

 …なるほど?オーガニックな生活を目指したいのなら魔法使いは最適の職業かもしれません。オレはごめんだ。

 

 

 ルシウス・マルフォイがただでさえ青い顔を青ざめさせてウラジーミルのオフィスに入ってきたのは、レナオルドたちが朝まで飲んでようやく意識を取り戻したのと同じ時刻だった。

 

「君の差し金なんだろう?」

「何がでしょう?」

「とぼけるんじゃない」

 

 ルシウスは予言者新聞を机に叩きつけた。

 

“名門一家”差し押さえか?

 

 グリンゴッツ銀行は一部金庫を閉鎖したと発表した。グリンゴッツ広報係の小鬼ゴルヌックによると「当銀行に魔法省の介入はない。あくまで銀行としての判断」としているが、閉鎖された金庫の主はどれもいわゆる“旧家”のものであり、例のあの人に協力していた人物のものだと言う噂が立っている。噂についてグリンゴッツは「我々銀行と当事者間の問題」として公表を控えている。魔法生物規制管理部ゴブリン連絡室長ジョン・ドゥ氏も同様に「銀行の判断と方針を尊重する」構え。

「ベラトリックスは怒り散らし、お前を殺そうとしてる」

「僕になんの関係が?」

「ふざけるな。このジョン・ドゥとか言う男はお前の仲間だろう」

 

 ウラジーミルはちょっと困ったような顔をする。ジョン・ドゥは確かに協力者だがそれを言ったのは今回の人事の黒幕であるヤックスリーだけだ。あの小心者の権威バカは愚かにもルシウスにカードを見せたらしい。

 レストレンジ家、ブラック家の金庫封鎖はたしかに僕の差し金で、もうじき次期大臣に指名されるヤックスリーも知らなかった。

「脱獄犯たちの金庫ですよ?周りから見れば妥当な処置だ。むしろゴブリンを納得させた僕を褒めてほしいね」

「貴様…。裏切るつもりか?闇の帝王を」

「まさか。魔法省はあの人の復活を認めた。それに対する処置をしたまでだろう?何もしないほうがいかにも“乗っ取られました”って感じじゃないか。ただでさえメチャクチャな人事でみんな困惑してるんだから…」

「お前が生きて、のうのうとここに座ってるのは私がお前を殺してないからというだけだ!」

「そうかもな。それで?…あんたのボスは僕を殺しに来ないのか?」

 ルシウスは怒りのあまりそっぽを向き、特大のため息をつく。実際この閉鎖騒動で死喰い人側が被る被害は特にないはずだ。どうせレストレンジ夫妻は銀行に行っても捕まるし、シリウス・ブラックも同様だ。金を引き出す機会なんてない。傷つけられたのはプライドのみだ。

「とにかく、落ち着いてくださいよ」

「…今後、我々と連携する気はあるのか?」

「当面、ダンブルドアが死ぬまではね」

「……そうか。それはグリンデルバルドもだな?」

「ああ。イギリスでの小競り合いにはあまり興味ないらしい」

 

 ルシウスの中にはまだ葛藤があるんだろう。グリンデルバルド、ヴォルデモート。だが人間は自分の人生で積み上げてきた正義や道徳から逃れられない。馬鹿なルシウス。

 

 

 僕も同様に自分の人生に雁字搦めにされた結果ここに流れ着いている。愚かしさで言えばルシウスに勝っている。妹が死んだ日。兄に辱められた日。母が死んだ日。僕のライフイベントは誰かの人生の終わりばかり。

 シリウス・ブラックを捕まえて、ようやく僕は人生ゲームのクライマックスに行ける気がした。チェックポイント。

 

 フラッシュ。

 僕はキャリアの頂点にいる。

 ウラジーミル・プロップ。国際魔法協力部の若きエース。人殺しで、魔法もろくに使えない。

 フラッシュ。

 インタビュー。マイク。

 馬鹿騒ぎも今のうちだ。

「闇の時代を乗り越える新たなる内閣」

 歓声。嬌声。拍手。

 フラッシュ、フラッシュ、フラッシュ。

 僕の今後の予定はとりあえずクラッシュだ。僕は多分、再びこの眩しいステージへ上がる。今度は一人だ。

 キリストが救世主になったのは一度死んだからだ。

 重ね重ね言うが人々の価値観を転換させるには死が必要だ。

 

 

「ヴォーヴァ。お前は俺と一年近く過ごしてるわけだ。今まで組んだ奴らもそりゃ有能でいい奴らだった。だがお前はやっぱり他のやつとは違うよ。奴らは俺の言葉に惚れ込んでた。そして自分の誇りと種族の命運をかけて戦っていた。お前は奴らとは違う」

 

 ゲラートは牢獄にいた頃とは全然違う。背筋も伸びて、髭も揃え、外套を着込んで、新しい偽名を使ってロンドンを歩く。あるいはパリ、モスクワ、プラハ、カイロ。

 

「お前は俺を解き放った責任を果たしている。そこは安心していい。だが俺は未だにわからない。“より良い住処”を求めるだけのやつがここまでするか?」

「さあね」

 僕は彼が好きだ。言葉に中身がある人間はとても少ないから。

「やるならとことんやる性格なんだよ。僕がもう、とにかく中途半端じゃないか。魔法使えるふりして平気な顔でいかさまするのはもう面倒くさい。疲れたんだよ。とっととフラットにしたいだけだ」

 ゲラートは僕の言葉を真実かどうか考えているんだろうか。僕にもそれはわからない。だが、少なくとも本気でゲラートの望む世界を見たいと思っている。それを口にすることは絶対にないけれど。

 僕はとにかく、今じゃないこの先が見たい。既存の法則がことごとく打ち砕かれた世界を。

 

 今という点だけ見れば、僕たちは過去の積み重ねの上でフラフラして、その不安定さが未来永劫続いてく不安に苛まれている。

 「自殺のプロセス」

 ポッター。君も僕に賛成してくれるといいのだが。

 

 

 さて現実で起きてる出来事に戻ろう。ルシウスがブチ切れて僕のオフィスに怒鳴り込んできたその日、内々でファッジがマグル首相連絡室という新部署に入ることが決まった。名前の通りの部署である。そして新大臣にはヤックスリー。トントン拍子で事が進んでいく。

 

 唯一気がかりなのはヴォルデモートが何をしているのか。ダンブルドアの方はなんとなく掴めているのだが、こればかりはわからない。どうやら国外に行ってるらしいということだけ。

 ゲラートもなぜ今イギリス魔法省の支配に本腰を入れないのか不思議そうだった。ハリー・ポッターを捕まえててもなしの礫なのはそれより大事な用があるからだろうが、さっぱりわからない。まさかあいつもグローバル志向に?なんてね。

 

 それでは始めようか。

 

 



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真実は己の目で見たことのみ

 大臣の仕事の中で最もくだらない(または吐き気のする、うんざりする)ものはパーティーや行事への出席だが、イギリス魔法省は目下例のあの人特別警戒体制を敷いているので、それらとはほぼ無縁でいられた。

 国際社会はというと、一向につかめないグリンデルバルドの行方に焦り始めているので無駄に危険なイベントを開くはずもなく、各国思いのままに対策に専念しているようだった。

 先日、ウガンダでフランス人旅行者が殺された。マグルのニュースでも報じられたものだが、旅行者の正体はフランス魔法省に所属する魔法使いだった。

 ウガンダはつい最近虐殺のあったルワンダの隣国であり、さらに内紛中のコンゴの隣国でもある危険地帯だ。そこに白人がいるというのはまずありえないことで、更に殺されたともなればマグルは黙っちゃいなかった。危うくマグルの国際問題に発展しかけた所をブルキナファソ魔法省が介入しなんとか“あやふや”にした。だが全世界規模で報じられたニュースをなかったことにすることはできず、報道が突然止むという不完全な収束となった。そんな"あやふや"加減がいかにもうさんくさく、マグルたちはまことしやかに陰謀だのスパイだのと囁いている。

 魔法界では犯人はゲラート・グリンデルバルド、もしくはその協力者だとフランスメディアが報じているが、僕(ウラジーミル・プロップ、またはグリンデルバルドの協力者)が本人に聞いたところによると「身に覚えがない」との事。

 

「殺されたやつが何を探ってたのかは知らないが、もしかしたら俺の影でも踏んでしまったのかもしれんな」

 

 ゲラートは僕が国際魔法協力部で入手した資料をもとにかつての賛同者たちの中で未だ美しき青春の日々を忘れていなさそうな人物を厳選し逢瀬を重ねていた。あるときは僕の叔父、あるときは名も無きマグルの老紳士。実に見事だった。各国の魔法省の魔の手から逃れ続けた手腕は半世紀を超えてなお健在だ。

 僕はゲラートが旧友と再会した途端あっさり捨てられてしまうかもしれないと頭の隅で危惧していたが、どうやら杞憂だったようだ。彼は旅の土産の酒を開けながら少し寂しげに言った。

「全員俺よりはマシな年のとり方をしていたが、これから何かを始めようとするには皆遅すぎる。体や魔力の問題ではなく…単なる気力や若さの問題だな。そのくせ、心だけはあの頃を忘れていない」

「老人なんてだいたいそんなもんだろう」

「辛辣だな。まあそれはそれでいい事もある。昔のやんちゃをなかったことにして重鎮になった奴も少なからずいる」

「まあよくある話だな。反体制派がいつの間にやら…って」

「まったくマグル的だ。だが偉くなった代わりにある程度信奉者は抱え込んでる。ユーゴスラビアのあたりじゃ若い世代も賛同してくれてるらしい」

「そいつらがあんたを売る可能性もあるんじゃないか?」

「さあ。どっちにしろ昔みたいに俺が表立って何かを指揮する事はもうない。集会を開いたり暴動を扇動したりするわけじゃない。革命は個人的なものに還元されつつある」

「僕のところに言葉の通じない魔法戦士が押し寄せる、なんてことにならないならいいんだ。無事に帰ってきてくれて何よりだよ」

「ああ。俺がいないといろいろ困るだろう?新しいペットの事とか」

「確かに。使い道は決まっててもまだ準備が整っていないから…」

 僕は地下室のレンタル代、管理費諸々が口座を圧迫していくのを思い出しうんざりした。金なんて…と思いつつも、金なしに健全な協力関係を築くことは不可能に思えた。友情、愛、信頼…?そういうのを信じるやつを僕らはカモと呼ぶ。

 

「とはいえ、入り口はもうすぐそこさ。関係者筋によると国際魔法連盟へダンブルドアが来ることになった」

「それはそれは…今まで音沙汰なかった分なにかあるんだろうな」

「どうだろうね」

 ゲラートは徹底的にダンブルドアを避けている。ダンブルドアは何度か彼の足跡を追っている形跡はあるものの、未だ動向ははっきりしない。おそらくヴォルデモートの方で手一杯なのだろう。ヴォルデモートの方はというと、最近報じられたニュースでうっすらと何をしようとしているのかわかった。

 

 

グレゴロビッチ氏 イギリス国内で殺害される。

 

ノルウェー魔法省に侵入者 職員ら3名死傷

 

 

 僕はてっきりゲラートが閉じ込められてたことに今更腹が立ってやっちゃったのかと思ったが違うらしい。彼は新聞を見てから「ははあ」と唸って顎髭を撫でた。

「まずいな。近いうちにあいつがここに来るかもしれん」

「あいつ?」

「ヴォルデモートさ」

「なぜ今更。ハリー・ポッターを学校に戻すっていうのはあっちも同意してたのに」

「別件だよ別件。なあヴォーヴァ、悪いがしばらく旅行に出てくれないか?適当に変装して、魔法省の無い国にさ」

「立場上難しいんだが」

「髪を一房おいていけ。俺がなんとかするから。それであの、例のしまってる杖があるだろう?あれを持っていってくれ」

 もちろん僕だってヴォルデモートに会いたくはない。だがダンブルドアから奪った杖を持ってどこかへ行けなんて訳のわからない指示にはいそうですかと納得できるほど従順ではない。

「あいつの狙いはあの杖なのか?」

「そうだ。ここにあったら話す間もなく俺が殺される」

「ダンブルドアの杖をあんたが欲しがるのはわかるよ。だがあいつまで?」

「そうだ。アレは特別なんだよ。…三兄弟の物語を知ってるか?」

 僕は突然出てきた童話のタイトルにびっくりしたが、幸い読書少年だったのですぐに思い出すことができた。吟遊詩人ビードルシリーズにそんなタイトルの話があったはずだ。

「あれか…橋で化物だかなんだかに出会うやつか?」

「それだ。その話に出てくる最強の杖、それがあれだ」

「は…?本気で言ってるのか」

「大マジだ。それにお前が思ってるより信憑性のある話でな。歴史を紐解けば杖の最初の持ち主まで遡れる。話せば長いが」

「童話に出てきた杖を求めて爺さん三人がわちゃわちゃしてるっていうのか?しかも僕はそのために犬に噛み殺されかけて…」

「お前が想像してるよりあの杖…ニワトコの杖の力は絶大だよ。使ってた俺が言うんだ」

「ああ…やっと話が見えてきた」

 だから杖作り、そしてヌルメンガードにいた面々が殺されたのか。僕にはその欲求は一生理解できそうにない。なんせ魔法を使えないのでね。

「ヴォルデモートがどうしてそこまでしてあの杖を求めるのかはわからんが、まあ最強の座にふさわしい杖はあれの他にあるまいよ。俺も昔そう思っていた」

「そんな単純な理由じゃないと思うが…」

 

 つまり僕はヴォルデモートが喉から手が出るほど欲しがっている杖を持って逃げなきゃいけないのだ。最悪ゲラートも殺され、僕も捕まり殺されるかもしれない。

「安心しろ、話す時間があればお前に危険は及ばない。何故なら俺を殺しても、お前を殺しても、その杖は使えないからだ。その杖は強力な交渉材料になる」

「どういう事だ?」

「杖には忠誠心というものがあるだろう。盗んだ杖は使いこなせない」

「…ああ、そういえば“杖改め法”もそれを利用したものだったな。たしかにニワトコの杖は僕がダンブルドアからうば…受け取ったものだ。所有権はダンブルドアのまま…ということか?」

「そのとおり。飲み込みが早くて助かる。ヴォルデモートが杖を使いこなすにはダンブルドアを殺す他ないんだ」

「だからあいつに殺してもらうわけか」

「ああ。…ダンブルドアを殺すために杖が必要だっていうなら難しいかもしれんが…その線は薄い。残念ながらダンブルドアも衰えた。ニワトコの杖を奪われた奴ならば若造でも勝てる」

「そうなのか?なぜわかる」

「老いには勝てない。俺がそうだからだよ」

 自嘲気味に笑うゲラートに反して僕は内心焦っていた。もしヴォルデモートがダンブルドアを殺したら名実ともに杖はあいつのものになる。そうなればこちらに勝ち目はないのではないか。そのことを指摘するとグリンデルバルドは“なんてことない”といった顔をした。

 

「俺たちが馬鹿正直にあいつと戦う理由なんてないだろう?そんなの他の正義感の強い魔法使いに任せておけばいい。とにかくイギリス魔法省の実権と世論を掴む。あとは自動で勝利が転がり込んでくる。お前の立てた計画はそういうものじゃないか」

「…」

「なにより、予言だ」

「またあの水晶玉の話を持ち出すのか?」

「ああ。お前はどうも信仰心にかけてるせいか毛嫌いしてるな。しかしながらまだこの世界にも神秘というものは残されている。あの予言はヴォルデモートの死だ。予言されてる以上それは覆らない。やつは必ず死ぬ」

「そりゃ生き物は必ず死ぬ!馬鹿にしているのか?あんたも僕も死ぬんだよ、いつかは」

「かっかするなって。あの予言の中身はルシウスから聞いたよな?ハリー・ポッターだけがあいつを殺しうる」

「ああ」

「ダンブルドアが死に、ヴォルデモートをポッターに殺させる。予定はなにもかわらないだろ?」

 僕は呆れて口を閉じた。予言なんかを当てにするなんて。僕の人生綱渡りの連続だ。ゲラートがまさか本気であんな小僧がヴォルデモートを斃すと思ってるわけはないと思うが、なんだか不安になってくる。なんだかんだであいつのほうがゲラートより半世紀は若いわけだし、大魔法使いとはいえ老いには勝てない。

「はあ…全く、全くあんたといると楽しいよ、ゲラート」

「俺もだよ、ヴォーヴァ」

「じゃあ旅支度を始めるよ。行き先はそうだな…久々に墓参りにでも行こうかな」

 

 

 

 

 戻ってきたハリーにとって最も憂鬱なことはダンブルドアとの面会で、これから嫌というほどされるであろうハーマイオニーからの尋問より数倍嫌だった。

 昨年度、自分を蔑ろにしていたダンブルドアから何が語られるというのか。心配していた、だとか白々しいことを聞かされたら去年の今頃みたいに怒り散らしてしまうかもしれない。

 病院は快適だった。看護師は優しかったし、一人でじっくり考える時間がたっぷりあって、自分が置かれていた状況…プロップによる拉致監禁と、もし神秘部から逃げなかったらどうなっていたかを想像することができた。

 プロップが水晶をポートキーにしてなかったら。プロップに頼らなければ。プロップがいなかったら。

 そう、プロップさえ居なければ自分はムーディよろしく詰め込まれることはなかった。だが同時に、予言がポートキーになってなければ自分はヴォルデモートに殺されていたかもしれない。胸中は複雑だ。あのまま神秘部で奴と出会ったら、きっと誰かが死んでいた。助けに来てくれる騎士団かもしれないし、ロンやハーマイオニーかもしれない。

 

 僕一人が犠牲になったから多くが救われたとも言えるのか?

 

 こういう考え事をしているときにいつもよぎるのはダンブルドアの目だった。僕の視線から逃げるように逸らされる青い目。法廷以来、一度も目を合わせていないのかも。

 病室では僕の方から目をそらした。なんだか全部馬鹿みたいに思える。

 ダンブルドアの話したことは事実以上のなんでもなく、僕が現状厳しい立場にいるということの再確認でしかなかった。

 

 ホグワーツの敷地までは闇祓いに警備された。ホグワーツ急行は貸し切られ、トンクス、キングズリーが僕の両脇を固め、ほか5名が同じ車両に乗り込み、10名が列車と並走して警備にあたった。ホグワーツに着く頃、外にいた闇祓いは何人か減っていた。襲撃があったという。城に入ってからも僕の周りには5名の闇祓いがいて嫌でも注目を集めた。

 しかしあがるであろう歓声、(あるいは罵声)はなく、ハリーを囲う闇払いを見た生徒たちはすぐに視線を逸らし、隣にいる友人とひそひそと話をするだけだった。

奇妙だ。その理由はすぐにわかった。全身ピンクの小さな魔女、ドローレス・アンブリッジが沢山の『教育令』の額縁の前で広間を行く生徒たちをじっと監視していたからだ。

 プロップの元上司、そして現ホグワーツ高等尋問官。今学校がどうなっているのか、そういえば一度も考えたことがなかった。あいつの復活をようやく世間が認め、いろんな暗い事件が相次ぐ中、どんな顔して魔法省の代表として授業をしているんだか。

 だがこの様子を見ると、ハリーの思惑とは違ってかなりの権力を持っているらしい。見るからに生徒たちは緊張し、警戒している。急にハーマイオニー達のことが心配になった。すぐにでも寮に帰りたかったが、目の前には校長室へ続く螺旋階段がある。

 

 階段を登ると、ハリーは1人になった。人に囲まれてずっと息苦しかったのから解放されるや否や、次はダンブルドアだ。

 懐かしき校長室。記憶と寸分変わりなく、不死鳥フォークスがハリーを認めると高い声で囀った。それに呼ばれたかのようにダンブルドアが奥の椅子から立ち上がり、ハリーを見つめた。

 前のように微笑んだりはしなかった。半月型の眼鏡の向こうの瞳はなんだか冷たく、空気は緊張している。ダンブルドアは真剣みを帯びた口調で

「おかえり」

と言った。

 ハリーは「お久しぶりです」とかろうじて答えた。ただいまはなんだか違うような気がしたし、他に適切な言葉が浮かばなかった。

「すっかり元どおり、とはいかないものじゃな。ハリー」

「当たり前でしょう」

「戻ってきたばかりの君にこんなことを言うのは気の毒じゃが…魔法界は未曾有の危機に直面しておる」

「そんなのわかってます」

「いいや、ハリー。目に見えていることよりもさらに事態は深刻なのじゃ。とりあえずおかけなさい」

 ハリーは渋々椅子に腰掛けた。ここで揉めてもなんにもならない。病院の時よりもはるかに真剣なダンブルドアに気圧されたというのもある。

「今から話すことは君が成人するまでは話すことはないだろうと思っていた事で、今のところわし以外誰も知らないことじゃ。ヴォルデモートの命に関わる」

「あいつの…」

「左様。グリンデルバルドが脱獄してから、ヴォルデモートは水面下で力をつけている。仲間だったり権力だったり、様々な力をじゃ。当然グリンデルバルドと組んでいる。今のところは」

「…ええ。ですがグリンデルバルドは多分あいつを邪魔だと思ってますよね?」

「左様。わしに始末をつけさせるつもりじゃろう。だが奴の思惑に乗ろうが乗らまいが、ヴォルデモートは必ず君の命を狙いにくる。だとすれば結局、生き残るためにわしらは奴を倒さねばならん」

「ええ、その通りですが…先生なら勝てるでしょう?ヴォルデモートに。あいつは先生を恐れている」

「そうじゃのう…今のところは」

 ダンブルドアは半月型の眼鏡を外してローブの袖で拭った。

「じゃがたとえ今のヴォルデモートを倒しても、奴は死なん。15年前と同じように再び蘇る」

「そうだ、そもそもなんであいつは死の呪文を受けても死ななかったんでしょう?」

「それを今から君に教える。少し長くなるが、いいかね?」

 ハリーは息を呑んだ。今更いいえなんて言えるか。例えどんなにダンブルドアの態度が気に入らなくても、ヴォルデモートに殺されるより最悪なことはないのだから。

「勿論です」

 ハリーの返事を聞いたダンブルドアが杖を振ると、壁から憂いの篩が迫り出してきた。促されるままにその台の前に立つと、ダンブルドアは棚にずらりと並ぶ記憶の詰まった瓶の中から一本を取り出し、その中にそっと零した。黒いインクのような記憶が篩の中で渦を巻く。

「今から見せるのはある老魔法使いの記憶じゃ。そしてヴォルデモートの人生の始まりでもある、ある出来事と悲劇の元凶じゃ。君にはまだるっこしく感じるかもしれんが、奴の秘密を知るためには一から理解していくことが必要なのじゃ」

「わかりました。今夜一気に済ませるんですか?」

「わしはそのつもりじゃが、どうかな。ハリー、体調は」

「万全です」

「ふむ。聖マンゴの癒者はやはり腕がいいようじゃな。では」

 ダンブルドアは篩を指した。ハリーはかすかに浮かんだ不安を振り払うようにそれを覗き込んだ。

 

 

 







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人生は死ぬまで続く空回り

 かわいいナージャ。天女の紡ぐ糸のように美しい金髪、硝子細工のように煌めく瞳。薔薇の透ける頬に、果実のような唇。されど今は墓の下。

 

 防腐処理が施されていようとも、地中に埋められた棺は20年も経てば土へ還る。ナージャ。君が死んでもう15年になる。死んだ瞬間から血液の循環は途絶え、細胞たちが死んでいく。消化器系が自分たちの酸にやられ、融解していく。それはやがて緩んだ肛門、口腔から流れ出て君の死衣を穢す。そうしている間にも微生物がどんどん君の体をモノに変換していく。

 棺も埋められた瞬間からゆっくり、確実に分解されていき、何かのはずみで穴が開く。そこから溢れた君をもっと大きな虫が食べ尽くしていく。残骸になった君。今は雨の混じった雪より澱んだ白い骨だけが朽ちた木枠に納まってるんだろう。

 ナージャ、棺の半分にも満たない体。きっと土の中に残っている君らしきものは頭蓋から生える豊かな金髪だけで、しかもそれは泥まみれだ。

 それなのに思い出の中の君は酷い現実とどんどん乖離して夢のように可愛らしい。今の君は兄の打ち棄てられた遺骨と君はもうほとんど変わらないというのに。

 どうして君が殺されなきゃならなかったのだろう。

 

 雪を踏みしめる音がした。僕は音がした方へ振り返る。雪の積もった墓地は墓石の黒と白のモノクロて、今しがたやってきた臙脂のコートを着ている老紳士は浮いていた。あの日のナージャの血のように。

 

「……君が…ウラジーミルかね?」

「はい。はじめまして、ドミトリー・プロップさん」

「…正確には4度目だ。とりあえず来なさい」

 

 老人は腕を差し出した。僕は黙ってそれを握る。景色が一転し、視界は暗緑と白のコントラストに変わった。毎度お馴染みの吐き気が襲ってくるのを顔に出すまいと堪えた。老人は僕の腕をさり気なく払うと雪で埋もれてしまった道を歩いていく。僕は並ばず、一歩半後ろをついていく。

 老人の苗字、プロップからお察しいただけるだろうが、彼はプロップ本家の人間であり、僕の祖父の兄に当たる人だ。世代でいうとダンブルドアたちより少しだけ若く、ゲラートの全盛期に青年時代を送ったような世代だ。

 

 森を抜けると重苦しい色の屋敷があった。マグルに隠されてるはずの屋敷が見えるということは僕にもまだ魔力の片鱗かあるという証拠なのだが、30年経っても目覚める兆しがない。殻の中で死んだ雛。見込みなし。

「家人はいない」

 老人は僕を冷たい空気が漂う屋敷に招き、応接室に通した。ロマノフ王朝時代のものと思しき家具が置かれているが、最近はあまり使ってないようで埃っぽい匂いがする。

 

 プロップ家は決して一流ではないが、未だ純血の血を紡いでいる数少ない家系だ。ドミトリー・プロップは本妻に息子1人と娘1人を儲けた。それに合わせて妾3人に娘5人がいる。妾の腹に宿った男子は堕胎させ、娘たちは全員嫁にやった。妾の血筋は純血からこぼれ落ちた傍系のものだが、どこの馬の骨ともしれぬものよりはよっぽど血が濃い。

 プロップ家に嫁がせれば、落ちぶれかけの家の物でも濃い血の種を授かり、娘たちを再出荷できる。つまりはそういう家だった。故に一流ではない。

 

 僕の祖父、そしてドミトリーの弟であるボリスラフ・プロップはそんな家に嫌気が差し、マグルの田舎娘と結婚した。すべての不幸の始まりである。ボリスラフは今で言うパンクだった。ヒッピーだった。新しい物好きで変化を求めて、当時禁忌とされていたマグルと愛の逃避行に臨んだ。そして、何十年も後に因果が僕に巡ってきた。

 

 椅子に座ってしばらくしてからドミトリーは口を開いた。

 

「双子とは、なんとも業が深いものだ。私とボリスラフもそうだった」

「突然なんです?」

 ドミトリーは僕の棘のある返事を意に介さず話を続ける。

「君を見たのは4度目だといったね。一度目は生まれたとき、私は名付け親だった。二度目はナージャ、あの子が産まれたとき。三度目は君たちがロシアを発つ時。青年になった君達双子を見て私はどちらかがどちらかを殺すと確信したよ。勝ったのは君だったね」

 結果を見てから過去を解釈するのはさぞや気持ちのいい自慰行為だろうが、やられた方は不快でしかない。

「僕は殺しちゃいませんよ」

 僕はすっとぼける。だがドミトリーはそんなふざけた態度に少しも動じる事なく話し続ける。

「そう。君は殺意を感じ取られることのないままアレクセイを始末することに成功した。殺意を出せば、きっとアレクセイが君を殺していただろうからね。素晴らしい。君は魔法の才能に恵まれなかったが、その分悪意と知性を研ぎ澄まし、ここに戻ってきた」

「兄は傲慢で愚かだった。それだけです」

「私の弟もそうだったよ。結局、やつはマグルと肩を並べて機械油にまみれながら過労で死んだがね。馬鹿なやつだ」

「僕の兄よりマシですよ。獄死ですから」

「労働と懲役、どう違うんだ?」

「……確かに」

「勝ったあとも、君の中から兄が消えることはなかったんだろう。鏡を見ればそこにいるのだから」

「…貴方も鏡の中にマグル女と睦言を交わす自分の姿でも見たんですか?自分の兄弟コンプレックスを僕に押し付けないでいただきたい」

「いいや、鬱屈したコンプレックスは君の中にも確かにあるはすだ。そうだろう?勘違いしないでほしいが、私は君が君の家族を根絶やしにしたことを怒ってなどいない」

「そりゃよかった。恥知らずの血が途絶えて、感謝してほしいくらいだった」

 怒ろうと煽ろうと、ドミトリーは動じない。

「私は君を大いに評価している。あろうことか、あのグリンデルバルドを救い出し、魔法も使えない卑しいその身で彼の最も信頼を寄せる人間と称される名誉を授かった。魔法を使えなかった事がむしろ君にとっては良かったのだよ」

 ドミトリーはグリンデルバルドがかつての同士に向けた手紙を懐から取り出し、僕に見せた。その手紙には他の手紙と同様の文だけでなくゲラートからドミトリー個人に向けた文も挿入されている。僕がこの国に再び足を踏み入れることができたのも、館に入ることを許されたのも、全部ゲラートのおかげなのだ。

「我々旧ソヴィエト魔法連盟は現存するコミュニティの中で彼の理想に最も近いはずだ。マグルに存在を知らしめていない以外は全て。魔法使いは日常に溶け込み、権力構造のトップに君臨し、奴らを搾取している」

「ああ、ゲラートも褒めてましたよ」

 

 とはいえ、その権力構造は魔法使いが少ないから成り立っているにすぎないが。純血主義と少子化がうまく噛み合ったまやかし。完成には程遠い。

 

「当然、連盟は彼の支持者ばかりだ。諸手をあげて賛成だよ」

「頼もしい限りです」

「ぜひとも、彼に演説をしてほしい。いや、我々の連盟に加わってほしい。その諸々を話すために彼を連れてきてほしいのだが」

「それは難しいでしょうね。彼は世界にとって逃亡犯なんですから。…近々祭りが始まるでしょう。マグルと魔法使いの大きな祭が。その花火を待ってください。彼が大手を振って歩けるのはそれからです」

「彼はまた何かを企んでるのか」

「ええ」

 僕は僕の悪事も成功も全部ゲラートのものにすることにしてる。そっちのほうが話が早いからだ。案の定ドミトリーは詳細を話してないにもかかわらずすんなり納得している。

「何十年も前のことなのに、未だに昨日のことのように思い出すよ。あの戦争で何人のマグルが死ぬか賭けた。奴らは我々の予想をいい意味で裏切ってくれた。まさか同胞をあんなにためらいなく大量に殺せるとは」

「今ならもっと殺せるでしょうね。じきにわかります」

「楽しみだ。……それで、一週間ロシアに滞在したいという事だが…」

「ご心配なさらず。こちらに世話になろうとは思っていません。彼の指示でして、なるべくフラフラしろとね」

「…そうか。サンクトペテルブルクを歩くときは用心してくれよ。うちの孫たちはアレクセイをまだ覚えている。死人が歩いているような気持ちになるだろうから」

「言われなくてもすぐ出ていきますよ。嫌な思い出しかないくそったれの土地だ」

 

 僕も同じ気分だよ。この街を堂々と歩くと、アレクセイがまだ生きてるみたいで…いや、僕がアレクセイになったような気がして胃がムカムカするんだ。今までも、ずっと。

 そうさ。この老い先短い爺が言ってることは事実だ。僕はまだ悪夢から抜け出せていない。

 


 

 

 一方、ダンブルドアとともに長い長い記憶の旅から戻ってきたハリーは、夢から醒めたばかりのような不思議な気分でいた。

 ダンブルドアは休憩を入れようと言って温かいココアを入れた。このときばかりは反抗心を忘れ、素直にカップを受け取った。

 

ハリーはダンブルドアの見せる記憶の数々に衝撃を受けた。ヴォルデモートの過去、すなわちトム・リドルの出生は実に悲劇的で、悲惨だった。

ハリーは漠然と、あいつはフランスかどこかの名門の…例えばマルフォイみたいな純血の一族…血を引くのかと思っていた。だが実際はあの惨めなあばら屋の、落ちぶれた家系のスクイブの子だったのだ。

さらに悪いことに、父親は彼が最も軽蔑しているマグルだった。

トムが哀れなメローピーがゴーント家とその家族の中でどう扱われていたかを知った時どれだけショックだった事か。

もちろんどれだけ過去が悲しいものでもヴォルデモートに対する同情の念なんてものは湧いてこなかった。だが、少年トム・リドルに関してはちょっとした親近感と哀れみを感じる。両親のいない孤独はハリーには痛いほどわかる。

ダンブルドアはまた新しい瓶を取り出した。

「次に見せる記憶は、少し奇妙に感じるかもしれんが、重要な記憶じゃ。その前に今まで見た記憶について整理しておこう」

「はい。ええと…」

 

 まずはじめに見たのは魔法警察隊、ボブ・オグデンの記憶だった。彼は暴行事件を起こしたモーフィン・ゴーントの家へ尋問に行った。そこにあったのは荒みきった家庭と暴力的な父親、マールヴォロと哀れなメローピー。そしてどうやらトム・リドルの父親がいた。

 その次はウール孤児院を訪ねるダンブルドアの記憶。11歳の美しい少年トムと、これまた寒々しい孤児院の部屋。険しい態度でトムの罪を咎めるダンブルドア。利口そうなトム少年の姿は、未来を知ってるせいもあって芝居臭く思えた。

 そして3つ目、つい先程見たのは再びゴーント家の光景で、一人ぼっちになったモーフィン・ゴーントの記憶だった。モーフィンの記憶はトム・リドルと対峙し、二三言い争った後に暗転してそれっきりだった。

 

「モーフィンはどうなったんてすか?」

「彼が目をさましたとき、マールヴォロから受け継いだ指輪が消え、リドルの屋敷で三人の死体が見つかった」

「…あいつが殺したんですね?」

「そうじゃ。しかし捕まったのはモーフィンだった。彼の杖が犯行に使われたことが明らかになったのじゃ。彼は指輪をなくしたことを生涯くやみながらアズカバンで死んだよ」

「…あの指輪ですか?ゴーント家に伝わるという」

「そう、指輪じゃよ」

 

 ヴォルデモートが盗ったに違いなかった。自分が正当な持ち主だと思ったのだろうか。だがそれだけの理由ならば、ダンブルドアはこんなに焦ってハリーを引き止め、記憶を見せようとはしないだろう。

 

「あやつがなぜ指輪を奪ったのだと思う?」

「…あいつは……自分の出自を快くは思わなかったはずだ」

 

 マグルの父親の名前を隠すくらいだ。しかし同時にやつは自分のマールヴォロという指輪に、半分流れているゴーントという血に誇りがあったに違いない。指輪は自分が持つべきものであると同時に自分の血を証明するものだった。

「あいつは、認められなきゃいけなかった。自分が魔法界を統べるに相応しいという“物証”がほしかったんだ」

「素晴らしい洞察じゃ」

 ダンブルドアは空になったカップを空中で消してハリーに微笑みかけた。

 

「さて、ハリー体調はどうかね?」

「ええと、少し疲れましたが大丈夫です」

「そうか。では最後に一つ、重要な記憶を見せて今日は一度お開きとしようかの」

 そう言ってからダンブルドアは机の上に拳くらいの小さな箱を出した。

「この記憶は…最も重要じゃ。これまで見せた断片的なヴォルデモートの記憶を束ねる鍵じゃ」

「…わかりました」

「勇敢じゃ。では、篩の前へ…」

 

 

 


 

 ゲラート・グリンデルバルドは日々ウラジーミルがこなしていた退屈極まりない業務を知り、即座に有給休暇をとった。何、やってできないことはないがやりたくないのだからしょうがない。昔は役に徹するために何でもしたし、時には泥を舐めたりしたが、体も心も老いてくるとどうにもわがままになる。

 ウラジーミルは文句を言うだろうが、そんなくだらない仕事は部下に回したっていい。やつがつまらん仕事で手元を一杯にしてるのは余計な仕事を…主に魔法が必要なものを…他所に回すためにほかならない。

 魔法が使えないくせに魔法界で生きるなんて余計な困難を背負い込むようなものだ。素直にマグルの世界で生きていれば金持ちにでもなれたのに。…なんてことを、魔法使いのフリして30年過ごしてきたあいつに言うのも酷なことか。

 仕事をほっぽりだし、新聞、本、半世紀遠ざけられてきたメディアと文化に触れる。我ながらよくあんな牢獄で生きながらえてきたものだ。ウラジーミルが見たらプンスカ怒りだす有様だろうが、こうしてわかりやすく一人の時間を作っておけば…

 

 ノック音がした。

 

 休暇をとって2日。今はロンドン市内のホテルに居を構えているのだが、誰にも教えずルームサービスすら断ってる扉を誰かが叩いた。

 ノックするだけのマグルマナーを持ってるということは、死喰い人の中でもまだ知的なやつが訪ねてきたということだ。

 今日はポリジュース薬で変身してる暇はなさそうだった。

 

「はい」

 

 ドアを開けると辛気臭い顔をした若造が立っていた。どう見てもマグルの世界からは浮いているダサい黒服にローブ、洗ってない髪。恐れ入った。いくらマグルには見られないからってここまで服装に無頓着とは。顔は見覚えある。ダンブルドアをスパイしているスネイプとかいうやつだ。

「我輩は言伝を預かっただけだ」

 スネイプはウラジーミルの顔をじろりと睨んだあと、すぐに視線を俺の顎あたりへ固定する。

「これからマルフォイの別邸へ来てもらう。闇の帝王直々の招待だ。よもや断るまいな?」

「急に来て招待とはよく言ったものだな。5分で支度する」

 ウラジーミルの服(量産品の安物)にあわせて体型を少しいじる。袖を通し、鏡を見て髪をセットしまたドアを開けると、むっつりした顔でスネイプが待っていた。

「…グリンデルバルドはいないのか?」

「ああ。彼は僕なんかほっといて世界旅行中だよ。…それとも闇の帝王は彼に用が?」

「………いや」

 疑い七分と言ったところか。顔をじろりと見られたときに感じたが、スネイプは今ここにいるウラジーミル・プロップが本物かどうか疑っている。そしておそらく、中身がグリンデルバルドであることを期待している。

「では、手を」

 付き添い姿くらましなんてやったことがない。ウラジーミルが魔法を使えないと知った上でのブラフかと思ったが、マルフォイの別荘を知らなければ飛べないのは確かだ。グリンデルバルドがスネイプと手を重ねた瞬間、視界はグニャリと歪んで岩肌がむき出しの海に面した平地へ飛んだ。

 灰色の海を背景に、同じくらいくすんだ色合いの屋敷が佇んでいる。潮風をもろに受けてるせいか壁は腐食し、庭には何も生えていない。どうみても廃墟だ。

 

「…ずいぶんと寂れたとこにあるんだな」

「ここは管理するしもべ妖精が死んで以来、80年近く放置されているそうだ」

 

 きっとそのしもべ妖精が生きてる間もここは忘れ去られた屋敷だったのだろう。妾のための屋敷だったかもしれないし、気まぐれに建てた庵だったのかもしれない。本邸と比べてこぢんまりとした屋敷は人払の呪文だけを残してあばら家と化し、今は悪党の密会に使われる。月日が経てば当時持ってた意味なんて跡形もなくなる。

 スネイプに続き門柱をくぐり、玄関の扉を開けると、外とほとんど変わらない冷たい空気と嫌な気配がした。前々から会いたくないと思っていたがいざそばに来られるとやっぱり生理的嫌悪感が先立つ。

 

「……扉の向こうにおられる」

「ああ。…僕の杖を取り上げとかないでいいのか?」

「誰であろうと帝王に対して杖をあげようなどと考えまい」

 

 内心ため息を吐きながらドアを開けた。屋内は妙に暗い。新しいカーテンが取り付けられて日を遮っている。一番影の濃いところにやつがいた。

 

「……ウラジーミル・プロップ、お前が?笑えるな」

 

 青白い肌に人間離れした顔立ち。瞳孔なんて縦に裂けてる。まったく、自分より半世紀以上若いのによくない年のとり方をしているようだ。ゲラートは杖を取り出し、自分の変身を解いた。

 

「いいや。本物のあいつはもっと愛想がいいよ、ヴォルデモート。お会いできて光栄だ」

「ゲラート・グリンデルバルド…時代から忘れられた闇の魔法使い。俺様こそ光栄だというべきかな?旧時代の英雄に生きてお目にかかれるとは」

「私なんてもう半分隠居みたいなもんさ。それにお前もノルウェー魔法省を襲い国際指名手配犯の仲間入りになったわけだ。で?私に用があるんだろう?」

「ああ、そうだ。貴様がグレゴロビッチから盗んだ杖…あれは今どこにある?」

「あれは私がダンブルドアに奪われた多くのもののうちの一つだ」

「…ふ、ふふ…ふ。やはりそうか。ヌルメンガードになかったことから薄々感づいてはいたが…貴様はハリー・ポッターと引き換えに杖を取り返したのだな?」

「そのとおり」

「杖は今どこにある?」

 

 そう言うヴォルデモートは自分の杖を撫で回している。脅しでも何でも構わんが、仕草まで蛇のようで薄気味悪い。今ここで事を構える気はない。(尤も今後も戦うつもりはないが)

 あいつが今杖を抜かないのは自分のほうが強いという確信があるからだ。残念ながらその通りで、ゲラート自身も張り合うつもりはない。ただ事実がそこにあるだけだ。

 

「ここにはない、とだけ。私にも、誰にもあの杖は使えないんでね…現状、ダンブルドアをほんのすこし弱体化させただけにすぎん」

「何?使えないだと」

「やはり知らなかったか。杖の所有権なんて今の時代あまり考えないで済むから無理もない。魔法使いの杖には忠誠心がある。その忠誠心を勝ち取らねば杖の性能を引き出すことはできない。現状、正当な手続きを踏んでいない私にはあの杖を使いこなせない」

「…ほう?勝ち取る、とは厳密には?」

「決闘での敗北、もしくは死だ。…私の場合は敗北によりダンブルドアに杖を奪われた」

「……なるほど。どうやら貴様はよっぽどダンブルドアと会いたくないらしいな。この俺様にやつを殺させようとしているのだろう、杖を餌にして」

「賢いやつと話すのは大好きだ。ああ。殺してくれたら杖を渡す」

「俺様が直接奪いに行く可能性もあるぞ?お前の飼ってる小悪党からな」

「構いやしないさ。どっちにしろお前はダンブルドアを殺したいと思ってるし、そうしなきゃ杖を使いこなせないわけなんだから。わざわざ交渉材料にしたのは、私はお前のやりたいことを止めるつもりはないし争いたくないということをこうやって直接伝えるためだ」

「争いたくない、というがならば貴様の目的はなんだ?脱獄して、また旅して、世界を支配する算段を立てているのだろう?それでこの俺様と争わないというのは無理な話だ」

「そうだな。いつかはぶつかるかもしれん。だがぶつかるとしたら私ではなくウラジーミルかそれに続く誰かだろう。私は確かにいつの日か魔法族が頂点に立つ世界を作りたいと思っているが、その時私の命は尽きているだろう。頂点に立つことと礎を作ることは全く違う次元の話だ。だから私はもう杖を欲しないし、お前とも闘いたくない」

「なるほど、老いたなグリンデルバルド。若者に夢を託すというわけか」

「ああ。現実はいつだって険しく、重く、鋭く枯れかけた血肉を削っていく。自分の限界を知ることが人間にできる最後の成長だ」

「………いいだろう。ただし杖を渡さなかったらウラジーミル・プロップを殺す。今後も貴様らの妨害がない限りは見逃していてやろう。恐らく、蔓延る穢れた血を絶滅させるには俺様一人では手が足りんからな。ウラジーミル・プロップの政治手腕により魔法省はほぼ我々の手中に落ちた。それに免じて今後も良き関係を維持していこうではないか」

「それを聞いてようやく安眠できそうだ。かつての最悪の闇の魔法使いの名にかけて誓おう。ヴォルデモート、お前がダンブルドアを殺した暁にはニワトコの杖を受け渡す。それまでは互いに存分に虐殺と闘争を楽しもうじゃないか」

「次はダンブルドアの墓の前で再会しよう」

「ああ。楽しみだ」

 

 

 

 

 



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コーカス・レース

異例の事態?国際魔法連盟にて“一校長”が演説

 

 先日、ノルウェー魔法省が襲撃され職員が殺害された件がきっかけで国際魔法連盟が急遽会議を開きました。イギリス魔法省からは国際魔法協力部のプロップ氏、及び闇祓い局のロバース氏が出席しました。この会議では上級大魔法使いの他に各魔法省代表が参加するもので、時に争点となる事件の証人、当事者が召喚されます。

 今回の会議はこれら事件がグリンデルバルドによるものか、名前を言ってはいけない例のあの人によるものかを判断するためのもので、当事者としてアルバス・ダンブルドア氏が喚ばれたのは当然とも言えます。ダンブルドア氏は昨年上級大魔法使いの称号を剥奪、連盟から除籍されました。今回の会議ではダンブルドア氏は尋問、質問をされる側だというのに、彼が行ったのは“演説”でした。

 ダンブルドア氏は例のあの人を「目に見える破壊」とグリンデルバルドを「見えざる破壊」と評し、両者への対応は同時には難しいと述べました。さらにノルウェー魔法省襲撃は例のあの人によるものだと断言しました。さらにグリンデルバルドと手を組んでいる可能性が高い、などと憶測を並べ会場は動揺を隠しきれず場は混乱しました。冷静さを欠いた議会に対しダンブルドア氏は「団結と協力」を呼びかけましたが、果たしてこんな状態で団結など可能でしょうか?(詳しい演説内容は10面に全文を掲載しています)

 立場を弁えない演説にアメリカ魔法議会をはじめとする各魔法省代表らは会議後、苦言を呈しました。

 例のあの人のみならずグリンデルバルドとも敵対関係にあるとされるダンブルドア氏の今後の動向に国際社会からも注目が集まりそうです。

 

 

プロップ氏のコメント

 確かに今回の彼の言動は適切ではありませんでした。一方で演説内容はたいへん正しいものだと思います。おかげで我々の用意していたスピーチ原稿がボツになってしまいましたがね。

 脅威が迫っているという文言に皆様は飽き飽きしているでしょうが、悪意は善良な市民の皆様の都合を一切考慮しません。嵐と違って予兆もなく、突然降りかかるものです。しかも悪いことに相手は我々同様魔法を使う。

 いつ攻撃にさらされるかわからない日々が続くのは魔法界の経済、政治、平和のみならずマグルとの関係すらも悪化させかねない事態です。現にイギリスでは毎日のようにマグルの建造物やインフラが破壊され、忘却術士は不足、部署はパンク寸前です。アメリカ、日本、フランスでも同様の事態が起きているようで、パリではマグルたちによるデモが頻発しています。彼らなりに危険を感じ取っているのでしょう。

 みなさん、決して気を緩めないでください。隣人が突然敵になるかもしれません。誰であろうと、他人である以上考えていることまでわかりません。勿論だからといって他者への道徳を捨て去れと言っているわけではありませんよ。それこそダンブルドアの演説どおりになってしまう。

 どんな危機的状況でも良識ある行動を。それは我々にできてマグルにはできないことです。何億と膨れ上がったヒステリックな赤ん坊のような彼らを起こしてはいけません。世界の平和は…なんていうといかにもチープですが、我々が保っていると言っても過言ではないのですから。

 


 

 

「へえ。僕がいなくてもちゃんと僕は仕事してるじゃないか」

 ウラジーミル・プロップのコメントを読んで僕、ウラジーミル・プロップは感心する。ゲラートはニヤニヤ笑いながら土産のマトリョーシカを魔法で開けたり閉めたり仕舞ったりして遊んでいる。かぽかぽうるさい。

「まあな。変装っていうのは見かけよりも仕草や口調で質が出る」

「いやみったらしい顔もまさしく僕って感じだよ」

 国際魔法協力部長になってからやたら新聞に名前と顔が載るようになったが、今回の写真が一番かっこよく写っているような気がする。自分じゃない自分の写真を見るのはどうにも変な感じだ。ただでさえ写真だと別人に見えるのに、今回は本当に別人なんだから。

「あいつに会った?」

「ああ。握手してきた」

「うわ…よくできるな。ゾッとするよ」

「マジにとるなよ。…とりあえずのところお互い不干渉だ」

「そうか。あっちもいろいろ情報は掴んでるだろうから、いきなり僕を殺したりはしないと思ってたけど」

「所詮口約束だよ。あいつは義理堅いとはいえん。あまり意味ないだろうが気をつけろよ」

「全く役に立たない忠告をどうも…」

 多分、僕はあいつの視界に入っただけで殺される。生きにくい時代だ。

「どれ、ダンブルドア曰く…ふうん“グリンデルバルドはマグルへの憎悪を煽り”…あってる。“魔法使いを疑心暗鬼に陥らせ、恐怖を暴発させようとしている”。流石だね、全部わかってるみたいだ」

「ちょっと賢ければ世界をめちゃくちゃにする方法なんていくつも思いつく。俺がこれからどうするかある程度予測は立ててるのかもしれんな…まあ止められるとは限らんがな」

「じゃあいよいよやるんだな?」

「ああ。帰ってきて早々悪いな」

「いいんだ。仕事があったほうが嫌なことを忘れられる」

 

 


 

 

 ハリー・ポッターが学校へ帰ってきたというのに、寮の中は葬式みたいな空気が漂っていた。ハーマイオニー、ロン、ネビルなんかは泣いたり笑ったり抱きしめたりしてくれたが、それも重たい空気のせいでどこか密やかな集会のように思えた。

 旨い料理が寮のテーブルに並べられ、何人かの生徒はハリーと握手しに来た。だがそういう生徒は全員手の甲に分厚い包帯を巻いていた。ハリーを遠巻きに眺めている生徒も同様だった。

「戻ってこれて嬉しいよ。本当に。でもなんだか寮の雰囲気が変だ」

 ハリーの質問にハーマイオニーの顔色が陰った。

「無理もないわ。…新しい闇の魔術に対する防衛術の教師は知ってる?」

「ああ、プロップの元上司」

「アンブリッジ!」

 ロンがアレルギーを起こしたかのように叫んだ。

「あれは歩く最悪だ!」

 その言葉にネビルとジニーがウンウンと頷く。

「あいつ、クソよ。いいえ、クソ以下。廊下や教室であなたの話をしているだけで罰則を与えるの。パーシーが作った鳥たちがずっと監視してるのよ」

「じゃあ安全な場所は寮だけ?」

「そうとも限んないよ。僕こないだ見ちゃったんだ…しもべ妖精が夜中にこっそり、僕たちのカバンを漁ってた」

「なに?そんなの犯罪じゃないか!」

「そう!しもべ妖精に犯罪行為をさせてるのよ!絶対に許せないわ」

「それでダンブルドア擁護派の雑誌を持ってたりする子がどんどん罰を受けちゃって…」

 ネビルはしょんぼりした顔をした。おそらくネビルも被害者なのだろう。道理で自分が帰ってきても歓迎されないはずだ。それどころか憂鬱の元凶が帰ってきてしまってみんなに悪いくらいだ。

「じゃあ確実に誰にも聞かれないのは…」

「各教授の個室、校長室、それくらいよ」

 ジニーはうんざりしたように言って頭をおさえた。

「何があったか聞きたいけれど…」

「ここでは無理そうだね」

「禁じられた森の深くなら多分見つからないわ。でもあまりに危険だし…」

「いや、もっといい場所があるよ」

「どこ?」

「秘密の部屋さ」

「それは…あんまり行きたくないけど、良いアイディアね」

 

 

 ハリーは週末まで寮から出ないように言われていた。朝食は全員が広間へ出ている時間に暖炉の前のテーブルにぽつんとサンドイッチとトマトジュースが置かれていた。しもべ妖精が運んでいるのだろう。ハリーは無性にドビーに会いたくなった。

「ドビー…いる?」

 ばかげていると思いながらハリーは誰もいない談話室の天井へ話しかけた。数秒まってもいつものようにバシッという音はせず、ハリーは諦めて朝食を食べた。

 昨日渡されたいくつかの羊皮紙は受講する教科の申込用紙と長々かかれた新しい学校教育令だった。教育令の方は暖炉に突っ込んで、申込用紙をぼうっと眺めながら、ダンブルドアと話したこと、見たことをゆっくり反芻した。

 

 

………

 

「よいか…」

 

 スラグホーンという老人の、改竄された記憶。そこに映っていたのは学生のトム・リドルと後に死喰い人となる若き魔法使いたちだった。

 

「いまスラグホーンは魔法省の高官に囲われている。会って正しい記憶を引き出すことは困難じゃ」

「…この記憶から推察するしかないんですね?」

「左様。幸いやつが何について知りたがっていたのか見当はついておる。実物もある」

「実物…?」

 そう言ってダンブルドアは机の引き出しから2つのものを取り出した。

 2年生の頃秘密の部屋事件を引き起こした日記と、古びた金色のロケットだった。どこかで見覚えのある形をしている。よく見てみると、メローピーが持ち出して買い叩かれたあのスリザリンのロケットだった。

「まず日記じゃが、これはトム・リドルの記憶だけが閉じ込められていたのではない。やつの魂の欠片も籠められていた」

「魂?ちょっと、よく飲み込めないんですが…かけら?」

「やつがスラグホーンからききだしたのは忌まわしい闇の魔法、“分霊箱”の作り方じゃ。分霊箱は殺人により魂を分割し、保存することによりたとえ肉体が一度滅びても命を生き永らえらせることができる」

 ハリーは衝撃を受けた。魂を分割するなんて誰が思いつくっていうんだろう。だが同時に今までずっと不可解だった事の解答が得られた。

「だからあいつは死の呪文を浴びても生きていた」

「その通り。そして今まで見せた記憶たち、背後に積み重なる死者たち。それが示すのは…」

「やつは分霊箱をいくつも作っている?」

「左様」

「そんな…それじゃあきりがないじゃないですか」

「数については予想する他ないが、おおよそ見当がついておる。その見当をつけるためにかなり多くの時間を費やし、数多の記憶を探った。結論から言えば、やつは魂を7つに分割しているはずじゃ」

「…根拠は?」

「わしが今ここでいっても意味がない。なぜならハリー、ヴォルデモートの残りの魂を破壊するのは()()()()だからじゃ」

 

 もちろんハリーもこのままぬくぬくと安全な学校で待ちながらダンブルドアがすべて方をつけてくれるなんて思っていなかった。いつしか自分の運命に向き合う日が来るだろうと、プロップに予言の中身を聞かされてから薄々勘付いていた。

 だがこの伝え方はダンブルドアらしくない。

 

「君が考え、答えを導き、道を切り拓かねばならない。わしに君の手助けをする時間がないのじゃ。よいかね。事態は間もなく急変する」

「グリンデルバルド、ですか」

「そうじゃ。わしはわしの過去を精算せねばならんときが来たのじゃ。わしが最も恐れているのは、ヴォルデモートではない。あの男と、あの男が築きたがっている独善的な秩序の世界じゃ」

「…先生のお気持ちはわかります。でもとても僕だけの力じゃ…」

「そう結論を焦るでない。一度先程の君の問いかけに戻って考えてみよう。ヴォルデモートの魂が7つにわけられているとなぜ断言できたか?」

「え……っと」

 ハリーはすっかりダンブルドアの話術に嵌っていた。ダンブルドアの言うとおり、これまで見てきた記憶と自分がやつに感じたことを頭の中で整理していく。

「あいつは…自分がスリザリンの末裔だってことに誇りを持ってる。血統にかなりの拘りがあった」

 ハリーの脳裏にゴーントのあばら家とやせ衰えたモーフィンの姿がちらついた。

「ゴーントの指輪ですか?」

「その通り」

「同時に…そうだ!あいつはハッフルパフのカップを欲しがっていた」

 スリザリンのロケットが分霊箱だとすればあのカップもそうに違いない。とすれば他の創設者ゆかりの品も手に入れたがるはずだが…

「グリフィンドールの剣はありえない。レイブンクローの縁の品は?」

「失われた髪飾り。これは遠い昔に失われ、現在どこにあるかは知る由もない」

「そうですか…」

 トム・リドルの日記、ゴーントの指輪、スリザリンのロケット、ハッフルパフのカップ。全然数が足りない。

「何故7と断言したかというと」

 ダンブルドアが付け足した。

「わしは奴が、レイブンクローの髪飾りを見つけたと睨んでいるからじゃ。そうなれば魂の数は6。じゃがこの数字は実に中途半端じゃ。7は魔法界で最も強い数字とされている。やつはああ見えて縁起を担ぐタイプじゃ。でなければホグワーツの創設者の品に魂を込めようなどとは思うまい」

「…なんか不思議だ。伝説の品を見つけ出してまでそんなことするなんて。ヴォルデモートはよっぽどホグワーツが好きだったんですね」

「君もそうではないかね?」

 ハリーは手紙を受け取り、ハグリッドが現れダドリーに魔法をかけたときのことを思い出した。

 

今の君は本当の君じゃない

君の中には特別な才能が眠ってて、本当の世界はこの先にある

 

 ホグワーツの門をくぐり、魔法を使って、今まで惨めだった自分が突然変身したかのような気分だった。何もかもが変わった。ハリーにとってここが人生のはじまりだ。きっと、トム・リドルにとっても。

 

「……そうです。うん、僕とあいつはとても似ている…」

 

 

「違うのは、君は決して誤った道を選んだりしないというところじゃ。ハリー…」

 ダンブルドアは久々に、ハリーに優しく微笑んだ。

 

「もしヴォルデモートがわしらが分霊箱について気づいたと知れば、隠しておいたそれらを手の届かないようなところへ仕舞ってしまうだろう。このことは今のところわしと君しか知らぬ。君も話す相手は慎重に選びなさい」

「わかりました。…でもやっぱり自信がありません。先生の助け無しに宛もなく探せだなんて…」

「もちろんわしも手助けはする。…だが、わしが死んでも、いや。誰が死んでも、君はこの仕事を全うしなければならんのじゃ。君が生き残るためには」

 

 

 

………

 

 

 あのあと、スリザリンのロケットは何者かにすり替えられていたことを教えられ、続きは次回に話すことになった。次はいよいよ隠し場所と、おそらく破壊の方法について話すことになるだろう。

 それにしてもあと5つ…5つもあいつの分霊箱があるなんて。ロケットが偽物だったということは見つけられた分霊箱は実質たったの一つだけ。全部見つけるより前にあいつに殺されそうだ。

 

 自分の命のため…

 

 ハリーはまだ、ロンとハーマイオニーにこのことを話すか決め兼ねていた。いっそシリウスと分霊箱を探す旅にでもでようかと思ったが、シリウス宛の手紙は届いているのかもわからない状況だ。

 ぼーっとしているうちにハリーはうとうとしかけた。だが突然響いたバシッという音で目が覚めた。

 

「は、は、ハリー・ポッター…様?」

 

 目の前に立っていたのはしもべ妖精のウィンキーだった。

「ウィンキーかい?どうして君がここに…」

「あたくしはお聞きになりました。ハリー・ポッター様がドビーを呼ぶのを。ですのでドビーのかわりにあたくしがお越しになったのです」

「ドビーの代わりだって?なんで本人が来ないんだ?」

「ドビーは今とても弱っているので起き上がれないのす。ウィンキーが世話をしなくてはならないと校長に申し付けられました」

「どうして弱ってるの?」

「う、ウィンキーには仰ることができません!」

「わかった。ウィンキー、悪いけどドビーのところに連れて行ってくれる?」

「御用があるのならばウィンキーめがおやりになりますので…!」

「ウィンキー、僕はドビーと話がしたいんだ。ドビーに会いたいんだよ」

「わ、わかりました…ドビーに聞いてまいります…」

 

 ウィンキーは再びバシッという音を立てて消えた。ドビーが立ち上がれないほど弱っているなんて一体何があったのだろう?ハリーはなんだか嫌な予感がした。ウィンキーが戻ってくるまでの時間がやけに長く感じた。暖炉の火が音を立てて崩た時、またバシッと音を立ててウィンキーがやってきた。だが今回は何かを担いでる。よくみるとそれは項垂れたドビーだった。

 

「ドビー!一体どうしたの?」

「ハリー…ポッター…お会いできてドビーは嬉しいです」

 ハリーが手を伸ばすと、ドビーは身を捩ってそれから逃れようとした。ウィンキーがドビーを支えきれずに転びそうになったのでハリーは慌てて空いてる方の腕を引っ張り二人をソファーに座らせた。

 

「何があったの?」

「ドビーは…ドビーは任務をやりおおせたのです。しばらくすれば治ります」

「任務って?」

「ドビーには言えません!…ドビーは…もう……思い出したくないのです」

 ドビーは弱りきっていた。しくしくと泣き出し、体を縮こまらせてウィンキーにもたれかかってしまう。

「あたくしはご覧になりました!ドビーめは校長とでかけてからこうなってしまったのです!」

「ダンブルドアと?」

「ウィンキー!」

 ハリーが間の抜けた声を上げ、ドビーが鋭く叫んだ。ウィンキーはまためそめそと泣き出しそうにしながらハリーに向かって必死に訴える。

「あたくしは、アタクシはこんなドビーの姿をご覧になるのが苦しいのです…!」

「ドビーは望んで行きました!危険も承知の上です」

 ドビーは弱ってはいるものの意志が固く、決して譲ろうとはしなかった。ハリーはドビーがダンブルドアと何をしたのか、直感的にわかった。

「……ごめん、ドビー。無理させて」

「ハリー・ポッターが謝る事ではございません…ドビーは…」

「いいんだ。ありがとう」

 ハリーはドビーの頬にそっと触れた。ドビーは驚きながらも弱々しく微笑んだ。

 

 

 しもべ妖精二人が消え、談話室に響くのは再び暖炉の立てるぱちばちという音だけになった。

 ドビーはおそらくあのロケットをとるためにダンブルドアに付き合わされたんだ。そうに違いない。しもべ妖精なら口封じは簡単だし、なにより彼らの魔法はホグワーツの中で姿くらましができるくらいだ。とても心強い。

 だがダンブルドアはドビーがこんなに弱ってしまうとわかって連れてきたんだろうか?そこだけははっきりさせないといけない。

 

 そしてなにより明らかなのは、こんな危険な任務に友達を巻き込めないということだ。ロンとハーマイオニーがあんなふうに苦しむなんてとても耐えられない。

 

 次のダンブルドアの“呼び出し”は3日後だ。それまでに、二人に向けての嘘を考えなければならない。

 

 



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年老いて見る夢は絶望

 冷たい白波が曇天の下、黒い岩に叩きつけられて散っていた。“行き先”は見たことがある。トム・リドル少年が孤児院の自分のスペースに飾ってあった写真の場所だ。ダンブルドアは虚ろな口を開けた洞窟へドビーを伴い入っていく。

 雨だれと風で削られた壁の中から入り口を見つけ出し、湖を船で渡り、中央にぽつんと浮かぶ小島へたどり着く。そこには台座と盃があった。台座のくぼみは液体で満たされており、その奥に金色のロケットが見えた。

 ドビーは硝子玉のような瞳を潤ませ、怯えながら盃をとった。

『やめるなら今じゃ』

 ダンブルドアの忠告にドビーは首を横に振る。

『ドビーはハリー・ポッターのためならどんな危険も顧みません』

 そしてドビーは盃に液体を満たし、飲み込んだ……。

 

 

 

 ダンブルドアにドビーのことを問い詰めると、ダンブルドアは自分の頭から記憶を取り出しハリーに見せた。渇きに苦しみ悶えるドビーと、ロケットを開けて出てきた手紙への落胆。ただの記憶なのに自分のことのように苦しく、そして悔しかった。

 

 

 

闇の帝王へ

あなたがこれを読むころには、私はとうに死んでいるでしょう。

しかし、私があなたの秘密を発見したことを知ってほしいのです。

本当の分霊箱は私が盗みました。できるだけ早く破壊するつもりです。

死に直面する私が望むのは、あなたが手ごわい相手に見えたその時に、もう一度死ぬべき存在となることです。

 

R・A・B

 

 

 

 

「誰なんです?このR・A・Bって…」

「今のところ不明じゃ。幸いなのはヴォルデモートが分霊箱をすり替えられたと気づいていないことじゃな」

「あいつは分霊箱の所在を感知できないんですか?」

「左様。古いものとなれば尚更じゃ。おそらくこの日記が破壊されたときも気づかなかったじゃろう。奴にはどの分霊箱も盗まれないという自信があるのじゃろうな」

「そんなものを僕一人で探せっていうんですね…」

「君には素晴らしき友人がいる。わしもできる限りは…」

 ダンブルドアがなんと言おうとハリーはもうロンとハーマイオニーに助けを求める気はなかった。ロケットのために用意された残酷な罠を見てなおさら決意は固くなった。

「…今日は一つ、実践的な授業をしようと思っておる。ハリー、分霊箱の探し方と破壊の方法じゃ」

 ハリーははっとしてダンブルドアの顔を見た。ダンブルドアは優しく微笑み、手を差し出した。

「姿くらましですか?学校では…」

「何事も特例というものがある。尤もあまり大声ではいえんがの」

 

 

 

 姿現しした先はどこか見覚えのある場所だった。陰気な空模様のせいだけではない、土地全体がまるで葬式のような雰囲気だ。顔を上げるとすぐ大きな屋敷が見えた。その屋敷の形でハリーは自分がどこに来たかがわかった。

 

「この場所にあるものがなにかわかるかのう」

「ゴーントの家…あの指輪ですか…?」

「そのとおり」

 

 ゴーントの家は巧妙に隠されていた。というよりかは管理するもののいなくなった隣家から生い茂る草花が侵食してきたといったほうが正しいかもしれない。言われてもそこに家があるとは思えないくらいの手付かずの土地。ハリーとダンブルドアはそこに立っていた。

 すぐそばのリドル邸の墓場でセドリックが殺されたのがもう何年も前のことのように思える。ダンブルドアは杖をかざしながら藪に目を凝らした。ハリーも同じようにじっと茂みを見渡すと、おそらくは門だった木材の残骸があった。

「先生…」

「わかっておる」

 下草を踏み分けて門らしきもののそばに行くと空気が急に澱んだ気がした。

「魔法の痕跡はないが…巣になっているようじゃ」

 ダンブルドアは木材付近の地面をよく観察しながら呟いた。ハリーのために地面にいくつか残っている何かが這いずり回った跡を指差し、杖を振った。

パーティス・テンポラス(道開け)

 すると行く手を阻む雑草がみるみるうちに退いていき、編み上がり、見事なアーチに形作られていった。入り口まで道が出来上がるとダンブルドアはずんずんと進んでいく。ハリーも杖先に光を灯して後をついていく。

 魔法省の役人ボブ・オグデンの記憶で見たままの扉だった。蛇の死骸がドアに打ち付けてある。

 

「ハリー、君の出番じゃ」

 

 ハリーはハッとしてその蛇の死骸を見た。そして蛇語で「開け」と囁くと蛇の死骸はぼとりと地面に落下し、木の軋む独特の嫌な音を出して扉が数センチほど開いた。

 

「……こんなに簡単でいいんですか?」

「少なくとも当時ゴーントがスリザリンの継承者であることを知る人間はトム・リドル一人じゃった。通常の魔法で錠を開けた場合どうなったかは…あまり想像したくないのう」

 

 家はモーフィン・ゴーントの記憶の中よりも荒れ果て、廃墟とほとんど変わらない暗闇の中に半壊した家具と埃が積もっているだけだった。外と違って生き物の気配は一つもない。奥の暖炉らしきところから饐えた臭いがした。

 

「灰じゃ」

 

 暖炉にはたっぷりと灰があった。ダンブルドアの口ぶりから、この中に指輪があるに違いなかった。だが雰囲気といい臭いといい、とてもじゃないが触りたくなかった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そのことを思い出し、ハリーは杖を掴んだ。

ヴァーディ・ミリアス(隠されたものを暴け)

 灰は全く変わらなかった。風を起こして下にあるものを見ようとしても、全く飛んでいかない。どうやら直接触れるほかなさそうだった。杖をそっと灰に突き刺そうとすると、バチッと火花が散って弾き飛ばされた。手で掘れということらしい。

 

「…ふむ。ハリー、これはわしがやるべきことじゃ」

「え…でも僕が一人でできるようにならないと……」

「ゆくゆくは、じゃよ。今は見て学びなさい」

 

 ダンブルドアはそっと屈み込み、灰の中に指を差し入れた。砂山のようになっていた灰が崩れ、ダンブルドアは手首まで突っ込んで灰を掻き出しはじめた。節くれだった細い指の隙間から灰がさらさらこぼれていく。

 

「う…」

 

 ダンブルドアが小さく呻いた。ハリーは思わず杖を固く握りしめ、灰の山に向けた。

 

「心配はない、ハリー」

 

 ダンブルドアはニコリと微笑むと、灰の山から椀の形にした手を抜き出した。ハリーはギョッとしてますます強く杖を握りしめた。その手首には骨が絡みついていた。くすんだ茶色の骨だ。

 ダンブルドアはそのまま腕を高く上げ、骨は上腕部まで引き摺り出された。すると灰の山がゆっくりと隆起し、小さな頭蓋骨を形作り、顔に変わった。

 

 女の子だった。金髪の、優しい瞳をした10歳かそこらの少女。肌は土気色で、髪には灰がまだ絡みついている。

「どぉ…て」

 少女が小さく呟いた。

「ど…して」

 

 ダンブルドアの表情が強張った。恐れを感じているように見え、ハリーは思わず声をかけそうになった。しかしその前にダンブルドアが制するように、半ば自分に言い聞かせるような堂々とした声で独りごちた。

 

「一年前のわしならば…ここで取り乱していたかもしれん」

 

 ダンブルドアは灰でできた少女を無視してまた灰の山に手を突っ込んだ。そしてまた掻き分ける。何度も何度も。ハリーはそれをただ見つめる他なかった。掻き出した灰の山が小高くなってようやくダンブルドアは何かを見つけた。

 

 

「これが……」

 

 

 ダンブルドアは灰まみれの手のひらからゴーントの指輪を摘み上げ、しげしげと眺めた。

 

「これが…蘇りの石……」

「蘇りの石?」

 

「そうじゃ。遠い昔の、お伽噺のお宝じゃよ。…ああ、なるほど確かに抗い難い誘惑じゃ。この罠のあとでは……」

「ど、どういうことですか?」

 ハリーにはダンブルドアが言ってることがいまいちわからなかった。指輪は確かに怪しげな光を放っているが、誘惑なんて感じなかった。

 

「詳しくは帰ってから話そうとしよう。ここは長居する場ではない」

 

 ダンブルドアは立ち上がり、灰を清めてすぐ外に出て姿くらましした。ハリーは何がなんだかわからないまま、ぐわんぐわんと揺れる校長室の椅子に座った。

 

「このゴーントの指輪に嵌っている石は“死の秘宝”と呼ばれるもののうちの一つじゃ。死者を蘇らせる秘石と伝えられている」

「死者を…?そんなことあり得るんですか?」

「あり得ない…と言い切れないのが“誘惑”といった所以なのじゃ。年を取ればその誘惑はより一層抗い難いものになる。…おそらくこの指輪を嵌めたら最後、強力な呪いをかけられる。すべての分霊箱にそのような罠があるはずじゃ」

 

 ハリーは机に置かれた指輪をまじまじと見た。凝った意匠が施された指輪になにかの紋章が刻まれた黒い飾り石がついている。

 蘇りの石と言ったか。ダンブルドアの口ぶりは自身に蘇らせたい人物の心当たりがあるようだった。

 

「じゃが今は、幸いと言っていいのか…死者に思いを馳せる余裕がない。それに君もいてくれたから愚かな間違いを犯さずにすんだ。今すぐ処置をしよう」

 

 そう言ってダンブルドアが取り出したのはグリフィンドールの剣だった。その切っ先を慎重に指輪に向け、ハリーに言った。

 

「よいか。分霊箱のような強い闇の魔法のかかった品は生半可な魔法では破壊できん。同じように強力な闇の魔法を使うか、伝説の生き物の毒や武器を使う他ない」

「グリフィンドールの剣は伝説の武器ってことですか?」

「いや、歴史的価値はあるが単なる剣じゃよ。しかしゴブリン製の剣にはある特殊な性質がある。これは斬ったものの特性を吸収するのじゃ。かつてこの剣はある凶悪な魔法生物を斬ったはずじゃったな」

「まさか…バジリスクの毒を?」

「そう。この剣は最強の毒を秘めているというわけじゃ。故に…」

 

 ダンブルドアは切っ先を指輪に突き刺した。悲鳴とも金属音ともわからない、不気味な音が部屋中にこだまし、ハリーは思わず耳をふさいだ。足元からぞわぞわと恐怖が体を包み込むようだった。

 

「これで破壊は完了じゃ」

 

 顔を上げると指輪は輪の部分に黒ずんだ焦げ跡と亀裂を残して歪み、石が取れかかっていた。

 

「…ヴォルデモートはこの石が特別なものだって知ってたんでしょうか?」

「ふむ。ペベレルの名前を辿ればいつかは秘宝に辿り着くじゃろうな。だが、奴にとってこの石は価値がなかった。だから罠に利用したのじゃろう」

 

 ダンブルドアは指輪を魔法で浮かせ小箱に入れて厳重に封をした。なるべく目に入れたくないらしく、すぐに小箱も机の奥深くにしまってしまう。

 

「今日は…ご苦労じゃった。疲れたろう」

「いえ」

 

 疲れなかったといえば嘘だが、それよりもこれから先待ち受けることに自分が立ち向かっていけるのかが不安だった。

 バジリスクを前にしてグリフィンドールの剣が自分の前に現れたとき、体に勇気が漲るようだった。しかし今はとにかく鈍い。体と感覚に薄皮が張ってるみたいだった。プロップに閉じ込められてからずっと自分がこれまでの様に振る舞うことが不可能になっていると感じている。自分を包んでいた万能感や、特別感、優越感が根こそぎ剥ぎ取られたようだった。

 

 それでも自分が生きるためにはヴォルデモートを殺し尽くすしかない。

 

 

 次の約束はまた手紙で知らせると伝えられ、ハリーは校長室から寮へ帰った。結果だけ言うと、次は二度となかった。

 

 


 

 

 僕は自分のことを感じやすい人間だと思っていた。人の苦しみや悩み、不安、不満がわかるし、どういうふうに誘導すればいいかすぐに思い浮かぶ。

 煽てたり、褒めたり、怒らせたり、惚れさせたり。個性を掴めば特定の感情へ誘導するのは簡単で、更にそこから行動へ発展させることもできる。

 だがグリンデルバルドからして見ればそれは感じやすいなんてもんじゃなく、むしろ何も感じてないと言えるらしい。

 

「普通の人間は他人との交流に痛みが伴う。自分のために他人を動かすなんて尚更だ。人は共感性という厄介な後天的能力を獲得している。社会に生まれたのならば育つ過程で無理やりつけさせられるものだ」

「僕はまともに育ってないと?」

「そうはいってない。お前のように共感性に著しく欠けるやつってのはそう生まれついてるのさ」

「なんだか気に入らない考え方だ」

「たとえばお前は散々人を利用して殺してきたわけだが罪悪感は湧くか?」

 僕は、こんな時にアレクセイの顔をいつも思い出してしまう。

「あまり」

「俺もだ。時々懐かしんだりするくらいがせいぜいだ。だが普通はそこまでドライでいられない。悪夢を見たり警察に駆け込もうか悩んだりする。神に赦しを乞う場合もある」

「馬鹿みたいだな」

「その通り。だから革命のための最初の一撃は俺達のような不感症の悪党しかできないのさ。伴う痛みが大きすぎるからな」

 

 全然わからない。わからないね。僕は自分の痛みしかわからない。

 人は誰だってそうじゃないのか?握手もしてない相手の指先の感触を想像する?吐息の音を聞いて自分じゃない誰かの肉体を思い描くのか?心が頭か胸かどこに宿るのか大真面目に議論するのか?言葉なんて形の無いものに質量を感じる?目の前の相手の感情を自分に当てはめようとする?愛なんて幻を在るとするのか?

 もし人がそれを考えずに生きられない生き物だとしたらそれと無縁な僕は世界一幸せだ。

 

 僕は薄い紫の縞が入ったシャツを着て、赤のネクタイを締める。ネイビーのスーツを着てから魔法省謹製カフスボタンをつけ、いつもより念入りに髪型を整えひげを剃りこめかみを揉んでくまを少しでもマシに見せようとする。爪を切りそろえ、万が一手首の噛み傷が見えないよう念入りにファンデーションを塗りそこそこいい時計をつける。

 こうしてウラジーミル・プロップという外装が出来上がる。テレビ映えする仮面だ。普段見かけについてそこまで気にしないが、今日ばかりは映りが良くないと困る。どこかの国の大統領が殺されたり、どこかのカルトが毒を巻いたり、どこかで虐殺が起きていたりする中でチャンネルを奪わなきゃいけない。テレビはとにかく派手でないと。

 どれだけ目を引くか。目を引いた後、見苦しくないものだけがワイドショーで連日繰り返し流される。これまでもこれから永遠と続く時間のなかでたった30秒。今の僕は繰り返し繰り返しを耐え抜く仮面だ。

 

 犬ははあはあと熱い息を吐いている。口枷からぼたぼたと獣臭い涎が落ちる。ジョン・ドゥがわざわざやってきて僕を叱咤激励した。目立つことはやめてくれ、と言うがあいつの行き先は最近ほとんどグリンゴッツだから、ダイアゴン横丁そばの倉庫によったって何ら不思議ではない。

 グリンデルバルドもいつもより丁寧に変装する。マグルの標準ファッション、スーツと冴えない髪型に。雑踏に溶け込むファッションもこなせるとはさすが大魔法使い様だ。

 

「用意は万全だ」

「ああ。時間もちょうどいい。化粧のりもいいよ」

「ルシウスからも伝令だ。“時は満ちた”気取り屋だな」

「余裕があって羨ましいよ。僕は結構そわそわしてる」

「意外とミーハーなんだな」

「いや、そういう事じゃないだろう。うっかりあいつが死ななかったら僕は一貫の終わりだからね」

「そのために俺がいるんだろう?」

 僕はグリンデルバルドを見つめる。冴えない一重のマグルのサラリーマンの格好をした最強の魔法使いを。

「あんたを信じてるよ、ゲラート」

「任せてくれ。…より大いなる善のために、ヴォーヴァ。行ってこい」

「秀逸なキャッチコピーだな。行ってくるよ」

 

 

 そして僕はマグル連絡室室長としてしみったれた日々を送らざるを得なかったファッジと共にマグル首相との待ち合わせに向かう。

 原稿を渡し、二、三質問に答えた後にファッジと合流してきたランコーンは関係者用にモニターの置かれた部屋へ、僕は記者として会場入りする。

 死喰い人の大暴れに合理的説明をつけることに疲れきり、判断力を失いつつある哀れなマグルの首相がそわそわしながら満員の記者席を見て鎮静剤を飲む姿を見て、僕はほんの少しだけ罪悪感を持ってしまった。

 ただこれから起こる混乱を目にしなくてもいいのは羨ましい。ありとあらゆるリスクを避けたいのならば、我々に許されるのは死ぬことだけだ。

 

 

 



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クレオンのでたらめ黒魔術

セネガル首都ダカール カーマ家の屋敷にて

 

 

 占領地時代に建てられたかのような豪華な庭園つきの屋敷。日差しはどこか刺々しく空気は乾燥しているが、庭に面した広いテラスは噴水に面しており、植物のおかげでオアシスのように潤っていた。

 テラスには6人の男が腰掛けており、庭でミニチュア箒に跨がり遊んでいる子どもと乳母を眺めていた。

 

「そうだ。うっかりしていた中継が始まるんだったね」

 男の一人が思い出したように言った。浅黒い肌をした、おそらくは白人との混血の男で、縮れた髪には白髪が多く混じっているものの背筋はしゃんと伸びていて精気に満ちている。

「そうじゃった。ええと…ブルック?」

 それを聞いた老人が場にふさわしくないマグル風ヒッピーファッションの若者に声をかけた。

「はいはい。もちろん。少々お待ちを」

 ブルック(普段仲間内ではBDと呼ばれている)はひょいっと立ち上がり、隣の部屋から大きなブラウン管テレビを持ってくる。そして庭園の景色を遮るようにテレビを置き、ドライバーを取り出して裏面のカバーを取り外し中身をいじりだした。

「奇妙なもんですね。なぜマグルはこんなガラクタをみんな家に置きたがるんでしょう」

「遠くの光景が見えるんでしたっけ?そんなことになんの意味が…?」

 男たちは不思議そうにささやきあいながらも、これから起こることにワクワクしている。空気が明らかに浮ついてきてたのを見計らったかの様に恰幅のいい老人、スラグホーンが会話の種を蒔く。

「マグルもなかなか発想は悪くありませんよ。これは出かけずともこうして座りながら会見やらなんやらを見る事ができる。すくなくとも人混みに煩わされずにすむわけです。マグルの世界は我々魔法界では比較にならないほど人が溢れていますからな」

 それをうけ、むっつり黙り込んだ北欧系の顔つきの男が喜々として喋りだした。

「全く奴らと来たらハツカネズミのように増えていく。気づけばこの地表にはびっしりと自分の後始末もままならん赤子のようなマグルばかり。絶望的と言わずしてなんという?」

「いや、スラグホーン氏の言うように“なかなか悪くない”連中もいます。それは確かですよ。要するに能力の問題なのです」

「能力、確かに我々魔法使いは見てくれこそマグルと同じだが決定的に違う生き物だ」

「そう、我々は彼らを簡単に殺し、消し去ることができた。今までそれをしなかったのは我々が優れていたからこそだ」

 男たちは口々に“価値あるもの”について話し始める。能力、知性、美、単純な力、勇気、調和。どれも魔法使いのほうがマグルよりも優れているという結論で終わる話を。ブルックは内心ため息を付きつつ、議論が一区切りついた頃合いにドライバーでブラウン管を叩いた。するとパッと画面が点き、粗いカラー映像が映し出される。

 

「さ、はじまりますよ」

 

 

 

『えー…今年に入ってから我が国で頻発している破壊活動についてですが…』

 流れてきた言語は英語だった。画面中央には憔悴した様子の老人が立っており、手元の原稿に何度も何度も視線を落としながら、前にいる報道陣に向けて話し始める。

『現場に残された痕跡、証拠などから反体制的な思想を持った特定の集団によるものだと結論づけました。えー、手口としては一貫性にかけていますが、目撃された複数の怪しい人物の服装などが一致することからこの結論に至りました』

『反体制的な思想を持った集団とのことですが、具体的な団体名などはありますか?』

 記者が手を上げて立ち上がる。それを制するように壇の下に控えていたいかにも役人然とした男が声を張った。

『質問は後でまとめて受けますのでお静かにお願いします』

『…被害について、かなり誤情報が氾濫しています。ですので個々の被害について改めて発表致します。まず8月25日に起きたロンドン橋の崩落事件ですが、ボルトの老朽化が何者かにより故意に促進されたものとみられます。死傷者は26名…』

『老朽化が促進…?聞いたことがない…』

『お静かに願います。…えー、そして9月初旬から現在にかけて起きている失踪事件。これらは家が荒らされており家主の失踪届が出されているものは、……えー、不審な紋章が現場に遺されていたものに限ってですが…破壊活動を繰り返している連中の犯行と断定します。数にして15件ですか…後ほどリストを配布しますが……』

 

 

 

「私の家もやられましたよ。全く、ウラジーミルが声をかけてくれなかったらどうなっていたことか!」

 スラグホーンが怒りというよりも自慢のような調子でテレビに相槌を打つ。

「あちらの…確か死喰い人でしたか。彼らは証拠隠滅に頓着しない質なのかな?」

 気取った北欧系の男がスラグホーンに尋ねる。

「見せつけているつもりなんですよ。マグルにではなく魔法省にですが…魔法省は魔法省で人手不足なんでしょうな。私の魔法省高官の知り合いも何人かすでに退職し国外へ逃げてる有様ですからな」

「全く嘆かわしい。国際機密条約だなんだと騒いでおきながらこの体たらくとは…」

 

 

 

 

『…ロンドン市内で起きている傷害事件…これは突然記憶をすべてなくし途方に暮れている市民が保護されている事件ですが、それと先日の地下鉄崩落、こちらも調査中ですが連中の犯行という証拠が発見されました…』

 記者が派手に椅子を蹴散らして立ち上がり叫ぶ。

『もう我慢できない!さっきから連中連中というが、結局何者なのか、主義主張は何なのか、単なるテロリストなのかわかりゃしない!』

『政府はきちんと説明する責任があるだろう!』

 

 それに便乗して多数の人々が怒鳴り始め、老人は泣きそうな顔で視線を手元の紙と目の前のカメラを行ったり来たりし、えーだとかうーだとかを掠れた声で言うだけだった。

 

『みなさん、どうか…どうか静粛に。連中については、わ、我々もわからんのです。いや!理解ができない…わ、私達は…私達の敵は……』

『大臣、こちらへ』

 パニックに陥り始めた大臣を見てSPと思われる黒服の男がそっと壇の上に登ろうとした。それは大臣の言葉を意図的に遮ろうとしたようにも見えた。それが余計記者たちの猜疑心に満ちた不安定な情緒を刺激した。

『逃げるのか?!』

『静粛に!静粛に願います!暫し会見を中止します!お待ちください』

 大臣は黒服に抱えられるように退場した。場は騒然となり、困惑した表情の記者がメモを片手につなぎのために会見内容を要約し始めた。スタジオに画面が切り替わり司会者たちが“反体制的な思想を持った特定の集団”の正体を推測していた。

 

『お待たせいたしました』

 中継が復活し、先程よりさらに顔色の悪くなった老人がまたマイクの前に立っている様子が映し出された。

『会見を再開します。…一連の事件に関わっている集団、これらは髑髏と蛇の組み合わさったような模様を現場に遺しています。初期の事件では断定できないものも多々ありましたが…それらは何らかの情報操作が起きたものと見られております』

 聴衆は相変わらずざわざわとしている。すぐにでもまた誰かが癇癪を起こしそうだった。

『紋章はほとんどの場合…えー……信じがたいことですが、空に浮かんでいるようです。運良く現場近辺のカメラに録画されていたものを分析した結果、やはりそのぅ、本物、だと。実在していると…専門家、軍人、各所が判断しました』

 

『空に浮かんでるだと?魔法じゃあるまいし!』

『ロシアの新型スパイ衛星だ!』

『馬鹿なこと言うな!』

『あれは合成なんじゃないのか?』

 またも怒声が飛び交い始めた。場の混乱が見ているこちらまで伝わってきそうだった。そんな場面を見てカーマがくすりと笑い、北欧系の男もにやにやと笑みを浮かべた。

『無責任な発言は慎んでください!退席してもらいますよ。…えぇ、我々はとにかく、対策を練っています。ですがまずは市民の皆さんひとりひとりの用心が…』

 ついにマスコミ陣が全員立ち上がり、怒りの声を上げ始めた。老人は崩れ落ちるようにマイクの前でぼそぼそなにかを言うが、あまりに声が震えていてフカしてしまって何を言ってるのかわからない。

『会見を終了します!終了です!』

 役人が大慌てで老人を庇うように前に出た。倒れそうな老人の方を支え、そして裏に運ぼうとする。

 

 ()()

 

 と、そこで唐突に犬の声が聞こえた。

『え?』

 カメラのすぐそばの男の口がそう動いた。だがブラウン管越しの多くの人間には本当にそこに犬がいたのかどうかわからなかった。なぜなら直後に画面をほとんど覆い尽くすようにぬうっと黒い人影が立ち上がったからだ。

 その人影はすぐに前へフラフラと進んだ。目の前の記者席を蹴散らすように進むものだから、一人の記者は戸惑いながらも「おい!」と男の肩を突き飛ばすように制止した。

 直後だった。男の方がほんの少しだけ動いたと思ったら、記者は目をまんまるに見開きうめき声一つ上げずに突然床に倒れた。

 

 パニックになる間もなかった。男の腕がゆっくりと、指揮棒のようなものを壇上の老人へ向けた。

 マグルならこれを映画のプロモーションかなにかだと思ったかもしれない。それほどまでに完璧な構図で男は杖を振り上げたのだった。

 

 そこから先は倒錯しそうなくらいによくできた悲劇だった。老人をかばうように躍り出るSPが赤い光の点滅と同時に倒れていく。壇上の老人は緑の閃光をくらうと同時に壇から崩れ落ちた。男を止めようと掴みかかる記者たち。(その中にウラジーミルを見つけブルックが歓声をあげた)なぎ倒される記者、そしてふいにカメラがパンして会見場の入り口に銃を持った警察官が映し出される。警告、そして赤い光。

 警官はとうとう引き金を引いた。思いの外派手な発砲音と火花にブラウン管を見ていた魔法使いたちは「おお」と驚きの声を上げた。

 

 10発は撃ったはずだ。少なくとも次に映し出された男の死体にはそれくらいの穴が開いていた。カメラがそれを一瞬映したと思った途端、画面はスタジオに切り替わり、えらく興奮したアナウンサーたちが深刻そうに「状況を確認しています。しばらくお待ちください」と口上を述べた。

 

 

 

 

「おお…まるで映画だ!あ、マグルの娯楽なんですがね…これがまた新鮮なんですが、そんな感じです」

 まじまじとテレビを見ていたくしゃくしゃ頭の男がペラペラと聞かれてもいないのに話しだした。かなり興奮しているようだった。

「イギリス魔法界のラジオも盛り上がってますよ」

 ブルックがブラウン管を叩くと画面な砂嵐に変わり、割れ気味の音声でリウェイン・シャフィックが狂ったような声が聞こえてくる。彼女は大興奮で捲し立てるように事態を説明していた。

 

『たった今!たった今起こったことですわ。当ラジオでしかまだ報道されてないはず!ええ、今しがた入った情報によるとシリウス・ブラックがマグル首相を殺そうとして返り討ちにあったとか…!ええ、わたくしどもの番組はマグルの動向をしっかりと把握しようと、スタッフを派遣していましたの。その魔女がしかと見ました!シリウス・ブラックが現れた!()()()()()()()()()()()()

 

「なるほど…」

 カーマが飴玉を転がすようなもったりとした声色で言った。

「やはりグリンデルバルド、煽動にかけては半世紀経ってもお手の物か」

「これでようやく我々も声を大にして祖国で呼びかけることができる」

 壮年の魔法使いはゆっくりとした動作で椅子に深く座り直した。北欧系の男は立ち上がり、にやにや笑いながらテラスをぐるぐる回り始めた。スラグホーンはラジオから流れるリウェインのヒステリックな声を音楽でも聴くように耳を澄ませていた。

 

「シリウス・ブラック。マグル殺害で名を馳せた犯罪者がこうも簡単にマグルに殺されたのは相当なショックですな」

「ええ。そして悪いことに…とっても悪いことに、この映像は衛星放送だ。全世界に一瞬のうちに蔓延した“魔法使い”。映像を消すことは、全世界の魔法省が連携しても不可能だろうね」

「マグルはあれを魔法だと思うだろうか」

「前フリはバッチリですよ。すでにアメリカの大衆紙は我々が支配していると言っても過言ではない。ほんの少し煽れば、大衆はこぞって魔女狩りを始める」

「セーラム魔女裁判の再来だな」

「それよりもっと酷いさ。なんてったって…マグルは魔法使いを殺せるって大々的に流れてしまってるんだから」

 

「片方が武器を持つなら、こちらも武器を持たざるを得ない」

 北欧系の男が薄気味悪く囁いた。

 

「ブルック・ドゥンビア君。グリンデルバルドと、ウラジーミルとやらに伝えてくれ。大義名分をありがとうと」

 

 


 

 僕、ウラジーミル・プロップはその場で部下に忘却術の指示を出さなかったことを強く非難された。しかしすぐに(当然のことだが)あの場で複数名が魔法を使うことはマグルの政治、マスメディアに多数の魔法使いが食い込んでいるという確信を与えかねない行為であり、さらなる不信感を与える結果になっただろうという分析により叱責は免れた。

 つまりは会見上の虐殺はいかれたテロリストの仕業と言うことにするのが一番マシだった。

 だがあれがどう見ても魔法だったこと。そして何より、別のカメラがシリウス・ブラックが犬から人へ変身する姿をまざまざととらえていた事により、事後出された大量の誤報を上回る恐怖とパニックがマグル界を席巻した。

 

 魔法省はもはや体系だった職務を遂行不可能と宣言した。せっかく大臣になったヤックスリーはストレスでマンゴ送りになった闇祓い局局長の代わりのキングスリーに怒鳴り散らしてる。あいつの胃はたぶんストレスで穴だらけなんだろうが、魔法省、死喰い人のメンツにかけてここでぶっ倒れるわけにはいかない。(ざまぁみろ、だ)

 

 マグルの格段に進化した通信技術は全世界に魔法の存在を伝え、鉛玉の実用性を視覚的に訴えた。もちろんグリンデルバルド派がそれに乗っからないわけがない。アメリカのマリー・カナデル、マグル隔離主義を雑誌で啓蒙し続けていたあのいけ好かない女はここぞとばかりに張り切ってくれた。特にインターネットとかいう未知の領域で魔法界のことを虚実織り交ぜて発信しまくったのだ。

 

 

96/01/26 23.15

〔285〕 魔女は実在する。1920年代不審死、不審な事故相次ぐ。図書館で調べてみろよ

 

96/01/26 23.45

〔289〕イギリス政府の笑えないジョークであってほしいね

 

96/01/27 02.15

〔290〕イギリスで相次ぐ事故も魔法使いのせいなのか?前にも変な報道が多いと指摘してるやつがいたが聞き流していたよ

 

96/01/27 04.15

〔291〕明日スーパーでにんにくと木の杭を買うことにする

 

96/01/27 14.37

〔292〕戦う相手を間違ってる。アイツらには銃弾を食らわせてやれ。

 

 これはBBSというサービスで、場所の隔たりなく情報をやり取りできる。カナデル達はそこに幾度となく扇動的な文書を書き込むことを続けている。またやつらは有名なほーむぺーじというものをいくつか所有しているらしく、頻繁にそのことに対するリアクションを更新しているらしい。

 インターネットはマグルでも使える人種は限られているらしくそこが逆にいいのだとカナデルは言っていた。

 

「マグルの中でも金と技術を持ったものしか使えないものだから、情報が正しいかみんなあまり考えないのよね。パソコンって高いのよ。だからこそ、ここに書かれた情報は特別な魔力を秘める」

 

 正直僕にはよくわからない世界なのだが、要するに一市民の名を騙って世論をでっち上げているわけだ。

 

 

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 もちろん、グリンデルバルドが世界中をフラフラして味方につけた魔法使い達も負けちゃいなかった。

 

“マグルは魔法使いを殺せるほど力をつけた!殺される前に殺そう!!”

 

 

 そんな過激派が出てくるのに時間はそうかからなかった。

 ナイトバスの車掌スタン・シャンパイクが酔っ払いながら漏れ鍋でそう叫んで捕まったと聞いたときは笑い転げた。

 これで名実ともども死喰い人達と目的が一致したわけで、ヤックスリーと対立するマルフォイ達はほっと胸をなでおろしていた。レストレンジも財産没収したことを許してくれてればいいのだが。

 

 

 当然、人々が公共の場で虐殺に対してイエスと言うわけがない。だが魔法使いたちの心にはどんどん不安が募っていくだろう。マグル達は銃やスタンガン、そういう武器を持ち歩くようになった。魔法使いはマグルの動向を探るため、テレビを購入した。

 

 

 

 さて、そもそもシリウス・ブラックがなぜ凶行に及んだか?

 

 表向きには彼はまだ脱獄した連続殺人犯だ。全員が全員その狂気に納得した。真実は簡単だ。カメラマンに扮したゲラートが服従の呪文にかかった彼を放った。それだけ。

 下手したら僕も殺されるんじゃないかと思ったが物事はうまく進んだ。進みすぎた。次に起こるのは一人の力ではどうしようもない大きな歴史のうねりだろう。

 

 幸せだった夜に別れを告げなければなるまい。この奇妙な三角関係もじきに終わる。ダンブルドアが黙ってみているわけがない。

 

「さて…輝かしい時代をもう一度、だな」

 ゲラートが愉快そうに言った。

「ご勝手に」

 僕は無関心を装ってそう言う。

 

 さて、僕は度々仕事は退屈で仕方がないと言ってきたが、かと言って猛烈な忙しさが訪れると楽しくなるという訳ではなく、只管に逃げ出したい気持ちが堆積していくだけだ。

 

 あの大臣殺しの中継以来、突然死する大臣とシリウス・ブラックに掴みかかろうとする僕、勇敢な記者の面々の映像は大人気。マグルの皆さんのお茶の間に度々登場させていただくばかりか予言者新聞の一面を飾ったりと、なかなか好評だ。着飾ったかいもあるってもんだ。

 だがテレビタレントになれるわけでもない。せいぜい魔法省公式会見で当時の状況を語っている様子が動く写真で残されたくらいだ。

 

 グリンデルバルドは執務室にこもりっきりの僕とは完全別行動だ。世界各国はイギリス同様マグルと魔法使いの憎悪が降り積もってるせいでグリンデルバルドにかまう余裕がない。おかげであいつは変装もおろそかにして好きなときに好きな場所に行き、支持者に向けた小規模な集会を開いている。

 

 

 グリンデルバルドは魔法使い向けのアジ演説。

 そして僕はマグルに向けたありとあらゆる媒体の原稿を書いていた。

 

 一番ウケたのは右派ニュースバラエティ番組のメインキャスターの演説だった。

 一分間憎悪よろしくの罵声が合いの手に入るように言葉を選び、文を組み替え、言葉のちょっとした抑揚が後半に向けて盛り上がっていくように何度も何度も相応しい形容詞や修飾を加えていく。計算づくの悪意が原稿用紙を埋めていく。

 

 こういう消費されていく事が前提のキャッチーな演説は簡単な言葉とリズムが重要だ。

 “真偽不明の不確かな情報”とか“危害を加えようとしている集団”とかの曖昧かつ弱い言葉では聴衆は5分として集中を保ってられない。つかうなら“デマ”、“敵”。この一言でいい。それだけでリズムをとりやすくなる。

 そして音楽でも基本だが、しつこく同じフレーズを繰り返す。そうして後半、人々が酸欠になり正常な判断ができなくなってくるあたりでに攻撃的な文言を加える。もちろん差別用語はだめだ。後で書き起こされたときに面倒だから。

 ヒトラーの猿真似だ。だがなぜか未だ有効だ。人間は半世紀じゃほとんど変われない。何度だって同じ轍を踏む。

 

 

あなたが“幸せじゃない”のは“利益を横取りする魔法使い”がいるからです。“ ”のなかにすきな単語を入れてくれ。

 

 

 僕は売れっ子放送作家並の仕事を貰った。演説はテンプレートを少し変えればいいだけで、全て新しく考える必要はないので楽だ。次に転職するならテレビ業界がいいかもしれない。

 

 不安を煽りたいならば、忌避されるであろう悪人を羅列していく。自己紹介だと思えば簡単だ。

 アパートの下水に赤いものが混じってませんか?

 川に白い小さな石のようなものが浮いてませんか?

 隣の部屋からきついカレーの匂いがしませんか?

 連絡の取れない友人がいませんか?

 今日すれ違った人の中に指名手配犯はいませんでしたか?

 いつの間にか知らない隣人が住んでいませんか?

 その犬は本当に野良犬ですか?

 あなたの上司は今までどおりのクソ野郎ですか?

 前に立ってる人に鉄の臭いが染み付いていませんか?

 

 こんな煽動的な演説をじっくり読んでいる君の人生に、今後素晴らしいことなんて何一つない。目を瞑りたくなるような事柄までじっくり見てしまう人間は人生のどこかで悟るからだ。“今後どんなに歩き続けても到達すべきゴールなどどこにもない”のだという事を。

 

 

 僕は今、その地獄から無理やり脱出しようとしている。

 

 

「山高帽をかぶってる変な連中をよく見かけるんですよ。ええ。9月1日のキングスクロス駅でね。毎年、何十年もですよ?変だと思いませんか」

 

 

 今や魔法使いはテロリスト並みの扱われ方をしている。あらゆる場所でボディチェックが行われ、公共機関の監視カメラが増設された。マグルの監視網にごく一部の(どんくさい)魔法使いがひっかかり、ちょっとした騒動が起きた。

 杖を見つけられた魔法使いが、慌ててその杖を取ろうとしたところを咎められ警察官に殴られ、逆上したそいつの魔法が暴発してその警察官を風船にしてしまった。

 この騒動を鎮めるためだけに忘却術師が四徹する羽目になった。似たような事件が同日に3件。

 

 もう限界だと魔法使いは口々に叫んだ。その鬱憤を晴らすかのように、死喰い人はマグルの乗るバスを乗客ごと逆立ちさせた。圧死者5名。重傷17名。

 

 死喰い人は僕が想像もつかない方法でマグルを殺してくれるから、マグルの新聞社は尻尾を振って現場にでかけ、忘却されたりされなかったり、とにかく熱狂的に特ダネを追いかけまくる。

 マグルの情報伝達速度は魔法を遥かに凌ぐ。目撃者は記憶を改ざんする前にもう他の誰かにしゃべってしまい、目撃者不在の謎めいた事件が爆発的な速さで口伝されていく。証拠写真や録画なんてもっと最悪だ。魔法使いは録画がテープに記録されてるなんて思いもしないからカメラ本体に見当違いの呪文をかけていたせいで、魔法使いがカメラをどうにかしようとしている姿が全国ネットに流れた。

 

 そうして百年近く前のバルカン半島よろしく、ある日マグルの誰かがついに火薬庫を爆発させた。

 

 キングスクロス駅で魔法使いと無辜の市民が銃殺されたのだ。

 

 

 僕はそれでようやく憎悪に満ちた原稿を断筆できた。

 

 

 




アンケートの協力ありがとうございました。かなり参考になりました。
不定期でもなるべく月一目標で投稿できるよう頑張ります!
また令和でお会いしましょう


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世界の終わりほど想像しやすいものはない

 まず言わねばなるまいのが、僕が人殺しに対して何ら無感動で非情であるという印象がとんでもない誤解だということだ。虐殺や戦争を煽るだけ煽って、さらに言えば過去に数々の人を葬り去って、肉親にまで手をかけた僕がこんなことを言うのがすでに悪い冗談に聞こえるかもしれないが、事実だ。

 

 今やマグルの世界での挨拶は電気ショックだ。人々はパンを買いたいとき、自らの腕を差し出し電気ショックをくらわねばならない。

 魔法使いが電圧を食らうと身体に備わった原始的防衛機構によりスタンガンがふっとばされるか、持ち主が吹っ飛ばされるか、そもそも電気が通らなくなる。

 現代式の魔女狩りは四百年前より精度も増し、より効率的になっている。当時の審判官もこれには墓の下で安心してる事だろう。

 魔法使いとわかったが最後、解答は鉛玉だけだ。残虐だとは思わないでほしい。マグルは魔法に対して無力なのだ。だからこそ過剰な暴力で立ち向かうしかない。

 僕が残酷に見えるのはそうしないと生き抜けないからだ。

 

 もちろん魔法使いもそんな危険なマグルの残酷に付き合うつもりはなかった。だが、自給自足という概念を棄却しつつあった魔法使いたちにとって、マグルの絶え間ない魔女狩りは徐々に彼らの生活を苦しめる事になった。

 

 もはやイギリスには魔法使いだけの共同体はホグズミード村くらいしかなく、どこにいても銃や鈍器をぶら下げたマグルが徘徊している有様で、他者に杖を向けるのにストレスを抱える優しい人物は皆家に引きこもるか、山へ引きこもるかしかなかった。

 

 ホグワーツは学校兼避難所となり、広大な敷地にはぽつりぽつりとテントが立ち並び、クィディッチワールドカップの頃を思わせる光景が広がっている。

 国外に行こうとも、他の国も似たりよったりの有様だった。北欧では暴力的な運動こそ起こってなくても、魔女のジョーク、ひあぶりのジョークは鉄板だ。アジアの一部でもテレビ報道は加熱していき、連日連夜魔法、宇宙人、UMAの特集が組まれている。

 アメリカはイギリスよりさらに悪い。市民同士の殺し合いが加速し、そこに“救世軍”を名乗る過激な悪魔崇拝者が集い民衆の目前で豚を殺し生首を投げつける地獄絵図が広がってるらしい。悪乗りした魔法使いがその血を延々と流れるように魔法をかけたりするせいで魔法恐怖症がまたたくまに蔓延。一部地域で戒厳令まで発動されたという噂だ。

 何よりの打撃は経済だろう。ブラックマンデーなんてお遊びだったと思わせる市場の暴落が、マグルの世界に“魔法使いを皆殺しにしよう”という決定を下した。

 

 

「…あなたの思惑通り?」

「まさか」

「あたくしは…後悔してるざんす。だってこんな状態じゃあだーれもゴシップなんて求めない!」

「でも無事復職できたろ。約束通りだ」

「まあそれには感謝してるざんす。で、いつ終わるの?この…こんな言葉使うとは思ってなかったわ…戦争は」

「魔女狩りはどうやって終わったのかな」

「え?」

「“魔女”が全員いなくなったから」

「まあ事実は違ってたけど。それに魔法使いに死傷者がでてはいるけれど、あたくしたちがマグルなんかに皆殺しにされるなんてありえないざんしょ?」

「ええ。だから僕たち…いや、魔法使いが、マグルがもう全員いなくなったと確信するまで、続くだろうね」

「………そんなまさか」

 

 

 どうだろうね。そこのところは僕にもわからなかった。人間はどこまでも残酷になれる。半世紀前にそれは証明されている。その残酷が尽きるのが早いか、マグルがこの世界から消えてしまうのが早いか、僕には見当もつかない。

 それにどうでもいい事だ。そうだろう?だって僕の目に見える世界はせいぜい十数メートルなんだし。

 

 僕の命は本来ならば風前の灯のはずだ。魔法の魔の字も使えないのに魔法使い側に立つ僕。我ながらいい的だ。だがウラジーミル・プロップという名義貸しに“転職”すればいいだけのことだ。ちょうど自分の顔で正々堂々外を歩けず困っている老人がいる。

 

「いやぁ、思い出す。あの時よりも混沌として、殺伐として、血みどろだな」

 

 ゲラート・グリンデルバルドもまた虐殺大好きというわけではなく、単に手段としての有用性を好むと言うだけだ。というか厳密には先の戦争だって彼自身が虐殺の引き金を引いたわけでもない。

 

 ヒトが、(※人間という言葉はマグルを指す言葉であり、魔法使いと区別すべきだという論調がある。ここで言うヒトは2本足で歩き火を使う少し器用な獣全般のことを言う)自然とそのように向かっていったのだ。

 

「それは恋人を刺したナイフを持って“事故だったんだ”って言ってるようなもんだぜ」

 

 レナオルドはそう言う。彼もまた、魔法を使えないながらも魔法界でしか生きられない男なのだが、僕と違って嵐が過ぎ去るまでどっかに引きこもるようなことはしなかった。

「別に俺は悪いことしてないしな。隠れる必要はない。むしろ今、街に出ないほうが馬鹿だぜ!ガリオン金貨だけじゃない、ドルにユーロにポンドが飛び交う、狂乱の場所さ!混沌ってのは俺にとっちゃ楽園だな」

 

 僕は秩序のほうが好きだ。

 だが創造のための破壊は必要だ。

 

 

ピンポン…

 

 呼び鈴が鳴った。

 

 僕が今いるのは、かつて父と兄と暮らしていたアパートで、マグルの掃き溜めで、今は不法滞在の外国人が幅を利かせてる地区の真ん中。僕にふさわしい場所。

 名義と顔は完全にゲラートに貸しているので、ここに僕を訪ねてくる人間なんて本来ならばいないはずだった。

 

「……はい」

 

「…ウラジーミル。ウラジーミル・プロップ。君に会いに来た」

「どちら様ですか」

「…リーマス・ルーピンだ」

「どうぞ」

 

 

 僕は素直に客人を招き入れる。抵抗したって結果は同じだ。彼は僕を捕まえに来たんだろう。魔法の使えない僕にできることなど何もない。

 

「ドアは閉めたほうがいいですよ。ここに住んでるマグルときたら、鍵のかかってない部屋は公共スペースだと思ってますからね」

「ああ。邪魔が入るのはこちらとしても望ましくない」

 

 リーマス・ルーピンは写真で見たよりかなり老けて、やつれていた。狼人間なんだっけ?満月まで日はあるはずだが、こんな世界じゃ誰だって疲れ果てるものなのかもしれない。

 

「で、僕は今ドイツに出張してるはずなんですが、なぜこっちに?」

 

「魔法を使えない君が、前線に出るはずがない」

 

 こちらの状況はある程度お見通しらしい。わかってはいたが、面と向かって言われるとキツイね。

 

「君のせいで、毎日大勢の人が死んでいる」

「僕のせい?おかしいな。最近は人を殺してないんだが…」

「とぼけるな。君がはじめに火をつけたんだ。マグルの暴走はもう誰にもとめられない。魔法使いの暴走もだ。“君”が指揮している魔法省の治安部隊がマグルを殺戮し、拘束している証拠は上がってる」

「証拠は上がってる?訴えるべき機関は機能停止中なのに、面白い言葉だな。…じゃああんたは僕を実体のない正義の名のもとに捕まえに来たってわけか」

「そうだ。たとえ魔法省が事実上死喰い人の手に落ちていても…不死鳥の騎士団は元々その事態を想定して結成された。我々は君を拘束し裁かねばならない」

「僕は並べられたドミノを倒しただけだ。僕を裁く?たとえ僕を群衆の目の前で処刑したって、憎悪は止まらないよ。たとえ街中の記憶を消したって、マグルのテクノロジーはすぐにそれを復元する。むしろ不当に記憶を奪われたという事実が彼らの憎悪を駆り立てる」

「それでもだ。それでも君を裁かなくちゃならない」

「……そうか」

 

 不死鳥の騎士団がまだ活動しているのは知っていたがヴォルデモートではなくこっちをまず抑えてくるとは。計画が若干狂うが想定していなかったわけじゃない。

 ハリー・ポッターの生命を最優先する人物がいなくなったおかげかな。いや、むしろだからこそ彼がここに来たのかもしれない。今更動機なんてどうでもいいが。

 リーマス・ルーピンは袖の中に隠した杖をすぐに取り出せるよう、右腕は決して挙げない。彼が聞いたとおりの実力者なら、僕が武装してたって抵抗は無駄だ。だからマグルは魔法使いが怖いんだ。

 

「秩序なき今、あなたがこれからする事もまた暴力だ」

「ああ、そうだな。私の行動に正当性は全くないだろう。それでも正しいと信じたことをやり遂げるしか、世界の混沌に対処するすべはない。悪徳や残酷に対して、誠実でいることしか」

「まあ僕もあなた達のしたいことはわからんでもない。いや、わかってるこそ悠長に君を待ってたのかもしれない。だが残念なことに、不死鳥の騎士団…だっけ?それとかハリー・ポッターだとか闇の帝王だとか…もう世界はそういう事態じゃあないんだよ。やめとけ。きっと死ぬとき思い出して後悔する」

 

 僕の言葉にリーマス・ルーピンが激高することはない。彼は覚悟を決めてここに来たんだ。騎士団は対マグル戦争においてまともに機能しているとは言い難い。彼らは魔法使いが魔法使いに対抗するための組織だ。今の対立構図じゃ僕の相手をするしかないんだ。気の毒に。

 

「ま…僕を処刑なりなんなりして、あなたたちの気が済むのならどうぞご自由に」

「…君のしたいことはわかっている。君は、私達魔法使いに尊厳を…誇りを捨てろと言ってるんだ。…私達を最も貶める方法でね。恐怖で焚き付け、世界中で殺し合わせて、私達にマグルを虐殺させるつもりなんだ。そしてそれはもうほとんど成功している…」

 

 僕は黙る。ルーピンもだ。

 それがわかっているのなら彼は僕を殺したりしない。

 

 それじゃ期待はずれだ。

 

 

「そうか…じゃあ腹を括るしかなさそうだね」

 

 僕は立ち上がったが、服の裾に引っ掛けたインク瓶を落としてしまう。ルーピンは過敏に反応し、杖を抜いて僕に向けた。

 

「…そのインク瓶を、見せてくれるか」

「………」

 

 僕は答えないで、ルーピンを見る。本気で警戒しているらしい。

 

「…どうぞ」

 

 足をどけて、床に溢れるインクを見せてやった。ルーピンはまだ安心できないらしい。

 

「手を挙げて…ゆっくりこちらへ」

 

 

「…僕は服なんて全然興味ないんだ」

 

「何?」

 

「僕は服なんて全然こだわってないし、悪目立ちしなけりゃなんでもいいんだ。仕事柄、私服も襟付きのものが好ましいんだが…そういうのは置いてね。でもシワシワだったり汚れたりすると困るから、わざわざアイロンかけて吊るしてる。本当に面倒だよ」

「突然なんだ」

「いや、だからわざわざ家具を買ったって話さ」

「…?何が言いたい」

「キャビネット2つ、無駄なスペースだ」

「な…」

 

 閃光が走った。

 不死鳥の騎士団の団員には本当に感心する。ほとんどが闇祓い並の実力をもつ魔法使い。この近距離で発せられた魔法を防ぐんだから。

 

「麻痺せよ!」

 

 キャビネットの扉がバラバラになって吹っ飛ぶ。情けない悲鳴を上げて、中から男が転がり落ちる。さすがのルーピンも僕じゃなく、魔法使いの敵に杖を向けた。

 襲撃者の顔を見て、ルーピンは目を丸くした。

 

 麻痺したはずの男の杖から再び閃光がはしった。

 ルーピンは驚きながらも、再び呪文を発した。それと同時に僕は机の上の古いランプを振りかぶり、そのままルーピンの後頭部に振り落とした。

 

 

「杖というのは一発一発の隙が多い不便な武器だな…銃とかと変わらないじゃないか」

「え?」

 

 僕の言葉に呪文を受けたはずの男が答える。頭に被っていた帽子がぼとりとおちて禿頭がむき出しになった。

 

「いまなんて?」

 

 彼はピーター・ペティグリューことワームテールは僕にあてがわれた死喰い人側の監視だ。

 僕としては、ちょっとした問いかけを何度も聞き返すこの醜い男を監視として遣わされたこと自体を侮辱と捉えている。

 彼の魔法の腕はいまいちだったが、それはWWW製の護りの帽子でカバーできた。しかもレナオルドから譲ってもらった一番高価いやつだ。おかげで麻痺呪文を受けてもめまいがするだけですむ。

 

 彼の悪口はおいといて、囮としては非常に有効だったのは認めなければなるまい。ワームテールはルーピン、シリウス、ジェームズ・ポッターと旧知の仲であり、ポッター夫妻の死に加担している。僕なんかよりよっぽど気が引けるってわけだ。

 

 

 床に突っ伏して血を流すルーピンを見て、ワームテールは悲鳴を上げる。

「ああ…!嫌だった…こういうのは本当に嫌だった…!」

「ああ?血を見るのははじめてなのか…?うん、これならハナハッカでまだなんとかなるな。頭蓋骨が割れているが…」

 僕がルーピンの傷にハナハッカをふりかけるのを見て、ワームテールは目を塞ぐ。気の小さな男だ。確かに僕も傷は直視したくないが。

「吐くならむこうで。それでとっととこいつを片付けてくれ。邪魔だよ」

「ああ…わかってる!」

「で、あんたの主人はちゃんと目的地にいるのか」

「わ、……わたしに、知らされてるわけ無いだろ?!こんな、お前なんかの…監視役だ。我が君にとって重要なのはわかってる。だが…結局、わたしの役割なんてこんなもんだ…」

「…ったく」

 

 

 

 

 

フランス・ドイツ国境のシュヴァルツヴァルト。そこに魔法省特選部隊は拠点を作り、魔女狩りと称して略奪を繰り返すマグルを逆に狩っていた。

 

 …というのは建前で、実際はマグルを緊急時危機対応という名のもと野ねずみに変えてドイツ魔法省へ引き渡していた。

 ネズミトリと称されたその活動の責任者としてウラジーミル・プロップは現場の指揮にあたっていた。

 

 鬱蒼と茂る木々の隙間から日が差し込んでいる。ウラジーミルは木漏れ日を見つめ、目を細める。自然の美しさを味わっているかのように見えたが、そうではない。

 

 空に現れた一点の黒雲。

 大規模な魔法が使われると、自然界には兆候が生まれる。都市や人口の多い場所ではなかなか見つけることのできないその兆候は、こういった自然の中だと克明に現れる。

 

 魔力の源が何なのか、いまだ魔法族はその深淵を探り続けている最中だが、大地に深く根ざした大きな力なのは本能的に感じられた。

 

 ウラジーミルは冷気を感じ、気配の方へ振り向く。

 

 

「ゲラート・グリンデルバルド」

「アルバス・ダンブルドア」

 

 紫色のローブを纏った、宿命の敵。アルバス・ダンブルドアの姿がそこにはあった。以前相まみえた頃よりも生気に満ち、目はギラギラと輝いている。

 

「貴様の野望もここでしまいじゃ」

「ふ…ふふふ、ふはははは!」

 

 ウラジーミルの顔をした“誰か”は高らかに笑う。

 その様子を見て、ダンブルドアは強烈な違和感と“不安”を感じた。

 

「ダンブルドアッ!それは俺様のセリフだ。貴様はまんまと罠に飛び込んできたんだよ」

 

 ウラジーミルの体が濃い霧に包まれ、輪郭を失う。その黒い靄の中から現れたのは、再会を果たすべき宿敵ではない。

 

 今世界を包み込む邪悪の一部。グリンデルバルドとまた違った、打ち砕かなければならない暴虐。

 

「トム・リドル…」

「俺様の名はヴォルデモート卿だ」

 

 

 二人はほとんど同時に杖を抜いた。そして、木々の枝に身を潜めていた“魔法省職員”として派遣された死喰い人たちが、ダンブルドアに向けて一斉に攻撃を開始した。

 

 



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すばらしい新世界

 僕は座り尽くしている。

 

 役目を終えた僕には、もうやることもない。端的に言うと燃え尽き症候群だった。

 アパートは引き払った。ルーピンの襲撃もあったし、なによりマグルの暴徒に殺される可能性がぐんと高まったからだ。あれからまた状況は二転三転し、僕は今、二年前アンブリッジのオフィスだったところに…すべてが始まったあの部屋にいた。

 あの頃の僕はそれなりに順調で、周りのごちゃごちゃした些事を右へ左へスライドパズルみたいに動かしていれば“生きている”と錯覚できていた。

 

 それのなんと不幸なことか。

 

 それは決して循環しない水槽の水のようなもので、澱みはどんどん溜まっていき、僕はじんわりと窒息死していたかもしれない。

 人は生まれた瞬間から死に始めている。とはいえ、死に方くらいは選ぶ権利があるはずだ。

 

 

 ナージャ、妹よ。最近は君のことすら思い出さない。

 

 


 

 僕はパソコンの電源をつけた。

 BDのカスタムしてくれた魔法界でも動く電子機器。あいつも、もしかしたら19年後とかにはマグル機器のカスタム事業とかで大金持ちになれたかもしれない。

 だがその未来はもう来ないだろう。

 

 

 まだサーバーの生きているネット掲示板に立ち並ぶスレッドは、軒並みデマとも真実ともとれないものだった。

 というのも、テレビはもう砂嵐しか映さない。公共ラジオもノイズしか流さなくなり、新聞はほとんど出回らなくなったからだ。複数の情報をもとに真実を見極める、なんてのは誰にもできない。だから世界はめちゃくちゃになってる。

 

 

 

 

アメリカの国境閉鎖に関して

中国、ロシア政府はすでに魔法使いに乗っ取られている?

【緊急】南半球の情報が途絶したようだが…

フランスでは、フクロウが一斉に飛んだ。そういうことなんだろ?

黒い森事件

救世軍からのお知らせです

仏独戦線異状なし?

放射線量観測情報総合スレッド

南極避難所で爆発?見たことのないオーロラ観測

イランで前代未聞の流星群

 

 

 

 ドイツ空軍による黒い森爆撃はマグル同士の戦争の直接的引き金になった。爆撃に使われたのはかつて西ドイツに配備され、ひっそり眠っていたM388核弾頭だった。

 

 その前に、ドイツ魔法界について軽く説明をしなければならない。

 ドイツには現在魔法省はない。もちろん魔法使いを取りまとめるゆるやかな繋がりはあるが、フェノスカンジア魔法共同体やロシア魔法族同様、国際魔法連盟に正式加入していない上に政治らしいことをしていなかった。

 ドイツは第二次世界大戦時、グリンデルバルドの理想に一番近づき、それ故に打ち砕かれた。つまりはマグルによるマグルの絶滅戦争。その悪しき虐殺の歴史を再び夢見る狂信的な奴は、悲しきかな。未だ大勢いた。

 

 黒い森にデイビー・クロケットが撃ち込まれ、その雄大な自然を焼いた後、地獄の窯は開き、閉じることはなくなった。

 

 大地を焼き尽くす炎。爆撃下にいた魔法使い10名、及びヴォルデモート卿、ダンブルドア、両名の生死は未だ不明だ。骨も残さず焼けたのか、はたまた身を隠しているのか?

 わかるのは、魔法使いはマグルの破壊の爪痕が、自分たちの細やかな破壊と比べ物にならないほどに世界を破壊することだけ。

 マグルが少ない知恵を絞って生み出すことができるのは後先考えない破壊だけだと、魔法使い全員が確信した。

 

そうしてようやく、魔法族はネズミトリを公共事業にすると決めた。

 

「マグルの手にかかり殺された魔法使いは想像より少なかった。これは喜ばしいことだよ」

 

 セネガルの魔法使い、カーマは言う。

 

「魔法族の血は、思ったよりも劣化していなかったってことだ。それに、マグルに殺されてしまうような弱い個体の淘汰になった。種としては正解だよね」

 

 グリンデルバルドもこの意見に同意していた。僕からはノーコメントだ。

 まあでも、そろそろマグルVS魔法使いの構図にも飽きてきた。キルゲームからパーフェクトゲームへ、試合を畳もう。

 

 

「ウラジーミル。そろそろ外に出たらどうだ?」

「ダンブルドアとヴォルデモートの死体は上がったのか?」

 

「いいや?だがどうせ生きてるだろ。オレかお前か、はたまたハリー・ポッターのところへ行くかはわからんがね。いずれあっちからでてくるさ」

「じゃあここより安全なとこなんてないだろ」

 

 そうだな。と言ってグリンデルバルドは出て行った。僕に飽きたかな?とも思ったが、それでも良かった。

 魔法使いがマグルの虐殺に手を染めた時点で僕の目的は八割方達成し、あとは待つしかないのだから。

 だがグリンデルバルドは違う。これからのために老体に鞭打って、支配のための下地づくりをしなきゃならない。

 

 僕にとっちゃそれは余生みたいなもんだ。

 あるいは、老後に始める趣味みたいなもんだ。死ぬまでの僅かな時間、人生に意味があったかのように自分を騙すための時間だ。

 つまりは僕には必要のない時間だ。

 

 それでも、僕はグリンデルバルドが好きだから、彼のためにすばらしき新世界を円滑に回すための書類を作ってる。仕事ができるやつ、魔法が達者なやつ、御しやすいやつ。ありとあらゆるカテゴライズ。方法は簡単で、行政調査をしたときに記録した杖の材質から判断すればいい。

 

 

ノック、ノック。

 

 律儀なノック音。今となっては珍しい客だ。

 入ってきたのはお久しぶりの、パーシー・ウィーズリーだった。

 彼は真っ青な唇で開口一番こう言った。

 

「…ぼくたちのしたことは間違ってないよな?」

 

 

「どうしてそんなことを?」

「父は親マグル派として有名だから、家に火をつけられたんだ」

「そうか」

「ロンも…ポッターと消えたっきり…だ」

「そうか」

 僕の無関心な様子にパーシーはしびれを切らして怒鳴り散らした。

 

「なあ、死喰い人から何か、情報はないのか…?あいつらはまだポッターを狙っているんだろう?!」

「興味ないからわからないな…」

「どうしてそんなに他人事でいられるんだよ、ヴォーヴァ!」

 

 君は家族を嫌ってたじゃないか、パーシー。どうして今更焦ったり悲しんだりできるんだ?僕にはそっちの方が不思議だぜ。

 

「…ぼくは……わかってるんだ。どうやったのか見当もつかないけど…きみなんだよな?この事態を招いたのは」

「わかってるのに、君はここで喚き散らすだけなのか?リーマス・ルーピンはわざわざ逮捕しにきたぞ」

 

 ルーピンの名前を聞いてパーシーは小さく「あぁ…」とうめき、うつむいた。まあ薄々感づいてはいたさ。

 パーシー・ウィーズリーは不死鳥の騎士団と通じている。彼以外の家族全員団員じゃそれも仕方がない。責めるつもりはさらさらなかった。

 なのにパーシーはとんでもないことをしたとでも言いたげに顔を手で覆い、床に膝をついた。

 祈るみたいに。

 後悔するならやらなければいいのに。若者の心はよくわからない。

 

「パーシー、昔誰かが皮肉たっぷりに言ってたろ。この世はいつだって、あり得べき最善だ」

 

 マグルのせいで僕らは身を隠し、魔法生物は絶滅の危機に瀕し、世界の未知の領域は科学によって穢されていっている。

 死や、時間や、心や、命、魂までもがマグルによって淫らに暴かれつつある。近いうち、魔法が決して踏み入れなかった領域までマグルの科学は進んでいっただろう。

 幸いその未来は失われたがね。

 

 むしろ、魔法使いにとっては失われた未来がようやくやってくる。

 魔法生物は再び大地をかけ、空を飛ぶ。

 巨人の足が、地を均し、そこに魔法植物が根をはり、森を作り、生き物が暮らす。自然の営みから少し離れたところで、魔法がゆっくりと醸成されていく。

 社会なんてものは、せいぜいご近所付き合いってくらいの意味しか持たなくなって、人生は、日々をしっかり生きることを示すようになる。

 

 

 

 

 僕は静かにポケットから杖を取り出そうとした。それを見て、パーシーはすかさず杖を抜く。

 

「やめてくれ…!」

 僕は無視して杖を抜いて振りかぶった。パーシーは躊躇ったんだろうか。彼の杖先がほんのすこし震えた。僕が魔法使いだったら死んでるっていうのに、馬鹿だなあ君は。

 

 当然、僕の杖からはなんの光線も出ない。

 

「……え…」 

「僕は魔法が使えないんだよ」

 

 

 

 

 

 

 僕の両親は、魔法の使えない僕も魔法族として扱って、魔法族の世界で生きてるように必死に育ててくれた。

 

「かわいいヴォーヴァ…大丈夫。大丈夫よ。あなたはきっと立派な魔法使いになれるから…」

 

 母は涙をたっぷりためた瞳で僕を見つめた。父は、僕を真っ直ぐ見つめることをやめて、それに頷くだけだった。兄は僕の存在なんてまるで気にしてなかった。

 

 この世界は、鈍色の蓋がかぶさってる。

 

「何をしても自由だよ」

 ほんとに?

 両親はたいてい子供にそう言う。

「君はなににでもなれる」

 ほんとに?

 教師も似たようなことを言う。

「きっとうまくいく」

 ほんとに?

 バカの一つ覚えみたいに。

「君の可能性は無限なんだ」

 

 そんなのは嘘だ。僕は何者にもなれない。君も、君も、君も…

 

 生まれたときから、世界の秘密はほとんど暴かれてて、“大義”はなく、“悪”もない。

 この世はもう、若者を輝かせるような魅力はすべて、根こそぎ取り尽くされてる。残されているのは堆積していくルーチンワーク、鬱屈、窒息しそうなまでの見込みのなさ、退屈。

 見上げた空の上にあるのは誰かの頭かそれを遮る大きな手。たとえ魔法が使えたとしても、待ってるのは狭い狭い世界だ。

 

 なるべき何かのリストはあまりにも短く、また、“なれる”見込みはとてつもなく薄い。しかも最悪なのは、何者かになり得たとしても…この退屈は終わらないということだ。

 魔法社会で唯一頂点といえる地位は、マグルを支配したつもりになってる勘違い集団の長。

 まやかし…まやかし…まやかし…

 

 要するに僕はもううんざりだった。

 

「腹いせに、たくさん殺した。家族も、同僚も、見たこともないマグルたちも。でもやっぱり全然何も感じない。ただ、そこまでしても僕は僕のなりたかった自分にはなれないし、絶望から抜け出せない。それが決定的にわかった」

 

 パーシーは杖をおろした。そして俯く。

 彼の中で作り上げられていたウラジーミル・プロップ像は瓦解した。

 僕がイギリスに来てから作り上げた、こう見られたいという僕が。

 僕の望む僕の姿。

 絶対に手に入らない対象A。

 

「僕を殺さないのか?」

「できるわけないだろ…」

「なぜ?」

「ぼくたちは…友達じゃないか…」

「……そうだったな…パース。じゃあ、出てってくれ」

 

 パーシーは出ていった。二度とここには来ないだろう。

 

 そして僕は二度と“みぞの鏡”をのぞかない。

 

 


 

 

 そして何日かして、また誰かが僕の部屋のドアを叩いた。

 

 

「どうぞ」

「…プロップ…先生…」

 

 やってきたのは、ハリー・ポッターだった。

 

「………君を待ってたんだよ…」

「ずっとあなたを探していました」

「どうやって入ったんだ?」

「病院からの直通煙突です。あのルートは重大な魔法障害をおった時も通れるように、身元検査を甘くしているでしょう」

「ああ。そうだったね…忘れてた。もう、みんなウェストミンスター寺院にうつってて、煙突なんてめったに使わないしね…」

「……新体制が発表されるんでしょう?マグルの政治も取り込んだ、魔法族主体の…」

「新聞をよく読んでいるようだね。ここが学校なら、加点してあげられるんだが」

「あまり笑えない冗談ですね…」

「…せっかくだし、座ったら」

 

 ハリー・ポッターは前見たときよりだいぶくたびれていた。五年六年あってないかのように思わせたが、初めてホグワーツで彼を見たときから数えても、まだ二年しかたってない。たった二年ですべてが変わった。

 

「驚きました。いつも混み合っていたキングスクロス駅はがらがらで、柱をくぐらなくてもホグワーツ特急に乗れるようになった。ダイアゴン横丁を出ても、魔法の店が開かれていて、小鬼が闊歩している。いいことのように思えるけど……」

 

 ポッターは不気味なほどに落ち着いている。

 僕はてっきり激情に任せて来たのかと思った。両親の中傷記事に怒り狂い、ドラコをしこたま殴っていた彼が不意に脳裏に蘇った。

 あの頃は、ここまで来れるなんて思ってなかった。途中で誰かに殺されるだろうと。いいや、なんならグリンデルバルドにすら会えず、捕まるかもしれないと。だというのに、奇妙なことにすべてがうまくハマってしまった。

 

「僕の大切な人が…たくさんの人が死んだ。ぼくはそれに目を瞑ることなんてできない」

「……ここに来ようと思ったきっかけは何?」

「ダンブルドアが死にました。今朝方、学校で弔いました」

「そうか。魔法使いでも放射線は防げないんだな。…目に見えないからかな、理解の及ばないものだからかな?」

「わかりません。想像も付きません」

 

 マグルは魔法使いを殺し得る。

 

 グリンデルバルトの慧眼には恐れ入るよ。僕からはもう乾いた笑いしか出ない。

 

「ダンブルドアはあなたに伝言を遺しています。ぼくはそれを伝えに来ました」

「へえ。なんて?」

「“試合はきみたちの勝ちだ”と」

「……ハッ。わかりきったことを…」

 

 

「ぼくにははじめ、その意味がわかりませんでした。…ダンブルドアは死んだ。同じ場所にいたヴォルデモートの肉体も…おそらく同じです。やつの分霊箱は、まだ2つ残ってるけど」

 

 眠らせておけばいいさ。魂単体じゃどうせ何も出きやしない。数十年後とかの世代に任せりゃいい。そうやって人は何もかも後回しにして生きてきた。

 

「ヴォルデモートの身体は滅んで、あいつの腹心は爆心地でだいたい死んで、君は指名手配されてるわけでもないし、魔法使いだし、好きに暮らせるじゃないか。よかったね」

 

 僕のバカにしたような言葉に、ポッターはほんの少しだけ拳を固く握りしめるだけだった。僕はすかさず畳み掛ける。火種に息を吹きかけるように。

 

「…で、伝え終わったけどどうするんだい。出ていくかい。それとも他にまだ用事が?」

「煽っても無駄です。先生、あなたは試合に勝ったかもしれない。でも、勝負には勝てないんです」

「……どういうことだい」

「先生は、ぼくが先生を殺しに来たと思ったんでしょう」

「………違うのか?シリウス・ブラックを殺したのは…」

「あなたです。あなたが仕組んだんでしょう?知ってます」

「……意味がわからない。仇が目の前にいるんだぞ」

 

「他の用事ならあります。ぼくは質問しにしたんです、先生。昔しょっちゅうそうしたように」

「………なんだい」

 

 

「そもそも、なぜ先生はこんなに回りくどい自殺を思いついたんですか?」

 

 

 

 

 




おまたせしました。
次話で完結します。
浮気をせずに近いうちに書き切ります。


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僕の人生の物語

「……自殺……か」

「自殺です。自殺以外のなんだって言うんですか?」

 

 成功して魔法族の支配する社会になれば、魔法が使えるフリにも限界が来る。僕の無能はマグルと魔法使いの境界が混沌としていたからこそ看過されていた。

 魔法族かマグルか。

 白黒はっきりさせることは、これまでたくさんの屍のもとに築き上げた地位。それを無に帰すのと同じだ。

 僕の設定したゴールは、はじめから詰みだ。

 

 二年前に、自分の正体を知ったルシウス・マルフォイを殺す。そういう選択もあった。だが彼のような人脈と社会的地位を持った人物を殺せば、どちらにせよ足がついただろう。(なんてこった。よくよく考えたら僕をここまで追い詰めたのは、もとはといえばルシウスじゃないか?)

 

 彼は今、豪華な屋敷でロシアやノルウェーの旧家とこれからの純血が持つべき誇りとかなんかの話をしてるんだろう。

 形のないものの話をして、結論らしき結論も得ずに満足できるのは貴族ぐらいのものだ。羨ましい。

 

「自殺なんてとんでもないよ。僕は快適な暮らしのために精一杯努力してたろ。ダンブルドアから聞いているね?僕は魔法が使えない。それを隠すためにどんな事だってした。こんなにも生きるために努力しているのに自殺なんて言えるか?」

「そう…あなたは組み立ててた。無謀な生存戦略を。はっきり言って、あなたの大胆さは全部死にたいのかとしか思えない。なんで考えなかったんです?会見の場で杖が向けられるのは自分だったかもとか…ヴォルデモートが不意にあなたを殺そうと決意する、とか」

「……考えてたさ。だが、運が良かった」

「そう、あなたは運任せだ。ほとんどすべてにおいて。勝負事全部に自分の命をかけていたでしょう。ひどく投げやりに」

「………確かに、うん。僕は脅されてたんだぜ?ルシウス・マルフォイに。投げやりにもなりたくなるだろう…」

「やるならもっと、色んな方法があったじゃないですか」

 

 ポッターは容赦なく、僕を尋問していく。ちょっと見ない間にどうしちゃったんだい。なんて…茶化すのも大人げないな。

 僕が引きこもって、世界がもっとおかしくなるように、憎悪を煽るだけのフェイクニュースを拵えて、バカの考える妄想みたいな政治体制をそれっぽい言葉で組み立てている間に、君はずいぶん大人びてしまったね。

 

「ぼくを殺す。ヴォルデモートの最大の目的はそれだ。そのあと魔法界の支配をしたとしても、おそらく魔法省は旧来のまま、あなただってそのままでいれる余地があったはずだ。ただ生きるだけなら素直に従ってればよかったんじゃないですか?それなのになぜグリンデルバルドを野に放ったんですか?」

「……それは…」

 

 グリンデルバルドの昔話だ。子どもの頃、アレクセイとまだ並んで寝ていた頃、母がよく僕たちを脅かすために話してくれた。黒い魔法使いの話。

 世界を支配しようとした、伝説の魔法使い。

 

 あんまり喧嘩していると、グリンデルバルドがやってくる。彼は争いの火種が好きだから。そしてあなた達を犬に変えて、死ぬまで戦わせ続けるのよ。

 

 アレクセイは黒い魔法使いに怯えて、僕は期待した。だって、僕とアレクセイを犬に変えてくれればようやく対等になれるから。

 

「グリンデルバルドに…会ってみたかったんだ。子供の頃から……」

 

 僕の返事は情けないものだった。8歳の子供の答えみたいに。

 

「あなたは、失敗したかったんですよね?でも手を抜くことはしなかった。それじゃあ勝負じゃないからだ」

「…ああ。真剣にはやってたよ。真剣にやってたら何もかも成功してしまった」

 

 僕は背もたれに完全に背中を預け、天井を仰ぎ見た。ポッターに何も反論できない。

 

 そうさ。僕は革命なんてどうでも良かった。

 

 もちろん、魔法使いの謳う善性を冒涜し尽くし、自分と同じレベルまで落ちてもらう過程はそりゃ痛快だった。その後訪れる新世界なんてつゆほども興味ないね。

 でも手は抜かない。成功させるためにあらゆるリスクをはらい、リソースを割いた。ポッターの言うとおり、本気でやらなきゃ勝負にならない。

 

 僕は誠心誠意、世界と戦って負けたかった。

 

 僕は魔法が使えないんだ。そんな僕がいくらマジになろうと生き残れるはずがなかったんだ。なのに、僕は最後まで盤上に立ってる。

 無能ぞろいの魔法使い共め。なぜ僕を疑いすらしないんだ?

 答えは簡単だ。

 僕のことなんて誰も本当の意味で興味を持っちゃいない。本気で相手にしてくれちゃいなかったんだ。

 

 このくそったれの、退屈な世界、人生。

 僕という、救い難い出来損ない。

 どんな形だっていい。僕はそれを、壊したかったんだ。どうしようもなく、逃げ出したい!逃げ出したかった!

 逃げると言っても、頭を吹き飛ばすんじゃあないぜ。

 

 僕は……ウラジーミル・プロップは、誰かにとどめを刺されたかった。

 

 

「僕はこの世界に真っ向からつばを吐きかけた。誰かがそれを咎めに来るのを期待して、ね。でも…誰もそれに成功してない。君は?僕をどうするつもりなんだい」

 

 ポッターは僕をまっすぐ見つめてる。緑色のアーモンド型の瞳に僕の姿がうつってる。反射する僕を見るとき、必ずアレクセイを思い出す。鏡写しの兄を。

 

「ぼくはあなたを勝たせたりなんてしない。絶対に…」

 

 ポッターは静かに答えた。一体何が彼をそこまで強くしてるんだろう。僕にはきっと一生わからない。

 

「今、騎士団の生き残りであなたの人殺しの証拠を集めてる。新体制に移行して、法整備が進んだら正規の手段で起訴するつもりです。それがぼくの…あなたへの立ち向かい方だ」

 

 ああ…なるほど。新聞に載ってる新体制のスローガンは“正義”だ。

 マグルは殺し尽くされたわけじゃない。軍事拠点が落とされ、武装した市民が次々とフワフワのリスに変えられてしまい、何人目かの臨時首相がイカれてから、魔法使いに白旗を上げた。

 魔法使いは人殺しの後味の悪さを消すために“正義のための行い”を強調して、マグルは自分たちから手を汚した“罰”を背負わされた。

 

 魔法使いこそ、世界の秩序を守る善なるもの。

 

 虐殺を肯定するための詭弁。新世界の“正義”。

 僕の失脚を望むものは大勢いる。僕が魔法を使えないにも拘わらず戦争を煽動したと明らかになったら裁判づくしの人生が待ってる。行き着く先は牢獄だろう。

 

 そして兄のように、そのまま牢獄の中でくたばる。

 

 

 

 僕の脳裏に突然兄の遺骨を拾いに行ったときの情景が浮かんだ。泥の中で、誰のものともわからなくなった兄。僕と同じ肉でできた、魔法使いの兄。

 

 

 気づけば僕は椅子から立ち上がり、ポッターを組み敷いていた。ポッターは全く抵抗しなかった。僕の手は彼の首にかかっている。

 

「先生に会いに行くことはいろんな人に言ってる…ほとんど他人の、店の人とか、挨拶してきた赤の他人にさえ。ぼくが死んだり、行方不明になったらすぐに疑われる。そしたらあなたは、絶対にムショ行きだ」

「ふざけるなよ、ハリー・ポッター…!そんな破滅は望んでいない」

「ぼくをこの場で殺しても、殺さなくても…あなたは結局、何かしらの罪で裁かれる。犯した罪の数には到底足りないけど、プロップ先生、あなたにはそれが必要なんだ」

「うるさい」

 

 ポッターの首に僕の指が食い込むのがわかる。首を絞める感触はでかいチューブを絞るときに似ている。筋肉のせいで思ったより硬いので効率よく窒息させるには結構コツがいる。

 

「魔法の杖で反撃しろよ。今君は殺されかけてるんだぞ」

 

 ポッターは苦しそうにぼくの腕を振り払おうとする。でも決して杖を抜きはしなかった。

 

 ポッターの顔は赤を通り越して蒼白になっていく。爪が腕に食い込んでもかまうもんか。絞め上げて、絞め上げて、絞め上げて、その顔を見つめる。瞳から光が消えてしばらくして、ようやく僕は手を離した。

 

「……はぁーーっ…」

 

 感情に任せた純粋な殺人は久々だった。吐き気が満ちてくる。僕はネクタイを緩め、手で顔を覆った。

 

「………牢獄は……嫌だな…」

 

 

僕は負けたのか?いや、まだ間に合うか?ポッターはどこまで証拠を集めたんだろう。というか、どの証拠だ?心当たりがありすぎる。

 

から笑いすることしかできない。

君なら僕を絶対に許さないでいてくれると思ったのに。魔法の呪文で、殺してくれると思ったのに。

 

いやだ。裁かれるのは…僕の正体が暴かれるのは死ぬよりも嫌だ。

 

銃で頭をふっとばそうか。それもバッドエンドだ。

でももう、どうしようもない。誰も僕に死の裁きをくださないのならば、僕自身がやるしかない。

 

「あなたは勝負に勝てないんです」

 

こんな形の敗北になるなんて。

僕は引き出しの中から拳銃を取り出した。

 

 

 その銃口を自分に向ける。口に突っ込むか、眉間に当てるか、映画よろしく側頭部につきつけるか。

 迷っていると、扉が容赦なく蹴破られた。

 

 そこに立っていたのは息を切らしたセブルス・スネイプだった。

 

 死喰い人関係の連絡か?拳銃を持った僕を見てさぞや驚いたろう。

 だが彼の視線は、床で倒れているもの言わぬハリー・ポッターに注がれている。

 

「ぁ………ああ……!私の…()()()()()……」

 

 スネイプは声にならない悲鳴を上げた。僕には事態がよく飲み込めなかった。

 だがスネイプが血走った目で僕に杖を向けてきたのを目の当たりし、さっきまでどん底だった僕の心にシャブでもやったみたいに幸福感が満ちてきた。

 

 

「逆転勝ち…」

 

 僕はつぶやいた。杖先に閃光が瞬いた。

 

 

 

 


 

 

 

 

「みなさんごきげんよう!リウェイン・シャフィックのお茶会の時間です。こうしてまたお会いできるのを楽しみにしていましたわ。テレビって慣れないわね!私の顔が箱に映ってるんでしょう?まだ信じられないわ」

「ああ、リウェイン。あなたの顔を見れるのは出演者の特権だったのに」

「あらあ、ドローレス。私だってあなたを独占したいところをぐっと抑えてるのよ!…さて、おしゃべりしたいのは山々だけど、今日は内容がてんこ盛りよ!」

「連日そうじゃない。私もほんっとうに忙しいんですのよ…」

「そりゃそうよねえ!なんてったってすべてが新しい政治だもの」

 

『先日発表された、マグルとの連立政権について、新たなマグル連携大臣にウラジーミル・プロップ氏が就任することが発表されました。プロップ氏は役人時代、魔法運輸部に勤めていたジョー・オーウェルさんを殺害したとして起訴されていましたが、先日無事無罪が確定したため、めでたく政界復帰が決まったそうです』

 

「そりゃ当然よね!言いがかりもいいところだったもの…彼が魔法を使えないなんて!」

「その通りよ。プロップは私の部下として働いていましたわ。人柄も信頼できるし、なにより有能でした」

「それに裁判で、彼は見事な魔法を披露してくれました。告発したミス・グレンジャーは納得していなかったようですが。…法廷で、無実の人に化けの皮剥がれよを唱えろなんて、人権侵害もいいところですわ!」

「ええ全くそのとおりです!プロップは、とても苦労した人ですわ。訪ねてきたポッターのせいでセブルス・スネイプに襲撃されて…その傷もいえないままに、今度は謂れのない罪で起訴されるだなんて!私は胸が張り裂けそうです。…彼は天涯孤独でありながら、地道な努力でここまで立派な魔法使いになったのです」

「ああ、ドローレス…彼をよく知ってるあなたが言うんだもの、それだけで彼の素晴らしさが伝わるわ」

「マグルと魔法使いの新しい架け橋となった彼を、私はずっと応援するつもりですわ。新魔法省はとても真剣に、マグルの人権について取り組んでいます。例のあの人のような純血至上主義に傾倒することなく、彼らの技術、科学も取り入れた独創的な学術形態も、マグルの科学者とともに作り上げてる最中です。テレビの前の皆さんも、私達の新しい世界のために手を取り合っていきましょうね」

「素晴らしい演説をありがとう、ドローレス。…さて、次は木から降りられなくなってしまった可愛いねこちゃんの映像が届いています……」

 

 

 

 


 

 

 

「…………よお」

 

 僕がいる。ウラジーミル・プロップが、真っ白な天井をバックに僕を覗き込んでいる。

 

「お前が悪魔か?」

「バカ言うんじゃない。ウラジーミル。オレだよ」

「……グリンデルバルド……すっかり僕が板についたな」

「まあな」

 

 僕の視界は包帯で覆われていた。外傷を受けたのか?魔法を食らったはずなのに。ただ起き上がれないほどしんどいのは確かだった。至るところに創傷があるようで、全身に引きつった痛みを感じる。

 

「スネイプめ…死の呪文を使わなかったのか」

「痛めつけたかったんだろう。俺が来たとき、お前は血だらけでボコボコに殴られて杖をつきつけられていた。その呪文の傷は、俺にも見覚えがない。オリジナルの呪文らしいな。だから傷を塞ぐのにマグルの医者に頭を下げたんだぞ」

「……なんで見殺しにしなかったんだ?僕が生きてちゃなりかわれないだろ」

「悲しいこと言うな。俺はお前がかなり好きなんだぜ、ウラジーミル」

 

 グリンデルバルドは僕に見えるように書類を広げた。アズカバンの囚人番号に身体データ。それに写真が添付されている。

 

Alexei Novavich Propp

 

 兄の戸籍だった。

 

「アレクセイの戸籍を復活させた。アズカバンの書類なんてザルだからな。あいつら、死んじまった奴らの区別がついてないから。お前は今日から刑期を終えたアレクセイだ」

 

 僕は久々に見る兄の姿に言葉を奪われた。プレートを持ってこちらを見つめるアリョーシャ。

 なぜこんなことに?と言いたげな、僕に罪を被せられた無実の双子の兄の顔。

 

「俺がお前を守ってやるよ。だってお前は、俺をもう一度生かしてくれた。俺を解き放った責任は果たしてもらわなきゃな」

「死に損ないの老いぼれめ。僕が死にたがってるのを…あんたは知ってただろうに…」

 

 

 だがそんな知略家のあんたがいたから僕はここまでたどり着いてしまったんだろうな。ゲラート。

 

 

「そうか…あんたが死ぬまでは…僕は死なせてもらえないんだな」

 

「そのとおりだ。俺がヴォーヴァ、お前はアリョーシャ。……二人で作っていこうぜ。すばらしきディストピアを」

 

 

 

 かくしてぼくは、勝負に負けた。

 この狡猾な爺によって。

 世界すべてがひっくりかえろうと、僕はグリンデルバルドにだけは勝てないらしい。

 

 

 僕の最大の敗因はワイルドカードに彼を選んだことだった。

 

 でもやっぱりゲラートを選んで良かったと思う。だって結局、この絶望的な退屈を忘れられたのは彼と過ごした二年間だけだった。

 

 もう少しだけ、頭をふっとばすのは先延ばしにしてもいいかもしれない。

 もう少しだけ、人生が楽しくなるかもしれない。

 そうじゃないとわかったら、次は回りくどいことなんてしない。

 

 “ウラジーミル・プロップ”はかつて世界をおののかせ、今やすべての裏で糸を引く、最強の魔法使いとなった。

 そして僕は、アレクセイ…君を墓から引きずり出して、君の名でもう一度人生をはじめる。

 皮肉なことに、子どもの頃、惨めな思いを噛み締めながら願ったことが叶ってしまった。

 

 

 

僕は、アレクセイになりたかった

父に、母に、愛されるおまえに

 

まだ未来を信じられた幼い僕へ

 

もう愛してくれる人は誰もいないけれど

夢は、叶ったよ

 

 

 

 

 

 


 

 

 

「…にいさま。泣かないで」

「ナージャ…泣いてなんかないよ」

「泣いてると、黒い魔法使いが来るんだって」

「彼はどこにでも現れるね…。大丈夫だよ。ありがとう」

「…ナージャはね、ヴォーヴァおにいさまがすきだよ」

「…僕は僕が嫌いだよ……消えてしまいたい。息子はアリョーシャ一人で十分だ。僕なんて居なくても…」

「ナージャは、にいさまにいてほしいよ!お母様も、お父様も、アリョーシャ兄様だって、ヴォーヴァがすき。にいさまは、やさしいもの。頭がいいもの。ナージャはね…にいさまみたいになりたいよ。悲しいこと、言わないで」

「……ありがとう。ナージャ…」

「あのね、大きくなったら、ナージャは冒険家になるんだ!にいさまも一緒に行こう?それでね、スフィンクスと、お話するんだ」

「そうだね…うん。一緒にいくよ。僕が、ナージャを守るよ…」

「うん。だからね、ずっと…ずっとやさしいにいさまでいてね。アリョーシャはすぐ殴るんだもの!ね。ヴォーヴァにいさま…約束だよっ」

 

 

 

 

 

 

嘘をついて、ごめんね。ナージャ

 

 

 

 

 

 




長らく間が空いてしまい申しわけありませんでした。現実の都合とかやる気とか諸々理由はあるんですが、そういう言い訳はとりあえず活動報告に譲ります。長々やってもね→https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=220510&uid=151917


感想、評価、お気に入り等々励まされました。
なによりここまで読んでくださってありがとうございました。

途中広げて畳み残ったものとか元ネタとかについても、活動報告とかでまとめようと思います。(ここがわからん、これは結局どうなったの?とかの質問もアーカイブとしての見やすさから活動報告で聞いてもらえると助かります)

小和オワリさん(Twitter @igommy)からめちゃくちゃかっこいいファンアートをいただきました…!!
ありがとうございます!

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それではまた。


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後日談ー二〇一六

 世界は変わった、と父は言った。

 

 空は鈍色だった。

 私はコートの襟を立て荷物を持ち、もう戻ることのないであろう生家を眺めた。

 くすんだ白い壁に風雨で汚れ茶色に変色した赤い屋根の、きわめてオーソドックスな住宅だ。

 屋根の上では雨をたっぷり溜め込んだどす黒い雲が空を覆っていた。今にも中身をぶち撒けそうだ。けれども風は妙に乾いている。別れの日だというのに、なんだか気味の悪い天気だ。

 

 生まれてからずっと、19年間ここで暮らした。嫌な思い出のほうが多いというのにいざ別れというときになって、急に胸に寂しさが込み上げてきた。 

 私は感傷を振り払うように背を向け、歩きだした。もうすぐバスが来てしまう。

 

 バス停につくとすぐに目的のバスが来た。私は前方に杖をあてがい、乗り込んだ。一等市民席はガラガラだった。後部の二等市民席にはくすんだ色をした作業着の男性が四、五人ほど膝を突き合わせて乗っていた。

 彼らは決して私と目を合わせようとしなかった。かわりに若干緊張をはらんだ声色で何かをヒソヒソと話している。私はそれを不快には思わない。公共交通機関ではごく当たり前のことだ。彼らは私が戯れに魔法をかけて彼らをヒキガエルにしやしまいかおそれている。

 そう、私と彼らは同じヒトの形をしているが全く違う生き物だ。

 一等市民、二等市民という名称がついているが、要するに魔法が使えるか使えないかという区別なのだ。

 

 19年前、世界は変わった。

 

 ヴォルデモートと名乗る闇の魔法使いが引き起こしたマグルとの戦争で大勢の魔法使いが死んだ。その何十倍もの数のマグルも死んだ。

 世界が終わるかと思った、と母は言った。

 だがその時、ついに魔法使いは立ち上がった。イギリス魔法省を筆頭に各国魔法省は機密保持法を撤廃し、マグルの戦争を無理やり終結させたのだ。

 当時の国際魔法協力部の長ウラジーミル・プロップの手腕によりヨーロッパで起きていたマグルとの戦争は迅速に収束し、マグルの政府を乗っ取って魔法使いによる支配機構が完成した。

 

 そしてこの素晴らしい、魔法使いが堂々と歩ける社会が始まったのだ。

 私は自分の胸についたバッジを指で撫でた。魔法省の職員であることを示す“M”のバッジ。この社会に最大の貢献をする市民の証だ。

 

 魔法省に入るにはいくつもの難関試験をくぐり抜ける必要がある。昔(新世界になる前、マグルが我が物顔で表を歩いていた時代)では、コネと血筋の良さがまずあって、魔法使いとしての技量は一部の役職を除き重視されていなかった。

 しかし今は実力のみが重視される時代だ。たとえマグル生まれでも魔法使いとして優秀ならば出世できる。純血でも愚鈍ならば、マグルの仕事場の現場監督くらいしかなることができない。

 魔法学校の組分けは成績によって行われるようになった。試験全ては記録され、管理され、素行はすべて屋敷しもべ妖精により監視されている。七年の教育課程を受け、優秀で認められたものだけが1年間にわたり行われる入省試験に挑めるのだ。

 

 そして私はすべての試験を突破し、国際魔法協力部へ配属されることが決まった。

 新人研修はフェノスカンジア魔法統合体管轄の施設で行われる。私のキャリアはそこから始まる。

 

 

 バスが目的地に到着した。私は降りて、港の客船乗車口へ急ぐ。公共の場ではあらゆる場所で杖の提示が必要だ。私が杖を掲げゲートに触れると、守衛が愛想よく微笑んだ。私の胸に掲げるバッジがわかったのだろう。私は誇らしい気持ちになって微笑み返した。

 

 杖一本一本は魔法省のデータベースに登録されており、通行履歴や使用履歴が蓄積されていく。一等市民ならばほとんどの公共サービスを杖の提示のみで受けられる。

 マグル(つまり二等市民)は杖をかかげる代わりに金を払う。貨幣文化はどうやってもマグルと切り離すことができなかった。第一、際限なく増えて減ってくマグルたち全員を私達のように杖ごとに管理するなどリソースの無駄遣いだ。

 

 手つづきを済ませ、待合席に座った。

 壁には大きなテレビがかけてあり、ニュースを伝えている。

 

『ウラジーミル・プロップ氏逝去』

 

 連日報じられているお決まりのニュースだった。

 一週間前、革命の立役者にして今の社会の礎を作ったウラジーミル・プロップが死んだのだ。三年ほど前から政界から退いていたとはいえ、大物の訃報はメディアを哀悼一色に塗り替えた。

 現大臣パーシー・ウィーズリーの涙ぐましい演説。これももう何度聞いたことか。私はいい加減うんざりしていたのだが、間違ってもそんなことは口に出さない。

 

 テレビの画面の中にウラジーミルの唯一の肉親、アレクセイ・プロップが映り込んでいた。彼は父親を殺しアズカバンに服役していたらしい。

 元犯罪者ということもありこれまで公の場に出ては来なかったが、さすがに弟の葬式には顔を出さざるを得なかったようだ。しかしそのような過去に配慮してか、カメラは彼をズームにはせず、ただ棺に寄り添う姿を遠景でとらえるのみにとどまっている。

 アレクセイはウラジーミルと双子だった。棺に入ったウラジーミルを見て、自分がいるような気分になったりしないのだろうか。

 

 汽笛の音が聞こえた。船が来たらしい。

 

 他の乗客がまばらに立ち上がり、乗船口に並び始めた。急いだってしょうがないので私はもう少しだけテレビを眺めることにした。

 ウラジーミル・プロップの功績。惜しむ声。渡英してからの苦労と努力に、悲しい生い立ち。エンターテイメントとしてはいささか出来すぎているように思えた。

 技術省の責任者、ブルック・ドゥンビアがインタビューに答えていた。彼はマグル製品を魔法で使えるようにして社会に貢献した技術者で、今も官僚をやる傍らでマグルの科学者とともに月へ行こうとしているらしい。

 

「私は彼から多くを学び、そして多くを教えたと思うね。ああ、彼とは親友だった。まあ彼に聞けば仲のいい他人だと言われるだろうがね。悪巧みもたくさんしたよ。とても、とても楽しかった。…彼ももう、休んでいいだろう」

 

 CMに入った。私は席を立ち、船に乗り込んだ。

 船はとても古く錆びついていた。もはや錆色で塗られたのではないかと思うほどだ。

 客室は一等市民と二等市民で明確に席の分けられていないものだった。一番早い船はこれしかなかった。

 もっとも客はまばらなのでたいしてストレスは感じない。どうせ二等市民は一等市民に近寄りたがらないのだから。

 私は飛行機は嫌いなので海で大陸に渡った後陸路で任地へ向かう。およそ17時間の船旅だ。私は一等市民用の個室に荷物を置いてからデッキに出た。

 海に出ても延々曇り空が続いていた。風は潮の香りと湿気でべたつく。

 

 ブリテン島はとっくに水平線にしずんでいた。

 イギリスに戻れるのは早くても半年後。辞令によっては他国の領事館に三年は従事することになる。

 私は、できればここには戻ってきたくない。

 そうやって感傷にぼんやりと浸りながら海を眺めておると太陽も沈み、海はどんどん真っ黒な闇に包まれていった。

 

 ふと周りを見た。5メートルほど向こうで黒いコートを着た男が私と同じように水平線を眺めていた。デッキには私と男以外誰もいなかった。

 ふいに頬を雨粒が濡らした。ついに降り出したらしい。雨はあっという間に足を早め、海風と共にデッキに振り付けた。 

 

「濡れますよ」

 

 私は思わず男に声をかけた。男は私に気づき、こちらを向いた。メガネをかけていて、ぱっと見の印象よりもずいぶん老けていた。なぜかどこかで見た顔だなと思った。

 男はくたびれた様子をしていた。枯れ草色の髪はオールバックにするよう撫で付けられているが、何本か毛束がこぼれて額にかかっている。目元に刻まれたシワは深く、苦労を感じさせられた。よく見ると顎から頬にかけて古傷があり、それを隠すかのように無精ひげが生えていた。しかしそれでも不思議と二等市民のような下品さは感じない。

 

「僕が海に出るといつもこういう冷たい雨が降る」

 

 男はほとんど独り言のように呟いた。私は返事をするべきか迷った。

 

「冷えるので、中にはいったほうがよろしいですよ」

「あなたのおっしゃる通りだ。さて…」

 

 男は胸ポケットから小さな銀色に光るものを取り出し、海に投げ捨てた。私がそれがなにかたずねる前に、男ははにかみながら言った。

 

「不法投棄にはならないだろ?」

「ええ…」

 

 男と私は船内に入り、デッキを眺めることのできる大きな椅子に座った。

 

「何を捨てたんです?」

「義理さ」

 

 私は年にふつりあいな気障ったらしいセリフに思わず男を凝視してしまった。男はちょっと照れるように苦笑いした。

 

「ばかみたいに聞こえるが、本当なんだ」

「何かのバッジに見えましたが」

「そう。職業バッジ。もうあの国には戻らないから、必要ない」

「移住ですか?」

「というよりかは帰郷だね。その前に野暮用があって、ヌルメンガード城に行かなきゃならないんだ」

「奇遇ですね、私はヌルメンガードの近くの研修施設に向かう予定でして」

「となると君は魔法省のエリートか。ああ、道理で素敵なバッジをしていると思った」

 

 私はホッとした。私が誰でどんな努力を積み重ねてきたか、このバッジを見ればすぐにわかってもらえる。尊敬してもらえる。

 

「それにしても、ポートキーを使えば一瞬なのに船旅とは物好きだね」

「確かにそうですね。でも私には…なんというか、時間が必要だったんです。今までの自分とわかれる時間というか」

 

 妙に話しやすい男だった。赤の他人だから気楽と言うのもあるのだろうけど、なんとか彼の興味を引きたいと思わせる雰囲気がある。魅力、と言えばいいのだろうか。

「じゃあ僕と同じだ。僕も移動時間でこれまでの人生を振り返るつもりだったから」

「私、お邪魔でしたか?」

「いいや。振り返ってみたら全然大したことなかったんだ。島が見えなくなる頃には全部済んでしまったよ」

「そんなことありますか?」

「ああ。人生そんなもんさ」

 

 私にはそうは思えなかった。私の感じてきた苦しみ、悲しみ、喜び、たった19年でこんなにも胸を一杯にするのに。

 

「僕は年を取ったからそう言えるだけだがね」

 

 男はそう言って黙った。私たちは二、三当たり障りのない世間話を交わした。彼はとても知性を感じさせる話し方で、なんとなく偉い立場にいた人なんじゃないかと思った。

 けれどもお互い名は尋ねなかった。少なくとも私はそれも旅の醍醐味のような気がしたからだ。

 

 男が個室に戻るというので、私も途中まで一緒に行こうとした。しかし男が向かおうとしたのは階下の二等市民用の個室だった。

 

「失礼ですがあなたは一等市民ではないのですか?」

「ああ、違うよ。ほら」

 私が尋ねると男はコートの下にさした杖を見せた。

「ではなぜ二等市民用の部屋を?」

「自由だからさ」

 私は男が何を言っているのかよくわからなくて聞き返した。

「自由?二等市民は魔法が使えません。仕事も学業も選択肢は狭いですし、移動や食事、住処だってなんだって貨幣がなければどうしようもならないんですよ?」

 

 私の疑問に男はやけにウケたらしい。くくっと笑って答えた。

 

「逆だ。金さえ払えば誰にも行方を知られずにどこにだって行ける。自由だ。それに選択肢の話をするならば君だって何も選べていないだろう」

 

 男はそう言い捨てて、下へ降りていった。

 私はあの杖が偽物なんじゃないかとも思ったが、二等市民がそんな危険を犯すとは思えない。

 二等市民の立場は弱いのだ。私達が少しでも気に入らなければ彼らを甚振ることができる。(しかも私達は大した罰をくらわない)

 私達が彼らを絶滅させないのは、私達がやりたくないことを彼らにやらせるためだ。社会を成り立たせるために必要な土台、それを支える彼ら。彼らは私達同様社会の一員で大切な歯車なのだから。

 けれども、換えはある。誰もいらない部品にはなりたくない。

 

 私は自分の部屋に戻り、用意していた弁当を食べた。そしてベッドに寝転がり、あの男のことを考えるのはやめようと決めた。

 

 持ってきた資料を読み返したりアルバムを眺めたりしながら、私は今までの人生を振り返った。

 四人家族。私と弟がまだ小さい頃に建てられた小さな庭付きの家。まだ一等市民、二等市民という明確な区別がついていない時期だった。

 旧時代のようにマグルに紛れてこっそりと暮らそうとしていた魔法使いの父と、マグルの母親。(私の世代だとこの身分違いの恋で生まれた子供は多い。しかし制度が決まってからはほとんどが魔法使い同士で結婚するようになった)

 私が初めて魔法を使った日のことをよく覚えている。両親は安心して泣いていた。

 私が家をたつとき二人がいたら、一体どんな顔をしていたのだろう。

 

 

 汽笛で目が覚めた。どうやら眠りこけてしまったらしい。来たときと反対側のデッキに出ると他の乗客が水平線にかすかに見える島を見てわいわいと話している。

 私は売店でパンを手に入れ、個室で身支度をしながらそれを食べた。

 やはりあちらよりも肌寒い。

 

 港に降り立って、自分のコートがいささか薄手だったと気づく。もっとも杖をひとふりすれば防寒はできるのだが。

 

「やあ。人生の振り返りは終わったかい」

 

 声をかけられて振り返ると、昨日の妙な男が立っていた。荷物はなく、磁器製の壺を抱えている。

 そうだった。彼は私と行き先が同じなのだからどうやったってまた会う羽目になるのだった。

 

「まだ終わっていません」

「ここからバス?」

「そのつもりです」

「僕はタクシーをとってるんだけど、よかったら一緒にどうだい」

 

 私は時刻表を見た。次のバスが来るまでなんと三時間もある。船が早くつきすぎたのだ。

 私はしばし悩んだ。一等市民だと言い張る謎の男についていくのは危険ではなかろうか。

 しかしこの男に覚える妙な既視感と好奇心は無視し難い。

 男はこちらを見つめていた。その眼差しを受け、私はようやく彼をどこで見たのか思い出した。

 

「…ご一緒させてもらっていいですか」

「もちろん。さっき呼んだからもう来るよ」

 

 すぐに車がやってきた。普通の乗用車の屋根に空きを知らせる小さなランプがついている二等市民向けの個人タクシーだ。

 

「ここから長いよ。休憩が欲しくなったら言ってくれ」

「はい」

 

 私は男の隣に乗り込んだ。運転手はろくに挨拶もせず乱暴にアクセルを踏んだ。

 港の周りは殺風景なコンクリートと枯れ草で覆われていた。しばらくすると森があり、チラホラと繁華街らしき建物が木々の隙間から見えた。どうやら大通りを外れた道を行くつもりらしい。

 

「昨日、私は何も選べてない…とおっしゃいましたね。それはどういう意味でしょう」

「そのままの意味だが…」

「私は自分で選んで、このバッジを勝ち取ったのです。魔法族の社会への最大の奉仕者になりたくてなったんです」

「どうしてそんなに必死なんだい」

「必死ですって?」

「君の言い方はまるで失敗をごまかそうとする子供みたいだ」

「失礼ですよ。いくらあなたが…歳上でも」

「後ろめたいことがあるんだね」

 

 私は黙った。今までそんなことを言ってくる人はいなかった。学校では誰もが善き市民として“選ばれるため”に他人の事情にわざわざ突っ込もうとしなかったし、人間関係には成績がそのまま反映された。

 魔法使い。あり得べき最善のヒトの姿。

 

「別に、僕は君の面接官でも先生でもない。だがおせっかいを承知で言うが、君の抱えるその感情は適切に処置しないと将来重荷になるだろうね」

「どうしてそんなことがわかるんですか?」

「僕がそうだったからさ。君は故郷を捨てるつもりで船に乗ったんだろう?」

 

 私はこの男に何もかも見透かされているような気持ちになった。どうしてそこまでわかるのだろう。

 私がデッキに出て、彼を見つけたときに感じたシンパシーと同じものを彼も感じていたのだろうか。

 

「でも君は捨てきれてない。だから僕とタクシーに乗ったんだ。君は心のどこかで、聞き手を欲しているんだ」

 

 私は反論できなかった。彼の言葉は私の本心を的確に言葉にしているように思われた。

 

「…確かに私は、もう家に帰るつもりはありません。何もかも捨て去りたい。でも…家にはまだ、家族がいる」

「ご両親?」

「いいえ、弟です」

 

 話し始めた途端、胸がぎゅっと痛むのを感じた。

 弟。

 私が捨てていこうとしているもの。

 

「弟は二等市民なんです」

 

 初めて家族以外の他人に告白した。多分今の私は顔が真っ赤になっているのだろう。やけに車内が暑い気がする。

「…べつに、そこまで珍しいことでもないよ」

「それだけじゃないんです。弟は、その…影で悪い事をしているみたいで」

「悪い事ね」

 私はちらりと男の方を見た。男はこちらをじっと見ている。口元にはほんの少し、挑発的な笑みを浮かべている。どうやら私の小賢しい誤魔化しなんて見抜いているようだった。

 

「不法移民を手引きをしていました。ほかにも多分暴力や、薬物取引なんかも。私は…証拠を掴んでいました」

「それを握り潰したんだね」

「ええ。二等市民の犯罪は、重罪でない限り彼ら同士で裁きます。一等市民である私が証拠を握りつぶすのは、なんの罪にも問われない行為です」

「わかってるよ」

「他にもいろいろ、弟の愚かな行いを隠匿する手助けをしました。けれどももう…嫌だったんです」

 

 忘れもしない、私が首席に指名された17歳の夏。母は私を抱きしめて褒めた。自分が二等市民だから苦労させていたのではないかと、いつも悔いていた。父が亡くなってからずっと家を守ってきた立派な女性だった。

 

「弟はどうしようもないマグルです。魔法が使えないのはお前のせいだと同じマグルの母親を殴りました。私は一年の大半をホグワーツで過ごしていたので、現場は見ていません。けれども最後に見た母の背中はあざで真っ黒になっていました」

 

 私は抱きしめた母の襟元の下にあざがあるのを見た。いいや。もっと昔から、それに気付いていた。

 

「最後に母のいる家に泊まった日も、弟は母を殴っていました。けれども私は、それを無視した」

 

 母のことは愛していた。けれども、弟と母の間に充満する暴力の雰囲気は見ないふりをし続けていた。

 魔法使いはそんな淫らな気配を醸したりしない。暴力とは、悪とは、マグルのみが持つ悪徳なのだ。私はそれに近づきたくなかったのだ。かれらの野蛮に向き合うなんてまっぴらだ。だから私は逃げるように学校へ帰った。

 

「私は一週間後、寮の談話室で母の訃報を聞きました。過失にせよ故意にせよ、私には弟がやったのだという確信がありました。でも私は休暇が来るまで帰りませんでした。内申に響きますから」

 

 母はとっくに墓に埋められていて、弟は家を空けていた。二等市民の事故死なんてまともに調査されない。だって彼らは替えのきく部品だから。

 私は母の墓前にすら行かなかった。ただただ、やるせなさで動けなかった。

 

「そして、それからずっと私は家族というものから逃げている」

「なるほど。君はまだ逃避の途中なわけか」

 

 私の告白に、男はどんな顔をしていたのだろう。ただ、声は優しかった。私は自分の膝を見つめていた。ピクリとも動けなかった。

 

「君と似た悩みを持つ人を知っているよ。まあ諸々逆なんだが。いい方法がある」

 

 私の手に、男の手が重なった。やけに綺麗な手だった。

 

「君の弟が母親にしたのと同じようにすればいい。ただし杖は使わずに、その手で」

 

「え…」

「君たち魔法使いは杖に頼りすぎだ。人間なんてものは硬いもので頭を殴れば簡単に死ぬんだから。杖を使えばすべてが当局に記録される。逆に言えば、使わなければなんでもできるだろう。マグル同士の殺し合いに法廷が余計な人員を裂くわけない。ちょっと工夫すれば捕まらない。君の弟みたいにね」

 

 私は思わず、まじまじと男を見つめてしまった。

 ああ、やはりそうだ。メガネや髪型でかなり雰囲気が変わっているけど、彼は…。

 

「銃は19年前から入手しづらいから、ナイフがいいだろう。刺したら必ず抜くんだ。五箇所は刺したほうがいいね。男女の体格差は不安だろうから、寝てる顔面に枕を押し付けて素早くやるといい。泥棒に見せかけるんだ」

「…そんな…野蛮なこと…」

「野蛮?」

 

 男は笑った。

 

「それが人間だ」

 

 

 

 ヌルメンガード城は再建され、今は単なる記念碑と同じようにそこに佇んでいる。法律区分的には自由に入れる史跡にあたるが、牢獄として使われるような立地だ。物好きな観光客以外来やしない。

 

 私は彼に付き合うことにした。施設に伝えた到着時間までかなり時間があったし、彼がヌルメンガードにどんな用事があるのか興味があったからだ。

 

より大きな善の為に(For the greater good)

 

 門柱に刻まれた文字はホコリがたくさん詰まってて潰れている。

 

 監視員もおそらく二等市民だ。(フェノスカンジアでの呼び方は確か単に市民だったか)門のそばに建てられた小さな小屋から私達の顔をちらりと見ただけでテレビに視線を戻した。

「まったく、何も学んじゃいないな」

 男はそれを見てひねくれた笑みを浮かべた。城内に入って中央にある螺旋階段を登った。私は無言で男についていった。

 最上階にはゲラート・グリンデルバルドがいた牢屋がある。もちろん当時の再現にすぎないので誰でも入ることができるし、汚れた風の塗装はされてるがどこか真新しい。

 ゲラート・グリンデルバルドは脱獄後ずっと行方不明のままだ。戦争で死んだとも、僻地で畑を耕しているとも言われてるが、どちらにせよもうかなりの高齢だ。また昔のように各地を扇動して回るようなことはないだろう。

 それにもう世界を焚き付ける必要なんてない。きっと今の時代はグリンデルバルドの望む世界だ。

 

 男は最上階につくと迷わず鉄格子の中に入った。そしてずっと抱えていた陶器のつぼを開け、ひっくり返した。中から灰がドサッと落ちて、あたりにふわりと漂った。

 

「それ…遺灰ですか?」

「ああ。死んだらここに撒いてやろうって決めてたんだ。もう邪魔されたくないからね」

 私は彼が何を言いたいのか、よくわからなかった。ここに骨をまかれるべき人は一人しかいない。それを彼が持ってる理由。それを尋ねたくてたまらなくなった。

 

「…あの」

「ん?」

 

 男は笑みを携えていた。こんな薄暗い牢獄で遺骨を撒いて、微笑んでいた。

 こんなに穏やかなのに死を感じさせる笑顔は見たことがなかった。

 

 私は疑問を投げかけるのをやめて、首を振った。

 

「私はもう行きます。ここまで乗せてくれてありがとうございました」

「僕こそ付き合ってくれてありがとう」

 

 私は背を向けて、階段へ向かった。

 

 

「…さようなら。アレクセイ・プロップさん」

 

 私のつぶやきに、背後からいたずらっぽい声がかかった。

 

「惜しい」

 

 私は振り返らなかった。

 

 

 施設に付き、部屋に通された。四人部屋は二段ベッドで、しかもベッドが近すぎて、ホグワーツの寝室のほうがまだプライバシーが守られているなと苦笑いした。

 けれどもきっと隣人は優しく、善良だ。私もきっとそう振る舞うだろう。それが、この社会に求められる魔法使いのあるべき姿だから。

 素晴らしい新世界、そしてそこから皮一枚隔てただけの、暴力と悪徳の旧世界。私とその世界を繋ぐ弟という呪い。

 

 男の言っていたことを反芻した。

 

 魔法使いの社会では暴力は、秩序を乱すことは許されない。同胞へ力を振るうことは何よりも許しがたい犯罪だ。けれども、マグルに対しては違う。

 

 私は簡単に弟を殺すことができる。

 

 そう思うだけでもずいぶん楽になった。

 

 仕事終わりに杖を置き、ナイフを寝てる弟の首に突き刺す。

 すぐに抜き、もう一度。

 指紋を残さないようにしてから家を荒らし偽装して、その場を立ち去ればいい。

 家の周りには誰もいない。夜風に当たりながら、返り血を浴びた服をドラム缶で燃やす。証拠のナイフは川に捨てて、翌朝何気ない顔でまた職場に顔を出す。

 

 すべてがうまく行くように思えた。

 また家に帰れるような気がした。

 

 私はノックの音にこたえ、これから半年間共に過ごす同僚ににこやかに挨拶し握手をかわした。なんて白々しいのだろう。

 けれどもこの同僚も弟と同じだ。

 魔法使いだってナイフ一本で簡単に殺せる。殺意を持つだけですべてのことがなんてことないように思えた。

 

 私はきっと、ちゃんとイギリスに帰れる。そしてマーケットでナイフを買って、あの家のドアを開ける。

 研ぎ澄ます。

 私の中のマグルの血でできた殺意の刃を。

 暴力を。

 ただいまを言うその日まで。

 

 


 

 

 

 世界は変わらない。

 

 19年経ってもちっともよくなっちゃいない。マシになったことといえば銃と弾薬が製造されなくなったことくらいだろうか。

 ゲラートの作り上げた新世界。魔法使いとマグルが共生する素晴らしい社会。両者の圧倒的な力の差異により両者は明確に分断された。分断は差別と偏見をもたらし、秩序を作り出す構造となった。

 けれども魔法使いたちはその構造に支配される。秩序、善性。戦争の生々しい傷跡を見るたびに何度も何度も刷り込まれる“魔法使いは善なるもの”という嘘っぱち。

 それをバカ正直に飲み込んで、自分たちは全体への奉仕者であるという自己満足に隷属する。恐怖はその輪から外れること。杖をおられて、虐げてきた人々の中へ蹴落とされること。

 バカバカしい。そして、相応しい。

 

 僕は雪を踏みしめて進む。僕が育った家。今は廃墟同然の屋敷跡は18年前に買い取ったまま手を付けていない。

 ほとんど朽ちかけてはいるが、まだ家としての形は保っている。窓ガラスは窓枠ごと壊れてるし、壁も崩れているが雪は凌げそうだ。

 僕は倒れていた椅子を起こす。それに腰掛け、やっと一息ついた。

 

 ポケットの中に入れていた拳銃をだした。マグルが持つ中で唯一魔法使いを即死に至らしめる武器。19年間大切にしまっていた僕の最後の狂気。

 

 弾丸は一発しかない。

 弾を詰めて、引き金に指をかけた。

 

 一息ついて、天井を見上げる。

 ゲラートは死んだ。ウラジーミル・プロップは結局最後まで返してもらえなかった。

 でもそれでいい。それがいいんだ。

 彼の骨は牢屋に撒いたから、これで間違っても誰かに邪魔されることはない。僕の犯した唯一の失敗は彼を牢屋から出したことだ。これで全てがチャラになる。

 

 僕もすっかり老いてしまった。もう立派なおじさんだ。醜い。なんて醜い生だろう。

 ゲラート、君のために醜さを耐えてきた。けれどももう義理も果たしただろう。

 

 銃口をこめかみに当てた。リボルバーではないから、引き金を引けば走馬灯を見る暇なく終わる。

 

 もう一度、人生を振り返ろうとした。

 ああでもやっぱり、地獄に持ってくほどの思い出なんて一欠片もない。

 

 僕の脳漿はかつて家族で囲んだ食卓の残骸に飛び散って、腐る前に凍りつくだろう。雪が溶ければ黒ずんだ染みとなって、もうそこかしこの汚れと対して区別がつかなくなる。

 僕の死体も同様に、微生物から狐まであらゆる生き物に食い散らかされてこの世界から消え去る。

 

 それのなんと美しいことか。

 

 指に力を込めた。

 

 そして僕は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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