赤城のグルメ (冬霞@ハーメルン)
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東京都千代田区御茶ノ水の鉄板焼き定食

赤城さんがあちらこちらでご飯を美味しそうに食べるssです。
店舗についての質問にはお答えかねます。
感想などでも言及はなさらないよう、ご協力お願いします。



 

 

 東京、御茶ノ水。今日も様々な楽器屋が軒を連ねる大通りは、学生達でごった返していた。

 秋葉原、神田、神保町などにもほど近いこの街は、多くの大学を擁する学問の街としても有名である。一方で先ほども述べたように、楽器を扱う店も非常に多く、人の出入りが絶えることはない。

 髪を茶色に染め、流行りの洋服を羽織ったたくさんの学生たち。そんな人波の中、随分と人目を惹く一人の女学生の姿があった。

 

 

「すごい人の数‥‥。静かな鎮守府とは大違いですね。提督から適当にご飯を食べていろと言われましたけど、どこでお昼にしましょうか‥‥」

 

 

 太陽の光を吸い込んでしまいそうな、美しい黒髪。温和な雰囲気の中にも快活で、意思の強さを見せる光を宿した瞳。そして今時の若者だったら卒業式や成人式でしか着ないだろう古めかしい袴姿。

 女子大学生とも、女子高生とも言えない。まさしく“女学生”という表し方が相応しい。まるで明治時代、大正時代の一枚絵から抜け出して来たかのような少女。どうしても好奇の視線に晒され、そしてそれらを一切気にした様子もなく、堂々と、涼やかに穂を進めていた。

 

 

「チェエン店‥‥ではちょっと風情がありませんよね。せっかく学生の街に来たんだから、学生が行くような、そんなお店に入りたいですねぇ」

 

 

 回りを見回せば、どこにでもあるような牛丼屋、ファストフード店、立ち食い蕎麦などが立ち並んでいる。

 確かに安くて量を頼めるチェーン店は彼女にとってはご贔屓だ。しかしそれも、要は自分のお金で食べる時の話で、しかも通い慣れた街や時間に余裕がないときのこと。せっかく初めての場所に来たのだ、ご飯は楽しんで食べたいものである。

 

 

「‥‥あ、ここは」

 

 

 駅の近くから大通りを歩き、小高い山の上にあるホテルへと続く道を通り抜け、見上げるほどに大きな大学を横目に過ぎ去り、屋根で日陰になっていた店の軒先で、ふと立ち止まった。

 すごく懐かしさを感じさせる、古き良き洋食屋だ。ショーウィンドウには様々なメニューが並び、ほかにもオススメであることを胸を張ってアピールしたポスターがたくさん飾ってある。どうやら六十年もの老舗らしい。洋食屋でこれだけ長くやっているとなると、この町でたくさんの学生たちを見守ってきた由緒ある店なのだろう。

 

 

「ここなら趣向にも沿います、よね。‥‥特盛、食べきったら無料? 食べきれなかったら50円? むぅ、これは挑戦でしょうか」

 

 

 学生、それもスポーツ系の部活に所属している男子学生ともなれば胃袋の容量も大したものだろう。そんな学生たちの胃袋を満たすための粋な心意気。しかし逆に言えば、食って見せろという挑戦ともとれる。

 挑み甲斐がある。普段から大食らいとしてからかわれている己だが、まぁ食べることが好きだというのは隠しようがない真実。それを満たしてくれるというなら、是非もない。

 

 

「‥‥ごめんくださーい」

 

 

 少し重たい扉に手をかけ、店の中へと足を踏み入れる。

 よく冷房の効いた店内は歴史を感じさせる、とても古い木の造りだった。テーブルも椅子も分厚い木。使い込まれており、角はすっかり丸まってしまっている。ギターの音色がBGMで、クラシックよりもこの街には似合っているような気がした。

 

 

「いらっしゃい! お一人さま? じゃあそっちの、広い方にどうぞ!」

 

「あ、はい、どうも‥‥」

 

 

 次の瞬間、店中に響く快活で大きな声。よく日に焼けた、ガタイのいいマスターのお出迎えである。

 こちらが何か言う前に、てきぱきと案内された席へと座る。まるでコロコロと転がされて進水する新造艦のような気分であった。

 クッションも何もない無骨な木の椅子はやけに居心地が良い。多くの人が座り、この木も人になじんでいるのだろう。どちらにしても、どんな椅子だろうと鉄板よりはマシかしらと一人ごちる。

 

 

「はい、お水どうぞ」

 

「あ、はい、どうも‥‥」

 

 

 よく冷えた水をグラスに注がれ、そしてすぐに歩き去ってしまった。一人残され、茫然とメニューを見る。

 なるほど、牛肉と玉ねぎの鉄板焼きが基本メニューで、それに色んなオプションがつくようだった。他にもオムライスやサラダなど、洋食屋らしい品々も並んでいる。これは、悩む。

 

 

(初めて来るお店では、スタンダアトなメニュウを頼むのが王道。ですが、どのお料理もおいしそうで目移りしてしまいますね‥‥!)

 

 

 一番お安い、基本メニューではお腹は満足しないはず。となると倍の量あるダブルで頼むか、或いは思い切って二品頼んでしまうか悩むところだ。

 しかし初めてのお店で二品、なんて外道な注文は気が引ける。もし自分が冴えない中年のサラリーマンだったりしたら、そういう羞恥心とは縁がないのだろうが‥‥。生憎と年頃の女学生である。あまりはしたないことはしたくない。

 もちろん修理の必要があって入渠する時は、まぁ話は別であるわけだが。

 

 

(うん、やっぱり基本を抑えるのは大事ですよね。あとは、出来ればボリュウムのあるものを)

 

 

 よし、とマスターを呼ぼうとメニューから顔を上げる。

 この注文するときが一番外食で緊張する瞬間だ。大声を上げては目立ってしまって無粋だし、当然立ち上がって呼びに行くのは論外。かといって長いこと黙って座っているのでは不格好すぎる。

 出来るだけ自然に、なおかつ早く気づいてもらえるように。かつ不作法に催促するわけではなく、あくまで当然のことのように。最悪、艦載機の皆さんに手伝ってもらってでも‥‥。

 

 

「はい、ご注文ですか?」

 

「えっ、あ、はい! この、カツジャンボ鉄板焼きをお願いします! と、特盛で!」

 

「はい、かしこまりました! カツ特1ーっ!」

 

 

 ふぅ、と安堵の吐息。少し驚いた。

 まさか自分が注文しようとする気配を察して近づいてくるとは。流石は六十年の老舗。そんなに広くないとはいえ、決して狭くない店内を隅々まで把握しているなんて、電探でも装備していないと無理だろう。

 

 

(‥‥この待つ時間も、とても有意義ですね)

 

 

 お腹はペコちゃんだけれど、急いては戦を仕損じる。拙速と焦速はまた別だ。この時間も楽しんでこそ、外食の醍醐味というもの。

 本当ならメニューでも眺めてあれこれと思いを巡らすが、生憎と今回はメニューをひったくられてしまった。邪魔だろう、という気遣いは嬉しいけれど、こちらの都合も考えてもらいたいものだ。

 もっとも、今日に関しては特に気にはならないか。普通の定食屋やチェーン店とは違って、のんびりとした空気が流れている。ただその空気に浸っているだけでも、素晴らしい時間を過ごせるのである。

 

 

「お待ちどうさま! カツジャンボ鉄板焼きライス特盛です! 鉄板熱いから気を付けてね!!」

 

(きた! きましたよー!)

 

 

 よく通る、威勢のいい声と共に目の前に配膳される、ジュウジュウと音を立てる鉄板。思わずピクリと肩が跳ね、顔が綻ぶ。

 鉄板焼き、となると大事なのはやはりこの美味しそうな音だろう。自分が食べる料理ではなくても、聞くだけで心が躍りお腹が鳴ってしまう素敵な音だ。お腹に働きかける魔法でもかかっているのではないかというぐらい、はしたなくも口に溢れる唾液を止められない。

 さて、では改めてメニューを見回して確かめてみようか。

 

 

『カツジャンボ鉄板焼き』

 →メインディッシュ。ボリュームたっぷりで熱々。たっぷり頬張りたい。

『ライス』

 →特盛。そんなに多くはない。フォークで食べる。

『豚汁』

 →洋風ではないが、これがこの店のスタンダート。

 

 

 皿の数は三つ。正確には鉄板が一つにお皿が一つ、お椀が一つ。

 バランスとしては悪くない。これに生野菜のサラダなんかがあると更に完成されるのだが、この熱々メニューに敢えて冷たいサラダを投下するのは、それで完璧と思いながらも、むしろ逆にこのメニューを調和という名の凡庸に貶めてしまう可能性もあり、何とも言えなかった。

 

 

「しかしまぁ、何はともあれ先ずは―――」

 

 

 燃料は遠征(おつかい)に行った駆逐艦の子ども達が持ち帰ってくれたばかりのものを、そして料理は熱い内のものを食べるのが一番である。思い悩むのは一通り食べ終わってからでも決して遅くはない。

 躊躇いなくフォークとナイフを手に取り、先ずは鉄板の横に綺麗に並べ、顔の前で手を合わせる。

 

 

「―――いただきます」

 

 

 例え一緒に唱和する仲間たちがいなくても、食べ物と作ってくれた方への礼儀は忘れずに。鎮守府暮らしの性として、美しいまでの礼儀を示し、再びナイフとフォークを両手に握った。

 目指すは熱く焼ける甲板と、その上に積まれた堂々たる砲塔。この敵艦、相手にとって不足なしである。

 

 

「‥‥!」

 

 

 先ずはとナイフで切り込んだカツは、汁気のある炒め物の上に乗せられているにも関わらずサクリと小気味いい音を立てて切れた。装甲は硬いが薄い。これだけでも心が躍る。

 トマトソースがかかっているが、最初の一口はこちらには手をつけず、端のプレーンな部分から。溢れる期待を堪えきれず、一口。

 

 

(お、おいしいですっ!)

 

 

 きめ細やかな衣は婦女子の繊細な口の中を傷つけることなく、包まれた肉は噛み応えがあり、少し歯を動かすだけで肉汁が滲み出る。ごくりと飲み込めば、喉を通る感触すら心地良い。

 上品か、と問われれば微妙。しかし定食屋の揚げ物とはベクトルが異なる。例えばこれに千切りキャベツは似合わないし、漬物もまた同じ。

 これでもかというぐらいスタンダードな、洋食屋さんのトンカツだ。これは堪らない、もう素材の味云々なんて小難しいことは後回しだ。

 

 

「ソオス、ソオスをかけなければ。‥‥む、これはウスタアソオスですね。最高です、これが欲しかったんですよ」

 

 

 トンカツ定食ならば、迷わず自家製だれを選ぶ。或いは中濃ソースでもいい。しかし此処が洋食屋で、そしてこのトンカツならば、間違いなくウスターソースだろう。

 トンカツソース、或いは自家製だれと中濃ソース、そしてウスターソースには明確な場合分けが存在する。これを間違えるなど、一航戦の誇りにかけて出来やしない。

 

 

「あっさり染み込んで、くどくない。やっぱりウスタアソオスは最高ですね。さて‥‥」

 

 

 思わずトンカツに夢中になってしまったが、この店の看板メニューである鉄板炒めも味合わなくては。まだまだ大きいままのカツを脇に避け、ナイフを置いてフォークを右手に持ち替える。

 薄切りの牛肉に、見るからに瑞々しいタマネギの炒め物。実にシンプルで、故にこそ誤魔化しの効かない料理。下手すれば家でお母さんが作るような、そんな料理に成り下がってしまいかねない品を前に、またもや無邪気にも胸が高鳴った。

 

 

「スパゲティが敷いてある? なんか、お弁当みたいですね」

 

 

 薄切りの肉と硬さを残したタマネギはフォークで簡単に一まとめに出来た。今ひとつボリュームが足らないような、そんな不満もあるが、いやいやここは躊躇わずに一口。

 汁を零さないように注意して、口に運ぶ。シャクリ、モクリ、と大袈裟に咀嚼。

 

 

「‥‥満足です。これが洋食屋さんですよ、これが。お母さんの料理とは一線を画しますよね、この味は」

 

 

 薄切りのビラビラお肉は決して貧相ではなく、むしろ食べやすくて上品。濃過ぎず薄過ぎないタレによく絡む。タマネギが良いアクセントだ。火が通っていながらに、この食感はありがたい。

 先程のカツが口の中に満足感と征服感を残す戦艦だとすれば、この肉炒めは高速で駆け抜けて雷撃を仕掛けてくる名駆逐艦とでも言おうか。フォークが止まらなくなってしまう。

 

 

「うん、スパゲティも少し固めで、タレに絡みますね。肉とタマネギ、スパゲティと全く違う三種の食感。まさに主砲副砲機銃と揃った感じです」

 

 

 駆逐艦なら魚雷を積まねば、ということなんて頭から失念。ただただ感じたままに心の中で独りごちる。

 鉄板はまだ熱いが、こちらはそろそろ落ち着かなければ。一気呵成に食べ切ってしまうのは勿体無い。もっと真面目に食卓に向き合わなければ。

 

 

「これは‥‥なんでしょうか、不思議な形ですね。底に何か溜まっている? かき混ぜてから使うのかしら」

 

 

 少し味が薄いかしらとテーブルの脇に置かれていた醤油を手に取ってみると、蓋に穴が空き、そこから棒が突き出ている。棒は底まで届いているようで、上下に揺らすと底の方に溜まっている澱のようなものが撹拌された。

 くんくんと匂いを嗅ぎ、ティンと来て思い切り鉄板にぶちまける。ジュワァと白い湯気が上がり、匂いが立ち上る。これはにんにく! にんにく醤油だ。にんにく増し増しである、

 にんにく醤油は濃すぎず薄すぎず、味加減の調整には抜群だった。例えば薄味が好みの人なら元から牛肉炒めについている味だけで、そして濃いめの味付けが好きな人なら満足いくまでこのにんにく醤油をかけてやればいい。しかしまた、これがうっかりかけ過ぎてしまうぐらい美味しいときている。これではもう、女の子の嗜みも吹っ飛んでしまう。

 流石に服に跳ねさせるような失態はせずに、あっという間に残りを食べきってしまった。

 

 

「あぁ、おいしかった、最高でした。これはおかわりが欲しくなってしまいますね‥‥!」

 

 

 ちら、ちらと回りを見回すがメニューは持っていかれてしまった。そして財布の中身も決して豊かではない。艦娘は結構な高給取りではあるが‥‥お察し下さい。

 それに落ち着いてよくよく考えてみれば、これからお仕事から戻った提督とお茶である。そこで軽くお腹にいれておけば、まぁしばらくは持つだろう。大食漢女(おとめ)揃いの鎮守府の食堂とはワケが違う。散財は程々にしておかなければ。

 

 

「すいません、お勘定を」

 

「はい! どうぞこちらに!」

 

 

 気風のいい親父さんではなく、息子さんだろうか、少し若い店員さんに案内されてお会計を済ませる。

 チェーン店に比べれば決して安くはないが、あの料理に払うお金としては十分、いや、かなり安い。やはり流石は学生街のお店といったところだろうか。あの特盛ライスにしても、世間一般での悪乗り地味た特盛に比べると、店主の心遣いをそのままに表した量なのだろう。

 

 

「ごちそうさまでした、また来ますね」

 

「ありがとうございます! どうぞよろしくおねがいします!」

 

 

 最後まで気風のいいマスターの、少し遠い場所にいながらもよく分かる笑顔に手を振って店を出た。

 程よく落ち着いたお腹と僅かに火照った頬が感じる夏の熱風と、店から流れ出てくる冷風が心地よい。お昼時を過ぎた街はすっかりざわめきも収まって、勤め人は仕事へ、学生は学業へと向かう。午後の麗らかな雰囲気が流れ始めていた。

 

 

「‥‥そろそろ提督も、お仕事終わったかしら。待ち合わせ場所は確か、駅でしたね」

 

 

 やっぱり理屈云々ではなく、おいしいものを食べたあとは気分が良い。心が軽い。

 油ものを食べた後だから、提督とのお茶はアイスクリームかパフェが食べたいな。

 そんなことを考えながら、熱い日差しにも負けず、正規空母赤城はのんびりと駅に向かって歩き始めたのであった。

 

 

 

 




Q.これ艦これじゃなくて良くね?
A.艦これssを書こうと決めた、その選択は間違いなんかじゃない。

Q.赤城さんはもっと食べるでしょ!
A.冬霞提督の取材費には限界があります。

Q.他の作品の執筆は?
A.執筆は気が向いた時にするもの(震え声)

Q.え、コレ連載するの?マジで?
A.大マジ。



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東京都千代田区神田の辛味噌拉麺

2-4突破!2-4突破!2-4突破!


 

 神田。

 お隣の御茶ノ水が楽器の街、そして同じく隣の秋葉原が電気街と称されるのならば、此処はスポーツの街と言えるだろう。

 サッカー、バスケ、野球などの一般的なスポーツ用品のみならず、武道や登山用品、スキー用品などまで完備した、様々なスポーツ店が軒を連ねる専門街だ。

 学生、特に大学生や高校生などの姿が目立つ御茶ノ水とは異なり、ここはオフィス街でもあるからか背広を着こんだサラリーマンが多く見受けられた。楽器やスポーツは確かに老若男女が愛するものだとはいえ、普段からそこで過ごしている人たちの色は、やはり濃い。

 もちろん暑い盛りだ。特にマリンスポーツに使うグッズを求めて、色んな人達がこの街を訪れている。例えばその一人に、やはりどうしても周りから浮いてしまう浴衣姿の少女がいた。

 

 

「‥‥ほんと、好きなことが目の前にあると女の子も放って夢中になってしまうんだから。うちの提督はダメな人ですね」

 

 

 夕焼けよりも薄い、柿と同じオレンジ色の浴衣を羽織、長い黒髪を簡単に結い上げた少女は、どんなに大きくても高校生ぐらいだろうか。浴衣自体は街から浮いてしまっていても、不思議と浴衣の着こなしは完璧であった。

 手に提げた少し大きな買い物袋の中身は水着。マリンスポーツにはまってしまった提督に誘われるがままに外出に同伴し、プライベートで使う水着を買いに来たのだが‥‥。生憎と提督自身は銛突き、スピアーフィッシングに興味深々のようで、肝心の水着選び自体は自分でやってしまった。

 確かに本来、艦娘の装備自体が防水加工であるから、海水浴だって普段の装備のままで構わない。とはいえ自分も年頃の女の子であり、やはりプライベートな身なりは気になるものだ。

 それにこういう時は男子が女子の買い物に付き合うのがセオリーではないのかと思うのだが、まるで子どものままのはしゃぎっぷりを見ると何とも言えなくなってしまうのは、損な性格というものなのだろう。

 もっとも、フラフラとしているのは性格には自分ではなく、提督の方。迷子になったのは自分ではない、提督なのだと言い聞かせる。いや、事実その通りなのだけど、このままだと再会した時に自分が迷子扱いされてしまいそうで、それは癪だった。

 

 

「ちゃんと会えた時はすぐに、こっちから探してたんですよって言わなきゃいけませんよね。一航戦の誇り、しっかり守らなければ‥‥」

 

 

 と、気合を入れた瞬間にぐぅと腹が鳴った。小さいが、自分にはしっかりと分かってしまう空腹のサイン。そういえば気が付けば朝ごはんから四時間ほども経ってしまっている。十時のおやつも食べてないし、もうお腹がペコちゃんになっても仕方がない時間だ。

 やはり腹が減っては戦は出来ぬ。提督を探すのも、先ずはお腹が満たされてからだろう。

 

 

「きっと提督も、あと半刻ぐらいは道具探しに夢中になってるでしょうし‥‥。何処かで軽く、そう、お蕎麦でもたぐっていくのもいいかもしれませんね」

 

 

 せっかく東京に来たのだから、粋でいなせな蕎麦屋に行ってみたいと思う。昔どこかで読んだ本では、それこそ気風のいい大工の棟梁が暖簾をすぱっと小気味よく音を立ててくぐり、スタスタと一直線に席について躊躇いなく注文をするのだ。「親父、盛り一丁!」と。

 少女にとってみればそこまで歌舞(かぶ)くのは無理でも、少しでもその空気を味わってみたい。食事はただの栄養の摂取、空腹を満たす行為ではなく、もっと魅力的で、充実していて、満たされたものであるべきなのだ。

 

 

「ふーむ、何処かに美味しいお蕎麦屋さんはありませんかねぇ‥‥?」

 

 

 スポーツ用品店が集まった通りを離れて、駅の方へと向かう。辺りを見回すと、あまり興味を惹かせてくれる店は見当たらない。

 それこそこの辺りはチェーン店が幅を利かせているのだろうか。見慣れた牛丼屋や、ファストフードの店は多いが求める粋や風情とは程遠い。とてもじゃあないが、立ち食い蕎麦なんてところには入る気がしなかった。

 

 

「ガアド下のお店、っていうのもいいですね。雰囲気ありますよね。居酒屋が多いから、お昼に開いてるお店は少なくて残念ですけど」

 

 

 地下鉄が多くなってしまった東京の街も、昔からある鉄道の高架線下には場末の匂いが漂っていた。この場末という言い方も決して悪い評価ではなく、むしろ風情のある、親しみの持てるという良い評価を表している。

 場末の空気というものを吸うのが初めての自分でも、不思議と感じる居心地の良さ、安心感。何ともおかしな話だけれど、悪い印象は抱かなかった。カレー屋、定食をやっている居酒屋、そして東南アジアの料理を出すお店など、雑多に色んな種類のお店が並んでいるのは中々に壮観。

 そういえば東南アジアは対深海棲艦戦の最前線。遠い異国の海で戦う姉妹達の様子が、少し気にかかった。

 

 

「‥‥む、困りましたね。これ以上歩くと駅から離れすぎてしまいます。流石にあんまり遠くに行くと提督が心配するでしょうし、どうしましょうか」

 

 

 ガード下の雑多なお店を眺めて楽しみながら歩いていたら、いつの間にか駅から離れてしまっていた。まだ大した距離ではないが、おそらくこの辺りが限界だろう。これ以上お店を探し歩くのは難しそうだ。

 しかし残念なことに中々お気に召したお店に巡り会えない。そもそも蕎麦屋がない。一件ぐらいあっても良さそうなものだが、もしかして路地裏にあるのだとしたら、ちょっとそこまで入り込む気分にはならなかった。

 

 

「もう、麺なら何でもいいかしら」

 

 

 完全に諦めムードである。とにかく今は何か美味しいものを食べたい。よし、もうこの場所から動かないぞ。今ここから見える場所に入ってしまおう。

 半ば意地を張りながら辺りを見回す。背後のガード下のお店はなんとなく今日は入る気分ではない。かといって他には路地の奥にお店らしき看板が見えるくらいで、何をやっているのか分からない。

 これは参った意地を張り過ぎたかと途方に暮れ、ふと気がつく。

 

「あんなところにも、拉麺屋さんですか‥‥」

 

 

 少し大きな道路を挟んだ、反対側。通りの角を占拠して、決して大きくはない拉麺屋と思しき店舗が異色の存在感を放っていた。

 真っ黒な壁に、真っ赤な看板。そして近づいてみれば、微かに店内から漏れ聞こえる太鼓のBGM。かなり異色だ。かなり気になる。美味しそうか美味しそうじゃないか、以前に気になってしまう。

 

 

「‥‥よし、これも何かの縁ですよね。せっかくですから、ここにしましょう」

 

 

 がらり、と扉を開けて中に入る。偶然外に並んでいる客はいなかったようだが、中はほぼ満席で、何人か立っている客も見受けられた。

 店内はかなり狭い。壁際ギリギリ、一人が通れるぐらいの隙間しかなく、カウンター席しか存在しない。そして暑い。調理場と接近しているからか、拉麺の熱さが直撃する。ついでに言うと少し暗くて、最前線の海の秘境や、駆逐艦の子達を引き連れて突入する夜戦のような雰囲気が漂っていた。

 先程お店の外でも漏れ聞こえた太鼓の音は、店内では腹を揺るがせるぐらい堂々と響き渡っている。それこそ空きっ腹に響いて食欲が増す。

 壁には至る所に恐ろしげな鬼の面が飾ってあって、これもまた実に店の雰囲気と言うものに合っていた。

 

 

「あぁ、ここは券売機で注文すればいいんですね。さてさて‥‥」

 

 

 無骨な券売機に並んだメニューは決して多くない。どうやら基本は味噌ラーメンで、トッピングやサイドメニュー、僅かな別メニューが用意してあるようだ。

 こうなると初めての店では基本メニュー、というセオリーを守った方が間違いがなさそうだ。基本メニューを頼むなんて素人のやること、とバカにされるかもしれないが、逆に言うと基本メニューこそがその店が最も自信をもって提供する品。通い慣れた場所ならともかく、初めてのお店では相手に敬意を表することも必要だろう。

 ‥‥しかしそうと決まれば、今度はトッピングが問題だ。あまり何でもかんでも乗せるべきではないし、何より水着を買ったおかげで懐もそこまで振るわない状態だ。贅沢厳禁とまでは行かないが、まぁ節制はするべきだ。

 

 

「お肉もそそられますが、普段から脂っぽい中で生活してるようなものですし、ここはもやしにしましょうか。あ、それに味玉もつけちゃいましょうね」

 

 

 あまりラーメンを食べることはないけれど、お昼時には少し早い時間帯でこれだけしっかりお客さんが入っているというならば、このお店は中々期待できそうだ。

 千円札を二枚入れて、味噌ラーメンにもやしと味玉のトッピング券と、忘れずに大盛りのチケットも購入する。出費は少し激しかったが、その分だけ期待も高まるというものである。

 

 

「お客さん、お一人様ですか? お先に食券の方をお預かりしますね!」

 

「あ、はい。お願いします」

 

「申し訳ありません、お二人でお待ちのお客様がいまして‥‥。お席が空くまで、もう少々お待ちください」

 

 

 どうやらこの店は並んでいる間に食券を回収してもらうシステムらしい。黒いTシャツと頭に巻いたタオルが特徴的な店員さんに、チケットを渡す。

 成程、自分の前に並んでいるのは二人組。この店では例えば席が一つ空いて、二人組の後ろに一人の客が並んでいても、先に二人組を座らせるために待たせる方式を採用しているようだ。

 ふむ、と考える。まぁ別に急ぎでもあるまいし、これだけ小さな店だと回転率も悪くはないだろう。あまり気にするほどのことでもないか。

 

 

「辛さと山椒の量は如何いたしますか?」

 

「‥‥はい?」

 

「マシ、ふつう、少なめ、ヌキとご用意してます。あと追加料金でさらに足すことも出来ますが」

 

 

 予期せぬ問いかけに店員さんの指差した看板を見ると、なるほど確かに辛さと山椒の量が選べるスタイルだ。このお店、この二つのスパイスが自慢なのか。

 しかし困った、食券を買う時に選ぶならともかく、こうやって口頭で伝えられると面喰ってしまう。しかも「考えさせてください」とは言いづらい雰囲気だ。すごくやりづらい。こういう状況に突き落とされてしまうと‥‥。

 

 

「ま、マシマシでお願いしますっ!」

 

「かしこまりましたー! マシマシ一丁ッ!」

 

 

 ―――ほら、こうして普段ならやらない間違いを犯してしまう。ついうっかり辛さも山椒もマシで頼んでしまったが、この店のスタンダードな辛さが分からないというのに馬鹿をやった。

 いや待て、慌てるな。後悔なんて後ろ向きな感情を持ったまま食事と向き合うのは失礼だ。もっとポジティブに考えるべきそうするべき。辛さと山椒が自慢の店で、ヌキとかふつうなんて注文は面白くない。やはりおすすめを食べて然るべきというもの。

 ‥‥うん、そうだ、そうなのだ。それによくよく考えてみれば辛いものはそこまで苦手じゃない。前に寮の食堂で麻婆豆腐が出たときも、自信満々に「どうした赤城、箸が止まっているぞ。フフフ、怖いのか?」とか言っていた天龍ちゃんが食べきれなかったのに対して、自分はしっかり美味しく頂けたではないか。

 

 

(此の身は一航戦の誇り、正規空母赤城。辛いだけの料理なぞに負けはしません!)

 

 

 慢心? 否、これは自信である。南雲機動部隊の一員たる我が身が敗れることなどありはしない。

 全身から歴戦の猛者の覇気を放出しながら案内されるがままに席につく。相手にとって不足はなし、我、食事に突入す!

 

 

「‥‥ナプキンぐらいは、つけておきますか」

 

 

 とはいえラーメンである。汁が浴衣に跳ねてしまったりしたら流石に泣いてしまうかもしれない。備えあれば憂いなしである。そそくさと壁際に据えてあった箱から紙ナプキンを手に取った。

 浴衣も決して高いものではないが愛着がある品だ。汚さない自信もあるとはいえ、まさかということもある。

 

 

「はい、辛さが少ないものからお出ししますねー。こちら両方抜きの味玉、こちら両方普通のもやし、こちら普通マシのパクチー」

 

(パクチー? 知らない名前ですね。いえ、そんなことより、もうすぐですよ‥‥ッ!)

 

 

 次々に配膳されていく丼に胸が高鳴る。カウンターの向こう、厨房で準備をしている時から、自分の分までしっかりと用意されていることはチェック済みだ。

 もう今の内から割りばしを取り、少し滲んだ汗を拭い、第一種戦闘配備は万全である。

 

 

「こちらお待たせしました! マシマシもやし味玉大盛りです!」

 

(待ってましたぁッ!)

 

 

 立って並んだ時間が長かった分、喜びもひとしお。待ちきれなかったとは言わないが、満面の笑顔で丼を出迎える。

 湯気が立ち上り、スープの煮えたぎる音が聞こえる。まるで溶鉱炉のような丼の中を覗き込み、小さく歓声を上げた。

 

 

『大盛りもやし味噌ラーメン味玉』

 →真っ赤に自己主張する店の名物。ナプキンはあるので、豪快に啜ろう。

 

 

 スープは予想の通り、真っ赤に染まっている。とはいえ完全な赤ではなく、茶色の味噌スープがベースであるようだ。細かく脂も浮いていて、かなりこってりとしている。蓮華を動かすと、湯気まで躍るぐらいに熱い。

 麺は汁の中に埋没してしまっており、積まれたもやしの山が美しい。全体に散らばされたのは青ネギだろうか、目にも彩があり、山の頂上には何故かベビーコーンが君臨していた。勿論、特性スパイスと思しき赤い粉末と唐辛子もしっかり己をアピールしていた。

 

 

「これはすごい、まるで工廠の溶鉱炉ですね!」

 

 

 丼を目の前にするだけで汗が流れ落ちていくようだった。そもそもこの店、先程述べたように厨房とカウンターの距離が近く、スペース自体も狭いために室温はやたら高かった。

 焦る心を抑えきれず、勢いよく割り箸を開き、手を合わせる。こればかりは欠かすわけにはいかない。

 

 

「―――いただきます」

 

 

 もやしの山をかき分け、スープを突き抜け、麺を掴む。

 口元へと運ぶ、その動きだけで汁の奥深くに眠っていた濃厚な香りと味が立ち上ってくる。堪らず、おそるおそる、ゆっくりと一口だけ啜った。

 

 

「‥‥ッ!!」

 

 

 口に含んだ瞬間、咥内を吹き抜けて鼻の奥まで伝わる熟成された味噌の香り。深く、濃い。たっぷり混ぜられた脂が舌を転がり、実に心地よい。そして訪れる、舌を焼き喉を焦がす灼熱。

 

 

「ゴホ、ゴホッ! ゴホッゴホッ!!」

 

 

 あまりの辛さに、思わず咽せ込む。それでも無論、口に入れたものを吐き出すなんて無様な真似はしない。しかし反射的に零れた涙ばかりは止められず、素早く近くの箱からティッシュは一枚抜いて目元を押さえた。

 これは、辛い。嘗めていた。まさかここまで辛いとは思わなかった。あーあやっぱり、という店員の顔が癪だったが、こればかりは度肝を抜かれた。今まで食べてきたものとは一線を画する辛さだった。

 だが不思議と箸は動いて、もう一口啜る。流石にゆっくりではあったが、しかし止まらない。降参したわけでは断じてない。これは、美味しい。

 

 

(辛い、だけではありません。奥の深い辛さ、凄く美味しい。あぁ、不味くない。決して不味くない。美味しい、美味しいです!)

 

 

 

 麺は普通の拉麺に比べると、かなり太い。そして硬めに茹でてあり、どろりとした味噌スープに非常によく絡む。それに食べ応えもある。もやしもシャキシャキしていて、これぞもやしというもやしであった。

 ベビーコーンもコリコリと、普通のラーメンの具材とは全く違った食感。辛くて濃い味付けの中ではとっても爽やかで特徴的な存在。かなり尖った方向にではあったが、拉麺丼という小宇宙の中でしっかりと調和のとれた一つの芸術作品である。

 ‥‥あぁ、しかし熱い! そして暑い! 箸は止まらなくても、食べながらどんどん体温が上がり、汗が滴っていくのを感じる。スープの中に汗が溶け込んでしまいそうだ。

 

 

「ふほぉん、まるで私は人間正規空母‥‥いえ、まさにその通りなのですが」

 

 

 手慰みに汗を拭い、前髪が目に入らないようにしながらも一心不乱に麺を啜りもやしを噛む。周りからの視線があるような無いような、しかし気になりはしない。

 とにかく今はこの丼一つに集中して。もう自分の世界はこの丼一つだけだ。夢中で食べ進め、あっ、と思わず呟いた。

 

 

「失敗しました、大事にとっておいたら肉が余ってしまいましたね‥‥」

 

 

 大振りではないが、存在感たっぷりな豚の角煮がぽつんと残ってしまっている。麺ともやしに構い過ぎた。勿論まだ麺は残っているから一緒に食べてしまえばいいわけだが、少しバランスが悪い。

 食事にはリズム、バランスというものが重要。自分ともあろう者が慢心しただろうか。いやいや断じてそんなことはない。しかし、これは悩み所である。なんとか満足いく打開策を見つけなければいけない。

 

 

「店員さーん」

 

「はい!」

 

「すいません、半ライス下さい」

 

「かしこまりました、百円頂戴いたしますねー!」

 

 

 少しだけ手を止めて考えていると、隣の客から手が上がった。

 気になってチラリと横目で見てみれば、なんと直接カウンターの向こうの店員さんに注文し、お金を渡しているではないか! そして店員さんは何事もなく注文を受け、炊飯器からご飯をお椀に盛って渡したではないか!

 

 

(ライス! そういうのもあるのですか‥‥!)

 

 

 となると話は大いに変わってくる。この余ってしまったお肉、これが生きてくる。箸で触るだけでふわりとした感触が伝わってくるほどにしっかりと煮込まれた角煮。正にご飯との相性は抜群だ。

 いや、それだけではない。この濃厚な辛味噌スープを遠慮無くご飯にかけて食べたら‥‥それはどれぐらい美味しいことだろう。普通のラーメンのスープとは段違いに美味しいはずだ。あぁ、それを考えるだけで我慢できない。

 

 

「す、すいませんっ!」

 

「は、はい、なんでしょう?」

 

「ら、ライスをくださいっ!」

 

「ライスですね、かしこまりました!」

 

 

 お財布から出した小銭を手渡し、代わりに受け取るのはホカホカと湯気を立てる炊飯器から盛ったばかりの白米。少し硬めで、これもまたラーメンによく合う。

 先ずはスープの底に沈んでしまった角煮を取り出し、真っ白な丘の上に据える。まるで子どもの頃に絵本で読んだ、郊外の丘の上にある小さなお家のようだ。なんだかとても可愛らしい。

 

 

「この角煮、すっごく柔らかい。それに汁がたっぷり染み込んでて、噛みしめるたびにお肉の味が滲み出てきます‥‥!」

 

 

 濃い味付けをされた角煮は味噌スープによって柔らかく、かつ刺激的に進化して、ご飯の良い友となっていた。ほぐして麺と絡めても美味しかっただろうが、やはりご飯の美味しさも捨てがたい。

 そして少しはしたないかなと思いながらも、蓮華で掬ったスープをご飯にかける。濃いながらもスープ自体はさらりとご飯に染み込み、よしとそのまま蓮華でご飯を口へと運ぶ。

 

 

「‥‥あぁ、やっぱり思い切って選んでよかった。お淑やかではないけど、これぞ食べてる!って感じです」

 

 

 米一粒も残さず、綺麗に最後まで頂く。あとはスープだけだが‥‥。流石にこれを飲み干すのは年頃の女性として気が引ける。というか、喉はおろか胃まで焼けてしまう気がする。

 夢中で食べてたから気がつかなかったけど、もう顔はおろか体中汗びっしょりだし、舌は痛いのと痺れてるのと相まってトンデモないことになってしまっている。確かにこのラーメンは美味しい。今まで食べたことのある味噌ラーメンと比べてしまえば天と地。しかし、辛い。如何せん辛い。そしてダメージが重い。

 流石にこの辛さと痺れの産出元である熱湯の泉を飲み干してしまっては内蔵器官へのトドメになりかねないだろう。あぁ、しかし飲みたい、足りない。もっともっと味わいたい。

 

 

(‥‥半分ぐらいに、しておきましょうか)

 

 

 丼を持ち上げるのはマナー違反というか、淑女として有り得ないので蓮華で静かに掬って飲み干していく。

 思わずお水に手が伸びかけても、何とか我慢。ここまで来ると辛さにはすっかり慣れてしまって、舌へのダメージは山椒の痺れの方が問題。しかし程よく冷めてきたスープは今までに比べれば飲み易く、気がついたら半分どころか殆どを飲み干してしまっていた。

 あぁ、まぁ、美味しいものは仕方がない。普段から激務で体も栄養を欲していたに違いない。うん、きっとそうなんだ。

 

 

「―――ごちそうさまでした」

 

 

 紅もかくやというぐらいに赤くなってしまった口元を拭い、ナプキンを外して、掌を合わせる。そして我慢に我慢を重ねた氷水を煽った。

 とことん熱せられた体に冷水が気持ちいい。入渠から出たばかりで海に飛び込んだ時みたいな、爽快な気分だ。満喫させて貰った。素晴らしい昼食であった。

 

 

「ありがとうございましたー!」

 

 

 元気のいい店員さんの挨拶を背中に受けて、外に出る。夏の盛り、まだ暑いはずなのにさっきまでもっと暑くて狭い室内にいたからか、むしろ風を涼しく感じた。

 そういえば途中からやたら混んできたと思ったが、成る程やはり、店の外まで行列が出来ている。丁度会社勤めの人達の昼休憩の時間なのだろう。混む前に来られて良かったものだ。

 

 

「‥‥提督、もう流石にお買い物も終わってますかねぇ」

 

 

 駅の方へとのんびり歩きながら、少し汗で張り付いてしまった浴衣を整えた。

 寮の麻婆豆腐など比較にならない辛さの拉麺‥‥。もし天龍ちゃんと神田の辺りに来ることがあったら、ここに誘ってみるのも悪くないかもしれない。別にいじめるつもりはないけれど、是非とも反応を見てみたいものだ。

 ふふ、と少し笑みを零し、のんびりと進む。スポーツの街、神田。中々どうして、美味しいお店も多いものだ‥‥。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

「赤城ー。おい赤城、大丈夫かー?」

 

「天龍ちゃん、どうしたの~?」

 

 

 鎮守府。

 深海棲艦との戦いを続ける最前線艦隊に所属する艦娘達が、日夜訓練に励み、体を癒し、任務に出撃する場所。

 その鎮守府の女性用洗面所で、軽巡洋艦の天龍が心配そうに個室の中へと呼びかけていた。

 

 

「あぁ龍田か。いやな、さっき赤城と一緒に花摘みに来たんだが‥‥。私が出てって、暫くしてもう一度ここに来たら、まだ入ってやがるんだよ。大丈夫なのか心配になってな」

 

「そうだったの~。もしかしたら病気かしら~? 赤城さ~ん、大丈夫~?」

 

 

 頭に天使の輪っかのような部品を乗せた軽巡洋艦龍田も、のんびりした不思議な喋り方ながら不安げに声をかけた。

 そりゃあ女の子が長いことお手洗いに籠もっているのでは何かあるのではないかと勘ぐってしまう。ただでさえ艦娘は身体的に普通の女性よりも頑丈であり、不調もそこまでは多くない。というか、軍人の一種であるから体調管理は厳しくするものなのだ。

 

 

 ツー

 ツー

 ツー

 

 ツー

 トン

 ツー

 

 

「‥‥“OK”かしら~?」

 

「なんでわざわざ壁叩いてモールス信号なんだよ‥‥? まぁいいや、大丈夫ならオレは帰るけどさ、なんかあったら通信でもいいから呼べよな!」

 

「赤城さん、何があったのか分からないけど、お大事にね~?」

 

 

 まだまだ訝しげな様子は拭えないが、本人がそう言うならと天龍と龍田はお手洗いを後にした。

 二人の足音が離れていくのを聞き取って、個室の中の赤城は安堵の吐息をついた。一応、艦隊の旗艦も担うことのある正規空母としては、旗下の艦娘達にはあまり無様な姿は見せられない。

 ‥‥特に、なんというか、理由を説明しづらい時には。

 

 

「‥‥まさか、お腹と、あまり口にしたくない場所が熱くて痛くて、なんて言えませんよ―――ッ!!」

 

 

 舌と喉は無事でも、内蔵というものは随分と脆い。

 そんな当たり前の事実を思い知らされた、正規空母の赤城さんであった。

 

 

 

  

 




Q.試験勉強どうしたよオイ?
A.なるようになる。

Q.もうすぐに学会もあるでしょ?
A.なるようになる。

Q.お尻大丈夫?
A.熱い。


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山梨県富士吉田市上吉田の茸ほうとう

東京ばかりだと何なので、思い出しながらの執筆に。
ご紹介頂いたお店は暇があれば訪れてみます。取材費の許す限り( ´・ω・)


 

 

 

 ―――海がない。山ばかりだ。

 海がない土地に来るのは久しぶりだった。大海原を戦場として、波濤の隙間を滑るように駆け抜ける日々を運命づけられた日から、常に海を枕に漣を子守唄として眠ることが常だったからだ。

 潮の香りがする海風も、時には荒れ狂う波音も嫌いではない。むしろ好きだ。けれど、山も悪くないのだなとも思う。

 山から吹いてくる風は優しく、空を見上げれば雲の流れ方も海とは大違いだ。少し忙しなく動いているように見えるのは、きっと海の上とは違って視界を遮るものがあるからだろう。山によって閉ざされた空は、少し狭いけれど、その分だけ深く見えた。

 鎮守府は日本という国の沿岸部の特性上、山と海とに挟まれた場所にある。しかしやはり視界に入る緑の量は山とは違った。そもそも鎮守府は鋼鉄の色ばかりで、外に出ない限りはあまり緑も目にしない。

 結局これもさっき呟いた通り、かつてした戦いの日々に身を投げる覚悟が故かと自分の運命が少しおかしく思えた。無論、それを一切後悔してなどいないのだが。

 

 

「‥‥少しソワソワするような感じは、気のせいでしょうかね」

 

 

 戦場に出るとき以外は装備を外してしまっているとはいえ、やはり艦娘として海から離れるのは何処か居心地が悪い、そんな気がしないこともない。

 もちろん自分も今は艦娘とはいえ元々は普通の女学生だったわけだが、もしかしてこれも運命づけられたことだったのかと不思議なことを考えてしまう。

 

 

「まぁ、気のせいですかね。あっ、提督! 置いていかないでください!」

 

 

 うっかり純白の軍服姿において行かれそうになり、少し小走りで急いだ。

 今日は深海棲艦との戦いの戦勝祈願だそうで、こうして山梨の奥、富士山の麓までやって来ている。

 生憎と夏の盛りであるからか富士山も真っ茶色で、あの美しい雪の傘を被った姿は見られなかった。まるで空と溶け込んでいるような、それでいて壮大で見るものを圧倒する美しさを一度この目で拝んでみたかったものだが、今の素っ気ない姿も荒々しく素朴で悪くはないように感じた。

 戦勝祈願に来た神社は富士山をお祀りする由緒正しく古い社だそうで、なんでも坂上田村麻呂や武田信玄公などにも所縁があるらしい。もっとも堂々といい加減なことを言う癖のある提督の話だから、あとでこっそり調べておかなければいけないが。

 

「今日だけでしょうか、なんだか街が騒がしいというか、浮ついているような気が‥‥」

 

 

 四方を山に囲まれたこの街は、一見とても和やかで麗らかで、まるで都会と同じ時の流れ方をしていないような、そんな感じたった。だが、もちろん初めて訪れる街なので確とは言えないが、なんとなく雰囲気が“普段のそれ”ではないように感じた。

 老若男女問わず、人が多い。富士山の麓の街ということで観光客も多いが、それだけではない。きっといつもなら家の中や店の中でのんびりしているだろうお爺さんお婆さん、小父さん小母さん達が忙しそうにあっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。

 彼らは忙しそうだが、同時にとても楽しそうだった。ワクワクしているような、そんな気がした。訓練学校時代に開校祭があったが、その準備をしている時のみんなを思い出す。

 

 

「‥‥ここですか? すごく大きくて、綺麗な木ばかりですねぇ」

 

 

 軍人らしい一直線な歩き方でドンドン前を行ってしまう提督の後に続くと、目の前に現れたのは大きな森だった。

 いや、森ではあるけれど森ではない。大きな鳥居の向こう、境内の中にたくさんの木が生え揃った、神社である。どの木も真っ直ぐ天に向かって伸びていて、そのせいだろうか、この空間だけ文字通り、神域と称するに相応しい独特の、厳かな空気に満ちていた。

 大きな鳥居の先は一直線の坂道。大きな神社らしく、階段は随分と間隔が広くて登りづらかった。なんでも馬の歩幅を基準に作っているそうで、空母という名前を冠してはいても人間サイズ‥‥というか人間そのものである私には少し面倒。

 気がつけば鳥居を潜り、暫く歩くだけで外の喧騒からは完全に隔離されて。

 辺りにはたくさんの観光客が賑やかに歩いているというのに、空気だけは変わらず厳かなまま私達を包み込んでいた。

 

 

「あれ、これなんだろう。藁の束‥‥? 何に使うものなのでしょうね、すごく大きいですけど」

 

 

 ふと振り返れば、そういえば謎の藁束がある程度の間隔を空けて転がしてあるのに気がついた。藁なんて艦艇の補修の時に木材の隙間に詰めたりするぐらいの使い方しか思いつかないけれど、これはどうやらバラして使うものではなく、この状態で使うらしい。きっちりと結索してあるし、端が切り揃えてある。

 気になって周りの知ってそうな人に聞いてみようと思っても、提督はどんどん先へ進んでしまう。これだから軍人は、と自分も軍人であることを棚にあげて、やれやれと溜息を一つ。

 色んな格好の人達が賑やかに歩き回る中でなお目立つ真っ白な背中を追って少しばかり小走りに。そして一際高めの段差を超えれば、そこには大きな門が聳え建っていた。

 門の左右にはそれぞれ、左大臣と右大臣と思しき像が据えられている。かなり古くて、色褪せていた。門は二つあって、手前の片方は補修中。少し残念であるが仕方が無い。

 

 

「ふわぁ、ここが本殿ですかぁ‥‥!」

 

 

 その古めかしい門を潜り抜けると、そこに広がっていたのは森の中に、山の中にポツンと現れた聖域。否、神域。

 天も衝かんとばかりに所狭しと聳え立っていた木々がなくなり、ぽっかりと開けた空間はまるで結界の中にいるような気分だった。真正面に鎮座する本殿(と言うのだろうか?)の両側には首が痛いほど見上げても天辺が見えない大樹が二本。看板によると、これは夫婦杉と呼ばれているのだとか。

 まったくもって誂えたかのように美しく本殿の前に並び生える巨木。その周りを縫うようにしてたくさんの人が歩き回っている。法被や羽織を着ており、忙しなくも楽しそうだ。お祭りの用意だろうか、基地解放(オープン・フリート)で出店の準備をしたときの、あの楽しさを思い出す。

 

 

「ここでお参りすれば良いんですね。え、と、二拝二拍手一礼でしたっけ」

 

 

 うむ、と提督に頷かれ、階段を上ってお参りする。今日お参りに連れて来てくれると聞いた日から、選びに選びぬいた五円玉だ。勝利に御縁がありますように、鎮守府の宿舎(四階建て)の屋上から、中庭に置いたバケツの中に投げ込み続けて運を磨いたこの子なら、きっと勝利を呼び寄せてくれるはず。

 えいっ、やぁっ、と大きく振りかぶって一投。硬貨は鋭い軌跡を描き、一直線に賽銭箱へと飛び込んだ。

 

 

「‥‥早く戦いが終わって、平和な世の中になるといいですね」

 

 

 私の小さな呟きを聞いて、無言で頷く提督。そのまま口を開くことなく、二人で歩き始めた。いつから始まったのかすら定かではない深海棲艦との長い長い戦いの一端にて運命を共にし、互いの思いは一つだった。

 そんな決して居心地の悪くない沈黙の中、表側の山門とはまた別に、横道があってそちらへと向かう。小川、というよりは水路に沿って伸びる舗装された道は、途中から山道になって下へと降りていた。

 途中、奈良でもないのに何故か存在する鹿園で妙に堂々とした鹿達を眺めたりもしたが、まぁそこまで大きい神社ではなく、すぐに小山の麓に辿り着く。

 

 

「提督? どうかしたんですか?」

 

 

 小川のせせらぎを眺める後ろで、忙しなく電話でやりとりをする提督。

 艦娘は特殊な訓練を受けた艦娘候補生である“素体”たる女学生と、工廠で造り出された武装、そして唯一無二の存在となるための旧大日本帝国海軍の艦艇の魂とが合わさって“建造”される。

 装備が複数あったとしても、同じ艦娘は二隻といない。正規空母赤城に使われる装備はいくつも予備があったとして、それでも正規空母赤城はこの自分一人だけ。もし轟沈したら、今度は同じく訓練を受けた別の候補生が装備によって艤装を施され、魂を注がれて新たな正規空母赤城として誕生する。

 だから艦娘達はあくまで“モノ”であったはずの艦艇達の記憶を持つ、不思議な存在だった。自分は携帯電話なんて、それこそ子どもの頃から慣れ親しんだ電子機器。でも今の半身、相棒たる空母赤城としては、珍しく、魔法のように先進的な謎の機械。

 艦艇の魂は、艦娘とっては自分そのものでもあり、切り離されたものでもある。上手く言い表せないけれど、二人分の感情が混ざったそれは、ものすごく不思議な感覚だった。

 

 

「‥‥お仕事、ですか? 敵はいないけど、警戒体制? 今から鎮守府に向かっても間に合わないし、指揮なら電話でも‥‥あぁ、パソコンを使って、ですか。わかりました、私のことは気にせず行ってください。適当な時間になったら、宿に向かいますから」

 

 

 どうやら鎮守府で何か非常事態があったらしい。もちろん、富士山の麓から鎮守府まで、どんなに急いだって非常事態に間に合わせることが出来るはずがない。

 でも、提督だって別に対策をしないでこんなところまで物見遊山にくるはずがなく。

 

 

「まだ非番の艦が急いで呼び戻されるような状況じゃ、ないんですよね? 私も携帯は持っていますから。何かあったらすぐにご連絡を。‥‥いってらっしゃい、提督」

 

 

 今夜の宿は軍の保養所。当然上級将校が泊まる場合を考えて、遠方からでも十分な指揮がとれる設備が用意されている。軍用直接回線を経由して、ほぼリアルタイムで機密が守られた情報のやり取りが可能。

 それに向こうには提督の副官、他の艦隊の提督、自分と同じく秘書艦としての訓練を受けた仲間もいる。

 これから戦線に復帰するために急行したところで、装備を整えるのにどれほど時間がかかることか。即応状態以外のお嬢様はお化粧に時間がかかる、というのは工廠の整備兵達の口癖だった。

 

 

「加賀さんも金剛ちゃんも、みんないるし大丈夫ですよね。私がここで心配していても仕方がないし‥‥あぁ、お腹が減りました」

 

 

 タクシーを捕まえるや否や飛び出して行ってしまった提督を見送って、ぐっと強く拳を握り吐息をつく。

 どうしようもないことで思い悩んだって、何も解決しやしない。出来ることしか出来ないのは、人間でも艦娘でも変わらない。

 ならばまぁ、とりあえずはこの満たされずに飢え苦しむお腹の面倒を見てやらねばなるまい。もしも遠方にいる自分にまで緊急収集がかかるような逼迫した事態だったなら、まともに食事をとれるのは暫く先になることだろうから。

 

 

「しかし山一つ跨いでしまったみたいですし。お食事する場所には困りそう‥‥あら、ここはもしかして」

 

 

 山一つが神社だから、商店街からは完全に裏側へ回ってしまった。少し歩かないとお店はないだろうし、どうも意識し始めると空腹は気になってばかりでいけない。

 お腹が空いたのを我慢するのは嫌いだ。我慢に我慢を重ねるのは、出来れば必要のある時だけにしたい。お腹が空いたら、その場で満たす。それが生き物の在り方というもの。

 重々しく、如何にも思慮深そうに、むぅ、と唸りながら振り返り、目の前に飛び込んだ文字に目を見開いた。

 

 

「‥‥ほうとう?」

 

 

 神社のある小山に、寄り添うように建つ一件の邸。

 周りは住宅ばかりなのに、ここだけ妙に浮いている。そんな立派な建物である。小さいながらも庭園まで備えた純和風。よくよく周りを見回せば、バスやらタクシーやらで駐車場はやけに忙しない。成る程、観光名所の近くにあるお食事処となると混むのは当然。

 しかし‥‥

 

 

「ほうとうって、なんでしょうかね」

 

 

 広島、呉の一術校で訓練を受け、今の鎮守府に着任した正規空母赤城。生憎と海育ちで山の幸には馴染みがない。まぁ呉でもお好み焼きなどに親しんでいたわけではないので、広島出身というと期待する友人は多いが、申し訳ない限りであった。

 しかし山の幸となると、やはり山菜。これは大いに興味が湧く。

 

 

「確かめねば、私の舌で」

 

 

 周りは大勢、少なくとも一人で来ている客は自分だけ。しかし決して物怖じなどしない。というか一人のご飯には慣れている。

 最近なんて休みに街に繰り出そうとしても、一緒にご飯を食べに行ってくれる子は少なくなってしまった。なんでも「え、外で赤城さんと一緒にご飯食べるのはちょっと‥‥」だそうで、自分がどう思われているのか考えると涙が零れそうだった。

 一緒にお出かけに出ることが多い提督だって、滅多にご飯は一緒にしない。そもそもあの人は常在戦場がモットーだから、ご飯なんてものは手早く適当に済ませてしまうので、自分の食事ペースとはあまり噛み合わないのも原因の一つだが。

 

 

「‥‥ごめんくださーい」

 

「はい、いらっしゃい! お一人様ですね、二階のお席にご案内しますぅ!」

 

 

 玉砂利の道を抜けて店の中に入れば、既にたくさんのお客さんでごった返していた。

 しかし広い。こんなにお客さんがいるのに、まだ十分に空いた席があるらしい。外に停まった観光バスを思い返せば、成る程、ツアー客などの来店を想定しているのかもしれない。

 二階へ上がると、簾で区分けされた席へと案内された。嗅ぎ慣れた鉄と油の匂いではなく、木の香りと山の風が心地よい。冷房も効いているのだろうけれど、穏やかな涼しさは体にも優しかった。

 

 

「あの、すいません、ほうとうっていうのは‥‥行っちゃった。まぁ、忙しそうだし仕方が無いか」

 

 

 メニューを見ると、この店のお勧めと思しき“ほうとう”が写真つきで並んでいる。どうやら煮込みうどんのような食べ物らしい。味噌味‥‥だろうか? 思ったよりも色んな種類があって、これは迷う。

 つみれ、豚肉、とにかく一つの種類の料理のはずなのに、中身は様々だ。これは悩む。あとお代金も中々。これではちょっと、お腹を満たすためとはいえ豪勢にお金を使うわけにはいかない。

 

 

「お肉、お肉にも惹かれますが、やっぱり山の幸といえば山菜。やっぱりその土地のものを食べるのが旅の醍醐味。となると‥‥」

 

 

 やはり一番大きく出ている、この茸のほうとう。

 野菜は数あれど、その殆どは畑で採れるもの。それに比べて、茸は山菜の代表というイメージが何となくある。

 昔の時代の軍隊も戦時中では他に比べると随分と良いものを食べていた“記憶”がある。けれど現代では食糧事情もよく、流石に深海棲艦の影響で輸入しなければ手に入らない食品が割高になってはきたが、まぁ国内の食材であるならば比較的潤沢に、鎮守府の食卓にも並んだ。

 しかし茸に関しては、それこそあまり良いイメージはなかった。新鮮、という言葉が上手く機能しない食品という認識が強い。新鮮なのか、良いものなのか、なんだかよく分からない。そんな食べ物だった。

 

 

「すいません」

 

「はい、ご注文ですか?」

 

「この‥‥きのこほうとうを下さい。あと、ご飯を大盛りで」

 

「かしこまりました、少々お待ちください」

 

 

 人の好さそうな女将さんに注文を伝えると、簾が降りて、途端に静かになる。もちろん密閉された空間ではないから周りの話し声や騒ぎ声は聞こえるが、実際に聞こえる音とは別に、まるで結界みたいにプライベートな空間を確保していた。

 木々のざわめきまでも、微かながらはっきりと聞こえる。待っている時間も、いつにも増して心地よい。

 

 

「―――お待たせしました、こちら茸ほうとうです。ご飯は後でお持ちしますね。お熱いので、お気をつけください」

 

 

 ‥‥瞬間、目の前に一つの小山が現れた。

 豊作のあまり湯気を発し、草木の実りで萌える小山。その正体は触れていなくても熱々に熱せられていると分かる鉄鍋である。

 木蓋を取ると、鼻の中に飛び込んでくる深い深い、そしてびっくりする程に優しい味噌の香り。思わず、わぁと歓声をあげてしまったぐらいに良い香り。

 

 

「思ってたより、随分と大盛りなんですねぇ。冷める前に―――いただきます」

 

 

 箸を取り、掌を合わせて黙礼。そして待ちきれないとばかりに手を伸ばす。

 味噌の煮汁の中に浮かんでいるのは、多種多様な山の幸の数々。茸にいんげん、かぼちゃに白菜、大根などなど‥‥。そしてその奥には真っ白なおうどんがひっそりと隠れていた。

 野菜の旨味が染み出しているからか、汁は想像したよりも随分とドロリと存在感がある。山の力がたっぷり詰まった泥の中で、うどんがパックされているような。そこまで考えて、ちょっと馬鹿らしいかなと麺を啜った。

 

 

「‥‥! おいしい、すごく優しい味噌の味がする。舌に染み込んじゃうぐらい自然で、すっごく穏やか」

 

 

 うどんはよく煮込んであるのか、煮込み過ぎには達していない柔らかさでとても美味しい。うどんは硬めの方が食べ応えがあるという持論だが、成る程、この味付けだと硬くてはうどんばかりに食感を奪われてしまうのか。

 味噌はいつぞや食べたラーメンと同じ濃厚な味付けかと思いきや、意外にも薄いとすら思うぐらいの優しいものだ。薄いからといって物足りないわけでは断じてない。むしろ柔らかい後味が口の中の隅々まで行き渡って、まるで撫でるかのように嗅覚に主張する香りが実に見事だ。

 

 

「この汁だけでも、いくらでも飲めてしまいそうな‥‥。はっ、いけない、お野菜の面倒も見てあげないといけませんね」

 

 

 食事はバランス、ご飯とお汁とおかずとバランスよく、と口ずさみながら、先ずは堂々としたエリンギを汁の中から取り上げる。

 かなり分厚い。立派な肉厚だ。はむ、と口の中へと導き、ぎゅっと噛みしめる。驚くほどに頼もしい噛み応え! まるで肉を食べているかのような感触に、むぅと唸った。

 

 

「茸って、すっごく立派なお野菜だったんですね。そうですよね、山の力を直接もらってるんですものね」

 

 

 ホカホカと湯気をあげる椎茸に顔を近づけてみれば、ほんの少しだけ土の香り。でも決して不快じゃない。むしろ食欲をそそる。エノキ、しめじ、舞茸とキノコのオンパレードだ。口に入れた端から全身に大地の力が回って、もう今すぐにだってイ級ぐらいの駆逐艦なら握りつぶしてしまえそう。

 他のお野菜は畑で採れる。けど茸は畑じゃなくて、山から生える野菜。だからかな、こんなに力を感じる。直接山の力をもらった茸から、その力を分けて貰っているような気分だ。

 

 

「このインゲンも、また違う歯応えで素敵ですね。それにカボチャ。最初はどうかと思ったけど、いい意味で存在感がある。味噌の味にもぴったり合うし、栄養たっぷりですね。飽きさせない鍋って良いなぁ」

 

 

 むしろおうどんよりもお野菜の方がよく進む、奇妙な体験。淡白な味噌だからこそ、どんな野菜でも仲間に入れるのだろう。それを纏め上げる旗艦たるうどんも含めて、山の上なのに随分と精鋭の一個艦隊だ。

 煮込み料理だから量も作れるし、もしかしたら鎮守府の食堂でも採用してくれるかもしれない。寮に戻ったら食堂のオバチャンに相談してみるのもいいかも。

 

 

「お待たせしました、こちら大盛りご飯ですー」

 

「あ、ありがとうございます。待ってました‥‥!」

 

 

 こちらもまた別の山の恵み。真っ白く輝くご飯に、たっぷり味噌が染み込んだ白菜を乗っけて、少しだけ間を空け、口へと運ぶ。

 きゅっと口を締める力を強くすれば、たちまち溢れ出す旨味! 溢れた汁が更にご飯に染み込み、ゆっくりと味わい、飲み込んだ。

 おうどんですら吸い込みきれなかった旨味も、こうやってご飯で余すところなく味わうことが出来る。余ってしまった汁は言わずもがな、飲み干すことに何の躊躇いもあるものか。

 

 

「―――御馳走様でした」

 

 

 気がついたら、ぺろりと鉄鍋の中身をすべて平らげてしまっていた。ものすごく充実した食事だった。心なしか頭の中がキラキラしている気がする。全身に山の恵みが行き渡り、力が漲っている。

 今からでも緊急出動があったって、空の上を走って海まで行けそうだ。まぁ、流石にそれは冗談ではあるけれど。

 

 

「‥‥提督? はい、赤城です。そちらは‥‥特に問題はなさそう、ですか。いえ、残念そうだなんてそんな、安心しました。戦いなんて、本当ははない方がいいんですから」

 

 

 お会計を済ませて、外に出ると提督からの電話があった。

 警戒体制は解除されて、とりあえず私達が急いで戻る必要はないらしい。今晩はゆっくりできるぞと、少し嬉しそうだった。きっとお酒が飲みたいだけだろう。

 私は‥‥身体中に力が満ち満ちているので、やる気を少し削がれた気分。でも提督に言ったとおり、本当なら戦いなんてないのが一番なのだ。

 

 

「じゃあ私はどうしましょう、宿に戻りますか? ‥‥え、街に行く? お祭りがあるんですか? 有名な‥‥火祭り? いいですね、行きましょう!」

 

 

 ああ、やっぱりこの喧騒はお祭りのためだったのか。なんでもさっき寄った神社は年に一度、日本でも五本の指に入るという荘厳な火祭りがあるのだとか。

 それは凄く楽しみだ。きっとお祭りなら、今よりもたくさん人が増えて、きっと屋台も出るに違いない。

 屋台の料理は不思議と人を惹きつける。少し遅いお昼ご飯を食べた後ではあるけれど、たこ焼きに林檎飴、焼きそばに綿飴、串焼き、チョコバナナ‥‥とにかく楽しみだ。

 

 

「これはお土産をしっかり用意しないと、加賀さん達に恨まれてしまいそうですね‥‥」

 

 

 この辺りのお土産とはなんだろうか。ほうとうを持って帰るわけにはいかないし‥‥。

 そんなことを考えながら提督が迎えに来てくれる場所へと歩き出す。

 空を見上げれば、お祭りの賑やかさを告げる花火が、昼間だというのに打ち上がっていた。

 どんな苦境の時にあっても、変わらず元気なこの山の里の力強さを私に教えてくれているように。

 

 

 

 

 




Q.3-2突破できた?
A.心臓に悪いから控えてる

Q.学会終わったん?
A.しんどかった (´・ω・`)

Q.未来福音は観た?
A.最高だった!



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東京都新宿区西新宿のメンチセット

美味しいものを食べるペースに執筆が追いつかない悲劇。あと取材費がピンチ。
4-2突破しましたが4-3が羅針盤に裏切られ続けて、ついでに3-2が提督の心臓を脅かす日々。



 

 

 

「これは‥‥すごいですね。女の子が戦闘機みたいに空を飛んで怪物と戦うなんて‥‥最近こういうの増えてきたような、そんな気がするんですが」

 

 

 鳴り響く流行りの歌。壁に張られた女の子が映っている沢山のポスター。購入を促す工夫を凝らした色んなポップ。

 一応、本屋。多分だけど本屋。近くのお店の人に本屋と聞いて教えてもらったから、本屋。本と言っても見たこともない漫画や、見たこともない小説のようなものばかりで違和感を覚える。他にもアニメのDVDや、よくわからないCDなども売っていて、奥のコーナーはどうやら私では入れない。

 本屋というともっと静かで落ち着いた雰囲気を想像していただけに、ちょっと面食らってしまう。ただ、それこそ若者向けというのか、ポップで賑やかな店内というのも決して悪くはないと思った。

 

 

「‥‥知ってる機体が出てこないのが寂しいところですね。あぁでもコレって敵は戦闘機の深海棲艦版みたいなものですから、艦戦とか陸戦ばっかりがモチーフなんでしょうね」

 

 

 ぱらり、とページを捲る。本来は本屋での立ち読みなんて迷惑行為の筆頭なのだろうけれど、この本には見本の帯がついていて、自由に立ち読みが出来るもの。

 頁の上では自分たち艦娘と近い年頃の女の子たちが、第二次大戦期の戦闘機を模したロケットみたいなものを脚に履いて空を飛び回っている。艦娘と同じコンセプト、というわけではなくて、実際のあの時代の並行世界を舞台にしているんだとか。

 自分たちと似た境遇に、親近感が湧く。とはいっても彼女たちは戦闘機そのものではなくて、実在した過去のエース達がモデルらしいけれど。

 

 

「そういえば戦車が出てくるアニメーションもあるらしいですね。陸空とこうやって娯楽の世界に進出してると、まさか深海棲艦みたいな化け物が他にも現れやしないか、なんて‥‥考えすぎ、かな」

 

 

 まぁ旧帝国軍には陸軍と空軍しかなかったけれど、昔の伝統を色濃く残す海上自衛隊では一部では似たような話が起きている、という噂を聞いたことがある。曰く、海に化け物が出たんだから、空からも陸からも現れたっておかしくない、と。

 もちろん今のところ、そんな情報は鎮守府にも入ってきていない。予兆すらない。だから巷の与太話ではあるけれど、成る程、こんな娯楽漫画が出回っていると不思議な信憑性を帯びてくるような‥‥。

 

 

「いや、考え過ぎよ正規空母赤城。だいたい、深海棲艦だけでも手に負えないっていうのに、またぞろ化け物が湧いて出て来たんじゃ困っちゃいますものね」

 

 

 ぱたん、と頁を閉じて棚へと戻す。“自由に読んでください”と置いてある見本とはいえ、読んで興味を持ってもらって、買ってもらうためにある。となると興味が湧いたのなら、やっぱり買って帰らなければならないだろう。

 他にも小説にしたものや、CDなどもあるらしく、この漫画を一通り読み終わったらそちらにも手を出してみようか。元々はアニメーションが原作らしいから、少し子どもっぽいけど、童心に帰ってみるのも悪くない。‥‥それにしても子ども向けにしては随分と難しい。最近の子どもは大人なのだなぁ。

 

 

「すみません、お会計お願いします」

 

「あ、はい、かしこまりました! ‥‥失礼ですが、正規空母の赤城さんでは?」

 

「え? ‥‥はい、そうですけど」

 

「やっぱりそうでしたか! いつも貴女のご活躍、応援してます。どうぞ頑張ってください!!」

 

 

 本を持ってレジスターへと向かい、お金を払おうと財布を出すと、とても事務的ではない問いかけ。

 見れば年若い女性の店員が、キラキラした瞳でこちらを見ていた。チラと周りを伺えば、何人かの視線も感じる。今の自分は少し涼しくなってきたから、浴衣ではなく袴を履いている。もちろん艦娘の装備ではないけれど、なるほど、よく知っている人なら見分けられてしまってもおかしくない。

 

 

「あ、ありがとうございます‥‥」

 

 

 旧日本海軍の艦艇にも熱烈なファンがいるように。現海上自衛隊の保有艦艇にも熱烈なファンがいるように。艦娘にも同じく、熱烈なファンは多かった。

 艦娘以外の通常兵器では有効な対策がとれず、主に輸入のための航路に出没し貿易を阻害。国民の生活に深刻なダメージを与えている現代の海魔(クラーケン)たる深海棲艦。直接目にしたことはなくても、その脅威は皆よく知っている。何せ今まで当たり前に買えていたものが買えなくなってしまったのだ、直接自分たちの生活に関係しているのだから、子どもですら知っていた。

 そんな深海棲艦、未知の化け物と戦う新兵器。正確に言えば新兵器に乗り込む唯一無二のパイロットのようなもの。人気にならないはずがない。

 まるでアイドルのようにプロマイドは出回り、グッズも売れている。あまりにも出撃や遠征、任務が多いため中々時間はとれないが、基地祭や広報などでも大活躍だ。流石に素顔で装備もなければ早々見つかりはしないだろうけれど、今回ばかりは場所が悪すぎたようである。

 強請られる侭に慣れないサインなど書いて、最後は旧軍よろしく万歳三唱で見送られる始末。

 

 

「‥‥はぁ、なんだかものすごく疲れてしまいました。最近はなかったから、油断しちゃいましたね」

 

 

 秘書艦としての教育課程を修了している自分は、提督と一緒に行動することが多く何かと忙しい。最近、鎮守府では広報室を担当している軽巡洋艦の那珂がイベントなどに出ているとかで、爆発的な人気があると聞く。

 しかし写真や動画がインターネットで出回る現代では公式行事に出動した時の画像データなども恐ろしい勢いで流出するものだ。たまにドキュメンタリーなんかもやるし、メディアへの露出度を比べたらあまり変わらないかもしれない。

 

 

「なんていうか、こういうの軍機扱いに出来ないのでしょうか」

 

 

 多分、無理。プライベートは十分にあるはずなので、こういうのも有名税の一部だろう。

 それに艦娘というのは基本的にエリートの軍人だ。そんじょそこらの国立大の学生も顔負けの頭脳に、装備を保持し、運用するための鍛え上げられた肉体。深海棲艦との白兵戦もこなせる格闘能力。ついでに生半可な薬物にも耐性があるし、たとえば不埒な真似を働く輩がいたとしても、徒党を組んだって相手になるまい。

 

 

「気疲れのせいですかね、どうもお腹が減って‥‥。そうだ、ご飯にしましょうか」

 

 

 新宿の街は忙しない。そのせいか昼時はどこを眺めても大入り満員で、行列すら出来ている店も多かった。そしてそうでないお店は、正直どこに入ったらいいか分からないという始末。そういうわけで珍しくお昼ごはんを後回しにしたわけだけれど、ツケは大きい。

 艦娘は度重なる出撃に過酷なトレーニング、装備運用のための演算による脳の酷使と、とにかくオーバーワークな毎日を過ごしている。必然、摂取しなければならないカロリーも普通の女学生に比べれば多いというのが赤城をはじめとする比較的に大食艦たちの意見だった。実際思うのだが、燃費がよいというか腹持ちが悪いというか、エネルギーを摂取した端から使ってしまうのですぐにお腹が減ってしまう。

 もちろんそれは個々人の主観によるものだろうけれど、少なくとも赤城自身について言えばとにかく食べても食べてもすぐに空腹になってしまうのだ。ただ、軍人であるから我慢は出来る。ちゃんと待てる子、欲しがりません勝つまでは。ちょっと目つきが悪くなったり、物騒な言葉が増えたりするだけで。

 

 

「さて、となると何処にしましょうかね。なんだか居酒屋とかチェーン店ばっかりで気に入ったところが見つからなくて、残念です‥‥」

 

 

 新宿の街はゴミゴミしていて、活気がある分だけお目当てのお店を探しにくい。目に付くのは見慣れた牛丼屋やうどん屋、チェーンの居酒屋が昼にやっているランチなど、少なくともお出かけした時のお昼ご飯としては物足りなかった。

 本来ならば即応状態が求められる艦娘としては、鎮守府から外出するというのは結構なイベントで。

 だとすると適当に食事を済ませるわけにはいかない。食事というのは一日に三回しかない、人間の活力を得る大事な儀式なのだから。

 

 

「‥‥あら、ここはさっきすごく混んでたお店。今は随分と空いてるみたいですね、行列がありません。やっぱりお昼時を過ぎてしまったからかしら」

 

 

 ぶらりぶらりとお眼鏡に適わない店を通り過ぎては溜息をついて、なんとなく遊び心で入り込んだ路地裏で見つけた、一つのお店。

 お店といっても中が見えない。狭い階段の先、二階にあって、看板とメニューだけが通りかかる人の目に入る。かなり地味で、しかし先程ここを通りかかった時には階段の周り、隣の店の前まで長い長い行列が並んでいたのが印象的だった。

 なお、あまりの行列から食事処であること以外は何も情報が得られなかったので、その時は気にしながらも立ち去ったのだが‥‥。こうして空いているのを見てしまうと、ムクムクと好奇心が湧いてくる。

 

 

「ふむ、ふむふむ、ここはとんかつのお店ですか」

 

 

 あの時は行列ばかりに目がいっていたけれど、よく見れば階段の真上に堂々とトンカツのお店であることを表す看板、そして幟。壁にはわかりやすく写真付きで―――色褪せた年代物である―――お品書きが載せてあり、これは中々“美味しそうな”匂いがする。

 色鮮やかな、それこそ本当に目の前に料理があるようなメニューより、お店の雰囲気にあったこのようなレトロなメニューや、あるいは昔ながらのショーケースに飾られた食品サンプルに心惹かれてしまう。年月を経たものに惹かれるのは大戦期の記憶のせいだろうか。

 

 

「お値段は程々‥‥ふむ、悪くない。何よりアノ行列が何を理由としたものなのか、私、気になります。ここは一つ、入ってみますか!」

 

 

 カツン、カツンと下駄とリノリウムの階段が音を立てる。結構、急な階段。袴だからまだ良いけど、もし浴衣なら登るのにも苦労したかもしれない。登りきると入口の反対側にはうず高く積まれたソースの缶。これほどの量を常に用意しておかなければならないぐらい人気のお店なのだ。

 階段も入り口も狭いけど、さっきまではここにむくつけき男達がたくさん並んでいたことを考えると、それほどまでにして食べたい昼食に対して期待を抑えられなかった。

 

 

「いらっしゃいませ! お一人様? ご注文はお決まりですか?」

 

「注文‥‥ですか?」

 

「はいー。そちらのメニューから選んで頂いて、先にご注文もらってるんですよー」

 

「成る程、わかりました。ごめんなさい、ちょっと待ってもらえますか?」

 

「大丈夫ですよ、お構いなくー」

 

 

 元気なお姉さんに促され、階段の側面に据えられたメニューを眺める。

 やっぱりトンカツが基本のお店のようで、揚げ物の定食がズラリと並ぶ。看板メニューのとんかつ、串カツ、メンチカツ。イカフライやアジフライもある。

 揚げ物オンリーではあるけれど、種類はいっぱいで悩んでしまう。スタンダードにとんかつを選ぶのもいいけれど、その横にある、少しお値段がお安い紙のようなカツというのも気になった。おかず係数を比較するとマヨネーズたっぷりのアジフライも捨てがたいけど、イカフライのボリュームも魅力的。

 というかご飯お代わり自由じゃありませんか! 白飯(シロメシ)ですよ、白飯! これは満足できそうですね!

 

 

「‥‥メンチカツと串カツの定食で、お願いします!」

 

「かしこまりました、ではどうぞこちらへ」

 

 

 本当ならお魚とお肉という組み合わせの方がバランスがとれていたかもしれないけれど、ここは欲望に素直に従っておかず係数が程々の組み合わせを選択。案内されるがままに席につく。

 カウンター席などはなく、今は空いているのかテーブルに通された。テーブルも椅子も少し小さめに作ってあって、なんとなく可愛らしい。自分などはそこまで大柄な方じゃないけれど、会ったことはないが噂の戦艦長門さんや陸奥さんならば、さぞや窮屈だったことだろう。

 

 

(新宿のビル街の中なのに、随分と風情のあるお店ですね‥‥)

 

 

 老舗なのだろう。それこそ料亭ほどの風情はないが、とてもビル街の中にあるとは思えない落ち着いた雰囲気が漂ったお店だ。

 茶色い壁に年月を感じさせる渋い色合いの机と椅子。そして赤いクッションが調和している。やはり小さなビルの二階という立地からか、そんなに広くはない。四人掛けのテーブルが10ぐらいだろうか。ざっと眺めた限りだけど、あの行列は人気と共に店の狭さも示していたらしい。

 一応障子窓になっていたり、そこかしこに置かれたさりげない置物とか、細かいところに心配りが見える。近代的なオフィスを戦場に日本を支えるビジネスマン達が癒されるオアシスなのかもしれない。

 

 

「お茶とお漬物、先にお出ししますね。もう少しお待ちください」

 

 

 少しだけ涼しくなってきたからか、お冷やよりもお茶の方がありがたい。少しだけ啜ってお腹をおちつけ、割りばしをとって漬物をつつく。

 赤黒くて細切れになった‥‥きゅうり? しその実の漬物に似ている。ちょっと食べづらいけれど、しょっぱくてお茶請けには丁度良い。味噌をついばむみたいに少しずつ箸でつまんでいると、驚いたことにすぐに先ほどのお姉さんがやってきた。

 

 

「お待たせしました! こちらメンチセット定食です!」

 

「は、早かったですね‥‥?」

 

 

 繁盛する時間だから下拵えを十分にしていたのだろうか、予想したより随分と早い。揚げ物、特にトンカツは時間がかかるとばかり思っていたけれど、これは良い誤算。

 食事を楽しむためには色んなマナーや条件をクリアーしないといけない。綺麗に美しく食べるのは勿論、食事に対する敬意が必要だ。

 待てないのは躾のなっていない狗。狼は飢えていても誇り高い。ちゃんと待てる。待つ時間も楽しめる。けれどまぁ、待たなくて済むならそれに越したこともないんだけれど。

 

 

『メンチセット』

 →少し小ぶりなメンチカツと串カツのコンビ。ズッシリしていて食べごたえ十分。

 

『ごはん』

 →柔らかめに炊かれた白飯。ホッカホカ。

 

『豚汁』

 →肉は切れ端だけ。出汁で勝負。

 

 

 ‥‥全体的に、思った程ボリュームはない。こじんまりとしている、というよりはスマートに纏まっていると言うべきか。

 よくよく考えてみれば大盛りが目玉のお店ばかりあるわけでもないし、働き盛りのサラリーマンとはいえ軍人ほどは食べないはず。艦娘は駆逐艦であっても一般人に比べれば食べる方だから、普段の鎮守府の食堂と比較するのはおかしなことだ。

 

 

「まぁ別に、ごはんはお代わり出来るわけですからね。失礼なことを考えてはダメよ赤城。―――いただきます」

 

 

 ちょっとフライングスタートで漬物を突いてしまった箸を再び手に取り、黙礼。いざ得物を伸ばす。

 最初の一口だけは何もつけずにそのままで。先ずはメンチカツから。スーパーのお惣菜コーナーなどで見慣れた薄っぺらいものではなく、ずっしりと丸みのついたフォルムが食欲をそそる。ハンバーグとかでも言えることだけど、この厚みというのは食べ物の価値を定める大事な基準の一つだ。

 予想した通り、持ち上げてみると小さめのサイズとは裏腹に感じる重み。期待のままに、ぱくりとささやかな一口‥‥。

 

 

「ッ! うん、美味しい! これぞお肉っていうお肉の風味があって、しっかり下拵えがしてあるからソースをつけなくても、驚きのおかず係数です!」

 

 

 期待通りの重厚な食感に漏れる、歓喜の声。普通のトンカツよりもメンチカツの方が肉の旨味が凝縮されている。

 噛みしめれば口の中にジューシーな肉汁が広がる。しかも柔らかくて、ほぐれるように。普通のお肉ではこうはいかない。料理人の仕事が生きている料理だ。

 せっかくだしソースをかけよう。辛口たれと、秘伝のたれとある。きっと敢えて辛口と書いてあるんだから、この秘伝のたれは甘口に近いものだろう。メンチカツに濃厚な甘口ソース‥‥堪りません! 思わずごはんを思いっきり、かつ上品にかっ込む。

 このソース、というよりはタレが白飯には欠かせない。このタレと和芥子だけで何杯でもお代わり出来てしまう。

 

 

「辛口ソオスと半々でかけちゃいましょうね。‥‥ええい、もう思い切って串カツにもかけちゃえ! やっぱりソオスはご飯のオトモですよね! 思わずニャアなんて声が出ちゃいますよ」

 

 

 本当なら串カツも最初はソースなしで味わうつもりだったけれど、もうこうなってはお上品に我慢なんて出来やしない。

 今度は辛口ソースを串カツに半分ぐらいまでたっぷりかけて、口の周りを汚さないように、串を手にとって一口。

 

 

「むぅん、ずっしりメンチカツとも違って、こっちはお肉本来の噛み応えが気持ちいいですねぇ。

 それにこの、ポロリと頼りなく分解する感じ。串カツって不思議と食べすぎちゃうのってコレのせいですよ、絶対」

 

 

 串カツは一口サイズの豚肉と、ネギか交互に串に刺さっている。だからメンチカツのように器用に少しずつ食べるというのが難しくて、思わずかぶりついてしまいがちだ。

 しかし今それをやってしまうと白飯のおかずがなくなってしまう。それは困る。仕方なく、こちらもまた器用に一口サイズの豚肉を半口まで分解する。

 

 

「あ、このお店は玉ネギじゃなくて長ネギなんですね。なんだか新鮮だなぁ」

 

 

 串カツといえばホクホクのタマネギ。しかし長ネギは更に和風の趣が増す。繊維がタマネギよりも密集しているからか、噛み応えも少し違う。

 タレをたっぷりつけてやって、ご飯の上にのっけてタレを染みこませ、白飯と一緒に食べれば幸福のままに笑顔が零れる。ソースの奥から熱々に熱せられた野菜の汁も溢れてきて、また一口ご飯を放り込んだ。

 長ネギの方が玉ねぎよりも汁を含んでいるのだろうか。それとも揚げている時に豚肉の肉汁を吸い込んだのだろうか。これも中々、悪くない。独特の汁気はまるで海の中に潜む潜水艦、とは言い過ぎだろうか。

 

 

「‥‥うん? この豚汁、お肉が入ってないんですね。あー、でもよく考えてみればトンカツに豚汁だと豚と豚で豚がかぶってしまいますものね」

 

 

 箸休めに口をつけた豚汁。そんなに大きな器ではない。そして何より気になったのは、豚汁なのに肉が欠片ぐらいしか浮かんでいない。

 普通に考えれば客を馬鹿にしているようなものだけれど、一口啜ってみれば、うん、成程、これは悪くない。むしろ良い。豚の出汁がしっかり効いているから、文句なしという程に肉の味が主張する。舌全体、口全体でお肉を味わっているかのようだ。

 

 

「おっきなお肉が入ってる豚汁もいいですけど、これも風情がありますね。すごい満足感」

 

 

 むしろトンカツという重いおかずがあるからこそ、サイドメニューまで重くあってはバランスが悪い。もっとも例えばこの豚汁がたっぷりのお肉が入ったものだったとしても、しっかり美味しくおかずの一つとして頂いてしまうのだろうが。

 そんな年頃の乙女としては少々はしたないことを考えながらも箸は止まらず、しっかりとおかずを残したまま白飯とお味噌汁を完食。

 

 

「失礼します、ご飯と豚汁のお代わりはいかがですか?」

 

「あ、はい、ありがとうございます。じゃあお願いします」

 

「少なめでよろしいですか?」

 

「‥‥あの、その、大盛りで」

 

「はい、かしこまりました」

 

 

 ほんの少しだけ目を見開いて、苦笑されたことが恥ずかしくて耳まで真っ赤になる。流石に鎮守府の外で胸を張って大食艦を名乗れる程に開き直ってはいないし、もしそうなったら残ったお淑やかさの最後の一欠片までも日本海溝に投げ捨ててしまうのと同義だろう。

 何処か慈しみに満ちた笑顔でお代わりを持ってきてくれたお姉さんの顔を見ることも出来ず、俯いたまま千切りキャベツにかけると思しきドレッシングを手に取った。普段は大盛りご飯を頼んでも平然としているのに、何故だろう、年齢が近いからか恥ずかしかった。

 

 

「‥‥チリソオス? なんでまた、トンカツ屋さんなのにドレッシングがチリソオスなんですかコレは。いや、まぁ別に悪くはないんですけど‥‥ちょっとこう、辛いですねぇ」

 

 

 ドレッシングの代わりに置いてあるのはスイートチリソース。辛くて甘い、というあまり経験のない味が新鮮だ。これ自体もそうだけれど、これをとんかつのたれに合わせるというのも中々珍しい。

 しかし合わせて食べてみれば以外にも、単体ではくどくなるチリソースの甘さが程よく打ち消され、辛さもたれに加える良いスパイスだ。

 トンカツと一緒に食べるのも良いが、たれとチリソースをブレンドしてやると当然ながら千切りキャベツもおかずとして立ってくる。大事に食べているカツと相まって、ご飯の進むこと進むこと。

 

 

「お代わり、いかがですか?」

 

「‥‥お願いします」

 

 

 恥ずかしくはあるけれど、やっぱり自分のお腹には正直になるしかなかった。

 しっかりと千切りキャベツを食べ尽くし、最後は残しておいたメンチカツの端っこでお皿にへばりついてしまった、ソースをたっぷり含んだキャベツを回収してお米に乗せ、一気に頂く。なんでだろう、この最後の一口がたまらなく幸せだ。

 

 

「―――ごちそうさまでした」

 

 

 もう一度お代わりした豚汁を啜り、ふぅと吐息をつく。食事の〆には温かいお茶、あるいは汁物。腹八分目まで食べて、温かいものをゆっくりと啜ることで丁度よいお腹の落ち着き具合を得ることが出来るのだ。

 そう考えるとこの豚汁は最高。ただでさえ濃い豚の香りと味が、満足感を何倍にも高めてくれる。豚と豚という重い組み合わせを、少し外した妙技と言えよう。芳醇な香りを鼻に通せば、脳まで直接落ち着けてくれるような気がした。

 

 

「ありがとうございました、またいらっしゃいませー!」

 

 

 元気のよい声に見送られて階段を下りる。ちょっと濃い味のものを食べすぎたからお口の匂いが心配だけど、少なくとも向こう半刻ほどはこの余韻を味わっていたい。無粋な真似はするべきではないだろう。

 午後になって今度はサラリーマン以外の姿も多くなってきた新宿の街をゆっくりと歩き、休みを満喫する。お腹がいっぱいになったからこその余裕。そして幸せな気持ち。やっぱりお外での食事は楽しみの一つだった。

 

 

「‥‥もしもし。あぁ、加賀さんですか。今どちらに? 品川ですか? これから上野まで行ってショッピングですか。私も一緒に行きます! はい、上野駅で待ち合わせしましょう!」

 

 

 官用のものとは別の、プライベートな携帯電話にかかる加賀さんからの電話。

 今日は五航戦の二人と一緒に東京までショッピングに来ているのだとか。加賀さんは普段から五航戦とをライバル視しているわりに、オフの時は正規空母仲間としてなんだかんだ仲が良い。

 二航戦の二人は他の鎮守府に配属されてしまったから、余計仲間意識が強いのだろう。かく言う私も、また同じ。せっかくだから合流しましょうか。

 

 

「確か上野駅にはケーキが食べ放題のお店がありましたね。みんな甘いものが大好きですし、誘ってみるのも良いですね!」

 

 

 一人で食べるご飯も良いけれど、みんなで食べるご飯も美味しい。仲良く楽しく美味しいご飯を食べるのは、とても良いことだ。

 上野の散策を楽しみにしながら、切符を買って電車に乗り込む。

 艦娘達の休暇を邪魔することを恐れたのだろうか。幸い、その日は鎮守府からの緊急招集がかかることはなかったのであった。

 

 

 

 

 




Q.オフ会やったらしいじゃん?
A.ハーメルン上位ランカー、理想郷古参揃いのオフ会でした凄かった。

Q.学生は勉学が本分じゃん?
A.あ、はい、すいません。

Q.今年の内に論文三つも書かなきゃいけないらしいじゃん?
A.あ、はい、その通りです。

Q.しかもそのうち一つは英語じゃん?
A.Fuckin shit! Hung your mouth!


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東京都千代田区外神田の人気セット

イベントも始まり艦これ人気も絶頂! 次々に新規サーバが稼働する中、運営鎮守府様の奮戦に頭の下がる思いです。
我々も大本営に少しでも助力すべく、盛り上げていきましょう! 先ずはそう、E-2突破!!


 

 

 

 

 秋葉原。

 多くの人はこの街の名前を聞いて、どんな印象があるだろうか。

 東京郊外のベッドタウンとの接続駅でもあり、多くの在来線が交差する街は日々たくさんの人々が通り過ぎて行き、一度駅から街へと一歩踏み出せば、他の街にはない独特の雰囲気に包まれることだろう。

 所狭しと並ぶ様々な電気部品を扱う専門店。もう十年単位で何も変わっていないのではないかという程に古臭く親しみの涌く店構えから視線を移せば、今度はビルの上に堂々と鎮座まします現実味のない女の子の絵姿。そして道路にはあちらこちらに何故か客引きをしているメイドの姿。

 過去には電気の街として名を馳せた此処も、今ではアニメ・オタクの聖地という新たな側面を持つに至り、賑わっていた。

 

 

「う、恨みますよ提督‥‥! あぁ、まだ誰かに見られている気がする‥‥!」

 

 

 観光に来た外国からの旅行客。何かのイベントへと訪れているらしき、いまいち冴えない風体の若者。そしてサラリーマンや、専門の技術者と思しきオジサマ方。そんな中に、街の特色から言うと明らかに浮くとは言い難い一人の袴姿の少女。

 淡い桜色の着物に真紅の袴。長い黒髪を少女らしいリボンでポニーテールにし、何故か用途の不明な指抜きの手袋。何かのポスターを腰に差し、凛々しい姿とは裏腹に今にも泣き出しそうな困り顔。

 まるで守るように、あるいは隠すかのように紙袋を懐に抱いているのだが、いくら袖が長いといって隠しきれず、所謂『萌え萌え〜♪』な装飾というかデザインというか、彼女の様子から察するにものすごく恥ずかしいものが覗いてしまっていた。

 

 

「いくら私が秘書艦だからって、いつもお世話になってる提督の頼みごとだからホイホイ聞いてしまったからって、年頃の女の子にこんなもの取りに行かせますか普通?!

 お休み貰えたのは嬉しいですけど、周りは怪しげな男の人ばっかりだし、写真は撮られるし、さっきはお巡りさんに職務質問されちゃいますし、恥ずかしくて顔から火が出るかと‥‥!」

 

 

 敬愛し、信頼する提督からの珍しい本気で真剣な頼みごと。

 完全に私的なものだけど、どうしても頼みたい、これをしくじってしまうと死んでも死にきれない、色々と礼もするからと必死に頭を下げた提督は何を思ってこんなものを買いに行かせたのだろうか。

 こんな、こんな恥ずかしい買い物、とてもじゃないけど提督の頼みであってもあんまりだ。

 

 

「お、女の子とイ、イチャイチャするゲームだなんて‥‥! 艦娘と共に軍務に就く者とは思えません! いかがわしい! 破廉恥! 最低です! 見損ないました!」

 

 

 朝早い電車に揺られ、開店前から列に並び。君にしか頼めない任務(クエスト)なんだと送り出されて購入したものが‥‥所謂ギャルゲー。

 当然ながら列には女子なんて殆どいなかった。何人かいたような気はするけど、自分とは明らかに違う匂いがした。そして不躾にも写真を撮られるし、あまつさえ盗撮はおろか「すいません、ちょっとポーズとって頂けませんか?」などと頼まれる始末。

 お礼にと朝食代わりだったのだろう菓子パンやジュースや、腰に差しているポスターをくれたから親切で善良な人達だったのだろうけれど、こちらは混乱しっ放しである。まさか艦娘と気づかれていたわけでもあるまいし、どうして少し奇抜な袴姿にここまで執着されるのかと。

 

 

「提督から『お礼だから是非とも明日はこれを着ていってくれ』って言われたコレ、まさかコスプレだったなんて‥‥!」

 

 

 確かにちょっと奇抜な着物ではあった。普段着のような仕立てなのに、色合いは成人式で使うのかというぐらいに派手。淡い桜色とはいっても、深紅の袴とのセットだとかなり目立つ。そして何より謎の手袋と普段は全く使わないリボン。完全に騙された。

 お巡りさんから職務質問をされなかったら、鎮守府に帰るまで徹頭徹尾気がつかなかったことだろう。お巡りさんも苦笑いしていた。むしろこの服がコスプレだと分かったお巡りさんも心配だ。とりあえず提督はお仕置き決定である。このゲームを遊んでる最中に電源引っこ抜いて差し上げます。

 

 

「球磨さんとかがコレを見たらと思うと‥‥少し心配ですね。紙袋とか欲しいなぁ。提督のお使いだって言い訳しても顛末が怖いわ。あの人、ああ見えてものすごく風紀に厳しいですし」

 

 

 自らの半身、前世のような存在である旧日本帝国海軍艦船の影響なのか、艦娘はどちらかというと酷く時代錯誤な価値観に影響されている。ものすごく誤解されそうな言い方をすると、憧れのアーティストをリスペクトして真夜中に盗んだバイクで走り出してしまう中学生のような感じ。

 例えば私も、候補生時代に比べると随分しっかりした、堅物になったなんて除隊した友達に言われたことがある。球磨さんみたいに右の方向に全速力で突っ走る人は流石に珍しいけど、那智先輩みたいな人は普通の部類。悪い方向だと扶桑先輩や山城先輩みたいに艦船の魂の遍歴の影響でダウナーな性格になってしまった場合もあって。

 それを艦娘に対する精神の侵略、人権侵害だと問題にする人達もいるけれど、自分が見る限り艦娘の中にそれを嫌がる子はいないように思えた。魂を受け入れた最初の内は混乱もするけれど、次第に大事に感じるようになっていく。唯一無二の相棒なのだ、当然だろう。

 

 

「扶桑先輩達はある意味スタンダードに悪影響受けてますけど、たまに大井さんみたいに適合症こじらせちゃう人もいますしね。もしかしたら十年後、二十年後には艦娘の在り方も変わっているのかも―――」

 

「あら、赤城さん」

 

「‥‥え?」

 

 

 同じ鎮守府で色んな騒動を巻き起こしている同僚のことを思い出しながら歩いていると、前方から聞こえた馴染みのある声。

 うっすらと品の良いお化粧。しっかり手入れされた、ふわりと柔らかそうな髪の毛。綺麗なお菓子か雲の切れ端しか摘まんでいないのではないかと思うぐらい繊細で白い指先。

 ―――重雷装巡洋艦大井。正確には、大井改二。鎮守府でも第一艦隊の所属として数々の海域へと共に出撃したエースである。

 

 

「大井さん‥‥どうして此処に?」

 

「そういう赤城さんこそ。私はホラ、非番ですから買い物に」

 

「買い物?」

 

「え、あ、いや、ちょっとプライベートなモノなんで、ほほ、おほほほ」

 

 

 いつも同じ重雷装巡洋艦仲間の北上さんと一緒にいるからか、あまり見かけない可愛らしい私服の後ろへと何かを隠す。駅の方から来たみたいだけど、あの辺りには大井さんの好みのお店はあっただろうか。

 いや、大井さんの好みなんて深くは知らないのだけれど。

 

 

「‥‥あら、赤城さんが持ってるのって‥‥女の子がいっぱい描かれた紙袋。女の子がいっぱい‥‥男の子ではなくて、女の子。もしかして赤城さん‥‥赤城さん!」

 

「は、はい?!」

 

 

 しっかり隠していたつもりが、しっかり見えていたらしき紙袋。それを覗き見た大井さんは暫くブツブツと考え込んだあと、突然がばりと予想以上に強い力で肩を掴んでくる。

 爛々と輝いた目と荒い息が怖い。ヲ級ニ隻とル級二隻に包囲された時よりも怖い。新入りだけど何となく頼れる阿武隈さん、助けて。

 

 

「おめでとう赤城さん! 加賀さん、きっと喜びますよ!」

 

「えぇ?! な、なんで加賀さんが出てくるんですか?!」

 

「なんで加賀さんが出てこないんですか?!」

 

「どういうこと?!」

 

「もう、水臭いんですから! わかってるくせに! 私ちょっと用事を思いついてしまったから、お先に失礼しますね! 赤城さんはゆっくり帰ってきてください! 本当に、おめでとうございます! とても喜ばしいことですよ!」

 

「あ、ちょっと大井さん! 大井さんってば! ‥‥行っちゃった。いつにも増して、というか別人じゃないのかしらってぐらいおかしかったけど、どうしたのかしら一体‥‥?」

 

 

 自分の知る大井さんは親友思いのとても良い同僚。練習艦時代が長かった半身の魂の影響で年下の面倒見が良くて、色々と不完全燃焼だった経緯があって戦いに熱心で、提督からも心配されている危なっかしい同僚。でもあんな危なっかしさはなかった。間違いなく。

 というか大井さんは本当に非番だったのだろうか。第一艦隊のローテーションを考えるとあまりにもおかしいが‥‥提督が何かしたのだろうか。

 

 

「まぁ、それは帰ってから聞いても大丈夫かな。そんなことより、今日は早く帰ってお仕事を片付けてしまわないといけませんからね。早めにご飯を食べてしまいましょう」

 

 

 電気街口、と呼ばれる改札から駅を出て、大きな道路の横断歩道を渡ったこの辺りは名前の通り、電気街と呼ばれるエリア。無線関係の電子機器が多い駅周辺に比べると、更に雑然とした店が並んでいる。

 自作パソコンに使う部品を扱う店。アニメショップ。メイド喫茶。楽器屋。レトロゲームショップ。もう何に使うのか名前と外見からでは全く判別出来ない謎の品々。そしてたくさんの食事処。

 一つの街の、一つの区画としては異常なくらい色んなお店が並んでいた。ラーメン屋。中華料理店。丼モノ。ケバブ。スパゲティ専門店。カフェ。洋食屋。カレーショップ。とにかくよりどりみどり、そしてどのお店も好みを直撃する渋い店構え。

 

 

「こ、これは悩みますね。どこもかしこも風情があって美味しそうです。中華も食べてみたい気がしますし、ケバブも最近気になってたんですよね。ナポリタンも大好物ですし‥‥あぁでも時間がない、早く食べて、帰ってしまわないと」

 

 

 見るからに美味しそうなナポリタンの写真の引力を振り切り、ケバブの匂いにフラフラと引き寄せられて、ラーメン屋に並ぶ行列を見て‥‥ぴたり、と歩みを止める。

 ラーメン屋の隣、あまりパットしない、まるで両隣の建物に埋れてしまっているかのような入口。その前の道路に、でかでかと据えられた手作りの看板。ごちゃごちゃした街だからか、とても馴染んでいた。

 

 

「‥‥秋葉原でボリューム、ナンバー1? いまどき大盛りを目玉にしている店なんて珍しくもない。この街でも結構見ますけど、その中でも自信満々ってことは相当の大盛りなのか、あるいは吹いてるだけなのか。どちらでしょうね、流石に普通ってことはないでしょうけど」

 

 

 飾られている写真を見ると、確かに多い。ご飯の量は普通盛りでも‥‥一升?! お茶碗二杯で一合だとすると、お茶碗二十杯分だ。

 ‥‥にわかには信じがたい量ではある。少なくとも、これを普通とは言わない、普通は。

 

 

「そのわりにお値段は普通の定食屋さんなんですね。白いお米がこんなに食べれて、このお値段なら満足できそう。あんまりお店を探す時間もないし、せっかくだし入ってみましょうか」

 

 

 何故か少し奥まっていて分かりづらい入口は引き戸。手をかけ、恐る恐るガラリと開く。

 狭い入口だけど、そこまで長身の部類ではないから問題なく潜り抜けることが出来た。一般的に装備が重いため長身の候補生が選ばれがちな長門型や扶桑型だと頭を打ったかもしれないけれど。

 

 

「いらっしゃい、お一人さん? 悪いけど、じゃあこっちのカウンターでいいかな? ごめんね! 今ちょっとホラ、大食い同好会の人達が来てるからさ! テーブル埋まっちゃっててさ!」

 

 

 さて店内の様子はと、視線を巡らせた途端にかかる威勢のいい声。

 常連さんとお話をしていたのだろうか、四人掛けのテーブルの近くで景気よく笑っていたお父さんが、まるで久しぶりに遊びに来た孫娘を迎えるかのような笑顔で手招きしてくる。

 招かれるままに、借りてきた猫みたいに大人しくカウンターの席へと腰かけた。使い古された座布団が何故か安心する。鎮守府の食堂の広い机に慣れていると、ここのカウンターは少し狭かった。

 

 

「御嬢さん初めて? テレビかネットか見てココ来たの?」

 

「え、テレビ‥‥ですか?」

 

「あぁごめんよ、みんなソレで来るからさ。いやね、結構有名なんだよウチはさ。秋葉原で一番のデカ盛りの店っていったらね、間違いなくウチだから」

 

 

 カウンターの立ち上がりに貼られた、たくさんの記事。どれにもこのお店のことが書いてあった。お父さんは誇らしげで、何処か子どもっぽい光が瞳の中でキラキラしていた。

 椅子に座ってるから見上げる形になって、自然と店内の様子も分かってくる。こじんまりとしているけれど、外の空気とは完全に隔離されていて、何十年も前の下町の雰囲気に満ちていた。神棚、お神輿の飾り、でかでかと貼られたお祭りの写真が独特の空気を作り出している。

 自分も、“赤城”も生きていなかった時代。でも、何故か温かくて懐かしい。

 

 

「初めての人ならコレだな、おススメのセット。ほら見て、これだけ入ってるから、お得なんだよ! 初めての人はみんなコレ食べるよ! いいね?」

 

 

 一番目立つところにある、指差されたメニュー。コロッケ、煮物、から揚げ、天ぷら、卵にサラダ、すべて入って定食屋さんとしては普通のお値段。確かにお得なのだろう。

 けれど押し付けられるっていうのは如何なものだろうか。普段から軍人として規律正しく上官命令には絶対服従の生活をしているが故の反抗なのか、ちょっと捻くれ者の血が騒ぐ。

 常連さんが多いお店だと独自のルールがあったりする。例えば加賀さんがたまに行くラーメン屋さんなんて、誰も教えてくれないルールを守れなければ店の外に連れ出されて袋叩きだとか。そういうのはちょっと好きじゃない。

 

 

「じゃあご飯の説明しようかな。初めてだってんなら分かんないもんね!」

 

(‥‥あぁ、でも良い人なんですね。お祖父様の家に、遊びに来たみたい)

 

 

 頑固親父、とは毛色が違う。すっごく楽しそうで、人懐っこいおじさん。悪い人じゃない、確かにその通りだ。すごく賑やかで、すごく温かい。

 あの、と口から出て行こうとしていた言葉は気がついたら引っ込んでしまっていた。面倒、でもない。無粋、とも少し違う。要は自分もこの雰囲気と空気、ご主人の人柄とお喋りを楽しんでいるわけか。うん、流されてしまうのも、悪くない。

 

 

「初めての人はさ、ご飯の量を聞くと普通って言っちゃうんだよね。ましてや大盛りなんてトンデモないよ! ウチは普通盛りでね、一升あります。だから最初は十軽から始めてくれよな。これでも結構多いから残しちゃう人もいるんだけどね」

 

 

 普通盛りは、と話しながら取り出したのは、もう丼ですらなくて大皿。下手すると特型の子たちなら一抱えぐらいの白い陶器のお皿。私が鎮守府の食堂で使っているのと同じくらい。まさか、娑婆でこんな大きさのご飯を用意しているところがあるなんてと吃驚。

 十軽っていうのは普通の十分の一。つまり一合だと差し出されたのは、御飯目安表なるポスター。使い込まれているのか、もう黄ばんでしまっている。

 

 

「大盛りで二升ってのはさ、伊達に出してるわけじゃあないんだよ。前に食べちゃった人がいてねぇ。やっぱりお相撲さんだったよ。流石にその人以外はいないけどさ。まぁ御嬢さんも最初は十軽から始めてよ」

 

「あ、私は、その」

 

「まぁまぁ、お代わりは出来るからさ。十軽っていってもアレだよ、この寿司桶で出してあげるから!」

 

 

 と、一通り話し終わったのか台所へと引っ込んでいくご主人。まるで嵐が通り過ぎたかのような怒濤のスピーチ。テーブルの方を見ると如何にもたくさん食べそうな体格の良い人達が、いつもあんな感じなんだよと笑っていた。誰であっても、この調子でお喋りし続けるらしい。

 いつの間にかメニューはご主人のおススメに決まってしまっていたけれど、ここまで推すのだから自慢の一品なんだろう。入門編というだけではなくて、是非とも食べて欲しいという思いが伝わってきた。これは楽しみ。まだですかね。

 

 

「―――はい、お待ちどうさま! 先ずこれね、お味噌汁とサラダと、ぜんまい。今おかず持ってくるからさ!」

 

 

 どん、と置かれる三つのお椀と皿。そして続けておかれる、ご飯と同じ桶に山と積まれたおかず。

 最後に十軽とはいっていたけど、目分量なのか少しばかり多めに見える白米の桶。狭いカウンターが料理で埋め尽くされる。二人分ぐらいは場所をとってしまっているだろう。このお店、カウンターは一人おきに座らなければいけないようだ。

 ではメニューを見てみよう。

 

 

『ごはん桶』

 →真っ赤な寿司桶にすりきり一杯。ご主人自慢のコシヒカリ。

 

『おかず桶』

 →煮物、天ぷら、から揚げ、卵焼きが文字通り桶からはみ出るぐらい山盛り。

 

『味噌汁椀』

 →濃い目の味付けで具だくさん。密かな名物。

 

『サラダ皿』

 →豆腐とレタス。ゴマだれドレッシングがかかってて、少し水気がきれてない。

 

『ぜんまい皿』

 →何故かこちらも山ほどのぜんまい。懐かしい味がする。

 

 

 試しにごはん桶とおかず桶を持ってみる。流石に装備よりは軽いけど、艦娘の自分でもズッシリと手に重い。ごはん、おかずとしては早々見ないボリュームだ。鎮守府の食堂でも正規空母、戦艦用のメニューでないとお目にかかれない。

 ごくり、と喉が鳴る。これは一刻も早くかっ喰らわなければ。我、食事に突入す!

 

 

「―――いただきます」

 

 

 先ず手をつけるのは、うず高く積まれたおかず。山頂を形成しているのは天ぷら。わずかに鳥の唐揚げが覗き、天ぷらの上には分厚い卵焼きだ。

 定番のかきあげに、キノコや野菜の天ぷらも乗せられている。これだけでも並の定食屋さんのおかずぐらいはあるが、このご飯の量には十分だろう。

 

 

「‥‥うん、よく揚がってますね。なんだか懐かしい味。でも醤油かぁ。私はお砂糖とみりんを混ぜたタレか、つゆが好きなんですけど」

 

 

 もっくもっくと天ぷらを噛みしめる。ものすごく豪快な揚げ方をしているらしくて、しっかりとした噛み応えとボリュームだ。ずっしりと口の中で存在を主張する。

 美味しいか、と言われたら美味しい。けどグルメな人はきっと気に入らないのかもしれないな。

 

 

「あ、これは‥‥ししとうですね。なんか、ししとうの天ぷらって幸せな気分になります」

 

 

 かきあげを片付ける合間に手を伸ばしたししとうといんげんの天ぷら。これもまたシンプルな揚げ具合で、こちらは醤油がよく染み込んだ。少し頼りないぐらいの食感が、むしろガッツリとしたかきあげの合間にすっごく爽やかな存在。横から殆どはみ出していたエリンギの天ぷらも、ことボリュームと歯ごたえでは茸の天ぷらの王様。

 ごはんの上にかきあげをのっけて、醤油をかけて少し醤油ご飯っぽくしてやるのは、はしたないけど好みだった。ご飯に直接かけるのではなくて、かきあげを通してかける。それは自分にとって明確なラインで区切られた行為だ。

 もちろんかき揚げを通したからといって味が変わったりするわけではない。そのランダムな醤油のかかり具合と、少しのラグ。これを楽しむのが誰にも文句のつけられないこだわりである。

 

 

「厚焼き卵‥‥既製品? まぁ、いいですけど。フカフカだと萎えちゃいますものね。このぐらいで丁度良い。それに私、これ結構好きなんです」

 

 

 市販のお弁当に入っているよりは大きいが、他のおかずに比べると少し小さめの厚焼き卵。しかし箸休めには丁度良い。

 逆にこれが、焼きたてフカフカならどうだろう? いや、それはそれで大歓迎ではあるけれど、箸休めとしての役割とはまた違う。

 

 

「水菜も久しぶりですね。シャキシャキ瑞々しくて、おかずみたいに満足出来る。豆腐ともよく合います。いくらでも食べられちゃいそう」

 

 

 天ぷらの山頂から少し掘り進めて、現れたのは煮物の中腹。おでん、だろうか、正確には。出汁がよく染みこんでいる。スーパーでも、定食屋でも、お家でも食べない独特の味だ。

 口に入れて噛み締めれば、シャクリ、ともグチャリ、ともフワリ、とも言えない歯ごたえ。少し冷めて温くなった汁が、溢れた端から口の中へと染みこんでいくような、落ち着いていくような‥‥。

 

 

「ああ、悪くない。落ち着く、安心します、この食感。濃いめの味付けも、ご飯が進みますね。お出しの染みこんだ大根ってどうしてこんなにご飯に合うんだろう」

 

 

 だいこん、しいたけ、にんじん、たけのこ、こんにゃく‥‥。どれも味が染みていて、不思議とご飯が進む。

 味が濃いとはいえ現代の若者にとってしてみれば、おかず係数は高い方じゃない。けど、軽めの係数に妙な補正が入って、気持ちよくご飯を口の中へと運んでくれた。重いだけなら飽きてしまうから、かな。

 

 

「お嬢ちゃん、唐揚げ食べてくれよ! みーんなウチの唐揚げを食べにくるのさ、カレー味でね、昔っから変わってねぇんだよ!」

 

「唐揚げ‥‥大きいし、重いですね」

 

「そりゃそうさ、なんたってウチの飯はやっちゃば飯だからな!」

 

「‥‥やっちゃば、といいますと?」

 

「野菜市場だよ。昔は神田に野菜市場があってね、ウチはそこに来る連中相手に商売してたんだ。よーく喰ったよ、連中は! 今でもその頃の人がね、社長とか、来てくれるのさ。夜は居酒屋やってるから、まぁお嬢ちゃんには関係ない話だけどね!」

 

 

 

 ご主人イチオシの唐揚げ。

 食べ慣れた、普通の唐揚げに比べると随分と大きい。そして箸で持ち上げてみると、重い。ずっしりとする。もうこれだけで、お肉の那珂のパワーが分かる。

 

 

「はむ、もぐ、もぐ、むむ、美味しい‥‥ッ!」

 

「だろ? 自慢のおかずだからね、やみつきになるよお嬢ちゃん!」

 

 

 

 ぎゅっと噛みしめると、カレーの味がしっかりと通った肉汁が染みだしてくるジューシィな唐揚げに驚いた。肉は程々に硬い。けど調理が良いのか、それが気にならなかった。

 みんなコレを目当てに来るのだ、という事実の真偽はさておき自慢するだけはある。これはまたごはんが進む、良いおかずだ。片時も止まらずに箸が動く。うん、豪快だけど、凄く美味しい。いいんですよ、こういうので。

 

 

「‥‥こりゃ、たまげた。よく食べるもんだ、お嬢ちゃん。たまにいるんだよなぁ、この前もホラ、大食い選手権に出たって女の人が来たんだよ。お代わり、要るだろ? 遠慮しないでたくさん食いな!」

 

「あ、ありがとうございます‥‥」

 

 

 いつの間にか寿司桶のご飯は空っぽに。

 カッカッカと豪快に笑うご主人が桶をひょいっと持ち去り、さっきと比べると随分と山盛りにして帰ってきた。長年この商売をやっているのだ、食べているところを見れば、その人がどのくらい食べる人なのかよくわかる、そうだ。

 勿論おかずの配分も抜かりない。というより多くて食べきれていない。これだけ資材(おかず)があれば心置きなくイベント(ごはん)に取り掛かれるというもの。

 

 

「昼間追撃船は、正規空母の見せ場ですから」

 

 

 これまた濃い味の、おかずのたくさん詰まった―――入った、とは形容できない―――味噌汁を啜り、先ほど半分ぐらい残しておいた天ぷらと、から揚げ、煮物と次々に片づけていく。

 少し味の変化が欲しくなったら、ご主人が他のお客さんに「撮影する時はこれと一緒に撮りなよ、大きさ分かりづらいからさ!」と差し出している七味唐辛子。個人的には一味よりも七味の方が、風味があって料理に合う。

 

 

「‥‥?」

 

 

 それでもやっぱりご飯が美味しくて、おかずは足りなくなる。残り少ない資材でどう戦うか、悩んでいた時に、ことんと目の前で小さな音がした。

 顔を上げてみれば、そこにはお皿に乗った揚げたてのから揚げが一つ。

 

 

「お嬢ちゃん、美味しそうに食べてくれるからサービス! これ食って午後も半日頑張りなよ1」

 

 

 人好きのする、皺だらけの笑顔。ありがたい艦隊決戦支援にお礼を言って、一気に残りを食べ進めた。

 温かいお茶に一息いれて、久しぶりにお外で満腹になったお腹が、これ以上ないほどに士気の強さを訴える。パワーをもらって、あぁ、確かに、これなら午後は全力でお仕事が出来そうだ。泊地戦姫だって昼間追撃の開幕航空攻撃でボコボコにできそうな気分。

 

 

「‥‥ごちそうさま、ありがとうございました」

 

「まいどあり、また来てよ。次はネギトロ丼を食べてってくれよな。ウチのはね、ネギトロ丼だけど、海鮮丼だから!」

 

 

 ネギトロ、が中央にうず高く盛られ、種々様々な海鮮がその周りを彩る異色な海鮮丼の写真を楽しそうに指差しながら話すご主人。

 この店ではご主人が司令官だ。次に来たときは、その言葉通りに海域(メニュー)を制覇していこう。

 何故かポカーンとした顔の常連さん達に見送られ、店を出た。太陽も登り切って、秋葉原の街はさらに多くの人で賑わう。外国人の観光客、サラリーマン、学生、メイド。とにかくたくさんの人波を掻き分け、駅へと向かった。

 

 

「―――早く帰って、あぁそうだ、先ずは提督に文句を言ってさしあげなければいけませんね」

 

 

 危うく置き忘れそうになってしまった紙袋と、自分の服装を見て溜息一つ。

 なんというか、非常に残念なことに。

 どうやら帰りの道中も心安らか、というわけにはいかないようだった‥‥。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

「‥‥え、どういうことですか大井さん」

 

「はい? 赤城さんこそ、大丈夫ですか? 私は今日は工廠で艤装関連のお仕事をしてましたよ。秋葉原なんて、非番じゃないんだから行けるわけないじゃないですか」

 

「ど、どういうことなの‥‥?」

 

 

 

 

 




Q.イベントの戦況はどうよ?
A.バケツを五十個以上費やしてE-2突破できず orz

Q.やっぱ昼間追撃戦が鍵かね?
A.それもあるけど、まず中破進軍の度胸がない

Q.ところで3-2は
A.おいばかやめろ

Q.冬コミとかどうすんのよ?
A.作者仲間でオフ会すんよ


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東京都杉並区高円寺の牡蠣食べ放題

各資材を30kほど消費して無事にE4までクリア!
E5? いや、あの、その、本艦隊ではちょっと、無理かなって。


 

 

 

 

「―――赤城さぁーん! こっち、こっちですよー!」

 

 

 大都会、よく足を運ぶ新宿や渋谷などに比べれば比較的人通りの少ない駅構内。いつもの地味ながら目立つ女学生姿で歩いていた赤城へかけられた声。

 慣れない街にあちらこちらを彷徨っていた視線を動かし目に入ったのは、よく知った女子大生とおぼしき姿だった。たくさんの人の中でもかなり目立つ美女。道行く人もちらちらと目を向ける。

 落ち着いた短めの黒髪と、斜に被った深い青のベレー帽。色を合わせたブレザーは一見すると女子高生のようにも見えるが、中に着込んだ洒落たシャツやシックなスラックスのおかげで大人っぽい雰囲気が出ている。ボーイッシュではある一方で、まるでヅカ。

 

 

「高雄! 久しぶりですね」

 

「こちらこそ。調子はどうですか?」

 

「それは私の台詞ですよ。半年近く姿を見なかったので心配していたんです」

 

「最近は商船について外洋を遠征してましたからね。私も日本に帰ってくるのは久しぶりですわ。突然お誘いしてしまってごめんなさい」

 

「いえこちらこそ。丁度東京に出ていたので良かったです。遠征のお話、楽しみにしてたんですよ。私は鎮守府に詰めて作戦行動ばかりですから」

 

「あまり楽しいものではありませんわよ、任務ですし。でも土産話には十分かしら」

 

 

 顔は同じく大和撫子。それにしても系統があまりにも違う格好の二人はちらちらと周りの人達から視線を寄越されている。二人はそれを知ってか知らずか談笑していた。

 高雄。彼女は重巡洋艦の艦娘だ。正規空母として鎮守府の第一線で戦い続ける赤城とは異なり、深海棲艦との戦い以外にも様々な任務に従事している。具体的には彼女の話していた遠征任務もその一つであり、今日の彼女は商船の護衛任務をこなして鎮守府に帰投したばかりであった。

 

 護衛を終えて報告書を提出し、顔見知りに挨拶したはいいが陸に上がった時の一番の楽しみといえば料理。昔の船乗りなら女漁りなんて答えたかもしれないが、もちろん年頃の女性である高雄が女漁りなんてアブノーマルな娯楽に手を出すはずがない。大井じゃあるまいし。

 陸に上がって食べたいものは、日本が近くなってからは毎日毎時間のように考えていた。海の上の食事は味気ないとは言わないが、もちろん陸と同じ料理が食べられるわけがない。しかも今回は外洋を巡る大航海であった。思いもひとしおである。

 

 

「あと二人来るって聞きましたけど?」

 

「一人は程々に遅れると。もう一人は‥‥もう来ましたわね」

 

「―――ごめん、遅れちゃったッ!」

 

 

 落ち着いた、かどうかは知らないが大人の女性の会話に割り込む元気な声。人波をかき分けて近づいてきた少女に、二人は笑顔で声をかけた。

 

 

「時雨、久しぶりですわね!」

 

「高雄さん、ご無沙汰してたね。長い遠征、お疲れ様」

 

「ありがとう。今日はわざわざ呼び出してしまってごめんなさいね。どうしても皆と美味しいものが食べたくて」

 

「こちらこそ、呼んで頂いて嬉しいな。高雄さんと久しぶりにお話するのを楽しみにしていたんだよ」

 

 

 紺色のダッフルコートとデニムのスカートに、黒いタイツ。少し長めの黒髪を三つ編みにした少女。

 駆逐艦、時雨。最近さらに装備の改装が行われ、最前線でも活躍するようになったエリート艦娘である。赤城も何度も共に肩を並べて戦ったことがあり、温厚そうな見かけによらず勇猛果敢な戦いっぷりで知られている。

 

 艦娘の基本的な性能は発達した科学と、数多の術者の研究により再び現代に蘇った陰陽術や神道系の技術によって決定する。具体的には機関の出力であり、大砲の口径であり、装甲の厚さであり、それらと艦娘がその身に降ろした第二次大戦時の艦船の魂とのバランスだ。

 例えば艦娘がいくら大口径の主砲を装備しても、彼女に憑く艦船の魂が駆逐艦のものであった場合は装備を扱いきれない。枠が違うのだから嵌るわけがないのである。

 艦娘によって装備の違いが生じる由来はここにあり、性能とは別に魂の相棒たる自らの艦船と曰くのある装備を好む艦娘が多いのも同じ所以だったりもする。例えば赤城にとって烈風などの最新鋭の式神よりも、使い慣れた零戦などの式神がしっくりくると感じているように。練度とはまた異なった感覚があるのは、艦娘ならではのことだろう。

 これらから艦娘の候補生は装備の扱い方や身体の鍛錬と共に巫女としての修行も併せて行い、自らの相棒として艦船の魂たる艦魂を授けられる。このとき、やはり成績の良い候補生ほど有名かつ強力な艦魂を降ろすと言われているが、そういう意味では時雨は駆逐艦でありながらエースとして活躍する叩き上げだった

 

 

「高雄さんはご実家がこの辺りなんでしたっけ?」

 

「お祖母様のお家がね。今日はこのあと顔を出すつもりなの。でもその前に美味しいもの食べましょう。もう一人は遅れて来るから、先に行っちゃいましょうね」

 

 

 高円寺駅の南口から、商店街を横目にまっすぐ進む。

 この辺りは住宅地であり、若者が多い街でもあった。大都会たる渋谷や新宿に比べれば華やかな街というわけでもないが、若者向けの店は一通り揃っている。しかし今回、彼女達の目的はウィンドウショッピングでもファッションショーでもない。

 今日は高雄が待ちに待ったお食事会だ。わざわざ高円寺に出てきた理由がある。

 

 

「あ、ここですわね」

 

 

 駅から歩いてほんの少し。やや下り坂になるそこまで広くはない路地の途中にその店はあった。

 レトロというよりは大雑把、いやいや豪快な店構え。まるで寒風吹きすさぶ海岸に紛れ込んだかのような風情のある小屋である。そんなに大きくはないが、鋭角な三角形の屋根が特徴的で迫力がある。

 風が強いからか、申し訳程度に置かれた粗末な灰皿の近くで煙草を吸っている二人組などは寒そうにコートの襟を立てていて、それこそ海風を感じるようで期待が大きくなった。

 

 

「ごめんください。予約していた高雄ですが」

 

 

 おそるおそる入る、初めてのお店。外観と同じように、中も豪快に海の小屋をイメージした造りになっている。雰囲気よし、だ。

 壁には牡蠣の殻がたくさん飾ってあり、それぞれ何処の牡蠣の殻なのか分かるように名札がついている。牡蠣といっても種類は様々で、もちろん日本だけの名物ではない。海外ではオイスターバーというものがあり、盛んに食されている。

 高雄自身も海外遠征で寄港したときに牡蠣を食べる機会はあったが、どうにも日本の牡蠣が気になって仕方がなかった。安くたくさん牡蠣が食べたい。それも日本の美味しい牡蠣が。いや、外国の牡蠣も十分以上に美味しいのであるが。

 

 

「はい、ありがとうございます。お待ちしていました。四名様‥‥でよろしかったですか?」

 

「一人は遅れて来ます。始めてしまって、大丈夫ですわ」

 

「かしこまりました。では奥のお席にどうぞ」

 

 

 大量の牡蠣が発泡スチロールに入れられた調理場を通り過ぎ、店の奥の席へと案内された三人。

 この店では鉄板を使って客が料理をする。網焼きではないのは不満だが、まぁ鉄板焼きも悪くはない。素朴な感じと共に屋外にいるイメージが素敵だ。鉄板で焼くのがお好み焼きだと屋内のイメージなのに、何故か海産物になると途端に屋外のイメージになるのが不思議である。

 

 

「このブリキの缶に食べ終わった殻を入れるのかしら?」

 

「ワイルドですわね。赤城さん、飲み物は用意して来まして?」

 

「あ、はい。ビールを少し。時雨ちゃんは‥‥」

 

「すまない、慌てて来ちゃったから持ってこられなかったんだ‥‥」

 

「気にしないで。急に呼んでしまったのは私の方だから。どうしても皆と一緒にご飯を食べたかったんだけれど、忙しい人が多かったのよね」

 

 

 珍しそうにちらちらと辺りを見回す赤城と、幹事として店員と話を進める高雄、恐縮しッ放しの時雨と特徴的な三人。辺りの注目も集めそうなものだが、どうやら此処ではどの客も鉄板で魚貝を焼くのに集中しているらしい。

 赤城が話していたように、机の下には大きな一斗缶が鎮座坐している。これに豪快に牡蠣の殻を入れていくのがこの店のスタイルだが、下を見て投げ入れるような丁寧な真似をしない紳士淑女が多いとあっという間に机の下が海岸よろしく貝殻だらけになる。

 テーブルの上に氷水が入ったバケツが老いてあって、これが安価で牡蠣を楽しめる秘密の一つ。所謂持込可のお店であるのだ。もっとも持込は飲み物に限り、持ち込んだ量に関わらず追加で料金を払う。しかしジャンクな雰囲気があって良い。特に缶ビールなど最高だと、航海の間に浴びるほど酒を飲んだたぐいの高雄は口角をつり上げた。

 

 

「失礼します、こちらお通しのカキフライと(ちまき)です。焼き物はすぐにご用意しますので、もう少々お待ち下さい」

 

 

 爽やかな青年がやって来て、大皿を二つ置いていった。

 お通しとしては随分と重いが、今回一行が頼んだ牡蠣食べ放題のコースは本当に焼くための牡蠣しか出てこない。また牡蠣は蒸し焼きにするのだが、火が通るのに十分以上かかるので最初の牡蠣が出来上がるまでは大事な酒の肴だ。

 

 

『大盛りカキフライ』

 →一人あたり四コぐらい? 大食艦の暴走に注意。

 

『牡蠣粽』

 →一人一個。意外に大ぶりで熱々。

 

 

 保冷容器に入れて持ってきた酒を氷水のバケツの中へと移し、赤城と高雄は嬉々としてビールの缶を手に取った。

 時雨は麦茶。基本的に駆逐艦の艦魂は未成年の候補生に適合しやすい。駆逐艦の運用方法に対して、成熟した精神あるいは熟練した巫女たる候補生よりも、情動が激しく身体能力の特性も新鮮な未成年の少女が合っているのだ、というのが通説である。こればかりは実際に未成年ばかりが駆逐艦の艦娘として艦魂に選ばれるのだから仕方がない。

 中学生程度の艦娘ばかりの駆逐艦というのは一般大衆にも浸透していて、艦魂はロリコンだとネット上では有名だ。しかし、どちらかというと艦娘にとっての艦魂は相棒でありながら一心同体の、もう一人の自分のようなもの。よって艦娘の感覚的には同性だ。そもそも伝統的に艦は女性名詞なので―――欧米諸国の話ではあるが―――ロリコンというのは少し違うだろう。

 勿論レズビアンである可能性も否定出来ないのだが。

 

 

「それでは皆様、グラスを。今日は私のために集まって頂き、ありがとうございます」

 

「また何を水くさい」

 

「高雄さん、僕らこそ呼んでくれてありがとう」

 

「遠征ばかりで鎮守府を離れがちなのに、来てくれて本当に嬉しいですわ。今日はいっぱい食べていっぱい呑みましょう!」

 

「「「乾杯!」」」

 

 

 お店が用意してくれたグラスに飲み物を注ぎ、ささやかに乾杯をして飲み干した。

 キンキンに冷えてやがる‥‥ッ! とまではいかないが、外は寒かったし悪くはない。次の缶を空ける頃には冷えていることだろう。高雄に比べて酒はあまり嗜まない赤城だが、こういう時のビールはたまらない。

 さて、カキフライも粽も熱いうちに食べてしまわなければ。

 

 

「いただきます」

 

 

 まずは揚げ物だ。テーブルにはソースも用意されているが、まずは何もつけないで一口。

 ほかほかと湯気をあげるカキフライを箸でつまみ、口へと運ぶ。うっかり力を入れすぎてしまわないように、そぉーっと、そぉーっと。サクリ、という小気味のよい音。

 

 

「美味しい‥‥ッ!」

 

 

 外の皮は薄くてサクサク。食感を邪魔しない薄さから、すぐに衣が包んだ牡蠣へ辿り着く。

 スーパーなんかで売っている、安っぽいカキフライなんかとは比べものにならない分厚い身。そして衣の中に閉じこめられた汁が溢れ出て来る。油と混ざって何とも美味い。カツや揚げ餃子にある、肉の存在感に勝るとも劣らない。

 ちょうど一口、しかし美味しそうな香りが我慢出来ずに半分ほど食べてしまった。箸で摘んだまま、ソースを数滴垂らして再び一口。

 

 

「うん、牡蠣の汁がソースと混ざって、すっごくまろやか。ソースだけだと味が濃いけど、衣が薄いのにしっかりしてるからサラリと中に染みこんでくれてビチャビチャしない」

 

 

 揚げ物のはずなのに、しっかりと牡蠣の匂いがする。目の前の高雄が幸せそうにビールを煽っていた。

 なんだかんだ日本のビールはとても美味しいらしい。いつも適当に流し込むビールだが普段は触れないだけで様々な種類があり、当然ながら海外で日本のビールが手に入ることは殆どないらしい。

 そもそも遠洋航海の最中は寄港の時が補給のチャンスで、それこそ酒であるならば殆ど工業用アルコールに近いものまで手当たり次第にかき集めるそうで。また肉やら何やらばかりが多くて野菜が少ない。

 世界でも比較的、食に煩い日本人。楽しいこともあったが、中々辛かったと高雄は語る。

 

 

「あ、粽も一つ貰いますね」

 

「どうぞどうぞ。一つは残しておいて下さいね。遅れて来る人がいるんですから」

 

「分かってますよ。他人様のご飯まで盗ったりしませんって」

 

「‥‥‥‥」

 

「なんですか時雨ちゃん。何か言いたそうですけど」

 

「別に、なんでもないよ赤城さん」

 

「いい笑顔が逆に恐いんですが‥‥。何はともあれ、いただきます」

 

 

 アチチ、と少し手こずりながら粽の包みを明ける。途端に、むわっと広がる山と海の匂い。

 贅沢に大ぶりの牡蠣を二つも入れた炊き込みご飯だ。お米全体に牡蠣のエキスが染みこんでいるようで、とても良い香りが余すところなく全体から漂ってきた。

 

 

「ご飯と一緒に食べる牡蠣、最高ですね‥‥! 汁が搾られてカスみたいになってるかと思ったのに、まだ肉厚じゃないですか!」

 

 

 ご飯の中にしっかりと染みこんだ牡蠣のエキスが、お米一粒一粒を噛みしめるだけで口の中から鼻の中まで行き渡っていく。すっごく重厚な歯ごたえだ。

 この皮にへばりついた餅米。これが中々の曲者。どうしても食べたい。残したくない。しかし難しい。悩む。上手く剥がすことが出来ない。美味いのに。

 

 

「赤城さん‥‥」

 

「ちょっと、はしたないかもだね」

 

「わ、私はお米一粒も無駄にしてはいけないと思ってですね?! 何故そんな冷たい目で見るんですか?!」

 

 

 お米は八十八回噛んで、お百姓さんの苦労に感謝すると必死で主張する中、店員さんがボウルに山盛りの牡蠣と海老を盛ってやって来た。

 海老は初回サービスで、牡蠣は先ほど通ってきた廊下に山ほど積んであったものから好きに取ってくる。ただ、一つ問題があって。

 

 

「‥‥焼くのに十分以上かかるのね」

 

「彼女ちょっと遅れてるけど、ちょうど間に合いそうですわね。あと十分ぐらいで到着するそうです」

 

「いいとこどりじゃないか。いや、まぁ僕は別に気にしないけどね」

 

 

 鉄板の上にはプレートが置かれていて、その上に牡蠣と海老を並べる。

 日本酒を大雑把に注いで蓋をすれば、成るほど蒸し焼きにして食べるらしい。牡蠣は一度に十数個は鉄板の上に並べることが出来るが、赤城が寂しげに零したように火が通るまでに十数分かかってしまう。

 待つのは嫌いじゃない。けど、ちょっと辛い。

 

 

「そ、そういえば高雄! 遠征の話を聞きたいです!」

 

「うん、そうだね。僕も遠征したことがないから気になるな。どんなことをしていたんだい?」

 

 

 仕方なしに、ぐいっとグラスのビールを飲み干して注ぎ足し、雑談に興じる三人。

 注目はやはり外洋での遠征任務に参加した高雄の土産話。赤城も時雨も最前線で深海棲艦との戦いを主な任務にしているため、遠征任務に参加したことは全くなかった。

 

 “鎮守府”と呼ばれる艦娘運営部隊では様々な業務がこなされる。

 代表的な任務は、やはり深海棲艦との戦いである。鎮守府によって制海権が確保されていない海域へと艦隊を派遣し、深海棲艦を駆逐するのが鎮守府の本領だ。鎮守府は国内に五カ所、海外に数カ所存在しており、それぞれに艦娘の部隊を指揮する提督と呼ばれる佐官以上の幹部が複数人所属している。

 このとき仮に一軍とする、正規空母や戦艦、夜戦能力や索敵能力に優れた重巡洋艦、対潜水艦能力に優れた計巡洋艦、エリート駆逐艦などから外れた艦娘は何をしているのだろうか。

 艦娘は唯一無二である。艦魂もまた唯一無二である。同じ装備がいくらあっても、同じ艦魂を持った艦娘は存在しない。故に艦娘にも限りがあって、基本的に暇をもてあます艦娘など存在しない。

 深海棲艦との戦いに赴く“出撃”任務以外にも、“遠征”任務が彼女たちの大事な仕事だ。

 

 

「そうね、今回は輸送船の護衛任務だったわ。鉱石を運ぶ大きな船に同乗して、深海棲艦の警戒をする任務」

 

「結構襲われるものですか?」

 

「艦隊からはぐれたイ級とかロ級とか。二隻以上に遭ったことはないですわね。普通の出撃と違って何もすることがないぶん時間が多くて、船員さんと毎晩お酒呑んで」

 

「自堕落だね」

 

「私の仕事なんてないんですもの。入港や出港の時は仕事も手伝えるんですけど、他の時間は見張りみたいな真似しか出来ませんし。海賊に威嚇射撃したことはありますわよ」

 

 

 深海棲艦は港を攻撃しない。

 沿岸部にも出現はするが、基本的に彼女たちの攻撃目標は遠洋航海を行っている船だ。艦娘だろうが護衛艦だろうが空母だろうがタンカーだろうが、客船だろうが変わらない。とにかく自分たちの領域に入った命ある存在を何かの仇のように追い回す。

 この影響は輸出入によって国力を維持している国家へ強く及んだ。具体的には我が国、日本もその一つである。近距離にある国、中国や韓国との交易は比較的保護しやすい航路であったが、特に太平洋航路は致命的な大打撃を受けた。

 危険な航路を使わなければいい、という理屈は簡単に見えて難しい。不可能である、と言ってもいい。太平洋航路を使わなければ運搬時間は破滅的に長期化し、コストも跳ね上がる。航海時間が延びるということは危険もまた多くなるということであり、結果として誰も得などしない。

 太平洋航路だけが危険なわけではない。それこそ見える距離ぐらいでなければ、基本的にどの航路であっても危険であることには違いないのだ。

 

 結局のところ国力を維持するためには太平洋航路をはじめとする海を使った貿易を何とかして保護するしかない。飛行機による貿易は現在のところ深海棲息艦の妨害を受けてはいないが、詰める荷物に制限があるため、どうしても海を使う必要があったのだ。

 鉱石、車、石炭、燃料たる油など様々なものが日本には不足してるし、売り出さなければいけない。よって鎮守府も何とか多忙の隙間を縫って、艦娘を輸送船の護衛任務に回して貿易の保護を行っている。

 高雄が話していたとおり、深海棲艦が艦隊行動をとって輸送船を襲うことは稀だ。一人だけでも、艦娘が護衛していることに意味はある。意思もたぬ深海棲艦に対して厳しい訓練を受けた艦娘は護衛という任務をしっかりと果たすことが出来る。

 以前に比べて効率やコストは悪化したが、何とか日本を始めとする各国は交易による国力の維持に成功していた。

 

 

「深海棲艦がウヨウヨしてる外洋に、まだ海賊なんて出るのかい?!」

 

「信じがたいことですけれど。艦娘が護衛についていない船もないわけではありませんし、比較的近海周辺では快速を活かした海賊が未だに出没しているわ。まぁ私が今回護衛していたのは鉱石船だから、あまり旨味がないらしくてね。遭遇したのは数回ぐらいですけれど」

 

 

 各国の艦娘による護衛がついているにも関わらず、深海棲艦が蔓延る海にも関わらず、無法者は出現する。

 彼らの狙いは主にタンカーで運ばれる燃料類だ。何処に売っても金になるし持ち運びも鉱石や石炭、車に比べると楽だ。特に日本の船舶は他国に比べて所謂、用心棒が乗船していないので標的にはもってこいだった。

 成功する確率は高くはないが、かつて深海棲艦が出没する前なら外洋を航海することを生業にしていれば一度や二度は遭遇する。今もまた、同じように。

 

 

「あ、二人ともごめんなさいね。‥‥もしもし?」

 

 

 日本に帰ってきてからすぐに契約関係を見直したのだろう、すぐに使えるようにしておいたらしき携帯電話を高雄がとった。

 どうやら遅れている、もう一人から連絡が来たらしい。

 

 

「はい、奥の方に来て下さい。食堂の、そうです、左側を向いてくれれば分かると思いますので。はい、よろしくお願いします」

 

「‥‥もう一人が到着したのかい?」

 

「高円寺の駅に着いたそうですわ。もうすぐに店まで来るでしょう。ちょうど牡蠣が蒸し上がるころでかしら」

 

「ナイスタイミングということですね」

 

「赤城さん、涎」

 

「垂らしてなんかいませんからね?!」

 

 

 ご飯がないとお酒を飲むしかない。幸か不幸か下戸ではない赤城と、ザルを通り越してワクの高雄。若干だが目の据わってきた赤城が少し恐いのかドン引いた様子の時雨をフォローする人は誰もいなかった。

 

 

「あ、来ましたね。こっちですよー!」

 

 

 廊下から奥の客席ゾーンに入ってくる、小柄な人影。

 灰色がかった、透き通った短めの黒髪。綺麗に切りそろえられており、瀟洒な印象を受ける。年頃は高校生ぐらいか、あるいは少し童顔な女大生か。赤城や高雄に比べても若く見えた。

 髪の色に合わせたグレーのタートルネックセーターと、ペンギンに似た謎の生物の意匠をしたネックレスを首に提げている。キュロットは少し寒そうだが、活発というよりは童顔を加速しているのが面白い。

 

 

「大鳳、貴方よく暇がとれましたね」

 

 

最新鋭の装甲空母、大鳳。赤城の所属する鎮守府にも最近になって着任した艦娘だ。装甲化された飛行甲板と最新鋭の艦載機を搭載している。この大鳳という艦魂に適合する艦娘は中々おらず、今まで長らく空位であった。

 艦娘と艦魂にはどうしても相性というものがあって、気難しい艦魂はいつまでたっても相棒たる艦娘が見つからない。この大鳳も所謂その手合いだ。艦魂の性能自体が良いのもあるが、焦らしに焦らして漸く巡り会った一人と一隻は最高のコンビらしい。

 一心同体の言葉をこれほど体現した者はいない、とまでの有能っぷり。今では押しも押されぬ第一艦隊のエースの一人。小柄な体ながらも、赤城や加賀とも並ぶエースとしての人気はプロマイドが速攻で売り切れるほどだった。

 

 

「私もそういつまでも忙しくはいられません。作戦行動も、アイアンボトムサウンド攻略戦の終了を以て小休止ですよ。だいたい、それを言うなら赤城さんだって東京くんだりして休暇を満喫できないはずでしょう、高雄さん?」

 

「‥‥まぁ、それもそうよね。しかし来てくれて嬉しいですわ、ほら、お座りなさいな」

 

 

 小柄ではあるが大鳳も立派な成人である。まずはプシュッとビールのプルトップを鳴らす。

 艦娘には二種類、酒の飲み方がある。淑女たらんとお淑やかに呑む艦娘達と、海の男よろしく完全に軍隊呑みをするパターンだ。

 なお、高雄も赤城も大鳳も、残念ながら? 生粋の軍人然とした比較的珍しい艦娘である。

 

 

「丁度、牡蠣が蒸し上がったところですよ! さぁ食べましょう、早く食べましょう、すぐ食べましょう!」

 

「落ち着きなさいな赤城。‥‥うん、思ったほど熱くない。開けますわよ」

 

 

 重い銀色の蓋を持ち上げると、ぶわっと視界を覆うほどに噴き上がる白い蒸気。

 ただの蒸気のはずなのに、もう口の中に牡蠣の芳醇な香りと味。まるで煙を食べているみたいだ。

 

 

『牡蠣の蒸し焼き』

 …熱く焼けた鉄板で、日本酒を垂らして蒸し焼きにした牡蠣。ぷりっぷりのあっつあつ。

 

『海老の蒸し焼き』

 …サービスの海老。おかわりはないが、食べ応え抜群。

 

 

 鼻からいっぱいに吸い込むと、自然と笑顔になるぐらい濃厚な香り。海の幸の中でも特上のご馳走だ。たしなめる高雄に気のない返事を返しつつ、赤城は机に備え付けの軍手を嵌めて牡蠣を手に取った。

 欲張って大ぶりの牡蠣を手に取ったが、予想したよりも重い。殻の重さなのか、身の重さなのか、期待は高まる。

 

 

「あ、熱っ?!」

 

「落ち着きなよ赤城さん。ほら、氷」

 

「別に、慌ててなんかいませんからね!」

 

 

 殻はぴったりと閉じていてナイフを差し込むのが中々難しい。思えば牡蠣を食べるなんて随分と久しぶりだ。基本的に、赤城は量を食べる種類の人間(艦娘?)であるという認識が周知されているため、高価な食事に誘われたことがない。

 一見すると歪に見える牡蠣の殻だが、その実しっかりと閉じている。なかなかナイフを差し込むべき場所が見つからない。

 

 

「赤城さん、貸してごらんなさいな。こうやってほら、貝柱の近くにナイフを入れれば簡単に開けられますわよ」

 

「ご、ごめんなさい高雄‥‥ありがとうございますって熱?!」

 

「あぁ牡蠣の煮汁が‥‥」

 

 

 殻を開いてもらって、渡された牡蠣を傾けてしまい熱い汁が手にこぼれた。慌てて軍手を脱いで一旦皿に置く。殻も熱いが中も熱い。生命の迸りを感じる。

 思っていたよりも小さめだが、ぷるぷると真っ白い身が殻の上で震えていた。熱々の湯気が上がっているのに氷みたいに輝いている。

 

 

「‥‥いただきますッ!」

 

 

 慎重に牡蠣の身を箸で掬うように掴んだ。

 豆腐でも掴むぐらいに、慎重に。ちょっと力を入れると真っ二つに千切れてしまうどころか、粉々に砕けてしまいそうだ。

 少しだけふぅふぅと冷まし、ぱくりと一口で口の中へ。

 

 

「‥‥ッ! 蒸しあがったばかりの牡蠣、やっぱり美味しい。柔らかいのに、すっごい味が濃い。潮の味より、もっとこう、ミルクに近い濃い味」

 

「海のミルクとも呼ばれているらしいですわね。‥‥うん、濃厚」

 

 

 貝類はどちらかというと薄味で、あっさりとした舌当たりをこそ楽しむものという印象がある。潮の香りを味わい、鼻へと通る海の風情が実に渋いものである。

 しかし牡蠣は、どちらかというとその真逆。

 柔らかさからして違う。噛みしめる程に味が染み出してくる他の貝類とは異なり、さっぱりしているとすら言える。しかし噛みごたえは柔らかなだけではなく、肉を噛んでいるようなイメージがある。

 

 

「醤油を少し垂らしてみても‥‥うん、牡蠣から染み出してきた汁と混ざって上品な舌触り。濃い醤油は主張が強すぎるけど、こうやって出汁と薄まると侘び寂びって感じですね」

 

 

 牡蠣に直接垂らしては意味がない。少し端っこから、それも、片方に偏ってしまわないように一滴ずつ慎重に回しかける。

 たっぷりと殻の上に溜まった出し汁をくるりくるりと全体に巡らせて、丁度よい塩梅に味の濃さを調整してから口へと運ぶ。調節に苦心しただけあって満足いく濃さ。舌を刺激せずに鼻へと抜ける、出汁の柔らかな香りと醤油のパンチの効いた濃さ。

 舌で千切れてしまいそうなぐらいに当たりが柔らかいのに、その香りと味の芳醇さにはしたなくも鼻から息が漏れた。美味しいものを食べるとついついやってしまう。

 

 

「レモン、レモンが足りないわ。牡蠣にはレモンよ」

 

「大鳳さん、酸っぱいのが好きなのかい?」

 

「練習航海でヨーロッパに行ってた時は、オイスターバーに入り浸ってましたからね。すいません店員さん、レモン下さい」

 

 

 醤油はあるが、レモンは有料。しかしたいした値段ではない。躊躇無く注文。

 余談だが基本的に艦娘はやたらめったら高給取りだ。彼女達は歴とした自衛官であり国家公務員なのだが、彼女たちにしか相手取れない深海棲艦は夜討ち朝駆け昼夜を問わず出現する。結果として休みらしい休みも満足に取れず、へたすれば長い航海と戦闘を終えて帰港しても、補給を済ませれば取るものも取りあえず再び出撃だ。

 過酷な就業時間と厳しい就業規則。前の夜には酒を酌み交わし談笑した戦友が翌日の昼には海の藻屑になってもおかしくない命の危険と隣り合わせの職場。そして専門性に加えて国家の保証と補償があるとはいえ肉体改造までついてくるなんて、ブラック企業も真っ青である。

 そこらへんの企業の重役なんか鼻にも引っ掛けない高給取りであっても、誰だって文句はいえないのである。

 

 

「あぁこれこれ、やっぱりレモンがないとね」

 

「私はお醤油だけでも。むしろお塩があれば十分なような気も」

 

「大根おろしも合うのよ、高雄。あとお味噌汁なんかも」

 

「そんなもの海外じゃ出ないでしょうに」

 

「大湊の方で、少しね」

 

 

 牡蠣は大きさでもかなり味が変わった。

 小さいものは小ぶりな身に合わない、意外にパワフルな味と香りがする。一方で大振りな殻を持っていても身は小さかったり、小ぶりな殻のいっぱいいっぱいに身が詰まっていたり。

 貝類独特の潮臭さにも一つ一つ個性があって、三人が話している牡蠣の味付け持論にもある通り、レモンや塩や醤油の調節や組み合わせで風味もまるっきり変わってくる。

 

 

「はふ、もぐ、ごくん」

 

 

 気が付けば、いつの間にか鉄板の上に牡蠣はない。代わりに海老が皿の上へと移動していた。

 気を遣った高雄あたりが寄越してくれたのか。ぺこりと頭を下げ、箸で掴む。

 頭も尻尾もそのままの、真っ赤に熟れた海老。遠慮なく頭から噛り付き、ぼりんと小気味いい音を立てて真っ二つに。

 

 

「シシャモも海老も、やっぱり丸齧りに限ります」

 

 

 少し頬の内側にチクチクと髭や足が痛いが、この感触が堪らない。それに固い頭を噛み破った時に顔を出す味噌がいい。おやじ臭いけれど、これをビールで流し込むのは最高だ。

 このお店では持ち込みできるのが飲み物だけだけど、白米があったら醤油を垂らした海老を少し焦げるぐらいまで鉄板の上で熱々に焼きあげて、ごはんの上に乗せたらどれほど美味しいだろうか。

 

 

「赤城さん、牡蠣のお代わり取りにいきませんか? このボウルに入れてくればいいんですって」

 

「! ‥‥そういえば食べ放題でしたね! 早速とりにいきましょう、蒸しあがるのに時間もかかりますしね!」

 

 

 さっき丁度通った、たくさんの牡蠣が積まれた場所へと行ってボウルの中に牡蠣を入れていく。

 大きいものばかりがいいとは限らない。小さな牡蠣だってたっぷりに身が詰まってるかもしれないし、小さいなら小さいでまた別の味わいがあって好きだ。

 しかし一度に蒸すことの出来る量は限られている。上手く噛み合うようにして並べなければいけないだろう。地味に大鳳も小柄な体格に似合わずよく食べる。下手を打てば奪い合いになるかもしれない。

 牡蠣の奪い合いになったら最悪この店で死人が出る可能性だってあるのだ。

 

 

「‥‥赤城さん、そんなに鉄板を睨んでも火が通る時間は変わらないよ」

 

「時雨さん、貴方確か本式缶を」

 

「鎮守府に置いて来てるに決まってるじゃないか。落ち着いて」

 

「慌てるんじゃないわ赤城。正規空母はうろたえない‥‥」

 

「すでに手遅れよ。あと、出来れば貴女の言う空母の括りからは装甲空母を外しておいて」

 

 

 蒸しあがるのに十分から十五分ほど。待つのは嫌いではない。しかしご馳走を前にお預けを喰らうのは中々辛抱が難しいものだ。

 ちびりちびり、と高雄が持ってきた日本酒を舐める。何故この重巡はさっきまで海外にいたのに何でもない顔をして地酒を仕入れて来られるのだろうか。

 

 

「ほら、蒸しあがりましたよ赤城」

 

「いただきますっ!」

 

「あぁ、すごい。これが一航戦の誇り‥‥」

 

「こんな誇りを威張られても同僚‥‥戦友として辛いのですがそれは」

 

 

 

 熱い、熱いと苦戦しながらも冷めないうちに牡蠣を手に取る。

 艦娘は総じて常人と隔絶した身体能力を誇る。最悪、殻は割ってしまえばいい。素手で。

 もちろん一度それをした瞬間に風情も何もあったものがないと凝り性の大鳳に叱られたが。

 時間制限のためか満足いく量を食べられたわけではないが、しっかりと誰よりも牡蠣を確保してご満悦のお食事会。

 

 その後、話し足りないと移動した喫茶店で更に注文を重ねて、またそういう場所ではないと大鳳に叱られたのだが。

 牡蠣の匂いがきついので、本日はこれにて仕舞い。

 

 

 

 




今回は取材に複数名同行したので試験的に孤独じゃないグルメ。
赤城さん一人に喋らせるよりも難しいですね。
当人達の希望で個性とか出しづらい艦娘選んだのが原(ry


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新潟県新潟市中央区のみそタレカツ丼

三月に行ったところなので、恐縮ですが季節の設定もそちらに合わせています。
あと記憶が殆どさようならしてしまって、少し書くのが大変でした。
クオリティ低めの九千文字で申し訳ないです。


 

 

 

「―――はあぁ~、いいお湯。やっぱり温泉は日本の心ですね。こうやって浸かっているだけで体中の疲れが解れて消えていくわ」

 

 

 舞台は飛んで、東北。

 春も近いとはいえ、やはり北に来ると少しは寒い。海に出れば北に南にと東奔西走の勢いで駆け回る一航戦ではあるが、母港は関東、流石にこの季節にここまで冷えはしなかった。

 しかし思ったよりは冷えない。しっかりと着込んできているのもあるが、山間部は寒い時と暖かい時があるのが原因なのかもしれない。流石に風は冷たいが、日差しがしっかりしている日中は心地よい気温で過ごすことが出来た。

 

 今日の仕事は中学校への出張。正確に言えば、大湊へ寄港してから東北を経由して陸路で鎮守府へ向かう途中だった。

 艦娘は戦略上は艦船として扱われるが、戦術的には歩兵に近く、実際の航行能力は通常の艦船に遠く及ばない。要するに戦闘能力自体は戦艦や空母のそれでありながら、海の上を走る歩兵なのだ。具体的に言えば、長距離を単独で航行することは出来ない。

 例えばこれが陸路を征く歩兵ならば、休憩や食事、睡眠は野営によって問題なくとることが出来る。陣地を造り、あるいはその場で、座って食事をとりテントを張って眠ればいい。しかし海上ではまるで話が違う。

 先ず食事からして困難だ。艦娘は海上を走るように航行する技能を持つが、流石に座ったり寝そべったりすることは出来ない。いや、出来るが、それは普通の人間が海面で浮いたり漂ったりすることと何ら違いはないのである。そんな状態で食事などとれないし、眠った瞬間に流されてしまう。

 服や身体を海水から守ることは出来ても、流石に手に持った食べ物まで防水してやることは不可能。

 

 海の漢だ艦隊勤務。月月火水木金金。

 基本的に航行とはやたらめったら時間のかかるものだ。内洋ならともかく外洋ならば更に。そんな状態で、歩兵のように行軍など出来るはずもなく、基本的には護衛艦やら輸送艦で遠洋へと移動し、作戦海域で戦闘や索敵を行うのが基本だった。

 赤城自身、式神による航空機の運用は護衛艦の甲板から行うことの方が遙かに多い。無論いざ戦闘海域での戦闘任務の最中などは海水に濡れた携帯糧食で餓えを満たし、僚艦に曳航してもらいながら仮眠を取ったりもする。しかし通常航行の最中までそんな過酷な環境に身を置くのは御免である。

 

 そういうわけだから新幹線での移動というのは、正規空母たる赤城にしても決して珍しいことではないし、電車大国日本の出身としては慣れ親しんだものであった。

 軍務に就く以上は一刻も早く鎮守府に戻り待機の体制をとるのが道理。しかし艦娘というのは世界でも運用している国が少なく、日本ではもはやアイドルにも似た扱いを受けている。

 あっちこっち引っ張りだこで、講演やら何やら、下手すれば握手会まで。

 基本的に資質に大きく左右されるため候補生の数に比して正規の艦娘として“竣工”できる者は少なく、稀に殉職する艦娘の補充や新造艦のための訓練など、勧誘の必要は大いにある。

 赤城自身も鎮守府以外で、子ども達や見学の人達との話をするのは嫌いではなかった。人の知らないだろう自分の経験を説明する、というのは珍しくも楽しいものであった。

 

 

「お仕事、ですから気を緩めてはいけませんが‥‥。余った時間にこうして休養をとるのも仕事の内ですよね。本当、遅くまでやっている温泉があって良かったです」

 

 

 新潟駅にホテルをとって、小学校や中学校を廻って丸一日。

 大勢の人を相手に喋るというのは意外に疲れるもので、気がつけば肩は重く、よく考えれば出撃がないにせよ気を休める暇もなかった。

 せっかく遠いところに来ているのに、これでは疲れてばかりで風情がない。遠いところに来たなら、やはりご当地の美味しいものを食べたり、美味しいものを食べたり、美味しいものを食べたりしたい。

 

 その前に体を休めたい。

 

 新潟といえばお米とお酒が有名。しかしお酒は苦手だし、お米は必ず食べるものなので楽しみではあるが、観光やら何やらにも興味がある。

 青森では五稜郭などの史跡を観光したが、新潟は生憎と心惹かれる観光先を探し当てることが出来なかった。佐渡へ行くには少し遅い時間だったし、ならばと選んだのがこの温泉地だった。

 本当は宿をとっている新潟駅の近くに温泉があればよかったのだが、どうやら市街地には満足いく温泉はないらしい。仕方がなく、というわけではないが、遥々電車で一時間。遠いだけに素晴らしい温泉をこうして楽しむことが出来たのは、まさに旅の醍醐味、僥倖というべきものだろう。

 駅から少し遠かったけれど、町内を回るバスが出ていてくれて本当によかった。帰りは‥‥まぁタクシーを呼べばいい。あとでロビーの人にお願いしよう。

 

 

「しかしスーパー銭湯みたいなのに、ちゃんと温泉っていうのが凄いですねぇ。特にこの露天が最高です。夜空を眺めながら、寝そべって温泉に入れるのは本当に素敵」

 

 

 市街地からは随分と離れてはいるが、かなり豪華な温泉施設だった。内湯もひろいし、何より露天は更に広い。寝湯に加え、五右衛門風呂や立ち湯など数種類もあれば十分過ぎる。

 一般的な硫黄泉なのか、かなり強烈な匂いがする。嫌な匂いではない。むしろ良い。如何にも温泉っていう温泉だ。匂いから身体が癒されていくようだった。

 周りを見ると意外にも若い、おそらく二十歳未満の娘さん方が多く、少し驚く。地域密着型なのだろうか、新潟美人ばかりで、もしかしたら美容にいいお湯なのかもしれない。海水に晒されてばかりの職場にいるから、熊野さん程ではないけど、結構この手の話題には敏感なのだ。

 

 

「おや、今夜は随分と月が赤いですね。‥‥むぅ、お腹が空いてしまいました」

 

 

 気がつけば、もう夜の七時を過ぎた。この温泉にも食堂はあるけれど、ちょっとそういう気分ではない。

 となると此処の駅近で済ませるというのもアリだ。しかし、どうもこの町の様子だと暗くなってからやってるお店を探すには苦労しそう。

 終電も遅いだろう。とりあえず、ホテルのある新潟駅へ早めに帰りついておかなければ一安心というわけにはいかない気がした。

 

 

「そうと決まれば善は急げ。名残惜しいですが、早く上がってコーヒー牛乳飲んでからタクシー呼んでもらいましょう!」

 

 

 しっかりと身体を洗い直し、湯あたりしないようにしてから着替えてロビーへと出る。

 新潟の夜は流石に冷えるけれど、長いこと温泉に浸かっていた身体は芯からポカポカと暖かい。装備の重さに中々ほぐれない肩凝りも、今は随分と楽。伸びをすると、いつもより気持ちいいくらいだ。

 

 やはりタクシーを呼んで帰る人は多いらしく、ロビーの人も手慣れた様子。ものの五分もしないうちに、気さくなオジさんが運転するタクシーは私を乗せて出発した。

 小さな町の、細い路地を全速力で突っ走るタクシーは、普段鉄風雷火の中を駆け抜ける私でも少し怖かったけれど、無事に電車に間に合うことが出来たのでありがたい。やはり予想した通り、この駅に止まる電車はかなり間が空いているらしくて危ないところだったそうな。

 

 券売機が車内にある電車に揺られ、リラックスした身体はすぐに睡魔に降参した。

 乗客は自分一人。静かな車内に響く、車輪がレールの上を転がる音。そして風がドアを掠めていく音。たまにふと瞼をあげれば、灯りもなく真っ暗で、静かで、どこまでも続く田んぼが、まるで慣れ親しんだ夜の海のようだった。

 

 

『―――次は終点ん、新潟ぁ、新潟ぁ〜。お忘れ物のございませんよぉう、おぉ気をつけくださいぃ』

 

「‥‥あ、すっかり熟睡しちゃってました。うぅ〜ん、ちょっと痛いけど、やっぱり温泉の効果ですかね、身体がいつもより軽いわ」

 

 

 すっかり夜も更けた新潟駅。人通りは驚く程に少ない。遠いところへと行く電車が多いのだろうか、確かに終電は早い。駅に人が少ないのは、おそらくそのせいだろう。

 代わりに繁華街へと足を伸ばしてみれば、結構な数の人があちらこちらを歩いていた。土地のものを扱った飲み屋が非常に多い。風情のある店構えも心そそられるが、今はとにかくお腹がすいてしまっていた。

 

 

「そういえば新潟って、なんでもかんでも美味しいイメージがあって何を食べたらいいのか分からないんですよね。‥‥ちょっと調べてみましょうか」

 

 

 海の上では使い物にならなくなるスマホを久々に取り出し、“新潟、ご当地、グルメ”とインターネットブラウザに打ち込んで検索をかける。

 流石に涼しいを通り越して寒さを感じる夜風もそうだが、繁華街で立ち尽くしてしまっているからだろう、騒がしさと眩しさが耳と目に痛い。ここは早いところ、落ち着けるお店に入ってのんびりご飯を食べさせてもらった方がよさそうだ。

 

 

「海産物、へぎそば、鳥の半身揚げ‥‥? どれもお酒に合いそうな。おそばは、ちょっと今の季節だと気がノリませんねぇ。―――あ、これが美味しそう。たれかつ丼、ですか」

 

 

 鎮守府の食堂でも縁起担ぎのためによく出るカツ丼。けれど普段の見慣れた卵とじではなくて、ソースでもなくて、カツをたれに漬けて丼に乗せるのが新潟流だと言うではないか。

 カツ、というのは中々特別な食べ物だ。ソースで合わせるのが基本だが、おろしポン酢に青ネギを散らすのも悪くないし、塩だれも好みだ。ボリュームも食べ応えもあるのに味付けが万能というのは頼もしい限りである。

 その安心感のある頼れるおかずを、ご当地グルメにするというのはかーなーり気になる。そもそもからして色んな種類があるのだから、自信の程が伺えるというもの。

 

 

「‥‥あ、でもこの時間だと殆どのお店、閉まっちゃってるんですね」

 

 

 酒場ならともかく、新潟の食堂は閉まるのが早い。というか、いつの間にか東京でも店が空いているか不安な時間になってしまっていた。

 これでは目当ての品は食べられそうにない。となると、どこか適当な居酒屋に入って、メニューにないかどうか探すか。しかしそれではあまりにも当てずっぽうだ。索敵なしに敵艦隊と邂逅なんて戦場なら洒落にならない話だ。

 

 

「あの、すいません」

 

「はい、なにか御用ですか?」

 

「旅行者なんですが、この時間でもタレカツ丼を食べさせてくれるお店を知りませんか?」

 

「タレカツ丼ですか? 旅行してきた人に喜んでもらえる店かぁ‥‥。そうですね、この時間なら反対側の、北口の大通りをまっすぐにいったところにある、量販店の二階に行ってみたらどうでしょうか。行けば、すぐわかりますよ」

 

 

 大きなリヤカーを曳いて歩く移動販売のお兄さんに尋ねると、親切に駅の向こう側を指してくれる。

 今いるのが南口で、繁華街などがあって人の数も多い。北口はまだ行ったことがないけど、ビルも建ち並ぶこちらとは変わり、広々とした風景が広がっていると聞く。

 お礼に、というわけではないけれど、せっかくだからと売っていたロールケーキを一つだけ買って歩き出した。リヤカーは保冷庫になっているようで、少し歩いて汗をかいた身体にフルーツとクリームの甘酸っぱさと爽やかな甘さがうれしい。

 昔、中学でバスケ部に入っていた頃、よく顧問の先生の奥さんが持ってきてくれた差し入れに似た味。あの人はたいそう品がよかったからお皿に乗せて持ってきていたけど、あれは市販の品だったのだろうか、それともあの人の手作りだったんだろうか。

 

 

「さて、北口‥‥何処から行けばいいんですかね」

 

 

 乗ってきた新幹線のホームは新潟駅の上層階。けれど一階には講演のために赴いた学校へと続く普通の路線が敷かれていて、向こう側へと行くことが出来ない。

 見渡した限りでは地下道も踏切もなく、漸く捕まえた駅員さんから教えてもらった階段を上って、反対側への北口へと漸く到着。

 ‥‥成程、確かに広くて建物も低い。しかし区画整理が進んでいたのだろう。整然と並んだ建物と綺麗な道路は近代的で、良い景観だ。

 

 

「教えてくれた量販店は‥‥あれですね。随分と遅くまでやっているみたい。この街は夜が早いイメージありましたけど、やっぱり若者が集まるところって賑やかなんですね」

 

 

 カラオケやゲームセンターも併設しているらしく、夜も遅くなってきたのに若者の姿が多い。

 今日は陸でのお仕事ということでスーツを着ていたから、さぞかし浮いて見えるのだろう。少し無遠慮に視線を向けられているのを感じる。

 講演の時は艦娘としての制服ではなくて、海上自衛官としての制服を着ていた。それは小ぶりのスーツケースに収めてあって、それも浮く原因になっているんだろうか。どう見えているんだろう。就活生だろうか。大学生だろうか。

 

 

「まぁ、旅先の恥はかき捨てともいいますし」

 

 

 艦娘、というよりは自衛官として恥ずかしくない立ち居振る舞いは必須だけれど、こんなところにまで気を遣ってはいられない。そんなことよりもお腹が空いている。

 エスカレータを躊躇なく使って、二階へと上るとすぐにお目当てのお店は軒を構えていた。

 

 

「ごめんくださーい」

 

 

 そんなに古いお店じゃないのだろうけれど、軒先は和風で感じがいい。

 中に入るとすぐにテーブルの席が並んでいて、奥はどうやら座敷になっているようだ。デパートとかの上の階にあるレストラン街に、こういうお店はあるイメージ。家族とかで来たいお店かも。

 

 

「はい、いらっしゃいませ。おひとり様ですか? お座敷とテーブルとご用意してますけど‥‥?」

 

「テーブルで大丈夫です」

 

「ありがとうございます。こちらへどうぞ!」

 

 

 座敷も悪くはないけれど、今日は若い人たちでごった返しているみたい。夜でもたくさんお客さんが来るお店なのだろう。今日は賑やかな学生たちに囲まれて長い講演をこなしたからか、今はその賑やかさから少しだけ遠ざかりたかった。

 

 

「ご注文はおきまりですか?」

 

「‥‥この、味噌カツ丼を下さい。大盛りで。あと、お漬け物も」

 

「お新香はご注文下さらなくてもご用意しておりますが‥‥」

 

「へぇ、そうなんですか。じゃあ、おうどんとサラダもください」

 

「ふ、普通のサイズでよろしいですか?」

 

「はい、勿論」

 

「‥‥かしこまり、ました」

 

 

 バイトだろうか、同じ年頃の女の子が苦笑いしながら去っていった。

 自分も世間一般だと、もしかしたら大学生とか新入社員ぐらいに見られる年頃。ということは、もしもこうして艦娘になっていなかったら、あんな風に大学に通って、バイトして、そんな普通の生活も待っていたんだろうか。

 大学で友達と一緒に講義を受けて、時にはサボッてしまって代返をしてもらって、テニスサークルとかに入ったら飲み会で倒れてしまったり、バイト先で素敵な先輩に恋をしたり、そんな日々も待っていたんだろうか。

 今の生活に不満はない。ただの、ifの話。特に意味もない。普通の生活に憧れているわけでもない。

 ただ、一度そうやって自分の人生を見つめ直した時、この選択が全くもって後悔の必要ないものだったのだということを再び確認出来るとも思う。

 あの広島の山奥の田舎。畑しかないような田舎から。お母様とお父様の反対を押し切って飛び出してきたのは間違いなんかじゃなかったと。

 今でこそ仕方がないと認めてくれているお父様とお母様には、でも、悪いことをしてしまったかも。

 後悔というよりは、いわゆる反省。

 

 

「お、お待たせしました。こちら味噌カツ丼大盛りと本日のサラダ、おうどんでございます」

 

「ッ! きましたねぇ!」

 

 

 少し重そうに、フラフラとお盆を持って現れる先ほどのアルバイトのお姉さん。

 流石に音も立てずに、というわけにもいかず。ズシンと置かれたお盆の上には四つものお椀。それぞれが大きくて、蓋がされているのがとても良い。

 

 

『味噌カツ丼』

 →たっぷりと濃厚なミソダレ、そしてボリュームは日本アルプス!

 

『サラダ』

 →海藻盛りだくさん、海の香りとさっぱりしたポン酢味。

 

『カレーうどん』

 →素うどんかと思いきや、濃厚なカレー味。お兄様絶賛。

 

 

 パッ、と蓋をとれば広がる色んな匂い。

 それぞれがそれぞれを妨げることなく。自分を食べて! と訴えてくるかのようだ。

 

 

「うわぁ、ものすごいボリューム! カレー丼みたいになってますねぇ。いや、甘い匂いもしますね。これはまた豪勢な。では‥‥いただきます」

 

 

 先ずは何はなくともカツの一口目。

 惜しみなくかけられた味噌はチョコレートみたいに濃厚な色。その上に散らしてある青ネギがなかったら、本当にチョコレートだと感じてしまったかもしれない。

 あまりにも視覚に訴えかけてくるボリュームに、おそるおそる箸で持ってみると想像した重さはなく、びっくりするほどに軽い。間違えてペーパークラフトでも持ってしまったのだろうか、というほどに。

 思わず眉に皺が寄り、しかし一口。

 

 

「む、むむ、おいしい?!」

 

 

 じゅわり、と口の中に広がる油。いや、肉汁。

 そして肉汁と混ざり合った、つけダレの味。

 塩っ辛いかと思ったのに、柔らかいと感じるぐらいにさらさらと優しい味だ。

 

 

「溢れた肉汁の旨味としみ込んだタレの混ざり具合、ちょうどいい。まるでスープみたいです」

 

 

 紛れ込んで舌の上へとやって来た青ネギが、思ったよりも存在感を発揮している。

 思わず全部飲み下してしまって、あ、と一言。

 確かにタレカツ、おかず係数が高い。けどご飯とのバランスが一番大事だ。

 調子に乗って食べていたらすぐになくなってしまう。

 

 

「このキャベツ、フワフワしてる。キャベツの敷布団に味噌だれの掛布団。お風呂上りにベッドにもぐっても蒸れないなんて、いいですねぇ」

 

 

 たっぷりのキャベツは幸せの象徴。

 スーパーとかで売られてるお惣菜のカツに、申し訳程度に敷いてあるキャベツなんてタオルをシーツ代わりに使うようなものだ。

 ‥‥もっとも艦娘訓練校ではフワッフワの布団なんて縁がなくって。ぴっちりと敷いたシーツの上に、同じくらいぴっちりと敷いた布団。その封筒みたいな隙間に潜りこんだものである。

 しかも起床した瞬間に着替えたのでは間に合わないから、入学直後は早めに起きて、布団の中で着替えていた。女の子なのに。

ちなみに起床合図前に布団から出て着替えちゃいけない。寝間着を着ないのも駄目。とんだ理不尽だけど、これが軍隊。

 

 

「キャベツを間に挟むと、ご飯とカツの間にワンクッション入って良い感じです。ご飯が敷き布団で、ミソダレが掛け布団‥‥間のキャベツって、何布団ですかね?」

 

 

 敷き布団onキャベツon掛け布団‥‥、毛布ですね! 分かれよ赤城そのくらい!

 キャベツとか漬け物とか、ポテトサラダとか、秋刀魚の塩焼きについてる大根おろしとか、そういうものが少し多めについていると嬉しくなってしまうのは何故だろうか。

 おっと忘れてはいけない、お漬け物。今日は大根を短冊に切ったものか。鳳翔さんのお漬け物もいいけど、こっちも悪くない。たぶん土地が違うから味も違うんだろう。しゃきしゃきとしていて、歯の奥の神経が喜んでいる。

 

 

「お味噌汁も味噌に合わせて濃厚‥‥。濃厚×濃厚で、超濃厚。でも悪くない、なんでかしら舌が重くない」

 

 

 さて、汁物といえばカレーうどん。

 カレーというと、鎮守府では艦娘が交代で作る名物料理。それぞれレトルトカレーなんかも商品開発したりして、一家言ある。

 一方でカレーうどん、というのはあまり馴染みがないような。近いようで遠い、そんな料理。

 

 

「‥‥うん、そんなに重くない。カレーにうどんを入れたっていうよりは、カレー味のうどんって漢字です。ヨーグルト飲料みたいな、ヨーグルトじゃないけどヨーグルトみたいな」

 

 

 具はオーソドックスな豚バラ肉。肉に歯ごたえがあって、カツよりも噛み応えがあるかもしれない。

 この豚バラ肉の隣に浮いている、二つに割られたゆで玉子。どうも味噌に隠れて分かりづらかった、カツのタレで味付けがしてあるらしい。

 ゆでたまごだけを救出してご飯の上へと避難。よくタレの染みた卵はうどんにも合うけれど、ご飯と合わせても悪くなかった。 

 元々関東で普通に出されているカツ丼は、カツを卵でとじたもの。となると卵とカツの相性は約束された勝利の組み合わせである。

 

 

「普段は関東の味付けばかりだけれど、北のご飯も美味しいのね。そういえば、お酒も北の方が好きって隼鷹さんが言っていたような‥‥。

 そういえば新潟駅には日本酒の利き酒が出来るお店もあるって聞きましたね。隼鷹さんに、何か買っていってあげてもいいかも」

 

 

 キャベツとご飯に対してカツを少し多めに残して食べ進むと、一番最後から少しだけ前、カツだけを惜しみなく頬張ることが出来るから正義(ジャスティス)

 もう少しカレーうどんの汁が濃かったらご飯にかけてもよかったかもしれない。このうどん、コシがあるというよりは柔らかくて優しく打ってあるから薄いぐらいの汁が合うんだろう。

 

 

「うーむ、最後の一切れはせつないですが‥‥ごちそうさまでした」

 

 

 少し残ったキャベツとご飯、そして一番小さなカツの切れ端で丼の中を掃除するように、一口。

 そして同じく残していたカレーうどんの汁でフィニッシュ。

 流石にお腹も良い調子。さっきまでの空腹が見事に癒され、駄目押しのように相変わらず苦笑いのお姉さんが出してくれたお茶で一息。

 やっぱりお米が美味しい場所は、お米に合うおかずもダントツに美味しかった。

 

 

「あの、すいません」

 

「なんですか?」

 

「日本酒の利き酒が出来る場所があるって聞いたんですけど」

 

「新潟駅の利き酒館ですか? あすこは居酒屋‥‥お食事所はまだ開いてますけど、利き酒は終わっちゃってますね。明日のお昼前ぐらいからやってると思いますけどぅ」

 

「そうなんですか。ありがとうございます」

 

 

 そうだ、もう夜も遅い。

 お会計を済ませて外に出ると、さっきまであんなに賑わっていたショップの中も、人影疎らになってしまっていた。

 新潟の夜はまだそんなに寒くはない。けど、流石に吐く息は白かった。

 戦場でもあるまいし早寝早起きは軍人にとって子お灸みたいなもの。

 今夜はいつもよりゆっくりと寝て、明日は昼過ぎの新幹線に乗って帰らなければいけないから、その前に利き酒館というのに向かってみよう。

 きっと隼鷹さんにも気に入ってくれるお酒がたくさん選べるはずだ。

 もっとも、選ぶこっちが、選ぶ前につぶれてしまっては意味がないんだけど‥‥‥‥。

 

 

 

 



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三重県伊勢市宇治中之切町の手ごね寿司

この場を借りて少々宣伝を。

C87コミックマーケットで、艦これ小説を一つ寄港させて頂きました。

12月30日(火)西あ39ab「東京組体操組」「フロンティアチャイルド」様です。

青葉と古鷹がメインのお話で、「あの夜を越えて」と題名をつけさせて頂きました。

全力を尽くさせて頂きましたので、よろしければお手にとってみてください。

どうぞ宜しくお願いします。

http://2style.net/tokyocpe/


 

 

 

 伊勢神宮。

 何故ここが日本で最も大事な場所の一つなのかと聞かれて、理由を説明出来る人も今では少なくなってしまっただろうか。

 あるときまでは全くその通りだった。

 人々は信心というものを失い、己を無宗教だと言って憚らず、物質的な文明を謳歌していた。

 契機は深海棲艦の出現。およそ現行の兵器と戦術が通じない怪物を前に、人類は一度は捨てたオカルトの世界へ活を求めたのである。

 結果として陰陽師や祈祷師、呪い師などが再び現れ、艦娘という兵科の出現へと至った。そして人々は神や精霊、妖怪などの、今まで「存在しない」と決めつけていたものの存在を見直し始めた。

 世界的に文化の見直し、保護、復元運動が盛んになって暫く経つ。特に日本は元々あちらこちらに寺社仏閣や古墳、聖地、史跡が山ほど――あるいは山そのものも――あった。巡礼活動による観光収入、文化保護予算の増額、不審者や不審団体の頻出など、その界隈では蜂の巣を突っついたかのような大騒ぎである。

 結局のところオカルトパワーの存在は確認されたが、神様や妖怪の実在までは確認できていない。しかしどうにもオカルトな世界では、日本を例に挙げると八百万の御加護が働いているとしか思えない術もあるそうだ。

 そういうわけで日本では聖地巡礼がブームになっているし、外国もだいたい似たような状況なのだと。

 

 

「ごめんください、甘酒を頂けますか?」

 

「はい、いらっしゃいませ。しょうがは入れますか?」

 

「御願いします」

 

「かしこまりました」

 

 

 伊勢神宮は、つまるところ全ての日本人の祖のようなものである。

 というのも祀られている神様が、あの天照大神。全ての神社の上に立つ神社であり、皇室の氏神でもある。朝廷とも深い関わりがあるからか武士からも公家からも大切にされており、庶民の間でも、特に江戸時代にはお伊勢参りが盛んに行われたという。

 つまるところ、いわば神道にとってのバチカンのようなものなのだ。

 

 

「はい、お待たせしました甘酒です」

 

「ありがとうございます。‥‥うわぁ、お煎餅が浮いてる」

 

 

 使い捨ての容器に満たされた甘酒を手にとり、赤城は安堵の混じった吐息をついた。

 十二月の伊勢は関東に比べると圧倒的に寒い。ホテルから出た瞬間に雪がちらつき始め、積もってこそいないが気温は恐ろしく低かった。財布から出した小銭に温もりを覚えるくらいに。

 

 

「あの、もしかして赤城さんですか? 空母の‥‥」

 

「はい、そうです。分かりますか‥‥分かりますよね、こんな格好ですし」

 

「お伊勢参り、お仕事なんですか?」

 

「えぇ、ちょっと事情がありまして。参拝のときは、この格好じゃないといけないので」

 

 

 記念写真、撮っていただいてもいいですか? と無邪気な売店の少女に応えてあげながら、赤城は自分の格好を見直した。

 角袖のコートと羽織を着てはいるものの、その下は完全に艦娘そのもの。特に赤い袴、これはいけない。先ず短いからどうしても寒いし、こんな目立つ袴を履いてる人なんて艦娘以外にはいないだろう。

 この季節の平日、しかも外宮の方だから人通りは少ないが、ちらちらと視線を感じていたし‥‥。明日の内宮参りは上から普通に着物を着てしまった方がいいかもしれない。

 どうにも自分は脇が甘い、と赤城は甘酒を啜った。

 

 

「ん、美味しい。すごく濃いですね。お粥みたい」

 

「ありがとうございます。よかったらこっち、座って下さい。お座敷になってますから」

 

「どうもすいません」

 

 

 関東に比べると少し癖が強いが、味は柔らかくて優しい。そして飲む、ではなくて食べる、と言ってしまうぐらいしっかりとした食感があった。

 浮かべられた煎餅も半分は酒の中に浸かってふやけていて、食感が面白い。ほんの少しだけ加えられたおろし生薑もアクセントになっている。決して主張しすぎないが、個性を引き立てている絶妙なバランスが心憎い。

 

 

「これから外宮のお参りですか? 内宮も行かれますよね?」

 

「はい。でも内宮参りは明日にしようかと思ってるんです。ちょっと到着が遅かったので、今日は無理かなと」

 

「そうですね。この季節はいつもより閉まるのが早いので」

 

 

 艦娘が艤装を運用するとき、それぞれの艤装には妖精さんと呼ばれる式神の一種が取り憑いて補助を行う。現代でも大きな艦船は一人では動かせないように、艦娘も自身だけでは十全に戦う事は出来ないのである。

 それは戦艦の主砲などだけではなく、航空母艦である赤城が放つ艦載機もまた同じ。具体的には、それぞれの航空機はそれぞれの妖精さんによって操縦される。艦娘は艦艇であり艦長、妖精さんは乗組員のような存在なのだ。

 彼女ら(妖精は基本的に少女をかたどられている)の運用そのものについては多分にオカルティックな技術を要するため、艦娘も巫女や祈祷師の一種である。そしてオカルトな職業の、特に神道に影響された部分の大きい艦娘にとって巡礼というのは非常に大きな意味をもつ。

 

 

「お参りって、やっぱり特別に手配されるんですか?」

 

「そんなの天皇陛下でもなければ無理ですよ。基本的には普通の人と一緒です。まぁ色々とやらなきゃいけないことは多いので、準備が大変ですけど。‥‥ごちそうさまでした、また来ますね」

 

「サインありがとうございました。お待ちしてます!」

 

 

 店員にお礼を言って、店を出た。途端にものすごい寒風が吹き付けてくる。

 せっかく暖まった手足がすぐさま凍り付いてしまいそうになるので、慌てて赤城はポケットの中に手を突っ込み、少し早足で歩き出した。

 生憎と少し時間が経っても、人ごみが風を遮ってくれるなんてことはなかった。

 

 

「まぁ人が多くても、それはそれで面倒なんですが」

 

 

 伊勢神宮は大きく二つの宮に分けられる。

 天照大神をお祀りしているのは内宮の方で、今から行く外宮には豊受大御神がお祀りされている。正確には社宮の数は125もあって、それらを総称して神宮と呼ぶ。伊勢神宮と言うのは他の神宮と区別するためのものであり、流石は神道の総本山である。

 そして基本的には外宮から内宮へとお参りしていくのが作法であった。外宮と内宮とは徒歩で一時間近くも距離があるが、バスが出ていて便利。しかし先ほど店員が言っていた通り、この季節はどちらも夕方には閉まってしまう。

 赤城は鎮守府で色々と仕事を済ませてから慌てて新幹線に飛び乗ったので、既に外宮が閉まってしまうまでそこまで時間はない。

 色々と面倒な手続きもあるので、やっぱり今日のお参りは外宮だけになりそうだ。

 

 

「さて、じゃあ面倒な色々を済ませに行きますか」

 

 

 一般の人がお参りするなら、それこそ今では各々の心構えぐらいで済む。しかし艦娘となると、特別な場を設えこそしないが準備が必要だ。

 例えば一般の人が簡単に柄杓で手を洗うだけで済ませるお清めも、禊という形でばっちりやる。そうなると流石に向こうにも用意をしておいてもらわなければいけないし、時間もかかるというわけだ。

 まだオカルトが世間で市民権を得る前の時代も、一部の人はこのようにしっかりと手順を踏んでお参りをしていたと聞く。ネットが発達した今では誰も彼もこれを知っていて、自分から簡略化した禊の手順をふむ人もいると聞く。

 社務所で担当の神職から聞き慣れた説明を受けながら、煩悩の数に悩みのある赤城は何とか頭から色々な雑念を振り払おうと集中を始めるのであった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「やれやれ、随分と時間がかかってしまいましたね」

 

 

 一通りの仕事を終え、普段着へと着替えた赤城は十分に内宮の入り口から離れて伸びをした。

 昨日の店員には一般人と大して変わらないと説明はしたものの、おそらく彼女が想像していた観光参拝とは違い、御垣内へと立ち入る特別参拝であった。しかも殆ど形だけのような一般人による特別参拝と違って、実際に力持つ神職者である艦娘がやるもの。

 したがって早朝から始めた内宮参拝は非常に時間のかかる大掛かりなものになってしまった。外宮の方もなんだかんだ結局は日が暮れても終わらず、やっぱり艦娘は色々な意味で特別扱いであると自身の浅慮を反省することになってしまったのであるが、今日は輪をかけて大変だったのである。

 お清めも塩ではなく水で。しかもこの季節であるから、肌を突き刺すように冷たい流水である。あちらの神職も、相手が艦娘であるのだからと遠慮容赦一切なし。一挙一投足すら厳しく指導され、まるで艦娘候補生学校へ逆戻りしたかのような気分だ。

 あと艦娘としての制服は参拝に適しているのか否か、という点で神職の方々の間では大いに議論が紛糾していたので、鎮守府に戻ったら足首までしっかりと覆う袴の採用を提督に申し出なければいけないだろう。

 空母は全体的に問題ないだろうし、駆逐艦の制服も大丈夫だとは思う。しかし伊勢型、金剛型、扶桑型はさておき、長門型は門前払いを喰らってもおかしくないのではなかろうか。島風も相当に顰蹙を買うだろうことは間違いない。

 

 

「さて、お腹もペコちゃんですし、早く食事をする場所を見つけなきゃいけませんね!」

 

 

 内宮を出てすぐ右へと進路をふれば、観光客向けのお土産物を売っている通りが広がっている。

 とはいっても伊勢は観光名所という感じはしない場所だ。神宮にしても美しく文化的な、いわゆる観光客が好む場所ではなく、純然たる宗教施設である。

 しかし境内の持つ雰囲気、尊さは巷にある観光名所などとは比べ物にもならない貴重なものだ。それに追従するように、お土産ものを売る通りも景観を保つ努力を怠っていなかった。コンビニや銀行までも、昔ながらの造形なのだから徹底している。

 

 

「いらっしゃい、お嬢さん! ウチは松坂牛の串焼きがあるよ! 食べていってくれ!」

 

「松坂牛? そういえば伊勢のすぐ近くに松坂がありましたっけ。一本下さい」

 

「まいど! 熱いうちに食べてくれよな!」

 

 

 少しお高めだが、串焼きを貰い歩きながら食べる。子どもの頃、はしたないからやめなさいと怒られたが、どうにも魅力のある行為である。

 

 

「うん、やっぱりお肉は焼きたてに限ります。お行儀よく口のなかで溢れてくれるなんて、伊勢様のお膝元らしいお上品な串ですね」

 

 

 松坂牛というふれこみはなるほど、納得できる。少し筋張っているような食感はあったが、噛み付いたときの柔らかさに吃驚するほどだ。塩と胡椒で簡単に味付けをしてあるが、しっかりと肉の奥の方まで味がしみ込んでいる。よい肉だ。

 

 

「お肉を齧ると、なんだか野性的な気分になってくるんですよね」

 

 

 住み着いているらしい野良猫をからかいながら、なおも通りを進んだ。

 干物の専門店や、編み物の専門店、さんまの姿寿司など様々な名物が並んでいる。どうも伊勢の食べ物はどれも美味しそうで困る。下手に串焼きなんて食べたものだから、腹の虫が「美味いものをもっと寄越せ」と喧しい。

 

 

「そういえば伊勢といえば、伊勢湾。松坂牛も美味しいけど、やっぱり海の幸も気になりますね。横須賀の魚も不味くはないですけど、やっぱり故郷に近い海の恵みを摂取したいというか」

 

 

 伊勢といえば海老。伊勢海老は誰もが思いつく伊勢湾の名物の一つだろう。

 しかし多数の大きな川が流れ込む豊かな伊勢湾の恵みは他にも数えきれないほどにある。例えば志摩の名物である河豚。そして牡蠣。はたまた鮫の干物なんて珍味や、アサリなどの貝類も有名だ。

 赤城は呉にほど近い山奥の町の出身だが、それなりに瀬戸内の魚介にも親しみがあった。関東とこちらでは魚の味も随分と違う。

 

 

「あれ、随分と立派なお店がありますね。‥‥てこね、すし?」

 

 

 看板に文字だけで、簡素な紹介。

 手こね寿司、と書いてあった。この通りでもひと際立派な建物だ。屋敷、と言ってもいいぐらい。実家もこのぐらいの大きさだったので、少しノスタルジックを誘う。

 後ろを流れる大きな川‥‥五十鈴川に面していて、通りに面した軒は観光のために拵えた新しいものではなく、経た年月を感じさせた。

 

 

「手でこねる、ってことですよね。でも寿司をこねるって、なんか妙な感じ。寿司って握るもの‥‥あ、ちらし寿司は違いますけど」

 

 

 この門構え、間違いなく老舗だろう。味は期待出来る。

 それに何故、と思ってしまったらこっちの負け。もう正体が知りたくて仕方がない。ネットで検索をかける? いやいや、そんな無粋な答えを得たらせっかくの謎が陳腐に成り下がってしまうじゃないか。

 

 

「ご、ごめんください」

 

 

 開け放たれた戸をくぐり、少し遠慮がちに声を上げた。

 中は広い。呉服屋さんみたいで、レジも番台のようになっている。殆ど木造で、黒々と艶かしく触ると滑らかだ。

 まるで実家にかえってきたみたいだな、と赤城は少しセンチメンタルな気分になった。

 

 

「あら、いらっしゃい。ごめんなさい、ウチまだ準備中なんですわ」

 

「そうだったんですか、こちらこそ失礼しました。外、なにも書いてなかったから勘違いしちゃって」

 

「えぇんですよ。あと‥‥三十分ぐらいかしら。もう暫くしたらご案内できますんで、もう少し待ってもろうてもえぇですか?」

 

「大丈夫です。その辺り、観光して回ってますから」

 

「ごめんなさいね、おおきに」

 

 

 また軒下をくぐって、外に出た。女将さんは申し訳なさそうにしていたが、成る程、まだ昼にはほど遠い時間だ。こんな時間から押し掛ける方が迷惑というもの。

 くるりと反転して、観光を続けることにしよう。

 見れば目の前には「おかげ横丁」と書かれた看板が見えた。どうやら土産物や食事処が集まった通りらしい。

 

 

「ここを暫くぶらぶらして時間を潰しますかね」

 

 

 この横丁、中心に大きな櫓があって、その周りをいろんなお店が取り巻いている。洋館や芝居小屋もあって、ちっちゃなテーマパークの様相を呈しているらしい。ソフトクリーム‥‥は流石に寒い。今日は特に風邪が強くて、コートの裾が背中にくっついてしまいそうだ。

 子どもの玩具や、土産用のお菓子、民芸品。とにかく賑やかな様子だが、どのお店もまだ開店の準備をしている。

 

 

「へぇ、煙管なんて今どき売ってるお店があるんですねぇ。うちの鎮守府は喫煙者が全然いないけど、提督は喜びそう。何か一つ、買っていこうかしら」

 

 

 世にも珍しい煙管専門店。一応他にも普通の煙草も扱っていて、コンビニみたいになっている。土産としては、この木彫りのライターケースなんていいかもしれない。

 百円ライターを入れるためのケース、と店員さんに説明してもらった。いい年してジッポも持ち歩かないで百円ライターで済ませるズボラな提督には丁度いいだろう。

 

 

「あ、お客さんちょっとごめんなさいね」

 

「え?」

 

 

 ちょうどいいから提督へのお土産に、とライターケースを手に取ったら、店員さんが表へと出て行く。

 見れば横丁のお店の人達全員が外に出ていて、突然、太鼓が鳴り響き、全員で柏手を打って、お伊勢様の方へと一礼。

 

 

「‥‥あぁ成る程、そういうしきたりになってるんですねぇ」

 

 

 あの櫓の上に据えてあった太鼓、こういう時に使うものだったのか。

 にわかに横丁が活気で賑わっていく。パフォーマンスの一環なのだろうか。テーマパークみたいな場所だから、どうにも他のところでどうしてるか分からないけど、そうすると鎮守府の朝のラッパも、一般の人達には同じように見えているに違いないのだ。

 ‥‥まだあの寿司屋が開くまでには時間がある。もう少しだけ小腹を満たして戦闘態勢にしておいた方がいい。

 

 

「このコロッケ、びっくりするぐらい柔らかい。衣もすっごく薄いのに存在感がある。あ、ぜんざいも食べておきたいですねぇ」

 

 

 テーマパークなんて言いはしたが、不思議なことに横丁には肉屋まであった。流石に肉を土産にする人はいないと思うが、とりあえずコロッケを一つ買って早速ほおばる。

 熱々のコロッケにスーっと染み通るソースの味がたまらない組み合わせだ。このコロッケだけでご飯一杯はいけそう。

 そんなことを考えながらも冬の風はひたすらに冷たく赤城を打ち据え、たまらず近くの茶屋へと転がり込んだ。

 

 

「すいません、おぜんざい一つ下さい」

 

「はいはい。番号札もって、待っててや。お茶はそこにあるから、よろしくやで」

 

 

 それにしても、と赤城は一人ごちた。

 こうしてお参りをするのも仕事の一環とはいえ、艦娘がオカルトな能力を行使する仕事とはいえ、果たして今回のお参りは意味のあることだったのだろうか。

 深海棲艦との戦いは激化する一方。深海棲艦に奪われた人間の勢力圏は次第に取り返しつつあるが、それに比して深海棲艦からの攻撃も加速度的に激しくなってきている。

 特にネームドシップ、姫と呼ばれる上位個体は昨年、一昨年に比べれば考えられないほど出現しており、その撃破のために費やした労力と犠牲も決して少なくはない。

 赤城が所属する鎮守府は精強で知られるが、それでも一度の出撃で姫を倒すことは不可能。まるでコンビニのように次の艦隊を矢継ぎ早に送り込み、五度も六度も、下手すれば一ヶ月も二ヶ月も戦い続けて漸く猫の額ほどの海域を得る。今の戦況はそんな調子である。

 出撃に費やす時間に比べれば、こうしてお参りに来ている時間なんて誤差みたいなもの。しかしお参りは意味のある行為と定義されている一方で、お参りによってパワーアップしたという報告も艦娘からは上がっていない。

 いや、一部の艦娘は激しくテンションが上がって普段以上の戦果を得るというのも確かだが、少なくとも自分はそれを実感することは出来なかった。

 ではやめてしまえばいいじゃないか、という意見には、しかし賛同しかねるのだ。パワーアップが感じられなくとも、こうしてお参りする、という姿勢を放り投げた途端にパワーダウンする可能性の方が大いに現実味のある話なのだ。

 

 

「鼬ごっこ、では断じてありませんけど。確実に我々は戦果を上げていますけど。この調子では最後にジリ貧になるのは私達人類の方じゃないか、そう思ってしまいますね‥‥」

 

 

 艦娘の艤装も進化している。工廠では絶えず新たな装備の開発が行われ、艦娘自体も修行を積んでいる。

 戦闘経験だけではなく巫女、陰陽師、祈祷師としての修行も平行して積み、その成果なのか何なのか、改二と呼ばれる新たなステージに突入する艦娘も増えて来た。

 しかし深海棲艦は尽きることなく現れる。倒しても倒しても、猫の額ほどの海域を得て、次の深海棲艦は現れる。より強く、より凶悪に進化して。

 この戦いに終わりはあるのだろうか。そんな倦怠感がないわけではない。

 

 

「神様が、その辺りの答えを出してくれればいいんですが――」

 

「番号札十番でお待ちのお客様ー?」

 

「あ、はーい。私です、私です!」

 

 

 さて、と意気込んで善哉に向かう。オーソドックスな、小さめのお餅が二つはいった善哉だ。

 濃過ぎることもなく、薄過ぎることもなく。そして甘ったるいこともなく、ちょうど良い上品な味わいだ。汁はドロドロというよりはサラサラな方で、添えてある梅干しと煎った小魚の塩気が嬉しい。

 

 

「やっぱり寒い時はお汁粉、ぜんざいに限りますね。この季節、自販機に汁粉缶が売ってると自然と手が伸びるのって、何故なんでしょうか」

 

 

 やはり外宮より内宮の方が人が多いのか、殆ど屋外のような東屋から見る横丁も次第と観光客が増えて来た。

 本来ならば外宮も内宮もお参りするのが正式で、片参りは由とされないのであるが‥‥昨日は遅い時間だったので人が少なかったのだろうか。

 しかしあちらこちらの観光名所と違い、のんびりした空気が流れているのはお伊勢様のお膝元だからなのかもしれない。あるいは単純に唇も凍り付くぐらい寒いから、みんな動きがゆっくりしているからか。

 

 

「むむ、いけない。そろそろお寿司屋さんが開く時間ですね」

 

 

 お代わりのお茶を啜っていると、いつの間にか三十分をとうに過ぎてしまっていた。

 これはいけない、と赤城は急いで片付けを済ませて歩き出した。あのお店、間違いなく名店。下手を打てば満員御礼で入れないなんてことになる。そんなの寂しすぎるじゃないか。

 

 

「ごめんください」

 

「あぁいらっしゃい。お待ちしてました。どうぞお座敷の方に上がってくださいな」

 

 

 思った通り、まだ混んではいないが開店直後でもしっかりとお客さんが入っている。

 雪駄を脱いで上がれば、暖房が効き始めたばかりなのか店内はまだ少し寒い。

 案内されたお座敷は広く、目の前に川の流れがばっちりと眺められる特等席。横丁の東屋から此処に来るまでの短い距離でも冷たくなってしまった指先も、温かいお茶で温度を取り戻す。

 

 

「ご注文は如何いたしますか?」

 

「この‥‥手こね寿司、を下さい。ご飯大盛りに出来ますか?」

 

「はい、かしこまりました。少々お待ち下さいませ」

 

 

 食べ歩きがしたいから、少しだけ、少しだけ抑えめにしておこう。

 そう思いながら赤城はお茶を煽る。お手洗いが近くなってしまいそうなぐらい、今日は水分を撮り過ぎだ。

 周りを見回すと単純に物見遊山とおぼしき観光客に混じって、どうも赤城と同じくお参りに来たらしい、フォーマルな格好の人も何人かいる。

 よくよく注意すれば、確実に同業者のオーラを漂わせている人もいた。常人には見えないが、式神らしき影が行ったり来たりしていて、こちらに気づいたのか軽く会釈。

 艦娘は最もメジャーだが最も特殊なオカルト職業。艤装がなければ何も出来ないに等しいので一部の術者からはバカにされているが‥‥流石にそこまでは分からなかったらしい。

 やっぱり着替えてきて正解だったようだ。

 

 

「お待たせしました、手こね寿司です。ごゆっくりどうぞ」

 

 

 手乗りサイズの、靄みたいな鳥の式神と戯れていると、いつの間にか女将さんがお盆を持ってきてくれた。

 たちまち式神は霧散する。障害物に遮られたからだろうか。そこまで高級な術者というわけでもないらしい。

 

 

 『手こね寿司』

 →桶に盛りつけられた茶色い酢飯の上にヅケ鰹がたっぷり。

 

 『赤だし』

 →お汁。海藻? かぐわしい香り。

 

 『小鉢』

 →ひじきの煮物。シメた昆布もついてくる。

 

 

 すごい、の一言だった。

 桶に盛りつけられた山盛りの酢飯もさることながら、その上に鎮座まします漬け鰹。これが宝石のように輝いている。

 艶かしい、とすら言えるぐらい美しい。流石は伊勢の海の幸だ。

 

 

「では――いただきます」

 

 

 おそるおそる鰹を箸でとり、先ずはそのまま一口。

 赤城は一番好きなものは箸で二つに割って、最初と最後に食べる流儀である。具体的にはショートケーキの苺を無理して二つに割るタイプである。

 幸いにして鰹は何枚もあるから、順番に苦労することはない。思う存分。

 

 

「‥‥美味しい、美味しいですね! 流石は伊勢の海の幸です、そんなに分厚く切ってあるわけじゃないのに、ぷりっぷり」

 

 

 宝石のように、というのは一分も間違った表現ではなかった。舌の上を滑るように踊り、噛みしめると弾けるように歯に抵抗する。

 新鮮なことが直ぐに分かる弾力と、その一方で芯までほどよく染みて決して濃くないヅケの味が、ご飯へ手を伸ばすことを強要した。

 

 

「この酢飯もあっさりしてますね。思ったより酢の味が主張しないから、ヅケに丁度いい。それに鰹が温くならないぐらいの、ちょうどいい温かさ」

 

 

 わし、わし、とはしたなくも飯を頬張る。

 老舗の風格にそぐわしい内装とお上品な器に反して、盛りつけ自体は非常にワイルド。そして自然と食べ方もワイルドになってしまう。

 手ごね寿司というのは漁師が船の上で魚を醤油漬けにし、それを酢飯と豪快に手で混ぜたのが発祥の料理だという。といっても流石にこのお店の寿司は魚と飯が混ぜられているということはないのだが、漁師飯の雰囲気というものはしっかりと残してあるということだろう。

 

 

「むむ、刻み海苔が喉に。失礼してお汁を頂きますか」

 

 

 お椀を見れば、そこにはびっしりと何かが浮いたお汁。

 味噌汁だろうか。澄まし‥‥てはいない。澄んではいない、少なくとも。

 かぐわしい香りがする。どこかで嗅いだことのある香りだ。こんなに温かい香りではなかった気がする。

 

 

「あっ、これ赤味噌だ。それに‥‥海苔? 独特の味がします、これは味噌の方の香りなんでしょうかね」

 

 

 海苔、ではなく石蓴。あおさ、と読む。沖縄ではアーサーと呼ばれる海藻である。

 関東だと殆ど馴染みがない。若干似ている食べ物はといえば、それこそ海苔の佃煮ぐらい。そして海苔を味噌汁に入れる風習もあまりない。

 そもそも関東は白味噌‥‥合わせ味噌が主流で、赤味噌なんて殆ど味噌には使わないのである。

 

 

「東の人達はお味噌汁はホッとする味ってイメージばかりですけれど、やっぱり赤味噌の方がお味噌汁を飲んでるって感じがしますよね。白味噌は柔らかいんですけど、赤味噌は刺激が強いというか。でも海藻の分だけ穏やかになってる感じ」

 

 

 匂いもかなり強い。赤味噌というのはこれほどに主張するものだったかしら。

 しかし悪くない。決して悪くない。やはり慣れ親しんだ味だ。最近は舌が白味噌に慣れてしまったから意表を突かれたが、やはり故郷の味に近いから心が安まる。

 

 

「このひじきの煮物も、薄めに味付けされてて良い感じです。お味噌汁によく合う味付けです。お寿司の方と合わせると、ちょっと物足りないかな」

 

 

 小鉢が二つも三つもつくセットもあったが、こちらにしておいて良かった。過ぎたるは及ばざるが如しという。

 量という点では少々物足りないけれど、全体の調和が大事だ。これはこれで丁度良い。

 

 

「飽きないですよねぇ、不思議。鰹だけしか乗っかってないのに」

 

 

 もり、もり、とひたすら頬張り、次第に米も減っていく。

 手桶も底はそんなに深くはないらしい。しかし十分な量はあった。

 残った二枚の鰹を前に、悩む。この二枚をどう食べるか、で自分の品格すら問われる気がした。

 

 

「一枚はそのまま食べよう、一枚は」

 

 

 残った米を鰹で集めて食べたい。鰹をそのまま食べて味わいたい。

 しかし鰹をそのまま食べてから米を集めるべきか、米を集めて鰹と一緒に食べて、そして最後に鰹そのままを頂いて締めるか。

 鰹が二枚ある状態で、ご飯が殆どなくなってしまったのは自分にあるまじき大失態である。このペース配分の乱れは妙に進んでしまう赤味噌が犯人だろうか。

 大問題だ。悩む。この酢飯がいけない。普通の米なら躊躇せずに口に入れてしまうけれど、酢飯だとありがたがってしまって判断を困難にする。

 

 

「‥‥よし、鰹の存在感が大きすぎるから、ご飯で締めましょう」

 

 

 一枚、鰹を口に運んでじっくりと味わう。やはり美味い。

 そういえばガリが残っていた。こいつはいい。口の中がリフレッシュ出来た。

 

 

「うん、やっぱり酢飯と鰹の比率はこのぐらいが丁度良いあんばいですね。よかった」

 

 

 最後に残った鰹一枚。これを使って桶の隅々から米粒をかき集めてくる。

 一粒のお米には七人の神様。

 お伊勢参りをしたあとに、神様を蔑ろにしただなんて天罰が下ってもおかしくないのである。

 

 

「――ごちそうさまでした」

 

 

 味噌汁ではなく、温かいお茶で人心地。

 夏は味噌汁がないと、冷たい水では身体が冷えてしまう。その点では冬こそご飯が美味しいとも言えるのだろうか。

 出身は広島だから故郷の味が一番。しかし北はご飯が美味しいなぁ。

 

 

「さて、このあとはどうしましょうかね」

 

 

 いつの間にか、先ほどの術者は姿を消していた。きっと先に食べ始めていたのだろう。見回せば、店に入った時に比べると随分と人が増えた。

 お伊勢参りと言えば朝だろうが、観光ツアーなどを使っていると昼頃からのお参りになるのかもしれない。そんなことを考えながら、赤城はふらふらとおかげ横丁の方へと吸い寄せられていく。

 舌は満足したけれど、お腹はまだ食べられると意気軒昂。伊勢の名物を網羅したわけでもなし、まだまだ満喫したと言えはしない。

 

 

「あ、加賀さんへのおみやげは何にしましょうかねぇ。やっぱりお餅ですかね、名物ですし」

 

 

 さっき食べた善哉のお店、あそこはあんこで包んだ餅がお土産に買えたはず。

 お餅と言えば場所によっては主食であったぐらい腹持ちが良い。陸自の赤飯も餅米十割の高級品である。

 あれなら加賀も満足してくれるのではあるまいか、と思って赤城は踵を返した。

 出張が多いと、どうにも土産物に費やす予算が増えて困るが、これを我が家のエンゲル係数に入れていいのだろうか。

 無論、エンゲル係数について語るならば土産物なんて誤差の範疇であるなんてことは、赤城は全く気づいていないのであった。

 

 

 

 



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沖縄県那覇市西のテンダーロインステーキ

今回は去年に行った沖縄での一幕を少し短めにご紹介します!
就活もひと段落したので(内定ないけど)、執筆も少しずつ再開していきますね!


 

 

 夏、である。

 誰が何と言おうと夏である。

 正確には夏ではない。初夏が精一杯というところであろうが、場所が場所なので体感的には完全に夏であった。

 

 

「‥‥暑い、ですね。うん、暑い。最近は北の方への出撃が多かったから、久しぶりの暑さかも」

 

 

 まだ六月だというのに辺りにはアロハシャツを着た人達が歩き、昼間の日差しは横須賀に比べると相当に強い。

 確かに最近は早い時期から随分と暑いが、それにしても横須賀とは大違いだ。少し涼しい風が吹いていた向こうとは大違いで、かなり暖かい空気が流れていた。

 そんな街を歩きながら、赤城は手に持ったクリアファイルで恥ずかしさも気にせず顔を仰いでいた。

 今日はOLみたいなパンツスーツ姿で、いくら鍛えていても流石に汗が滲む。もう少しラフな格好を出来ればよかったと後悔したが、仕事だとそういうわけにもいかない。

 

 

「日が暮れてもこんなに暑いんですねぇ。少しは涼しくなったような気がするけど、それでも関東に比べると」

 

 

 横須賀よりも日が暮れるのは遅い。夕暮れの時間が長くて、さっき通った歩道橋では海の上で見たものに負けず劣らず美しい残照に目を奪われた。

 那覇と言えば沖縄県の県庁所在地であり、同時に観光地である。行政の中心、経済の中心というよりは、やはり観光の街という印象が強い。実際あたりを見回すと異国情緒が強く、どこか穏やかでゆっくりとした空気が満ちていて実に落ち着く。

 沖縄に旅行と言えばマリンスポーツ! とよく聞くが、どうにも赤城にはピンと来ない。普段から海の上を殆ど生身で走ったり滑ったり、時には少しばかり潜ったりと暴れ回っている艦娘としては、激しいマリンスポーツにはあまり魅力を感じないのである。

 シュノーケリングや釣りにしても似たようなもので、そもそも艦娘にとっての海とは戦場。特に赤城はその認識が顕著で、どうにも海ではくつろぐ気分にならなかった。

 

 

「まぁ観光は十分に楽しみましたし、私としては大満足ですね。あ、いえお仕事もちゃんとやりましたよ‥‥って、誰に言ってるんだか」

 

 

 仕事での出張とはいえ、余暇ぐらいは出来る。観光自体は十分に済ませていた。

 沖縄は日本で一番小さな県である。が、それでも本島は非常に広く、拠点を那覇に定めると、とてもじゃないが一日では半分も周りきれない。

 那覇自体かなり南寄りに位置するため、北の方にある有名な水族館などはかなり遠い。具体的には、朝に出発して帰ってくる頃には日が暮れてしまう。

 かといって石垣島やら宮古島やらは更に遠い。フェリーや飛行機でないと行けないのだから当たり前なのだが、そうなると本島の南にある遺跡などを巡る以外の選択肢は選べなかった。

 しかし本島南部の遺跡はどれも非常に見応えがあり、赤城は大満足である。特に斎場御嶽(せーふぁうたき)は沖縄の民間信仰、琉球王国の聖地としては最高位の神殿であり、以前に沖縄に来た時に見習いのノロから話を聞いて以来、是非とも行きたかった場所だったのだ。

 

 

「最近は霊地の価値も見直されてきていますから、観光産業で食べて来た人達にとっては面白くない話かもしれませんけど」

 

 

 以前は一般の観光客でも最奥まで立ち入れる場所だった斎場御嶽も、今では女人限定、男性禁制の聖地として定められた。重要文化財、世界遺産、などとは別に、国が聖域や神域を保護する政令を定めたのである。

 艦娘は国が定める霊能力者の中でも高位の職であるため、赤城はかなり奥まで立ち入ることが出来たが‥‥。一般の観光客は女人であっても、途中までしか立ち入りを許されていない。

 もともと雀の涙ほどの見学料を払って立ち入る場所ではあったが、ますます厳しくなり、観光客の中には不満をあらわにする者もいた。逆にパワースポットとして正式に認められたが故か、周辺や資料館の見学のみであっても喜んで訪れる者も多い。

 要するに今まで通りのやり方は、どうしても出来なくなったということ。そしてそれが受け入れられない人もいるし、受け入れて更に地元を盛り上げていこうという人もいるという話。基本的に優しく、おおらかで、親切な沖縄の人達は殆どが後者であった。

 地元の人達が大切にしている場所が、本当に神様や精霊などがいる場所だと証明されたなら、それを嫌がる人なんて殆どいないのだ。だから困ったのは地元の人ではなくて、観光ツアーの会社かもしれない。

 

 

「お伊勢さんもそうでしたけど、世界的にオカルトが見直されて一番順応してるのはこの国かもしれませんねぇ。キリスト教が強いヨーロッパだと教会ばかりが元気で土着の宗教は失われてたりしてしまってるそうですし」

 

 

 世界規模でオカルトの存在が科学と同格視されるようになって、随分と経つ。赤城が呟いたように、各国はオカルト文化の見直しと体系化に必死であった。

 先ず世界最大宗教の一つであるキリスト教圏。どうもキリスト教の信仰は、霊能力者の発掘にあまり寄与していない。一部の悪魔祓い(エクソシスト)などが実際に悪魔祓いに成功したと喧伝しているそうだが、そもそも悪魔なる存在が確立していないため真実は謎の中である。

 一方でネイティブアメリカンや南アメリカ大陸の神官達は非常に熱心に活動しているそうで、神々とまではいかずとも、一般的に悪霊と呼ばれる存在の使役に成功している。またヨーロッパでもイングランドや北欧などでは妖精の存在が確認されており、オセアニアの方でも呪いの検証が盛んに行われていた。

 中国も道教の仙人達が苛烈な修行を再開しているが、そもそも中国では歴史が軽視される傾向にあったため、多くの文化が失われてしまっており、かなり難航しているらしい。

 インドの宗教は霊能力に直結しない。韓国もまた同じで、こちらは文化らしい文化がそもそも残っていない。エジプトや中東圏では昔からある呪術の類が見直されており、早くも呪いによる犯罪を規制する法律が整備されたそうだ。

 実のところヨーロッパでは聖職者に比べて魔女(ウィッチクラフト)が非常に盛んで、特にドイツで多くの成功例が出ている。現在、深海棲艦に対抗する戦力として艦娘が整備されているのは日本とドイツのみである。昨今のドイツではキリスト教による魔女迫害の歴史の反省を求める運動が盛んで、その辺りも影響しているのだろうとは専門家の言である。

 現状、艦娘の実用化に成功する国の候補に上がっているのはイギリス、フランス、アメリカなど。第二次大戦時に強力な海軍を保有していた国々である。しかし少なくとも海との関わりが薄いネイティブアメリカンの神官達が霊能力者の中核であるアメリカは、かなりの時間がかかりそうだ。

 むしろ霊能力者が雨後の筍のように次々と発生し、育成機関まで整備された日本が異常であり、今では経済大国としての名声に代わってオカルト大国なんて呼ばれ方もしている。なおドイツは魔女の国、ブロッケン山なんて呼ばれ方もしている。

 

 

「どうも多神教の方がこの手の話には強いみたいなんですよね。お坊さんとかだと法力で悪霊を退散させたり、なんて人も出て来たみたいなんですけど」

 

 

 妖精、悪霊、精霊、妖怪、そういったものは続々と確認されている。神々は姿を見せることはないが、加護はしっかりと顕われていた。

 しかし深海棲艦に対抗出来る確たる戦力は、未だ艦娘のみ。その点、付喪神という概念が存在した日本が抜きん出るのも当然か。あるいは深海棲艦が太平洋戦争、第二次大戦に絡む概念であるという研究成果から察するに、日本とドイツで艦娘の実用化が進んでいるのも、その辺りが原因なのかもしれない。

 もちろん艦娘という兵科が非常に有効であるとはいえ、艦娘でなければ深海棲艦を倒せないなんてオカルトを通り越してファンタジーな、ゲームみたいな話がまかり通っているわけでもなく。

 圧倒的な物量で、苦戦しながらも何とか深海棲艦を粉砕している米海軍とのミーティングも非常に有意義なものであった。

 この前はあろうことかミズーリなんて骨董品を引っ張り出してきて、巨大深海棲艦を棲地ごと艦砲射撃で吹き飛ばしたんだとか。

 

 

「さて、教えてもらったお店はこの辺りのはずなんですけど‥‥」

 

 

 以前は近隣諸国の脅威に対応するために駐屯していた沖縄の米軍。今では深海棲艦が人類全体の敵として大きな脅威である以上、米海軍と海上自衛隊の重要度は逆転、この辺りは面倒な話なのだが、種々の問題を孕みながらも何とか上手に両国の付き合いは続いている。

 さて、そんな米海軍とのミーティングを終えた赤城が歩いているのは、那覇でも少々南寄り。県庁からは少しばかり離れた、海に程近い街中であった。慣れ親しんだ潮風が微かには肌を撫でる、アメリカ占領時代の名残を残す路地。

 仲良くなった米海軍の士官から貰ったメモを片手にキョロキョロと辺りを見回すと‥‥あぁ、見つけた。ここだ。

 

 

「わぁ、すごい自己主張してるお店。車もいっぱい停まってるし、人気のお店なんですねぇ」

 

 

 店の横から正面へと回ると、先ず目につくのは駐車場にたくさん停まった車。そして並んでいる客の列。

 二階を覆うように、大きな赤と白の看板が激しく自己主張をしていた。創業六十年の老舗であると堂々と書いてあり、店の歴史への自信が伺える。

 沖縄といえば、チャンプルーや豆腐よう、らふてー、そーきそば、など様々な沖縄料理が有名。一方で米軍によって占領されていた時代に発展したアメリカ料理‥‥タコスやステーキ、ハンバーガーも人気だった。

 実は昨夜、沖縄料理は堪能済み。地元でも有名な赤提灯で、一人で豪遊してしまったのだ。さっき挙げた料理も、だいたい全部食べた。ぐるくんの天ぷらなんかも頂いてしまった。正直食べ過ぎた、というぐらいに。

 沖縄の料理は味付けが濃いめのようで、意外にあっさりしている。肉類だと脂の料理の仕方が非常に上手で、するりするりと入ってしまうのがよくない。いや、ホテルに戻るときに調子に乗ってコンビニに寄り、沖縄でしか変えないお弁当とオリオンビールの缶を買ってしまったのもよくない。明らかによくない。

 

 

「どうして出張に来ると、ホテルの部屋で余計にご飯が食べたくなるんでしょうねぇ‥‥」

 

 

 大食艦なんて揶揄されることもある赤城だが、それでもアレは完全に食べ過ぎであった。激務の影響で肥えることこそ今はないが、もし退役(リタイヤ)したあとも今のペースで食事を続けていれば直ぐに豚のようになってしまうに違いない。

 あぁいけない、それでも今夜も食べてしまう。食のジレンマは食べることでしか解消されないのである。旅行に来たのだから、と言い訳をして赤城はステーキ屋の扉を開けた。もちろん鎮守府に帰れば、仕事があるからと食べる寮が減ることはないのである。

 

 

「ごめんくださーい」

 

「いらっしゃい、お一人様ですね! そこ、そこに名前書いてお待ち下さいね! ごめんなさいね!」

 

 

 扉の横には古めかしいポスターと、その上には何故か信号機。

 この信号機で空き具合を教えてくれるらしい。元気な女将さんに促され、ソファーに座った。

 沖縄の人の発音は独特だ。日本語が完璧な外国人のような、独特のイントネーションで喋る。よく漫画や映画で見るような、日本語とは到底思えない不可思議な言葉は使っていない。少なくとも那覇では。

 だが少しゆっくりとした喋り方は非常に耳に心地よく、赤城はソファに座ってぐるりと辺りを見回した。

 

 

「芸能人や俳優のサイン‥‥やっぱり有名なんですね。‥‥あれ、これ加賀さんのサイン。もしかして前の出張の時に」

 

 

 内装は木で統一されていて、特に洒落た印象は受けない。しかしそれこそ六十年前から貼ってあるようなポスターや古めかしいフォントのメニューを見ると、老舗の貫禄十分と言ったところ。

 かなり広く活気のある店内は、今まで行ったことのある老舗とは違って非常に開放的でアメリカ的だ。あちらこちらから、客席からもジュウジュウと肉の焼ける音が耳に届いてきて、もうお腹まで同じリズムで鳴ってきてしまいそう。

 

 

「御待たせしました、どうぞこちらにお座りになって。ご注文はお決まりですか?」

 

「あ、ありがとうございます。じゃあ‥‥テンダーロインステーキのLサイズ。ご飯、大盛りで。あとビールも下さい」

 

「かしこまりました。御待ちくださいませね」

 

 

 遠くにAと読める、額に飾られた小さなポスターがある。紹介してくれた米海軍の女性士官曰く、これは当時の米軍が認めた最高ランクのお店の証明らしい。

 沖縄では安くて美味しいステーキが食べられると有名だけど、このお店はその中でもトップクラス。となると否応なく期待が高まる。

 先んじて運ばれてきたオリオンビールで、一人で静かに乾杯だ。本土のビールに比べると、少し薄いような印象を受ける。けどさっぱりしていて、するすると飲めてしまう。昨日のお店では泡盛、古酒(くーすー)を飲ませてもらったけれど、今日はステーキだし、やっぱりビールだろう。

 肉料理には赤ワイン、と前に龍驤が力説していたような。しかし生憎とワインには詳しくない。

 艦娘候補生学校ではテーブルマナーの授業もあったが、どうにも覚えが悪かった。教官からは食べ方の奇麗さは褒められたものの、フォークとナイフの使い方や細かい決まりを全く守れていないと怒られたものだ。

 

 

「御待たせしました、こちらテンダーロインステーキLサイズです! 熱いから、鉄板には触らないようにね!」

 

 

 肉用と魚用のナイフの違いは何だったかしら、と卓上に置かれたナイフを眺めていると、先ほどの女将さんが鉄板を抱えてやって来た。

 早い。想像したより遥かに早い。これがアメリカンスタイルなのか。確かにアメリカ人は待つのが苦手なイメージがある。

 テーブルに置かれる前から、肉の焼ける匂いだけが鼻を直撃する。混じりっけなしの肉の匂いだ。それはとても新鮮で、舌でも胃袋でもなく、牙が疼くかのようだった。

 

 

『テンダーロインステーキ』

 →まるで生きてるかのようにピンクに色づいている。野生に帰って頬張れ!

 

『クリームスープ』

 →ミルクと小麦粉で味付けされたスープ。さらさらしている。

 

『サラダ』

 →フレンチドレッシングがかかっている。箸休めに丁度いい。

 

『ごはん』

 →何がおかずとして立ってくるのか、それが問題だ。

 

 

 赤城は思わず息をのんだ。

 艦娘というのは比較的、公の場に出る機会の多い仕事だ。会食やら接待やらの経験がないわけでもない。もちろん其れよりも海の上にいる時間の方が遥かに長くて、どちらかというと簡素な食事に慣れている。

 だからこそ、この肉は素晴らしい。赤でも茶色でもない。生きた牛から今、切り出してきたみたいなピンク色だ。

 

 

「こんなに良いお肉、久しぶりです。しかもステーキでなんて、すごい贅沢。では――」

 

 

 いただきます、といつもよりも長めに掌を合わせ、ナイフとフォークを手に取った。

 フォークを肉に突き立て、ナイフで切り分けると。

 

 

「こ、これは!」

 

 

 突き立てただけで、フォークだけで肉が裂けるではないか。

 この分厚さで、この柔らかさ。舌からの触感ではなく、指先の、それもフォークから味を感じるかのようだ。

 試しにフォークを立てて、峰で押すと、流石にかなりの抵抗があったが‥‥切れる! ナイフと合わせて使えば、ハンバーグか何かのように切れる。

 その感触だけで舌がジュンと音を立てた。目、鼻、耳、手、全て使って食事に没頭しているみたいだった。

 

 

「はむ、もく、もにゅ、ふむ。‥‥お、おいしい。こんなに美味しい、焼きたてのステーキ、初めて食べたかも‥‥」

 

 

 汁がしたたっていない。肉から逃げ出していない。

 口に入れて、噛んで、咀嚼して、やっと肉汁が口の中に溢れる。これは凄い、ステーキってこんなに美味しかったのか。

 何もつけてないのに、味がする。肉を食べてるって感じだ。塩も胡椒も要らないぐらい、お肉の味がする。

 素材の味がー、って拘りは人一倍だったけれど、例えば塩とか胡椒だけの味付けに拘るなんて、それは“そういう料理”の味だったんだ。素材の味を引き出す料理の味だったんだ。

 これは素材そのものの味だ。ステーキって料理は確かに馴染みが薄かったけれど、こんなインパクトがあったなんて。

 

 

「もし狩りに出て、獲物をその場で焼いて食べたらこんな感じなんですかねぇ、もきゅもきゅ」

 

 

 それはステーキの焼きの技術もあるだろうから、少し失礼かも? そんなことを考えながら、一心不乱に肉を咀嚼した。

 こんなに柔らかいとすぐに飲み込んでしまいそうなものだけど、じっくりと味わえるのが不思議だ。

 先ず目で見た時の興奮、鼻からやってくる匂い、そして手で持ったフォークとナイフで触った感触、肉が弾ける音、そしてそれが口の中から全身へと再び広がっていく。

 いつまででも、いくらだって頬張り続けてしまいそうだった。こんな調子では、こんな小さな肉なんてすぐになくなってしまう。慌てて鉄板の上でおとなしく相席している、じゃがいもと玉ねぎに手を伸ばした。

 ‥‥うん、イイ。ちょうどいいポテトだ。これぐらいでいいんだ。必要以上にしっとりとしていなくて、程よくパサパサと舌触りがいい。付け合わせのポテトはこのぐらいが丁度いい。

 一方で玉ねぎはシャキシャキと素晴らしい食感。ポテトの少しもっさりとした感じとは実に好対照で、瑞々しい。しっかりと火が通っているのに生のような音がするのは、これもいい玉ねぎを使っているからだろう。シンプルなのに美味しくて、こちらも思わずフォークが進む。

 

 

「ご飯が余ってしまう、なんて早々ないことですよ。由々しき事態です。肉って主食だったんですね、ご飯がおかずなんだわ。すごいですねぇ、新しい発見です」

 

 

 ご飯を口に運ぶ合間に肉を食べるのではなく、肉を口に運ぶ合間にご飯を食べる。元々ご飯の方が量が少ないけれど、これは普段の感覚ではなくて、例えば豆みたいに捉えた方がいいんだろう。

 どこだかは知らないけれど、海外では豆はサラダなどに使うらしいし。ステーキの付け合わせにコーンが出てくるようなもの、と考えてもいいかもしれない。

 しかしお肉が美味しいなぁ。

 

 

「‥‥おかわり、欲しくなっちゃいますねぇ」

 

 

 最後の一切れは切ない。

 けれどグルリと見回すと、実に人が多い。次から次に人が入ってきて、これはのんびりと長居をしていい雰囲気ではなさそう。

 名残惜しいけど出なければいけないだろう。名残惜しいけど。この最後の一切れも、冷めてしまえば美味しくなくなる。

 せつないだけに時間をかけて味わいたくなるけれど、その衝動を押さえ込んでモグモグと飲み込む。最後の一口を惜しむ気持ちからは逃れられないけど、必要以上に変な思い入れを込めてしまっては食事の純粋さを損なってしまう。

 

 

「いや、そんなこだわりなんてないんですけど。‥‥ごちそうさまでした」

 

 

 しっかりと肉の欠片の一つまでも胃袋に収め、赤城は会計を済ませると店を出た。

 今日はビジネススーツだったからか、サインを求められなかった。ということは加賀は一体どんな格好で来店したんだろう、と取り留めのないことを考えながら。

 自己主張の激しい人でないから、やっぱり艦娘の制服で来たのだろうか。艦娘は普通の自衛官に比べてもいろんな用事の出張が多いけど、本来は制服で出歩くようなことはしない。あれは制服というか、正確には戦闘服である。一方で式典で身につける礼服としての側面も持っているが。

 もしくはきっと、一緒にやってきた米海軍の友人にでも紹介されたか。テンションの高いアメリカ人にテンション高く紹介されて困惑する加賀の顔を想像すると、少し愉快な気分だった。

 

 

「‥‥戦闘海域も段々本土に近づいてますし、もしかしたら那覇の近くで戦うこともあるかもしれませんね」

 

 

 戦史の研究は自衛官の必修科目。かつて太平洋戦争で悲惨な歴史を刻み込まれた街が、再び戦火に包まれる未来を想像すると胸を締め付けられるような思いだった。

 深海棲艦は決して海だけに現れる存在ではない。海洋での戦闘に人類が敗北すれば、すぐにでも沿岸地域は連中の棲地となるだろう。

 そうさせないためには、自分たちが今よりもっともっと奮闘するしかない。たった二百隻にも満たない自分達だけで、この海と国の平和を守らなければいけない。その重さを改めて感じる。

 先の見えない戦いに課せられた責任が、こんな些細な瞬間にものしかかってくるようだった。

 しかし耐えなければならない。悲観してはならない。

 いつか深海棲艦を駆逐し、平和を実現するために。またみんなが不安もなしに、笑顔でご飯を食べられるように。

 強く決意を新たに綺麗な沖縄の空を見上げる赤城の胸中には、そんな思いが渦巻いているのであった。

 

 

 

 



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澳門新馬路福隆新街の葡萄牙料理

「赤城のグルメ」は執筆開始時期と投稿時期に大きく開きがあるので、例えばドイツ艦が実装されてる時期に『日本だけが艦娘を実装している』などの表記をしていたりします。
あと私は毎週教会に通う敬虔なカトリック信徒ですので、前話でキリスト教会について述べている箇所については、あくまで作中での考察ということでよろしくお願いしますね。
というか久しぶりの更新です、申し訳ありません (´・ω・`)


 

 

 

 深海棲艦によって制海権と、制空権が取られ、長い年月が経過していた。

 人類は海運と空輸の術を断たれ、それらを取り戻そうと己らの力のすべてを懸けて奮闘に奮闘を重ね‥‥。漸く少しばかりの其れらを取り戻した。

 特に通常兵器の効果が薄い深海棲艦に対抗するために生み出された兵科である艦娘の貢献度は高く、日本によって世界で初めて運用が始まった艦娘によって多くの海域が人類の手に戻ったのである。

 その中の一つに、日本と中国を結ぶ幾つかの航路があった。

 

 

「‥‥普通の船に乗るなんて、久し振り。なんだか変な感じですね、こんなに広くて快適だなんて」

 

 

 日中航路の、その中のさらに一つ。九州と香港を結ぶ航路で、航空母艦赤城“一等海尉”は香港へと渡っていた。正確には既に渡り終えて、そこから高速フェリーで澳門へと向かっている最中であった。

 今回の出張は中国海軍との親交を目的としていた。中国は最近では崑崙を中心とした道術士の育成に力を入れている反面、艦娘の実用化には一向に成功していない。日本の海上自衛隊での正式配備の後、ドイツ、続いてイタリアが艦娘を実装したというのに、まったく成功の目が見えないのである。

 中国はあまりにも古い歴史を持つ国であるが故に、逆に歴史を軽視する国民性がある。歴史が意味をなさない、という戦訓を日清戦争などで得たというのもあるが、数百年程度なら最近のことである、と軽く見てしまうのだ。ただ、艦娘の実装についてはこれは大した問題ではない。

 日独伊は先の大戦‥‥太平洋戦争において強力な海軍を擁していた国であり、また敗戦により多数の艦艇が轟沈した。この負の側面が艦娘の実装に大きく影響しているというのが術者の見解であり、その点だと次に艦娘を実装するのは英国ではないかとの議論もされている。アメリカが艦娘を実装できていないのも、歴史と神秘の浅さだけではなく、海における負の歴史の少なさが影響しているのだろう。

 では中国はどうだろうか。これはもう致命的な原因があるのは誰が見ても明らかである。中国は太平洋戦争期に近代的な海軍を殆ど持っていなかったのだから。

 

 

「米帝みたいな物量作戦こそ出来ませんが、技術力も財力も人的資源もある。やっぱり中国は侮れません。‥‥ご飯も美味しいですし」

 

 

 では中国が艦娘の実装に躍起になっているかといえば、実のところそうではない。というのも中国はユーラシア大陸の西方面に多数の交易路を持っている。大陸内ならば深海棲艦の制空権もなく、貿易への悪影響は諸外国に比べても最小限に抑えられているのだ。海運に比べれば効率の差は天と地ほどもあるが、零になってしまうという憂き目は避けられた。

 勿論それは諸外国の衰退に対して、中国が躍進を遂げたというわけでもない。例えば国家戦略としていた東南アジア、南シナ海への進出に関しては完全に潰されてしまった。あの辺りの制海権は日本が設けた“鎮守府”と呼ばれる艦娘部隊によって奪還され、今では海上自衛隊が管理している。公海ではあるが、中国の影響力は完全に払拭されてしまった。

 逆にいえば、中国は殆ど身銭を切ることなく交易路の確保に成功したと言える。であるから艦娘の実装は常任理事国としてのプライドを懸けたものというニュアンスが強く、緩やかに、しかし着実に進められているのだ。

 よって嘗ては互いに仮想敵国の関係にあった日中も、今ではこうして技術交流を行い深海棲艦の脅威に対抗する仲間であった。

 ちなみに赤城が口にした米帝という言葉は、単純にユーモアの発露である。ドイツ海軍の艦娘たちも自国の法律を恐れずナチジョーク――勿論一部の界隈での歓談に限るが――を飛ばすので、妙な時代になったものである。

 

 

「澳門といえば一大観光地のはずなんですけど‥‥乗客が少ないのは、やっぱり海路はみんな怖がってるからでしょうか。早く平和な海を取り戻さなければ」

 

 

 澳門には日本から直接飛行機で行くこともできるが、最も人気なのは香港から高速フェリーで向かうルートだろう。一時間程度で着いてしまうし、飛行機よりも船の方が珍しい移動手段であることも手伝っていた。が、それも深海棲艦の出現によって海が恐ろしい場所へと変わるまでの話で、現在は閑古鳥が泣いている。

 フェリーの本数も昔に比べれば随分と減ったらしい。深海棲艦は軍艦も民間船も、軍港も一般港も区別しない。侵攻初期には凡ゆる港に大きな被害が出て、フェリー自体も目減りしてしまったのだとか。

 そう考えると観光地の受けたダメージは非常に大きい。運輸は陸路や、制海権のとれた海路を使うとしても、流石に海外旅行客は激減している。日本も国内だけで回せる観光地以外は軒並み大ダメージを受けていて、逆に歴史的建造物や宗教的な遺産などは大人気だから格差が激しい。

 澳門はどうなのだろうか、と赤城は思った。澳門には30を超える世界遺産があり、その多くは教会である。先日ローマにある法王庁がその沽券を懸けた大プロジェクトを発動、艦娘の実装に成功した。それを考えれば、まぁそう悪くはないのかもしれないが。

 

 

「おっと、もう下船ですか。早いですねぇ、流石は高速フェリーです」

 

 

 愚にもつかないことをあれやこれやと考えているうちに、いつの間にか赤城を乗せたフェリーは澳門へと到着していた。

 僅かな乗客と共に桟橋に降りると、そこはもう異国だった。海の上での任務に追われる赤城だが、その実、他国への渡航経験はそんなに多くない。艦娘支援母艦に乗り込み鎮守府を出港して、あとは海の上で戦うだけ戦い、洋上補給などをこなして帰港する。常に海の上で過ごしているのだ。

 前にも何処ぞで話したが、艦娘は広大な公海を戦場に深海棲艦と戦う。が、もちろん艦娘とはいえ人間であり、大海原を何週間も単身で航海する能力はない。戦場の近くまでは、艦に乗って出動する。

 赤城の所属している横須賀鎮守府に配備されているのは、艦娘支援母艦〈しらね〉である。6人編成の艦娘部隊の整備補給能力を持ち、対空・対潜水艦能力に優れた汎用ヘリコプター護衛艦(DDH)の発展系で、おおすみ型輸送艦に似たシルエットの最新鋭艦である。

 護衛艦と輸送艦と、ついでに揚陸艦の合いの子のような性能はあくまで艦娘の運用に特化した結果としての汎用性を獲得したもの。6人分の艦娘の整備と補給のための空間を確保した関係上それなりに大きく、艦娘とセットで巷での人気も高い。かくいう赤城も、部屋に空母赤城と一緒に模型が飾ってあった。

 

 

「ここが澳門‥‥。流石に暑いですね、上着、着てこなくて正解でした」

 

 

 ホテルは香港にとっているので、手荷物は小さなバッグが一つだけ。身軽な赤城はスーツケースが運び出されるのを待つ乗客たちから離れて一人でバスターミナルへと向かった。

 赤城は知らぬことだが、深海棲艦が出現するまではホテルの案内人がたくさんあふれていたターミナルに、人は少ない。それでも目当てのホテルのバスを見つけ、拙い英語を話すボーイに招かれて乗り込んだ。

 澳門はたくさんのホテルがそれぞれバスを出していて、移動は徒歩と、そのバスだけで事足りる。例えば自分のホテルからフェリーターミナルに移動し、別のホテルにバスで向かうといったことも可能だった。このバスには宿泊客でなくても乗れるのだ。

 どのホテルもカジノを運営していて、宿泊施設というよりは賭博場、遊技場の感が強い。客を呼び込むには公共交通機関よりも、自分たちでバスを出した方が都合がいいのである。

 

 

「さて、じゃあ先ずは観光から始めましょうかね。澳門の有名な世界遺産の数々‥‥一日で周りきれるでしょうか」

 

 

 出発点にほど近いホテルでバスを降り、そこからは歩きだ。外国の路線バスは犯罪の温床になっていることが多いから、もう徒歩の方が楽に感じてしまう。そもそも澳門は狭く、その狭い島の中に30を超える世界遺産があるのだから、その気になれば一日で、徒歩で、全てを周りきることも可能である。

 といっても既に昼過ぎ、流石に全部は無理だろうなと赤城はパンフレットを見ながら思った。澳門は平地も多いが坂も多い。特に教会は航海の安全を祈願したりしたからだろうか、坂の上の、見晴らしのいいところに建てられているものばかりだった。

 赤城の実家は由緒正しい仏教徒。しかし提督‥‥司令官はキリスト教徒だった。こういう巡礼が一度はしてみたいとボヤいていたのを思い出す。

 出張の多い赤城はあちらこちらで観光も一緒にしてしまうが、提督は自衛官の常として中々旅行にも行けやしない。あと機密保持の関係で中々彼女もできやしないと嘆いていて、本当に可哀想だと思う。

 まぁ自分も仏教徒といっても、世話になるのは死んだあとぐらいだろう。しかも今は艦娘としての仕事のせいか神道に傾倒しているから‥‥仏罰とかないだろうか、大丈夫なのだろうか。護衛艦だって神社を祀っているから、艦娘たる自分は存在そのものが分社のようなものなのだが。

 

 

「お寺とかだったら御守りでもお土産にすればいいんですけれど、教会はどうしたらいいんでしょうねぇ」

 

 

 見たところ、お土産屋さんのようなものはない。まさか食べ物、生ものは持って帰れないでしょうねぇ、と赤城は近くのエッグタルトの店を見ながら考えた。

 このエッグタルト、非常にお手軽に買えて美味しそうだ。日本だと横浜中華街で売られている肉まんとか、前にいったことのある太宰府天満宮の梅が丘餅とか、そういう位置づけのものだろうか。

 

 

日本人(リーベンレン)日本人(ジャポネース)?」

 

「むむ、随分と愛想がいい人ですね。田舎のおばちゃんみたいな。Yes, I'm Japanese. Would you sell me this one please? あー、英語は苦手なんですけど、通じてるかしら」

 

「‥‥?」

 

「ううう、伝わってない。いや、待ってください。困った顔してる。もしかして英語わからないんですかね。えーと、これ一ついただけませんか?」

 

 

 威勢よく話しかけてくれた屋台のおばちゃんにエッグタルトを一つ頼むが、どうにも言葉が通じない。なるほど、英語を話してるかと思ったらポルトガル語だったらしい。澳門はもともとポルトガル領だったので、公用語は広東語とポルトガル語なのだ。

 身振り手振りで一つください、とチャレンジしてみたら漸く分かってくれたらしい。硬貨を渡して熱々のエッグタルトを紙に包んでもらう。エッグタルトはポルトガル語ではパステル・デ・ナタと呼ばれ、もちろんポルトガル料理である。交流した香港の人民解放軍士官から熱烈に勧められたから楽しみにしていた。実に香ばしく、甘い匂いがする。

 

 

「‥‥うん、サクサクしたパイ生地とプリプリした卵の食感が素敵ですね。クリームみたいになっているのに、しっかり卵の食感があるのが不思議です。お菓子なのに、目玉焼きを乗せたフレンチトーストを食べてるみたいな感じ」

 

 

 澳門で一番有名な教会‥‥の壁を見学し、セナド広場からいくつも教会を経由して著名人の邸宅まで。艦娘としては外せない港務局で古い武器や大砲をみて、霊廟?から更に歩いてカテドラルへと向かう。

 カテドラルの次は、更に歩いて砦まで。この砦は四百年も前にイエズス会の修道士によって築かれた要塞で、博物館まである。本当は灯台まで行ければよかったのだが、もう一度セナド広場まで来たところで腹の虫が騒ぎ始めた。

 いくら澳門が狭くて世界遺産が密集しているとはいっても、このあたりが限界か。滅多にこられない海外旅行で、まぁ十分に堪能した方だろう。

 

 

「早めに晩御飯にして、フェリーに乗って香港まで戻らなければいけませんね‥‥。さて、どうしましょうか」

 

 

 セナド広場には公衆WiFiが通っている。これは海外旅行をしていると非常にありがたい。

 日本語の観光サイトにアクセスして、食事ができるところを探す。フラっと何処かに立ち寄りたい気持ちもあるが、さすがに海外旅行でそれをするのはリスクが高い。短い時間、少ない回数で可能な限り澳門のエッセンスを吸収しておきたいところ。

 

 

「‥‥飲食店街みたいな通りがあるみたいですね。ここからも近いし、行ってみますか」

 

 

 ぶらりぶらりと歩いていく。だんだんと辺りも暗くなり始めた。

 辿り着いたのは西洋風の街並みから随分と外れて、まるで京都にでも迷い込んだかのような、古い中華風の建物が並ぶ通りだった。石畳がまっすぐ続き、その両脇に二階建て程度の古民家めいたお店ばかりが建っている。人通りもそんなに多くはなかった。

 

 

「さて、澳門といえばポルトガル料理ですかね。さすがにポルトガルまで食べに行くわけにはいかないですから、本場の料理が楽しみです」

 

 

 この通りに来たはいいけれど、どうも見慣れた空気すら感じられる中華料理屋ばかりであることに赤城は気がついた。

 考えてみれば観光客向けのルートからはかなり外れている。この辺りは本当は観光客に人気の食事処というよりは、地元の人が外食に使う場所なのかもしれない。

 石畳と伝統的な家屋が立ち並んでいる景観は観光にも十分だが、となると求めているポルトガル料理のお店はあるのだろうか。そもそも時間と曜日が悪かったのか、空いているお店があまりない。

 いや、もしや開店と閉店の時間が厳格に決められているような店が少ないのか。その日の気分で開けて、食材がなくなったら締めるような、大らかな営業スタイルなのか?

 

 

「あ、ここかしら。いえ別に何かのガイドブックで見たわけじゃありませんけれど、並んでいるお店の中では一番ポルトガル“らしい”というか何というか」

 

 

 そうやって歩いていると、気になるお店を発見した。

 和洋折衷ならぬ、中洋折衷な外観。ポルトガル料理と書いてあった。中国語ではなくてアルファベットだから間違いない。看板だけ見ると中華料理っぽいけれど、確か葡萄の葡の字はポルトガルを表しているはず。

 やっぱり予め誰かにオススメのお店を聞いておけばよかったけれど、もうお腹もペコちゃんだし早いところ入ってしまおうか。

 

 

「ごめんくださ‥‥あらいけない、つい日本語を。えー、你好?」

 

「你好。只有你一个人吗?」

 

「‥‥なんて言ってるんだろう。あー、Excuse me, Can you speak English?」

 

「Oh, yes sir. Are you dining alone?」

 

「Yes」

 

「We have a table of you. Please follow me」

 

 

 外国と関わる仕事も少なからずある艦娘として、英語の講義はしっかりと受けてきたけれど‥‥どうにも拙い英語で、けれど何とか分かってくれたらしい。と言っても理解が難しくなるほど難しい英語を喋ってないのだから当然か。

 店構えと同じように、こじんまりとしたお店だった。最近日本ではチェーンのお店ばかり行っていたから、外国ならではの緊張感と共に落ち着きも感じる。二階に通されて席につけば、テーブルの真ん中にはタイルの装飾。壁も床も木で、ポルトガルの民俗なんて何も知らないのに、不思議と大航海時代を彷彿とさせる。

 ただ、幸いメニューは英語での併記があった。やっぱり観光客が多いのだろうか。それともオシャレなのだろうか。どちらにしても助かった。ひと昔に人気だった少年漫画のように、盲滅法に頼むなんて真似をしないで済む。

 

 

「とはいっても、食材と調理法ぐらいしかわかりませんねぇ。流石に此処だとWiFiも通ってないから調べものも出来ないし」

 

 

 先ほどのやりとりで英語がそこまで得意じゃないことに気がついてくれたらしい店員さんは、ちょっと離れたところで静かにこちらの様子を伺ってくれている。積極的に話しかけてきてくれるのも楽しいけれど、こういう風に気を使ってくれているのもありがたい。

 で、問題はメニューだ。本当に未知の世界だし、一人だからコースを頼むわけにもいかないし。

 いや待て、コースというのは悪くない判断だ。コースに出てくるような料理を適当にメニューから頼めばいい。幸いコース料理は居酒屋以外にも、ちゃんとした洋食屋で経験がある。オードブル、サラダ、スープ、海鮮、肉、ご飯だ。違ったかな? まぁいいや。こんな感じで頼めばバランスは良くなるはずだ。

 

 

「Excuse me! これと、これと‥‥お願いします。Please」

 

「Certainly. Thank you, sir」

 

 

 言葉少なだが笑顔は素敵だ。とりあえず最初に頼んでおいたビールを飲みながら赤城は満足げにメニューを机に置いた。

 そういえば早い時間だからか、客は自分一人だけだった。テーブルの数も少ないので、本当に穴場を見つけた気分だ。広いお店も悪くないけれど、やっぱり小綺麗で手狭な店の方がワクワクする。

 ‥‥ところでこのビール、当然だけど日本では見たことない銘柄。ちょっと薄めだけど日本では味わったことのないコクがある。あまりお酒は嗜まない方だけれど、やっぱりどこの国でも最初はビールなのだろうか。

 

 

「龍驤さんとか隼鷹さんなら、嬉々としてお酒を頼むのかもしれないけれど‥‥先ずはご飯が先ですよね」

 

 

 鎮守府には一応バーがあって、仕事終わりには飲みに行けるようになっている。艦娘の外出は厳しく制限されていて、任務のない土日にしか外に出られない。私物の持ち込みも制限されているから、外にアパートを借りて私物を置いている面々が殆どだ。

 私は加賀さんと二人で一部屋借りている。隣の部屋は四航戦で、よくよく見ると艦娘がやたら多いアパートだった。あそこを紹介してくれたのは提督だけれど、もしかしたら警務隊か何かに見張られているかもしれない。

 駆逐艦の娘たちは、御両親も鎮守府の近くに引っ越している場合が多い。御父君は単身赴任の場合が多いけど。もし実家に戻れないなら、土日も寮にいるしかない。もちろん外出は許可されている。鎮守府に設けられている学校に通っている年代が多いから仕方がない。

 艦魂の適合年齢については常に物議を醸す議題であり、今でも多方面で嵐が巻き起こっている。本人達が納得ずくの上だなんてのは有効な言い訳でもないし、義務教育を修了していても彼女達の多くは純然たる未成年なのだ。

 ただ、前に人権団体が穏便な殴り込みを仕掛けに来た時は不覚にも笑ってしまった。麾下の駆逐艦が彼らの目の前で煙草を吸ってみせて「お気遣い痛み入りますが、もう立派な成年なのです」と言い放ったのである。これもまた純然たる事実なので、実に良い笑顔だった。あの手の問題には本当に悩まされるから、たまには痛快な場面でも見ないとやってられない。

 

 

「Thank you for your waiting, sir. Can I put your dishes here?」

 

 

 と、思い出し笑いをしているとお待ちかねの料理がやってきた。まずは前菜。しかし多い。これはもしや二人、いや三人とかで分けるものなのではあるまいか。

 間髪入れずに魚料理。これまた多い。普通の婦女子では一人で食べない量だ。

 さらに肉料理。当然のように多い。むしろ巨大だ。ライスまで付いてきた。完全にヤラれた。普通こういう時は気を使うものだろうに、まさか私のことを知っていたとでも。

 最後にシチュー。やっぱり多い。そして矢のように料理が飛んできて、次々に机の上に並べられる。四人掛けのテーブルはそんなに狭くはないはずなのに、あっという間に埋め尽くされてしまった。

 辺りを見回せば、段々とテーブルにも他の客が。きっと一階もそうなのだろう。早めに料理を出しておきたかったのだろうか。厨房もそんなに人がいないことだろうし。

 

 

 

『ジャガイモと豆のスープ』

 →丁度いい温度加減。こってりとしてそうなのに、びっくりするぐらいあっさり優しい舌触り。

 

『キャベツと豚肉の炒め物』 

 →瑞々しいキャベツと、ベーコンみたいな豚肉が湯気を立てている。

 

『鶏肉とジャガイモのクリーム煮』

 →パリパリに焼いた鶏肉をクリームや野菜と一緒に壺の中へ。魔女の鍋みたい。

 

『にしんのグリル』

 →大きめの鰊が三匹丼ドンと寝そべっている。

 

『エビのカレー煮込み』

 →皿に広がった水っぽいカレーの中に大量の玉ねぎとネギが埋まっている。ライスつき。

 

『牛タンのシチュー』

 →覗いている部分からでもわかる、分厚い牛タン!!

 

 

 あくまで赤城はバランスよく頼んだつもりだった。もちろん完全に過剰戦力であり、普通は一人に出していい量ではない。

 成人男性でも二皿もあれば十分以上に満足だろう。二人で食べに来たとしても、片方は比較的大食艦でなければならないだろう。描写を忘れたが、籠いっぱいのパンも当たり前のように付いてきている。

 そもそもライスとパンで主食が被ってしまっているから、これはもう店側としても「やれるものならやってみやがれ!」という感じなのだろうか。いや、それともマカオの人達はこのぐらい普通に平らげるのだろうか。

 

 

「うわぁ、なんだか凄いことになっちゃいましたねぇ」

 

 

 流石にたじろいでしまう量。こんなに食事が目の前に並んでいるのは何時ぶりだろうか。鎮守府の食堂でも、おかずの量は決まってるからご飯で稼がなきゃいけないし。

 しかし焦らない。食事は落ち着いて食べるものだ。正規空母は狼狽えない。焦らず、慢心せず、食事という幸せを享受する。

 生きるということは戦うということだ。海の上では深海棲艦と戦い、陸の上では書類と戦い、食卓では料理と戦う。ペーパーネイビーの辛いところが溢れたが、先ずは食事だ。

 

 

「いただきます」

 

 

 前菜、キャベツと豚肉の炒め物。表面が油でコーティングされている、テラテラしたキャベツを噛めばシャキっと素敵な音。

 よしよし、いいぞ。油っぽいかと思ったけど淡白なぐらいだ。塩胡椒の味付けが丁度いい塩梅で、ビールにも合う。ベーコンみたいとは言ったけど、どちらかというとコンビーフみたいな味付けだ。

 キャベツは味が沁みるというよりも、味を纏う野菜だと思う。だからタレよりも塩胡椒の方が合う気がする。その点、こういう味つけの濃い肉との相性は抜群だ。早速これでご飯を食べたくなるけれど、あれは我慢しておこう。なにせカレーが香りだけでしっかりご飯をディフェンスしている。

 うん、美味しい。こんなに素朴なのに、どこか洒落ている。まるで昔の海の上の食事みたいな素朴さ。もちろん海の上で新鮮な野菜が手に入るはずもないから、雰囲気だけなのだけれど。

 

 

「わし、わし、って感じですよね、具合よく火が通ったキャベツって。ワインも頼んじゃいましょうかね、あまり詳しくないから適当になってしまうけれど」

 

 

 いつまでも食べ続けていられるキャベツの魔力を何とか振り切る。塩キャベツとか、千切りキャベツとか、とにかく箸が止まらなくなってしまうからダメだ。特におかず係数が高くなると危険度が増す。

 次は鰊のグリル。これはレモンを絞って食べるのか。レモンを絞ると湯気が立ちそうなぐらい、表面はカリカリに焼けている。尻尾は燃え落ちてしまっているけれど、皮を捲ってみれば身はプリプリだ。焼き過ぎということはない。

 味つけは塩のみ。これもさっきと似ている。素朴な焼き魚だけれど、レモンを絞って白ワインを口に含めば、地中海のリズムが聞こえてくるようだ。地中海にポルトガルは関係ないけど。

 鰊の定食とか日本でも食べるけど、それが三匹も鎮座ましましてると贅沢な気分。思う存分食べることができるというのは実に幸せだ。

 

 

「カレーの方はどうですかね。‥‥うーん、これはカレースープなのかしら? いやスープカレーっていうんでしたっけ? 少なくともタイカレーみたいな濃さではないみたいだけれど」

 

 

 山のようになっているタマネギめがけてフォークを突き刺すと、つるりとした感触があってタマネギだけがフォークにくっついてきた。

 今の感触、おそらくは海老。しかも煮たものではなく、焼いたものだった。グリルしたものをスープに入れるのがポルトガル流なのだろうか。しかし、このタマネギも随分とフレッシュだ。しっかり火が通っているはずなのに、シャキシャキと瑞々しい。

 

 

「タマネギってノスタルジックな味がしますよね。なんだか、昔を思い出す味です。一枚一枚皮を捲るごとに昔のことを思い出すような味」

 

 

 江田島の艦娘候補生学校では、残念ながら艦魂に適合せずに除隊してしまった同期と、加賀さんと下宿を借りていた。

 しっかり者の加賀さんも含めて、意外に三人とも金遣いが荒かった。週に一度の外出でうっかり遊びすぎて給料日前にピンチに陥ったときのことを思い出す。偶然安かったタマネギを大量に買い込んで、昼はご飯よりもタマネギの方が多いチャーハンを作ったんだっけ。確か夜は大量にキャベツの千切りと、一枚のロースカツを三人で分けたはず。それでも足りなくて、夜中にタマネギをケチャップで炒めて食べた。

 

 

「外に行くのが億劫なときは、高いお肉とか沢山買って、ステーキとかスキヤキとかやってたっけ。忙しくて会えずにいますけど‥‥除隊しちゃった同期も元気にしているといいな」

 

 

 海老は丁寧に頭がとってあって、豪快に殻ごと噛み砕いて食べた。

 おかずは大事に食べるのが常だけれど、こんなに沢山あるなら贅沢に頬張ることができる。なんて幸せ、海鮮が美味しい場所での勤務が多いけれど、異国の海鮮はまた旨味の質が違う。この殻というのが曲者で、味もしないくせに食感だけで楽しませてくれる。殻があるのとないのとだと満足感が違う。

 余談だけれど、エビフライも頭があって欲しい、素揚げが良いと普段から宣っているので頭がないのは不満かも。きっと頭は集めて、フライにして賄いで食べてるんだ。なんて所業だ、許せない。

 しかし殻があるのに、海老は不思議としっかりカレーの味が染み通っている。焼いたあとに煮るなんて手間をかけているのに、不思議なことだ。逆にその手間こそが味を染み通らせているのかもしれない。今度ぜひ試してみよう。

 

 

「うーん、それにしても凄い量ですねぇ。食べられないなんてことはないけれど、冷めないうちに食べてしまうのは中々難しそうです」

 

 

 チキンの煮込みはホワイトシチューみたいな味つけ。表面はバーナーで炙ってあるのか、焦げが食欲をそそる。

 そして何よりこの牛タンのシチュー! ステーキみたいな大きさの牛タンが、6枚も入っているのだ! もちろんフォークどころか舌で千切れるぐらいトロトロに煮込んである。こんなに素敵なシチューは今まで食べたことがない。

 舌のくせに舌に千切られてしまうなんて軟弱な。でも軟弱おおいに結構。是非とも屈服して、そのままの貴方でいて。こんなトロトロの牛タンを口いっぱいに頬ばることが出来る幸せ。そして味わったあとに思いっきりゴックンしてしまえる幸せは誰にも邪魔させない。

 タンばかりに目がいってしまうけれど、その旨味が染み出した汁も飲むというより食べると言った方がいい存在感。ご飯もパンも要らない、これだけで十分って言い切ることが出来る。むしろパンをおかずにシチューを食べる。そんな調子で夢中になって味わえば、あの量があっという間に終わってしまう。

 なんとも素晴らしい満足感。でもお腹には余裕がある。どんどん残りを片付けていこう。一つ一つがメインディッシュだ。コースだとか何だとか関係ない。ワインを味わうための料理なのかもしれないけど、いつの間にかワインは喉を潤すために脇へと追いやられて、一気になくなってしまった。

 

 

「‥‥なんてことでしょう、満腹になってしまいました。ポルトガル、恐るべし。流石は大航海時代の覇者、正規空母も乗りこなす圧倒的な質と量というわけですか」

 

 

 忙しそうでも仕事はしっかりと行う従業員のお姉さんが、気が付かないうちに一つ一つ食べ終わった皿を下げてくれていたらしい。テーブルの上は次第にスマートに片付いていき、漸く全ての料理を平らげた。

 食後のコーヒーを出してもらって、一息。デザートのプリンも奇をてらわない素朴な味で、あの食事の量と戦ったあとにはありがたい。これがケーキとかだと流石に食べきられなかった可能性もある。

 

 

「ヨーロッパの料理だとフランスとかドイツとかが有名ですけど、うん、ポルトガル料理も美味でした。艦娘候補生学校の援用航海実習‥‥私の期は太平洋コースだったから、リスボンに寄れなかったのは残念でしたね」

 

 

 ちょっと奮発してしまったけれど、一日だけの海外旅行と考えれば濃縮した一日を過ごせたということで相応の出費だろう。

 お代を払って外に出れば、すっかり夜も更けてしまっていた。とはいえ歓楽街澳門にとっては長い長い夜の始まりに過ぎない。フェリーと飛行機がある赤城はそうはいかないが、少し衰えたとはいえ夜通しカジノやショーに興じる客たちで賑やかな一晩になるだろう。

 

 

「お土産、空港で買えるといいんですが‥‥。エッグタルトはナマモノだから無理、ですよねぇ」

 

 

 別にアウトということはないが、この時間では難しいだろう。しかし澳門は他にもポートワインや中華菓子、ポルトガル雑貨など土産は選り取り見取りだ。

 しかし赤城、そんなことを気にしている場合ではないぞ。フェリーターミナルまでは意外に遠い。まずそこまでのバスが出ている、最寄りのホテルまでも意外に歩くぞ。

 勿論フェリーに乗ればそれでいいわけではなく、香港で飛行機に乗り換えなければならない。海上自衛隊では後発航期は御法度だ。

 走れ赤城、意外に時間がないぞ。ついでにいうと、香港行きのフェリーにも二種類あって、間違った方に乗ると一度香港へと入国してしまうから間違いなく飛行機には間に合わない。

 走れ赤城、意外とヤバイぞ。

 

 

「あ、セドナ広場のお土産屋さんはまだやってるかもしれませんね」

 

 

 その後の彼女がちゃんとフェリーと飛行機に間に合ったかどうか。

 まぁ相当心臓に負担をかけたが、まがりなりにも彼女は鍛え上げた海上自衛官であった、とだけ言っておこう。

 

 

 

 

 




作中では一度に大量に料理が来た、と書いてありますが、実際にはちゃんと順番に給仕されていますので、とても良いレストランでした。
あと流石にこの量、取材のときに一人で食べたわけではなく、二人で、しかも二日に分けて食べてます (´・ω・`)
次回は日本に戻って、遂に彼処が登場します。どうぞ楽しみにお待ち下さい!


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広島県呉市御手洗のあなごめし

リハビリがてら、書きました!
ストックできつつあるので、暫くこちらを更新しながらリハビリします。
ようやく仕事も落ち着きつつありますので!


 瀬戸内海は広い。

 これを実感できる人はどれだけいるだろうか。大阪あたりから広島まで新幹線で旅行したら「まぁそこそこはかかるかな」といったところだろう。車も高速道路を使えば、まぁ耐えられないほどではない。徒歩、という人はあまりいないだろうが。広島から尾道ぐらいまでなら、自転車で旅行する人もいないことはないだろうが‥‥‥‥。

 まぁ、違うな、と赤城は思った。陸路では瀬戸内海の広さを体感することはできない。

 やはり海路だ。海を行くと、瀬戸内海は広い。正確に言うと、あんまりやりたくない内海航行を延々とやらなきゃいけないのでしんどい。

 艦娘は人間サイズの航行特性と、それぞれの艦種に則った航行特性とが矛盾したまま同居している。特別機動艇やミサイル艇のように素早く小回りが利いた動きをしながら、大型艦艇のように波風に強い。しかし個人であることにも変わらず、長時間の航行は中々に堪える。

 瀬戸内海は現在、深海棲艦の駆逐に成功した安全地帯であるから、赤城もほとんどは移動用の艦娘母艦で航行していた。しかし艦娘候補生学校を卒業して実習艦娘となってから暫くの期間は通常の艦艇に乗り組み、実習をしていた時期もある。

 ‥‥‥‥あれは、辛かった。今の赤城は戦闘機のパイロットと空母の艦長を足して2で割らないような立場だが、もし自分が艦艇乗りになって、年若い自衛官の部下ができたならば絶対にしてやらない、というような様々な経験が味わえた。

 

 

「艦娘に不要な実習は、取り下げてもらうように上申しましたっけねぇ‥‥‥‥」

 

 

 伝統の一言で返されたが、と赤城は深い深いため息をついた。

 ため息は風に溶けていく。頬をなでる冷たい空気が心地よい。今年は春が遅く、四月に入ったというのに朝は白い息を吐くほどだった。日が十分に昇ってもまだ寒い。ましてや単車なんぞに乗っていればなおさらだ。

 赤城はジャケットの前を閉め直し、大きく伸びをしてから愛車に跨がった。転勤に伴った研修で暫く相手をしてやれなかったが、さすがは国産なんともないぜ。拗ねた様子もなく嘶く様子に微笑み、1速に入れる。

 

 

「やっぱり海の上から離れても、風が感じられる乗り物に限ります」

 

 

 そう、瀬戸内海の広さを感じるなら艦の次に単車だ。風を感じながら、細かな路面の状態を気にしながら走るのは海の上を走る感覚によくにている。艦は外力を受けながら走るものだから、イージーな乗り物ではあの感覚には近づけないのだ。

 オープンカーだって風を感じることはできるけど、自分と外との間には一枚の板が挟まってしまっている。単車にはそれがないから、車よりも海を近くに感じることができるのかもしれない。

 やはり自分は海が好きだ、なんて小っ恥ずかしいことを考えながら、赤城は料金所で小銭を払い、すこしゆっくりと橋を渡り始めた。

 『とびしま海道』だ。呉鎮守府への転籍が決まってから、ずっとここは通りたかった。

 島々をつなぐ道で有名なのは、やはり『しまなみ』海道だ。尾道から始まり、今治までを結ぶ全長60kmの道路で、特にバイクや自転車での旅行で人気だった。しかし、いかんせん遠い。

 その点『とびしま海道』は呉近辺から出発し、日帰りで行けるお手軽ツーリングスポットだった。瀬戸内特有の景色も十分に味わえるし、あまり長い時間鎮守府を離れていられない赤城としては楽しみにしていたツーリングである。

 島と本土との間を流れる潮の、見て取れるぐらいの流れを横目にゆっくりとアクセルを開き、少しずつスピードを上げていく。この道は路線バスも通るし、他の有名なツーリングスポットと違って住宅も多いから飛ばせない。Vツインのドンドン、ドンドン、という控えめな音が心地よかった。

 『とびしま海道』を構成する島々は合計七つ。中には呉市ではなくて、愛媛県今治市の島もあり、なんと呉市と四国は橋で繋がっているのである。それに島々を一気に突っ切る『しまなみ海道』と違い、『とびしま海道』は海岸線をなぞるように走るから、飛ばすことはできないけど良い眺めと気持ちのいいワインディングを楽しめる。

 ぐいぐいと愛車を急かし、やがて眺めのいいところで休憩。特に四国を眺めることのできる高台はすばらしい。島々はあちらこちらにぽつんぽつんと桜が咲いていて、マーブル模様になっていた。満開の山々よりも、赤城はこういう人の手の入らない自然が好きだった。

 

 

「気持ちいい風‥‥‥‥。でも、ちょっとお腹が好いてきちゃいましたね。朝はメロンパン2つしか食べてないし、ずっと走ってたから気になりませんでしたが、もうすぐ昼時です」

 

 

 展望台を離れ、急な傾斜に気をつけながらゆっくりと下る。最後に行くのは、御手洗の歴史保存地区。古い民家やお屋敷が保存されていて、美しい景観を楽しめる小さな京都のような街だった。

 ちゃんと人も住んでるから、単車で来るのが難しければ時間はかかるが路線バスも使える。地元民にも、手軽なお出かけ先として愛されている景観は、この春の涼しい風が吹き抜け、絶好の観光日よりである。

 海沿いの駐車場に相棒を停め、メットを脱げばまだ涼しい風に髪が泳ぐ。昼時のため、これから増えていくのだろうが今は人影まばらで散策も捗りそうだ。

 

 

「本当に、小さな京都というか‥‥あ、でも京都よりは小さくて、むしろ凝縮していて見応えがあるような」

 

 

 もちろん京都は花の都であり、ここ御手洗は風待ち、潮待ちの港町。船宿や御茶屋など京都にはない町並みは、ライダーならば京都よりも好きな風景かもしれない。バイク停めやすいし。

 並ぶ民家は人が住んでいるところと、住んでないところ、そして資料館になっているところ。散歩をしているだけでもリラックスできる、と通りを歩きながら赤城は伸びをして、目的のお店へと向かった。

 

 

「あ、開店時間ちょうどですね。誰もいなくて、いい感じです。ごめんくださーい」

 

「はい、いらっしゃい。おひとり様ですか?どうぞ上がってください」

 

 

 落ち着いた店内は開店直後だからか、まだ一人も客がいなかった。静かな店内で木の香りを感じながらお茶を啜っていると、休日を満喫した気分になれるから良い。昔は船宿だったとかで、もしかしたら二階は客室だったのだろうか。

 船宿というと、普通は屋形船とか、釣り船業を営む店のことを指す。しかし広島では、特にこの御手洗では船問屋のことを指すだろう。廻船の船員のための宿だ。そう考えると、ここで楽しく飲み食いしていたのかもしれない、海の男たちの姿が思い浮かぶ。

 ‥‥まぁ多分、上等な宿に止まれたのは船主とかそういう、一部の人だと思うけれど。

 

 

「お待たせしました、あなごめしです」

 

 

 メニューは一つしかないという潔さ。だがこれを求めて、多くの人が食べに来る。

 満面の笑みを作り、赤城はご飯を前に手を合わせた。

 

 

『あなごめし』

 →薄く色のついたご飯の上に、アナゴがたっぷり!紅ショウガも添えてバランスもいい。

 

『おつけもの』

 →摘まむタイミングが素人と玄人を分ける。

 

『お味噌汁』

 →上品な器で、ランクアップ。

 

 

 いただきます、と言い終わるや否や、ガッと一口頬張る。

 ぐっと来る存在感。すばらしい食感で、突っかかっていったこちらを突き返してくる。この手のご飯はもったいないという気分が先行しておそるおそるかかりがちだから、今日は初手を強めに仕掛けてみたが、意外な手応えだ。

 

 

「穴子は久しぶりですけど、うなぎとは全然違いますね」

 

 

 赤城たち艦娘が出撃の際に乗り込む艦娘支援母艦〈しらね〉の給養員長は腕が良く、何より予算のやりくりの仕方が上手い。魔法のようにもう一品作り出したり、コンスタントにご馳走を出したりしてくれて艦娘や乗員を楽しませてくれていた。

 特にステーキ、うなぎ等は意外と仕入れやすいらしくーー実際どうなのかは彼の胸の内のみであるがーー赤城も食べるチャンスは多かった。逆にあなごはあまり食べる機会がなかった。うなぎも、冷凍ものなのかそんなに良いものではなかった気がする。

 喜ぶから入れるけど、本当はそんなに美味しくないし高いんだよね、とつまみ食いに言ったら話してくれた記憶があった。

 

 

「うなぎは柔らかくてふっくらしてるけど、この穴子はすごい噛み応えがありますね。皮も香ばしくて、ぱりぱりしてる。すごい好みです」

 

 

 佐世保にいたときは鰺や鯛、イカが美味しかったが、瀬戸内海は穴子や貝類、なまこやタコが美味しい。流通の便がよくなったから日本全国どこでも同じようなものが食べられるが、やはり転勤族の醍醐味は、こうやってその土地その土地のものにふれることだ。

 艦の食事がいくら美味しいとはいっても、出港中常に食べられるわけでもない。任務海域に突入すれば母艦から離れ、艦娘だけの艦隊を編成して航海する。その間はあじけのないレーションや缶で暖めた糧食で腹を満たす。時には潮をかぶりながら。

 食事は大事だ。人間が一生に食べることができる食事の数には限りがある。だから一食一食をかけがえのないものだと認識して、大事に食べることが肝要だ、と赤城は独りごちた。

 

 

「すいません、ノンアルコールのビールください」

 

 

 たまらず飲み物を頼んでします。うれしいことに缶ではなく瓶だ。ジョッキもいいけど、休日のお昼ご飯に頼むという背徳感と瓶ビールは抜群の相性だ。もちろん単車で来ているからアルコールは入れられないが。

 海上自衛隊の前身たる大日本帝国海軍は大英国海軍を手本に形作られた。昔は酒保もあり、艦内でも酒が飲めたらしいが、戦後は艦内飲酒は厳禁である。一発で昇任が遅れ、同期と差が付く大問題だ。だからか最近はノンアルコールのビールが人気だった。

 横須賀だと、軽空母の千歳や重巡洋艦の那智などが〈しらね〉の私室にダンボール箱で持ち込んでいた。夜な夜なDVDを観ながら、娯楽室で寂しく柿ピーを摘まみながら飲んでいる。艦の記憶が懐かしい、というときの大概は乗員たちが愉しく停泊地で飲んでいたときのことだ。

 

 

「魚には日本酒、だと思うんですけど。アナゴもウナギも、不思議とビールですね」

 

 

 噛み応えのあるアナゴとビールの相性は最高だ。味付けはそんなに濃くはなく、アナゴ自体の味をしっかりと感じる。それにご飯もふっくらと出汁の味と香りがして、これだけでもおかわりしたいくらいだった。

 もく、もく、ごくごく、とテンポよく食べ、飲み進めていく。上品な器はそんなに量はなく、ノンアルビールのためにある程度セーブしていたのに、すぐに空になってしまった。

 最後の一口は、切ない。

 いつの間にやら漬け物も、無意識のうちに最適なタイミングで食べてしまったのだろう。多すぎてもいけないけど、もう少し欲しくなる。赤城はスーパーで買った寿司を楽しむために、わざわざガリを別に買っておくタイプの食いしん坊だった。

 

 

「ここは日帰りどころか、お昼を食べに来るくらいでもちょうどいいところだし。また来ればいいんですよ、また来れば」

 

 

 恨みがましげに味噌汁を啜り、手を合わせる。ごちそうさまでした。美味しいものを食べるとき、満足を得る一方で、すぐになくなってしまうことへの恨みを感じる自分は業が深い。

 お会計を済ませる頃には既に他の客が並び始めていた。開店直後で正解だった。

 

 

「今からゆっくり戻っても、日が落ちる前に下宿に戻れる。夜は加賀さんでも誘って、オサケでも嗜みに行きましょうか」

 

 

 じきに春も終わり、梅雨が来る。雨は海と陸の境界線を朧げにし、深海棲艦も活動を活発にする。

 前が見えなくなるほどの強い雨は多くの艦娘にとっては悪い気持ちを誘う光景だった。陸だけではない。海の底とも繋がってしまいそうな雨は、轟沈した艦の記憶を持つ殆どの艦娘を憂鬱にさせるのだ。

 でも、怯えてばかりではいられない。記憶や過去、歴史に引きづられてはならない。

 かたちある物はいづれ壊れ、死に、消えていく。戦い、殺し、沈めることが使命ならば、殺され、沈むこともまた運命なのかもしれない。艦のままならば、そうだったのかもしれない。

 しかし自分たちは艦娘なのだ。人と、艦が結びついた存在なのだ。

 艦の魂と共に沈み、慰めるのではなく、共に戦い、乗り越える。そしてこの戦いをいつか終わらせる。それが自分たちの本当の使命。赤城はそう信じていた。

 だから戦う一方で、こうやって生を謳歌する。絶対に負けない。

 愛車を傾かせ、風を感じながら、ただただ赤城は強い意志をもって、今この瞬間こうしていることの意味を、強く強く叫ぶのであった。

 

 

 

 



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佐賀県伊万里市大坪町のナイスバード定食

正規空母赤城。
艦娘の中では歴戦の強者で、横須賀⇒佐世保⇒呉と転戦してきた。
趣味らしい趣味はなかったが佐世保で提督に誘われてバイクの免許を取得。以来バイクでの食べ歩きが増えた。
時系列がサヨナラしてるけど、その辺りは取材の都合なのでご容赦ください。


 広報の機会や、一般の人と話す機会によく訊かれることがある。『起床ラッパを聞くと、自然と目が醒めるものです。か?』と。

 赤城は答える。『とんでもない、手遅れです』と。

 そもそも艦娘というものは、起こされるということを恥だと考える。人に起こされるまでもなく、時間までには自分で起きて、時間と同時に動き出せるように躾られているのである。

 艦娘候補生学校時代には総員起こしと同時に飛び起きて、布団を畳み、着替え、グラウンドまでダッシュして体操したものだ。5分前には飛び起きる準備は完了していて、総員起こしの号令を淡々と待っていなければ間に合わない。だから『総員起こし5分前』の号令の方が心臓に悪いだろう。

 一方で、確実に起こすための悪戯をしたいなら『赤城さん、ワッチです』が効く。これは速やかに飛び起きる。

 近くに艦娘の知り合いがいたら、可哀想だから試さないであげて欲しい。本当に心臓に悪いから。

 

「‥‥そういえば休日でしたっけ。失敗しました」

 

 一般人なら休日には少し早い時間に、赤城はごろりと寝返りを打った。

 駆逐艦や軽巡洋艦の一部などには許されていないが、重巡洋艦や戦艦、空母の艦娘は鎮守府の外に自室を借りることが許可されている。ほどほどの広さがある日当たりのいい部屋は、ベッドと衣装箪笥、私服をかけるハンガーラックとバイク用品ぐらいしかない無味乾燥なものであった。

 艦娘は転勤が多い。赤城も長くて佐世保は2年ぐらいだろう、と家具すら最低限にしていた。着任当初は女子会を家で、ということも楽しみにしていたのだが、実際はオフのタイミングが合うことすら稀で、ゴミ捨ても面倒だしお金はあるし、会う機会があれば結局は連れ立って呑みに出かけてしまうのだった。

 かつては趣味らしい趣味もなく、バイクの免許を取らなければ今でも休日は寝て過ごしていたかもしれない。そして佐世保は、もし街の中だけで過ごそうとするならば、それなり以上に退屈な街でもあった。

 

 

「とりあえず、部屋の片付けでもしましょうか。どうしてあんまり帰ってるわけでもないのに勝手に汚れていくんですかねぇ」

 

 

 掃除機をかけて、拭き掃除をし、ろくに出てもないゴミをまとめればそれで終わり。掃除が面倒なコンロや、洗濯機はおいていない。食料の買いだめができない生活だから自炊はむしろ高くつくし、洗濯物は鎮守府の洗濯室で済ませてしまうからだ。鎮守府は女性ばかりだから、この安アパートで物干しするより遙かに安全だった。

 ゆっくり掃除をし、気分転換にとシャワーを浴びてもまだ昼には早すぎる。早起きの習慣がある者にとって、午前は長いのだ。

 

 

「読書をしようにも本が無いし、映画を観に行こうにも博多まで二時間ですか」

 

 

 とりあえず枕元に置いてあった、ボロボロになってしまっているツーリングガイドを捲る。

 佐世保はバイク乗りにとって理想的なホームだった。北に行けば平戸、生月島の走り応えのある道があり、南に行けば西海の美しい風景を見ながら長崎方面に行ける。もし足を延ばす時間があるならば、阿蘇までも比較的近い。阿蘇まで行けば今度は宮崎、高千穂ぐらいならば軽い旅行の範疇だった。

 

 

「長崎にはこの前トルコライスを食べに行ったし、平戸はこの前お刺身を食べに行っちゃったし、阿蘇はさすがに少し違いから、あまり短いスパンで行くのも憚られますからね。赤牛の牛丼は美味しいんですけど」

 

 

 そういえば峠は久しぶりだ。峠を走りたい。

 赤城の愛車はアメリカンタイプで、峠を攻めるには向いていない。しかし攻めるのと走るのとはまた違う。

 中々スピードが上がらない少しの苛立ち、坂道を機械で登るという不可思議な感覚、重力に逆らう優越感。峠の登りは良い。アクセルを絞りすぎてもいけない、加速しすぎてもいけない、踏むべきところで踏むブレーキ、注意を払ったコーナリング、程よいスリルと緊張感。峠の下りも良い。

 

 

「よし!」

 

 

 もうツーリングガイドも要らない。通い慣れた道だ。峠を越えるだけが目的だから他も不要。ジャケットを羽織り、ヘルメットを被って愛車に火を入れる。

 ちょうど先日磨き上げ、チェーンも洗って油も挿した。ご機嫌は上々だ。手慣れた車線変更で横道を抜け、登坂を開始。目指すは佐世保と佐賀の県境、国見峠だ。

 

 

「天気もいいし、車も少ない。やっぱり走るなら早い時間がいいですね」

 

 

 荷物を積んでないから愛車も軽い。暫く走りを楽しみ、お気に入りのスポットで一度休憩。自販機で缶コーヒーを買ってベンチに腰かければ、眼前には伊万里の美しい景色が広がっていた。

 佐賀県と佐世保は深い関係にある。それは佐世保と長崎との関係よりも深いかもしれない。

 元々佐世保というのは小さな漁村で、そこに鎮守府を開庁するにあたり人を集めて街になったという経緯がある。ではどこから人を集めたかというと、おそらくは長崎より佐賀の人間が多かったのだろう。実際、佐世保の人の方言は長崎弁というよりは佐賀弁に近い。

 例えば佐世保の人の代表的なお出かけ先といえば武雄温泉か。嬉野温泉もアクセスは容易だし、有田や佐賀市内も遊びに行きやすい。そして今、雄大な景色を楽しんでいる伊万里もそうだった。

 

 

「さて、お楽しみの下りです」

 

 

 車の少ないうちに楽しんでしまおう。スピードを出すつもりはないが、かといって途中でブレーキがかかってしまうのもつまらない。すいすいと、重い車体を左右に傾けて進んでいく。

 山を下りて伊万里の市街地に入っても交通はスムーズだ。車線が多いし、九州の人は結構飛ばす。市街地と言っても車が極端に増えるわけでもなく、やがてお目当ての食事処へ辿り着いた。

 

 

「うわぁ、もう並び始めてますね。少し早めに来て正解でした」

 

 

 黄色に赤字の目立つ看板のお店には、既に開店待ちの列が出来ていた。これが開店後になると、とてもじゃないけど直ぐには店に入れない人気店である。

 赤城は行列で待つのも嫌いではないが、もちろん待たない方が良い。今日は大正解だ。あまり早く来過ぎても待っている時間が長くなるし、一番最初で待つというのは少し気恥ずかしかった。

 

 

「駄目そうだったらおうどんでも、と思ってましたが、それは次にしましょうね」

 

 

 このぐらいの列ならば、お店の中に入りきる。やがて開店、巨大な鶏の像を横目に案内された。

 家族連れ、団体客が炬燵のある座敷へと案内されていく一方で、赤城が案内されたのは入り口近くのテーブル席だ。

 少し風が吹き込んで悪いが、元々バイクで来ているから十分な厚着をしている。むしろ厚着が許される、土間のようなテーブルがありがたかった。注文するメニューはもちろん定番の定食。

 

 

『若どり』

 ⇒定番の一品。柔らかくジューシィ。いくらでも食べられそう。

 

『ネック』

 ⇒所謂せせり。首の肉の周りのお肉で、歯ごたえ抜群。

 

『かしわめし』

 ⇒炒飯みたいだけど、炊き込みご飯? 紅ショウガと福神漬けも添えて彩りも良い。

 

『野菜盛り』

 ⇒BBQの定番。しっかり焼いても、多分生でもヨシ!

 

『スープ』

 ⇒もちろん鳥だし。具はネギとタマゴ、そして鳥!

 

 

 定食、というのは嘘ではないが、今日は奮発して2品追加。机の上には皿が広がり、すごいことになっている。元々の定食もそこそこ量が多いのに2品も追加してるから、ほとんど2人前だ。

 

 

「テーマパークみたいですねぇ。さすがに気分が高揚しますって、加賀さんに怒られちゃいますね」

 

 

 使い古した感じはあるが、よく磨かれた焼き網に先ずは若鶏をいくつか ON して、最初にかしわめしを一口。フワッと鳥皮から香る鶏の風味と、ニンジンの食感、甘い出汁が効いていて食べやすい。モリモリいけそうだ。というか、気が付いたら3分の1ぐらいは既に食べてしまっている。

 

 

「いけない、いけない、ちゃんと残しておかないと」

 

 

 程よく焼き上がった若鶏を、先ずはそのまま。

 ぷりっ、じゅわあっ、そして再びぷりっと、良い食感だ。肉汁もたっぷりで、素晴らしい。頬張ったせいで若干ロの中をやけどしたが、口いっぱいにお肉を頬張る贅沢と幸福感が最高だ。

 これは焼鳥ではなく、焼肉である。佐賀で焼肉といえば鶏なのだ。

 2つ目はたっぷりとタレにつけて、甘辛っ! 素材の味もいいし、こうやってお店の味付けを楽しむのもいい。ちょっとベタついた感じもあるが、肉を焼いて食べるっていうのはこういう味なんだ。

 続けて3つ目を、の前にネックを少し焼き網の上に補充しておく。肉は焼けるのに時間がかかるのだから、この切れ目のない補充が大事だ。しかし焼き加減が適当になってはいけない。だから一度にたくさん網の上に並べるのはよくない。見栄えも悪いし。

 

 

「その"塩梅”ってやつが、中々つかめないんですよね」

 

 

 にんにくコショウの薬味があるから、それを肉の上につける。タレに混ぜてしまうのもアリだけど、今日は肉も増やしたし、先ずは上品に。鼻に抜ける薬味が食欲を増す。

 

 

「すいません、ライスください、大盛りで」

 

 

 かしわめしがまだ残ってるけど、このタレとにんにくコショウにはライスを合わせたい。たっぷりとタレに浸してオンザライス。そしてムシャムシャッと頬張る。

 

 

「弓道部の午前練のあと、ご飯おかわり自由の定食屋でやった感じの」

 

 

 もしくは子どもの頃、無性にお腹が空いて仕方がなくって、何とか少ないおかずでご飯をおかわりしようとしてた時みたいな。ああいうのが、イイ。

 

 

「ピーマンもしっとり焼けましたね。これをタレに絡めて」

 

 

 オンザライスだ。玉ねぎもイイ。キャベツは軽くあぶって、これは味付けナシでそのまま悩る。大阪に出張したとき以来、味付けなしのキャベツは大好物だ。焼かなくてもいいかもしれない。けどせっかく網があるのに、焼かないというのも勿体ない気がする。

 

 

「お、ネックも焼けましたね。歯ごたえ抜群でビールが進みそう」

 

 

 もちろんバイクで来てるからアルコールは無し。お肉単品で勝負するなら、若鶏よりもネックの方が好みかもしれない。若鶏は肉汁と食感と満足感がすごいけど、味の凝縮度合と歯ごたえはネックの方が上なのだ。

 となるとネックはそのまま、若鶏はライスと食べるべきだ。野菜もちょっと量が心もとないので大事に挟んでいかないと。若鶏、ライス、ネック、野菜の順番だ。ペースを崩さず、焦ってはいけない。でもにんにくコショウはタレに溶かしてしまおう。

 

 

「表面をよく焼いて、タレにしっかりつけてから焼き網の上にバックです」

 

 

 若鶏の上でジュワジュワとタレが発泡する。じりじりと網の上で焼かれる鶏の情念が、心の叫びが伝わってくる。いや雰囲気だけだが。

 かぼちゃは少し焼きすぎたか、かなり焦げてる。このかぼちゃの焼き具合というのは未だに判らないことの一つだった。逆にとうもろこしは程よい。若鶏と同じようにタレにつけて焼いたから、香ばしい匂いが伝わってくる。

 

 

「スープも鳥の出汁がよく効いてます。かしわめしと一緒に食べるとお口の中が鳥でいっぱいです」

 

 

 肉と、飯と、汁と、野菜。どれを最後の一口にするか。これは重要な命題だ。

 最後の一口は、せつない。しかし大事なのだ。今日は、汁だ。汁にしよう。

 野菜、肉、そしてかしわめしを丁寧に頬張り、呑みこんでから、最後にスープを飲み干す。ゆっくりと吐息をつき、余韻を楽しむ。ごちそうさまでした。大満足だ。

 

 

「早めにお昼が食べられましたし、まだ走れますね」

 

 

 博多まで出るか、唐津を観光するか。はたまた南下して武雄か嬉野で温泉に入るのも悪くない。いや、この寒さだ、厚着しているとはいえ走れば寒い。ここは温泉にしよう。風で冷えた身体を温泉で温めるのは最高だ。その後佐世保

に戻って、また寒くなったらサウナに行けばいい。

 

 そのあとは、おでんとちゃんぽんかな。さらに増えてきた客を列を横目に見ながら、赤城は愛車に跨った。

 

 

 

 

 

 




開店三十分前ぐらいがベストな待ち時間です。
ちなみに僕は、向かいのうどん屋の方が好きです(オイ


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