Aクラスのリトルガールズ (エントロピー)
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対面
ぶっちゃけヒロインで一番好きなのはダントツで軽井沢なのです。坂柳も勿論可愛いんですがね!
三者鼎立という言葉がある。
三国鼎立なら、あるいは三国志を少し齧った知識さえ持っていればああ、と思う人もいるだろう。簡単に言えば3すくみの状態で均衡が保たれている状況のことだ。
有体に言えば、そう。Aクラスはいま、三者鼎立の様相を呈していた。
特徴的なのはその華奢な体格と可憐な容姿。そして人を寄せ付けるカリスマ性。何よりも目立つのは身体的な理由で使用している杖。本来身体が不自由なことをこの上なく示すそれも、男性ひいては女性でさえ庇護欲をかきたてられる要素と化している。
Aクラスを纏め上げている一人で、その思考は容姿とは裏腹に攻撃的だ。
こちらもまたAクラスを象徴する一人だが、坂柳有栖とは対照的に慎重な行動をとる。そのため彼女とは衝突する場面も多い。
大柄かつスキンヘッドという容姿で人を恐怖させてしまうと思いきや、その言動は紳士的。少々傲慢な面が見え隠れすることもあるが、こちらも人を寄せ付けるカリスマ性に富んでいると言える。
ではもう一人。このクラスの3すくみを作り出しているのはいったい誰なのか。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
4月某日。テニスコートにて。
「小鳥遊さーん! やっちゃえー!」
「まっかせてよ!」
ラケットで打ち返すインパクトの瞬間、この一時こそがなによりも楽しい。
小気味のいい音を相手のコートに叩き込み、あたしはクラスメイトの女子にブンブンと手を振った。
「ゲームセット! アンドマッチウォンバイ小鳥遊!」
主審のコールも終わったので、あたしは応援に来てくれていた二人のクラスメイトのもとへ駆け寄る。
ポニーテールに結った独特の髪はクセがあり、纏めた髪の毛先は後ろで軽くカールさせていた。
オトナの女子を演出しようと髪型には気を使ってきたつもりだが、中学の時の同級生の客観的感想に基づくと私の場合はどうにも147cmという低身長が邪魔をして意図した効果は得られていないらしい。
しかし自身が気に入っている髪型を第三者の意見でおいそれと変えるのもプライドが許さなかった。
そんなあたしの髪は走ることで左右にピョコピョコと跳ねる。いまの高揚感を表すように。
「やっはー。ちょっと噛み応え足りなかったかなーって」
そういうと興奮した様子で二人は言葉を並べてきた。
「見てたよっ。私じゃ目で追うので精いっぱいだったけど、よく打てるよねー」
「煌すっごい! 男子にストレートで勝っちゃうなんて!」
「いやぁそれほどでも……あるかなぁ?」
「なぁにそれ! 感じ悪いぞぉ! このこの!」
キャイキャイと持て囃してくるのも悪い気分ではないため、暫く相槌を返しながら勝利と優越の気分に浸った。
だが、著しく気分を害した人間もいるらしい。
「クソッ!」
「っ……」
叩きつけられたラケットの2・3回跳ねる様に、二人は少し萎縮した様子だ。
そんなのがちょっとだけ面白くない私は対戦相手だった彼だけに聞こえるよう、近くで告げた。
「あーっ、橋本くん駄目だよー。ラケットが可哀想じゃん」
「お前なんかにっ……!」
「こういう小さな積み重ねが、あなたが御執心の方の評価ってやつも落としてるってわからないかな。あたしにとってはどーでもいいけど」
元々この試合は、単なるテニス部員同士の練習試合ではなかった。
もちろん、傍から見ればそのようにしか映らないだろうが、一部の――入学したてで殺気立っている今のAクラスの人間には特別な意味を持っている。
この世は力が全て。
それは単純な暴力の話ではなく、学力・コミュニケーション力・情報収集力・運動能力等々……様々な場面においてどれだけ秀でているかが個々の人物への評価へとつながっていくのだ。
優秀な人材が集まりやすいAクラスにおいては特に、それらは全体の人心を掌握するにあたって重要な要素だと言える。
この学校は実力がものを言うなんてことは、よほどの能天気者でない限りこのAクラスにいて察せられない者はいない。たとえ今が入学から三週間経過した時期だとしてもだ。
だからこそ、集団を纏め上げるリーダーの選定に皆躍起になっている。
そんな情勢でグループが3分割されている中、その内2グループの中心人物二人がテニスの試合を行うとする。
そうなるとそれは単なるクラスメイト同士のお遊戯なんて捉え方はされない。
グループ間の闘争という形を小さいながらも形成し、ある種の格付けがなされてしまうものなのだ。ギャラリーからしたら無意識のうちに。
当然力以外にも判断材料はある。内面――つまり性格だ。同じくらい優秀な人間がいたとして、性格が悪い人間といい人間、どちらを選ぶか。議論するまでもない。だから、ここであからさまに橋本くんを煽り、周囲に性格の悪さを露わにするのは自らの評価を下げてしまうようなものだ。
だから――あたしはこうする。
膝をついている彼の前に徐に手を差し出すと、
「今日は楽しかったよ! 橋本くんのプレイスタイル面白いんだもん、びっくりしちゃった。今度はお友達も連れてきて欲しいなー。今日の試合は記憶に残る名勝負だったからさ、見せられなかったのが残念で」
ああ、本当に面白かった。
必死にボールに追いすがって右へ左へ奔走してなお、惨めに敗北する彼の姿はとても滑稽だったから。
「お前っ――」
「あら。もう終わってましたか」
コツコツと杖をつき、数人を周囲に侍らせてその人物は唐突に現れた。
「こんにちは、小鳥遊さん。その様子だと結果は聞くまでもないようですね」
坂柳有栖だ。
自分の派閥の人間が他派閥の人間とテニスをするというから、単なる好奇心で見に来ました、と言わんばかりの雰囲気だ。
だがこの少女はそんな理由でホイホイ物事に顔を出すなんてことはしない。当然なにか別の用件があるんだろう、恐らくはあたしに。
「やっはろー、坂柳さん。随分大所帯だねぇ」
「ふふっ。お邪魔かは思いましたが、御存じのとおり私はこの有様で。皆さんにはことあるごとにご迷惑をおかけして心苦しい限りですが、寄り添ってサポートすると言って下さった親切心を無下にもできないですから」
それにしても、と一呼吸おいて彼女は私の後ろを面白そうに一瞥した。
「あなたも大概に
さっきまで応援していた女子二人は私の体をかばうように両隣に寄り添っていた。
ふと軽く後ろを確認すれば、応援席で待機させていた男子5人がいつでもそれなりの対応ができるよう様子をうかがっている。
「そう見える?」
「クラスメイトが仲睦まじいのは喜ばしいことです。わざわざ否定することもないでしょう」
一瞬――それは何時間にも感じられるほどだったが、視線が交錯した。
そしてそのつながりは坂柳さんから一方的に打ち切られ、話の流れは変遷した。
いままで黙りこくっていた橋本くんが口を開いたのだ。
「も、申し訳ございません! 俺――」
「橋本くん」
それ以上余計なことを言うな、というプレッシャー。
それを発することができるのは彼女のカリスマゆえか、とにかく橋本くんはヒュッと喉から出そうになった言葉を押し留め、目の前の支配者の宣告を待った。
「小鳥遊さんに言うことがあるのでは? 一緒に試合を作り上げた友人が、手を差し伸べてくれたのです。たとえ内心で感謝の気持ちに溢れていたとしても、言葉にしなければ伝わりませんよ」
橋本くんはその言葉に普段の冷静さを取り戻したのか、青褪めた顔に表情という名の仮面をかぶせた。
周りから見たら爽やかな笑顔、だがその内心はさぞ腸が煮えくり返っていることだろう。
「はい。――いやぁ小鳥遊さんたらつえーわ。完敗完敗。でもま、お蔭で勉強になったっつーの? 遠慮なく技術は盗ませてもらうとしますよ。今日は良い試合をさせてくれてサンキューね」
「いえいえー。こちらこそ」
周囲からパラパラと両者を称える拍手が起こり、やがてその観客もゲームが終了したことで興味が失せたのか一人また一人と解散していく。
暫く待てば、もうこの場にいるのは坂柳さんが連れてきた人たちと、私の用意した人たちだけだった。
「気付いてましたか?」
ふと坂柳さんが問いかけてきた。
「んー? あたしにはさっぱりだぁ。やけに照明がピカピカと反射してた人を見たくらいで」
「身体的特徴を話のタネにするのは、あまり褒められたものではありません。彼の場合は事情もあるようですし」
クスクスと笑って窘めてくる。言わんとしていることは間違ってないようだ。
「いくら観客席が集団で紛れていてもアレは目立つよー。戸塚くんに任せればよかったのにねぇ」
「彼は自分の目で確かめたかったのでしょう。貴女がどれだけ
「あたし個人の考えで言えばどうでもいいんだけど、こうも毎回ギスギスしてると考え物だなぁ」
この三週間、クラスがおおよそ三等分されると状況が今のようになるまで、さほど時間はかからなかった。
Aクラス同士で試合やら何かをするたび、評価を気にして行動をすることが習慣化されてしまっている。
「今度はあたしが聞くけど、坂柳さんは葛城くん以外の観客について気付いてた?」
「ふふっ。あんなに情熱的な視線を向けていたら嫌でも気付くというものです」
目ぼしいところで言えばBクラスの神崎隆二と一之瀬帆波、Cクラスの龍園翔。
Dクラスに関してはいわゆるクラスのカースト上位と思われる平田洋介や軽井沢恵や櫛田桔梗といった顔ぶれは見当たらなかったため、そういう情報戦はまだ行える状況にないと判断している。最も、Dクラスの生徒がいなかったという確証はない。いたとしても流石にこの時期で学年全員の顔と名前を一致させて記憶するほどの優秀さはあたしにはないし。
ただ、あまりよろしくない状況だ。
BクラスとCクラスは察したことだろう、今のAクラスが内紛に注力していることを。
まぁ葛城くんがどうなるかは知らないが、坂柳さんは易々と足元をすくわれるような人ではない。
とはいえ、他クラス全てが団結してAクラスに攻勢をかけてくるという事態はできるだけ避けたい。
そのためには弱みを見せてはいけない。
Aクラスに纏まりを生み出すことで、付け入る隙をなくす。
「やっぱりAクラスには纏まりが必要なんじゃないかな。リーダーは、一人でいい」
「奇遇ですね、私もそう思っていました。だからこそ、今のAクラスの状況がある」
あたしたちはどちらからともなく嗤った。
――あたしの名前は
自己評価的にはちょっと背が低くてスポーツと勉強が得意なだけの一般的女子高生。
紆余曲折あって、Aクラスで派閥を作って楽しくやってます!
目標はクラスの皆と
誠心誠意、頑張ります!
□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □
部活動:テニス部
評価
学力:A
知性:C
判断力:B+
身体能力:A-
協調性:B-
面接官のコメント
明るい印象を受ける生徒で、中学時代の成績は文武両道を体現している。
一見これと言った欠点は見当たらないように見えるが、本人の自己評価は著しく低く、物事を客観的に捕えるのが苦手なように見受けられる。反面、中学時代に事件が起こった際は彼女の的確な指揮によって大事に至らず済んだという証言もあり、一概に評価を下すことを控えて知性はCで保留とする。
教師のコメント
Aクラスを牽引するに値する生徒だと評価したい。しかしその思考にはどこか危ういところがあり、目的達成のためには手段を選ばない節がある。今後の人格的な成長に期待する。また、中学時代の彼女の生活について、改めて調査を実施するべきだと提案する。
こんなのでも読んでくれる人が一人でもいれば、細々と続けていきたいなぁ。
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変化
時は過ぎ。
pr(プライベートポイント)が支給される月頭が訪れた。
この日の授業はすべて終わり、時は放課後。
多少の違いはあっても4月に支給された10万ポイントから数値が変動しているため、クラスの話題はそれでもちきり――
――ではなかった。
Aクラスはこの約一週間で大幅に情勢が変化したのだ。
今まで三つ巴で均衡を保っていたAクラスで、ある一つの派閥が吸収・合併という形で他の派閥に吸収された。
失脚したリーダーはさぞ失意の最中にいることだろう。誰もがそう思った。
しかし、それは見当違いである。なぜなら。
「有栖ちゃーん! 相変わらず可愛いねぇ!」
挨拶代わりの
あたしは今、こうして有栖ちゃんを愛でることに忙しいからね!
「……少しはポイントにも関心を示してはいかがですか。あと変なところを触らない様に」
「変なところ……それはどこのことかなぁ? ぜひご教授をば。えへへー」
今のAクラスは、ここ最近のあたしが異常に有栖ちゃんに接触をしていることに関心が集まっている。
それもそうだろう。つい数日前には敵対する派閥のリーダー同士、剣呑な会話が絶えない関係だった二人が、こうして(ほぼ一方的にとはいえ)交友を深めているのだから。
「ねえ小鳥遊さんさぁ」
「なぁに橋本くん。あたしは今ちょー忙しいんだけど」
椅子に座る彼女の背後から軽く抱き着いて、ベレー帽に顎を軽く載せてみる。
とくに抗議はないようだ。ふふん、当然よね。
どうだと言わんばかりのドヤ顔で、彼を見た。
「キミ、一体何を企んでるのさ。先週の試合の後からどうにもおかしいよね。まさか……」
「ふふっ、橋本くん。好奇心を持つのは良いことですが、それは必ずしも良い結果を生むとは限りませんよ? ほら、好奇心は猫を殺すと言うではありませんか」
ね? とあざとく頭を傾ける有栖ちゃん。
お蔭でベレー帽がずれて、彼女の髪のいい香りがあたしの鼻腔を支配した。
「ねー。そーいうこと。分かったら邪魔しないでねっ」
しっしっ、とあっちいけというジェスチャーをすると、彼は舌打ちをして同じく坂柳派で彼女のボディーガード的な立ち位置にいる鬼頭くんの近くの席に座り、こちらを再び窺いだした。
「これでクラスも二つに絞られた。葛城くんの派閥も、彼の忠告不足でポイントを使い込んでしまって、早くも見限りだした人がいるね」
「ええ。ただ、貴女の派閥だった吉田くんにも、予想外の出費があったようですが」
「アレはどーしようもないでしょー」
やれやれと額に右手を当てながら吉田くんを見た。
どうやら葛城派筆頭の戸塚弥彦に事情を聴かれているらしい。
「おい吉田! なんだって監視カメラを壊すようなことしたんだ! 下手したらクラスポイントが大幅に差し引かれてたかもしれないんだぞ!」
「し、仕方ないだろ……。あんな中庭にも監視カメラがあるだなんて思わないし。壁に向かって投球の練習してたら、勢い余って手が滑っちゃったんだよ……」
校舎内のカメラはバンダルドーム式のカメラで、十分な耐久性を有していたはずだ。よほど球速が出ていたのだろう。
受け答えの覇気のなさに、戸塚くんは鬼の首を取ったとでもいいたげな表情を浮かべている。
「とにかく。お前は一連の流れを葛城さんに説明する必要が……」
「うるさいなぁ、真嶋先生が仰っていた通りだ。結局その件は俺と学校の間で話は済んでるんだから、お前も葛城も関係ないだろ……!」
話をこれ以上続けたくないのか、流れを打ち切るとそのまま教室を出るつもりのようだ。
それと、と前置きして振り返る吉田くんに、先程まで詰め寄っていた戸塚くんは気圧されていた。
「葛城は別に俺らのリーダーなんかじゃない。リーダーぶって行動を逐一報告させるような真似は止めてくれよな」
「小鳥遊の派閥はもう消滅したも同然だ! 今は内部で争ってる場合じゃないことくらいわかるだろう!」
その言葉に吉田君は、どの口がそれをほざくのか、と言いたげな失笑で返すと教室から出て行った。
「消滅、ねぇ」
とても心外だ。
あたしはただAクラスを纏める最短距離を選んだだけだというのに。
まぁ他人にどう思われようと構わない。最後にあたしが思い描く形に収まっていれば、些細な問題でしかない。
気付けば戸塚くんが気まずげにこちらをチラチラ見ていたため、満面の笑顔で返してあげた。
顔を逸らされた。なぜ。
「あそこでまごまごしてる戸塚くんの言い分はともかくさ。そろそろ立場をはっきりさせるべきなのは確かなんじゃない? 小鳥遊さん。坂柳さんに従うってんなら、相応の態度ってやつを見せてほしいもんだねー」
右肘をつきながら、小馬鹿にした表情で橋本くんがこちらを見ながら言った。
気付けば、まだ教室に残っている生徒たちも会話を止め、こちらをチラチラとみていた。
「んー、時と場所は考えて欲しかったなー……」
「答えになってないな。ま、たしかにお呼びじゃない方々はいますがね?」
その物言いに戸塚くんが噛みつこうとしたが、一人の男がそれを制した。
「弥彦、場所を変えよう。今日のポイントの増減について、皆で話し合いたいことがある。ここは少し……騒々しいしな」
「しかし葛城さん! 奴ら何をしでかすか……吉田の奴の話だってどこまで本当か、わかったもんじゃない!」
「問題ないさ。たしかに俺たちは互いに腹の中で何を考えているかわかったものではない。しかしクラスポイントはAクラス共有の財産だ。あいつらだって簡単にそれを吐き出すようなことを是とするわけではあるまい。その点に関しては信用してもいいんじゃないか」
クラスに懐が深い印象を与えるためか、意図は測りかねるが、クラス全体に演説をするかのように大仰に葛城くんは戸塚くんを説き伏せた。そしてあたしと有栖ちゃんそれぞれに視線を投げかけてくる。余計なことはするなよ、と。
「ふふっ」
有栖ちゃんは眼を閉じて、小さく笑った。彼女なりの肯定だろうか。とにかく、それ以上の意思表示をする気はないようだ。そうなるとあたしも何らかの返事をしなければならない雰囲気だが。
ここは――
「……」
言葉はない。ニコニコと表情だけ貼り付けて葛城くんに顔を向けた。
「……行くぞ弥彦」
「は、はいっ!」
葛城くんの一声に、戸塚君を始めとした葛城派は教室を出て行った。
……まったく、何が信用なんだか。
結局のところ、彼は有栖ちゃんはおろか、あたしだって全く信用していない。
ここで教室を離れたのも、単なるパフォーマンス。何よりも優先してクラスのことを考えているように見せることで、あたしと有栖ちゃんよりもクラスを導くにふさわしい人物がここにいるぞ、とアピールしたわけだ。
気に入らないなぁ。
ときに、身長が180cmある彼からしたら、150cm以下のあたしや有栖ちゃんを見るには、どうしても上から下に見下ろす形になる。まぁ身長差は仕方ない。いつもはさして気にしていないのだけど。
今日は距離があった。別に身長差なんて関係ない。
会話の節々、単純に雰囲気が見下していた。
――たかが駒程度が見下さないでよ、■すぞ。
「――さん。おーい小鳥遊さーん」
「はっ。有栖ちゃんの抱き心地が良すぎて気絶してましたっ……!」
不覚。すぐさま有栖ちゃんから離れ、よろよろと自分の席に着席した。
「あら。もうよろしいのですか? ようやくほどよい暖かさに慣れてきたところでしたのに」
なんだこの可愛い生物。
クスクスと笑う彼女の後ろには頭に青筋を浮かべた橋本くんの姿が。
あ。すっかり忘れてた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
あたし以下旧小鳥遊派が坂柳派に加わるに当たり、橋本くんとあたしがした契約はこうだ。
・5月中に葛城派から人員を2人引き抜き、坂柳派へ入れる手引きをする。
・毎月5万prをあたしから有栖ちゃんに振り込む。紙面による拘束はとくに行わないが、違反した場合は即背信行為として判断する。
正直温い。穴だらけだ。
しかし当の有栖ちゃんは別にこれだけでいいと判断しているため、橋本くんも強くは出れなかった。
今月分の支払いは既に済ませた。今は好物のスペシャル定食を食べ、
「うんうん。ショッピングに勤しんだ後はコレに限るよねぇ」
以前から欲しかった服の数々。数着ではあるが手に入れることができてホクホク気分。
「きらりん、そんな無駄遣いしちゃっていいの……?
「にっしーは心配しすぎ。5万pr払いはするけど、あたしの稼ぎが他にあるなんてことはたぶん有栖ちゃんも承知の上なんだよ。その方法はともかくとしてね」
有栖ちゃんにとってもあたしにとっても、こんな契約はお遊びでしかない。
ただ、橋本くんや鬼頭くんのような純粋に有栖ちゃんを崇拝している人から見れば、ほんの約一週間前には別の派閥を率いていた人間がどの面を下げて有栖ちゃんとイチャコラしてんだこらー、って話。
だからこれは必要なこと。
あたしは目線を手元のカードへと移す。
304853pr。
――
「さぁ、早速やりますかぁ! ……テニスを!」
にっしーは困ったように笑った。
この学校においてテニスコートはある種聖域だ。
野球やサッカー、バスケなどといった、よりメジャーなスポーツにグラウンドや体育館は占有されており、その他の部活は各々別の区画を用意されて活動している。
中でもテニスコートに関しては生徒が試合に集中できるよう、試合観戦にわざわざ訪れようとでもしなければ生徒の目には決して触れることがない屋内にある。こんな場所だからこそ、先日の試合で目立った顔ぶれはすぐに見つかったというわけ。
この学校では、橋本くんが所属する男子テニス部と比較して、女子テニス部の規模は贔屓目に見ても小さい。
しかし、規模とは関係なく平等に、男子テニス部と女子テニス部にはそれぞれテニスコート専用の棟が一つずつ与えられている。コートは4面。若干持て余し気味だと言っていい。
空調が完備されているため、窓ガラスはない。完全に外からの視界はシャットアウトされているわけだ。
あたしはこの場所が好き。
雑音はないし、好きな
――何より、色々と
7.5巻の軽井沢最高。
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契約
でもAクラスで話を回すとなると現状どうしてもキャラが限られて話がワンパターンになることを危惧してたり。こういう回もあるよね、ということで必要経費としてご理解ください。
話が進んで無人島編で他クラスとの交戦になれば改善されてくるはず。
部活動の活動時間はどの部活も共通して22時まで。
テニス部に関しては顧問の教師はいない。時間管理は監視カメラによって行われ、それ以外のルールは、基本的に部活動ごと生徒の自主性に任せられている。
そうなると自然と部長の権限は非常に大きいものになる。部費の管理も部長の采配しだいだ。明らかに部活動の趣旨に合わない使い込みとなると流石に重い処分が下されるが、それでも理由さえつけられれば自由度の高い買い物ができるといえる。その分、
部費は4月頭の時点で、前部長から指名を受けていた生徒に振り込まれる。金額は学校に対する貢献度から部活動ごとに調整されており、女子テニスの場合は40万pr。正直少ない方だ。大半の部活動はもう一桁多い金額をもらっている。
そんな部活を部長として牽引しているのは3-Dに所属する生徒だった。
夕方の部室棟には、女子の姦しい練習風景があった。
「はーい! もっと声出していこー! そんなんじゃ男テニに舐められるよー!」
『はい!』
高育ー! の掛け声と共にコート4面の周りを走り、ファイ、オー! と掛け声を返す。
部活のランニングは勿論必要だと思う。ただ掛け声っているのかな? と思いながら適当に掛け声を出していると、ウチのクラスの沢田さんが野次ってきた。
「ほらほら小鳥遊、もっと声出しなよ。人数少ないこの部じゃ、サボってたら丸分かりなんだからね!」
これは単なる嫌味だ。部活は熱心にやるべきだという気持ちもないわけではないんだろうけど。
何より彼女、葛城くんのグループの子だし。
「ごめんごめん。声出しってさー、部の団結力上げるとか競技中に大きな声が出るようにするとかいっぱい効果はあるんだろうけど、ウチの部に関しては無駄なんじゃないっかなって思ってねー」
「無駄って何よ。分かってないよねー、小鳥遊さんは。そんなんだから坂柳にいいようにしてやられたんでしょ」
「あははっ。そういうことでいいんじゃなーい? でもまぁ、一つだけ言えることはあるよね」
「なによ」
「周りから見たらあたしたち、どっちもサボってるようにしか見えないだろうなーって」
部長は眼を光らせるとランニングを止めさせ、こちらに向かってきた。
「あなたたち、やる気あるの? ……罰として今日から三日間は22時近くまでみっちりやってもらうから」
「ちょっ、小鳥遊はともかくなんであたしまで!」
「文句があるなら聞くけど、罰は変わらないからね。それでも不服なら辞めなさい、別に
わーい居残りー。最悪だー。
「ほんっと最悪!」
時間は21時40分。この棟にはもうあたしと沢田さんに、部長の3人しかいない。
部長はスポーツ飲料を買いに自販機に向かった。自販機は棟の入り口にあるため、棟の中心部にある更衣室からは少しだけ距離がある。鬼の居ぬ間にというわけだろうか、彼女は鬱憤を晴らさずにはいられないらしい。
「アンタのせいだからね! 私何も悪くないのに……!」
ボブカットの髪をくしゃくしゃに振り乱してあたしを睨む。暫くすると怒りの対象が移ったのか、愚痴をこぼしだした。
「あの女もあの女よ……部長だからっていい気になってさ」
女子テニス部部長。4月当初に就任してからというもの、ある
「きっとテニスがなによりも好きなんだよー。じゃなかったらここまであたしたちに付き合わないって」
もう22時も近い。あたしと沢田さんがばっくれる可能性があるとはいえ、わざわざこんな夜遅くまで練習を見ていたというのは並々ならぬ情熱があるということだろう。
「は、どうだか。知ってる? あの女が部費を着服してるって噂。……知るはずもないか、あなたは葛城くんとは違ってそういったことに疎そうだもんね」
部費の着服は重罪だ。内容が悪質なら退学すら有り得る。
「部長になった途端、自分以外のクラスの3年を全員部から追い出しての独裁状態。ヤバい奴だとは思ってたけど、3年だろうとDクラスってのは野蛮な連中ね」
これは事実。彼女が部長になってから唯一といっていいトラブル。
体験入部の際に顔合わせもあった3年生の大半が、正式入部をした日にはいなくなっていた。
何かを勘ぐるなというのが無理な話か。
「証拠もないのにそこまで言わなくてもいいんじゃないかなー」
「なくてもわかるでしょ。球や清掃用具がボロボロになっても買い換えようとはしない。更衣室の空調が故障しても、修理する気配すらない。一体部費はどこに消えたのかしら?」
そうこう言ってるうちに、廊下から足音が聞こえてきた。部長が戻ってきたようだ。
彼女も流石に本人がいる前でそういう話をするつもりはないらしく、視線をあたしから外して黙った。
「今日遅くまでよく頑張ったね。はい、これ飲みなさい」
そういうとあたしたちに一本ずつスポーツドリンクを差し出してきた。
沢田さんはバツが悪そうにそれを受け取り、礼を言う。
「ぁ、りがとうございます」
「わーい! 部長大好きー!」
あたしが抱き着くと困った顔をして受け止めた。
「こうしてる分には可愛いんだけどねー……。まだ二日ある。 終わった気分に浸らないでよ」
「うへぇー。鬼ぃー」
「ほんと現金ね貴女は……」
暫く黙っていた沢田さんを見かねて、部長は言った。
「大丈夫よ。毒なんてはいってないから。ケチな私だって、財布さえ潤ってれば後輩を労りもするっての」
「それって月頭しか後輩は労わらないってことじゃないですか。部費もあるんだから、普段からケチらなければいいのに……」
その言葉にあっはっは、と返すと部長は手をひらひらさせて寮へと消えていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
明くる日の昼休み。
コバンザメのように有栖ちゃんにくっついている男衆も、ここにはいない。
流石にこの男子禁制の雰囲気漂うカフェに来るのは憚られたということか。
まさに天国。やったね。
そういうわけで、今日は真澄ちゃんと有栖ちゃんの3人で昼の一時を楽しんでいる。
「煌さんとこうしてお茶をするのも二度目ですね」
「うんうん! 前はお茶って気分じゃなかったし、今回は昼休みだしで散々。次は放課後気兼ねなく話したいもんだねー」
「ふふっ。そうなるともっと人が欲しいですね。真澄さんは当然として、西さんと交流を深めるのも楽しそうです」
「にっしーも喜ぶよー。あの子ったら女子力が欲しいーって日頃から呟いてるのに、人見知りなもんだから中々そういう場所に顔出したいって自分から言えない子なんだ」
「……ねぇ。私帰っていい?」
なんとも気味の悪いものを見た、という表情で真澄ちゃんが早くもギブアップ宣言。
まだ飲み物に口すらつけていないというのに。
「駄目駄目ー、真澄ちゃんももっとはしゃごうよっ。せっかくの女子会、しかもここには天下の有栖ちゃんがいると来た。これはもう楽しむっきゃない!」
すごい勢いで舌打ちされた。
そんなに嫌か、まぁそれもそうか。
「そっかー。自分の弱み握ってる子と一緒にお茶しても楽しくないよねー」
「ちょっと。まさかコイツに話してないでしょうね」
「それはありませんのでご安心ください」
我関せずといった有栖ちゃんに不満そうな表情をしながらも、強くは出れない様子。
すごく……イイ。
「あーあ。あたしも真澄ちゃんみたいな子欲しいなぁ」
「……喧嘩売ってんの?」
眉間に皺を寄せてこっちを睥睨する真澄ちゃんに小さく笑いを返す。
にっしーとは別の方向性で弄り甲斐のある子だ。なるほど、こういうのもあるのか。
「こわーい。助けて有栖ちゃーん! 真澄ちゃんがいじめるのー」
わざとらしく抱き着くとそっと頭を撫でてきた。
無視されたがこれはこれで幸せ。
「真澄さんはあげられませんが……その代わりくらいはもう目星がついているのでは?」
「やははー、実はそうなんだ! いじめ甲斐がある気の強ーいのが一人、ね」
葛城くんが腐らせるには実にもったいない。
そして――駒に感情はいらない。
「アンタみたいな面倒くさいのに目をつけられた奴に心底同情するよ私は」
あたしのニヤケ顔を見て少し怯むと、真澄ちゃんは呆れた表情でそう言った。
気付けば、真澄ちゃんのコーヒーは一口も手を付けられることなく冷めてしまっていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
葛城くんが上手いこと運んだのか、Aクラスにはもはやクラスポイントを差し引かれるような行動を起こす人は一人もいなくなっていた。
ふと前の方を見れば、沢田さんが葛城くんに窘められている様子が見えた。大方、昨晩の部屋への戻りが遅かったことを派閥内の女子に密告され、そこからテニス部での出来事が明るみになったってところか。話の流れであたしのことにも言及したのか、こっちを二人で一瞥したので、小さく手を振っておく。
苦虫を噛み潰したような顔をされたが、これからのことを思うとあたしは頬が綻ぶのを止められなかった。
待っててね。今にあたしを見たら笑顔しか浮かべられないようにしてあげる。
そして放課後。部活はつつがなく終了。
21時を過ぎると昨日と同様にテニスコート棟には3人しかいなくなった。
「ふーっ、お疲れさん。あなたたち、清掃終わったらもう着替えていいよ」
「まだ22時解散には早いんじゃないですか?」
呆れたように沢田さんが言うと、部長は笑う。
「いーのいーの、そんなの私の匙加減だし。今日は二人ともよく集中してたわ。ご褒美にまたドリンク奢るよ! 待ってて」
遠慮の言葉を伝える前にたたたっ、と走られたため、引きとめようとしたあたしたちの手は空を切り、偶然触れ合った。
「あ……」
「あ。あの、さ……昨日は悪かったわよ」
「おおっとー? どういう風の吹き回しっ?」
「うっさいわね。葛城くんに言われたの。『たしかにお前が小鳥遊を窘めようとしたことは間違っていない。しかし、無用に煽るようなことはするな』ってね。それで思ったのよ。アンタはたしかに敵だけど、自分の派閥がなくなって気が気でないような人に言うような台詞じゃなかったなって。だから……もういいでしょっ」
いいんだよ謝らなくて。こっちはこれから、もっと酷いことをするんだからさぁ。
気分が白けるじゃない。
「いえいえ。こっちも上の空で部活に身が入って無かったしね。気にしないでよー」
「あっそ、じゃこの話は終わり。……にしても22時まで居残りってのも怖いわよね。ここってテニスコートに一つしか監視カメラがないから、変質者が潜んでてもおかしくないもの」
「そうだねー。元々人の出入りが少ないし、学校も付ける意義が薄いと思ったんだろうねー。校則が22時までになっているとはいえ、こんな遅くまで残ること想定してなかったんだろうなって」
そうこうしてると少し急いで買ってきたのか、辛そうにしている部長が戻ってきた。
「……はい。二人とも、いい雰囲気じゃない。少しは打ち解けた?」
「だ、誰がこんな奴と……そりゃまぁ、少しはマシになりましたけど……」
「やたっ。嬉しいなぁ、沢田さんからそんなこと言われるなんて。……そうだっ。仲直りの記念に、明日の居残りではゲームでもしようよー」
「ゲーム?」
「うんっ。まぁテニスの試合をするだけなんだけど……。勝った方の人の派閥に負けた方が入るように命令できるっていうのはどう?」
沢田さんは少し考えている様子だ。恐らく、葛城くんに相談すべきか迷っているんだろう。
ま、仮に今しようとしてもさせないんだけどね。
何が何でも、決断はこの場ですぐにしてもらう。
「アンタが今後、葛城くんの派閥に入ったとして……アンタの元派閥メンバーも付いてくるって認識でいいわけ?」
「もちろんだよー!」
「じゃあ、乗った。ここでアンタらは確実に潰しておかないと、面倒だしね」
話がまとまりそうになってきたところで、部長が口を挟んできた。
「あのさっ。もう遅いし、今日はこれで――」
「部長っ」
あたしは部長に笑顔を向けた。
「今日はありがとうございましたっ。お疲れ様ですっ!」
「……」
「お疲れ様ですっ!」
「……わかった。もう何も言わないよ。じゃあね」
そう言うと部長は駆け足で逃げるように寮へと去って行った。
「さて、と。そーだ。口約束だけじゃ不安だよねー。簡単にだけど、書面を作ろうかー」
書面の内容を簡単にまとめると、以下の通りだ。
=============================================
・試合中は主審を部長が行い、両者を含めた3名を除く第三者の介入は公平性を期すため原則認めない。
・試合の結果、勝者は敗者に対して以下の命令を行使することができる。
〇沢田恭美が勝利した場合:小鳥遊煌に対して、以降の葛城康平への妨害行為の一切を禁じ、協力関係の構築を強制させる。
〇小鳥遊煌が勝利した場合:沢田恭美に対して、以降の小鳥遊煌への妨害行為の一切を禁じ、協力関係の構築を強制させる。
※ここでいう妨害行為とは、直接的・間接的なものを問わずすべてを対象とし、契約履行の後違反が発覚した場合は即座に退学を勧告できる。このことは契約書へのサインを持って両者が同意しているものとする。
=============================================
「この書面はコピーの二部を私たちで一部ずつ共有。明日部長に原本の一部を渡して、立会人になってもらおー。もし勝敗について虚偽の申告をしても、部長の証言とカメラの映像が証拠になるよ」
「たしかに確認したわ」
「葛城くんに相談するのは自由だけど、彼はまずこんな試合にいい顔はしないだろーね。まっそこは沢田さんの裁量に任せるよー」
その後書面にサインを書いたあたしたちはコピーの二部を刷り、それぞれで保管した。原本に関しては明日部長に渡すということで、一時的にあたしが預かることになった。
そして試合の時は、訪れた。
「じゃあ二人とも。確認するよ? 試合は3セットマッチ。勝者は敗者に対して、自身の派閥への引き抜きを強制的に行える。オッケー?」
無言で、あたしたちは進めろと目線で訴えた。
「両者向かい合って。始めるわよ」
「フィッチ?」
「スムース」
沢田さんがラケットを回転させる。
やがてラケットが地面に倒れて止まり、沢田さんがエンドマークを見せてきた。
結果は……スムース。
「じゃ、あたしはこっちのコートをもらうよ」
「なら、サーブをさせてもらう」
「3セットマッチ、沢田トゥーサーブ・プレイ!」
ボールが高く投げ上げられ――次の瞬間。
ボールは風となって吹き抜けた。
「
「アンタが強いのは十分知ってる。でも、私は勝つから」
あたしはあえてその言葉には微笑で返し、次のサーブを促した。
先程と同様に打ち込まれるボール。眼でも捕えている。だが、
気付けば、状況は大きく変化していた。
「ゲーム沢田。ファーストゲーム」
「……なんのつもり」
思いっきり睨みつけるその視線には、侮蔑の色が濃く込められていた。
「んー?」
「アンタから仕掛けてきたゲームでしょ……真面目にやりなさいよ! なんなのコレは!」
「……ハンデ? っていえば満足なのかなっ」
「……ふっざけんな!」
「まーそうかっかしないでよー。今度はあたしがサーバーだね。いくよー……っと!」
手首の調節は重要だ。
スナップを聞かせてトスをする。
刹那。
思いっきり力を込めて打球する。すると、ボールはコートとは見当違いな方へと飛んでいった。
「あーらら。やっちゃったぁ」
「これもハンデってわけ?」
「違うよー。ほら、後ろを見て」
「は……――?」
そこには――
――無残に破壊された監視カメラの成れの果てがあった。
「茶番はここまで。じゃ、そろそろ本番と行きますか!」
このつまらない試合も、すぐに終わらせてやる。
次話で小鳥遊ちゃんのクズい部分をより明るみに出していく予定です。
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私刑
人に危害を加えるなら、復讐を恐れる必要がないように徹底的にやらなければならない。
――マキャベリ『君主論』
ロクに新品に買い替えられることのなかった硬式のボールは表面が少し毛羽っていて、肌で触れる感触はゴワゴワだった。反発力も少し落ちている。
そんなボールも、使い方一つで凶器へと変わる。
あたしはボールの感触を楽しむように暫く掌の中で転がしていたが、飽きが来るとやがて目の前の
「ほら起きなよー、沢田さん。アドバンテージだよー。あと1ポイントで勝てるんだよっ?」
デュースは40-40となった状態。ここから2ポイント差が生じるまで、そのゲームは続く。1ポイントリードした側はアドバンテージ。次に点さえ取れればゲームを取れる。
しかし、逆にポイントが取られれば、再びデュースに戻ってしまう。
ゲームカウント1-0の3セットマッチ。アドバンテージ側の沢田さんは、あと1ポイント取れば勝ちだ。
「……ぅっ」
「起きないならもうサーブしちゃうよー? いいのー?」
「……っして……ゆるして……も、もうわたしのまけでいいから……っいいですから!」
震える足を懸命に動かして、尻餅を着いた格好のまま壁際まで逃げている。
すでにその手にラケットはない。生意気にも戦うことを放棄するばかりか防御のために用いたものだから、手首を攻撃して弾いてやった。
それでも一見外傷は見当たらない。当然だ。そういう風に打っている。
「あ、いいんだ。なら遠慮なくいくね」
無駄な命乞いを鼻で笑うと、あたしはその無防備な腹部へと機械的に
「っぁ……」
「……デュース!」
都合
よくここまでもったものだ。でももう限界と見える。口を押えて青くなってるところを見るに、お腹へのダメージが蓄積して嘔吐感に苦しめられているんだろう。
でも許してあーげない。まだ満足してないから。
「せーの! えいっ。……あーあ、またやっちゃったよー」
「ダ、ダブルフォルト……アドバンテージ、レシーバー」
もはや反応はない。……ここが限界ってところかな。
「正直がっかりだなぁ。ここまでお膳立てするのだって、簡単じゃなかったんだよ?」
吉田くんを使ってあらかじめ監視カメラを破損させた場合の罰則を確認しておいたり、わざわざ
「……ふふっ」
しみじみ感慨に浸っていると、沢田さんは唐突に笑った。
「おっ? やる気でた? 嬉しいなぁ」
「い、いま何時だと、思ってんのよ。……こ、のイカレ女っ。あはは、22時だっての! 終わり! 終わりよ、部活はもう! 解散解散!」
「何言ってるの?」
は、と呆けた表情で声を漏らすと、彼女はぐりんっと眼球だけを動かして部長を見て言った。
「おい、部ちょ……
「……」
何も答えない。いや、何も答えられないが正しいか。
それとも答えないのは彼女なりの優しさか。
「ちょっと――」
「見えてないねー、沢田さんは。監視カメラは壊れてるんだよ? 時間超過しようと、もう咎める目なんてないってー。あるとしたら部長くらいだけど――」
そもそも敵があたしだけだと思ってる時点で間違ってる。
「――女子テニス部自体、既にあたしの私兵の集まりみたいなものだからねー」
全ては入学間もないときから、すでに始まっていたのだ。
入学式の日。下見の段階で、この閉鎖的なテニス部の環境は使えると目をつけていた。
しかし体験入部をしてみれば、そこにあったのは典型的な精神論を振りかざす3年生たちの馴れ合いの場。ここにいる部長はDクラスという立場から他の3年生に小間使いのように扱われていた、いわば日陰の存在だった。
だから、
今の沢田さんの有様が可愛く思えるような所業を一人一人、一日ずつ、丁寧に実行。
累が自分に及ぶ前に自主的に退部しようとした子も、例外なく一度は痛めつけ、周囲に見せつける。
気がつけば3年生は彼女以外消えていった。
あとは消化試合。彼女があたしの
たまに勘違いした2年生が数人あたしに
こうしてあたしと部長に逆らえる者はいなくなった。
そして部長もあたしに逆らえなくなった。あたしは表面的には優等生で通している。証拠がなければあたしの所業を話したところで誰も信じないし、逆に自分の立場が怪しくなる。
――なにより今の地位を捨てて、小間使いに戻りたくはないだろう。
1年に関しては直接的な支配はまだしていない。
B~Dクラスにあたしの情報が流れるのを極力避けたかったからだ。あたしはAクラスの内戦で散った、しがない敗軍の将。
「……ごめんなさい、ごめんなさい――」
部長は沢田さんから目を逸らすと、ただひたすらに小さい声で謝り続けた。
「あ……あ……」
「だからあんな契約書、始めから意味なかったんだよー、ごめんねっ。でもこうでもしないと合法的に
部長が契約書の原本を破り捨てた。
「あ」
彼女の心が折れる音が聞こえた気がした。
今まで何度も聞いたことがある甘美な音。小枝を手折ったようなものから、太い枝を無理やりへし折ったようなものまで、その感触は千差万別だが、経験上共通したものがある。
――あと一押しでコレはいい駒に仕上がる。
人は努力をするとき、なにかしらのゴールがあったり、成果が得られるだろうことを前提にしているとあたしは思う。
だからこそ人はそれらの大前提を失ったとき、今の自分を顧みてこの上なく絶望するんだ。
ああいう風に。
「いやぁあああああああッ!」
ボロボロの足に鞭打って、獲物は逃げる。でもダーメ。ハンターは食らいついたら離さないんだから。
「ほいっ」
淡々と打った球は、まっすぐ彼女の脇腹に直撃した。
「デュース!」
「止めてもう嫌だ助けて何でもしますからお願いだから……」
「いーよ、許してあげても」
「ああ……ありがとうございます! ありがとうございま――」
まるで女神を見つけたかのような輝いた瞳で感謝をしてくる。
でも、まだ終わってないんだよ。
「アレの相手が済んだらね」
「え……」
あたしが指示した場所にいたのは、女子テニス部2年の部員全員だった。
「……」
何も言葉は発しない。駒は喋らないから仕方がない。感情は既に殺してある。
それでも人の形をして人と同じ動きができるなら問題ない。こいつらはprの
カチカチと歯を鳴らす彼女の頭をそっと撫でてから、あたしは駒を動かす。
「顔は駄目だよー、傷が残らないよう適度にね」
『はい』
「やれ」
くぐもった悲鳴と断続的な殴打音を背後に、部屋の入り口で待機していたにっしーから
「やははー、にっしーは仕事が速くて好きだわー」
「あ、あたしもきらりんのこと好き、だよ……。ね、きらりん? 今度の週末、あのカフェに付き合ってくれる約束、本当なんだよね、ね?」
「もっちろん。だってあたしたち友達じゃない。そのくらい当然だよっ」
「ほわぁ、私もうきらりんのためならなんだってできるよ……! と、友達だし……!」
うんうん、と生返事を適当に返して契約書を破っていく。
便利な
目下駒にしたいのは葛城くんだけど……順番ってものがあるからね。
周りからじわじわ崩していくのも、それはそれで楽しみがあるということだ。
「小鳥遊さん……あの……言うことは聞いたわ。だから……お願い。prを一部返して下さい……」
「いーよ。はいっ」
様子を伺いながら部長が頼み込んできたので、5万prを彼女に渡した。
きっとこのポイントでボロボロになった球などの部室の道具を買い替えるんだろう。彼女に残ったものはもうテニスしかない。だから彼女はこの居場所を必死で守る。たとえそこがどんな空間に変容していようと。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
柳暗花明。
そんな心地の良い日に、Aクラスでは動揺が走る。
事の発端は葛城くんと沢田さんの口論からだった。
「……どういうことだ沢田」
「何度も言わせないで。アンタの横柄な態度にはほとほと嫌気が差してたのよ。わかったら、もう私のことは構わないで」
「葛城さんがそんな曖昧な理由で納得するわけないだろ! 何かあったならきちんと話せ!」
戸塚君の言葉の一切を無視して彼女は向かう。
「貴女からも何か言ってよ、坂柳さん。彼ら、しつこくて敵わないわ」
その有栖ちゃんは今、あたしに抱き着かれるので忙しいので却下。
と心の中で思っていると、鬼頭くんが襟首をむんず、と掴み無言で引き剥がしてきた。
まだ有栖ちゃん分が補給できていないというのにー……。
「ありがとうございます、鬼頭くん。……さて沢田さん。詳しい事情を聴かないことには、いかに友達と言えど私も協力いたしかねます。差支えなければお話しいただけますか?」
沢田さんはふん、と鼻を鳴らして葛城くんを睨んだ後、ぽつぽつと話し出した。
やれ葛城に夜遅くの外出を見咎められた、やれその際に口論となりカッとなった葛城が手をあげて殴った。
そして極めつけに肩の打撲痕を見せてくるものだから、Aクラスの一部はシンと静まり返っている。
「……確かに昨晩、俺は夜遅くに外出している」
『な、……――』
「……だが。誓っても沢田が証言しているようなことはしていない。無論証拠はないが……」
向けられる疑惑の目。面白そうに笑う有栖ちゃん。無表情のあたし。
「そもそも話があると呼び出したのが当の沢田だ。テニス部の活動が終わったら話がある、と深刻そうな面持ちでな」
そう言うと、視線だけをあたしに向け、数秒無言を貫いた。
「そして待ち続けたが22時30分を過ぎても沢田は現れず、仕方なくその日はそのまま寮に帰った。これが真実だ。疑うのは勝手だが、糾弾するのなら傷跡の他にも俺が行ったと言える証拠を提出してもらおう」
異論が噴出することはなかった。
しかし葛城派以外の人間でこの言葉で納得しているものはいない。しかし証拠がないのも事実。
そうして沢田さんの糾弾はいつしか話題から消えていくことになる。
しかし、これでいい。
燻る火種も大きくすることで、いずれ大きい木材を燃焼させる。
小さな不満の積み重ね。いつか爆発した時が楽しみだね、葛城くん。
一話あたりの文字数ってこれくらいでいいんでしょうか。
正直どれくらいがベストか測りかねてたり。
――2/17追記――
ルーキーでランキング入りしてました。
読者の方々には感謝しかないです。感想・評価・お気に入りしてくださった方は勿論ですが、読んで下さっただけでも私には嬉しいです。ありがとうございます。
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暴君
何が言いたいかっていうと7巻最高ってことです。
担任の真嶋先生は良くも悪くも生徒に対して平等だ。
自分のクラスの生徒だから優遇するだとか、逆に他クラスの生徒だから冷遇するだとか、いわゆる依怙贔屓はしない。あくまで俯瞰的な視点で本質を見極めようとする人だと言える。
だからこそあたしはこの人が苦手だ。
先日の監視カメラ破損について自主的に申し出るのはいい。しかしそれは必然的に担任に話を通す必要があるわけで、あたしは生徒指導室の中で渋々ながら真嶋先生へ懇切丁寧に経緯を説明していた。
「ふむ。部活で試合をしていたところ球が逸れて、か」
「不運な事故とはいえ、カメラを破損してしまったことは間違いのない事実ですしー……。あたし、どのような処分も覚悟してます……」
悔やんでも悔やみきれないという表情、小さくて申し訳なさそうな声色で顔色を窺う。
「ああいや……、この件に関して小鳥遊に特別重い処分を下すということはない。純粋なカメラの修理費用を君のprから差し引かせてもらうだけだ」
鉄面皮とまでは言わない。
これは無関心というのが正しいのだろうか。あたしが腹に一物抱えてようと大して興味がないということか。
そう。あたしはこの、いつもどこか一線を引いて生徒と接する真嶋先生のやり方が苦手だった。
「ここからは私の独り言だが」
あたしの方を一瞥もせず、淡々と書類をめくって言葉を続けた。
「……」
「つい先日、君と同じように監視カメラの破損を起こした生徒がいた。私たちのクラスの者だ。交友関係の広い君のことだから、おおよそ把握はしているんだろうが、あえて名前は言わない」
「こんな短期間に二人も監視カメラの破損を起こすなんて、すごい偶然ですねー」
「一教師として、その生徒や君の破損行為が仮にもし
書類から少し目線を上げて、ようやくこちらを一瞥する。
「深読みをされるのは勝手ですけどー、何が言いたいんですか」
「君が中学生だった頃の話に関連する、といえば合点がいくのではないかね?」
――ああ、納得した。さすがは高度育成高等学校、名門と謳われるだけはある。ようやく嗅ぎつけたんだね。
「いえさっぱり……でも――あの学校での生活はとても楽しかったですよ」
「私が君に言いたいのはこれだけだ。……過ぎた行為は往々にして身の破滅を招く。超えてはならない一線があることを理解しなさい」
「御忠告、痛み入りますー」
「さて……、prの回収は完了した。もう帰ってよろしい。以後、注意するように」
「はーい。失礼いたします」
退室後は暫く背筋を張ったような面持ちで歩く。
やがて外に出て、ほう、と小さく息を吐いた。
軽く伸びをして体をほぐしていると、同じように憂鬱な気分を払拭しようとしていたであろう人影が視界に入ってきた。
向こうもこちらに気が付いたのか、顰め面を隠そうともしないで近づいてくる。
右手でガシガシと後頭部を掻く仕草はバツの悪さの表れか。
珍しく一人で黄昏ていたその生徒は、戸塚くんだった。
話しかける様子は嫌々といったところか。雑談は毛頭するつもりもないのか、早速彼は用件を切り出してきた。
「小鳥遊……丁度いい、お前に聞きたいことがある。付いてきてくれ」
そう言って半ば強引に屋上へ連れ出された。
屋上と言えば、ある程度高さのある建物である以上、どの学校にも当然あるものだし珍しくもない。しかし年中開放されているというのは昨今の教育現場では珍しいと言えるだろう。
それを可能にしているのはちゃんとした監視カメラという監視体制や、落下防止用の強固な柵があるためだ。とはいえ、監視カメラは屋上を出入りする扉の上にしかない。荒事を起こすにはうってつけだろう。ここもあたしが目を付けていたスポットの一つだった。
だが、この戸塚くんは
「わざわざ悪いな。どうしても確認したいことがあったんだ」
「いいよいいよー。気兼ねなく聞いちゃってー」
助かる。そうぶっきらぼうに吐き捨てると、戸塚くんは少しづつ話し始めた。
「昨日のことだ。今まで葛城さんを支えてきたはずの的場が、急に態度を変えてきたんだよ。……この前の沢田みたいに」
葛城くんの右腕の戸塚くんには及ばないながらも、彼は入学当初から葛城くんをよく慕っていたメンバーの一人だ。
「あいつは……沢田の謂れのない被害妄想程度で葛城さんを見限るような、そんな奴じゃない。きっと……何か理由があると感じた。もちろん沢田だってそうだ。あの日まで、俺も葛城さんもあいつを信頼してた」
「……」
権力者を立てる。権力者の言わんとしていることを推し量り実行する。
そういった処世術に長けてはいても、その他の能力はBクラス以下の連中に近い程度だろう、そう感じていた。
――しかしこの男、勘だけはいいみたいだ。
「……なぁ小鳥遊、お前何か知ってるんじゃないか?」
「さぁ? あたしは今や有栖ちゃんの言いなりみたいなものだからねー、仮に知っててもそんな権限はないなー。それは戸塚くんだって分かってて聞いてるんでしょ?」
戸塚くんは苛立たしげに柵に寄りかかると、溜息をついた。
「違う。坂柳は関係ない。俺が言いたいのは、この件で裏で手を引いてたのは坂柳じゃなくて
なるほど。
あたしは話を聞きながらそっとポケットの中を漁った。
手頃な
「買いかぶり過ぎだよー。そんな大役あたしには務まらないって」
「そう、だよな……悪い、俺どうかしてたみたいだ。忘れてくれ……。色々あって疲れてたんだろう。辛いのは葛城さんの方だってのに、俺がこれじゃだめだ……っ!」
戸塚くんは寄りかかっていた柵に手をつき、自分自身を奮い立たせるようにブツブツと呟きだした。
――いい線行ってたけど。あたしに背を向けるのは失敗だったね、戸塚くん。
手始めに監視カメラを破壊しようとポケットに手を突っ込んだとき、ソレは唐突に表れた。
「――よぉ。暇つぶしがてら屋上散策に来てみれば、楽しそうな話してるじゃねーか。俺も混ぜてくれよ」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その男は一言で言えば、暴君。聞こえてくる噂だっていいものはないに等しい。
それでもクラスの頂点に君臨たらしめているのは、純粋な力だけでは語れない彼なりの求心力と実績あってこそか。
屋上出入り口の扉に寄りかかってこちらを笑う、
「龍園っ……!」
戸塚くんは警戒したように身構えるが、龍園くんはそれを歯牙にかけることなく脱力した姿勢でこちらを窺っていた。
「散歩っつーのもあながち馬鹿にしたもんじゃねぇなぁ。Aクラスの中でも顔が売れてる奴らの
「誰がこんな女と!」
「えー、ひどーい戸塚くーん。あたし今すっごく傷ついちゃったよー」
少し茶化してみたらすごい形相で睨まれた。ごめんって。
「とにかく変な勘違いは止めろ。こいつと親密になったところで、俺には得なんて全くないんだからな」
「勘違いかどうか。それを判断するのはお前らじゃない。重要なのはこの写真を見てお前らのクラスの連中がどう思うかってことだ」
くつくつと笑いながら龍園くんは撮影した写真を見せつけてくる。
あたしが陰になって戸塚くんの表情が見えない絶妙な角度で撮影されており、見ようによってはそういう場面に見えなくもない。
……ま、あたしにはどうでもいいかー。
「ふんふん。確かにこれは勘違いする人が出るかもねー」
「お、おいっ。小鳥遊!」
「この写真が出回って困るのなんて、戸塚くんだけだし。あたしは坂柳さんのグループに入ったばかりでそもそも信用低いからねー、大して扱いは変わらないよー」
逆に戸塚くんは是が非でも写真を処分したいはずだ。
葛城くんのグループはここ数日で二人メンバーが抜けている。そんな不安定になっているこの時期に、グループ内でも発言力のある戸塚くんが敵対してるあたしと意味深に密会してる証拠が撒かれれば、さらに混乱が生じるだろう。
だからあたしとしては龍園くんに、是非写真の流布を実行してもらいたかったのだが。
視線を向ければ龍園くんは何かを考えるようにしていた。そしてふとあたしに目を向けるとニヤッと笑いかけてくる。
「おい女」
「ブブーっ。あたしにはちゃんと小鳥遊って名前があるんですぅー。訂正を要求するよ!」
「うるせえよ。てめぇが坂柳に下ったってのはどういうことだ」
「どういうもなにも、言葉通りの意味だよ」
「チッ。つまんねー女だ。――おい、戸塚」
何のことやら付いていけてなかった様子の戸塚くんは、呼びかけられたことでようやく写真のことに思い至ったのか、焦り気味に龍園くんに噛みついた。
「なんだよ龍園っ。俺を脅そうってのか? 言っとくが無駄だぞ。葛城さんはもちろん、他の皆だってそんな写真が出てきたところで俺を疑ってしまうような奴らじゃない。俺は写真程度で交渉に応じるつもりは一切――」
「まどろっこしいな。……写真は消去してやる。だから今すぐここから失せろ。30秒以内だ……それを過ぎたらこの写真は俺の部下を通じて、すぐにでも拡散されるものと思え」
暫く戸塚くんは逡巡していたが、龍園くんがカウントを始めると一目散に出入り口の扉へ向かった。そこで龍園くんが画像を消去したのを確認して、脇目も振らずに彼はこの場を立ち去って行った。
「さて、小鳥遊とか言ったか。お前にはもう少しだけ聞きたいことがある」
「あたしは用事がありませんので、失礼しますー」
彼の横を通って屋上から立ち去ろうとすると、道を塞ぐ形で手を伸ばしてきて、そのままあたしを壁へと押しつけた。
顔の横に彼の右手がある。
世間で言う『壁ドン』というやつなのだろうが、当然ながら乙女心を擽るドキドキ感というものは全くない。
「まぁ待てよ。女は部屋でゆっくり
コキリ、と左手の指の骨を小気味よく鳴らし威圧してくる。
小さく溜息だけを返すと、龍園くんは満足そうに口の端を吊り上げ、問いかけてきた。
「お前が気付いてたかは知らねぇが……先月にテメェと橋本が試合していた時、実は俺は観戦席にいた」
「……」
「あの時確信したぜ。小鳥遊、テメェはおいそれと
「有栖ちゃんはいい子だよー。あたしはAクラスでの地位より、彼女を守り通したいと思ったの。残念ながら、貴方の見込み違いじゃないかなぁ?」
いつぞやの橋本くんのように気持ちの悪いものを見る目を向けてくる。それでも小さく鼻を鳴らすと、彼は更に話を続けた。
「そして今の戸塚とのやり取りだ。残念な戸塚は気のせいで流してくれたんだろうが、俺はそこまで甘くねえぞ」
右手をあたしの顎に添えて視線が逸らせないようにされる。
挑戦的な眼であたしの瞳を覗き込むと、愉快そうに笑った。
「せいぜい無能なフリして待ってるんだな小鳥遊。いつかお前と坂柳、両方をぶっ潰す機会を設けてやるからよ」
「以外に
「なんとでも言っておけ。俺は順番ってのは守らねーと気が済まねぇんだ。メインディッシュは美味しく頂いてこそだろ」
ひとしきり話して満足した様子の彼は最後に高笑いを残し、振り返ることなく屋上を後にした。去り際にあたしのポケットに視線を滑らせたことからも、彼はあたしが戸塚くんとのやり取りの間何をしようとしていたか、ある程度予想がついたらしい。
Cクラスには完全に目を付けられる形になったが、あたしは形容しがたい
笑いが漏れる。今のあたしを誰かが見たら、気でも触れたのではないかと見間違うことだろう。
あたし好みの人間がいるなんてそうそういるはずもない。
そう思っていたが――。
中々どうして、彼はとてもいい。考え方が実にあたし好みだ。
好きで好きで好きで――だからどうしようもなく■したくなる。
当初のプロットでは的場くんもねっちりと描写入れる予定だったんですが、沢田さんを実際に書いてみると冗長が過ぎるなってことでばっさりカットしました。
沢田さんとは違い、大筋に影響はないのでご安心ください。
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打算
ケヤキモールは学生たちが娯楽やショッピングといった目的でよく利用する複合施設。週末や放課後ともなれば、そこは日常の疲れを友人と共に発散させようと気分が高まった学生たちでごった返している。
しかし、5月も終わりに差し迫ろうという頃、週末に有栖ちゃんを中心に女子グループで足を運んでみれば、そこには心なしかいつもより学生の姿が閑散となったケヤキモールの姿があった。
「きらりんきらりん、なんか最近ここ静かな気がしない? わ、私はむしろ今の方が過ごしやすくてた、助かるけどぉ……」
「んもう、にっしーは人付き合い苦手なところ直した方がいいよー?」
えへへ……、と誤魔化し笑いをするにっしーをジト目で見ていると、有栖ちゃんが小悪魔のように微笑む。
「西さんには残念なことでしょうが……こんな状況なのも今の内だけでしょうね」
5月頭にクラスポイントの増減についての説明があった。
クラスポイントに100を掛けた額のprが月頭に支給されるということで、皆真剣に聞き入っていたように思う。
Aクラスであっても例外はなく、一年生のA~Dクラスは4月頭の1000ポイントからその値を減らしている。中でも顕著な例はDクラス。
噂ではわずか1ヶ月の間に授業中の居眠りや私語といった行動を何度も繰り返すことで、全てのポイントを吐き出してしまったらしい。
Dクラスの知り合いがそんなにいない現状、彼らの実情を窺い知るのは少し難しいが、そんな惨状ならおおよそprも吐き出してる生徒がほとんどなのだろう。
Dクラスほどではないとはいえ、B・Cクラスもそれなりにクラスポイントを下げている。
4月に散財した生徒からしたら、今の時期はとてもじゃないけど恐ろしくてprを無駄遣いしたくないってところかなー。
周りを見渡せば2年生・3年生と思われる生徒が大半を占めていて、たまに見える1年生はAクラスのクラスメイトがほとんどだった。
だが、6月に入ればDクラスはともかく、その他のクラスは状況が変わって娯楽に回せる余裕も出てくるだろう。
たしかに今だけの光景と言える。
「それなんとかならない? 目立って仕方ないんだけど」
「えー、今更突っ込むのますみーん? いいじゃんいいじゃん見せつければー」
「その呼び方は鳥肌が立つからやめて」
杖を持っていない腕にあたしが抱き着き、そんなあたしににっしーが抱き着きながら歩いている。そんな塊状態のあたしたちに痺れを切らした真澄ちゃんがとうとう指摘してきたが、あたしは幸せだから問題ないね。
「いけずぅー。ほら、あたしの左腕はまだ空いてるよ? おいでよ真澄ちゃん!」
「断る。というか、正直知り合いと思われたくないから離れて歩いていい?」
「わかってないなー、真澄ちゃんは。見なよ、この状況でも平然としてる有栖ちゃんを! 内心恥ずかしくてもそれをおくびにも出さない、この強さを貴女も持つべきなんだよー! それにものは考えようだよ? ここであえてこの羞恥プレイに参加し増幅させることで、普段真澄ちゃんが弄りに弄られまくっている有栖ちゃんへのささやかな復讐を――」
「……真澄さんはそんな幼稚なことしませんよ。ねえ?」
ほんの。ほんの一瞬だけ面白いかもというような表情を浮かべた真澄ちゃんだったが、駄目押しの、ねっ? という天使の笑顔に頬を引きつらせると、変わらず一歩引いた位置から付いてくることに決めたようだ。
黒い雰囲気にすっかり縮こまったにっしーを微笑ましげに見つめていると、唐突にそれは襲い掛かってきた。
「ひゃんっ!?」
油断しきったあたしの耳に、不意打ちで吐息がふうっと吹きかけられたのだ。
思わず腕を離してしまったあたしは恨めしい物を見る目で、目の前でウインクをして心なしか得意げな顔をしている犯人を見た。
「あ……あーりすちゃーん? 何してくれてるのかなぁ~?」
「ふふっ、意趣返しです。上手くいってくれたようですね」
あたしを引き剥がすためとはいえ、なんてことを。いや有栖ちゃんのレア顔が見れて最高だったが。
悔しいやらほっこりやらで百面相になっているであろうあたしの袖を、くいくい、と控えめに引いてにっしーが何かを訴えようとしていた。
彼女の無言で指差す先には、目的地のカフェが早くは入れよとばかりに鎮座していた。
そのときのにっし―の瞳が、いつもより虹彩を無くしているように見えたのは気のせいではないだろう。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ふぅー。
普段のにっしーを3倍増ししたくらい気の抜けた声に感化されたように、その場にいた彼女以外のあたしたち3人は心地よい余韻に身を任せる。
そんなことの繰り返しをもう数十分間はしていただろうか。
こういう場で女子会を楽しむのは、確かに乙なものだ。だが素直にコーヒーを楽しむだけの場があってもいいじゃないか。
しかしそんな時間もいつまでも続くわけはなく、有栖ちゃんのこほっという小さい咳込みと共に終わりを告げた。
「今日こうしてこの四人で集まったのは、親睦を深める以外にもある意味がありました。小鳥遊さんが早くも橋本くんの出した課題を達成された、そのささやかなお祝いです」
「いやぁ照れるねー」
惜しむらくはこの場が、おおよそ人を祝うような雰囲気を醸し出すメンバーの集まりではないということか。まるで美術品を鑑賞しているかのような静けさが空間を支配している。
ミステリアス小悪魔な有栖ちゃん。口数は少なく、こちらを見る視線だけが少し怖いにっしー。我関せずなスタイルを貫く真澄ちゃん。
「……正直もう少し時間がかかると思っていましたが、煌さんは仕事が早いですね。この分なら、二学期が始まる前には――」
流し目で有栖ちゃんがこちらを見る。彼女の言わんとしていることが十分よく理解できていたあたしは、次に彼女が放とうとしているであろう言葉に重ねた。
『――
彼女の綺麗な瞳と視線が交錯する。
やがてどちらからともなく、吹き出して笑う。ぽかんとしている二人を尻目にひとしきり笑いきったあたしたちは、互いに確かめ合った。
「あの
「もっちろん! あたしはこれでも約束事に義理堅いタイプなんだよー?」
「ええ。そういうことにしておきましょう」
あたしが裏切ったとしても、それはそれでどうにでもなると言うような含みを持たせながら、有栖ちゃんはコーヒーで口を潤わせ始めた。
自らが最終的な勝者になると確信して疑わない姿。彼女にとっては葛城くんだろうとあたしだろうと、遊びの感覚で争いに興じているに過ぎないんだろう。
せいぜい今はその感覚を信じているといい。
偽りの勝利に酔って、気付いた時にはあたしなしではいられなくなっていた――そうなったら今以上に愛でてあげるよ。
そんなことを考えて挑戦的に有栖ちゃんを見れば、あたしの考えはすべてお見通しだと言うように、目が細められていた。
「な、なんかきらりんと坂柳さんが見つめあったまま動かないよ!? 神室さん、この二人何があったのっ!?」
「知らない。知らないから体を揺するのは止めて。飲み物がこぼれたらどうする」
次第に勢いを増して、いよいよがくんがくんとにっしーが真澄ちゃんを揺らし始めたあたりであたしと有栖ちゃんは意識をそちらに移した。
「なにしてんのにっしー」
「え、あ、こ、これはね? 神室さんとも仲良くなりたいなーっていう私なりの友情表現で……!」
しどろもどろになって真澄ちゃんに同意を求めながら、にっしーはあたしに説明をしてきた。同意を求められた真澄ちゃんは、やれやれと言いたげな表情で溜息をついている。
「そ、それにきらりんだって坂柳さんと随分長い間見つめ合ってたじゃない! 何があったの!」
「何と言われましても」
「この通り私と煌さんは仲の良い友人と言うことくらいですが……」
徐にあたしは椅子から立ち上がって有栖ちゃんの頭に顎を乗せ、その華奢な体躯を抱きしめる。抱きしめて体の前でクロスされたあたしの腕を、有栖ちゃんはそっと両手を添えて支えてくれた。
ふふっ。えへへー。
誤解を生まないよう二人で仲睦まじい様子をアピールしたところ、にっしーは無表情になって俯き、何やらブツブツと呟いているようだ。
何を言っているかは少し気になったが、有栖ちゃんとのスキンシップの喜びには勝らなかったため、放置した。
「――さて、楽しい時間は過ぎるのも早いですね。まだ夕方には時間がありますが……、所用で私と真澄さんはここで失礼させていただきます」
気が付けばこのカフェに入ってから、かれこれ二時間経過していた。本日は煌さんのお祝いでもありますから、という有栖ちゃんが奢る旨の申し出があったが、申し訳ないしもう少しカフェに残りたいという思いもあったため、遠慮をしておいた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
二人を見送り、先程の様子が嘘かのように上機嫌になっているにっしーを伴って席に戻れば、そこには新しい客が来ていた。
「あ、れ? ごめんなさい、もしかしてまだ帰るつもりじゃなかったのかな? 私ったら空いたかと思ってつい移動しちゃって……」
あせあせと申し訳なさそうに、席を強奪する形になってしまったことを謝罪するこの少女のことを私は知っている。なにしろ彼女はDクラスの中でも存在感が濃く、その交友関係をこの時期に他クラスまで広げている稀有な人間だから。
Dクラスのアイドル。誰にでも優しくてまるで天使。困った人を見れば手助けせずにはいられないらしくて、皆に頼られてる存在。
彼女について軽く聞き及んでる情報からだけでも、周囲からの信頼の高さが窺える。間違いなくDクラスの中でも力を持っている人間だろう。
見た目や仕草はたしかに前情報通りの人間に見える。だがどこか胡散臭い。
そもそも、このタイミング自体が出来すぎている。
実のところ、彼女が近くの席にいるということは随分と前の段階から気づいていた。そして視界の隅で彼女が席を立ち、こちらに向かおうとしているタイミングで――有栖ちゃんが退席を申し出た。
だから今彼女があれこれ言葉を並べてあたしたちの席に座っていた理由を述べ立ているとしても、その全てが嘘だとわかっているあたしにとっては不信感しか生まれていない。
有栖ちゃんが急に用事があると帰ったのは、要するに彼女と接点を持ちたくなかったのだろう。有栖ちゃんは有栖ちゃんなりの考えで彼女に拒否感を抱いていた――これ以上の判断材料があるだろうか、いやない。
しかし面と向かって、貴女胡散臭いから近づかないでくださる? と言うこともできない。彼女は前述の通り顔が広く、Aクラスの何人かには既に接触をしているとも聞く。下手な波風を立てるのは得策じゃないだろう。
口裏を合わせているのであろう、近くの席からポニーテールが特徴的で活発そうな女子――
その向かい側には彼女のお相手だと有名な、
いずれもDクラス内で頭角を現している面子だ。もしかしてAクラスの情報を探りに動いているのか、と当然の警戒を抱いた。
「――というわけでして……もしよかったら合席させてもらえないかなぁ?」
申し訳なさそうに上目遣いでお願いされる。
彼女の弁によると、クラス内で集まって勉強会をしようと声を掛けたが集まりが悪く、二次会のカフェまで残ったのはわずか3人。しかも内2人がカップルなものだから、ここは空気を読んで二人っきりにしてあげたかったのだという。
まぁ、嘘なんだろうけど。
実際には櫛田さんが二人にお願いして、あたしや有栖ちゃんに近づく口実を用意してもらったってところか。
しかしながらあたしとしてはDクラスにパイプを作っておきたいという思いもある。彼女の人間性が思った通りのモノであるなら、この先Dクラスで遊ぶにも大きな戦力となってくれることだろう。
だから隣でキリキリ歯ぎしり鳴らしてるにっし―には悪いけど、暫し3人でのコーヒータイムとしゃれ込もうじゃないか。
「いいよ。他クラスの近況について、あたしも知りたいと思ってたところなんだー」
「ホントっ? わぁ、ありがとう! 私、Dクラスの櫛田桔梗って言います。よろしくね!」
「あたしたちはAクラスだよー。あたしの名前は小鳥遊煌で、この子は西春香って言うの。まっよろしくー」
まずは表面的に仲良くしよう。折を見て彼女の仮面を剥がし、使えそうなら
信用はしていないが、彼女とはいい協力関係を築けることだろうと、あたしは既に確信していた。
現状の小鳥遊ちゃんの知り合い関係ロクな奴いない問題。
まぁ本人が一番ロクな人間じゃないから仕方ないね。
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弱点
よう実ももうすぐ一年終わりますねぇ。10巻で消えた彼に黙祷。
君のことはきっと3月くらいまでは忘れない。
11巻かは分かりませんが櫛田退学はまあ既定路線でしょう、もったいない人材だけど現状マイナスでしかないもんね。みーちゃんが平田とくっつくかとか気になるー。
櫛田桔梗と言う生徒は、その内面はともかくとしてコミュニケーション能力と言う観点においてはAクラスの人間にも引けを取らないだろう。これはクラスメイトから聞こえてくる噂だけでも判断できる評価だ。もっとも、彼女の本当の顔に薄々でも気付いているような人間は、そうそういないみたいだけど。
人というのは、他人との間に無意識で『壁』というものを形成しているとあたしは思う。心理的なパーソナルスペースってやつだ。
人はそれぞれその壁の厚さは異なり、その厚さ――いわゆる距離感というものを適切に量りながら接し合うことでことで人間関係を円滑に回していく。
櫛田さんはその
そんな彼女の才能は極度の人見知りなにっしーにすら遺憾なく発揮されていた。
「実は二人とももっと早く仲良くなりたかったの。他クラスにも友達作ろうって頑張っていっぱい友達はできたけど、小鳥遊さんや西さんに会う機会が不思議となくって……」
勉強している内容のどこそこが難しいだとか、カフェのおすすめメニューだとか、暫くの間取り留めのない雑談をしていたが、櫛田さんは眉をハの字に曲げて、そう切り出した。
「ご、ごめんなさい……私あんまりお友達ができないのは自覚してるくらい人見知りで……他クラスの人と話すのも、初めてで……。でも……櫛田さんは話しやすい人で、良かったです」
消え入りそうになりながらも、にっしーは櫛田さんへの好意を隠そうともしない言葉を紡いでいる。びくびくとして挙動不審な彼女を見ても、櫛田さんは怪訝な反応一つも見せずに謝辞を述べている。
「にしてもさ、自分で言うのもなんだけどあたし結構Aクラスじゃ有名だと思ってたんだけどなー色々と」
「小鳥遊さんのこと、実は結構知ってたんだよ? ただ、私が遠慮しちゃってたっていうか……Aクラスの人たちと話すときにちょっと前はその……よく耳に入ってきてたし」
困ったようにカップに入ったスプーンをくるくると掻きまぜながら言う彼女に、からからと笑ってやる。
「あっはは。たしかに忙しかった時期もあったねっ。でも今は有栖ちゃんがいるからだいぶ落ち着いてるよ」
「そういえば坂柳さんと小鳥遊さんってよく一緒にいるよね。お二人は仲がいいんだ?」
ニコニコと微笑む櫛田さんは見る人が見れば聖母の微笑の様だったろう。
しかし、あたしにはそれが獲物を狡猾に狙う捕食生物に見える。太古の昔、霊長類にとって外敵に見せる表情といえば威嚇、つまり牙をむき出しにした、笑みにも似たものだったという。笑顔は人間関係を潤滑にするために欠かせないものだが、ときに笑みは内心の感情を隠す仮面となるのだ。
結局のところ、根っこの部分が似通っているこの女が考えていることは大体わかってしまう。同族嫌悪とでもいっていいだろうか。しかし、その感情を表に出すことはない。ただ笑顔という仮面を差し出せば、捕食者は満足するのだろうから。
しかしまあ、逆もまたしかり。彼女にもあたしのどす黒い部分の一欠けらでも感じ取れたに違いない。
「仲が良いどころじゃないよ、一心同体だねっ。そうだなあ……有栖ちゃんがいなくなったらあたし――
「それは、そっか。……なんか、軽々しく聞いちゃってごめんね」
つまりだ。こいつは、ただあたしの弱みとやらを知りたいだけだろうから、適当に満足してもらえばいい。
人間なんて、ほんと単純なものだ。結局自分が一番かわいい。だから自己保身のために必要とあらば人は人を褒めちぎれるし、時に裏切ることだってできる。
そうだ。弱み。あたしにとっての弱み。そんなもの――
『ありがとう! キミは命の恩人だ!』
『被害者は決して少なくない。でも、小鳥遊君のおかげで、こんなにも助かった命が――』
『今までごめんなさい。あなたのこと誤解してた――』
『小鳥遊煌さん。彼女は本校の誇りで――』
『さすが小鳥遊さんだ!』
『素晴らしい』
『さすが――』
『人でなし』
「――かなしさん? 小鳥遊さーん?」
「大丈夫きらりん? 顔色悪いよ?」
「……ぁ。ご、ごめん。ぼーっとしてた」
頭をよぎった光景を振り払うように、すっかり冷めてしまった飲み物を流し込む。
「ううん。結構話し込んじゃったもんね。今日のところはお開きにして、またお話ししようよ」
そういうと端末を取りだし、連絡先の交換を申し込んできた。勿論断る理由もないため、にっし―を含めたグルチャを作っておく。
解散をするなり、にべなくにっしーに別れを告げ、あたしはある場所に脇目も振らず向かった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
放課後の校舎は思っていたより閑散とはしていなかった。
教室で駄弁っている男子グループ、部活動に励む生徒たち、そんな中を縫うように通り抜けると、やがて職員室にたどり着くことができた。あまり人目に付かずに済ませたかったのだが、仕方がない。思い立ったらすぐ行動だ。
「失礼しまーす」
ノックの後入室をすると、一瞬視線が自分に集中するのがわかる。
教師という職業の多忙さを考えれば当然ではあるが、職員室にいない教師はほとんどおらず、当然1年を受け持つ4人の教師もその例には漏れなかった。
「1年Aクラスの小鳥遊ですっ。真嶋センセ、少々お話したいことがあるのですが、少々お時間を頂けませんでしょうかー」
「……いいだろう。こちらに掛けなさい」
「できれば部屋を移したいでーす!」
「個室の用意、か。お前の話はそれに値するものなのだろうな?」
「思春期のか弱い女子が、センセに相談したいって言ってるんですよー? そう言わず汲んでくださいよぉ」
よよよ、とわざとらしく媚びてみるも、なお難色を示す真嶋に、星之宮が口を出してくる。
「ねぇねぇ小鳥遊さん、だったかなぁ? 良かったら女性同士、私が話を聞いてあげちゃってもいいわよ?」
「えー。どうしよっかなー。Aクラスの問題はAクラス内でって、思ったんだけどなぁー? 真嶋センセがダメなら頼りになりそーな星之宮センセに色々相談した方がいいかもなぁー?」
チラッチラッ。
そうすると余計に話が拗れることを嫌ったのか、小さく溜息を吐くと付いてくるようジェスチャーを送ってきた。
ニッコリと付いて行こうとすると、星之宮も付いてこようとする。
「お前は付いてくるな」
「えー。こういうときは第三者の女性も同伴した方が、後々面倒にならないっていうじゃない」
「センセ」
「どうしたの? 小鳥遊さん」
「これはAクラスの問題ですので、お引き取りを」
一瞬だけ驚いた表情を浮かべると、星之宮は少し笑い、「そう」とだけ返し、おとなしく去っていった。
真嶋に連れられて辿りついた先は会議室だった。
些か二人で話すには広すぎる環境。意図を視線で問いかけると、つまらなさそうに答えを返してきた。
「この学校でカメラのような記録媒体が設置されていない場所は限られている。かといって職員室に隣接するような環境も、お前にとっては好ましくないんだろう?」
「あれ? あたしがセンセを嵌めようと――さっきのBクラスのセンセが言ったみたいな面倒事起こそうとしてる、とか考えないの?」
「お前たち生徒が考えている以上に、この学校の教師は生徒の事情を把握している。成績だけじゃない、人間性・社交性から過去の生活態度すらもだ」
カシャリとパイプ椅子を引くと、座るよう促してくる。
「そういったものを総合してだ。お前がこんな杜撰な手順でわざわざ教師を脅そうとはして来ないことくらいは分かる」
「さっすが。すべてお見通しってわけ」
「いいから本題に入ったらどうだ」
「はいはい。っていっても、あたしの話ってのはまさに今のことに関係あるんですけどね?」
椅子に腰かけ、真嶋と対面する。続けろ、と視線で促されたので、仕方なしに目元に垂れた毛先を弄りながら話す。
「『この学校で、prで手に入らないものはない』。真嶋センセは以前そう仰られてたわけですけど」
「ああ、そうだ」
「あたしが提示するものを手に入れるには、一体いくら必要なんだろうなって」
「なんだ、そんなことで呼び立てたのか」
隠しもせず大きな溜息を吐かれる。
「まあ慌てないで。それで――他人の過去とか。さっき先生が言ったような一生徒の個人情報全てを買い取るとしたら、一体いくらで売ってくれるんです?」
空気が変わったと感じたのは、気のせいではないだろう。
何でもprで手に入るとは言うが、全ての物に明確なレートが設定されているとは到底考えにくい。教師の裁量次第で変わる物と、あらかじめ明確に定められた基準があるものの2パターンがあるはずだ。
例えば防犯カメラの汚損・破損。これは分かりやすい。校舎などの備品が損失したならば、それをprで賠償させる、といったところか。他クラスへの編入2000万pr。これも不動のものだろう。
これに対して価値に対するpr設定を明確にするのが困難なもの。
例えばテストの点数や、生徒の情報。点数はテストの内容や試験内容によって1点の価値が大きく変動するはず、個人情報もしかりのはずだ。こういったものは教師の裁量で変わってくると想像できる。
ならば――真嶋は生徒一人の情報に一体いくらの価値を見出しているのだろう? その価格はまさか全員一律なのか? それを確かめることが第一歩。
「誰の情報を手に入れたいんだ?」
「あら。生徒如何によっては、価格が変動するということでしょうか。それはちょっと、配慮に欠けてないでしょーか?」
それだと著しく価格設定が高い生徒は、それなりの秘密を抱えていると言っているとか、邪推されても仕方がなくなる。
「いや、個人的な興味だとも。もちろん、誰であろうと変わらんよ。それはたとえ坂柳でも例外ではない」
学校の権力者の娘であっても例外ではないということ。
「なるほど。誰、かぁ……そうだなー。じゃあDクラスの櫛田さんということにしておきましょっか」
「……わかった。まぁ今のお前に用意できる額ではないと思うが。生徒の個人情報の流出。それが公になれば学校の信用は当然地に落ちる。そういったものも鑑みて、額は……700万prだ」
「なんだ――やっす」
「なんだと?」
暗に、用意できるのか? と訴えて身を浮かせてくる。
「ああいえ、さすがにあたしでもその額を今すぐにはポンと出せませんともっ」
でもね。
「700万pr
だから。
「セーンセ。いくら払えば個人情報の設定額を8億prまで吊りあげてくれますか? もちろん、先生方全員の共通認識にする前提で」
8億も払える状況なら、普通はクラス全員でA卒業やら、豪遊やらに費やすだろう。それに、そんなポイントの移動があれば当然、記録に残って目立つ。教師しか知りえない情報を生徒が知っていたなら、それは教師がprを経ないようなルール無視の漏洩を起こしていることになる。
そんなことを連中がするはずもないだろう。
真嶋は暫く面食らった様子だったが、少し逡巡して答えた。
「過去に個人情報を買おうとしたやつは10名ほどいた。実際に買ったのはストーカー容疑で補導され最終的に退学処分になった1人だけだが……」
それにしても、と前置きする。
「それほどまでに本来需要がない項目なのだ。お前の言うように価格設定を下げるのではなく、『上げる』のならば、可能だろう。しかし、教師陣全体の共通認識として議題に上げ、納得させるとなると……100万prは出してもらうことになる」
「わかりました。――ちょーっと待ってね」
用意していた額よりほんの少し多かったため、テニス部の部長から日頃の部活貢献に対する
「もしもし? じゃー30万prよろしくねっ。マジリスペクトっす!」
敬礼。
数日後。個人情報に対する価格がひっそりと変わったが、それを気にする生徒はいなかった。怪訝に思う教師はいても、咎めようと思うものもまた、いなかった。
言い訳はしません。書きたいときに書く!それだけ。
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目撃
橋本はテニス部のはずだけど神崎に部活やってないお前に……とか言われてたり、坂柳が以前掛けて知っているはずの綾小路の電話番号忘れてたり、たまに矛盾見つけると面白いです。
作品面白けりゃいいんだよって偉い人が。
それは図った出来事ではなく、気まぐれに特別棟の理科室を訪れた日のこと。
ただ気まぐれに強酸系の薬品でも手に入らないかと思っていただけなのだ。
理科室の監視カメラをかいくぐり、薬品をちょろまかせないかと画策していたが、さすがにその辺は甘くないらしく教室内に死角はなかった。仕方なしにあらかじめ
その時。
「んだともう一回言ってみろ!」
「あぁ……何度でも言ってやるよ須藤。テメェにゃレギュラーは相応しくねぇ。痛い目見たくなけりゃ、おとなしくバスケ部を辞めろ」
そこには悪名高いCクラスの石崎を筆頭にした3人と、Dクラスの須藤とかいう生徒が対峙していた。
ポキポキと関節を鳴らしている石崎の後ろで、バスケ部の部員とみられる生徒が須藤を煽っている。額に青筋を浮かべながらも多少の自制心はあるのか、今のところ須藤が手を出す様子はない。
「……へっ、あいにく今の俺は寛大でな。今のうちに尻尾を巻いて逃げ帰るなら見逃してやるよ。テメーら3人がかりだろうと、どうせ俺にゃ敵いやしねー。そうだろ石崎よぉ」
「言うじゃねえか。ならちょっと試してみようぜ? なぁ、オイ!」
石崎が助走をつけながら右腕を引き、殴りかかろうとしたところであたしの興味が失せた。
もはやどっちが勝つだろうとか、なんで争ってんのとか、そういう事情全てがどうでもいい。まぁどうでもいい面倒事に巻き込まれたくないのはたしかなので、せめて連中の視界に入らない様にそろりそろりと特別棟を降りるための階段へ向かうことにする。
「えっ……」
「おろっ?」
そこにはどこかで見たような、しかし存在感が希薄な眼鏡をかけた女子生徒がいた。はてどこで見たんだっけ、と思考を巡らすも、答えが浮かぶわけでもない。相手が固まっているうちに軽く会釈と微笑みだけ添えて、そそくさとその場を後にする。
何にせよ、あんなところでお誂え向きにカメラを構えてるような奴に関わってもいいことはない。
帰宅後調べてみれば、彼女は佐倉というDクラスの生徒らしいということはわかったが、既視感の正体は未だわからずじまいだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
7月初めのホームルームは、初夏も過ぎたとあってうだるような暑さの中、粛々と行われようとしていた。他クラスならいざ知れず、Aクラスには下敷きやらでパタパタやるような度胸持ちはいないようで、額に汗を垂らしながらも皆飄々とした表情で担任の真嶋の話を傾聴している。
「……以上が簡単な連絡事項だ。次に、今月のポイントの変動について発表する」
Aクラス1004ポイント。
驚きはない。喜びも落胆すらもない。なるべくしてなった結果に、感慨は起こらない。
当然の規則順守、当然の学習態度、当然の学習成果。それらを誰かが縛るまでもなく、普通に達成できてしまう。いや、できて当然なのだ。だからこそ、Aクラスに選ばれたのが、ここにいる40人なのだ。
むしろここであたしや有栖ちゃんをはじめとした数名が注目したのは、今まで0から変動する気配が微塵もなかったDクラスが、たかが87ポイントとはいえプラス収支を得ているということだった。
そんな思考を先読みするかのように、真嶋は続けた。
「今回においては、中間テストを退学者ゼロで乗り切った1年へのささやかな贈り物として、各クラス最低100ポイント以上が支給されることになっていた」
マイナス分のポイントは蓄積されない。そんなことが分かったところで、自分たちには無縁な話だ。Dクラスがクラスポイントを飛躍的に伸ばす方法を思いついたわけではない、と事情が垣間見えたところで、あたしも含めた大多数が興味を失い始めた。
同時に、1004ポイントという自クラスの結果も、また違ったものになる。
どうあっても、どう優秀な生徒が集まったところで、体調不良による欠席など、抗えないマイナスは生じてしまう。どこかしらで評価され、プラスに転じたのかと思えば、やはりできて当然の項目にプラスの評価をいちいち学校側は付けるわけではないということだ。
慢性的なマイナスからの脱出。どこかでクラスポイントを増やす手段を見つけなければ、Aクラスであろうといずれジリ貧になろうというもの。Bクラス以下に寝首をかかれる様な、屈辱的な真似だけはしたくない。
恐らく、定期テスト以外にもあるはずだ。クラスポイントを伸ばすことができるような、そんな機会が。
そういうわけで、今あたしたちができることはいかに他クラスを谷底まで蹴落とすか、いかにクラスを纏め上げた状況にするか。この二点に尽きる。
「困ったにゃ~」
「困っているのは頭に荷重をかけられてる私なのですけどね、煌さん?」
いつも通りというべきか、有栖ちゃんのベレー帽の上から、顎を乗せる形で小さな体躯を抱き締める。やっぱりいい匂いがした。
「だって有栖ちゃんたらますみんにかまけてばっかり。あたしとは遊びだったのっ?」
少し頬を膨らませて抗議するも、橋本くんが指で突っつくという妨害により、ぽひ、と間抜けな音を出して終了してしまう。犯人の脛をテシテシと蹴ってやるも堪えた様子はなく、あたしの肩に掌を乗せて宥めてきた。
「まーまー小鳥遊。坂柳さんも暇じゃないんだよ。そんなに暇を持て余してるなら、俺がテニスの練習相手になってやるぜ?」
「えー。部活サボり常習犯の橋本くんたら、最近弱っちくて歯ごたえないからなぁ」
「あちゃ。サボってんのは事実だから、否定はできねーなぁ」
軽薄な様子で苦笑してポリポリと後頭部を掻きながら、明後日の方向を向く。
「もったいないねぇ、あたしみたいに全国レベルで結果出してれば、美味しいpr褒賞も貰えたのに」
「てか、この学校で部活やるメリットなんてそれくらいっしょ。だからモチベ? なくなってんだよねー」
「そうでもないよ?」
そこでようやく興味が出てきたのか、有栖ちゃんがあたしの眼を覗き込んでくる。ジト目っぽい可愛い。
「あら。それは興味がありますね。部活動での煌さんは、あまり存じ上げませんから」
興味が引けたことに満足したあたしは、若干のドヤ顔で腕を組みながら部活動のメリットをお伝えしてやる。
「信頼できる
「煌さんのお話に期待した私が間違いでしたか……」
伏し目がちになりながら頭を撫でてくる。その横でくつくつと笑って小馬鹿にした顔で橋本くんが続けてくる。
「あー腹痛い。バッカ逆でしょ。成果でpr手に入るような環境だ。皆周囲を蹴落とそうって、あれこれするんだよ。他校ならともかくさ、この学校で部活とか正直冷え切ってるぜ」
「そうかもね」
「だろう?」
(この学校の
あえてその先は言わずに、そわそわしてこちらを見やる人物を教えてやる。
「――でもほら、ああいう出会いは大切にしないと、ね? チカちゃんに頼まれちゃってさぁ」
元土肥千佳子。元小鳥遊派でテニス部所属。
何かと橋本くんに御執心――ということになっている。あたしの中で。
「……部活の繋がりは大事にしときたいじゃない?」
そう言われると、うんざりした顔で橋本くんは彼女のもとに向かっていった。
「さて、と。で結局ますみんに何させてんのー? 有栖ちゃん」
「いえ、大したことではありませんよ。Dクラスにprが支給されてないと小耳に挟んだものですから、暇潰しがてら調査をお願いしたところです」
ぷるぷる。小刻みに震えるあたしを面白げに観察しながら聞いてくる彼女は、さながら小悪魔か。いや、天使……! でもひとつ言いたい。
「やっぱり暇なんじゃない! もー!!」
□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■
神室真澄は坂柳の気まぐれな指示に淡々と従うべく、まずは手始めにとここ数日の間、Dクラスの教室周辺をそれとなくうろついてみることにしていた。とはいえ、よほどの用事でもなければ他クラスの人間が訪問するといった機会が希薄なこの校風である。神室とてあまり長居すれば目立ってしまうであろうことは承知の上だった。
廊下にただ突っ立っているのは愚策だ。雑談相手の一人でもいれば紛れることもできるのだろうが、生憎とそんな相手はいないし、彼女にすればむしろ願い下げであった。
だからというべきか、違和感が多少拭えないことはこの際置いて、放課後にのみDクラス内の会話だけが聞こえる廊下側絶好の位置で、待ち人がいるかのように読書をするふりをして壁に寄りかかるのがここ数日の彼女の習慣だ。
成果も出ないしそろそろ別の方策を考えようかとしていたところ、そんな地味でも涙ぐましい彼女の努力は、ついに実ることになる。
「佐倉さん、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいい? 須藤君の件なんだけど……」
「ごめんなさい……この後予定があるの……」
軽井沢が女子の仲間を連れて平田を放課後のカラオケデートに誘う会話。男子グループの思春期特有の下品な会話。その他諸々。
そういった雑音の中で行われた、何気ないそんな会話が不思議と神室の耳に入った。
「大切なことなの。須藤君が事件に巻き込まれたとき、もしかして佐倉さんその場にいたんじゃないかなって」
「し、知りません。私は、全然知らないですから……!」
ついに教室からは雑音が消え、廊下の歩行人もなんだなんだと教室内を覗きはじめている。ここまでの状況ならば、自分一人野次馬のように覗いたところで目立つことにもならないと思った神室は、堂々と教室前側の入口から中を見ることにした。
中では、神室ですら多少の面識ある櫛田と、佐倉と呼ばれた地味目な眼鏡の女子が言い争いとまではいかないが不自然な会話のやり取りをしていた。
(あの佐倉という女生徒……)
会話の内容すべては神室は把握していない。それでも佐倉がなにか隠し事をしているのだろうということくらいは神室にも察せられた。そして須藤という生徒がなにかをやらかして、教室全体が関心を持つような事件を引き起こしたのであろうことも。
(生徒間のトラブルでprを支給するタイミングが遅らされている……?)
「今から少しでいいの。お話、聞かせてもらえないかな……?」
「ど、どうしてですか……。私、何も……」
露骨に逃げようとする会話。これ以上ここにいようと、もはや情報は得られそうにもない。
(ま、坂柳に探るように言われたpr未支給の原因は大体わかったことだし)
そう自己完結した神室はようやくこの非生産的な活動とおさらばできるとばかりに、淡々と踵を返そうとした。
しかしそこで、少し無視できない会話が聞こえてくる。
「待って、佐倉さ……」
「私は、知らないんです……。でも、事件があったっていう日、背の小さいポニーテールの女子生徒が特別棟から出てくるところなら見ました……」
その人に聞いてくださいごめんなさいと口早に言うと、逃げようとする。その際、男子生徒とぶつかって何か一悶着あったようだが、教室前方の神室にはよく見えない。そうこうしていると、ついに佐倉は小走りで去って行った。
(それって……)
「あの根暗女の話を信じるにしてもよ、背の小さいポニーテールって。誰だよ。そいつをしらみつぶしに探せってのか」
「須藤君、あなたはもっと他のクラスにも興味を持ちなさい。ポニーテールだけならともかく、背の小さい女子生徒で、となるとだいぶ限られるわ」
「あー!」
黒髪の女生徒の話を聞いて合点がいったとばかりに、一人の男子生徒が声を上げた。
「どうしたんだよ池」
「もしかして女子テニス部の妖精か!?」
ふふぉっ。
柄にもなく吹き出しそうになった神室は即座に口元を抑え、少し震えながらも周囲に気取られないよう必死で笑いを堪えた。
あれが妖精……なんの冗談なのか。神室的には片腹大激痛というやつだが、内情を知らなければそう見えてしまうのが彼女というモノなのだ。
「その通りよ。Aクラス、小鳥遊煌さん。話を聞く価値はありそうね」
橘元書記可愛いけど卒業しちゃうんだなぁ。
次年度後輩入ってきますけど、綾小路父の刺客からの即堕ち系後輩女子とか期待。
―追記―
誤字報告、ありがとうございます。どんなに気を付けても残ってるものですね。すみません。
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