ハルトナツ (マスクドライダー)
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第1話 女の子になりまして

どうにもIS&TS熱が再燃したので新連載です。どうぞよろしくお願いします。
某一夏TS系覇権二次創作に影響されまくって、いつか一夏TS作品をと考えていたので、それがようやく形となったといったところでしょうか。

拙い部分も多いかと思われますが、私なりに【いちかわいい】目指して頑張ります。


『おれのなまえは―――――――! よろしくな。おまえはなんてなまえなんだ?』

 

 ――――夢を見た。それは今も僕の記憶に鮮烈に焼き付けられた、セピア色と表現できるようなあの日の夢。僕が最初に彼と出会った日の夢。僕が始まった日の夢だ。

 酷くオドオドとした僕に遠慮もなく手を差し伸べた彼は、こちらの心情も知らずに満面の笑みを浮かべるばかり。だが僕はどうするのが正解なのかわからない。だから彼の言葉に応えられない。

 いや、わからないと表現するのもおこがましいだろう。だってあの頃の僕は、周囲に対して理解を向けようとも思わなかったから。

 母親ないし父親、または祖父の背に隠れているのはとても楽だった。そうしていれば、誰も僕の世界に入ってこようとはしなかったから。

 けど彼に常識というものは通じない。あろうことか彼は、僕を母親の陰から引きずり出してまで挨拶を交わそうとしてきた。

 だからなおさらどうしていいのかわからない。助けを求める相手であろう母親も、どちらかといえば彼の味方をしていたせいもある。そのまま僕が言葉を紡げないでいると――――

 

『……おまえ、なまえがないのか?』

 

 彼は少しばかり機嫌を損ねるかのように、一度手を下ろしてから僕にそう問いかけてきた。そんなことはない。名前くらいはある。

 それを声に出すことはできなかったが、首を左右に振ることでその意思を伝えた。すると彼は僕の反応に満足したかのように数度頷き、まるで何事もなかったかのように振る舞うではないか。

 

『―――――――だ! よろしくな!』

 

 彼にとっては当たり前の行動だったのだろう。しかしだ、僕にとっては初めての体験がまたしても襲い来ていた。だからこそ、今になっても夢に見る。

 だって僕がこういう態度でいても、そのうえで仲良くなろうなんていう意志が見られる人は初めてだったから。僕にとって、これがどれだけ新鮮だったかなんて彼は知らないだろう。

 僕は端的に言うのなら自分に自信がない。僕はなるべく他人に迷惑をかけたくない。僕はなるべく他人に怒られたくない。他人は怖いものだから。

 だから極力は関わりを避け、可愛くないよう思われるように振る舞った。初めから嫌われてしまえば、自分も他人も嫌な思いはしないだろ?

 だから今までと同じ態度で接したというのに、それでも彼は僕へと手を差し伸べてくれた。この手を取って名前を教えてくれと思ってくれた。

 瞬間、僕の中で何かが壊れた音がした。きっとそれは、僕の内気な心だとか、きっとそれは、僕の殻だとか。

 気づけば僕はゆっくりながら彼の右手を取り、確とその名を告げていた。

 

『――――ると……。ひむかい はると……です。よろしく……』

『よろしくな、はると!』

 

 僕がほんの小さな声でそう言うと、彼は心底嬉しそうな顔をしながら掴んだ手を激しく上下に揺らした。その様子を母と彼の姉が温かく見ていたのもよく覚えている。

 しかし、なんで今更こんな夢を見るのだろう。なんて、自問自答するまでもないのかも。だって、だってもう彼は、彼は――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ル……。ハル……」

「……ナツ…………?」

「あっ、やっと起きた。もう朝だよ」

 

 まどろみの最中、鈴を転がすような可愛らしい声が俺の鼓膜をくすぐる。そちらへ目を向けてみると、俺からすれば直視していられないような美少女が微笑んでいた。

 まるで高級な絹のように艶やかな黒髪。洗礼された白磁のようにきめ細かな肌艶。長く上を向き、綺麗に生え揃ったまつ毛。健康的な桜色をした張りのある唇。……こんなの何度見たって慣れるもんか。

 ……いけない。起き掛けでボーっとしているのを合わせても凝視が過ぎる。俺は気を引き締める目的も含め、ギュッと両頬を抓ってから上半身を起こした。

 

「おはよう、ナツ」

「うん、おはよう。やっぱり一日の始まりは挨拶からだよね」

 

 俺がシャキっとしようという意志を持っていることに満足なのか、少女はなにか感心するかのように腕を組んでうんうんと頷いた。

 そのとき少女の胸にそびえ立つ双丘が柔らかさを示すかのように変形し、一瞬だけ注目してしまった。これはいけないと急いで視線を外すと、少女が俺を心配するのでなおさら申し訳ない気になってしまう。

 なんでもないから先に降りていてと伝えれば、首を傾げながらもそれに従ってくれた。俺は少女が階段を下る音を確認してから服を着替え始める。

 今日は土曜、休日だ。さほど慌てることもなく私服のTシャツへ袖を通すと、俺はふとタンスの上に飾ってある写真立てが目に入った。

 その写真立てにはあの日の少年と、その少年と肩を組んだ幼き日の俺が写されている。

 きっとその写真を眺める俺の表情は、言葉では形容し切れないものだったろう。今となってその写真は、思い出と言うにはあまりにも残酷なのだから。いたたまれなくなった俺は、写真立てをそっと伏せる。

 

「ハルー! ご飯冷めちゃうってばー!」

「あ、ご、ごめん! すぐ降りるから!」

 

 階下から響く騒々しい催促に身を震わすと、心中で慌てる必要がないと言ったことを訂正しながら自室を飛び出した。

 そう、もはや残酷なんだ。だってナツは、織斑 一夏は、俺の常識を覆したあの日の少年は、今や少女となり――――二度と元の性別に戻ることはないのだから。

 俺は頭を渦巻くそんな考えを振り払うかのように、必要以上に階段を踏み鳴らしながらリビングへと向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「モンド・グロッソをドイツで観戦?」

「そうなんだよ、千冬姉が特別優待してくれたみたいでさ」

 

 中学二年生も終わろうとしている冬、下校途中唐突に幼馴染ないし兄貴分ないし親友である男子がそう話題を挙げた。

 彼の名前は織斑 一夏。余談ではあるけど、俺は個人的にナツと呼ばせてもらっている。

 まさに眉目秀麗と表現するにふさわしい端正な顔つきと、呆れるくらいの鈍感がトレードマークだ。後者に関しては内面に関することだから少しズレてるけどね……。

 そんなナツのお姉さんはIS操縦者として有名であり、世界選手権にあたるモンド・グロッソなる大会を制していたり。

 で、そのモンド・グロッソの第二回大会がもうじき開催間近だとかなんとか。つまりお姉さんは二連覇がかかっているということ。

 俺としても姉として接させてもらっているし、フユ姉さんとか呼ばせてもらっているけど……。う~む、改めて思い直してみるととんでもない人と知り合いなものだ。

 それはさておき、フユ姉さんはきっと優勝するだろうなぁ。根拠のない自信というやつに近いが、あの人が負ける姿がなんとも想像しがたい。

 

「そっか、それは良かったね。俺の分もフユ姉さんを応援してあげてよ」

「なにも自慢したいとかじゃなくてだな。というか、なんで置いて行かれる前提だよ?」

「なんでも何も、一枠しか確保できなかったって話だろ?」

「まぁ、そうなんだけど。はぁ、察しがいい幼馴染を持って俺は幸せだよ」

 

 せっかくなら俺――――どころか家族みんなで応援したいところではあるが、大人しくニュースでフユ姉さんの連覇を知ることにしよう。

 そう思って温かく見送るような言葉を投げかけたのだが、ナツはなぜだか顔をしかめてわかり切ったようなことを聞いてくる。

 ナツはなんでだなんて言うけれど、特別待遇の話をし始めた際の表情を見ればわかる。だって、露骨に申し訳なさそうな顔してたし。

 それくらいは察知しないと、キミをいちいち鈍感だーって責める資格はないと思う。俺が当たり前のようにそう返すも、ナツは変わらず難しい表情を浮かべていた。

 ……悪い意味ではないのだけど、いい加減にしつこいな。表情とか仕草で察することはできるにしても、なにかあるなら言ってくれたら助かるのに。

 

「ハル、お前ヨーロッパとか行ってみたいんじゃないのか?」

「へ? それは、まぁ、うん、そうだね。ドイツで言うなら城とか描いてみたいし」

 

 俺の視線からなにかあるなら言ってくれという意思が伝わったのか、ナツはふとそんなことを問いかけてきた。

 俺こと日向(ひむかい) 晴人(はると)だが、生意気にも絵を嗜んでいる。絵に関しては唯一自信を持てる事柄であり、それなりに情熱も持ち合わせていると思う。

 だからナツはそんなことを聞いてきたんだろう。確かに昔、いつか海外に行って絵を描いて回りたいなんて洩らした覚えもあるし。

 けどそれとこれとは話が別というか、俺のはやろうと思えばいつか叶うというか、いつか本当に実行するつもりだ。でもナツは違う。

 お姉さんに誘われ、お姉さんを応援しに海外へ行くというのは刹那的で、その瞬間しか成立しないものだ。さっきも言ったが俺はいつでも行ける。

 俺が思ったことをそのまま伝えると、ナツはなんだかキョトンとした表情になる。

 

「な、何さその顔は」

「悪い悪い。なんかいつもと逆だなーとか思っちまった」

「逆、ね。まぁ、なんというか、否定できないところはあるけど」

 

 ナツの言う逆と言うのは、普段は俺が窘められる側ということ。別にそれに関して思うところはない。本当のことだしね。

 でもそれこそ逆だ。逆を言うのなら、俺の言葉でナツの後ろめたさを払拭することができたということなんじゃないのかな。

 うん、それならばナイスだ俺。やればできるじゃないか俺。……なんて、俺としてはナツの言葉をかなり肯定的に受け取っていたつもりだ。

 しかし言葉そのものにネガティブっぽさでも感じたのか、ナツは喝を入れる意味を込めたように俺の背中を思い切り叩いた。

 

「なにゆえっ!?」

「だからそういうところだぞ、そういうところ! 背筋伸ばす! 胸を張る! キビキビ歩く!」

「いや、歩くどころか走り出し――――え、ちょっ、待ってってば!」

 

 俺なりのポジティブ? さを伝える暇がなかったのが敗因か、背中に走った痛みに対して歯を食いしばりながら耐えた。

 ナツはその後すぐに背筋を伸ばすなんて言うが、俺が背中を丸めているのは痛いからであって……。なんて反論する暇もなく、既にナツは遠い彼方だ。

 いろいろと文句が沸き上がってくるものの、別に怒るまではしない。けど追いかけないことにはなにも始まらないと判断し、俺も駆け足でナツの背を追いかけた。

 別に体力がないということもないが、向こうは運動神経抜群ときた。結局は家に辿り着くまでに追いつくことはできず終い。

 そもそも帰る家は同じで急ぐ必要は全くなかったことを思い出したのは更にその数分後……。骨折り損のくたびれもうけである。

 いや、一夏の決心をつけることができたと思ってチャラにしておくことにしよう。俺にしては珍しいことができたのだから。

 それからしばらくの日数が経ち、ナツはフユ姉さんを応援しにドイツへ旅立っていった。俺にできることといえば果報は寝て待てというやつ。いい報せを日本から待つだけだ。

 ……なんて、今思えばなんと呑気な考えだ。でもまさか、誰があんなことになるなんて想像したことだろう。

 あるいは俺がやっぱり現地に行きたいと、そう駄々でもこねれば結果が変わったりしたのだろうか。ふと、そんなことを考えてしまう。

 いや、わかってる。わかっているんだ。俺のこの思考がないものねだりだなんていうことは。わかっていても、そう思わないとやってられないじゃないか。

 そう、全てはあの凶報から始まったんだ……。

 

(――――もうこんな時間か。そろそろテレビつけておかないと……)

 

 自室でスケッチブックに色鉛筆を走らせていると、なんとなく置時計へと視線が向く。文字盤が刻むのは十九時五分前。もうすぐフユ姉さんの決勝戦が始まる時刻だ。

 やはりフユ姉さんは危なげなく決勝戦まで進み、日本のみならず海外のメディアが彼女の優勝で間違いないと報じていた。

 試合の様子からして今回も心配なさそうだが、例え海をまたいでいたって応援しないわけにはいかない。俺は色鉛筆をケースにしっかりしまうと、ゆっくりとリビングへと向かっていった。

 

(母さんは……しばらく帰れないって言ってたっけ)

 

 我が日向家は両親が共働きで、父も母もほとんど会社に泊まり込みの状態で働いている。本当に有難いことだと思うばかりだ。

 しかし、困ったことに俺は家事が得意なほうではない。正確に言うのなら、料理お裁縫だけできないと表現すべきだろうか。

 俺とは反対にナツは家事全般をそつなくこなす主夫であり、日向家の台所に関しては任せっきり……というか、ナツがやりたがる部分もあるんだけど。

 けどご存知の通り、今はナツがドイツに行ってしまっている。つまり、俺の食事を作ってくれる人が存在しないということ。

 けど母さんは忙しいときた。だから俺は適当にカップラーメンでも食べておくって言ったんだけど、ナツと母さんの反対を喰らってしまう始末。

 俺のためを思ってくれているのはわかるが、無理して帰ってまで料理を作ろうとするのではないかと心配していたところだ。このぶんなら、やはり今日も帰れないのだろう。

 

(でも、怒るんだろうなぁ。まぁいいや、テレビテレビ……)

 

 たった今明かりを灯した広く寂しいリビングを見渡すと、ため息を吐きながらソファへと腰をかけた。これもまた、広々としていて逆に寂しい。

 この際だから広く使ってやろうと、ソファに寝そべりながらテーブルに置いてあった新聞を開く。そしてテレビ欄を手早く確認し、チャンネルを試合が中継される局へと合わせた。

 

『え~……どうやら織斑選手、まだ会場に姿を現していないようです』

『まずいですね。このままでは相手選手の不戦勝が告げられるのも時間の問題ですよ』

「…………えっ!?」

 

 ボーっとしながらテレビを眺めていると、実況と解説らしき人物が焦りを隠しきれていないような言葉を紡いだ。

 あまりのことに理解するのに時間がかかってしまったものの、それが何を意味するかを察したと同時にソファから飛び起きてしまう。

 そしてバタバタとテレビの前へと駆け寄ってみると、実況役らしきアナウンサーが再度フユ姉さんの不在を告げる。

 い、いったい何がどうなっているというんだ。あの、あのフユ姉さんが姿すら見せないなんて、よほどのことがあったに違いない。

 

「携帯……携帯は……!?」

 

 慌ててポケットから携帯を取り出してフユ姉さんへの連絡を試みてみるも、何度やっても繋がる気配すら感じられない。

 発信履歴がフユ姉さんという文字で埋め尽くされた頃、俺の胸中にはとある違和感が過った。それは単純明快。フユ姉さんが姿を消したのに、なんでナツはなんの連絡も寄こさない?

 すると、一瞬にして違和感は不安へと変貌を遂げる。嫌な予感ほどよく当たるなんて言うが、ナツのほうも通話が繋がらない。

 いったいなにが起こっているのだろうか。こうなれば何か悪いことが起きているというのはまず間違いないはず。

 だとすればなんだ。ナツは、フユ姉さんは無事でいてくれるのだろうか。虚しくもフユ姉さんの不戦敗が宣言される最中、俺はもはやそんなことはどうでもいいとすら思えた。

 だが通話が繋がらない以上、俺にできることはないというのはまた事実。そうだ、落ち着け。きっとしばらくすれば向こうから何か連絡があるに違いない。

 そんな淡い希望を抱きながら、その日はすぐベッドへと潜り込んだ。しかし、そんな精神状態では眠ることなんてかなわない。結局は報せを待つかたちとなってしまった。

 

ピリリリリ…… ピリリリリ……

「っ……来た!」

 

 そしてあくる朝十時頃、俺の携帯のディスプレイにはフユ姉さんという表示が。これを待っていたと言わんばかりに布団を蹴散らせば、通話ボタンをタップ。

 必要以上に大きな声でもしもしと言ってしまったせいでお叱りを受けるが、俺はそれだけ心配したということなんです。

 けど向こうもそんなことはわかりつつ、酷く疲れたような声色だった。

 

『……すまない晴人、心配をかけた』

「いや、そんな、その、とにかく声が聴けて安心したよ。……何があったかは話せる?」

『無理だな。少なくとも電話では話せん。というより、私もどう説明していいのか……』

 

 マスコミ根性とか野次馬根性でそんな質問をしたつもりは毛頭ない。どちらかというなら、本当に心配だったから何があったのか知りたかった。

 しかし世の中には守秘義務というものがある。まだニュースを確認してはいないが、今頃世界中が大騒ぎしているところだろう。

 だがそんなニュースでも、なにがあったのかという真実は語られていないはず。フユ姉さんの棄権した理由とか、現在調査中とでも報じられているのではないだろうか。

 というより、今はそんなことよりも聞いておかなければならないことがある。それはもちろんだけど、ナツのこと他ならない。

 

「あ、あの、フユ姉さん。それで、ナツは? 無事なんですよね」

『……ああ、無事だ。無事だが、なんと言えばいいのだろうな……』

「フユ姉さん」

『すまない晴人、やはり電話では伝えきれないことが山ほどある。だがすぐ帰国することもできん。わかるな?』

「どのくらい滞在することになりそう?」

『さて。明日になるか一週間後になるか、それとも一年後か……。予定は未定というやつだ。とにかく、定期的にそちらへ連絡は寄越す。歯痒いだろうが、どうか耐えてくれ』

 

 フユ姉さんの口調はまるでこちらを諭すかのようだったが、その反面で自分にそう言い聞かせているような印象も受けた。

 正直な話、ナツやフユ姉さんに何が起こったかなんて一ミリも理解なんてできてやしない。納得のいかない部分だってある。

 それでも、やっぱり今のフユ姉さんにあれこれ追及するのは無理がある。基本的に剛毅な人だというのに、こんなしおらしくしているのは珍しいという言葉では片付けられない。

 だから俺には、はいという選択しか残されていなかった。俺が了解した旨の返事をすると、またしてもフユ姉さんはすまないと呟く。

 このことを俺の両親へ伝えておくよう頼むと、今度は返事をする間もなく一方的に通話を切られてしまう。……やはりそうとうお疲れのようだ。

 ナツのことも心配だが、フユ姉さんのことも気がかりだ。思ってみれば、気遣うような言葉をひとつも伝えていないじゃないか。

 ……帰って来たあかつきには、目いっぱい労わせてもらうことにしよう。とにかく、俺は忘れないうちにフユ姉さんからの言伝を実行しなくては。

 

「……もしもし、母さん。今さっきフユ姉さんから電話が――――」

 

 それからしばらく時間は流れ、既に二週間が経過しようとしていた。しかし、織斑姉弟が帰国するような気配は見られない。

 どういう理由かは見えないが、下手を打つなら一年先になるかと言っていた。その言葉が五年十年と先延ばしになっていく可能性も十分にあると思えばしんどいものだ。

 母さんや父さんは呑気なことにそのうち帰って来るなんて言っていたが、どうにも待っている間は胸騒ぎというものが収まることはなかった。

 そして更に数日後、三週間とちょっとが経過したある日のこと。俺の携帯にフユ姉さんからの着信があり、帰国の目途がたったとの報告が得られた。

 日本時間で言うところの明日朝には日向家へと到着するだろうとのこと。フユ姉さんがそう報せてくれるのを首を長くして待っていただけに、安心感もひとしおだ。

 

(あれ、朝って具体的には何時くらい?)

 

 通話を切ってから具体的なことを言われていないということに気づいたが、わざわざそれだけを聞くために折り返し電話をかけるのもなんだか気が引ける。

 まぁ構わないか。幸い明日は日曜日だし、早起きでもして身支度を終えたらちょうどよい時間になるだろう。

 そんなこんなで特に慌てることもなく翌日が訪れ、予測どおりの時間帯に来客を報せるインターホンが鳴り響いた。急いで玄関を開けると、そこに居たのは――――

 

「フユ姉さん、おかえり! 無事に帰って来てくれて本当に嬉しいよ」

「ああ晴人、ただいま。本当にお前にはいらん心配をかけさせた」

「いや、俺は全然、そんな。フユ姉さんのほうこそ、その、いろいろ大変だったよね。お疲れ様」

「……まぁな」

 

 フユ姉さんと顔を合わす機会はそもそも少ないが、長い日数を待った反動なのか随分と懐かしさを感じた。

 やはり出で立ちからして疲れているような様子が見受けられるが、それでもこうして姿を見られたのだから多くは語るまい。

 ただフユ姉さんにかけた労いは、もう少し言いようがあったように思われる。たどたどしくなってしまうくらいなら止めておいたらよかっただろうか。

 フユ姉さんもまったく気にしていないということはないのか、なんとも覇気のない返事を出させてしまう。

 これはよくない。本能的にそう感じ取った俺は、強引に話題を変える方針で固めた。

 

「あ、あの! その、ところでナツは?」

「一夏か……。 おい。気持ちはわかるが、そこに隠れていてはなにも始まらんぞ」

 

 先ほどから姿が見えないために一夏を話題に出したのだが、俺はなにか地雷を踏んでしまったのだろうか。

 そもそも雰囲気を悪くしてしまったせいで話題を変えようとしたのに、フユ姉さんはますます表情を陰らせてしまう。

 困惑しながら様子を見守っていると、フユ姉さんは首だけ振り向かせてウチの塀へと声をかけた。ということは、ナツが隠れている……?

 だとしたらそれはなぜ? 姿を見せられないということは、なにか酷い大怪我でもしてしまったのだろうか。

 フユ姉さんが決勝を棄権したという事実も加味し、俺の想像はどんどんネガティブな方へと舵を切ってしまう。

 嫌な予感に心臓を打ち鳴らしながら塀を見ていると、そこから姿を現したのはナツではなかった。それがなにを意味するのか、すぐさま理解することができない。

 

「え、いや、あの、フユ姉さん。その子は、その」

「わからんか?」

「わ、わからんかって言われても、そんな」

「…………」

 

 本当に意味がわからない。これならまだ俺のネガティブな想像のほうがまだ現実的だ。一夏どころか――――こんな美少女を見せられ、そのうえわからんかって……。

 件の美少女を注意深く観察してみると、彼女はなんだかとても不安そうな表情で俺のことを見つめていた。ま、前に会ったことがあったかな。流石にこんな可愛い子、一回見たら忘れないと思うんだけど。

 ふむ……。優しい目つきをしていて、どこか儚げな印象を受ける。ジャンル分けをするのなら可愛い美人といったところだろうか。

 黒髪ロングで、雰囲気はどことなくフユ姉さんやナツのような織斑の血統を思わせるな。……隠し妹? いやいや、別に隠すメリットもないし、問題はナツであって――――

 

「……わかんないか。そっか、そうだよね」

「えっ!? え、えっと、や、やっぱり前に会ったことがありましたっけ?!」

「前にどころか、毎日会ってるよ。ただいま、ハル」

「は……………………?」

 

 俺が黙っているのを誰だかわかっていないと判断したのか、少女はちょっぴり落胆するように空を仰いだ。

 その反応を見た俺は慌てて弁明を図ろうとするが、少女の放った意味深な台詞のせいで脳が処理不全を起こしてしまう。

 ちょっと待て、待ってくれ。毎日会っている? そしてこの子は、今確かに俺のことをハルと呼んだよね? おかしい。それは絶対におかしいことなんだ。

 一夏のことをナツと呼ぶのが俺だけのように、俺のことをハルと呼ぶのもナツだけ。そして彼女の言った帰宅を意味するただいま。更にはどこか織斑の血統を思わす容姿。これはつまり――――

 

「も、もしかして、だけど、キミは、その、ナ、ナツ、なのかな……?」

「ピンポーン! あはは、女の子になっちゃいました~……みたいな~……ね?」

 

 俺が恐る恐る問いかけてみると、当たってほしくもない予測がどうやら大正解らしい。……なんていうことだろうか。

 は、ははは、そ、そういうことね。そりゃそうだ、こんなの電話で説明できるはずもない。女体化なんていう非現実的なこと、電話越しに信じれた自信は皆無だ。

 ナツは俺への精一杯の気遣いのつもりか、非常におどけた様子で自身の状況を簡単に説明してくれた。しかし、それで平気でいられるほど俺は強くない。

 俺にできることと言えば、無様にも口をパクパクと閉じたり開いたりすること。そして、盛大に尻もちをつくくらいだった。

 

 

 

 

 




とりあえず一夏が一夏ちゃんになるところまで。
もろもろの原因は2話のほうで触れます。
ちなみに主人公は絵描きですが、私は絵心ないマンなので絵に自信ニキはどんどんアドバイスください。
以下、主人公のプロフィール等の蛇足なので気になる方だけチェックして、どうぞ。

名前 日向(ひむかい) 晴人(はると)
身長 169cm
体重 62kg
誕生日 5月31日(ふたご座)
血液型 A型
好きな物 オムライス 絶景
嫌いな物 ナマコ 暗闇
趣味 絵を描くこと 景色を眺める

この作品においては一夏のファースト幼馴染にあたり、4歳あたりからの付き合い。
基本的にあらゆることに対して遠慮しがちなネガティヴ気質であり、そこを一夏に咎められることもしばしば。一夏曰く、やる時はやる男。
画家であった祖父の影響により自身も絵を描く。得意なのは色鉛筆画で、これも祖父の影響によるもの。
見た目は普通。とにかく普通。あまりにも普通が過ぎるせいでMr.平均値(アベレージ)等のあだ名がまことしやかに囁かれている。






ハルナツメモ その1【日向家】
4歳の頃に越してきた織斑家のお向かいさん。織斑家の現状を知った晴人の両親が保護者代わりとなり、ほとんど家族のような存在。
ゆえに晴人と一夏は幼い頃から半同居状態であり、日向家には一夏の部屋が当然の権利のように確保されている。
同じく織斑家にも晴人の部屋が用意されているが、一夏が日向家で過ごすことがほとんどなためあまり機能はしていない。


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第2話 目をそらさないで

この作品ですが、原作における学園祭編あたりまでを予定にしようかと。
IS学園に行くのはまだまだ時間がかかりそうです。
その間までにやっておくべきイベントのみこなしていくことになります。


「ゆ、誘拐事件? その時に怪しい薬を打たれた? 目が覚めたら女の子に?」

「うん。覚えてる範囲だと大体そんな感じかな」

 

 あれからとりあえず気を持ち直した俺は、日向家のリビングに織斑姉弟? 姉妹? ……とにかく、二人を招き入れてことのあらましを聞かせてもらった。

 まずフユ姉さんが決勝戦に現れなかった理由だが、なんでもナツが誘拐されたとのことで捜索のほうへ加わっていたそうだ。

 どうやら誘拐事件そのものが、高確率でフユ姉さんを棄権させる目的であったとかなんとか。ナツはそれに利用されたと……。

 そして連れ去られたナツはというと、注射器でなんらかの薬物を投与されたところまでは覚えているらしい。

 目が覚めたときには既に女の子の姿になっていて、当初はすさまじく混乱したとのこと。もちろん、フユ姉さんもだ。

 

「ドイツ軍の協力を得て発見した場所に向かってみればこれだ。当然私も疑いをかけたが、不思議なことに私たちしか知りえんことを知っているときた」

「た、例えばどんな?」

「うーんと、昔節分のときにハルが号泣したとか」

 

 フユ姉さんの言葉は真理というか、ぶっちゃけ俺もまだナツが女の子になったなんて信じ切れてはいない。だが、本物かどうか判断するのに俺も一役買っているらしい。

 忘れもしない、俺たちが五歳の頃の二月三日のことだ。本当は楽しい豆まきになるはずだったんだけどなぁ。

 何が起きたのかというと、本来鬼役をやる予定だった父さんが仕事の都合で帰れなくなってしまった。そこで代役を買って出たのがフユ姉さん。今思えば明らかな人選ミスである。

 フユ姉さんは父さんが帰って来ないと聞いた俺たちが、これ以上ガッカリしないよう張り切ってくれたのだろう。だが悲しいかな、人とは得てして空回りしてしまうものだ。

 気合が入っていたのかなんなのか、フユ姉さんはそれはもう鬼を上手く演じてくれたよ。俺の中で軽くトラウマなので詳細は省かせていただく。

 結果、俺は豆まきどころじゃなくなってしまい大号泣。なんでも俺を慰めるのに苦労したとか母さん言ってたな。

 ……なんて、一連の流れをナツは説明したらしい。なるほど、確かに俺たちしか知りえないことだろう。誰かに話した覚えもないし。

 

「でも、いったいなんの目的でナツを……」

 

 そもそもの疑問ではあるが、どうしてナツに女体化薬なんかを投与したのだろう。人質に薬物なんて、効果がわかっていなければ打たないはず。

 新薬のテストという線も考えられるが、もし仮にそれが原因でナツを殺めてしまっては元も子もない。……もっともフユ姉さんが棄権した時点で、ナツに人質としての価値は薄いが……。

 そして、俺の素朴な疑問に対してフユ姉さんはひとこと。

 

「そこは察しろ思春期男子」

 

 察しろ。思春期。とは、つまりそういうことなのだろうか。俺の悪友二人がいつも話しているような、エロ同人展開とかそういうやつ。

 ……そんなことのために? 口に出すのもはばかれるような行いをするためだけに、そんな目的のためにナツをこの姿に変えてしまったと?

 もし本当にそうなのだとすれば、ふざけるなという言葉しか出てこない。自分でもあまり怒らないほうだと思うが、俺は胸の内に確かな憤りが渦巻くのを感じた。

 

「ハル、私は大丈夫。だから怒らないで?」

「……うん」

 

 俺の静かな怒りでも感じ取ったのか、ナツはこちらの様子を伺うように窘めるような言葉を投げかけてきた。

 そうだ、落ち着け。ナツやフユ姉さんの口ぶりからして、特に酷いことをされたというわけではないのだろうから。

 それに今俺が怒ったところで、ナツにとってはなんの慰めにもならない。俺が怒ったところで、ナツが男に戻るようなこともないのだから。

 ……男? 元に? ……そうだ、肝心なことを聞き忘れているじゃないか。

 

「ところで、その、ナツの身体は元に戻るんですか?」

「残念だが不可能だ。今のところはな」

「ドイツでいろいろ検査してみたんだけどねー」

 

 ナツの口調や仕草が女の子っぽいのは気になるが、精神まで染まり切ってしまっているということはないはず。

 ならば肝心なのはナツが元の身体、男の身体に戻れるかどうかということに焦点を向けなければならない。

 自分でも望み薄な発言だという自覚はあったが、どうやら今のところ目途はたたないようだ。……当たり前か、そうだよな……。

 なんでも、ナツの身体は男性だった形跡がまるで残っていないらしい。そう、まるで初めから女の子だったかのように。

 しばらくは身体と精神のギャップに混乱が生じて大変だったそうな。ドイツに長期間滞在していたのは、検査と慣らしを兼ねていたのだろう。

 

「…………」

「ハル?」

「あ、いや、ごめん。大変なのはナツのほうなのに、俺、なんて言ったらいいのか」

「だから大丈夫だよ。私、ハルがそんな顔してるほうがよっぽど辛いな」

 

 元には戻れないと聞かされたとき、ナツはいったいどれほどの絶望感を味わったろう。そんなもの、想像しただけで言葉が出なかった。

 辛いのは自分あろうに、あくまでナツは気丈な態度を貫きとおすつもりのようだ。それでも、ナツの浮かべる笑顔は悲痛な気がしてならない。

 いや、それでもシャキっとしろよ。なによりナツは俺が気に病むことを望んでいないんだ。それならば、俺はひたすら普段どおりでなければ。

 

「さて、これからもしばらくは大変だぞ。晴人、お前の手を借りることもあるだろう」

「うん、俺にできることがあるならなんだってするさ」

「そうか、それは頼もしい限りだ」

 

 まず第一に俺に報告しに来たとするのなら、フユ姉さんの言うとおり――――いや、むしろこれからが本番といったところだろう。

 ナツのことは役場や学校にも報告しなければならないだろうし、服やもろもろの物品も女性用のものを揃えなければならない。

 俺の力なんて微々たるものだろうけど、それでも必要としてくれるのなら全力でそれに応えよう。……いつもナツがそうしてくれたように。

 

「晴人、おじさんとおばさんは仕事か?」

「ああ、はい。今日もそうみたいですね」

「よし、私は直に報告をしてくる。お前たちは……。……積もる話もあるだろう」

「「…………」」

 

 フユ姉さんの言うおじさん、おばさんとは俺にとっての父と母のことである。織斑家のとある理由から親交が深いため、報告しておくべきと考えたんだろう。

 だが生憎なことに、二人が帰ってくるような日も頑張って働いてくれているそうだ。特に家計が苦しいということもないんだけど、まぁどちらにせよ有難いとしかいいようがない。

 本来ならばナツも同行する必要があるんだろうけど、フユ姉さんの口ぶりは明らかに一人で向かうつもりというのがわかる。

 その理由は、俺とナツに対話の時間を設けるつもりらしい。少なくとも俺はナツに聞きたいことはいくつかある。ナツが俺に言いたいことがあるかは……どうかな、よくわからない。

 だが重ねて来た時間が長いゆえ、確かにフユ姉さん込では話し辛いことがあるのも確かだった。俺たち二人はなにも答えないが、フユ姉さんは沈黙を肯定と見たらしい。

 それではなという簡潔な台詞を残し、フユ姉さんはせっせと日向家を出て行った。

 

「「…………」」

 

 残された俺たちはと言うと、どちらも話を切り出せないでいた。静寂の中で時計の針が動く音のみが響き、俺たちの静けさをより強調するかのようだ。

 この気まずい無言が堪らなくなった俺は、盗み見るようにしてナツの様子を伺う。なんというか、服装がしっかり女の子してて余計に声がかけ辛いんだよな……。

 トップスは白のニットチュニック、フワフワモコモコな質感がなんとも温かそうだ。ボトムもカラーリングは同じく白のレーススカート。丈はマキシと呼ばれる長いものだが、レースな為に一部が透けていて綺麗なおみ足が――――

 

「えーっと、ハル。そんなに見られると少し恥ずかしいかなって」

「わああああっ!? ご、ご、ご、ごめん! その、そんなつもりじゃなくて、あの……」

 

 いつの間にか注視してしまたのか、それとも盗み見ていたのがバレたのかはわからない。しかし、ナツは少し頬を赤らめながらそう指摘してきた。

 ナツの口調に毒や刺は感じられないが、俺は思わず両手を拝むように合わせて謝り倒してしまう。礼儀を失していた自覚はあるからなおさらだ。

 これがナツだからよかったものの、とかそういう問題ではない。しかし、本当に気にしていないという有り難いお言葉をいただいてとりあえず決着はついた。

 けどこのままではまずい。ナツが普通に可愛くて困る。黙っていてはまた似たようなことが起きてしまうだろう。

 それなら多少気まずかろうが、なにか話題を振ったほうが楽かも知れない。その、俺も、ナツも。ならばここは意を決して……。

 

「あ、あのさ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あのさ! 嫌な思いとかさせちゃうかも知れないけど、その、質問とかしても大丈夫、かな?」

 

 俺たちを包んでいた気まずい空気を吹き飛ばすかのように、ハルが唐突にそう切り出した。たどたどしい口調は相変わらずどころか、俺が女の子の姿をしているせいかいつもより詰まる部分が多い。

 ハルは昔からそういうやつだ。最大限に他人を傷つけないように配慮し、あれこれ考え過ぎているせいでこうなってしまう。

 もちろんだけど、俺はそれを鬱陶しいだとか言うつもりはない。誰がなんと言おうと、間違いなくそれがハルの良いところでもあると思うから。

 ハルは多分だけど優し過ぎる。仮に今の質問に対して俺が拒否反応を示したのなら、間違いなくハルはすぐさま質問を取り下げるだろう。

 こんなことになってるんだ、質問がないほうがおかしい。特に俺とハルの間柄を考慮するのなら、そのくらい気にすることでもないだろうに。

 けどそれを指摘すれば、ハルはまたごめんだとか申し訳ないだとか言い始めてしまう。ハルになるべくそういうことを口にしてほしくない俺は、すぐさま肯定の意志を示した。

 

「うん、なんでも聞いてよ」

「そ、それじゃあ、えっと、なんで女の子口調?」

「ああ、それ? ドイツにいる間に千冬姉がさ――――」

 

 どうやらハルは俺が妙に女の子しているのが気になったらしい。願うのなら俺だっていつもどおりでいたいが、叶わないものだった。

 ご覧のとおりに内心ではこうして男を捨ててはいないが、これから先に肉体が元通りになる可能性は低い。

 それを考慮するならば、女として生きる道も考えておいた方がいい。そう千冬姉に説得された結果、一応は女の子らしくしているということ。

 ドイツに居る間は検査もそうだが、徹底的に女性としてのあれこれを叩きこまれていた。あれは地獄の他表現しようもない。

 考えてもみてくれ。こうして精神的には男だっていうのに、下着の選び方だとか生理のことについて教えられるんだぞ。かなりしんどかった。

 まぁ、俺自身も今後のことを考えるのなら必要なことだとは思う。けどなんか、ムズムズするんだよなぁ。この感覚はなんなのか。

 

「――――ってこと。おかげで帰国が遅くなっちゃって」

「そ、そっか、それは大変だったね」

 

 俺が溜息を吐きながらテーブルに上半身を預けていると、ハルは心底からこちらを気遣うような顔色を覗かせた。

 ……多分だけど、自分が変わってあげられたらなんて見当違いなことを考えているんだろうなぁ。あの日、俺が行くと言っていれば……とかも。

 元に戻りたいとも思う。なんでこんなことになったとも思った。けど、俺はこれでよかったんだとも思っている。もし仮に、ハルがこうなる可能性があったのならなおさら。

 ハルは基本的に俺に対して何もしてやれないと思っているんだろうけど、それはまったくもって違う。むしろ、ハルは十分過ぎるくらいに俺を支えてくれている。

 見当違いとは言ったけど、そうやって思ってくれることそのものは嬉しいしな。ハルの優しさはとてもわかり辛いものだとは思う。けどそれは、ジワリと時間をかけて心の内に溶け込んでくるんだ。

 だけど、先ほどから一つだけいつもどおりではないことがある。俺はなぜかそれがとても気に入らなかった。

 

「ねぇ、私も聞いていいかな」

「も、もちろん。なんでも聞いてよ」

「なんで目を合わせてくれないの?」

「…………」

 

 俺がそう問いかけると、ハルはなんでばれたみたいな顔をしながら黙りこくる。わかるに決まっているだろうに。俺とお前がどれだけの時間を重ねたと思っている。

 それにプラスして、身体が女になってから妙に視線が気になるようになったのもある。特に男からの視線はわかりやすい。こうも露骨なのかと笑ってしまいそうになるくらい。

 けどハルが目線を合わせてくれないのはとても気に入らない。その理由は俺もよくわからないが、そう思っていることは確かだ。

 ハルが女性を苦手とすることなんて知っている。けど、俺が女になったからって目を逸らす必要はないじゃないか。ハル、そこのとこどうなんだ?

 

「そ、それは……」

「それは?」

「それは、その、その……。ちょっ、直視できない。えっと、可愛くて直視できないんだよ」

「…………」

 

 今度は俺が黙る番だった。今きっと、とても間抜けな顔をしているんだろう。まさかそんな理由で目を合わせてもらえないなんて考えもしなかった。

 ハルとはあまり女子に関しての話はしなかった。俺もそこまで興味があるわけじゃないし。つまり、長年一緒に居てもハルの好みを俺は知らない。

 ……そうかそうか、ハルから見たら俺は可愛いのか。目を合わせられないのは元来の性格からだろうが、それを含めても目も合わせられないくらいに可愛いと……。

 

「…………プッ」

「わ、笑わなくてもいいだろ!」

「ご、ごめっ……! でもまさかそんな、フフっ、アハハハハ!」

 

 無理だった。笑ってはいけないと思ったんだが、堪えることはできなかった。だってそんな、純情にもほどがある。

 馬鹿にするつもりはないんだけど、やはり笑われては気に入らないらしい。ハルは顔を真っ赤にしながら勢いよく立ち上がった。

 ハルがここまでムキになるのは珍しい。ということは、それだけ恥ずかしかったということの裏返し。そう思うとますます可笑しくて仕方ない。

 大笑いする俺を見たハルは諦めでも覚えたのか、相変わらず恥ずかしそうにしながら椅子に座り直す。

 その間俺は、流石に失礼に思えて来たので必死になって調子を戻すことに専念した。

 いやしかし、こんなに笑ったのはこの姿になってから初めてかもしれない。やはりハルが近くに居ると、根本的に気分が違うものだ。

 

「はぁ、はぁ~……。ごめんごめん、ちょっと笑い過ぎちゃったよね」

「別にいいよ、笑われるようなことを言った自覚はあるから」

「拗ねない拗ねない」

「拗ねてない」

 

 涙が出るほどの爆笑だっただけに、俺は目元を拭いながらハルへと謝罪した。でもやはり悪ふざけも過ぎたようだ。

 声色や表情はいつもと変わらないけど、今のハルは確実に拗ねている。理由を聞かれればなんとなくとしか答えようはないが、俺や千冬姉あたりだけがわかる微妙な変化とだけ言っておく。

 ハルは妙に頑固な部分があり、一度こうなってしまってはなかなか機嫌を直してはくれない。まぁ、本当に稀なことだから面倒とは思わないけど。

 っていうか、やっぱり目を合わせてはくれないじゃないか。それこそ慣れてもらわないと面倒だよな。さて、なにか良い手はないだろうか。

 

「あ、そうだ」

「そうだって、いったい何――――いいいいっ!? ナ、ナツ!?」

「この至近距離なら慣れるのも早いかなって」

「かなってじゃなくて……! ちょっ、ち、近い! 近いって!」

 

 我ながら良い案を思いついた俺は、腕を伸ばしてハルの顔を両手で包んだ。そして真っ直ぐこちらを向かせて顔をロック。すかさず俺は顔を近づけた。

 後はハルの瞳に映る俺を覗き込むようなつもりで、ひたすら視線をその双眸へと注いだ。すると、ハルは近いだの喚き出すではないか。

 近いもなにも、近づいてるんだからそりゃ近いに決まってる。ハルにとって荒療治なのは承知の上だが、いつまでも目をそらされ続けるのはあまり気分がいいものじゃない。

 

「…………!」

「ダメだよ。目、そらさないで……」

「っ~~~~!?」

 

 この至近距離でも往生際の悪い。ハルの目をジッと見つめていると、しばらく視線が泳いだ後に右のほうを見ながら止まった。

 そんなことでは延々と続いてしまうぞ。という意味を込めた台詞を放つと、ハルの目線はなぜだか更に泳ぎ始めてしまう。

 それでも根気よく見つめ続けていると、観念したのかようやく視線がかち合ったのを感じた。よしよし、これならもう大丈夫そうだな。

 

「はい、よくできました」

「あ、あのさナツ。そういうの、迂闊に他の男子にしないようにね」

「うん? しないよ、するわけないじゃん。ハルは特別だし」

「だからそういう発言は勘違いを招く……。はぁ、いいや、なんでもない……」

 

 合格ラインに達したと判断して手を離してみると、なんだかハルは疲れ果てたようにテーブルへ突っ伏した。

 そしてその状態なままおかしな忠告をしてくるが、それはまたしても見当違いというやつでしかない。あんなのハル以外にする理由がない。

 仮に目を合わせてくれなくったって、別にハルではないからどうとも思いはしないだろう。それに、誰それ構わずやるほど無礼なやつじゃないぞ。

 そう、いろんな意味でハルだからこそとった行動だ。だから思ったことをそのまま伝えると、ハルは起き上がってどうにも頭が痛そうに額に手をやった。

 気にはなるけれど、まぁ、本人がなんでもないって言ってるんだし追及は止めておくことにしようかな。藪蛇ってこともある。

 

「それよりハル、お腹空かない?」

「空くけど、帰っていきなり作ってくれなくても大丈夫だって」

「私が居ない間とか、ろくなもの食べてないでしょ。ハルの世話を任せられてる身として、そういうわけにはいきません」

 

 チラリと時計を見ると、そろそろ十二時に迫ろうとしていた。話をするなら後でもできるし、とりあえず昼ご飯の準備をしよう。

 そう思って立ち上がると、台所まで向かおうとする俺を阻むようにハルが立ちふさがった。俺を気遣ってくれるのは嬉しいけど、それとこれとは話が別。

 ハルはすぐコンビニ弁当とかカップラーメンで済まそうとするから油断ならない。絵のことに集中してるときなんか、食べなかったりもするから酷いものだ。

 確かに最近は加工技術が向上して美味しいのは認めるが、長いこと台所へ立った身としては手料理に勝るものはないと思う。

 それに言ったとおり、ハルの食事事情を管理するようおばさんに頼まれているんだ。ならば三週間弱世話を出来なかった遅れを取り戻すべく、腕によりをかけなくては。

 多少強引にハルを押しのけ、冷蔵庫を開いてみると――――

 

「…………ハル、何これ」

「……冷蔵庫の中…………」

「そういうトンチはいらないから。で、なんで中身がほぼ空っぽ?」

「い、いや、ナツが居ないと買い物する意味もないかなって」

 

 中には何も、調味料が保存されているくらいで他は本当に何もない。食材はおろか、ミネラルウォーターすら姿がないではないか。

 ほほぉ、いい度胸だ。いずれ俺が帰って来るのはわかっているのにこの体たらくとは。もう少しはちゃんとしていると思ったが、願望の域を出なかったらしい。

 ハル曰く、おばさんが何回かは帰って来たとか。そして冷蔵庫の中を使い果たした後は、もったいないからということで一食分のみ購入して帰宅するようになったとか。

 まぁ、それならなんとなく納得はいく。けど水すらないのは流石に看過できない。いったいどんな生活を送っていたと言うんだ。

 

「……面倒だった?」

「……面倒でした」

「そうだよね、絵のこと以外に執着ないもんね。はぁ……」

 

 聞くだけ無駄というか、水はどうしたと聞いたのなら、ハルは確実に水道水で問題ないと返してくるはず。

 そりゃハルの食の好みくらいは把握してるけど、ないならないで大丈夫っていうスタンスなやつだっていうのをすっかり忘れていた。

 普段はうるさく言ってるし、俺がいない隙にやれジャンクフードを食べてやろうとか思わないんだろうか。……思わないんだよなぁ、ハルは。

 

「ハル、買い物行こうか。手伝ってくれるよね?」

「も、もちろん! 荷物とか全部俺が持つからさ!」

「うん、ありがと。でも無理のない範囲で大丈夫だよ。じゃ、行こう。何か食べたいものとかある?」

「いや、特には。ナツは和食が恋しいんじゃない?」

「ん、そう言われてみれば……。じゃあ、和食中心の献立にしようかな」

 

 気を取り直して食材を買うところから始めようと提案すれば、ハルはこれ以上俺を怒らすまいと思っているのか随分と張り切っていた。

 ハルは決して貧弱ということはないけど、これから向かう買い出しは数日分をカバーするための量を買わなければならない。

 よほどの大男でもなければ全部持つというのは不可能に近く、それとなく無理はしないように伝えておいた。

 そして定位置に置いてある買い出し用エコバックを手に取りながら、本当に一応のつもりでハルにリクエストがないか聞いてみた。

 どうせ特にないと返されるのがオチだろうと思っていたが、代案ではあるものの手ごたえのある回答が帰って来るではないか。

 確かにドイツに居る間は白米が恋しかった。ホテルに滞在中は日本食も口にする機会はあったけど、どうにもコレジャナイ感が拭えない品々ばかり。

 ならば自分で作ってしまえばいい話か。大げさかも知れないが、自分に料理の才能があって本当によかったと思う瞬間である。

 そうと決まれば話は早い。後はスーパーに向かってみて、安い食材とか新鮮な食材を吟味してから決めることにしよう。

 身支度を終えた俺たち二人は、食材を求めて近所のスーパーへと歩を進めた。

 

 

 

 

 




それもこれも亡国機業のせいにしていくスタイル。
せいと言うか、おかげとも取れるような気もしますが。

一夏ちゃんの内心ですが、しばらくは男口調でよろしくどうぞ。
内心まで女の子に染まる瞬間がTS作品の醍醐味ですよね(熱弁)





ハルナツメモ その2【食事事情】
一夏は原作よろしく家事全般をそつなくこなし、なにかとつけてルーズになりやすい晴人の世話を焼いている。
特に不摂生についてはうるさく、あまり食に対して執着のない晴人は再三にわたり注意を受け続けてきた。
そのかいあってか、一夏が作るぶんには喜んで食事をするように。しかし、ひとたび目を離せば今話のような事態に。
要するに、晴人にとって一夏の手料理以外はわりとどうでもいいのだ。


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第3話 ゆるふわマザー

【悲報】第3話にしていちかわ要素薄め

タイトルからお察しのとおり、主人公の母親紹介のようなものです。
のっぴきならない理由にて、両親は早めに一度登場させる必要があるんですよね……。
その理由はIS学園入学直前には明らかになるかと。


「う~ん……」

「どうしたの? 悩んでるふうだけど」

「あのさハル、曇ってどう描けばいいのかな。なんだか少し幼稚になっちゃうというか」

 

 ナツが女の子の姿となって帰国してから一週間弱くらいが経過しただろうか。近頃はやるべきことも落ち着き、俺もそろそろナツに慣れてきたところだ。

 で、とある休日の河川敷にて、俺とナツは揃ってスケッチに出かけていた。昔は稀だったのだが、ナツが女の子になってからたいてい着いて来るように。

 理由を聞けば気分転換になると言っていたが、どうあれ絵画に興味を持ってくれるのならそれは嬉しいことだ。

 俺が調子よく筆を走らせている隣で唸り声が聞こえたかと思えば、どうやら雲の書き方に関して悩んでいたらしい。

 確かに雲は難しいものだ。というか、雲に限らず色が白な物体は総じて書き辛い。鉛筆でのデッサンともなればなおのことだろう。

 

「ちょっと貸してみて」

「あ、はい」

「なんていうか、紙の白を活かすようにすればいいんだよ。こんなふうに――――」

 

 まず雲の輪郭を大まかに描き、だいたいの空のあたりをつける。この時点では あまり細かいことを考えず雲の位置やバランスに気をつけたほうがいいかも。それと、実際の大きさよりもやや小さめに輪郭を描いて……。

 次に大体の影を描くわけだけど、雲といっても自分に近い場所ほど濃い影ができ、人によって見え方は異なる。だから立体のデッサンのつもりで少し大胆に。

 後は空の青さをどれぐらいにもっていくか。まぁ青と言っても鉛筆だから、この場合はどれぐらい黒くするか考えながら徐々に濃くしていく。

 ある程度空と影が描きこめたら、雲の輪郭を練りゴムで抜いていく。要するに、書いた輪郭を練りゴムで消していくということだ。

 この時に描いた影を消してしまわないようにするのが大変というか、あまり雑にやるとこの工程で台無しになっちゃうんだよね……。

 どちらにせよ最後の仕上げで修正はするけれど。空の濃さと影のバランスに注意しながら整えていけば完成……っと。

 その全行程を丁寧かつゆっくり、実践しながら順を追ってナツに説明を施した。なんだかいちいち感心するような声を上げられて少しむず痒い。

 

「えっと、こんな感じでどうかな」

「わぁ、すごいなぁ……。まるで今にも飛んで行っちゃいそうな雲だね」

「そ、それは大げさだよ。でも、まぁ、ありがとう」

 

 デッサンは絵画の基本中の基本でありつつ、様々なジャンルへ通ずる部分がある。とりわけ、鉛筆の類を使用するならそれなりに上手なほうのはず。

 俺の専門というか、得意とするのは色鉛筆画だ。今は亡き爺ちゃんが界隈ではそれなりに名のある色鉛筆画家だったため、憧れを抱いたのが全ての始まりだ。

 爺ちゃんから直接テクニックを伝授されたり、爺ちゃんの業みたいなのを見て盗んだり……。ナツのリアクションを見るに、どうやらキチンと通じているみたいだ。

 

「…………」

「えっと、俺の顔に何か着いてる?」

「ううん、そうじゃなくて。絵を描いてるハル、なんかいいなぁって」

「な、なんかいい?」

「うん、なんか。なんか、いつもと少し違って見える」

 

 照れながら感謝を述べていると、ナツがやけにニコニコとした視線をこちらに向けているのに気付いた。

 なにも本気で顔に何か着いているものだとは思っていないけど、こう問いかければなにかしら反応があるのは確実だ。

 ナツは思ったとおりに破顔していた理由を聞かせてくれたけど、聞いたところで実りのある内容には思えなかった。

 曰く、なんかいいらしい。つまりはナツも言葉では表現し切れないながら、絵を描いている俺は雰囲気が違うよう感じるみたいだ。

 そもそも絵を描いているのを近くで見られることは少ない。でも見られていたとして、同じようなことを言われた覚えもなかった。ふ~む、いつもと違う……か。

 

「う~ん……」

「もう、ハルはまたそうやって難しく考える。褒めてるんだから素直に受け取ってよ」

「ん? ああ、うん、それもそうだ。ありがとう、ナツ」

 

 具体的にどう違うのかが気になった俺は、頬を手でマッサージするように触りながら頭を悩ませてしまう。

 さっきまでご機嫌な様子だったナツだが、俺の唸り声を聞いた途端にジトッとした視線をこちらへ送り始めた。

 どうやらいつものネガティブ思考だと思われたようだ。誓って後ろ暗い発想をしていないが、ナツはいつだって俺を心配してそう言ってくれているんだ。

 そう思うと自然に出てきたのか感謝の気持ちであり、俺がありがとうと伝えれば、ナツはとても力強く首を頷かせた。

 そんなやりとりを最後に、互いに止まっていた手が動き始める。河川敷で遊ぶ子供たちの喧騒をよそに、集中して絵を描くことしばらく。

 

「……へくち…………!」

「えっと、寒い? よかったら上着とか――――いや、今日はもう帰ろうか」

「だ、大丈夫だよこのくらい。無理言ってハルについて来たのは私なんだし」

 

 すぐ隣で可愛らしいクシャミが聞こえたかと思い目を向ければ、ナツが少し身震いしているのが目に映った。

 あ~……これは、配慮が足りないなんてもんじゃなかったかもな。今は真冬と表現していい季節だろうに。

 俺の場合はとうの昔に慣れたというか、暑いだの寒いだの言っていたらスケッチなんてできやしないもの。

 要は我慢ってことなんだけど、それを他人に強いる権利なんて俺にはない。なら早々に切り上げるのが吉といったところだろう。

 ナツは俺の提案を呑むのは申し訳ないとでも思っているのか、小さなガッツポーズと共に続行の意志を示した。

 それは嬉しいことだが、やはり無理はさせられない。男子と女子では体感温度も異なるだろうし、風邪でもひかれたらそれこそ大事だ。

 

「ほら、早く帰ってご飯にしようよ」

「……うん。じゃあ、何か温かいスープでも作るね」

「そっか、それは楽しみだな」

 

 ナツは渋るような素振りだったが、俺が画材一式をリュックサックに詰め込むと観念したようだ。それこそ絵も描かないのにとどまってる意味なんかないし。

 ズボンについた砂や草を払っていると、ナツは代わりといってはなんだけど、というようなニュアンスでそう提案してきた。

 基本的にナツの作る料理は絶品であることが大前提だが、スープもまたレパートリーが多いので本当に楽しみだ。

 コンソメ……は時間がかかるからないかな。ならばクリームスープやトマトスープが妥当といったところだろうか。

 だとすると晩ご飯はその余りをリメイクしたパスタあたりが出てくるのだろう。それはそれで楽しみでしかない。

 

(あれ、なんだか餌付けされてるような……?)

「どうしたの?」

「い、いや、なんでも。ただ、本当に楽しみだなって」

「フフッ、それなら腕によりをかけないと!」

 

 ハイスペック家事能力を有する幼馴染が居てくれるのは大変に素晴らしい。が、なんだかすっかり食道楽にされているような気がした。

 いや、本当にそれくらい美味しいんだよ。上達してからは三食手を抜く素振りすら見せないし。むしろ手抜きで悪いなんて出て来た料理も、どのあたりが手抜きか小一時間ほど問い詰めたい気分だった。

 ……ナツが女の子の姿をしているせいだろうが、いわゆる胃袋を掴まれたような感じがして調子が狂う。昔はこんなことを考えもしなかったんだが。

 まぁ、本当に惚れないようには注意しておかないとな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご馳走様でした」

「はい、お粗末様でした」

 

 ナツ手作りのカボチャスープを完食した俺は、しっかりと両手を合わせてご馳走様と感謝の意を示した。ナツはそれを満足そうに受け取る。

 本当にちなみにだが、余ったぶんはグラタンにリメイクするんだとか。もはやパスタ類を思いつくのは凡人の発想だったらしい。

 それを抜きにしても、ナツの料理の腕が上がったような気がするな。むしろブランクがあるはずなんだけど、不思議な話だ。まぁいいや、食事が終わったら俺の出番なのだから。

 いくら俺もナツに全ての家事を任せているわけではなく、ある程度役割分担して日々を送っている。とは言っても、決して胸を張れるものではないが。

 料理や裁縫はナツ専門。俺はいくらやっても手に怪我が増えるばかりだった。よって、俺一人に課せられているのは食器洗いだ。

 掃除や洗濯に関しては二人で協力してやるし、だとするなら残されたのはそのくらいのものだったというか……。

 まぁうん、何もしないよりましだよな。ナツもこれに関しては手放しで俺に任せてくれてるし。何よりそれがやりがいに繋がっている。

 

「そういえばさ、おばさんもおじさんもそんなに忙しいの?」

「みたいだね。ああでも、つい昨日に電話があったよ。その時はかなり落ち着いてきたって言ってた」

 

 水道でバシャバシャと音を立てながら食器を洗っていると、テレビを見ながらくつろいでいたナツがそう切り出した。

 どうにもここまで忙しそうな両親を見るのは俺も初めてなくらいで、長いこと姿を見ないせいで心配になったのだろうか。

 いや、どちらかというのなら、早いところ姿を見せておきたい……かな。女の子になってからまだ一度も会ってないという話なんだろうから。

 まぁ、そんなに心配しなくてもそのうち帰って来るだろう。父さんはともかく、母さんは自由人を体現したような人だし。

 例えば今にも玄関の開く音がして、ただいま~なんて呑気な声が――――

 

「ただいま~!」

「わっ、噂をすればなんとやら」

(はぁ、俺の勘もなかなかあてになるもので)

 

 脳内で例え話をシミュレートしていただけだというのに、その想像と寸分違わぬ様子で母親の声が耳元に届いた。

 なんだか預言者にでもなったような気分を味わいつつ、食器洗いの手をいったん止めて溜息をこぼす。

 どうして母親と久しぶりに出会うのに、どうしてそんな憂鬱そうなのかって? それはウチの母親を見てもらえばすぐにわかる。

 

「晴人く~ん! 一夏く~ん! お母さん帰って来たわよ~!」

「はいはい、おかえり母さん」

 

 リビングの戸が勢いよく開かれたと思ったら、見た目は不自然なくらいに年若い女性が俺の腕の中目がけて飛びついてきた。

 はい、これが俺の母親――――日向(ひむかい) 恵令奈(えれな)その人である。日本人にしては茶色がかった長い髪と、少しばかり碧がかった目の色が特徴的である。

 本人曰くクォーターらしいのだが、真偽のほどはどうやら。だって母方の親戚に会ったことないし、実の母だというのに不詳の点が多すぎる。

 俺は年齢も知らなければ職業も知らない。何度聞いてもそれとなくはぐらかされてしまうんだ。別に怪しい職種に就いているということもなさそうだけど。

 

「二人とも、お母さん居なくて寂しかったわよね~」

「うんうん、寂しかった寂しかった」

 

 謎な点が多いにしても間違いなく俺の母親だ。いろいろと感謝している。それこそ忙しく働いてくれて、お金を稼いでくれて頭が上がらない。けどこれはいい加減どうにかしてほしい、切に

 母さんは簡単に言うのならいつまでも子離れしてくれなく、俺たちの扱いはいつまで経っても幼児に対するそれ。

 けど面と向かってそれを指摘すると泣き出してしまうわで、もはや俺には自発的に母さんが離れてくれることを待つしかできない。

 怪物レベルに見た目が若いのはその気質からなんだろうか。街を二人で歩くと姉弟ですかなんて聞かれたりするくらいだからなぁ。

 それでもって母さんはそれを否定しない。俺と腕を組みノリノリでそうで~すなんて言うのが常。わかるだろ、要するに痛い人なんだよ。実の母が痛い人なんです。

 

「それより、他になんか言うことがあるでしょ」

「おばさん、久しぶり」

「あらぁ? あらあらあら! 一夏くん、本当に女の子になってるじゃなーい! うーん、千冬ちゃんとはまた違ったタイプの美人さんね」

「殊の外驚かない!」

 

 俺が母さんの戯言を適当に流していると、視界の端にソワソワした様子のナツが映った。いけないいけない、俺よりも今はナツだろうに。

 泣かせないように配慮しながら母さんの意識をナツのほうへ向けると、なんともまぁ予想外のリアクションを見せる。いや、これが母さんクオリティだよな、そうだよな……。

 普通の人ならまずナツかどうかを疑うところをすぐさま受け入れるし、むしろ喜んでいるようにも見えるその反応はなんなのさ。思わずツッコミを入れてしまったじゃないか。

 あぁ、ナツが苦笑い浮かべててものすごく申し訳なく感じる。でもその気持ちは目くばせで伝わったようで、ナツは母さんに悟られないよう手をパタパタさせて大丈夫だと伝えて来た。

 

「それはそれとして、辛い思いもしたわよね。一夏ちゃん、なにか相談があったらすぐにするのよ? おばさん、全力でお手伝いしちゃうから!」

「はい。その時はぜひ」

 

 いろいろ滅茶苦茶な人ではありつつ、締めるべきところは締める人でもある。しっかり者、と表現するには遠いけれど、間違いなく頼りにはなるのが母さんだ。

 今のところは何もなさそうだが、ナツもそれはキチンと理解しているらしく母さんの言葉に素直な反応を示した。

 まぁ、暴走しないようにしっかり監視する必要はあるんだけども。ナツもナツで断り切れないところもあるようだし注意が必要そうだ。

 

「と・こ・ろ・で~。一夏ちゃん、少し二人でお話できないかしら?」

「へ? 私は別に構いませんけど――――」

 

 なんということだろう。監視しようと決意した瞬間に、二人きりにさせるシチュエーションを提案されてしまった。

 どうやら俺――――というか、男が居ると話し辛いんだろう。いや、ナツも精神的には男だって言ってたけどさ。

 けど、そうなると恐らくは性に関する話を取り扱うつもりなんだと思う。だったら俺もなるべく率先して聞く気にはならないな。

 いくらナツが精神的には男だろうと、肉体が女性である事実ばかりは変えようもない。男女間の差は埋めようがないのだ。

 そう考えるとなんだかナツが遠い存在のように感じられてしまうが、とにかく居ない方がいいのならとっとと退散しておくことにしよう。

 なら俺は部屋で絵でも描いているから。俺はそう言い残し、有無も言わさず階段を昇って自室へと逃げるように入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、話ってなんですか?」

「その前に念を押しておくけど、答えたくなかったら無理はしないでちょうだいね?」

 

 ハルが自室へと帰っていき一瞬の間を置いてから、俺はおばさんに対して捻りのない質問を投げかけた。しかし、どうやら前置きがあるらしい。

 おばさんはピッと人差し指を立ててそう告げ、その言葉に俺は頷くことで肯定してみせる。だいたい予想はしていたが、やはりそういう話だったか。

 別に余計なお世話だとは思わない。むしろ嬉しいくらいだ。俺にとってハルの両親は本当の親であり、この人たちに育てられたと言っても過言ではないのだから。

 心配されるということは、シンプルに喜ばしいことに違いない。

 

「一夏ちゃん、あなたの中身は今までどおりなのかしら?」

「そうですね、口調とかはこんなですけど」

 

 やはりそこは気になるか。だいたいハルに話したことと同じ説明をおばさんにすると、向こうはふむふむと真剣に聞き入っていた。

 ハルには話さなかったけど、単純に千冬姉が怖いっていうのもあるんだけどな。素のほうを出したらしこたま怒られたのが効いている。

 なにもそんなに怒らなくってもなぁ。だってつい最近まで男だったんだぞ。いや、それこそ中身ごと女になったつもりはないが。

 つまるところ俺はどっちなのだということになるが、そんなの俺が聞きたいくらいだ。ちゅうぶらりんとはまさにこのことだろう。

 

「じゃあ、それは苦痛?」

「初めは混乱したり戸惑ったりしましたけど、苦痛……ってことはないと思います」

 

 それこそ当初うっかり素が出て怒られていた時期は苦痛そのものだったが、今では中身と外身の使い分けに慣れてそう思わなくはなくなった。

 かといって女モノの服とかを着ていると、未だ女装をしている気分になってしまう。鏡に映る俺の姿は女の子そのものなのにな。

 ブラジャーなんか着けるのには戸惑うし、スカート穿いてたらスースーするわであまりいいことなしな気がする。そうそう、座るときとかも足閉じるのが地味にきつい。

 でもハルの可愛いだのといった誉め言葉は嫌じゃなんだなこれが。自分でも不思議なものである。ふ~む、わからん。

 

「……男の人、いつか好きになると思う?」

「それは、どう……ですかね」

 

 おばさんは俺が戻れないということで話を進めているのだろうが、それはまったく想像がつかない域まで達している。

 というか、酷いことされかけたせいで苦手意識が生まれているかも知れん。ハルと馬鹿二人は大丈夫っぽいのだが、他の連中はどうもな。

 前も言ったが、どうも視線が気になるようになっている。なんとうこかこう、邪なオーラ的なものを感じると表現すると伝わるだろうか。

 女になって初めて気づいたというか、男の頃の俺がそういったオーラを出していないことを祈るばかりである。

 けどなぁ、確かに真剣に考えるべきなんだろうなぁ。俺の身体、どうにも初めから女だったみたいなレベルらしいし。

 つまり俺の肉体は新しい命を宿すことができるということ。そうなると、おばさんの言うとおりいずれ……というのもアリなのかも。

 

「あのねぇ一夏ちゃん。もしよければなんだけど」

「はい」

「晴人くん、おすすめ物件よ?」

「ハル? ……ハル…………?」

 

 おばさんにそう言われ、思わず首を傾げてしまう俺が居た。いやいや、なにもハルはありえないという話ではない。

 ただ、俺にとってハルは身近過ぎる存在なためにそういったことを考えすらしなかった。表現的には弟が適当だと思っているし。

 そうか、ハルか。周囲からすれば最有力候補に挙がるんだろうな。確かに間違いではない。ハルのことを一番理解しているのは俺だし、俺のことを一番理解してくれてるのはハルだろうし。

 うん、ありえないどころか悪い話ではないと思える。いろいろと面倒なところもあるけど、それはハルの優しさの裏返しだしな。

 人のことを思いやれるやつで。人のために全力になれるやつで。人の喜びを己の喜びに変えられるやつ。俺はそんなハルをずっと隣で見てきたつもりだ。

 そんなハルが女性と恋仲に発展したのならば、間違いなく幸せであれるよう努力を惜しまないはず。きっとその誰かは、一途に愛され続けることだろう。

 

「もしハルが、私の中の俺を消したくなるようなことをしてくれた時は――――」

「ええ。その時は、どうか晴人くんをよろしくお願いします」

「と言っても、今もだいぶ世話を焼いてるんですけどね」

「あら本当だわ」

 

 今のところは弟分を脱却してはいない。けどこれからのことは誰にもわからないだろ? いつの日か、ハルに男を感じてしまう時がくるかも。

 あいつは普段はあんななのに、やる時は本当にやるからなぁ。いわゆるギャップ的なものにやられて案外アッサリいかれてしまったりして。

 あくまで可能性は無きにしも非ず、くらいに落ち着いているが、おばさんはずいぶんと畏まった所作でハルのことを託すようなことを言う。

 でもあれこれハルの世話を焼いているのは昔からだ。そう冗談めかして言うと、おばさんもわざとらしく驚くような仕草で返してきた。

 なんだかそれが可笑しくて、私たちは二人同時にクスクスと小さな笑いをこぼす。ハルがこの場に居たのなら、居心地の悪そうな苦笑いを浮かべていただろう。

 

「あっ、今の話は晴人くんには内緒でお願いね」

「大丈夫ですよ、わかってます。ハル、あまりそういう話題は好きじゃないみたいですし」

 

 するとおばさんは声の音量を落としながら、人差し指を唇に当てて内密にと念を押してきた。だけど問題ない。そんなのは最初からわかっている。

 ハルとは対照的にあの馬鹿二人は浮ついた話を好むわけだが、会話の流れがそっち方面に向くと途端に居心地が悪そうになる。

 まったく、もう少しばかり貪欲になったって誰も文句は言わないぞ。もっと堂々としてれば普通にモテもしそうだと思うんだがな。

 って、やっぱりそれは近くでハルを見てきたからそう思うだけか? 確かにハルの良さはわかり辛いが、それなら逆に女子たちに見る目がないという可能性も出てくるぞ。

 ……まぁ、今のご時世じゃあハルの良さなんて見ようともしないやつがほとんどだろう。いずれハルの良さをわかってくれる子が現れてくれればいいが。

 とにかく、話というのはだいたいそのくらいらしい。だったらハルを呼び戻して、食器洗いの続きでもやってもらおう。

 それが終わり次第三人で出かけるという運びとなり、おばさんは鼻歌を鳴らしながらハルの手が完全に止まるのを待ち続けていた。

 

 

 

 

 

 




オリキャラ勢は日向家のみで済ませたいところ。
というか済ませます。それゆえの職業不詳。
恵令奈のプロフィールは……需要がないと思うので載せないでおきます。


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第4話 メシウマ幼馴染のいる日常

幼馴染属性っていいよね(唐突)
どうにも昨今の幼馴染は負けヒロインみたいな風潮が不服でなりません。
なのでこの作品は二人が幼馴染であることをドンドン推していこうかと、ええ。



それはさておきお気に入り登録していただいた皆様、今更ながら謝辞のほどを。
誠にありがとうございます。単純にモチベーションに繋がるので本当に嬉しいです。
できれば感想や評価なんかもいただけたらもっと嬉しいです(クレクレ厨並感)



「ねぇねぇハル」

「ん、どうしたの?」

「クラス替え、どうなるかな」

「さぁ、こればっかりはなんとも。どういう基準で決めてるか全く想像つかないよね」

 

 厳しい寒さも終わりを告げ、新しい命が芽吹き始める頃。つまり春を迎えた俺たちは、中学三年生へと進級して初めての登校に胸を躍らせていた。

 ふとナツが訪ねて来たのはクラス替えについてであり、少し回答に困る質問ではあったが思ったことをそのまま述べておく。

 俺とナツは中一、中二と同じクラスだった。このまま三年目も同じなのならばなにも言うことはないのだけれど。

 まぁ、もし違ったとしても本当にこればかりはどうしようもないだろう。俺だってワガママ言わないとならないほどナツにベッタリしてるつもりはない。

 

「おっす、おはようさん」

「うん、おはよう弾。蘭ちゃんも」

「一夏さん、晴人さん、おはようございます」

「二人とも、おはよう!」

 

 通学路を歩くことしばらく、途中で俺たちに合流してくる影が二つほど。紅蓮と称することができるような真っ赤な髪色が目を引く兄妹――――五反田 弾に五反田 蘭ちゃん。

 弾は俺たちの悪友その1であり、いろいろと引き起こすトラブルに巻き込まれるのが常だ。もう一人の悪友含めて四馬鹿呼ばわりされるのが不服でしかない。これについてはナツも同感だと言っていた。

 まぁそれを抜き差ししても普通にいい奴であり、どこか江戸っ子気質も持ち合わせているために頼りになるような一面も。

 そんな一面だが、モテたいという思春期特有の願望丸出しであまり周知してはもらえないというね。残念なイケメンとはこのことか。

 

「あ~あ、私も皆と一緒の世代がよかったなぁ」

「なんだよ、その唐突な無いものねだりは」

「あ、むしろお兄と私の学年が逆なら最高かも」

「そうであって欲しかった」

「お~い晴人~? 聞こえてるからな~」

「痛い痛い! ご、ごめんって!」

 

 弾と一歳差の妹である蘭ちゃんは、一人だけ学年が違うのを残念に思っている節があるようだ。弾の友達、つまりは俺たちに囲まれる機会も多いからかな。

 弾と蘭ちゃんは仲良く喧嘩しな系統の兄妹に属する。妹の願望に対する兄の言葉としては辛辣に取れるが、蘭ちゃんも負けじと弾をスルーしながら話を進めていった。

 その際に蘭ちゃんが呟いた何気ない提案を肯定してしまい、弾にヘッドロックのような体勢で捕まってしまう。

 ギリギリと頭が圧迫されるような痛みに耐えながら謝罪、それに付け加えて弾の腕をタップしたら思ったよりアッサリ解放してくれた。

 でも痛いには痛い……。頭がクラクラするような気が……。

 

「ハル、大丈夫?」

「だ、大丈夫だよこれくらい。いつものことじゃないか」

「それもそうだけど、心配なのは心配なんですっ」

「今日も熱いねぇ、お二人さん」

「だっ……!? ……から、俺たちをそういうので弄るのは止めてくれって――――っひぃ!」

「ハル?」

「な、なんでも、なんでもないから」

 

 小声で痛いと呟きながらこめかみあたりを触っていると、俺の顔を覗き込みながらナツが心配するように声をかけてきた。

 特にやせ我慢ということもなく大丈夫だと告げると、それでも俺が心配なんだとか。そこまで貧弱なつもりはないぞ。

 するとそんな俺たちのやり取りを見てか、弾は露骨に顔をニヤニヤさせながら余計なひとことを放ってくる。

 ナツが女の子になってからというもの、弾とアイツとしては俺たちをそう弄るのが鉄板ネタとなってきているらしい。

 ナツは素っ頓狂な表情を浮かべるばかりだが、俺はどうしても照れを交えて否定してしまう。それが余計に彼らを楽しませる、なんていうことはわかっているつもりなんだが。

 なんて考えていたその時である。俺は背中に射殺すつもりなのではないかというほどの視線を感じた。犯人は目を向けなくてもわかる。だって蘭ちゃん以外にいないのだから。

 

「晴人さん晴人さん」

「ど、どうしたの?」

「本っ当になにもないんですよね」

「な、ないってば。その、一方的に俺が照れてるだけで」

 

 きっかけは詳しく知らないけど、蘭ちゃんはナツに恋慕を抱いていた。好きだった男性が女性になって現れるなんて、それは混乱もするだろう。

 悪友含めたいつものメンバーにナツが女の子になったことを報告して以降、蘭ちゃんのやり場のない気持ちの矛先は俺へと向いている。

 男子同士のやりとりであれば仲良しで済まされるんだろうが、ナツが表面上で女の子してるからそれ以上の関係であることを想像してしまうのかな。

 というか、それこそナツが復学してからしばらくは男子連中の嫉妬がすさまじくて大変だった。まだ蘭ちゃんの心配は可愛いほうだと思う。

 別に直接的被害にはあってないし、精神ダメージなら別に耐えるのとか得意だし……。

 

「お~い! おいおいおい!」

「あ、数馬だ」

「なんで前からやって来るんだよ」

 

 内心で溜息を吐きながら三人の背を追うように歩いていると、前方から快活な声が響いて俺たちを呼び止めた。

 どうやら悪友その2が接近しているらしい。彼の名前は御手洗 数馬。背格好等含めて普通にイケメンの部類ながら、弾を超える残念っぷりを有する男である。

 数馬の家の所在地からして、どう足掻いても合流するのは学校に到着してからになるはずだ。なのにこうして前からやって来る……ということは?

 つまり学校に着いてからわざわざ俺たちの通学路を遡って来たとしか考えられない。よほど大きなニュースでもあったのだろうか。

 数馬の呼吸が整うのを待って何ごとだと問いかけると、彼はサムズアップをこちらへ向け――――

 

「俺たちみんな同じクラスだった!」

「それ言う為にわざわざ?」

「馬鹿だろ」

「オメーには言われたくねぇっつの!」

「まぁ、数馬だけずっと違うクラスだったしね。みんな揃って俺は嬉しいけど」

「流石は晴人、話がわかる奴だぜぃ!」

 

 四馬鹿と呼ばれる程度には仲の良い俺たちなわけだが、どうしてか数馬だけ同じクラスになることはなかった。

 先に学校へ着いてクラスを確認したところ、ようやく数馬の念願が叶っていたというところか。それなら報告したくなる気持ちもわかるかな。

 けど二人の反応は冷たいもので、弾なんかはストレートに馬鹿と評価を下した。残念ながら、馬鹿と言いたくなる気持ちもわからなくもない。

 けどせっかく勢ぞろいしたのなら、細かいことは言いっこなしだ。数馬がいじけないうちに話を纏めようとすると、俺の言葉に感動したと腕を肩に回してきた。

 

「蘭ちゃんも仲いい友達と一緒だといいな!」

「本当にそうですね。って、そう言われるとなんか緊張してきたかも……!」

 

 ぶっちゃけた話、数馬はあらゆる点において一級品のお馬鹿さんだ。迷惑被る言動も多々あれど、蘭ちゃんに投げかけた屈託のない言葉がその性格を物語っている。

 なんというか、憎めない奴と表現すればいいんだろうか。どうして仲良くなったかいまいち経緯を思い出せないが、そのあたりも数馬の人のよさが成しえるに違いない。

 悪友だのなんだの言ってはいるが、まぁ、二人と友人関係を築けたことは本当に幸運だと思う。直接伝えたら絶対につけあがるから言わないけどね……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前よぉ、そんなに心配すんなっての」

「んー……? 何が?」

「何がって、一夏ばっか見てて説得力ねぇぞ?」

 

 授業合間の休み時間、弾が俺の頭を軽く小突きながらそう告げる。俺はそれをボーっとした様子で聞いていたが、数馬にそう指摘されて一気に意識を覚醒させた。

 そう、俺の視線の先にはナツが居た。とりあえず席は出席番号の並びなため、位置はかなりかけ離れている。

 ナツもナツでクラスメイトの女子と楽しそうに談笑しており、こちらの視線に気づくことはなさそうだ。 

 

「……そりゃ、心配するでしょ。だってナツは――――」

「元々は男ってか」

「まぁ確かに、最初の頃はアビキョーカンって感じだったもんなぁ」

 

 ナツはフユ姉さんと議論を交わした結果、事情は包み隠さない方向で固めたようだ。ゆえに、復学初日は本当に大変だった。

 女子たちは恋が終わったとむせび泣き、男子はTS美少女キタコレとかよくわからない歓喜の声を上げていたな。

 俺が心配しているのは身の振り方についてだろうか。いくらナツの精神が男のままとはいえ、女子の間にコミュニティを作らないわけにはいかない。

 しかし、元男が女友達を作れるものだろうかと本当に気が気でなかった。こう、女子ってなんかドロドロしてるとかよく聞くし。

 でも俺の心配をよそに、ナツは持ち前のコミュ力で問題なく過ごすではないか。今話している子たちも、二年の終わりごろに仲良くなったと言っていた子たちだと思う。

 ……俺の杞憂であることはわかっているけど、でもやっぱり――――

 

「…………」

(お、おおう……)

 

 モヤモヤしながらナツへ視線を送っていると、ナツと話している子が俺の視線に気づいたらしい。教えなくていいものを、俺が見ていると指摘したようだ。

 するとナツはこちらへ向き直り、ニコッと笑みを浮かべて小さく手を振って来た。俺も同じく小さく手を振って返すと、ナツはまた会話へと戻ってしまう。

 はぁ……びっくりした。きっとぎこちない表情になってしまっていたろう。後で指摘されたらどうしてくれようか。

 

「あらやだ弾さん今の見ました?」

「えぇえぇ、むしろ見せつけてきてますよねぇ」

「ああもう、頼むからそういうのは勘弁してよ」

 

 俺とナツの交わした一連のやり取りを見るなり、数馬が井戸端会議中のおばさんの如く振る舞う。それに弾も同調し、なんとも不名誉なレッテルを張りにかかってきた。

 たぶん通じ合ってるみたいなやり取りが気に入らないということなんだろうけど、それはナツが肉体的に女子だからであって、別に似たようなことは昔からあったんだって。

 弾にも数馬にも、他の男子にもそう弁明したのだが全く聞き入れてもらえない。前者二人は頼むからそろそろ納得してほしいものだ。

 なんて言いつつ、自ら地雷を踏んでるからそう二人を責めれたものではないのかもな。よし、俺ももっと気を付けてみることにしよう。

 そう誓って今日を過ごしたが、特にそれといったことは発生せずに放課後がやってきた。今日は入学式と始業式がメインなため、いわゆる半ドンというやつだ。

 

「ハル、帰ろ!」

「あぁごめん、しばらくは一緒に帰れないと思う。流石に新入生が部活見学してる期間は顔を出さないと人手が足りないみたいで」

 

 解散の合図が終わり次第、ナツは俺を帰路へと誘う。しかし、どうしてもしばらくは一緒に下校できそうになかった。

 俺は一応だけど美術部に所属しているのだが、出席率はお世辞にも高いとは言えない。しかし、何もサボりということではないのだ。

 ウチの家庭事情、両親が共働きなうえにめったに帰らないという部分で容赦をもらっている。家のことをナツだけに任せるわけにはいかないし。

 だがナツに説明したように、美術部は在籍人数が非常に少ない。三年生なんて俺含めて四人しか居ないのだから驚きだ。やっぱり部活と言えば体育会系なのかな。

 けど去年の傾向をみるに、新入生はわりと見学にだけは来たりするんだよ。とすれば、人手不足になるのは必然ということ。

 

「そういえば去年とかもそうだったよね、すっかり忘れてた」

「うん、そういうことだから――――」

「あれ、ちょっと待って。ハル、お昼どうする気なの?」

「どうする気って、別に昼くらい食べなくても――――おおおおっ!? ご、ごごごご、ごめん! 伝えておくべきだったよね!」

 

 このまま和やかな雰囲気のまま解散と思いきや、俺が昼を食べない気でいることを知ったナツは掌を返したように豹変した。

 顔は笑っているんだが目が笑っていない。というかもう、ナツの背後にオーラのようなものが見える気さえする。

 そんなナツの静かな怒りを感じ取った俺は、数歩分後ろに飛びのいてから必死の弁明をしてみせる。すると、ナツのオーラは徐々に消え失せ――――

 

「はぁ……。言ってくれればお弁当くらい作るから。今度からはちゃんと教えること」

「う、うん、わかった。それと、ごめん」

 

 俺としてもナツが早起きしなくても済むよう配慮したのはもちろんあるが、本人がそう言うのなら大人しく甘えることにしよう。

 というか、ここで大丈夫だからなんて返したら、俺が折れるまであのオーラが出続けていたに違いない。ナツは昔から頑固一徹だからなぁ。

 しかし、こうしてナツが頑張ってくれるのに、俺が特にしてやれることがなくて心苦しいんだよ。俺にできると言えば絵を描くくらい。

 ナツが俺に対価を求めるなんてことは天地がひっくり返ってもありえないが、それでも俺だってナツに何かしてあげられないのだろうか。

 

「別に謝らなくてもいいよ。それじゃハル、夜は食べたいものとかない?」

「ナツに任せる。ナツが作ったらなんでも美味しいし」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、リクエストがあったほうが楽なんだけどな」

 

 昼の話が終わったら、すぐさま晩ご飯の話へ移行した。これは割と聞かれる質問だけど、俺は毎回のようになんでもいいと答えている。

 するとナツも同じく、なんでもいいが困るのだとリクエストを求める。もはや俺たちの間ではお約束というものに該当するのかも。

 ナツの返しを受け、ここからようやく本格的にメニューを考え始める。実際本当になんでも構わないんだけど、ナツが困らないようになんとか……。

 やっぱりパッとは浮かばないもので、そういう場合にはとある秘策がある。それは和・洋・中のいずれか、または牛・豚・鶏・魚介から無作為に選んで呟くというものだ。

 そうすれば後はナツが適当に考えてくれる。その日の気分とかなるべく重複しないように考慮しつつ、今日はそうだな……。

 

「……じゃあ、鶏でお願いできるかな」

「鶏の気分? ん~それじゃあ……トリチリでも作るね」

 

 トリチリ? つまりは鶏むね肉をチリソースで和えた料理ということだろうか。なるほどなるほど、そういうのもあるのか。

 鶏はエビと違って下処理も簡単だろうし、ボリュームもお墨付き。口に入れればピリ辛ジューシーな味わいが広がることだろう。……なんだか想像するとお腹が空いてきた。

 しかし、相変わらず引き出しの多さに感心させられる。ナツのすごいところは一年間で同じメニューが出てくることがほとんどないという点だ。

 流石は幼少期から培われてきた家事スキル。男の時はなんとも女子泣かせなと思っていたりもしたけどね。

 

「それじゃもう行くから。ハルも部活頑張って!」

「うん、ありがとう。じゃあ、また後で」

「お腹すかせて帰って来てね!」

 

 メニューの方針が決まったナツは、早々に教室を出て行った。きっと、晩ご飯の買い出しをして帰るんだろう。

 そうか、しばらくは荷物持ちの役もやってやれないな。特に筋力が落ちたようなことはないみたいだけど、どうも今のナツに重いものを持たせるのはなぁ。

 ナツは無理する場合もあるし、緊急でお米とか洗剤とか買いだめみたいな話になったら顧問に相談して帰らせてもらうことにしよう。

 さて、それならもう部室に向かおうかな。一応だけど部長に声をかけて、それから美術室に行ったので大丈夫だろう。えっと、部活動見学の時間は確か――――

 

「晴人、お前今のでマジにアイツとなんにもねぇって言い張ってんの?」

「なんだ今の完全なる夫婦のやりとりは……。オエッ! 甘ったるくて胸焼けが……」

「いやだから、何度言わせるの……。ああいうやりとり、ナツが男の時から割と頻繁にしてたから」

 

 いったいどこから見ていたのか、ナツと入れ替わるように弾が話しかけてきた。その表情は、茶化すというよりは困惑しているよう取れる。

 弾の言葉はまだいいとして、数馬に至ってはえずいている始末。蒼い顔して弾に背中を撫でられていた。

 いやしかし、さっき地雷を踏まないよう心掛けたんだから俺の弁明に説得力はなかったり? 確かに男子と女子で晩ご飯の相談とか、ちょっと特殊っていうかなんというか。

 けど、俺の中ではやっぱり昔からそうしてきた当たり前のやり取りなわけで、きっとナツにとってもそうに違いない。

 

「いくら一夏と晴人の中ではそうでもな、周囲はそう受け止め切れねぇってわけだ」

「晴人晴人、あれ見てみ」

「あれ? あれって……」

「よし、飛ぼう」

「そうだな、来世では日向みたいな人生が送れるかも知れん」

「いざ、可愛い幼馴染がご飯を作ってくれる世界線へ!」

「うわああああっ!? ちょっ、ちょっと待って、早まらないで!」

 

 数馬の指差した窓のほうへ目を向けてみると、何人かの男子が窓の外へ向けて足を延ばしている光景が映った。

 何を馬鹿なことを、死にたくなるくらいに羨ましいとでも言いたいのだろうか。どちらにせよ冗談めかしたような雰囲気を感じられなかった俺は、急いで近づいて制服の背中部分を掴んだ。

 掴んで後ろに体重をかけながら引っ張っているというのに、それでも前へ前へと進もうとするその執念はなんだというのか。

 途中から弾と数馬も手を貸してくれて余裕ができた。そこで人生まだまだこれからだ。幼馴染は無理でもきっといつか恋人ができるから励ましてみる。

 すると、いきなり力を抜いて飛び降りようとするのを止めるではないか。その反動で後ろに倒れかけた俺は、二人に支えられながら男子たちの様子を見守った。

 

「「「「異性のメシウマ幼馴染が羨ましいんじゃい!」」」」

「えぇ……? いや、だから、俺にそんなこと言われても困るんだけど」

 

 声を合わせて高らかにそう叫ばれても、そういうのはナツを女の子にした謎の誘拐犯ないし組織に言ってほしいものだ。

 困った末に弾と数馬に視線を向けてみるも、前者は肩をすくめて後者は頬を掻くばかり。そうですか、手に負えないですか。

 それは俺だって同じなのだが、いつものとおりに嫉妬を向けられても困るくらいの反論しかできないな。だって俺、悪くない……よね?

 

「日向、今一度思い出すんだ。お前の取り得はその素朴さだろ」

「Mr.平均値(アベレージ)、普通の擬人化、普通の中の普通(ノーマル・オブ・ノーマル)(スーパー)普通人、普通過ぎて逆に普通じゃない!」

「それが日向 晴人ってやつじゃなかったのかよ!?」

「そこのとこどうなんだよ日向! あぁん!?」

 

 なんでこんな説得されるような流れになっているのだろう。やっぱり悪いのは俺なのだろうか。いやそれより、どさくさに紛れて酷い言われようである。

 いや、まぁ、確かに否定できないところはあるけどさ……。今二番目の男子が言ったのは、まことしやかに囁かれる俺のあだ名のようなもの。

 ナツ、弾、数馬のイケメン集団とつるんでいたら嫌でも有名になるわけで、俺を含めて四馬鹿呼ばわりされていたから知名度もそれなり。

 だとすると、一人だけあからさまに普通な顔つきの俺が浮いてしまうという逆転現象が発生してしまうんだよ。それを抜きにしても、奇跡のレベルで俺の顔つきは可もなく不可もなくという自覚がある。

 それだけならまだしも、特に頭がいい訳でもなく、悪いわけでもなく。運動ができるわけでも、できないわけでもなく。背が高いわけでもなく、低いわけでもなく。太っているわけでも、痩せているわけでもなく……。

 そんな俺に二年の中ごろについたのが、Mr.平均値(アベレージ)、普通の擬人化等々の普通を指す意味のあだ名だった。

 

「おい晴人、時間大丈夫か?」

「こ、この流れでその質問? いや、実際もう行きたいところではあるけど、その」

「まぁまぁ、落ち着かせるのは任せときなって。俺ら晴人みたく部活やってないしよ」

 

 ヒートアップしてきたのかギャーギャーと同時に騒がれて何を言ってるのかすらサッパリなところ、弾がぶっきらぼうにそう尋ねてきた。

 そう言われて壁掛け時計に目をやってみると、そろそろ美術室に顔を出しておきたい時間が迫ろうとしているではないか。

 落ち着かせずにほっぽり出すのもどうかと思っていたところ、数馬は非常になんでもないような態度で後のことを任せるよう提案を挙げた。

 どうせ暇人だからとでも言いたげだが、それなら弾はともかく数馬は何か部活をやればいいのでは? とも思うが、この場合はそれで助かってるからなんとも言えない。

 

「そ、それは心から助かるな。えっと、じゃあ悪いけどあとよろしく。またね」

「おう、また明日」

「まったな~!」

 

 申し訳ない気持ちはあれど、日頃から出席率が悪いのに遅刻するのは美術部のメンバーにも悪い。両者を天秤にかけた結果、美術部のほうへと傾いた。本人達が申し出たことは言え、なにか埋め合わせを考えておかないとな。

 未だ呪詛の言葉を並べる男子たちから距離を置き、二人へ深々と頭を下げてから教室を後にした。廊下に出たあたりで聞こえた別れの挨拶に、片手を上げて応えると速足で歩き出す。

 それにしても、茶化しはしても嫉妬しないだけやっぱあの二人はましのようだ。それを身を持って体感したできごとだった。

 仲良かったぶん、例え見た目が可愛かろうと中身がナツだと理性にブレーキでもかかるのかもな。てっきりどちらかが惚れでもするんじゃないかと……。

 実はけっこう失礼な目線で二人のことを見てしまっていたのかも。今日のも含めて一回謝ったほうが――――って、茶化されてるのも事実だろうに。要するにプラマイゼロ、あいこだ。

 ならもう本格的に頭を部活動のモードへ切り替えなくては。新入生相手にたどたどしくなるのは流石に避けたいし。

 そうやって部活紹介における俺の役割を思い出しつつ、美術部目指してどんどん進んでいくのであった。

 

 

 

 

 




メシウマ幼馴染に胃袋から鷲掴みにしてほしいだけの人生だった。
この作品は私の願望もモロに出てるので、一夏ちゃんのメシウマも推させていただきます。

本当に自分で書いてみると、一夏の設定ってとことんTS向けなんだなぁと。
家事万能、主人公特有の気遣いができる性格等々……。
そんな気心の知れた親友ないし幼馴染が美少女になったら惚れるしかねぇよなぁ?(盛者必衰)





ハルナツメモ その3【周囲の視線】
晴人が弁明していたとおり、一夏が男の時点でも夕飯の相談は多かったし、特に人目をはばかるようなこともなかった。
つまり現在は本当に周囲の二人の見方が変わっただけのことで、二人としてはいつものやりとりをしているつもり。
ただ、ここのところ一夏はとても楽しそうに料理を作るとか。
その真意のほどは晴人からしても不明である。


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第5話 寡黙なファザー

晴人の父親登場回。
晴人父にはとある役割を持たせているので、出てきたら布石のためとでも思ってください。
つまり今話は布石のための回。
故にいちかわ成分が息をしていないですが、ぜひ読んでいただきたところであります。


『おれとはると、おなじだよな!』

『おなじって、なにが?』

 

 ――――あぁ、これはまた懐かしい夢だ。これは僕がハルになった日。僕が一夏をナツと呼ぶようになった日のことだ。

 ある日いつものように公園へ連れて行かれた僕だったが、ナツはそのあたりに落ちていた木の枝を掴むとそう切り出した。

 すると、ナツは拙い文字で地面に【いちか】と刻む。その隣へと、僕の名前である【はると】を刻む。そしてナツは、【いちか】の【か】をデカデカと丸で囲んだ。

 

『【か】をかんじでかいたら【なつ】なんだってよ。ちふゆねえがいってたぞ』

『うん、それで?』

『ほら、【はると】も【はる】がついてる。どっちもきせつだから、おなじだ!』

 

 僕が地面に刻まれたそれぞれの名前を見守っていると、ナツは僕の名にある【はる】の部分も丸で囲んだ。

 そして二ヒヒと嬉しそうな笑顔を見せると、【はる】と【なつ】はどちらも季節。だから同じなんだと解説を入れてくれた。

 しかしだ、少しばかり残念なことを報告しなければならなかった。それは――――

 

『ぼくの【はる】、きせつじゃない』

「えーっ、そうなのか!? じゃあ、なんの【はる】なんだよ』

『おかあさんはたいようだって』

 

 偶然か必然かはわからないが、僕も母さんから自分の名についてのことは聞き及んでいた。そう、【はると】は【晴人】と書く。すなわち、太陽とか快晴を意味する言葉だった。

 知っていたから嘘をつかずに素直な報告をすると、ナツはその顔にありありと残念そうな表情を浮かべて不満そうに質問してくる。

 当時の知識力ではどうして【はる】が太陽にあたるのかが納得いかなかったのだろう。するとナツは、持っていた枝を放り投げて僕に指を差し――――

 

『はるとはいつもこまかいんだよ! おれとおなじはうれしくないのか?』

『ううん、ぼくもなるべくいっしょがいいな』

 

 幼少期のナツと言えば頑固さに加えて強引さも持ち合わせていた。まさにゴリ押しと取れるこの発言、今思えばナツも多くの意味で子供だったといったところか。

 だが、ナツにそう聞かれてからの僕の回答は嘘ではなかった。あの頃友達と呼べるのはナツくらいだったし、唯一無二の存在が一緒を喜んでくれるなら僕も嬉しかった。

 そして僕が肯定の姿勢を見せると、ナツは途端に嬉しそうな表情に戻った。そんな百面相にハラハラしながら次にどう出るかを待っていると、ナツはまたしても僕を指差してひとこと。

 

『よし、じゃあきょうからおまえはハルだ! だからハルはおれのことナツってよべよな!』

『わかった。じゃあ、ナツ』

『おう、ハル!』

 

 そう、全てはここから始まった。なんて、そんな大げさなことじゃないか。しかし、ナツが僕をハルにしたのだけは確かだった。

 だからナツが僕をハルと呼ぶのは、僕にとってとても特別なことなんだ。ナツにとっては……どうだろう。聞こうとも思わないからわからないな。

 でも、あの日のナツが喜んでいたのは確かだと思う。僕がナツと呼べば元から明るい表情を更に明るくし、同じく僕のことをハルと呼んでいたから。

 そして自身が命名したハルというあだ名を呼んでしばらく、ナツはまた僕の手を引いて公園の遊具へと突っ走って行った。

 うん、やはり強引のひとことに尽きる。けど、ナツのこういうところに僕が救われていたのは確かだったろう。

 なぜかって、あの日ナツが僕のことをハルにしてくれなかったとするのなら、きっと僕は――――今よりもっと、どうしようもない奴だったろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んっ……? ……げっ、居眠り!」

 

 ウトウト、ボンヤリとしていたことに気が付いた俺は、慌てて椅子から立ち上がった。なぜなら、ついさっきまで絵を描いていたはずだから。

 自室にある絵を描く専用のテーブルを物色すると、見事に涎が溜まった痕跡ができあがっていた。しかし、肝心の描いていた絵が見当たらない。

 

(えっと、確か……)

 

 確かそう、俺は自分の意志で居眠りを決め込んだんだった。それを思い出して引き出しを開いてみると、そこには完成間近の絵が描かれたスケッチブックが。

 よく見ると、机の上に色鉛筆が見当たらない。試しに持ち運べる程度の画材を入れたリュックサックを開くと、絵と同じようにしてしっかりしまい込んでいた。

 ふぅ、我ながらちゃんと片付けていたか。きっと、ナツがたびたびだらしないと叱ってくれていたからついた癖だろう。家には不在ながら、まるで拝むようにしてナツへ感謝を述べた。

 しかし、絵が無事とわかった途端にドッと疲れてしまった。せっかくの仮眠が台無し。本末転倒というやつだろうか。

 そうやって身体を椅子へと預けてみると、もはや集中力が切れたことを示すかのように、またしても睡魔が俺を攻め立てる。

 

(今日はここまでかな)

 

 本当はもう少し続けたいところだが、なにより気分が乗らない。こんな精神状態では満足のいく絵は完成しないだろう。

 時間を置くか日を改めよう。そう決意した俺は、画材をまた仕舞い直して背伸びをひとつ。そして時計へと目を向けた。

 十八時……。まだまだナツは帰って来そうもないな。今日は遅くなるって言ってたし。となると食事まではまだ時間がかかるということか。

 皆まで話してくれないからよくわからないが、なんだかナツは最近習い事を始めたらしい。けど、何を習っているのかは教えてくれない。

 秘密主義な両親のおかげでそういうのは慣れっこだが。それにしても、習い事をしてるのに家事をこなそうとしてくれなくてもな。

 ナツの負担を考えるのなら、俺ももっと本気で料理を覚える必要があるのだろう。しかし、ナツもこれだけは譲れないのだと折れてくれない。

 私の役目を奪わないで。それにハルだって部活とか絵を描くのとか忙しいでしょ。……とか言って。とりあえず逆らわないほうがいいと、本能的に察することのできる目つきをしてた。

 

(おっ、電話だ。……父さんから?)

 

 ナツに覚えた恐怖を思い出していると、ポケットにしまい込んでいた携帯が震えて俺に着信を知らせた。

 てっきりナツからだと決めつけていたが、画面に表示されていたのは父さんの三文字。電話をしてくることがまず珍しいために出鼻をくじかれてしまった。

 何も仲が悪いとか苦手意識があるということはないが、普段そういうことをしない人がするっていうのは不意打ちに似たものを感じる。

 俺は無意味に戦々恐々としながら、父さんとの通話を始めた。

 

「も、もしもし?」

『晴人か。済まないな、滅多に顔を見せてやれないのに電話など』

「そ、そんなことないよ、父さんが働いてくれてるのは俺たちのためなんだし。むしろ声が聞けただけでも嬉しいって」

『そうか』

 

 電話越しに聞こえる渋くどことなくダンディズムを感じる声。それは間違いなく父さんのもので、いきなり謝罪から入られて気が引けてしまう。

 しかし、そうかという言葉を最後に無言が続いてしまう。父さんはこうして口下手というか、少しばかり不器用なところがあるんだよな。

 その性格は恐らく母さんと真反対で、上手いことバランスのとれた夫婦だなというのが息子視点の感想だ。

 なんでもお互いに自分にないものを持っていたから好き合ったのだ、なんて思いきり惚気られた覚えがある。

 それはさておき、俺から切り出さなければこのまま無言が続いてしまいそうだ。相変わらず臆しながらだが、父さんに用事を問いただした。

 

「ところで、なんの用事なのかな?」

『実は駅前で一夏くんと出会ってな。今も隣に居るのだが』

 

 ナツが隣に……。そうか、それなら父さんは今日帰る気でいたんだろう。それこそ電話一本くらい入れてくれてもいいと思うが。

 ナツが話しかけたのかは謎だが、どちらにせよ父さんもナツの変わった姿形を見知ってはいたはず。母さんが無駄にパシャパシャと写真を撮っていたから、父さんの元へは送信されているだろう。

 父さんは男性、女性にかかわらず目下の人間を呼ぶときにはくん付けだ。おかげで一瞬混乱したが、だいたいの状況は整理できた。

 問題はというと、ナツと駅で合流したからどうしたという部分になる。

 

「えっと、それで?」

『三人で食事でも、という話になった』

「今から出られるかってことだね。わかった、準備ができたらすぐ出発するよ」

 

 父さんの口ぶりからして母さんは来られないんだろう。聞いたら残念がるどころか、十中八九拗ねるだろうから黙っておかないと。

 父さんと母さんが同時に忙しくない日のほうが少ないが、夫婦で会える時間が確保できているのかは心配なところだ。

 それと同時に、二人が不倫する心配なんていうのは全然していない。揃ったら今もなお熱々なのがよくわかるからなぁ。

 まぁフユ姉さんも入れた家族五人が集結するのはまた次の機会として、素早く俺も合流しよう。さて、まずは部屋着から外出用の私服へ……っと。

 そしてなるべく早い時間の電車に乗って揺られることしばらく、二人が待っているであろう駅へと到着した。

 改札を抜けて正面出入り口を目指すと、目的の人物たちがようやく見えてきた。

 

「二人とも、お待たせ」

「あっ、ハル! 思ったよりも早かったね」

「うん、電車の時間がちょうどよくて。それより父さん、久しぶり」

「ああ、晴人。元気そうでなによりだ」

「……うん、父さんも」

 

 急ぎめで二人に近づいていくと、ナツは大きく手を振ってこっちこっちと俺を誘導する。とりあえず待たせたことを謝っておいてから俺は父さんを視界へ捉えた。

 すらっと伸びた高い背丈、男性にしても短めの髪、どちらかというと気だるげな目つき、ファッションで伸ばしているであろう顎鬚。見るからにして大人の男、それが俺の父親である日向(ひむかい) 晴誉(はるたか)

 年齢は確か40ちょうど。年相応の落ち着きを感じ、息子の目から見ても余裕で俳優で通じるだろう美男だ。

 どうして美男美女な両親の間に生まれたというのに、俺はこうも普通の顔つきなんだろうか。性格からしても似てないし、失礼ながら本当に二人の子供か疑わしく思うこともある。

 でも元気そうだと頭を撫でるあたり、不器用なりに俺を愛してくれている証拠だろう。それを思うと、血の繋がりなんかあろうがなかろうがどうでもいいというのが率直なところだ。

 

「ところで、どこに行くかは決まってるの?」

「それはハルが来てから相談しようと思って」

「私はどこでも構わない。二人でよく話し合うといい」

 

 昨今の外食産業は苛烈を極めるばかりで、安価でそれなりの食事ができるのはもはや常識の域まで達してしまっている。

 ファミレス等のチェーン店へ向かうことになるのは確定だろうが、それでも選択肢なんて星の数ほどと表現しても過言ではないはず。

 ウチなんかはナツが食事を作ってくれるために、外食なんてものは滅多にしない。なので、ここは慎重に話し合う必要があるだろう。

 父さんの見守る中やんややんやと協議を続けていると、回転寿司ということで確定した。すると父さんが――――

 

「回る方でいいのか?」

「え゛!? い、いやいいよ回る方で……。ね、ナツ」

「う、うん。おじさん、たまにだからってそんなに張り切らなくても大丈夫ですよ」

「そうか。ならせめて、一皿100円程度のところは止めておこう」

 

 父さんにしてはキョトンとした感じというか、普通の人のテンションに例えると――――え? そんなところで本当にいいの? みたいなノリでそう聞いてきた。

 本当に父さんは外面では判断が難しいが、ナツの言ったとおりに張り切っているのは目に見えた。子供が遠慮するものじゃなとか思っているのかな。

 しかし、仮に回らないほうへ連れて行かれたとして居心地が悪い。庶民は庶民らしく、それ相応の贅沢というものがあるものだ。

 俺たちは問題ないというのを全力で伝えたつもりだったが、父さんはそんなことを呟きながら歩き始めてしまった。

 あ~……これは、うん、確かにかっこいいな。多くを語らず、早々に我が道を行くこのスタイル。母さんが惚れるのも無理はない。

 俺たちはせっせと歩く父さんの背中をしばらく眺め、自然と視線を合わせてしまう。苦笑いを浮かべてから、小さくなる父さんの背中を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おじさん、本当にごちそうさまでした」

「同じく、ごちそうさま」

「ああ」

 

 一皿平均300円くらいの回転寿司チェーン店へと連れて行ってもらい、俺たちは活きた魚介を満足いくまで堪能した。

 手を合わせて心からの感謝を伝えるも、父さんはひとこと返事をするばかり。内心では俺たちが喜んでくれて満足と思ってくれていれば幸いだが。

 ……やっぱり似てない。どうしてそこまで寡黙でいられるのだろう。かと言って俺だけじゃなく、父さんは爺ちゃんとも似てないし……う~ん、謎だ。

 

「えっと、すぐ会計?」

「あ、私ちょっとお手洗いにいってくるね。二人はゆっくりしてて」

「わかった。急がなくてもいいからね」

 

 これからの流れを確認しようとすると、ナツがトイレへと向かうために席を立った。これで俺と父さんが取り残されるかたちとなる。

 が、案の定というか父さんは喋らない。俺も黙ってその様子を見守るばかり。いや、本当に仲が悪いわけではないんだ。ただ共通の話題がないだけで……。

 いや、それが親子としては問題という話のなるのか? というか、こうやっていろいろ考えるから話しかけづらくなるんだろうに。

 そうだよ、もっとこう気軽に――――最近仕事とかどうなの? とか聞いて……。待て、なぜだか職業を隠したがっているのだからその話題では無意味か。

 

「晴人」

「ど、どどどど、どうしたの!?」

「一夏くんとは変わりないか?」

 

 話しかけないと話しかけないとと思っていただけに、父さんから声をかけてくることが意外でオーバーリアクションをとってしまった。

 そんな俺の不自然な様子も気にせず、父さんはつかぬことを俺に聞いてくる。

 父さんに限って茶化そうってことはないだろうし、その意図は――――ナツが女の子になってしまったことによって、何か悪化したようなことはないかと聞きたいのだろう。

 女の子になったナツと過ごし始めてからのことを思い出してみるが、特にそれらしいことが起こったことはない。

 確かに変に意識してしまうことは多々あるが、それを除くとほとんど前と変化はないと思う。そう、まるで、ナツが初めから女の子だったかのように。

 

「俺は特に問題はないよ」

「そうか」

「……父さんあのさ、ナツが無理してるように見える?」

「いや、特には」

 

 俺は特に問題はない。だがナツはどうだろうかと考えた時、問題ないわけないって、少なくとも俺はそう思う。

 けどそれは、本人に聞いたところで意味を成さない。聞いたところで、それが嘘でも真実でもナツは無理なんかしていないと答えるに決まっているから。

 思わず父さんにそう問いかけてしまったが、その答えはノー。それはそうだ、俺から見たって無理をしているような感じはない。

 けど、逆なんだ。ナツはここのところ不自然なくらいに楽しそうにも見える。それがより俺を混乱させ、どうしていいのかわからない状態へとさせるんだ。

 

「晴人」

「な、何?」

「気になるなら本人に聞け」

「そ、それはそう、なんだけど。その、俺にそういうのは――――」

 

 それはそれはド正論だったが、聞けないから困っているというのに父さんはスパルタだな。発破をかけようとしてくれているのはわかるけど。

 あぁ、本当に、そんな気軽に聞けるような性格をしていたら苦労はしていない。母さんみたく明るく元気でいられたら。父さんのように密かに懐が深ければ。そうでいられれば……どれだけよかったろうか。

 だから俺はダメなんだ。昔からナツの陰に隠れて、ナツに助けられてここまできたというのに。俺はナツに何もしてやれない。

 

「彼女は――――いや……。晴人」

「う、うん」

「自分をダメだと思うのはお前の勝手だが。晴人の中で彼女の考えを決めつけるのはよせ」

「っ!?」

 

 やはりこの人は俺の父親だ。少し陰った表情だけで、ネガティヴな言動をしていたのなんてお見通しらしい。

 だが父さんはそこに関して咎める気はないようだ。三つ子の魂百まで。人間幼い頃からの性格などそう変えようがないと諦めでもついているのだろう。

 しかし、後半の言葉は少しばかり厳しい口調だったように感じる。激しく怒る父さんなんて知らないが、これはこれで恐ろしいものがある。

 でも確かに、ここしばらくの俺は勝手な想像をしてばかりだ。それこそ、父さんの言うとおり本人に聞いてもいないのに。

 聞かないうちからそう返すであろうと勝手に想像し、決めつけ、端から行動すらしない。そう思ってみると、父さんにそう言われても仕方がないのかもな。

 

「晴人、お前は優しい奴だ。そこは誇りに思う」

「そ、それは、ありがとう」

「だが晴人、たまには相手を傷つけることを恐れるな」

「え……? ……ごめん、どういう意味かよくわからない」

「お前がしようとしているのは、間違いなく気遣いだろう?」

 

 普段から寡黙な父さんに誇りだなどと言われ、俺は本気でそれが嬉しくてたまらなかった。思わず顔が火照ってしまうくらいには。

 けど、次いで出てきた父さんの言葉の意味をすぐには理解できなかった。だってそれは、他人を傷つけてもいいのだというふうに聞こえてしまったから。

 だがさらに続いた父さんの言葉――――俺がしようとしているのは、間違いなく気遣いというその言葉は、まさに目から鱗というのがピッタリ当てはまった。

 無益に相手を傷つけるようなこと、それら総ては忌避して当然の行いである。しかし、善行の結果的に相手を傷つけた場合はどうか。

 これも決して誇っていいものではない。だが時には人間、気遣いの先に思った結果と違うことが起きるものだ。父さんはきっと、そう言いたいんだと思う。

 

「父さん。その、ありがとう」

「ああ」

 

 敬愛すべき父に感謝の言葉を述べると、なんとも言った甲斐のない台詞で返された。でもきっと、父さんはこれでこそなんだろう。

 後は終始無言な俺たちだったが、さっきまで気まずかったのに今もこれでいいとさえ思える。……父さんも、そう思ってくれていたら嬉しいんだけどな。

 俺が静かな親子の時間を楽しんでいると、トイレを済ませたナツが戻ってきた。

 

「ううっ、女子トイレ凄く混んでていろいろ危なかったよ……」

「そ、それは間に合ってよかったね。えっと、それじゃあ、帰ろうか」

「二人とも、私は社宅へ戻る。会計は済ませておくから、気を付けて帰るんだぞ」

 

 俺が立ち上がって帰るよう促すと、父さんはそのままの状態で店員呼び出し用のチャイムを鳴らした。俺たちに会えたから、家に帰る用事がなくなってしまったのだろう。

 外を見ると、既に真っ暗だ。父さんの言うとおり、夜道に気を付けておいて越したことはない。父さんの忠告に、俺たちは力強く頷いた。

 そうして皿の枚数を数える店員さんをよそに、もう一度ごちそうさまを言っておく。そうして、また会おうという別れの挨拶も一緒にしておいた。

 店を出ると、特にどこへ寄るでもなく真っ直ぐ駅へ向かい、そのまま帰宅する流れに。でもなんというか、さっきの話からして無駄にナツを意識してしまう俺がいて――――

 

「ハル、私に何か用事?」

「へ? いや、あの、い、今すぐには話せない……かな」

「ふ~ん……怪しいんだ。ならいいよ、駅まで競争! 負けたら白状してよね!」

「えっ!? その条件明らかに俺が不利――――というか、一応俺が勝った場合の条件も提示してよ! ねえってば!」

 

 流石に視線でも感じたのか、ナツは急に俺のほうへと向き直った。単純にそれに驚いてしまったのもあったが、いつもどおりたどたどしい口調で誤魔化したのが気に入らないらしい。

 確かに聞いてみる気にはなったけど、今すぐそうするつもりはなかった。だがナツはよほど気になるのか、白状せざるを得ないような条件を出しつつ一気に走り出した。

 というかもう、俺に負けることはないと思っているのか公平さが全く感じられない。そんな不満を漏らしてみても止まってはもらえず、そのまま追いつくことなく駅へとゴール。

 なんか前にもこんなことがあったようなと思いながら息を整えていると、ナツは早く白状するよう促してくる。

 でもいくら負けたとはいえ、やっぱりタイミングは今じゃない。どうしても話せない旨を伝えると、ナツは意外にも大人しく引き下がってくれる。

 ……うん、本当にごめんよ、ナツ。いつか絶対、キミに聞きたいことを聞いてみせるから。俺はそう、静かにナツへと誓いを立てるのだった。

 

 

 

 

 




要するに晴人のためのお悩み相談室。
これで次回は主人公するのでご安心を。

にしても話が進まない。
なので、こういう布石回になる場合は連投しましょ。
書き溜めに余裕がある時に限りますけどね……。
明日も更新するのでよろしくお願いします。





ハルナツメモ その4【あだ名】
晴人にとって一夏からもらった【ハル】というあだ名は本当に特別なもので、一夏以外にはやんわりと呼ばせないレベル。
いつもハッキリとしない性格であるが、この一点だけに関しては譲れないらしい。
このことから、晴人の根幹にあるのは一夏であるということがうかがえる。


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第6話 笑って生きよう

日常回と見せかけ実は重要な話。
一夏ちゃんの心理描写にご注目ください。


『あ、あの、それ返してほしいな。僕、まだ描いてる途中で――――』

『うっせー! 知ってんだぞ、お前の爺ちゃん有名人なんだろ。マネしてこんなへたっぴな絵描きやがって!』

 

 ――――また昔の夢だ。こんな頻度で見るなんて、最近はいったいどうなっているのだろう。忘れもしないあの日、僕が俺になった時のことだ。

 確か小学校一年生の頃、同級生のガキ大将みたいな子に描いていた絵を取り上げられたんだったっけ。普段からオドオドしている僕は、彼にとっては格好の標的だったんだろう。

 多分、僕が困ったり悲しんだりしてるところを見て楽しんでいたんだと思う。得てして人間そんなものだ。他人の不幸は蜜の味なんて言葉もあるんだから。

 

『ヘヘッ、こんなもんこうだ!」

『ああっ……!』

 

 あろうことか彼は、僕が抵抗する気がないのをわかっていて画用紙を破り捨ててしまう。だが僕は、それが真っ二つにされるのをただ黙って見ているしかなかった。

 だってそうだろ。仮に俺が抵抗したってそれは彼を更に面白がらせるだけで、返り討ちに合うのが関の山だ。

 自分にそう言い聞かせた俺は、ただ彼が自分に興味を失って立ち去るのをひたすらに待つ続けた。ただ彼を面白がらせないためだけに全力を注いだ。

 その時だった――――

 

『お前、ハルに何やってんだ!』

『ナツ……』

『……っ! ハルの絵、破いたのかよ……。ハルが一生懸命描いてた絵なんだぞ……。お前はそれを……。許さねぇ! ハルに謝れ!』

『な、なんだよ! 文句があるならぶっ飛ばしてやる!』

 

 僕を探しでもしていたのか、そこに現れたのはナツだった。半泣きで散り散りになった紙を集める僕を見て状況を把握したらしく、ナツは一気に感情を爆発させた。

 こういう状態のナツは、例えどんな相手でも掴みかかっていくのだろう。今回もその例に洩れず、体格のいいガキ大将に躊躇なく詰め寄って行った。

 そこからは大立ち回りというやつで、二人はドタバタと砂埃を巻き上げながら殴る蹴るの喧嘩を繰り広げ始める。

 そして両者とも砂まみれになった頃、ナツのマウントポジションから放つ強烈なパンチがガキ大将の顔面にモロ入った。それが決め手となったのか、彼は大泣きしながらどこぞへと走り去っていった。

 

『……ったく、情けないやつ。ハル、大丈夫か』

『大丈夫かって、ナツの台詞じゃないじゃないか……。そんな、くだらないことで傷だらけになって。絵なんて、またいくらでも描き直せるのに……!』

 

 ナツは身体中に着いた砂を叩き落としながら、逃げて行くガキ大乗の背中に辛辣な言葉を投げかけた。

 けどそれはナツの台詞じゃない。僕がナツに言うべき台詞だった。

 だからものすごく情けなかった。僕は実害があったわけでもないのに。だから少し馬鹿らしく思えた。また描き直しができるのに。

 今度こそ僕が泣きながらそう伝えると、ナツまで怒り出してしまうではないか。

 

『くだらなくなんかねぇよ! ハルの努力を、ハルがくだらないなんて言ってんじゃねぇ!』

『けど……』

『けどもへったくれもあるか! いいかハル。相手が誰だろうと、俺はお前の努力を笑うやつがいたら許すつもりはねぇからな! 俺はハルが頑張ってんのを知ってんだよ! じっちゃんみたいな絵描きになりたいって頑張ってんのを、俺は近くで見てきてんだよ! それを、こんな……!』

 

 僕には始めどうしてナツがそんなに怒っているのかが理解できなかった。あれは僕が描きかけだった絵であって、ナツには関係のない話だっていうのに。

 けれどナツの、打ち捨てられた画用紙の残骸を拾うナツの悔しそうな表情を見て気が付いた。きっとナツは、怒らない僕の代わりをしてくれているんだって。

 それは確かに悔しくはあった。けど、下手な絵というのも間違ってはいない。描き直せばいいというのも本心だ。どちらかと言えば悲しいのであって、憤りに関しては全く感じていなかった。

 そんな僕に代わってナツは――――怒って、嘆いて、悔やんで、僕を励ましていてくれているんだ。そう考えた途端に、僕は――――

 

『ナツ、ごめん……。僕がもっと、もっとちゃんとしてれば、ナツが……!』

『泣くなって、こんなの怪我のうちに入らないからさ』

 

 この日のナツは、僕の嗚咽交じりの言葉をこう解釈したことだろう。僕がもっとしっかりしていれば、ナツが怪我することもなかったろうに……って。

 けど、違う。そうじゃないんだよナツ。僕が言いたかったのは、ナツが僕の代わりをすることなんてなかったのにって、そう、言いたかったんだ。

 ナツが僕の代わりに怒ったりとか悔しがるのは凄く嫌だった。僕が嫌な気持ちをする以上に、嫌な気分が胸中を渦巻いて仕方ない。

 僕がそんな気持ちにさせた張本人だという事実は、更に僕を嫌悪の坩堝へと落としていく。もはや真っ直ぐナツを見れないくらいに、僕はただ悔しくて――――

 

『ん~もうちょっとこう、ハルがなめられないで済めば――――あ、そうだハル。自分呼ぶの、僕から俺に変えてみろよ』

『え……?』

『口調とかオドオドしたの今すぐ直せとは言わねぇ。というか、別に俺は直さないでいいと思うけどな。でもよ、僕と俺とじゃ少しでも自分にガッツみたいなのを入れられるんじゃないかなって』

 

 ナツは四つん這いになっていた僕の顔を上げさせると、いいことを思いついたぞとどこか得意気な表情を浮かべた。

 そしてピッと人差し指を立て、とりあえず一人称を僕から俺へ帰るところからやってみようと提案してくる。

 そういうナツは僕を責めようという気は全く見られず、心底から僕がもっと力強くいられるよう願ってくれているのがよくわかった。

 瞬間、またしても目頭が熱くなっていくのがわかる。ナツはこんなにも僕のことを想ってくれているのかと。だから僕は、ナツの期待に応えたいという一心で――――

 

『あ、あぁの、その、お、お、お……俺……?』

『……ブッ! ハッ……ハハハハ! ハル、なんで自分のこと俺って言うだけでそんな不安そうなんだよ!』

『だ、だって、多分変だし、似合わないと思うから……』

『気にすんな、そのうちハルも周りも慣れるよ。じゃ、ハルも一歩前進したことだし帰ろうぜ』

『……うん』

 

 決意を新たにハッキリ俺と宣言するつもりだったが、直前で萎縮してしまう。最終的には疑問形交じりの俺が飛び出るではないか。

 そんな俺が可笑しかったのか、ナツはしばらく腹を抱えて笑い転げた。ナツに悪気はなかったろうが、羞恥で顔に熱が集まってしまう。

 でも、ハルがひとしきり笑った後に言った慣れるという言葉はどうも心強かった。まるで、そのうち胸が張れる時がくると言われているようで。

 そうしてナツは立ち上がると、未だ座りっぱなしだった俺へと手を差しのべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起きてーっ!」

「わーっ!? なになに!? なにごと!?」

「何じゃないよもう。珍しく全然起きてくれないから心配するじゃない」

 

 突然耳元で鳴り響いた大声に驚いた俺は、布団を蹴散らしベットから転がり落ちるように飛び出た。まだ寝ぼけた頭で何が起きたんだと前方を見渡すと、ナツが目の前で仁王立ちをしているではないか。

 珍しく寝覚めが悪い……? その言葉からして、何度も起こしに来たということなのだろうか。どちらにせよ心配はさせてしまったらしい。

 多分だけど昔の夢を見ていたからだろう。俺にとっては始まりの日であると同時に、ナツにあんな想いをさせた日でもあるわけで。

 まぁ、とりあえず謝っておかないと……。……今謝ると、違う意味も込めてしまうかも知れないが。

 

「ごめん、心配かけて」

「ううん、それだけ大騒ぎできるなら大丈夫だよ。私のほうこそ、驚かせてごめんね」

「じゃあ、えっと、おあいこってことでひとつ」

「フフっ……。そうだね、そうしよっか」

 

 それこそ平日だったら布団を引っぺがされていたろうが、最大まで放置しておいてくれたのはナツなりの慈悲だろう。

 それにつけても限界がきたゆえの大声だったわけで、やはり迷惑をかけたのなら謝るというのは共同生活を送る上での鉄則だ。

 それでいて、ナツのように許すことも……かな。かれこれ十年にも及ぶ同居してきたが、こうして尊重し合うことで特に大きないざこざも起きたことはない。

 そうして俺はまた、差し伸べられたナツの手を取って立ち上がった。

 

「ん~……! 日差しが気持ちいいね~」

「そうだね、絶好の洗濯物日和って感じで」

 

 朝食を済ませた俺たちは、いつものように協力して洗濯物へと取り掛かる。とはいっても、後は干すだけで完了の段階だが。

 庭先に出ると、ナツは爽やかな日光を浴びながら大きく背を伸ばす。時分は春。ポカポカ陽気に包まれるのが気持ちいいというのは全面的に肯定だ。

 それだけでなく、単純に干した洗濯物が乾くというのは精神衛生上非常によろしい。逆に雨だとすごく憂鬱な気分だ。スケッチもし辛い天候だしね。

 

「それじゃ、始めよう。ハル、いつもどおりお願いね」

「うん、任せて」

 

 ナツもいい天気で気合が入るのか、フンスと鼻息を鳴らして開始を宣言。いつもどおりにという言葉を受け、いつものように洗濯籠へ手を伸ばす。

 しわにならないよう丁寧に扱いながら服をハンガーへ引っ掛けると、それを更に物干し竿へ。そんな単純作業を機械的にこなしていった。

 見る見るうちに洗濯籠の中身は減っていき、俺たちの慣れというものが伺える。初めは普通に身長が足りないで苦労したものだが。

 ……それにしても、この光景もなかなか絵になるのかも知れない。爽やかな風に揺られる服やタオルなどの洗濯物。それが爽やかな青空の下……か、ふむふむ。

 

「ハル、お疲れ様」

「ナツのほうこそ。お疲れ様」

 

 構図やら配色やらを脳内シミュレートしている間に干す作業は終わり、ナツが俺を呼ぶ声で意識が一気に引き戻された。

 いけないいけない、ボーっとしていてナツに怒られるところだった。まぁ心配して言ってくれているのはわかるけど。

 さて、この後は各所の掃除をしないとならない。手早く戻って手早く終わらせよう。そう思って縁側からリビングへ戻ろうとすると、ナツが俺に声をかけてきた。

 

「ねぇ、少し休憩しようよ。せっかく日差しも気持ちいいんだし」

「いいね。たまにはひなたぼっこもオツってやつかも」

 

 ナツのほうに目を向けてみると、縁側に腰掛けて俺に手招きをしていた。休憩がてら、もう少しこの爽やかな日差しを浴びようとのこと。

 それは大いに賛成だった。確かに今日の日差しは格別快い気がしていたところではある。そういうわけで、俺もナツに倣って縁側へ腰を下ろす。

 今となってはこの距離感も慣れたものだ。かつてなら遠慮していたこと請け合い。ナツの放つフローラルな香りには未だドギマギさせられるが。

 それでもこうして他愛のない話をしていれば気が紛れ、俺たちの間には一見穏やかな空気が流れる。そう、一見は……ね。

 やはり解せない。ナツの醸し出すこの楽しそうな様子はいったいなんなんだ。ここのところ男だった時よりもいっそう顔つきが明るい気さえする。

 ……たまには相手を傷つけてしまうことを恐れるな。ここはハッキリさせておくべきだろう。ずっと俺の中でわだかまりだった、その笑顔は本物なのかということを。

 

「ナツ、ひとつだけいいかな」

「いきなりどうしたの?」

「キミ、最近無理とかしてない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キミ、最近無理とかしてない?」

 

 さっきまで日常会話を楽しんでいたというのに、急に真剣な顔つきをしたハルがそう切り出した。無理? 無理とはいったいなんのことを言っているのだろう。

 家事のことか? 確かに習いごとの影響で時間が足りない日もあるが、別に無理をしているということはない。ハルの世話は俺がやりたくてやってるわけだし。

 でも無理と言われると家事全般のことしか思いつかない。他の例を挙げようと腕組しながら頭を捻って考えるも、それらしいものはなにも浮かばなかった。

 

「ごめん、なんのことかいまいちわからないや」

「……キミは、ナツは、どんなに辛い時でも大丈夫だって笑うだろ。昔なら間違いなく見抜けた自信はあるけど、今はわからないんだ。だって今のナツは、昔のナツよりずっと楽しそうに見えるから」

 

 素直に教えを乞うことにすると、ハルはなんとも言いにくいかのように俯き加減にそう尋ねてきた。辛い時だって……か。確かに心当たりはある。

 千冬姉の影響か、はたまた両親が俺たちを捨てた事実があるせいか、潜在意識的に強く生きなければと思っている節はあるかも知れん。

 単純にハルに心配をかけたくないというのもあるのだが、この調子ではどうやらバレバレだったみたいだ。それはさておいて、本題に戻そう。

 ハルはどうやらここ最近の俺が無理して笑っているように思えたらしい。その原因は、ここ最近の俺がかつての俺より楽しく生きてるふうだから、だそうだ。

 そのかつてというのは間違いなく男の時より。俺としては口調と仕草が変わっただけでかつてのように過ごしていたつもりだが、ハル視点ではそう見えていたようだ。

 困ったな、全く自覚がないからなんとも言いようがない。しかし、それこそ俺が無理をしていない証拠なのだろうけど。でも昔のように見抜けないらしいから嘘ついてるって思われたら困るしな。

 

(いや、でも……)

 

 ……楽しいような気もしてきた。そりゃ最初はいろいろ大変だったけど、弾を始めとした男女問わずかつての友人たちの反応もあまり大差ない。

 不安の裏返しというやつだろうか。受け入れてもらえなかったらどうしようとか考えていたしで、肩の荷がおりたとでも言えばいいのかな。

 そしたら一気に吹っ切れたというか、女の子として過ごすのも苦を見つける方が難しくなった。たぶん女子たちと深い友人関係を結ぶようになったからだろう。

 女装という感覚は薄れないながらも、ファッションに気を遣うのってけっこう楽しいもんだ。あ、やっぱ俺楽しんでんじゃん。

 まぁなにより、ハルが今までどおりでいてくれるのが一番の救いなんだけどな。そうでなければ俺は、こんな考えはもたなかったはずだろうから。

 あぁそういえば、ハルに料理の腕が上がったのではと言われた時には本当に嬉しかった。ハルに美味しいと言ってもらうのもここいらは楽しみで――――

 

(……なんだ、思ったよりも俺は――――)

「えっと、ナツ。回答に困るんなら別に、その、聞かなかったことにしてくれても大丈夫だけど」

「楽しいよ」

「え?」

「うん。私、楽しく生きてる」

 

 この感情が心まで乙女に染まりつつあるせいかはわからない。けど、どうやら俺は男の時よりも人生を謳歌しているようだ。

 それら全てはハルがくれたもので、ハルと共にあれるから俺はそう思えるんだと思う。だって俺とハルは、十年もの歳月を重ねてきたのだから。

 ハルと話すのが楽しい。ハルに食事を作るのが楽しい。ハルと過ごす一分一秒が楽しい。そう思えるのは、それが当たり前のことではないと気づけたから。

 だってそうだ、俺が女の子になって拒絶されていれば、ハルといて楽しいなんて思えるはずもない。そうか、そうなんだ。この何気ない時間は、とても尊いものなんだ。

 

「だからハルはさ――――」

「むぐっ……!」

「もっとたくさん笑って?」

 

 ハルは元からあまり笑わないやつだ。微笑みを浮かべるようなことはあるけど、俺でも腹から笑った姿はほとんど見た覚えがない。

 それ以外の時はなんだか難しい顔つきなことが多く、何をそんなに思い詰めるのかと心配になるくらいだ。

 しかもハルが考え込むような様子を見せる機会はここのところ増える一方。そう、ちょうど俺の姿がこうなった時期ほどから。

 そう思うと、なんだか悔しさが込み上げてくる。ハルこそが俺を笑顔で居させてくれているのに、そのハルは俺が原因で考え込むなんて。

 だからこの際物理的でもなんでもいい。俺はハルの頬を優しめに撮むと、少しだけ力を込めて口角を上げさせた。

 しかし、口元だけ笑顔になっても目元に変化がないのでどうにも違和感が残る。そんなハルの中途半端な表情を前に俺は――――

 

「……プッ…………」

「笑ってって言っときながら、人の顔見て笑うのはどういう了見!?」

「ごめんごめん、ちょっとシュールだなって思っちゃって」

「まぁ、うん、肝に銘じてはおくけどさ」

「あ、今笑った」

「え? そ、そう?」

 

 こういう時ほどハルの反応は早いもので、頬を紅く染めながら俺に抗議をぶつけてきた。即座に手を離して謝ると、ハルはまったくとでも言いたげに口元を撫でる。

 そしてハルの手が口元から遠ざかった一瞬、ほんの一瞬だがその顔が自然な笑みを浮かべていることを見逃さなかった。

 思わず指を差しながらそう指摘すると、ハルは自分でも笑顔だったことに気づいていなかったような反応を示す。そうしてまた、なにか考え込むような表情に戻ってしまった。

 これは失敗だったと眺めていると、ハルはなんだか言い辛いことなのか、ゆっくりひとことずつ紡いでいくかのように言の葉を飛ばす。

 

「ナツがくれたものだと思う」

「へ?」

「喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも、全部ナツが俺にくれたものなんだ。キミに、もう俺の代わりはさせたくないから」

「ハル……」

「だから、そうだね。なるべく笑って生きよう。俺も、ナツも」

「……うん!」

 

 ハルがそう言ってくれるのは嬉しかったが、正直何を言っているのかはよくわからない。特に後半部分の、代わりはさせないという部分。

 それはきっとハルの中に確と存在する信念か何かで、いくら俺とて気安く触れていいところでもないのだろう。

 というよりも、今はただ他のことに集中したい。この胸の奥に宿るような、温かく、それでいて切ないようなこの感覚に。

 これの正体こそまったくわかったものではない。けれど身を委ねずにはいられない。手放すにはあまりにもおしい。なぜだかそう思える不思議な感覚だった。

 すると、次第に我が身が熱を帯び始めていることに気が付いた。笑って生きよう。そう言って照れたような笑みを浮かべたハルを見ていると、カッと燃え上がるかのようで……。

 

「よーっし、休憩終わり! ハル、気合入れ直して頑張ろう!」

「ん、了解。じゃあ俺はいつもどおり水回りを」

「お風呂場、足滑らさないように気を付けてね。昔みたく大事はヤだよ」

「い、いちいち蒸し返さないでいいじゃないか。だいたい、あの時もみんな大げさなだけで――――」

 

 俺に残されている選択肢と言えば、込み上げてくるなにかを誤魔化すように振る舞うくらいだった。勢いよく立ち上がれば、いつもの調子に戻れた気がする。

 ハルもそんな俺の姿を見てから立ち上がり、どうにもノソノソと動くようにしてリビングのほうへと戻って行った。

 基本的に水回りがハルの担当ということになっているが、かつて風呂掃除中に派手に転んで大きなたんこぶを作ったという前科がある。

 それ以降俺の心配は晴れないもので、再三注意するもあまり聞き入れてはもらえない。多分だが、本人からすると抹消したい記憶なのだろう。

 しかしそうは問屋がなんとやら、逃げるように奥へと進むハルへ最大限注意を払うよう促しておいた。

 最後のほうは観念したのか、こちらへ向き直りつつ終始殊勝な態度で俺の言葉を聞き入れてくれるように。

 そして指令を与えるかのようにビシッと敬礼を送ると、ハルは慌てながらも敬礼をしてからキビキビと風呂場へ向かって行った。

 その背を小さく笑いながら見送ると、俺もリビングを掃除すべく掃除用具を手に取った。

 

 

 

 

 




一夏ちゃんの心内を書いている時が一番筆が進みます。
今回で晴人との日常が当たり前のものではないという認識になりました。
つまり一夏ちゃんの中で晴人が特別なものという認識であるのと同義でして。
つまり……? ウフフ……今後の展開を待たれよ。


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第7話 託された願い

お気に入り登録が100件を超えました。
誠にありがとうございます。
これからもコツコツ頑張るので応援のほどよろしくお願いします.

さて、恐らくは晴人の身内である最後の一人が登場する回です。
……と言いつつ、作中では既に故人ですが。
晴人が悩んだらちょいちょい出てくるとは思いますけれど。


「失礼しました」

 

 放課後に職員室へ来るよう呼び出しを喰らった俺は、説教というより有難いお小言を貰ってから教師のたまり場を後にした。

 これだけ聞けば俺が問題行動を起こしたように聞こえるだろう。確かに、ある意味ではいじめの主犯とかで呼び出されるのよりも問題なのかも知れない。

 職員室を出る前に担任の先生から受け取った一枚の紙を手にし、俺は出先の廊下で盛大な溜息を吐いた。すると、真横から俺に声をかける人物が。

 

「問題児さん、何をやらかしたの?」

「わっ、ナツ。ごめん、待っててくれたんだね。でも、その性質の悪い冗談は勘弁してよ」

 

 先に帰ってと言っておいたせいか、居ると思っていなかったぶん驚きも大きい。俺を問題児と称するその顔は悪戯っぽく、すぐに冗談というのは理解ができた。

 きっと、俺が単体で先生に呼び出されるのがレアでからかってみたくなったのだろう。弾と数馬に巻き込まれる場合はままある。

 だけどそれを抜きにしたって問題児というのは少しどうなのだろうか。困った様子でそう返すと、ナツは軽い調子でごめんごめんと謝罪を述べた。

 

「でもホントになんの用事?」

「う~ん、ここではちょっと……。帰りながら話すよ」

 

 いつまでも職員室前でたむろするのもよくない。そういう理由もあるが、個人的にこの要件は学校で話す気にはなれなかった。

 だが逆に、誰かに相談したい案件であるというのも確か。まぁ誰かにって、ナツに聞いて欲しいと言った方が的確ではある。

 そういうことなので、廊下の先を突くようなジェスチャーを見せ、とりあえず歩こうとナツに促す。ナツの返事を待ち、それから俺たちは連れ立って歩き出した。

 昇降口で上履きから靴へと履き替えしばらく歩いて校門へ。するとそのあたりで、立て込んだ話なら買い物の後でも構わないかと聞かれた。

 ……なら俺が聞いて欲しいのはバレてるのね。さいですか。いつしかナツが理解の早い幼馴染はいいものだと皮肉交じりに言ってきたが、なんだかやり返された気分になってしまう。

 帰り道の途中にあるスーパーへと立ち寄って夕食の買い物を済ませると、ナツが持ち歩いているエコバッグを半分ずつ持ちながら再び帰路へつく。

 ナツが女の子になってからは俺が持つと言っているんだが、どうにも俺ばかりに負担はかけたくないとナツの頑固が発動して今に至る。

 ナツ曰く折衷案らしいんだけど、これはどうも周囲の視線が生暖かくて苦手だ。やっぱり止めないかって提案したらなぜかむくれるし……。

 

「ハル、そろそろ話せそう?」

「へ? あ、ああ、うん、そうだね、大丈夫、話すよ。ええと――――」

 

 気恥ずかしさが原因で悶々とした考えを浮かべていると、不意にナツが再び質問を投げかけてきた。羞恥心を振り払うかのように、どもりながらも悩みを打ち明ける。

 俺の悩みというのは、この先の進路について。つまり、どこの高校を受験するかについて悩んでいるんだ。

 先生に呼び出されたのは、進路希望の提出をいつまでも先延ばしにしていたから。もらった紙は早く提出しろという暗示なのか、もう一枚希望書をわたされたということ。

 

「悩んでるんだ? てっきり美術科のある高校一択と思ってた」

「ああ、やっぱりナツでもそう思う?」

 

 悩みと呼び出された理由を語って聞かせると、ナツはとてつもなく意外そうだとでも言いたげな視線をこちらへ向ける。

 なんというか、周囲の人たちはどうにも俺がそういう道を進んで当たり前と思っているようだ。多分、誰に話しても似たような反応だと思う。

 それを理解が足りないとは言わない。だって俺の面倒くさいところが発動してる自覚はあるし。けど、けどなぁ……どうにも踏ん切りがつかないでいる。

 

「どんなものごとだって、一生勉強とか研鑽を続けるものだと思うんだ。それこそ俺なんてまだまだだし、そういう学校に行って経験を積みたいって考えはある」

「そんな立派な考えがあるんなら、行くだけでも価値はあるはずだよ」

「……それがさ、その先を考えてしまうんだよね。きっと、芸術家として最大のご法度をさ」

 

 踏ん切りがつかないのは単純明快、俺の臆しがちな部分がそうさせている。なにかって、現実はそこまで甘くはないってこと。

 仮に美術科のある高校ないし美術専攻の学校なんかに通って、そこからさらに美大にでも進学するとしよう。さて、その先はいったいなにが待ち受けているのだろう。

 それは社会の荒波というやつ。それでなくともお金の回りが寂しい昨今で、果たして新進気鋭の芸術家が食べていけるだろうか。

 いやいや、俺だって自分の絵をお金儲けのために描くつもりなんて毛頭ない。描きたいから描いてるだけであって、そういうのは後から着いて来るものだ。

 けど、それこそ現実は甘くないというもの。社会に出たなら何かしら職を手に付けお金を稼ぎ、自分自身で生計を立てるのも大事なことだ。

 何も美術を専攻したからといって絵関係の職に就かなければならないとも思ってはいない。しかしだ、現実的な発想が最初から浮かぶくらいなら趣味の範囲で留めていたほうがいいのではとも思う。

 爺ちゃんを見てきたからわかることだが、職にならないようなことを貫き通せるのは命を懸けているからだと感じた。

 俺には多分、そこまでの覚悟はない。だからこんな中途半端な奴がそういう道を選ぶのは、命を懸けられる人たちに失礼なんじゃないかって。

 

「あ~……それはなんというか、ハルの主張も間違ってはないかも。私としては手放しで応援してあげたいんだけどなぁ」

「ナツはさ、夢とかある? フユ姉さんに恩返しするとか以外で」

「夢? ……うん、実は最近できたんだ。どうしても、叶えたい夢ができたの」

 

 俺が悩みと自分なりの考えをそのまま伝えると、ナツは額に手を当てて俺の比じゃないくらいに難しい表情を浮かべた。

 ナツの応援したいという言葉が俺にそこはかとなくダメージを発生させるも、想ってくれているというのは嬉しく結果的には五分五分といったところか。

 悩みを聞いてもらう時に質問してみようとは思っていたが、 参考までにナツの進路について話してもらおうかとたずねてみる。

 叶えたい夢ができたのだと語るナツの目は、なんだか物理的ではない遠くを見据えていたように思う。そしてこれは、深く聞いてはならない案件らしい。

 なんとなくだが、ナツが習い事のことをはぐらかすときと同じオーラを感じたから。きっと俺に話せないそれ関係のことなんだろう。間違いなく立派な夢には違いない。

 

「そっか、応援してるよ。頑張って。力になれることがあれば――――」

「ハルは私のことより自分のことを考えなきゃダメでしょ」

「ごもっとも……」

「……そうだ。ハル、今度の休みにアトリエへ行ってみない?」

 

 俺なんかでも少しくらいナツの役に立てられればと思ったんだが、確かにナツの言うとおりにまずは自分のことを優先して考えなくては。

 だがどうにも、やはり誰かに相談してなんとかなる問題でもなさそうだ。目指すにしても止めるにしても、どちらかに傾くような大きなきっかけが欲しい。

 どうしたものかと頭を悩ませていると、ナツはいいことを思いついたと新たな提案を出してくれた。持つべきものは幼馴染である。

 ナツの言うアトリエというのは、もちろんだが爺ちゃんが所有していたもので、俺は爺ちゃん亡き後の管理を任された身だ。

 どうしても集中したいときとかは使っているが、後はたまに掃除をしに行くくらいのものだ。だが、爺ちゃんの作品等はあの日のまま時が止まっている。

 ナツはきっと、爺ちゃんの作品や思い出に触れられれば掴めるものがあるかもと言いたいのだろう。

 

「……うん、そうしてみるよ。今は少しでもヒントが欲しいから」

「決まりだね。それじゃ、次の日曜日ということで」

 

 やはりナツに相談してみて良かったと思える瞬間だ。俺一人でウダウダ悩んでいたとして、アトリエに向かうなんて発想は浮かばなかっただろうから。

 ナツの提案に肯定の姿勢を見せると、なぜだかナツも一緒に来る気らしい。そうまでしてもらうのは申し訳ないような気もしたけど、否定するとまたむくれるから止めておくことにしよう。

 そうしてやってきた次の日曜日、画材一式を詰め込んだリュックサックを背負っていざ爺ちゃんのアトリエへ。

 場所はそれなりに遠いもので、自転車とかで向かえないこともないが電車のほうが楽でいい。そうして移動することしばらく、木造でどこかアーティスティックなデザインの建物を見上げる。

 その建物には大きな看板が掲げられており、アトリエ燦々と銘打っていた。これこそが俺の祖父、日向(ひむかい) 晴善(はるよし)の作品が生み出されていた場所。

 最近は来ていなかっただけに、爺ちゃんへの懐かしさを感じつつ鍵を開ける。扉をくぐると少々埃っぽいものの、息をするのもしんどいということはなさそうだ。

 

「……本当に、ここはいつ来ても寂しい気分になるね」

「……いつまでもこうしてたって、何も前に進まないのはわかってるつもりなんだけど」

 

 アトリエ内をグルリと見まわしたナツは、飾りっぱなしの爺ちゃんの作品へと近づきそう呟く。やはり時が止まっていると感じずにはいられないのだろう。

 たまにここへ来ては掃除をするとは言ったが、移動させた額なんかもキッチリ同じ位置に戻すようにしている。

 それが俺の爺ちゃんに対する未練というものを顕著に表していた。まだまだたくさん、爺ちゃんとしたいことが山ほどあったから。

 ……いけないいけない。悩みを払拭させるためにやって来たというのに、爺ちゃんのことを残念がっている暇はない。

 その解決策とするならばやはりあれか。画板に固定されたままの画用紙。そこに描かれているのは青空と太陽のみ。

 これこそが爺ちゃんの遺作であり、無念にも描きかけで終わってしまった未完の名作。そして、俺へと引き継がれた作品だ。

 

「それ、例の課題だっけ」

「うん。爺ちゃんが俺に遺した最後の課題だよ」

 

 ――――そう、未だに終えることのできない爺ちゃんの課題。

 

『爺ちゃん!』

『晴人か? ほぅ、偉いじゃないか。一人でここまで来られ――――ゲホッ! ゲホッ!』

『はぁ……はぁ……! 爺ちゃんが、病院抜け出したって聞いて、それで、絶対ここって思ったから……!』

 

 五年ほど前のあの日、自宅に病院から連絡があったのを聞いてアトリエまで飛んできた。重い病気を患っているはずの爺ちゃんの姿がないのだと言うではないか。

 アトリエへ来てみれば案の定、爺ちゃんはまるで当たり前のように画用紙へ色鉛筆を走らせている。だが無理をしているのは明白。苦しそうな咳が全てを物語っていた。

 近づいてみたらなおのこと。脂汗が浮いているし顔色も良くない。何より、爺ちゃんの色鉛筆を持つ手は小刻みに震えていて――――

 俺はなんとも情けない声を上げ、爺ちゃんに懇願するようにして安静を促す。

 

『ねぇ、お願いだから大人しくしようよ! 爺ちゃん、じゃないと本当に――――』

『晴人、これを見てみなさい』

 

 必死に爺ちゃんの腕を掴んでそう訴えてみるも、まるで俺の声なんて聞こえてやしないかのように振る舞われてしまう。

 爺ちゃんは俺の肩を掴むと、自分の正面に立たせて描きかけの絵を見せてくる。そこには、本物と見まごうようなタッチで描かれた太陽が大きく写されていた。

 リアルな描写は爺ちゃんの得意とするところで、細かな色分けで精密に描き、写真のような絵は日向 晴善の代名詞でもある。

 しかし、そんなことは孫である俺にはなんの新鮮味もない。なぜそんなことを今と不安な顔で爺ちゃんを見上げると、その大きな掌で俺の頭を撫でつつ爺ちゃんはこう言う。

 

『この絵は、どうか晴人に完成させてほしい』

『え、いや、あの、なんで、そんな』

『ワシはもうすぐ死――――ガッ……! グフッ!』

 

 太陽の元に照らされている何かを描き切ってしまえば完成だろうに、爺ちゃんは残りを俺に任せたいのだと言う。

 俺にはその意図が全く読めなかった。作品の残りを他人に任せようとすることそのものが理解できなかった、とでも言ったほうが正しいのかも知れない。

 そうやって爺ちゃんの意図もわからずただ画用紙を見つめていると、爺ちゃんが大きな咳とともにフローリングへと膝をつけるではないか。

 

『爺ちゃん!? 爺ちゃん、しっかり!』

『晴……人……。人を喜ばせようとして、絵なんて描くものでは……ない……ぞ……。どうか思うままに……思うとおりに……晴人の本当に描きたいものを……ゴフッ! 描く……といい……ゲッホ! ガハッ!』

『もう止めて……止めてよ爺ちゃん! 絵のことなんて今はいいから……。長生きしてくれたほうが、ずっとずっと嬉しいから! 俺だけじゃないよ、父さんや母さんや、ナツにフユ姉さんだってきっと――――』

 

 次第に爺ちゃんは息も絶え絶えの様子になっていき、呼吸をするたびコヒューと空気の抜けるような音が聞こえた。

 上手く呼吸すらできていないということは子供だった俺にもわかり、俺に何か伝えようとしているのをまともに聞いてはいられない。

 そんな悲痛な爺ちゃんの姿はいよいよ見てはいられず、俺は大粒の涙を流しながら無理をするのを止めさせようとする。

 しかし爺ちゃんも己の死がすぐそこに迫ってきているのがわかっていたのか、向こうも俺を無視するかのように伝えたいことを述べていく。

 やがて爺ちゃんの咳きこみに血が混じり始めた頃、ともかく長生きしてほしいと、気でも変わってくれたらと説得を続けるが――――

 

『だからどうか……晴人の本当に描きたいもので……ワシの作品を埋めておくれ……』

『嫌だ、俺は描かない! 爺ちゃんが自分の手で完成させれば――――』

『晴人……ワシはな……お前と一緒に絵が描けて……本当に……しあ……わ……せ……――――』

『…………爺ちゃん? 爺ちゃん。……爺ちゃん! ねぇ、爺ちゃんってば! 返事をしてよ、爺ちゃぁぁぁぁああああん!』

 

 しばらく取り乱してしまったが、すぐさま救急車を呼んだ。しかし、後に聞いた話では俺に全てを伝えきったころには既に息を引き取っていたらしい。

 爺ちゃんを看取った医師はこうも言っていた。人とは時折科学で証明されている事柄をも超えて行くと。

 どうにも爺ちゃんは歩けるような状態でもなかったようで、本当に最期の力を振り絞ってアトリエへと足を運んだんだとか。

 ……もしかすると、ここへ来れば俺がやって来るとでも考えたのだろうか。今となってはそれはわからないが、もしそうだとするならば、なおさらこれを完成させないわけにはいかない。

 

(いかない、のにな……)

 

 ずっと、ずっとだ。あの日以来、頭と心の片隅に爺ちゃんの遺言が――――爺ちゃんの最期の願いがこびりついている。

 それは何度も色鉛筆を取ってなにかを描こうとはしたさ。しかし、それこそ爺ちゃんの願いが俺の邪魔をし続けた。

 俺の本当に描きたいものとは、いったいなんなのだろう。気ままに描けと爺ちゃんは言いたかったのだろうが、こんなことばかり考えてしまっていっこうに作画は進まない。

 こんな俺を爺ちゃんはどう思うだろうか。まったく仕方ない奴だと笑い飛ばしただろうか。それとも、ええい情けない奴めと叱咤しただろうか。

 ……今になっては、もう、わからない。俺には何もわからないんだ。

 

「ハル、スマイル。あっ、なんか語呂がいいかも」

 

 どうにも自分の世界に入ってしまったのか、ナツが以前のように頬を抓って無理矢理笑わせて来た。眼前にあるのはナツの微笑み。

 なんだかあれ以降、俺が考え込むとナツはこうするようになった。俺たち二人のお約束がまた増えたということ。

 相も変わらず時と場合を選ばないのは止めて欲しいが、これをやられるとなんだかこう、むず痒いとでも言ったら良いのだろうか。そんなよくわからない感覚が胸の内を過る。

 

「ねぇハル、スケッチブック見せて」

「それは構わないけど、どうする気?」

「こういう時には、共通点や相違点を捜すのも手と思ったの」

 

 未だ頬に残るナツの手の温かみを感じていると、スケッチブックを貸してくれとの要求が。素直にリュックサックから取り出して渡すと、俺の絵と額に飾られている爺ちゃんの絵を見比べ始めた。

 その表情は真剣そのもので、俺の力になれるよう頑張ろうとしてくれているのが痛いほど伝わってくる。

 ならば俺もこうはしていられない。いつまでも現実から目を背けたって、前になんか進めるはずないじゃないか。

 爺ちゃんへの想いをいったん振り払い、ナツの後ろから覗き込むようにして俺も自身と爺ちゃんの絵の見比べを始めた。

 

「なんていうか、やっぱりタッチや画風は似てるかな」

「爺ちゃんから教えてもらったり、盗んだりした技術だから」

 

 爺ちゃんは真似しようとしてできるものではないと言っていたが、俺もそれなりに日数をかければ写真のように精巧な色鉛筆画を描くことができる。

 それらのノウハウというものは爺ちゃんが惜しまず伝授してくれて、後の技法だとかはそのまま見て盗んだ。

 けどそのせいか、どうしても画風が似通ってしまったというか。俺としては意図して似せているつもりはないんだが。

 そういうふうにしばらくあーだこーだと議論してみたものの、ピンとくるような感覚はまるでない。無駄骨だったかと俺が諦めかけたその時。

 

「……ハルが描く絵、風景画とか静物画が多いよね」

「え……?」

「うん、やっぱりそうだよ。ほら、こっちの使い切ったのも」

 

 ナツが見ていたスケッチブックを一ページ目から捲り直すと、風景画や静物画ばかりだと指摘してきた。

 更には他のスケッチブックも同様で、どれだけ過去に遡っても大きな変化は見られない。そう指摘された俺は、思わず爺ちゃんの描いた作品へと詰め寄った。

 それはもちろん爺ちゃんだってそういうのもたくさん描いている。けど、俺の多さと比べてしまえば可愛いものだ。

 いったいいつからだ。俺が自らの感性に任せ、自らの世界を描かなくなったのは。俺が自分の世界を表現したつもりで描いていたのは――――

 

(ただそこにある景色だけ……)

 

 何も風景画や静物画そのものを描くことがいけないことだとは言わないが、得意気にやってきたのは模写の域を出ない。

 昔はこんなことなかったはずなんだ。爺ちゃんに連れられてアトリエを初めて訪れ、爺ちゃんの描いた世界に感動したあの頃は、もっと俺は……。

 確か、爺ちゃんが俺が子供の頃に使っていた自由帳か何かを取っておいたはず。俺はおもむろに引き出しを開ける作業を始めると、とある棚にて探し物は見つかった。

 恐る恐る中を覗いてみると、そこには拙いながらも模写に相当する絵は存在しない。……なんだ、そんなことだったのか。

 俺は、こんな簡単なこともできないでいたんだ。

 

「ナツ、悪いけど時間もらえるかな? 戻ってくれても全然構わないけど」

「ううん、いつまでも待ってるよ。絵を描いてるハルを見るの好きだし」

 

 リュックサックから俺愛用の七十二色入りの色鉛筆セットを取り出すと、おもむろに爺ちゃんの課題の隣へと置いた。

 大変失礼なことながら、今の感覚が消えないうちに手早く作業へ入りたかった。それゆえナツに目もくれず帰っても大丈夫だと提案するが、それは本人に却下されてしまう。

 ナツはかつて、絵を描く俺はなんかいいと言っていた。それがサラッと好きに昇華しているも、特に照れるでもないのは集中しているから。

 そうして俺は吟味した色鉛筆を手に取ると、長年描けないでいた爺ちゃんの課題へ、あまりにも簡単に筆を走らせ始めた。

 

(爺ちゃん、見てて)

 

 なんだかんだと描けない理由を並べてきたが、俺はやっぱり余計なことばかりを考えていたんだと思う。

 それは例えば爺ちゃんの意図。爺ちゃんが本当はこの太陽の元に何を描きたかったのか。そういうことを考えてしまっていたんだと思う。

 そんなこと生きていようが亡くなっていようが、考えるだけ初めから無駄だというのに。自分の世界も描けない俺が、他人の世界を描けるはずがない。

 そもそも、爺ちゃんの意図は爺ちゃんの中にだけあるものだ。俺がそれを代わりに描こうなどと、おこがましいにもほどがある。

 そして、かつての俺は自らの世界を描くことができていた。その確かな事実が俺を奮い立たせる。だって、こうしていると思い出すんだ。爺ちゃんとの日々を。

 そうだ、この感じだ。あの頃は、とにかくなんでも思った通りに描くのが楽しかった。これを思い出した日には俺の手が止まるようなことは一切ない。

 そして作画開始から数時間後。今までの悩みが嘘のように、長年のひっかかりであった絵は完成した。俺の、本当に描きたいものを描くことによってだ。

 

「……できた」

「よく見せて。……ハルとじっちゃん、だよね」

 

 絵が完成したと呟けば、それまで正面から俺を見守っていたナツが隣から作品を覗き込む。するとそこには、俺と爺ちゃんと認識できる人物が。

 構図としては背を向け、決して顔が見えないように配慮した。表情は見る人たちに想像してもらいたいところである。

 そして俺の姿は現在のもの、爺ちゃんの姿は元気だった頃に近い。これは俺のこういう未来があったならば、という願望的なものだ。

 それも含めて、俺が描きたかったものはこれなんだと思う。人はいずれ死ぬものであるが、爺ちゃんといつまでも楽しく絵が描けたらなって。

 

「爺……ちゃん……。描けた……描けたよ。爺ちゃんの言ってたとおりに、僕の描きたいもので、爺ちゃんの絵を……絵を……完成させることができたよ……!」

 

 ずっと苦しみやら爺ちゃんへの申し訳なさを抱いていただけに、僕の中に宿る一抹の喜びは涙となって現れた。

 ネガティブでない涙なんていつぶりに流したろうか。もはや思い出せすらもしないが、嬉しくて出る涙はこうも熱いものだったろうか。

 とめどなくあふれる涙を拭っていると、なにか温かく柔らかい感触が僕を包んだ。そしてこの、鼻腔をくすぐる甘い香りは――――

 

「ナ……ツ……」

「せっかく描けたのに、涙が落ちちゃったりしたら台無しでしょ?」

「……うん。ごめん、すぐに泣き止むから……。だから、今だけは……」

 

 それらの判断材料から、ナツが僕を抱きしめているというのはすぐにわかった。僕を落ち着かせるためだというのも。

 いつもなら大慌てで飛びのいているところだが、生憎今の僕にそんな余裕はなかった。せっかくなので、ナツの温もりに甘えることに。

 ナツの身長は縮んでしまって現在は僕よりも小さい。身体も華奢になってしまっている。こうして触れてみると、本当に女の子そのものだ。

 これはなんというか、まずい。中毒性でもあるのか、もう二度と離したくないような気さえ――――あたりまで考えて気恥ずかしさが勝り、僕はそっとナツから離れた。

 

「あの、えっと、本当にありがとう。なんとか落ち着いた」

「フフッ、どういたしまして」

 

 今のナツにとって俺と抱き合うのがどういう感覚かは知らないが、こんなの大したことじゃないと言わんばかりに柔和な笑みを浮かべた。

 瞬間、俺の心臓がドキリと高鳴る。そ、そうか、かつてナツに落とされた女子たちはこれを味わっていたわけだ。

 つい勢いよくそっぽを向いてしまうと、顔が赤いと心配された。どうせ熱でもあるのかと的外れなことを聞いてくるのは見えているので、俺は急いでこう切り出す。

 

「そ、それとさ! もう一つ感謝したくて。ありがとう、ナツのおかげで決心がついたよ」

「それじゃ……」

「美術科のある高校、目指してみるよ。ナツのおかげで吹っ切れたっていうか、今は自分の世界をたくさん描いていけたらなって思うんだ」

「……そっか。うん、力になれて良かった!」

 

 さっきも言ったが、ナツがアトリエに来ようと言わなければこうはならなかったはず。見えなかった道を見つけるきっかけをくれたのは間違いなくナツだ。

 本当は感謝してもしきれないくらいなのだが、ナツはどれだけ真摯にしても大したことではないと言うのだろう。

 その証拠に、俺の進路が定まったことを自分のことみたく喜んでくれている。華の咲くような笑顔を見せられ、俺の心臓がまた一つ大きな鼓動を打った。

 

「よし、それじゃ今日はお祝いだね」

「お祝いって、なんの?」

「なにって、じっちゃんの課題が終わった記念。ハルの大好物、いっぱい作るから期待しててよ」

「ア、アハハ……。まぁ、ちょっと頑張ればすぐ終わるような課題ではあったんだけども」

 

 ナツは記念だと言って張り切っているが、俺が無駄に考え過ぎていたせいで終わらなかったために大げさと感じてしまう。

 完成した俺と爺ちゃんの合作を空いた額にしまうと、自宅の仏間に飾るつもりなので大変だが持ち帰ることに。

 仏間ならば爺ちゃんが一番近くで見られる気がするし、何よりこの絵をアトリエに置いておくことはしたくなかった。

 そうしてリュックサックをかるい額を小脇に抱えると、夕食の買い物をしにスーパーへ寄ってから帰宅する流れに。

 俺はたくさん作ってくれるらしい自分の好物に想いを馳せつつ、ナツの買い物に手を貸した。そうして俺たちは、またエコバッグを半分持ち合いながら帰路につくのであった。

 

 

 

 

 




時期が偶然にも卒業シーズンと被ったわけですが……。
皆さんは夢をお持ちでしょうか?
もしお持ちの方がいらっしゃるのであれば、微力ながらも応援させてください。






ハルナツメモ その5【晴人の一人称】
今話で晴人の一人称が一部【僕】になっているが、とある理由があってのこと。
詳しくは明かせないながら、ある意味では晴人の素とでも表現できる。
昔のことを思い出している際以外の晴人が自分のことを僕呼んだ場合、それはより晴人の本音が露見しているようなものと考えていただきたい。


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第8話 花束をキミに

今回あたりから晴人が本格始動。
設定にある【やる時はやる男】というのをようやく描写できそうです。
より顕著になるのは学園に行ってからになりますが。


「ごめん、今日も遅くなりそう!」

「謝らないでよ。感謝する道理はあっても文句言う筋はないからさ」

「それこそ気にしないでって感じなんだけど……。でもありがとう。それじゃ、またね!」

 

 放課後になった途端、ナツは俺に両手を合わせて謝罪してきた。ここのところ遅くなることが多いからだろう。

 だがその謝罪は俺にとって筋違いも甚だしく、いちいちそんなに悪びれなくてもいいのになというのが率直なところでもある。

 世話してもらって文句言うとか、ただただ最低な奴だ。そもそもそういうことでナツに不満は感じたことはないので、俺としては快くナツを見送った。

 さて、となると今日はどうするか。するべき家事はあったかな、なければ部活に出向かなければ。なんて考えていると、弾と数馬の両名が俺の両サイドに陣取った。

 

「え、えっと……」

「行ったか?」

「う、うん、行ったね」

「遅くなるっぽいよな?」

「そ、そうだね、遅くなるみたいだね」

 

 てっきりまた茶化されでもするんだと身構えていると、なんだか仕草がヒソヒソとしていることに気が付いた。

 いったいどうしたのだと様子を伺っていると、弾と数馬は交互につかぬことを聞いてくるではないか。

 ナツが行かなければ不都合でもあるのだろうか? ナツが遅くならなければ不都合でもあるのだろうか。

 特に思い当たる節があるわけでもなくクエスチョンマークを浮かべていると、二人は善は急げだと俺を教室から連れ出した。

 

「え!? ちょっ、ちょっと、なんなのさ!」

「なんなのさってお前――――おっ、蘭! 計画どおりだぞ!」

「本当!? でも油断はしないようにしないとね!」

(な、なんなんだろうか)

 

 廊下に出ると同時に、慌てた様子でこちらに近づいてくるのは弾の妹の蘭ちゃん。周囲からすればいつものメンバーだろうが、いまいち状況が呑めてない俺はとにかく混乱するばかり。

 だがこの雰囲気を見るに緊急性があることなんだろう。とりあえず質問するのは学校を出てからにしよう。

 そう思っていたのだが、弾や数馬はまだしもとして蘭ちゃんまでもが走る走る。これは聞く暇がなくなるぞと感じた俺は、大声で三人に向けて呼びかけた。

 

「ご、ごめーん! これなんで急いでるのか教えて欲しいんだけどー!」

 

 息を切らしながら必死でそう叫ぶと、三人は息ピッタリな様子で足でブレーキをかけた。すると、何言ってんだコイツみたいな目を向けられてしまう。

 え? 何? この状況は俺が悪いの? みたいな感じでオロオロとしていると、三人は顔を見合わせてからゆっくりこちらへ近づいてきた。

 

「何って、サプライズパーティーの準備だろ?」

「サプライズって、誰が主役の?」

「誰って、一夏さんですよね?」

「……ナツの何を祝ってパーティー?」

「何をって、代表候補生入りを祝してじゃん?」

 

 俺が質問しては息の合った様子でそれぞれがリズミカルに回答を寄越す。へぇ、そうかそうか、ナツが代表候補生にね。それは確かにめでたいもんだ。

 代表候補生というのは、IS業界において国から様々な恩恵を得られる特別待遇。スポーツ選手で例えるのならば強化指定選手といったところか。そして真に実力のある者は後に国家代表、国を背負う立場となる。

 国からの恩恵で最もわかり易いのが専用機の譲渡かな。とある事情でISは467機が絶対数となっているのだが、そのうちの一つをワンオフの機体として得られるということ。

 で、ナツがそんな特別中の特別の枠を勝ち取ったということか。うん、思えば思うほどめでたい。そっかーナツが代表候補生かー。そっかー……そっかー……――――

 

「だ、だ、だ、だ……代表候補生ぇぇぇぇええええ!?」

「そのリアクション、マジで知らねぇのな」

「知るわけないだろそんなの! いつ!? いつから?!」

「冬休み頃にはそうでしたよ?」

「だいぶ口止めはされたけど、俺ら三人はすぐ知らされたみてぇだったけどな。な、弾」

「ああ、だから晴人は知らないなんて思いもしなかったぜ」

 

 内心で平静を装ってみたが、それは空しい努力で終わる。こんなの驚かずにいられるはずがないじゃないか。

 弾は俺が知らないことにあちゃーというようなリアクションを見せるが、むしろなんでキミらが知ってるのか小一時間くらい問い詰めたい。

 と思ったが、ナツの言う習い事がIS関連のことなどだとすれば、あらゆることにつじつまが合うような気がした。

 普通ならもっと大々的にニュースになっていることだろうが、ナツの存在が秘匿されているのはわけがあるのだろう。それは勿論、ナツが元男という点についてだ。

 それでなくとも女尊男卑が蔓延する世の中だというのに、元男が代表候補生入りということが割れればどうなるかわかったものではない。

 過激派女尊男卑主義の女性は何を仕出かすかわからない。あらゆる情報が出ないのは、ナツを守るためだろう。

 特に学校などの狭いコミュニティなんかで、ナツが元男だということは最初から割れている。だから我が学校から代表候補生排出! ともならないわけだ。

 それは理解できたが、どうして俺には隠して弾たちには話したのだろう。それが解せないでうんうんと唸っていると、蘭ちゃんが口を開いた。

 

「あの! 一夏さん、話したくても話せなかったんだと思います」

「それは、口止めって意味で?」

「そうじゃなくて、ほら、代表候補生ってことはIS学園に行くのはほぼ確定ですから……」

「なんか学園ってか島だもんなアレな。どうにも全寮制みたいだぞ?」

「やけに詳しいなおい」

「女の園なんか興味津々に決まってるだろ! いい加減にしろ!」

「お前がいい加減にしろよ」

 

 今日も変わらず平常運転な数馬は放っておくとして、俺は蘭ちゃんの言葉に衝撃を覚えた。だってそれは、辛いから話せなかったってことじゃないか。

 ……もしかしてナツの夢っていうのは、フユ姉さんの果たせなった連覇を達成することなんじゃないだろうか。

 今思えば遠くを見据えていたあの目は望んだ未来に想いを馳せるのと同時に、寂しさも含まれているように思えてきた。

 そうか、そうか……。ナツが夢を叶える過程では、ナツと離れ離れになることを強いられてしまうのだな。それは俺も、すごく寂しいな。

 ……いや、何を弱気な。ナツが夢を追いかけて、徐々に実現へ近づいていっているというのに。俺の進むべき道を照らしてくれたナツを応援してあげられないでどうする。

 たった今聞いたことだが、このパーティーをナツから離れるための起爆剤と位置付けることにしよう。だとするならば――――

 

「えっと、みんなプレゼントとか用意してる?」

「まぁ、気持ち程度のやつはな」

「そっか。じゃあ俺、今からなにか探して来るよ。蘭ちゃん、家の鍵を任せていいかな」

「はい、任されました!」

 

 パーティーというよりナツのお祝いに近いのだから、みんなそれなりに何か用意していると思ったがどうやら当たりらしい。

 俺がみんなにそう問いかけると、弾が代表して答え、後の二人も同調するように首を頷かせてみせた。

 ならば今知ったとしても十分に何かを買いに行ける時間の余裕はある。ちょっとした問題はあるが、今から出かければ間に合うだろう。

 パーティは俺の家で開くと予想して蘭ちゃんに鍵を渡すと、同意が得られたので間違いはなさそうだ。よしそれなら――――って、あれ?

 

「あのさ、ナツのことは別にしてもなんで俺はパーティーのことも知らないんだろう?」

「いや、俺はてっきり数馬がだな」

「俺はてっきり蘭ちゃんが」

「私はてっきりお兄が……」

「「「「…………」」」」

「……悪い、ホウレンソウがしっかりしてなかったみてぇだな」

「い、いや、そういう時もあるって。気にしないで。じゃあ俺行くから、準備は頼んだよ!」

 

 ナツのことは本人から聞いていたと思っていたようだからいいとして、パーティのことなんて教えてもらわないとわかるはずがない。

 だが、どうやらこれに関しても、既に俺の耳へは入っていたと思い込んでいたようだ。ご覧のとおり、誰かが伝えたであろう精神の元で。

 罪の擦り付け合い。ではなく単に事実をあるのまま話してくれているせいか、三人は揃ってバツの悪そうな顔をしている。

 わざと伝えなかったのだとするならそれは大問題だが、三人に悪気はないので責めるのはお門違いというやつ。

 三人も反省してるみたいだし、俺もナツのプレゼントを用意するために頑張ろう。後のことは託し、向かうべき場所を思い浮かべながら走り出した。

 

(……なんて意気込んだのはいいものの。タイミングが悪すぎるんだよなぁ)

 

 俺は自宅近くの小さな商店街をトボトボと歩きながら、中身がなんとも寂しい財布に対して大きな溜息を吐いた。

 実はつい数日前にどうしても欲しい画材に小遣いを使ってしまい、今月はろくなものが買えないような状態である。

 サプライズパーティーのことさえ既知ならば画材も我慢したんだろうけど、何分今しがた聞かされたばかりだからどうしようもない。

 結局のところ、買えたのは安っぽいヘアピンくらいのものだ。留め金の部分がひまわりを象っていて、ナツだけに夏の花のものでという単調な思考の末にこれを購入した。

 というのもあるが、それを抜きにしてもナツはずっと前髪を邪魔そうに触っていた覚えがある。決して無駄な物にはならないだろう。

 けどなぁ、やっぱりちょっとちゃちであることも否めない。プレゼントはお金をかけることが全てではないが、どうにも物足りなさを感じずにはいられなかった。

 とはいえ金欠である事実はいかようにも変えることはできない。正直に話して弾や数馬に前借でもすればよかっただろうか。

 

(いや、でも、お金の貸し借りはなるべく避けたいし。けど四の五の言ってる場合でも……)

「晴人くん、何か困ってんのかい?」

「おばさん、こんにちは。まぁ、困ってるのは確かですね」

 

 ふと俺に声をかけて来たのは、花屋を営む年配の女性であった。ここの商店街は小さい頃から頻繁に足を運んでいるため、ナツ共々顔見知りが多い。

 このおばさんもそのうちの一人で、豪快な性格をしているせいかよくしゃんとしなと叱られたものだ。

 俺は難しい顔をしていることが多いらしいが、わざわざ声をかけてきたということはかなり困っているのが表に出たのかも知れない。

 誰かの知恵を借りたいのも間違いではないため、ゆっくりとことの顛末を離してみることにした。すると、おばさんはいつものように豪快さを発揮する。

 

「女の子には花束を贈るのが一番ってもんさ。お金のことは気にしなくていいから、ウチのを持って行きな!」

「いや、その、申し訳ないですけど気にする性質なんです。ここは気持ちだけで」

 

 おばさんとしてもナツはすっかり女の子判定のようで、事情を聴くなり花束を包んでくれてやると生き生きとした様子を見せる。

 が、それはすぐさま丁重にお断りを入れておく。只より高い物はないなんていう言葉もあるし。まぁおばさんが後から見返りを求めるなんてことはないだろうけど、それでもだ。

 そんな俺の性分をつまらないとおばさんは切り捨てるが、まだ協力してくれる気は持ち合わせているらしい。ふむ、おばさんに倣って俺も知恵を絞るとしよう。

 そもそもナツと違って俺にできることが少ないのも問題なんだ。ナツなんか、この冬何の気なしに手編みのマフラーなんかプレゼントしてきた。

 これならもっと何かに特化せず、器用貧乏で落ち着きたかったところだ。何ができるって、俺には絵を描くことしか――――

 

(……いや、たまにはこう考えろよ。絵を描くことができるんだって)

 

 そうだ、せっかくナツがわからせてくれたことを腐らすのはもったいない。ナツがわからせてくれたことを、ナツのために使うチャンスなんだ。

 例のリュックサックは普段から持ち歩いている。おもむろに背中から降ろして中を覗くと、画材一式がいつものようにしまわれていた。

 今これに何かを描いて、それをナツへの贈り物とするとすれば? そしておばさんの女の子へは花束を贈るのが一番という言葉――――

 次の瞬間、俺の脳内で点と線とが繋がった。

 

「おばさん、少しお願いが!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「晴人には悪いことしちまったなぁ」

「数馬が気にすることじゃないよ。そもそも私が話さなかったのが悪いんだし」

「いやぁ、でもパーティのこと知らなかったのは完全に俺らのせいだし?」

 

 急いで家に帰ってみると、俺の代表候補生入りを祝してとかでパーティが開かれているもんだから驚いた。

 メンバーとしては弾、蘭、数馬といつもの面子だったが、そこになぜかハルの姿はない。事情をかいつまんで聞けば、ホウレンソウがなってなかったんだとか。

 そろそろパーティーもお開きにしなければならない時間も差し迫ってきており、数馬が遠くを眺めるように悪いことをしたとボヤく。

 根本的な原因がどちらにあるかと聞かれれば微妙なところだが、やっぱり俺がISに乗っていたことを伏せていたのも大きな要因だと思う。

 経緯や事情は省くが、口止めされていることも確かだった。が、やはり先に待ち受けている別れが辛いというのが大半の要因を占めている。

 ……なるべくならハルの隣に居たい。女の子になってからというもの、なぜだかそんな想いが強くなっていくばかり。

 けど、それを推しても叶えたい夢ができた。女の子の身になったからこそISに乗れるようになって、乗れるようになったからこそ、目指したい頂が見えた。

 千冬姉の成しえなかった二連覇を、いつの日か――――

 

「一夏さん、メールの返信とかないんですよね」

「そうなの。気持ちだけで十分だって送信したんだけど」

「アイツ、そういうとこ律儀が過ぎるからな」

 

 ハルは俺を頑固だと言うが、向こうもなかなかなものだ。きっとメールを見ていてもあえてスルーしているんだろう。

 仮に返信が来たとして、そういうわけにはいかないからーってなるのも目に見えている。本当に、弾の言うとおり律儀なもんだ。

 隠しておいてなんだが、ハルにおめでとうと言ってもらえれば俺はそれで十分だ。それが何よりも価値があるものだってのに、ハルは――――

 

「ただいまー!」

「噂をすればなんとやらか」

「一夏、行って来いよ」

「うん、ちょっと待ってて」

 

 乱暴に玄関が開閉する音が聞こえたかと思えば、間髪入れずにハルの慌てたような帰宅を知らせる声も響く。

 俺がそれにピクリと反応を示せば、弾と数馬が妙にニヤニヤしながら迎えに行って来いと急かしてきた。

 そりゃ俺のためを思って走り回ってたみたいだから迎え入れるのは筋ってものだろうが、なんだか気に入らない笑みと感じてしまうのはなぜだろう。

 決してそれは表に出さずに立ち上がってリビングから出ると、予想外にくたびれた様子のハルが目に入ってそれどころではなくなってしまう。

 俺はすぐさま駆け寄ると、玄関に倒れこむハルを優しく揺さぶった。

 

「どうしたのハル!? 大丈夫!?」

「し、心配しないで、その、少し、走ったり集中したりで疲れて、それだけだから」

 

 ハルはあらゆる要素において並みを誇る。そのため決して体力がないわけではなく、ここまで疲弊した姿なんて覚えはない。

 大丈夫と言いつつ伏せたままだし、わずかに見える額には汗が流れ出ているのがわかる。この寒いのにこんな汗かいたら風邪ひくだろうに、まったく。

 なんて内心でブツクサ言いながらハンカチで汗をぬぐっていると、突然その腕を掴まれた。驚いた拍子に何ごとかと大きな声を出しそうになったその時―—―—

 

「ナツ、代表候補生入りおめでとう。なんていうか、家族として本当に誇りに思うよ」

「これ、花束……? でも――――」

 

 ハルが息を乱しながら俺に手渡したのは、色鮮やかな花束だった。しかし、それはとてつもなく薄っぺらな紙の花束。

 ハルが描いたであろう数々の色、形をした種類の花たち。それを輪郭を沿うように切り抜き、一輪の紙の花が出来上がる。

 数えきれないほどのそれを作って本格的なラッピングを施したのが、紙の花束の正体ということなのだろう。

 

「ハル、もしかしてさっきまで――――」

「う、うん。実は金欠でさ、本物を買う余裕はなくて。だから花屋のおばさんに頼んで描かせてもらったんだ」

 

 詳しく聞けば、本当に今の今までずっと花を描いていたらしい。とにかく一輪でも多く用意したかったとのこと。

 おかげで少し雑だなんてハルは言うが、全然そうには見えない。きちんと表裏描かれているし、遠目であれば本物と勘違いしてしまいそうなクオリティだ。

 

「ナツが思い出させてくれたから」

「え?」

「ナツが俺のやりたいことを思い出させてくれた。だから俺も、ナツのやりたいことを全力で応援したい。それはその証拠になればいいなって」

「えっと、それはどういう――――」

「……ナツのことを考えてたら、自然とその作品が生まれてきたんだ。あの日ナツが思い出させてくれなかったら、絶対そんなことなかったと思うから。だから――――」

 

 ハルはいつものように俯き加減だが、見据える瞳には強い意志のようなものが感じられた。それでいて、顔つきもどこか逞しく思える。

 俺が変化を感じるということはよほどのことであり、それこそがハルの気構えがかなり前向きになったことを顕著に表している。

 そしてハルはそれを俺のおかげだと言う。本当に描きたかったものを思い出させてくれたのは俺だと。だからこの紙の花束というひとつの作品が生まれたのだと。

 

「まだ見守っていてほしいっていうのが本当のところだけどさ。俺は大丈夫、どうか信じてほしい。ナツの夢が叶うまで、ナツの夢を応援し続けようと思う。それで叶ったその時はさ、今度こそ本物の花束を贈らせてよ」

「っ……」

 

 どうやらハルは、やりたいことにすら頭を悩ませていた自分はもう居ないと言いたいらしい。ようやく立ち上がったハルの表情を見れば、自嘲が混ざっているのも間違いではなさそうだった。

 でも、ハルの口から単純に前向きな言葉が出るのは珍しい。何様のつもりと言われてしまうとそれまでだが、本当に成長したんだなと思う。

 いつもふたこと目には自分を貶すようなことを呟いていたあのハルが、あまつさえ俺を応援するくらいに心の余裕を持ち、こんな素敵な作品まで生み出した。

 そんなことをされてしまえば――――

 

「これでいいよ……。これ以上、素敵な花束他にないよ……! ありがとうハル。大切にするから……!」

「え、ちょっと、な、何も泣かなくったっていいのに。だ、大丈夫?」

「泣くよ、泣くでしょ! もう、人の気も知らないで! 私がどれだけ……!」

 

 ハルにどうこう言っておきながら、俺も嬉しくても悲しくても泣いた記憶というのはあまりない。だが、こんなの涙をこらえられるはずがなかった。

 本当にこれ以上があるとは思えない花束。ハルが少しずつでも前向きになりはじめていること。それらはもちろん嬉しかったが、俺は何よりハルが夢を応援してくれると言ってくれたのが心に響いた。

 基本的に他人本位の言動をとるやつだし、これまで応援されたことは何度もある。しかし、夢という部分で感覚が異なるのかも知れない。

 俺もなかなかフワフワしたやつで、それなりに千冬姉やおじさんおばさんに恩返しができたらという程度のことしか考えていなかった。

 だけど新しい目標ができて、夢ができて、今日までそれなりに努力や苦労を重ねて代表候補生の座を獲得するに至った。

 けれど俺が夢へと近づいていくことは、ハルと離れてしまうことを意味する。ハルには悪いけど、置いて行くには心配な部分がありありだ。

 けど今の言葉でそんな心配は全て吹き飛んでしまった。だってハルが信じてって言ったんだ。応援し続けると言ってくれたんだ。

 だとするなら後俺がすべきなのはただひとつ。応援してくれるハルのためにも、俺の夢を叶えるということのみ。

 

「えっと、どれだけ、どうしたの?」

「それは……。どれだけ、どれだけ……どうしたんだろ?」

 

 俺がどれだけから先の言葉を言えないでいると、泣いていることもあってかハルが落ち着いて続きを話すよう催促してきた。

 だけどなんだろうか。どれだけという言葉は出たというのに、俺自身その先に何を言おうとしていたのか想像がつかない。

 どうしたんだろうと首を傾げてみると、ハルはなんじゃそりゃと言わんばかりの苦笑いをこちらに向けた。

 それはそうだ、そんなもの俺でも困るわ。だが考えども考えども何を言おうとしたのかは浮かばない。ただ唯一わかることがあるとするなら――――

 

(熱くて、痛くて、苦しい……)

 

 いつしか、ハルと共にあれることは特別なことだとわかったあの日と同じだ。胸の奥がじんわりと熱くて、キュッと握られでもしたかのように心臓が痛い。

 やはりあの日と変わらず悪い感覚ではないと思える。むしろこの感覚を味わっているときの俺はとても幸せなんだと思う。しかし、あの日と少し違う点もあった。

 それは何か、苦しさのようなものが追加されていること。心臓が痛くて苦しいとかそういうのではなく、なんだろう、モヤモヤすると言い換えればいいのだろうか。

 この感じに関してはあまりいいものとは言えないな。なんかこう、うん、ホントにモヤモヤして仕方ない。せっかくの悪くない方の感覚がうやむやになってしまうではないか。

 というかなんだ、俺は心の病気か何かなのか? 女の子になっても特にびくともしなかった鋼のメンタルはいったいどこへいったのやら。

 

「ナツ、本当に大丈夫?」

「え? あ、うん、平気だよ。それより、上がってご飯にしよう。ハルの分、ちゃんと残しておいてあるから」

「そっか、それは有難いな。なんか一気にお腹空いてきちゃってさ」

 

 俺がずっと黙りこくっていたせいか、ハルは本格的に心配そうに顔色をうかがってくる。そこでようやく意識が戻った俺は、心配させぬよう別の話題を挙げた。

 するとハルも見事に食いつき、腹をさすりながら靴を脱いで家へと上がった。ハルはそのままリビングへ向かおうとするが、食事をするなら手洗いうがいを忘れてはならない。

 そう指摘すると、キビキビと洗面所のほうへと歩いていく。俺はその間に自分の部屋へ。緊急的にハルのプレゼントを置けるスペースを作り、紙の花束をそっと飾った。

 

「フフッ……」

 

 ハルから受け取った世界一素敵な花束を眺めていると、自然に笑みがこぼれてしまう。そしてまた例の感覚が胸中を駆け抜けていった。

 この感覚の正体、いつかわかる日がくるのだろうか。もしわかったとして、その先に何が待ち受けていたりするのだろうか。

 それこそわかったものではないけど、不思議と大事にしていければと思うのは確かだった。だって、こんなにも幸福な感覚なのだから。

 俺はハルに花束を受け取った瞬間を思い出しつつ、もう一度笑みを零す。そうして階下で騒ぎが聞こえ始めたリビングへと、急いで駆け下りていくのであった。

 

 

 

 

 




あまり露骨な描写にならないようにするのが大変。何がとは言いませんが。

一夏の代表候補生入りですが、こうしておかないと物語的に不都合ゆえ。
というか、原作だと男であるという理由から専用機を得ていたので、むしろこうしなければ不都合しかないとも言えますが。
専用機獲得の経緯もだいぶ異なりますが、それは後のお話を待たれよ。


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第9話 女の子ってわからない

晴人のお悩み相談室第二回。
ホント悩んでばっかだなコイツ。
追々、追々ちゃんと主人公しますんで……はい。


【ハルトナツ】に初めて評価が付きました。やったぜ。
風呂敷マウント様、本当にありがとうございます。


「おはようハル。ご飯できてるよ」

「ん~……? うん、今起き――――」

 

 とある休日の朝。いつものどおりにナツの声を耳にした俺は、半ば条件反射のごとく布団を退けて上半身を起こした。

 寝ぼけた頭でナツの満足そうな反応を見ていると、そのことがまずおかしいことに気が付く。ナツは今朝ここに居てはならないはず。

 俺からすればとんでもない疑問なわけだが、生憎まだ脳が通常活動の状態にすら入ってくれない。問いただす前にナツはリビングへ降りてしまった。

 ならばせめて急がなくてはと、いつもならゆっくり着替えるところを超速で済ませてからリビングへ。実際に降りてみると、確かに朝食が用意されていた。

 カリカリに焼かれたトースト&ベーコンエッグ。付け合わせにトマトとアスパラメインのサラダ。そしてコーンスープと安定のハイクオリティである。

 

「おっ、今日は調子いいね。いつも朝はのろ~って動くのに」

「う、うん、質問したいことがあって。ナツさ、朝からISのことがある日は朝食は作れないって言ってなかったっけ?」

 

 俺があまりにも手早くリビングへ降りたせいか、ナツは皮肉ると言うよりも冗談めかすように、日ごろの俺のスローモーションな動きをモノマネしてみせた。

 その様子が可愛らしくてドキッとしてしまうが、やはりそれどころではない。俺はすぐさま混乱するレベルの疑問を解消しにかかった。

 ナツが習い事を始めてから――――もとい代表候補生を目指し始めた頃のことだ。習い事を始めることになったから、いろいろできない家事が増えてしまうと謝り倒された。

 その代表格となるのが朝食の用意である。そりゃ朝早くから習い事があるのに朝食なんて作ってる場合でもないだろう。

 俺も気にしないでという旨で済ませたし、できれば用意してほしいなんていう我儘も言った覚えはない。だからこれまでずっとその体制でやってきた。

 なのに今日はこれだ。まったくもって意味がわからない。それすなわちナツは今日も朝から忙しいということなんだけど、いったいどういう心境の変化で?

 

「そうだけど、まぁなんとなく」

「な、なんとなく?」

「なんとなく、なるべく多く、手料理を食べてほしいなって思うようになったから」

「…………」

「そんなに気にしなくて大丈夫だよ。ハルには悪いけどいつもより時間早いし」

 

 理由を聞いたらなんとなくで返された俺はどうすればいい? それでもって、いったいなんなんだ。なんでそんなちょっと照れているんですか。

 顔赤いしで目をそらされてるわで、そんなナツはいじらしいというやつがピッタリ当てはまる気がした。それは俺だってなるべくナツの手料理は食べたいけどさ……。

 ハムエッグとかサラダとか、焼いただけとか切っただけとか思うでしょ。この子ソースも手作りしちゃうんですよ。またそれが美味しくて箸が止まらない。

 っていうかホントだ。混乱のし過ぎで気にもならなかったのか、起こされる時間がいつもより早い。……でもそうまでして食べてほしいって思うって、本当にどういう心境の変化でいらっしゃるの。

 

「ハル、温かいうちに食べてくれたら嬉しいんだけどな」

「あ、えっと、ご、ごめん。それじゃあ、その、いただきます」

「フフっ、どうぞ」

 

 本当にナツがどういうつもりなのか全く意図が読めず立ち尽くしていると、既にテーブルへついているナツが着席を促した。

 確かにせっかく作ってもらったのなら温かいうちに食べるのが礼儀だ。考えるのは食べながらとか食べた後でもできる。

 慌てて席へついて両手を合わせると、ナツは見惚れるような柔らかい笑みを浮かべてからどうぞ食べて下さいと返した。

 それを合図にするかのように食事を始めるが、悶々としているうちにペロリと平らげてしまった。……また一段と美味しくなっている気がする。

 というか、なぜかナツが食事をする俺を楽しそうに眺めてくるのも悪いと思う。なんというか、慈愛の混ざったような視線は俺から思考力を簡単に奪い去ってしまった。

 

(いやいや。いやいやいやいや。何これ、なんだこれ? なんかナツが――――)

 

 いつもより数倍は可愛く感じて困るんですけど。

 いやホントなんだこれは勘弁してくださいよナツさんあまりにも突拍子がなさ過ぎてどうにも対応しきれないと言いますかそういう態度をとられるとどうにも男は馬鹿だから勘違いってものを起こして――――

 ということを延々考えながら、俺にのみ任されている仕事である食器洗いへと身を投じる。……が、やはり集中なんてできたものではない。

 ナツが見ていなかったからいいものの、手を滑らして食器を割ってしまいそうになることがしばしば。いや、しばしば起きるのはいかんでしょ。

 ……いかんでしょ。あの表情はいかんでしょ……。そりゃナツはとっくの昔に女の子としてみるようにしているが、どちらかと言うならあれは――――

 

(お、お、お、女の顔っていうか……)

「ハル」

「ふぁああああっ!?」

「ど、どうしたの!? 考え事でもしてた? ごめんね、驚かしちゃって」

「い、いや大丈夫! こ、こっちこそ大声出して申し訳ない……」

 

 ナツの様子について考えている最中に声をかけられたせいか、驚いて食器を落とすどころか投げ捨ててしまうところだった。

 しかも出したことのないような奇声もおまけで発してしまったせいか、声をかけてきたナツのほうも驚かせてしまったらしい。

 口元を隠しながら謝罪しつつ振り返ると、俺の奇声がよほどおかしかったのか、ナツがこらえるような笑顔を浮かべている。それくらいなら笑ってくれた方がいっそ助かるけどな。

 

「で、その、どうかしたかな」

「あ、そうそう。私、そろそろ出るから。ひとこと言っておこうかと思って」

「そっか、わかった。無理のない程度に頑張ってね」

「うん、ありがと! それじゃ、行ってきます!」

 

 声をかけたということは大なり小なり用事があるということだろう。今回の場合は小なりに該当するくらいかな。

 俺が食器洗いを始めたと同時に姿を消したと思ったら、どうやら出発の準備をしていたようだ。大き目のバックを肩から掛け、家を出る前にあいさつをとのこと。

 確かに何も言わずに居なくなられたら普通に心配する。今日に限っては集中できていないし、ひとこと言っておいてくれて本当に助かった。

 なんとか落ち着いた心神でナツを送り出す言葉を贈ると、元気な様子でガッツポーズを見せてから、ドタドタと床を鳴らして玄関の方へ消えていった。

 ふと時計に目をやると、今くらいが以前まで俺が起床する時間だ。ISのことがある朝は、俺を起こすとせっせと出発していたんだけど。

 ……ダメでしょ。やっぱこれよくないと思う。結果的に俺も早起きになったわけだが、忙しいはずのナツはもっと早起きしているということじゃないか。

 逆に夜遅くまで勉強とかしているだろうに、今朝のナツは何時に起きたんだ? どうにもいたたまれなくなった俺は、急いでナツを追いかけた。

 

「ナツ!」

「あの、えっと……ハル? ど、どうしたの? そんな真剣な顔して……」

 

 タオルでキチンと手を拭いてから追いかけてみると、ナツは靴を履き終えたくらいのところだった。そして扉を押そうとするその手を制し、痛く感じないであろう力を込めてナツを引き留める。

 するとナツの顔は見る見るうちに赤くなっていくではないか。だからいったいキミになにがあったというんだ。見ているこっちも心臓が早くなる。

 って違う違う。何もそんな特別な意味があってナツを引き留めたわけではない。流石に申し訳がなさ過ぎることを伝えなくては。

 

「その、よくわからないけどこの感じはナツに負担がかかり過ぎだと思うんだ」

「え……?」

「うん、俺のことなんかで無理しちゃダメだよ。ナツのほうがよっぽど大変なんだからさ、別に朝食くらい今までどおりだって――――」

「…………」

「…………ナ、ナツ……?」

 

 俺としては全身全霊でナツのことを気遣っての言葉だった。いずれ国を背負うであろう逸材の邪魔はしたくない。

 それにやはり俺とナツはいずれ離れる運命にある。いつまでもナツに頼りきりで依存したままではなにも始まらない。

 そう、少しでもナツの力になろうとしての言葉だったというのに、どういうわけかナツの表情は一変。なんの前触れもなく陰ってしまった。

 

「……そうだね。今までの感じで上手くいってたんだから、そっちの方がいいよね! ……うん」

「え、いやあの、ナツ? なにか傷つけるようなこと言ったなら――――」

「ハル、心配してくれてありがと! それじゃ私、今度こそ行くから!」

「ちょっとナツ!? 話を――――行っちゃった……」

 

 いつしか、ナツの無理しているないし嘘の笑顔くらいなら見抜けると言った。ああ、見抜けるとも。だって、たった今ナツが浮かべた笑顔がそれなのだから。

 俺は瞬時に何かまずいことを口走ったのだと悟ったが、謝ろうにも取り付く島もない。ナツは俺の言葉を無視するくらいの勢いで飛び出て行ってしまった。

 ……その場に居られなくなるくらいに悲しませてしまったと? ……無理はしないでって、ナツのためを思って伝えたのに? それがナツのためにならない言葉だった? なら俺は、いったい……どうすればいいんだ?

 

「……女の子って、全っ然わからない……」

 

 女の心と秋の天気は変わりやすいなんて格言? みたいなのを聞いた記憶があるが、本当に一瞬にしてナツを曇らせてしまった。

 仮にナツを傷つけたのなら謝りたい。が、何を謝ったらいいのかわからない。原因になったのは無理をしないでって伝えたことなんだろう。

 でもそれの何が悪かったのか本当に見えない。……早急に誰かに相談した方がよさそうだ。女心なんて恋もしたことない若造一人でどうこうしようとするのが間違っている。

 え~っと、それなら消去法で……。弾と数馬はまず却下、まともに取り合ってくれない。蘭ちゃんも俺に思うところがあるみたいだし止めておいたほうがいい。

 じゃあ母さん……もダメだ。女の子を傷つけたことに間違いはないとすれば、相談というより俺が延々説教される形になってしまう。

 ということは、初めから選択肢なんてひとつだったということだ。

 

「もしもし父さん? 今大丈夫かな。……うん、時間が作れそうなら相談したいことがあって――――」

 

 父さんとは問題なく電話が繋がり、相談があるとだけ口にした。向こうも快く了承してくれて、昼時に指定の場所へ行くよう指示を受ける。

 時間を見てこの間ナツと父さんで寿司屋へ行った駅へと向かう。ならこのあたりが父さんの勤めている職場があるのだろう。十五年生きての新事実である。

 さて、指定の場所といってもかなりアバウトな表現をされたからどうしたものか。確か、高層ビル付近の喫茶店とか言ってたな。

 とりあえずここらで最も高いビルの元へ足を運ぶと、その目と鼻の先に小洒落た感じの喫茶店らしき店構えが見えた。ここだとするならビルは目印になるだろうが、どうなることやら。

 

「いらっしゃいませ! 一名様ですか?」

「あの、ダンディズムの塊みたいな中年男性が入ってませんか?」

「ダンディズム……? ああ、お得意様のことかも知れませんね。 それでしたら、こちらのお席にどうぞ」

 

 父さんの特徴を簡潔に伝えてみると、店員さんは心当たりがあったようだ。というか、自分で言っておいて今のでわかるとは思いもしなかった。

 店員さんの案内に従って奥へと進むと、慣れた様子で席にたたずむ父さんの姿が。お得意様とか言われてたし、きっと常連なんだろう。

 父さんに倣って席へ着くと、すぐさまメニューを選ぶよう促された。父さんとしては奢る気が満々らしい。相談にも乗ってもらうのに申し訳がないな。

 でも相変わらず子供が遠慮するものじゃないと返されるのがオチなので、甘えさせてもらうことにしよう。

 俺はパッと目に入ったメニュー票のトップに書かれていたハンバーグステーキセットを注文する。きっとイチオシのメニューに違いない。

 かしこまりましたと店員さんが下がったと同時に無言タイムが始まってしまうかと思いきや、父さんはこちらの近況を訪ねてきた。

 先ほど起きたことは除き、ナツにサプライズパーティーをしたことなどを話してみる。それと、俺が爺ちゃんの課題を終わらせたことも。

 

「そうか、親父も喜ぶだろう」

「うん、きっとそうだって信じてる。家の仏間に飾ってあるから、帰る機会があったら見てほしいな」

「そうしよう。……晴人」

「うん?」

「よくやった」

「……うん」

 

 父さんにとって爺ちゃんがどういう人だったかは詳しく知らない。少なくとも仲が悪いということはなさそうだが、二人揃ったところをなかなか見たことがないからな。

 ただ、親父も喜ぶと言った父さんの顔は、見たこともないくらいに穏やかなものだった……と思う。身内だけが気づける些細な変化といったところか。

 それで、手放しに褒められてなんだか照れ臭くなってしまう。父さんがいくら寡黙だってそれなりに褒められて育ったけど、やはり慣れていないのも確かだし。

 そんなとりとめのない話を続けていると、俺たちの頼んだ料理が運ばれてきた。相談は食べ終わってからという暗黙の了解のもと、俺は父さん行きつけの味に舌鼓を打つ。

 食事はほとんど無言で進めることしばらく、俺はハンバーグステーキを、父さんはチーズたっぷりな焼きカレーを平らげた。

 ここだけ見れば滅多に会えない父子の団欒なのだろうが、俺としてはここからが本番である。先ほどまでが和やかだっただけに、なおさら胸中で臆しながら口を開いた。

 

「相談なんだけど、なんていうかこう、要するに女の子ってよくわからないって話?」

「ほぅ? 詳しく聞こう」

 

 あ、切り出し方不正解だこれ。これだとなんだかナツが悪いみたいな言いかたに聞こえなくもない。とりあえず、悪いのは俺なんだけどと補足を入れてから話を続ける。

 ナツのことを気遣い、ナツのためを思って朝食は大丈夫だと断った。それがなぜかナツを傷つけたらしい。と、要所をまとめればこんなところだろうか。

 俺の話を聞く父さんの姿は、いつもと特に変わらなかった。難しい顔をするわけでもなく、俺に憤りなどを感じているようにも見えない。

 父さんの回答を待っていると、アッパーカットの如く鋭く、それでいて一撃必殺の威力が込められているかのような意見が発せられた。

 

「以前にも言ったが、晴人、お前は私の誇りだ」

「う、うん。ありがとう……」

「だが、晴人の善意は時折他人の善意を踏みにじる」

「っ……!」

 

 以前のように誇りだと前置きをしたのは、頭ごなしに責める気はないと確認させるためだろう。しかし、次いで出てきた言葉は俺にとって予想外だった。

 つまり、それは俺に自覚症状がないということを示している。ふ、踏みにじる……? そこまでないがしろにしてしまったことがあるというのか。

 いや、冷静に考えて確かにさっきのナツはそうなんだろう。なんとなくと明確なものではなかったが、朝食を用意してくれたのは間違いなく善意だ。

 だが待ってほしい。言い訳と取られてしまえばそれまでだ。全面的に俺が悪いことも自覚している。けど、俺がナツに言ったことは間違っていたのだろうか。

 

「俺は、ナツに頼り切りだと思ってる。そんなナツがもうすぐ遠くへ行ってしまうから。だから俺は、余計辛くなると思うから、今のうちにと思って――――」

「逆なんじゃないか」

「え?」

「もうすぐ離れしまうから、一夏くんは晴人との時間を多く重ねたい。という可能性もある」

 

 俺はナツの気がかりでしかないと思っていた。だから早いとこ離れてしまって、ナツの重荷にならないようにと、そうとしか考えたことしかない。

 仮に父さんの言ったナツの願いが正解に近いとして、だとしたら俺はどれだけ残酷なことをナツに言ってしまったということになる?

 もうすぐ離れてしまうからこそとナツが思っていたのに、俺は無理しなくていいという言葉を盾にして、早急に離れることに慣れた方がいいと告げた。

 ……俺はいったいなんてことをしてしまったというんだ。

 

「それとだ。晴人、己を下げてまで本心を隠そうとするな。それも一夏くんに失礼なことだぞ」

「本心って、無理しないでってのがそうなつもりだけど」

「その前が問題だと言っている」

 

 俺は確かあの時、俺のためなんかに無理しないでとそう言ったはず。今父さんに言われたのはそのあたりのことのはずだ。俺のことなんか。それがナツに失礼と……。

 ……俺のために頑張って早起きして、その上で朝食まで作ってくれて、なのに俺自身が俺のことをなんかで済ませては……確かにそうか、すごく失礼かも知れない。

 父さんの言うとおりだ。俺は多分、ただいいことをしたつもりのだけだったらしい。俺のエゴが知らぬ間にナツを傷つけた。

 これまでもそうだったケースがあるかもと思えば目も当てられない。なんということだ。他ならまだしもナツにだなんて。

 ……いや待て、またしても悪い方に思考が傾いているぞ。今するべきなのは、父さんの言った俺の本心とやらを見つけることだ。そうすれば、キチンとナツにも謝れる気がする。

 

(いや、待てよ……?)

 

 俺の本心なんてたかが知れているではないか。だって俺は確かに自分でこう考えたぞ、そりゃ俺だってなるべくナツの手料理は食べたいって。

 ……そうか、そんなに簡単なことだったんだ。ナツが無理を推してでもそうしてくれるようになった理由はまだ見えないけど、ただ俺は感謝をすればそれでよかったんだ。

 それをナツのためだとか言い訳して、結果的にナツを傷つけて……。いったい俺は何がしたかったのだろう。もはやこうしては居られない。

 考えのまとまった俺は、思わず勢いよく椅子から立ち上がった。

 

「答えは見えたか?」

「ありがとう父さん。俺は――――」

「この程度は造作もない。それより、成すべきことをするといい」

「うん、本当にありがとう。それと、ご馳走様!」

 

 やはり父さんに相談したのは大正解だったらしい。こんなにも早く答えにどりつけるなんて思ってもみなかった。

 俺としては感謝してもしきれないのだが、父さんはいつもと変わらず大人の余裕で満たされていた。しかも俺の背中を押してくれるというおまけつき。

 この人が俺の父親で本当に良かった。そう思わずにいられなかった俺は、深々と頭を下げつつ重ねて感謝の言葉を述べる。

 最後に食事のことにもお礼を伝えると、勢いそのまま店から飛び出た。そして落ち着ける場所につくと同時に携帯を取り出し、息を整えながらナツへと電話を繋げる。

 

「もしもしナツ? その、今大丈夫かな」

 

 

 

 

 

 




中途半端ですが長くなるので続きは次回に。
ひとしきり悩んだら、やるべきことはこなすのでご心配なく。
というか次回が序章で一番の山場になるのでしっかりしてもらわないと困る。


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第10話 抱く想いの名は

基本週一での更新ですが、先週から評価数が一挙に増えました。
どうやらランキング入りもしたようで、お気に入りの方も同じく……。
戦々恐々としながらも、やはり嬉しいものは嬉しいです。
やっぱみんな一夏ちゃん好きなんすねぇ!
皆様、本当にありがとうございます。これからも精進して参ります。





以下、評価してくださった方々をご紹介!※順不同

サレナ様 月神サチ様 (:3 っ)3二二二つ(うおぉのびるぅぅう)様 触主様 ニッケル合金様 イッツミーはハンバーグに御執心なようです様

評価していただいてありがとうございました!


「はぁ……」

 

 とある施設の視聴覚室にて、俺はとてつもなく重苦しい溜息を吐いた。何が原因かと聞かれれば、ハッキリとした原因はわかっている。

 しかし、なんでそれが原因で落ち込んでいるのか自分自身でもよくわからない。そのため、こうして無駄に二酸化炭素を排出するばかり。

 俺はどうにもかなり落ち込んでいるらしく、今日ほど集中ができていない日はない。まだISに乗る日でなくてよかったとだけ言っておこう。こんな精神状態では本当に怪我でもしていたかも知れない。

 今日は朝から代表候補生とはなんぞやという心構えというか、あるべき振る舞いのようなものを教え込まれるという地獄のようなメニューをこなしている。

 IS学園は多国籍の優秀な人材が集う。俺に阻喪でもあれば、それは日本の品格を問われることになるのだから確かに必要なことだ。

 だけど何も一日かけてやることじゃないと思う。俺はそれなりにどこの国のやつとも仲良くできる自信はあるぞ。

 まぁ、喧嘩っ早いというか、わりと頭に血が上りやすい部分があるというのも否定することはできないが。

 

「はぁ~……」

 

 そしてまた俺は溜息をひとつ。今日だけで通算何回目だろうか。

 机に突っ伏しながら携帯のカメラロールを起動。画面をスライドさせ、とある写真が映されたところで指先を止める。

 それはハルの写真だ。晩飯ができたから部屋へ入ってみると、よほど絵を描くのに集中していたのか目もくれなかった。ゆえに一枚撮っておいたもの。

 ハルはカメラを向けるとぎこちない笑みと控えめなピースを繰り出す。要するに自然体なんて撮影できたものじゃない。

 そのため真剣な表情ではあるが、自然なハルを捉えたものとしてはとても貴重なのだ。こうしているとイイ顔しているのに、どうして普段はあんなにも難しい顔つきなんだよ。

 

(まったく、ハルはしょうがないやつ――――)

『別に朝食くらい今までどおりだって――――』

「……はぁ」

 

 そこらあたりまで考えて、朝の一幕が頭へ過った。本当に思い出すごとに溜息しか出ない。ハルの困ったような顔を思い出すたびにだ。

 というかなんだ、どうして俺はそんなので落ち込んでるんだよ。そもそもどうして朝食を用意しようと思ったのかも自分でも謎だし、わからないことだらけである。

 別にハルが俺のためを思ってそう言ったんだから、じゃあ今までどおりでいいよなって、それで終わりでよかったのに。

 いや、実際にそう伝えたけど、なんというかニュアンスが違うと思う。あの時ハルも何か言おうとしていたのに、無視するようなかたちで出てきてしまったし。

 

(だって仕方ないだろ……)

 

 あれ以上あの場に居るのが怖かった。ハルが気遣ってくれた言葉を、なんか嫌だと思ってしまったのだから。ハルの言葉も嫌だったし、そう思っている俺自身も嫌だった。

 重ねて言うが、自分でもなぜそう感じたのかまるでわからない。俺の心にはモヤモヤが募るばかりで、それを陰鬱と思うたびに溜息が止まらない。

 このままではまずいな、ハルとどう顔を合わせていいのかもわからない。また逃げたくなる気持ちが沸いて出ては困るぞ。これ以上、ハルを困らせたくないしな……。

 よし、この休憩時間中になんとか打開策を見つけてみよう。こういう時には誰かに相談するのが一番だ。ハルを見てると一人で悩むのは無駄って思い知らされる。

 さて、ならばどうするべきか。電話帳や無料通話アプリ等々からふさわしそうな人物を捜していると、ある名前が目に留まった。

 

(悪くないかもな)

 

 その子は同い年の女子で、同じ志を持ったゆえに知り合ったIS関連の友達である。大人しめな子なため当初は苦労もあったが、今では十分心を開いてくれていると思う。

 というかそれ以外にもそれなりにいざこざがあったのだが、今それはおいておくことにしよう。なんといったって、二人そろって代表候補生に選出されたのだから。

 なんでも今日は家の都合でどうしても予定が入れられないのだとか。詳しく詮索したことはないけど、なんかすごい家柄っぽい空気を感じずにはいられない。

 それなら今日来られないのは無理もないと思う。もしかしたら日中ずっと忙しいかもしれないが、話しかけることだけはしておこうじゃないか。

 

【ちょっといいかな?】

 

 某無料通話アプリにそういうメッセージを送ると、その数十秒後には既読がついてどうかしたのかという返信が。

 時間があるかを問いただすと、またしてもすぐこういうやり取りをするくらいならと返信が。ならば申し訳ないがと前置きしてから、相談があるとメッセージを送る。

 

『彼のこと?』

【なんでわかったの?】

『彼のことばかり話すから』

 

 まだ相談があるとしか送っていないというのに、それがハルに関する話題ということは向こうからすればおみとおしのようだ。

 思わずどうしてわかったのかと返すと、彼女は俺がハルのことばかり話題にするからと言う。……そうか? そこまでハルのことばっか話してるわけではないと思うが。

 まぁそれはいい。正解なのだからそれで合っているということを伝えてだな。……よし、ようやく本題に入れるな。

 さて、ならばまずどこから話すといいのやら。長くはなってしまうが、俺の朝の心境から遡るしかないかな。じゃあ、まずどういうわけかハルの朝食を用意したくなったところから――――

 そうやって一方的に相談の内容を送ることしばらく、最後はそれらすべて自分でもなぜそういう心境なのかわからないという旨で締めくくる。

 するとさっきまでの反応はどこへやら、既読が付いたきりしばらく返信が来る気配がない。もしかすると、手が離せない状況になってしまったのだろうか。

 そうやって待つこと数分後――――

 

『あのね』

【うん】

『本気で言ってる?』

【うん、本気】

 

 本気で言ってるって、そりゃ相談なんだから冗談なんて言ってるわけないだろうに。というか、熟考したうえでその確認は今更過ぎやしないだろうか。

 質問の意味はよくわからないながら、とりあえず本気であると返しておく。するとまた既読はつくが返信がない状況が続いた。

 テンポがよかったり悪かったり、いったいどうしたというのだろう。やはりタイミングが悪いのに無理して付き合ってくれているのだろうか。

 どことなくハルと似た部分がある彼女だが、ハルの傾向を見るにそういう場合は向こうから解散の意を示すことは絶対にないからなぁ。

 ならばここは俺の方から大人しく退いておこう。そう考えた俺は、やっぱりまた今度で大丈夫と言う文字を入力し始めていた。すると、そのタイミングで返信がある。

 

『答え、ひとつだと思う』

【わかってるなら教えてほしいな】

『私からの指摘はなんだかなって気持ちもある』

 

 答えはわかっているのに指摘がしづらいって、ますますもって意味不明だ。もっとこう、遠慮せずにズバッと言ってくれればいいものを。

 でもなんか、ハルが言いたいことを言えないような状態とは少し毛色が違う気がするな。文章での会話ではあるが、答えが見えているのは間違いなさそうだし。

 ならもいいじゃないか、俺は一刻も早くその答えがほしい。そうでなければハルに嫌悪感にも似たなにかを抱き続けなければならなくなる。

 そんなのは間違ってもありえてはならない。許されていいはずはない。ハルは俺の幼馴染で親友で兄弟で家族なんだ。もはや半身とも例えていいアイツを拒絶する要因など、一刻も早く抹消しなければならない。

 だからこそ俺は、とにかくその指摘とやらをしてほしいという意思を伝えた。それこそ文章だけで俺の覚悟が伝わったかはなだは疑問ではあるが、しばらく待っているとこんなメッセージが。

 

『恋』

【広島カープ?】

『反応が斜め上にもほどがある』

【誤字かと思って】

『その鯉じゃない』

 

 たったひとこと恋と送られてきたもんだから、てっきり誤字かと思ったが違うらしい。そういや別にスポーツに興味があるやつでもないしな。

 はて、それならいったいどういう意味でコイなんだろうか。そもそもコイでハルに嫌な感じを抱いたってのもよくわからん。

 すると今度はURLが添付されたメッセージが飛んできた。訝しむようにそのURLをタップしてみると、どうやら辞書サイトのものだったらしい。

 ふむふむ、なになに? こい【恋】 特定の異性に強く惹かれること。また、切ないまでに深く思いを寄せること。恋愛。「恋に落ちる」「恋に破れる」……とな?

 なんだそれは、もしかして俺がストレートにハルに恋をしているとでも言いたいのだろうか。いくらなんでもそれは話が飛躍し過ぎだろ。

 なんてったって、男の時でさえ初恋はまだだったんだぞ? 確かに可能性は大いにあるみたいな話はおばさんとしたけど、それはあくまで例えであって――――

 

(例えであって……)

 

 俺があれ以上あの場に居るのを怖がったのは、ハルに自分が必要とされていないかもと思ってしまったから? 

 なんとなくハルを嫌だと思ってしまったのは、自分のために頑張らなくてもいいと言われたから?

 そもそもハルに朝食を用意しようと思ったのも、ハルに美味しいって言ってもらえたら嬉しいのも、ハルが前向きになりつつあるのを自分のことのように思えるのも。

 それだけじゃなく、男のときよりも楽しく生きているのも。ハルと共にあれることを特別なことだと思えるようになったのも全部――――

 俺がハルを好きって仮定するなら、なんとなくつじつまは合ってしまうんだが。

 

(え? え? ちょっと待て、待ってくれよ……)

 

 もしかしてさっき自然体なハルの写真を見てたのもそうなのか? 胸が熱かったり切なかったり苦しかったのもそのせいだって言うのかよ。

 っていうか、送られてきた辞書のサイトに切ないまでに想いを寄せるって書いて――――そう考えていると、まるで火でも着いたかのように顔へと熱がたまっていくのがわかる。

 服の胸元をはたいて風を送ろうと、手で扇いで風を送ってもその熱はいっこうに収まらない。俺の混乱と羞恥はそれだけ大きかったのだろう。

 そうだ、元男としてはやはり混乱が大きい。俺の想いが本物だとして、自覚がなかったものだからそのぶんの衝撃も大きいというものだ。

 俺はもはやいっぱいいっぱいの状態となってしまい、目元からはジワリと涙が滲んできた。どうするんだよこれ、こんなのますますハルに合わせる顔が――――

 

ピリリリリ……

「うわぁ!?」

 

 そんな折、突然に携帯が着信を知らせた。ディスプレイに表示されていたのは、ハルという文字。それを見たとたん、通話を切ってやりたい衝動がわいてしまう。

 もちろん朝のやりとりが気まずいからではなく、たった今不確定ながらとんでもない事実が発覚してしまったからだ。

 電話を無視することもできる。きっと、ハルは忙しかったんだろうと考えるはずだから。しかしここで通話を切ったとして、俺の帰るべき場所にはハルが待ち受けているんだ。

 それではますます気まずさも加速するばかり。問題を後に残すと更なる問題が積まれていくものだ。そう自分に言い聞かせた俺は、通話開始の表示を恐る恐るタップした。

 

「も、もしもし」

『えっとナツ、時間とか大丈夫かな。どうしても話したいことがあるんだ』

「う、うん、今ちょうど休憩中だから大丈夫だよ」

『そっか、わかった。なるべく手短にするから』

 

 自分の気持ちがハッキリとしない以上は、想いを向けている対象かもしれないと無駄に意識してしまう。おかげで普段のハルみたくしどろもどろだ。

 でもハルは今朝のことが気まずいから程度にしか思わないだろう。というか、そもそも話したいことっていったいなんなのだろう。

 あぁ、余計なことを考えると心臓がうるさくてしかたない。……この動機、というか胸の高鳴りも、ハルの声を聴いているから……なんだろうか。

 もはや何がなんだかわからないが、ハルがどうしてもと言うのだからそちらに集中しないと。戸惑いながらも承諾の返答をすれば、安堵からくる長い吐息が受話器越しに聞こえた。

 

『あのさ、朝の話なんだけど』

(やっぱりそれか……)

『ナツの頑張りを無下にするようなことを言って、本当にごめん』

「え? そんな、気にしてないこともないけど……。と、とにかく、謝るなんて止めてよ」

 

 ハルの切り出しはだいたい予想通りで、朝のことで話があるとのこと。俺としてはもう触れないでそっとしておいたほうが楽だと思っていただけに、またしても陰鬱な気分が過る。

 何を言われるのかと待ち構えていたら拍子抜けもいいところ。頭を下げながら言っているのではと想像してしまうほど、そのくらい神妙な謝罪をされた。

 確かにちょっと思うところはあったけど、やはりハルの世話は俺がしたいからやってる。だから謝られるのは少し違うような。

 気にするなと言ってみるものの、ハルはそれでもと、朝の件はすべて自分の過失だと譲らない。ハルがここまで頑ななのは珍しいことだ。

 

『それでナツ、自分勝手って思ったら怒ってくれて構わないんだけど……』

「随分な前置きだね……。どうしたの? 改まって」

『本当にナツが可能な範囲で構わないんだ。けど、なるべくなら、その、ナツの手料理を食べたいなって、そう、思ったから』

「…………」

 

 謝罪の次はすさまじく腰の低い前置きだった。自分勝手なんて、ハルはもっとワガママを言ってくれていいくらいだぞ。

 というか俺がハルに対して怒った経験がそもそもないに等しい。それでも俺を怒らせてしまうようなことなのかと疑問に思っていると、ハルの口にした頼みはなんてことのないことだった。

 だが俺が黙っているのは何もしょうもないとか思っているのではなく、ハッキリとした歓喜の念が胸の内に渦巻いているから。

 さっき指摘されたことを考え過ぎているのか、これまであやふやだった熱く切ない感覚はより顕著なものに感じられる。

 ハルが俺の料理を食べたいという言葉がただ嬉しくて、思わず服の左胸あたりをギュッと掴まねばやっていられないくらいだ。

 

『というか、それが俺の本心だったみたいでさ。食べたい癖して無理がどうのと誤魔化して、それが結果的に朝みたいなことになっちゃって……』

「…………」

『だからもう誤魔化さない。ナツ、いつも美味しいご飯をありがとう。ナツさえよければ、どうかこれからもよろしくお願いします』

 

 普段なら俺がいっこうに返事をしないせいでしどろもどろになっているところ、ハルは堂々たる態度で自身の想いを伝えてきた。

 こんなハルは見たこともなく重ねて言葉を失ってしまう。だが大きな原因はそちらにはなく、胸の切なさがより加速の一途をたどるせいだ。

 あぁ……これはもう、本当に言い逃れができないのかも知れない。ハルの言葉がとにかく嬉しい。死ぬほど嬉しい。人生で最大級の喜びが俺を襲う。

 そんなふうに思っていてくれたなんて、今の俺にとっては死体蹴りというやつに等しい。いや、むしろこれがとどめなのかも。

 

「……ハル」

『う、うん』

「晩ご飯、食べたいものとかある?」

『え? あ、あぁ、そ、それじゃあ……オムライス。トマトソースのやつで』

「わかった。でも、あんまりいいトマトがなかったら変えちゃうかも」

 

 俺になんと言われるのを想像していたかは知らないが、ハルの返事はなんだか恐縮した様子だった。リクエストを聞かれるのは予想しなかったらしく、今度はハルが拍子抜けしたような声を上げる。

 戸惑いながらも出てきたリクエストはオムライス。俺が知る限りでは間違いなくハルの好物の頂点に君臨する料理だ。

 どうにもオムライスに人並外れた情熱を持ち合わせているようで、一度話させたらしばらく止まらないときもあるくらい。

 ハルがそのくらい好きであることを知っているだけに、リクエストされると気合が入るものだ。腕によりをかけなくては。

 でもリクエストがトマトソースだからなぁ。スーパーに新鮮なトマトがあればいいんだが。無理そうならケチャップソースでどうにか代替にならないだろうか。

 まぁいいや、それもこれもすべてはスーパーに立ち寄ってからにすればいい。どちらにせよ副菜は考えなきゃなんないんだし。

 

「それじゃ、楽しみに待っててね」

『はい!? いやあの、なんだか話が急転し過ぎでは――――』

「……作るよ」

『へ?』

「ハルが美味しいって、食べたいって言ってくれるんなら料理くらいいくらでも作るよ。私も、ハルに食べてほしいから」

 

 前向きになりつつあるにしてもそこはハルか。俺に文句のひとつも言ってもらわねば解決した気にならないんだろうが、もはや俺としてはスッキリ爽快とした気分だ。

 なんだか通話が終わろうとしている雰囲気を察してのことだろうが、ハルは驚いたような声を隠し切れない。そんなハルに対して言うべきことはそれしかない。

 もう、本当にそれだ。ハルが俺の手料理を食べたいと言ってくれたのなら、俺はそれに応えたいと思う。もちろん、ハルの希望通り無理のない範囲で。

 なんでそう思うって、やっぱり俺がそうしたいからなんだろう。ここしばらくの俺がそういう想いを抱いてきたのは――――

 俺が、ハルのことを想っているってことなんだと思う。

 

『そ、そう? えっと、じゃあ、残りも頑張って』

「ありがとう。ハルも何かしら頑張って!」

『何かしらって……。なら絵でも描いて待ってようかな。それじゃ、また』

「うん、またね」

 

 ハルが俺の言葉の真意を理解することはないだろう。証拠によくわからないけど頑張ってくらいのエールがかえってきた。

 だけど今はそれでいい。とても大事なことに気づくことができたんだ。あとはいつか思い知らせてやればいいのだから。

 俺たちの別れの挨拶は朝とは異なり、いつものようなやりとりを繰り広げられることができた。お互い信頼しているがゆえのそっけなくなる挨拶。あぁ、やはり、当たり前というのはかくも尊い。

 ハルとの通話を切ってから、またギュッと服の左胸あたりを掴む。刻む鼓動は異様に早く、過る感覚は熱く切なく、それでいてとても……温かかった。

 

「ハル……」

 

 ポツリとハルと呟けば、今の俺にはそれだけで照れる要因となりうるらしい。自覚してしまえばこうも違うものなのだろうか。

 それにしても、ハルのことに関する自覚が芽生えたと同時に酷く俺という一人称に違和感を覚えてしまう。確かに口にするのは私だったが、あくまで表面上のものでしかない。

 

「私……」

 

 わたし……私……か。なんだか、初めて心の底から私を私と呼べた気がする。それまで演技としてしかカウントできなかった言葉が、突然すんなりとフィットするかのようだ。

 それでも私が俺であった事実だけは絶対に変わらない。それでも、この胸の内に宿る想いにだけは嘘をつきたくはないじゃないか。

 だから、私。せめてもの私。俺を知ってるハルに対する、精いっぱいの私でぶつかっていきたい。望み薄であることはわかっているけど、俺を完璧に私にしたハルには責任取ってもらわねば。

 ああそうだ、相談にのってくれた彼女には感謝しておかないと。ハルから電話もあったし、それなりの時間放置したままじゃないか。

 そこでたった今ハルから電話があったことと、問題が解決したこと報告しておく。すると末永くお幸せにとか返ってくるじゃないか。

 物静かなくせして、けっこう面白い性格をしているというか、人をからかいたがるところがあるというか。まぁいい、別にムキになるようなことでもない。

 気が早いと反論してから、しばらくは取り留めのないやり取りに終始した。やがて休憩時間の終わりも近づき、向こうも本格的に忙しくなるらしい。

 お互いそれを把握し次第、私たちのやり取りは自然に終息へと向かっていった。適当に最後の挨拶を済ませると、それを期に返信は途絶える。

 

「ん~……よしっ、後半も頑張ろ!」

 

 悩み事が解決したどころか新たな発見もあり、私としては大収穫と言ったところか。気分が晴れたと同時に背伸びをひとつ、それで更に心機一転できた気がする。

 それから間もなく午後の部が始まり、引き続き代表候補生としてのありかたのようなものを説かれる。が、前半とはまた違った意味で集中ができずに再三注意を受けてしまう。

 無論と言うかもちろんというか、ハルのことばかり考えていたせいだ。特に晩ご飯を美味しそうに食べてくれる姿なんかを想像してしまって。

 委員会の人には悪いけど、もはや早く終わってハルに料理を振る舞いたいという想いが強かった。きっと注意を受ける私の顔は、だらしなくニヤニヤしてしまっていたのだろう。

 けどこのせいで逆に長くなりでもしたら目も当てられないからね、うん。私は自分にそう言い聞かせ、意味があるようなないような話を必死に聞き続けた。

 そして話が終わると同時に、頭を下げてからせっせと控室を飛び出す。そうして、全速力で自宅近くのスーパーへと向かうのだった。

 

(待っててね、ハル!)

 

 

 

 

 




一 夏 ち ゃ ん 完 全 陥 落
というわけで、ようやく【ハルトナツ】が始まった感じです。
ちなみに一夏ちゃんが晴人を好きになった最たる理由ですが、わけあって現在は核心に触れないようにしております。
ただ、いわゆる精神が肉体に引っ張られている現象は発生しているかと。





ハルナツメモ その6【半身】
一夏にとっての晴人、晴人にとっての一夏とは、大切な人物だとかそういう概念を超越した存在である。
前者は親に捨てられた経験から、後者は一夏が今の自分を作ってくれたという思いによるところが大きい。
そういった部分から互いに支え合ってこれまでを生きて来た二人は、これからも半身であり続けるのだ。


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第11話 スタートライン

前話で一夏ちゃんが陥落したってのに、しょ~もない話がしばらく続きます。
なので早足で行きます。私としても早くIS学園編を始めたいので。
書き溜めも十分あるのでご安心を!





以下、評価してくださった方々をご紹介!※順不同

スナイパー23様 ちるのく様 地獄のメソポタミアシンドローム様 ラウラ党様 アオアルト様 銀赫様 monmon様 海の人様 宵闇の龍様 ロミボ様 フラグ建築したい男様

評価していただいてありがとうございました!


 なんだかんだとあったが受験日当日の朝がやってきた。俺もナツも特に緊張するようなことはなく、まるでいつもと変わらない朝に感じてしまう。

 ナツなんか受験内容はISでの模擬戦とか言っていたが、代表候補生ともなれば慣れたものなんだろうか。そんな考えが過り、ふとテレビを見ながらくつろぐナツへ視線をやった。

 留め金の部分が雪の結晶を象ったヘアピン。あれがナツの専用機における待機形態というやつらしい。詳しいことは知らないが、身に着ける物品に変化しているんだとか。

 それならヘアピンをプレゼントする必要はなかったか。なんて思ったりもしたのだが、件のヘアピンのすぐ下には俺のプレゼントしたヘアピンもしっかり装着されている。

 ひまわりと雪の結晶、季節感的に例えるのならば夏と冬と真逆でアンバランスな印象を受ける。本人もそれはわかっているだろうが、それでも身に着けてくれるのは嬉しいものだ。

 

「えっと、ハル」

「どうかした?」

「どうかしたって、その、じっと見てくるから……」

「ああ、ごめん。気に障ったかな」

 

 食事をするテーブルからナツを眺めていたというのに、どうやら俺がナツを観察していたのはバレていたらしい。

 何もやましいことを考えていたつもりはないし、そう気にするようなことではない。……はずなんだけど、ここのところナツの様子は気になるところだ。

 あまりジロジロ見るものではないと咎められているものだと思ったんだけど、謝ってみるとそうじゃなくてと呟いて俯くばかり。

 ここ最近は俺が何かする度にこれだ。俺と違ってネガティヴなことを考えているのはないだろうが、その俯く様子は俺を彷彿とさせる。

 

「ところでだけど、藍越学園ってホントになんでもありなんだね」

「ん? まぁ、うん、そうだね。てっきり就職に有利な学校かと思ってたんだけど」

 

 ナツは露骨に話題を変えてきたが、そこにツッコミを入れられると困るからこそなのだろう。特に追及する理由もなく、普通にナツの話題へ乗ることにした。

 俺の受験する高校は私立藍越学園といって、学費も比較的に安く就職に強い学校という触れ込みで有名だ。

 有名だからこそ進学に関してはあまり意識されていないものだと思えば、多岐に渡る学科コースが存在していた。

 工業系や建築系のようなものから食品に関わるような学科もあり、その沢山の選択肢の中に当たり前のように美術科も存在していたという。

 そんなマンモス校だったかなと思ったりもしたけど、実際下見に行ってあったんだからしょうがない。後は受験して合格するだけだ。

 ちなみにだが、弾と数馬も藍越学園を受験するらしい。まぁ受けるのは普通科らしいし、科が違えば自然と会う機会も少なくなってしまうだろう。

 

「…………」

「きゅ、急に黙っちゃってどうしたの?」

「私たち、ようやくスタートラインに立とうとしてるんだなって思うと、なんだか不安に感じるよりワクワクしてきちゃった。これから無限の可能性が広がっていくんだなって」

 

 てっきりテンポよく会話が続いていくんだろうなと思えば、ナツはなんだかいろいろなものを噛みしめているかのような表情に変わった。

 けど、ようやくスタートラインへと立つ段階か。確かにそんなことを考えていたならさっきの表情も頷ける。

 俺もナツもこれまでそれぞれが抱いた夢の実現を目指し、今日まで努力を重ねてきた。でもまだまだ、志望校に合格したところでようやく始まるんだ。

 どんな人にとっても存在する道には、誰しもに大なり小なり困難が待ち受けていることだろう。何が待ち受けているかわからない。だかこそワクワクするんだ。ナツはそう言いたいのかも知れない。

 かつての俺ならそんな道は不安だらけと吐き捨てていただろうが、それもまた可能性だと思えば確かにワクワクするような気がする。

 きっと困難を乗り越えたその時こそ、俺たちはずっとずっと成長できるはずだから。その成長した自分自身に想いを馳せると、更にワクワクが加速するような気さえした。

 

「切り拓いていけるさ」

「え?」

「俺たちならきっと大丈夫。今なら、そう思えるんだ」

「ハル……」

 

 自分で言っててどの口がとも思うけど、どうにも前向きな言葉が口を出て止まらない。まぁ俺も少しずつ前向きになれてるってことで。

 とにかく、可能性っていうのは誰の目の前にもすでに用意されているものだ。後はそれをどう切り拓いて進んで行くかによって変わると思う。

 俺みたいなのがこうして変わることもできるんだ。そしたら大抵のことは軽いもんだよ。転んだり躓いたりもするだろう。それでも、前に前に歩いて行けるはず。

 俺にそういう考え方を抱かせてくれたのはナツで、そのことについては感謝してもしきれない。できることならもう少し見守っていてほしいものだったが、仕方のないことなのだろう。

 いわゆる今生の別れというような大げさなものでもないんだし、どうせならたまの休みにでも会って驚かれるくらいの成長を見せつけたいものだ。

 ……まぁそれはいいとしてだ。ナツさん、どうしてそんなうっとりしたような表情なんです? そんな顔されるとまた直視できなくなるから勘弁してほしいのだけれど。

 

「わ……たし……も、もう行くね! ハル、出る時に鍵を閉め忘れないように!」

「え? ちょっといきなりどうしたの。そんなに急ぐとかえって――――」

「わーっ!? あぁっ、カバンの中身が……」

 

 どうしていきなりそう思い立ったのかわからないが、ナツはもう受験会場に向かわねばとテーブルの上に放置しておいたカバンを慌てた様子でひっつかむ。

 時間にはだいぶ余裕があるというのにこの慌てようだ。これはかえってよくないことが起きそうだと落ち着かせようとするも、どうやら手遅れだったらしい。

 カバンの口が空きっぱなしだったというのに乱暴に扱ったせいで、そこらに中身の書類をぶちまけてしまった。

 ほら言わんこっちゃない。……と直接伝えはしないけど、俺はナツの書類集めに手を貸した。終始恥ずかしそうにしていたのがとても印象的だ。

 

「……よし、大丈夫そう」

「本当に? ちゃんと確認した?」

「大丈夫だって。ハルは心配性なんだから。それじゃ、行って――――」

「ああ、待って待って。ナツ、忘れてる」

「あっ……。フフッ、うん!」

 

 ナツはしっかりしてるようでそうでもない。というか、自分のことになると急に脇が甘くなるんだよ。本当に大丈夫なんだろうな。

 もう少し隅々まで落とし物がないか確認しようとしていると、ナツは手早く玄関の方へと向かって行った。いったい何がそうさせるのかサッパリだ。

 これはもはやナツを止めることは不可能と判断し、もうひとつの忘れ物について言及した。片腕を挙げながら忘れていると伝えれば、ナツも同じく片腕を上げ――――

 まずは右手同士でハイタッチ。すぐさま左手同士でハイタッチ。今度は両手を揃えて上下反対に手を打ち合い、最後に両手でハイタッチ。

 これはナツが考案したもので、大事なことがある時にのみ行う見送りの儀式のような感覚だろうか。大事なことと言いつつ、割と頻繁に行ってたりもするんだけど。

 

「落ち着いた?」

「……うん」

「それはよかった。じゃあナツ、お互い頑張ろう。応援してるから」

「うん、ありがとうハル! 行ってきまーす!」

 

 最後にパチンと俺たちの両手が音を鳴らすと同時ほどに、ナツに気分はどうかと問いかけてみる。ナツは一瞬だけギクッとでも言いたげな表情を見せたが、数度深呼吸をした後に落ち着いたことを肯定した。

 本当の本当に大事なことだというのに、ナツが出発の儀式を忘れるほど慌てていたのだろう。落ち着かせることに一役買えて本当に良かった。

 残されたことと言えば、試験本番で結果を残すということのみ。しっかりとナツへエールを送ると、慌てるというよりは元気な様子で家を飛び出して行った。

 

(後はなるようになるでしょ。……多分だけど)

 

 ナツが代表候補生であるというのは確かな事実だ。それに足りうる実力の持ち主という証明はされているのだから、よほどのことがない限りナツは合格するだろう。

 というより、真面目に考えて候補生は受験をする必要性があまりないように思えるのだがどうだろうか。体裁、というやつならあまりにもお粗末に感じる。

 ……まぁ、男の俺がISに関するうんぬんを考えるだけ無駄というのもあるけど。さて、俺は出発までもう少し時間が残されているがどう過ごしたものか。

 俺はこういう微妙な時間を有効活用する方法を知らない。携帯なんてほとんど連絡用にしか使わないし、ゲームとかもあまりしないしな。

 それなら絵を描いているのがよほど有意義だと思う。俺にとってはそうなだけで、別にゲームそのものを否定する気はない。一応は付き合い程度に協力プレイもしたりするし。

 

(……無難にテレビかな)

 

 弾や数馬あたりが居たのなら、なんとつまらんやつだと嘆くのだろう。俺だって世間のアレコレに特別関心があるわけでもないが、小時間を埋めるなにかと聞かれればそれしか思いつかない。

 よって、ナツがつけっぱなしにしていたテレビに耳を傾ける。今は主婦の皆さん必見のお役立ち情報を紹介するコーナーのようだ。

 それこそ俺が聞いてもあまり意味のなさそうなものだが、後でナツに教えるために覚えておくのも悪くはないのかも知れない。

 勉強したことが吹き飛ばない程度にテレビから流れる情報を脳に詰め込んでいくと、思ったよりも早く時間は過ぎていった。

 そしてコーナーが総合司会者の一声で締めに入ろうとするのと同時ほどに、俺の出発時刻にちょうどよい頃合いとなる。

 したらばテレビを消して他に着けっぱなしのものがないかを確認。同じく玄関以外の戸締りがされているかを確認っと。

 どれもかキッチリこなされていることを確認すると、俺はひとり頷く。そしてカバンの中から玄関の鍵を取り出し、いざ出発――――といったところで、手を滑らせて鍵を落としてしまった。

 床を跳ねたり転がったりした鍵は、さきほどのナツが書類を落としたようにソファの下へ。まるで吸い込まれているようだ。なんて思いながら膝を折ってソファの下を覗き込む。

 

「……あれ?」

 

 そこには鍵の他にも何かが入り込んでいる様子だった。とすれば、先ほどのナツのものとしか思えない。何を焦っていたのか知らないが、だからもう少し確認してほうがいいと言ったのに。

 えーっと、どうやらクリアファイルみたいだな。とりあえず玄関の鍵を拾ってポケットに入れ、謎のクリアファイルを引っ張り出した。

 さてさて、いったい何が閉じられているのやら。なんて軽い気持ちでクリアファイルの中を改めてみるとあらビックリ。それは受験において最も重要とも言えるであろう受験票ではないか。

 

「受験票ぉ!? よりによって!?」

 

 自宅には完全に俺一人だと言うのに、思わず立ち上がりながら騒ぎ立ててしまう。だってそうでしょ、数ある書類の中でどうして受験票が隠れるようにソファの下に入るんだ。

 だってこれがなければナツは受かるとか受からないの話ではなくなり、そもそも受験させてもらえないという事態もあり得る。

 ナ、ナツが出発してからどのくらい経過した? 時計を確認してみると、だいたい三十分前後といったところだろうか。

 えっと、俺の受験会場に着くであろう時間から逆算して、え~……間に合う! 今から全力で届ける努力をすれば、これを届けられるうえに俺も十分受験に間に合うぞ。

 それを理解した瞬間、脱兎がごとく玄関へ。スリッパを乱暴に脱ぎ捨てて運動靴へ履き替えると、結局のところ鍵かけるのを忘れ全力で駅へと走った。

 その途中、科は異なるものの同じく藍越学園を受験する弾に電話を入れておいた。多分予定よりも遅れる。もし間に合わないようなら容赦なく置いて行ってくれということだけ伝えた。

 正確に言うなら話している余裕がないのだが、俺が息を荒げているせいか弾はなんとなくの事情を察してくれたらしい。

 わかったという了解の言葉と、がんばれという励ましの言葉をもらうと通話は切れ、俺も今一度走ることへと集中した。

 恐らく十五年生きて自宅から最寄り駅まで辿り着く最速タイムを易々と更新した俺は、すぐさま駅員さんを捕まえてIS学園の試験会場近くの駅を問いただす。

 そして教わったとおりの駅への切符と、藍越学園近くの駅の切符を買い次第ホームへ直行。出発寸前の電車になんとか乗り込みやっと一息というところ。

 時間が押しているということもあってか、電車に乗っている合間はソワソワしっぱなし。不審に思われるかもなんていう心配は微塵も浮かばなかった。

 そして電車はIS学園試験会場の最寄り駅へ到着。ホームに降りて左右を見渡せば、どうにも女子の姿が目立つから間違いはなさそうだ。

 

(えっと、そしたら……)

 

 急いで駅構内の出入り口をいくつか確認すると、女子の波がこぞってひとつの箇所へと集中している。ならばこの波をたどっていけばいつしか試験会場が見えてくるはず。

 女子たちふくめ人とぶつからないよう細心の注意を払いつつ、笑い始めそうな膝に力を込めて再び全力で駆けていく。

 そうすると、いつしかこんな看板が立てかけてあるのが目に入る。

 IS操縦者育成特殊国立高等学校、受験会場はコチラ……。確かIS学園の正式名称だったはず。となるとやはり間違いはなかったということだ。

 よし、もうひと踏ん張りだ俺。そうやって自分自身を激励し、最後の力を振り絞ってまた駆けだした。するとようやくそれらしい建造物が見えてきたので、突撃と表現するにふさわしい勢いでドアを開いた。

 

(案内板……案内板は……あれか!)

 

 そこらの壁にかけられた案内板を覗いてみると、そこには施設内の見取り図が書かれていた。現在はそこがどういう場所なのかも同じく。

 受験生控室……は、多分女子たちが着替えてるだろうからダメだ。直接渡すという線はまずこれでなくなる。だとすると残るのは教師に預けるという選択肢だな。

 それなら目指すべきはこの教師詰め所という場所かな。複数あるみたいだけど近場から攻めよう。後は教師の人が露骨な女尊男卑主義者でないことを祈ろう。

 下手すると今この場で通報されてもおかしくないような世の中だ。だがやはりいつものように気後れしている暇なんかない。

 記憶した案内板どおりの道順を辿り、とても大きな扉が構えてある一室の前に到着。疲れ切った身体にムチ打ち、中に居るであろう教師に呼び掛けた。

 

「あ、あのー! ごめんくださーい!」

「はいはいなんのご用――――って男? どうして男がIS学園の受験会場に?」

「えっと、これ、ですね、知り合いの子が受験票を落として行きまして。その、つまり、届けに来たと言いますか」

 

 大きな声で呼びかけてみれば教師らしき人が顔を出した。だがその様子はなんとも面倒くさそうというか、あからさまに気が立っているという風体だ。

 あ~……なんかナツがIS学園は倍率がおかしいって言ってたな。対応する人数がアレでストレスがたまる一方なのだろう。

 ただそれを抜きにして、まぁ、あれだね、どうにも女尊男卑主義っぽくもあるみたいだ。俺を見る眼差しがなんとも強烈というか、率直に言うならなるべく視界にとどめたくないと思っているのが丸わかりだ。

 しかし俺の訪ねて来た事情を聞いたならば話は別だろう。代表候補生クラスの受験そのものを男子一人の対応でパーにしたなら、俺に真面目に取り合わなかったこの人にも責任の一端が向くはず。

 手渡した受験票を見るなり、教師の顔つきもかなり変わった。ナツそのものに見覚えがあるのか、はたまた織斑という名字に引っ掛かりを覚えるのかは不明だ。

 途中から俺のような普通そうなのと織斑家の接点がみえないのか、受験票と俺の顔を何度も見比べていた。

 それを繰り返すことしばらくして、教師は大きく咳払い。

 

「事情は承知したわ。とりあえず少し入ってもらえるかしら」

「は、はい」

 

 彼女にとっては面倒ごとが増えたことには変わらないのか、やはりどことなくそっけない対応を受けてしまう。まぁ、通報されないだけよしとしよう。

 入るなりそこらにあった紙とペンを渡され、名前と読みを書くよう言われる。誰からの届け物かハッキリさせておくためだろう。

 手早く漢字とフリガナを駆使して日向 晴人と書いてしまえば用事は即終了。ナツは責任もって受験させるという言葉を受け取った。

 それと同時に俺の任務も終了を告げ、後は俺が受験に間に合うかどうかの瀬戸際といったところだろうか。ならば善は急げ。このまま駅へとトンボ返りだ。

 

「えっと、それじゃ自分はこれで。失礼しました」

「足とか必要なら出すわよ。後から間に合わなかったとか言われても面倒だし」

「い、いえ、今から走ればなんとか――――って、わっ、たっ、たっ……!」

「ちょっと気を付けてよ。そっちの方向は――――」

 

 あくまで己の保身のおまけらしいが、教師の人は足を手配するという提案を挙げてくれた。その言葉を耳にするのと同時に、腕時計に目をやってみる。

 思ったよりも駅から近かったしな……。体力の消耗を考慮しても、今から全力で走ればなんとか間に合うはずだ。……希望的観点である可能性も捨てきれはしないけど。

 とにかく、それならなおのことこうして突っ立っている時間すら惜しい。提案のほうは適当に断り、俺は駆けだそうと両足に力を込めた。

 しかし、自分でも思っていた以上に体力の消耗が激しかったらしい。もしくは火事場の馬鹿力的なもので気づきもしなかったのか。

 どちらにせよ、初めの一歩目すらまともに踏み出すことすらできず、足をもつらせて前方に転倒しそうになってしまう。

 なんとか片足でピョンピョン跳ねることにより転倒を回避。そのまま壁に手を着けることにも成功してひと段落と言ったところか。

 ……ん? なんだか壁にしてはゴツゴツしているというか、形が平坦ではないというか。妙に無機質で冷たいというか。

 手の感触に違和感を覚えた俺は、まさぐるようにして壁らしき何か、もしくは壁でなかった何かを触ってみる。そして目を向けることで、ようやくその正体に気が付く。

 

「これは、IS……?」

「IS学園の受験会場なんだから訓練機くらいあるわよ」

 

 俺がもたれかかっていたのはISで、どうやらそれは受験用に準備されているものらしい。へぇ、こんな近くで見るのは初めてだが、思っていたより大きいものなんだな。

 俺も男の子ではあるし、ロボットとくればなんとなく心惹かれる部分はあるかも。今度ナツの専用機とかも生で見させてもらえないだろうか。

 

(まぁそれはさておいて……)

 

 ISのようなものが勢いよく手をついただけで壊れるはずもないだろうし、余計なことを考えるのよりも前に急がなくては。そのせいで転びかけたのはあるけど。

 そして俺がもう一度走り出そうとした次の瞬間のことだった。何か脳の奥の方でスパークでも起こったかのような衝撃が走る。

 今の衝撃でまたしても足元がふらついてしまうが、ISにもたれかかったままの状態だっただけに事なきを得た。しかし、この脳がズキズキする感じはいったい……?

 例えるのならば、そう、まるであらゆる情報を脳に直接叩き込まれているような……。ISに触れてから起きた現象だが、まさかそれが原因だとでも言うのか?

 ……まさかとは思うが、それならとっとと手を離してしまうことにしよう。ISにもたれかかるのを止めようとしたその時、俺の視界が白に包まれた。

 頭痛が起きていただけに気絶の前触れかとも思ったが、意識そのものはあるようだ。件の頭痛も嘘のように引いている。そこで恐る恐る目を開いてみると――――

 

「……あれ、なんか目線が高い? というかこれ、あれ? ……あれぇ!?」

「な、な、な、な……なんで男がISを!?」

「お、俺が聞きたいくらいですよ!」

 

 まず初めに急に背でも高くなったような視点に違和感を覚え、すぐさま足元を見る。すると俺の足は鋼鉄の鎧のようなものを纏っているではないか。

 次に腕、肩を視界に入れたあたりでとある事実にようやく気が付くことができた。俺は、女性にしか扱えないはずのISを装着しているのだと。

 教師の人は俺を指さしながらあんぐりとした表情をしながら騒いでいるが、なんでかなんて俺も知らない。知るはずがない。

 平々凡々、常鱗凡介、 尋常一様とそのあたりの普通を示す四字熟語がピッタリ当てはまるのが俺。そんな特異的事例を持ち得るなんて考えもするはずないじゃないか。

 

「と、とにかく! そこで大人しくしてて!」

「大人しくって、これどうやって外せば――――行っちゃった」

 

 とにかくこれは世紀の大発見であることに違いない。教師の人は現場の責任者等に報告でもするつもりなのか、大慌てで部屋を出て行ってしまう。

 その前にISの外し方くらい教えてくれなくては、これじゃあ座ることもできない。勝手に弄るのもあれだろうし、武装なんか出しちゃったら大事だ。

 まぁ、なんというか、今の俺が思うのはただひとつ。

 

「受験、間に合いそうもないかぁ……」

 

 

 

 

 




この哀れなまでのテンプレ展開である。
いくら晴人が普通な奴というコンセプトでも、流石に動かさないわけにはいかないというのもありますが……。
ちなみに、動かせる理由は練ってあるんですが……多分ですけど本編中で語る隙は無いと思われます。なるべくそういう話を持ち込みたくないというのもありますが。
さて、もうしばらくしょうもない話にお付き合いください。





ハルナツメモ その7【見送りの儀式】
一夏考案の大事な時に見送る際に用いられる儀式的何か。
受験などの大事の際にのみ使われるかと思いきや、案外その使用例は多岐に渡る。
基本的に、一夏が晴人に促すケースの方が多い。


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第12話 ワケありペアレンツ

しょうもない話その2。
更には今作中最大のご都合主義ポイント。
ツッコミの嵐が起きるのが目に浮かびます。


 あれからいろいろあり過ぎてどこから説明していいのかわからないが、とにかく俺がISを扱えることができる男性である事実は瞬く間に世界へ広がった。

 どこから仕入れたのか、連日俺のことを報道する情報番組ばかりだ。ご丁寧に顔写真まで晒してくれちゃって、プライバシーなんてあったもんじゃない。

 キャスターやコメンテーターは俺の扱いに関してうんぬんと講釈を垂れていたが、実際俺に宣言されたのはIS学園への強制入学だった。

 これは俺を守る措置であるそうな。多かれ少なかれ何かしらの団体、個人に狙われる可能性の浮上した俺を匿い、なおかつ自己防衛の手段を与えられるからだって。

 まぁそれについては納得がいく。既に怪しい団体や研究機関らしき人が訪ねてきて、あらゆる面で協力を求めてきたりしているし。

 それらに関してキッパリとお断りする意思を示したものの、何度追い返そうがしつこく迫ってくることだろう。それを考慮するなら、うん、入学するのは最前手なんだろうけど。

 ISは女性にしか扱えない。イコールしてIS学園は教師も生徒も女性だらけ。イコールして女子高に男子一人が強制入学させられる事態であるということだ。

 守られるというメリットはありがたいが、その事実が想像するだけでキツくてここのところ頭を悩ませていた。

 弾と数馬は今頃俺が羨ましいと叫んでいるんだろうが、あいにく情報規制をかけるためにと携帯は没収されてしまっている。

 それに連日の訪問者やマスコミの囲いのせいで、俺は数日間に渡り自宅で缶詰め状態だ。絵を描けばそれなりに気もまぎれるが、そろそろ外の空気が恋しくなってきた。

 そんな折のある日のこと、ナツが唐突にこう切り出してくる。

 

「ハル、出かけようか」

「いや無理でしょ。なんか政府の偉い人にも外出は控えるようにって――――」

「大丈夫だよ。ハル、私を信じて」

 

 朝食も食器洗いも済ませたところ、ナツがなんとも無理難題を言い始めるじゃないか。できるなら俺もそうしたいんだけど。

 家のカーテンはしばらく閉めっぱなしにしているせいで外の様子はわからないが、きっと今も大勢の人が待ち構えているに違いない。

 ナツの言うそれは、腹を空かせた肉食動物の群れに弱った獲物でも放り投げるようなものだ。俺にみすみす餌にされに行くような趣味はない。

 しかし、ナツは強いまなざしで自分を信じてほしいと言い切った。……なんだかよくわからないが、それは少しずるいと思う。

 だってナツに信じてなんて言われたのなら、そうするしかないじゃないか。俺にナツを疑う要素なんてあっていいはずがないのだから。

 

「よくわからないけど、わかった。それで、これからどこへ?」

「ごめん、連れてくるまで明かすなって言われてるの。ここは黙って着いてきてほしいな」

「そ、そっか、了解。それじゃ、準備してくるからちょっと待ってて」

 

 連れてくるまで明かすな。つまり誰かからの命令であることを示唆しているかのようだった。だとしたら誰だろうか。ナツが代表候補生であることを考慮すると――――

 って、ナツを信じることで決めたんだから変に考えるのはよせって。待たせては悪いし、手早く準備を済ませてしまおう。

 着替えや必要そうなものを所持してリビングに戻ると、ナツも同じく準備を終えているようだった。ならば覚悟を決めつつ靴を履き替え、いざ数日ぶりの外へ……っと。

 

「あれ、誰も居ない……?」

「そこらも後で説明するからさ。それじゃ、着いてきて」

 

 覚悟していたというのに拍子抜け。玄関の扉の先には誰も待ち構えてはいなかった。それに隠れているような様子も感じられない。

 おかしいなと周囲を見渡していると、ナツは安心させるかのように優しく俺の背を叩いた。説明するからって、ナツに俺を連れてくるよう言った者の差し金ということになるが。

 ナツの後ろを着いて行きつつ何者かの正体に勝手な想像を膨らませるも、モヤモヤと霞がかかったかのようにそれらしい何かは思いつかない。

 この思考は無駄らしいことを察したので向かっている場所の正体へとシフトを変えるが、このルートはどうにも見覚えがあるぞ。

 そう、確か父さんの勤め先がある可能性が高い場所だ。足を運ぶのは相談を受けてもらって以来となる。ほぉ、とんだ偶然があるものだ。なんて考えていたらだ――――

 

「ほら、ここからでも見えるでしょ。目指してるのはあのビルだよ」

「あのビルって、あのビル? あのビルか…………」

「思うところでもあるの?」

「い、いや、なんでも。ただの偶然と思うから」

 

 ナツが駅前広場から指さした先には、俺が父さんに相談をした喫茶店があるすぐ近くの高層ビルだった。こうも偶然が重なると怖いまであるな。

 ナツに何か心当たりがあるのかと問われるも、取るに足らないことだ。とりあえずそれは流して、件の高層ビルへ向かうことにしよう。

 ナツに歩幅を合わせて歩くことしばらく、見上げるのが疲れそうなビルの真下へと到着した。社名の書かれた看板に注目してみると、そこにはFuturisticTechnology Instituteとある。

 直訳するなら未来的科学技術研究所ってところかな。でもその外観が研究所っぽくないところからして、単なる企業名なんだろうけど。

 

「こんにちはー」

「な、なんの躊躇いもなく!? えっと、こ、こんにちは」

 

 俺が看板へ注目している間に、ナツは躊躇いのひとかけらも見せずに自動ドアをくぐって中へと突入。驚いた拍子にツッコミを入れながら着いて行くかたちになってしまった。

 すると、受付嬢らしき人とナツはどうにも顔見知りのようだった。慣れたようなやりとりで地下研究施設にて主任がお待ちです。なんて案内される。

 地下研究施設……? あれか、やっぱりいろいろ研究されちゃうのだろうか。い、いやナツを信じるという言葉に二言はない。エレベーターに乗り込み、いざ件の研究施設へ。

 エレベーターでの所要時間はそれなりに長く、かなり地下深い場所に設置されていることがわかった。

 そして到着を知らせるベルが鳴り、エレベーターから降りてみると、そこには……何と言ったらいいのだろう。未来的科学と言う名にふさわしいような光景が広がっていた。

 

「……まるでSF映画のセットみたいだね」

「あ、それ初めて来た時に同じこと考えたよ」

 

 白を基調とした無機質ながら清潔感のある場所を、白衣を着た人や作業着の人がせわしなく行きかっている。

 見ればなんの用途かすら想像もつかないような機械を運んでいたり、またはその機械の前で話し合っていたりと、この光景はSF映画以外に表現しようもなかった。

 ナツはたくさんの人から挨拶されたり会釈されたりしながら進んで行く。俺はなんとなく居心地の悪さを感じながらナツの背を追った。

 

「よしよし、到着っ」

「IS企画開発研究部……か」

 

 ナツが到着と言いつつ立ち止まった部屋の出入り口上には、仰々しい字体でIS企画開発研究部と書かれていた。それならナツがここに俺を連れて来た理由もわかるな。

 でもナツの妙に慣れた感じばかりは説明がつかないな。この部屋に入ればその真相も明かされるのだろうけど。

 内心そう唸っていると、ナツはポケットから会員証のようなものを取り出した。それをドア横にあるカードリーダーに読み込ませると、どうやらそれでロックが解除されたらしい。

 

「ハル、ひとつ断っておくことがあるんだけど……」

「う、うん、言ってみて」

「どうかそんなに驚かないでね」

 

 部屋に入る前にひとつとナツがそう言いだしたが、その微妙になんとも表現できそうにない顔つきはいったいなんなのだろうか。

 これまでとは違う意味で頭の上にクエスチョンマークでも浮かびそうなのだが、いったいどういう意味なのだろう。

 部屋に入ればその意味もわかるのだろうから問いただしはしないが、どうやらまた覚悟をしておいたほうがよさそうだ。

 ガコンとかプシューとか音を鳴らしてドアが開くと、中は思った以上に広い空間が確保されていた。メインフロアや廊下と違い、モニターやコンソールが多く見られる。

 そして作業着の人の割合は減り、白衣の研究員さんのほうが目立つ。何やら言い争いに近いような話し合いをしているようだ。

 物珍しくて周囲を見渡していると、どうにも一人の研究員さんに目がいった。なんというか、後ろ姿に見覚えがある。というかおかしいな、あれはもしや。いや、もしかしなくても――――

 

「おばさん、連れてきましたよ」

「あら、思ったよりも早かったわね。道中、大丈夫だった? 変な人に乱暴とかされなかったかしら?」

「アハハ、大丈夫ですよ。だからそんな幼児扱いはちょっと……」

「…………母さん?」

「ええ、晴人くんのお母さんですよ~」

 

 見覚えのある背中に、やけにナツがズンズン近づくから嫌な予感はしてたんだ。例の研究員さんとの距離が近づくごとに予感は確信へと変わり、あまりのことに脳がすぐ事実を認識できない。

 だからナツと母さんのやり取りをボーッと眺めるくらいのことしかできない。二人のやり取りがいつも家で繰り広げられているそのまんまで、俺の中で更にギャップの溝が深くなっていってしまう。

 だからとりあえず、この目の前で当たり前みたく白衣を着ている人に質問だ。貴女は本当に俺の母親でしょうか?

 うん、ニパニパとして見ていると気が抜けそうな笑み。それにこの聞いてると考えごとなんかすっ飛んでいっちゃいそうな甘ったるい声。間違いなく俺の母である日向 恵令奈のものである。

 

「母さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!?」

「お母さんですよ~」

「母さんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん!?」

「お母さんですよ~」

「母さ――――」

「いやハルそのくらいにしておこうよ……。初めは私もそんなだったから気持ちはわかるけど」

 

 いや待って待って待ってくれ待ってよ待ってくださいませんか。長らく職業不詳だったと言うのに、これはあまりにも予想外過ぎる。

 だって見るからに研究員だよ? それにISの研究者なんてよっぽどの頭脳の持ち主じゃないか。とは言え何も母さんを見くびっての発言ではない。

 母さんが決して頭が悪くないのは知っている。いや、むしろ良いくらいという認識だ。勉強を観てもらったことは何度もあるし、加えて教え方も上手だ。

 しかしそれは学力における頭が良いという認識であって、母さんは基本的に脳内にお花畑でも広がっているような人だと言うのに。

 それが、まさか、こんな、えぇ……? 正直俺がIS動かせるのよりも衝撃なんですがそれは。思わず叫び散らす気持ちはわかるだろうに。

 叫ぶ俺をナツが止めにかかるが、そこでようやく思い出したことがある。つまりナツはいずれかのタイミングでこの事実を知っていたということになるじゃないか。

 

「ナツ、これどういうこと!?」

「うん、ホント黙ってて申し訳ないとは思ってたよ? けど――――」

「済まないな、千冬くんにずっと口止めされてきたのだ」

 

 相変わらずニパニパしている母さんを尻目に、衝撃の事実について詳しく解説をプリーズと向き直る。するとかなりの苦笑いを浮かべて真相を語り出した。

 しかし、それは何者かが言葉を遮ることで止まってしまう。というか、べらぼうに聞き覚えのある声で思わず身体を硬直させてしまう。

 そしてギギギ……と、錆びたブリキの人形みたくそちらへ向き直ってみる。すると、スーツの似合うダンディズムの塊のような男がそこに居た。

 

「と、父さん……?」

「ここはあえて初めましてと言わせてもらう。挨拶代わりにこれを受け取ってほしい」

「FuturisticTechnology Institute最高経営責任者……日向 晴誉……。し、し、CEO……?」

「そういうことになる」

「あー! あ゛ー! もう無理! もう無理だ! あまりの衝撃に立ってられない!」

「ハ、ハル、本当に気持ちはわかるから一回落ち着こう! ね? ほら、深呼吸~」

 

 父さんが俺に手渡したのは、堂々と最高経営責任者という肩書が書かれていた。つまりCEO、とても偉い人であるということが発覚した。

 衝撃的事実のラッシュで本当に立っていられない。思わずガクリとその場に膝を着けると、慌てたナツが落ち着くように諭してくる。

 いや、これが落ち着いていられるわけが……。い、いや、ナツの言うとおりだ。どうにもこういう取り乱し方は俺のキャラじゃない。

 ナツの手を借りて立ち上がると、深く息を吸って深く息を吐く。それをしばらく続けていると、不思議と気分が落ち着いてきたような気がする。よ、よし、大丈夫そうだ。

 

「えっと、父さん。フユ姉さんが口止めって、それどういうこと?」

「ISに関わることは長らく口止めされていた。悪いが理由は私たちも知らん」

「私もISに乗りたいって相談したらかなり反対されちゃった」

 

 少しずついろいろと紐解いていくことにしよう。まずは父さんの千冬くんに口止めされていた、という部分についてから。

 詳しい事情は知らないが、父さんと母さんはフユ姉さんのお願いを守っていたということか。確かに心当たりがないわけではない。

 フユ姉さんは自分の試合映像とかを俺やナツに見られるのを避けていた節がある。ずっと気恥ずかしいのかとでも思っていたが、どうやら事情は異なるみたいだな。

 ナツが反対を受けたというピースから、ナツ、もしくは俺がISに関心を持つと何かしら不都合があった可能性が出てくる。その不都合というのは想像がつかないけど……。

 

「ナツはいつから二人のことを?」

「ISに乗り始めたあたり。千冬姉がここのことを紹介してくれたんだ」

「お母さんたち、千冬ちゃんがバリバリ現役の頃からサポートしてたの」

「つまりナツの専用機って……」

「うん、ここ製の機体だよ」

 

 ナツがISに乗り始めた時期と言うと、今からちょうど一年前くらいになるのか。ナツは習い事と称してここにも通っていたのだろう。

 そうか、フユ姉さんの勧めで……。代表候補生になる、あるいはなれる人物はそれなりにコネというものがあるものだと思ってはいたが、フユ姉さんは最強のコネじゃないか。

 座そのものを勝ち取ったのはナツの実力だろうが、そんな前から母さんたちの正体を知っていたのか。よく隠し通せたもんだよ。俺なら衝撃ついでに話したくなってしまっていたかも。

 まだ受け入れられない部分も多いが、俺がここへ呼ばれた理由もなんとなく読めてきた気がする。そして、どうして報道とかの人が家に押しかけてこなかったのかも。

 後者は簡単。恐らく父さんが何かしらの圧力をかけたか、もしくは取引のような何かを行ったかのどちらかのだず。そして前者は――――

 

「なら俺が呼ばれたのは、専用機の譲渡が目的ってところかな」

「そのとおりよ晴人くん。お母さんの最高傑作を託しちゃうんだから! ね、晴誉さん」

「日向部長、再三になるが勤務中の公私混同は避けるように」

 

 さらりと質問してみたが、やはりそうなのか。何も俺が選ばれた人間であるなんて言うつもりはないが、妥当と言えば妥当なところなのだろう。

 俺がIS学園に入る主目的としては保護という名目になるのだが、直接IS学園に殴り込みが起きないとは言い切れない。

 ISについて学ぶ学校とはいえ、共用であろう訓練機を俺にあてがうのは燃費が悪いし、何より訓練機のベーシックな性能では心もとない部分もある。

 そこでワンオフかつ訓練機と比較すれば圧倒的戦闘力を誇るであろう専用機を俺が譲渡されるのは、先ほども言及した保護と言う目的が含まれるのならある種当然とも言える。

 当然であると理解はできるものの、なんというか、とても恐縮してしまうな。専用機獲得のために日夜汗水流している人たちに申し訳が立たない気がしてならない。

 ……というかなんて? 母さん部長なの? 夫婦そろって凄まじく立派なポストについてるじゃないか。俺の十五年に及ぶ庶民生活はいったいなんだったのだろう。

 

「それでは部長、一夏くん。後のことを任せる」

「了解です!」

「は~い!」

「あ、あのさ父さん」

「なんだ?」

「えっと、いろいろありがとう」

「気にするな。家族を守るのが家長の務めだ」

 

 父さんは顔を見せにきただけなのか、伝えるべきことを伝えると仕事へ戻るつもりらしい。役職的に忙しいものだろう。

 引き留めるようで悪いけど、とりあえず礼だけは言っておかなければ。軽く専用機の譲渡なんて言ってはいるが、俺の機体となるには父さんがかなりの苦労を重ねてのことのはず。

 政府や国の認可とか、IS委員会の認可とか、とにかく許可を得るだけでも相当量の交渉が必要になるはず。もし仮に誰かに譲渡する予定でもあったのなら目も当てられない。

 それだけでなく、単にマスコミ等から俺を守るためにも尽力してくれたみたいだし、感謝してもしきれない。

 深々と頭を下げたというのに、父さんはいつものとおりクールな対応で俺の言葉を受け取る。そっけないと思う人もいるかも知れないが、少なくとも俺は、あれが父さんらしくて好きだな。

 

「さてさて晴人くん、まずはこれに着替えてちょうだい」

「これは……あっ、なんか見たことある。フユ姉さんとかが試合の時に着てるやつだ」

「なんの捻りもなくISスーツって言うんだよ。まぁ要するにパイロットスーツと同じようなものかな」

 

 父さんの姿が完全に見えなくなると、母さんが何かしら着衣を手渡してきた。手触りは水泳のプロアスリートなんかが着る水着と似ている。

 その場で広げてみると、メタルグレーをベースにして腕や胴体から足にかけての側面に虹色のライン模様が入ったデザインだった。でもウエットスーツとは違ってセパレートタイプみたいだな。

 ナツ曰く、これはISスーツと呼ばれるものらしい。ナツの言葉どおり本当になんの捻りも感じられない。まぁ、シンプルイズベストというやつなのだろう。

 でも性能は只者ではないらしく、なんでも体を動かす際に筋肉から出る電気信号等を増幅してISに伝達してくれるんだとか。単純にすごいという言葉しか出てこない。技術革新とは末恐ろしいものだ。

 

「…………」

「ハル、どうかした?」

「あ、いや、その、今から専用機に乗るんだって思うと、なんだか急に緊張してきちゃって」

「大丈夫だよ、誰だって初めてはあるんだから。それに私も練習を手伝うからさ」

「ハハ、代表候補生の指導っていうのはこれまた豪華だね。うん、ありがとうナツ。ここはひとつ、どうかご享受お願いします」

 

 ISに乗るというのは、車やバイクを運転するのとはわけが違う。それもいきなり訓練機でなく専用機であることを余儀なくされるときた。

 両親に対する混乱でどこかへすっ飛んでいたであろう緊張はリターンバック。ISスーツを握りしめながら固まっていると、ナツが顔を覗き込ませた。

 正直に心の内を吐露すると、ナツは安心させるような笑みを浮かべ俺の手を取りそう言う。すると、なんだか胸の奥が熱くなるような感覚が過った。

 ナツが女の子になってからはそう気安く触った覚えのない手だが、なんというか、とても暖かくて柔らかくて、いつまでも握っていたい気さえしてしまう。

 家事をするのになんでこうも綺麗な手なんだろうか。それはきっと、ナツの持つ優しさが俺にそう思わせるんだと思う。

 ナツの手を少しだけ握り返した時には不安は消え去り、むしろ期待感すらわいてきた。俺にとってナツが一緒ということ以上に心強いことはないのだから。

 

 

 

 

 




Q両親の設定はどうしてこうなったの?
A便利なうえにオリキャラの数を最小限に留められるからです。

いやいや束さん一人居たら済む話やん。と思われるでしょうが、わけあって臨海学校編までに登場させることができないんです。
私個人のなんでもかんでも束さんで解決を図るのを避けたいというワガママも重なってしまい、苦肉の策としてこのような措置を取らせていただきました。





【FuturisticTechnology Institute】
FT&Iの通称で呼ばれる企業。
日本語で直訳したとおりの企業であり、先進医療などといった社会に貢献できるようなあらゆる物事の研究、開発を行っている。
ISの台頭と同時ほどに研究等に着手し、現在では単独での開発も可能なほど。


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第13話 虹の番人

しょうもない話その3。
主人公の専用機についてここで軽く触れておきます。
じゃないと初戦で上手に描写し切れる気がまったくしませんので……。


「さてさて晴人くん、専用機とご対面といきましょうか!」

 

 研究室と併設してあった更衣室で着替えた俺は、ブルーシートがかけられた何かを前に得意気な母さんを眺める。どうやら俺の相棒となるISは目と鼻の先のようだ。

 俺は期待と不安が半々の心境である。期待に関しては男子特有の童心が影響しているから。不安に関してだが、どうにも隣に立つナツが訝しむ様子だからだ。

 つまりブルーシートの上からでもわかる違和感を覚えている証拠であって、母さんの性格も影響してより不安を加速させる。

 キョドッている間に母さんは前置きを終えたらしく、ブルーシートの端を掴んで俺へと差し出す。どうやら俺の手で露わにしろと言いたいらしい。

 期待感に胸を躍らせ、消えぬ不安を抱きながら、腹を決めてブルーシートをはぎ取った。するとそこには、なんと言うか、素人目からでもわかる異形が聳え立っている。

 

「これぞ私作の第三世代型IS! この子の名前はヘイムダル! コンセプトは――――ってあらあら? 晴人くんってば反応薄いわよ?」

「いや、母さん。これ本当にIS……? なんていうか、いろいろバランスおかしくないかな。えっと、ナツ。ぶっちゃけこんなIS――――」

「こんな前衛的なデザイン見たことも聞いたこともない」

 

 だよねぇ? 俺の前に聳え立つISは、銀と金、そして各所に虹色を散りばめた甲冑のようなデザインで、まるで重騎士のようなディティールだった。それだけならばそれで済んだろう。

 しかし、あまりにも右腕が大きすぎる。それは太さにおいても長さにおいても言えることで、通常のIS七本ほど束にしたような太さであり、あまりの長さに指先が地面に着きそうだ。

 まずこの左右非対称(アシンメトリー)さに目がいくが、ナツ曰く装甲部分にも始めて見る要素が盛り込まれているそうな。

 昨今のIS、母さんが言った第三世代機は胴体に装甲は存在しないのが主流らしい。しかしこのヘイムダルには、胸の部分にクリア素材で青く輝くXが刻まれた装甲が確と張り付いていた。

 露出している部分と言えば腹部から太ももにかけてで、脚部装甲は膝あたりまで。要するにガッチガチのゴッツゴツの機体らしい。

 

「見たところ機動力を捨てた防御型って感じだけど」

「ピンポーン、一夏ちゃんせいか~い」

「それは、俺が上手くISを動かせないことを想定してるから?」

 

 ISには絶対防御と言う機能が存在する。100%のものとは言わないが、操縦者の命を守るために生身への攻撃を防ぐ機能……だったと思う。

 装甲が厚く多いということは、それだけ絶対防御は発動しにくい。つまり、もし俺が試合に出ても秒殺はされないための措置だと読んだ。

 

「ううん、それは偶然よ? だって晴人くんに合わせて造ったはずないじゃな~い」

「え、これ急ピッチで造った機体とかじゃ……」

「ないない! だってこの子、私が趣味で造ってた機体なんだもん」

「…………はい?」

「母さんとしては運命感じちゃうわ~。私が個人的に造ってた機体に愛する息子が乗ってくれるんだもの~!」

 

 今この母親はなんと言ったろうか。趣味? 個人的に? ISのコアは諸事情により絶対数が決まっており、専用、汎用に関わらず467機しか造れないのに? その貴重な一機のうちひとつを趣味で?

 俺は照れ臭そうにキャーキャー騒いでいる母さんを無視して、そこらで作業していた研究員さんたちに目を向けてみる。

 すると向こうも遠巻きに視線を送っていたというのに、俺が目をやると同時に身体ごと視線をそらされた。この空間内で誰にやってもリアクションは同じで、この瞬間に俺は悟ることとなる。

 母さん、変人と天才は紙一重のパターンのやつや……と。

 というか父さん、趣味で造るからコア確保してってお願いを聞かんといて。そんでもって機体製造のゴーサインを出さんといて……。

 

「まぁ、その、元気出してよ。ほら、今に始まったことでもないし」

「ナツ、時として慰めほど残酷なことはないんだよ……」

「ほらほら、早くヘイムダルに乗っちゃって! 一夏ちゃんも白式の展開をお願い」

 

 おお神よ。そんな調子で天を仰いでいると、ナツは俺の背を撫でながら気まずそうな励ましをかけてくる。

 残念ながら今の俺にありがとうと返す余裕はなく、心底から疲れ切った声でそう言うのが精いっぱいだった。……あとでちゃんとありがとうと言っておこう。

 そんな中母さんがヘイムダルへの搭乗を促してくるが、先にナツが白式なる専用機を展開するほうが早かった。いや、早いなんてもんじゃない。一瞬という言葉が遅く感じられるほどだ。

 ナツの専用機、見た目の印象はまず第一に白。デザインはヘイムダルほどゴツくないながらも騎士の鎧ふうで、背中にある大きなウィングスラスターが目を引く。

 それも相まってか、猛禽類のような猛々しさの中にも美しさを感じる。そのせいか俺は、思わず余計なことを口走ってしまう。

 

「……綺麗だな」

「ふぇっ!?」

「ああ、いや、ナツのことじゃなくて白式の――――あっ、いや、でもナツのこともそりゃ綺麗だって思ってるよ!? けど、その、なんというか、今のは別に、言葉の、綾的なあれのやつでさ……」

「わ、わわわわわかってるよ、大丈夫、大丈夫だから! でも、あ、ありがとぅ……」

 

 いや、確かにナツ含めてというか、白式を纏うナツがとても綺麗だと思った。けどそれを無意識に口走ったからと言って、余計な弁明をしようとするから更に余計なことになってしまう。

 しまったな、精神的には男なのに綺麗なんて言われたナツの心境はいかに。ナツが女の子になってけっこう経つせいか、俺も扱いに混乱してきてしまった。

 それでなくても白スク水みたいなISスーツ着てて、ナツのボディラインが強調されて目を合わせられないというのに、ますますナツに視線を送れない。

 二人して顔を真っ赤にしながらアワアワする空気感に堪えられなくなった俺は、急いでヘイムダルに搭乗して話を先に進めることにした。

 

「っ…………」

「晴人くん、気分が悪かったりしない?」

「……少し脳がピリッとする。けど、辛さはないかな」

「ただいま初期化(フォーマット)最適化(フィッティング)中でござ~い。その影響だから少しだけ我慢してちょうだいね~」

 

 俺の脳には初めてISに触れた際と同じような感覚が過るが、不思議と前とは違い痛みを伴うようなことはない。なんというか、馴染んでいくような気がする。

 初期化に最適化……か。すなわちヘイムダルに俺のパーソナルデータを登録しているということなのかな。どちらにせよ、ゆだねる気でいたほうがよさそうだ。

 そう感じた俺は、もっとリラックスして頭に流れる情報のようなものを受け入れる体勢をつくる。するとよりいっそう浸透していくような感覚に変わり、そして――――

 

「はい完了。後は一次移行(ファースト・シフト)が済めば完全に晴人くんの機体に――――って、あらぁ?」

「な、何さその気になる感じは」

「んーん、なんでもないのよ。どのみち今説明しても晴人くんチンプンカンプンだろうからパ~ス」

「そ、そう……」

「ハル、感想はどんな?」

「うーん、なんか変なのがたくさん見える。それより前見てるのに背中が見えるという大矛盾だよこれ」

「アハハ、ハイパーセンサーの影響だね。白式でいうとこれ、ヘイムダルだとその角とかトサカっぽいパーツのことかな」

 

 確かに今の俺の額には、角のようなトサカのようなパーツが貼りついている。右手が大きすぎて触れられないため、左腕を操作して触ってみた。

 ハイパーセンサーというのはザックリ言うなら視覚補正等のサポートを行ってくれる装置らしく、今俺の目には白式がピックアップされて様々な情報が表示されていた。

 そのうち意識しなくても自由に使えるとのことだが、今でさえかなり混乱しているのに本当に大丈夫だろうか。実際は戦闘中に確認しなきゃなんなくなるんだろうし。

 

「それじゃ晴人くん、ゆっくりでいいから歩いてみましょうか」

「え、えーっと、どうやって?」

「ハル、第三世代機はイメージインターフェースっていう機能が標準装備されてるんだよ」

 

 なんだか今日だけで横文字の用語を沢山聞くな。

 イメージインターフェースというのは、操縦桿やフットペダルを操作しなくてもISを動かせる機能のことらしい。むしろ第三世代機においてはほとんどの操作をそれで行えるらしい。

 歩行、飛行、武装の展開等々をマニュアルとイメージインターフェース操作を併用することでセミオート的な運転が可能らしい。

 それを可能にするのが名称のとおり操縦者のイメージ力。歩く姿をイメージすればそのとおり動くらしいが、果たして――――

 

(歩く、歩く……)

「うん、いいよハル、その調子!」

「な、なんだか変な感じだな。思ったよりも勝手に動いてるような気がする」

「これもそのうち意識しなくてもできるようになるよ。じゃ、頑張って練習練習!」

「ん、頑張る」

 

 普段無意識に行っていることをイメージするというのはなかなか難しかったが、ヘイムダルは一歩前に踏み出してくれた。

 それを見たナツは少しだけ地面から浮いてヘイムダルの左手を取る。右手が巨大なせいでバランスが取り辛かったから有難い。

 よしよし、ナツのおかげでやり易くなった。ならば言うとおり練習あるのみ。IS学園に入学するまでそう時間もないのだから、せめて不格好でも飛行まではなんとかしたい。

 ナツに手を引かれてそこらを何周も歩くことしばらく、ぎこちないながらもなんとかコツが掴めてきた気がする。

 そこで手を離してもらってもう何周かしてみるが、躓くようなこともなく踏破に成功。まだ意識的にやっている部分はあるが、とりあえず母さんからは及第点をもらえた。

 まぁ、時間がないのだからひとつのことに拘ってもね。今日はヘイムダルという機体についての説明が主なんだろうから、練習は今日以降ということにしよう。

 

「それじゃあ晴人くん、お待ちかねの武装面について触れましょう!」

「そう待ってもないけどね……。えっと、コンセプトについて言いかけてたけど」

「よくぞ聞いてくれました! その前に晴人くん、ヘイムダルってご存知かしら」

 

 ヘイムダルねぇ。実のところ聞き覚えはあるのだが、それが何だったかに関しては思い浮かばなかった。そこで大人しく正解を乞うと、どうやら北欧神話に関係するらしい。

 ヘイムダルというのは北欧神話の神々が地上とアースガルズ――――要するに神様の住む国とを繋ぐ虹の橋を守る番人らしい。

 なるほど、それならヘイムダルやISスーツの各所に虹色が散りばめているのも頷ける。重騎士のような見た目についてもだ。でもそれとこの機体のコンセプトについてなんの関係があるのだろう。

 

「ヘイムダルの右腕装甲――――それは鎧であると同時に武装なの! その名も虹色の手甲(ガントレット)!」

虹色の手甲(ガントレット)……。随分ストレートなネーミングだけど、これが武装ってどういうこと?」

「フッフッフ……。ズバリ! 虹色(なないろ)にかけて七段変形しちゃいます!」

「へ~……。なんかカッコイイような気が――――」

「へ!? えっ、おばさん、拡張領域(パススロット)は? 後付武装(イコライザ)は!? 白式も人のこと言えないですけど、それは流石に酷いですよ!」

 

 な、なんだかよくわからないけど酷いらしい。ナツの異様な焦りようを見るにこれはよほどのことだな。

 拡張領域(パススロット)というのは武装をしまっておくポケットのようなもので、後付武装(イコライザ)というのは拡張領域(パススロット)に後からインストール可能な武装のことを指すらしい。

 どちらにしろ拡張領域(パススロット)の存在は欠かせないものというのがわかった。それがなければ後付けもクソもあったもんじゃない。

 

拡張領域(パススロット)? 右腕部装甲の内部に用意しておいたけど?」

「どちらにせよめちゃくちゃだよぉ……。なんなのこのIS……」

「ま、まぁまぁ、別に存在しないってわかっただけでもいいじゃない」

 

 よほどこのヘイムダルはいろいろとアレらしいのに、造った本人がもっとアレということにナツは頭を抱えだす始末。

 俺には何が悪いのかはわからないが、母さんがあっけらかんと言いのけるとナツは少しばかりフラッと足元をぐらつかせた。

 母さんの子だけに妙な罪悪感を覚えた俺は、巨大な右腕の中心あたりでナツの腰を支える。IS装着してるしでそう心配する必要はないと思うけど、まぁ一応ね、一応。

 

「で、晴人くん。武装展開をする前にコンソールを開いてくれないかしら」

「りょ、了解。え~っと……」

 

 母さんに操作方法を習いつつ、ナツに手を借りながらコンソールを操作していく。

 開いてほしいと頼まれたのは武装の状態を示す画面らしく、虹色の手甲(ガントレット)という項目へとたどり着く。

 さらにそれを開いてみると、確かに七つの項目が並んだ画面が表示された。……んだけど、様子がおかしいのは一発でわかった。

 七項目のうち二つが緑色の鍵が開かれたようなマークがついていて、うち五つには赤で鍵がかかったようなマークが。これはつまり――――

 

「どういう理由かわからないんだけど、晴人くんが乗った途端に五つの変形機構にロックがかかっちゃって」

「えぇ……? そ、それは俺がふがいないって意味なのかな」

「ん~……半分くらい正解かしら」

 

 ISと言うのは自己進化の可能性を秘めているらしく、専用機は乗っているうちに武装が構成、解放されることがあるらしい。

 それは操縦者の経験値が一定まで上がると起こる現象らしく、これを俺に当てはめた場合、変形機構が解放されていくということになるようだ。

 つまりヘイムダルのコンセプトである七段変形への道のりは遠いようで、全貌が明らかになるのは少なくともIS学園に入学してからのことになりそうだ。

 

「じゃ、解放されてる武装はここで試しましょ。晴人くん、名称未指定仮称識別色・赤(コード・レッド)ってあるでしょ?」

「うん、確かに」

「叫んで」

「…………はい?」

「だから、仮称識別色・赤(コード・レッド)って叫んでちょうだい。音声認識で変形するから」

「……おばさん、イメージインターフェースでの変形は?」

「できないようになってるわね。だってそっちの方がかっこいいんだもの!」

 

 今度こそ二人して頭を抱えずにはいられなかった。母親のぶっ飛びっぷりというか、研究者としてあるまじき発言にと言うか。

 いや、ある意味では究極の研究者体質なのかも知れない。なんというか、ロマン的なものを追い求める姿勢とかそういう部分。そうか、母さんが趣味で造ったと言っていた所以か。

 多分だけどこの機体、誰か他の人に譲渡する計画はあったのだろう。しかし、このアレっぷりを前に向こうから受け取りを拒否されたに違いない。

 俺も正直なところ返したい気分になってきたが、そういうわけにはいかないのが今の俺の立場というものである。

 ちなみにだが、武装の名称については俺が自由に変更できるらしい。それはどんな武装か、いや、どんな変形をするのか見てからにしよう。

 それでは早速――――

 

「コ、仮称識別色・赤(コード・レッド)!」

 

 俺の声に反応してか、虹色の手甲(ガントレット)に走っていた虹色が赤色へと変わり、機械的な音を鳴らしながら変形を始めた。

 手首あたりの装甲が半分浮いたような状態になると、手の甲のあたりにセーフティカバーのようなものがスライドして飛び出てくる。

 そして浮いていたパーツが再びあるべき場所へと装着されると、セーフティカバーから赤色のエネルギーが放出された。

 それは勢いよく回転していたが、時間の経過とともにゆっくりと止まっていく。ようやくその姿をじっくり観察できるというものだ。

 薄く円形で細かいギザギザのついたこの感じは――――

 

「……丸ノコ?」

「その通り! その場で回転させるもよし。射程はそう長くないけど射出もできるわよ。あ、射出してる合間は他の変形ができないから気を付けてね」

「ツッコまない、もうツッコまない。ISの装備に丸ノコとか規格外だけどツッコまない」

 

 母さんはISをどういう目で見ているのか。変形するって言われて武装って言うんなら普通は剣とか銃のことを考えるだろう。それが丸ノコって……。

 いや、確かに剣とか銃に変形されたところでマトモに扱える気はしないけど、せめてもっと工具とかじゃなく武器にしてほしかった。

 しかし困った。これでは他の変形機構に期待が持てなくなってしまったぞ。ナツなんかいよいよ現実逃避を始めてしまった。

 とりあえず赤色にあたる武装、丸ノコの使用感を適当に試して次へ。どうやら色は青色らしく、俺はまたしても高らかに叫んだ。

 

仮称識別色・青(コード・ブルー)!」

 

 そう叫べば、右腕に走っていた色が青色に変わる。

 さきほどの順序とは逆にパーツが浮いてセーフティカバーが引っ込むと、右腕はいったん元の形状へ戻った。そしてそこからさらに変形。

 右腕の中心あたりが大きく開き、そこから青色のエネルギーが放出される。それはいつしか湾曲を帯びた四角形を形どり、いわゆるタワーシールドのようなタイプの盾へと変形した。

 

「こんなガチガチな機体のうえに盾?」

「ナツもそう思う? というかこれ、大きさからしてハイパーセンサーなしじゃ前が見えないんだけど……」

「いやいや、その盾こそヘイムダルにとって肝心要の武装よ。それまでロックされちゃったらいろいろ詰んじゃってたかも知れないもの」

 

 ヘイムダルが防御型機体であることは母さん自ら肯定した。だというのに、どうにもヘイムダルは盾を装備しているらしい。

 それでなくても絶対防御が発動してしまう領域が腹部から太腿あたりまでしかないのに、この盾を構えている間は更にダメージを与えづらくなるだろう。

 そこまで防御特化にするのは構わないどころか有難いのだが、これでは反撃の手があまりにも少ない。持久戦に持ち込んだところで、攻撃をせねば勝てるはずはないのだから。

 母さんの様子からするにこの盾はヘイムダルの戦闘において鍵であるらしく、これがないと詰みとかそういうレベルの話らしい。

 どういう基準でロックされたかはわからないけど、ヘイムダルも気を遣ってくれたのかな?

 

「晴人くん。さっきは七段変形って言ったけど、ヘイムダルにはもう一つ切り札になる変形機構が用意されているの」

「切り札……。そ、それっていったい……」

「ふふん、それはね――――」

 

 

 

 

 




中途半端な終わり方ですが、全貌は某イギリス代表候補生戦で明かします。
ちなみに専用機のモチーフになっているのは【ウルトラマンエクシードX ベータスパークアーマー】です。巨大な右手と脚部以外はだいたいまんまと思っていただいても。
どんな見た目かわからない? そんな人はウルトラマンXを劇場版まで完走してください。お願いしますなんでもしますから。





【ヘイムダル】
晴人の実母である恵令奈が趣味で開発した第三世代型IS。
とてもではないが常識的ISとは呼べない。それはデザイン、仕様などあらゆる要素においてと言えよう。
しかし、七段変形する右腕はクセの強い性能ながら、あらゆる局面に対応することが可能である。使いこなすことさえできればかなり猛威を振るうであろう。
が、現在はほとんどが未開放状態となってしまった。どうやら晴人の経験に応じて徐々に解放が進むようだ。

【虹色の手甲】
ヘイムダルの最大のコンセプトを担う、右腕装甲でありながら武装という異質な存在。
ただ大きな右腕ということではなく、パススロットを併用しつつも、むりくり七段変形の変形機構を詰め込んだために肥大化したようだ。
だが結果としては大きければ大きいほど良い。その理由は、恵令奈が語りかけた切り札と大いに関係している。
余談ではあるが、ネーミングは丸パクリ。かつて少年サンデーで連載していたマンガにおいて、主人公の使う必殺技の内ひとつだった。
なんのマンガかわかる人、今すぐ友達になりましょう。


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第14話 キミと共にあれること

前三話があまりにもいちかわ要素が薄すぎる。
アホか。なんのためにこの小説書いてんだ。
と言う結論に自分で至ったので、いちかわ要素多め(当社比)でもう一話更新です。
IS学園に入る前にワンクッションといった感じの内容でお送りします。





以下、評価してくださった方々をご紹介!※順不同

如月提督様 the clock様 猫魈になりたい様

評価していただいてありがとうございました!


 あれからヘイムダルも一次移行(ファースト・シフト)を果たし――――まぁ、サイズ調整があったくらいで大した変化はなかったけど、訓練も順調に進んでいる。

 IS学園への入学も週が明ければというところまで迫り、否応なしに様々な覚悟を求められる段階へと入ってきた。そんなとある休日――――

 

(こ、ここであってるんだよな……)

 

 俺は家でとっている新聞の折り込みに入っていた広告片手に、一人繁華街の美容室を前に右往左往としていた。まぁなんというか、少しばかりイメチェンをしてみようかなと思い立ってここに居る。

 根暗っぽく思われる最たる原因は、そりゃ俺のネガティヴ気質なんだろうけど、髪型とかでも少し印象は変えられるはず。

 ……少しずつでも変わっていこうと思うんだ。ISを動かせるということで俺自身が特別だなんてことを言うつもりはないけど、その事実をひとつのきっかけにできればと思う。

 ……そう思ったのはいいんだけど、やっぱり店の外観からして萎縮してしまう。こう、お前みたいな陰キャはお呼びじゃねーぜとでも言われている気分だ。

 

(いや、客商売なんだからそんなことは……。でもなんか店員さんとかもやっぱオシャレだし――――)

「あのーそこのお兄さん?」

「はいぃ!? す、すみません、その、営業妨害とかそういうのをするつもりじゃなくてですね!」

「そんなことは思ってないっすよ。こういう店は初めて……っぽいっすよねぇ。わかりますわかります、自分も初めてン時はビビりながら入りましたもん」

 

 緊張やら迷いやらで店の前を右に左に行ったり来たりしていると、突然話しかけられて心底から驚いた。

 慌てたせいで思わず謝罪しながら立ち去ろうとすると、声の主である店員さんは俺の肩を優しく掴んでグルンと回転させる。

 これでようやく目が合ったわけだが、店員さんの語るエピソードが嘘と思えるような見た目だ。えっと、悪い表現をするならチャラい感じ。

 でも接客するのに明らかに年下な俺に敬語を使っているし、キャラも朗らかでとっつきやすい。こういう人は無条件で怖いものだと思ってしまっていたけど、考えを改めなければならないようだ。

 

「で、どうします? 自分も無理にとは言わないっすけど?」

「あ、ああああの、じゃあ、えっと、よ、よろしくお願いします……」

「了解っす。そんじゃ、一名様ごあんな~い」

 

 ここまで来たうえに優しくされては断ることもできず、俺は動揺しながらも肯定して店内へと誘導される。一歩足を踏み入れると、やはりそこは別空間のようだった。

 髪を切ったりセットされている人たちはみんなして店員さんと楽しそうに会話しており、超絶陰キャの俺の場違い感が際立ってしまう。

 ひとつだけ救いがあったとするなら、席が空いていてすぐさまカットに入れたということだろうか。少しは周囲のことを気にしないで済む。

 

「今日はどのようなご用件で?」

「あ、あの、難しい注文かもしれないですけど、高校デビュー的なアレで。あ、でもあくまでイメチェンの範疇で済ませたいと言いますか、少し暗い印象が消えればいいなって……」

「ん~……じゃあ今の髪型を保ちつつ少し短くしましょうか。それだけでもかなり印象変わると思うっす」

 

 イメチェンだからって髪色染めたり、大きく髪型を変えるつもりは毛頭ない。しかし、ただ髪を短くしに来たのとは違うため、難しい注文をつけてしまう。

 しかも店を訪ねた理由が理由なだけに、恥ずかしさから早口になってしまいますます恥ずかしい。しかし店員さんは、気にした様子もなくカットを始めた。

 俺の性格を汲み取ってくれているのか、店員さんが話しかけてくることはない。だがこれはこれで気まずいというね。

 とにかく早く終われと思いつつ鏡の中の自分を見つめていると、同じく店員さんも鏡に映る俺を見ていた。

 

「あ、あの、どうかしましたか?」

「ん、すんません。いやね、なんかお兄さんどっかで見たことある気がするんっすよね~」

(や、やばっ……!?)

「ああ、ほら! なんか男でIS乗れるやつに似てません?」

「あ、あ~……そ、そうですね。実は似てるってよく言われるんですよ」

「やっぱりそうっすか? 世の中似た顔が三人は居るって言うっすよね」

 

 あ、危ない……! どうせ俺の顔なんて印象に残らないし大丈夫だろ、とか思って変装とかして来なかったけど今のはバレたかと思った。

 そもそも、変装なんて有名人気取りでしたくないんだよな……。やっぱり俺が特別であるとは思わないし思えないもの。

 でもまさか世界で唯一ISを扱える男が訪ねてくるとは思ってないのか、店員さんもあくまで似た奴と認識――――いや、どのみち俺が地味であるから気づかなかったんだろう。

 

「なんつーか、ちっとは世の中変わるといいっすよね」

「えっと、それはどういう意味で?」

「そいつが頑張ってくれりゃ、俺ら男の立場ももちっとよくなるかも知んないっしょ?」

「…………」

 

 何度だって言う。俺は特別なんかではない。ではないが、そうか、男性の人からは多かれ少なかれ期待を抱かれてしまうのはあるんだな。

 それをプレッシャーだとか思うつもりはない。人間、苦しい状況ならば期待をしてしまう生き物だろうから。

 ……そう思われていることだけは、忘れないでおこう。学園に行っても男だからと嘗められることもあるだろうが、せめて媚びたりとかはしないでおかなくては。

 

「……頑張りますから」

「お兄さんなんか言いました?」

「い、いえ! なんでも……」

 

 自然とやる気というか意気込みというかが口をついてしまったが、どうやら音量が小さかったせいで聞き取られはしなかったようだ。

 適当に誤魔化しつつ、後はピクリとも動かずひたすら完成を待った。店員さんも気軽に話しかけてくれるようになり、俺も緊張がほぐれたのか普通に会話は成立させることができて一安心。

 ……会話を成功させられるかどうかを考えるって、かなりコミュニケーション能力に問題のある発言かもな。

 とにかくそのまま待つこと数十分、洗髪もしてもらったところで全ての工程が終了したようだ。それを示すかのように、店員さんが散髪用ケープを外す。

 

「どっすかね。ご期待に添えたらよかったんっすけど」

「まさにイメージどおりですよ。すごいですね……」

「そりゃ自分も満足っす!」

 

 切る前と長さくらいしかほとんど変わらないが、自分の目から見ても爽やかな印象を与えるであろう髪型になっていた。

 腕のよさに驚きながら髪を弄っていると、鏡越しに店員さんはグッと力強くサムズアップを見せる。いやなんか、ホントにめちゃくちゃいい人で最初怖がってたのがますます申し訳ないな。

 まぁいいや、それはまた来店してお金を使うことによって償わせてもらおう。でもこの言い方だと金で解決してるみたいな感じだ。とにかく、会計を済ませてしまおう。

 

「あ、そうそう。自分こういうモンなんで、よろしかったら今後とも御贔屓に」

「わ、ありがとうございます。えっと、指名とかできるってことですか?」

「あんま大きい声じゃ言えないんっすけど、この店にもアレな女の人が居るんっすよ。電話とかして自分の名前出して予約してほしいっす。そしたら自分が対応しますんで」

 

 会計の前に店員さんが懐を取り出したのは、店の名前と電話番号、そして店員さんの名前が書かれた名刺だった。

 それをそっと財布にしまっていると、店員さんは目配せしながら女尊男卑主義の女性店員が居るのだと耳打ちしてくる。

 今日はたまたま店員さんの手が空いて、更に声までかけてくれてよかったものの、やっぱり追い返される可能性もあったみたいだな。この人に出会えたのはかなりの幸運らしい。

 

「あの、何から何までありがとうございます」

「いやいやいいんっすよ、お金払ってもらうンっすから当然っす。今度来た時とか、高校の話なんかを聞かせてくださいね」

「はい、その時はぜひ!」

 

 思わず感謝を述べると、店員さんはブンブン手を振りながら大げさだとでも言いたげだ。

 この人にとってはそれが当たり前なのかも知れないが、こんな丁寧な対応ができる人こそ客商売の鑑だと思う。

 きっと俺は、この人がこの店に居る限りはこの店へと通い、この人以外に髪を切られることはないだろう。そう思えるほど気持ちのいい接客をしてくれた。

 むしろ高校の話を聞いてほしいよホント。通う高校がIS学園だから話せないことの方が多いかも知れないけど、それでもだ。

 美容室ということでそれなりの金額を要求されるが、後に店員さんの給料になると思うなら安いもんだ。俺は躊躇なく臨時用の小遣いで支払いを済ませると、深々と頭を下げてから店を後にした。

 

(よし、店員さんのおかげでなんか調子が出てきたぞ!)

 

 見た目だけでも脱陰キャのつもりで外出したわけだが、とても気分がいいものだ。今の俺なら洒落た喫茶店なんかに一人で入れそうな気がする。

 まぁそれは当初の目的に含まれていないのでパスだ。次は服を見に行こうと思う。スケッチ以外で出かける時の、いわゆる余所行きの服を買おうと思う。

 俺がIS学園に行ったからと言って何か起こるわけもないと思うが、女友達くらい何人かはできるかも知れない。別に思春期特有の期待とは思わないでほしいわけだが。

 どちらにせよ俺の私服はあまりにもお粗末というか、着れればそれでいいの精神でこれまできたからヨレヨレになってしまった服なんかもある。

 それもイメチェンというか脱陰キャを目指すついでに、それなりにオシャレに気を遣ったような服なんかも買おうという寸法だ。

 よしそれじゃ、イメチェン目指して頑張っていこう。俺はフンスと大きな鼻息を鳴らして、趣味の合いそうな服の置いてある店を探しに歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『えっと、ごめん、どうしても一人で出かけたくてさ。昼までには帰ると思うから心配しないで』

「……って言ってたけど、ハルってば急にどうしたんだろ」

 

 冷凍庫に保存してある余ったご飯が溜まってきたため、チーズリゾットを作りながら一人そう呟く。

 リゾットのグツグツ炊ける音に負けそうなか細い声であり、誰か居たとして気づかれることはなかったろう。

 それはハルにやんわりと付いて来ないでと言われてしまったからだろうか。

 もちろんハルにそんなつもりがないのはわかっているが、好きになったせいか脳内乙女フィルターが作動してそう解釈して――――

 

(乙女、かぁ……)

 

 こういうことを考えると、どうしても心に暗雲が立ち込めてしまう。それはやっぱり私が男だったという事実があるせいだ。

 これはどういう感情に部類されるのだろう。やはり同性愛の類なのだろうか? 何も同性愛が悪であると言いたいわけじゃないけど、どうしても後ろめたさを感じてしまう。

 ハルは誰よりも男だった私を知っている。そんなハルに私が思いの丈をぶつけたとして、どういう反応が返ってくるのだろう。

 それを考えるだけで怖くて怖くてたまらない。ハルに至ってそんなことないとわかっているはずなのに、気持ち悪く思われたらどうしよう……とかさ。

 もしそうなら、きっと私は生きていけない。好きになってくれなくてもいい。ただハルに拒絶だけはされたくない。

 これはきっと、精神が男のままでもそう思っていただろう。だって、本当の私をわかってくれるのはハルだけなのだから。

 

(そうだよ、ハルに嫌われるくらいなら、こんな……こんな……)

 

 そこまで考えて思い出したことがあった。もうひとつだけ、似たような理由でやれていないことがあるから。

 それは単純明快、ハルにIS学園の受験日のできごとを謝ることができていない。

 ハルは私に本当に大丈夫かどうか確認してくれた。けど私は照れが勝ってそれをせず家から飛び出し、結果的にハルが受験票を届ける要因を作ってしまった。

 まさかハルがISを動かすなんてことは想定外であったとしても、あれさえなければハルは今頃行きたい高校に合格していたことだろう。

 だから私がハルの邪魔をしたのと同じ。ハルが夢を追いかけ始めたのに、私がハルから夢への道を遠ざける要因を作った。

 そもそもハルは、名目上スポーツとは言えISを動かして戦闘をするような性格じゃない。私がハルにそれを強いたのと同じ。

 謝って済むような問題じゃない。でも謝らないと。けど謝罪を口にしたところで、もし思っていたことを告げられたらどうしよう。そんなことを考えてしまい、もうすぐ入学っていう日までズルズルと先延ばしにしてしまった。

 それこそさっき言ったとおり、ハルは別にそんなことないよって、謝る必要なんかないよって言うに決まっている。そう、あくまで口では。

 けど本当は私のせいでとか思っているかも。今の私はそう思われることすら怖い。でも、このまま何もしないで謝罪はないのかって思われるのもあるな……。

 

(……ちゃんと謝らないと)

 

 私が謝れない理由はあくまで恐怖だ。私がそう思われたくないから、私が傷つきたくないがためにそう思ってしまっている。

 そんなの形だけでも謝らない理由にはならない。なっていいはずがない。口にしなければ伝わるはずもないのだから。

 心の中でそう決心していると、チーズリゾットの完成と同時ほどに玄関からただいまという声が聞こえた。

 火を止めてフライパンを鍋敷きの上へ置くと、サッと手を洗ってから小さくガッツポーズ。よし、と気合を入れてからハルを迎えに玄関へと足を運んだ。

 すると、私が目にしたのは――――

 

「ハル、おかえり。何の用事で外出――――ハル? えっと、何その恰好」

「い、いやー……驚かせようと思って。その、なんていうか、イメチェン?」

 

 髪が少し短くなっているし、とんでもなくオシャレをしているハルがそこに居た。

 白いワイシャツの上にネイビーのジレタイプベスト、ズボンは同じくネイビーのチノパンなんかを着ちゃって、靴はシックかつ動きやすそうな黒いロ-カットスニーカー。

 よく見たら他にも何式ぶんか上着やズボンを買っているようで、ハルの傍らには見たことあるメンズブランドの買い物袋が鎮座していた。

 へぇ、そう、イメチェンね。イメチェンかー……。

 

「あぁぁぁぁ~……!」

「や、やっぱり変かな? 服屋の人、お客さん顔普通だからなんでもいけると思いますよーって言ってたんだけど」

「ち、違うの! そうじゃない、そうじゃなくて……あぅ……」

 

 私は両手で顔を隠しながらしゃがみ込んでしまう。

 普通の人から見れば背伸びしたオシャレに感じるのだろう。しかし、長年ハルを隣で見てきた私からすれば大事件でしかない。

 ハルは着ることができればいい精神であり、当たり前のように外国人が買いそうな漢字Tシャツを着てしまうくらいオシャレに興味はなかった。きっとオシャレにお金を使うくらいなら絵のことにって話なんだろう。

 それがどう? 髪を少し短くして根暗っぽさは感じず、ハルの人当たりのいい感じのほうが前面に押し出されている。

 背伸びしたように見られはするだろうけど普通に似合っているし、ハルを好きであるという特別な感情を抱く私からすればクリティカルヒットだ。

 つまり、ハルがすごくかっこよく見えてヤバい。耳まで真っ赤なのが自分でもわかり、それがまた恥ずかしい。

 ううっ、前にハルが私が可愛くて直視できないなんて言ってたけど、こういうことだったんだ……。あぁ……恥ずかしい。

 

「に、似合ってるから……。似合ってるし、かっこいいと思うよ……」

「そ、そう? そっか、それはありがとう。……えっと、とりあえずこれしまってくるから」

「あ、う、うん……」

 

 相変わらず顔を隠しながらそう言うと、ハルの今の私の状態がよくわかってなさそうな声が聞こえてきた。一瞬だけ間が空いたのを見るに、よほど困惑しているんだろう。

 取り乱したところを見られていると思うとまた恥ずかしい。この状態を解除しなければ無限ループに陥ってしまう。

 無理矢理にでも気を取り直した私は、勢いよく立ち上がってリビングへ。そのまま食事の準備をして、テーブルについてハルが戻って来るのを待った。

 

「チーズリゾットか……。うん、今日も美味しそうだね。それじゃ早速――――」

「あ、あの、ハル! 少し話があるんだけど、いいかな?」

「……それは構わないけど、大事な話っぽいならなおさら後にしようよ。ナツの手料理、なるべくなら温かいうちに食べたいな」

「ふぁ……。はい……」

 

 もう、もうもうもう! なんなの!? 普段そんなことオドオドしながら言う癖に、どうして私が動揺してる時にそんな嬉しいことを!

 しかも恰好が相まってまた顔が熱いよぉ……! ここまでくると男がどうとか悩んでたのも全部意味ないじゃん。完全に女の子の反応できてるよ私。

 いっそ女の子に生まれたかった。そうすればハルとだって自信もって接することができたろうし、もしかすると今頃――――

 って、何を頭の中にお花畑を咲かせている場合か。そもそも謝ろうとしていたのに出端をくじかれまくっているんだからしっかりせねば。

 だが緊張は薄れることなく、チーズリゾットなんか味をほとんど感じない。もっと言うなら自分でも完食し切っていることに気が付かなかった。

 グルグル頭の中で様々な考えが渦巻いているうちにハルも食べ終わったらしく、丁寧なごちそうさまという声が聞こえてきた気がする。つまり、もうすぐ審判の時が訪れるということだ。

 

「えっと、話があるんだっけ。準備ができたら話してよ。俺はいつまでも待つからさ」

「だ、大丈夫、そんなに時間を取らせる気はないから」

 

 ハルは自分の役目である食器洗いの準備のため、食器を水に浸してから椅子に座り直した。そして私に心配そうな眼差しを向け、ゆっくりでいいから話してみてほしいとのこと。

 言葉どおり、そう時間を取らせる気はない。だいいち、もっと早くに済ますこともできたんだから。

 でもやっぱり私が抱く想いが邪魔をして、それなりの覚悟というものは必要みたい。

 しばらく大きく深呼吸をしてから、私はハルに対して頭を下げながら謝罪の意を示した。

 

「ハル、ごめんなさい!」

「な、何が? どれが? もしかして、描きかけの絵を破っちゃったとかそういうの?」

「私がちゃんと受験票のこと確認してたらハルは……。だから、ごめんなさい!」

 

 主語が抜けてしまったせいで、ハルは私が何に対して謝っているかわからないようだった。ハルがISを動かしてから時間が経つのも関係しているのだろう。

 今度はきちんとなんで私が謝っているのか説明してから、もう一度ごめんなさいと言っておく。その間私はずっと頭を下げたままだった。

 これは私の申し訳なさの現れ……というのもあるけど、さっきまでとは違う意味でハルを直視することができないせいだ。

 あぁ、やっぱり怖い。怖くて怖くてたまらない。今ハルがどんな顔して私の謝罪を聞いているのか。私の謝罪を聞いて何を思うのか。それを考えているだけで怖くてたまらない。

 ハルはしばらく黙ったまま大きく長い息を吐き、それからようやく口を開いた。

 

「えっと、とりあえず顔を上げてよ」

「ハル……」

「俺、そのことずっと考えてたんだけどさ、ひとつ思ったことがあって。どのみち同じだなーって結論にたどり着いたんだよね」

「同じって、何が?」

「遅かれ早かれこうなってたんじゃないかってことだよ。俺以外の家族全員ISに絡みがあったんだからさ」

 

 ハルはこう言う。自分は元国家代表である千冬姉の弟分であり、現代表候補生である私と姉弟分であり、ISを扱う部門の長をしている母の子であり、その企業のCEOである父の子なのだと。

 だから遅かれ早かれこうはなっていた。むしろ高校受験のこのタイミングでそれが発覚してくれてよかったとまで言い出す。

 怒ってほしかったわけじゃない。嫌われたくもなんかない。けど、ハルの言葉に私は納得できなかった。それは、自分で自分が許せていないからだと思う。

 

「そんな……! ハル、間違ってもそんなこと――――」

「確かにあの時のナツにまったく思うところがないわけじゃない。けど、ナツを恨むような感情はないかな。それにさ、俺にとっては嬉しくもあるんだよ?」

「……女の子ばっかりの学園だから?」

「違うよ! 間違ってもあの二人とは一緒にしないで! 俺は、そのえっと、嬉しいよ? うん、すごく嬉しい。またナツと、一緒に居られるって思ったら……さ」

 

 全く思うところがないわけではないと前置きしながら、それでも私に対してマイナスの感情を向けるつもりはないとのこと。

 これも納得がいかない。それはまるで、ハルが自分の夢を諦めるような言葉みたく聞こえてしまったから。

 私は思わず椅子を鳴らして立ち上がりながら反論をしそうになるが、それはハルの言葉に遮られて叶わなかった。

 あまつさえハルは嬉しいとまで言い出してしまう。やはり脳内乙女フィルターが作動して解釈がそっちの方向に流れるが、ハルは私と共にあれることが嬉しいと思ってくれているようだ。

 

「え……?」

「その、恥ずかしいから聞き直してほしくはないんだけど。……いや、言うよ。キミが納得するまで何度だって言うさ」

「あ、あの、ハル……」

「俺は、ナツと一緒に居られることが何よりも嬉しいよ」

 

 ハルの言葉を脳で処理することができず、私の口から出たのはもう一回言ってというニュアンスを孕んだ【え】という一文字のみ。

 するとハルは顔を赤くしてポリポリと頬を掻いてお茶を濁しにかかる。が、次の瞬間にはとても男らしいキリッとした顔つきに変わっていた。

 ハルも椅子から立ち上がると、テーブルを避けて狼狽える私に近づいてくる。そして優しく私の手を取ると、見ていると安心するような柔らかい笑みで例の台詞を言ってくれた。

 

「ずるい……よ……」

「ナツ?」

「ハルはそういうところが、ずるいよ……!」

 

 ああ、ハルは本当にずるい。なんだって普段は私がついてないと、とか言いそうになるくらいなのに、いざって時はこうも毅然とした態度なのだろう。

 ハルの道を邪魔してしまった罪悪感よりも、ハルの言葉が嬉しくて涙が止まらない。もちろん、この涙はそれだけじゃなくて多くの感情が入り乱れてはいる。

 懺悔、後悔、安堵、感動、もっと様々な感情をブレンドされているんだろうけど、やっぱり最たる要因は一緒が嬉しいと思ってくれていたこと。

 きっとIS学園での生活は大変であることはわかっているだろうに、それらを押しのけてでも私と一緒が嬉しいと言ってくれた。

 そんなの好きになった人に言われたら嬉しいに決まってる。そんなの涙が止まらないに決まっている。もう自分でも感情の制御が利かなかった。

 

「えっと、ずるいって言うのはよくわからないけど、とりあえずちょっと失礼して……」

「ハル……?」

「その、やましい気持ちがあるわけじゃないんだ。けど、前にナツに抱きしめてもらったらすごく落ち着いたからさ、その、お返しじゃないけど、まぁ、そんな感じ」

「……そういうのがずるいって言ってるんだけどなぁ」

「え、これも? 参ったな。えっと、それじゃ……」

「ううん、離さないで。お願いだから……」

 

 どうにも泣き止みそうにないのを見てか、ハルは遠慮しがちに私を抱きしめた。今では私の方が12cmも小さくなってしまい、頭がすっぽりハルの肩に収まる感じでなんだか安心する。

 それに、ハルはその優しい性格を表しているかのようにどこか温かかった。こう、体温の話じゃなくて、陽だまりのように温かい……。

 おばさんが名前と正反対みたいな内面になってしまったと嘆いたのを聞いたことがあるけど、おばさん、全然そんなことないですよ。

 ハルは、太陽だ。少なくとも私にとっては、温かくやわらかな日差しで包んでくれて、いつもそこに居てくれる……そんな太陽。

 今はただ、この温もりに包まれていたかった。この温もりに直に触れていたかった。こんなの、もう二度と手放せるわけないよ……。

 

「……ありがとう、ハル。それともう一回だけ、ごめんね」

「うん、じゃあこの話はもうなしってことで。……って、しまったな。部屋着に着替えといた方がよかったか」

「え? どうしたの――――あっ!? そっか、涙! 洗濯するからすぐ脱いで!」

「別にいいよこれくらい。そんな汚いとか思ってるわけじゃないし」

「ダメだよ、高かったでしょ? せっかくオシャレする気になったんなら、その絶妙にズボラっぽいのもなんとかして!」

「ああうん、わかったよ。じゃあ、よろしく。俺はちょっと着替えてくるね」

 

 何をそんなに慌てているのかと聞かれると、けっこう泣いたせいでハルのジレベストの肩あたりは涙で濡れてしまった。

 洗うと言えば相変わらず反応は暢気なもので、放っておいても大丈夫だと言うのがヒシヒシと伝わってきた。

 しかし、家事を長年やってきた身として、更にはせっかくハルがオシャレをする気になったというのに無視することはできない。

 多少強引にハルからジレベストを脱がすと、急いで脱衣所にある洗濯機を目指した。その際に、ジレベストに残ったハルの匂いを嗅いだのは……恋する乙女故、ご愛嬌と言うことでどうか。

 

 

 

 

 

 




キミと共にあれること。
それは何にも代えがたく、とても尊いことなんだ。







ちなみに私は美容室なんか行ったことないです。
やっぱりお金をかけるのがもったいない気がするんですよねぇ。

さて、晴人もイメチェンを済ませたことですし次回からIS学園編がスタートです。
隙あらば可愛い一夏ちゃんを描写したいものですが、全体として二人の恋愛模様は甘酸っぱい感じになると思われるので、何かと付けてもどかしいことになってはしまうかも知れません。





ハルナツメモ その8【普通に似合う】
日向 晴人は間違ってもイケメンではない。が、究極的に普通な顔つきが功を奏する場合もある。
今回における服装はその一端で、決して悪くはない顔つきにより、晴人はよほど奇抜でなければあらゆる服装が似合う。
ただし、イケメンが同じ服装をしようものなら一瞬にして霞んでしまうことだろう。悲しいなぁ。
ちなみに、一夏の提案により写真を撮って弾と数馬に送り付けたら爆笑されたらしい。


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第15話 始まりと再会

そういえばお礼を言うのを忘れていたんですが、お気に入りの数が400件を超えました。
それもこれも日ごろから応援してくださるみなさんのおかげです。
本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

さて、今回よりIS学園編のスタートとなります。
まずはタイトルでお察しのとおり、侍ガールとの再会からお送りいたします。






以下、評価してくださった方々をご紹介!※順不同

吟路様 グレース王子様

評価していただいてありがとうございました!


「視線が痛い。なんかもう物理的に痛い」

「まだ始まってもないんだから少し頑張ろうよ」

 

 IS学園入学初日、所属することになった一年一組へ向かうために歩いている……のはいいのだけれど、不特定多数、もっと言うなら同学年他学年に関わらず大量の女子の視線が辛い。

 意外や意外、俺みたいな地味なのでも注目されるもんなんだな。まぁそりゃ、世界で初めてとなったら見た目の地味さとか関係ないか。

 しかし、周囲を盗み見てみると、思ったよりも制服を遊ばせてる生徒が多いな。カスタム有りとは聞いたけど、リボンとか着けないのも自由なんだっけ。

 

(カスタムと言えば……)

「えっと、どうかした?」

「それ、自分で作ったのかなって」

「あ、うん、そうだよ。上は元の制服を短くしてから改造して、スカートは一から縫ったんだ」

「へぇ、相変わらず器用なもんだね」

 

 カスタムって言うなら隣のナツが例えに使いやすい。

 IS学園女子の制服は――――まぁ男子俺だけだけど、女子のはトップスとスカート部分が一体化しているデザインだ。

 しかし、ナツの制服はトップスとスカートではっきり分かれており、本人に直接聞いたことで真相が判明した。

 黒ベースに淵へ赤色のラインが入ったデザインのヒラヒラしたスカートだが、ナツが一から作成したためにそういうものらしい。

 あまりに自然で、俺はさっきまでこれが基本の制服だと思っていたくらいだ。本当、あまりの器用さに感心させられる。

 

「……えっと、可愛い?」

「はい!? あ、ま、まぁ……ね、すごく可愛いと思う。それに、個人的にもそっちのデザインのが好きだな」

「そ、そっか、それならよかった。えへへ……」

 

 とても恥ずかしそうに可愛いかなんて聞いてくるもので、思わず大げさなリアクションを取ってしまった。

 ワンクッション置くように咳ばらいをして心を落ち着かせると、偽るようなことはせずに率直な感想で返す。

 するとナツは恥ずかしそうながらも、とても嬉しそうにスカートの端を掴んで引っ張る。……角度によっては中身が見えてしまいそうだ。

 

「ハルは普通だね」

「俺に普通じゃないのを求める方がどうかしてるよ。というかわざと言ってるでしょ。まぁ、強いて言うならネクタイはなくてよかったかも」

「凛々しく見えて私はいいと思うな。でも、少し曲がっちゃって台無しだよ?」

「ああ、これね。妥協したんだ。何回やっても上手くできなくってさ」

「そうなんだ。じゃあハル、ちょっと止まって」

 

 俺に普通でないのを求めるなど、フユ姉さんに優しさを求めるのと同じくらい愚かな行為であると断言せねばならない。

 けどあえて言うのならではあるが、ネクタイがなしでいいなら着けるべきではなかったろう。単純に首元が狭まって窮屈だ。

 ちゃんと確認しておけばと結び目の部分を弄っていると、ナツは数歩分俺の前に出てネクタイのセンタリングを確認。そしてほんの少しだが曲がっていると指摘した。

 俺なりに簡単なネクタイの着け方とかを動画で学んでみたのだけれど、どうにも持ち前のぶきっちょさのせいで上手くいかず。

 こと俺の器用さは絵に関することにのみ通用するようで、何度か目にそれを悟ってまぁいいやという考えが浮かんでしまったということ。

 じゃあいっそ外してしまおうと思ったのだが、ナツから歩みを止めるようお達しが入る。さて何事だとナツを見守っていると―――― 

 

「……あ、あの~……ナツさん?」

「ん? 大丈夫だよ、慣れてるから。おじさんもネクタイ結ぶの苦手みたいで、けっこう私が直したりしてたんだよね」

「え~っと、俺が言いたいのはそうじゃなくて」

 

 おもむろに俺のネクタイを締め直しにかかるわけだが、視線が集中しているのをお忘れだろうか。それまではまだ潜めていたという表現で済んでいた声量も、ザワつきに変わった気がする。

 でもナツは完全なる善意でやってくれているんだし、何より楽しそうな様子なので止めてくれと強い口調で言うことができない。

 これは……ネタにされたりするのだろうか。普通に男子が居ればそれは確実だったんだろうけど。どのみち俺はともかくとして、ナツまでからかわれるのはどうも忍びない。

 うむむと脳内で唸っている間にネクタイも調整が終わったのか、ナツは満足気に結び目を軽くポンと叩いた。

 

「ナツ、ありがとう」

「うん、どういたしまして。……ところでなんだけど、その……ね?」

「えっと、どうかした?」

「練習とか、特にしなくていいからね。その! い、言ってくれれば、私がネクタイくらい巻いてあげる……っていうか、やらせてほしいなって!」

 

 手をモジモジとさせるからどうしたのかと思っていると、なんだかとんでもなく恥ずかしいことを言われた。なんなのホント、聞いてるこっちが恥ずかしいんだけど。

 そんなのこうサラッと、言ってくれれば巻いてあげるからねーとか軽い調子で言ってくれればいいのに、おかげで脳が処理不全を起こしてしまっているじゃないか。

 実際のところ有難いし、じゃあお言葉に甘えてーと俺も軽く返せればよかったんだが、ナツのいじらしい様子がたまらなく可愛くて発声方法すらどこかへ飛んで行ってしまった。

 そして俺たちの時が止まって静寂が続き、しばらくが経ったその時である。

 

「解散! かいさーん!」

「……へ? ……あっ!? い、今の……見られて……?!」

 

 誰かが大きな声で解散の号令を放つと、それまで俺たちに興味本位の視線を注いでいた女子一同はゾロゾロとどこかへ去り始める。

 そこらでようやく一連のやり取りを見られていたのを思い出したのか、ナツは心配になるくらい顔を紅潮させるではないか。

 恥ずかしさのあまりか瞳に涙が溜まっているのも見える。男の時のナツなら、女子は何を騒いでるんだろうなで済ませていただろうに。

 いや、それよりもなんとかナツを落ち着かせるのに終始しよう。ここでまた抱きしめるの誰が見ているかわからないし、そうだなぁ……。うん、ちゃんと本心を伝えておくことにしよう。

 

「あのさナツ。できればこれからもお願いしていいかな」

「え……?」

「自分で言うのもなんなんだけど、全然上達する気もしないんだ。だから、まぁ、ナツに任せたいって思う」

「ハル……。……うん、わかった。ハルがそう言ってくれるなら、いくらでも頑張るよ」

 

 ナツが着けてた方がいいと言ったのならそうしておきたい。けど俺では上手く結べない。だとすると、お言葉に甘えるのが落ち着く。

 着けるのを止めるのは、ナツが世話をしてくれなくなった時でいいだろう。よくわからないけど、こうも献身的でいてくれるのだから。

 しかし、最近のナツは輪をかけてよくわからない。男の時でもここまで過保護じゃなかったというか、むしろもう少し一人でどうにかしろっていうスタンスだった気がするが。

 あれかな、無意識的にも女の子に近づいていっているのかも。こう、保護欲のようなものが沸いて出ているとか?

 それがいいことなのか悪いことなのかは微妙だが、まぁ、ナツに恋人でもできるのは時間の問題なのかも知れないな。

 

(その場合は腰抜を抜かさないようにしよう……)

 

 まだ見ぬナツの想い人に勝手な想像を膨らませつつ、とうとう一年一組教室前へとたどり着いた。いや、俺としては辿り着いてしまったというところ。

 これから始まるであろう修羅場を想像すると、いざとなって一歩が踏み出せない。すると、俺の横をナツが通り過ぎて教室へと入っていった。

 ナツは一歩入ったところですぐ止まってこちらへ振り返り、穏やかな笑顔を浮かべて手を差しのべてきた。

 するとどうだろう、先ほどまでの不安が嘘のように吹き飛び、俺は自分でも気づかぬうちにナツの手を取っているではないか。

 とても柔らかく温かい手の感触を味わう間もなく、俺はナツにより教室へ引き入れられる。

 よろけるようにして入室すると同時にまた視線が集中するのを感じてしまい、とりあえず軽く会釈をしてから自分の席に着いた。……のはいいのだけれど。

 

(なんで教壇の真正面?)

 

 席順はどうにも出席番号順のようなのだが、俺は右から数えて三列目の一番前という違和感の残る配置だった。

 俺の名字は日向であり、【ひ】から始まるので少なくとも四列目五列目くらいになるのに、どうして三列目の先頭なのだろうか。

 いや待て、冷静に考えたらこちらの方がまだいいのかも知れない。周りを女子に囲まれるよりは、ということだ。

 本来織斑の【お】で始まるはずのナツもなぜか左隣だし、俺たちだけ特殊と見た方がいい。誰かが旧知の仲と知って気を遣ってくれたんだろう。

 

(後はひたすら無心で――――ん?)

「普通だね」

「うん、普通」

「無理矢理にでも悪く言おうとすれば地味って感じだけど、それでもまぁ――――」

「「「普通だね」」」

 

 瞑想でもするお坊さんになった気分で居ようと思った矢先、俺の耳にはそんな会話をしているのが聞こえた。

 やはりここでも俺の評価は普通で落ち着くのか、最終的に声を揃えてまで普通だと言われてしまう。

 これが男の時のナツだったりすると凄かったんだろうなぁ。きっとだが、ワーキャーと黄色い声が飛んで収集がつかなくなっちゃってたんじゃないだろうか。

 

「というか、なんで玩具を持ち歩いてるわけ?」

「さぁ? 熱狂的な特撮ファンとかそういうのじゃないの」

 

 別の声に集中してみると、やはりこれも言われてしまうかと内心で大きな大きな溜息を吐いてしまう。

 彼女らの言う玩具というのは、俺の左腰にあるホルスターにぶらさがっているモノのことを言っているのだろう。

 俺の左腰にはなんとも形容しがたく、ブーメランと短剣を合わせたようなデザインで、特撮系の玩具のような見た目をした何かがぶら下がっていた。

 刀身の部分は虹色になっていて、側面にはタッチ機能のついたスライドパネル。グリップの部分にはトリガーがついていて、これを押すとご丁寧に光ったり音が鳴ったりするのだ。

 結局これが何かと聞かれると、ヘイムダルの待機形態である。大事なことなのでもう一度。この玩具っぽいものこそ、ヘイムダルの待機形態である。

 一次移行した後に待機形態に変換すると、俺の右手にこれが握られていたというわけ。これには思わずアクセサリー類になるんじゃないのかと叫び散らしたものだ。

 持ち主である俺の目から見ても玩具に感じるわけで。こういうのはとっくの昔に卒業しているから単純に持ち運びが恥ずかしいのだ。

 かと言って専用機を肌身離すわけにはいかないから、母さんに専用ホルスターを作ってもらって携帯しているに至る。

 しかも問題はそれに留まらず、悪ノリした母さんが――――

 

「は~い、みなさん揃ってますね~」

 

 ヘイムダルについての愚痴をこぼしそうになっていると、教室のドアが開いて緑色の髪をした女性が入ってきた。

 どうやら一組の副担任らしく、名前は山田 真耶さんと言うそうな。人を見かけで判断するのはよくないことだが、おっとりとした様子でどうもISで戦う姿が想像すらできない。

 だがここで教師をやっているということは、それなりの実績があることは間違いないはず。教える立場というのはプロフェッショナルでならねばならないのだから。

 それでも実力と性格までは必ずしも結びつかないのか、若干名が未だ俺のことを観察しているのを気にしているらしく、少し困ったような表情を浮かべていた。

 それだけでこの場に居ることへ罪悪感が生まれるような気がして、不必要に恐縮しながら動向を見守る。

 すると山田先生は、気を取り直してと自分に言い聞かせるようにしながら自己紹介を提案。一番右の席から順番にとのこと。

 

(ハル、あまり緊張しないようにね)

(だ、大丈夫、任せてよ。……うん、多分大丈夫と思う)

 

 この人数の女子を前にするのは俺にとってハードルが高いわけで、それを心配したのかナツが小声で話しかけてきた。

 同じく小声で返答するも、曖昧なことしか言えないで非常に申し訳ない。ま、まぁ……ヘタなことを言わなければ問題ないだろう。……多分。

 俺にできることがあるとするなら待つことのみ。徐々に順番が迫ってくるごとに緊張で鼓動が早くなるが、避けては通れないのだから覚悟を決めるしかない。

 

「では次、日向 晴人くん」

「は、は――――」

 

 そして訪れた運命の瞬間――――とまで表現するのはいき過ぎだが、山田先生に名前を呼ばれるのと同時に俺の番が回ってきたことを嫌でも思い知らされる。

 とにかく返事をしてから立ち上がろうとしたその時だ。教室のドアが再び開いたと思ったら、レディーススーツを纏ったフユ姉さんが――――

 

「フユ――――んんっ!」

「何か?」

「な、なんでもございません織斑先生……」

「よろしい。今回は見逃してやるが次はないと思え」

 

 思わずフユ姉さん!? なんて叫びそうになるが、口を押えてそれをなんとかこらえた。いつもの調子で呼んだら最後、なにかしら鉄槌がくだるのは請け合いだ。

 俺個人としてはギリギリセーフくらいのつもりだが、すっごい目つきで睨まれたぞ。フユ姉さん的には限りなくアウトに近いセーフくらいのカウントか。

 ただ実際に呼んだわけではないというのが効力を生んでいるのか、とりあえず今回は見逃してくれるらしい。

 しかし驚いた。現役を引退してから後進の指導でもしおているんだろうなとは思っていたけど、まさかこんなところで教師をやっているなんて。

 ……ナツは知ってたんだろう。そう思って左隣りへ視線を向けると、ナツは俺の視線を身体ごと回避するかのように腰を思いきり左方向へ捻っていた。

 うん、別に責めるつもりはないからそうまでしなくていいんだよ?

 

「諸君、私が一組の担任となった織斑 千冬だ」

 

 フユ姉さんが軽く自己紹介をかますと、ドガンと教室が爆発したのではないかというくらいの勢いで歓声が上がる。口から心臓でも飛び出るかと思うほどに驚いた。

 そうか、世界最強の女性ともなれば、今の時代はひたすた憧れの的か。……度を越した自堕落であることを知ったらどんな反応をするのだろう。

 黄色い声をあげる生徒に対してフユ姉さんは辛辣の極みであり、どうして毎年こうも馬鹿が集まるのかとストレートになじる。

 しかしだ、熱狂的な子にとってはご褒美の一種らしく、むしろもっと罵ってほしいとまで叫ぶようなのも居るほど。

 フユ姉さんの表情は相変わらず厳ついものだが、本気で鬱陶しがっていることは伝わってきた。付き合いが長いからこそわかる微妙な変化ではあるけど。

 

「日向、自己紹介を」

「あ、無視する方向で……。了解」

 

 確かにいちいち構っていたらキリがないのはわかるけど、なんのリアクションもくれずにスルーとは流石だ。ある種尊敬に値する。

 すぐさま自己紹介をするようご命令がくだったため、瞬時に立ち上がって後ろへと振り向いた。

 流石に唯一の男子の自己紹介ともなると興味がわくのか、さきほどまでやれフユ姉さんと言っていたような子たちもみんな一斉にこちらへ注目。

 ……そんな期待されると、あたりさわりのないことしか言えないからガッカリさせてしまうぞ。俺が自己紹介をした直後の空気を想像するとやるせない。

 だが俺という人間を一応でも知ってもらうのなら必要なことだ。軽く深呼吸をし、意を決して自己紹介を始めた。

 

「えっと、初めまして、日向 晴人と言います。ひょんなことからISを動かしちゃいまして、みなさんとここで勉強することになりました。ISに関する知識はないに等しいので、なるべく早く追いつけるよう頑張ります。それと、個人的には絵とか得意なので、興味のある人は声とかかけてくれると嬉しいです。え~と、それから……」

「いい、十分だ」

「あ、は、はい」

(やればできるじゃん)

(おかげさまでね……)

 

 ボキャ貧とまで思われはしないだろうが、やっぱりあたりさわりのない自己紹介だ。何かないかと試行錯誤している間にフユ姉さんからストップがかかり、あえなく席に着くしかなくなってしまう。

 すると左隣から今度はお褒めの言葉が聞こえた。本当、おかげさまとしか言いようがない。昔なら【あの】とか【えっと】とかがまだ多かったろうからな。

 自分でも思ったよりも上手くいったと安堵からくる溜息を吐いていると、時間がないから残りの自己紹介はまた後日と言うフユ姉さんの声が聞こえた。

 危ない、何気に気が抜けてしまっていたぞ。というか、フユ姉さんが担任という時点で気が休まる瞬間がひとつもないような気がしてきた。

 そんな事実を悟って衝撃を受けていると、授業合間の休憩と言うことで、フユ姉さんは山田先生を引き連れて教室を出て行った。

 特に入学式らしいものもなくいきなり授業とは気合の入った学園だ。そうでもしないとペースが追い付かないのもあるんだろう。

 

「ねぇ」

「何さ」

「千冬姉のこと、ごめんね」

「大丈夫。例によって口止めでしょ。まぁ、かなり驚きはしたけど」

 

 教師二人組の姿が見えなくなったと同時に、教室に張り詰めていた空気は一気に解放された。それはナツも例外ではないようで、すぐさまフユ姉さんのことを謝られる。

 不満に思う点はいくつかあれど、ナツは口止めをされていた側なのだから責めるのは筋違いと言うものだ。

 口止めをさせているフユ姉さんに関しても、やはりそれなりの理由があってのことなのだろう。なんたって、身内全員に釘を刺すくらいなのだから。

 ともなれば、言うだけ無駄。申し訳なく思ってもらうだけ無駄ということである。気持ちだけ受け取って、後は他愛もない話で華を咲かせた。

 

「少しいいだろうか」

「えっと、どっちに用事で――――へ? あ、あの、もしかして箒ちゃん!?」

「覚えていてもらえたようだな。晴人、久しぶり。まさかこんな所で再会するとは思ってもみなかったぞ」

 

 突如として凛々しい声色で呼びかけられたと思い目を向けてみれば、仏頂面ながらも文句なしに和風美人と表現できるような少女がそこに居た。

 このムスッとした感じにどことなく見覚えを感じたながらも即ひらめきが起きない。数秒の間を開けて、彼女がかつての友人であることを認識した。

 篠ノ之 箒。それが彼女の名だ。

 フユ姉さんとナツの通っていた剣術道場及び神社の娘さんで、俺はナツにひっついて行動していたので必然的に付き合いがあった。

 けど俺は正直言って苦手だったって言うか、むしろ箒ちゃんも俺をよく思ってはいなかったろう。理由は諸々あるが、問題は互いの性格にある。

 

「しかしなんだ、背が伸びたくらいであまり変わらんな。相変わらず自信のなさそうな顔をしおって」

「そ、そうだね、本当相変わらずだよ。なんかごめん」

「不必要に謝るなとも再三言ったろ。別に責めたいわけじゃない」

 

 このとおり、箒ちゃんは喋り方からして武人気質。ゆえに自分に厳しければ他人にも厳しい……ってほどでもないか、俺の情けない部分が気に入らないだけだろう。

 それ以外の時はそれなりに親交もあったというか、それなりに遊んだり笑い合った記憶もある。

 箒ちゃんは単に不器用なんだと思う。さっきのも俺のためを思って言ってくれているんだろうけど、優し目な言い回しができないだけなんだ。

 昔もそれを不満に思ったことはない。だって箒ちゃんは何ひとつ間違ったことを言ってはいないのだから。

 

「む、勝手に盛り上がって済まない。私と晴人は昔馴染みでな。わけあって転校を余儀なくされたのだが……そこらは置いておくか。篠ノ之 箒だ。よろしく頼む」

「あ~……」

(し、し、し……しまったぁぁぁぁああああ……!)

 

 箒ちゃんは射貫くようなナツの視線が気になったのか、さも初対面かのような挨拶を繰り広げるではないか。

 差し出された握手に困ったように頬を掻くばかりなのだが、ここでようやく違和感に気が付く。そう、箒ちゃんがナツとわかるはずがなかった。

 最近は俺の中でナツに対する感覚が狂ってしまっているのも大いに関係している。つまり、ナツが男であった感覚のほうが薄れてきているということだ。

 ナツが女の子なのは当たり前なんていう完全なる刷り込み現象が発生してしまっている。これはまずい、完全に出遅れてしまった。

 何がまずいって、例のごとく箒ちゃんもナツに恋慕を抱いていたという事実。蘭ちゃんに話した際の苦労が思い出される。

 俺とナツは自然に目を合わすと、何かを悟ったように頭を頷き合わせる。そして、ナツは非常に気まずそうにこう切り出した。

 

「え~っと、箒、久しぶり」

「何? 失礼だが、私はそちらに覚えは――――ん!? いや待て、待たんか。は? お前もしや、い、一夏……ではあるまいな……?」

「ア、アハハ~……。そのまさかっていうかなんていうか……」

 

 見覚えのない人物に久しぶりと言われれば訝しむのは当然のリアクションである。そのあと更に、見覚えのない人に想い人の面影を感じて混乱するのも同じく。

 箒ちゃんは女子のナツを必死に思い出そうとしている様子だったが、途中でナツそのものであることに感づいたのか目に見えて取り乱し始めた。

 昔含めてこうも混乱している箒ちゃんを初めて見るため、とてつもなくいたたまれない気持ちになってしまう。

 ナツとしては自分が織斑 一夏であることを肯定しないわけにはいかず。だがその肯定は、箒ちゃんにとって死刑宣告にも近かったろう。

 箒ちゃんはしばらく茫然自失といった感じで立ち尽くし、意識を復帰させるのと同時に俺とナツの制服の襟を勢いよく引っ張った。

 

「お前たち、少し顔を貸せ!」

「えっ、待っ――――箒、顔はいくらでも貸すから引っ張るのは止めてよ!」

「あだっ、膝打った! ほ、箒ちゃん、頼むからいったん落ち着こう!」

 

 取り乱す気持ちはよくわかるし、蘭ちゃんの時も同じように暴走はしていた。しかし箒ちゃんは少しばかりわけが違う。

 箒ちゃんは小学四年生の頃に転校して行って、今日で五年ほどぶりの再会になる。ただでさえ想い人が女になってるだけでも仰天なのに、五年で一体何が起きたってなる……よねそりゃ。

 だがあまりにも容赦がないわけで、俺とナツはそれなりに抗議しながらもどこぞへとグイグイと引っ張られて行ってしまう。

 俺は立ち上がらされた際に強打してしまった膝の痛みに耐えつつ、とにかく箒ちゃんをどう説得すべきかを考え抜くのであった……。

 

 

 

 

 




箒を始めとしたヒロインの扱いですが、とりあえず晴人を好きになることはないです。
ヒロイン……ではないかもですが、展開的に一人だけ迷っているのは居ますがそれは追々。
この作品のヒロインは一貫して一夏ちゃんなので、むしろ他ヒロインズの出番や影が薄くなってしまうことを案じているくらいです。
なんとか上手くやっていくしかないので頑張ります。

ちなみにヘイムダルの待機形態ですが、あれは【ウルトラマンエクシードX】に変身するために作中で使われたアイテムである【エクスラッガー】まんまです。
どんな見た目かわからない人はウルトラマンXを(ry





ハルナツメモ その9【ネクタイ】
頼んでくれたら自分が巻く。という一夏の提案だが、要するに単なる役得案件。
夫婦的なムーヴであることは理解しているようで、だからこその提案のようだ。
これから一夏の密かな楽しみになるのだろう。


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第16話 これからとそれから

まーたいちかわ要素薄めだよ。
けど地味に大事な話でもあるので、そのあたり匙加減が難しいですね。


「どういうわけか簡潔に説明しろ! どうして一夏が女に――――」

「ほ、箒ちゃんシーッ! ナツが男であったことを示唆する発言は控えて、お願いだから……!」

 

 廊下のだいぶ奥の方まで連れてこられると、箒ちゃんはズビシと俺たちを指さしながら率直な疑問をぶつけてきた。

 しかし、いくら取り乱しているからとはいえ声が大きすぎる。ここが廊下の奥とはいえ、俺が男であるというだけで興味を持たれそこかしこにこちらをうかがう視線がある。

 彼女らにとってはナツが女で当たり前だ。ならば男であった事実を勘繰らせるよな発言を聞かせるわけにはいかない。

 俺は唇に人差し指を当てながら、小声で声が大きいことを伝える。すると内密にしたいという意思は伝わったのか、箒ちゃんは気を取り直すように咳ばらいをひとつ。

 

「……説明そのものはしてもらえるんだろうな?」

「それはもちろん。えっと、中二の終わり頃の話なんだけど――――」

 

 ナツは俺にした説明をまんま話した。俺からすると随分久しぶりに聞いた気がする。実に一年ぶりくらいだろうか。

 箒ちゃんは終始怪訝な表情で聞いていて、途中で口を挟むようなことはしない。一字一句聞き逃さないようにしているんだろう。

 そして聞き終わった際のリアクションだが、こちらは俺にそっくりだ。誘拐事件? とか怪しい薬? みたいなことを言いながら首を捻っていた。

 

「なるほど、だいたいの事情は呑めた。で、元に戻れるのだろうな?」

「今のところはそれらしい方法は見つかってないね。それになんていうか、私は別に戻れなくてもいいかなーって」

 

 箒ちゃんとしてはまずナツが元に戻れるかどうかが大事というか、むしろそれ以外はどうでもいいんだろうなぁ。

 しかし残念なことにあの手この手を使っても不可能という残酷な――――ん? なんだって? 別に戻れなくてもいい?

 

「はぁ!? そ、そうなの? 諦めてるとかじゃなくて、戻れなくてもいい……なんだ」

もぅ、ハルが私にそうさせたのに……

「ナツ、なんか言わなかった?」

「なんでもありませんよーっ」

 

 ナツのそういったことに関することは聞かないようにしていたが、戻れなくていいなんて思ってるなんて考えもしなかった。

 思わずおおげさな反応をしてしまうが、俺にとってはそのくらい衝撃だったということ。いったいいつ頃からそう思っていたのだろう。

 でも確かに戻りたいと漏らしていたのも聞いたことはないが、必ずしもそれが戻れなくていいと思っていることには繋がらないはず――――って、深く考え込んでしまっていたせいでナツの言葉を聞き逃してしまった。

 俺の名前が出ていたのは聞き取れたから尋ねたのに、なぜかベーッと舌を出されて拗ねたような感じになってしまう。可愛いかよ。……って違う違う、俺の言いたいことはそうじゃ――――

 

「あれ、箒ちゃんどうし――――ひぇっ」

「一夏、お前もしやアレか? その感じはアレなのか? 頼むからそれだけは違うと言ってくれ。いや本当にだ。フリとかじゃないんだぞ」

「……ごめんけど違わない、かな。うん、間違いなくそういうことだよ」

 

 なんか箒ちゃんが黙りこくっていると思って目を向けてみると、あまりの様子に情けない声が出てくるのを抑えきれない。

 なんというか、とんでもなく形容しがたい表情なんだよ。笑っているような泣いているような怒っているような。

 箒ちゃんがそんな表情をすることが珍しいこともあり、人間見慣れないものには恐怖を覚えるものだと思い知らされた瞬間である。

 すると箒ちゃんはフラフラと足元がおぼつかないままナツに詰め寄り、よくわからない質問をぶつけ、ナツもよくわからない返事で返した。

 アレとかアレじゃないとか、違うとか違わないとかいったいなんの話をしているんだろう。ナツも箒ちゃんも、チラチラ視線が俺に向くのはなんなんだ。

 

「晴人、お前は先に帰っていろ」

「それは構わないけど、いったいなんでそん――――なんでもないですはい! 不肖晴人、帰らせていただきます!」

 

 俺が居ると何か話しづらいことがあるというのはわかった。わかったが、そんな殺気交じりに文句があるのかと雰囲気で聞いて来なくてもいいと思う。やっぱり箒ちゃん、怖いし苦手だ。

 すごまれた俺はビシッと敬礼を送り、すぐさま来た道を戻って一組の方へ。なるべく単独行動は避けたかったが、箒ちゃんの怒りを買うのはもっとよくない。

 しかし、教室に戻って一人で居るのは想像するだけできついな。はぁ、顔がいいとかならともかく、こんな地味なのに注目して面白いんだろうか。

 

「…………」

「……ん? ああ、ごめん。邪魔だったかな」

 

 溜息交じりにトボトボと歩いていると、行く道をふさぐようにして女子が立ちはだかっていた。危うくぶつかる寸前のところだ。

 こちらに不備があると思って素直に謝罪しつつ避けようとするが、女生徒はなぜだか俺の歩こうとする方向へ横移動。どうやら用事でもあるらしい。

 

「その、俺に何か?」

「…………こんにちは」

「こ、こんにちは」

「…………」

「…………」

「「…………」」

 

 このままでは話が進まないと感じたからこそ問いかけたと言うのに、返ってきたのは初歩中の初歩とも表現してよい挨拶だった。

 倣ってこんにちはと返してみるも、その後の反応が全くないではないか。父さんの場合は慣れているが、初見の女子相手ではかなり苦しい。

 内に巻いた水色の髪に眼鏡、そして赤い瞳が特徴的なこの少女、どうやら俺と同族――――つまり根暗の類と考えていいらしい。ならば、俺からもアクションを起こした方がよさそうだ。

 

「あの、日向 晴人って言います。どうぞよろしく」

「……更識 簪……。日本の代表候補生……です……。こちらこそよろしく……」

 

 ボソボソと呟くようなか細い声で、謎の少女は自らの名を更識 簪であると名乗った。そして、代表候補生であるとも。

 申し訳ないと言うか失礼ながら、儚いと表現するのが似つかわしい彼女がその座についていることは全く想像しなかった。

 けどこれで俺への用事がなんとなく見えてきたぞ。だって、俺の身近にも同じく日本の代表候補生が居るんだもの。

 

「もしかして、ナツの知り合いだったりするのかな」

「そう……。一夏は端的に言うなら恩人……。事情は省く……。それで、あなたの話は聞いてたから……」

「一目見に来た、ってことなんだね」

「そう……。本当は一夏にも挨拶するつもりで……。けど、連れて行かれたって……」

 

 恩人……か。また人様の事情に首を突っ込んだんだろうが、それは間違いなくナツの美点なのだから何も言うことはない。

 仮定はどうあれ、更識さんは救われてるみたいだから結果オーライということで。しかし、男の状態だったらまた惚れられていたんだろうなぁ。

 それにしても、そういう縁があるなら組が違うのは残念だな。なんとなく更識さんとは仲良くなれそう、というより気が合いそうな感じだと言うのに。

 

「あの、困ったことがあったら言ってほしい……。友達の友達は友達……。そう、思うから……」

「それは心強いな。ありがとう更識さん」

「呼び方、簪でいい……。名字は苦手……」

「そ、そうなんだ。じゃあ、簪さんで」

 

 ぶっちゃけ無表情で何を考えているのかよくわからないが、今の言葉でいい人であることは確信した。

 男子一人の状況で気軽に話しかけられる人が増えるだけでもありがたい。それだけで助けになるとのに、頼ってくれとまで言ってくれるのだから。

 けど名前呼びに関してはハードルが高いのでそこはなんとか……。いや、でもなんか事情が複雑なような空気を感じたから大人しく従っておくことにしよう。

 

「と、ところでその……。それは……?」

「ああ、これ? これね、実は専用機の待機形態なんだ。笑っちゃうでしょ」

 

 出会い頭の時点でチラチラと視線が向いているのには気づいていたが、簪さんは少し顔を赤くしながら左腰に膠着してあるヘイムダルの待機形態を指さした。

 こういう時には自分から笑い話にするのが手っ取り早い。そう思った俺は、ホルスターから引き抜きながら自嘲じみた顔を浮かべた。

 すると簪さんの視線はヘイムダルの方へ。心なしか目を輝かせているような気がして、試しに逆方向へ動かす。

 同時に簪さんの視線はまたヘイムダルの方へ。うむ、これはもしや……。

 

「……これ、光ったり音が出たりするんだよ。このスライドパネルを指でなぞったりすると……ほら」

「…………!」

「……よかったら試してみて」

「…………!」

 

 ヘイムダルの待機形態がより玩具っぽいものであることを実演すると、簪さんは目の輝きをより一層強いものにした。

 俺の想像はどうやら当たりのようで、簪さんは特撮ファンか何からしい。だって試してみてって言ったら不必要なくらい首を縦に振るんだもの。

 後の簪さんは自分の世界に入ってしまい、しきりにヘイムダルを弄りながら重厚感がどうのSEがどうのと呟いていた。

 ナツ、なんだかキミが恋しくなってきたよ。やっぱり彼女と一緒に居る時間が俺の安らぎらしい。箒ちゃんとなんの話をしているかは知らないが、やっぱりなるべくなら同時に行動したいものだ。

 渡したはいいけど返ってくる気配のないヘイムダルを見ながら、俺は静かにそう思うのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「箒、顔が怖いけど……どうしたの?」

「私の顔が怖いのはいつものことだ気にするな!」

(あ、そこ自覚はあったんだ)

 

 引き留める間もなくハルが教室へ戻ってしまうと、箒は私にジリジリと詰め寄りながら般若のような表情を浮かべる。

 とりあえず何か怒っているらしいことはわかった。けどそんな状態のままじゃまともな会話もできそうにない。

 やんわりと怖いから止めてと伝えてみるも、よくわからない主張をされるばかり。女の子としてそれでいいのだろうか。箒の場合は女であるよりも前に剣士とか言われそうでもある。

 

「それよりも一夏! ……ぬぅ、こういうことはあまり言いたくないが、晴人に惚れると言うのはどうなんだ?」

 

 箒は相変わらず小声の大声と言うか、周囲に聞こえない程度の音量に抑えつつも興奮は隠し切れない様子だ。

 そして切り出してきたのは、なんというか、そこを指摘されると私もかなり困るなという感じの言葉だった。

 けど、それと同時にカチンときてしまう。多分私の悪い癖。ハルが隣に居てくれればどうにかなったかも知れないが。

 

「ハルに惚れる要素は沢山あるよ。例えば――――」

「いや待て落ち着け。気持ちはわかるぞ。不覚にも、時折奴の仕出かす言動は、その、心を揺らしてくる」

 

 箒はあんな情けない男に惚れるとはとでも言いたいのかと思ったが、やっぱり私の早とちりか。箒ですらドキッとさせられたことがあるらしい。

 そうなんだよねー。あのギャップがね、凶悪なんだよねー。おかげでそれらしいことをされると、すごくかっこよく見えるんだよねー。

 まぁ単純に優しいところも好きだし、絵を描いてる時なんかもかっこいいと思うし、というか言うならハルの全部が好きだし。

 

「なんと言ったらいいのか……。つまりはだ、ど、同性愛……と認識すればいいのか? 私とて、それ自体が悪であるとは思わんが……。す、すまん、上手い言葉が見つからん」

「そう難しく考えないでよ。少なくとも私はどう思ってくれても構わないから」

 

 箒の置かれている状況を客観的に見てみよう。

 かつての仲の良い男友達二人の片割れが女になって、更にはもう片方に恋をしてしまっていた。混乱くらいするよねって話。

 このあたりのことは私も実際はよーわからん。ハルを好きってこと以外はね。本当に難しい性の問題だと思う。

 同性愛者、ホモ、ゲイ、なんだっていい。どう呼ばれようが構わない。私はただ、ハルに好きになってもらうことしか考えられないから。

 そう考えてはいるけど、いまひとつ踏み出せないのはあるけれど。いくら私がそう思っていたって、ハルの中では未だに私は男かも知れないから。

 最近はよく可愛いとか言ってくれるけど、見た目のこと褒められても嬉しくはあるけどあんまりなって感じ。

 もっとこう、女としての私を傍に置いておきたいなって、そう思わせることができないと告白は怖くて無理と思う。

 どうせなら、ハルの方から告白でもしてくれれば最高なんだけどなぁ。

 

「おい、自分の世界に浸らんでくれ」

「ああ、ごめん。それで、箒は結局何が言いたいのかな」

「…………」

 

 思わずハルに告白されるシーンなんか想像してしまうあたり、完全にやられてしまっていると見た。やっぱりハルには責任取ってもらわないと。

 箒の呼びかけで現実に戻り、話も本筋に戻そうとする。が、箒の歯切れが妙に悪い。何かあるならズバッと言ってくる性格と思ったんだが。

 いや、時折私に対してだけこんな感じになってたかな。ハルにはあまりにズバズバ物を言うから、それで対立したこともあったくらいだから。

 

「私の気持ちは、どうなると言うんだ……」

「え?」

「……一夏、私はお前のことが好きだった」

 

 箒の表情はとても悔しそうに見えた。そんな表情からどんな言葉が飛び出てくるのかと思えば、それはあまりにも突然な告白だ。

 この場合の好きとなると、言うまでもなくLikeではなくLoveのほうだったのだろう。だからこそ、私はどうしていいのかわからなくなってしまった。

 だって、そんなの全く気が付きもしなかったから。仲のいい友達と言うよりは、仲間という感覚だった。私としては、性別の垣根を超えたような存在だと。

 更には私の精神が女性に近づいているからこそ、余計に事の重大さを思い知らされずにはいられない。

 私がハルに何かしらのアピールを仕掛けたとして、全く手ごたえがなければ辛い。私は、その辛さを箒に味合わせていたんだ。

 

「ごめんなさい箒。私……」

「いや、私のほうこそ困らせてしまって……。だが一夏、もう駄目なのか? 無論、今すぐ私を好きになれなど言うつもりはない。だがせめて、もう一度男としてのお前に、私をちゃんと、見てもらいたい……」

 

 謝って済むような問題じゃない。これも辛さを知ったからこそ、そうせずにはいられなかった。

 箒も謝ってはくれたものの、言わずにはいられないのか、絞り出すような声色で私にチャンスを求めてくる。

 こんな何かにすがるような箒は見たくなかった。いつも凛とした出で立ちの侍ガールという認識だったからこそだ。

 しかし、私の意志は固い。しっかりはっきり想いを告げることこそが、箒に対する手向けのようなものになるだろう。

 

「……私は、ハルが好き。大好き。四六時中ハルのことばっかり考えちゃうくらいに。多分だけど、箒が私のことを想っていてくれたくらいに」

「一夏……」

「だからごめん、私はもう戻れない。それはハルが振り向いてくれなくったって同じだと思うんだ。本当にごめんなさい」

 

 近頃の私と言えば、ふたことめにはハル、隙あらばハルといった感じだ。他の子のことはよくわからないけど、恋ってそういうものなんだと思う。

 まだ自信をもって口にはできないけど、こういう考えが浮かぶって、きっと私がハルに女の子にされてしまった証拠なんだ。

 先のことはよくわからないけど、私はハル以外の男性に恋することはないという確信めいたものがある。

 だから仮に振られちゃったとしても、気持ちが男に戻ることはもうないだろう。それは、身体が男にも戻ってもきっと同じ。

 残りは謝ることくらいしか思いつかなかった。ただ頭を下げて、箒の気持ちを無下にしてしまったことを謝罪するくらいしか。

 

「……一定の理解は示すつもりだ。お前の想いを一時的な気の迷いと断じるつもりもない」

「……その心は?」

「さっきも言ったが、晴人に惚れる気持ちは十分にわかる。あいつのよりよい部分を知る一夏が女になったのならば、確かに自然なことなのかも知れんな」

 

 そう言い放つ箒は物悲しいような顔つきをしていたが、少しばかり爽やかな様子も持ち合わせているかのようだ。

 特に最後、自然なのかもと漏らしたあたり。でも自分にそう言い聞かせているような感じも当然ながら含まれている。

 

「私の好意は別として、お前たち二人が善き友であったこともまた事実。恨むようなことは間違ってもないから安心しろ」

「箒、それじゃあ……」

「だが勘違いするな、私は一夏の肉体を元に戻すことは諦めん。そうして、その、好きにしてみせる。だからそれまではだな……ただの女友達としてよろしく頼む」

「……うん、それで十分だよ。ありがとう箒。これからもよろしくね」

 

 ……私とハルがどうこうというか、そもそも箒は私たち以外の友達――――って、こんな有難いことを言ってくれてるんだからそんな考えは不可能だ。

 さらりと私に重ねて想いを告げているのが恥ずかしいのか、箒は顔を真っ赤にしながら右手を差し出してきた。

 だから私は箒の想いに報いるかのように、これ以上がないくらいの感謝を込め、優しくその右手を両の手で包み込んだ。

 

「それにしても一夏、なかなか厄介なのを好きになったものだな」

「そうなんだよねー……。恋愛に関しては未だに自信持てないみたいで」

 

 急に女友達としての接し方にスイッチを切り替えたのか、箒は呆れたような顔つきになりつつ恋バナのような話を切り出す。驚きはしたものの決して表には出さず、全面的に箒の言葉に肯定。

 最近はちょっとずつでも前向きな傾向にあるものの、恋愛に関しては奥手とかそういう問題じゃないレベルだ。

 ハルはあまりにもそういうことに自信がなさ過ぎるせいで、自分を好きになるような女子は現れないとでも思っているみたい。

 暇がある時に意を決して女性の好みを聞いてみたら、俺みたいなのを好きになってくれるんならそれだけでいいとか言っていた。

 それ女性の好みじゃないよね。全く参考にならないんだけど。じゃあ私でいいじゃないってなる。少なくとも今すぐにでも全てを捧げられるくらいには大好きだよ?

 それに何をしても基本的に全肯定の姿勢で、何をされた場合が本当に嬉しいのかがわかりにくいったらない。手料理だけは喜んでくれてるって確信はあるけどね。

 とにかく怖くて自分から告白ができなさそうというのが大きな問題だ。あぁ、でも冷静に考えたらそれもダメだ。

 仮にハルに告白したとして、俺みたいなのを好きになってくれたんだからと無理をしてでも合わせようとしてくるに決まってる。

 それは本当に好き合っているとは言えないと思う。やっぱりハルに告白させるのがファイナルアンサーかぁ。

 好きというのは間違いないが、箒の言うとおり考えれば考えるほど厄介な男である。……そういうところも可愛いと思ってしまうのは、ダメな女というやつなんだろうか。

 

「まぁなんだ、地道に頑張るしかないな」

「……少しでも時間稼ぎとか思ってない?」

「思っていない! さっき言ったばかりの言葉を違える気はないぞ!」

「ご、ごめんってば! つい、ついね」

 

 箒の言葉が投げやりなような気がしてしまい、ついいらない想像をしてしまう。

 ハルに対してのいい案って、考えてみたら地道なアピールくらいしかないんだもの。

 箒は武士に二言はないみたいな様子でウガーッと唸り、その迫力にまぁまぁと落ち着かせながら謝っておく。

 すると箒はまったくなんて呟きながら教室の方へ歩き始め、私は置いて行くぞと声をかけられてから慌ててその背を追いかけた。

 いざ教室に戻ってみると、ハルが少し疲れた様子でヘイムダルの調子を見ていた。なんなのかと聞いても少し上の空。

 まぁ、そこまで気にするようなことじゃないとするとして、これから始まる授業の準備でもして待っていようか。

 

 

 

 

 




こんな感じで幼馴染二人ともそこまでギスギスしない方向で。
無駄に雰囲気を悪くしちゃうのもよくないですしね。
というか私は基本アンチ系の描写はしないですからご安心を。
オリ主がアンチされたりする場合はありますけども……。(過去作参照)

それはさておき早期に登場の簪ちゃん。
個人的な理由としては原作同様のタイミングではこの作品の連載が終わっているので、かなり繰り上げて登場してもらうことに。

作中での背景的には 
・白式が倉持技研製ではないので問題なく専用機を取得
・中学時代に一夏と出会っているので、性格の改善もそのタイミングに発生
という主に2つの要因が関係しています。
お姉ちゃんのほう? 多分ですけど彼女は原作と同じ初登場になると思います。


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第17話 ブリティッシュな彼女

今回はだいたいタイトルで察することのできる内容です。
でもメインキャラが絡むと主人公が主人公できるので有難い。
よって今回もいちかわ要素は……ナオキです。





以下、評価してくださった方々をご紹介!※順不同

松本ひろやす様 5837様 イージスブルー様 あい様 MASAKI-様 ヴェルガー様


評価していただいてありがとうございました!



「ん~……はぁ」 

 

 IS学園に入って初の授業が終わりを告げ、授業合間の十分休憩へと相成った。授業のしんどさと言うよりは、肩身の狭さに思わず大きな背伸びをひとつ。

 一時限目はIS学園を受験したなら問題なんかあるはずないよね? みたいな基礎中の基礎をおさらいするような内容だったらしい。

 俺からすれば超特急で頭に詰め込んだせいであやふやな部分も多かったが、ナツや母さんのおかげで着いて行けないと言うことはなさそうだ。

 ヘイムダルを動かす実技的なこと以外にも、参考書を基準にしてみっちりと座学もこなしてきた。その世話をしてくれたのが二人というわけ。

 

(二人と言えば、どうしたもんかな……)

 

 一時限目が終了すると同時に、ナツも箒ちゃんも多くの女子に引っ張り込まれて入る余地がない。つまり今の俺は完全にボッチ状態ということだ。

 ……困った。友達と胸を張って呼べる人物は少ないが、俺は別にボッチというほど寂しいやつではなかったはずなんだが。

 しかし、女子に群れの中で男子が一人取り残されるのは辛いものがある。かと言って、俺から話しかけるような勇気もない。

 ……明日からは画材一式を詰め込んだリュックサックを持ってきておくことにしよう。空き時間に絵でも描いてれば気もまぎれるだろうし、少なくともこうしてボーッとしてるよりはよほどいい。

 

「少しよろしくて?」

「あ、はい、全然よろしいですよ」

 

 またしても溜息を吐きそうになっていたところ、とても丁寧な、まるで漫画とかで見るお嬢様口調で話しかけられた。

 思わずこちらも不可思議な丁寧口調になりつつもきちんと返事をし、声のした方向へ回転しながら立ち上がった。

 すると俺の目に映ったのは、なんと言ったらいいのだろうか、こう、ザ・金髪青目の美人さんという風体の女子。

 金糸と表現するにふさわしいブロンドの髪を縦ロールにしていて、貴婦人のような優雅さも持ち合わせているように思える。

 しかし、それを除いてもどこかで見たことがあるような?

 

「無言で人の顔をマジマジと、不躾ですわよ」

「こ、これは失敬。えっと、テレビで見たことある人だなーと」

「あら? このセシリア・オルコットに見覚えがあるとは、多少は勉強なさっていらっしゃるのね」

 

 どこで見たことあるのかを思い出そうとしていると、金髪さんが徐々に整った表情を崩していくのがわかった。

 どうにも棘があるような感じがしないでもないが、普通に俺に非があると思うのでひとこと言っておく。が、別にやましい気がなかったのはわかってもらわねば。そう、確かテレビで見たことあるんだった。

 俺がそう発言すると、オルコットさんと言うらしい彼女は、見る見るうちに得意気な様子へと変わった。

 ……ああ、そうそう、セシリア・オルコットさんと言ったらイギリスの代表候補生じゃないか。海外選手を取り扱った情報番組で見たんだと思う。

 IS選手なんて、基本的にフユ姉さん以外に贔屓してる人がいなからなぁ。この場合、思い出せたことは幸運だったろう。

 

「ですが、それでも期待外れですわ」

「と、言うと」

「どうやら入試の際に試験官に勝ったのはわたくしだけのようで。所詮は男性なのに扱える、それだけの話のようですわね」

 

 これはどうやら確定というか、なんとなくの予感はあったが、オルコットさんは女尊男卑主義者のようだ。

 ISは本来女性にしか扱えない。つまり女性の方が偉いという謎理論が定着してしばらく経つが、俺みたいなのには住みにくい世の中だ。

 例えば反論しようものなら男のくせによく吠えると言われ、逆に媚びるようなことを言えばやっぱり男はダメだと言われてしまう。

 じゃあどうすればいいのって話ではあるが、まぁ余計ないざこざは最大限避けていく方向でいこうじゃないか。

 とりあえず、オルコットさんを褒めてみることにしようか。試験官に勝ったって、なんで騒がれないのか不思議なくらいだ。

 

「オルコットさん、勝っちゃったってすごいね。相手が訓練機とはいえ――――」

「フン。わたくしにして見れば、当然の結果ですわ! なぜならわたくしはイギリスの代表候補――――」

「織斑先生に勝っちゃうって」

「せい……? ……貴方、今なんと仰いました?」

「えっ? だから、訓練機に乗ってたとは言え、織斑先生に勝っちゃうってすごいって」

 

 そりゃあ一介の教師が訓練機に乗って、専用機を駆る未来の国家代表と戦えば勝機は薄いだろう。オルコットさんの言う当然の結果とはある意味正解なのかも。

 だがそれは一介の教師ならの話で、相手がフユ姉さんでもなお勝つっていうのは単にオルコットさん技量が優れているということで――――

 と思っていたのだけれど、なんだか様子がおかしいな。俺がフユ姉さんの名前を出した途端に顔つきが固くなったというか。

 あれ? てっきり候補生の相手はフユ姉さんがしたのだと思っていたが。だってナツが千冬姉が相手で驚いたって言ってたし。

 

「えっと、ナツ! ごめん、少し聞きたいことがあるんだけど」

「なになに、どうしたの?」

「入試の相手試験官、誰だった?」

「え? 前も言ったけど、千冬姉だったよ。千冬姉が訓練機に乗ってやっと惜しいとこまで追い詰められたんだけど、そのまま時間切れで終了……って感じ」

 

 クラスメイトとの親睦を深めていたナツには悪いのだが、こればかりは再確認せずにはいられなかった。

 それなりに大きい声を出しながら手を振ると、ナツは女子一同に断りを入れてから小走りで俺へと近づいてくる。

 オルコットさんとのやりとりで疑問に思ったことを聞いてみるも、なんで今更その話なのかと向こうも不思議そう。

 回答は得られたわけだが、やはり俺の記憶に間違いはなかったらしい。ただし、代表候補生は確定でフユ姉さん相手と決めつけたのは俺の独断と偏見によるもの。

 そうか、これはナツだけ特別だったらしい。あれだ、どれだけやれるようになったか私が直接相手してやろうみたいなやつに違いない。

 本人に言ったら鉄拳制裁間違いなしだが、フユ姉さんはナツに厳しいようで甘いからなぁ。と言いつつ、俺も他の人よりは甘えさせてもらっているんだろうけど。

 

「っ……貴方、よくもわたくしに恥をかかせてくれましたわね!」

「えぇ……? いや、確かに俺の勘違いが過失十割なのは認めるけど、別にそんなつもりは――――」

 

 オルコットさんは顔を真っ赤にしながら俺を指さし、教室を揺らすかのようなヒステリックな声を上げた。

 試験官を打倒したオルコットさん。訓練機使用とはいえフユ姉さんを追い詰めたナツ。どちらに軍配が上がるかと聞かれれば、ほぼ確実に後者だろう。

 となると、得意気にしていたオルコットさんはみじめなわけでして。と言いつつ、試験官に勝つことそのものは讃えられるべきものだと思っている。

 だがよほど屈辱的だったのか、オルコットさんは俺の弁明も聞かずにプリプリ怒りながら自分の席へと戻って行った。

 ……結局なんの用事だったんだろ。それにしても……。

 

「墓穴を掘ってしまった……」

「えーっと、よくわからないけど、ご愁傷様?」

「縁起でもないから拝まないでほしい」

「南~無~阿~弥~陀~仏~」

「お経もNGだよ! というか余計悪くなってるし!」

 

 墓穴も墓穴、俺がすっぽり収まってもまだ余りあるくらいの墓穴だ。絶対にこの後面倒なことになる未来しか見えない。

 俺がそうやって頭を抱えていると、ナツは両手を合わせてご愁傷様とひとこと。もうホント、縁起でもないと言うよりはシャレにならない。

 すかさずツッコミを入れるも、ナツは悪ノリでも始めたのか両手をすり合わせて経を唱え始めるじゃないか。

 その後もしばらくナツがボケて俺がツッコミを入れるやりとりを繰り返したわけだが、周囲にこう思われているのは知る由もなかった。

 

(((夫婦漫才だ……)))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ああ、そう言えばひとつ忘れていることがあった」

 

 二時限目の授業が始まってすぐのこと。フユ姉さんは本当にふと思い出したのか唐突にそう切り出した。なんでも、クラスの代表を決めなくてはならないらしい。

 クラス代表と言うのは普通の学校での委員長のようなもので、クラスのリーダー的役割を担うことになるのだとか。

 普通ならクラスの意見をまとめたり、委員会に出たりと雑務をこなすのが主となるのだろうが、ここは天下のIS学園である。そう一筋縄ではいかない。

 何かって、ISを用いた試合の代表も兼ねるみたい。ガイダンスとかなかったからわからないが、やっぱり年間行事で試合が組まれていたりするんだな。

 

「さて、自薦他薦は問わんぞ。我こそは、またはコイツに任せたいというのがあるなら名乗り出よ」

「はい、日向くんがいいと思います!」

 

 フユ姉さんが意見を求めると、威勢のいい声で俺の名が挙がった。まぁ、他薦も可と聞いた時点で予測はできたから騒ぎはしないが。

 物珍しい、ないし面白いことになりそう、ないし興味本位ということならば、唯一の男子生徒である俺の名が出るのも違和感のある話ではない。

 俺は間違いなくクラスを引っ張るリーダーの器ではないが、みながそれを望むのならそれもまた一興だ。

 そうやって、半ば諦めたような思考を巡らせていると――――

 

「はい! 私、クラス代表やります!」

「ナツ……!?」

「えへっ……」

「ならば自薦のほうが効力は上だ。何もないなら織斑ということになるぞ」

 

 ナツが勢いよく手を挙げたかと思えば、あろうことかクラス代表に名乗り出るではないか。そんなの率先してやりたがる性格ではないと言うのに。

 するとフユ姉さんが告げたのは、遠回しながら俺のクラス代表落選とも取れる言葉だった。もしやこれを見越して……?

 そう思って目を向けてみると、目の覚めるようなウィンクで返された。やはりと認識するよりも前に、心臓が跳ねてそれどころではなくなってしまう。

 なんだアレは、天使だろうか。可愛らしさもそうだが、俺を争いごとから遠ざけるためにわざわざ注意をそらすようなことをするなんて。

 ……今度何かしらのお礼をさせてもらうことにしよう。

 

「お待ちください、そんな選出認められませんわ!」

「オルコット、不満があるなら手短に発言せよ」

「不満と言うなら、そちらの方にです! 貴方、少なからず選ばれたという認識はお持ちでして!?」

 

 今にもナツのクラス代表が決定されようとしたその瞬間、どこかで聞いたようなヒステリックな声が響く。オルコットさんだ。

 オルコットさんは手を挙げるどころか立ち上がったかと思えば、ズビシと俺を指差して他薦されたという自覚はあるのかと問うてきた。

 ……確かにオルコットさんの言葉にも一理あるのかも。理由としては不十分かもしれないが、彼女らが俺を推薦したという事実は変わらない。

 だというのに代表から落選して安心するというのは、うん、ちょっとは失礼なことなのかも知れないな……。

 

「ちなみにですが、わたくしも織斑さんと同じく代表候補生ということで立候補させていただきます」

「じゃあ、この三人で再投票でもする?」

「いいえ、その方法では彼に票が割れるのは実証されましたわ。織斑先生、わたくしからひとつ提案が」

「もったいぶらずにさっさと言え」

「ここはIS学園らしく、総当たりの模擬戦を要求しますわ」

 

 オルコットさんの提案は全てを丸く収めているようで、思いきり自身の願望が見え隠れしていると思う。無論、性格からしてクラス代表になりたいのは間違いないんだろうけどさ。

 総当たりを提案してしまえば、さっき恥をかかされた相手である俺。及び実力を白黒ハッキリさせるためにナツとも戦えるという寸法なのだろう。

 一度怒ったら周りが見えないタイプと思ったが、どうやらそういうことでもないらしい。そのぶん厄介とも取れるけど。それにしても――――

 

「模擬戦かぁ」

「あらあら、随分と不安そうな顔をされるのですね。まぁ? わたくしは優しいですから。どうしてもと仰るのならハンデを付けてさしあげますわよ」

 

 む、しまったな、心の声が漏れてしまったらしい。まぁ、つい先日まで気弱な一般人だった俺にはハードルの高い話ではある。

 しかし、オルコットさんの要求を呑む呑まないはまた別の話だと思う。

 俺はオルコットさんに今すぐにでも掴みかかりそうな勢いのナツを抑えつつ、とりあえず提案に関しては取り下げてもらう旨を話した。

 

「いや、別にハンデはいらないかな。むしろ全力でやってもらえるとありがたいんだけど」

 

 むしろ全力でと伝えると同時に、教室内からは静かに俺をあざ笑うかのような声が各所でチラホラ。

 この反応は別に予想通りだからいいのだが、予想外にナツの機嫌が悪くなっているからそちらの方を勘弁してほしいものである。

 周囲は俺に対して今からでもハンデを付けてもらえとか、男の方が強かったのは一昔前だとか言っているみたい。

 なんというか、どうしてそういう話になるんだろう? 論点がズレまくって、なんの話をしていたのやらわからなくなってしまいそうだ。

 ナツを落ち着かせるという目的を最たるものとし、一応俺の想いはわかってもらうことにしよう。

 

「えーっと、オルコットさんに聞きたいんだけど。例えば憧れとか目標にしてる選手が居るとするじゃない? そんな人にハンデ有りとか、手加減されて勝って嬉しいかな」

「何を世迷言を仰いますの。嬉しいどころか、むしろ屈辱的ですわ」

「だよね。まぁ俺みたいなのに全力を出す価値はないって言われちゃったらそれまでなんだけど、つまりそういうことだよ」

 

 昔の俺だったら、多分ハンデの申し入れを有難く受け入れていたことだろう。だけど今は違う。そういうのは、違うんだ。

 ぶっちゃけ、オルコットさんにはハンデをもらったって勝てはしないだろう。経験がものを言う世界で、たった数日しかISを動かしていない俺との差は歴然だ。

 けど、だからってハンデをもらっちゃ意味ないんだ。勝てないからってハンデをもらう? そんなのもったいないじゃないか、せっかくこうして強者と戦うチャンスができたんだから。

 本音で言うなら模擬でもなんでも戦闘なんてないほうがいいに決まってる。けど、もう逃げたくないんだ。情けない俺のままでいたくはないんだ。俺は変わりたい。だから――――

 

「仰りたいことはわかりましたが、自ら惨めに負けに行く姿勢は理解しがたいですわね」

「……惨めだっていいんだ」

「……どういう意味です?」

「俺だってわかってるよ、全然歯が立たないことくらいはさ。けど、どんなに惨めな負け方したって、どんなにボロボロにされたって、それは大事なひとつの経験だって、俺はそう思う。けどそれは、オルコットさんが全力で向かってきてくれないと意味がないんだ」

 

 ISに関する知識も経験もほとんど持ち合わせない俺にとって、ここで経験する全ては糧になってくれるはずだ。

 例えばオルコットさんに惨敗を喫するとしよう。それは全く歯が立たない、ということがわかる。それだけでも有意義じゃないか。

 きっと俺が専用機を所持しているという身の上である以上、オルコットさんと交戦する機会はまだまだあるはず。

 次戦った時、そのまた次戦った時、初めの惨敗とどう違うかを割り出し、いつしか手の届くところへ――――というのはあくまで理想だが、とりあえずスタートラインに立つにはオルコットさんの全力が必要なのだ。

 

「だからどうか、全力全開でよろしくお願いします」

「……いいでしょう。そこまで仰るのなら仕方ありません。せいぜい後悔することね」

「話はまとまったか? それでは、一週間後に第二アリーナにて総当たり戦の初戦を行う。クラス代表決定ごときに日数を使うのは遺憾だが、その翌日、翌々日に第二、第三試合という形をとるぞ」

 

 俺が立ち上がって頭を下げながら全力を願うと、オルコットさんは心底から理解できないというような声色で俺の要求を呑んでくれた。

 男女の差だろうか。それとも、女尊男卑の風潮がそうさせるのだろうか。どっちにしたって、彼女の中にある常識では図りきれないらしい。

 そこらでフユ姉さんは締めに入り、こちらは心底から遺憾というのが声に表れている。流れでこっちが勝手に日程を作っちゃったもんだしね……。

 ここは触らぬ神に祟りなしというやつを信じて大人しく座っておこう。オルコットさんもいつの間にかそうしてるし。

 胸をなでおろしながら座る時に印象的だったのは、心配そうにこちらを見つめるナツの視線だった。

 

「晴人、先ほどの発言を撤回させてもらう」

「え、いきなりどうしたの?」

「背丈以外に変わらんなと言ったことだ。どうやら私の見当違いだったらしい。まさか晴人が代表候補生相手に啖呵を切るとは」

「いや、喧嘩を売ったつもりはまったく――――あれ、喧嘩売ったのと同じなのかな」

 

 二時限目が終わるとすぐに箒ちゃんに話しかけられたかと思えば、いきなり謝罪とも取れる発言から始まり目をパチクリとさせてしまう。

 再会を果たした直後の発言に関してらしく、なんだかしみじみとした様子で、言いたいことを言えるようになったじゃないかと感心しているように見える。

 しかし、啖呵を切ったという表現は少しばかり大げさで、俺としてもそういうつもりはまったくない。けど、箒ちゃんに言われてみて似たようなものだということに気が付いた。

 まぁでも、全力でやってほしいという考えは変わらない。それに覆水盆に返らずとも言う。なので今から騒いだりすることはしない。

 

「とにかく、俺が変わったって感じるならそれはナツのおかげで――――ってナツ?」

もー! もー! やっぱり普通にかっこいいよぉ……!

「なんだ、少しそっとしておいてやれ」

 

 昔の俺なら今頃なんと情けない奴だと箒ちゃんに怒鳴られていたところだろう。むしろ怒鳴られるだけではすまなかったかも。

 俺がそうならなかったのは全面的にナツのおかげだ。だから褒めるのならナツをと視線を向けてみると、よくわからない光景が広がっていた。

 ナツは机に突っ伏してブツブツと何かを呟いている。それに、熱を帯びていることが一見してわかるくらいに耳が赤い。

 何を言っているのか接近して聞いてもよかったのだが、同性である箒ちゃんがそっとしておけと言うのなら、まぁ、特に気にしないでおこうかな。

 そうしてしばらく箒ちゃんと談笑していると、ナツはいきなりスイッチでも入ったかのように、ガバッと机から起き上がった。

 

「ハル、力になるからね!」

「代表候補生にそう言ってもらえるのはありがたいな。うん、頼りにしてる」

「私にも手が貸せることがあるなら言ってくれ。微力ながら協力するぞ」

「ありがとう、箒ちゃん」

 

 改めて思ってみると、代表候補生と模擬戦するのに一週間の猶予しか存在しないんだった。お世辞にも十分な期間とは言えない。

 やっぱり俺がどれだけ努力したって、勝てないには勝てないんだろう。けど、だからと言って何もしない理由にはならない。

 それに勝てないとはわかっているが、勝つ気がないわけではない。むしろやるからには勝ちたいさ。

 だから一週間を大切に使う必要があり、そう考えればナツと箒ちゃんの申し出は心からありがたいものだった。

 ……そうだ、後で簪さんにも声をかけてみることにしよう。あまりにも早く困ったことが発生してしまったが、彼女なら惜しみなく協力してくれるはずだ。

 まぁとりあえず、やれることからコツコツと……と言ったところか。しばらく絵のことは封印しないとダメかもね。

 なんて思いながら、迫りくる一週間後へと想いを馳せる俺であった。

 

 

 

 

 




なんか……なんかセシリアのコレジャナイ感……。
母親に媚びる父親に嫌悪を抱いた。みたいな描写があったはずなので、一見女性に媚びているように感じられる晴人は一夏よりも相性最悪……なはずなんですけど。
悪口言わせようと思ったらいくらでもやれるんですけどねぇ。でもエレガントじゃなくなってもセシリアではないような?
……ウチのセシリアはマイルドセシリーということでいきましょう。





ハルナツメモ その10【漫才】
 一夏が悪ノリした場合に限るが、やりとりが自然に漫才風になる。無論、一夏がボケで晴人がツッコミ。二人とも語彙が妙に達者になるのが特徴。
 しかし、晴人は時折だが天然で盛大なボケをやらかすので、その場合は一夏がツッコミに回る。晴人にボケた自覚はない。
 一夏が男性時には単なる幼馴染ないし兄弟が繰り広げる漫才だが、女性になってからは夫婦漫才と感じる者の方が多いようだ。


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第18話 災い転じて福となす?

GW突入ですしストックにも余裕があるので更新です。
ひさびさに晴人と一夏ちゃんの絡みがメインですFooooooo!↑↑
やっぱり作者的にもテンションが上がりますねぇ。





以下、評価してくださった方々をご紹介!※順不同

ライオギン様 葉介様 カーキャ様

評価していただいてありがとうございました!


「で、こういう場合のベターな動きだけど……」

 

 いろいろと濃すぎる初日もようやく放課後。俺は教室に残り、ナツから戦術理論のようなものの手解きを受けていた。

 黙っていればそのうち習うみたいだが、基礎はそれなりにできているのだから今は対オルコットさんを想定すべきだ。……というのがナツの主張である。

 ぶっちゃけ学んだところで実際にその動きができるだろうか。仮にできたとして――――マニュアルどおりの動きですわね! ……とか言われそうな気がする。

 でも知っているのと知らないとでいるのは差が大きい、という点については全面的に同意だ。今の俺には戦術理論のせの字もないのだから。

 

(それにしても……)

 

 時分は既に夕暮れ時なわけだが、教室の窓から差す夕日がナツを照らしているのが気になる。何もまぶしくないのか、なんて思ってるわけではない。

 気になるって、異性に対して使うやつが適当なのかも。言ってしまえば多分、俺はナツから目を離せないでいる。

 夕日って、朝日とかと違ってなんだか色っぽいイメージがないだろうか。画家の端くれ的な観点かな?

 とにかく、少なからず色っぽいと思っている夕日がナツを照らすことで、なんだかナツまで色っぽく見えるような――――

 

「ハル、聞いてる?」

「へあっ!?」

「あ、うん、そのリアクションで聞いてないってわかったから」

「ご、ごめん」

「ううん、大丈夫だよ。もう一回説明するね」

 

 どうやらとんでもなくボーッとしていたらしく、ナツに勉強を教わっているという状況をようやく思い出した。

 まずいと思った拍子に変な声で出たわけだが、それで向こうにも俺の体たらくが伝わったらしい。

 素直に謝るが、ナツは気にした様子も見せずに再度説明を始めた。いやもうホント、心から申し訳ない。

 けどナツに見とれてましたなんて口が裂けても言えないしなぁ……。とにかく、集中集中。もう二度とナツに見とれてなるものか。……あれ? それはなんか違うような気がする。

 

「あ、日向くん、まだ教室に居たんですね」

「山田先生。俺に何か用事ですか?」

 

 俺を捜しでもしていたのか、ヒョコッと山田先生が顔を見せた。どこから攻めたのかは知らないが、灯台下暗しというやつをさせてしまったらしい。

 俺とナツの勉強する手は自然に止まり、二人して立ち上がって山田先生に近づいた。さて、俺に用事とはいったいなんなのだろう。

 

「部屋が決まりました」

「はい?」

「部屋が決まりました」

「いや、あの、聞こえなかったってリアクションじゃなくてですね」

 

 IS学園は全寮制だ。そもそもモノレールに乗らないと来られない島に、自宅通学せよというほうが違和感を覚える。

 しかし、俺はあまりにも例外なためにしばらくは自宅通学だと聞かされていた。それゆえのさきほどのリアクションである。

 山田先生はおっとり&マイペースと言うか、悪く言えば天然と言うか、聞こえなかったものと取られたようだ。こういうところは少し母さんに似ている気がする。

 改めて詳しく聞いてみると、どうやら国のお偉いさんからのお達しらしい。迅速かつ早急に俺をここに匿いたいんだそうな。

 まぁ、そういうことなら、四の五の言ってる場合でもないみたい。この学園において、俺に選択肢なんてものはないに等しいんだから。

 

「わかりました。けど、荷物の準備とかがあるので――――」

「その必要はない」

「あ、千冬ね――――いたぁ!?」

「織斑先生だ、馬鹿者が」

 

 まるで狙っていたんじゃないかと思うようなタイミングで、フユ姉さんも教室に現れた。教師モードは存在感マシマシである。

 ナツはフユ姉さんの姿を見るなりいつもどおりの反応を示し、千冬姉と言い切る前に制裁が下された。

 スパァンというオノマトペをつけたくなるような音。どうやらナツの頭に出席簿が叩きつけられたらしい。

 うん、何か不遜があったら出席簿。ぜひ覚えておくことにしよう。……っと、その必要がないという発言の真意を聞かなくては。

 

「あ、あの、先生。さっきの言葉はどういう意味で?」

「準備は母親に頼んでおいた。既に日向の住むことになる部屋へ運び込まれている」

「何が入っているかは?」

「あの人の気分次第だな」

 

 未だに痛がるナツの頭をさすりながら発言の真意を問いただすと、どうやらフユ姉さんが母さんに話をつけておいてくれたらしい。

 山田先生の目を気にしてか決しておばさんとは呼ばないし、俺自身ずっと日向と呼ばれるのもすさまじくムズムズする。

 それにしても、何が入っているかは気分次第……か。それだけ聞いてもすさまじい不安定要素だ。気分で動く人というのは俺が一番よく知っている。

 余計な物品が入っているのは確実として、着替えと画材一式さえあれば俺は満足といったところだが。……自分でも簡単なやつだなって思う。弾たちには枯れた若者とよく言われたものだ。

 

「はい、こちらが部屋の鍵ですよ」

「どうもありがとうございます」

「それと、寮生活のルールなんですが――――」

 

 山田先生から手渡されたのは、部屋番号の刻み込まれたキーだ。ううむ、紛失しないよう細心の注意をはらわなければ。

 とりあえずキーをポケットにしまうと、寮での生活についての説明が入った。こちらは聞き逃さないようにしないと。

 と言ってもそこまで難しいことはなく、食堂の使える時間帯だとか。大浴場の使用時間くらいのものだ。後者に関しては、しばらく使えないと注釈が入る。

 ナツは男の時から風呂好きで、特に広々とした大浴場は好みだった。しかし、俺にそんなこだわりがあるはずもなく。

 なんなら三年間ずっとシャワーでも構わないのだが。そもそも一人で大浴場を使うことになるって寂しすぎない?

 

「――――と、だいたいこんなところでしょうか」

「何か質問はあるか? ないなら私たちは失礼するぞ。これから会議があるのでな」

「あ、はい、大丈夫です。わざわざありがとうございました」

「わからないこと、困ったことがあったらいつでも言ってくださいね!」

 

 行動を制限されるのではと考えたりもしたが、どうやら俺の扱いは通常の生徒、つまり女子たちと大差はないようだ。

 主に時間の説明についてしかされなかったのがその証拠であり、内心で安堵しながら二人へと感謝を述べた。

 そして会議があるらしい二人の去り際、山田先生がフンスと鼻息を鳴らしながら頼ってほしい旨を伝えてきた。

 ……俺がなんとなく気の持ちようが似ていると思っているのに対し、山田先生も同じことを考えているのだろう。俺に関しては、姉弟でもおかしくないくらいのシンパシーを感じている。

 いずれお互い無意味にペコペコするようなシーンが発生するんだろうなぁ。なんて考えながら、去って行く二人の姿を見守った。

 

「ねぇハル、部屋番号は?」

「ああ、そういや確認し忘れてた。えぇっと……」

 

 二人が去ったのを確認すると、俺の前方にナツが躍り出ながらそう尋ねてきた。

 確かに、すぐ山田先生の説明が始まったから見忘れていた。というわけで、ポケットからキーを取り出して番号を確認。 そこには――――

 

「1025号室だね」

「……へ?」

「いやだから、1025号室……って、このやりとりさっきやったばっかりか」

 

 俺の住むことになる部屋の番号を聞くなり、ナツはなんとも間の抜けたような聞き返しかたをしてきた。

 聞こえなかったわけじゃないというのはわかっているが、つい自分にされたのと同じように番号を反芻してしまう。山田先生の気持ちが少しわかった気がするぞ。

 となると、どうしてナツは驚いたような、または困ったような反応をするんだろう?

 手をモジモジとするナツを不思議そうに見守っていると、意を決したようなしぐさを見せたのちに衝撃の事実を語った。

 

「あ、あの! それ、えっと、私と同じ部屋で、驚いたって言うか、そんな感じ……」

「……Really?」

「イ、Exactly……」

「「…………」」

 

 しばらくの間、シンと張りつめたような気まずい空気が俺たちを包むのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、改めまして、その、性別の差で多々迷惑をかけるとは思いますが」

「そ、そんなに畏まらなくても大丈夫だよ。こちらこそ、迷惑かけたらごめんね」

 

 部屋に入って互いのベッドで無意味に正座、そして無意味にぎこちなくなりながら同部屋生活の挨拶を交わした。

 十年一緒に住んだと言えば聞こえはいいが、そのうち私が女だった時間はごくわずかだ。それに同居と同部屋ではわけが違う。

 同居よりもかなり共同で使うスペースは増えるし、油断をしていると幻滅させてしまうようなことをしてしまうかも。

 そう思えば緊張するもので、私も一応は予防線を張っておくことにする。でもハルが緊張してるふうなのって、それって、意識してくれてるってこと、なのかな……。

 

「ハル……さ」

「な、何?」

「私と同部屋って、どう思う?」

「ど、どうって、その、き、緊張する、ね」

 

 好奇心のようなものだった。ハルが私をどう思ってくれているのか、傷つく可能性もあったのに聞かずにはいられなくて……。

 すると返ってきたのは、私が期待していたとおりのもの。緊張していると聞いた途端、私は跳ねて喜んでしまうところでった。

 だって、一緒に住んできたハルが緊張するって、男だったことを知っているハルが緊張って、一応でも女の子として見てくれてるってことだと思うから。

 

「今のがなんの確認かは聞かないけど、とりあえず荷解きしてもいいかな」

「それは勿論。でもアレ、おばさんが用意したって思うと――――」

「……うん。悲しいかな、けっこう開くのが怖かったりするんだよ」

 

 話題はおばさんが用意したらしいハルの荷物の話になった。

 ハル愛用のリュックサックは画材しか入ってないからいいとして、その隣に鎮座してある段ボール箱の中身がなかなかの曲者とみた。

 いくらおばさんだろうと生活必需品が大半の割合を占めているだろうけど、残り数割は何かしら怪しいものが入っている可能性が捨てきれない。

 ハルは実の息子である分余計に思うところがあるのか、ひたすら訝しげな表情で件の段ボール箱を見つめていた。

 ようやく覚悟が決まったらしく、重苦しい溜息を吐いてからベッドから降り、ゆっくりと荷物の方へ近づいていく。

 貼られているガムテープを剥がして、いよいよ御開帳。まるで危険物でも取り扱うように中身を改める姿を隣で見守った。

 

「……なんだ、母さんにしては普通に気を――――遣ってくれてなぁぁぁぁいっ! いや、この場合は余計な気を遣ってと言うべきなのだろうか……!」

「……グラビア写真集。へぇ、ハルもまったく興味がないってわけじゃないんだ」

「まぁ、そりゃ、一応は男の子でありまして。えぇ、むっつりスケベと思っていただいても構わないのですが」

 

 隣で物色しているのを見ていれば嫌でも中身が確認できるわけで、畳まれた服の下に隠すように敷かれていたのはグラビアアイドルの写真集だった。

 そういうのはお互いノータッチで過ごしてきたけど、ハルが自分で買ったというのは考えにくい。弾か数馬に譲ってもらったんだろう。

 私に見られたせいか、はたまた写真集そのものを入れたおばさんに対しての失望か。どちらにせよ、ハルはガックリと肩を落としてしまう。

 

「その、軽蔑するよね」

「なんで? 男の子なんだから普通でしょ。それに、元男としては気持ちもわかるし」

 

 私の生まれが元から女だったらどうかはわからないが、少なくとも織斑 一夏という一人の人間として思うところはあまりない。

 むしろそういうのにちゃんと興味をもってくれているのか、と安心を覚えるくらいまである。そのくらいハルは表面上無関心だったから。

 うん、普通だよ、普通。男の子なんだから女の子のエッチな恰好に興味があるのは。あって当たり前なんだから、軽蔑するかなんて聞かなくてもいいのに。

 まぁ、どちらかと言うなら他に気になる部分があり、私としてはそちらの方に深くツッコミたい気分である。

 

「似てるよね」

「え゛っ!?」

「この人、なんとなく似てないかな。その、私にだけど……」

 

 ハルからそれとなく写真集を奪い、表紙を構えて気になった点を指摘した。すると、ハルは目に見えて先ほどとは毛色の違う焦りの反応を示した。

 引きつったハルの表情からして追撃は心苦しかったけど、この問いの答えは私にとって死活問題ともいえる。

 それは、グラビアアイドルと私の雰囲気が似ているという点についてだ。雰囲気、ここ重要だよ。別に顔のパーツや体形が似てるって話でもない。

 いや、むしろ単純に大きさで優劣をつけるのなら、明らかに私へと軍配が上がるだろう。うん、どこがとは言わないけど。

 でも、その、もしかすると大まかな話で、私ってハルの好みのタイプかもって思わない? だからついそんな質問をしちゃったと言うか……。

 

「……そ、そ、そ、そこ、含めて、軽蔑するよねって聞いたつもりで……。だって、その、そんなの気持ち悪いじゃないか。ナツに似てるなってわかってて、俺がそんなの持ってたら」

「っ……! お願い、ちゃんと聞かせて! そこ、すごく、大事だから……」

「……ぼ、僕、僕は……みっ、見た目! ナツの見た目、160kmくらいの剛速球でドストライクなんです!」

「…………!?」

「……ああああああああっ! 余計なこと言ったぁ! 僕、絶対言わなくていいこと言ったああああっ!」

 

 ハルの声色は今にも泣きそうなくらいに震えていて、ところどころ聞いたことがないほどに裏返ってしまっていた。

 そんなのを見せられたら勘弁してあげたい気持ちも沸いたけど、ここを逃すと今後聞く機会が訪れるとは思う。だから止まることはできなかった。

 ハルの負い目にかこつけて酷いことをしている自覚はある。だがこの反応こそが私の期待している言葉をくれる証拠なのだと、そう確信めいたものがあった。

 懇願するように私が醜い欲求を吐露すると、ハルは観念したかのように心中を語る。瞬間、私の中で本日二度目の歓喜が巻き起こった。

 ハルは羞恥からか、両手で顔を隠しながらそこらをのたうち回っている。すぐさま落ち着いてと声をかけたかったのだが、私は茫然自失としてしまってそれができない。

 

(ドストライク……。私そのものが、ハルの好み……!)

 

 そんなこと考えもしなかったものだから、私を構成するあらゆる要素にハルが一定の興味を示しているということに、喜びや羞恥が一度に襲ってきてしまう。

 それを端的に説明するならテンパるというやつで、今の私の目を漫画的描写で表すのならいわゆるグルグル目といった感じに違いない。

 そんな私はテンパった末に――――いける! これはいける! と言うような結論にたどり着いたらしい。

 何を思えばこのタイミングで告白しようということになるのだろう。一応は冷静な部分が残っているのでなおのことだ。

 

「ハル!」

「はい……。どうか煮るなり焼くなりお好きにどうぞ……」

 

 ハルにまたがるようにして両手両膝を地に着けると、向こうは私が怒るとでも思っているのか、どのような罰も甘んじて受けるという心構えらしい。

 軽く小突くとか以外でハルに危害を与えた覚えはないが、それでもそんな言葉が出るということはよほど負い目に感じているみたい。

 ハルの負い目にかこつけているようで、私がしたこと及びしていることはかなり卑怯なことなんだと思う。

 でももう無理だ。私をそういう目で見ていてくれたのだと知った暁には、溢れる想いを知ってもらいたくてたまらない。

 私は高鳴る鼓動に耐えるかのように、切ない感覚に耐えるかのように、わずかながら目へと涙を溜めながら想いを紡いでいく。

 

「あ、あのね、私、私は――――」

「こんにちは……」

「は……? かん……ざし……?」

「「「…………」」」

「お邪魔しました……。本当にお邪魔しましたからどうぞごゆっくり……」

「わーっ!? 違う違う、違うから! 誤解をしたまま逃げようとしないで!」

 

 突如挨拶と共に部屋の扉が開いたかと思えば、姿を現したのは私の友人である簪だった。そういえば学園に来てから会ってなかったけ。

 なんて呑気なことを考えている暇ではなく、ハルにまたがった状態を目撃されたということについてどうにかしなくては。

 すると簪は案の定変な勘繰り……というか、当たらずとも遠からずかも知れないけど、勘違いをしたまま足早に部屋を去ろうとしてしまう。

 簪が言いふらすなんて思ってはいないが、慌てて追いかけて捕獲に成功。適当にはぐらかしつつも事情を説明した。

 そもそも無許可で入る簪もマナーを欠いているのではと思ったが、どうやらノックはきちんとしたらしい。すると、私とハルはよほど周りが見えてなかったようだ。

 

「それで、簪さんは何しに俺たちの部屋に?」

「あれ? 二人とも知り合ってたんだ」

「うん、だいぶ前に廊下でね。まぁ、軽く挨拶した程度だけど」

「私は……一夏に会いに……。日向くんが居るのは知らなかった……」

 

 ハルがなんの自己紹介もなしに名前呼びということは、間違いなくどこかで言葉を交わしたという予想がつく。

 どうやら箒に戻っていてと頼まれた際に会っていたようで、それなら教室に戻ってからのハルの様子も頷ける。

 きっとヘイムダルの待機形態について、簪といろいろあったのだろう。どうにも特撮系の玩具っぽい見た目してるし。

 というかそうだった、会いはしなかったけど互いの部屋番号は知らせ合ったんだっけ。まさかそれがこんなことになるとはね……。

 とりあえず簪とは初遭遇ということで、これからもよろしくという握手を交わしておく。

 

「それと、食事に誘いに……」

「あ、それなら箒も誘って大丈夫かな。ちょっと気難しいけど、昔の友達なの」

「箒ちゃんだって誰それ構わず警戒するほど面倒でもないと思うけど」

 

 ちらりと携帯の時計を見てみると、確かに時刻は十八時を過ぎていた。ハルと長いこと勉強してたし、だいたい妥当なところかな。

 食事は多くのメンバーで席を囲めば自然に楽しくなるものだ。だから簪の申し出は快諾しつつ、もう一人問題児を誘っても構わないかと、こちらからも申し出ておく。

 ハルはそう言うが、どうせほっとくと一人で過ごすよあの子。なんで私の周りはこうも友達を作りにくい性格の人が多いのだろう。

 私のそんな提案に対し、簪は呟くようにして構わないとひとこと。そして、むしろちゃんと話せば気が合うはずと付け加えた。

 ……ああそうか、二人とも姉のことで苦労しているという嫌な共通点があるんだった。何もそんなところが被らなくてもいいのにね。

 

「よし、それじゃ早速箒のところへ――――」

「あのさナツ、箒ちゃんって何号室?」

「…………あ。……ハル、知らない?」

「えぇ……? 知らないから聞いたんだけどな」

「一夏らしいといえばらしい……」

 

 弁明させてほしい。別に箒の所在について興味がないとかそういうのではないの。本当に。ただ聞き忘れただけの話なんです。

 ……知らないという事実までは覆せないのが悲しいところかな。自分で箒を誘うことを提案したから余計に性質が悪い。

 二人に目を向けてみると、なんだか呆れたような視線でこちらを射貫いているではないか。何さ何さ、よく考えたらハルだって地味に同罪じゃない。

 結局は食堂の出入り口付近でたむろしながら箒を待ち伏せるという手に。すると比較的容易に捕まえることができた。

 そこで簪との会合もほどほどに、学園に入ってささやかな懇親会も含めた夕食が始まった。無論、その際にそれとなく箒の部屋も聞いておく。

 ちなみに先ほど起きたハルとの珍事だけれど、食事が済む頃には暗黙の了解でなかったことにする方針に。

 部屋に戻ると、無言で荷解き作業をこなすハルがとても印象的で、私もその背をただただ無言で見守るのであった。

 

 

 

 

 




息を吸うように同室でございます。
むしろ別のキャラである必要がないとも言えますが。
ラッキースケベが入ってないやん! という方は申し訳ない。
多分ですけどこの作品、あまりそういうのは起きないと思いますのでご了承をば。





ハルナツメモ その11【好みのタイプ】
今回は主に体形は除いた、純粋に見た目においたタイプを示す。
晴人の言うストライクとは、黒髪ロングで美人と可愛いの中間くらいの見た目をした女性のこと。要するにまんま一夏ちゃん。
メタ的な例えを挙げるとするなら【艦隊これくしょん】に登場する【榛名】あたりが最も近いのかも知れない。





ハルナツメモ その12【一夏ちゃんの身長&スリーサイズ】
身長157cm 上から93/60/90
デカァァァァァいッ! 説明不要ッ!


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第19話 小さなことから

なんだかんだとそろそろ20話ですね。
そんな中、お気に入り600件突破&総合評価1000pt突破ありがとうございます。
少し他とは毛色の違ういちかわいい小説かとは思われますが、これからも応援のほどよろしくお願いいたします。


 あくる日の早朝。まだ薄ぼんやりと暗い中、俺は一周5kmあるらしいIS学園のグラウンドにて準備運動を行っている。

 オルコットさんとの模擬戦が決まったというのも大きな要因ではあるが、とりあえず小さいことからコツコツと頑張ってみようと思い立ったんだ。

 メニューはおいおい考えるとして、とりあえず体力作りの一環として走り込みや筋力トレーニングでもしようかと。

 まぁ、知り合いに見られたらどういう風の吹き回しだと聞かれるんだろう。けど俺の意志は固い。なぜなら――――

 

「どういう風の吹き回しだ。お前が率先して運動とは珍しい」

「お、おはようございます。織斑先生こそ、日課だったりするんでしょうか」

「そう畏まるな。外野の目がなければいつもどおりで構わん」

 

 誰かから声をかけられるとは思っておらず、突然の呼びかけについビクッと身体を反応させてしまう。

 慌てて振り向いてみると、そこにはジャージ姿のフユ姉さんが。どうにも悪戯っぽい笑みを浮かべて珍しいと評した。というかやっぱり言われたよ。

 ナツが出席簿で叩かれるのを目撃したせいで必要以上に丁寧な態度で接するが、どうにもその必要はなかったらしい。

 フユ姉さんの顔つきは基本的に厳ついが、教師として俺の前に立っている時とは雰囲気が異なる。それこそ、俺の知っている姉としての千冬さんだった。

 違和感がすさまじかったために有難い申し出だ。とにかく、話は走りながらということに。フユ姉さんが俺のペースに合わせてくれるそうな。

 

「で、なんだ。心境の変化でもあったのか?」

「とりあえず、なんでも絵のことに例えてみようと思ったんです。そしたら、俺の中ではいろんなことが鮮明になると言いますか」

「絵のこと、な。まぁ、晴人にとってはそれが最も身近な例えか」

「はい。今回の場合見えたのは、誰でも最初は初めてだ、ってことですかね」

 

 フユ姉さんとしても俺の諸々は心配してくれているのか、珍しいくらいにグイグイ質問してくるじゃないか。

 だから少し自分を生意気かもと思いつつ、ありのまま俺の中に芽生えた考えを口にする。フユ姉さんはそれを興味深そうに聞いてくれた。

 なんでもかんでも絵で例えると見え方が変わるんじゃないかって、そう思うようになった。というか、するようにしてみた。

 先ほど言ったように、今回は初めは誰でも初心者だ。という結論へとたどり着いたということ。

 俺もそれなりに絵を描くことに自信はあるけど、そりゃ最初は酷いものだった。あれはあれでアートかも知れないが、今回の場合は論点からずれる。

 俺はそこからたくさんの絵を描き、努力し、練習し、自分でも上手な方と思えるくらいの腕前になった。

 それを体力作りに当てはめるのなら、とにかく我武者羅に走ったりするだけでも、いつかは今の俺よりはマシになっていくはずと思ったんだ。

 

「結局、今まではずっと言い訳ばっかりしてたんです。何やっても凡才の俺が、多少努力したって何も変わりはしないって」

「ハッ、何を今更。晴人はガキの頃からそうだろう」

「ははは、厳しいな……。けど、だからこそもう言い訳も逃げるのも止めにしたい。変わるとか変わらないとかじゃなく、今俺はとにかく頑張ってみたいんです」

 

 正直、絵以外は本当にまるで上達なんかしないかも知れない。いくら頑張ったって体力なんてつかないかも知れない。

 俺は、努力の先に見返りを求めていた。努力しても結果が着いてこないのなら、初めから何をやったって意味なんてないって、そう決めつけてさ。

 けどもう、それでいいんだ。結果なんて出なくていい。だったらただの自己満足なのかも知れないけど、絵のことのように一生懸命頑張ってみたいんだ。

 ……それがきっと、俺にそういう考えを抱かせてくれたナツに報いることになると思うから。

 

「オルコットに自分の考えを言い切ったことといい……。フンッ、なんだ、生意気にもかっこよくなったじゃないか」

「はい!? あ、ありがとうございます……!」

「阿呆、この程度のことで動揺するな」

「いたぁーい! ごあぁぁぁぁ……ひ、額が割れる……!」

 

 フユ姉さんだって人を褒めたりはする。それがプライベートならなおのことであり、幼少期から世話になっている俺からしては割とよく聞く言葉だ。

 しかし、フユ姉さんにかっこいいなどと言われたのは生まれて初めての経験で、嬉し恥ずかしといった感情が心を揺さぶった。

 するとすぐさまデコピンを打ってくるあたり、多分だけどフユ姉さんも自分で言って自分で恥ずかしくなったんだと思う。

 動揺くらいするに決まっている。認識としては家族としての姉だが、少なからず美人のお姉さんとは思っているのだから。

 それにしても、何気に貴重な体験だ。世界規模で調査して、フユ姉さんにかっこいいと言われた男性がいかほどに居るだろうか。ナツを除けば初だったりしないかな。

 その後はトレーニングに際してタメになるアレコレを聞きながら、グラウンドを二周ほどしてお開き。去り際に学内ではそれ相応の態度をと釘を刺された。

 俺も命が惜しいからその言いつけは順守するとして、俺も帰って朝の支度をしなくては。ナツを起こさずにシャワーを浴びるのは難度高そうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

「ハル、ジッと食卓を見つめてどうしたの?」

「いや、チョイスが見事に日本だなぁと」

 

 食堂のテーブルには俺、ナツ、箒ちゃん、簪さん、それぞれが購入したメニューが並べられている。

 俺から順番に春の山菜うどん、サバ味噌定食、焼き魚定食(アジ)、卵かけご飯定食と、四人居て一人も洋食を頼まないのは何気にすごいと思う。

 まぁ、すごいと思うけど誰が何食べようと自由なわけで、俺の考えはとてもくだらないものなのだろう。

 みんなも特に気にした様子はなく、一斉にいただきますと宣言して食事に取り掛かった。地味に食堂の開放時間が短いからなぁ。

 

「はい」

「どうも」

「お前たち、ツーカーに磨きがかかっているな」

「息ピッタリ……」

 

 俺が箸を持つよりも前に、ナツは一味唐辛子の容器を差し出してきた。感謝はしつつも特に言及することもないわけだが、箒ちゃんとしては気になるところらしい。

 特に変な意味があるわけでも、特別な感情があるわけでもない。けど、時と場合によっては名前さえ呼んでくれれば言いたいことはだいたいわかる。

 だが、それを宣言したところで自殺行為。箒ちゃんの怒りを買うだけなので、一味をふりかけながら愛想笑いを返しておく。

 

「それにしても、冷静に考えれば考えるほど大事……」

「模擬戦のこと? 確かにそうなんだろうけど、今更引き下がる気もないし後悔もしてないよ」

「おっ、かっこいいこと言うじゃん。偉いぞ~」

 

 咀嚼した卵かけご飯を飲み込むと、簪さんは唐突に昨日の出来事について触れた。同じく代表候補生だからこそ、そう言いたくなるのだろう。

 個人の感想としては言葉どおりだが、楽観視してるわけでも自信があるわけでもない。むしろ先のことを思えば憂鬱な気分になる。

 かといって見栄を張っているつもりもないが、本当にどうしようもないからそう言うしかない。後は俺なりにやれることを全力でこなしていくしかないのだから。

 俺の言葉を受け、ナツは少し茶化すようにしながら肘で小突いてくる。心なしか、箒ちゃんの視線が少し厳しくなった気がした。

 

「と、とにかく、今日から本格始動ってことで。みんな、よろしく」

「任せろ。私でも動く的くらいにはなるぞ」

「機体の整備とか……そういうのは得意だから……」

「全体の指導役は私がやるね!」

 

 基礎はそれなりにできているつもりだ。その知識を補いつつも、模擬戦を想定してヘイムダルを動かしていくのも重要となる。

 具体的に何をどうするのかは見えていなかったが、俺の頼みにみんなは頼もしい限りの返事をしてくれた。きっと、こういう存在を仲間と言うんだろう。

 ……それにしても、聞いた話によると、簪さんは整備に関して豊富な知識と経験を持っているらしい。

 可能ならの話というか、あくまで希望的観測ではあるが、頼んだらヘイムダル展開の際に母さんが悪ふざけでつけた機能を解除してくれないだろうか。

 本当にいくらなんでもアレは酷い。アレだけはない。アレを許してしまっては余計に母さんが調子づく。これまで育ててもらった恩も吹き飛んでしまうぞ。

 

「あれれ~? かんちゃんにお友達がいっぱ~い」

「本音……。地味に傷つく発言は控えてほしい……」

「えへへ~。ごめんごめ~ん」

 

 すぐそこをノロノロと通りがかって足を止めたのは、制服の袖がダルダルで、いわゆる萌え袖というやつになっている女子だった。

 簪さんとのやり取りを見るに知り合いらしく、名前は本音さん? えっと、確かクラスメイトだったような気がする。

 うん、先を歩いていた二人も見覚えがある。自己紹介が途中で止まってしまったから全容は把握し切れていないが、片方は相川さんだったはずだから確定だ。

 ちなみに、ナツは簪さんは知り合いでも本音さんのことは知らないそうな。けど、彼女らしい人を示唆するような発言は難度か聞いたとか。

 二人の縁は時間がある時と言うことで、せっかくなので一緒に食事でもということに。しかし、ひとつだけ問題があるとすれば……。

 

(どうして円形テーブルなんだ……!)

 

 IS学園食堂のテーブルは円形、それすなわち人数が増えるほど両サイドの人物が接近してくるということである。

 さっきまで問題のない距離感だったが、一気に三人も増えてしまえばそれはもう。弾や数馬は羨ましがるだろうけど俺にはきつい。

 特に思うところはない、と言わんばかりにナツと箒ちゃんが詰めてくるから余計に……。おおふ、幼馴染二人の香りを意識してしまう俺が憎い。

 

「こういうの聞かれるの、嫌かも知れないんだけどさー」

「結局、二人ってどういう関係なわけ?」

 

 席に着くなりそう聞かれたわけだけど、てっきり俺とナツの間柄に関しては昨日のうちに説明したもんだと思っていたんだけどな。

 俺たちの関係、ね。まぁ間違っても彼女彼氏だとか、恋人同士でないことだけは確かだ。だが、ひとことで表現するとなると何が適切なんだろう。

 候補を挙げるのなら兄弟、相棒、幼馴染あたりが適切になるんだろうけど、どうにも他人行儀な表現はしたくないという俺なりのこだわりみたいなものがある。

 となると、それら全部をひっくるめた表現であるアレが一番近いのかも知れない。

 ぶっちゃけ俺とナツの関係なんて、隣に居ることが当たり前すぎて深く考えたことなんてなかったが、口に残っていたうどんを飲み込んで、考え付いた答えをそのまま述べておいた。

 

「ひとことで表現するなら、家族……かな」

「え、何その堂々とした俺の嫁宣言」

「意外と大胆だねー」

「「ブッ!?」」

 

 やはり俺としては家族という表現が一番落ち着く。父さんと母さんが保護者代わりになって以来、一緒に居なかった時間の方が短いから。

 けど言葉の受け取り方をどうも誤られたというか、別に俺は配偶者的なつもりで言ったつもりなんてないんですよ。

 思わず回答してからすぐに食べ進め始めたうどんを吹き戻しかけた――――というか、吹かないように耐えたせいで喉奥に一味唐辛子の刺激が走ってしまう。

 そのせいで盛大にむせ返してしまうわけだけど、どうしてナツも俺と同じような状態になっているのだろう?

 不思議に思いつつも、十年一緒に暮らした脊髄反射的なものにより、俺とナツはコップに入った水を差しだし合った。

 

「べっ、別に……ゲホッ! そういうつもりで言ったんじゃないんだ……ゴホッ!」

「え~。そんな息ピッタリなのに?」

「お互いまったく意識してないってことはないでしょ」

「うーん、まぁ、俺は無きにしも非ずだけど。どのみち俺にナツはもったいないからさ」

 

 ナツを彼女ないし恋人ないし伴侶とできた時点で人生勝ち組ルート一直線だろう。贔屓目なしでナツよりいい女は居ないと思うし。

 だからこそ何においても平凡な俺がナツをもらったって持て余すだけだ。そのうちナツを幸せにしてあげられる幸せな男性が現れることだろう。

 という本心からの発言なんだけど、気のせいでなく空気が少し重くなった。というか箒ちゃんの目が怖い。視線で人を殺せるなら俺はとっくにお陀仏だったろう。

 

「おりむー。どうか気をしっかり~」

「大丈夫、ハルのコレは鈍感とかじゃないから。それより、おりむー?」

「織斑だからおりむーってことなんじゃないかな」

「ひむひむの言うとおり~。ちなみに二人合わせてひむりむーだよ~」

 

 なぜだかナツが本音さんに慰められているわけだが、それよりも自分の呼称について気になったのか、話はそちらの方へ流れて行った。

 俺の場合はハルというあだ名があるわけだが、それはナツ専用の呼び方なのでどうにか勘弁――――と思いきや、ひむひむという全く新しい呼び方をされて一瞬困惑してしまう。

 更にはコンビ名も考えたらしく、【む】の文字で俺たちのあだ名が繋がるよう【ひむりむー】という珍妙なものを賜った。

 思わず顔を見合わせる俺たちだが、本音さんの天真爛漫な様子を見ていると何も言えなくなってしまう。そのまま大人しく、ひむりむーを拝命する方針で一致した。

 

「というかさ、いつからの付き合いなの?」

「昔俺が越してきて、それからかな」

「むっ、それは私も初耳だ。てっきり赤ん坊の頃からかと」

「ウチがいろいろ複雑だからね。そのあたりは意識して触れないようにしてたというか」

 

 俺を交えていないときはさほど根掘り葉掘り聞かれなかったのか、食事中はだいたい質問されては回答してを繰り返した。

 なんてやってると、フユ姉さんが食堂に乱入してきてダラダラしてるんじゃないよと全体を一喝。すると食堂は信じられないくらい静かになった。

 それは俺たちの席でも同じく、相川さんと鷹月さんは恐ろしいくらいに静まり返ってしまう。……逆にニコニコしてる本音さんは肝の据わった女性だなと。

 とにかく、楽しい食事ではなくなってしまったことに対して、実の妹であるナツは申し訳なさそうな苦笑いを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日向、専用機の調整はどうだ」

「きょ、今日から本格的に訓練を始めようと思っているので、話はそれからですかね」

「何か異常を感じたら報告するように。模擬戦をしようにも機体がなければ話にならん。それと、アリーナの使用には申請が必要なので覚えておくように」

 

 フユ姉さんのことを質問されたナツが普段の様子を聞かれ、意外とだらしないと答えようとしたその時のことだった。

 本当に虚空から現れたのではと疑いたくなるような、気配の微塵も感じさせずに登場。そのまま流れるような手際でナツの頭を出席簿で叩いた。

 俺が質問されたのはその直後のことで、あまりの切り替えの早さに戦慄したことは絶対に悪くない。顔に出てはいるのだろうが、叩かれないならセーフという認識でいこう。

 

「専用機!?」

「一年生のこの時期に!?」

「……もしかしてだけど、あの玩具が待機形態だったりする?」

 

 ナツとの関係性からして周囲のみんなも俺にそれなりのコネがあるという認識だろうが、まさか専用機持ちとは思わなかったようだ。そしてこの玩具が待機形態とも……。そりゃそうか。

 どのみちアレですよみなさん。ヘイムダルの全貌がトンデモ機体だと知ったらガッカリしますよ。いや本当に。

 それよりも、俺のステータスそのものが高いゆえの専用機持ちと思われているような気がしなくもない。

 それは困った。母さんにもナツにも全てにおいて平均的という、俺にとっては何も珍しくはないお墨付きをいただいているのだが。

 

「安心しましたわ。まさか訓練機で挑んで来るのではないかと思っておりましたものでして」

 

 すかさず俺に話しかけてきたのは、相変わらずお嬢様然としたオルコットさんだ。言葉そのものは挑発なんだろうけども。

 これも困った。生まれてこの方冗談っぽくない、つまり本気の挑発なんてされたことないからどう返していいのやら。

 ご期待に沿えるよう乗ってみてもいいんだけど、こと相手を罵倒する事柄に関してはてんで語彙が浮かばない。

 やはり当たりさわりもない返事しかできそうにもないかな。

 

「あ~……それこそ訓練機じゃハンデをもらう必要があったろうね。アハハ……」

「……向井さん。貴方、闘争心というものを持ち合わせてはいませんの?」

 

 俺が頬を掻きながら適当な返事を返すと、オルコットさんは嫌悪すら孕んだような視線をこちらへと向けた。

 これは単に女尊男卑主義によるものではなく、俺個人が気に入らないということなのだろうか。

 闘争心については間違いなく母さんの腹の中に置いてきたとして、それよりもひとつ聞き逃せないことがあった。

 流石に俺だって、それに愛想笑いを浮かべておくわけにはいかない。

 

「闘争心とかは別にして、たった今キミにひとつだけ言わなきゃならないことができた」

「あら? いいでしょう、言ってごらんなさい」

「あのさ――――え~っと、俺、一応は向井じゃなくて日向なんだけど……」

「「「ズコーッ!」」」

 

 わざとだろうがわざとでなかろうが、名前の呼び間違いについては指摘しておくのがお互いのためというもの。

 怒らせないよう遠慮しがちに指摘をすると、事の顛末を見守っていた女子たちのほとんどが新喜劇よろしくズッコケた。

 タイミングからしてそれしか言うこともないだろうに、教室を包むこのアウェー感はいったいなんなのだろう。

 ナツに箒ちゃん、それにオルコットさんまでもがとてつもなく呆れた表情を浮かべているではないか。

 

「ハル、みんな強気に言い返すのを期待してたんだと思うの」

「えっと、やっぱりそういうの要るのかな。じゃあ、その、と、闘争心は本番で嫌ってほど見せてやるぞー」

「棒読みになるくらいなら止めておいた方がよかったろうな」

 

 ナツにそう言われてズッコケの理由がようやくわかった。いやでも、そんなの俺に期待されたってと言う話ではあるんだが。とにかく、そういうことならポーズだけでもしておこう。

 必死に返しの言葉を捻りだしたまではよかったが、やはり相手を挑発する行為そのものが向いていないらしく、無意識のうちに棒読みになってしまう。

 だけど箒ちゃん、それ言われたらどっちが正解なのって話になっちゃうから勘弁していただきたい。

 

「もうよろしいですわ。貴方のような男性に、そういったことを求めたのが間違いでした」

「はぁ、それは、ご期待に沿えず申し訳――――な゛っ!?」

「貴様ら、いつまでやっとるか。とっとと席に着け」

 

 これが男の時のナツなら盛大な口喧嘩にもなっていたんだろうけど、いかんせん相手が俺である以上はよほどのことでも起きなければ……ねぇ?

 呆れた様子のままオルコットさんは身を翻し、自分の席へと戻って行く。最後の俺の言葉も聞いてはいないようだった。

 それでも一応は期待に沿えず申し訳ないと言い切るつもりでいたのだが、俺の脳天に突如として味わったことのないような衝撃が走る。

 何事かと騒ぐことすら許されないこの強烈な痛み、そしてその際に鳴った豪快な音から推測するに、どうやらフユ姉さんの出席簿が火を噴いたらしい。

 だが被害を被っているのは俺だけでなく、見物するために立っていた女子たちも同罪のようだ。

 痛みをこらえながら様子をうかがってみると、目にも止まらぬ速さで小気味よく女子たちを出席簿で叩いていく。その様は、まるでモグラ叩きを彷彿させる。

 ナツと箒ちゃんは大丈夫かと目を向けると、その時にはすでになにごともなかったかのように着席しているではないか。随分とちゃっかりしている。

 まぁ、俺が悪いんだから責めようって気はないのだが。……ないのだが、もうちょっとくらい何かあってもよかったんじゃないだろうか。

 とにかく、急いで座らなければもう一度出席簿の餌食になってしまう。さて、引き続いてのフユ姉さんの授業、集中して受けるようにしなくては。

 

 

 

 

 




走り込みは大事。古事記にもそう書いてある。
というわけでして、地味に変わり始める晴人でお送りしました。
セシリア戦では割と逞しい姿もお見せできるんではないでしょうか。
そういう感じで、次回、初戦闘と参りましょう。


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第20話 蒼雫円舞曲

VSセシリア前半戦でございます。
多分ですけど前後編、そして後日談くらいの構成になるかと。


 与えられた日数を全力で過ごすことしばらく、ついにクラス代表の座をかけた――――いや、俺自身まったく興味はないんだけど、模擬戦当日とあいなった。

 フユ姉さんが指定した第二アリーナは、男性IS操縦者の試合をひと目ということらしく、席が埋まり切るかのような勢いである。

 流石にここまでの規模は予想していないもので、ピットで準備しながらもつい出撃ハッチの奥の方が気になってしまう。

 

「ハル、お客さんなんて一人だろうが百人だろうが変わらないよ」

「そう……。きっとそのうち慣れる……」

「う、うん、頑張ってみるよ」

 

 緊張は当然のように表に出ていたらしく、ナツは俺の背中を軽く叩きながらそう言う。多分、何人だろうと人は人だと言いたいんだろう。

 簪さんも代表候補生としての経験なのか、気になるのは最初だけだからとアドバイスしてくれた。

 ……確かに、きっと試合になったら観客のことなんか気にしてはいられないだろう。だからこそ、もっと気楽にいかねば。

 

「それよりも、協力してくれて本当にありがとう」

「水臭い……」

「まったくだ。それに礼なら行動で示してほしいところだがな」

「とにかく一生懸命やってくれたらそれでいいよ」

 

 今の俺が六日前の自分と戦ったとするなら、確実に勝つことができるだろう。そう断言できるのは、この三人の協力があればこそ。

 ちゃんとした礼を言っていなかったことを思い出して感謝を口にしてみるも、みんながみんなして大したことではないという認識らしい。

 感謝を口にするのも大事だろうが、箒ちゃんの言うことにも一理ある。オルコットさんに勝って見せてれば、最高の恩返しとなるだろう。

 

「日向くん。流石、時間どおりですね」

「余計なのが数人居るがな」

 

 ピットの奥の方から姿を現したのは、一年一組担任副担任コンビ。その口ぶりからして、出撃の時間が迫っていることを示していた。

 というか、みんな当たり前のように応援に来てくれてたけど、許可の類は取っていなかったのか。

 若干どころか露骨に機嫌が悪そうなフユ姉さんに睨まれ、三人は一気に萎縮したような様子となってしまう。

 だがフユ姉さんがまあいいと呟くと同時に、安心したような溜息をこぼした。ハラハラしながら見守っていたが、どうやら修羅場にはならないらしい。

 

「さて日向、準備は万全か」

「は、はい!」

「よろしい。ならばISを展開せよ」

「あ~……えーっと、はい、展開してきますんで少々お待ちを……」

 

 こちらに近づいてきたフユ姉さんが訪ねてきた準備とは、心とか覚悟とか様々な意味を内包しているように思えた。

 十全とは言えないかも知れないが、まったくもってそういう準備が整っていないわけでもない。なので、せめて威勢だけでもと大きな声で返事をした。

 するとフユ姉さんは満足そうに頷いてからヘイムダルの展開を許可するが、ちょっとした理由があってこの場では無理だ。

 俺はそそくさと少し奥へ隠れようとするも――――

 

「わけのわからんことを言うな。手早く展開しろ。三度目はないぞ」

「あ、あの織斑先生。みんなの前では本当に勘弁してあげてというか」

「いや、いいんだナツ。どのみちいつかやらなきゃならないとは思ってたから」

 

 当たり前だがフユ姉さんにそういうのは通用せず、ISスーツの襟をつかまれて静止させられたかと思えば、ものすごい形相で展開を迫られる。

 ヘイムダルの展開について事情を知るナツは、なんとか離れた場所で展開できるよう交渉しようとしてくれる。

 だが、いくら言ったところでフユ姉さんが折れてくれることはないだろう。

 俺は諦めとヤケクソの感情を大いに抱きながら、覚悟を決めて待機形態のヘイムダルを構えた。さぁおいでませ、社会的死よ。

 

「展開準備開始! セーフティ解除!」

『解除確認。起動準備完了』

 

 という宣言と共にスライドパネルを人差し指で上から下へとなぞる。すると待機形態の刀身が、俺の指に合わせるように七色の光を放つ。

 続けざまに待機形態のトリガースイッチを押し込む。今度は発光が、胎動を思わせるパターンへと変わった。

 

「アーマーアクティブ! ヘイムダァァァァルッ!」

 

 機体名を叫ぶと、目の前で待機形態のヘイムダルをX字に振るう。すると目の前には同じくX字の残光が留まり、それが一気に俺の体へと迫る。

 その残光が俺の胸部へぶつかると同時に、今度は全身を虹色の光が包んだ。

 虹色の光は徐々にヘイムダル型へと形成されていき、完全にISの状態となるのと同時に一気に霧散。これでようやくヘイムダルの展開が完了である。

 

「「「「…………」」」」

「いい……。すごくいいと思う……!」

 

 はい死んだ。俺はもう死んでいる。空気も死んでいる。まるで時が止まったかのようだ。というか、そのなんて言ったらいいかわからないみたいな顔が一番困るんだよ!

 ああああああっ、もう! だからみんなの前で展開するのは嫌だったんだ! 訓練の間はひた隠しにしたのに台無し!

 事情を知ってるナツの辛そうな視線もいたたまれない! 逆に簪さんみたく歓迎されるのも同じぃく!

 ……待機形態が特撮の玩具っぽい見た目となったヘイムダルに対し、母さんが悪ノリした結果がこれである。

 本人はいいことを思いついたとか、せっかくだからというニュアンスで、それこそ特撮の変身シーンっぽいことをしないと展開できないよう改造してしまった。

 流石の俺も母さんが泣くのとか無視して抗議を重ねたが、向こうも大泣きしながらも譲らないからこちらが折れてしまった。

 この状況を見るに、やはり意地でも自分の意思を貫き通しておいた方がよかったのだろう。しかし、すべてはこの言葉に集約される。後悔先に立たずだ。

 

「晴人」

「はい……」

「おばさんには私からきつく言っておこう」

「ぜひお願いします……」

 

 どうやら見なかったことにする方針でいくのか、フユ姉さんは目頭を押さえながらとても有難い提案をしてくれる。

 憐みのあまりに立場も忘れて弟扱いって、これフユ姉さんにしたらかなり珍しいぞ。まぁ、それほど悲惨な事件だったということなのかな。

 有難くもあるが、本当に何も見てない感覚で自然に振る舞うのは女性特有なのだろうか。どこにもわざとらしさを感じないのは単純にすごいと思う。

 

「日向くん、準備ができ次第カタパルトへの移動をお願いします!」

「ああ、はい、すぐにでも――――」

「待ってよハル。忘れてるよ」

「ん? ……そっか、確かにそうだね」

 

 山田先生ですらこのザマか……。などと思いながらカタパルトの方へ近づこうとすると、ナツが片手を差し出しながら俺を呼び止めた。大事なことのある見送りの儀式を忘れているとのこと。

 代表候補生と模擬戦なんて、大事なこと以外のなにものでもない。俺は左腕の装甲を部分的に解除すると、ナツのほうへ手を伸ばした。

 片手がふさがっているような場合は別バージョンが存在し、まずは掌と掌をぶつけ合う。そして往復するように手の甲と甲を。

 それが終われば軽くこぶしを握り、今度は上下にぶつけ合う。そして最後に、正面から拳をぶつけ合うことですべての工程が完了だ。

 

「ハル」

「うん?」

「信じてるから」

 

 信じてるから。

 そう言うナツの笑みは、すべてを浄化するかのように清らかだった。瞬間、胸の奥がざわつくような感覚が過る。

 なんと言えばいいのだろう。ナツが信じてくれているのは当たり前なのに、そのくらい言われなくてもわかっているのに、この子のために頑張りたいと強く思う。

 勝っても負けても、ナツは俺を笑顔で迎えてくれるはず。しかしだ、どうせなら勝って迎えられたい。……俺を信じてくれるナツのためにも。

 

「ナツ」

「ハ、ハル……?」

 

 気づけば俺は、滑らせるようにして指と指とが絡むようナツの手を取っていた。

 とても柔らかい手だ。普段から家事をしていることが信じられないくらい、しなやかで、繊細で、可愛らしい。そして、ほんのりとした温かさが心地よい。

 許されるのなら、ずっとこの手を握りしめていたいような。俺にそう思わせる優しい手。

 

「俺、とにかく頑張るから。たとえ無様でも、ずっと見ていてほしい」

「ハル……。……うん、わかった。約束する」

 

 こんな時なら勝ってくるとか言ってやりたいけれど、それでも俺はまだ強気になることはできない。けど、俺の言葉も半分くらいは正解なんだと思う。

 今まで絵のこと以外で必死になるまで頑張る、ということをして来なかった俺だ。そんな俺を、ナツが一番よく知っている。

 だからナツには、どれだけボロボロになろうとも、どれだけ甚振られようとも、頑張る姿を見せてやりたい。

 俺はこれだけ頑張れるようになったんだっていうのを、ナツに見届けてもらいたいんだ。

 ナツの約束するという言葉を受け、俺は名残足居ながらも手を離し、今度こそカタパルトにヘイムダルの両足を着けた。

 開かれたハッチにガイドラインが表示され、更にカウントダウンがスタート。カウントがゼロになるのと同時に、緑色に光るGOサインが。

 それを合図にスラスターをフル稼働。重量級の機体はゆっくりながら徐々に加速してゆき、勢いそのままアリーナ内へと飛び出た。

 

『ワアアアアアアッ!』

「……すっごいな」

「この程度で萎縮していては話になりませんわよ? ヒ・ム・カ・イ・さん」

 

 気にしないとは言ったものの、俺が飛び出ると同時に歓声が沸いて思わず圧倒されてしまう。まさか生きているうちにこんな人数に歓迎される日が来ようとは。

 そんな俺の素直な呟きを耳にしてか、オルコットさんがわざとらしい声をかけてきた。ついでに言うなら日向を妙に強調しながら。

 それよりも、いい加減俺にその類の言葉は意味をなさないということをわかってもらえないだろうか。こちとら無視するのもなんだしとか考えているんですぞ。

 

「えっと、オルコットさんは慣れてそうだよね。羨ましいよ」

「勿論、注目されるのも貴族の務めですもの。それより、もう一度だけチャンスを差し上げますわ」

 

 注目されるのに慣れてるのはいいことだと思う。俺なんて最近になっていきなり世界規模で注目されてしまうんだから困ったものだ。

 それよりオルコットさんって貴族なの? それはまたすごい新事実というか、貴族の血筋がなんでIS学園にとも思ってしまうな。

 おっと、集中してオルコットさんの言葉に耳を傾けなくては。ちゃんと聞いていないとまた怒鳴られるのが目に見える。して、そのチャンスとやらはいかに。

 

「この場でどうしてもと仰るのなら、今からでも手加減して差し上げます。正直全力は気が乗りませんの」

 

 やはりそういう話かとは思っていたが、俺が考えていたのよりもだいぶニュアンスが違うらしい。

 てっきり俺ごときに全力はエネルギーの無駄だという感じではなく、弱者を甚振るような趣味は持ち合わせていないと言いたいらしい。

 後者も普通ならなんと上から目線なと思うところだが、オルコットさんの貴族という出自を鑑みるのなら頷ける。

 その他のオルコットさんの言動に関してはさておいて、なんというか、高貴な者のする行いじゃないというやつ?

 そんなオルコットさんには申し訳ないが――――

 

「ごめんオルコットさん。こんな俺でも譲れないものくらいはあるんだ」

「……致し方ありません。せいぜい足掻いてみせてくださいませ」

 

 俺の意志が固いと見るや、オルコットさんは溜息をひとつこぼしながら背を向けて反対方向へと漂っていく。

 どうやらハイパーセンサーに表示されている開始位置へと向かっているようだ。俺もこうしちゃいられない。

 すぐさま指示に従い開始位置へ。それから数十秒後と言ったところか、試合開始前のアナウンスがアリーナ内へ鳴り響く。

 そして試合開始のブザーが鳴るまでのカウントダウンが表示される頃には、観客席は恐ろしいくらいに静まり返る。

 その静寂がいくらか俺の緊張を掻き立てるも、取り乱すまではしない。落ち着けと自分に言い聞かし、カウントダウンがゼロになるのを今か今かと待ち構えた。

 

『試合開始』

「喰らいなさい!」

 

 試合開始のブザーが鳴ると同時、いや、素人目からではフライングではと感じるくらいの速度でオルコットさんはライフルらしき銃を展開。これまた瞬時に狙いを定めて速射してきた。

 全貌としてはレーザーライフルのようで、青色の閃光が真っ直ぐ、一直線にこちらへと向かってくる。だがいくら早かろうと、ある意味では関係ない話でもあるんだなこれが。

 オルコットさんが速射による先制攻撃を狙っていたように、こちらも相手の初手がどうであろうとも、ヘイムダルの要である変形機構を使用するつもりでいたのだから。

 

青色の塔盾(タワーシールド)!」

「その重装甲のISに盾ですって……?」

 

 ネーミングというものは、変に凝るよりわかりやすいくらいがちょうどいいと思う。

 青色の塔盾(タワーシールド)と名付けた変形機構の起動と共に、ヘイムダルの右腕からエネルギーシールドが飛び出た。

 けたたましい音が鳴り、それにかなりの衝撃を感じながらも青色の塔盾(タワーシールド)でレーザーを受け止める。

 難なくとまでは言わないが、問題ない程度には防ぐことが可能らしい。もっとも、今のが最大火力なら……の話ではあるが。

 

「ふんっ、どうやら開発者の方はかなり心配性のようですね。ですが、思い通りの持久戦はさせませんわよ」

(マウントが外れた……? ええと、ピックアップして情報を――――)

 

 オルコットさんの専用機の腰にあるスカートのような部分。てっきりスラスターの類と思っていたのだが、マウントが外れて宙へと浮いたのを見るにれっきとした武装のようだ。

 ハイパーセンサーでスキャンをかけると、遠隔操作可能のBT兵器であるブルー・ティアーズというような表記が現れた。

 専用機そのものの名称もブルー・ティアーズであるところを見るに、アレがキモになると考えていいだろう。

 情報をまとめると、最初のライフルも合わせて中・遠距離を想定した射撃型機体……というところだろうか。

 重苦しく俺を見据える五つの銃口を前に俺は今一度青色の塔盾(タワーシールド)を構え直した。

 

「さぁ踊りなさい! わたくしとブルー・ティアーズの奏でる円舞曲(ワルツ)で!」

(くっ、予想通りの攻め手ではあるけど、これは……!)

 

 四基存在するBTはまずこちらへ向けて一斉射撃。それらのレーザーを防いでいる間に二基が俺の背後へと回った。

 前方後方二基ずつ配置での挟み撃ちとは、なんと理にかなった戦法だろう。ならば俺のするべきは、とにかく背を取らせないことのみだ。

 

「レディの誘いを断るとは、男性の風上にもおけませんわね!」

 

 バック走の要領で背中を取らせないことには成功しているが、このままでは対策を講じられるのも時間の問題だ。

 オルコットさんがブリティッシュジョーク調で言った、逃げてばかりでは勝てないというのもまた真理なのだから。

 しかし、この状態から青色の塔盾(タワーシールド)を解除してまで無理に攻めに出るのは悪手だろう。

 だがいくら耐えることがヘイムダルの旨とはいえ、どちらにせよこのままではいずれ限界が訪れてしまうぞ。

 

「フフ、足元がお留守ですわよ」

「なっ……!?」

 

 突然右足に衝撃が走った。言うまでもなくレーザーに撃ち抜かれた衝撃ではあるわけだが、だからこそ混乱してしまう。

 青色の塔盾(タワーシールド)はヘイムダルの巨体をすっぽり覆うことのできるほど大きな盾。完璧にまでとは言わないが、わずかな隙を縫って射撃を直撃させるなんてのは至難の業だ。

 しかも一応でも俺は背を取られないように動いていたんだぞ。だと言うのに、オルコットさんは動く小さな的に見事BT一基の射撃を命中させたのだ。

 

「今度こそ当たっていただきますわ」

(そっちはまずい……! BTよりもっとよくない!)

 

 レーザーを足へ受けた衝撃により、俺は前方にズッコケるようにして体勢を大きく崩した。無論、目そのものはオルコットさんから離してはいない。が、だからこそ待ち受ける困難に焦らずいられないのだ。

 オルコットさんが構えていたのは初手で撃ってきたレーザーライフル。名前はスターライトMk-Ⅲというようだ。

 距離はあるが、先ほどの精密射撃からして外すことは期待しないほうがいい。当たるとすれば絶対防御発動圏外ではあるが、あの高火力レーザーをモロに喰らうのは大きな痛手だ。

 俺は一種の生存本能というやつに駆り立てられたのか、気づけば自分でも予想だにしない手へ打って出ていた。

 

「う……わぁぁぁぁっ! 赤色の丸鋸(サーキュラーソー)!」

(無理にでも反撃に出ることを選びましたか。正しい判断ではありますが――――)

 

 現在ヘイムダルに存在する唯一の攻撃用武装、赤色の丸鋸(サーキュラーソー)青色の塔盾(タワーシールド)が右腕に収納されると瞬時に顔を出し、高い金属音を鳴らしながら高速回転を始めた。

 俺はすぐさま、とにかく必死にオルコットさんめがけてそいつを射出。少しでも精密さを欠いてくれればという淡い期待を抱きながらだ。

 赤色の丸鋸(サーキュラーソー)は問題なくオルコットさんに対し直撃コースで飛んでいくも、それを彼女がよけようとするそぶりを見せないのが気になった。気にはなるが、今は早く体勢を整えなくては。

 俺がそう思いながらヘイムダルの操作を行っていたその時である。

 

「逃しませんわよ!」

「それはちょっと予想外……! ぐううううっ!?」

「ちぃっ……! やはり一瞬があだとなりましたか」

 

 オルコットさんは赤色の丸鋸(サーキュラーソー)をギリギリまで引き付けたかと思えば、側宙で回避行動を行いながらスターライトMk-Ⅲを撃ってくるではないか。

 回避しながらの反撃はまったく想定していなかったわけではないが、こうも綺麗に実演されてしまえばぐうの音も出ない。

 こちらも負けじと回避行動をと言いたいところだが、そんな技量が今あれば苦労はしないよ。単純にヘイムダルが鈍足、というのも大いに関係しているが。

 結果としてレーザーは胸部装甲に直撃。足の時とは比にならない衝撃を感じつつ、俺は大きく後方へと吹っ飛ばされた。

 だがダメージは思ったよりも受けていないらしい。これはヘイムダルの重厚さのおかげかな。まぁ、いいのをもらったのには変わりないわけだが。

 

「……貴方、明らかな劣勢だというのに随分と余裕な表情ですわね」

「よ、余裕? いやいや全然そんなことは――――」

 

 撃ち出してから弧を描いてこちらへ戻ってきた赤色の丸鋸(サーキュラーソー)の鋸部分を右腕と再連結させながら受け止めていると、なんとも怪訝な表情をしたオルコットさんがそう言う。

 しかしだ、俺自身にその自覚は全くなく、むしろこのままではまずいと思っているくらいなんだけれど。余裕、かぁ。

 思わず俺を包むヘイムダルの無機質で冷たい左手装甲で頬を軽く掴んだその時、ふと左手――――俺自身の左手に確かな温かみが残っているのを感じた。

 

「……うん、気持ち的には余裕があるのかも」

 

 本当は今すぐ逃げ出したいくらいだよ。これ以上レーザーで撃たれるのなんてまっぴらごめんだし、ましてや絶対防御発動圏内に攻撃が直撃することなんて想像したくもない。

 けど俺は逃げない。逃げ出さないでいられる。不格好でも、全然勝てる気とかしなくてもオルコットさんに立ち向かえるのは、ナツが見てくれているから。

 ただそれだけかと思うだろうか。多くの人にとってそれだけのことであろうとも、俺にとってはこれ以上安心していられることはない。

 きっと箒ちゃんや簪さんが心配そうにしているところ、一人不自然に平気そうな顔してモニタリングしているんだろう。

 そうだ。それでいいんだよナツ。このくらい俺にとってはなんともないんだよって、そう信じて待ってくれているキミが居るのなら――――

 

(俺も、ただで負けるわけにはいかない!)

『搭乗者の経験値が一定に達しました。仮称識別色・黄(コード・イエロー)をアンロック』

 

 俺が気合を入れ直していると、ハイパーセンサーが新たなる変形機構のアンロックを知らせた。訓練の時はうんともすんとも言わなかったのに。

 試運転ができていないことは完全に痛手だが、現状で二つの手しか持っていないヘイムダルにしては使わないという選択肢はない。

 不安は残るものの、今さっき一矢報いると意気込んだばかりだ。ならば恐れず進め。さすれば自ずと道は拓ける。

 

仮称識別色・黄(コード・イエロー)!」

 

 俺のコールと共に赤色の丸鋸(サーキュラーソー)は右腕内部へと引っ込み、右腕に走るラインが黄色へと変わる。

 そして長い板状のパーツが飛び出したかと思えば、手の甲の方へスライドしながら弓なりに折りたたまれて鎮座した。

 更に中心部分を繋ぐようにワイヤーが連結……って、この見た目はボウガンか何か? 上手く使えるかはわからないが、ようやくちゃんと武器と呼べるようなものが手に入った。

 

(と、とりあえず試し撃ち!)

「ご自慢の盾なしで悠長にしていられるかしら!」

 

 オルコットさんの言うとおり、他の変形機構を同時運用できないというのはヘイムダルの大きな弱点だろう。

 それを見切ってのことか、オルコットさんは手数で攻める手できたらしい。四基のBTは一瞬にして俺を取り囲んだ。

 最大限の回避をしつつ、仮称識別色・黄(コード・イエロー)の使用についてチュートリアルのようなものを確認。レーザーがそこかしこをかすめながらなんだから手早く手早く……。

 ええと、どうやらトリガーを長押しすることで矢の構造が引き絞られるようだ。それに合わせてエネルギーで形成された矢弾の威力も変わるとかなんとか。

 要するにチャージ系の武装で単発式。説明を聞く限り連射は不可能か……。なら一発一発が大事になっていくわけだ。とにかく、打開策になってくれることを祈ろう。

 

「……放置するのはあまりよろしくないようですわね」

 

 オルコットさんがそう呟くのにはわけがある。というのも、俺が引き金を握って力を込めた瞬間、チャージが開始した初動の段階で凄まじいエネルギーの密度だからだ。

 そのエネルギーはまるで雷の槍とも形容できるようで、弓部分が引き絞られていくごとにだんだんとその密度を増していくではないか。

 オルコットさんの警戒が強くなるのを示唆するかのように、BTによる攻撃は更に苛烈を極める。積極的に唯一露出している腹部付近を狙っているようだ。

 これ一発撃つのにかなり削られている。対価に見合うかどうかはわからないが、やはりもうこの一撃に賭けるしかないようだ。

 

(100%チャージ完了……!)

(きますか……。とりあえず回避重点の行動を――――)

「いっけええええええっ!」

「なっ、これは……!? キャアアアア!」

 

 仮称識別色・黄(コード・イエロー)のチャージが完了したのと同時に、右腕をまっすぐ伸ばしてオルコットさんに向けた。

 するとBTによる攻撃の手が止むのを見るに、どうやらオルコットさんはいつでも回避ができる状態をつくるつもりだったようだ。

 だがそれは無意味に終わった。なぜなら、単純に放たれたエネルギーの矢弾が早すぎたからだろう。

 発射と同時に目にも止まらぬ速さで飛び出たかと思えば、BTを一基巻き込みながらオルコットさんの脇腹を大きく掠めてからアリーナのシールドへとぶつかった。

 アリーナのシールドするか貫通してしまうのではと思わせるほどの轟音が鳴り響く。近くの観客には悪いことをしてしまった。

 さて、BT一基を撃墜し、オルコットさんにも掠めただけとは思えないほどのダメージを与えることにも成功した。それは僥倖なんだけれど――――

 

(……どうして俺は墜落しているんだろうか……)

 

 確か仮称識別色・黄(コード・イエロー)の矢弾を撃った瞬間のことだ。右腕にとんでもない反動を受け、右腕が肩関節からすっぽ抜けるんじゃないかって勢いで頭上に振り上げられたんだった。

 それでなくとも大きな右腕がそんな勢いで振り上げられたと言うこともあり、俺は後方に回転。発射の反動も相まって、PICの制御が間に合わなかったということ。

 ……母さん。それでなくとも撃つまでに時間がかかるのに、PICを弄らないと空中では撃てないようなものを造らないでほしい。

 今もどこかで呑気な顔して過ごしている母さんに対し、アリーナの地面に大の字になりながら文句を呟く俺であった……。

 

 

 

 

 




変形機構の解放順ですが、色の三原色である赤青黄からというのは決めていました。
これからこんなふうに随時残りの色も解放されていくのでお楽しみに。
次回VSセシリア、決着。





赤色の丸鋸(サーキュラーソー)
ヘイムダルの右腕である虹色の手甲(ガントレット)に用意されている七つの変形機構のうちの一つ。
近接戦闘用としての運用をメインとしているが、中距離程度の射程ならば射出することも可能。出力によって三段階の大きさに変化させることもできる。
射出した丸鋸はヘイムダルを検知して自動で戻って来る仕様だが、再連結するまでは完全に無防備なので注意が必要。射出中は他の変形が行えないという点についても同上。





青色の塔盾(タワーシールド)
ヘイムダルの右腕である虹色の手甲(ガントレット)に用意されている七つの変形機構のうちの一つ。
ヘイムダルのほぼ全体を包み隠すことのできるほど巨大な盾。
これにより、ただでさえ絶対防御発動圏内が小さいヘイムダルはより堅牢な守りを得る。
ただし、あまりの巨大さにより、前方の視界が塞がれてしまうのでハイパーセンサーとの併用は必須。あまり過信すると背後に回られてしまう可能性あり。
出力により厚さ、大きさをほぼ無制限に変更することができ、恵令奈曰くアリーナのシールドをも凌駕しうるポテンシャルを秘めているとか。




新規兵装である仮称識別色・黄(コード・イエロー)については次回解説します。


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第21話 虹色の手甲

いきなりですがまずは謝罪から。
先週の更新ですが、いつもしている評価してくださった方のご紹介をド忘れしておりました。
なんだかスルーしてしまったのが心苦しくてならないです。
本当に申し訳ありませんでした。本更新で纏めてご紹介させていただきますので。

さて、前回予告したとおりにセシリア戦の決着です。
ヘイムダルの巨大な右腕の秘密も明らかに……?





以下、評価してくださった方々をご紹介!※順不同

アクアランス様 frodo821様 ムリエル・オルタ様

評価していただいてありがとうございました!


「フ、フンっ! BT一基を落とし、わたくしにダメージを与えたことは褒めてあげてもいいですが、墜落とは随分情けないですわね!」

(……母さんへの文句より、勝つために必要なことを考えないとな)

 

 オルコットさんの大声によって現実に引き戻された俺は、よっこいせというふうな速度でゆっくりと立ち上がった。

 彼女の煽りはまったくの事実だから思うところはないとして、ある一点の違和感を解消するために全ての思考を注がなくては。

 といっても、具体的にどのあたりに違和感があるのかもハッキリとはしていない。現段階では、強いて言えばくらいの範囲ではあるけれど……。

 

(なんかこう、BTの扱いが非効率的?)

 

 オルコットさんの意思で自在に操作できるBT四基は確かに脅威だが、もう少しやりようがあるのではというシーンが思い返せば多々ある。

 例を挙げるのならついさっき。俺が仮称識別色・黄(コード・イエロー)の矢弾を発射する直前の動きもそれに当てはまるだろう。

 確かに回避に重きを置くことは必要だったろうが、なぜオルコットさんは回避しながら妨害をして来なかったのだろう。

 要するに、その場で回避行動をしながら腕でも撃ち抜けばそれで終いだ。矢弾はあらぬ方向に激突して、オルコットさんへ損害はなかったはず。

 待てよ、それどころかオルコットさんは確かに一瞬だけ足を止めたよな? それと同時に、同じくBTもピタリと動きを止め――――

 

(――――しなかったんじゃなくて、できなかったんだとしたら!)

 

 そう、そうだ。違和感の正体はこれに違いない。オルコットさんは、これまで自身の行動とBTの操作を同時に行うことはなかった。

 特にひらめかなかったのは彼女が巧みに隠していたのだろうが、もし俺の仮定が正しいのならできないだけの話だったんだ。

 BTで取り囲みつつ、自分は動いてスターライトMk-Ⅲでの射撃とかをしてこないのもそれが理由だったらしい。

 オルコットさんかBTか、どちらかひとつの行動しか不可能というこの事実。逆転への一手になるかも知れないぞ。

 

「名称指定変更……」

『名称指定変更承認。キー入力、または音声で出力を願います』

「くっ、これ以上はやらせませんわ!」

 

 最大チャージを空中で撃つことができないのならば、逆を言うなら地上では撃てるということだ。

 俺は低空飛行、というかほとんど地面ぎりぎりを飛行するようなかたちをとりながら、仮称識別色・黄(コード・イエロー)の発射準備にとりかかった。

 それを見たオルコットさんはBTを仕向けてくるが、オルコットさん自身を警戒しなくていいとわかっただけに気分は楽だ。

 もちろん完璧に避けるなんて今の俺には無理のある話で、各所にレーザーを掠らせ、または直撃させながらにはなっている。

 けど今は我慢の時だ。これを試して上手くいきさえすれば、とりあえずBTの問題だけはどうにかなるのだから。

 ……よし、100%チャージ完了。後はコイツをオルコットさんへ向け――――発射!

 

黄色の弩砲(バリスタ)!」

「同じ手を二度も――――」

赤色の丸鋸(サーキュラーソー)!」

「なっ……!?」

 

 黄色の弩砲(バリスタ)のエネルギー矢弾が凄まじい速度でオルコットさんめがけて飛んでいくが、いくら早くても所詮は直線運動だ。緊急的横移動で回避されてしまう。

 が、そもそも矢弾を当てることが目的ではなく、オルコットさんに回避行動をとらせることこそが重要なのだ。

 自分かBTかどちらか一方しか動かせないなら話は早い。どちらかを動かしている時は、どちらかが隙だらけということになる。

 だからこそ矢弾を撃った次の瞬間には右腕を赤色の丸鋸(サーキュラーソー)に変形。エネルギーで形成されたノコを今度はBTへ向けて射出した。

 するとBTはまったく動くことなくノコは直撃。高速回転するエネルギーの刃により削り切られ、水平に真っ二つとなって爆散した。

 やはりこの戦法は通じるらしいという確信を胸に、俺は返ってきたノコを赤色の丸鋸(サーキュラーソー)で受け止めつつ再連結させた。

 

「まさか見破られてしまうなんて……!」

(けっこう動揺してるな。このまま攻めきれないだろうか)

「これが知れたのなら仕方ありませんわ。もはや形振り構いません!」

「うわっ!? ほ、ホントに形振り構わないって感じだな……!」

 

 自身の弱点を見抜かれたなら焦りもするだろう。しかも圧倒的格下に看破されたんだから悔しくもあるはず。

 その心の隙を狙ってなんとかこのまま一転攻勢をと思ったのだが、そうさせてくれるほど代表候補生というのは甘くないらしい。

 オルコットさんは地上と空中とで俺との距離が離れているのをいいことに、完全に足を止めて射撃を開始した。

 しかもスターライトMk-ⅢとBT二基を使ってだ。止まったうえで緩急さえつければほとんど同時射撃とかわらないことができるようだ。

 しかし、弱点を試すために地上へ降りたのがあだとなってしまった。この弾雨で黄色の弩砲(バリスタ)は撃てない。かといって赤色の丸鋸(サーキュラーソー)も撃ち落されるのが関の山。

 

青色の塔盾(タワーシールド)!」

 

 今の俺にできることと言えば、右腕を青色の塔盾(タワーシールド)に変形させ、弾雨をしのぎながら考える時間をつくることだった。

 だが現状、ヘイムダルの武装の少なさではどうしてもやれることに限度がある。それに、防御力にかまけてレーザーに当たり過ぎ、エネルギーがほとんど残っていないというのも問題だ。

 ……打開策なんて立派なものではないけど、オルコットさんそのものを倒せるかも知れない手はある。というか、今しがたようやくその用意が整った。

 しかし、それは絶対なんて言えるものではなく、むしろ失敗する可能性のほうが大きい。俺にとっても大きな賭けになるだろう。

 

(ナツ……)

 

 こういう迷いが生まれたときは、ナツのことだけ考えていればそれでいい。ナツならどうする? ナツなら俺にどう言ってくれる? ってさ。

 そしたら答えは単純明快、ナツは秒で行って来いと俺の背中を押してくれることだろう。本当、ナツは単純なんだから。

 ああ、わかったよナツ。キミがそう言うなら、キミがそう言ってくれるのなら俺はもう迷わない。怖くなんかない。むしろ勇気が湧いてくるくらいだ。

 俺は未だナツの温かみが残る左手を握り締めてから、覚悟を決めて最後になるであろう賭けに出た。

 

(とりあえず何も考えずに接近!)

(これまでの知性を感じさせる動きとはまるで……? しかし、もはや彼は風前の灯!)

 

 青色の塔盾(タワーシールド)を構えてオルコットさんめがけて突っ込む。てっきり逃げの姿勢に入るかと思ったが、足を止めて乱射を続けたままだ。

 いくら盾で防いでるからといって僅かにダメージは入るんだ。このまま削り切るほうの選択肢を取ったんだろう。

 俺としてもヘイムダル最後の隠しダネを使う前にエネルギー切れになるかどうかの瀬戸際だ。この点についてはオルコットさんにある意味感謝しなくてはならないだろう。後は母さんに習ったとおりに――――だ。

 射程圏内、いや、ヘイムダルの切り札が最も効果をなす距離まで入ると同時に、俺は自身を守る青色の塔盾(タワーシールド)を解除。

 なんの変形機構も使用していない状態になったヘイムダルを、オルコットさんは一瞬だけ驚きの眼差しで眺めた。

 しかし、すぐさま凛々しい顔つきに戻って冷静に射撃を繰り返す。それらのレーザーはヘイムダル各所に直撃。当たった個所に白煙を上げさせた。

 俺はこのタイミングで、ガッチリと拳を握りしめる。

 

(拳を固めろ――――)

(いったいどういうつもりなんですの、この方は!?)

(腕を振り上げ――――)

(ええい、こちらでとどめにしてさしあげます!)

(相手を見据えたのなら――――)

「残念でしたわね、BTは四基ではなくてよ!」

(思いきり腹から、こう叫べ!)

 

 思い出されるのはヘイムダルと初めて出会ったあの日のことだった。切り札が決まるかどうかの刹那、思い出が浮かんでくるのは走馬灯に似たものなのだろうか。

 自分でも笑ってしまうよ。オルコットさんもブルー・ティアーズの隠しダネであろうミサイルBT? みたいなものを使ってきているというのに。

 しかし、少なくとも切り札はミサイルで止めることはできない。そう確信めいた考えを浮かべながら、俺は母さんに習った最後の手順をこなした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「晴人くん。さっきは七段変形って言ったけど、ヘイムダルにはもう一つ切り札になる変形機構が用意されているの」

「切り札……。そ、それっていったい……」

「ふふん、それはね――――虹色の手甲(ガントレット)よ」

「え? 虹色の手甲(ガントレット)って、さっきこの右腕の名前だって言ってなかったっけ」

 

 もったいぶるような口ぶりのくせして、さっき聞いた名と同じ名称を聞かされて疑問符を浮かべるばかり。

 確かに母さんはこの右腕を虹色の手甲(ガントレット)と呼んだし、それは変形していない状態を指すということなんじゃないだろうか。

 俺が素朴な疑問をぶつけると、母さんは未だもったいぶるような態度で解説を始めた。妙に得意げなのが鼻につくが、俺は母さんの言葉に耳を傾ける。

 

「ヘイムダルのエネルギー表示の隣に、溜まりかけのゲージが見えるでしょう」

「……あ、ホントだ。え~っと、ナツ、読める?」

「ビ、ビ、ビ……あっ、もしかしてビフレストじゃないですか?」

「一夏ちゃん、冴えてるわね。そう、ビフレスト。虹色の手甲(ガントレット)に蓄積するとあるエネルギーをそう名付けたの」

 

 ハイパーセンサーにはヘイムダルのエネルギーが表示されている隣に、BIFROSTと書かれたほとんど空のゲージが存在した。

 ビフレストもさっき聞いた話で出てきたのを覚えている。確かヘイムダルの関わる北欧神話における、神の国と地上とを繋ぐ虹の橋の名前。

 ヘイムダルと虹とは密接に関係しているのはわかった。謎のエネルギーに対してビフレストと名付ける理由もだ。

 で、結局のところこの謎エネルギーの正体はなんなのだろうか? そう首を傾げていると、母さんはナツに意味不明な頼みをし始めた。

 

「というわけで。一夏ちゃん、仮称識別色・青(コード・ブルー)を攻撃してみて」

「どういうわけ!?」

「えーっと、ハル、加減はするからちゃんと構えててね」

 

 いきなり何かと思えば攻撃される必要があるんだとか。ちゃんと説明を受けていないこともあってか、なんだか納得いかない。

 ナツも意味はよく分かっていないようだが、指示に従わないことには話が前に進まないことをよくわかっているらしい。

 俺もそのこと自体はナツ以上にわかっている。それだけに、観念しながらナツの方向に仮称識別色・青(コード・ブルー)を構えた。

 するとナツは、手元に日本刀を思わせる流線形をした物理ブレードを展開した。……あれ、なんかどこかで見たことあるような刀だな。

 

「せぇい!」

「っ~~~~!」

 

 ナツは袈裟斬りと呼ばれる、斜め上から下に振り下ろすような太刀筋での攻撃をしかけてきた。

 仮称識別色・青(コード・ブルー)は問題なくそれを受け止めてくれるが、加減した威力と思えないのはなぜだろう。

 ナツに本気でやられた場合を考えるとゾッとするというか、模擬戦なんかをする時には覚悟しておこう。

 さて、この一連の作業にいったいなんの意味があったと言うのだろう。

 母さんの指示に従った俺たちは、そう仕向けた張本人に視線を向けた。

 

「はい晴人くん、もう一回ビフレストゲージを確認して」

「……さっきよりも少し、ほんの少しだけ増えてる?」

「そのとおり! ビフレストの正体はね、変形機構に使用された余剰エネルギーなの」

 

 本当に変化がわからないくらいではあるが、ゲージに溜まっているビフレストの量が増えた。母さんのリアクションからして、気のせいではないようだ。

 そして語られるビフレストの正体。それは、ずばり余剰エネルギーらしい。つまり、どうしても無駄が出てしまう部分をストックできるということなのだろうか。

 それはとてもエコであると思うけど、余剰エネルギーを溜めておいてどうするんだろう。ある程度はヘイムダルそのもののエネルギーに還元できるとか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この時はそんなぬるいことを思ったけど、切り札と呼ぶにはエネルギー還元ではあまりにも弱い。そう呼ぶのなら攻撃的要素に用いられてこそだ。

 切り札、言い換えるのなら必殺技とも称すことのできる虹色の手甲(ガントレット)とは、ヘイムダルの右腕がこうも大きいことが関係していた。

 

虹色の手甲(ガントレット)ォォォォオオオオッッッッ!」

 

 俺の叫びを発動キーとして、右腕装甲全てが半分パージされたような状態で浮く。そしてそこから飛び出してきたのは、それはそれは大きなブースター機構だった。

 ブースターは爆発するような勢いでため込んだ余剰エネルギーであるビフレストを一気に放出。虹色の光が放たれ、ヘイムダルにグンと大きな加速をつける。

 

瞬時加速(イグニッション・ブースト)の比では……!? 回避――――間に合わ――――)

「でぇやぁああああああっ!」

「っっっっ……! カフッ!?」

 

 爆発的加速に後押しされた右腕はいとも簡単にミサイルを突き破り、いきなりのことに動揺していたオルコットさんまで届いた。

 巨大な拳はオルコットさんの身体を軽くカバーできる範囲であり、激突の衝撃により息を漏らすような声が俺の耳には届いた。

 そう、虹色の手甲(ガントレット)の正体とは、爆発的超加速及びヘイムダルの右腕の大きさを利用し、対戦相手をぶん殴るという必殺技のようなもの。

 虹色の手甲(ガントレット)には絶対防御の発動による削りと、操縦者本人を気絶させるという狙いがある。どちらかひとつを満たせば勝利であり、ある意味では勝ちにこだわった機体ということだ。

 女性を殴っているという現状に思うところはあれど、これは勝負事だ。手加減というのは失礼に値すると思われる。

 俺はオルコットさんと接触している拳をグンと押し出し、そのままアリーナのシールドまで殴り飛ばした。

 

「これで……どうだああああっ!」

「キャアアアア! あうっ……!」

 

 すさまじい勢いで殴り飛ばされたオルコットさんは、乱回転しながらアリーナのシールドへ衝突した。

 しかし、俺の予想に反して気絶してくれる様子はない。ましてやブルー・ティアーズのエネルギーを削り切ったということもなさそうだ。

 これで決まりという確固たるものがあったせいか、俺は一瞬にしてパニックに陥ってしまった。なぜだ、どうしてだ、どうして彼女にとどめをさせていない。

 ミサイルにぶつかったせいで思ったよりも勢いが弱まったのか? いや、そんなことを考えている暇があるのなら攻撃を仕掛けろよ。

 数瞬遅れてからようやくその判断を下せた俺は、右腕を黄色の弩砲(バリスタ)に変形させようと口を開きかけた。そう、開きかけたんだ。

 

「……ブルー……」

(なっ、あんな状態からでも操作を……! だとしたらまず――――)

「ティアアアアズ!」

「グッ!? あっ……!」

 

 やはりそれなりに効いてはいるらしく、オルコットさんはフラフラとブルー・ティアーズの体勢を整えている。

 だが、その際に呟いた言葉を俺は聞き逃がさなかった。それが何を意味するか理解しているせいで、黄色の弩砲(バリスタ)を展開している暇ではないことを悟る。

 しかし時すでに遅し。恥も外聞もかなぐりすてて叫んだオルコットさんは、俺の近くにたたずんでいたBTを操作して射撃を繰り出す。

 吹き飛ばされる直前、ないし最中のオルコットさんにBTを操作する余裕なんてなかったろう。BTはオルコットさんを自動で追従するわけではない。だからこそ俺の近くにたたずんでいたんだ。

 パニックになってしまった俺は存在そのものが抜け落ちてしまい、マヌケにも近くで棒立ちという失態をやらかしてしまったんだ。

 そして二基のBTから放たれたレーザーは、ヘイムダルでもわずかに露出している部分である腰へと命中。

 もとからかなり削られている状態であったせいか、これが決定打となったらしい。つまり――――

 

『試合終了 勝者 セシリア・オルコット』

 

 俺の敗北が告げられた瞬間となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「晴人、惜しかったな。だが、まさかあそこまで追い込むとは思わなかったぞ」

「う~ん、まぁ、虹色の手甲(ガントレット)は初見殺しの要素も大きいからね」

「ISに殴られるの……かなり予想外だったと思う……。でも――――」

 

 試合が終わってピットへ戻ってみると、俺の負けをあまり気にした様子もなく二人が出迎えてくれた。一歩引いているナツにチラッと視線を向けてみるも、こちらによって来るようなことはない。

 そのことをなんとなく寂しく感じつつ、ヘイムダルを待機形態に戻してホルスターへとしまう。すると、簪さんから早速最後の棒立ちがいただけないとお叱りを受けてしまった。

 あれさえなければ勝っていたかも知れないし、そう言いたくもなるか。う~ん、自分で言ったとおりに初見殺し的要素はあったとして、勝てない試合ではなかったかもなぁ。

 

「どけお前たち」

「織斑せんせ――――あだぁ!」

「今すぐ席を外せ。山田先生もどうか」

 

 そのままささやかな反省会が開かれそうになっていたところ、二人の間を割って入るかのようにしてフユ姉さんが。

 そのままなんの用事か確認する間もなく出席簿で叩かれてしまい、俺は頭をおさえながら沢山のクエスチョンマークを並べた。

 しかもなんか説教になる流れなのか、フユ姉さんはこの場に居る俺以外に席を外すようお願い――――と言うより、雰囲気としてはそういう命令を下した。

 そんなフユ姉さんに逆らうわけにはいかないのか、箒ちゃんたちは一瞥もくれずにピットから出て行ってしまう。山田先生は……かわいそうなくらいにビビりながら、かな。

 さて、そしたら俺も姿勢を正すとしよう。とりあえず何かしら反省しなくてはならないみたいだから、正座とかしたほうがいいのかな。

 

「なぜ叩かれたかわかるか」

「いえ、わからないです」

 

 断っておくが、フユ姉さんは負けたからって怒るほど理不尽な人ではない。負けてヘラヘラしたりとか、逆に思い詰め過ぎていたらその限りではないだろうが。

 けど、さっきの俺はそのどちらにも該当しないはずだ。確かに詰めが甘いゆえの敗北ではあるが、それだけなら手までは出ないはず。

 わからないのに去勢を張ってもフユ姉さんの機嫌を損ねるだけだ。それを理解している俺は、素直にわからないと答えた。

 

「ならば聞こう。最後の一撃、なぜ手加減をした?」

「え……?」

 

 最後の一撃というのは、間違いなく虹色の手甲(ガントレット)のことだろう。だからこそわからない。俺は間違いなく本気で撃ったはずだ。

 どう返したものだろうか。そんなことはありません、本気でやりました。……なんて言っても、フユ姉さんの質問の意図とは関係ない気がする。

 困った果てに俺がオロオロとしていると、フユ姉さんは眉をひそめるようにしてこちらを見据えた。

 

「なるほどな、完全なる無意識か。お前の拳がオルコットに当たる寸前、機体を押し出していた虹色の光が一瞬だが乱れたぞ。こうならねば、あれでフィニッシュだったろうな」

「…………!?」

 

 そんなことあるはずがない。そう反論したかったが、フユ姉さんが映し出したリプレイ映像では確かにビフレストの放出が乱れている。

 その時俺の頭に浮かんだのは、俺に殴られる寸前のオルコットさんの表情だった。あの、殴られると悟ったような顔……。

 なんでだ。さっきまで平気だったというのに、息が乱れて脂汗が滲んでくる。もしかして俺は、今更女性を殴ったことに罪悪感を抱いているというのか。

 

「そのうえで、なぜ叩かれたかもう一度考えてみろ」

「……これがもし、試合でなかったら……」

「そうだ。もし試合でなく実戦だったのなら、今頃お前はどうなっていることか」

 

 フユ姉さんはなんだかんだ甘いところがあると言ったが、どうやら俺を想ってこんなことを言ってくれているらしい。

 俺がISを渡された理由は、ある程度の自衛の手段を得るため。そして、現実にISを用いたテロ組織等が存在すると言う事実。それはオルコットさんのような対戦相手とは違い――――敵だ。

 そして、その敵とは前提条件として女性となる。つまりフユ姉さんが言いたいのは、実戦で女性を全力で殴れるかどうか、ということなのだろう。

 

「…………はぁ……。晴人」

「は、はい」

「私はな、お前のそういう心優しいところを誇りに思うよ。だがな、もう少しくらい自分に優しくしてもいいんだぞ。まぁ、今回の場合は優しさとは言わんかも知れんが」

「けどそれなら……!」

「言うな、言わないでくれ。わかっているんだよ、晴人が自分の無事より相手の安否を選ぶことくらいはな」

 

 学内だというのに俺の名を出した。ということは、姉の言葉として聞いてほしいのだろうか。

 フユ姉さんの言葉は、どこかの誰か知らない敵より、個人的に俺が無事でいてくれるのが一番だと言っているかのようだった。

 いや、実際言っているのだろう。俺はフユ姉さんの不器用な優しさは理解しているつもりだから。

 

「晴人、自衛に限った話なら相手を傷つけることを躊躇うな。試合でそれができんのなら、実戦でもお前はそうするぞ。要するにあれだ、とっとと慣れてしまえ」

「…………」

「ただし、その優しさを捨てろと言っているわけではない。……わかるな? いや、頼むからわかってくれ――――弟よ」

「っ! は……い……」

 

 あのフユ姉さんが、俺の心優しいところを誇りと言ってくれた。こういうので容赦をするのとかは、そもそも優しいとかそうじゃないとかいう次元の話でもないのだろう。

 だがそういう前提でこの話を始めたのなら、フユ姉さんは本気で俺のことを心配してくれてるんだ。俺に傷ついてほしくないって、そう思ってくれているんだ。

 そしてとどめに弟よという言葉までもらっては、俺は返事をしないわけにはいかなかった。ああ、なんてずるい人なんだろうか。

 でもやっぱり、気持ちの整理はまだつかない。実戦なんてあるかないかわからないのに、とか思っているわけではないが、この議題は……もう少し考える時間が欲しいな。

 

「……一応でもわかったのなら、今日はもう帰ってゆっくり休め」

「……はい、そうします。あの、ありがとうございました」

 

 伝えたいことは伝えたのか、フユ姉さんはすぐ背を向けて歩き出してしまった。

 どうあれ気遣ってくれたことに変わりはないので、俺は去り行く背中に礼を言いながら深々と頭を下げた。

 頭を上げることにはフユ姉さんの姿はもうなく、ピット内は完全に俺一人になってしまう。……これ以上ここに留まる意味もなさそうだ。

 ……とりあえずフユ姉さんの言ってくれたとおりに帰って休もう。今日はなんだかいろんな意味で疲れたな。

 誰も居ない中溜息ひとつ。それから俺はロッカールームへと向かうのであった。

 

 

 

 

 




まず初戦は落としましたが、現状の晴人はこんなもんです。
といっても明確な成長が見られるのは学年別トーナメント編ほどからですかね……?
晴人の成長は一夏ちゃんとの心の距離と完全に比例するので、私としてはその過程を楽しんでいただきたいところであります。





黄色の弩砲(バリスタ)
ヘイムダルの右腕である虹色の手甲(ガントレット)に用意されている七つの変形機構のうちの一つ。
巨大な右腕そのものを砲身とし、超強力なエネルギー矢弾を放つその姿は、ボウガンでなくまさしくバリスタと呼ぶにふさわしい。
ただし、あまりに威力が高いため、現状の晴人では100%チャージを空中で撃つことは不可能。
もし100%チャージで撃ちたいのであれば、撃つ瞬間のみPICの数値を変更する必要がある。





【ビフレスト】
各変形機構に利用されるエネルギーを使用した際、余剰となるエネルギーの総称。
元ネタは北欧神話におけるヘイムダルの守る虹の橋とされるビフレストから。
ヘイムダルは元から備わった機能により、このビフレストを一定量右腕に蓄積することが可能。
当然ながら許容量は存在し、過度に上限を超えてしまうとオーバーフローし自爆の原因に繋がる。





虹色の手甲(ガントレット)(技名)】
ヘイムダルに用意された最大の切り札にして逆転の一手。
虹色の手甲(ガントレット)に蓄積したビフレストを一気に解放、放出することで爆発的な超加速を得つつ相手をぶん殴る技。
溜めたビフレストは発動と同時に0まで消費されるため連発は不可。どころか一試合に一度が限度といったところだろう。
しかし、最大チャージでなくともかなりの威力を誇るため、どんな状況からでも一発逆転を狙うこともできるかも知れない。
ちなみに最大チャージでの虹色の手甲(ガントレット)は、高機動型の機体が行う瞬時加速(イグニッション・ブースト)よりも速度が出る。




次回はロッカールームの晴人と一夏ちゃんからお送りします。


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第22話 ハルの右手は

私的な話ですが、ちょっと立て込んでるので金曜日の更新になります。
気づかれず読んでいただけない、みたいなことがなければいいんですが。
さて、今回は対セシリア戦を終えての話になります。
どうか晴人の心理描写にご注目を。





以下、評価してくださった方々をご紹介!※順不同

アマナットー様

評価していただいてありがとうございました!



(……こんなもんで大丈夫かな)

 

 ロッカールーム内に併設してあるシャワールームで汗を流した俺は、着替えを済ませて制服姿へと戻った。

 ネクタイは後でナツにやってもらうとして、他に阻喪がないかきちんと確認だけはしておかないとな。普通に汗臭いとかだけでもこの学校では死を招くぞ。

 得てして人間自らの発する匂いというのは感知しにくいものだが、一応そこかしこをクンクンとかいでみる。

 男子的主観では問題ないが、女子的主観ではどう感じられるのやら。最低限のマナーとして、清涼剤くらいロッカーに突っ込んでおくべきだった。

 

(それにしても……)

 

 うーむ、考えれば考えるほど惜しい試合だった。ブルー・ティアーズとヘイムダルは割と相性がいいようだし、そのおかげだろうか。

 試合の最中とはいえ、新たな変形機構が解放されたのも大きいのかも。欠点は多々ありながら、相手に大きなダメージを与えうる性能でよかった。

 しかし、この調子なら他の変形機構も何かしらピーキーな要素を持っていることを覚悟しておいたほうがよいだろう。

 どういうのを用意してあるのかくらい教えてくれてもいいのに、それじゃ面白くないからって母さんは口をつむぐばかりだから。

 何が出てくるかわからないビックリ箱を右腕に抱えているようなもので、せめて普通の練習中とかに解放されるのを願うばかりだ。

 後は、フユ姉さんに指摘されたとおりのことに気を付けさえすればいい。そうだよ、女の子を殴るって言ってもISなんだし、別に俺がそこまで思い詰めるようなことでも――――

 

(思い詰めるような……ことでも……)

 

 だってよく考えたらお互い様じゃないか。オルコットさんとの模擬戦に例えるのなら、俺はとんでもない数のレーザーで攻撃されたんだぞ。

 ISに乗る限りこれから先もっと銃で撃たれたり、剣で斬られたりするんだぞ。その反撃として、殴り飛ばすようなことがあったって悪くはないだろ。

 そう頭ではわかっているつもりなのに、またオルコットさんの恐怖に歪む顔がフラッシュバックするのはなぜなんだろう。

 

(……おい、待て待て待て、いくらなんでもそれはおかしいだろ!)

 

 人の怖がる姿を申し訳なく思い、罪悪感を抱くくらいならまだいい。だが、右腕が震えて止まらないというのは流石にないだろう。

 だって俺は加害者だ。殴られたオルコットさんが被害者であるというのに、どうして俺に震えるような権利があるというのか。

 俺は何を被害者面して、いったい何を恐れているというんだ。生まれて初めて人を殴ったこと? それもよりによって女の子を殴ったから? それとも怖がるオルコットさんへの罪悪感に押しつぶされそうなのか。あるいはそれら全てか……。

 

「ダメだろ……」

 

 理由なんか肝心じゃない。ダメだ。とにかくダメなんだ。それら全ては、殴った俺に考えていい権利はないんだ。

 

「ダメなんだ……」

 

 ダメだ。慣れないとダメなんだ。せっかくフユ姉さんが心配してくれたろ。もし今のが実戦だったら、俺はここに立ってすらないんだぞ。

 死ぬのと怖いのどっちがいい? それは俺だって後者がマシだって即答するさ。なのにどうして俺は、こんなにも――――

 

「ダメなやつ……なんだよ……!」

 

 本当に自分の性格が自分でも腹立たしい。偽善者ぶりやがって、そんなにも自分が可愛いのか。

 俺の苛立ちは珍しくも代償行為として現れ、震える右手を鎮めるがごとく思いきりロッカーを殴った。

 ガシャンと大きな音を立て、ジンジンと右手に鈍い痛みが走るも、それでも震えが止まるような気配はない。

 

「ダメなやつなんかじゃないよ」

「ナ、ナツ……!?」

 

 震える右手を息を乱しながら恨めしそうに眺めていると、ロッカールームにナツが入ってきた。

 いったいどこから見聞きしていたのか、まるで俺の呟きを否定するかのような言葉と共に現れたせいか、マナー違反とかそういうツッコミはどこかへ吹き飛んでしまう。

 ナツは俺を咎めるような、それでいて悲しいことでもあったかのような複雑な表情をしてこちらへ近づいてくる。

 俺は逃げたい衝動に駆られながらも、固唾をのんでただ近づいてくるナツを見守った。

 

「ハルは、ダメなやつなんかじゃない」

「……そんなことない。そんなことないんだよ。俺は、キミが思ってるほど強くはないんだ」

「うん、知ってる。ハルは普通だよ。どこまでも、どこにでも居そうな普通のやつ」

 

 ナツは俺の目を真っ直ぐな視線で射貫ようにして、私の中では確固たる考えだと主張して言い切った。

 ナツは慰めなんかでなく、本当に心からそう思ってくれているだろう。しかし、それは買いかぶりというやつだ。

 いくらナツがそう思ってくれていようが、そこに関して肯定的意見は言えたものではない。

 けどナツが俺に伝えたいのはそういうことではないらしく、普通なやつだと飽きるほど言われてきた評価をくだされる。

 先ほどまで思い詰めていたと言うのに、俺はとてもマヌケな顔をしながら話の続きを待ち受けた。

 

「人を殴っておいて、悪いことをしたとか、怖いとか思うのって普通のことだと思う」

「普通……? ……普通、なのかな」

「うん。いきなり戦うような環境に放り込まれたんだからそれで普通だよ。マンガやアニメの主人公じゃあるまいし」

 

 当たり前なんていうのは人によって異なるだろうが、IS業界においては戦闘をするということは当たり前に属するのだろう。

 しかし、つい一か月前くらいまではありふれた一般市民であった俺には遠い話だ。だから別に俺は普通な俺のままだって、ナツはそう言いたいのかも。

 けど違うんだ。何も特別になりたかったわけじゃないが、少しくらい変わりたいって思うようになった。だから俺は多分、悔しいのかも。

 いや、少しは変われると信じていた。そう思い込んでいた。なのに結果としては相手を傷つけることを恐れてしまう。そんな俺が、情けなくて、嫌いなままなんだ。

 

「それにねハル。私はこう思うんだ」

「ナツ?」

「ハルの右手は、どこかの知らない誰かを感動させるためにあるんだって、心からそう思う。それって、すごく素敵なことじゃない」

 

 ナツは俺の右手を両手で包み、慈しむかのような表情でそんな言葉を送ってくれた。それを聞いて、まるで目が覚めるかのような気分だ。

 ダメなやつかどうかという議題からはだいぶズレがある。しかし、もはやそんなことどうでもいいと思えるくらいには嬉しかった。

 ナツが言っているのはもちろんだが絵のことで、俺の右手はそのために、絵を描くためにあるのだと……そう言ってくれたんだ。

 俺の右手は誰かを感動させるために。そんなこと考えたことすらなかった。そうか、俺の右手は、人を傷つけること以外にも使えるんだよな。

 

「……ナツ」

「んっ……。ハルの手は温かいね」

「ナツの頬も温かいよ」

「そうかな? それなら嬉しいな」

 

 俺自身もこの行動になんの意図があったかいまいちわからない。ただ気づけば、右手でナツの頬に手を添えていたという事実だけが残ったかのようだ。

 ナツは嫌がるような仕草は見せず、むしろとても愛おしいかのように、自分の頬に添えられている俺の手を握った。

 なんだかくすぐったそうだったり、俺の体温を確かめるような動きだったり、一挙一動に注目してしまう。

 そして、とても心が安らぐ。ナツの温もりは、この上ない癒しを俺に提供してくれる。この掌にナツの頬の感触や温度を、永遠に宿しておくことができたのなら。そう思うくらいには。

 

「「…………」」

 

 それからしばらく俺たちは無言だった。時折互いの頬と掌を確かめるように、撫でてみたり頬ずりしてみたりはあった。

 が、俺たちはあくまで息を漏らすような、クスッとしたような笑みをこぼすばかり。そう、なんというか、わかっていたんだと思う。互いに、この場で言葉を発するのは野暮なんだって。

 心臓が跳ねて顔に熱が溜まるが、すぐ手を離すのはあまりにも惜しい気がしたから。まぁ、少なくとも俺はそう。

 だから、何か余計なことを言ってはナツが離れてしまうかもって。そう思ったら、自然と無言の体勢が出来上がったんだと思う。

 

「ナツ」

「うん?」

「ありがとう。俺を普通のやつだって言ってくれて、ありがとう」

「ううん、私は思ったことを言っただけだよ。だって普通なんだもん」

 

 けどいつまでもこうしてるわけにはいかない。……というのは建前かも知れない。無意識に恥ずかしさが勝ったのか、気づけば俺は感謝を述べていた。

 やはり自然に手は定位置へと戻り、ナツも数歩だけ後ろに下がる。やっぱりさっきまでは無言でいることが正解だったか。

 そしてナツは俺の感謝を大したことはしていないというふうに受け取り、最後に冗談の範囲で悪意を込め、普通のやつだと評してきた。

 悪戯っぽく笑うナツはとても可愛らしく、しばらくの間目を奪われてしまう。

 そんなボーッとした様子をショックを受けたとでも思ったのか、いきなり謝り始めるから困ったもんだ。

 俺はそれを誤魔化すかのように、ある提案をナツに投げかけた。

 

「あーそうだ! 後で頼もうと思ったんだけど、その、今二人しか居ないからちょうどいいし、ネクタイ、着けてくれないかなって」

「…………! うん、もちろんだよ! じゃあハル、少し顎を上げて」

「りょ、了解」

 

 俺がなんとなく手首に巻いていたネクタイを解いて渡すと、ナツの表情はパッと花が咲いたかのように明るくなった。

 本当に俺にネクタイをつけることに楽しみでも見出しているかのようだ。鼻歌交じりに手順を進めていく姿がとても印象的である。

 ナツとしても毎日俺のネクタイをつけるせいか上達したらしく、巻かれ具合は早くて綺麗だ。しかも絶妙な締めつけでとても快適ときた。

 文字通りあっと言う間にネクタイを巻き終え、ナツはできたよと結び目の部分をポンと叩く。それを合図として、俺は感謝を述べた。

 

「ありがとう」

「ううん、やるって言ったのは私だもん」

「でも、結果的に頼んでるのは俺だし」

「アハハ、わかったよ。無限ループになっちゃうし止めようか。どういたしまして」

 

 ……可愛いなぁ。今のどういたしましては最高に可愛かった。こう、はにかむような感じがどうしようもなく。

 できればもう一回見たいくらいのものだが、ナツが狙ってやってるはずもないし無理な注文というものになってしまう。

 というかその前に引かれるわ、俺のアホ。でも、なんというか、いつかの話ではあるが、可愛いと感じたのならそれをきちんと伝えたい……とも思う。

 

「じゃあ私、先に行くね。食堂の席を確保して待ってるから」

「あぁ、そういや時間的にそうだっけ。了解。すぐ追いつくよ」

「うん、また」

 

 放課後すぐに試合が始まって、準備片付け含めて二時間くらいだからちょうど夕食の時間だったか。

 自分でも思った以上に緊張の糸を張り詰めていたのか、それを思い出させられると一気にお腹が減った気がする。

 着替えたとはいえ、もう少し片しておかなければならない物品が諸々ある。ナツが席は確保しておくとのことだし、とっとと処理して追いつくことにしよう。

 これからのお互いの動きを確認し終えると、ナツは小さく手を振りながら小走りでロッカールームを出て行った。

 俺も小さく手を振り返していたんだけど、その時になってようやく気が付いたことがひとつ――――

 

「……あれ?」

 

 俺の右手の震えは、いつの間にか完全に停止しているのであった。しばらく不思議そうに右手を眺めるも、よく考えなくたって理由は明白じゃないか。

 俺は力強く右手を握りしめると、顔に火照りが宿るのを覚えながら、震えを止めてくれた少女の名を呟くのだった。

 

「……ナツ…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういうわけですので、一組のクラス代表は織斑さんで決まりました」

 

 俺とオルコットさんの模擬戦から三日が経過し、すべての戦績が出そろったところでクラス代表が決定した。結果は山田先生の宣言どおり、ナツが二勝で代表と言うことになる。

 対オルコットさん戦では、BTの張る弾幕を飛び回りかいくぐり、ブレード一本で勝利を収めてみせた。正確に言うなら、白式は近接ブレード一本しか積んでないらしいんだけどね。

 で、俺とナツの模擬戦だが、十秒たらずで負けてしまった。その原因としては、白式が持つ特殊仕様が関係している。

 本来は二次形態以降に発現する可能性のある単一仕様能力だかを、一次形態で使用できているんだとか。

 その能力がヘイムダルと相性最悪であり、なんとバリアやらエネルギーを無効化する刃を形成する能力らしい。

 ヘイムダルの武装は全てエネルギー兵装だ。虹色の手甲(ガントレット)を撃つために耐えなければならないのに、青色の塔盾(タワーシールド)ごとバッサリ斬られてはどうしようもない。

 っていうか本当にどうすればいいんだ。これって一生ナツに勝てなくないかな。機体相性のみでそうなってしまうのは悲しいなぁ。

 

「クラス代表。就任について適当に述べよ」

「あ、はい! え~っと、改めまして、クラス代表になった織斑 一夏です! 文字通りみなさんの代表として精いっぱい頑張りますので、どうかよろしくお願いします!」

 

 フユ姉さんにそう促されたナツは、すぐさま立ち上がって壇上へと立った。即興の挨拶なためか内容は当たり障りないが、ナツの誠実さは十分に伝わったようだ。

 それを示すかのように、クラス内は大きな拍手で包まれる。もちろん俺も惜しみない拍手を送り、意外なことにオルコットさんにも不服そうな様子は見当たらなかった。

 ナツ本人もここまで歓迎されるとは思ってなかったのか、なんだか照れくさそうな様子で拍手を受け取っている。

 そして拍手が止まると、ナツはまずは初仕事と切り出した。おや、いったい何をするつもりなのだろう。少し悪戯っぽい表情なのが気になる。

 

「日向 晴人くん!」

「は、はい?」

「代表の権限において、貴方に副代表の役職を与えます!」

 

 高らかに掲げた指先がこちらへと向いた。ナツに晴人と呼ばれるのはいつぶりだろう。とにかく姿勢を正してナツの言葉を待ち受けていると、それは俺の副代表就任を告げる内容だった。

 それはつまり、ナツの補佐役ということだろうか? ぶっちゃけ代表として試合に駆り出されるのはごめんだが、ナツを支えることができるのなら願ったり叶ったりというやつだろう。

 

「えーっと、異論がないならそれで」

「……あれ? いいの?」

「うん。ナツの支えならむしろしたいくらいなんだけど」

「思ったのと違う!」

 

 まぁ副だろうと補佐だろうと代表であることには変わりない。ナツの一存で決めていいものではないと思うので、一応は周囲の判断に委ねるよう付け加えておく。

 すると、本人が俺を指名したというのに、ナツはおっかなびっくりした感じで目をパチクリとさせる。……もしかして冗談だったのか?

 ナツの言葉が冗談であろうとなかろうと、俺の想いは本物だ。思ったことを包み隠さず率直に述べると、ナツは顔を両手で覆いながら何か違うと叫ぶ。

 何が思ったのと違うかは知らないが、ナツが叫んだのと同時くらいにまたしても拍手が鳴り響く。これを見るに、俺も歓迎されているということでいいのだろう。

 

「クラス代表、責任をもって締めるように」

「じゃあ、ハル。副代表として、私をしっかり、さ、ささえっ、支えて、下さぃ……」

「了解。全力をもってナツを手伝わさせてもらうよ」

 

 こんなことでナツへの恩返しができるなどとは思っていないが、小さなことからコツコツとやっていくことにしようじゃない。

 よし、これからはナツの補佐として心機一転――――って、ナツさん? 今度はモジモジし始めていったいどうしたというんです。

 ホームルーム中ということもあってすぐ問いかけるには至らず、フユ姉さんは手早くナツを座らせて今日のスケジュール等を機械的に話し始めた。

 説明が終わり次第、質問の有無を確認し、ないと見るやすぐ教室を出ていく姿がより無感情さを増長させる。……なんだか軍隊に居る気分だ。

 そのあたりはフユ姉さんだから仕方がないとして、ナツの様子の方をだね……。って、まだやってるじゃないか。耳まで真っ赤だし……。

 

「晴人、安請け合いしてよかったのか?」

「箒ちゃん。まぁ、ナツのためと思って頑張るよ。それより、ナツなんだけど――――」

「放っておけ。そのうち立ち直る」

 

 ナツに声をかけるよりも先に、箒ちゃんに話しかけられた。彼女の方に目を向けてみると、今日も変わらず不機嫌そうな顔だ。

 言い回しが厳しめであるが、箒ちゃんの言葉を翻訳するなら、本当に大丈夫かと心配してくれているだけのことだろう。そちらに関しても相変わらず。本当に不器用なことで。

 補佐と言いつつ、ナツにもしものことがあれば俺が駆り出されることになるはず。箒ちゃんがしてる心配はそのあたりかな。

 ナツの代わりと言うにはあまりにも力不足な俺だが、その時が来れば腹くらいくくるとも。その結果に関しては、まぁ、酷いことになるんだろうけどさ……。

 それはさておきと話題を変なナツの様子について変えてみるも、箒ちゃんは呆れた表情で放っておけとひとこと。これは意図的に突き放しているように感じるが……はて?

 

「少しよろしくて?」

「またお前か……。話だったら私がしてもいいんだぞ。言っておくが、晴人は決してお前が思っているような――――」

「……まぁ、そう取られても仕方ありませんわね。ですがご安心ください。わたくしもそこまで愚かではありません」

 

 オルコットさんが話しかけて来たので対応しようとすると、険しい表情の箒ちゃんが少し前に出た。どうやら態度に関して思うところがあったようだ。

 俺にとっては怖くて厳しい印象のある箒ちゃんが弁護をしてくれるのは嬉しかったが、何もそんな喧嘩腰でなくても……ねぇ? とりあえず落ち着くよう促そうとするが、それよりも前にオルコット自身が場を制した。

 そして箒ちゃんを避けて俺の前に立つと、スカートの端をちょこんと撮んでお辞儀をされる。その一連の動きは、優雅のひとことに尽きるものだった。

 

「わたくしの偏見にもそれなりに複雑な事情があったものではありますが、貴方の雄姿は十分心に届きました。どうかご無礼をお許しください」

「えぇ……? えぇ!? い、いやいや、全然そんな! 俺は多分、オルコットさんが思ってたような奴だよ」

「貴方が単に情けないお方ではないと、戦いを通じればわかりますとも。勝利に邁進するお姿、貴方自身がどう思おうと、少なくともわたくしには素敵な殿方に映りましたわよ」

 

 もし俺のことを情けないやつと思っていたのなら、それはオルコットさんの大正解だ。こちらからすれば謝られるのは筋違い。

 筋違い……のはずなんだけど、あろうことかオルコットさんは俺を素敵だったとまで評するではないか。リ、リップサービスってやつ? 本気にしない方がいいのかな……。

 例えそれが上辺であろうとナツ以外の女性にこうも褒められた覚えはないせいで、ここからどう返していいのか想像もつかないな。

 けど、これから仲良くしていこうという意図はあるのだろうから、例のアレを見せる流れでいってみよう。

 

「えっと、それならお近づきの印ってほどでもないんだけど、少し見てほしいものがあってさ」

「まぁ、絵がご趣味とは仰っていましたが、まさかここまでとは……。もしかして、わたくしをイメージして描いてくださったのですか?」

「うん、模擬戦の話が決まった時からコツコツね」

 

 この学園に来て思ったのだが、いろいろと濃い人物が多い。よって、印象に残った人はそのイメージを絵にしてみようかと。要するに武者修行みたいなものかな。

 まず出会いが衝撃的だったわけだし、オルコットさんは速攻で描いてみようと思い立った。記念すべき第一号である。

 まずイメージしたのは気高さ、そして美しさ。色合いはなんとなく似合いそうだと感じ青を基調としたが、ブルー・ティアーズを見るに大成功だったと言えよう。

 結局何を描いたのかと聞かれれば、青と金のカラーリングが施された鎧をまとった騎士だ。もちろん女性であることがわかるよう、シャープなデザインにするよう心掛けた。

 それが豪勢な玉座につき、優雅にたたずんでいる感じ……かな。BTのことを知っていれば、従者として六人の騎士を描いてもよかったんだけど。

 

「……もしよければですが。こちらの絵、頂戴してもよろしいかしら?」

「え、貰ってくれるの? それは嬉しいんだけど、それならもっとちゃんとした用紙に描けばよかったな……」

 

 しばらく絵を眺めていたオルコットさんだったが、再び視線をこちらに向けるのと同時につかぬことを聞いてきた。

 もちろん欲しいと言うのならあげない理由はない。むしろ描いた絵を貰ってくれるのは本当に嬉しいことだ。

 しかし、俺がその絵を描いたのは安っぽいスケッチブックの一ページ。額に入れるのを前提にしたような高級画用紙も所持しているんだが、どうせならそちらに描いたらよかったな。

 オルコットさんはそれでも構わないと言ってくれるので、端の方にサインと日付を小さく書いてからページを破り取り、それをオルコットさんへ手渡した。

 

「ありがとうございます。機会を見つけて実家に飾らせていただきますわ」

「って言うと、お屋敷だったりするんだよね。……なんだかプレッシャーだな」

「フフッ、こちらとしては代々伝える気が満々ですわよ。それではまた、御機嫌よう」

 

 オルコットさんは受け取るなりそんなことを言い出すわけだが、一般人と貴族に言われるのでは言葉の重みというものが違う。

 俺がそんな率直な感想を述べると、オルコットさんはますますプレッシャーのかかるような返しをしてきた。

 いやホントどうするの、そんな普通の紙に描いたのがオルコット家に伝わる名画とかになっちゃったら。それを思うと、次からはそれなりにいい紙に描くことにしよう。

 もうすぐ次の授業が始まるということもあってか、オルコットさんはまたしても優雅なお辞儀を見せてから戻って行った。多分、あれが本来の彼女の姿なんだろう。

 

「ハル、すごいじゃん」

「うわっ、ビックリした……。 えっと、何がすごいって?」

「ハルの頑張りが、オルコットさんの物の見方を変えたんだよ」

 

 いつの間に復活したのか、ナツに声をかけられて大変驚いた。ビクッと身体を反応させてから振り返ると、ナツはとても朗らかな笑みを浮かべている。

 そして俺の頑張りがオルコットさんの女尊男卑主義を見直させたというふうなことを言いたいみたいだが、そこのところはどうなのだろう。

 そもそも俺にそんな気はなかったわけだし、別に俺が口を出すようなことでもないし。でも本当にそうだとするのなら、なんだろう、頑張ってよかったなって思う。

 

「ナツ、箒ちゃん。なんか俺、ちょっとはマシになってるっぽい……のかな?」

「その微妙に自信なさげなのがなければな。だがまぁ、私もそう思うぞ。ちょっとはな」

「うんうん。ハル、もっと胸張っていこう!」

 

 オドオドしたり自信がなかったりはするけど、とにかく必死に頑張れる程度にはなったのかも知れない。

 客観的意見が欲しかっただけに身近な二人へ問いかけると、それこそ自信が持てれば100点というような評価をいただいた。

 胸を張って……か。何をどうすればそうやって生きれるのかというのが本当のところだが、ナツがそう言うのならもう少しだけ頑張ってみようかな。

 自分に自信が持てたのなら、きっと世界は見違えるのだろう。いつか違った世界を見れるその日まで、願わくばナツに見守ってほしいものだ。

 俺にそんな想いを抱かせる張本人は、俺の視線に対してキョトンというような表情を浮かべて首を傾げるばかりだった。

 

 

 

 

 




今作品における一夏と一夏ちゃんの実力差に軽く触れますが、圧倒的に後者へ軍配が上がります。
むしろウチの一夏ちゃんは最強クラスの実力者と思っていただいても。
で、それにつけてヘイムダルとの相性差というね。
実はカカア天下のメタファーだったりします。





ハルナツメモ その13【思ったのと違う】
副代表発言は普通に冗談の類。
でもあっさり受け入れられた上に、その理由がむしろ自分を支えたいという要因で盛大に自爆。ゆえに思ったのと違う。
でも一緒に行動できる時間が増えるから結果オーライ。やったね私。伏せている間にこの結論にたどり着き、ようやく調子を取り戻したとか。
一夏ちゃんかわいい。


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第23話 ここにいるから

今回よりクラス対抗戦編のスタートです。
それに伴ってツンデレ中華娘も登場――――となるのですが、影が薄ぅい!
23話は構成的に22話の続き的な部分があるので仕方ないといえばそうなんですが、それでも薄味な再会になってしまってますねぇ……。
というか、晴人がクラス代表でもないので、彼女はもしかすると全編とおして影の薄い存在になってしまう可能性が……?
……別に悪意はないので許してクレメンス……。




以下、評価してくださった方々をご紹介!

鴉紋to零様

評価していただいてありがとうございました!



(はぁ、まさかこんな初歩的なミスをしてしまうとは)

 

 クラス代表決定におけるトラブルも終息し、特筆するようなことがあるでもないIS学園での日常を送っていたある日のこと。

 ナツのクラス代表就任を祝してちょっとしたパーティーを行うんだとか。もちろんクラスメイトとして俺も誘われはしたんだけど……。

 そのパーティーが行われる食堂へ向かっていた直前のこと、携帯電話が行方不明になっていることに気が付いた。

 ありかは目星がついていて、俺は先に回収すべく急いでいるということ。急がなければ戸締りされてしまう可能性がある。

 俺が今日最後に着替えを行った場所、それはアリーナ近くのロッカールームだ。むしろそれ以外に忘れるような箇所はない。

 ゆえに見つからなかった場合は絶望しなければならない可能性はあるが、ほぼ100%でそこだから問題はないだろう。

 さて、この渡り廊下を先に進めばもうすぐ目的地だ。パーティーに間に合わないということも加味し、更に速度を上げようとしたその時――――

 

「どーん」

「のわぁっ!?」

 

 何者かの優し目な前蹴りが俺の真横からクリティカルヒットした。

 当然ながらいきなり横からの力が加わってしまえば対応なんてできず、俺は転倒して学園中に整備されている芝生の上にごろごろと転がる。

 芝生がクッションになったおかげか、蹴りの威力もそんなになかったおかげか、特に俺へのダメージらしきものはない。

 転がるのが落ち着き次第、ゆっくりと立ち上がって蹴りを入れた張本人を捜すべく周囲を見渡す。するとそこには、俺にとって懐かしい人物が居た。

 

「晴人、久しぶりね。IS動かしちゃうとか面白いことしてくれるじゃん!」

「り、鈴ちゃん!?」

 

 女子にしても小柄な体躯。笑うと見える大きな八重歯。そして昔と変わらぬツインテールがトレードマークな彼女は、短いながらも幼き日を共に過ごした人物――――凰 鈴音ちゃん。

 小学校四年生の終わりに箒ちゃんが転校して行って、入れ替わるように中国からやって来たのが鈴ちゃんだった。

 中国からの転校生ということで、物珍しさからか冷やかしに合っていたところをナツが助け、それ以来俺も仲良くさせてもらっていた。

 しかし、中学二年の半ばあたりでご両親の都合により故郷へ帰って行ってしまって……。それがまさか、こんな所で再会することになろうとは。

 いや、もちろん俺が特殊な環境に居るおかげで、ということは理解しているけど。

 

「えっと、久しぶり。時期が微妙にズレてるのは、中国の方で何かあったりしたのかな」

「ふっふーん、馬鹿ね。ただの生徒だったらこんな時期に編入なんかできるわけないでしょ」

 

 懐かしみを感じながらも、かつてと同じようなやりとりを問題なくできるのは、鈴ちゃんの持つ往来のサバサバとした性格のおかげだろう。

 実に数年ぶりの再会となるというのに、まるで昨日も会ったみたくすんなりと質問をぶつける俺が居た。

 そんな俺の素朴な疑問に対し、鈴ちゃんはなんとも得意気な様子で胸を張る。鈴ちゃんのドヤ顔を拝むのも随分と久しぶりだ。

 それにしても、普通の生徒ではないということならば、鈴ちゃんはつまりアレか。IS業界における実力者を示す例の――――

 

「つまり、代表候補生ってこと?」

「そのとおり。どーよ、これがアタシの実力ってやつね」

 

 俺の予想は正解のようで、鈴ちゃんは更に鼻高々の様子になった。実際にすごいことだからなんとも言わないけどさ。

 鈴ちゃんは運動なんかやらせるとピカイチなわけだが、まさか一年そこらで代表候補生まで上り詰めるなんて本当にすごいや。

 それは鈴ちゃんに確かな実力と才能があったことを証明しており、鈴ちゃんは得意気になってしかるべきと言ったところか。

 そこで純粋な気持ちで拍手を送ると、しばらく平気そうだった鈴ちゃんは徐々に顔を赤くして小刻みに震え出した。

 そしてついにはウガーッと唸り、ボケてるんだからツッコめという不満をぶつけられてしまう。

 そっちの流れだったかと思いつつ、そういうのを俺に求められてもなぁとも思う。だって当時からして弾と数馬の役目だったし。

 

「ったく、まぁいいわ。ところで晴人、他の馬鹿連中は元気してんの?」

「うん、弾と数馬に至っては相変わらずみたいだよ。最近バンド組んだんだってさ」

「下心丸出しなの見え見えね。モテたくてバンド組むとか典型的過ぎんでしょ」

 

 鈴ちゃんが中学二年の途中まで一緒だったということは、当然ながら弾や数馬とも友人関係にあった。結構ドライな物言いをすることもある鈴ちゃんだが、流石に年単位で離れると気にはなるらしい。

 そこで二人の近況をそのまま伝えると、なんだか鈴ちゃんは聞いて損したみたいな顔つきになってしまう。本当だよね、普通にしてればそれなりにモテるはずだって再三言ってるのに。

 

「それで、その、アイツはどうなのよ。アタシのこと、なんか話したりしてなかった?」

「アイツ……? ああ、ナツか。ナツは……――――しまったああああああっ!?」

「ちょっ、いきなり何よビックリするわね! え、ってかホントに大丈夫!?」

 

 急に神妙な感じになってモジモジし始めると思ったら、どうやら別途でナツのことを聞きたいらしい。

 ああナツね、そりゃ鈴ちゃんからして気になるか。……なんて呑気でいたら思い出してしまった。ナツが女の子になってしまっているということを。

 ……だから感覚が狂ってるんだってば! なんで当たり前にナツは昔から女の子でしたよみたいなテンションなのさ、俺の馬鹿!  というか、ナツ本人が近くに居ないのにどう説明したらいいんです!

 え~……まぁ、なんというか、鈴ちゃんも例のごとくと言いますか、ナツに恋慕を抱いていたわけでおりまして。転校した時期的にギリギリナツが女の子になったのを知らないわけでありまして……!

 俺にとっての鈴ちゃんは、明るく快活で、サバサバして世話焼きでって感じで、なんとなくお姉ちゃんみたいな存在だ。

 しかし、ことナツが絡むとまったくもって穏やかじゃない。一気に沸点が下がってしまって、下手をすると箒ちゃんよりも怖いんだ。

 そんな鈴ちゃんにナツが隣に居るわけでもないのにどう説明していいのかわからず、一瞬にして追い詰められた俺は頭を抱えながらその場に這いつくばった。

 あまりにいきなりなことで、鈴ちゃんは割と本気で俺のことを心配してくれているらしい。それが返って話づらさを増長させた。

 

「ナナナナナナ、ナツはその、間違いなく、げ、げ、げ、元気だよ……うん」

「大人しく吐くのと痛い目見るのどっちがいい?」

「う、嘘は言ってないんです! 嘘は!」

「なーんか引っ掛かるわね。まぁいいわ、今は追及しないであげる。優しいアタシに感謝しなさいよ」

 

 激高モードの鈴ちゃんを恐れるあまり、俺の口から飛び出たのはなんとも稚拙な屁理屈であった。

 けど弁明のとおり、決して嘘は言っていないのである。だってナツは実際に元気なわけですもの。

 でも、いつも以上にどもってしまっているし、何か隠していること自体はバレバレみたいだ。そしたら後が怖いですねこれは……。

 鈴ちゃんもまさか想い人が女の子になっていると思わないだろうし、どうもナツがあまり男に戻る気がないのを知ったらどうなることか。

 それを思えば教えてあげたい気持ちもあるが、やはり恐怖に支配された俺はひたすら目を泳がせることくらいしかできなかった。

 

「ってわけで、これで貸しひとつってわけね」

「ええっ、いきなりご挨拶だな。そりゃ恩は返すけど、あまり無茶は言わないでほしいな」

「アタシがそんながめついことしたみたいに言わないでよ。道案内してくれればそれでいいわ。ここ無駄に広くって道わかんないのよ」

 

 鈴ちゃんはニヤッとイタズラっぽく笑ったかと思えば、とりあえずこれ以上の追及はしないから貸しひとつと人差し指を立てた。

 確かにギブアンドテイクだったり持ちつ持たれずっていうのは大事だと思うけど、再会していきなりそんなごねられるとは思わなんだ。

 俺のゲンナリとした返しに鈴ちゃんはムッとするけど、それなら財布を持ち歩かない主義とかいうのをどうにかしてほしいものである。

 鈴ちゃんらしいと言えば聞こえはいいが、俺とナツだけで累計どれくらいの金額が――――いや、止めておこう。なかなか言って聞いてくれる性格でもないしね……。

 それにしても道案内か。俺も細部まで歩き回ったわけじゃないから不安だな。そもそも踏破した人が居るのかどうかすら怪しい気がするけども。

 とにかく鈴ちゃんの持っていたパンフレットを拝借して行きたい場所を聞いてみると、本校舎一階受付を目指いしていたんだとか。

 うん、ここなら俺もいろいろと手続きがあったから行ったことがある。それに、現在地からは道案内もいらないくらい目と鼻の先だ。

 しかし、今は鈴ちゃんに借りがある身。彼女が望んだのは道案内なわけで、ここは責任もって先導させてもらうことにしよう。

 

「じゃあ、行こうか。こっちだよ」

「ええ、ありがと。ってか晴人、結構身長伸びたわね」

「まぁ、それなりに。そう言う鈴ちゃんは相変わらず――――痛いっ! ご、ごめん、冗談のつもり――――痛ぁい!」

 

 以前箒ちゃんにも似たようなことを言われたが、鈴ちゃんも俺の身長がそれなりに伸びていることが気になったらしい。

 むしろほとんど平均身長ぴったりくらいに伸び続けてはいるんだけど、持ち前の気弱さから小さく思われがちなのだろうか。

 そして俺はほんの冗談のつもりで鈴ちゃんは相変わらずだと言おうとしてみるも、残念なことに二度も尻を蹴られる結果となってしまった。

 その後は懐かしいような話をしながら歩くことしばらく、二分ほどで鈴ちゃんの目指している場所へは到着した。

 あそこだよと指差してやると、鈴ちゃんはやっと見つかったと心底から安堵したような表情を見せていた。それだけ安心してもらえば、こちらとして嬉しい限りだ。

 

「晴人、ありがと! おかげで助かったわ」

「こちらこそ、助けになれてよかったよ。まぁ、昔みたく困ったときはお互い様ってことで」

「そうね、昔みたいに……ね。フフッ。それじゃアタシは行くわ。晴人、また明日!」

「うん、また明日」

 

 懐かしくも、やはり昨日も交わしたかのような気がするまた明日という挨拶。鈴ちゃんはこちらに大きく手を振りながら、元気に走り去って行った。

 うーむ、本当に相変わらずだ。本気で彼女と何年も会っていないと思えなくなってきたぞ。こちらは冗談でなく、いい意味でのつもりだが。

 ……それより、俺はこんなところで油売ってていいんだっけ? いや、よくない。そもそも携帯を回収して、急いでパーティーに向かおうって話だったんじゃないか。

 どうやら携帯は諦めた方がいいらしい。どうせそこまで使うわけでもないんだし、今すぐ回収しないとなくなるとかそういうわけでもない。

 早々に頭を携帯回収からパーティーに合流という思考に変えた俺は、再度両足に力を込めて食堂の方向へ全力疾走するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーい!」

「あっ、ハル。もうとっくに始まっちゃってるよ~!」

 

 食堂へ向かってみると、ひとクラス分では済まないであろう人だかりができていた。その混雑の中から、ナツが俺を手招いている。

 その周囲には箒ちゃん、簪さん、セシリアさんの姿が見える。四組である簪さんが居るということは、やはり一組だけの話で済まなかったことがうかがえる。

 どちらにせよ、パーティーもそれなりに進行が進んでしまっているらしい。急いで正解だったと思い知らされつつ、ナツの手前で息を切らせながら足を止めた。

 

「携帯、見つかった?」

「ええっと、のっぴきならない理由で今日の回収は諦めたというか」

 

 ほぼ確実にロッカーの中とはいえ、まだなくした可能性がゼロであるわけでもない。ナツも現物を見るまで安心できないのか、出会い頭にまず携帯のことを尋ねられた。

 しかし、言ったとおりに鈴ちゃんとまさかの再会があったおかげで回収はできていない。ナツがこちらのことを心配してくれているだけに、なんだか罪悪感が募ってしまう。

 見なよこの何も知らない無垢な顔を。俺も含めての話ではあるが、明日あたりにでも大変なことになると思うといたたまれない。

 せめてナツには鈴ちゃんの再来を教えておくべきなのかも知れないが、彼女の気持ちに関して一ミリも気づいていなかったのだから、今からでは余計ややこしいことになりそうな気もする。

 

「おっ、なになに。やっぱ無言で見つめ合っちゃうタイプの関係?」

「うわっ!? あ、あの、どなた?」

「し、新聞部の人なんだって。専用機持ちを中心に話を聞きに来たみたい」

「はいはーい、二年新聞部の黛 薫子でーっす。面白いネタなら随時募集中! というわけでよろしくね、日向くん」

「は、はぁ……」

 

 申し訳なさが渦巻く中でナツの様子をうかがっていると、俺たちの間からヌッと出てくるように見覚えのない人物が姿を現した。

 単に驚いたということ、そして見つめ合っていたと取られたという二つの理由から、俺たちは慌てて数歩分後ろへ飛びのいた。

 後者に関して誤魔化すように何者かを尋ねると、少し頬を赤く染めたナツが簡単に説明を入れてくれた。本人からも自己紹介があり、とりあえず黛先輩がここに居る目的は理解でした。

 なんというか、良くも悪くも押しが強い人みたいだ。押しに押されて余計なことだけは言わないでおこう。

 

「で、で、それでそれで!? 実際どうなの? 二人はどういう仲なわけ!?」

「そ、その~俺からは恐れ多くて何も……。ナツ、頼むよ」

「う~ん、親友ないし姉弟ないし家族ないし? 個人的に一番しっくりくるのは相棒って感じだけど」

 

 ナツと俺の関係は簡単に説明できるけど、実のところ特大な地雷が用意されているせいでこちらからの説明は避けるようにしている。

 そもそも俺とナツがこれだけ仲がいいのは、ある意味ナツが…………織斑姉妹が、ご両親に捨てられたという事実があるからだと思う。

 どうにも母さんがフユ姉さんを説得したうえでの親代わりということのようで、それがなければ子供の頃の俺は積極的にナツと関わろうと思わなかったろうから。

 だから俺からは説明がしづらいんだ。捨てられた本人は上手い話の流し方を周知している。だから今回もと思ったのだが、黛先輩の野次馬根性は一筋縄じゃないらしい。

 

「そっか、家族ぐるみの付き合いなんだね。いわゆる幼馴染ってやつなのかな」

「まぁ、それを言うなら箒ちゃんもなんですけどね」

「おい、さりげなく私を巻き込むな!」

「ほほう、それはいいこと聞いたよ。つまり日向くんは可愛い幼馴染二人を手籠めに――――」

「捏造! 誇張表現! 断固反対です!」

 

 これ以上の追及を避けるためにも話題が別方向に向かえばと、箒ちゃんには悪いけどしれっと名前を出してみる。

 出された方はたまったものではないらしく、血相を変えて一気にこちらへ詰め寄って来た。

 まぁまぁとなんとか箒ちゃんを宥めようとしていたのだが、黛先輩の不穏な呟きが耳に入ったせいでそれどころではいられなくなってしまう。

 本当、手籠めにできるような性格なら苦労はしない。手籠めと言うならむしろかつてのナツだ。それも手の広さは幼馴染だけじゃ済まないぞ。……まぁ、本人はまったくの無自覚なわけだが。

 とにかく、黛先輩は冗談だと笑いながら両手を振った。それ以降はこちらが回答を避けようとしているのを察知したのか、俺個人に関する質問を中心にインタビューされた。

 俺を知る人物からすれば当たり前のことであるが、当然記事になるような回答ができてはいない。俺はそれだけ地味なやつってことだ。

 記事にできそうな内容といえば、風変わりなISであるヘイムダルの製作者についてだとか、俺が界隈ではちょっとした有名な画家の孫だとか、そのくらいのことだ。

 で、時間的に食堂の開放も限界ということでお開きに。本当に何しに来たんだ俺は。ただ辱められただけとか孫しかしてない。

 箒ちゃんを始めとした比較的仲が良く会話率も高いメンバーと別れの挨拶を済ませると、そのままナツと共に自室へ……戻ったのはいいんだけど、先ほどとは少し雰囲気が違うよう感じられた。

 

「ハル、ありがとう」

「えっと、何に対して?」

「インタビューのことだよ。なるべく触れないようにしてくれてたでしょ」

 

 ベッドに腰掛けたナツは、なんだか申し訳なさそうに笑いながら俺に感謝を述べた。それはさっきの件に関する感謝らしい。

 おじさんとおばさん、つまり俺の父さんと母さんが本当の両親で、血の繋がりのある自身の両親にはなんの感慨もないとナツは言う。

 そうは言うが、多分だけど親が蒸発するなんていうのは想像を絶する経験なはずだ。いくらナツが言葉で感慨はないと語ろうが、ね。

 ……それは、気ぐらい遣うに決まっている。ナツの口から両親に捨てられたんですなんて、間違っても言わせてなるものか。

 

「感謝されるようなことはしてないよ。俺はただ――――」

「ハル、感謝されたら?」

「……素直に受け取る。わかったよ。どういたしまして」

「うん、よろしい」

 

 俺はただ、ナツが俺にしてくれてたことを真似しているだけのことだ。そう言い切る前に、ナツは遮るようにして質問をなげかけてくる。

 感謝されたら素直に受け取る。確かに以前も同じことを言われた。何度も同じことを言わせるなということじゃないだろうが、肝に銘じておくべきだったか。

 観念してナツの感謝を素直に受け取ると、向こうは満足そうに腕組みしながら無駄に偉そうな態度でよろしいとひとこと。

 無論、冗談の類なんてことはわかっている。なんだか可笑しくて小さな笑いをこぼせば、ナツもそんな俺を見てか笑いをこぼした。

 二人してクスクスと笑うことしばらく、歩みは自然にそれぞれのベッドへ。そのままスプリングを揺らしながら腰掛けると、ナツは消え入りそうな声で呟いた。

 

「とっても幸せなんだと思う」

「え?」

「確かに境遇は不憫なのかも知れないけど、私には友達が居て、千冬姉が居て、おじさんとおばさんが居て、そしてなにより……ハルが居てくれるから」

「ナツ……」

 

 ナツがこれまでどう思って生きて来たのか、心が読めるわけなんかないので詳しくはわかりはしない。けどナツは、それでもナツは、己を幸せ者だと言った。

 それもすべては、友人や実の姉や育ての親や、何より俺が居てこそだと言い切ったのだ。瞬間、胸に熱いものが込み上げてくる。俺はきっと、単純に喜んでいるのだろう。

 こんなどうしようもない俺が、ナツが幸せでいられる一要素を築いている……らしい。

 恐れ多い話ではあるが、これを喜ばずしてどうしろと言うのか。ナツの足枷でしかないと思っていたというのに、ただ隣に居るだけでそう思っていてくれてたなんて。

 

「だったら俺は、ナツの望むようにありたい」

「え?」

「ナツが望んでくれる限りは、ここに居る。……ナツの隣に」

 

 伸ばした手はナツの手を掴む。優しく握ったその手は、何度言ったって飽きないくらいに柔らかくて暖かい。今回は物理的温かさだけでなく、心も温もっていくような気さえした。

 そう、ナツの隣は俺の居場所だ。昔はただ必死に背中を追いかけるばかりだったが、ナツがそう言うのなら話が変わってくるのだから。

 ナツがそう望み続ける限り、ナツの隣に寄り添い続ける。それが俺に与えられた使命だ。……どうしようもない俺を救ってくれたナツに対するせめてもの恩返しなんだ。

 するとナツはキュッと俺の手を握り返してきた。懸命に、求めるかのように。すると俺の胸に宿っていた温もりは、熱へと色を変える。

 

「言質、取ったから。必ず責任、取ってもらうから」

「ナツがそう望むんなら、そうさせてもらうよ」

 

 顔を俯かせたナツは言質だの責任だの言うが、そんなものすら必要はないということはわかってもらえなかったようだ。

 それならそれで仕方ない。時間をかけてでもゆっくりわかってもらうことにしよう。今の俺を創ってくれたのはナツだということを

 俺たちは無言で手を繋ぎ合う。時折ナツが熱のこもった視線でこちらを見やり、俺はそれを見て心が熱くなる。

 耐えがたいほど恥ずかしくはあったが、これがナツの望みというのならこちらから手を離すわけにはいかない。例えこの時間が久遠に続こうとも。

 

「……私、お風呂行ってくるね」

「うん。どうぞごゆっくり」

「共用だから心置きなくってわけにはいかないんだよね~これが。じゃあ、行ってきます!」

 

 絡んでいた指と指とはスルリと離れ、ナツは手早く入浴の支度を済ませて部屋から出て行った。

 ナツの姿が見えなくなったのと同時に、俺はゆっくりとベッドへ倒れこんだ。そして、先ほどまで繋がれていた右手を見つめる。

 俺の右手は絵への情熱を現しているかのように、タコができたりあちこち擦り切れたりして基本的にはボロボロだ。常にどこかしら怪我していて、絆創膏だらけといったところか。

 そんな一見すると綺麗でない右手を見ていると考えてしまう。ナツは俺の右手に何を感じ取っているのだろうと。

 ……俺がナツの手に温もりを感じているように、ナツも同じようなことを思ってくれているだろうか。それとも傷で握り心地に悪いであろう手を、努力の象徴と思ってくれているだろうか。

 それはナツにしかわからないことだが、どんな些細なことでもいい、俺の右手に何かを感じてくれているのなら、こんな右手でも悪くないと思う。ナツに右手のことを説かれたのもあるんだろうけど――――

 

(悪くないな。あぁ、悪くない……)

 

 俺は虚空を掴むかのように、誇らしく思える右手を力強く握りしめた。すると俺の頭にはナツの笑顔が過り、それと同時にまたしても顔へ熱が集まる。

 実のところ前はこの感覚に少し混乱したりもしたが、今はこの感じさえも悪くないと思えた……。

 

 

 

 

 




(別に晴人は別に口説いてるつもりは)ないです。
でも晴人の中で一夏ちゃんに対する【特別】のベクトルが変わりつつあるのは事実です。
以前までの晴人だと、んな歯が浮くような思考回路は働かなかったでしょうし。
やはり22話がこの作品におけるターニングポイントのひとつなのかも知れません。
あ、次回は一夏ちゃんと鈴ちゃんが絡みます。





ハルナツメモ その14【右手】
絵描きという都合上、晴人にとって大事なものだったが、一夏ちゃんとの仲で更に特別なものへと昇華した。
一夏ちゃんの存在を感じるためのもの、とでも形容すればよいだろうか。
今後は何かと手を繋ぎにかかるシーンが増えると思われるが、それはつまりそういうことなのである。どういうことって? そういうことなのである。


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第24話 大丈夫だよ

またしても金曜の更新でござい。
ギャグ回なのかシリアス回なのかよくわからない話になってしまいました。
まぁ私の作風?的にはベースがシリアスになりがちなんですが……。
要するに申し訳程度のギャグ要素含む、といったところでしょうか。
それと、若干ですけど箒がキャラ崩壊起こしてるのでそこのところはご注意を。


「あら、わたくしの存在を危ぶんでのことかしら!」

「おはよう。なんか盛り上がってるね」

「セシリアはいつもこんな気がするけど……。箒、何かあったの?」

「ああ、なんでも中国から代表候補生がやって来たらしい」

 

 やることを済ませて一組の教室に登校すると、入るなりセシリアさんのそんな声が聞こえて来た。視線を向けると得意気な様子のおまけつき。

 朝からいきなりのことで話しかけてみると、ナツは絶妙に辛辣とも取れなくもない言葉を放った。セシリアさんには聞こえていないようで一安心。

 それで、箒ちゃんに詳しいことを聞いてみると、中国代表候補生――――もとい鈴ちゃんと関わりのある内容だった。

 危ぶんでのことーとなると、セシリアさんは自分が脅威ゆえの中国から飛び入り参戦とでも言いたいのかな。

 ……セシリアさんのこういうのは冗談かどうかわかりづらくて困る。ナツや簪さんも代表候補生なわけだし、一概にセシリアさんだけのことを危ぶむということはないと思うが。

 しかし、いわゆるマジレスというやつをしても得はない。みんなもそうしてるみたいだし、ここは適当に聞き流させてもらうことにしよう。

 

「へぇ、中国。中国かー……。あの子は元気にしてるかな。ね、ハル」

「そ、そそそそ、そうだね。うん、確実に元気なことが判明してはいるんだけど……」

「……? 変なハル」

 

 やはり中国と聞いただけで思うところがあるのか、ナツは腕組みしながら遠く離れた故郷に帰って行った友人を懐かしむかのようだ。

 その友人が例の中国代表候補生と知ったらどんな顔をするだろう。

 結局のところ鈴ちゃんのことはナツに話せず終いで、罪悪感と動揺からか違和感を覚えさせるであろう返事になってしまった。

 ナツが追及するようなことがないのがせめてもの救いではあるが、少なくとも今日中にはエンカウントしてしまうだろう。

 ……困った。ナツにも鈴ちゃんにもどう説明したらいいのやら。

 

「何がそんなに感慨深いのかは知らんが、一夏は対抗戦に集中した方がいいと思うぞ」

「そうですわ、わたくしを下したのですから、必ず勝っていただきませんと!」

「それに織斑さんが頑張るとみんなが幸せだよー!」

 

 箒ちゃんやセシリアさんはクラス代表としての義務的なもので勝利を願っているようだが、少し毛色の違う声が飛び交い始めた。

 確か優勝したクラスには食堂のデザートフリーパスが贈呈されるんだったかな。それでぜひとも勝ってほしいってことなんだと思う。

 しかし、そうだとするなら俺は持て余してしまうがどうしたものか。同じクラスの人は二枚もいらないだろうし。

 そういえば、四組に簪さんという友達が居るじゃないか。彼女もあまり執着はなさそうだが、もしナツが優勝した場合は必要かどうか聞いてみることにしよう。

 

「うーん、そういうことなら人肌脱いじゃいましょうか!」

「今のところ専用機持ちは一組と四組しかいないし余裕だよ」

「その情報、古いよ」

 

 他力本願っぽいから士気が下がるかと思いきや、ナツは意外にもやる気を見せていた。昔なら俺にそんなこと言われてもなぁとかボヤいてそうなものなんだが。

 そしてナツが意気込みを見せると、一人の女子が専用機持ちのことについて言及を始めた。他クラスで言うなら簪さんだけだから問題ない、と。

 だが、それを否定する声が響いた。俺には聞き覚えがありまくる声であり、あらゆる気まずさからその場に居られなくなるようなプレッシャーが過る。

 

「中国代表候補生の凰 鈴音。宣戦布告も含めて挨拶に来てあげたわよ」

「あっ……! まさか本当にり――――」

「わああああああっ!?」

「何ようっさいわね! 晴人、アンタのせいで台無しじゃない!」

 

 壁にもたれかかるようにしてあからさまにかっこいいアピールしてる小柄な少女、寸分たがわず昨日再会を果たした鈴ちゃんだった。

 そしてナツ、まさかの再会に心躍るのはわかる。けど、今のナツが久しぶりなんて言おうものならすさまじくややこしいことになってしまうんだ。

 俺は思わず叫び散らしながらナツの口元を押さえる。すると自分の境遇及び状態を思い出したのか、こちらを見上げてコクコクと何度も首を頷かせた。

 だがその代償として、鈴ちゃんの機嫌を損なってしまったらしい。こうなると鈴ちゃんはとても厄介だ。

 詰め寄られてギャーギャーと文句を言われるんだろうと思ったのだが、鈴ちゃんは楽しそうに顔をニヤッとさせた。これはこれで嫌な予感がする。

 

「晴人、アンタ女の子ばっかで苦労してるかと思ったら楽しそうじゃ~ん。三人もはべらしちゃっていいご身分ね~。この~!」

「いや、みんなは別にそんな……。というか、そんなんじゃないってわかってるくせに。少し悪趣味なんじゃないかな」

「おっ、言うようになったじゃん。ふ~ん……表情もなんか違うし、アタシが帰ってからいろいろあったみたいね」

 

 鈴ちゃんはニヤニヤしながら近づいてきたと思ったら、ナツ、箒ちゃん、セシリアさんを順に指差してから俺を肘で突いてくる。

 まぁ俺を知る鈴ちゃん的にはからかいたくなる気持ちはわかる。俺自身かつてならあり得ないことだと思っているし。

 でも言うべきことは言わなくては、放っておくと鈴ちゃんはけっこう長いこと引きずるからね……。

 そこでそれなりに反論しておくと、鈴ちゃんは一瞬だけ驚いたような表情を見せ、また楽しそうな様子へと戻った。

 鈴ちゃんのその様子は、やはりそれなりに俺のことを心配してくれていたということをうかがわせる。鈴ちゃんとしても、俺は弟のように思っているみたいだ。

 

「で、さっきの様子からしてアンタがクラス代表よね。改めて、凰 鈴音よ。よろしくね」

「あ~……」

(おい晴人、どうするつもりだ)

(ど、どうするも何も……。そんなの俺が聞きたいくらいだよ)

 

 デジャヴである。完全に箒ちゃんの時のそれと同じシチュエーションじゃないか。自分を自分と認識してもらえないで困るしかないこの感じ。

 俺と鈴ちゃんのやり取りで知り合いということは察知したらしい箒ちゃんは、小声でそう語りかけてくるけど……。やっぱり誠心誠意、懇切丁寧に事情を話すしかないんじゃなかろうか。

 ナツや俺がどうするべきか困っている間に、鈴ちゃんも異変を察知したようだ。どちらかと言えば、初めて会うはずの少女に、想い人であった少年の面影を感じているといったところか。

 

「……なんかアタシ、アンタのこと知ってる気がするんだけど」

「え、え~っと、鈴ちゃん。後で必ず説明するから今は――――」

「説明? 何よ説明って! もしかして、やっぱり一夏がおん――――な゛っ!?」

 

 本当に今この場で取り乱してしまうのだけは防がなくてはならない。そもそも俺のことは知っていて、ナツのことを知らないようなリアクションを不思議に思っている子も居るようだ。

 そこで落ち着くよう促してみるも、やはり鈴ちゃんは既に感づいているらしく、かえって混乱に拍車をかけさせてしまったようだ。

 一夏が女の子になっているのかと、鈴ちゃんがそう叫びかけたその瞬間のことである。救世主の登場と言わんばかりに出席簿の音が轟いた。

 

「騒々しい。それと時間を守れ。聞けないのならもう一発だ」

「ち、千冬さん……」

 

 相変わらず音もなく現れたフユ姉さんは、二つの理由を付きつけつつ鈴ちゃんを睨む。すると鈴ちゃんは、借りてきた猫のように大人しくなった。

 鈴ちゃんは昔からフユ姉さんが苦手らしい。まぁ、基本的に身内以外には厳しい部分が印象に残るだろうから無理もないと思う。苦手じゃない人の方が少ないとも思うし。

 だが鈴ちゃんに至っては存在そのものがトラウマレベルなようで、もはや頭の中には逃げ一択しか残されていないだろう。

 

「っ~……晴人! 必ず説明しなさいよ!」

「う、うん、約束するから――――だっ!?」

「時間を守れというのは凰だけに言ったつもりはないが?」

「す、すみませんでした!」

 

 口惜しやという様子はぬぐい切れないものの、鈴ちゃんも命が惜しいみたいだ。でも俺への忠告はしっかり忘れないあたり、転んでもただでは起きない所も変わっていない。

 とりあえずこの場は一安心だと思ったのがまずかった。鈴ちゃんに牙をむいた出席簿が、今度は俺に振りぬかれたのだ。

 フユ姉さんが現れた時点で席についていないのがまずかったらしい。俺もひと睨みされてしまう。

 すぐさま謝罪して席についたことにより追撃は免れた。そして俺が犠牲になっている間に、やっぱりみんなは一足早く安置についているという。

 ……別に自己犠牲精神があったわけでもないが、みんなが無事ならそれでいいと開き直っておくことにしよう。そう言い聞かせておいたら楽だ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「顔、貸しなさいよ」

 

 一時限目が終わり十分の休憩に入ると、すぐさま鈴ちゃんが再訪問してきた。

 親指でクイッと廊下の先を示して歩き出すあたり、もはや俺たちに有無を言わせる気はないらしい。

 それを悟った俺とナツは顔を見合わせ、しげしげと席から立って鈴ちゃんを追いかけるべく廊下へと出た。

 

「待て、私も付き合おう」

「え、でも箒ちゃんは無関係で――――」

「同じことを体験している身だ。私の言葉なら届きやすいやも知れん」

 

 俺たちを呼び止めたのは箒ちゃんで、なんと鈴ちゃんの呼び出しについてくるつもりらしい。

 その申し出は有難かったが、箒ちゃんはこの件になんの関りも持たない。勿論、部外者とか言いたいわけじゃなくて、自分から巻き込まれなくてもという意味。

 箒ちゃん曰く、恋焦がれた人物が女の子になって再会したという希少な体験を先立ってした身として、経験者は語るという旨のことをしてくれるつもりみたい。

 まぁ確かに、箒ちゃんと鈴ちゃんの置かれた状態はほぼ同じ。離れてしまった幼馴染で、ナツに恋をしていて、再会したら女の子になってたと……。

 こうしてみると、ナツを誘拐した連中はなんと罪深いことだろう。でもナツが女の子になってなかったら、そもそも再会しているということもないんだよな。う~む……。

 とても複雑な因果のようなものに頭を悩ませていると、人気が少なく少し死角になるような場所で鈴ちゃんがたたずんでいた。

 その出で立ちは不機嫌そのものであり、俺は思わず生唾をゴクリと飲み下さずにはいられない。

 

「その子、一夏なわけ?」

「……ナツです」

「へぇ、そう。久しぶりね一夏――――ってなるかこの馬鹿ああああっ! アンタ、昨日会ってんだからその時に教えなさいよおおおおっ!」

「い、いや、俺もどう説明していいのかわからなくて――――それより鈴ちゃん、首、首が!」

 

 まだ俺たちが合流し切っていない間に、鈴ちゃんはナツに向けてピッと指差し確認をとってきた。やはり大体の予想はついていたらしい。

 観念してそれを肯定すると、鈴ちゃんは昔と変わらぬ朗らかな様子でナツに挨拶を――――というわけにもいかず、俺に詰め寄りネクタイを掴んで前に後ろに押したり引いたり。

 確かにビビって説明しなかった俺にも非があるから仕置きは甘んじて受け入れるものの、あまりに首がガックンガックン揺れるものだから早くもギブアップを宣言。

 しかし、一度暴れ出したら手が付けられないのは相変わらずなようで、俺の言葉にはろくに耳を傾けてはくれずしばらくなすがままになってしまう。

 見かねたナツと箒ちゃんが引き離してくれはしたが、鈴ちゃんはまだ息を荒げて落ち着かない様子だ。

 

「何がどうなってるってのよ!? いったいどうしてこんな非現実なことが起きてるわけ!?」

「え~っと、鈴、落ち着いて聞いてほしいんだけど――――」

 

 俺にとってナツがこうなった理由を聞くのは通算三回目となる。やはり何度聞いてもいまいちピンとこない感じがするな。

 鈴ちゃんの方はなんだか百面相しながら聞いている。コロコロと表情が変わるのも彼女の特徴のひとつだろう。

 だが短気なところに変化がないとなると、聞き終わった後にどういう行動に出るのかわかったものじゃない。一応は身構えておかないとダメそうだ。

 

「――――ってことで、こんな感じになっちゃった」

「そう、よくわかったわ。とにかくその誘拐した連中見つけてボコればいいわけね……!」

「全然わかってない! り、鈴ちゃん、それができてたら苦労はしないから……!」

 

 鈴ちゃんが納得の表情を見せたのは束の間、次の瞬間には指をバキバキ鳴らしながらどこぞへと向けて歩き出そうとするではないか。

 流石に単純な力だけなら負けることはなかったというのに、羽交い絞めのようにしても俺ごと引きずってまるで止められる気配はない。それだけの怒りということなのだろうか。

 というか鈴ちゃん、きっとフユ姉さんとドイツ軍が協力して犯人は捜しまわったはずだ。それで見つからなかったがゆえにナツは女の子のままで――――

 いや、鈴ちゃんだって頭ではわかっているんだろう。けど、様々な感情の持って行き場がなくて、ただ誘拐犯に対して怒りを向けることしかできないんだ。

 

「だったら何よ! 一夏、アンタそのまま一生女の子でもいいわけ!?」

「うん、全然。戻る気もあまりないかな」

「は……?」

 

 謎の怒りパワーのまま俺を軽く振りほどいた鈴ちゃんは、ビシッとナツを指差してこのままでいいのかと問いかける。

 迫真とした鈴ちゃんに対し、余計ナツの呑気というかあっけらかんとした調子が光るよ。予想外の返答に、鈴ちゃんは思わず声を詰まらせた。

 やっぱり箒ちゃんの時とデジャヴだな。なんか元に戻れるかどうかの話で、似たようなやり取りをしていたような気がする。

 そして俺を見たりナツを見たりする感じも全く一緒だ。幼馴染という部分から、いわゆるシンパシーでも発動しているのかも知れない。

 そして俺とナツを交互に見るのを止めた鈴ちゃんは――――叫んだ。

 

「はぁああああああっ!? いやマジ……? マジなの!? 気持ちはわからなくもないけど、マジ!?」

「……本気と書いてマジ」

「晴人ぉ! アンタ何やらかしてくれてんの!」

「な、何が……?」

 

 う~ん、芸がないってくらいに同じリアクションだな。この焦ってナツに何かを問いかけるのまで箒ちゃんと一緒とは。

 しかしこの、なんと言ったらいいんだろう。女子特有の皆まで言わない感じで、俺には何がマジなのかまったくわからないんだけども。

 だというのに、鈴ちゃんの矛先は俺へと向いたらしい。小さな体躯から怒りがあふれ出し、オーラとなって視覚化できるかのようだ。

 そんなオーラを纏われてにじり寄られたら恐ろしいなんてものじゃない。鈴ちゃんの場合は手や足が出やすいからなお恐ろしい。

 

「まぁ待て凰とやら、少し私の話を聞くといい」

「……あえてスルーしてたけど、何者よ」

「私の名は篠ノ之 箒。だいたい凰と同じ境遇と言えばわかってもらえるだろう」

 

 ここにきて箒ちゃんが声を上げた。まるで自分の出番だと言わんばかりに俺たちを後ろにさげつつ、だ。ときどき思うけど、箒ちゃんは俺なんかよりはよほど男前な気がする。

 対する鈴ちゃんは訝しむように様々な角度から箒ちゃんを眺め、その素性を問う。返ってきた簡潔な答えで、そのすべてを悟ったようだ。

 警戒心は薄れないながらも、そういうことなら話くらい聞いてあげないこともないけど……みたいな視線を箒ちゃんへと送っている。

 しかし、いくら同じ体験をしているとはいえ、箒ちゃんはどう鈴ちゃんを説得するつもりなんだろう。今は信じて待つことしかできないが、果たして――――

 

「とりあえずだ。一夏の身体を元に戻すことを諦めていない前提での話にはなる」

「何よ、結局同じ穴の狢ってやつじゃない」

「そう焦るな。その前提で結論から言わせてもらうが、ハルナツはいいぞ」

「…………はい?」

 

 箒ちゃんは前置きのようにして前提の話をするものだから、てっきり一夏の気持ちそのものを無視するようなことがあってはならない。みたいな言葉を続けるかと思った。

 だが予想に反してというか、箒ちゃんにしては珍しくよくわからないことを口走る。鈴ちゃんも面食らっている様子だったが、昔馴染みのこちらとしてはそれどころじゃない。

 なんだか不安を過らせながらも箒ちゃんの動向を見守っていると、俺たちは更にらしくもない姿を目撃することとなった。

 

「私はどうも少女マンガやら架空の恋愛話なんぞ興味もなかったのだがな、最近になってハマる気持ちもわかったというものだ。目の前で繰り広げられるアイツらのこそばゆいやり取りに、当初は困惑したり苛立ったりしたが、どうにもこう、な、そのうち見守っていると和んでいる自分に気づいたのだ。特に何気ないやり取りはいいぞ。名前を呼び合うだけで互いの意図を察する所なんかはもはや尊いと表現すべき領域だと――――」

「ちょっ、待っ、スタァァァァップ! 初対面だから詳しく知らないけど、アンタ絶対普段はそんなキャラじゃないでしょ! 二人ともそうでしょ!?」

「そ、そうだね。俺も一度にそこまで喋る箒ちゃんは始めて見るかな」

 

 箒ちゃんがすっごい喋る。しかもすっごい早口。鈴ちゃんが待ったをかけても全然止まる気配がないし、むしろしゃべくりがどんどん加速しているように聞こえるのは気のせいなんだろうか。

 ナツのことは諦めていないらしいが、箒ちゃんはいつぞやから俺たちをラブコメ的視点に切り替えて見守っていたようだ。……もしかして、睨まれてたのってそういう意味だったの?

 いや、ある意味本能的な自己防衛が発動している可能性もあるな。なんというか、ナツをナツと認めないために、一種の娯楽として俺たちを見るよう視点を無意識に変えた……とか。

 だからこれも無意識的なもので、早々に鈴ちゃんを仲間に引き寄せなるべく傷つかないようにしている……とか。

 にしたって俺たちの知ってる箒ちゃんとはかなりかけ離れてしまうわけでありまして、率直に申しますと少し怖いくらいまであるなぁ……。

 

「聞いたアタシが馬鹿だったわ。一夏! 箒って子がハッキリしないんだったら、アタシが言わせてもらいますけどね」

「う、うん」

「アンタ、おと――――」

「っ……鈴ちゃん!」

 

 まだペラペラとよくわからないことを喋り続けている箒ちゃんを無視し、鈴ちゃんはすごい剣幕でナツへと詰め寄る。

 その様子をハラハラと見守っていたが、鈴ちゃんがとあるワードを言いかけたのを察してそれを遮った。

 瞬間、鈴ちゃんが身体をビクつかせてこちらに注目。俺に大声で呼ばれることが不慣れだからかも知れない。

 俺だって慣れてなんかないさ。なるべくなら、こんな非難するようなニュアンスを含めて他人に呼び掛けたりなんかしたくない。

 けど、だ。それでもそういった台詞だけは今のナツに言わせない。誰であろうと言わせてなるものか。そんなことナツが一番よくわかっているに決まってるんだから。

 俺は一度心を落ち着かせるために深く長く呼吸をしてから、鈴ちゃんを見据えてひとこと言い切った。

 

「ナツは女の子だよ」

「…………!」

 

 鈴ちゃんが言いかけた言葉とは、アンタ男でしょうがとかそんなのだろう。冷静でなかったにしても、今のナツに送るには残酷過ぎる言葉だ。

 わかっているに決まっていると言ったが、ナツ自身が一番わからないというのもまた正確なんだと思う。こう、自分の性別がどちらかってことは。

 けど、少なくともナツは女の子として生きようとしている。その様子はここ最近顕著なもので、俺に生じている混乱もそれが大きな要因だろう。

 俺の言葉に対し、鈴ちゃんは様々な感情が入り乱れているようだ。

 自分でもわずかながらに酷なことを言おうとしていた。そのことに対する戒め。そして、それでも納得がいかないという悔しさが主といったところか。

 

「……ごめん、出直すわ」

「む、まだ半分も話し終わってないぞ。時間が許す限り聞いていくといい」

「さっきからうっさいわ! ちょっとついて来ないでよ!」

 

 鈴ちゃんだってただ傍若無人なわけではない。自分に非があれば、素直に認めて謝ることのできる思いやりも持ち合わせた子だ。

 一気に脱力した鈴ちゃんは、多分だけどあらゆることに謝りながら去って行く。のだが、その背を追いかけられてまで箒ちゃんのトークを聞かされる気分はどうだろう。

 っていうか半分も終わってないって、無視している間もずっと喋っていたのに? ……次の休み時間までには落ち着いてくれていることを願っておこう。らしくなさ過ぎて、どう対応していいのかまったく見えないぞ。

 

「ナツ、俺たちも帰ろ――――」

 

 とはいえ今は授業合間の小休止。本来ならばトイレ休憩や次の授業の準備とかに使われるべき時間だ。

 移動含めてあまり猶予も残されていないだろう。ということで、ナツへ可及的速やかに教室へ戻ることを提案しようとしたところ、飛び込んでくるような勢いでナツに抱き着かれた。

 あまりに突然のことで混乱が生じてしまうが、ナツの様子がだんだんと俺の思考を冷静なものへと変えていく。どうにも嬉しかったりの感情だけでないような気配を感じたからだ。

 ナツの腕に込められている力はあまりにも必死で、まるでこちらにすがるかのような心情もにおわせる。何より、小刻みな震えが全てを物語っていた。

 

「……ありがとう」

「え?」

「……ありがとう」

「ナツ……」

 

 何事かを問うよりも前に、ナツはただひとこと、ありがとうと消え入りそうな声で言った。それが何を意味するか、理解すると同時に更に思考は冷静なものになっていく。

 多分ナツは、俺が女の子だとキッパリ言ったことに対して感謝しているんだろう。それでいて、どこか自分の生き方に迷いや後ろめたさがあるということなんだと思う。

 だから鈴ちゃんが言いかけたことも察していて、すがる様子とか震えはそこからくるものか……。

 もし鈴ちゃんがあの言葉を言い切っていたとするのなら、俺は――――初めて人を許せないと思っていたかも知れない。

 

「大丈夫だよ。大丈夫だから」

 

 基本的に慰められる場合が主なため、こういう時どうしていいのかはわからない。だから子供の頃母さんにされたことを思い出し、それを真似ることくらいしかできなかった。

 俺はナツの背中を撫でたり、軽くトントンと叩いたりしてみる。そして、ひたすら大丈夫だということを伝え続けた。

 こう言っては失礼なのかも知れない。ナツの悩みを軽視した発言かも知れない。けど、ナツが女の子じゃなかったらなんなんだって話でもあると思う。

 だって、探せばもっと女の子らしくない人は沢山居るはず。その点から言うなら、ナツは本当にとても可愛らしい女の子だ。だから、大丈夫だよ。

 俺はしばらくの間ナツに大丈夫だよと伝え続けた。それで次の授業に間に合ったかどうかだが、そのあたりはご想像に任せるとだけ言っておこう。

 

 

 

 

 




ハルナツ限界オタク箒ちゃん爆誕。
晴人が考察しているとおり、自己防衛能力が無意識下で発動しているだけですが。
とりあえず、臨海学校編までは原作らしくない箒が散見するかも知れません。





ハルナツメモ その15【ハルナツ】
本人たちの知らぬところで、このような呼称が使われている。
合言葉はハルナツはいいぞ。
だが何も応援しよう、サポートしようというような、キューピット的なことをしようということは全くない。
どうせそのうちひっつくので初々しい姿を見守ろうというのが主な活動方針である。
主な勢力は一組であるが、簪も支持者の一人。


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第25話 証明

あまり触れるべきではないと思ったんですが、どうしても言いたいことが。
某レジェンド・オブ・いちかわいい作品リメイク版、完結おめでとうございます。
相変わらず化け物じみた更新速度と内容の濃さでしたね。
ちょうど連載時期が被って戦々恐々とはしましたが、勝手に切磋琢磨させていただいたような気分で励みになっておりました。
私は私で、とりあえず完結目指して頑張ってまいりましょう。なお内容。


「なるほど。ありがとう、タメになったよ」

「いえ、このくらいお安い御用ですわ」

 

 放課後、セシリアさんを捕まえて少しばかりアドバイスを貰っていた。相談相手で察してもらえるかも知れないが、射撃のことに関してちょっと。

 ヘイムダルの射撃武装といえば黄色の弩砲(バリスタ)になるわけだが、全くと言っていいほど当たらないんだなこれが。

 セシリアさんとの模擬戦では初見という要因で当てさせてもらったという感じだが、速度さえわかってしまえば真っ直ぐ飛ぶだけなんで避けるのは易いみたいで。

 候補生ならまだしもなんだけど、箒ちゃんにすら避けられたのは流石にショックだった。どんだけ下手なんだ俺と愕然としたのは記憶に新しい。

 これはまずいとセシリアさんに相談したわけだが、やはり射撃型の機体に乗っているだけあって知識と経験は豊富で、とてもタメになる話を聞くことができた。

 後は生かすも殺すも俺次第。懇切丁寧にアドバイスしてくれたんだから、キチンと有効活用しないとな。

 

「日向くん……まだ居る……?」

「あっ、簪さん。こんにちは」

「簪さん、御機嫌よう」

 

 ではそろそろお暇をといったところで、簪さんが教室へ訪ねて来た。その手にヘイムダルの待機形態が握られていることから、頼んでおいたことの結果が出たのだろう。

 何かって、例の変身みたいな展開方法をどうにかできないかと相談してみたのだ。

 別に試合だけなら構わないが――――いや、構うけど、大いに構いはするんだけど……! とにかく、緊急時に展開が必要な時に、あんなことやってる隙があるわけないでしょうに。

 それこそ、変身中は攻撃しないのがお約束な敵キャラよろしく待ってくれるはずもない。要するに俺の命に係わる問題だ。

 

「整備科の先生と協力した結果……」

「結果……?」

「無事外せた……。今後は手にとってさえいれば展開できるはず……」

「あ、あぁぁぁ……ありがとおぉぉぉぉ……! 簪さん、本当にありがとう!」

「晴人さん、お気持ちはわかりますが何事かと思われますわ」

 

 特撮好きらしい簪さんとしては複雑な心境らしいが、どうやら例の機能はつつがなく解除することができたらしい。

 あまりの嬉しさに崩れ落ちた俺は、膝をついたままの状態から簪さんの手を取り何度も上下に振った。

 するとセシリアさんが大げさだとそっと耳打ち。確かに廊下からこちらを見た女子が、何事かと首を傾げていた。

 これはよくない。俺はともかく簪さんにまで迷惑が掛かりそうだ。それを理解した俺は、すぐさま簪さんの手を離して立ち上がる。そして待機形態のヘイムダルをホルスターへしまった。

 

「でも……製作者の意地は感じた……。システムに厳重なロックがかかってたから……」

「何が製作者の方にそこまでさせたのでしょう?」

(どんどん実の母って言いにくくなっていくなぁ)

 

 簪さんは顎に手を当てるような仕草を見せると、うむむと唸るようにかなり難しい案件だったと呟く。

 セシリアさんもヘイムダルの諸々から製作者がアレな人だとは察していたようで、今の言葉を聞いて更に評価を変人にランクアップ? ダウン? させたようだ。

 別に母さんそのものは当然家族として好きだけど、母さんが製作者と知れたら恥ずかしくてやれない。言う必要がないから教えなかったが、速やかに自白しておいた方がよかったかも。

 それはいいとして、アドバイスやヘイムダルの件の他にもひとつ聞いておきたいことがあるんだった。聞き込みできる人数が増えたからちょうどいい。

 

「ところでだけど二人とも、ナツを知らないかな」

 

 本当は声をかけようと思っていたんだが、こちらに一瞥もくれずに教室を出てしまうものだから気後れしてしまった。

 いくら俺とナツが家族同然だからといって過干渉はよくない。そう考えてセシリアさんに手解きを受けていたわけだが、どうにもナツのことが頭にちらついてならなかった。

 同室であるからいずれは会える。だが放置しておくにはあまりにも捨て置けない出来事が起きてしまっているのは事実。

 いくらナツでも自棄になってヤケを起こしているということはないだろうが、様子くらいは確認して然るべきというやつだ。

 

「一夏……? ……そういえば見かけない……」

「わたくしも心当たりはありません」

「そっか」

 

 しかし、残念ながら二人とも心当たりはないらしい。

 俺の知らない所で放課後の予定でも聞いていればと思ったんだが、そう都合のいいことはないか。やはり自力で探すしかないらしい。

 とはいえ、手掛かりがまったくないわけではない。ナツの行動パターンは把握しているつもりだし、脳内にある候補をいくつか当たれば正解を引けるだろう。

 そうとわかれば早速行動に出るとしよう。おっと、その前に二人の時間をいただいたことにキチンと感謝をしなければ。

 

「二人ともごめん、俺の用事に時間を使わせてなんなんだけど――――」

「お気になさらず、一夏さんに御用とあらばお急ぎください」

「日向くん……また明日……」

「ありがとう。また明日!」

 

 両手を合わせてまずは謝罪から入ろうとしたのだが、二人とも皆まで言うなみたいな様子で俺を見送ってくれた。

 俺は本当に友達に恵まれているものだ。そう心中で噛みしめつつ、二人に感謝しながら教室を出てナツの捜索はスタートした。

 どの候補から攻めたものか。ひとまず消去法として訓練という線は消える。アリーナの使用申請をしたという話は聞かない。

 部活という線も……ないかな。ナツは剣道部所属で、部活がある日はいつも箒ちゃんと連れ立って教室を出ていく。箒ちゃんが追いかける様子もなかったから、休みって可能性が高そうだ。

 だとするなら、やっぱりあそこだろうか。一人でいる時に見かけたことは一度じゃないし、やっぱり確率が高そうな場所から向かうべきだ。

 方針が決まった俺は、教師に見つかっても注意を受けなさそうな速度で走り出した。俺の懸念が杞憂であることを祈りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一夏」

「あっ、鈴。どうかしたの?」

 

 放課後、とある場所を目指して歩いていると、鈴に呼び止められた。待ち伏せでもしていたんだろう。

 それにしても、どうかしたのかとは我ながら白々しい。どうかするに決まっているよね。結局話は平行線で終わっちゃってたんだし。

 鈴も今朝のことを気にしているのか、話しかけたというのになかなか口を開かない。それどころか、ああでもないこうでもないと考えが錯綜しているようだ。

 けど、そんな鈴に私もかける言葉が思いつかなかった。別に今朝のことに怒っていたりとかはないけど、こちらとしても気まずいのだ。

 話しかけたのは自分という手前もあってか、最終的に話を切り出したのは鈴の方。少し身体を脱力させると、うなだれるように頭が下がった。

 

「ごめん。一夏が一番難しい状況なのに、アタシ、あんなこと」

「ううん、鈴の言葉そのものは間違ってないと思うから」

 

 鈴は昔から自分の非を認めない方だ。そんな意地っ張りな性格だというのに、聞いたこともないトーンで謝られて逆に困惑してしまう。

 でもそれだけ悪く思ってくれているということは伝わった。怒ってはいないが気にしていないということはなかったけど、謝ってくれたんだからこれ以上私から言うことは何もない。

 それに、鈴の言葉も間違ってはいなかった。私は女だといくら自分に言い聞かせたところで、根底に眠る男という事実ばかりは覆せないのだから。

 私の中に渦巻く靄はそれなりに濃いが、いたずらに関係を悪化させたくないから鈴は謝りに来たんだ。寛容な心で受け止めなくては。

 しかし、鈴もただ謝りに来ただけということはないみたい。またもやとても言いづらいことなのか、引き続けて重々しく口を開いた。

 

「一夏、アタシと賭けをしてくれないかしら」

「賭け? 乗る乗らないは内容にもよると思うけど」

「今度のクラス対抗戦で、ちょっと思いついたことがあるの」

 

 鈴が私に賭けを仕掛けてきた。かつて何度か聞いたようなことだが、今回は負けた方が奢りとかそういうのではないのだろう。

 あまりにも不利な内容ならキッパリと断ることも視野に入れて話を進めると、勝ち負けに関してはクラス対抗戦にて決定するつもりらしい。

 ジャンケンとかコイントスとか運の要素が強い内容は避け、私たちの実力によるところを影響させるためかな。後腐れのようなものも少ないはず。

 私だって代表候補生だ。千冬姉のコネは大いにありながらも、後は己の実力を示してこの座に就いたと自負している。挑まれるぶんには問題はなく、受けて立つといったところか。

 だが、それは何を賭けるかということを聞いてからだ。鈴の様子と、話の流れからしてだいたいの予想はつくけどね。

 

「アタシらが直接対決した場合はその勝敗。当たらなかったらよりコマを進めた方が勝ち。一夏が勝ったら、アタシはもうアンタの生き方にとやかく言わない。けど――――」

「私が負けたら、真面目に男に戻る方法を探す?」

「……わかってんじゃん。一夏の気持ちも本気っぽいし、こんなことホントはしたくないんだけどね。けど、それでもアタシは大人しく引き下がるわけにはいかないの」

 

 私の予測は正しく、鈴の言う賭けとは私のこれからに関することだった。

 私がハルに恋したことにどうして鈴が怒るのか、鈴が私が男に戻ることに拘るのか。初めはそれがどうしてもわからなかった。

 だけどこの感じ、多分だけど鈴もかつての私を好いていてくれたのではないだろうか。それを今指摘して、素直じゃない鈴が認めてくれそうにはないけどね。

 それは、なんというか、箒の件も重ねて大変申し訳なく思う。全く気付くことができなかったということは、さぞかし鈴を傷つけてしまったことだろう。

 正直、受けたくのない賭けだ。勝負の世界に100%はない。自信はそれなりにあっても、私の生き方に関して賭けるようなことはそもそもしたくはなかった。

 でも鈴の気持ちに気づけなかったこと、そして引き下がることのできないという台詞が私を突き動かす。

 そのとおりだ。こっちだって引き下がってやるわけにはいかない。ハルへの想いを引き下げるわけなんかにはいかない。

 

「その賭け、乗った」

「アタシが仕掛けといてなんなんだけど、てっきり断られるもんだと思ってたわ」

「私のハルへの想いの証明にしてみせるから」

「あ、そ。はいはい、ごちそうさまでした。……決着、できれば直接対決でつけれたらいいわね」

「……うん」

 

 堂々とそう宣言してやると、鈴はまさかの展開だと渋い表情を見せた。本当にいいのかという意味も込められていそう。

 大丈夫ではないが、ハルのことを諦めなくちゃならなくなるのなら気合の入れようが違う。もし負けるようなことがあるのなら、それは私のハルへの想いが足りなかったのだと本気で思う。

 そんな私の言葉に対し、鈴は演技がかったような呆れた態度を示す。でも背を向けた直後の言葉は、絞り出すかのような声色だった。

 そのまま軽く片手を挙げて去って行く鈴の小さな背中に、私は曖昧な返事で答えることしかできなかった。その代わりということではないが、鈴の姿が見えなくなるまで注目を続ける。

 

「……アリーナの申請、しておけばよかったな」

 

 鈴が見えなくなり次第、歩みを進め始めた私はそんなことを呟いた。絶対に負けられなくなってしまったのだから、せめて悔いのないように訓練を沢山しておきたい。

 でもあまりに突発な出来事だ。今のを予期して申請なんてできるはずないんだから、今日は大人しく休養を取ることにしよう。

 だが残念、当初の目的からして今日はただの休養にはなりえない。ちょっとだけ考えたいことがあって、一人になれる場所を目指していたんだから。

 

「ふぅ……」

 

 たどり着いたのは学園の中庭だ。昼休みなんかはちらほら生徒を見かけるが、放課後ともなると用事がないのか人通りすら皆無になる。

 この場所は好きだ。ここからボーッと沈みゆく夕日を眺めるのがなかなかに悪くない。いわゆる黄昏る、というやつだろうか。

 あまりそういうのは柄でもないのはわかっているが、どうもこの身体になってからは考え事に費やす時間が増えたような気がする。

 私は背伸びをしながら溜息ひとつ。そしていくつか設置してあるベンチに腰掛けると、夕日のある方角に頭のみを向けた。

 

「私はいったい何者ぞっと……」

 

 私が織斑 一夏であるという事実は揺るがない。男だったという事実もだ。だからこそ、それらをひっくるめて今の私があると思っていたんだけどなぁ。まさか鈴の悪気のない言葉にああも動揺してしまうとは。

 それを思えばハルには情けないところを見せた。……けど、あんなに優しく包み込んでくれるなんて思ってもみなかったな。

 私のことを女の子だと言ってくれて、大丈夫だと慰めてくれた。あの時のハルには大いに男性というものを感じたものだ。

 なんていうか、惚れ直した。あの温もりを独り占めしたい。私以外に向けてほしくないと思う程度には。

 こんなにハルのことが好きなのに、今の私は絶対女の子に近いものなはずなのに、どうして最後の最後まで自信を持つことができないのだろう。

 私は俺で俺は私。私は男で俺は女。そんなただひとつの矛盾が大いに私を苦しめる。どう足掻いたって完璧な女の子になれない私は、どうやって俺と向き合っていけばいいんだろう。

 

「ナツ! やっぱりここに居た」

「ハル!? ど、どうしてここが?」

「前に一度、校内からキミを見かけたことがあったから」

 

 誰一人として会うことはないだろうと思っていた矢先、ハルの声が聞こえたものだから心底から驚いてしまう。

 時折こうして黄昏ていることはハルにも話してはいない。校内を走り回ればいつか見つけられるかも知れないが、そう私を探し回った様子は見受けられなかった。

 話を聞くと、絵になりそうな被写体を求めて校内を歩き回っていた際に私を見かけたんだとか。だからと思って来てみれば、ということらしい。

 

「あの、隣、座ってもいいかな」

「う、うん、勿論。でも、ハルは何しにここへ?」

「いや、特に何があるわけでもないんだけど」

 

 またもや白々しい言葉が私の口から飛び出て、思わず自分でも笑ってしまいそうだ。何しにって、ハルは私を心配してくれているに決まっている。

 それこそ情けないとこ見せたんだし、一応は慰めてもらったけど、それで済むようなことだと思ってはいないらしい。

 自分のことは抱える癖して、他人のそういうのには敏感なんだから。そういうところもハル特有ではあるんだけどね。

 こういう時のハルは、人が欲する言葉を的確に提供してくる。しかも普段の弱弱しい調子が嘘みたいにハッキリと。何度でも言うけど、ギャップが凶悪すぎる男だ。

 

「難しいことだとは思うんだけどさ、どうするのか、どうしたいのかはナツにしか決められないことだと思うんだ。……言われなくてもわかってるよな。えっと、俺が言いたいのはそういうのじゃなくて……」

「うん……」

「ナツには好きに生きてほしい。男としてだって女にしてだって、自信が持てないんなら俺が証明になってみせるよ」

 

 ハルはベンチに腰掛けると、しっかりとこちらの目を見据えて思いの丈を述べ始めた。

 内容としてはやはり今朝の件の続きのようなもので、私が先ほどから大いに頭を悩ませていること。

 ハルも自分の中で考えがまとまっているわけでもないのか、言葉を選ぶ姿はまるでパズルでも解いているかのよう。

 一度目は上手くピースがはまり切らなかったのか、少し乱暴に髪の毛を触ってから違うと眉間に皺を寄せる。何をナツが頑張るしかないなんて結論付けてるんだ俺は、とか思ってそうだ。

 けど、次いで告げられた言葉はあまり意味がわからなかった。私の理解が及んでいないのを察知したのか、ハルは少し困った様子で切り出した。

 

「た、例えば、あくまで例えばの話なんだけど! ナツ、俺と、デッ、デデデ……デート、しようか」

「…………え?」

「いやほら! デートって概念は異性同士が二人きりで出かけることを指すわけで、そしたら俺とナツでデートが成立するならそれはナツが女の子ってことになるっていうか!」

「ハ、ハル、とりあえず落ち着こう? なんか論点ずれ始めてるから」

 

 ハルに落ち着くよう促すも、それは私も自分に言い聞かせている節があった。だって、今私はハルに耳を疑うようなことを言われたっぽいのだから。

 向こうも自分が取り乱していた自覚があるのか、私の言葉に顔を真っ赤にさせながらそうだねとひとこと。

 しばらく咳払いしたり深呼吸したりして心頭滅却しているハルを眺めつつ、私も密かに心を落ち着かせるようつとめる。

 そしてようやく本調子に戻ったのか、ハルは少し俯き加減ながらも先ほどの言葉の真意を語り始めた。

 

「……俺は、ナツが女の子として生きたいなら、俺もナツがそうあれるように生きたいって思うんだ。だからそういう意味。俺は、俺が、ナツが女の子である証明になりたい」

 

 あまりにも突飛に感じられるデートの約束。蓋を開けてみれば、なんということだろうか。そのような真意が隠されていようとは。

 今度は泣いてしまいたい衝動を必死に抑える。嬉しい時の涙って、なんだかネガティヴな感情で出る涙より抑えが聞かない気がするな。

 だって、そんなの泣きたくなるに決まってるじゃん。この男は自分が何を言っているのかわかっているのだろうか。

 ハルの言った自分が証明になるという言葉の真意。唐突に切り出されたデートの真意。それは、自分が女の子扱いしてるんだから女の子だっていう、今の私には心の奥底に強く響く言葉だったのだから。

 

「それ、いつまで証明でいてくれる?」

「前と同じだよ。ナツが望み続ける限りは、それに全力で答えてみせるとも」

「……そっか」

 

 現在はまだ情熱的な意味が含まれていないことはわかっている。けど、こうしてまた言質が増えてしまったというわけだ。

 ……ハルがその気なら、こっちだって本気でいくもん。ずっと、ずっと、ずーっと、未来永劫に私が女の子である証明になってもらおう。

 そしていつしか、必ず振り向かせてみせる。私が望むんじゃなくて、ハルが望んで私と共にありたいように思わせてみせる。

 無論、それは男女の関係という意味でだ。もう私には親友でも姉弟でも相棒でも足りない。ハルに愛されるただ唯一の女になりたい。

 

「ハル」

「な、何?」

「その申し出、喜んで受けさせていただきます」

「あ、え? デ、デートのこと? そ、そう……か。うん、わかった。プランは考えておくから、対抗戦が落ち着いたら二人で出かけよう」

 

 あくまで例え話と前置きしていたのは本気なのか、私がデートをOKしたのがかなり意外と見える。

 ハルは喋り始めのあたりで声を裏返らせていたが、大きく取り乱すようなことはない。わかったと了解の意思を示した頃には、薄い笑みが出るくらいには完全に落ち着いたようだ。

 それにしても、対抗戦が終わったら……かぁ。うん、これは鈴に負けられない理由が増えてしまった。賭けの内容的に、負けた後のうのうとデートってわけにもいかないだろうし。

 よし、じゃあ合言葉は勝ってハルとデート! これで行こう。なおさら負けられなくはなったけど、俄然やる気は沸いてきた。

 

「ん」

「ん、って指切り? まぁ、うん、それじゃあ――――」

「「ゆーびきーりげーんまーん」」

「嘘ついたらフルパワーれいらくびゃ~くや!」

「怖っ!? というか死んじゃうでしょうに!」

 

 私が小指だけ立てた手を差し出すと、意図を察したハルは同じく小指を立てて互いに絡ませ合った。そしてお約束の言葉のリズムに乗せて手を上下させる。

 本来なら針千本飲ますが正しいが、私は盛大なアレンジを加えて約束を破った際の罰に最大出力の零落白夜を取り付けた。勿論冗談だが。

 でもこういう場合にハルのツッコミ速度はすさまじいもので、まさに阿吽の呼吸といったふうにツッコミが返ってきた。

 こうなると楽しいもので、ボケにボケを重ねたくなっちゃうんだよねぇ。ハルも律儀に延々ツッコんでくるし。というわけで、今回も例によってボケ倒し&ツッコミ倒しがスタート。

 

「さーて、どこまで本気でしょうねぇ」

「僅かでも本気である可能性を含ませないでいただきたい……!」

「じゃあ青色の塔盾(タワーシールド)は構えてていいよ」

「何も変わってないじゃないか! エネルギーシールドだから結局は俺ごとバッサリじゃないか!」

 

 シレっとした様子でベンチから立ち上がって歩き出すと、ハルは慌てるようにしてその後ろを着いてきた。

 そうしてボケとツッコミの応酬が過熱するのに合わせるかのように、私たちの足取りは自然と加速の一途をたどる。

 最終的には鬼ごっこ同然のようになり、校内を走り回る形になってしまった。我ながら、さっきまで悩んでいたのが嘘みたい。

 そして肝心のオチだけど、間の悪いことに千冬姉に見つかってしまったとさ。そのまま一時間強にもわたるお説教コースである。

 やっと解放された頃には正座によって足腰は立たず、二人して肩を貸し合いながらゆっくりゆっくり自室へと戻る私たちであった。

 

 

 

 

 




やっとこさ……やっとこさデートの約束まできたぞぉ!
でもその間に挟まるのは対抗戦。ただで済むわけねぇよなぁ。
まぁなんです。この対抗戦も晴人にとって大きな意味を成すので多少はね?
というか、ようやく晴人と一夏で掲げるひとつのテーマに触れられそうです。





ハルナツメモ その16【デート】
二人の家庭事情の関係上、当然ながら二人きりでの外出等は描写していないだけで多々ある。しかし、決してデートではないというのが共通認識。
今回晴人がデートと発言したということは、一夏ちゃんのことをより女性として意識しているということの現れである。


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第26話 テーマを掲げろ

長い癖して展開が遅いです。
というのも、ここから四話構成みたいなものでして。
もっと言うなら、この話は起承転結における起です。
ほとんど実りはないですが、どうか宜しくお願いします。





以下、評価してくださった方々をご紹介!※順不同

雪ん狐様 小傘様

評価していただいてありがとうございました!


 とうとうこの日が、クラス対抗戦の本番がやってきた。私にとってはあらゆることに審判がくだる日と言ってもいいのかも知れない。

 やれることはやったし覚悟も決めた。後は本番で結果を残すだけだ。しかし、対戦表を見るに運命めいたものを感じずにはいられなかった。

 ピットへ向かう道中にいくつも掲げてあるモニターには、第一試合のカードが表示されている。そこに映し出されているのは私と鈴だ。

 賭けを取り決めた私たちがいの一番に対戦とは。どうにも神様とやらは私に試練を与えるのがお好きなようで。まぁ、変に焦らされるよりはましだろうか。

 

「ナツ」

「ハル! ふふ、わざわざ見送りに来てくれたんだ」

「うん、そんな感じ。とりあえず、いつものアレはしておいた方がいいんじゃないかって」

 

 脳内で鈴との早期の決着がいいんだか悪いんだかと唸っていると、前方から私を呼ぶ声がして一気に意識が引き戻された。

 ピットの出入り口付近に居たのはハルだ。その姿を確認するのと同時に、自分でも笑ってしまうほど露骨に喜んでしまった。

 そのまま駆け足で距離を詰めると、下から覗き込むようにしてここに居る理由を尋ねた。するとハルは、少し恥ずかしそうにしながら見送りの儀式をしに来たのだと言う。

 子供の頃に考えたものを大事にしてくれているのはすごく嬉しいし、それをやるためだけに姿を見せてくれるのも嬉しいなぁ。

 

「調子はどう」

「ハルの顔見たら元気100倍」

「そ、そう? ならよかったんだけど。え~っと、それじゃあ、応援してるから。頑張って」

「うん、頑張る!」

 

 様式美がてらに調子を尋ねてきたんだろう。ハルの言葉に二ッとしながらありのままの答えを返すと、またしても恥ずかしそうに視線をそらした。

 でも当初の目的を思い出したのか、無理矢理にでも調子を戻してエールを送る。私はそれに意気込みを示すかのようにして、見送りの儀式という名の連続ハイタッチを行った。

 パチンパチンと小気味よく手が打ち合う音が廊下に響き渡り、その反響が消えるのと同時に私たちは微笑み合う。

 後はこれ以上の言葉は不要と、どちらともなく背を向け合ってそれぞれの歩くべき場所へと進んだ。

 ピット内に入ってみると、もうすでに出撃準備そのものは整っているようだった。後は私が白式を展開してカタパルトへ乗るだけと。

 

(白式、力を貸して)

 

 勿論だが負けていい試合なんて存在しない。けれど賭けの内容からしてこの一戦は大一番というやつになるだろう。

 日ごろ世話になっている相棒に内心で呼びかけると、そこから装甲を展開。なんだか気持ちいつも以上に装甲が馴染むような気がした。

 そのことを白式が応えてくれているんだと勝手に解釈し、カタパルトに両脚部をつけた。

 ゲートの表示がグリーンに変わるまでのわずかな間。私はそこで適度な緊張を味わいつつ更に調子を整える。

 そして表示されるGOの二文字。私は半ば条件反射じみた速度で白式を操作し、一気にゲートから飛び出た。

 

「一夏、アンタかっこいい機体に乗ってんじゃん」

「鈴こそ、トゲトゲしい感じがかっこいいね。ロックンロールって感じ」

「んなこと言われたのは初めてだわ。相変わらず独特な感性してんのね」

 

 お互いに公平を期すため、なるべく乗ってる機体の性能だのといった情報戦はなかった。ディティールすらここで初見となる。

 うんうん、白式のことは私も気に入っている。このウィングスラスターが特に。相棒を褒められると自分のことのように思えるね。

 社交辞令というかお返しというつもりもなく、鈴の乗っている甲龍なる機体も普通にかっこいいと思うので私も褒めておく。

 でも機体の大半を占めるカラーリングのそれは何色なんだろう。ピンクでもないし赤でもないって感じだ。後でハルに聞いてみよっと。

 

「ま、世間話はこのくらいにして――――一夏、負けないわよ」

「うん、私も負けない。負けられないの」

 

 鈴の朗らかな雰囲気は一瞬にして消え失せ、気づいた時にはまるでこちらを殺さんとばかりに鬼気迫る様子を見せつけられた。それだけの想い。それだけの覚悟ということなのだろう。

 思わず呑まれてしまいそうになってしまうが、ふと頭にハルの姿が過る。……うん、合言葉は勝ってハルとデート……だったよね。

 それを再確認した私は、鈴と同じく覚悟を抱いた姿を見せられた……と思う。だって殺気の出し方なんて知らないし。

 でも鈴のニヒルな笑みを見るに、それなりのものは伝えられたと思う。後は、私の想いの強さを示すのみだ。

 

『試合開始』

 

 今ここに、決戦の火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーい、みんな!」

「晴人か? 急に消えるものだから心配したぞ」

「まぁ、どこにいらっしゃったかは予想がつきますけれど」

「日向くんもなかなか過保護……」

 

 アリーナ内のモニタールームでみんなの姿を見つけた。嬉々として声をかけてみると、それぞれに思い思いのことを述べられる。

 箒ちゃんの言葉はもっともで、本来は俺もみんなと一緒にここへ向かう予定だったんだ。

 けど鈴ちゃんに限らずクラスの代表として出場しているから大事な時に該当するんだろうし、そうなると通例どおりに見送らないとこっちが落ち着かなくて。

 セシリアさんの含みを込めた笑み、それに簪さんの過保護という指摘は心外だが、こっそりと抜けてナツに会ってきたということだ。

 

「簪さん、試合の準備とかはいいの?」

「うん……。一夏の試合が終わってからでも問題ない……」

 

 そういえばというふうに思い立ったのだが、四組のクラス代表である簪さんが当たり前のようにこの場に居るのが気になった。

 すると余計なお世話なようで、第一試合が終わってからでもなんら問題ないそうな。とは言ってもナツの白式は短期決戦型だし、油断をしてるとすぐ決着がついてしまうのではないだろうか。

 ……と、考えていた俺は鈴ちゃんをなめ切っていたんだろう。軽い調子でモニターに目を向けて愕然とした。なにせ、そこにはナツが攻めあぐねているナツが映っていたのだから。

 あれはなんだ? わずかに空間の歪みのようなものが見える。それでナツはその歪みを必死に回避している様子だ。端からではさながらパントマイムのようにも感じられた。

 

「鈴ちゃんはいったいどんな攻撃を?」

「衝撃砲、ですわね」

「空間を圧縮固定し砲身を形成……。その際に余剰で発生した衝撃そのものを発射……する兵器だったと思う……」

「つまり空気砲か? 視認できんとはまた厄介な」

 

 俺では全く予想がつかなかったが、代表候補生二人は思い当たる節があるようだ。

 簪さんの解説を聞くに原理はわかった。それに伴いナツの不可思議な回避行動の謎も解けたも同然であろう。

 箒ちゃんが言った通り、あれは兵器クラスの空気砲。鈴ちゃんの肩付近に浮いている非固定のアレがそうかな。

 空気が透明であることなど当たり前で、子供ですら疑問に思うことはないだろう。だがその単純さが、鈴ちゃんの勇猛果敢な性格と上手く噛み合っているらしい。

 恐らく鈴ちゃんの機体は中・近距離戦を想定されている。

 先ほどから振り回している二振りの極大青龍刀で斬りかかり、離脱を図ろうものならその隙を衝撃砲で攻撃。相手が防御しても結果は同じだ。

 つまり、青龍刀か衝撃砲のどちらかの餌食になる道を選ぶしかないということ。ナツのように避け続けない限りはの話だけど。

 

「……相変わらずとんでもない……」

「ええ。一夏さん、わずかに動く彼女の視線を参考にして避けてますわね」

 

 そう、ナツはなんだかんだと言って避け続けてはいるんだ。いくら白式が高機動の機体とはいえ、それだけで片付けるにはあまりにも粗末に思える。

 するとナツと共に切磋琢磨した身であろう簪さんは、呆れるような畏怖するような、複雑な表情でとんでもないという評価を下した。

 何がとんでもないかを聞く前にセシリアさんが解説を入れてくれたが、もしそれが本当ならとんでもなく規格外だな。

 確かに射撃の際には狙っている方向を無意識に見てしまうようなこともあるらしいけど、それを主なヒントとして見えない攻撃を回避し続けるとは。

 

「おい、一夏が仕掛けるぞ!」

「真正面から!? あの方は何を考えているんです!」

「多分、今までのは慣らし……」

「うん、弾速や効果範囲をだいたい把握できたってことなんだと思う」

 

 ナツが急カーブして方向転換をしたのに合わせて、箒ちゃんがモニターを指差しながらそう叫んだ。

 するとナツは小細工なしの真正面から鈴ちゃんに突っ込んでいくではないか。これには思わずセシリアさんも驚愕の声を上げる。

 だけどそんな心配はない。根拠はないが、なんとなくナツがただ攻め手が見えずに避け続けるようには思えなかったからだ。

 どうやらこの点については簪さんと意見が一致したようで、そう、早い話が慣れたから大げさに避ける必要がないということなんだと思う。

 ナツは右脳派か左脳派かで例えるなら間違いなく前者のタイプ。天性のセンスともはや予知能力にも近いであろう勘が大きな武器だ。

 抜群の操作技量による接近からの一撃必殺こそがナツのファイトスタイルとなる。つまり、高機動性と零落白夜を備える白式もナツと相性がいいとみてよさそうだ。

 

「一夏の勝ち……」

「ああ、凰のやつは明らかに冷静さを欠いている」

「見えない攻撃を、見えてるように避けられるのはそりゃ焦るよね」

「わたくしは大いに気持ちがわかりますわ……」

 

 効果範囲や連射速度ないし回数を図ることができたのなら後は簡単――――いや、簡単ではないけどね、明らかに常人から逸脱した離れ業ではあるわけだが、ナツは鈴ちゃんとの距離を秒読みで詰めていく。

 必要最低限の動きで進路を細かく変え、それにフェイントも加えることで完全に鈴ちゃんを手玉に取っている状態だ。

 そんな二人の明らかな力関係を見てか、簪さんはナツの勝利を確信したかのような力強い口調で呟いた。声量そのものは相変わらずか細いけれども。

 鈴ちゃんもきっと、衝撃砲の視認が困難という単純でわかりやすいアドバンテージを信頼していたことだろう。

 だからこうも避けられることは想定していなかったろうし、その恐怖に駆られたかのような表情を見るに初めての経験と見た。

 そんな鈴ちゃんの姿にデジャヴを覚えたのはセシリアさん。確かに、BT四基による猛攻を割と簡単そうに避けられていた際に似たような表情をしていた。

 ナツはきっと、刀一本という白式の仕様で勝つ方法を考えたとき、避けて避けて避けぬくことが最適解だという結論にたどり着いたのだろう。

 前述したとおりにそれがナツの持つ天性のセンス、そして操作技量にピッタリハマったわけだ。やっぱりナツはすごい。まるで簡単そうにやってのけてしまうナツが、とても誇らしかった。

 

「そこだ、ナツ!」

 

 誇らしいついでにエキサイトした俺は、モニターに映るナツに呼び掛けるようにそう叫んだ。拳を掲げ、最初で最後の一太刀を見せてくれという想いを込めて。

 単なる偶然ではあるが、それと同時ほどにナツは鈴ちゃんを射程範囲に捉えた。そして、愛刀である雪片を振り上げ、万物を斬り裂くかのような強烈なひと振りを――――浴びせることはなかった。

 ナツは何かに気が付いたように首の方向を捻ると、雪片を振り切ろうとしていた手を止めて更に速度を上げた。

 そして、突進するかのように鈴ちゃんに抱き着いた次の瞬間のことだ。画面から目の眩むような光が放たれ、スピーカーから割れんばかりの音が鳴り響き、立っていられないような衝撃が地を走る。

 

「な、何ごとです!?」

「みんな、俺につかまって!」

「ありがとう……!」

「すまんな、支えに使うぞ!」

 

 本当に揺れが大きくて転倒の危険を感じるほどだった。

 これには俺も男としての本能のようなものが働き、周囲にいる三人に転ばないよう自分を掴むよう呼び掛けた。

 呼びかけに答えた三人が服や腕に掴まったのを確認すると、両の足をしっかり地に着けこれでもかというくらいに踏ん張る。

 俺がこけては本末転倒だ。みんなに怪我をさせるわけにはいかない。そう自分に言い聞かせ耐えることしばらく、さほど長時間でもない揺れは自然に収まっていった。

 やがて三人も俺に感謝を述べながらその手を離した。と、同時に代表候補生二人の行動に移すのが早い。手早く他の女生徒に怪我人がないか確認を始めた。

 こ、こうしてはいられない。それなら俺も――――と、意気込んで周囲を見渡し始めたその時、モニターに映るソレに反応を示してしまいそれどころでなくなってしまう。

 

「あれは、いったい?」

「日向く――――な……? あれは、Ⅰ……S……?」

「これは一刻を争う事態ですわね。晴人さん、簪さん、急ぎ織斑先生のもとへ!」

 

 モニターに映っていたのは、どう形容していいのかわからない何かだ。簪さんの抱えた疑問のように、確かにISであることは確かみたい。

 しかし、こう、なんだか取ってつけたかのように思える。ボディラインが女性を思わせる、膨らむところは膨らみ、締まるところは締まるところが特に。

 そして巨大な掌、不自然に長い手足、首がなく胴体から生えるかのような頭部と何もかもが異質だ。ヘイムダルのようにただ異質なのでなく、異質で、不気味で、あまり視界に留めてすらおきたくないように思える。

 俺と簪さんは愕然としてしまうが、セシリアさんの堂々とした声に現実へ引き戻された。なるほど、状況把握のためにフユ姉さんを頼ろうってことか。

 簪さんだけじゃなくて俺も呼ばれたのは、一応だが専用機持ちだからであろうか。よ、よし、もしもの時はせめて足手まといにならないようにしないと!

 

「……ああっと。箒ちゃん、すぐ戻ってくるから!」

「あ、ああ、気を付けるんだぞ」

 

 事態が急なのはわかるが、どうも無視するようで心苦しかったので箒ちゃんに一声かけておく。

 こんな状況ともなれば箒ちゃんも不安なのか、それとも一夏を始めとした俺たち専用機持ちが心配なのか。真偽のほどはわからないが、戸惑いながら俺の言葉に答えてくれた。

 本当はもうちょっと何かあってもよかったような気がするが、セシリアさんと簪さんは既に駆けだしている。これ以上は遅れるわけにもいかないので大人しく二人を追いかけた。

 流石に走力で二人に大きく劣ることはなく、ちょっぴり気合を入れて走ったらすぐ背中につくことができた。後はそのままフユ姉さんの居るであろう管制室の中へ直行だ。

 

「織斑先生、簡潔に状況の開示を求めますわ!」

「……お前らか。勿論その要求は呑むが、悔しいことに芳しくない報告しかできんぞ」

 

 管制室の中は慌ただしく教師の皆さんが走り回っていた。

 そんな中でフユ姉さんの悠然たる立ち姿は目立ち、すぐさま見つけることができた。しかし、声をかけたのと同時に、よくないことが続いていることを示唆するような発言で迎えられる。

 まずあの異形がISであることは間違いないらしい。しかし、未登録のコアを使用しているらしく所属等有益な情報は得られないそうだ。

 そして、外部からのサイバー攻撃か何かでシステムを掌握されたも同然の状態に。今はあらゆる扉がロックされてしまっているらしい。そ、それってつまり――――

 

「避難も援護も……!?」

「そうだ。教師や上級生が処理に当たっているが、果たして間に合うかどうか」

「そんな……。それじゃ、ナツと鈴ちゃんを信じて待つしかできないんですか!?」

 

 簪さんはナツを恩人だと言っていた。そんなナツがほぼ孤立無援の状況で、アリーナのシールドをも破壊する装備を備えたISと交戦せざるを得ないという事実に珍しく感情をあらわにした。

 かくいう俺もそうだった。そのせいで、努めて冷静であろうとしているフユ姉さんにわかり切ったことを聞いてしまう。しかもそのニュアンスはまるで非難するかのよう。

 

「無論すべての扉が電子ロックということはないが、逆に混乱を招く可能性があると考えるとどうも――――」

 

 フユ姉さんは少しだけ表情を苦いものに変えると、思い悩むかのようにそう呟いた。曰く、不足に事態の備えそのものはあるとか。

 外部からのサイバー攻撃で各扉がロックされた時に備え、手動で開く非常口はいくつか用意されているそうだ。

 しかし、あくまで侵入できるのは観客席まで。つまり、アリーナのシールドに阻まれて援護するまでには至らない。しかもこのパニック状態が事態を悪化させていた。

 今現在、客席で観戦していた生徒たちはパニック状態。多くの生徒が開く保証がない電子ロックの出入り口に殺到している。

 これだけでも危険だと言うのに、脱出できることがわかれば我先にとなってしまうのは目に見えている。将棋倒しのリスクを更に高めることになるだろう。

 

「――――とはいえこの状況に甘んじているわけにはいかんか。お前たち」

「「「はい!」」」

「それぞれ分かれて手動の非常口を解放せよ。ただし、それら全てISを展開して行え。押しつぶされては話にならん。そして、援護可能な兆候が見えるまではそのまま避難誘導に当たれ」

 

 そう、アリーナのシールドを破壊できるのだから、あのISの操縦者がいつ観客を人質にとるともわからない。ならば速やかに避難を進めるべきだ。

 フユ姉さんとしても苦肉の策と言いたげだが、俺たち三人の専用気持ちに的確な指示を与える。どうやら開放する方針で進めるらしい。

 指示を受けた俺たちは再度大声で返事をし、専用機へと送られたデータを参照に三手に別れ行動を開始した。

 この中では最も体力があり走る速度も速いであろう俺は、現在位置から最も遠い非常口に全速力で向かう。息を切らしながら隔壁の前に立つと、そこでヘイムダルを展開。

 

「位置、着きました!」

『同じく……』

『わたくしもですわ!』

『よし、随時解放を始めろ。断っておくが、解放と同時にするべきなのはまず生徒たちを落ち着かせることだからな』

 

 オープンチャンネル設定になっている通信機に叫べば、耳元でフユ姉さんたちの声が聞こえた。他のみんなも準備オーケーみたいだ。

 そして非常口を開ける前にフユ姉さんがひとこと。確かに俺たちの役目はここを開けるだけじゃなく、より安全かつ迅速に生徒を避難させることにある。

 苦手分野だがやるしかない。深呼吸してから意を決した俺は、隔壁に書いてあるガイドラインに沿って非常口の開放を始めていく。そして――――

 

「あ、開いた! 開いたわ!」

「やっと逃げれるのね!」

「みなさぁぁぁぁん! とりあえずいったん落ち着きましょうっ!」

 

 非常口の開放と同時に、やはりフユ姉さんの危惧したとおりの現象が起きかけてしまう。気持ちはわかるが、俺は心を鬼にしてそれを制す。

 パニック状態ということで俺の声が心にまで響いてくれるかは心配だったが、俺の必死な様子はなんとか伝わってくれたらしい。

 動きが止まったのを確認するのと同時に、すかさず避難の心構えを大声で伝えた。避難しようにも慌ててしまえば意味はない。という旨の言葉を誠心誠意。

 どうやら効果があったらしく、今度は慌てず騒がず歩いて女子の行列が非常口の奥へ向かって進んで行く。これには内心で思わずほくそ笑まずにはいられなかった。

 そのまま俺は女子たちの頭上を飛ぶようにして、慌てないよう心掛けることを啓発し続けた。それと同時に、ハイパーセンサーで逃げ遅れた人がいないかも確認。

 

「二人とも、状況は!?」

『問題なし……。スムーズ……』

『こちらもつつがなく』

「そっか、ならいいんだけど。……けど、ナツと鈴ちゃんは」

『……苦戦していらっしゃるようですね』

 

 一時はどうなることかと思ったが、なんだかんだ言っている間に俺周辺の生徒はほとんど避難が完了した。

 そこで二人にも避難状況を確認すると、どうやら向こうも特に問題らしい問題はなくことが進んでいるようだ。

 なら俺たちがここへ来たもう一つの理由にも集中していいだろう。独断ながらそう判断した俺は、未だアリーナ内で不明IS及び操縦者と戦闘を続けるナツたちに目を向けた。

 どうやらレーザー砲を警戒して迂闊に接近ができないらしい。それはそうだ。当たればISを装着しているとはいえ即死は免れない。

 しかもいやらしいことに、向こうは回転しながらレーザー砲を撃つことで、攻防一体の戦法をとっているじゃないか。

 

『あのままじゃ……もたない……!』

『ジリ貧とはこのことでしょうか……』

虹色の手甲(ガントレット)でもアリーナのシールドは破壊できないだろうし。くっ、ナツ……!)

 

 そもそもナツと鈴ちゃんは試合をしていたんだぞ。エネルギーもそれなりに削られた状態につけてのこれだ。ジリ貧にもなるだろう。

 エネルギー切れ=ナツと鈴ちゃんの死と言い換えてもいい。そんな切羽詰まった戦況だと言うのに、ただ黙って指をくわえて見ていることしかできない自分が悔しい。

 ただし思考を止めるようなことをしてはだめだ。ナツを助けるために必要なことがあるならすべてやりつくさなければ。

 しかし、どれもこれもアリーナに侵入するという一番の問題を解決することができない。悔しさ交じりにハイパーセンサーでナツをズームで映すと――――

 

「何かする気だ」

『えっ……?』

「ナツのあの顔、何かする気だ!」

『何かとはなんです!?』

「それはわからないけど……」

 

 ナツの目はまだ死んではいなかった。むしろあの顔は、イタズラ程度の悪だくみでも思いついたようなあの顔は、今まで何度も見てきたことがある!

 ただそういう場合は二つに一つだ。見るも無残に失敗するか。もしくは成功――――ながらもそれなりの自己犠牲の上に成り立つようなソレ。

 どちらにせよ悪い方向に転ぶ可能性のある、そんな危険な賭けに出る時の顔だ。なんで今なんだ。なんで今その顔なんだよ、ナツ……!

 これがちょっとした喧嘩くらいなら、失敗したって残念だったねのひとことで済む。しかし、アリーナのシールドを破壊する兵器を備える奴を相手にそれで終わるはずがない。

 俺の頭にはどうしても最悪のパターンが過ってしまい、息は荒くなり自分でも脂汗が浮いていくのがわかる。そんな危険な賭けは止めてくれ。そう叫びたい衝動を必死に抑えた。

 

『一夏ぁ!』

「へっ……?」

『箒さん!?』

『無謀にも程が……!』

 

 キィーンという甲高いハウリングがアリーナ内に響き渡った。瞬間、この場に居た全員は時が止まったかのような錯覚すら感じただろう。

 箒ちゃんだ。箒ちゃんが、なぜかアリーナの放送室にてナツに対して檄を飛ばしている。俺の抱いていたナツへの心配は一気に消え失せ、盛大に取り乱しながら異形のISを見やった。

 まずい。どうする。見ているぞ。あの操縦者も箒ちゃんのことを見ている。それまで一切合切を無視してナツたちと交戦していたと言うのに、挙句レーザーキャノンの搭載された手を放送室に向けているじゃないか!

 

「箒ちゃぁぁぁぁんっ!」

 

 やはり俺は、こうして叫ぶことしかできないのだろうか。自分の無力さを痛感するくらいしかやることはないのだろうか。せめてアリーナに侵入さえできれば。そんなないものねだりをするしか――――

 すると、一瞬だけ目の前の空間が揺らいだ。悔しさのあまりにめまいでも起こしたのかと思ったが、どうやらそうではない。これは、アリーナのシールドに綻びが生じている?

 ……例え話をしよう。あの異形のISが放った初撃にてアリーナのシールドは破壊されたわけだが、その際に修復機能にまで障害が発生していたとしたらどうだ。

 修復が十全に、完璧に行われていなくて、綻びが生じてしまったとしたら? 例えばこの綻びに突撃すれば、アリーナに侵入できたりはしないだろうか。

 考えるまでもない。試してみる価値は十分にある!

 

青色の塔盾(タワーシールド)ッ!」

 

 正直、俺がアリーナに侵入できたからって何ができただろう。でも俺は、この時少しだけ嬉しかったんだ。

 友達のために必死になれる自分が。考えるよりも先に動けた自分が。今までそうできなくて、そうありたかったはずの俺がすぐそこに居たから。

 酔いしれている。自己満足だ。そう言われたらそれまでだし、実際そうなんだと思う。例えそうだとしても俺は……。ナツ、ほんの少しでもキミに近づけた気がして、すごく嬉しいんだ。

 だから、だからここにテーマを掲げよう。キミが剣なら俺は盾だ。キミが全て守るために悪しきを斬り裂く剣だとするなら、俺はそれが届くまで全てを守り抜く盾だ。

 ならば俺のするべきはただひとつ。キミの守りたいものを守りたい。守りたいものを守るキミを守りたい。ただ、それだけなんだ――――

 

 

 

 

 




はい、というわけで地味に今作におけるテーマの一つが登場しました。
それはズバリ【剣と盾】です。何を示しているかはもうおわかりですね?
といっても、すぐ理想通りの関係になるわけではございません。というか現段階では、晴人の中だけで勝手に立ち上がったテーマですし。
二人が数多の困難を乗り越え、真なる剣と盾に成長するまでをお楽しみいただければと。


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第27話 盾として

いきなりPCが立ち上がらなくなるものだから焦る焦る。
どうやらそろそろ買い替え時ということなのでしょうか……?

さて、26話で触れたことの続きですが、今回は起承転結の承にあたります。
前話で掲げたテーマがどう影響するのかご注目を。





以下、評価してくださった方をご紹介!

fokattya様

評価していただいてありがとうございました!


(ああ、うるさいな)

 

 俺が一番に抱いた感想はそれだった。

 それはみんなが心配してくれてる証拠なんだけど、そうも同時に叫ばれたら何を言っているのか聞き取れないよ。

 というか、そもそも返す言葉もない。言葉を返している暇もない。なぜなら、今俺は生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされているからだ。いや、自ら飛び込んだと表現するのが正確かな。

 

『馬鹿者が、アリーナのシールドを貫通する破壊力だぞ! それを一介の装備で受け止めようなど無謀な真似を!』

 

 もはや俺の耳に届く言葉が罵詈雑言に変わりかけていたその時、フユ姉さんのよく通る声が聞こえた。そして、その言葉が俺の置かれている状況を簡潔に説明してくれる。

 俺は出力を最大限まで高めた青色の塔盾(タワーシールド)にて、箒ちゃんを狙って放たれたレーザーを受け止めている状況だ。

 例の綻びに突撃してみたところ、思ったよりも簡単に突破できてしまったというわけ。もはや俺には盾になるという選択肢しかなかった。ゆえにこの選択の先に何が起きようと後悔はない。

 

(後悔はないけど、ただで死んでやるわけにもいかない!)

 

 青色の塔盾(タワーシールド)がいくら盾だろうと、それなりにヘイムダル本体へダメージがフィードバックしてしまう。

 それは相手の放つ攻撃の威力に依存するわけだが、流石にアリーナのシールドを破壊するだけあって、まるで本体に当たっているかのようにシールドエネルギーがゴリゴリと削られていく。

 このエネルギーがゼロになった瞬間に俺の死が確定する。死がそこまで迫っている。死がこちらにおいでと手招きしている。

 そんな状況のはずなのに、なぜか俺の頭は至って平静を保ち続ける。パニックを起こしたらそれこそ死ぬと、俺の生存本能がそうさせているんだろうか。

 そのあたりはどうでもいいか、どちらにしたってやらねば死ぬんだから。

 俺はすぐさま回せるエネルギーの多くをシールドエネルギーと青色の塔盾(タワーシールド)に回す判断を下した。ぶっちゃけこれも危険な賭けではある。主に箒ちゃんが。

 

「づああああっ! ぐぅっ!」

 

 ほとんどの機能を停止させてエネルギーの確保を図ったということは、それまで空中での支えとしていたPICやスラスターも働かない。

 それに伴い俺はレーザーの勢いに押されて修復されたアリーナのシールドへと叩きつけられる。賭けと言ったのはこのあたり。綻びが生じたなら、俺ごと突き破られて箒ちゃんにも危害が及ぶ。

 だけどそうさせないための措置でもあるんだ。俺は青色の塔盾(タワーシールド)の出力を上げ、即死級の威力を誇るレーザーを受け止め続けた。

 

(この威力だ。逆を言うなら、そう長い間照射し続けることはできないはず!)

 

 はず、という希望的観測も含まれているが。そもそも攻撃している側と防御している側で力関係は歴然だ。

 しかし、ただひとつだけ揺るがない事実というものがある。それは、俺が決して一人ではないということだ。

 生と死の狭間に立たされ焦っていたのもある。レーザーの閃光が眩しくて前が見えなかったと言うのもある。

 しかし、ハイパーセンサーでようやく捉えることができた反応がひとつ猛スピードでこちらへ迫ってきている。

 俺はその瞬間に勝利を確信し、相棒と同じくイタズラっぽい表情を浮かべた。

 

「ハルに、手を、出すなああああっ!」

 

 俺の目に映るのは青白い刃を掲げたナツ。確と零落白夜を発動させた雪片を振るい、見事に異形のISを斬り裂いた。……あれ? ……斬り裂いたぁ!?

 勢い余って殺害してしまったのではとロックオンしてみると、切断面に生々しい血や臓物は見当たらない。そこにあるのはネジや基板等々の部品。……つまり、無人機だったって言うのか?

 そんなことが可能なのか。果たしてナツが無人機であったことを知っていたか。そのあたりの問題は残るが、謎の無人ISは力なく地に落ちた。

 ……ふぅ、なんとかなったみたいだな。それにしても、ナツのさっきの勢いは瞬時加速? 既にそれを発動させるエネルギーもないような状態だったと思ったが。

 

「……たっく、揃いも揃って馬鹿ばっか!」

 

 鈴ちゃんがいきなり悪態をついたと思い目を向けてみると、寸前に衝撃砲を放った形跡が非固定武装に残っている。

 ……そうか、ナツは衝撃砲の空気弾っていうエネルギーを外部から取り入れることによって、白式そのもののエネルギーを消費させずに瞬時加速をしてみせたんだな。

 つまりナツが企んでいたのもこれか。なかなか仕掛けなかったのは鈴ちゃんが渋っていたからかな。まったく無茶するよ。そんなの渋るに決まってるじゃないか。

 って、今回の場合は俺も人のことは言えないのか? とりあえずナツの反応をうかがってみようと、礼を兼ねて助かったと声をかけようとしたところ――――ものっそい剣幕で睨まれた。

 

「なんであんな危険なマネしたの!? わかる?! アリーナのシールドを破壊する武装だよ!?」

「わかってるつもり、だけど。うん、まぁ、わかってないからこその無茶ってのもあるかな。う~ん、でも、そうせずにはいられなかったんだ。心配かけてごめん」

 

 ナツの怒りはもっともであり、それだけ俺のことを心配してくれているという裏付けだ。そう言われてようやく実感することができた。俺がこうしているのは結果論に過ぎないんだって。

 自分で決めたやったことだから言い訳はしたくない。けど、少しでも胸を張ろうとしていたのは恥ずかしいことだと思い知らされてしまう。

 見過ごすことはできなかったとだけ伝え、後はひたすら謝ることくらいしかできなかった。それで許してもらえると思ってもないけど、謝罪するとしないでは大違いだ。

 

「……まぁ、私も人のこと言えないか。褒められたことをしたわけじゃないって、肝に銘じておこう。お互いに……ね」

「……そうか、フユ姉さんに絞られるコースなんだった」

 

 ナツは悶々とした表情のまま大きく溜息を吐くと、自分も人のことを言えたわけじゃないと大人しく引き下がった。

 今回の場合は脱出不可の状態だったらばこそだが、例え撤退できていてもナツは無人機と交戦したはず。ナツはそういう性分なんだ。

 そのあたり含め、お互いフユ姉さんに説教されることで真の反省を得ることにしよう。ナツはそう言いたいんだと思う。

 管制室には、間違いなくいい笑顔を浮かべたフユ姉さんが待っていることだろう。自分が悪いとわかっていようと、そう考えるだけで気分は陰鬱だ。

 さて、ならば覚悟を決め、甘んじて地獄の説教を受け入れることにしよう。例の無人機は回収したりした方がいいんだろうか。ヘイムダルは右腕が大きいから運ぶのは容易で――――

 

(……え?)

 

 少しでも教師陣の負担を減らすことができるのならばと、そんなことを考えながら胴体と下半身が別れた無人機を観察していた。

 すると、先ほどまですぐ隣を漂っていたナツが、焦るかのようにして無人機へ向けて急降下を始める。俺はその段階になってやっと気づけた。

 ――――動いている。まだ終わってはいなかったんだ。

 いわゆる死んだふり? それともシステムの復旧がたった今終わったとか? どちらにしたって小癪なと叫びたくなってしまいそうだ。

 無人機はまるでこれを待っていたかのように右手を真上に、ナツめがけて掲げた。……というかナツ、キミってやつは……さっき俺に言った言葉はなんだったんだ!

 瞬時加速を発動させるほどのエネルギーは残っていない。後はわずかに零落白夜を発動させることができるか否かに賭けている。少なくとも俺にはそう見えた。

 多分だけどレーザー発射のタイミングに合わせて零落白夜を発動させ、それでレーザーをかき分けながら進むつもりなんだ。

 

(ダメだ、それじゃ間に合わない!)

 

 いくら白式が高機動だとは言え、この距離を一気に詰めるにはやはり瞬時加速でもなければ無理がある。

 仮に間に合ったにしても刃を届かせるまでには至らない。もし最後の悪あがきとかでないなら、更に次の攻撃まで想定しておく必要もある。

 もしこれが最後でなく次があるのだとすれば、それは本当に、俺のように僅かな希望もなくナツは死ぬ。……死ぬ? ナツが? ナツが死ぬ。死ぬ……?

 理解ができない。例えそれが仮定であったとして、ナツが死ぬという言葉をまったく理解することができない。……頭が受け入れてくれない。

 

「…………嫌だ」

 

 ――――嫌だ。

 

「嫌……だ……」

 

 ――――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 

「嫌だ!」

 

 ――――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ

 

(それだけは……絶対に!)

 

 ――――嫌だ。

 

虹色の手甲(ガントレット)ォォォォオオオオッッッッ!」

 

 気づけば俺は、ヘイムダル最大の必殺技とも言える虹色の手甲(ガントレット)を発動させていた。

 青色の塔盾(タワーシールド)をフルパワーで展開、かつ無人機のレーザーを受けたことにより、ビフレストはたった一回の攻撃でオバーフロー寸前まで充填されていた。

 そんな状態だったためか、虹色の手甲(ガントレット)から飛び出たブースター機構からは、右腕ごと吹き飛んでしまうのではないかというほどの虹色のエネルギーが噴出される。

 ただでさえ100%状態なら瞬時加速を凌駕する速度が出ると言うのに、それが120%とか150%の状態なら、ただ急降下するナツと白式なんて簡単に追い抜く。

 そしてビフレストに包まれたヘイムダルの右腕は、とうとうレーザーへとぶつかった。

 

「ぐうっ! う……おおおおっ!」

「ハル!?」

「ナ……ツ……! そのまま……後ろに……!」

 

 よし、よし! 許容限界寸前の威力で放った虹色の手甲(ガントレット)に対して、向こうのレーザーはさっきほどの勢いを感じられない。

 レーザーはヘイムダルの拳に接触するのと同時にあらぬ方向へと飛んでいく。現状は想定のとおり防ぎつつ前進できている……が、このままではまずい。

 虹色の手甲(ガントレット)は爆発的な一瞬の加速を利用し、ヘイムダルの巨大な拳で殴りぬくという技だ。いくらビフレストを溜めようがそれは変わらない。

 つまり、このままの体勢でいる限り、いずれ勢いが死んでレーザーに押し返される時が来てしまうだろう。それではダメだ。俺だけならまだしも今後ろにはナツがいるのだから。

 どうする。いったいどうすればいい。ナツを失いたくないという一心で仕掛けたというのに、このままではヘイムダルの展開すら維持できないぞ。

 ……いや、まだひとつだけ手があった。エネルギーの確保についての問題も、勢いを殺さないための方法も、同時に解決することのできる一手が。

 だから俺はそっとヘイムダルに命令した。絶対防御に回しているエネルギーを、ヘイムダルの主要部に回してくれと。

 

「づっ、つぅ!? ぐがっ!? あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!?」

「ハル……? ハル、どうしたの!? しっかりして!」

「だいっ、じょうぶ……! だから、ナツは、とどめだけに、集中をっ、するんだああああ!」

 

 俺の右腕はビフレストに包まれた虹色の手甲(ガントレット)に守られた状態だ。しかし、絶対防御を切ったことによって熱量は十分に伝わる。

 考えられないほどの痛みが走り、思わず意識を手放してしまうところだった。いや、どちらかと言うなら今すぐにでも手放してしまいたい。

 俺の意識を引き戻したのはナツの心配するような声。気合の入ったようなシャウトとは違い、明らかな悲鳴を上げてしまったからだろう。

 こんな状況で心配させないも何もないが、俺は精一杯痛みに耐えながら大丈夫だという旨を伝えた。さぁ俺、そうしたらもうひと踏ん張りだ。

 痛みに思考が持って行かれてろくな操作はできたものじゃないけど、ゆっくりひと工程ずつ丁寧にこなしていく。

 スラスターからエネルギーを放出。放出したエネルギーを再度スラスターへ取り込む。そして爆発するかのような勢いで再放出。

 ああ、自分が勤勉な性格で本当に良かったと思う。そしてナツ、使いどころがあるかもと、この技術を教えてくれてありがとう。

 これぞナツ指導の下、一応は習得した――――

 

瞬時加速(イグニッション・ブースト)!)

 

 ドゴンとヘイムダルのスラスターが大きな音を上げ、俺の背中をグンと押した。そしてそれまで死にかけていた勢いも息を吹き返し、自分でも大きく前進したことがわかる。

 向こうが息切れを起こしたのかも知れないが、今そんなことはどうだっていい。あるのはただひとつの事実。俺とヘイムダルの方が勝ったという事実だけだ!

 朦朧とする意識を引き戻すかのように、そして後のことは頼んだと言う意思を込め、俺は半ば根性のみで腹から叫んだ。

 

「ナァァァァァァァァツッッッッ!」

「っ……!? やああああああ!」

 

 虹色の手甲(ガントレット)が完全にビフレストを吐き切ったのと同時ほど、レーザーを弾き耐えることに成功した。

 レーザーを突き抜けてみると、例の無人機は目と鼻の先。とどめは任せるという意思は先ほどの叫びで伝わっていると信じ、俺は進路を斜めにそらして全てを慣性に委ねた。

 ナツが無人機を斬り裂くところを見届けておくべきだったのだろうが、単純に無理だ。もはや死力は尽くし切ったのだから。

 俺は勢いそのまま地面に墜落。当然だが絶対防御を戻す暇もないので、衝撃はかなりの物だった。それが俺をより深い眠りへと誘う。

 

(というより、これは……)

 

 そうだ、確か勉強したな。操縦者が一定許容量以上のダメージを受けた場合、それ以上痛みを感じないよう強制的に気絶させる機能がついているんだっけ。

 痛みで気絶しかけているのはあると思うが、眠く感じているのはその安全装置の方だな。けど待ってよヘイムダル。見たところで絶望するだけかも知れないが、これだけは確認しておきたい。

 俺は今にも消え失せそうな意識の最中、ヘイムダルの右腕装甲のみ展開を解除。すると俺の目に飛び込んできたのは、まさに焼け爛れたと表現すべきような手だった。

 覚悟はしていたつもりだが、いざ目の当たりにしてみるとすさまじい。命の心配よりも、もう二度と絵が描けないのだろうかとか思ってしまう。

 

(けど――――)

「ハル! しっかり! ハル! ハル!」

 

 よくはないけど、いいじゃないか。無事にそこで息をしているナツを見ると、そんな矛盾したような考えが浮かんでしまう。

 ナツが生きてくれていればそれでいい。まだまだ絵は描きたいからよくはない。どっちも正真正銘俺の本音だ。どちらも等しく正しくて、どちらも等しく間違っている。

 むしろ今ひとつ、たったひとつ後悔を挙げろと言われたのなら――――ナツを、僕を俺にしてくれた大切な半身を泣かせてしまったことだろうか。

 ごめん、泣かせてしまって。ごめん、こんな守り方しかできなくて。ごめん、それでも俺はナツの盾になりたいんだ。

 ……こんなことを言ったらますます泣かせてしまうかな。あぁ本当に、ナツほど上手くはいかないね。本当に、本当に――――

 

「ごめ……ん……」

「ハル……? ハル!?」

 

 必死に俺を呼んでくれるナツの姿を最後に、俺の意識をとうとう暗闇が包むのだった――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 なんとなく目を開いた。昼寝をしていたら目が覚めたとか、本当にそのくらいのつもりで。しかし、右手に走った痛みのせいで全てを思い出した。

 そうだ、無人機の一件で右手に大火傷を負ったんだった。俺はすぐに布団を蹴散らしながら上半身をベッドから起こす。

 ……ここはどこだろう。見渡した限り病室か何かではあるようだが、どうにもそれだけのようには思えない。なんというか、清潔感よりも無機質さを感じさせる空間だったからだ。

 見渡したついでに壁掛け時計に目をやると、時刻は日が暮れた後を指している。対抗戦開始が朝だったのを考慮すると、数時間ほど寝ていた計算だろうか。

 どちらにせよ学外に居るのは確定みたいだし、そう時間を気にしてもしかたないかも。すべては本当にここがどこかにもよる。

 

「…………」

 

 現在置かれている状態はほとんど把握したとして、次俺が気になったのは自身の右手のことだった。右腕と表現するのが正しいか。

 あの時は確認する余裕がなかったけれど、包帯の巻かれ方を見るにほとんど腕全体に火傷を負ってしまっているようだ。特に酷いのが右手……ってところかな。

 試しに軽く握ろうとすると、ジンジンするような痛みが走る。しかし、あの地獄を味わった身からしては、大したことのないように感じられた。ほとんど感覚が麻痺しているらしい。

 ならもう一度目撃したところで、抱く感想はほとんど同じことだろう。ならばと考えた俺は、おもむろに包帯を外しにかかった。

 慣れない左手で丁寧に巻かれた包帯と格闘することしばらく、ようやく半分脱いだような状態ができあがる。俺は、そこから一気に包帯を力強く剥ぎ取った。すると――――

 

「あ、れ? 大した事ない……?」

 

 なんとも拍子抜けだった。気絶寸前の段階で目撃した右手がまるで嘘だったかのように、ほぼ綺麗な状態ではないか。

 むしろ絵を描きすぎるせいでできたタコとか、擦り切れとか爪が割れたのも治って怪我をする前より綺麗にも感じる。

 だとしたらこの痛みはなんなのだろう? いや待て、火傷でできた傷って、そもそもこんな綺麗に完治しないよな?

 俺が眉間に皺を寄せて己が右手を観察していると、病室の出入り口が開いて聞き覚えのある声を聞かせてくれた。

 

「いわゆる再生医療というやつだ」

「父さん!? ……ってことは、ここ――――」

「そうだ。FT&Iの医療部門の部署になる」

 

 姿を現したのは、予想外にも我が実父である。その姿を確認したことで、ようやくこの場所の位置を特定することができた。

 曰くFT&Iにおける医療部門の部署でその病室。となると、まだ臨床試験段階の施術をしているのだろう。いい意味でのモルモット、というか患者さんたちが他にも居るわけだ。

 しかし、流石は未来的と謳うだけはある。俺が右手を負傷してからたった数時間だと言うのに、怪我をする前より綺麗になっているのだから。

 だが父さんからして、痛みを残している時点で実用化には程遠いんだとか。最終的に目指すところは、欠損した部位を完全再生させるところまでらしい。

 

「一夏くんと箒くんを庇ってのことだそうだな」

「う、うん。一応はそんな感じ」

「……どうしてそんな無茶をした」

「それは――――」

 

 父さんは来客が座る用途で置いてあるであろう椅子に腰かけると、俺が解いた包帯を巻き直しながら問い詰めてきた。

 様子を見に来たのは心配していたからということを察しているだけに、とてつもなく気まずいながらもなんとか受け答えをする。

 だって多分、無茶した俺に誤魔化したりする権利なんてないと思うから。だから、父さんの言葉にはすべて包み隠さず話した。

 箒ちゃんの時もナツの時もそうだが、本当に身体が勝手に動いたという曖昧な説明しかできないんだけどね。……特にナツの時は、失いたくない気持ちがとても強かったと思う。

 だからって箒ちゃんをなんとも思ってないと言いたいわけではないが、なんだか自分でもなんで虹色の手甲(ガントレット)を撃ったのかもいまいちわからないくらい必死だった気がする。

 

「心配かけてごめん。二人からもらった大事な命を粗末にするようなことをして、本当にごめんなさい。次はもうちょっと上手くやるよ」

「…………」

「……あの、父……さん?」

 

 本当に反省もしているし、周囲の人たちを心配させてしまったことを悔やんでもいる。しかし、俺にしかできないことだったとも思っている。

 今回はやり方が悪かった。もっと上手に立ち回って、怪我したりせずに済む方法なんていくらでもあったはずだ。

 だから俺の仕出かしたことは最悪で、誰からの称賛を貰えるものではない。だから今回の反省を生かして次は――――と思ったのだけど、父さんの様子に言葉が詰まってしまう。

 見たこともない表情だった。一瞬だったし相変わらず些細な変化だけど、父さんは険しい表情を確かにしていた。

 それは怒りからくるものだと言うのは明白で、何をそんなに怒らせるようなことを言ってしまったのかと脳内で自分の放った台詞がグルグルと渦巻く。

 そして父さんは顎髭を弄りながら溜息を吐くと、いつものように淡々とした調子でこう切り出した。

 

「晴人、ISから降りろ。後のことは私がなんとかしてやる」

 

 

 

 

 




テーマを掲げたその日のうちにISから降りろと言われる主人公とはこれいかに。
ただ私も晴人のメンタルを曇らせたいだけではないのでね、ええ。
意味のある発言といいますか、そのうち意味をなすといいますか。
ともあれ、パッパの真意は次回の更新でということで。


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第28話 例え何に代えようとも

PC買い換えました。8年使ったので大往生と思います。
新品のおかげかいろいろ快適。執筆も捗るものです。

さて、起承転結の転です。
次回ようやくアレをお届けできると思うと盛大な前振りでしたとも……。





以下、評価してくださった方をご紹介!

ナコト様

評価していただいてありがとうございました!


「晴人、ISから降りろ。後のことは私がなんとかしてやる」

「…………へ? ……ちょっ……と待って、待ってよ! 父さん、だってそれは――――」

 

 一瞬だけ何を言われているのか理解が及ばなかった。だが父さんの言ったそれは文字通りの意味であり、ISに乗るのを辞めろという宣告だ。

 しかもニュアンスから察するに、父さんは俺を心配してそう言っているのではなく、失望しているからこその言葉だというように感じる。

 父さんから何かを辞めろなんて言われることは初めての経験だ。それが俺をより混乱の境地に貶めた。更に失望させたとあっては涙すら流してしまいそうだ。

 勿論そんなことは受け入れるわけにはいかない。はいそうですかで終われるはずがないじゃないか。

 俺は右手に走る痛みも忘れて、父さんに食ってかかった。

 

「本当に悪いとも思ってるよ。俺がやったことは間違ってたとも思ってる。けどそんな、降りろとまで言われるのは納得いかないよ!」

「今の晴人のままでは同じことを繰り返す。断言しよう、何度やっても変わらない」

「断言って……! なんでそこまで言い切れるのさ!」

「お前は次があると思うのか?」

 

 特別に自己主張する方ではなかったが、例えば父さんは俺がしたいと思ったことに否定的ではなかったろう。そして、それを辞めたいと思ったならそれも肯定してくれたはず。

 だが今日の父さんは俺の言葉をすべて否定する。微塵も、一切も、すべて、総じて、俺の言葉を受け入れる気はないというように。

 父さんのあまりもな仕打ちに思わずムキになりながら質問を返すと、語気を強めた次があるのかという言葉に圧倒されてしまう。

 この場合でいう次というのは、謎の襲撃者が襲い来ることがまたあるのか、なんて聞きたいんじゃないことくらいわかる。

 次があると思うのか。それは、俺が今この場で生きているということが奇跡であることを示唆する言葉だった。

 俺が生きているのはあくまで結果論。もしかしたら死んでいて、父さんの言うとおり次はなかったのかも知れない。

 そういう考えがまったくなかったわけではない。いや、そのつもりだった。しかし、俺はあまりにも自然に次と口にしていた自分を思い出す。

 だから、何も言えなくなってしまった。

 

「恵令奈が泣いていたぞ」

「母さんが……?」

「自己犠牲精神の強い子だ。盾を与えた場合、こうなることはわかっていたのに……とな」

 

 どうやら父さんをここまで怒らせている原因はそこにもあるらしい。顔にも口にも出さないけど、父さんは母さんを今でも深く愛しているから。

 ヘイムダルの利点で第一に上がるのは、青色の塔盾(タワーシールド)を用いた堅牢な防御力だろう。母さんはそれを悔いているらしい。

 盾を与え、俺がそれを他者を守るために使うことは読めていた。例え自分自身の命が危ういような状況であろうとも。母さんはそれを悔やんでいるらしい。

 様々な感情が入り乱れる。心配してくれて嬉しい。心配させてしまって申し訳ない。泣かせてしまって悔しい。そう思っていることは確かだというのに。

 けれどダメだった。今の冷静でない俺には、盾になることを否定されたように感じてしまう。それは俺が掲げたテーマの否定。俺がナツにしたいことに否定……のようにとらえることしかできなかった。

 

「なんなんだよ……。なんだって言うんだよ! だったらナツや箒ちゃんを見捨てればよかった!?」

「晴人」

「わかってるよ、結果論だったり自己満足なことくらい! 確かに俺は無事じゃ済まなかったし下手すれば死んでたけど、二人が生きてるって事実も確かじゃないか!」

 

 多分、ここまで怒鳴ったのは自分の人生でも初だと思う。その相手が父であり、自己肯定の果てにある逆ギレとはなんとも粗末なことだろう。

 俺の言葉が正しいとは言わない。けど、怒鳴りながら言ったことは少なからず思っていたことなんだ。だからと言って、俺も二人も無事だったからいいじゃないかとまで思ってはいない。

 本当の本当に反省はしているつもりなんだ。文字どおり命を懸けてやったことを否定されて怒鳴っているわけじゃない。僕はただ――――

 

「ナツが剣なら僕が盾だ」

「…………」

「僕はずっとナツの背中を見てることしかできなかった。そんな自分が大嫌いだった! でも、やっと、ようやく、ナツより前に出ることができるようになったんだ。他でもなく、母さんがくれた力で!」

 

 僕は何もできないやつだった。意地悪やからかいをただ我慢することしかできないやつだった。そんな僕をナツはずっと守ってくれていた。

 頼んだわけではないし、間違っても義務感なんかではなかったろう。ナツがやりたいからそうして、ナツは僕を守ってくれていた。

 時には物理的に傷つくようなこともあった。それなのにナツは僕に笑いかけて、大丈夫かなんて問いかけてくるんだ。

 僕はそれが嫌で嫌で仕方なかった。プライドが傷つけられたとかそんなちんけなことじゃない。守られるしかできなくて、笑いかけてくるナツに立たせてもらうことしかできない自分が大嫌いだった。

 その現状を受け入れることしかできない自分が大嫌いだった。大嫌いなのになんの努力もできない自分が、自分を殺したいほどに大嫌いだった。

 でもISを動かせるという、そんな現状も自分も変えられるチャンスが訪れた。専用機に盾が搭載されていると知った時、正直とても嬉しかった。

 だって盾は守るためにあるものだ。守るためには、必ず守りたいものより前に出ていなくてはならない。だから、ようやくナツの前に出るチャンスが来たんだと思った。

 母さんのくれた守る力を無茶をするナツのために使う。最高のシチュエーションじゃないか。それなのに、そうだというのに――――

 

「変わりたいって思って、変われるように努力できるようになったのに、それを否定されたら僕は、いったいこれからどうしろって言うんだよ……!」

「…………」

 

 僕がわめく最大の理由はそこにあるのかも知れない。

 やっとの思いで変わる努力をできるようになったというのに、そこまで否定されてしまってはもはや僕はどうすればいんだ。

 弱くて大嫌いだった自分を受け入れ続けることしかできなくなってしまう。それしかできないんじゃなかって思ってしまったから、みみっちくも父親に当たることしかできないんだと思う。

 それこそが嫌いな自分じゃないか。結局僕は変われてなんていやしなかったんだ。一気にそんな悔しさが込み上げてきて、僕はとうとう大粒の涙をこらえることができない。

 

「……守りたいものの盾となる。立派な考えだ。だが晴人、盾の役割は本当にそうだろうか」

「え……?」

「晴人の守りたいという意思が本物であることはわかった。もう一度チャンスをやろう。ただし、また同じようなことがあったなら容赦なくヘイムダルは剥奪させてもらう」

 

 父さんが僕の意思ごと否定する気がないことくらいは、最初から頭では理解できている。それを推しても許容できない何かがあったんだろう。

 本当のところでISから降ろしたいというのは変わっていないようだったが、もう一度だけチャンスをくれるとのこと。

 ……よく言うよ、盾の役割がどうだか呟いて、それが僕のわかっていないことのヒントな癖して。相変わらずかっこいい人だ。

 父さんは僕の頭を乱暴になでると、好きな時に学園に戻るといいと告げ、それから病室を出て行った。

 しばらくボーッと出入り口を眺めていたが、僕は再びベッドへ身を預ける。そして父さんの言葉について考えを巡らせた。

 もう一度。次は容赦なく、か。父さんは僕を信じてチャンスを与えてくれたんだ。しっかり考えて期待に応えてみせなくては。

 

(盾の役割……。盾の役割って、守る以外に何かあるっけ? 父さんはきっと、正しい盾になれと僕に伝えようとしたんだよな。盾……。盾……か)

 

 包帯の巻かれた右手を眺めつつそんなことをずっと考えていたが、結論が出ることはない。そして脱力感もあり、その日はそのまま眠りにつく僕であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(箒ちゃん、こんな朝から何の用事なんだろ)

 

 あれから一日経過を診るためFT&Iの世話になり、それから学園に戻るというかたちをとった。

 そこで明日朝には学園に戻るということを仲の良いメンバーに伝えると、箒ちゃんだけ俺を呼び出すような内容の返信をしてきたというわけだ。

 指定された場所は武道場で、時間帯は普段俺がトレーニングを始めるのと同じくらいのものだった。昨日はけっこう暇してたし、早い分には構わないんだけど、用事の内容がまったく見えない。

 

「箒ちゃん、居る?」

「うむ、よく来たな晴人。こんな朝早くに済まない」

「いや、それは別に気にしてな――――いけど他にツッコミどころが多すぎやしないかな!?」

 

 恐る恐る武道場に足を踏み入れていると、暗がりの中で正座して構える箒ちゃんのシルエットが見えた。

 声も本人そのものだし、指定された場所と時間は間違っていなかったか。なんて安心しながら近づいてみると、まさかの状態で思わず声を上げてしまう。

 箒ちゃんは白装束を身に纏い、床の間に敷かれた畳に座している。そしてその前に厳かに置いてあるのは間違いなく本物であろう短刀。どこからどう見ても切腹する気が満々であった。

 

「あ、あの~……ね、箒ちゃん。この前のことは気にしてないから落ち着いてよ」

「そういうわけにもいかん! 例の盾で一撃は防いでいたのだ。つまり、私が余計なことさえしなければ晴人は無事に一夏を守れていたということではないか!」

 

 こういう時の箒ちゃん。自分を責めるような時の箒ちゃんは話を聞いてくれないところがあるが、これを見るに今回のことをかなり悔いているらしい。

 だからって切腹っていうのは話が飛躍しすぎていると思うが、やんわりとそれを伝えてもやはり聞く耳は持ってくれなさそうだ。

 まぁなんというか、正論ではあるせいでどう声をかけていいのやら。別に責める気はないけど、箒ちゃんが無茶しなければ俺も無茶はしなかったろうし。

 俺もついこの間父さんに説教されたばかりで言う資格はないかも知れないが、厳しいことを口にしてでも止めることにしよう。

 

「あのさ箒ちゃん、普通に迷惑だから止めてほしいんだけど」

「なっ!? わ、私は私なりに、けじめをつけなければだな」

「多分だけど、俺の右手のこともあるでしょ」

「……晴人が二度と絵が描けなくなっていたかも知れないと思えば、私の命で贖うくらいしかないではないか」

 

 とりあえず箒ちゃんの前に同じく正座すると、その切腹という行為そのものは大変に迷惑であると伝えた。

 うん、割腹自殺とか本当に止めてほしい。友達が腹を裂いて血みどろになる姿とか、トラウマ以外のなにものでもないでしょうに。

 それに俺の右手に対して命で償いなんて、絶対に均等が取れていないじゃないか。確かに俺にとっては命より大事かも知れないが、それが特別なことであると思えない。

 

「箒ちゃん、きっと誰にとっても同じなんだよ。箒ちゃんだって片腕がなくなったらさ、剣道とかやりづらくなって困るよね」

「それはそう……だが」

「俺たちみたく、好きでやってることがある人が特別とは言えないよ。日常生活に支障をきたすってだけで、それはとてもつらいことだと思うんだ」

 

 仮に部位の欠損によって完全に絵が描けなくなってしまったとする。俺は心底から絶望するだろうが、それはきっと誰だって同じだ。

 利き腕がなくなるだけでも大事だ。文字を書いたり食事をしたり、ありとあらゆることに関してが難しくなってしまう。

 それは万人に等しく起こるであろう絶望であり、俺や箒ちゃんみたく好きなことがある人は、たまたまそういうことが好きだったからと思うしかないのではないだろうか。

 仮に指一本だろうと、目だろうと、耳だろうと口だろうと、誰が何を失ったとして、絶望の度合いは変わらない。

 だから、箒ちゃんが俺の右手のことを想って命を差し出すのは間違っている。むしろ謝ってほしいのはそっちじゃない。

 

「ごめんなさいでいいんだよ」

「晴人……」

「あんな無茶してごめんなさいって、そう言ってくれれば俺は満足だよ。まぁ、俺も人のこと言えないんだけどね。心配かけてごめん」

「……無茶して済まなかった。ありがとう、晴人」

 

 完全に、完全に人のことを言えないのは承知しているが、箒ちゃんのあの行動ばかりは看過できたものではない。

 相変わらず結果論ではあるが、誰も死にまではしなかった。だからあの行動についてだけ謝ってもらえればそれで十分だ。

 そんな俺の言葉は箒ちゃんにしっかりと伝わったのか、土下座に近いようなお辞儀と共に聞きたかった言葉をいただいた。そして、ありがとうというのは許してくれてということなのだろう。

 

「そういえば箒ちゃん、ナツ知らない?」

「一夏? ふむ、そう言えば介錯を頼んだんだが姿が見えんな」

「いやいや、幼馴染に首を落とさせようとしないでよ!?」

 

 俺がわざわざナツのことを尋ねるのには理由があり、なんか連絡してもナツだけまったく返事がないんだよね。

 他のみんなはそれなりに無事でよかった等の返信をくれたのに、よりにもよってナツが既読スルーの連発である。

 だから顔を見せて直接言葉を交わすしかないかと思ったんだが、箒ちゃんの呼び出しにも容赦なく答えない始末か……。

 箒ちゃんのサラッと放った恐ろしい言葉にツッコミを入れつつ、ナツを探すため退散の準備を始めることに。この場の片づけを手伝おうとしたんだが、箒ちゃんは自業自得だからと頑なに一人での作業に拘った。

 先ほどは大事だったから無理してでも止めたけど、このくらいなら任せてしまうことにしよう。俺は箒ちゃんに別れを告げると、そのまま武道場を後にした。

 とは言っても、まだ朝早いからナツも寝てるよな。俺は身支度は病院でしてきたからいいが、準備もまだな女の子に対して突撃っていうのはあまりにもな気がする。

 ……そう言えば、フユ姉さんにも呼び出しを喰らっていたっけ。覚悟ができたら一対一で話があるとのこと。確実に説教である。

 フユ姉さんも女性ではあるが、教師なんだし早めの準備をしているかもしれない。普段のカリスマからして信じられないくらい私生活は自堕落だが、そこは是正されていると信じて足を運んでみることにしよう。

 

「お、おはようございま~す」

「よく来たな弟よ。まぁ入れ、言いたいことは山ほどあるのでな」

「は、はい……」

 

 フユ姉さんもなんとなくの予感でもあったのか、部屋を訪ねてみると秒でドアが開き、とてつもなくいい笑顔で出迎えられた。

 普段からして恐ろしい人が笑顔なんて嫌な予感しかしないし、こんな感じのフユ姉さんはこれまで二、三度目撃している。

 どちらも俺やナツが説教されるときなのだが、今回も例に漏れずこってりと絞られてしまった。それもガミガミ怒鳴られるんじゃなくて滅茶苦茶ねちっこい感じに。

 怒りが一周でもしたんだろうか? これならまだ罵声を浴びせさせられる方がいいような。まぁ、単にフユ姉さんに怒鳴られ慣れているというのもあると思うけど。

 悠久のように感じられる説教を受けることしばらく、そろそろ食堂の開放される時間帯ということでようやくお開きとなった。

 二度とフユ姉さんを怒らせることはしたくないところだが、それでは俺の願望を叶えられないのが困ったところである。

 ……それはそうと、フユ姉さんにもこの質問をしておくことにしよう。

 

「あの、フユ姉さん。ナツの様子はどんなですか?」

「普通のやつから見たら普段どおりに見える、とだけ言っておく。後はお前が責任もってどうにかしろ」

 

 俺の質問に対し、フユ姉さんは難しい顔をしながら腕組してそう言う。つまり、落ち込んだり気にしているのを悟られないようにしている……ということか。

 ナツは元来より抱え込む性格なのだが、自分がそうさせてしまったとなるとくるものがある。フユ姉さんの言うとおり、俺が責任もってどうにかしなくては。

 フユ姉さんの部屋を出た後は、食堂の方から逆走してみることに。そうすれば確実にナツと遭遇すると考えたからだ。

 俺の考えはピタリと的中し、前方から歩いてくる黒髪の少女――――ナツを発見することに成功。すぐに片手を大きく振りながら、いつもの調子で彼女に呼び掛けた。

 

「ナツ!」

「っ……!? …………」

「あ、あの、心配かけてごめん。でもこのとおりピンピンしてるから――――ナツ、聞いてる? ……ちょっと、ナツってば!」

 

 声をかけてみると、ナツは確かにこちらを見た。しかし、次の瞬間に顔を俯かせてしまう。幾分か足取りも早くなったように感じた。

 そのまま近づいた流れでお仕置きでもされると思って早口で弁明をしてみるも、予想外のことにナツはそのまま俺をスルーするではないか。

 しかも最後には走り出してしまう始末。これはなんというか、逃げられた? 初めての体験にしばし茫然と立ち尽くしてしまう。

 怒っているから逃げた? それとも罪悪感でも覚えているから? あるいはその両方かだけれど、いわゆる取り付く島もないという状態だろうか。

 

(……今は無理して接近すべきじゃないか)

 

 ものにはタイミングというものがあり、急いては事を仕損じるという言葉もある。今追いかけて強引に追及することもできるが、躱されるのは一目瞭然といったところか。

 もちろん俺も諦めはしない。授業合間の休憩時間とか、なんとか話を聞いてもらえるように努力はした。

 けど、ナツはまるで俺が居ないように振る舞うではないか。すぐ席を立って、誰かに話しかけたり教室を出たりしてしまう。

 ……やはり最適なタイミングは放課後しかないか。この分では、ご法度であることすら無視して誰かの部屋に泊まったりでもしそうだ。

 

「ナツ、待ってってば! 俺はキミに謝りたいだけなんだって!」

「…………!」

 

 放課後になったら流石に掴まると思ったら、ついこの間怒られたばかりの鬼ごっこの再来である。でも今回は怒られるだのに構ってる暇はない。

 ただ、やっぱり肉体のスペックが違うせいかなかなか距離が詰まらない。女の子になっても特に変化はないとか言ってたけど、やっぱり身体能力があがっているような気がする。

 だが最近になって始めたトレーニングの成果が出ているのか、離されはしても撒かれることはなかった。女子更衣室にでも逃げられない限り、追い続けることのできるスタミナはありそうだ。

 

「…………!」

(この方向は……。とうとう観念してくれたかな)

 

 同じ場所を何周かしながら逃げ回ったりもしたが、今ナツの逃げていく方向からして観念したようなことがうかがえた。

 ナツの背中を追いかけつつ、ひたすら階段を上り続ける。そう、この感じからして間違いなく逃げている先は屋上だ。

 屋上なんて基本的に出入り口はひとつで、そこから逃げようとするならISでも使うしかなくなる。なんだかんだ真面目なナツが、無許可で展開はしないという確信めいたものがあった。

 だから諦めてくれたと読んだんだけど、さてどうなることやら。階段を上らせてスタミナを大きく削る作戦とかでなければいいが。

 階段を上り切って出入り口を開け放ってみると、そこには策にもたれかかって息を乱している様子のナツが見えた。

 よかった、やっぱりここから逃げるということはなさそうだ。ただ、やっぱり顔を合わせてはくれないが。とにかく、俺も呼吸を整えながらナツにゆっくり近づく。

 

「いい加減、しつこい」

「ナツが逃げるからでしょ」

 

 久しぶりに聞くナツの声。俺に対して発せられた声、という意味でだが。まさか第一声がしつこいになるとは思いもしなかったが。

 俺がここまで頑なであることが意外なんだろう。それはこだわるさ、なにせキミとの関係についてのことなんだからさ。

 保険をかけるためというか、隣に立っては逃げ出した時のフォローが効かないと考え、俺は少し間を開けてからナツの正面へと立った。

 

「……どうしてそうなの?」

「何が?」

「私が無茶したからハルが無茶したのに。私がレーザーに突っ込ませたようなものなのに、どうして何もなかったみたいに接してくるの……? だって、あと一歩のところでハルの右手が……」

 

 ナツが逃走を続けた原因は、やはり罪悪感からくるものらしい。俺からすれば、なんだそんなことか程度にしか感じられなかった。

 というか、説得力というものがないじゃないか。例えば俺が先に突っ込んでいたら、どんな無茶をしてでも俺を守ろうとした癖して。

 それを指摘するのは簡単だが、何も俺は言い争いをしにきたわけじゃない。ナツと今までどおりの関係に戻りたいという一心なのだから。

 

「そんなの簡単な話だよ。絵とか命とかよりも、ナツのことが大事だから」

「っ……ハル!」

「それに、俺はナツと約束したことを簡単に破る気はない。……俺が隣にあることを、ナツが望んだんだ。だから死なない。ナツがそう望み続ける限りは……ね」

 

 箒ちゃんの時に言ったことと違ってくるかも知れないが、ぶっちゃけナツを守れたなら右腕一本くらい易いと思う。

 別にまだ左腕が残ってるし、それがだめなら足の指や口を使ってでも絵は描ける。実際、そういう画家の話も聞いたことがあるし。

 ナツはそんな簡単に言うな、みたいなニュアンスで俺の名を呼ぶが、多分俺の中からこういう考えが消えることはないだろう。

 何においても優先すべきはナツだ。正確に言うなら、俺とナツが隣同士あり続けること。俺にとってそれは命よりも重い。責任転換のつもりはないが、それをナツが望んだのだから。

 どちらかというなら、例の件で初めて気づかされたくらいのものではあるんだけども。自分でも、まさかあそこまでナツに執着しているなんて。

 でも、これでいいんだと思う。根拠なんてあったものではないが、俺はナツの隣に居てナツは俺の隣に居ることが必要なんだ。今の俺はなんとなくそう思う。

 

「約束と言えばナツ、デートのことはどうするのさ」

「デ、デートって。……そんな資格、私には――――」

「わざわざ零落白夜を引き合いにまで出したのに、資格も何もあったもんじゃないんじゃないかな。これでも俺、けっこう楽しみにしてたんだけど」

 

 俺の言葉はとても卑怯なものなんだと思う。だが、ここはたたみかけさせてもらう。それがナツの弱みや優しさにつけこむ行為だとしても。

 ナツの隣に居るためなら、俺はなんだってしてみせよう。例えそれが、イエスを引き出すための悪辣な行為だとしても。

 案の定、ナツはとても困ったような表情を浮かべた。最終的にイエスと答えてくれたらなんでもいい。その代わり、しっかりとナツを楽しませる責任があるというものだ。

 

「じゃあ、うん、行こっ、か」

「ん、決まりだね。そういうわけだから、晩ご飯にしよう」

「……ハルの意地悪」

 

 ナツの返事が曖昧なのは、納得がいかなかったり自分が許せていないからだろう。だが首を縦に振ったのだから後はこちらのものだ。

 俺は瞬時にナツの手を取ると、しっかり握って先導していく。この流れに乗って、少しでも気まずい空気を払拭する作戦というわけ。

 そうだ、仲違いなんてなかったんだ。俺たちはいつものとおりに、当たり前のように身近な存在であった。それだけのことだ。だから当たり前のように晩ご飯も一緒の席で、だよね。

 俺のそんな意図を完全に読んでいるのか、後ろからはナツの頬を膨らませたような声が聞こえてくる。

 しかし、それと同時に俺の手を柔らかい感触が包む。ナツの手だ。俺が一方的に握っていただけだったが、握り返してくれたということなのだろう。

 俺はなぜだか頬が緩むのを止められなかった。そんな表情は決してナツに見せることなく、俺は更に力強くナツの手を握り返す。もう二度と、この手を離して溜まるかと誓いながら。

 

 

 

 

 




そんなわけでして、次回は二人のデートでお送りいたします。
少しでも二人の仲が進む展開にできればと。


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第29話 ドキドキ初デート

時間が作れないゆえ金曜日の更新でござい。
やめたくなりますよ~仕事~。

起承転結の結ですね。我ながら上手く四話構成になと思いました(日記)
でもねぇ、自分でハードル上げたようなもんですよねぇ。
皆様の満足いく出来になっていれば幸いなのですが……。
まぁとにかくして、二人の初デートをとくとご覧あれ。




以下、評価してくださった方をご紹介!

miru20様

評価していただいてありがとうございました!


 なんだかんだとありつつデート当日。天気は晴れ。どこまでも澄み切った青い空が広がっていた。絶好のデート日和と言ったところだろう。

 俺とナツは同室であるがゆえに、待ち合わせなんていう面倒なことも必要ない。二人で同時に起きて、支度をして、それが終わったら学園を出て、今は外界と学園とを繋ぐモノレールを持っているところだ。

 あれから俺たちの関係も自然に修復し、特に問題なくこの日を迎えることができた。しかし初デートの相手がナツになるとは、人生とは何があるかわからないものである。

 それにしてもというか、なんというか。どうにも今朝からナツのいで立ちが気になってしかたいない。そこで思い切って、会話の最中ナツの姿を上から下まで眺めてみた。

 トップスはシンプルなデザインのオフショルTシャツ。インナーとしてタンクトップを着、肩紐がみえるようなレイヤードスタイルっていうのかな。

 そしてボトムはショートデニム。それに加えてサイハイソックスを履くことにより、絶対領域的な演出がなされている。

 個人的な主観ではあるが、読者モデルのような見事な着こなしと評価して遜色ないのでは? もっと率直に表現するなら、めちゃくちゃ可愛いんだけど。

 

「ハル、どうかした?」

「コーデ、可愛いなと思って」

「へ!? う、うん、ありがとう。そういうハルもかっこいいよ」

「そうかな? 今回はちょっとシンプル過ぎたかなと思うんだけど」

 

 流石に俺の視線に気づいたのか、ナツはキョトンとした表情を浮かべた。

 かねてからナツに対して可愛いと素直に述べることが目標のうちであったためか、自分でも意外なくらいにサラッとそんな言葉が口をつく。

 俺が意外なら言われたナツも意外みたいで、ボッとでも効果音が聞こえそうなくらい一気に顔を真っ赤にさせる。……可愛いなぁ。

 で、ナツも照れ隠し含めてだろうけど俺を褒め返してくる。でもどうだろ、そりゃ初なうえナツとのデートだし気合入れたが、俺としては少々遊びが足りないところか。

 上から五分袖のコーチジャケット、その下は無地のTシャツ。ボトムはジョガーパンツとまぁシンプルの極みだよね。

 アクセサリとか着けてもいいけど、なんだかそのあたりまでいくと似合わないような気がするんだよな。俺のベーシックさはどこまで通じるのやら。

 

「ねぇハル。私、今日の予定聞いてないんだけど」

「う~ん、あえて言わなかったっていうか……。まぁ、とりあえず無難に映画かなって」

「あ、それって【リベンジャーズ】の最新作だよね」

 

 時刻どおりにやってきたモノレールに乗り込むと、席に着くのと同時にナツがそんなことを聞いてきた。

 サプライズ的な意味ではないけど、あえて予定は言わなかったのだが、当日聞かれたのならもう隠す必要もないかも知れない。そう判断した俺は、財布からとある映画の前売り券を取り出してナツに見せつけた。

 それはアメコミヒーローの実写映画として、日本でも知名度の高い【リベンジャーズ】シリーズの最新作である【アンリミテッド・ウォー】のもの。

 俺もナツもそれなりに関心があるもので、劇場に観に行ったりレンタルDVDが出たら借りて観たりまちまち。

 今作は何本か前知識として必聴しておくべき映画があるみたいだが、突発的に手に入っっちゃったからどうしようもないんだよね。買ったんだから観に行かないともったいないっていうのもあるわけだ。

 

「そんなの買ってたなら言ってよ。えっと、お金お金……」

「ほら出た、だから言わなかったんだって。いいよ、気持ちだけで十分。今日の出費は俺に任せてくれればいいからさ」

 

 前売り券を見せた途端、ナツはすぐさま財布を取り出そうとした。これこそが俺がナツに映画を観に行くことを話さなかった理由だ。

 例えナツがどう思おうが、やっぱりデートって言うのはそれなりに男がお金を払ってなんぼというものがあると思う。そうやって渋るのが目に見えていたからこその行動だ。

 そもそも割安で手に入ったから問題ない。

 美術部の同級生の子が事情があって行けなくなってしまったからということで、かなり安くしてペアチケットを買わないかと提案してきたからだ。

 それをナツに説明したところで納得はしないだろう。しかし、このデートにおいては譲れないものがあるから俺も折れるつもりはない。

 ……ナツにとっても初デートなんだ。そんな大役の相手を務めさせてもらっているんだから、むしろこのくらいするのは当然のことだと思う。

 

「なるべく払えるものは払うからね」

「うん、わかったわかった」

「わかってないでしょその感じ。もう、なんかホント最近のハルって意地悪だよね」

「嫌いになる?」

「……なるわけないじゃん」

 

 とてつもなーく納得のいってない表情でそう返されたわけだが、適当に流すような返事で応えた。

 ナツはどうにも俺の態度が不満らしく、ちょっとだけ拗ねたように座っていた席に大きく背中を預けてみせる。

 そんなナツに対してもひとつ意地悪。俺は返ってくる答えがわかり切った質問を投げかけた。

 するとナツは、わかってるくせに意地悪だ、とでも言いたそうな声色で嫌いになんかなるわけないと回答を示す。

 意地悪だと思っていても一応は素直な回答をくれるナツがなんだか可笑しくて、小さく笑いをこぼしてその様を見守る。

 だがいい加減に度が過ぎたのか、ナツは俺の脇腹あたりを忌々しそうにつねり始めた。確かに痛くはあるが、まぁ報復としては可愛いもんだ。かつての箒ちゃんや鈴ちゃんと過ごしていれば特に。察して。

 そんな感じでやんややんやとやりとりを繰り広げていれば時間が経つのも早いもので、あっという間に駅前近くの繁華街へとたどり着いた。

 中学時代にも弾たちとよく繰り出した場所なため、いわゆるホームグラウンドというやつにあたるのだろうか。

 そのおかげか、俺たちの足取りは迷うことなく映画館の方へ。来るのは随分久しぶりだが、道順は身体が覚えているものだな。

 さて、そうしたら前売り券を片手に座席指定のためにカウンターへ。意気揚々と受付の女性に開いている席を確認すると――――

 

「申し訳ございません。現在はこちらのカップルシートしか開いておりません」

「はい……?」

 

 カップルシートとは、二人分の席がひとつに連なっており、その名のとおりカップルたちがより密着できたりするという、リア充のためにあるような席である。

 ……一番早い時間の上映を観に来て、開場まで余裕があるのにもかかわらず、もう席がそこしか開いてないのか……。

 流石は【リベンジャーズ】シリーズの最新作であり集大成でもある作品だ。少しなめていたかも。

 ナツとのデートという発言は覚悟してたり慣れたから堂々としていられるわけであり、流石にカップルシートは想定外だしハードルが高い。

 そこしか開いてないということはカップルも避けているという暗示であり、まぁ、後は察してほしいところである。

 瞬時に追い詰められた俺は、錆びたブリキの人形のように、ギギギと頭を回転させながらナツの助けを乞うことにした。

 

「ナ、ナツ、どうする……?」

「その席でお願いしまーす」

「なっ!?」

 

 俺としては無難に次の上映を待つことを提案してくるだろう――――というか、くれることを願っていた。

 しかし、あろうことかナツはほぼ独断でカップルシートにすることを決定するではないか。しかも俺の腕に抱き着きながら。

 感じたこともないような柔らかさを腕一本に集中的に受けたことにより、俺の思考は一瞬にしてフリーズ。もはや魂が抜けるくらいの勢いだったかも知れない。

 気づけば受付のカウンターから離れていて、目には心底からニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべたナツが映っているではないか。

 その笑みの意味がわからないほど俺は鈍くはない。

 

「……お返し?」

「お返し」

「そう……。それは、その、ごめん。謝るから」

「さー? ど~しよっかな~」

 

 さんざん意地悪したからそのお返しだ。間違いなく、ナツの目と表情がそう訴えかけてきていた。

 お返しを思いつくくらいには恨めしかったのはわかったけど、そのためだけにカップルシートを肯定したり抱き着いたりするかな普通。

 なんていうか、役得であることを否定はしない。けど、なんかモヤモヤするなぁ……。別にナツに対して苛立ちを覚えているわけではないが。

 それよりも、これで返しきれないほど俺は罪深いことをしただろうか。むしろ人によってはこの状況に有罪判決を出すだろう。

 何かって、どうしようかと言いつつナツはしばらく離れてくれないんです。むしろさっきより、腕に込められた力が強くなっている気さえ。

 そのままジュースやポップコーンも買ったりしたし、なんなら劇場に入って席についてもまだ離れない。いや、そろそろいい加減にしてほしいんですが。ギリ失神するか否かの間だからね?

 

「ナ、ナツ、俺が悪かったから勘弁してよ」

「でも、この席ってこうするためにある席でしょ?」

「それは、ちゃんとお付き合いしてるカップルに限った話で――――」

「細かいことは気にしない。ハルも私で慣れるくらいの気でいなよ」

 

 さっきも言ったが役得ではあることは認めよう。しかし、うら若き乙女が無遠慮に豊満なバストを押し付けてくるのはどうなんだろうか。

 いくら仕返し含めて旧知の仲である俺に対してとは言え、あまりにも恥じらいというものがなさ過ぎるのでは? はたまた逆説的に俺相手だからできることなのか。

 でも確かに、変に意識するからダメな部分はあるかも知れない。ここは無理にでも慣れるつもりでいなければ、映画の内容が頭に入ってこなさそうだ。

 そしてナツは結局離れることなく上映がスタート。海外の映画らしく、派手な爆発音や壮大な音楽が響き渡り始めた。

 

(内容としては、王道展開って感じかな)

 

 王道が王道たる所以というか、やっぱりヒーローものにはある程度のお約束とか流れっていうのが組まれているものだ。

 それを退屈だなんて思わない。むしろ【リベンジャーズ】はシリーズをとおして沢山のヒーローが一堂に会する作品であり、そんな些細なことは気にする暇がない感じだ。

 だがこれだけの人数が集まれば、悲しいことに死者もそれなりに出てしまう。戦友の死亡シーンも話を盛り上げる王道に含まれるんだろうが、なんだかやるせない気分になるのは俺だけかな。

 

『なぜだ、なぜ私を庇った!?』

『なぜ? 野暮なことを聞くな……。相棒……だからさ……』

 

 こういうシーンが物語の後半にくるということは、そろそろクライマックスが近そうだ。

 スクリーンの中では【コマンダー・アメリカン】が、自身を庇って瀕死の一撃を喰らった【サマー・ソルジャー】に死ぬなと呼び掛けていた。

 この二人は一度袂を別った間柄だ。それゆえ最期に相棒としての役目を果たして逝くその姿は、よりドラマティックさを演出する。

 それがお芝居であることを忘れそうな迫真の演技に、俺は本気で涙してしまいそうになってしまう。ため息交じりにその行く末を見守っていると――――ふと、右腕に込められている力が強くなった。

 

(ナツ……?)

「…………」

 

 ナツが泣いていた。何もナツが薄情なやつと言いたいわけじゃないけど、映画を観て泣く姿なんて子供の頃くらいしか覚えがない。

 女の子になって感受性でも高くなったんだろうか。……今思えば、昔より百面相したりと感情豊かになった感じはあるかも知れない。ナツって地味にドライなところがあったし。

 ナツは必死に目元を拭って涙を止めようとしている様子だったが、効果は薄いらしく本人も少し忌々しそうだ。

 俺はナツの腕を多少強引に取り払うと、指を絡めるようにしてその手を取った。そしてハンカチを取り出して、ナツの頬を伝う涙を拭う。

 

「ハル……」

「目、こすらない方がいいと思う。せっかく、綺麗な目をしてるんだからさ」

「……うん、ありがとう」

 

 俺はどさくさに紛れて何を言っているんだろうか。

 勿論お世辞なつもりはないが、ナツの涙を拭くのにかこつけてそんなクサい台詞を言わなくていいものを。

 ……まぁ、ナツも満足してるふうだしそれでいいか。しばらくは涙を拭くことに終始してみることにしよう。

 映画の方にも集中しつつ、しばらくナツの涙を拭いていると、流石に止まってくれたらしく小さな声でもう大丈夫と聞こえた。

 俺がハンカチをポケットにしまった頃には完全にクライマックスで、仲間の死を糧に奮起した一同がついにラスボスを撃破した。

 そしてそのまま後日談からのスタッフロールへ。俺とナツは最後の最後まで見届ける派ゆえ席を立つことはない。

 それにスタッフロール後におまけでいろいろあったりするじゃない? 特に【リベンジャーズ】シリーズはそういうのが多いし――――

 

『くっ、少し手に余る数だな』

『喋ってないで手を動かしたらどうだ?』

『お前もな!』

 

 あ、やっぱりあった。どうやら後日談から更に後日談のようで、また新たな敵の襲撃でもあったのか、【リベンジャーズ】のメンバーが雑魚敵っぽい見た目の兵団と戦っている。

 【リベンジャーズ】は少数精鋭であり、圧倒的物量の前に徐々に押され始めている様子だ。それを手に汗握りながら見守っていると、メンバーの一人を襲っていた敵目掛けて盾が飛んできた。

 そのあたりでお察しながら、カメラは彼を中央で捉えず足を映す。数を前にして、物怖じすることなく前に進む足をだ。

 そしてスローモーションの演出が入りつつ、仲間たちが一人一人待ってましたと言わんばかりの表情をアップで映され、最後のシメは当然のように援護に入った彼自身――――【コマンダー・アメリカン】だ。

 

『リベンジャーズ・アッセンブル!』

 

 その一言を最後にカットは切れ、黒い画面に大きく【リベンジャーズ】のロゴが刻まれるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん~……最高のデキだったねぇ!」

「最後にコマンダーのアッセンブルでシメるのが最高だったかな」

「そう、わかる! あえてそれだけにするのが最高!」

「あの後は絶対勝ったよね。間違いない」

「わかるー! あのセリフだけで勝ちを確信させるコマンダーの説得力よ!」

 

 基本的に劇場に来た場合はお約束と言うか、休めるスペースでしばらく映画の感想を言い合うのが常だ。

 そのテンションは映画のできにより左右され、【アンリミテッド・ウォー】は間違いなく最高だったから話が絶えない。

 私もハルも、例を挙げてはわかると同調するのを繰り返した。もうわかりみが深すぎて延々これを続けられそうだ。

 だけど私も聞かれるだろうなと思っていたことがひとつ。むしろ、私が好きになったハルが聞いて来ないはずはなかった。

 

「ところで、さ。珍しいよね、映画観て泣くなんて」

「……うん、ちょっと、ね。重ねて見ちゃったせいで、少し」

 

 ハルもこの雰囲気をぶち壊しにするのはわかっていたことだろう。それでも、私のために覚悟してそれを聞いてくれているんだと思う。

 だから私も正直に話した。はぐらかすことはできたけど、あそこまで泣いてしまったからには言うべきだ。

 重ねて見たという私の発言で意味を十分に察したのか、ハルはすさまじく気まずそうに視線をそらし始める。あ~……という声のおまけつき。

 それは当然ながら例の件に関して。【サマー・ソルジャー】がコマンダーを庇って死んでしまうシーンを見て、私を庇ったハルを思い出してしまった。

 あの一撃で同じことになっていたかも知れない。ハルが死んでしまっていたかも知れない。そう思うと涙があふれて止まらなかった。

 

「……いなくなったりはしないよ」

「え?」

「今の俺じゃコマンダーと違って説得力なんか皆無だけど、必ず強くなるって約束する。何があってもナツの隣からいなくなることだけはしない。後はその、信じてもらうしか、ないんだけど、でも……!」

 

 最近は暗黙の了解になりつつある、新たに増えた私たちだけのルール。ハルが手を伸ばしてくるのが見えたから、私も手を伸ばした。

 ギュッと指を絡めるようにして繋ぐのも当たり前。ハルの手はいつだって温かい。そして、放つ言葉も温かい。

 正直、まだまだ頼りないというのは否定できない。それでもハルは、私の隣にあろうとしてくれる。私はそう思ってくれるだけで十分だ。

 けど、ハルを信じていないわけでもない。ううん、ハルはきっとこれから強くなっていくことだろう。……私のために。

 なんて幸せなんだろう。身勝手な感情なのかも知れないが、ハルのあらゆる努力が私のために向けられているのがとても幸せだ。

 そして、とても愛しい。それが特別な感情を持ち合わせていなくたって、愛しくてたまらなくて、私は――――

 

「って、そういえば謝ってなかったな。ごめんナツ、心配かけて」

「ううん、もういいよ。私のほうこそ、ごめんね」

「……じゃあ、デートの続き、しようか」

「……うん。というか、この後ちゃんと考えてるんだ?」

「そりゃ考えるさ、ナツとのデートだよ? ありきたりにならないよう、練りに練ったからね」

 

 ハルは思い出したかのように神妙な顔つきになり、私の説得に終始していたせいで謝るのを忘れていたと、畏まったように頭を下げた。

 あの件は私も悪かったんだから言いっこなし。だから私も謝って、これでもう全部水に流すという体で。

 ハルもそれを承知しているのか、無駄に勢いよく立ち上がりながら次へ行こうと提案する。私としてはそれがとても意外だった。

 ってっきり後は私に合わせるとか言い始めるものだと思っていたけど、ちゃんとリードするつもりでいてくれたんだ……。

 それは私とのデートを大切に考えてくれているという証拠。さっきは悪戯心の方が強かったけど、私は愛しさが振り切ってハルの腕へと抱き着いた。

 

「じゃ、どこへ連れて行ってくれるの?」

「う、うん。なんか少し変わったアミューズメント施設が近くにできてるみたいで、とりあえずそこかな」

 

 ハルはまったく慣れないのか、一気に身体が強張ったのがわかる。どういうつもりなんだろ? とか思ってるんだろうなー。

 それはいずれ思い知らせるとして、ハルは本当にいろいろ考えてデートプランを練ってくれたらしく、私たちの中で定番のようなことはまったく起きなかった。

 ハルが言うアミューズメント施設もVR体験ができたりする最新の場所だったし、食事に連れて行ってもらったのも、あまり馴染みのない多国籍料理のお店だった。

 昼食に関してはてっきりオムライスでも食べに行くつもりでいるんじゃないのかと思い、それを尋ねてみると――――

 

「ん? いやぁ、別にナツが思ってるほどこだわりがあるわけじゃないんだよ? ナツの作るオムライスが好きなだけで」

 

 と、返された。

 なんですか。なんなんですか。どうしてそういう時だけ、まったく躊躇いも見せずにそんな死ぬほど嬉しいことを言ってくれるんですか。

 おかげで多国籍料理なんて珍しいものを食べたのにほとんど味を覚えてませんよ。仕方がないから今度自分で挑戦してみることにしよう。

 それからは二人でお買い物。服を見に行ったり、ハル行きつけの画材屋へ行ってみたり。適当にぶらつくことで時間をつぶした。

 私たちは学生の身で、しかも寮生ときた。まだまだ遊び足りないというのが正直なところだけど、門限というものがあるので早めに帰宅の途に就く。

 ハルとあれこれ話しながら移動してれば苦にならないもので、いつの間にか学園も目と鼻の先だ。それと同時に、少しばかり虚しさも過る。

 

「ナツ、どうかした?」

「え? 別になんでもないけど」

 

 虚しさを顔に出していたつもりはないし、実際に出てはいないはず。しかし、こういう時ばかりは長い付き合いゆえの察しのよさが弊害となる。

 私の様子が変だと感知したらしいハルは、少しばかり心配そうな顔つきでそう問いかけてきた。咄嗟に誤魔化してしまう自分が憎い。

 するとハルは足を止めた。腕を組んで悶々と何かを考え始めたようだ。そして妙案でも思いついたようにハッとなると、私に数歩近づいてこう告げた。

 

「ナツさえよければ、また二人で出かけよう。何度だって。数えきれないくらい」

「ハル……。……うん、また二人で」

 

 目を合わせてくれなければ頬を掻いて恥ずかしそうだったけれど、やはり私の心中を見抜いたかのような発言だった。

 後ろ暗い表情でも浮かびそうになっていたのに、自然と口角が上がっていくのがわかる。胸の奥が温かくなっていくのがわかる。

 うん、私、やっぱり幸せだ。けどもっと幸せになれるのびしろがある。それは勿論、ハルに好きになってもらうこと。

 愛されたい。ただ一人、私に温もりを与えてくれる陽だまりに。片恋で、一方的に想っているだけでこれだけ幸せなのに、ハルに愛された日にはどれだけの幸せが待ち受けているというんだろう。

 ハルとの時を重ねるごとに、私の想いは強くなっていく。けど今はもう少し、半分だけの幸せを噛みしめておくことにしよう。そのうち、そんな時期もあったねって、そんな思い出話になるのだから。

 学園に足を踏み入れるまでの短い間、私とハルは自然に手を取り合って歩いた。まるでお互いの存在を確かめ合うかのように……。

 

 

 

 

 




※劇中に登場しております【リベンジャーズ】なる作品は、【アベンジャーズ】と一切関係のない架空のものです。ネタバレ等一切しておりませんので、どうかご安心ください。

もっと二人ともアタフタさせてもよかったかなと反省中。
後の判断は皆様にお任せいたします。
どのみち次回から新章突入ですし、反省してばかりもいられないという。
銀髪ロリ系軍人のほうはともかく、金髪貴公子(仮)を取り巻く事情に関しての落としどころさんがですねぇ……。
そのあたりもちゃんと考えつつ、学年別トーナメント編、張り切っていきましょう。


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第30話 やって来るは銀と金

ちょっと遅くなりましたが感謝の一言。
50000UA突破しました。本当にどうもありがとうございます。
よろしければ、今後とも御贔屓によろしくお願いします。

それはそれとして、またしても忙しいので金曜更新となります。
内容も非常に薄いですが、まぁこの章のプロローグとでも思ってください。


「今日は新しいお友達を紹介します! それも二人!」

 

 自分でも真面目な方ではあると思うが、やはり今日の予定を話されるだけのSHRというのは退屈なものだ。

 今日も今日とて怒られない程度に適当に聞き流しておこうかと思えば、山田先生が随分と子供じみた表現で二人の転校生が居ることを示唆した。

 鈴ちゃん然り、この時期に転校してくるとなれば実力は折り紙付きだろう。別に戦闘狂になったつもりもないが、そういうことなら多少の興味を惹かれる。

 周りの女子たちも俺と似たような考えなのか、教室をそれなりの喧騒が包み始める。それを散らすかのようにフユ姉さんの喝が轟いた。

 

「お前たち、静かにしろ! ……入ってこい」

「…………え!?」

 

 フユ姉さんの声を合図に入ってきたのは、間違いなく前情報どおりに二人の生徒だった。ただそれだけなら驚くことはなかったろう。

 転校生二人のうち片方――――長い金髪を束ねた生徒が、男子の制服を着ていたからだ。……あ~これは、俺は彼をどう認識していいのだろう。

 ……まぁ、いったん保留にしておく。それでもう片方の女子。随分と小柄だなと言うのが第一印象だった。鈴ちゃんよりも小さい子はなかなか見かけないから。

 彼女はまるで男子と対になるかのような銀髪をしていて、左目に眼帯をしているのに注目してしまう。そして、何か只者ではないようなオーラを放っているような気がした。

 

「手短に挨拶しろ」

「はい。皆さん初めまして、シャルル・デュノアと言います。僕と同じような境遇の男子が居ると聞いてフランスからやってきました。これからよろしくお願いします」

 

 貴公子然とした様子で挨拶をした金髪の子――――もとい、う~ん……とりあえずデュノアくんで。どことなく、フランス出身というのがとても似合う振る舞いのような気がする。

 挨拶をしてもなんのリアクションもくれない。そんなシーンとした空気が教室へ流れる。デュノアくんは何かまずかったと眉をひそめているが、安心してくれていい。

 俺が静かに耳をふさいでいると、次の瞬間にまるでソニックブームでも発生したかと勘違いするような勢いで、女子たちの黄色い歓声が上がった。

 

「キタ、イケメンキタ! これで勝つる!」

「日向くん、悪いけど喜ばせて! 地球に生まれてよかったー!」

「ああ、うん、俺のことはお構いなく」

 

 まったく思うところがないと言えば嘘になるが、俺とデュノアくんの顔面偏差値は雲泥の差だ。月とスッポンと言ってもいい。

 というよりはなんだろうね、彼なら何を言っても嫌味だったりキザに聞こえないような気がする。そのくらいに貴公子という表現がよく似合っていた。

 が、褒められた張本人であるデュノアくんは引いてる様子だ。こういう女子のパワーに圧倒される気持ちは痛いほどわかる。

 けどそれだけ騒げばフユ姉さんの逆鱗に触れる行為であり、心底からご立腹であることが聞いただけでわかるような声色で黙れとひとこと。

 それなりに彼女らも訓練されてきたのか、すぐさまデュノアくんなんかどうでもいいと言わんばかりに黙った。その様にデュノアくんは困惑しているご様子。

 

「……お前も何か言え」

「ハッ、教官のご命令とあらば!」

「ここでは織斑先生だ」

 

 ため息交じりにフユ姉さんが銀髪の子に挨拶を促すと、彼女は不思議なことに教官という呼称で返した。

 しかも敬礼のおまけつきだし、彼女は軍人か何か? それで教官となると、もしかしてフユ姉さんがドイツに居た頃の教え子かも知れない。

 フユ姉さんはナツの誘拐事件が発生した際、ドイツ軍の情報提供を受けた。その見返りとして、一年間軍のIS操縦者を育成していた時期がある。

 そうか、俺たちと同い年なのに、彼女は軍人なのか。それなら纏っているオーラや迫力も頷けるような気がするな。

 銀髪の子はフユ姉さんの呼称について注意を受けつつ、相変わらず軍人然とした様子で己の名を高らかに宣言した。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」

「あ、あの~……それだけですか?」

「それだけだ」

 

 ボーデヴィッヒさんね。ドイツ語は無意味にカッコイイようなイメージがあるが、やっぱりどことなくその節を感じる姓だ。

 しかし、どうやら少し変わった子ではあるみたい。いくら軍人とはいえもう少し話すことはあると思うし、実際そう感じているのか山田先生が終わりかと確認を取った。

 ボーデヴィッヒさんはそれを完全シャットアウト。話すことはもうないらしい。突っぱねられた山田先生は、涙目になりながら距離を置く。

 教師としてどうなのだろうかと思いつつ、やはり似た人なので気持ちもわかる。うんうん、確かに今のは怖いと内心頷いていると、何かを発見したらしいボーデヴィッヒさんの顔つきが一気に感情的になった。

 

「貴様っ!」

 

 激昂した様子のボーデヴィッヒさんが歩み寄っているのは、間違いなく俺の隣に座るナツ目掛けてだった。

 でもナツの態度を見るに初対面ではありそうだし、いったいなんの因縁をつけるともりなんだろう。……というか、ナツのこの感じ――――

 ……ナツにもボーデヴィッヒさんにもいろいろ事情というものがあるんだろう。だが結果が見えているのにそうさせてやるわけにはいかない。

 俺は急いで立ち上がり、既に振り上げられているボーデヴィッヒさんの腕を掴んで止めた。

 

「……貴様、なんのつもりだ」

「ええっと、なんていうか、目の前で女の子が叩かれるのを、黙って見てるわけにはいかないし」

 

 多分、軍人だったらその気になれば俺を投げ飛ばすのは容易いんだろう。例えボーデヴィッヒさんの体格が恵まれたものでなくとも。

 けど今のは技術もない感情に任せた平手打ちだ。単純な筋力だけあれば止められると踏んだが、どうやら間違いではなかったらしい。

 よほど周りが見えてなかったのか、ボーデヴィッヒさんはものすごい表情で俺を睨みつける。……箒ちゃんとか鈴ちゃん並みに怖いかも知れない。

 け、けど、ナツが無益に叩かれるのなんか見過ごすわけにいかない! って、堂々と言ってやれる性格だったらどれほどよかったか。

 

「あ~……。SHRはこれで終了する。各自、遅刻のないよう行動せよ。以上」

「……フンッ!」

「ああっと、ごめんごめん」

 

 てっきり俺にもボーデヴィッヒさんにも制裁があるかと思ったが、フユ姉さんは非常に気まずそうな様子でSHRを切り上げた。

 フユ姉さんが気まずそうとは珍しいこともあるもんだ。そうやって教室を出ていくフユ姉さんの姿を見ていると、ボーデヴィッヒさんは俺の手を強引に振り払った。

 今のは流石に謝らなくてよかった気がする。でもちょっと強めに握り過ぎてたような気もするし、う~む……。

 まぁひとつだけわかることがあるとすれば、ボーデヴィッヒさんを敵に回したということかな。とにかく大事にならなければいいが。

 

「ハル、ありがと」

「いや、気にしないで。それよりナツ――――」

「ええっと、取込み中かな? でも挨拶はさせてほしくて」

「ああそうか、デュノアくん……。うむむ……う~む……。……ナツ、また後で。デュノアくん、とにかく急いで教室を出よう」

 

 笑顔を浮かべたナツが助かったと感謝を述べるが、それをすんなり受け入れるわけにもいかなかった。

 本当はすぐさま追及したいことがあったけれど、デュノアくんのこと含めてこれ以上は教室に留まるわけにはいかない。

 一時限目から実習でなければなぁ……。はぁ、スケジュールに関して嘆いても仕方がない。すぐさまデュノアくんの背を押して教室から飛び出た。

 

「あの、急いでる様子だったけど」

「うん、更衣室で着替えない子も多いからね。流石に俺らが留まるわけにはいかないから」

「なるほど……。そっか、そうだよね」

 

 俺があまりにもそそくさと教室を出たのが気になったのか、デュノアくんはとても不思議そうにこちらを眺める。

 確かに挨拶を後回しにしてでもというのは気になるだろう。まぁ、本当に女子が教室で着替えるからっていう単純な理由なんだけど。

 そう説明すると、なんだかデュノアくんは興味深いように何度か頷く。そういうものなのか、とでも思っているんだろうか。

 

「挨拶は歩きながらしようか。男子更衣室、わりかし遠いんだよね」

「うん、勿論。改めて、僕は――――」

「……いやごめんデュノアくん。前言撤回、とりあえず俺の後ろに隠れてて」

 

 待遇に関して不満があるつもりはないが、やはりトイレや男子更衣室の数は微々たるものだ。どうしても教室からは遠くなってしまう。

 油断してたら遅刻とか普通にしてしまうので、慣れていないであろうデュノアくんには悪いけど、早足での案内になってしまう。

 今度みんなを紹介しながら学園を歩き回るのもいいかもな、とか思っていたその時である。俺は廊下の先が少し騒がしいことに気が付いた。

 その騒がしさですべてを察した俺は、とりあえずデュノアくんを背後に隠すことに。本当、挨拶しようとしてくれているのに申し訳ない。

 しばらくそのまま待っていると、だいたい予想したとおり女子の一団が迫りくる。なるほど、顔がいいとこうなるわけか。こういうときばかりは、普通の顔でよかったと思い知らされるかも。

 そんなことはさておいてだ。明らかにデュノアくん目的の彼女らに対し、俺は精一杯声を張り上げた。

 

「すみませーん! あの、あまり絡まれると遅刻しちゃうんで。俺はともかく、デュノアくんまで織斑先生の制裁を受けるのは忍びないと思うんです。ほらデュノアくん、言ってあげなさい」

「こ、ここで僕? う~ん、え~っと、道を開けてくれると嬉しいなー……なんて」

「丁重にお通しせよ!」

 

 俺の叫び声に反応して足は止めてくれたものの、女子一同はデュノアくんを出せという旨の言葉を放っているみたいだ。

 人数が人数だけにあまり正確に聞き取れないんだよね。ゆえにあまりかまってやる必要性もないってわけだ。

 俺は俺の考えを一応伝えるとすぐさま退散。聞く耳をもってくれた以上は、デュノアくん本人が言ったほうが効果があると見てのことだ。

 俺の予想はまたも的中し、女子らはザっと廊下の両端に避けてみせる。まぁお近づきになりたい人に悪い印象を与えてしまうだろうし、妥当なところだろう。

 とにかく、上手くいったんだから次へ行くとしよう。もしかするとこれは第一波で、少し進んだから第二波、第三波が襲ってくる可能性もあるのだから。

 

「デュノアくん行こう。走れそう?」

「加減してもらえば大丈夫だと思うよ」

 

 もはやデュノアくんからしてもツッコミを入れる気もないのか、俺の問いかけにすぐ答えてくれた。

 デュノアくんの回答によしと頷くと、彼が付いて来れる速度を意識して、男子更衣室を目指して走り出す。

 女子の団体様はさっきのが最初で最後であり、これなら着替える時間を含めても遅刻するというようなことは起きなさそうだ。

 ……ん? 着替え? ……ああ、そうか、その問題もあるんだった。山積というやつだなぁ。そこはどうにか、やんわりと確認するとしよう。

 流石に男子更衣室まで突撃してくる女子はいないだろうということで、俺たちはようやくちゃんとした挨拶を交わすことができた。

 

「日向 晴人です。適当に呼んでくれたらそれで構わないから。よろしく、デュノアくん。……っと、左手で失礼」

「シャルル・デュノアだよ。シャルルって呼んでほしいな。こちらこそよろしく、晴人」

 

 とりあえず今は名前の再確認くらいでいいだろう。趣味とか個人的な話はもっと時間のある昼休みとかで。

 右手はまだ痛みがあるため、本当に失礼ながら左手の握手を差し出す。しかしシャルルは気にした様子は見せずに、とても爽やかな笑顔で左手の握手に応じてくれた。

 事情を聞いてこないあたり、シャルルの人の好さがうかがえる。……そのぶん今後は俺のメンタルが辛くなるということなんだけど、仕方がないと諦めるしかないか。

 ……さて、ここからどう着替え問題につなげよう。……不本意ではあるけれど、女子に対する愚痴みたいな感じからなら自然かな。

 

「ところでだけど、こうしてみるとやっぱり俺たちは大変だよね。せめて女子たちも更衣室で着替えてくれるといいんだけど」

「比率が比率だしね。もしくは男子扱いされてない、とか?」

「う、それは逆につらいかもな。俺なんかほら、下にすぐISスーツ着てるんだよ。こうすると脱ぐだけでいいし」

「それ、僕も同じことしてるよ。フフ、奇遇ってやつだね」

 

 演技とかはできたもんじゃないと思ってたけど、意外にやってみたらけっこう平気だな。自分でもてっきりぎこちなくなるものだと。

 ……というか、男子扱いされてないのは本気であるかも知れない。というか、俺の場合は影が薄いから存在そのものに関しても――――

 い、いやいや! 最近はナツたち以外の女子とも話す機会は増えたんだ、決してそんなことはない……と思いたいところだろうか。

 とにかく、作戦は無事成功かな。特に違和感らしいものもなしに、既にISスーツを着込んでいることを伝えることができた。

 それでいて、シャルルも同じことをしているらしい。そいつは僥倖、これで変に気を遣わなくて済みそうだ。

 そういうことなので、特にお互い変な空気になるようなこともなく制服を脱いでISスーツ姿へ。そのまま流れるようにアリーナへ入った。

 

「シャルルも専用機持ちだよね」

「うん、第二世代機のカスタム機だけど一応。……晴人のは変わった待機形態に思うけど」

「ハ、ハハハ……よく言われるよ。専用機そのものも変わってるっていうか」

「そうなの? でも僕のはカスタム機だし、変わってても特徴があるのは羨ましいかも」

 

 間違いなく首から下げているペンダントが待機形態なんだろうけど、つかぬことを聞いてしまう。

 一応の確認というか、専用機持ちは実習の場合手本にされることが多い。もし本当に専用機持ちなら、前の方に居た方がいいかなと思っただけのことだ。

 今日は一組と二組が合同での実習となる。単純計算で人数が倍になるということで、まだ全員集まってはいないが人の間を縫うように前へ。

 正直なところで腕組して仁王立ちするフユ姉さんの前に迂闊に出たくはないのだが、これも専用機持ちの定めとしておくことにしよう。

 そうして人だかりの先頭の方に立った俺は、さりげなく同じく先頭付近に居たナツの隣へと陣取った。

 

「ナツ」

「あっ、ハル。デュノアくんともども襲撃されたって聞いたけど、意外と早かったね」

「うん、まぁ俺のことはいいとして、どうしても聞いとかないといけいないことがあってさ。さっきのアレ、なんで避けようとも防ごうともしなかった?」

 

 俺がナツに声をかけた時点で、シャルルは他の専用機持ちにあいさつを始めた。……随分と空気の読める子というか、逆に申し訳ないくらいまである。けど、ナツにこの質問をしないわけにはいかないんだ。

 俺だから、もしくは家族だからわかるんだ。ナツが初めから、ボーデヴィッヒさんの平手打ちを避けようともしなかったことくらい。

 ナツの正義感は強い。その正義感に俺や箒ちゃんや鈴ちゃんは救われたんだ。ゆえに、理不尽な暴力なんて良しとしないのを知っている。

 つまりそれは、ボーデヴィッヒさんの張り手を受け入れたのと同等。とするならば、ナツはボーデヴィッヒさんに恨まれてしかるべきと思っている……ようだ。

 俺にはそれが我慢ならなかった。何もボーデヴィッヒさんが憎いとかそういう話ではなく、どうして自分のことになるとそうなのかと言いたいんだ。

 だってそうだろ。今までさんざん助けてくれた。ナツにとってそれはなんてことないのかも知れない。けど、困ってるなら言ってほしいし助けにはなりたいじゃないか。

 それを恨まれて当然だ、なんて自分の中だけで片付けてもらっては困る。……だというのに、ナツは難しい顔をするばかり。ようやく口を開いてはくれたが――――

 

「多分だけどあの子は、私の誘拐で――――」

「全員揃っているな? さて、とりあえず各専用機持ち、ISを展開せよ」

「……ごめん、また後で」

 

 時間切れだ。授業が始まってしまった。……俺も答えを焦り過ぎていたのかも知れない。こんな変な気分になるのは初めてだ。

 話しかけだったとはいえ、これ以上は授業に支障をきたす。俺はナツに謝罪しながら数歩間を置き、フユ姉さんの命令どおりヘイムダルを展開した。

 展開速度は俺が最も遅いものの、昔ほど差がつくわけでもなさそうだ。よしよし、いいぞ。やっぱり少しずつでも早くなってる。

 なんて自分のわずかな進歩を実感していると、すごくシャルルに見られていることに気が付いた。何か用事かと視線を返してみると苦笑いするあたり、どうやらヘイムダルの特異さに目が向いてしまったらしい。

 まぁ、うん、大丈夫、そろそろ慣れた。という意味を込めて左手を振って返した。後は授業に集中し、フユ姉さんの言葉に耳を傾ける。

 これまで実習は幾度かあったが、今日は全生徒が訓練機を動かすことになるらしい。そのことについて、気を緩めることなかれといった内容を話される。

 それと、生徒たちの監督をするのが俺たち専用機持ちになるようだ。こちらに関しては、責任をもった行動をと釘を刺される。

 

「それでは早速訓練を――――と言いたいところだが、ひとつデモンストレーションを行う。そうだな……。オルコット、凰、前に来い」

「わたくしと鈴さんの模擬戦、といったところでしょうか?」

「おっ、いいじゃん。一度はセシリアと白黒ハッキリ――――」

「逸るな小娘ども。じきわかる」

 

 鈴ちゃんとセシリアさんがフユ姉さんに呼ばれて前に出たわけだが、大多数の予想を裏切って二人の模擬戦となるわけではないようだ。

 それなら他の対戦相手が居るということになるが、はて、フユ姉さんはISを装備するような空気を全く感じられない。

 なら更に他の相手が――――と、ハイパーセンサーを用いてアリーナ内を見渡していたその時である。いきなり警告が鳴り響くではないか。

 え、ええっと、種別的には……衝突の恐れ? って、リヴァイヴを装備した山田先生がこっちに向かって突っ込んできてるじゃないか。

 正確な着地点を割り出してみると、だいたいナツの真上当たり。……ああなるほど、男の時ならそれでラッキースケベになってたわけね。

 とにかく、山田先生が地面に叩きつけられる姿を静観するのも忍びないので、助けに入ることにしよう。

 

「ナツ、ちょっとスペース開けて」

「うん、了解」

「山田先生、そのまま落ちてきてください!」

「そ、そのままって――――きゃあ!?」

 

 ナツに移動してもらって場所を開けてもらうと、俺はヘイムダルの巨大な右腕を伸ばし、同じく巨大な掌を開いた。

 後はタイミングを合わせて山田先生を掴む簡単なお仕事だ。多少の衝撃はいくだろうが、それでも地面とキスよりましと思っていただきたいところかな。

 ヘイムダルの掌は女性の腰なんて簡単にすっぽり収まるサイズなため、難なく山田先生をキャッチに成功。文字通り手中に収めたって感じかな。

 そしたら優しく山田先生を降ろしまして……と。よし、なんとか騒ぎにならずに済んだみたいだな。それなら俺も満足満足。

 

「す、すすすすすみません、日向くん! それに織斑さんも!」

「いえ、このとおりハルが助けてくれましたから」

「当然のことをしたまでですよ」

 

 あわや激突ということを気にしてなのか、地に足を着けた山田先生は真っ直ぐこちらに謝りにきた。心なしか涙目である。

 山田先生の心配に対し、俺たちはあっさりそれを許した。すると、今度は感激的な意味で目元を濡らし始めるじゃないか。

 俺たちが一周して困り始めた頃、フユ姉さんがそのへんでと声をかけたことでようやくしゃんとしたらしい。そして山田先生は鈴ちゃんとセシリアさんの前に――――って、これはつまり?

 

「……え、マジ? 今の見せられて戦えって言われても……」

「それに二対一です。織斑先生、本当にこのルールでよろしいので?」

「安心しろ、今のお前たちでは勝てん」

「ハ、ハードルを上げないでくださいよぉ……!」

 

 山田先生だが、教師であるなら実力者ではあると思う。そうは思いつつも、半分くらいは鈴ちゃんとセシリアさんに同意せざるを得ない。

 せめて一対一ならまだしも、山田先生が専用機持ちの代表候補生二人を相手にし、なおかつ勝利しているビジョンが失礼ながら浮かばなかった。

 だがフユ姉さんのあの態度、決してハッタリではないぞ……。そもそもハッタリだの小細工をするような人でもないんだけど。やっぱり本気で勝つと思っているんだな。

 対して山田先生本人はとても自信がなさそうだけど、それでも一教師として奮起しているのか、そのうちキリリと眉が吊り上がった。

 む、これなんだかフユ姉さんの言葉が確信めいたような気がするぞ。どのみち貴重な教師を交えた模擬戦だ。見逃さないようしっかり目を見張っておかないとな。

 

 

 

 

 




別に隠す意味もないので言っておきますが、晴人はシャルの正体に感づいてます。
そもそもシャルの男装ってヒロインだから成立するものですので。
晴人には一夏ちゃんが居ますから、お前女だったのか!? みたいなおいしい展開も必要ないですしね。
ただいろいろとこなすべきイベントは消化していくつもりです。
じゃないと、あの事情をクリアしないとシャルはいろいろ不憫が過ぎますから……。


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第31話 その夢は何が為

若干のシリアス回かなって感じです。
でも一応は晴人と一夏ちゃんの距離は縮むので大丈夫かなと。
……何が大丈夫なんだろうか。


「鈴さん、前に出過ぎですわ」

「ハァ!? アンタがチマチマやってるから前に出なきゃなんなかったんでしょーが!」

「そうかしら? 一瞬でもわたくしに配慮したようなシーンはなかったように思いますけれど」

(ダメだこりゃ……!)

 

 鈴ちゃん&セシリアさんVS山田先生で行われたハンディマッチだが、結果は言い争う二人を見ていただければわかるだろう。

 タイプのまったく異なる二人ではあるものの、予想以上の噛み合わなさが影響し、その隙を山田先生に突かれたような形に見えた。

 専用機の特化傾向と、本人たちの戦闘スタイルだけなら相性抜群のはずなんだがどうしてこうなるのだろう。やっぱり代表候補生のハングリー精神のせいかな?

 それよりもフユ姉さん、さてはこうなることを見越してあの二人を組ませたのでは? うーん、でも割と何考えてるかはわかりづらい人ではあるし、そもそも俺の予想なんてあてにはならないか。

 

「見苦しいぞ。いい加減にせんか」

 

 二人の言い争いが激化する中、それを一瞬にして鎮める裁きの鉄槌――――もとい出席簿が頭目掛けて振り下ろされた。……あれ、今絶対防御を貫通したような……?

 そ、そんなことより、確かに責任の擦り付け合いは見苦しいかも。事実、二人のうちどちらかが折れていれば間違いなく勝てていた試合だったと思う。

 俺とナツのタッグだったらどうだろうか。ナツが剣なら俺が盾、と謳うからにはコンビネーション抜群の自信はあるけれど。

 ……それは置いておくとして、フユ姉さんの言葉を肝に銘じておくことにしよう。二人をしかりつけるのと同時にこう言ったのだ。

 

「今のを見たらわかるだろうが、いくら実力者が組もうと合わせる気概を持ち合わせなければ話にならんというわけだ。いつ、どんな状況、どんな相手とでも即コンビネーションを発揮できるよう留意しろ」

 

 うん、確かに。さっきの二人は実力の半分も出せていなかったように思う。それを考えれば、フユ姉さんのいつどこで誰とでもという言葉の重みがわかる。

 逆にパートナーと互いに活かし合えることができれば、普段よりも実力を引き出し合える……ということなんだろうから。

 俺を含めて多くの生徒が感銘を受けたのか、俺たちは自然に大きな声で返事をしていた。……悪い例とされた二人はバツが悪そうだ。

 

「では今度こそ実技訓練を行う。一般生徒は出席番号順に6つの班に分かれるように。各専用機持ち、お前たちは訓練機を取りに来い」

「打鉄とリヴァイヴが三機ずつあるので、早い者勝ちですよ~」

 

 は、早い者勝ちって、それならどちらかの量産機に統一してしまえばいいものを。

 こういう場合は損な性格をしているというか、そういう言い方をされると少し焦ってしまうんだよ……。俺は勢いそのまま、打鉄を選択して班員の元へ向かった。

 

「えーと、ごめん。勝手に打鉄を選んじゃったけど問題ない? 大丈夫?」

「日向、真っ先に打鉄を選んでたね」

「理由とかあるならレクチャーしてほしいな」

 

 なるほど、流石はIS学園の生徒なだけあって着眼点が違う。その通り、俺もそれなりに理由があって打鉄を選んだ。

 まず第一に、彼女らはISを動かすという行為そのものに慣れていない。そのうえで、今日行う訓練は主に歩行とかそこら。

 となれば、重量があるほうが単純に安定感があって操作しやすいはず。そこで防御特化傾向にあり、重厚な打鉄を選んだというわけ。

 そして第二に、操作感覚がなんとなくヘイムダルに近いから。

 俺も試しに量産機を動かしたことがあるんだけど、その際打鉄の操作感覚になんとなくだが親近感みたいなものを覚えたんだよ。

 個人的見解では同じ防御型ゆえということで、その感覚がなんとなくわかる方が、こちらとしても教えやすいんじゃなかろうかということだ。

 

「ふーん、なるほどね」

「どっちもウチらに気を遣って、か」

「日向くんらしーい」

「そ、そうかな? と、とにかく始めようか。まず誰から――――」

 

 なんだかやんわりと褒められたような気もするが、別に大したことをしたわけでもないつもりなので恐縮してしまう。

 そんな気分を振り払うかのように訓練開始を宣言しようとするが、遠くの方から女子のワーキャーと叫ぶような黄色い声が聞こえてくる。

 何事かと目をやってみると、どうやらシャルルが女子をお姫様抱っこで持ち上げて訓練機に乗せてあげているようだ。

 まぁ、そうか、そうだよね。そう叫びたくなる気持ちはわかる。もし仮に俺が女子だったら同じようなリアクションをしていたかも。

 けどなんというか、あー……いいや、どちらにせよ俺にはあまり関係ない話なのだから。要するに需要がないってやつ。気にせず訓練に入ろうとしたのだが――――

 

「日向、あれやってよ」

「は!? い、いやいや、シャルルならともかく俺だよ?」

「アタシ、普通にアンタってアリなほうだと思うけど」

 

 予想外の出来事である。まさかのまさかで、女子の一人がシャルルと同じことをするよう頼んできたのだ。

 さっき言ったとおり、俺に需要があるとは思わないし思えない。だから本当にそうする必要があるのかと問いかけたら、またしても予想外の反応で困惑してしまう。

 彼女がサバサバしたタイプの女性であることも関係しているんだろうが、ナツを除いてそういうことを言われたのは初めてだ。

 な、なんていうか、少し調子に乗ってしまいそうだ。きっと今の俺は、わかりやすいくらいに顔を赤く染めているのだろう。

 ……羞恥心もあるが、せっかく俺をご所望してくれたのだから応えることにしよう。その流れからして、初めに乗るのは彼女からということになった。

 

「ヘイムダルはご覧のとおりの見た目だから、左腕に乗る感じでよろしく」

「ん、了解」

「それじゃ上げるよ。落ちないように注意して」

 

 そもそもヘイムダルの両腕のアンバランスさからして、正当なるお姫様抱っこをするというのにはあまりにも無理がある。

 そういうことなので、どちらかと言うなら左腕に身体を預けてもらうような形となった。右腕の方が乗りやすいんだろうけど、それだと完全に意味がなくなっちゃうからね……。

 勢いあまって彼女を落とさないよう慎重に持ち上げると、おーと少し感心するような声を上げた。うんうん、立ってるだけでけっこう眺めがいいんだよ。わかるわかる。

 後はそのままゆっくり彼女を打鉄の方に近づけた。問題なく打鉄に乗り込んでくれて、これでようやく訓練開始といったところか。

 

「どうかな、何か違和感があったりは――――」

「オーケーオーケー。問題ないよ」

「そっか、ならひとまず一歩目からいってみよう。右腕に掴まって、焦らずゆっくりでいいからね」

 

 訓練機ゆえに初期化も最適化もないから気分が悪いということはないだろうが、一応そんな声をかけておく。

 すると秒で問題ないという返事が。やはり杞憂というか、大きなお世話だったか。よし、それじゃあいってみよう。

 俺は地面から少しだけ浮いて、打鉄の進行方向に合わせて右腕を差し出した。彼女がそれを掴んだのを確認すると、丁重にエスコートしながら進んで行く。

 第三世代機と第二世代機では操作方法がまるで違う。今彼女らがすべきは、いかに丁寧な操作ができるかどうかだ。急ぐのは慣れてからでいいに決まってる。

 だから俺は、ナツにISの操作を手解きしてもらった際を思い出しつつ指導に終始した。ナツの指導の仕方の丸パクリとも言えるんだけど。

 

「ハイパーセンサーにコースが表示されてるはずだけど」

「うん、見えてる」

「それに従って歩いて、一周したら交代ってところかな」

 

 まるで自動車教習所の指導員にでもなった気分だが、やはり教材として歩くべきコースというようなものが組まれているらしい。

 今俺の目にはガイドラインのようなものが見えている。フユ姉さんあたりが転送してきたんだろう。いやぁ便利なもんだ。

 同じく彼女も見えているようなので、再度ゆっくり歩くよう促してから歩行訓練を再開。ガシンガシンと打鉄が地を鳴らす音が響く。

 

「はい、一周。お疲れ様」

「日向、アタシどうだった?」

「特に問題らしい問題はないと思う。初めてでそれだけできれば十分だよ」

「日向ってば誉め上手~」

 

 第二世代機というか、マニュアル操作をしてみたらわかるが、あれはなかなか難しいもんだ。俺が問題なくヘイムダルを動かせてるのはイメージインターフェースありきだと思う。

 にも関わらず、一回もつまずいたり転んだりしなかった彼女は普通に上手な方だとおもう。……それは暗に、俺がこけたりしたということだが。

 とにかく、思ったことをそのまま述べただけだ。だが彼女はあまり本気で捉えていないのか、ケタケタとからかうような笑い声をあげた。

 俺も一応ダメなところがあれば指摘するつもりだったんだけど、本当に言うべきことがないだけだったんだけどな……。

 なんて唸っていると、彼女がこちらに向けて腕を伸ばしているのに気が付いた。その理由をしばらく考えてみたがまるで浮かばない。思わず首を頷かせてみると――――

 

「降ろして」

「へっ!? あ、ああそうか……りょ、了解」

 

 まるで鈍いなーとでも言いたげなムッとした表情を向けられる。てっきり降りるのは自分でやってくれると思っていただけに、俺は慌てて左腕を差し向けた。

 彼女が左腕に乗ったのを確認して、丁重に地面へと降ろした。去り際にありがとうという甘ったるい声色が耳へと届く。

 ……どうなんだ本当。これって浮かれていいやつなんだろうか。弾と数馬だったら舞い上がっていたろうが、そういうのを素直に表現できる神経が羨ましくなってきた。

 

「日向くん、よろしくね」

「ああ、うん、よろしく――――って、はい……」

 

 今も変わらず馬鹿騒ぎしているだろう友人二人に想いを馳せていると、次の女子の準備が整っていたようだ。

 気を取り直して指導に集中しなくてはと顔を上げると、彼女もニコニコとした笑みを浮かべて俺に対して腕を差し出している。

 それで抱きかかえを所望していることを察した俺は、頬を引きつらせながらその望みに応えた。はぁ、どうしてこうなるのか……。

 その後も順調に訓練をこなしていくが、意外なことに全員が俺のお姫様抱っこを要求してくる始末。俺の気苦労は加速していくばかりだった。

 まぁいいや、結果的にみんな上手だったし怪我もなかった。それに教え方が丁寧でわかりやすかったというお褒めの言葉もいただいたしね……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふんぬっ!」

 

 授業は終わった班から随時片付けという流れだった。他のみんなは班員と協力しながら行っていたが、俺は勿論一人で引き受けた。

 そりゃ女の子にこんな重いの押させるわけにはいかないし、俺にはヘイムダルって言う相棒も居るしね。

 シャルル? シャルルはむしろ女子たちが率先して片付けてたよ……。何もしないでいいっていう状況に、彼もむしろ困惑しているようだった。

 で、少し用事があるから手伝えないっていうのをわざわざ言いに来てから去って行った。別に気にしたことでもないし、俺としては快くシャルルを送り出したつもりだ。

 

「ハル、手伝うよ」

「ナツ。構わないって、なんのために女子を返したかわからないじゃないか」

「私が手伝いたいんだからいいじゃん。ほら、早く片しちゃお?」

 

 とりあえずヘイムダルなしで台車に乗せた打鉄を運んでいると、ナツに声をかけられた。どうやら俺を手伝う気らしい。

 確かに大変ではあるけど、ナツに手伝ってもらっては意味がない。既にアリーナには俺とナツしか残ってないくらいだ。

 だがこういう時のナツは頑固である。とてつもなく頑固である。すぐさま俺のことは無視して台車を押し始めた。……でもなんだか、今日は少し棘があるような?

 おっと、ボーッと眺めてる暇があるなら手伝わねば。そもそもこれは俺がすべきことなのだから。というわけで、二人で協力して打鉄をアリーナの格納庫へしまった。

 

「ナツ、ありがとう。助かったよ」

「このくらいならお安い御用。むしろハルはもっと人を頼らなきゃ」

「それはナツが言えたことじゃない。絶対」

「そうかな? 私はハルのこと頼りにしてるけど」

 

 やはり一人の助けがあればそれだけで違うもので、打鉄の運搬はわりとスムーズに終わった。

 すぐさま感謝を述べるも、このくらいなんともないから問題ないと逆に怒られてしまう。そうだろうか? 学園に入ってからかなり人を頼るようになったと思うんだが。

 むしろそれはナツに言えたことじゃないと思う。だから言い返してみたのだが、なんとも照れる言葉をもらってう手痛い反撃を受けてしまった。

 

「ところで、随分と楽しそうだったねー」

「そうでもないよ……。確かに嬉しくはあったけどさ」

 

 アリーナの出入り口まで歩き始めると、道中でナツはジト目をこちらに向けながらそんなことを言い始めた。それが何を差しているかはすぐに理解が及ぶ。

 要するに女子をお姫様抱っこしたり褒められたりして楽しそうだった、と言いたいんだと思う。いやぁ……そうでもないって本当に。

 褒められたことは嬉しかったさ、そこは認める。けど別に楽しかったってことはないかと。ああいうのには永遠に慣れないんだろうし。

 でもナツの主観だとそう見えたんだよな。やっぱり鼻の下でも伸びてしまっていたんだろうか。だとすれば情けないところを見せてしまった。

 

「…………」

「何? どうしたの?」

「いや、なんかさっきから機嫌悪そうだなーと」

 

 それにしても、と思い立ったと同時に足を止めてしまう。だってなんだか機嫌悪そうなんだもの。多分とか、もしかして、の範疇ではあるが。

 でもわかりやすいことに、ナツはなんでばれたみたいな顔になった。いや、むしろ有難くもあるんだけどさ。

 けど困ったな、なんでナツが機嫌を損ねているのか皆目見当もつかない。

 自分一人で片づけをしようとしたこと――――なら手伝ってくれるよりも前に、もっと本格的なお説教をされていた可能性があるな。

 だとするならいったいなんなのだろう? 足りない頭で考えてみるも、これといってナツを怒らせるような要因が思い浮かんではくれない。変だな、と感じたことはあるけれど……。

 ナツは随分と楽しそうだったと言った。普段ならもっと皮肉っぽく言っていたんだろうに、それがなぜだか機嫌が悪いって感じだったからな。

 となると流石にひとつの可能性が生まれるんだが、どうにも自分でたどり着いた答えを信用することができない。

 理由は諸々だが、まぁ、とりあえず試すだけ試してみよう。それで俺の考えが間違っていたのなら、何をしてで許してもらうよう努めなければ。

 

「ナツ、ちょっとこっち」

「え、ちょっと何を――――」

「少しだけ失礼……っと」

「ふぇ……? ええっ!?」

 

 ナツの腕を引っ張ってなるべく死角ができるようアリーナの外壁に近づくと、俺はおもむろにナツをお姫様抱っこで持ち上げた。

 持ち上げられた方はたまったもんじゃないというか、何が起こっているのかよくわからないという視線でこちらを射貫く。

 だが理由を口にする気はない。だってハズレにしても正解にしても、とんでもない自惚れになってしまうだろうから。

 つまり何が言いたいかって、まぁ、そのー……ナツは妬いてたんじゃないかと思いまして。いや、俺だって自分でとんでもないこと言ってるのはわかってるよ。けど考えられるのはこれくらいしか――――

 

「ちょっ、や、お、降ろして! ほら、重いから!」

「う~ん、軽い重いじゃなくて、なんかしっくりくる感じだよ」

「そ、そんなことは……。あぅ……」

 

 ナツは拒絶するかのように俺の顔をグイグイ押しながら降ろしてと喚くが、多分これは単に恥ずかしいだけで、本当に降ろしてとまでは思っていないはず。

 自身の重みに関して羞恥心を覚えているのら安心してくれていい。俺もそれなりに筋力は上がっているし、なにより本当にナツを重いとは感じない。

 よほど体重に自信がないのか、それとも恥ずかしいだけなのかはわからない。あるいはその両方だと思うんだが、ナツは顔を赤くして押し黙ってしまった。ついでに手元をモジモジとさせている。

 ……どうやら機嫌は直ったみたいだな。羞恥心でそれも吹き飛んだ、という方が正しかったりするかも知れないが。

 しかし、この後のことを何も考えてなかったな。ナツも黙っちゃうもんだから気まずいったらない。まぁ、俺の幼馴染が今日も可愛いことだし、もう少しこのままでもいいかー……。

 ……読んだことないからわからないが、なんかライトノベルのタイトルかなんかでありそうな気がする。いや、本当になんとなくだけど。

 

「逞しく、なったよね」

「おぅふ……!? む、昔と比べたらそりゃ、まぁ。伊達に毎日頑張ってないさ」

「……うん、本当に頑張ってるもんね。ハルはすごいよ」

 

 ナツは何かに気づいたように目を細めると、そっと俺の胸板から腹筋にかけてあたりを撫でた。それに伴い、物理的にも精神的にもくすぐったくて変な声が。

 なんとか小声くらいに抑えて済ませると、すぐさまそれを誤魔化すために頑張りが日の目を見ているのだと強がってみせる。

 ほんの強がりのつもりだったと言うのに、ナツはとてもとろんとした表情で俺を褒め始めるではないか。

 これはいかん。直視できない。自分でも笑ってしまうくらいに、俺の顔には熱が集まっていく。顔から火が出るとはこのことだろうか。

 しかし、そんな熱もナツの紡ぎ始めた言葉により急速に冷めていく。ナツは俺の腕の中で、ゆっくりと切り出したのだ。

 

「ボーデヴィッヒさんなんだけどね、多分だけど千冬姉のことで私を恨んでるんだと思う」

「それってもしかして、ナツがフユ姉さんの二連覇を阻んだって……?」

 

 ナツは俺の腕の中で、沈黙しながら首を頷かせた。

 確かにフユ姉さんに心酔した様子だったボーデヴィッヒさんだったが、それは流石にお門違いというものなんじゃないだろうか。

 だってナツは被害者だ。攫われて怖い思いもしただろう。それに、限られた人しか知らないが、性別を変えられてしまうという目にもあった。

 そのうえで、ナツが連覇を阻んだ? ……それは、それだけは絶対に違う。だって最後に連覇を捨てることを選んだのは――――フユ姉さんじゃないか。連覇よりも栄誉あることをしたじゃないか。

 フユ姉さんは一時期だけど関係各所からのバッシングを受けていたけれど、だからってそんな、ナツのせいだなんて――――

 

「ハル……」

「ナツ……」

「ごめん。ごめんね、こんなのばっかりで。けど、ちょっとわからなくなっちゃう時とかあったんだ。私が二連覇目指してるのって、なんのためなのかなって」

 

 ナツはこてんと俺の肩へ顔を埋め、そのまま続きを語りだした。……顔を見ないでほしいという意図が、痛いほど伝わってきた。

 だから決して見ないように、むしろ大げさなくらい視界を前方に意識させる。けど、ナツの震えた声を聴いて、一瞬にしてその決意が揺らぎそうになってしまう。

 ナツが二連覇を目指す意味。そしてその意味が時折揺らぐ……か。つまりそれは、誰がための二連覇かということなのだろう。

 二連覇っていうのはナツの抱いた目標で、夢だ。しかしその夢が、自分のためではなくフユ姉さんのための、フユ姉さんへの贖罪のためのように思えてしまうことがある……と。

 そんなことが時々あったうえで、ボーデヴィッヒさんの襲来……。つまりナツは、図星を突かれたかのような状態にあるということなのか。

 

「……そんなことを言わないでくれ! 夢を否定するようなことは、絶対!」

「ハル……?」

「僕に夢を思い出させてくれたのはナツなんだ。そんなナツが、自分の夢を否定するようなことがあっていいはずないじゃないか!」

 

 ISを動かしてしまうなんていうハプニングは起きたものの、僕の抱く夢はあの日アトリエでナツが思い出させてくれたものと変わらない。

 もっと自分の世界をまっさらな用紙に描きだし、その過程で誰かが喜んでくれればいい。それが、僕の右手は誰かを感動させるためのものにあると、そう言ってくれたナツが抱かせてくれた夢なんだ。

 多分僕が声を荒げてしまったのは、悔しかったからだ。揺るがないものを抱かせてくれたのはナツなのに、そんな人にそんなことを言わせてしまった自分が不甲斐なくて。

 どうすればいいのだろう。どうすればナツがもっと真っ直ぐ自分の夢と向き合ってくれるだろうか。残念ながら今明確なものは浮かばないけど、せめて励ますくらいのことはしたい。

 

「ああいうこと、言いたい人には言わせておけばいい。ただナツに覚えておいてほしいのは、俺だけは絶対に味方だっていうことだから」

「味方……?」

「うん。例えあの件でナツを責める人がどれだけいたって、俺だけは必ずナツの味方で、そんなことないよって言ってみせるから。だから、だから――――ごめん、そのくらいのことしかできなくて……!」

 

 ああ、本当に情けない。

 揺らがぬ決意をくれた人に、揺らがぬ信念を言って聞かせようとしているのに、話の途中でそんなことしかしてあげられないと思ってしまう。

 所詮は気休めだ。俺一人がナツに寄り添ったところで何になるのだろう。そんなことを考えてしまって、途中から謝ってしまった。

 だが言葉そのものだけは本当のつもりだ。クサかったりありきたりの台詞かも知れないが、ナツのためなら世界を敵に回したって惜しくはない。

 ……もう一度、もう一度だ。俺だけは絶対の味方だって、それくらいはちゃんと伝えよう。俺がそうやって再度口を開こうとすると――――

 

「そのくらいじゃ、ないから」

「ナツ……?」

「私にとって、それ以上に嬉しいことってないから。ハルさえ居てくれれば、私は……!」

「っ……!」

 

 ナツは顔を肩へうずめたままの状態で、俺の首に腕を回した。そして関節技でもかけているのではないかという勢いで、その両腕に力を籠める。

 俺たちはそれでより密着した状態となり、各所触れる部分も増えて嫌でも意識してしまう。それでも今は、ただナツの体温が惜しかった。

 そして紡がれたナツの言葉は、俺の想いを一瞬にして俺の存在価値へと昇華させてしまうがの如く、俺の心に強く響いた。

 なんだろう、胸が痛い。心臓がとかじゃなく、胸が。もっと言うなら、心? そしてこの痛みは、ただ痛いだけじゃなくて心地よさも内包しているかのようだ。

 ……ナツが苦しんでいるというのに何を寝ぼけたことを言っているんだろうか。ただ今はナツを落ち着かせることだけに集中しなくては。そう、ナツが望むのならばいつまでも……。

 

 

 

 

 




ラウラにヘイト溜まらんでしょうねこれ(心配)
これでまだ本番じゃないってのが胃に来ますぜ……。
一夏ちゃんヒロインだとタッグトーナメント編のさだめですかねぇ。





ハルナツメモ その17【割とあり】
入学からの数か月の学園生活により、顔も中身もいまいちパッとしないながら、真面目で誠実な性格はそれなりに女子受けがいい。
ただ恋人にはどうかと聞かれると、それはまた別の話。あくまで友達の範疇での誉め言葉である。
そもそも晴人には一夏ちゃんが居るという認識が大多数を占めるため、恋愛感情まで行きつかないのであろう。


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第32話 これがデフォルト そんな二人

ちょっと内容詰込みスギィ!
一万字超えちゃって少し読みづらいかも知れません。本当に申し訳ない。
ただそれなりに内容が濃いはずなので、本編のほうをどうぞ。


「晴人ってさ、なかなか濃い人脈もってるよね」

「うん、冷静になって考えると俺もそう思う」

 

 時間も進んで昼休み、俺たちいつものメンバーは屋上へ集合していた。新メンバーであるシャルルを加えて、かな。

 一カ月に何回か、こうしてお弁当だのを持ち寄って集まる。まぁ、俺の場合は基本的にナツが作ってくれるからなんにもしてなんだけどさ。

 で、専用機持ちとしての繋がりやら男子同士の繋がりやらにより、プチ歓迎会でも開こうということでシャルルも誘う流れになったわけだ。

 もちろんシャルルには寝耳に水なわけで、彼には購買を紹介しておいた。そこで総菜パンを楽しそうに物色しながら購入していたのが印象的だったかな。

 後から合流するなり代表候補生ズと箒ちゃんっていう濃いメンツに、シャルルは思わず考えていたことが口に出たんだろう。

 でも当のシャルルだってなかなかの濃さなんだよ? と本人にダイレクトな指摘はしないけどね……。

 さて、それはさておきお昼にしよう。俺はナツの隣へとおもむろに腰掛けた。

 

「よっこいせ」

「ハル、おじさんクサいからやめた方がいいと思う」

「言う事欠いてそれですかナツさんや」

「デュノアくん、私のお弁当はつまんでいいからね。取り皿とか箸とかフォークとかいろいろあるから」

「無視……?」

 

 ゆっくり座る際によっこいせと口にすれば、ナツはこちらに目もくれず刺さる言葉をくれる。

 すぐさまもうちょっとオブラートに包んでとお願いしてみるも、華麗なスルーを決められてしまった。たまにだけど意図的に無視されることがある。

 というか、ナツは相変わらず痒いところに手が届くことで、手提げかばんから次々に食事に必要なアレコレが出てくる。

 シャルルの転校を予期していなかったろうから、すなわち常備してるということになる。本当、よくできた女性だよ。

 

「…………」

「シャルル、どうかした?」

「えっと、晴人はいいの? 彼女さんの手料理なんか食べちゃって……」

 

 パッパとナツから差し出された紙皿やらフォークやらを受け取りつつも、シャルルは俺とナツを見比べてなんだか困った様子だ。

 どこに困る要素があるのかと尋ねてみると、シャルルは真面目な顔してとんでもない爆弾を投下してくれる。

 すると鈴ちゃんを筆頭に、みんなが吹き出してから笑うのをこらえるかのように震え始めた。そんな状況に、俺とナツはただ顔を赤くすることしかできない。

 

「え、え? あの、僕って何か変なこと言ったかな」

「いやいやデュノア~。もっと言ってやんなさ~い」

「核心を突かれて照れる姿……。尊さ測定器()……お仕事の時間……」

「五千兆点」

「あなた方は何を仰ってるんですの……?」

 

 この空気感で自分が余計なことを言ったと思ったのか、シャルルはかなり困惑した様子であっちこっちを見渡した。

 ここぞと言わんばかりに鈴ちゃんは煽るし、簪さんと箒ちゃんはよくわからないやりとりを繰り広げてるし……。 こうしてみると良心はセシリアさんのみか。いや、彼女も時折だが俺たちをそっち方向でからかってくるな。

 ……なんだろうか。弾と数馬、そして中学時代の男子たちが生易しく見えてきた気さえする。

 

「シャルル、俺たちは付き合ってるわけじゃないんだ」

「そ、そうそう。姉弟だったり家族みたいなものだから……」

「え、それ本気で――――いやごめん、なんでもないよ。じゃあ、お言葉に甘えていただくね。ありがとう織斑さん」

 

 俺たちは間違っても付き合っているわけではない。それなりに親密な関係であることは認めるが、その親密も別に恋愛方向へのベクトルは向かないし。

 でもそんなに強く否定するのもナツに失礼な気もするので、諭すような雰囲気を心掛けて一応の弁明をしておく。

 するとナツも続けて援護射撃をしてくれた。……んだけど、なんだかシャルルはあまり納得がいっていないように眉をひそめた。

 しかしそれも一瞬のことで、それ以上言ったらまた面倒なことになると判断したのだろう。途中言おうとしていたことを自分で遮り、貴公子スマイルでナツにお礼を述べた。

 

「あ、そういや晴人。アンタこの間の件だけど、真剣に考えた方がいいわよ」

「この間って、SNSの話? う~ん、やっぱりあまり興味がないっていうのが本当のところかな」

 

 適当に談笑しながら食事を進めていると、鈴ちゃんが思い出したかのように切り出した。この間の件というのは、鈴ちゃんにSNSを始めることを勧められたんだよね。

 とは言っても、単に独り言とかを投稿する目的ではなく、俺の描いた絵とかをアップしてみたらどうかって。鈴ちゃんはせっかく上手なんだから、とも言ってた。

 不特定多数の目に留まることによって、刺激になったり励みになったりもするんだろう。しかし、その反対に心無い発言をするような人もいるということだ。

 ネット上にて絵絡みでトラブルがあったというような話を聞いたこともあるし、そのあたりが起因していまいち踏ん切りがつかない。

 しかし鈴ちゃんは前回と違い、今回は絶対に始めた方がいいとでも言いたげだ。いったい鈴ちゃんの何がそうさせるんだろう。

 不思議そうに鈴ちゃんを見つめていると、俺たちの輪の中心あたりに携帯を置き、自身のユーザーページからとある投稿の画面を表示させた。

 

「晴人がくれた絵、友達が描いたやつってアップしたんだけどさ」

「無断で!? いや別に構わないけど、せめてひとこと……」

「フッフッフ、これを見ればそうも言ってられなくなるわよ」

「ほう、凄まじい数の拡散と高評価だな」

 

 前にも言ったが、武者修行気分でいろんな人をモチーフにし、沸いたイメージを直感的に絵にしている。鈴ちゃんの場合は龍人といったところか。

 どちらかと言うなら猫科のイメージが強かった彼女だが、甲龍を纏って戦う姿を見てがらりとイメージが変わったんだよね。

 巨大な青龍刀――――名前は双天牙月というらしいそれを振り回し、龍砲を打ち鳴らす怒涛と呼ぶにふさわしい戦闘スタイルに、俺はまさしく龍を見たのだ。

 中華風の龍は蛇に近いタイプが多いが、今回は鈴ちゃんと甲龍を融合させたイメージなので、龍人として描いたということ。

 色は主に甲龍と同じく紅色ね。背景は鈴ちゃんの怒涛っぷりを表現するために大荒れの空模様。鱗と大雨の描写で死ぬ思いをしたが、それが高評価につながっているのなら満足だ。

 

「これ、晴人が描いたの? すごい……まるで絵じゃなくて写真みたいだ」

「い、いや、俺なんて全然――――」

「晴人さん、謙遜はおやめなさい。デュノアさんはあなたを褒めているのですよ」

 

 お互い趣味の話とかしてる暇がなかったし、シャルルは鈴ちゃんの携帯に映る俺の絵を見て、こちらに尊敬のまなざしを向けてくる。そのあまりにも素直なリアクションに、俺は思わず遠慮したように返してしまった。

 するとすぐさまセシリアさんからのお咎めが。彼女にはどうも、俺の弱気っぽい発言をよく注意されるものだ。

 けど鈴ちゃんが俺にSNSの話を持ち掛けてくれたのは、多分だけど――――せっかく生のリアクションがもらえるんだから、それ見てアンタも自信持ちなさいよ……ってところなんだろう。

 鈴ちゃんの言葉にもセシリアさんの言葉にも一理ある。いや、一理どころの話ではないかも。実際、鈴ちゃんの投稿に寄せられている返信を見ていると、とても心が救われるような気分だ。

 

「じゃあ、せっかくだし、始めてみよう……かな」

「ハルが連絡手段以外で携帯を使う日がくるなんて……!?」

「はいそこ、妙な戦慄を覚えない」

「アカウントの作り方とかわかる? 無理そうなら一緒に操作しようね」

「なんでそこまでお爺ちゃん扱いなんですかねぇ!」

 

 俺がようやく始めてみるという決心を口にすると、周囲からは小さな歓声が上がった。が、違うリアクションをする者が一人――――ナツだ。

 確かにこれまで携帯を電話やメール以外の用途で使ったことは少ない。ゲームとかアプリとかも付き合い程度のものだったし、長続きした覚えもないかな。

 けどねナツ、SNSのアカウントを作れないほどネット音痴だったつもりもないけどね。まぁ、この時点で冗談なのは知れてる。

 けどもはや癖になってしまっているというか、ナツがボケたら脊髄反射のレベルでツッコミを入れてしまうんだよ。逆もまた然りなんだろうけども。

 

「日向くん……。ところでなんだけど……」

「ど、どうしたの、簪さん」

「私……描いてもらってないなって……」

「実は私も同じことを考えていた。晴人、随分と白状じゃないか」

「一番に私を描いてくれるものだと思ったんだけどなー」

 

 俺とナツの漫才が一区切りつくと、相変わらずか細い声で簪さんが話しかけてきた。そして少し残念そうに、自分はまだ描いてもらってないと――――

 それにナツと箒ちゃんも便乗するが、待ってくれ、待ってほしい。俺だってそれなりの理由というものがあるんだ。

 ……まぁ、簪さんに至って正直なことを言わせてもらうと、何も思いついていないというのが現状なんだけれど。

 だからって簪さんが地味だとか、思いつかないから全く描く気がないというわけでもないんだ。よりよい作品を描くには、時には腰を据えることも大事なのである。

 箒ちゃんの場合は、ボツになった作品が大量生産されているといったところか。

 箒ちゃんに対しては、モチーフとかイメージとかそれなりに沸くんだよ。でもね、俺としてはありきたりでつまらないんだ。

 何かって、日本刀とかそういうのが先行しちゃうんだよね。箒ちゃんを見知った人が誰でも浮かぶようなイメージを絵にしたところで、なんだか遊びがなくてつまらないでしょ? だから変わった何かが思いつくまで箒ちゃんは保留と。

 そんな理由と言う名の言い訳を繰り出すと、二人ともとりあえずは納得しておこう……みたいな返事をいただいた。が、なんだか締め切り間近かのような空気を感じずにいられない。

 えーと、最後にナツだが、これは、なんというか、みんなの前で理由を述べたくはなかったな……。

 

「ナツだから完成しないんだよね」

「私だから?」

「うん、テーマもモチーフもイメージもそりゃ一番に固まったよ。けど、もっと時間をかけてゆっくり、最高の一枚を描きたいなって思ってるんだ」

 

 現状で完成している鈴ちゃんとセシリアさんの絵や、思い付きで描いた絵。それだってかなりの時間と労力を割いて完成させている。けど、単にナツはその比じゃないって話なだけなんだ。

 本当のところ完成させるまで秘密にしておこうと思ったんだけど、俺の中でもいつの間にか超大作になってしまっていたので仕方がないか。

 やっぱりナツは俺の中でいろいろと特別っていうか、他のみんなと重ねてきた時間が違う。ナツのぶんは、これまで過ごした感謝とかも含まれているんだから。

 

「どうやらお邪魔なようですわね」

「そうね。ほら行くわよハルナツ愛好家筆頭」

「ちょっと待って本当無理しんどくて尊い」

「えーっと、篠ノ之さんは大丈夫なのかなこれ」

「大丈夫じゃないけど大丈夫……。デュノアくん、悪いけど手伝って……」

「……あるぇ!? ほ、ホントに行っちゃうパターンなの!? ちょっ、み、みんな!」

 

 どこか俺とナツの間に生ぬるいような空気が漂うと、セシリアさんが食べかけのサンドウィッチを片してから立ち上がった。

 すると、それに便乗するかのように次々と面子が屋上を去っていくではないか。新メンバーであるはずのシャルルでさえ、当たり前のようにみんなに着いて行く。

 箒ちゃんは、あー……なんか身悶えして動く気配がなかったからか、他の四人に両手両足を持たれて強制連行されていく。

 ……正直なことを言っていいだろうか。あんな箒ちゃん、心底から見たくはなかった。……なんて考えが浮かぶのも一種の現実逃避なんだけど。

 別にナツと二人きりなんて珍しいことじゃないのに、邪魔になるとか言われて立ち去られたら嫌でも意識してしまうじゃないか。

 

「「…………」」

「あ、あはは……」

「えへへ……」

 

 俺たち二人は顔を見合わせると、どちらともなくぎこちない笑みを浮かべた。そうだな、こういう時には笑ってごまかすのが一番なのかも知れない。

 これで調子を取り戻せたかと思えば、ナツはなんだか緊張した様子で周囲を見渡した。さっきみんなが立ち去ったばかりなのに、いったいどうしたというのだろう。

 不思議そうにその様を見守っていると、ナツは先ほどまで俺が使っていた箸を手に取った。ますます頭上にクエスチョンマークが出るばかりである。

 実際、そこですべてを察することのできない俺も、なかかな鈍いほうなんだろう。ナツがそんなことをするというのが意外でもあるけど……。

 ナツは弁当箱の中に入っていた厚焼き玉子を箸で掴むと、行儀よく左手を下に添えつつ、それをこちらへ差し出してくる。

 これはもう、なんの言い逃れもできぬ――――あーんというやつじゃないか。

 

「あーん」

「あ、あーん……」

「……今更聞くのもなんだけど、美味しい?」

「ナツの料理が美味しくなかったことなんてないよ。今日もありがとう、ナツ」

「そ、そっか……。えへへ、それなら嬉しいな」

 

 先ほどまで自分の手で口に入れていた厚焼き玉子だが、ナツに食べさせてもらったということで、より丁寧に咀嚼する。

 ちょうどよい焼き加減でトロトロフワフワ。味付けは素材を生かすために控え目な塩と砂糖。俺の健康に気を使ってくれていることもうかがえる。

 そんな想いのこもったナツの手料理が、美味しくないわけがないだろうに。俺にとって、ナツの手から作り出される料理は、いかようなものでも世界一美味しいと言っても過言ではない。

 しかし、そうやって口にするのを最近は疎かにしていた気がする。ナツの手料理を食べる機会が減ったのだから、よりそういうのは言っていかないとダメだろうに俺のアホ。

 そういうわけで、今回は逐一詳しい感想を述べ続けた。俺の言葉を聞いてナツが喜んでくれる。俺にとってもそれは嬉しいことで、相乗効果というやつが生まれた。

 だから、というわけでもなんだけど、うん、きっと今日のナツの手料理がいつも以上に美味しく感じたのは、まったく気のせいではないんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「織斑さん、お引越しです」

「…………はい?」

 

 放課後、夕食や風呂を終えて後は寝るだけ、みたいな状態で1025室でくつろいでいると、突然山田先生が訪問してきた。室内に招いてみるとこれである。

 ……山田先生はあまり要領を得ないことがあるというか、言葉に主語しかない時があったりするよね。

 うん、とりあえずナツが引っ越しになるのはわかった。しかし、なぜ引っ越さなければならないのが謎である。

 ナツもかなりチンプンカンプンそうに首を傾げるばかりだ。とりあえずアシストしてみるかな……?

 

「山田先生、なんでナツが引っ越すことに?」

「デュノアくんが転校してきた影響ですね。当然、男性同士で同室になっていただきます」

 

 あぁ……そうか、シャルルか。確かにIS学園という特性上、二人しか居ない男子生徒同士を同室にするのは自然の流れかも知れない。男性同士なら、ね……。

 いやしかし、部屋割りの変更があったとするなら申し訳ない話だ。当然と強い口調で言ったのを見るに、担当したのは山田先生なんだろう。

 なんだろうか、土下座とかしたほうがいいのかな? って、この人の場合はそれに合わせて土下座で返してくるんだったな。ここは大人しくしていたほうがよさそうだ。

 

「山田先生、いつまでにここを出ればいいんでしょうか」

「ええ、できれば明日の放課後にはデュノアくんと交代という形で――――ヒエッ」

 

 ナツがようやく事情を呑み込んだかのように、俺よりも前に出ながら聞いておく必要があるであろう質問を述べた。

 山田先生もにこやかな様子で質問に答えようとしていたんだが、ナツの方へ顔を向けた瞬間に顔色が悪くなり始めるではないか。

 というより、小さく悲鳴を上げていたことを俺は聞き逃してはいない。だとしてなんで悲鳴なんだろう? 気になって二人を眺める角度を変えてみようとしたところ――――

 

「こ、こここここ、これ、織斑さんの新しい部屋のキーです! それでは確かに渡しましたので!」

(…………? なんだったんだろ……)

 

 二人の様子をその目で確かめるよりも前に、山田先生は慌ててナツにキーを手渡し逃げるように――――いや、実際ナツから逃げてるっぽいんだけど、そのまま部屋を飛び出して行った。

 まさか部屋が変わるごときでナツが山田先生を怯えさせるほど怒るはずもないし、だとすると本当になんだったというんだ。

 ……とにかく随分と急な話ではあるが、これで俺の安寧は消失したと同然か。叶うならナツと同部屋が理想なのだけれど。

 

「はぁ……。ハル、寂しくなっちゃうね」

「うん、今同じことを考えてたところだよ」

 

 流石は家族同然の幼馴染。十年も一緒に過ごせば思考も似通うのか、クルリとこちらへ振り向いたナツは寂しくなるとの感想を述べた。

 俺としては当然のことくらいのつもりなんだけど、ナツはまさかそう返してくるとは、みたいに驚いた反応を見せる。それどころか、少しずつ顔が赤くなっているような。

 なにさ、今更こういう言葉を恥ずかしがるような間柄じゃないだろうに。例え女の子になってしまったとしても、一緒に居て一番楽なのはナツに決まっている。

 

「そっか、そっか。えへっ……」

「ナツ?」

「よーし、そうと決まれば今のうちに荷物を纏めちゃわないと」

 

 ナツは突然はにかむと、かなり上機嫌になって引っ越しの準備に取り掛かった。鼻歌交じりで本当に楽しそうだ。

 俺はそんなナツの姿をクエスチョンマークを浮かべながら眺めるしかできない。何をそこまで喜ぶようなことがあったのだろう。

 それとも、俺と離れるのが嬉しい? ……なんてことは考えないけどね、鈍感帝王の名を欲しいままにするナツじゃないんだから。

 久々に言うことになるが、女の子ってわからない。

 

「ん、完了!」

「お疲れ様。じゃあ、少し話でもして過ごさない?」

「そうだね。ゆっくり話す機会も減っちゃうかも知れないし」

 

 ナツを見守るのを止めてからはスケッチブックに色鉛筆を走らせていたのだが、荷造りが終わったことを知らせるように元気な声が響いた。それを合図に目を向けつつ、ちょっとした提案を投げかける。

 提案といっても普段からしている何気ないことだ。ナツと少し会話がしたい。内容は別にとりとめがなくていい。これが最後になるわけでもないけど、同室状態ではという括りでは当てはまるのも確かだから。

 ナツだってシャルルがこちらに引っ越してくれば、そうそう入り浸るようなこともないだろう。そう思えば、ナツの言うとおりプライベートな時間は格段に減ってしまいそうだ。

 俺たちは互いのベッドに腰掛けると、学園に入ってからのことを振り返るような話題で盛り上がる。

 箒ちゃんや鈴ちゃんとの再会。オルコットさんや簪さんとの出会い。そんな仲間たちと繰り広げる何気ない日常。

 入学してからまだたった数カ月だというのに、こうしてみると話題が尽きないものだ。やはりみんながみんな濃いという裏返しなのかも。

 こちらとしては本当に少しのつもりだったんだけど、気づけば時計はいつもの就寝時間を少しばかりオーバーしているではないか。

 俺がチラリと時計を確認したのを見てか、ナツもそろそろお開きという雰囲気を醸し出し始めた。

 

「今日はこのくらいにしようか」

「ごめんね。なんだか長い間付き合わせちゃって」

「別に大丈夫だよ。私も楽しかったもん」

 

 今日はこのくらいに……か。ナツが意識したかどうかは知らないが、うん、いい言葉だと思う。だって今日はってことは、明日も明後日もそうしていられる時間が来るってことを示唆してるのだろうから。

 さて、それなら出しっぱなしにして放置してあるスケッチブックと色鉛筆を整理しておかないと。もしナツが遊びに来た時とか、私が居ないと散らかるんだからとか言われないようにしないと。

 そうやって色鉛筆を一本一本丁寧に、色ごとに整理しながらケースにしまっている時のことだった。ナツがなんだか遠慮したような声色で、背を向けたままの俺に話しかけてくる。

 

「……ねぇ、ハル。迷惑じゃなかったら、ひとつお願いがあるんだけど」

「ん? あまり無理じゃなければ、応えられるよう努力はするさ」

「そっか……。じゃあ、その、本当に迷惑じゃなければなんだけど――――」

 

 ナツのお願いのひとつやふたつ、あまりにも無理でなければ実現できるように頑張るとも。恩返しできるならなんだってやるさ。あまりにも無理じゃなければ。

 しかし、なんでそうも迷惑でなければ、という部分を強調するんだろう? 不思議に思い片付ける手をいったん止めてナツに目を向ければ、何かとても決心したような表情をしていた。

 ますますもって不思議だけど、実際にナツのお願いとやらを聞いて、そんな様子になるのも無理はないと思った。なぜなら――――

 

「フフッ……。流石に狭いかも。私たちが成長してる証拠かな」

「そ、そそそそそ、そうだね。子供ならまだしも、今の俺らが一人用のベッドに一緒に入るのは、は、入るのは――――」

 

 ナツは言ったんだ、一緒に寝てほしいって。それが添い寝であることは理解しつつも、脳が一瞬にして沸騰してしまうかと思ったぞ。

 けどナツには言ったんだ。さっきの無理でなければのくだりしかり、キミの望むことは叶えてみせるって。

 男に二言はない。というほど硬派でも男らしくもないが、大事な人にそう言い切った手前、小心者の俺に断るという選択肢はなかった。

 というか、ナツの様子も卑怯だったと思う。あんな断られたらどうしよう。みたいな表情されて、恥ずかしからそれは無理と言えるはずもない。

 枕を持参し俺のベッドの半分を占拠するナツは、とても楽しそうな笑みをこぼしている。……大丈夫かな、寝汗とかで匂ったりはしてないだろうか。

 

「…………」

「ナ、ナツ、なんでそんなに見てくるの?」

「うん? う~ん……。……秘密」

「えぇ……? なんか引っ掛かる――――むぐっ」

「ハル、おやすみ」

「う、うん、おやすみ」

 

 自分のベッドに女の子が入っているという状況に、その他不備がないだろうかと悶々としていると、ナツがジッとこちらを見ていることに気が付いた。

 何をそんなに見てくるのかと聞けば、ナツは気まずそうに視線を泳がせてから秘密だと教えてはくれない。女の子の秘密という言葉が重いのはわかるけどさぁ……。

 なんとか追及しようとしてみるも、唇を人差し指で押さえられて発言すらさせてもらえない。後は強引におやすみを言うと、ナツはさっさと目を閉じてしまった。

 俺もそれに倣って挨拶を交わしてから目を閉じるも、まったく眠れるような気がしない。むしろ寝られるはずもない。

 だって、意識するだろ。目を開けば至近距離で美少女が寝てるんだぞ。すぅすぅと立てている寝息が少し顔にかかってドキドキするし、最もまずいのは女子特有の甘ったるいような香りだ。

 鼻で呼吸をすれば、凄まじくフローラルな香りが鼻腔を突き抜けていく。もはやいい意味で酔ってしまいそうな気さえした。

 そんな感じでドギマギしながら目を閉じることしばらく、しばらく……? しばらくってどのくらいだ。30分? それとも一時間? 目を閉じっぱなしなせいで、時間感覚が完全にあやふやになってしまったらしい。

 

「…………ハル、起きてる?」

 

 考えが堂々巡りし始める最中、ナツのポツリと呟くような声が確と耳に届いた。そこで起きてるよと返事をするのは簡単だったが、変に意識しているのを悟られるのが気恥ずかしくて、つい俺は寝たふりなんかをしてしまう。

 俺が寝たふりを決め込むこと数十秒といったところか、ナツはまたしてもよしと小さくつぶやくと、布団を擦らす音を鳴らしながらモゾモゾと身体をよじらせ……ているのかな。

 だとすると、普通にベッドから出ようとしただけか。俺に起きてるかどうかの確認を取ったのは、起きてるか寝てるかで対応を変えようとしたんだろう。

 なんだそんなことか。寝たふりをしたままでも別に問題はなかったな。俺がそうやって、勝手に結論を導き出した時のことだった。

 

「……ごめんね、こんなの卑怯だってわかってるんだ。けどあの時のことが本当に嬉しくて、私――――」

(あの時……? 俺だけは味方だって言ったことかな)

「ちょっと、ちょっとだけ抑えられないの。だから、ごめん。このくらいは許してね」

(……………………は?)

 

 ナツが許してと呟いた次の瞬間のことだった。俺の頬に柔らかい感触が走り、それと同時に数秒だけ吸い付くような感触も。そして響くチュッというような水音――――

 それで全てを察した俺は、思わず叫んでしまいそうなのを必死でこらえた。自分でもどうして叫びたくなったのかはわからない。驚愕? 歓喜? 困惑? というか、それら全部だとは思う。

 だって、キスされたんだ。今間違いなく俺は、ナツに頬へのキスを受けた。これが驚かずに、喜ばずに、取り乱さずにいられるものか。

 本当に叫び出さなかった自分を褒めてやりたい。その代償として、一気にパニックになって何も考えられなくなってしまったわけだが。

 

「……ハル、おやすみ。また明日」

 

 寝たふりを決め込んだせいで、最後までナツがどんな表情をしていたかはわからない。見て見たかったような気はするが、絶対に見てはならないような気もした。

 ナツは俺の手を握りしめると、今度こそ眠りにつくつもりなのか、それ以降声をかけてくることはない。少しはこちらのことも考えてほしいところである。

 そりゃ、ますます堂々巡りに拍車がかかるばかりだ。もはや俺の脳内は阿鼻叫喚の地獄絵図と表現するほかないだろう。

 やがて混乱の境地にでも陥ったのか、俺はかえって気絶するように寝てしまったらしい。途中考えが途切れ、目が覚めたら朝だったから実際そうなんだろう。

 ナツは俺が寝たふりをしていたことを知らない。だから頬にキスしたことを知らないと思っている。それだけに、おはようと挨拶をしてくるナツにぎこちない笑みを返すことしかできなかった……。

 

 

 

 

 




ね、サブタイトルどおりだったでしょ?
こういうのが常日頃からできればいいんですけどねぇ。
何が一番楽しんでやってるかって、キャラ崩壊起こしてる箒の言動ですよ。ちょっとやり過ぎでしょうか。近頃変なことしか言わせてない気がします。
でも今後のことを考えておけば今のうちに……ね?






ハルナツメモ その18【SNS】
その後、晴人は青い鳥がトレードマークのSNSを始めることに。アカウント名はシンプルに【HAL】だとか。
近々に描いた絵をアップしてみたところ、始めたその日から拡散が凄まじく、フォロワーもかなり伸びた。
有難いことと思いつつも、小心者なせいで無意味にビビっているらしい。


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第33話 その正体を見たり

難航に次ぐ難航っ……! そんな結果生まれた回になります。
原作的イベントが進む回ではあるんですけど、本当に落としどころに困った困った。
ぶっちゃけ作中屈指のしょうもなさを誇りますが、次につながる回と思っていただければ。


 あくる日の放課後、俺は自室にてシャルルの到着を待っていた。もちろん絵を描きながら――――ではなく、必要以上に頭を悩ませながらだ。

 ずっと保留にしておいた例の件を解消するチャンスはここしかない。……いや、ここしかないわけでもないけど、なるべく早めに解決せねば。俺にも立場っていうものがある。

 けどなぁ、気が重いよなぁ。だってわざわざそんな形で転校してきたのに、まず問い詰めることすら気が咎める。

 でも心を鬼にしなくては。これは俺一人の問題じゃないんだから。場合によっては顔も知らない誰かを路頭に迷わす可能性すら――――

 

「晴人、居るかな」

「う、うん、今開けるよ」

 

 頭を悩ませ続けることしばらく、扉越しに声が聞こえた。覚悟も決まってないうちにシャルルがついにやってきてしまったらしい。

 こうなってはもう手遅れだ。やはり心を鬼にして、後はなんとか流れに身を任せて頑張るしかない。や、やってやるぞ!

 

「いらっしゃい、シャルル。って言うのも変か、ここはキミの部屋になるわけだし」

「アハハ、そうだね。じゃあ、ただいまかな。ただいま~」

(ぁぁぁぁ……。辛い。シャルル自体は絶対いい人だから辛い……!)

 

 二度も心を鬼にしてと決心したのに、いざシャルルを招き入れてみると、人柄の良さが滲み出るその様子に早くも心が折れそうになる。

 それにしても、なんだかあざといように聞こえるただいま~だったな……。これ天然でやってたら末恐ろしくないだろうか。

 いや、というかむしろ演技であってほしい。そう、その可能性があったぞ。俺はまんまと騙されているという可能性も十分に考えられる!

 ……ないと思いつつも、どうかそうであってほしいと思う俺が居る。はぁ……。……シャルルが荷解きを終えたら仕掛けることにしよう。

 俺はベッドに腰掛けシャルルの背中を見守る。その間向こうから振られる話題にはしっかり受け答えしたからそう違和感を与えたということはないはずだ。

 そうしてシャルルはほんの短い時間で荷解きを終えた。……俺にとってはついにこの時が来てしまったかという感じだが、やるしかない。

 

「シャルル、少し話があるんだけど」

「うん、もちろんだよ。実は僕、キミとゆっくり話がしたかったんだよね。あっと、それより先にルールのこととか――――」

「確かにそれも重要だけど、絶対にひとつだけ聞いておかないとならないことがある」

 

 ひと段落したその背に話があると語りかけると、シャルルはとてつもなく朗らかな様子でこちらへ振り返った。

 てっきりこの部屋においての取り決めについてのことだと思ったようだが、そんなことじゃない。というより、まさか自分自身の話をされるとは思ってもないのだろう。

 それと同時に、頭のどこか、もしくは心のどこかでこうも思っているはずだ。そう長いこと騙し続けることは不可能だって。

 そんなシャルルに対し、俺はずっと聞くべきだったあるひとつの質問を投げかける。

 

「シャルルさ、女の子でしょ」

「え……? ハ、ハハ……。確かに小柄で中性的で女の子みたいってよく言われるけど、これでも立派な男で――――」

「じゃあ、今すぐここで服も脱げるよね?」

「っ…………!」

 

 確かに、本人の談のとおりシャルルは中性的な顔立ちをしている。見方によっては男性でも女性でも通じる。

 しかし、俺の中ではひと目見た時から確固たる正解があった。シャルル・デュノアは、間違いなく女性であるという正解が。

 俺がストレートにそう指摘すると、シャルルは動揺を隠し切れないまま言い逃れを続けようとする。けど、悪いが逃す気はない。

 相手が女の子だとわかっているとすればとんだ畜生発言だが、今すぐ裸になれるかどうかを聞けば、シャルルは途端に言葉を詰まらせた。そして、次に出てくる言葉も想定済み。

 

「む、無理だよ、絶対に無理。僕、隠してたけど身体に大きな火傷の跡が――――」

「それは身体の何割を占めてどの部分にあるの? こっちとしては局部を晒してもらえばそれで十分だよ。それともなにかな、そんな都合よく胸や股に火傷の跡が?」

 

 シャルルの口から出たのは、やはりなんとしてでも服を脱がまいとするための言葉。それで見せたくない火傷や古傷があるとくるのは読んでいた。

 だからあえて、初手に服を脱ぐよう迫ったのだ。後にこうして全体を脱がなくてもいいという一手に繋げられるから。

 そしたら後は俺の言った通り。胸とか股とか、性別を象徴させる部分にそんな都合よく傷があるわけがない。むしろそんなピンポイントであるなら自己申告しない方がおかしな話だ。

 あぁ、本当に畜生だ。理詰めとか苦手と思ってたけど、エンジンかかると意外とやれるもんだな。シャルルの今にも泣きそうな顔は見ていられないけど。

 それはそれとして、次なる一手に進めさせてもらうことにしよう。それは、なぜ俺がシャルルが女性であることに気づいたかだ。

 

「シャルル、俺が絵を嗜むのは覚えてるかな」

「うん…………」

「俺もそれなりに研鑽を積んできた身でね。わかるんだ。服の上から見て、だいたいどういう肉付きをしているかとか」

 

 俺はこれまで数えきれない人の絵を描いてきた。

 それは人物画という意味ではなく、風景画等を描いた時、その風景に映り込む人物を描写してきたという意味だ。場合によっては、人だって風景の一部だと思ってるから。

 そして画家に必要なこととして、観察する能力というものがある。

 特に俺や爺ちゃんみたいな精密な描写をすることが旨な絵描きにとって、観察するという行為は重要不可欠のもの。これなくしては始まらないんだ。

 来る日も来る日も自分の左手を描き続けるという練習をしたことがある。様々な角度、大きさ、視点、それら全てを描き切ったのではないかというくらいに。

 そしてその目を他人に向けるようにしてみた。来る日も来る日も無作為に歩く人たちを描きに、駅前で何時間も居座ったことがある。

 そしてやがて気づいたことがあったんだ。注意深く観察すれば、服の下の体つきをだいたい予測して描けるようになっていることに。

 これができるようになった日は大層喜んだものだ。思わず爺ちゃんに報告すると、流石は儂の孫だと褒められたっけ。って、思い出に浸ってる場合じゃなかったな。

 とにかく、その鍛え上げられた観察眼をもってすれば、シャルルが男性だなんてことは笑わせる話だ。どうやらコルセットか何かを巻いてるみたいだけど、むしろシャルルはかなり豊満な体つきをしていると予測される。

 本人は俺の言葉に懐疑的な目を向けてくるが、本当にそうなのだからこれ以上の説明はできない。それが仕込んできた揺さぶりを弱めてしまう可能性もあるが、そろそろとどめに入るとしよう。

 

「じゃあ、話をいったんどうして俺がシャルルを疑うかって話にしようか」

「そ、そうだね。どうしてこうも人聞きの悪いように言われるのかは気になるかな」

「俺、一応だけど御曹司でさ。本当に名ばかりなんだけどね」

 

 名ばかりどころか口にするのもはばかれる御曹司という単語だが、別に嘘は言ってないのだから問題はないはず。実際に父さんが社長なわけですし。

 まぁ俺は継ぐ気もなければ、父さんも継がせる気はないって言ってたし気楽なものだ。

 シャルルは日本に来るのにある程度の情報は得ているとして、俺の実父がFT&Iの代表取締役ということは知らないと読んだが当たりのようだ。

 今のシャルルからは、そんなの聞いてない。みたいなのが見て取れる。実の息子がつい数か月前に知ったんだから、外野はなおのことだろう。

 ここからはシャルルの優しさに漬け込むことになるから、今までの何倍も心苦しいぞ。覚悟してかかれ、俺。

 

「シャルルが男装してると仮定すると、目的はだいたい読めてるんだ。……キミの姓がデュノアってことも判断材料かな」

「…………」

 

 デュノアという姓は、ISに関係する者の多くが耳にしたことがあるはずだ。

 フランスに本社を構え、射撃型汎用量産機であるラファール・リヴァイヴを開発した企業であるデュノア社はあまりにも有名だから。

 シャルルはどうやらそこの御曹司――――もとい、令嬢に当たる人物。とするなら、わざわざ男装までして学園に入学してきた目的は、いわゆる産業スパイという奴だろう。

 男装=俺と容易に接触するための手段と考えてよいはず。現にこうして同室にまでなっているのだから。

 後はデータ収集ないしを行うつもりだったのかな。個人的には、俺のデータをそう有用に扱うことはできなさそうな気がするが。けど――――

 

「さっきも言ったとおり、俺にも一応の立場っていうものがある。もし俺のデータがFT&Iの不都合になるなら、シャルルを手放しに見過ごすことはできないんだ」

 

 俺がそこらのなんの変哲もないサラリーマンの息子だったんなら、別にシャルルを問い詰めるようなこともなかったろう。

 しかし、俺は一社長の息子という立場だ。そしてヘイムダルの開発者である母さんの息子でもある。

 もしかすると両親の託してくれたこのヘイムダルが、FT&Iの機密情報の塊だったりするかも知れない。ならばシャルルにデータを渡すことは不利益になりかねない。

 それで俺たち一家が痛い目を見るだけならまだいい。けど、父さんの会社には、数えきれないような人たちが日夜汗水流して働いてくれているんだ。

 その中では、多くの人が家族を養っていることだろう。それを想えば、ますますシャルルにデータを渡すわけにはいかないんだよね。

 ……あまり気負うつもりもないけど、俺の両肩にはそういう責任が乗りかかっていると思うんだ。

 

「……はぁ、まさかそんな方法で見抜かれちゃうなんてなぁ。けっこういい線いってると思ったんだけど」

「シャルル……」

「そうだよ、全部晴人の推理どおり。なかなかの名探偵だね」

 

 それまで青い顔をして押し黙っていたシャルルは、俺に全てを見抜かれいっそ清々しいのか、開き直ったような態度を見せた。……諦めたとか、観念したの方が近いのかも知れない。

 う~ん、別にデータ盗難は止めてねってことを周知させようと思っただけなんだけど、白状させるにしても少し脅しが過ぎたかな。

 いや、過ぎたに決まってるだろうがバカタレ。女の子に向かって今すぐ裸になれるよねって言ったんだぞ。……まぁいい。そこらは後で謝るとして、もうひとつ肝心なことを確認しなくては。

 

「ごめん、もうひとつだけ聞かせてほしい」

「何? この際だからなんでも聞いてよ」

「シャルルがその命令をやりたかったかどうか」

 

 まず間違いなく、シャルルは誰かの命を受けて今この場に居る。そこで肝心になるのが、シャルル自身に最悪感があったか否かだ。

 もし仮に命令した誰かとノリノリで結託していたという話なら、悪いがすぐにでもフユ姉さんのところに突き出させてもらおう。

 もし仮に無理矢理にでもやらされていたのなら。あるいはこんなことしたくはないと思っていたのなら、俺はそうしなくていいよう全力で手を貸そう。

 既に答えは知れたことでもあるのだが。俺はシャルルの行いこそは咎めつつも、人格まで否定したつもりはない。むしろシャルルは、優しく穏やかな女の子なんだろうから。

 

「キミ、変な人だね。どうして今更、嘘をついてた僕の口からそんなことを聞こうとするの? 普通は信用できないと思うけど」

「確かに一理ある。けどね、俺は楽しそうにしてたキミまで嘘とは思ってないよ」

「…………。わかった、話すよ」

 

 これまで見てきたシャルルの笑顔。俺にはそれが貼りつけたような、取ってつけたようなものには感じられなかった。直感の話なので根拠なんてないのだけれど。

 俺のこの想いは願望に近いのだろう。単にシャルルの笑顔を嘘と断じたくない、それだけなんだ。

 そんな俺の言葉をシャルルがどう受け取ったのかは未知だが、事の経緯を話してくれる気にはなったらしい。

 シャルルがポツリと語りだしたのは、俺が想像していたより何倍も壮絶な内容だった。

 

「め、妾の子?」

「初めて知った時には僕も驚いたよ。泥棒猫の娘だーなんて罵られもしたっけ」

 

 なんだか立ち入った話になってしまったな。それと同時に、シャルルが逆らえない状況であったことも察しが付く。

 そりゃ詳細は本人たちの知るところでしかないんだけど、自分が不都合の結果できた子という可能性があれば、父親にもその本妻にも口答えなんかできたものではない。

 しかもシャルルのお母さんは既に亡くなっているときた。つまり、父親に拾われる形で自らの出生を把握したというわけか。

 酷い仕打ちはあったようだが、拾われたというのが間違いでない以上、シャルルの性格上からしてますます頭が上がらないんだろう。

 

「えーっと、ごめん、正体を暴いておいてなんなんだけど、もし失敗したことがお父さんとかに知れたら――――」

「う~ん、どうなるのかな。わかんないや。ただ、絶対にいいことにはならないだろうね」

 

 話を聞く限り――――失敗しました。じゃあ仕方ない――――で済ましてもらえなさそうな空気を感じた。いや、むしろ知れたら命に関わる気さえ。

 力になるつもりではいたけど、これは首を突っ込むことすらままならないのでは? しかし、さっき言ったとおりにデータを渡すことはできないし。

 え~……ならば、そもそもシャルルがデータを盗むという行為をしないで済むようにすればいいのかな。

 手っ取り早い方法はあるけれど、この件で頼るのはどうも。でも何もしないまま見過ごすわけにはいかないし。

 …………う~ん、とりあえず相談するだけはしてみよう。無理なら無理で聞かなかったことにしてくれるだろうし。

 俺は意気消沈のシャルルを尻目に、少し携帯での通話をしてよいかと問いかける。聞いているのだかいないのだかな曖昧な返事を受け取ると、父さんへ向けて発信した。

 

『どうかしたか?』

「うん、少し――――どころかかなりの厄介ごとなんだけど、父さんクラスの地位の人にしか頼めないような案件でさ」

『わかった。とにかく聞かせてくれ』

 

 つい数日前に一方的に怒鳴っておいてと思いつつ相談を切り出すも、向こうは微塵も気にしたような態度は見せない。事実、俺の癇癪なんてなんとも思っていないんだろう。

 それに重ねて相談する内容が内容なため、必要以上に恐縮としながら順を追ってシャルルの置かれている状況を説明していく。

 父さんはその都度に適度な相槌を打ち、声色からして真剣に聞いているというのが伝わってくる。一人の親としては思うところがあるのかも知れない。

 そして俺がどうにか力になってあげられないかと締めれば、電話口から聞こえて来たのは長い溜息のような音。

 俺はその溜息で断られるのではないかと心臓の鼓動を早めるが、父さんの寄越した回答は意外にもアッサリとしたものだった。

 

『事情は了解した。だがデュノアくんと直接話がしたい』

「あ、そうだよね。了解、今変わるよ。シャルル、父さんが話がしたいって」

「え? ああ、うん、わ、わかった」

 

 相変わらず投げやりな様子だったシャルルだが、父さんの要望に応えて携帯を差し出すとしっかり反応があった。

 電話している間の俺を気にも留めなかったのか、あまり流れが読めていない感じでもあった。そのせいか、どんなことを父さんに言われているのか知らないが、リアクションの大きい会話になっている。

 シャルルの携帯越しに独り相撲のような、そんなリアクションを取る姿を見守ることしばらく、用事は済んだのか携帯がこちらに戻ってくる。

 そしてすぐさま、父さんとのやりとりはいかほどの実りがあったのかを尋ねた。

 

「で、どうなった?」

「……なんとかなるかも」

「そっか、それはよかった。これでシャルルも安心して日本に――――」

 

 あまりにも事が上手く進み過ぎている。シャルルはそう思っているのか、先ほどまでとは違うような意味で茫然と立ち尽くしている。

 父さんとの間にどのようなやり取りがあったかは知らないけど、今はとにかくどうにかなる道筋が見えてきたならそれでいい。

 きっと、シャルルもそのうち頭も冴えてくれることだろう。そしたら、俺は非常に気持ち悪いことを言ったお詫びをしなくてはな。

 シャルルに声をかけながらどう謝っていいものかと言葉を選んでいると、突然身体に衝撃を覚えた。不意打ち気味に入ったせいか、どぅっふといった感じに息を漏らしてしまう。

 俺はいきなりの衝撃に耐えきることができず、そのままベッドに倒れこんでしまった。そして視界が安定したその時に全てを悟る。俺はシャルルに押し倒されているのだと。

 

「シャ、シャルル?」

「晴人、僕……僕……!」

「う、うん、今まで辛かったろうね。でもいったん落ち着こう」

 

 その状況だけでシャルルが混乱している、ないし感情が制御できないというのはすぐにわかった。

 理解はできるよ。誰にも助けを求められない。求めたところで追い詰められるのは自分。やりたくもない命令に従うしかない。シャルルはきっと、自分にそう言い聞かせてきたんだろうから。

 そんな問題が一気に解決してしまった。だからシャルルは、抑圧された感情が爆発して今に至るんだと思う。

 でも落ち着いてほしい。女子に押し倒されるなんていうこの状態、相手がナツでもなければそのうち気絶してしまうぞ。

 いや、ナツなら平気って言ってもなんとも思わないから平気ってことでもなくてね。むしろあれも気絶どころか死にそうになるか、もしくは理性でもはちきれるとかそういうもっと次元の違うになって――――

 ……あれ? どうして俺は、シャルルに押し倒されているのにこうもナツのことを考えているんだろう。

 

「……晴人、あのね」

「へ……? ちょっ、ちょっ!? そ、それは本当に落ち着こう! お礼のつもりなら逆に迷惑だから!」

「でも僕、このくらいのことしかできないから……」

 

 混乱するのはわかるが、それは話が飛躍し過ぎじゃないだろうか。それとも、やっぱりハニートラップみたいなものは仕込まれた?

 何かって、おもむろにシャルルが制服を脱ぎ始めるからですよ。手を貸した対価にあんなことやこんなことを、的なことをしようとしているのが目に見える。

 しかし、そういうわけにもいかない。別にこんなこと役得とも思わないし、俺がしたことといえば父さんに電話をしたことくらいだ。

 そこまで混乱が大きいとは思いもよらず、俺は急いでシャルルの手首をつかんで脱衣を阻止する。そしてそんな自分の身体を安く扱うような真似はよくないと伝えてみるも、どうやら効果は薄いらしい。

 無理矢理退けることは簡単だが、混乱している女性に対して力で訴えかけるのはどうも……。でも気が引けるなんて言っている場合ではないのも事実。

 というか、脱ぎかけの制服が重力に従ってはだけ始めてる! コルセットの大部分見えちゃってるし、本当に四の五の言ってる場合じゃない! シャルル、重ね重ね申し訳ないけど、やはり無理矢理にでも――――

 

「ハルー! それにシャルルー! 一緒に晩ご飯――――」

「ふぉおおおおっ!? ナ、ナナナナナナ……ナツぅ!?」

 

 強行突破を決意したその時、快活な声と共に扉が開閉する音が聞こえた。部屋に突撃してきたのはナツ。いったいどうしてこのタイミングなのだ。

 ……シャルルが半裸なことを考慮するに、やっぱり今でもラッキースケベ体質が継続中だってこと……? いや、そんなことよりまずいのは、こんな現場を見られてしまったということだ。

 ナツの様子は体勢的に伺い知れないが、シャルルの表情が引きつっているのを見るに、相当に悪い状況だと見た。

 俺は慌ててシャルルをどかし、急いでナツに弁明を――――図るつもりだったんだけど、その姿を視界に入れると同時に言葉に詰まる。それと同時に、俺は察した。

 ああ、この間山田先生が逃げ出したのはこれが理由か。なるほど、ナツのこの表情を目撃したからだと。だってナツの表情は――――

 

「ハル、何これ」

 

 まるで感情の一切が消え失せたかのような、無と表現するにふさわしいものだったから。

 

 

 

 

 




鬼畜系晴人降臨。畜生発言のオンパレードで草生えますよ。
そんなわけで、画家という独特な視点から正体看破に至る晴人でした。
いしかお話ししましたが、晴人が女の子の裸とかを偶然見たって美味しくもなんともないと思っているので、こういった流れになりました。
むしろ見るなら一夏ちゃんだけ見てろと。
とはいえ修羅場的イベントは面白いと思うので、最後のシーンに一夏ちゃんは乱入していただきましたけれども。
次回でシャルルの正体イベントに関しては、しっかり風呂敷を畳みたいと思います。


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第34話 最大の汚点

多分ですけどご期待に添える出来ではないですねこれは……。
そもそも前提として激しいヤンデレ要素は入れるつもりがないんですよ。
でもライトってどのあたりまでがライトなんだっけ(錯乱)
みたいな状態になってしまいまして、はい。まぁそんな感じです。


「――――と、いうわけでございまして」

「ふ~ん」

 

 とりあえずシャルルには頭を冷やしてもらう意味も込めてシャワーを浴びてもらい、俺はナツに経緯を事細かに説明していた。

 ナツは心底から不機嫌そうに椅子へ腰かけ、俺はその前に間を取りつつ正座。何も強要されたわけじゃないが、なんだか空気的にそうせざるを得なかったっていうか。

 弁明の余地がないのはわかっていたが、なんだかナツは取り付く島もないような態度だ。心なしか視線に軽蔑すら混ざっているような気がする。

 ……いや、そもそもこの弁明にあまり意味はなかったな。ナツは俺が簡単に女性と行為に至ることのできない根性なしなのはわかっているだろう。

 シャルルの置かれていた状況も説明した。ナツは他人を慈しむことのできる人物だ。なのにここまで興味がなさそうなのはおかしい。

 普段なら――――そっか、それはいろいろ辛かったろうね。……くらいのことを言いそうなものなのに。となると、ナツは何に対してここまで不機嫌になっているのだろう。

 

「あの~ナツさん、少しよろしいでしょうか」

「なに」

「えっと、何をそんなに苛ついてらっしゃるのかと思いまして」

 

 謝ろうにも何に謝らなければならないのかを理解せねば、それでは火に油を注ぐばかりだろう。

 だから恐る恐る手を挙げて質問を投げかけてみる。謝る内容を理解できたのならこっちのものだ。謝罪なんてものは慣れてるから。

 しかし、ナツはなんだかますますご立腹のご様子。なんでだ。これでは火に油どころか、火のついた油に水を注ぐに等しいではないか。

 

「ハルはこの間、私と何をしましたか」

「何って、そ、そ、そ、添い寝?」

「はい正解。じゃあその前」

「その前……となると、デート?」

「はい正解」

 

 ナツは唐突に何を切り出したかと思えば、この間俺たちが添い寝をしたことをわざわざ確認し始めた。……別に俺の口から言わせなくても。

 どうやら答えとしては正解のようで、ナツはそっけない拍手を送る。そして次はこの間のデートの件について。そちらも正解。またしてもやる気のない拍手が響く。

 ……いったいこれはなんの確認で? このままでは俺のメンタルが削られるばかりだが。

 

「私だけですか?」

「な、何が?」

「ハルとの関係が変わったなって、喜んでたのは私だけですか?」

 

 そう言うナツの表情は、とても辛そうなものに見えた。どころか、その瞳が潤んでしまっているのがわかる。

 違う。待ってくれ。俺がそんな表情をさせたなんて、本当に死にたくなるから待ってくれ。ちゃんと考えるから。

 関係? 喜ぶ? 俺たちの関係は互いに大事な半身だろう。それで既に最上位と思っていたのに、変わる必要なんてあったろうか。

 さもなくば、ナツは俺との関係に――――と仮定するのなら話は早い。でもそれは、あまりにも……。……恐れ多いにもほどがあるが、俺は声を震わせながら口を開いた。

 

「……やき、もち……ってこと?」

「…………」

 

 ナツは何も答えない。が、その様子が全てを物語っていた。顔を赤く染め顔を俯かせるその姿は、俺の言葉を肯定しているのに等しい。

 妬いていると結論付けたのは俺だ。だからこそ解せないこともある。ナツは、俺を一人の男として見ていたということなのだろうか。

 それはとても嬉しいことだが、それと同等に困ってしまう。度々女の子はわからないと口にしてきたが、色恋沙汰なんてのはその何倍も理解不能だ。多分だけど、今のままでは真剣にナツと向き合えない。

 

「……ごめん、困らせるようなこと言ったよね。ハル、お願いだから今のは忘れて――――」

「っ!? ま、待った!」

 

 ああ困るさ。確かに今の俺は盛大に困っているよ。けど、何も迷惑だなんて言いたいわけじゃない。むしろ傷つけているのは俺の方なのに、謝ってこの場を立ち去ろうとするナツを逃すわけにはいかなかった。

 先ほどから痺れ始めていた両足に鞭打ち、早急に立ち上がり少し強めに手首を掴んだ。なんとかナツの足はとまったものの――――

 

(なんて声をかければいいんだ……)

 

 傷つけたとはいえ単に謝るのは少し違う気がする。それに、ごめんという言葉がいらぬ誤解を生んでしまう可能性もあるのでは。

 俺の考えが自惚れでなければという前提にはなるけど、ナツの想いを今すぐ受け入れるのもまた同じ。さっきも言ったとおり、現段階では受け止めきれない。それもナツに失礼なことだ。

 ……なんとも思ってないはずはないさ。そりゃ、ナツみたいによくできた女性が恋人なら間違いなく幸せなんだろうと思う。

 だけど、いざナツ本人をそう当てはめると、まったく先を想像することができないんだ。それはきっと、今の関係が心地よすぎるから。

 

「……忘れないよ。必ず心に留めておくから。だからどうか、無理に笑うのだけは止めてほしい。……ごめん、俺がさせてるのに、どの口が言うんだって感じだよね」

「……ううん、今はそれでいいから。だからどうか、今だけは――――」

「…………!」

 

 こんな時だろうと口から出るのは保険と保身を含ませる言葉の羅列。ああ、今すぐに死んでしまいたい。俺はそんな衝動に駆られ始めた。

 俺にとってこの世で最も忌避すべくことをナツにさせてしまったんだ。無理した笑顔を俺がさせたという事実は、この先長く続くであろう人生においても一番の汚点となるだろう。

 唇を噛み切ってしまいそうなほどに顎へ力を込めていると、ナツが肩を掴んだ俺の手を背を向けたまま動かし始めた。

 腕の止まったその位置はナツの腰あたり。もしやと勘繰りながらもその意図を察した俺は、ゆっくりとナツの腰へと回す。

 

「…………」

 

 果たしてこの選択が正解であったかどうかはわからない。特に今は、俺はナツのことをわかっていたつもりだったのが判明したばかりだし。

 ナツも無言で俺の腕に手を沿えるばかり。背中越しだからどんな顔をしているのかもわからない。ただ俺は、黙りこくるナツを見守ることしかできなかった。

 やがてナツは自ら俺の腕の中から脱し、おどけるようにしながら今度こそ部屋から出て行った。無理している様子はもう見受けられないけど、俺が最低なことをした事実は絶対に覆らない。

 

「織斑さん、帰っちゃった?」

「シャルル……。うん、キミがシャワーに行ってる間にね」

「それは参ったな……。ちゃんと謝ろうと思ってたのに」

 

 自己嫌悪に苛まれてボーッとしていると、シャワーを浴び終えたらしいシャルルが声をかけてきた。ジャージ等、服はしっかり着込んでいるように見える。

 余計な配慮をさせまいと取り繕いながら回答を返すと、それを聞いたシャルルは先ほどの行為を悔いるかのような呟きを聞かせた。

 ……俺もナツのことをちゃんと考えなくては。だが、今は混乱と嫌悪でまともな思考が働いてくれるようには思えない。

 時間も遅いということも加味し、手早く食事を済ませて寝てしまうのが最良であろう。同室であるシャルルも俺の提案に賛成のようだ。

 しかし、俺はここでようやく気が付いた。そもそもナツが訪ねて来たのは俺らを食事に誘うため。そしてシャルルはシャワーを浴びてしまったから、とんでもなく二度手間だということに。

 で、俺が購買まで出向いて適当な食料を買うことに落ち着いた。その際何度かシャルルと一緒に行動してないのかと尋ねられたが、愛想と誤魔化しでなんとかやり過ごすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う~ん、何気に珍しいものを見てる気がするわ」

「鈴……なんの話……」

「あれよあれ。っていうか晴人ね。アイツが誰かと関わって兄っぽくなるって珍しいのよ」

 

 例の件から数日が過ぎ、比較的に平和な日常が繰り広げられていた。

 今日はみんな揃って訓練ということなんだけど、少し遠くで何やら真剣に話し合っているハルとシャルルを指差し、鈴はしみじみとした様子でそう語る。

 シャルルの真実を知らない身からしたら、確かに最近の二人は兄弟のように思えるかもしれない。しかし、真実を知ったこちらからすれば気が気でない話だ。

 多分だけどハルはシャルルの正体が明るみにならないよう、自分もしっかりしないとって思いながら振る舞っている。

 そしてシャルルは、恩人であるハルに懐いているんじゃないかな。別に恋愛感情はないってハルのいないところでフォローは入れてくれたけど、む~……やっぱり少し面白くない。

 ちなみにシャルルの処遇だけど、おじさん曰く全てはデュノア社長の腹の中を暴いてからだって、適当に理由をつけフランス出張に旅立って行った。

 もし何かあればシャルルはウチで引き取るとか言ってたらしいけど、そしたら養子とかってことになるのかな。もしかして、ゆくゆくシャルルはハルの義妹? そしたら最終的に私の義妹ってこと?

 

「おい一夏。まさかとは思うが、男に対して嫉妬してるんじゃないだろうな」

「なっ!? そ、そんなことは――――」

「ないとも言い切れないんじゃない? 晴人の隣はアンタの定位置なはずだったのにね~」

「いや、別に、それは違うよ。流石の私も男子と女子の分別くらいついてるから!」

「そう恥ずかしがらずともよいではありませんか。貴女が晴人さんをそれほどに好いているということだと、わたくしは思いますわよ」

 

 確かに面白くないと思っていたことは事実だけれど、まさかそれが表に出ているなんて思いもよらなかった。

 ああ、弁明したくてもできないのがもどかしい。箒にみんな、違うの。私は普通に女の子に対して嫉妬してるんです。

 シャルルを女の子と知っていると先入観を持ってものを見てしまう。さっき言ったとおりシャルルはハルを好きではないらしい。でも、男子同士の体で仲良くしてる姿がどうも見ていられない。

 それこそシャルルが普通に男子だったらなんとも思わなかったはず……はず! 鈴みたく、ハルがお兄ちゃんしてるなーで終わったと思う……思う!

 でも女子であるという事実が私を焦らせる。いつかシャルルが本気でハルを好きになってしまうんじゃないかとか。ハルの責任感的な庇護欲が恋愛感情に昇華してしまうんじゃないかとか、そう考えてしまう。

 

(というか、う~……今の私には嫉妬って言葉がすごく耳に痛い!)

 

 この間からして、嫉妬から思いきり面倒くさい女を演じてしまったというのに。

 前提として私がハルの女なら、あんなシーン見せられたら怒ってもよかったろう。けど、付き合ってもないのにハルは私のモノなんだからみたいな釘を刺すようなこと言っちゃって……。

 そう思うとセシリアの微笑ましいものだみたいな感想が痛いなぁ。割と醜い女の嫉妬ですよ、ええ。話がこじれるから弁明はしないけれど、以後ああいうことがないように誓わねば。

 

「ねぇ、あれ……」

「うん、ドイツの第三世代の……」

 

 ひとり悶々と頭を悩ませていると、近くの子たちが声を潜めてドイツの機体がどうのと言っているのが耳に入った。

 今の私にとってドイツと聞かされ連想される人物はあの子のみ。少しばかり俯かせていた顔を上げてみると、私の目に映ったのは想像していたとおり――――ボーデヴィッヒさんだ。

 彼女は黒や赤で塗装されたいかにも攻撃的なISを纏い、迷うことなく私の方へ向けて一歩一歩進んでくる。

 恐らく事情を呑んでいる幼馴染二人が臨戦態勢に入りかけたものの、私はバッと掌を差し向けることによってそれを制す。

 二人が完全に大人しくなったのを確認してから私も前へ一歩踏み出し、ボーデヴィッヒさんに対して向き直った。

 

「貴様、私と戦え」

(ああ、やっぱりそういう話……)

 

 前置きもなしに自身との戦闘を望むあたり、相当私に対してお冠のようだ。

 彼女が私との優劣を決めようとするために戦おうとしていることを、かつての私――――男の時の俺なら確実に苛立ちを覚えていたことだろう。

 しかし今は何も感じない。それはボーデヴィッヒさんに興味が沸かないという意味ではなく、単に思ったよりも冷静でいられるということだ。

 

「ボーデヴィッヒさん、まずひとつ勘違いしてるみたいだから言っておきたいんだけど」

「ほぅ、聞かせてみろ」

「私は誰とも戦ったことはないし、これから先だって誰とも戦うつもりはないよ」

「……貴様は何を言っているんだ?」

 

 私はボーデヴィッヒさんが戦いを望む限り、それを受けて立つつもりはない。

 彼女が千冬姉をどのように見て、何を感じたかはわからない。けどあの人の肉親として発言させてもらうのだとすれば、千冬姉だって戦いをしたことは一度もないはずだ。

 ボーデヴィッヒさんは私の言葉に対し、心底から理解できないというふうに眉間へ皺を寄せた。……そうか、理解ができないか。

 抱えているもの。そして抱えているものに対する考え方。それらに千冬姉が関り、なおかつここまでの隔たりがあるのならば、きっとまた彼女を怒らせてしまうのだろう。

 けどいくら怒られようが、喚かれようが、牙をむかれようが、この想いだけは譲ってやるわけにはいかない。なぜなら私は、誰よりも長く千冬姉を見てきたのだから。

 

「試合と戦いは違う。そうじゃないかなって私は思う。だから貴女が戦いを強要する限り、私はそれを受け入れるわけにはいかない」

「力によって優劣を決める、その点において双方に差などないだろうが! それとも何か、貴様は自らの失態から逃げるのか!? 私がなぜ挑むかわからんほど無能ではなかろう!」

 

 私の失態――――か。それは誘拐されてしまったことであり、千冬姉の連覇をなかったことにしてしまったこと他ならない。

 逃げるつもりはない。逃げたくないから私はこの道を選んだんだ。……叶えたい夢ができたんだ。けど、そう弁明しても聞く耳はもってくれなさそう。

 だからそれでもいい。例え逃げることととられようとも、私には一人――――たった一人だろうと、絶対の味方でいてくれる人が居るのだから。

 

「私には夢がある」

「何……?」

「千冬姉ができなかった二連覇を達成すること。それを叶えるため、私はここに居るの。ボーデヴィッヒさんの言うとおり、逃げたくないから。私に戦いたい相手が居るとするのなら、それは――――私自身しかいないよ」

 

 ボーデヴィッヒさんの方へと手をかざした私は、ピースをするようにして二本の指を差し出した。

 義務感や使命感、そして贖罪の念は一切消え失せたから、きっと私の顔は活き活きとしていたことだろう。

 そう、この感じこの感じ。ハルが私の夢を本当のことにしてくれたから、自分に勝ってるこの感じがたまらなく心地よい。

 すべては私に、あの日ただ怯えるだけで何もできなかった私に打ち勝つための戦い。自分に勝つために、他人を傷つける必要なんて絶対にないしあってはならない。

 別にボーデヴィッヒさんを諭そうというつもりはなかったが、私の言葉が図星のように思えるのか、ギリギリと歯を食いしばるような仕草をみせた。

 これまでのやりとりで気が短いのはわかったが、嫌な予感というものがヒシヒシと伝わってくる。

 ボーデヴィッヒさんの殺気を感じて私が身構えたその時――――

 

「貴様がどうしたいかなど、私の知ったことかああああ!」

青色の塔盾(タワーシールド)!」

「っ……!? ハル!」

 

 ボーデヴィッヒさんの専用機、シュヴァルツェア・レーゲンの肩に備えられているレールカノンが火を噴いたと同時に、私たちの間へ滑り込むようにして青色の塔盾(タワーシールド)を構えたハルが割り込んだ。

 レールカノンの弾丸を受け止めたハルは、腕を大きく振るって軌道をそらした。そのまま弾丸はあらぬ方向へと飛んでいき着弾。小さな砂ぼこりが舞った。

 するとハルはしまったなんて言いたそうな顔して着弾方向を見やる。……ああ、流れ弾に関して計算してなかったのか。

 ハルらしいと言えばらしいというか、ボーデヴィッヒさんと着弾地点の両方へと視線が行ったり来たり。

 最終的にはボーデヴィッヒさんの方へ意識を向けることを選んだのか、青色の塔盾(タワーシールド)を解除して彼女へと声をかけた。

 

「えーと、ボーデヴィッヒさん、とりあえず落ち着いて。暴力に訴えたって何も生まれないよ」

「ハッ、甘っちょろくて反吐が出る発言だな。生まれるさ、あの方の失われた栄光を取り戻すという偉業が!」

 

 ハルの争いを好まない性格からくる言葉を、ボーデヴィッヒさんは綺麗ごとだとあざ笑った。

 ハルはそう返されて困った様子を見せる。それは、本人も綺麗ごとではある自覚はあるからだと思う。

 それでもハルはその綺麗ごとを本気で信じている。そして、何もかもがそういった言葉で解決しないことも。

 更には自分の考えを相手に押し付けるようなことを嫌ってか、どう返していいのかすぐに思いつかないんだろう。

 ハルが反論に困っていると、訓練場内に私たちを注意するアナウンスが響いた。先ほどの奇襲と、それを防いだ一連のやりとりを見てのことらしい。

 

「……興が冷めた。日向 晴人、貴様は標的ではないが、これ以上邪魔をするというのなら覚悟だけはしておくことだ」

 

 ボーデヴィッヒさんはそれだけ言うと立ち去って行ってしまう。それを見届けたハルは、ようやくといった感じに身体を脱力させた。

 ……やっぱりハルはかっこいいな。突発的に与えられたヘイムダルという力を、誰かのために使おうとする姿勢は本当に輝いてみえる。

 何よりその意志が、ほんのわずかな間でも私だけに向いた。自分勝手って思うけど、やっぱり惚れてる身からすれば嬉しいものだ。

 今だってその逞しい背中に抱き着きたい衝動に駆られているけど、流石にみんなの前でそこまでするのは恥ずかしいかな。

 どちらにせよお礼は言わなくちゃ。ハルが私を守ってくれたということに変わりはないのだから。

 

「ハル、ありがとう。助けてもらったね」

「いや、気にしないで。守るための盾だからさ」

 

 こちらへ振り返ったハルは少しだけ難しそうな顔をしていたが、すぐに朗らかな様子へと戻った。

 そして、ヘイムダルの大きな右腕を構えて攻撃を防いでこその盾だとひとこと。……前のこともあってか、少し自嘲気味ではあるけれど。

 なんとなく心配ではあったけれど、むしろ心配される側である立場なのは私の方のようだ。それまで見守ってくれていたみんなは、次々と私に声をかけてくる。

 箒と鈴に至っては、攻撃されたことに関してほら言わんこっちゃない、みたいな心配からくる非難を浴びせられた。

 そこはまぁまぁといつもの調子でハルが二人を落ち着かせ、話題はどうしてボーデヴィッヒさんが私を恨むのかという点について。

 う~ん、あまり人に話すようなことでもないんだけど、セシリアも簪もシャルも、それこそ心配してくれてるからこその興味なんだろうし、ここは話しておくべきなのかも知れない。

 私が男だったようなことを悟られないよう言葉を選びつつ、二年前の誘拐事件について語って聞かせた。

 

「それってつまり、織斑先生の不戦敗がキミのせいだって?」

「理不尽……。逆恨みも甚だしい……」

「盲目的にも程がある話ですわね。かなり織斑先生に心酔なさっているということなのでしょうが」

「んなもん、一回ぶっ飛ばしてこれで文句ないでしょって言ってやれば――――」

「それではボーデヴィッヒとやっていることが変わらんだろう」

 

 何やらあーでもないこーでもないと議論が始まってしまった。当事者である私が一番置いてけぼりを喰らっている。

 でも、私はとてもいい仲間を持ったんだと思い知らされるシーンだ。みんながみんな、本当に真剣にどうするべきかを考えてくれている。

 かつての私なら、みんなが気にすることじゃないって、一人で抱え込んでいたことだろう。みんなを巻き込まないようにって……。

 でもそれは、すごく愚かなことだったんだ。楽しいことも辛いことも分かち合える仲間が居るって、本当に最高のことじゃない。

 

「…………」

「ハル、どうしたの?」

「……僕、もう一度ボーデヴィッヒさんと話してみるよ。もし仮にあの子が僕の考えてる通りのことを抱えてるなら、気持ちはわかると思うんだ」

 

 素敵な仲間を見渡していると、妙に神妙な顔つきのハルが気になったので声をかけてみる。

 ハルは単独でボーデヴィッヒさんの説得を試みるつもりらしい。言葉からして、何か思うところがあるようだ。

 するとすぐさま周囲からは反対の意見が。みんな口を揃えて、ボーデヴィッヒさんが聞く耳を持つはずがないと言う。

 正直その意見には私も同意できないが、こういうときのハルは妙に頑固だから言うだけ無駄なのはある。

 本来は私の問題でもあるから無責任なような気はするけど、ここはハルの背中を押してあげたいところだ。

 

「ハル、ひとつ約束して」

「約束?」

「危ないって思ったら素直に引き下がって。……ハルが傷つくようなことだけは嫌だよ」

「ナツ……。うん、わかった。必ず約束するよ。……ほら」

 

 ハルがボーデヴィッヒさんの説得へ向かうことに関して賛成のような意見を述べると、一気に正気かこいつみたいな視線が刺さる。

 だからこその約束だ。私だって、本当はハルが傷つくような可能性があるのに背中なんて押したくないよ。

 私の想いは通じたのか、ハルは力強く頷きながら答える。ん、これは本当にわかってる感じだね。心配が伝わったならなにより。

 そうやって私が心中で感心していると、ヘイムダルの腕部装甲を解除して、私へ小指が差し出された。……あぁ、これは、どうやら私たちの間で、またしても私たちだけのやりとりが増えたようだ。

 私は頬に熱が溜まるのを感じながら、同じく差し出した小指をハルの小指へ絡め、互いにタイミングを合わせて上下へ振った。

 絡めた小指を解いて視線を合わすと、私たちは軽く微笑み合う。なんだか照れくさいような歯痒いようなだ。

 そしてハルはなんだかハッとなる様子を見せ、それから慌てるかのようにしてこの場を離れた。不思議に思って後ろへ振り返ってみると、そこには――――

 べらぼうにニヤニヤとした笑みを浮かべた仲間たちが。その後しばらくいじられ続けたのは言うまでもないだろう……。

 

 

 

 

 




その他原作ヒロインズの蚊帳の外感すごいっすね……。
原作でいう巻の主要キャラしか仕事をさせたくてもできないという。
中でも一夏ちゃんが関わるとなると、ラウラ周りばっかフォーカスされてしまいます。
次回も晴人&ラウラメイン回ですしこれもうわかんねぇな(グルグル目)






ハルナツメモ その19【人生最大の汚点】
比喩でもなんでもなく、晴人は本気でそう思っていた。
死にたくなるという言葉も同様、状況が状況なら自害する可能性すら大いにあったと言える。
実は半身と言いつつも、晴人が一夏を一部神格化していることの現れ。
このあたりが一夏に対する恋愛感情を邪魔している部分も大きい。


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第35話 諦めたくない気持ち

晴人がちょっぴりかっこいい回?
まぁ初期から比べると、随分と成長していると思われます。
とにかく、今回の晴人の行動原理が【一夏ちゃんのため】である。
ということを念頭に置いていただきたい。




前回の更新で、評価していただいた方の紹介を忘れておりました。
大変申し訳ありません。というわけでして、以下、評価していただいた方をご紹介。

Bibaru様 四葉志場様

評価してくださってありがとうございました。


(話してみるって意気込んだのはいいんだけど……)

 

 軽く着替えやらを済ませてからボーデヴィッヒさんの捜索を始めたところ、とある問題にいきついたせいで頭を悩ませていた。

 それは彼女の行動パターン、ないしルーチンを把握していないという点について。ゆえに闇雲に歩いたところで見つかりはしないだろう。

 そりゃ各所でチラチラ見かけたりはしたけど、ご存じのとおりの関係なせいでこっちから話しかけたりはしなかったからなぁ。

 ボーデヴィッヒさん、クラス内外問わず友人を作る気すらないみたいだし、誰かに尋ねるというのもあまりいい手ではないか。

 ここはお得意の食堂付近で待ち伏せ作戦を慣行すべきか? 軍人らしいから規則正しい生活は心掛けてるだろう。ならば食事を抜くということも考えにくい――――

 

「おい」

「ん……? わっ、ボーデヴィッヒさん。ちょうどよかった、少し話したいこと――――がっ!?」

「貴様、なんのつもりだ。私は貴様なんぞに用はないぞ」

 

 突然背後から声をかけられたかと思えば、探し人のほうからやってきてくれたご様子。その小柄な体躯に美しい銀髪は、間違いなくボーデヴィッヒさんだ。

 とりあえず見つかったことに安心していたのだが、彼女は目にも止まらぬ速さで俺の背後へと回り込むではないか。

 驚く暇もなく、ボーデヴィッヒさんは後ろ手に取った俺の右手を内側へと捻り上げる。あまり詳しくはないが、CQCとかいうやつだろうか。

 

「貴様は確か絵を嗜むんだったな。それもかなり熱心に」

「だ、だとしたら?」

「あまり私に干渉するようならどうなるか、身体で教えてやらんといかんというわけだ」

 

 フユ姉さんが話でもしたのか、ボーデヴィッヒさんはある程度俺のことも聞き及んでいるらしい。やっぱり俺といえば絵のことなのだろうか。

 そしてそのことを確認すると同時に、右腕の捻りがより深くなるよう回転させられる。かなり無理な体勢なんだが、そこらでようやく彼女の目的が分かった。

 つまり、あまり関わってくるようなら右腕を折ってやると言うことなのだろう。やり口が狡猾なような気がするのは、やはり軍人だからなのだろうか。

 そりゃ右腕は命並みに大事だし、なによりナツとの約束もあるから無駄な怪我はできない。しかし、今回の場合は多分だけど大丈夫。

 

「しないよ」

「何?」

「キミは無駄なことはしない人だ。俺のことを興味ないっていうのも嘘じゃない。だとするなら、折るだけ無駄、だよね。流石に騒ぎになるのもわかっているだろうし」

 

 きっとボーデヴィッヒさんは、フユ姉さんからこう聞かされてもいるんじゃないだろうか。俺は争いを好まず、少々臆病なところがあると。

 だから右腕のことと絡めて脅せば、普通にそれに従う――――って思ったんじゃないかな。全部憶測だからなんとも言えないんだけど。

 俺の推理がどこまで正解していたかはわからないが、ボーデヴィッヒさんは盛大に舌打ちしながら、乱暴に俺の右腕を解放した。

 右手の無事を確認しながらボーデヴィッヒさんを視界へ入れれば、とても不機嫌そうな顔つきでこちらを見上げている。

 

「気に障る男だ。まるで私のことを見透かしたようなことを言う」

「いや、人の考えてることなんて全然読めないよ。ただ、人を見る目だけならちょっと自信あるかな」

 

 人の考えを読めれば苦労しないというか、十年過ごしてきた半身の考えすら察してやれなかった俺にそんな大層なことは――――って、隙あらばネガティブ禁止! 今考えるべきはどうやってボーデヴィッヒさんを説得するかだ。

 どちらにせよ聞く耳は持ってくれないことはわかっている。けど、どうしても伝えたいことがひとつだけあるのは確かなんだ。

 そうこうしている間に、ボーデヴィッヒさんはこちらに一瞥もくれずにどこぞへと歩き出した。あー……困ったな、待ってと言ってそうしてくれたら苦労はしないわけだし。

 と、とりあえず追いかけてみるか? 見失ったらそれこそ探すあてがないんだから、このチャンスを必ず物にしないと。

 でも結局のところ、声をかける勇気がないんだから身も蓋もないよな。本気で怒らせたら冗談抜きで腕でも折られそうな気がするし、いったいどうするべきなのか――――

 

「鬱陶しい! 貴様、用があるのかないのかハッキリせんか! 終いには本気で折るぞ!?」

「あぁだだだだ!? タ、タイムタイム! 今のはゴメン!」

 

 考え事をしながらとりあえず追いかけるという行動をしていたせいか、それこそボーデヴィッヒさんの機嫌を損ねてしまった。うん、無言でついて来られるとか俺でも鬱陶しく感じる。

 悪気がなかったというのも事実のつもりなわけだが、またしても右腕を捻り上げられてしまう。むしろさっきより加減がないような気さえした。

 弁明を図りながらとにかくボーデヴィッヒさんの腕をタップし続けると、荒い鼻息を鳴らしながら解放はしてくれた。……が、冗談抜きで折られるかと思ったな。

 俺の右手に関してはこの際置いておいてだ、今のボーデヴィッヒさんの言葉は、無言でついてくるくらいならさっさと話せと捉えていいのだろうか。

 三度目の正直というか仏の顔も三度というか、また怒らせたら今度こそ手酷いことをされそうな気がするも、やはりこれ以上のチャンスが巡ってくることはないと思われる。

 二度の右腕へのダメージもあってか臆してしまう俺が居るが、ナツの為なのだと喝を入れることにより、恐る恐るながらも口を開いた。

 

「ええっとね、俺の周りって凄い人が沢山居てさ」

「は? なんの話だ。あまり要領を得んようなら――――」

「世界獲っちゃう姉貴分だとか、代表候補生になっちゃう幼馴染二人とか。ああ、剣道で全国制覇もすごいよね。あと、両親が社長だったり部長だったり。爺ちゃんが有名な画家だったり」

「…………」

 

 言いたいことがあるっていったって、別に聞いてくれたからにはそのとおりにしてほしいなんていうことはない。

 きっと、ボーデヴィッヒさんはボーデヴィッヒさんなりに譲れないものもあるだろう。あるがゆえに、考えた末で彼女も行動している。

 俺たちの間に軋轢が生じるのは、価値観の差というものがあるせいだ。実際、俺もフユ姉さんに対する考え方に関して譲る気なんてないし。

 でもそれではダメだ。自分の思ってるフユ姉さんはこうだからと言い合ったところで、より互いを傷つけあうこと他ならない。

 だからわかってもらえなくたっていいんだ。あくまで、キミの焦る気持ちを少しはわかるやつがここに居るんだって、それを頭の片隅にでも置いておいてもらえればそれで。

 というわけで、ボーデヴィッヒさんを無視しつつ言いたいことだけ言っておく。だってこれ、下手すると独り言みたいなものだから。

 向こうも俺の意図を察しでもしたのか、依然として興味のなさそうな態度で廊下の壁へと背中を預けた。

 

「別に劣等感がどうのって話でもないんだけど、やっぱり俺の可もなく不可もなくっていうのが浮き彫りになっちゃうっていうか。まぁ本当のことだからどうでもいいんだけど」

 

 冷静になって振り返ってみると、俺は本当にものすごい面子に囲まれて生きているというものだ。基本的にどこぞで名の知れている人ばかり。

 それなりに思うところがあるのも嘘じゃない。でもそれは、どうして俺はダメな奴なんだろうって、俺が勝手に思っちゃってるだけのこと。

 それこそ俺がみんなに劣ることなんて昔からの話だし、慣れてしまったというのもある。けど、ひとつだけどうしても払拭し切れない想いがあった。

 

「何が本当に嫌かって、置いて行かれてしまうんじゃないかとかさ、そんなことを考えちゃうんだ」

「…………」

 

 努力が結果に結びつかなくてもいい、というふうに考えるようにはなれたけど、この恐怖に関しては未だ俺の奥底に眠り続けている。

 そう、怖いんだ。いつしか、追いつけない遥彼方まで行ってしまうのではないかと考えると。

 瞬間、俺の脳裏にはナツの姿が過る。そして、それまで興味がなさそうにしていたボーデヴィッヒさんの肩眉が動いたのを見逃さない。

 多分だけど、ボーデヴィッヒさんは俺と同じような恐怖を抱いているんだと思う。俺にとってのナツのように、彼女にとってはフユ姉さんがそうなんだ。

 気持ちがわかるだけに、俺は一概にボーデヴィッヒさんを排斥しようとは思えないんだろう。同情、のつもりはないが、きっと彼女はそう感じるに違いない。

 でも意外なことに、ボーデヴィッヒさんが激高するような様子はみられない。ならもう少しだけ、このまま続けてみることにしよう。

 

「だから俺は、あの日差し伸べてくれた手を忘れられない。あれが、今の俺を創り始めた瞬間だから」

「…………」

「けどこうも思う。いつか俺が、そうなれるようになりたいって」

「何……?」

 

 ここにきて、ようやくボーデヴィッヒさんが反応を示してくれた。壁にもたれかかっているのは相変わらずだが、とても怪訝な表情でこちらを観察しているように見える。

 単に理解ができないのか、それとも一定の関心を得られたのか。真相のほどは定かではないが、何かしらの興味をもってくれたならそれでいい。

 俺はなるべく柔和な雰囲気を心掛け、ボーデヴィッヒさんの方へ向き直りながら言葉を続けた。

 

「憧れの人みたくなりたいって、その人が自分にしてくれたことを、他の誰かにしてあげられればそれで成立するものだと思うよ。きっとそうやって、大切な何かが脈々と受け継がれていくんじゃないかな」

「教官が、私にしてくれたこと……」

 

 なんて偉そうに言ってるが、俺なんてまだまだなんだけど。ナツのように人助けをしようにも、余計なお世話なんじゃとか考えちゃってさ。

 でも、その芯を通す真っ直ぐなところって、フユ姉さん由来なんだと思う。それをナツがしっかり学び、見習い、受け継いだからこそ今のナツがいる。

 ボーデヴィッヒさんだって、フユ姉さんの絶対的強さだけに惹かれているわけではないと思う。勝手な推測にはなるけど、あの人なりの不器用な優しさを受けたからこその心酔なはずだ。

 つまり、ボーデヴィッヒさんは自身が望む強さを得られる準備はできているということ。それでもナツを責めるのだけは許容できないが、いつでもなりたい自分にはなれるはず。

 

「……なぜだ」

「なぜって、何が?」

「なぜ血縁でもない貴様の目に、あのお方を感じるのだ……!」

 

 少し迷い戸惑うような表情を垣間見せていたボーデヴィッヒさんだったが、反動をつけて壁から離れるのと同時に、迷いの中にも俺を気に入らんとでも言いたげな成分が混じり始める。

 いや、どうやら彼女は悔しいと見た。血の繋がりがあり顔立ちも似ているナツならともかく、どうして赤の他人である俺にフユ姉さんを感じてしまったのだ……と。

 それはなんというか、ハハッ……とても光栄なことだな。俺なんかに、俺の中に、いつだってかっこいい姉でいてくれたあの人を感じてくれるなんて。

 そうだね、ボーデヴィッヒさんの質問に答えるのならそれは単純明快だ。フユ姉さんが家族だからでも、姉だからでもない。それは――――

 

「それは多分、フユ姉さんがフユ姉さんだからだよ」

「意味がわからんぞ」

「ハハ、そうだよね。でもこれ以上の説明しようはないんだ。わかるっていうより、感じるって言った方が近いと思うから」

 

 自分でも意味のわからないことを言っている自覚はあるが、やはり的確なツッコミで返されてしまった。

 とりわけ、ボーデヴィッヒさんの合理主義ゆえのせいでもあるかも。いや、根本的にドイツ人はそういう傾向があったんだったかな?

 どちらにせよ酷なことかも知れないけど、頭でなく心で理解してもらうしかない。投げやりで申し訳なくも思うけど、いくら時間がかかろうと、理解しようとすることが大切なんだろうから。

 

「これ以上の問答は時間の無駄らしい」

「あ、引き留めちゃってごめん。それじゃボーデヴィッヒさん、また明日」

「…………」

 

 歯痒そうな表情を見るに、意味を理解しようとすることそのものを放棄してはいないようだ。だが、素直にわからないのを認めるのが癪なのか、ボーデヴィッヒさんは踵を返して歩き出してしまった。

 どんどん小さくなっていく背中に対してはいらない言葉だったかもしれないが、別れの挨拶をしっかりしてから完全に視認できなくなるまで見送った。

 なんとか一石を投じることはできたろうか。同情ではなく共感を得てくれていたら幸いなんだけど。……これ以上は、向こうの出方を見守るしかない。

 せめてナツへの攻撃がなくなってくれればいいんだけどな。タゲ取りというか、ヘイト集めのための行動でもあったつもりだし。

 これが知れたら、ナツにこっぴどく怒られることだろう。それでもナツ、今回の件に関しては少し張り切らせてもらうからね。

 ……なんだか気が緩んでしまったのか、一気にお腹が空いてきた。みんなに連絡を入れて、俺は一足先に食堂へ向かうことにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺がボーデヴィッヒさんと言葉を交わして以降、特に事件らしい事件は発生せずにとても平和な時間が流れていた。

 それは絶対にいいことなのだが、どうも解せないというのが正直なところかな。あのやりとりで、ボーデヴィッヒさんのすべてに決着がついたってことではないから。

 そう、仮に表現するなら中途半端という表現が適切かも知れない。それこそ、何も起きてないってことは和解したってわけでもないんだ。

 しかし、これ以上の干渉は本当に余計なことだよな。事情からして仲を取り持つなんてのはもっての外。ボーデヴィッヒさん自ら歩み寄ってくれるようになるまでは……だ。

 現状からしてできることは限定されるだろうが、すべてが解決していないとなれば頭を悩ませてしまう性分だ。

 ここのところ頭を悩ませてばかりで、今日も今日とてウンウンと唸りながら廊下を歩く。……授業合間の休憩で、トイレから教室に戻るまでの間もは流石に考え過ぎだろうか。

 

「…………ん?」

 

 そんな折に俺の耳に届いたのは、誰かの話声であった。そうヒートアップしているようではなさそうだが、耳を澄ませてみると確かに聞こえてくる。

 それはなんというか、困った状況になってしまったかも。位置からして人目を忍んでのことなんだろうから、そこを突っ切っていくのは俺としては胃が痛む所業だぞ。

 でもなぁ、わざわざ話が終わるまで待つっていうのも変だと思うんだよなぁ。ちょっと気を遣い過ぎっていうかさ。

 ……まぁいいか、素知らぬ顔でもしながら歩き続ければさほど興味らしい興味も惹かないでしょ。別になにも見聞きしてないですけど? みたいなノリでいこうじゃないか。

 そいうことで今にも口笛を吹きそうな軽快な足取りで曲がり角を進むと、俺の目に飛び込んできたのは早くも自身の判断を恨むことになりそうな光景だった。

 

(フユ姉さんにボーデヴィッヒさんとか……!)

「……先生、引き留めて申し訳ありませんでした。私はこれで」

「ああ」

 

 向こうも条件反射じみたものだったとは思うんだ。しかし、ボーデヴィッヒさんに一瞬だけ向けられた、お前かみたいな視線に動きがフリーズしてしまう。

 だがちょうど話が終わったところだったのか、ボーデヴィッヒさんは長い銀髪をなびかせながら早々に歩き去ってしまう。

 それをフユ姉さんが短い返事で見送ったのを合図に、ようやく俺を縛り付けていた緊張はほぐれた。ふぅ、タイミングがいいのやら悪いのやら。

 

「おい」

「すっ、すみません! 俺もすぐ教室に――――」

「違う、そうじゃない。少し話がしたいだけのことだ」

 

 胸をなでおろしていると声をかけられたため、てっきりお前もとっとと教室に戻れということでも言われるのかと思っていた。

 だからこそ初手謝罪安定な俺として先読みのつもりで謝ったのだが、どうやらフユ姉さんは俺と話したいことがあるようだ。

 もしかしなくてもボーデヴィッヒさん絡みのことなんだろうけど、やはりフユ姉さんとしても思うところがあるのだろうか。

 

「あいつのことで苦労しているようだな」

「確かに難しい問題ですけど、別に苦労ってことはないですよ」

「日向のは信用ならん。お前は苦労を苦労と思わんだろうが」

 

 ボーデヴィッヒさんのことは俺がやりたくてやってるわけで、もし嫌ならそれこそ積極的に関わろうとも思わなかったろう。

 それこそ彼女がただの傍若無人なだけなら軽蔑すら感じていたろうから、フユ姉さんの苦労を苦労と思わないというのは違うような?

 

「苦労をかけて申し訳ないと思う反面、嬉しくも思う私が居るのが憎らしいよ」

「嬉しく? 何をです」

「お前があのような気難しいのと、妹のことを気にかけてくれていることだ」

 

 フユ姉さんが言おうとせんとしているのは、かつての俺なら二人の問題に首を突っ込もうとすらしなかったはずだという意味かな。つまり、俺が成長していると。

 うん、まぁ、肯定半分、そして否定半分くらいで受け取らせてもらうことにしよう。俺の成長かはさておいて、確かに当てはまる部分があるのは合っている。

 多分、部外者の俺が関わるべきことじゃないくらいのことは思ってたんじゃないだろうか。そう思えばなんとも情けない話である。

 なんというか、今は部外者云々じゃなくて、もっと違うことを感じている。それは、いつの間にか俺の信念ともとれる想いに昇華した――――

 

「敵ではないですから」

「何?」

「ボーデヴィッヒさんは、織斑先生が言ったような敵ではないですから。例え、どれだけ乱暴だとしても」

 

 そう、ボーデヴィッヒさんは敵ではない。俺たちと同じ年に生まれ、同じ学年に集ったクラスメイトなのだ。だから敵ではない。

 俺は未だに敵じゃない人は本気で虹色の手甲(ガントレット)を撃てないでいる。仮に撃てる相手が居るとするなら、それは俺や俺の大切な人たちの命を狙うような者だろうか。

 言ってしまえばそれこそが敵だ。この間の無人機とか、もしかしたら交戦する可能性があるかも知れないテロリストとか。

 その観点からしてもボーデヴィッヒさんは敵じゃないということになる。殺したいくらいの気はあるのかもだが、殺すことが目的ではないようだから。

 で、相手が敵じゃないのなら、俺にはどうしても譲れないものがある――――というか、最近できた。それは、父さんとフユ姉さんが俺のある部分を誇りと言ってくれたから。

 

「相手がどんな人であっても、友達になろうとする気持ちを諦めたくはないんです。例え僕の気持ちが何百回裏切られたって」

 

 人なんて十人十色で千差万別。例え生まれや人種が同じだろうといざこざが起きるのが常で、それが現実だというものなんだろう。

 けど、それでも、諦めたくはない。諦めたくなくなった。僕は信じることにしたんだ。二人が誇りだと言ってくれた、僕の優しさというものを。

 ……まぁ、こうやって言ってしまうと上から目線っぽくて嫌なんだけど、ともかく僕の気持ちだけは本物だ。絶対にボーデヴィッヒさんとだって友達になれると信じている。

 当初はすさまじく利己的な女性とも思ったりはしたけど、ちょっと触れてみただけで少し寂しがり屋な部分が暴走してしまっているとわかったんだ。

 それだけでただの悪い子じゃないとわかったんだ。もっと彼女に触れることができれば、もっと彼女の善い部分を知ることができるだろう。

 

「……ハッ」

「いっつ……。な、生意気でした?」

「そうでもあるが、それが全部じゃないぞ。まぁ、いいんじゃないか。お前らしくてな」

 

 フユ姉さんはクールな笑みを浮かべると、まるでドアでもノックするかのように、割と強めの力で俺の胸を叩いた。

 小さな呻き声を漏らして受けたダメージを実感するのと同時に、なんだか頭が冴えてかなり恥ずかしい発言だったのではと思い知らされる。

 俺の胸を叩いたのも生意気なことを言いおってみたいな意味かと思ったんだが、どうやらそれだけではないそうな。むむ、なんだか今日のフユ姉さんは読みづらい。

 

「すまん、余計な時間を取らせてしまった。何か用事があるなら走って構わん。私が許可する」

「後は教室に戻るだけなので大丈夫だと思います。織斑先生、失礼します」

「ああ」

 

 この学園において、フユ姉さんの許可するという言葉ほど重い権限はないような気がする。内容は遅刻するか否かだけというのに、とんだ全能感を得たかのようだ。

 だけど時間にはまだ余裕がある。ゆっくり歩いても絶対に間に合うと断言できるので、そうお気遣いなくと前置きしてから別れの挨拶を交わした。

 誰に対してもそうなのはわかっていたが、フユ姉さんはボーデヴィッヒさんの時と全く同じリアクションを俺に寄越した。本当にクールビューティーという言葉がよく似合う女性である。

 さて、ならばそろそろ頭を授業モードに切り替えることにしよう。え~っと、次は何の授業だったんだっけかな。

 

 

 

 

 




「優しさを失わないでくれ。弱い者をいたわり、互いに助け合い、どこの国の人達とも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。例えその気持ちが、何百回裏切られようと。 それが私の最後の願いだ」――――ウルトラマンA 第52話 明日のエースは君だ! より

本編中に登場している晴人の台詞は、上記の名言の超簡略化版みたいなものです。
本当に大好きな言葉でして、私としても信条としているほどなんですよ。
晴人に言わせたかった台詞堂々のナンバーワン。というわけでぶち込ませていただきました。


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第36話 タッグ結成!

今回は35話の裏話を含む、ラウラ戦へ向けての回になります。
そして珍しくも全編一夏ちゃん視点。私が知る限りはたぶん初ですね。
次があるかは未定ですが、試験的なものだとでも思うことにしましょう。





以下、評価していただいた方をご紹介。

月とミジンコ様 爆弾様

評価していただきありがとうございました。


 ハルがボーデヴィッヒさんに対して何をしたのだとか、何を言ったのだとかは詳しく知らないけど、あれから私が襲われるようなことはなかった。

 けど完全な説得に成功したわけでもないのか、ボーデヴィッヒさんに視線を合わせると睨まれたり威嚇されたりはするんだよね。

 こっちとしては仲良くなりたいんだけど、今の段階では難しいみたい。むしろ軽率な行動は、即関係悪化につながってしまうだろう。

 でもやっぱりボーデヴィッヒさんの意識が変わらないことには戦うつもりはないし、何かいい方法はないのかなぁ。

 なんて頭を悩ませながら廊下を歩く。ここのところはハルと二人してずっとこんな調子だ。……あれ、ハルはそこまで悩まなくてもいいような?

 

「織斑先生!」

 

 すると、千冬姉を呼び止めるような声が曲がり角の先から聞こえた。

 この凛々しくも可愛らしさが感じられるこの声、どうやらボーデヴィッヒさんが正体のようだ。千冬姉になんの用事なんだろ。

 いけないとは思いつつも、ボーデヴィッヒさんの本質を知るためのチャンスになるのではという考えが頭をよぎる。

 よって、私は廊下の壁へと思いきり背中を張り付け、なるべくコンパクトになるよう意識しながら聞き耳を立てた。

 千冬姉相手では間違っても少しだろうと顔を出すわけにはいかない。あの人の五感及び第六感の発達っぷりは異常なのだから、下手すると現段階でもバレている可能性は十分に考えられる。

 少しでもリスクを減らそうということなんだけど、意味があれば幸いといったところだろうか。

 

「どうした。個人的な話でなければ聞いてやろう」

「恐縮ですが、とてつもなく個人的な要件です。しかし――――」

「ああ、わかったわかった。話してみろ」

「……ありがとうございます」

 

 千冬姉はボーデヴィッヒさんの考えがある程度は読めていたのか、まるで先手を潰すかのように、事務的だったり勉学的な質問であれば聞くと言い放った。

 そこを譲るわけにはいかないのか、ボーデヴィッヒさんも食い下がる。普段ならなんと命知らずなと思うけど、それだけ切羽詰まっていることの現れなのかも、とも思った。

 お互い折れずに意地を張り続けるのは不毛と判断したのか、千冬姉は割と投げやりな様子でボーデヴィッヒさんの要求を許可。

 それに対してボーデヴィッヒさんは、軍人然とした態度をまるで崩さず自らの質問を述べた。

 

「いくら考えようと、わからないことが二つほど」

「それは?」

「戦いと模擬戦とは違うという言葉。そして、貴女が貴女だからこそなのだということです」

「前者はいいとして、後者はまるで意味がわからん。誰にどういう状況で言われた」

 

 千冬姉が千冬姉だからという言葉を受けてか、千冬姉は訝しむような表情をしながら腕を組んでみせた。

 もっと詳しくという指示を受けるとボーデヴィッヒさんは敬礼をし、それから聞かれたとおりのことを答え始める。

 どうやら発言者はハルのようで、ボーデヴィッヒさんはハルの目に千冬姉を感じたらしい。なぜだと聞けば、そういう回答が返ってきたとのこと。

 う~ん、確かにわかりづらくはあるけど、なんとなくハルの言いたいことはわかる。わかるだけに、なんとも説明が困難であるということへ同意せざるを得ない。

 

「そうか、あいつがそんなことを」

「ええ、嫌に自信満々に」

「ハッ、馬鹿者めが」

 

 あ、あれ嬉しい奴だ。今の千冬姉、絶対喜んだ。なんだかんだ言いつつ、千冬姉はハルのこと大好きだからなぁ。もちろん、姉としてという意味ですけど。むしろそれ以外だと困るんですけど。

 喜ぶって言ったって露骨じゃない――――というか、近しい人間にしか絶対に見破れない程のものだ。むしろ不機嫌にも見える。

 けどボーデヴィッヒさんは看破できているのか、少しばかり不満そうな視線を千冬姉に対して送り始める。

 そんな視線を感じてか、千冬姉は気を取り直すかのように表情を引き締めにかかった。次の瞬間には、いつもの千冬姉の完成だ。

 

「で、戦いがどうのは織斑か」

「はい」

「ふむ。まぁ、わかるわからんの問題だろ。お前自身も気づいているのではないか、わかろうとしていないだけなのだとな」

「…………」

 

 私やハルの言葉を真剣に考えてくれているのだと思えばとても嬉しいことだが、押し売りをするつもりはなかったので、悩ませてしまっているという事実に申し訳なさも感じる。

 それゆえ千冬姉へと質問をしにきたんだろうけど、どうにも雲行きが怪しくなり始めてしまったかも。そうか、もしかするとボーデヴィッヒさんは……。

 すべてを見抜かれていると悟ったのか、ボーデヴィッヒさんは歯を食いしばりながら苦い表情へと変わっていった。

 そして、まるで絞り出すかのように想いを紡いでいく。

 

「……そんなことをしては、貴女が貴女でなくなってしまう」

「酷なことを言うようになるが……。お前の勝手なイメージを私に押し付けるな」

「っ……!?」

 

 きっとボーデヴィッヒさんは、否定してほしかったんだと思う。私たちが千冬姉を知っているからこそ出た、千冬姉から受け継いだ意思を示す言葉を。

 戦いと模擬戦? そんなものなんら変わらん。私の感覚が血縁でもないものに宿る? さて、何かの気のせいだろ。……そう言ってほしかったんだと思う。すべては、自らの中で生きる千冬姉を壊さないために。

 そんなボーデヴィッヒさんの考えを見透しているからこそだろうが、千冬姉は完全に彼女を突き放しにかかる言葉を投げかけた。

 向こうもそれが親心のようなものだと理解はできているようだが、とてつもない不安が瞳に宿っているのがひと目でわかる。

 

「答えを見出してみせろ」

「はっ……?」

「少しは思うところがあったんだろう。だから私を訪ねてきた。ならば思うまま、感じるままに答えを見いだせ。お前の理解が到底及ばん、馬鹿二人の言葉の真意をな。それができれば、もはやお前に私なんぞは不要のはずだ」

「それは、課題と考えればよろしいのでしょうか」

「さあな、好きに受け取れ」

 

 ただただ厳しい鬼軍曹と思われがちな千冬姉だが、それだけの人じゃない。もしそうだとするなら、表舞台から姿を消した今でも慕う者なんていなかったはずだから。

 馬鹿は余計だけど、突き放しつつも私たちの言葉をもっとしっかり考えてもらうことに成功しているあたり、飴と鞭が上手いっていうのもあるんだろうなぁ……。

 顔つきを陰らせていたボーデヴィッヒさんだったが、どんどんいつもの凛々しい様子に戻っていく。きっと、期待に応えねばと気合が入ったのだろう。

 なにはともあれ、千冬姉とボーデヴィッヒさんまで微妙な空気になるようなことがなくてなにより。じゃあ、そろそろ出歯亀は止めて私も用事を済ませに――――

 なんて退散しようとしていた矢先のことだ。廊下の向こう側の曲がり角から突如としてハルが現れるではないか。

 しかもそのまま通り過ぎればいいものを、気まずさのせいかフリーズしているご様子。えっと、これ、助けに入ったほうがいいのかな!?

 

「…………」

(あぁ、これ完全にバレてますねぇ)

 

 現状私ないし、ハルとボーデヴィッヒさんの組み合わせはよろしくない。だから引っ張ってでも連れて行こうと思ったんだけど、ふと千冬姉を見ればあら不思議。腕組で隠して、さりげなく私を手で制しているではないか。

 やっぱり無謀な挑戦だったのか、このぶんならきっと私が隠密を始めた時点で気づかれていたんだろう。……そう思うとなんか恥ずかしい。

 とりあえず姉のまぁ待てという指示に従って二人を見守るものの、ボーデヴィッヒさんはすぐ千冬姉へお礼を言って去ってしまった。

 杞憂、だったのかな? だとすると、少しボーデヴィッヒさんに失礼な考えだったかも。してお姉さま、私はいつまでこうしていれば?

 こそこそしながらそんな視線を送ってみるも、千冬姉は自らハルへと声をかける。どうやらまだ見ていろってことらしい。

 

「あいつのことで苦労しているようだな」

「確かに難しい問題ですけど、別に苦労ってことはないですよ」

「日向のは信用ならん。お前は苦労を苦労と思わんだろうが」

 

 うんうん、人のためになると一気に無理の上限突破しちゃうのがハルの悪い癖だよねー。確かにそこが美点でもあるんだけど。

 そうやってまるで会話に参加しているかのように相槌をうったりしているが、千冬姉はどういう意図で私に隠れていろという指示したんだろ。

 なんなら出て行って、それこそ会話に混ざったって不自然ではなかったはず。黙って見ていれば、何か面白いことでも起きるのかな。

 そのまま見守り続けていると、ハルはボーデヴィッヒさんを敵ではないと前置きしてから――――

 

「相手がどんな人であっても、友達になろうとする気持ちを諦めたくはないんです。例え僕の気持ちが何百回裏切られたって」

(っ~~~~!?)

 

 千冬姉がわざわざ私を見守らせたのはこのためなんだろうか。だとすると趣味の悪い。私が見ているのを知りつつ、私が悶絶しそうなセリフを誘発するなんて。

 今のはかっこいい。多分だけど、贔屓目なしにそこらの女子もちょっとはドキッとするくらいには。

 普通の女子がそうなら私にとってはクリティカルヒットなわけで、私は顔から火が出るという比喩を己が身で体感したかのような気分だった。

 思わず両手で口元を隠し、まともに立ってはいられずフラフラと力なく廊下の床へとへたり込む。

 きっと千冬姉は今私がこうなっているのもおみとおしで、それを想像して内心意地の悪い笑みでも浮かべているんだろう。ああ、本当に趣味の悪い。

 でも、かっこいいよぉ……。かっこよかったよぉ……。あぅ、ダメだ、胸キュンが強すぎてちょっと涙が……。

 

「すまん、余計な時間を取らせてしまった。何か用事があるなら走って構わん。私が許可する」

「後は教室に戻るだけなので大丈夫だと思います。織斑先生、失礼します」

「ああ」

 

 私が悶絶している間にも、どうやらハルは去ってしまったようだ。となると、これからしばらく地獄が続く。

 う~……は、早く体勢を立て直すんだ私! さっきのハルは私の脳内メモリーにしっかりと刻み込んでおくとして、急がないと千冬姉のイジリが始まっちゃう。

 

「それで、愛しの王子様が奔走してくれている気分はどうだ、お姫様?」

「べ、別に私はそんなガラじゃないもん! というか、やっぱり気づいてるし!」

 

 この姉上、いきなりぶちかましてくれる。ハルも私もそういうのが似合う性質ではないんですー! ……って、アレ? あ、ごめんハル、なんかさりげなく貶しちゃったけど、別にそんな性質じゃなくても大好きだから安心してね。

 私が敬語も忘れて騒ぎ立てながら不満を述べるも、千冬姉はハッハッハと豪快な高笑いをするばかりでまともに取り合ってはくれない。

 ……ん? ちょっと待って、今のやり取りって何かおかしくないかな。王子様どうこう以前に、愛しの? ……おかしいな、確か私って――――

 ミスリードというか、千冬姉の言葉に対する引っ掛かりを理解した途端、一気に思考回路が混沌としていくのがわかる。

 私は恐る恐るながら、千冬姉に抱いた疑問を問いかけた。

 

「あ、あのさ千冬姉。私、千冬姉にハルを好きなこと、話してないよね」

「馬鹿かお前は。アレで隠している気なら、今すぐ演技のイロハでも習ってこい」

「私が言いたいのはそういうのじゃなくて! えっと、だって……」

「認められることはない、とでも?」

 

 サラッとばれているのはこの際置いておくとして、私が言いたいのは千冬姉の言葉どおり。

 話さなかったのではなくて、話せなかった。だって、てっきりハルへの想いを否定されてしまうかと思っていたから。

 個人的な迷いや後ろめたさは振り切った。他人の意見にもあまり聞く耳を持つ気もなくなった。けど、血縁相手となるとそうもいかないだろう。それが、唯一のとしたらなおのこと。

 何かしらの衝突は生まれるだろうと思っていただけに、その反動のせいか私はいまいちどうリアクションを取っていいのかわからない。

 まるでハルみたくオロオロする私を見てか、千冬姉はクールな笑みを見せ、そっと私の頭に手を置いた。

 

「おかしいな。私の記憶違いでなければ、私には弟分一人と――――実の妹しかいなかったはずだが」

「っ!?」

 

 千冬姉の目をジッと覗き込むと、その目が全てを語っていた。目は口ほどにものを言う、とはこのことだろう。何も心配することはないと、千冬姉の目が物語っているんだ。

 だがあまりにも現実味がなさすぎるせいか、私はしばしの茫然としてしまう。すると向こうも恥ずかしくなったのか、なんだその腑抜けた顔はという声が聞こえたかと思えば、頭にものすごい衝撃が走った。

 痛みに耐えつつ目線を上げてみると、千冬姉は手刀を構えている。となると、チョップか。本当に頭が真っ二つになるかと……。

 

「ただし、必ずモノにしろよ。私はアイツ以外を義弟に迎える気はないぞ」

「うん、任せて。絶対に振り向かせてみせるから!」

 

 なんだかんだで、千冬姉もやっぱりハルを気に入ってるのがよくわかる言葉だった。

 それでも普段から堂々としていられれば100点とかなんだろうけど、長く付き合ったからこそハルのよさはしっかり理解してくれているのかな。

 いや、むしろ年さえ近ければ惚れていたかも。くらいのことはあったりして? 8歳の差があるから弟っていう認識が出来上がってる感じ?

 ともあれ、千冬姉にこうまで言われてしまってはもう後には退けないね。もともと退くつもりもないけど、これからはもっと自信をもってハルと接することができるような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大人の事情、ってやつかなぁ」

 

 掲示板に表示されている【学園別トーナメントにおける試合形式の変更について】という文字を見ていると、なんとなくそう呟かずにいられなかった。

 昨日緊急の委員会があって向かい、された話がタッグマッチ形式への変更が入ったという報せ。なんでも運営委員会のお達しだとか。

 っていうかタイムリーだよね、この間の授業千冬姉がでタッグの話に触れてたし。もしや知っていた……っていうことはなさそうかな、うん。

 千冬姉は実績のおかげか委員会とかでも教師代表の議長とかをするんだけど、心底からうんざりしてたというか、かなり機嫌悪そうだったもん。

 千冬姉がいてなおゴリ押してくる運営委員会もなかなかやるね。そんな妙な関心を覚えつつ、私は掲示板の前を離れた。

 

(さて、私は誰と組もう?)

 

 なんて、初めからハル一択だから白々しい自問なんだけどね。

 いやいや、何も好きだからってだけじゃないんですよ? もちろん、戦略的な面からしてもハルをパートナーにしたい。

 ヘイムダルの青色の塔盾(タワーシールド)はなんとも凶悪だ。虹色の手甲(ガントレット)による一発逆転の可能性があるからこそ短期決戦を狙いたいのに、あの盾ひとつが全てを妨げる。

 それにつけて私と白式には一撃必殺の一振り、零落白夜がある。

 高威力の代替としてエネルギーの大量使用があり、諸刃の剣的な弱点も存在するのだけれど、その点についても青色の塔盾(タワーシールド)で防御してもらえればなんのその。

 

(……思った以上にえげつないかも)

 

 もともと相性のいいという認識はあったけれど、考えれば考えるほどそれはえげつないと表現するほうが似つかわしく感じられていた。

 ま、まぁ、弱点を補いあえる素敵な相性だと前向きにとらえることにしよう。それにハルとヘイムダルは防御一辺倒ってことでもないのだから。

 それにしても、根本的な問題として、ハルは私の申し出にイエスを返してくれるだろうか。もしかするとシャルルと組んだりしてとかも思ってるんだけど。表向きとはいえ男子同士なわけだしねぇ。

 それにタッグ形式の話が出てから、何気に女子たちの間でも二人のタッグを望むような声もあったくらい。なんでだろ、他では絶対に見られないからとか?

 声はかけてみるとして、どんな理由であっても断られたのなら大人しく引き下がることにしよう。やるなら勝ちたいけど、そこまでガッチガチでいかなくてもどうにかなるって。

 ハル以外の私と組んでくれる可能性のある戦友たちを思い浮かべながら歩を進めることしばらく、一組の教室が見えてきたのだけれど。なんだろう、見えるけど見えないという矛盾した考えが沸いてしまう。

 

「あ、あの~! みんな、とりあえず落ち着いて!」

 

 ハルが必死に宥めているのは、とにかく女子たちの群れ、群れ、群れだった。誰かが取り囲まれているのは容易に想像がつく。

 ふむふむ、ハルは弾き出されていて、誰かが女子に取り囲まれている――――となると、状況は大体読めてきた。ズバリ、取り囲まれているのはシャルルだ。

 おおかた、タッグマッチ形式になったのを知って女子たちが一斉に詰め寄ってきたっていうことなんだろう。

 う~ん、女の子なのに女子にモテる心情はいかほどだろう。確かに事実を知るまでは美少年にしか見えなかったし、仕方ないと言えばそうなのかな。

 考察はそれくらいにして、さっさと助けてしまうことにしよう。私はそこらを右往左往しているハルに、そっと近づいた。

 

「あっ、ナツ、いいところに! その、見ての通りシャルルが――――」

「大丈夫、わかってる。ハル、こういう時には魔法の言葉があるんだよ」

「ま、魔法?」

「うん、魔法。――――織斑先生、おはようございまーす」

「「「「おはようございまーす!」」」」

 

 私が虚空へ向けてわざとらしくお辞儀しながらそう口にしてみると、それまでシャルルを取り囲んでいた女子たちは、一気に道を開けて深々とお辞儀の体制をとった。

 もちろんだけど、千冬姉はまだ姿を見せていない。しかし、その恐ろしさを思い知らされたせいか、条件反射とかそういう次元を超え、その名が耳に入った途端に身体が動いてしまうのだろう。

 私が思っていた数倍は効果覿面だったわけだけど、今ならシャルルが逃げるのも易い。

 

「ほらシャルル、今のうち」

「うん、織斑さんありがとう!」

「とりあえず、ほとぼりが冷めるまではこの場を離れよう」

「ハルに賛成!」

 

 何の気ない感じでシャルルに手招きすると、向こうもあまりの変わり身の早さに驚愕していたのか、数秒遅れて輪の中心を脱した。

 シャルルがこちらへ駆け寄った時にはもう手遅れなわけで。ハルの提案に乗って逃げの一手に出ているのだから、もはや安全は確保されたも同然だ。

 遅刻しないよう一組を射程圏内にとらえつつ、廊下の死角に身を潜めつつ息を整える。だが、こちらを追ってくる様子も捜索する様子も見受けられない。

 

「これなら平気そうだね」

「本当にナツが来てくれてよかったよ。それよりシャルル、ごめん、ちょっと迂闊が過ぎた」

「さっきのハルが原因ってこと? なんで?」

「ううん、原因ってほど大したことじゃないよ! 織斑さん、実はね――――」

 

 二人にもう大丈夫そうだよと安堵の表情を向けてみると、私とは対照的にハルは眉間にしわを寄せ、自らを責めるかのようにシャルルへと謝罪を述べた。

 ハルの何かしら迂闊な行動によって、さっきの取り囲み事件が発生したみたいなニュアンスみたいだけど、どうして事の発端がハルってことになるんだろう。

 私の想像が及ばない範囲だったために首を傾げると、シャルルはハルを庇うというか、フォローするかのように何が起きたかあらましを説明し始める。

 なんでも二人で歩いていると、話の流れがタッグトーナメントの話になったとか。その流れからハルはその場で、つまり、多くの女子の目と耳がある場でこう言ったそうな。

 ――――ごめん。俺、どうしても組みたい人が居るんだけ。と……。

 

「それに対して僕が――――そういうことなら仕方ないよ、僕はくじで当たった人と組むから気にしないで……って返した途端に一気にああなっちゃって」

「一年のみんな、普通に俺とシャルルが組むって思ってたみたいでさ。だから、タガが外れて余計にヒートアップしちゃったんじゃないかな」

「そっか、そういう。うーん、ここの女子はみんなパワフルだねぇ」

 

 壁に耳あり障子に目ありとはよく言ったもので、二人が組む気がないとわかった途端にあれとは。元男の身としてはよくわからない心理だ。

 それはそれとして、ハルがシャルルとのタッグを蹴ってまで組みたい相手がいるというのは意外なものだ。いつものように、組む相手が見つかればそれでいいや。くらいな感じと思っていたのに。

 ……聞いてもいいやつなのかな。もちろん、誰と組みたいと思っているかってことだけど。もし私以外の名前が出たらちょっとショックかも。

 断られるだけなら別にそれまでだよ。けど、どうしても組みたい人となったら話が変わってくる。う~ん、ちょっと迷う……なんて思っていると

 

「ナツ、そういうわけだから、俺と組んでくれないかな」

「……へ? どうしても組みたいって、私と?」

「そりゃ、まぁ、ね。というか、キミ以外に誰が居るっていうんだよ」

 

 私の迷いをまるで知らない呑気な様子で、ハルはタッグの結成を申し込んできた。いやいや、そういうわけじゃないよ、どういうわけなの。

 いや、待って、違うの、少しいきなりで受け止めきれないだけだ。だって、戦略的価値での申し込みじゃないのが一目瞭然なんだもん。

 ハルは一個人としての私を必要としてくれている。それがちょっぴり私を混乱させているだけだ。落ち着け、嬉しいけど落ち着いて。

 

「で、できれば理由が聞きたいかな~なんて」

「ほら、ナツがこの間ボーデヴィッヒさんに言ってたアレ。戦いと試合は違うってさ。ナツの言いたいことは、俺も理解してるつもりだよ。けどというか、だからこそ――――」

「……あの子との決着を、ってこと?」

「そういうことかな。なんにせよ、彼女に立ち向かうなら俺とナツがベストだと思うんだ。因縁がある、って点は間違いないからさ」

 

 口角が吊り上がってしまいそうなのをなんとか堪えながら、どうして私を相棒としようとするのか、その詳細を問いかけた。すると、話は以前に起きたアリーナでのひと悶着まで遡る。

 ハルは何もわからせてやろう、思い知らせてやろうということはないが、だからこそ私たち二人がボーデヴィッヒさんに立ちふさがらねばならないという思いを抱いているようだ。

 使命感とかそんなんじゃなく、ハルがそうしたいからこその提案なんだよね。……うん、だったら、ハルの想いを無駄にするようなことがあってはならないと思う。

 最初から答えは決まっていたようなものだけど、理由をちゃんと聞いて腑に落ちたというもの。私は力強く頷いてみせた。

 

「そうだね、ハルの言うとおりだと思う。必ず勝とう、ハルと私で」

「ナツ、ありがとう。それじゃ、改めてよろしく」

 

 もとよりハルに求められた時点で断る理由はないものの、しっかりとしたわけがあるのなら余計に私たちの信頼が大きくなるのを感じた。

 やっぱり性別が変わろうと、ハルとのこういうのはいいものだ。なんていうか、燃える感じっていうか、熱いって感じというか。

 恋慕を向けてもらうことばかり考えていたけれど、私たちを繋ぐ確かな友情に心が躍る。男だった時なら、よっしゃあ! とでも叫んで気合を入れていたのだろう。

 

「僕、もしかして邪魔だった?」

「え? わっ、シャルル。ごめん、別にそういうつもりじゃなかったんだ」

「いやいや、拗ねてるわけではないけど、割と心からの感想のつもりで……」

 

 私たちが握手を交わしていると、非常に困ったような声色でシャルルが自身がこの場に留まり続けていることに罪悪感があるかのような発言が飛び出た。

 すぐさまフォローを入れようとしたが、こういう時にはハルが異様なまでの反射速度をみせるため、私の出番は回ってこなかった。

 代わりに同意の意味を込めて首を何度か縦に振るも、シャルルはいまいち納得のいってないような反応を示す。そんなに遠慮してくれなくてもいいのに。

 

「それよりほら、そろそろ戻らないとまずいかも」

「ああ、本当だ。みんな落ち着いてくれてるといいんだけど」

「どのみち今日はみんなに迷惑をかけそうだね……。授業中に適当な断る理由を考えておくよ」

 

 なんとなく話題をそらす目的でそう言ってみると、ハルは携帯で時間を確認しつつ、どこか遠い目で一組の教室の方向を眺めた。

 ただハッスルしていようがいまいが、遅刻を取られる前に戻らねばならないのが学生の性。どうにかこうにか頑張るしかない。

 という共通認識のもと、野に放たれた草食動物の気分を味わいながら歩を進めていく。そして教室に戻ったところ、大半の女子の目がなんとなくギラついていたのは、残念なことに気のせいではないのだろう。

 

 

 

 

 




というわけでして、実は全部見てた一夏ちゃんでした。
加えて、ちょっとかっこいい台詞も実は誘導されていたという。
ですが地味に晴人の行動によって、セシリア&鈴襲撃が発生してないんですよね。
そこのところは素直に誉めてあげたいところであります。


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第37話 因縁との闘い

ゴーレムⅠ戦で特に何もしていないので、晴人の戦闘をしっかり書くのはやっと二度目ですね。
武装の特性やら忘れてしまった方は、セシリア戦にあたる20話、21話あたりを読んでいただければわかりやすいかも知れません。
それではVSラウラ、前半戦をどうぞ。





以下、評価していただいた方をご紹介。

ゆっくり龍神様 シア様

評価していただきありがとうございました。


「運がいいのやら悪いのやら」

「ハル、私はむしろ意図的にすら感じてる」

 

 本日より、急遽タッグ形式となった学年別トーナメントが開催された。

 俺とナツの出番はAブロックの第一試合。つまるところトップバッターということになる。いやね、それだけならまだいいんだ。問題は対戦相手だよ。

 誰かって、ボーデヴィッヒさんとシャルルのタッグである。このトーナメントは専用機持ちであるなしに関わらず、相当数が参加しているというのになぜこうなるのか。

 ナツの言葉どおり、誰かの思惑で因縁の対決が組まれたように思えてきた。

 しかもボーデヴィッヒさんのパートナーがシャルルってのもだよ。どうしてくじで決まったタッグが、学園内でも数少ない専用機持ち同士になるのか。

 俺の呟きはそのあたりを踏襲してるんだよね。トップバッターだから、わざわざ勝ち進む必要がないのはいいことだ。けど、かなり強力なタッグになってしまったのは問題だと思う。

 

「シャルルはどういうスタンスでくるんだか」

「手加減は期待しないほうがいいんじゃない? シャルル、何気に負けず嫌いみたいだし」

 

 くじだからしかたないことだが、シャルルの心情も複雑なものだろうと思う。いわゆる板挟みという状態だろうか。

 シャルルはどちらかというなら俺たち贔屓、というか味方? 仲間? とにかくそれらのどれかと表現すべきと思われる。

 ボーデヴィッヒさんに対して何をどう思っているか詳しく聞いてはいないけど、少なくともよくは思っていないというような印象だ。

 そんな相手とのタッグなうえに相手が俺たちだ。今頃非常に頭を悩ませているんだろうなと想像しつつも、ナツの言葉にも一理あると首を縦に振った。

 何も手加減してくれればなんて思惑があったわけじゃない。セシリアさんの時と同じで、どうせやるなら全力でやってほしいものだ。

 むしろ遠慮しなければいいんだけど、くらいのつもり。だけど、シャルルは最終的に全力でやってくれることだろう。なんたって彼女、ナツの言うとおり負けず嫌いっぽいから。

 

「よしっ、いこうかナツ」

「うん、必ず勝つよ」

 

 世間話はこのくらいにして、そろそろ出撃準備に入るとしよう。

 俺は隣にいるナツへそっと左手を伸ばすと、ナツも同じく俺へと右手を伸ばす。

 そして互いに痛みを感じない程度の力を籠め、拳を上下にぶつけあってからハイタッチを交わした。

 パチンと響いた音がピット内から消え次第、俺たちはそれぞれの専用機を展開しつつカタパルトへ

 大会の円滑な運営に勤しんでいる教師陣の許可を受け、一気にアリーナ内へと飛び込んだ。

 それと同時に沸く歓声。目に飛び込んでくるは多くの観客。セシリアさんの時とは比べるまでもなく、俺はこの状況に慣れというものを感じていた。

 肌がピリピリするような適度な緊張を心地よさへと変えていると、ハイパーセンサーが黒と橙の専用機をとらえる。

 ボーデヴィッヒさん有する【シュヴァルツェア・レーゲン】と、シャルル有する【ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ】だ。

 

「僥倖なことだ。まさかこんなにも早々に貴様らとまみえることができるとは」

「私も同じ気持ちだよ。ボーデヴィッヒさん、シャルル、いい試合にしようね」

「またそれか。まぁいい、その言葉の真意、この一戦で見極めさせてもらう。日向 晴人、貴様の言葉に関してもだ」

「うん、キミが必ず答えを見つけられるよう、俺も全力で頑張るよ」

「……本当に、よくわからんやつらだ」

 

 何やらものものしい雰囲気というか、ニヒルな表情をしたボーデヴィッヒさんがこちらへ声をかけてきた。

 対してナツの態度は気の抜けるようなもので、対戦相手である二人に笑顔を向けて健闘を祈る。

 するとボーデヴィッヒさんのニヒルな様子は一気に崩れ去り、眉をひそめて眉間に皺を寄せ、意味のわからんことをとナツを突き放す。

 だがフユ姉さんと話しているときに何かありでもしたのか、理解しようとしている姿勢は見て取れた。

 ならば俺も協力をと思ったことを述べたのに、ボーデヴィッヒさんは心底から呆れた様子で開始位置へと移動していく。

 それを見てかシャルルも気まずそうな笑顔のままこちらに手を振って、それから開始位置へと向かい離れていく。

 俺とナツもアイコンタクトをとってから、同時に首を頷かせ開始位置へ。後は試合開始のブザーを待つのみの状態となった。

 黙りこくってただ睨みあう俺たち。肌へ感じるピリピリとした感覚が、数倍にも増したように思える。そして俺が生唾を飲み込んだ瞬間、決戦の報せが鳴り響く。

 

『試合開始』

「たぁああああっ!」

「はぁああああっ!」

(やっぱりそうなるか! だとしたら――――)

 

 試合開始と同時にナツは雪片を、ボーデヴィッヒさんは専用機の腕部から延びるプラズマブレードを。互いの近接武装を構え、目もくれずに突っ込んでいく。

 特に作戦は話し合わなかったけど、この瞬間に俺がナツのフォローに回る戦法が確立されたと思っていい。そしてこの展開、シャルルにも見えていたことだろう。

 だから俺のとるべき行動は、右腕を青色の塔盾(タワーシールド)へ変形させることだ。

 

「させないよ」

「キミもね!」

 

 やはり俺の予想どおり、シャルルはボーデヴィッヒさんとの交戦で隙だらけのナツへと射撃を行う。

 アサルトライフル型の射撃武装【ヴェント】が火を噴くが、長い右腕を大きく前へ突き出し、ナツとの間隔を遮ることに成功。

 ヘイムダルの鈍足ゆえにギリギリではあったが、なんとか弾丸は青色の塔盾(タワーシールド)へ激突し事なきを得た。

 

「シャルル・デュノア、余計な茶々を入れるな! これらは私の獲物だ!」

「えぇ……?」

「シャルルの援護を無下にするなんて!」

「黙れ、私のやり方にまで口出しされる筋合いはないぞ!」

 

 さてこれからどう動くかと思考を働かせようとしていると、ボーデヴィッヒさんの怒号が響いて思わず身体をビクつかせてしまう。

 その内容は援護を仕掛けたシャルルを邪魔扱いするようなもので、これには本人も困惑した表情で銃口を下げた。

 シャルルが怒るべき場面であったものの、その代わりとでも言うようにナツが非難の声を上げる。

 二人はそのまま一進一退の攻防を繰り広げ始め、俺とシャルルは完全に置いて行かれてしまう。

 そして俺たちは、顔を見合わせてただ苦笑いを浮かべるばかり。

 

「えーっと、棒立ちってわけにもいかないから一応……」

「も、もちろん! 晴人、手加減はしないよ!」

 

 つい言っちゃったけど、一応ってなんだ一応って。俺たちも交戦しないわけにはいかないでしょうに。

 でも似たことでも考えていたのか、シャルルはまるで取り繕ったかのようなやる気を見せる。ああまで言われてモチベーションが落ちないとは、やはり優しいいい子だなぁ。

 それにしても、やっぱり優しいからこそ手加減はしてくれないらしい。さっきも言ったがもとより期待してはいない。むしろ師匠への成長を見せることが弟子の務めだろう。

 例のナツがボーデヴィッヒさんの攻撃を受けたあの日、実はヘイムダルを用いたバトルスタイルについていくつか指摘を受けていたのだ。

 俺は矢継ぎ早に浴びせられる弾雨を青色の塔盾(タワーシールド)で防ぎつつ、あの日のシャルルの言葉を思い出していた。

 

『正攻法な感じじゃなくて、もっとこう、トリッキーさを生かすべきだと思う』

『トリッキー? それは、いろいろ変わった武装が多いからかな』

『うん。例えば、青色の塔盾(タワーシールド)だけど――――』

(相手に思い切りプレッシャーをかけていくべし!)

「くっ、流石の突破力……。教えたのは僕ではあるけど、これは……!」

 

 セシリアさん戦の終盤でも同じような動きをしたが、シャルル曰くそういうのは序盤からどんどん仕掛けていくべきだとのこと。

 俺は青色の塔盾(タワーシールド)でしっかりと全面をガードしつつ、真正面からシャルルの追走を始める。

 以前の無人機の攻撃を防ぎ切った実績のある盾だ。確かに多種多様な射撃武装はRRCⅡにおいて脅威なのだろうけど、青色の塔盾(タワーシールド)を抜くほどの火力はない。

 そしてこれはどんな対戦相手にも共通することだが、相手へと多大な精神攻撃、揺さぶりを仕掛けることへとなるのだ。

 なぜなら青色の塔盾(タワーシールド)を攻撃するということは、ビフレストを溜めることを助長すること。それすなわち、虹色の手甲(ガントレット)を打ちやすくすることを意味しているのだから。

 事実、シャルルも攻撃を最小限に抑えつつ引き撃ちを続けている。攻撃せず逃げ続けてるだけでは勝てないからね。

 そして射撃のわずかな合間があれば、ヘイムダルはある程度ダメージを気にせず反撃することも可能だ!

 

(シャルルのアドバイスその二!)

黄色の弩砲(バリスタ)は、大ダメージ狙いで撃つ必要はないと思う』

黄色の弩砲(バリスタ)!」

(これも僕のアドバイス……!)

 

 シャルルの大ダメージ狙いで黄色の弩砲(バリスタ)を使用しているという見解は語弊がある。実際は狙いをつけている間に勝手にチャージが溜まっちゃってただけのことだ。

 だがシャルル曰く、あまり精密な狙いも火力も黄色の弩砲(バリスタ)に求める必要はないらしい。チャンスがあれば、くらいに思えばいいとか。

 大ダメージを与えるのは虹色の手甲(ガントレット)のみ意識し、黄色の弩砲(バリスタ)は主に牽制が目的くらいに思って運用するべし。なぜなら例え少ないチャージでも、それなりの威力はあるからだ。

 

「ふんぬっ! でやぁ!」

(狙いが甘いのが唯一の救い……だけど――――)

 

 約10%程度の威力で放たれるエネルギーの矢弾は、俺の射撃の腕により、シャルルに難なく躱されてしまう。

 しかし、避けることに集中している以上、いくらヘイムダルが鈍足だろうと徐々に距離を詰めることができる。

 今回において俺の狙いはこれ。このタイミングで、またしてもシャルルのアドバイスが生きてくるのだ。

 俺は右腕を赤色の丸鋸(サーキュラーソー)に変形させつつ、右腕を大きく延ばしながら掌をできるかぎり大きく広げる。そして

 

「捕まえたぁ!」

「くっ、しまった!」

(シャルルのアドバイスその三! 単純に掴むだけでも拘束が可能!)

 

 こちらもシャルルの反撃を受けつつにはなるけど、攻撃か離脱かの二択を迫られ、迷うシャルルを捕まえるには十分な代償だ。

 これもシャルルのアドバイス。ヘイムダルに掴まれるということは、ほぼ完璧な拘束が出来上がったのも同等!

 普通のISでも人間の胴体を掴むことは可能かもしれないが、ヘイムダルのソレは他と比較するまでもないほどに容易だ

 しかも、こちらは掴んだまま攻撃が可能といのも立派な利点。右腕が変形するという仕様が、まさか相手を掴むことで有利に使えるとは思いもしなかった。

 でも地味にえげつなくて好きではないんだけど、土俵に立った以上は勝負に徹するしかない。

 俺はシャルルを掴んだままの状態で、赤色の丸鋸(サーキュラーソー)の高速回転を始めた。

 物体を切削せんがためにある鋸状の刃は、掴んでいる状態のシャルルにも余裕で届き、これにより拘束しつつの攻撃という状態が完成というわけだ。

 

「わああああっ!? こ、このままじゃ……!」

「ええい、世話の焼けることだ!」

「っ、ハル!」

 

 意外にもと言っては失礼だが、ボーデヴィッヒさんがシャルルの援護に入る動きを見せた。ナツにとっても予想外の行動のようで、割とアッサリ抜かれてしまう。

 まぁ、確かに妥当な判断ではあるだろう。このまま傍観ししたとして、シャルルは冗談抜きでエネルギー切れを待つだけの状態だ。

 ボーデヴィッヒさん的にはナツが最たる標的だし、俺との二対一をつくられたくないがゆえの、というのが行動動機かな。

 こちらへ迫るボーデヴィッヒさんを尻目に、ナツは俺の名を叫ぶ。普通の人なら忠告や謝罪の意味を込めてと思うんだろうが、今の意図をしっかりと察した。

 うん、ツーカーのとれる幼馴染っていうのはいいものだ。名前を呼ぶだけで意図を察することができるレベルのなんてのは特に。

 

「ふんぬぅぅぅぅ……!」

「……え? ちょっと!? ま、まさか――――」

「どっせぇぇぇぇええええいっ!」

「そのまさかああああ?!」

「なんだと!?」

 

 ナツが叫んだ【ハル!】に詰まっていた意味は、シャルルをぶん投げれば全てが解決    だ。本当にそう言ったかって? うん、俺がそう感じるんだから絶対正解だよ。

 俺も言われた瞬間目から鱗だったね。確かにこれで万事解決だ。というわけなので、俺はシャルルをナツの方向へ大きく振りかぶって投げた。

 自分でも思ったよりも力が入ったのか、シャルルはRRCⅡごと乱回転しながらナツの方向へと飛んでいく。そして、援護に駆け付けたボーデヴィッヒさんの真横を通り過ぎて行った。

 これにより、シャルルは態勢を立て直せないまま敵の懐へ。ボーデヴィッヒさんは一瞬にして援護対象を見失ったというわけだ。

 

「ちっ! シャルル・デュノア、どうにか防げ!」

「りょ、りょうか――――いっ!」

「くっ、やるね!」

「それはどうも!」

(す、凄い攻防だ……!)

 

 ボーデヴィッヒさんらしいような、仕方がないからどうにかしろという指示が飛ぶ。どうにかできるものならね、と思いつつ動向を見守っていたが    シャルルはどうにかしてしまった。

 シャルルはなんと乱回転中に上手くRRCⅡの盾を構え、ナツの振りぬいた雪片が当たるように仕向けた。盾と刀がぶつかり合い火花が散ると同時に、シャルルの回転はピタリと止まる。

 ナツの白式が近接戦闘しか行えないのを利用したんだな! 雪片で盾へと衝撃を加えさせることで、俺が放り投げた勢いを殺したのか。

 

「貴様、随分と余裕だな!」

「ご、ごもっとも! えーと、えーっと、こういう時には……!」

 

 ハイレベルの攻防を前に心躍らせていると、ボーデヴィッヒさんが凄まじい行を打を見せる。それは確とハイパーセンサーで確認はしていたが、ありきとはいえ気が緩んでしまったようだ。

 それは気分を損ねさせても仕方がない。集中しなくては。

 ここでいきなりだが、実はこの戦闘以前の訓練にて、新たな変形機構がアンロックされたのだ。 

 対応する色は緑。使用感は相変わらず癖があるけれど、かなり有用かつ用途も広い。青色の塔盾(タワーシールド)を除けば、もしかすると一番有能である可能性も高い。

 それじゃ、レッツ変形!

 

緑色の電磁(マグネショッカー)!」

(データにはない変形機構……!)

 

 虹色の手甲に緑色のラインが走ると、変形が開始される。

 いつものように右腕装甲が半分パージされたくらいに浮き、浮いた部分が輪っかのような形状へと組み変わった。

 そして装甲がない部分に緑色の幕が張られる。と、同時に輪っかになった部分が高速回転を開始。グルグルと回転速度が徐々に増していくにつれ、緑色の幕が濃くなり電撃がほとばしり始めた。

 回転速度……最大! 発射準備オーケー! 急いで右腕をボーデヴィッヒさんのほうへ向け、発射トリガーを引く。

 

「当たれ!」

「ぐぅ!? ……っ! これは、EMP兵器の類か!?」

 

 波紋状になり発射された電撃は、しっかりとボーデヴィッヒさんを中心にして命中した。

 緑色の電磁(マグネショッカー)の効果が表れたことを示す、緑色のプラズマがシュヴァルツェア・レーゲンに走る。そして、動きが完全に停止した。

 ボーデヴィッヒさんは流石軍人なだけあって、緑色の電磁の効果がいわゆるEMPのようなものだとすぐに感づいたようだ。

 それはズバリ正解で、緑色の電磁(マグネショッカー)から放たれたプラズマエネルギーに命中すると、駆動系に干渉し2秒程度なら完全に動きを止めることができる。

 ただし、欠点としてこれは黄色の弩砲(バリスタ)と違い、100%チャージした状態でなければ発射することがそもそもできないこと。

 これに関して言うなら、黄色の弩砲(バリスタ)ほどチャージ時間が長くがないからあまり問題ない。もうひとつの欠点が問題であり    

 

(ちょっと痺れるぅ……!)

 

 そう、これ、撃ったほうも痺れるんです。しかもちょっと影響受けるんです。まぁ影響が出るのは駆動系でなく、ハイパーセンサーとかの映像が一瞬乱れるくらいだけど。

 と、とにかく痺れなんか気にしている場合じゃない。ボーデヴィッヒさんは近づいてくれたのだから、2秒あれば何かしらできるぞ。

 えー……黄色の弩砲(バリスタ)はチャージしてる時間はないし、掴んで赤色の丸鋸(サーキュラーソー)もちょっと無理がある間合い。……となれば、青色の塔盾(タワーシールド)でシンプルに殴る!

 

「でやぁ!」

「ぐはっ!」

 

 右腕を青色の塔盾(タワーシールド)へ変形させると、内側から外側に振り回すようにして、盾を形成するエネルギーでボーデヴィッヒさんを殴りつける。

 真横から叩き込んだ青色の塔盾(タワーシールド)に、俺は確かな手ごたえを感じた。そしてその感触を示すかのように、ボーデヴィッヒさんはかなり遠くへ吹き飛ばされていく。

 とはいえ盾による物理攻撃だ。ISに対しては、見かけほどダメージを与えられていないはず。さて、緑色の電磁(マグネショッカー)の効果も完全に切れているだろうし、ここからどうすべきか。

 

「……どうやら私は優先目標を見誤っていたようだ」

(ヒッ……!?)

「シャルル・デュノア、手を貸せ! 先にこちらのデカい虫を潰す!」

「了解!」

 

 ボーデヴィッヒさんのまぶたが数回ヒクヒクと動く様を、俺はこの目ではっきりと見た。

 大変ご立腹でいらっしゃる。俺ごときになんたる不覚、とでも思ってるのかなぁ……。

 そしてボーデヴィッヒさんは、シャルルとの二人がかりで先に俺を仕留めるとの宣言を堂々とし始めるではないか。

 なるほど、シャルルに共闘を求めるということは、単に頭に血が上っているというわけでもないらしい。かえって厄介でしかないわけだが。

 

「そうはさせな――――」

「ナツ!」

「っ!? っ~……わかった……!」

 

 二人のやり取りを見てか、ナツはシャルルの行く手を阻むべく追尾を始めようとした。せっかくだけれど、それは俺から却下させていただく。

 俺が名を呼ばれて何を言いたいかがわかるように、ナツも同じことができる。だから名を呼ぶことで、キミは攻撃の隙を狙うべきだと伝えておいた。

 ハイパーセンサーで見るナツの顔は苦々しく、あまり納得はいってない模様。それでも従ってくれるということは、俺を信じてくれているのだと勝手に解釈しておくことにしよう。

 

「私に合わせろ」

「これは……。そうか、なるほど。うん、いい作戦だと思う」

(挟撃か! しかもただの挟撃より何倍も厄介だ!)

 

 ボーデヴィッヒさんとシャルルが前後に陣取ったかと思いきや、二人は俺を中心にするようにして旋回運動を始めた。これはヘイムダルの弱所を完全に突かれる配置だ。

 青色の塔盾(タワーシールド)でカバーできるのは俺の前面。つまり挟み撃ちにされると背面ががら空きになってしまう。

 それに加えて旋回運動をすることにより、こちらに的を絞らせない算段なのだろう。まともな遠距離攻撃を持ち合わせないため、こうなると反撃は難しい。

 しかも同時にナツの零落白夜への警戒も行うことが可能とは、もしかするとこの布陣、対俺&ナツの最終形態なんじゃないか?

 

「そら、とにかく撃ちまくれ! 相手がやつならどこかしらに当たる!」

「さっきのお返し、ってことで、勘弁してよね!」

(これは、きっついぞ!)

 

 俺へと向けて集中砲火が開始された。シュヴァルツェア・レーゲンはリボルバーカノンを、RRCⅡは多岐に渡る重火器を次々に切り替えながら、とにかく弾を浴びせてくる。

 無論だが俺も移動して脱出を試みるも、二人はどうにも息の合った動きで俺を中心から逃してはくれない。

 セシリアさんのBT兵器とは違って二人は人間だ。自分で考えて動くぶん、以前BTに取り囲まれた状態よりも窮地と言えよう。

 どちらか一方の攻撃は青色の塔盾(タワーシールド)で防ぐことができても、その逆位からくる攻撃を防ぐことができないこの状況。なんとか打破しなくては、本気で削りきられるのを待つしかできなくなる。

 

「ハッ、形勢逆転といったところか!」

「それはどうかなっ!」

(上手い! 次弾装填のわずかな隙を!)

 

 本気でエネルギー切れも覚悟し始めたころ、期をうかがっていたナツがついにしかけた。

 その対象はボーデヴィッヒさん。ナツはリボリバーカノンのシリンダーが次弾を撃つために回転しきる前の、そんなわずかな隙を狙ったのだ。

 けどナツにとってはそんな隙で十分だ。まだエネルギーには余裕があるし、なんなら今から瞬時加速を使って、さらに隙を消すことだって    

 

「馬鹿め、そんなのはお見通しだ!」

「なっ!? こ、これは……動けな……い……!」

「無駄だ、AICにかかった者は、何人たりとも動くことはかなわん!」

(AIC!? 情報、引き出せるといいんだけど……)

 

 どうやらナツは泳がされていたらしく、ボーデヴィッヒさんはいったん攻撃の手を止めて、口元を歪ませながら右手をかざした。

 するとどうだ、まるでナツの動きが映像をポーズしたかのように完全に停止してしまう。AIC、とやらの影響であることはわかったが、いったい何が起きているのだろう。

 すかさずハイパーセンサーでシュバルツェア・レーゲンをピックアップしてみると、そこにはActive Inertial Cancellerという英語が並べられていた。

 アクティブ・イナーシャル・キャンセラー……? つまり、任意に慣性を完全に無効化するってことか!? 何さ、その物理法則に喧嘩を売るかのような反則特殊武装は!

 

「今だっ!」

 

 AICに関する情報を閲覧している俺も隙だらけだったろうが、シャルルは動けないナツの方をターゲットとして絞ったようだ。

 しかし、遠距離を想定した機体であるRRCⅡでどうして接近を試みるんだ? ベターなところなら至近距離からのショットガン連発なんだろうけど、あの顔はそれだけのように思えない。

 どうやら何か隠しだねがあるらしい。もしかすると、一撃で仕留めることができるような、いわゆるとっておきというやつなのかも。

 だったら、なおさらこうして傍観しているわけにはいかないな! この距離ならじゅうぶん間に合う。ボーデヴィッヒさんもシャルルのことを考え、AICはすんでのところで解除してくれることだろう。

 ……なんて、考えるよりも先に身体が動いちゃってるんだけど。さぁいこうかヘイムダル。その防御力の本領発揮だ!

 

灰色の(グレー・)――――」

「それだけはやらせない!」

「ハル!?」

「くっ……鱗殻(スケール)!」

 

 シャルルにも予測できたことではあろうが、間に割って入って青色の塔盾(タワーシールド)を構えると、割と苦い表情を見せたのが印象的だった。

 どちらにせよ、もう引っ込みがつかないからそのまま攻撃を繰り出したんだろうけど、一瞬何が起きたのかわからないほどの衝撃を感じる。

 防ぎはしたが本当に威力がすさまじい。ナツと一緒になって吹き飛ばされ、視界が安定したところで、ようやくどういった武装での攻撃だったか理解できた。

 RRCⅡの盾から杭のようなものが飛び出している。弾や数馬たちとやったロボットゲームで見たことあるけど、どうやらパイルバンカーと呼ばれるそれだったようだ。

 爆発などの衝撃により杭を高速で打ち出すことにより、相手に高威力の物理ダメージを与える兵器だったと思う。なるほど、隠しダネと呼ぶにはふさわしい代物だ。

 

「ハル、大丈夫!?」

「うん、平気だよ。一回アレを受けちゃってるしね」

「感覚が麻痺してるだけじゃない!」

 

 いや、ほんとにすごい威力だった。まるで右腕が爆発でもしたんじゃないかって思ったくらい。

 でもアリーナのシールドを破壊可能な攻撃を受け切った実績は大きく、俺本体にダメージさえなければ大したことないって思える。

 俺の返事をどうとらえたのかは知らないけど、ナツはずいぶんと困った様子で突っ込みを入れてきた。冗談か本気か取り違えているのかな。

 それはさておき、ようやく準備が整った。何かって、ビフレストの充填がフルになったというわけ。これで、こちらにはもうひとつ、一撃必殺級の威力を誇る手が増えたというわけだ。

 ところがどっこい、今回はそもそも相手に当てる用途で虹色の手甲(ガントレット)を使う気はなかった。いやね、ちょっとした作戦があるわけなんだけど――――

 

『ナツ、ひとつ考えがあるんだ』

 

 これはあくまでもタッグマッチなんだから、信頼できるパートナーの意見もいただくことにしよう。俺は秘匿通信(プライベート・チャンネル)を使い、ナツに声をかけるのだった。

 

 

 

 

 




この話を書いてて思い出したんですけど、ヘイムダルの武装のネーミングって灰色の鱗殻と丸被りでしたね。私が書いてた旧作品でも度々登場してたのになぜ忘れるのか。
でもドがつくほどオレンジの機体なのに、いきなり灰色が出てくるのもどうかと(ry
どのみち今更引っ込みもつかないので、今後も〇色の〇〇ってかたちでいきます。





緑色の電磁(マグネショッカー)
ヘイムダルの右腕である虹色の手甲(ガントレット)に用意されている七つの変形機構のうちの一つ。
特殊な電磁波のようなものを発射し、直撃した相手(ISに限らず多くの機械等)の駆動系に干渉を起こし、2秒ほど動きを停止させる。
黄色の弩砲(バリスタ)とは異なり最大までチャージを行わなければ発射そのものが不可能ではあるが、溜めの時間はさほど長くはない。
最大の欠点はヘイムダルも多少なりと影響を受けること。
ただし出る影響は駆動系でなく、ハイパーセンサーにノイズが走るといった障害が発生する。


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第38話 認めてたまるか

VSラウラ&シャルロット、後半戦です。
とりあえず白式とヘイムダルの持ち味は出せたかなと。



(またしてもあの目……!)

 

 晴人と一夏の両名が秘匿通信(プライベート・チャンネル)での作戦会議を始める中、ラウラはそんなことよりもと言わんばかりに敬愛すべき教官の弟分を睨みつけた。

 戦況は間違いなくラウラ&シャルル組が有利。灰色の鱗殻(グレー・スケール)の一撃でヘイムダルのエネルギーはかなり削れた。更に晴人たちは、例の旋回包囲陣形になんの対策も取れてはいないのだから。

 にもかかわらず、ここにきてあの目だ。まだ希望を捨てていないあの目。心の奥底で、静かに燃ゆる炎が垣間見えるかのようなあの目。神格化しているとも表現できる憧れを抱いた人物と同じ目。

 気づけば歯をきしませているラウラがいた。許せないのとは少し違うが、普段はナヨナヨしがちな晴人がしていい目ではないという考えは確かにある。

 何より、相も変わらず晴人に千冬を感じている自分自身が許せないのだ。ラウラにとって千冬とは、唯一無二で絶対のものなのだから。

 

「ナツ、任せたよ」

「任された!」

(来るか。次で確実に仕留める!)

 

 もちろん話し合いを妨害することもできたが、ラウラとしては何をしようと無駄という考えが強く、あえて手を出さなかった。

 もっと言うのなら、あえて作戦を開始させ、それを真っ向から潰して精神的ダメージを与えてやろうという魂胆が主だろうか。

 シャルルの方もラウラの性格上による問題があるため静観を貫いたが、力強く鋼鉄の手でハイタッチを交わす二人を前に、猛烈な嫌な予感を覚えずにはいられない。

 

「それじゃ、よ~い……」

「「スタート!」」

(織斑さん一人で僕らの妨害? それじゃどうして晴人は急上昇なんかを……)

(確かに先の陣形は三次元移動には弱いが、それが目的での行動には見えんな)

 

 スタートの合図と同時に、晴人はとにかく上を上を目指して急上昇を始め、一夏は足止めのためか果敢にも斬りかかってくる。

 ここで不可解になるのが、どうして晴人がラウラ&シャルルを無視して上昇を続けるかだ。

 本来なら零落白夜か虹色の手甲(ガントレット)を確実に当てるため、二人が同時に二人の隙を作りにかかるのが一番に決まっている。

 それをただでさえ雪片一本しか持たない一夏を囮に使ってまで、晴人がそうする理由が全く読めない。

 ただ一つだけわかることがあるとするなら、何かしらの目的がある以上、晴人を無視するわけにはいかないということだ。

 

「チッ! シャルル・デュノア、特別に足止めを任せてやる」

「わかった。でも、削り切っちゃっても文句は受け付けないからね」

「……善処する」

 

 一夏との決戦に終始するつもりが、どうしてこうなったのだ。そんな意味を込め、ラウラは何度目かになる舌打ちを鳴らした。

 だが優先すべきはチームとしての勝利と一定の冷静さが働くのか、渋々ながらも一夏の足止めをシャルルに任せて晴人を追いかける。

 シュバルツェア・レーゲンの機動力は特筆するほどではないにしても、どう考えようがヘイムダルよりは高い。全力の急上昇を続けさえすれば、簡単に追いつくことができるだろう。

 しかし、いくらヘイムダルが鈍足にしても、ラウラたちが使った迷いと葛藤の時間のおかげか、アリーナの高度限界地点までたどり着く。

 そうまでしたというのに、晴人はなんと――――

 

「よいしょ……っと!」

「なんだと!? 本当に何が目的だと言うんだ……!」

 

 頂点までたどり着いたかと思いきや、すぐさま急降下を始めたのだ。もとから予測のつく行動ではなかったが、不可解にもほどがあるというもの。

 まず間違いなく、自分を引き付ける目的ではないとラウラは考える。そしてこの様子なら、シャルルを攻撃する気もないように思えた。

 どうせ追いつけるというわずかな驕りか、ラウラはAICを発動する間もなく晴人を抜かしてしまう。そして素通りときた。やはり目的は攻撃でも誘いでもない。

 

(まさか、もしや……? いやしかし、そんなことをしても無意味なことはわかっているだろうに)

 

 ここにきて、ある予測がラウラの頭に浮かぶ。そしてより困惑するばかり。予測が正しいとして、まったく無意味な行動であるからだ。

 しかし、先ほども言ったとおりに止めないわけにもいかない。今度こそすぐさま追いかけ始めたおかげか、もうすぐAICの有効射程圏内だ。

 晴人も迫るラウラに焦りを隠せない。それでもギリギリを狙う必要があるため、不安で高鳴る鼓動を抑えながらただひたすら地面をめがけて飛び続けた。

 そしてヘイムダルがAICの射程に引っかかるか否かの瞬間、同時にヘイムダルもアレが最も効果をなす距離へと地面を捉えた。

 

(流石の俺でも地面相手なら、全力の全力(、、、、、)でやれる!)

「捕まえ――――」

虹色の手甲(ガントレット)ォ!」

 

 ラウラが右腕を晴人へ差し向けた瞬間、ヘイムダルの右腕が美しい虹色の光を放ち、その巨体がグンっと加速した。まさにタッチの差。コンマ一秒でも発動が早ければ、晴人は捕まってしまっていたことだろう。

 事なきを得た晴人は、虹色の光に包まれたまま地面へ向けて一直線。ハイパーセンサーでそれを目撃したシャルルは、まるで虹色の隕石が如く姿だったと後に語る。

 そして件の虹色の隕石は、多くの観衆が見守る中、地面へとその拳を叩き込むのであった。

 

(こ、これが本気の……。凄いや、そこら中が土煙で何も見えない……)

 

 ヘイムダルが地面を殴りつけると、凄まじい轟音と揺れがアリーナを包む。空中に居るシャルルたちは感じることはできないが、もはやちょっとした地震であった。

 そして地面が超パワーで殴られたことにより、衝撃波のようなものに乗せてアリーナのほとんどを土煙が包む。

 これを見て、ラウラの脳にはやはりかという言葉が過る。そう、これは読めていた。だからこそ無意味であると考えたのだ。

 

(本気で目くらましのつもりだとでも言うのか……? だとすれば――――)

 

 いくら肉眼での視界を断とうと、ISにはハイパーセンサーがある。確かに思わず一瞬だけ目をふさいだものの、ラウラの視界には確かに晴人と一夏の位置や距離が表示されている。

 それでは本気で目くらましかどうか。それを考えたとき、ラウラの出す答えはノーだ。

 日向 晴人という人間を過大評価するつもりは一切ないが、そこまで単調な作戦を思いつくほどの無能ではないというのがラウラの評価だ。

 だがこれも先ほどまでと同じ。わかった上で、わかっているのなら止めないわけにもいかない。だからこそラウラは、背後へ振り返ってAICを発動させた。

 

「この土煙に乗じて零落白夜で仕留める。という作戦とすれば、失望を禁じえんぞ」

 

 ハイパーセンサーを見れば、背後から急接近する敵影が一つ。それは一夏と白式のものだった。

 土煙を目くらましとするならまずこう来る。だからこそ無意味という評価を下していた。事実、一夏は捕まっているのだからその評価は正しいのだろう。

 ただしAICで捕縛している対象が、本当に一夏ならばの話ではあるが。

 

「…………? っ!? 馬鹿な、これはいったいどういうことだ!?」

「かかってくれて、どうも……ありがとうね……」

(右腕の形状がまたもデータにない……。まさか、ジャミングの類か!?)

 

 時間とともに土煙が晴れていく。そして、捕らえた相手のシルエットが見え始めた瞬間、ラウラの思考は一気にパニックへと陥る。

 確かにハイパーセンサーに、目の前の機体は白式であると表示されている。だというのに、なぜか自分が捕まえているのは晴人とヘイムダルではないか。

 ラウラの目はすぐさまヘイムダルの右腕で止まった。またしてもデータにない変形をしている。右腕の装甲が甲虫類の羽のように開き、そこから藍色の光子が舞い散っていたからだ。

 ヘイムダルがラウラたちとの対戦までに解放した変形機構は緑色の電磁(マグネショッカー)だけでなく、藍色に対応するソレも解放されていたというわけだ。

 藍色の幻影(ファントム)。晴人がそう名付けた変形機構の用途を簡単に説明するのなら、ラウラの予測どおりジャミングで間違いない。

 腕からチャフのように粒子を撒き、範囲と濃度にもよるが、有効射程に入っているすべてのISを対象とし、ハイパーセンサーへ重度の障害を発生させるという機能。

 

(それだけ聞くと有能に感じるけど……)

 

 この作戦は晴人と一夏にとっても大きな賭けだった。なぜなら、藍色の幻影(ファントム)は根本からして、重大な欠点をいくつか抱えているからだ。

 一つはラウラが言い続けてきた無意味ともかかわりがある。というのも、あくまでハイパーセンサーのロック対象を誤認させる程度なため、先ほどのように肉眼での視界も遮らなくてはまるで意味がないということ。

 もう一つは、ヘイムダル自身も効果対象に含まれるうえ、完全にランダムに反応が入れ替わるという点である。

 言ってしまえば、晴人が立てた作戦は運しだいである。もしかすると、RRCⅡが白式の反応になる可能性もあったのだから。

 

(ということは、まさか!?)

「いっけええええええっ!」

 

 そう、そうのまさかだ。慌ててラウラがハイパーセンサーを確認しつつ振り返ると、ヘイムダルの反応を感知させながら、土煙を突破して一夏が現れる。

 確とその刃は青白い輝きを放ち、零落白夜が発動していることを示していた。

 ラウラの思考は更にパニックを加速させた。ランダムであることは知る由もないにして、作戦の全貌を理解したからだ。むしろランダムであることを知ったなら、ますますパニックになることだろう。

 早い話が理解できないのだ。自分が感づく可能性は十分あった。誤認させることに気付かれた時点で、作戦は破綻したも同然だろう。

 だというのに、この二人はなんの迷いもなく自分に突っ込んできている。ラウラはそれが心底から理解できない。いや、理解したくないのかも。

 信じられるのは己だけ。必要なのは己の持つ力のみ。弱者は虐げられ、強者は褒めたたえられる。それがラウラの持つ常識だ。

 強者、弱者の概念で例えるのならば。一夏は間違いなく強者だ。晴人は間違いなく弱者だ。だというのになぜ、なぜ    

 

(この女は、こんなにも弱者のことを信じられる!?)

 

 零落白夜を発動させることが前提だとするなら、作戦が破綻した場合は狙われるのは一夏だろう。

 なぜならそれは諸刃の剣。白式のエネルギーを限界まで使用することにより、一撃必殺の刃を形成する能力なのだから。

 ことによっては無事では済まない。むしろ、作戦に気付いたのなら、ラウラは無事で済ます気もなかったろう。そして、それは一夏も理解しているはず。

 それでも一夏は、こうして零落白夜を発動させて自身の間合いに入り込んできた。それはひとえに、晴人のことを信じているからだ。

 だから理解できない。理解したくない。もし仮に強弱関係なしに互いを信じぬくことが二人の強みだというのなら、千冬が持っていた強さもソレということになってしまうのだから。

 

「認めてたまるか! そんな、そんなことが――――」

「遅ぉぉぉぉい!」

「あってたまるかああああああああっ!」

 

 ラウラはすぐさまAICを解除してプラズマ手刀を構えるが、白式にここまでの接近を許した以上は無駄も同然。

 仮に間合いが足りなかったとして、AICから解放された晴人が何かしらの妨害を仕掛けていたことだろう。つまり、これは紛れもないチェックメイト。

 シュヴァルツェア・レーゲンを操作し腕を振り抜こうとした頃には、既に腹部へと鋭い横一線のひと太刀を浴びせられていた。

 瞬間、まるでバグかと思うほど、それくらいまでアッサリと、シュヴァルツェア・レーゲンのシールドエネルギーはゼロまで減少する。

 

 

「ぃよっし!」

「流石だよ、ナツ!」

「ボーデヴィッヒさん!? い、いったい何が……」

 

 間違いなくラウラを仕留めたことに、一夏は思わずガッツポーズが。自分たちの絆が彼女を打ち破ったことが、何より嬉しいのだろう。

 晴人は一夏に対して称賛を述べるも、まだシャルルが残っているのだと気持ちを切り替えた。零落白夜を使用したことにより、白式はもはや虫の息なのだから。

 自分が頑張らねばチームとしての価値はないと、ようやく土煙から脱したものの、藍色の幻影のこともあって状況がいまいち飲み込めていないシャルルを見やった。

 しかし、その時である。

 

「ああああああああああああああっ!」

「な、なんだ!? シュヴァルツェア・レーゲンが、溶けていく……?」

「ハル、なんだか様子が変だよ! ここはいったん離れて固まろう! シャルルも!」

「う、うん!」

 

 突如としてラウラが絶叫を上げたかと思えば、その身に纏われていたシュヴァルツェア・レーゲンの装甲が、見る見るうちに泥のように溶けていく。

 あまりの異様な光景に愕然とするばかりの晴人だったが、一夏の声により現実へと引き戻された。そして、シャルルと二人してその指示に従った。

 後は何がってもすぐさま対処が効くよう、青色の塔盾(タワーシールド)を構えて引き続きラウラの身に起こっている何かを見守る。

 溶けだした装甲はいつしかラウラを飲み込み、再び何かを形どりながらその姿を変えていく。

 変わり始めはただ警戒するばかりの晴人と一夏だったが、ソレが何を形成しているかを察すると同時に、様々な感情の入り乱れた表情を浮かばせずにはいられなかった。

 なぜならそれは、たった一人の血縁の。尊敬すべき姉貴分の。オンリーワンでナンバーワンの、言わば代名詞ともとれる存在の模倣だったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フユ姉さん……」

「織斑先生? ……そうか、どこかで見たことあると思ったけど、確かにあれは暮桜。それに―――― 」

「雪片……!」

 

 驚愕を抑えきれない俺の呟きに反応したシャルルは、合点がいったとボーデヴィッヒさんだったモノを頭の先からつま先まで眺めた。

 そう、暮桜。今ボーデヴィッヒさんを包んでいる何かは、完全にフユ姉さんの専用機である伝説的な機体、暮桜そのものだ。

 何よりその右手に握られている刀。それを正式に受け継いだナツは、かなり忌々しそうな声色でその銘を呼ぶ。

 ナツの雪片は正式に言うなら雪片弐型。その名のとおり雪片の後継だ。つまりただの雪片を握るアレは、やはりフユ姉さんに近い何かだと自己主張しているかのようだった。

 

「許せない!」

「お、織斑さん!? 落ち着いて、今の白式で無茶はだめだよ!」

「シャルル、口を出すなとは言わない。けどダメなの。アレは、アレだけは絶対に止めないと!」

 

 聞いただけでも怒り心頭とわかるナツの叫びが響く。

 今にも斬りかからんとしようとするのはなんとかシャルルが抑えてくれたが、どうしてここまで怒っているのかは理解できないんだろう。

 何もナツは自分が受け継いだはずの雪片を模倣されたから怒っているのではなく、雪片どころか千冬さんそのものになっている……いや、なろうとしたボーデヴィッヒさんに怒っているんだ。

 根拠も何もあった話ではないけど、うん、わからないでもない。だってあれは、多分だけど、ボーデヴィッヒさんが望んだ姿だと思うから。

 確かにフユ姉さんは強いさ。それこそ世界を獲っちゃうくらいには。けど、だからって、望んでボーデヴィッヒさんがフユ姉さんになったってなんの意味もない。

 憧れも、羨望も、心酔も、ボーデヴィッヒさんがフユ姉さんに抱く感情は何ひとつ否定する気なんてない。けどそれは、それだけはだめだ。

 だってそれはもはや、ボーデヴィッヒさんではないのだから。……多分ナツは、そういうところで怒っているんだと思う。

 

「ナツ、行くなら俺もだけど構わないよね」

「晴人、何言ってるの!? 織斑さんはもう一撃でも受けたら危ないんだよ!?」

「ナツが剣なら僕が盾だ」

「へ?」

「大丈夫、ナツには指一本触れさせない。僕が守ってみせるから」

「ハル……!」

 

 以前の無人機騒ぎのように退路がふさがれているわけではない。なら全員がそれなりに消耗している以上、シャルルの言葉に従って撤退するべきなのだろう。

 だけどそういうわけにはいかない。ナツがやる気満々みたいだし。それにこういう時のナツには何を言おうと初めから無駄だ。

 ならば俺が掲げたテーマである剣と盾に遵守し、俺がナツの隣を離れるわけにはいかない。むしろ断られようとも着いていくさ。

 シャルルはやがてどうこのわからず屋たちを説得してくれようかと悶々とし始めるが、諦めたように身体を脱力させながらため息をひとつ。

 

「はぁ……。僕のリヴァイヴ、コアバイパスでエネルギーを譲渡できる仕様なんだ。それで少しは足しになると思う」

「シャルル、ありがとう! 恩に着るよ!」

「ただし、本当に気休め程度だからね。それと晴人、さっきの言葉を忘れないで」

「もちろん、師匠に恥はかかせられないからね」

 

 RRCⅡには支援機としての役回りもあるのか、エネルギーの譲渡なんてこともできるらしい。

 だが、本当は使いたくなかったとその表情が語っている。無茶をさせることそのものに、シャルルの性格からして思うところがあるのだろう。

 あまり過信をしないよう念を押しつつ、シャルルはコンソールを操作して白式へとエネルギーを移し始めた。思ったより時間も手間もかからないようで、俺へ釘を刺している間に終わったようだ。

 ……にしても、何もしてこないな彼女は。むしろ俺たちを待ち構えているような気さえする。万全な状態でかかってこいとでも?

 ナツも同じことを考えていたのか、先ほどから彼女を眺めている。やがて俺たちの視線がぶつかり、二人してコクリと首を頷かせてから前に出た。

 

「ハル、怖くない?」

「うーん、まぁ、正直ちょっと。けど退かないさ。キミと一緒なら、なんだってできると思うから」

「……えへっ。私もだよ、ハル!」

 

 ナツは何も嫌味とか皮肉とかでそう聞いてきたのではなく、そもそも俺が緊張気味なのを感じ取ってのことなのだろう。

 うん、緊張というか少し怖くもある。目の前でよくわからない現象が起きてるは、それに巻き込まれたのが少なからずクラスメイトだとか。俺を緊張させるような要素は多々ある。

 けどやっぱり、取り乱すわけでも逃げ出すわけでもないんだな。オルコットさんの時だってそうだった。怖かったけど、ナツが応援してくれていると思えば不思議と頑張れた。

 だとするなら、隣にいてくれるのならその比ではない。頑張れるどころか、今の俺は負ける気さえしないように思える。

 そんな相反する心情を素直に述べると、ナツははにかむと表現するにふさわしい笑顔を見せた。とても、柔らかくて暖かい笑みだった。

 ……そんなものを見せられた日には、やはりキミを傷つけさせるわけにはいかなくなってしまったな。あぁ、守りたい。俺は、俺に力をくれるキミを、全力で守りたい!

 そんな沸きあがる熱い感情を胸に、俺は青色の塔盾(タワーシールド)を構え直す。そんな俺たちの様子を、彼女はやはりただただ不気味に見据えるばかり……。

 

 

 

 

 




一撃必殺級の必殺技を二つ使用して、一人を仕留めるという燃費の悪い作戦。
ぶっちゃけるなら地面への虹色の手甲(ガントレット)ヤリタカッタダケーみたいなところも。
ですけど、本気なら軽い地震くらい起こせますよという威力検証も兼ねてます。
さて、次回はVS暴走ラウラですね。
またちょっとかっこいい晴人をお見せできるかも。





藍色の幻影(ファントム)
ヘイムダルの右腕である虹色の手甲(ガントレット)に用意されている七つの変形機構の一つ。
簡単に説明するとすれば、ハイパーセンサーに障害を与えるジャミング装置である。
有効射程範囲は放出する粒子の濃度と量にもよるが、衝撃波等に乗せるとかなり広い範囲をカバーすることが可能。
ただし、効果範囲に入ればヘイムダル自身も問答無用に作用し、更にはあくまでハイパーセンサーに障害を起こすのみなので、肉眼での視界も封じなければほぼ意味をなさない。
なおかつ、作用の効果を晴人が任意に操れないという重度の欠陥を備えている。
恐らく、七つの変形機構中最も扱いに困る性能と言えよう。


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第39話 キミはいったい誰なんだ

振り返ってみると一夏ちゃんの出番がほぼ無いと反省するこのごろ。
主人公は晴人なので、ヒロインしてると思えば……?
そんなこんなで、時たまでもある晴人が主人公する回です。




以下、評価していただいた方をご紹介。

ケチャップの伝道師様 水無月 無明様

評価していただきありがとうございました。


『――――――――』

「ハル、来るよ!」

「了解!」

 

 俺たちが臨戦態勢をとったのを見てか、フユ姉さん(仮)は行くぞとでも言いたげなモーションを披露してからこちらへ突っ込んでくる。

 ……しかし、何から何までフユ姉さんだな。ちょっとした仕草に心当たりを感じるほどだ。まるで憑依しているかのように思える。

 パワーやスピードはISに依存するとして、テクニックの面ではフユ姉さんを相手にしていると考えたほうがよさそうだ。

 俺は偽暮桜が振り上げた雪片を、正面から堂々と青色の塔盾(タワーシールド)で防いだ。

 

(っ!? これは……!)

「ハル!」

「オーケー!」

 

 雪片の一太刀を受けて感づいたことがあったが、ナツに声をかけられたことですぐさま次の行動へ移す。

 俺たちはいつものように名前だけで意思疎通を行い、背中合わせのような状態となりそのまま反転。前後が入れ替わる形となった。

 ナツは回転の勢いに乗せ雪片弐型を薙ぎ払うように振りぬくも、まったくなんの危なげもなく雪片を縦に構えてその一撃を防いで見せた。

 

(波状攻撃!)

『――――――――』

「なっ!? ぐぁっ!」

 

 二対一の状況である以上、隙を与えないことが重要であると判断し、右腕を赤色の丸鋸(サーキュラーソー)へと変形させる。

 シャルル相手に使った掴んでからの回転丸鋸攻撃を仕掛けようと試みるも、偽暮桜はとんでもない回避行動をみせた。

 なんと接触している雪片弐型を足掛かりにしてそのままジャンプ。一気に俺の頭上へと躍り出る。

 掴みかかろうとしていた勢いを殺せず、そのまま背後を取られてしまう。慌てて腕を青色の塔盾(タワーシールド)にしようとするも時すでに遅し。急降下からの袈裟斬りを浴びせさせられた。

 くっ、こういうときばっかりは、流石にヘイムダルの異形さがありがたく感じられるな。背中も装甲に包まれてるから幸い大きなダメージは――――って四の五の言ってる場合じゃないか。

 

「ナツ、手短に話が!」

「ど、どうしたの!?」

 

 とりあえず報告しておかなければならないことがあったため、ヘイムダルの鈍足に鞭打って急ぎ偽暮桜の間合いを脱する。

 そのまま肉声でナツに呼び掛けたわけだが、追撃してこない……? こちらに戦闘の意志さえなければ、向こうも何もする気はないのだろうか。

 とにかく、それならそれでチャンスだ。これだけは話しておいたほうがいいと思うから。それは、まず一撃を受けた際に覚えた違和感ついてだ。

 

「急いで決着をつけないと、ボーデヴィッヒさんの身が危ないかもしれない」

「それってどういうこと!?」

「一撃受けてわかったんだけど、彼女のスペックが強制的にフユ姉さん並みに引き上げられてるんだと思う。あの重さは、小柄なあの子が出せるものじゃない」

「つまり、身体のほうがついてこなくてそのうち……!」

 

 そう、あの一太刀の重さは確実にボーデヴィッヒさんのものではない。彼女の近接攻撃を受けるのは初見だが、なぜか確信めいたものがある。

 それは恐らく、俺がフユ姉さんをよく知る人物だからだ。

 無論、ISでフユ姉さんと戦闘はしたことないし、なんなら生身だって組手とか稽古に相当することをしたことはない。

 けれどあの一太刀に込められた重さは覚えがある。フユ姉さんの攻撃を受けたことのない俺にすら、暮桜を纏ったフユ姉さんの攻撃を連想させるほどにはだ。

 これが機体の影響でないとするなら、間違いなく身体能力もフユ姉さんに近づいているといういい証拠。

 俺が危惧している点はナツが言ってくれたとおり。身体がボーデヴィッヒさんのものなのに、半強制的にフユ姉さん並みのスペックで動いた先に待つ結末は……想像するに易い。

 

「過ぎたるは及ばざるがごとしってやつか……」

「ハル……?」

「ナツ、また俺の作戦に乗ってほしい」

 

 あまり過度なものは足りていないと同義である。こういう言いかたは失礼なんだろうけど、今のボーデヴィッヒさんにはとても当てはまる言葉だ。

 俺はなんとも言えないため息を吐いてから、今度も俺の思いついた作戦にナツ協力を仰いだ。

 するとナツは、野暮なことを聞くなと言いたげに力強く首を頷かせる。本当に、いつも頼りがいのある幼馴染なことで。

 

「――――っていう具合。聞いたらわかると思うけど、また賭けだ。しかも、より俺を信じてもらうしかなくなる。どうかな?」

「……ハルは私のこと――――」

「信じてる」

「フフッ……。うん、ありがとう。だからね、ハル。私もハルを信じてる」

 

 本当ならもっと確実な作戦を選びたいところだけど、一にも二にも時間がないのでこういう手しか思い浮かばなかった。しかもチャンスは一回きり。

 人によってはろくでもない作戦だなんて評価を下されそうな気もする。だって半分根性論みたいなものだし、俺が頑張らないとそもそも成り立たない作戦だ。

 ナツは特に決めかねているような様子は見せないが、俺にとある質問をした。いや、しようとしたというのが正しいのかな。

 だって何を聞きたいかなんて途中で分かったし、そんな質問をされたからには答えなんて一択だ。

 俺はナツを信じている。むしろこれまでともに歩んだ十数年間、俺がナツを信じなかった瞬間なんて一瞬たりともない。

 俺の食い気味な返答に対し、ナツはまたはにかみを見せてくれる。そしてその返礼としてか、自分も俺のことを信じてくれると。

 ……ああ、なんだ、なんなんだこの感じは。俺だって聞かなくてもそんなことわかってるのに、際限なく気力がわいてくる。

 頑張りたい。こんなにも俺のことを、こんな俺を信じてくれるナツのためにも。次で全部、終わらせよう。

 

「ナツ!」

「ハル!」

 

 俺は左手を、ナツは右手を差し出し、鋼鉄のぶつかり合う頑強な音を響かせつつハイタッチ。それから俺たちは、自分のすべきことをこなし始めた。

 ナツはシャルルから譲渡されたエネルギーを無駄にしないよう、速度を抑えながら高度を上げていく。

 元がボーデヴィッヒさんなおかげか、偽暮桜は確実にナツのほうへと関心を示しているようだ。そうはさせるものかという話でございますよ。

 今にもナツを追いかけ始めそうだった偽暮桜の前に、青色の塔盾(タワーシールド)を構えて立ちふさがる。俺を倒してからいけ、というやつだ。

 てっきりボーデヴィッヒさんよろしく無視でもされるかと思いきや、どうやら偽暮桜は俺にターゲットを変更したらしい。

 どうせすぐ始末できる。なんとなくだが、こちらへ雪片を向けている姿がそう言っているようにも見えた。

 俺は呑まれそうになるのをなんとか堪え、本格的に偽暮桜と対峙するのであった。

 

『――――――――』

(はや)い!? それに重さも……!)

 

 青色の塔盾(タワーシールド)は常時構え続けるのが基本戦術だ。ゆえに前方からの攻撃はほぼ完全ガードであるが、何やら一筋縄ではいかなそうな雰囲気だ。

 真正面から受けた偽暮桜の斬撃を客観視するに、明らかに剣速も重みもパワーアップしている。それこそ、徐々にフユ姉さんに近づいているかのようだ。

 驚いている暇もなく、連続攻撃が青色の塔盾(タワーシールド)を襲う。それもただ我武者羅に雪片を振り回しているのではなく、太刀筋が俺のような素人でもわかるくらいに美しい。

 

(なんとか防げてはいるけど……!)

 

 突破されるのは時間の問題といったところか。

 くっ、さっきからなんとか背後に回るように立ち回り始めたぞ。この尋常じゃない成長速度、本当にボーデヴィッヒさんがまずい!

 とはいえ落ち着け、そもそも俺がちゃんとしなければ作戦そのものが成り立たないんだ。何か、何か必ず突破口があるはず。

 観察眼というか、相手の要所要所を注意深く、かつ客観視するのは得意だろ。これまでのやり取りに、きっとヒントが見え隠れ――――

 

「っ……ボーデヴィッヒさん!」

『――――――――』

(やっぱり、これは案外いけるかも!)

 

 俺とナツのやり取りを黙って見つめたり、どこか人間臭さを残しているように思えた。

 ダメ元ではあったけど、必死に名前を呼び掛けてみたところ、少しだけだが確かに斬撃の威力が弱まった。

 聞こえているのか聞こえていないのかはわからないが、反応はある。ほんのわずかでもボーデヴィッヒさんの自我が残っていると俺はみた。

 ……彼女に言いたいことがないといえば嘘になる。例えばそれが詭弁でも綺麗ごとでもなんでも、彼女を救う手立てとなるっていうのなら……俺だってまごついているわけにはいかない。

 

「キミは強い人だよ。上ばかり見て焦らなくたって、少なからず俺にはそう見えた!」

 

 憶することのない堂々とした出で立ちや態度、ストイックなその姿は、俺の目から見るとなんの遜色もない強者のそれだった。

 何よりその前に進もうとする意志。例え誰からの賛同が得られなくとも我が道を往くその姿、俺にはとても真似できない。だから――――

 憧れる、というにはちょっと語弊があるけど、見習うべき部分もあるんじゃないかって、そう思うような瞬間だっていくらかあった。

 

「けど今のキミからは何も感じない! だってそうだろ、なりたい人になって、キミは本当に満足なのか!?」

『――――――――』

 

 俺の言葉が図星でもあるかのように、偽暮桜の攻撃の手は確実に緩まった。俺はギリギリと歯を食いしばりながらも、内に秘めた言葉を紡いでいく。

 本当にそれだ。フユ姉さんに憧れを抱き、その背を追い、迷い、苦悩し、少しでも近づこうとしていたボーデヴィッヒさんはとても輝いていたというのに、今は……!

 憧れを抱いた人そのものになったって、なんの意味もないじゃないか。俺たち弟子に残された義務というのは、師から学んだことで師を追い抜いていくことなのだから。

 ……ハハッ、そうか、今わかった。なんでこんなにもボーデヴィッヒさんを心配する俺が居るのかって、多分僕らは似た者同士だからだ。

 僕もかつてはそうだった。爺ちゃんから教わった絵描きとしてのアレコレを模倣することしかできなくて、いつしか自分の世界というものを自分で狭めていってしまって……。

 けど気付いた、ナツが気付かせてくれた。かつての僕が描いていた世界を。かつての僕にはできていたことを。

 

(やっぱり、同じだ)

 

 かつての僕なら、爺ちゃんそのものになりたいって思っていたことだろう。でも違うんだ。そんなことで爺ちゃんは喜ばない。

 きっとフユ姉さんだってそうだ。ボーデヴィッヒさんには、いずれ自分を超すIS操縦者になってほしいと思ってるに違いない。

 だから、だからこそ、こんな悲しいことは早く終わらせなければならない。

 そんな悲しみを感じたせいかどうかはわからない。ただ自分でも気が付いたときには、頬を涙が伝っていくのを防ぐことができなかった。

 

「キミはキミでよかったんだ」

『――――――――』

「キミがあまり好きじゃないかも知れない、そんなキミのままでよかったんだ! キミだけの強さを持ってるキミで!」

『…………――――』

「思い出してくれ、キミはいったい誰なんだ!?」

『…………………――――――――!』

 

 正確な表現をするのなら、相対しているソレは本当に何者でもない。

 ボーデヴィッヒさんでもなければ、フユ姉さんでもない。そんな何か(、、)なんだ。そう思えば、不思議と先ほどまでのパワーやスピードが嘘のように感じられた。

 青色の塔盾(タワーシールド)で受け止めた雪片をグンと押し出すと、偽暮桜は大きくバランスを崩す。が、すぐさま後退してみせ追撃はかなわない。

 けどそれなりの間合いが開いた。偽暮桜も本調子でない。となると、シャルルからの教えの最後の一つ。この作戦を成功させる鍵を使う時が来たのかもしれない。

 

『――――――――』

(っ! いける、やれる! スピードもキレもまったくない今なら――――)

 

 先ほどまでは本当に一瞬で間合いを詰められている気分だったが、此度のソレはもはや素人同然だった。

 となれば、これは最大にして最高チャンス。これを決して逃すまいと、俺はしかと迫る偽暮桜をその目でとらえる。

 

『後ね、絶対覚えておいて損はないことがもうひとつ』

『絶対か……。よほど重要なんだ。それで、いったいどんな?』

『うん、それは――――』

 

 迫る偽暮桜。振り上げられる雪片。煌めく刃が俺の脳天を捉えて振り下ろされるその瞬間、俺はタイミングよく右腕を薙ぎ払うようにして振るう。

 すると雪片はどん詰まりどころか、あまりある勢いによって大きく弾くことに成功。偽暮桜は、今度こそ後退の隙がないほどに大きく体制を崩す。

 これぞシャルルからのアドバイスのラストワン、パリィだ。師いわく、近接攻撃をただ受けているだけではもったいないとか。

 それでなくとも決め手を食らわせることが難しいヘイムダルに、さらに攻撃を躊躇う要因をつくることができるだけでより戦況を有利にできる。

 そして何より、近接攻撃を仕掛けたが最後、アレの餌食になる可能性も大きくなる。実際今の偽暮桜は隙だらけ。

 かなりの猛攻を受けたことにより、ビフレストもそれなりに蓄積されている。よしいくぞ! 出力約10%強――――

 

虹色の手甲(ガントレット)!」

 

 俺の声を感知したヘイムダルの右腕は変形。数多で巨大なブースター機構が飛び出し、振るった拳の速度を抜群に加速させる。

 そして俺は抉り込むように、いわゆるアッパーカットのフォームで下から偽暮桜を打ち抜いた。――――かに思われた。

 本当に一瞬しかなかったというのに、偽暮桜は雪片を横に構えてクリーンヒットを防いでいる。……が、そのあたりまでは想定済みだ。

 わかっていたさ、キミが仮にもフユ姉さんだというのなら、致命傷だけは避けてくるということくらい。けれど、吹き飛ばされるのだけは止めることができないんじゃないのかな!

 真上に拳を振りぬくと、偽暮桜は勢いよく上昇していく。回転するのも止めることができないようだ。だとするのなら、俺たちの勝ちだ。なぜなら――――すでにナツの間合いなのだから。

 

「どんぴしゃああああああっ!」

 

 これぞ一発勝負の賭け。俺を信じてもらうしかなかった賭けに、俺たちは見事打ち勝ったのだ。

 ナツには上昇してアリーナ頂点部で待機してもらい。タイミングを合わせて零落白夜を発動させながらの急降下急襲を頼んでおいた。

 そのタイミングとは、俺がパリィに成功した瞬間のことだ。このあたりが賭け、信じてもらうしかない……ってことかな。

 そもそも俺がパリィに成功するかどうかわからないし、もし成功しても虹色の手甲(ガントレット)を当てられなければ意味はない。

 加えて白式に残されたエネルギーはあとわずか。零落白夜を発動させたら終わりだったろうし、もし俺の詰めが甘くて急襲に失敗でもすれば、ナツそれこそ命すら危うかったろう。

 しかし、これを見るにやはり大成功。やったこと自体は単純だけれど、やはり俺たちが信頼しあってこそ実現した勝利と思われる。

 俺が安心しきった表情でナツの姿を見守っていると、雪片弐型から放たれる青白いエネルギーが偽暮桜を勢いよく裂いた。そう、数多の因縁と共に……。

 

『!!!!!!!!』

 

 零落白夜をまともに食らった偽暮桜は苦しみもがくような仕草を見せると、徐々にその身を崩壊させていくのだった。

 現れた時と同じくしてスライムのように流動し、重力に従って地面へと滴っていく。やがて、その中からボーデヴィッヒさんの身が滑り落ちた。

 急ぎ下へまわって小柄な体躯を受け止める。そして注意深く観察してみると、目立った外傷のようなものはみられない。

 ひとまず安心してよさそうだ。後は脳とか臓器とか、肉眼では見えないところに何もなければ言うことなしなんだが……。

 とにかく、一件落着というやつだ。ならば俺たちのするべきことはあとひとつ。大人しく帰投すればそれで終いだ。

 

「ナツ、帰ろう」

「…………」

「……ナツ? ナツってば!」

「え……? あ、うん、そうだね、帰ろう!」

 

 ナツに声をかけてみるも、なんだかボーっとした様子で返事が返ってこない。

 手がふさがっているため多少乱暴になってしまうが、身体をコツンとぶつけて反応をうかがってみる。

 声そのものは聞こえていたのか、気付いたと同時にいつもの様子へと戻った。……いったいなんだったというのだろう。

 追及すべきかどうか迷ったが、あの様子ならただの心配しすぎかな……? ナツも何か思うところがあっただけの話かも知れない。

 さて、ならば覚悟を決めておくことにしよう。どうせ、帰ったらフユ姉さんの長いお説教が待っているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「し、しんどっ……!」」

「二人とも大丈夫?」

「「あんまり大丈夫じゃない……」」

「無駄に息ぴったりだね……」

 

 あの後気を失ったボーデヴィッヒさんを保険医の先生に預け、俺たちはすぐさま生徒指導室へと呼び出された。

 やはり退路が確保されていたのに無許可での交戦が問題視されたのか、取り調べ込みのお説教をそれはもう延々とされてしまうはめに。

 体感としては説教7割で取り調べ3割ってところかな……。まぁ元教え子ということもあってか、救ってやってありがとうという旨の言葉もいただきはしたが。

 で、そんな感謝をシメとして、今しがたようやく解放されたというわけだ。俺とナツは戦闘の後ということもあって、力なく壁を背に出入り口の真横にへたり込まずにいられない。

 

「シャルルは俺たちを止めはしたからこうはならないと思う……」

「うん、私も同感。だから安心して逝ってきて……」

「今ちょっと漢字がおかしくなかったかな? と、とにかく、行ってくるね」

 

 俺とナツは同時に生徒指導室へ入るよう言伝られた。前述のとおり、説教を兼ねていたからだろう。

 対してシャルルといえば、ナツにエネルギーを譲渡したとはいえ撤退を提案していた。小言は言われるだろうけど、取り調べの要素のほうが大きくなるはず。

 俺たちの様子を見てどこか不安そうなシャルルを元気づけようとするも、疲労で目線を合わせられないせいかよけい煽ってしまったかも知れない。

 でも本当に安心してくれて大丈夫。俺たちがここまで怒られるのは、やっぱり身内という要因もあるのだろうから。

 生徒指導室へ足を踏み入れるシャルルを、相変わらず目もくれず手を振って見送ると、俺たちの間には静寂が生まれた。

 喋る気力もないというのはあるが、なんだか侘しいような気がするのは俺だけだろうか。根本的な問題ではあるけど、話題がないのも確かなのかも。

 

「…………」

 

 そんな折、チラリと横目でナツの様子をうかがってみる。

 すると俺の目に入ったのは、床につけられているナツの手だった。なんというか、いつ見ても剣を握ったり家事をしているとは思えない美しい手だ。

 五指の一本一本がすらりと伸び、爪は綺麗さを象徴するかのように光沢が宿っている。色は白く、全体的なシルエットは華奢だが、すべてを包み込むような温もりが宿っているのが傍目からでもわかってしまう。

 ……俺は手フェチか何かなのだろうか。何か今、どうしようもなく触れていたい。

 普段は我慢強いやつだという自覚がある。のにも関わらず、衝動を抑えきれなくなった俺は、無遠慮にナツの手へ自らの手を重ねた。

 

「…………っ」

(あ……)

 

 突然のことで驚かせてしまったのか、ナツの身体がビクっと跳ねたのがわかった。

 俺もナツも顔を合わせてはいない。なんとなくだけどわかる。ナツもこちらを見ていない。

 だから表情をうかがい知れない。こればかりは、いくら幼馴染でも何を考えているかなんてわかるはずがなかった。

 俺がまずかったかなと手を放そうとしていたその時、むしろ向こうの方からするりと手を抜いた。そうか、ならば仕方がないな。

 と、ますます反省するばかりだったというのに。俺の右手には再度温もりを感知した。何事かと今度こそしっかり頭ごとナツを見やる。

 すると、掌同士が合わさるよう握り合うように繋ぎ変えたのだとわかった。

 

「「…………」」

 

 俺たちに相変わらず言葉はない。けどこれは喋る気力がどうのではなく、どんな言葉すら今は野暮だと感じていたからだ。

 まるで俺たちはそれで何かを伝え合うかのように、互いの手触りを確かめ合う。ボディランゲージとは少し違うけど、俺たちならそのうちこれだけで会話ができそうな気さえする。

 しかし、やがてナツの手の動きが弱々しくなっていく。それと同時ほどに、肩に確かな重みを感じた。これは、そうか――――

 

「すぅ……すぅ……」

「ナツ……」

 

 ナツは俺に体重を預け、静かに可愛らしい寝息を立てていた。そうだよね、ナツには精神的な疲労をかけてしまったからな。きっと俺がパリィを成功させるまで、ハラハラしながら待っていてくれたのだろう。

 それでもナツは俺を信じてくれた。信じて待ってくれたんだ。……お疲れ様、ナツ。信じてくれてありがとう。

 俺はナツを起こさないよう慎重に、空いている手を伸ばし、指の背でナツの頬を撫でた。

 

(……なんだろう…………?)

 

 動機が激しく胸がざわつく。呼吸がしづらいまである。そして何より、なんだこの、ナツに引き寄せられるかのようなこの感じは。

 ナツと一緒にこれまで生きてきて約十年、ナツが女の子になって約二年。そんな長い時を共にして、ナツに対して形容できない感情を抱いたのは初めてだ。

 ……わからない。とてもモヤモヤする。ナツに対してそんなことがあってはならないのに、考えども考えども胸に宿るこの感じの答えをみつけることができない。

 

(ただ、今は――――)

 

 もちろんというか、それも優先すべきことではある。

 でも今の疲労状態で深い思考は厳禁だったらしく、徐々に瞼が重くなっていくのが自分でもわかった。

 ……どうやらこれは限界らしい。安心しきったナツの寝顔を見ていたのが相乗効果を発揮してか、俺の眠気は臨界点を突破した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「む?」

 

 シャルルの取り調べを終えた千冬が生徒指導室を出てみると、すぐさまとあるものが目に入った。

 むしろ目に入らないほうがおかしくもあるのだが、千冬はその微笑ましい光景に思わず頬を緩ませる。

 しかし、それをシャルルに見られるわけにもいかず、すぐさまいつもの険しい顔つきへと戻った。

 同じく生徒指導室から出たシャルルもそれを目撃し、反射的に大きな声を出さないよう口元を押さえる。

 そして千冬はシャルルの方へ向き直ると、非常に小さな声でとある指令を投げかけた。

 

「すまないが、毛布を持ってきてやってくれ」

「あ、はい。わかりました」

 

 こんな場所に放置するのもなんだが、起こすのも忍びない。そこで千冬は、シャルルに毛布を持って来るよう頼む。

 シャルルは喜んでと言わんばかりの穏やかな笑みを見せ、パタパタと騒々しい足音を立てぬよう静かに走り去っていく。

 そしてシャルルの背が完全に見えなくなったところで、千冬はゆっくりと晴人と一夏の前にゆっくりとしゃがみ込む。

 すると、二人にすら見せないような笑顔を見せ、まるで小さな子供に接するかのような、そんな優しい手つきで頭を撫で――――   

 

「よくやってくれた。本当に」

 

 教師として、姉としての立場として説教だの厳しい言葉を並べるが、二人を称賛する気持ちだけは本物だった。

 またしてもすぐさま表情を引き締めるも、実は面白い人であるという性質が作用し、携帯のカメラを構えてシャッターを切る。後で弄ってやろうという魂胆なのだろう。

 するとそこには手をつないだ状態で、お互いを支えにして仲睦まじく眠る晴人と一夏の姿が写っていた。

 

「むにゃ……。はるぅ……」

「すぅ……。な……つ……」

 

 

 

 

 




いいこと言ってるようで、自分に対しての説教でもあったりするんです。
晴人も自覚がありつつ、そう叫ばずにはいられなかった。というところでしょうか。
でもそういうことを堂々と言えるようになったあたり、晴人を動かしている作者としても、大いに成長というものを感じる次第であります。





ハルナツメモ その20【パリィ】
シャルロットからの指摘を得て以来、密かに習得した技術。タッグの相手でもあったため、練習相手はもっぱら一夏だったらしい。
ちなみに成功率はお世辞にも高いとは言えず、現状は本当にチャンスがあったら狙っていくというスタイル。
とはいえ、近接攻撃を無効化できる手段を得たのは大きなアドバンテージである。
言い方を変えるのであれば、ヘイムダルのエグさが増した。といったところだろうか。


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第40話 雨降って地固まる

学年別トーナメント編エピローグです。
だいたいタイトル通りの内容で落ち着いた感じでしょうか。
でも雨が何を示しているか、今話を読んでいただければわかるかと。



 時刻は放課後。一連の騒動も収まりを見せ始めたころ、私は保健室にてボーデヴィッヒさんの様子をジッと見守っていた。

 もちろん容体が心配だからお見舞い、というのが主な動機。だけど私が零落白夜で暴走した彼女を斬り伏せた瞬間、少しばかり不可解なことが起きた。

 もしあれが夢でないとするのなら、ボーデヴィッヒさんも何か思い当たる節があるはず。だから聞き込みを兼ねて、ってところかな。

 でも私が見守っているうちにそう上手く起きてくれるだろうか。千冬姉から聞いた話し、じき目を覚ますって言ってはいたけど

 

「う……?」

「あ、目が覚めた? 気分はどう?」

「起きがけに貴様の顔など、最悪な気分に決まっているだろうが」

 

 今日のところは退散という手も視野に入れ始めた途端、ボーデヴィッヒさんが身をよじらせ薄く目を開いたのがわかった。

 そこで顔を覗き込みながら声をかけると、相変わらず切れ味抜群の皮肉で返されてしまう。でも逆の立場なら、気持ちはわからなくもないけど。

 それでも私は負けじと質問を続けた。ここがどこだかわかるか、何が起きたかわかるか、どこまで覚えているか、あたりの確認をしておくべきだと思って。

 ボーデヴィッヒさんは本調子ではなさそうだけど、私の質問にしっかり答えてくれた。ふたつめとみっつめの質問に関しては、曖昧な部分が多いみたい。

 

「だがハッキリとわかることがある。……負けたのだな、私は。二度も負けたのだ」

「ボーデヴィッヒさん……」

 

 まるで絞り出すような声だったが、現状をみるに認めざるを得ないのも理解しているのだろう。だからこそボーデヴィッヒさんは、とても悔しそうだった。

 歯噛みしている音が聞こえてくる。布団に隠れて見えないけど、その両の手は固く握りしめられているのだろう。

 こちらとしては二回目のアレはノーカンといきたいところだけど、そんなことを言えば侮辱と捉えられてしまうはず。

 私はふがいないながら、ボーデヴィッヒさんにかけるべく言葉が見つからない。

 

「お前たちの言葉は――――」

「うん?」

「多分だが私は、理解していた。理解していたが認められなかった。だから負けられなかった」

 

 ボーデヴィッヒさんは身体を脱力させると、どこか遠い目で天井を眺めながらそう語り始める。

 私たちの言葉というのは、私の言った戦いと試合は違うということと、ハルが言ったらしい自分に千冬姉を感じるのは、千冬姉が千冬姉してるから、とかいうやつのことかな。

 ボーデヴィッヒさんは意味のわからんことをと拒絶を続けてきたが、その実理解をしたうえで認められなかったのだとのこと。

 

「ただ相手を打ち倒すだけなら誰だろうと事足りる。だがそれは、単なる暴力でしかない。貴様はそう言いたかったのだろう」

「ただ力を振るった先にあるのは勝ちなんかじゃない。最後は互いに握手で終われるような、そういう土俵で貴女と勝負がしたかったから」

「……ハッ。今となっては否定しきれん己が恨めしい」

 

 暴力で相手を打ちのめしたって、私はそれを勝ちとは思わない。

 互いに抱えているものはあっても、学び舎というフィールドにいる以上、やはりボーデヴィッヒさんと戦うつもりなんて一切なかった。

 もしボーデヴィッヒさんが、私の大切な人たちを殺そうでもしたのなら話は違ってくるけど、とにかく、私は相手がそのレベルの人でなければ戦いにまで移行はしない。

 残念ながら試合中は割と気が立っていたご様子だったけど、ベッドの上のボーデヴィッヒさんは、甘っちょろいのが移ってしまったと呆れたような笑みを浮かべた。

 けどなんだっていい。彼女が私とのやりとりで笑顔を見せてくれたのだから、これ以上のものはないと思う。

 

「なぁ、奴はいないのか?」

「あ~……。今頃は必死こいてグラウンド整備ってところかな」

 

 事件も片付いて万々歳といった雰囲気だったのに、ハルばかりはそうもいかなかったらしい。というのも、虹色の手甲(ガントレット)でアリーナのグラウンドに大クレーターをつくったのがまずかった。

 それはそれは大きなクレーターなため、あのままでは使用不可能。というわけで、戦略だったとはいえ作った本人が責任もって整備せよと命じられたというわけ。

 本当は手伝いたかったんだけど、千冬姉は厳罰も含めてるのか一人でと介入させてくれなかった。だからボーデヴィッヒさんのところに来たというのもある。

 ボーデヴィッヒさんはグラウンド整備という言葉ですべてを察したのか、なんだかゲンナリとした表情を浮かべて、私と同じくあ~と唸った。

 

「まぁいい、貴様に言えば嫌でも伝わるだろう」

「伝言があるならしっかり話すよ」

「そうか、では……。教官が教官だからこそというのは、文字どおりあの人があの人たるからこそなのだな。……とでも言っておけば伝わるだろう」

「えーっと、私があまり意味がわかってないんだけど」

「今回の顛末を見ればわかるさ。私は、あの人になろうとしてしまったのだから」

 

 日本語って難しい。今のボーデヴィッヒさんの言葉を聞いて切にそう思った。けど次いで出た解説により、なんとか理解することに成功。かしこいぞ、私。

 ボーデヴィッヒさんは千冬姉になろうとしてしまった。だが当の千冬姉はどうだろう。誰かになろうとした? そんなはずはない。だって千冬姉はいつだってオンリーワンなのだから。

 堂々とした出で立ちで、厳しい中に少しばかり垣間見える微妙な優しさで人を惹きつけ、時には背を押し時には諫め。そんな人が織斑 千冬なのだ。

 そして千冬姉がいつだってそんなだからこそ、そういった生き方が、筋の通った生き方が多少は伝染する……ってハルは言いたかったのだろう。

 そして同時に千冬姉に限った話でなく、誰もがみんなオンリーワンで、どこまでいっても結局は自分にしかなれない。

 だからこそ、自分の強さを追求していくことこそが大事って、そう伝えたかったんだと思う。

 

「どうやらまさにそのとおりだったようだ。僅かに聞こえた奴の説教で、暴走しているはずなのに動揺している時点で底は知れたが」

「聞こえてた……? ということは、やっぱりアレは――――」

「ああ、あれは夢ではなかったか。貴様の説教も同様、耳が痛いものだったよ」

 

 そう、これこそ私がボーデヴィッヒさんを訪ねた理由のひとつだ。私もどう説明していいかわからないんだけど……。

 暴走したボーデヴィッヒさんに対して零落白夜が決まる瞬間、何か意識が別空間に飛ばされていたとでも表現すればいいのかな。

 その謎空間にて、少しばかりボーデヴィッヒさんと言葉を交わした……気がしていたんだけど、これなら間違いはなさそう。

 ただ、私としては説教なんてつもりは微塵もないんだけどね。なんというか、某熱血テニスプレイヤーの如く、励ましとかそういうつもりだったんだけど。

 

「う~ん、本当にいったいなんだったんだろ」

「恐らくはコア同士のシンクロ現象だろう」

「千冬姉!」

「教官!」

「織斑先生だ」

「あうっ、私だけ!?」

 

 答えなんか出ないであろうにも腕組して考えてしまうあたり、我ながらなかなかに滑稽だったかも知れない。

 こういうのは考えるだけ無駄かと早々に切り上げると、相も変わらず図ったようなタイミングで千冬姉が現れた。

 私が毎回のように千冬姉と呼んでしまうのは、そうやって急に出てこられて驚いてるという要因もあるんですよ? なんて反論して聞いてくれる姉ならどれだけよかったか。

 ボーデヴィッヒさんも同じく反射的に教官と呼んでしまったようだが、病床なためお咎めはなし。私は漏れなく出席簿で頭を叩かれた。

 

「あ、あの~。シンクロ現象っていうのは?」

「私も詳しく知っているわけではないが、操縦者同士の意識が極限まで共鳴すると起きうるらしい」

 

 頭を撫でつつ詳細を聞いてみると、千冬姉も体験したわけではないがと前置きしつつ解説を入れてくれた。

 へぇ、操縦者同士の意識が共鳴……。ということは、ボーデヴィッヒさんも話がしたかった、伝えたいことがあったってことなのかな。

 気になって視線を向けてみると、何を見とるんだお前はみたいな冷たい眼差しで返された。考えていたことを伝えた日には、起き上がり掴みかかってきそうな勢いだ。

 

「さぁ、お前はもう帰れ。これから簡易的な事情聴取があるのでな」

「あ、その前にひとつだけ。ボーデヴィッヒさん、ハルに渡しておいてって頼まれたものがあるんだ」

「これは、奴の絵……か」

「うん。タイトルは、雨後に空を仰げば、だって」

「雨、虹……。フッ、そうか、そういう。なかなか洒落たことをしてくれる」

 

 そこらの机に置いておいた画用紙を手渡すと、ボーデヴィッヒさんは訝し気な表情でそれを見つめた。

 どうやらボーデヴィッヒさんと言葉を交わした後くらいからちょくちょく書いていたらしく、決着がつき次第渡す予定だったらしい。

 その絵の構図は、用紙の半分ほどが大雨で埋め尽くされ、遠くの空には晴れ間が広がり、そこから虹がわずかに顔を見せているような感じ。

 ボーデヴィッヒさんの専用機である【シュヴァルツェア・レーゲン】を直訳すれば黒い雨。そして言わずもがな、虹はハルの専用機である【ヘイムダル】の象徴。

 ハルはこの絵一枚で、止まない雨はないということ、そして何があろうと自分がついているぞと伝えたかったんだと思う。

 そんな絵に込められた意味を察してか、ボーデヴィッヒさんはクールな笑みを見せた。

 

「受け取っておいてやる。とでも伝えておけ」

「ふふっ、うん、そうするね。それじゃボーデヴィッヒさん、また明日」

「……ああ」

 

 ハルの絵はボーデヴィッヒさんにとって価値あるものと判断されたようで、捻くれた物言いながらも無事に受け取ってもらえた。

 それなら私の役目もこれで終わりかな。ボーデヴィッヒさんの伝言はハルに伝えておくとして、これ以上は千冬姉が怖いから暇することにしよう。

 去り際に無視されるかなと思いつつも声をかけると、一応でも短い返事をしてくれた。やっぱり少しずつでも心を開いてくれているのかな。

 もしそうだとするなら喜ばしいことだ。徐々に慣らしつつアプローチをかけることにしよう。なんて思いながら保健室を後にした。

 

(それじゃ、様子見もかねてハルのところへ……かな)

 

 あれからけっこう時間も経つし、終わりが見えてきたころとかならいいんだけどな。よし、まだまだ先が見えないようならこっそり手伝おう。

 件のクレーターができたアリーナを目指して歩くことしばらく、ふいに携帯が着信を知らせるべく震えた。何事かと画面をみてみると、どうやら発信者は千冬姉らしい。

 何か用事があるならさっき言ってくれればいいのに。というか、なんでわざわざ家族用のグループチャットなんだろ? そんな緊急で知らせることがあったのかなぁ。

 なんて呑気なことを考えながら通話アプリを起動させてみると、千冬姉がアップした一枚の写真に対して目玉をひん剥かずにはいられない。

 だって、ボーデヴィッヒさんを止めた後の居眠り。ハルと支えながら眠るという、割と恥ずかしい姿を激写されてしまっていたのだから。

 

(出たよ、たまにある千冬姉の弄り!)

 

 私はすぐさま千冬姉に抗議をしようと試みるが、秒でおばさんから質問攻めにあってしまい、その対応でそれどころではなくなってしまう。

 くっ、それも見越して家族用のグループチャットに……! 千冬姉め、なんという策士! ああもう、憎たらしい顔が目に浮かぶ。

 結局おばさんを宥めるのが精いっぱいで、ハルの元へ向かうことはできなかった。うぅ、終わってるといいんだけどなぁ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハル、ハルってば」

「ん、うん、どうしたの、ナツ」

「もうすぐSHRだよ。居眠りなんてしてたら千冬姉が怖いって」

「ああうん、そうか、もうそんな時間か。ナツ、ありがとう」

 

 どこか心地よい揺さぶりを感じて目を開いてみると、そこには心配そうにこちらをうかがうナツの姿が。

 ああそうか、ボーっとしてたらそのまま居眠りしてしまったんだな。声をかけてもらえなければ、本気で目が覚めなかったかも知れない。

 やはり昨日、一人でグラウンド修復をやらされたのが効いているようだ。でも、無断交戦のペナルティとしては優しいほうなんだろう。

 けど昨日なんて、シャワー浴びたらそのままベッドに直行して気が付いたら朝だったもんな。これぞ、俗に言うバタンキューというやつだろうか。

 

「あれ、そういえばシャルルは?」

「えっと、行事にひと段落着いたから、そろそろ時期かなって言ってた」

「なるほど、そういう。何はともあれ、丸く収まってよかったよかった。流石はおじさんだね」

 

 ここのところ一緒に行動を共にすることが多かったシャルルの姿が見えない。そんな疑問を抱いたのか、ナツは周囲を見渡した。

 今朝のシャルルの言葉を聞くに、SHRまでに姿を現すことはないだろう。ナツにそうやんわり伝えると、察してくれたようで喜ばしいかのような仕草を見せた。

 でも、うん、ナツの言うとおり丸く収まって何よりだ。ことの顛末はかいつまんで聞いたけど、なかなか規模の大きい話だったし。

 まぁとにかく、シャルルも今日をもって自由に暮らすことが――――    

 

「みなさん、着席してくださ~い。SHRを始めますよ~」

 

 予鈴と同時ほどに教室へ姿を見せたのは、なんだか疲れ切った様子の山田先生だった。ナツじゃないけど、これはこれでいろいろと察してしまうな。

 揃って山田先生を気の毒に思うような苦笑を浮かべると、無意味に顔を見合わせてしまう。そしてナツは小さく手を振りながら自分の席へ着いた。

 何人かはシャルルが不在であることに疑問を抱いているようだったが、山田先生はそのままSHRの進行を始める。

 

「えーっとですね、今日は新しいお友達? を紹介します」

 

 瞬間、教室内は一気にざわついた。まぁそれはそうだろう。ついこの間二人も追加の人員があってのことなのだから。

 でももっと驚くことになるだろう。みんなあまり違和感とかは覚えなかったみたいだし。そもそも違和感は少なかったもんな。

 山田先生の入ってくださいという言葉に導かれ、束ねた金髪を揺らす少女が姿を見せた。そして俺の予想通り、クラスメイトたちは一気にざわつきを加速させる。

 

「そ、それでは一応ですけど自己紹介を……」

「はい。みなさん、改めましてシャルロット・デュノアです。事情があって変装して転入して来ましたけど、事情があってその必要がなくなったんです」

「そういうわけでして、デュノアくんはデュノアさんだったと言いますか。私も何を言ってるのかわからないと言いますか……」

 

 丁寧なお辞儀をするその姿は、貴公子でなく淑女そのもの。服装だけでこうも印象が違って見えるのだから、やっぱり女の子という生き物はすごいな。

 それにしても、シャルロット……か。実際にシャルル……シャルルじゃないんだよな。えっと、デュノアさんの口から本名を聞くのは初めてとなる。

 デュノアさんは事情があって変装の必要がなくなったと宣言した時、一瞬だけチラリとこちらに目配せした。

 どうにも父さんが実際にデュノアパパさんに接触を図ったところ、なんでも日本へのスパイ行為というのは大義名分のようなものだったらしいことが明らかになった。

 なんでもデュノアさんを危険から遠ざけるための嘘らしく、デュノアさん自身も本人の口からそのことが聞けたそうな。

 デュノア父娘の和解は成立し、今後はFT&Iの支援も受けつつ、危険を取り除き次第再会を約束したんだって。

 つまり、ほとぼりが冷めるまでは日本に居られるということ。これでまた仲間が増えたっていうか、せっかく仲良くなった友達がすぐ帰っちゃわないでよかったと心から思う。

 

「え、てか何、日向の薄っいリアクション」

「もしかして、知ってたってことかな」

「だとしたら、あの二人って同室だよね」

「「「…………」」」

「うーわっ……」

「異議ありぃ! 確かに知ってたのは認めるけど、デュノアさんの事情を鑑みてのことなんだって!」

 

 なんだかざわつきが俺を絡めた話しにシフトしていった時点で嫌な予感はしたが、最終的に引くわーみたいな評価に帰結する。

 善意を持って黙っていたのにたまったものではない。流石に不満が爆発した俺は、右手を大きく掲げてから立ち上がり、必死の弁明を図ってみる。

 それなりに信用は築き上げてきたはずなのに、あまり真摯に受け止めてもらえていないご様子。なぜだ、唯一の男子であるせいなのか。

 

「そうは言われても、ねぇ?」

「ほら? 毎日のように織斑さんとのアレコレ見せつけられてる身だし」

「ア、アレコレって……。一応は私も知ってたから別にそんな……」

 

 ……箒ちゃんのこともあって俺たちがそういう目で見られているのは知っているけど、どうやら二股をかけてるという感覚で引かれているらしい。

 いや、ナツはともかく……ともかくっていうか、まぁ、アレなんだけど、デュノアさんが俺に気がある前提っていうのはおかしいんじゃないかな。

 そう思ってデュノアさんに目を向けてみると、お手本のような苦笑いが返ってくる。うん、そうだよね、困るよね。俺としても無理して男扱いしていたせいか、恐らくデュノアさんは最も仲のいい女友達である。

 それでもってこの件に関わるであろうナツの様子も見てみる。……あのさ、モジモジしてないで、嘘でも本当でもいいからとにかく弁護くらいしてほしい。

 困ったな、どうやら自分の力でどうにかするしかないようだ。う~む、こういうのはどうだろうか。

 

「逆に質問させてほしい。俺にそんなことをする度胸がある男に見えるかな」

「「「…………」」」

「それはまぁ、確かに」

「一途ってか不器用そうだもんねー」

「不器用っていうか、ヘタレ?」

(納得されてしまった……!)

 

 やはり俺の信用を信用するのが一番と考えた俺は、自分がそんな下種なことをするような男だろうかとクラスメイト諸君に訴えかけた。

 するとしばらくの沈黙の後、女子たちは口々に自分たちが間違っていたという旨の言葉を発する……んだけど、だけどなんだろうかこの、表現しようもない複雑な気分は。

 いや、わかる、わかるよ? 俺自身の評価はヘタレで落ち着く。それが恋愛ともなればなおさら。でもなんかこう、男としての何かが俺を納得させてくれない。

 ……まぁいいや、この場を切り抜けられたならなんでも。だって二股するような最低野郎で議論が終わるほうが最悪だろ。

 それから特に騒動という騒動はなく、遅れてやってきたフユ姉さんが場を収め、それから今日の予定を話すといういつもの流れだった。

 ああ、でも、さっきから箒ちゃんの視線が凄まじく痛いんだけどね。多分、さっきのをナツを悲しませる要素として捉えているんだろう。

 けどかつての馴染みから言わせてもらえば、手が出なくなっただけ大きな成長だ。ここは気にしないでおくことにしよう。別に本当にやましいことはなかったんだし。

 そして授業が始まるまでの小休止、すぐさま女子の波はデュノアさんへ向かっていた。俺とナツは、その様をただ見守ることしかできない。

 

「おい」

「ああ、ボーデヴィッヒさん。大事なさそうで本当によかったよ」

 

 心中で頑張れデュノアさんとエールを送っていると、相変わらずぶっきらぼうな口調のボーデヴィッヒさんに声をかけられた。

 すぐさまベッドに直行したとはいえ、特に問題らしい問題がなかったことはナツに知らされている。そして、いろいろと彼女とわかりあえとかもということも。

 それで声をかけてきたとなると、これからよろしくのひとことでも貰えるのかな? それともまだ負けてないとか? どちらにせよ、一字一句聞き漏らさないようにしなくては。

 

「もうひとつ、お前たち絡みでわかったことがある」

「ず、随分いきなりだね。えーっと、何がわかったって?」

「愛の力とは偉大だということだ。道理で私が勝てんわけだ」

「「……はい?」」

 

 ボーデヴィッヒさんが人差し指を立てて数字の1を示したかと思えば、いきなりわけのわからないことで勝手に納得されてしまう。

 これには俺もナツも疑問符を付けた声しか上がらないわけだが、お互い顔は見合わせないほうがよかったとだけ言っておこう。

 いやだって、愛とか言われたら変に意識しちゃうでしょ。近頃の俺たちはなんだか微妙な関係なんだからなおさらだ。

 と、とにかく、真相を確かめないことには始まらない。あまりにも突然が過ぎるぞボーデヴィッヒさん。

 

「なんでそんな結論に……?」

「お前たちは家族同然の幼馴染なのだったな。ならばこれを見たほうが早い」

「これ、日本のアニメだよね。私たちとはあまり関係なさそうだけど」

 

 ボーデヴィッヒさんがこちらに差し出してきた携帯の画面に映っていたのは、確かライトノベルだったかネット小説だったかがアニメ化されたやつだったと思う。

 そしてシーンはクライマックス。見やすいよう編集をしているみたいだけど、要約するなら主人公とヒロインが協力してラスボスを打ち倒す熱い演出が流れていく。

 ……つまり、俺とナツをこんな感じに当てはめたってこと? ……いやいやいやいや。……いやいやいやいや。

 

「「いやいやいやいやいや!」」

「む、何か間違っているか? おかしいな、クラリッサは確かにこういうことだと言っていたのだが……」

「何もかも間違って――――はないかも知れないけど、ちょっと話が突飛しちゃってるっていうか……」

「そ、そうだよ、家族愛! 私たちのは家族愛だから!」

 

 ナツも俺と似たようなことを考えていたのか、俺と全く同じタイミングで、顔を真っ赤にしながら腕を左右に振っていやいやと声を荒げる。

 俺たちのリアクションがよほど不服なのか、ボーデヴィッヒさんは若干しゅんとしながら携帯をポケットにしまった。

 いやね、俺たちの間に確かに愛はあるよ。ナツはとても大切な人だ。けど、それはナツ本人が口にしたとおり、あくまでまだ家族の範囲を脱していないというか。ベクトルが違うっていうか。

 

「そう、それだ。家族愛。先ほどのはモノの例え。愛の種別くらい私とて心得ている」

「は、はぁ……? それはまた、意外というかなんというか。って、失礼だね今の。ごめん」

「なに、理解してもらえたならそれでいい。そこでだ、私からひとつ提案がある」

 

 どうやら俺とナツの間にあるのが、男女的な意味合いである愛と異なるのはわかっているらしい。ならどうしてそんなややこしい例えを……。

 い、いや、わかってもらえているならそれでいいか。これ以上踏み込まれると、脳のキャパを超えてしまいそうだからね。

 しからば、ボーデヴィッヒさんの言う提案とやらに重点を置こう。なんだかここにきて威圧感が凄いが、果たして――――

 

「私も混ぜてもらおうか」

「……うん? えっと、ナツ?」

「え、ごめん。私もよく……」

「だ、だから、お前たちに私も混ぜろと言っている! 要するにあれだ、切磋琢磨できる者がひとり増えるというわけだ。喜べ!」

 

 ボーデヴィッヒさんは強気な態度で自信を親指で差すと、ただひとこと私も混ぜろと宣言した。

 けど残念ながら、主語がないせいで意図を察してやれない。困った末にナツへアシストを求めるが、彼女も首を傾げるばかりだ。

 けど赤面して声を荒げるあたり、ボーデヴィッヒさんは自らの意志で言葉をぼかしたみたい。ならますます察してあげないとなんだけど、う~む。

 

(ねぇねぇ、ハル。あれじゃない? ほら、義兄弟みたいな)

(あ、なるほど。だから混ぜろってことなのかもね)

 

 そわそわと落ち着きのない様子のボーデヴィッヒさんをよそに、ナツが声を潜めて導き出した回答を俺に告げた。

 義兄弟のようなもの、か。愛の力は偉大という前振り、そして混ぜろ、切磋琢磨……うん、確かにそれならつじつまが合う。

 俺とナツを繋ぐもの。それを簡単に言うなら絆だが、それはとても複雑な様相を呈している。

 何と言ったらいいんだろう。血のつながりも、性別も、ありとあらゆるものを超越した絆。みたいなものだろうか。

 そして俺たちの力の源は、複雑ながらも確かにある絆。

 そういうものを理解したボーデヴィッヒさんは、新たな強さを求めるにまで至ったと……。

 

「「…………」」

「な、なんだその目は」

 

 俺とナツは視線だけを合わせると、ニヤニヤと破顔してしまう。

 ボーデヴィッヒさんの口からそんな言葉が飛び出るとは思わなかったのが大きな原因だけど、なんだか微笑ましく感じるのも嘘ではない。

 多分、そうなってくるなら俺たちの中にある回答は同じなんだろう。俺は弟分という自覚があるので、先のことはナツに任せることにした。

 スイっと掌を差し出すと、ナツはわざとらしく咳払い。そして一拍子開けると、慈愛に満ちたような顔つきへとかわった。

 

「いろいろあったせいか、ボーデヴィッヒさんにそう言ってもらえるとすごく嬉しいな」

「それでは――――」

「うん、もちろん。きっといつか、本当の家族になれる日が来るまで――――よろしくね、ラウラ」

「決まりだな! こちらこそよろしくだ。姉さま、それに弟よ!」

「あ、そこ俺弟なんだ……。うん、まぁ別に構わないけど。とにかく、よろしく頼むよ。……ラウラ姉さん?」

 

 あまりにも堂々たる弟宣言に一瞬スルーしかけたが、どうやらラウラちゃんの中では俺は下に位置するらしい。

 普通の人ならなめられてるとか思うかも知れないけど、俺に至っては妥当なところかなとか考えてしまう。ほら、ラウラちゃんって男前だし。

 それに今では普段の軍人然とした様子が嘘のようにも見える。きっと、元からラウラちゃんはあまり世間を知らない純真な子なのだろう。

 というか、今まで興味がなかったと言ったほうが正しいかな。多分だけどラウラちゃんは、ゆっくりでも少しずつでも、まだまだ強くなっていくことだろう。

 まぁとにもかくにも、姉が一人増えました。

 

 

 

 

 




原作でもちょっとお茶目なところがある千冬さん、好きです。
大人な女、しかもクールビューティーな人なんでギャップが大変よろしい。
今作においても一応の描写はできたのでまんぞくです(小並感)





ハルナツメモ その21【弟認定】
別にラウラもバカにしたいわけでないが、感覚的な部分で弟認定しているのは否めない。
晴人本人から言わせても、自分が弟のほうがなんかしっくりくる。だそうな。
極論ではあるのだが、晴人は実際に年齢が下にならねば、大概の人物に弟認定されることだろう。
穏やかかつ、争いを好まない性格が作用してのことだと思われる。


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第41話 ありかた

臨海学校編プロローグです。
この臨海学校編にて、様々なことに決着がつく予定になります。
なので不穏な滑り出しですが、きちんと可愛い一夏ちゃんも描写していきますので。


 夏という季節が猛威を振るい始める七月初頭。まさにうだるような暑さの中、俺とナツは大型ショッピングモールに足を運んでいた。

 というのも、もうすぐ次の学校行事として臨海学校がある。字面だけ見れば親睦を深める小旅行か何かに思えなくもないが、そこは天下のIS学園だけに甘い内容ではない。

 どうやら宿泊施設の一帯が兵器運用の試験場みたくなっているようで、そこで主に専用機の追加パッケージやらの試運転を行うことになるんだとか。

 スケジュールは二泊三日ということで、どうしても生活必需品の買い出しが必要になった。その流れで、ごく当たり前のようにナツと二人で出かけることになったんだけど……。

 

「…………」

「ハル、ボーっとしちゃってるけど、もしかして体調悪いとか?」

「ん……? い、いや、別になんともないよ! ほら、全然元気」

「ならいいんだけど、この暑さだからね。何かあったら早めに言わなきゃだめだよ」

 

 ……まただ。最近本当におかしいな、無言でナツに注目してしまうことが増えるなんて。

 そもそもの話、最近のナツはどうも可愛くなったというか、綺麗になったというか、そんな気がしてならない。

 実際のところどうなのだろう。俺の視点が変わっただけのことなのかな。こんなことに関して、他人の感想を求めるわけにもいかないし。

 とにかく、ナツに余計な心配をかけるのはやめておこう。それに、下手すると本当に倒れてしまいそうな気候なのだから。

 

「それより、必要そうなものはこれで全部かな」

「うん、リストアップしてあるものは揃ってるよ」

 

 俺が強引に話の流れを変えると、ナツは特に気にした様子を見せずに携帯のメモ機能を起動した。

 配布された旅のしおり的なものに書かれていた品。そしてその他必要であろうとリストアップしておいた品。それらを照らし合わせてみるが、やはり間違いなく全て揃っているようだ。

 そいつは重畳、これでやっと暑い中をほっつき歩かないで済むというものだ。

 だとしたらこれからどうしよう。無難に喫茶店でも入ってしばらく休憩ってところかな。それとも少し早いけどお昼?

 自分一人なら迷わず喫茶店だが、ナツと一緒に来ているんだから意見交換が必要だ。さっきの二択とは別に、第三ないし第四の選択肢が挙がるかも知れない。

 

「ナツ、これからどうしようか」

「あ……。えっと、実は行きたい場所があって」

「へぇ、そいつは。わかった、じゃあそこへ向かおうか。場所はわかる?」

「う、うん、一応。こ、こっちだよ」

(……? なんか変なナツだな)

 

 行きたい場所があるなら別に構わないんだよ。俺の性格からして、誰かに合わせているほうが楽でいいし。けど、ナツの反応に少しばかり疑問を感じる。

 その行きたい場所がどこかまでは明かしてくれない。それになんなんだろう、その少し恥ずかしそうというか、気まずそうな様子は。

 それに腕を引っ張って多少強引な印象を受けるのもナツらしくない。う~む、あまりにもいきなり様子が変わるものだから変な感じだなぁ。

 まぁ、着いて行ったところで美人局なわけでもあるまいし、ここは黙って大人しくしておくことにしようかな。

 そんなこんなでナツに誘導されることしばらく、服などを販売するフロアまでたどり着いた。そして、ある店の前で足が止まる。

 

「こ、ここだよ」

「ここ? ここって――――」

 

 店構えの見た目はそれこそ服屋に見えるけど、ウィンドウに並べられているマネキンが身に着けているのは、サマーシーズンにピッタリの水着だった。

 なんだかこのブランドの店は見たことがある気がする。いつもは普通に服を売っていたと思ったが、つまりこの時期に合わせて水着の大売り出しをかけていると。

 で、ナツがここに連れてきたということは、水着を買いに来たということでいいんだろう。

 ああ、初日の午前は確かに自由行動があったかな。その時間を利用して海で遊ぼう。そうやってクラスメイトたちが盛り上がっていたような気がする。

 ふむ、謎は一部解消されたわけだけど。どうしてそんなに気まずかったり恥ずかしそうだったりしたのかな。そこのとこどうなんです? ナツさんや。

 

「それで、その、ハルにひとつお願いがあるの」

「今? 内容にもよると思うから、とりあえず言ってみてよ」

「私の水着、一緒に選んでくれないかな~……なんて」

「…………はい?」

 

 やけにモジモジしながら何を言い出すかと思いきや、どうやらナツは俺に水着を選んでほしいそうだ。

 ……うん、うん? いや待て、言葉の意味は理解できるけど。なんかすんなり頭に入ってきてくれない。選ぶ? 俺が? ナツの水着を?

 ナツは女の子になって間もなくISに乗り始めて忙しかったし、それから一緒に海へ遊びに行ったりはしなかったっけ。俺自身、猛暑の中で出かけることに関しては消極的だし。

 つまり学校の授業とかを除いては、ナツにとっても初水着なわけだ。……それを俺が選ぶと? ……え? 選んでいいんですか?

 

「いいんっすか!?」

「あ、あれ、意外とノリノリ……。てっきりハルのことだから、大慌てするんじゃないかって思ったんだけど」

「あっ、いや、今のは違うくて! なんていうかその、勢い余っちゃったっていうか!」

 

 いや待て待て待て待て待て待て、俺のキャラじゃないよ落ち着け、落ち着くんだ無理にでも落ち着いて!

 ってか、いいんっすかってなんだよ! 恐れ多いと思ってるのに、そんな軽率な感じていっちゃってどうするんだよ!

 この際だから認めるけど、嬉しいっていうかとても名誉なことだとは思う。だけど思春期男子特有のアホさをふまえてもない。いいんっすかだけはない。

 大丈夫だろうか。引かれているようではないけど、少しばかりナツを驚かせてしまったようだ。弁明に説得力ってもんがないな。

 とにかく、そういうことなら喜んで受けさせてもらおうじゃないか。画家の端くれの美的センスが問われるっていうもんだよ。

 それを冷静に報告ね、冷静に! 心の中で深呼吸。いつもの優しく穏やかな俺で、完璧に返事!

 

「ゴホン! えっと、うん、俺でよければ選ばせてもらうよ」

「うん、ありがとう! じゃ、さっそく入ろっか」

 

 ナツの中では俺が断るという未来もあったのか、意外にも乗り気となればとても嬉しそう。ちょっとタガが外れかけただけに、若干の罪悪感がなくもない。

 けど気にしてばかりではいつまでも前に進めない。ということで、ナツと一緒に店内へと足を踏み入れた。

 こういう店にはこぞって来るようなタイプじゃない。水着なんて大型スーパーとかで大安売りしてるやつでいい、って人ですし。

 そのせいか、水着という存在そのものに親しみがあっても、店内に並べられている商品は、俺にとって奇抜な部類のように感じられた。

 ざっと見る限り女物7割男物3割ってところか……。うん、さっそく居心地が悪い。けど、ナツに大見得斬ったしそうも言ってられないかぁ。

 

「さて、まず何から決めようか」

「うーん、無難に色……とか?」

「ナツのっていう前提なら、俺の中では一択だけどな。まぁ、安直だけど白かなって」

「わっ、それ嬉しい! 私としても最近白ってお気に入りなんだ。えへへ、ありがと、ハル」

 

 な、なんかそこまで喜ばれると逆に複雑だな。適当なつもりはないけど、ナツのパーソナルカラーが白式からの流れで白っていう、本当に安直な考えなのに。

 ナツは私のことをよくわかってくれてる、みたいな反応を示す。なるほど、ナツとしても白は最近お気に入りと……覚えておこう。

 いやぁ、でもなぁ、ナツには本当に白式がよく似合ってるよなぁ。純白の塗にナツの肌艶がマッチしてるっていうか、黒髪との対比がグッとくるっていうか。

 初めて見た時も口を滑らせたけど、やはり考えれば考えるほど綺麗だ。何よりそんな白式を纏って戦ってる姿が美しい――――って、そのあたりは後にして、水着選びに集中しよう。

 

「次はデザインって話になるんだろうけど、流石に女性用水着のタイプって、細分化されててよくわからないんだよね」

「じゃあ、その、おおまかなことを聞くから答えてほしいな。ろ、露出度とかは控えたほうがいい? それとも、少し大胆くらいがいい?」

 

 

 な、なるほど、そうだよな、女性用ともなれば、そのあたりのことも当然のように選ぶ基準に入ってくるか。

 う~~~~~~ん……難しいなぁ。仮にこれが一般客、つまりは不特定多数の男性が居る場所に向かうっていうなら、俺は間違いなく控え目でと答えていたろう。

 かといって、男が俺だけだからと大胆にというのも何か違う気がする。というか、あまりアレだと直視できないのでは……?

 ナツの体型を客観視したとして、間違いなく抜群のプロポーションという結論が出る。出るところは出ていて、締まっているところは締まっているみたいな。

 となれば、それを晒さないのもなかなか勿体ない話なのかもしれない。画家の端くれ的視点で言わせれば、肉体美ってのはアートで間違いないのだから。

 よし、ならここは俺個人の願望も踏まえて、正直な裁定を下すことにしよう。

 

「少しくらいなら冒険してもいいんじゃないかな。ほら、えー……せっかくスタイルいいんだからさ」

「そうかな? カロリー制限以外あまり意識してないんだけど」

「そうだよ、幼馴染の俺が言うんだから間違いない。それにさ、俺個人としても、ちょっとばかりセクシーなほうが、まぁ、テ、テンション上がると言いますか……」

「そ、そっか。ハルがそう言うなら頑張るね! 私、ちょっと条件に合いそうなの探してくる」

 

 勢いそのままいつもの俺を貫き通し、いくらかはセクシー路線でと伝えようとしたのだが、羞恥心に耐え切れず最後の方は顔を隠しながらになってしまった。まぁ、ある意味これもいつもの俺だが。

 そして方針が定まったのと同時にナツは奥のほうへ消えていくわけだけど、頑張るねって何さ頑張るねって。恥ずかしいなら別に無理しなくても構わないぞ?

 ……なんて伝える暇もなく、と。一度決めたら一直線というか、そういうあたりはやっぱり女の子になっても変わらないなぁ。

 ふむ、しみじみとしている間があれば、俺も適当に一着買っておくかな。流石に普段着みたくこだわらなくていいでしょう。

 そんなわけで、数少ない中から、黒地に白でハイビスカスやヤシの木がデザインされた、アロハって感じのものを手に取る。我ながら超がいくつも付きそうなほど無難だ。

 これでも一応迷ったほうだ。まぁ、迷うったってカラーリングの差くらいだけども。でも実際世の男性ってどうなんだろ。水着で迷うって人は少なそうな気がするんだが。

 

(……やっぱり俺のほうが早いよな)

 

 元の位置に戻ってみるも、まだナツの姿はない。そもそもそんなに時間が経過したわけでもないし、相手は女の子なんだから当然のことか。

 別にこのあたりは気が長いほうというか、多分だけど何時間だって待てるタイプだと自負している。地味に好きなんだよね、何もせずボーっとしてるのとか。

 まぁ頭の中ではいろいろ考えてる。主に絵に関することとかだけど、外面にそれが出ないから少々不審がられたりもままある。

 とにかくそのくらい気長にってことだ。女性がより可愛く、美しくなるよう努力する時間を待つことに目くじらを立てるほうがおかしいってもんでしょう。

 

「お待たせ! ごめんね、けっこう迷っちゃって」

「ううん、全然だよ、全然。むしろ気に入ったのが見つかったなら何より」

 

 我ながら気の長さに感心していると、俺が思っているよりもずっと早くナツは戻ってきた。向こうからすればかなり待たせてしまった気分みたいで、とりあえずは謝罪から。

 でも所要時間をカウントしてないし、あんなのは待ったうちに入らないとも。それより、ナツがどんな水着を持ってきたかのほうが気になる。

 ナツも少しばかり焦らすつもりなのか背に隠している。だからってソワソワするなんてことはないけど、よほど気に入ったと見てよさそうだ。

 まるで俺の予想が的中したかのように、ナツは少しばかり得意げに選んだ水着をこちらへ差し出した。

 

「じゃーん! こんなのでどうかな」

「おお、これは……」

 

 ナツが選んだのは、色が白でビキニタイプの水着だ。ここまでならさっき話し合ったとおりの条件に見合っている。だがデザインを見るに、ナツのセンスの良さが光っているように思えた。

 何かって上も下もつなぎ目となる部分が、蝶結びにされたリボンのようになっている。これならただセクシーなだけでなく、キュートさも印象として大きい。

 何より、そのリボンって感じが可憐なナツにはぴったりだと思う。そう、まるでナツのためにデザインされたかのようだ。

 となれば俺の答えはもう決まっている。俺は両手でサムズアップをしてみせ、ニッと歯を見せて笑いながら感想を述べた。

 

「100点満点中で200点。ナツによく似合うと思う」

「あはは、やったねダブルスコア! よかったぁ、気に入ってたから似合わないって言われたらどうしようかと」

 

 俺があまりにも好感触なせいか、ナツはおどけるようにしながら両腕で小さなガッツポーズを作って見せた。その後はホッとしたというか、安心したかのように胸を撫でおろす。

 それで似合わないって感想が出るなら、俺の感性はきっとどうかしてる。絵とかもピカソのようなエッジの効いたやつしか描けなかったろう。

 ……思ってみたら、前衛芸術とか挑戦したことなかったな。……って、そんなのは後回し。店の人に迷惑がかからぬよう、速やかに会計を――――    

 

「ほう、デートで水着選びか?」

「ふ、ふ、ふ、フユ姉さん!?」

「どうしてこんなところに!?」

「なに、完全なる偶然だ。真耶の奴に引っ張って来られてな」

 

 レジに向かおうとしたその矢先、俺たちの背後にはいつの間にかまさかの人物が。フユ姉さんだ。

 完全にオフであるせいか、それとも俺たちをからかっているせいか、その表情はいつもより幾分か柔らかい。

 それにしても偶然、か。どちらが先にこの店に訪れたかは別にして、世間というのは広いのやら狭いのやら。

 本人の談のとおり、自分だけでレジャー用の買い出しをするとは考えにくい。来店を提案したのが山田先生となると、更に奇跡的なエンカウントに思えるな。

 ちなみにそんな山田先生だが、気に入ったデザインなのにサイズが小さかったりで四苦八苦しているらしい。なるほどなぁ、女の人ってそうなるわけだ。

 

「ところでだ。今から会計なら、私のも一緒に頼めるか」

「それはいいけど、どうして?」

「少し晴人と話があってな。ほれ、奢ってやるからとっとと行ってこい」

「うん、そういうことなら……。でも千冬姉、あまりハルをからかっちゃダメだからね」

 

 あまりに驚きすぎて気が付かなかったが、フユ姉さんはその手に黒色の超大胆なビキニを持っていた。どういうわけか、俺やナツの水着とまとめて支払いをするよう言伝る。

 理由は俺と話がしたいから、だそうだ。つまり支払いをしている間に軽く済むような内容なんだろうけど、何か嫌な予感がするのは俺だけだろうか。

 けどからかうだけなら、俺とナツがセットのほうがフユ姉さん的には楽しいよな。だとすると、本当に真剣な話なんだろうか。

 そんなことを考えている間にあれよあれよとことは進み、ナツは俺とフユ姉さんの水着、そしてクレジットカードを受け取ってから会計へと向かって行ってしまう。

 

「……さて、晴人」

「う、うん、どうかお手柔らかに」

「そう警戒するな。――――と言いつつ、お前に対しては荷になることを聞くんだろうよ」

 

 こちらを射抜くフユ姉さんの視線は真剣そのもの、というほどには鋭くない。かといって、悪ふざけの要素は微塵も感じられなかった。

 こういう言い方をすると変なのかも知れないが、珍しく中途半端って感じで違和感を覚える。いったい俺の何が気になるって言うんだ。

 

「晴人、お前は一夏との将来をどれだけ真剣に考えてくれている」

「……言葉どおりの意味って捉えていいんだよね」

「先のやり取り、かつての晴人ならば全力で否定していたろうからな。とするならば、いずれは――――と思ってくれていれば、あいつの姉としてこれ以上安心なことはない」

「それは、恐縮です」

 

 相変わらずフユ姉さんは俺たちのことをよく見ている。時には自分自身でもわかっていなかったことを見透かしてくる場合もあるのだから、もはや知れたことか。

 フユ姉さんの言う否定していたとは、デートという部分についてだろう。確かに、かつての俺ならただの買い物ですなんぞほざいていたはず。

 俺たちの関係は恋人同士ではない。そこについては現状揺らぐことのない事実だ。しかし、今まさに俺たちがしているのは、間違いなくデートだとは思っている。

 それを踏まえて、というか、本当に恐縮としか言えない言葉をもらっておいてなんなんだけど、ここで自分の気持ちを偽ったって何も始まらない……とも思う。だから、俺の答えは――――

 

「ごめん、わからない。ナツとの未来どうこう以前に、僕は、僕の気持ちが……本当にわからない」

「……そうか」

 

 わからない。本当にこの言葉に尽きる。

 ただ、他の女性とナツを同一視するほどではないんだ。特別だよ。ナツはあらゆる意味で、俺にとって特別な女性だ。

 他の女性からはナツほどの安らぎを、緊張を、庇護欲を、高揚を感じない。感じたとして、ナツの足元に及ぶことはないだろう。

 だがこれを恋愛感情かと自分に問いかけたとき、本当に何も答えが返ってこないのだ。まるで初めから答えが用意されていないかのように。解答欄が真っ白なのが正しいかのように。

 多分、俺の性根が影響しているんだろうなとは思う。

 よく言うならば謙虚。悪い言い方をするなら自分がない。他人に何も感じさせないために、自分の感情を抑圧して生きてきた。

 だからわからない。時として俺は、自分が悲しんでるのか怒っているのかすら曖昧な自覚すらある。

 

「フユ姉さん」

「なんだ?」

「僕がナツの傍に居ることは、ダメなことなのかな」

 

 最近はこんな思考回路にならなかったと言うのに、そう考えると途端に自分がダメな奴と思えてならない。

 そもそも、ナツが女の子になってからは感じたことはあった。なんていうかさ、お互いがお互いをダメにしているような、そんな感覚を。

 周りのみんなに流されるってことじゃないつもりだけど、俺とナツは恋人であって然るべきみたいに思われているのは――――正直に言えば納得のいく部分もある。

 だというのに、幼馴染だから、恋愛感情関係なしに大切な人だからって、そんな関係をずるずると続けてしまっては、ナツのためにならないんじゃないかって。    

 

「晴人。それ以上言うのなら、私はお前を殴り飛ばさなくてはならなくなる」

「フユ姉さん……。けど――――」

「ダメなこと? 笑わせるな。晴人と出会って、あいつがどれだけ――――いや、この話は止めておこう」

 

 ああ、わかっていたさ。自分の感情もわからないくせして、そういうのは察しがいい。わかっていたさ、フユ姉さんがそう言ってくれることくらい。

 端から聞くと厳しい言葉なのかもしれない。けど、逆だ。フユ姉さんのそれは俺を甘やかしている……と俺は思う。どうせなら、本当に殴ってくれれば――――いや、俺のこんな考えもまた、甘えなんだろう。

 フユ姉さんの顔つきはいくらか悲しそう。俺のネガティブ発言でそうさせてしまったなら、なんと申し訳ないことだろうか。

 そして何かを話しかけていたフユ姉さんは――――途中でそれを止めてしまった。それと同時に、先ほどまでの表情へと戻る。

 

「とにかくだ、そんなことだけは冗談でも言わないでくれ。例えそれが、どういう感情のもとにあろうとな」

「……うん、ありがとう」

「すまなかった、やはり聞くべきではなかったな。晴人は晴人らしく、あいつの隣に居てやれ。今はただ、それだけでいい」

 

 フユ姉さんはそれだけ言うと、ナツから水着を受け取るつもりなのか、会計の方へ歩いて行ってしまった。俺はただそれを眺めることしかできない。

 今はただ、か。今ならば、いつかがあるということでもある。全ては俺に委ねるということなんだけど、フユ姉さんだってプレッシャーを与えたかったわけじゃない。

 ……だったら、今はそっとしておこう。難しく考えるのは一人の時だってできる。なんたって、今はナツとのデート中なのだから。

 フユ姉さんと入れ替わるようにこちらへ歩いてきたのはナツだ。俺は決して心配をかけぬよう、表情も雰囲気も元通りへと戻した。……見抜かれる可能性は大いにあるけど。

 

「ハル、お待たせ。千冬姉、なんの話だったの」

「やっぱりそれなりにからかわれたっていうか。うん、別にただそれだけだよ」

「…………そっか、ならいいんだけど。ん? よくないのかな。ほら、ああいう時の千冬姉って厄介だし」

 

 あ、これはバレてますわ。一瞬の沈黙があったのは見逃さないぞ。まぁ、内容までは察知してないだろうけど。

 でもやっぱり、俺の想いをくみとってか聞かないではいてくれるんだよな。本気で落ち込んでるようなら、ガンガン聞いてくるんだろうけど。

 とにかく、見て見ぬふりをしてきた部分はあるんだ。例えどれだけ暗い思考回路になろうとも、それなりの答えは見出さなくてはならないだろう。

 ナツとのありかたとか、これからってきっと、俺の一生を左右する案件なんだろうから。

 

 

 

 

 




久しぶりの面倒臭い系主人公な晴人回。
二話前のかっこよさはどこへやら。
でもこいう恋愛感情に際して、あまり軽率な言動または行動をしてほしくないというのもありまして……。これ一番面倒臭ぇの私だなさては!
まぁ、どうか一夏ちゃんとの将来に真剣であることの裏返しとでも捉えていただければと。


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第42話 海での二人

臨海学校編、本格スタートとなります。
とはいえ、例の事件が発生するまでの間くらいはゆったりいきます。
事件うんぬんより、例のあの人が出現するほうが厄介かも知れませんが。





以下、評価してくださった方をご紹介

COLT SAA様

評価していただきありがとうございました。


「海だー!」

 

 臨海学校への宿泊所へ向かうバスの中、一人の女子がそう叫んだ。と同時に、バス内をいくらかざわめきが包む。

 いつもなら大人しい俺も、その対象が絶景とあらば話は別。瞬間的に窓の方へ首を回転させ、スケッチする際の構図の思案を始めた。

 

「すごい食いつき」

「やっぱり血が騒ぐっていうか。ナツ、窓側譲ってくれてありがとう」

「フフ、どういたしまして」

 

 窓に遮られながらも様々な角度で景色を眺めていると、隣に座るナツがなんだか楽しそうに声をかけてきた。

 何かとこういった遠出の際には、窓側に座らせてもらうのがデフォだ。こうして見やすいほうがハルもいいだろって。

 紺碧の海に反射する太陽光が、見事なコントラストを生んでいる。そんなかなりの絶景なせいか、目もくれずな感謝になってしまっているのが申し訳ない。

 でもナツはそんな俺を見ていることこそを楽しいんでいるようで、今度こそ笑みをこぼしながら俺の雑な感謝に応えた。

 

「お前たち、うるさいぞ。それにもうすぐ到着だ。大人しく座っていろ」

 

 女子たちのざわつきが徐々にボルテージを上げ始めると、すかさずフユ姉さんのストップがかかる。

 それまで浮ついた空気も鳴りを潜め、女子一同はかわいそうなくらいシンとしてしまった。確かに気持ちはわかるけど、何もそこまで大人しくならなくてもいいんじゃないだろうか。

 ちなみに俺は別に騒いでいたわけでもないので観察を続行。むしろスケッチブックを手元に持っていなかったのが悔やまれる。

 そうやってしばらくシミュレートを続けていたが、フユ姉さんの言葉どおりにすぐバスは停車してしまった。少し残念に思いつつも、荷物片手に手早く降りる。

 すると俺の目に入ったのは、ドラマとか映画で出てきそうな様相の高級旅館だった。……え、おかしくない? たかだか学校行事でこんな場所に泊まるって。

 

「ここが二日間お世話になる花月荘だ。各々、立場をわきまえて行動するように」

(本当にここなのか……!?)

 

 IS学園一年生一同が整列すると、その前に立っているフユ姉さんが厳つい顔をしながらそう告げた。

 ……衝撃を覚えている俺がおかしいのか、それともIS学園がおかしいのか。定かではないが、俺は非常に顔を引きつらせてしまっている。

 だって明らかに高級旅館で――――いや、止めておこう。疑問に思うだけ無駄ってやつみたいだから。

 俺は元気な声でお世話になりますと挨拶をする一同からワンテンポ遅れ、それから挨拶をしながら頭を下げた。

 ……はっ! それはそれとして、個人的に女将さんに謝罪をしておかなければ。さもないと、間違いなくフユ姉さんにシバかれるコースに違いない。

 解散の合図が出てみんなが一斉に旅館へと足を運び、一人一人を丁寧に見送っている女将さんに恐る恐る声をかけた。

 

「あのー……すみません。えっと、自分は日向 晴人と言います。一人だけ男ってことで、ご迷惑おかけして申し訳ありません」

「あらあら、これはご丁寧に。でも気にしないで下さいませ。きっと一番大変なのはあなたですもの」

 

 非常にかしこまった挨拶を述べると、女将さんにはなんだか大人の余裕をもって受け止められてしまった。

 ますます恐縮してペコペコ頭を下げていると、いつまでやっとるんだバカタレ、なんていう声と共に俺の頭へ衝撃が走った。

 言うまでもなくフユ姉さんなわけだけど、今の出席簿アタックばっかりは解せない。

 だが逆らうだけ無駄な人なのはよくわかっているので、フユ姉さんの案内を頼りに旅館内をついて歩く。

 というのも、旅のしおりの中に掲載されている部屋割りに、俺の名前がなかったんだよね。

 ついに姉貴分にも存在を忘れられたかと問い合わせてみると、俺は少々特殊なかたちでの宿泊になるらしい。

 そりゃそうだ。俺一人に一部屋あてがうなんて豪華すぎるし、かといって女子たちと相部屋なんてのは論外だし。

 せめて布団に入って寝ることができればなーと、早々に待遇について諦めにも似た想像を抱いてみるが、そんな想像を遥かに超えた部屋であった。

 

「さて、知っているだろうが今日の午前は好きに過ごせ。私たちは会議があるのでな。荷物はそこらに纏めて――――」

「ん……? いや、あの、状況がよく呑めてないんですけど」

「お前と私が同室だ」

「は~……なるほどなるほど。…………May GoD……!」

 

 あまりに事務的な感覚でことを進められるせいか、いまいち自分の置かれている状況が理解できないでいた。

 解答を求めると、これまた事務的に俺とフユ姉さんが同室だからと告げる。これには思わず英語でなんてこったと衝撃を現してしまう。

 するとフユ姉さんは、先ほどまで教師の顔をしていたというのに、一気にその顔を意地悪な笑みで歪めた。

 

「なんだ、緊張でもするのか?」

「します。しまくりですよ。俺の中では美人なお姉さんって認識なんですから」

 

 同じ日本人というくくりとして、ナツや箒ちゃんだって間違いなく美人の部類だ。でも同い年というのは大きいんだよ。

 けどフユ姉さんと俺の年の差は実に八歳。なんていったらいいんだろう、高嶺の花とは少し違うかも知れないが、その埋まることのない差になんだかそれと同じような感じを覚えるっていうか。

 それがしかも超絶美人。クールビューティーを絵に描いたような人ときた。アホな思春期なんだから意識するに決まってるでしょうに。

 そんな素直な気持ちを吐露するのが意外なのか、フユ姉さんは一瞬だが目を丸くしたようにみえた。

 フッと鼻を小さく鳴らしながらこちらへ歩いてくると、そのまますれ違いざまに短くかつ乱暴に頭を撫でられる。

 

「誉め言葉として受け取っておく。後はまぁ、家族旅行とでも思っておけ」

 

 背中を見せながら俺の頭を撫でた手を軽く左右へ振ると、フユ姉さんはそのまま部屋を出て行ってしまった。

 び、びっくりした! フユ姉さんのことだから、生意気を言うなとかでシバかれるんじゃないかと……。確かに誉めたつもりではあるが、そう素直に受け取られても逆に照れてしまうな。

 ……俺も出かけることにしよう。えっと、俺の着替える場所は別館になるんだったかな。それじゃ海水浴に必要なものと、いつものリュックサックを持って……と。

 まさかフユ姉さんの部屋に忍び込もうとする不届き物はいないだろうけど、一応盗られて困るようなものはそれなりに隠しておいてから部屋を飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(よし、ここらでよさそうだな)

 

 さっきバスの中でスケッチによさそうな場所は見つけておいたため、水着に着替えた後は真っすぐそこを目指した。ちなみに上はTシャツを装備中。

 俺だってもちろん海で遊ぶつもりはあるけれど、画家の端くれ的には滅多に来られるような場所じゃない景色なんて、スケッチしておかずにはいられないのだ。

 悲しいかな、下描きくらいしか描いてる時間がなさそうなんだよなぁ……。

 だけど嘆いている時間がもったいない。俺は携帯を取り出すと、後で配色する時用に写真を一枚。横向きに構えてから、画面に触れてシャッターを切った。

 構図としては、少し高い位置から見下ろすようなかたちだ。落ちたら即死はしないだろうが大けが必至な崖から、みんなが遊んでいる砂浜を一望できる。

 人……というか、みんなは描いてる暇はなさそうか。やはり行事で来ているのが悔やまれる。

 

(ま、そういうのはもう少し大人になってからかな)

 

 学生なんかやってると、どうしてもしがらみはある。けど大人になりさえすれば、もう少し自由を満喫することだってできるだろう。

 そしたら気ままに旅にでも出て、気ままに訪れた景色を描く……なんてことをしてみたいものだ。うん、とてもいい。

 まだ見ぬ未来へと想いを馳せつつ、俺はスケッチブックに鉛筆を走らせ始めた。

 例の件で怪我をした右手もすっかり完治し、今ではもう痛みを感じない。……のだけれど、またしてもタコとかができちゃって、ある意味でも元通りだ。

 でもタコとかに関してはもう慣れた。よって特に気にすることもなく、真っ白なスケッチブックへ見たままの景色を埋めていく。

 

(よし、あともうちょっと……)

「わっ!」

「わーっ!? ナ、ナ、ナツ! 絵を描いてる時は冗談きついから!」

「ごめんごめん。でもハルってば、それにしたって集中し過ぎだよ」

 

 もうすぐ下描きの完成間近、いきなり耳元で大声が鳴り響いた。明らかに驚かせる意図のある感じで。

 思わず大騒ぎしながら真横にグルリと一回転。景色が回っていくが、心の中では驚かせた犯人に不満をぶつける準備を始めていた。

 俺がブーブーと文句を垂れると、ナツは謝りながらも悪戯が成功したことを喜んでいるようだ。まったく、へたするとスケッチブックを海に投げ捨ててるところだぞ。

 それにしても、ちゃんと後から合流するからって連絡は入れておいたんだけどな。それを推して探しに来たとなると、もはや時間切れ間近とか?

 俺が首を傾げていると、ナツはこちらが疑問に思っていることに気が付いたようだ。素朴な疑問に答えつつ、俺の左横に腰掛ける。

 

「どうせ絵を描いてるんじゃないかと思って。だから見に来たの」

「なるほど、俺が描く景色はいい眺めだろうからね」

「そうじゃなくて、ハルだよ。絵を描いてるハルを見に来たの。あっ、もちろん、邪魔ってことなら暇するけど」

 

 どうせって言われるのはなんだか心外だが、事実なんだからどうしようもない。俺は絵描きバカとか称されても仕方ないと思ってるし。

 だけど俺の予想とは外れ、ナツは絵を描いている俺自身を見に来たらしい。

 すぐさま別に面白くもなんともないのでは? と答えようとしたが、ふと頭の中にかつてナツが告げた言葉が過った。

 絵を描いてるハルはなんかいい。曰くそういうことらしいから、今回もそうなのかな。

 趣味に没頭している姿を褒められるのは正直嬉しい。それに集中したら周りが見えなくなるレベルなわけだし、ましてやナツを邪魔だなんて思うはずがない。

 以上の理由から俺はナツの申し出を快諾した。

 

「もちろん。こんなのでよければ好きに見て行ってよ」

「そっか、ありがとう。じゃあ、終わるまで待ってるから」

「うん、そうしてて。下描きだけで済ませるつもりだしさ」

 

 大いに邪魔になる心配でもしていたのか、俺の言葉にナツは表情を明るくした。

 こんなことで喜ばれるなら嬉しいものだ。よし、ナツが見守っているんだからもっと気合を入れないと。

 なんて意気込んだのは束の間、俺の作画は目に見えてミスを増やし、しばらく描いては消しゴムで消してはを繰り返した。

 ……別にナツのせいって言いたいわけじゃないんだけどさ、こう、俺が考えてた何倍もジッと見つめてくるもんだから。

 手元とスケッチブックに視線がいくのなんて極まれで、ほとんどは俺の顔を食い入るように見ていた。

 ま、まずいな……流石に全然進んでないのがバレてしまう。そしたらナツは、やっぱり自分のせいなんじゃって気にしてしまうぞ。

 そんなことさせてなるものか。さっきはすぐ近くに忍び寄られたのだって気付かなかったんだから、もっともっと集中して――――

 

「ねぇハル」

「なんでございましょう!?」

「もたれかかっていい? 流石にそれは物理的に邪魔かな」

「い、い、いや、全然大丈夫だよ。ナツが楽ならそれで」

「楽とかそういうのじゃなくて……。もう、ハルの馬鹿」

 

 集中を決意した矢先にこれである。とことん断れない主義の自分が情けない。

 俺の葛藤を知ってか知らずか、ナツは遠慮がちにこちらへと寄り添った。

 左側……利き手とは逆? もしかして、初めからそのつもりで左に座ったなんてことはないよな。それは少し考え過ぎだろうか。

 とにかく、覆水盆に返らずだ。やっぱり止めてほしい、なんて言ったらそれこそ情けない。集中して、手早く終わらせてしまえば話が早い。

 ――――けどキツゥイ! うごぁああああ……こんなの意識するなって言うほうに無理があるでしょう。

 いつもどおりいい匂いが香ってくるし、ナツと触れ合ってるところが温かいし柔らかいし! そしてなによりナツさんや、それはちょっとどうなんでしょう。

 

(めっっっっっっちゃくそ谷間!)

 

 ナツの格好は現在水着の上に薄手のパーカーという状態なんだけど、チャックの位置が胸元を強調するかのようなポジショニングだ。

 そんな服装で俺にもたれかかることで身体は斜めになり、ちょうど視界の端にナツの胸元がチラチラと映り込んでしまう。

 当然俺はそれを上から覗き込むようなかたちとなり、それはもう素晴らしい谷間を見せつけられてしまうというわけだ。

 なんなんだこれは。俺はいったいどうすればいい。見えてますよなんて指摘するのは簡単だけど、もし万に一つ見せてるんですよなんて返された日には――――    

 

「ねぇハル」

「なんでございましょう!?」

「別にハルなら見ていいんだよ?」

「」

 

 恐れていた最悪のパターンが起きた。っていうかこのセリフが出てくるってことは、チラ見してたのはバレバレってわけですね。

 あのねナツさん、ほんと俺にどないせーゆうの。なんなんすか、むしろパーカー引っ張って中を見せてくるその感じ。

 この状況を一言で例えるとね…………無理いいいいいいいいいいいいいいいいいっ!

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ! 本っっっっ当にすみません! 本っっっっ当勘弁してくださぁい!」

「あぁ、ちょっと……。ご、ごめん、ごめんってば! だからとりあえずそれ止めて!」

 

 いろいろと限界を振り切った俺は、それこそスケッチブックをそこらに投げ捨てナツとの距離を置く。そしてすかさず拝み倒すようにしながら頭を地面にこすりつけた。

 ナツは申し訳なさそうに謝ってくるわけだけど、そんなことをする必要はない。謝らなければならないのは俺だ。

 だって、ただの悪戯のつもりじゃないことはわかっているから。とても勇気を出してくれた行動だというのはわかっているから。

 それでいてナツの気持ちを受け止めてあげられないで、逃げに出ているから。だから謝らなきゃならないのは俺なんだ。

 だけどナツが止めてと言ってる以上、これを続ける限り何も先に進まなさそうだ。けど罪悪感はひとしおのため、しきりに謝りながら拾ったスケッチブックの土を落とした。

 

「「…………」」

「なんかその、えっと、アレだから、もうみんなと合流しよう。ほら、同じ構図で写真も撮ってるから」

「う、うん、そうしよっか。みんなも探してるかも知れないし」

 

 落ち着いた後は互いに向き合って無意味に正座。沈黙が苦しいので、ワタワタしながらもすぐさま移動を提案した。

 ナツも俺ほどじゃないながら調子を崩しつつ、提案そのものにはすぐ乗ってくれた。ならば話は早い。

 俺たちは手を貸しながら立ち上がると、砂浜を見下ろしてみんなを探してみる。代表候補性の集まりは目立つというか、すぐにそれらしい一団が見つかった。

 だいたいの位置が定まったならこちらのものだ。俺はナツの手を指を絡ませつつ握り、有無も言わさず歩き出す。その間、何か言いたそうにしていたナツがとても印象的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、おーい二人ともー! 探してたんだよー!」

「ごめーん! ちょっとハルを連れて来ようと思ってー!」

 

 俺たちが近づききるよりも先に、シャルルが俺たちの姿を確認した。

 ちなみにだけど、シャルロットさんじゃなんか個人的に呼びにくく、デュノアさんじゃ他人行儀だと向こうに断られてしまったため、彼女の呼び方はシャルルに落ち着いたというわけだ。

 フランスにおいての男性名だけどいいのかとも思ったんだけど、シャルルもシャルルで呼ばれ慣れててなんかいい。とか言ってた。

 しかし、ナツだけに遅れるって連絡したからか、やぱり探させてしまったみたいだ。

 別にそこまで申し訳なく思うわけでもないけれど、俺たちは自然に小走りでみんなに近づいた。

 

「一夏……。無理して合流しなくても……なんなら日向くんと……」

「そ、それとこれとは話が別だから。みんなで海、楽しみにしてたし」

「手なんか繋いじゃってんのに、説得力の欠片もあったもんじゃないでしょ」

 

 海でも相変わらずなテンションなのは流石というか、簪さんはボソボソと喋りながらも、ナツは俺と二人のほうがいいのではと聞いてきた。

 なんかうまく言えないけど、それとこれとは話が別というのはよくわかる。うん、本当にうまく言えないんだけど。

 そんなことを口にしながらバッチリては繋いでいる。そうやって鈴ちゃんがからかってくると、ナツは反射的に手を振り払おうとしたようだ。まぁ、させないけどね。

 俺は瞬時にナツの手をより強く握り、離れさせない。ナツが何か言いたそうにこちらを見てくるが、意図的に無視してみんなとの会話を続ける。

 

「それよりも晴人さん、わたくしたちに何か言うことはございませんの?」

「ああ、うん、みんなよく似合ってると思うよ。……って、俺に褒められる需要ってあるのかな」

「むっ、意外と余裕だな。てっきり恥ずかしがってそれどころではないのかと」

「タイム、変に意識させること言わないで。今は芸術家モードだから」

 

 セシリアさんが髪の毛をなびかせながらそう問いかけてくるが、軽い調子で返した。箒ちゃん的にはそれがとても意外らしい。

 芸術家モードというのは、簡単に言うなら水着姿のみんなをエッチな目で見ないよう、肉体美的視点で見るよう意識してるって感じかな。

 老若男女問わず、十人十色な体つきって普通にアートだしね。それを言うと、ミケランジェロ作のダビデ像なんて本当に芸術性の塊だ。

 

「普通にすごい……」

「まったくだ。思考の切り替えとはやるな、弟よ。普段からそれが出来れば言うことなしなんだが」

「き、肝に銘じておきます」

 

 簪さんには珍しく、かなり驚いた様子で俺に感心を示しているようだ。ネガティブの気がある仲間のせいか、少し尊敬も混じっているみたい。

 同じくラウラちゃんにも褒められる。が、こちらはちょっとした小言付き。義姉であるラウラちゃんは、密かに俺の脱・ネガティブ計画を実行中みたいだからなぁ。

 

「ところで一夏、パーカーは脱いだらどうだ。晴人も、その荷物は邪魔だろう」

「わたくしの用意したパラソルの下に、みなさんの手荷物等は纏めてありますわよ」

「無駄に豪華な仕様なのがなんともわかりやすい……。ハル、お言葉に甘えよっか」

「うん。セシリアさん、ありがとう」

 

 未だパーカー着用のナツを見てか、箒ちゃんはそれを脱ぐよう促す。俺の荷物も同じくね。

 今思ったけど、箒ちゃんだって割と大胆な水着なのにけっこう平気そうでは? 赤色ビキニってなんともらしくない。本格的に男とみられていない証拠だろうか。

 ……まぁいいや、それは昔からのことだろう。さっさと荷物を置いてしまって、俺もこのTシャツを脱いでしまうことにしよう。

 ナツと連れ立って近場に掲げてあるセシリアさんのパラソルの影へ入ると、リュックサックを置いてその上にかけるようにしてTシャツも放置しておく。

 さて、これで準備オーケー……も何もないか、上着一枚脱ぐだけなんだから。じゃあナツは――――    

 

「…………」

「ハル、どうかした?」

「いや、あの、うん。き、き、き、綺麗だな、と思って」

「き……!? あ、ありがとう……」

 

 一緒に選んだ水着なんだから、どんなデザインだとか、ナツに似合っているなんてことは最初からわかっている。にも関わらず、俺は水着姿のナツに目を奪われてしまった。

 100点満点中200点なんて誉め方をしたけどそんなもんじゃない。実際に着ているところを見てみると、300点、400点――――いいや、点数で表すことすらおこがましい。

 ああ、だめだ。ナツだけはどうしても単なる肉体美として捉えることができない。

 大きくも整った胸やお尻の造形とか、締まったくびれやお腹にできるシルエットなんて、芸術性の極みだというのに。

 

「さっきは芸術がどうの言ってたのに、一夏だけ随分反応が違うじゃ~ん」

「僕らも個人的に誉めてくれてもバチは当たらないんだよ?」

「ほわぁ!? だ、だからその、ナツはなんというか――――頭冷やしてきまああああす!」

 

 どこから見ていたのか、どこから聞いていたのか知らないが、俺の両サイドにはいつの間にか鈴ちゃんとシャルルが。

 どちらもニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ、鈴ちゃんに至っては俺の脇腹を軽く執拗に小突いてくる始末。

 言い訳のしようはいくらでもあった。が、先ほどの一件がここでも尾を引いてしまう。何かって、その、ナツの胸元が頭を過ってですねぇ……。

 瞬時に耐えられなくなった俺は、全力で二人を振り切って海へと一直線。頭を冷やすという言葉どおり、勢いよく海へと飛び込んだ。

 

「あら、意外にも晴人さんが一番乗りですわね」

「よし、ならば我々も弟へ続け」

「おー……」

「なんとも気のないな、簪」

 

 事情を知らないであろう箒ちゃんをはじめとしてメンバーは、俺が猛ダッシュで横をとおり抜けて行ったことに驚いた様子だった。

 しかしそれも一瞬のことで、ラウラちゃんの軍人じみた号令を合図に次々と海へと向かってくる。女子だし俺ほどの勢いはないけども。

 セシリアさんに至ってはすさまじく優雅な立ち振る舞いだよ。いやホント、PVの撮影か何かですかってくらい。

 はぁ……なら俺も少しは落ち着いたし、みんなと同じで足首くらいのところに戻ろう。

 そうやって肩を落としながら水面が腹あたりのところから復帰すると、突然俺の顔面を海水が襲った。何事かと海水を払って目を開けてみると、ニッと歯を見せて笑っているナツが居るではないか。

 

「っの……。いきなりは、ダメでしょうが、いきなりは!」

「いきなりじゃないと意味ないでしょ! みんな、援護よろしく!」

 

 そんな顔されたら不意打ちで海水をかけられたことは嫌でもわかる。いきなりじゃなければいいとは言えないけど、少し鼻に入りかけて流石の俺もご立腹だ。

 ナツよりも大きいであろう掌に目いっぱい海水をすくってそれを投げ、文字通り反撃にうって出た。しかし、どうやらこれはいい判断だと言えなかったらしい。

 なぜって? 端的に説明するなら勢力差の問題だよ。俺は頭にきたせいで忘れていたんだ。ここでは俺が唯一の男子であるということを。

 

「聞いたか皆の者、姉さまの援護に回れ!」

「イエスマム……」

「ほらほら晴人、覚悟しなさいよ!」

「戦いは数、とか言うよねっ」

「おーい、適度に加減はしてやれよ――――って、セシリアお前もか」

「たまにはこういうのも悪くはありませんもの」

「いや、ちょっ、待っ……息! 地上なはずなのに息がしづらい未知の体験! ほ、ほんとに……ガフッ!?」

 

 ラウラちゃんの指揮のもと、いつの間にか囲まれていたようだ。

 そこから四方八方からの集中砲火。砲火なのに海水とはこれいかに、ハッハッハ。……なんて考えてる余裕が普通になかったりする。

 囲まれているせいでどの方向に逃げても水をかけられる。つまり、どの方向であろうと正面になりうるということだ。

 絶え間なく、容赦なく俺を襲う海水。おかげで普通に息がしづらいし、割と早めにギブアップしたんだけど声がこもって聞こえないようだ。

 もはや拷問とでも呼ぶべき海水攻撃が止んだのは、向こうが飽きてからという散々な結果となる。やっと終わったと思うよりも、生き延びたという感覚のほうが強い俺であった……。

 

 

 

 

 




大胆な恰好になると気分も大胆になるのは女の子の特権。
よって一夏ちゃんは完全無欠の女の子。QED。
胸元見ても良いよって言われてぇなぁ俺もな~。





ハルナツメモ その22【芸術家モード】
女の子だらけの海水浴場へ放り込まれることを想定し、晴人が編み出した思考変換。
晴人の中では肉体美=アートは揺るがない観点。無論、その対象は老若男女問わない。
晴人自身そういったアートとしての身体つきを恥ずべきものとは感じないため、本編中も意外にも平気そうな様子でいられた。長続きはしないようだが。
ただし、これらは一夏には適応されないようだ。原因は本人にも不明らしい。


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第43話 旅館での二人+姉

ネタバレみたくなりますけど、お酒は二十歳になってから。
今話はその一言に集約されるような……。
まぁはい、本当に冗談でもなんでもなく、未成年飲酒は絶対にやめましょう。






以下、評価してくださった方をご紹介

紫霊様

評価していただきありがとうございました。


「相変わらず見事なものだ」

「それはどうも。まだまだ修行中ですけどね」

 

 食事や必要事項の確認を終え、今日のところは風呂に入って就寝するだけ。完全消灯までにできるところまで進めておこうと絵を描いていると、スケッチブックを覗き込んだフユ姉さんが唐突に俺を褒めた。

 いやよかった、ようやく喋ってくれたぞ。部屋に帰ったはいいが終始無言で気まずかったところだ。俺もどの感覚で触れ合っていいのかわからなかったし。

 

「そういえば織斑先生って、絵はどうなんですか?」

「私にそんな細かいことをする気概があると思うのか」

「あっ……。いや、それは、どうなんでしょうね。アハハ……」

「言葉を濁すな。それならハッキリ肯定してくれたほうがましだ」

 

 ふと気になったっていうか見たことがないっていうか、素朴な疑問をぶつけると逆に質問で返されてしまう。

 すぐさまそんなことないですよと言える気が利くやつならよかったんだけど、言葉を濁してしまってフユ姉さんの機嫌を損ねたようだ。

 でも本気で気に障ったって感じではなさそう。フユ姉さんの場合、そう思ったのなら先に手が出る性質でもあるか。

 

「まぁいい。それより、身内しか居ないうちはそう畏まらんでもいいぞ。家族旅行と思えと言ったのは私だ」

「本当に? そっか、それはよかった。堅苦しくてキツかったところだよ」

 

 前にも言ったことがあるような気がするが、こちらとしてはフユ姉さんに敬語を使うこと自体違和感がバリバリなんだよな。

 でも叩かれるのとどっちがいいかって聞かれたらそりゃ敬語でしょ。こんな閉鎖空間でずっとそうでなくてはならないと思っていただけに、久々に娑婆の空気でも吸ったかのような感覚だ。

 まぁ、犯罪なんて俺とは絶対に無縁だろうし、刑務所暮らしなんてまったく想像がつかないんだけどさ。

 

「ところで晴人。ここには基本私とお前だけなわけだ。私が居るとわかって来るのは一夏くらいだろう」

「そうなんだろうけど、これはなんの確認で?」

「つまり目撃者は晴人しか居ない。お前が喋らなければ話も広まらん」

「えぇ……? あのねフユ姉さん。それって教師がどうこう以前に、大人としてどうかって話になると思うんだけど」

 

 いきなりなんの確認をし始めるかと思えば、フユ姉さんは部屋の小さな冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出した。

 フユ姉さんが酒豪で酒好きなのは知ってるけど、学校行事の引率としてこの場に来ておいてそれはどうなんだろう。

 でも俺の言葉に聞く耳を持つ気がないのか、フユ姉さんはゴクゴクと喉を鳴らしながら酒を煽り始めた。

 まぁいいか、元からチクりとかする気もない。フユ姉さんも呑まないとやってられない、みたいな部分はあると思う。……主に俺を始めとする専用機持ちのせいで。

 

「お前もヤるか?」

「大人が未成年に酒を勧めるのは犯罪ね!」

「わかったわかった。わかったからそう叫ぶな、冗談のわからんやつめ」

(絶っ対に今のは冗談じゃなかった!)

 

 フユ姉さんはまるでジュース感覚でビールの缶を振り、俺も呑むかと勧めてくる。

 これは先ほどとはわけが違うために断固拒否。むしろ怒鳴って注意するくらいのレベルで声を張り上げた。

 だがフユ姉さんに反省した様子はあまり見られない。あろうことか今のを冗談で流そうとするではないか。

 なんだろう、大人としてどうかどころか、人としてどうかってレベルまで格下げしないとダメですかね。

 

「……あぁ」

「何その急に感心したみたいな声……ってペース早!? フユ姉さん、目を離した隙にどれだけ――――」

「晴人、風呂にはもう入ったのか?」

「え? いや、まだだけど」

 

 ちょっと目を離した隙に空き缶が数本増えてるものだから、今度こそ本腰入れて注意をしようとするが、それはフユ姉さんの謎の確認によって阻まれた。

 何かしら思いついたのはあぁって声で察することはできるんだけど、だったらなおさらこの場を離れたくはないんですが。

 けど入っていないと答えると、フユ姉さんは黙ってこちらを見つめるばかり。これは間違いなく無言の圧力というやつだろう。

 ならば屈するわけには――――いかないんだけどなぁ。まったく、俺はやっぱり甘いというかなんというか。

 

「はぁ、わかったよ。要するに席を外せばいいんでしょ、外せば」

「物わかりのいい身内をもって私は幸せだぞ、弟よ」

「こういうときに弟宣言されても嬉しくないです。で、どのくらい居ないほうが都合がいいの?」

「せっかく一人なんだからゆっくり入ってくるといい」

「はいはい、わかりました。じゃ、行ってくるからね」

 

 この状態の千冬姉を長時間放置するのはまずいと思うけど、このまま残ったら面倒くさいことになるのが関の山。

 普段が普段だから本当にギャップが凄まじい。まるでエベレスト山頂から突き落とされ、ドーバー海峡まで一気に沈むかの如くギャップだ。

 俺は完全に呆れながら入浴の準備を始めると、一秒でも早くこの状況から抜け出したい一心で部屋を飛び出した。

 そしてため息交じりに廊下を歩く。陰鬱な気分が晴れない中、旅館の廊下を進んでいると、前方から見覚えのある人物が姿を現した。

 

「あっ、ハルだ。今からお風呂?」

「そうなんだけど……。ナツ、フユ姉さんに呼び出されたりしてないよね」

「うん、時間ができたら部屋に来るようにって。嫌な予感全開だけど、行かないわけにもいかないじゃん」

 

 これだ……! フユ姉さんが俺を外させた理由、間違いなくナツ絡みだ! いやもう、あの人はいい加減に俺たちを弄るの好きすぎませんかね。

 行かないわけないじゃんという言葉はわかる。俺だってフユ姉さんに呼び出されたなら間違いなく従うだろう。

 けど、多分ナツが想像している何倍もの地獄が待ち受けていること請け合い。何本持ってきているのか知らないが、こうやって目を離している隙も絶えず呑んでるんだろうし。

 だがチクる気はないといった手前、ここで堂々とフユ姉さんが酒入ってるから気を付けて、とは言えそうもないな。普通に俺たち以外の目があるし。

 そこらを見渡すと、少し死角になるような箇所を見つけた。ナツの手を引いてそこに身を潜めると、耳元で囁いてフユ姉さんの現状を伝えた。

 

「フユ姉さん、酔っぱらってるから気を付けて」

「ええっ、臨海学校にまでお酒持って来ちゃってるの!? 我が姉ながら……!」

「それは俺も同じ気持ちだよ。というか、止められなくてごめん」

「ううん、ハルのせいじゃないよ。そもそもお酒が絡むと止めたって無駄だろうし。とにかく、教えてくれてありがとう。私、ちょっと急ぐね」

「うん、気を付けて。でも無理はしないようにしなよ」

 

 酒の入ったフユ姉さんは大暴れするわけでもないが、本当にただただ面倒くさいんだよなぁ。ナツ一人に相手させるのがなんだか申し訳ない。

 とはいえ俺だって風呂くらい入りたいし、これを逃して馳せ参じてるとそれこそ時間がなくなりそうだ。なるべく急ぐとして、少しの間だけ頑張ってもらうことにしよう。

 伝えるべきことを伝え終わると、小走りで去っていくナツの背を見えなくなるまでその場にとどまった。せめてもの見送りである。

 よし、俺はちゃっちゃと入浴を済ませて――――

 

「ひーむかーいくーん」

「うわぁ! あ、相川さんたち? こんばんは。何か用かな」

「しらばっくれずに、今起きた織斑さんとのやりとりを事細かーく、話してもらおうじゃない」

「こんなところで堂々と逢引きとはやるねぇ、日向くんってば」

「いや逢引きって、冗談でもそんなことは――――というか、その、けっこう急いでるんだけど」

 

 やはり気休め程度の死角であることが祟ったのか、コソコソとしたやり取りをバッチリ目撃されてしまったようだ。幸いなのは、内容まで伝わっていないことかな。

 でも見つかった相手が悪いというか、相川さんを筆頭とした同じクラスの面子がほとんどだ。ほら、ご存知の通り一組のみんなは俺とナツをラブコメ的な視点で……ねぇ?

 俺に無理矢理にでも押し通す度胸はないし……。くっ、ナツ、悪いけど援護は少し遅くなってしまいそうだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「千冬姉!」

「ああ、来たか」

 

 半ギレくらいのつもりで扉を開け放つも、千冬姉はまったく気にした様子を見せない。それどころか、少し挑発的な態度にすら見える。

 正直に言うならハルの言葉は嘘であってほしかったけど、畳の上には乱雑にビールの空き缶が何本も転がっていた。

 私だって一本や二本ならそうガミガミ言わないよ。本当はだめなんだけれども!

 けど今日という今日はただの注意で済ましてはならない。千冬姉の唯一の血縁として、言うべき時はハッキリ言わなければ!

 私はノシノシと畳を踏み鳴らしながら歩くと、千冬姉の前に心底機嫌が悪いというような態度で正座した。

 

「千冬姉、言わせてもらいますけどね」

「ん、さては呑みたいのか? ほれ、なんならノンアルコールもあるぞ」

「いやそうじゃなくて、私ってばかなり真面目な話をしようとしてるんだけど」

 

 ノンアルコール持ってきてるなら、最初からそっちだけ呑んでくれればいいのに。……じゃなくて、真面目に聞き入ってくれないことをどうにかしないと。

 はぁ……お酒ってそんなにいいものなのかなぁ。大人たちは何かとつけて呑む口実にしてるようなイメージだけど。

 でもやっぱり、仕事場に持参するのは論外だと思うの。今日という今日はと意気込んだんだし、しつこいくらいに何度もトライしてみることにしよう。

 

「で、お前と晴人はいつ結ばれるんだ?」

「い、今それは関係ない! 話を誤魔化そうとしたってそうはいかないんだから!」

「フッ、ではこうしよう。私の問いに応えれば、今日のところはこれでやめにしておく」

 

 あまりにもなんの脈絡もなしにデリケートな部分について質問され、思わず照れながらの反論で明言を避ける。

 すると千冬姉は、途中まで飲み進めていた缶を一気に傾けて空にした。そして、答えさえすればそれを最後の一本とするという条件をつける。

 これは……しまった! 最初から千冬姉はお酒なんてどうでもよくて、今のを交換条件にもってくるのまでが真の目的! なるほど、違和感を覚えるまで聞く耳を持たなかったのはだからか……。

 ここで私が断れば千冬姉は飲酒を続けられる。だけど乗ったは乗ったで私が恥ずかしがるのを楽しめるという、どっちに転んでも千冬姉が得をする算段!

 つまり千冬姉がお酒を呑み始め時点で、全ては計画通りだったというわけだ……。くっ、どうして臨海学校に来てこんな心理戦を繰り広げないとならないんだろう。

 この二択、選ぶとするならやっぱり――――    

 

「まぁそのうち……。というか、告白待ちなものですから……」

「なんだ、随分と悠長なものだな」

「い、いろいろと事情があるんですー!」

 

 告白してそれで済むんならとっくにそうしてるよ。前にも言ったけど、ハルに告白されるほど好きになってもらう必要があるんだよね。

 私に限った話ではなくなるけど、多分ハルは告白なんかされたら無理にでも好きになろうとするはずだから。

 地味にチキンレースみたいなものなんだよねこれ。いつ何がきっかけで、ハルに告白するような女子が現れるやも知れない。

 幼馴染ということを傘に立てて、いつまでも胡坐をかいているのもまずい。……というのは、私が一番よくわかってるつもりなんだけど。

 

「そこらは好きにすればいいが、あまり焦らすようなら私がもらってしまうぞ」

「はいはい、肝に銘じておきます」

「私は割と本気だが?」

「……はい? ……はいいいい!?」

 

 いきなりそんなことを言うなんて、千冬姉は私に危機感を持たせることが目的なのかな。どのみち適当に流しておいてよさそうだ。と思っていた矢先、意外な言葉が飛び出してくるではないか。

 酔っぱらっていて口が軽くなっているってことなんだろうけど、つまり言葉どおりにけっこうな本気度であることがうかがえる。

 こればかりはあまり適当に流すわけにもいかず、私は喰いつくかのようにして反応を示した。

 

「千冬姉、それどういう意味!?」

「常々思っているんだよ、婿にするならアイツより良い男をとな。だが高望みし過ぎなのか、これがなかなかな。ならもういっそアイツそのもので私は一向に構わんというだけのこと」

「だけじゃないだけじゃない! 私、ついこの間背中を押してもらったばかりなんですけど!?」

「だから、お前がいつまでもウダウダやってるならの話だと言っているだろうに」

 

 でも可能性はゼロじゃないってことじゃないですか。この間と言ってることが全然違うんですけど。

 ていうか知らなかった。千冬姉からしてもハルって普通にいい男なんだ。……ああ、ここでも変化球的に普通が適応されるわけね。

 でも恋してるって感じじゃないのは確かみたい。あくまで候補のひとつっていう認識でいいのかな。

 

「だが一夏、一つ言わせてもらうとすればだ」

「ど、どうしたの?」

「私なら、アイツは一週間もあれば落とせるぞ」

「っ!?」

 

 千冬姉に悪気があったかどうかは知らない。けどその言葉は、死刑宣告かのように私の心へと深く突き刺さる。

 小娘と大人の女では踏んできた場数が違う。普段は披露する場がないだけで、千冬姉だってそれなりのノウハウというものがあるのだろう。

 でも、一週間? たったの七日? 私に至っては、ようやく最近になって手ごたえを感じ始めているというのに。それなのに――――    

 ……なんか……なんか、なんかもー! なんか想像しちゃったよ、千冬姉が本気でハルを口説くシーン! だめだ、これ本気で来られたら勝てる気がしない!

 そんなことより、今すぐ頭に過った嫌なシーンを消し去りたい。何かいい手はないかと考えたところ、私のテンパっている頭が出した結論は――――    

 

「南無三!」

「おいこら、後で晴人に怒られるのは私――――まぁいいか。明日残らない程度にしておけよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あれから約三十分強。さて、どうなっているかな)

 

 もっと短くすることもできた気がするけど、あまりにいい湯だったもんだから少し気を取られてしまったな。

 ナツもいることだしあれより状況が悪くなることはそうそうないだろうけど、絡まれるのが忍びないからさっさと帰らないと。

 なんだけど、いざ扉の前に来るとどうも委縮してしまう。どちらにしたって、死地に向かうことには変わりないからだろうか。

 ……俺たちを弄るの、早めに飽きてくれるのを願うしかない。よし、覚悟完了。

 俺は一気に自室の扉を開け放つ。開口一番ただいまを言おうとしていたのだけれど、鼻にくる酒臭さに思わず顔を歪めた。

 

「酒臭っ!?」

「ん? なんだ、早かったな。ゆっくりしろと言ったろうに」

「あの状況でそうゆっくりしてるわけにも――――あ、あれ……?」

 

 ナツにも止められることができなかったのかと思ったのだが、部屋の雰囲気にかなりの違和感を覚えた。

 それはフユ姉さんの手元に缶ビールがないこと。そして転がっている空き缶が増えているのは、ナツの付近ということだ。

 まさかそんなはずがない。淡い希望を抱いて正座して背を向けているナツに近づくと、ちょっと乱暴目に肩を掴んでこちらへ振り返らせた。

 

「ナツ!」

「ほぇ? あはっ、ハルだぁ~! ハ~ル~、寂しかったよぉ」

「わっ、だだだだだだ……ナツ、ちょっと待っ――――フユ姉さぁん!」

「人聞きの悪い。呑み始めたのは一夏だぞ」

「止めなかったのもフユ姉さんでしょうが!」

 

 どこかボーッとしたような目元、楽しそうに歪んだ口元、聞いたこともないような猫なで声、そして何よりこの不自然に赤らんだ頬。どこからどう見たって酔っ払いの特徴が顕著に表れていた。

 しかも俺を発見するなり上機嫌な様子で抱き着いてくる。普段ならすぐ慌てふためいているところ、抗議すべき相手がいるのでそうもいかない。

 もし仮にフユ姉さんの証言が本当だとして、間違いなくわかっていて黙認したに違いない。こういうことに関しての信用はゼロなもんでね。

 

「ていうかナツ、いったん離れよう。その、モロに当たってるし、俺はフユ姉さんと話が    」

「ちふゆねえ……? ダメ、だめだもん! ちふゆねえと仲良くしちゃやだのぉ!」

「おごおおおおっ!? ナ、ナツ、ベアハッグ! ベアハッグ極まってる! 折れる折れる折れちゃう!」

「ハッ、ハハッ! ハッハッハ!」

「そこ笑ってんじゃないよ全ての元凶ううううううっ!」

 

 これがナツに置いてどれほどの酔い具合なのかは未知だが、一応だけどキチンと会話は成立するようだ。

 だが酔うと幼児退行でもする性質なのか、頑なにフユ姉さんとの対峙をさせようとはしない。その様は、まさに駄々をこねる子供そのものだった。

 だけど秘めたるパワーは大人そのもの。むしろリミッターでも外れているのか、容赦なく腕に込められた力により、俺の胴体は激しく圧迫された。

 もはやここまでくるとナツの胸の感触なんて気にはならない。ギリギリと絞められていく様は、さながら万力かのよう。

 そんなやりとりがコントにでも見えるのか、全ての元凶こと我らが姉上は大爆笑。ほんともう、ウチの女衆はろくなのがいない。

 

「ナツ、わかったから! わかったからとりあえず力緩めてそろそろほんとにいろいろ飛び出てきそう――――」

「ギュってしてくれないとだめ」

「するする、させてください! ほら、これでいい!?」

「えへっ、うん、いいよ。ず~っとそうしててね」

 

 冗談抜きに意識が遠のき始めるも、肺に残されたわずかな息を吐きだすように、説得の言葉の羅列を並べる。

 素直には聞き入れてくれず、抱き返してという交換条件付き。なぜフユ姉さんが絡んで、そう不機嫌なのだろう。

 でも考えている暇はないというか、従わなければ本気で再起不能になってしまいそうだ。

 俺がナツの腰あたりに腕を回して力を籠めると、ようやく締め付けがゆるんでいく。ああ、本当に、なんでこんなことで生を実感せねばならなのだろう。

 

「んぅ……。ハ~ル~。ハ~ル~♪ えへへっ」

(フユ姉さん)

(うむ、どうやら酔うと甘えたがりになるようだな。しかし、確実に晴人限定だぞ。喜べ)

(俺が聞きたいのはそういうことじゃなくて!)

 

 なんだか聞いていると脳が蕩けてしまいそうな声色だ……。綺麗な声とは思ってたけど、ベクトルが可愛いに変換されるとこうなるのだろうか。

 しかもそんな声色で、幸せそうな表情して、幸せそうに俺の名前を呼ぶもんだからたまったもんじゃない。もちろん、いい意味でだが。

 このままではいかん、なんとか気を紛らわせねば。手っ取り早く思いつくのは、ことの経緯をフユ姉さんに問い詰めること。

 先ほどの悲劇を回避するため小声で話しかけるも、まったく的外れな回答が返ってくるものだからどうしようもない。

 そりゃ、俺限定とか実のお姉さんに断言されたら、なんだか特別であるように感じなくもないが。――――くらいまで考えたあたりで、またしてもナツの腕に力がこもった。

 

「やぁん、けだものぉ♡」

「けだものってキミ、今の完全にナツが引き倒したじゃないか!」

「ん~? えへっ、頭ポワポワしてるからよくわかんな~い」

「おっと、いくところまでいくか、いくのか? 妹と弟の情事なんぞ見せられてはたまったものではないなぁ。ならば私は真耶に厄介になるとするかぁ」

「うん、なんかもう、逆にとっとと出て行ってください」

 

 やることなすこと突拍子がなさすぎるというか、気付いた時にはナツに転倒させられ、畳の上で添い寝するようなかたちとなった。

 けだものってなんだけだものって。確かに男はみんな狼だし、俺だっていざって時にはそれなりにワイルドな手段に出るだろう。でも今はいろいろ呆れかえってそんな気分じゃないんだけど。

 フユ姉さんはフユ姉さんで、超棒読みな口調で余計なこと言いながら出ていくし。あれ、むしろ間違いが起きてほしいとすら思っていそうで怖い。

 しかし、フユ姉さんが出て行ったってなると一気に静かになってしまうな。ナツは相変わらず楽しそうにジッと俺のことを見てるし。……ん? 楽しそうにずっと?

 

(あ、これだめなやつだ)

 

 さっきまではいろいろと気が紛れる要素盛りだくさんだったから平気だったが、ナツとサシになってしまえばそうはいかない。

 今にも鼻と鼻がぶつかってしまいそうな至近距離。酔っているナツの息は深くて、一定のリズムを刻み俺の顔へとかかる。

 それらを意識し始めた瞬間、俺の顔面は燃え上がるかのような感覚に襲われた。きっと今の俺は、ナツに負けず劣らず真っ赤なんだろう。

 しかも、まただ。またナツから目を離すことができない。見ているだけ目に毒だってわかっているのに、ジッと見つめていたい。そんな矛盾した思考が俺の脳を支配していった。

 

「……晴人」

「っ……! 一夏……」

 

 ふと、ナツが俺の名を呼ぶ。正確に言うのなら、あだ名でなくしっかりとした本名で。

 あの日ナツからハルを襲名して以来、そう呼ばれたことなんて極々わずか。本当に両手で数えられるほどだと思う。

 他のみんなには晴人と呼ばれるというのに、ナツが俺をそう呼ぶのはなんだかとても特別なことのように感じられた。

 しかも先ほどまでのように子供じみた、どこか楽しそうな様子ではなく、一人の女性として俺を慈しむかのような、そんな声色だった。

 なぜだ。どうしてなんだ。ナツに本名を呼ばれただけなのに、どうしてここまで胸が高鳴る。おかげで一夏と呼び返すことくらいしかままならない。

 

「…………」

 

 そうしてナツは、そっと目を閉じた。まるで何かのサインだと言わんばかりに。

 頭の中で誰かが騒ぐ。まるで俺を囃し立てるかのように。

 どう考えたってそういうことだと。欲望のままに行動していいのだと。心の導くままに動くことこそ、ナツの望みでもあるのだからと。

 ナツの望み。多分、その言い訳が僕に一番聞いたんだと思う。僕は数字にして数ミリ、それだけナツに顔を近づけた。

 すると僕らの鼻と鼻がぶつかる。今度は顔だけでなく、身体中が熱が迸る。そしてやがては自らの唇で、ナツの唇を――――   

 

「すぅ……すぅ……」

(寝てる……のか……?)

 

 今や唇同士が重なりかけたその時、俺の耳にはふと安らかな寝息が届いた。誰のものなんて詮索するまでもなく、間違いなくナツから発せられている。

 それでようやく気付けた。さっきナツが目を閉じたのは、単なる電池切れ――――つまりは寝落ちのようなものだと。

 ……ハッ、ハハ、そうだよな、そりゃそうだ。酔っぱらうと眠たくなるっていうもんな。ましてや昼は遊び頬けて疲れがたまっていたろうし、そんなナツにアルコールは追い打ちをかけたんだろう。

 

(……俺はいったい、なんてことを)

 

 そんな自己嫌悪に苛まれながら、俺はナツを起こさぬよう配慮しながらその腕の中から抜けた。

 あらゆる意味で悶々とした気分の最中に布団を敷き、これまたナツを起こさないよう姫抱きで持ち上げると、静かにナツを置いた。

 ……空き缶を片付ける必要があるな。でも、今はそういう気分じゃない。備え付けてある大きめのビニール袋に入れ隠しておき、後はフユ姉さんに処理させることにしよう。

 願わくば、ナツが一連のやり取りを忘れていてほしい。そんな身勝手な想いを抱きながら、俺は逃げるかのように布団へ滑り込んだ。

 頭がガンガンとする。おかしいな、酒は飲んでいないはずなのに。

 ああ、理由なんて俺が一番よくわかっているさ。わかっているけど、そんなの認めてしまっては俺が俺でなくなってしまう。

 どうやらこれは、眠れぬ夜を過ごすことになってしまいそうだ。だからナツ、せめてこれだけは言わせておいてくれないだろうか。

 

「おやすみ、ナツ」

 

 

 

 

 




一夏ちゃんメイン回なんだか千冬姉大暴れ回なんだか。
ここまではっちゃけさせる機会は他にないでしょうし、よしとしましょう。
それより酩酊一夏ちゃんですが、相変わらず私の願望が出てます。
普段は気丈で頑固な部分があると思うので、酔ってる時くらい思い切り甘えてもええんやでって感じでしょうが。まぁ相手は晴人限定ですけど。滅びよ。





ハルナツメモ その23【年上キラー?】
モテるかどうかと聞かれれば別の話だが、晴人は年上の女性に興味を持たせがち。
以前ハルナツメモでも紹介した弟気質が派生し、そのようなことになると推測される。
もっと言うならギャップだろうか。
普段は頼りないながら、本当にやるときはやるので、そのあたりが大人の女性に刺さるのかも知れない。
ちなみに千冬は冗談半分本気半分で、まさに五分五分。当人としては年の差がネックか。
今回の場合は、単に一夏を焚きつけるのが目的だったようだ。


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第44話 ギャラルホルン

徐々に雲行きが怪しくなってきます。
今回はそれほどですが。むしろギャク調のが強いかも知れません。
とりあえず今後のフラグのため、追加パッケージの紹介回といきましょう。





以下、評価してくださった方をご紹介

らいち様

評価していただきありがとうございました。


 臨海学校二日目の朝。集合場所は入江のようになっている場所だった。流石にそこらの砂浜に集まるわけにはいかないだろう。なんたって、今から俺たちは追加パッケージのロールアウトを行うんだから。

 チラリと少し離れた場所に目をやると、仰々しく様々なデザインのコンテナが鎮座している。あれが、各国ないし各企業の用意した件の追加パッケージ。

 テーマは主に高空域での戦闘を想定したパッケージ……だったかな。そもそもヘイムダルには無用の長物に思えるものの、しっかりFT&Iと刻まれたコンテナも。どのみち母さん作というだけで嫌な予感しかしない。

 これから待ち受けているであろうゲテモノに関して想像を膨らませつつ、フユ姉さんの有難い話に耳を傾ける。

 昨日あれほど呑んでいたというのに、何食わぬ顔して注意事項を述べる姿は流石というか。やっぱり強いんだろうなぁと。

 物珍しくもラウラちゃんが遅刻するというハプニングもありつつ、解散をかけられ各自やるべきことへと取り掛かり始める。一般生徒は訓練機の武装のチェック。俺たち専用機持ちは、それぞれのコンテナへと向かい始めた。

 

「ねぇハル。今話すことじゃないと思うんだけど、昨日の晩ってどうなったんだっけ?」

「お、俺が風呂から帰ってきた時には寝てたよ。フユ姉さんはそのまま山田先生のところに遊びに行ったから、俺が布団に運んでおいたんだ」

「へぇ。う~ん、寝落ちか気絶せもさせられたのかな……?」

 

 ナツはこの通り、昨日の出来事をすっかり忘れ去っているようだ。朝ナツが絶叫しながら飛び起きたから何事かと思えば、俺と一緒の部屋で寝ていたことに驚いたらしい。それですべてを察した。

 ナツもあまり酒が残っている様子はない。甘えん坊になっても会話自体は成立していたし、やっぱり姉妹揃って強いのかも知れない。

 それはさておき――――    

 

「…………」

「ハル、どうかした?」

「っ……ご、ごめん」

 

 ナツは記憶が飛んでいるので普通に接してくるけど、俺からすると心中穏やかでいられないできごとだ。……昨日の罪悪感が、まだ尾を引いているから。

 なんなら、どの面下げてナツの隣を歩いているのだとすら思う。だからつい、ナツが様子を伺うために聞いてきた言葉にごめんと返してしまう。

 本当なら、なんでもないよと答えるのが普通なんだろう。ワードチョイスに失敗したことに気が付いた俺は、ただナツから視線を外すことしかできない。

 

「ハル」

「な、何?」

「何かあるなら早めに言ってよね」

 

 どうやら俺が隠し事をしているのはお見通しで、それでいて聞かないことにしておいてくれるらしい。

 確かに聞かれたところで答えられなかったろうが、なんだかナツの優しさに甘えるようでとても自分が情けなく感じられてしまう。

 ……後でちゃんと話そう。それからちゃんと謝るんだ、キミが酔ってるのにかこつけて、キスをしようとしましたって。

 ただ今そんなことを謝っても仕方がない。そもそもフユ姉さんの監視下であるため、もたもたしているとひどい仕打ちを食らってしまうこと請け合い。

 そういうわけだから、FT&Iとペイントされたコンテナの前で足を止める。どうやら指紋認証式の電子ロックがかかっているようだ。えっと、このパネルに五指を――――って、あれ?

 

「ナツ、白式の追加パッケージって……」

「ないよ」

「……ないの?」

「うん、ない。いろいろと事情がある機体でさ、そういうのが想定されてないんだよね。っていうか、拡張領域の容量が雪片一本で限界な時点でお察しでしょ」

 

 コンテナが一つしかないことに今更気付いて質問してみると、ナツは割とあっけらかんとした様子で白式のはないと語る。

 ナツの言葉にはなんとなく納得してしまうが、本当に謎の多いISだな。単一使用能力を一次形態で使用できたり。

 諸刃の剣っていうぶっ飛んだ能力からして母さん作と思っていたが、そういえば本人やナツの口からしっかりとした製作者を聞いたこともない。

 ……おかしいな。企業が開発したISなのだとしたら、互換性のあるパーツを造ることくらいできるはず。できるのなら、どうしてやらないのだろう。ナツは代表候補生なのだから、それだけ宣伝にもなるはずなのに。

 

「ほらほら、細かいことは気にしないで、早く開けちゃおうよ。私はハルのサポートが今日の課題みたいなものだから」

「ん、了解。それじゃあいくよ」

 

 気にはなるけど、気にしても仕方のない内容だ。きっと父さんの経営方針みたいなものが絡んでいるんだろうから、俺が口出しすることじゃない。

 そう判断した俺は、今度こそパネルへと五指を重ねた。するとアンロックを示すであろう緑色のライトが光り、コンテナは稼働し開帳を始めた。

 するとその中に入っていたのは、なんと言ったらいいのかな。ほら、一昔前の暴走族がさ、すんごい曲がったマフラーなんかをバイクに着けてたじゃない? あんな感じのブースターを二基備えた装備だった。

 これには俺とナツは顔を見合わせるも、次の瞬間ヘイムダルがメッセージを受信した。どうやら録画データらしい。多分、コンテナが開くと同時に送信される仕組みだったのだろう。

 

『はいは~い、晴人くんに一夏ちゃん、お母さんですよ~』

「この導入はなんとかならないのだろうか」

「ならないと思う」

 

 待機形態のヘイムダルから空間投影型のディスプレイが出現すると、そこには件のブースターを後ろに母さんがこちらへキャピキャピした様子で両手を振る。

 相変わらずの痛い母親っぷりに辟易としていると、ナツから別の意味で痛いツッコミが飛んできた。……そうだよな、なんとかなってたら俺は気苦労なんて感じてないよな。

 せめて映像の中の母さんが、真面目に追加パッケージの説明をしてくれることを祈るばかりだ。

 

『ん~……まず名称から話しましょうか。その高速移動用追加パッケージの名前はギャラルホルン。形状は角笛を意識したわ』

「ギャラルホルン……。ヘイムダルが、ラグナロクを報せる時に吹くっていうアレか」

「詳しいんだね。勉強したんだ」

「うん、つい本家のことが気になっちゃって」

 

 ラグナロクというのはキリスト教で例えるところの終末のようなもの。ヘイムダルは、何気に北欧神話におけるけっこうなキーパーソンなのだ。

 やっぱり自分の乗るISの元ネタだからというか、暇があるときにネットや本でいろいろと知識は得ておいたんだよね。おかげでギャラルホルンがどういうものか丸わかり。

 ……まぁ、あれが角笛かどうかって聞かれたら、なんとも反応しづらくはあるんだけど。

 

『でね、まず言っておくことがあるの。ぶっちゃけ晴人くんの技量からして、今は高空域戦闘って無理だと思うのよね』

「ちょっと待ってちょっと待って。ナツ、解説お願い」

「高空域の戦闘って、アリーナみたいな閉鎖空間と勝手が違うんだよね。例えばほら、逃げようとすれば制限がないに等しくなったり。つまり、戦術もより多岐に渡るようになるから――――」

「なるほど、それだけ操作技量も求められると」

 

 母さんの言っていることがいまいち理解できなかったので一時停止。すぐさまナツに助けを求めると、すさまじくわかりやすい解説を施してくれた。

 高空域での戦闘となると、文字どおり広い範囲を行ったり来たりすることになるだろう。戦闘機のドッグファイトみたいなイメージかな。

 そんな高速戦闘の中、できることがアリーナよりも増えてくる。ということは、より考えて戦いつつも、その考えを実現させる操作技量が必要になってくるというわけか。

 確かにそれなら分不相応なんだろうなぁ。まだまともにマニュアル操作だって上手くいかないし、なんならイメージインターフェースの操作もとちる時だって。

 それはわかったけど、母さんはどのような措置をとったのだろう。よし、動画の再生を再開することにしよう。

 

『そういうわけで、とりあえず味方に置いてぼりとか、とにかく現場に急行できるよう心掛けて設計したの。つまりほら、車で例えるなら直線番長みたいな!』

「嫌な予感がする!」

「あー……そうだね、実際動かす時は慎重に行こうよ」

 

 母さんの言っていることは的を射ているし、ヘイムダルのコンセプトからして移動速度に重点を置いた設計は珍しくも正しいのだろう。しかし、直線番長という言葉で一気に不安が生じた。

 ナツもこれから起こりうるであろう事態を想像したのか、俺を安心させるような笑顔を浮かべつつ、ゆっくり慎重にやれば大丈夫だと諭した。

 ま、まぁ追加パッケージという話なら、母さんの独断で制作されたとは考えにくい。会議なんかもしてるだろうから、きっと止めてくれた人もいたと思いたいな。

 

『それじゃこの映像はここまでだけど、再生が終わり次第一夏ちゃんの白式に続きが送信されるわ。それを参考に、ふ・た・り! で協力して換装してみてね。またね~』

「……あ、ほんとだデータ飛んできた。ハル、ヘイムダルの展開よろしく」

「ん、了解」

 

 ヘイムダルを展開してしまえば確かに映像はみづらくなるわけだが、どうしてそういう配慮をもっと常識の部分に持ってこれないんだろうか。

 はぁ、とにかくやるか。という感じであまりやる気は出ないけれど、せっかく父さんが予算を下してくれたであろう装備を蔑ろにするわけにもいかない。とにかくヘイムダルを展開し、ナツのナビゲートを待った。

 換装とはいっても既存の装甲を外す必要はないようで、現在のスラスターと連結できる仕組みになっているようだ。

 ナツの説明通りにスラスターのある背中を向けると、ヘイムダルとギャラルホルンの双方からガイドビーコンのようなものが発せられる。

 そのままある一定距離まで接近すると、今度はお互いが引き寄せられるように連結。大きなマフラーを背負うようなかたちとなった。

 これにて高速移動形態、ヘイムダル・ギャラルホルン仕様の完成というわけだ。……っと、ハイパーセンサーに新しいデータが二つほど? 一つは映像の更に続き見たいだけど、もう片方は果たしていかほどかっと。

 

『はい、無事に連結できたみたいね。じゃあお次は、もう一つデータがあるはずだから、それをダウンロードしてくれないかしら』

「ダウンロード……開始っと。え~なになに? Version Gjallarhorn」

「これは聞いてみないとよくわからないね。多分、ダウンロードできたら説明してくれると思うよ」

 

 ダウンロードしたらまた続き、か。本当に至れり尽くせりだな。

 それほど長い時間を待つようでもないが、かといって無言でいるには少しという感覚かな。

 そこでフユ姉さんに怒られない程度にナツと談笑を始める。話題は運用試験に関わることについてでとどめておいたから、きっと聞かれても制裁はないだろう。

 ナツとためになる話しやら真面目な話を繰り返していると、どうやらバージョン・ギャラルホルンなるデータのダウンロードが終わったようだ。

 またしてもナツと二人して画面をのぞき込むと、母さんの解説の続きを再生した。

 

『晴人くん、一つ考えてほしいんだけど、さっき言ったとおりにギャラルホルンは移動にしか使わないわけじゃない? 戦闘中はどうすればいいのかしら』

「……あ、ほんとだ。すっごい邪魔」

「それでなくても重鈍なのにね」

『多分、考えてる通り邪魔になるわよね。お母さん、流石にそこらは考えてあるのよ』

 

 母さんは言った。味方に置いてけぼりを喰らわないためとか、とにかく現場に急行せねばならない時に用いられる直線番長だと。

 となれば、戦闘開始と同時に邪魔になることを示唆していたのも同然。嫌な予感がしていたせいで考えもしなかった。

 ならば一回こっきりの使い捨て、というわけでもないらしい。それはそうか、いくらかかったか知らないが、これ一基数百万じゃ済まないだろうから。

 じゃあいったい、戦闘が始まったらどうすればいいというのか。流石にちゃんと考えていると、得意気にしている母さんを信じるとしよう。

 

『今ダウンロードしてもらったのは、ギャラルホルン仕様になった際の専用OSってところかしら。そっちに切り替えれば、PICなんかを自動で調節してくれるわよ。それと、専用の拡張領域(バススロット)も込みね。つまり――――』

「……はぁ!? つ、追加パッケージを後付武装(イコライザ)として常に持ち歩けるのと同義ってこと!?」

「え、えーと、つまり?」

「なんでも入る便利なポケットが、もう一つ増えたってことかな。おばさんサラッと言ってるけど、拡張領域(バススロット)二つ持ちなんて聞いたことも……」

 

 専用OSの方はなんとなく理解できたが、次いで出た母さんの言葉に、ナツが何をそこまで驚いているのかわからなかった。

 えー……拡張領域(バススロット)っていうのは武装をしまっておくポケットみたいなもので、基本はこの一つのポケットに容量限度までの武装を詰め込むわけだ。

 例外となるのが後付武装(イコライザ)。その名前のとおり、後付けとして拡張領域(バススロット)に容量を確保して、そこにしまうという定義だったかな。

 ……あ、確かにこれ異常だ。後付けで確保するのに対して、後付で拡張領域(バススロット)そのものをつけちゃいましたよってことじゃないか。

 しかもそれが武装用でなく換装パーツ用。つまり、これでヘイムダルはいつでもどこでも高速移動形態になれるということになる。

 いや、ちゃんと理解すると本当にとんでもない。これを考えると、やはりシャルルにデータを渡さなかったのは正解のようだ。

 

『ギャラルホルンは手動操作かイメージインターフェースで即パージが可能よ。そして、パージと同時に自動で量子変換されて、専用の拡張領域(バススロット)にしまわれるってことね』

「おお、画期的な仕組み」

「がっつりISの勉強した私から言わせると、超非常識な説明が続いて頭痛いんだけどね」

 

 さきほどからナツの反応を見るに、母さんのほうが異常なんだろうな。ISの勉強を始めて数か月になるんだが、異常と思えない俺も少し危機感を覚えたほうがいいのだろうか。

 とにかく、これでようやく試運転に入れそうだな。他のみんなは……ちらほら始めてる専用機持ちもいるみたい。出遅れているってことはなさそうだ。

 とりあえずギャラルホルンの起動は最後に回すとして、PICと脚部のスラスターを用いて宙へ浮いて行く。それなりに高度を上げてからストップだ。

 

「ハル、墜落してもちゃんとフォローはするから安心してよね」

「了解。もしもの時は任せたよ」

 

 ナツも白式を展開し、俺より低い高度を漂っている。何かあったら受け止めるつもりなんだろうけど、このギャラルホルンはそういうことをしてる暇はあるのか?

 母さんは注意事項があったらちゃんと言ってはくれるし、変な取り扱いをしたら爆発するみたいな話はまったくなかった。

 なら大丈夫かと聞かれればそういうわけでもない。何が心配って、やっぱり単純にどのくらいの速度が出るかなんだよなぁ。

 運用モードをバージョン・ギャラルホルンに切り替えて、コンソールをいろいろと弄ってみると、出力調整の項目を見つけた。

 どうやら制限をかけられるみたいだけど、やっぱり使わない手はないかな。最初から100%で始めたら、絶対ろくなことにならないだろうし。

 

「ナツ、とりあえず半分の出力で始めるから!」

「オッケー。いつでもいいよ!」

 

 そのまコンソールを操作して、出力を最大の50%に制限。流石に半分まで落とせば、即墜落ってこともないだろう。

 えーっと、母さんが言うにはいつもと同じように飛べば、後はギャラルホルンのほうがいろいろ自動でやってくれるとかだったな。

 それでも不安は薄れない。というわけで、些細な事でもナツに報告しておくことにした。声を大にして呼び掛ければ、力強いサムズアップが返ってくる。

 やっぱりナツが一緒だと心強い。おかげで、少しは不安が解消されたかも。よし、それじゃあ始めるとしますか。

 俺は心の中で、静かにゆっくり十から数えてカウントダウンを始める。そしてカウントがゼロになった瞬間、思い切り前方に飛び出てギャラルホルンをブースト!

 そして俺は次の瞬間、たった次の瞬間に思い知ることになるのだ。やはりISが絡んだ事案で、母さんを信用してはならないのだと。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?!?!?」

「ハルーっ!?」

 

 ギャラルホルンが轟音を鳴らして虹色の光を噴くと共に、背中にとんでもない衝撃を感じた。ISを装備しているというのに、背中が弓なりに反れるほどにだ。

 だーかーらー! いろいろやり過ぎなんだってばもーっ! 出力50%に抑えて制御がままならないってなんなんですかぁ! というか、PIC自動調節の話はどこへいっちゃったんだ!

 というか速い、とにかく速い。制御できないうちに景色がどんどん後ろへ流れていく。既に動作は停止させているというのに……って、つまるところこれって余韻!? ますます意味がわからんよ!

 いや、母さんに文句言ってる場合じゃない。とにかくすぐギャラルホルンをパージして、モードを通常運用に戻して――――って、そんなの間に合えば、普段からISのことで苦労してないかー。アハハハハハー!

 なんて現実逃避を始めて数秒、バッシャーンなんて大きな音を立て、見事に海へと墜落した。そして腹が立つことに、海中でようやくギャラルホルンがパージされるっていうね。

 

「最っ悪だ」

 

 とにかくヘイムダルの展開を解除して海面へ浮上。完全に身体を脱力させ、浮力のみを利用してひたすら海面を漂った。

 自分でも珍しく思うストレートな悪態が飛び出たが、幸いに聞いている人は俺以外に居ない。だって海の真っただ中ですもんねぇ!

 ……はぁ、こういうのもやめておこう。そもそも母さんのぶっ飛びっぷりを見誤った俺の過失でもあるんだから。

 そして慌てて俺を追いかけてきたであろうナツと白式が見え、そこでようやく立ち泳ぎを始めた。そのまま片手を挙げて左右に振ってみると、ゆっくりと高度を落としていくのがわかる。

 余計な心配をかけてしまっただろうか。とにかく、回収してもらったら一番に謝ることにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、本当に助かったよ」

「はぁ~……びっくりしたぁ……! 本当に怪我とかしてない? 瞬時加速(イグニッション・ブースト)なんて目じゃない初速だったけど」

「うん、被害っていったらビショ濡れになったくらいさ」

 

 とりあえず、大事をとって陸まではナツに運んでいただいた。IS越しとはいえ、女の子におんぶされるのは少し気恥しかったけど。

 お手本のような墜落っぷりだったせいか、ナツはこうして救助してからもかなり心配なご様子。さっきから身体のあちこちを触って確認しているようだ。

 けど本当に痛むような箇所は心当たりがない。仮にもISのまま墜落したわけだし、絶対防御が発動して俺を守ってくれたんだと思う。

 とはいえ、あれが100%のまま試運転していればどうなっていたことか。……だめだ、これに関してはあまり想像しておかないことにしよう。

 さて、ならばこれからは、もっと出力を落として、どのくらいなら安定して飛行できるかを検証しないと。何度も言うが、今日のこの場は試運転のためにあるのだから。

 俗にいうトライ&エラーみたいな? 要するに、失敗は成功の基というわけだ。

 

「ナツ、目測どのくらいの速度で安定しそう?」

「今のを見るに、10%くらいから徐々に上げていくのでいいと思うよ」

「それも言えてるか。遊ぶ目的でもないのに、また海に落ちるのは勘弁だし」

 

 普段から高機動ISに乗っているナツに意見を求めるも、なんとも言えないというニュアンスの言葉が返ってきた。

 でもそうだな、50%から落としていくやりかたよりも、わずかなエネルギーから上げていくほうが安全策か。

 よし、ならそれでいこう。なんとかこの実習中に、形くらいはものにしたい。さっきも言ったけど、FT&Iの、ひいてはギャラルホルンの開発に携わった全ての人に報いなければならないのだから。

 それじゃあ気を取り直して。そうやって待機形態に戻したヘイムダルを手に取った瞬間のことだった。

 

「はっくーん!」

「……ナツ、今のは俺の幻聴だよね。お願いだからそう言って!」

「ご、ごめん、私にもハッキリ聞こえた。でも、本当にこんなところに?」

 

 声が聞こえたんだ。そう、声。甘ったるいような、もっとストレートに言うなら媚びたような声色だった。

 そして何より、あの人しか絶対に呼ばない固有の俺用あだ名。間違いない。俺に特別女性への苦手意識をつくった、ある種トラウマとも表現できるあの人!

 周囲を見回すがあの人の姿はない。ならば俺の幻聴であったらと、淡い希望を抱いてナツに聞こえたかと問いかける。

 だが空しくも、ナツも確実に声を聴いたという。ちぃっ! ならやっぱりどこかに居るのは確定か……。どこだ、いったいどこから――――    

 

「ん……? なんか周りが暗く――――ええええええっ!?」

「ニ、ニンジンが降って――――ハル、危ないっ!」

 

 警戒度MAXでどこから来るのかと様子を伺っていると、不自然に俺たちの周囲だけがフッと暗くなった。

 太陽に雲でもかかったのかと思ったがそれは違う。何を言っているのかわからないと思うが、超巨大なニンジンが降ってきているのである。うん、俺も何を言っているのかわからない。

 瞬時に例のあの人だと察するも、驚愕が大きくてその場から動けない。俺たちを直接狙ったわけではなさそうだが、慌ててナツが俺に飛びついてその場から退けさせてくれた。

 俺たちが地面に倒れ込んで数秒後くらいか、ズドンという大きな音と共に、突風と砂埃が舞ったため着地したとみてよさそうだ。

 ナツが覆いかぶさっている状態だから首しか動かせないが、件のニンジンを眺めていると、まるでSF作品の宇宙船みたく出入口らしきハッチがスライドして開いた。そして、その中から出てきた例のあの人とは……。

 

「やぁやぁはっくん、遠出してるって聞いて、この束さんが会いにきたよー!」

 

 ウサギの耳を模したカチューシャ。不思議の国のアリスで見たようなエプロンドレス。隈があったり顔色が悪かったり、それさえ除けば100点満点と評してよろしい美人さん。

 しかしてその実態は、頭の中身が母さんをも超すぶっ飛びっぷりを有し、世界のパワーバランスを覆したISを生み出した自他ともに認める天才科学者。

 そしてそんな人が、近所に住んでた友達のお姉さんであるという事実。この人こそ、知る人ぞ知る世紀の国際指名手配犯――――篠ノ之 束さんである。

 そして何より、俺がこの世で最も苦手とする人物だ。

 

 

 

 

 




ヘイムダルみたいなゲテモノを生み出しておいて、今更普通のブースターなんて面白くない。というコンセプトで生まれたのがギャラルホルンです。
といいつつ、いつものようにメリットとデメリットが極端って感じに仕上げてます。
そのあたりは詳しく解説を入れるとしまして、はい、天災兎さんがやって参りました。
彼女は本当に作品によって扱いが変わって面白いですよね。
この作品での立ち位置はどうなるか、次回をお楽しみに。





【ギャラルホルン】
晴人の実母である恵令奈が主導となり、FT&IのIS企画開発研究部が造り上げた高速移動用パッケージ。
特徴としては直線での速度。恵令奈の言葉どおり直線番長と呼ぶにふさわしく、逆を言うなら曲がることはほぼ不可能なほど。
だが更に逆をいうなら直線での最高速度は他のISを凌駕するものであり、現状で超すISはしばらく生産されることはないだろう。
また実用性も優れており、その場の即時換装。専用OSを用いることにより、自動でのPIC制御などの操縦者に優しい仕様となっている。
晴人が運用に慣れさえすれば、とてつもなく心強いパッケージになることだろう。


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第45話 天才大旋風

だいたいサブタイトルどおりです。
なんというか、満を持してというところでしょうか。
一夏TSものにしては遅めの傾向にあると思われますが、天才もとい天災さんのご登場。


「で、まだ何か弁明の言葉があるか?」

「いえ、ありません」

 

 何か俺に用事がありそうな雰囲気を出していた束さんだったが、すぐさまフユ姉さんに捕まって正座させられ反省会。

 二人は同い年で学生の頃からの付き合いみたいだが、不思議と力関係がハッキリしているんだよな。なぜか束さんもフユ姉さんの言うことだけはちゃんと聞くし。

 だからって、俺たちIS学園の面子が見てる目の前でっていうのは少し可哀そうな気がする。フユ姉さん的にも、辱める目的があってのことだと思うんだけど。

 

「あの人、本当に篠ノ之博士……?」

「間違いないよ簪さん。会うのは俺も五年ぶりくらいだけど」

「五年ぶりでもなんでも、面識があるのが異例とも思いますが」

「ってか、晴人。アンタなんでずぶ濡れなのよ」

 

 苦手ながらも流石に不憫だなとか思いながら見守っていると、いつの間にか周りを専用機持ちで固められていた。

 簪さんはボソボソ喋るから質問かどうか判断つかなかったが、とりあえず補足の意味を込めて返答しておいた。

 そしてセシリアさんの言葉には同意を示し、鈴ちゃんの言葉はお茶を濁しておいた。どうやら一部始終は見られていなかったようだが、そうなると自分の口で説明するのはちょっとアレというか。

 

「後々のことも考えて、少々挨拶にでも――――」

「ダメダメダメ、絶対にやめておいたほうがいい! 下手をすると心を折られちゃうよ!」

 

 セシリアさんは立場的にも挨拶しないと失礼なんて考えたのかも知れないが、そんなことをさせるわけにはいかない。文字どおり自殺行為そのものだ。

 俺は我を忘れてセシリアさんを羽交い絞めにしてでも止める。普段なら絶対にやらないであろう止め方に、周囲のみんなも驚いているようだった。

 すぐに正気を取り戻してセシリアさんを離すと、今度は俺の放った言葉の意味を問われる。意味も何も、本当にそのままのことなんだけどな。

 

「束さん、興味を持った人以外にはとことん冷たいんだ。いや、あれはもう冷たいなんてもんじゃないな……。うん、とにかくこき下ろされる。それはもう徹底的に」

「弟よ、お前はどうなのだ」

「う~ん……。それが、どういうわけか仲良くさせてもらってるんだよねぇ」

 

 それこそ別に最初からそうだったわけじゃない。むしろ初めのほうは真逆と言っていい。子供心に殺されるんじゃないかと思った時もあるくらいだ。

 ナツが箒ちゃんと仲良くなって、柳韻さんとこの道場に通うようになって、俺も剣道を習っていたわけじゃないが付き添っていたわけだ。

 そしたら自然と束さんと顔を合わせる機会もあったわけで、遭遇するたびに無言のプレッシャーが凄かったんだよなぁ。こう、私の神聖な領域に、土足で踏み込むなよゴミ虫め。みたいな目で見られてた。

 それがどういうわけか、ある日を境にパッタリそれがなくなったんだよ。むしろ昔から仲が良かったかのように接してこられた日には、今までがあっただけに呆然としたのを今でもよく覚えている。

 なんにせよ、それが束さんを苦手な理由その一だ。いじめられたほうはいつまでも根に持つなんて言うけど、まさにその現象が起きてるんじゃないかな。

 

「ある日から突然? う~ん、それは確かに気になるね」

「でしょ? 俺みたいな凡才、束さんの興味を惹くとは思えないんだけど」

「弟よ、どさくさに紛れてネガティブ禁止だ」

「なんにせよ、ご忠告ありがとうございます。晴人さんのおかげで傷つかずに済みそうですわ」

 

 うんうん、セシリアさんにわかっていただければなによりだ。興味ある人には愛嬌たっぷりなぶん、そうじゃない人への対応は落差が激しくてキツイんだよ。

 経験者は語るというかなんというか。俺の辛い経験が誰かのためになるなら、これ以上のことはないと思う。

 それにしても、今回フユ姉さんの説教は長めだな。本来の立場的には相容れない二人なんだし無理もないか。

 だが、そろそろ束さんの目的のほうが気になってきたぞ。俺関連であるのがどうか勘違いであってくれればいいんだけど。

 

「それで、わざわざこんな所になんの用事だ国際指名手配犯」

「ち-ちゃんってば、その呼び方はつれないから止めてよー。気軽に束ちゃんって――――」

「よしお前たち、コレは無視して実習に――――」

「あ~ウソウソ、軽いじょ~だん! 箒ちゃん、箒ちゃんに用事があって来たの!」

 

 何度怒られても根本的には態度を変えないあの姿勢、逆に少しは見習うところもあるんじゃないかと思ってしまう。実際は反省してるのだかしてないのだか、みたいな話なんだけど。

 それにしても、箒ちゃんに用事か……。苗字でお察しのとおり二人は姉妹にあたるんだが、その関係がなんとも微妙なんだよなぁ。

 率直に言えば、箒ちゃんは束さんを恨んでいる。理由は単純、束さんがISを世に送り出したことにより、一家離散となってしまったからだ。

 そこのところは詳しく聞いてないが、ボソッと学校を転々としたし、長いこと両親の顔も見ていないと言っていた。

 それは、辛い……よな。俺も両親は共働きでめったに家に居なかったが、会えないなんてことはない。でも箒ちゃんは……。

 

「っ……私は、貴女に用事など!」

「あーだだだだ、箒ちゃん落ち着いて! 仲良くしろとは言わないけど、そんな怒鳴ったらみんなびっくりしちゃうと思う」

「……すまない」

 

 束さんに見つからないよう集団に紛れていた節はあったけど、やっぱりダメか。それを悪いと言わないが、感情が抑えられずに自ら位置を晒してしまった。ならば幼馴染として、仲間としてやることをやらなくては。

 俺は女子たちを少し強引に押しのけ、箒ちゃんのもとに辿り着いた。いつもしているように落ち着かせようと試みれば、思ったよりもすぐ聞き入れてくれる。

 きっと、向こうもいつも俺に同じことをさせてしまっていると思っているのだろう。小さな頃からの積み重ねがここに効いているようだ。

 しかし、これで俺も束さんに再ロックオンされるんだろうな。あー……気が重い。苦手なだけで嫌いなわけではないんだが、やっぱりどうしても……あれ? そういえばさっきからナツはどこに――――    

 

「はっくんってば、いっつも箒ちゃんと仲良くしてくれてありがとねっ」

「ふぉおおおおおおぅ!? だ、だから、昔から言ってますけど! 無遠慮に抱き着くのは止め――――ああもう、勘弁してください!」

 

 箒ちゃんを落ち着かせるために気を取られていると、俺の背中にはとてつもなく柔らかい感触が。無論その正体は束さん。彼女が胸を押し付けながら俺に抱き着いているのだ。

 これこそが束さんを苦手とする理由その二。態度が軟化してからというもの、とにかくスキンシップが激しすぎるんだよ。

 俺をからかう目的なんだろうけど、頭をロックして顔に胸を押し付けるのはやり過ぎだと思う。それで普通に窒息しかけたこともあるのだから。

 これを話すと大半の男子がうらやましいなんて言うんだろうけど、そんな経験からか俺にとって束さんは殺されかけた相手でもあるわけ。

 照れと恐怖のダブルパンチ。俺が束さんに抱く感情は超複雑なのだ。こういう場合は圧倒的に照れのほうが大きいんだけどね。

 

「何か用事なら手早く済ませてください。私は貴女と一秒も長く触れ合いたくない」

「おっとっと箒ちゃん、そいつはごめんよ。んじゃあこっちこっち、さっきのロケットに積んでるものがあってさぁ」

「え? ちょっ、なんで離してくれな――――俺関係ないですよね!?」

 

 束さんはもはや絶対零度をも下回りそうな箒ちゃんの態度を華麗にスルー。なぜか俺の腕を組んで離さないままロケットの方へ歩んでいく。

 その間フユ姉さんと箒ちゃん困った視線を送ってみるも、双方に黙って首を横に振られるというリアクションを返された。

 昔から何を考えているのかわからない人ではあるが、なんだか今日は飛び切りな気がする。五年強ぶりの再会がこんなのでいいのだろうか。

 本当に困ったな、ナツはいったいどこにいるのだろう。我が相棒なら、きっとこの状況を打破してくれるだろうに。

 

「はいは~い、危ないから少し下がっててね~」

「警告が遅すぎるっ! こ、これは、コンテナ?」

「そーそー。早い話が箒ちゃんにプレゼント!」

 

 束さんがリモコンのようなものを操作すると、巨大ニンジン型ロケットの上部が開いて中からコンテナが飛び出してきた。

 どうしてもうちょっと穏便な構造にしないのか、コンテナは当然の権利のように地面へ豪快に着地。下に人が居たら即死級の様相である。

 それにしてもコンテナで輸送とは、随分と大掛かりなプレゼントだな。……あれ、今日って箒ちゃんの誕生日じゃなかった? ……なんてこった! 幼馴染の誕生日のことがすっかり頭から抜けてたなんて!

 忘れていたせいでプレゼントなんか用意していない。箒ちゃんはそれを求めるような性格ではないにしても、忘れていたという事実で罪悪感がすさまじい。

 内心汗だくになりながら固まっていると、束さんは再度リモコンを操作してコンテナを開いた。するとその中に入っていたのは、真紅の……IS……?

 

「というわけではいこれ、箒ちゃんの専用機になる紅椿だよ!」

「いりません」

「即答!?」

 

 思わず即答かなんてツッコミを入れたが、何なら今のは食い気味にいらないと答えていた。

 普通のIS乗りならば喉から手が出るほど欲しいであろう専用機だが、箒ちゃんはそれを推しても必要ないと言う。

 すごいのが意地になっていらないとかじゃなく、まったく、これっぽっちも、微塵も興味なさそうにしてるところじゃないかな。

 好きとか嫌いよりも無関心のほうが悪いと聞いたことがあるけど、これってそういうことなんだろうなぁ。

 姉妹の問題に俺が首をつっこむべきではないんだろうけど、少しくらい意見を言っておくべきでもあるような気がした。

 

「あのさ箒ちゃん、俺も突発的に専用機なんか手に入れちゃった身だから気持ちはわかるっていうかさ。冷静に考えて箒ちゃんだって重要人物なんだし、自衛の手段くらい持っておいたほうがいいんじゃ?」

「……晴人、お前が私たち姉妹の仲を気にしてくれているのはわかる。余計なお世話とは言わんし感謝もしている。しかし、要らないんだよ。本当に、私にISなんぞ必要ではないんだ」

 

 ……そうか、箒ちゃんにとってISは敵なんだ。自らの取り巻く環境を奪い去った、敵なんだ。

 俺たちとの別れや一家離散だって、ISさえなければ起きようもない。箒ちゃんを見送ったあの日、気丈な彼女が泣きわめく姿は鮮明に覚えている。

 きっと箒ちゃんがIS学園にいるのだって、要人保護プログラムで半強制的……だよな。……どうしてそのことに気付いてあげられなかったのだろう。

 俺やナツと一緒に進級して、鈴ちゃんや弾たちと出会って、きっと剣道の強い高校なんかに進学して……。箒ちゃんにとってISとは、そんなあったはずの未来を台無しにした存在なんだ。

 それは、そう……だよな。そんなものをプレゼントされたって、乗ろうって気になるほうがおかしい話なのかも知れない。

 自らの失言を思い知ると、俺は悔しそうに歯を食いしばる箒ちゃんに声をかけることができないでいた。

 

「篠ノ之、乗れ。これは命令だ」

「っ!? し、しかし!」

「日向の言うことはもっともだ。お前にとっては癪なことだろうが、コレの身内である以上それはあって不要なものではない」

「……了解しました」

 

 意外なことにも、フユ姉さんは命令とまで言って箒ちゃんを紅椿に搭乗するよう促した。これには箒ちゃんも驚愕を隠し切れない。

 フユ姉さんも俺と同意見らしい。いくら要人保護プログラムの一環としてIS学園の監視下にあるとはいえ、束さんの身内である以上は不測の事態も起きえる。

 要するに、フユ姉さんとしても箒ちゃんを心配してのこと。例えそれが、箒ちゃんに酷なことを強要するとしても。

 箒ちゃんも俺たちが心配ゆえの言葉だったことは理解しているらしく、非常に悔しそうながらもなんとか乗ることを決意したようだ。

 俺たちの気持ちを無駄にしようとしないあたり、やっぱり箒ちゃんはとてもいい子なんだよな……。

 

「……手早く済ませましょう」

「箒ちゃんのご要望とあらば!」

(や、やっと解放されたか……)

 

 触れ合う時間は短いほどいいというのは本心のようで、箒ちゃんは冷ややかな態度そのまま紅椿へと乗り込んだ。

 となれば初期化とか最適化の作業があるため、束さんは俺の腕から離れて科学者らしい姿を見せ始めた。コンソールを複数同時に操るなんて、遠目から見れば逆に適当にやってるよう見えなくもない。

 そんな俺の視線に気づいたのか、束さんは一瞬だけこちらへ顔を向けた。……バチコーンとでも効果音がつきそうなウィンクと共に。

 改めてみると、いろんな意味で八歳年上とは思えない人だ。見た目のソレはお姉さんの気があるため、主な原因は自由気ままな言動のせいだろう。

 でもあのキャラに慣れてしまえば、別のが想像できないくらいにはしっくりきてるんだけど。……っと、どうやら前準備は終わったらしい。開発者なだけあってすさまじい早さだ。

 

「カタカタカタカタ……ッターン! ほい箒ちゃん、いつでも始めて大丈夫だよ」

「日向、補助を」

「りょっ、了解! えっと、箒ちゃんのタイミングに合わせるから」

「そうか。では――――」

 

 突然の指名に驚きはしたが、すぐさまヘイムダルを展開して箒ちゃんが飛び立つのを待った。

 声をかけると一呼吸置いてから浮きはじめ、危なげない様子で空を駆けていく。やはり感覚的な物事に関してはピカイチなようだ。

 うん、本当に俺の補助なんて必要なさそう。もしかすると俺より全然ちゃんとできてるんじゃないかな。機体性能を抜き差ししたってそう思う。

 しかし、箒ちゃん本人は浮かない顔だな。訓練にも身が入っていないように見える。かといって声もかけづらいしなぁ……。

 こういう時は自分の優柔不断な性格が嫌になるわけだが、俺のそんな自己嫌悪をよそに訓練は進んでいく。

 お次は紅椿の武装について。空裂と雨月という二振りの日本刀型物理ブレードが主兵装となるようだ。しかもこの二振り、ただの刀じゃないらしい。

 なんとそれぞれ斬撃や刺突に合わせて、レーザーみたいなものが飛び、遠距離攻撃も可能とのこと。距離を選ばないというのは、それだけで優れた性能と言えるだろう。

 

「じゃあ試し斬りといってみよ~」

「い、いや、なんで普通に的とかじゃないんだ!? 赤色の(サーキュラー)――――」

「晴人、有難いが手出しは無用。変形させるなら青色の塔盾(タワーシールド)だ」

「ちょっ、ちょっと箒ちゃん!」

 

 束さんが試し斬りと口にした途端、無数のミサイルが飛来して箒ちゃんを襲う。これは黙って見ているわけにはいかない。

 そう思って右腕を赤色の丸鋸(サーキュラーソー)に変形させようとすると、標的とされている本人からストップがかかった。流れ弾が当たらないようにと忠告したころには、既にミサイルの群れへ向かっているではないか。

 なんとも言えない気持ちで青色の塔盾(タワーシールド)を構えつつ見守っていると、箒ちゃんは紅椿を駆使して次々とミサイルを打ち落としていく。

 すごいなぁ……。剣道の経験とかも関係あったりするんだろうか。これを見るに、持ち前のセンスも十分にあるのだろう。今までは訓練機だったから目立たなかっただけかな。

 これなら青色の塔盾(タワーシールド)を構えている必要もないくらいだ。そんなこと言ってるうちに全部撃墜し終わっちゃってるもの。いやはや、本当に脱帽というやつだ。

 

「すごいよ箒ちゃん。あんな簡単に全部落としちゃうなんて」

「この機体の性能が高いだけのこと。悔しいが、そのあたりは認めざるを得ん」

「そっか。じゃあ今のが最後みたいだし、戻ろうか?」

「……いや、実は先ほどから気になることがな。先生には後で罰は甘んじて受け入れるとでも言っておいてくれ」

「え!? ほ、箒ちゃん!」

 

 箒ちゃんの束さんを科学者としては認めているっていう意味の発言は、喜ばしい……ものなのかどうかはよくわからないけど、機体が褒められただけ少しは報われるんじゃないだろうか。

 ミサイルを打ち落としてから特に動きもない。このまま模擬戦みたいな流れでもいいような気がしたが、箒ちゃんが本調子じゃないうちは止めておこう。

 そう思って降下を提案するが、箒ちゃんはどこぞへと向かってしまった。とはいってもそこまで遠くではなく、生身でも問題なく追える距離だ。

 そこに何があるかは知らないが、箒ちゃんはダイレクトインしたんだろう。うーん、危険なことでなければいいんだけど。

 

『日向、篠ノ之なら放っておいてもいい』

「い、いいんですか?」

『ああ、今はそっとしておいてやれ』

 

 そうか、一人になりたかっただけって可能性もあるんだよな。そういうことなら、デリカシーがないだろうから大人しく戻るとしよう。

 でもフユ姉さんがこう言うのなら、さっきのは伝えなくてもよさそうだ。罰は受けるからなんて、なんだか伝えづらかったし。

 地面に足をつけてそのままヘイムダルを解除……しなくてよかったか、束さんの用事も済んだしこれで訓練再開だよな。

 あ、もしそうだとしても、ナツを探しに行かないとならないんだった。むしろ罰っていうなら無断で離れたナツじゃないか? どうにかフォローしてあげられればいいんだが。

 

「はっくんお疲れー」

「ど、どうも」

「というわけでちーちゃん、このままちょっとはっくん借りるねっ!」

「構わん。お前たち、訓練を再開しろ」

「にじみ出る人柱感! 織斑先生、教師なら助けてください!」

「助けてなんてはっくんは物騒だなぁ。でも平気だよ、ちょっとお話したいだけだからさ」

 

 キョロキョロとあたりを見渡していると、またしても腕に柔らかい感触を覚えた。もちろん束さんである。

 ナツを探さないとならないのに困ったな、なんて思っていると、束さんはやはり俺にも用事があったみたいだ。

 フユ姉さんはさっさと訓練を再開したいみたいで、明らかに俺を売った。どう考えても人柱とか生贄の類である。

 訓練ですからと断ろうにも、束さんは女性とは思えないパワーで俺を引っ張っていく。服の下に強化外骨格でも装備してるのかと言いたいほどだ。

 束さんが俺を引っ張っていくのは、ちょうど箒ちゃんが向かったのと同じ方角。いわゆる磯と呼ばれるような場所だった。

 そして俺を離した束さんは俺の前へと躍り出ると、こちらへ振り向いて何かはにかむような顔を見せる。やっぱり美人ではあるせいか、いくら苦手でもそんな顔をさせると照れてしまう。

 

「そ、それで、話ってなんですか」

「えへへ、束さんもどこから話せばいいのかわかんないや」

「えぇ……? まぁ、じゃあ、纏まるまで待ちますから。ゆっくりで大丈夫ですよ」

「……えへへ。もーはっくんてば、そういうところだぞ、そういうところ!」

 

 照れを誤魔化すように話を持ちかけると、なんだかより一層はにかみながら話がまとまていないとのこと。

 なんだか束さんらしくもないが、まぁ束さんだってそういう時くらいあるよな。時間がないのはこの際抜きにして、ちゃんと待つのが甲斐性ってやつなんじゃないんですかね。よくわからないけど。

 すると束さんは、ウリウリと俺のことを肘で小突き始めた。地味に痛い。というか、そういうところって何がって話なんですけど。

 小突くのを止めた束さんは思い切り深呼吸。ということは、気持ちの問題だったりするのだろうか。だとしたらいったい――――    

 

「はっくん」

「はい、なんでしょう」

「束さんと結婚しない?」

「……はい? いや、あの、は、はい?」

 

 結婚とは。夫婦になること、特に男女間で夫婦関係を成立させる法律行為。……うん、言葉の意味自体はしっかり理解できている。だけどそのうえで言わせてもらおう、まるで意味がわからないと。

 冗談の類でなければだが、俺はたった今プロポーズされたのだ。誰にって? 恐らく世界で最も有名であろう天才科学者にだ。

 というか、冗談ではなさそうだ。束さんの様子を見るに、特にそう思う。俺の記憶の限りでは、こんなにも不安そうにこちらを伺う束さんの姿なんて知らない。

 

「あ、あの、意味がわからないです。言葉の意味は理解してますけど……。だってその、会うのだって五年ぶりくらいですよ? もし本気だとして、す、好きになられる要素がない気が」

「あー……そこはほら、いくらか見てたから。はっくんがIS動かし始めてからだけど」

「監視してた、ってことですか」

「悪い表現をするならね。でもでも、プライベートな部分は避けてるから安心してよ!」

 

 あまりに突拍子がないので、俺は思ったことをそのまま述べるので精いっぱいだった。

 俺の疑問に、束さんは少し悪びれながら答える。これもとても珍しい。監視なんて、プライバシーなんて知らんと言わんばかりにする人だろうから。

 だから俺はより混乱を強くする。悪びれるその姿には、俺に嫌われたくないというのが見え隠れしていたから。

 なんなんだ。いったいどうなっているんだ。いったい俺なんかのどこに、束さんをそうさせる理由があるって言うんだ。

 

「でね、IS動かしたっていうのがはっくんだったら気になるじゃん? だから思ったんだよね、実ははっくんのことってよく知らないなーって。知れば知るほど、はっくんは私の興味を惹く存在だったよ」

「お、俺が? 俺ですよ? 俺は平々凡々の極みで――――」

「そこだよ。調べてわかったんだけど、はっくんの普通さは普通じゃない」

 

 みんなに俺たちの関係性を説明するためにも言ったが、俺が束さんの興味を惹くとは思えない。だって普通の擬人化などと揶揄されて生きてきたのだから。

 だが束さんは、そこなのだと言う。そここそが、俺に興味を持った理由なのだと言う。普通に普通じゃないのだという。

 

「身長や体重も、年齢に合わせてほぼ平均値並みに成長してる。テストをやらせれば平均点プラスマイナス五点以内。スポーツテストもほぼ平均値ピッタリ! こんなの狙ったってできはしないよ!」

「そ、そんなこと……ですか?」

「わかってないなぁ。普通なのに、普通だけど、普通に普通じゃないんだよはっくんは! もう束さん興味津々!」

 

 俺にとってはコンプレックスのようなもので、鈴ちゃんなんかには普通という概念に呪われてるんじゃないかと言われたほどだ。しかし、なんだか読めてきた。

 きっと束さんは天才だから。その気になったらなんでもできてしまう人だから、俺のそんな普通さを人よりも異常と感じるのだろう。

 

「でねでね、なんか最近束さんってば、はっくんのことばっか考えてるなーって。キミのこと考えてる時って、なんだか幸せだなぁって」

「…………」

「私にこんな感情があったの、自分が一番びっくりしてるんだよ? だってこれ、完全にはっくんのこと好きなんだもん……」

「束さん……」

「うん、好きだね。好きだよはっくん。無人機の件とか銀髪小娘の件とかかっこよかったし、いつでも誰かのために頑張ってるキミがかっこいい。そんな子が唯一私の造ったIS動かせるのって、なんだか運命感じちゃうな」

 

 照れながらも己の心情を吐露する束さんは、心底から可愛らしかった。二十代の女性に対する表現として似つかわしくないかも知れないが、その姿は恋する乙女そのものだ。

 それを俺がさせている。……俺が、俺が? 束さんにこんな顔を? させたとして俺は、いったいどうすればいいというんだ。

 今すぐはいと答えていいものじゃないってのはわかってる。けど保留というのは一番ダメだ、女性が一世一代の告白をしてくれているというのに。

 だとして俺に、断る言葉を述べることができるのだろうか?

 

「で、どうかな。私とあまあまラブラブな生活、送ってみない?」

「い、いや、俺は、僕には――――」

 

 束さんの口から発せられるあまあまラブラブとは、これを言われているだけで俺は相当な果報者なのだろう。

 それだけじゃない。きっと束さんは、俺の望む女性そのものになろうとしてくれるはず。なんたって完璧主義な人だから。

 それでいて、天才だからできちゃうんだよな。料理ができたほうがいいと言えば覚えるだろう。毎日三食、頬が落ちるような絶品を作ってくれたりしてさ。

 でもその甘言に乗っていいものではない。乗っていいはずがない。だって僕には――――    

 

「いっちゃんがいるから?」

「っ!?」

 

 いや、待て、なんだ今のは。俺は束さんを前にして何を口走ろうとしたんだ。俺は、自分にはナツが居るからと答えそうになった口を必死で押さえた。

 ふざけるのも大概にしろよ。確かに何度かいい雰囲気になったことはあるが、さもナツと俺が恋人同士かのような発言は許されない。

 そう、許されないんだ。俺が、俺なんかがナツにとってそうであっていいはずがない。なのになんだ、この胸に走る張り裂けそうな痛みは。

 

「じ・つ・は・ねぇ、そのあたりの問題を解決するモノも作ってるわけですよ。まぁこればっかりはいっちゃんの意志に依存するんだけどーっと……どこにしまったかな」

「ナツの意志に……? ……た、束さん、もしかして――――」

「貴女という人はああああああっ!」

「ほ、箒ちゃん!? 青色の塔盾(タワーシールド)!」

 

 束さんは目の前でごそごそと懐をまさぐり始める。普段なら本当にどこにしまってるんですかとツッコミを入れているところだが、俺はナツの意志に依存するというワードがひっかかった。

 もしかすると例のアレを作ってしまったのではと声を上げようとすると、次の瞬間箒ちゃんのシャウトが響いた。

 どうやらそこらの大きめの岩あたりに居たのだろうが、今重要なのはそこじゃない。なにせ、箒ちゃんは紅椿を纏って束さんに斬りかかろうとしていたからだ。

 どんな理由があれど、俺の目の前で人を傷つけさせるわけにはいかない。すぐさまヘイムダルを展開し即右腕を青色の塔盾(タワーシールド)に変形。

 束さんを隠すように真上へ構えると、ズシンとのしかかるような衝撃が右腕に走る。こ、これは、俺が防がなければ、間違いなく束さんは……!

 膝で反動をつけるようにして箒ちゃんを押し返すと、俺は追撃を許す前に声を大にして呼び掛けた。

 

「箒ちゃん、いったいどうしたっていうんだよ!」

「姉さん、貴女は、貴女は! まだ私の大切なものを壊さなければ済まないのか!」

(む、無視……? いや、冷静さを欠きすぎて、俺が目に入っていないんだ)

 

 いくら恨みがましいとして、箒ちゃんが殺すまで束さんをそう思っていないのは知っている。だからこうして叫ばずにいられなかった。

 しかし、再度箒ちゃんを視界に居れた時、俺はもう何も言えなくなってしまう。

 箒ちゃんは泣いていた。いつでも真っすぐで、いつでも固い決意が宿っているかのような。そんな力強い瞳から、大粒の涙を零している。

 いったい束さんの何が箒ちゃんの逆鱗に触れたというのだろう。

 答えの導き出せない俺は、怒り涙を流す妹と、対照的ににこやかな姉。そんな複雑な関係である姉妹を、ただ交互に見やることしかできないでいた……。

 

 

 

 

 




以前に束さんの扱いについて迷っていると少しだけ触れましたが、やはりこういう役回りについていただくことになりました。
とはいえただの負けヒロインということもなくてですね、というかこの作品において一夏ちゃん以外をヒロインと表現するのもアレなんですが。
そこのところを詳しく説明してしまうと重大なネタバレになってしまうので、とりあえず何も考えずに束さんに今回のような行動を取らせてはいない。ということだけは認識しておいていただいければありがたいです。


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第46話 見えざる真意

作者でも何回かよくわかんない回。
一応はフラグ立てでもあったりするんですけど、話せないことのほうが多すぎて何かを勘付くことはまずできないかも……?


(はぁ……。何も逃げなくったってよかったのになぁ)

 

 波に削られたゴツゴツとした岩が目立つ磯に、一夏は隠れるように身を小さくして座り込んでいた。

 きっかけはもちろん束の到来。一夏は束の姿を見て思い出したのだ。在りし日の彼女が、いったいどういうふうに晴人と接していたのかを。

 当然ながら一夏の記憶には、確と束の晴人に対する過剰なまでのスキンシップが刻まれている。男の時ならまた晴人が餌食になるなで済んだ。そう、男の時ならば。

 今となっては恋する乙女そのもの。思考や感情もほぼ女性のソレに染められている。ともあらば見ていられないという気持ちが沸き、こんなところまで逃げてしまったというわけだ。

 

(ハルに気安く触らないでください。なんて言えないしなぁ)

 

 一夏はどこか彼女面、ないしそれと取れる行為を敬遠する傾向にある。前も言っていた、幼馴染というのを傘に立て、という部分と関連するのだろう。

 実際のところ、幼馴染とひとことで済ませられる関係でないのが問題なのだろう。なんせ互いに離れていた時間のほうが短いくらいなのだから。

 それでいて、ただ依存しているというわけでもない。これは恋愛感情を抜きにした話だが、とても大事な相棒なのだ。

 一夏が右腕なら晴人は左腕。晴人が左足なら一夏は右足。一夏が剣なら晴人は盾。というふうに、揃っていて当たり前とでも表現すべき存在である。

 なんとも皮肉な話だが、このあたりが互いにいま一歩踏み出せない要因ともいえる。最初から異性同士であれば今頃……な二人のため、本当の本当に皮肉でしかない。

 

(ん? そういえば、さっきからなんか爆発音が聞こえるような……)

「おい一夏、大丈夫か?」

「うわあ、ビックリした! 箒……それにそのISは?」

 

 かなり深い考え事にふけっていた一夏だが、どこか遠くから爆ぜるような音が響いてきているのに気が付いた。

 なにごとかと顔だけ岩から出して覗こうとしていると、真後ろから何かが降り立つ音と、聞き覚えのある友人の声が。

 驚いた拍子に尻もちをつきながら視線を向けると、箒があからさまに専用機であろうISをその身に纏っているではないか。

 先ほど箒が訓練の場を離れたのは、一夏の様子を心配してのことだった。束が晴人にひっつくのを見ていられない、というのを察したのだろう。

 

「私の姉が不安にさせてすまない。昔から、アレに関して真意を語ってくれなくてな」

「箒が謝ることじゃないよ。私がもっと堂々としてればいいだけの話なんだから」

 

 IS、もとい紅椿を解除した箒は、未だ座り込んでいる一夏に深々と頭を下げた。

 一夏からすればなんとも筋違いな話であり、両手をブンブン振ってそんなことは止めてくれと乞う。

 箒の性質からしてそうせずにいられなかったのか、さっきとは違う意味ですまないと言いながら姿勢を正した。

 そしてそのまま一夏の隣に座り込むと、なんとも言えないため息を吐いて見せる。

 ギクシャクとまではいかないながらも微妙な空気が漂うが、更に空気を悪くしてしまう覚悟で、箒は重苦しく口を開いた。

 

「一夏。私はな、どうしていいかわからんのだ」

「えっと、何が?」

「時折お前たちにらしくない姿を晒しているだろう。あれも私の本心のつもりなのだが、それでもまだ私は――――」

「……私に男に戻ってもらいたいって思ってる?」

 

 今度は澄み切った空を見上げるあたり、一夏はかなり重症そうだと判断を下した。元より一人で抱え込むのが箒であるため、話してくれるだけましという気持ちもあるが。

 しかも自分が関わっているというのならなおのこと。一夏は人の問題に首を突っ込まずにはいられないのだから。

 そして箒は自嘲するようにして、学園での二人を見守るスタンスについて語り、その反対の気持ちを持ち合わせていると正直な言葉を述べた。

 もっともそれは見抜かれていて、箒は無言で首を振ることで肯定したのだが。

 

「前にも言ったけど、私はそれで全然構わないよ。だって箒には悪いけど、私の想いが揺らぐことってないだろうし」

「……以前から思っていたが、それは一種の油断なのではないか。一夏は誰も晴人に惚れないという前提で言っているような気がする。……どうも嫌な予感がするんだよ。あの人の晴人を見る目が昔と違う」

「それってどういう――――」

「シッ! 静かに……」

 

 一夏の無意識的油断を指摘するよりも、箒には優先して気がかりなことがひとつ。束の晴人に向けての態度である。

 周りの目から見れば子ども扱いのように思えるだろう。本人もからかわれているものだと考えている。箒だって、先ほど相対するまでは照れる晴人を面白がっているものだと感じていた。

 だが違う。妹としての勘と表現しては自分でも忌々しいが、第六感的な部分が先ほどから警鐘を鳴らしていた。

 いつも以上に眉間へ皺を寄せる箒に真意を問おうとすると、口元に指をあて静かにするよう指示を出される。

 そして箒はコソコソと岩の影から様子を伺い、一夏もそれに倣って顔を出す。視線の先に映るのは、件の晴人と束であった。

 

「……ねぇ、箒」

「どうした」

「なんか、私も嫌な予感がしてきたかも」

「……私の思い違いであればと願うばかりだ」

 

 二人の様子をというよりは、今の束をよくよく観察してみれば、一夏も拭い切れない違和感を覚えた。

 いつも無邪気で天真爛漫かつ、いろんな意味でフワフワした人物である。というのが一夏の抱く束の印象だ。

 確かに今だってその様相を呈してはいるが、どうにも表に出てしまっている。普段からは想像できないような、女としての表情が。

 それこそ自分がそうであった覚えがあるため察しやすい。わけもなく頬が緩み、いつの間にやら熱視線を送ってしまう。そんな男を想う女の顔――――    

 一夏はまるで全身が凍り付くかのような思いだった。何かの間違いだ。それだけはやめてと内心で懇願するも、想定していた最悪のパターンが現実となってしまう。

 

「はっくん」

「はい、なんでしょう」

「束さんと結婚しない?」

「……はい? いや、あの、は、はい?」

「っ…………!?」

「一夏!? おい、しっかりしろ」

 

 むしろ想定しうる最悪を、更に上回る最悪である。なんといっても、告白を軽くとおり越してプロポーズを目撃してしまったのだから。

 瞬間、一夏の身体からは力という力が失せる。なんとか岩を支えにするも、顔を真っ青にして座り込んでしまった。

 まだ晴人がオーケーすると決まったわけじゃない。むしろ一夏は、晴人がそういった問いに即答することができないことを知っている。

 それでも、ここ最近さんざん言われてきたことが効いているのだ。あまりボーっとしていたら、いつの間にやらかっさらわれてしまうと。

 一夏はどこかこうも思っていた。なんだかんだ、いつしか晴人は自分の想いをわかってくれるものだと。

 そういった自分の油断がこの光景を招いたとするなら、一夏は絶望を感じずにはいられなかったというわけだ。晴人を、自分にとって唯一の男を取られてしまうという絶望を。

 

(あの人は……)

 

 箒の中で黒い何かが沸き起こる。

 誰が誰に対して恋慕を抱こうが、そのこと自体に罪がないことは箒も理解している。そうでなければ、晴人に恋する一夏など、到底受け入れられたものではない。

 しかし、元より箒からして束の印象は悪い。これ以上がないくらいには悪い。

 そんな人物が友人としての織斑 一夏を追い詰めているとなれば、冷静でいられるはずなどなかったのだ。

 箒は振り向きざまに紅椿を展開。地面を強く蹴り上げ飛び上がり、一目散に束へと斬りかかった。

 

「貴女という人はああああああっ!」

「ほ、箒ちゃん!? 青色の塔盾(タワーシールド)!」

 

 躊躇いもなく放たれた一撃は、ヘイムダル自慢の盾にて防がれてしまう。今の箒には束しか映っていないため、幸い晴人にヘイトが向くようなことはなさそうだ。

 むしろ普段の箒からして、晴人は例え相手が誰であろうと庇うといった認識である。晴人の日ごろの行いが功を奏したともいえよう。

 おかげで距離を離して着地した後も晴人のことが目に入らないレベルだ。しかし、向こうとしては目が離せないといったところか。

 なぜならば箒は、様々な感情が渦巻いた結果、滅多に見せないであろう涙を流していたから。

 

「箒ちゃん、いったいどうしたっていうんだよ!」

「姉さん、貴女は、貴女は! まだ私の大切なものを壊さなければ済まないのか!」

 

 箒の涙のわけ、それはすべてこの言葉に集約されているのだろう。

 姉は友との絆を壊した。姉は家族との絆を壊した。姉は自分の取り巻く環境の、それらすべてを壊したのだ。

 形は違えども、かつての友二人と新たな絆を紡ぎ始めた。それも今、姉の手によって壊されようとしている。箒は、それが悔しくて仕方がなかった。

 箒だって自身の願いが成就されること、つまりは一夏が男に戻れる時が来たなら、同じように大切なものが壊れてしまうのはわかっていた。

 だから、箒は一夏にどうしていいかわからないと呟いたのだ。だが自分の葛藤をよそに、やはり人の想いを踏みにじるかのような、そんな行いを平気でする姉が許せない。

 

「待って箒、落ち着いて」

「ナ、ナツ……? ん? えっと、二人してこんなところで何を……」

「え? えっと、それは、まぁ、置いといて……。とにかく、私は大丈夫だから。ね?」

「……一夏にそう言われては、従わんわけにはいかん」

 

 姉を憎む妹という構図を見ていられなかったのか、一夏は急ピッチで気を取り直し、晴人と箒の間に割って入る。

 箒はともかく一夏の登場に、晴人は首を傾げずにはいられない。一夏が誤魔化しにかかったのは見え見えなため、ますます気になってしまう。

 追い詰められかけた本人の要望とあってか、箒は慣れた手つきで空裂を鞘へと納める。そして、そんな金属の擦れる反響が響き渡ると、空気も読まずに束が叫んだ。

 

「あったー!」

「ずっと探してたんですね……。あの、それってやっぱりもしかして――――」

「うんうん、束さん科学者だから化学(ばけがく)のほうは専門外なんだけどねぇ。そこは頑張って作っちゃったよ、天才だから!」

 

 身体中をまさぐって何を取り出したかと思えば、清潔感のある小さなケースだった。晴人は前置きを聞いているので、その中身についてある程度の予測がついていた。

 だからこそなのか、晴人は脂汗が止まらない。心臓の鼓動も、みるみるうちに早くなっていく。もし本当に自分の予想どおりとして、自分がどう立ち回るかを必死に考えているようだ。

 実際はそれどころの話ではない。この場に居る全員が一応の関りをもち、それひとつで今後の運命すら左右するものなのだから。

 

「いっくん、というか、いっちゃん! 束さんの二年越しのリベンジだよ!」

「二年……? そ、それってつまり――――」

「そうそのとおり、性別を反転させる薬!」

 

 二年前。とてつもなく正確に言うのなら、一年と数か月。間違いなく、織斑 一夏の性別が反転した年月だ。

 リベンジというワードは置いておくとして、一夏の性別が反転する要因となった薬品を、束は見事に完成させて見せたとのこと。

 そして空気が凍り付く。何を言えばいいのか、何を言うべきなのかがまるで見えないせいだろう。だから今できることがあるとするなら、束の反応を伺うことくらいだった。

 とはいっても、彼女は彼女で相変わらず朗らかとした様子を崩さないわけだが。

 

「あ、あの! あまりに突拍子もないわけですから、みんなで状況確認……しませんか?」

「ん、そだね。いっちゃんも規約どうこうで、二年前のことも話せてないんだろうし」

「もしや一夏、事件の直後に姉さんと会っていたのか?」

「うん、事件から三日くらい経って、いきなり病室のベッドの下から出てきたからびっくりしたよ」

 

 晴人に場を和ませようなどという気はまったくなく、とにかくこの状況はいろいろと整理をしていくことが大事だと考えた。

 まず遡るべきは二年前というワードで、実のところ束本人から答えが示されているようなものでもある。つまり、そこらをゆっくり紐解いていこうということ。

 箒も大体の事情を察して一夏に声をかければ案の定。いきなり出現と表現すべき行動をされた一夏としては、心底驚かされたできごととして刻み込まれているようだが。

 

「出て来かたはともかくとして、現れたときはやっぱりなって思ったかも」

「まぁ、束さんがそんな未知な現象をほっとくわけないもんね」

「どこで聞いたかはさておいてな」

「やだなぁ箒ちゃん、照れるぜ」

 

 確かに晴人の言うことにも一理ある。

 篠ノ之 束とは、恐らくその気になりさえすれば、できないことのほうが少ない大天才。そして性別の反転とは、当時の束においてできないにカテゴライズされる現象。

 だからこそ束は悔しさ半分、興味半分ほどで一夏を尋ねた。自分にできないことを、誰かが成し遂げたゆえの悔いと興味であった。それこそ、箒の言うとおりどこで聞いたかはさておいて。

 

「いろいろ試してくれたんだけど、やっぱり束さんでもダメだったみたいで」

「束さんはそのまま退散ね! まードイツ軍にめっかっちゃったってのもあるんだけどー」

「……あぁ、規約ってそういう」

「束さんと接触したってことで、凄い数の規約書に署名させられました……」

 

 先に束が言っていたとおりに、科学者であれども化学者ではない。興味本位で出向いたはいいが、準備が足りずに断念といったところだろうか。

 ここにきて、近しい存在である自分がなぜそれを聞き及んでいないのか、晴人は納得したように呟いた。同時に、一夏に少しばかりの同情もむける。

 あまりにも普通に接してはいるが、束が国際指名手配犯であることばかりは揺らがない。

 それが自ら接触しにきて、なおかつそれなりの施術をほどこしたとあらば、それなりに口止めせねばならないこともあったろう。

 一夏は腱鞘炎になりそうだったアピールなのか、トホホといった様子で手首を軽くブンブンと振った。

 

「まぁそのままってのは束さんのプライド的に許さなかったからさ、それでようやく形になったって感じ」

「だが結果的にとはいえ、貴女はソレを自分のために使いたいのでしょう」

「やだなー箒ちゃんってば! もし本当にそうなら、いっちゃんが寝てる時にでも投与しちゃってるよ」

「む、それは、まぁ、一理ある……」

 

 注射器の入っているであろうケースを手にはしゃぐ束を前に、三人は一瞬だが顔を見合わせた。

 そのアイコンタクトには、仕組みだとか原理だとか成分だとか、そういったものを確認するべきかどうか。という意味が含まれているようだ。

 聞きさえすれば、束は懇切丁寧に教えてくれることであろう。だが丁寧に説明されたところで、常人では理解できない。という共通認識のもと、とりあえず言いたいことを述べることに。

 先陣を切ったのは箒。相も変わらず、束を懐疑的に見ている旨を伝えた。例えそれが、自分に当てはまる言葉であろうとも。

 しかし思惑外れ、束の反論に納得してしまう箒が居た。本当にそうならと前置きしているとはいえ、とんでもない畜生発言なのだが、実際に一夏への配慮がなったなら彼女はそうする。そうしていた。

 嘘か真かあの篠ノ之 束が他人への配慮を見せているという事実に、実の妹が最も怪訝な顔を浮かべるという奇妙な光景が繰り広げられてしまう。

 

「んでんでんで~。ぶっちゃけていっちゃん、さっきの聞いてた?」

「は、はい。えっと、なんかすみません」

「まぁまぁ気にしない気にしない。束さんは気にしてないよ!」

 

 それまで晴人の隣を離れようとしなかった束だが、跳ねるように移動して一夏の目の前で止まった。

 若干たじろく一夏をよそに、束はここでひとつ事実確認。先ほどの晴人に対する求婚を聞いていたかどうかだ。

 成り行きとはいえプライバシーがなかったと反省を口にする一夏だが、束はまったくもって気にしてやいない。そんなことを気にする性質なはずがない。

 ではなぜそんなことを聞くのか。前述したとおり、ただただ事実確認。本当にそれだけのことだ。

 

「まぁお恥ずかしながら束さんもけっこう本気なわけですよ。さっきはしないって言いはしたけど、箒ちゃんの言葉も間違いじゃなかったりするしね」

「……私にソレを使ってほしい。ってことですか?」

「端的に言うならそうかな。けど強制もしない。でもねでもね、もしいらないって言うならさ、束さんをここで諦めさせてくれないかな~って思うんだよ」

 

 しないとは言ったが間違いではない。その言葉には、かなうなら一夏を男に戻してしまいたいという思惑が微塵も隠れず露見していた。

 誰もが見惚れてしまいそうな笑顔の下に、一夏は束の本気度というものを感じる。それこそ別にプレッシャーをかけられているわけではないが、思わずはいと返事しそうになりそうなほどには。

 それでも念を押すように一夏の意思は尊重すると告げるも、ちょっとばかりの交換条件付きらしい。

 諦めさせてくれないかという言葉に、箒は思わずピクリと片眉を上げる。どことなく違和感を覚えたというのもあるが、淡い希望を抱いてしまったといったところか。

 

(もしや姉さんは、一夏を煽っているのか? いや、だがしかし……)

 

 第三者が他人の恋愛に干渉して成就させる、俗に言うキューピットのような役を買って出ているのではと箒は考察した。

 そもそもの問題として、箒からすれば束が人を愛することができるのかどうか怪しいものである。それも相手は八つ齢下の、元は毛嫌いしていた男ときた。

 だが、晴人に告白する際の束の表情を見るに、まるっきりそれ自体が嘘ではなかったというのが箒の抱く印象だ。その矛盾とズレが違和感を生み、期待と失望がせめぎ合う。

 もし本当にキューピットのつもりならば、少しは見直すこともできるのではないかと。しかし、箒の魂はこう叫ぶ。期待するだけ無駄なのだと。

 だからこそ全ては一夏に委ねることにした。もしここで一夏が束を諦めさせにかかったその時はと、そうやって覚悟を決めて顛末を見守ることを選ぶ。

 

「束さん。あなたの本心がどこなるのか、どうしたいのか、私には全然わからないです。けど、あなたのおかげで一つ決心がつきました」

(……そうか一夏、やはりその道を選ぶか。ならば、もはや私に言うことはない)

「ハル」

「う、うん」

 

 織斑 一夏は元来より意志の強い性格である。先ほどまでの動揺っぷりのほうがらしくないのだが、その瞳には確かな決意が宿っていた。

 やはり性別が変わろうとも、その根本までは覆らない。箒は今の一夏に対して、かつての一夏の姿が重なった。

 その決意が晴人に対する恋慕から来るものだと思えば、どこか晴れやかにも思える感情が過る。それは間違いなく諦めであると言うのに、箒自身も不思議なくらいにあっさりとしたものだった。

 そして一夏は晴人の名を呼び注意を引く。己の抱き続けた恋慕をここで示すのだと、様々な覚悟を決めて。そう、例え結果がどう転ぼうとも

 

「私、私はね――――」

『お前たち!』

「っ~!? お、織斑先生!?」

 

 だが一夏が想いを告げようとしていたその時、通信機から千冬のよく通る声が鳴り響いた。その声色はいつものクールな様子とは打って変わり、隠しもしない焦りが聞き取れる。

 瞬間、三人は先ほどまでの空気感を振り切った。特に一夏は代表候補生としてゆえか、特に顔つきが険しいように思える。

 すかさず軽く二人へ目配せすると、晴人と箒はそれに応え力強く頷いて見せた。なんだか頼りがいのあるその姿を受け、一夏は自信をもって話を進める。

 

「織斑先生、トラブルですか」

『話が早いようで何よりだ。詳細は旅館内に配置した仮の会議室で話す。とにかく急げ!』

「「「了解!」」」

「束さん、そういうことなんで、話の続きは――――って居ない……?」

 

 トラブルという言葉に対して否定が入らず、更には会議室を作ってまで話さなければならない。この時点で、やはりかなりの大ごとであるのは確定のようだ。

 千冬の通信も要点だけ伝えてすぐ途切れてしまう。ということは、言葉どおりにとにかく急いで戻らなければならない。

 が、やはりその性格上からか、束のことが気になる晴人が居た。せめてひとこと伝えてからでもと目を向けるも、既にそこへ彼女の姿はなかった。

 

「ハル!」「晴人!」

「ご、ごめん! すぐ行く!」

 

 やっぱりよくわからない人だと首を傾げていると、遠くから憤りを含んだような幼馴染二人が己を呼ぶ。

 現在置かれている状況を忘れたわけではないが、やはり配慮なんて考えている暇ではなかったと反省する次第。

 要するに何をチンタラやっているのだと注意されたわけで、己の限界を超えるかの如く速度で二人を猛追。花月荘を目指してひた走るのであった。

 

 

 

 

 




ヒントを挙げるとするならば。

1.本編中で束が発した言葉の全ては嘘ではない(、、、、、)
2.そもそも一夏が女性にされた理由
3.2を踏まえて、束が一夏を男性に戻したい理由

くらいですかね……。
これらのヒントでいろいろ想像を膨らませていただければ、私からしても楽しい気分になりますので、よろしければどうぞ。
ちなみに、真相は本編最終回あたりで明かすことになるかと。


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第47話 想いと足枷

とうとう暴走した例の奴が襲来。
臨海学校編における一連の事件が、晴人にとって大きなターニングポイントとなります。


「今より二時間前、運用試験中であった軍用IS銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)が暴走。空域を離脱したとの情報が入った」

「…………!」

 

 花月荘の大広間にて、比較的大きめな空間投影型ディスプレイを用いつつ、フユ姉さんが険しい顔つきで説明を始めた。

 俺はのっけから動揺を隠せずにはいられない。軍用IS、暴走、空域を離脱……。これを聞けば俺みたいな素人だってわかる。それを俺たちで止めろってことも、これが実戦だってことも。

 俺の予想を裏切らず、件の暴走ISは五十分後にここから二キロ先の空域を通過する見通し。なんとおあつらえ向きな。

 だが動揺してはいられない。俺と箒ちゃんは変な話でただの専用機持ちだが、それを除いたみんなは確かに国家の元選出された実力者たち。

 こういった事態に対する心構えも学んでいるのか、みんなして一切の表情を崩さない。特にラウラちゃんは、それを上回る真剣っぷりを発揮しているようだ。

 そんなものを見せられた日には、俺だってナヨナヨしてるわけにはいかないだろ。だから唇を噛みしめ、それからフユ姉さんへと視線を戻した。

 

「それでは作戦会議(ブリーフィング)を始める。意見があるものは挙手してから述べよ」

「はい。ISのスペックデータの開示を要求します」

 

 あれよあれよという間に作戦会議が始まってしまう。俺も何かあれば意見を述べようと脳をフル回転させていると、早速セシリアさんがスラリとした腕を伸ばした。

 その内容はもっともというか至極真っ当というか、敵を知り己を知れば百戦危うからずというやつ。というか、相手のことを知りもせず懐に飛び込むなんて愚策にもほどがある。

 フユ姉さんから許可は下りるものの、重要機密なため漏洩が確認された場合は査問委員会により面倒なことが起きると釘を刺された。

 軍事機密というやつなのか、確かに銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)のスペックはなかなかに最新鋭……というか奇抜? 他に漏らすとロクでもないのは確かだった。なんだか親近感を覚える。

 

「広域殲滅を目的とした特殊射撃型IS……」

「わたくしのブルー・ティアーズと同じく、オールレンジ攻撃を行えるようですわね」

「えっと、これは、スラスターと射撃武装が一体化してるって認識でいいのかな」

「晴人、合ってるからそんな不安そうな顔しない。ってか、この時点でかなり厄介ね」

「逃げ回られながら攻撃されたらたまらないね。本国から防御用パッケージが送られてきてるけど、連続で受け切れるかどうかは怪しいかも」

「射撃性能は把握できたが、このデータでは格闘性能が未知数だぞ。格闘型の機体は外れたほうがいいのではないか?」

「自分で言うのもなんだけど、零落白夜の一撃必殺を捨て置くのはちょっともったいないと思う」

 

 情報の開示を皮切りに、俺たちは思い思いのことを述べて作戦を固めようと奔走する。なんか俺だけ確認することしかできてないけど。

 しかし、こんな時に考えることじゃないとは思うけど、この感じはなんかいいな。みんなで一つの目標へ向けて一体化してるっていうか、俺たちの絆が今試されてるっていうか。

 とにかくいろいろ話し合いが続く中、機動性を考えるとアプローチは間違いなく一回が限度という結論へとたどり着いた。

 なるほど、となるとやっぱりナツの言葉どおりの展開が理想か。本人がそれを一番よくわかっているのか、ナツの眉がキリリと吊り上がった。

 

「だが問題は、姉さまをどう運ぶかだな」

「移動にエネルギー使うのは……本末転倒……」

「超高感度ハイパーセンサーも必要でしょ」

(超高感度ハイパーセンサー……? そ、それってもしかして!)

 

 鈴ちゃんの呟いた単語に覚えがあった俺は、邪魔にならないよう振り返りながら待機状態のヘイムダルを操作した。

 インストールしたばかりのバージョン・ギャラルホルンのOS細部を確認すると、やはり機能の一覧に超高感度ハイパーセンサーという項目がある。

 決まりだ、ナツを運ぶ適任は完全に俺とヘイムダル。上手くいかなかった際の保証も考えればなおのことだ。

 俺が確認を行っている間にセシリアさんが自身の出撃を申し立てているが、それを遮って意見具申をするべく手を挙げた。

 

「織斑先生! 適任、俺です!」

「……とりあえず聞かせてみろ」

 

 セシリアさんに注目が集まっていたせいか、いきなりな俺の大声に驚いたメンバーが数人いた。意見が固まりそうだったからか、セシリアさんは失礼なとでも言いたそう。

 そんなセシリアさんの視線も流し、フユ姉さんの要求通りなぜ俺が適任なのかを述べ始めた。

 まず最低条件である超高感度ハイパーセンサー備えていること。第二にギャラルホルンへの換装が文字通り一瞬であること。かつ、速度も折り紙付き。

 そして第三に、失敗した際の退路の確保を想定できるという点。

 零落白夜をもし外しでもした場合、ナツは正直お荷物同然。だが俺と一緒に出撃したことを考えれば、ヘイムダルには青色の塔盾(タワーシールド)がある。

 シャルルは連続して受けるのは厳しいかもと不安を滲ませたが、俺は断言して見せよう。青色の塔盾(タワーシールド)ならばナツを守り切れる。

 そして後続としてセシリアさんに備えてもらい、援護を受けつつ空域から離脱。もちろんナツは俺が運ぶという想定だ。

 俺としてはこれほどにない適任であると自負しているが、対するフユ姉さんは迷いがあるのか悩んでいる様子。

 それは俺の実力不足を考えてのことなんだろうけど、そんなことは俺が一番よくわかってるよ。それでもなんだ、フユ姉さん。

 

「いけるか、日向」

「いけます! 俺にやらせてください!」

 

 フユ姉さんは短く俺の覚悟を問いただしたように思える。

 ここで迷っているようなら、フユ姉さんは却下という判断を下していたかも知れない。だから今までにない覚悟を示すため、俺も短い言葉でいける旨を伝えた。

 そんな俺の珍しい様子に、フユ姉さんはこんな場だというのに姉の顔を一瞬だけ見せる。フッとクールに笑って見せると、作戦内容の決定をここに――――

 

「よろしい。それでは本作戦は日向と織斑の――――」

「ちょーっと待った―!」

「ぐぇっ!?」

「ハルーっ!?」

 

 いきなり束さんが降って来た。ピンポイントに、俺の上にだ。

 いくら束さんが女性と言えども、その質量はざっと見積もって40~50キロ強ほどか。そんな物体が天井から落ちてきたとしてその衝撃は――――    

 計算するのが面倒なので省くけど、俺はとにかく潰れたカエルみたく地面へとへばりつく結果に。それはもう、ビターン! という感じだ。

 姿を消したかと思ったら、異変を察知して先回りして侵入したみたい。相変わらず絵に描いたような神出鬼没ぶり。

 そのままフユ姉さんと束さんは出ていけとかやり取りを繰り広げるけど、とりあえず俺の上から降りてもらえないだろうか。

 

「……わかった、もういい。話を聞いたら問答無用で追い出すからな」

「えっとねえっとね、ここは紅椿の出番なんだよ!」

 

 束さんを相手するなら諦めが肝心だ。どこまでも我を通そうとするから、欲求ないし目的をさっさと済まさせてしまったほうが早い。

 そうやってフユ姉さんが折れるや否や、束さんはいきなり紅椿……と、間接的にその操縦者である箒ちゃんをやり玉に挙げた。

 いきなりの提案に本人はびっくりしているようで、ついでに言うなら相変わらず怪訝そう。確かに、束さんが箒ちゃんに危険な真似をさせるなんて珍しい。

 ……もっとも、箒ちゃんは単に束さんが信頼できないだけだと思うけど。

 

「紅椿の展開装甲をもってすれば、パッケージなしで高速移動形態になれちゃうのだ! おばさまの造ったパッケージもなかなかだけど、総合的な戦闘能力を考えたら紅椿に軍配が上がっちゃうわけ」

「展開装甲? 要するに変形? なんか、ナツの雪片弐型と構造が似てるんですね」

「おやおやはっくんご明察! なんたって白式と紅椿は――――」

「え!? 束さんちょっと待って!」

「馬鹿者! それは日本のIS委員会に置ける最重要機密――――」

「束さんお手製の第四世代型ISだもんねっ!」

 

 束さんがコンソールを弄ると、それまで銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)のスペックが映し出されていた画面が、紅椿のものになりかわる。サラッと乗っ取っちゃうのがなんとも束さんらしい。

 わかりやすく映像として紅椿の高速移動形態とやらの説明が入るわけだけど、なんだか俺には既視感というものがわいた。

 なんとなくだけど、スライド変形の機構が雪片弐型と被る。そんな率直な感想を呟くと、突如としてナツとフユ姉さんがこれまでにないくらい焦り始めた。

 いったいどうしたのかと問う暇もなく、束さんから超サプライズ的な爆弾が投下されてしまう。聞いてみてわかったが、そりゃ焦るよなって感想しか浮かばない。

 代表候補生のみんなも驚きを隠せないのか、けっこうな音量で声を上げる者もいた。束さんに冷ややかな目を向けられ、それもすぐ止んだけど。

 

「お前たち、土下座でもなんでもしよう。今聞いたことはどうか内密に――――」

「だ、大丈夫ですよ織斑先生! 僕なんかほら、FT&Iに恩がありますし!」

「そ、そうです……。私たち……何も聞いてません……から……」

 

 世界が第三世代の開発に躍起になってるっていうのに、第四世代造っちゃいましたなんて笑える話だし。いち代表候補生が束さんの手が入った専用機を駆ってるなんて大ごとだよなぁ。

 詳しく言うなら白式は母さんと束さんの合作みたいだけど、これも大問題。いち企業のIS制作に束さんが関り、なおかつそれを日本政府が黙認ないし容認をしたということになるのだから。更にそれを隠蔽と……。

 これが知れた日には、FT&Iは今後ISの作製や研究をできなくなるかも知れない。白式やヘイムダルも没収って話になるかも。

 束さんはもう少し、自分が世間に与える影響力をわかってほしい。って言って聞く人なら誰も苦労しないよな。はぁ……。

 

「で、で? どうするどうする? 作戦内容、変更する感じでいっちゃう?」

「……篠ノ之、お前はどうだ」

「それが私のすべきことなら、選択の余地はありません」

「よし、ならば織斑と篠ノ之はすぐ準備を始めるように」

「は!? お、織斑先生、自分は――――」

「日向を含め、他の者は別室で待機するように」

 

 俺の時とは少し毛色が違うようには思えたが、フユ姉さんは箒ちゃんにも覚悟を問う。向こうも安定の武人気質で答えた。

 こうして箒ちゃんにも出撃許可が下りたようだが、さも当然のように俺の名が呼ばれず困惑せずにいられない。

 抗議の声をあげてみるも、フユ姉さんはあくまで冷静に俺の作戦への参加を認めない。ちょっと待ってくれ、下すにしても正当な理由を話しほしい。

 

「納得いきません! 確かに紅椿が居れば事足りるかも知れないですけど、盾があって困ることはないと思います!」

「お前は失敗したパターンを想定しているようだが、織斑だけでなく篠ノ之も守ろうとするだろう」

「仲間なんだから当然のことです!」

「だからこそだよ日向。ハッキリ言っておく。高空域の戦闘で高機動の敵勢ISの相手をしつつ、なおかつ高機動の僚機二機をカバーする技術はお前にない」

 

 時間がないことはわかる。信念の話なんてクソ喰らえな状況だってことも。けど、ここばかりは引き下がるわけにはいかない。

 だから俺はあくまで食い下がった。普段なら一睨みされてそれで黙り込んでしまうけど、フユ姉さんにそんな目を向けられても決して怯まない。

 それがかえって面倒くさそう。よりによってこんな時に、みたいな顔をしたのを俺は見逃さない。それでますます火がついてしまい、俺は完全に冷静さを失ってしまった。

 そこまでやって、ようやくフユ姉さんは俺を出撃させない理由を語る。それは確かに正論で、いつもなら言いよどんでしまうところなんだろう。

 しかし、それでも、だけど、さりとて、されど。やっぱりここで引き下がるわけにはいかないんだ。

 

「それならやっぱり俺とナツの二人で――――」

「紅椿で事足りるなら間違いなく篠ノ之を選ぶ」

「だからその理由は!」

「お前は……私にそれを言わせてくれるな! 足手まといだというのがわからんか! いや、わかっているんだろう、聡いお前ならな!」

「っ…………!?」

「……確かに努力は認める。お前はお前なりに頑張っているよ。だが、センスだけ見れば完全に篠ノ之のほうが上だ。それが天災手製の機体に乗った場合、日向との溝はますます大きくなる。……これ以上はもう勘弁してくれ」

 

 あくまで出撃する姿勢の俺を前に、フユ姉さんは目元を抑えてからついに怒声を上げた。ただ鬱陶しいのが理由で怒鳴られたなら、まだ俺は駄々をこねていたかもしれない。

 でもだめだ、これ以上はもう何も言えない。だって、フユ姉さんだって言いたくないっていうのがわかってしまったから。私にそれを言わせてくれるなって、絶対そういうことだと思う。

 フユ姉さんは言いたくなかったんだ。俺のこれまでの頑張りを踏みにじるような、端的かつ単純で分かりやすい足手まといという言葉を。

 そうとも、わかっているさ。わかっているとも。俺が紅椿を与えられた箒ちゃんに適わないことくらい。

 箒ちゃんにもこれまで模擬戦の相手をしてもらってはいるけど、結果は俺の全戦全勝。それは箒ちゃんのISが打鉄だったから。

 逆を言うなら、俺はヘイムダルを扱っているから勝たせてもらっていただけのこと。けっこう勝ちに拘った機体ではあるから。

 けど、その時にわかっていたことがある。やっぱり箒ちゃんは、ISを操縦するセンスがあるって。専用機なんかを扱っていたら、きっと勝てないんだろうなって。

 それが今、まさに現実と化してしまった。そのうえで、フユ姉さんがなぜ箒ちゃんを選ぶのかを説明させてしまった。勘弁してくれと言わせてしまった。

 だったらもうダメだ。息を乱し、歯を食いしばり、強く拳を握ってこの悔しさに耐えることしかできない。そんな中、全力でたったひとことを絞り出す俺が居た。

 

「くっ、ぐっ……うぅ……! くそっ……! くっそぉ……! 了……解……しました……!」

「あーん、はっくんそんな顔しないで~。束さん、別にはっくんを傷つけたいわけじゃ――――」

「束ぇっ! それ以上余計な口を開くならば貴様を殺す!」

「わぁお、ちーちゃんってばぶっそーう! でも死にたくないから黙りまーす。お口チャ~ック」

 

 本当にめちゃくちゃ物騒なやりとりだったが、正直フユ姉さんのフォローは有難かった。今の俺に何を言われても、理不尽な八つ当たりをしてしまっていたかも知れないから。

 それからフユ姉さんは、悪くなってしまった空気を振り払うかのように、作戦開始の音頭を取った。……俺も気持ちを切り替えなくては。

 専用機持ちたちの大半は、作戦をより強固なものにするため会議を継続。俺は男ということもあり、率先的に機材の運搬等の力仕事を引き受けた。

 束さんは紅椿の調整をしているみたい。あれから律儀にフユ姉さんの宣言を守っているのか、鼻歌を除いて声というものを発しない。

 ……フユ姉さんと束さんには悪いことをしてしまった。それだけじゃなくて、他のみんなにもだ。さほど気にしてはいないかも知れないが、らしくない俺を見せたよな。

 ほんとのところを言うなら、アレが本来の俺というのもあるんだけどね。どこまでも、どんな状況だってナツの隣に居なきゃ俺じゃない。そんな意志の希薄な僕が本当の俺で――――

 

「よーっし、準備オッケー! ちーちゃん、いつでも行けるぜぇ。あっ、これ余計な口じゃないからセーフだよね! って、これが余計な口だよねーっ」

「織斑、篠ノ之、準備はいいか」

「私はいつでも」

 

 流石は製作者。俺からすれば何をやってるのかサッパリだったけど、その早さだけはすごいというのがわかる。……これ、紅椿起動の時にも似たようなこと言ったな。

 とにかく、これでようやく本格的に作戦開始というわけだ。あとはこちらに飛来してくる銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)を迎え撃つばかり。

 とはいえいくら機体がオーケーだとしても、作戦参加当事者の心の準備というものもある。それこそ待っている暇はないかも知れないが、待たなければならなくもあると思う。

 けど余計な心配だったみたいで、箒ちゃんはいきなりの実戦にも全く動じていない。相変わらずかっこいいや、見てて安心できる。

 それに続いてナツも大丈夫と宣言するかと思いきや、両手をキュッと握って少しばかり顔を俯かせている。

 思わず顔を覗き込んで安心させる言葉をかけようとすると、ナツはそれと同時に姿勢を正してフユ姉さんにこう求めた。

 

「織斑先生、五分――――いや、一分でいいんです。少し時間をください」

「……許可する。ただし、一分だ。それ以上は待てん」

「ありがとうございます! ハル、ちょっとこっち」

「他の者は先に指定した部屋にて待機を。日向、用事が済んだらお前も即刻待機するように」

「え、あ、は、はい、わかりました……」

 

 たった一分、されど一分。銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)が五十分後に通過するという算出がされているのなら、本当は一秒だって無駄にしている暇はないのだろう。

 だからナツが求めた一分は最低限。フユ姉さんが与えた一分は最低限、なのだろう。それこそ一秒も無駄にできないのに六十秒とは、ある意味で破格とも取れる。

 さてその一分を何に使うのやらと漠然としながらナツを見ていると、その手が俺の手首を掴んで別室へと導いていく。

 そのままフユ姉さんは待機指示を出すわけだが、さらりと後から合流するよう言われてなんだか拍子抜けだ。ナツに連れられていることもあってか、気のない返事をしてしまう。

 と、とりあえず落ち着こう。時間厳守なんだから、俺が変にこまねいているとナツの貴重な一分を浪費してしまう。

 それまでは引っ張られるような形だったが、しっかりナツについて行くよう歩を進め。すぐ隣の大広間へと入った。

 反射的に襖を閉めてしまったが、そしたらそしたで薄暗いな……。かといって電気を探すのは、結局のところ時間の無駄なんだろうし。

 そうやってうむむと唸っていると、俺の身体は柔らかく暖かい何かを感知した。それはもちろん、言わずもがな。

 

「ハル……」

 

 ナツだ。ナツがヒシっとでも表現できるかのように、固く俺へと抱き着いてきたんだ。

 もしや唐突な実戦にプレッシャーでも感じ、不安になってしまったのではないだろうか。

 そう思考を巡らせて思わず抱き返すも、ナツの身体が震えているような様子はない。むしろいつもどおり過ぎて、逆にこっちが安心させられるような。

 ……待て待て、これから重要任務に赴くナツに安心させられててどうする。えっと、何かそれらしいヒントでもあればいいんだけど。

 そうやってナツを観察し始めると、あることに気が付いた。何ってその表情。ナツのこちらを見上げる表情が、見たこともないくらいにウットリとしたものだったんだ。

 

「私のことであんな必死になってくれて、本当にありがとう」

「あ、ああ、さっきの? むしろかっこ悪いところ見せちゃったなって反省してるくらいだよ」

「でも、それだけ守りたいって想ってくれたんでしょ? だったら――――って、アハハ、今のはちょっと自惚れかな」

 

 何かと思えば、俺が考えていたことよりもずっと単純だった。感謝してくれること自体は嬉しく思うけど、ちょっと自己嫌悪してたからなんだかなぁ。

 でもナツは、そんなことはないという。自分を想ってくれた、その裏返しなんだって。でも、自分でそれを言って、自惚れてしまったと苦笑いを浮かべる。

 ……自惚れであるはずがない。感情の起伏はあまり激しいほうでない。それに無理してまでフユ姉さんに逆らうような性質でもない。

 だというのに、俺はあれだけ必死になった。ならざるを得なかったんだ。それもすべてナツがそうさせたのだから、絶対に自惚れなんかでない。

 

「思ってるよ。俺とヘイムダルの力は、間違いなくナツのためにあるんだって。なのに――――」

「今回は出撃できない?」

「……うん」

 

 そうとも、俺の得る力ないし得た力、それらすべてはナツのためにあるべきで、何より俺がそうありたいと心の底から思う。

 なのに、単純に実力不足で着いて行けないなんてふがいなさの極みだ。俺にもっと才能やセンスがあればと、ないものねだりをしてしまう。

 あるいは、もっともっと頑張っていれば、今回出撃するに足る実力を得ていただろうか。……これもだめだな、机上の空論ってやつだ。

 これでは俺の掲げたテーマなんて、夢のまた夢というやつ。こういう時にナツの近くに居れないと、なんの意味もないじゃないか。

 

「ハル、そんな顔しないで。私はやっぱり、そうやって心配してくれるだけでもすごく嬉しい。絶対に、ハルの隣に帰って来なきゃって思える」

「ナツ……。うん、じゃあ俺の想いはナツに貸すことにするよ。だから必ず返しに来てほしい」

「ウフフ、じゃあその時は何倍にもして返すね。だから今は、お願い……」

 

 想いを力に、か。なんともナツらしい言葉だ。きっと頭の固い人なんかは鼻で笑うんだろうけど、ナツは科学では証明できないようなパワーをとても大切にしているからな。

 何度もう言うが、織斑 一夏がこういう人となりだったらばこそ、救われてきた者が山ほどいる。そして、俺がその最初の一人。

 そう思うと、なんだかとても誇らしかった。俺の想いを力に代えてくれるということが。俺の想いがナツの力になれるということが、とても誇らしい。

 後はご所望通りに力を与えるべく、ナツを強く抱き寄せた。多分、痛いと感じてしまうくらいの力は込めたであろう。でも不思議と、今はこれでいいんだと思える。

 

「……よしっ、充電完了! ハル、そろそろ時間だから――――」

「待ってよナツ、一番大事なの忘れてる。んっ」

「おお、いけないいけない。私としたことが、ついうっかり。それじゃ……」

 

 ナツは少し強引なくらいに俺の腕から脱すると、言葉どおりに充電完了したかのような、そんな眩しい笑顔を俺に見せた。

 そしてそのまま立ち去ろうとするが、手を挙げながら大事なのを忘れていると告げれば、すぐさまブレーキをかけて再度俺へと近づく。

 まずは両手をそろえ、上下に交互にハイタッチ。お次は右手と左手で、それが終われば今度は左手と右手で小気味よくハイタッチ。最後に正面から両手のハイタッチ。

 要するにいつものアレ、俺たちが大事な時に行う見送りの儀式。普段は最後の両手正面ハイタッチが終わればどちらともなく行動を始めるのだが、俺はすかさず指を滑らせてナツの手を握った。

 

「ナツ、信じて待ってる」

「うん。信じて待っててね、ハル!」

 

 それだけ告げ合うと、ナツは今度こそ襖を開け放ちながら勢いよく飛び出て行った。

 大丈夫、だよな。うん、大丈夫に決まってる。気心の知れた箒ちゃんだって着いてるんだ。なら負ける要素を探すほうが難しい。

 ……はずなのに、いったいこの胸騒ぎはいったいなんなんだ。こう、拭い切れない何かが、俺の胸中や頭でグルグル渦巻いているような……。

 待て待て、数秒前に自分から信じて待つって言っといてなんだよそれは。そうだ、ナツと箒ちゃんなら必ずやってくれる。

 ならばあとは、果報は寝て待てくらいのつもりで構えておこう。よし、俺も拘束なんかをされてしまう前に、待機指示が出された部屋へと向かおうじゃないか。

 

 

 

 

 




福音戦に一戦目から参加しない系オリ主ってどのくらいなんでしょうね?
福音戦はそうやって、出撃パターンが作品ごとに違って面白く思います。
まだ見たことのないのは、一戦目でそのまま勝っちゃうパターンでしょうか。
でも負けないと一夏のアレをどうすればいいのか、という問題も。う~む。
そういうわけなので、ウチの展開も乞うご期待であります。


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第48話 それでも前へ

作中晴人にとって大きな転機が起きる回その1といったところでしょうか。
その2も臨海学校編で発生するんですけど、まずこれがなければ何も始まらなくもある。くらいには大事な回かも知れません。






以下、評価してくださった方をご紹介。

卍丸様 鶏と卵様

評価していただきありがとうございました。


 俺の目の前で繰り広げられている光景は、本当に現実のものなのだろうか。視界に入れるのすら拒否したくなるほど凄惨なものなのに、脳の処理が追い付かないでなんのリアクションも取れない。

 

「織斑さん! しっかりしてください! 織斑さん、聞こえますか!?」

「医務室へ搬送し、速やかに応急処置を! 危険な状態だ!」

 

 俺はただ、血にまみれ運ばれていくナツを漠然と見守っていた。これだけで作戦失敗であろうことは理解できるのに。

 どうすればいいのかわからないんだ。泣けばいいのか、喚けばいいのか、それとも憤ればいいのか。何ひとつとして感情の沸いてこないこれは、まさしく無と表現していいだろう。

 ついには何も見えなくなるし、何も聞こえなくなっていく。ただ俺を繋ぎとめているのは意識のみで、それさえもいつ途切れてしまうのか――――    

 

「……くん……。日向くん……!」

「か、簪さん? それにみんなも」

「……晴人。キミ、自分が座ってるのに気づいてる?」

「へ……? ……あぁ、本当だ。いつの間に……」

 

 名を呼ばれた気がしたのでそちらに目を向けると、まじまじと簪さんが心配そうな視線を送っていた。いや、他のみんなだってそうだ。

 打って変わって俺はいったいどうしたの? くらいな感覚で返すと、みんなして顔を見合わせ始めるじゃないか。

 するとシャルルが膝を折って俺の前にしゃがむと、今自分がどうなっているのかと問いかけてくる。どうなってるのって、そんなの別に――――    

 どうもこうもないでしょと更に返そうとしたのだが、手には確かに固い感触。そして何より、尻にはゴツゴツとした岩肌の座り心地を覚えた。

 自分でも知らぬ間に尻もちをついたのだ。そう自覚すると同時に、先ほどまで受け入れがたかった現実が一斉に俺へと襲い掛かってきた。

 

「その……大丈夫……?」

「…………! ご……めん……あまり、大丈夫じゃ……な……!」

「弟よ、落ち着いて息をしろ。無理を言っているのは承知の上だ。が、そのままではお前も危ういぞ」

 

 ああ、なんということだ。作戦失敗だから? 銀の福音が放置されてるから? そんなもの知らない、興味すらわかない。だって、ただ取り逃がしただけならそれでいいじゃないか。

 なのによりによってナツが負傷だなんて、そんな光景見せられて大丈夫のはずないじゃないか。だって俺は、自慢じゃないけどナツなしじゃ生きていけないんだぞ。

 血まみれのナツが、ぐったりとしたナツが、搬送されていくナツが次々フラッシュバックしていく。と同時に、俺の呼吸がだんだんと荒くなっていく。

 必死に制御しようとしているのに、まるで逆効果だと言わんばかりに吸ったり吐いたりの頻度が加速する。

 そんな俺を見かねたのか、今度はラウラちゃんがしゃがんで目線を合わせ落ち着くよう促し始めた。

 本当は叶うならこのまま気絶してしまいたい気分だが、ナツに手いっぱいなところに迷惑をかけてしまう。それだけは絶対にダメだ。

 俺は首を何度も上下に振って、とりあえず指示は理解したと伝える。後はそう、息くらい意識しなくたってできるだろ。普通に吸って吐いて、吸って吐いてだ。

 

「よし、とりあえず大丈夫そうだな」

「う、うん、ありがとう。助かったよ」

「晴人、顔」

「か、顔? 顔色、悪い?」

「それもあるけど、アンタのその顔、前に一夏がしてたのと同じだから。覚えときなさい」

 

 危ない……ラウラちゃんが居なかったら、本気で気絶してしまっていたかも知れない。立ち直ったかどうかを聞かれたらまだまだだが、俺に手が回るのだけは阻止できた。

 と、どこか遠い目をしてぼんやりしていると、突如として鈴ちゃんが顔とだけ短く告げた。まず文章として成立してないせいか、本気で意味が解らない。

 今顔と言われたら真っ先に思いついたのが顔色。そこで体温を確かめるように顔を撫でてみるが、どうやら鈴ちゃんが言いたいのは顔つきのことらしい。

 前、ってのは間違いなく俺が無茶をした無人機騒動のこと。そう、か……。ナツが怪我して俺が無事で、前の時と真逆の状態なんだよな。

 いくら鈴ちゃんでも今の俺に発破をかけるのは得策でないと判断したのか、それだけ告げると何処ぞへと歩き出してしまう。

 ……ボーっとしていて話を聞き逃した可能性が高い。この後の流れはいったいどうなるのだろう。というか、今はとにかく立ち上がらないと。

 

「よっ……と? あ、あれ、おかしいな。くそっ、立つくらい……!」

「……お前たち、手を貸してやってくれ。悪いが私では体格的に足手まといだ」

「もちろんですわ。ほら晴人さん、ゆっくりで構いませんので」

「……ごめん。本当にごめん」

「謝らないで……。絶対に、日向くんが一番ショック……」

「そうだよ。それに、こういう時はごめんじゃなくて――――」

「……うん、ありがとう」

 

 尻もちを着いた状態から四肢に力を籠めるも、まったく身体が言うことを聞いてくれない。むしろ、立ち方というものを忘れてしまったかのようだ。

 これはあまりにも情けなくて必死にもがいてみるけど、先に救いの手のほうが入ってしまう。見ていられないっていうのはありそうだけど。

 ラウラちゃんは自らリタイアしたとして、セシリアさん、簪さん、シャルルの手を借りてなんとか立ち上がり、なんとか歩き出す。

 みじめとかじゃないんだけど、ただただ申し訳なくて謝罪が口をついてしまう。そこはすぐさまシャルルからお咎めが入った。

 だからすぐさま俺も訂正。そうだよな、こういう時にはごめんじゃなくてありがとうだ。仲間たちへの感謝を胸に、俺は確と一歩一歩を踏んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺たちにまず行われたのは、作戦失敗に至るまでのあらましを説明すること。

 紅椿を乗せた白式の高機動一撃必殺が狙いの作戦だったが、初撃を失敗。二人は冷静に立ち直り零落白夜発動時間中の決着を試みようとした。しかし、ここで想定外の事態が起きてしまう。

 なんと戦闘区域内に密漁船の存在が確認されたらしい。空域および海域は教師陣が封鎖したはずなだけに、完全に意表を突かれるかたちとなった。

 銀の福音は広域殲滅を想定した射撃型IS。やたらめったら撃ちまくるスタイルなため、流れ弾が直撃する恐れが十分に考えられた。

 ……ここまで聞いて俺は察したけど、ナツはやはりすぐさま密漁船を守りにかかったらしい。ナツがそういう人間だから惹きつけられるというのに、今だけはなんともやるせない気持ちになってしまう。

 箒ちゃんも焦りはしたがこれに賛同。ナツの援護に入ったものの、やはり零落白夜を使ったことが仇となって直後に白式はエネルギー切れに。

 エネルギー切れの白式を操るナツ、そして密漁船の二重苦。箒ちゃんはどちらか一方を半ば捨てなければならない選択を迫られたことになる。

 筋の通らないことを嫌う彼女だが、根は優しい箒ちゃんだ。だから箒ちゃんは、どうやら選べなかったみたいだ。

 箒ちゃんがそんな迷いと葛藤を抱えている間に、銀の福音は標的を彼女へ変更した。広域殲滅の名にふさわしい弾幕が襲い、虚を突かれた箒ちゃんへとそのまま直撃――――

 とは至らなかった。庇ったんだ。またしてもナツが、それも絶対防御も発動できないような状態の白式で、箒ちゃんを身を挺して守った。

 結果的にナツは意識不明の重体。いや、生きていることが奇跡と言っていい。箒ちゃんに連れられ帰投し、医師が処置を行っている最中といったところか。

 件の銀の福音と言えば、どういうわけかその場に留まって動く気配を見せないらしい。こちらとしては好都合なのだけれど。

 しかし、残された俺を含めた専用機持ちに下された命令と言えば――――

 

(このまま待機を継続、か)

 

 仮作戦本部に足を踏み入れないことを条件とし、定められた部屋以外での自由は確保されたものの、このまま待機を続けるよう命じられた。

 これに関してラウラちゃんは、自国のISが暴走した後に他国の代表候補生が死にかけたというのが大きいのでは。なんていう見解をみせた。

 極秘任務とはいえ日本の偉い人たちに話はとおってるだろうし、確かにそうだとするならやっぱり大問題だよな。まぁ、暴走している時点で大問題だけど。

 この待機命令に鈴ちゃんはもちろん俺も強く反発したが、フユ姉さんに聞き入れてはもらえなかった。良くも悪くも、秩序を守ろうとしているんだろう。

 ゆえに俺は、自室近くの渡り廊下から足を投げ出すよう腰掛け、いわゆる黄昏るなんて似合いもしないことを長時間継続中。

 ヘイムダルのコンソールで時間を確認してみると、時刻はもうすぐ十六時を回ろうとしていた。作戦開始が十二時だったから……。

 

(もう、三時間以上も……)

 

 俺は三時間以上もずっとこうしてるし、三時間以上経ってもナツは目覚めない。

 ずっとこのままでいいはずがないのはわかってるけど、気力というものがわいてこない。待機継続、と言われた時にはあれだけ騒げたのに。

 他のみんなはどうしてるだろうとか、福音はどうなっているだろうとか、そんなことも思い浮かばない。俺が抱くのはただただ虚無というやつかな。

 結局、何も変わることができていなかったということだ。僕はナツが居ないとなんにもできない。どころか、俺には何にもないんだ。

 そう、虚無。ナツが居ないと日向 晴人という人間は、空っぽで虚ろなただの器。仲間のことすら考えることができない、どうしようもない抜け殻のような何かなんだ。

 

「は~っくん」

「……どうも、束さん」

 

 ただボーっとどこでもないどこかを見つめていると、ギュ~っと頬を指先で押されるような感覚が。そしてこのブレないテンションは、間違いなく束さんその人。

 今は一人にしてください。なんて言うだけ無駄な人であることはわかっている。だからひとまず、声だけかけてボーっとすることを続けた。

 でも不思議なことに、束さんも口を開かない。俺の隣に座って足を投げ出し、左右交互に振ってブラブラさせるばかり。

 それはまるで、俺が話しかけるのを待ち構えているかのようだった。……果たして、そんな気概がこの人にあるのかどうか。

 話すだけ話せば、満足してどこかへと行ってくれるのかな。束さんがどういうつもりなのかは知らないけど、やっぱり一人でいたいという考えは変わらない。

 

「束さん。もし俺が着いて行ってたら、どうなっていたと思いますか?」

「ん~そだねぇ。束さん的には、はっくんがいっちゃんみたくなってたと思うよ」

「です、よね……。それはわかっているんですけど、それなら俺は――――」

 

 俺の口から出たのは、一応誰かに聞いておきたかった素朴な質問だった。けどその実、自分でも既に答えは見えている。

 それは束さんが指摘してくれたとおりのこと。俺がナツないし箒ちゃんを庇うようなことをして、重傷ないし重体になっていた。

 わかっていても、誰かにそんなことないと言ってほしかったわけじゃない。むしろ、俺と誰かの考えに差異がないほうが安心できる。

 だから束さんの言葉は俺の求めていた答え。のはずなのに、どうしようもなく悔しさを感じてしまう俺が居る。

 

「ねぇ、はっくん」

「はい」

「やっぱりさ、束さんと結婚しようよ。ううん、別に好きになってくれなくてもいいから、私に着いて来ない?」

「それは、どういう……」

 

 俯く俺の耳に、本日二度目となる求婚が届いた。だが、どうにもさっきまでとは雰囲気というものが違う。着いて行けばそれでいいって、いったいどういうことなんだ。

 束さんの意図をはかりかねるなんていつものことだけど、いつも以上に真意を読めない。俺が困惑そのものの態度を示していると、ふいに束さんが俺を抱き寄せた。

 ナツのこともあって塞ぎ込んでいるせいか、頭は特にパニックを起こさない。というのはもちろんあるが、束さんの包容力に黙らされた感もある。

 初めて八歳の差を感じさせられているし、あまりにギャップというものが大きすぎてどうしていいのかわからない。

 

「キミさ、今それなら俺が重体でよかったのに、って言おうとしたよね」

「……はい。俺は、本気でそう思ってます」

 

 重体どころか、ナツの身代わりになれるのなら命だって惜しくはない。

 こんなことを言うとナツに怒られるんだろうけど、俺みたいなちっぽけな命で、多くの人を笑顔にできるナツを救えるのならそれでいい。それでいいし、そうしたい。

 その場合ひとつ問題なのが、ナツとの約束を反故にしてしまうことかな。ナツの隣からいなくなったりはしないって、そう誓いはしたから。

 

「うん、やっぱりはっくんはそういう子。そうやって自分を追い込むところ、束さんはあまり見たくないかな」

「だから、着いて来いって?」

「そーだよ。逃げちゃったって、誰にも文句を言う権利なんてないもん」

 

 それにしてもこの感じ、どうやら束さんは本気で俺のことを救おうとしてくれているらしい。

 ……逃げていいなんて、初めて言われたかも知れない。いや、だからって誰かが逃げるなと強要したっていう話ではない。むしろそれは俺自身がそうしていたと思う。

 確かに自分を追い込んで追い込んで追い込んで、頭の片隅で逃げてはだめだと決めつけてしまっていたのかも知れない。

 IS学園での生活に不平不満を抱いたことも、大きな苦があったはずでもないというのに。束さんに抱擁されそう言われると、なんだか――――

 

「ね、逃げちゃおうよ。私と一緒って絶対いろいろ大変だけど、はっくんは必ず守ってあげる」

「束さん……」

「はっくんはしたいことだけして生きていけばいいんだよ。それで、はっくんのしたいことは束さんがサポートしてあげる」

「…………」

「だからね、逃げよう? はっくんはもう十分頑張ったよ。キミがが思ってるよりずっとずっとず~っと、強くてかっこいいはっくんに、もうなってる――――って、束さんはそう思うな」

 

 これは、なんて凶悪なんだろう。束さんのような美女に抱擁され、耳元でただ堕落させるための甘言を囁かれるなど。男という生物に生まれた時点で、ほぼ抗えないことが確定しているかのようだ。

 俺だってそうだ。束さんの体温、香り、声などが総動員して襲い掛かり、思考を鈍らせ、今すぐに堕ちてしまいたいとすら考えてしまう。

 堕ちて、堕ちて、堕ちるとこまで堕とされて、ただひたすら束さんとの甘美な生活を送る毎日。そんな手の届くところにある日々を、男としての本能が求めているかのようだ。

 

(きっと、幸せなんだろうな……)

 

 戦いなんか無縁だから、強くなる必要なんかなくて。強くなる必要なんてないから、逃げてはだめだなんて悩まなくていい。

 したいことだけしてって、そしたら俺は絵を描き続けるんだろう。サポートするって言ってくれたから、書きたい建造物などがある地域にも連れて行ってくれるのかな。

 それでいて束さんは、逐一俺のことを褒めてかかるはず。どんな些細なことだって、偉い偉いと俺のことを褒めちぎり、そうやってやる気を引き出すスタイルであろうことが伺える。

 ああ、なんだかもう一気にどうでもよくなってしまった。そうだよな、俺も凡人なりにやれるとこまでやったよ。ここらが潮時でいいじゃないか。

 それこそ束さんの言葉どおり、誰に文句を言われる筋合いもない。だって、俺の抱えてきた辛さは、俺にしかわからないものなのだから。

 

『ハル』

(っ…………!?)

 

 今にも諦め折れてしまいそうだったというのに、ふとこの世で最も大切な少女の声が響く。その声は、いつもと変わらず優しい口調で俺の名を呼んでいた。

 ……そういえばそうだ。こう思った時もあったよな、ナツが居てくれるから逃げないでいられるんだって。立ち向かっていけるんだって。

 なのに、隣に居ないだけでこの体たらくなのか。例え中身が空なのが俺の本質であろうと、ナツが俺をハルにしてくれていたことだけは、忘れたりしたらいけないじゃないか……!

 俺は思った、ナツの盾になりたいと。俺は思った、ナツが剣なら盾であるべきと。俺は思った、大切なものを守るナツを守りたいと。

 それらはすべて、無理とか自分を追い詰めた果てに生まれた決意ではない。俺がそう決めて、そうありたいと思ったからここまでやってこれたんだ。

 だけど束さんの辛いときは逃げていいという言葉も間違いではない。だから俺が逃げるべきことがあるとするなら、それは――――空っぽで、なんでも悪いほうに考えてしまう俺じゃないか。

 

(そうか、僕は最初から……)

 

 今ようやくわかった。逃げることは、向き合うことだ。決して立ち向かうでも、乗り越えていくわけでもない。弱い僕と、向き合うことなんだ。

 ナツに与えられたハルを、ナツが与えてくれた俺を取り繕うのに必死で。俺はずっと、僕を殺してしまっていたんだ。

 俺は僕を倒そうとした。俺は僕を乗り越えようとした。俺は僕を打ち砕こうとした。だってそうしないと、ナツに報いることなんてできないと思っていたから。

 僕は逃げてよかったんだ。虚構の俺から。作り上げてきた俺から。強くなったと思い込んでいた俺から。だってそれは、初めから僕ではないのだから。

 僕のするべきことは、俺になることなんかじゃなかった。僕は僕のまま、ダメな僕のまま、弱い僕のまま、どうしようもない僕のまま、それでも一歩一歩前に進んでいくことだったんじゃないか!

 

「束さん!」

「なぁに、はっくん」

「ありがとうございます。あなたのおかげで、僕は答えを見出せました。けど僕は、だからこそ、あなたに着いて行くことはできないです」

 

 束さんは緩く僕を抱きとめていたため、少し力を加えればすぐ腕の中から脱することができた。

 なんとも皮肉な話だけど、束さんが逃げようと提案してくれたおかげで僕は答えを見つけることができた。けど、だからって着いて行くことはできない。

 この件を見てみぬふりをすることは、逃げ出すんじゃなくて投げ出すこと。答えを見つけたからこそ、後者の選択をするわけにはいかない。

 とりあえず感謝の意を示し、同時に謝罪も込める。束さんが僕のことを心配してくれた気持ちは本物だと思うから、それを無下にすることに関しては謝らないと。

 

「うむ、はっくんが吹っ切れたならよ~し! 本音を言うなら着いてほしかったけど~。そこは束さんのネゴシエイトパワーが足りなかったって諦めることにするよ」

「束さん……」

「ほ~ら、そんな顔しないのっ。行くべき場所、あるんでしょ?」

「……ありがとうございますっ!」

 

 座ったまま深々と頭を下げてみるも、束さんの声色は相変わらずあっけらかんとしたものだった。

 しかし、それが取り繕ったものだとしたら。もし束さんの僕に対する恋心が本物なのだとしたら。そう考えてしまうと、行き場のない気持ちが渦巻いてしまう。

 僕が少しばかり顔を曇らせると、束さんはそんなことよりもと背中を押してくれるではないか。だとするなら、もうそんな顔をするのは筋違いというやつ。

 ごめんなさいではなく、ありがとうを伝えてから立ち上がると、ある場所を目指してスタートダッシュをかけた。そしてそのまま、床の間をドタドタと踏み鳴らし――――    

 

「はっくん!」

「は、はい!?」

「頑張って!」

「っ……はい!」

 

 少し離れたばかりだというのに呼び止められ、つい俺はまだ何かあったんですかとブレーキをかけつつ急旋回。束さんの呼びかけに返事をした。

 すると束さんは両手で小さく拳を握りつつ、ついでに小さくガッツポーズ。二十代の女性の仕草としてはあざといような気もするが、俺にエールを送ってくれた。

 そんなエールに力強く答えると、俺は今度こそ向かうべき場所へと急いだ。必ずもう一度だけ、顔くらい見ておきたいから。

 

 

 

 

 

 




日向 晴人、ようやく主人公としてスタートという感じです。
もう今作も折り返しはとっくに過ぎてる頃なんですけどね……。
とにかく、この回からそうウジウジ悩むシーンも減ると思います。
とはいってもそう熱血になったわけでもないので、爽やか好青年あたりを狙って描写していければなと。






ハルナツメモ その24【俺と僕】
以前のハルナツメモその5(7話参照)でも少しだけ触れたが、晴人にとって自然な一人称は【僕】の方であった。
しかし、一夏がくれたハルという称号。そして一夏の相棒としてふさわしい人物でなくてはという強迫観念に駆られ、【俺】という一人称を使ってきた。
晴人は【俺】は【僕】でなかったことに気が付き、例え弱くて嫌いな自分だろうが、【僕】のまま生き続ける道を選んだ。
これにより、晴人はあらゆる迷いや悩みから解放されたということになる。
それでもまだまだ発展途上。【僕】を受け入れた晴人の往く道は、ようやく始まったと言ってもいいだろう。


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第49話 キミの代わり

お気に入り1000件突破ありがとうございます!
コツコツ、ヒソヒソとやって参りましたハルトナツですが、なんだかんだ多くの皆様にご愛読していただいてこその4桁であると思います。
どうかこれからも、ぜひとも応援していただければ。

今回の後半より銀の福音(二戦目)に入ります。
ここから長くなりますけど、中盤における大きな見せ場なので張り切って参りましょう。





以下、評価してくださった方をご紹介。

ゆーまる様 ゆうびかなや様

評価していただきありがとうございました。


 目指していた場所が近くなると、流石に足音を小さくする必要がある。見つかっても面倒ということもあり、最終的にはコソ泥のように抜き足差し足忍び足。

 念には念をというやつなんだけど、このぶんなら杞憂で済みそうだ。なら、後は最後の関門を突破するばかり。もっとも、それは僕の気持ちの問題でもあるんだけど。

 

(ここがナツの寝かされてる部屋、でいいんだよな)

 

 この襖一枚隔てた先に、ナツが眠っているんだ。厳密にいうのなら、大怪我をして昏睡状態のナツが、といったところか。

 躊躇うくらいならやめておいたほうがいいのかも知れないけど、どうしても会っておきたいというのも確かだ。それできっと、ようやく、全てに準備が整うと思うから。

 襖の前で数回深呼吸をしてから、ゆっくりと室内へと侵入を図る。時分としては夕方だけに、電気をつけていなくても視界は確保されていた。

 すると僕の目に飛び込んできたのは、ピッピッと一定のリズムの音を鳴らす心電図モニター。そして傍らに置かれている点滴パック。

 ……やはり、それらがないと心配なくらいの容体なんだと思い知らされる。知らず知らずのうちに生唾を飲み込むも、確かな足取りで布団へと近づいた。

 

「ナツ……」

 

 覚悟を決めてその姿を覗き込んだつもりが、苦い顔を浮かべずにはいられない。

 なんとか呼吸は安定しているようだが、あちこちを痛々しいであろう傷を保護するための包帯が巻かれている。もはや包帯をしていない個所を探すほうが難しそうだ。

 僕はもう一歩だけナツに近づき、それからゆっくりと腰を降ろした。しばらくナツを眺めて、まず第一に僕の口から出たのは――――    

 

「はぁ……まったくナツは。作戦どおり短期決戦狙ったほうが、密漁船もよっぽど安全に決まってるじゃないか」

 

 まるでナツが目を覚ましているかのような。そういう体で進める文句というかクレームというか、呆れが混じったような言葉だった。

 本当に起きていたら、どんな反論をしてきただろうか。なんて勝手な想像をふくらませつつナツを眺めていると、不思議と少し気持ちが軽くなったように思えた。

 医学的に見ても意識不明者に声をかける行為は、十分やる価値のある行為と聞いた気がする。興の乗った僕は、意識せずともいつものように、一人での会話を進めていく。

 

「うん、わかってるよ。身体が勝手に動いちゃったんだよね。それに皮肉を言っただけだし、ナツの行動そのものは、心から誇りに思ってる」

 

 ナツになんでそんな危ないマネをしたんだ。なんて聞いて、帰ってくる答えなんて初めから目に見えている。考えるよりも先に身体が動いたから、だ。

 本当に昔から何ひとつ変わってない。ヒーロー気質で、大きなことから小さなことまで、とにかく困ってる人たちを見過ごすことができないんだ。例えそれが、罪を犯している者たちだとしても。

 今となっては、ナツが密漁者を見放さないで少し安心しているのかも。犯罪者だから自業自得だなんて、そんなことを言うナツを見たくはない。

 その結果が怪我につながっているんだけど、だからこそ誇りに思う。今回のことで、ナツがより立派な人間であることの証明になっている気がしたから。

 

「けどさ、鈴ちゃんに前のナツと同じ顔してるって言われちゃった。そしたらちょっとだけ、思うところもあるかなって」

 

 あの時はナツとの関係修復に躍起になっていたせいか、僕が気絶した後のことなんて考えもしなかった。例によって、考えようもしなかったが正しいんだろうけど。

 だから鈴ちゃんに同じ顔だと言われ、きっと気持ちも同じだったんだと思った。目の前が真っ暗になって、何もする気なんて起きなくて、己の無力さを思い知らされるかのようなあの感じ。

 それをナツも味わったんだと思った時、ようやくなんてことをしてしまったんだと感じた。ナツを悲しませたと知った当時より、ずっとずっと。

 でもこれから僕がしようとしていることは、またしてもそんな気持ちを味わせてしまう可能性がある。完璧でない僕には、無事に帰ってくるよなんてとても言えない。

 だから僕は、逃げようと思う。弱気な僕からだ。無事で済まないかも、なんて考えてしまう僕から逃げるんだ。

 

「僕はキミを守る盾だ。僕がナツを守って、ナツが敵を討つ。今はそれができないから、だからせめて、守り続けるよ。ナツの代わりに、ナツの守りたいものを守るんだ」

 

 他のみんながどうでもいいなんて言わないが、ナツの大切なものだからこそというのは正直ある。

 僕に敵を討つだけの力がないならば、せめてナツが戻ってくるまで、ナツの守りたいものを守り抜こうと思う。

 僕は布団に手を潜らせ、慎重にナツの手を取った。壊れ物を扱うかのように優しく、ナツの手を両手で包む。

 

「だから、ちょっと行ってくるね」

 

 それだけ言うと手を離し、静かにその場から立ち上がる。またしても目撃なんかをされないように、コソコソと部屋を離れた。

 さて、ならみんなを探さないと。僕よりは絶対に立ち直りが早いだろうし、そろそろ集まっている頃なんじゃないだろうか。

 なんのための集合かって、そんな野暮なこと誰にも言わせない。もちろん僕らの目指す目標はただひとつ。

 銀の福音を撃破し、操縦者を救い出すことだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーい、みんな!」

「あ、やっと来た。おっそいわよもう。女の子待たせるなんてマナー違反なんじゃない?」

「えぇ……? 流石に今回は勘弁してほしいんだけど」

 

 そこらを探し回ると、特に苦も無く専用機持ち一同の姿を発見した。一応は声を抑えて呼び掛けながら駆け寄ると、鈴ちゃんがジト目で僕を見ていきなりのお小言攻撃。

 勘弁してくれとは言いつつ、やっぱり僕が悪いのは間違いじゃないからなんとも複雑。気まずそうに後ろ頭を掻くことしかできなかった。

 すると、複数の視線が僕のことを射抜いていることに気が付く。というか、鈴ちゃんとラウラちゃん以外の全員に注目されてるな。

 多分だけど、あっけらかんと僕がこの場にやって来たことが意外なんだろう。けっこうお恥ずかしいところも見せちゃったし、当然と言えば当然か。

 

「僕のことなら心配しないで。ちゃんと吹っ切れたからさ」

「心配するなって……無理がある……」

「そうだよ。なんなら、僕らはそっとしておこうって思ってたんだけど」

「鈴さんとラウラさんが、晴人さんは必ず来ると聞かないものでして」

 

 信用がないのとは違うけど、みなさんなんとも懐疑的なご様子で。……いや、信用がないのか? 今までの僕が僕だし。

 そう思うと、信じて待っていてくれた鈴ちゃんとラウラちゃんには感謝感謝だな。思わず視線を向けると、鈴ちゃんは何見てんのよと言いたげに睨み返してくる。

 ラウラちゃん? ラウラちゃんは、皆まで言うな弟よと言わんばかりにクールに微笑んでる。やっぱりこの子、僕よりずっと男前なんじゃないだろうか。

 

「銀の福音、追うんだよね? 全員が反対したって着いて行くよ。僕はナツの代わりをしに来たんだから」

「一夏の……代わり……?」

「ナツがダウンしてる間は、僕がみんなを守ってみせるよ。それが僕の役割で、僕がしたいことだから」

 

 本当、ここにきてヘイムダルの耐久性と長期戦闘能力が有難くて仕方がない。母さんは偶然だと言っていたが、まるで僕の意思を反映しているかのような機体だから。

 僕はやっぱり、相手を倒すぞ! って柄じゃないし。虹色の手甲(ガントレット)の殺意はそりゃ高いけど、結局のとこ本気で撃ててないという事実でお察しだ。

 にしても、みんなしてそんな驚いたみたいなリアクションをしなくていいじゃないか。確かに、こんなこっぱずかしいことなんて言ったことなかったけどさ。

 僕の意思に対してみんながどう返してくるかを待ち構えていると、尻に慣れ親しんだ衝撃を覚えた。していたのは心の準備だぞ、鈴ちゃんや。

 

「何があったか知らないけど、アンタ数段飛ばして成長し過ぎでしょ。アタシら口説こうったってそうはいかないわよ」

「えぇ!? 今のは別にそんなつもりじゃ――――」

「ん~……じゃあ一生守ってもらっちゃおうかな?」

「なるほど、ジャパニーズ俺の嫁宣言というやつだな? よろしい、ならば結婚だ」

「不束者ですが……」

「オルコット家も安泰ですわね」

「ここにきて悪ノリ!? ああもう、成長したっていじられる運命なのか!」

 

 鈴ちゃんの言葉が冗談だってのはわかるけど、間違えようのない美少女にそう言われちゃったら照れてしまうじゃないか。

 大慌てで訂正を入れたのかまずかったのか、みんなして悪ノリをし始めてしまうじゃないか。

 まるで僕の言葉を告白と捉え、更には口そろえてそれを肯定するかのようなことを言う。もっと言うなら、パーソナルスペースまで接近してから。

 みんな僕が恥ずかしがるのを期待してるんだろう。それなら狙いどおり、僕は更に顔が真っ赤になるのを感じた。

 僕が頭を抱えながら叫ぶと、みんなが一斉に笑い声を上げる。それがまたなんとも恥ずかしいという悪循環。こんな言葉を聞いたことがあるけど身に沁みたよ、無限ループって怖くね?

 

「晴人」

「箒ちゃん、ナツのことなら言いっこなしだよ」

「いや、ひとつだけ言わせてくれ。勝つぞ」

「もちろん!」

 

 手を団扇のようにしあおいで顔の火照りをどうにかしようと試みていると、みんなを少し退かせて箒ちゃんが近づいてきた。

 すぐに何を言おうとしているのかわかったので先手を打ってみるも、どうやら僕が思っているのとは少し違うらしい。

 帰って来たばかりの箒ちゃんも意気消沈してたから、てっきり謝られでもするんだと思った。これは少し失礼な考えだったのかも知れない。

 箒ちゃんは短くひとことだけ、強い覚悟の感じられる表情で、必ず勝つぞと意志の統一を図る。僕は力強く頷くと、視線をみんなにやってから前へと手を突き出した。

 すると鈴ちゃんがニッとした表情を浮かべ、俺の手へ手を重ねる。そして箒ちゃん、簪さんと、みんな次々と手を重ねていった。

 みんなの手が重なったのを確認すると、僕は再度みんなを見渡す。そしてスーっと大きく息を吸って、腹の底から声を出した。

 

「打倒、福音ーっ!」

「「「「「「おーっ!」」」」」」

 

 僕の声を合図のようにして、みんなが手を少し沈めてから大きく振り上げた。瞬間、とてつもない一体感というものが生まれた気がする。

 そして僕らはISが展開できるよう距離を置き、各々の専用機を身に纏い、空へと飛びあがっていく。

 僕はナツの手を取ったその両手を見つめ、小さくキュッと握る。それから待機形態のヘイムダルを手に取り、展開。みんなを追いかけるように飛び立つのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………目立ぁつ! 晴人、アンタなんつーキラキラ放ちながら飛んでんの!」

「文句なら母さんに言って!」

「それ……お母様のセンスだったんだ……」

「はっ!? 自白しちゃった!」

 

 福音の位置については、ラウラちゃんがドイツ軍の協力を得て割り出したらしい。善は急げということで、僕もギャラルホルン仕様に換装して高速移動してる。

 もう思い切って出力を抑えに抑えたら普通に飛べた。それでも紅椿や高速移動形態のブルー・ティアーズに追い付けてるから驚きだ。

 のはいいんだけど、いかんせんブースターから虹色の光が放出されるもので。鈴ちゃんの言うとおりに超目立つ。

 僕もどうかと思っているだけに、ついつい文句は受け付けてないと返してしまう。……製作者が母さんという自白のおまけつきで。

 集中せねばならないというのに、いつものようにギャグっぽいリアクションをしてしまう。緊張していない証拠とかならいいんだけど。

 

「鈴さん、運んでいただいているのですから文句はご法度ですわ!」

「それにラウラが先行してるから、バレるとかバレないは勘定に入れてもしょうがないよ!」

「とにかく、追いつくことを頭に入れなければな」

 

 鈴ちゃんの甲龍に用意されたパッケージは攻撃型。そして簪さんの打鉄弐式は、事情があってパッケージを用意できなかったらしい。

 ゆえに、二人はヘイムダルの左右の腕へ捕まっている。本当はどちらかを背に乗せられればいいんだが、ギャラルホルンは背負うような形だからそれは無理。定員オーバーってことで、シャルルは箒ちゃんが担当だ。

 そしてちょっとした文句を言う鈴ちゃんを、こういう状態なんだからとセシリアさんが咎めた。続けてシャルルがラウラちゃんが先行しているからと続けた。

 現在のラウラちゃん、というかシュヴァルツェア・レーゲンは、砲撃形態であるパンツァー・カノーニア仕様へと換装している。そこで今回の作戦はこうだ。

 ある程度ラウラちゃんが先行し、長距離射撃で奇襲を仕掛ける。流石に射程圏外からの奇襲を受ければ、たじろぐないしのリアクションを取るだろう。

 その隙を狙い、高速移動のできる僕らが一気に接近。僕が鈴ちゃんと簪さんを、箒ちゃんがシャルルを連れてるから、専用機六機による物量にかまけた攻撃を仕掛ける。というものだ。

 つまりやることそのものは、ナツの時と根本的には変わらない。奇襲からの速攻。反撃を許さず一気に落としきることが目標だ。

 

『お前たち、目標を射程圏内へと捉えた。五秒後に撃つぞ。最大加速の準備をしておけ!』

「「「了解!」」」

『五、四、三、二、一……発射ぁ!』

 

 箒ちゃんの呟きを最後に、件のラウラちゃんから通信が入った。福音をいつでも攻撃できる射程へ捉えたとのこと。

 それを合図に、僕らは一気に表情を引き締めた。そしてラウラちゃんの指示に従うべく、密かにコンソールを操作して、加速の準備を始める。

 そしてラウラちゃんがレールカノンを発射した瞬間に合わせ、僕、箒ちゃん、セシリアさんは脱兎の如く勢いで福音へと突っ込んでいく。

 ギャラルホルンの半分くらい本気の速度に鈴ちゃんがギャーギャー言ってるが、それでも無視して一直線だ。

 

『初弾命中!』

「鈴ちゃん、簪さん、離すよ! 黄色の弩砲(バリスタ)!」

 

 通信機をとおして、僕らの耳には作戦の肝とも言えるラウラちゃんの奇襲成功の一報を得た。と同時に、二人を振り払ってギャラルホルンを一瞬だけ大きく吹かす。

 背をグンと押されるような感覚を味わったのと同時にギャラルホルンをパージ。後は慣性に任せても十分なほどの加速を得られている。

 そしてすぐさま右腕を黄色の弩砲(バリスタ)に変形させ、チャージさせながら福音へと狙いを定める。本当ならギリギリまで引き付けてから撃ちたいところだけど、奇襲の意味も薄れてしまうので――――

 

「いけぇ!」

 

 チャージ率は最大出力の半分ほど。それでも引き金を離したと同時に、黄色いエネルギー矢弾はものすごい勢いで福音に向かって行く。

 しかし、相手は高機動のIS。やはりいくら速かろうが直線運動しかしない矢弾は、ヒョイという軽い感覚でよけられてしまった。

 ところがどっこい、最初から当てる気なんてないんだなこれが。むしろ僕の目的といえば、福音に回避行動を取らすことそのもの。

 僕はヘイムダルをとおり越していく三つの機影、紅、青、橙、そしてその操縦者たちの名を呼んだ。

 

「箒ちゃん! セシリアさん! シャルル!」

 

 一瞬でとおり過ぎた故に僕の声が届いたかどうかすらわからないが、なんだか力強い返事か戻ってきたような気がする。

 その力強さを証明するかのように、福音の上方の三方向から手数にかまけた遠距離攻撃を仕掛ける。まるで絨毯爆撃のようだ。

 これにはいくら高機動型であろうと逃げ場などなく、ボディのそこらにレーザーや弾丸のヒットが確認できる。……それでもクリーンヒットがないのはすさまじいな。

 だがまだまだ、僕らの人数にかまけた作戦はこれで済まないぞ。

 

『————————』

「その反撃は想定済み……。日向くん……! シャルロット……!」

 

 暴走したISがこのままで終わるはずもなく、福音は強引な反撃にうって出た。そも、相手は種別分けするなら広域殲滅型。このような多対一の状況が一手でひっくり返る可能性だってある。

 福音はその場で回転上昇してみせると、スラスターから無数のエネルギー弾をまき散らす。目には目を、といったところだろうか。だが、これを予期して簪さんには微妙な射程を保ってもらったわけだ。

 ここで頼りになるのが打鉄弐式の代名詞とも言える、マルチロックシステム搭載ミサイルの山嵐。なんと簪さんが手動で軌道などを自在にコントロールできる優れもの。

 山嵐から放たれたミサイルは、まるで戦闘機のような三次元の編隊を組み、福音がまき散らしたエネルギー弾へと向かっていく。

 とはいえ手数で言うなら圧倒的に向こうが上。そこで、僕とシャルルの出番になるというわけだ。

 

「了解! 青色の塔盾(タワーシールド)、最大出力!」

「二人とも、僕と晴人がカバーするよ!」

「頼もしい限りですわ!」

「まったくだ。感謝するぞ!」

 

 簪さんの呼びかけに答えるべく、右腕を青色の塔盾(タワーシールド)に変形させ、すぐさま出力を最大まで引き上げた。

 RRCⅡを防御型に換装したシャルルも、ガーデンカーテンという名の物理シールド、そしてエネルギーシールドが二枚ずつ備わったソレを構えた。

 簪さんと打鉄弐式による反撃と防御を兼ね備えた攻撃は、正直に言うなら僕らへのダメージ度外視したものだ。だが被害を最小限に抑える努力を怠ってはならない。

 よって僕らは背中合わせになり、前後を大きくカバーしあう陣形を取った。その間に、箒ちゃんとセシリアさんが滑り込むような形だ。

 本当に紙一重、次の瞬間にはミサイルの爆ぜる音がそこらに響き渡る。そして爆煙に紛れて、福音のエネルギー弾もいくらか流れ弾として襲い掛かってきた。

 だがそれは向こうも同じ。見れば、鮮やかな軌道を描くミサイルがいくらかヒットしているようだ。よし、今のところ上手くいってる! となれば後は、彼女の仕上げを残すのみだ!

 

「アタシの距離っ!」

 

 これまで僕たちが仕掛けていた攻撃は、鈴ちゃんを福音の至近距離まで接近させる言わばお膳立てだったというわけだ。

 ミサイルの残した爆煙を突っ切るように福音の目の前に現れたのは、攻撃特化形態である崩山に換装を済ませた甲龍。その特徴となるのが、両肩に備えた龍砲が姿を変えている部分だ。

 普段の二門から四門に増設され、しかも熱殻拡散能力も追加されているという。要するに、空気をより圧縮させることにより発火し、衝撃砲に炎属性が加わったというところだろうか。

 

「これでも! これでもかってくらい! 味わい! なさいよぉ!」

 

 至近距離、というかもはやゼロ距離まで接近した鈴ちゃんは、個人的な恨みつらみも混じったような形相で熱殻拡散空気弾を連射し浴びせる。

 ドン! ドン! ドン! と大きな衝撃音が鳴るたび、まるで杭打ちのように福音は強制的に高度を落とされていくではないか。

 えげつないのが、ぶっ飛ばしてはまた距離を詰め、ぶっ飛ばしてはまた距離を詰め。というふうに、常にゼロ距離射撃を保ち続けているところだろうか。

 でも効果覿面なのが見て取れる。炎弾を受けるたび福音の装甲が熱を持ち、融解してひん曲がっているのがハイパーセンサーで確認できる。

 

「こいつで、とどめええええっ!」

 

 まさにとどめの一撃と呼ぶにふさわしい様相であった。

 鈴ちゃんは海面が限界まで近づくと、最大まで溜めに溜めて、それから最後の一発を発射したのだ。それも四門同時に。

 福音は視認するのが難しいくらいの速度で海面へと叩きつけられ、その衝撃の強さを表すかのような、それはそれは大きな水柱が立った。

 それこそ至近距離にいた鈴ちゃんはずぶ濡れだろうし、少し間を開けた場所にいた僕らも、降り注ぐ海水の雨にそれぞれ独自のリアクション取った。

 箒ちゃんは若干引いてるっぽく、セシリアさんは呆れてるみたい。シャルルは苦笑いを浮かべていて、簪さん……は、いつもの無表情だからわからないや。

 僕? 僕と言えば、きっと胸を撫でおろすような感じだと思う。だって、なんとか勝つことができたんだから。

 これは油断でもなんでもなく、ハイパーセンサーで福音の反応を感知できないからだ。それこそ海に沈むまでの一瞬、カーソルでロックしていた福音のエネルギー表示にEMPTYの文字も観たしね。

 だとすると操縦者さんを探さないとならないんだけど、今の感じ……不謹慎かもしれないが、死んじゃったりしてないよな? ……なんだか怖くなった。急いで無事を確認することにしよう。

 勝ちムードを壊すだろうが、みんなにも呼び掛け全員で捜索すればすぐ見つかるかな。なんて、僕が発声しようとしたその時だった。

 

『警告 熱源反応を感知』

「っ……みんな!」

「問題ない、こちらでも確認した! 総員、些細な疑問は捨てて身構えろ!」

 

 視界に映るのは赤い警告表示。そして耳元で鳴り響くのは、甲高いサイレンにも似た警告音。どうか間違いであってほしいという意味を込め、同じ現象が起きているかと呼び掛けた。

 代表として答えをくれたのはラウラちゃん。多分だけど、動揺するみんなを一喝するためでもあるんだろう。流石は現役の軍人さん、頼りになる。

 僕もおかげでいくらかは気が引き締まった。再度青色の塔盾(タワーシールド)を構えつつ、福音が倒れ墜落したはずの海を見つめる。

 しかし、ラウラちゃんは疑問を捨てろといったけど、本当にどういうことなんだ? 絶対、確実にしとめたはずなのに。

 

「あれは……何……?」

「エネルギーのドームに包まれてるみたいだけど……。って、もしかして!?」

二次移行(セカンド・シフト)!? なんというタイミングです!」

 

 海面から浮上してきたのは、半透明に光り輝く球体。その中心に、身を丸めるような状態の福音がわずかに確認できる。

 その姿でだいたいの事情を把握したのか、代表候補生たちは一気に顔色を悪くした。僕と箒ちゃんは、あるワードを聞いてようやく事の重大さを把握する。

 二次移行(セカンド・シフト)を簡単に説明するとしたら、モンスター育成系ゲームでレベルが一定まで達すると起こる……そう、いわゆる進化のようなもの。

 専用機七機との戦闘が、多大な経験値を与えてしまったとか? いや、このタイミングとなると、まるで福音が搭乗者を守りたがっているようにも――――

 

「いいじゃん、正直ちょっと物足りなかったとこなのよね!」

「うむ、何度立ち上がろうが、何度でも止める。私たちでだ!」

「箒ちゃん、鈴ちゃん……。……ラウラ姉さん、プランBでいいのかな!」

 

 鈴ちゃんのそれは、すぐさまやせ我慢からきた台詞だとわかった。どんな時でも強気な姿勢を崩さないのが彼女だから。

 それを知ってか知らずか、箒ちゃんが続く。それは僕らを激励し、士気を挙げるための言葉。私たちでという部分がとても背中を押してくれた気がする。

 二人の幼馴染が折れないんだ、男の僕が怖気づいてどうする! と、気合を新たにラウラちゃんへと呼び掛けた。あくまで戦闘が続くだけのこと、そう、それだけのことなのだから。

 プランBとは、先の奇襲作戦が上手くいかなかった場合を想定したもの。すると、指揮官であるラウラちゃんからはGOのお達しが。

 

「そうだな、それで構わんだろう。みなよく聞け、連携こそ我らの強み! 今度こそ確実にしとめるべく、心と気持ちを合わせていくぞ!」

「「「「「「了解!」」」」」」

 

 ラウラちゃんは、またしても軍人らしい振る舞いで更に士気を上げにかかった。

 これには不安げだった簪さん、セシリアさん、シャルルも完全に気を持ち直したらしい。了解と返事をする彼女らは、とても頼もしい顔つきをしていた。

 そう、そうだ。数の有利とかじゃなく、深い絆を育んだ僕たちが、急繕いの二次移行(セカンド・シフト)に負ける理由なんて絶対あるはずないんだ。

 逆にここにきて、ここまで負ける気がしない勝負は初めてかも知れない。僕はみんなと同じく、勝利を確信したような目つきで光る球体を真っすぐ見据えた。

 

『搭乗者の経験値が一定まで達しました。仮称識別色・橙(コード・オレンジ)仮称識別色・紫(コード・パープル)をアンロック』

 

 

 

 

 




二戦目第一ラウンドは割とアッサリ終わらせまして、次回からが本番といったところです。
それこそ晴人は牽制とカバーくらいしかしてないですからね……。
何より次回は新変形機構2つのお披露目もありますことですし、そのあたりも楽しみにしていただければと思います。


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第50話 真なる盾

話数からして節目となる50話ですが、はかったようなタイミングで内容にも要所要所へ大事な部分がちらほらと見受けられます。
神がかりとまでは言いませんけれど、一人で勝手に盛り上がっていたり。
そんなこんなでVS銀の福音 二戦目第二ラウンド開幕です。


(新機構解放!? それも二つ同時!? このタイミングで!?)

 

 今にも福音が進化を遂げようとしている真っ最中、耳にはヘイムダルからのアナウンスが入った。

 これでようやく七種類解放だと大手を振って喜びたいところだが、本当の本当にタイミングというものが悪い。

 ヘイムダルの変形機構及び武装は使用感が極端というか、なにかしらのデメリットを持っている場合が多い。いわゆるピーキーというやつ。

 試合中なら迷いつつも試運転を兼ねて使ってもいいが、これは実戦だ。それも周りには連携を取るべく仲間たちもいる。

 変な性能であることが発覚して僕だけが困るならいいけど、僕のカバーが必要になったりしたら最悪のパターンだよな。

 

(とりあえず、みんなにこのことを報告だけはしておこう)

 

 みんなに迷惑がかかることだろうが、絶対に使わないでおくと断言もできない。なぜなら、単に有能である可能性もあるからだ。それこそ逆転につながるような。

 ここにきて、母さんがどういう機構を用意したのか教えてくれなかったのが痛い。知ってさえいれば、迷う必要もなかったというものを。

 ともかく、情報の共有というのは大切だ。秘匿通信(プライベート・チャンネル)を用いて、変形機構が二つ同時に解放されたことだけは伝えておく。それと、行き当たりばったりな行動に出るかも知れないということも。

 手早くそれを伝え終えると、指揮官であるラウラちゃんから意外なひとことが返ってくる。

 

『弟よ、福音が動き始めたと同時にどちらか使え』

『賭けに出るってこと?』

『そうとも言う。が、使わず終わるのはもったいない』

 

 これは共有の回線のため、みんなも聞いていることだろう。それでもラウラちゃんの正気を疑うような表情は一切なかった。

 どうやら躊躇っていたのは僕だけらしい。確かにラウラちゃんの言うとおり、有能か無能かの五分五分なら、使わないでいるのはもったいない話だ。

 ならばすぐさま覚悟完了。みんなの信頼というものを一身に受け取り、僕は真っすぐ右腕を福音に伸ばす。

 後は橙と紫、どちらを先に使うかの判断を迫られるな。……ならここは、虹色を上から順番に唱えて二番目にあたる色――――橙からだ!

 

『――――――――』

仮称識別色・橙(コード・オレンジ)!」

 

 福音を囲う球体が弾けるのと同時に、コード・オレンジと高らかに叫ぶ。すると毎度おなじみ、右腕が橙色に発光。それから変形を始めた。

 手の甲の部分のパーツが浮いて、腕の中心あたりまでスライドして下がる。それに元から腕中心部に位置していたパーツと連結した。これは、台座か何か?

 後は僕の予想通り、台座らしき部分から、量子変換されていたであろう四つ連なった細長い砲身が生えてくる。ってことは、砲撃系の武装なのだろうか。いや、それにしては砲身が細すぎるし……。

 ……って、それは撃てばわかるものじゃないか。みんなの厚意に甘えさせてもらっている以上、考えている暇はない。すぐさま射撃用のトリガーを引いて、発射だ!

 

「どうかまともでありますように!」

 

 そんな僕の祈りが届いたのか、砲身から発射されたのは、橙色のレーザーらしきもの。つまりこれは、照射型のレーザーだなやった、すごくまとも! よし、橙色の熱線(ヒート・レイ)と名付けることにしよう。

 だが威力がそれなりにあるのか、発射し続けると徐々に後退してしまうようだ。威力はまだ全開じゃないみたいだし、これはまたPICの設定に気を遣う必要があるかな。

 あと問題があるとすれば、威力故に僕の足が止まってしまうこと。そして、黄色の弩砲(バリスタ)と同じで真っすぐにしか撃つことができなさそうだ。

 もっと言うなら、福音のような高機動型相手には楽勝で避けられてしまうことかな。

 

『――――――!?』

「ま、曲がった!?」

「曲がるどころの騒ぎではなさそうだぞ」

「ホーミング機能付きのレーザー砲、ですか。いったいどんな構造なのでしょう」

 

 今にもレーザーの先端が福音の横を通り過ぎようとしていたその時、橙色のレーザーがカクンと直角に曲がって再度福音に迫る。

 避けられそうになってはまた曲がって、避けられそうになってはまた曲がってを繰り返す。二次移行(セカンド・シフト)の影響か、福音の速度は上がっている様子だと言うのにしつこいったらない。

 仕組みのほうは置いておいて、これは思った以上に使える兵装かも知れない。照射している間が無防備なのは変わらないが、相手を追いかけてくれるのなら話は別だ。

 僕はPICの設定を変えてきちんとした支えを作ると、橙色の熱線(ヒート・レイ)の出力を上げた。すると予想通り、威力だけじゃなくて速度も増す。そして――――

 

「ヒット……!」

「晴人、やっちゃいなさい!」

「任せて! 最大出力!」

 

 決して僕の力ではないが、ついにレーザーは福音に命中。照射型なためそのまま出力を上げさえすれば、更に大きなダメージを機体できる。

 鈴ちゃんのどこか鬼気迫る声を受け、音声認識で一気に最大出力まで引き上げた。極太になったとはお世辞にも言えないが、砲身を上回るくらいの威力にはなったんじゃないだろうか。

 それに伴い、福音を後退させる速度も上がったように思える。よし、どうせならこのままっ削り切ってしまうつもりで――――

 

 ――――ボン!

 

「…………ボン?」

『過熱状態。冷却に時間を有します』

「晴人、いったいどうしたの!?」

「……ごめん、オーバーヒート!」

 

 突如として右腕が軽く爆ぜた。それはもう、なんともマヌケな感じにボン! と。それと同時にレーザーの照射も完全に止まってしまう。

 やけに有能が過ぎると思ったが、ここのところが欠点だったか! いや、これはちょっと考えたらわかることだったかも知れない。福音にダメージを与えることができて、調子に乗ってしまったか。

 過熱状態、つまるところのオーバーヒートとなった右腕は、冷却しきるまで他の変形も行うことはできないようだ。

 それはヘイムダルにとって致命的も致命的。右腕の変形が行えないヘイムダルなんて、ただの鈍足な木偶かなにかだぞ。

 素直に謝りながら現状を伝えると、みんなして一気に動き出す。その優しさが申し訳なさを掻き立てるが、僕は何より冷却のことを考えなきゃならない。

 

(となれば、海だ!)

 

 日も落ちて海水温もそれなりに冷たくなっているはず。というか、この熱気が上がってる右腕より温度が下回るのは考えなくてもわかること。

 みんなの援護を受けている間にさっさと済ませてしまわなければ、盾の役割を果たせなきゃ着いてきた意味ってものがないじゃないか。

 鈍足に鞭打って急降下をしかけると、ハイパーセンサーが警告音を鳴らした。つまりこれは、僕狙いか!? 隙だらけだから定石と言えば定石。   

 何度も言うけど福音は広域殲滅型。そこまで正確な射撃を行うことはできないはず。つまり、狙い撃ちなんてきような器用なことは――――

 

『――――――――』

「なっ、光る翼……?」

「っ……晴人さん!」

「へっ? ぐああああっ!」

 

 福音の射撃武装兼スラスターである銀の鐘(シルバー・ベル)から、神々しく輝く光の翼が現れた。これも二次移行(セカンド・シフト)の影響だろうか。

 いったいどんな用途なのだろうかと警戒を怠らないでいると、意外なところから攻撃が飛んでくる。完全に不意打ちであった。

 高火力ライフルで僕を見事に狙撃してみせたのは、射撃の名手と呼ぶにふさわしいセシリアさん。味方からの攻撃に一瞬だけ混乱したが、あの焦りようは何か理由が?

 制御を失って半ば墜落状態となると、僕のすぐ横を別の何かがとおり過ぎて行く。それは、ブルー・ティアーズのライフルなんて目じゃないくらい高密度エネルギーの塊だった。

 そして着水。鈴ちゃんの攻撃の際と同じく、巨大な水柱がその攻撃の威力を思い知らされる。

 僕といえば、もしセシリアさんが攻撃してくれなかったらと、肝を冷やしながら海面ギリギリで体勢を立て直す。そして、今の攻撃を仕掛けたであろう張本人を睨んだ。

 

「今のはいったい!?」

「多分……攻撃性エネルギーそのものを翼に……」

「かつ、それを収束して放出できるようになった。といったところか」

「それってまずいよ! 僕と晴人の盾コンビが要なのに、ガーデンカーテンじゃあれは受け切れない……!」

 

 ラウラちゃんの談では、これまで弾幕のように放っていたエネルギーを、チャージして発射できるようになったということか!?

 いやそれだけじゃない。注目すべきは形状を変化させることができるという点だろう。

 つまりあの翼に丸々包み込まれてしまえば、ほぼゼロ距離であの高密度エネルギーを受けることになってしまうってことだ。

 それはまずい、本当にまずい。発射されるだけなら、青色の塔盾(タワーシールド)の出力を上げれば四~五回は受け切ることができるだろう。けど、アレをゼロ距離かつ全方位からやられたら確実に沈む!

 シャルロットの言うとおり、プランBの要は僕らの盾。みんなのダメージを僕らが肩代わりする算段だったのに、これでは根本から破綻してしまうじゃないか。

 

「ならば目には目をだ。私と紅椿がスピードで翻弄する。お前たちは後方支援を!」

「待て箒! 今の奴に近づくのは自殺行為――――」

「何言ってんの、離れててもデッカイのぶっ放されんのがオチでしょ!」

「ええい、それもまた事実か……! 各機、箒を支援しろ! 誤射をせぬよう細心の注意を払え!」

 

 これといった打開策が見当たらないでいると、箒ちゃんが殿を名乗り出た。というか、僕らの意見も聞かずに福音へ向かって行ってしまう。

 独断専行だと叫ぶべきところなのかも知れないけど、福音に匹敵する機動力を有するのは現状で紅椿のみというのも間違いではない。

 だけど自分を囮にでもしろとでも言いたげで、そこは間違っても賛同はできない。だから、今は箒ちゃんを傷つけさせないこと。それが僕らのやるべきことだ。

 僕も遅れを取らないように、本来の目的であった右腕を海水で冷却する手に出た。かなりの温度まで達していたらしく、浸水させた瞬間にジュ~っと蒸発したかのような音が響く。

 と同時に、冷却が完了し、システムが復旧したことを報せるアナウンスが。とりあえず、よほどのチャンスがない限り本戦闘で橙色の熱線(ヒート・レイ)を使うのは止めておこう。

 

(けど、これからどうする!?)

 

 右腕の変形機能が元に戻ったが、すぐさま青色の塔盾(タワーシールド)を出して前線へ戻ることはしない。こんな状況だからこそ、局面を冷静に見極めるべきだ。

 福音はこちらが数で攻めると知るや否や、二次移行(セカンド・シフト)前と同様の戦術を取り始めた。つまり、高機動にかまけて弾幕を張るやりかただ。

 そうだよな、収束エネルギーよりはそちらのほうが格段に当てやすいはず。そうなると困るのは、僕の盾としての価値が薄れてしまうという点だ。

 福音に追い付けるのが紅椿のみというのなら、棒立ちになって困ったときに箒ちゃんから隠れにくるという手もあるけど、それなら今度は僕が標的になってしまうよな……。

 くそっ、このあたりがフユ姉さんに言われた足手まといってことなのかも。逆に盾としての役割が強すぎるんだろうか。

 

(だったら、賭けを続行だ!)

 

 そうこうしているうちに、みんなは弾幕のせいで攻めあぐねている。本来なら、やっぱり少しでも盾としての役割に徹するべきなんだろう。

 だがまだ可能性が残されている。仮称識別色・紫(コード・パープル)という、もう一つの変形機構が。

 相も変わらず全くの未知数ではある。が、先ほど橙色の熱線(ヒート・レイ)はダメージを与えることそのものには成功している。やはり使ってみるまでわからない。なら使うべきだ。

 こいつがその状況を打破してくれることを願って、腹から思い切り声を上げた。

 

仮称識別色・紫(コード・パープル)!」

 

 僕の声に呼応し、右腕に紫色のラインが走って変形を始めた。

 今回は珍しく指のパーツがキーとなるのか、右腕の五指の装甲がカバーを外すかのように浮いて行く。そしてそれぞれが伸びては連結し、一本の棒のような形状に。

 その棒が手首あたりに連結。先端に長方形のパーツが出現したかと思えば、そこから飛び出た紫色のエネルギーが何かを形成した。

 この綺麗なカーブを描きつつも、どこか恐怖心や禍々しさを印象付ける形状。間違いない、どうやら仮称識別色・紫(コード・パープル)の正体とは――――

 

(鎌か! なんか死神が持ってそうな感じの!)

 

 それならシンプルに剣なんかでいいんじゃないかとか、いっそのこと手に持って使うタイプでいいんじゃないかとか、言いたいことはいろいろあるが悪くないかも知れないぞ。

 恐らく想定されているのは中距離における範囲攻撃。前方180度をまんべんなく攻撃できるような、そんな変形機構は今までなかった。

 その用途が正しいとするのなら、これ以上に試すにはもってこいの状況はない。ならば命名、紫色の大鎌(ヒュージサイス)

 心中で新たな変形機構に銘をうつのと同時に、僕はヘイムダルにおける全速力をもってして弾幕へと正面切って突っ込んでいく。

 みんなの何をやっているんだこの馬鹿は、みたいな視線をよそに、僕は右腕を大きく薙ぎ払うように振るった。

 

「でぇやああああああ!」

「福音の攻撃を弾いてる!」

「しかも……一度にたくさん……」

「晴人、そのままいけ!」

「おっけぇええええい!」

 

 やたらめったらな弾幕ゆえに、適当に振っただけでも勝手に当たってくれる感覚だ。そして狙い通り、紫色の大鎌は福音の射撃を弾くことができる!

 どうやらこの紫色の大鎌(ヒュージサイス)、スイングスピードによって、エネルギーで形成されている刃が少し肥大化するらしい。ならこの武装において重要となるのは、回転だ。

 箒ちゃんの激励に返事をすると、またしても大きく右腕を薙ぎ払う。だが今度は勢いを殺さぬよう、振り切った遠心力を使って回転。それを繰り返して何度も何度も薙ぎ払う。

 流石に大きくなり続けるということはないが、こうするとかなりの大きさを保ったままでいられる。これで更に福音の攻撃を弾けるというものだ。

 しばらく無我夢中で紫色の大鎌(ヒュージサイス)を振るい続けることしばらく、右腕に走る攻撃がヒットする感覚が完全に消える。つまり――――  

 

「素敵ですわ、晴人さん!」

「は、はは……それはどうも」

「いいぞ弟よ! お前一人で奴を無力化できることが実証された!」

 

 紫色の大鎌(ヒュージサイス)は見事に僕やみんなの期待に応えてくれた。ここまで完璧に弾幕を防ぎきることができたのだから、自分でも驚いてしまう。

 だからセシリアさんの言葉への返事は曖昧になってしまった。というか、みんなのよくやったみたいな視線がなんともむず痒い。

 しかし気を緩めてはならない。これで防御の要は僕が担うことは確定なんだから、シャルルの補助も受けつつなら作戦を立て直せるかも。

 僕がそう意気込んだ瞬間のことだ。ロックオンの警告がハイパーセンサーに表示され、僕自身もかなりの嫌な予感を覚えた。

 どこか本能的に、または身に着いた習慣的に青色の塔盾(タワーシールド)を展開させると。気付いた時には目の前で閃光が炸裂し、僕は大きく後方へ吹き飛ばされていた。

 

「ぐぅっ!?」

「日向くん……!」

「だ、大丈夫! ギリギリセーフだから!」

 

 僕を襲ったのは間違いなく福音の収束エネルギー。あと一瞬でも対応が遅れでもしていたら、あれを直撃させられるところだった。

 どうやら完璧に油断してしまったらしい。一筋の光明が見えたことにより、気持ちが浮ついてしまったのだろう。

 やはり青色の塔盾(タワーシールド)で防いだにしても威力が半端ではない。だが、憶測ではあったが五発くらいまでなら問題ないというのも合っているようだ。

 それってつまり残り四回までって話になってくるんだけど。しかもそれ以外の攻撃を喰らえば、もっと回数は減ってしまう。

 それよりも最もまずいのは、福音が完全に僕へターゲットを絞ったことかな。ラウラちゃんの時と同じで、厄介なのからとっとと潰そうって意図がヒシヒシと伝わってくる。

 だが裏を返せばこれは好機。機動力については相性最悪だが、ヘイムダルの鬼耐久に対処できていないなら、他の六人は福音への攻撃に専念できるだろう。

 

(けど問題があるとすれば――――)

『――――――――』

「やっぱりそうくるよな……! みんな、なるべく耐えてみせる。ここは僕を信じて、福音へ攻撃を!」

「チッ……! 弟を救いたいと思うのならば、弟の指示に従え!」

 

 ジッとこちらを観察していた福音だったが、一気に僕へ接近をかけてくる。魂胆としては、例の翼で捕まえてゼロ距離からの集中砲火を浴びせる気だろう。

 それをやられては間違いなくヘイムダルでも耐え切れない。福音は機動力に任せて、鈍足なヘイムダルを捕まえるつもりなはず。だから逃げの一手という策にも出ることはできない。

 だから僕にできることがあるとするなら、耐えられるだけとにかく耐えて、みんなにチャンスを与えることだ。これも、僕の盾としてできることなはずだから。

 僕の覚悟を理解してくれたのか、ラウラちゃんは苦虫を嚙み潰したような顔つきながらも提案にのってくれた。ありがとう、ラウラちゃん。期待には応えてみせるから。

 

(だけどやっぱり速い! 青色の塔盾(タワーシールド)でドッシリ構えてるだけじゃどうにも――――)

『――――――――』

「っ……フェイント!?」

 

 前方に青色の塔盾(タワーシールド)を構えつつ必死に後退。しかし、目に見えて福音との距離は詰まる一方だ。このままでは健闘する暇もなく落とされてしまう。

 そんな僕の焦りを嘲笑うかのように、福音は真横をとおり過ぎてすぐさま反転。見事なフェイントをしかけてくるではないか。

 そして弾幕を張り、エネルギー弾を引き連れるようにして再度突進をかけてくる。だったら、みんなを信じて弾幕を防ぐ!

 

紫色の大鎌(ヒュージサイス)!」

 

 多分というか絶対なんだが、紫色の大鎌(ヒュージサイス)で弾幕を防ぐ選択をするなら捕まってしまうだろう。だが捕まえるまでの数秒は完全に隙ができるはず。

 みんながその隙を突いてくれることを信じ、みんなの活路を開くのが僕の仕事だ。これまで築き上げてきた信頼関係が勝利のカギだなんて、なんだか燃えるはなしじゃないか。

 ハイパーセンサーである程度コースを予測。まず当たりそうにないのは完全に無視して、みんなのところに飛んでいきそうなのを優先して弾いていく。

 ああでも、いくらみんなを信じるっていってもコレは心臓に悪い。鳴り響く警報、徐々に近づてくるのがわかる福音。そしてついには光の翼が僕を――――

 

「させるか貴様!」

「わたくしたちの目の白いうちは!」

「晴人に指一本触れさせない!」

「以下同文……!」

 

 あわや撃墜寸前のところ、文字どおりの援護射撃が僕を救った。

 元より遠距離機であるブルー・ティアーズ然り、砲撃形態のシュヴァルツェア・レーゲン。そしてもちろんシャルルと簪さんの射撃も正確だ。

 向こうも攻撃寸前のところが影響したのか、いくらか攻撃を受けてから逃げの体勢へと入る。しかも毎度のように弾幕の反撃つきだ。

 

(となると、箒ちゃんと鈴ちゃんが……)

 

 四人が射撃での援護を試みたのをみるに、僕を救助するのと同時に福音を牽制する目的があったと見た。ならば攻撃に参加しなかった二人は、近接戦闘を仕掛けるであろうことも。

 ハイパーセンサーで紅椿と甲龍を捉えると、そこには攻撃に入ることをどこか躊躇っている様子の箒ちゃんと鈴ちゃんが見える。

 攻撃は最大の防御なんて言ったりするけど、福音の場合は防御と攻撃を兼ね備えている感じだよな。

 だがそっちがその気なら、正面から押し通らせてもらうことにしようじゃないか。

 

青色の塔盾(タワーシールド)! 箒ちゃん、鈴ちゃん!」

「晴人!? ……お前がそう言うのであれば致し方ない!」

「無理はすんじゃないわよ!」

 

 僕は素早くギャラルホルンを装備し、瞬時加速(イグニッション・ブースト)のように一瞬だけブースターを吹かして福音の頭上へと躍り出た。

 そしてパージと同時に、今度は右腕を青色の塔盾(タワーシールド)へ変形。盾を構えて急降下し、福音へ突っ込んでいく僕を見て、二人は意図を察したのかヘイムダルの背後へとついた。

 つまりそういうこと。僕が盾となって弾幕を受けることにより、二人を近接格闘の射程範囲内へと送り届けようということだ。

 弾幕は狙いが荒いとはいえエネルギー弾の数が数だ。この場合は青色の塔盾(タワーシールド)の大きさが仇となって余計なやつももらってしまうが、二人を守れるなら安い!

 

『――――――――』

「なっ……!? 初めからそれが目的――――ぐああああっ!」

「晴人!?」

「しっかりしなさいよ! 晴人がくれたチャンス、無駄にするわけにはいかないでしょ!」

「くっ、ごもっともだなっ!」

 

 好調なままエネルギー弾を放ち続けていた福音だったが、それをピタリとやめて僕へ向けて収束エネルギーを放って来る。

 速度がついていたしあまりにいきなりなことで、当然のように回避は間に合わず直撃。僕はまるでバットに撃ち返されるボールのように、大きく後方へと吹き飛ばされる。

 幸いなのは、その際に二人を巻き込まなかったことだろうか。

 箒ちゃんは僕を案じるせいで少しばかり気がそれてしまったようだが、鈴ちゃんの一喝によって調子を取り戻したようだ。

 そして、二人の強烈な近接格闘が福音を襲う。

 

「はぁっ!」

「これで、どうよ!」

 

 まず斬り込むのは速度で勝る紅椿。箒ちゃんの見事な太刀筋による空裂と雨月の連撃が入る。

 そしてその隙を突くように甲龍。両手もち状態の双天牙月を豪快に同時に振るい、それはそれは大きな刀身を福音へと叩きつけた。

 特に鈴ちゃんの一撃に関しては、福音の胴体へと一瞬だがスパークが走ったように見える。決定的ではないが、文句なしの大ダメージではなかろうか。

 よし、そういうことなら僕とヘイムダルが身体を張った意味があるというものだ。ただその代償として、青色の塔盾(タワーシールド)へのフィードバックダメージを受けてしまったわけだが。

 

(……あと二回ってところか)

 

 油断して収束エネルギーを受けて残り四回。箒ちゃんと鈴ちゃんを守る目的弾幕を受け残り三回。その際にまんまと罠にはまり、収束エネルギーを受けて残り二回……かな。

 あくまで収束エネルギーを受けて大丈夫な許容範囲であり、もっと大げさに言うならヘイムダルの稼働限界が目と鼻の先ってことだ。

 大ダメージは与えられても致命的ではない。僕の盾があるのとないのじゃやり易さってのが違うだろうし、いい加減に何か決め手になるような何かを見出さなくては……。

 それは福音も同じことを考えているだろう。なんだかんだ、追い詰めることができているのは僕一人だけなわけだし。

 そうなると、これから福音はどんな手に出てきてもおかしくはない。十二分に気を引き締めていかなくては、風前の灯が一気に消えてしまうことだって    

 

『――――――――』

「……!? 箒ちゃん、鈴ちゃん!」

「くっ! な、なんだというのだ、いきなり晴人に興味を失ったかのように!」

「あれだけしつこかったのに……見向きもしない……?」

 

 何か大きな一手を打てないかと考えを巡らせていると、福音は比較的に近場であった箒ちゃんと鈴ちゃんへ向け、それぞれ収束エネルギーを放つ。

 しばらくターゲットを僕に絞っていたのが嘘のよう。というより、あの様子を見るに実際外されていると見たほうがいい。

 ……もはや脅威ではないとみなされた? もしくは僕の盾という役割からして、しつこく狙わなくても勝手にダメージを受けてくれると判断されたとか?

 いや、今はそんなことどうだっていい。確かにここまで削られている以上、無視されるというのが最も効果的であるというのは事実なんだ。

 だから僕が考えるべきことは、いかように僕を無視して攻撃する福音の妨害ができるかだ。

 けど福音の速度を勘定に入れた場合、僕の技量不足によってあらゆる攻撃を当てることは難しい。変に攻撃をしかけ、ラウラちゃんが言ったように誤射が起きては本末転倒だ。

 

(だとするなら、だとするなら……!)

 

 僕の実力不足を呪うよりも、もっとできることがあるはずだ。でなければ、僕は何をしにここへきたのかわかったものではない。

 そう、思い出せ、僕はここにナツの代わりをしに来たんだ。いつだって真っすぐに、誰かのためにありつづけるナツの代理なんだ。

 だから僕にしかできないことを。僕がするべきことを全力でやるしかない。それなら初めから答えは一つ。僕にはやっぱりコレが一番性に合ってると思うから!

 

(やはり砲撃形態では機動力に難が……!)

「ラウラ、危ない!」

「しまっ――――」

「させないさ! ぐぅぅぅぅ!」

 

 福音は弾幕と収束エネルギーを巧みに操り、逃げ場を塞いで一気に打ち抜く戦法に切り替えていた。恐らくこれといったターゲットは定めておらず、隙を見せたものから順に落とす予定だったのだろう。

 その最初の一人となったのが、砲撃形態へ換装しているがゆえに機動力が落ちているラウラちゃん。射撃で応戦するも、福音が攻撃を躊躇う様子はない。

 もはや福音からすれば的のように思えたのか、偏差射撃をしっかり計算しつつ、ついにラウラちゃんへ収束エネルギーが放たれる。

 だからこそ僕のとった行動は――――まぁ、先ほどまでとあまり変わってはいない。

 ギャラルホルンを装備してラウラちゃんの元へ急行。そして、青色の塔盾(タワーシールド)にてダメージを肩代わりしたのだ。

 

「あと……一回……!」

「馬鹿者! 何をそんな無謀なことを!」

「ごめんラウラ姉さん。でもさ、やっぱり、僕にはこれしかないから」

 

 そう、やっぱり僕にはこれしかない。僕にはみんなの盾になるくらいしかできない。

 とはいっても、かつてのようにネガティブな意味を込めているつもりはない。だからあえて言うなら、盾になることができるんだ……って感じ。

 僕にしかできなくて、僕にならできること。だから僕がこの場で選ぶのは、最後の瞬間までみんなを守り通すことだ。

 自己犠牲じゃなく、みんなと共に前へ進んでいくために。みんなと共にいたいから、僕は盾になりたい。僕は壊れるためにあるんじゃなく、みんなと共にありつづけるために。

 

(そうだろ、父さん……)

 

 無人機の一件が終わったあの日、父さんが僕に言った言葉の意味がようやく分かった気がする。

 盾の役割っていうのは、永久的でなくちゃならない。例え守り切っても、壊れてしまえばまるで意味がないんだ。

 やはりあの日の僕は、全てが自己満足だったらしい。どこか壊れない盾なんてありえないと決めつけ、その身を犠牲にして、ナツを守っていた気になっていた。

 僕は前に出てこその盾と思っていたが、それもどうやら違ったみたい。そうだよな、盾は使う人が持ってないとならないんだから、前でも後ろでもなく、あるべき場所は隣しかないじゃないか。

 それが今になってようやく、やっと答えを見出すことができたというのに――――

 

「晴人おおおおっ!」

 

 眼前に迫るは福音。耳に鳴り響くは警報。もっとよくみてみれば、福音はエネルギーの翼を開いて今にも僕を包もうとしている。

 収束エネルギーを受け続けたせいか、僕にも疲労が蓄積してしまったらしい。完全に、なんの回避行動をとることもできなかった。

 ここまで、なのか? 答えを見出すことができたのに、何もできないまま終わってしまうのか? 父さんが僕に言ってくれた、真の盾になれるチャンスだったというのに。

 

(……願わくば、ナツ。もう一度でいいから、キミの隣で、キミと一緒に戦いたかった)

 

 僕がそうやって、悔恨の念を抱きながら目を閉じたときのことだった。すさまじい轟音を鳴らし、収束エネルギーが弾けたであろう衝撃波を感じる。

 だが、不思議なことに僕へのダメージは一切ない。収束エネルギーが外れたわけでないとするなら、どうして僕は無事でいられるのだろう。

 あまりにも不可解な事態に、僕は顛末を確認すべく目を見開いた。そして僕の視界に広がる光景は、混乱と納得を同時に呼び込む。

 確かに昔からいろいろタイミングのいい奴ではあったというか。でもそれってピンチにならないと現れてくれないってことっていうか。

 ほんっ……とにもう、人の気も知らないでさ。ヒョコっとやって来てはサラッと僕のこと助けてくれちゃって。やっぱりキミはすごい奴だよ。でもさ、今回ばっかりはちょっと――――

 

「遅刻が過ぎるんじゃないの? ナツ!」

「あはは、ごめんごめん。でも、憎い演出って感じじゃない?」

 

 ナツだ。僕の目の前には、間違いなく織斑 一夏が居る。こっち皮肉を言うので精一杯だっていうのに、いつもの綺麗な笑みを浮かべているではないか。

 本当はいろいろ捲し立てるよう質問攻めにしているところだが、あんな大怪我した姿を見せられた後ではそんなことどうだってよく思えてしまう。ただ、そこでナツが笑っていることが重要なんだ。

 というか、僕が命を救ってもらったっていう事実は変わらないから、そうナツのことを気にするのは止めておこう。しかし、雪片弐型で収束エネルギーを裂いたってことなのか?

 

「で、あれ姿が変わってるけど、パワーアップしちゃってる感じかな」

「そういうナツこそ」

「そうだね、寝て覚めたら二次移行(セカンド・シフト)してた」

「随分と簡単そうに言ってくれちゃって」

 

 ナツの白式はどこか西洋の鎧じみたデティールだったが、デザイン的にはどちらかというなら武骨な様相を呈していた。

 しかし、ナツが今装備している白式は、よりシャープに、より繊細に。といった感じで、各所のラインがどこか女性を思わせる姿に変わっている。

 よくみなくてもウィングスラスターが四枚に増設されているし、なんなら雪片弐型も白銀って感じの色合いだったけど、機体に合わせたような真白(ましろ)に。

 これを見て二次移行(セカンド・シフト)であると考えたけど、寝て覚めてって本当簡単に仰ってくれる。でもきっと、それまでに何かナツにも心境の変化があったに違いない。

 

「ところでナツ、ひとつお願いがあるんだけど」

「一緒に戦ってくれる? とかなら聞くまでもないからね」

「あれ? ははっ、おみとおし? まぁ、じゃあ、そういうことだから――――いこうナツ、キミと僕ならなんだってやれるさ!」

「うん! 私とハルの最強タッグ、ここに復活!」

 

 てっきり現状の僕を見て下がっててなんて言われるかとも思ったけど、どうやらナツは僕を必要としてくれているみたいだ。

 それなら話が早い。ようやく真なる盾としての道を歩み始めたんだ。何より守りたい人で実践できるとは、これ以上のことはない。

 ある意味で福音には感謝――――はありえないか、何があろうとアレがナツを傷つけたことに変わりはない。

 とにかく、ナツの言うとおり白式とヘイムダルが揃ったなら怖いものなしだ。よし、とにかくナツを送り届けて、零落白夜での短期決着を――――

 

「――――と言いたいところなんだけど」

「ナツ?」

「さっきハルへの攻撃を防ごうとしたとき、零落白夜使っちゃった」

「…………マジ? ……あ、うん、マジだね。今確認したよ」

「「…………」」

 

 意気揚々と今度こそ福音を討つべくシミュレーションをしていると、ナツは構えを解いてまで何か言いたいことがあるようだ。

 いったいどうしたのかと向き直ると、さっき僕への向けて放たれた収束エネルギーを防ぐ際、零落白夜を使用したとのこと。

 はぁ~……なるほどなるほど、零落白夜でかき消したから、あたかも弾けたように感じたわけだ。まぁそうだよねぇ、普通の雪片であんなの斬り裂けるわけもないし。

 はい、ではここで復習。零落白夜とは何かについてだ。

 白式の単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)に当たり、ザックリ説明するのなら、多大なエネルギーを消費して、バリアを無効化する刃を形成する能力ってところだろう。

 ではここにご注目。多大なエネルギーを消費して。大事なことなのでもう一度。多大なエネルギーを消費して、だ。

 ナツは僕を助けるためにそれを使った。つまり今の白式に残されたエネルギーと言えば、一撃いいのを貰いでもすれば、命の心配をせねばならないくらいスッカラカンというわけ。

 

「し、し、し……締まらなああああああああいっ!」

 

 真夜中の海に、僕のそんな叫びがこだまするのだった。

 

 

 

 

 




盾としてどうあるべきかを悟った晴人。そして一夏ちゃん大復活。
剣と盾コンビ、ここに再集結! ……最後のほう締まりませんけどね
次回、VS銀の福音 いよいよ大詰めとなります。

ちなみにですが、二次移行後の白式に関してはかなりのオリジナル要素を入れてます。
詳しく触れるのは次回となるので、解説はまた後程ということで。





橙色の熱線(ヒート・レイ)
ヘイムダルの右腕である虹色の手甲(ガントレット)に用意されている七つの変形機構の一つ。
四連装の砲身からなる照射型レーザー砲で、発射したレーザーはロック対象を自動で追尾するホーミング機能を持つ。
威力は通常の状態でもPICを弄らなければヘイムダルの後退が止まらないほどであり、当たれば大ダメージは免れない。
その反面、特に冷却機能を保有していないため、照射し続けているとオーバーヒートを起こすという欠点が。
オーバーヒート中は他の武装への変形も不可能なため、使用する場合はしっかり照射時間を頭に入れておかねばならない。





紫色の大鎌(ヒュージサイス)
ヘイムダルの右腕である虹色の手甲(ガントレット)に用意されている七つの変形機構の一つ。
主に中距離、前方180度への範囲攻撃を想定した武装。
ヘイムダルの巨大な右腕から延びる大鎌は、単純に薙ぎ払うだけでもかなり効果的であり、なにより剣術等の技量も必要とはしない。
また、エネルギーで形成されている鎌部分は、スイングの速度によってある程度瞬間的に肥大化する機能も持つ。
これにより、それでなくとも前方へと広い攻撃範囲を更に拡大することができ、扱い方によっては相手に接近させない戦闘も可能だろう。
ただし、懐に潜り込まれると完全に無効化されてしまうため、完全に中距離戦専用武装と考えたほうがよい。


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第51話 絆 繋がる力

久しぶりの金曜投稿。
紛らわしかったら申し訳ないです。

今年も残すところ後わずか。皆様はどうお過ごしでしょうか。
こちらは前回言ったようにいよいよ大詰め、クライマックスです。
正直なところ福音戦に尺を取り過ぎ感が否めないですが、どうか今回もよろしくお願いします。






以下、評価してくださった方をご紹介。

masa ハーメルン様

評価していただきありがとうございました。


「アンタ何しに来たわけ!?」

 

 一夏のあまりにもなやらかしっぷりを前に、恒例行事だの様式美よろしく鈴音が罵声を浴びせた。

 とはいえ一夏を一概に責めることができないのもまた事実。

 晴人に飛びつくなりして射線から退かせるのは容易だったものの、その晴人がラウラを庇って自ら射線に入ったのが一番の問題点である。

 二人の位置はあの瞬間においてほぼ直線上。つまり一夏が零落白夜を発動させていなければ、ラウラが直撃していたことになる。

 ……のだが、暴走したISを相手取るのにほぼ戦闘不能状態の味方が二機はキツい。ぶっちゃけてしまうのなら、邪魔の一言に尽きる。

 

「なんかものすごく申し訳ない……!」

「や、ハルのせいじゃないよ! 私がなんの考えもなしに使っちゃったから」

「いやぁ、結局使わせたのが僕ってなると……」

「キミら状況わかってる!?」

「晴人さんはせめて青色の塔盾(タワーシールド)を構えなさいな!」

 

 晴人の選択もまた正しい正しくないの判断は難しいが、いかんせん本人が自らを省みる性格なため、なんとも難しい顔をしながらうなだれてしまう。

 すかさず一夏はフォローを入れるも、晴人がまたそれに反省を重ねていき、まさに侃侃諤諤の様相を呈し始めた。

 と、今度はセシリアとシャルロットから鋭いツッコミが飛んできた。特にセシリアの声を受け、晴人は大慌てで一夏を隠すようにして青色の塔盾(タワーシールド)を構える。

 そんな晴人を福音はやはり無視。完璧に相手取る対象として除外されているのか、まるで初めからいないかのような扱いだ。

 ならば味方も二人に構っているような暇はなく、各自福音との交戦を再開。それぞれの戦闘スタイルをいかんなく発揮し、攻撃を仕掛けていく。

 

「……ふっ」

「箒……?」

「いや、すまない。こんな時だと言うのに、少し昔を思い出してしまってな」

 

 無論だが箒も交戦する専用機持ちに混じっていたが、いきなりクールな笑みが飛び出してくる。

 それを察知した簪が何事かと問いかけると、在りし日のことを思い出し、笑いが込み上げてきたのを止められなかったとのこと。

 デジャヴというほど完璧に同じではないものの、似たようなことがあったのを箒は確と記憶している。なにせ箒にとって、一夏と晴人と過ごしていた時ほど輝かしい思い出はないのだから。

 

(あの時は確か、私と晴人が二人だった時のことだった)

 

 時は箒ら三人が小学三年生の頃。稽古のあるなしに関わらず一緒に帰宅するのが通例だったが、その日一夏は用事があり、箒と晴人が先に二人で帰路に就くことになった。

 当時の二人は時折だが怒り怒られる関係でありながら、そういった時を除けばいたって良好。とてもよい友人同士であった。

 そこで今日学校であったことを振り返るように談笑をしながら歩を進めていたが、ここでちょっとしたハプニングが起きてしまう。

 二人の背後からいきなり囃すような声が。その正体は、箒を男女とからかっていた連中のようだ。

 晴人も箒も、一夏や互いくらいしか胸を張って友達と呼べる者はいない。だからこそ必然的に一緒に居ることも多いのだが、二人きりというのは珍しい。それがいじめっ子には格好の餌だったのだろう。

 晴人は無視を推奨するも、箒は仕上がり始めていたというか、既に嘗められたままで終われるような性格ではなかった。

 

「お前たち、そっちがその気であるのなら――――」

「いや箒ちゃん、竹刀はまずいって!」

 

 晴人は晴人で、当時も変わらず争いを好まない。

 いじめっ子たちに歩み寄りつつ、おもむろに竹刀を取り出そうとする箒を全力で止めにかかる。

 例え相手が悪かろうと手心は加えて然るべき。という考えなのはわかるが、そんな純粋な晴人の気持ちはいじめっ子たちの手によって踏みにじられてしまう。

 晴人が箒を止めている間に、竹刀を奪われてしまったのだ。箒は無手でもそれなりの腕を持っているが、流石に武器を前にしては分が悪い。

 対していじめっ子たちは勝ちでも確信しているのか、竹刀を持った一番大きな少年が意地の悪い笑みを浮かべ始めた。

 どうやら標的にされているのは箒の方。何回か返り討ちに合っているせいか、溜まり溜まった鬱憤というものがあるのだろう。

 にじりにじりと煽るかのように接近し、頭上に掲げた竹刀がなんの躊躇いもなく振り下ろされた――――瞬間のことだった。

 晴人はすかさず箒の前へと躍り出て、身代わりとなるべく身体を張って見せるではないか。

 箒が晴人と叫んだ時にはもう遅い。向こうにとっても箒のつるむ相手とならば危害を加えるべく対象であるのか、そのまま晴人の頭へ竹刀が激突――――

 

「まぁたお前らかこのっ!」

「ナツ!」

 

 竹刀が晴人の頭に当たるか当たらないかの瀬戸際、二人を追いかけて来た一夏が現れた。

 一夏はここまで走って来た速度に乗せ、竹刀を持っていた少年に飛び蹴りをくらわせる。

 ランドセルを背負っているため蹴りそのもののダメージは少ないが、思い切った威力だったために少年は前方に大きく吹き飛ばされた。

 それに伴い竹刀も手から離れ、持ち主の元へと帰るかのように転がっていく。箒は一安心したような顔を一瞬だけ浮かべ、すぐさま顔つきを険しくした。

 

「さてお前たち、覚悟はいいだろうな? やるぞ、一夏!」

「ああ! ……って言いたいところなんだが」

(ナツが乗り気じゃない? もしかして、暴力はなるべく止めたほうがいいってわかってくれたのかな!)

 

 箒が竹刀の先端をいじめっ子たちへと向け、一夏に戦闘開始の合図を持ちかける。

 しかし、一度は威勢のいい返事をしたものの、それを打ち消すような言葉で遠慮しておくとでも言いたげだ。

 自分たちから手は出さないが、反撃でも暴力に訴えることを快く思っていなかった晴人からすれば、ようやく自分の気持ちが通じたのかと内心で小躍り。

 しかし、その実態は――――

 

「足捻ったぁ……! 右足っ、着地の時にやらかしっちまったぁ……!」

「だ、大丈夫!? えっと、病院!? 救急車!?」

「ハ、ハル……後は任せた……」

「ええっ、無理無理! それは無理! 俺のパンチとかじゃ虫も殺せないんだからな!」

「それ自慢気に言うことじゃないだろ……」

 

 一夏が涙目になりながら蹲り、挙句には泣き言を口にするかなりレアな光景が繰り広げられた。本人の談のとおり、かなり派手にやらかしたことが伺える。

 そんなレアな光景を長い付き合いの晴人が目の当たりにすると、心配性な性格も相まってか、状況が状況だというのにプチパニックを起こす始末。

 それにつけて、一夏が自分の代わりに戦えなんて言い出すものだから更にパニック。全力で申し出を拒否。

 晴人と一夏間でこういったやりとりは茶飯事なのだが、どうやら存在すら忘れ去られている気分になったのか、いじめっ子たちは輪をかけて憤慨。

 二人のやりとりに仲間ながら呆れた視線を送っていた箒だったが、いじめっ子たちの騒ぐ声を耳にして我を取り戻した。

 竹刀を取り戻した箒はまさに怖いもの知らずであり、役立たずの男二人をよそに、結局のとこ単独でいじめっ子たちを撃退してしまう。

 

「箒ちゃん、なんかごめんね」

「別に大したことはない。いつものことだしな」

「おい箒、ハルがダメなやつみたいな言い方するのは止めろよ」

「私もそう言いたいわけでは――――というか、晴人に背負われながら言う台詞でもないだろうが」

 

 結果的に箒に助けられたことを、または対向する勇気を持てないこと。それらに関して情けなく思うのか、晴人はため息交じりに謝罪を述べた。

 箒としては晴人のそういった部分を良しとしないため、どこかツンケンした返事が。それを今度は一夏がムッとしながら咎める。

 が、何も箒も責めたいわけではない。いわゆる愛の鞭のようなものであるつもりのため、不名誉なことを言ってくれるなと視線を一夏に合わせる。

 すると箒の目に映るのは、晴人におんぶされた一夏であった。どことなく語気を強めていたように聞こえたので、逆に情けなく感じてしまうのは気のせいでないのだろう。

 とにもかくにも、箒は心底からこう思った。

 

「はぁ……。まったくお前たちは――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(そうだ、あの時と一緒なんだ!)

 

 倒すべき相手を前にして、なんとも晴人と一夏がふがいないこの状況。例え相手がいじめっ子だろうが暴走したISだろうが、規模は違えど根本は変わらない。

 ならば自らの役割もあの日と大きく変わらない。箒が本気でそう感じた途端、どこか曖昧だった道筋が一気に拓くかのようだった。

 すると紅椿が箒の想いに応えるかのように、ハイパーセンサーに新たな機能を表示させる。

 ――――――――――――絢爛舞踏。

 その名しか刻まれていないというのに、箒はやはりこれの発動と同時に何が起こるか手に取るようにわかる。

 だからこそか思わずほくそ笑むと、進路を晴人と一夏のほうへ急転換。その機動力に任せ、みるみるうちに距離を詰めていく。

 

『――――――――』

「お前たち、なんだかわからんが箒を死守しろ!」

 

 だがそう一筋縄にいかないのが現実であり、明らかに不穏な行動に福音が興味を示さないはずがなかった。

 この場合は無断での単独行動であり、足並みを乱す行為に変わりない。しかしその不可解さは仲間にとって光明に感じたのか、箒絶対死守命令がラウラ指揮の元下される。

 そんなことを想定しつつ、福音は四方へエネルギー弾をまき散らす。もちろんそれは、十分に箒を射程圏内に収めていた。

 セシリアはスターライトMk-Ⅲによる狙撃。鈴音は崩山を乱射。シャルロットはガーデンカーテンを駆使して。簪は山嵐のミサイルを盾とし。ラウラは大型レールカノンで堅実に。

 それぞれの専用機ができることを全力でこなすことにより、幾分か弾幕の厚さは薄まっていく。そして紅椿を駆る箒にとって、抜群のIS操作センスを持つ箒にとって、背後から迫る薄い弾幕をかいくぐるのは容易であった。

 

「二人とも、手を伸ばせ!」

「箒ちゃん!? わ、わかった!」

「箒!」

「まったくお前たちは――――」

 

 わざわざそうまでして接近を試みる理由なんぞ考えてもわからないが、とにかく箒の要望に応えるべく手を伸ばす。

 三人の手が繋ぎ合わさったのは、晴人が左手を、一夏が右手を差し出した次の瞬間のこと。二人が手を掴むことで、ブレーキの役割をはたしているほどの勢いだった。

 箒の位置が余力で少しばかり前のめりになってから二人の目の前へと落ち着くと、これから何が起こるのかと誰しもが息をのんだ。すると――――

 

「私がついていなければダメだな!」

「これは……!?」

「エネルギーが……回復していく!」

 

 紅椿を金色の光が包んだかと思えば、それに呼応するかのように、ヘイムダルと白式もまばゆい光を発した。

 かと思えば、撃墜寸前まで削られた、あるいは不慮の事態で使用したエネルギーがみるみるうちに回復していくではないか。

 これぞ紅椿に目覚めた単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)、絢爛舞踏の効果である。

 その効果を正確に表現するならエネルギー増幅能力だが、そのあたりの細かい部分を箒たちが今のところ知る由はない。

 ただ、従来のISであればコアのシンクロ等の手段を踏まねばならないところ、機体の接触のみで行えるのはとんでもない汎用性を誇ることだけは確か。

 

「その台詞、あの時のだよね」

「覚えていたか?」

「あ~……なんか聞いたことあると思ったら、ナツがおもっくそ足捻ったあの――――」

「そういうことは思い出さなくていいから! とにかくやるよ、ハル、箒! 今度こそ三人で、ね!」

 

 一夏は金色の光に包まれながら、箒の台詞に既視感を覚えて思わず頬を緩ませた。あの日の出来事は、一夏にとっても記憶に新しいらしい。

 晴人も同じく。こちらは颯爽と登場した一夏が、足を捻った部分が強く印象に残っているようだが、それでも箒の言葉そのものを同じく記憶している。

 わざとらしく余計なことを口にする晴人を怒鳴った一夏は、気を取り直すかのように箒の左隣へと陣取る。それを確認した晴人は、箒の右隣へ。

 そして一夏は口にする。今度こそ三人で、と。今度はそれを耳にした晴人と箒が頬を緩ませ、それぞれの主兵装を構えて見せる。

 

「ああ、もちろんだとも!」

「僕だって、もう昔の僕じゃないからね!」

「そうこなくっちゃ! それじゃ幼馴染組、レディ~……」

「「「ゴー!」」」

 

 一夏の呼び声に応えるがごとく、二人が意気込みを口にする。三人が自分たちを繋ぐ確かな絆を再確認すると、打倒福音へ向けて再スタートがかかった。

 まず前に出るのは晴人。ギャラルホルンを装備し、しばらく一気に前方へ進んで前線へと立った。無論、高出力の青色の塔盾(タワーシールド)を構えてだ。

 福音がし相手をしているのは、もちろん晴人たち三機のみではない。

 集中砲火を喰らっている現状、収束エネルギーで晴人のみを狙い撃ちにするのは好ましい判断ではない。という結論に至ったのか、エネルギー弾をそこらにばら撒いた。

 

「そっちなら全く問題なし……! ナツ、箒ちゃん!」

 

 晴人の一直線上に並ぶことによって弾幕をやり過ごした二人は、左右に分かれて前へと飛び出した。

 一夏は二次移行(セカンド・シフト)の影響により形態変化した雪片弐型――――天津真雪(あまつさねゆき)で、箒は空裂ですれ違いざまに福音を斬りつける。

 そこから更に息の合った飛行を見せ、すれ違いながらの斬撃を何度も何度も繰り返す。白式・雪華(せっか)と紅椿の機動力をもってこそできるコンビネーションだろう。

 しかし、これで黙っていられるようなら苦労はしない。

 福音はその場で強引にも回転上昇。もう一度弾幕を張ることによって、やられっぱなしの状況を防ごうとしたのだろう。

 だが、先ほどの一夏の言葉に不満を持つ約一名がそうはさせなかった。

 

「幼馴染ってくくりで――――アタシをハブってんじゃないわよぉぉぉぉっ!」

「わっ、たたっ……! ちょっ、ちょっと鈴、謝るからそれ止めて!」

「あと一息で当たるところだったな……!」

 

 自分も他より絆が強い立ち位置なはずなのに、この疎外感はなんだと鈴音は咆哮を挙げつつ崩山四門をとにかく連射。

 その様相はもはや誰を狙っているのかわからない無差別級であり、一夏と箒は味方の攻撃に慌てて離脱せざるを得ない状況に。

 だが結果的に福音も攻撃を中断し、結果的に上昇したのみとなる。隙だらけとなっているのは明白であり、その点で言うなら結果オーライなのかも知れない。

 

「ヨーロッパ組、続きますわよ!」

「イギリスとドイツは――――まぁ、国際問題なんぞ我々には関係ないか」

「ラウラ、そのとおりだよ! 僕らの気持ちはひとつなんだから!」

 

 一夏の言葉を真似てか、セシリアは自分たちをヨーロッパ組とくくる。シュヴァルツェア・レーゲンが射撃特化の形態なため、そのあたりでもちょうどよい。

 その性格上ラウラが余計なことを口走りそうになるも、そこらは自重し大型レールカノンの照準を福音へと合わせる。

 それにシャルロットも同調し、ヨーロッパ組は一斉に引き金を引いた。

 セシリアとシャルロットの手数の多い射撃で翻弄し、その隙をラウラが確実に狙う。

 ここにきてようやく、大型レールカノンの弾丸が福音へと命中。爆音とともに、福音の周囲を煙幕が包んだ。

 

「それなら……妹トリオでよろしくどうぞ……」

「オーケー簪! どんどん混ざっちゃって!」

「言われてみれば、そこも共通点だったな!」

 

 煙幕から脱した福音が見た光景は、自分に迫って来る無数のミサイルだった。

 簪を見ればスフィア・キーボードを展開し、ラウラの射撃がヒットした際には既にミサイルを放っていたことが伺える。

 こうなれば福音は弾幕を張るしかなくなる。むしろ簪の目的は、選択肢をその一つに絞らせることだった。

 案の定福音は我武者羅にエネルギー弾をばら撒き、ミサイルを次々と小気味よく撃退していく。が、その後に共通点を持つ二人が控えている。

 それは同じく姉を持つ一夏と箒。おまけに姉があらゆる意味で超人でというおまけつき。なんなら苦労人妹組と名付けてもよさそうだ。

 

「箒!」

「ああ!」

 

 またしてもコンビネーション飛行からの連続攻撃。示し合わさずここまで出来るのは、互いに剣の心得があるからだろうか。

 なんなら何かのショーにすら見えるその飛行と剣さばきは、見るものを惹きつける美しさがある。一種の舞踊にすら感じられた。

 そんな美しい舞いを邪魔する無粋な輩が一人――――いや、一機? 暴走している福音にそのような感性があるはずもなく、光の翼を巨大にしてからその場で高速回転。二人を蹴散らせてから離脱した。

 しかもそこらで学習したのか、福音はその場に留まることを止めたようだ。

 広い空域を広く飛び回ることにより、まず接近というものをさせない。そして安全圏から弾幕を張ることにより、接近するのはより困難になってしまう。

 

「これは、どうしたものか」

「僕が前に!  出ただけじゃ気休めだよねぇ……」

「箒……さっきの回復は……?」

「すまない、何より検証不足だ。発動するかどうかの保証はできん」

「なら無理は禁物だね。でも、そろそろどうにかしないと僕らも動けなくなりそうだよ」

「それこそ、当たらない保証などきませんものね」

 

 先ほどの総攻撃で福音も虫の息ではあろうが、こうなってしまっては劣勢に立たされずにはいられない。

 だがまだ形勢逆転とまで至らないだろう。なにぶん数というものが違うし、内三機に至ってはエネルギーがほぼフルの状態だ。

 だからこそ全員で知恵を絞って策を見出そうとするも、何より福音の機動と攻撃を両立できる仕様がネックとなる。

 しかも接近したら接近したで、ゼロ距離集中砲火を喰らう可能性もあると来た。未だ犠牲者は出ていないながら、カウンターというものは警戒せずにいられないものだ。

 幸い距離が離れている現在は弾幕を避けながら議論することも易いが、ボロが出るのも時間の問題。シャルロットの言うとおりエネルギーの問題もある。

 そろそろ議論に決着をつけなければといったところで、それまで沈黙を守っていた一夏が口を開いた。

 

「手、あるかも」

「ナツ、本当!?」

「うん。でもちょっと、というか、かなり賭けになると思う」

「……具体的には、何を賭けることになりそう?」

「私の安全、かな」

 

 一夏が提案をすぐ出さなかったのは出し渋っていたからではなく、単に却下される可能性が高かったからだ。

 その理由としては、自らの命が危険にさらされる可能性が多分にあるせい。となれば、優しい仲間たちは自分のことを止めるだろうと考えたから。

 事実、それを聞いた途端に周囲の顔つきが難しいものになった。それさえなければ大手を振って、一夏が言う策に乗ったのに――――とでも言いたげだ。

 しかし、そんな中で異なる顔つきの者が一人。今までならば一番に反対の意を示していたであろうに、沈黙を裂くかのように一夏の背を押すではないか。

 

「ナツ、やろう」

「晴人、アンタ本気で言ってんの!?」

「そうですわ! 一夏さんは病み上がりでしてよ!」

「何がなくとも()がいる! ()(ナツ)を届かせる! 前と違って壊れないで、ちゃんと隣でだ!」

「……ならば足が必要だろう。白式の速度も上がっているようだが、まだ紅椿のほうが速い。一夏、今度こそお前を」

「僕に!」 「私に!」

「「守らせてくれ!」」

「ハル、箒……」

 

 晴人が自ら一夏を危険に晒させることがよほど衝撃なのか、特に鈴音は過剰なまでの反応を示した。

 周囲はすぐさま考え直すよう説得を試みるが、どうやら晴人の意志は固いらしい。あの時とは違うのだと、自分は一夏のためにある盾なのだと主張する。

 前と違うという部分に、箒はある種のシンパシーを感じた。なぜなら、箒も一夏を守れなかったという自責の念を抱えているから。

 だが今は違う。どこか束の造ったというだけで紅椿に振り回されていたが、もはやそんなことは関係ない。友を守るためにならISを使いたいと、箒は心から想っている。

 晴人と箒の気持ちはひとつ。ならば自分も気持ちをひとつにしなければならない。それは義務感や使命感などではなく、一夏の魂がそうさせるのだ。

 一夏は真雪の切っ先を天高く掲げると、引き締まった顔つきである能力を発動させた。それは白式・雪華に目覚めた、いわゆるもう一つの零落白夜――――

 

「零落白夜・斑雪(はだれ)ええええっ!」

 

 一夏の叫びと共に、従来の零落白夜と同じく真雪がスライド展開。しかし、そこからバリア無効化のエネルギーブレードが伸びる様子は見られない。代わりにそこから放たれたのは、青白いエネルギーの塊だった。

 その青白いエネルギーはかなり上空で爆ぜると、細かい粒子のようになってあたり一面を包み込む。その様はまるで季節外れの雪。美しい白銀の雪そのものだった。

 

「これは……いったい……?」

「あ、見て! 粒子が集まっていつものブレードが形成されてるよ!」

「……そうか! そういう能力なのか!」

 

 このままではまるでそういった能力かまるでわからなかったために、状況が状況ながら考察合戦が始まる。

 見ていれば気付けることだが、どうやらシャルロットの言葉どおりに、放った粒子は真雪に向かって集まっているようだ。そして、その粒子がいつもの零落白夜のようにエネルギーブレードを形成。

 これだけでラウラはピンと来たのか、思わず声を上げた。流石の洞察力である。ちなみに、ラウラの読みはこうだ。

 これまでの零落白夜はエネルギーをそのまま変換してブレードを形成。バリア無効化能力を持つソレで、一撃必殺を狙う能力だった。

 一方の零落白夜・斑雪は、エネルギーを射出し粒子に変換。そしてその変換した粒子が真雪に吸収されることにより還元。そのプロセスを踏んでから、バリア無効化能力をもつブレードを形成する。……とのこと

 

「えーっと、つまり?」

「つまりこの粒子が舞っている間、姉さまは継続的に零落白夜を使い続けられるということだ。しかも従来のと違って、散布するエネルギーは姉さまの任意で決められるのだろう」

「本当ですわね。十分動けるほど残っていますわ」

「な、何よそれ! 反則でしょ、反則!」

「ははは……。まぁ、致命的な弱点もあるんだけどね」

「弱点……? ……!? 一夏……絶対防御が……!」

 

 つまりどういうことかと晴人が要する説明を求めると、ラウラは端的に零落白夜・斑雪のメリットを述べた。

 鈴音辺りは自分が相手取った場合も想定して反則だと喚くが、相変わらず致命的弱点を背負わなければならないのが零落白夜である。

 簪が気付いたが、どうやら白式の絶対防御が中途半端にしか機能していないらしい。これこそが、デメリットに当たる部分である。

 なぜ零落白夜・斑雪であればかなりのエネルギーが残るのか。それは単純に普段ISが大きくエネルギーを割いている絶対防御を半停止状態にさせることにより、エネルギーを確保するからである。

 発動後にピンチになるのとどちらがより弱点かと聞かれれば難しいところだが、どちらにせよ攻撃に当たってはならないというのは変わらないということだ。

 

「まぁ、そんなデメリットあってないようなものだけどね」

「ナツ?」

「だって、守ってくれるんでしょ?」

「っ……! うん、もちろんだよ! だよね、箒ちゃん!」

「ああ! 一夏、背中に乗れ! ラウラの言葉が本当なら、時間がないのだろう!」

「ふふ……! よろしく、二人とも! これで終わりにするよ!」

 

 チャンスでもあると同時に大ピンチであると言うのに、一夏は涼しい顔して関係ないとうそぶく。周囲が何を言っているのかという顔をしたのを無視して、一夏は晴人に視線を向けた。

 守ってくれるのだろうという言葉に、晴人はそう言われては黙っていられない。何より晴人は、一夏にそう言ってもらえたことこそが嬉しいのだ。

 これで終わりにするという一夏の宣言に大きく声を張り上げ同意し、遠方の福音へと眼差しを向けるのであった。

 

 

 

 

 




予告どおり、オリジナル要素マシマシの白式でお送りしました。
なんかここで雪羅に形態変化するのは違うな。という謎の電波を受信したために、頭を捻って必死こいた結果がコレであります。
いろいろガバガバではありますけど、結局気には入ってるのでオッケーです(隙自語)
というわけでありまして、引っ張りに引っ張ったVS銀の福音、次回で決着!





【白式・雪華(せっか)
女性である一夏が異なるかたちで白式を覚醒させた、いわばもうひとつの可能性の体現とも言える二次移行形態。
ウィングスラスターの増設こそ雪羅と同様だが、装甲がよりシャープなフォルムを形どり、どこか女性らしさを思わせるシルエットとなった。
また、シャープさが増すことによって、装甲の厚みもかなり差が。
すなわち著しく防御力が低下しているものの、相対的に機動力は雪羅を上回るものとなっている。






天津真雪(あまつさねゆき)
白式の二次移行に伴うかたちで雪片弐型が形態変化した物理ブレード。
形状に関して大きな変化は確認できず、カラーリングが白銀から純白になった程度。
しかし、通常運用時の刃が高周波振動する機能が追加され、格闘性能に大きな威力の向上が見込まれる。
ちなみに、そのネーミングから雪片の二文字が消去されているのは、千冬からの借り物でなくなったということを意味しており、一夏のオンリーワンへと進化を遂げたことを顕著に表している。





【零落白夜・斑雪(はだれ)
白式の二次移行に伴うかたちで変化した単一仕様能力。
従来の零落白夜とは異なり、展開装甲された真雪からバリア無効化エネルギーを射出、散布する。
散布されたエネルギーは周囲一帯(使用されるエネルギーによって範囲は異なる)を雪のように舞い、それから真雪へと吸収、還元。
このプロセスを踏んで、従来と同様バリア無効化エネルギーブレードを形成する。
この散布したエネルギーが真雪へと吸収しきられるまでの間、継続的に零落白夜が使用可能。必殺の可能性が飛躍的に向上した。
しかし、射出するエネルギーは絶対防御に用いられるものから使用され、発動と同時に半機能不全状態となるので注意が必要。
何かしらの攻撃に被弾すれば一夏の生命が危ぶまれるものの、高速移動など必要最低限の行動は問題なく行えるので、向上した機動力は損なわれない。
注釈しておくが、それは一夏の白式の運用法にも依存するので、骨折などの可能性を考えれば、どちらにせよ発動中無茶はできないと考えたほうが良いだろう。


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第52話 「おかえり」と「ただいま」

ようやく福音戦ラストです。
8対1の状況であるとはいえ、出番の配分がちょっとおざなりなのは反省点ですね。
まぁこんなシチュエーションもなかなかないのはありますが。


「箒ちゃん、初めに言っておくけど、さっきフユ姉さんに言われたことも間違いじゃないんだ。僕が足手まといってやつ」

「私はそうは思わんが。で、それがどうした」

「ギャラルホルンで接近してなるべくカバーできる範囲に陣取るから、危なくなったら箒ちゃんのほうから青色の塔盾(タワーシールド)に隠れてほしい」

「遮蔽物とでも思えということだな。承知した!」

 

 旧幼馴染組とでも命名すべき三名が福音への接近をかける中、言っておかなければならないことがあると晴人が箒に声をかけた。

 その発言はいつものネガティブ気質からくるようなものと捉えられなくもないが、どうやら今回は己の力不足を正面から受け入れたからこその発言のようだ。

 箒としてはどう反応してよいか微妙なものだったが、晴人が無力を受け入れているのならと、その言葉を肯定的に解釈して同意した。

 そんな箒の力強い返事に頷いて返すと、晴人はそのまま別のメンバーにも指示を飛ばした。

 

「鈴ちゃんと簪さんは中距離。セシリアさん、シャルル、ラウラ姉さんは遠距離で、それぞれ福音の退路を塞いで!」

「任せときなさい!」

「了解……」

「お株を奪われちゃったね、ラウラ」

「構わん。それぞれの長所を客観視した適格な判断だ」

「なら、余計に期待に応えなければなりませんね」

 

 これに関しては晴人も自覚があったことだが、かねてから他人を客観視することが上手い。

 こういった局面でそれぞれのすべきことがポンポンと浮かぶのか、シャルロットがラウラに意地悪を言いたくなるような指揮官っぷりを発揮する。

 別に思うところはないと平静を装っているラウラだが、その実この短期間で義弟がとても成長したことに喜びを覚えている様子。

 だからこそセシリアの言葉どおり、その成長に報いるためにも出された指示をこなさなければ。ラウラはそうやって己を鼓舞した。

 

「ナツはわかってると思うけど、チャンスがあったらとにかくトライで。でも身の危険を感じたらすぐ退避」

「うん! 前と違ってワンチャンスじゃないから、のびのびやらせてもらうことにするよ」

 

 零落白夜・斑雪の効果持続時間は未知であるが、少なくとも従来と比べれば長くなっているはず。

 それを考えるなら、例え絶対防御が無効になっていても気を楽にして臨むよう勧めた。何より、自分が絶対防御の代わりのようなものなのだから。

 一夏の防衛は晴人と箒に左右される部分はあるが、そのあたりで危険に晒されている本人は全幅の信頼を寄せている。

 晴人の気持ちも察したうえで、正直な感想を述べてから凛々しい顔つきへと戻った。

 これにより方針は固まった。後は制限時間内に一夏が一撃を叩き込めば勝利となる。そのために必要なことは何も変わらない。全員が心と力を一つに合わせることのみだ。

 

「一夏、行くぞ!」

「よろしく!」

(やっぱり速いな……。ギャラルホルン、真っ直ぐしか進めないのさえどうにかなればいいんだけど)

 

 箒が紅椿を高速移動形態へ変形させると、ノータイムでぐんぐんと加速し福音に迫っていく。隣に居た晴人からすれば、まるで横から消えたように思えた。

 紅椿の速度を再確認させられると共に、つい弱音が出てしまう。が、そんなことを考えている暇はないのだと雑念を振り払った。

 すぐさまギャラルホルンを装備して真っすぐ箒を追いかける。ISは滑らかに三次元飛行をするのがデフォのため、だいたいのあたりをつけ、停止してからまた真っ直ぐに追いかけるのを繰り返す。

 もちろんだがその間も福音は攻撃を継続させている。だがあくまで晴人が必要となるのは、箒が危険を感じた時のみ。

 絶対防御なしの一夏を背負っているながら、大胆に攻めねば勝ちはないとなるべく弾幕をかいくぐっていく。しかし――――    

 

「くっ、これはキツイか……! 晴人、頼む!」

「了解! みんな、福音を逃がさないで!」

 

 福音もとにかく一夏を接近させまいと必死なのか、これまでにない弾幕が箒めがけて飛んでくる。

 これは無理だと早急に判断すると、その場で急旋回して背後に控えていた晴人の背に隠れてやり過ごす。

 隠れている時間に距離を離されてしまえば本末転倒なため、ほんの一瞬のことだ。それでもやはり福音との距離は遠ざかってしまう。

 それは候補生たちの援護射撃で最小限にとどめられるが、このままではこのいたちごっこが続いてしまうと全員の脳に過った。

 だがここで焦ってはならないというのも共通認識。確実に距離を詰めることはできているのだから、いつしか必ずチャンスが回って来ると信じるしかない。

 

(いや、このままではダメだ!)

 

 口にして異議を唱えるわけではないが、これが続けば福音に軍配が上がると箒は顔をしかめる。

 何よりこの作戦において最大の要は自分だと言うのに、まず福音に追い付くことができなければ話にならない。

 だが背に一夏を乗せている以上、多少は大胆になれても無茶はできない。先ほどのトライだって、箒としてはかなり粘ったつもりだった。

 それでもまだ足りないというのなら、そのしてはならないはずの無茶をしなければならないのかも知れない。

 自分が守ると意気込んだのはいいが、そんなジレンマが箒に最大限の動きをさせないでいた。

 ふがいなさやらで歯噛みする箒に対して、自分の背中に乗っている一夏から声がかかる。

 

「箒、私に気を遣わなくても大丈夫だよ」

「一夏!? だが、しかし……」

「私だってただ箒の背中に乗ってるだけじゃないよ。ある程度は真雪でなんとかしのいで見せるから」

 

 一度は敗走を余儀なくされた要因が自分にも大いにあることが尾を引いているのか、一夏の言葉にすぐさま頷くことはできない。

 一夏でなく自分の命がかかっているなら箒はいくらでも無茶をしたろうが、やはり根は優しい性格が邪魔をしてしまう。

 だが箒がハイパーセンサーを使って一夏の様子を確認してみると、その目があることを雄弁に語っているではないか。

 その覚悟の決まった瞳は、例え性別が変わろうと何も変わらない。一度決めたらそれしか見えなく、どこまでも愚直で真っ直ぐな目だった。

 一夏は箒を信じたからそんな目を向けている。つまり、それなら信頼が揺らぐなんてことは微塵もないというわけだ。

 箒は思う、女になってもこいつはずるい奴だと。

 目を閉じ大きく息を吸って吐く。そしてキッと目を見開くと、雄たけびを上げてから福音への接近を試みた。

 

「うおおおおおおおおおおっ!」

(箒ちゃん、行くんだな……。なら僕も!)

 

 二人のやりとりを聞いていたわけではないが、晴人は箒の雄たけびとその表情でだいたいの事情を察してから動き始める。

 そうしてまた箒と福音との駆け引きが開始した。強制的に先手は福音になるわけだが、向こうからすればどれだけ一夏を危険に晒させるかが肝だ。

 だからこそいやらしい攻め手というか、徐々に縫う場所がなくなるかのような弾幕の張り方をしているようにみえる。

 無論、援護射撃のために控えているメンバーへの牽制も忘れはしない。そういったことを同時に行えるのも福音の強みと言えよう。

 大した援護もできない状態となってしまった候補生たちは、これでは先ほどの二の舞いかと、一夏と箒の安否を確認すべく顛末を見守った。

 

「なっ、アイツら正気!?」

「信じるしか……ない……!」

「ああ、我々はただ控えるのみだ」

「頑張れ箒! 頑張れ一夏!」

「あともう少しですわ!」

 

 これまでならば完全に退いていたであろう弾幕を前にして、箒はかなりギリギリのところで回避しながらそれでも前へ前へと進んでいく。

 実際はもうギリギリと表現するのも無理があるくらいで、一夏は自身の宣言通りに真雪でいくらかエネルギー弾を防ぎ凌いでいた。

 これには候補生たちもより頑張らずにはいられなく、応援を口にしながら必死に福音の足止めに尽力する。

 その甲斐あってか、福音が追い詰められているのは素人でもわかるくらいに明白。むしろ決着を予期させるほどのものであった。

 

「「捉えた!」」

 

 そしてついに、ついに、IS学園勢待望の瞬間が訪れた。一夏と箒の決死の飛行にて、ついに福音を射程圏内に捉えたのだ。

 それまで箒にまたがるように乗っていた一夏も、しゃがみ座りのような体勢となって飛び出す気が満々。呼吸を整えつつ、今か今かとその瞬間を待ち続ける。

 集中力ゆえか緊張ゆえか、一夏は時がスローモーションで進んでいくかのような錯覚を感じた。ドクンドクンとうるさい心臓の鼓動を無理矢理にでも打ち消し、そして――――    

 

「一夏、いけええええええええっ!」

「はああああああああああああ!」

 

 箒の叫びを合図とし、その背中を思い切り踏み台にするようにしてジャンプ。ウィングスラスターをフル稼働させ、福音へと肉薄した。

 距離、速度、タイミングのどれもが完璧。そのすべてのピースが揃っており、まず間違いなく当たると確信せざるを得ない。

 一夏はこれまで覚えた件に関するあらゆる技術や心得、それらすべてをこのひと振りに乗せるかのような、そんな覚悟で真雪を横一線に振りぬいた。

 

『――――――――』

「そ、そんな!?」

「これでもだめですの!?」

「一夏……逃げて……!」

 

 しかし、時として現実は非常である。いや、この場合はよく避けた、敵ながら天晴と福音を褒めてもいいほどなのかも知れない。

 福音は収束エネルギーを撃つ要領でエネルギーを一点集中させると、それを放つというよりは爆発させるようにして推進力を得たのだ。

 推進力といっても大きく飛び出たわけでもないが、避けられたという事実は変わらない。真雪のブレードは、福音の足先をかすれる程度で終わってしまった。

 この光景を前にして、候補生はこれだけやってもダメなのかと絶望感を露わにした。

 だがそんな中でラウラは見逃さなかった。渾身の一振りを避けられたはずの一夏が、少し口元を釣り上げていることを。

 

「――――なーんちゃって!」

「晴人、アンタ!」

「隙を生じぬ二段構えってね!」

 

 すぐさま振り返って前後を反転させると、一夏の背後にはヘイムダルの右手を大きく開いた晴人が迫っているではないか。

 もちろん一夏は先の一撃を外すつもりなんてない。だからこそ晴人は、外した場合を想定してフォローに回っていたのである。

 それもまた晴人の性格ゆえ。なにごとにも細心の注意を払い、そのうえで保険すら用意する周到さは流石と評価する他ない。

 晴人は飛んでくる一夏を細い腰をわしづかみにする形でキャッチした。一方の福音はというと、何もする様子がみられないではないか。

 否、今は何もできないのだ。

 福音が収束エネルギーを使用すると、わずかながらリチャージの時間が必要となる。

 銀の鐘はスラスターと射撃兵器の複合武装であり、攻撃性エネルギーを推進力とするのも同義である。つまり、この一瞬は完全に無防備であるということ。

 このシチュエーションは偶然訪れたものだが、晴人はその弱点については既に見抜いている。これも持ち前の観察力の賜物だろう。

 

「ナツ、覚悟は?!」

「随分前から!」

「よし、それじゃあいくよ!」

 

 これから晴人がしようとしていることは、どちらかと言うなら一夏の覚悟を試される。本当は聞く必要ないとわかっていながらも、ついつい問いかけてしまう。

 対する一夏は晴人の意図を察した時点で既に覚悟は決まっており、いつもの揺るがぬ瞳でただ福音だけを見つめていた。

 その言葉を聞くことができたのなら、もはや何も言うことはない。むしろ自分も一夏の覚悟に報いるべく、溜めに溜めたモノを一気に爆発させる。

 

虹色の手甲(ガントレット)オオオオオオオオオオッッッッ!」

 

 晴人のシャウトを感知すると、ヘイムダルの右腕が変形して大型かつ大量のブースター機構が飛び出る。

 橙色の熱線(ヒート・レイ)を使用したことや青色の塔盾(タワーシールド)で重い攻撃を受け続けたことにより、ビフレストは無人機騒ぎの際と同等の量が蓄積されていた。

 つまりオーバーフロー寸前のそれを解放した加速度はすさまじく、瞬時加速を超えるかのような、文字通り爆発的なスピードで福音との距離が詰まる。

 そんな晴人の手に握られているのは、零落白夜・斑雪が確と発動している真雪を構えた一夏。前述したとおり福音は未だ半棒立ち状態。

 これほどうみても。これは誰が見ても。完全に覆すことができない決着の瞬間――――    

 

「この勝負、僕たちの!」

「私たち全員の!」

「「勝ちだああああああああああああああああっ!」」

 

 一夏の振るった真雪は、今度こそ福音のどてっぱらに叩き込まれた。虹色の手甲(ガントレット)で飛び出た影響か、福音ごと後退させて留まるところを知らない。

 すぐさま握った柄へと力を籠めなおすと、グッと強く押し付けながらエネルギーブレードを滑らすようにして斬り払う。

 それに伴い全身装甲(フルスキン)が火花を上げ、叫ぶような嫌な音を上げて斬り裂かれていく。皮肉なことに、その様は福音とは真反対であった。

 そのまますれ違うようにして振りぬくと同時に、周囲に舞う雪の如く粒子が完全に鳴りを潜める。零落白夜・斑雪の効果時間が終了したのだ。

 だがもう何も案ずることはない。なにせ決着はついたのだから。

 ヘイムダルの巨大な掌から解放された一夏は、まるで残身のように通常形態へと戻った真雪を腰元へと納めて見せる。

 その一連の動作が終わると、図ったようなタイミングで福音の装甲が量子変換され光の粒となって消えた。

 バリア無効化攻撃を受け、機体の形成に過大な負荷がかかり、機体が強制解除されたのだ。

 操縦者は重力に従い海へと真っ逆さまに落ちていくが、そこは箒が危なげなくキャッチして事なきを得た。

 機体が全身装甲(フルスキン)であったおかげか、特に外傷らしいものも見当たらない。更に様子を伺ってみると、静かに寝息を立てているようで、ただの気絶であることを察知させる。

 

「お、お、お、終わったぁ~……! よかったぁ~……みんな無事だぁ~……!」

「アンタのおかげでね。何度も助けられたわ。ありがと」

「最後の機転も本当にすごかったよ」

「うん……私もそう思う……」

「よくやったぞ。流石は我が弟だ」

「先ほども言いましたが、素敵でしたわ、晴人さん」

 

 晴人は引き締まっていた表情を身体ごと脱力させ、精神的疲労が一気に襲ってきたかのように項垂れた。

 なんなら勝敗よりも全員が大した怪我がないことに最も安心しているようで、他のメンバーが声をかけている間もしきりによかったと呟き続ける。

 そんな晴人の気を取り戻させたのは箒で、彼女は様々な意味を込めつつただ無言でヘイムダルの肩あたりをノックするように叩いた。

 一瞬視線を箒に向けた晴人だったが、何か鈴音が顔をニヤつかせながら背を押すので大体の事情は読めたようで、またそうやって茶化すんだからとゲンナリした表情を浮かべる。

 だが導かれた先にたどり着くころには、既に穏やかな様子へとなり替わっていた。なぜなら晴人としては、彼女の前でそんな顔をするわけにはいかないから。

 

「ハ、ハル……。あの、え~と」

 

 晴人の視線の先には一夏が。手を弄ぶようにして、とても気まずそうに様子を伺っている。

 福音との戦闘中だったこともあり話は飛んだが、一夏が無茶をした末に重体となった事実はいかようにも変えることはできない。

 本人からすれば晴人に信じて待っていてと宣言した手前、約束を破ってしまったという負い目もある。

 そんな一夏を前にして、晴人は失礼と思いながらもつい笑いが込み上げてきた。もちろんそれは馬鹿にするようなものでなく、微笑ましさからくるもの。

 確かに言いたいことがあるのは間違いじゃない。けど今更それを責めたって何も始まりはしない。だから小言は後々にして、今はただひとこと。

 

「ナツ、おかえり」

「っ……! うん、ただいま!」

 

 自分でも意外なくらいに穏やかな声が出て、今のはどこから出てきたのだろうかと困惑の色を示す。きっと、それだけ本気のおかえりだったのだ。

 晴人のおかえりを聞いた一夏は一気に多くの感情が募ってしまい、無遠慮にその腕の中へと飛び込んだ。そんな一夏を見てか、晴人はまぁいいかそんなことはと左腕で抱きとめる。

 相変わらずナチュラルに不可侵の世界を作り出すもので、あまりの目もくれなさぶりに煽ったはずの鈴音が一番つまらなさそうにその光景を眺めていた。

 セシリアやシャルロットがそれをまぁまぁと宥めていると、満足したのか二人はどちらともなく離れていく。そうして晴人がみなに目を向けると、相変わらず穏やかにこう告げるのだった

 

「じゃあ、僕らもおかえりを言ってもらいに行こう。…………地獄の鬼教官に」

「……あっ!? ああああ~……アンタ! なんてこと思い出させんのよ!」

「誕生日だというのに、今日が命日になさらければいいが」

「せめて骨を拾ってもらえればいいけどなぁ」

「えぇ……? 四人とも、そんなおおげさな――――」

「シャルロット、帰れば二度と大げさなどと言えなくなるぞ」

 

 前半のほうは変わらず穏やかな様子だったというのに、徐々に徐々にその表情は死んでいく。そして晴人の顔は最終的に無となった。

 勝利のムードですっ飛んでいたのか、自分たちが命令違反をしてこの場に居ることを思い出した。そして、そのうえで何が待ち構えているのかを。

 かねてから件の鬼教官と付き合いのあるメンバーも無の境地へとたどり着き、そろいもそろって物騒なことを口にし始めた。

 流石にそれは大げさでないかとシャルロットは言うが、どっこいこれが大げさで済まされないから彼女は恐ろしいのである。

 そうしてシャルロットは知ることになる。ラウラの言葉が本当にそのとおりであるということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「作戦完了、ご苦労だったな。操縦者も無事に救出することができた。まったく大したものだよお前たちは。本当に本当に…………大した馬鹿者ども、大馬鹿者どもめがっ!」

 

 僕らは帰って来るなり満面の笑みで迎えられ、作戦会議を行った大広間へとおされた。この時点で嫌な予感しかしなかったせいで、みんなして自発的に正座してかしこまる。

 フユ姉さんはデブリーフィングが始まるまで笑顔のままだったけど、それはいわゆる導火線のようなもので、爆弾に着火する前振りそのもの。

 そしてついに爆発。フユ姉さんは一人一人の頭にゲンコツを見舞っていく。文字どおりの鉄拳制裁といったところか。

 そしてクドクドといかに僕らが愚かしいことをしたのかという説教が始まるわけだが、実際のところはこれで済ませてもらえるだけ有難いんだろう。

 気軽に命令違反なんてことをしちゃったわけだが、なんならもっと公の場で相応の処分を下されてもおかしくはない。

 これで済むならフユ姉さんが偉い人に働きかけたと考えていいと思う。だから僕らのすべきことは、フユ姉さんの言葉を肝に銘じてしっかり反省することなんだろう。

 でもフユ姉さんはここからが長いんだ。よくもまぁそんなに罵倒の羅列が考えつくなと思うくらいで、下手を打つなら数時間単位でそれが続く。

 僕を始めとした日本人と日本での生活が長かった鈴ちゃんはまだ平気だが、セシリアさん、シャルル、ラウラちゃんは正座がかなり辛そうに見える。

 流石に不憫に思えてきたのか、オロオロとした様子だった山田先生が、その顔に決意を浮かべて助け舟を出してくれる。

 率先してフユ姉さんの説教に口出しなんてしたくないだろうに。ましてや普段からして臆病な山田先生となると、なんだか胸が熱くなる想いが込み上げてきた。

 フユ姉さんも山田先生の想いを買ってか、大きなため息を吐いてから説教をお開きの方向へ持っていく。

 

「あ、あの、織斑先生、今日はこのあたりでお開きにしませんか? その、みなさん疲れているでしょうし」

「……はぁ。全員、学園に戻り次第すぐさま反省文を提出するように。それと懲罰用のトレーニングも組んでやるから覚悟しておけ。そして、最後になるが――――本当によくやった。大事なかったようでなりよりだ」

 

 懲罰用のトレーニング? なんでそんなものがプログラムとして存在するのだろう。でもなんか、風のうわさで機能を停止させたISを纏わせたうえでグラウンドを歩かされた。とか聞いたことがあるような。

 僕は思わず戦々恐々としてしまうが、そんな考えフユ姉さんの最後の言葉で吹き飛んだ。

 あのフユ姉さんが、僕たちを称賛し身を案じてみせた……? そりゃフユ姉さんだってたまにはするんだろうけど、説教の最中であったのが大きいのかギャップが凄まじい。

 僕らが揃いも揃って目を丸くしたせいか、フユ姉さんも以上と宣言してからとっとと大広間を出て行ってしまった。

 となれば後は自分の出番だと言わんばかりに、山田先生が簡易的なメディカルチェックを受診するよう指示を出す。どうやら男である僕は邪魔になりそう。

 正座のせいでかなり痺れる足を笑わせながら、不格好な歩行でゆっくりと歩みを進めていく。部屋に戻るまでになんとかなればいいんだが。

 

「おい」

「織斑先生!? まだ何かあったり……」

「ああ、お前には個人的に言っておかなければならんことがある」

 

 出先でいきなりフユ姉さんと遭遇。というよりこれは待ち伏せされていたらしい。どちらにせよ驚かずにいられないんだけど。

 わざわざ一人になるところを待ち構えていたなら、必然的にみんなの前では言えないようなことってなるんだけど、やっぱりそういう類のことらしい。

 いったいなんだというのだろう。むしろ心当たりがあり過ぎて、どれか一つに定めることができないという。いや、むしろその心当たり全部だったりするのか?

 ならいったいどんな恐ろしいことが起きるのだろう。果たして生きて帰ることができるだろうか。なんて早くも諦めムードでいると、ふいにフユ姉さんの頭が下がり    

 

「すまなかった」

「え!? ……え? どれのことなんでしょうか」

「お前を足手まといといったことだよ。結果を見るに、どうやら私の見当違いだったようだ」

 

 怒られる心当たりは幾分にもあれど、謝られるなんて予想外で逆に考え込んでしまう。素直に教えを乞うことにすると、作戦会議の時のことを言っているらしい。

 フユ姉さんは最初からお前を出撃させていれば、なんて付け加えるけど……う~ん、そこは正直なところどうなのだろう。

 束さんとはナツでなく僕が大怪我するオチって結論で落ち着いたし、実際そうなっていたとしか思えない。ならどう受け取るのが正解なのか。

 

「間違いじゃないから気にしないでくださいよ。少なくとも、あの時点では絶対そうでした」

「そういえば、表情が生き生きしているな。何があったかは聞かんが、少なくとも今は違うと?」

「……はい。事件の中で、わかったことがたくさんありましたから」

 

 ただナツを守りたいだけの僕では、確実に足手まといになっていたことだろう。でもそうじゃない。あの場合なら、ナツを守って、操縦者を救うというとこまで考えられなければ。

 ようやく本当の意味でナツと共に戦うこと、剣と盾としての関係というのがわかったような気がする。そして目指すべき目標も。

 僕のあるべき姿は、壊れぬ盾。壊れることがなく、剣の隣に永遠にあり続けること。それが僕の目指すべきもので、役割なんだと思う。と、フユ姉さんに言って聞かせてみる。

 その身を犠牲にし続けてまでナツを守ってみせる。そんな姿勢から脱却したのが驚きなのか、今度はフユ姉さんが目を丸くする番だった。

 

「ならばその見つけた答え、魂まで刻み込んでおけ。そうすれば、お前はまだまだ伸びる」

「はい、ありがとうございます」

「フッ、いい返事でよろしい」

 

 魂までとは、なんともフユ姉さんらしいアドバイスだと思った。だが同時に世界最強の人物でもあるため、なんだか妙な説得力がある。

 きっとフユ姉さんにも譲れない信念があって、強さの根底はそこなんだろう。我が姉ながら誇らしい。

 フユ姉さんは僕の返事に満足したような笑みを向けると、またなと片手を挙げてから今度こそ去っていった。

 ……そうだよフユ姉さん。それが僕の見つけた答えで、僕のありかたなんだ。だからこそ僕は――――    

 待機形態のヘイムダルをホルスターから抜くと、ディスプレイを表示させてメッセージを打ち込んでいく。後で話がしたいという旨を伝えるためだ。

 本文なんてほんの短いものだというのに、僕は指の震えに耐えながら入力をしているせいか、本当に無駄としか言いようがない時間を浪費して、ようやく送信することができた。

 メッセージを送った相手はナツ。今晩で全てに決着を、僕のナツに対するありかたにケジメをつけよう。

 

 

 

 

 




最後は晴人と一夏ちゃんの合わせ技でフィニッシュです!
学年別トーナメント編において、ヘイムダルの巨大な右腕は女性のウェストを軽くつかめる。という描写をしたのは地味に伏線だったというわけですね。
そんなことはさておき、次回は大事な一話となります。作者的にもようやくこの瞬間がきたかという感じで。
そういうわけですので、乞うご期待!





ハルナツメモ その24【指揮官向け】
何事も並みで落ち着きやすい晴人だが、じつは指揮能力は十分に高いポテンシャルを持っている。
持ち前の観察能力から他人の長所と短所を察知し、なおかつそれを状況に応じて的確に扱うことが可能だからだ。
これまでそれらが十全に発揮できなかったのは相変わらず性格の問題。
自分ごときの指示で場を混乱させるわけには、という考えが根強く、なるべく発言は控えるようにしていた。


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第53話 月が綺麗ですね

次の54話が臨海学校編のエピローグにあたるのですが、キリのいいように年末最後の更新にしようと思い立ちました。
なので、53話を日曜日に更新しております。特に予告等はしなかったため、もし混乱させてしまったりしたら申し訳ないです。

晴人にとって大きな転機が起きる回その2となります。
そして2回目にして最大のターニングポイントとなるでしょう。


「ごめん、待たせちゃったかな」

「大丈夫、全然だよ」

「本当に? う~ん、それならいいんだけど」

 

 僕とフユ姉さんの相室でナツを今か今かと待ち受けていると、急いだ様子のナツが部屋に飛び込んできた。

 待っていたのにいざ現れると思考が止まりかけてしまうが、なんとかいつもの調子を取り繕ってナツを出迎える。

 僕のフォローを聞いてもナツ自身が納得いかないのか、可愛らしく口をとがらせながら隣へと腰掛けた。

 よし、それでは早速本題に入ろうか。というか、むしろ入るべきだというのに困ったものだ。……言葉がまるで出てこない。

 ナツは僕が意図的に黙っているというか、何かしらの理由で口を開かないのをわかった上で黙ってくれているみたいだ。

 それではやっぱり情けない! 今までの僕なら今日は止めておこうとか思ったんだろうけど、どんどん違いを見せていかないとお話にならないじゃないか。

 

「あ、あのさ!」

「うん」

「つ、月が綺麗だね!」

「え? あぁ……うん、そうだね……」

 

 何か話題欲しさにとっさに出た言葉だけど、うん、本当に今は月が綺麗だよ。なんなら今すぐ紙と鉛筆を持ってスケッチに勤しみたいくらい。

 でもナツを呼びつけといて何をしてるんだって話になるし、絵のことなんて後回しにしなきゃ……って、ん? 話題を求めたのにナツのこの微妙な反応はなんなんだろう。

 これじゃ話が弾むどころか、むしろ逆効果――――あたりまで考えて思い出した。月が綺麗ですねという言葉にまつわるちょっとしたエピソードを。

 

「ふぁーっ!? そ、そそそそそそういうつもりじゃなくって! あ、でも、その、この否定は照れ隠し的なアレだから拒絶とかじゃ――――」

「わ、わかってるわかってる! 私こそ、変な反応しちゃってなんかごめんね!?」

 

 かの有名な小説家である夏目漱石が英語教師をしていた時のこと。生徒の一人が I love you の一文を我キミを愛すと訳したらしい。

 すると漱石は「日本人はそんなことは言わない。月が綺麗ですねとでも訳しておきなさい」と返したという逸話があるのだ。まぁ正確な記述があるわけでもなし、都市伝説の類ではあるんだけど……。

 残念ながら独り歩きをしてしまい、どこか遠回しな告白みたいな雰囲気が知ってる人の中ではぬぐい切れないんだよね。

 ナツが知らなかったらそうだねで終わっていたと言うのに、お互い知っちゃってるからそれはもう阿鼻叫喚。二人して大慌てで訂正合戦が始まってしまう。

 か、完全に出鼻を挫かれた……! いや、この場合は自爆だから自ら挫いたんだけども、そんなことはどうだっていい! 今この瞬間だけは絶対に失敗できないのだから。

 

「えっと、その、いろいろ、思うところがあったから、そのあたり、ちょっと聞いてほしいなって!」

「う、うん。なんとなくハルの雰囲気が違うなーとは思ってたけど、心境の変化でもあったんだ」

 

 ああ、負のスパイラルでしかない。緊張で声が大きくなるわ、言葉が途切れ途切れになるわ。更にそれが恥ずかしいからまた緊張しちゃっての繰り返し。

 ナツのほうはまだちょっと顔は赤いが、変に取り繕うほどの動揺は完全に消え去ったらしい。流石は割と動じないメンタルの持ち主。

 そういうところはどんどん見習っていきたいが、まぁそれは追々ということで。いい加減本題に入らないと、なんのためにナツを呼んだのかわからなくなってしまう。

 

「いきなりなんの話だって思われるかも知れないんだけど。僕はずっと、ナツみたいな人になりたかった」

「私? そう言ってくれるのは嬉しいけど、別にそんな褒められた人間じゃないよ」

「そういうところもナツの凄いところだと思う。今まで僕や他の人たちにしてきたことが、特別じゃないって言えるのは十分凄いことだよ」

 

 僕が目指していた俺っていうのは、なりたかった理想の俺っていうのは、きっとナツそのものなんだ。まったく、ラウラちゃん相手に説教じみたことをしておいて笑わせる。

 いや、あれは無意識に自分自身への説教でもあったのだろう。心の底から出てきた僕の叫び。僕と同じになってほしくはないという願いだった。

 それはさておき、謙遜でもなんでなく、ナツは本気で自分を凄いと思ってないみたい。そういうところも憧れる要素なんだよなぁ。

 曲がったことを良しとせず、それを正そうとする正義感と勇気も持ち合わせていてさ。常に周囲の仲間のことを想っていて、仲間のために本気で怒ることができる。僕はそんな、ナツみたいな男になりたかった。

 せめてその相棒にふさわしくあればとも思っていたけど、まぁ俺の時の僕じゃあどれだけ足掻いたって意味がなかったことだろう。

 そうやって率直な感想を述べると、ナツはあまり納得のいってない様子で、かつ照れ臭そうに頬を掻いた。悪い気はしないけどって感じ。

 

「ナツを尊敬してるってこの気持ちは一生変わらない。けど、僕は僕のままでいいんだって気付けたんだ。だから僕は俺を、ナツになろうとすることはもう止めようと思う」

「……あっ、僕って言ってる!」

「一人称なんて、細かい部分なんだろうけどね。でもなんていうか、僕なりの示し方でもあるから」

 

 これは自分の口から話せば話すほど、ラウラちゃんに対して言ったことそのものだ。本当に、あの瞬間に戻ってどの口が言うのかと説教してやりたい。

 あの時フユ姉さんになろうとしてって意味ないって投げかけたし、僕自身も爺ちゃんのことと絡めて反省してたはずなんだけどな。

 なんであの時に止めなかったのか不思議でならないが、ようやく真に僕の進むべき道が見えたということ。だからナツが雰囲気が違うって感じてくれたことは、ちょっとだけ嬉しかったり。

 僕が僕って言ってることには今気づいたみたいだけどね。あんまり違和感を覚えなかったってことは、他人から見ても僕はこっちのが自然なのかも知れない。

 

「…………」

「ナツ、どうかした?」

「聞けて良かった。ハルの口から、そういう言葉が出てくるのをずっと待ってたんだよ?」

「それは、はは~……随分長らくお待たせいたしました」

「うむ、素直でよろしい。ふふっ」

 

 しみじみと自分の一人称について考えていると、ナツがにこやかな視線を送って来る。その視線にどういった意図があるかを察することができず、ご教授願うことに。

 するとナツは、僕からポジティブな言葉が出てくるのをずっと待っていたのだと語る。……まったくもって反論できないからどうしようもない。

 ずっと心配をかけさせたという申し訳なさもあって、僕は正座して畳に両拳をつけながらお辞儀をかました。下に向いた顔は苦笑いなんだけども。

 ナツは僕の殊勝な態度に、冗談めかしつつ許しを出した。心底から偽りなく有難く思う。そうやって顔を上げると、僕を待ち構えていたのは素敵な笑顔を浮かべたナツだ。

 ……過ぎたことを引っ張り出すようなことになってしまうけど、ナツがこうして微笑みかけてくれることは、なんて尊いことなんだろう。

 そんな顔を見せられてしまっては、頭の片隅にあった迷いもどこかへ吹き飛んでしまう。だから告げよう。俺じゃなくて、僕がナツに抱いている想いを。

 

「それともう一つあるんだけど、これはどっちかっていうとお願い……かな? それもただのお願いじゃなく――――」

「とりあえず聞かせてよ。ハルの力にはなるけど、内容を知らないと何とも――――」

「ナツ、そんなんじゃないんだよ。多分だけど、僕はこれからキミに最低なことを言わなきゃならなくなる。それでも、聞いてくれる?」

「…………。うん、もちろん。ハルがどれだけ最低って思っても、私はハルのことを軽蔑したりしない」

 

 本来ならお願いなんていう軽いようなニュアンスで言っていいことでもないと思う。もっとシンプルな言葉でもなんら問題はないはずだから。

 でもナツには選択の自由が、可能性というものが増えてしまった。だから僕の言葉は最低なんだ。でも、それと同時に揺るがない本心でもある。

 こんな前振りなものだから、ナツは真剣な話であると理解したらしく、先ほどとは違った凛々しい顔つきでこちらを見据えた。

 ナツからの厚い信頼を感じるが、これまで積み上げてきたものを瓦解させかねないほどでもあるはず。だが僕の決意も固い。これまでと違う意味でナツと共にあるためには、必ず必要なことだから。

 僕は弾む心臓を落ち着かせるため深呼吸。そしてナツに負けないくらい真剣な眼差しで見つめ、件の最低な言葉を口にした。

 

「ナツ、どうか、どうかキミは、僕のために女の子でいてくれないか!」

「……え…………?」

 

 まだ核心に迫る部分は口にはしていない。だからこれも前振りには含まれてるんだけど、遠回しでもどこか言いたいことがわかりそうなのが逆に恥ずかしい。

 本当にそれだ、ただただ恥ずかしくて仕方ない。ここまでの羞恥心を感じたのは生まれて初めてなんじゃないだろうか。

 そのせいか、この羞恥心を紛らわせるため僕は捲し立てるように続けた。それもまた自爆への一途なのだが、完全にテンパってしまった僕の頭はそこまで思考が回ってくれない。

 

「僕の頭で冷静になって考えてみたんだけど、ナツが僕以外のやつと付き合ったりするって想像したらすごく嫌でさ。やっぱりナツのことを一番よくわかってるのは僕だし、そんな僕だからこそナツの隣にあるべきっていうか。なんというか、まぁ、その、ええ~っと……ナツ!」

「は、はい!」

「キミのことが好きです! もちろん幼馴染とか家族としてじゃなくて、一人の女の子として、ナツのことが大好きだ!」

 

 あぁ、言った、言った、言った、言ってしまったぞ。

 想いを告げたせいか頭の中はそれだけで、どこか気の遠くなるような感覚も襲い来る。頭が真っ白な状態というやつだろうか。

 それもあってナツのことをわかってるのは僕とか言っといて、今はナツの表情から何も読み取ることはできない。なんだか泣きたい気分になってきた。

 でも僕の想いは本物だ。俺は自分なんてナツにふさわしくないと思っていたけど、それはただ自分に自信が持てないせいで、自分の想いを誤魔化してきたから。

 だけど僕を受け入れた以上はそういうわけにはいかない。いられなくなった。

 ナツが女の子になってから感じた全て。触れていたい、守りたい、隣にありたいなどなどの想い。そして僕の胸に過った絞めつけるような感覚。それはまさに、ナツを愛おしく想っているからこそのもの。

 自分の秘めた想いに気が付いてしまっては、もはや溢れる想いを止められずにはいられなかった。今はナツが好きで好きでたまらない。

 あぁ、本当に僕は大馬鹿野郎だ。恋なんてしたことないからってのもあるけど、この感覚が愛ってやつでよかったなんて。そうとわかっていれば僕は、ずっとずっと前から――――    

 

「最低なお願いって、それ?」

「いや、女の子でいてくれってやつだよ。だってそうじゃないか、本当なら絶対に性別なんて関係ないって言うシーンなはずだから。ああ、もちろんそうとも思ってるよ。ナツが本気で男に戻りたいなら僕は止めない。戻ったからって僕の想いも変わらない。ナツが望むなら僕が女の子になってもいい。けど――――」

 

 ナツは俯いてしまって、いよいよ感情を読めるかどうか以前の問題になってしまった。でもいろいろと解読するピースはある。

 声はどこか震えていて鼻声で、しきりにスンスンという音が聞こえる。ということは、泣いているということなんだろうか。

 ……でもやっぱり顔が見えないことには、どういう感覚での涙なんだか。あぁ……なんだか察してやれない自分がもどかしい。

 そんな自分に悶々としながらも、ナツから投げかけられた質問に答えた。僕の言った最低っていうのは、そういう意味が込められている。

 こういうことに正しさなんてのはないのだろうけど、なんの迷いもなく男とか女とかどうでもいいからナツが好きだって言うのが大正解な気がしてならない。

 いや、もちろんそうとも思ってはいるさ。ネコだのタチだのよくわかんないけど、それならそれで構わないし。なんなら立場が逆転するのでもいい。要するに僕とナツが愛し合えればいいんじゃないだろうか。

 そこまでナツのことを想っているなら、どうしてナツが女の子であることにこだわるのかって? その理由はちょっと恥ずかしいような気もするんだけどね。

 

「けど、どうしたの?」

「もちろん理由はあるけど、これは流石にどうなんだろ。最低とかじゃなくて、だいぶドン引きされちゃうような」

「お願い、聞かせて。お願いだから……」

「それは、あ~……う、う、う、産んでほしい、から」

「え……」

「だ、だから! 僕の子を、ナツに産んでほしいから!」

 

 これに関しては自分で言ってて本当にどうかと思うよ。少しどころかだいぶ変態じみてるんじゃないかって。

 でも究極的にはそこなんだよ。最近は性的マイノリティへの理解を深めようと世間が働きかけてるし、しようと思えば交際とか結婚に性別は関係なくなり始めている。

 だけど出産ばかりは愛のみで超えられない壁というものがある。僕とナツが男同士ではもちろんのこと、僕が女の子でも成立しない。言葉どおり、ナツに産んでほしいと思ってるから。

 ……言えば言うほど変態っぽくなってる気が! どどどど、どうしよう、やっぱりいろいろすっ飛ばし過ぎた!? でも付き合うからには一生大事にするつもりだし、遅かれ早かれ    

 そう、大事に! それってすごく大事な要素だと思う。フォローの意味も兼ねて、そこのところはきちんと伝えておかなくては。

 

「僕が変なこと言ってる自覚はあるよ。いきなりで本当にゴメン。けどナツ、僕のお願いを聞いてくれるんだったら、僕は絶対にナツを世界一幸せな女の子にしてみせる! だから、どうか、僕の特別な女性になってほしい」

 

 ドン引きしてるかどうかはさておいて、普通に困らせてはいるだろうから謝罪をひとつ。

 後は僕の気持ちが本気であることを伝えるべく、ナツの手を取って必死に訴えかけた。……ナツは相変わらず顔を見せてはくれないけど。

 いつまでも待つ気構えでいたつもりではあるが、ナツは意外にもすぐ行動に移った。僕の握ったその手に力が込められたのがわかる。

 ナツのしなやかで美しい五指が、僕の五指の合間へと滑り込む。僕らはそうやって絡ませるように手を取り合うと、さっき以上に震えた声でナツが告げた。

 

「なってるよ……」

「ナツ……」

「もう、なってるよ……世界一番で幸せな女の子に、なってる……ハルがしてくれてる……」

 

 ようやく顔を上げてくれたナツは笑っていた。笑っていたけど、その瞳からは大量の涙が溢れ出ている。

 その涙の原因は嬉しさだってことは理解してる。だってナツは、僕にずっとメッセージを飛ばしてくれていたことも理解していたから。

 僕は自分を受け入れられないだけに、ナツのメッセージに気が付かないフリをしていた。そっと蓋を閉じて気付かないようにしていたんだ。

 そんな僕からの急な告白に、いろいろとため込んできたものが一気に爆発してしまったのだろう。口で謝るのもなんだか違う気がして、僕はそっとナツを抱き寄せた。

 

「だって、だって私は! ……俺だってこと、ハルが一番知ってるはずなのに……。それでもハルは、俺でいいって……」

「ちょっと違う。ナツでいいんじゃなくて、ナツがいいんだ。いや、僕にはナツしかいない! いないんだ!」

「っ……ハル……! 俺……俺はっ……!」

 

 いざ告白されると本人としては元男ということが尾を引くのか、最近は鳴りを潜めていたような口調で若干だけど自ら否定的なことを口にし始める。

 そりゃ知ってるさ。十年以上ナツと家族をしてきた僕が知らないわけがない。けど、その十年があるから今こういうことになってるんだとも思う。

 強制的に女の子の身体にされて、ナツもきっと悩んだと思う。だからこういう言い方は失礼なのかも知れないけど、今となってあの事件は一種の運命なのではないだろうか。

 僕とナツはこうなる定めで、事件はちょっとした後押しみたいなもの。……うん、きっとそうに違いない。

 僕は少しばかりナツを離すと、決して綺麗な瞳を傷つけぬようその涙をぬぐった。そして壊れ物を扱うようにナツの頬に右手を添えると、後は目を閉じ――――ナツの唇に自らの唇を重ねた。

 

「んっ……!」

 

 ナツの身体が一瞬だけ跳ねて、驚いたような声が聞こえたが決して離してはやらない。そのため、左腕はナツの腰へと回す。

 逃げられないと悟ったのか、それとも初めから逃げる気がなかったのかはわからない。しばらくそのままでいると、ナツはどこか必死な様子で僕の着物を掴んだ。

 ナツの唇は、柔らかいという表現ではとても足りないくらいの感触だった。それでいて確かな張りと弾力も兼ね備えていて、魅力的なものであると思い知らされる。

 けど僕にとって、これは最初で最後に知る感触。ナツ以外の女性の唇の感触なんて知る必要はない。僕だけが知ることを許された、僕だけの特権。

 そう思うと心と気持ちが弾んで、自然と鼻息が荒くなってしまう。そういう考え方をすると、僕だけのナツのような気がしたから。

 僕とナツは夢中で唇を重ね続けた。まるで強力な磁石のS極とN極。本人たちの意思では引きはがすことができないほどに。

 だが頭の片隅にはまだ理性的な部分も残っている。いつまでもこうしていてはいけないというのもまた事実だ。

 何よりここは僕とフユ姉さんの相部屋。いつ義姉が帰って来るかもわからないというのに、こんなところを目撃されるわけにはいかないだろう。

 逃がさないようにしたのはこちらだが、込めた力をほどいてそっとナツとの距離を置く。その際チュッと水音が鳴り、ナツと本当にキスをしたんだと身体が燃え上がるような感覚が走った。

 

「やっと言える……」

「ナツ?」

「ハル、好きだよ。私も、ハルのことが大好き!」

「…………。あ゛あ゛~……無理! 僕もだよナツ、大好きだ!」

 

 ナツの涙も完全に止まったようで一安心。かと思いきや、今度は花丸満点の笑顔を向けられながら思いの丈を述べるではないか。

 今そんなものを向けられて我慢できれば男ではない。僕の見られてしまうかもという葛藤は一瞬にして砕け散り、再度ナツへと唇を重ねた。

 恋人ができたってそうオープンではないだろうと思っていたけど、どうやらそうでもないらしい。これも僕になった影響だろうか。

 でもこうしていると良い影響だと思う。だって僕はこんなにも幸せで、この幸せを共有して何倍にも増幅できる相手を得たのだから。

 一回目のキスと同じくらいの時間が過ぎ去ると、僕らはどちらともなく離れていく。そうして至近距離で見つめ合い、どこか照れ臭そうに笑ってみせるのだった。

 

「……私、そろそろ戻るね。消灯時間はとっくに過ぎてるし」

「ああ、呼び出したりしてごめん。もし怒られるようなことがあったら、僕のせいにしてくれて構わないからね」

「う~ん……じゃ、その時は一緒に怒られよう。それじゃハル――――末永くよろしくね」

「こ、こちらこそ!」

 

 個人的には三度目になりそうだったが、ナツが席を立ったので本気で我慢。

 嫌味ではないだろうけど時間について言及され、少しばかり申し訳なくなってしまう。でも他に適した場所がなかったのは事実。

 流石に旅館内から出るのはまずかったろうし、だからって廊下でなんて雰囲気なんてものがない。

 もしナツが帰るまでに教師に見つかるようなことがあれば、それは完全に僕の責任だ。だから僕のせいにするよう言ってみるも、ナツは従った自分のせいでもあると言いたそう。

 僕はそうは思わないけど、一緒にという言葉はとても惹かれる。きっと、特別な関係になったからだ。うん、今はどんなことだって一緒のほうが嬉しいかも知れない。

 そうしてナツは閉じかけた襖から僕へ向けておやすみを――――言うかと思いきや、僕らのこれからについて触れるではないか。

 少し不意打ち気味だったので、急いで正座し直して背筋をピンと伸ばす。それからナツの言葉を受け入れるべくこちらこそと返せば、ナツは楽しそうに笑ってから完全に襖を閉じた。

 

「…………夢じゃない、よな?」

 

 ナツが去っても固まったように同じ体勢でいたが、ふと疑問が宿って頬を抓りながら身体を脱力させた。

 とてつもない激痛が走るも、あまりに現実味がなくて放心してしまう。あまつさえキスまでしたんだと思えばなおのことだ。

 だって僕だぞ? もう少し自信をもってやっていくと決めはしたけど、ねぇ? 僕があんな美少女と気持ちが通じ合ったうえでキスして、なんならそれがいつだって許される関係になったんだぞ。

 時間の経過と共にさっき起きた出来事が一気に襲い掛かり、僕は口元を抑えて声を押し殺しつつ――――んんんん~! と悶えながらそこらをのたうち回った。

 なんてことだろう。こんな幸せなことがあっていいのだろうか。ぜひとも天国の爺ちゃんにもこのことを聞いてほしいくらいには幸せだ!

 

(お、落ち着け、落ち着こう。そして寝よう。だって、夢なんかじゃないんだから!)

 

 夢なら醒めないでなんて言うけど、そんなこと恐れる必要もない。僕は確かに想いを告げて、ナツにそれを受け入れてもらって、あまつさえキスまで済ませたんだから。しかも二回も!

 あぁ、心が躍って仕方がない。生きててこんなに浮かれた気分なのは初かも知れない。そしてこれが毎日のように続くかと思えば、来る明日に恐れなんて感じてる暇などあるはずないじゃないか。

 僕はニヤニヤとだらしない笑みを浮かべながら、そのまま這うようにして敷いてある布団へと潜り込んだ。そうしてまだ唇に宿るキスの感覚を思い出しながら、最高な気分で眠りにつくのであった。

 

 

 

 

 




祝! カップル成立! イエエエエエエエエエエエエエイ!
というわけでございまして、大変長らくお待たせいたしました! 晴人と一夏ちゃん、ようやく結ばれる運びとなりました!
本当にぶっちゃけるなら、これまでの50数話はこの回のための前振りみたいなものですからね。と言いつつ、その前振りに一年かかりそうだったという。
ですが、お待たせしたからには嘘みたいにイチャラブ要素が増えますのでご安心(?)を!
というわけですので、あえて宣言させていただきます。
ハルトナツ、ようやく完全にスタート!


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第54話 僕らはそういう仲なので

今年最後の更新となります。
二月に連載を始め、これまでにお気に入り千件越え、UA約九万五千件と、一年足らずにもかかわらず多くの方にご愛読していただけたと思っております。
物語としても主人公とヒロインが結ばれましたので、来年からはもっとよりよいものを皆様にご提供できるよう精進して参ります。



さて、前回予告したように長かった臨海学校編もようやくエピローグとなりました。
エピローグなだけに内容も締めですので、あまり当たり障りはないかも知れません。


「フンフンフフ~ン♪」

 

 真夜中の崖っぷち、月明かりに照らされながら鼻歌を鳴らす美女が一人。篠ノ之 束だ。

 その様子はまさに上機嫌といったところで、崖から足を放りだし足を左右交互にユラユラとゆっくり揺らす。

 何がそこまで楽しいのか、または嬉しいのか。聞いたところできっと教えてはくれないし、なんならその楽しさというのは常人には理解できないかも。

 だが今の束は不自然なほどに上機嫌。きっと束をよく知る人物ほど、その理由を問いただしたくなるだろう。

 ゆえに彼女は問いかける。実際の話それは軽いジャブのようなものだが、声をかけるには悪くない切りだしでもある。

 

「何かいいことでもあったのか?」

「やーやーちーちゃんご機嫌よー! 私? 私は仰るとおりにいい気分でーっす!」

 

 月明かりに照らされる美女がまた一人。こちらは束と対照的にとても不機嫌そう。というより、千冬の場合はいつだってそう見えるのだが。

 そんな千冬とは対照的に、束は子供のように手を挙げながら上機嫌であることを肯定。千冬の職種が教師であることを鑑みると、その様はまさに先生と生徒だ。

 束にシリアスを求めるだけ無駄とわかっていながら、思わず千冬は溜息を吐いてしまう。自分が真剣な話をしにきたことをわかったうえでの行動である。ということを察しているからだ。

 千冬は視線を横に逸らしながらまぁいいと呟けば、再度表情を引き締めて束を見据える。束もまた、ニコニコとした笑みで千冬を見据えた。

 

「で、今回の件は何が目的だ」

「ちーちゃんさ、さっきの前置き台無しじゃな~い?」

「黙れ。どう探りを入れてもお前はしらばっくれるだろうが」

 

 千冬のあまりの単刀直入ぶりに、機嫌を聞いて会話を始めたのにそりゃないぜと束はおどける。だが千冬はお前そういうところだぞとでも言いたげに返した。

 つまり千冬は福音を暴走させた犯人を束だと決めてかかっているということ。これに関して、千冬はほぼ黒だという確信をもって聴取にきた。

 それこそ聞いたところで誤魔化されるのはわかっている。だが一夏という唯一の血縁が死にかけた以上、妹想いの千冬としては聞かざるを得ない。

 だがそれだけの理由ということもなく、千冬は一縷の希望を抱いて束に会いに来た。義弟から学んだ大切な精神を胸に抱いて。

 

「ねぇちーちゃん。それ、私がそうですって言ったらどうするつもり?」

「どうもせん。いや、正確に言うならその先を聞いてからにもよるが」

「ん~……束さんそれだけじゃよくわかんないなぁ」

 

 確かに束であるないにかかわらず、確固たる物的証拠がなければ、お前が犯人かと聞かれてはいそうですと肯定する例は稀かも知れない。千冬もそれは重々承知で、聞きたいのはその先だという。

 犯人であることを肯定したうえでその先となると動機なのだろうが、それを聞いたところでどうするというのだろう。

 いくら細胞レベルからの天才だろうと、人の心までは理解しえない。むしろその点は束の致命的な弱点とも言っていいはず。

 束が素直に教えを乞うと、千冬は束から少し離れた位置の座りやすそうな岩に腰掛ける。そしてタイツに包まれたセクシーなおみ足を組むと、決して顔を見せないように続けた。

 

「私の弟が言っていたよ、誰かと友になろうとする気持ちを諦めたくないと」

「ああ、それ知ってる。そのシーン、かっこよかったから録画してあるんだよ! ちーちゃんも欲しい?」

「いらん。それは紛れもなく信じることを諦めないということだ。私も感心させられたし、そうありたいと思った」

 

 千冬の語ったその言葉は、当時一夏に敵意をむき出しにしていたラウラに関して出たものだった。例えどれだけ自分の気持ちが裏切られようとも、友達になろうとする気持ちを諦めたくはない……という晴人の想い。

 晴人に対して恋慕を抱いているらしい束としては覚えのある言葉で、ハッキリと録画してある、イコール監視していたことを示唆にて知っていると答えた。

 千冬は録画データの必要性をあっけないほどに否定し、その言葉には随分と自分も影響されたと素直な気持ちを吐露する。

 

「さっきのとおり、この件に関して私はお前を疑っている。ましてや一夏が死にかけたなど、なんなら憎いほどだ」

「へぇ、そうくるってことは、あのちーちゃんがそれでも私を信じたいってことでいいのかな」

「ああ、そのとおりだ」

 

 晴人の言葉について言及してから本題に入り直すということは、束が犯人だとしても束を信じたいと言いたいのであろう。流石に束はそこを理解し、憎たらしく挑発するような表情で推理を突き付ける。

 しかし、意外なくらいアッサリと肯定されて表情を崩してしまった。それは束にしては珍しい表情で、二度と拝めるかどうかレベルであろう。

 もっとも、挑発的な表情も驚いた表情も、背を向けた千冬には知る由もないのだが。

 

「立場上で私とお前は相容れん。だがもし理由があっての行動なら今すぐ話せ、場合によっては力になる。許すつもりがないのも事実だがな。せいぜい、世のため人のためであることを願うばかりだ」

「ちーちゃんってば、誰にものを言ってるのかわかってる? 束さんだよ? 世界のパワーバランスを崩しちゃった私だよ?」

「それに関しては私も同罪だろうが。そして同じことを二度言わせるな。私はお前を信じたい。織斑 千冬の友である、篠ノ之 束という一人の人間のをな」

 

 本当に本当に信じられない出来事だった。あの千冬が一夏を傷つけられというのに、憎みはしても理由があるなら力になると言っているのだから。

 束のその目は完全に信じられないものを見るソレで、口調はどこか混乱しているようにも聞こえる。これもまた貴重なものであろう。

 質問が終わって千冬からまた回答があったあたりで、束は千冬がどうして背を向けているのかを理解した。

 それは千冬にとって最大級の照れ隠し。きつい声色でどんな表情をしているのかと想像を膨らませれば、束としてはその本気度というものが伺える。

 

「……ずるいなぁ。ちーちゃん、それはずるいよ……」

「狡賢さについてお前に言われる筋合いはないぞ」

「ははっ、それもそうだね。でも……ざーんねーんでした! 束さんはと~っても身勝手な理由でことを進めているのでーす!」

「……そうか、それは残念だ」

 

 これまでの千冬ならばありえないであろう姿勢を前に、束はただひとことずるいという感想を述べた。言われた千冬は皮肉たっぷりに返す。

 ずるいと呟く束の声はどこか震えていたが、どうやら千冬のズバッとした物言いで調子を取り戻したらしい。

 おどけるように、それでいて憎たらしく。ピョンピョンと跳ねるようにして千冬の前に躍り出ると、ほとんど犯人であることを肯定しながら、その理由は利己的なものだと語ってみせた。

 勝手に信じると決めたのは自分の方だ。千冬は心底から残念と思いつつも、声を荒げることもせず落ち着き払った様子だ。しかし、歯牙には悔しそうに力が込められている。

 そうして束は躍り出た勢いそのまま、クルリラクルリラ回転しながら千冬からどんどん距離を置いて行く。

 千冬はそのまま別れの挨拶が飛んでくるのだろうと思いつつ、岩から立ち上がってどんどん小さくなるその背を見守った。

 しかしどこか様子がおかしい。回転し始めは元気そのものだったが、回転の勢いが死ぬのと同時にどこかハツラツぶりが消えていく。千冬には、それが無理矢理にでも取り繕っているように思えた。

 そうして束は完全に停止。今度は束が表情を悟られないよう背を向ける番だった。

 束は首に角度をつけて空を仰ぐと、遠くから千冬へと声をかける。

 

「ねぇ、ちーちゃん」

「……なんだ」

「どうしていっくんが女の子にされちゃったと思う?」

「お前、何を言っている?」

「どうしてはっくんがISを動かせちゃうと思う?」

「…………っ!? 束、お前何か知っているな! それでいて、それは今回の件とも関りがある! そうなんだな!」

「それら二つが必ずしも無関係じゃないって知っちゃったら、ちーちゃんはどうする?」

「束、頼むから話してくれ! お前が何かを抱えているならなおさらだ!」

「……ちーちゃん、私が居ない間はあの二人をよろしく。きっと、これからが大変だろうから……さ」

 

 それはあまりにも唐突な切り出しだった。福音のことに関して問いかけたと言うのに、一夏が女性にされた理由を質問で返されるのだから。

 当然ながら理解不能。それでいて誤魔化しのようなものには感じない。だから千冬はまた質問で返すしかなかった。

 すると返って来たのはまた質問。恐らくそれは千冬がどんな言葉を返そうとも、それを無視した発言だからであろう。だが、千冬は流石にあることを察知した。

 一夏が女性にされた理由。晴人がISを動かせる理由。二つの理由が無関係ではないこと。更にはそれら一連の流れがあって、福音を暴走させなくてはならなかったということを。

 千冬は走る。わき目も降らず束の背中をめがけて全速力で走った。束が抱えている何かを吐露してほしいと告げながら。

 その言葉を受けてか、束は顔だけ振り返って見せる。その顔はとても儚い笑みを、今にも泣きだしてしまいそうな笑みを浮かべていた。

 これもまたレアな顔。だが千冬としては、そんな顔を見たくはなかったことだろう。事実、束が振り返った瞬間にその速度は更に加速を見せた。

 そして千冬は腕を伸ばす。自らが信じて友としてありたいと思う者を掴んで離さぬよう、精一杯に腕を伸ばした。

 だが今にもその手が束の肩を掴もうとした瞬間、束の姿は比喩でもなんでもなく、まるで幻であったかのように消え去ってしまった。

 無情にも友を掴めなくなったその手は、行く当てを探すように開いて閉じられ、まるでギリギリと音が聞こえてくるのではないかというほど強く握られた。

 

「束っ……! お前は昔からそうだ。そのふざけた態度に総てを隠して、こちらに意図を悟らせない! なぜ私でもだめなんだ! せめて言えない理由を教えろ馬鹿者ぉ! 私とお前は、友ではないのか! 聞こえているんだろう?! 答えてみろ、束えええええええええええええっ!」

 

 その手が悔しさを示していることなんて、説明するだけ無粋だった。

 千冬は普段のクールな様子なんてかなぐり捨て、まるで駄々をこねる子供のように喚き散らす。

 信じると決めたからこそこんな悔しさが過るとすれば、なんて皮肉なことなんだろう。なんて無情なことなんだろう。だから千冬は叫ぶのだ。

 年齢や立場など忘れ、ただただ悔しくて。友の力になれない自分が悔しくて。頼ってくれない束が腹立たしくて、ただ叫ぶしかなかった。

 千冬のよく通る声はそこらによく響き渡り、どこか寂しい夜にしばらく木霊し続けた。そこらでようやく頭が冴えたのか、膝に手をつきながら乱した息を整える。

 

「はぁ……はぁ……。何がよろしくだ馬鹿者がっ。そんなこと、貴様に言われるまでもない!」

 

 叫んでる間はほとんどが自分に対する悔しさだったが、一気に腹が立ってきたらしく恐ろしくドスの効いた声色でそう吐き捨てた。

 そして、まったくあの馬鹿はなどと、日ごろからの不満点をブツブツ呪詛のように呟きながら旅館へと戻っていった。

 その様子を悪戯兎が眺めていることも知らずに。

 

「……ごめんね。ありがとう、ちーちゃん」

 

 こうして夜は終わりを告げ、また新たな一日が始まっていく。IS学園に通う者たちにとって、細やかな変化を迎えた一日が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つ、疲れた……。あまりにも容赦がなさすぎる……」

 

 二泊三日を予定されていた臨海学校は、福音事件のせいでほとんどの生徒にとってはただの旅行みたくなって終わりを告げてしまった。

 一方の命令違反無断出撃連中と言えば、これも懲罰の一環だとかで撤収作業を手伝わされることに。僕は特に男ということで、余計に仕事を任せられたご様子。

 もちろん男だから力仕事が増えることに関して不満はない。ないけど、もう少し手心が欲しかったとだけは言っておこう。それもこれも自業自得って言われた返す言葉がないし。

 そんなこんなで、どうやらバスへの搭乗は僕が最後。フラフラとしながら自分の席へと向かうと、ナツの顔が見えて思わず不満を漏らしてしまう。

 多分だけどそういう関係になったから、無意識的に慰めてほしいのが表に出てしまったようだ。今のはちょっとよくないね。

 

「そんなの今更でしょ。はい、お水」

「言ってたらきりがないという悲しい現実か。ナツ、ありがとう」

 

 別に本当に慰めてくれるのを期待してるわけではなかったが、ちょっとドライな反応でやっぱり残念だったり。こういうのもよくない。

 だって、これ今まで変わらないやりとりだし。そこに不満を抱いちゃったら僕は完全に終わっている。これまでの十年があるから、僕らの何気ないやり取りは今までどおりが一番だろうから。

 ナツのもっともな言葉と共に、差し出されたミネラルウォーター(未開封)を受け取りながら席に着く。……手に持った感じでわかるけど、これは――――

 なんて嫌な予感を覚えながらキャップを回し、乾いた喉に水を流し込んでいく。そして口に含んだ瞬間にやはりと思ってしまう。相変わらずの常温保存だと。

 

「……ぬるい」

「常温が身体にいいんですー」

「うん、健康志向なのはいいことだと思うんだけど。思うんだけど、う~ん」

「何か?」

「いえ、なんでもございません」

 

 僕の呟きを完全な不満と捉えたのか、ナツは口を尖らせながら冷水は身体に悪いのだから仕方ないと語る。

 僕のことを想ってくれてるのはわかるけど、やっぱりキンキンに冷えたやつをググーっと喉に流し込んで、プハーってやりたくない? 僕だけ?

 文句も不満もないけどなんだかな、なんて僕的には意を決して言ってみると、ナツは笑顔でズイっと顔を寄せて短く問いかけてきた。

 この時点で逆らえませんよねぇ。なにせ僕は私生活のほとんどをナツに世話されていると言っていい。きっと僕が風邪なんか引かないのもナツのおかげだろう。

 だからすぐさま折れて敬礼しながら不満はないと述べると、ナツも一気に怖さは消え失せてよろしいと告げる。可愛い。

 

「相変わらずやってるねー」

「えーっ、いつものことでしょ?」

「初日朝帰りした人がよく言うよ」

「そ、それは、シーッ!」

「そこんとこどうなの日向くーん」

「ア、アハハハ……」

「出た出た出ました、日向お得意の笑って誤魔化す!」

 

 僕らのやりとり聞き耳を立てていたのか、近場の女子が――――というかもう相川さんと鷹月さんね。このご両人がからかうように声をかけてきた。

 この二人は特に僕らをそっち方面で弄るのが好きらしく、相変わらずの夫婦ムーブですねとニヤニヤ笑みを浮かべている。

 ……どうしたものか、今となっては完全に誉め言葉でしかない。キスまで済ませましたなんて言ったらどういう反応をするんだろう。

 声を大にして付き合うことになりましたと言ってやりたいが、ナツが話を逸らしたのを見て今はそういう方針でいくことが決定。

 僕に矛先が向くと同時にすぐさま乾いた笑みを浮かべる。これはいわゆる処世術、ご指摘の通りに笑って誤魔化してるんだけど、この様子を見るならそろそろ効かなくなってきているのかも。

 

「日向」

「は、はいぃ!」

「まだ私は何も言っていないぞ。まぁいい。客だ、降りろ」

「客? 客って……」

 

 僕らの弄りを火種にしてバス内の雰囲気がどこか浮つき始めると、それを一気に黙らすかのようにフユ姉さんの声が。ただ僕の名を呼んだだけなのにものすごい静寂っぷりである。

 というか、どうしてみんな目を逸らすの。確かにフユ姉さんに名前を呼ばれるってそれだけで不吉とは思うけど、何も知らんぷりすることはないと思う。

 それより客? 臨海学校に出てきてるのに客ってどういうことだろう。

 フユ姉さんは親指でクイッとバスの外を指示した、ってことは外で待たせてるということなんだろう。思わず窓から顔を覗かせると、そこにはいかにもな金髪美女が。

 こちらの視線に気づいたのか、ニコっと微笑みながらこちらに軽く手を挙げた。そうか、あの人は確か福音のパイロットの……。よかった、一晩で目が覚めたんだな。

 

「わかりました、とりあえず話を――――っと、ナツ?」

「…………」

 

 僕を代表してお礼かなんかってことなんだろうと思う。けど相手が美人ってこともあってか、ナツはみんなに悟られないようにそっと僕の制服をつまんだ。可愛い。

 僕が相手なら特に何も起きないってわかっているだろうに、それでも不安になってくれるのは嬉しいことだと思う。僕はそっとナツの手を取って離させると、避けるふりしてそっと大丈夫だよと耳打ちしておいた。

 するとわずかに首が縦に振られる。信じてるからとか、待ってるからって認識でいいのだろう。ならさっさとお礼を受け取って、それで終わりにしてしまおう。

 でも気が向かないせいで少し足取りは重い。それを悟られるのは先方に失礼なので、慌ててバスから飛び降りた。

 ……って、なんでフユ姉さんも待機してるんだろう。順当なところで彼女はフユ姉さんにも用があるか。大穴で彼女が僕に余計なことをしないか監視ってとこ?

 

「ハァイ、Mr.ヒムカイ……で、合ってたかしら? 私はナターシャ・ファイルス。アメリカ軍所属のISパイロットよ」

「これはご丁寧にどうも。日向 晴人です。どうぞよろしく」

「ふふっ、こちらこそ」

 

 降りるなりとてもフランクな態度で驚いてしまうが、お国柄の違いという奴だろう。僕は特にアメリカンなノリは不向きなんだろうし。

 だからこちらも自己流ないし日本流で、丁寧なお辞儀をしてから右手を差し出した。ナターシャさんは、どこか楽しそうな様子で僕の手を取り握手を交わす。

 やはりナターシャさんは僕らにひとことお礼を言っておきたかったらしい。そして僕を代表に選んだのは、男性で唯一のIS操縦者をひと目ってことみたいだ。

 当たり障りのない内容で本当に良かった。これでナツを余計な気持ちにさせずに済みそう。……なんて思ってた矢先のことだった。

 

「ね、ハルトって呼んで構わない?」

「ええ、呼びやすいようにしてくれたらそれで」

「そう、ありがと。じゃあハルト、今度またいつか――――」

「へっ!? いや、そういうの良いですから!」

「釣れないわね。向こうじゃこんなのちょっとした挨拶よ?」

 

 そろそろ別れの挨拶をってところで、ナターシャさんは唐突に切り出す。それまで貴方とかキミとか呼ばれてたし、どこか固いのが好きじゃないのだろうか。

 まぁそんなところだろうと結論付けてお好きにどうぞと返せば、ナターシャさんは一歩こちらに詰め寄って僕の頬にキスを落とそうとするではないか。安心した矢先にこれだよ!

 実は途中から僕を見る目が束さんに似てきたと思ってたけど、絶対にこれはからかわれているやつだ。僕をそういう感じで弄ると面白いと本能で察したのだろう。

 事実、僕が大慌てで否定するなりニヤニヤが増した。でも違うんですナターシャさん、僕が慌ててるのは照れじゃなくてもっと大事なことなんです。

 そこで僕はそっと待機状態のヘイムダルを掴んでハイパーセンサーの機能をオン。……あぁやっぱり、視線は感じていたけど、めちゃくちゃ悲しそうな顔してナツが僕を見てる!

 ってなると冗談抜きで死んでもナターシャさんのキスを受け取るわけにはいかない。だけどどうしたら思いとどまってくれる!?

 あまり全力否定してもそれはそれでナターシャさんに失礼だし……。いや、でも恋人がいるのに悪戯心でキスしようとしてる人に遠慮する暇は……。……………………えぇ~い、ままよ!

 

「あ、あの! 僕、恋人いるんで、そういうのはちょっと、ほんと勘弁してもらいたくて!」

「あら、それならそうと言ってくれればいいのに。ごめんなさいね、ハルトは真面目過ぎる感じがして、ちょっとからかいたくなっちゃったのよ」

「い、いえ、わかってくれたならそれでいいんです」

 

 窓からこちらを見るナツをフユ姉さんよろしく親指で差すと、ナターシャさんはそういうことならとアッサリ退いてくれた。

 僕に謝罪を述べると、バス内のナツにも謝っているのか、斜め上に角度が傾いた謝罪のジェスチャーが。なんとか最悪の事態だけは避けることができたか……。

 いや、実際はまだ終わってないんだけどね。ナツ以外の女性からキスされないで済んだってだけで。だってどうせ聞き耳立ててるってのに、こんな大勢の前で言っちゃったからねぇ。

 そんなことを冗談で言うはずのない俺が、堂々とナツと付き合ってます宣言を……さ。

 

「「「「「ハルナツ始まってたあああああああああっ!」」」」」

「ほらこれ、キタコレ! 絶対に昨日の間になんかあったやつ!」

「言った、言ったよ! あの日向くんがあんな堂々と!」

「晴人、貴様! やったな、やってくれたな! やったああああああっ!」

 

 一組が乗る僕らが居る側の窓は一気に開き、そこに女子が雪崩れ込んでやれハルナツだと騒ぎ始めた。気のせいか、ドカンと爆発音が聞こえた気がする。

 みんな一気に喋るものだから何を言ってるのかよく聞こえないけど、大体のみんなが僕らのことを祝福してくれているみたい。

 けどね、箒ちゃんはお願いだから落ち着いて。本当にそのキャラ似合わなくて僕の頭が受け入れてくれないんだよ。ていうか二重の意味でやっただよねそれ。

 

「おい」

「はい? ふぐぅっ!?」

「貴様、この騒ぎを鎮める者の身にもなってみろ。ん?」

「ゲホッ! ゲホッ! ご、ごもっともですはい……」

 

 フユ姉さんに声をかけられて振り返ってみれば、鳩尾にありえない威力の肘鉄砲を喰らって意識が飛びかけた。

 なんとか意識を保つことはできても、そんなの立っていられるはずもなく、僕は激しくせき込みながら両膝を地につけた。

 ほんとごもっともだよ……。見れば一組のバスの騒ぎを聞きつけ、全クラスのバスまで拡大しているようだ。……って何? ハルナツ支持派とやらの勢力はそんなに拡大してるってこと?

 それはさておき、絶対にフユ姉さんが叫ばなくてはならない案件まで発展している。その一因が僕にもあるとなると、フユ姉さん的にはこっちに矛先を向けるよねぇ。

 しかし、膝をつく僕の前にしゃがみ込むフユ姉さんはなんと恐ろしいことか。言葉を選ばなくてはおかわりすらあり得そうで怖い。

 

「よく聞け馬鹿者」

「は、はい」

「晴人、ありがとう。お前なら安心して妹を、一夏を任せられる」

「……はい!」

「よろしい。ならもうバスに戻れ。なに、後は任せろ。殴ってすまんかったな」

 

 どんな罵声が飛んでくるのかと思えば、どうやら肘鉄砲は自然な耳打ちの流れを作るためのものだったらしい。それにしては手荒というツッコミはご愛敬。

 フユ姉さんは完全に姉の声色で僕にそう告げるが、周囲から察知できないようにするためなんだろうけど表情のギャップが凄い。鬼の形相そのものである。

 後は任せろって何をするつもりなのかと思いきや、フユ姉さんはこう叫んだ。次騒ぎ出した者に、夏休み期間中の奉仕活動を設けると。

 それは、まぁ、黙るよね。またしても気持ちはわかるけどやっぱり落差が激しい。もはや葬式のような黙りっぷりだもの。

 しかし、今は黙ってても自由の身が確保されたら絶対に質問攻めだよな。まぁ遅かれ早かれバレはしたんだろうし、ナツには申し訳ないけど諦めるしかない。

 

「そ、そういうことなので、失礼します……」

「え、えぇ、機会があればまた今度。……大丈夫なの?」

「だ、大丈夫です。割といつものことなので」

 

 鳩尾を抑えながらヨロヨロとナターシャさんに近づくと、すぐさま笑顔が引きつっているのに気が付いた。

 けど痛みのせいでそんなことに構っていられない。それでも今できる最大限をもって、しっかり別れの挨拶をしておく。

 ナターシャさんからも挨拶を受け取って今度こそバスへ戻るため歩を進めると、背後から意外と頑丈なのねと聞こえたのは多分気のせいじゃない。慣れですよ、慣れ。

 ともあれ亀の歩みでバスへと戻ると、騒ぎはしないけどみんなの視線が一気にこちらへ向いた。なんだか入学当初を思い出す。

 だからこそ気にしたら負けというのが経験として残っている。僕は素知らぬ顔して席まで戻ると、そこで目撃したのは――――耳まで真っ赤に染めながら、身体を丸め、顔を両手で覆い隠しているナツだった。

 

「ごめん、さっきの感じからして隠す方針だったんだよね」

「ううん、それは全然、全然なんだけど、まさかこんな大勢の前でバレるのは想像してなくってぇ……」

 

 小声でそう語りかけると、特に気にしているわけではないというのはわかった。とにかく恥ずかしくて仕方がないだけのようだ。

 そうだよねぇ、ここまで同時に知らしめることになるのは想像しないだろう。仕方なかったとはいえ、僕が一番ビックリしてる。

 人の噂も七十五日なんていうことわざを信じるしかないかな。僕らがあまりにも恋人してれば、みんなも飽きてからかう気もなくすんじゃないだろうか。そういうわけなので――――

 

「ナツ、手」

「……うん」

 

 ナツへとおもむろに左手を差し出すと、ナツは照れ臭そうに右手を重ねた。やっぱり余計に視線を感じるような気が。

 うん、こうして大勢の前で堂々としていられるなら、やっぱり結果オーライなんじゃないだろうか。流石にキスとかはしないだろうけど。

 まぁ、これからはちゃんと節度を持って、ナツとの学園生活を楽しんでいくことにしよう。このつないだ手を、決して離さぬように。

 

 

 

 

 




本格始動と銘打ってこれだよ。
次回も次回で夏休み編のプロローグになりますし、真の本格始動はもう少し後になりそうですねクォレハ……。
結局のところグダグダではありますが、また年をまたいでお会いすることにしましょう。
それでは皆様、どうかよいお年を。



補足ですが、次回の更新は一月五日となります。


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第55話 ナツが始まる前に

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

新年初更新は夏休み編プロローグです。
なので大した話では――――と言いつつ、初期から読んでくださっていたみなさんにとって、いつもと違う晴人と一夏の様子をお届けできるかと。






以下、評価してくださった方をご紹介。

銭湯妖精 島風様 満咲花天様

評価していただきありがとうございました。


「日向くん、ちょっといいかしら」

「は~い……?」

「ごめんなさい、訂正するわ。ちょっとよくなくても、とりあえず話は聞いてほしいの」

「ええ、もちろん。どうかしたんですか?」

 

 授業合間の休憩時間でトイレに向かった帰り道。偶然か必然か、美術部顧問の先生に声をかけられた。

 先生は僕が振り返った途端にたじろぎ、お疲れなのはわかるがとにかく話だけでもと訂正まで入れだす始末。

 僕がどうしてこれほどにまで疲労困憊かって、フユ姉さんに予告されていた例の懲罰プログラムの実施がなされているから。

 ここのところ毎日のようにしつけと言う名の拷問のような訓練が続き、専用機持ちの大多数は身も心もボロボロな状態だ。

 無論よくても普通な体力と精神力しか持ち合わせていない僕は大多数に含まれ、先生にこうして気を遣わせてしまう様相というわけ。

 学期末のテスト週間に入ればそれで終いだとか言ってはいたけど、このままでは無事に夏休みを迎えられるかどうかも怪しいような。

 おっと、そんなことより、先生は本当になんの用事で声をかけてきたのだろう。とかなんとか言いつつ、実のところ心当たりはあるんだけど。

 

「その感じなら聞くまでもなんだけど、応募作品、完成してないわよね」

「はい、お察しのとおりです。締め切り、まずいですか?」

 

 やっぱり僕の読みどおり、先生は夏休み期間中に審査のある応募作品の催促に来たようだ。

 もちろん参加否参加は自由なのだけれど、こういう審査の話があれば必ず出すようにしているだけに、今回のは逃したくないんだよな。

 だというのに、無断出撃の件が絡んで本気で描く暇を確保することができない。その日が終わればベッドに直行するのが常だし。

 だけど締め切りのことを尋ねてみるに、どうやらタイムリミットは真に迫ってきてしまっているようだ。これは本気で焦り始めなきゃならないか。

 

「わかりました。とにかく、なんとか間に合わせてみせるので」

「それなら私もギリギリまで待つことにするわ。ただし、これを最終勧告くらいに思っておいてちょうだい」

 

 僕は筆そのものは進めば早いし、一日確保することができればなんとかなるんじゃないだろうか。今週の日曜日あたりに頑張ってみることにしよう。

 まぁその前に大きな関門をクリアしないとならないんだけど……。というより、まだその段階で足踏みしてると知られたらどうしよう。

 ……これに関して知られたら冗談抜きで説教コースかも。だから決して悟られぬよう、やけに自信をアピールしながら間に合わせると豪語した。

 先生からしても僕のそういった点については信頼がおけるのか、特に疑うような様子は見せずに歩き去っていく。

 騙したという事実はあれど、結局のところ間に合わせてしまえばいいのだから同じことではあるかな。じゃあ、そろそろ真剣に考えないと。

 

(テーマに合ったモチーフについて、ね)

 

 こういう審査される作品は、必ずといっていいほどお題のようなものが存在する。季節の風物詩とかそういう感じのやつね。

 締め切り間近だというのに、現段階でそれも決まっていない。偽りもなく、僕が今置かれている状況というのはまさに首の皮一枚といったところか。

 そのテーマというものが【あなたの大切な宝物】という内容で、僕にとっては描きたいものが多くて絞り切れない。おかげでずっと頭を悩ませている。

 なんなら絵を描くための右手だって宝物。絵を描くのに関係する道具だって宝物。この学園で出会えた仲間たちは宝物。という感じで、描きたい候補が次々出てきて収拾がつかない。

 実際のところ今となっては一択みたいなものなんだけど、それを描いて応募するっていうのに、どうしても躊躇いが沸いてしまうというか。

 いろいろ悩まないようにはなってきたけど、絵のことに関してはまたベクトルが変わってくるな。こう、芸術家特有のこだわりが発動してしまっているんだと思う。

 脳内でああでもないこうでもない言いながら歩いていると、とうとう一組の教室までたどり着いてしまった。せめて今日中にテーマくらい決めたいけど。

 

「ハル、おかえり」

「やぁ、ナツ。うん、ただいま」

 

 もうすぐ授業開始になるからか、僕の左隣の席にはきちんとナツが着席している。そして僕を見つけるなり、パッと表情を明るくしてからお帰りと迎えてくれた。

 昔ならトイレから帰ったくらいで大げさな、なんて言ってしまっていたろうけど。こういう何気ないやり取りって、本当に幸せなんだなって思う。

 ナツに言ったらどういう反応をするんだろう。とか考えながら座ると顔に出てしまっていたのか、ナツに何をニヤニヤしているんだと怪しまれてしまった。

 少なくとも、一組の教室内で――――僕って幸せ者だなぁと思って。なんぞ口にするわけにはいかないか。最近になって、ようやく僕らの関係についての騒ぎが沈静化してきたというのに。

 そこでナツには悪いけど、なんでもないよとだけ答えておく。向こうもそこまで気にしていたわけじゃないのか、ふぅんと首を傾げるばかり。

 

(……やっぱり間違いなく一択か。ナツに勝る宝物なんて、今の僕にあるはずないよな)

 

 勘違いしてもらいたくはないのだが、僕にとって最も大事という概念において、ナツは以前から不動の地位を得ている。

 だけど冷静になって考えてみてほしい。それこそ以前までならいざ知らず、今の僕が宝物というテーマにのっとってナツを描いて提出したとしよう。受け取った側はどう感じるだろうか。

 なんかほら、ねぇ……? この、なに……? っていう調子に、どう捉えていいのかわからない気持ちになると思うんだよね。少なくとも僕はなるぞ。

 そのあたりの理由で尻込みしてたけど、四の五の言ってる場合じゃなくなったから強硬するしかない。授業が終わったら、モデルを頼んでみることにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「快晴! 少し暑い気もするけど、絵を描くにはいい日和なんじゃない?」

「そうだね、今日雨に降られてたら詰みだったし」

 

 IS学園も日曜日となればオフであり、僕ら無断出撃連中も釈放される。ナツにモデルを頼んだところ、快く引き受けてくれて今に至るというわけだ。

 ちなみにだけどテーマは伏せてる。言えば喜んではくれるんだろうけど、同時に困らせもするでしょ。むしろわざわざ教える必要もないかなって。

 描く場所については、前にナツを探してたどり着いたベンチを選択。ナツとしてもお気に入りの場所らしいので、より自然体でいられるかなと思った……んだけどな。

 

「ナツ、もっと楽にしてていいんだよ。むしろそうしてくれると助かるかなって」

「その楽っていうのが難しくない!? 自然にっていったいなんだっけ……?」

「それドツボってやつだから! 自分の自然体まで見失うのは重症だって!」

 

 ナツにはベンチに座ってもらって、僕は少し離れた正面に腰掛け下描きを進めていた。

 最初のうちは全然よかったんだけど、だんだんナツの身体は石化していくかのように凝り固まっていってしまう。

 こちらに気を遣ってくれているのは明白なので、僕としては優しくアドバイスするつもりでもっと楽にと声をかけたんだけど、どうやらナツは考えすぎの域まで達してしまったらしい。

 硬直状態を解除したナツは、わなわなと手を振るわせて自然体とはなんぞや、なんていう不毛なことを自問自答し始めてしまう。

 ナツが真剣に取り組んでくれているからこういう事態になるなんて、どうにも皮肉に思えてならない。なら始めたばかりではあるけど、少し休憩がてらに会話を続けることにしよう。

 

「ナツ、もしかして張り切ってる?」

「そんなことは――――あるかも」

「まぁ、そうか。滅多に頼まれるようなものじゃないしね」

「そうだけど、そうじゃない。ハルにモデル頼まれるの、初めてだから……」

 

 ナツのソレは空回りと表現してもいい。なんでもそつなくこなすナツにしては珍しいことで、実は初めから違和感そのものはあった。つまりナツが妙に張り切っているということ。

 ストレートにその点について触れてみると、迷いながらも肯定の意思を示してくれた。それはわかったけど、まだ根本的な解決までには至らないな。

 なんとか会話の流れでそれを探ることができないかと言葉を選ぶが、ナツの方から白状してくれた。別に隠してたわけでもなさそうだけど。

 そうか、なんだかんだでモデルを頼むのは初めてだっけ。多分だけど、長時間動かないようにするのとか大変だし、そんなのナツに頼むのは悪いって理由なんだけど。

 でも初めてだからって張り切ってくれたってことは、そういうことでいいのかどうか。いや、そういうこと以外に他ないよな。

 

「ナツ」

「ん? ――――んぅ!?」

 

 何がそういうことかって、ナツは自身を被写体として選んでもらって喜んでいるであろうということ。そういうふうに思ってくれるのは、描く側からしたらもっと喜ばしいことだ。

 さっき言ったとおり動かないだけでも大変だろう。時には難しい注文を付けてしまうかも知れない。ナツだってそんなことわかっているはず。

 それを推しても喜んでいるということを察した瞬間、僕は一目散にナツの隣へと腰掛けその唇を奪った。だいぶ驚かせてしまったようだが。

 人目さえなければあまり我慢する気もないし、そのあたりは慣れてもらうことにしよう。これからもこうして幾度となく、突発的に唇を重ねることになるだろうから。

 

「……今のはなんのキスかよくわかんない」

「ナツが可愛いこと言うからだよ」

「ええ~……? それは、あ、ありがとう?」

「ん、どういたしまして」

 

 キスを終え互いの間に距離を置くと、一瞬だけど蕩けたような表情のナツが目に入った。しかし、僕に見られていることに気が付いたのか、ハッとした後にすぐ戻ってしまう。残念。

 そして口元を隠して目を逸らし、ナツはなぜキスされたかわからないと頬を染める。ナツが狙ってやってないからしたくなる時もあるんですよ。

 でもそれを指摘するとナツは一挙一動にも気を付け始めてしまうと考え、とにかく可愛かったからという理由で通しておいた。

 ナツはよくわかっていなさそうだったが、とにかく褒められたと捉えてかこちらに礼を述べる。そういうところが可愛いっていってるんだけどな。

 本当、一度タガを外してしまうと立て続けにしたくなってしまうから困る。とりあえず今は自重して、作画を再開することにしよう。

 

「とにかく、驚かせてごめん。それじゃ、そろそろ絵のほうを――――」

「あっ、ハル待って。ね、できればこのまま隣に居てくれないかなーって」

「そのほうがリラックスできそう? ならそうしよう。それはそれで面白い構図になりそうだし、一石二鳥ってやつだよ」

 

 軽く謝っておいてベンチから立ち上がると、ナツは僕の制服を掴んでそれを阻んだ。悪意がないのは言われるまでもないけど、それこそ少し驚いてしまう。

 おおげさなリアクションにならないようゆっくり視線を向けると、ナツはなんだか気恥ずかしそうに隣に居てとねだるではないか。

 この時点で僕の選択はほぼ確定。いや、別にお願いされた時点で、どんな状況だろうと最優先で従わせては貰うんだけど。 

 ナツのお願い通りにベンチへ座りなおすと、流石に窮屈なので絵を描くのに最適な距離を開ける。具体的には、ナツの頭の先から足の先が視界に収まるくらい。

 ……うん、やっぱり面白い構図になりそうだ。離したとはいえこんな距離感で描くって珍しいと思うし、なんならほぼ完璧な僕主観ということも伝わるんじゃないだろうか。

 

「エンジン、かかってきたみたいだね」

「うん、おかげさまで。というか、わかるんだ?」

「わかるよ。だって、なんかいいんだもん」

「はは、相変わらずそれなんだ」

 

 ナツは僕の鉛筆の動く速度を見てか、調子が出てきたようでなによりと声をかけてくる。向こうも僕が隣に居ることで本当にリラックスしてくれているのか、とても自然体で描きやすいことこの上ない。

 こうして会話も成り立つわ、軽口も飛び出るわで、どうやらもう変な心配をする必要もなさそうだ。なら後は、こちらも気楽にいかせてもらおう。

 とはいえ無理は禁物。僕もナツも集中力が命ではあるから、適度に休憩をはさみつつ作画を進めていく。

 そしてスタートから数時間が経過したころ、おおまかな配色までが完成した。よし、ここまでくればもうナツの手を煩わせることもない。

 というのも、僕にとってこれは下描きの下描きみたいなもので、ここからが本当の勝負といったところ。

 いつものとおり写真のような精密な描写をするためには拡大鏡とか必要だし、なにより今使ってる色鉛筆じゃ色が足りない。

 素人目からはどう色に差があるのか判別がつかないような、そんな膨大な量を必要とするため外での進行は不可能に近い。というわけで、感謝と共に今日のところは終わりであることを告げる。

 

「よし、完成! って、ひとまずなんだけどね。ここから先はもうちょっと設備が整った場所で続けることになるから、ここまで協力してくれて本当にありがとう」

「ううん、こんなのお安い御用だよ。それにハルと一緒に居られるんだもん。私からしたら、それだけで言うことないし」

「……そういうこと言うとどうなるか、さっき教えたからわかってるはずだけど?」

「ふふっ、わかってて言ってるとしたら?」

 

 あらゆる衝動を抑えられなくなった瞬間のことをムラっとするなんて言うが、僕が悪戯っぽく微笑むナツに感じたのはまさにそれだと思う。

 わかってていってるんですか、そうですか。つまり挑発ですか、そうですか。ならば据え膳食わぬは男の恥。有難く乗らせてもらうことにしよう。

 さっきのはかなり個人的だったとでもいうべきなのか、少なくとも強引であったことは否めない。

 だが今回のは半ば合意の上。多くを語るのは野暮にあたるが、ナツは僕を意図的にキスへと導き、また僕もその導きに対して迷いなく誘われた。

 ならば相手を愛しく想い、慈しむように臨むのが道理というもの。ゆえに僕は頬を撫でることでナツを愛で、それから唇を重ねた。

 その間持て余してしまっている右手をどうしようかと考えていると、ふと件のその手に暖かな感触が宿る。間違えようもなく、ナツが僕の手を取っているんだ。

 しかしそれはただ握るような感じではなく、大げさに表現するならマッサージでもするような触り方に思える。……もしかして、さっきまで絵を描いていた右手を労ってくれているのかな。

 

(あぁ、本当に……可愛い女性(ひと)だよ、ナツは)

 

 ナツは昔からして尽くすタイプの人間であることは知れたことだが、僕を特別に想ってそういう行動に出ていると考えれば、ひどく興奮してしまう僕がいた。

 今すぐにでも僕の理性を縛る鎖を取り払ってしまいたい。もっともっと深くまでナツを愛し尽くしたい。……多分ナツは、男にそう思わせることにかけては天才的なんじゃないだろうか。

 あぁ、くそっ、奥手だったはずの僕に、ここまで思わせるナツはいったいなんなんだ。愛しさなんてとうに限度まできていたと感じていたのに、どこまで想ってもまったく足りない。

 許されるのなら、いつまでたってこうしていたい。時なんて永遠に止まってしまえばいいのに。この幸せをいつまでも、どこまでも――――

 

「ナツ、大好きだ」

「私もだよ、ハル。大好き」

 

 空しことだが、始まりがあればいずれ終わりはくる。僕らはいつものように示し合わせるわけでもなく、どちらともなく唇を離した。

 だけどなんだか名残惜しくて、僕はナツを抱きしめて心に宿る正直な気持ちを口にする。ボキャブラリーが少なくて、ナツには申し訳ない気分にもなるが。

 というより、やっぱりキスなんかをした直後だと、頭の芯が痺れるような感じがしてあまり思考がままならない。だからそういう、単調で単純な、それでいて率直な言葉しか出ないのかも。

 なるほど、だとするならよくできたものだ。そして、だからこそ欠かしてはならないことだとも思う。これからも囁き続けよう。この胸に宿るナツへの底知れぬ愛を。

 

「……あ」

「ハル、何か思い出したりしたの?」

「いや、そうじゃなくて、まずいなぁと思って。良い意味でなんだけど」

「なにそれ、もったいぶらずに教えてよ」

 

 そのあたりまで考えて、とあることが頭を過った。それを合図に僕らのハグも終了してしまうが、ナツに不満そうな様子もないし大丈夫かな?

 冗談でもなんでもなく、本当にこれはまずいのかも知れない。どうしてすぐ思い立たなかったのか、それはやっぱりナツと家族の期間が長すぎたからなんだろうなぁ。

 何がまずいって、それこそ夏休み以外のなにものでもない。僕とナツの事情というよりは、日向家と織斑家の事情を考えてみてほしい。だってそれって――――

 

「同棲」

「はい?」

「僕らほぼ同棲状態になるじゃないか。あんまりあれだと、幸せ過ぎて死んじゃうかも」

 

 むしろ好きでなくても、ナツみたいにあらゆる面で素晴らしい女性と半同棲状態でどうして平気だったのか、あの頃の僕に事細かく聞いてやりたい気分だ。

 まぁ聞いたところでどうせ――――はぁ……? その、俺みたいなのとナツの間に、何も起きようがないし……。とか寝ぼけた答えが返ってくるんだろう。どうしようもないな俺の時の僕。

 今からナツと過ごす一か月強を想像するだけで幸せが過ぎる。

 毎日のようにナツに起こしてもらい、ナツの手料理をふるまわれ、一緒に家事をしたり遊んだり、たまにはどこかへ遠出したり。……同棲どころか内縁って言ってもいいんじゃない?

 ああ、素晴らしきかな夏休み。ただ、僕のハートが持ってくれるかどうかは状況によりけり。みたいなことを言うと、ナツは少し面白くなさそう。

 

「例え冗談でも死んじゃうなんて言わないで。私、本気でスキンシップとか減らすの考えちゃうよ」

「それは嫌だな。ナツには一秒でも長く触れていたい」

「そ、それはどうも……。と、とにかく! 同棲ごっこできる機会なんて滅多にないんだし、日ごろ頑張ってるご褒美とでも思って楽しもう?」

「……そうだね。うん、そう言ってもらえたら平気そうな気がしてきた。むしろドンとこいって感じ」

「ふふっ、その意気その意気」

 

 どうやらどういう形でも、ナツの隣から離れる旨のワードはNGみたいだ。こう言うとおこがましいのかもだけど、愛されてるなぁ。

 いざ本人から減らすと宣言されては立つ瀬がない。慌てるまではいかないが、どうかそれだけはご勘弁をと伝えてみる。

 そういう機会なんて滅多にない、か。確かにそう考えると、急に一か月強が短いように思えるから不思議なものだ。ならナツの言うとおり、毎日を全力で楽しもう。

 後は、いくつかデートのプランでも練っておかなくては。なんだかんだ、恋仲になってから外出しようにもできなかったし。

 よしよし、なんだかだんだん楽しくなってきたぞ。この調子で、ナツとのかけがえのない思い出を刻んでいくことにしよう。

 ま、何はともあれ、やっぱり絵を完成させてからの話ではあるんですけどね……。

 

 

 

 

 




ネタバレですが、夏休み編はずっとこの調子で進めます。
キスしない回のほうが珍しい。くらいまであるんじゃないでしょうか。
多くて十話くらいを予定しているので、皆様に糖分を供給できるよう頑張りますので。






ハルナツメモ その25【受賞歴】
こういった作品応募において、晴人はこれまでにそれなりの受賞歴がある。
が、佳作だったり審査員特別賞だったりと、十分凄いことながらも未だ最優秀賞の経験というものがないらしい。
だが【俺】から【僕】へと気分転換したことにより、絵にも若干の変化が現れた。端的に言えばより上手になったということ。
しかも今回はモチーフが一夏なうえにテーマがテーマということもあり、気合もひとしお。
これはもしかしたらもしかすると……?


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第56話 分け合うこと

まずはいつも応援いただける皆様への謝辞から入らせてください。
この度ハルトナツですが、10万UAを突破させていただきました。
UAこそ単純に皆様にご愛読していただけている証拠でございますので、感謝やらなにやらで胸がいっぱいです。
これからも皆様に楽しんでいただける作品を提供することこそ、私のできる最大のお返しだと考えているので、どうか変わらぬご愛顧賜わりますようお願い申し上げます。

本編の方ですが、夏休み編本格スタート一発目ということでして、自宅で緩めに戯れる二人の姿をお送りします。





以下、評価してくださった方をご紹介。

ザイドリ様 クラップスターナー様 MinorNovice様 らぶデス様

評価していただきありがとうございました。


 レム睡眠という言葉を聞いたことがないだろうか。身体は休眠状態にあっても、脳はまだ活動状態にあるというアレのこと。

 要は今の僕がそのぼんやりとした状態にあるって言いたいんだけど、なんだかいつもと心地よさというものが違うのを感じていた。……これは、頭を撫でられている? 

 特筆すべき特徴のない僕の髪に手を滑らせ、まるで安心させるような手つきで、一定のリズムを刻みながら頭を撫でているようだ。

 なんだかとてもいいな。頭を撫で続けられる限り、永遠にまどろみへと閉じ込められてしまうのではないかというほどにそのくらい心地よい。

 でも僕が起きるか起きないかの時間帯に現れ、僕の頭を撫でることのできる人物なんて一人しか浮かばない。そして、その人物がなんの目的で現れたのかも理解できる。

 この心地よさを手放すという意味も含め、起きると決意してもなかなか身体のほうが付いてきてくれないもので。僕は自分でも想像以上にノソノソと身をよじらせてから上半身を起こした。

 

「ナツ、おはよう」

「おはよう、ハル。起こしちゃった?」

「そんなの構わないよ。寝ても覚めてもナツしか頭にないんだし」

「ふふっ、ちょっとクサい」

「はは、それは残念」

 

 まだぼんやりとする目元をこすって視界をクリアにすれば、飛び込んできたのは想像どおりにナツの顔だった。

 僕の寝顔を見て楽しいのだろうかと疑問に思ったが、僕もきっとナツの寝顔は見守ってるだけで楽しいだろうから、きっとそういうことなんだろう。

 いつからそうしていたかは知らないけど、ナツは挨拶を終えると僕に謝罪をひとつ。

 昔だって目くじらを立てるほどのことでもないけど、今の関係でならば軽快なジョークを飛ばしておけば不満はないと伝わるだろう。

 でも投げかけた言葉そのものは本気だけどね。冗談交じりに言っただけで。だから細かく表現するなら本気の冗談? ……なんか混乱してきたから止めにしておこう。

 向こうも冗談の類であることをわかっているのか、照れ臭そうに微笑んでから鼻をつまむようなジェスチャーをみせた。

 だから僕も更に冗談めかして返す。わざとらしく、むしろ海外のコメディアンのように大げさに肩をすくめてやると、しばらく沈黙してから二人してクスクスと笑いあった。

 

「朝ごはんできてるよ。冷めないうちに降りてくること」

「わかった。すぐ支度するから」

 

 ナツはベッドから立ち上がると、かつてから変わらない事務的なひとことを口にした。ただ、いくらか口調は柔らかいような気がする。

 僕の返事に満足そうに頷くと、ナツは軽く手を振ってから部屋から出て行った。ナツに気配が完全に消え去ってから、すぐさま着替えを――――始めることはなく、しばらく悶えて時間を取られてしまう。

 夏休み初日からなんだこの幸せ全開のやり取りは。ナツが恋人になった時点でわかり切ってはいたことだけど、こうも幸せだとやっぱり身体が持たないぞ。

 い、いや、少し落ち着こう。だってこんなの絶対に序の口なんだもの。こんなので悶絶してたらきりがないし、なによりナツを心配させてしまう。

 深呼吸しながら立ち上がった僕は、まだまだ浮ついた頭で着替えを始めた。リビングへ降りる頃には、いつもの調子を取り戻しておかないとな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと日差しがきついけど、張り切っていこー!」

「ん、お互い倒れない程度にね」

「そこはもちろん。ハル、体調が悪くなったらすぐに言わなきゃだめだよ」

 

 夏場冬場にかかわらず家事は総じて大変だとは思うが、炎天下で洗濯物を干すのは場合によって命に直結すると思われる。

 ゆえにいつもと異なり帽子着用のもと庭へと出て、僕とナツのタッグで行われる洗濯物干しを開始。手早く済ませて手早く屋内へ退避することにしよう。

 そのせいか、お互いほとんど会話もなくどんどん作業は進んでいく。流石に家事において恋人らしさを求めてるわけではないが、なんだか寂しく思えてしまう僕はやはり重症みたい。

 いやいや、一緒に家事やってる時点で恋人らしさも含まれているじゃないか。くだらないことを考えてる暇があったら、さっさと手を動かせって話ですよね。

 

(……って、あれ?)

「ハル、どうかした?」

「あぁ、うん、ちょっと思うところがあったっていうか」

 

 ナツに対するちょっとした疑問がわいたため、僕の視線は隣の彼女へと向けられた。

 そんなに見てたら何か用事があるのは一目瞭然なわけで、視線を感じたらしいナツは僕に首を傾げながら訪ねてくる。

 その疑問というやつは、意外といろいろやらせてくれてるなってことだ。

 どういうことかというと、ナツはどちらかといえば尽くすタイプな節がある。こう、なるべく私に任せてくれたら大丈夫だからね、みたいな。

 恋仲になったとなれば、てっきりそれが全部やってあげるからねに昇華するんじゃないかと。でも僕の予想に反して、いろいろやらせてくれるというわけ。

 素直な考えをそのままナツに伝えると、なんだか気まずそうにあ~……と唸り、視線があちらこちらへと動き回る。心当たりがあると見ていいのだろうか。

 

「それ、思ったことあるよ。ハルのお世話しまくって骨抜きにして、もう私なしじゃ生きていけないようにしちゃおっかなー……なんて。……引く?」

「いいや、全然。というか、もはやナツなしじゃ生きていけないから同じことじゃないかな」

「それは、むぅ……ありがと」

 

 やっぱり心当たりがあるんですか。骨抜き、ねぇ? そんなのもうとっくの昔にそうなんじゃないかとも思うけどな。それこそ、ナツの性別がどちらであろうと。

 早い話がどのみち手遅れ。冗談抜きでナツの生きていない世界なんて無価値に等しいので、あまり気にしないようには声をかけておく。

 僕の本気の言葉をどう捉えたのかは知らないけど、ナツは口先を尖らせながら感謝を述べた。朝みたく冗談めかしてくれてもよかったのに。

 

「でも実際付き合ってみて、なんかそういうの違うなーって感じ始めて――――」

「うん、そうだね。少なくとも僕は、ナツとなんでも分け合いたいって思う」

「っ……! 今から私もそう言おうとしてたのに、先に言っちゃわないでよぉ……!」

 

 ナツに本気で骨抜きにされれば秒で陥落するだろうし、それもそれで幸せの形のひとつなんじゃないだろうか。

 けど僕にはナツを世界一幸せな女性にするという使命がある。まぁ使命感でやってるわけじゃないけど。

 とにかく、一方的に愛を注がれ続けたのなら僕の願いは叶わないと思う。前置きからして、ナツがそれを望まないってわかった以上は論外だ。

 だから僕は、ナツと分け合いたい。楽しいことや幸せなことはもちろんのこと、辛いことや苦しいことだって。様々な物事をナツと共有していきたい。

 僕の言ったことはまさにナツが言おうとしたことそのものなようで、ナツは少し泣きそうになりながら僕の服の胸元を掴んだ。

 別に予測していたわけでもないのに、ナツと同じ考えだったことがなんとも嬉しい。ナツも同じことを考えてくれている。

 これこそまさに有言実行。僕らは分け合うことに関して話しながら、幸福を分け合っている。だとするならやはり、手放しがたい感覚だ。

 相も変わらず、今日も今日とて愛おしい。ナツを慰めるように頭を撫でていた手は、いつしか頬へと伝っていく。

 僕らの中でそれは合図のひとつ。ナツは一歩引いてから僕を見上げると、静かに目を閉じた。それを完全なる了承とし、僕も目を閉じ唇を重ねる。

 だが今日の僕はそれだけでは止まらない。単にマンネリを防ぐ目的も含まれていたけど、少しアレンジを聞かせることにしたのだ。

 いつもは長時間重ねたままにしていたが、今回は少し重ねてからは離して、また重ねてを繰り返す。いわゆる啄むようなキス、とでも言うのだろうか。

 いつもより多めに水音がするのは当然のことであり、そしてその音が僕を奮い立たせる。なによりナツの切なそうな嬌声が、だんだんと思考を遠ざけていくかのようだった。

 

「「…………」」

「最近、流石にちょっと気安いかな」

「ううん、ハルがしたいなって思った時にして? 私はいつだって受け入れる。それにね、きっとハルがキスしたいって思った時は、私もしたいって思ってる時だから……」

「そっか、じゃあこれからも遠慮なく」

 

 いったいどのくらい重ねて離してを繰り返しただろうか。数えるのも馬鹿らしくなったころ、僕らのキスはようやく終わりを告げた。

 そうして僕らは見つめ合う。余韻を楽しみつつも、お互いにいろいろなことを伝え合うために。

 僕はまずひとつ、キスのボーダーラインがだんだんと緩くなってしまっていないかと口にした。いや、照れに負けてしてしまったと言ったほうが正しいか。

 でもそれはいらない懸念だったみたいで、ナツは恥ずかしそうに頬を染めながらも嬉しいことを言ってくれる。ならば遠慮しないのが礼儀というものだろう。

 そんな僕の宣言にナツははにかんでみせるが、次の瞬間いきなりハッとしたような表情をみせた。多分だけど、屋外の日中ってことが関係してるんだろう。

 誰に目撃されてもおかしくはないし、仮にそうなるとしたらご近所さんたちで確定してるから。

 

「おかしいな、今いつでもどこでもって言ったばかりじゃないか」

「もう、ハルの意地悪! ほら、さっさと片付けるよ!」

「ははは、そうだね」

 

 好きな子に意地悪したくなる心理がようやくわかったというか、やっぱりたまには拗ねたところを見たいよねって話し。

 僕が意識して顔をニヤつかせながらそう言ってやると、ナツは更に顔を真っ赤にしてから怒り始めてしまった。期待どおりに拗ねた姿もまた愛おしい。

 恥ずかしさを紛らわせるべく洗濯物干しを再開させるつもりなのか、ナツは豪快にかごの中に入っていた服をつかみ取る。

 これ以上の意地悪は過ぎたるものだと判断――――というかさっきので僕も満足なので、大人しくナツの言葉に従って手を動かし始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、まさか料理も一緒にやらせてもらえるとは」

「キーワードは分け合うこと、ですから。ふふっ」

「じゃあ、皿洗いも一緒にね」

「うん、もちろん!」

 

 物干しが終わればお互いしばらくフリーな時間が続き、僕はリビングにて絵を描いていた。するとナツが、ふと手伝ってほしいと声をかけてきたのが始まり。

 何事かと思って話を聞けば、昼食の準備を手伝ってほしいとのこと。これを聞いた瞬間、僕は本当に嬉しくて小躍りしてしまうほどだった。

 どうしてかって、ナツにとって厨房は絶対的な領域――――いや、聖域と表現しても差し支えがないのかも。

 そんな場所に僕を入れた上に、ド素人に手伝ってほしいなんて言うんだよ? ナツにとっての料理がどんな意味かを知っている僕からすれば、これを喜ばずにどうしろとというレベル。

 それこそ皿洗いの時には立っていた台所は、ナツが隣に居るというだけでとても景色が違って見える。きっと幸せな証拠なんだろうなぁ。

 

「ところで、メニューは決まってるの?」

「ずっと前から思ってたことなんだけど、ハルと恋人同士になれたら一緒に作りたいものがあって」

 

 素朴な疑問をぶつけると、ナツは僕を避けて冷蔵庫を開いた。そして次々と食材を取り出し、僕へと手渡していく。えーっと、そこらに置いたのでいいのかな。

 卵に鶏もも肉に玉ねぎ、にんじん、後は各種調味料。これだけみればだいたいわかるというか、むしろ僕にとってはなじみ深い材料ばかりだ。

 

「ずばり、オムライス!」

「くそぅ、大好きだ!」

「なんか調子狂うなぁ。でもありがとう。私も大好きだよ」

 

 恋人同士になれたらという前提で、一緒に作りたい料理があって、それが僕の大好物とかもうほんとこの子はなんなんだ。

 いろいろと気持ちがいっぱいいっぱいになった僕は、両手で顔を隠しながらシンプルに溢れる気持ちを述べた。というか叫んだ。

 かつてのナツなら――――オムライスが? 知ってるけど? みたいなことを言い出していただろうが、しっかりナツのことをというのは伝わったらしい。

 チラリと横目でナツの様子を確認してみると、頬を染めつつ少し複雑そうな表情を浮かべていた。でも、僕の言葉そのものを迷惑と思っている節はなさそう。それならなんだっていいんだけど。

 

「ナツ、僕は何をすればいいかな」

「にんじんの皮むきをお願い。はい、ピーラー」

「包丁は追々、だよね。そりゃそうか」

「私が教えるから、夏休み中に練習しようよ。あ、でもピーラーだって危ないから油断しないこと」

「ん、了解」

 

 気を取り直して僕のすべきことを確認すると、にんじんとピーラーを手渡された。

 僕だって調子に乗ってるわけではない。いきなり包丁を持たせるなんて危ないであろうことはわかっているけど、過保護なのも否めないような。

 そんな微妙な心境でそれらを受け取りながらぼやくと、ナツは包丁の扱い方をレクチャーしてくれるとのこと。これは棚から牡丹餅というやつ。ひとつナツとの時間を共有できる口実が増えた。

 とはいえナツの油断は禁物という言葉も本物だ。ピーラーは要するに皮むき器。下手をすると皮膚を削いでしまうなんてことも――――

 ……止めておこう、考えただけで気分が悪くなってくる。そんなスプラッタなことになってしまったら、二度と手伝わさせてもらえなさそうだなぁ。

 

「私は私のペースで進めるけど、あまり気にしなくてもいいからね」

「慌てず騒がず真剣に頑張るよ」

 

 ナツはそれだけ言うと包丁を手に取り、プロ顔負けなのではという手際で玉ねぎをみじん切りにしていく。タンタン、トントンと鳴る小気味いい音が耳に心地よい。

 そんなプロ級なお方を隣に添えて、僕もピーラーにてにんじんの皮むきを開始。忠告どおり焦ることなく、それでいてナツを待たせることのないようなペースを心掛けて手を動かす。

 うーんしかし、本当に家庭科の実習とかでしか調理器具を触ったことがない僕ってなんなんだろう。ナツが頑なだったのもあるけど、またそれは別の話だよな。

 僕がしているのなんてごくごく簡単な作業だけど、やっぱりナツと一緒となると楽しいや。このまま料理の楽しさに目覚めて、いつしか僕の手料理をナツに食べてもらいたいものだ。

 とかなんとか言ってる間に皮むきは終了。ナツも玉ねぎを刻み終えたようで、今度は僕から受け取ったにんじんをサイコロ状にカットしていく。

 

「フライパン、温めてようか」

「うん、よろしく。ふふっ、いいねいいね、息あってきたじゃない」

 

 タイミングがいいとはいえナツがにんじんを切り終えるまでは手持ちぶさたなわけで、僕はすべきことを考えてナツへと提案。許可が下りたのでフライパンを取り出し油を引きまして―っと。

 料理においてはあまり往年のコンビネーションが発揮できないとでも思っていたのか、ナツはなんだか得意気に何度も首を頷かせてみせる。

 やはりこれまで培われてきたものが意味を成しているとなると、家族だった期間も完全に無意味ではなかったのかな。

 まぁ、それこそ過去の僕に将来ナツと付き合ってますって教えたら、いろいろややこしい話にはなるんですが。

 そうやって第三者でも居たならば舌打ちの嵐が飛んできそうなやりとりを交わしつつ、僕らで初めて一緒に作った記念すべき料理――――オムライスが完成した。

 

「それじゃ、いただきます」

「はい、どうぞ」

 

 冷めないうちにテーブルへと並べ、きちんと両手を合わせいだだきますと一礼。スプーンを手に取り、一口大に掬ったオムライスを口に運ぶ。

 何の変哲もないベーシックなオムライスなはずなのに、今日のは特別美味しく感じられた。それこそグルメ番組のように美味しいと叫んでしまいそうなほどに。

 自分も手伝ったというのもあるんだろうけど、何よりナツのと関係の変化が味にまで影響が出ているんだと思う。

 それはきっと、愛情とか幸せとかの味。やっぱり一緒に僕の好物を作りたいって、そう言ってくれたのが一番効いているようだ。

 そうやって一口一口ナツの愛情を噛みしめる想いでオムライスを食べ進めていると、向かい側に座るナツはとても和やかに僕を見つめる。

 

「ごめん、別に他意はないんだけど、本当に好きなんだなぁって」

「うん、好き嫌いとかないに等しい僕にとって、唯一特別なメニューだから」

「そういえば理由とかって聞いたことないけど、なんかそこまでこだわるようになったきっかけってあった?」

「あ~……昔ならいざ知らず、今じゃ完全に惚気になっちゃうけど……聞く?」

「それならなおさら聞きたい!」

 

 オムライスを除いて、これが好きという食べ物はない。ナマコをのぞいて、これが嫌いという食べ物はない。多分だけど、ナツに美味しいものばかり食べさせてもらった影響だろう。

 だからこそ僕がここまでオムライス好きなのが今更になって不思議なのか、ナツはこめかみを突いて昔のことを思い出そうとしているようだ。

 むしろ僕からすれば忘れてしまっているんだなとも思うけど、ナツにとって料理は日常になっていってしまったのだから無理もないかも知れない。

 本当に、僕がオムライス好きな理由なんてちょっとしたことだ。けど、今となっては惚気そのもの。……だからこそナツはますます聞きたいそうだ。なら、愛しい女性のリクエストに応えるとしようか。

 僕は羞恥心をかなぐり捨て、ナツに理由を話した。

 

「ナツが僕に初めて作ってくれた料理だからだよ」

「へぇ、私がねぇ。…………へぇ!? そ、そうだったかな。う~ん、あんまり記憶にないかも」

「ほら、保護者が揃って家に不在な時があったじゃないか」

 

 母さんは僕らが小さいうちは無理してでも家に帰ってくれていた。家事をひととおり済ませて、嵐のようにまた会社に戻っていくのが常だったけど。

 でもそんなある日、今日は母さんも父さんも帰宅できないという一報が。そういう日はもちろんいくらかあったけど、僕らにはまだ爺ちゃんとフユ姉さんが居た。

 そういう場合は爺ちゃんないしフユ姉さんが総菜とかコンビニ弁当を買って帰宅する手筈だったのだけど、その日はあいにく宿泊研修……だったかな? ないし学校行事で不在と。

 そして爺ちゃんは絵のことが絡んで出張……。完膚なきまでに詰みの状態であった。そこで僕は何かしら出前を取ることを提案したと言うのに、何を思ったのかナツが――――

 

『きょうはおれがつくってやるよ!』

 

 とか言い出すもんだから、僕は心底から信用できない目でナツを眺めたのをよく覚えている。で、作ってくれたのがオムライスというわけ。

 それはナツにとっても初挑戦の料理だった。ゆえにご飯は固いわ、野菜は半生だわ、味は薄いわ、卵でご飯を包めていないわ、本当に散々だった。

 もちろんそんなもの美味しくもなんともない。けど、ナツが僕の寂しさを紛らわせるためにとってくれた行動だっていうのはわかってたから、味どうこうの問題でなくて、こう……心が満たされるような気分だった。

 だから僕にとってオムライスというのは特別なメニューであり、僕の揺るがない大好物なんだ。とてもとても、大切な思い出がくれたものだから。

 

「そっか、そうだ! 私が料理始めたきっかけって――――」

「そういえば、美味しくないって言ったらすごく悔しそうだったよね。だからリベンジだーとか言って、母さんに料理を習い始めたんだったか」

「……でもハルは、全部食べてくれた。それも始めた理由だよ。手料理を食べてもらえるのって、嬉しいことなんだって」

 

 僕もなるべくナツを傷つけないように本当のことを言ったつもりだったんだけど、往来の負けず嫌い気質が発揮されてか、ナツはよく料理をするようになったんだった。

 細かい部分に関しては忘れてしまっていたみたいで、こうしてナツと話していてようやく思い出した。……はて? それなら他の家事は何がきっかけだったんだろ。

 でもナツ曰く、リベンジだけが理由じゃなくて、僕があの日のオムライスを残ら食べきったことも含まれているとか。

 なるほど、それが回り回って今に繋がっているのなら、あの日の努力も無駄ではなかったというわけだ。

 

「ふふっ、そうなってくると、オムライスって私にとっても特別なメニューなのかも知れないね」

「せっかくだし記念日にしてみる? 今日から毎年この日はオムライス記念日」

「あはは、いいねそれ。うん、いいと思う。私たちだけの特別が増えるっていうのは、すごくいい」

 

 ナツにとっては初めて作った料理で、料理を本格的に始めるきっかけで。僕にとっては大切な思い出で、だからこその大好物で。

 大げさなな言い方をするのなら、オムライスは僕らの繋がりのひとつなのかも。何かが違えば今がないのではとすら思える。

 僕は冗談半分で記念日にしてみてはどうかと提案してみると、ナツは意外にも乗り気で僕の言葉を肯定した。けど、最後の部分を聞けば僕も納得だ。僕らだけの特別、か。

 僕らだけが呼び合うハル及びナツ然り、確かに僕らだからこそ通じるルールというのはとても尊いもので、そんな尊いものを僕らの手で増やしていける。なんて素晴らしいことなんだろう。

 

「ナツ、これからもよろしく」

「うん、こちらこそ」

 

 僕はナツの言葉に賛成する代わりに、想いを伝えたあの日に言われたことをそのまま返した。末永く僕らの特別を増やそうという宣言のつもりだ。

 ナツは僕の意図を読み取ったのか、姿勢を正してから深々とお辞儀をしてみせる。そうまでされると恐縮してしまって、僕も思わず下げた。

 二人同時に顔を上げるとしばらく見合わせ、少しだけ苦笑い。ここまで形式的なもののきっかけがオムライスだから、というのが大きかったり。

 それこそやろうと思ったらこんなやり取りいつまでも続いてしまうので、そういう話はいったんここまで。さもなくば、本格的にオムライスが冷めてしまう。

 僕らはあまりマナー違反にならないように談笑をはさみつつ、食事の手を進め直すのであった。

 

 

 

 

 




この話を描き終えた後しばらくしてから、晴人のオムライス好きをもっと、むしろ隙あらば描写しておくべきだと思った(小並感)
実は晴人が本編で語った理由は連載前から決まっていた設定なので、描写の少なさゆえなんだかいまいち響くものがないような気がしてならないと言いますか。
本当はオムライスについて熱く語って、鈴あたりに強制的に止められる……みたいなシーンも入れたかったんですが、こんなことに尺を割いてもとか迷っていたらこの始末。
作者が躊躇ってどうするんだオラァァン! というわけですので、思い切りを大事にしていこうと思いました(反省文)





ハルナツメモ その26【ナマコ】
超がつくほどちなみになのだが、晴人がナマコを嫌いな理由はその見た目。
曰く地球上の生物とは思えない。強いて表現するなら遊星からの物体X。とのこと。
つまるところ食わず嫌いである。
なぜ目にする機会があったかと聞かれれば、晴人の祖父である晴善が好んで酒の肴として食べていたから。
薄くスライスしておろしポン酢で食すと非常に美味。


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第57話 涼を求めて

夏休み編ということで、夏に関わりのある内容にはなっていると思います。
サブタイトル詐欺であるのも否めないですけどね、いろんな意味で。


 八月が近づくにつれ、本格的に全国各地を猛暑が襲い始めた。テレビでも連日のように最高気温記録更新という報道が続いている。

 これも人類が発展するために環境を顧みなかったツケか、なんて大それたことを考えたところで涼を求めてしまうのが人間の愚かしいところなわけで。

 僕もその例に漏れずといきたいところなんだけど、昔からナツがそうさせてくれなかったりするんだこれが。

 現在は家事もひととおり済み、それぞれの自由時間に入っている。僕はリビングで絵を描き、ナツも同じくリビングで本に目をとおしているようだ。紙の擦れる音が聞こえるから多分そう。

 さっきご説明したとおりに本日も猛暑、というよりもはや酷暑。にもかかわらず、現在リビングでは強に設定された扇風機が首振りで放置されているのみ。

 ナツとしては居候の身ゆえか、何かと節約を気にかけている。電気やガスや水道といったものの無駄遣いを見逃してはくれないのだ

 別にケチだと責めたいわけではないが、こういう死活問題になった場合くらい融通が利いてもいいんじゃないだろうか。とは思う。

 流石に自室での使用まで制限されているわけではないから、部屋にこもってしまえばいい話ではある。しかし、なるべくナツを視界にとどめておける範囲に居たいしなぁ。

 

「ナツ」

「だーめー」

「さいですか」

 

 そう思って名前だけ呼んで意志を伝えるアレをやってみるも、帰って来たのは短い返答のみだった。ちょっと可愛かったから精神的ダメージは皆無だけども。

 ナツがそう言うなら仕方ないで諦めてもいいんだけど、絵を描いてる時には汗が気になるんだよなぁ。水分は紙の天敵なのは言うまでもないだろう。

 さきほどから定期的にタオルで拭くという対策をとっているが、まだ時分は朝だからこれから気温も上がるってことだよな。……昼が過ぎたらそういう理由があるんですと、再度説得を試みてみることにしよう。

 しかし、無風なのが悪いんだよね、無風なのが。窓という窓は開けて風とおしをよくしてはいるんだけど、いかんせんその風が吹かないから――――

 ……ん? 風……? そういえばおかしいな。一応でも扇風機は回しているのに、どうしてさっきから全く風を感じないのだろう。

 そう思って僕が扇風機に視線をやると、信じられないものを目撃してしまうのだった。

 

「ちょっと何やってんの!?」

「げっ、ばれた……!」

 

 何かって、よく見てみるとナツは扇風機の前に陣取っているじゃないか! 絵を描くのに集中し過ぎたのか、全く気が付かなかった。

 それだけなら僕だって、そこまで声を荒げることはなかったろう。あろうことかナツは、扇風機の首振りに合わせて身体を左右に揺らしている。そりゃ全く風を感じないはずだよ!

 流石にこいつは黙ってばかりではいられない。僕は超速で使用中の色鉛筆をしまうと、ドタドタと床を踏み鳴らしながらナツの隣に座り込んだ。

 

「げっ、ばれた……じゃないよ! どの口がクーラーつけちゃダメとか言ってるのさ!」

「い、いや~……集中してたっぽいし大丈夫かなーと。あ、ちょっと押さないで!」

「ナツ、ここは対等にいこうよ。しばらく僕が占領したって、キミの自業自得なわけだし」

「だからってそう強引なのはよくないと思うなーどうなのかなー!」

 

 これは一種のボケとツッコミの応酬パターンのやつなんだろうけど、きっと暑さのせいで僕もナツも心底うんざりしてたんだ。

 僕らにしては珍しくハッキリと口ゲンカにカウントしなければならないような、そんなやりとりを繰り広げてしまう。

 グイグイ押しては引いては扇風機の前に陣取ろうと攻防を繰り広げ、セミの鳴き声にも負けないくらいワーワーと声を上げ続けることしばらく、ここにきてようやく気付けたことがひとつ。

 ――――――――――――このやりとり、ものすごく不毛! 暑くなるばっかり!

 

「……ごめん」

「こちらこそ……」

 

 汗を全身から流し肩で息をし始めたあたりでそのことに気づき、しばらくの沈黙の後僕は思わず謝罪を述べた。

 ナツも事の発端が自分であることを素直に認めたのか、そのままノソノソと移動してクーラーのリモコンを操作し電源を入れた。

 そして僕らは無言で窓を閉めにかかる。これは気まずいとかではなく、不毛な攻防のせいで無駄に体力を消耗してしまっただけのことである。

 そうなるとどうしようか、一気に絵を描く気力がなくなってしまったぞ。充電の意味も兼ねて、涼しいリビングで仮眠でもとることにしようか?

 

「あぁ、そうだ!」

「ん、どうかした?」

「ハル、少し休憩したら海かプールに行かない?」

 

 なんだか微妙な空気感を斬り裂くかのように、ナツが突然手を叩いて妙案が浮かんだと言わんばかりの声を上げた。

 いったいどうしたのかと尋ねてみると、ナツは目を輝かせながら海かプールに向かわないかと僕に提案してくるではないか。

 なるほど、確かに水場へ出かけるのもまた涼を求めることになるだろう。夏休みに入って、まだ明確にデートに分類する外出はしていなかったりするし。

 けど僕の中にあるひとつの懸念が、すぐさま首を縦に振らせない。どころか、本音を言うのなら僕はすぐにでも断りの意思を伝えたいほどだった。

 

「う~ん、海かプールねぇ。う~ん……」

「あれ、てっきり二つ返事でオーケーしてくれると思ったんだけど……」

「いや、何も出かけるのが面倒とかそういう話じゃないんだよ!? 僕だってナツとデートはしたいし。ただ――――」

「ただ、どうしたの?」

 

 僕が難色を示すことを想定していなかったのか、ナツはなんとも悲しそうな表情を見せるではないか。

 暑い中なにも挙って出かけることはない、とか考えてるとか思われるのは困るので、一応二人で何かするのが面倒ってことではないのは伝えておく。

 それならそれで海やプールを避ける理由も話さないとならなくなるが、またこれがなんとも口にするのが気恥ずかしくてしかたない。

 でもこうなったら話さないと納得してはくれないんだろうし、僕としてもナツと余計ないざこざを構える気なんて毛頭ないし。

 

「海かプールってなるとほら、水着姿になるわけじゃない。それ、ちょっと嫌かなって」

「ハル、言いたいことがあるならもっとハッキリ」

「はぁ~……。だから、嫌なんだって! 付き合い始めてまだひと月も経たないのに、ナツの水着姿が他の男の視界に入るのなんて絶っ対に嫌だ! まだナツは、もう少し僕だけのナツで居てほしいかなって……」

 

 そりゃいずれはナツと海水浴デートなんてしてみたいと思うよ。けど今はだめだ。まったくもって気持ちの整理というものが付かない。

 だってナツだぞ? 贔屓目なしにモデルや女優でもつうじるナツが、不特定多数の男が集まる海やプールなんかに現れてみろ。下卑た視線を向けられるのなんてわかりきった話でしょうに。

 しかも夏休み中のそういう場所には最初からナンパ目的の不届きな輩も居るだろうし、そのような軽率な者たちにナツが声をかけられるところを想像するだけで耐えがたい苦痛だ。

 特に今の僕らは付き合い立てホヤホヤのカップル。しかも互いに大きなわだかまりを乗り越え、こういった関係に落ち着くことができた。

 それを織斑 一夏のおの字も知らないような連中に、ナツの見た目が可愛いってだけで声をかけるなど、僕からすればふざけるなという話なわけ。そんな奴には割と本気で虹色の手甲(ガントレット)(フルチャージ)をぶち込んでやりたい。

 ……と、ここまで聞いておわかりだろうが、そんなことを想像しているだけなのに僕らしくない言葉がいくつか出てくるわけだ。そのくらい気持ちの整理ができてないということ。

 なんてことを事細かに言って聞かせると、ナツのなんだかモヤモヤとした表情は徐々に赤く染まっていく。

 

「そっ……か。ま、まぁ、そういう理由ならやぶさかではない、かな」

「どうかな。僕からしても、ちょっと拗らせすぎかなって思うんだけど」

「そんなことないよ。だって、その、ハルの気持ちの裏返しでしょ?」

「うん、そこについては肯定。ナツを愛してるってことにかけては、僕は誰にも負けるわけにはいかないから」

 

 僕の言葉を引くどころかむしろ嬉しく感じてくれるあたり、僕らってだいぶどうしようもない部類なんだろうなぁ。

 確かにナツの煮え切らない言葉に肯定は示したものの、その愛がゆえ行動が制限されるっていうのは考え物だ。なるべく早いところ是正していかないと。

 それはそれとして、僕の愛してる発言に意識がどこかへ飛んでいっちゃってるナツをどうしたものか。妄想が暴走でもしてるのか、割と気が早い単語をちょくちょくと呟いている。

 そこらの詳細は伏せるとして、ナツに恐る恐る声をかけるとすぐに戻ってきてくれた。なんでもないと取り繕う姿が可愛かったと付け加えておく。

 僕らの今日の予定はもはやデートで確定したも同然なため、すぐに話し合いは再開した。議題はもちろん、どこか涼しい場所を求めてだ。

 しばらくいろいろ意見を交わしたけど、どうにもお互いピンとこない。もはや案も出尽くしてしまったかと思われた時、ナツがまたしても何か閃いたかのように手を叩いてみせた。

 

「あぁ、そうだ!」

「数分前にも同じこと聞いたような。それで、どんな妙案?」

「う~ん、どうかな。根本的に破綻しかねないからまだなんとも言えないんだけど、確かおばさん捨ててなかったと思うんだよね~」

(捨ててないって、なんのことだろ)

 

 いいことを思いついたというリアクションだというのに、ナツは言葉を濁しつつ立ち上がってどこかへと行ってしまった。

 母さんが捨てていないという発言からして、何かを探しに行ったということは間違いなさそう。でもそれって、デートとどんな関係があるのだろう。

 僕がなんとなく推理を巡らせながらナツが戻るのを待っていると、運ばれてきたのは涼を求めるという目的と、デートという目的を同時に達成できる物だった。だけどなんていうか、どことなく腑に落ちないような気はする。

 だってそれを持って来るということは、十六歳にもなって自分ちの庭で――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「十六にもなって、ビニールプールってどうなの?」

 

 僕は夏の日差しを浴びつつ、浅く張られた水面に無理矢理にでも全身を沈めてそう呟いた。

 ナツが日向家の物置を浅って持参したのは、子供の頃に遊んだビニールプールで、要するに家でプールデートしようっていう流れに。

 確かに身体が成長した今でもサイズが大きめなプールではある。具体的に言うなら、僕とナツが同時に入っても狭くはないくらい。

 だけど僕が言いたいのはそういうことじゃなくて、家の庭で水着になるってなんか逆に恥ずかしくない? って話。

 一応は日差しで水が暖かくなる目的を防ぐ、及び上方からのご近所さんの視線を防ぐという目的でパラソルも設置してはいるけどさ。

 でもなんか断れないよね。ナツのデートの提案を、超絶個人的な理由で断ってる身としては。それにこれ以上ないナイスアイデアみたいな顔してたし、傷つけたくもなかったというのもある。

 

(なんか、水場にこだわってはいたっぽいよな)

 

 ナツと協力して巨大なビニールプールに空気を入れ、僕が水を張ってる間にナツは着替え。張り終わってもまだ姿を見せないからお先してるんだけど、それでもまだナツがやってくる気配がない。

 だから水につかって暇を持て余していると、ふとそんな考えが頭を過る。

 織斑 一夏という人は頑固である。結局のところ水着姿になる状況が作られているのを見るに、今回も間違いなく頑固案件ではあるんだろうけど。

 う~ん、わからない。もしそうだとして、なぜそこまで水場にこだわるのかが全くわからないんだよ。どうしても海やプールに行きたかったなら、強制連行されてるだろうし。

 何か察してやれないなら心苦しいというか、恋人失格なのではとさっきからソワソワしてしまう。ナツはいつ準備が終わるのだろうとぼんやりしながら空を見上げると、庭につうじる窓の開く音が聞こえた。

 

「お待たせー! ごめんね、けっこう手間取っちゃって」

「こっちこそ、お先に失礼。ところでナツ………………ナツ……?」

 

 前にも話したことはあるけど、女の子が可愛くなるための時間を待つのは男の甲斐性というやつだと思う。

 暇ではあったけど苦ではないし、むしろ待たずにプールに入って申し訳ないと、そう声をかけるために目を向けた。するとどうだろうか、ナツの様子がおかしいではないか。

 着ている水着が違う。臨海学校の際に一緒に選んだやつじゃない。リボンがふんだんにあしらわれたデザインの、キュートさが強かった純白の水着ではない。

 女物の水着なんて詳しくはないけど、多分スタンダードなタイプの三角ビキニとかいうやつだと思う。そして色は白と黒のストライプ。

 てっきり前と同じだと思っていただけに、いろいろと考えてしまって思考が処理落ちしてしまう。そんな僕に対し、ナツは悪戯っぽい笑顔を見せた。

 

「えへへ、びっくりした? 驚かせようと思って、こっそり買いに行ってたんだよね~」

「海かプールっていうのは……」

「うん、早くハルに見せたかったんだ。それで……どう、かな?」

 

 僕もナツも互いを束縛しないとやってられないほど病的ではなく、報せはするけど一緒じゃない外出の機会もそれなりにある。

 そういえば夏休みの直前、ナツはフユ姉さんと一緒に出かけると言っていたような。だったら購入したタイミングはそこか。

 そして、これこそが海もしくはプールに行こうとしていた理由らしい。聞けば、僕に早く見せたかったのだとナツは言う。

 かなり余裕がない僕をよそに、ナツはその場でくるりと一回転。そして上半身を折って前のめりになると、照れ臭そうに感想を求めてきた。

 そんなの僕の感想なんて決まりきったことで、僕は両手で顔を覆い隠しながらただひとこと。

 

「エッチが過ぎる……!」

「ええっ、なんで!? 割とシンプルでよくあるデザインなんだけど!」

 

 恐らく期待した感想とは大きく外れるであろう僕の言葉を前に、ナツはむくれっ面になりながらこちらへ詰め寄って来た。

 うん、うん、わかるよ、わかってはいるんだよ。もっと攻めに攻めたデザインの水着なんてたくさんあるだろうし、オーソドックスにまとめてきたってのは。

 でもねナツ、そういうのはきっと着る人によって左右されると思うんだ。僕から見たら色気があり過ぎてどうしようもないんだもの。

 こんなこと言っても仕方ないのはあるんだけど、ナツは体系からして……ね? ほら、エッチなフォルムしてるじゃない。というか、こうして改めて見るとやっぱりおっきい……!

 もはや僕の目にはナツがグラビアアイドルかなんかに見えてきた……。むしろさっきの前かがみなんてよく見かけるポーズじゃないか。

 これに関しても前に触れたことがあると思うが、やっぱり思春期男子の思考回路ってこういうのが絡むと一気にアホになるね。あまり僕は関係ないと自負していたけど、この様子からして例に漏れないようだ。

 

「も~……! ハル!」

「は、はい!」

「私から目を逸らさないで。私のこと、ちゃんと見てよ……」

 

 ナツが女の子になったばかりの時期に似たようなことを言われた覚えがあるが、あの時とはまるで意味が違ってくるから困ったものだ。

 でも確かに、恋人になった以上はナツがどんな格好をしていようと、目を逸らすという行為はとても失礼なことに当たるのかも知れない。

 何より、他の男に見せたくないと言った僕が、しっかりナツの水着姿を堪能しないでどうする。今のうちだぞ、今のうち。

 意を決し相貌をクワッと開眼。ナツを確と視界にとらえてみるも、鼻の下が自然に伸びてしまっているのが自分でもわかる。更には口角も上がっちゃってるし、これではまるで――――

 

「やらしい目で見てとは言ってないんですけどー」

「それすごく思ってたから勘弁して。あ~……ごめん、すぐ慣らすから自然にしててもらえるかな」

「変に意識しちゃうならそうするしかないよね。じゃ、私もお邪魔しま~す」

 

 僕の視線のベクトルがおかしな方向へ進み始めると、ナツはわざとらしく胸を隠しながらきつい冗談をかましてくる。

 でもあながち間違いじゃないから一概にも冗談と言えない悲しい現状に、とにかく平常心を取り戻すためナツにもなるべく普通にしててもらうよう頼んだ。

 ナツが楽しそうに僕の頼みに同意するあたり、可愛いとでも思ってもらえれば幸いなところだがどうなんだろう。とにかく、どのみち引かれてはないようで一安心かな。

 ひと悶着あったものの、水温の程度を足先で図るようにして、ナツもようやくプールの中へ足を踏み入れた。そしてそのまま座るように腰かけ、だいたい下半身がつかりきるくらいの状態となる。

 

「わぁ、思ったよりも冷たくて気持ちいいかも! それだけ気温が高いってことなんだろうねぇ」

「日本の夏は湿度が問題とかも聞くよね。ヨーロッパのみんなは辛そうだったし」

「そういえば後半バテ気味だったかな。逆に海外の夏ってどんなのなんだろ?」

「いつか避暑目的で旅行に行くのもいいんじゃないかな。ナツと二人で海外旅行かぁ。夢だなぁ」

 

 ナツのリアクションはもっともで、外用の水道を使って溜めた水であるから、海水や川の水と違っていまいち冷たさを感じることはないだろう。

 それでも外気に包まれている今では相対的に冷たく感じるのか、少し童心に帰ったかのようにバシャバシャと水を手ですくっては自分にかけていた。

 ナツの気温が高いというワードから、ヨーロッパ出身のセシリアさん、シャルル、ラウラちゃんがかなり辛そうだったのが思い起こされる。

 曰く、熱いのが肌にまとわりつく感じで気持ち悪い……とか。純日本人なうえに海外旅行の経験もないため、この暑さがデフォルトだからどう反応していいのかがよくわからなかったな。

 逆説的にナツが海外の夏の様子が気になるのもよくわかる。それならば、いつしか実際に体験しに行ってみればいいわけだ。

 約束を取り付けるのとは少し違うが、ナツと二人きりの旅行をいつか、なんて目的と手段が逆転しそうな台詞をしみじみと語ってしまう。

 

「……私、ハルと一緒にいろんな場所に行ってみたいな。それで、私たち二人だけの、数えきれないくらいの思い出を作るの」

「ナツが望むならどこにだって連れて行ってみせるよ。何より、僕もナツと同じ気持ちだから」

「分け合うこと、だね。ふふっ」

「本当、仰るとおりで」

 

 引きこもりがちとまでは言わないが、僕はどちらかというならインドア派。友人からの誘いがなく外出するとすれば、絵を描きにそこらをふらつくくらいのこと。

 やっぱり出不精だったりズボラだったりが影響しているんだろうけど、それなら海外旅行っていうのはかなり飛躍した話だ。

 でもナツの言うとおり、これもまた分け合うことなんだろう。

 僕が旅行に前向きな姿勢を見せるのも、想像を膨らませているだけで幸せな気持ちなのも、全部ナツが一緒に居ることが前提だからだ。

 共に幸せを分かち合い、育み、何倍にも膨らませる。

 今の僕らはきっと、何を話したところでこのあたりに帰結するのだろう。例えそれがこじつけであろうとも、無理があろうとも。

 

「ね、ハル……」

「ん? ……うん、もちろん」

 

 頬を赤らめたナツが、波音を立てながらこちらへと顔を寄せる。

 先ほどまで会話していた内容、そしてナツの様子から察するに要求されているものなんて嫌でもわかるというものだ。

 水着という状態であることも関係しているのか、僕の気分は不思議と開放的で、なんだかいつも以上に心臓が跳ねてしまう。

 ドクンドクンと鳴る己が心臓の音に耳を傾けぬよう意識を固め、僕はそれからようやく目を閉じた。後はこのまま、ゆっくりと顔を前に出していくだけだ。

 そして、その先に待っていたのは――――――――――――冷たい何かが顔を打つかのような感覚だった。

 

「わぶっ!?」

「えへへ、引っかかった~!」

 

 慌てて顔をぬぐいながら何事かと目を見開くと、視界に映ったのは悪戯っぽい笑顔を浮かべたナツだ。

 その手には安っぽい水鉄砲――――なんかこう、クリア素材のプラスチックで出来ていて、本体に直接水を装填するタイプのアレが握られていた。

 はは~ん、なるほどなるほど、それも物置から見つけてこっそり仕込んでいたわけね。で、キスを餌に僕が目を閉じるのを誘い、すかさず僕の顔へ水を浴びせた……と。

 …………あのねぇナツさん…………いろいな意味でそりゃないよおおおおおおおおおっ!

 

「超! 至近距離! 濡れるのはいいけどちょっと痛かったよ!?」

「あはは、ごめんごめん。でもほら、涼しくていい――――でしょ!」

「っ!?」

 

 この際だから、キスを餌にしたことに関してはどうこう言わないさ。僕が勝手に期待した、もとい釣られたというのはある。

 だがいくら安物とはいえこの至近距離で水鉄砲から放たれた水は、人体でも薄い皮膚に覆われた顔面にはそれなりのダメージを与えた。

 自分の顔を指しながらわずかな痛みを訴えると、あまり反省していないのか謝りつつもまた水鉄砲の銃口をこちらへ向けるではないか。

 これもビビりなせいで鍛えられた反射か、僕は目を閉じ水を待ち構える体勢を自ら作ってしまう。せめて覚悟を決める暇さえ与えてもらえれば――――

 なんて僕の葛藤も知らんと言わんばかりに、まるで僕の顔を水が襲う気配はない。この距離じゃ流石に外しようがないし、はて?

 そうやって薄く目を開きかけたくらいのタイミングか、チュッと水音を鳴らしながら、僕の唇にこの世のものとは思えぬ柔らかな感覚が走った。

 

「…………」

「えへへ、引っかかった」

 

 今度は呆然としながら目を開くと、そこにはやはり悪戯っぽい笑顔を浮かべたナツが。ただし、今回は少し恥ずかしそうに頬を染めながら、だ。

 なるほどなるほど、一回目の水鉄砲での奇襲は、このサプライズのための布石というわけね。要するに、下げてから上げられたというわけだ。

 あのねぇ、ナツ……なんでそんな回りくどいことを――――――――なんて言えなああああああいっ! そんな呆れる気持ちが吹っ飛ぶくらい、今の引っかかったの言い方メッッッチャクチャ可愛かったぁ!

 漫画的な表現をつけるなら、語尾にハートでもつきそうなくらい甘ったるくて、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ! 一回下げられてるから破壊力が増してるんだよおおおおおおっ!

 

「…………………………好きですっ…………!」

「ふふっ。はい、私も大好きです」

 

 いろいろといっぱいいっぱいになってしまった僕は、夏の高い空を見上げつつ、ポツリと呟くように好きだと絞り出すことしかできなかった。

 ナツとしては思惑どおりなようで、随分と余裕な態度で私も好きだと返してくる。

 くそぅ……流石の僕でも仕返しなりなんなり考えるところなのに、今はそれすらままならない。悔しい気持ちはあるというのに、どこか晴れやかさも含むようなこの感覚はなんだ。

 なんなら、ナツに手玉に取られたことそのものを喜んでいるかのように思えてしまう。……くっ! そんなのどこで覚えてきたっていうんだ!

 よし、決めた、この夏空に誓う。いつか絶対に仕返しだ。ホント覚えときなさいよもう……。

 ただ今は、うん、なんかいろいろ無理なんだ……。僕にとってもはやこのプールは、火照る身体を鎮めるためにあるようなものだ。

 ナツには申し訳ないながら、僕は気持ちを落ち着かせることに終始する。そのせいか、何か話しかけられても曖昧な返事しかできずにいる僕であった……。

 

 

 

 

 




夏休み編、書いててすごく楽しい(小並感)
水着姿を他の男に見せたくないっていうのは拗らせさせ過ぎましたが、その結果このような二人きりのシチュエーションに辿り着けて大満足!
ただ満足の末に「引っかかった」のくだりの終盤、少しばかり晴人を暴走させ過ぎてしまったのは反省ですね。
晴人はそんなこと言わない(解釈違い)的な。


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第58話 僕と君とでテーマパーク

割と普通なデート回です。もう、超がつくほどサブタイトルどおりです。
可もなく不可もなくという感じですが、たまにはのんびりいきましょう。


「わぁ、すっごい混雑」

「今時分だから覚悟してたつもりだけど、想像してたよりずっとごったがえしてるね」

 

 この夏ようやく僕らにとって大掛かりなデートということで、とあるテーマパークへ足を運んでいる。

 しかし、僕らと目的を同じくする人々が、文字どおり波のように押し寄せているではないか。正直なところ気が滅入る。

 その点についてはナツも同意見のようで、二人して苦笑いを見せ合うことで意思の疎通をはかった。

 とはいえここまで来ておいて引き返すという選択肢もなく、僕らは覚悟に覚悟を重ねてチケット購入のため長蛇の列へと並ぶ。

 

「やぁっと入れたー! なんかすごい達成感」

「こんなところでそれ感じちゃったら身も蓋もなくない!?」

 

 入園できたのはそれからしばらくのことで、ナツはメインエントランスに立った途端に背伸びをしたのち、なぜかドヤ顔で達成感がどうのと言い始めるではないか。

 思わずいつもの調子でツッコミを入れると、ナツはなぜだか急に真剣な面持ちで僕を見据える。

 い、いったい何がどうしたというのだろう。もし失言があったのなら謝らなければならないが、流石に今のツッコミでそれにあたるようなことはないはず。

 

「ハル、真面目な話なんだけど」

「どうしたの?」

「テーマパークって、何して遊べばいいんだろ」

「何って……。…………確かに、なんだろう」

 

 凛々しい顔つきで何を言い出すかと思えば、なんだそんなことか。……なんて笑い飛ばそうかと思ったのだが本当だ。テーマパークって何すればいいんだろ。

 父さんも母さんも僕らが幼少期からあまり家にはいなかった。フユ姉さんもバイトしてたみたいだし、爺ちゃんは爺ちゃんでアトリエに籠ってることがしょっちゅうだったしなぁ。

 なるほど、僕らはあまりにもこういう場所に不慣れなわけだ。なんなら冗談抜きでほぼ初めてと言ってもいい状態かも知れない。

 だがアトラクションに乗ったりだとか、そこらの基礎的な部分までわからないなんてことはない。それは不慣れ以前の問題だろう。

 となれば、オーソドックスだったりスタンダードだったり、なんならベタな楽しみ方でもすればいいんじゃないんですかね。例えるなら――――

 

「とりあえず、記念撮影でもする?」

「それいいね! じゃあ、あのロゴが入るように撮ろっか」

 

 なんかよくわかんないけど、インスタなんたらとかでこういう場所の自撮り? とかが挙がってる気がするようなしないような。

 世で言うところのリア充――――いや、ナツが恋人の時点で間違いなく僕はそれにあたるんだろうけど、とにかくそういう感じの人たちの真似をしたら自然にベタになるんじゃないだろうか。

 そんな軽い考えで携帯を取り出すと、ナツは疑問が解消されたのかスッキリとした表情を浮かべる。それなら僕も満足なんだけど。

 さて、それでは携帯のカメラを起動。カメラモードを画面側のものへと切り替え、収まりがよくなるようなるべく腕を前に伸ばしてロゴが入る角度を探した。

 

「ん、この辺なんてどうかな」

「お~……流石は画家さん。構図取り上手~」

「ははっ、それ最高の誉め言葉かも。じゃあナツ、暑いけど構わない?」

「もちろん、むしろそうしてくれなきゃ拗ねてるところだよ」

 

 すぐさまピッタリの位置を探し当てた僕に対し、ナツは流石は画家だとなんとも嬉しい誉め言葉をくれる。

 パースとかの勉強しておいてよかったなぁ……。なんてしみじみと考えてしまうのは少し不純だろうか。

 後は僕とナツが画面に入ってシャッターを切るだけ……なのだが、僕はとあることを確認しながら左腕を大きく広げた。

 無論、ナツを抱き寄せてよいかどうかの確認だ。これが秋や冬ならその必要もなかったかも知れないが、現在は問答無用の真夏。暑苦しいからパス、というなら仕方のないことだと思う。

 しかし、ナツとしてはそうしてくれないと拗ねるとのこと。どこまで本気かはわからないが、そういうことなら遠慮なくいかせてもらおう。

 僕は左腕をナツの腰に回すと、ナツは目いっぱいこちらへと寄り添ってくる。二人してなんだか照れ臭い笑みを浮かべたところで、僕は画面をタッチしてシャッターを切った。

 

「うん、初めてにしてはいい感じじゃない。……待ち受けにしようかな」

「なら私もそうしよっと。ハル、私の携帯に送信よろしく」

「後でまとめて送ることにするよ。今日だけで何枚撮るのか見当もつかないから」

「ふふっ、そうだね。さっきまで何するかで悩んでたけど、写真撮って回ってるだけでも楽しめそう!」

「はは、本当に。適当にぶらつきながら写真撮って、混んでなさそうなアトラクションを見つけたら並んでみようか」

 

 味を占めたと言うには少し表現が違うような気がするけど、なんてこともないくらいあっという間に僕らの方針は定まった。

 案内板に従うこともなく宣言どおり気ままに歩を進め、景色やランドマークを背景に記念撮影をしたり、アトラクションに乗ったりして過ごす。

 あっちへ行ったりこっちへ行ったりしてみると、時間帯によってさまざまな催し物もあるようで、さっきとおりがかった場所に人だかりがあるのに気が付いた。

 見ると園内にある大きな湖のような空間に、船を模したような水上ステージができあがっているではないか。

 近場に居たスタッフさんに何事かと問いかければ、もうすぐショーの公演が始まるんだと。なるほど、そういうのもテーマパークの醍醐味……で、合ってるよね?

 

「ナツ、どうしようか。せっかくだから観ていく?」

「そうだね。そうしよう。観て損はないと思うよ、絶対」

 

 興味があるかどうか尋ねてみると、かなり好感触の返事が。まぁ確かに、たまたまとおりがかってもうすぐ公演っていうのなら、むしろ見ないと損くらいまであるかも。

 人だかりとはいってもまだまだ疎らで、強引に進む必要もなくほぼ最前列ほどに陣取ることができた。して、どんな内容のショーなんだろう。パンフレットくらい貰っておけばよかったかな。

 期待を膨らませながらナツと談笑をしていると、奥の方から数隻の船がこちらへ接近して来るのが見えた。雰囲気からして、あれは海賊船?

 そうだよな、わざわざ水上のステージを用意するくらいなんだから、内容はそれ相応に水に関わりのあるテーマになるのが必然か。

 

「お頭ぁ! アレが例の船で間違いないようです!」

「よぉし、野郎ども! 帆を畳めぇ! 錨を降ろせぇ!」

「う~ん、雰囲気からして悪い海賊かな」

「海賊に良いも悪いもないと思うけど」

「リアリティかつシビアなこと言わないでよ……。え~っと、じゃあ、悪役かな」

 

 船が接近すると船員らしきナリをした男性が威勢のいい声を上げ、ステージを指さした。それを受け、キャプテンらしきナリの男性が船を停泊させるよう指示を飛ばす。

 そんな短いやり取りから、ナツは彼らを悪役ではと推測。確かにキャプテンは眼帯してるし片手がフックになってるしで、いかにもっていう感じ。むしろ狙いすぎでは?

 そんな感想を抱いていたせいか、ナツのちょっとした問いかけに対して無駄にマジレスをしてしまいちょっと反省。細かいこと言うね、みたいな視線もおまけだったからなおのこと。

 ナツがわざわざ訂正を入れたのを聞き、僕は小声でごめんと謝っておく。

 当然のようにあまり気にしてはいないようで、海賊たちに注目したまま別に大丈夫だよとお許しの言葉をいただいた。

 

「こいつが俺たちの探し求めた秘宝が積んであるという伝説の……!」

「クックック……。随分と長い航海になっちまったが、その甲斐もあったってもんよ!」

「ん~? さっきからなんだぁテメェら! 見せモンじゃねぇぞ!」

「見せモンなんだよなぁ」

「ナツ、それこそマジレスしたってどうしようもないと思う」

 

 こういった冒頭の芝居は説明も兼ねているというか、どうして彼らがここにやって来たのかが一瞬にしてわかった。なるほど、そういう設定なのね。

 とてつもなく自然な流れにどこか関心を示していると、船員のひとりが観客席へと向けて話しかけてくるではないか。

 僕らが参加型の設定なんだろうか。ということは、海賊の襲来に集まった野次馬ってところが妥当かな。

 だがその際に放たれた見世物ではないという発言に対し、今度はナツがマジレスをかます。いや、ものすごく正論ではあるんだけどね、うん。

 

「お頭ぁ、どういたしやしょう!」

「んなもん決まってらぁ。海賊稼業はなめられちゃならねぇ! いっちょビビらせてやんな!」

「へい、承知しやした! オラ仕事だ野郎ども! 全砲門、開けぇーっ!」

 

 彼らが悪役の設定で僕らが野次馬なら、導入としてはかなりの高得点だよな。採点なんて何様って話ではあるかも知れないが。

 いやだって、容赦なく砲撃って彼らが疑いようのない悪人だって描写できるし、僕らも砲撃されたってことでよりショーに引き込まれるであろう。

 これはよほど優秀なシナリオライターが作った演出に違いないと、海賊船の側面に並ぶ大砲が除く小窓を眺める。

 だが安心していたのもつかの間、大慌てしないとならない事態が発生した。

 

「撃てぇーっ!」

「え、ちょっ、水!?」

「そういうパターンのやつか!? てっきり空砲かと……!」

 

 キャプテンが僕らへ剣先を向けて発射命令をすると、大砲から飛び出してきたのはなんと大量の水。アレは放水用シャワーのようなものだったのだ。

 多分、時期が時期だからそういう感じになっているんだろう。濡れることに目をつむりさえすれば、気持ちいいには間違いないだろうから。

 だがまずい。今はとにかくまずい。よりによってこんな時にかと、いろいろとタイミングの悪さを呪ってしまいそう。

 僕は慌てて着ていた青白のチェックの上着を脱ぎ、それを用いてナツをくるむように包んだ。

 

「ハ、ハル!? 別にそんな、夏だし濡れるくらい――――」

「ナツ、白Tシャツを着てるキミを濡れさせるわけにはいかない。だってほら、透けちゃうじゃないか」

「あ……そ、そっか、確かにそうだね。えっと、ありがとう」

「どういたしまして。他に濡れて困りそうなものは?」

「うん、それは大丈夫だと思う。必要最低限のものしか持ってきてないから」

 

 僕がずぶ濡れになることも加味し、ナツはなんと過保護なと言いたげな声を上げる。しかし、僕がこうまでするのはある条件が揃っているからだ。

 それはナツが白Tシャツを着ているということ。胸には大きなポップ調のプリントが描かれているけど、それを考慮してもナツの濡れ透けなんて晒させるわけにはいかない。

 そんなの目撃していいのは絶対僕だけだし、ただの下着ならまだしも、ナツが着用中のソレが濡れて透けて見えちゃうなんて余計目にエッチだと思うから完璧に防がなくちゃならない。

 僕は結果的に、あっという間に水中に落ちたのではというほどの状態になってしまう。が、それでもナツのアレコレを死守できているなら安い。

 ナツもナツで、どこか合法的に大手を振って後ろから抱きしめられている状況を楽しんでいるようだ。ならば、もはや何も言うことはないのかも知れないな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれからショーの流れをざっくりと説明するのなら、ヒーローサイドにあたる海軍が海賊たちを懲らしめ、争いの種となりうる秘宝は破壊してめでたしめでたしという感じ。

 一連の流れで何度か理由をつけて放水が行われ、まったく油断はならなかった。それこそ秘宝って言うのは、海を自在に操ることができるようになるとかそんな設定の代物だったし。

 おかげで僕はズボンの下までずぶ濡れという、まったく誰も得しないであろうあり様になってしまった。

 流石に放水の量が量だったので、ナツを完全に守り切ることもできなくて、僕としては一番の気がかりはそこなんだけどね。

 そこで僕らはいったんお土産を売っている店まで赴き、代わりとなるであろう服一式を購入することに。

 案の定というか、上着もズボンも、果ては下着までキッチリ売られていたので一安心。ついでに身体を拭く用にタオルなんかも買っておくとよいだろう。

 ……まぁ、水浸しの僕が店内に足を踏み入れるのは、迷惑になるだろうから遠慮したんだけどね。揃ってたっていうのはナツから伝え聞いた話だ。

 とにかく、ナツの買ってきてくれたそれを手にし、トイレの個室を使って着替えを行った。……のはいいんだけど、この格好だとエンジョイし過ぎているようで少し恥ずかしい。

 本当、鈴ちゃんなんかがこの場に居なくてよかった。居たら確実に大爆笑されてるに違いない。

 どこか僕に対して容赦のない友人の姿に溜息を吐きつつトイレから出ると、そこで待ち受けていたのは、僕と同じくパークのロゴがデカデカとプリントされたTシャツを着ているナツだった。

 

「あれ、ナツも買ってたんだ」

「うん、これもらしいことかなって思ったから。ほら、ペアルック!」

「ああ、なるほど、そういう。……ははっ、ナツは本当にやることなすこと可愛いなぁ」

「なんかそれ、あざといって言われてるみたいで好きじゃないかもっ」

「いじらしいって言ってるんだよ」

「……もう、ハルの意地悪」

 

 少し驚く僕を前に、ナツは悪戯が大成功したみたいな、無邪気な笑顔を向けてくる。そして続いて出てきたペアルックという言葉は、まるで華が咲いたかのような笑顔だった。

 ペアルック、ね。うん、間違いなくそれもベタに分類されるもののひとつだろう。実際やるとちょっとだけ恥ずかしいような気がするけど。

 それでも、どちらかというならナツへの愛しさが勝ってそれどころではないのが正直なところ。無自覚なんだろうけど、やっぱり男心をくすぐるのがお上手なことで。

 でも僕の誉め言葉を素直に受け取るのが恥ずかしいのか、口先を尖らせながらブーブーと文句を言い始めるではないか。

 あざといっていうのは、どこか小賢しいみたいなニュアンスを含んでいる。が、僕がナツに感じているそれは、いじらしいという感情のみ。

 こちらに関しては、健気で可憐といったニュアンスを含めた言葉だ。双方の違いをキチンと理解していることを期待して、僕はズイっとナツの顔に自身の顔を近づける。

 そのまま真っすぐ瞳を射抜けば、確かにその宝石のように美しい相貌が揺らいだのを見逃さない。どうやら、期待どおりに違いをわかっているらしい。

 その証拠かのように、僕は何度か目になる意地悪という評価を受け、ナツは顔を真っ赤に染めて視線を逸らす。

 ……だからさ、そういうのが可愛いって言ってるのがわかんないかなこの子は。……わからないんだろうね、元キング・オブ・朴念仁だもの。

 そこから先に進んでしまいそうな衝動を必死に抑え、その代償としてナツの髪を傷めない程度にワシャワシャと頭を撫でまわす。

 理性を保つための行動ゆえ、考えるよりも先に手が出てしまったが、ナツも気持ちよさそうにしてたから結果オーライというところだろうか。

 

「じゃあ、そろそろ次に行こうか」

「またいろいろ見て回りながら、そろそろお昼も考えないとね」

 

 あまり意地悪が過ぎて本気で拗ねさせてしまっては本末転倒。なので、適当に切り上げてから次の目的を探すことを提案した。

 ナツは未だに頬を染めつつ、静かに僕の手を取る。決して痛くしないよう注意して握り返し、それからナツの言葉に力強く頷いた。

 その後も僕らは探検気分でテーマパーク内をあちこち歩きまわり、各所それらしいことができそうなスポットを探し当てては楽しんだ。

 やがて時は過ぎ、太陽の様相は夕焼けへと変わり始める。夜になってもまだまだ楽しむことはできるんだろうが、なにぶん学生の身なのでそろそろタイムアップが近いと思っていたほうがいい。

 だから次が最後になるであろうという議題が挙がるのだが、僕らは多分だけど互いに意識して避けていたスポットがひとつある。

 それはもちろん、それを意図的に最後のひとつとするためだ。ではそれはなぜか。答えは簡単。恐らく恋人とこういった場所に来たとして、ド定番中のド定番であるからだ。

 だけれど、ずっと疑問ではあったのだけれど――――

 

「どうしてここ、テーマパークなのに観覧車があるんだろ。普通は遊園地だよね?」

「まぁまぁ、細かいことはいいじゃない。現に、えっと……狭い場所で二人きり、なんだし」

 

 外観が崩れるとか、上から細部を見渡せないようにするためとか、そういう理由でテーマパークには観覧車が作られないと聞いたことがある。

 そのせいか、入園するなり我が物顔で鎮座していた観覧車のことはずっと気になっていたり。乗ったはいいが思わず疑問が口に出るほどだ。

 もとよりナツに問いかけて正解が返ってくるとは思っていないし、特別同意を求めたわけでもない。要するに単なる呟きというやつ。

 実際のところナツが強調するようにして、密室で二人きりだと発言した瞬間に心底どうでもよくなってしまった。

 なぜかって、そんなのどうでもよくなるに決まってるじゃないか。そんなことを言われては、意識なんてもはやナツにしか向かなくなってしまう。

 

「あっ……。ハル、見てよあれ!」

「……うん」

 

 この狭い空間に僕らが作り出したなんとも言えない空気が漂い始めたが、ナツはふと視線を外へと向け何かを発見したかのように指をさす。僕はそれに、曖昧な返事で応えた。

 だって、ナツが何を言いたいかなんてのは知れたこと。観覧車と時間帯からして、ナツは夕日が綺麗だとでも言いたいのだろう。

 窓に張り付くようにして、目を細め、どこかうっとりしたような表情を浮かべているからほぼ正解なはず。

 でもナツには悪いのだけど、今の僕には夕日の美しさなんて霞んでしまっている。それはそうだ、こんなにも美しいものを目の当たりにしているのだから。

 それは言うまでもなく、夕日に照らされているナツ自身。煌めくようなオレンジ色に包まれ、柔らかな雰囲気が何倍にも増長されたナツは、贔屓目なしにこの世のあらゆる存在よりも美しい。

 

「綺麗……」

「ああ、本当に綺麗だ」

「え? ……あっ…………。や、やだなぁハルってば、そんな急に褒められても――――」

「困る?」

「こ、困るけど困らないっていうか……。嬉しくはあるんだよ!? でも、なんていうか、私……」

 

 溜息を吐くようにして感想を口にするナツに同意するフリして、というかどさくさに紛れてナツを綺麗だと褒めておく。

 僕があまりにもナツを凝視していたせいか、すぐさま何に対する感想かはバレたようで、言われた本人はおどけるようにして誤魔化しにかかった。そうでもしないと受け止めきれなかったんだと思う。

 その証拠に、僕が普通に困るかと問いかけただけで追い詰められた様子になってしまった。ならば、これ以上のことを口にするのは止めておこう。

 なんだかいたたまれない気持ちになってしまうし、何よりこれより先は喋るだけ野暮。そう、残された道なんてたったひとつなんだ。

 僕らは向かい合うようにして座っていたが、少し腰を浮かせて前後を反転。そのままナツの隣へ競るようにして着く。

 そして僕の右手が目指す先はナツの頬。触れる時はいつも壊れ物を扱うようにしていたが、今日は触れた瞬間泡沫となって消えてしまいそうな繊細さを覚えた。

 注意に注意を払って、いわゆるフェザータッチというやつで頬を撫でてみる。するとナツは、心地よさ半分もどかしさ半分といった様子で身じろぎしてみせた。

 

「ハ……ル……。いじわる、しないで……」

「いやごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど。まぁとにかく、ご所望とあらば」

 

 気遣いのつもりが焦らしと解釈されたあたり、どうやらもう少し欲望に正直であったほうがよかったみたい。というより、口では冷静なこと言ってるけど、僕も内心では我慢の限界だ。

 細かいところをいうならば、ナツに我慢の許容量を一気に振り切らされたといったところか。

 そんな切なそうな声色して、少し目元を潤ませたナツに、意地悪しないでなんて言われて耐えられるわけがあるまい。

 さっきも言ったが僕はもはや我慢の限界。必死にいつもの様子を取り繕っている。

 だから決して乱暴になってしまわぬよう心掛け、いつも以上にゆっくりというのを意識してナツへと顔を近づけていく。……これもまた焦らしと思われるのだろうか。

 

「んっ……!」

「むぐっ……!?」

 

 そんな一瞬の疑問が生まれた瞬間、珍しくもナツが僕を引き寄せるかたちで唇と唇が重なった。少しいい加減にしろよと言われた気分。

 後出しのようで申し訳ないが、僕もここにきてようやく一切の躊躇いの類が消えた。

 なにぶん狭い空間だ。勢い余ってナツの頭をぶつけさせないようには注意しつつ、徐々に力を込めて奥へ奥へと追いやっていく。

 いつしかナツの背は反れていき、その着地点はフカフカとは言い難い座席だった。

 そこから先には進みようもないというのに、それでもまだ込めた力を緩めない。唇でナツの頭ごと抑え込むように、かなり力強いキスを送り続けた。

 いつしかナツも僕の首へと腕を回し、更に引き寄せるかのように力がこもる。さっきも言ったが、これ以上は進みようもないのに。

 あぁ……まるでひとつになったかのようだ。僕らが深く求めあっているゆえだとするなら、なんと甘美な響きなのだろう。

 いつまでだってこうしていられるし、こうしていたい。いつまでもナツの唇を味わっていたい。時なんて永遠に止まってしまえばいいのに。

 でも残念ながらそれはどだい無理な話。だから僕らはその代わりと言わんばかりに、時を忘れて唇を重ね続けた。

 もはやここが観覧車であるということは完全にすっ飛んでいたと思う。誰に見られようがお構いなし。というか、そもそもそんなことは眼中にすらない。

 実際そうだったからこそ、僕らが乗る観覧車はこんな位置に居るんだ。

 ナツが夕日を眺めていたのはほぼ頂点に位置した時。そして今現在昇り始めているということは、一周近く僕らはこうしたままだった。ということになる。

 

(どう考えても最長記録更新だな……。はぁ、流石に息が――――)

「ハル……」

「ん、どうかした?」

「えへっ、大好き……」

「……ああ、僕もだよ。ナツ、大好きだ」

 

 している最中は気にならないんだけど、唇を離してから一気に疲れが襲ってくるかのようだ。得に息なんて絶え絶え――――というほどはないにしても、しばらく整わせる必要がある。

 今回に至ってはあまりに長時間であった影響もあってか、呼吸とキスの余韻というダブルパンチでいつも以上に頭がボーっとしてしまう。

 漠然とどこでもないどこかへ視線を送っていると、未だ僕の下になっているナツが声をかけてきた。

 僕はなんとかして気を取り直さねばとナツの呼びかけに応えるが、どうやらナツもまだ呆けているらしい。

 こちらへ照れ笑いしながら僕を好きだと伝えてくれるが、その様子は完全に夢心地。文字どおり夢か現かが曖昧になっているのがよくわかる。

 これは頭が冴えてから反動がすごいんだろうなぁと思いつつも、とにかく好きだと言われたなら好きと返すのが礼儀というもの。

 うわべだけでなく、心からの言葉でナツへの愛を囁く。僕の愛しい人はさっきよりも照れ臭そうに、それでいて幸せそうに笑みを零した。

 そして――――

 

「やっちゃったぁ……!」

「まだマシなほうだって言い聞かせるしかないんじゃないかな」

「ハルは割り切れちゃうんだ……。なんか、そのへん割とオープンだよね」

「う~ん、そこはほら、ナツを愛することを躊躇うみたいで嫌だし」

「そこがオープンっていってるんだけどなぁ」

 

 すっかり日も暮れた帰路の途中にて、ナツは耳まで真っ赤にしながら両手で顔を覆い隠し、観覧車内で起こった出来事を省みた。

 やってしまったものは仕方がない。それに僕もナツも止まることができなかった。のなら、まだ羞恥心を覚えるだけマシなのではとフォローを入れておく。

 僕があまりにもアッサリとした対応であるためか、ナツは僕がかなり積極的であるほうと再確認したようだ。

 前は気安いのではと一瞬の迷いが生まれたが、ナツに遠慮しなくていいと言われたからには別にそういうのは必要ないってわかった。

 なら僕に躊躇っている暇はない。なぜなら、僕にはナツを世界一幸せな女性にする使命がある。それに随分と待たせてしまったのだから、遅れを取り戻すという意味も含まれていたりも。

 

「季節が変わったらまた来てみようか。いろいろとシーズンに合わせたイベントもやってるんだろうし」

「うん、そうしよ。でも、水浸しになっちゃうようなのは勘弁だけど!」

「いや本当だよ。完全に予想外というか不意打ちっていうか……」

 

 テーマパークという場所の楽しみ方も把握したことだし、とりあえずデート地の候補としては十分に擁立されたのではないだろうか。

 そのあたりについてナツの同意を求めてみると、やはり好感触だったのか二つ返事が得られた。ちょっとした皮肉つきだけどね。

 いや、でも、そういいたくなる気持ちはわかる。実害があったのはどちらかと言うなら僕のほうだし、思い出になるとはいえ服の出費も痛かったし……。

 シーズンに合わせたイベント、か。自分で発言したはいいけど、いったいどういうのが繰り広げられるか想像もつかない。

 とはいえ、先の季節まで楽しみができたのは僥倖なことだろう。ナツとの季節を重ねていく感覚も悪くない。

 まだ見ぬナツと共にある季節へと想いを馳せながら、僕らは今日一日のことを振り返るように語り合った。……もちろん、観覧車でのことは避けて――――ね。

 

 

 

 

 




Q.どうしてテーマパークに観覧車が?
A.ご都合です

本当はテーマパーク内の噴水が放水中に、その前でキスしたカップルは永遠が約束される。みたいな都市伝説の流れで進めていたんですよ。
それだと後々にどうしてもやりたい描写を潰しかねないことに気づき、あえなく断念。
人前にならないシチュエーションのために、観覧車先輩に急遽出動していただきました。
ありがとう観覧車先輩。流石は簡易的密室のプロでございます。


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第59話 惹かれ合うふたり

今回は特に多くを語りません。
とにもかくにも本編をどうぞ。


「雨だね~」

「雨だねぇ」

「大雨だね~」

「大雨だねぇ。……と言うより――――」

「台風だね~」 「台風だねぇ」

 

 日本の夏といえば台風。もはや風物詩のひとつではないかと思う今日この頃、やはり今年も現在進行形で猛威を振るう。

 ナツはカーペットに仰向けで寝そべりながら窓を眺め、ベチベチと大きな音を立ててぶつかる雨粒を見てひとこと。

 僕がソファで適当にくつろぎながら同意を示すと、今度は大雨であるとボヤくので、更に同じ言葉を繰り返してみせる。

 けどこのままいくと延々似たようなことの繰り返しになると感じ、早い話が台風だと言って見せると、今度は完璧に声が揃った。……そして沈黙。

 流石に話題に困るんだよな。晴れてたら今日はどうする? って話し合いから一日が始まるのに、この雨風で外出は論外だ。多分だけど命に係わる。

 僕はやろうと思えば部屋にこもって絵を描いてればいいんだけど、可愛い恋人を放置して退屈させるのもまた論外。さて、ならばどうしたものか。

 

「ナツ、停電とにならないうちに家事を済ませたらいいんじゃない? 僕、手伝うよ」

「有難いけど、今日はお休みかなー。部屋干し嫌だからお洗濯するつもりないし。掃除機とかはこの間かけたばっかりだし」

 

 む、どうやら余計なお世話だったらしい。家事でもしていればそれなりに時間も過ぎるかと思ったけど、そういうことなら口出しはなしで。

 そうなると本当に困ったものだ。僕が無趣味であることが大変悔やまれる。こういう時、弾や数馬ならパッとすることのひとつやふたつ思いつくんだろう。

 そう思うとなんだか悔しいな。彼女ができたとか聞かないし、優劣をつけるのならナツというものがある僕のほうが勝っているはずなのに。

 よし、ならば僕にとっての奥の手を使うしかないな。これはこれでどうかとも思うけど、ダラダラと過ごすには適しているはず。

 

「じゃあ、二人で映画でも見る? ほら、撮り溜めして消化できてないのもあるし」

「それいいね、映画マラソン!」

「え、いや別にマラソンってほど張り切らなくても――――」

「あ、映画観ながらつまめるものでも作るね。ふふっ、一気に楽しくなってきたかも!」

 

 なんかほら、録画したはいいけど観る機会とかなくてさ、そのままずっと放置しちゃってる映画ないし番組とかない?

 僕に至っては、もはや録画したことすら覚えていないようなのもあるはず。録画した時は、観たかったやつだとか思ったりするのにね。

 そういうわけで、これを機会にそれを消化してしまわないかと提案してみた。僕としては1~2本くらいのつもりで。

 しかし、ナツの口からはマラソンという単語が飛び出てくるではないか。それすなわち、映画鑑賞だけで一日を終わらせてしまうくらいのつもりであることが伺えた。

 いやいやそれはと声をかけようとしてみるが、ナツの頭は既に料理にスイッチが入っちゃって聞く耳をもってくれない。

 これ、もしかして覚悟したほうがいいやつ? それとも停電してくれるのを祈るやつ? いや、真夏に扇風機もなしじゃ辛いよなぁ。

 とはいえ楽しそうにしてるナツに意気込みの違いを解くのもアレだと感じ、いつでも映画を観始められるようテレビを弄り始めた。

 ほどなくして、ナツの楽しそうな完成という声が耳に届く。そこらに漂う香ばしい匂いを嗅ぐと、一気に食欲がわいてくるではないか。

 

「おお、すごく本格的なフライドポテトだね」

「えへへ、ハーブ風味に仕立ててみました! あとはお好みでこっちもどうぞ」

「これは、ソース?」

「うん、オーロラソースにヨーグルトソースにアボカドディップだよ。……っと、そういえばジュースも出しとかないとね~」

(女子力……!)

 

 皿に盛られて出てきたのは、お世辞抜きでお洒落なレストランとかで提供されてそうなフライドポテト。ハーブがそう思わせるのかな?

 そしてナツはその皿と他に小鉢を三つほど並べる。その中に入っていたのは、色とりどりのソース……ということしかわからない。

 詳しい解説をいただくと、それぞれの名前だけでどんなものかは察することができるんだけど……。なんだヨーグルトとアボカドって。ものすごく女子じゃない? 女子力高くない?

 いや、ナツは世界一可愛い女の子なんだけども。なんかやっぱり昔と比べて料理の幅が広がったっていうか、どこか乙女らしさを感じずにはいられない。

 ジュースを取りに冷蔵庫へとリターンバックするナツの背を眺めていると、やっぱり僕って幸せ者だなぁと思い知らされる。

 

「お待たせ。ハル、どれ飲む?」

「じゃあオレンジジュースで」

「ん、了解」

 

 おっと、幸せ感じてる暇があったら手伝いなさいよって話だよね。

 僕は立ち上がるとキッチン越しにコップを受け取り、続けざまにいくつか2L入りのペットボトルに入ったジュースを受け取る。

 それをテーブルの取りやすい位置に並べているとナツがもどってきて、僕のリクエストを聞いてコップにジュースを注いだ。よし、それじゃあこんな感じで準備オッケーかな。

 僕はソファを背もたれにするようにしてフローリングへ腰掛けると、できるだけ足を開いてスペースを確保した。

 ナツがキョトンとしながらそんな僕を見守るので、両手を差し出しおいでという意思表示を示す。するとナツは、華の咲いたような笑みを浮かべてから、僕の足と足の間へと座った。

 

「えへへ」

「ナツ?」

「これ、すごくいいかも。ハルに包まれて温かい」

「そっか、それはなにより。けど両手が塞がっちゃうから、食べさせてくれると嬉しいな」

「うん、もちろん! えへへっ。 じゃあハル、何から観よっか?」

 

 また性懲りもなく可愛いことを言うなこの子は。ザワついた心を落ち着かせる時間が必要になってしまったぞ。 とはいえ愛おしい想いまではかき消すことができず、僕は両手が塞がってしまうことも度外視してナツの腰へと腕を回す。

 待ってましたと言わんばかりの表情を見るに、ナツとしても僕が腕を使えないことより、僕がこうしていることのほうが大事みたい。

 ありがたさと嬉しさと申し訳なさを均等に感じてしまう。そんな僕の心境も気にせず、ナツはリモコンを操作し録画データをあさり始めた。

 どれから見ると言っても、我が家のテレビのハードディスクには似たジャンルが偏って録画されている。オーソドックスにアクション映画が大半だ。

 SFアクションにクライムアクション、カンフーアクションにガンアクション。主演が違えど、やっぱり大筋の内容はどこか似ちゃうよね。

 それ以外だと少年漫画のアニメ映画とか、年一でしかやらないお笑い番組とか、極々わずかにラブストーリーなんかも。

 こうしてみると思ったより膨大な選択肢がある。そんな多岐に渡る作品の中から話し合いで一つを選び、余暇を潰すための小さな鑑賞会が幕を上げた。

 

「ん」

「ん~」

 

 白熱のストーリーが展開される中、僕はコテンといった感じでナツの肩に顎を置いた。本当に何の気なし。どちらかというなら相棒の時のノリで。

 すると向こうもあまり思うところはないのか、三種の中から無作為に選んだであろうソースをつけ、僕の口元へとフライドポテトを運ぶ。

 僕はまだ熱いそれを舌を火傷しないよう慎重に口へ運び、愛する女性の手で作り上げられたことを意識しながら咀嚼した。

 外はカリカリ、中はホクホク。そしてハーブのいい香りが鼻から抜けていく。やっぱり、贔屓目なしにお店で出てきておかしくないクオリティだ。

 それを全くもって苦じゃなく、本人的には軽くほどの気持ちで作れてしまうナツは凄まじい。当の昔に胃袋はわしづかみにされているが、いい加減にナツの手料理でないと満足できなくなってしまいそうだ。

 

「わ、今の体術すっごい。もう役者さんも完全に本気だよね」

「うん、本当に」

 

 画面の中では主人公と悪役が一騎打ちの肉弾戦を繰り広げている。戦う女として思うところでもあったのか、ナツが感心したような声を上げた。

 家で観る映画はこうして会話ができるのがいいけど、今のはぶっちゃけナツが恋人である幸せを噛みしめていたために見ても聞いてもいなかった。

 これが続けば完全に生返事であることがバレてしまう。ナツのことも内心で愛でつつ、ほどほどに映画のほうにも集中しないと。

 だが連続して三本目に入るころには僕の集中力は切れはじめ、比重の割合が七対三くらいでナツへと傾き始めてしまう。

 だからか今になって思った。この体勢ってやっぱり最高だ。ナツのべらぼうにいい香りが、こんなにも近くから漂ってくる。

 好きな人をいじめたくなる心理は理解した。それでいて、ナツの言うとおり僕はかなり意地悪なんだと思う。

 どんな反応を示すのだろう。照れ由来のちょっとした困惑を見てみたい。そんな誘惑に負けてしまった僕は、ナツの首筋に鼻をあてがいわざと鼻息が鳴るように吸った。

 

「わひゃぁ!? ちょっ、ちょっとハル!」

「ごめん、いい匂いがするなぁと思って」

「い、いい匂いって、そんなの毎日嗅いでるでしょ。別に珍しくなんか」

「シャンプーとか洗剤の匂いの話なんかしてないよ。ナツの匂いのこと。そんなのこの距離じゃないと感じない」

「も、もぉ~……! ハルの意地悪ぅ~……!」

 

 あまりにいきなりで驚かせたのか、ナツは僕の腕から飛び出るのではというほどに大きく跳ねた。それに合わせて逃がしませんよと言う意思を込め、腕の力を数割上げる。

 そして自分が何をされているのか理解した途端、とてもくすぐったそうな声色が耳に届く。顔は密着してるからわからないけど、多分いつもみたいに耳まで真っ赤なんだろう。

 ナツの香りは先ほどのハーブのような爽やかな感じではなく、甘ったるくてフローラル。まさに女の子って感じの匂い。

 声を震わせ早くこの状況を脱しようと、言い訳のような言葉を重ねるほどに意地悪をしたくなってしまう。

 僕がああいえばこう言うみたいな言葉を返すと、これまたいつもみたいに端的な評価を下された。

 それを聞いて更に返しそうになった言葉は、すんでのところで必死に飲み込む。――――僕に意地悪されるの、あんまり嫌いじゃないくせに。

 重ねてきた十年があるからわかる。そこまで言えば、完全に拗ねさせてしまうと。そして、ナツは拗ねるとなかなか許してはくれない。

 一時の衝動に駆られたために、ナツとの触れ合いを制限されるのはあまりにも惜しい。というわけで、ほどほどにしつつ、僕はそれでもナツを愛で続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(…………………………眠れない!)

 

 あれからナツの宣言どおりマラソンと表現すべき鑑賞会は続き、食事や休憩やを挟んで気付けば時刻は深夜を回り始めた。

 幸いにもその頃には台風もとおり過ぎたのか、雨音や風音も完全に聞こえず外の雰囲気はまさに嵐が過ぎ去った後。

 僕らは安心して風呂に入りそれを合図に解散。ナツがどうしてるかはわからないが、僕に至ってはすぐさま布団へと潜り込んだ。

 しかし、これが全く眠れないのだ。原因は恐らく映画。やっぱり観た大半はアクション映画だったせいで、爆発とか音響といった諸々の演出で目が冴えちゃったのだろう。

 目を無駄にギンッと見開き身体を起こし、置時計へと目をやる。示していたのは午前二時。何かをして夜を明かすには長すぎる。

 絵を描いてたらそのくらい余裕だけど、今日はもう画材を手に取る気力というものがない。僕がこんなってよっぽどじゃないかな。

 

(……ホットミルクでも作ってみるか)

 

 真偽のほどは定かじゃないが、眠れない時にはホットミルクみたいなことを聞いた。

 流石に鍋で牛乳を熱するくらい僕でもできるだろうし、どうせすることもないんだから少し挑戦してみることにしよう。……って、失敗フラグじゃないといいんだが。

 ナツに迷惑がかかるような失敗だけは絶対に避けるとして、僕はあまり働かない頭のままどこか重苦しい身体を動かしベッドから出た。

 完全に暗闇に慣れてしまった目は僕の部屋にある物品を捉えていて、思考がままならなくても自然に扉の方へと歩が進む。

 そうしてドアノブに手をかけゆっくりと開いてみれば、ちょうど隣部屋の扉も開くではないか。

 

「ナツ。もしかして、眠れない?」

「ってことは、ハルも? あはは、なんか目が冴えちゃって」

 

 ナツに声をかけるということもあって、疲れていても僕の喉からは穏やかな声が。内心で自分をグッジョブと褒めたたえる。

 状況から察するに同じ悩みに襲われているのだろうと質問してみたが、確認するまでもなく大当たりらしい。

 するとナツは失敗しちゃったとでも言いたげに、どこか照れ臭そうに後頭部を掻く仕草を見せる。まぁ、マラソンって言いだしたのはナツだしね。

 だからってナツを責める気はない。いくら相手が恋人だろうと、本気で逃げようと思えばそうすることもできたはず。

 それでも僕がそうしたかったのは、ナツとの時間を共有したかったという理由に他ならない。だから、こうしてシンクロしていることは喜ぶべきことだと思う。

 

「あのさ、少し話そうよ。二人でゆっくりしてたら眠くなるかも」

「今は少しの可能性でも賭けるしかないか……。じゃあ、ハルの部屋でいいよね」

「画材の匂いが気にならない? そこまで強烈なのは使ってないけど、やっぱり多少なりと感じはするだろうから」

「私はこの匂い好きだけどなー。なんか、ハルが頑張ってるんだーって感じがして」

 

 僕が雑談ないし談笑を提案すると、ナツは腕組みしながらうんうんと頷く。そして、すぐさま僕の部屋でと提案をしてきた。

 ……僕にはわかる。これはさっきのちょっとした意趣返しだ。頑固が災いして、根に持つときは持つからなぁ。自業自得だから文句は言わないけど。

 それこそ画材うんぬんはソレには当たらず、本当にナツを気遣ってのことだ。僕も色鉛筆画が得意ってだけで、水彩画とかいろいろなジャンルに挑戦はしてるし。

 けどナツはそんなことにまったく気にした様子はみせず、むしろ好きとまで断言した。本当に、相変わらず可愛いことを……。

 ナツの言葉にざわつく心を落ち着かせ、僕のベッドへ座るよう促す。そうして真横へと腰掛けたのだが、ナツはない隙間を更に埋めるかのように、もう一段階こちらへと寄り添った。

 

「えへへっ……」

(……可愛い)

 

 ナツはおまけに気持ち僕の方へと傾くことで体重を預け、とても幸せそうな笑みを浮かべた。僕は思わず釣られ笑いをしてしまう。

 僕らはそんな小さな笑い声を皮切りにして、とりとめもない談笑を始めた。どこかの誰かも似たようなことをしているだろう、そんな特別でもない言葉を紡いでゆく。

 そもそも愛を紡ぐばかりが恋人同士という関係でもないだろう。僕らはそれでなくとも家族として生きてきた時間が長いのだから。

 だからこそ話題は尽きない。ちょっとしたワードから互いが気になったものをピックアップし、それを軸にしてまた話が広がっていく。

 静寂に包まれてしまうよりはいいと思うけど、この会話の先にある目的は眠気を誘うというものだ。このまま朝まで語り明かしてしまうのは本末転倒な気も。

 これってすっごく贅沢な悩みなんだろうなぁ。人によってはナツと会話することにすら憧れるっていう手合いも居るんだろうし。ほら、代表候補生ってアイドルみたいなところはあるから。

 ナツ本人はそういった仕事を受けたことはないし、これからも受ける気はないとのこと。ならばますますもって贅沢な話であるわけだ。

 

「…………」

(……あれ、ナツの様子が?)

 

 気づけばナツがこちらへ熱視線を送っている。年相応の快活な様子は消え失せ、女の色香というものを感じさせる。

 なぜ今の流れで急にと考えたとき、すぐさまひとつ心当たりというものが浮かんだ。それは、僕が黙ってナツを見つめていたからだろう。

 僕は集中が過ぎると無口になるというか、器用じゃないからひとつのことだけしかこなせないんだよね。だから喋りながらナツを観察ができなかったため、そういう事態になってしまった。

 いや、しまったって表現するのも変か。それこそ今のナツに違うんだよって言うことが違うんだよ……って? なんだか混乱してきたぞ。

 

「ハル、あのね、ひとつ聞いてもいい?」

「うん、ナツがそれを望むのなら」

「ああっ、でもでも、面倒くさいとか思わないでほしいんだけど……。その、ハルは、さ、私のどこを好きになってくれたのかなーって。思ったら、ちゃんと聞いてないし……」

 

 熱視線からの流れなんだろうけど、ナツはこれまでに見たこともないくらいモジモジしながらそんな質問をぶつけてきた。

 気持ちはわからなくもない。というより、多くのカップルが聞きたくても聞きにくいことだろうと思う。それでいて、とても気になることだとも。

 そんなことを勇気をもって聞いてくれたナツには悪いのだけれど、僕のナツの好きな部分って説明が難しいんだよなぁ。

 そりゃ好きだよ。僕は織斑 一夏を構成する総てを愛おしく思っている。肉体から精神に至るまで。目に見えるものみえないものまでだ。

 しかし、その中から好きになったきっかけとなる部分は? と聞かれると本当に説明に困ってしまう。そうだなぁ、じゃあこういう手でいってみよう。

 

「ナツ、先に僕の好きなところを言ってみてよ。そしたら、僕がナツを好きなところも自然に出てくると思う」

「ええっ、予想だにしない返し。……また意地悪してるんじゃないよね?」

「もうすっかりオオカミ少年? そうじゃないよ、信じて」

 

 そう思えば僕もナツに教えてもらったことなかったし、交互に言い合えば丁度いいんじゃないだろうか。

 言葉で表すのが難しいのなら、ナツ本人に行動で示してもらおうという考えだ。僕の理由は、ナツが真剣であればあるほど発揮されやすいから。

 当初はまぁそういうことならと渋々でも従ってくれそうだったけど、その目にはだんだんと疑惑の色が。今までの意地悪がボディブローのように効いてきたようである。

 本気で濡れ衣だが、夜分ということもあって激しく抗議はしない。というか、そもそも僕が悪いんだから思うところもない。

 とりあえず騙されたと思ってはなしてみてと説得を重ねれば、ナツは伏し目がちになりながらもゆっくりと口を開き始めた。

 

「沢山あるけど、やっぱり人のために努力できるところ……かな」

「僕としては、ナツのいいところを見習ってのことなんだけどね」

「そんなことないよ。ハルを一番見てきた私が言うんだから間違いありません。……私なんか居なくたって、ハルはずっとそういう人だよ」

 

 ナツが手をモジモジさせながら挙げたのは、僕の優しさに――――いや、自分で言うのはアレなんだけど。とにかく、大事に、誇りにしていこうと決めた部分だった。

 でもやっぱり、僕からしてそれはナツありき。けど昔のように後ろ向きな考えで言ったつもりはない。ナツがそうだったからこそっていうちょっとした補足だ。

 それはナツにも伝わっているらしく、もっと自信を持てという旨の言葉は飛んでこない。むしろ目を細めてこちらを見やり、自分のことのように誇らしげな表情を見せた。

 

「でも正直、昔はちょっと頼りなくってさ。多分、ハルが言う私を真似てたって時期なんだと思うんだけど」

「そのままじゃあ、好きになってくれなかった?」

「そうは言わないけど、やっぱり変わったなぁと思って。今のハルの背中は、とっても大きくて広くて、男の背中って感じで……。なんていうか、すごくかっこよくて……」

 

 僕がナツを真似てた時期、か。多分、ただガムシャラにナツの背中をついて回っていた頃のことだと思う。

 それはもう、頼りなかったことだろう。だって、僕は人のためになんてこれっぽっちも考えていなかったんだから。

 僕はただ、ナツに見放されたくなくて。ナツに愛想憑かされたくなくて。ナツのように生きていれば、ナツも僕を置いては行かないかなって、そんな考えしかなかったから。

 けどいつからだろう。そんなことを考えもせず、僕なりにたくさんの人に接していこうと思うようになったのは。

 ……いや、それこそ思いすらしなかったのかも知れない。ナツがいつの間にか、僕の背に頼りがいというものを感じてくれたように。

 

「キラキラ、してるんだ」

「キラキラ? 僕が?」

「ハルが人のことで頑張ってる姿はね、本当に輝いて見えるの。そういう時にふと思うよ。その、好きだなぁって」

 

 キラキラ、かぁ。これはなんというか、嬉し恥ずかしってやつだな。ナツ視点からの僕を想像するとどうにもいたたまれない気分になってしまう。

 でも言ってる本人はもっとそうなのか、目は合わせてくれないし、その瞳は泳ぎまくってるし、声は震えてるし、顔は危機感を覚えるくらいには真っ赤だし。

 いや、本当によく言い切ってくれたものだ。言わせたのは僕なんだから、しっかり受け止めてあげないと嘘だ。そして、ここからは僕の番なのだから。

 

「僕がナツの好きなところ、そういうところだよ」

「い、今までであったぁ……? 私は全然そう思えないんだけど……」

「うん、実際ナツっていつもそうだから。ナツはいつだって、僕の欲しい言葉をくれるんだ」

 

 そう、ナツはまるでこちらの心を見透かすかのように、僕が頭の片隅で、ないし心の奥底で求めている言葉を提供してくれる。そして、僕の価値観をぶち壊してくれるんだ。

 さっきだって、僕が意識して誇りにしていこうと思った部分を、そこに大きく惹かれたのだと言ってくれた。それに伴い、変わった僕をかっこいいと、キラキラしていると言ってくれたんだ。

 本当にナツはいつだってそうだった。僕が落ち込んでいるときなんか特に。

 ナツの言葉が僕を立ち直らせてくれた。ナツの言葉が僕を奮い立たせてくれた。ナツの言葉が僕を僕でいさせてくれたんだ。

 ……だから多分、僕はあの時のナツの言葉が――――

 

「僕の右手は、顔も知らないどこかの誰かを感動させるためにある。ナツがそう言ってくれたのが、本当に嬉しくて……」

「ハル……」

「あの日から、僕は戦いにも前向きになれた。絵を描くのがもっともっと楽しくなった! ……だから僕は、あの日、あの瞬間に、ナツのことを好きになったんだと思う」

 

 勝負に徹することを恐れてしまった僕に、ナツがそう言ってくれた。そうして、僕の恐怖を取り除くどころか、前に進むための動力源となったのだ。

 僕は思わず右手を握りしめる。傷つけるためにあるのであなく、感動させるためにある手をだ。そうすれば、自然にあの日を思い起こす僕が居た。

 なんでこんなにもあの日のことが鮮明なのかって、今の僕が考えてみる限りやっぱり答えはひとつというか、きっと僕があの日ナツを好きになったからだと思う。

 

「……ふふっ、なにそれっ……! そんな前からなんだったら、絶対待たせすぎだから……!」

「うん、本当に。だから僕はナツを愛することを躊躇わないんだよ。待たせてごめんって口で言うのは簡単だから。だから、行動で示そうって思うんだ」

「……例えば…………?」

 

 僕の胸中をそのまま伝えてみると、ナツは目を潤ませながらはにかむ。言葉もところどころ詰まっているし、なんだか思うところがあったのだろう。

 とはいえ待たせすぎというのはごもっとも。前にも言ったが、僕は半ばナツの気持ちには気づいていたようなものだから。

 けど、だからこそ待たせてしまったというのが大前提になるんだよ。僕が照れなくナツへの愛を囁くのも、ナツを世界一幸せな女の子に……っていうのもそう。キスやら何やら遠慮しないのもそうかな。

 そうやって僕が胸中を明かすと、ナツはいきなり例を挙げてみるよう問いかけてくるではないか。

 これは……。……いや、説明するだけ野暮って話なんだろう。ただひとことで表現するのなら、据え膳食わぬは男の恥。というやつだ。

 僕はそっとナツの腰へと腕を回し、艶やかな唇を奪った。

 

「んぅ……」

 

 何度重ねようが慣れることはない。この柔らかさ、張り、弾力に心臓が跳ねる。それを独り占めしていることに心が躍る。

 ……しかし、今回に至ってそれだけでは満たされないような、どこか物足りなさのようなものを感じた。きっと、互いの惹かれた点なんかを言い合った直後だからだろう。

 もっと先へ、もっともっと先へ。満ち足りぬ己をナツへの愛で、ナツからの愛で溢れさせたい。そんな欲求に支配されてしまった僕は――――ナツの口内へ舌を潜り込ませた。

 

「っ……ハル……!?」

 

 だが残念、僕の舌先はナツの前歯をノックするだけで終わってしまう。そしてあまりに驚かせたのか、思わず飛び退くナツを抱えきれなかった。

 ナツは手の甲で口元を隠しながら、これでもかと言わんばかりに驚愕の表情を浮かべていた。だが僕も、負けじとナツへ視線を送り続ける。

 無論、強要はするつもりはない。ただ僕が強い意志を持って、いつも以上にナツを求めているということをわかってほしいだけだ。

 これでナツが拒絶の反応を示すのなら、僕の先走り過ぎだと素直に謝らせてもらうことにしよう。しかし、もしそうでないのなら。つまり、僕を受け入れてくれるというのなら――――

 

「…………」

(ナツ……)

 

 ナツはそっと、首の角度を上向きに傾けてから目を閉じた。すなわち、またしても説明するだけ野暮な状況になったということ。

 僕は再度ナツと唇を重ね、あまり驚かせることなきようゆっくり舌を前へ前へと進めて行った。

 いくらゆっくりだろうとも、いずれたどり着くべき場所へとたどり着く。そう、僕の舌先は、ぬらりと濡れた何かへと触れた。

 瞬間、全身を焼き尽くされるが如く体温の上昇を感知。こちらから仕掛けたのに情けない限りだ。

 だから躊躇いはこの一瞬。僕は気を取り直すかのように、自らの舌でナツの舌を絡めとっていく。

 ……なんだというんだ、この形容しがたい感覚は。触れ合っているのは舌同士だというのに、まるで脳の髄を刺激されているかのような甘美な感覚は。

 ああ、心地よい、気持ちいい、あまりの快楽にあらゆるものが溶けてなくなってしまいそうだ。いや、もはやそうしてしまいたいという想いのほうが強い。

 気づけば僕は、いや、僕らは、互いに貪るかのように激しく舌と舌とを絡ませ合う。タガが外れた、とはよくいったものだ。

 求め合っても求め合っても、足りない何かは満たされなくて。まだ先へまだ先へ、僕らは貪欲に果てを追い求める。

 むせかえりそうになろうとも。口元を唾液で汚そうとも。もはやどちらの唾液かわからなくなろうとも。先へ先へ先へ、ただ先へ。

 そう、僕らが求めているのは――――

 

「……ナツ。キミが欲しい。今すぐ、キミの全部が欲しい」

「ハル……! うん、あなたのモノになりたい。心はもう、とっくの昔にハルのものだから。だから、この身体も捧げて、身も心もハルのモノになりたい……」

 

 実を言うのなら、期待していたところもあるんだと思う。僕がナツに話さないかと提案したのは実のところ建前で、本当はこういった流れになるのを期待していたんじゃないかって。

 保護者の帰宅することがないのが当たり前のこの家で、眠れぬ夜に恋人と二人きり。今となっては神様が背を押しているかのようだ。

 しかし、そんなものもはや関係はない。期待してたとかそうじゃないとか、そんなこと考えている暇があるもんか。

 僕はただ、愛する者の総てがほしい。心から愛してやまないナツの総てを奪い、真の意味で僕だけのナツにしてしまいたいということしか頭にないのだから。

 勢いに任せた身勝手な欲望であることには違いない。しかし、それでも、ナツは僕のことを受け入れてくれる。そう、これも――――やはり僕の欲しい言葉をくれているんだ。

 ――――――――――――――――ぶつり。

 僕は確かに、自分の頭の中で理性というものがはち切れた音を聞いた。ならばあとは身を任せてしまおう。こんな僕でも確かにあるらしい、野性的な本能というものへ。

 僕らは先ほどに輪をかけて勢いよく、互いを求めるかのように唇を重ね合った。

 

 

 

 

 




夏休み中。普段から保護者は帰宅せず。深夜まで眠れない。
そして二人は恋人同士。まぁ、こうなるな。
ということでして、無事(?)卒業です。何がとは言いませんけど。














そのうちR18版を投稿するので、続きはそちらの方で。


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第60話 ウィズ・フレンド

晴人、一夏、それぞれの友人とのやりとりをメインにした回。
夏休み編で二人が絡まない回はこの一本としまして、それでもたまには気分を変える意味も込め、思い切り騒いでいただきました。





以下、評価してくださった方をご紹介。

響@ユウキ推し様 マウントベアー様

評価していただきありがとうございました。


(今日は特に暑いなぁ)

 

 舗装された歩道がどこまでも敷かれた閑静な住宅街。暑さに負けて思わず足を止めてみれば、遠くのほうへ陽炎が立って見えて余計うんざり。

 これが明白な目的のあった外出ならば、僕はなんとも思わず向かうべき場所へと歩を進めていたことだろう。

 あまり気乗りがしていないのは、先方がこちらを呼び出した理由がまったくの不明という不可解な理由があるからだ。

 

(弾、いったいなんの用事なんだろう)

 

 携帯を起動してチャットアプリを開き、五反田 弾という友人の名で登録されている項目をタップ。するとそこには【ちょっと顏貸せや】というシンプルな文面が。

 後は日時が指定してあるくらいで、何の用事で僕を呼び出したのかまるでわからない。何度聞き返そうにも明らかに意図的な既読スルーの嵐だ。

 問答無用で顔を貸せということは、何か怒らせるようなことでもしてしまったのだろうか。

 しかし、疎遠とは言わないけど、僕が学園に入ってからは顔を合わせるのも減ったからな。むしろ怒らせようというものがないはず。

 

(……なんか面倒な予感)

 

 僕が最も忌避しているのはそこなんだ。

 ただ怒らせているのならまだいい。原因が僕と言うなら誠心誠意の心得で、許してもらえるまで謝ってみせよう。

 でも相手は弾だ。言い方は悪いけど、しょうもない理由という可能性も十分にある。普段は兄貴肌なんだけど時々……ね。

 それもこれも行ってみればわかることなんだけど、そもそも行くのが億劫というどうしようもないジレンマに苛まれていた。

 とはいえ僕の性格からしてやはり行かないという選択はできず、歩くことしばらく五反田食堂という看板が掲げられた大衆食堂が見えた。

 弾のお爺さんである厳さんが経営している店で、中学時代の僕たちはよくここへ食事をしに来ていた。サービスしてくれることも多かったっけ。

 久方ぶりとなる暖簾に手をかけ戸をくぐると、食器と箸がぶつかる音や、食欲をそそる料理の匂いなど、懐かしい感覚が五感を巡った。

 

「よぅ、晴人の坊主。久しいな、元気にしてっか」

「あ、はい、このとおり! むしろなかなか顔が出せなくって申し訳ないくらいで」

「んなこたぁいいさ、オメェさんが元気なのが一番ってもんよ。ほれ、あの馬鹿ならいつもどおり二階で待ってるぜ」

「ありがとうございます。それじゃ、お邪魔します」

 

 時間帯としては昼時で忙しいだろうに、厳さんはこちらへ気さくに声をかけてくれた。まったく有難い限りである。

 恐縮しながらお久しぶりですと返せば、更に嬉しいひとことが。話し方からして江戸っ子気質というか、義理人情に篤い人だからなぁ。

 でも実の孫である弾には異様に厳しいことに定評があり、弾を端的に馬鹿としながら顎で二階へと続く階段を示した。

 まぁそこのところに深く突っ込むのは他所様の事情に口を出すことになるので、丁寧なお辞儀をしながら階段を昇った。

 

「弾、来たよ。いったいなんの用……で……?」

 

 一応は気乗りしていないことを面には出さず、いつものように軽い挨拶をかましながら扉を開いた。

 するとどうだろうか、僕の目に飛び込んできたのは、狭めの部屋にぎゅうぎゅうに押し込まれた机と椅子。向かい合わせに二組ずつ。

 そしてカーテンを閉めてどこか暗い部屋を、デスクスタンドが照らす。……これはもしかして、取調室? やっぱり僕は何か悪いことをしたのだろうか。

 

「容疑者、日向 晴人。席に着け」

「うわっ、びっくりした! 数馬もいたんだ、暗くて見えなかったよ。……あれ、今容疑者って言った? あの、僕は何か二人を怒らすようなことでも――――」

「ほう……? しらばっくれるとはいい度胸だな。こっちにゃ確かなタレコミが入ってんだよ!」

「え、ちょっ、落ち着い――――眩し、っていうか熱っ!? それLEDじゃなくて白熱電球じゃないかぁ!」

 

 聞き覚えのある声がしたかと思ったら、部屋の隅に厳かな雰囲気で数馬が立っていた。そして僕を名指しで容疑者とし着席を促す。

 やっぱり何か怒らせたらしい。そこで理由を問いかけてみると、しらばっくれるのかときた。しかもそれまで座っていた弾はキレ気味に立ち上がり、胸倉をつかんでデスクスタンド顔に近づけてくる。

 やっぱりこれは刑事ドラマのノリで――――なんて思いながら弾を落ち着かせようとするのだが、なんとデスクスタンドに使われているのは白熱電球。温まったそれは容赦なく僕の顔を焼く。

 一瞬でそれどころでなくなった僕は弾を無理にでも引きはがし、これでいいでしょと言わんばかりに席へと着いた。

 弾もそんな僕に一瞥くれると、ふてぶてしい態度で再度席に着く。いやほんとなんだって言うんだよぉ……。

 

「日向 晴人、罪状に心当たりはないか」

「ない、です。ごめんなさい、人を怒らせることとは無縁なつもりなので」

「よし、なら仕方ないな。罪状の前に物的証拠を見せてやろう。御手洗刑事、例のものを」

「ハッ!」

 

 別に刑事ドラマノリに付き合うつもりはないが、こう威圧的にこられたら自然にかしこまった態度になってしまう。いつも言ってるけどそういう性格だし。

 だが何やら向こうとしては怒らせた確たる証拠があるようで、それを提示するためか数馬は携帯を弄り始めた。っていうか、やっぱり刑事ドラマノリですかそうですか。

 

「これを見てもシラを切るつもりか!」

【あいつら付き合ってんだからそりゃ遠慮するでしょ】

「はい……? これは――――」

 

 示された証拠とは、鈴ちゃんと数馬のチャットアプリでのやり取りだった。

 流れとしては数馬が中学の頃よくつるんでいたメンバーで外出しようと誘い、鈴ちゃんがそれを僕とナツの関係を理由に断りを入れている。という感じだろうか。

 どうやら鈴ちゃんは僕が報告しているものだと思っていたようで、この後は知らなかったのかという問いを最後に既読スルー。なぜかって、数馬に問い詰められてるから。

 えーっと、それってつまり、抜け駆けって言いたいのか?

 

「それはおかしいでしょ、キミら中学の頃さんざん弄んでくれた癖してよく言えるね!」

「うるせぇ、いざ晴人に先越されたってなると悔しいんだよ!」

「つーか、晴人のほうこそ言ってたろ! 俺とナツはそんなんじゃないーとかなんとか! なっとるやろがい!」

「はいはいそこは謝るよ! けど、それを抜け駆けとかどうの言われる筋合いはない!」

 

 あの頃は本気でナツのことをラブのほうで好きになるなんて思わなかったというのもあるし、そのうえで逐一弄られてたのにこちとら本気で頭を悩ませていたんだぞ。

 というか、この二人は同じことを何度言わせるんだ! キミらは変にモテようとせずに、全力で青春を送ってたらそのうち彼女なんて勝手にできるんだって!

 いろいろ納得というものがいかないせいか、僕としても珍しく苛立ちを露わにしながら二人の言葉へ反論を重ねる。まさに売り言葉に買い言葉だ。

 けど叫んではいても頭の片隅でこうも思っている。心底帰りたいと。

 はぁ……今頃ナツはどうしてるかなぁ。箒ちゃんと鈴ちゃんと遊びに行く予定があるとかで今日は別行動だけど、そしたらわざわざこんなと来なくてよかったなぁ。

 間違いなく友人ではあるが、どこか面倒くさい弾と数馬を前に、僕の意識は愛しのナツがどうしているかという方向に向かうのだった。……うん、多分だけどこれ現実逃避…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご注文はいかがなさいますか?」

「ショートアイスチョコレートオランジュモカノンモカエクストラホイップエクストラソースで」

「これが噂に聞くコーヒーショップでの呪文詠唱というやつか」

「まぁ、ここまでやる人ってそう居ないと思うけどね」

 

 突然鈴からメッセージが飛んできて何かと思えば、幼馴染女子会というのを催すから顔を出せとのこと。

 ハルとはお互い束縛するでもなく、友人同士の付き合いは大手を振って了承してくれた。そもそも、同じ日に向こうも弾に呼び出されたとか言ってたしちょうどよかったかな。

 そこで街へ繰り出し適当に駄弁ることができる場所を相談するところから始めたんだけど、箒が一度行ってみたかった場所に某有名コーヒーチェーン店を挙げた。

 駄弁るのには最適なんだろうけど、なんでも和風を好む箒からして珍しい提案だと思った。けど、たった今謎は解けたと思う。

 箒はこのコーヒーショップ特有のカスタムマシマシの注文が見たかったんだろう。だって、慣れた様子で超カスタム注文する鈴を見る目が輝いているもの。

 まぁ、自他ともにな印象だと思うけど、そういうのは縁遠いもんね。だからある種憧れている部分はあるのかも。

 

「えーっと、箒はどうする? 初めてなんだよね。なんなら抹茶ラテとかもあるけど」

「いや、せっかくコーヒーショップに来たんだ。私自身めったに飲むものではないし、もっとシンプルなやつがあればそれが好ましいな」

「それじゃあ……。あ、期間限定でコールドブリューコーヒーがあるみたいだから、それにしたら?」

「こ、こーるどぶりゅー……?」

 

 いまだ鈴を尊敬の眼差しで眺めている箒に注文を促す。前述のとおり和風を好む箒に最適であろう抹茶ラテを勧めてみると、もっとシンプルなのというオーダーが。

 じゃあアイスコーヒーくらいしかと店内の看板を眺めていると、私の目にはコールドブリューの文字が止まった。

 コールドブリューっていうのは、簡単に言うなら水出しコーヒー。アイスコーヒーとの差を聞かれれば、水出しだから氷で濃さが薄まることなく、冷たいコーヒーを楽しめる。と言っておこう。

 箒にそう説明すると、なんだか感心した様子で頷きながらそれでという了承が。オーダーに応えることができたみたい。

 私はカフェラテに濃い目のキャラメルソースをトッピングするという、比較的シンプルなカスタムで注文。というか、私としてもさっきの鈴はちょっと何言ってるかわからないですね。って感じ。

 やっぱり女子力なのかなぁ、と思えば覚える必要があるようなないような。今度ちょっとご教授願うことにしよう。

 私たちの注文したコーヒーはすぐに完成し、私たちは涼しいクーラーのついた店内の席へ。まずはひと段落と脱力していると、鈴がいきなり携帯を取り出した。

 

「ごめん、ちょっと時間ちょうだい」

「インスタなんたらとかいうやつか? 私には一生理解しえん心理だろうな」

「あのね、承認欲求とかそういうニュアンスのこと言わないでくれる? やってみたら意外と楽しいんだから」

「代表候補生なら仕事のうちにも入るもんね」

「それそれ、広報てやつも含まれてんのよ、こーほー。それ言うと、アンタも何かしらやったほうがいいと思うのよね」

 

 何かと思えば、カスタムしまくったコーヒーを写真に収め、SNSにアップするつもりらしい。

 それに関して箒は……多分悪気はないんだろうけど、取りようによっては喧嘩にも発展しそうな毒を吐く。

 鈴も幾分かムッとしながら返すが、それだけで済みそうでなにより。ホント、命かけてる人も居るだろうからさっきの発言は是正しておかなくては。

 ちなみに私は双方に一票。箒の気持ちも、鈴の気持ちもわかる。箒に一票って言っても、行き過ぎた場合にのみ適応されるけど。

 それこそ命を懸けてる人、口には出さないけど理解できない。評価欲しさに食べ物を粗末にした、なんて話も聞くし。まぁ、きっと一部の人なんだろうけどね。

 そして鈴の単なる承認欲求で片付けてほしくない。というのと、楽しさというのはなんとなくわかる。別に私はSNSなんてやってないけど。

 自分の何気ない日常とかを写真に撮ってそれをアップして、何かしらの反応があるならそれはきっと嬉しいことだ。

 何より、私は愛する人――――ハルがそれに近いことやってるわけですし。そう思えば、そういう気持ちを一概に否定してなんかならない。

 ハルは間違いなく承認欲求のために絵なんて描かない。純粋に描きたいものを描き、そのうえで自分の作品を楽しんでもらいたい……ってスタンスなはずだから。

 

「あ、そうだ。箒、悪いんだけどそれ撮らせてもらっていいかな」

「お、ついに一夏もやる気になったっての?」

「それは構わんが、既に手を付けてしまったぞ。自分のものを撮ったほうがいいのではないか?」

「う~ん……そういうんじゃなくて、ちょっとね」

 

 ハル、写真、というワードでちょっとした思い付きがあったので、箒にコールドブリューコーヒーの撮影許可を願う。

 飲みかけでもいいのかなんて聞かれるけど、残っているならなんでもいいんだよねこれが。詳しい理由についてはぼかしておく。

 だって、そんな友達の前で堂々と惚気るのってよくないでしょ?

 撮影させていただいたコールドブリューコーヒーの写真を添付し、チャットアプリでハルへとメッセージを飛ばす。

 すると今は弾と遊んでて忙しいだろうに、すぐさま既読がついてすぐさま返信が。……ふふっ、そういうところも好きっ。

 そして私は箒と鈴の視線も忘れて、しばらくハルとのちゃっとに勤しむのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だいたいね、キミらはその努力が逆に――――」

 

 この際だから言いたいことは言わせてもらおうと反論を続けていると、ポケットにしまってあった携帯が着信を報せるため振動した。

 ちょっとタイムと片手で二人を制しつつ、携帯を取り出して誰からの連絡かを確認。するとディスプレイに表示されているのはナツの二文字。

 はい、優先事項変更確定。僕はギャーギャー言ってる二人を片手でステイさせるのを継続させつつ、ナツとのチャットに勤しむ。

 初めのうちは二人も不満を漏らしていたが、まぁそれくらいならとやがて完全に沈黙した。……ずっとそうしてくれてるということないんだけど。

 

『ハル、これ見て!』

 

 そんなメッセージと共に添付されてる画像は、なんの変哲もないアイスコーヒーに見える。

 これがいったいどうしたというのだろう。

 

【アイスコーヒーがどうかしたの?】

『これね、水出しコーヒーなんだよ』

【へぇ、それは珍しいね。で、感想は?】

『ううん、私は飲んでないんだ。箒のだから』

【じゃあ、今度二人でに飲みにいこう】

『その言葉を待ってました!』

【ご期待に添えてなにより! それじゃ、また。で、大丈夫かな】

『うん、大丈夫だよ。またね!』

 

 てっきり珍しいから報告してきたのかと思って感想を聞けば、箒ちゃんのだから飲んでないとのこと。

 じゃあなんでわざわざ報告してきたのかって、それを察してやれないと恋人失格というやつですよ。

 要するにこれは、デートの口実というやつだ。ナツのメッセージにそんな隠された意図を察した僕は、二人で飲みに行くことをこちらから提案。

 するとナツは、文面だけでも上機嫌が伝わってきそうなメッセージを飛ばしてくる。それを見た僕は、思わず可愛いやつめと笑ってしまった。

 そのついでにこちらも元気に返して別れの挨拶もしておくと、用はとりあえずそれだけなのかやり取りは途切れた。

 幸せ全開で携帯をポケットにしまえば、待っているのは友達二人との言い合いという現実か……。

 ……って、近っ!? いつの間にやら、二人してめちゃくちゃ近くに僕を挟むように立っていらっしゃる。気配を感じ損ねたから余計ビックリしてしまった。

 しかしこの距離、確実にのぞき見していたと考えていい。ならば僕に放たれる言葉はきっと――――

 

「「爆発しろ!」」

「言うと思った!」

 

 これを皮切りに僕らの言い合いは第二ラウンドへと入るのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レスポンスはっや。ま、普通にアイツのいいところよね~。一夏的には好きなとこ、なんでしょうけど~」

「尊いっ……! デートの約束っ、尊いっ……!」

「わぁっ!? ちょっと、覗き見はナシでしょ!」

 

 ハルとのやりとりが終わると、気付けば両サイドを箒と鈴に固められていた。いや、箒に至っては少し離れた位置で目頭を押さえながらなんかブツブツ言ってる状態だけども。

 どのみち見られていたということには変わりなく、いくらなんでもそれはプライバシーの侵害だと私は声を荒げた。

 だけど鈴は固いことを言わないとお茶を濁しながら自分の席へと戻る。そしてコーヒー……とも取れないような何かを一口すすると、何か思い出したような閃いたような顔を見せた。

 

「一夏、そういえばさぁ。アンタ綺麗になったわよね」

「そう、かなぁ。あんまり自分ではわからないけど、より気を遣うようにはなったよね」

「とか言って、原因はそれだけじゃないでしょ」

「え? 別に思い当たる節はなにも――――」

「何ってアンタ、ナニでしょ」

 

 鈴と言えば無人機騒動の時の私の落ち込みぶりから、ハルへの想いの強さを理解して身を引いてくれたんだけど、我ながら元男として綺麗になったという誉め言葉をどう受け取ったらいいのやら。

 心当たりというか、ハルのためにも綺麗になるよういろいろ努力はしてる。けど、それが実っているのか自分ではいまいちピンとこない。

 でも物事をハッキリ言うタイプの鈴がそう思うならそうなのかもと、否定も肯定もしないような中途半端な答えに落ちついた。

 しかし、なぜか鈴のほうが心当たりがあるかのような物言いだ。心なしか顔つきがニヤニヤしているのが気になる。

 鈴の動向を見守っていると、あろうことか拳を握るようにしながら、人差し指と中指の間に親指を突っ込んで見せた。つまり、そういうことの暗喩である。

 私からしては割とタイムリーな話題であり、思わず飲んでいる最中のカフェラテを噴き戻しかけてしまう。

 慌てて飲み込むもむせかえってしまい、そんな私を見て正気に戻ったのか、箒が大丈夫かと私の背を撫でる。

 

「鈴、今のはいったいなんの合図なんだ」

「はぁ? アンタそういうのに無知なのほどほどにしときなさいよ。つまりねぇ――――」

「ふむ……。……なっ!? なななな、なるほどそういう意味なのか。そうか、一夏、せ、赤飯でも焚くか?」

「いやいやいや! なんで勝手に私が経験済みって感じになっちゃうの!?」

「はいダウト。アンタすーぐ顔に出るんだから。わかんないほうがおかしいっての」

 

 箒は何の暗喩か本気で知らないようだった。私としてはそのままの箒で居てという謎の親目線をしたくなるけど、いらないことに鈴がその内情を吹き込んだ。

 もちろん不特定多数の人がはびこる場ということで耳打ちで。

 てっきり破廉恥な! とか言って大騒ぎするかと思いきや、驚きはしたようだけど案外大人しいものだった。けど、赤飯どうのはちょっと余計かなって。もちろん、箒が純粋な気持ちで言ってくれてるのはわかるけど……。

 ……って危ない! 箒があまりにも純粋なせいか、そのままありがとうと答えてしまうところだった。急いで決めつけはよくないと主張してみるも、どうやら時すでに遅し。

 鈴曰く、吹き戻しかけた頃には既にバレてしまったようだ。うーん、そんなにわかりやすいかなぁ……? と、火照った頬をマッサージするように撫でてみる。

 

「で、実際どうなのよ。やっぱ痛かった?」

「ノーコメント」

「まぁ晴人に至って乱暴にってことはないでしょうね。じゃ、気持ちよかった?」

「ノーコメント!」

 

 鈴の質問は好奇心や後学のためということでなく、ただ私をからかう目的だというのはすぐにわかった。

 後学のためというならいろいろぼかしつつも真剣に話してみようという気になった可能性もあるが、そういう目的なら絶対に何ひとつ話してなるものか。

 身を乗り出しながら意地悪な質問をしてくる鈴に対し、私も同じく身を乗り出してムキになりながらノーコメントと回答。

 そうやってムキになるのが鈴の思う壺なんだろうけど、事細かく説明すよりは随分とましなはず。

 期待通りのリアクションをどうもと、ケタケタと笑う鈴が少し癪だけどね……。

 

「ところで鈴、先ほどから話しながら携帯を触るのは感心しないぞ」

「あー悪いわね、もう終わるから勘弁して。ま、騒ぐ男子にちょっとした着火剤をね~」

 

 少しばかり機嫌を損ねていた私は、この時の鈴の言葉を完全に聞き逃してしまっていた。

 まさにこの瞬間鈴の悪ふざけの矛先が、ハルにまで向けられていたというのを顕著に表した言葉だというのに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、そんな馬鹿な……!」

「俺たちの努力そのものが、モテない原因だったなんて……!」

(う~ん、少し言いすぎちゃったかな……?)

 

 言い争いの最中、常々思っていたそれぞれのモテない理由を客観的に説明したところ、弾と数馬は膝を抱えて座り込み、酷く落ち込んでしまった。

 不満があったのは確かだけど、俺の時の僕なら絶対こうはならなかったよなぁ。でも流石になすがままってわけにもいかなかった。

 僕が変に慰めをかけるとお前が言うなとかで騒ぎ出すんだろうし、いったいどう対応するのが正解なのやら。……いっそこのまま帰っちゃう?

 い、いや、彼らが友達であるという事実は変わらないんだから、なんとか気を取り直させるのも僕の仕事だよな。よし、なんとかそれらしい台詞でも――――

 と、僕が近づこうとしたその時、机に置きっぱなしだった数馬の携帯が震えた。送信相手や内容を見るのは失礼なのでしないが、遠目でもわかる緑色の画面は例のチャットアプリのはず。

 とりあえず見るだけ見たらどうかと声をかけると、数馬はノロノロとまるでゾンビのようにスローな動きのまま携帯を手元に収めて確認作業を始めた。

 

「こ、の……クソ野郎がああああああっ!」

「ええっ、なんでまたこのパターン!?」

「このパターンにならずにいられるかぁ! 晴人、これはどういうことだよ!」

「見えないからな!? ほっぺに画面押し付けられて見えるはずないだろ! ええーっと、なになに……」

【晴人、非童貞確定】

「鈴ちゃああああああん!」

 

 突如として数馬は激高。勢いそのまま僕の胸倉をつかんで前後に揺らした。この流れ数分前に見たよ。お腹いっぱいだよ。

 すると数馬はこれをどう説明するつもりかと、携帯の画面を頬に押し付けてくる。数馬、そんなに近づけられたら物理的に見えないからね。

 そう怒鳴ると落ち着いてはいないようだが、画面を確認できる程度のは離してくれた。しかし片手はしっかり胸倉を掴んでいるあたり、逃がさないという執念を感じずにいられない。

 いったい何が数馬にそこまでさせるのかと画面を見ると、そこには数馬あてに鈴ちゃんから超いらないメッセージが。要するに、僕が童貞卒業しているのを報告しているのだ。

 僕らが遊んでいることは知っているのだろう。それでいてこのメッセージを送信したということは、面白半分ということが確定している。

 やっぱりどこか僕に対する扱いが雑な鈴ちゃんに対し、僕は心底から不満であると彼女の名を叫んだ。空しいかな、それが本人に届くことはないだろう。

 ……いや待て、なんで鈴ちゃんがそのこと知ってるんだ!? もしかしてナツ、執拗に迫られて喋っちゃったかなぁ……? それはそれで不憫というかいたたまれないというか。

 

「ほわぁ!? 晴人、貴様ああああ!」

「いやね、この際だから否定はしないけど、別にこれも文句言われてもしょうがなくて――――」

「いったいどんな感じだったか吐いてもらおうか……? それはもう事細かく!」

「僕もうキミらと縁切りたくなってきましたけど!?」

 

 いったいどうしたのかと弾もメッセージを読み、様式美よろしくこちらへ詰め寄って来る。そして今度は両肩を掴まれた。

 僕にはもはや反論するためのネタがないので、最初の頃と同じく落ち着かせることに重点を置いて言葉を紡いでいく。が、弾はどうやら怒りが頭の大半を占めているようではなさそうだ。

 うん、むしろそれなら怒ってくれたほうがよかったけどね。だって最低だもの。この男、僕に初体験の感想を求めてくるではないか。

 そろそろ我慢の限界というか、むしろなんでこの二人と今まで友達でやってこれたんだろう。という想いがつい口から出てしまうくらいには残念でならない。

 それからしばらくは、ちょっと文字に書き起こすことはできないようなアレコレを根掘り葉掘り聞かれた。無論、ナツとの大切な一夜を汚さないためにも回答は断固拒否。

 どうにか強引に帰るタイミングを見計らっていると、僕の背後からとんでもなく大きな音が響いた。

 

「あのですね、ここにはお年頃の女の子が住んでるんです。下世話な話をするなら出て行ってくれませんか?」

「「「すみませんでした!」」」

 

 そこに片足を挙げて立っていたのは、ラフな格好に身を包んだ蘭ちゃんだった。どうやら扉を蹴破ったらしい。

 そしてとてつもなく素敵な笑顔で、それでいて全てを凍り付かせるような笑顔で、下ネタで騒ぐ男三人に注意を――――もとい、要約すればとっとと出ていきなと言い放った。

 逆らっても絶対にいいことはないと本能的に察した僕らは、揃いも揃って直立した状態で素直に謝罪をば。そのままの流れで、厳さんに怒らない程度に急ぎ五反田食堂を飛び出た。

 そして僕らは、しばらく何もするでもなく店の外観を眺め続ける。

 

「「「…………」」」

「……ゲーセンでも行くか?」

「それよか冷たいもんでも食いに行かね? 晴人、なんかいい店知らねぇのかよ」

「提案するのにノープランなんだ……。ん~……かき氷専門店が駅前にできたとか聞いたけど」

「んじゃまずそこ目指すか。晴人、財布は持ってるよな」

「うん、外出するときは必ず持つようにしてるから」

 

 弾がぼやくようにそう提案し、数馬が別の案を挙げる。惜しいことにノープランみたいだけど。っていうかなぜ僕に振るんだ。まぁ知ってるには知ってるけど……。

 それこそナツとデートするのによさそうと思ってた店、なんて言ったらまた騒ぐので口にチャックをしておく。

 喧嘩みたくなった後もこうやって自然な会話ができるあたり、縁を切りたいなんて思わず口走ってしまったけど、やっぱり二人は僕にとってかけがえのない友人なんだろう。

 最近はナツのことばかり考えていたし、今日は頭を空っぽにして馬鹿騒ぎをすることにしよう。切っても切れないであろう縁で結ばれた、このお馬鹿さん二人と。

 

 

 

 

 




鈴のめっちゃカスタムしそうとか、箒のコーヒーより緑茶派とかは、完全に独断と偏見によるものですがあしからず。
ですがキャラそれぞれの個性を軸にそういうことを考察するのは楽しいものでして、他にも犬派か猫派かなんて想像していたりします。
これも二次創作の醍醐味というやつなのかも知れませんね。





ハルナツメモ その27【レスポンス速度】
晴人とメールやチャットでやりとりをすると、時間帯問わず恐ろしい速度で返信がかかる。本編のように、相手が一夏だったから特別早いというわけでもないのだ。
無論だがその性格ゆえ、待たせては悪いからという気持ちが先行してしまうため。
ゆえに見逃した、ないし気付かなかったということが起きると、ものすごく謝る。それはもう謝り倒す。
ちなみに、逆に既読スルーをされたりしても、緊急を要する時以外であればこれっぽっちも気にしない。
しっかりしていそうで、その実マイペースな面も持ち合わせているのかも。


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第61話 僕の願い

気が付けばハルトナツの連載開始から一年が経過してました。
まさにあっという間のできごと。それだけ充実しているということでしょうか。
ともあれこうして続けてこれたのは、この作品を読んでくれる皆様のおかげです。
もうしばらくの間、引き続き応援いただければ幸いです。







以下、評価してくださった方をご紹介。

藤紗月様

評価していただきありがとうございました。


 時刻はそろそろ夕暮れ間近。刻一刻と沈みゆく夕日を眺めながら、僕は玄関先にて胸を躍らせながらナツの準備が整うのを待ち構えている。

 今日は箒ちゃんち、正確に表現するなら篠ノ之神社で夏祭りが催される。神事? 神楽? みたいなことで舞踊をするからぜひと、本人から招待があった。

 箒ちゃんと共に過ごした小学校時代では、毎年の恒例行事だったなぁなんて懐かしい気分に想いを馳せてしまう。

 晴れ舞台をぜひ観てほしいとあらば、友達として幼馴染として出向かないわけにもいかない。と言いつつ、箒ちゃんはデートのアシストをしてくれてるんだろうなぁとも思う。

 それはいらぬお世話どころか大歓迎だ。だって夏祭りと言えば? そう、浴衣! ナツの浴衣姿を見られるのだからこれ以上のことはない。

 

(本当、父さんと母さんに感謝!)

 

 渡したいものがあるから少しだけ帰ると予告があったかと思えば、そのプレゼントとやらはかなりいい生地で織られているらしい特注の浴衣だった。

 僕は実際ナツが着た時にということでデザインは見せてもらえなかったけど、届けに来た母さんが帰ったあとにだいぶ恐縮してたし、本当に相当なやつだと考えたほうがよさそう。

 ちなみにだが、その際にだけど僕らの交際がスタートしたということを報告しておいた。そりゃもう大手を振って喜ばれたよ、失神するくらい。もちろん、僕じゃなくて母さんがね。

 

『あ、そうそう、僕ら付き合い始めたから』

 

 帰り際にそんな感じで思い出したように言ったのがいけなかったんだと思うけど、それはよかったわねぇなんて口にしながら倒れなくてもいいと思う。どこまで引っ付けたかったのか。

 まぁうん、有難いことだとも思うよ? 多分だけど、母さんは僕が無意識的にナツへ想いを寄せてるのもわかっていたんだろうし。

 父さんのほうはアッサリしたもので、電話でひとことおめでとうという言葉をいただいた。それと、命に代えてでも愛し続けよという至言もおまけつき。

 そろそろナツも姿を見せるだろうし、閑話休題ってところかな……。

 

「ごめん、一人で着るの凄く難しくって!」

 

 玄関を隔てて慌ただしい音が響いたかと思えば、テンポよく戸が開閉する音が響いた。

 ナツが特殊な装いに身を包む時って、いつもこんなやりとりをしてる気がするなぁ。別に謝らなくても、というのはいつも言っているんだが。

 でも親しき中にも礼儀ありという言葉の大事さも理解してるし、今回もしっかり待ち時間も楽しんでいるんだってことを伝えておかなくては。

 ナツの方へと向き直り、口を開いたまではいい。だけど僕はそのまま続けて声を発することができずに、マヌケにもあんぐりとしてしまうという醜態を晒してしまった。

 髪をアップにまとめ上げ、いつもよりどこか凛とした印象を受けたから。というのは大きいけど、何よりその浴衣のデザインが僕にそうさせたんだ。

 ベースとなるのはナツのパーソナルカラーである白――――というよりは、雪色と呼ぶにふさわしいような澄み切ったもの。そしてなにより、大きく虹色の蝶があしらわれているではないか。

 虹と言えば僕の相棒であるヘイムダルの象徴。蝶に関しては単純にナツの優美さや儚さに起因するものだろうけど、それはたしかにナツへ僕を刻むかの如く所業である。

 そんなデザインの浴衣がナツの美しさを際立てているのに一役買っているとなれば、僕が抱く感想なんてただひとつ。

 

「この世に生を受けて本当によかった……!」

「そこまで!? 嬉しいけど、流石にそこまではおおげさだよー」

 

 噛み砕いて言うのならありがとうってことなんだけど、本当にそれしか言葉がみつからない。

 なんなら今僕にこんなナツを見させてくれているあらゆる要素に、ありがとうと拝み倒しても足りないくらいだ。

 地面に頭をこすりつけて有難みを表現したい気持ちをなんとか抑えるも、悶えるのばかりはどうしようもできず非常に気持ち悪い感じになってしまう。

 ナツが絡むとどうにも柄じゃなくなってしまうのは、そろそろどうにかしないとな。でも、いつまで経っても新鮮なリアクションをしたいというのもあるし、そこらは難しいものだ。

 宥められてなんとか気を取り直した僕は、ナツの手を取り箒ちゃんちを目指して歩き始めた。そういえば、彼女と再会したというのに一度も訪れていなかったな。

 

「それにしてもっていうか、箒ちゃん自ら観に来てっていうのは珍しくないかな」

「そういう家系に産まれたからには、巫女としての役目は誉れあることって言ってたよ」

「へぇ、恥ずべきことじゃないと。それもそれで箒ちゃんらしいか」

「ふふ、そうだね。着いたらまずは挨拶しておこう」

 

 実はずっと気になっていたことなんだけど、なにかと目立つことを敬遠する傾向にある箒ちゃんが、間違いなく晴れ舞台であろう行事を自ら見に来るよう言ったのが信じられなかった。

 直に聞いたナツの言葉を耳にして、ようやくそれもある種箒ちゃんだと思える。彼女がかっこいい女性であることに間違いはないのだから。

 巫女さん、ねぇ。なんだか弾や数馬あたりは聞いただけでテンションが上がりそうなフレーズだけど、やっぱり神職に関わりのある人物が友人っていうのもまた特殊だよね。

 なにかこう、萌え? みたいな邪な思考はこれまで抱いたことはないんだけど、ナツがもしそういう格好をしたとするなら確かに気持ちもわかるかもなぁ。

 

「ハール、なーに考えてるのかな~?」

「ナツの巫女服姿を見てみたいなって」

「う゛っ、なんかカウンター喰らった気分……。む~……昔は可愛く照れてたのに~」

 

 邪念を抱いてナツを凝視していたせいか、完全に考えを読まれてしまったようだ。そしてナツの言い方からして、一種の意地悪だということも。

 別に主導権を握らせたくないというわけではないが、そう来られては期待どおりの反応をしてやるわけにはいかない。ということで、嫌に堂々とそのままの考えを伝える。

 ナツとしては僕が大慌てで考えを誤魔化しにかかるというのを期待していたようで、少し口先を尖らせて抗議されてしまった。

 ……やっぱり僕って意地悪なやつだ。いつか必ず見せてよねって言いたい。耳元で囁いて顔を真っ赤にさせてやりたい。

 そんな衝動を必死に抑え、とにかくナツをなだめることに終始する。いろいろ奢ってくれたら許してくれるとのこと。

 いつもどおりのやりとりを繰り広げつつ歩くことしばらく、ようやく篠ノ之神社が見えてきた。仄かに輝く行灯がそこらに飾られており、耳には賑やかな祭囃子が届いてくる。

 

「おーい、箒ーっ!」

「二人とも、来てくれたか!」

「もちろん来るよー。だって箒の頼みだもん」

「嬉しいことを言ってくれる。むっ、一夏、その浴衣……随分といい生地を使っているな」

「わかるんだ!? そうなの、おじさんどおばさんがプレゼントしてくれてね」

 

 長い階段を昇って境内の方へお邪魔すると、仮に設けられた控室へと通された。自ら招待しただけあり、箒ちゃんに緊張した様子は微塵も感じられない。

 そして繰り広げられる女子特有? のキャピキャピとしたやりとりを邪魔せぬよう、少し離れた位置で二人の様子を見守る。

 なんだかナツと箒ちゃんがはしゃぐ姿はホッコリさせられるというか、よくわかんないけど保護者的視点で見てしまう。

 そんな僕の視線に気が付いたのか、箒ちゃんが遠慮なく混ざれと僕を手招く。

 別に遠慮していたわけではないが、そういうことならお言葉に甘えることにしよう。

 

「それにしても、並んだ姿が様になってきたじゃないか。……尊い」

「あはは、それは嬉しいな。けど箒ちゃん、どうか暴走はしないように」

「はっ!? そうだ、写真を撮ってもいいだろうか!」

「なんで箒のほうが私たちの写真を欲しがるの……」

 

 並び立つ僕らを見るなり、箒ちゃんはからかうでもなく様になってきたと褒めてくる。それだけなら感謝の言葉を返すだけで済んだんだろうが、ボソッとまた変なことを呟いているのは聞き逃さないぞ。

 なんとか箒ちゃんのテンションを上げまいと釘をさすも、どうやら手遅れみたいでなぜか向こうが僕らのツーショット写真を要求。

 ホクホクとした様子で携帯を構える箒ちゃんを見て、僕らは顔を見合わせてから半歩ほど接近。記念になるのは間違いないしね。

 そして表情を明るくした箒ちゃんは、ものすごい勢いでシャッターを切った。しかも連射モードで。……いったい彼女の何がそうさせるのか。

 

「ふふふ、休み明けの集会で使えるネタが増えた……」

「ちょっと今のは聞き捨てならない。箒ちゃん、なんかキミがどんどん遠くへ行っちゃってる気がしてならないよ!」

「もう言うだけ無駄なんじゃないかな……」

「お願いだから諦めないで!」

 

 箒ちゃんが自分の世界に入っていることを表しているのか、普通にこちらへ聞こえる音量で不穏なことを口にし始める。

 集会? それって絶対にハルナツとやらを応援してる人の集まりだよね。もしかしてファンクラブみたいなことになってるんじゃないだろうな。

 いや、別に僕らのプライベートさえ侵害されなければいいんだ。けど箒ちゃんがよからぬ風潮に染められていくのを見過ごせないというか。

 確かにナツの瞳が物語るように、既にドップリはまっているような気はするが、なんとかクールでかっこいい箒ちゃんに戻ってもらいたいものだ。

 

「二人とも、婚姻の契りはぜひウチで交わすといい!」

「今度はすさまじく話が飛躍し始めた!? っていうか、ここは結婚関連のこともやってたんだっけ」

「機会がなかっただけの話だが、普通に承っていたぞ。それより晴人、一夏の白無垢姿を見てみたいとは思わんのか!」

「む、それは魅力的な口説き文句で……。……ちょっと詳しく話せる?」

「ハル、収拾がつかなくなるから今は戻ってきて! 箒ごめん、私たちもう行くから!」

 

 どういう妄想を繰り広げていたのか知らないが、箒ちゃんは最終的に僕らへ結婚式はぜひ篠ノ之神社でと迫って来るではないか。

 ツッコミを入れつつも、普通に疑問に感じたことがあるのでちょっと質問。説明が過去形なのが引っかかるけど、神前式も執り行っているらしい。

 ほーん、とかへぇ、みたく内心でそうなのかと相槌を打っていると、いきなり箒ちゃんが僕の心を揺さぶることを言い始めるではないか。

 そりゃ王道のウェディングドレス姿も最高だろうが、何かと和装が似合うナツに白無垢もまた最高としか言いようがないだろう。

 そのあたりのことはまだ考えたことはなかったが、善は急げと言うやつだ。ぜひとも今後について箒ちゃんと話し合いを――――と思ったのだけれど、ナツに服を引っ張られてそのまま退散させられてしまう。

 このまま去るのもなんなので、またねと大きく手を振ってみる。すると向こうも、またなと手を振り返してくれた。

 ん、ならとりあえずは大丈夫そうかな。それじ僕も気持ちを切り替えて、ナツと祭りを楽しむことにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実際のとこ祭りを楽しむって言ってもオーソドックスなもので、縁日を回っていろいろものを食べたり、型抜きとか射的とかで遊んだりだ。

 重要なのは僕とナツでってことだと思う。やっぱり恋人同士ということもあってか、周囲に舌打ちされてしまいそうなやりとりをしていた自覚はある。

 というより、うん、舌打ちされてた。主に男性諸君から。気にしないようにはしてたけど、これを見るにIS学園が共学じゃなくて本当によかったと思う。

 どのみち僕らにとって今日のメーンは箒ちゃんの舞踊であるわけで。どちらかというならそれが始まるまでの時間つぶしみたいなものだ。

 いやしかし、本当に見事なものだった。箒ちゃんも大和撫子って表現がピッタリな女性だし、和の美しさというものを十分に堪能させてもらった。

 でもあんまり話すとナツが拗ねるから割愛。別に他意はなく見ていたつもりだけど、ちょっとナツは面白くなさそうだったし。可愛い。

 後は祭りの醍醐味をもう一つ残すのみとなり、僕らは昔馴染みだけが知る特等席へと足を運んでいた。

 それは篠ノ之神社の裏手あたりにある雑木林――――の中に、まるで図ったように木々で囲われたちょっとした広場がある。

 ここだけは葉や枝が邪魔することなく空を仰ぐことができ、人が現れることもまずないまさに特等席と言うわけだ。

 かつては織斑姉弟と篠ノ之姉妹と共に祭りの最後はここに集っていたわけだが、それも今や二度と再現されない光景なのだろうか。

 

「祭りが終わりそうになると、なんだか寂しい気持ちになっちゃうよね。わかるわかる」

「へ……? そう、なんだよね。楽しい時間ほどあっという間に過ぎちゃうっていうか」

 

 あの日あったはずの僕らには戻れないのだろうか。なんて考えてしまっていたせいか、少しばかり顔つきが不穏ものになってしまったようだ。

 ナツは僕の心をどこまで読んだのか。本当はわかっていて誤魔化しながら聞いてくれるのか。そのあたりは定かではないが、寂しさを紛らわすようなことを言ってくれた。相変わらずナイスフォローなことでして……。

 そういうところも好きだなぁと感じつつ、僕は指を絡ませながらナツの手を取った。そうだ、この手だけは離してなるものか。

 

「……ねぇハル。ずっと立ちっぱなしもなんだし座らない?」

「おっと、ごめんごめん。気が利かなかったかな。よ……っと、ほら」

「なに言ってんの、十分利いてるじゃん……」

 

 感傷に浸り過ぎてしまった。あの頃をただ昔のことだ、今は今を生きているんだと割り切れるほど僕は強くない。けど、少なくとも今は最愛の人と刻む時を生きよう。

 僕はナツの提案に乗ると、すぐさま足を開いてから腰を降ろす。映画を観たあの日と同じく、ナツが僕に身体を預ければ楽だろう。

 そんな僕に対して気が利くと言うナツだが、そもそも座ることを提案させてしまったのでプラスマイナスゼロってところじゃないだろうか。

 まぁこういうね、なるべく互いに下手に出るのが円満のコツなんじゃないだろうか。僕らはそんなことしなくたって永遠に円満だろうから知らないけど。

 しかし、やっぱり早く来すぎてしまっただろうか。なら実はずっと気になっていたあの話題について、とりあえずナツのイメージを聞くことにしよう。

 

「ナツ、さっきの話なんだけどさ、実際どうなの? どっちを着たいとかあったら聞かせてほしいんだけど」

「さっき? ……あぁ、う~んそうだね。和式も洋式も同じくらい憧れるっていうか。むしろそれならハルの希望に合わせるけど。あ、でも、あまり派手婚にする気だけはないかな~」

「そこに関しては僕も同意。親族と弾たちと、専用機持ちのみんなにはぜひ来てもらいたいよね」

 

 ナツもそれなりに関心は持っていたのか、割とスラスラと意見が出てきた。未だに尻込みするようなことがないなら言うことはない。

 でもなんかこの会話、本当に結婚する寸前みたいなノリなんだがそこはどうなんだ。我ながら、後は籍を入れて式を挙げるだけとは思ってるけどさ。

 とりあえず様式については置いておいて、参列者を多く呼ばないという部分については大賛成。……というか、呼ぶような友達が居ないって言うのもまた正しい。

 そ、それはそれとして、問題は少なくとも卒業してからになることだよなぁ。候補生のみんなは国に帰っちゃう可能性が高いだろうし、無理なくスケジュールを合わせることができればいいんだが。

 

「……ハルは――――」

「うん?」

「ハルは、俺を、お嫁さんにしてくれるのか?」

「……嘘でしょ!? 今更!? 数秒前までのくだりはなんだったのさ……」

「だ、だって、冷静に考えたら俺、すげぇこと言われてる……。結婚するの前提みたいに言われたら、頭が一気にパンクしちゃいそうで……!」

 

 前言撤回、全然大丈夫じゃなかったらしい。

 聞いてなかったってことじゃないみたいだが、よくよく考えてみたらこれなんかおかしいぞという感じになっちゃったのかなぁ?

 それにしても、どうやらナツはそっち方面に混乱がピークに達すると男口調に戻ってしまうようだな。つまり100%素直な言葉と考えていいわけで。

 ナツの心の牙城を崩せているようで、それもまた嬉しいような気はするが、もっと言うなら泣かせちゃってるってことか。

 あ~……でも、これ以上言おうものなら余計にナツを泣かせてしまうような気も。……不本意だけど、皮肉っぽく言っておく?

 

「あのですね、僕に手まで出した女の子と結婚しないって選択肢があると思いますか? 昔から責任感だけはあったつもりだけど」

「それはそうだけど、私のいらない心配だっていうのはわかってるけど! ……私の前からは、いろんな人がいなくなっていったから。私が、本当にこんなに幸せで――――」

 

 僕はナツの想いを見誤っていたようだ。数秒前まで軽い話で済むと考えていた自分をぶん殴ってやりたい。

 物心つく前のことみたいだが、ナツの前からは血のつながりがあるはずのご両親がいなくなった。本当の孫のように可愛がってくれた爺ちゃんがいなくなった。

 家族ぐるみでの付き合いだった篠ノ之一家がいなくなった。そしてその穴を埋めるかのようにやって来た鈴ちゃんも。

 爺ちゃんは寿命というか天命ゆえに仕方ない部分はある。箒ちゃんと鈴ちゃんは巡り巡って再会することができた。しかし、ナツはあまりにも目の前から大切な者がいなくなることを体験し過ぎていたのだ。

 ……なんてふがいないことなんだ。もちろんショックなことだとは思っていたけど、そこまでナツの心に暗い影を落としてしまっていたなんて。そのことに気づくことができなかった……。

 だけど、弱みを晒すことをよしとしないナツが、こうして心の内を話してくれたことは嬉しく思う。だからこそ僕は、これ以上ナツにネガティブな発言をさせるわけにはいかない。

 自分が本当にこんな幸せでいいのか。そう言い切ってしまう前に、僕はナツの唇を短く奪うことで黙らせた。

 

「前に話したよね。ナツが望み続ける限り、僕はキミの傍を離れないって」

「……うん」

「けどね、それはもうナツだけの望みじゃないんだ。ナツの隣にあり続けることは、今じゃ僕自身が望むことなんだよ」

「ハル……」

 

 初めはナツの隣を離れられない臆病なやつだった。それを乗り越えた僕は、ナツの望みがままナツの隣に居ることを決意した。そしてナツの望みは、いつしか僕の望みとなったのだ。

 世界広しと言えども僕にとって世界で一番愛しいナツと、共に泣き笑い、共に分かち合い、共に育み生きていく。むしろ今の僕にとって、それが生きる意味なのだから。

 だから僕とナツは運命だって思う。例えどのような形であれ、出会ったその日から方時も離れることなくここまでたどり着いているのだから。そして、これからも離れることはないだろう。

 僕が、僕だけは、ずっとナツの隣に居た。多くの人がナツの前から姿を消すのに対して、僕だけは……。これを運命と呼ばずになんとする。

 

「それに、約束を違える気はないし、むしろ幸せを堂々と受け入れてもらわないと困るよ。だって僕には、ナツを世界で一番幸せな女性にするっていう使命が――――いや、夢があるんだから」

「…………!」

 

 僕がずっと言い続けているこれだって、僕のしたいことなんだ。ただナツを幸せにしたい。だから幸せを受け入れてもらわないと困るっていうのは、少し本音が混じっちゃってるかな。

 要するに遠回しではあるけど、ナツは幸せになっていいんだと伝えたつもりだが、僕の想いは届いてくれただろうか。

 黙ってただ顔を見せまいとするナツを待つことしばらく、ゆっくりではあるが首を斜め上に向け、その顔を僕へと晒した。

 ナツの顔は薄暗い中でもわかるくらい、涙で頬を濡らしている。しかし、僕はとても美しいと感じてしまう。それはきっと、ナツが幸せを感じて流している涙だから。

 ……堪らない。とても身勝手な感情なのかも知れないが、ナツを幸せで満たせていることこそが幸せだ。……あぁそうか、これもきっと、分け合うことなんだろう。

 僕は肩越しにナツへと顔を近づけていく。そうして僕らの唇が再度重なりかけたその時――――空に燦然と華が咲いた。

 言うまでもなく僕らは花火を観にここへと来た。そのための特等席であるというのに、もはやただ人気を避ける目的になってしまいそうだ。

 だって僕らは、お互いのことしか見えなくなってしまっているのだから。

 

「んんっ……! ハル……ハルっ……!」

「ナツ……!」

 

 僕らは自然に舌同士を絡ませ合い、僅かな息次の間を縫って互いの名を呼び合う。まるで求めるかのような切ない声色が、思考をより鈍らせ甘美の坩堝へと落ちていく。

 幸いにも艶めかしい水音は、花火が咲く音にかき消されてあまり耳へは届かない。本当に幸いなことだ。

 なぜなら僕は、これ以上何か思考を鈍らす要因があったとして、きっと外だと言うのにもかかわらず、ナツとひとつになるべく行動を起こしてしまっていただろうから。

 いつしか僕らはどちらともなく距離を置き、舌と舌には激しく求め合った証拠である銀の橋がかかった。それが途切れると、ナツはなんだかこそばゆそうな笑顔を見せる。

 そうしてすかさずハンカチを取り出しナツの口元を拭く。なんか浴衣はいい生地らしいし、どちらのものとわからない涎で汚すわけにもいかない。

 それからの僕らは、珍しいことにただ無言で花火を眺めた。語るべくことはキスで伝え合ったというのもあるけど、なんだか言葉にするのも憚られる何かがあった気がするんだ。

 そして、最後を締めるべくひときわ大きな火花の輪が広がる。ドンという音と共に儚く消えゆくが、この刹那的な美しさが花火の醍醐味。その余韻を楽しむこともまたしかり。

 花火の打ち上げが終わってしばらく、まだ僕らは無言のままだった。暗く静かに感じてしまう夜空を見上げ、ようやくナツがぽつりと呟く。

 

「……花火、終わっちゃったね」

「……うん。けど、夏が終わったわけでもないんだし、また来年観に来ればいいよ。だって僕らは、永遠に一緒なんだから……さ」

「あはは、ハルって変! いつもは平気そうなのに、今のなんでちょっと恥ずかしそうなの?」

「な、なんでだろ。自分でもちょっと不思議だよ」

 

 寂しげに呟くナツに対して、今すぐはそうかも知れないけど、これが最後になるわけじゃいない。なんて声をかけながら、立ち上がって手を差し伸べた。

 だけど最後のほうが気恥ずかしさで少しどもってしまい、ナツに笑われてしまう。さっきまでもっと恥ずかしいことをしていたのに、本当にどうしてだろう。

 なにも恥ずべきことと言いたいわけじゃないが、むしろキスしたからこそ言葉に詰まってしまった可能性がある。今度からは気を付けることにしよう。

 まぁ、とにもかくにも――――

 

「ナツ、僕らはずっと一緒だ。必ずキミの傍にあり続けるよ」

「ハル……。うん、ずっと一緒に!」

 

 いい花火鑑賞にはなったんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 




拙者、TS娘の恋愛感情が暴走して、無意識的に男口調に戻るの大好き侍
なんたって極論まで詰めればそれが完全なる「素」なんですもの。
それが恥ずかしくってつい出ちゃったってのが可愛いんだよなぁもぉ!
でも逆もまた然り。
いつもは男口調で喋ってるけど、相手役のドキっとさせられる言動に、つい女の子口調で喋っちゃうTS娘もいいぞ。
結論ですが、やっぱりTSってジャンルは最高なんっすよぉ……。


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第62話 かけがえのないもの

夏休み編の最終話になります。
かつ、学園祭編のプロローグも込みといったところでしょうか。
おおむねの内容は、ある意味での晴人の成長を顕著に描写するための回。ですかね。


「ん……?」

 

 時刻は午前十時頃。リビングにて絵を描いていると、ポケットの中に入れてある携帯が着信を報せるべく震えた。

 画面に映し出されている通話相手を確認するれば、そこには美術部顧問の先生の名が。

 そりゃ相手は顧問の先生だし、携帯の番号は交換した。けどこれまでかかってくることなんてなかったし、いったいなんの用事なんだろう。

 得てして心当たりがなくとも、学生と言うのは教師からの電話というだけで警戒してしまう。

 僕はなんとなく深呼吸をしてから、通話開始の表示をタップした。

 

「はい、もしもし」

『日向くん、おめでとう!』

「え? すみませんけど、主語がないのでなんとも」

 

 電話に出るなり聞こえてきたのは祝福の声。しかも先生にしては珍しく、少し興奮した様子だった。

 それがなおさら僕を混乱させるというか、ポカンとさせるというか。向こうも冷静でなかった自覚が出たのか、携帯越しにゴホンと咳払いするような声が聞こえる。

 どうやら落ち着きを取り戻したのか、いつもの調子で電話そのものをしても大丈夫かと確認を取られた。

 問題ないと答えれば、先生は僕にこう告げる。

 

『夏休み中に審査のあるアレ、応募作品があったでしょう』

「ああ、はい。その節はどうもお待たせしまして――――」

『そんな過ぎたことはどうでもいいの。日向くん、おめでとう。さっき連絡があって、あなたの作品が最優秀賞を獲ったっていう報せがきたわ』

「……え? ええええええっ!? ほ、本当ですか!?」

 

 別に電話でわざわざ皮肉を言うつもりじゃないのはわかっていたが、そこまで重大発表であることを誰が予想できただろうか。

 最優秀賞。その四文字に一瞬だが脳がフリーズしかけてしまう。

 これまで生きてきて、あまりにも一番という言葉とは無縁な人生であった。

 そこまで順位にこだわるつもりはないが、やっぱり得意だしかなり自信のある絵で獲れないでいたのは、どこかモヤモヤする部分があったり。

 それがどうだ。苦節? 約十年となって、ようやく日の目を見たことになる。……んだけど、はて? 何か忘れてしまっているような。

 

『それで、始業式に夏休み中あった受賞のちょっとしたお披露目があるんだけど』

「あ、もしかして打ち合わせがあったりします?」

『ええ、それもあるからスケジュールの確認はしたいの。けど日向くん、あなた大丈夫なの?』

「へ? 大丈夫って……」

『多分、作品をどういう意図で描いたか。みたいなちょっとしたインタビューとかされることになるわよ。むしろ織斑さんと揃って生き地獄みたいな気がしてならないというか……』

 

 喜々としてスケジュールを開けられるよう予定を思い出していると、なんだか先生は歯切れの悪いというか、言葉を濁して何かを心配し始めた。

 そして僕はこの段階になってようやくすべてを悟る。応募作品のテーマは大切な宝物。そして僕がそれに選んだモチーフはナツ。そしてその作品が、最優秀賞を獲ってしまったということだ。

 インタビューと生き地獄というフレーズを耳にして、一瞬にして頭が真っ白になってしまう。だって、だって……どういうことになるか予想がつくんだものおおおおおおっ!

 

『日向くん、気をしっかりもって!』

「……はっ!? す、すみません、いろいろと待ち受けるものに気が遠くなってしまいまして」

『心中察するわ。……辞退できるよう掛け合ってみましょうか?』

 

 僕がどのくらい沈黙してしまっていたのかわからないが、次に耳に入ったのは先生の本気で心配している声色の呼びかけであった。

 なんとか現実に思考を持って帰ることができた僕は、素直に考えていたことを述べた。……最優秀賞ってことも本気で喜んでいるんだけど。

 すると先生は、起きるべく事態を避けにかかってはどうかと、受賞者紹介そのものを辞退してはと提案してくれる。

 ……この場で返事をすることは、ナツとまったく相談をしないということ。つまりナツの考えを聞かないということになるが、僕は――――

 

「いえ、出ます」

『まぁ、あなたがそう言うなら止めはしないけど。……本当に大丈夫?』

「はい、僕にもそれなりに意地ってやつがありますから」

『わかったわ。じゃあ、打ち合わせの日時だけど――――』

 

 逃げる逃げないの話でないことはわかっている。その点においては、むしろ逃げてもいいんだって方向で落ち着いたからこそ、僕はこうして僕を取り戻しているのだから。

 しかし、僕が描いた作品はナツだ。そんな作品を僕の口から解説するのは、確かに恥ずかしいことなのかもしれない。

 が、恥ずべきことじゃないんだ。ナツを描いているという時点で、照れを理由に辞退していいはずがない。

 だってそれは、僕がナツを愛していることの証明なのだから。そのくらい、全校生徒の前で宣言できずになんとする!

 僕の意思が固いと察してか、先生は打ち合わせが行われる日時の確認をし、それから僕へと再度祝福の言葉を送ってから通話は途絶えた。

 

「ハル、誰から電話? 叫んでたみたいだけど何かあったの?」

 

 受賞の驚きに際して騒いだ声を聞きつけてか、ナツがひょっこりと顔を見せた。二階に居ても聞こえたならよほどうるさかったのだろうか。

 それはそれとして、これからもっとうるさくしてしまうのだから同じことなのかも知れない。

 なんで騒ぐ前提なのかって、そんなの決まっている。僕の意地にかまけて、ナツになんの相談もしなかったことを謝らねばならないからだ。

 僕はジャンプしながら立ち上がり、なるべく前方へと距離が延びるように跳ぶ。そして着地と同時にそのまま土下座の体勢をとった。

 

「本っ当に申し訳ありませんでしたああああ!」

「え? ええ!? ちょっ、ちょっとハル、そんないきなり土下座されたって何がなんだかわからないよ。怒らないからまず事情を話して、ね?」

 

 順番が前後して余計にナツを混乱させてしまうかも知れないが、やはり自分が悪い時は初手謝罪が安定なんだ。勘違いしてほしくないのは、保身のためとかそういうつもりはまったくない。

 いきなりの土下座に驚いた様子のナツだったが、次の瞬間には宥めるような声色で僕に事情を話すよう説得を始めるではないか。

 もちろん洗いざらい話すけど、やっぱり怒らないんだろうなぁ……。別に怒られたいわけじゃないけど、手放しに許されてもこっちが納得いかないのはある。

 そのあたりは何か埋め合わせを考えるとして、懺悔の時間にするとしよう。

 リビングのテーブルをどけ、反省の意味も込めてカーペットにそのまま正座。ナツにはクッションの上に腰掛けてもらい、向かい合わせとなってようやくあらましの説明を始めた。

 

「例の絵が最優秀賞!?」

「はい……。それでですね、始業式に全校生徒の前でいろいろ聞かれることになるかと……」

「あ~……さっきの謝罪はそういう意味ね。なるほどなるほど」

 

 まず応募作品であったことすら話さなかったのが完全に失策でありまして。それはもちろん受賞させるつもりで描いたけどさ、本当に受賞するとは思ってないからこういうことになってるんだよなぁ。

 続けて最優秀賞を獲った先にあるできごとについて説明すると、ナツはここにきてようやく謝罪の意味を理解したらしい。

 さぁ、これを聞いてナツはどう出る。場合によってはやっぱり辞退っていうことにもなってしまうかも知れないが、それならそれで仕方ないと割り切るしか――――

 

「確かに初めから言ってくれればって思うけど、別に謝ることでもないと思うな」

「でもさ、多分すごいことになるよ? 何がとは言わないけど」

「まぁ言いたい人たちには言わせておこうよ。それとも何? ハルは私の絵のこと、詳しく話すのは嫌なの?」

「っ……それはない! それだけは絶対にありえないよ! あの絵は外野から見たらただの模写かも知れないけど、僕が初めてちゃんと描いたナツなんだ。正直少し恥ずかしい気はするけど、嫌とかそういうのが混じった恥じらいじゃない!」

 

 さっきも言ったが、僕は怒られたいわけではない。しかし、あまりにもナツがアッサリとしているので拍子抜けしてしまう。

 そのせいで本当に大丈夫なのかと再確認をすれば、ナツは僕に顔を寄せ悪戯っぽい表情でそう告げた。

 これはいわゆる釣りというやつで、僕の本音を引き出すためのものだったんだろう。

 僕は見事にひっかけられてしまった。そういう問いかけられ方をされたのなら、本気で弁明するしかないじゃないか。

 矛盾したことを言ってしまうが、ナツの絵へと込めた想いを解説するのに、何を恥じる必要があるというのだろう。

 愛する人を描いた絵が評価され、あまつさえ最優秀賞ときた。むしろ誇らしいまであるし、僕にとって永遠の宝となるはず。

 僕はそんな思いの丈を怒鳴るように口にしてしまい、ようやく自分の失態に気が付いた。これではまるでナツを責めているみたいじゃないか。

 冷静どころか混乱に陥りそうな頭を必死に働かせ、とにかく謝らなければとナツに向き直る。

 するとどうだろうか、そんなことをしている暇すらないじゃないか。

 

「ハル」

「……っ!?」

 

 ナツは寄せた顔を更に近づけ、そのまま僕と口づけを交わした。いつもは、というかほぼ100%僕主導なもので、幾分か脳の処理が追い付かない。

 ナツはそのまま僕の首へと両腕を回し、目いっぱいの体重をかけてくる。突然のことに支え切ることができず押し倒されてしまう。

 それでもなお、僕らは唇を重ね合わせたままだった。……いや、むしろ床に押さえつけられているせいで、少なくとも僕はされるがままになるしかないんだけど。

 今になってようやくナツの気持ちがわかったというか、確かにいきなりキスされるのは驚かずにいられない。

 だがナツのキスはそこまで長いものでなく、僕が倒れ込んでからすぐナツ唇の感覚は離れていく。しかし、眼前にはまだナツの美貌が。

 

「ハル、ありがとう。いつだって、私のことを大切に想ってくれて」

「……僕の人生に、ナツ以上に大切なものなんてないよ」

「ふふ、じゃあそんな私を描いた絵は?」

「やっぱり恥ずかしがるようなものじゃない、かな」

 

 ナツは僕にまたがった状態のまま、急に礼を言ってくる。多分だけど、僕がナツに関して熱弁したことについてだろう。

 言わせた癖にと思いつつ、やっぱり本心は本心なのでどうしようもないよな。そう、本当にナツ以上に大切なものなんてないのだから。

 僕の言葉に照れくさそうな笑みを浮かべたナツは、もう一度だけ確かにそこにある事実を確認すべく問いかけてくる。

 僕は初めから、ナツも問題なく堂々としていられるという答えを握っていたんだ。きっとどこかブレーキをかけたがっていたのは、僕の踏ん切りがつかなかっただけの話なんだ。

 ならばもう迷うこともあるまい。いつもと同じだ。ナツが僕の背を押してくれたというのなら、立ち止まる理由なんて何もない。

 

「礼を言うのは僕の方みたいだ。ナツ、ありがとう」

「全然、こんなの気にしなくていいよ。それよりハル、本当におめでとう! 今日はお祝いしなくっちゃね」

「あっ、断っておくけど母さんには報せないでおいて! これ聞いたらどう出てくるかわからないからさ……」

 

 僕が礼を言うと同時にナツは僕の上から退き、それを合図にするかのようにして僕も上半身を起こした。

 するとナツは大事なことを忘れていたと、僕に祝辞を述べる。実感はわかないけど、ナツが自分のことのように喜んでくれているのがなにより。

 そしてナツ、お祝いと気合を入れてくれるのは嬉しいんだけど、母さんに伝えるようなことだけはせぬようお願いします。

 なぜかって? 自分で言うのはなんなんだけど、僕のことを溺愛してるあの人が、最優秀賞を獲得したとか聞いたらもう暴走する姿しか浮かばない。

 なんなら僕は生徒教師含めたIS学園一同よりも、暴走した母さん一人のほうが圧倒的に怖いぞ。……考えれば考えるほど、いい加減子離れしてくれないだろうか。

 とにかく、後は打ち合わせをしっかりこなして、インタビューされる内容の回答をちゃんと用意しておかないとな……。

 今日のところは、ナツがお祝いとして作ってくれるであろう、まさに御馳走と言うような晩御飯に舌鼓を打つことにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ついに来るべき始業式当日。IS学園全校生徒及び教師陣が整列する中、僕らのように何かしら表彰のある者はステージ脇にて待機中。

 スポーツ関連についてはチームで活動する部活は代表者で、個人戦があるような種目はそれこそ個人で。

 僕のように文化部なのは吹奏楽部の部長さんだけみたいで、お互いなんだか肩身の狭いですねと無意識に会釈をしあってしまったぞ。

 もっと言うならこの場に男子は僕だけなわけでして、慣れたつもりだったのになおさら肩身の狭い思いだ。上級生とはあまり関りがなかったからだろうか。

 

「ねぇねぇ、日向。あんたそれ自前の額なの?」

「ん? ああ、これか。それが最優秀賞ってことで、トロフィー的な感覚でこれに作品を入れてもらえるんだってさ」

 

 久しぶりに感じる肩身の狭さに参っていると、隣に立っていた女子が声をかけてきた。

 リボンの色からして一年生。もっと言うなら二組の子である可能性大。鈴ちゃんのところに遊びに行ったとき、何度か顔を合わせたし世間話程度の会話もしたことがある。

 にもかかわらず、失礼ながら名前が思い出せない。というか聞いたこともない気がする。でも居るよね? 居るでしょ? 顔ははっきりしてるけど名前があやふやな子って。

 そんな二組の子は、さっきから僕が小脇に抱えている額のことが気になったらしい。見た目がものすごく豪華だから興味を惹いたんだろう。

 確かにこういう類のはいくらか所持しているが、二組の子の予想は外れ。正解は、絵画コンクール最優秀賞の副賞ともいうべき代物だ。

 確かに僕もこれを渡された時には驚いたものだ。……でもこれ、学校がある間はどこに保管しておけばいいんだろ?

 

「へぇ、日向ってマジで絵が上手――――えっ、やばっ!? これ絵!? 写真にしか見えないんだけど!」

「爺ちゃん直伝なんだ。それに、そういうリアクションが欲しくて頑張ってるところもあるしね」

「いや、見直したわ。にしても彼女さんのこと好き過ぎんでしょ~! ウリウリ」

「否定はしないでおくことにするよ」

 

 さりげなく僕から絵を奪った二組の子は、絵を目にするなり大きなリアクションを見せてくれる。本当にそういうわかりやすい反応は画家冥利に尽きるというものだ。

 感心しながら絵を返してくれたかと思えば、冗談交じりに肘で突いてくる。昔の僕なら大慌てだったであろうからかい方だ。

 まぁそういうの含め、彼女とのやりとりはいい予行練習となった。だってこれから何百倍の人数に、同じようなからかいをされるのであろうから。

 

『それでは、これより夏休み中に行われた大会等での表彰の紹介を――――』

 

 僕が密かに緊張を解されていると、スピーカーからそんな声が聞こえてくる。

 いよいよ始まるということもあってか、ステージ脇で待機している面々は必要以上に厳かな雰囲気を醸し出し始めた。

 それはさっき声をかけてくれた、気さくで快活っぽい二組の彼女も例外ではないらしい。それならばと、僕はネクタイをいつもよりきつめに締める。

 ちなみに紹介順だが、僕はトリを務めることになった。なぜかって、公正なるジャンケンの結果だから仕方がない。要するに運ゲーだから僕も諦めがついたとも。

 

「はいはーい、ここからは二年新聞部の黛 薫子がインタビュアーを務めさせていただきまーす!」

 

 そして僕らの待機している反対側から黛先輩が飛び出てくる。本当、うってつけの人選としか思えないよね。誰が選んだかは知らないけどさ。

 もちろん事前の打ち合わせの際にも黛先輩は同席しており、直接話し合うことで質問の内容は決定している。つまりアドリブでもない限り、特別焦るようなことも起きないというわけだ。

 だけど面白いことを好む彼女の性格からして、本当にアドリブがありそうで怖い。とりあえず情けない受け答えだけはしないように気を付けなくては。

 どこか探るような目つきで黛先輩を観察していると、早速その呼び声に応えて先頭に立っていた女子がステージ中央へと移動していく。

 覚悟はしていたつもりだが、いざ始まってしまうとなんだかソワソワしてしまうな。全校生徒の拍手なんて聞いてしまうと特に。

 その点で言うなら最後というのは助かることなのかも知れない。黛先輩の軽快なトークというか、聞いていてクスリとしてしまうようなインタビューも僕を和ませるのに一役買ってくれている。

 うん、これは自分で思っていたよりも上手くできそうだ。次はいよいよ僕の出番。黛先輩のコールと共に堂々と登場だ!

 

「それではラスト、この方に登場していただきましょう! 振りぬく拳は黄金の右? いやいや彼のは虹色の右ィ! 日向ぃ~……はぁるとおおおお!」

「いや黛先輩!? ボクサーのリングインじゃないんですから普通にお願いします!」

 

 懸念していたアドリブがまさかの登場の段階で!

 この場には芸術家としているはずなのに、その真反対かのような格闘技の競技者感あふれる紹介に対し、僕は反射的にツッコミを入れてしまう。

 すると、ドッ! と講堂が笑いに包まれる。ナツのおかげで鍛えられた無駄なツッコミスキルが、こんな形で功を奏するとは。

 なんだかんだ一安心しながらふと黛先輩を見やると、悪戯っぽいウィンクが飛んでくる。な、なるほど、どうやら僕の緊張を解す目的もあったみたい。

 それならもう言いっこなしだ。事実、僕もなんだか温まってきた。黛先輩には感謝しないとならないな。

 

「見事なツッコミありがとうございます! さて、冗談はこのくらいにして、ズバリ! 日向くんが受賞したのはどのようなものなんでしょうか!」

「あ、はい。夏休み絵画コンクールですね。シンプルな名前ですけど、小さな子から僕ら高校生が審査対象の幅広いコンクールなんですよ」

「ほうほう、それはそれは。では日向くん、獲得した賞はいかほどで!」

「高校生部門で最優秀賞をとらせていただきました! ありがとうございます!」

 

 黛先輩のスイッチの切り替えは素早いもので、気付いた時には記者モードへと切り替わっていた。

 おかげで対応に一瞬だけ遅れてしまうも、黛先輩に質問されたとおり、参加したコンクールと受賞内容を答えることができた。

 僕がマイクに向かって感謝を述べると、講堂ないはちょっとどよめきながら拍手で包まれる。多分だけど、最優秀という部分が関係しているんだろう。

 

「今日はですね、件の最優秀を獲得した絵を持ってきていただきました。ほらみなさん、観てくださいよこれ。完全に惚気だぞぉ!」

「あなたの大切な宝物っていうテーマだったもので」

「予想に反して惚気に惚気を重ねてきたぁ! 皆の衆、盛大にからかってやりなさい!」

 

 この流れも打ち合わせの最中に決まったことで、額は合図があるまで決して表――――つまり絵が見える側を見せないでというお達しがあった。

 黛先輩のゴーサインを感じ取った僕は、額をクルリと反転させてから両手でなるべく高く掲げてみせる。すると講堂二階に構えていた新聞部であろう女子が、カメラで絵を捉えた。

 どうやら空間投影型ディスプレイと連動しているらしく、これにより拡大されて僕の絵が映し出されたというわけだ。

 みんなが困惑する隙も与えず煽り始めるあたり、黛先輩も面白半分、配慮半分といったところなのかも知れない。

 事実、一瞬だけどう受け止めたらいいかわかならいようなザワめきが立ちかけたが、ノリのよさめな女子たちがヒューヒューと声を上げ、それに触発されるかのように黄色い声が増大していった。

 

「は~い、はいはい、そろそろ静粛に。それにしても日向くん、よほど織斑さんのことを大切に想っているようですが。ぶっちゃけ、彼女に対する想いなんか聞かせてくれると嬉しいなぁと思うですけれど」

「そうですね……。すみません、ちょっとマイクいいですか」

「おっ……。そういうことなら、遠慮なくどうぞ」

 

 収拾がつかなくなる前に黛先輩がその場を収めた。こういったことには慣れているのか、見事な手際だと感心させられる。

 そして何事もなかったかのようにインタビューを続行。が、これは台本になかった質問に該当する。つまりアドリブだ。

 といっても、登場の時のようにおふざけの要素はない真面目な質問だった。ならば僕も真面目に答えることにしよう。

 少し時間を獲り過ぎてしまうかも知れないが、黛先輩からマイクを受け取り一歩前に出る。僕の纏う雰囲気のせいか、会場は先ほどの熱も忘れ静寂へ包まれた。

 

「僕にとって、ナツは宝です。それは恋人だからっていうのもありますけど、根本はそうじゃない。そう、例えば年齢や性別が今と違ったって、僕のこの想いは揺るがない」

 

 何度だって言ってやるぞ。ナツは僕のかけがえのない宝だ。

 それは恋人以前の問題で、ナツは僕の家族だった。ナツは僕のきょうだいだった。ナツは僕の相棒だった。ナツは僕の半身だったから。

 それらのものに性別がどうの年齢がどうのは重要じゃない。もっと言うならそういう概念をとうに超えた、見えないけど決して切れない強い繋がりで僕らは結ばれている。

 

「僕にとって絵は、唯一自分の世界を描けるものでした。けど、いろいろあってどんどん自分の世界を狭めてしまって……。そのへんは割愛しますけど! また僕の世界を広げなおしてくれたのも、やっぱりナツで」

 

 絵というものは内気だった僕にとって、自分の世界に浸っていられるもので、相性が良かったというかうってつけだったのかも知れない。

 だがいつしか自分の世界すらも表現する方法を忘れ、爺ちゃんから課せられた最期の願いもずっと手詰まりになって……。

 そんな時だって、やっぱりナツが隣に居てくれたからこそ、僕はまた画家として歩みだすことができたんだ。

 

「だから、僕に絵を描く楽しさを思い出させてくれた。そんな宝を描いてとったこの賞は、僕の人生でも最高のものになると思います。ナツ、本当にありがとう!」

 

 もしかするとこの先、また最優秀なんかを獲ってしまう瞬間が来るかも知れない。だが、今回ほど喜ばしいものになることはほぼないだろう。

 なぜなら、やはりナツを描いた作品が評価されたから。前述したとおり、僕にとってナツは決してただの恋人なんかではなく、画家としての僕の導なのだから。

 モデルになってくれたこと含め、あらゆる意味で感謝が止まらない。僕は思わず知らず、晴れ舞台を見守ってくれているであろうナツに向かって頭を下げた。

 するとそんな僕に待っていたのは茶化すような声ではなく、本気で僕の――――いや、僕たちのことを祝福してくれているであろう温かい拍手だった。

 思わず目頭が熱くなってしまうが、僕は拍手をくれるみんなにも深々と一礼。頭を上げたあたりで、黛先輩が締めに入った。

 

「日向くん、素晴らしいコメントをありがとうございます! これからもどうか、末永くお幸せに!」

「はい!」

 

 黛先輩が手馴れているおかげなのか、本当にまったく緊張することなく終えることができた。

 僕は最後にもう一度礼をしてからステージ端の待機場まで戻ると、ひと段落だと胸を撫でおろす。……まぁ、たぶんここからが大変なんだろうけど。

 始業式初日から授業が始まるわけで、これから教室に戻るわけで……。そしたらまた、一組のみんなには言われたい放題になってしまうんだろう。

 恥ずかしいわけでも苦でもなくなったわけだけど、やっぱりなんかアレだよなぁ。……まぁいいか、もはや開き直ったも同然なんだし、見せつけてやることにしよう。

 

(……キス、したいなぁ)

 

 そうやってナツのことばかりを考えていると、急にそんな衝動が僕を襲う。

 ……そうか、学園で生活する以上、夏休みほど自由に愛を確かめ合うことができなくなってしまっているんだった。

 ダメってなると余計にしたくなってくる気もするというか、誰にバレるともわからない状況というのも、それはそれで……なんて思ってしまう。

 ……ますます我慢できなくなってしまったかも知れない。昼休みあたり、ナツにどうにか交渉してみることにしようかな。

 なんて不純なことを考えながら、僕はようやく教室を目指すべく歩を進めるのであった。

 

 

 

 

 

 




昔の晴人がこんな堂々と惚気られるわけがないんだよなぁ。
というかですよ、なんなら私よりも鋼のメンタルですよ。
男子が自分一人の学校で、恋人がいかに大切かを説いているわけですし。
なんか文字起しするとサイコ方面に片足突っ込んでそうな気がしなくも。

そういうわけでして、次回から本格的に最終章へ突入していきます。
少なくとも、夏までには完結ってところでしょうかね。


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第63話 まずは初めましてから

満を持して例のあの人ご登場。
でもよそ様と比較すると、割と真面目に立ち振る舞う姿勢でいただく予定。
なぜかって、裏の顔の方が前面に出てる彼女の方が好みだからです。


「だぁああああっ! 鬱陶しいのよチマチマチマチマぁ!」

(イライラさせるのが目的とはいえ、鈴ちゃんってば迫力すっごいなぁ)

 

 二学期が始まり最初の実技訓練、僕は鈴ちゃんとの模擬戦に興じていた。

 というのも、フユ姉さんは授業が始まるなり、まずは長期休暇でダラけているであろう気持ちを引き締めにかかる。とか言い出して、そのデモンストレーションに僕らが選ばれたというわけ。

 鈴ちゃんはともかく、僕は心当たりが大いにあるというか……。多分、ナツと恋人として過ごしてたから選ばれたんだろうなぁと。

 しかし、何も僕だって夏休み中ずっと遊び惚けていたわけではない。それなりの時間を訓練に割き、少なくとも腕がなまっているということはないくらいのコンディションだ。

 で、今はヘイムダルの扱い方、ないし立ち回りについて、僕の運用データをもとにして作られた新たな戦法を試している。

 現在、右腕の変形機構は緑色の電磁(マグネショッカー)。チャージ時間がネックなのと、当たっても最大で三秒程度しか相手の動きを止められない。という点から使うのを躊躇っていたが、消極的なのはあまり良くなかったようだ。

 チャージしては当てて、チャージしては当ててをとにかく繰り返す。そして、動きが止まってる間に特に僕は何もしてない。

 鈴ちゃんが叫んでいるとおり、それで苛立ちを募らせ相手の精細を欠かせるのが目的になるわけだ。

 言い方は悪いんだけど、鈴ちゃんのような短気な相手には効果覿面なのかも知れない。

 だが鈴ちゃんは苛立ちを発散させるかのように、とにかく龍砲による連射を繰り返す。これではだめだ、まだ目的を達成したとは言えない。

 というわけなので――――

 

「まだまだっ!」

(もうっ、当てるのも避けるのも上手くなってるし!)

(――――とか思ってそうな顔かな、あれ)

 

 侮ることなかれ、鈴ちゃんだって決して頭が悪いわけじゃない。むしろ彼女は文句なしにいい方へと分類される。

 何が問題かって、頭に血が上りやすい点。そして一度イライラしてしまうが最後、落ち着きを取り戻すためにかなりの時間を要する点だ。

 そこに付け入らせてもらえれば、悪循環を生み出せるというわけ。

 僕の射撃能力――――というかISを操作する技量全般に関してだが、やはりそこそこくらいの評価を抜け出すことはないだろう。

 しかし、例の悪循環に陥った鈴ちゃんにならば当てられる。僕がそう確信を持って言えるくらいには簡単なことだ。

 鈴ちゃんが通常の精神状態であればどうにか避けられたであろう電磁波動も、100%ではないがかなりの確率で当たってくれている。

 そしてまた鈴ちゃんは苛立ちを募らせると……。こういう言い方は変なのかも知れないけど、綺麗な引っかかりかただなぁ。

 

「…………あああああああああああああああっ!」

(つ、ついにピークか! 落ち着いて、これが狙いだったんだから!)

 

 最後に当たった緑色の電磁(マグネショッカー)による拘束が解けると、鈴ちゃんは一本に繋げた双天牙月を両手もちに変更。泣く子も黙るような咆哮を上げつつ、龍砲を連射しながらそのまま突っ込んできた。

 僕はそれを避けるようなことはなく青色の塔盾(タワーシールド)で真正面から受け止める。

 確かに猛攻と呼ぶべき攻撃ではあるが、やはり福音との戦いを潜り抜けた身としては、大したことがないように思えるから不思議なものだ。

 よし、だからこそ落ち着いて対処。自分でやっておいてなんだけど、鈴ちゃんがものすごく怖いけどとにかく落ち着け。

 一発勝負ではあるが、後はタイミングを合わせるだけ。鈴ちゃんの突っ込んでくるスピードも速いが、真っすぐ来てるからとてもわかり易い。

 そして間合いを双天牙月の有効範囲内まで詰めた鈴ちゃんは、これでもかと言うほどに二本の青龍刀を振りかぶる。

 それが青色の塔盾(タワーシールド)へぶつかる寸前、僕は右腕を薙ぎ払うように大きく振るった。そう、久々のお披露目となるが、偽暮桜との戦いの際にも使用したパリィだ。

 タイミングはバッチリ。虚を突いたということもあってか効果も覿面。鈴ちゃんは、身体ごとぐらつかせるようにして後方に反れた。

 

「よしっ、今だ!」

「へっ!? あ、ちょっ、ちょっとタ――――」

 

 青色の塔盾(タワーシールド)に弾かれた衝撃のせいか、それとも僕が拳を握る姿を見たせいか、鈴ちゃんはこれから我が身に起きるであろう悲劇を察したようだ。

 僕だって本来であれば遠慮したいところではあるけど、そのあたりはちょっとずつ是正していくと決めた。だから鈴ちゃんには悪いんだけど、少しだけ実験台になっていただきます!

 

虹色の手甲(ガントレット)ッ!」

 

 僕が腹から声を出すと、右腕各所にブースター機構が飛び出してくる。

 そして緑色の電磁(マグネショッカー)青色の塔盾(タワーシールド)を使用したことにより蓄積された、それなりの量のビフレストを一気に吐き出し、巨大な右腕によるパンチへと推進力をつけた。

 虹色の手甲(ガントレット)は見事に鈴ちゃんの胴体を捉え、クリーンヒットしたことを示すかのように、鈴ちゃんが苦悶の表情を浮かべた。

 僕は心底から湧き上がってしまいそうな罪悪感を振り払うかのように、接触している拳を前に押し出しそのまま鈴ちゃんを殴り飛ばす。

 

「キャアアアアっ!?」

赤色の丸鋸(サーキュラーソー)!」

「なっ!? 離しなさいよっ、このっ、変態変態変態!」

「ぐっ!? あっ! て、手痛い反撃だけど、ダメージレースならこっちが上手だ!」

 

 鈴ちゃんが吹き飛んだと同時にギャラルホルンを装備し高速移動形態へ。制御できる範囲の速度を出し、右腕を伸ばしてそのまま鈴ちゃんを掴んだ。

 すかさず右腕を赤色の丸鋸(サーキュラーソー)へ変形させ、鈴ちゃんを掴んで拘束したまま、赤色のエネルギーで形成された鋸を高速回転。

 鋸は鈴ちゃんの絶対防御発動圏内へと触れ、みるみるうちにエネルギーを削っていく。

 しかし、このまま黙ってやられる鈴ちゃんではないみたい。なぜならこの拘束は完璧ではなく、龍砲が非固定武装なため反撃を受けてしまう。

 甲龍の肩付近に浮いたソレばかりは、ヘイムダルの右腕でも掴み切れない。鈴ちゃんも拘束を逃れようと、必死に龍砲を撃ってくるではないか。

 この至近距離で衝撃砲を喰らうのはダメージ的にも痛ければ、バリア貫通の影響で物理的にも痛い。すごい勢いでエネルギーが減っていく。

 だが鈴ちゃんは虹色の手甲(ガントレット)をモロに喰らっている。そして今も赤色の丸鋸(サーキュラーソー)による攻撃を受け続けている。それと比べるのなら、ほぼ無傷だったヘイムダルがダメージレースで負けることはない!

 歯を食いしばり痛みを耐えることしばらく、僕にとって歓喜の瞬間が訪れることとなった。

 

『甲龍、シールドエネルギー・エンプティ! 勝者、日向 晴人!』

 

 通信機越しにフユ姉さんのそんな宣言が響き、それが聞こえたのと同時に急いで右手を開いて鈴ちゃんを解放した。

 スラスターやPICが作動しないくらいにエネルギーを削ってしまったということは……なさそうだな。ん、ならば一安心。

 僕としては鈴ちゃんの安全が確保されているかどうかの確認の意味を込めて視線を向けていたんだが、なんだか何か言いたそうな顔で睨み返されてしまう。

 僕が更に愛想笑いで返すと、フンッと鼻を鳴らしてどんどん高度を落としていく。……まぁ、怒鳴られないだけいいか。

 怒鳴られないと言えば、僕もフユ姉さんに怒鳴られる前にさっさと降りなくてはならないな。とはいえ慌てず騒がずゆっくりとー……っと。

 

「よっと。織斑先生、僕らはどうすれば――――」

「すごいよハルーっ!」

「おわっ!? ナ、ナツ!? ちょっと授業中授業中!」

「すごい、すごいよ! 代表候補生の鈴に勝っちゃった!」

「ん、うん……? ああ、うん。…………わああああっ!? ホントだ、勝ってる!」

 

 地上に降りると同時にヘイムダルの展開を解除すると、とりあえず今後の動きを確認すべくフユ姉さんに声を――――かけようとしたのだけれど、授業中だというのにナツが飛びついてくるではないか。

 どんな理由であろうとも、とにかく授業中なのが悪い。周りの目とかもそうだけど、何よりフユ姉さんが恐ろしくてたまらない!

 だからすぐさま落ち着くように促そうとしたのだが、ナツが喜んでいる原因を聞き及び、僕まで思わず大声を上げてしまった。

 本当だ! 本当の本当に、代表候補生を相手にして初勝利! 一学期中は追い込むことすら難しかったというのに、なんか勝っちゃってるじゃないか!

 

「はーん、あんなの勝ったうちに入りませんしー!」

「弟の術中にまんまとはまった癖してよくえばれるな」

「まったくですわ。パリィが決まった時点で勝敗も決まったも同然でしたと言うのに」

「というか、素直に晴人を褒めてあげなよ。そっちの方が大物っぽいよ?」

「うーむ、私もマシンスペックに胡坐をかいているばかりではいられなくなったな」

 

 鈴ちゃんは僕の叫びに即座に反応するも、これは多分自分の過失を認めてるからこそツンケンしてるんだろうなぁ。

 でも各専用機持ちは随分と辛口なことで、皆して鈴ちゃんに毒を吐くかのような評価を下す。逆に僕には健闘を称えるような言葉を投げかけてきた。

 いや、褒めてくれるのはもちろん嬉しいことなんだけどね、流石にちょっと鈴ちゃんに厳し過ぎやしないだろうか。

 今までの僕がダメダメだったぶん、ここぞと言わんばかりに称賛してくれているんだろう。そこに関しては本当に感謝してもしきれない。

 けども、けどもね! 今はフユ姉さんの監督下なわけで――――

 

「一発ずつで許してやるからさっさと散れ」

 

 相も変わらずを隠そうともしない苛立ちを含めた声色のまま、フユ姉さんは小気味よく僕らの頭を出席簿で思い切り叩く。

 一発ずつという言葉を聞くに容赦してくれていると考えてもいいんだけど、やっぱりとんでもなく痛い。いつ喰らっても人が出していい威力ではない気が。

 そのあたりは今更か、昔からフユ姉さんを見てると特に。まぁ、どちらにせよ今のは僕らが悪――――あれ? 今の僕悪くなくない?

 ……まぁあれだよね、連帯責任ってやつ。うん、それだな。よし、それじゃあとっとと列に戻ろう。じゃないと今度こそもう一発だぞ。

 

「よくやった」

「っ……!」

 

 戻ろうと一歩踏み出そうとしたその時、僕の横を通り過ぎていったフユ姉さんが確かにそう呟いた。

 思わずはいと返事をしてしまいそうになるが、声の音量からして他に察知されたくないということがわかる。

 だとすれば返事をするのは悪手と判断し、ありがとうございますと目で訴えてみる。すると、僅かに見えるフユ姉さんの口元が吊り上がった――――ような気がした。

 なんか、グッとくるな。基本的に厳しい人だし、反動というのがすさまじい。いわゆるギャップ、というやつなんだろう。

 

「ね、ハル。千冬姉のああいうとこ、可愛いでしょ」

「恐れ多いけど、同意……かな」

 

 どうやら実の妹であるナツにはお見通しのようで、少し意地悪な印象を受ける顔をしながら小声でそう告げてくる。

 いくらナツから同意を得てきたとはいえ、ナツ以外の女性を可愛いと断言するのはなんだかな。僕の拗らせまくったナツへの愛ゆえ、とりあえず肯定はしつつも明言は避ける方向で。

 僕の言葉を聞いたナツは、だよねと小さな笑みを零しそれから歩く速度を上げて先へ行ってしまった。……やっぱりナツが最強に可愛いでファイナルアンサー。

 さてと、ここらで僕も集中集中。せっかくフユ姉さんに褒めてもらったんだから、期待を裏切るような真似はできないぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぃ~……よしっ、よし、よぉっし!」

 

 授業も終わりロッカールームに入るなり、僕は抑えつつも力強いガッツポーズで己の勝利を噛みしめた。

 鈴ちゃんが不機嫌な手前、大手を振って喜ぶのがアレだったから遠慮してたけど、やっぱり嬉しいものは嬉しい!

 僕なんて一生かかっても代表候補生相手に勝つことなど、とか思ったりしたこともあるけど、意識を変えて頑張ってみるもんだ。

 とはいえ次があれば鈴ちゃんは努めて冷静にかかって来るだろうし、あまり浮かれてばかりではいられない。

 それにセシリアさんとか他の候補生や、第四世代機である紅椿を所有する箒ちゃんにも黒星をつけてやる! くらいの意気込みでいなくては。

 だけど今はとにかく自分を褒めてやることにしよう。よくやったぞ僕、やればできるぞ僕!

 

「ふふっ、初勝利おめでとう。これからも頑張らないとね」

「もちろん、これからもより精進――――んんんんんんっ!?」

「ん~?」

「いや、ん~? じゃなくて、どこのどなたですか!?」

 

 鼻歌交じりに着替えを始めると、あまりにもナチュラルに隣から声をかけられて一瞬だけ反応が遅れてしまう。

 男子更衣室に僕以外の生徒が居る違和感に気づいたのは本当に数秒後で、僕はようやくその場から飛び退き謎の人物との距離を置いた。

 僕の慌てっぷりと反比例するかのように、謎の人物――――もとい、リボンの色からして上級生らしい女生徒は何か問題でもと言いたげに首を傾げる。

 いつ何が起こってもいいようにと待機形態のヘイムダルの柄を握りつつ、名前やら所属やらを問いかけてみた。が、自分で言っている途中で、謎の女生徒とある人物との印象が合致する。

 

(簪、さん?)

 

 そう、簪さん。四組所属の日本代表候補生にして、間違いなく僕の友人である更識 簪さんによく似ているんだ。

 水色の髪に赤い瞳、そしてどこか日本人的でない白めの肌。各所にわずかな差はみられるものの、まず何かしら縁者であることは外れてなさそう。

 でも、実は簪さんのプライベートって全然知らないんだよな……。

 簪さん自身が大人しめで、そういった話題を振りづらかったというのもあるけど、なんかそもそも本人が避けていたような気もする。

 ……もしかして、彼女がその避けていた理由そのものなのか? 初対面の人になんだけど、まがいなりにも男子更衣室に侵入してるわけだし……ねぇ?

 

「まぁまぁ、私が何者かなんてことは些細なことよ。それより、日向 晴人くん」

「は、はい」

「キミ、もっと強くなりたいって思わない?」

「……それは、あなたが僕を鍛えるという提案。って認識していいですか?」

「ええ、噛み砕いて話せば」

 

 結局のところ彼女は自分が何者であるかの明言は避け、論点を急に僕の力量についての話にもってきた。

 確かに、思えば始まりは僕が鈴ちゃんへの勝利に喜んでいたからだ。それを思えば、一応は自然な流れなのかも知れない。

 つまり彼女が言いたいのは、自分に師事すればもっと格段にステップアップすることができる。という認識で構わないようだ。

 僕は他人の強者のオーラなんて察知できるほど達人ではないが、この断言っぷりからして彼女が相当に腕の立つ人物であるということくらいわかる。

 そのうえで僕が選ぶ答えは――――

 

「申し訳ないですけど、丁重にお断りさせていただきます。少なくとも今のままでは、という話でもありますが」

「ふぅん? 理由を聞いてもいいかしら」

「あなたのことが信用できないからです」

「あらら、随分とハッキリ言うのね。そういうタイプじゃないって聞いてたけど」

 

 とりあえず、彼女に関して危険ということはないと判断。いつでもヘイムダルを展開できるようにと警戒していた非礼も含め、僕は深々と頭を下げて断りを入れた。

 彼女は僕の断りに不快感を覚えている様子はなく、むしろ僕がそうくる意外な展開を喜々として受け入れているようにもみえる。

 後は大体言葉どおり、目の前にいる彼女が信用できない。という単純な理由を言って聞かせると、まずますもって彼女はどこか楽しそう。

 だが勘違いしないでほしい。何も完全に拒絶したいという意味ではない。だって僕の信条は、友達になろうとする気持ちを諦めない、だから。

 

「あなたは多分だけど、いい人だ。少なくとも悪い人には感じません。あなたが出した提案も、僕のことを思ってのため、ですよね」

「そこまでわかってて断られちゃうなんて、お姉さんますます悲しくなっちゃうなぁ」

「だからこそですよ。だからこそ、必要最低限の礼はわきまえましょう。僕らは、もっと違う出会い方もあったはずですから」

 

 きっと、普段の僕を知ってる人なら棘のある言い方に聞こえることだろう。

 でもやっぱり、怒っているわけではないつもりだ。僕自身怒った経験が少なすぎるせいか、ストレートな罵声を浴びせなければ気が済まないってどんな感じだろうと考えてしまう。

 ……この間の弾と数馬に対するアレは、流石に例外としてほしいところだけど。

 けれど僕だって聖人でもないんだし、正直言うなら彼女の行動は少なからず気に障る部分はある。

 確実に一人になる瞬間を狙って接近、それも気配を殺しながら。そして問いかけても何者なのか明かさない。

 この二点でのみ判断するのは材料不足かも知れないが、僕の経験則からして彼女の行動のソレは悪戯が前に出てきている可能性が高いと読む。

 それを察したうえで僕を強くするために鍛えます、なんて言われても何も響かない。彼女の本気度がどうであれ、だ。

 言ったとおり、僕がここまで厳しい言葉を並べなくていい出会いなんてごまんとあったはず。本当に彼女が簪さんの親族なら、もっと簡単なことだったろう。

 流石に図星なのか、彼女は少しばかりバツが悪そうに視線を逸らす。……自覚があってもこういう方向に走ったなら、根っからの悪戯好きなんだろうなぁ。

 重ね重ねになるが、何も否定したいわけじゃない。むしろここからが大事なんだ。僕の並べた言葉は、仲良くなるための第一歩のつもりだから。

 

「そういうわけですので。初めまして、日向 晴人です。どうぞよろしく。あなたの名前を教えてくれませんか」

 

 僕はもう一度深々と頭を下げてから、名前を名乗りつつ右手を差し出す。もっとも、向こうは僕の名前を知ってたみたいだけど……。

 さて、ここから彼女はどう出てくるのだろう。まぁ、これでも名乗ってくれなければ、また別の方法を模索するまで。

 友達になろうとする気持ちを諦めない。だからね。

 

「フフフ……! うん、ごめんなさいね、訂正するわ。聞いてたとおりの子ね。お姉さんの負け」

「それは、はぁ、どうも」

「そんな日向くんにご褒美! こちらこそ初めまして、私の名前は――――」

 

 なんだかよくわからないが、これは説得に成功したという認識でいいのだろうか。まぁ、握手に応じようとしてくれているし、それ以外ないよな。

 ひとまず未だ不詳な彼女の名前を聞いてからにしようとしたのだが、名乗りだす寸前にロッカーの中にある携帯が着信を報せた。

 断りを入れてから画面を確認すると、相手はどうやらナツみたい。はて、何か急ぎの用事でもあるのだろうか。

 

「もしもし?」

『もしもし、じゃないでしょ。ハル、今どこで何してるの。次も千冬姉の授業だよ。遅れないようにしないと、もうあまり時間ないからね?』

「へ? ……うぇっ!? ほ、本当だヤバイ!」

 

 至って普通に電話に出ると、何をそんなに呑気な返事をするのかと返されてしまう。

 なぜそんなにもナツが心配をするのか。それは単純明快、次の授業開始まで幾許もなく、かつ担当教員がフユ姉さんだからである。

 フユ姉さんが担当の授業で遅刻なんてした日には、どんな目に合うかなんてのは想像に易い。

 いや、何をされるかわからないのも間違いではないが、どちらにしてもロクなものではないだろう。

 いつもだったらパッと着替えてパッと更衣室を後にするから、わずかなやりとりにここまで時間を浪費してしまうのは計算外だ。

 

「教えてくれてありがとう。とにかく急ぐから!」

『どういたしまして。それじゃ、頑張ってね』

「……ということなので、自己紹介はまた次の機会――――っていないし!」

 

 やはり持つべきものは恋人だ。もっとも、別に恋人じゃなくてもナツは報せてくれただろうけど。

 ぶっちゃけ今から急いでも焼け石に水みたいな感じではあるが、ナツにキチンと感謝を伝えてから通話を終了。

 どうにもこうにも遅刻するわけにはいかなくなったので、自己紹介はまた時間がたっぷりとれる時にでも。

 そう告げようと思ったのに、目を向けてみると既に彼女の姿はない。僕の叫び声は、虚しく更衣室へと木霊するばかり。

 ええい、そういうことなら仕方ない。構っている暇もないし、とっとと着替えを済ませて教室に帰らなければ。

 ロッカーにしまってある制服をひっつかみ、ISスーツを脱ぐことなく袖を通していく。だが急いでいると、IS学園の制服は着辛いと思い知らされてしまうな。

 絶妙に複雑な構造をした制服と格闘することしばらく、僕はようやく更衣室を飛び出て一組の教室へとかけていく。

 途中教師に見つかるようなこともなく、順調に廊下を走って抜けることができた――――のだが、無情にも次の授業の開始を報せるチャイムが、学園中に響きわたるのであった。

 

 

 

 

 




謎の上級生……いったい何者なんだ……。

個人的趣味はとにかく、いろいろ振り回しがちなのも彼女の魅力なわけであります。
とりあえず初めの一回はらしく? していただきました。
まぁ、晴人のツッコミスキルを活かせばもっと上手くできた気もしますけれど。


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第64話 姉を持つ者同士

ぶっちゃけ65話の前振り回のような何か。
なんか勢いに任せたら私の悪い癖がでたわけですけれども。
そのあたりは次回お話しすることにしましょう。





以下、評価してくださった方をご紹介。

jjj様

評価していただきありがとうございました。


「すみません、遅れまし――――たぁい!?」

「馬鹿者めが。いったい何をして遊んでいた。時間は十分あったろうに」

 

 別に容赦を期待していたわけじゃないが、教室に飛び込むなり僕の頭へ出席簿が叩きつけられた。

 痛いというレベルで済ませられない威力に身悶えしたいところだが、僕にそんな資格がないのが現状だ。

 ゆえにすぐさま姿勢を正してフユ姉さんを見据える。とりあえず反省していることを態度で示さなくては。

 古くからの付き合いで、僕が心から悪く思っていることは伝わっているだろう。が、フユ姉さんも教師としての立場からしてそれでよしとはできない。

 いわゆる示しがつかないというやつになってしまうだろうから、僕としても義姉に恥をかかせるわけにもいかないんだ。

 

「断っておくが、正当な理由があるなら述べろよ」

「いえ、特にそれといったものはありません。ですので、ご指導よろしくお願いします!」

 

 情状酌量の余地があるなら話くらいは聞いてやろう、ということなのだろうか。まぁフユ姉さんの場合、許されるかどうかは別なんだろうけど。

 僕の場合は……どうなんだろ。言ってしまえば例のあの人のせいでもあるんだが、次の授業のことが頭から抜けてた時点で僕の過失だよな。

 なのですぐさま己の非を認め、むしろ自分から頭を差し出した。

 フユ姉さんを相手に変に言い訳するほうが何倍も恐ろしい。何より嘘を吐いたり、筋の通らないことを嫌う人だから。

 

「ハッ、悪くない心構えだ。いいぞ、その素直さに免じて許してやろう」

「それは……あ、ありがとうございます」

「ただし、次はないと思え。そら、とっとと座れ」

「はい!」

 

 ……確かにフユ姉さんの忌避するものを回避して行動したつもりだが、まさか本当に容赦が入ってくれるとは思いもしなかった。

 ただ、次に理由なき遅刻があるなら覚悟をしておけと釘を刺されてしまう。この感じ、多分だけど出席簿アタックより恐ろしいことになるぞ。

 そもそもとして気を付けていさえすれば遅刻なんてしないわけで、僕の性格からして二度目は起きえない……と思いたい。

 もし次授業の合間に人が接触してきても、絶対に頭から時間のことを外さない。ということを教訓としておこう。

 さて、それならフユ姉さんの厚意に感謝して、さっさと席へ着かなければ。ノートを写すのも遅れてるんだし、いつも以上に集中集中。

 そして僕が遅刻した以外は滞りなく授業は進み、あっという間に授業終わりの鐘が教室へと響いた。

 僕はフユ姉さんが教室から出ていくのと同時に、身体を脱力させるよりも前に、隣の席であるナツへと謝罪してみせる。

 

「ナツ、ごめん。せっかく電話してくれたのに、見てのとおりの有様で」

「ううん、私がもっと早く電話しておけばよかった話でもあるから」

「そんな、ナツのせいなはずないじゃないか」

「いやいや、私が――――」

 

 ナツがわざわざ心配してくれたというのにこと体たらく。なんとも情けない限りだ。

 そもそも責められるようなことでもないと思いつつ、ナツのフォローを無駄にしてしまったという想いが強くての謝罪というわけ。

 でもやっぱり、こういう時にナツは叱ってくれない。この子が怒るのは、僕がズボラだったり無茶する時くらいのことだから。

 それだけならまだしも、むしろ自分にも責任があるような物言いだ。そればっかりは流石に見逃すことはできない。

 そんなことは言わないでと返すと、向こうもそんなことないと返してくる。そして、しばらくはこの無限ループが続いた。

 僕らようやくして不毛であることを察し、互いになんとも言えない笑顔を浮かべてから会釈。これでようやく水に流して、話が進むというわけだ。

 

「でも本当になんにもなかったの? 無理してるとかなら少し心配だな」

「そこは大丈夫、全然元気だよ。というかそのことなんだけど、ちょっと聞きたいこと、というか相談したいことがあって」

「ゆっくり時間のある時、ってことだね。わかった、じゃあ昼休みにでも」

 

 やはりナツとしても違和感が残るのか、遅刻の原因を問いただされた。うん、何かあったかと聞かれれば大いにあったとも。

 人の目を気にする内容ではないが、彼女が簪さんの関係者――――である可能性が高い以上、もっとゆっくり相談に乗ってもらうのがいいだろう。

 そもそもナツは、代表候補生の縁で僕よりもずっと前に簪さんと知り合っている。だとすれば、彼女についての心当たりもあるのかも知れない。

 とりあえず、それまでは彼女のことは一切忘れることにしよう。なんだか不必要にモヤモヤして仕方がないぞ。

 それからしばらく時間は流れ、ナツと約束した昼休みがやって来た。

 昼食を済ませた僕らは、この時間帯に人通りの少ない男子更衣室近くへ向かうことに。ここらは基本、僕くらいしか用事ないしね。

 

「で、相談したいことって?」

「うん、実はさ」

 

 ナツにそう振られた僕は、授業合間に起きた出来事を洗いざらい話した。かいつまめば、簪さんの親類らしき女性に接触され、訓練の話を持ち掛けられた。といったところだろうか。

 そこで僕が知りたいのは、彼女が簪さんにとってなんなのか。……まぁ、これは後で本人にも聞くつもりなんだけど。

 もうひとつは、どうしてこのタイミングでの接触なのか。僕を強くしたいならもっと前からでもよかったろうし。

 これについてナツに相談するのは、代表候補生の立場から見て警戒すべきか否かだ。友達の親類ってことで申し訳なさもあるけど――――

 

「……は? ごめんハル。それって遅刻したの、完全にその人のせいってことだよね」

「ん? いや、そこは過ぎたことだし別にいいって。それに、相手しちゃった僕も悪いんだし」

「…………」

「え、なにさその呆れたような視線は」

 

 ということなんだけど、どうするべきだと思う?

 そう締めくくって回答を待っていると、ナツはその表情をとてつもなく冷ややかなものにして、は? と短いひとことを発した。

 正直に言おう。完全に無と化した表情をしつつ、そう呟くナツは――――とてつもなく恐ろしく感じてしまう。

 深く考え込んでいる様子だったけど、帰結したのは彼女こそが遅刻の原因であるということ。むしろそれ以外はどうでもよさそうに見える。

 僕としては特に思うところもなく、まぁそんなことよりもと話題を元に戻そうと試みた。……んだけど、いわゆるジト目というやつを向けられてしまう。

 

「……私はね、ハルが人のせいにしたがらないのは知ってるよ。そういうところも、もちろん大好き」

「うん、ありがとう」

「けど、今回はハルに実害があった。だからハルには悪いけど、私にはその人がハルを傷つけたとしか思えない。しかも、その様子だと謝られてすらないんだよね」

(……あぁそうか、このパターンを忘れていたな)

 

 ナツが怒る際のパターンをふたつほど挙げたが、肝心のこのパターンを忘れてしまっていたな。

 それは僕のため、ないし僕の代わりに怒るというケース。これまで最も多くあったパターンのはずなのに、どうして失念してしまっていたのだろう。

 かつては僕が怒るのを我慢していた場合とかだったんだけど、今回はなんとも思っていないことも気に障っているみたい。

 ……僕が怒らせてるのと同じなんだよな、これ。二度とナツに僕の代わりをさせてなるものかと思っていたんだが、ままならないものだなぁ。

 もしかして僕って、人間として大事な部分が欠落していたりするのだろうか。

 

「ナツ、僕のために怒ってくれてありがとう。けど僕は――――」

「お願いだから言わないで。それも知ってる。ハルが私に怒らないでほしいって思ってることくらい。だから――――」

「わっ、とっ、とっ、とっ……! ナ、ナツ!? 急にどこへ……」

 

 とりあえずはナツに感謝だ。こういう時に謝るのは違う、っていうことは幾度もあったから学習している。

 そう前置きしつつも、僕のために怒ってほしくない旨を伝えようとしたんだが、これも先手を取られて封殺されてしまった。

 ならどうしたものかと考える暇もなく、ナツは僕を強引に引っ張って歩き始めてしまった。

 というかこの方向は間違いなく男子更衣室なんだけど、今からそんなところへ何の用事で? って聞ける雰囲気でもないような。

 ナツは有無も言わさず僕を押し込むと、これまた強引に更衣室内のベンチに座らせられる。

 僕がそうやってアタフタしていると、急に視界が真っ暗になってしまう。それにこの柔らかい感触にいい香りは、間違いない――――ナツに抱き留められているんだ。

 

「ハルをたくさん甘やかすことにします」

「あ、甘やかすってそんな。子供じゃないんだから」

「いいからいいから。ね、聞こえるでしょ?」

(……ナツの、鼓動…………)

 

 僕が怒ろうとしないし、代わりに誰かが怒るのも嫌だ。

 我ながらこの面倒くさい状況を打破すべく、甘やかす……ということでいいのだろうか。

 けれどその甘やかすという表現の仕方からして、なんだか子供扱いされているようで少し恥ずかしかった。それに胸のところで頭を抱きしめられているしで、そう言う意味でもちょっとね。

 明確に拒絶することまではしないが、それとなく離してほしいと伝えてもナツは聞き入れてはくれない。そしてそのまま、ある音を集中して聞いてほしいとのこと。

 この体勢からして、それは恐らくナツの鼓動。心臓が一定のリズムで脈動し、ドクン、ドクンと響く音がなんとも耳に心地よい。

 

「よしよし、ハルはなんにも悪くないんだからね。安心していいんだよ」

「……うん」

「でも自分のせいって言えるハルはかっこいいって思う。かっこいいし、そういうところが大好きだから」

「……うん」

「好き。大好きだよ。愛してる。この世界の何よりも、誰よりも、ハルのことを愛してる」

 

 凶悪だ。あまりにも凶悪極まりないこの所業、僕は一瞬にして甘やかされる立場になってしまった。

 ナツはしっかり僕の耳が左胸を捉えるよう押さえながらも頭を撫で、もう片方の手はゆっくりと優しく僕の背を叩く。

 そして並べられる言葉は全て僕を肯定するもの。誰を非難するわけでもなく、ただ目の前の僕だけを慰める言葉だった。

 かつてほど思いつめることはとうに止めた。辛いことからもある程度の逃げをするように意識し、僕は前に進み始めたというのに。

 これはだめだ。本当にだめだ。あまりにも真っすぐにナツの僕に対する想いが伝わってきて、感動やら何やらで今にも泣きだしてしまいそう。

 

「――――僕は……」

「うん?」

「ナツがいてくれればそれで、いい……」

「……ふふっ、嬉しい。大丈夫、私はここに、ハルの隣でちゃんと生きてるから。ハルの隣が、私の居場所だから……」

 

 何か喋っていなくては本当に泣いてしまいそうだったからといい、それを誤魔化そうとしたのが非常にまずかった。

 まず思考もままならないというのに、ナツのことしか考えられないというのに、何かを言おうとしたのが間違いだったのだ。

 おかげで僕の口から飛び出たのは、ナツへの依存ないし執着を顕著に表す言葉そのもの。

 そう、ナツだけ。僕の隣にナツさえ居てくれるのなら、僕はもはや何も望まない。

 家族や友を始めとした、僕にとって大切なはずのものすら、ナツの前では簡単に霞んでしまうのだから。

 ……そうか、僕がナツの鼓動を聞いて安心するのは、ナツが生きている証だから。という理由も含まれているのかも知れない。

 だとするなら、なんと尊いものなのだろう。気恥ずかしさなんてどこぞへと消え失せ、叶うなら永遠に聞いていたいとすら思える。

 とはいえ時間は有限。いつまでもこのままというわけにもいかない。また今度聞かせてもらうとして、本気で話を戻そう。

 

「簪さんがお姉さんにコンプレックスを?」

「うん、仲良くなってから教えてもらったことなんだけどね」

 

 簪さんには内向的な印象を受けるが、どうやら現在はかなり改善された方のようだ。

 それにしてもコンプレックス、か。簪さんみたいに代表候補生になれてしまう人がそんなものを感じるって、お姉さんは僕が考えてるよりも凄い人なのかも。

 でもそう言われてみれば、自分の腕によほど自信がなければ鍛えてあげようかなんて提案しないよな。

 加えて、僕は浮かれていたとはいえ真横に接近されても存在に気が着けなかった。ということは、生身でもかなりの達人クラスであることが伺える。

 ……ん? 仲良くなってからって、なんか引っかかる表現をするな。そのあたりも聞いてみることにしよう。

 

「含みのある言い方だな。昔のナツと簪さんは、仲が悪かったって聞こえるけど」

「う~ん、どちらかというなら一方的に敵視されてたっていうか……。ほら、それこそ姉絡みで」

「……無神経なことを言ったんじゃあるまいね」

「あ、あはは~……。……無きにしも非ず」

 

 姉絡みで敵視となると、それだけ聞けばどういう事情があったか伺える。

 簪さんは出会った当初、ナツのことを凄すぎる姉を持つ仲間と認識したことだろう。それでいて、いつしか自分からそういう話題を振ってみたわけだ。

 ところがどっこい、ナツはフユ姉さんに対してコンプレックスなんて微塵も抱いてはいない。

 よく比較されはするというのが本人の談だが、むしろナツはそういうのを見返してやろうと動力源にするタイプだ。

 ナツのことだ、同じ悩みを持っているだろうと歩み寄ってきた簪さんに――――千冬姉? うん、確かにすごい人だし目標ではあるけど、あくまで私は私で千冬姉は千冬姉だし……。別にコンプレックスとかそういうのはないかなぁ。

 とか、何の気なしに言ってのけたんだろう。気まずそうに無きにしも非ずとか返してくるし、絶対そうだ。

 

「まぁとにかく、二人の関係と、あの人が実力者ってことはよくわかったよ。となると例の申し出は受けたいんだけど、う~ん……僕の立場上で無警戒ってわけにもいかないよなぁ」

「今までこういうことがなかったのに、いきなりだもんね。……ん!? な、ないよね、ハニートラップなんか仕掛けられたりとか!」

「ないない、ないから落ち着いて。僕はナツ一筋だから」

 

 自分で言うのもなんだが、僕の存在はあまりにも希少価値が過ぎる。

 なんだかんだと学園に入って半年が経とうとしているが、僕の後続が出現する気配も予兆もまったく感じられない。

 そう前提するとして、本人に悪い人じゃないと言っておいた手前、お姉さんの目的もわからぬまま首を縦に振ってよいものかどうかは難しいところかも。

 僕の意見にナツも同調の姿勢を見せるが、途中僕にこれまで本当に前例がなかったか大慌てで問いただしてくる。

 もし仕掛けられて引っかかるかからないの真偽は、当時の僕であれば自信はないけど、幸いなことに本当にそういったことはないから問題なしだ。

 そしてナツとこうなったからには、今後引っかかることはないと断言させてもらうことにする。

 だって引っかかるってことは、ナツじゃ満足できてないっていうのと同等でしょ。うん、そんなことあり得るはずがないな。

 端的に一筋と表現すると、しっかりと熱意は届いたのか、少し顔を赤く染めながらもならばよしというお言葉をいただいた。

 そしてナツは咳ばらいをひとつすると、こういう提案を出す。

 

「とりあえず、簪に聞き込みをするところから始めようよ。少なくとも、私たちよりはお姉さんの思惑も理解してるだろうし」

「あまり仲良くないなら気が引けるけど、やっぱり頼るしかないかぁ。時間もないし、放課後になってからでいいかな。ナツ、悪いんだけど付き合ってくれない?」

「もちろん。というか、来るなって言われても着いて行かせていただきます」

 

 さっきも言ったけど、簪さんに相談するつもりではいた。その前にナツにこの話を持ち掛けているのは、一人でコソコソして余計な心配をさせたくないという想いがある。

 目移りすることはないと信じてくれてはいるだろうけど、ここで僕が誰かに用事って絶対に女性相手になっちゃうのが難点だよな。

 僕の方から同行を提案したほうがナツも安心できるだろうと考えてのことだが、むしろ無理にでも着いて行くつもりだったとのこと。

 それなら、とりあえず現状はナツを心配させる要素は潰したかな。永遠に円満でいることに関して、僕は努力を惜しむつもりはないぞ。

 僕も簪さんの連絡先は知っているが、呼び出す作業はナツにしてもらうことに。同性に呼び出されるほうが向こうも気が楽でしょ。

 そしていつもと変わらぬ午後の授業を切り抜け、落ち合う時間帯である放課後と相成った。

 ナツが指定した待ち合わせ場所は、簪さんの所属する四組にほど近い階段だそうな。ま、こっちから出向くのが筋だろうし当然か。

 夕日が差し込む廊下をナツと連れ立って歩いていると、遠くからでも目立つ水色の頭髪が見える。こうするとやはり似ているものだ。

 簪さんも僕らに気づくと、控え目な性格を表すかのように小さく手を振ってくる。……こういうところは似てないと感じるな。

 

「簪さん、来てくれてありがとう」

「忘れちゃったかな……。私は前に頼ってほしいって言ったよ……。それで、どんな相談……?」

 

 最低限の礼儀として、まずは感謝の意を示しておく。しかし、簪さんはいつものように淡々とした口調でそれを制した。

 頼ってほしい、か。簪さんと初めて出会った際に言われたが、今となってはひどく懐かしく感じてしまうな。

 もちろん忘れたわけでもないし、簪さんはとても頼りになる友人だ。ならば思い切り胸を借りることにしようではないか。

 困ったときにはお互い様というやつ。僕もいつか、簪さんに頼ってもらえるといいんだが。

 

「それがさ、簪さんのお姉さん? のことで少し――――」

「…………は…………………?」

「「っ!?」」

 

 僕がお姉さんと前置きすると、簪さんを覆っていた和やかなムードは一変。まるですべてを凍り付かせるような、そんな冷たい空気を放つ様相となってしまう。

 簪さんの表情はいつだって無に近い。が、今は不思議と様々な感情が手に取るようにわかる。いや、わかりたくはなかったのだが。

 なぜならそれは、憤怒、失望、悲嘆といったような、マイナス面での感情ばかりを読み取れてしまうから。

 普段の優しさに満ち溢れた簪さんとはおおよそ対照的で、僕はおろかナツですら初見らしく、二人そろって言葉を失ってしまう。

 どう声をかけるか迷っていると、簪さんは僕の両腕を掴みつつ僕に詰め寄った。どうやら僕を心配してくれているらしい。

 

「お姉ちゃんに何かされた……!? それとも茶化されたり……!? ごめんなさい、私がもっとしっかりしてれば……!」

「か、簪、よくわからないけど落ち着こうよ! 私もハルも、ただ簪と話がしたいだけなんだから。ね?」

 

 何かされたかと聞かれればされた気もするし、茶化されたかと聞かれれば肯定すべきなんだろう。けど、簪さんの必死な様に僕は言葉を紡げない。

 すかさずナツが割って入ってくれて、簪さんを落ち着けにかかった。みるみるうちにとまではいかないけど、どうやら冷静でなかったということは理解してもらえたらしい。

 簪さんが落ち着きを取り戻したところで、ことのあらましをナツの時と同じように順を追って説明していく。

 僕の言葉を、簪さんはどこか忌々しそうな表情で聞いていた。

 

「――――ということなんだけど、どうして訓練を持ちかけてきたのか心当たりはないかな」

「心当たりは……ある。けど、ごめんなさい。それは私の口からは話せない……」

「そっか……。うん、それじゃあ仕方ないよね。よし、ハル! 私が着いてるから、こうなったらもう直談判を」

「待って……。私の口からは話せない。けど、あの人の口からキチンと説明させてみせる……。むしろお願い、私にやらせてほしい……」

「簪さん……。……わかった、それなら力を貸してほしい。よろしく頼むよ、簪さん」

 

 簪さんはしばらく口を閉ざすと、静かに首を横に振った。だが心当たりそのものはあるとのこと。その上で話せないとなると、よほど複雑な事情があるのだろう。

 だとするなら、この話はここまでだ。無理強いだけは絶対に避けなければならない。事情とやらを図れないのであればなおさらだ。

 だからこそか、ナツが爽やかに話だけでも聞いてくれてありがとうと締めくくろうとすると、簪さんは違う形で協力させてほしいと申し出てくれた。

 それは自らの口で話せないので、お姉さんに目的や思惑を直接説明させてみせるというもの。何が簪さんをそうさせるのか、そこまで責任感のようなものを覚えてくれなくてもいいんだが。

 しかし、この熱意は買わなければ失礼に当たるタイプのものだと思う。いつもは大人しい簪さんだから、心からそう感じる。

 僕とナツは顔を見合わせてから力強く頷くと、簪さんの提案を受け入れるという方向で同意した。そして、僕が代表して正式に協力を申し込む。

 すると簪さんは、僕らに負けず劣らずの勢いで首を頷かせる。そして、どこぞへといきなり歩き出してしまった。

 

「簪、心当たりでもあるの?」

「あの人の行動パターンは、一応だけど把握してるつもり……」

(それは心強いんだけど、でもこの方向は――――)

 

 とりあえずその背を追うとして、歩いている方向そのものにはとてつもなく心当たりがある。

 だからこそか、本当にそんなところにお姉さんが? と、勘ぐってしまうのは無理もないんじゃないだろうか。

 頭に疑問符を浮かべながら簪さんに追従することしばらく、景色は僕の予想どおりの場所へと変貌する。

 流石に予想外だったのが、簪さんが足を止めた扉に書かれている番号が1025であること。そう、つまり、一学年学生寮の僕の部屋ということになる。

 ますますもって意味が分からない。もし本当に僕の部屋にお姉さんが居るとして、鍵をしっかり管理しているのにどう侵入したんだろう。

 頭の浮かぶ疑問符が増える一方な僕に対し、簪さんは静かにこちらへ向き直ってこう告げた。

 

「日向くんは少し外で待っててほしい……。一夏は、文句があるなら言いたいだけ言って……。用がないなら日向くんと一緒でいいから……」

「えっ……? え? ほ、本当に居るの? 疑うってことじゃないけど、ここは僕の部屋で……」

「絶対に居る……。100%の確率で、日向くんを待ち構えてると思う……」

「……っは~ん、性懲りもなくねぇ? ハル、私も簪と一緒に入ることにするから」

「ど、どうぞどうぞ! うん、大人しく待ってるからさ!」

 

 別に簪さんが冗談を言っているとは思わないし、疑う気もない。ただひたすら、僕の部屋に勝手に入っているという事実が受け入れられないのだ。

 そんなことあってほしくはないという淡い期待を遮断するかのように、簪さんは執拗に居ると断言し続けた。

 あまりの断言のしようにナツは信憑性でも覚えたらしく、ぼそっと何か呟いた後に、めちゃくちゃいい笑みを浮かべて簪さんに着いて行くとった得てくる。

 とても魅力的な笑みだと思う。なのに僕は危機感のようなものを察知せずにはいられず、必要以上に恐れをなしてナツを見送る姿勢をとってしまう。

 僕のどうぞという発言を皮切りに、二人は僕の部屋へと入っていく。……鍵が開いてるってことは、やっぱり居るってことでいいんだろう。

 そんなことよりも、たった今再確認させられたことがひとつ。

 

(ナツにだけは、無暗に逆らわないようにしておこう……)

 

 カカア天下くらいがちょうどいい。という確認を胸に、僕は扉を背にしてもたれかかりつつ、そのままズルズルと腰を落とすのだった……。

 

 

 

 

 




実のところ部屋での接触を未然に接触を防げて助かってるのは某学園最強のあの人。
理由? 後で知れたにせよ一夏ちゃんが暴走モードに突入するからです。


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第65話 証を刻んで

絶対こういう話は書くまいと思っていたのに、いつの間にやらこうなってました。
たぶんですけど、私の中の何かが天元突破した結果かと思われます。
なんの話かって、とにかく読んでいただければわかりますとも……。


(……とはいえ、何もせずに自分の部屋の前で待機って、なんか目立つよなぁ)

 

 自室前で待機することしばらく、いっこうに入ってよしとの一報が入る気配がない。

 扉ごしに怒号とか聞こえてこないし、説教が長引いてるだけで喧嘩とかにはなってなさそうなのが救いかな。

 けど周囲の人からすれば、どうして放課後に自室に入らないでたむろしてるの? って話しみたいで、さきほどからちょくちょく通り過ぎて行く生徒に声をかけられてしまう。

 まぁ、鍵でもなくしたのか。みたいに、気を遣ってくれてのことが大半だから有難いことだ。むしろその度にはぐらかさないとならなかったから、申し訳なく思うくらい。

 ……にしても本当に長い。いくら待つのが得意な僕とはいえ、そろそろ退屈にもほどがある。このまま居眠りにふけってしまいそうだ。

 

「ん、携帯……。入っても大丈夫、か。ここ僕の部屋なんだけど」

 

 なんとか暇をやり過ごす方法を見つけようと試行錯誤していると、ふいにポケットの中にある携帯が着信を報せた。

 あくび交じりにそれを取り出すと、ナツからの入ってよしとのメッセージが表示されている。

 許可がおりたのはいいとして、そもそも僕の部屋なんだがとつい愚痴がこぼれてしまう。

 まぁ、言っていても仕方ない。簪さんは僕に気を遣って、待っているよう提案してくれたんだから。

 それでも室内の空気は、説教が終わったばかりであろうことには変わりない。それなりの覚悟をもって入室せねば。

 内心で自分を鼓舞しながら扉を開くと、すぐにナツと簪さんの背中が見える。向こうも僕を確認すると、左右に分かれるようにして道を開いた。

 すると二人の間には、件のお姉さんがいた。なんかものすごい落ち込んだ様子で、床に正座させられながらだ。

 い、いったい何を言われたんだろうか……。気になるけどあまり想像もしたくないような。

 というか、いくらなんでもこれはあんまりじゃないだろうか。そういうわけで、僕もお姉さんの状態に合わせて正座を――――

 

「改めて、日向 晴人です。簪さんのお姉さん、とりあえず立ってから――――」

「いい、お姉ちゃんは床で十分……」

「えぇ……? 簪さん、何もそこまでしなくてもいいんじゃないかな」

「お姉ちゃん、挨拶……」

(無視された……)

 

 膝を曲げて床に座ろうとしたのだが、簪さんに肩を掴まれて静止させられてしまった。床で十分って、だいぶ怒ってるみたいだ。

 きっと甘やかしてはならないというのも含まれているんだろうけど、やっぱりこんな状態よりは普通にしていてもらいたいわけで。

 やんわりと抗議をしてみたが、なんと簪さんはこれを華麗にスルー。無視されるなんてとてつもなく珍しい。

 相変わらず冷めた目つきのまま、文字どおり目下のお姉さんに挨拶を促した。

 

「二年の更識 楯無よ。この学園の生徒会長もやってるわ。日向くん、よろしくね」

「生徒会長さん? ……会長さんが、一生徒の部屋に侵入?」

「くっ、ものすごく懐疑的な目だけど反論できない!」

「身から出た錆……」

 

 なんだか思ったのと違う挨拶となってしまったが、彼女は自らを楯無と名乗った。ついでに、自らが生徒会長であることも自己申告。

 それを聞いてへぇ、生徒会長なのかぁと思ったのも束の間。瞬時に思考が部屋に勝手に入っちゃう人が、生徒会長でいいのだろうかというほうへ傾いてしまう。

 どうやらそれが目に出てしまったようで、楯無先輩はどうにも不満そうに声を上げた。反論できないという自覚はあるみたい。

 それはともかく、これで挨拶は済んだわけだ。だったら、聞きたかったことを聞くことにしよう。例の訓練の話についてだ。

 

「それで、楯無先輩は僕にどうしてあんな提案を? どうしてこのタイミングだったか、っていうのも合わせて教えてもらえれば助かります」

「う~~~~~ん、なんて言ったらいいのかしらねぇ。強くなってもらわないと困るっていうか、それがあなた自身のためでもあるっていうか」

「お姉ちゃん、私たちの身の上を話そう……。遅かれ早かれ、二人は知ることになった……」

「隠しておきたいつもりじゃないけど、どうせならみんな揃ってる時でいいんじゃないかって思うのよねぇ」

「それは……一理ある……。わかった、また今度……」

(ナツ、どういうこと?)

(さぁ、私にも。ただ、昔から簪の家が普通じゃなさそうなのは感じてたかな)

 

 楯無先輩は腕を組みながらとにかく唸った。なんだか表現が難しいのだろうか。すると簪さんが何かしらに対して、僕らには隠す必要がないとフォローを入れる。

 この時点でとても意味深なんだが、楯無先輩はみんな揃っている時と更に意味深な言葉を重ねるではないか。

 あまりの全貌の見えなさにナツに助けを求めるが、どうやらナツも更識の秘密を教えてもらっていないらしい。

 簪さんはナツを恩人だと表現していた。そんなナツにも話せない何か……。……いったいこの二人、ないし楯無先輩の言う【みんな】っていうのは何者なんだろうか。

 

「……ボカしてる時点で信用も何もあったものじゃないけど。日向 晴人くん」

「はい」

「織斑 一夏さん」

「私も? まぁ、はい」

「あなたたち二人は、とある組織に狙われている可能性が高いわけです」

「「……はい?」」

 

 楯無先輩は伏し目がちになりつつシリアスな空気を纏うと、いつの間にか手に握っていた畳まれた扇子を僕とナツへと差し向ける。

 僕らが返事をすれば、楯無先輩はこう告げた。僕たちは、どこぞの組織からマークされていると。

 これには思わず、僕もナツも同じことを口にしながら首を傾げた。そしてそのまま首をひねって、視線を簪さんの方へ。

 すると簪さんは、なんだか悲しそうな表情で首を頷かせる。……なるほど、悪ふざけとか冗談ということでもないらしい。

 僕とナツも自然と真剣な空気になりつつ、楯無先輩の言葉の真意を探った。

 

「あなたや簪さんが何者なのかは置いておくとして、最近になってその情報を掴んだ。だから、このタイミングでの接触……だった?」

「ご明察。でも正直言うなら、関わらせないで済むならそれが一番だったの。特にあなた、日向くんはね」

「日向くんは、一般人も一般人……。組織とか陰謀とか、そういうのには本当に関わらせたくなかった……」

「だけどそうも言ってられなさそうなの。向こうの有してる戦力もかなりのもの。……あなた自身も、こっちの戦力たりえて越したことはない。っていうのが現状ね」

 

 前にも言ったけど、その必要があるなら入学したばかりのころに訓練の提案なんてしておけばいいわけで。

 そしてこの悔しがるような二人から、僕を最大限そういったことから遠ざけようとしてくれていたことが伝わってくる。

 つまりこのタイミングでの接触は、ついにそうも言っていられない現状であるという情報を掴んだというわけか。

 ……無人機やラウラちゃん、福音の暴走は別件ということなのか? だったらあれは誰の仕業で……って、それはまた聞いてみることにしよう。

 僕を鍛えることの真意。それは僕も戦力としての頭数に届くレベルまでしなければってことみたいだな。

 同じく狙われているらしいナツは、既にかなりの実力者ゆえ焦る必要もなしか。うーん、やっぱり候補生クラスの実力が求められるってこと?

 

「勝手な言い分をツラツラと並べて、本当にごめんなさい。だからこちらの不手際を棚に上げることはしないわ。求められれば、代表としていくらでも頭を下げます」

「私も、更識である以上は同罪……。でもお願い、とにかく私たちを信じて力を貸して……。二人のことは、必ず守ってみせるから……!」

 

 勝手な言い分というのは、否定しきれない部分がある。

 だって、狙われている僕。つまり保護対象である僕に戦力としての価値を期待しているのだから。

 だが責める気なんて毛頭ない。そんな矛盾を孕んだ言葉に、本人たちが一番苦悩しているのが見てわかる。

 なにより、女性に無暗に謝らなければならない状況なんて置いておけるはずがない。この世がいくら女尊男卑の風潮があろうともだ。

 だって根本的には僕の問題だから。僕のために僕を強くしようとしてくれていることには変わらない。だから、初めから僕の答えはひとつ。

 

「そういうことならわかりました。楯無先輩、簪さん、これからよろしくお願いします」

「……なんとも思わないの……? 私たちは、戦えって言ってるのと同じなんだよ……」

「でも、守ろうって思ってくれてるのも本当だよね。なら気持ちを無下にはできないし、僕だって強くなりたい。守りたいっていうか、一緒に戦いたいっていうか、ずっと隣に立ってたい人が居るから」

「も、もう、ハルってば……。オホン! 簪はもう知ってるはずでしょ、ハルは怒らないし怒れない人ってさ。ま、絶対的にいいところとは思ってないけどね~」

 

 自分で言うのもなんだが、あまりにあっけらかんとした僕に姉妹揃ってポカンとした様子。

 普通の人っていうか、これが僕の普通だからよくわかんないんだけどさ。文句を言う場面なのかも知れない。

 でも狙われてるって事実を変えようもないし、強くしようとしてくれてる簪さんたちに怒ったって何も始まらないでしょ。

 そんなことに労力を使ってるくらいなら、やっぱりとっとと鍛えてもらって、少しでもみんなに心配をかけないようにしたほうがいいよねって話。

 そんな僕をナツは怒るっていう感情が欠如しているとでも言いたげに、フォロー? なのか微妙だが、補足を入れてくれた。

 僕だって怒るときは怒るぞ、この間の弾たちの剣とかさ。あと、今の僕がナツを貶されたら確実に怒る。見境のないレベルで怒るという確信すらあるぞ。

 ともかく、ナツと並び立つためには今のままじゃダメって思ってたのもある。僕にとっては渡りに船だ。受けない理由がない。

 

「……あなたの覚悟、確と受け取ったわ。だからこそ、私も二人の無事を確約させてもらいましょう。ただし! ビシバシと指導させてもらうわよ?」

「はい、むしろ望むところです! ……でも、ひとつだけ聞いておきたいことがあるんですけど」

「ええ、何かしら。なんでも聞いてちょうだい」

「この話、僕の部屋でする必要ありました?」

「ない……」

「ないよね」

「ふっ、だからこそ私はこういう状況になってるのよ……」

「なんでかっこつけてるんですかね」

 

 僕の言葉は楯無先輩の芯まで響いたのか、僕らの保護を確約とまで言い切った。

 ならばよかった、これで楯無先輩との間に発生しかけたいざこざも全部解決だ。……というわけにはいかない。蒸し返すようで悪いんだけども。

 楯無先輩は自身を生徒会長と名乗った。そして今思えばあの【みんな】という言葉、生徒会という組織が二人に関りがある可能性が高い。

 ということなら、絶対にもっとふさわしい場所がありましたよねと聞かざるを得なかったのだ。

 僕がそう尋ねると、ナツと簪さんは一瞬にしてジトっとした視線となって楯無先輩を見据える。

 やっぱり楯無先輩の悪ふざけで、過失十割ってことかな。

 本人も反省しているのかいないのか、これまでで一番のクールな様子を見せるではないか。

 ……まぁ、オンオフの切り替えがしっかりしていると、肯定的に受け取っておくことにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、ほんっと信じらんない!」

「まぁまぁ、簪さんのおかげで未然に防げたわけだし」

「簪がいなかったら防げなかったってことじゃん!」

 

 あの後は流れでそのまま解散となり、姉妹はそれぞれ向かうべき場所へと帰って行った。

 その際に後日生徒会室でと言っていたし、やっぱり僕の読みは当りと見てよさそうかな。

 そしてナツだが、出て行かずに僕と一緒に姉妹を見送るものだから。ああ、何か話があるんだろうなぁと思った。

 思っていたが、第一声が楯無先輩への不満だ。しかもすごく不満なのが態度に現れているというか、乱暴にベッドへと腰掛ける。

 スプリングがダメになってしまいそうな勢いを前に、僕は宥めながらナツの隣に腰掛けた。すると返って来たのは、まったく落ち着きを見せない感情丸出しな言葉だ。

 ……やっちゃったかも、一連の流れ悪手だったっぽい。多分だけどナツ、部屋への侵入に対しては僕にもっと怒ってほしかったんじゃないだろうか。

 私というものがあるのに、なんでそこまで平気そうなの? と思いつつも、なんでこんなこと考えちゃうんだろ。ハルに苛立ってもしかたないのに。

 っていうような考えがせめぎ合って、結果的にあらゆることにイライラしちゃってるんだろうなぁ。とすれば、どうするのが正解だ?

 

「ねぇナツ。分け合うこと、でしょ? 僕にでも自分自身にでも、不満があるならちゃんと言葉にしてほしいな」

「……認めたくないとこ、あるし。こんなこと考えて、引かれたり嫌われたりってことがあると思うと――――」

「侮ってもらっちゃ困るよ。僕はキミのためなら文字どおりなんでもできる。そのくらいキミのことを愛してるんだから」

 

 僕らのキーワードである分け合うことを引き合いに出すと、ナツの表情に迷いが入り混じり始めた。少し卑怯で申し訳なくも思うけど。

 しかし、それでナツの本音が引き出せるなら安い。なんて思っていたら、いきなりとんでもないワードが散見できるじゃないか。

 認めたくないという部分は、ナツの問題だからいいとしよう。だが引く? 嫌う? そんな瞬間、永遠に来るはずないだろうに。

 ナツの望みは僕の望みだ。絶対にありえないから極論だけど、ナツが世界の破滅を望むなら、僕はいかようにしても実現させてみせよう。

 それは極論だ。極論だが、そう表現してもいい――――いや、足りないくらいに僕はナツを愛しているつもりだ。

 伝わってないはずがないと思ってるし、こういう場でそういう言葉を並べるのは、あまり話したくないことの意思表示なんだろう。

 僕も意地になってしまったっていうか、むっとしちゃったところはあると思う。強引に聞き出すべき場面ではなかったんだ。

 しまったと思うよりも早く、ナツはポツリポツリと心の内を明かし始めた。……無理に引き出したからには、綺麗な着地点を見つけないとな。

 

「楯無先輩が、ハルの部屋に居るって言われた時、すごく、嫌だなって思った」

「うん、それはどうして?」

「……私の、なのに。私の、私だけの、私たちだけの空間なのに。それを、勝手にって……」

 

 声を震わせ、語り口が変な部分で途切れ途切れになってしまっている。やはり恐怖がぬぐい切れないんだろう。

 だからなるべく優しい口調と声色を意識して問いかけを続けると、ナツの抱いている、抱いていた想いというのが露わになった。

 ……ナツと恋人になって過ごした寮生活はまだ長くないが、確かに単独でナツ以外の誰かを入れたことはないな。みんなも気を遣ってくれてたのもある。

 それを知らずに、楯無先輩は悪戯くらいの認識で侵入しちゃったと。

 簡単に言うなら、これは独占欲の類か? けどナツの場合、そんなことを考えちゃった自分が嫌だってのもあるんだろう。

 

「そんなの感じちゃってる自分も嫌だよ……。もしハルと楯無先輩が遭遇しちゃってたら、何かあったって思っちゃってるのと一緒……。ハルを信じれてないのと一緒だもん!」

 

 はぁ……なまじ気心が知れちゃってるから、読み通りになっちゃうのが逆にアレだな。

 いやいや、ナツが重いとか思ってるとか思われたくないぞ。むしろ重いの最高。それだけ愛されてるってことの裏返しだから。

 でもそれこそ、ナツと一緒で自己嫌悪しちゃうところもあるな。ナツがこんなに自分を責めてるのに、喜んでる場合かって話ですよ。

 う~ん、つまりナツの独占欲を満たせればいいわけで。でも僕らは既にプラトニックなだけの関係ではないわけで。いくらなんでも学園内でそういう慰めをするのは論外なわけで。……難しい話なわけで。

 なにかこう、僕がナツだけのものという証拠を残せればいいのだが。なおかつ、僕がそれをいつでも見れてナツを思い出せればなおよし。

 とまで考えて、僕にはひとつの終着点が見えた。というか見えてしまった。と同時に察した。どうやら僕もかなり歪んでしまっているらしい。

 だって昔の僕ならまず提案しないことだし、今ならむしろ嬉しくも思うしこれしかないとしか感じない。なんなら歪んでしまっていることにすら喜びを感じる。

 それらすべて、僕のナツへの想いゆえだろうから。……と思うと、嬉しくて嬉しくてたまらない。

 

「そんなナツにひとつ提案。刻んでよ。僕に、僕がナツだけのものっていう証拠」

「…………っ!? ハ……ル……? それって、もしかして……」

「うん、歯でも爪でもなんでも。あ~……でも流石に刃物とかは避けてくれると嬉しいな。ナツ由来が理想的」

 

 まぁ、つまりそういうことだ。

 噛み痕とか爪痕とか、ナツが僕へと傷をつければいい。僕からしても残るタイプの傷、いわゆる創傷あたりがベストかなって。

 いやほんと、どう考えたって最高でしょ。ナツしか刻めない。ナツにしか刻ませるはずもない。そんな傷が僕に一生残るなんて。

 言ったとおり、ナツ由来が理想的だけどね。ナツが扱う道具によってできた傷なら、正直あまり感慨は覚えないかな。

 まぁ、ナツがそっちの方がいいって言うなら受け入れるけど。

 ……ん、なんでそんなにナツが僕へ傷を残すのが前提みたいに話すのかって? はは、そんなのは簡単なことだよ。

 するよ。ナツは絶対に僕に傷を残すことを選ぶ。賭けてもいい。

 

「ダ、ダメ、ハルを傷つけるだなんてそんな! ……そんな……そんな……!」

「……場所が決まり次第、いつでもどうぞ」

「ダメ、だよ……。ダメ、なのに……。わ、たし……!」

 

 僕としてもとても不思議なことなんだ。でも付き合ってみて、そういうことのほうが圧倒的に多かった。

 何かって、ナツと僕は同じだってこと。僕がナツにしたいこと、ナツが僕にしたいことって、ほとんど一致しちゃうんだよね。

 だから僕がそうされたいと思ってる以上、ナツもしたいと思っていると想定したがビンゴらしい。

 ナツは先ほどよりも声を震わせ、すさまじく目を泳がせているが、その様子や言葉とは裏腹に、軽く口を開きながら僕へと顔を寄せてくる。

 そんな考えを否定したい部分もありつつ、やっぱりしたいと思う自分に抗えないんだろう。

 ナツ、素直になってしまえ。本当は思っているんだろう? 僕に自分を刻むことを、なんて素敵なことなんだって。

 ……顔を近づけるってことは噛み痕か。そして、狙いをつけたのは左の鎖骨付近とみた。

 だいたいのあたりをつけた僕は、急いでネクタイを緩めて制服を半脱ぎくらいの状態にもってきた。

 そこから更にインナーとして利用しているISスーツの襟元を引っ張り、特筆するべき部分のない鎖骨付近を晒した。

 

「はぷっ……! んむっ、っふ……! はぁ……はぁ……!」

 

 やがてナツは僕の鎖骨あたりへ軽く噛みついた。……と言っても、甘噛みどころか歯を乗せてるくらいのもんだ。

 僕の耳に届くのはナツの息の乱れ。息遣いから察するに、理性と本能とが葛藤しているみたい。

 ならば僕がナツの迷いを断つべきか。なるべくナツに罪悪感を覚えさせず、なおかつ理性を崩壊させる言葉が必要になる。

 ……ならば、こういうのはどうだろう。

 

「ナツ、僕の総てはキミのものだ。それをどう扱ったって関係ないんだよ」

「わた……しの……」

「要するに所有物に名前を書くようなもんさ。だから、ね? 僕にくれよ。僕がキミのものだって証拠を」

「しょうこ……。ハルが、わたしの、しょうこ……!」

(来るか。歯ぁ食いしばれ、僕)

「ハルは、ハルは……! 未来永劫、ううん、来世だって! 私だけのハルなんだからっ!」

「っ……ぐっ! う゛~~~~ぅぅぅぅ……!」

 

 僕が先導してるんだから、そもそもナツが罪悪感を抱くのは筋違い。とにかく思い切りやってくださいな、なんて言ってみる。

 するとナツは、せっかく歯を置くことでスタンバイしていたというのに、そう叫んでから大口を開けて僕の鎖骨へと思い切り噛みついた。

 よしよし、それでいいんだよナツ。さぁ、後は僕の仕事だ。とにかく耐えろ。いくら僕が望んだこととはいえ、痛いことには痛いんだから。

 叫ぶのはなんとか堪えたが、うめき声は流石に抑えられなかった。が、ナツに躊躇いや後悔が生まれた様子はないしひと安心。

 ……痛いことに、肉が避けることに、肉に歯が食い込むことに、血が流れ出ることに意識を向けるな。僕はナツの愛しさだけ感じてればいい。

 首元になるからよく見えないのが残念だが、絶対に残してやろうと思っているのがわかるくらいには前のめり。なにより、ナツは噛みついたまましきりにハルと僕の名を続けていた。

 ああ、愛しいな。たまらなく愛しい。被虐体質でもないのに、もっと強くしてほしいと思ってしまう。

 傷は、僕がナツのものである証拠となる創傷は、きちんと残ってくれるだろうか。ナツを思い出すだけでなく、この瞬間を記憶しておくためには絶対に必要だ。

 

「んむっ……! ハル、ハルっ……!」

「ん……? ああっ、ちょっと待った! 積極的に血を舐めるのはよくない――――って、聞いてないな……」

 

 さっきも言ったが、噛みつかれた箇所が鎖骨付付近ゆえに、傷の度合いは鏡でも使わなければ確認することはできない。

 だがナツの顎に込められた力が弱まるのを感じると同時に、嫌でも何かが肌を伝ってたれていくのがわかってしまう。

 うん、まぁ、血だよね。嬉しいことに、傷はかなり深いらしい。それではひとまず、止血を施さないとなぁ。なんてぼんやりと考えが過ったその時だった。

 血とは別に、生暖かい何かが鎖骨あたりを這いまわる感覚が。それをナツが血を舐めているんだと察したのは、次の瞬間のことだ。

 気づいた以上はすぐさま止めにかかる。なぜって、血は綺麗か汚いかで言うなら完全に後者だ。感染症の原因にもなったりするし、軽率に摂取してよいものではない。

 しかし、どうやらナツは僕の血を舐めとるのに夢中らしい。悪と強引に引きはがしにかかったんだが、僕にしがみついて離れようとはしない。

 ……よくはないんだが、僕の蒔いた種だ。ナツの気の済むまで好きにさせてあげよう。

 ナツが僕の血を舐めている間は、あやすようなつもりで小さな頭を撫で続けた。そして見えない表情なんかに想像を膨らませ、僕もこのひと時を楽しむことに。

 やがて吸い付く際に発生していた水音が止んだ。時間経過からして、本当に血が止まり切るくらいそのままだったんだろう。

 

「で、どう? 残りそう?」

「うん……。かなり深い、と思う……」

「そっか。……ははっ、そっかそっか」

「…………! ハル、お願いだからそんなに嬉しそうにしないで。でないと私――――」

 

 変に気を遣われるのは嫌うだろうと思って、至って普通の態度に切り替え傷痕の具合について確認してみた。

 頭が冷静になった途端に後悔にでも襲われているのか、ナツは悲痛な顔をしながら傷痕をゆっくりと撫でた。

 その表情が言葉どおりに傷の程度を物語っている。それを聞いた途端、本当に嬉しくて露骨に考えが表に出てしまった。自分でも頬が緩んでいるのがわかる。

 すると僕が本気で喜んでいることを察したナツは、ますますもって悲痛な表情を浮かべるではないか。

 ふむ、でないと私の――――続きは、ますますおかしくなってしまいそうとか。本当に壊れてしまいそうとかそういうのだろう。

 そんなつまらないこと言わせるわけにはいかないな。僕はすかさずナツを抱きしめると、そのまま一緒にベッドへ倒れ込むことで黙らせる。

 眼前にはナツの困ったような顔が。

 僕は外側になっている左手を抜くと、そのままナツの頬へ撫でるようにして添えた。

 

「さっきも言っただろ。分け合うこと、だよ」

「ハル……?」

「だから壊れるのなら一緒にだ。っていうよりは、さ。……僕はとっくに壊れてる。キミへの想いが、正気の沙汰で済むもんか」

 

 こういう表現はなんだが、ここがIS学園であるだけに外敵はないに等しい。要するに、僕以外の男ね。

 共学だったなら、僕と付き合ってるのを知っていてもナツにちょっかいをかける輩もいたことだろう。ほら、僕って何かとなめられがちだから。

 もし、だ。もしそういう輩が居たとして、僕はソレにどういう仕打ちをしたかわかったものではない。この辺りは夏休みの時にも少し触れたが、なんなら虹色の手甲やむなし。

 結局はそれが僕の本性ってわけだ。ナツを大義名分にできさえすれば、どんな手段だって用いることができてしまう。

 重ねて言うが、ここがたまたまそういうことが起きえないってだけの話なんだよ。

 ははは、客観的に分析すればするほど壊れてるな。だけど正直、このナツに溺れていくような感覚が最高に堪らない。

 昔とは違う意味でナツなしじゃ生きていけないんだよなぁ。……あぁ、本気でナツと永遠を過ごすことができたらいいのに。

 

「ハル……。……今回のでわかったと思うけど、私、かなり妬くから。我慢なんてしないから。もし何かあったら、多分――――」

「そうならない為のこの傷でしょ。大丈夫、これに誓って絶対に起こさせないよ。それよりも嬉しいな、殺したくなるくらいに好かれてるってことでいいんだよね」

「うん、大好きだよ。だからね、ハルを傷つけていいのも私だけ」

「……いい感じに壊れてきたじゃないか」

「えへっ、えへへへへへ……。一緒、だもん。ふふっ、うん、今ならわかるよ。私、ハルと二人で堕ちてく感じが最高に堪らないんだぁ……!」

 

 表面上の僕らしか知らない人が聞いたなら、今ナツと交わしている会話はどう捉えられるのだろう。

 普段とはあまりに異なり狂気に満ち満ちた言葉ばかり並べているし、人によっては気をやられてしまったりするかも。

 だけど、これだ。これがいいしこれでいいんだ。なぜって僕らは、もう取り返しなんてつきようもないのだから。

 特にこの、口を三日月のように曲げて嗤うナツを見ていればそう思う。これを美しいとしか感じられない僕の感性を思えば、既にくるところまできてしまっているんだ。

 

「……気分は晴れた?」

「うん、もう大丈夫だよ。それに、これから先ずっと大丈夫って思わせてくれたから」

「はは、それはよかった。そうだね、さっきも言ったけど、コレは証で誓いだ。もしそれに背くようなことをしてしまったって、ナツがそう感じたその時は――――」

 

 しばらくの間ナツを抱きしめたままでいると、なんだか纏っていた空気感が鳴りを潜めていくのを感じた。

 少しだけ離れて調子を伺うと、そこに居るのは多くの人が知るであろうナツの姿が。

 取り乱していた自覚はあるのか、なんだかとても照れ臭そう。なおかつ、特に後悔のようなものを感じている様子はなさそう。

 なら僕も、あくまで普通の態度のまま、念を押しておいてよいだろう。僕はまだ痛む傷をなぞりつつ、改めて示す意味を宣言しておく。

 そして最後に、背くようなことがあるならいっそナツの手で僕を――――と続けようとしたのだが、唇を唇で塞ぐことで制されてしまった。

 だいたい五秒ほどの触れるだけのキスを交わせば、眼前のナツはただ穏やかに笑っていた。……これは、野暮だと言われていると解釈していいのかな。

 つまり、そんなことは絶対にありえないと、僕を信じてくれている……ということなんだろう。なるほど、それなら上等。ナツの期待どおりに生きてみせよう。

 ともあれ、価値ある時間を過ごすことができた。特にこの傷を得ることができたのは大きい。だって僕は、これで本当の本当にナツのものになることができたのだから。

 そんな僕がナツのものであるという証に思いをはせながら、学食が開く時間になるまで、ひたすらナツを愛で続ける僕であった。

 

 

 

 

 




なんか、もう、ね、ヤンデレっていいですよね!
開き直ってみるものの、以前にあまりこういう展開にはならないであろうと宣言しただけに、本当どうしてこうなった……。





ハルナツメモ その28【噛み痕】
本編での描写のとおりバッチリ残った。しかもかなり痛々しい。
位置としては第三者からでもギリギリ見えるか見えないか。くらいなので、服のデザインによっては大っぴらになることだろう。
噛み痕を他人に見られて、別に大したことではないとしか感じない晴人は、本人の談のとおり完全に歪んでしまっているのかも知れない。
周囲を微妙な空気に包みたくないのであれば、傷のことを本人に直訴することだけはさけたいところである。
貼り付けたような笑みで「なんでもないよ」と返されるのがオチだ。


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第66話 IS学園生徒会執行部

割と真面目な話ししかしてないので見どころないっすね(断言)
まぁ本筋も進めていかないとならんので、背に腹はなんとやら。





以下、評価してくださった方をご紹介。

小鳥石和誠様

評価していただきありがとうございました。


 楯無先輩の言っていた後日というのは、思っていたよりもアッサリ訪れた。

 具体的には例の件から二日後、簪さんから生徒会室に顔を出してほしいという旨の連絡が。

 前回のやりとりだけでは補完できていない個所がいくつかあった。今回で全ての疑問に決着がつけばいいのだけれど。

 放課後、ナツと共に校内を闊歩することしばらく、無駄に豪華な様相の扉を発見。傍らのネームプレートには、間違いなく生徒会室と書かれていた。

 

「意外に気にして歩かないと気付かないもんだなぁ」

「だねぇ。このあたりはけっこう通りかかるはずなんだけど」

 

 そもそもこの学園においての生徒会という組織の存在が希薄だったのはあるけど、場所を聞かされてから歩かないと気付けないなんて。人間は思ったよりもいい加減な生き物なのかも。

 ナツも僕の言葉に同意なのか、うんうんと首を深く頷かせて見せる。以外にも楯無先輩ともここら一帯でニアミスしてたりして。

 それはともかく、生徒会室に入ることにしよう。放課後になると同時に真っすぐ来たから、そう待たせていることはないんだろうけど。

 でもいまだ謎の組織である生徒会の面子に待ち構えられることを考えれば、むしろ少し早いほうがいいくらいまである。

 僕らは顔を見合せ、目で覚悟の是非を問い合ってから扉をくぐった。するとまず目に飛び込んできたのは二人の女生徒。うち片方は、よく見知った人物ではないか。

 

「ひむひむにおりむ~だ~。いらっしゃ~い、生徒会室へようこそ~」

「布仏、さん……? 布仏さぁん!?」

「だいたい何が言いたいかわかるリアクションだね~」

「……あっ! そういえば、簪とのほほんさんって、割と一緒に居るのをよく見かけたような……」

 

 いかにも事務仕事用のデスクに身体を預け、リラックスムードであった彼女は、布仏 本音さん。同じ一年一組に所属するクラスメイトで、僕にとてもなじみ深い。

 だけどそれだけに驚いてしまう。生徒会室にようこそと本音さんが言った以上、楯無さんが存在を示唆していたみんなに含まれるからだ。

 のほとけ ほんねを縮めてのほほんさん。ナツが呼んだように大多数の一年が彼女をそう呼ぶ。

 名は体を表すなんて言うが、本音さんはまさにのほほ~んとした人物像で、どこかマスコット的な存在として扱われていたり。

 それがどうだ、何かしら裏で動く組織に属しているなんて驚くしかないだろう。が、その実ナツが思い出したようにヒントはあったのかも。

 お世辞にも社交的とは言えない簪さんが、本音さんに半ば強引にじゃれつかれていた姿は僕も多々目撃している。

 なんだかつながりの見えない二人だなと常々思ってはいたけれど、なるほどそういうわけが隠されていたわけだ。

 ならばもう片方の、いかにも落ち着いた様子の眼鏡をかけた上級生さんはどなたなんだろう。僕が思わず目を向けると、上級生さんはとても丁寧な所作でお辞儀をしながら自己紹介を始めた。

 

「お初にお目にかかります。私は三年の布仏 虚と申す者です。妹の本音がお世話になってます」

「お姉さん? これはまた……。日向 晴人です。こちらこそ、本音さんにはいつも気さくに接してもらって助かってます」

「織斑 一夏です。えっと、お菓子貰ったりあげたり、そんな感じ、です!」

 

 実際に上級生さん、もとい虚先輩が喋り始めたと思いきや、これは丁寧とかそんなので済ませることができない感じだぞ。

 なんだか一周回って事務的というかなんというか、秘書さんとかそんな空気を纏っているな。まず年上なのに丁寧語で話されてるし。

 失礼ながらあまりに似ても似つかない姉妹だが、なんとか動揺を面に出さずに即対応。我ながら世渡り上手な部分はあると思う。

 まぁ実際のとこ、本音さんに世話になってるのは間違ってない。いつもゆるーい感じで話しかけてくれるから、こっちも緊張せずにいられるんだよなぁ。

 ナツとか箒ちゃんとか、主に専用機持ちのみんなが捕まらないときとか、さり気なく僕が孤立しないようにしてくれてるみたいだし。

 総合するなら、気配りのできる優しい女の子って感じかな。

 ナツもナツでそれなりに交友はあるみたいだけど、僕らの丁寧なやりとりに対応しきれないのかなんだかしどろもどろだ。

 虚さんは他人が話す妹の印象が高評価であることが嬉しいのか、なんだか少しだけ穏やかな様子になった気がする。別に険があったわけじゃないけどさ。

 

「申し訳ありませんが、お嬢様がたは少々出払っております。とりあえずこちらへかけてお待ちください。本音、お二人にお茶菓子を」

「は~い。いろいろあるけど、ど~する~? ま~もっぱらケーキなんだけど~」

「じゃあ、僕はモンブランで」

「ん~……なら、私はガトーショコラにしようかな」

 

 お嬢様がたなんて引っかかる表現をされるが、楯無先輩と簪さんのことでいいんだろう。

 そのあたりとか布仏姉妹との関係とか、帰ってきたら説明してくれるはずだしここは黙っていても大丈夫そうかな。

 僕らは部屋の隅にある来賓用らしき豪華なソファに腰掛けるよう促されると、言われるがままそこへ着席。……普通なら遠慮するところなのかもだけど、虚先輩があまりにも丁寧だから断りづらい。

 だからこそか、本音さんのブレない緩さがある種の安定剤と化している気が。そういうわけで、勧められたケーキも遠慮なくいただくことに。

 ……いや待て、どうして生徒会室に冷蔵庫やお茶を淹れる環境が整っているんだろう? 僕の部屋に勝手に入ることができることといい、やっぱり謎だらけな集団だなぁ。

 なんて思いながら口に運んだケーキは絶品で、虚先輩の淹れた紅茶も信じられないくらい美味しかった。やはり淹れる人の技術が大きく影響するのだろうか。

 だとすると、楯無先輩や簪さんは比較的に飲みたい時に淹れてもらえるってことかな。それは羨ましい限りである。

 そうやって水色髪の姉妹に思いを馳せていると、絶妙なタイミングで件の二人が現れた。

 

「戻ったわ。二人はもう――――来てるわね。待たせちゃってごめんなさい」

「いえ、のほほんさんたちのおかげで退屈はしませんでしたよ。それより、二人はどこで何を」

「うん、少し下見を……。そのうち説明するから……」

「とりあえず、お嬢様がたもまずは落ち着かれるべきかと。すぐお茶をお淹れしますね」

「たっちゃんにかんちゃんもケーキ食べる~?」

「ええ、いただくことにするわ。二人とも、ありがと」

 

 謝られるほど待ってはいないし、ナツの言うとおり布仏姉妹との会話等のおかげで時間が一瞬にして過ぎ去ったように思える。

 それはさておきとナツが出払った理由尋ねるも、何かしらの下見をしていたという返事しか得られない。

 やはり一にも二にも、楯無先輩から語られる言葉を待つしかなさそうだ。

 そして僕らの時と同じくして、虚先輩がお茶を淹れ本音さんがケーキを運ぶ。簪さんと楯無先輩に恐縮するような様子が確認できないということは、慣れているってことでいいんだろう。

 だとすると虚先輩のお嬢様という呼び方といい、なんだかこの生徒会という組織の全貌が見えてきた気がする。

 それはそれとして、更識姉妹は落ち着くべきという虚先輩の言葉には一票だ。帰って来るなりじゃあ話してくださいなんて、そう急ぐことでもない。

 更識姉妹は僕らの座っているソファの対面に座ると、リラックスした様子で紅茶をすすりホッと一息。何の下見かは知らないが、とりあえずお疲れ様です。

 

「それじゃ、そろそろ始めましょうか。まずは一夏ちゃんに質問です。これまでのやり取りからして、私たち生徒会はいったい何者でしょ~か」

「そうですね……。私たちに起こりそうな危険を察知できて、なおかつそれに対抗しようとしてる。……ってことは、順当にいけば対テロ組織とか、ですか?」

「う~ん、おおむねそれで合ってるけど少し違うわね」

「目には目を……。私たちはそこがミソってやつ……」

 

 楯無先輩は畳んだ扇子でビシっとナツを指すと、暫定的に考えを聞かせてほしいと要求。ナツもこれまで得たパズルのピースから、それなりに予測はつけているようだ。

 僕もその考えにはおおむね同意。思わず隣で深く首を頷かせてしまった。

 しかし、当たらずとも遠からずではあるみたいだけど、本人たちからお墨付きをもらえるほどの正解とは言えないらしい。

 簪さんは目には目をハンムラビ法典になぞらえ、鍵はそこにあると結論を仄めかす。

 その際横目で楯無先輩を見ていたから、完全な正解はそちらの口からということでいいんだろう。

 だから僕たちは楯無先輩に注目。と同時に、スパンと気持ちいい音を鳴らしながら、扇子が勢いよく開かれる。そこに書かれていたのは、暗部の二文字だった。

 

「私たち更識は代々受け継がれる暗部組織。つまり、対暗部用暗部ってところかしら。私はその十七代目にあたる楯無よ」

「暗部、しかも襲名制の十七代目って。代替わりの周期はわからないですけど、長いこと歴史の陰から秩序を守ってきた。……っていう認識でいいんですか?」

「アハハ! 日向くん、残念だけどそんなかっこいいものでもないのよ。なんたって暗部ってこと自体は変わらないものねぇ」

 

 対暗部用暗部。まるでフィクションのようなその響きに、冗談ですよねなんて口走らなかった自分をほめてやりたい。

 そのくらいあまりに突飛な話しだった。でも楯無さんが嘘をついているようにも思えない。おどけた様子であるけど、それが逆に僕らが警戒心を抱かないようあえてそうしてるふうに感じた。

 ……たぶん、秩序を守るっていう行動理念そのものに間違いはないんだろう。でもどこか自虐的な含みを垣間見させているところから、いわゆる汚れ仕事的な役割を持つことも予感させる。

 なるほど、それならなるべく正体を明かしたくなかったのも納得がいった。例え冗談と取られようとも、暗部やってますなんて口が裂けても言えるはずがない。

 僕らにこれを話したのは、ターゲットであるから致し方なくという理由がまずひとつ。もうひとつは、単に信頼されているんだろうと思う。

 ならば僕らがうっかり口を滑らしちゃうわけにはいかないな。というか滑らしたが最後、口封じ的なことをされる可能性も視野に入れたほうがいいのかも。

 

「っていうことは、のほほんさんや虚先輩は、更識家の付き人か何か?」

「そのとおりでございます。私たち布仏は、それこそ先祖代々から更識の僕を務めさせていただいております。その他、諜報等でも少々お手伝いしてもいますが」

「あ~でもでも、私が二人を監視してたってことはないからね~。信じてもらうしかないんだけどさ~」

 

 そっか、お嬢様って呼んでたのにはそういう理由が。僕の秘書っぽいっていう感想もなかなかいい線いってたみたい。

 にしても、諜報か。穏やかではないんだけど、虚先輩みたくできる女って感じの人が、そういうことを口にすると少しかっこいいな。

 ……ってことは、本音さんも? なんて思ったりしたけど、本人曰くそういったことはしてないしする気もないらしい。

 なんだか本音さんにしては困ったような表情をしていたけど、そっちも安心してほしい。本音さんが信じてというなら信じるとも。まぁ彼女自身の日ごろの行いからして、どう考えても疑う余地はないでしょ。

 

「それで、僕らを狙っているっていうのは、いったいどういう連中なんですか?」

亡国機業(ファントム・タスク)……。それが奴らの名前……」

「嫌なことに、かなーり長い付き合いなのよねぇ。私の代で決着をつけられたらいいんだけどー」

「やってることは更識と真逆、って感じなんですよね。……だとしたら、私たちを襲った無人機なんかも!?」

「申し訳ないけれど、そこの繋がりに関しては調査中よ。ま、今のところ可能性が大ってところかしら」

 

 かなり長い付き合い、か。更識が十七代に渡り楯無の名を受け継いできたことから、その亡国機業(ファントム・タスク)とやらもかなり歴史の闇に潜んできたということだろうか。

 そしてナツは僕らが亡国機業(ファントム・タスク)に狙われている事実と絡めて、今まで起きた学園でのトラブルも奴らの仕業ではと声を荒げた。

 でも正確なところはまだ不明なようで、あくまでそういう可能性も考えられるという範囲までしか調査が進んでいないらしい。

 もし関係があるのだとするなら、狙われているのはナツの方であると考えるのが自然だよな。

 今まで起きた事件の全てにナツが関わっているなんて、偶然にしてはあまりにもでき過ぎている。だとしてその目的はいったい……?

 ……っとそうだ、結局僕らをどうしたいのかとか、目論見について知っている部分があるなら話してもらわないと。

 

亡国機業(ファントム・タスク)は、なんらかの目的で僕らを消したい。って考えるのが妥当なんですかね」

「あ゛~……重ねて申し訳ない。そのあたりは情報が錯綜してるのよ」

「殺害、拉致、拉致したうえでの人体実験……。候補を挙げるだけ、どれもろくでもないから……」

「そのへんあんまり気にしちゃだ~めってこと~」

「た、確かに一理あるか。悪人の意図なんて考えるだけ無駄だよね」

 

 狙われてると聞かされた身としては、やっぱり手っ取り早く殺害を目的としているであろうとどこか自己完結してしまった。

 キリがないというか、どう転んだってろくでもない目的である。という簪さんの言葉には、嫌な説得力というものがある。

 そうか、人体実験か……。もしそれが目的とするなら、僕が狙いって線も一気に大きくなってくるよな。なんの因果か、世界で唯一ISを扱える男性なわけだし。

 

「でも確かな情報はいくつかあるわ。まずひとつ、奴らは学園祭に仕掛けてきます」

「規模については調査中……。けど、そこまで攻勢に出ることはないと見てる……」

「学園祭……! よりによって、一般の人も訪れる時なんかに!」

「木を隠すなら森の中、ってことか。でも楯無先輩、それがわかってるってことは、迎え撃つつもりなんですよね」

「ええ、向こうも無警戒だとは思ってないでしょうけど、こちらが情報を掴んでいることは知らないはずよ」

 

 IS学園での学園祭は、入場に条件はありつつも、多くの一般客が校内へと集まる。

 正義感の強いナツからしては許しておけない行為なのか、きつい顔つきで亡国機業(ファントム・タスク)を非難するように叫んだ。

 だからこそ僕が冷静でいるべきと、わざわざその日を選ぶ理由を淡々と告げた。逆にそのくらいしか思いつかないし。

 だが来るとわかっていて学園祭を中止にしないということは、更識にとっての撒き餌に過ぎないんだろう。

 こちらが知っていることを知らない。ということは、敵は迎撃の用意がある敷地に自分から足を運ぶことになる。飛んで火にいる夏の虫というやつだろうか。

 けど一般客を巻き込んでしまうことが考えられるのは……。……いわゆるコラテラルダメージだっていうのはわかるけど、一概に首を縦に振りたくない気持ちもあるな。

 

「で、次の情報を得たから、例え付け焼刃だとしても日向くんを鍛えたいってわけなの」

「奴らの戦力について……」

「恐らくは幹部クラスが六名、その全員が専用機を所持しているわ。なおかつ、その六名の大半が――――国家代表クラスの実力者……らしいの」

「「!?」」

 

 大……半……? 大半が国家代表クラス!? つまり、どう少なく見積もっても四人はそのレベルに到達してるということになる。

 フユ姉さん……は頭ひとつ抜きん出ていて参考にはならないかも知れないが、それに届きうる実力を持つ人物が最低でも四人だ。僕は思わず気が遠くなってしまう。

 普段僕の周りに居る専用機持ちの候補生たちらを相手にしたって、実力の差というものを思い知らされるというのに、それを上回る人を複数相手しなければならないなんて。

 ……いや、待て待て、そう悲観的になるな。簪さんは、そう大規模な攻勢には出てこない予測だと言っていた。

 どうしても僕らに狙い通りのなにかをする気であるなら、ここで最大戦力をもってして叩き潰せばよいだけのこと。

 そういう前提でものを考えれば、向こうもまだ様子見くらいのつもりであると推測することもできる。……というか、そう考えていたほうが気が楽だ。

 

「あの、どうして他の専用機持ちの手も借りないんですか? 特にラウラとか、軍人だからとても頼りになると思うんですけど」

「さっきも言ったけど、あなたたち二人を狙いつつ、あくまで向こうも様子見ていど。なら、知ってる人は極力少数のほうがいいの」

「こっちの目標、二人の防衛が最優先事項だけど……。できれば、攻めに来た構成員は確保したい……」

「油断につけ込むための少数精鋭、ってことですか」

 

 ナツの指摘した部分に関しては、実は僕もずっと疑問に思っていた。

 向こうが手加減してくれるのなら、こちらは本気も本気でかかればいいのでは。なんてのは甘く、要するに駆け引きの問題だったみたいだ。

 情報戦とはよく言ったもので、こっちが向こうの動きを少しは把握しているとして、きっと向こうにも同じことがいえるはず。

 だとすれば、どこから漏れるかわからない情報を、例え味方だとしてもおいそれと明かすわけにはいかない。ということみたいだ。

 しかし、自分で言っておいて少数精鋭とは笑わせる。楯無さんも言っていたことだが、僕はとっとと頭数としてカウントできる実力を身につけねば。

 

「そういうわけだから、日向くんを鍛えるって話になるってこと」

「はい、有難く受けさせていただく所存であります……。けど、思ったよりも切羽詰まってるって感じですね」

「そう気負わないで……。日向くんは、あくまで自衛を考えてくれればいいから……」

「ええ、簪ちゃんの言うとおり。不手際があろうとなかろうと、あなたたちを守るのは私たちの責任です。足手まといだから強くなって、なんて誰も言わないわよ」

 

 襲われるとわかって鍛えるのと、いち選手として強くなろうと鍛えるのじゃ全然わけが違うもんなぁ。

 僕だって後者の理由でも必死こいてやってきたつもりだけど、襲撃決行が高確率で学園祭となれば幾許も時間がない。

 それまでの間にできることをこなすしかないんだろうが、果たして僕のポテンシャルでどこまで伸びてくれるだろう。

 うむむと唸ってそんなことを考えていると、更識姉妹からフォローが入るではないか。

 気持ちそのものは大変に嬉しいのだけれど、女の子にそんなことを言われるのはと思いつつ、二人は僕より数段上の実力者という事実。めちゃくちゃ複雑な心境だ。

 まぁ、そう言ってくれるのなら気楽にいこう。もちろん、楯無先輩の特訓とやらには真剣に取り組みつつね。

 

「とりあえず、今のところ話せるのはこのくらいかしら」

「また何かあったら、逐一報告する……」

「ま、訓練は明日からってことにして、今日はもうこれで――――」

「お嬢様、伝え忘れていることがもうひとつあるのでは?」

 

 楯無先輩は指折りしながら思い出すようにひとつ、ふたつと話すべきことを話したかどうか数えているようだ。

 先輩としては問題なく話し終えた感じのようだったが、虚先輩から待ったがかかる。

 はて? とでも言いたそうな楯無先輩だったが、ああ! と手を叩いて何かを思い出したらしい。なんだか先ほどまでの雰囲気とは打って変わり、意地悪な顔つきになった気がする。

 瞬間、隣に座る簪さんは溜息をつきつつ呆れ顔に。本音さんは必要以上に二パ二パし始めたし、いったいなんだというんだろうか。

 

「学園祭、とおおむねの見通しはしているけど、それ以前ないしそれ以降の可能性もあるわけね」

「まぁ確かに、一理どころか大いにあると思います」

「なんならプライベートなんかも危険だったりするかもですよね」

「そう、プライベート! なるべく多くの時間に身の安全の確定を割くべきなの」

「……あの、変にぼかさないで核心を話してほしいんですけど」

 

 さっきも言ったが世の中情報戦。情報がモノを言う。

 学園祭に襲撃に来るであろう。と言いつつ、更識が情報に踊らされているということも考えられる。

 だとするなら、楯無先輩が無駄に強調したプライベートなんかにも十分に気を遣う必要があるのには賛成だ。

 というか、むしろプライベートこそ最も気が抜けやすい時間帯であろう。そこを狙われたと考えるとゾッとしてしまう。

 ……っていうところまで考えて、それの対策ができているってことでいいのかな。どうにも核心を避けて物を語るから、むず痒くて仕方ない。

 僕が要するにとっとと話してくださいと要約して口にすれば、楯無先輩はふっふっふとわざとらしく笑い、僕とナツを扇子で指してからとんでもない宣言をするではないか。

 

「ぶっちゃけ、織斑 一夏さん。あなたについては単独であってもそこまで心配はしていません」

「はぁ、まぁ、これでも代表候補生ですから。というかその言い方、ハルが心配ってことですよね」

「そう、そのとおり。でも二人は恋人同士なのに、私か簪ちゃんが四六時中警護ってわけにもいかないでしょう?」

「…………はぁっ!? そ、その言い方はまさか……! いやいやいや、それは絶対まずいですよね!」

「あなたたち二人、今日から同室で!」

 

 どうやら僕には精神的な修行も課せられるようだ。けど楯無先輩、本気で潜り抜けられる気がしないんですがそれは。

 

 

 

 

 




地味に注目していただきたいのが「幹部勢が六人」ってところ。
あれれ~? おかしいぞ~。三人増えてる~。
ということでして、だいたいお察しではあると思われます。


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第67話 世界で一番

前回のあとがきですが、とんでもない誤解を招く書き方をしていることに気が付きました。
そのあたりは今話を読んでいただいて、あとがきで説明したいと思います。


「「…………」」

 

 放課後の1025室、僕らはベッドの上で正座しつつ、気まずい空気の中互いに見つめ合っていた。

 ナツの引っ越しはあれよあれよという間に進み、本当に今日中に僕と同室になってしまったというわけだ。

 なんか生徒会長の権限とか言ってたけど、寮の部屋割りにも介入できる生徒会長の権限っていったいなんなのだろう。

 いや、生徒会及び更識の正体を知ったら自然なことかも知れないけど。一年の部屋割り担当っぽい山田先生があまりにも可哀そうだったもんだから……。

 楯無先輩に急に直訴され、あまりにも急なため渋っていると、フユ姉さんが協力してやれという鶴の一声を放つという。

 あの様子からして、フユ姉さんは生徒会の正体を知っているとみていいな。というより、学園内で正体を知っている人は聞いておけばよかったかもね。アハハ~……。

 

「無理ぃ! 絶対に無理ぃ! 絶対に普通の学校だったら即退学クラスの不純異性交遊的なことをしてしまうのがみえてるじゃないかぁ!」

「うわビックリした! ハ、ハル、そんなことばかり考えてても仕方ないと思うよ? うん!」

 

 展開の急さに話題を別方向に持っていこうとしたものの、やっぱり上手くいくはずもなく。僕は正座したまま上半身を反らし、ベッドに背が着いたような状態となった。

 終始無言のままいきなりそんな奇行に走ったためか、ナツをかなり驚かせてしまったようだ。事情を知らない人が見れば、さぞかしシュールな光景だろう。

 自分でもらしくないと感じるだけに、ナツがなんとか気を取り直させようとしてくれているのが逆に痛ましい気もする。

 でも本当に僕の言葉どおりなんだよ。今までなんとかやってこれたのは、周りの目があるからっていう理由が一番大きい。

 なのにその枷すら半ば外されたも同然なんて、ある意味でこんな殺生なことはないと思う。いや、正確に言うなら生殺しなんですけれども。

 

「う~ん、何かハルをリラックスさせる方法は……。あっ、これなんてどうかな。ねぇ、ハル」

「なんでございましょう……」

「ほら、こっち来て、耳かきしてあげるから。リラックス効果があるって言うでしょ?」

「……ぜひお願いします」

 

 ごそごそと何かをまさぐる音が聞こえたから、ナツがまだ荷解きの済んでいないカバンを漁っていることを察した。

 とても興味深いことを言われたので上半身を起こしてみると、ナツがその手に持っているのはなんの変哲もない綿棒ではないか。

 僕らの関係上それが何を意味するかなんてのは言わなくてもわかるというか、ナツが女の子座りして膝をポンポンと叩くものだから、余計に想像するまでもなくなるよね。

 ……恋人同士というよりは、一種のセラピーみたいな気持ちで受けてみることにしてみよう。今の僕にリラックスが必要っていうナツの見解も間違ってなさそうだし。

 僕はベッドの上をズリズリと移動すると、適切な距離感を保ちつつ左耳が上になるように横になる。

 頭の着地点はちょうどナツの膝の真上。いわゆる膝枕されている状態となった。

 

「……既にリラックス効果を実感中」

「ふふっ、それはなにより。言ってくれれば、いつでも使わせてあげるからね」

「なら、今度ナツの膝で昼寝でもさせてもらうことにしようかな」

 

 とても快適な頭の乗せ心地だった。

 やっぱり僕らの関係性や心情によるところが大きいのか、現段階で寝落ちしてしまう未来しか見えない。

 ナツの膝枕で昼寝か、それはいい。欲を言うなら春の陽気に包まれて、とかいうシチュエーションならもっと最高なんだけど。

 ……って、まずいまずい、想像してるだけで眠気が襲ってくる。なるべく起きて、ナツの耳かきをしっかり体感しておかねば。

 

「じゃ、早速始めるね。まずは耳の溝のところから……」

 

 ナツは開始を宣言すると、耳の溝みたいになってるとこ――――正式名称とか知らないからなんとも言えないんだけど。とにかく、そこらを綿棒で優しくこすり始めた。

 力は強すぎず弱すぎず、なんとも絶妙な加減だ。マッサージが特技だったりするし、力の強弱を調整するのはお手のものなのかも。

 綿棒が一定のリズムで僕の耳の溝へと擦れるたび、シュッシュッとかすれた音が響く。これもまた耳に心地いい気がする。

 その後しばらく、ナツは丁寧に丁寧を重ねて溝の掃除を続けていく。本人も集中してるのか楽しんでるのか、口数のほうはほとんどないに等しい。

 

「ん~……よし、こんな感じでいいかな。じゃあ次、耳の穴のほうをやっていくからね。あ、痛かったらすぐに言ってよ?」

「うん……了解……」

「ふふっ、いいお返事です。そのままジーっとしててくださいね~」

 

 満足したのか、それともナツの思う綺麗にまで到達したのか。とにかく溝掃除は終わりと見ていいらしい。

 そのまま穴の中の掃除を始めるというナツの忠告が入るものの、僕は眠気のせいか曖昧な返事しかできないでいた。

 それを全く不満に思う様子もなく、ナツはむしろ僕がリラックスしている証拠としているのか、楽しそうな様子を継続させつつ耳かきを進めていく。

 そして、耳の穴は綿棒が入り込む感覚を確と捉えた。なんかこう、言葉では言い表せない気持ちよさがあるよね。

 ひと昔前の流行りで今はどうなのか知らないけど、マッサージ店感覚で耳かき専門の商売があったのもなんとなく頷ける。

 

「あんまり見当たらない、かな……。うんうん、綺麗にしてるのはいいことだよ」

「なんか、勝手に出てくるから本当は耳かき必要ないんだって。これ豆知識」

「えっ、そうなの!? なら私が今しているこれはいったい……?」

「別にいいんじゃないかな、恋人同士の戯れってことで」

 

 どういう原理か忘れたけど、耳垢っていうものは勝手に耳から出てくるものらしい。耳かきっていうのは、むしろ耳垢を奥へ押し込んでしまう可能性もあるんだとか。

 それを聞いたナツは衝撃の真実を知ったかのようなリアクションを見せた。なら奥にやってしまうことは言わないでおこう。愛ゆえに中断されてしまうかも知れない。

 だってこんなの止められるなんてもったいないよ。膝枕されてるし、実際気持ちいことには変わりもない。

 ナツも僕の説得が効いたのか、しばらく考えたのちに耳かきを再開。少し控え目にはなったものの、続行してくれるのなら何も言うことはない。

 

「じゃあ、そろそろ反対の方をやろっか。はい、クルっと回って」

「ん~……」

「あっ、こっちいいね~。ハルのトロ~ンってした顔がよくみえる」

「……なんか恥ずかしいからあまり見ないでほしいな」

「え~……なんで? すっごく可愛いのに」

 

 左耳の方は終わったらしく、反対側である右耳が上にくるようにしてほしいという指示が。

 眠気を感じながらも大人しく指示に従い、少し体を浮かせてからそのまま回転。必然的に顔の正面がナツの側になる。

 するとナツが少し悪戯っぽく、僕の顔が見えるからいいなどと言い出すではないか。流石にちょっと恥ずかしいんですが。

 抗議ではないがそうお願いしてみるも、ナツは相変わらず悪戯っぽい口調で肯定も否定もせず耳かきを始める。

 目を閉じているからわからないけど、きっと鼻歌でも鳴らしてそうな上機嫌な顔をしてるんだろう。

 そうしてナツは、左耳の時と同様に耳の溝、耳の穴の順で丁寧に掃除を進めていく。やっぱり最初よりは遠慮気味だったけれども。

 ただ、この想いだけはずっと変わらない。

 

(……幸せだなぁ…………)

 

 本当にこれだ。この想いしかない。ナツの好きが伝わってくるたび、僕の脳はこれしか考えられなくなってくる。

 ナツが僕を好きでいてくれる。この事実を俺だったら、なんで俺なんかに、なんて思って悩みぬいていたことだろう。

 でも、そんなのどうでもいいじゃないか。ナツが僕のことを好きでいてくれるのなら、十分にこの世界で生きていく価値となる。

 ナツは僕の生きる意味だ。そんな存在が僕のことを好きでいてくれるのに、なんで、どうしてなんて疑問を持つ方がおかしい。

 だから僕が考えるべきは、報いること。ナツはそんな必要なんてないって言うんだろうけど、こんな幸せを感じさせてくれるというのに、僕がそれにお返しできないのはおかしいじゃないか。

 

「はい、終わったよ。私も名残惜しいけど、ハルもだいぶ落ち着けたんじゃない?」

「…………」

「……ねぇ、ハル。もしかして、寝てる?」

「……ナツ。僕らが望んでることは、そんなに許されないことなのかな」

 

 あまりに幸せ過ぎるものだから、ついそんなことを口走ってしまった。だってそうだろ、僕かナツ、あるいはその両方がテロリストに狙われているなんて。

 僕は、いや、僕らはただ幸せに過ごしていたいだけなのに、どうしてそっとしておいてくれないのだろう。

 僕の考え過ぎでなければ、そう、まるで世界が僕らの平穏を邪魔しているかのようにすら思える。

 確かに僕は世界で唯一ISを扱える男性だ。確かにナツは、世界最強の姉を持ち、なおかつ自身もその頂に近い女性だ。

 だからって狙うだとか襲うだとか、どうしてそんなことに巻き込まれなくちゃならないんだ。

 ああ、愛しい。あまりにも愛しい。こんなこと考えたくもないのに、なくなってしまう可能性がわずかでも発生しているとなると、余計にこの少女が愛しくてたまらない。

 気付けば僕は、体重と筋力に任せてナツを引き倒し抱き留めていた。……いや、どちらかと言うなら、僕が縋っていると表現したほうが正しいのかも。

 

「やっぱり、ナツだけでいい。……ナツだけでいいのに。僕が言ってることは、そんなに贅沢なことなのかな……」

「ハル……。……うん、贅沢なのかも。少なくとも私はそうなんじゃない? だって、世界一幸せな女の子だし」

「っ……ナツ……!」

「してみせるって、言ってくれたよね。そのためにいろいろ努力もしてくれてる。でも、私はあの時も言ったよ。もうなってるって、世界一幸せだよって。……幸せ。比べるものじゃないのはわかってるけど、絶対に、絶対に絶対に私は――――世界で一番幸せな女の子」

 

 やはりナツは僕のほしい言葉をくれる。

 もし幸せという概念で死んでしまうのなら、僕はナツの言葉で無限に死ねることだろう。そのくらいに嬉しいことだ。

 あぁ、確かにそう考えるのなら贅沢なのかも知れない。こんなにも僕を好きでいてくれる人を、僕は大好きでいられるのだから。

 狂喜乱舞とはまさにこのことか。以前ナツに狂っているとは言ったものの、ますます頭がどうにかなってしまいそう。

 

「……手放させる、もんか。テロリストなんかに、この、贅沢を、絶対に手放させたりするもんか……!」

「……嬉しい。ハル、もっとギュってして。苦しいくらいに抱きしめてっ」

「ナツ……! 好きなんだ、キミが、ナツが、好きで、大好きで、僕は……!」

「もっと、もっともっと、好きって言って。あぁ……ハルっ、好き好き好き、大好きっ」

 

 自分でもあまり泣くほうではないと思う。悲しくても悔しくても、嬉しくても感動してもだ。

 でもこんなのに耐えられるはずがなかった。ナツへの愛しさが溢れかえり、自然と相貌から熱いものが流れ出てしまう。

 僕は震わせた涙声のまま、募る思いの丈を感情のまま口にする。するとナツも、僕の耳元に震えた声を響かせた。

 後はもう、僕らは自分自身でも感情の制御が効かず、壊れたラジオのように互いへの愛を囁くばかり。本当にそれ以外、何も考えられなかったから。

 最後は……どうなったのだろう、正直あまり覚えていない。そのまま疲れ果てて眠ってしまったのか、それとも機械的にするべきことをして眠ったのか。

 実際、どうでもいい。どうでもよかった。ナツ以外の全てがどうでもよくて、覚えておく必要がないと脳が判断したのかも。

 けど、まぁ、必要最低限の生命維持活動くらい、意識するようにはしておこう……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 晴人と一夏が愛を語り合っている同刻の某所。とある高級ホテルの廊下を、赤いドレスを着こんだ女性が歩みを進めていた。

 目の覚めるようなブロンドの髪。男女問わず見入ってしまいそうな美貌。なんとも扇情的なボディライン。まさに完璧とも取れる容姿をしたこの女性を、誰がテロ組織の幹部と思うだろう。

 彼女は亡国機業のスコール。あらゆる意味でミステリアスな女性だが、幹部という役職に就く自覚をキチンと持つ女性である。

 ゆえに、間近に迫る襲撃予定日に際し、他の幹部――――というか、唯一幹部として機能している者を訪ねるつもりでいた。

 彼女らは高級ホテルを根城にしているものの、人数の兼ね合いで三人ずつ二部屋に分かれていた。

 各部屋に頭となる人物がいなければ、他のメンバーはかなり自由人なためにそうする必然性があったのだ。

 面倒だと思いつつ、やはり自覚があるだけに、大事な話し合いを顔を合わせずにするのはいかがなものか。そんな思いがスコールを突き動かしていた。

 

「オーディン、居るかしら」

『その声はスコールか。この通り私は居るとも。遠慮なく入ってくれ』

 

 部屋の扉をノックしてから呼び掛けると、聞き慣れた女性の声が。

 どうにも尊大に聞こえるその口調がスコールは得意でなかったが、自分も似たようなものだからなんとも言えない気分になる。

 まぁ、日本の女性演劇団体のようなものと捉えればいいか。短く息を吐きながらそういう思考にもっていくと、スコールは返事のとおり遠慮なくドアをくぐった。

 

「オーディン、今後のことで少し話が――――あなた、それはどういう状況なの?」

「どうにも拗ねてしまっているんだよ。気の済むまで放置しようかと思ってね」

「……ロキ、オーディンから離れなさい。これから大事な話し合いがあるの」

「いーやーでーすー!」

 

 リビングに入ってみると、スコールの目にはなんとも言い難い光景が映った。

 オーディンと呼ばれた女性は、優雅にソファへ腰掛けている。それだけならよかったのだが、顔には前後を入れ替えた肩車のようにして、少女がへばり着いているではないか。

 年齢的には中学生程度に見えるが、どうにも小柄。フワフワで豊かな緑髪が幼さを増長させるのかも知れない。

 かつ、本人そのものも幼稚な性格らしく、拗ねた結果の反抗でオーディンにへばりついてるそうな。

 スコールがやんわり邪魔だから離れろと伝えるも、これまた幼稚な態度でそれを拒否。頭の痛いことである。

 

「はぁ……。文句があるなら一応聞いてあげる」

「だっテ、いい加減暇にもほどがあるヨ! 組織が大掛かりに動いたノ、もう一年半前じゃんカー!」

「私たちがどういう集まりかわかってる? あなたの退屈凌ぎは関係ないのよ」

「はいはイ、異議あリ。オータムはめっちゃ動いてますけド!」

「あの子はキチンと仕事として動いてるでしょ。ロキ、少なくともあなたには任せられないわ」

 

 ロキも一応は幹部に含まれる。だけに、やはりマトモなのは自分とオーディンだけかとため息が止まらない。

 明らかに見た目が外国人であるものの、ロキは日本語に慣れていないのか言葉の最後の発音を怪しくさせながらも激しく抗議。もっとも、子供らしくだが。

 拗ねている内容もやはり例に漏れないらしく、要するに退屈だから仕事がしたいということらしい。

 とはいえ、スコールが任せたくない気持ちは十分に伝わって来る。仕事を仕事と思わないであろうことも同じく。

 スコールはロキの反論を全く寄せ付けず、ピシャリと壁を作るかのようにしてシャットアウト。取り付く島もないというやつ。

 

「ロキ、キミは自身の役割を理解しているだろう?」

「それハ、まぁネ。ロキちゃん賢いシ」

「ではそんな賢いロキちゃんは、話し合いの邪魔なんかしたりしないよね」

「うっワ、出たよオーディンの言葉狩リ。はいはイ、わかりましたヨー。ロキちゃんはスルトをからかいに行くことにしまース」

「ほどほどにしなよ。彼女は冗談が通じないのだから」

 

 ロキが渋々ながらオーディンから離れると、白銀の髪と黄金の瞳が露わとなった。

 そんな彼女はセミロングの髪を小さなポニーテールに結っていて、そのあたりもなんとなく男装を思わせる。

 ロキはスルトなる人物をからかいに行くと部屋を出て、ようやくこれで話せる状態が整った。

 オーディンはすまないねと謝罪し、スコールはお互い様でしょうと労う。そして、まったく同じタイミングでため息をこぼす。

 

「……ところで、トールは席を外させたほうがいいかな」

「いいえ、聞かれて困る内容ではないわ。というか彼女、よく飽きもせず寝ていられるわね」

「戦闘以外のことをまったくする気がないのが困りものなんだ。起きてる時間の方が短い気さえするよ」

 

 これで問題は解決かと思いきや、オーディンはチラリと窓際にある一人掛けのソファを眺めた。

 そこには腕を組みながら座り込み、口をへの字に曲げたような、いかにも厳格そうな女性が座っている。

 だがあまり女性らしさというものは感じさせない。

 短髪も短髪、これでもかと言わんばかりのベリーショート。服装のせいで露わになっている両腕には、生々しい傷痕が見て取れる。

 そんなトールだが、なんとも間抜けなことにただ寝ているだけらしい。初見の者ならば、ただ座っているだけでなんという存在感だ。なんて思ったりもするだろう。

 どうにも豪胆な性格なのか、戦闘以外の仕事はまったくしてくれないとオーディンが愚痴をひとつ。さて、この場合ロキとどちらがましなのだろう。

 

「ま、放置でいいならそのまま進めよう。オータムの進捗でも伝えにきたのかな」

「ええ、そのとおりよ。どうやら順調みたいね。今すぐにでも潜り込めそう、なんて言ってたわ」

「言葉そのものは信用するとして、彼女は調子に乗りやすい傾向にあるからね。本当にやりかねないから、一応は釘を刺しておいてくれ」

 

 先ほども話題に挙がったオータムというメンバーは、どうやら裏方としてIS学園の警備状況等を調査しているらしい。

 ロキの発言とも照らし合わせると、実際に攻め込むのもオータムである可能性が高い。

 ただ、やはり他のメンバーと同じく問題を抱えているようで、オータムの場合は調子に乗りやすい性格だとか。

 それがどの程度なのかは察しがたいが、スコールが言われなくても釘を刺したというあたり、リーダー格二人に文句なく心配されるレベルのようだ。

 つまり、それを除けば非常に優秀であるという裏返しでもあるのだが。

 

「それで、ティルヴィングとヘイムダルの伸びの方はどうなんだい?」

「織斑 一夏と日向 晴人のことでいいのよね。わかりづらいから普通に呼んでくれないかしら」

「はは、まぁいいじゃないか。皮肉なことに、彼の扱うISが我々と同じく北欧神話絡みなんだ。もののついでというやつだよ」

 

 スコールはオーディンが述べたティルヴィング、ヘイムダルという名詞に顔をしかめた。

 どうやら自分たちのコードネームが北欧神話と関連があるのに対し、晴人と一夏のこともそれに絡めて呼称しているようだ。

 ヘイムダルの方は言わずもがな、一夏がティルヴィングというのは少し気になる。なぜならそれは、北欧神話における呪われた剣のことだから。

 

「……日向 晴人だけなら、どうあがいても私たちの誰一人にも勝てないでしょう。その評価は揺るがないわ。ただ――――」

「ただ、ティルヴィングと共にある場合の爆発力は警戒すべし、か。ふふっ、愛とは偉大なものだ。でもやはり問題ない。こちらは動揺を誘うタネを持っているのだから、ティルヴィングも最高のパフォーマンスはできないさ」

「最終確認だけど、本当に明かしていいの?」

「どうせいつかは明かすこと。運命には抗えないと知れば、彼女も大人しく捕まってくれるかも知れないよ」

 

 晴人のをなめての発言ではないのだろう。スコールにとって、ただ淡々と事実を語っているだけのこと。

 それだけならまだ気にすることでもないのかも知れないが、どうにも一夏に対しての評価が引っかかる。

 実力そのものは認めるかのような、自分たちでも快勝は怪しいとも取れるが、ある事実を握っているだけにそれはありえないと言っているかのようだ。

 そのある事実というのが、呪いないしティルヴィングという仮称に繋がっているのだろうか。

 運命には抗えない。いったい一夏は何を背負って、いや、何を背負わされているというのだろう。

 

「総合的にみると、問題はなし。ということでいいかしら」

「そうだね、それでいいんじゃないかな。後のことはオータムに任せよう。……あの短気さえなければ、完全に信頼できるんだが」

「……今日は呑むことにしましょう。付き合うわ」

「それはいい。では、ワインで構わないかな」

 

 我らの計画に滞りなし。そう締めようとしたのだが、オーディンとしてはオータムの性格が最後の気がかりらしく、やれやれと目元を抑えるような仕草をみせた。

 そんなオーディンを見てシンパシーを覚えたのか、スコールはこれから酒盛りでもどうかと提案を挙げる。

 それに快く同意したオーディンは、すぐさま立ち上がり備え付けてある室内用ワイナリーからワインボトルを取り出し、近場の棚からグラスをふたつ手元へ。

 グラスを机に並べて栓抜きにてワインのコルクを抜くと、鈍い音が室内に響き渡った。

 こうして静かな夜会が始まる。個性の強い部下たちへの愚痴を肴として、頭役二人は大いに盛り上がるのだった。

 

 

 

 

 




幹部六名としましたが、ダリル&フォルテを除いてプラス三名したという意味でございました。
そもそもの話、以前から公言しているとおり学園祭編は終章にあたるので、登場させる意義も薄いかなと。
ではなんで終章にもなって、わざわざオリジナルで追加人員なのかと聞かれますと、それこそ最終回を迎えた後でなければお答えできない状況であります。
まぁ、なんです、一応ちゃんと締めはしますので、その点についてはご安心いただきたい。


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第68話 不思議な少女

珍しくも一夏ちゃんの出番が希薄!
申し訳程度の絡みだけど許して(切実)





以下、評価してくださった方をご紹介。

朱と白様

評価していただきありがとうございました。


「ちくしょう、みんなして美術部をなんだと思ってるんだ……」

「あらら、晴人の口からこんなのが飛び出るってよっぽどだね」

「姉さま、弟をどうにかしてやってくれ」

「う~ん、部屋に戻ってからいろいろしてあげてるんだけど」

「それを上回る忙しさ、というわけですわね」

 

 机に突っ伏した僕は、思わずそんな文句を割と聞こえる音量で言い放ってしまった。それを聞いたシャルルは、珍しいこともあると少し遠慮しつつも感想を述べる。

 何が僕をそうさせるのかと聞かれると、早い話が学園祭に関連したことだ。

 学園祭ともなれば、様々な小道具が必要になってくる。その小道具は各所出し物を催すグループで作成するとして、看板などの絵を描くことの依頼が絶えずに困っているんだよね。

 よく考えてみてほしい、美術部も美術部で、ちょっとした展覧会みたいなのを予定しているんだが? 自分たちの作品の制作で忙しいんだが? そんなもの描いてる暇ないんだが!

 ということで大半はお断りを入れているものの、やっぱり学園そのものから制作を任せられる諸々があるわけで、今の僕らはそれらを同時進行かつ急ピッチで進めている。

 

「しかもなんだ、最近になってやけに訓練に身を入れてるじゃないか」

「どういう風の吹き回しかは知らんが、姉である私よりもどこの馬の骨とも知らん女を頼るとは」

「まぁまぁ。会長さんは国家代表なわけだし、実力は十分なんだからそう言わないで」

 

 それに重ね、箒ちゃんの言うとおり襲撃に備えての訓練も忙しい。

 というか、訓練の影響で美術部のほうを手伝えない時もあって、なんならそれが心苦しくて一番のストレスかもなぁ。

 楯無先輩の言葉どおり僕の置かれている状況は話せないし、専用機持ちですらこのとおりなのに、一般生徒にはますます話せたことじゃない。

 まぁそこらはなんとか騙し騙しでみんな納得はしてくれたけど、こうして心配してくれてるからそれも少し申し訳ないかなぁ。

 ……そうそう、楯無先輩と言えば、なんかあの人はロシアの国家代表らしい。つまり、みんなの一段上をいく存在であることが明らかになった。

 そもそも、伝統的にIS学園の生徒会長は学園最強の称号とも置き換えることができるそうな。つまり、一度敗北すればその座から引きずり降ろされてしまうんだとか。

 前に廊下でばったり会って、世間話してたらいきなり襲撃があったからビックリしたもんだ。……楯無先輩は目も向けずに制圧したからビックリしたもんだ。

 

「とにかく、何事も根を詰め過ぎずほどほどに。ですわよ、晴人さん」

「ははは、できれば僕もそうしたいんだけど……ねぇ?」

「うんうん、こればっかりはねぇ」

「あれ、晴人と一夏だけで通じるタイプの話題?」

「むっ、なんと水臭い。私を混ぜんか、私を」

 

 セシリアさんの有難い言葉どおりにできるならそうしたいんだけど、いかんせん時間というものが足りないからどうしようもない。

 特に訓練のほうはサボるわけにはいかないので、ナツに視線をやりながら同意を求めてみる。

 ナツとしても止めたい気持ちはあるのかも知れないけど、僕の置かれている状況的にこればかりはと同意を示した。

 やはり鍛えている理由を明言するわけにはいかず、ラウラちゃんを不機嫌にさせてしまったのはご愛敬。宥めるのはシャルルに任せることにしよう。

 

「ナツ、そういうわけだからさ、あ~……今度の日曜日なんだけど――――」

「うん、私のことは気にしないで。お弁当作るから、それ持って行くといいよ」

「……まだ何も言ってないんだけど」

「何もって、じっちゃんのアトリエで個人製作を集中してって話でしょ? そのくらい言わなくてもわかるし、仕事に向かう旦那様くらい快く見送らせていただきますとも」

「あ゛あ゛あ゛あ゛っ! 尊みの過剰供給! 私としては喜ばしいことだが、お前たち最近配慮がなさすぎるぞ!? 死ぬっ、ハルナツの尊みに殺されるぅ……!」

 

 学校に居る間は訓練に身を入れるとして、楯無先輩からも完全解放される日曜日に絵のことを進めるしかない。

 せっかくの休みに恋人を放置するのが心苦しく、気まずそうに週末の予定をナツに話そうとしたんだが、なんか殴り掛かったわけでもないのに返り討ちにあった気分。

 あまりにも堂々としたできた嫁的な発言を前に、少しばかり呆然としてしまう。というか、箒ちゃん除くみんなもあっけにとられているようだ。

 いいことなのか悪いことなのか、ナツは噛み痕の件からだいぶ周りを気にしなくなった。まぁ、それは僕もなんだけど。

 ふむ、それなら僕も遠慮も配慮もなく返すか。周りの目を気にして、ナツに応えられないっていうのは馬鹿げてる。それが今の僕の基本理念だし。

 

「それじゃ、愛妻弁当を楽しみにさせてもらうことにするよ。ナツ、いつもありがとう」

「ふふっ、どういたしまして。何か食べたいメニューとか、あるなら今のうちに聞かせてよね」

「別になんだっていいよ、ナツが作ってくれたらなんでも美味しいし」

「いつも言ってるでしょ、何でもいいが一番困るんだけどなー」

「ラウラさん、騒ぎ出す前に箒さんの制圧を」

「無用だ。手を下す前に失神している」

「えぇ……? 気を失えるってある意味で尊敬しちゃうな。……二人は二人の世界みたいだし、箒を席に戻して僕らも解散しようか」

 

 ああ、なんだか昔もこんなやりとりをしたことを思い出すなぁ。

 弾の言うとおり、確かにこういうのは恋人同士のやり取りだったみたい。うん、変なのみせちゃってごめんね、弾に数馬。そしてあの日のクラスメイトたち。

 って、おや? ナツとのお弁当談義に夢中で気が付かなかったが、いつの間にやらみんな自分の席に戻ってしまっているじゃないか。

 ……ならいいか、このままナツと新婚夫婦ムーブを続行で。どうせ隣の席なんだし、ギリギリまで話していられるのは非常によいことだ。

 いやしかし、これで楽しみが一つ増えた。

 心境としては急いで終わらせないとって思っていたけど、ナツが弁当を作ってくれると言ってくれただけでだいぶ違う。

 とはいえアレだけは絶対に完成させないとならないし、惚気てばかりいられないのもまた事実。とにかく気合だけは入れて頑張ることにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてやってきた日曜日、ナツが一緒にはいないが足取りは軽い。まるで跳ねるようにして、アトリエ目指して歩を進めていく。

 あの日の宣言どおりに弁当を用意してくれたというのもあるけど、やっぱりねぇ、行ってらっしゃいのキスはテンション上がるよねって話で。

 いやこれもうホント、今すぐにでも法改正を願いたい。どうして男子は十八にならないと結婚できないのだろう。もう僕らは事実上夫婦みたいなものですが。

 ……ま、そのあたりは楽しみにとっておくことにするか。ただ、学園卒業したら秒で籍を入れにいくことにしよう。

 にしても、やっぱり学園から直だとアトリエは少し遠く感じるな。でも大事な制作をするときは、自宅より設備が整ってるから文句を言ってもしかたない。

 よし、ナツのここすきポイントでも挙げていってれば一瞬に感じるだろ。その作戦でいこうそうしよう。

 退屈な道のりをなんとか誤魔化そうとそんな作戦に出ようとした僕だったが、急な背後からの呼びかけに身を固くしてしまう。

 幼いという意味で可愛らしい質感の声。少なくとも、聞き覚えのあるものではなかった。

 

「ねぇねぇ、おにーさン」

「僕のこと、でいいのかな」

「うん、そうだヨ。これ、おにーさんのカバンから落ちたみたいだかラ」

「へ……? 嘘っ!? ちょっ、ちょっとごめんね!」

 

 振り返ってみると、そこには緑って感じの女の子が佇んでいた。全然まったく誇張表現でなく、身を包むものほとんどがグリーンで統一されている。

 髪色、瞳の色、軽めではあるが、いわゆるゴスロリ風のドレス。それらが緑色で、この子そのものが気に入って、テーマカラーにしているんだと伝わって来る。

 そして年齢は……見た目だけだと判別がつきづらい。本当に絶妙な顔立ちというか、雰囲気というか……。

 う~ん、小学校高学年から中学一ないし二年くらいの間かな。間違ってたら失礼だけど、中三以降ってことはないと思う。

 そんな女の子が僕にいったいなんの用事なのだろう。なんて思っていたら、彼女は僕に一本の色鉛筆を差し出してくるではないか。

 曰くリュックサックから出てくるのを見たとか。いやいやそんなことはあり得ないと中を覗いてみると、閉じ方が甘かったのか色鉛筆のケースが開いてしまい乱雑に散乱している。

 しかもよく見れば、底の方にちょうど色鉛筆の太さくらいの穴が開いちゃってるじゃないか!

 ……僕が跳ねるように歩いていたもんだから、この穴からおみくじみたく色鉛筆が抜け落ちた。ということでいいんだろう。

 

「キミ、教えてくれてありがとう。一本でもなくすとすごく困るからさ」

「えへへ、それはよかったヨ。はい、もう落としちゃだめだからネ」

「あはは、しっかりしてるな……。僕も見習わないと。それじゃ、僕はこれで。本当にありがとうね」

「えーっ!? ちょっとちょっト、待ってよおにーさン!」

「うぉう!? ま、まだ何か……?」

「こんな可愛いレディを前ニ、お礼もしないで立ち去るのはマナー違反なんだヨ!」

 

 女の子から色鉛筆を受け取りケースにしまって、リュックサックを閉じる。今度こそ穴から抜け落ちないように気を付けながら背負いなおすと、キチンと感謝を述べてから立ち去ろうとした。

 しかし、思い切りリュックサックを掴まれて足止めされてしまう。意外にもかなり力持ちのようで、一瞬とはいえビクともしなかったせいかずっこけそうになったぞ……。

 いったいなにごとなのかと視線を向けてみると、言葉だけの感謝でなく物的お礼を求めているようだ。

 今のご時世からして女尊男卑の風潮に染められているのではと勘ぐってしまうが、このどうにも子供が背伸びしてレディ扱いされたい感じ、普通に年相応のゴネとみていいだろう。

 けど困ったな。お礼って言われても、見ず知らずの子供を連れまわすわけにはいかないし。残念ながら僕は用事があって外出してるからなぁ。

 とりあえず、諭す方向で丸く収まらないだろうか。まぁ、聞き分けはよくなさそうだけど、話くらいはしてみる価値はあると思う。

 僕は中腰になって女の子と視線を合わせると、断りを入れるべく説得を始めた。

 

「えっとね、僕はこれから向かう場所があるんだ。僕もキミにお礼はしたいけど、見ず知らずの女の子を連れまわすのは流石に――――」

「フ~ン? じゃあこれ引っ張っテ、変態さんって叫んじゃおっかナー」

「これ? これ……って!? 防犯ブザーじゃないか! いやいやいや、シャレになんない!」

 

 なんとか納得してくれればと淡い希望を抱いてのことだが、まさかの返しに僕は血相を変えて止めにかかる。

 女の子がスカートのポケットから取り出したのは、アタッチメントを引き抜くと警報が鳴る仕組みの、いわゆる防犯ブザーというやつだった。

 女尊男卑の世の中でそんなもの鳴らされたら一巻の終わりだし、何より僕が世界で唯一の男性IS操縦者なのがまずい。

 噂が流れ始めたらそれはもう一瞬だろう。きっと新聞の一面に【日向 晴人 小児性愛者疑惑か】なんて載るぞ。いやいや冗談でなく。

 僕がそれだけは勘弁してくださいと叫ぶと、女の子はじゃあどうすればいいかわかるよね? とでも言いたげに口元を歪めた。

 

「ぜひ何かお礼をさせてください……」

「わーい、やっター! 話がわかるネ、おにーさン」

「いや、キミが――――あ~……先に自己紹介しようか。僕は日向 晴人。ハルト・ヒムカイって言ったほうがわかりやすいのかな」

あ、やばっ、そこ考えてなかっタ……。えっとね、私はローラ。気軽にローラちゃんって呼んでネ!」

 

 僕が項垂れながら折れると、致命的な脅しをした癖して大変に無邪気なものだ。今のうちから将来が少し心配な子だなぁ。

 そうなると名前を呼べないのは不便と感じ、自己紹介だけでも済ませておくことに。僕が名前を名乗ると、女の子も自らをローラと名乗った。

 へぇ、それは奇遇なものだ。ラウラちゃんはローラをヨーロッパ読みにしたものらしいから、実質この二人は同姓同名ってことになる。

 まぁ性格は似ても似つかないもんだから、やっぱり偶然っていうのを思い知らされるね。世界っていうのは広いんだかせまいんだか。

 

「ところで、お礼っていうのは具体的に何をすればいいのかな?」

「ン~……? ねぇ、ハルトお兄ちゃんはお絵かきが得意なノ?」

「うん? そうだね、まぁ一応」

「じゃあじゃア、私をモデルにしてヨ。それならお金もかからないかラ、いいアイデアでショ?」

「それは構わないけど、モデルって思ってるよりも大変で――――ちょっ、その脅しはホント止めよう! わかった、わかったからそれで!」

 

 具体的に何をすれば満足してくれるのかと問いかければ、ローラちゃんは意外にも――――っていうと失礼なんだけど、かなり僕への配慮を示した。

 それは自分をモデルに絵を描いてほしいというもので、確かにそこまでお金のかかるようなものじゃない。

 けれど、モデルというのはけっこう大変だ。だから僕も僕でローラちゃんに配慮をしたつもりだったんだけど、無言で防犯ブザーに指を引っ掻ける始末。

 本当に世の中これで焦らない男性がいるのだろうか。ってくらいには効果覿面で、僕はまたしても了承せずにはいられなかった。

 ……これ、多分だけどアトリエに連れて行かなかったらまたこの脅され方するよね。

 それもそれでキツイぞ。今しがた知り合ったばかりの女の子を、基本僕しか入らないアトリエに連れて行くって字面だけで犯罪臭が凄まじい。

 でも無実の罪とどっちがいいか聞かれれば答えるまでもないので、このままローラちゃんとアトリエに向かうことに。

 

「わぁ、素敵な絵がいっぱいだヨ! こレ、全部ハルトお兄ちゃんが描いたノ?」

「ううん、ここにあるのはほとんどが爺ちゃんの作品だよ」

「ヘェ、お爺様ノ……。あっ、私はどうしてればいいかナ」

「質はよくないけど、二階に休憩スペースがあるんだ。そこのソファでゆっくりしてくれてればそれで大丈夫」

 

 アトリエの中に入るなり、ローラちゃんは物珍しそうに次々と飾ってある絵に視線を移していく。

 祖父であり師匠でもある爺ちゃんの絵が、こんな小さな女の子にも素敵と評価されるのはとても嬉しいことだ。ローラちゃんは良くも悪くも本当のことしか言わないんだろうし。

 やはり一定の配慮は見て取れるというか、なるべく手早く済ませようとしているみたいで、自分はモデルとしてどうしていればいいのかと問われる。

 座る場所はいくらでもあるけど、せっかく御足労願ったんだしそれなりのもてなしはしたい。というわけで、二階の休憩スペースへ通すことに。

 僕が上を指さしながら告げると、ローラちゃんは元気よく返事をしながら階段を駆け上がっていく。

 そして勢いそのまま思い切りのいいジャンプを見せると、かなり長いこと使われ続けてきたソファへと飛び乗った。

 

「なるべく大人しくしてればいイ?」

「そうだね、でも肩の力は抜く感じで」

「は~イ! んふふ、綺麗に描いてよネ、ハルトお兄ちゃン」

「ん、任せてよ。……え~っと、とりあえず緑を――――」

 

 なるべく動かないでいてくれればもちろん助かるけど、石のように固まられてもそれはそれで描きづらいものだ。

 ナツにも同じことを言ったけど、自然体であればそれが一番ってところだろう。この子に関しては得意分野であることがヒシヒシと伝わって来る。

 そういうわけで、こちらも特に注文を付けるようなことなく画用紙に筆を走らせていく。

 素材がピカイチなだけに下描きをしている時間がないのは惜しいが、それこそ今知り合ったばかりの子を長時間拘束するのもアレだ。

 直に描くなんてことは不慣れだからクオリティは落ちてしまうけど、なんとかローラちゃんを満足させる仕上がりだけにはしたいな。

 

「ところで、ローラちゃんはここらに住んでるの?」

「そんなこと聞いてどうするノー。もしかしテ、お兄ちゃんローラに気があったリ? ナンパってやツ?」

「いや、これ済んだら送って行こうかと思っただけで別に他意は――――」

「しょうがないナァ、どうしてもって言うなら考えなくもないヨ。ハルトお兄ちゃン、優しくてかっこいいシ!」

「キミってホントに人の話聞かないね!?」

 

 実は初見から不思議に思っていたんだけど、ローラちゃんの身なりはどうもこのあたりを歩くような姿ではなかった。

 そこで手っ取り早くどこからやって来たのか尋ねるも、ブレない悪ふざけ的な回答が返ってきてしまう。聞かれたくなかったからはぐらかしたんだろうか。

 と、思いきや、その後はちゃんと成り行きを話してくれた。だとすると、僕はこんな小さな子にさえリアクションを期待されていると? なんて世知辛い。

 それはさておき、どうにもローラちゃんのとこは厳しい家庭みたいで、外出を制限されているとかなんとか。

 普段は都心のほうに住んでるんだけど、反骨精神旺盛なローラちゃんは、こうしてこっそり遠出することで鬱憤を晴らす気でいるらしい。

 それで僕と偶然出会ったというのなら、これもいわゆる一期一会ってやつなのかなぁ。実際にローラちゃんとは二度会えるかどうかわからない。

 だったら余計に気合が入るもので、ローラちゃんを退屈させぬよう会話を挟みつつも、いつも以上の速度で筆が走っていく。

 そして僕が想定していたよりもずっと早く、ローラちゃんをモデルとした人物画が完成した。

 

「よしっ、完成。ローラちゃん、こんな感じでどうかな」

「どれどレ? うわぁ、すっごーイ! まるで写真に撮ったみたいだヨ!」

「はは、喜んでもらえてなにより」

「うン、絶対に大切にするかラ。ハルトお兄ちゃん、それじゃあまたネー!」

「え、もう行っちゃうの? もう少しゆっくりしてからでも大丈夫だよ」

 

 僕の完成という言葉を耳にしたローラちゃんは、すぐさまこちらへ駆け寄り自分が描かれている作品を覗き込んだ。

 すると彼女は子供らしく目を輝かせ、半ば奪い取るかのような勢いで画用紙を手に取り、頭上に掲げてからその場で数回ほど回転。

 ドレスの中身が見えない程度に、スカートがブワっと膨らむ様がなんとも優雅だ。

 ローラちゃんは画用紙を大事そうに抱えると、そのままパタパタ靴を鳴らして階段の方へと向かって行く。言葉からしても、帰る気が満々なのが伝わってきた。

 確かに自分の時間は取りたいが、追い出したいわけじゃない。そもそも、子供があまり気を遣うのはよくないことだ。という考えの元引き留めてみる。

 ていうか、ここから都心まで帰るのなら、交通機関を利用してもかなり遠いぞ。いくらローラちゃんがしっかりしているとはいえ、ここではいそうですかと見送るわけにはいかない。

 僕の引き留めに応えたのか、ローラちゃんは階段を降りる寸前でこちらへ振り返った。そしてクスリと、おおよそ子供らしくない妖艶な笑みを浮かべ――――

 

「ふふっ、ハルトお兄ちゃんってばやっぱりいいネ。ね、ね、やっぱりローラちゃんのモノにならない? ううん、なってヨ」

「あ、あはは……。気持ちは有難いんだけど、僕はこう見えて恋人がいるんだ。だからそういうのはちょっと無理かな」

「……そっか、それは残念。でも次があったらデートしようヨ。その時ハ、ローラちゃんの虜にしてあげル!」

 

 自分のモノにならないかと提案するローラちゃんの表情は、色恋を知らぬ子どもとは思えない。変な話しだが、キチンと言葉の意味を理解しているようにみえる。

 だからこそ一瞬だけ言葉を詰まらせてしまった。なんなら、ナツというものがなければ危うく肯定の意思を示してしまったかも知れない。

 まさに魔性と表現すべくその雰囲気は、やはり将来が心配になってしまうな。多くの男性が手玉に取られる姿がみえた気がした。

 それより短い間に随分と懐かれたものだ。諦めてないのか去り際にデートの約束を取り付けられるわ、投げキッスをこちらに飛ばしてから階段を駆け下りていくわ。

 いったいこの短時間で僕の何がそうさせたのかは甚だ疑問ではあるが、僕が抱く感想はただひとつ。

 

「……最近の子って、ませてるんだなぁ」

 

 ローラちゃんの場合は海外の血がそうさせている可能性もあるけど、よくあんな恥ずかし気もなく投げキッスなんてできるもんだ。

 例えばナツあたりにやってみてと頼んだところで、ぎこちなくなるし顔なんかも真っ赤になること間違いなし。

 それを思えば、虜にするとまで言う余裕があったローラちゃんは大物なんだろう。こうなると天晴と褒めたたえたくなってしまう。

 もっとも、それを言われるべく本人はとっくにアトリエから出て行ってしまったのだが。……とりあえず、僕も本題に入るとしよう。

 

(……っと、その前にやることがひとつあったな)

 

 ローラちゃんへのお礼も済んだし、それでは個人製作に取り組もう。だが、その前にひとつだけやっておかなくてはならないことがある。

 それは、件の愛用リュックサックに開いてしまった穴を、塞ぐことができるかどうかナツに尋ねなければならない。

 かなり長期間にわたって使用してきたせいか、このリュックサックに対する愛着というものは深く、あまり軽率に捨てるという手段を用いたくはない。

 とにかく携帯で写真でも撮って送り、ナツでも無理だと言うのならそれで諦めることにしよう。さて、件の穴はどこらだったか。

 

「…………ん? あれ、おかしいな、確かに穴が開いていたはずなのに」

 

 リュックサックの底を触ってみるも、指先に穴らしい穴が開いているような感覚は伝わらない。

 これはおかしいぞとリュックサックを持ちあげて底を目視。でもおかしなことに、目を皿のようにして確認してもやはり穴はみあたらなかった。

 ……いったいどうなっているというのだろう。もしかして僕は疲れている? いやいや、それだとローラちゃんが穴から物が落ちて行ったことに気づけるのはおかしいよな。

 まったく意味のわからない状況に頭を悩ませるも、それらしい結論が浮かんでくるはずもなく、ただ僕の脳内にはモヤモヤが張り巡らされた。

 ……ならいいか、やっぱり悩んでる暇がもったいないんだから、個人製作に手をつけることとしよう。もうしばらく頑張れば、ナツの手作り弁当に舌鼓を打つことができるぞ。

 そうやって、とにかく自らを奮い立たせる僕であった。

 

 

 

 

 

 




ローラちゃん……いったい何者なんだ……。
というわけで、後から効いてくるパターンの地味~な初接触でした。
しかもああいうタイプに割と気に入られてしまうという。
果たして彼女の真意とは? 晴人の明日はどっちだ!?


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第69話 玩具

今回は希薄どころか一話丸々出番がなくなってしまった……。
ま、まぁ、次回はキチンと一夏ちゃんメイン回なので……。





以下、評価してくださった方をご紹介。

いかだら様 クルル・クルル様

評価していただきありがとうございました。


「ただいマー。ロキちゃん帰ったヨー――――」

 

 住処としている自室の扉を開いて中に入ると、ロキがまず感じたのは腹部への強烈な衝撃。思い切り拳で鳩尾を殴られたのだ。

 聞くに堪えない嗚咽をこぼしながらその場にへたり込むと、やせ我慢なのは明白だが、口元を歪ませつつ自身を殴った相手を見上げた。

 美女ではあるが、見ただけでわかる厳格で峻烈な雰囲気を纏う者。ロキとは何もかも正反対の性質を持つと言える者――――トールだった。

 トールの顔は基本的にポーカーフェイス。楽しかろうが悲しかろうが、あるいは喜んでいようが怒っていようが、眉ひとつ動かないのが常だ。

 が、それこそ雰囲気だけでわかることもある。ロキを眺めるトールを見たとき、九分九厘の人間が怒っているであろうことを察するはず。

 そんな怒り心頭のトールは、片手でロキの首を思い切り掴み、そのまま足が宙に浮くほどに持ちあげた。

 これには流石に煽る余裕もないのか、ロキは足をジタバタとさせながら必死の抵抗を見せる。

 しかしロキは脆弱な子供そのもの。抵抗も空しく、目に涙を溜めて許してほしい旨を伝えるほかなかった。

 それが例え、絶対に離してもらえないであろうことがわかっていても。

 

「トール、そこまでだ」

「聞けん」

「はぁ……。私が言いたいのはそうじゃない。既にロキの術中という意味さ」

「むっ」

 

 優雅に紅茶を啜りながら静観していたオーディンだったが、トールにロキを離すよう命じた。

 明確な上下関係はないものの、一応はオーディンがリーダー格なだけに、それはお願いという範疇でないことは確実。

 いくらオーディンの命令でも、という具合にトールは非常に短く答えた。

 オーディンはだいたい予想通りの回答に溜息をひとつ。そして、ロキへの恩情で止めろと言っているのではないと意味深な言葉を放つ。

 トールがそれはどういう意味かと聞き返そうとしたところ、ロキの首を掴んでいるはずの感覚が一気にフワフワなものに変貌。

 トールが再度手元に目をやると、掴んでいるのはロキではなく、自分もよく使用している慣れ親しんだクッションではないか。

 してやられたと思うよりも前に、クスクスと小馬鹿にするようなロキの笑い声が室内へと響く。

 

「ウフフ、相変わらずわかり易い単純さだよネ。ロキちゃんがなーんの対策もなしに入ってくるわけないじゃン」

「ロキ、味方にそれを使うなと言ったはずだが」

「オーディンも余裕ぶっこいてるけド、気付かないなんてかなり怒ってるみたいだネ」

「は? なんの話を――――」

「コレ、なーんダ?」

 

 先ほどまでの泣き顔はどこへやら、ロキはオーディンの座るソファの対面へと腰掛けている。

 声だけでなく、その表情もまた憎たらしい。まるで初めからすべて私の掌の上です、とでも言いたげに見える。

 そんなロキに注意を呼び掛けるオーディンだったが、煽りの対象がトールから自分に移り、意味が分からないと眉をひそめる。

 ロキがこれまでになく口元を三日月型にゆがめると、その手に持っていたティーカップをこれでもかとオーディンに見せつけた。

 気づいた時には既に遅し。オーディンの手元からは、先ほどまで飲んでいたはずの紅茶が消えている。

 ロキはオーディンが手元を見る仕草を眺めてから、それはそれは愉悦そうに紅茶を啜る。しかもわざとズズズっと音が鳴るように。

 

「ん~……やっぱいい葉を使ってるヨ。あ、オーディンの淹れ方が上手いのかナ」

「貴様」

「トール、やるだけ無駄さ。……ロキ、言い訳があるなら聞くよ」

 

 まるで何事もなかったかのようなロキの態度に対し、やはり我慢が効かないのかトールが詰め寄ろうと足を鳴らす。

 だがそれを止めたのは煽られた本人だった。とはいっても、頭が痛そうな顔つきを隠すことはできないようだが。

 やるだけ無駄と言われて同意せざるを得ないのか、トールは静かに頷いてから寝室へと消えていく。よほど惰眠をむさぼるのが趣味のようだ。

 オーディンはその背が消えるのを待ってから、組織の計画も揺るがしかねないことをしてくれたロキに、どういうつもりだったのかと問いかけた。

 

「だってロキちゃん言ったじゃン。スルトをからかいに行きまース。ってサ。オーディンもスコールも止めなかったかラ、そのままお兄ちゃんのところにレッツゴーってわケ」

「キミに言葉狩りどうこう言われたくなくなったな。……まさかとは思うが、その絵をスルトに見せる気ではないだろうね」

「え、何言ってんノ、そりゃ見せるヨ。最大の目的はコレだったんだからサ」

「勘弁してくれ、ここら一帯が焼け野原になる」

 

 ロキの傍らには、晴人が描いた似顔絵がこれ見よがしに立てかけられている。

 ロキの晴人への接触について理由を問えば、スルトをからかうためだと返答が。だとするなら、その絵が何を意味するかなんてオーディンはよく知っている。

 もちろんロキとて、オーディンの焼け野原という発言を含めて承知の上。それでも己の退屈をしのぐためであるなら、彼女にとって周囲の全ては玩具に過ぎない。

 そう、ロキの恐ろしいところはそこだ。敵も味方も関係ない。一応は亡国機業に所属しているだけであり、気分次第でどのようにも立ち振る舞う。

 困った性分であるからこそ、例え一時であったとして、今ロキの胸の中にある想いは間違いなく本物だった。

 

「それなんだけどサ、いつかは大っきいケンカになっちゃうヨ」

「わかるように言ってくれ」

「ハルトお兄ちゃん、ロキのモノにする予定だかラ」

 

 ロキはまた紅茶を一口すすると、涼しい顔してスルトとの大きな衝突は免れないと言い張る始末。

 理由を聞いてみれば、晴人が欲しくなったと言うものだからまた始末の悪い。なぜなら、オーディンはそれがロキの気まぐれであると理解しているから。

 早めにスコールに謝罪を入れておくべきかと天を仰いだところで、オーディンはロキの言葉に違和感を覚えてすぐさま向き直る。

 

「予定? それはどういう意味だ。まさかとは思うが……」

「うン、試したけど効かなかったノ」

「接触をする際は使ったんだろう。それはどうなんだい」

「ああ、そうだネ、そっちは効いてたヨ」

「だとすると、その理由は――――」

 

 効いただの効かなかっただの、恐らくは先ほどトールがいつの間にかクッションを掴んでいたり、オーディンの手から紅茶を奪い取った現象のことだろう。

 それが晴人を我が物にせんがため使ったのに、その時だけは効かなかった。これこそロキが晴人に執着する理由である。

 同じくオーディンもその理由を察していただけに、そんなことがあり得るのかと神妙な顔つきになってしまった。

 なぜならそれは、晴人の一夏への愛ゆえに――――

 

「いやぁサァ、初めてなんだよネ、効かなかった人っテ。んでもっテ、その理由がサ、ハルトお兄ちゃんがアレのこと好き好き大好きっ! とか。……それなーんか癪で癪でネ~」

「キミなりのプライドっていうわけだ」

「まぁそれもあるけドー………………クヒっ! イヒヒヒヒヒヒ! 奪うのに成功した時のサァ、アレとスルトの顔をサァ、想像してるだけで笑いが止まらないんだよネェ! ウヒハっ、フゥィッヘッヘッヘッヘァッハッハッハッハッハッハッ!」

「……正真正銘、キミは間違いなくロキだよ」

 

 ロキにとって晴人とは、そういう意味で退屈をしのがせてくれる絶好の玩具だった。

 略奪に成功した時のことを想うだけでこれだけ楽しいのだ。つまりはアレコレと策を練っていられる間は、退屈るなんて言うこと自体があり得ない。

 ロキはこれまでと同じ普通の笑みではなく、狂気に満ち溢れたかのように顔を歪め、そして腹を抱えて下種な高笑いを上げた。

 聞いているとこちらの気が触れてしまいそうな笑い声を前にして、オーディンの口からは思わず皮肉こぼれた。

 北欧神話においてかなり著名な神にして、知れば知るほどあらゆるものを引っ掻きまわすトリックスター。それこそがロキ。

 確かにこの完全なる個人的理由での悪だくみ。彼女にロキのコードネームを与えた者は、よほどその性質を見抜いていたのだろうか。

 

「そういうことだかラ。大人しく違う隠れ家とか探しとくんだネー」

「待ちたまえ、話はまだ終わっていないよ」

「明日聞くヨー。ロキちゃんはお風呂入って寝まース。ほラ、寝不足はお肌の大敵だシ? ハルトお兄ちゃんのためにも綺麗でいないとだかラ」

「回り回って自分のためだろうに。それにしても、効かなかったか。ふむ、にわかには信じがたいものだ」

 

 ロキは残った紅茶を一気に飲み干すと、カップとソーサーはオーディンに返して風呂場へと向かって行った。

 もちろんオーディンは引き留めるも、当のロキはどこ吹く風。妙に色っぽい仕草で己の頬を撫でてから、その小さな背中は脱衣所の向こうへ消えてしまう。

 あまりの肝の太さに言葉が出ないし、オーディンとしても一周回って清々しい気さえしてしまう。無論、それはあくまで気がするだけだが。

 完全に一人となってしまったリビングにて、オーディンはぼやきつつも、その思考はある方向へと進路を変えていった。それはずばり、日向 晴人その人についてだ。

 ただISを動かせるというだけで、特に注視するべき点はない。というのが間違えようのない評価だったはずなのに、愛の力ひとつでロキにも対抗しうる精神力を得るとは。

 以前愛の力は偉大だと冗談交じりに言い放ったつもりだったが、そうなってくれば文字どおり無視できる点ではない。

 

(……一応だが、スコールには話しておくとしよう)

 

 いくらチームワークが皆無に等しかろうが、組織という形態をとっている以上いわゆるホウレンソウというやつは非常に大事なこととなる。

 むしろ晴人を大したことはないというイメージに導いたのは、他でもない自分であるにも等しいのだから、訂正を入れるべき情報を得たのなら伝えない手はない。

 オーディンはカップとソーサーを流し台で適当に片付けると、勢いよく自室を飛び出てスコールの住む部屋へと向かう。

 ただひとつ心配なのが、晴人とロキの接触をスルトに悟られないかどうか。そうなってしまったら最後、一瞬にしてこのホテルが消し炭と化すだろう。

 だからこそオーディンは、既に並べるべき言葉とそうでない言葉を脳内で精査を始めていた。ついでに、無駄な努力で終わらなければいいが。……とも思うオーディンであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

虹色の手甲(ガントレット)ォォォォッ!」

「しまっ――――ぐああああああああっ!」

『そこまで! 勝者、日向くん!』

 

 

 放課後のアリーナに僕のシャウトが響き渡る。

 次いでヘイムダルの右腕が、対戦相手であるラウラちゃんにぶつかる音が。

 次いでラウラちゃんが地面へと墜落する音が。

 次いで僕の勝ちを告げる楯無先輩の声が。

 そして訪れる数秒の静寂。そして訪れるは、またしても僕のシャウトだった。

 

「っ…………っしゃあああああああああっ! 勝ったああああああああああっ!」

 

 緊張と疲労で息も絶え絶えだったというのに、あまりの歓喜に耐えきることができず僕は残った力を振り絞って腹から叫んだ。

 やった、やったぞ……! 手加減抜き、正真正銘のガチンコ勝負でラウラちゃんに土をつけることができたんだ……! これで目標達成だ。

 もうすぐ学園祭本番となったこのごろ、楯無先輩とナツ以外の専用機持ちに、一回は勝利することができた。

 もちろんそのぶん黒星の数は半端ではない。それこそ、一回の勝ちなんかでは相殺できないくらいの回数負けてしまっている。

 だけど、それでもだ。みんなが僕に協力してくれた。みんなが飽きもせずに挑む僕を受け止めてくれた。

 そんな中でもぎ取った勝ちを、たった一回だろうがなんだろうが誇らないでどうする。みんなに対して失礼なことだ。

 

『日向くん、大丈夫かしら』

「あ、はい、すみません、なんか、いろいろと、いっぱいいっぱいで」

『とりあえず深呼吸! 気持ちを落ち着かせて、それから降りて来なさい。大切な人が待ってるわよ』

 

 達成感と自分の勝利に半信半疑な気持ちがせめぎあって、どこか呆然としてしまったようだ。

 僕の意識を引き戻したのは、通信機越しに聞こえる楯無先輩の声。彼女の声も、心なしか嬉しそうに聞こえる。きっと、僕の成長を喜んでくれているんだろう。

 そもそもとして楯無先輩は僕の師匠のような気分であるのか、逐一アドバイスのようにして僕に語り掛けてくれる。

 今回もその例に漏れず、とにかく落ち着くよう優しく促された。……いや、どちらかというなら姉の気分なんだろうか。

 それはいいとして、本当に落ち着くことにしよう。ラウラちゃんにも声をかけておきたいし。よし、息を深く吸って~……吐いて~……。

 ……ん、大丈夫そうだな。まだ心臓はバクバク言ってるけど、思考が真っ白になってしまうということはなさそうだ。

 自分の心境を確認してから、慎重にヘイムダルの高度を落としていく。

 どうやらラウラちゃんも僕のことを待ってくれていたようで、既に立ち上がっていた彼女は、地に足をつけた僕に歩み寄って来た。

 

「弟よ、やるではないか。完全にしてやられたぞ。まさかあのような方法で急な進路変更を実現するとは」

「ラウラ姉さんがAICを使おうとしてるのが見えて、捕まるもんかって必死だったんだ。そしたら、僕も無意識のうちにああしてたっていうか」

 

 最後の駆け引きとなったのは、強引に接近してでも虹色の手甲(ガントレット)を当てようと試みた際のことだった。

 僕は爆発的に速度を上げるギャラルホルンを一瞬だけ使用し、ラウラちゃんとの距離を詰めようとしたんだけど、向こうからすればそんなのお見通しだったみたい。

 近づくまでの一瞬がスローモーションになって見えたと思ったら、ラウラちゃんが右腕を掲げようとしているのが見えたわけ。

 あのスローモーション、どこか負けを確信したからそう感じたんじゃないかと思っている。

 だけど負けたくない、負けてたまるかとも思っていたし、きっとそちらの想いが強かったからこそ僕は勝っているんじゃないだろうか。

 

「ならば機体と武装のことをキチンと把握している証拠だな。そうでなければ、橙色の熱線(ヒート・レイ)を進路変更に使おうなどと思わんぞ」

「ありがとう、嬉しいよ。母さんがくれた力だからね。しっかり扱うことで報いたいっていうかさ」

 

 僕は瞬時に変形機構を橙色の熱線(ヒート・レイ)へと変更させ、とにかくあらぬ方向へと発射させた。

 橙色の熱線(ヒート・レイ)はPICを弄らなければ、発射の衝撃で後退するほどの威力を誇る。その性質を利用して、無理な進路変更を実現させたということ。

 ラウラちゃんからすれば、意表を突かれたとしか言いようがなかったろう。かつ、AICの発動に集中力を割き過ぎたせいで咄嗟の対処ができなかった。

 そこを狙って虹色の手甲(ガントレット)を発動。ラウラちゃんを殴り飛ばし、見事フィニッシュとなってくれた。

 だからこそか、ラウラちゃんのヘイムダルのことを理解しているという言葉は、シンプルにとても嬉しいものだ。

 普段は棘のある物言いをしているけど、ヘイムダルのことについては母さんにとても感謝している。……調子に乗るから絶対に口にはしないけど。

 

「さて、そろそろ私は暇しよう。姉さまが待っているのだろう? 早く行ってやれ」

「うん、そうするよ。ラウラ姉さん、今日もありがとう。よければまた、対戦よろしく」

「もちろんだ。いつでも相手になるぞ。ふふ、次は負けんからな」

 

 それからひとことふたこと交わしてから、ラウラちゃんは引き留めて悪かったと足早に去ってしまった。

 ……確かに今すぐ会いたいって気持ちはあったけど、すぐそこに居るからなんとも言えないな。ま、気持ちはありがたく受け取っておくけど。

 っていうか、着替えとかもいるからどのみち急がないと早く会えないんだったな。ナツは気にしないんだろうけど、最低限のマナーは守らないとだめでしょ。

 とはいえ楯無先輩の総評に関してもあるし、シャワーを浴びるなど長時間拘束されてしまうことは諦めることにしようかな。

 男子更衣室に入るや否や、手早く汗を拭きとってから、手早く汗拭き清涼シートで目立つ部分を拭いていく。

 そして制服を着こみ廊下へと出れば、目的地へ向かうまでに汗をかいてしまう、などという本末転倒なことにならないような速度で急ぎ足を運んだ。

 行くべき場所は管制室。あそこならモニタリングしつつ指示も出せるし、なにより他の生徒は特別な用事がなければ入れないという、裏の顔を持つ生徒会にとってはうってつけというわけだ。

 正式に所属はしていないものの、一応は秘密を知るものとしてなんの遠慮もなく入室。すると、生徒会の面々が笑顔で出迎えてくれた。

 

「おお、ひむひむ待ってたよ~。まずはおめでと~! ほんとに目標達成しちゃったね~」

「うん、素直にすごい……。相性の問題もあるけど、私だって勝つのは難しい相手もいる……。というか私も負けてるし……」

「愛の力ですね。素敵なことです」

「はい、主にそれが動力源――――って、ナツはどこです?」

「さっきまで居たんだけど、部屋に戻るって言ってたわよ。ま、人の目も多いし仕方ないわよねぇ。日向くん、すぐ済ませるから少し話させてちょうだいね」

「もちろん。今日も総評のほう、よろしくお願いします」

 

 みんなして祝福の言葉を投げかけてくれているというのに、そんなことよりもみたいな感覚でナツの所在を尋ねてしまう。

 聞くや否や、楯無先輩から一足先に部屋に戻ったとの伝言が。

 確かにそれはいい判断だったのかも知れないな。多分だけど、ナツの姿を見るなり抱きしめにかかったろう。

 別に他人に見られることそのものに抵抗はないが、ゆっくりできる状況下のほうが適しているというのも間違いではない。

 何より部屋に戻るのがより楽しみになったことだし、今日も楯無先輩からのありがたいお言葉をいただこう。

 気にしてはないけど、いつもは厳しい言葉を並べられがち。ようやくして目標を達成した今ならば、少しくらいは高評価をもらえるだろうか。

 

「とてつもなく失礼なことを言うけれど、まさか本当に私と一夏ちゃんを除いた全員から一勝をもぎ取るとは思ってもみなかったわ。日向くん、なんだかんだ候補生クラスの実力は身に着いたんじゃないかしら」

「僕が……候補生クラス、ですか?」

「専用機込みでの話、ね。それでも上から数えたほうが早いでしょう」

 

 今までが今までだけに、手放しで褒められてしまうと余計にむずがゆくて仕方ないな。

 それにしても候補生クラスとか、実力的に上から数えたほうが早いとか、いきなり大きく出た感じはある。

 かつての僕ならそれは言い過ぎだのと考えていたろうけど、そんな言葉を聞いても釈然としていられる。それに、自信が芽生えるかのような感覚も過った。

 

「ただし! まだまだ未熟なのもまた事実よ。少しでも勝率が上がるよう、詰められるところは詰めていかないと」

「相手は国家代表並みである可能性が高い、ですもんね。ならこれから僕がするべきは、トリッキーさに磨きをかける。……とか?」

「そうね、多彩な武装から予想外の攻撃を意図して繰り出せるとよりよいでしょう」

 

 全員に勝ちはしたのはいいものの、やはり勝率の問題については言われてしまった。

 楯無先輩も全員に十割勝ち続けろとまで言いたいわけじゃないだろうけど、当日までにせめてもう少しづつでも勝ちが増えるよう、やるべきことをしていかなければ

 しかし、意図して繰り出せるようにと言うあたり、今日の対ラウラちゃんで勝ち筋となった策は偶然の産物であると見抜かれているみたい。

 でも確かに一理あることだし、トリッキーさを活かせっていうのは、もうひとりの師匠であるシャルルにも言われたことだ。

 それが未だにこうして日の目をみないとなれば、もっともっと改善する必要があるみたい。そのあたりが詰めるってことなんだろうな。

 

「細かいところを指摘しようと思えばまだあるけど、今日のところはこのくらいにしておこうかしら。私も達成感に浸るなっていいたいわけじゃないし」

「僕だって、慢心するつもりはないですよ。これからも精進あるのみ、ですから!」

「うんうん、前時代的になってしまったとはいえ、やっぱり男の子はそうでなくっちゃね。よろしい! それが聞けて安心したところで、今日のところは解散!」

 

 やはり学園最強からして言えば、立ち回りの粗はまだまだ目立つみたい。だが致命的なミスではないのか、今日のところはサービスで指摘しないでおくとのこと。

 せっかくの厚意だ。先方がそう言うのなら、ここは甘えさせてもらおう。ただし、心に隙がないというのは示しておく。

 僕が拳を握りながらそう宣言してやると、楯無先輩は天晴と書かれた扇子を広げる。えーと、よく言った、みたいなニュアンスで受け取ればいいのだろうか。

 開かれるたび文字が変わっている仕組みが気になって話半分になってしまっている間に、楯無先輩は手を叩いて解散の音頭を取った。

 ……なんだか一人で勝手に締まらない感じになってしまったが、ひとまず礼をしてから生徒会メンバーに別れを告げて管制室を出た。

 みんなはこれからまだまだ話し合いがあるんだろう。学園祭が近づくにつれ、なんだかゆっくり話せる時間も減っているし。

 それもこれも僕とナツのためであると思うと本当に頭が上がらない。

 僕は胸に湧き上がる熱い何かを感じつつ、管制室の扉に向かって一礼。それから待ち人が出迎えてくれるであろう、自室へと向けて歩を進め始めた。

 

 

 

 

 




【スルト】が何者かに関してお察しの方もいらっしゃるでしょうが、ここでの明言は避けさせていただきますがあしからず。
ウチではいろいろと登場人物の事情が異なるので、彼女もその対象のうちの一人である。という理由から、スルトになっている。というところでしょうかね。


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第70話 僕のほしいもの

二話ぶりにハルナツメイン回ぃ!
久しぶりということもあってか、いろいろすっ飛ばしすぎかなっていう部分もありますけれども、やっぱり楽しく書けました。


「ただい――――まっ!?」

 

 目標達成した日にナツが先に待ち構えているとはいえ、何か特別に緊張するなんてことはない。

 恋人以前の話なんだけど、変に意識するような間柄じゃないしね。圧倒的に離れていた時間のほうが短いという事実は伊達じゃないぞ。

 でもまぁ、不意打ち気味に飛びつかれるのくらいは覚悟しなきゃな。なんて思っていた時期が僕にもありました。

 いたって普通にドアノブに手をかけ、いたって普通にドアを開いたらもうビックリ。ドアの隙間から手が伸びて、僕の腕を掴んで強引に部屋へ引き込むではないか。

 状況を理解する間もなくヨタヨタとただ前に進み続けると、ベッドへ飛び込むようにして前のめりに倒れ込んだ。

 そして今度は起き上がる暇もなくのしかかられ、矢継ぎ早に唇を奪われる。というかそれどころの騒ぎでなく、舌が蹂躙という言葉そのものの勢いで口内を暴れ回った。

 抵抗……するつもりは初めからないにしても、むしろ合わせることもできないくらいに展開が早い。僕はもはやされるがまま。

 僕が解放されたのはそれからしばらくのこと。激しいキスで思考は蕩けて――――いただろう、普段ならね。

 だけどこの場合、どうしてもこういう感想のほうが先行しちゃうよねって話で。

 

「ビックリしたぁ……。ホラー案件だよこんなもん!」

「えーっ、普通じゃ面白くないかなって思ったんだけど」

「だからって奇をてらい過ぎだと思うんだよね」

 

 キスが終わった後の感想としてはあまりにムードがないのは理解してる。けど、裏を返せばそのくらい驚いたってことなんです。

 いや本当に獲って喰われるんじゃないかと一瞬――――あれ、食われちゃってるのか? ……まぁいいや、とにかく、ホラー映画の捕食シーンみたいなのが過った。

 割と本気の感想を大げさと捉えているのか、僕の上に乗ってニコニコと微笑むは愛しい人。

 きっと僕が浮かれてるか、もしくは何かを期待をしているとでも思ったんだろう。

 その隙を突いたとするならば、確かにナツが楽しそうなのも頷ける。……けど、既に別パターンを考えてそうで嫌だな。

 

「なるほど、普通が一番ってことだね」

「あのね、僕に対してその言葉って皮肉でしょ。いいからほら、今日くらいは――――」

「んっ……! ハル……」

「ナツのことを感じさせてくれ」

 

 普通と口にするナツの顔は、悪戯っぽいというよりは意地悪な印象を受けた。

 僕がナツのことを一番知っているのに対し、逆もまた然りだから、その言葉の意味を知らないはずがない。ならば残りはわざとって結論しか出てこないじゃないか。

 いくら僕といえど、ちょっとムッとしてしまった。何も僕が深くキミを求めている時でなくともよかろうに。

 力づくでもナツの下から脱すると、腕力に任せて固く抱き寄せる。

 ナツの身体は少しばかり強張ったが、耳元でそう囁くと一気に脱力か――――と思いきや、ナツもナツで僕へ固く抱き着いてきた。

 

「……すごく嬉しいんだよ。キミのために頑張ってることが実を結ぶのって。まさか僕もここまでやれるとは思ってなかったんだけど」

「えへへ、実は私も。まさかラウラにまで勝っちゃうなんて。しかも、虹色の手甲(ガントレット)の命中率がかなり上がってきてるよね」

 

 かつては使うのすら躊躇っていた虹色の手甲(ガントレット)も、今や最大出力でなければ当てることに関して迷いはない。

 フユ姉さんの言っていた、今できなければ敵にも使えないだろう。という台詞も間違ってはいないだろうから。

 だとするなら迷っている暇なんてないんだよ。こうして、本当に敵が現れてしまう可能性が出てしまった以上は……ね。

 しかし、実際ナツに褒められると成長の実感度合いが違うな。言ったとおりナツを僕の手の届かない場所に行かせない、というのが最大の行動原理だし。

 ナツもナツで、学園祭と被って慌ただしい部分を除けばあまり褒めてはくれなかったからなぁ。まぁ、あえてっていうのは理解してるけど。

 

「そんなハルにご褒美があります! って言っても、実際ハルに聞いてから用意しようって決めてたんだけど。で、どう? 欲しいものとか、してほしいこととか、あったらなんでも言ってほしいな」

「え、いらない」

「即答!? っていうかいらないってなに、ちょっと酷くない!?」

「いらないよ。ナツとこうしていられれば、僕は何も望まない」

「むっ……。だ、だからっ、今はそういうタイプのことじゃなくて」

 

 余計なお世話とまで言うつもりはない。むしろナツの気持ちそのものはとても嬉しい。けど、うん、別に必要はないかな。

 だって目標は達成させるためにあるものだ。ぶっちゃけ自分でも成し遂げられるとは思っていなかったけど、ナツのため自分のためにやってる以上はモチベーションも保たれ続けられる。

 そして最終的に述べたことがすべてだ。ここのところずっと同じことを言っているような気もするけどね。

 ナツが僕の隣に居てくれることは、当たり前のことなんかじゃない。とても尊いことなんだって、ここのところ実感させられているからだろう。

 だから余計にこの想いが強くなる。ナツが僕の隣で笑っていてくれるのなら、僕はそれだけで生きていけるのだから。

 ……とはいえ、ナツが少し拗ねてしまっているのはどうしたものか。僕の想いを抜きにしたって、今は特別欲しいものも思い浮かばないな。

 

「……あ~。よし、それじゃ――――」

「おやっ、なになに、なにか思いついたの? 物欲皆無のハルにしては珍しいねぇ」

「人生、ください」

「……はい?」

 

 いったんナツを離してベッド上でそのまま正座。必要以上に畏まっていこうじゃないか。

 ナツも拗ねはしたものの、僕に特別希望がないのはあるていど予測がついていたようだ。それで僕が欲しいものを示そうとしていると思ったのか、興味津々と言った感じ。

 僕は間髪入れずにナツの両手を包み込むように握ると、今最も欲しいものを堂々と宣言した。

 まぁ、要するにプロポーズってやつか。こんな流れになると思ってもみないから指輪を用意できなかったのは痛いところだ。

 ……あ、ナツの指のサイズ知らないな。こっそり測るのも馬鹿らしいし、今度素直に指輪作るのに必要だからって言えばそれで――――って、おや? ナツがなんだか固まってしまっているがどうしたのだろう。

 もしかして、全員に一回勝ったくらいで何を言ってんだコイツとか思われたり? なるほど、確かにそれは一理ある。

 白式とヘイムダルの相性が最悪だから試合にすらならない。なんて言い訳してないで、プロポーズするなら私に勝ってからしろと。ナツさんや、そういうことでよろしいんでしょうか。

 

「そ、そんなの、とっくの昔にあげてる、から……」

「それはわかってるけど、もっと正式にっていうかなんというか。なんかほら、付き合い長いだけになぁなぁなところとかあるじゃない? うん、だから今の言い方もよくなかったね。 え゛~……ゴホン!」

「あ、あの! ハル、私――――」

「これから先、僕に待ち受けるすべて。楽しいこと嬉しいこと、辛いこと苦しいこと。すべてを、織斑 一夏さん、あなたと分かち合いたいです。だからどうか、あなたの人生を僕にください。六十年七十年も、一瞬で過ぎてしまうくらいに感じるほどに、あなたを幸せにする権利を、僕にください」

「っ~……!? ハ、ルの……ハルの……! ハルの、馬鹿ぁ!」

 

 僕は誤魔化しを微塵も含まない、正真正銘のプロポーズの言葉をナツへと送った。

 この先の未来に言うことがなくなってしまうことが懸念されるも、ここのところ本当にナツと結婚したくて仕方ないんだよ。

 そんな想いもあってか、我ながらいきなりだったにしても、かなり綺麗にまとまったと感心してしまう。

 どうやら僕の手ごたえは本物みたいで、ナツはひとめでわかるくらいに相貌へ涙を溜め、勢いよくこちらへ飛びついてきた。

 そして耳元で響くのは嗚咽、どころか泣き喚くと表現したほうがふさわしいかのような大声。

 僕はすかさず片方の手でナツの頭を撫で、もう片方の手で優しく背を叩いた。壊れものを扱うかのように、丁寧な手つきを心掛ける。

 後はナツが落ち着くまでひたすらそれを繰り返すのみ。きっと、今は何を言っても逆効果になってしまうだろうから。

 いつしかナツの泣き声の音量は収まり、乱れて不自然だった呼吸も自然に戻り始めた。そして、徐々に感じたことを口に出してくれる。

 

「全然っ、そんな感じじゃなかったのに……。どうしていきなり、そんな……!」

「うん、ごめんよ。……正直なとこはさ、不安の裏返しっていうのもあると思うんだ。ナツにこんな大事なことを、真剣に伝えないで後悔だけはしたくない」

「ハル……」

「だからプロポーズした。例えいきなりでも、ナツを困らせてしまっても。僕は、ナツの人生が欲しくて欲しくてたまらないんだから」

 

 僕の言葉を遮ろうとしていたから、ナツを困らせているということはわかっていたんだ。

 今ナツが流している涙だってそう。大半は感激からくるものだったとしても、混乱させてしまっているのも間違いではないはず。

 そうなってしまう結果が見えていたって実行したとするなら、僕の自己満足が先行した結果なんだろう。

 でもこの先何が待ち受けるかはわからない。だから後悔だけはしたくなかった。まぁ、これで全てが払拭されたなんてことはまずありえないんだが。

 ナツの人生をくださいと言った以上、共に天寿を全うしきってやる。逝くときは、ナツと共に繁栄させた親類一同に見守られながら、それはもうポックリとだ。

 そのために越えなければならない壁ができたから、このプロポーズはそれを越すための覚悟を決めるためにあるもの。とでも思ってもらえたらいいのかも。

 

「さっき答えは貰ったも同然だけど、できれば、できればでいいんだ。ナツのちゃんとした、心からの回答を聞かせてくれないかな」

「……私の人生はハルと一緒に、ハルのために。あなたを支えたい、あなたに尽くしたい。だから、そのために、その……ために……! どうか私を、一生あなたの傍に居させてください!」

「あぁ、願ったりかなったりだよ。こちらこそ、一生隣に居てください」

 

 相変わらず震えた声のままで申し訳なさが過るも、ナツは僕の要求に応えてプロポーズに対する返答をしてくれた。紡がれた言葉は若干恐れ多くもあるが。

 だってナツは要するに、尽くしたいから傍においてください。という理由で僕のプロポーズを受け入れてくれているんだぞ。

 本当に僕は果報者だ。前世というものが存在するのなら、僕はいったいどれだけの徳を積んだのだろう。我ながら、だけど。

 でもそれこそだよな。こんな運命だと思える巡りあわせ、もはや何度人生をやり直しても出会える気がまったくしない。

 そう、運命。僕らは出会うべくして出会い、結ばれるべくして結ばれた。そして、これからも永久にあり続ける。

 そう考えるとなんだか力が湧いてくる。ナツとこうなることが、僕の生まれた意味のように感じられるから。

 ……ならばまっとうしてみせよう。僕の生まれた意味を貫き通してみせよう。僕の存在意義を、僕の世界を、僕のナツを守るんだ。

 

「……ありがとう」

「ふふっ、なんか大雑把。何に対してなの?」

「全部ひっくるめてだよ。今はありがとうしか出てこない」

「……そっか、そうだね。じゃあ私からも、ありがとう」

 

 思わず口をついたのは、これ以上ないシンプルな言葉だった。しかも主語がないせいか、ナツは冗談めかしながらも大雑把だと評す。

 だけど逆だ、主語なんかいちいちつけていたらきりがない。そのくらいありとあらゆることに対してのありがとう、なつもりだから。

 僕の言いたいことをなんとなく感じ取ってくれたのか、ナツもなんだか感慨深そうな声色でありがとうとひとこと。

 ナツの感謝に重ねて感謝をしそうになったが、それでは恐らく無限ループに陥るのでグッと我慢。ここは僕らのテーマ、分け合うことに乗っ取って、ただ幸せを噛みしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 襲撃が起こる可能性を考えれば待ちに待ったというほどでもないけど、学園祭は大半の生徒にとってはつつがなく開催された。

 我らが一年一組の出し物は、平たく言うならメイド喫茶というやつ。主に専用機持ちの面子が、接客等を行うことになっている。

 専用機持ちということは、箒ちゃんのような特殊な例を除けば代表候補生であり、その代表候補生の選考には外見も大いに基準になるとかなんとか。

 ならば必然的にナツたちが筆頭になるわけだが、ぶっちゃけこの学園の顔面偏差値っていい意味でおかしいからなぁ。

 おおげさでなく、一人一人が他所の学校ならマドンナ的な扱いをされてもおかしくないって思う。まぁ、ナツというものがある以上、あまり口にするわけにはいかないんだけど。

 そうそう、そんなことよりナツだよナツ。メイド喫茶ということで、メイド服に身を包んでいるナツを確とこの目に焼き付けておかなくては。

 あんまり興味はなかったけど、愛しい人が着るとやっぱりいいものだ。特にシックかつフリフリな感じがナツによくマッチしてるし、なによりロング丈なのが大変によろしい。

 

「うん、眼福」

「そう? ハルが喜んでくれるならなんでもいいけど、やっぱりちょっと恥ずかしくもあるんだよね」

「恥ずかしがる必要なんてないよ。むしろお金を払わせてくれって感じ」

「なんか変な方向に行っちゃうからそれは却下で。というか、言ってくれればいつでも着てあげるのに」

 

 両手でカギカッコをつくるようにして、その中心にナツを収めて率直な感想を述べた。

 反応を期待していたわけではないんだが、ナツの耳にはしっかり届いたらしく、身に纏っているメイド服のあちこちをつまみながら照れをみせる。

 自分で言っておいてフォローになっていないが、いわゆる振り込めない詐欺というやつが発動しているのではないだろうか。

 こんな姿のナツをタダで見られるなんてとても幸運だよ。本人は大げさなんて言いたそうだけど、さては相変わらず自分の容姿に関して過小評価しているな?

 メイド服姿のナツの写真がSNSなんかにアップされでもすれば、多分だけど世の男性諸君が大騒ぎを始めること間違いなし。

 そんな中、僕が頼めばいつでも着てくれるんだそうですよ。う~ん、ナツ本人がそう言ってくれると、やっぱり勝った感が凄いな。何にとは言わないけど。

 

「おい」

「おわっ!? ラ、ラウラ姉さん、いきなりは危ないじゃないか」

「仲睦まじいことは構わんのだがな、そろそろ本番なのだから自重してくれ」

「二人が奔放にしてると、箒が機能しなくなっちゃうからねー」

 

 ナツとの会話を重ねていると、膝裏を軽く足蹴にされた。要するに膝カックンと言うやつであり、油断もあってか割と大きく体勢を崩してしまう。

 だが流石に転倒してしまうほどではなく、すぐさま元の体勢に戻って後ろへと振り返る。するとそこには、少し呆れた様子のラウラちゃんが僕を見つめていた。

 優しく抗議を入れるや否や、ぐうの音も出ない返しをされて言葉に詰まる。すぐに謝ろうとしたが、こちらに目もくれず作業を行うシャルルの言葉につい視線が箒ちゃんのほうへ。

 ……うん、教室の隅にて膝を抱えながら身悶えしているな。よし、いつも通り――――ということにしておけないよね、ラウラちゃんの言うとおりそろそろ開店なんだし。

 

「そんなことより、晴人さんも準備はよろしいんですの?」

「そんなことよりってセシリアさん……。まぁ、僕の方はいつでもいけるよ。そんなに手間がかかるようなことでもないしね」

 

 なんだか様子がおかしくなった箒ちゃんの扱いが雑になってきたよね。

 セシリアさんが僕に準備と声をかけてきたのは、このメイド喫茶における僕の役割についてだ。

 燕尾服でも着て接客してはどうかと言う提案が出た、というか出かけたんだけど、ナツが無言のプレッシャーを放ったせいで却下に。

 別にそこまでしなくたって、元から需要はあんまりなさそうだけどなぁ。ってぼやいたら、ナツ曰くそういう可能性は1%でも潰しにかかるとかなんとか。

 でもせっかく世界で唯一の男性IS操縦者なのに、ずっと裏方なのはもったいないという意見も。そこで生かされたのが僕の特技、ズバリ絵である。

 接客用のテーブル等が設けてあるスペースの端には、似顔絵描きますという看板が掲げられた特別仕様の一席が。

 つまりそういうこと。希望者はそこに座ってもらって、僕が短い時間でディフォルメした似顔絵を描くっていうちょっとした催しものだ。

 いやしかし大変だった。そもそも僕の画風とは違い過ぎて練習が必須だったし、なるべく待たせないよう早く描くのも意識しないとならない。

 これまでスキルが下地として存在したおかげでなんとか形になったけど、やっぱり時間が一番の敵だったせいで焦ったものだ。

 

「そもそもお客さんが来るか未知数、なんて思ってたら許さないから。ハルの絵の価値は私が保証します」

「大丈夫だって、もうそんなネガティブな考えは浮かばないよ」

 

 僕がかなり余裕がある態度なせいか、どうせそうお客さんも来ない、なんて考えていると取られたみたい。

 ナツはムッとしながら僕に詰め寄るが、そんなこと微塵も思ってやいないからご安心を。というか、僕がそうあれるのもキミのおかげだというのに。

 というか、もしそんな考えだったら規格が挙がった時点で全力否定してたろう。そんなの無理無理! とかなんとか言って。

 まぁだからって緊張してないかって聞かれたら、それはまた別の話になってしまうんだけど。

 とにかく、何事も経験だ。僕にとっては、絵を見てくれる人の生のリアクションが見られるいい機会とでもしておこう。

 

「みんな、準備の方どうかな!?」

「こっちはひととおり――――ほら箒、そろそろ戻ってこようね」

「……はっ!? で、出番か。う、うむ、こっ、心の準備も、ばっ、万端だぞ」

「ほらほら、そんなに緊張しないの。凛々しく堂々とっていうのが箒でしょ?」

「一夏さんの言うとおりですわ。せっかくの美人がもったいない」

「まぁ、見てのとおりと思ってくれて構わんぞ」

「オッケー! ならスタンバイよろしくぅ! あっ、もちろん日向くんも」

「うん、了解。っていっても、僕は席に着くだけだけど」

 

 相川さんが仮設置されたバックヤードに顔を見せたかと思えば、僕らの状況を確認しにきたのかシンプルな問いかけを投げかけてきた。

 それに対して僕らは三者三葉――――人数的に十人十色? な反応を示す。が、少し箒ちゃんが心配なところだな。

 なんだかんだ本番に強いとこあるし、そう心配することでもないかな。逆に僕は人の心配できるくらいには余裕があるみたい。

 ん、むしろ気合が入ってきたまであるぞ。よしよし、絶対にお客さんに満足して帰ってもらうぞ! 僕の培ってきたスキル、見せつける時だ!

 

 

 

 

 




地味に学園祭の出し物における晴人の扱いに困ったという。
軽く触れましたが、フツメンの執事接客とか需要ないですし、かといって裏方で手伝いは主人公としてどうなの?
という経緯を経て特技を前面に推していく方針で固まりました。
他所様のように息を吸うようにイケメンであるなら、こういう時に困らないんだろうなぁと思いました。
おかげで一夏ちゃんの嫉妬ムーブも書きづらいよまったく!


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第71話 いざ学園祭巡り! part1

だいたいタイトル通りの回です。以上!






以下、評価してくださった方をご紹介。

ryougetsu様 萩史利様

評価していただきありがとうございました。


(お、思っていたよりもお客さんが多い……!)

 

 僕に似顔絵を描いてほしいって人が、一人も来ないであろうということはまずないと思っていた。が、逆にここまで人を集めるなんて思ってもない。

 学園の生徒しかり一般の来場客しかり、物珍しさに惹かれるようで、これまでかなりの人数が僕の作品を所望してくれた。

 待機用の席もいくつか準備してあるが、今もそれが埋まり切っている状況だ。一組のみんなとしても予想外なのか、いろいろ滞り初めてしまっているぞ。

 しかもけっこうな人数を手早く描かないとだから、右手への疲労の蓄積が顕著だ。

 更には描いている間を退屈させないように軽いトークで繋がないとっていう、精神的な気苦労も絶えない。これはいったい何重苦になるんだろう。

 いろいろと僕を焦らす要素が盛りだくさん。けど焦りに負けてクオリティを落とすわけにはいかない。ましてや、疲れを顔に出すなんてもってのほかだ。

 というわけで、上手くいっているかはわからないけど作り笑顔で接客を心掛ける。それ以外のことは、全て似顔絵のことに全霊を捧げた。

 

「次の方どうぞ~」

「どうも、よろしくお願いしますね」

 

 次、また次と似顔絵を描いて描いて描きまくっていると、対面の席に腰掛けたのはレディーススーツに身を包んだ女性だった。

 どうして学園祭にわざわざスーツ? なんて思ったりしたが、ここがIS学園であることがすっかり頭から抜けてしまっていたか。

 天下のIS操縦者育成学校が催すのなら、普通に来賓の人なんかも来場するんだろう。目的はスカウトだったりになるんだろうけどね。

 ならこの人もそのうちの一人っていうことになるのかな。でも僕に絵を描いてもらうのが目的じゃないってことになる。だとすると、嫌な予感がするなぁ。

 

「もしよろしければなんですけど、お名前を伺ってもよろしいですか? 宛名を書こうと思うんですけど」

「申し遅れました。わたくし、巻紙 礼子という者です」

「はぁ、これはどうも」

 

 一応お客さん全員に聞いていることを尋ねると、嫌な予感が的中してしまったことを思い知らされる。

 名前を尋ねた途端に名刺を渡されたところをみるに、この人はどこぞの企業からの回し者――――っと、この言い方よくない! え~……来賓みたいだ。

 まぁ、むしろよく今まで現れないでいてくれた。だって、僕なんか最高のセールス相手なんだろうからさ。

 そのあたりは父さんがなんとかしてくれてたんだろうけど、確かにこういう場なら僕という個人に合うのは容易だよな。

 さて、それなら絵を描ききるまでなんとかお茶を濁さなければならなくなる。が、そういう手合いに対処すべく、魔法の言葉はあるにはあるんだけど、実際効くのか否かは未知数。

 とりあえず巻紙さんから受け取った名刺を懐にしまうと、気にせず似顔絵を描くことへと集中した。

 

「失礼ですが、日向さんは事実上FT&Iの所属と小耳にはさんだのですが」

「ええ、そうですね。候補生とかではないんですけど、ちょっとした縁がありまして」

「やはりそうでしたか。実はこの度お伺いいたしましたのは――――」

 

 僕がCEOの実子であることは漏れてはいないだろうけど、流石にFT&Iの贔屓になっていること自体は広まりを見せているみたいだ。

 いつだったか世の中は情報戦みたいなことを口にしたが、僕の情報なんかも高値で取引されているんだろうか。

 僕のそんな懸念をよそに、巻紙さんは鞄の中からいくつか資料らしきものを取り出した。つまるところ、僕をパイプラインにして、FT&Iとの業務提携をってことだよなぁ。

 絵を描いていることを盾にして、聞いてるんだか聞いてないんだかな生返事を繰り出す。後は例の魔法の言葉さえ使うタイミングを待った。

 ……効くよな? 効くよね? むしろこれ言われたら一発で詰みのはずなんだけど、そう上手くいくかどうか心配になってきた。

 とはいえ試しもせずにこのまま生返事を続けるわけにもいかない。僕は全力の営業スマイルを意識し、大人しく退いてもらうべく魔法の言葉を繰り出した。

 

「――――ということなのですが、いかがでしょうか?」

「え~っと、長く話していただいておいて申し訳ないんですけど、僕は本当に籍を置いてるだけみたいなものなので、そういうのはなんとも。でも一応こういうのなら渡せますから、どうか受け取ってください」

 

 魔法の言葉の正体とは、早い話がすっとぼけ&丸投げするような内容の台詞ってことだ。

 いや、何も面倒だからとかそういう理由ではなく、むしろ母さんからそう対処しろって指導されてのことなんだよ。

 すっとぼけと言いつつ、僕は実際に母さんがどういう取引相手と接しているのかや、どういう経営方針なのかとかもまったく知らないし。

 むしろ僕に話すよりもきっと、母さんと直接会って話した方が実りのある取引ができるはず。

 ゆえに、僕の手から母さんの名刺を渡された巻上さんは、他の企業よりもかなり大きくFT&Iに接近できたというわけだ。

 まぁこれだと結局パイプラインになっているのに変わりないけど、たかが父さんと母さんの息子ってだけの小僧っ子が一存で肯定的な返事をするよりはいいだろう。

 いやしかし、母さんのアドバイスどおり常日頃から財布に忍ばせておいてよかった。こういう日が来ることを想像してなかったからなぁ。

 巻紙さんは差し出した名刺を感謝しながら受け取るが、一瞬だけ雰囲気が乱れたからたぶん営業スマイル。お互いさまってやつか。

 

「それでは、また後日お会いできるのを楽しみにさせていただきますね」

「はい、そう言っていただけると僕も助かります。っと、はい、ちょうど完成しましたよ」

「あら、この短時間でこれを……? ありがとうございます、大切にいたしますので」

 

 なんかこう、フユ姉さんとは違うベクトルで仕事に忠実って感じの女性だな。

 目的が済めば手早く退散しようとしたみたいだけど、嘘でもいいから描いた似顔絵くらい受け取ってほしいものだ。

 僕の作画速度がなんとか間に合ってくれたおかげで、巻紙さんが立ち上がろうとした寸前あたりでちょうど絵は完成した。

 向こうも受け取ってくださいと言われて断るわけにもいかないのか、色紙は資料と一緒に鞄に詰められていく。

 うん、いらないならいらないで、後で捨てていただいても構わないので、とりあえず受け取らないっていうのだけは止めてほしい。

 ちょっと驚いてたっぽいし、そのリアクションがもらえただけでも僕は満足。やっぱり反応を直にみられるのはいいもんだ。

 

「では今度こそ、失礼しますね」

「はい、他の出し物も楽しんでくださいね」

 

 準備が整い次第、巻紙さんは綺麗なお辞儀をしてから去っていく。

 はぁ……やっぱりいろいろとメンタルが削られちゃってだめだな。今日のうちに、もう企業の人に出会わないことを願っておかなければ。

 ……うん、それはもういろんな企業の人に、ね。本当に、このまま来てくれないでいれば最高なんだけど。

 って、悲観的になっちゃったらせっかく作った表情も崩れてしまう。僕待ちのお客さんもまだまだ居るんだから、せめて表面上くらいは明るくいかないと。

 気を取り直して待機席に声をかけると、次なるお客さんが僕の対面へと着席。適当な挨拶もほどほどに、僕は色鉛筆を握りなおした。

 

「第一波突破完了のお知らせ……」

「ひとまずお疲れ様。や~……思ったよりも来てたねぇ。はい、紅茶」

「うん、ありがとう。ちょうど心の安らぎを欲してたとこ」

 

 バックヤードに戻るなり、フラフラと椅子に座り込み、ヘナヘナとしおれるように机に突っ伏す。

 すると聞こえてきたのは、僕にとって世界で一番慣れ親しんだ声――――ナツの僕を労う言葉が耳に届いた。更には紅茶まで用意してくれるとは、やはりいい奥さんをもったものだ。

 力なく身体を起こし、カップのつるへと指をかける。ひとまず冷ます目的で息を吹きかけるのと同時に、紅茶のいい香りを静かに鼻へ通した。

 すごく落ち着く香りというか、疲れた心に沁みわたるというか、なんだか自然に落ち着いて行く僕がいる。

 思わずほっと溜息をついてから紅茶を啜ると、口内には独特の甘みと香ばしさが広がり、口から鼻へとまた違った香りが抜けていく。

 うん、いいものだ。嗜好品的な飲料に特別なこだわりはないが、堂々と紅茶派ですと宣言してしまいたくなってしまう。

 そうやってリフレッシュしているのが見てわかるのか、ナツはなんだか僕を眺めて楽しそうな笑みをこぼした。

 

「どうかした?」

「ふふっ、わかりやすいなぁと思って」

「え、ナツにはあまり言われたくないかも。……って、こんなところで油を売ってて大丈夫?」

「それがねぇ、なんかみんな気を遣ってくれてるみたいで。休憩はハルと一緒のタイミングでいい、だってさ」

 

 なんかナチュラルにダベり初めてしまいそうになったが、引き留めてしまうのは悪かっただろうか。

 そう思って暗に戻らなくても平気かと問いかけてみるも、ナツの言葉を聞いて即納得。と同時に、なんだか恐縮してしまう。

 メイド喫茶やりますって言っても、流石にみんな出ずっぱりなわけじゃない。

 それこそ各々に休憩時間をもうけないとダメだし、なんなら所属している部活の方でも出し物があるなら、そっちの手伝いをしに途中抜けしなければならないかも。

 ぶっちゃけナツと休憩時間を合わせられるかどうかを懸念していたけど、このぶんならみんなのフォローのおかげで実現しそうかな。

 

「ならゆっくりしてないで出かけようか。ほら、ナツは着替えとかもあるんだからさ」

「私はそれでも構わないけど、ハルはもっとゆっくりしてたほうがいいんじゃない?」

「このくらいなら平気だよ。それよりも、ナツと一緒に楽しんでる時間の方が断然大事」

「そっか、そう言ってくれるなら断る理由もないかな。じゃあ、着替えてくるね。どうせ時間かかるから、その間くらい紅茶でも飲みながらゆっくりしてて?」

「ん、了解。ナツの方こそ、ゆっくり着替えてくれればいいから」

 

 時は金なり。時間は有限だ。しかもみんながくれた時間となると、二人で全力で楽しむことが最高の報いとなるだろう。

 疲れていないと言えば嘘になってしまうけど、出かけるのが億劫になってしまうほど追い込まれているわけでもない。

 というか、どれだけ疲れ果てていようが、僕はナツと出かけることを選んだんだろうけど。

 ナツは断る理由がないと言いつつ、隠し切れないほどに嬉しそう。相変わらず可愛いやつめ。

 ゆっくりしていてという言葉を最後に、バックヤード内に設置された更衣室へと消えて行ったが、確かにメイド服の着脱は時間がかかりそうだ。

 ナツの淹れてくれた紅茶を、冷めないうちに飲み切る。くらいのペースでいればちょうどいいかな。

 僕はまたテーカップを傾け、ほっと一息つくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、ナツは見てみたい場所とかあるの?」

「う~ん、実はいろいろあるんだけど、全部回る余裕はなさそうだよねぇ」

 

 学園祭の喧騒に身を投じるのはいいのだが、適当にふらつくだけではあまりに建築的でない。時間さえあれば、気ままにっていうのも悪くないんだけど。

 廊下に出てからしばらく歩いて、すぐさま目的地を決める話し合いを開始。

 僕がそう話題を振ると、ナツは悩ましそうな表情をしながら指折り候補がいくつかあるとか。

 折れた指は四本。予測をつけるなら、鈴ちゃんと簪さん、他クラス二人の様子を見に行くために二組か四組へ。そして、フユ姉さんが顧問をやってる茶道部の見学ってとこ?

 残ったひとつは……ちょっとわからないな。ナツが所属してる剣道部が何かやってるとは聞かないし、だとしたらナツと関係することってまだあったかな。

 

「そう言うハルは?」

「ん~……僕は一か所だけ。だから、まずは僕の方から片付けよう。ナツはその間に絞ればいいし」

「ありがとう、お言葉に甘えさせてもらうね。それじゃあ、行こう!」

 

 僕の場合は無欲というか、初めから見に行ってみようと決めていた場所がある。……まぁ、わざわざナツを連れまわす必要もないんだけど。

 それはともかく、ナツが候補をひとつに絞る時間くらいは稼げるのではないだろうか。

 僕らの話し合いはいったんそういう方針で落ち着き、ナツはそうと決まればと言わんばかりに僕の手を取り歩き始めた。

 こういうアグレッシブなところ、意味は変われど今も昔もやっぱり好きだ。まぁ、ナツは僕が行きたい場所を知らないはずだから、引っ張って行くのは不毛なんだけどね。

 あえて黙っていると、しばらく経ってからそのことに気づいた。そして、あえて黙っていたのも普通にバレてしまう。

 するとナツは期待どおり、ムッとしながら僕を意地悪だと評する。久しぶりに聞いたけど、やっぱり何度言われても飽きないなぁ。

 でもあまりやると本格的に拗ねてしまうので、ごめんと謝ってから僕が先導を始めた。えーっと、場所は確か実習棟の奥だったかな。

 

「着いたよ。ここ、漫画研究部なんだって」

「漫研? ……この学園って、部活の数が尋常じゃないね」

「部員数とか、規定さえクリアすれば割と自由って聞いたけど」

「生徒会長の正体を知ったからには納得の緩さだよ」

 

 奥の方に追いやられている感は否めないが、僕が向かいたかった場所こそ漫画研究部――――いわゆる漫研と呼ばれる部活動である。

 ナツとしては存在そのものを知らなかったのか、若干だけど訝しむように部室の外観を眺めた。

 でも人の出入りは割とあるみたい。やっぱり日本人にはサブカルチャーってだけで、十分に興味を惹く対象なのかな?

 じゃあ僕はどうかって、そういう理由でここに来たかったわけじゃないんだよな。……って、それについてはナツに謝っておいたほうがいいかも。

 

「ナツ、ごめんね。こんな時でも絵のことばっかりで」

「なるほど、スキルアップのためのここってわけ。なら謝っちゃだめだよ。むしろ惚れ直したくらい」

「えぇ……? 気持ちは嬉しいけど、流石に惚れ直される要素がわからないかも」

「好きなことに熱中できるって、とても素敵なとこだと思う。だから、絵のことを考えてるハルを見てるのは、うん……好き」

 

 せっかくの学園祭だ。やろうと思えば、もっと恋人らしい回り方だってできただろう。

 でも僕はそれを推しても絵のことを優先し、らしさを放棄したにも等しい。ナツの言うとおり、自分とは違う傾向の絵のことについて勉強するためにだ。

 だから謝罪をってことなんだけど、ナツはあろうことか僕に惚れ直したとまで言うではないか。

 それはあまりにも盲目が過ぎるのでは? と指摘してみるも、僕が思っていた以上に僕のことを想っての発言だったらしい。

 ……くそっ、学園祭だからこそ引き出せた言葉だろうけど、学園祭であることが恨めしい大矛盾! 今すぐ抱きしめてキスしたい!

 そういう衝動に駆られ、それを必死に抑えるためにしばらくフリーズ。ナツが呼び掛けても答えられないくらいに、僕はとにかく必死だった。

 

「よし、とにかく入ろうか」

「うわぁ、ものすごく何もなかった感じにしちゃったよ。まぁ別にいいけど。お邪魔しま~す」

「あ、いらっしゃ~――――げぇっ! 日向くんに織斑さん!?」

 

 様々な衝動を処理し終えると、すぐさま部室へ入るよう促す。ええ、仰るとおり別に何もありませんでしたとも。

 僕、ナツと続けざまに扉をくぐるなり、なんだかあまり歓迎されていないご様子。僕らが来ると、何か不都合でもあるのだろうか。

 驚いていた女子を不思議そうに眺めていると、隣に居た女子から軽い肘打ちを喰らわされていた。うん、やっぱり何かあるらしい。

 

「え~っと、帰ったほうがよかったりします?」

「や、優しさが逆に刺さる……! め、滅相もないから、ご自由にどうぞ……」

「はぁ? それなら遠慮なく」

 

 理由はよくわからないけど、なんだか遠慮したほうがいいような気さえした。

 一応は声をかけてみると、やっぱりそこまで歓迎はされていないながら、ご自由にという許可は下りた。

 い、いったい僕らの何があなたがたをそうさせるんです? なんだか、展示されてる見本を覗くのが怖くなってきたぞ。

 思わずナツと顔を見合せてから、机に並べられている一冊を手に取って開く。

 ああいう反応を見せられると、ナツも内容がかなり気になるのか、僕の横から割とグイグイくる感じで漫画を覗き込んだ。

 ふむ、これはジャンル的に少女漫画ってやつか。やっぱり女子高であるIS学園ともなると、最大手になるのは必然なのかな。

 って、こういう言い方は失礼かもだけど、僕は内容よりも絵の描き方について勉強しに来ているんだった。したらば、吸収できそうな技術をだね。

 

(……やっぱり人の描き方は参考になるなぁ。僕らは基本こんな角度から描いたりしないし)

 

 絵画と漫画、どちらも同じ絵ではあるが、根本的に諸々のことが異なる。

 僕らは人物画ってなるとモデルの動きを切り取って描くのが主流になるけど、漫画は読み手にわかり易く登場人物がどういう体勢なのか伝える必要がある。

 そこに集中線等のエフェクトも加えることにより、まるで実際に動いているのではないかと錯覚してしまうような描写もちらほら。

 特に僕なんかはオリジナルだったり風景画を描くのがだいたいだから、いろんな角度からみた人の描き方は大変参考になるぞ。

 いや、本当に内容そっちのけなのは申し訳なくあるんだけど。うん、お詫びに全部一冊ずつ買ってから帰ろうね。

 

「……ねぇハル、なんか見たことあるんだけど」

「ん? 参考にしてるってことかな。ナツって少女漫画とか読むんだね」

「そうじゃなくて、ちょっとこれ貸して!」

 

 ナツがふとそんなことを言い出すものだから目を向けてみるが、どうも様子がおかしい。真に迫っているというか、ただ見覚えがあるだけでそんな反応はしないって感じのリアクション。

 僕はすぐにそれを察することができなかったために、世間話くらいのつもりで当り障りのない返答をしたのだが、ナツは違うのだと我が手から漫画を奪い取った。

 そして一度ページを先頭まで戻してから、ペラペラと凄い速度でめくっていく。目線の動きからして、ひとコマも逃がさずチェックしているみたい。

 いったいナツにとって何が琴線に触れたのだろうかとその姿を見守っていると、今度はなんだかフッと諦めたような顔つきへ変わる。

 そんな微妙な笑顔のまま、ナツは僕によく見えるようひとつのページを開いて僕へ見せつけた。

 

「ハル、この場面に見覚えがないとは言わせないよ」

「見覚えって、なんで僕にそんな心当りが――――ある! ありまくるよこのページ! え、どうなってんの!?」

 

 いやいや、まさかそんなことあるわけないじゃないですか。なんていう調子で返そうとしたら、思い切り心当たりがあってノリツッコミみたくなってしまった。

 開かれたページに描かれていたのは夏祭りのシーン。ただそれだけならなんの問題もないんだが、気になるのは登場人物たちが繰り広げているやりとりだ。

 話題に挙がってるのは主人公とヒロインの結婚式に関連したもの、そしてそれをもう一人の女性キャラにからかわれている。

 もっと言うならヒロインの衣装である着物の柄が、この間行った夏祭りでナツが着てたのと同じ柄ぁ! つまりこれ、僕らをモチーフにした作品じゃないか!

 

「さてはというか、犯人は箒ちゃんだな!」

「だろうね。内容的に箒しか知りえないし」

「……って、ネタ提供されたからって描いちゃダメでしょ!? プライバシーの侵害ですよ!」

「ごっ、ごごごご、ごめんなさい! そのぉ、わたくしハルナツ同好会のメンバーでしてぇ、名誉会長からのネタ提供に気持ちが抑えられなかったと言いますか……」

「ちなみに、売り上げのほうはいかほど?」

「同好の士には爆発的に売れております!」

 

 あの時休み明けの集会がどうのと言っていたが、これはその集会が開かれた結果により生まれたものだな。

 いったいいつどこに集まって、どんな話し合いをしているというんだ。流石にそろそろ行き過ぎなところもあるような気がする。

 それよりも名誉会長ってなんだ、名誉会長って。むしろ箒ちゃんが立ち上げた組織であることも視野に入れないとダメなんですか。

 僕ら本人にそう指摘されては立つ瀬がないのか、さっき焦っていた女子が描いた作品らしく、すぐさまこちらへと謝罪を述べた。

 観念したのか僕が売り上げについて問うと、これまた素直に白状してくれたんだけど……。そうか、同好会メンバーとやらの手には渡ってしまっているみたいだな。

 

「よいしょっと」

「ナ、ナツさん? そんな大量のブツをいったいどうするおつもりで――――」

「全部、ください」

「え? で、でも……――――」

「ぜ・ん・ぶ、ください」

「は、はい、お買い上げありがとうございまぁす!」

 

 ナツはおもむろに平積みしてある漫画本を抱え上げると、それら全てを会計へと置いた。そしてひとこと、全部買い占めるという旨を会計役の女子へと伝える。

 あぁ……僕としてはいつものやつだな。ナツの頑固が効果を発動。これは何を言われようが、例え会話が成立しなかろうが、向こうが折れるまで全部買いますとしか言わないやつだ。

 会計女子はそれを知らないんだろうけど、ナツの威圧に恐怖して買占めを許諾したようだ。わかるわかる、ちょっと怖いよね、頑固発動状態のナツ……。

 とはいえ流石にこれを持ち歩くわけにもいかないしで、交渉の末にこれ以降は僕らモチーフの作品を売らないことで決着した。

 そうだね、身内で楽しんでもらうぶんには――――まぁ、正直言えば止めてほしいんだけど、あまり大っぴらでないなら僕らもそこまで目くじらを立てる気はない。

 立てる気はないけど、とりあえず箒ちゃんは説教ルート確定で。ナツはもちろんのこと、僕もちょっと厳しめの対応を取らせてもらうことにしよう。

 

 

 

 

 



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第72話 いざ学園祭巡り! part2

「ナツ、行きたい場所は決まった?」

「あ、いろいろあったせいでちゃんと考えられなかったな。う~ん……」

 

 とりあえず漫研で起きたことはなかったことにしていく方向で。例の件を除けば、僕にとってはかなり勉強になったし。

 だから今度はナツの向かいたい場所へ行く番なんだけど、それこそ例の件があったせいでまともに考える暇がなかったみたい。

 僕の問いかけにナツは腕組しながら唸り、あれやこれや考えている。まぁ、いくつかあった候補から選ぶだけだし、そう時間がかかることでもないだろう。

 

「……うん、やっぱりあそこにしよっと」

「よし、それなら早速向かうことにしよう。どっちの方面?」

「えーっと、確かここと同じ実習棟だったと思うんだけど」

 

 悩んだ末にナツが導き出した答えは――――なんなんだろ? わからないけど、とにかく同じく実習棟らしい。

 なら教室棟である二組と四組の線は消えるか……。いや、むしろフユ姉さんもなんだけど、会いに行ったはいいけど不在とかもあり得るからいい判断だよな。

 だとするなら、やっぱり僕がわからなかった最後の候補になるんだろう。でも、う~ん……やっぱりピンとこないなぁ。

 そもそもナツがこういう催し物で、どうしても行きたい場所があるっていうのがまず珍しい。中学の時なんかは適当にぶらつくのが主だったし。

 まぁ、ナツも女の子になってから興味の対象が変わってるようではあるから、何を考えたところで無意味なのかも知れない。

 そうして先導されることしばらく、見えてきたのは……家庭科室? ということは、ナツがどうしても行きたかった場所って――――

 

「……研究部被り?」

「あ、そう言われてみれば。そうだよ、料理研究部。いやぁ、実は入部そのものも迷ったりしてたからさ」

 

 別に被ったからなんだって話ではあるんだが、ナツも僕と同じく研究部と名のつく料理研究部を覗くつもりでいたらしい。

 曰く、実は入部するかどうかも迷っていたとのこと。

 もちろん初耳であるし、かなり意外に思える。だって正直なところを言わせてもらうと、ナツにはあまり必要性がないような気がするから。

 前にも言ったけど、ナツが料理を作ると一年単位で同じメニューが出ることが稀だ。その事実は、ナツのオリジナルメニューが豊富である証拠にもなる。

 

(……だからって本人に必要? って聞くのは失礼な気がする)

「ふふっ、本当に必要かって顔してる。見ればわかるよ」

「あ、や、ご、ごめん。別にナツの意志を否定しようってことじゃなくて!」

「わかってるって、むしろ褒めてくれてるんだからそこまで慌てなくていいじゃん」

 

 心を読まれるどころか、顔に出た想いを読み取られてしまった。これだから家族同然の幼馴染ってやつは。いや、単に僕がわかりやすいだけかな。

 失礼かなとか考えていただけに、それを読み取られてしまってはさぁ大変。僕は盛大に挙動不審になりながら、手をバタバタさせて訂正を入れた。

 わかっていたことではあるが、ナツは見方を変えれば自分を褒めているじゃないかと僕を宥めにかかる。

 ……でも大衆の面前にして、まるでペットを愛でるかのように頭をワシャワシャと撫でるのは止めてほしい。某動物大好き老紳士もビックリな手際だぞ。

 だが僕の髪をかき乱すような手つきはだんだんと大人しくなり、完全に止まったかと思えば、頭から滑らすようにして僕の頬を包みこんだ。

 

「私が料理好きな理由って、ずっと昔からハルなんだと思うんだ」

「その昔って言うのは、その、そういう昔から?」

「うん、義務感なんか覚えたことないよ。流石にちょっとベクトルは違うけどね。昔は完全に弟って思ってたし」

 

 ナツはとても飲み込み早くて、箒ちゃんと出会った頃にはほぼ完璧に料理を手に付けていたっけ。

 そうやって思い返してみると、確かにナツがしんどそうな表情でキッチンに立っていた姿は記憶にない。

 それは何より、僕がナツの手料理を美味しく平らげるからだと言う。今も昔も、ナツが男の時でも、女の子になっても。

 完全に胃袋を掴まれてるし、なんなら僕にとってはナツの料理こそがおふくろの味というやつと表現しても過言ではない。

 僕としては普通に美味しくいただいていただけなのに、それがナツの原動力になっていたならとても嬉しく思う。

 

「けど、今の私はハルの奥さん。弟としてじゃなくて、人生の伴侶としてのハルに、もっともっと美味しい料理を食べてもらいたい。だからね、まだまだ上手になるために、できることはなんでもやろうって思ってるの」

「…………」

「ふふっ、キスしたいって顔してる」

「……わかる?」

「うん、わかる。だって、私もしたいって思ってるから」

「ナツ……」

「……しちゃう? 私は、いいよ」

 

 ナツが料理に関する精進を怠らないのは、ただ僕のため。僕にもっと美味しい料理を提供するためなのだ。ナツはとても愛おしそうな表情でそう言った。

 相変わらず健気に、そして一途に僕のことを想ってくれる。本当に本当に、あまりの幸福感でいろいろと受け止められなくなってしまう。

 僕は思わず、かなり強めに自身の唇をキュッと一文字に紡いで閉じた。だって、そうでもしなければ耐えられそうになかったからだ。

 何をって、ありていに言えばキスのこと――――なんだけど、どうやら我が愛しい奥さんにはお見通しなようで。その理由は自分が今したいから、だそうな。

 ……そんなことを言われてしまっては、大衆の面前だというのに心が揺らいでしまう。

 それだけならまだよかったのだろうけど、あろうことかナツは僕の葛藤をぶち壊すかのような発言をし始めるではないか。

 僕は今、いったいどんな顔をしていることだろうか。眼前のナツは悪戯っぽく笑い、僕の反応を楽しんでいることが伺える。

 ……ならばその顔、笑えなくしてやろうか。なんて思ったりもしたが、やはりナツとの大切な時間を他人にみられるのはちょっとな。

 恥ずかしいから嫌とかじゃなく、誰の目にも入れたくなんかない。だから今は耐えて耐えて耐えて耐え抜いて、全てが終わってから堪能させてもらうことにしよう。

 

「気持ちは嬉しいけど、またあとでね」

「ふふっ……。うん、楽しみにしてる」

 

 またあとでと耳元で囁くと、ナツも僕に倣ってか耳元へ囁く。しかも超が付くほど肯定的だ。てっきり少しは照れるかと思ったんだけど。

 ……それにしても、キスだけで済ますことができるだろうか。僕としてはそこが一番の懸念であり、最大限にまで冷静さを求められることになるはず。

 ……まぁ、その時はその時か。なんとかなるだろ。そもそも警護の目的があるとして、僕らを同室にするほうが悪いんだ。

 さて、それならいつまでも家庭科室前でイチャイチャしてないで、ナツの目的であるスキルアップをはかることにしよう。

 扉をくぐってみると、客層はやはり校内外問わず女性しかいない。……僕にとって、なんら珍しくない光景になってしまっているのがなんとも悲しい。

 しかし料理研究部が出し物って、いったい何をするつもりなんだろう。やっぱり料理教室とか、そういう実用的なことをするのかな。

 

「おっ、レシピ本の販売か。……ますますもって、僕の時とモロ被りだね」

「そこのところは気にしなーい。にしても、かなり細分化されてるなぁ。商売のやり方としては上手いのかも」

 

 さっきも本を物色したばかりだというのに、まさかナツの用事でも同じことになるとは。無論、漫画とレシピブックじゃまるで違うのは理解してるけど。

 ナツがあれやこれやと手に取っているが、表紙を見るにメインとして使われる食材が分かれているみたいだ。

 なるほど、肉料理、魚料理、スイーツ類等々を一冊の本にまとめるのではなく、分別することで細分化を図ったんだな。

 そうすれば、自ずと購買数も増えることだろう。ナツが困った顔しながら言ったとおり、これは上手い商売のやりくちだな。

 でも、それに見合った努力はしてるみたいだからすごいよね。細分化されてるってことは、それだけ載せるメニューも数を考えたってことだし。

 試しにナツが読んでいないものを手に取り開いてみると、どれもがオリジナリティにあふれている。……たまに攻めすぎでは? みたいなのがチラホラあるけどご愛敬。

 

「ん~……。ん~……。……ハル」

「ごめん、いつもの返ししかできない」

「だよねぇ。ならば、肉、魚、野菜! この三種なら間違いないでしょ」

 

 ナツは僕にどれを食べてみたいか希望を聞いて、それから購入するレシピを決めようとしたみたい。

 しかし残念なことに、僕はナツが作ってくれる料理ならなんでもよくて、言ってしまえば全部ということになる。

 一般的に本屋で販売されているものと比較すればもちろん安価だが、全部を購入するにはあまり財布に優しくない。くらいには細分化されているんだよ。

 ナツは僕がいつもの返事しかできないと知るや、パッパッパと小気味よく三冊のレシピを購入することに決めたみたい。

 肉、魚、野菜、ね。まぁ確かにドがつくほど安パイというか、まず間違いないって感じのチョイスだよね。基本メイン級の食材なわけだし。

 どっちにせよあまり関係ないか。ナツなりのアレンジを加えて提供されることだろうし、載ってる内容そのままの料理が出てくることはまずないと考えていい。

 となれば、実際に出てくる際のことを楽しみにするとして、もう少し家庭科室内でできることをして過ごすことにしよう。

 

「あ、看板……。え~と、ナツ、料理教室みたいなのは、決められた時間にしかやってないみたいだね」

「まぁ、そうじゃないと何回も同じことを説明しないとならないもん。仕方ないよ。何か他にめぼしいものは――――」

「それならこちらの企画に挑戦してみるのはどうかな、織斑さん」

「り、りんご片手に話しかけるってことは、皮むきってことかな?」

「ズバリ正解! いやね、実は前々から噂になってた織斑さんの実力を知りたくってさー」

 

 看板に書かれているタイムテーブルや企画内容を眺めていると、不意にナツがリンゴを所持した部員の子に声をかけられた。

 わざわざリンゴを持って現れるあたり、どういったものかはお察しのとおり。リンゴの皮むきを、どれだけ途切れさせずに長く行えるかっていうチャレンジみたい。

 ちなみに残った実の方は、随時部員たちがジャムやアップルパイに調理しているそうな。……なんかちゃっかりしてるな。それも売り物になったりするんだろうし。

 しかし、ナツの腕前が噂にねぇ? この学校って五教科とISの授業以外あってないようなものだから、あくまで噂程度に落ち着くんだろう。

 贔屓目かも知れないけど、家庭科とか調理実習が大々的にあるなら、とっくの昔に周知の事実になってると思う。そのくらいにナツの料理は美味しいのです、はい。

 肝心のナツだが、挑まれると燃えるタイプだから、こういうのを持ちかけられて受けないはずはない。そのニヒルな表情から、どうせ獲るなら一位だと考えているのが丸わかり。

 

「ハル、ちょっとこれ持ってて」

「はいはい。調子に乗って怪我とかしないでよね」

「ふふん、見くびるなかれ。超絶技巧をとくとご覧にいたしましょう!」

(……右手、閉じたり開いたりしてる。狙いすぎて失敗するパターンだなこれ)

 

 購入予定のレシピを僕に預けたナツは、腕まくりをしつつ部員の子からリンゴと包丁を受け取り、あらかじめ設置してあるまな板の前へと立った。

 ナツは超絶技巧をと豪語しているし、多分だけど普段なら間違いなく一位を獲れるくらいの実力は持ち合わせているだろう。……いつもなら、なんだよなぁ。

 僕は思わず辟易しながらナツの右手に注目した。いつ見ても繊細で綺麗なその右手は、しきりに閉じたり開いたりと忙しい。

 これ、ナツの悪癖ね。悪い意味で調子に乗っている場合によくみられる動きで、これやってる時はたいがいよくないことが起きるんだよ。

 ま、今のうちにナツを慰める準備をしておこう。なんて、どこか遠い目でナツを眺める僕であった。

 

「うぅ、あんなはずじゃなかったのに……!」

「どう考えても流石に細さを追求しすぎだよ。無理があるって」

「過信は慢心を生むってやつかなぁ。う~ん、なら反省しないと」

 

 やはり僕の予想通りで、ナツはギリギリ限界までの細さを追求し、追及し過ぎた結果かなり早めに途切れさせてしまった。

 あの細さを表現するなら、う~ん……そうめんくらいだったかな? まぁ、そりゃ途切れちゃうよねって感じだった。

 僕が想像してたより何倍もの狙いっぷりに、慰めようと準備していたのが全部飛んでしまったぞ。棘のある言い方はしてないからセーフと思いたいけど。

 ナツもかなりポジティブなもので、自分の失敗を肯定的に受け止めているから問題はなさそうかな。うん、それでこそナツってやつ。

 ……でも向上心ゆえにしばらくはリンゴ尽くしの日々が続くことだろう。それこそナツはレパートリー豊富だから、飽きるってことはないだろうけどさぁ。

 

「ところで、これからどうする? 微妙に時間余っちゃってるけど」

「ああ、実は計算してそうなるように誘導してたっていうか。どうしてもナツに見せたいものがあって」

 

 ナツは携帯で時間を確認し、意外にも余裕ができてしまったと驚嘆したご様子。ところがどっこい、地味にそうなるよう誘導してたんだなこれが。

 どうして秘密裏にしなければならなかったかを聞かれると、ちょっとしたサプライズの要素を持たせようと目論んでいたから。

 最初から予定に組んでいるとっていうか、行く場所を教えた時点で僕のしようとしていることは一発でバレてしまうだろう。

 本気でこの瞬間に辿り着くまで数か月の時間を必要としたんだ。ナツの新鮮なリアクションを貰うっていう、そのくらいのご褒美はあっていいでしょ。

 

「見せたいもの? へぇ、そう言われるとなんか楽しみ。じゃあ、どこへ向かえばいいの?」

「うん、それは――――」

『生徒会よりお知らせします。一年一組所属の織斑さん、そして日向くんは、至急第四アリーナまで集合願います』

「「!?」」

 

 ナツの疑問に答えるべく歩き出そうとすると、インフォメーションを報せる鐘の音が。そして、続けて楯無先輩の声が学園に響き渡った。

 すると僕らは、けっして動揺が表に出ないよう注意しつつ、すぐさま視線を合わせて様々なこと伝え合う。

 わざわざ楯無先輩本人が呼び出しをかけるのであれば、そういう事情――――つまり、何か怪しい動きをキャッチしたと捉えるのが妥当の線なはず。

 ……見せたいものがあると言った矢先のことで、なんともタイミングが悪いとしか表現のしようがない。かといって、この放送が流れた時点で一大事なのだから無視こそ絶対ありえてならない。

 しかし、集合をかけるだけなら接敵や交戦中ってこともないわけだ。護衛対象でありつつ、囮の役割も担う僕ら集合をかける理由って……?

 

「……仕方ない。とにかく向かおう。楯無先輩の付近は、逆に絶対の安全圏ってことだろうから」

「うん、遠慮なく保護されに行こうよ。ただし、緊張は表に出さないようにね」

 

 学園最強の名にふさわしい実力を持つ楯無先輩が目の届く場所へと言っているのなら、そこらは間違いなく安全が確保されているということ。

 ナツを推してもそのあたりは認めているのか、僕の言葉にすぐさま同意した。が、ちょっとした注意もおまけつき。

 確かにそうだ。いくら生徒会長の呼び出しを喰らったとは言え、過剰に緊張の面持ちを浮かべていると怪しまれてしまう可能性もある。

 今なお僕らのことを監視していることも視野に入れるのなら、何も事情は知りませんよという体でいなくては話にならない。

 僕らはデート中になんの呼び出しだろうかと、割と本音交じりの不満を取り繕うようにボヤきながら、楯無先輩の指定した第四アリーナを目指した。

 ……うん、本音が少しは混じっているだけに、違和感のある芋演技にはなっていなさそう。なら後は楯無先輩の指示の下で、できることを全力でやるだけだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ~……おはヨー……。スコール、いル~……?」

「おはよう、ロキ。もうそろそろ十時だけれど――――あら、辛そうね。何か見えたのかしら?」

「うン、久々に見えてちょっとしんどイ……。まぁ、ロキちゃんの役割だシ、報告はしに来てあげたヨ……」

 

 時刻が午前十時を回りかけた頃、呼びかけもノックもなしにスコールの住む部屋のドアが、かなり大人しめにゆっくりと開かれた。

 わずかに開かれた隙間から顔を出したのは、パジャマ姿のままのロキだった。あちらこちらが継ぎ接ぎされた、大きめのクマのぬいぐるみもおまけつき。

 もうすぐ十時なのにおはようもあるかと一瞥くれたところで、スコールはロキの異変に気が付いた。と同時に、部屋を訪ねてきた理由も理解した。

 ロキはよほど体調が悪いのか、スコールの座るソファに腰掛けたかと思えば、そのまま倒れ込むようにして横になった。

 そして、片言交じりの言葉使いで不可思議なことを述べるではないか。

 

「このままいくト、オータム捕まると思ウ」

「っ!? ただ負けるだけじゃなく、確保されるシーンも見えたのね?」

「うン、なんパターンか見えたけド、最終的には全部そうだっタ」

「オーディンはどうしてるのかしら」

「トールを叩き起こしテ、スルト探しにいったヨ」

 

 まるで根拠もなにもあったものではないロキの言葉に、スコールは目に見えて動揺をし始めた。

 そう、まるでロキの言葉そのものが根拠であるかのように。

 ロキは体調不良ゆえか、それとも本気で興味がないのか、焦るスコールとは対照的に淡々とした様子でひたすら問われた質問に答える。

 スコールにとって肝心なのは、オーディンが報告を受けているか否か。残念なことに、ロキの言葉が本当ならすぐ現れてはくれないだろう。

 とはいえ独断で諸々を行うことこそ愚行と考え、歯がゆいながらも全員集合をひたすら待ち続けた。

 カチカチと時計の秒針が動く音が虚しく感じられたころ、廊下の方から複数人のバタバタと慌ただしい足音が響き始めた。

 

「スコール!」

「ええ、今しがた報告を受けわ。それで、どう動こうかしら。捕まるとわかって放置するのもどうかと思うのだけど」

「もちろん、救助には全力を尽くす方針でいこう。……ロキ、何か他に役立ちそうな情報は――――」

「すぅ……すぅ……」

 

 ドアをくぐった人物は三名。オーディン、トール、スルトだ。

 みせたリアクションも三者三葉であり、オーディンはできるだけスコールの近場に立ち、トールはそこから更に一歩引いてリーダー格二人のやりとりを静観。

 そしてスルト――――スレンダーな体躯をした黒髪の少女は、本気で興味というものがわかないのか、せっせと部屋隅にある一人かけのソファへ腰掛けた。

 自分たちは組織として動いている。個人的な感情で即断即決し、オータムの救助を最優先とすることなどできない。

 そのための確認事項だったが、存外オーディンも見捨てる気はないらしい。が、その表情をみるに、かなり難しいことであるのには変わりがなさそうだ。

 ひとまずオーディンは情報の整理が第一と考えた。そこでロキに頼るほかないと意見を募るも、体調不良の延長で眠ってしまったらしく、静かな寝息を立ててしまっている。

 

「起こすか?」

「不要だトール。むしろ都合がいい。ところでスコール、作戦中止も視野に入れておくべきと思うが」

「……そうね。最終的な判断は、ロキが再度目覚めてからでもいいでしょう」

 

 どこか私怨が混じっているような気がしなくもないが、トールは容赦なく眠るロキを起こすかどうかの判断を仰ぐ。

 しかしすぐさまオーディンが制し、半ば無視するようなかたちでスコールへと声をかける。

 この光景を目の当たりにしたトールは、頭の弱い自分がでしゃばるのは止めよう。とても考えたのか、腕を組みながら静かに目を閉じる。

 だがそれから時間も経たない間に、ロキがゆっくりながらその身を起き上がらせ始めた。

 スコールとオーディンの両名は、変に問い詰めるようなことをせずロキの第一声をひたすら待つ。

 そしてロキはゆっくりゆっくりとある方向へと力なく指をさし、ほんの短い報告を行った。

 

「スルト」

「スルトが、どうしたというんだい」

「スルトが見えタ。多分、助けられる可能性があるなラ、スル……ト……」

 

 どうやらロキが指さしたのは仲間内の輪から外れているスルトで、スルトならばオータムを助けられる可能性があると告げた。

 後は完全に力尽きたらしく、まるでこと切れたかのようにパタリと力なくソファに伏せる。

 一方の名ざしされたスルトはというと、相も変わらず興味もなさそうに窓の外を眺めていた。下手をすると、名指しされたことすら気付いていないのでは、というほどに。

 そんなスルトにオーディンは溜息をひとつ。ひとまずロキを安静にとトールに目配せすると、なんとも乱暴に抱え上げられ寝室へと運ばれていった。

 そしてオーディンの視線はスコールへと移動。向こうも穴が開くほどにオーディンを眺めていた。ということは、恐らく考えていることも同じである可能性が高い。

 

「スコール、キミの機嫌を損なうのを承知で言わせてもらう。スルトが例の二人と接触する不都合と、オータムの回収。秤にかけ、傾くのはどちらだ」

「オータムを見捨てる。そう言っていると捉えてもいいかしら」

「ああ、スルトが学園に向かうくらいなら」

 

 オーディンは先ほどまでの協力的な立場が一転。スルトが学園に向かい晴人と一夏の両名に接触するくらいならと、オータムを見捨てる姿勢をとった。

 これにスコールは真逆の態度を示し、まさに一触即発の様相を呈し始めてしまう。それどころか、何かのきっかけで戦闘が始まってしまいそうなほどに室内の緊張感は高まっている。

 常人であればこの場に居るだけで失神してしまいそうな空気の中で、スルトは大きな欠伸をしてからゆっくり立ち上がり、睨みあう二人の間をすり抜け出入口へと向かって行く。

 

「スルト、私をからかうのも大概にしてはくれないだろうか。私も怒るときは怒るんだよ?」

「ロキが私を見たと言うなら、既に答えは出ているはずだ」

 

 スルトが今まさに部屋から出ようとする寸前、その小さな頭めがけて黄金の槍が突き入れられた。

 目も向けずにわずかに頭を右へ動かすことで回避したスルトだったが、むしろ避けなければ完璧に当たっていたことだろう。

 明確な悪意をもっての攻撃に対して、スルトはあくまでクールな態度を崩さない。

 スルトから見て左頬をかすめそうになった槍の先端付近を掴むと、邪魔だと言わんばかりに放り投げ、それからようやくオーディンへと向き直る。

 

「安心しろ、過度な接触をするつもりはない。偶然だった場合はその限りではないが」

「偶然? もしその偶然が起きたとして、そんな我儘がつうじていいと――――」

「我儘……か。そのくらいの我儘さえ、私には許されないのか?」

 

 過度な接触というのは、つまるところ自発的に晴人と一夏に会いに行くようなことはしないという意味。つまり、偶発的な遭遇はノーカウントだと主張している。

 だがスルトと二人が接触することを避けたいオーディンとしては、そんな主張は屁理屈以外の何者でもない。

 それを端的に我儘と表現した途端、スルトの表情がどこか物憂げに変貌していく。

 その表情こそが、我儘であることなんかわかっている、だがどうかそのくらいは許容してはくれないだろうか。そんなスルトの切実な想いを物語っていた。

 オーディンは基本的に泣き落としなど通じない相手だが、スルトのこればっかりはという頼みもわからないでもない。

 オータムを救出することになるのならと自分に言い聞かせ、オーディンはISの部分展開を解除。物騒な槍はキチンと量子変換されしまわれた。

 

「例え本当に偶然会えたとして、余計なことだけは喋らないように」

「……感謝する。余計な虫を排除する場合、加減は必要か?」

「不要よ。全力で捻りつぶしてあげなさい」

「承知した」

 

 非常に遺憾であるという態度は隠そうともしないながら、オーディンはスルトの出撃を了承。オータムを救出する方針で完全に一致した。

 見え隠れする態度から礼など言いそうにない性分が伺えるスルトだったが、よほど有難いことなのか頭まで下げて感謝の意を示した。

 ならば確実にオータムの救出をといきたいところだが、手の内をどこまで見せていいのかをスコールに確認。が、それすら不必要のようで、即答で全力を出す許可を与える。

 スルトは短い返事で応えると、今度こそ室内から出て行った。

 そんなスルトの小さな背中を見送ったオーディンだが、やはり渋々なのか表情が映えない。

 だがもはや後は天命に任せるしかないと割り切ったのか、いつもの爽やかな様子へと戻り、すぐさまスコールへ謝罪を述べるオーディンであった。

 

 

 

 

 



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第73話 尊みの暴力

「僕らを餌に釣りをする。ですか?」

「虎穴に入らずんば虎子を得ず。狙われている当人たちこそ、一番の誘導役になるってわけね」

 

 第四アリーナへ向かうと楯無先輩が待ち受けており、そのままの流れでこれから行われる作戦についてのミーティングが始まった。

 やはり亡国機業の構成員と思わしき人物が潜り込んでいるのは確定要素なようで、それをどう捕らえるかが焦点となってくる。

 そこで立案されたのがいわゆるところの囮作戦。これより生徒会で率先して騒ぎを起こすことにより、あえて敵に僕とナツへ付け入る隙を与える。

 向こうのペースに引きずり込まれたと思わせておいて、増援として楯無先輩が僕らの援護に回り、多人数で一気に片すという寸法のようだ。

 

「あの、楯無先輩。簪が頭数に入ってないみたいですけど」

「確かに。簪さんも生徒会――――っていうよりは更識なのにどうしてです」

「そこらについても心配ご無用。今は別の仕事に入ってもらっているわ」

 

 ナツが挙手して質問を投げかけたかと思えば、それは楯無先輩の妹でもあり、更識という暗部組織に属する簪さんについてだった。

 この作戦への参加資格は十分にある。なのに戦力として投入されていないのは不思議な話だ。実力も折り紙付きなわけだし。

 だけど楯無先輩の反応を見るに、どうやら別行動にて亡国機業への包囲網を形成しているらしい。

 どうやら僕らが学園祭を満喫している間に、各専用機持ちたちへここにきて事情を明かしたようだ。

 簪さんはその事情を知る者として、専用機持ちたちを率いて増援の警戒を行っているんだとか。逆を言うなら、構成員を逃がさないための保険の役割も果たしてくれる。

 なるほど、確かに六機の専用機ならびにそれを駆る実力者たちが陣を形成しているのなら、これ以上はやりようがないくらい堅牢な防御と言えよう。

 仮に来た増援がどのくらいの規模であろうと、それを抜けようとするのは至難の業であることにはかわりないはず。

 でも鈴ちゃんあたりが、なんで話さなかったんだーって怒ってるんだろうなぁ。……もしそうなら、あとできちんと謝っておこう。

 

「ところで、騒ぎを起こすっていうのは具体的に何をするつもりなんですか」

「ん、そうねぇ。もちろんその騒ぎのために二人には協力してもらうつもり――――な・ん・だ・け・ど、物事を円滑に進めるためあえて黙秘させてもらうわ」

 

 今度は僕が挙手して楯無先輩に質問を述べるも、なぜだか詳しく教えることはできないらしい。

 あえて教えない意味がどこにあるのかと甚だ疑問だったが、理由を聞けば割と筋の通った話ではあった。

 僕らがこれから起こす騒ぎなるものの内容まで知ってしまうと、新鮮なリアクションを取れない可能性が出てきてしまう。

 お粗末な演技でこれが釣りであることがばれてしまえば本末転倒。敵に僕らが油断しきっていると思わせる必要があるため、少しの警戒心でも抱かせてしまえばそれで終了だ。

 むしろ作戦を逆手に取られてしまうことも考えれば、うん、確かに僕らの新鮮なリアクションについての重要性はわかった。

 しかし、なんとも嫌な予感がするのは僕だけだろうか。こう、楯無先輩が単に楽しむために黙っておく、という理由も含まれていそうな気がしてならない。

 

「それじゃ、早速だけどスタンバイのほうに入りましょうか。虚ちゃん、二人を案内してあげて」

「畏まりました。それでは、こちらへどうぞ」

「なんか私たちの動きも重要みたいだね。ハル、頑張ろっ!」

「うん、全力を尽くそう」

 

 この間髪言わせないあたりでますます怪しさを感じてしまう。僕が捻くれているだけならいいんだけどなぁ。

 現にナツはまったく疑ってすらないというか、むしろかなりやる気を見せている。両腕での小さなガッツポーズつきときた。

 ここでナツのやる気を削ぐようなことだけは避けなければ、という判断のもと肯定的な返事で応えた。……けど、やっぱり楯無先輩だから安心できないぞ。

 ……虚先輩が先導している道はアリーナ内へと侵入する用の通路だが、着いて行けばすべての謎が解決するだろうか。

 一歩。また一歩とあらゆる意味での緊張を感じつつ歩を進めると、やがて普段は開きっぱなしになっているはずの隔壁へとたどり着いた。

 虚先輩は慣れた手つきでコンソールを操作すると、人用の出入り口が小さく開いた。そこから光が漏れだす――――ようなことはなかった。

 

「ま、真っ暗って、わざわざドームを閉じてるんですか?」

「ええ、ちょっとした理由で。足元にお気をつけつつ、アリーナ中央付近までお進みください」

「……了解です。ナツ、手。焦らないでゆっくり進もう」

「ありがと、ハル」

「お二人とも、ご健闘を」

 

 ISでの戦闘は基本空中戦ということでアリーナは天井が開いているのがデフォだが、暗いということは閉じてるってことなんだろう。

 しかも虚さんが理由を語ってくれないのがますますもって恐ろしい。っていうより、闇に乗じて襲われたら元も子もない気がするんですけど。

 まぁそれでも僕らには行くという選択肢しかないわけで、せめて暗闇でも離れ離れにならないようナツと手を固く結んだ。

 そのまま僕らが前に進もうとしたところ、虚先輩はいつも以上に凛とした声色で、ただひとこと健闘をという言葉を送ってくれた。

 うん、見送りに慣れている人なのだろうから、不思議と行ってきますっていう気持ちが湧いてくる。

 僕とナツは顔を見合せてから力強く頷き合うと、それから暗闇の中を前に前にと進んでいった。

 

「……人の気配がする」

「近くに誰かいるってこと!?」

「ううん、そうじゃなくて、もっとたくさんに人がウジャウジャしてる感じ……」

「いや、それってもっとまず――――眩しっ! スポットライト!? これはやっぱり――――」

 

 闇の中を進むことしばらく、ナツがボソッと何人かの気配を感じると呟いた。

 やっぱり達人クラスの人は違うな。僕なんて何ひとつとして感じやしない――――って、今僕のことはどうだっていい。

 もしナツの言っていることが本当だとするなら、それは間違いなく一大事だ。僕の想定していた通りの奇襲だとするなら、最悪中の最悪でしかない。

 だから焦りつつナツに真偽のほどを問うも、本人としても曖昧な表現でしか伝えることができないようだ。

 けどなんとなくの感じでもウジャウジャって、それはいったいどういう状況なのだろう。思わず周囲を異様に警戒してしまう。

 右左前後上――――と僕が真上を向いた瞬間、高い位置から光が瞬き僕とナツを囲うように照らした。

 それはまごうことなきスポットライトで、僕らへ注目せよという意図が見て取れる。そしてその途端に確信した。これから盛大な茶番劇が始まってしまうのだと。

 

『会場にお集まりの皆さん。そこにおわすお二人を、いったいなにと心得る!』

「尊みの過剰供給機!」

「歩く甘々暴風雨!」

「IS学園は今日も平和です。の象徴!」

「…………何これ?」

「ナツ、今のうちにどうか頭を冷静に……。多分これ序の口だから」

 

 楯無先輩のアナウンスが響きわたったかと思いきや、アリーナ内からレスポンスをするかのように様々な声が飛び交う。

 まず前提として僕ら二人をと名指ししたうえでの評価とすれば、自ずと導き出せる答えはひとつ。やはり僕の予想と合致する。

 ナツもそろそろ事態を呑み込んだようだが、あまりに受け入れがたいせいで疑問形なんだろうなと思えば心中察するよ。

 察するけど、察するからこそ僕は最後まで冷静でならないとな。ナツのストッパー役をしてきた身として、少しは扱いというものにも慣れているし。

 と心に誓ったんだけど、僕の根本に眠るツッコミ魂がそうさせてはくれなかった。

 

『よろしい、ならば盛大に冷やかしてあげようじゃありませんか! というわけで、第一回ハルナツ尊い選手権のぉ~……開・幕!』

「「「「「いええええええい!」」」」」

「いや多すぎぃ! ホント僕らを茶化そうって病気はどこまで伝染(うつ)ってるんだよぉ!」

 

 いろいろと気になる箇所が多すぎる選手権の開幕宣言と同時に、アリーナ全体がライトアップ。会場内の全貌が露わとなった。

 するとどうだろう、まるでこれからISの試合でもあるのか。というくらいには会場の席は埋まっているじゃないか。

 全員がハルナツ同好会なるものに所属しているとは限らないものの、それでもたかだがカップル一組をからかいに来たにしては大勢すぎる。

 だ、だが、これで率先して騒ぎを起こすという計画自体は成功しているって、ポジティブに捉えることにしておこう。

 僕はこのとおり大丈夫として、ナツはどんな調子だろう。恐る恐る目を向けてみると――――

 

(ひぃっ!?)

「楯無せんぱーい、これって私たちに徳とかあるんですか~?」

『オーケーオーケー欲しがりさんめ! ご希望通り企画の説明にいってみましょう!」

(違う違う違う! 楯無先輩、ナツのこの笑顔は違うやつなんだ! 最高潮に怒ってる時に出るアレなんだ!)

 

 僕の視界端に映るナツはそれはもうニッコニコ。楯無先輩は意外にもノリノリと捉えているようだが、これはその真逆の状態ともいえる。

 そもそもナツが怒る時といえば、だいたいは自身の身近な存在が物理的ないし精神的な危機に追いやられた場合のみ。

 でもほら、普段は怒らない人ほど怖いっていうじゃない? 僕は怒らせたことがあるわけではないが、長年一緒に居て何度かこの状態になった覚えがあるというか……。

 果たして学園祭を切り抜けられたとして、楯無先輩の無事が保証できなくなってしまったわけだが、なかなかに自業自得だからどちらの味方をすればいいのやら。

 ……まぁ、とりあえずはこの企画に集中するとしよう。なんだか知らないけど、恋人としての僕らが試されるには違いなさそうだし。

 

『二人とも、観客席の皆様の手元にご注目!』

「え~っと、なんかのスイッチですか? それともカウンター?」

『後者でビンゴよ。ズバリ、尊いカウンター! はい、続けてアリーナ内のメインモニターをチェック!』

「あ~……。なんかだいたい読めてきたかも」

 

 流石にここからではよくみえないけど、観客席の面々は片手サイズほどのスイッチを携えているようだ。

 なんとも安直なネーミングなそのスイッチもとい尊いカウンターとやら、メインモニターに表示された空のゲージのおかげで用途が読めたぞ。

 これから僕らは楯無先輩にから課せられるいくつかのお題に挑戦することになるらしい。

 その過程で観客席のみんなが僕らにいわゆる尊み? を感じたらスイッチを押すと、モニターに表示されている尊いゲージが溜まっていくシステム。

 そしてゲージの段階に応じて、僕らが得られる商品もどんどんグレードがアップしていくそうな。

 ……まぁ、辱めを受けるんだからそのくらいはしてくれないと困るんだけどさ。

 

「あの、参考までに最終グレードだけでも聞かせてもらえないですか」

『うむ、モチベーションは大事だものね。最終グレードわぁ~……じゃん! どこにでも何日でも行けますよ、豪華ペア旅行券を贈呈いたしまぁす!』

「えっ、思ったよりも張り切ってるな! ナツ、どこ行きたい!?」

「ヨーロッパ巡りの旅!」

「いいね! あ、僕ルーヴル美術館を観てみたいんだけど!」

『おやおや、この段階で行く気満々ですなぁ? ま、気合が入ってくれたようならなにより!』

 

 ぶっちゃけ僕が質問した意図は、楯無先輩の言うとおりにモチベーションの意地のためだ。

 希望したものをもらえるとかならいいなぁなんて思っていたら、謝らなければならないくらい豪華な商品で思わず興奮してしまう。

 だってテレビの特番とかで獲得できるような賞品なんだもの、それがナツとの旅行となれば僕だって興奮くらいするさ。

 上がったテンションのままにナツに向かいたい場所を問いかけると、ヨーロッパ旅行との返答が。

 流石は僕の奥さん。いいねなんて言いながら、実のところ同じことを考えていた。

 いやはや、まさか夏休みに話していた旅行の計画のチャンス、こんなに早く巡ってくるとは思っても――――ん? なんでもう行く前提みたいかって?

 そんなの簡単。だって達成できないわけないじゃないか。最終グレードだけ聞いたのも、そう言う意味も込められてるし。

 尊いとかそういうのは正直よくわかんないけど、要するに全力でナツを愛すればいいんだから、僕にとってこれ以上に簡単な話しなんてない。

 

『さーて、それじゃ早速参りましょうか。第一のお題、身体の一部で見抜け! パートナーチョイス!』

「ひむひむちょっとしつれ~い」

「うおおおおっ!? ほ、本音さん!? 気配が全く――――っていうかなんで目隠し!?」

「は~い、おりむ~はこっちね~」

「ええ、ちょっとのほほんさん!?」

 

 楯無先輩がスタートの宣言をするや否や、急に視界が真っ暗になるものだから普通に驚きの声を上げてしまった。

 目を覆われている感じがするし、真後ろでするのほほんさんの声に紐を結ぶような音……。どうやら目隠しをされているらしい。

 ゲームを開始するのにあたって取ってはダメなのは理解できるが、言ってくれれば目くらい閉じておくんだけどなぁ。

 そしてのほほんさんはナツを連れ去ってしまったのか、隣で聞こえていたナツの声がどんどん遠のいていくのがわかる。

 他にはなにやら機械が稼働するような音がするのと、複数人の足音……? いったいこれから何が起ころうとしているのか、全く想像がつかない。

 

『はーい日向くん、目隠しをとっても大丈夫よ』

「はい、それじゃあ……って、何やら異様な光景ですね」

『ふふーん、言ったでしょ、身体の一部で見抜けって。一夏ちゃんのトレードマークは長い黒髪と思ってね~』

 

 目隠しを外してみれば、僕の目の前には試着室ほどの広さと高さをした四つの箱が並べられていた。

 右から順に赤、青、黄、緑で陳列したそれは、箱の一部から女性の髪の毛が飛び出している。

 そして楯無先輩の言う身体の一部で見抜けという言葉。なるほど、このゲームのルールを理解はだいたい把握できた。

 僕はこの中から、髪の毛の特徴だけをヒントにナツを見事的中させればいいわけだ。目隠しをしたのはどこに入ったかわからないようにするためね。

 ちなみにだが、触ったりするぶんもオーケーらしい。……らしいんだけど、楯無先輩め、一問目から随分と意地悪なことをしてくれる。

 

『尺の都合を考えて、シンキングタイムは三分! それじゃ日向くん、準備はいいかしら?』

「はい。いません」

『…………はい? いや、あの、ごめんなさい、もう一回言ってもらえないかしら』

「ですから、いません。この四つの箱のどれにも、ナツは入ってません」

 

 楯無先輩は僕に心の準備を問いてきたが、挙手と同時に正解を言い放つ。

 そう、これこそが意地悪だと表現した理由。最初からナツなんて、正解が入るべき箱の中に存在してすらいなかったのだ。

 なんでそれがわかったかって、まぁそれは後程というやつ。楯無先輩から僕の回答が正しいかどうか、それを聞いてからでも遅くはない。

 ま、あのリアクションからして、間違っているというほうがおかしいというのもあるんだけどね。

 

『…………せ、せ、せ、せ……せいかああああああい! うっそでしょ、バレるとは思ってたけど見ただけで!?』

「やっぱりか……。ナツ、出ておいで~」

「ハル……。ハル~! もう、もう、もう、信じてたんだから~!」

 

 ん、どうやら僕のナツへの愛と目は決して腐っていなかったらしい。自信はあったものの、外した場合のリスクが大きかったから一安心だ。

 身体を脱力させながらどこぞへ隠れているであろうナツに呼び掛けると、安直なことに並べられた箱の後ろに隠れていたようで、出てくるなり勢いよく僕の懐へ飛び込んできた。

 どうやら僕が秒で見抜いたことを嬉しく思ってくれているのか、かなり興奮しているらしくいつもの数割増しな勢い。

 でもまぁ、やっぱり喜んでくれることが嬉しい。僕は愛しさを伝えるべく、優しくゆっくりとした手つきでナツの頭を何度も撫でた。

 

『あのあの、どこでわかったのか聞きたいんですが!』

「実際髪の毛とか関係なくて、もはや感覚的なもなんで説明がし辛いですね……。なんかもう、見た瞬間に四人ともナツじゃないな~って思った――――って言うより、感じたってところでしょうか」

『十年以上の歳月を重ねてきたからこその感覚……。それを頼りに見事正解を導き出したと。うん、尊い!』

 

 自分でも意地悪な問題だった自覚でもあるのか、だかこそどうして僕が当てられたかが気になるようで、楯無先輩の声色は興味津々であると聞いただけでわかる。

 確かにナツの黒髪は綺麗で、誰もが目を惹く特徴というやつに該当するだろう。だからって、僕がナツか否かを判断した大きな材料とは言えない。

 だって本当に感覚的なものだ。ピンとこなかったって言うか、ナツが居ないっていうことだけはハッキリとわかった。

 こういう言い方をすると、協力してくれたであろう他回答の四人に失礼なのだろう。でも他意はないのだけはわかってほしい。

 断言するなら、惹かれなかったんだよ。僕の心をざわつかせる何かを、何ひとつとして感じなかった。それだけのことだ。

 楯無先輩の言うとおり、僕らの重ねてきた歳月があったからこそ成しえたものだ。

 事実として、ナツが女の子になってまだ一年とちょっと。恋人同士になった期間で言うならもっと短い。

 それでもなお、僕はナツが男であっても、間違いなく同じ回答をしていただろう。

 だとしたら、逆説的に恋人同士なんだからもっと簡単だよねって話だ。一秒かかってないんじゃないの?

 

「……もしかしていい企画なのかも?」

「騙されないで。辱めであることには変わりないんだ」

 

 未だ僕から離れないナツがハッと閃いたように何を言い出すかと思いきや、僕らにとってもおいしい企画であるのではという考えに至りそうになっているらしい。

 その理屈はおかしい。確かにこういう場でこそ愛の再認識が行えるのかも知れないが、大勢の衆目に見守られているということは忘れてはだめだ。

 ……みんな箒ちゃんよろしく悶絶しているわけだが、この人数が同時でとなると心底から異様な光景でしかない。というかあまり見ていたら気が触れそう。

 ……ナツだけ見てやり過ごすことにしよう。そう、この場には僕ら二人しか居ないんだくらうのつもりで。あ、後は目指せヨーロッパ旅行も忘れないでおこう。

 

 

 

 

 



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第74話 努力の証を示すは

「ハルの描いた絵は、Cです!」

『ん~…………っ、正解!』

 

 お次は回答者を入れ替え、ナツには僕の描いた絵を見抜くというお題が課せられた。

 なぜ僕の身体的特徴ではないのかと聞けば、見事にスルーされたのでまぁそういうことなのだろう。

 ……僕に特筆する特徴がないと。ええ、そうですか。自覚があるだけに、なんだか逆にモヤモヤしますとも。

 で、件の絵なんだけど、そういえば死ぬほど忙しいっていうのに一枚描かされたっけな。あの強引さの原因はここにあったわけだ。

 絵の内容はなんでもっていうから、長閑な田園風景を描かせていただいた。それを他の三枚は精工に模写しているんだけど、ナツはどうやって僕の絵とわかったのだろうか。

 それは楯無先輩も気になるらしく、正解であることを告げてからなぜわかったのかと問いかけると、僕にとっても意外な答えが返って来た。

 

「細かな描写が全然違いますよ。ほら、この民家の瓦とか」

『ど、どこ? 申し訳ないけど、私にはまったく同じようにしか見えないのだけれど……』

「ハルの絵は瓦一枚一枚で、微妙に色の濃淡とか変えたりしてます。他にも木とか田に張られた水とか、とにかく細部までこだわるのがハルの絵ですから」

『日向くんの絵ってそこまで細かいの……!? え、日向くん、実際変えた!?』

「はい、変えてます……。むしろそのあたり怠ると、写真的な描写が疎かになっちゃいますから力入れてます……」

 

 ナツは絵に近づいて気付いた点について指さし説明しているが、楯無先輩をもってしても完璧まで違いを認知するまでに至らなかった。

 そこで描いた本人である僕に真偽を問いかけるも、正直なところ嬉し過ぎてそれどころではなかった。

 だって僕みたいになんとなくの雰囲気とか、そんな気がするとか曖昧な感じじゃなくて、ナツがものすごく僕の絵を見てくれてるっていう証拠じゃないか……!

 そう、力入れてるんです。入れたんです。むしろそういう瓦とか葉っぱとか、一枚一枚の違いを出すところにすごくこだわってるんです!

 画家の端くれとして、意図した描写を気付いてもらえるのは本当に嬉しいことだし、ましてや恋人であるナツがそこをわかってくれるなんて本当に嬉しい。

 あまりの嬉しさにいっぱいいっぱいになった僕は、顔を覆い隠してその場にしゃがみ込んでしまう。無理だこれ、しばらく立てそうもない……!

 

『あらあら、一夏ちゃんの私には違いが分かります発言で、尊いゲージのほうもだいぶ稼げてるわねぇ』

「も、もういいですから! 次行きましょう、次!」

「そうだね、そんなに騒ぐことでもないよ。きっと家族のみんなも見抜いてたろうし」

「そう言われるとなんか心が痛い! 嬉しいよ、ありがとう、大好きだ!」

「ちょっとちょっと、本当に気にしてないってば。私はハルの一番のファンなんだから当たり前だよ」

 

 思わず照れ隠しで次のゲームの開始を促してしまうが、ナツが隣でふと零した言葉に過敏反応。

 確かに語気に棘は感じられなかったが、誤魔化そうとしたのは間違いじゃないゆえに、気にするほどのことじゃないよね。というふうに受け取ってしまう。

 いや凄いことだよ。多分だけど我ながら無駄なくらいのこだわりなのに、それをキチンと僕の絵に対する知見で見抜くなんて。

 そうやって普通に称賛を示せばいいものを、テンパった末に僕は語彙力を急速に低下させつつ散文的に思いの丈を述べた。しかもナツを抱きしめながら。

 でも僕の杞憂だったらしく、ナツには少し困った様子が見受けられた。おかげでむしろ慰められてしまう始末。

 む、ナツがそう言うならいいんだけど、やっぱり嬉しかったら嬉しいって伝えるべきなのを思い知らされてしまったなぁ。

 ……よし、ならば、今度こそ次のゲームに行ってみようじゃないか。

 

『あら? もう進めていいかしら。んじゃまっ、タイトルコールから。事実は小説よりも奇なり!? 文芸部のしれーん!』

 

 楯無先輩のタイトルコールがなされると、四色のボックスは地面へと収納され、代わりにクイズ番組の回答席のようなものがせりあがって来た。

 席は三つ。着席しているのは文芸部の試練と題するだけあって、顧問の先生、部長、副部長のようだ。しかし、試練とはいったい……?

 

『今から二人にはフリーでトークをしてもらうわ。その最中に、恋愛小説もビックリなワンシーンを見出してちょうだい!』

「ええ、そんな無茶な!? 別に意識してやってるわけじゃないんですけど……。というか、それでしたらこの文芸部の人たちは何をしに?」

『彼女たちはいわゆる審査員ね。制限時間内に三人から合格を貰えれば、尊いゲージに大幅なブーストがかかるわ!』

「なるほど、いわばボーナスゲームってことですね。ハル、実現させるよ。事実は小説よりも奇なり!」

「どうしてそんなにやる気なんですかねぇ」

 

 というか、周りが勝手に僕らでカップリングを組んでるだけ――――いや、事実でもあるんだけど、そんなの意識してやれるはずもないではないか。

 付き合うに至るまでの大きな流れは、それこそ事実は小説よりも奇なりかもだが。親友がある日突然女の子になったって、かなり超常のできごとだし。

 それも多くの本を読んだであろう文芸部員及び顧問を納得させろって、かなりの高難度な気がしてならない。

 特別尻込みしているつもりもないけど、逆にナツはどうにもやる気に満ち溢れている。

 逆境だからこそ燃えるという熱血成分でもなさそうなんだが、どうしてそこまで乗り気なのか本当に不思議だ。

 しかし、う~ん……本当にどうやってクリアするべきか。考えれば考えるほど上手くいかなそうでもあるが、無策で挑むのもなかなか無謀だし。

 

『制限時間は五分! それじゃあ行くわよ、文芸部の試練――――ぁスタートっ!』

「「…………」」

「……黙るの!? あれだけやる気だったのに!?」

「う~ん、いや~……アハハ。思えばそれっぽいこと、皆がみてないところでやり切っちゃった感じもしない?」

 

 もちろんすぐ口を開くとも思ってはいないが、いつまでたっても両者ひとことも発さない。

 妙なやる気を見せていただけに、リードはナツなんだろうなぁとか思ってたらこれだ。流石にツッコミ魂が発動してしまったぞ。

 あ~……でも、ナツの言っていることも一理あるよなぁ。この間に至ってはプロポーズまでしちゃったんだし。

 くっ、こんなことなら温存をして、公開プロポーズにでもするべきだっただろうか。……でもそれってベタ? 文芸部を納得させるには足りないかも。

 とにかく、ナツが何も思いつかないっていうことなら、ここは僕から切り出すべきだ。これもまた分け合うこと――――だと思う、多分。

 

「……そうだ、前々から聞こうって思ってたことがあったんだった。ナツはさ、僕の右手のことをどう思う?」

「どう……って。……素敵な手だよ、とっても。ハルの全部がこの手に詰められてる。とっても、とっても、素敵な手……」

 

 無自覚というか気持ちを封じた状態ではあったが、ナツを好きになった直後くらいのことだろうか。

 僕はナツと互いの存在を確かめ合うかのように、ここにいることを伝えるかのように固く手を繋ぎ合った。

 その際に僕は、ナツの手の温もりや柔らかさを再確認し、ナツの手が届く範囲こそ僕のあるべき場所だと自覚した。

 そして反対にこうも思ったことを、ずっと聞かずにいたのを忘れてしまっていたようだ。

 ナツは僕の手に、何を感じ取ってくれているのであろうか――――と。

 僕の右手は絵の描き過ぎでタコができたり、擦り切れたり、爪が割れたりしちゃってお世辞にも綺麗とは言えない。

 絆創膏などで傷を覆い隠してはいるものの、シルエットはどことなく凹凸が目立つ。人によっては醜いとすら感じてもおかしくはない。

 それを推してもなお、ナツは僕の手を素敵だと評する。……そう言ってくれるのはわかっていたさ。いたけど、期待どおりのものが返ってくる喜びは、とても言葉で表現しうるものじゃない。

 

「きっと、痛いよね。苦しい、止めたいって思うこともあったりするでしょ? それでも、大好きなことのために頑張ってる。そんなこの手が大好き」

 

 正直、思う時もある。ぶっちゃけしょっちゅう。タコがつぶれたりしたときなんか特に。

 それでも、楽しいんだ。痛いことなんかどうでもよくなるくらい、絵を描くことが楽しくて仕方ない。

 そんな証拠である右手をナツは好きだという。

 

「それにね、触れるとすごく暖かいんだよ。体温もそうだけど、何より心が温かい。えへへ、きっと、私がこの右手が大好きだからだろうね」

 

 ナツは僕の手を取ると、自らの頬へ添えさせた。

 ……同じだ。ナツが同じことを想っていてくれたんだ。

 体温でなく、心の温もり。僕がナツの手に感じたことを、ナツが僕の手に感じてくれている。

 僕の手へ愛おしそうに頬ずりをするナツが、たまらなく愛おしい。

 

「……好き。全部、大好き。ずっと触れていてほしい。離さないでほしい。たくさん触られたい。んくっ……! 好き、好き、好き、大好きぃ……!」

 

 僕が思った以上に、ナツは僕の右手のことを気に入ってくれていたらしい。僕の全部が詰められていると豪語するだけはある。

 しかし、ナツは次第に大衆の前で披露するにはアブナイ方向へと進み始めてしまう。

 ナツは僕の右手を巧みに操り、指先や掌を己の各所へ触れさせていく。そして、その都度色帯びた声で好きと呟いた。

 いけない、このままでは本当に局部まで触れさせてしまいそうだ。……いけないと、思ってはいるんだけど。

 ナツの声色然り、表情然り、自身を触らせる手つき然り。どれをとってもまるでベッドの上でのそれで、だんだんと思考が溶けていくのを感じた。

 ……誰か僕を止めてくれ。でなければ自らの意志では自らの欲望を制御できない。あぁ、あぁ……! 理性を断ち切り、今すぐにでもナツを――――

 

「「「ああああああああああっ!」」」

「どーうなってんのこのカップル! なんで右手ひとつでここまで盛り上がれるの!?」

「日向氏の努力の結晶! ゆえに割とオリジナリティも高め!」

「書ける、書けちゃうよ! 画家とヒロインの短編くらいなら余裕で書けちゃうネタが波のようにぃ!」

 

 ……居たね、止められる人たち。

 絶叫が聞こえたかと思えば、ピンポーンなんて間抜けな音を出しながら丸が書かれた札が三つ挙がる。どうやら審査員三名が、合格を出してくれたらしい。

 目を向けてみると、三人が三人とも審査員席に突っ伏しながら何か騒いでいる。

 様子を見るにそもそもはいわゆるハルナツ派ではなかったようだけど、もしかしてまたしても信者を増やしてしまっただろうか。

 ともあれ、合格を出してくれたら何より――――なんだけど、かなり深く二人の世界だったから不完全燃焼感がすさまじい。

 ナツも自分があまり冷静でなかった自覚でも沸いてきたのか、なんだかモジモジとしつつ顔を伏せてしまった。

 僕は僕で、危うく理性がはじけ飛びそうになってしまっただけに気まずい。露骨にそっぽを向かないとやってられないくらいだ。

 

『かなり難しいお題のつもりだったけど、これも秒殺ぅ! はいというわけで、尊いゲージにブースト入りまーっす!』

「え、えーっと、もうあと一押しだね、ヨーロッパ旅行!」

「う、うん、この勢いでいただいちゃおう!」

 

 気づけばモニターに表示されている尊いゲージも、残り三分の一ほどでマックスなくらいのところまできた。

 そういえばお題はいくつ出されるのか聞いていなかったけど、このぶんなら次かその次くらいには達成となりそう。

 未だ心臓を打ち鳴らしながら漠然とモニターを眺めていたが、気まずさに耐えかねたらしいナツが声をかけてくれた。

 だけど当り障りのない返ししかできなくて、しかも動揺が隠しきれていないから気まずさが増してしまう。

 二人して恥ずかしくて押し黙ってしまうこれは、付き合いたての時期を思い起こさせる。そう考えると、僕らも随分と遠慮がなくなったものだ。

 

『勢い。うんうん、勢いねぇ。日向くんからいい言葉が聞けたわ。そう、何事も勢いって大事だと思うのよ』

「……僕はいったいなんの地雷を踏んだんだ!?」

「ま、まぁまぁ、聞いてみないとわからないし、何もそう焦らなくたって――――」

『と、ここで最後のお題を発・表! 勢いで! キスしちゃいなさい! それもかなり濃いやつ!』

「あいつ絶対に本物の馬鹿だ!」

 

 楯無先輩はまるで言質でも取ったかのように、僕の発した勢いという言葉を嫌なくらいに強調して含みを持たせた。

 これまでがこれまでだけに、悪戯絡みであの人には不安しか覚えない。僕はいったいどこに地雷の要素があったのかと頭を抱えてしまう。

 そんな僕を気が早いとナツは宥めるも、明かされたお題を聞くや否や態度を一変。いや、豹変と喩えたほうが近そうだ。

 だってあいつとか言っちゃってるし、怒りの臨界点でも超えて男だった時の口調が出てしまったのだろう。

 このままでは【だぜ】とか【だろ】とか思い切り口にしてしまうのでは? 流石に大衆の前でそれはよくないと判断し、今度は僕がナツを宥めにかかった。

 

「ナツ」

「ハル、止めてくれるな! やっていいことと悪いことの分別くらい、いい加減わからせてやらないと――――んむっ……!?」

 

 僕は放送席に向かいつつあるナツの肩を掴んで振り向かせると、そのまま喚き散らすために忙しく動く唇を奪った。

 一度熱した鉄がなかなか冷めないように、燃え上がってしまった僕の衝動はなかなかに抑えきれるものではない。

 地雷を踏んだと焦りはしたが、なんだか好都合に思えきたんだ。ナツを黙らせる、ナツを落ち着かせる、そして僕の欲望も満たされる。それが同時に解消できてしまうお題だったから。

 僕が不意打ち気味にナツと唇を重ねてから数泊置き、会場は悲鳴――――もとい黄色い歓声で包まれる。

 僕らのキスなんかで盛り上がるのは勝手だけど、別にファンサービスのつもりなんて微塵もない。

 ナツが落ち着いたというか、混乱でいっぱいいっぱいであろうところを見計らい、僕はそっと唇を離した。

 

「ぷはっ! はぁ、はぁ、はぁ……ハ、ハ、ル……?」

「人の目があるのになんでって? ごめんね、気が変わったんだ。人前とか関係なく、僕はナツとキスがしたくてしたくてたまらなかったから」

「それは、そう、だよ。私だって建前のつもりなんてない。ハルが求めてくれるなら、いつでも、どこでも。……けど、でも………」

 

 いつしか、というにはかなりタイムリーな話しで、さきほど家庭科室前でこのようなやりとりを交わしたばかりだ。

 そしてナツはこう言った。キスしたい? じゃあしよっか。私はいつでもどこでも構わないよ――――と。

 だからというわけじゃない。揚げ足取りなんてよくないしさ、さっきナツがそう言ったからしましたなんて、そんなことを言いたいわけじゃないんだ。

 実際に、ナツはこうしてかなり混乱してしまっている。多分、想像を絶する羞恥心だったのだろう。軽い気持ちでいつでもどこでも、なんて言えなくなってしまったみたい。

 僕が身勝手に欲望を抑えきれなくなったゆえにたどり着いた結論だが、思うことがひとつばかり。いや、結論どころか暴論なんだけど    

 

「ナツ、慣れって大事だなって思うんだよね」

「……大勢の前でして、慣れちゃおうってこと?」

「大まかに言えば。心配しないで、次があるかないかくらいの提案だから。ただし、もし受け入れてくれるのなら僕は――――思い切りいくことだけは覚悟しておいて」

「…………」

 

 大勢の前でキスをする方向に進めている僕にだって、抵抗感くらいは抱いている。だけど、僕はもうそんなもの打ち捨ててしまいたいんだ。

 真の意味でTPOを弁えることのない振舞いを。そのためには慣れが必要で、慣れるためには必ず初めてという壁を越えて行かなくてはならない。

 そのためにこの舞台はちょうどいいんじゃないだろうか。……なんていう考えが浮かぶくらいには、トチ狂っているという自覚もあるけど。

 だけど僕の我儘を、欲望を、何もナツに強要するつもりはない。そもそも馬鹿げていることには変わりないんだから。

 だからこそ僕は、まるで脅すかのような口ぶりでナツがある程度断り易いよう仕向けた。

 しかし、そんなことは無意味も無意味。だって僕を見上げるナツの顔は紛れもない女の表情で、それが全てを物語っているから。

 

「ナツ……」

「ハル……」

 

 僕もナツも、熱い吐息を漏らすかのようにして互いを呼び合う。こんな喧騒に包まれているのに、驚くほどにハッキリと聞こえた。

 それはきっと、耳でなく心で聴いているから。そう、振るわせるのは鼓膜ではない。心を振るわせるのだ。

 僕がナツの細い腰に腕を回すと、ナツは僕の首へと腕を回す。少し背伸びしている姿がなんとも可愛らしい。

 後はもう、目を閉じ互いの距離をゼロにするだけ。……だけなんだが、我慢に我慢を重ねただけに、果たして僕いったいどれだけ理性を保っていられるだろう。

 

――――――――――――ガコン!

 

「っ……!? 今のはなんの音――――」

「ハル、足元!」

「なっ、煙幕だって!?」

 

 何か重苦しい鉄の戸でも開いたかのような音が聞こえた。

 気のせいで済ませるにはあまりにお粗末。キス寸前だったがすぐさま頭も気持ちも切り替え、音の出所を探るべく周囲を見渡す。

 だが一歩遅かった。僕らの足元に野球ボールほどの大きさの球体がいくつか転がってきたかと思えば、それは勢いよく煙を噴射し文字どおり煙に巻かれてしまう。

 これは亡国機業が釣れたとみて間違いはないんだろうけど、アリーナ下の地下空間から仕掛けてきてるってことか……?

 だとしたら下手に動くのも、この場に留まっておくのもまずいっていう半詰みくらいの状態に追いやられているかも。

 ならば話が早い。僕のすべきことはただひとつ。

 

「ナツ、絶対に僕の傍から離れるな!」

「ハル……。うん、私はここにいるよ!」

 

 この煙に乗じて分断されました。なんて間抜けなことだけは絶対にないよう、僕はナツの手を固く握った。

 なんとも心強い返事をいただけたもんだ。私はここにいる。キミがそう言ってくれるだけで、いったい僕がどれだけ救われることか。

 僕が握ったナツの手をナツが握り返してくる。僕はそれを更に握り返した。と同時に、またしても鉄の戸が開くような音が響く。

 音の近さからするに僕のほぼ真下。という予想に相違なく、アリーナの芝生の一部がハッチのように開かれているではないか。

 そこから延びてくるのは、どこか見覚えのあるような女性らしき腕。その腕は僕の足首を異様な力で掴み上げ、地下空間の暗闇へと引き込んでいくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「釣れた! 虚ちゃん、後のことお願い!」

「畏まりました」

 

 煙幕が晴人と一夏の両名を包むと、アリーナのアナウンス施設に待機していた楯無は、険しい顔を隠そうともせず席から立った。

 観客席は突然の煙幕を演出と疑う者や、何か悪い予兆であることをどことなく感じ取っている者などが盛りだくさん。

 これらを鎮める大変な役を頼れる専属メイドに任せ、己はもっともっと大変で、なおかつ最優先事項である晴人と一夏の援護をすべく急ぎ部屋を飛び出ようとした。

 しかし、ある一方が楯無を足止めさせる。どうやら専用機の回線をを用いた通信で、発信者は愛すべき妹。

 だが現状あまり構っている暇がないというのも事実。

 楯無は珍しくも妹である簪に対し、どことなく棘が見え隠れする口調や態度で通信を始めた。

 

「簪ちゃん、どうしたの?!」

『ま……ずい……! すごく……まずい……!』

「っ!? もしかして増援?!」

 

 耳元で聞こえたのは、抑揚のない喋り方をする簪にしては珍しく、焦りがとてもわかり易く伝わってくる声色でのシンプルな現状報告。

 敵の増援を見張っていた簪がまずいと言うのだ。報告したい内容は敵増援であることはわかるが、それを推してこの焦りよう……。

 楯無の背中に、どこかゾワリと悪寒がとおりすぎていく。なぜならそれは、想定しうる最悪のパターンでしかないのだから。

 

『敵増援一機……。ごめん……なさい……! 一機相手に、壊滅状態……!』

(っ~~~~! なんで増援が、なんて考えてる暇はない! 私にできる最善は、いったい何かを考えないと!)

 

 楯無が得た情報によれば、敵増援はほぼ100%来ない――――来なかったはずだ。なのにこうして現れ、たった一機で専用機六機を壊滅状態に追い込んでいるというのだ。

 ゆえに楯無は、この想定外の状況をどうやって打開するかという課題に対して脳をフル回転。

 

(いっそ通して三対二の状況に……? いいえ、一人で六人を追い込む実力者を、防衛目標の前に連れて行くわけにはいかないわ! だとすれば――――)

 

 増援が現れたのだとすれば、その目的は晴人と一夏を狙ったメンバーの援護と考えるのが妥当。

 であるならば、これ以上簪を始めとした六名への損壊を避けるため、あえて通させるのもひとつの手である。

 そんな考えが浮かんだものの、あまりにもリスクに対してリターンが見合わない。

 増援の方は六機を壊滅させる実力と断定されたが、潜入していた構成員の実力は未だ不明のまま。

 もし仮に増援と同等の実力を有していた場合、同時にかかられてはいくら楯無であろうとも厳しいとみていいだろう。

 楯無としても苦渋の決断。自らの役割を放棄するに等しい行いに罪悪感を覚えながら、二人を信じるという選択肢を導き出した。

 

「増援の足止めに向かうわ。簪ちゃん、私が行くまではなんとか耐えて!」

『一夏と日向くんは……!?』

「私が足止めしている間に、倒しきってくれると信じるしかないわ」

『っ……! 了……解……!』

 

 二人が潜入していた構成員を倒してしまえば、形勢は一気に逆転する。楯無は二人が自分の援護なしにやってくれることを願うしかできなかった。

 楯無の判断に思わず聞き返してしまった簪だったが、それもこれも己らの不甲斐なさのせいであることを思い出した。

 増援を完璧に抑えきってしまえば、楯無は滞りなく二人の援護に向かうことができた。それをさせなかったのは、言い訳のしようもなく自分たちなんだ。

 そんなネガティブな思考が過るも、タラレバの話をしている暇もないというのもまた事実。簪は己の未熟さを痛感しながらも、ただ楯無の到着するまでの時間稼ぎへ尽力した。

 

「……虚ちゃん、援護に向かえない可能性が高いのは伝えておいて」

「畏まりました。……ただ、あまりお気に病まぬよう願います」

「ええ、そうね……訂正するわ。とっとと倒して、必ず向かうって伝言お願い!」

「はっ。お嬢様、どうかご無事で」

 

 楯無も楯無で不甲斐なさに駆られているのか、眉間に皺を寄せて随分と頭が痛そうな表情を浮かべる。

 そんな楯無から下された命令を、虚はでしゃばることなく淡々と受け止めた。……が、ただひとことだけ、それもまた従者として必要な気遣いを見せる。

 過度ではないが確かな労いの言葉を耳にして、楯無はとても救われた気分だった。だからこそ、従者にふさわしい主でいなければならない。

 取り繕っているのは一目瞭然だが、楯無は纏わせる雰囲気を軽くてノリのいいお姉さんの状態へと切り替えた。

 そして自らの健闘を祈る優秀な従者に対し、力強いサムズアップを見せ、それから今度こそ管制室から飛び出してゆく。

 

 

 

 

 



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第75話 スルト

――――――――――――日向 晴人及び織斑 一夏 接敵数分前

 

「だーっ! ほんっと腹立つ!」

 

 IS学園を有する土地を囲むようにして、かなりの広空域に陣を形成。更に上から見ると六角形の頂点に位置するように、各専用機持ち六名が配備されていた。

 するとわざわざ回線をオンにした状態で、鈴音は苛立っていることを端的に示す台詞を吐いた。実を言うならこれで既に数度目。

 初めのうちは悪い癖だと無視を決め込んでいた他の五人だったが、いい加減に煩わしくなってしまったのかセシリアが反応を示した。

 

「先ほどからいい加減にしてくださいませ。それでいったい何度目ですの?」

「だってそうでしょ! なーんで襲われるのがわかってて、来るかもわかんない増援の警戒なんてしなきゃなんないわけ!?」

 

 鈴音はどこかドライな部分があるものの、一度信頼を築いた相手に対しては全力を持って力になろうとする傾向がある。

 そんないわゆる友達想いな鈴音にとって、晴人と一夏というのは何を投げうってでも力になりたい相手だった。

 そのレベルに達する二人が襲われるということはほぼ確実。だというのに、黙って見ていなければならないこの状況が歯がゆくてしかたないのだ。

 

「鈴、説明されたとおりだよ。黙っていたのは迎撃の情報が漏れるのを防ぐため。それに今日は一般のお客さんもたくさん来てるんだから、僕らが駆り出されるのは当たり前」

「これだけの戦力を割くのも致し方なし、か。確かに、もし現れたなら通すわけにはいかんな」

「もしね、もし!」

 

 だが晴人と一夏を助けたいと思い、歯がゆさを感じているのは鈴音を除く五人も同じことだった。

 それだけに、理由がわかっていてまだ喚くのかと、シャルロットは珍しく低めの声色で鈴音を宥めにかかる。

 いや、遠回しだがわかったから黙っていてほしい。というのがヒシヒシと伝わってくるかのようだ。

 もちろん晴人や一夏も大事だが、不当に巻き込まれる可能性が大いにある一般人のことを考えなければならない。

 箒は難しい話だと溜息を吐くも、きっとあの二人ならば無関係の人間が巻き込まれるのを最も嫌うだろう。という思考に切り替え、違う意味で二人のために戦おうと決意を新たにした。

 が、もしもの話の領域を出ないために、あくまで鈴音が突っかかってくる。このまま売り言葉に買い言葉の応酬が始まってしまう。

 と思いきや、あらゆる物事を完全に無視して警戒に当たっていたラウラが、思わず背筋が伸びてしまう勢いである報告を述べた。

 

「っ……! 来たぞ、十時の方角! 敵影一機、コアは未登録だ!」

(本当に来た……!? どこかで情報が漏れた……っていうのはあり得ない……。それは更識である私が一番よくわかってる……。だから……解せない……!)

 

 ラウラの報告を受け、専用機持ち一同は一斉に十時の方角へ向き直りながら、ハイパーセンサーを用いて敵増援を捉えた。

 そして敵機を迎え撃つべくラウラが集合をかけた位置へ向かう最中、簪は自身が更識の一員であるからこそ覚える違和感に顔をしかめる。

 更識内部にスパイが居ることはありえない。情報統制を守れないマヌケなんて居ない。学園でだって、自身らも徹底して迎撃の用意がある情報は守り切った。

 にも関わらず、現にこうして援護へと向かってやってきてしまっている。それだけに、これではまるで未来予知でもされたとか、オカルトティックな方向へもっていかなければ逆に納得がいかない。

 

「奴め、正々堂々と真正面からとは」

「しかもご丁寧に単騎でね!」

「実力の裏返し……」

「簪の言うとおりだろうな。みな、心してかかるぞ!」

 

 何も箒だって裏をかいてくれることを期待しての発言ではないが、あまりの堂々っぷりに、悪の組織とはいったいなんていう考えが過ってしまう。

 鈴に至ってはその余裕とも取れる行いが癪に障るのか、注釈を入れつつ歯をむき出しにしながらハイパーセンサーに映る敵機を睨みつけた。

 だが余裕とすら感じる単騎での正面突破こそ、敵増援の実力に裏付けされた自信の表れである。

 これが罠でない限りは、間違いなく簪の読み通り。自分たちに対しては裏をかく必要すらない。という評価を与えられているのだ。

 正直なところ、鈴音ほどまでとはいかないながら、全員がそれなりに苛立ちというものを覚えていた。

 だがラウラの軍人然とした号令が、場を引き締め心を冷静にさせる。

 心してかかれという指示のもと、全員は主兵装を展開しいつでも迎え撃てるよう構えの体勢に入った。

 

「…………」

(随分と変わったISですわね。第三世代機。それも専用機であることは間違いなさそうですが……)

(全身真っ黒……っていうか、塗装されてない? まるで鉄そのものだ)

(各所に排熱機関らしき構造を確認。……肩甲骨付近の非固定機構も気になるところだが)

 

 口頭で会話できる範囲までたどり着くと、敵増援は足を止め何をするでもなく宙へと佇んだ。

 それを契機に、ヨーロッパ出身の専用機持ち三名各々は分析を開始。少々風変りに思える専用機と思わしきISの細部までを眺めた。

 そのISは全身黒。それもただ黒いのではなく、一切の塗装がされていない、なんとも味気のない黒鉄色とでも表現すべき風体だった。

 それにディテールも西洋の鎧を思わせるどころか、割とストレートに鎧風のデザインになっている。これで胴体にも装甲があったなら、第一世代機と勘違いされてもおかしくはない。

 そしてラウラが注目したのは装甲各所に見受けられる排熱機関。背中というよりは、肩甲骨あたりに浮く何かの骨組みのような形状をしたスラスター? であろう特殊な機構。

 やはりどれをとっても異質に見えるが、全員ヘイムダルという超ド級異質ISを見慣れているために疑問は大きくなさそうだ。

 そんな変わったISを駆る操縦者について、全員が共通して感じ取ったことがひとつ。年齢は自分たちと大して変わらなさそうだということ。

 バイザーで顔を覆い隠しているため印象は薄れるものの、体つきからして恐らくはアジア系。長い黒髪からしてもそう予測ができそうだ。

 しかし手足はスラっと伸びていて、まるでお人形のよう。きっとこういう場で出会わなければ、テロリストの一味なんて思いもしないはず。

 

「指揮官ないしリーダー格はどいつだ」

「…………。一応は私が勤めているが」

「名を聞こう」

「礼儀知らずめ。人に名前を尋ねるのなら、まず自分から名乗るのだな」

「そいつは失敬。私の名はスルト。亡国機業(ファントム・タスク)のスルトだ。ほれ、名乗ったぞ」

 

 敵増援が口を開いたかと思えば、投げかけてきた質問は代表者が誰かを尋ねるものだった。

 思わず六人は顔を見合せたのち、ラウラが少しばかり前へ出る。もちろん、他のメンバーは主兵装を向けたままだ。

 今度は名を尋ねられ、それに対してラウラはあくまで強気な姿勢でまずはお前からだと返す。

 人によっては怒らせかねない態度だろうが、敵増援はあまり気にした様子を見せない。そして返されたラウラの問いに対し、敵増援は自らをスルトと名乗った。

 私は名乗ったのだから次はお前だ。そんなスルトに、ラウラはどこか様子を伺うようにフルネームを教えてやる。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ。所属はIS学園及び、ドイツ軍IS部隊シュヴァルツェア・ハーゼ。階級は少佐だ」

「ではボーデヴィッヒ少佐。貴官にひとつ提案がある」

「内容次第だ。話せ」

「大人しく撤退命令を下せ。私の目的に貴官らとの交戦は含まれていない」

 

 スルトの言い放った提案とやらは、要するに戦うだけ無駄であるという趣旨のもので、これもまた自信に裏打ちされた実力によるものだった。

 これには大多数の専用機持ちがカチンと頭に苛立ちが過るが、それでいて幾人かは冷静に力関係というものを正しく読み取れていた。

 こちらは専用機持ち六人。それでいてスルトの堂々とした態度がハッタリでないとするのなら、勝てる気でいるというのなら、勝機が薄い可能性が高い。

 それでもだ。素直に言われたとおり、スルトを晴人たちの前に通すわけにはいかない。自分たちの無事と引き換えてとするならなおのこと。

 

「我々の答えは、聞かずともわかっているのではないか?」

「アタシの親友二人も狙ってる時点で、避けて通させてたまるもんかっての!」

「同じく。二人の安寧を脅かす気ならば、名誉会長として貴様を斬る」

「今度は僕が二人を助ける番だ。だから悪いけど、戦ってもらうよ」

「まずテロリストを見過ごす道理もありませんわ」

「…………以下同文……」

 

 ここにいる全員は、何のためらいもなく晴人と一夏のために命をも賭けられる。なぜ? 理由は単純明快。もし立場が逆だったとして、晴人も一夏も自分たちのために命を懸けてくれるから。

 ここにいる全員は、そんな頭がおかしい域に達するお人好しな二人のことが大好きなのだ。

 大好きだから守りたい。戦う理由はそのくらいで十分。むしろスルトのおかげで、モチベーションは数割増しで向上したように感じられる。

 そんなやる気を垣間見させた一同を前にして、スルトは少し困ったように後ろ頭を掻いた。

 困っている理由はいかほどだろう。労力の無駄と感じているのか、言い方が悪かったかと反省しているのか、争いは避けられないと痛感しているのか、はたまた……。

 いずれにせよ交戦は必至ということには納得したのか、手元に身の丈を軽く超えるほどの大きさを誇る大剣を展開した。

 ただ、それを剣と呼ぶにはいささか適当でない。なぜならそれはスルトの纏っているISと同じく、どこからどう見たって剣の形をした鉄塊に過ぎないから。

 一応刃に当たる部分は細く仕上がっているが、研ぎ澄まされた白刃は見受けられない。これでは大剣の利点である叩き斬るという効果が発生しないどころか、ただの鈍器と何ら変わりない代物であろう。

 スルトがどういう意図があるのかまったく読めない獲物を軽く振り回すと、次の瞬間――――生温い温風のようなものが一迅過ぎ去っていった。

 

「そこまで言うのなら仕方ない。アイツの友人であるならなるべく傷つけたくはないが――――」

「……ねぇ、僕の気のせいだとは思うんだけど、なんか熱くない?」

「いや、この感じは確かに……。……まさか、奴のISが鉄そのものなのは!?」

()け、レーヴァティン。跡形は残る程度に焼き尽くす」

 

 ISを装備している限り、生命維持機能等の関係で、高低かかわらず極度な温度は感じることはできないはず。

 だがシャルロットが気のせいにおしておきたかった熱さは、この場に居る全員が間違いなく感じ取っていた。

 それこそ今にも汗が噴き出て止まらなくなりそうな温度に対し、ラウラはスルトのISが黒鉄そのものであったことと関連づけ、この異様とも取れる温度上昇の元凶を察した。

 だがもう遅い。

 北欧神話においてスルトが、ラグナロクの際に振るった剣とされるレーヴァティン。

 そんな神話の登場人物であるスルトのコードネームを冠した少女が再度剣を振るった瞬間――――機体のあらゆる箇所が展開し、そこから業火が噴出した。

 

「熱っ……!? あっつ! ちょっと、洒落になんない熱さなんだけど!」

「距離を置いてこの熱さだぞ!? 熱源になっているはずのアイツは、どうして平気そうなんだ!?」

単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)の類と考えるのが妥当ですが、それにしたって……!」

 

 スルトのISが塗装が施されていない理由。それはこのとおり、まず塗る意味がなにひとつとして存在しないからだ。

 塗ったところで、噴き出る炎のおかげですぐさま剥がれてしまうという、それだけの話である。

 装甲は自らが放つ炎で赤く染まり、ついには赤を通り越して白い部分も見受けられる。本当に排熱機関は機能しているのだろうか。

 それはスルトが構えている大剣――――レーヴァティンも同様で、まさに灼熱と呼ぶにふさわしい様相を呈していた。

 そしてなにより、例の肩甲骨付近にある非固定機構から噴き出る炎は特徴的で、風に揺らぐそれはまるでマントでも纏っているかのよう。

 そんな炎の化身にでもなったかのようなスルトは、傍からみるとどこか神々しさが感じられるが、悪魔のような恐ろしさも併せ持っているかのよう。

 

「どうした、来ないのか? それならばこちらから――――」

「先手必勝……!」

「……悪いが私に実弾兵器は効かんぞ。ハアアアアッ!」

 

 炎の放つ熱波に動揺していると、スルトは今すぐにでも斬ってやろうと言わんばかりに接近を試みた。

 だが簪は、既にスフィア・キーボードに必要な演算処理を入力し終えており、山嵐から容赦なく数十発のミサイルを射出させた。

 台詞を強引に中断されたこともあってか、スルトは何か言いたそうにしながらも、アドバイスとも取れる言葉をぼやいた。

 そしてその場で一回転しながらレーヴァティンを豪快に振り回すと、スルトを中心にするようにして、炎の波が全方位へと広がる。

 かなりの広範囲にまき散らされた炎の波はミサイルを一気に呑み込み、その炎が火薬へと引火して一斉に爆発。

 そこらが爆炎に包まれるが、スルトに到達することは間違いなくないだろう。なるほど、確かにこれは言葉どおりに実弾兵器が有効とは言えない。

 

「攻撃範囲が尋常じゃない……!」

「お前たち、いつまでも熱さに動揺している場合では――――」

「よくわかっているのは結構なことだが、人の心配をしているようでは指揮官失格だぞ。少佐殿」

「ラウラ!」

 

 恐らくスルトに専用機持ちを直接攻撃する意図はなかったろうが、広がった炎の波の余熱ともとれる業火が人体に影響を及ぼす。

 あまりにも未体験ゆえに動揺が大きい仲間たちを、ラウラが鼓舞しよう声を上げかけたその時だった。猛スピードで煙幕を突き破り、スルトがラウラへと迫っていく。

 みれば、先ほどまではためくマントのような形状だった背中の炎が、翼のような形状に変化し確実にスルトの機動力を押し上げている。

 皮肉なことに周囲への気遣いが仇となり、一瞬の隙を突かれてしまった。ラウラはそのままISスーツの襟首を掴まれ、グングンと仲間たちから離されていく。

 

「ぐああああっ! せ、接近しているだけでISがダメージを受けるなどと!?」

「残念だがそれだけではないぞ。安心しろ、一発で気絶までもっていってやる」

「排熱機関が閉じた……? まさか!? クソっ、このままでは――――」

 

 それなりに距離を置いても熱を感じたと言うのに、掴まれたともなれば文字どおり身を焼かれるかのような痛みが襲う。

 それにダメージを受けていることを、シュヴァルツェア・レーゲンは顕著に表していた。ハイパーセンサーに表示されたシールドエネルギーが、見る見るうちに減少していくではないか。

 恐らくこのまま掴んでいるだけでも戦闘不能までもっていけるのだろうが、スルトは呟いていたとおりに甚振る気はまったくない。

 だからこそせめてもの情けだ。スルトがそう宣言した直後、全身に確認された排熱機関のうち、ラウラを掴んでいる右腕のものがすべて閉じた。

 肝心要であろう機関を自ら閉じたとなれば、考えられる理由はひとつ。瞬時にそれを察したラウラだが、残念なことに掴まれた時点で定められた運命――――

 

「爆ぜろ」

 

 排熱機関を閉じたことにより、燃えるスルトの腕は冷却の手段を完全に失った。そしていつしか蓄積されていった熱は逃げ場を失い、ドカンと大きな音をたてながら盛大に爆発。

 煙が晴れてみれば、ダランと力なく四肢を寝気出したままスルトに掴まれたままのラウラの姿が。

 シュヴァルツェア・レーゲンを纏ったままであるため、命はあると思って間違いなさそうだが、それもこれも全ては後にかかっているだろう。

 それはなぜか。スルトがパッと手を離したからだ。

 あまり傷つけるつもりはないと言いはしたものの、流石に敵として優しく降ろしてやる義理もない。といったところだろうか。

 

「まず一人」

「ラウ……ラ……? ラウラアアアアっ!」

「シャルロットさん、落ち着いてくださいませ! ここでラウラさんを助けに入っては、彼女の思う壺ですわ!」

「格好の的……。悔しいけど……耐えて……!」

「くっ……! みんなお願い。彼女を倒すために力を貸して!」

「当たり前でしょーが! ってか、端からそのつもりだっての!」

 

 空中で手を離せば、重力に従い地に落ちていくことなど自明の理。

 幸いにもISそのものが機能していることに重ね、ラウラが落ちた先は学園各所に点在する雑木林。

 木がクッションの役割を果たし、気休め程度ではあるがダメージを軽減してくれたことだろう。

 あまりにもあっけなくラウラが脱落したせいか、それまで呆然と立ち尽くしていたシャルロットは、その光景を目の当たりにしてようやく我に返った。

 普段から親交が深いために取り乱しかたも半端ではなく、スルトの存在も忘れて落ちていくラウラの救助へと向かおうとする。

 それを止めたのはまだ冷静でいられる周囲の仲間たち。確かにスルトであれば、ラウラを追いかけた隙を逃さず狙うことだろう。

 晴人と一夏、そしてラウラのためにも易々と倒れるわけにはいかない。シャルロットは歯噛みしながら自分にそう言い聞かせ、己を止めてくれた仲間に力を乞う。

 鈴を始めとした多くの仲間たちが気合のこもった眼差しをスルトに向ける中、どうにも箒は胸中に違和感のようなものが渦巻き始めた。

 

「スルトと言ったな。お前、どこかで私と合ったことがないか?」

「アンタも? 実はアタシも、なんか既視感みたいなのがあるのよね……。ねぇ、そこんとこどうなのよ!」

「…………。さて、少なくとも私は初見だが」

 

 箒は眉間に皺を寄せつつ、記憶の海からスルトの姿を探り当てる。が、目の前の少女とに該当する人物の存在は、断言していいほどにまったくない。

 にも関わらず、箒はスルトに見覚えや既視感。そして敵である以上口が裂けても言えなかったが、なんなら親近感すら覚えているまである。

 どうやら鈴音も箒と似たような感覚を抱いているようで、ストレートに直接本人へと訴えかけた。

 仮に会ったことがあるにしても、スルトがテロ組織に所属している限り、真相が本人の口から明かされることはないだろう。

 嘘か真か、スルト本人はやはり事実を否定。しかし、簪はスルトが一瞬だけだが沈黙したのを見逃さなかった。

 もっとも、その仕草は逆に簪を混乱させてしまうわけだが。

 

(戦闘直前に言ってたアイツの友人(、、、、、、)……。見覚えを感じてるのは箒と鈴……。そう仮定するのなら、あのスルトって子は……)

 

 現段階では推察の域を出ない想像だが、いくつかスルトの言葉の端々。そして箒と鈴音の証言を繋ぎ合わせると、あるひとつの可能性が浮上する。

 だからこそ解せない。簪の推察が真実だったとして、晴人と一夏及びその周辺人物を過去から洗って、やはりスルトに該当するであろう人物は存在しなかったからだ。

 一時期はわだかまりがあったものの、簪は更識の諜報力やら、そのあたりのことは心底から信頼している。

 なのに該当なし。その矛盾する事実が、簪の中にあるスルトへの疑念をどんどん大きくさせるのだ。

 

「私が何者かなど、どうでもいいことだろう。私とお前たちは互いに憎み合う敵同士。それだけのことだ!」

 

 箒と鈴音の質問を受けて構えを解いていたスルトだったが、ごもっともな台詞を述べながらレーヴァティンを振り回した。

 これを契機に灼熱が周囲一帯を襲い始める。

 ラウラという強者の脱落で烏合の衆になりかけた専用機持ちたちだったが、仲間のためにも勝利をという想いが働き始め、もはや熱に対しても微塵の動揺もない。

 しかし、残された五人は単純なる実力差というものを嫌というほど思い知らされることになる。

 簪が楯無へ救援要請を出したのは、戦闘再開からすぐのことだった……。

 

 

 

 

 



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第76話 魔の手の正体

「うわぁあ!? いっだ!」

「ハル、大丈夫!?」

「う、うん。痛いには違いないけど、そこまで高さがあるわけでもないから。それより、ナツは平気?」

「このとおり。ハルが守ってくれたから無傷だよ。ありがとう」

 

 咄嗟にナツを抱きしめたのはファインプレーとして、引きずり込まれたということもあってまともな着地はできなかった。

 背中から叩きつけられてしまったが、大した高さではないおかげでそう騒ぐようなことじゃない。といいつつ、もう少し高かったら呼吸困難になってたかも。

 僕はいたたと呟きながらナツを離して上半身を起こすと、案の定血相を変えながらこちらの安否を問う。

 偽りなく自身の状態を聞かせると、安心したような表情を見せてくれた。それこそ、こういう時ナツに嘘をついていいことはない。

 というか、僕からしたら僕よりもナツなわけで、ちゃんと守ることができたか聞いてみる。

 するとナツは、非常に表情を蕩けさせながら無事だと口にした。……こちらこそありがとうございます。何がとは言わないけど。

 

「それにしても、ここはアリーナの地下通路……だよな。ここに引き込まれたってことは、かなり学園の細部まで熟知されてるってことかも」

「考えたくはないけど、学園に内通者なんかが居たりしないよね」

 

 和やかムードはこのくらいにして、確実に周辺に敵が居るんだから気を引き締めないと。まずは現状の確認から、かな。

 場所はアリーナ地下通路で間違いないんだけど、随分と狭い場所をフィールドに選んできたな。そのままアリーナ内で襲ってきた方が、向こうも戦い易かったのでは?

 だけど僕らが二人ってことを考慮されたとかかな。狭い道が真っすぐ続くこの状況下、他人数での有利を存分に生かせないかも。

 しかし、どうして地下通路の存在や、アリーナ内部と直接通じる隠し扉の存在を知っていたのだろう。

 と考えた時、残念なことにナツが挙げた例の可能性も考慮しないとならないな……。その場合は教師っていう線が妥当――――

 

「人聞きの悪い考察は止めてやりなよ。安心しな、ウチの独自調査による結果だ」

「誰だ!?」

「誰だぁ? おいおい悲しいじゃねぇの。さっき会ったばっかだってぇのによぉ」

 

 突如として、地下通路内に僕ら以外の声が響いた。すかさず臨戦態勢に入りつつ、無駄とわかっていても一応何者かと問いかける。

 すると、向こうは幾分か楽しそうというより、意地悪な口調で僕と会ったことがあると示唆した。

 確かにそう言われてみれば、どことなく声に聞き覚えがある。……いや、少し低めになってるけど、この声あの人のもので間違いない!

 前方後方どちらから来ても対処することを考慮し、背中合わせになっていた僕とナツ。すると、まるで狙っていたかのように、薄暗い通路の奥から現れたのは――――

 

 

「巻紙さん……!」

「知ってる人?」

「いや、そこまで知ってるってほどでは。さっきお客さんとして来てくれた人だよ」

「んまぁそういうこった。上手くかわされちまったけどな」

 

 レディーススーツを身に纏い、大人の余裕に溢れた女性というのは仮の姿だったらしい。

 ビジネススマイルとはいえ、ニコニコと人当たりのよさそうな笑顔を浮かべていたのが一変。たったひとことで凶悪と表現できる、そんな表情に変化していた。

 口調も荒々しい品性を感じられないものになっているし、これが素だとするならかなりの演技派だな……。地下通路を自己調査したことといい、敵ながら天晴な諜報能力だ。

 思えば、僕への過度な接触をしてきたのはこの人だけだった。あの段階でどうにか怪しさを覚えることができれば、もっと早期に抑えることができたろうか。

 自分で言うのもなんだけど、こういう時ばかりは人を疑えない部分が短所に思えるな。

 

「率直に聞きます。あなた達の目的はなんなんですか!」

「あ~? 目的ねぇ。そうだな、率直に言や――――」

「っ……青色の塔盾(タワーシールド)!」

「そっちのお嬢ちゃんをいただきに来たってところだよ!」

 

 僕らには狙われる理由を知る権利というものがある。答えてくれるとは思っていないが、素直に質問を投げかけた。

 すると巻紙さんはクックックと不敵な笑みを零すと、次の瞬間ISを展開――――って、アレは本当にISでいいのか!?

 ヘイムダルなんていうゲテモノISを扱ってる僕の目にすら、巻紙さん操る専用機と思わしき機体は異形そのもの。

 蜘蛛の形をした下半身から、女性の上半身が映えているようなこのディテール。まるでフィクションで見かける蜘蛛女だ。

 複数の脚をガシガシと鳴らしながらこちらへ迫る姿は、脚の多い生物が苦手な人が見たら発狂するのでは。というくらいにはリアル。

 僕も思わず狼狽えてしまったが、すぐさまヘイムダルを展開して右腕を青色の塔盾(タワーシールド)に変形させ、振り上げられた蜘蛛型ISの脚を受けた。

 なるほど、脚の先端部分が刃物に――――何っ、ナツの誘拐が目的!? くそっ、いろいろ情報過多で頭の整理が追い付かない!

 とにもかくにも、向こうの目的は割れた。僕が目的に入っていないのなら、積極的に注意を惹くことでナツへの注意を逸らすことができるだろう。

 ただ僕の奥さんは、黙って見てられるほどお淑やかな女性ではないけどね!

 

「ハル!」

「わかってる!」

「おっと、そうはいかねぇぜ!」

 

 青色の塔盾(タワーシールド)を強く押し出すことによって脚を除けると、右腕の変形を解除してできるだけ身をかがめる。

 ヘイムダルは巨体ゆえ悠々というほどの余裕はないながら、隙間を縫うようにして真雪を構えたナツが斬りかかった。

 当然ながら通常の武装も持ち合わせているらしく、巻紙は両手にカタールと呼ばれるタイプの剣を展開しナツの攻撃を防ぐ。

 

「い~い太刀筋だ。が! 私のアラクネを前にしちゃ、剣の腕なんざ関係ねぇ!」

「くっ! ふざけた見た目にみえて、意外と、理に適ってる!」

 

 カタールとの鍔迫り合いを繰り広げるナツに対し、行われたのは他の脚による同時攻撃。これぞまさに手数が違うというやつ。

 ナツはすぐさまカタールから真雪を離して防御の体勢に入るが、六本の近接武器を前にして防戦一方。反撃の瞬間を見出せないのか、徐々に後退していく。

 真雪一振りでよく凌いでいるまであるが、このまま静観しているのはあまりにも旦那として失格だ。というわけで――――

 

「ナツ!」

「うん!」

橙色の熱線(ヒート・レイ)!」

「なっ……ぐおおおおおっ!」

 

 名前を呼ぶのみでの意思疎通を図り、僕らはまたしても前後を入れ替わることで攻め手も交代。

 今回変形させるのはオレンジの機構。橙色の熱線(ヒート・レイ)だ。

 四連装からなる高出力レーザーを間髪入れずに発射するが、ナツはあえてスレスレで避けることによって目くらましの役を買ってくれたみたい。

 オレンジの光を放つレーザーはそのまま真っすぐ突き進み、見事アラクネなるISにヒット。甲高い金切り音を響かせ、強制的に機体を通路の先へと追いやっていく。

 

「ちぃっ! てめぇも一緒に着いてきな!」

「わっ! な、なんだこれ、蜘蛛の糸……!?」

「待ってて、すぐに斬るから!」

「いや待った! ま、ずい……体勢が、崩され――――うわああああっ!」

「ハル!」

 

 巻紙さんがアラクネの掌を僕に向けたかと思えば、そこから何かが射出され橙色の熱線(ヒート・レイ)に付着した。

 それはアラクネのデザインからして蜘蛛の糸のような物質で間違いなく、橙色の熱線(ヒート・レイ)の熱にも負けずはがれる様子はない。

 それにこの引っ張られる感じ、巻紙さんが後退してるから、それに比例して僕も引き寄せられてしまっているんだな。

 ナツがすぐさま糸を切断しようとするが、それはもはや遅い。というか、むしろ危険を招く。

 橙色の熱線(ヒート・レイ)はその威力ゆえに、PICを弄らなければまともに発射することはできない。だが、それは空中にいるときに至ってのことだ。

 ヘイムダルは地に足を着けているから踏ん張りが効くし、あくまでアリーナ内ということも考慮して、そもそもの威力を抑えている。

 以上ふたつの点が油断を招き、PICの設定を変えてもいない。ということは、強い力を加えられれば転倒するまでそう時間はかからないということ。

 変に手を加えてナツにレーザーが当たる可能性を排除するため制するも、やはり予測通りに僕はすぐさま転んでしまう。

 そして後退する巻紙さんに引っ張られるという、なんともマヌケなかたちで道連れにされた。

 

「ぐぅお!? ……あん? っち! 広い場所に出ちまったか……。まぁいい、どうせガキ二人なんざどこで相手したって一緒だ」

「ふ、二人……? そういえば、楯無先輩は――――」

『私から説明させていただきます』

「虚先輩!?」

 

 僕と巻紙さんが、ガタガタとなぎ倒したのは――――ロッカー? 地下通路はロッカールームに通じていたってことか。

 巻紙さんが苛立っているように、狭くはあるが通路よりは確実に戦いやすい。

 その際に彼女が言い放った二人という言葉に、僕はとあることを想いだした。それはもちろん、学園最強である楯無先輩の援護である。

 戦闘開始からそこまで経ってないし、現れなくても不自然ではない。しかし、なんの連絡も寄こしてくれていないという事実に、僕は懸念を隠し切れない。

 こちらからコンタクトを取ろうかと思いはじめた次の瞬間、通信機には虚先輩の声が響く。……その時点で、僕の嫌な予感は的中も同然か。

 だが、現実はもっと深刻な問題へと直面していた。

 なんと専用機持ち六人――――僕の頼りになる仲間たちを、壊滅させるレベルの敵増援が現れたというではないか。

 楯無先輩は、そんな強大な敵を僕らの元に到達させないため、時間を稼いでくれているらしい。つまり、巻紙さんは僕らだけで倒さないとならないということだ。

 

『最後に、お嬢様から伝言が。【さっさと倒して、必ず向かうから】とのことです』

「虚先輩、大丈夫ですよ。このくらいの敵、私とハルでなんとかして見せますから!」

「ナツ……。うん、そうだね! 虚先輩、報告ありがとうございます。俄然やる気出ました!」

 

 僕と同じく事情は耳に入っていたのか、追いついて来たナツはあくまで強気の姿勢を崩さない。

 もちろん、ナツだって援護があるに越したことはないと思っているだろう。しかし、あえてそう言い張った気持ちはなんとなくわかる。

 だからこそ安心させようっていう気持ちとか、僕たちだけで撃退して見返してやろうって気持ちとか、援護が不可という話を耳にした途端そんなやる気が湧いてきた。

 何より楯無先輩は、僕らを守るために敵を食い止めてくれている。そのうえで援護を期待しているような心構えでは、きっと巻紙さんにだって勝てない!

 

「あのクソガキ、どういう了見だ……? まぁいいさ、どうせ出番は回ってこねぇだろうよ」

(なんだか釈然としてない感じだな……。彼女にとっても増援は想定外?)

 

 何をブツクサ言っているのかまでは聞こえないが、巻紙さんはどうにも自身にとっての援軍が来ていることに違和感を覚えてるようだった。

 彼女にとっても想定外の出来事ということは、やはり内通者等の線は薄いということになる。それと同時にひとつの疑問が生まれてしまう。

 単純に内通者もいない。その前提で亡国機業にこちらの作戦もバレてはいない。ならどうして敵増援が現れてしまうかということ。

 考えても仕方のないことだが、なんだか悪い予感がするな……。こう、僕らの人知を超えた何か。そんな得体の知れないモノが向こうにはあるのではないだろうか。

 

「さて、んじゃぁいっちょ仕切り直しついでに自己紹介といこうか。私の名はオータム。悪の組織の幹部様ってところだ!」

青色の塔盾(タワーシールド)!」

 

 巻紙さん、もといオータムさんは、またしてもガシガシと前進する奇妙な歩行でこちらへと接近。勢いそのままに、脚での攻撃を試みてみた。

 右腕に付着していた糸は既に取り払っているため、すぐさま青色の塔盾(タワーシールド)へと変形。初撃の際と同様に攻撃を受け止める。

 

「学習しねぇ小僧だ。手数に対して防御一辺倒は悪手だろうがよ。そらそらそらそらぁ!」

(ぐっ! くっ! これは確かに、一人だったら詰んでたかもな……!)

 

 アラクネの脚六本のうち二本は、地上において機体を支える役割を果たしているようだ。

 裏を返せば残り四本は攻撃の用途。更に両手のカタールも含めると、同時に六つの近接武装による連続攻撃となる。

 僕が真っ先に取った行動は青色の塔盾(タワーシールド)による防御だが、オータムさんの言葉どおりかなりの悪手だった。

 あまりに連続攻撃が過ぎるために、防ぎ続ける以外の手が選べなくなってしまっている状況だ。格闘ゲームとかでいう、固めという手法を取られているのと同等か。

 が、詰みかもしれないっていうのは、あくまで僕が一人だった場合の話だ! 頼んだよ、僕の頼れる相棒(パートナー)

 

「正中線を――――叩き斬る!」

「おっと、そう簡単にやらせるかよ!」

 

 僕の頭上に躍り出たナツは、真雪を高めに構えてそのまま縦回転。回転の威力を利用し、兜割りがごとくアラクネの頭部をめがけ真雪を身体ごと振り下ろした。

 だがオータムさんは危なげない様子でカタールを交差させ、その交差点で真雪を受け止めた。

 惜しい。もうちょっとだったのに。なんていう悔いが脳を過ったが、これはナツが離脱に手を貸してくれているのだと気付いた。

 カタール二本はナツの攻撃を防ぐために利用され、オータムさん自身もナツに集中しているのか、四本の脚による攻撃もいくらかか緩くなっている。

 それでいて、アラクネの弱点は頭上からの攻撃! 脚はあくまで脚。頭より上には挙がらない構造にいち早く気づき、そういう攻撃手段に出たんだな!

 やっぱり一緒に戦っていると、僕の奥さんはすさまじいセンスの持ち主なんだと実感させられる。

 なんだかとても誇らしい。――――ので、僕もかっこいいところを見せないとって気になるよ!

 

紫色の大鎌(ヒュージサイス)! そこだっ!」

「ぐおっ!? こ、このガキ――――」

「もういっちょ! せーのっ、せっ!」

「うおおおおおおおおっ!?」

 

 多少のダメージを貰いながらも、無理にでも一歩引いてから右腕を紫色の大鎌(ヒュージサイス)へ変形。地を這うように薙ぎ払い、アラクネの脚を引っ掻けそのまま転倒させた。

 転んだということは、やっぱりアラクネは地上戦を主に想定してるらしい。PICで機体の安定を図っていないという証拠だ。

 ……もしくは単純にオータムさんが油断してるかだが、この際そのあたりはどちらでも構わない。

 僕はアラクネが完全に立ち上がりきる前に、鎌の先端部分をフックの要領で引っ掻け、アッパーカットくらいの勢いで右腕を突き上げた。

 アラクネを引っ掻けられたオータムさんは、機体ごとそのまま宙へ浮いた。ついでに言うなら上下さかさまの状態で、というところ。

 

「ナツ!」

「ナイス! ハル、かっこいいよ! せぇええええやぁああああっ!」

 

 ナツは宙に浮きあがったアラクネの脚部を確実に捉え、素人目でもわかる見事な太刀筋でそれを迎撃。

 真雪は高周振動による切削能力を保持しているため、触れた刃はこれでもかという火花を上げ、アラクネの脚部が悲鳴を上げるが如く金切り音が響く。

 そしてやがては両断。空中で弾かれた脚部のうち一本は重力に従い、ゴトンという音を立てて地面へと落ちた。

 よし、これで六本あるうちの一本を奪った。これだけでも大きな戦闘力の差につながるだろう。

 オータムさんそのものは、いまだ宙に浮いたままか。……なら更に追撃だ!

 地上戦ということは僕にとっても有難いことでもある。なぜかって、こいつをいろいろ気にせず撃てるからだよ!

 

黄色の弩砲(バリスタ)!」

「がああああああっ!?」

 

 高威力ゆえに空中ではあまり使う気の起きなかった変形機構――――その名も黄色の弩砲(バリスタ)

 空中では撃ちにくいだけあって威力はお墨付き。

 最大までチャージされた雷にも似た黄色のエネルギー矢弾は、発射と同時にタイムラグを感じないほどの速度でオータムさんの腹部へ直撃。

 PICで制御されていないアラクネはそのまま吹き飛ばされ、ロッカーをなぎ倒しつつ向こう側の壁に激突することでようやく停止した。

 アラクネは全身装甲(フルスキン)でダメージを与え辛い割に、今のはかなりの痛手を負わすことができたようだ。

 

「…………ほんとにかっこいい……!」

「ナツ、有難いけどそういうのは後にしよう」

「ご、ごめん、つい……。でも確かに、かなり雰囲気が変わった感じがするね」

「チッ! んだよ、普通にやれんじゃねぇか! それともアレか、二人一緒だからですっての!? おーおーそいつぁ仲睦まじいこって!」

 

 僕の隣にポジショニングしなおしたナツだが、僕の予想外の活躍に惚れ惚れしてくれているようだ。

 それは有難いことだ。この上なく有難いことだし、正直なところを言うなら内心テンションが爆発しそうでやばい。

 だけど敵と戦っている合間に集中力を切らせるのはまずいので、当社比ナツに対して厳しめな口調で厳しめな意見を発した。

 一瞬だけシュンとした様子になったナツだが、ハッと気づいたようにオータムさんを見つめなおすと顔つきが戻った。

 ……確かに雰囲気だけでも苛立っているのがよくわかる。よほど僕にしてやられたのが不快みたいだな。

 だけどそのキレられ方は……まぁ、なんというか、少しばかり幼稚過ぎやしないだろうか?

 でもヒートアップしているのだけは確かだ。もしかすると、ここからは予想外の攻撃を仕掛けてくるかも。

 

「いや、待てよ……。そういやアレは言ってもよかったんだっけなぁ」

「む……。何? なんか言いたいことでもあるの」

「いやいやなんでもねぇさ。どっちかっつーなら、小僧のほうに聞きてぇことがある」

 

 オータムさんは子供のように喚き散らしていたというのに、突如として態度を一変させた。

 その表情に浮かべているのは、さきほども見せたような意地の悪そうな笑み。ニヤニヤと顔を歪め、隠そうともしない悪だくみが露呈している。

 そんな笑みの視線の先にはナツが。本人も視線を感じたらしく、訝しむような様子でなんの用事かと語りかけた。

 確かに見ていたのはナツだと言うのに、どうやらオータムさんは僕に質問があるらしい。

 正直なところ別に耳を傾けなくてもいいんだろうけど、どちらにせよ戦闘中も無理に話しかけてくるだろう。

 そう踏んだ僕は、言いたいことは言わせてやることにした。

 

「小僧よぉ。お前、戦いは嫌か?」

「は? ……まぁ、なければないほうがいいとは思いますけど」

「ははっ、だろうな。戦いとは縁遠いみてぇだもんなぁ」

「建設的じゃないな……。何が言いたいかは知りませんけど、僕らに戦いを強いているのはあなた達じゃないか! 確かに戦いは嫌ですけど、必要に迫られたなら、僕だって尻込みなんかしませんよ!」

「ハルの言うとおり! そんな質問するくらいなら、私たちのことはそっとしておいてよね!」

 

 いきなり何を聞いてくるかと思いきや、僕にとっては野暮な質問をしてくれる。

 自分でも思うが、僕は間違いなく平和主義者に分類されるはず。争いごとはどんなことだって忌避すべき、なんて考えてるし。

 ……なんだか僕の回答がある程度わかってて聞いたみたいだな。期待どおりの返答をしたせいか、意地悪な様子が増長されている。

 だからこそ、少々の苛立ちを覚えた。悪の組織を名乗る輩が、戦いが嫌かどうかなんて聞きくもんじゃないでしょうに。

 それこそ、そっちがその気なら、戦って倒すくらいの気構えは僕にだってあるぞ。

 特に僕とナツの平穏を脅かす者は、全力をもって排除するくらいの表現だって似つかわしい。

 ズビシとオータムさんを指さしながらそう告げてやると、僕に同調したナツも、そんなこと聞くなら最初から襲ってくるなと真雪の切っ先を突き付けた。

 

「クハッ……! クックック……! ヒャーハハハハハハ!」

「っ!? なにが可笑しいんですか!」

「そりゃ可笑しいさ! 戦いを強いてるのが私らだぁあ!? ハッハッハ、何も知らねぇってのは幸せなモンだねぇ! 幸せで、幸せで、心底愚かしいにも程があるぜ!」

 

 別に笑うような場面ではなかったと思われるが、オータムさんは突如として上半身が弓なりに反れるほどの大笑いを上げた。

 思わずなんの笑い声だと問いかけると、何かとてつもなく含みを持たせた言葉が返ってきた。……まぁ、答えにはなっていないが。

 この人は    いいや、亡国機業という組織は、何かを知っているということなのか……?

 ……まぁいい、どちらにせよろくでもないことなのは目に見えている。知らないほうが幸せっていうなら、彼女が喋りきる前に倒してしまえばいいだけのこと。

 

「ナツ、会話にならないから無視していこう。さっきの調子なら、僕らでも倒せない相手じゃないはずだ」

「うん! 勝つよ、ハル!」

 

 オータムさんの言葉は恐らくハッタリではない。

 核心を突く部分を口にされたとして、僕かナツ、あるいはその両方を動揺させるほどの効力をもつ何か。そんな秘密を握ってはいるのだろう。

 気にならないと言えば嘘になるが、やっぱりろくでもないことなので、オータムさんの言葉どおりに知らないままでいる方向でいこう。

 ナツとそう示し合わせると、だいたい同じことを考えていたのか、気合の入り方のベクトルが変わった様子だ。

 そうさ、いったい何が待ち受けていようとも、僕とナツが揃ってさえいるならなんだってできる。

 悪の組織の幹部を倒すことなど造作もない。くらいのものだ。

 そんな心意気を抱きなおし、僕は未だ下卑た笑みを浮かべるオータムさんを、睨むようにして眺めるのだった。

 

 

 

 

 



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第77話 定めで 運命で 奇跡で

【ハルトナツ】においての織斑 一夏が抱えているもの。
それは、最愛だからこそ――――――――――――


「ハッ! 脚一本もいだくらいで、調子に乗ってんじゃねぇぜ!」

 

 オータムは相変わらず不自然なまでの愉快さを有するまま、両の掌からエネルギーネットを伸ばした。

 基本的に超強力な蜘蛛の糸と言い換えることのできるそれは、そこらに転がるロッカーへと付着。

 そのまま反動をつけるようにして腕を振るえば、中身がスカスカなロッカーなど容易に宙を舞う。

 そしてそのまま鎖付きハンマーのような容量でブンブンと回転させ、遠心力を利用して威力の向上を図る。

 ISにダメージを与えることは叶わないだろう。が、体勢を崩す程度のことは可能であるそれが叩きつけられた先は――――

 

「おらよ!」

「僕か!? 青色の塔盾(タワーシールド)!」

「だろうな、結局てめぇはそれしか選べねぇ! なおかつ、挟撃にはめっぽう弱ぇ!」

「ぐあっ!?」

 

 晴人とて、もう少し使い勝手のいい変形機構を持ち合わせているのなら、迷いなくそれを利用してロッカーを破壊していただろう。

 しかし赤色の丸鋸(サーキュラーソー)では切断能力に欠け、黄色の弩砲(バリスタ)橙色の熱線(ヒート・レイ)といった遠距離向け変形機構はそれなりにチャージ時間を必要とするため適当とは言えない。

 ゆえに晴人は消去法的に青色の塔盾(タワーシールド)を選択したのだが、その目論見はオータムに見透かされてしまう。

 更には既に弱点も把握されているのか、オータムは真正面からではなく、左右から挟み込むようにしてロッカーによる打撃を試みた。

 これでは片方が防げても片方はがら空き。晴人の脳内にはラウラ&シャルロットとのタッグ戦が過るが、やはりわかっていても防げないものは防げない。

 オータムの目的は晴人への接近を試みることなのか、ロッカーをモロに喰らってたじろいている間にどんどんと距離を詰めていく。

 

「ハル! 今援護を――――」

「同じ手を二度も使わせるかっての!」

「わっ、蜘蛛の巣!? これじゃ迂闊に近づけない……!」

 

 オータムは一夏が白式を浮かせるのを見るや否や、両手を上方に掲げて掌からエネルギーネットを乱射した。

 先ほどまで見せていた糸のような形状とは異なり、空中で網を広げるようにして各所へ付着。一瞬にして、そこらが蜘蛛の巣だらけになってしまった。

 このようなフィールドをなんの考えもなしに移動しようとすれば、まさに蜘蛛の巣にひっかかった蝶のようになってしまうこと請け合い。

 一夏が躊躇いを覚えている間にも、オータムは晴人を完全なる射程範囲へと捉える。そして、脚を青色の塔盾(タワーシールド)へと突き入れた。

 

「小僧、どうして自分がこの場に居るのか、疑問に思ったこたぁねぇか?」

「さっきから意味のわからない質問ばかり! その言い方、僕がどうしてISを動かせるのか知ってるみたいに――――」

 

 何を言いだすかと思えば、またしても晴人にとって意味不明な、なぜ自分が今この瞬間にもIS学園の土地を踏んでいるのかという質問。

 かなりのしつこさに晴人は珍しくも苛立ちを前面に押し出しつつ、質問の意図となる根本について触れた。

 なぜIS学園に居られるか。それはイコールして、どうしてISを動かせるかという疑問に帰結する。

 

「そのまさか! つったらどうするよ?」

(なっ!? ……いいや、ハッタリだ。原因不明だってことは、僕が一番よくわかってるだろ)

 

 嘘か真か、オータムはまったく否定する姿勢を見せずに晴人の反論を肯定するではないか。

 晴人は流石に一瞬の動揺を顔に出すが、自分のことは自分が一番よくわかっていると冷静さをキープした。

 世界で唯一の男性IS操縦者だけに、実験動物的な扱いは避けたものの、もちろんそれなりの検査を経験している。

 あらゆる検査を行った結果、最終的には原因不明という結論へと到達。迷宮入りとなった。

 それが信頼を置いている実母の主導で行われた検査となれば、晴人はその結果を信じて疑わない。

 否、信じて疑わずにここまできた。だというのに、あろうことかテロリストが真相を知っていることを仄めかす。

 

「だったら教えて下さいよ。その知ってる理由ってやつを!」

「おーいいぜ、教えてやらぁ。てめぇがISを動かせるのは、ガキん頃からそっちの嬢ちゃんと仲良しこよしだったからだ!」

「私……? 私がなんで!?」

 

 晴人はオータムの言葉をハッタリだという前提で、本当に知っているのなら教えてみろと強気の姿勢に出た。

 しかし、オータムは思いもよらずツラツラと調子よく理由とやらを述べる。もっとも、晴人にとっては突拍子もない内容であったが。

 だが引き合いに出された一夏としてはたまったものではない。

 真雪で地道にエネルギーネットを排除する作業に勤しんでいたが、自分が晴人がISを動かせる理由と耳にはさめば、思わず手を止めてしまう。

 なぜなら、一夏は瞬時に理解していたからだ。もしオータムの言葉が本物だと仮定したとき、晴人がこれまで望まぬ戦いを強いてきたのは――――

 

「ナツ、悪人の戯言に耳を貸さなくていい! どうせ噓八百に決まって――――」

「おおっと、これから楽しい時間なんだ。壁になるしかねぇ能無しは黙ってろよ小僧っ!」

「うぐっ!? 脚の速度が増した……!? くそっ、今まで本気じゃなかったのか……!」

 

 敵を前にして明らかな動揺を見せる一夏に喝を入れるが、晴人の言葉は言い切る前にオータムの手によって遮られてしまう。正確に言うなら脚だが。

 巧みに連続攻撃を仕掛けていたアラクネの脚が、更に速度を上げていく。純粋にオータムの操作技量が伺える光景だった。

 脚の一撃一撃は大したことないながら、塵も積もればなんとやら。あまりものラッシュぶりに耐え兼ね、晴人はついに膝をついてしまう。

 これでは一夏を正気に戻す暇も、オータムの言葉を遮る暇もないだろう。

 オータムは邪魔者はいなくなったと、バイザーの下で今日一番の邪悪な笑みを浮かべた。そして切断された脚の先を一夏へ突き付け、全ての真相を語り始める。

 

「いいかよく聞け嬢ちゃん。てめぇのDNA全般には、ISを動かせる因子ってもんが組み込まれてる」

「そ、そんなの当たり前でしょ! だって、私は――――」

「女だってかぁ? そりゃ今の話だろ?! なぁ、織斑 千冬の弟さんよぉ!」

「「!?!?!?!?」」

 

 オータムの告げ始めた真相の冒頭部分のみならば、まだハッタリであった可能性はあった。

 しかし、そんな淡い希望も無残に打ち砕かれてしまう。

 なぜなら、オータムは一夏が元男であったことを知っている。

 事件の当事者やその家族。そして一部のお偉い方しか知りえない事実を、どういうわけかテロリストであるオータムが知っているのである。

 そしてそこから導かれる答えはただひとつ。

 晴人も一夏も動揺はしているが、そのひとつの真実にだけは完璧にたどり着いた。……辿り着いてしまった。

 

「もしかして、私を女にしたのは……!」

「はっ、流石に察するよな。そうとも! 第二回モンド・グロッソで、てめぇを誘拐したのは私ら亡国――――」

「千冬姉を棄権に追い込んだのは――――お前らかああああああああっ!」

「……へぇ、そっちに怒んのか。ったく、家族想いで泣ける話だ――――ねぇ!」

 

 当事者や関係者、そして一部の人間しか知らない。そして相手はテロリスト。

 これだけのピースが揃っているのであれば、一夏を拉致し女性へと変えたのは、亡国機業の仕業であるという結論にしか考えられない。

 一夏はあまりの怒りに真雪の切っ先をカタカタと震わせた。

 それを見たオータムはここぞと言わんばかりに一夏を煽るが、予想と反して怒っているのは千冬が棄権をしてしまった要因であるからだ。

 信頼する人物を想い過ぎるがあまり、頭に血が昇り周囲が見えなくなってしまう。知る人ぞ知る一夏の悪癖のひとつ。

 怒りにとらわれた一夏は、なんの考えもなしに真っすぐオータムへと突っ込んでいく。

 そんなことをしてしまえばどうなるか、考える必要すらないだろう。

 オータムは右掌を一夏へ差し向けると、蜘蛛の巣状に広がるエネルギーネットを放出。

 網のように広がるそれはピタリと一夏及び白式の前面へと付着し、勢い留まることなく反対側の壁まで激突。

 一夏は壁に磔にされるかたちとなってしまう。

 

「このっ、このぉっ! 絶対許すもんか! お前たちは私が必ず……!」

「今のうちに喚いてな。どうせすぐ黙ることになるんだからよぉ」

(くそっ、このままじゃ! ただ見てることしかできないのか……!?)

 

 磔にされても未だに憎しみも闘志も消えず。一夏は身体をグイグイ動かすことで、なんとか脱出を図ろうと試みる。

 だが抵抗は無駄ということがオータムにはわかっているのか、割と余裕な態度のまま一夏を見据えた。無論、晴人にラッシュを仕掛けたまま。

 肉体的にも精神的にも明らかな一夏のピンチ。どうしたって一夏のことしか頭にない晴人としては、見過ごせるはずもない状況だ。

 はずもないのに、自らの無力さがそうはさせてくれない。

 あまり思いつめないと誓った晴人だったが、あまりの役立たずぶりに、歯が砕けるような勢いで顎へと力を込めた。

 

「んで、話を戻すぜ。例の因子だが、要するは男の時からてめぇはそいつを持ってたってことだ」

「…………! だとして、その因子とハルになんの関係があるの!」

「残念なことに、その因子ってのは一種の感染を起こすんだ。主に経口感染ってやつだな」

 

 ズバリ、男の時点でも一夏はISを動かすことができた。オータムは暗にそう語る。

 そしてその因子とやらは、主な原因として経口感染するとも。

 それすなわち、晴人と一夏の同居生活が十数年にわたり続いてきたからこそ。オータムは目まぐるしく脚を動かしながらも、やれやれとわざとらしく肩をすくめる。

 一緒の食事をつつく、回し飲み等々。二人に思い当たる節が多すぎるせいか、あれやこれやと重ねてきた思い出がフラッシュバックしていく。

 しかし、晴人は発生している矛盾について解決を図りにかかった。……それがより、自分たちを追い込むことになるとも知らずに。

 

「なら、父さんや爺ちゃんは、どうなんだ……! それに学校の友達だって、うつる可能性はたくさん――――」

「あ~そこか? そう簡単に定着するもんでもねぇんだとよ。短くても十年はかかるとかなんとか。それに該当する条件なのは、てめぇくらいしかいねぇよなぁ?」

「…………!」

「ハハハ! さっき聞いたろ? なんで自分がここに居るのか疑問じゃねぇかって。ほとんど決まってたんだよ! 小僧ぉ、てめぇがあの嬢ちゃんと出会ったその瞬間からなぁ!」

 

 経口感染する可能性を持つ男性ならば、自分の他にも該当する者は多く存在する。

 そんな矛盾を指摘しにかかるも、オータムからすれば待っていましたと言わんばかりの疑問だった。

 十年。一夏の持つらしいISを動かすために必要な因子。それが完全に男性の他者へと定着しきるまでに、それだけの期間を有するそうだ。

 父は幼少期から不在にしがち。祖父は亡くなっているため恐らく定着はしきっていない。友人にカウントされる者たちは、プライベートな時間まで一夏とは過ごさない。

 全ては四歳ほどの年齢で出会い、それからほぼ毎日寝食を共にし、共に生きてきた晴人だからこそ因子が定着しきったのだ。

 一夏が本当にそんな因子を持っているという前提の話ではあるが、確かにつじつまというものはあっている。

 

「戦いを強いてんのが私ら?! 笑わせんじゃねぇぜ! てめぇだよ嬢ちゃん。愛してやまない男が、望まない戦いに身を投じてきたのはよぉ! 全部、てめぇっていう存在が、この世に生を受けたからだ!」

「そん……な……! そんなことって……!」

 

 これこそが、一夏が理解はしたが絶対に認めたくはなかった答え。

 自分が存在していなければ、せめて晴人と出会ってさえいなければ。確かに、間違っているとは言い難い部分もある。

 先ほどまで怒りと憎しみに満ち満ちていた一夏の表情は、その前面に絶望の色を露わにしていた。

 戦いたくない晴人を戦わせ、あわや右腕が再起不能になりかけ、なんなら命さえ危ない目に遭遇したりも。

 それらすべてが自分のせいなどと、愛が深すぎるだけにその反動も大きい。

 そして一夏は思う。自分はいったいなんなのかを。

 

「どうして私にそんなのが……!? 私は……いったい……?」

「んなの簡単。私らんところの成功例だよ。この先の計画に都合が悪りぃもんで、女にはなってもらったがな」

「成功例、だって……? ナツが、亡国機業で生まれたとでも言いたいのか……!?」

「そういうこった。つか、それ以外になんかあるかよ。つまりはだお嬢ちゃん。私はてめぇを迎えに来たってことなんだぜ」

 

 成功例。計画。根掘り葉掘り聞きたいことも多いが、一夏がそのような不可思議な因子を持つのは、亡国機業にて生まれた    この表現は憚られるが、モルモットだからこそらしい。

 嘘だと声を大にして否定したいところだが、織斑姉妹の両親は一夏が生まれてすぐに蒸発しているという紛れもない事実がある。

 もしなんらかの理由で、成功例らしい一夏を連れ出したとすれば? もし組織の内部に迫る何かを知ってしまっただけに、消されてしまったとすれば?

 そう考えれば姉妹の両親は亡国機業とかかわりがあった、もしくはスパイか何かだったか……。

 千冬が多くを語らないだけに真相は不明だが、またしてもなんとなくのつじつまがあってしまう。

 だがここにきて、晴人はもうひとつ生じた矛盾を閃いた。

 

「ISを動かす因子って、確かにあなたはそう言った。けど、ISが生まれたのは、最近、だぞ。十五歳の、ナツが、どうして、そんな因子を、持って――――」

「はっ、ISを完成させたのが篠ノ之 束だって誰が言った? まぁ本人が明言してるが、まさかあんなイカレ女の言葉を全部真に受けてるわけじゃねぇよな」

「なっ、束さんじゃ……!? ISも、あなたたちの、計画のうち、だって言うのか!?」

 

 怒涛の攻撃を必死に受け止めながらも、息を途切れさすようにして、晴人は疑問に感じたことを問い詰めた。

 すると返って来たのはまたしても衝撃の事実。オータムの談では、ISを完成させたのは束ではないらしい。

 つまり束はISを完成させられたという可能性が浮上するも、彼女は彼女で千冬とはまた違うベクトルで多くを語らない。

 なんならイカレ女という表現も否定しきれず、論破ならずとみるや晴人はまた悔しそうに歯噛みするばかり。

 絶望に包まれる一夏。無力さに苛まれる晴人。そんな二人を眺めてオータムは思う。その顔がみたかったのだと。

 

「つーわけで、ハウスだ嬢ちゃん。一緒に帰るぞ。でなきゃこの小僧、この場で殺す。それもひと思いにじゃねぇぜ? やれるだけ苦しめながらジワジワと嬲り殺しにしてやらぁ!」

「っ!? ナツ、返事は、しなくて、いい! テロリストが、素直に、約束なんか、守るはず――――」

「文字どおり手も足も出ねぇガキがナマ言ってんじゃねぇ! にしてもてめぇ酔狂だな坊主。真相知った上で、まだこんなバイキンを守ろうとするなんてよぉ!」

 

 ハウスというわざとらしい犬表現。あるいはいつもの一夏ならば威勢のいい言葉で反論していたろうが、晴人の件もあってかひとことすら発さない。

 それどころか、晴人の殺害まで引き合いに出されては黙るしかないだろう。

 ましてや相手はテロリスト。晴人の言うとおり約束を守るかは定かではないが、はっきりと言えることがある。

 オータムは必ずやる。一夏が大人しく従わないのであれば、宣言どおり見るも無残に聞くも堪えない仕打ちをしたうえで、苦しみに苦しませたうえで晴人を殺す。

 そんなものを目の前で見せられてしまえば、一夏の心は完全に壊れてしまうことだろう。

 思わずはいと返事をしかけるも、晴人の叫びが一夏を引き留めた。しかし、このままではなんの解決もしないのは事実。

 なんとかこの状況を打開せねばと晴人が、思考をフル回転させていると、オータムが絶対に言ってはならない言葉を口にした。

 もちろんそれはオータムにとっての不都合でなく、晴人の状況をより悪いものにさせるもの。だが。

 

「ナツがバイキン、だと……? ふざけるなよ、何がバイキンだ! お前らみたいなテロリストのほうが、よっぽどバイキンだろうが! このっ、世界のバイキンがああああああっ!」

「へん、そいつが本性か? 温厚そうなツラし腐っといて怖いねぇ。お姉さんに向かってんな口効く悪いガキは――――」

「っ!? いや! お願いだからやめ――――」

「手痛いお仕置きだ!」

 

 晴人がいつだったかに言っていたことが、現実になってしまたのだ。もし今の自分が一夏を馬鹿にされたとして、恥も外聞もなく憤ってしまうというやつ。

 怒りでなりふり構わなくなった晴人は、青色の塔盾(タワーシールド)を解除して強引にオータムめがけて突っ込んでいく。

 右手を振りかざしているのを見るに、恐らく虹色の手甲(ガントレット)で殴り飛ばすつもりなのだろう。

 しかし晴人の目論見は、虹色の手甲(ガントレット)と叫びきる前に止められてしまった。

 オータムはすかさず掌からエネルギーネットを糸のように伸ばすと、振りかざした右腕を見事に巻き取ってみせる。

 そして一度グイっと上方へ引っ張ると、次の瞬間には下方へと引っ張る。晴人は糸の動きに伴って、豪快に地面へと叩きつけられた。

 

「がはっ!?」

「ハッハー! どんどんいくぜぇ。そら! そら! そら! そら! そらぁ!」

「ぐあっ! づっ! あがっ! ぐぅっ! げふっ!?」

「いや……! ハル……! ハルっ……!」

 

 ISには絶対防御という機能が着いているだけに、ISを纏っている以上は滅多なことで死にはしない。が、それは死なない程度に甚振り易いとも取れる。

 操縦者の命に直結しないであろうとISが判断した場合、ISそのもののエネルギーを減らさないためにも発動しないケースの方が圧倒的に多い。

 つまりオータムの叩きつけ攻撃は、操縦者である晴人を痛めつけるにはうってつけというわけだ。

 だからこそオータムは、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。とにかく一心不乱に腕を上下させ、晴人を床に叩きつけ続けた。

 一夏は当然見てなんかいられず固く目を閉ざすが、晴人が叩きつけられる度に発する苦悶の声を聞こえないようにはできない。

 元より精神的に追い詰められつつあっただけに、一夏はただ涙を流してオータムの気が済むのを待ち続けるしかなかった。

 だがオータムは一夏の心をへし折るつもりでいるため、これがなかなか終わらせてはくれない。

 そんな調子で生かさず殺さずの嬲りが続くことしばらく、オータムがひときわ強く晴人を叩きつけたところでようやくその手が止まった。

 

「うぅっ……! っく…………!」

「とりあえずこんなところか。どうよ嬢ちゃん、自分のせいで坊主が傷つく気分は」

「私の、せい……?」

「てめぇのせい以外に何があるよ。言ったろ? 嬢ちゃんと出会ってさえなけりゃ、坊主がこうして地面に這いつくばるようなこともなかったんだぜ」

 

 身動きのできない晴人を一瞥したオータムは、磔にされている一夏へと向き直って感想を求めた。

 一夏のせいと妙に強調するあたり、本人が自らの意志で亡国機業へ攫われるという方向へ仕向けるためだろうか。

 どちらにせよ、そろそろ一夏の心は本気で崩壊寸前のところまできている。

 自分のせいで晴人が傷ついた。そして、大人しくするという選択肢を取らなければ、晴人は更に酷い目に合い続けてしまう。

 きっと、晴人はそれでも構わないというだろう。だがそうではなく、これ以上のことをされてしまうのを、一夏が耐えられないのだ。

 一夏は静かに小さく口を開くと、今すぐにでも自分を連れて行くよう懇願すべく、嗚咽交じりに言葉を紡いでいく。

 

「……わかった。わかったから、もうこれ以上ハルを傷つけるのは止め――――」

「言うな、ナツ……! 確かに見苦しいかも知れないけど、僕がこうなってるのは自分のせいだっていうのだけは、絶対に言わないでくれ……!」

「ほぅ、まだ立つのか? 割と本気でかなり痛めつけたつもりだったんだがな」

「もちろん! あなた達がナツを諦めるまで、何度だって立つさ」

 

 半ば気絶状態かと思われた晴人だったが、一夏の言葉を遮るようにしてゆっくり立ち上がった。

 特別驚いたような様子は見せないながら、オータムは晴人に対してある一定の評価を覚える。それだけ本気でやっていたということなのだろう。

 それでも状況がよくなったわけでなく、むしろオータムにとっては、まだまだ一夏を追い詰める材料に使えるとしか映らない。

 今度はどう痛めつけてやろうかと、オータムは晴人の身体のあちこちを舐めまわすかのように眺め始めた。

 

「ナツ。確かに僕の命運は、キミと出会った瞬間から決定づけられたのかも知れない。けど、それはこうとも言えるだろ。僕とナツは――――結ばれるために産まれてきたんだって」

「悪いなぁ、お取込み中のとこ邪魔する――――」

「っ……! 本当に邪魔だから引っ込んでろよ! 橙色の熱線(ヒート・レイ)!」

「ぐおああああああああ!?」

 

 かなり無理をしているのも確かなようで、晴人はヘイムダルの操作がおぼつかず、フラフラとした足取りで一夏へと近づいて行く。

 考えを改めさせるというか説得というか、とにかく一夏の気を取り直させるべくの行動だろう。だが、そんなのをオータムが黙って見過ごしてくれるはずもない。

 隙だらけの晴人に接近を仕掛けたオータムだったが、振り向き際に変形した橙色の熱線(ヒート・レイ)に見事迎撃されてしまう。

 やはり晴人にしては荒々しい口調かつ、照射されるレーザーが最大出力であるのをみるに、想像を絶するほど頭に来ているらしい。

 とはいえ橙色の熱線(ヒート・レイ)は冷却機能を持たないので、蓄積した熱によるオーバーヒートは秒読みで迫ってきている。

 まさに時間との戦いだが、それでも晴人は自らの内にある思いの丈を、自分の一夏に対する愛を一切の忖度なく語った。

 

「ね、そう考えたら素敵じゃない? 僕らの生きる意味は、お互いのために生きることなんてさ」

「それでも私は、ハルに辛い想いなんてしてほしくなかった! 絶対こんなこと無縁なのに、それなのに……!」

「……うん、そうだね。そりゃさ、やっぱり嫌だよ、スポーツの一種でも人を傷つけるのって。それでも僕は、ナツの隣に立ち続けていたい」

 

 晴人の様子は驚くほどに穏やかだった。確かに怒鳴るようにして納得させたところで、きっと一夏は本当の意味ですくわれたことにならないだろう。

 実際に一夏は対照的なもので、涙を流しながらひたすら喚き、あくまで自らの存在のせいで晴人が傷ついて来たという姿勢を崩さない。

 それでもと自分を責める一夏に、晴人はそれでも一緒に居たいと被せて返した。いくら傷つこうが、望まず他者を傷つけようが、それでも、それでも――――

 

「だからむしろ感謝しなきゃってくらいだよ。ナツが僕を隣に居させてくれたんだから。それが決まってたことだって、うん、やっぱり素敵だ。偶然で、必然で、運命で、どうしようもないくらいの奇跡じゃないか!」

「ハル……」

「だから僕は、この奇跡を受け入れる。キミの隣に居ることが戦いに通じる道だって言うんなら、喜んで歩いてやるさ。だからナツ、これからも一緒に生きて行こう。僕らが出会った十年前と何も変わらないで、泣いて、笑って、どんな時でも隣同士で、生涯を終えるまでずっと! 一緒に、生きてくれ……!」

「…………!」

 

 二人はこの世に生を受けたこの瞬間から今に至るまで、その全てが定められたものだと言っていい。

 そう、まさにたったひとこと、人はそれを奇跡と呼ぶ。

 晴人にとっても一夏にとっても、きっと残酷で過酷な奇跡なのだろう。

 だが晴人に言わせればそこは重要なんかではなく、二人一緒に居られればそれでいいのだと断言してみせた。

 そしてこれからも一緒にあり続ける。

 例えそれが初めから定められたものだとして、自分たちの関係だけは誰にも邪魔をされていいものではない。

 気丈に振舞いそう語る晴人だったが、最後の言葉はどこか弱々しく、どこか懇願するかのような声色だった。

 そんな晴人の想いを一身に受け取った一夏は、さきほどまでとは異なる意味で涙が止まらなくなってしまう。

 悔いや悲しみといったマイナスの感情で流れ出たものでなく、ただただ晴人の言葉が嬉しくて仕方がないせいのものだ。

 涙が止まらない一夏はこれで思い知らされた。いくらアレコレと離れるべきである理由を述べようと、自分も晴人と同じ想いだということを。

 一夏が涙を堪え、晴人の要求どおりに共に生きることを誓おうとしたその時だった。

 ついに橙色の熱線(ヒート・レイ)の照射限界時間が訪れ、ヘイムダルの右腕はオーバーヒートを起こしてしまう。

 それまで橙色の熱線(ヒート・レイ)の威力になすすべなく、反対の壁際まで追い込まれていたオータムが息を吹き返した。

 

「カーッ! 青いねぇ、ガキどもがよぉ!」

「ぐはっ!」

「ハル!」

「……とか余裕ぶっこきつつ、今のはけっこう焦ったな。手負いの獣が恐ろしい的なあれか? ハハッ!」

 

 これまでとは違い跳ねるようにして一気に晴人へと接近したオータムは、脚三本を束ねるようにして思い切りヘイムダルをぶん殴った。

 右腕はオーバーヒート中なせいで変形機構はどれも使用不可。よって、晴人はあっさり一夏が張り付いているすぐ横の壁へと激突した。

 床に叩きつけられた際のダメージがまだ残っているのか、晴人はすぐに立つことができない。

 そんな晴人を一瞥したオータムは、未だ白煙の上がるアラクネの脚を軽く振り、焦ったという正直な感想を述べた。

 だがそれもこれもやはり余裕の表れであることに違いなく、その証拠にオータムは愉快そうな笑い声を上げるではないか。

 

「っつーわけで、もう油断はなしだ。ま、サクッと殺してやらねぇってのは実現させるがな」

(くそっ、このままじゃ本当に……!)

 

 オータムは獲物を前にして舌なめずりする性質があるが、文句なしに優秀の部類に属する実力の持ち主である。

 ゆえにいったん冷静になってからが恐ろしく、もはやその脳には晴人を殺害しきるということしか描かれてはいない。

 ただ、今後何かとスムーズになるであろうことを考慮して、晴人を惨殺する計画は続行させるつもりのようだ。

 オータムはアラクネの脚先にある刃をわざとらしくギラつかせると、バイザーの下でニタリとした笑みを浮かべた。

 対して晴人と一夏は絶体絶命そのもの。

 一夏は捕縛され、晴人もオーバーヒートの影響で、ただヘイムダルを纏っているだけの状態も同然。

 何か妙案が思いつくわけでもなし、晴人はただ己の無力さを嘆くことしかできなかった。

 

(力が欲しい……。単なる盾としてじゃなく、立ちはだかる敵を倒して、ナツを守るための力が!)

 

 この切羽詰まった状況に置いての無いもの強請り。いつもの晴人であればまず辿り着かない発想であろう。

 しかし、それだけ晴人が心から力を欲しているということだ。

 あの晴人が守るためでなく、倒すための力を欲しているのだ。

 いや、正確に言うのならそれは倒して守る力。ただ単に倒すと断言しないあたり、やはり根本は晴人そのもの。

 だが晴人はきっとこれでいい。

 この生ぬるさから生まれる強さだってきっとある。というより、事実晴人は自分が思っている以上に、ずっと前から強いやつだ。

 後は殻を破って羽化するだけ。それに必要なのは我武者羅な想いとあとひとつ。

 もしかすると答えは、ずっと最初から握っていたのかも知れない。

 

「ISを動かせる因子……。……ねぇナツ。続き、しようか」

「へ……? なっ!? ちょっと待っ――――」

「……あぁ?」

 

 よろめきながら立ち上がった晴人には、あるひとつの予感が過っていた。

 だからこそおもむろに一夏と唇を重ね、舌で強引に口内へと潜行してゆき、唾液を強く啜って飲み下していった。

 これにはオータムは、思わず首を傾げてマヌケな声を上げてしまう。また、自分は何を見せられているんだとも思っていそう。

 一夏は晴人の思惑に気づいているため、口を閉ざすようにしてそれなりの抵抗をみせた。

 が、晴人はそれでも執拗に強引なキスを続行し、口の端から一夏の唾液がこぼれるほどに貪りつくす。

 逝きつく暇すら考慮していなかったのか、晴人は唇を離した途端にプハッと大きな息継ぎをひとつ。

 そして鋼鉄の左腕で口の周囲についた唾液を拭うと、おもむろにヘイムダルへと語りかけた。

 

「ヘイムダル、キミと僕が相棒をやってるのも、全部今飲んだ因子があったからだ。だから僕が操縦者でよかったって思ってくれるのなら、僕に力を貸してくれ! 僕と一緒に強くなって、守るために倒す力を!」

「何かと思えば子供騙しな! そんなんでポンポンと強くなれりゃ誰も苦労なんか――――」

 

 果たして一夏の唾液――――というより、DNAにどのような効果があるのかは未知数。もしかすると副作用なんかがある可能性だって。

 むしろ一夏の唾液というのなら、恋人同士の関係になってからはかなり大量に摂取している。

 今更何を言っても手遅れなところもあり、晴人としてヘイムダルに訴えたいのは、一夏が居たらばこそ一緒にやってこられたというもの。

 そして、これからはもっと力を貸してほしいとのこと。守るための倒す力を得るためには、ヘイムダルが必要なのだということ。

 オータムはすぐさま嘲笑する。

 確かにIS――――ひいては専用機は、操縦者の想いに応えるいわば感情に近いものを有しているとはいえ、実際に語り掛けてなんになるのか。

 オータムが煽りに煽りを重ねて晴人を嘲笑ってやろうと語彙を並べようとしていると、突如として大きな光が晴人とヘイムダルを包んだ。

 

「なっ、なんだ!?」

「……おい。おいおいおいおい、うっそだろ!? まさか本当にこの土壇場で    」

「二次移行っ……!」

 

 ヘイムダルのハイパーセンサーには、すさまじい速度であらゆる構造が書き換わっていることを表すデータが流れている。

 晴人はその速度もあって大半を理解できてはいないが、謎の発行といいこの兆候、ISを扱う者なら少なからず心当たりはあるはず。

 二次移行。

 専用機として製造されたISに搭乗し、経験を積み、ISの感情とも取れる要素と深い同調を果たした者にのみたどり着ける極めて稀な事例。

 そんな稀な事例に、自他ともに認める普通な少年――――日向 晴人が辿り着いてみせたのだ。

 それはもちろん、相棒を大切に扱ってきたことと、一夏への限りない愛情があったからこそ。

 

「……ハッ、ハハハハハハ! これもナツが鍵になったかぁ。うん、我ながら上出来! ねぇナツ!」

「は、はい!?」

「僕の相棒がキミのために勝てって、そう言ってくれてるみたいだ! だからどうか、ナツも応援よろしく!」

「…………。例え私が何者だとしても、私のハルへの想いだけは本物だから。だから……! ハル、勝って! 私もハルと一生一緒に居たいから、攫われてなんかいられない!」

「その言葉を待ってたよ! その言葉さえ聞ければ、僕は百人力だ!」

 

 二次移行ですら覚醒の鍵となったのは一夏で、あまりにも物事が一夏中心で回る自分に対し、晴人は珍しく腹から大きく笑った。

 だがそんな自分がもはや誇らしい領域に到達しているのか、開き直るようにして一夏の声援を求める。

 織斑 一夏は良くも悪くも素直な性格である。そんな性格をしているだけに、出てくる言葉のほとんどは嘘がないと思っていい。

 だからこそ、こんな状況で出てきた言葉は混じりけのない心からのもの。自分の事情を省みても、一生一緒にいたいというのが本音だった。

 晴人はようやく一夏の本音を引き出せたと口元を緩め、それでいてとても力強い表情を浮かべて勝利を誓う。

 すると晴人を包んでいた発行がより力を増し、もはや直視できないほどの輝きを放ち始めた。

 同時に晴人の意識はどこか深く深くへと潜り込んでいき、まどろみにも似た脱力感が全身を襲う。

 そして意識が潜行していく最中、晴人はこんな声を聴いた――――気がした。

 

『少年、今こそ目覚めの時が来た』

 

 

 

 

 



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第78話 覚醒・虹の番人

「汝。起きよ、汝」

「うっ……ん……? あれ、僕は確か……。というより、ここは……?」

 

 何者かの呼び声に応えて身体を起こしてみると、目の前にはとんでもない光景が広がっていた。

 すぐそばに門らしき建造物が立ちふさがっているのだが、大きさがあまりにも果てしない。下から見上げて天辺が目視できないほどだ。

 ……いや待て、おかしな大きさの門もさることながら、根本としてここはいったいどこなんだ。僕は確かに、先ほどまでオータムさんと交戦していたはずなんだが。

 そう思って周囲を見渡すと、雲、雲、雲、雲しかない。

 ……雲海なわけがないのはわかっているんだけど、それだとこのファンタジーな光景を現実のものと受け取るしかなくなってしまうんだが。

 まぁそのあたりのことひっくるめて、この人に聞けばすべて解決する……はずなんだけど、なんだか話しかけづらい雰囲気だ。

 堅牢そうな鎧に身を包み、一切素肌が露出している部分がないその立ち姿。これだけでも威圧感がすさまじく、無意味に機嫌が悪そうに見えてしまう。

 それを抜きにしても単純に身長が高いというか、目測でも二メートル近いみたいで、より威圧感を助長させているのではないかな。

 唯一わかることといえば、声質からして女性であるということくらい。またその声も無駄にハスキーで――――いや、いい加減にしておこう。

 僕はどちらにせよ、躊躇っている暇なんてないのだから。

 

「あの、今僕はどういう状況に晒されているんでしょう?」

「存外動じぬその姿勢は悪くない。ゆえに、汝の期待に応えるとしよう」

「っ!?」

「これで我が何者か、という点については察しが付くはずだが」

 

 とりあえずストレートに最大の疑問をぶつけると、謎の女性はおもむろに右手を天へ掲げた。

 すると、雲の中から色彩豊かな光の柱みたいなものが現れるではないか。

 赤、橙、黄、緑、青、藍、紫――――虹色? 虹、門、門番……。これらのワードに引っかかる項目といえばただひとつ。

 というよりは、少なくとも学園内では僕が一番詳しいはずだ。はずだが、ますますもってどんな状況か理解できないぞ。

 なぜならISであるはずの相棒が、自らの意志で、言葉で、僕に話しかけてきているのだから。

 

「つまり、あなたはヘイムダル!?」

「そのとおりだ」

「それなら、ここはいったい……?」

「あえて人間的表現をするのであれば、心象世界とでも思えばいい」

 

 心象世界……?

 ISに人間で言う人格のようなものが存在すると仮定したとするなら、なるほど、確かにまったくあり得ない話しでもないのかも。

 だとすると、随分と北欧神話におけるヘイムダルそのままな光景が繰り広げられているな。

 そんなヘイムダルの心象世界に僕が居るということは、呼び出されたか、もしくはたどり着いたかのどちらかだと思うんだけど……。

 仮に呼び出されたとして、いったいヘイムダルは僕になんの用事なのだろう。

 たどり着いたとして、ヘイムダルとの対話は何を意味するのだろう。

 僕からすれば聞きたいことは山ほどあるけど、やはり彼女と言葉を交わす先に何かがあるのは確かなはず。

 寡黙なようだしあまりこちらから問い詰めるのはよして、僕は黙ってヘイムダルを見据え、彼女の意図を読むべく一挙手一投足へと注目した。

 

「汝、この光景に何を思う」

「は? な、なに? なにって……」

 

 まさかの予想斜め上の質問である。

 なんだか僕の芸術家としての眼やら感性やらを問われている気もするが、多分だけどそういう話でもなさそうだよね。

 とりあえず、もう一度僕の目に映るものを整理してみることにしよう。

 まずはこの閉ざされた巨大なんてレベルじゃ済まない門。僕たちはその袂に居て、下を覗けば一面に広がる雲の海。更には広大な雲海を突き抜けるように伸びる七色の光の柱……か。

 ……どうしよう、綺麗とか幻想的とかそれ以上のことを思いつかない。これ、本気で芸術家としても落第点なのではないだろうか。

 ま、待て! ヘイムダルは確かにこの光景を心象世界と呼称した。のならば、これは何かの暗喩というやつの可能性もあるぞ。

 

(これが心を表しているのだとすれば……)

 

 ……閉ざされている門? 心を閉ざす……? この門は、ヘイムダルの心が閉ざされているということなのだろうか。

 だとするならこの雲は、足元が見えないことと関りがありそうだ。つまり、漠然とした不安の形容ということでは?

 そんな不安すら突き抜け、あたりを照らしてくれる七つの光……。これはきっと、誰かを指している。そう、僕にとってかけがえのない――――……僕に、とって? 

 どうして僕はそんなにすんなりと、僕にとってと自分のことのように捉えたのだろう。……いや、そうじゃない! そうか、心象世界っていうのは――――

 

「もしかしてここは、僕の心を表してるってことなの?」

「ご明察。であるなら、我が示した光はなんであるか、わからんとは言わせぬぞ」

「僕にとってかけがえのない仲間……。みんな……!」

 

 ナツ、箒ちゃん、簪さん、セシリアさん、鈴ちゃん、シャルル、そしてラウラちゃん。

 これも因果というやつなのだろうか。一学年専用機持ちとして、日々切磋琢磨し合う仲間たちが、ちょうど七人だとは。

 もちろん、そういうベクトルでみるならみんな僕にとって大切な仲間たちだ。けれど、まさか僕の中でこうも大きな存在だとまで思いもしなかった。

 少しは強くなった気ではいたけど、やっぱりみんなありきだってことを思い知らされるよ。

 けれどというか、だからこそというか、やっぱり僕はみんなの盾でありたい。かけがえがないからこそ、こんなにも守りたいって思うんだ。

 

「そこだ」

「そこ……って、もしかして、僕の考えは筒抜けだったりする?」

「汝と我の同調は最高潮。こちらとしては造作もない。それはいいとして、我が指摘したい部分はわかるな?」

「…………」

 

 ヘイムダルの指摘したそことやら、答えが見えているからこそ、僕はすぐさま返事をすることができないでいた。

 かけがえがないから守りたい。

 僕の守りたいという意思を頭ごなしに否定したいわけでもなさそうだが、ヘイムダルが指摘したい部分ということはすぐにわかった。

 それはつまり、僕がそのままじゃダメなんだって、わかっていたうえで是正してこなかったということなんだろうけど。

 

「肉体を守るだけなら壁でもできるぞ。そも、彼奴らと自らの実力差を省みよ。もっと言うなら、彼奴らははいそうですかと守られるクチか?」

「……僕の守るべきものは、もっと他にある」

 

 相棒の言葉とは思えない辛辣さ。というか、そんなこと思っていたのかと軽くショックを受けてしまう。

 ……けど、ヘイムダルの言っているのは本当のことだ。そして、やっぱり僕自身が心の――――あるいは頭のどこかでわかっていたこと。

 みんなは僕に守られるほど弱くない。実力もそうだけど、心の方もそうだ。どちらも軽く僕を上回る水準だろう。

 だから僕のこの考えは、やっぱり自己満足の域を出ない。そして、ただの押し付けでしかない。

 ふと、僕が盾役を買って出ているときのみんなの顔を思い出してみる。

 ……一定の信頼は得ていたと感じるけど、やっぱりどこか僕の心配をしているところが拭えない。みんなしてそういう表情だ。

 ナツこそ絶大の信頼を寄せてくれていて顔には出さないけど、きっと同じだ。

 それしかないと押し通してきた意地だけど、そう……だな。僕が本当に守るべきものは、きっと僕自身で。そしてもうひとつ。

 

「守りたい……なぁ。ヘイムダル……! 僕は、みんなの笑顔を守りたい!」

「そうだ。汝が最もすべきことは、盾になることでも敵を倒すことでもない。汝が彼奴に無事でいてほしいように、彼奴も汝に無事でいてほしいのだ。そしてなにより、この我もな」

「ヘイムダル……」

 

 みんなを守った気でいた僕の、なんて浅はかなことか。心配そうな顔をさせておいて、何を守った気でいたのだろう。これでいいんだと、そう決めつけてしまっていたのだろう……!

 そうだよな、それでいいはずがない。かけがえのない仲間だって言うくらいなら、僕の活躍でみんなが笑顔で居てくれなきゃだめじゃないか!

 吐き違えていた意識について悔やんでいると、ふとヘイムダルの自身も僕に無事でいてほしい旨の言葉が耳についた。

 そのひとことを口にしたときだけ、厳格な声色に優し気な雰囲気が継ぎ足され、なんだか余計に感動してしまう。

 なにより僕が相棒だって思ってるからかな。IS学園に来てからは、ある意味ナツより近しい存在だったかも知れないし。

 

「舞台は既に整っている。あとは汝次第だ」

「……それは違うよヘイムダル。キミと、僕次第――――だろ?」

「…………ふっ、これは一本取られた。ああ、そのとおり、そのとおりだ。我は汝と共にありて、汝は我と共にあり。では我が盟友よ、我と共に目指す先は何処だ?」

「限界の限界の、その先の先の先!」

「ならば共に行こうぞ。対話を果たした我ら、もはや向かうところ敵なし!」

 

 僕が冗談めかすようにそう告げると、兜の下でヘイムダルが微笑んだ……気がした。

 いや、言葉自体は本当のことを言っているから、きっとそうに違いない。

 そしてヘイムダルは僕の言葉を肯定すると、なんだか上機嫌な様子で僕に目指すべき境地を問う。

 僕はそれに対し、語気を強めながらズンズンと前方へと進み、乱暴なくらいの勢いでヘイムダルに右手を差し出した。

 ヘイムダルも右手を差し出し互いに力強く握り合うと、一瞬にして足元を包んでいた雲が晴れ、あたりに轟音が鳴り響く。どうやら門が開いている音らしい。

 わずかな隙間からは虹色の光が漏れ出し、僕とヘイムダルを照らし、そして――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおおおおおおおおおっ!」

「ちぃっ、二次移行がなんだ! てめぇ――――なんぞあん?」

「……あれ? ちょっと、嘘だよね? ど、ど、ど、どこにも変化がない!?」

 

 意識が二次移行寸前の瞬間まで戻ると、僕の周りを包んでいた光が霧散した。

 そして、それと同時に新たなヘイムダルのお出まし――――と、意気揚々と名乗りを上げてやろうとしたその時だった。

 オータムさんも見た目だけで気づいたように、外見からしてそれといった変化がまるでない。一次移行ですら、少なくともサイズ調整は行われたというのに。

 今のところ僕のハイパーセンサーで確認できるのは、名称指定がエクシード・ヘイムダルに変更されているのみ。

 ……寂しまぎれに僕のと表現したけど、これくらいなら白式やアラクネのハイパーセンサーでもそう表示されるよな。

 

「ハハハハハハ! 何かと思えばコケ脅しかよ! やっぱ愛の力などなんの、んなもん大したもんじゃねぇってこったぁ!」

(お、落ち着け、落ち着け! アレだけの大反省会をしたんだ。絶対に何かしらの変化は起きてるはず!)

 

 別にそこまで大きな変化を求めていたわけじゃない。

 実際ヘイムダルと話したのって意識の変化が大事って、そんな感じのニュアンスのことだったし。

 でも一切の変化なしは流石に笑われて当然くらいに思えるし、コケ脅しっていうのも全く否定できない。

 けれど二次移行(セカンド・シフト)したって事実は確かなんだから、ぜっていに何かがあるはずだ。

 そう一縷の希望を胸に、アラクネによる攻撃を青色の塔盾(タワーシールド)で防ぎつつ、ヘイムダルの内部データの隅々までをチェックしていく。すると、とある項目が増えているのを発見した。

 

(あった! ヘイムダルに単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)が目覚めてる! 名称は……ビフレスト・オーバードライヴ?)

 

 ハイパーセンサーにピックアップされているのは、単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)という項目とその名称。

 ビフレスト・オーバードライヴ。

 ビフレストといえば虹色の手甲(ガントレット)に蓄積された各変形機構の余剰エネルギーであるが、名称に入るのならまずそれを使用すると思っていいはず。

 すぐさまビフレストを確認すると、エネルギーを多く使う橙色の熱線(ヒート・レイ)黄色の弩砲(バリスタ)を使用したこと。

 そして青色の塔盾(タワーシールド)を殴り続けられたおかげか、いつの間にやら既にフルチャージされている。

 だったら条件は整っているってことだ! どんな能力かまでは未知数だけど、この状況下で使わないのはあまりにも惜しい。

 僕は腹から声を出し、単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)の名称を高らかに叫んだ。

 

「ビフレスト・オーバードライヴ!」

「なにっ!? まさか単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)だってのか!」

 

 僕がそう叫ぶと同時に、ヘイムダルの装甲が半分浮いたような状態になり、その後すぐさま弾け飛んで四方へと散っていった。

 予想外なこの感じ、これまで何度も体験してきただけあって、ここから更に何か起こるであろうことはわかっているさ。……さぁ、どうなる!?

 すると散っていった各種装甲が、突如として量子変換を開始。七色の光を放ち、薄暗いロッカールームを激しく照らした。

 七色の光はこちらめがけて戻るような動きを見せ、そのまま僕の前身を包んだ。

 そして光は徐々に鋼鉄へと姿を変えていく。どうやら機体の再構成か何かが行われているらしい。

 

「ハル、その姿は……」

「僕にもよくわからない……。けど、これは――――」

 

 どうやらヘイムダルの再構成も完全に終わったらしいが、見た目に関して言うならばまるで第一世代機のようになってしまった。

 いや、むしろISかどうかすら疑わしいというか、まるでアメコミヒーローのパワードスーツみたいな感じといえば伝わりやすいだろうか。

 ただ、あちこち埋め込まれているようなかたちのブースター機構が気になるな。いったいこれがなんの役割を果たしてくれるのかまったくの未知数だ。

 

『ビフレスト・オーバードライヴ カウントダウンスタート リミットは3分です』

(三分間限定でこの姿になれるって能力なのか? でも、武装も何も見当たらないぞ!?)

 

 どうやら問題なく単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)そのものは発動しているらしいけど、姿が変わっただけで特にめぼしいものはない。

 どころか、虹色の手甲(ガントレット)が消滅した影響なんだろうけど、拡張領域(パススロット)を確認しても武装すらなくなってしまった。

 つまりは素手で殴りに行けっていうこと? ……それは正解である可能性が高いとして、今のところ利点らしい利点が――――

 いいや、三分がタイムリミットと言っているんだから、何につけても迷っている暇なんてない!

 何よりヘイムダルを信じるんだ。きっと今も僕の勝利を願いつつ、自身も最大限の手を貸してくれているんだろうから!

 

「へっ、何が何やら本人がわかってねぇみたいだな。だったら、わかる前にぶっ潰すまで!」

「やるしかない……! やるしかないなら、とにかく突っ込む!」

 

 ビフレスト・オーバードライヴの発動と同時に、警戒していたのか退いていたオータムさんだったが、僕が能力を把握しきっていないと読み仕掛けてきた。

 僕も覚悟は決めた。徒手空拳なんて柄でもないけど、それしかないならやるしかない。

 という意気込みのもと、力強く地面をけり上げたその時だった。

 まるで空気そのものを揺らすかのような勢いで、背中にあるブースター機構が勢いよく虹色の光を吹き、僕の前身に不必要なまでのサポートが入る。

 身構えていれば問題ないだろうが、突然のことにそのままずっこけるような体勢のまま一気に前へと押し出された。

 そんな不格好なままでも勢いは死なず、思惑外れてオータムさんへそのままタックルを仕掛けてしまう。

 

「ぐおぁ!?」

「うわああああああっ!?」

 

 勢いがすさまじ過ぎるせいか、僕に激突されたオータムさんは、割と軽く弾き飛ばされていく。

 僕はというと、制御が効かないものだからそのまま転倒。

 ドンガラガッシャンと数多のロッカーをなぎ倒し転がりに転がり、山積みとなったロッカーへ上下さかさまに引っかかってようやく止まることができた。

 

「くそったれ、なんだってんだ!?」

「こ、こっちが聞きたいくらいではあるんだけど……」

「知るかそんなもん! だがただの初見殺しだ。次はねぇぜクソガキ!」

(……三分しかないからって焦るな。とにかく防いで反撃の隙を――――)

「そぉらよっ!」

 

 お互いムクリと起き上がると、互いにわけがわからないと声を上げるしかなかった。

 確かに初見殺し的な要素はあったといえ、オータムさんはラッキーパンチでも癪なのか、かなり機嫌の悪そうな声色でこちらへと迫る。

 僕も起き上がって迎撃の構えをとってはいるけど、今のヘイムダルにはこれまで頼り切ってきた青色の塔盾(タワーシールド)がない。

 やはり素手で防ぐしかなくなるわけだが、果たしてそんな芸当が僕にできるのだろうか。

 僕が内心でそんな葛藤を繰り広げていると、オータムさんは当然ながらなんの容赦もなく、脚の一本を振り上げて刃を浴びせた。

 

「な、なにぃっ!?」

「へ……? な、なんで……?」

 

 鉄のぶつかるような音。そしてオータムさんの驚愕を表現する声。なにかと思って恐る恐る観てみると、防いでいるのだ。

 そう、僕が腕でしっかりとアラクネの脚を受け止めている。

 い、いったいどういうことだ? この姿のISの操作は脳の電気信号かなにかと直結しているみたいだが、今のだとまるで腕が勝手に動いたかのような感覚だ。

 

「は、はんっ! まぐれってのはあるもんだなぁ。ならこいつでどうよ!」

(さっきは手も足も出なかったラッシュ……。けど――――)

「!? 馬鹿な、こんなことありえねぇ!」

「ハルが、攻撃を全部捌ききってる……」

 

 オータムさんは一瞬の動揺をみせたが、すぐさま僕がさんざん苦しめられ続けた脚によるラッシュをしかけてきた。

 だがこのラッシュもまるでリズムゲームかのように、淡々と防いでいる僕が居る。

 時には躱し、時には防ぎ、アラクネの脚がクリーンヒットすることはまったくない。

 ……だんだんとこの能力のことがわかってきた気がする!

 多分だけど、勝手に動いたかのようじゃなくて、実際に勝手に動いてくれているんだ。じゃないと、さっきも言ったが僕にこんな芸当は不可能だから。

 

(だが防いでいるばかりじゃ勝てない。どうにか反撃しないと!)

「なっ……!?」

「よし、やっぱりだ! ここを、逃さない! でやああああああっ!」

「がはっ!? ぐああああああ!」

 

 僕が脳内で反撃しなければと考えると同時に、またしても身体が勝手に動いた。

 ラッシュの動きで脚が入れ替わる一瞬の隙を突き、ブースターから虹の光が勢いよく放出され、グンッとオータムさんとの距離を詰めた。

 そしてそのまま腕を振りかぶると、僕なりに渾身の力を込めてオータムさんの腹部を殴りつける。

 すると今度は腕から勢いよく虹の光が放出され、とんでもない速度と威力をパンチへと付与させた。

 殴られたオータムさんといえば、アラクネの脚が完全に力は離れ、勢いそのまま遠くまで吹っ飛ばされていく。

 先ほどとは逆で、オータムさんとアラクネが、数多のロッカーをなぎ倒していく番だった。

 やはりこの単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)は、僕が立てた推測どおりの力を有しているらしい。

 

「だけどやっぱり時間がない! 推していきます!」

(はやっ……!? ハイパーセンサーの補正でとらえきれな――――)

「せいっ! はぁっ! でりゃぁ!」

「ぐがっ!? づっつ!? うごっ!?」

 

 僕はオータムさんがダウンから復帰する前に、大きく前に踏み出しながら飛び出た。

 虹の光でブーストしているおかげか、距離を詰めたのはほぼ一瞬。オータムさんからは、目にも止まらぬ速さで正面に現れた。くらいに感じたことだろう。

 僕はしゃがみ込むようにして反動をつけつつジャンピングアッパー。そのまま空中に浮いて胴回し回転蹴り。右ストレートをテンポよく繰り出した。

 これもやはり虹色の光が後押ししてくれるおかげで、オータムさんは単純に早すぎるという理由で回避ができないようだ。

 

「ハル、その単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)は!?」

「想いだ……。この単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)は、僕の想いに応えてくれる能力だ!」

 

 僕が徒手空拳による格闘戦で明らかに敵を押す姿なんて、付き合いの長いナツにはあまりに不可解な光景に映ることだろう。

 単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)のおかげであることは察しがついているようで、能力の詳細について問う。

 だから僕はこう答えた。僕の想いに応えてくれる能力なのだ、と。

 つまりどういうことなのかって、もう少し詳しく話すことにしようか。

 このエクシード・ヘイムダルが宿した新たな力。ビフレスト・オーバードライヴの正体とは――――

 

 

 

 

 




【エクシード・ヘイムダル】
晴人の専用機であるヘイムダルが、二次移行を遂げた形態。
とはいっても見た目や性能に関して大きな変化はみられず、ほとんど単一仕様能力が目覚めたということのみ。
と晴人は思っているようだが、実は各武装に用いられるエネルギーの出力が上がっていたり、ビフレストの回収効率が改善されたりしている。
地味ではあるが、そんな内部的変化はいくつかみられる。
そして単一仕様能力を発動させた状態こそ、エクシード・ヘイムダルの真価がとわれる部分であり、真の二次移行形態とも言える。
続報を待て。


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第79話 限界を超えて

 ビフレスト・オーバードライヴ。それは僕の想いに応えてくれる能力。

 まず発動にビフレストが必要であることは正解。そして恐らく、貯蓄されている量によって制限時間が決まるのだろう。

 今回はフルチャージ状態だったので三分。つまり最大でも三分だと予測することができる。

 そしてビフレスト・オーバードライヴ発動中のヘイムダルは、その制限時間が終わるまで無限にビフレストを使い続けられるということ。

 ここらあたりの原理は、多分だけど箒ちゃんの紅椿と同じで、エネルギーを増幅させているってことだろう。

 なおかつ、それを虹色の手甲(ガントレット)と同じ勢いで、自在に放出できるということだ。

 つまり今のヘイムダルは、移動や攻撃の全てを虹色の手甲(ガントレット)と同様の勢いで行える。

 最初の爆発的ダッシュや、パンチを繰り出すために振る腕とか、どことなく覚えていた既視感というのはそれが原因だったらしい。

 ここまでがビフレスト・オーバードライヴの能力の大きな区分のひとつ。

 僕の想いに応えてくれるというのは、二つ目の能力についてのことだ。

 

「クソがぁ! いくら速いつったって、こう来られちゃどうしようもねぇだろ!」

(避けて、反撃!)

「エネルギーネットの隙間を……! ぐあああああっ!」

 

 アラクネの掌から飛び出してきた蜘蛛の巣状のエネルギーネットだが、僕は念じるようにして回避と反撃だと頭に思い浮かばせた。

 すると、僕はエネルギーネットのわずかな隙間をすりと抜け、オータムさんへと接近して回し蹴りを食らわせた。

 この動き、やはり普段の僕ができるような動きじゃない。これこそが、想いに応えるということなんだ。

 もっと機械技術的に解説を入れるであれば、ハイパーセンサーやイメージインターフェースに大きな感度の上昇補正が入っている。

 ハイパーセンサーで動体視力を疑似的に向上させ、超感度を誇るイメージインターフェースが僕の考えた理想の動きを感知。

 それを機体であるヘイムダルがほぼ完璧に再現することにより、まるで超人になったような動きも可能になるというわけだ。

 ……そして恐らく、もうひとつだけ用途がある。それは――――イメージインターフェースを利用することによって、使いたい放題のビフレストを自在に操ることができる!    

 

「バイキンなんかじゃない」

「あん!?」

「僕の放つこの輝き! この輝きをくれたナツが、バイキンなんかであるもんか!」

「……綺麗…………」

 

 僕は虹色の光を全身から放出させ、これでもかというほどの輝きを放つ。

 あまりの光量に目がくらんだのか、それとも僕の勢いに押されたのか、オータムさんは軽くたじろいだ。

 まるでオーラを纏っているようなこの姿、精神的にも追い詰められつつあるオータムさんをすごませるには十分だったようだ。

 しかし、この人の性格からして、自分でそういうことを感じたのを認めたくないタイプだろう。それでいて、逆上する可能性も高い。

 だからこそ、僕は真正面からオータムさんを叩き潰す腹積もりでいる。

 まぁなんというか――――僕の奥さんを散々いじめてくれた礼くらい、いくら僕でもきっちり落とし前をつけなければ気が済まないから!

 

「覚悟!」

(……ッソが。クソが、クソが、クソが、クソが! マジで単純に、速すぎて何もできねぇ!)

 

 ビフレスト・オーバードライヴの効果で、現在僕の動体視力や反射神経は常人を遥かに凌駕するが、とはいえ決して油断だけはしてならない。

 ただ単純に速さで翻弄するだけでは、いつしか慣れてエネルギーネットとやらに捕らわれてしまうのが関の山。

 だからこそ僕は一撃離脱を意識し、アラクネの各所を一発殴るまたは蹴るをして、即離脱してまた攻め直すを繰り返す。

 その間オータムさんは棒立ちの状態で、ただ僕の攻撃を受けるのみ。……というか、きっと僕がそうさせているんだろう。

 オータムさん視点で考えてみるに、何か反撃をしようと思った時には既に攻撃を喰らっていて、逃がさないよう試みても既に離脱した後で、そしてまたわけもわからないうちに攻撃を喰らっている。

 だいたいこんな感じだろうか。

 全身装甲(フルスキン)のISだからダメージが与え辛いのが、より彼女を苦しませている大きな原因のひとつだろう。

 僕だって許さないとは思ってるけど、いい気味だとかそういった感情は芽生えない。……なるべく早く終わりにしたいな。

 

「ざっけんな……。ざっけんじゃねええええええ! 私を誰だと思ってやがる!? 亡国機業(ファントム・タスク)の幹部だぞ! この私が、んなクソガキ風情に! 男風情にいいいいいいっ!」

(優先行動を回避に!)

 

 どうやらオータムさんは完全に逆上してしまったらしく、反撃や防御の姿勢をまったくとることなく、とにかく周囲にエネルギーネットをまき散らし始めた。

 これに捕まってしまっては、高確率で敗北が確定する。そこで理想とする動きを一撃離脱の状態から、とにかく回避する方針に思考を切り替えた。

 僕の思考を感じ取ったであろうヘイムダルは、半オートくらいの感覚でエネルギーネットを躱しつづける。

 だけどいつまでこれが続くかわからない以上、できるだけ早く反撃の手を見出さないとまずい。

 つまり一応は反撃する隙を与えてしまったということだから、完全に何もさせないにためにはもっと速さが必要だ。

 速さ、速さ、速さ……この現状で、より加速するためには――――そうだ、この作戦でどうだ!

 

(ヘイムダル、床だけじゃなくて天井も利用していこう!)

「ば、かな……! まだ速くなるってのか……!?」

 

 この状況下で対策をするのなら、やはり何もさせてやらないのが確実だと判断を下した。

 ならば速度に対応しきれていない。という点を利用させてもらうことに。

 これまでの速度で足りていないのなら、天井も足場だとカウントして、跳ねて加速できる場所として扱うのが吉なはず。

 それまで平面的にオータムさんへ攻撃を加えていたが、縦横無尽に飛び跳ねることにより、立体的にどんどん攻めていく。

 皮肉なことに、オータムさん自身がこの狭く閉鎖された空間を選んだことが仇となった。

 床はともかく、天井がなければここまでの加速は不可能だっただろうから。

 僕の速さを止めるべく行動だったというのに、更にそれを上回る速さで打ち破ったためか、オータムさんはどこか呆然とした状態になってしまった。

 ……同情の余地はないが、普通にアラクネのシールドエネルギーもちょうどいい具合に削れてきている。試してみたいこともあるし、そろそろとどめにすることにしよう。

 

「わっ、たたっ……!? 調子に乗ると上手く止まれないな、これ。要練習……っと」

「あぁ? なんのつもりだクソガキぃ! まさかとは思うが、同情のつもりじゃねぇだろうな!」

「いえ、それはないですから――――って、残り三十秒か。すみません、説明してる暇ないです」

 

 僕はオータムさんから少し離れた真正面に止まろうと思ったんだけど、勢いが付き過ぎてかなり右のほうにずれてしまった。後は普通に歩いて位置調整。

 突然攻撃の手を止めた僕に対し、オータムさんは交渉でも持ちかけてくると考えたのか、プライドを傷つけられたとでも言いたげに声を荒げた。

 残念だけど、絶対に逃がしてやる気はない。この人は今日この場で捕まえる。くらいのつもりだ。

 ただそれを説明している時間がないし、思えば別に説明してあげる義理もなかった。

 というわけで、僕はオータムさんとの会話を半ば強引に切り上げ、姿勢を低くしてクラウチングスタートのような体勢をとる。

 ただし、右手は浮かしたままで、なおかつ力強く拳を握ったような状態だ。そこから更に、右腕全体からビフレストを放出!

 

「……? いったいなんのつもり――――!?」

「流石に気づきますか。だったら僕の言わんとしてること――――わかりますよね」

「虹色の光が、いつものヘイムダルの虹色の手甲(ガントレット)みたいに……?」

 

 僕の行動の意図がだんだんと読めてきたらしいオータムさんは、もうすぐ自分の身に起きるであろうことを、嫌というほど想定してしまったことだろう。

 そう、実は前々から考えていたことだ。あれだけ爆発的な瞬発力を生むエネルギーを、相手を直接攻撃することに使えたらなんて。

 まさかこんなところで実現するなんて思いもよらなかったけど、とにかく想像するくらいはしておいて正解だったというわけだ。

 どうやらナツも気づいたらしいが、そのとおり。僕は放出したビフレストを圧縮し、普段のヘイムダルと同等の大きさの右腕を形どっている。

 これだけの密度のエネルギーで殴られればどうなるかなんて想像は易いし、なおかつ来るとわかっていても避けられないというのは大きい。

 僕は残りの三十秒を最大限に利用し、これでもかというほどの密度で虹色に輝く右腕を生成した。

 さて、後はこれでオータムさんをぶん殴るだけだ。

 

「お……おい、ほんの冗談だろうよ。ハッ、ハハハ! い、今すぐ消えっからよ、それだけは――――」

「オータムさん」

「!?」

「僕にとって、初めての敵があなたで本当に良かった。おかげで僕は――――」

 

 とどめの一撃がくるとわかっていて避けられないという絶望は、オータムさんの心を完全に折ったようだ。

 あれだけ優位に立っていたのが一変し、まさかの命乞いまでし始める始末。

 そこに高笑いしているオータムさんの面影はなかった。

 ……逃がしてあげたいと、心のどこかで僕がそう思っているのは認めよう。けど今回ばかりは――――ううん、これからはそういうわけにはいかない。

 亡国機業(ファントム・タスク)の目的は、ナツの誘拐であるということが判明した。だから、ナツを狙う敵だけは逃がせない。

 だってどこかで倒して捕まえなければ、いつまでもナツを狙って挑み続けてくることだろう。

 そういったものの繰り返しは、絶対にどこかで断ち切らなくてはならない。

 だから僕はこの敵を――――敵……か。思えば、初めてちゃんとした人間の敵ということになるわけだ。

 無人機に暴走したラウラちゃん、それに銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)。どれもが感情を持った人間――――敵であるとは言い難い。

 その点オータムさんは、僕の前に現れた初めての敵だ。だとしたら、こんなに都合のいいことはない。おかげで僕は――――

 

「おかげで僕はこれから先、なんの遠慮もしないであなたたちをぶん殴ることができそうだ」

「ち…………くしょうがああああああああああああああ!」

「うおおおおおおおおっ! 限界突破(エクシィィィィィィィィィド)虹色の手甲(ガントレット)オオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッッッッッッッ!」

 

 オータムさんと対峙して、こんな連中に遠慮なんていらないということが骨身にしみた。この考えが僕にとってプラスかどうかはわからない。

 ただそこにあるのは、脳内や心中で無意識にかけていたリミッターを完全に外した一撃を放てた。という過去形の事実のみだ。

 僕は小細工なしに思い切り真っすぐ一歩を踏み出し、大きく振りかぶった右腕をオータムさんへと叩きつけた。

 拳はの大きさはアラクネの上半身を丸々埋めてもまだ余りあり、心なしかメキメキと鉄が軋むような音が聞こえたような気がする。

 そのまま右腕を押しだすように振り切ると、それまで右腕に留まっていた高密度のビフレストを射出。

 ロケットパンチのような要領で前進を続ける虹色の手甲(ガントレット)を象ったビフレストは、勢いよくアラクネを後退させていく。

 そしてアラクネの尾部が壁に激突するか否かというところで、それまで原形をとどめていた高密度のビフレストが、美しい輝きを放ちながら盛大に炸裂。虹色の光がドーム状に広がった。

 

「うごぁあああああああああああああああっ!?」

「くっ……!」

 

 これでもかというほどのオータムさんの断末魔が響いたかと思えば、ビフレストの爆発の衝撃が迫って来た。

 ISを纏っているから事なきを得たものの、生身だったら確実に吹っ飛ばされているな。次があれば、もう少し考えて使わないと。

 そんなことより状況確認。……ハイパーセンサーからはアラクネの反応が消えている。あの状況から脱したということもないだろう。

 僕が警戒しながら煙が舞う向こう側へ目を凝らしていると、徐々にクリアとなった視界に横たわる人影が見えた。

 いつしか煙は晴れ、完全にその姿が露わになったが――――うん、疑いようもなく気絶したオータムさんで正解みたい。

 念のためハイパーセンサーでバイタル等の確認をするも、どれも正常値を示していて思わず安堵の溜息を零した。

 よし、ならばもういいかな。

 

「勝った……。勝ったぞ、勝てたんだ……!」

『3 2 1 リミットオーバー ヘイムダル 通常形態へ移行します』

 

 辛くもな勝利に緊張の糸が一気に緩んだのか、思わず膝をつきながら余韻に浸ってしまう。

 それとほぼ同時のタイミングで、ビフレスト・オーバードライヴの効果時間が終了。

 ヘイムダルは単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)発動時と逆の手順で、見慣れた異形の姿へと戻って行った。

 ……どうやら僕が膝をついているのは、単純に疲労がすさまじいという理由もありそうだ。

 冷静に考えてみて、どうやったて凡人レベルの動体視力等を強制的に引き上げたんだから、それは疲れるに決まってるよな。

 制限時間が最大でも三分ほどなのは、それ以上の時間使い続けたら危ないですよってことなんだろう。

 だけど流石にすぐ動けないほど疲れてるってことでもないし、いい加減に愛しのナツを解放しなければ。

 僕はゆっくり立ち上がると、右腕を紫色の大鎌(ヒュージサイズ)に変形させ、壁に貼り付けられているナツへと近づいた。

 

「ナツ。怖いかも知れないけど、少しジッとしてて。手元が狂うと危ないからさ」

「うん……」

 

 助けるためとはいえ、奥さんに鎌を向けるとはなんともシュールな光景だろう。でも絶対に鋸よりはいいと思うんだよね。

 一応ナツに注意を入れてから、鎌のほんの先端を絶妙にネットへと引っ掻け、手前に引いては切断するを地道に繰り返した。

 白式を装備中とはいえ、紫色の大鎌(ヒュージサイズ)の刃部分がナツに触れるのは僕の沽券というやつにかかわる。

 無駄なくらいに慎重だったせいか、かなり時間をかけてナツは完全に開放された。

 地に足を着けたナツにどう声をかけようかと思案していたら、間髪入れずに向こうの方から僕に提案を持ちかける。

 

「ハル。左腕と胸部装甲、部分解除して」

「へ? えっと、了解。これでいい――――」

 

 いきなりどういうことかと思ったが、言われた部分を解除した瞬間に、ナツは僕の胸へと飛び込んできた。

 ……なるほど、確かにヘイムダルは胸部にも装甲があるから、抱き着くという行為はしづらいよな。

 左腕に関しては、きっと鋼鉄を纏ったまま抱き込まれたくはなかったんだろう。

 だからこそ僕は、ナツをできるだけこちらに引き込めるよう、グググと絡めとるようにして細い腰へと腕を回した。

 

「大好き」

「僕も、大好きだよ」

「愛してる」

「ああ。ナツ、愛してる」

「……これから先もずっと一緒?」

「言ったろ、僕はもうナツなしじゃ生きていけない。嫌だって言っても離してやったりするもんか」

「……っ! 嫌だって言っても、離れたりなんかしないんだから もう、後悔したって遅いんだから! だから、だから……! 生きていくよ……。ハルの隣で、生きていたい……!」

 

 もしオータムさんの語ったことが真実だったとして、きっとナツの抱えている気持ちなんてわかってはあげられないだろう。

 だからこそ、ただ寄り添い続けることを誓うんだ。

 これからも狙われ続けられるであろうナツと共にあるのは、修羅の道だの茨の道だのと、そういった表現こそ似つかわしいのかもしれない。

 だが、僕には初めからそんなの関係ない話。だって、ナツさえ隣に居てくれさえすれば、例え地獄の底だろうとも苦ではない。

 逆を言うならナツが居なければそこは地獄そのもの。……結局のところそういうことなんだよ。

 腕の中で嗚咽を漏らしながらも肯定的な反応を示していてくれるが、僕への罪悪感が拭いきれてはいないはず。

 ナツ自身が僕をナツの隣に居させてくれた。だから本気の本気で感謝しかないんだけど、いったいどうやってそれを伝えるべきなんだろう。

 ……待てよ。だったら学園祭中にみせる予定だったアレは、テーマやモチーフからしてちょうどいいんじゃないか?

 今すぐにみせることができないのは心苦しいが、きっとナツを立ち直らせるのに役立ってくれるはず。

 そうと決まれば、さっそく次の行動に――――と言いたいところなんだけど、もう少しこのまま抱き合っていてもバチはあたらない。

 とりあえずナツを落ち着かせる目的も含まれているのだから、お互いに気が済むまではこのままでいることにした。

 

「……ハル、ありがとう。ひとまずは平気そうだから……」

「……わかった。ナツがそういうのなら」

 

 ナツは自ら僕から離れると、こちらにとても柔らかい笑みを向けて大丈夫だと言う。

 それが無理しているときの笑顔であることは察しが付くため、内心湧き上がってくるさまざまな感情を必死に押さえつけ返事をした。

 そこで話はこれからの動向についてになるのだが、そう言えば他のみんなは無事でいてくれるのだろうか。

 確認をとろうにもいつの間にか通信が妨害されているようだし、ここ周辺に存在するISの反応しか感知できない。

 ますますもって安否が気になるが、ここはいったん情報を整理することにしよう。

 オータムさんの目的は大きく見てナツの誘拐。その後ナツをどうするつもりか、までの部分は割れていない。

 そしてほどなくして亡国機業(ファントム・タスク)の増援が到着したのだが、これに関してはオータムさんも意外そうな反応を示していた。

 ……となると、増援の目的はいったいなんだというんだ?

 専用機持ち六人を相手にする実力があるのなら、多少強引に突破して、オータムさんを援護することだってできたはず。

 援護しなかったないし援護する気がなかったのだとすると、自然とナツを連れ去るつもりもないということになるが……。

 

「ままならないな。いったい何が最善なんだろう」

「とにかく地上に出て、みんなと合流するべきじゃないかな」

「……うん。白式もヘイムダルも、エネルギーの余力は十分だしね」

 

 狙われている本人を前線に出すのは反対したいところだが、潜入しているのがオータムさんだけという確証もない。

 なら、敵増援との交戦というリスクがあるにしても、やはり行動を共にするほうが多少はましか。

 強く同意できないせいで一瞬の間を空けてしまったが、怪しまれるほどでもなかったのかナツは無反応。

 それなら地上へつながる通路を探す――――前に、オータムさんをどうにかしないとな。

 都合よく縄みたいな拘束道具が落ちているわけでもなく、とりあえずはヘイムダルの右手で軽く掴んで、身動きを制限しつつ連れ回す方向で決定した。

 うっかり握りつぶしたりなんていうことがないように気を付けなければならないが、これでまず逃げ出すことは不可能のはず。

 そうとわかれば一安心だな。亡国機業(ファントム・タスク)の構成員を確保するという、サブターゲットも達成できたわけだし。

 よし、それなら今度こそ、地上へ向かうべく移動を開始することにしよう。

 僕らはハイパーセンサーに表示されるガイドビーコンを頼りに、薄暗く狭苦しい通路をひた進んでいくのだった。

 

 

 

 

 




【ビフレスト・オーバードライヴ】
ヘイムダルの二次形態。エクシード・ヘイムダルに目覚めた単一仕様能力。
能力の詳細については以下の通り。
1.発動時点までに蓄積されていたビフレストを糧とし、最大三分まで無限に増幅することが可能。
2.発動中はビフレストを自在に変質させること、また、虹色の手甲(ガントレット)と同様の勢いで放出することが可能。
3.発動中はハイパーセンサーとイメージインターフェースの感度が飛躍的に向上し、操縦者の理想とした動きを忠実に再現し、半自動で実行する。
総合的な見解として、最大三分間のみ常人を遥かに凌駕した超人になれる能力。といったところだろうか。


【エクシード・ヘイムダルBOD(ビフレスト・オーバードライヴ)発動形態】
エクシード・ヘイムダルの真の二次移行形態とも位置付けることのできる形態。
言い換えれば、単一仕様能力の発動により実現する超限定的な二次移行(セカンド・シフト)形態のようなもの。
BOD(ビフレスト・オーバードライヴ)の発動と同時に機体の各所がパージ、再構成されることにより完成する。
通常形態のヘイムダルとは異なり無駄を一切削ぎ落したかのような見た目となり、貧弱にはなるが圧倒的機動力を誇る。
また、BOD(ビフレスト・オーバードライヴ)の効果そのものにより、発動時のヘイムダルを捉えるのは至難の業。
余談だが、見た目はウルトラマンエクシードXを漫画【ULTRAMAN】に登場するウルトラマンスーツにしたようなディティールを想像していただきたい。


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第80話 織斑 マドカ

「なぁ、そろそろいい加減にしておかないか。私と長時間戦い続けるのは苦しいだけだぞ」

 

 スルトはレーヴァティンを肩にかつぐようにして置くと、あくまで食い下がってくる専用機持ちの残存戦力を眺めた。

 残っているのは箒、鈴音、楯無の三名。なのだが、そもそも残っているという表現も似つかわしくはない。

 接近するだけでもダメージを受けてしまうこの現状の打開策がみつからず、箒有する紅椿の単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)である絢爛舞踏で延命を続けているだけようなものだ。

 何より学園最強である楯無の専用機ミステリアス・レディが、単純にスルトと相性最悪であるという要因も大きい。

 その特色を簡単に説明するのであれば、起爆する性質のナノマシンにより水を操ることで、さまざまな状況下においてトリッキーに相手を翻弄するのが主だ。

 しかしスルトの放つ炎のせいでこれが全く機能しない。そう、水そのものが温度によってことごとく蒸発させられてしまう。

 本来は水蒸気になってもナノマシンを関節のわずかな隙から機体に侵入させ、そして爆破という戦術も可能なのだが、接近するまでもなく蒸発してしまうのでこれも無意味。

 絢爛舞踏ありきとは言いつつ、それでも落ちないでいられるのは学園最強としてのプライドか、それとも十七代目楯無としての使命をまっとうするためか。

 少なくとも楯無含め、三人ともまだ引く気はない。むしろ威勢のいい態度は崩さず、こちらを見据えるスルトに対して噛みついた。

 

「ざーんねん。あなたが諦めるまで、諦めるわけにはいかないのよね」

「ってか、しとめきれないアンタが温いんじゃないの!」

「私と紅椿がいる限り、これ以上の脱落者は出させんぞ!」

「ならば仕方ない。殺さないようにと加減をしていたが、ここから先は命をとるつもりで――――ん?」

 

 ただそこに在るだけで脅威となるスルトにとって、これだけ馬鹿らしい話はなかった。

 確かにただ通すわけにはいなかいということは理解している。目の前の敵が、友のために戦おうとしていることもだ。

 だが物事に関して諦めというのは肝心で、自身についてまったく対策がとれていないというのに、これでは悪戯にあらゆるものを浪費してしまうだけだ。

 個人的な理由も加味して箒たちを傷つけることが吝かだったスルトは、変に苦しめることよりも確実に撃墜するという覚悟を決めた。

 が、ここにきてハイパーセンサーに映るアラクネの動向に変化があったことに気が付く。

 そもそも反応がいつの間にやら消えていて、代わりに白式とヘイムダルの反応が移動を始めている。

 これを見るに、何が起きたかということは一目瞭然。

 当然ながらスルトはオータムが敗北することが前提で現れたわけだが、ここにきてあるひとつの欲というものが生まれてしまった。

 

「前言撤回だ。申し訳ないが、もう少しばかり苦しんでもらうぞ!」

「こ、これは……!? いったい、奴の底はどこだと言うんだ……!?」

「まるで小さな太陽ね……」

「んなもん言ってる場合じゃないでしょ! これは流石に退避――――」

「ムスペルヘイム・トルナード!」

 

 スルトは己の欲を満たすため行動を開始した。まず手始めに文字通りに火力をアップ。

 今日イチの炎を纏う姿を目撃した楯無は、顔を引きつらせながら小さな太陽だと形容した。

 この時点で何かする気なのは明白。スルトがレーヴァティンを振りかぶっているから、もっともっと明白。

 こういった時に冷静でいられる鈴音の存在は希少だが、残念ながら呼び掛けるのが数秒ほど遅かったようだ。

 スルトが技名らしきものを叫びながらレーヴァティンを振るったかと思えば、猛スピードで渦を巻く火炎が箒たちに迫った。

 三名とも絢爛舞踏の発動のために手の届く範囲に居たことが仇となり、全員見事に火炎旋風の渦中へと拘束されてしまう。

 

「ああもう、なんつーえげつない技使ってくれんのよ!」

「くそっ! 二人とも紅椿から手を離すな!」

「でもこのままじゃジリ貧ね。箒ちゃん、頑張って! 対策は必ず考えるから!」

「重ねてすまんな。用が済んだらすぐに解く」

 

 それでなくとも操縦者とISにかなりのダメージを与える炎だ。そんなものに囲われた先にある未来など、まるで想像もしたくない。

 間違いなくこの場に居るだけで敗北確定の最中、スルトは嫌味でもなんでもなく謝罪を残してその場から飛び去って行った。

 思わず待てと叫びそうになってしまうが、こんな状態ではそんなことを言っていても仕方がない。

 そんな暇があるならまずは打開策を立てることこそが重要だ。

 楯無はとにかく急いで脱出をと、普段の不真面目な様子を一切見せずに思考をフル回転させた。

 一方のスルトが向かう先はただひとつ。晴人と一夏が現れるであろうアリーナだ。

 目的は一夏の誘拐? それともスコールの回収? 今のスルトにとって、そのどちらにも該当しない用というものがあるのだ。

 閉じられたドームの天井をレーヴァティンにて焼き斬ったスルトは、アリーナ内へと難なく侵入。徐々にこちらへ近づいてくる反応に目を輝かせた。

 そして、スルトにとって待望だった瞬間がついに訪れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリーナの地下道がなんであんなに複雑なんだ!」

「ISのナビがなかったら完全に迷子だったね……」

 

 あれから移動を続けることしばらく、ようやく地上へと繋がる隔壁を発見し、しばらくぶりに元の場所へと戻ってきたわけだ。

 しかし、あまりに道順が複雑すぎて思わず文句が飛び出てしまう。ナツが僕をたしなめないあたり、怒って当然だということかな。

 だがギャーギャー騒いだところで、失った時間を取り戻せるわけじゃない。早く状況を把握して、可能ならみんなの援護を――――

 そうやって周囲を見渡しているその時だった。確認するまでもなく、見覚えのないISとその操縦者が僕らの目の前に佇んでるではないか。

 ということは、みんなは……!? ハイパーセンサーで上手く反応を追えないことのなんともどかしいことか。

 この現状、とにかく交戦は必至というわけだ。ならばまずオータムさんの安全を確保しないと、右腕が使えなければ僕は戦えない。

 ジリジリと退いて敵増援の黒いISを眺めていたが、どうにも様子がおかしいことに気が付く。なんというか、操縦者の動きが変……?

 そのフラフラとした足取りで一歩一歩ゆっくり近づいてくるその姿は、映画か何かの感動的再会シーンを思い起こさせる。

 いったい僕らの何が彼女にそうさせるのか。

 ある意味怪しい動きをみせる操縦者を警戒していると、右手に握っている大剣を上下逆さまに掲げるような仕草をみせた。

 瞬間、ゾワリと得体の知れないもの背中を這うかのような……。とにかく、不快感を孕んだ圧倒的なまでの嫌な予感というものを覚えた。

 

「あぁ……!」

「っ~~~! ナアアアアアアアアアアアアツっ!」

「は!? ちょっとハル、いったい何して――――」

「ようやく逢えた……!」

 

 本当に死さえも予感させる嫌な予感に屈した僕は、後方へと思い切りオータムさんをぶん投げた。

 当然ながら落下すれば即死するくらいの高さと勢いをつけてだ。そうすれば、ナツがキャッチしに向かうと踏んだから。

 そうすれば、恐らく次の瞬間に襲い来る脅威からナツを退けさせられると思ったから。

 例の操縦者といえば、纏っているISが真っ赤に染まるほどの炎を放ちつつ、同じく赤く染まった大剣を地面へと突き刺した。

 

「ムスペルヘイム・リンナイトス!」

「地面から炎が……!? ハルーっ!」

 

 操縦者が技名らしきものを叫んだかと思えば、地面から炎が噴き出しドームのように閉じていく。

 僕とナツを分断させるつもりなのか、実質的に一対一の状況へと持ち込まれてしまったぞ……!

 いや、オータムさんをナツに預けたから、これでヘイムダルの右腕もフリーだ。

 相手は楯無さんが言うには国家代表クラスである可能性が高いわけだが、そんなのは知ったことではない。

 やはりナツを攫おうとする連中なんて、どちらにせよ無視するわけにはいかな――――

 

「くっ……!? こ、この、熱さは、いったい……!?」

 

 己を鼓舞して戦闘へのモチベーションを上げようとしたその時だった。足に力が入らず膝をついてしまう。

 考えられる理由はただひとつ、この炎の熱さにやられているからだ。

 だからこそ逆におかしい。僕はISを纏っていると言うのに、この炎はなぜこんなにも熱い……!? みれば、徐々にダメージも受けているではないか。

 だとすると、この状態でヘイムダルが解除されてみろ。それは負けどころか本当の本当に死を意味するぞ。

 まずい。なんとか脱出しなければ。

 そうやって行動に出ようとするも、単純に身体へ力が入らなくて何もすることができない。

 見れば、操縦者は徐々にこちらへ歩みを進めている。

 その手から剣が離れているのに炎が消える気配がないということは、性能そのものはISに依存しているということなのか……?

 しかしそれに反して、先ほどまで赤く染まっていたISの装甲各所は、冷却が施されたのか元の黒色に戻っている。

 ……そこらあたりに何かヒントが、きっと打開策があるはずなんだ! 考えろ、思考を止めるな! こんなところで死ぬわけにはいかない!

 だというのに、操縦者は既に僕の眼前までたどり着いてしまう。できることといえば、必死にその姿を睨むことくらい。

 これから何をされるのだろうかと嫌な思考が過りそうになったその時、操縦者は僕と同じく膝を折り――――その両腕で僕を抱き留めた。

 

「…………は………………?」

「長かった……本当に……。この瞬間を、いったいどれだけ……! 晴人、お前が居てくれたからこそ、私は……!」

 

 まるで意味がわからない。

 なぜ彼女は、感動したように打ち震えているのだろう。

 なぜ彼女は、感動のあまりに涙声になっているのだろう。

 なぜ彼女は、僕との出会いに歓喜しているのだろう。

 なぜ彼女は、僕のことを知っているのだろう。

 わからない。わからない。考えても考えても、まるで答えは出てこない。

 当然だ。だって僕はこんな子のことは知らないから。むしろ、どうして僕がテロリストなんかと面識がなければならない。

 だけど彼女のリアクションが僕を混乱させるためとか、嘘の類であるとは不思議と思えなかった。

 長かった? この瞬間を? 僕が居たから? これらのピースから過去に会ったことがあると仮定することができるが、それでも僕はやっぱり――――

 

「僕……は、キミのことなんか……知らない……!」

「……そうだろうな。わかっていたことだが、やるせない……。しかし、今一度やり直せばいいだけのこと。晴人、私の名は――――」

「!?」

 

 今日という日はいったいなんなんだ。

 あまりにも衝撃的なことが起きすぎて、もうそろそろお腹いっぱいだぞ。

 僕を離して一歩だけ退いた操縦者は、おもむろにバイザーを解除してその素顔を晒した。

 見れば一発で気づくと読んでのことなんだろう。ああもちろん、僕に至ってその顔に違和感というやつを覚えないはずがない。

 だってその顔立ちは、ナツやフユ姉さんを思わせるような、言い換えるなら織斑の血筋を感じさせるものだったから。

 それでなくても混乱している僕に対し、操縦者は更に畳みかけるようにこう名乗った。

 

「織斑 マドカだ」

「織斑って……。本当に、ナツとフユ姉さんの血縁だって言うのか!?」

「それは……。……すまないが言えん。というより、言えんことの方が多い。だが、手短に伝えなければならないことがある。熱いのは少し我慢してくれ。それだけ重要なことだということだ」

 

 織斑と、ナツやフユ姉さんに似た顔立ちの少女は確かにそう名乗った。

 先ほどのオータムさんの話を聞くに、織斑の両親はかなり密接に亡国機業と関りがあったと思われる。

 だから邪推しようと思えばこのマドカって子にもいろいろ予測が立つけど、やはりあまりにも衝撃が大きすぎて頭が着いて来ない。

 いや、正直に言うなら僕はこうも思っている。テロリストなんかが、僕の大事な姉妹と近しい存在であってなるものかと。

 どことなく拭えない嫌悪感の正体はこれ……? そんな感情すら抱く相手が話をしたいって、僕は真剣に耳を傾けることができるだろうか。

 

「織斑 一夏をこちらに渡せ。そして願わくば……晴人、お前も私たちと一緒に来い」

「話せないことの方が多いんだろ!? そんなこと、理由も知らずに受け入れられるか!」

「私が話さないのは! …………私の都合ではないんだ。真実を知れば、きっと晴人は壊れてしまう。だから話さない」

 

 どうせそんなことだろうとは思っていたが、僕にとって断る一択しか浮かばない提案を挙げる。……スカウトは少し意外だったけど、どちらにせよろくなものではない。

 だがマドカは話せないことの方が多いと前提した。それだけに、要求だけ告げるものだからまったく中身が見えない。

 理由を話されたところで僕の意志は揺らがないだろうが、百歩譲って納得してほしいならそれくらいは教えるべきだ。

 僕は首を縦に振ってほしいならと声を荒げるが、それに対してマドカは悲しそうに顔を歪める。

 理由を話さないのは組織的な思惑を知られないためではなく、他でもない僕のためにだと主張するではないか。

 ……本当に、この子にとって僕はいったいなんなんだ? 絶対に会ったことがないと、そう断言することができるくらいには覚えがないというのに。

 

「晴人、私はお前を愛している。私に生きる意味を与えてくれたお前のことを、心から」

「は!?」

「だが愛してくれとは言わない。既に織斑 一夏と結ばれているのは……理解しているつもりだ。だから私が望むものはひとつしかない。生きていてほしい。ただ、それだけなんだ」

 

 またひとつ驚かされた。

 こんな場にふさわしくないような反応をしてしまったけど、いきなり愛の告白なんてされたら誰だってそうなる……よな?

 さておき、意を決して想いを口にした今の表情なんか、ただの純朴な乙女という感じだった。これにもやはり偽りを感じられない。

 そして続けざまに出てきた僕に生きていてほしいという言葉。それは暗に、ナツを愛し続けることが僕の死を意味しているかのようだ。

 ……あり得ない話ではない。とは思う。

 ナツの抱えている事情は大まかに理解したつもりだが、因子の件はもっと掘り下げないと、たくさんの隠された真実はあることだろう。

 例えば過剰摂取は寿命を縮めるみたいな、そういうリスク的な何かを持っているかも知れない。

 確かにそれはよくないな。もちろん、僕が死んだらナツが悲しむという意味で。

 けど、だからといってそんな要求を呑むわけにはいかないに決まっている。だって今しがた一緒に生きると誓い合ったばかりだ。

 だから、僕とナツが隣り合っていなければまるで意味がないじゃないか。

 だから、例え僕が先立つようなことがあったとしても――――

 

「ああ、生きるさ。キミに言われなくたって、ナツの隣で生きるとも!」

「っ……! 頼むからわかってくれ! さもないと――――」

「さもないと、なんだよ。ナツを手放して生きたって、その先に何もあるはずがない! それこそ僕にとっての死は、ナツが隣で笑ってくれないことだ!」

 

 僕は決死の覚悟でその場から立ち上がった。

 だってこんな主張を、膝をついたままするわけにはいかないから。

 皮肉たっぷりにそう返してやると、マドカは聞き分けがない僕に流石に苛立ちを覚えたのか、眉間に皺を寄せてわからず屋と怒鳴った。

 なるほど、キミが僕を本気で心配してくれていることはわかった。理由はわからないけど、そこに関しては有難く思っておくことにしよう。

 だけどねマドカ、それは僕に死ねって言っているようなものなんだよ。

 それこそナツと出会う前の僕は生きてはいなかった。

 ただ息を吸ったり吐いたりするだけ。ただ心臓が脈打っているだけ。ただ与えられた食事を摂取するだけ。ただ生命維持活動をするだけの、空虚な何かだった。

 だがナツとの出会いが僕を変えた。ナツが僕に世界を教えてくれた。

 だから僕の命はナツなんだ。

 ナツが隣に居ない僕なんて、それは死んでるも同然なんだ。

 ナツが僕の隣で笑っていてくれるから、僕は今もこうして生きているんだ!

 だから僕の世界を、命を奪おうとする要求になんて、死んでも首を縦に振ってやるもんか!

 

「そう……か……。わかった。話し合いでの解決は諦めよう。晴人が主義を通そうとするのなら、私もそうすることにするよ。私は、死んでも晴人を生かす。例えそれを、晴人自身が望まなかろうとも」

「やってみろ、ナツは僕のものだ! お前たちなんかに絶対渡さな――――くっ!? あ、足……が……! このっ、動け! 動けええええええええええええ!」

「強がりはよせ。叫ぶと余計に体力を消耗するぞ。安心してくれ、ただ気を失ってもらうだけだ」

 

 マドカは僕の想いを耳にすると、とても悔しそうな表情をみせた。

 だがそれで納得してくれるのなら、僕らと同年代らしき子がテロリストなんてやってないだろう。

 僕が意地を貫くのならと、マドカはナツを誘拐するという意識を強く固めたらしい。

 バイザーを装着し直したのを見て戦闘再開の合図だと察するが、ガクリとまた膝に力が入らなくなってしまい、無様にもその場に崩れ落ちた。

 気合でどうこうの問題ではないとわかっていても、ここで立たねば男が廃る。……廃るのに、喝を入れるため叫ぶことしかできない。

 そんな僕を冷たく見下ろしたマドカは、右手を手刀のように構えて頭上へと掲げた。

 すると、その右手が一気に真っ赤に染まるではないか。

 シールドエネルギーはまだまだ残っている。そもそもマドカに僕を殺す気はない。にしても、それを喰らえば確かに気絶くらいは簡単か。

 わかっていてもどうすることもできない僕は、ただ灼熱の手刀が振り下ろされるのを、黙って見ていることしかできなかった。

 

「おやすみ、晴人。また会えるのを楽しみに――――」

「さぁああああせぇええええるぅううううかぁああああっ!」

「ほう。なるほど、考えたな」

 

 マドカが別れの挨拶をしようとしていると、僕の後方でドカンと大きな轟音が鳴り響いた。

 何事かとハイパーセンサーで背後を確認すると、一瞬だけ炎の壁に風穴が開き、その一瞬を利用してナツが炎の内部へと侵入した。

 そして勢いそのままマドカへと迫り、振り上げた真雪を灼熱の手刀へと合わせる。

 奇襲気味だったというのにマドカは冷静に対処し、直前でターゲットを僕からナツの方へと切り替えたように見えた。

 この炎が厄介なのもあるが、単純にマドカの実力も計り知れないか……。

 

「ナツ、いったいどうやって!?」

「鈴と甲龍の龍砲だよ! 要するに空気砲だから、一瞬だけでも炎を退けられたってわけ!」

 

 ……ハイパーセンサーの不調につき確定はできないが、どうやら少なくとも鈴ちゃんは無事ということでいいらしい。

 だけど天敵とまではいかないが、まさか龍砲が打開策になるなんて思いもしなかった。きっと鈴ちゃんも鼻が高いことだろう。

 さぁこれで二対一だ。……と言いたいところだけど、この空間に居る限り、いずれナツも体力を奪われ僕のようになってしまうだろう。

 なんでもいいから、早く完全脱出の方法を考えなければ手遅れになるぞ。

 

「ふっ、標的自ら現れてくれるとは都合のいいことだ。が、今はまだその時ではない」

「あっ、待て!」

「待たん。そもそも、今回の私の目的は他にあるのでな」

 

 マドカはバイザーの露出している口元を、これでもかというほど楽しそうに歪めた。

 確かに、これでは文字通りの飛んで火にいる夏の虫。あまりにも格好の餌になってしまう。

 僕は焦りに任せて強引にナツとの撤退を進めようとしたが、次の瞬間にマドカはバックステップのように後方へ跳んでナツとの距離を置いた。

 そしてそのまま超低空飛行で後方へ下がると、地面に刺さりっぱなしになっていた大剣を回収。

 それと同時に、ゆっくりだが僕らを閉じ込めていた炎が徐々に収まっていく。

 とはいえ消えたからって失った体力が戻るわけでもなく、僕はそのまま顛末を見守るしかない。

 再びマドカが僕の視界に映った姿は、小脇にオータムさんを抱えている状態だった。

 

「しまった!?」

「せっかくハルが倒したのに……!」

「そういうことだ。一応だが返してもらうぞ。……それでは失礼する」

 

  マドカはどうやらオータムさんを回収するためにIS学園にやって来たみたいだけど、確か到着したのは僕らが交戦を始める前だったよな。

 だとしたらおかしい。マドカはまるで初めからオータムさんが負けるのをわかっていたかのようだ。でなければ、そんなタイミングで現れることができるわけがない。

 回収がスムーズだったのもまた然り。

 僕らが対処に入ろうとするよりも前に回収しきるなんて、知っていなければ間に合うはずがないだろう。

 いったいどうなっているというんだ……? これではまるで、未来を読んでいるかのよう。

 いくら考えたところでオータムさんを確保しきれなかったという事実は変わらない。

 マドカはバイザー越しでもわかるくらいに僕へ目配せをして、それから律儀に別れの挨拶を言い放ってから飛び去っていった。

 

「アンタたち、無事!?」

「うん、鈴ちゃんのおかげでなんとか。それより、他のみんなは!?」

 

 スルトが飛び去ったのと入れ替わるように、鈴ちゃんが僕らの身を案じながら近づいてきた。

 心配をしてくれるのは有難いけど、僕にとってもみんなの無事というものを手早く確認しておきたい。

 鈴ちゃんにみんなのことを尋ねるも、返って来たのは苦虫を嚙み潰したような表情。

 それだけでよくないことが起きているのには違いないんだろうけど、今は正確な情報を直接口頭で伝えてほしいところだ。

 聞けば簪さん、セシリアさん、シャルル、ラウラちゃんの四名は撃墜されてしまったらしい。

 箒ちゃん、鈴ちゃん、楯無さんの三名は、ついさっきまで僕と同じく炎の空間に閉じ込められており、龍砲を用いてなんとか鈴ちゃんだけでも脱出を図ったそうな。

 

「ま、方法思いついたのはアタシじゃなくて会長さんなんだけどねー」

「楯無先輩……? そうだ、先輩に話しておかなくちゃならないことが――――っ……!」

「ちょっと、無理してんじゃないわよ! なんか知らないけど、どうせあの人も忙しそうだから今は休みなさい」

 

 鈴ちゃんがふと呟いた会長という単語にて、楯無先輩に早急に話さなければならないことがあるのを思い出した。

 いろいろと目まぐるしくて何から話していいのかわからないけど、ナツやマドカに関わる得た情報は、きっと更識の今後の動向にとって重要視されるはず。

 今すぐにでも向かおうとしたのだが、やはり身体が上手く言うことを聞いてくれない。

 そんな僕を見てか、鈴ちゃんは声を張り上げて叱りつけてくる。ついでに、楯無先輩はどうせ忙しくて時間が取れないと付け加えた。

 そう、だよな。それでなくても学園祭中にテロリストが襲撃をしかけてきたんだから、関係各所への説明等の事後処理に追われているはず。

 ……こうなることはわかっていたはずなのに、楯無先輩は自分一人であらゆる責任を背負うつもりなのか? だとするなら、楯無の名はそれだけ重いものってことなんだろう。

 

「……ナツ」

「うん、ありがとう。私は大丈夫だよ」

「……そっか。それじゃあ、ひとまず僕らは待機……ってことでいいのかな?」

「そうしましょそうしましょ。ったく、身体中ヒリヒリするったらないわ。あいつ日焼けマシーンかっての」

 

 よくよく考えれば、気持ちの整理がついていないであろうナツの意見を聞かないのはどうなんだ。

 そう思って名前を呼び掛けてみると、楯無先輩に報告しても構わないという返事が。

 それなら報告に関しては僕だけですることにしよう。でないと、それでなくてもショックを受けたナツを前に、僕自身上手くマドカのことを話せる気がしない。

 ならば現状は待機を継続という音頭を取ると、鈴ちゃんは甲龍を解除しながらわざとらしく座り込んだ。

 どこかその言動に賑やかしを垣間見れるが、きっと僕らに何かがあったことを察して、あえてそうしていてくれるんだろう。

 昔からどこかぶっきらぼうで不器用だけど、こういう時にはいつだっていい子だなって思い知らされるよな。

 僕とナツは顔を見合せて、鈴ちゃんなりの優しさに少しばかり笑みを零した。

 なお、その瞬間を目撃され、僕は何よとひと睨みされてしまったわけだが。

 

 

 

 

 



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第81話 葛藤

「チクショウ、あのクソガキがぁ!」

 

 亡国機業(ファントム・タスク)による学園祭襲撃及び織斑 一夏奪還作戦の失敗から数時間が経過した頃。

 スルトにつつがなく回収されたオータムが目を醒まし、第一声として放ったのがヒステリックに叫んだ悪態だった。

 他の幹部五人も反省会よろしく一部屋に集合しているため、声を上げるオータムに様々な視線を向ける。

 が、その中の約一名は煽りのプロ。

 こんな姿のオータムを見てしまっては、弄りにかからないほうがおかしいというものだった。

 

「元気そうでなによリ。それだけ叫べるなら大丈夫そうだネ」

「ロキ、てめぇ……!」

「あれれ、なんで怒るノ? ロキちゃん心配してあげてるのニ~」

「ぶっ殺す!」

 

 盛大にニタリニタリとわざとらしい笑みを浮かべているその姿、誰がどう見たって心配しているようには感じられない。

 にもかかわらず、オータムが睨み返すや否や急にカマトトぶって被害者面。

 これが一気にオータムを爆発させ、ロキへと掴みかかろうと手を伸ばした。

 だが、それを意外にもトールが制する。

 もちろん普段から反りが合わないトールからしてオータムの気持ちもわかるが、今回の件に関して言うならロキのおかげで無事でいられたのだから。

 止めにかかったのがトールという点からそれを察したのか、オータムは今一度きつい視線をロキへと向けた。

 

「まさか、スルトはてめぇの差し金か!?」

「そうだヨ。正確に言うならオーディンとスコールの差し金かナ?」

「そういうことよ、オータム。少しの戯れくらいは許してあげなさい」

「…………チッ!」

 

 あくまで自分はスルトが向かえば助けられると提案しただけ。そう予防線を張るあたり、ロキの強かさというものが伺える。

 オータムにとっては小癪なことながら、ロキは要するに恩人というわけだ。

 恩人であるロキに対してその態度は後々が面倒になる。という意味を込めて、スコールはオータムをたしなめた。

 それなりに付き合いも長いため、オータムもロキの面倒臭さを十分に理解している。

 舌打ち混じりではあるがとりあえず納得したのか、オータムはトールの手を振り払ってドガッと粗暴な態度でソファへ座りなおした。

 

「さて、それじゃあ仕切り直しましょうか。まずは結論から言って、作戦は失敗。おまけに織斑 一夏は真実の一端(、、)を知って、日向 晴人は二次移行(セカンド・シフト)に到達ときたわ」

「プハッ! ここまで綺麗な失敗だと笑えちゃうネ。ね~オータムゥ?」

「いつか殺す」

「何もオータムだけの責任じゃない。話していいと判断を下したのは私だし、何よりヘイムダルのことをあまりに過小評価しすぎていたようだ」

 

 とりあえずオータムとロキの喧嘩に決着がついたところで、スコールが会議の再開の音頭をとった。

 議題はもちろん今回の作戦について。

 スコールの失敗という単語に反応してか、オータムはバツが悪そうな表情を浮かべ、それを見たロキがすかさず煽りにかかった。

 オータムが今回は我慢ということを理解したおかげで小競り合いにはならなかったが、着実に恨みつらみというものが蓄積している模様。

 そんな二人を尻目に、オーディンは自らが責任を負うべきかのように話を持って行った。

 晴人が二次移行(セカンド・シフト)を果たしたのは、皮肉なことに一夏の真実を知ったからという要因が大きい。

 その要因を話していいとしたのは自分だし、何より晴人が二次移行(セカンド・シフト)に辿り着くまでのポテンシャルがあるとは本気で考えていなかった。

 あくまで爽やかにそう語るオーディンに対し、トールが口を開いた。

 

「誰の責任かなど、どうでもいいことだ。失敗の事実は覆らない」

「トール。キミが発言するとは珍しい」

「思うところがある。是非を問いたい。あの少年、その実まだまだ利用価値があるのではないか?」

 

 トールは自分がないから意見をしないというよりは、単に面倒だったりするから口を開かない場合が多い。

 だからこそトールの発言はよほどの事ということになり、オーディンは少しからかうように彼女を見つめた。

 そしてトールは他の五人へ問う。少年――――日向 晴人の利用価値についてだ。

 亡国機業(ファントム・タスク)において晴人がいずれISを動かすのは想定内。

 それこそが一夏の因子が正常に働いているという証拠であり、言ってしまえば実験動物(モルモット)以上の評価が下されたことはない。

 後は煮るなり焼くなり――――いや、むしろ放置でもいいくらいのどうでもいい存在だったのだが、トールは考えを改めるべきだという。

 それはもちろん、今後とも実験動物(モルモット)としての話だが。

 

「少年の二次移行(セカンド・シフト)は、明らかに織斑 一夏の影響ありきだ」

「つまり、彼の経過はまだまだ見守るべき。ということかしら」

「ああ。もっと言うなら、こちらに引き入れるのも手だと考える」

「んだとぉ!? トール、こちとらぶん殴られてんだぞ!」

「ロキちゃんは大賛成だヨ!」

 

 トールの中でも晴人の評価は凡人、またはそれ以下のIS操縦者でしかない。

 むしろこの口ぶりを聞くに評価を改める気もなさそうというか、大半は一夏の持つ因子の影響と考えているようだ。

 もし自分の考えが妥当であるならというトールの意見は、スコールとオーディンというリーダー格二人の心を動かすには十分。

 だがこっぴどくやられたオータムばかりは否定的。ロキはロキで個人的な都合で大賛成な様子。

 そして、晴人に対して明確な恋慕を抱くスルトは――――

 

「スルト、キミの意見も聞こう」

「なぜ私に。好きにすればいいだろうが」

「そういうわけにもいかないわ。あなたにとって、彼はいろいろ特別でしょう?」

 

 スルトは主に体裁のため話し合いの場には必ず立ち会う。だがいつも興味もなさそうに聞いているのみで、周囲からも意見は求められない。

 例に倣ってボーッと夜景を眺めていると、突如としてオーディンがそう問いかけてくるではないか。

 顔も向けずに流そうとするが、今度はスコールの追及が入る。この時点でスルトは探り合いが始まっていることを察した。

 スルトにとって組織の目的なんてどうでもいい問題で、その活動の全てはただ晴人を生かすということのみにささげられている。

 それに伴って一夏の誘拐が必須なだけであり、それさえなければ既に組織なんて裏切ってしまっていることだろう。

 だからこそスコールとオーディンは、スルトを試すつもりでいるのだ。

 オータムとトールを除く三人はスルトの抱く想いを知っている。が、リーダー格二人でさえ晴人を生かしたいということまでは知らない。

 むしろ現時点では、一夏を誘拐した後晴人を自らのものに。くらいに思われている。

 しかし、スコールもオーディンも念には念を尽くすタイプ。実際、いつ裏切られてもおかしくはないという認識なのだ。

 つまりここでスルトに求められるのは、いかようにして自分の目的を悟られず、なおかつ組織への一定の信頼を感じさせること。

 だがこの程度の回答で熟考は許されない。漫画的な表現をするのだとすれば、この間コンマ5秒程度。

 スルトは必死にリーダー格達が思っている自分を想像し、完璧な演技で完璧な回答をしてみせた。

 

「賛成だ」

「中身がないね。理由もどうぞ」

「経過を見守るだけなら外部からでも可能だが、第三勢力(篠ノ之 束)がいることを考えると、手元に置いておくのがベストだろう」

「なるほど、確かにそれを勘定に入れてなかった。うん、貴重な意見をありがとう」

「それはどうも」

 

 スルトが選んだ回答は、賛成しつつも自分の為ということを理由にしないこと。

 間違っても一緒に居られるのならばそれに越したことはない。なんてことを言ってはいけないシーンであった。

 理由は単純。自分がこんな場でそんなことを言うタマではないことを理解しているからだ。

 そこから生かすことを察知されるのは難しいだろうが、不安材料は少ないほうがいいに決まっている。

 むしろさきほどのソレは、スコールとオーディンがだいたいこんなことを言うだろうなと想像していたほぼそのまま。

 にもかかわらず貴重な意見などとほざくオーディンに対し、スルトはこれでもかというくらいに内心で舌を打った。

 

「よし、それでは方針が定まったね。我々の目的に、ヘイムダルの勧誘も追加だ」

「あレ、結局誰もお咎めなシ? つまんないノ~」

「いろいろと不安定要素はあったけど、そもそも挨拶みたいなものだからよしとしましょう。オータム、勧誘に関してはあなたも納得して頂戴ね」

「わぁったよ。ただ、リベンジだけはさせてもらうがな」

 

 誰かがなんらかの理由で裁かれることを期待していたのか、ロキはプクーっと頬を膨らませた。

 確かに失敗したのなら誰かがなんらかの責任を負うべきなのかも知れないが、トールが言ったように悪い者探しをするようなこともまた無意味。

 前提として失敗すれば組織が危ういなんていうほどの作戦でもなかったため、特にそういった人物を割り出すことはしない。

 そうやって幹部勢の今後が明確に定まったところで、自然と解散の雰囲気が湧き始めた。

 と同時にスルトは立ち上がり、誰にも一瞥もくれることなく、出入り口のドアノブへと手をかける。

 

「スルト、どこに向かうかくらい言ってから出かけなさい」

「馬鹿にしてるのか。ロキならともかく。少し風に当たりに行くだけだ」

「ムー! ロキちゃん一人でお出かけできるもン! ちょっとスルト、聞いて――――」

 

 それこそロキは何をしでかすかわからないため、半ば外出を制限されているようなものだが、急な招集に応えることさえできれば基本自由の身だ。

 ゆえにこのタイミングでそう声をかけてきたということは、どこか釘を刺すという意味も込められていることを察知した。

 そんなことで動揺していれば獅子身中の虫でいることなど不可能に近い。

 スルトはあくまでいつもの様子で返事をし、いつもの様子で退出してみせた。

 しかし、スルトは内心穏やかではない。なぜなら、ただ風に当たりにいく目的ではないからだ。

 

(……目的まで悟られなければ問題ないだろうが、私が何かをするつもりなのはバレていると思ったほうがいいな)

 

 どこか食えない女二人――――もちろんスコールとオーディンのことだが、スルトは普通にこの二人のことが嫌いである。

 無意味に意味深な言動といい、全て見透かしていますと言いたげな態度といい、スルトからすれば一から十まで気が気でないのだ。

 さきほどの短時間でそれぞれ一度ずつイラつかされたせいか、どこか足取りが早いようにも思える。

 するとふいに携帯が着信を報せ、ディスプレイに表示された名前を見てまたしても苛立ちがスルトを襲った。

 無視してやろうかとも考えたがそうもいかないというのが現実問題。

 スルトは観念して画面の通話表示をタップした。

 

「今連絡を入れようとしていた。敷地内で接触して来るのは止めろ。……と、再三言ったはずだが?」

『だぁーいじょーぶ、どーせ盗聴しようとしてたらわかるから。って、再三言ったけど?』

「はぁ……。貴様のお気楽さにはほとほと呆れるよ、カニ」

『す~ちゃんこそその呼び方止めてってばー! 日本語だと甲殻類のほう想像しちゃうじゃん。気軽に束さんでいいよ!』

「それこそ電話口で口にするわけにもいかんだろうが」

 

 カニとは、フィンランド語において兎の意。兎ときてこのテンションに該当する人物はただ一人。そう、ISの開発者――――である可能性が高い、篠ノ之 束その人である。

 スコールあたりがこの事実を知れば卒倒するだろうが、二人は自身の達成すべき目標が一致しているために手を組んでいる。

 言うまでもないが、晴人に関連したことだ。

 きっと臨海学校で晴人に告白した一件も、一夏に男性に戻るよう頼んだのも、このあたりが理由なのだろう。

 

「まぁいい……。朗報だぞ。晴人は勧誘する方向で合致した」

『おーっ、いいね! 始末の可能性が限りなくなくなったよ』

「ただ、引き入れる理由に貴様を使った。第三勢力に手出しされる前に、とな」

『あーいいよいいよ、間違ったこと言ってないし。怪しまれないならそれが一番ってもんよ』

 

 晴人に対する方針は主に放置だったが、邪魔するなら始末してよしという暗黙の了解的部分はあった。

 だが勧誘とくれば殺してしまうのはあり得ない。方針が変わらなければであるが、その間晴人の無事は保証されたようなものだ。

 それでもまだ完璧ではない。

 勧誘の理由が束に余計なことをされる前に保護し、実験動物(モルモット)として経過を見守るというものだからだ。

 逆に言うのであれば、完全に利用価値がなくなれば始末しやすい。という意味でもある。

 まさに一長一短だが、とりあえずは喜ぶべき部分らしい。

 その後も手短に伝えるべきところを伝えていると、話題はとある部分へと触れる事となった。

 晴人の果たした二次移行(セカンド・シフト)についてだ。

 

「で、晴人の二次移行(セカンド・シフト)は奴の影響なのか?」

『ん、もちろんはっくん自身の強い意志にヘイムダルが応えたのも間違いじゃない。けど、やっぱり摂取した因子が活性を促した? みたいなとこはあるだろうね』

「……そうか」

『……ねぇ、それ約束と違うよね? 今さぁ、逆だったらって思ったでしょ。それ、一番のタブーだって、自分が一番知ってるんじゃないかな』

 

 いくら束と言えども明確な答えを示すことはできないが、専門家がそういう認識でいいと言うのなら、限りなくそれに近いのだろう。

 束の見解に業務連絡的な返事をするつもりが、どうしても生まれてしまった一瞬の沈黙。束はまったくそれを聞き逃してはくれない。

 そして先ほどまでの朗らかな態度が一変し、泣く子も黙るような声色でスルトを責める言葉を並べた。

 

『今思ったこと、言ってみ?』

「……殺したくなった。アイツも、晴人も」

『でしょー? 私たちのしようとしてることと真逆でしょ? はっくんが死ななきゃ幸せなんだよ、私たちは』

「ああ、わかっている。愛されることは、私たちの役目じゃない」

 

 因子を摂取したということは、晴人が一夏の遺伝子情報を口にしたということ。大概の場合はキスをしたと思っていい。

 スルトはそのことに嫉妬を覚えてしまったのだ。

 晴人を生かすことのみが目的を理念にしながらも、恋慕という私情のせいで自ら真逆の感情を抱いてしまった。

 だからこそ束は端的に約束が違うと表現したのだろう。

 二人のやりとりは、どこか自分に言い聞かせているようにしか聞こえないが。

 

『んまーいいや。とにかく、はっくんの因子の摂取はほぼ防げないから、ホントに勧誘する気ならなる早でね』

「わかった。どことなく次の作戦を急ぐ空気を出しておく」

『それは有難いけど慎重に頼むよ~。あのミドリイロのがきんちょが厄介みたいだし』

「そこに関しては運次第としか言いようがない。科学者であるお前は嫌う言葉だろうがな。……いや、むしろ――――」

『泳がされている可能性もあり、だね』

「わかっているのなら軽率な行動は控えてくれ」

 

 二人が愛し合う限り防げないことだと割り切っているらしいが、なるべく早くと付け足すほどなら晴人の身に危機が迫っているということなのだろうか。

 スルトは間髪入れずに束の頼みを了承するも、少しばかり待ったがかかった。

 束の言うミドリイロのがきんちょとは、十中八九ロキのことだろう。

 ロキの行動理念は自身が楽しむことであり、彼女もまた組織の動向なんてものはどうでもいいタイプ。だからこそ、あらゆる要素において未知数と言わざるを得ない。

 むしろ自分たちの目的や繋がりも知ったうえで、今後を楽しむためにあえて知らないフリをしている。なんてことも十分に考えられるのだ。

 だからこそ慎重な行動をと再度釘を刺すと、スルトの耳には反省の欠片も感じられない照れ笑いが届いた。

 

「今話すべきはこのくらいだ」

『ん、おっけぇ。じゃあまた何かあったら連絡よろ~』

「ああ」

 

 あくまで協力関係というだけの話なのか、それとも単にスルトがドライなだけなのか、かなり淡泊な様子で二人の通話は終わった。

 スルトが束からの通話履歴を削除する頃には、すでにロビーやエントランスをとおり過ぎはじめ、携帯をしまうのと同時に絢爛な自動ドアをくぐった。

 ヒールが高めの靴をカツカツと鳴らして数歩進むと、バサリと大きく草木が揺れるような一陣の風が吹く。

 闇夜に靡くスルトの漆黒の髪は美しいもので、入れ違いでホテルへと入って行った男性は視線を奪われてしまったようだ。

 ただしその男性は女性連れであり、当然ながら軽く小突かれることで無理矢理にでも正気を取り戻させられてしまった。

 

『逆だったらって思ったでしょ?』

「思わなかった瞬間など、あるはずないだろうが」

 

 入れ違えた二人はいわゆるカップルか、それとも既に戸籍上でも契りを交わした夫婦なのか。

 そこのところは重要でないが、スルトに束の刺さるひとことを思い出させるにはお釣りがくるほどだった。

 逆だったならばというような無いもの強請りをしたところで、失った幸せを取り戻すことなんてできるはずもない。

 だが、考えられずにはいられないに決まっている。そうでなければ、自らの意思も揺らいでしまいそうになるから。

 あったかも知れない晴人との日々。あったかも知れない幸せな日々。あったかも知れない晴人と歩んでいく未来。それら全てが自分のものだったかも知れない。

 そんなふうに考えては一夏への憎しみが強まるばかりなので、さきほど束に咎められてしまったのだろう。

 

「……なぁ晴人。お前は、私のことを好きになってくれたかな」

 

 スルトは天を仰ぎ、思わずポツリとそう呟いた。

 もし自分が一夏のように寄り添うことができたなら、その心を奪うことができただろうか。

 それとも晴人が一夏を選んだのは、一夏だからこそなのか。

 後者であるならあまりに救いようもないようにみえるが、スルトにとってしてみれば完全に諦めのつく要素があるならそのほうがよかったのかも知れない。

 それすなわち、スルトの未練はいまだ大きく残り続けている。ということだ。

 

(っ……! 私は、何を今更……。死んでも晴人を生かすと言っておきながら、今更……!)

 

 女としての幸せよりも、愛する男の幸せを願ったはずだ。

 むしろそれを糧にして生きてきたというのに、それでもまだ共に幸せになりたいという想いを殺しきれない。

 スルトはそんな自分に嫌気がさしてしかたなく、なんと浅ましいことかと半ばののしるかのようにして戒める。

 そうでもしなければ、スルトはきっと壊れてしまうのだろう。

 あらゆる相反する感情の板挟みに苛まれて苦しみあえぐその姿は、スルトのような年頃の娘がしていようなものではない。

 

(一応の決別はした。次会う時はあくまで敵同士。……そうだ。私は晴人に憎まれるべく敵なんだ)

 

 全貌を話せないゆえにわかってはもらえない。それゆえに強硬的に一夏を連れ去るしかない。つまり、晴人と相対するのは敵としてしかありえない。

 スルトは自らに暗示をかけるようにして、何も期待を抱くなと言い聞かせた。

 それはそれでどうしようもない悲しみが襲い来るも、落ち着きを取り戻させるには事足りたらしい。

 今にも倒れてしまいそうなほど追い詰められていたスルトだったが、ゆっくりと乱れた呼吸が元通りになっていく。

 額ににじみ出てきた脂汗を手の甲で拭うと、いつものクールビューティーな少女へと様相を整えた。

 

(…………もう少し、ここらを歩くことにするか)

 

 気分が落ち着いたとはいえ、モヤモヤが完全に晴れたというわけでもない。

 本当はもう少しホテルの出入口周辺にてたむろして、それから寝したくをしてから床に就くつもりでいたが、このままでは眠れぬ夜を過ごすことになりそうだ。

 そう判断したスルトは気の向くままに歩を進め、煌びやかな街頭が輝く夜の街へと消えていく。

 スルトの気分転換の意味も込めて始まった夜中の散歩は、結局それから数時間にわたって繰り広げられるのであった。

 

 

 

 

 

 



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第82話 織斑の血統

 亡国機業(ファントム・タスク)による学園祭襲撃事件も発生から数時間ほど経過し、完全にとはいかないながら着実に終息へと向かっていった。

 幸いにもナツのみをピンポイントに狙っていたおかげか、学園という広い目で見て被害というなら、戦闘が発生した箇所くらいのものだ。

 詳しく言うなら僕とナツがオータムさんと戦ったロッカールームに、マドカが燃やしたアリーナの人工芝といった感じ。

 後は学園祭の片付けが後日に回されたことくらいかな……。

 いや、肝心なことを忘れていた。マドカと交戦し撃墜された専用機持ちについてだ。

 撃墜されたのは簪さん、セシリアさん、シャルル、ラウラちゃんの四名。いずれも軽い火傷を負っているが、命に別状はないらしい。

 専用機そのものについても大破とまではいかないらしく、学園内の設備で十分に修復が効く程度のことみたい。

 ただ本人たち曰く、それはマドカに手加減をされていたからだと口をそろえていたが。代表候補生としてのプライドがそうさせるのかな。

 

(……それにしても、まだ時間がかかりそうなのかな)

 

 騒ぎが終息したというのは、あくまで一生徒単位での話であることは理解している。

 不測の事態が起きた場合、いわゆる説明責任というものを問われるのは上の立場の人間だ。

 そう思えば今もどこかで頭を下げているのかといたたまれない気持ちになるが、到着を待ちわびている僕からすれば少しでも到着が早くならないかとも思ってしまう。

 僕しかいない生徒会室は、普段の明るい雰囲気の反動もあってか、よりいっそう寂しさを増長させた。

 もしかしたら今日の内は現れないかもな。

 できれば僕の覚悟が薄れない間のほうが、いつも以上に堂々としていられるから都合がいいんだけど。

 

「日向くーん! ごめんなさいね、随分待たせちゃったでしょ」

「まぁ、できれば今日のところは勘弁してほしいんだがな……」

「二人が大変だったのは承知の上だよ。けど、絶対に早いうちに話しておかなきゃならないことなんだ」

「…………。そうか、わかった。ならば聞こう」

 

 諦めが過りかけていると、騒々しく出入口が開いてフユ姉さんと楯無先輩が姿を現した。

 IS業界においてあらゆる面で頂点に立つフユ姉さん。そして、古来より続く暗部組織の十七代目。

 先ほど起きた目まぐるしい出来事について、この二人に話さないでおくという選択肢があるだろうか。

 フユ姉さんに至ってはナツの血縁だ。しかもたった一人の。

 そんな大切な妹に隠された真実について、もしかしたら知っていたかもしれないし、知らなかったかもしれない。

 けれどそこは重要じゃなくて、なんと言ったらいいんだろう……。上手い表現は見つからないけど、とにかく事実確認めいたものはするべきなんだ。

 ただ、それが必ずしもいい方向へ転ぶなんてことは思っていない。

 もしものことがあれば、その時は……。だからこそこの場にナツを連れてはこなかった。

 そんなもしもの場合を想定したことも含めた覚悟が漏れてしまったのか、疲れ切った表情だったフユ姉さんの雰囲気がいつもの様子へと変わる。

 対面に並んで座ったIS学園ビッグツーとも言うべき二人を前に、勝手にプレッシャーを感じつつも僕は口を開いた。

 

「話を始める前に、まず楯無先輩に聞いておきたいことが」

「ええ、何かしら」

「先輩は、ナツのことをどこまで知ってるんですか?」

「しらばっくれる場面でもなさそうね。元男ってことでしょう? そうね、知ってたわ」

 

 楯無先輩の正体を、もしくは更識という組織の存在を知ってからというもの、僕の頭の片隅にあったひとつの懸念のようなものだった。

 ナツが男性であったという事実を、政府関係者等一部の人間は知っている。ということは知っていた。

 それだけに対暗部用暗部の頭目なんていう肩書の楯無先輩耳に、そんな事実が届いていない可能性は限りなく低いと。

 今まで気にしなかったのは触らぬ神に祟りなしだとか、藪を突いて蛇を出すとか、そんなことにならないようにするため。

 でもナツの因子について話すのであれば避けては通れない道であり、むしろ知っていてもらわなければいろいろややこしいことになっていたところだ。

 というか先輩がそこに触れなかったのって、多分僕らの間柄―――――――デリケートな部分に考慮してのことだろうから。

 楯無先輩はどこか警戒した目つきで僕を一瞥するが、これはただの確認だからまだ力を抜いていてほしい。という旨を伝えると、かなり雰囲気は丸みを帯びた。

 

「ねぇフユ姉さん。なにがあっても、ナツはフユ姉さんの妹だよね」

「当たり前のことを。そうに決まっているだろう」

「……そっか、わかった。……二人には、僕が学園祭で見聞きしたことを知ってほしいんです」

 

 僕のフユ姉さんへの信頼は絶大だが、どうしても確認せざるを得なかった。だって、それこそ立場というやつがあるから。

 だけど僕に穏やかな様子で決まっていると返すフユ姉さんは紛れもなくただの姉で、教師や諸々の立場なんかにそれが劣るはずがないと思わせてくれる。

 ……フユ姉さん、ありがとう。あなたがそうやって厳しくも優しい姉でいてくれるから、僕らは安心して道を歩んでいけるんだ。

 本当に本当の覚悟は決まった。だから話そう。僕が、僕らが見知った襲撃事件での全てを。

 

「まだ絶対の確証があるわけじゃない。けど、いろいろ辻褄が合ってるから事実なんだと思う。……僕がISを動かせる原因は、ナツらしい」

 

 まずはナツの抱える事情について。

 恐らく亡国機業の陰謀ないし計画のうえでナツが生まれたこと。

 そしてナツは出生当初からISを動かすために必要な因子―――――――現状では女性のみが持つであろう因子を蓄えていること。

 その因子についてナツが男性だと亡国にとって不都合だったため、女性に変えられてしまった可能性が高いということ。

 そして因子は十年に及ぶ長い歳月を経て他者へと感染にも似た現状を起こし、それが例えば男性だった場合ISを動かせるようになること。

 結果的に誕生したのがこの僕、世界で唯一の男性IS操縦者であるということ。

 時間を惜しまず懇切丁寧に、洗いざらいを話した。変に濁すと余計にややこしいことになってしまう。

 僕の告白について楯無先輩は難しい顔をしながら、フユ姉さんは思った以上に落ち着いた様子で聞き入っていた。

 ナツの事情については一応話し終えたのだが、いっこうに誰一人口を開こうとせず、ただ無意味に時間が流れていく。

 

「晴人。一夏は亡国の生まれだと、確かにオータムとやらはそう言ったんだな」

「うん、確かに。でも、だからって―――――――」

「構わん、落ち込んでるわけじゃない。更識姉。すまないが、そこにある金物を取ってくれないか。スプーンでもフォークでもなんでもいい」

「はぁ……? まぁ、それは別に構いませんけど」

 

 ついにフユ姉さんが切り出したかと思えば、何やら楯無先輩に意図のよくわからない要求をし始めた。

 意図をはかりかねているのは先輩も同じみたいで、不思議そうに首を傾げながら立ち上がり、生徒会室にあるティーセット一式の仕舞われた棚から、ひとつフォークを拝借。

 それをフユ姉さんに手渡すと椅子に座りなおし、いったいこれから何が起きるのかと、僕と二人して事の顛末を見守った。

 

「後で必ず弁償しよう」

「はい? 先生はいったい何をするつもり―――――――で……?」

「あれでも普段はセーブしているつもりなんだ。この事実は誰にも明かしていない。もちろん一夏にもな」

 

 確かにフユ姉さんはあらゆる意味で超人的な女性だが、今目の前で繰り広げられている光景にばかりは現実味が湧かない。

 フユ姉さんはおもむろにフォークの両端を指でつまんだかと思えば、そのまま手首を利用してグリグリと捩じってしまったのだ。

 当然ながらフォークは鉄製。のはずなのだけれど、傍からみたらまるで粘土などのように変形しやすい物体を弄んでいるかのように錯覚してしまう。

 これでは人間離れどころか人間業じゃない。単に怪力というだけでは説明できないその光景に、僕も楯無先輩も思わず息をのんだ。

 本気を出しているらしいフユ姉さんにデモンストレーションの材料にされたフォークの末路は悲惨なもので、最終的にはむりくり潰されあちこちがひん曲がった鉄塊へとなれ果てた。

 

「フユ、姉さん……?」

「これを見るに、その因子とやらの件は本当だろう。私も連中に関連づいて生まれた可能性が高い」

「つまり、その、先生のご両親は……」

「さて、見当もつかん。せめてスパイか何かであることを願うばかりだが」

 

 確かにそれは自然なことかも知れないが、あのフユ姉さんが誰にも明かしてこなかったと言った。

 どちらかと言うなら抱え込む性格ではあるけど、これは本人が隠したかったから隠してきた事実。というのが嫌でも伝わってきてしまう。

 恐らくだけど、僕の思うフユ姉さんの考えだけど、単純に化け物じみた力を恐れられたくはなかったから……。

 それでもフユ姉さんは話を進め易くなるという理由で、隠し通してきた事実を明かしてくれた。もちろん僕が一定の信頼を得ているということでもあるんだろう。

 ならこの信頼にはどう応えたらいい? 慰めも同情も違う。それはもっともこの人からはかけ離れていることだ。

 それにフユ姉さんに聞きたいのはこれだけじゃなく、マドカという少女の件についても触れなければならないことがとても心苦しい。

 

「晴人。束に何かされなかったか」

「えっ、あっ、束っ、さん……? ……どこまで本気かわからないけど、告白されたっていうか―――――――いや、待って。そういえば、ナツを男に戻したがっていたような……」

「なるほど、やはりアイツは知っていたか。更識姉。お前には一度話したがおさらいだ」

「はい、先生」

 

 僕が悶々とした考えを渦巻かせていると、ふいにフユ姉さんは束さんのことについて問いかけてきた。

 束さんと接触した臨海学校で彼女に覚えた違和感と言えば、心当たりがあるのは僕に告白―――――――を通り越してプロポーズしてきた件について。

 勘ではあるけど、告白自体に嘘はないと思われる。が、あの際ナツを男に戻す薬があると提案したのは、きっとナツの事情と無関係でないのだろう。

 そして福音事件の解決した直後ほどに、フユ姉さんは束さんと接触していたみたい。

 その去り際、ナツの事実と僕の因果関係についてほのめかす言葉を残してから消えて行ったらしい。

 

「織斑先生、少し待ってください。一夏ちゃんが女性であり続けること、それが世間ないし日向くんにとって危険だとするなら、なぜ彼女は強硬的手段に出ないんです」

「どうしたいのかがわからん、というのが正直なところだ。あいつは個人的都合で動いていると言ったが、ゴールがどこになるかで話がまったく変わって来るからな」

 

 ゴールによって話が変わる……か。確かにそれは言えているかも知れない。

 もしかすると世界や人間に興味がないっていうのは嘘で、必要最低限の人しか巻き込まないようにしているとか。

 でもそれだと、束さんの目的は世界を救うこと? なら、それこそナツは強硬的に男性へと戻らされていたことだろう。

 束さんは手段を選ばないと思うから。

 そう、あまりにも無理にナツを戻さなかったことの説明がつかない。

 あの時点で僕はナツと付き合ってはなかったし、僕らの男女関係について配慮したっていうのも考えにくいよな。

 あちらを立てればこちらが立たない。まさにその表現がふさわしく、束さんの目的を仮定することすらかなわない。

 

「一理どころか百理ありそう……。う~ん、保留かしら?」

「いいんですか!?」

「馬鹿者。隠し事をしていることは割れたんだ。次現れたら問答無用で締め上げればいい」

「目的がどうあれ、二人のことを知っていたなら自ずと現れるでしょう」

 

 楯無先輩の考えを放棄するような保留発言に思わず声をあげるが、そうか、フユ姉さんみたいな考え方だってできるのか。

 僕らのことを知っていたのは割れて、きっとまだまだ隠していることがあるだろう。

 なおかつ一度僕らに接触を図ったということは、少なくとも次があると考えるのが自然だ。

 だけどその場合、本当は束さんがどういう立場であっても対立は免れないってことだよな。

 ナツを守るためなら何者でも殴り飛ばすと誓った矢先だが、もしその目的が世界にとってプラスなことであったなら―――――――僕はいったいどうすればいいんだろう。

 

「しかし、私の妹と弟が出会った瞬間から定められた運命……か。そこだけ聞くとロマンティックだと言うのに……」

「ええ、まったく。すべて亡国の掌の上と思うと、十七代目的にも腹立たしくて仕方ないですよ」

「……フユ姉さん。妹ってことなんだけど、どうしても話さなければならないことがあるんだ」

「妹? 一夏の件、まだ何か続きがあるのか?」

「フユ姉さん、違うんだ。妹って言ってもナツの事じゃなくて―――――――織斑 マドカって名前に心当たりはない?」

 

 妹という単語に関連付け、フユ姉さんにマドカについてのことを問いかけた。

 どう転んでもフユ姉さんが年長で、マドカは僕らと同じか、離れていてもふたつ下くらいと推測してのことだ。

 織斑 マドカという名を聞くなり、フユ姉さんは深く考え込むようにして、記憶から情報を引き出そうとしているらしい。

 一方の僕は動機が早まっていくのを止められなかった。

 もしフユ姉さんに心当たりというものがあってしまえば、マドカという存在を認めるしかなくなってしまう。

 あの様子をみるに、僕との間に何かがあったのは間違いない……はず。

 多分だけど、思い出せないことや忘れてしまっていることにもそれなりの理由があるんだろう。

 彼女には申し訳ないけど、今更なんだ。僕にはナツというものがあるし、僕もまたナツだけのもの。

 なのにどうだ、忘れた過去で将来を約束でもしてたらさ。例えかつてのナツが男だったとしても、これは重大な裏切りに値してしまう。

 そこなのかって思ったりした人が居たらば、僕にとってのナツという存在の大きさをまるでわかってはいない。

 

「……思い出せん。ということは知らん、はずだが……。晴人、まずはその織斑 マドカとやらについて詳しく聞かせろ」

「!? 要するに、心当たりはないんだね!」

「ああ、ない。現状では荒唐無稽としか思えんな」

「…………っ、そっか……! そっか、よかった……!」

 

 フユ姉さんが嘘をついているかくらいは見抜ける自信がある。

 知らないと語るフユ姉さんの様子から判定するに、完全に全く知らないであろうという結論に至る。

 これを一概によかったとしていいのかはわからないが、何よりフユ姉さんが隠し事をしていたわけじゃないことが嬉しくて、ついつい胸を撫でおろして安堵してしまう。

 そんな僕に何がそこまで嬉しいのかとチンプンカンプンな二人の視線が刺さる。

 おっと、いけない。どちらかというならここからが本番でもあるのだから、要点をまとめて説明責任とやらを果たさなくては。

 スルトの素顔はナツやフユ姉さんに似た容姿で、なおかつ自身で織斑 マドカと名乗った。

 そして、僕がその存在を忘れているかのような言葉を仄めかし、これ以上ナツと共にあると危険であると忠告してきた。

 最後に、ナツ然りマドカ然り、織斑という血統にはまだまだ隠された真実があるであろうこと。

 このあたりがマドカ関連で伝えるべきことであろう。

 

「ますます両親への疑惑が濃厚になってきたな。晴人、お前も覚えはないのだろう」

「ないね。キッパリとそう言える。だって、昔の僕ってナツ以外と一緒のことなんてなかったし」

「だとすれば、私たちの出自はやはり亡国―――――――と仮定して、なぜそのマドカとやらのみが残った……?」

「もっと言うなら、残ってるはずなのに日向くんのことを知ってる。……実は日向くんも亡国関連―――――――」

「それもないです。元は地方に住んでて、四歳ごろに越してきたんですから」

「そうよねぇ。というより、FT&Iが超絶ホワイト企業なのは更識的にも周知の事実だし」

 

 記憶を消されるないし操作でもされない限り、僕の過去において同世代の友人なんてナツしかいない。

 つまりマドカはナツの出自も絡めて亡国産まれということになるが、彼女が僕を知っているらしい事実が議論を停止させる。

 咄嗟に僕やナツといった家族しか知らないような質問をすることができればよかったんだが、なにぶん熱さと混乱のせいでろくな思考がままならなかったからな……。

 いや、本能的にマドカに答えられることを恐れていた部分があるのかも知れない。それすなわち、やはり既知であることがほぼ確定してしまうから。

 すると楯無先輩が強引に矛盾を解決できるような可能性を挙げる。

 確かに僕が亡国機業の出身であるならマドカが僕を知っていてもおかしくない。けど、僕には朧気ながらも地方に住んでいた記憶があるからそれはないと思われる。

 楯無先輩としても言ってみただけくらいのものなのか、お手上げと書かれた扇子を開いて大きなため息をついた。

 

「保留」

「いいのそれも保留で……?」

「いい。次現れた時は私も出る。晴人、一夏、私の三人と家族会議ができるんだ。そのマドカとやらも本望だろ」

「出る……って、フユ姉さん。流石に暮桜がないと―――――――」

(日向くん、シーッ……)

 

 束さんの時と同じで締め上げるってことなんだろうけど、流石にマドカの件も同列にするとはいかがなものか。

 という想いを込めて聞き返すが、曰くマドカが現れ次第自分も出撃し、直接話すべきことを話すとのこと。

 まぁ確かに、どことなくマドカのことは僕ら家族の問題でもあるような気はするよな。

 けど、流石のフユ姉さんでも量産機でマドカの相手は厳しいのではなかろうか。

 暮桜はどうにかできないのかと口を開きかけると、楯無先輩は無言の圧を放ちながら人差し指を唇へと当てた。

 なるほど、理由はわからないけど僕には話せない機密事項ってこと。

 それは悪いことを聞いてしまったと、僕は大げさに首を何度も縦に振った。

 

「私としては、晴人の身が危ういらしいことのほうが気になるぞ」

「うん……。何がどう危ないのかわからないけど、とりあえず僕らは検査にかかったほうがいいとは思うんだよね」

「それは同感だ。後日おじさんとおばさんに相談だな」

 

 早くナツと離れなければ取り返しがつかなくなる。

 という旨をマドカは語っていたけど、その実どう危ないのか話せないらしいから見当がつかない。

 やっぱりいの一番に思いついてしまうのが、ナツの持つ因子に関連した副作用とかそういうの。

 どうかそれだけはあってほしくないというか、さもなければ今後ナツとのキス禁止令が発令される可能性が考えられる。

 プラトニックな関係でもそれは構わないんだけど、一度知ってしまったのならそれはもう……ねぇ?

 でも、本当に寿命なんかを縮ませてるならナツの方がさせてくれなさそう。

 とにもかくにも、まず最優先されるのは科学的もしくは化学的にあらゆることを明るみにすることだ。

 そのあたりのことは既に頭に入っていて、フユ姉さんと楯無先輩への報告が済んだら電話をかけようとおもっていたところ。

 まぁ、いろいろ話すのは直接会って話すのが間違いないだろう。父さんと母さんのスケジュールを確認しておかなければ。

 

「……ねぇ日向くん。私からも質問いいかしら?」

「はい、もちろん」

「この話だけど、そもそもどうして私たちに報告したの? 言ってる意味はわかるわよね」

 

 楯無先輩が威圧感を放ちながらそう聞いてくるということは、どういう意図での質問かなんて想像に易い。

 更識家とは要するに毒を以て毒を制す暗部稼業。世に平穏をもたらすためなら手段を選ばないという、大っぴらに善と下し難い組織。

 そしてフユ姉さんは僕らの身内ではあるが、世界最強の肩書を得ると同時に、どこか中立の立場で物事を見守っている節がある。

 ということはだ。僕がナツの真実を語ったことにより、ナツを政府か何かに引き渡す方針になってしまったらどうするつもりだったのか。

 現状では定着まで十年を要するらしいナツの因子だが、政府からしたら格好の研究対象としてしか映らないことだろう。

 ……定着しきっている僕にも同じことが言えるか。

 とにかく、もし方針が確保に固まったら、僕たちはどんな目に合っていたかはわかったものではない。

 なのにどうして話したのか。もちろん二人を信頼しているというのが最も大きな要因だけど、もしそういうことになったその時は―――――――

 

「何かあったときは押し通る気でした。流石に逃げ出すくらいなら、僕でもなんとかできたでしょうし」

「脱走……!? する気でいたの? 日向くんが?」

「ま、妥当だな。保護目的の学園でさえ敵同然となれば、わざわざ所属している意味が薄い」

 

 どうにも僕が強硬的手段に訴えることが意外なのか、楯無先輩は威圧感を放つのも忘れて目を白黒させた。

 まぁ、後は大体フユ姉さんの言ったとおりかな。

 僕はあらゆる政治的思想から保護されるため、またはその力を得るために学園に在籍している。

 なのにそれがナツの真実を知るや否や政府に引き渡しなんて、そんなの今の僕から言わせれば敵同然どころか敵そのものだ。

 逃亡生活ともなればナツに迷惑をかけるだろうが、少なくともモルモット扱いよりはそちらのほうを選んだほうがいいに決まっている。

 

「……お前は真実を知ってなお、そうまでして妹と一緒に居てくれるのか?」

「もちろん。ベタな台詞だけど、世界がナツの敵なら僕は世界の敵だ」

「……そうか。……晴人、お前は一夏に必要な男だ。どうかこれからもよろしく頼む」

「……フユ姉さん、ありがとう。一生かけて大事にするって誓うよ」

 

 古くから僕のことを知るフユ姉さんだ。そう聞いたところで僕がどう答えるかなんて知っているはずなのに、確認せずにはいられないくらいヘビーな話しなんだろう。

 こういうことを言うとナツが悲しむからあまり口にはしないが、ナツのためならば命さえも惜しくはない。

 例え世界がナツの敵にまわっても、僕だけは絶対にナツの傍を離れない。

 そういう覚悟はとうの昔に決めていたが、今回の件でより決意が強固になったと言っていいだろう。

 僕の真摯さや覚悟の度合いが伝わったのか、フユ姉さんはおもむろに立ち上がって深々と頭を下げた。

 気持ちは嬉しいが、僕からしたらそうまでされる義理はない当たり前のことだ。

 本当に大丈夫だからと声をかけると、フユ姉さんはあらゆることに言っているであろう、すまないと謝罪してから座りなおした。

 とはいえ流れはほとんど解散のようなものだ。後は軽く今後について意見を交わして、それから―――――――って、そうそう大事なことをひとつ忘れていた。

 

「ねぇフユ姉さん。美術室ってまだは入れるかな?」

 

 

 

 

 



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第83話 太陽と夏

「ただいま」

「ハル、お帰り。どうだった? なんとかなりそう?」

「……とりあえず落ち着いて話そうか。ほら、座って」

 

 自室に戻ってみると、まるでいつもの様子でナツが僕を出迎えた。

 いろいろとヘビーな話を聞かされた後だ。どんな雰囲気で入るか少し悩んだりしたけど、変に気を遣うのはきっとかえってナツに気負わせてしまう。

 だからこそ僕もいつもどおりを意識したのに、これではまるで意味がないではないか。

 というか、うん、無理してるっていうのはお見通しなんだけどね。見たらわかる。としか言いようがないんだけど。

 そうやって取り繕っている姿を見させられる方が、僕にとってはよっぽど辛いことなのに。……ということを、いい加減にわかってはくれないだろうか。

 まぁいい、そういうのも今日で終わらせてやる。ナツには辛い時には辛いと言わせるようにしてやるんだ。

 ナツは頑固者だし上手くいくかどうかなんてわからない。もしかしたら、僕らにとって人生初めての酷いケンカになってしまうかも。

 それは今の僕にとってとても恐ろしいことだが、ここを乗り越えなくては僕らの行く末に真の幸福はないと考える。

 僕は貼り付けた笑みを浮かべてナツをベッドに座らせると、その付近に美術室から持ってきておいたとある絵を立てかけてからナツの隣へ腰掛けた。

 

「えーっと、とりあえずフユ姉さんを始めとして、学園とは敵対しないで済みそうだよ」

「そっか、よかった! みんなはまだともかくとして、千冬姉にわかってもらえなかったらどうしようって心配だったんだ」

 

 ナツとしてはまず最も気がかりであろう、フユ姉さんが僕らに対してどう出てくるかについて話した。

 結果を聞くや、ナツは花が咲いたような笑顔を浮かべてご満悦。

 まぁ、そうだろう。僕も僕の両親もナツにとっては家族だけど、唯一の血を分けた姉妹と敵対しなければならないなんて事態は避けられたのだから。

 もし万が一の場合は脱走する気でいたわけだが、この提案をナツにした時すごく悲しそうな表情をしていた。

 察するに大半はフユ姉さんのことが引っかかって出てきた顔だろうから。

 

「それから――――」

 

 それから、だいたい生徒会室でした話を丸々ナツへと伝えた。

 言うまでもなく、織斑 マドカの件については避けて。

 だってそうだろ。いつかは話すべきことだろうが、それでなくとも衝撃の事実を知ったナツに、謎の姉妹が現れたなんてそんな追い打ち――――

 いいや、この言い訳はよくないな。だって、話さないのは僕に勇気が足りない部分があるからだ。

 織斑を名乗る女の子が現れて、その子は僕のことを知っていて、なぜだか僕に恋慕を抱いているみたいです。

 ……無理だろ、話せない。というか、僕も口からそんなことを発したくない。

 ナツにわざわざ僕がナツのものである証まで刻んでもらって、そのうえ告白されている自分がどうしようもなく歯がゆい。

 自惚れで吐いているつもりはないが、僕を好きになるのはナツだけでいい。

 ただ、ここで恐怖心に負けて話さないで、後々に面倒なことへと昇華しなければいいが。とも思う。

 そう考えるとナツが刻んでくれた証が、戒めのようにキリリと痛んだ気がした。

 僕は服の上から左の鎖骨付近をそっと撫でると、自らを構成する総てが誰のなんのために存在しているかを言い聞かせる。

 

「ハル?」

「ああ、いや、これからのことで少し。ほら、母さんと父さんのこととか」

「……うん、そうだね」

 

 ナツに違和感を覚えさせる程度には黙りこくってしまったのか、気付けば様子を伺うかのような視線が眼前に迫っていた。

 それを適当に誤魔化そうとして、母さんと父さんのことについて触れてみる。

 とりあえず話したいことがあるとだけは伝えてあり、土曜日か日曜日にはFT&Iへと訪問する運びになった。

 僕としては二人はどんな反応をするのかな。くらいのつもりで振った話題なんだけど、気のないようなナツの返事で地雷を踏んだことに気が付いた。

 だって両親には、僕がISを動かせる原因はナツであることを明かしにいく。

 それすなわち、ナツからすれば息子さんを戦いに巻き込んだのは私です。と、そう伝えにいくようなものと同義。

 それこそ両親はナツのせいなんかじゃないと宥めるだろうけど、自分のせいでという考えが薄れないナツにはまたしても辛いことに決まっている、

 もし数秒前の過去に戻ることができたなら、僕は自分自身を殴り殺してしまっていたかも知れない。

 それほどの罪悪感が過る中、僕の胸中にはあるひとつの考えが浮かんだ。

 そこで僕は片腕でナツを強引に抱き寄せ、有無も言わさず自らの唇をナツの唇へと近づけた。

 

「ナツ」

「っ…………ダ、ダメっ!」

「…………ほら、やっぱり気にしてた」

「あ……。い、今のは違う、違うの! わ、私はただ、どうせならFT&Iで検査するまで、お預けのほうがいいかなって」

 

 別に僕は慰めようって目的でキスをしようとしたわけじゃない。初めから断られるとわかっての行動だ。

 というか、自分の失態をキスでカバーしようとするとか、控え目に言って下種の所業だ。

 僕は真摯にナツを愛しているつもりだし、誤魔化すような汚名返上なんてするのはポリシーに反する。

 ……しかし、断られるとわかっていても、やっぱりショックなのはショックだな。

 僕が顔を近づけた途端に、ナツは血相を変えて腕の中から脱出。明確な拒絶の意思を示した。

 そんなナツに対し、追い詰めるとわかっていても意地悪な台詞を吐く。

 心を鬼にして。どころか、心を修羅だとか悪魔だとかにしたつもりでだ。

 するとナツはより一層に血相を変えて、僕にすがるようにして弁明の言葉を並べる。

 それはきっと、僕を拒絶してしまったという罪悪感。そして、僕に嫌われたくないというのが大きな原因だろう。

 僕のことでこんな必死になるナツの姿なんてみたくはなかった。

 その瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだし、何より目は口ほどにものを言うというか、嫌いにならないでと訴えかけてきているのがよくわかる。

 実際のところ正論であるから余計に心苦しい。

 ナツの因子についてISを動かせるようになること以外は未知で、もしかしてリスクなんかがあったら絶対にキスなんかしないほうが吉だ。

 でも、気にしていたことを隠し通そうとしているのを是正するためのフェイク。キスするしないは最重要ではない。

 僕は引きちぎってしまいそうな勢いで制服の胸元を掴んでいる手をそっと離させると、さっき近場へ置いておいた一枚の絵を手に取った。

 

「ナツ、これなんだ?」

「……わかんない」

「ほら、見に行こうかと思ったら時間切れになっちゃった奴だよ。学園祭の展示用に描いた、僕の渾身の一枚」

 

 額はまだ薄手の布にくるまれた状態だから、それを絵と認識するのは難しいのかも。

 ナツも当然わからない――――というよりは、今のは考える気すらあまりなかったように感じられた。

 そんなナツでもきちんと聞き入ってくれるよう、優しい声色を意識してコレがどういったものかを言って聞かせる。

 あまり自己肯定能力がない僕が渾身と豪語するだけあってか、どうやらそのあたりは興味を惹いたらしい。

 視線が僕の絵へと集中しているのを確認してから、詳細について説明を始めた。

 

「鈴ちゃんとかセシリアさんとか、それぞれその人に合ったイメージでいろいろ描いてたのを覚えてるかな?」

「えっと、鈴なら龍人で、セシリアなら騎士みたいなやつ?」

「そうそう。これはね、そのナツバージョンってところの作品なんだ。学園祭に展示する作品は、必ずこれって決めてたから」

 

 シャルルが転入してきたばかりの頃だろうか。そういった話題が挙がったのを、今でも鮮明に思い出せる。

 あの日は鈴ちゃんたちの作品を先に描いて、自分のぶんはまだかって冗談めかしながら言われたっけ。

 僕はそれに対して、ナツの作品だから時間をかけてゆっくり描いてるんだと答えて……。それがようやく、ようやく完成したんだ。

 本当はナツを慰めるための材料になるなんて思ってもみなかったけど、絵のテーマとモチーフからしてそういうのにはうってつけのはずだ。

 僕はそういうわけでとわざとらしく前振りをしてから、ナツに絵を額ごと手渡した。

 受け取った側のナツは何度か僕と絵を交互に眺め、それから恐る恐る額を包む布を剥いでいく。

 やがて絵を目の当たりにしたナツは、わかりやすくパァッと表情を明るいものへと変えた。

 

「わぁ……! 綺麗……。…………ん? ハル、確かに綺麗で素敵な絵なんだけど、ちょっと安直に感じるのは私だけでしょうか」

「いやいやそんなことはないって、描いてる内容はそれぞれちゃんと意味があるんだから」

 

 ナツが僕の絵を安直と感じるのは――――まぁ、一概に心外とは言えない。一理あるのは確かだ。

 というのも、向日葵の畑だったり海だったり、夏の風物詩を一枚にギュッと濃縮したかのような絵ではあるから。

 ナツというあだ名だけに夏の風物詩ですか。と、ナツはそう言いたいんだろうけど、もちろん最初から説明はするつもりだったさ。

 何も考えなしにやたらめったら風物詩を詰め込んだというわけじゃなくて、キチンとナツのイメージに基づいて生み出された作品なのである。

 

「まず海。広くて深くて、ナツのおおらかなところを表現したんだ。あ、あと時々荒れるから」

「ひとこと多い! それ言わなきゃダメだったかな!?」

「はいはい、どんどんいくよ。次は砂浜ね。これは単に身体的特徴かな。……どこだと思う?」

「う~ん、自惚れでなければ……肌、とか?」

「おっ、正解。やるね。じゃあ次――――」

 

 途中からクイズ形式になんかなったりしつつ、僕とナツとでコントのようなやり取りを繰り広げながら、次々とどういった意図で描かれたものかを説明していく。

 入道雲。どこまでも高く大きく空を包み込むような雲は、ナツの包容力を。ついでに影へと白式のシルエットを仕込んでいたりもする。

 向日葵。夏に太陽のように燦燦と咲き、必ず太陽の方向を見る花。これはわかりやすく、ナツの明るい部分をこれで例えた。

 向日葵に関してはいろいろと仕込みがあるので、明るさだけって話でもないんだけど。

 まぁ、諸々説明したものを箇条書きしていては長引くので、とりあえずここらで割愛しておくことにしよう。

 僕はある程度ナツにどういった意図であるかの説明を終えると、話をいったん向日葵へと戻した。

 

「ね、ところでさ、向日葵の花言葉って知ってる?」

「う゛! そ、そういう女子力は未だ手を付けてないからなぁ。はい、素直に教えを乞わせていただきます」

「あなただけをみつめる」

「…………!」

 

 花言葉っていうのは、その花の細かい種類や色によって大きく意味合いが変わってくる。

 僕の言ったあなただけをみつめるという花言葉は、万人がイメージするであろう一般的な向日葵のソレに該当するものだ。

 それこそ前述したとおり、太陽の方向を見る花だからこそのものなんだろう。なんとも粋なものじゃないか。

 そんな隠された意味をもって描かれた向日葵の秘密を知るや、ナツは一気に耳まで真っ赤に紅潮させた。

 

「そ、それは、その、私が一途って褒めてくれてるの?」

「そうだなぁ……。それもあるけど、それだけじゃないんだよね。ナツ、この絵全体をみてて何かに気が付かない?」

「何か? 何か……。そういえば、なんとなくだけど全体的に白っぽいかな。光の描写っていうのはわかるんだけど」

 

 確かにナツの見解でも間違いはない。どころかほぼ正解に近いんだけど、真の意図を汲んでもらうには、他にも向日葵でなくてはならなかった理由がある。

 こればっかりはぜひともナツに紐解いてもらいたい。ゆえにもっと全体に注目してほしいと、軽いヒントのようなものを与えた。

 するとナツはやっぱり僕の絵のことをすごくわかってくれているのか、全体的に眩しく感じるという答えをすぐさま導き出す。

 うんうん、その調子その調子。ならその眩さを放つものといえばなんだろうか。

 そうやって続けざまにヒントを与えようとしたのだけれど、ナツはなんだかハッとしたような表情をみせ、それが意図に気づいたということを顕著に表していた。

 と、同時にこう思う。たったこれだけのヒントでわかってくれるなんて、やっぱり僕って愛されてるなぁ。ってさ。

 

「眩しい……。光……。……太陽? っ!? ハル、この太陽ってもしかして……」

「うん、そういうことだよ。この作品はね、ナツだけじゃなくて僕自身のイメージでもあるんだ」

 

 僕の名前である晴人に込められた意味は、晴――――太陽のように、あらゆるものを照らせるような人になってほしい。という想いが込められている。

 まぁ、両親の想いに反してなかなか小難しい性格になってしまったわけだが、今ではかなり肯定的に捉えられている。

 ぶっちゃけてしまうのなら、僕は僕の名前があまり好きではなかった。

 全然明るくともなんともないのに、太陽なんかとは程遠いというのに、なんだか名前負けしているような気がしてならなかった。

 じゃあ見方が変わったのはいつからなのって、そんなのは決まりきったことだ。

 僕はこのナツのためにあるはずのこの絵を描き始めてから、太陽というものの認識が変わり、晴人という名でよかったと心から思えている。

 

「持論っていうか、こじつけ臭いんだけどさ。夏って太陽が一番輝く季節じゃない」

「まぁ、わからなくもない。かな?」

「だから、太陽を僕として仕込んだんだ。相乗効果ってやつだよね。お互いがお互いを引き立て合う、まさに僕たちみたいだなって思ったから」

 

 夏の太陽が勢いを増すのは地球の自転がどうのは置いておいて、一般的な認知として夏といえば太陽。というのも間違ってはないと思う。

 だから夏が夏らしい季節だって感じるのは、太陽あってこそなんじゃないかって。

 ……ああ、でも僕がナツを輝かせてます。なんてふざけたことを言いたいわけでもないのは理解してほしい。

 だって逆ってことも考えられるでしょ? それこそ海とか、熱いから入りにいきたいって人も一定数はいるだろうし。

 僕が言いたいのは、そう、相乗効果ってやつだ。

 夏には互いがなくてはならない。互いがあるから、ひとつの季節として成立する。互いがあるからこそ、ひとつの季節がより盛り上がる。

 

「ナツ、僕はね、本当に自分がキミの隣に居ていいものかって、何度も本気で悩んだことがあった。ちょうど、今のナツみたいにね」

「っ……そんなことない! 私は、ハルがいてくれたらから――――」

「うん、やっぱりナツはそう言ってくれる。だから僕もそっくりそのまま。そんなことはない、だよ」

 

 僕の存在はナツにとって邪魔でしかないんじゃないか。

 いつだって守られてばかりだったし、いつだって足を引っ張ってばかりだった。だから僕がいなければ、ナツにはもっと他の居るべき場所があったんじゃないかって。

 こんなことをナツに面と向かって話したところで、そんなことはないと全力否定してくれるのは目に見えたことだ。

 この気持ちを打ち明けるのは初めてだが、やっぱりナツは怒りの感情すら垣間見せる勢いで、かつて確かにあった僕の考えを否定した。

 だけど今はナツがそう思っているに違いない。

 自らの因子のことを始めとし、多くのことを絡め、自分が僕の隣に居るべきなのかって。キスを拒否したのは、そういう想いだと考えていいはず。

 だからナツがそうしてくれたように、僕もそうするだけだ。

 ただひたすらに、全力に、己の心に確かにある想いを。そんなことはないと口にするだけのことだ。

 

「簡……単に……! そんなこと言わないでよ! だって、死んじゃうかも知れないんだよ!? 私は、私のせいでそうなっちゃったら絶対に耐えられない……!」

「……やっと本当のことを言ってくれた」

「っ…………!」

 

 ナツの言葉はもっともだ。

 もし仮に立場が逆だったとして、僕のせいでナツの命をすり減らすなんてことになっていたら、きっと自分で自分が許せないだろう。

 気持ちがわかるだけに、あえて楽観的にも聞こえるような台詞を並べた。想い自体は本物のつもりだが。

 こういう場合引っかかったと表現していいのかはわからないけど、ようやくしてナツの本音というものを口にさせることができたわけだ。

 ここからが本当の勝負。なんとかして落としどころをみつけなければならない。

 僕もナツも納得して、いつまでも二人で居られる選択肢を導き出すんだ。

 

「じゃあナツ、仮に人体への影響が大いにあると仮定しようか。それだとキミは、どうして僕と離れなきゃって思うのかな」

「どうしてって……。さっきも言ったけど、何より私が耐えられないから……」

「でもそれ、キスとかしなければいいだけの話だよね。それもダメ?」

「…………」

 

 ナツは僕の少し意地悪な質問に対し、深く顔を俯かせながら控え目に首を縦に振った。耳も紅潮しているのがわかる。

 なるほど、つまり僕そのものを危険に晒すことが耐えられないが、僕と愛し合う行為が不可能に近くなるのもまた耐えられないと。

 実際のところ、ナツのDNAを摂取しないなんていうのは、気を付けてさえいればどうにでもなるだろう。

 しかし、ここで障害になってくるのが僕らを結ぶ愛とはなんて皮肉な。

 でも確かに、手放すのはあまりにも惜しい。それほどに簡易的かつ強く深く愛を確かめ合う行為であると思う。

 唇同士のキスを最上級のものとして、グレードは下がってしまうが愛を伝える方法なんていくらでもあるはずだ。

 それでナツを満足させられるかどうかの問題だが、まずは出たとこ勝負だ。試さなければ可能性はゼロ。というわけで――――

 

「ねぇナツ」

「へ? わぁ!? ハル、話聞いてた!? だからキスは――――」

「大丈夫、わかってる。キスはキスでも――――」

「んっ、んぅ……! ひぁ! く、首っ、首にぃ……!?」

 

 僕はおもむろにナツを姫抱きで持ち上げると、乱暴目にベッドの中心へと寝かせた。

 流れからして強制的にキスを迫られたように思ったようだが、僕の狙いは初めから唇ではない。

 僕がキスを落とした先、それはナツの首筋だ。

 一瞬触れるだけだったり、軽く吸いついてみたり、様々なバリエーションをもたせてとにかく首筋へのキスを乱れ撃った。

 その度にナツは切ないような声を上げ、唇同士のキスとはまた違った意味でダメだとうわごとのように呟く。

 ダメということは、イイらしい。皆までは言わないが、嫌よ嫌よも好きの内というアレだ。

 僕も僕で、切ない声を上げるナツがたまらなく可愛くて、たまらなく愛おしい。

 互いに伝え合うということはできないが、僕がどれほどナツのことを愛しているかを伝えることはできるはずだ。

 だから数は多いものの、一回一回を丁寧に、好きだよ、愛してるよという想いを込め、一心不乱にナツの首筋を攻め続けた。

 

「……どう? 僕の気持ち、伝わったならいいんだけど」

「はぁ、はぁ、はぁ……! うん……。ハルがくび、ちゅ~ってするたび、あいしてるっておもいが、こころにひびいて……!」

 

 個人的に楽しくなったせいで、随分と長丁場にしてしまった。

 僕の愛は問題なく伝わったみたいだけど、長丁場になった影響でキャパを超えてしまったのか、ナツはまるで全部ひらがなで発音しているかのように呂律が怪しい。

 表情も蕩けさせているのか、それを見られるのが恥ずかしいらしく、腕で顔を覆い隠している。

 うん、僕が目撃するようなことはなくてよかったと思う。

 さもないと、さもないと……まぁ、言わなくてもわかるだろうからあえて触れないでおこう。

 とりあえずこの様子ならナツも満更ではなさそうだけど、やっぱり因子の件を納得させるまでにはならないだろうか。

 僕は慎重に慎重に、ナツの出方を待つことにした。

 

「どうして……?」

「どうしてって、何が?」

「なんで私のこと知っておいて、こんなにも愛してくれるの……? こんなに苦しいなら、いっそ私は……嫌いになられたほうが楽だったのに……」

「はは、それフユ姉さんにも似たようなこと言われたよ。だから答えも同じ。僕が――――」

 

 ナツの声はどこか弱々しく、そして小刻みに震えていた。

 多分、泣いてしまっているんだと思う。

 そして涙ながらに尋ねられたのは、どうして未だに自分を愛しく思ってくれるのかという、ある種答える必要がないくらいの質問だった。

 そのせいか、泣くほど追い詰められているナツには悪いけど、思わず笑みが零れた。

 まぁ、本当は理由なんてないんだけど。いや、理由がないことそのものが理由というか、まるでトンチじみた回答にはなってしまう。

 けど、本当にそれ以上の例を挙げることなんてできないだろう。その理由はただひとつ。ただ単純に僕が――――

「ナツのことを愛してるからだよ」

「……それ、理由になってない」

「いや、これ以外は無理だよ。そもそも愛してる人を愛するのに、理由や理屈なんて必要ないでしょ」

 

 本当にただそれだけ。文字どおり愛してやまないってやつ。

 ナツはなんだか納得のいっていない様子だが、どう転んだってこれ以上の理由なんて並べることはできない。

 それこそ適当な言葉を吹いているつもりはないぞ。ぶっちゃけ、ナツを巡ってどういういざこざが起きても僕にとっては小さい話だ。

 安心してナツを愛せる環境さえ整っているなら、僕はそれでいい。

 だから脱走の計画も企てたし、なんなら世界を相手に寝返るという趣旨の言葉もフユ姉さんに匂わせた。

 どちらも現状は未遂なために口先だけと思われてしまうかも知れないが、ナツを愛するために必要なことなら、僕は――――

 

「ははは、そっかそっか。愛されてるね、私」

「それはもう。この世の全てを敵に回していいくらいにはね。ナツさえ居れば僕は幸せだ」

「……ハルっ」

 

 涙を拭って身体を起こしたナツは、なんだか可笑しそうな笑みを浮かべていた。

 どこか自嘲も入り混じっているようにみえるが、とりあえず涙を引かせることができたならそれでいい。

 しかし、そんな再確認じみた言葉が出てくるってことは、僕がどれだけナツを愛しているかは伝わっていなかったということだろうか。

 ナツを愛するためならこの手を血に染めようと構わない。なんて言うとナツが悲しむから、比較的にマイルドな表現をして思ったことをそのまま述べる。

 ただそのくらいの覚悟でいるということは伝わったのか、ナツの僕を射抜く視線は徐々に熱っぽいものへと色を変えていった。

 そしてナツは、まるで攻守交代だとでも言わんばかりに僕をベッドへ横たわせる。

 後はもうされるがまま。気が済むまで、首へのキスを堪能していただいた。

 ナツの唇が僕の首へ触れるたび、気持ちいのやらくすぐったいのやら、あるいはそのふたつをミックスしたかのような感覚が過る。

 なにより、ナツがキスに込めているであろう愛が伝わってきて、自然と息が荒くなってしまう僕がいた。

 これがいつまで続くかわからない以上、そのうちいい意味で気が触れてしまうかも知れない。

 そうやって乱れた心を落ち着かせるためナツの頭を撫でていると、件の本人は身をよじらせて少し上方    僕の耳元くらいまで移動した。

 そうしてただひとこと、非常に切なそうな、我慢の限界かのような声色でこう囁いた。

 

「ね、ハル、しよ……?」

「…………ちょっと待ってて」

 

 しようというその問。意味がわからないと返すほど鈍感なつもりはないし、むしろ僕らはかなり積極的なほうな自覚はある。

 ナツが僕を求めるのなら、既に断る理由はない。ないのだけれど、ここが校内であるということを忘れてはいけない。

 僕はポケットから携帯を取り出すと、すぐさま時計を確認。

 時刻はもうすぐ18時。食堂が解放される直前ほどだ。

 もしかすると、誰かが気を利かせて僕らを食事に誘うなんてことがあるかも知れない。

 そう判断した僕は、専用機持ちメンバーで結成されたグループチャットを開き、今日は疲れたからもう休むという旨の書き込みをしておいた。

 口調の影響で反応に差異はあるものの、みんながみんなして了解したということと、ゆっくり休めという返信をしてくれた。

 ……邪魔が入らないようにしているだけに、なんだかその気遣いが大変申し訳ない。だけど同時に、いい仲間を持ったと思い知らされる。

 さて、後警戒すべきは突然の訪問者といったところか。

 僕はするりとナツの下から抜け出し、一目散に扉を施錠したらばすぐさまナツの元へリターンバック。

 ベッドに横になったままのナツを姫抱きで持ち上げ、何も言わずにただシャワールームへと歩を進めた。

 

 

 

 

 

 



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最終話 ハルトナツ

「んっ、んん……」

 

 なんだか変な時間に目を醒ましてしまった。

 時刻は深夜一時を回ろうとしている頃。本当になんとも中途半端な。

 もちろんこのまま二度寝を決め込むつもりだけど、疲れてはいるし定刻通りに起床することができるだろうか。

 なんて思いながら、私の横でグースカと眠るハルへと目をやる。

 意外と寝起きは悪い方ではあるけど、超絶真面目人間だから遅刻しないための対策は重ねに重ねているらしい。

 枕元に置いてあるハルの携帯を開いてアラームを起動させてみると、定刻から五分おきに時間設定がビッチリ。

 ここまでしなくてもいいのにと、なんだか可笑しくて一人クスクスと笑みを零した。まぁ、そういうところが可愛いんだけどね。

 グッスリなハルの額にキスを落とすと、起こさないよう慎重に体勢を元に戻しながら、優しく腕へと抱き着いた。

 たくましいとハッキリ言いきれはしないけど、かつてと比べると確実に男らしくなっているのがわかる。

 あぁ、なんて素敵なことなんだろう。

 何事にも一生懸命なところも好き。だから頑張って強くなろうとしているハルは、本当にかっこよくて……。

 ……いけない。これ以上は止めておこう。

 さっきも激しくまぐわったばかりだというのに、今からでも続きを欲してしまいそうになる。

 名残惜しいけど、視点を少し逸らしてハルのことを考えることにしよう。

 

『ナツ、僕はね、本当に自分がキミの隣に居ていいものかって、何度も本気で悩んだことがあった』

(…………)

 

 ふと、ハルのそんな言葉が頭を過った。

 過去形だからまだ救いはあるけど、私はハルにそんなことを思わせたことや、そう思っていたことに気づけなかったことが悔しくてならない。

 本当にそんなことはないんだよ。ハルが居てくれたからこそ、今の私があるんだから。

 今思えば、ハルと会う前の私は闇が深い子供だったなぁ。

 そうやってかつての記憶を探っていると、だんだんとうつらうつらしてきて、まぶたが重くなっていくのがわかる。

 

(ハルと初めて会った時……。そう、あれは確か……。確か……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういうわけですので、ご迷惑おかけすることもあるかと思いますが……」

「いえ、仕方のないことですから」

「ご理解とご協力、ありがとうございます。それでは、失礼しますね」

「ちふゆねえ、いまのだれ?」

「ん? 今のはな、大工さんだ。なんでも、向かいに越して来る人がいるらしい」

 

 リビングで千冬姉に遊んでもらっていると、インターホンが鳴って来客があることを報せた。

 玄関を開いて立っていた男は、明らかに年下な千冬姉――――というか、当時はまだ小娘程度の千冬姉に、何度もペコペコと頭を下げていた。

 その光景がどうしてか理解できず、男が出て行き次第千冬姉に何者だったのかと問いかける。

 膝を折ってこちらと目線を合わせた千冬姉は、端的に先ほどの男は大工だとわかりやすく説明を施してくれた。

 向かいに越して来る人が居る。すなわち、家が建つということくらい小さな頃でも流石に理解できる。

 思わずへ~なんて声を上げると、千冬姉は少し笑みを浮かべて立ち上がった。

 

「よし、少し聞き込みに出るとしよう」

「ききこみって?」

「どんな家族が来るか、近所の人に聞きに行く。ということだ」

 

 そのまま散歩がてらに聞き込みへと向かうことになった。

 千冬姉は小さな手を引くと、噂の向かい周辺を重点的にプラプラとほっつき歩き、道すがら出会ったおばさんに声をかけていく。

 おばさんという生き物は噂話に事欠かず、いったいどこで仕入れたのかというような情報を手に入れることができた。

 曰く、それなりに裕福な家庭だとか。

 曰く、旦那さんの昇進に合わせての引っ越しだとか。

 曰く、父、母、子、祖父の家族構成だとか。

 曰く、お爺さんはかなり有名な画家だとか。

 曰く、子供は俺と同い年だとか。

 

「一夏、よかったな。こんな近所に同い年のお友達が増えるぞ」

「おれ、うれしい!」

「はは、そうか。どうやら男の子のようだし、仲良くできるといいな」

「うん!」

 

 散歩からの帰り道に、千冬姉はまるで自分の事のように喜びながらそう声をかけてきた。

 俺はそれに対して元気な返事をしてみせた――――が、実はこれは嘘だったと知ったら、千冬姉はどんな顔をするだろう。

 同い年の子が近所に来るとか、正直に言えば割とどうでもよかった。

 どうでもよかったが、千冬姉に余計な心配をかけまいと、俺は喜んだフリをしていたんだ。

 このあたりが、自分でも思う闇が深い子供ってところ。

 普通この年代の子供が友達が増えると聞いて喜ばないはずはないし、ましてや喜んだフリなんてこともしないだろう。

 どうして俺がそんな子に育ったのかと聞かれると、多分だけど親が居ないからだと思う。

 なんか、違うんだ。普通に親が居て、親に育てられてた周囲の子たちと比べ、俺は自分自身に違和感というものを覚えずにいられなかった。

 端的に言うならコンプレックスのようなものなんだろう。

 親の愛情というものを知らずに育った俺は、当たり前のようにソレを知っている周りに劣等感を抱いていた。

 だから、これから来る同い年の子も親の愛情を知ってるやつだ。だから、きっと心の底から仲良くなることはできないんだろう。

 当時の俺は本気でそう思っていたし、もしもハルと出会わなければ闇を抱えていたまま育ったかもしれない。

 だからこそ、ハルが居てくれたから今の俺があるんだ。

 

「ごめんくださ~い!」

「むっ、聞き慣れない声だな。となると、例のお向かいさんだろう。一夏、挨拶にいくぞ」

「うん!」

 

 それから月日は流れ、日向家の引っ越しも完了し、後に俺たちの親代わりとなるおばさんが挨拶へとやってきた。

 今と変わらないどこか呑気な声色耳にした俺たちは、挨拶に向かうべく玄関へと足を運ぶ。

 ドアのカギを開けておばさんを玄関へ導くと、ニコニコと気の抜けるような笑顔のおばさんと、その陰に隠れて様子を伺う男の子――――ハルを迎え入れるのだった。

 ああ、こいつがそうか。そう思うと同時に、言葉すら交わしていないのにオドオドとしているのが気になって仕方がなかった。

 ムッとしたわけでもイラッとしたわけでもないが、純粋になんでこんなに怯えているのだろうか。という疑問をもったように思う。

 だからこそ、俺はいつもより輪をかけて装った。

 人当たりのよく明るく元気な、誰にでも好かれそうな俺をだ。

 

「おれのなまえは、おりむら いちか! よろしくな。おまえはなんてなまえなんだ?」

 

 初対面にしては間違いなく100点の挨拶だったはずだ。

 しかし、差し伸べられた手を握り返されることはなく、むしろオロオロと困った様子でおばさんと俺に何度も視線を行き来させるばかり。

 絶対に通じるはずのものが効かなかったせいか、これには思わず怪訝な表情をせずにはいられない。

 しまいには名前がないのかなんて聞いてしまうあたり、幼稚な俺にはそうするくらいしか聞き出す方法を思いつかなかったのだろう。

 流石にこの質問には首を横に振って否定の意思を示したのをみて、俺は強引に手を掴んでから再度名乗りをあげた。

 

「おりむら いちかだ! よろしくな!」

「――――ると……。ひむかい はると……です。よろしく……」

「よろしくな、はると!」

 

 二度目の挨拶で、ハルはようやく自分の名を教えてくれた。顔は思い切り俯かせながらだったけど。

 でもやっぱり嬉しいことには違いなくて、感情に任せて乱暴に繋がれた手を何度も上下に振った。

 その際に印象的だったのが、とても珍しいものを見たかのように目を輝かせるおばさんだ。

 まるで目の前で奇跡が起こっているかのような素振りだったから、ここまではっきりと記憶として残っているのだろう。

 

「ねぇ一夏くん。よかったら、晴人くんと遊んであげてくれないかしら? おばさん、少しキミのお姉さんと話したいことがあるの」

「おれはへいきだよ。ちふゆねえ、いいよね!」

「ああ、近くを案内してやるといい」

 

 今を思えば、おばさんはこの間に千冬姉を説得しにかかっていたんだろう。

 周囲の力を借りはしていたが、親代わりのようなことだけは断固として拒否していたし。

 そんなことを考えもしなかった俺は、夢中でハルの手を引きそこらを駆けずりまわった。

 とりあえず近場の公園まで連れて行き、鬼ごっこやら砂遊びやらして交流を深め、時間も忘れて二人で遊び頬けたっけ。

 そしてもうすぐ陽が沈みかけようとする頃、ふとハルがこう切り出したんだ。

 

「いちかくんは……」

「うん?」

「いちかくんは、ぼくのこと、じゃまっていわないんだね」

 

 この言葉に込められた意味を、当時の俺はいったい何割ほど理解していたのかな。

 多分だけど、ハルは人とまともな会話ができないくらいの対人恐怖症で、それがまた人を寄せ付けなくする悪循環を生んでいたんだろう。

 それでもお構いなしに友達になろうとかかったのは俺が初めてで、そんな暗い言葉が出てきたんだと思う。

 だけどハル。俺が自分にとって未知の存在だったなら、お前も俺にとって未知の存在だったんだぞ?

 同い年の子供で、初めて俺を必要としてくれる存在だったからな。

 親が居る子供たちと遊んでいても、時間が遅くなれば迎えに現れて帰っていってしまう。

 それは千冬姉だって迎えに来てはくれたけど、その時間まで付き合ってくれるようなやつは流石にいなかった。

 だけどハルは違うって、このひとことで理解をしたんだ。

 こいつは今まで友達なんかできたことなくて、友達になろうとした俺を必要としてくれているんだって。

 そう、この段階でハルは単に都合のいい存在のようなものだ。

 それでも、歪んでいるのはわかっているけど、必要としてくれるハルが必要な存在だった。

 だから俺はハルを守ろうと思った。

 弱気なハルを追いやろうとする悪意や、物理的に危害を加えようとする輩から、俺たちの仲を引き裂こうとするやつから。

 今とは違う意味で、ハルさえいればそれでいいという考えだったんだろう。自己完結と言い換えてもいいかもしれない。

 あのままじゃ、頭や心の片隅で、ハルのことを下僕のようなものと扱っていた日々が続いたはず。

 いつだったかな。そんな俺をハルが変えてくれたのは……。

 ――――そうそう、思い出してきた。確かアレも、ことの発端はハルをイジメてるやつを撃退しようとした時のことだっけ。

 あの時期の俺は加減も何もあったもんじゃなかったからなぁ。

 そのいじめっ子も俺に負かされ泣いて許しを乞いていたが、無慈悲なことに追撃を仕掛けるべく腕を振り上げた時。あろうことか、ハルが俺の前に立ちふさがったのだった。

 

「だめ」

 

 両手を広げてただひとこと、だめだ、これ以上はしてはいけないと俺を引き留めた。

 俺にはどうして自分をイジメてきたやつを庇うのかまったく理解できなかったし、何よりハルが俺に歯向かったという事実がどうにも許せなかった。

 やっぱり、都合のいいやつとしか見てなかったってことだよな。

 だから俺は、感情に任せて口汚くハルを罵ったと思う。自分勝手な言葉ばかり並べてさ。

 いつも助けてやってるのに、とか。いつも俺の後ろで怯えてたくせに、とか。そうすれば、臆病なハルなんて一発だろうから。

 しかし、それでもハルは退かなかった。

 目に涙をためて、足を盛大に振るわせてもなおダメの一点張り。これだけ言っても無駄ということは、とても固い意志があることを察した。

 なによりダメだと主張するハルのその目。その目に今までにないような、燃えるような何かを感じずにはいられない。

 

「いちかくんは、まもるひとだよ」

「ああ、だからそいつを――――」

「まもるひとだから! きずつけちゃ、だめだよ……!」

 

 何かを守るということは、何かを傷つけるということだ。

 そう信じて疑わなかった俺にとって、まるで理解できない言葉だった。

 いったいどうやって何も傷つけずに何かを守ればいいというのだ。だけど、不思議とばかばかしいと吐き捨てることだけはできなかった。

 それはなぜか、強いと感じたからだ。弱々しくて頼りないというイメージしかなかったハルが、なぜかこの瞬間だけはとても強い奴だと思えた。

 すなわちハルの言葉を認めているも同然なんだが、理解できないことと直面した俺は、その場から逃げ出してしまった。

 当然ながら俺が泣きついたのは千冬姉で、猛ダッシュで帰宅したのちすぐさまことのあらましを説明し、敬愛すべく姉の回答を待つ。

 

「ふむ、それは晴人が正しいな」

「なんで!? じゃあ、だまってなぐられればいいのかよ!」

「そういうことではない。一夏、晴人がお前をなんと言ったのか、もう一度思い出してみろ」

「あいつは……おれを、まもるひとだって」

「だろう? 晴人はただ、お前に自分自身の価値を貶めてほしくないだけ――――いや、言葉が難しいか」

 

 ハルは単にいじめっ子を庇ったのでなく、どちらかと言うなら俺のためにしてくれたことだった。

 俺の拳――――というか、力全般に分類されるものは、単に相手を傷つけるためにあるのではなく、守るためにあるものだ。

 という意味合いだったのだと、千冬姉は子供の俺でもよくわかるようにかなり嚙み砕いてから説いた。言葉選びには苦労してたみたいだけど。

 でもごめんな千冬姉。多分だけど、この段階じゃあんまり理解しきっていなかったと思う。

 この時の俺の胸中にあったのは、晴人が俺をそんなふうに見ていたのかという照れのような感情。それと同時に、酷い後悔だった。

 俺はハルのことを体のいいやつとしか思っていなかったのに、それでも晴人は俺のことをそこまで    

 きっと、この瞬間だ。俺の中にそういう意志が、想いが、そうありたいって願うようになったのは。

 

「ちふゆねえ、いってきます!」

「ああ、行ってこい。車には気を付けるんだぞ」

 

 俺は気づけば、千冬姉に用も言わずに家を飛び出していた。まぁ、言葉にせずとも何をしに出掛けたかは察してたみたいだけど。

 とにかく来た道を逆走することしばらく、トボトボと歩くような人影がこちらに向かってくるのがみえた。

 そうだよなぁ、帰る方向は同じだから、もしあのままだったらきっと気まずい関係が続いていたろう。

 だけど、この段階でもうその心配はない。なぜかって、俺の中でハルは都合のいいやつから、すごいやつに変わっていたのだから。

 

「おーい、はると!」

「いちかくん……」

 

 遠くからそう呼び掛けてやると、ハルはビクりと身体を振るわせるような反応を示した。

 その表情からは俺の前に立ちはだかったことに対する後悔のようなものが見て取れたが、俺と違ってハルが逃げ出すようなことはない。

 俺は足へとより一層の力を籠め、晴人との距離を一気に詰めた。

 そしてハルの目の前に辿り着いた俺は、息を切らしながらおもむろに頭を下げる。

 謝っても謝り切れないこれまでのことへの贖罪と、これから変わっていくための決意のような意味を込めてだ。

 そう、ハルが思わせてくれたからこそ。

 守ろうとしようとすることの強さと、その想いの大切さと、そしてなにより――――俺自身がハルの描いたような、守る人になりたいって。

 

「ごめんなさい!」

「えっ、なっ、なんでいちかくんがあやまるの? だってぼくは……」

「はると、おれはなるぞ! おまえがおもってくれたおれに! まもるやつに!」

「う、うん? えっと、その、が、がんばって?」

 

 悪いことをしたならごめんなさいだ。

 千冬姉から教わった筋を通すということだが、今思えばいいよって返してもらってなかったなこれ。

 反応からしてそもそも謝られることが不可解だったようだけど、俺はそんなのお構いなしに自らの決意をハルに述べるばかり。

 それでは俺に芽生えたモノの伝わりようなんてなく、ハルはただただクエスチョンマークを浮かべるかのようなリアクションを取るばかり。

 でもそれからというもの、決意を新たにした俺は、実際に行動で示すことはできていたと思う。

 ハルは相変わらずいじめられることも多かったが、追い払うのに過剰な暴力を振るうことはなくなったし。周囲からも、なんとなく丸くなったと言われた覚えがある。

 このころから、どこか遠慮がちだったハルも心を開いてくれたっけ。

 俺の身勝手な考えが消えただろうけど、なんか、本当の友達になれたって気がするよ。

 より絆を深めた俺たちは、まるで本当の兄弟のような、唯一無二の相棒のような仲へとなっていった。

 俺が考えなしに無茶して、それをハルがフォローして。といった感じで、互いに足りないところを補い合うかのように。

 きっとどっちかに恋人ができたりなんかしても、結婚なんかしても、ずっとずっとこんな関係が続いていくんだろうなって思っていた。

 けれど、あるひとつの変化が訪れることとなる。

 言わずもがな、俺は私になってしまったから。

 

「重い荷物くらい俺が持つって。今のナツは女の子なんだし」

「別にこのくらいなんともないですー。それとも、どうしても言うなら半分ずつ持つ?」

「えぇ……? それは、まぁ、う~ん、わ、わかった。少しでも手伝えるならそうするよ」

 

 最初のうちは女の子扱いになんだかムズムズしちゃってたっけ。イライラとは少し違うけど、こう、ムズムズなんだよ。

 多分だけど、今になってみると嬉しいって思ってた部分もあるんじゃないかな。だからムズムズ。

 間違ってもハルをダメなやつなんて思っていたわけじゃない。けど、もう少し男らしくなってくれればなーくらいは考えたことがある。

 でもこうやって力仕事を率先してやろうとしてくれたり、私を女の子として扱うハルは、私が考えてた以上に頼りになる男だった。

 女の子になって視点が変わって、見方が変わって、考え方とかも徐々に変わっていって……。

 いつからかなんてはっきりとは覚えてないけど、ハルに男を感じ始めた私が、ハルに惹かれていったのは自然の摂理なのかも知れない。

 ずっと一緒に居て、ハルの良さなんてのは知り尽くしていたし。逆もまた然りっていうか、私のことを一番理解してくれるのはハルだろうし。

 そもそも元を辿れば私に守ろうとする意志と、その意志の強さを教えてくれた人だし。

 とても素敵な人を好きになったものだ。やっぱり私は世界で一番幸せな女の子だって、心からそう思える。

 ねぇハル、好き。大好きだよ。なんていう台詞は本当は安くて、私のハルに対する想いは筆舌に尽くし難いんだけどね。

 ハルも私をそう想って――――ううん、くれているに決まっている。疑問形なのは、きっとハルにとっては侮辱になっちゃう。

 だって、私の事実を知っても愛してるって偽りなく言ってくれる人だ。我ながらちょっとおかしいんじゃないかって。

 ……こんなことを聞いたらハルはすごく怒るんだろうけど、検査の結果次第では、私は……ハルの隣から消えようって思っていた。

 けど、もう無理。それは絶対にできない。ハルの隣から離れなきゃならないなら死んだほうがいい。

 私を繋ぎとめたのは、あの絵。

 ハルが私に描いてくれたという、私とハルのためにある絵だ。

 晴があるから夏が輝く。まったくもってその通り。晴がないなら夏なんてないも同然。

 っていうことを、よく表現できていると思う。まぁ、ハルはそこまで歪んだ価値観と意図で描いてはないんだろうけど。

 それでも、だ。かつて私を変えてくれた瞬間と同じだよ。

 私はそうあろうと思う。そうありたいと願いたいし、思いたい。

 つまるところ、これからも切っては切り離せない関係でいたいって、ハルは私にそう思わせてくれた。

 だからハル、私はもう本当の意味でハルの隣から離れないよ。

 例えこれから先にまだまだ残酷な運命が待ち受けていたって、それを理由にハルの隣から消えてしまおうなんてこと、絶対に言ったりしないし思いもしない。

 その分ハルは、私を愛して。愛し尽くして。これ以上やりようがないってくらいに、私を愛して愛して愛して。

 そう、それこそが、ハルに愛してもらうことこそが――――きっと、私の生まれてきた意味だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハル、おはよう。そろそろ準備しないと遅刻しちゃうよ」

「う……? ナツ、早いね……。僕なんて昨晩の疲れが……。怠い……」

「そうも言ってられないからね。しゃんとしないと、私だけ元気だったらバレる人にはバレちゃうと思うけど」

「うわっ、ホントだツヤツヤしてるじゃないか……。はぁ、流石にそれはまずいかぁ。うん、シャワー浴びてくるね」

「あ、その前にひとつだけ。昨日聞き忘れたんだけど、この絵のタイトルってなんていうの?」

「ん、その絵のタイトル? あー……あまりにも安直っていうか、多分だけど僕らにしか意味がわからないと思うんだけど。その絵のタイトルは    」

 

 

 

 

 




活動報告のほうでいろいろ語ってるので、よければどうぞ。


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