ARMORED CORE〜In the blank〜 (シリアル)
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プロローグ

初投稿です。
原作との矛盾も多いかと思いますが、斜め読みして頂ければ幸いです。

2018/3/30 追記:細かな表現や誤植の変更・訂正を行いました


  ––––仕事柄、多くの人間を殺してきた。

 

  敵対勢力が保有する施設の襲撃に、「企業」から離反した研究者の粛清……。

  中には、偽の任務でおびき出した同業者(レイヴン)の抹殺、などという依頼もあった。

  その度に数えきれないほどの人間の死に様を目にしたが、特段何か感じるということはなかった。人の命を奪うことへの抵抗など元からないし、組んでいた仕事仲間が目の前で殺された時も、不思議と僕は平然としたままでいられたのだ。

  きっとこんな人間のことを、世間一般には「破綻者」と呼ぶのだろう。今更そのことを否定するつもりもないのだが、傭兵を生業にする者にとって人の死は「日常の一部」にしか過ぎないし、その一つ一つに反応していたら、こんな仕事はやっていられなかった。

 

  「ノーマル」に初めて乗りこんだその日、僕は人として最低限の道徳観をも捨て、依頼主の望みを忠実に叶えるためだけの殺人マシーンになることを決めた。無数の命を奪い、冒涜し、ただ壊すだけの、心を持たない機械に。

  そうして様々な依頼をこなしていくうちに、いつしか僕は「腕利き」と呼ばれるまでに上り詰めていた。だけど、そんな七年間の中でも、こんな感情が芽生えたことは、ただの一度もなかった。

 

 

  ––––誰かの意思とは関係なく、あくまでひとりの「人間」として、ただ相手の死を望む純粋な殺意。

 

 

  その矛先は、二脚型ノーマルの息苦しいコックピットの中、モニター越しの黒き「獣」へと向けられていた。

 

  「F1カー」などと言ったか。いつか写真で見た、古いレースカーのボディに細い手足を生やしたようなその形状は、同じように四肢を持つ人間のそれとはまるで似つかない、まさに「異形」と形容すべき様相である。

  緑色に輝く粒子を周囲に纏い、背部から眩い閃光を放ちながら目にも留まらぬ速さで青空を駆けるその姿は、一種の神々しさすらをも感じさせた。

 

  アーマード・コア"ネクスト"。人類文明の誕生から何百年、いや何千年と続いた国家による統治の時代に終焉をもたらした、「国家解体戦争」における企業側の主力兵器。

  高いエネルギー発生効率と有害性を兼ね備える新物質「コジマ粒子」を軍事方面で転用した数少ない成功例であり、有人兵器でありながらも戦略級の力を持つ。

  特殊な適性を持つパイロット・リンクスが操るたった二十六体のネクストは、二ヶ月足らずで世界各国の軍隊を壊滅へと追いやり、企業連合体––––通称「パックス」による支配体制を確固たるものとした。兵器としての単純な破壊力もさることながら、機体によっては戦闘機をも凌駕する機動性、そしてコジマ粒子による特殊防護壁・プライマルアーマーを兼ね備えたそれは、その当時の既存兵器の存在を根底から覆すほどの力を持っていたのである。

 

  現在、その運用の難しさから企業の主戦力はアームズフォートへと切り替えられているものの、未だに十二の企業によって計三十一体のネクストが運用されており、企業間の戦闘において度々投入されては高い戦果を挙げていた。

 

  そんな中でも、今は亡きレイレナード社の高機動型二脚フレーム「03-AALIYAH」に、高火力・低射程の武装を施したその機体は、中近距離における対ネクスト戦を想定して設計されたことが見て取れる。

  ……しかし今、それらの銃口は、ネクストどころか「兵器ですらないもの」へと向けられていた。

 

 

  肩部から放たれた一閃の光条が、展開した僕らハイエンド・ノーマル部隊の間を通過し、全幅四キロメートルの巨大全翼機へと直撃する。

  機関部を破壊され、航続能力を失った二千万の命の揺り籠は、その身から黒々とした煙を立ち上らせながら、他の四基と同じように遥か眼下の地上へと落下していった。

 

 

 クレイドル––––十数年前、企業間で勃発した初の大規模戦闘、「リンクス戦争」によるコジマ汚染拡大の影響で、地上を追われることとなった人類にとっての「終の棲家」である。

 

 まだ汚染の行き届いていない上空七千メートルを延々と飛行し続ける高高度プラットフォームでは、一基あたり一千万人、一編隊につき五千万人の人々が暮らしている。

  その中でも、ここ「クレイドル03」は極初期に建造されたもので、住人の増加に伴う居住区画の増設を繰り返し、今では合計一億人もの人々が日々の生活を営んでいた。

 

 

  しかしたった今、そんな幾多の罪なき者たちの日常は、突如出現した「獣」の手によって脆くも握りつぶされたのであった。

 

 

「……クソッ、こんなのやってられるか!俺は離脱するぞ!」

  通信でそう吐き捨てると、一人のレイヴンがそそくさと撤退を始める。

「そ、そうね!防衛対象も無くなったんだし、もう私たちがここにいる理由もないわ。早く帰りましょう!」

 一億の死を目の前にして怖気付いたのだろうか、他の数機もそんな彼に倣った。

 

  直後、狭苦しいコックピットの中に、けたましい断末魔が響いた。

  それも一人のものではない。モニターには、無数の弾丸をその身に受けて主人を失ったのだろう、クレイドルと共に青空の中を落下する複数機のノーマルの姿が映っていた。

 

 

  ––––そう。もう一匹の「獣」が、彼らのことをみすみす逃す筈がなかったのである。

 

  鈍い金色のカラーリングに、関節が人のそれとは逆側に折れ曲がった脚部。華奢なその腕部に握られたアサルトライフルが、逃げ惑うノーマルたちの背中に向かって忙しなく火を噴いていた。

  イレギュラーネクスト、リザである。リンクスであると同時に、反体制派勢力・リリアナの首領としても知られる男、自称オールドキングが駆るそれは、今から三十分ほど前、クレイドルの飛行空域に突如としてその姿を現した。

  ノーマルによる襲撃を想定してクレイドルの防衛に当たっていた僕らにとって、ネクストの登場はまさに青天の霹靂であった。通常兵器による攻撃はプライマルアーマーによって阻まれ、かえってこちら側が次々と撃墜されていく始末。その圧倒的な力の前に為すすべを持たない僕らは、目の前で繰り広げられる殺戮を、ただ呆然と眺めることしか出来ずにいた。

 

  そんな中で、僕には一つ気がかりなことがあった。警備部隊に致命的な打撃を与えながらも、オールドキングは肝心のクレイドルそのものには一切手を出さなかったのである。

  彼の率いるリリアナは、地上に拠点を置く反体制派勢力の中でも特に過激な部類に入り、ノーマル部隊によるクレイドルの占拠を画策してはその殆どを失敗に終えていた。その前例を考えると、オールドキングのその様子はいささか不自然に見えたのだ。

  ……そしてそれは、まるで後続の誰かのための「お膳立て」のようにも感じられた。

 

  嫌な予感は的中した。続いてやってきたもう一体のネクストによって、クレイドル03は五基全てが撃墜され、一億もの人々が最悪の形で地上へと還ることになったのであった。

 

 

  史上最大規模の大虐殺を終え、今はノーマルとの戯れにご執心、といった様子のリザから距離を取ると、僕は機体を黒いネクストの方へと向ける。

 

  奴は、まるで飼い主が用事を終えるのを待つ犬が如く、ただ呆然とその場に佇んでいた。

 

  こちらの存在を感づかれることのないように一定の距離を保ちながら、僕は黒いネクストの後方へと機体を回り込ませる。すると、途絶えることなく聞こえ続けていたレイヴンたちの絶叫に割り込むようにして、一人の女が通信に参加した。

 

「レイヴン、こちらカレンです。クライアントにより、撤退命令が出されました。直ちに帰投してください」

 

  相変わらずの冷淡な声色で、カレン・エインズワースは言った。

  彼女が僕のオペレーターとなってからかれこれ五年ほどが経つが、その言葉から感情らしきものが感じ取れたことは一度もない。どうやらそれは、一億人の大虐殺に際しても変わりないようだ。

 

  ……だが生憎、今の僕は、彼女のような冷静さなど持ち合わせてはいなかった。

 

「聞いていますか。もう一度言います、直ちに撤退してください。あまりもたついていると、今度は貴方がネクストの餌食に」

 

  耐えかねた僕は、全ての通信をミュートにした。

  それまで絶え間なく響いていた悲鳴が嘘のように止み、まるで数日ぶりにすら感じられる静寂が、僕を冷たく包み込む。

  そのまま自らの棺桶となるかもしれないコックピットの中で、僕はただ一人思いを巡らせた。

 

  ––––正直なところ、僕にとって一億の死などは、些細な出来事にしか過ぎないのである。縁もゆかりもない人間がいくら死のうが知ったことではないし、普通ならその犯人に対してもこれほどまでの憎悪を覚えることもないだろう。

  そんな僕を突き動かす殺意の源は、一人の「少女」にあった。

 

  栗色のショートヘアに、実際の年齢よりも二、三歳ほど幼く見える顔立ち。最後にその姿を見たのは三年以上前の筈なのだが、記憶の中のその姿は、まるで写真で撮ったかのように鮮明であった。

 

  ……これは天罰なのだろうか。数えきれないほどの人命を奪い、その対価によって生きてきたことへのツケが、今となって回ってきたのだろうか。

  だとするなら、今更赦しを乞うつもりもない。どのような苦しみだろうと、甘んじて背負うことにしよう。

 

 

  でも、彼女まで––––セシリアまで罰せられる所以は、どこにもないはずだ。

 

 

  意を決すると、僕は装備した射撃武器を全てパージし、黒いネクストの背中めがけて機体を突撃させた。

  シートに身体が強く押し付けられるのを感じながら、操縦桿のトリガー部を引いて左腕部のレーザーブレードを起動する。「月光(ムーンライト)」の名を冠する青白い光が次第に一本へと収束し、その刀身を形作った。

 

 

  ……その実、ノーマルであろうとネクストだろうと、飛行の原理は殆ど同じである。それは背部のメインブースターの出力と、各部に取り付けられたスラスターによる姿勢制御によるものであった。

  つまりメインブースターさえ破壊してしまえば、戦場においてまさに神的な域にまで至る力を持つネクストでさえ、後は落下していくのを待つだけの鉄屑と化す訳である。

  プライマルアーマーを突破出来るほどの高威力兵器による、メインブースターの破壊。それが非力なノーマルに与えられた、ネクストを撃破するための唯一の道であった。

 

  とはいえ、一介のレイヴンがネクストを撃墜したなどという例は、今までに一つとして聞いたことがない。そして僕にも、それをやってのけるのはほぼ不可能と言っていいだろう。

 

  それでも、挑まなければならないのだ。例え、この身が亡びを迎えることになろうとも。

 

  黒いネクストとの相対距離を十メートルほどまで詰めると、僕は機体の左腕を正面へと突き出した。

  ブレードが青緑色の薄膜へと干渉し、火花を散らしながらその内側へと入り込んでいく。

 

 

  ……ついにその切っ先がメインブースターにまで達そうとしたとき、横嬲りの連続した衝撃がそれを阻んだ。

 

 

  機体の異常を知らせる各種アラートが鳴り響き、忙しなく点滅する警告灯が、コックピット内を赤色に染め上げる。振動で内壁に何度も頭を打ち付けた僕は、ヘルメット越しにも伝わるその衝撃に、思わず呻き声を漏らした。

  割れるような痛みの中、額から垂れてきた血液の味にむせ返りながら、僕はノーマルのメインカメラを右へと向ける。

 

  ノイズが走るモニター上に映ったのは、アサルトライフルの銃口をこちらへと向ける、リザの姿であった。

 

  直後、レーザーブレードの刀身が消えたかと思うと、全身を奇妙な感覚が包み込む。それが自由落下によってもたらされた浮遊感だと気づくのには、少しの時間を要した。

 

  ––––まだだ。まだやれる。

 

  そんな叫びも虚しく、モニターに映る周囲の景色は、頭上へと向かって段々と加速していく。

 

  外部からの映像が途絶える寸前、最後に僕が目にしたのは、背中から白炎を吐き出しながら彼方へと飛び去っていく二匹の獣の姿だった。



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第一章:山猫狩り
第一話:来訪者 前編


当初は一括で投稿する予定だったのですが、都合により前後半に分割することになりました。
もしかすると、さらに中盤が入ることになるかもしれません泣

これからも毎週日曜日に更新致しますので、よろしくお願いいたします。

2018/3/30 追記:細かな表現や誤植の変更・訂正を行いました


  一定のリズムで繰り返される単調な電子音に、僕の意識は現実へと引き戻された。

 

 

  枕元でバイブレーションを鳴らす携帯端末を手探りで捕まえ、アラームを停止させると、その画面を見やる。時刻は、午前七時三十五分を回っていた。

  うざったく身体にまとわりつく薄手の毛布を乱暴に引き剥がし、勢い良く起き上がった僕の視界に広がったのは、嫌というほどに見慣れた自室の光景であった。

 

  壁紙が破れてコンクリートが剥き出しとなった壁に、色あせた傷だらけのフローリング。

  六畳ほどのその空間には、簡易ベッドやローテーブル、三十二型のテレビが置かれているだけで、我ながら生活感といったものが全く感じられない。

  そして、遮光カーテンの隙間から漏れる微かな光が、そんな殺風景な部屋を薄暗く照らし出していた。

 

  ふと、身につけたスウェットが、汗でじっとりと湿っていることに気が付く。

  ……まただ。ゆっくりとベッドから立ち上がった僕は、衣服を脱いでバスルームへと向かった。

 

 

  あれからというもの、いつもこの調子である。火傷しそうな程に熱いシャワーを浴びながら、僕は一つ深いため息をつく。

 

  三ヶ月前–––– 一億もの人命が一瞬にして失われたあの日、クレイドル03の飛行空域で撃墜された僕は、ノーマルと共に地上へと落下しているところを回収され、なんとか一命をとりとめた。

  幸い、身体の怪我はほんの軽微なものであったため、入院こそしたものの二週間ほどで退院することとなった。しかし、いつからか僕は、毎日のように「あの日」の夢にうなされるようになっていたのである。

 

「一億の死を目の当たりにした衝撃と、自らの命が脅かされた恐怖によって、一種のトラウマ障害に近い状態へと陥っている」。入院先の病院から半ば強制的に受けさせられたカウンセリングで、担当医の老人は悪夢の原因をそう分析した。……しかし、その本質は彼の言うところとは異なることを、僕は自覚していた。

  この悪夢の根幹にあるのは、決して恐怖などと言うごく単純な感情ではない。神仏めいた存在に対するそれにすら似た、何とも形容し難いものであった。

 

  ––––神話の御世にあって、神とは即ち力である。

  力こそが人を生かし、力こそが人を殺す。神という言葉が、単純に多数の人間の生き死にを支配する者のことを表しているのなら、あの時の二体のネクストは、この世界において「最も神に近い存在」であったと言っても過言ではなかった。

 

  そして、そんな余りにも強大な力に対する畏怖、厭忌、そして憎悪。それらが複雑怪奇に絡まり合ったこの感情こそが、何度も繰り返し体験するあの日の根幹にはあった。

 

 

  シャワーを止め、バスタオルで全身を拭き終えた僕は、新しい服へと着替えて部屋に戻る。

  カーテンを開けると、汚れて薄く曇った窓ガラスの向こうには、あまりにも無機質な光景が広がった。

 

  寒空の下、等間隔に整然と立ち並ぶ灰色の立方体たち。壁面にそれぞれ異なる番号が刻印されたそれらは、ここ「コロニー・ストックホルム」における一般居住施設である。

 

  地上におけるコジマ汚染の拡大により、他のコロニーたちが次々と放棄されていく中を生き残った、数少ないうちの一つであるここは、クレイドルに上がれるほどの財力を持たない貧困層、あるいは僕たちレイヴンのような地上を活動拠点に置く職業の者たちの住処となっていた。

  ……しかし、くだんの事件以降は、クレイドルから地上へと降りた人々が大量に流入してきており、最近では抽選によって入居者の決定が行われているというから驚きだ。

 

  窓の両端でカーテンを縛った僕は、ベッドの上に腰掛けてテレビの電源を入れる。その小ぶりな画面には、爆発炎上する何処かのコロニーの様子が映し出された。

 

「……本日未明、旧ロシア領に位置するコロニー・ナホトカが襲撃を受け、壊滅しました。これによる死傷者は五十万人に及ぶと思われ……」

 

  まるでこれが日常であると言わんばかりの調子で、キャスターが淡々と原稿を読み上げる。

 

  可笑しな話である。数十万単位の人命がたった一晩のうちに失われたというのに、僕らにとっては次第にそれが「当たり前」のこととなりつつあるのだ。

  ……全く、ヒトの適応能力というのは恐ろしい限りである。そんなことを考えていると、燃え盛る街並みを映すカメラの前を、一つの黒い影が通り過ぎる。

 

  およそ人のそれとはかけ離れた細長い四肢に、背部から放たれる眩い閃光。忘れたくとも忘れられない、何度見てもやはり異様なそのシルエットに、僕の心拍は加速していく。

 

 

  ––––「首輪付き」。それが、史上最も多くの人命を奪った個人と、その保有するネクストに与えられた渾名であった。

 

 

  その名は、クレイドル03が撃墜された直後に執り行われた、彼らイレギュラーネクスト二体の討伐作戦に由来する。

  作戦にあたった、企業の最高戦力たるリンクス五人で構成されたネクスト部隊は、その数的優位を以ってオールドキングの抹殺に成功したものの、随伴していた彼によって返り討ちに遭い、全滅。後に回収された、リザのブラックボックス上の通信記録において、オールドキングが彼のことを「首輪付き」と呼称していたことから、それが未だ本名が明らかとなっていない彼の呼び名となったのである。

 

  ネクスト五体による襲撃を生き残った首輪付きは、続いてクレイドル07及び19を破壊。全てのクレイドルが放棄され、その住人たちが地上へと降りた後も、各地に点在する有人のコロニーを幾度となく襲撃し、これまでに合計二億五千万もの人々が彼の手によって命を落とすこととなったのだった。

 

  ……それにしても、今まで他人の死には無頓着なつもりでいたのだが、仕事以外の場で大勢の人間が死んでいくのを見るのは、やはり気分の良いものではない。そんなごく当たり前のことに気づいた僕は、テレビの電源を切った。

 

  ただでさえ殺風景な部屋の中を、不気味なまでの静寂が満たしていく。今朝は不思議と食欲が湧かなかった為、朝食を食べる訳でもなくただ茫然としていると、来客を告げる呼び鈴が響いた。

 

 

  こんな朝早くに、一体誰が。玄関まで出て鍵を外すと、チェーンをかけたまま金属製のドアを半開きにする。

 

  氷点下の外気が室内に吹き込む中、そこにあったのは、一人の小柄な女の姿であった。

 

  艶やかな黒髪に、カーキ色のトレンチコート。知的でありながら幼さを残したその顔には、銀縁眼鏡が添えられていた。

 

「えっと、あなたは……」

 

「お久しぶりです、ライアン・ロックウェル。……いえ、『レイヴン』と呼ぶべきでしょうか」

 

  彼女のその言葉を聞いて、僕は大きく目を見開く。容姿に関しては見覚えがないものの、その声と淡白な口調には心当たりがあった。

 

「あんた、まさかカレンか」

 

  彼女は何の反応も示さない。だがその話し方は、明らかにノーマルのコックピットで聞き慣れたそれであった。

 

「でも、何でわざわざ……」

 

  カレンとは比較的長い付き合いだが、その実こうして顔を合わせるのは初めてである。それは僕だけに限ったようなことではなく、十年以上も仕事を共にするレイヴンとオペレーターが、互いに顔を知らないというのはよくあることだった。

  そのため、本来仕事でしか接点がないオペレーターが、直接レイヴンへと接触をはかってくるというのには、何かそれなりの理由がある筈だ。

 

「本当にお気付きになられていなかったのですね。……あなた宛に、新しい依頼が届いています。そのことを何度もメールでご連絡させて頂いていたのですが、返答を頂けませんでしたので、こうして直接お訪ねすることに致しました。依頼内容をご説明したいと思いますので、中に入れて頂けないでしょうか」

 

  寒々とした白い息を吐きながら、それでもあくまで無表情のまま彼女はそう口にする。

 

 

  「依頼」、だと。何を言っているんだ、この女は。

 

「からかいに来ただけなら帰ってくれ。こんなご時世になってまで、経済戦争を続けようとする輩が何処にいる」

 

  目の前の彼女を睨みつけながら、僕は淡々とした語調で続ける。

 

「何の意図があるかは知らんが、あんたの悪戯に付き合ってやるつもりはない。レイヴンの時代は、とっくの昔に終わったんだ」

 

  そう言い残してから扉を閉めようとすると、突如差し出された彼女の右手がそれを阻む。

 

「お待ちください。レイヴンの時代は、まだ終わってなどいません。企業からネクスト戦力のほとんどが失われた今、改めて重宝されて然るべき存在なのです」

 

「そうか、なら言ってみろ。今回の依頼主は誰だ。今更となって、何処のどいつがこんな雑兵の力を必要としているというんだ」

 

  僕が問い詰めると、彼女は少し間を置いてから、もったいぶるようにゆっくりと口を開いた。

 

「そうですね。まだ詳しくはお話しできませんが、こうとでも言っておきましょうか––––企業連」



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第一話:来訪者 中編

結局三部構成になってしまいましたorz
次回までには第一話を完結させたいと思いますので、よろしくお願いします。

2018/3/30 追記:細かな表現や誤植の変更・訂正を行いました


  企業連。

 

  彼女が発したその言葉に、僕は息をのむ。

 

  先のリンクス戦争の影響で崩壊した、パックスを母体とする新たな企業連合体。正式名称を「統治企業連盟」と呼ぶそれは、企業間の紛争を調停し、武力衝突を最小限に抑える目的で組織されたものである。

 

  ……そしてそれは、出任せを言おうとして出てくる名ではなかった。

 

  では、ネクスト管理機構・カラードを傘下に置き、各企業戦力から構成された連合軍を持つ企業連が、なぜ僕のような一介のレイヴンに。硬い頭でいくら思慮をめぐさせようと、その答えは一向に出そうになかった。

 

「……どういうことだ。説明しろ」

 

  僕が尋ねると、カレンは大袈裟に肩をすくめてみせる。

 

「もちろん私もそうさせて頂きたいところですが、こうして玄関先でご説明するわけにもいきませんので」

 

  ……全く、いちいち気に触る女である。内心毒づきながらもチェーンを外した僕は、玄関扉を大きく開け広げる。

 

「入れ」

 

「それでは、失礼致します」

 

  まるで嫌味のように丁寧なお辞儀をすると、彼女は室内へと足を踏み入れた。

 

 ***

 

「……さて。一体どういうことか、説明して貰おうか」

 

  そう言いながら、僕は湯気を立てるコーヒーカップをカレンへと差し出す。

 

  トレンチコートを脱いでグレーのセーター姿となった彼女は、軽く会釈をしてからそれを受け取ると、一度啜ってから口を開いた。

 

「実のところ、現時点で私があなたにご説明できる内容はかなり限られています」

 

  肩がけの鞄からホチキス留めされた書類を取り出し、彼女は続ける。

 

「その中で、こちらが現在開示できる情報の全てになります」

 

  いかにも意味深長なその表現が気になるところだが、ひとまず僕はそれを手に取る。依頼主の欄へと目をやると、そこには確かに、「THE LEAGUE OF RULE COMPANIES」と二十四連鎖のアルファベットが躍っていた。

 

「『作戦内容に関しては、依頼受託を確認した後に指示する』––––って、これだけか」

 

  僕は尋ねる。1ページ分に渡ってとられた依頼概要の欄には、ほんの短い一文が添えられているだけだった。

 

「はい。それ以上は申し上げられません」

 

  ……これでは話にならない。受託した後にしかその内容を知ることができない依頼など、前代未聞である。

 

  続いて書類のページをめくった僕は、飛び込んできた光景に目を剥く。

  そこには、報酬として、この七年間の中でも見たことがないほどの金額が提示されていた。

 

「成功報酬100000c、前金で30000cだと」

 

  ここまで来ると、奇妙を通り越してもはや異常であった。報酬の相場は、その多くが15000cから30000c、高いものでも50000c行くか行かないかと言ったところである。しかし、今回の依頼に関しては、前金の段階でそれらと同程度の金額を提示しているのだ。

  しかも、成功報酬に至っては相場の二倍以上ときた。こんなもの、怪しまない方がどうかしているというものである。

 

「さて。レイヴン、どういたしますか」

 

  カレンの問いに、間髪入れず僕は返答する。

 

「受けるわけないだろ、こんな依頼。『前金の高い依頼は受けるな』。レイヴンの鉄則を忘れたというのか。……あんたが納得のいく説明をしてくれるというのなら、話は別だが」

 

  その言葉を受けて、何か考え込むように俯いたカレンは、少ししてから口を開いた。

 

「申し訳ございませんが、それはどうしてもできません。こればかりは、クライアントとの決め事ですので。……ですが、レイヴン。あなたにとっても、そろそろまとまった収入がないと困る頃合いではないのですか」

 

  僕は返す言葉を失う。

  実のところ、彼女の言う通りである。レイヴンとしての仕事が無くなり、収入がゼロとなった今、生活は困窮を極めていた。

  日雇いの土木作業に通い、なんとか食い繋げてはいるのだが、やはりまとまった収入が欲しいところではある。そしてそれは、カレンにとっても同じことだろう。

 

  ……しかし、どれだけの大金を積まれようと、厄介ごとに巻き込まれるのだけは絶対にごめんだ。

 

「カレン。悪いが、この依頼を受けるつもりはない。今の僕には他に仕事があるし、それでなんとかやっていけてる。あんたも僕のオペレーターなんてもう辞めて、早く別の仕事を見つけてくれ」

 

  そう言って彼女を追い返そうとすると、その口から信じられない言葉が発せられた。

 

「……セシリア・ロックウェル」

 

 

  ––––その瞬間、僕の思考は静止した。

 

 

  何故だ。何故、この女がセシリアのことを知っている。その名はおろか、話題すら一度たりとも口に出したことがないというのに。

 

「あんた、なんでその名前を」

 

「あなたの身辺について、少しばかり調べさせていただきました。セシリア・ロックウェル。あなたの実妹にして、唯一の肉親。彼女は『あの日』、どうやらクレイドル03に」

 

 

  ––––気づくと僕は、反射的にカレンの首を壁へと押し付けていた。

 

 

「黙れ」

 

  白く細い彼女の首筋を、僕の両手がゆっくりと締め上げていく。

 

  理性の糸がはち切れようとした寸前、左の太ももの辺りに、何か金属的な物体が当たる感覚がした。

 

  カレンの首を掴んだまま、僕は視線だけを下に落とす。そこにあったのは、彼女の右手に握られた、銀色に鈍く光る一丁のリボルバーであった。

 

 

  それまで上がり続けていた体温が、まるで頭から水を浴びせられたかのように急激に低下していく。僕が首から両手を放すと、彼女はまるで糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。

 

「なんでそんな物騒なもの持ってんだよ……」

 

  妙な脱力感に襲われ、僕はへなへなと床の上に座り込む。

 

「ご冗談を。こんな世の中になって、物騒も何もありませんよ」

 

  しばらくむせ返るように咳き込んだ後、カレンはそう言って、こちらへと嗤ってみせる。……それが、彼女が僕の前で顕にした、初めての感情らしきものであった。

 

 

「さて、重ねてになりますが、この依頼に関する詳細を語る権限は、私にはこざいません。しかし、これだけは申し上げておきます」

 

  立ち上がった彼女は、スラックスの内側にリボルバーを押し込みながら続ける。

 

「––––この依頼は、あなたの妹様、或いはあなたご自身の悔恨を晴らす、良い機会となるでしょう」

 

  ……僕とセシリアの悔恨を晴らす、だと。一体、どういう意味だ。

 

「それでは、お邪魔なようですので、私はこれで。依頼を受ける気になられましたらご連絡ください。失礼しました」

 

  一つこちらに礼をした彼女は、トレンチコートを羽織り直し、玄関へと向かう。

 

「ま、待ってくれ、カレン」

 

  そんな僕の静止を耳にも留めず、カレンはそそくさと部屋から出ていってしまった。

 

 



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第一話:来訪者 後編

やっとこさ第一話に区切りをつけることができました……
次回は文量が多いので再来週の投稿になるかと思いますが、悪しからず
追記:かなり文量が短くなるかも知れませんが、キリのいいところで来週も投稿しようと思います。

2018/3/30 追記:細かな表現や誤植の変更・訂正を行いました


「––––そういえば。兄さんってさ、将来の夢とか、そういうのあんの」

 

  隣に座った栗毛の少女は、僕にそう問いかける。

 

  狭苦しいアパートの一室。窓から差し込む夕暮れの光に包まれる中、ソファの上の僕は頭を掻いた。

 

「そうだな……。セシリアにはあるのか、そういうの」

 

「もう。またそうやって、私に話を逸らす。いっつもそうじゃない」

 

  そう言って、セシリアは不満そうな表情を浮かべる。……彼女にそんな顔をされると、僕はいつも逆らえなくなってしまう。

 

「わかったよ。そこまで言うなら、セシリアが先に答えてくれたら教えてあげる」

 

「……約束だからね」

 

「もちろん」

 

  僕が頷くと、彼女は勢いよく立ち上がった。

 

「私はね、将来、医者になりたいんだ」

 

  ……セシリアのその告白は、僕にとっては少しばかり意外なものだった。

 

「どうしてだい。セシリアの頭なら、職業なんていくらでも選べる筈なのに」

 

「だって、今の地上には、コジマ汚染に苦しめられている人がたくさんいるし。……母さんだってそうじゃない。だから、そんな人たちの手助けができたらな、って」

 

「……そうか。偉いんだな、セシリアは」

 

  僕は立ち上がり、セシリアの頭へ手を伸ばすと、その栗毛をわしゃわしゃと撫でる。

 

「やめてよ、子供じゃないんだから」

 

  口では抗議しながらも、その表情は満更でもない様子だった。

 

 

「それで。兄さんは、一体何になりたいの」

 

  しばらくそうしていると、突然思い出したかのように彼女は尋ねる。

 

「そうだね、僕は」

 

  将来の夢、か。そういえば、考えたこともなかった。

  少し間を置いてから、ゆっくりと僕は口を開いた。

 

「セシリアと違って兄さんは頭が悪いから、実現出来るかわからないけど……セシリアのことを、少しでも幸せにできるような兄さんになれたらいいな」

 

  言い終えた後で無性に恥ずかしくなった僕は、彼女から赤くなった顔を背ける。

 

「……なんて」

 

「ずるいよ、兄さん」

 

  そう言って、セシリアはそっぽを向く。

 

  少ししてから、彼女は辛うじて聞き取れる程の声で呟いた。

 

「でも、ありがと」

 

 ***

 

  ––––かつての僕には、三人の家族があった。

  両親と、六歳下の妹・セシリアである。

 

  オーメル社でノーマル乗りをやっていた父は、僕がちょうど十歳の時に死んだ。のちに母から聞いた話だが、何でも当時はリンクス戦争の真っ最中で、ネクスト同士の交戦に巻き込まれたのだそうだ。

 

  感動はなかった。実の父親とはいっても、セシリアが生まれた時でさえその場に居なかった男だ。それまで養ってくれたことには感謝しているが、彼個人には特に思い入れは無いし、今ではその顔すら満足に思い出せない。

 

  ……兎に角、その頃から僕は相変わらずの淡白な性格だったわけだが、セシリアは違った。父の死を知った彼女は三日三晩と泣き続け、それをなだめるのに手を焼いたのを覚えている。

 

  一方の母は、父が死んだ翌日にはもう仕事を探し始めていたし、そもそもが感情を表に出すタイプでも無かったから、何を思っているのかはわからなかった。だが、そんな彼女のお陰で、二週間と経たずに新たな収入源を確立した僕たちは、少々貧しいながらもなんとか食っていけるようになった。

 

 

  そんな、家族三人での生活も六年目を過ぎようとした頃、僕たちの自宅に一通の手紙が届く。

  ……それは、クレイドルへの移住許可が下りたことを示す、企業連からの通達書であった。

 

  当時、まだ五編隊の建造までに留まっていたクレイドルへの移住は、企業幹部などの上流階級が優先されることもあって、一般枠がごく限られたものだった。そこで、地上に住む一般階級の中から抽選でほんの数世帯が選出される訳だが、幸運にも、僕たち家族はその一握りに選ばれたのであった。

 

  ひと月ほど後、僕たち家族はクレイドル03へと上がった。移住費用は正直かなりの痛手であったが、結果的には、労働力が有り余っていた地上に比べて裕福な生活を送ることができた。

 

 

  ––––しかし、上空七千メートルでの平穏な日々は、二年と続くことはなかった。

 

  ある日、突然母が倒れ、入院することとなったのだ。

 

  「コジマ性神経障害」。医師は、彼女の病名をそう告げた。

  そして、こうも言った。「既に治療不可能な域にまで達している。逆に、これまで日常生活を正常に営めていたことが信じられない」、と。

 

  その時になって初めて知ったことだが、僕たちがまだ地上にいた頃、母はコジマ汚染地帯で除染作業員として働いていたのだそうだ。

  きっと、その際に浴びたコジマ粒子が、遅れて彼女を祟ってきたのだろう。……二ヶ月後、一度も意識を取り戻すことはなく、母は事切れた。

 

  父の時とは違い、その時はちゃんと悲しむことができた。だけど、涙が流れることはなかった。

  泣けなかったのだ。十二歳の妹とたった二人取り残された今、彼女を養っていかなければならないという責任が、僕が涙するのを許さなかった。

 

 

  ……そして僕は、レイヴンになることを決意した。

 

  かつての父と同じように、比較的賃金の高い企業所属のノーマル乗りになるという選択肢もあったが、そんな中途半端な収入では足りなかった。普通に生活して行くだけなら問題はない、それどころか有り余るほどなのだろうが、僕と違って聡明なセシリアの将来の為に、大量の学費を稼ぐ必要があったのだ。

 

  彼女と離れ、一人地上へと戻った僕は、レイヴンとして幾多の戦場を渡り歩いた。必要とあらば、何人だろうと殺した。それで得た収入は、最低限の生活に必要な分を差し引いて、全てセシリアへと振り込んだ。

 

  彼女と実際に接する機会は殆どなくなってしまったけれど、僕はそれで良かった。なぜなら––––。

 

  ––––なぜなら、セシリアの幸せこそが、即ち僕の幸せだったのだから。

 

  昨年には名門大学への進学も決まり、彼女は薔薇色の人生を歩んで行くはずだった。誰にも、何にも邪魔することのできない、順風満帆な人生を。

  そして何より、僕自身もそれを望んでいた。だと言うのに、彼女は、彼女の人生は……。

 

 

  目の前に、あの日の情景が蘇る。

 

 

  皮肉なまでに清々しい青空の中、その身を炎に焼きながら落下していく揺り籠たち。

 

  ––––そしてその様子を、ただ涼しげに見下ろす一匹の獣。

 

 

「……クソッ!」

 

  込み上げてきたやり場のない怒りに、僕はコンクリート剥き出しの壁を思い切り殴りつけた。

 

  ドスン、と一つ鈍い音がして、天井から細かい塵がパラパラと降りかかる。荒い息を整えながら右手に目をやると、握りしめた拳からは血が滲んでいた。

 

  ……ふと、どうしようもないほどの虚無感に襲われた僕は、 簡易ベッドへと仰向けに倒れ込む。

 

 

  どれほど首輪付きへの憎悪を募らせようと、どれほど自らの手でその命を奪う瞬間を思い描こうと、それが現実となることはない。

  身の程はわきまえている。奴は、僕のような雑兵如きがどうにかできるような存在じゃない。そんなことは、百も承知だ。だが……。

 

 

『この依頼は、あなたの妹様、或いはあなたご自身の悔恨を晴らす、良い機会となるでしょう』

 

  もし、カレンが言っていたことが本当だとするなら。ベッドから身体を起こすと、僕は食い込んだ爪の痕が生々しく残る右手のひらを見つめる。

 

 

  ––––「あの日」、僕は首輪付きの魔の手からセシリアを守ることはおろか、その仇を取ることすら叶わなかった。

 

  だからせめて、どんな形であろうと彼女の無念を晴らしてやりたい。そうは思いながらも、この三ヶ月、僕は何一つとして行動を起こすことができずにいた。

 

  しかし今、好都合にもその機会が目の前に転がり込んできたのだ。これを利用しない手がどこにあるというのだろうか。

 

  ただ、その異様なまでの高額報酬から見るに、今回の依頼は相当に危険な内容であることは確かだろう。

  だが、恐れはなかった。今更となって、失うものなど何処にもないのだから。

 

 

  ––––それに何より、僕はきっと。

 

 

  「……いや、避そう」

 

  核心に触れようとした自らの思考を中断させた僕は、決意を固めるように再び右手を握りしめた。



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第二話:ラインアーク 一節

「本日は、ラインアーク地下鉄道をご利用頂き、ありがとうございます」

 

  女性のそれを模した無機質な合成音声が、乗客のまばらな列車内に響き渡る。

 

「当列車は、今から約五分後、現地時間午前十時四十五分に、終点のラインアーク中央駅へと到着致します。乗客の皆様におかれましては、忘れ物などございませんよう……」

 

  耳煩いアナウンスを聞き流しながら、僕はコートの袖の上に巻かれた腕時計へと目をやる。長短二本の針は、的外れにも午後二時十七分を指し示していた。

  ……そういえば、時刻をストックホルムのものに設定したままだったか。僕は腕時計を取り外し、その針を午前十時四十分に合わせる。

  それを再び右手に巻き直し、窓の外に広がる暗闇へと視線を送ると、ふと、手前に映る自らの顔が目に入った。

 

  全く、酷い有様である。見るからに出発前よりやつれたその顔つきに、僕は深い溜息をつく。最大時速千キロの高速鉄道を以ってしても、ストックホルムからここまで到達するのに、実に半日以上もの時間を要していた。

 

  レイヴンという仕事柄、長時間の移動には慣れっこのつもりなのだが、回数をこなせば移動中の疲れが軽減される訳ではない。

  その上タチが悪いのは、「時差ボケ」の存在である。そのせいで、昨夜は八時間もの睡眠時間を確保したにも関わらず、倦怠感は以前より明らかに増していた。

 

  これで、まだ一日は始まったばかりというのだから、先が思いやられる。内心そう零していると、ふと、周囲の風景が徐々に明るみを帯び始めていることに気づく。

  それは、約十二時間にも及んだ、窮屈な地下の旅に終わりが近づいていることを示していた。

 

「……ラインアーク地下鉄道をご利用いただきありがとうございます。当列車は、午前十時四十五分、ラインアーク中央駅へと到着致しました」

 

  列車はその速度を大幅に落としながら、駅の構内へと突入する。

 

「乗客の皆様におかれましては、転倒事故を防止するため、列車が完全に停止するまで席をお立ちにならないようお願い致します」

 

  ……合成音声がそう言い終わらないうちに、列車は既にプラットホーム横へと静止していた。

 

「本日は、ラインアーク中央駅をご利用いただきまして、誠にありがとうございました」

 

  外部のホームドアと連動して、向かって左側の扉が開く。

  プラットホーム上へ降り立った僕は、一つ大きく息を吸い込んだ。……半日もの間金属の箱に閉じ込められていた僕にとっては、地下鉄構内の空気でさえ新鮮なものに思えたのであった。

 

  「地下構内の空気の十五パーセントは、人間の皮膚片で構成されている」。そう言えば、いつかそんな噂を聞いたことがあるのだが、実際のところはどうなのだろうか。

  ……まあ最も、そのような「些細な汚染」を気にしていたら、地上での生活などままならないのだが。広さの割に人のまばらなプラットホームを横切った僕は、改札を通過する。

 

  ふと、構内に設置されたカフェスペースが、僕の目を引いた。

 

  コーヒーでも飲んで一服したいところではあるのだが、生憎こんなところで道草を食っている暇はない。後ろ髪を引かれる思いで、僕は付近のエレベーターへと乗り込む。

  他に誰も利用者がいないことを確認すると、僕は扉の脇に取り付けられたボタンを押す。一呼吸置いてから、円筒形のエレベーターは音もなく上昇を始めた。

 

 

  ……さて、一口に駅と言っても、今僕がいるここに関しては、他のそれとは少しばかり性質が違う。

  実際に列車が発着するのは地下四〜六階の三フロアのみなのだが、地上六十五階建てのこのビル全体が、ある意味で一つの「駅」としての機能を果たしているのだ。

  そしてそれは、この周辺一帯の土地が持つ、とある特異な環境によって形作られた特性であった。

 

 

  一分ほど経っただろうか。階数を表すデジタル表示が「40」で止まり、スライド式の金属扉が開く。その先にあったのは、壁面の全てが透明なガラスで構成された、巨大な展望スペースだった。

 

  エレベーターを降り、ガラス張りの壁の側へと寄った僕は、その向こう側に広がる風景に目をやる。

 

 

  灰色にくすんだ空の下、海面から乱立する高層建築群。そしてそれらを縦断する巨大なハイウェイは、ここ、海上都市「ラインアーク」の最も象徴的なシンボルである。

 

 

  「地面を持たない」というその特異性故、ラインアーク内における徒歩移動には、基本的に各ビル間に敷かれた道路もしくは連絡橋が利用される。

  その中でも、ここ「ラインアーク中央駅」は、最も多くのビルとの間に連絡橋を持っており、この街における交通の要衝としての役割を果たしていた。

 

  ……そして、今回の目的地も、そんなラインアーク中央駅と直接結ばれたビルにあった。

 

  踵を返し、壁面に設けられた扉を開いて連絡橋へと出る。生暖かい新鮮な外気にさらされながら、夏の真っ只中にあるこの街にコートが不適であることに気づいた僕は、それを脱いで小さくまとめてから肩がけ鞄の中に突っ込んだ。

 

  ……連絡橋は、ハイウェイの中央部にある、二本の突起の片方へと繋がっていた。

 

  そこは本来、この街の行政局や税関が置かれている筈の場所なのだが、その入り口に取り付けられた看板には、全くもって場違いな名が刻まれていた。

 

「……『統治企業連盟暫定本部』、か」

 

  口の中で、僕はそう呟いた。

 



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第二話:ラインアーク 二節

2018/3/30 、作品全体における表現・誤植を少しばかり修正致しました。内容そのものには変化はございませんので、そのまま読み進めていただいて差し支えございません。


  旧体制を打破し、クレイドルを建造するというふたつの大役を終え、企業はその力を正しく発展へ向けようとしている。

 

  企業に対してこれまで負わせることの多かったコロニーは、今こそ克己の心を持ち、自立への道を進むべきだろう。

  何故なら背に負われたままでは、地上と企業とが手を携えての更なる発展に繋がるはずがないからだ。

 

  その第一歩としてラインアークはコロニーという呼び名を捨て、自由都市であることを宣言する。

  自由都市であるラインアークは、民主主義に基づいて運営され、人種、政治信条、出自、宗教の別なく自立を望む者を受け入れる。

  そして彼らはラインアークを通して市場経済に参加し、何者にも侵されることのない基本的な権利をもって社会に参加する自由市民になるのだ。

 

  ラインアークは自由都市である誇りを忘れず、永遠に彼ら自由市民の生命と財産を守ることを誓うものである––––。

 

 

  以上、ラインアーク首長、ブロック・セラノがその発足当初に発表した、「新自由都市宣言」である。

 

 

  奴隷制度的な企業のそれとは真逆の信条を掲げるラインアークは、数百万もの人々が企業から自立した生活を営む、地上における最大勢力だった。

 

  前時代の資本主義国家に似たその運営体系故、企業連は彼らの存在を敵視。幾度となく都市部及び発電施設・メガリスへの襲撃を繰り返していたのだが、クレイドル体制が崩壊すると、連中は突如手のひらを返してラインアークへと合流する。

 

  それは、ラインアークがコロニー間の交通網を掌握していたこともあるが、もう一つ大きな理由があった。

 

 

  所属リンクス、「Unknown」の存在だ。

 

 

  先のリンクス戦争において、単騎で一企業を壊滅させた功績を持つ彼は––––政治的配慮からカラード内でのランクは9位に留まっているものの––––、かつてのランク一位をも凌ぐ実力を持つとされる、伝説の傭兵である。

  そして同時に、彼は現時点において生存が確認されている、唯一のランカーリンクスだった。

 

  しかし、その乗機であるネクスト「ホワイト・グリント」は、先の企業連との戦闘において大破。ラインアーク内で後継機体の建造が進められていたところ、ネクスト戦力の大半を失った企業たちがその支援を申し出る。

  ……要するにそれは、ラインアークの主権を侵害しない形での併合の提案であった。ネクスト技術と潤沢な資金を提供する代わりに、彼らもラインアークの守護神たるホワイト・グリントの恩恵にあずかろうとしたのである。

 

  当然、企業体制に反感を持つ現地住民からは多大なる反対の声が上がったものの、ラインアーク本部はこれを承諾。税関ビルの一部を間借りする形で、「統治企業連盟暫定本部」が設置されることとなったのだった。

 

 

  両脇に十二企業の社旗がはためく中を通り、僕は突き当たりにある扉のノブへと手を伸ばす。すると、突然目の前に差し出された特殊警棒が、それを阻んだ。

 

「おい。立入許可証を出せ」

 

  左を振り向くと、そこには黒い制服にその身を包んだ、一人の警備員の姿があった。

 

  ……そういえば、随分前にそれらしきものをメールで受け取った記憶がある。コートの内ポケットから携帯端末を取り出し、許可証を表示させると、その画面を警備員に向けた。

 

  それに目を通した彼は、警棒を持ったその右手を下ろす。

 

「……失礼しました。どうぞ、お入りください」

 

  急に改まり、こちらへと敬礼を送る彼に軽く会釈をしながら、僕は扉のノブを引いた。

 

  ––––ビルの中に入るなり、いかにもな内容のナレーション音声が耳元に飛び込んでくる。

 

「我々企業連は、先の資本主義体制の横暴によって枯渇した資源を、人種・性別・身分のいかんにかかわらず、全ての人類へと『節度ある再分配』を実行するための行政機構であり……」

 

  ……今更となって、何が「経済による平和(パックス・エコノミカ)」だ。内心そう毒づきながら、プロパガンダ丸出しの映像が垂れ流にされているロビーを抜ける。

  エレベーターの前へと出た僕は、上階行きの呼び出しボタンを押す。しばらくして到着したそれには、一人の先客の姿があった。

 

  年齢は、二十代後半から三十代前半といったところか。

  スラリとした長身に、それと合うよう仕立てられた上質なパンツスーツ。うなじの辺りで切りそろえられた黒髪と、切れ長の瞳が収まった端正な顔立ちが、どこかアジアンテイストな美しさを醸し出していた。

 

  エレベーターを降りようとする彼女とのすれ違い様、足元に何かが落ちる音がする。

 

  職員手帳か何かだろうか。黒革の表紙に企業連のシンボルマークが刻印されたそれを拾い上げると、彼女の方に差し出した。

 

「あの、落としましたよ」

 

  そう言われて、初めて手帳を落としたことに気づいた様子の彼女は、こちらを振り返る。

  そして予想外にも、それを僕の手から乱暴にひったくると、礼の一つも言わずにつかつかと去っていってしまった。

 

 ***

 

  ……全く、最悪の気分だ。上昇するエレベーターの中で、僕は深く嘆息する。

 

  これだから、僕は企業の連中が嫌いなんだ。何を勝手に自惚れているのかは知らんが、地上の人間に対するその高慢ちきな態度が、どうも鼻について仕方ない。

 

  さらに言うなら、この場に満ちた独特の「空気」もまた、僕にとっては気に食わないものだった。

 

 

  例えば、エレベーターの内壁に貼られたこのポスターである。

 

  「Limited resources,For the unlimited future(限りある資源を、限りない未来の為に)」。おそらくクレイドルから撮影したものと思われる青空と、笑顔をたたえた赤子の写真で構成されたそれには、「パックス・エコノミカ」の思想を前面に押し出したキャッチコピーが添付されている。

 

  このような内容の広告は、たった一種に限ったものではない。文字や画像を少しずつ変えただけのそれらが、ここには無数に掲示されているのだ。

 

  そして何より、それらの内容に微塵の疑念をも抱かず、自分たちが「正義の味方」であることを信じて疑わない、あまりにも無垢な職員たちの存在である。……ラインアークという街全体において、この空間だけが明らかに異質であった。

 

  長らくの間、僕はレイヴンとして、決して明るみに出ることのない企業の暗部と向き合いながら生きてきた。

  そんな僕にとって、コジマ粒子だけでなく、だだ漏れとなった「貴族」たちの欺瞞とエゴに汚染されたこの空気は、酷く不快なものに思えてならなかった。

 

 

  八階に到達し、ドアが開くと、僕はエレベーターを降りる。フロアは不気味なまでに閑散としていて、部外者が本当に立ち入って良いものかと躊躇うほどであった。

 

 

  ……そもそも僕は、別に自ら望んでこんな場所にいる訳ではない。

  一週間前––––カレンに依頼受託の連絡をした翌日、そのブリーフィング場所として指定されたのが、ここだったのである。

 

  一介のレイヴンに過ぎない僕をその中枢へと招き入れようとする、企業連への懐疑の念はいたずらに強まっていくばかりであったが、今更となって後戻りする訳にもいかない。不本意ながらも、僕は十二万キロもの旅路を超え、はるばるこんな場所までやってきたのだった。

 

 

  それにしても、企業連の連中は何故、これほどまでにまどろっこしい手段を取ったのだろうか。単に依頼内容の流出を防ぎたいだけなら、もっと上手い方法があったろうに。

 

  ない頭で色々と思案を巡らせながら、僕は「803」の札が掲げられた会議室の前に出る。扉の両脇に立つ警備員に先程と同じく携帯端末の画面を見せ、許可を得ると、僕は中へと足を踏み入れた。

 

 



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第二話:ラインアーク 三節

  そこに広がっていたのは、予想とはあまりに程遠い光景だった。

 

  壁面に吊り下げされたプロジェクタスクリーンと、その前に整然と並ぶ四十席ほどのパイプ椅子たち。部屋のレイアウトそのものには、さしてこれといった特徴もない。問題は、そこにいる面子の方にあった。

 

 

  ––––性別や年齢、容姿も何もかも、全てバラバラである。服の上からでも分かるほどに筋肉隆々の壮年の男が居たかと思えば、まるで小学生のように小柄な若い女も居たり、或いは、ボロ切れの様な服装に身を包んだ者の隣に、高級スーツを着込んだ者が座っていたりするのだ。彼らの間に、何かしら共通項を見出そうとする方が難しかった。

 

 

  いや。一つだけ。

 

  一つだけある。彼ら全員に例外なく当てはまる、「共通項」が。

 

  その「眼光」である。まるで刃物のように冷淡で、触れたら傷付けられてしまいそうなほどに鋭い眼光。この場の誰もが持つそれは、明らかに一般人のそれではなかった。

 

 

 ……しかし、ブリーフィングというものは通常、クライアントとレイヴンの一対一ないし少人数で行われるものと相場が決まっているのだが、何故これほどまでの大人数が。そんな疑問を抱いたまま、僕は空いていた適当な席に座る。

 

「おい、あんた」

 

  背後から肩を叩かれて振り返ると、そこには薄手のジャケットを身に纏った、痩せ型の若い男の姿があった。

 

  血色の良い肌と彫りの深い顔立ちから見るに、出身は南ヨーロッパといったところだろう。容姿に関しては特に語るべき特徴もないのだが、やはりその目は、他の大勢と同じように鋭い光を放っていた。

 

「……はい、何か」

 

  その薄い唇に笑みを浮かべながら、男は僕に尋ねる。

 

「あんたも、レイヴンかい」

 

  ……奇妙な質問である。ここにいる人間は、みんな僕の素性を了承した上でブリーフィングに参加しているのではないのか。

  それに、あんた「も」、という表現も気になる。まるで、僕の他にもこの場にレイヴンがいるような口ぶりだが……。

 

 

「おいおい、そんな怖い顔しなさんなって。俺は怪しむようなやつじゃない。……それに何より、せっかくのハンサムが台無しだ」

 

  男のことを訝しむ僕に対し、当の本人はケロリとした様子でそう軽口を叩く。

 

「そうだな、じゃあ先に自己紹介させてもらおう。俺はアーロン・マルティネス、レイヴンだ。あんたも傭兵なら、恐らく知ってると思うぜ」

 

  アーロン・マルティネス。軽量逆関節型ノーマル「ソルポニエンテ」を操る、界隈でもそれなりに知られたヨーロッパアリーナの上位ランカー……。成る程、確かに聞いたことのある名である。

 

  それにしても、至って平凡な見た目のこの男が、まさかレイヴンとは。自分以外のレイヴンと対面するのはこれが初めてだったから、少しばかり驚いた。

 

  ––––だが何故、複数のレイヴンが同じブリーフィングに。今回の任務は、この男との共同作戦か何かだろうか。

 

「なんだ、その素っ頓狂な表情は。……まあいい。次はあんたの番だぜ」

 

  アーロンは僕に、自らを名乗るよう促す。

 

  同じレイヴン相手に名を名乗るのは気が引けるのだが、このまま僕だけ正体を曖昧にしておくわけにもいかない。一呼吸置いて、僕は口を開いた。

 

「ライアン・ロックウェル。お察しの通り、あんたと同じくレイヴンだ」

 

  すると彼は、その両目を飛び出さんばかりに大きく見開く。

 

「……たまげたな。まさかあんたが、中央アリーナ九位の『毒アゲハ』とは。こりゃ恐れ入ったぜ」

 

  予想通りの反応である。アーロンまで聞こえるよう、僕は大きくため息をついた。

 

「ん?なんか俺、変なこと言ったか」

 

「やめてくれ。その、なんだ……変な名前で呼ぶの」

 

  自分でそれを口に出すのもはばかられて、僕は中途半端に言葉を濁す。

 

「なんでだよ。いい二つ名じゃねぇか、毒アゲ……」

 

  そこまで言って、僕の舌打ちを聞いたアーロンはその口を閉ざした。

 

 

  「毒アゲハ」。ヨーロッパアリーナから中央アリーナへと上がったばかりの頃の僕に、どこぞの莫迦が寄越した異名である。恐らくは、エンブレムに使っているアゲハ蝶のモチーフがその由来だろう。

 

「……でもなあ。俺たちみたいな中途半端なランクのレイヴンからしたら羨ましいことなんだぞ、二つ名が付くってのは」

 

  確かに何かしら異名があるというのは、それだけレイヴンとしての評価が高い証拠だ。本来ならそれは喜ばしいことなのだろうが、僕のこれに関してはいかんせんセンスがなさすぎる。

  更にタチが悪いのは、その名で呼ばれることに対する嫌悪を露わにしても、相手からはそれをただの「謙遜」と勘違いされやすい点である。幸い、この男にその様子は見られないが。

 

「まあ、あんたが嫌ってんなら、俺は別にそれで構わないんだけどよ。それじゃあんたのこと、今度から『ライアン』って呼ばせてもらうぜ」

 

「ああ、それで頼む。じゃあ僕も、気軽に『アーロン』と呼ぶことにしよう」

 

「そりゃいい。じゃあよろしく頼むぜ、ライアン」

 

  そう言って、アーロンはその右手をこちらへと差し出す。

 

  僕がそれを握り返すと、彼は新たに話を切り出した。

 

「さて、無駄話が過ぎたな。そろそろ本題に入ることとしよう。……この場にいる連中、素性は一体なんだと思う」

 

その答えを知った上での質問なのだろう、彼は薄く笑みを浮かべながら僕に問う。

 

「さあ、皆目見当もつかん。到底企業の連中には見えないが……」

 

「なら聞いて驚くな、ライアン。ここにいる奴ら、なんと全員」

 

  そこで一度言葉を切り、ひとしきり勿体ぶってから、アーロンは口を開いた。

 

「……レイヴンだ」

 



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第二話:ラインアーク 四節

  アーロンが発したその言葉に、僕は目を剥いた。

 

「そんな、まさか。いくら企業連でも、こんな数の傭兵を集めるなんて……」

 

  「ありえない」。そう口にしようとすると、アーロンの声がそれを遮る。

 

「そうだな、例えば……。あの女だ」

 

  そう言って彼は、やたら露出の多い服に身を包んだ若い東洋人を指差す。

 

「あいつが、どうした」

 

「モンファ・リーだよ、アジアアリーナ二位の。流石に聞いたことくらいはあるだろ」

 

  モンファ・リー……。そういえば、過去にアリーナで一戦交えた事があったか。機体のカラーリングがやたらめったらに派手だったから、今でも覚えている。

 

  その大層な肩書きに違わず実力も確かなもので、四脚機と軽量二脚機では機動力にかなりの差があるにも関わらず、当時の僕はかなりの苦戦を強いられた。結果的には勝利することが出来たが、正直彼女とはもう二度とやり合いたくない。

 

 

  ……しかし本当に、あの女がモンファ・リーなのか。僕が想像していたよりも、ずっと年若く見えるが。

 

「他にもいるぜ。あの大男は北アメリカのケリー・ベイカー、その横の爺さんはオセアニアのメイソン・スミス。そして極め付けが、あの男––––」

 

  彼が顎で示した先には、その場違いさが先程僕の目を引いた、高級スーツの若い男の姿があった。

 

「––––ディミトリアス・レイだ」

 

 

  その名を聞いて、僕は再び驚嘆した。

 

「おい、冗談だろ……」

 

 

  ディミトリアス・レイ。各地方アリーナの上位に位置する「中央アリーナ」のトップにして、全てのレイヴンから「オオタカ」として恐れられる男。

 

  その異名は、彼の特異な活動形態に由来する。あらゆる類の工作活動を請け負う通常のレイヴンとは違い、彼はただ「レイヴンの抹殺」のみを専門としているのだ。

 

  レイの駆る中量二脚型ノーマル「ネメシス」は、エネルギー関係がとにかく劣悪で、常人が到底扱えるようなものではない。しかし彼は、そんな機体を見事に乗りこなし、今までに数え切れないほどのレイヴンを葬り去ってきた。

  それ故、彼は「同業者」ではなく、「天敵」としてレイヴンたちの間で忌み嫌われており、烏(カラス)の天敵たる「オオタカ」の渾名が与えられたのであった。

 

 

  しかし、何故––––。

 

「何故、レイまでこのブリーフィングに。奴はレイヴン相手の依頼しか受けないんじゃなかったのか」

 

  僕がそう尋ねると、アーロンは大袈裟に肩をすくめてみせる。

 

「さあ、俺とて詳しいことはわからん。ただ、他の奴らの話から鑑みるに、あいつがレイ本人であることだけは確かなようだぜ。まあ、あいつに関してもっと詳しい情報をご所望なら、他を当たってくれ。––––兎に角、嘘みたいな話だが、今ここにいるのは皆レイヴンだ。こんだけ実例を出しゃ、あんたも少しは信じる気になっただろ」

 

「でも、どうやって。いくら報酬が高いとは言え、あれだけ支離滅裂な依頼にこれだけの人数が集まるなんて、いくらなんでもおかしいだろ」

 

  そうだ。正常な判断能力を持つレイヴンであれば、余程の事情がない限りあのような依頼を受ける筈はない。

 

  僕だって、カレンにあんな唆され方をされなければ、こんな場所にやって来ることはなかった。報酬の高さに目が眩み、依頼の取捨選択もまともにできなくなるなど、まさに愚の骨頂ではないか。

 

  そしてそんな愚かな真似を、先程アーロンが挙げたような、名の知れたレイヴンたちがするとは到底思えなかった。

 

 

「……その様子じゃ、妙な依頼を摑まされたみたいだな」

 

  色々と頭の中で思索する僕を他所に、アーロンは笑う。

 

「まるで人ごとのような言い草だな」

 

「そりゃそうだ。俺が受けた依頼は、恐らくあんたが受けたそれとは別物だからな」

 

「……どういう意味だ」

 

「言葉通りさ。俺が受けた依頼は、企業要人が乗る列車の護衛。報酬も30000c、まあ妥当なとこだ。言うほど高いわけでもない」

 

 

  まさか。全身を悪寒が駆け巡る。

 

 

「俺だけじゃない。ある者は放棄された研究施設の探索、またある者は墜落した輸送機の貨物の回収––––。その内容も、報酬金額も違う。共通点は、依頼人が企業連であること、そしてブリーフィングがここ、『企業連暫定本部803会議室』で行われることの二点だけ。……まあ要するに、この場にいるレイヴンは皆、それぞれ別の依頼を受けてここに来たって訳だ」

 

 

  ––––やられた。腹の中に収まった臓物を全て吐き出さんばかりに深く嘆息すると、僕は頭を抱え込む。

 

「……ということは、僕らはまんまと偽の依頼を摑まされた、ってことか」

 

「まあ、状況から察するにそうなるわな」

 

  どこか自嘲気味な笑みを浮かべながら、アーロンはそう言った。

 

  成る程、企業連の連中も考えたものだ。自ら相手の元に赴くよりも、餌をチラつかせて自らの箱庭に囲い込んだ方が都合がよいと踏んだわけか。

 

現に今、こうして依頼が虚偽のものだと気付いても、外に兵士が張り付いているこの部屋を抜け出すことはできない。仮に脱出出来たとしても、企業連の職員で満たされたこの建物の出口にたどり着く頃には、僕の身体は穴あきチーズとなっていることだろう。

 

  世界各地に散らばったレイヴンたちを一人一人誘拐してくるよりも確実で、かつ騒ぎを起こされる心配もない。僕たちを纏めて拉致するには、もってこいの状況というわけだ。

 

 

  ––––頭の中に、カレンの言葉が蘇る。

 

『この依頼は、あなたの妹様、或いはあなたご自身の悔恨を晴らす、良い機会となるでしょう』

 

  つまりあれは、僕をこの場に誘き寄せるための、真っ赤な嘘だったというわけか。

 

  怒りよりも先に立ったのは、「呆れ」の感情だった。長年のパートナーである僕を騙した、カレンへの呆れ。そして何より、セシリアの話題を出されたがばかりに、冷静な判断力を失ってしまった自らへの呆れ。

 

 

  続いて湧いて出てきたのは、一つの疑問であった。

 

  偽の依頼を用いてまでこれだけのレイヴンを集め、企業連は一体何を成そうとしているのだろうか。僕らは一体、何に巻き込まれようとしているのだろうか。……いくら考えを巡らせようと、僕の脳みそでは到底その答えを導き出せそうにはなかった。

 

 

「……そう気を落としなさんなって。ろくな依頼じゃなかったんだろ、なら返って良かったじゃねえか」

 

  僕の様子を見かねてか、アーロンがそう声をかける。慰めのつもりなのだろうが、今の僕にとってそれは全くの的外れであった。

 

「そんなに単純な話じゃ……」

 

  そこまで言って、僕は言葉を切る。前方には、警備員に付き添われながら部屋の中に入ってくる、黒服に身を包んだ壮年の男の姿があった。

 

  壁面にかけられたスクリーンの前で立ち止まった彼は、ハンドマイクを手にとって一つ咳払いをすると、口を開く。

 

「それでは諸君。所定の時刻である十一時半となったので、ブリーフィングを始めさせてもらう。私は本作戦を担当する、バートランド・ウィリアムズだ。よろしく頼む」

 

  先程までとは一転、沈黙に満ちた室内に、一昔前の機械音声のように抑揚のない声が響き渡る。

 

「本題に入る前に、君たちに二点、詫びなければならないことがある。まず一点だ。この中にはもうすでに察している者もいるかと思うが、事前に提示した依頼内容は本来のそれと異なるものだ。君たちのオペレーターには、各々が好むような内容の依頼を捏造してもらった」

 

  今更、どよめきすらも起こらない。レイヴンのオペレーターが所属している依頼凱旋組織・ネストは、便宜上「企業勢力から独立した民間組織」を名乗っているものの、その実際は企業連に手綱を握られた下部組織の一つに過ぎない。企業籍を持たず、居場所も定かでない僕たちをこうして誘き寄せるために、彼らが利用されるのも当然である。

 

  ……ここで一つ、新たな疑問が浮かぶ。あの依頼がカレンの捏造したものなのだとしたら、どうしてその詳細な内容を提示しなかったのだろうか。

  基本的にリスクを嫌う、よく言えば「完璧主義」な性格の彼女が、あのような不自然な依頼を作るとは到底思えなかった。

 

 

  文脈にそぐわない冷淡な声色で、バートランドは続ける。

 

「二点目だ。この中には、遠方から遥々ここまでやってきた者も多いだろう。そんな者たちには本当に申し訳なく思うのだが……」

 

  そこで一旦言葉を切ると、少しばかり間を置いてから、彼は言った。

 

「……君たちには、ここからさらにコロニー・バリまで移動してもらうことになった」

 




申し訳ございませんが、来週は投稿をお休みさせて頂きます。


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第三話:ANTAC 一節

  コロニー・バリ。オーメル領インドネシア諸島に位置するこの島は、かつて「地上最後の楽園」とまで評された、世界的に名の知れたリゾート地であった。

 

  コバルトブルーの海と白い砂浜、自然と共存する民族的構造の街……。国家解体戦争以前、幼い頃にテレビで見た風景は、確かに楽園と呼ぶに相応しいものだったことを覚えている。

 

 

  ……しかし今、そんな景色は、この小さな島のどこにも見当たらない。

 

 

  コバルトブルーとはおよそ程遠い、くすんだ色の海。砂浜には島全体を囲うように高い壁が築かれ、華やかさで溢れていたであろう街も、今はその影の中に埋もれている。

 

  生産性と合理性を最優先する企業の手が加わった結果、近代的に変わり果てた街並みにもはや「地上最後の楽園」の面影はなく、ただ何とも形容し難い虚しさだけがそこには横たわっていた。

 

 

  ……それにしても、全くの期待外れである。「バリ島」と聞いて華々しい風景を想像していたのだが、この様子では他のコロニーとさして変わりないではないか。

  日没が近づいて赤みを帯びた、退屈な風景を眺めながら一つ大きな欠伸をすると、僕は視線を内側へと移す。

 

 

  定員五十名ほどの、特に語るべき特徴もない中型バス。その車内では、乗客のほとんどがシートに身を持たせて眠りについていた。

 

  ……無理もない。なにしろ僕らはかれこれ六時間もの間、このような窮屈な中に拘束され続けているのだから。

 

 

  あの後––––バートランドによる種明かしの後、僕たちレイヴンはその目的も知らされぬまま、ラインアークから千二百キロほど離れたバリ島まで移動することとなった。

 

  オーストラリア大陸とインドネシア諸島を繋ぐ、ラインアーク・ハイウェイのモノレールに揺られることおよそ四時間。ティモール島に上陸した僕たちは、現地の空港から企業連の航空機に乗り込み、一時間半かけてバリ島・ングラライ空港に到着する。

  やっと息苦しさからも解放された、と安堵したのもつかの間。続けざまに僕らはバスへと乗せられ、一時間近く陸路移動を続けて現在時刻は午後六時を回ろうとしていた。

 

 

  これほどの長時間を退屈な移動だけで費やせば、眠気がさしてくるのも当然である。かく言う僕も、暇つぶしにと持ってきていた文庫本を全て読み終えてしまってからは、強い睡魔に襲われていた。

 

  しかし、今の僕に限っては、他の大勢と同じようにうたた寝することも出来ない。その主な原因は、隣のシートで眠るアーロンにあった。

 

 

  獣の唸り声にすら似た、人のそれにしてはあまりに強烈ないびき。当の本人は気持ちよく夢でも見ているのだろうが、真横でそれを聞かされるこちらはたまったものではない。

  さらにタチが悪いのは、いくら眠れないとは言っても、決して目が冴えるという訳ではないことだ。外の様子でも眺めて気を紛らわそうとはしているのだが、こうまで退屈な風景ばかりでは返って眠気は増すばかり。携帯端末を取り上げられているせいで他に暇つぶしになるようなこともないし、全く悩ましい限りである。

 

 

  ……しかし、どうにも奇妙だ。僕は再び、窓の外に広がる風景へと目を向ける。

 

  一切の面白みに欠いた、殺風景な街並み。問題は、その中のどこにも「住民の影がない」ことにあった。

 

 

  コロニー・バリは現存するコロニーの中でも汚染が軽微な部類に入り、クレイドル体制の崩壊によって大量の人口が流入した現在においては、合計五百万人を超える人々が生活しているという話だった。……しかし、そんな情報とは裏腹に、ングラライ空港を出発してから今までの約一時間、唯の一人の住民も見かけたことがないのである。

 

  数百万単位の人間が跡形もなくその姿を消すなど、そう簡単に起こるようなことではない。 一体、この島で何があったというのだろうか。

 

 

  それに、何より。未だ僕には、企業連が僕たちを雇用した意図が全くもって掴めない。

 

  もはや企業に経済戦争を継続できるほどの体力など無く、地上に点在する反体制勢力も、この異常事態に皆なりを潜めている。かつての敵対勢力であった––––とは言っても実際は一方的に目の敵にしていただけの話なのだが––––ラインアークとも今は和解し、協力関係にあるというのに、企業連は何故今更となってまでレイヴンを必要とするのだろう。

 

  しかもこんなゴーストタウン紛いの場所にまで連れてきて、連中は僕らに何を……。

 

 

 

  ––––まさか。

 

 

 

  ……いや、あり得ない。脳裏によぎった突拍子もない考えを、僕は強引に振り払う。気づくとバスは、軍事基地らしき巨大な施設へと差し掛かっていた。



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第三話:ANTAC 二節

最近、諸事情により忙しく、更新が隔週となっています。
来週からは毎週更新を心がけますので、どうぞよろしくお願いします。


  ––––気づくとバスは、軍事基地らしき巨大な施設へと差し掛かっていた。

 

  表に掲げられた、原子構造を模したものと思われる特徴的なシンボル。それから見るに、ここはオーメル軍の駐屯地といったところだろうか。

  両脇に二脚型のノーマル機が配置された正門を抜け、駐車場に入ると、ジープやトラックなどといった軍用車両が並ぶ中にバスは停止した。

 

  車両前方の扉が開くと、それでやっと目を覚ました様子の乗客たちはぞろぞろとバスを降りていく。

 

「おい、起きろ。着いたぞ」

 

  僕が肩を叩くと、アーロンは目をこすりながら小さく呻き声を上げる。

 

「ん……。やっと着いたのか。どこだ、ここ」

 

「外を見てみろ」

 

  僕が窓の方に顎をしゃくると、彼は身を乗り出してその向こうに広がる風景を覗き込む。

 

「うへえ、腹黒企業のロゴマークで溢れかえってやがる。カロリー高すぎて胸焼けしちまいそうだぜ」

 

  そう言って、彼は大げさに顔をしかめてみせる。自身より資本規模の小さいローゼンタール社を傀儡として盟主に据え、企業連を意のままに操るオーメルの狡猾さは、レイヴンだけでなく一般人の間においても周知の事実であった。

 

 

「だがまさか、企業連中が軍の拠点に俺たちを迎える日が来るとはな。こんなご時世になって、やっと奴らも俺たちを信用する気になったってわけか」

 

「……お前には、これが信用している人間に対する待遇に見えるのか」

 

  呆れ混じりに言葉を返しながら、僕は視線を一瞬だけ後方へとやる。そこには、企業連軍の戦闘服に身を包み、五人用座席の両端に座る二人の兵士の姿があった。

 

 

  ––––ラインアークを出発してからと言うもの、ずっとこの調子である。僕たちの周囲には常に武装した数人の兵士たちが張り付いて、その手に持った銃をわざとらしくちらつかせながら、こちらの一挙一動にまで目を光らせているのだ。

 

  本来であれば、偽の依頼を掴まれされた僕たちに、こんな遠方までつきやってやる義理などなかった。しかし、いくら百戦錬磨のレイヴンたちといえど、銃を持つ相手に生身でどうこう出来る筈もなく、結局誰もが大人しく従うこととなったのだった。

 

 

「……面倒くせぇ野郎だな、ったく」

 

  シートから立ち上がったアーロンは、さぞ不機嫌な様子でガリガリと頭を掻く。

 

「皮肉ってモンががわかんねえのか。お前、さては文系だな」

 

「どちらかと言われれば確かにそうなるが……。関係ないだろ、そんなこと」

 

「いや、大いに関係あるね。俺の経験から言わせてもらえば、冗談が通じねぇ野郎は十中八九文系だ」

 

  偏見も良いところである。そもそも彼の口調は、どうも皮肉を言うときのそれには聞こえなかったが……。アーロンの暴論に再び呆れ返りながら、僕は降り口へと向かう。

 

 

  バスを降りると、兵士の誘導に従って建物の中へと入る。無骨な外装にそぐわない、やたら仰々しい装飾が施されたエントランスには、別車両で先行してやってきたのだろうか、バートランドの姿があった。

 

  しばらくして、全員がロビーに集まったことを確認すると、彼は口を開いた。

 

「諸君、長旅ご苦労であった。疲労も溜まっているところだろうが、もう少しだけ我々に付き合ってもらいたい」

 

 ***

 

「最上階です」

 

  満員のエレベーター内にアナウンスが響くと同時に、それまで視界を遮っていたドアが開く。

 

  人の波に流されるがままに大型エレベーターを降りると、そこは、見通しのよいガラス窓と四方を囲まれた管制室であった。

 

「こちらに集まってくれ」

 

  バートランドの言葉で、全員が北側のガラス窓の前に集合する。眼下には、円形のダミーターゲットと障害物代わりのコンテナが多数配置された、急ごしらえの兵器試験場らしき空間が広がっていた。

 

 

  ––––「君たちに、見せたいものがある」。

 

  そう語るバートランドに連れられ、僕たちはこうして施設の全容を一目に見渡せる管制塔までやって来たわけだが、今のところそれらしきものはどこにも見当たらない。……果たして、これから何が起こるというのだろうか。

 

  そんなことを考えていると、近くに立つ兵士が通信機に向かって囁く声が聞こえてきた。

 

「全員集まった。始めろ」

 

  ……それからしばらくすると、分厚い窓ガラスをバリバリと震わせるほどの轟音と共に、一体の黒い人型がこちらへと飛来する。

 

「なんだ、あれ。ノーマルか」

 

  いつの間にか隣にやって来たアーロンが、僕にそう尋ねる。

 

  確かに、飛行能力をもつ人型の兵器と言えば、二脚型のACしか思い当たらない。そのサイズから見るにネクストでないことだけは確かだが……。

 

「……しかし、ノーマル程度にあんなスピードが出せるのか」

 

  背中から青い炎を吐き出しながら夕焼けに赤く染まった空を一直線に駆けるその速度は、明らかにノーマルのそれではなかった。

 

  試験場の中央部、ひときわ高く積み上げられたコンテナの上に着地すると、「それ」はゆっくりこちらへと旋回する。

 

 

  周囲との対比から見るに、全高は五〜六メートルといったところだろうか。ノーマルと比べると、一回りほど小柄な印象である。

 

  平面と曲面が混在する一般的なノーマルとは違い、まるで直方体の組み合わせだけで構成されたかのような、角張ったデザイン。左右非対称となった脚部の片方には、盾と思しき巨大な金属板が取り付けられていた。

 



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第三話:ANTAC 三節

  初めて目にする異形の人型に、周りのレイヴンたちはにわかに色めき立つ。そんな中でアーロンは、意外にも冷めた表情のまま口を開いた。

 

「『企業連・夏の新作コレクションお披露目会』ってか。……全く、遠路はるばるやって来て、企業連中のくだらない顕示欲に付き合わされるこっちの身にもなってもらいたいね」

 

 

  この時間があの新型ノーマルだか何だかの開発者の自己満足によって設けられたものかどうかは知らないが、彼の言う通り早く本題に入ってほしいところではある。しかし……。

 

「くだらない、と一蹴するのはまだ早いんじゃないか。もう少し様子を見てみよう」

 

  ––––その一方で、窓の外に立つ異形に対し、多少なりとも関心を抱いてしまっている自分もいた。

 

 

「……驚きだな、他の大勢と同じようにあんたまでノリノリとは。文系にしちゃヤケに素直だな」

 

  先ほどまでとは一転、素っ頓狂な表情で彼は言う。

 

  この男、文系に一体何の恨みがあるのだろうか。心の中でそんなことを呟きながら、僕は再びガラス窓の向こうへと視線を移す。

 

 

  まるでランナウェイ上のモデルが自らをアピールするかのように、その場で幾度となく旋回を繰り返していた鋼鉄の巨人は、突然勢いよく上へと飛び上がった。

 

  各部に取り付けられたスラスターで器用に空中姿勢を保ちながら、背部のハンガーに架けられたライフルを右腕部で引き抜くと、向かって左側のダミーターゲットへとそれを構える。

 

  ……直後、その銃口から眩いばかりの閃光が放たれると同時に、大きな破裂音が周囲に鳴り響いた。

 

 

「どんな口径のライフル使ってやがるんだ、コイツ……」

 

  たった一発で根こそぎ吹き飛んだダミーターゲットを眺めながら、アーロンがそう言葉を漏らす。

 

 

  この発砲音と威力––––ノーマル用の大型キャノン砲に似ている。となると、その口径は百ミリ前後、といったところだろうか。

 

  ノーマルより小柄な人型兵器が手持ちで運用するライフルにしては、少しばかりオーバースペックな気もするが……。そんなことを考えていると、窓の外の機体は百八十度旋回し、別のターゲットへと銃を向ける。

 

 

  ––––次の瞬間、鼓膜を破らんとする轟音に、僕を含めたその場の全員は固く両耳を塞ぐことを余儀なくされた。

 

 

  火薬の爆発によって弾丸が撃ち出される音と、それが金属と衝突する音。

  ただでさえ聴覚を刺激するそれらが秒間何回という頻度で繰り返されるのだから、こちらはたまったものではない。

 

 

  数秒が経って発砲音とフラッシュが止み、耳元から両手を離した僕は、ゆっくりと顔を上げた。

  横並びとなっていた三つのターゲットたちは跡形もなく消え去り、その土台であるコンテナも、何発もの弾丸を受けて無残にへしゃげていた。

 

 

「こんな使い道のねえバケモン生み出しやがって……。いい趣味をお持ちだな、貴族様たちは」

 

  相変わらずの皮肉めいた口調で、アーロンがそう毒づく。

 

  偏屈な彼の意見だが、今回ばかりは完全に同感だ。兵器というものは、単純にその威力を上げさえすれば良い、というものではないのである。

 

  ハイエンド・ノーマル用の武装をとってみても、その限りだ。例えば、「一撃必殺」をキャッチコピーに掲げる、アリサワ製の大口径グレネードランチャー。一発あたりの破壊力は申し分ない、それどころかノーマル一機を撃破しても有り余るほどなのだが、その実際は、大きすぎる反動のせいで榴弾を真っ直ぐ飛ばすことすらもままならない。

  その上重量はやたらかさばるし、一度だけ任務に持っていった時も、一発も撃つことなくパージすることとなった。おかげさまで、目的は達成したにも関わらず総合報酬は大赤字。正直、こんな経験はもう二度とごめんである。

 

  こういった例は、決して一つに限ったものではない。他の性能を度外視して連射力のみを限界まで高めた結果、軽量型ノーマルの装甲を貫通することすらままならない豆鉄砲と化したアルゼブラの試作マシンガン。こちらは任務達成の報酬として貰ったものだが、どうも使い道がなかったので、オークションに出して高値でどこぞの物好きに売りつけてやった。結局製品版が発売されることもなかったし、もう少し値段を釣り上げても良かったのではないかと今でも悔やまれる。

 

  ……兎に角、何かしら突き抜けた性能を持つ兵器というものは、基本的にその力を満足に引き出しづらい傾向にある。特に、前者のように良くも悪くも使い手の技量に依存するものならまだしも、後者のような誰の手にも負えない欠陥兵器は、レイヴンたちの間で「産廃」と呼ばれて忌み嫌われていた。

 

 

  ––––そして今、窓の外の機体が発砲したライフル。単発でも十分すぎるほどの威力だというのに、それを秒間何発のペースで連射するなど、はっきり言って正気の沙汰とは思えない。

 

  その上、ダミーターゲットと機体は百メートルほどしか離れていないにもかかわらず、発射された銃弾の多くはあらぬ方向へとばらけている。恐らくは、その高すぎる威力によってもたらされた反動が原因だろう。

  目の前の標的すらまともに狙い撃つことができない銃器など、実戦に堪え得るわけがない。至近距離での運用、或いは巨大な対象への攻撃を想定しているのなら、話は別だが……。

 

 

  そもそも。一体この機体は、何を目的として設計されたものなのだろうか。

 

 

  よくよく考えてみると、今の企業たちにこんな小規模の兵器を製造しているような余裕など無い筈だ。何故なら彼らには、「首輪付き」、という最優先で解決すべき課題があるのだから。

 

 

 

  いや、或いは。あの機体、まさか……。

 

 

 

  頭の中に渦巻く疑問が解決しないまま、窓の外の機体は新たにアクションを起こした。

 

 

  突然、その側面から青い閃光が放たれたと思うと、黒い人型は目にも留まらぬ速さで右側へと吹き飛ぶ。

 

  それを左右に繰り返し、まるで空中を「滑る」かのようにジグザグに移動しながら、機体はライフルで次々とターゲットたちを破壊していく。

 

「ありゃ、まるで……。何と言ったか、うんたらブーストみたいだな、ネクストの」

 

「『クイック・ブースト』、か」

 

  クイック・ブースト。ネクスト機に搭載された、専用のブースターを大出力で噴射することによって瞬間的な加速を可能とする技術……。

 

  言われてみれば、確かに似ている。アーロンの指摘ももっともである。となると、あれはやはり。

 

 

  一人そんなことを思索していると、 いつの間にか、残るダミーターゲットは中央部に設置された大型の一つのみとなっていた。

 

  何を思ったか、突然それまで構えていたライフルを下ろした機体は、一気に加速しながらそちらを目掛けて突撃する。ネクストで例えるとするなら、オーバーブーストといったところだろうか。

 

  速度を落とすことのないまま、接触する寸前まで距離を詰めると、右脚部を大きく後ろへと振り上げる。

 

 

  そして、次の瞬間。

 

 

「……蹴った!?」

 

  ––––思わず、僕は声を上げていた。

 

 



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第三話:ANTAC 四節

「……蹴った!?」

 

  窓の外の機体がとった予想外の行動に、僕は思わずそう声を上げる。

 

  まるで銅鑼(どら)を打ったかのような鈍い音とともに、巨人の「蹴り」をもろに受けた円形のターゲットは、その形状を大きく歪めてコンテナの上から転げ落ちた。

 

「たまげたな、こりゃ……」

 

  さぞ驚いた様子で、アーロンが小さく漏らす。きっと今の僕も、側から見れば彼と同じような表情をしていることだろう。

  ……なにしろ、いくら人の形状を模しているとはいえ、兵器が肉弾戦を行うなど前代未聞だからだ。

 

 

  その理由としてまず一つ、「実用性の無さ」が挙げられる。

 

  兵器が人間と同じ形状をとる利点は主に、武装が固定された通常の兵器とは違って様々な武装の運用が可能なところにある。多種多様な射撃武器が搭載出来るというだけでなく、特にACに関して言えば、近接攻撃用のブレード或いは––––実用に堪え得るような代物ではないが––––パイルバンカーが存在するというのに、わざわざ本体で直に格闘戦を挑む利点などどこにもなかった。

 

  それに、何より。「蹴り」の衝撃に、脚部の装甲が耐えられるとは思えない。先程のダミーターゲットのような脆い対象であれば大丈夫だろうが、自身と同等かそれ以上の耐久力を持つ対象へと蹴りをくらわせた場合、それを受けた相手はもちろん自らも無事で済むはずがないのだ。

 

 

  そのような要因から、これまで人型兵器に「蹴り」のアクションが導入されることはなかった訳だ。……しかし何故、あの機体にはその動作が取り入れられているのだろうか。

  どうも解せない。機体そのものの正体に関しては、ある程度見当はついているのだが……。

 

 

  それまで空中をふわふわと漂っていた黒い人型は、まるで頭上に繋がっていた糸が切れたかのように再びコンテナの上へと着地する。

 

 

「アンタック」

 

  バートランドがおもむろに口を開くと、その場の多くが視線を彼の方へと移す。

 

「兼ねてよりGA社が開発を進めていた第五世代型ハイエンド・ノーマルを基に、十二企業が共同で完成させた新型AC。従来から格段に堅牢となった装甲、大型ブースターの搭載による機動性の向上、そしてプライマル・アーマーの突破を可能とする高威力の武装……。設計の根本こそノーマルにあるが、こうまで原型からかけ離れてくると、区別のために新たな名前が必要となった」

 

 

  「プライマル・アーマーの突破」。彼のその言葉で、僕の内にあった疑念は確信へと変わった。

 

 

「Anti-NextType・Armored Core(対ネクストタイプ・アーマード・コア)、略してANTAC。我々は、『彼ら』のことをそう呼んでいる」

 

 

  そこまで聞いてようやく「あれ」の正体を悟ったのか、周囲にどよめきが起こる。

 

「『対ネクスト』ってことは、つまり」

 

  含みをもたせた口調で、アーロンが僕に尋ねる。

 

「……ああ、恐らくは」

 

  明言こそされていないものの、「あれ」が持つ役割は、もはや誰の目にも明らかであった。

 

 

「さて、遅れてになったが、今回の依頼内容を説明する。どうやら、この中の何人かは既に察しがついているようだが……」

 

 

  ––––対ネクスト戦闘に特化したノーマル機と、一堂に会した百戦錬磨のレイヴンたち。

 

  これらの要素から考えられる依頼内容は、ただ一つしかない。

 

 

「……諸君らにはANTACと共に、『首輪付き』の討伐をお願いしたい」

 

 

 



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第四話:山猫狩り 前編

  第二次世界大戦末期。度重なる空襲によって窮地に追い込まれた、極東に位置するとある島国の人々は、竹を切り出して作った槍を天に向かって突き出すことで、爆撃機を撃墜する訓練を行っていたらしい。

 

  ……言うまでもなく、人の背丈と同じほどの長さしかない竹槍が、高度五千メートルを飛行する爆撃機まで届くはずはない。一般的な思考の人間なら考えるまでもなく分かるようなことに思えるが、なんでも当時は、そうするように正規の軍隊が民衆へと指示していたというから驚きである。

 

 

  さて。今回の「依頼」に関してだが、僕にはどうも「竹槍で爆撃機を墜とす」のと同じように荒唐無稽な話にしか思えなかった。

 

 

  オーメル軍バリ駐屯地に併設された、兵士宿舎の一室。最低限の家具で構成された四畳半の部屋の中、ベッドの上に腰掛けた僕は、手元の資料へと目をやる。

 

 

  ––––作戦コード「Lynxhunt(山猫狩り)」。今回僕たちに与えられた依頼は、「企業連合軍及びラインアーク自衛部隊との共同による首輪付きの討伐」である。

 

 

  バートランドの話によると、首輪付きが今まで襲撃してきたコロニーの座標には、ある一定の法則があるのだという。前回のコロニー・ナホトカのように一部例外もあるものの、その殆どが、他地域と比べてコジマ汚染が軽微な場所に位置するものだったそうだ。

 

  彼は語った。「奴は地表を塗り潰している」と。「ムラにコジマ粒子を塗り重ね、地表の汚染を均一なものとしている」、と。

 

  僕たちに首輪付きの真意をうかがい知ることはできないが、もし彼の言う通りこれが意図的なものなのだとしたら、相当な悪趣味である。……まあ最も、うん億という単位の人間を虐殺している時点で、悪趣味もへったくれもないのだが。

 

  兎に角。これまでの奴の行動パターンから、次回の襲撃場所が、現時点で最も汚染度が低いここ、オーメル領バリ島であることが判明した訳だ。

  そこで急遽、企業連は秘密裏に島民の避難を開始。無人となったコロニーにANTACを配備し、その性能を十二分に引き出せるほどの技量を持つ、僕たち「腕利き」のレイヴンが呼び出されたのであった。

 

 

  ……しかし。連中は本気で、あのような機体で首輪付きに打ち勝てると思っているのだろうか。

 

  なにしろ相手は、企業の精鋭リンクス五人を実質単騎で手玉に取った化け物だ。ただでさえノーマルとネクストでは性能に天と地の差があるというのに、その改良型に過ぎないANTAC数十体で太刀打ちできるはずがない。

  僕たちと首輪付きを阻むコジマ粒子の壁は、かつて竹槍を手にした人々とB-29を阻んだ五千メートルの空と同等か、或いはそれよりも厚いものなのだ。

 

 

  その困難さ故か報酬は高額で、カレンが事前に提示していた通り、首輪付きの撃墜に成功した場合には100000cが、また成否にかかわらず前金として30000cが支払われることとなっている。その上、機体の各部パーツ交換や武装の変更に関する整備費用が、50000cまで免除されるのだそうだ。

  装備が統一されたデフォルトの状態ではなく、あらかじめ機体を自分好みに整備できるのは、それぞれに強い「癖」を持つレイヴンにとっては有り難い限りである。

 

  ……このような、守銭奴として知られる企業連とはおよそ思えない程の金の掛け方から見るに、やはり連中は本気で首輪付きを潰すつもりなのだろう。僕からしてみれば、現在生き残っているカラードの下層リンクスたちに編隊を組ませて迎撃へと当てた方が、よっぽど勝機があるように思えるが。

 

  そして最もタチが悪いのは、連中はそんな「死に戦」とも言える無謀な戦いを、僕らへと強要しているところだ。

  彼らはあくまで、当人の意思で取捨選択することができる「依頼」の程をとってはいるものの、「断る」という選択肢はまずあり得ない。なにしろ今のバリ島は、完全に企業連の庭である。首輪付きとの交戦前に無断で脱出でも図ろうものなら、どういった結末を辿るかは明白だった。

 

 

  ––––と、そのあまりに理不尽な内容から、レイヴンの間で大きな不満が上がっている今回の「依頼」だが、その実、僕個人にとってはかなりの好条件であった。

 

  その理由の一つとして、まずこの宿舎の過ごしやすさが挙げられる。

 

  一般人からすれば殺風景なことこの上ないであろう、シンプルな部屋のレイアウト。普段これ以上に家具の少ない家で過ごしている僕からすれば、かえってこれくらいの方が落ち着くくらいである。

 

  出される食事に関してもインスタントに比べたら上等な部類に入るものだし、併設された大型図書館が制限無しに利用可能な点もありがたい。地上では滅多に出回っていない戦前の書物たちが、四方を取り囲む巨大な本棚の中に整然と並べられているのだ。ど田舎のストックホルムにいた頃と違って、ここでは退屈せずに済みそうだ。

 

 

  ……そして、何より。

 

  生きているうちに、再び「首輪付き」と対峙する機会を得られたこと。それこそが、今回の最たる収穫だった。

 

  もしも昨日までのように、その日暮らしでしかない「空白」の日々が続いていたとしたなら。僕は何一つ為すことも出来ず、いつの日にか、首輪付きの手によって無力にも殺されていたことだろう。

  或いは、何か想像もつかないような奇跡が起こったとして、首輪付きの脅威が地上から除かれても。セシリアを失い、その仇まで無くした僕に、もはや生きる意味などどこにも残されていない。

 

  なんの目的もないままただ生きながらえることなど、もはや死と同様、もしくはそれ以上に惨たらしい話だ。……つまり昨日まで、僕が辿ることとなる結末は、世界の命運がどちらに転ぼうと、酷くちんけな内容になることが決まっているようなものだった。

 

 

  ––––しかし。今日僕は、首輪付きと再び闘うチャンスを与えられた。セシリアの無念を晴らすために、命をかけるチャンスを与えられた。

 

  敬虔なカトリックだった母が死んで以降、僕はずっと無神論者として生きてきた。母の忠誠に報いるどころか、かえって見殺しにまでした「神」とやらを盲目的に信じ続けることなど、到底出来なかったのだ。

  だが、今日この時ばかりは、そんな神とか仏とかいう不確かな類の存在に感謝するしかなかった。まるで何者かが意図したかのような、この運命の巡り合わせに。

 

  ……いや。感謝すべきは、他にいたか。先程返却されたばかりの携帯端末を取り出すと、僕はカレン・エインズワースの連絡先をダイアルした。

 

 



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第四話:山猫狩り 後編

  先程返却されたばかりの携帯端末を取り出すと、僕はカレン・エインズワースの連絡先をダイアルする。

 

  五回ほど呼び出し音が繰り返された後、珍しくも眠たげな声色で彼女は電話に出た。

 

「もしもし」

 

「こんばんは、カレン。……もしかして、起こしてしまったか」

 

「『こんばんは』、ですか。呑気なものですね、こちらは何時だと思っているのですか」

 

  ……しまった。そういえば、ここと相手側の時差を考慮に入れるのを忘れていた。

  バリ(こちら)の現在時刻は、午後九時十九分。カレンが住んでいるのは……。

  改めて思うと、彼女のプライベートについては、この五年間で何一つとして聞いたことがない。家族構成どころか本人の年齢すらはっきりとしないというのに、その居住地を知っているはずがなかった。

 

  しばらく黙り込んだままでいると、呆れた様子で一つため息をついたカレンは、携帯端末の向こうでゆっくりと口を開く。

 

「こちら––––コロニー・アンカレッジの現在時刻は、午前五時六分。まだ太陽も上っていません」

 

  アンカレッジ。GA領アラスカ州の中央部に位置する、人口数十万の中規模コロニー……。成る程、これだけの時差が生じるのも頷ける。

 

  と、一人で勝手に納得している場合ではない。なにしろ向こうは、気持ちよく眠っているところを未明から叩き起こされたのだ。彼女が今どんな心境の中にいるかは、いくら鈍感な僕でも想像に難くなかった。

 

「すまない、カレン。配慮不足だった」

 

「……で、用件はなんですか。出来るだけ手短にお願いします」

 

  ぶっきらぼうな物言いで、彼女は僕に尋ねる。

 

 

  さて。ここから先は、慎重に言葉を選ばなければならない。携帯端末そのものは返却されたものの、ネットへのアクセスには厳重な制限がかかっているし、通話は全て記録されている。不要な発言は許されない。

 

 

「いや。あんたがこの先どうするつもりか、気になってな」

 

  考えるように少し間をおいてから、彼女は返答する。

 

「三日後、私もそちらへと向かうことになっています。作戦中は、以前と同じように通信で交戦のサポートをさせて頂きます」

 

  彼女もこちらに合流するのか。てっきり、オペレーターはバリには来ないものだと思っていたが。

 

 

  と。ここで、ある一つの疑問が浮かぶ。

 

 

「……だが何故、連中はわざわざ、レイヴンとオペレーターで島に入る時期をずらしたんだ」

 

「なんでも、それほどの大人数が同時に移動すると、情報が外部に漏洩する可能性があるからだとか」

 

 

  ……やはり、何かおかしい。先程からぼんやりと感じていた「違和感」が、僕の中ではっきりとした輪郭を持ち始める。

 

  ここに至るまでの流れ––––殊に、急遽ブリーフィング以前に繰り上がったように思えるラインアークからバリへの移動––––と、それ以降の厳重な情報統制。

 

  その全てが、単に作戦内容の外部漏洩を防ぐための措置だとしたら。ありとあらゆるメディアを監視下に置いている統治企業と、その連合体たる企業連にしては、少し神経質すぎはしないか。こう言っては身も蓋もないが、最悪情報が一般に漏れたとしても、検閲によって封じ込めてしまえばいいだけの話ではないか。

  今回の相手は、いくら大量虐殺者とはいえ、あくまで一個人に過ぎない。これまで繰り返されてきた経済戦争とは違い、今回は敵対勢力のスパイや内通者といった類の存在を警戒する必要はない筈だ。だと言うのに、連中は一体何を恐れているのだろうか。

 

 

  ……いや、或いは。

 

 

  噂程度には耳にしたことがある。首輪付きをなんらかの理由で支援する、謎の団体の存在を。

 

  整備に多大な技術力と資金を要するネクストを、企業の手助け無しで、ましてや個人が運用できる筈がない。オールドキングが斃れ、企業連の総攻撃によってリリアナが壊滅した今、また別の勢力––––それもとてつもなく大規模な––––が奴を支援しているのではないか、という憶測に至るのも必然である。

 

  そして企業連が、その情報網を恐れてあの様な振る舞いをしていたのだとすれば、全ての辻褄が合う。……しかし、数百万単位の大量殺戮を引き起こすことで利益を得られる連中など、どこにいると言うのだろうか。

 

  いかにも陰謀論者が好みそうな話題であるせいか、巷ではネオナチやカルト宗教、果ては地球外生命体などといった、「取るに足らない」説ばかりが流布している。文明が起きて以来、人類にとって最大の危機の渦中にいると言うのに、どいつもこいつも呑気なものである。……かく言う僕も、他に何かまともな意見をあるのかと言えば、そういう訳でもないのだが。

 

  しばらく一人で考え込んでいると、耐えかねた様子でカレンが口を開く。

 

「あの、どうかされたのですか」

 

「いや、なんでもない。……悪かったな、こんな早朝から叩き起こしてしまって」

 

「それでは、私はこれで。失礼致します」

 

  そう言い放ち、カレンは電話を切ろうとする。その直前、本来の目的を思い出した僕は、慌てて彼女を制止した。

 

「す、少し待ってくれ」

 

「何ですか」

 

「一言だけ言わせてくれ。……ありがとう。あんたのお陰で、なんとか惨めな死に方だけはせずに済みそうだ」

 

  言い終えた後で、じわじわと気恥ずかしさがこみ上げてくる。そういえば、こうして彼女に感謝の丈を打ち明けるのは、これが初めてだったか。

 

  そんな中で、脳裏に一週間前の彼女の言葉が蘇る。

 

『この依頼は、あなたの妹様、或いはあなたご自身の悔恨を晴らす、良い機会となるでしょう』

 

  今僕がここにいるのは、彼女のあの言葉があったからこそだ。事前に提示されたのが、先程アーロンがいくつか挙げていたような、ただ好条件なだけの内容であれば、僕は依頼を受けることはなかった。セシリアを亡くした今、以前のようにただがむしゃらに金を稼ぐことなど、どうも徒労としか思えないのだ。

 

  しかしカレンは、他のオペレーターと同じように依頼内容を捏造するのではなく、敢えてその異常性を隠すことなく開示してくれた。

  そして今回の依頼が、どんな形であれ、セシリアの無念を晴らすことに繋がることも。

  この五年間、僕は彼女の思考回路というものを何一つとして理解できずにいたが、逆はその限りでなかったらしい。……僕がこの依頼を受けることとなった直接的な要因は、やはり彼女に他ならなかった。

 

「……って、いきなりこんなこと言われても困るよな。済まない、じゃあ三日後にまた……」

 

  そこまで言うと、カレンの言葉がそれを遮る。

 

「謝る必要はありませんよ。いくら朝早くに叩き起こされたとは言え、感謝されて悪い気になる人間なんていません。私を含め」

 

 

  ––––余りに予想外な彼女の言葉に、僕は耳を疑った。

 

 

「……今、なんて言ったんだ」

 

「『感謝されて悪い気になんてならない』、って言ったんです。そんなに意外ですか」

 

「いや、そういう訳じゃ……」

 

  今までの彼女からは想像もつかない、「人間臭い」とも言える発言に戸惑いを隠せないまま、僕は思わず上ずった声を発する。

 

「……それでは、今日は朝早くから予定が入っておりますので、私はこれで。失礼致します」

 

  そんな僕の様子に呆れたのか、彼女はそう言って一方的に電話を切ってしまった。

 

 

  一体、彼女のあの反応はなんだったのだろうか。携帯端末をベッドの上に放り投げると、僕は訳もなく天井を見上げる。

 

  ……おかげで、以前にも増して「カレン・エインズワース」という人物のことが分からなくなってしまった。彼女は一体、何者なのだろう。

 

  そんなことをしばらく考えていると、突然抗いようのない強烈な眠気が襲ってくる。今日はあまりに色々なことがありすぎた。こうして疲労が噴出するのも当然である。

 

  ベッドの上に身を投げ出すと、重い瞼をゆっくりと閉じる。部屋の電灯すら切ることなく、そのまま僕は眠り込んでしまった。

 




次回は、別主人公視点の番外編を投稿します。


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番外編
番外編 第一話:キーウェスト 前編


「しかし。何故、私が」

 

  今にも暴発せんとする怒りをなんとか押し留めながら、私はそう言葉を絞り出す。

 

 

  ラインアーク税関ビル、もとい統治企業連盟暫定本部。ただでさえ警備が厳重な八階フロアの最奥、さらに何段階ものセキュリティチェックをくぐり抜けた先にある部署の一角で、私はこの三十年近い人生の中でも指折りに入る程の屈辱を受けていた。

 

「サクラ君、地味な役回りだと侮ってはいけないよ。これも、僕たちに与えられた立派な仕事の一つなのだから」

 

  ポーカーフェイスを決め込んでいるつもりなのだが、不服を抱いていることが相手にも伝わったのだろうか。まるで赤ん坊でも諭すかのような口調で私に語りかけるのは、悪趣味なゴシック調のインテリアで統一された執務室の中央、「室長」の札が置かれたデスクに収まる、痩せ型の老人である。

 

 

  アーデルベルト・アスペルマイヤー ––––企業統治体制維持委員会・情報管理室室長。今の私にとっては、直属の上司に当たる男だ。

 

 

  ローゼンタールにおける諜報機関、SGI出身の彼がトップを務めるこの部署は、「情報管理室」などと当たり障りのない名称を掲げてはいるものの、業務内容に関してはその限りではない。

  十二企業による統治体制を脅かさんとする革命勢力にスパイを派遣し、その内情を探ること。そして可能であれば、崩壊にまで追いやること……。殊に、イレギュラーリンクス集団「ORCA」による同時多発テロが勃発して以降、その活動はより一層活発化し、先日のリリアナ総攻撃においても、その拠点を特定するなど重要な役割を果たした。

 

  企業連本部の中でもごく限られた一握り、エリート中のエリートが集う、まさに「精鋭部隊」といった趣の部署である。私自身、先月この部署への異動を命じられた際、企業連職員憧れのエリート集団に仲間入りすることを誇りに思ったものだ。

 

 

  ……しかし。そんな私の天狗の鼻は、よりにもよって配属初日の今日、室長たるアスペルマイヤーの手によって、無残にもへし折られたのであった。

 

 

「君の言いたいことも分かる。世の中が大変なことになっているこのタイミングで、老人たちが平穏極まりない余生を謳歌するリゾート地へと派遣されれば、『自分は軽んじられているのではないか』と疑いたくなるのも当然だろう」

 

  逆に、軽んじられている以外に何があるというのか。口先だけで私を慰めようとするアスペルマイヤーに改めて反感を感じながらも、努めて冷静を装う。

 

「だが、サクラ君。今朝の件については、君も概ね聞いているね」

 

「はい。何でも、本部から『キーウェスト派』の内通者が見つかったとか」

 

「如何にも」。そう言って、彼はひとつ頷く。

 

「本来ならGAのゴタゴタに構ってやる暇などないのだが、企業連内部からスパイが見つかったとなると話は別だ。そこで、実力を測る意図を兼ねて、君をキーウェスト島へと派遣することにした。……何より、新人を危険な現場へと送り込むわけにもいかないからね」

 

  何やら調子の良いことを宣っているが、要するに「丁度いいタイミングで配属されてきた新人を厄介払いに利用した」だけの話だろう。この老いぼれの首根っこをひっ掴んで真意を問いただしてやりたいところではあったが、怒りを押し殺しながら私は頭を下げる。

 

「そうでしたか。命令とあらば、どのような現場だろうと赴く所存でしたが。お気遣いいただき、ありがとうございます」

 

  ……もうだめだ。これ以上この老人と同じ空間にいたら、脳みそが煮えくり返ってしまう。どうにかして、この場を一刻も早く抜け出せないものか。

 

 

  そんなことを考えていると、静けさで満たされた執務室に、木材を打つ軽やかな音が響いた。

 

「入り給え」

 

  アスペルマイヤーが声を上げると、背後のドアが開く。そこには、私や他の大勢と同じように黒のスーツに身を包んだ職員の姿があった。

 

「失礼致します。室長、連合軍のバートランド臨時指揮官がお呼びです」

 

  ナイスタイミングだ。そのバートランドとやらが、何処のどいつだかは知らんが。

 

「分かった、すぐ向かう。……サクラ君、悪いが私は席を外す。今日はもう帰りなさい」

 

  立ち上がったアスペルマイヤーは、椅子の背もたれにかけていたスーツの上着を手に取り、袖を通しながら言った。

 

「……了解しました。それでは、失礼致します」

 

  深々と腰を折るこちらを横目に、彼はその年齢の割にしっかりとした歩みで、足早と部屋を出て行く。

 

 

  ––––扉が閉まり、室内から他人の目が消えたことを確認すると、私は自らの太腿を思い切り殴りつけた。

 

 

 



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番外編 第一話:キーウェスト 後編

  六つの巨大軍需企業による国家への反乱に端を発した「国家解体戦争」が、開戦からわずか二ヶ月足らずで終結した直後。急遽発足された企業連合体・パックスの主導で、敗北した国家側における権力者たちの一斉処刑が行われた。

 

  革命暦になぞらえ、後に「ニヴォーズの大粛清」として語り継がれることとなるこの事件は、十二月二十一日から同月二十三日までのたった三日間で、銃殺刑による一万人以上の犠牲者を出す結果となった。……しかしながら、表沙汰にはされていないものの、とある超大国の政府関係者十二人だけは、例外的に粛清を免れていた。

 

 

  アメリカ合衆国。旧体制において、「世界の警察」として各国を牽引した一大国家。

 

  解体戦争時、ネクスト機の圧倒的な戦力の前に他国が次々と陥落していく中、唯一この国だけは、GA及びレイレナードを中心とする国内の企業勢力を相手に粘り強い抵抗を繰り広げた。ヨーロッパ制圧を終えたローゼンタールグループの参戦により、やっとその勢力を首都周辺にまで後退させたが、企業側は依然として、勝利を決するような決定的打撃を与えられずにいた。

 

 

  ……そんな中、当時アメリカ軍部の中枢を担っていた組織、「ワシントン評議会」から、GAへとある提案がもたらされた。

 

  第一に、評議会を構成する十二人とその家族に関しては、国家が解体された後も身辺を保証すること。第二に、GAの占領下にある北アメリカ最南部・キーウェスト島を返還し、今後いかなる企業勢力の拠点も置かないこと……。この二つの条件を飲むのであれば、全軍に対し直ちに武装解除の命令を出す、という内容であった。

 

  いくら戦局が優勢に傾いているとは言え、米軍による予想外の抵抗に疲弊していたGAはこれを承諾。アメリカの降伏と同時に国家解体戦争は終結し、世界を統治する最大単位は「国家」から「企業」へと置き換えられたのだった。

 

 

  そして、企業による統治体制が樹立されてからおよそ二十年。ワシントン評議会––––現在では「キーウェスト派」と呼称されている––––の構成員は、絶海の孤島で人知れずその余生を謳歌していた。

 

  GAによる監視が光っていることもあって、これまで彼らが目立った問題を起こすということはなかった。……しかし先日、GA本社において行われた内部調査で、ある事実が発覚する。

 

 

  何者かによる、キーウェスト派に対するGA資産の横流し。金額は年あたりおよそ500000cにものぼり、その事実が認知されるまで、七年に渡って継続的に行われていた。

 

  ギガベース級AF(アームズフォート)を数隻建造できるほどの資金流出に、GAの警察組織だけでは無く、本来企業内部の問題には介入しないはずの企業連までもが調査を開始。つい昨日まで私が籍を置いていた部署、「内政調査課」がその担当にあたることとなった。

 

  ……とは言っても、私がこの事件の捜査に直接関わった、というわけではない。その頃には既に異動が決まっていて、内政調査課員として新たな仕事が割り振られることはなかったのだが、捜査の進捗に関しては、同じ部署に属していた友人たちから聞いていた。

 

  なんでも、GA内部からは実行犯の五人に加え、新たに八人がキーウェスト派の内通者だと判明したのだそうだ。その上、オーメルを始めとする複数の企業においてもスパイの存在が確認されており、ある元同僚は、「企業連とて例外ではない。内通者が見つかるのも時間の問題」という見解を述べていた。

 

 

  そして、今朝。彼の予想通り、一人の本部職員が、キーウェスト派のスパイとして逮捕された。

 

  逮捕当時、男は内政調査課のオフィスへと侵入し、保管されていた捜査資料を処分しようとしていたという。異常を感知した警備員の介入によってその試みは中断されたものの、それまでに全体の約三割ほどの紙文書がシュレッダーにかけられ、修復不可能な状態となった。……と言っても、それらの殆どはデータ形式でバックアップが取られているため、損害はほんの微々たるものであるが。

 

  だが最も重要なのは、「企業連本部にまで内通者が潜伏していた」という事実である。これに受けて上層部は、GAが来週にも行うキーウェスト島強制捜査に、情報管理室の職員を「GA社員」として送り込むことを決定したのだった。

 

  しかし––––。

 

 

「なんで、私なんだよ……」

 

  エレベータへと続く広い廊下を歩きながら、私は口の中で呟く。

 

 

  否、理由は分かっている。GA陣営に属する有澤重工の出身、その上配属一日目のペーペーともなれば、この役割へと回されるのも妥当だ。仮に私がアスペルマイヤーの立場だったとしても、この「葛城桜」とかいう女をキーウェストに派遣したことだろう。

 

  それでも、こちらからしてみればたまったものじゃない。首輪付きとそのネクストの所在を特定するため、全世界に散らばった同僚たちが日夜問わず戦っているというのに、どうして私は老害どもが起こした横領事件の調査に当たらねばならんのだ。

 

 

  ……だめだ。思い出すと、余計に怒りがこみ上げて来た。やり場のない憤りにギリギリと歯を食いしばりながら、私は突き当たりのエレベータへと歩みを早める。

  と、左足を踏み出した途端、太腿のあたりがズキリと痛んだ。

 

  それは先程、怒りに任せて自分で殴りつけた部位だった。幼少期から、何か気に入らないことがあると身体のどこかを殴打する癖があったのだが、いい歳になった今でもそれが抜け切っていない訳だ。

 

  全く、自らの幼さに心底呆れる。アスペルマイヤーは最初から、私のこの未熟な心を見透かしていたのかもしれない。

  そう思うと、これまで外に向けられていた怒りが、まるで鏡にでも反射したかのように自らへと返ってきた。

 

  だめだ、こんなのキリがない。ドロドロと渦巻く負の感情を頭から振り払うと、痛む左腿を庇いながら私はエレベータへと乗り込む。

  企業連フロア一階––––税関ビル全体で言うところの四階行きのボタンを押すと、エレベータは下降を始めた。

 

 

  ……ふと。最近局内で広まっている、ある荒唐無稽な噂のことを思い出した。

 

  企業連合軍による、リリアナ本拠地への奇襲作戦が成功に終わった後のことである。支援組織の拠点が完膚なきまでに叩きのめされたことにより、首輪付きの活動は沈静化、或いは完全に停止するものだと思われていた。

 

  しかし、その一週間後。ヨーロッパの僻地に位置するあるコロニーが、一体のネクスト機による襲撃を受けて壊滅する。……その犯人が首輪付きであることは、もはや誰の目にも明白だった。

 

  ネクストほどの大掛かりな兵器を運用するとなれば、それなり以上の設備と資金、そして専門の知識を持つ技術者が必要になる。そのことを鑑みると、首輪付きの活動再開は、「リリアナに代わるなんらかの団体が奴を新たに支援し出した」ということを暗に示しているも同然だ。

 

  首輪付きの新たな「支援組織」について様々な憶測が飛び交う中、GA資産の横領事件が発覚。これによって、「キーウェスト派こそが首輪付きの支援組織である」、という一つの仮説が形作られ、局内に蔓延することとなったのであった。

 

 

  しかし。首輪付きの活動とキーウェスト派の横領事件を無理矢理関連付けるなど、私からしてみれば「ナンセンス」である。

 

  ……資金面でいえば、GAから七年にもわたって大金をせしめていたキーウェスト派は、確かに支援組織の第一候補になり得る。しかし、「設備」と「技術者」の面に関しては、その限りでない。資金援助のみならまだしも、企業の監視下でネクストを整備できるほどの環境を整えられるとは考えにくい。

 

 

  それに、何より。大量殺戮を引き起こし、その上地上を汚染し尽くすことで、キーウェスト派に何の利益が生じるというのだろうか。

 

  かつて、母国やプライドをかなぐり捨ててまで自らの保身だけに走った彼らが、リスクを負ってまでこの無意味な大量殺戮に手を貸すとは思えない。「企業勢力に対して反旗を翻す機会を狙っていた」という可能性も考えられなくはないが、仮にこの手段で合衆国の再興を果たしたとしても、統治する人民と土地が無くては元も子もないではないか。

 

  これらの理由から、噂が事実である可能性は極めて低いものと思われる。内政調査課の同僚たちも、全員が私と同じような見解だった。

 

 

  ……つまり私は、首輪付きとは何の関係も持たない、ただひたすらに欲深いだけのジジババどもを相手にしなければならないということだ。そのことを再認識すると、沈静化しかけていた激情の炎が、私の中でまた燃え上がった。

 

  と、この最悪のタイミングでエレベーターが一階へと到着し、扉が開く。そこには、紺色のシャツに身を包み、肩がけカバンを掛けた一人の若い男がいた。

 

  エレベーターに乗り込もうとする彼とすれ違う形で、私は外に出る。ビルの出口に向けて歩き出すと、背後から声をかけられた。

 

「あの、落としましたよ」

 

  振り向くと、ポケットから落ちたらしい私の職員手帳を、先程の男がこちらへと差し出してきた。

 

  「他人の親切には礼儀で返せ」、が幼い頃からの母の教えだった。人として当然のことと言えばその通りなのだが、私はそれを徹底するよう、これまでの人生の中で心がけてきた。

 

  ……しかしどうも、今日だけは冷静になれない。持て余した苛立ちを左手に込め、男から職員手帳をひったくると、私は身を翻してその場を去った。

 



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