風来坊で准ルート【本編完結】 (しんみり子)
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《ワクワクなえぶりでい》I

・割とキャラ含め描写が不親切なので(がっつり書いてるとモチベが切れそう)、原作プレイ済み推奨です。出来れば7~9。さらに言えば7~14。欲を言えばぶっちゃけ全部。
・ネタバレもぽこじゃか出てきます。もう14ですら五年前だし……いいよね。
・パワポケあるある。出会いの仕方で既にルート入れるか決まる。つまり、喫茶店が初見の時点できっとフラグは建たなかったってことなんや(名推理)
・基本的に9主と性格は変わらないので、原作と変化のないイベント群はがっつり省略していきます。
・色々と趣味で書いてます。解釈違いや、非公式設定も使います。その辺ご了承ください。


『もっと野球をしたい』

 

 

『いろんなものを見たい』

 

 

『いろんな人と会いたい』

 

 

 

 

 

 

 

『俺は未練が多すぎるなぁ』

 

 

 

 

 

 

 

 

『でも、それでも俺は』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ワクワクなえぶりでい》I――ようこそブギウギ商店街へ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっと。今日も冷えるな」

 

 川沿いの冷たい風に外套がはためく。気を抜けばここではないどこかへ飛んでいってしまいそうなテンガロンハットを抑えながら、俺は旅を続けていた。

 

 生まれた街を出て、それから二年ほどの月日が過ぎた。

 多くの出会いと別れを経験した今、価値観は以前と大きく変わったのだと感じられる。

 

 ――この世に魂を最も強く繋ぎ止めるもの。

 

 それはきっと未練なのだろう。

 死にたくない。まだ終わりたくない。まだ始まってすらいない。

 もっといろんなことを経験したい。もっとたくさんの出会いがしたい。

 

 俺のやったことは正しかったのか。義に適っていたのか。

 

 胸を張って、誰もに正義と言える何かを成し遂げたのだろうか。

 

 分からない。まだ、分からないことだらけだ。

 だからこそ、彷徨う。いや、流離う。俺の答えを見つけるために。

 

 正義の味方になるために。――正義を"善"にするために。

 

「さあ、行こうか」

 

 いつか正義の味方の真似事を、本物へと変えるために。本物に、なるために。

 

 

 

\パワプロクンポケット!/

 

 

→サクセス

 

→さすらいのナイスガイ

 

→はじめから

 

 

 イベントを短縮しますか?

 A:短縮しない

→B:短縮する

 

 

 

 ――カレーショップ:カシミール

 

「カンタを助けていただいて、ありがとうございました」

「いえ。ああいったことは流石に見過ごせませんから」

 

 最後に滞在した街を出て早数週間。川を沿って旅をしていた俺は、小さな町にやってきた。

 今は故あって知り合った神田カンタくんのお母さんが経営しているカレーショップで、お昼をごちそうになっている。申し訳ないとは思うが、哀しいかな俺には金がない。

 好意は受け取らざるを得なかった。金がないし。

 

 そしてこのカレーがまた大変美味しい。

 スプーンで掬って食べて掬って食べてを繰り返しながら、店主である神田奈津姫さん――カンタくんのお母さんに話を伺えば、なんでも先に起きた出来事はカンタくんが悪いとのことだった。

 

 カンタくんは見たところまだ小学生。それが大人に囲まれて虐められそうになっているのを、カンタくんが悪いとはいかなる要件か。詳しく聞けば、何でもカンタくんが彼らの車に落書きをしたとのことだった。

 

「商店街の草野球チームが、新しく出来たスーパーのチームに負けて……カンタはその腹いせに」

「カンタくん、野球好きなんですね」

「大好きだよ! オイラ、力もないし身体も小さいけど……きっとおじちゃんくらい大きくなって四番でエースになるでやんす!」

「それは楽しみだ」

 

 カンタくんの話を聞くに、いまいち野球のルールも理解しきれてはいないようであったが。それはさておき。

 ――草野球チーム同士の揉め事か。俺の人生はほとほと野球に縁がある。

 この前も、その前も。

 

「――だってあいつら汚いでやんすよ! 草野球に元プロなんて連れてきて!」

 

 二年前に出来たスーパー(しかも条例違反)に商店街の客を取られ、元々強いのが自慢であったブギウギ商店街の草野球チームも連敗中。ブギウギ商店街は意気消沈。人もどんどん離れてしまってシャッターの仕舞ったままの店が多くなってしまっている、と。

 カンタくんと奈津姫さんの話を総合すると、だいたいそのような感じだった。

 

「……事情は分かりました。カレー、美味しかったです」

「いえ、こちらこそ! ありがとうございました」

「おじちゃん、もう行っちゃうでやんすか?」

「――いや」

 

 美味しいカレーと、寂しい話を聞かされては。俺としても、少し情が沸いてしまうというか。これは俺の本能的な問題なのか。それは分からないが。

 

 立ち上がった俺を、縋るような目で見るカンタくんになるべく優しい目で笑いかけて。

 

「少し、この街に用事もあったから。商店街の会長さんってどこにいるか教えてくれるかい?」

「任せるでやんす! こっちでやんすよ!!」

 

 勢いよく店を飛び出したカンタくんと共に、俺はカシミールを後にした。

 

「確かにこれは、おせっかい野郎だ」

 

 小さく自嘲が漏れて出た。

 

 

 

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 

 

「野球選手の助っ人だって? ――どういうことだよ会長さんよ。俺たちビクトリーズは商店街の仲間だけで勝つって決めてたじゃねえか」

「そうは言っても、もうメンバーが足りないよ」

 

 人の好さそうな商店街の会長に連れられてやってきたグラウンドでは、商店街の野球チームであるブギウギビクトリーズがちょうど練習を行っているところだった。

 

 おそらくはキャプテンであろう、無精ひげの男と会長が軽く言葉を交わす。

 ぼんやりとグラウンドを見渡せば、懐かしい土の匂いと、山特有の広い空。……ここで野球が出来たら、確かにとても気分の良いことだろう。

 ふと我に返ると、訝し気にこちらを見る男の姿。

 テンガロンハットを取り、軽くご挨拶。

 

「……まあ、良いが。それで、こちらの方が?」

「どうも、小波と言います」

「ふぅん。あんた、野球の経験は?」

「ルールは知っている」

「あはは、そいつは心強いね。俺は権田だ。権田正男。よろしくな!」

 

 意外と気の良い男のようだった。背中をばしばしと叩きながら高らかに笑う彼の表情に悪意はなく、どこか親しみを覚えすらする。少し昔の知り合いに似ている気がした。

 

「ああ、こちらこそ宜しく」

「……じゃあ、そうだな。少し打ってみてくれよ。のりお、ちょっと投げてくれ!」

「分かったー」

 

 向こうで軽くキャッチボールしていたやせぎすの男を権田は呼び止める。

 渡された木製バットを手に取ると、やはり少し重く感じた。金属バットを握っていた時間が長かったからか――それとも。

 

 ともあれ、軽く左打席に立つ。こうして野試合的に遊ぶのはそう久しぶりのことではない。身体が覚えているままに、のりおと呼ばれたやせぎすの男が投げた低めのストレートを叩いた。

 

 ……左中間、二塁打ってところか。やはり木製バットは飛びにくいな。

 

「戦力になりそうかな?」

「こいつは凄いな……即戦力だ」

「なら権田くん、きみが色々教えてやってくれ」

 

 打席から戻ってくると、会長と権田がそのような話をしていた。

 まだまだ俺も捨てたものではないらしい。軽く会釈して、バットを返す。

 

「権田さん、宜しく頼む」

「権田でいいよ。とりあえず、練習で怪我されても困るし……走り込みで体力をつけるところからだな」

「――」

 

 まずは、走り込みからか。

 ああ、そうだな。

 

「どうした?」

「よし、任せろ」

 

 ダッシュでその場を駆け抜ける。グラウンドの端から、校舎の前まで全力で。――って、校舎は無かったか。無かったな。

 

「……なんか、笑ったかあいつ」

「笑ったねえ。なんだったんだろう」

「だがまあ。生きの良い奴じゃねえか。気に入ったよ、会長さん」

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 何をしようかな。

 

 ひとまずチームメイトに挨拶を終えた俺は、特に何を考えるでもなくグラウンドから商店街の方へと歩みを進めていた。そろそろ日が暮れる頃合いだろうし、今日からしばらく泊まるハウスを作らねばならんのだが――段ボールを駆使しておうちを作るほどの技量は俺にはない。

 

 無難にテントかなぁ。それはさておき、商店街に足を踏み入れるとそこそこには賑わっていた。シャッターが少し目立つあたりに哀愁を感じるが、それでも夕飯前のこの時間だ。

 呼子の声が賑やかで、思わず笑みがこぼれてしまう。

 

 権田はあのあと、この商店街に対する想いを軽く語ってくれた。

 自分たちで守ろうとする意志は尊いものだと思ったし、俄然協力しようという気にはなった。……だが、せっかくだからこの商店街を一度しっかり自分の目で見ておくべきかもしれないな。

 

 もしかしたら、今度は誰かを守る戦いができるかもしれないのだから。

 

「さて、どこへ行こうかな」

 

 商店街中ほどにまで歩いてきて、きょろきょろとあたりを見渡す。

 八百屋やら食材が並ぶエリアだったせいでやたらに腹が減った。

 

 ……ん?

 

「……」

 

 なんか凄い頭のメイドが居る……。

 

「……」

 

 近寄らないでおこう。商店街にあの見た目で当たり前のように歩いているあたり、絶対まともなヤツじゃない。

 俺? 俺はほら、風来坊だから。気ままな旅ガラスですから。

 

「わ、わー!! 止めて止めてー!!」

「ん?」

 

 ゆるやかな上り坂の方から、まだ拙い少女の声。

 見ればスケートボードに乗った童女が涙目で商店街に突っ込んできていた。

 その進行方向には――嘘だろ、気づいてねえぞあのメイド!

 

 気が付けば足が動いていた。

 

 坂を突っ込んできた少女を小脇に抱きかかえ、スケートボードが突っ込んでいかないように蹴り上げる。その瞬間にはメイドも近くで何が起きたか気づいたらしく目を丸くしているがこれはスルー。落下してきたスケートボードを片手で掴み、抱えていた童女をゆっくり降ろした。

 

 周りから拍手が起きたのを軽く会釈して受け流す。

 ……嬉しいもんだな。自分の行動が褒められるのは。

 

「お兄ちゃんありがとう!」

「坂道は危ないから気を付けろよ」

「うん!」

 

 ぴょこんと結ばれた髪を撫でながら、走って坂道を登っていく彼女を見送る。「何やってるの麻美!!」と母親らしき怒鳴り声が聞こえたから……きっと彼女はこのあとこってり絞られることだろう。お説教は身内に任せるのが一番だ。

 

 さて、行くか。

 

「ありがと」

 

 そろそろヒモ沈んできたことだし……じゃねえ日も沈んできたことだし、早いところテントを張らないと。まあ別に河原で良いよな。条例違反とかないよな?

 

「ちょっと、ありがとってば」

 

 しかしお腹がすいた。今日も食べられそうな草を探すしかないか。小波から貰ったお金は大事にしなければ。

 

「ナンデムシスルノ?」

「はいなんでしょう!」

 

 勢いよく万歳して元気にお返事!

 決してやばい頭したメイドの顔がやばいことになっていたからではない。決して。

 

「お礼の一つくらい受け取ってくれたっていいじゃない。危うく子供に轢かれるところだったんだし」

「……それほどのことでもないさ。頼まれたわけでもないしな」

「確かに助けて、なんて言ってないけど。でも、助けられたらお礼を言うのは当然だよ」

 

 ……頭でやばい人だと決めつけてすまなかった。と心の中で謝っておく。

 ジト目を向けてくるメイドさんは、しかしなんだか俺が今まで一番欲しかった言葉を当たり前のように言ってくれて。自然と目じりが下がった。

 

「…………そうか。ありがとう」

「あはは、変なお兄さん。……私、近くの喫茶店でアルバイトしてるから、良かったら来てよ。割引券あげるから」

「残念だが受け取ったところでどうしようもないな」

「なんで? この辺の人じゃないの?」

「しばらくこの辺りに滞在する予定だけど……どんなに割り引かれたところで文無しだから」

「うわあ……仕事してないの?」

「気ままな旅ガラスなもので」

「すごい頭してるんだね」

「きみに言われたくはないな!!」

 

 けらけらと笑う少女との縁が、もっと笑えて面倒で楽しいものになることを――この時の俺は知る由もなかった。




主人公
Name:小波・深紅
【ポジション】…投手、外野手
【投打】…右投左打
【打撃フォーム】…ノーマル1
【弾道】…3
【ミート】…13B
【パワー】…150A
【走力】…14A
【肩力】…15A
【守備】…14A
【耐エラー】…14A
【野手特殊能力】…人気者
【投球フォーム】…オーバースロー1
【球速】…155km/h
【コントロール】…150C
【スタミナ】…250A
【変化球】…スライダー2、フォーク2、シュート2
【投手特殊能力】…剛球、人気者


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《ワクワクなえぶりでい》II

安藤小波=8主です。


『あ、正義の味方!!』

 

 夜の公園で呼び止められ、ゆっくり振り返る。

 そこには少し前に路地裏で知り合った一人のプロ野球選手が居た。

 

 名を、安藤小波。プロ野球選手というのは表の顔で、裏ではサイボーグ同盟と戦うCCRのエージェント。――ツッコミどころ満載のその設定に、さらに裏設定まで備わっていることを当時の俺は知る由もなかったが。

 

『……何の用だ? 俺は正義の味方を名乗るには少々至らぬ存在だが』

 

『冗談の通じないヤツだな……。っと友子。こいつがこの前話した正義の味方さんだ』

 

『ど、どうも~』

 

 夜。それも大男の後ろに居たせいか気づかなかったが、影に隠れて一人の少女が居た。茶髪で根が明るそうな、雰囲気の良い少女と言えた。

 俺のことを上から下まで見て随分訝し気な目を向けてくる以外は。

 

『やあ。それで安藤、何の用だ?』

 

『別に何の用ってわけじゃないけど。たまたま通りかかったら知り合いがいたんだ。声も掛けるだろ』

 

『ふむ、そういうものか。覚えておこう』

 

『……お前その口調作ってんの?』

 

『いや、素だが』

 

『そっか……』

 

『変だろうか?』

 

『まあ、ヒーローでも演じてるのかってくらいにはな。少し砕けた話し方を考えてみたらどうだ?』

 

『……お前のような?』

 

 野球帽にユニフォーム。安定の格好をした安藤にそう問い質せば、隣に居た友子という少女がバツが悪そうに頬を掻いた。

 

『安藤くんはちょっと砕けすぎな気もするけど』

 

『あれ、はしごを外された!?』

 

 殺伐とした戦場で、サイボーグの血にまみれて知り合った男が。こうもにぎやかで愉快な世界に生きているのだと思うと、少々眩しくも感じる。

 しかしこれが、少しの季節を共にする安藤小波と森友子との出会いだった。

 

 

 

《ワクワクなえぶりでいII》――頼まれた小さな用事――

 

 

 

 

 

 川のせせらぎが耳に心地いい。

 河川敷がしっかりと整備されているほどには広いこの川は、ブギウギ商店街からこの先ずっと――あの街まで続いている。

 俺が、一組の恋人と共に過ごした――おせっかい野郎と笑顔で罵られたあの街まで。

 

 ふ、と微笑み交じりに吐いた息が、眼前の釣り糸をほのかに揺らした。

 餌もないのに釣れるかどうかは怪しいところだ。魚の餌に用意したキノコは昨日の空腹で平らげてしまったし。

 いやそもそもキノコが魚の餌になるかは分からないが。

 

 昨日、ブギウギ商店街に辿り着いた俺はそのままこの街にしばらく滞在することになった。商店街の会長からは許可も取ったし、俺としてもここに居る口実が出来てありがたい。

 

 それが野球とは……ほとほと縁があるなと思ったが。

 

 さておきだ。

 こうしてこの街に(無料で)滞在できることになった以上、俺にはすることがあった。もちろん野球チームに所属して助っ人として働くのも大事だが、――件の友との約束を果たさねばならない。

 

 水面に小さく魚が跳ねた。

 昔公園で鯉を釣って食べようとしたら、慌てて小波に止められたっけな。

 その時は珍しく小波より友子が俺に気づいて、いつも通りの声の掛け方で後ろから――

 

「よっ、兄さん」

 

 我に返る。水面にぼんやりと映るのは、茶髪の――まさかと思い振り返れば。

 似ても似つかない少女がそこに居た。

 

「どう、なんか釣れてる?」

 

 小首をかしげ、何故なのかは分からないが愉快そうに。

 ふわりと揺れる赤いリボンが可愛らしい。

 俺は小さく、隣に置いてある空っぽの魚籠を一瞥してから答えた。

 

「……ああ、いい河だな」

「でしょー? あたしも、大好きだよ。……あ、あたしは広川武美。商店街で漢方薬売ってるんだ。で、あっちが奈津姫」

「――」

 

 けらけらと。その屈託のない微笑みはどうしてか友子と被る。

 努めて気の無い風を装って彼女の紹介通りに河川敷の方を振り返れば。

 そこには、見知った顔があった。

 

「昨日は、どうも」

「ああ、カンタ君のお母さん。おはようございます」

「おはようございます。……まさか、ご滞在を?」

「……」

 

 確かにテント一つでしばらく居座るのは妙に思われるだろうか。

 ちらりと少女――広川武美と名乗った彼女を振り返る。

 

「ん? なんかあたしの顔についてる?」

「いや。……まあ元々気ままな旅ガラスですから。少し用事があったのと……新しく出来たので、しばらくは」

 

 軽く返事と思いそう口にすると。

 なんだか微妙そうな顔をしたカンタ君のお母さん。

 隣で広川さんは楽しそうに笑っていた。

 

 しまった。昨日のドリルメイドもそうだが、旅ガラスはやめておけば良かったか。

 

「あ、そろそろお店の準備しなきゃ」

 

 と。広川さんは思い出したように手を打った。

 

「あ、そ、そうね。それじゃ失礼します」

「じゃあね、旅ガラスさん」

 

 これ幸いと逃げ出すようにカンタくんのお母さんが去っていく。

 最後まで手を振っていた広川さんはともかく、なんだか分からないがカンタくんのお母さんには物凄く嫌われている気がするぞ……?

 

 ……しかし。と思う。

 

「そうか。彼女が広川武美、か。……小波、友子。お前らとの約束、果たせそうだ」

 

 

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 

 

 あの後、再び会ったカンタくんのお母さんには物凄く説教されてしまった。

 なんでも定職を見つけろとか。カンタくんが俺にそこそこ懐いてくれているので、それが悪影響になるのを嫌ったらしい。

 

 いやそんな心配しなくてもこんな旅ガラスになるようなことはないと思うけど。

 

 職が見つかるかはさておき、少し街を探索しなければならない。

 どっちかというと今日の食を見つけたい。切実に。

 

 ああ、腹減ったなあ。

 

「……ん?」

 

 店長の新作コーヒー無料……?

 

 恐ろしい看板を見つけてしまった。

 ええいこの際コーヒーでも構わないさ。腹が満たされるような気がするだけでも満足だ。

 

 立て看板のちょうど真横にあった喫茶店へと足を踏み入れる。

 からんころんとカウベルのような優しい鈴の音とともに、小洒落た喫茶店の内装が目に入った。なるほど、そこそこの広さはあるし店の中は綺麗だし、……金があったら毎日来たい。う、目から汁が。

 

「いらっしゃいませぇ、ご主人様♡ ……あれ?」

「君は、昨日の」

「おかえりくださいませぇ、ストーカー様♡」

「違う!! 偶然だ!! というか、むしろこんな凄い頭のメイド避けてたまである! ……ってあれ? この店の中だと全然違和感ないな」

「随分言いたい放題言ってくれるじゃないの。それはそうよ、この店の為の格好だもの」

「ってことは、君はここの店員さんなのか」

「はい、ご奉仕させていただきます、ご・しゅ・じ・ん・さ・ま?」

「なんだろう。寒気がした」

 

 少々気が動転した、というかさせられたが、彼女はこの店の店員だったらしい。

 なるほどそれなら納得……いやおかしいだろなんでメイドなんだ。

 

「こちらのお席へどうぞ。――ご注文は?」

「店長の新作コーヒーを」

「……ほかには?」

「え?」

「ほかには?」

「いや、その」

「あちらのお扉へどうぞ?」

「帰すなよ!! ていうかあっちって裏口!?」

「店長室」

「取り調べでもされるんですか!?」

 

 脳内でごーん、と重鐘の音でも鳴ったか、酷く頭痛がするのを抑えつつ。

 ちらりと見れば、彼女はハイライトの消えた瞳で俺を見つめ続けている。

 

「で、ご注文は?」

「……は、ハムサンドを……」

「かしこまりました、ご主人様♡ ――店長、新作コーヒーとハムサンド入りまーす」

 

 これ完全に脅しか何かでは!?

 フリル付きのスカートをひらひらさせて厨房に引っ込んでいく彼女を送る気分はドナドナ。勢いでハムサンドなんか頼んでしまったけれど、金はないぞ!?

 いや、あるけど、あるけどこれは小波から貰った「大事な時に使う金」!

 これが大事な時でいいのか!? いいやよくない、よくない!

 

 ……いや待て、むしろ今という危機を乗り越えなければ、ブギウギビクトリーズを勝利に導くのは難しい、か?

 そう考えればいいのか?

 

「お待たせいたしました、ご主人様♡ 新作コーヒーとハムサンドです♡ ごゆっくりどうぞっ」

「あ、ああ」

「ごゆっくり、ね……」

「こええよ!!」

 

 後ろを通過する時にぼそっと呟かれた言葉。

 本当にちゃんと店員さんなんですよねこの人!?

 

 その後、彼女は他の客の接客でばたばたしていたが、時たま様子を見るように俺に目を配っていた。心配しなくても俺は食い逃げなんかしねえよ……。

 

 にしても困った。

 本当にどうしよう。

 小波、すまん。やはり俺には、お前からもらった金を使うしか方法が――

 

「あれ?」

 

 シンクノムネポケットに入れておいたはずの封筒がない!

 落とした!? 失くした!? 奪われた!?

 

 そういえば今日河川敷のイッヌが俺のテントから何か持っていったような夢を……アレ、ユメジャナーイ!!

 

 嘘だろ……。

 

 頭を抱えてテーブルにへたりこむ。

 すまない小波……お前から名前を貰った男は、こんなにも無様なヤツなんだ。

 ハムサンド、美味かったなあ……最後の晩餐は、人並の食事が出来て良かったと思うべきか……。

 

 

 

 

「ごめん准ちゃん、会計お願い」

「じ~~~♡ ……へ? あ、はーい」

「あのさ………………払うわ」

「え? ああ良いですよ。私が後で建て替えるので」

「……?」

「お金ないの知ってましたし。からかっちゃおっかなーって」

「…………知り合い?」

「昨日、ちょっと助けて貰っただけですよ」

「准……人が悪い」

「なので、大丈夫です」

「………………」

「維織さん?」

「…………なんでもない。これ、お金。…………じゃあね」

「はい、ありがとうございました。……あれ?」

 

 

 

 

 どうしよう。食べたもの戻したら許してくれるだろうか。

 皿洗いとかでどうにかなるか……?

 

「お兄さん」

「はいい! えっと、その!」

「あはは、もう良いよ。お金ないの知ってたし」

 

 へ?

 

 楽しそうに笑う彼女は、悪戯っぽく目じりを下げて……よく分からないことを言った。

 

「昨日自分で言ってたじゃん。お金ないから割引券貰っても仕方ないって」

「ならなんでハムサンド頼ませたんだよ!」

「ハムサンドを頼んだのは貴方だよ」

「ぬぐっ」

「……ていうか、よく無料コーヒーだけ飲みにこようとか考えるなあ」

「仕方ないだろう。金のない人間にとって、無料の二文字は神にも等しい」

「はいはい。……だから、昨日のお礼ってことでいいよ」

「……ま、マジか?」

 

 おお、なんだかドリルメイドさんの背に後光が差して見える……シャンデリアの明かりだけど。

 

「元からそのつもりだったんだけど、貴方があんまりにも面白いからつい」

「ついじゃねえよ!! 心臓はじけるかと思ったんだぞ!」

「財産がはじけるかどうかはこれからする会計次第だけどね」

「俺が悪かったです」

 

 どす黒いオーラを纏って目を逸らすのやめていただけませんか。

 俺が打ちひしがれていると、しかし彼女は呆れたように手を両天秤の如く上げ嘆息した。

 

「とはいえ。結局維織さんが貴方の分まで払っていったんだけどね」

「維織さん? ってさっきの女の人か。なんで?」

「知らないわよ。むしろ知り合いじゃないの?」

「いや、まったく。しかし、次に会ったらお礼を言わなきゃならないな」

 

 命を繋いでくれたようなものだ。

 だが安堵した俺とは裏腹に、ドリルメイドさんは俺から顔を逸らしてぽつりと呟く。

 

「……おもしろくなーい」

「俺はピエロでもなんでもないんだが!?」

「本当なら私がするお礼だったのにさー」

「お礼をする気があるなら俺の心臓を労わってくれ……」

 

 げっそりと俺がそう言うと。

 彼女はしかし、何も言わずにニタリと笑った。

 

 これが、この喫茶店での日常の始まりだった。 



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《ワクワクなえぶりでい》III

『ちょっと相談があるの』

 

 ある日の夜。いつものように公園を根城にしていた俺に、珍しく難しい顔をした友子が声をかけてきた。頼りない街灯に照らされた彼女の表情は寂しそうで、思いつめたようにも見えていて。

 

 ただ事ではないような気がして、俺はベンチから腰を上げた。

 

『ああ、いいのいいの座ってて。……なんか飲み物とか欲しい?』

『……友子が辛い話をしようとするのなら、暖かい飲み物でもあると良い』

『そう、よね。ちょっと待ってて』

 

 この場に小波のヤツが居ない段階で、だいたいのことは察することが出来た。

 傍目に見ても愛し合っている二人。その関係を深く知っているのはきっと俺だけ。

 彼らの本当の姿と、その思い。案外、好き合って向き合っているお互いには見えないものというのがこの世にはあって、互いを想っているのに仲違いしてしまうこともある。

 

 どんな関係であれ、お互いを思うからこそ……疑念や、不安。恐怖というものはきっと襲ってくるものなのだ。

 

 俺は――それを、いつかの部下から教えて貰った。あいつは今をどう生きているだろうか。

 

『……お待たせ。目の前に自販機があって良かったわ』

『目の前にあるのに、俺は一度も使ったことがないがな』

『あはは……』

 

 苦笑いにも、いつものような力がない。「よ! 元気?」と快活に挨拶してくる彼女の方の元気がないとなれば、いよいよもって何かしらの大事かもしれない。

 

 ただの痴話げんかで済めばいいのだろうが、きっとこの二人にそんなことは起こらないだろう。――だって、お互いに傷つけあわないように必死なのだから。

 

『……深紅君は。もう、私が何なのか分かってるのよね?』

『どうしてそう思うんだ?』

 

 席一つ分空けた隣に座った彼女は、手元の紅茶を弄びながら、俯き気味にそう言った。目を向けてみても、こちらに向き直る様子はない。

 茶の髪がゆらりと顔を隠すように垂れ下がっていて、それが余計に哀愁を誘った。

 

『……だって、貴方には私の力が効いてないもの。その上で、こんな茶番に付き合ってくれてる。だから、お話したかった』

『そうか。……ああ、気が付いているよ。友子だけじゃなく、小波のことも。というか、友子が小波に接触した切っ掛けも、あらかたね』

 

 そっか。と呟いた彼女は、しばらくそれきり無言になってしまった。

 言葉を探しているのか、そんな余裕もないほどに落ち込んでしまっているのか。

 

 いずれにせよ、俺に今何かができる状況ではない。だってこれは友子が、小波と共に解決するべき問題だったから。

 

 たとえ彼女がサイボーグで、小波がそれを駆逐するエージェントで。互いの組織がいがみ合っていて――友子が小波の記憶を改ざんしていたとしても。

 

 それでも、俺には――。

 

『私は、怖いの。……今更になって、小波君に拒絶されることが。組織を裏切ることが。……小波君に騙していたことを告白することが』

『……なんだ、安心した』

『へ?』

 

 俺には、愛し合っているようにしか見えなかったから。

 心の、奥底で。

 

『……友子の言う通り、俺は二人の状況を全部――情報屋から受け取っている。ちょっとした縁があってさ。小波が昼間、野球がない時に何をしてるか知ってるか?』

『エージェントとしての仕事じゃなくて?』

『この公園に住んでる女の子の世話してるんだよ。その情報屋と一緒に』

『――知らなかった』

 

 知らなくても無理はない。

 昼間は、お互いに違う世界で生きている二人なんだから。

 

『でも、それが、どうしたの?』

『情報屋も、その女の子も気づいてる。小波の心が、どこにあるのか。親愛はあっても、恋慕はここに無いということを。それは野球でも、ましてやCCRでもない』

 

 CCRと聞いた瞬間に、友子の眉がぴくりと動いた。彼女らサイボーグ同盟にとっては、恐怖の象徴だろう。サイボーグであるというだけで、駆逐する悪魔のような集団だ。

 そして、小波の所属する政府抱えの組織の名でもあるのだから。

 

『――きみだよ、友子。小波は、きみが思っているよりずっと、きみのことを愛している。だから安心した。きみの悩みは、だって全部が。小波と一緒に居たいが故の想いだから』

『――深紅君』

 

 顔を上げた彼女の瞳は、今にも泣きだしそうで――いや、泣いているのだろうか。こぼれる涙など無くても、きっと彼女は今泣いている。

 でも、その表情には、どんなに胸のうちからこみ上げる思いが溢れていようと、元気があった。今までなかった、元気があった。

 

 だから、きっと大丈夫だ。

 

『……ありがとう、深紅君。貴方には、返しきれない恩がいっぱいあるね』

『そんなことはない。俺はお前たち二人から、数えきれないほどの感情を貰ったんだ。このくらいで礼になるなら、むしろこちらからありがとうと言わせてほしい』

『……貴方は、大丈夫よ』

『何が?』

 

 ふ、と口元を緩めて彼女は言った。

 

『貴方はきっと、私たち偽物が憧れた、本物になれるわ』

 

 

 

 

 

 

《ワクワクなえぶりでいIII》――腹減り喫茶店――

 

 

 

 

 

 

「何をしようかな」

 

 権田たちとの練習を終えた俺は、ひとまず河原に戻って一人水浴びをしていた。

 カブトムシみたいな匂いになるわけにはいかないからな。

 男は身だしなみも大切なのだと、声を大にして友子のヤツが言っていた。

 どちらかと言えばあれは小波のヤツに言っていたような気もするが、何か言いたげな視線を俺にも向けていたことから鑑みるに、公園生活のせいで俺にも匂いがついていたのだろう。

 

 権田たちとの練習は日々そこそこ厳しいものがあるが、それでも食らいついていける。毎週の総合練習にさえきちんと顔を出せばいいとは言われているが、それ以外の自主トレも怠るわけにはいかないだろう。

 

 何せ俺は助っ人だ。助けになれない助っ人など、ゴミも同然だ。

 ゴミはゴミらしゅう身の程を知れとか、言われたくない。

 

 一応、今の俺は打順三番で先発ピッチャー。中継ぎと抑えは最近新しく加わったメンツや木川もいるので、終盤はセンターに回ってバッティングに力を入れる方向性で動いている。

 

 そうそう、俺以外にも何人か助っ人が増えたのだ。

 それで少し権田は言いたげだが――かと言って助っ人の俺が何か言うとそれはそれでかどが立つ。とりあえずは、権田キャプテンの元でしっかりと仕事をこなすことだけに専念しよう。

 

 そんなわけで練習に関しては問題ない。

 じゃあ何が問題なのかと言えば……食料事情かな……。

 

 小波からもらった封筒はまだ見つからない。

 イッヌに金を使うなんて発想は無いだろうから、どこかに眠っていると信じたいところだが。クソ、これも昔野良犬を改造しようとした罰だと言うのか。

 

 そんなわけで今日も遠前町をうろついている訳だが――。

 

 ちょうど、ある喫茶店を通り過ぎようとしたところで盛大に腹が鳴った。

 

 はあ……腹が減ったなあ。

 

「むしろこの喫茶店を見ると腹が減るのかな。腹減り喫茶店。……微妙だな」

「お金も持たずに店に入ってくる微妙な客に言われたくないわ」

「うぉ、辛辣」

 

 裏路地でゴミ捨てでもしていたのか、俺の背後にひょっこり現れたのは見覚えのあるドリルメイド。からかい上手のメイドさん。いや上手どころの話じゃねえぞこのメイド。

 

「で、店の前でうろちょろされても迷惑なんだけど――ええっと」

「ん?」

 

 何か困ったように眉根を寄せる。

 彼女は一瞬の思考を挟んでから、スカートの裾をつまんで礼儀正しく頭を下げた。

 

「この店の看板メイドの夏目准でーす♡ よろしくね、ご主人様♡」

「ああ、どうもご丁寧に」

「……で? 貴方の名前は?」

「ただの客にわざわざ名前必要か?」

「ただで食う奴ではあるけど客ではないでしょ」

「おかしいな、客以下みたいな言い方だけどこれ名前聞く流れなんだよな本当に」

「で? お名前をどうぞ?」

「小波深紅。たまたまこの町に用事があって留まってるけど、ただの旅人だよ」

「ただで食う旅人ね」

「それはもう良いだろ!」

 

 まったく。

 くすくす楽しそうに笑う彼女を見るに、厄介払いがしたいというわけではなさそうだが。なんだか玩具にされてないか? 店員が客を玩具にする店ってどうなんだよ。

 

「まあでも、ドリルメイドって呼ばなくて済むから良いか」

「そんな呼び方してたの? ふうん……」

「そのどす黒いオーラ纏うのやめてくれませんか」

 

 ドリルメイド――准は、俺を上から下まで眺めてから。

 そっぽを向いて、まるで独り言のように、しかし普通にでかい声で呟いた。

 

「それにしても……維織さんはこんな男の何が良いんだか」

「聞こえてんだよ! ていうか聞こえるように言ってるよこのメイド!」

「准でいいよ」

「そこは問題じゃないんだよ!!」

 

 はいはい、と聞き流しつつ、准は喫茶店の扉を開く。てくてく入っていって、中からひょっこり顔を出した。

 

「入らないの?」

「……入らせていただきます」

 

 腹も減ったし。

 

 何故か俺はこの店に無料で入れるようになっていた。

 維織さんという女性が、俺の分までお金を払ってくれたらしい。

 幾らになるのか気の遠くなる話だったが……結局彼女は理由を言ってくれはしなかった。なんでも生まれ変わりを信じるかとかなんとか。

 

 そりゃ信じるけれども。それが琴線に触れたのか、それとも別の何かなのか。

 

 ありがたい話ではあるが……俺はひょっとしてこの状況、ヒモじゃないか?

 

 店内に入って席に案内されるよりも先に、准は俺の顔をまじまじと見て。

 

「……貴方じゃ役に立たないか」

「だから目の前で言うなよ! 何がだよ!」

「顔が」

「失礼すぎないか!?」

 

 小波のヤツよりはマシな顔立ちだぞ!?

 

「ほんとに失礼………か…が」

「怒らないからはっきり言え! だが顔って言いたいなら次に会うのは法廷だぞ!?」

「敗訴したら全額貴方持ちになります♡」

「すみませんでした」

 

 なんてヤツだ。

 

「……で、なんだよ」

「ちょっと付き合ってよダーリン」

「は?」

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 なんでもここ最近、彼女は客から過剰な好意を受けてしまい応対に四苦八苦しているのだとか。

 

 確かにビジュアルは良いが……そんなに人気になるような良い店員かと言われると首を傾げるぞ? と思っていたのもつかの間。ヤツの接客態度を見ているだけで、おおよその事情に納得がいった。

 

「はい! 私、精一杯ご奉仕させていただきますね♡」

「准ちゃん……俺はきみを愛している!」

「ご主人様……でも、私は籠の鳥……」

「もしこの店がきみを縛るというのなら! 俺がきみを解き放ってみせるから!」

「ご主人様……困ります……♡」

 

 ……悪魔かよ。

 俺の知ってる准とは明らかに違う、いかがわしい店に居てもおかしくないカワイイメイドサンがそこに居た。

 

 え、ちょっと待って。

 安請け合いしちゃったけど、俺今から"あの"准の彼氏役しなきゃいけないの?

 

 ぎゅるん、と振り向いた彼女の瞳がきらんと光る。獲物を捕捉した肉食獣のような動きで俺のテーブルにまでやってきた彼女はそのまま、

 

「ごめんねー♡ 待たせちゃった、ダーリン?」

 

 ……待て待て待て待てこの店の男性客が全員殺し屋みたいな顔で俺を見てるぞ!?

 目で合図しても全く意に介さない彼女は、にこにこしながらトレイの上にあった……なんだこれ!?

 

「私、ダーリンの為にサンドイッチ作ったの♡ 食べてくれるよね?」

「ちょっと待て。お前これパンがマスタードに挟まっているようにしか」

「やーん、私ったら手料理を美味しく食べて貰えるなんて、幸せ者だね……♡」

「……嘘だろ」

 

(そして・・・)

 

 

「あ、目が覚めた?」

「……口の中がひりひりする」

「空腹に劇物食べたりしたらダメだよ?」

「食べさせたのはお前だろ!?」

 

 目が覚めると、シャンデリアの眩しい明かりが目に飛び込んできた。

 ついで、ひょっこり視界に入って来るメイド悪魔。

 

 相変わらずの上機嫌だが、本当にもう勘弁してほしい。

 いつまでも寝転がっているわけにはいかないので、上体を起こす。

 ……ところで今まで俺は床に寝ていたのか? それにしては枕が柔らかかったような。

 

「まさか本当に食べるなんて思わなかったんだよ」

「あの空気で准を拒絶しようものなら、周りのヒットマンたちが何をするか分からなかっただろうが……」

「何をするかはだいたい分かるよ?」

「俺が八つ裂きにされるな!」

 

 立ち上がり、裾を払う准が楽しげにそう言った。

 

「でも、ありがと。ちょうど今日、"そういうお客様"が多い日だったから、一網打尽だったんだ」

「一網打尽にされるのは俺の方じゃないかこれ……」

「今のうちに安息の眠りについておく?」

「俺は安らかに生きたいんだよ!!」

 

 周囲を見れば、既に店の外は真っ暗で。客もいないことから、閉店時間を回っていることが予想される。ちょっと待って、俺ここでずっと寝てたの? 店のど真ん中で?

 

「ところで小波さん、おなかすいたでしょ?」

 

 小波さん、と呼ばれると微妙に違和感があるが、まあそこはそれ。

 苗字にあいつの名を貰ったのは、嬉しいことだ。

 

「痛みと空腹で胃がダブルパンチだよ……」

「ご飯作ってあげようか?」

「遠慮しておきます!」

 

 そんないい笑顔で言われて喜ぶバカが居るとでも!

 

「そういうと思って、こちら」

「……ん? 言われてみればなんかいい匂いが」

 

 近くのテーブル……というか本来俺が今日座っていたテーブルに、パスタ皿が用意されていた。湯気が出ているところを見ると、作ってからそんなに時間は経っていないらしい。

 

 腹が鳴った。

 

「……お腹すいてるじゃない」

「かといって劇物を摂取したいわけではないぞ!」

「大丈夫。誰も見てないから」

「どういうことだよ……」

 

 立ち上がり、テーブルを見下ろせばそこには、美味しそうな和風パスタが待っていた。胃に優しそうなソースと、大葉としめじで拵えられたそれ。

 とてもではないが、マスタードサンドと同一人物が作ったとは思えない。

 

「……お前が作ったのか?」

「そうだよ?」

「……何が隠されてるんだ」

「何も隠してないよ。しいて言うなら、隠し味?」

「隠してるじゃねえか!! 何を入れたんだ!」

「愛情をたっぷり込めさせていただきました♡」

「……愛情という名の何が入ってるんだ」

 

 香りは空腹をそそる最高のもの。

 准はいきいきと相変わらず俺を見守る姿勢だし……。どうする?

 

→A:食べる

 B:食べない

 

 ええい、ままよ!

 

「……あれ?」

「お味はいかがですか、ご主人様♡」

「いや、俺の味覚がマスタードでやられてるのか?」

「お味はいかがですか?」

「……美味しい。さては俺の舌に細工を」

「それ以上言ったら口をトレイで塞ぐよ?」

「ヒキサカレル!!」

 

 しかし本当に美味しい。

 隠し味があるというのがそもそも冗談というか、からかいのネタになっていたに違いないほどには。……それともまさか、金をとられるのか? 小波いい! 金を貸してくれええ!

 

「お礼だよ」

「何が?」

「ほら、結局維織さんがこの前の分は出してくれたし、ちゃんとお返しできなかったから。この前はありがと」

「……素直じゃないヤツだな」

「今度は頭からトレイが生えると思ってね?」

「ツキササル!?」

 



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《ワクワクなえぶりでい》IV

『CCRの情報が、どうやら俺から漏れているらしいんだ』

 

 ある夜。とある公園で。頭を抱えたプロ野球選手の隣に、俺は居た。

 プロ野球選手の口から"情報漏洩"なんて話が飛び出すあたり普通じゃないが、その通りこの男――安藤小波は普通じゃない。

 プロ野球チームに入ってスパイ活動なんて、普通なら誰も想像しない。

 

 その昔、普通普通と小うるさい奴もいたが……それはそれとして。

 この安藤小波と俺は、数か月ほど行動を共にする仲だ。

 俺は正義の味方を模索する中。こいつは、己の正義を全うする中。

 

 悩ましい表情を隠そうともせず俺に相談する小波に、極めて軽く笑いを返す。

 

『……その割に、俺のことは全く疑わないんだな? 意外かもしれないが、俺は怪しい自覚があるぞ?』

 

『逆に怪しすぎるんだよお前は!! ……お前は、正義の味方だろ? 何度もサイボーグ相手に共闘したじゃないか。そんなヤツを今更疑うほど馬鹿じゃない』

 

 かぶりを振った小波はひどく疲れているように見えた。

 俺を買ってくれるのは嬉しいし、もちろんこいつの情報を敵組織に流すなどという悪をはたらいたことはない。だが――そうなると、こいつが疑いを向けている相手に、俺だって心当たりがあるわけで。

 

『……ってことは、お前』

 

『……』

 

『……そうか』

 

 ――見ていて、とても微笑ましい仲だった。

 こんなごついナリをして、妙に初心なところのある小波と。それをからかいながらも、愛おしげに歩調を合わせる少女。

 

 その光景が嘘だったなどと。俺は信じていない。

 

『……なあ。俺はどうしたら良いと思う?』

 

『隊長さんには何て言ったんだよ』

 

『俺に任せてくれと言った。……ただ、隊長のあの目は。たぶん、お前に相談することも見抜いているに違いない』

 

『そうか』

 

『……頼むよ。――深紅! 俺は、俺はどうしたらいい。教えてくれよ正義の味方!! 俺は正義にのっとって今まで頑張ってきた! それが、俺の幸せも全部持っていってしまうのなら!! 俺はどうしたらいい!!』

 

 縋るように地面に両膝をつき、俺の膝を握って揺るがす真摯な瞳。

 ――ああ、友子。安心していいさ。

 お前が好きになってしまったと言っていた"敵対組織のアンドロイド"は、やっぱり間違いなくお前を愛している。

 

『――お前ら、二人でどこかに行くといい』

 

『……深紅。ちょっと待て、それがどういうことか』

 

『友子は間違いなくお前を愛している。今、己の正義に揺らいでいる。たとえお前も不安定だったとして、二人寄り添えばきっと大丈夫さ』

 

『深紅! そうなったらCCRは! サイボーグ同盟は!』

 

『それを何とかするのが、正義の味方の仕事だろう?』

 

 力を失った両手が、掴んでいた俺の膝からするりと落ちる。

 今にも泣きだしそうなその瞳は、ごつい野郎とはあまりに似つかわしくなくて笑いがこみあげてしまうくらい純粋だった。

 

『……なに笑ってんだよ深紅。ふざけんなよ。お前ひとりに全部を任せて消えられるかよ。だいたい、お前は別に俺より強いってわけじゃないんだから』

 

『分かってるさ。本気でやり合えば、お前の方が俺より強い。けどそんなことは関係ない。俺はお前と友子に大切なものを貰った。今度は俺の番だよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

《ワクワクなえぶりでいIV》――ロマンだねぇ――

 

 

 

 

 

 

 

 

「プロ野球のホッパーズ、今年頑張ってるね。……もう、解散するみたいだけど」

 

 翌日、今日は練習日ではなかったので、せっかくだからと商店街をぶらついていた。

 軽く木川と権田に挨拶して、それから助っ人で入った寺門という拳法家と軽く話をして。そろそろお昼かなといったところで、通りかかった漢方屋から出てきた少女とばったり。

 

 この街の案内を買って出てくれた彼女に従いあれこれ店を教えて貰っていたのだが、ものの数分で飽きたらしく。雑談をしながら、どこかでお茶でもという話に落ち着いていた。

 

 商店街の中の飲食店に関しては俺も殆ど詳しくない。しいて言うなら准と維織さんのいる喫茶店くらいのものだ。だって、お金ないし。

 そんな俺の懐事情を分かってかどうかは知らないが、彼女――広川さんは会話交じりにきょろきょろと周囲を見渡していた。

 

 話題は野球。俺が助っ人で入っていることを知っていて、何気にそこそこルールにも詳しい彼女は、プロ野球観戦もちょくちょくするとのことだった。

 

「そうは、ならないさ」

「なんで?」

「……俺の友達がいるからな」

 

 今年が最後。小波と友子は、今年のシーズンが終わったらあの街を去ると決めていた。だから、小波は全力で優勝を取りに行くに違いない。

 あいつの本気は、どんな奴にも負けはしない。

 

 広川さんは俺の言葉に驚いたらしく目を丸くして、それから柔らかく微笑んだ。

 

「それは良いねぇ、ロマンだねえ。ちなみに誰なの?」

「安藤小波。この街に来る前は、そいつの世話になってた」

「うわー、去年の最多勝利投手じゃん! なんでなんで? 小波繋がり?」

「……むしろあいつの名前を――いや、この話はやめよう。面倒なだけだし」

「ふぅん? でも、いいねえ。友達の繋がり。信じる心。そして、応える投手……ロマンがあって好きだよ、あたしは」

 

 俺の話で上機嫌になってくれるなら嬉しいものだ。

 

 ――広川武美。

 赤いリボンが印象的な彼女の正体を、俺は知っている。

 製造コード:モバイルレディ。サイボーグとして大神に作られたガイノイドであり、拷問すら生ぬるい実験場から逃げ出してきた被検体。――友子と、共に。

 

 俺がその事実を知っていることを彼女は知らないし、明るく振る舞う様からは過去と決別出来たであろうことが伝わってくる。

 

 けれど、この少女の苦難はきっとまだ終わっていない。

 その苦難から、救ってくれと。

 

 俺は、友子と小波に託されたのだ。

 

 それが、俺がブギウギ商店街へ旅してきた理由。旅の目的をこの遠前町にした理由。

 

「……ところで小波さん――っていうと、ちょっとややこしいね。安藤小波選手の話し辛くなるし、深紅さんでいい?」

「ああ。で、どうした?」

「深紅さんってさ、なんでこの街に来たの?」

「ていうと?」

「この前話した時、意味ありげーな感じだったじゃん。ほら、なっちゃんに滞在するのかって聞かれたアレ」

「ああ……」

 

 彼女の顔をちらりと見る。

 きょとんと小首をかしげる彼女は、まさか自分のことだとは思っていないらしい。

 そのあたりを、平和ボケしたとみるか、生を謳歌出来ていると取るかは人それぞれだが……俺はその在り方を美しいと思った。

 

 彼女は本来、追われて殺されてもおかしくない存在だ。

 そんな彼女が、今なにげない日常を楽しく過ごせている。こんな光景を作れたのが、彼女の平和を獲得できたのが、友子の力だとすれば……きっと、友子は俺なんかよりずっと正義の味方をやれている。

 

 何気ない感傷に少々緩んだ口元を隠しつつ、少し考える。

 

 この段階で、全てを明かすべきかどうかを。

 彼女に言うことは、別にそう難しいことではない。隠せと言われているわけでもないし、デメリットが生じるわけでもないのだから。

 

 けれど世の中、そういう損得の天秤だけでは上手くいかないことを俺は知った。

 

 今、平和の中に居る広川さんが何を想い、どう暮らしているのかを知らないこのタイミングで、広川さんに現実を突きつける……いや、過去を無理やり振り向かせることが果たして正しいのかどうか。

 

「なあ、広川さん。今度少し話に付き合ってくれないか?」

「ん? 今じゃダメなの?」

「ダメなわけではないけど。もう少し、俺は広川さんのことを知りたい」

「おっとぉ~? なんだなんだ口説き文句か~?」

 

 しらーっとした目で俺を見て、彼女は挑発するように拳でワンツーを放った。

 ぽて、ぽて、と俺の腹部に当たる拳は痛くもかゆくもない。

 

「じゃあさ」

 

 小さく指を立てて、広川さんは言う。

 

「あたしにも、深紅さんのことを教えてよ。風来坊の旅路、なんてロマンの塊はあたしにとっては大好物だからね! それと――」

「それと?」

「――口説き文句なら、せめてちゃんと呼び名を考えることだよ。広川さん、なんて他人行儀じゃダメダメ。武美と呼びなさい」

「……それは、いつでもどこでも?」

「当然」

 

 ふんす、と胸を張ると、思ったより彼女のスタイルは官能的で思わず俺は目を逸らした。

 何やってんだ俺……。

 

「分かった。宜しく、武美。ただ――」

 

 口説いてるつもりはない、と続けようとして。

 見知った人間が視界の端に入ってきて、俺は思わず口を閉ざした。

 

 間違えようはずもないあの派手な髪型と、セットで相変わらず派手な服装。

 ドリルメイドの貫禄ここにありといった風体の彼女が――ただ歩いているだけなら良かったが。

 

 明らかに困り果てた表情で、しかもあんな走りづらそうな格好で息を切らせて駆けていたら流石に放ってはおけなかった。

 

「ちょっとすまん、武美。用事が出来た」

「ええ!? あ、うん、ばいばい?」

 

 風来坊は自由だなあ、と呟きが背に聞こえた気がしたので、今度会ったら彼女に誠心誠意謝ることを誓う。それはそれとしてドリルメイドを追って走ると、もう一人走っている男の影が目に入った。

 

 体格の良い……いまいち覚えのない見た目ではあるが。

 おそらく准を追っているであろうことは把握した。

 

 とりあえず脚力をフルに活用して先回り。直前に広川さん――武美に商店街の案内をして貰ったのが効いた。

 

「准!」

「きゃ!?」

 

 声をかけると、びくっとして振り向いた――表情は若干青ざめており、やはりただ事ではなさそうだ。俺と見るや目に涙をためて頬を紅潮させて、

 

「こんな時に脅かさないでよ!」

「って言ってる場合ですらないんだろ」

 

 彼女の肩を抱き込んで目の前にあった店――ブティックに入る。

 いらっしゃいませ、と声が聞こえたところで軽く会釈して周囲を確認。通りに面した部分が全てガラス張りで、外から見つかりやすいので仕方ない。

 

「しばらくこれ被ってろ」

「ちょ、ちょっと小波さん!?」

「いいから」

 

 付けていた外套とテンガロンハットを彼女に被せる。

 メイド服も髪も目立つような女が逃げたところで、体力勝負に勝ちでもしない限り御用だろう。となれば、それを隠すのが最優先だ。

 

「……ありがと」

「事情はよく分からないが、准があんな顔するなんてよっぽどだろ」

「忘れてよ――ひぅっ!?」

 

 もう一度店の扉が開いたことに気が付いた准が息をのむ。

 彼女を隅に追いやり、俺は敢えて店の中に出た。ユニフォーム姿でブティックとか我ながら間抜けな気もするが、俺にはこれしか服がないのだから仕方がない。

 

「おい、お前!」

「ん?」

 

 片眉を挙げて振り向けば、そこには汗だくの男が一人立っていた。

 俺もそうだが、こいつもブティックには似つかわしくない格好だな。

 

「じゅ、准ちゃんをどこへやった!」

「知らないな。そもそも、なんで俺がその准を知ってるんだ」

「ごまかすなよ! お前、ダーリンとか呼ばれて、クソ……准ちゃんはおれのものだ!」

 

 これひょっとして俺のせいか……?

 いや、彼氏役をやらせた准か。まあ、何でもいい。

 女に夢見すぎるとこうなってしまう良い見本だ。

 

「あいつは誰のものでもないだろ。ていうか、お前さん誰だよ」

「おれは毎日あの店に通ってるんだ! 准ちゃんに会うために! お前みたいに、ポッと出の、たまにしかこないヤツとは違う!」

 

 ポっと出、か。確かに、言い得て妙というべきか。

 俺は間違いなくポっと出の存在ではあるだろう。しがない風来坊だ。

 だが、一緒に居た時間が必ず人を結ぶなら、世の中は決してこんな風にはなっていない。

 一緒に居た人間を理解し合い、寄り添おうと思って初めて、人は一人じゃなくなるんだ。

 

「知らないな」

「だからなんだ! お前には関係ない!」

「知らないって言ったんだよ。俺は准のことを知ってるが、お前のことは知らない。准がお前のものだというのなら、准を知ってる俺がお前のことを知らないのはおかしいだろ」

 

 なにを! と拳を構える男。なるほど、力に訴えようとできるだけの度胸はあるのか。……逆に言えば、そういうヤツだから准が逃げざるを得なかったのかもしれないが。

 

 ……どのみち、変わらない。

 

「あいつにはあいつの生活がある。あの店があいつの全てじゃない。お前が今ここに居るように、あいつにも店以外の行き場がある。実家もあるだろうし、お前の知らない友達だっているだろ。将来の夢だってあるかもしれない。違うかよ」

「そ、それでもおれをご主人様だと慕って、あんなに可愛い笑顔を、おれにだけは!」

「……そのあたり、あいつも反省するべきなんだろうなあ。――とにかくだ。お前みたいに、人の人生を私物化して干渉しようなんてヤツは、誰にも認めて貰えないよ」

「こ、この!! ふざけやがって!!」

 

 振りかぶった拳。なるほど速い。人を殴ることへの忌避が感じられない拳だ。

 横合いから掴んで絡めてねじって落とす。

 ……速いが、軽いんだよ。お前みたいな、安い人間の拳は。

 

「残念だが、俺に勝てるのは小波のヤツくらいのもんだ。……これで分かっただろ。金輪際、准に近づくな」

「そ、そんな……准ちゃん……! おれは……!」

「人を人として認めることが出来た頃に、プロポーズなりなんなりすればいい。人と人の愛情は、一方通行じゃ成り立たない。……両想いだったとしても、乗り越えなきゃいけないものがたくさんあったりするんだ。一から学んでこいよ」

 

 手を放す。

 つんのめったようにバランスを崩した男は、そのまま慌ててブティックを出ていった。

 

 ……しかし、これはお店に迷惑をかけたなあ。客が居なかったのは幸いだったけど。

 

「……小波さん」

「てい」

「あいた!」

 

 とりあえず准に一発デコピンする。本気でやったら意識が飛びかねないので、軽く。

 

「……ああいうヤツも出てくるから、勘違いさせすぎるなよ」

「うん……」

 

 俺の帽子を両手で持った彼女は、落ち込んだように二房の髪を垂れさせていた。

 

 ああいう手合いは稀だとは思うが、それでも男っていうのは俺も含めて騙されやすいものであるわけで。

 そのあたりの匙加減は、ミスすると大惨事を引き起こすはずだ。

 

「さてと。准はこのあと喫茶店か?」

「そうだけど。……小波さん、ありがと」

「その感謝は、是非とも俺を虐めないことで見せて欲しい」

 

 頼むから。

 

 俺の心中と、吐いた言葉に対する返事はなかった。

 准はブティックの中をぐるりと見渡して、呟く。

 

「……私さ。デザイナーになりたいんだよ」

「そのためにバイトしてるのか?」

「そのためというか。でも、そうだよ。……小波さんがさっき言ってたこと、色々聞こえたんだけど。……なんというか、維織さんが貴方を気に入ったのも分かる気がする」

「お、おう。そんな風に准に言われるとなんか怖いな」

「私にも、というか。色んな人にちゃんと人生があるんだってこと……あまり考えたことなかったけど。私のこともそうやってちゃんと考えてくれてたんだ、小波さんって」

「准に限らず、人がどんな経緯で生きてるのかなんて千差万別だ。もしかしたら、俺は変身ヒーローかもしれないし」

「あはは、なにそれ」

 

 冗談めかして言ったことを、准は楽しそうに笑って受け止める。

 どうやら恐怖は拭えたみたいだが、それでも彼女の手は若干震えているように見えた。

 

「でも、確かに。似合うね、正義の味方」

「……ありがとう」

「え?」

「いや、何でもない。デザイナーの夢、応援してるよ」

「うん。こう言うとアレだけど、なんか一層頑張れる気がしてきたよ。……そうだ」

 

 ぽん、と准は手を打って。

 

「お店にも迷惑かけちゃったし、私が小波さんに似合いそうな服を一着買ってあげるよ」

「いや、遠慮しておく」

「なんで?」

「服を買うなんてお金がもったいない」

「……貴方って人は。デザイナーの夢、応援してくれるんだよね? ――なら、モデルくらいにはなってよ。よ、男前!」

「散々顔を馬鹿にされた記憶しかないけどな!」

 

 このころには准はいつもと変わらぬ雰囲気に戻っていて――いや、むしろ普段よりもずっと楽しそうで。俺の服をあれでもないこれでもないと選びながら、最終的に一つくれたものがあった。

 

「んー、申し訳ないけど、私が本気で貴方に似合うものを選んでいたら、服じゃなくなっちゃった」

「……これを?」

「そ、かっこいいよ」

 

 彼女が買ったのは、黄色いストールだった。マフラーというには生地が薄いそれは、季節を問わずに使えそうで。

 

「ありがとう、貰っておく」

 

 そして、なんだか妙に懐かしいものだった。

 




准との出会いが商店街であり、その上で一日ダーリンイベントをこなし、直後に商店街をうろつくと発生するイベント。

ちなみに強さが8主>9主なのは公式設定。というか、この二人が歴代主人公でワンツーフィニッシュ。未来人の6主や魔人込みの11主でもこの二人には勝てないらしい。
8主はともかく、9主はいったい何者なんだ……(棒)





Name:安藤・小波(8主。昨年、ホッパーズにて最多勝利)
【ポジション】…投手
【投打】…左投左打
【打撃フォーム】…ノーマル2
【弾道】…3
【ミート】…7E
【パワー】…0G
【走力】…10C
【肩力】…15A
【守備】…15A
【耐エラー】…15A
【投球フォーム】…スリークォーター2
【球速】…145km/h
【コントロール】…220A
【スタミナ】…280A
【変化球】…ツーシーム、カットボール4、ドロップカーブ5、SFF2、スクリュー7
【投手特殊能力】…キレ〇、リリース〇、逃げ球、ノビ〇、テンポ〇、重い球、対左打者〇(深紅とやり合って身に付いた)


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《ワクワクなえぶりでい》V

 その日、CCRの隊長である灰原は任務のために繁華街の雑居ビルに突入していた。

 サイボーグ同盟の抱える拠点の一つであり、今まさに彼らの動きがあらんと言った状況。ここを潰さねば今後に支障をきたすと考えた彼はいち早く現場に急行し、瞬く間にこれを鎮圧。殆どのサイボーグを破壊し、刀を振るって一息。

 

 ちょうど部下からの通信が入り、脱走しかけたサイボーグを捕縛したとの連絡。

 

 これでこの仕事は終わりだと、雑居ビルを後にしようと踵を返したその時だった。

 

 ぱちん、と一気につり下がっていた蛍光灯の電気が落ちる。

 驚くもCCRは精鋭、警戒態勢を万全に周囲を窺う。

 

 当然それは灰原も例外ではなく、いやむしろ誰よりも鋭敏に感覚を研ぎ澄ませ――怪しい気配の方向を察知し、刀を振るった。ソニックブームのように放たれた空飛ぶ気刃は勢いよくその方向の壁を砕き、奥の砂塵に紛れて何者かのシルエットが浮かび上がる。

 

『何者だ』

 

『広い銀河の地球の星に、ピンチになったら現れる! ――イキでクールなナイスガイ!! 深紅参上!』

 

 とう!

 灰原を中心とした精鋭たちの中心に飛び込んできたその男に、灰原は見覚えがあった。いつぞやに、安藤小波と共闘していた"正義"を名乗る珍客。

 

 初めて会った時と風貌はだいぶ変わっているが、それでも灰原にはその男の気配、独特の強者の香りをはっきりと感じ取ることが出来ていた。

 

『……何故、俺に接触してきた』

『ここで言っていいのか? ――リーダーさん』

 

 リーダー。

 自分の役職が隊長であり、それ以上でもそれ以下でもないことを知っているはずのこの男が、わざわざそう呼んだことで灰原は何かを察する。

 そういうことであれば、是非はない。灰原は抜き身の刀をゆっくりと挙げ――。

 

『撤収だ。こいつとは俺が話を付ける』

『はっ!』

 

 そう、彼らに合図した。

 流石は精鋭部隊。隊長の意見に何一つ意見を感じさせず、統率された動きでこの場をあとにする。その群れなした背中を、深紅はぼんやりと見送って、改めて灰原に向き直った。

 

『安心しろ。俺が知っていることの殆どを、あいつは知らない』

『……信用できんな。お前が何を考えているか知らないが、俺の方針は既に安藤小波を処分することで決定していると言っても過言ではない』

『そう。その取引をしに来た』

『なに?』

 

 刀の切っ先を深紅に向けたまま、灰原はサングラス越しの瞳を眇める。

 深紅は特に得物を持っているようには見えないが、それでも得たいの知れない男には違いない。睨みあうは刹那、その緊張感などまるで気にしていないような、気の抜けた声を深紅は放る。

 

『安藤小波は強いぞ? 俺とあいつが一緒に動けば、だいたいのことは事足りる。……それをしない代わりに、あいつをただのプロ野球選手にしてやれ』

『……お前はどこまで知っている』

『CCRの行っていることが、正義とは掛け離れた"処分"であること。お前たちの出生。大本の組織。そして、CCRの創設された目的と――お前の立場』

『そうか』

 

 金属音をさせて、刀の切っ先が床に落ちる。

 

『つまり、俺はお前が何者かを問うのではなく』

 

 ちりちりと火花が舞う。刀の切っ先が地面を擦り、焼き切るような勢いで振るわれる。

 

『不穏分子として処分したほうが速い』

『そう言うなよ、灰原!』

 

 三方向から飛ぶソニックブーム。動きを阻害しつつ正面から突っ込んでくる灰原。

 刃を紙一重で回避しつつ、深紅は地面を蹴った。

 

『俺にはお前を殺す理由はあまり無いんだ。小波のヤツが生を謳歌出来ればそれでいい』

『その安藤小波の正体すらも知っていて、貴様はそう言うのか』

『言うさ』

『あいつも、俺も、同じ戦闘用アンドロイド! それが、生を謳歌するなど笑わせる!』

『――笑えよ、灰原。笑えるなら、お前だって人間だ』

『調子に乗るなよ、ヒーロー気取りが!』

 

 剣閃が嵐のように襲い掛かる。

 それをステップで回避しつつ、深紅は素手に宿らせた光弾を放って相殺していく。

 しびれを切らした灰原が駆けると同時、深紅は少々渋面を作って飛びのいた。

 

 迷わず灰原は距離を詰めた。その勢いに押され、たまらず深紅はすぐに足場を作って刀と拳で打ち合い踏みとどまる。衝撃ではじけた雑居ビルの窓ガラスと、ボロボロと零れ落ちてきた天井。しかしそんな周囲などまるで意識せず、二人の男はぶつかり合う。

 

『俺は、諦めたことがある。人間とは何か、正義とは何か、善とは、悪とは。分からなくなって、想いをぶつけて、答えを得た。人間の輝きは、きっと俺では届かないところにあった足掻きと情熱の結晶なのだと』

 

『薄々感付いてはいたが、貴様もただの人間ではないな』

 

『だが、そんなものは関係ない! 俺に人間の愛と希望と、優しさと情熱と想いと夢を教えてくれたのは!! ただの人間ではないからだ!! 連れ添う二人の互いを想いあう心こそが人の命の輝きであると! 人を想いやり、笑いあい、共に泣けるその感性こそが人であると! 誰かのためにと思える心があれば、それは既に人間だ!!』

 

『綺麗事を並べるだけが正義の味方とは恐れいった! ならばその幻想もろとも、お前の未練を断ち切ってやる! お前には、いいや、俺たちにはそんなものは必要ない!』

 

『灰原!! 何故分かってやれない! お前の部下は人と愛を育める人間だ!』

 

『たとえその能力があったとしても、その根本はアンドロイド! 戦いを使命とし、本能とし、それだけを求められて作られた道具だ! 道具が道具の在り方を放棄して、そこに何の価値がある!』

 

『生まれた時は誰しも子供だ! 子供が大人へ変わっていくことに何の不思議がある!』

 

『それは詭弁だ、深紅!! CCRにあって、人としての成長など必要ない!』

 

『何故理解を拒む、灰原! お前は憧れたことが無いのか、人の命の輝きに!!』

 

『黙れ、俺たちには無意味な渇望と知れ、我々にそんなものは不要だ!』

 

 ぶつかり合う刀と拳。剣閃と光弾。幾度となく崩れ揺れるこの雑居ビルは、まるで荒廃した世界の遺物のようにむき出しの鉄骨と崩落したコンクリートで彩られていく。

 

 深紅の想いは、己の人生の軌跡そのものであった。

 灰原の咆哮は、そんな未来を自ら拒んだ嫌悪の衝動であった。

 

 その二つがぶつかり合い、捩じれ、引き裂かれていく。

 

 ざく、と鈍い音が鳴り響いた。深紅の肩に突き刺さる灰原の刀。そして、刺し違えるように深紅の放った光弾が灰原のふくらはぎを打ち抜いた。

 

『……灰、原ぁ……!!』

『深紅ッ……!!』

 

 戦いが進むにつれ、周囲の建造物が壊しつくされるにつれ。

 壊れたものばかりなら、新たに壊れるものが減るように。深紅と灰原の戦いも、勢いを弱めていた。互いに倒し尽くす勢いでぶつかり合えば、疲労が積み重なってガス欠となるのも当然のこと。

 

 満身創痍となった二人の男は、しかし戦意だけを滾らせて互いを睨んでいた。

 肩を抑え、よろけながらも。

 足を抑え、膝つきながらも。

 

『……俺は、この一件が終わったらこの街を出るつもりでいた』

『なに……?』

『お前に条件を飲ませられれば、俺の存在はお前に銃口を突き付けているも同じだろう? そしてもし灰原がこの話を蹴れば、どのみち俺は追われる身だ。火の粉を被りにこの街で過ごすほど馬鹿じゃない』

『……甘い男だ。そのあたりは安藤とよく似ている』

『正義を……探しているからな』

『無駄だ。正義など、それこそ人によって千差万別。貴様の一存で決められるなら、そもそもこの世に悪など無い』

『ああ、それは痛いほど……知ったよ』

『深紅。貴様は何をもって、安藤小波を庇った。それこそ貴様が最初に言っていたように、貴様と安藤で組んでCCRに歯向かうくらいすれば良かっただろう』

『そんなの、決まってる。あいつには、野球選手で居て欲しいからだ』

『――』

 

 何を言っているんだ。と灰原の目が丸くなる。戦意すら一瞬霞むほどに。

 

『言っただろうが。あいつがどんな出生であれ、どんな仕事をしているヤツであれ。俺を付き合わせて投球練習に興じた姿も、チームメイトと楽しく酒を飲む姿も、……大事な人と、連れ添う姿も。戦闘用アンドロイドなんかじゃない、夢を勝ち取る人間だったんだ。仲間と一緒に野球をするのが、誰かと共に生きるために頑張るのが、あいつの今一番大事なことだからだ』

『……つくづく、甘いな、ヒーロー』

『気取りが外れたな。むしろ賞賛されている気分だ』

 

 片眉を上げて挑発げに笑う深紅は、灰原と戦うために再度構える。

 その、瞬間だった。

 

 ぐらぐらぐら、と大地震もかくやという地響きと揺れ。次の瞬間には天井も外壁も大破し、とうとう歯抜けのジェンガが崩れるようにビル全体が傾いていく。

 

『ちっ、ここはちょうど中層だったなッ……!』

 

 14階建てのビルの、8階。そこが彼らの戦っていた場所。

 そこそこ平米も広いビルではあったが、あまりに自由に戦い過ぎた。

 

『灰原ッ!!』

『ふざけるなよ』

 

 灰原を抱えて脱出しようとした深紅を、ソニックブームを放つことで灰原は牽制する。その意味を取り違えた深紅は渋面を浮かべて両手を上げ、今は戦意がないことを示すも、灰原は嗤う。

 

『甘い奴だ。――貴様の手を借りようなどと、思う訳がないだろう』

『そんなこと言ってる場合かよ!』

 

 灰原は足のせいで動きが鈍い。肩が刀傷で痛むとはいえ、ソニックブームを回避して肉薄するくらいは造作もなかった。灰原に近づき、強引にでもその肩を、と思ったその時。

 

『お断りだ、ヒーロー。そうだな、こう言ってやろう。"嫌だ"』

 

 感情を表に出すような、歪めた口元で放たれたその言葉。

 驚いた深紅が何をするよりも先に、放たれたソニックブームが深紅の腹部を強打する。そのまま割れた窓ガラスの方角へ飛ばされ、宙を舞った深紅に戻るすべはない。

 

 滑空は出来るかもしれない。だが飛ぶことはできない。

 

 深紅が手を伸ばすよりも先に、灰原の居た8階は押しつぶされた。

 

 

『灰原あああああああああああああああああああああああ!!』

 

 叫び、落ちる。落ちる。

 

 ああ、何が"嫌だ"だ。

 

 

『お前も立派に人間じゃねえか、灰原』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ワクワクなえぶりでい》V――信じて貰えないかもしれないけれど――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 狂犬ドッグスとの練習試合を午前中に終えた俺は、キャプテンの権田と共にあれこれと協議を交わしていた。

 

 俺の成績は、投手としては7回を投げて12奪三振、被安打は2、自責点はなし。

 打撃は五打数あって四安打。打点は三点、ホームランも一本打った。

 そこそこ調子を取り戻してきて一人頷いていた。

 

 木製バットはやはりまだ慣れないが、試合勘は全盛期の頃に戻りつつある。

 

「小波が大活躍なのは有難いんだがよ。……いや、有難いんだ。悪く言いたいわけじゃねえ。けど、俺たち元からいた連中が不甲斐ないのはな」

「権田だって今日は4-2で1打点じゃないか。チームの要をやりながらこの成績を出す難しさを、俺はよく理解しているつもりだ」

「やめろ。お前に励まされると余計に凹む」

 

 はあ、と嘆息する権田には、俺が何を言ってもいまいち効かなさそうだ。

 ……どうしたものか。なんだかこの感じには既視感がある。

 

 かといって俺が手を抜くわけにもいかないし、何が一番いいのか分からない。

 頼りになる人間が居るということもなし。

 

 いつかは、そう。あれだけチームを纏め上げながらも癖のあるメンバーに好かれ、高い壁を乗り越えた奴らが居たが。……やめよう。俺は彼にはなれなかったんだ。

 

「権田、一つだけいいか」

「なんだ?」

「お前を励ましてもこうして冷たくあしらわれることが、俺は辛い」

「……なんだそりゃ。いや、分かってるんだよお前が良い奴だってことは」

 

 瞠目して、ついでげらげらと権田は笑う。けれど、それが元気が出たようには見えなくて、やはり俺は心配になった。どことなく、彼の悩みは分かるような……分からないような気がするから。

 

「俺の昔の知り合いに、悩んでいる仲間を励まして、味方にして、チーム一丸となって甲子園で優勝するようなヤツが居たんだ」

「なんだそのカンペキ超人は。お前じゃなくてか?」

「俺? 俺はそうだな……せいぜいが踏み台ってところか」

「……ちょっとついていけねえ次元の世界の話みてえだ」

「俺と彼の何が違うのか。そういうことで今でも悩むことはある。権田が思いつめていることを、きっと彼なら理解して全部解消できるんだろうと」

「ないものねだりをするつもりはねーよ。元々、助っ人だって俺は必要ねえと思ってたんだ。……いや、お前をのけ者にしたい訳じゃない。けど、その、なんだ」

「……お互い、苦労するな」

「いや、むしろありがたいよ」

「は?」

「お前でも悩むことがあるんだって思っただけで、若干俺はすっきりした。お前には悪いがな」

「……そうか」

「悪いな」

「いや、なら良かった」

「はあ?」

 

 分からねえやつだな、とがしがし頭をかきながら。それでも確かに、権田はさっきよりも良い表情で隣を歩いている。

 

 俺の弱さを見せれば良かったということなのか。いや、弱いものは守られこそすれ、人をけん引するリーダーになれるとは思えない。……難しいものだな。

 

「ところでよ、小波。お前、……カシミールにはよく行くのか?」

「いや、金がないからな。基本的に飲食店に足を運ぶようなことはあまりない」

「カンタくんが妙に懐いているから、そういうことなのかと思ったが」

「……あの店ラッキョウがないしな」

「は?」

「いや、こっちの話だ」

「らっきょ……カレー屋にか?」

「俺は福神漬けよりもラッキョウ派なんだ」

「ぶははははは!! お前、本当に面白い奴だな!! なんかもう、俺の悩みが馬鹿らしくなってくる」

「で、カシミールがどうしたんだよ」

「そう不愉快になるなよ。……いや、奈津姫は一人であの店を切り盛りしてるわけだろ。……大変そうだなって思わないか?」

「いや、俺が最初来た時からそうだったから、そういうものだとしか」

「ああ……元々、当たり前だが旦那が居たんだよ。亡くなったがな」

「なるほど。理解した。……なら、権田が手伝いに行くのはどうだ?」

「俺は俺の仕事があるからな……というか、その、なんだ。魂胆が透けて見えるんじゃねえかと」

「手伝いたいという純粋な想いを、魂胆と言い換えるのはちょっと違うんじゃないか? 人の助けになりたい気持ちを、そうやってゆがめるのはよくないと思うぞ」

「前からが少し思ってたがお前結構面倒くさいな!」

「面倒臭いとは失礼な!」

 

 けどまあ、と権田は言葉を切った。

 

「ありがとよ。そうだな、誠心誠意で言ってみるわ。邪念を自分で隠そうと必死になると、余計に滲みだしちまうかもしれないしな」

「邪念……?」

「いや、こっちの話だよ」

「そうか」

 

 先ほどとは真逆のやりとり。

 権田と軽く笑いあいながら、ようやく商店街にまで戻ってくる。

 

「ともあれ、今日の試合もお疲れさん。木川もスタミナに難があったから、抑えに回れるのはきっと楽だろうし……"お前の"助っ人には本当に感謝してる」

「こちらこそ。ジャジメントに勝とうな」

「おう。……そのスカーフ? ストール? 似合ってるぜ」

「ありがとう」

 

 それだけ言って、権田は商店街の人込みに消えていく。

 だいたいの試合の総括も終わっていたし、意外と権田とも打ち解けられた気がする。

 何かが引っかかった気もしたが……それは追々でいいだろう。

 

 そんなことよりも、腹が減った。

 何故腹が減ったのか。それはきっと、この店が目の前にあるからだ。いや、そうに違いない。腹減り喫茶店め、覚悟しろ。

 

 呑気に扉を開くと、来客に気が付いたドリルメイドがくるりと振り返り営業スマイルを張り付け――ない。張り付けろよ!

 

「しゃっせー」

「ラーメン屋か!」

「お会計はセルフサービスとなっております♡」

「まだ何も頼んでない……」

「接客するコストへのサービス料かな」

「そんなに俺の接客嫌なのかよ!」

「それはともかく、コーヒーでいいの?」

「はい……もういいです……」

 

 コーヒー入りますー、と准の元気な声がホールに響き、なんだか敗北感を交えて俺は席につく。しかしコーヒーばっかで胃に穴が開きそうだ。

 

「…………」

「あ、維織さん。今日は何を読んでるの?」

 

 案内、というほど案内はされなかったが、ここ座れとばかりに准が去り際指さしていった席には、既に先客が居た。先客というか、彼女が客で俺はおこぼれというか。

 なぜか俺にコーヒーを奢ってくれるお姉さんこと維織さんだ。

 

 彼女はゆっくりと、それはもうゆっくりと顔を上げると、答えの代わりに小首をかしげる。

 

「…………おなかすいてる?」

「え、あ、うん。それなりに」

「………………准ちゃん」

 

 維織さんが特に張りもしない呟きのような声を上げると、颯爽とドリルメイドがやってくる。こいつの耳どうなってるんだ。

 

「はぁい、ご注文をお伺いいたします、お嬢様♡」

「ハムサンド……50人前」

「そんなに要らないから!!」

「かしこまりましたぁ♡」

「かしこまるなよ!」

 

 くるりと踵を返した准が、本当に注文を取りにいった。

 俺の胃袋は宇宙じゃないんだぞ……。

 

「……宇宙の不思議」

「なにが!?」

「…………本のタイトル」

「今答えたの!?」

 

 どういうタイミングだよ、と突っ込むよりも先に。

 トレイの上にコーヒーを載せた准が上機嫌で戻ってきた。

 

「はい、こちら無料で飲めるただ飯食らい専用コーヒーとなっております♡ 一息にぐいっと飲むとよろしいかと♡」

「ホットコーヒーでそんなことしたら人の胃キャンプファイヤーしちゃうだろ!」

「そんなことより小波さん」

「そんなことなんだ!」

「今日はかっこいいよ」

「今日"は"!! 次に会うのは法廷確定だな!」

 

 とんでもない失礼なことを言った准は、すぐさま背を向けて言ってしまう。

 俺の告訴状が彼女の耳に届いたかも怪しい。

 おのれ。

 と、そこで俺の方へ向けられた視線に気づいた。

 

「どうしたの維織さん」

「………………似合う」

「へ?」

 

 この人本当にちゃんと本を読んでいるのだろうか。

 

「お待たせしました♡ ハムサンド50人前です♡」

「待ってない! ……というか、マスターも悪ノリに気づいてくれ」

「気づいてると思うけど、面白いしちゃんとお金が出るから。で、小波さん。ちゃんと食べてくれるよね♡」

「く、くそおおおおお!!」

 

 やってやるよ!

 実際、腹は減ってるんだ。ここは一つ、寝貯めならぬ食い貯めを……。ああ、出来ればいいのになあ。両方。

 哀愁漂う感情とともに、ハムサンドを片っ端から平らげていく。

 とはいえすでに五人前の時点でわりとお腹は十分満たされているのだが、まだ一割。打率にしたらとんでもないへっぽこだ。小波かよ。あいつバッティングセンスは皆無だったからなあ。

 

「……私も餌付けしてみようかしら」

「ふぁふ!? ごくん……また訳の分からないことを!」

「あら、気に障った? やっぱり男の子はご奉仕して貰いたいものなのかな。ねえ、ご主人様♡」

「お、俺はそんな人間じゃないぞ。そんな簡単に誘惑に乗る男じゃない」

「へ~」

「……そもそも、お前、他の男の客にもそんなことして遊んでるんだろ?」

「ハムサンド追加する? お腹空いてるみたいだし」

「何故!?」

 

 まだあと30人前近く残ってるわけですが!?

 見て分からないんですかね!?

 維織さんも何か言ってあげて――ダメだ本から視線を外さないこの人!

 

「――そんなことしないよ。貢がせたり男を馬鹿にしたり、面白いと思う?」

 

 おかしいな。心当たりが幾つもあるぞ?

 だいたいこの前の件も……。

 

「じゃあ、なんで俺にやるんだよ」

「それはご主人様だからに決まってるじゃないですか♡ だって、貴方は私だけのご主人様だから♡」

「じゅ、准……お前……」

 

 もしかしたら、若干、少しだけ、ワンチャンこいつ俺に気があるんじゃないかと思っていたが……そうか……そうか……。

 

「ほ、本気で……」

「やっぱりそんな人間じゃないの」

「えっ」

 

 えっ。もしかして。

 

「演技?」

「当然でしょ。さっきの顔、かなり犯罪チックだったよご主人様♡」

「……」

「ケモノね! ケダモノーー!!」

 

 う、うわあああああああああああああああああ!!

 人の純情を弄びやがってえええええ!!

 

 

 

「あ、逃げた」

「…………准」

「なんでしょう、お嬢様♡」

「楽しそう」

「…………維織さん?」

「嬉しそう」

「……えっと。私、首になったりします?」

「…………なんで?」

「だって――」

「それを分かってて、私の前で准が楽しそうってことは、そういうこと」

「……」

「…………首にはならない」

「ありがとうございます、お嬢様♡ 私、頑張りますね♡」

「……あんまり頑張らなくていい」

「ひどいっ♡」

 

 




次回からケラケラケミカル。


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《ケラケラケミカル》I

 夜の公園。

 怪我をした肩に自分のマフラーを巻いて止血する。何等かの呪詛、或いは能力の影響なのか傷が塞がりづらい。……これは、もうこのマフラーは使えないかもしれないな。

 

 血がどす黒く変色してこびりついたマフラーは、お気に入りの品だったが仕方がなかった。

 

 灰原の消息は分からない。が、おそらく生きていたとしても重傷だろう。

 CCRの在り方次第ではあるが、きっと再起動には時間がかかるだろうし……もしあいつの中に記憶チップでも内蔵されていれば、俺が何をしたか、何を知っているか、そういったものが大神には届くはずだ。

 

 そうなれば、ここに俺の居場所は無い。

 

『深紅!!』

 

 声がした。

 さっと外套を羽織って傷を隠す。

 あいつらは妙に心配性だからな。俺を気にするより、自分たちの立場を気にしなければ危ういというのに。……そんな彼らだから、触れあっていた俺は"人間"になれた。

 

『数日ぶりか、小波、友子』

『……ああ』

 

 おそらくはデートの最中であったのだろう。

 気づかれないようにちらりと目をやれば、固く結ばれた手と手が見える。

 

 ……二人の絆に入った亀裂は、きっとより強固な結びつきをもって重ねられたに違いない。言われずとも分かる。彼らの幸せそうな未来予想図が。

 

 小さく破顔しながら、小波に向き直った。

 

『どうした、そんな神妙な顔をして』

『いや……』

 

 小波は一度、友子を振り返る。彼女も彼女で妙に渋い表情をしていた。

 ……その手が二人の愛情を示してくれている以上、何も悩み事などないはずだが。

 

『……深紅。俺の思い過ごしかもしれないけど、お前……いなくなるのか?』

『……どうしてそう思った?』

『それがもう答えじゃない!』

 

 顔に似合わず、鋭い男だということを忘れていた。図星を突かれたことが、表情に出てしまっただろうか。友子がおかんむりと言った様子で俺に詰め寄ってくる。

 

『そんな寂しそうな顔をして、横に荷物があったら誰だって察するわよ! ……まさか、私たちにも何も言わずに出ていくつもりだったの?』

『いや、それは』

『貴方は私たちの大事な友達なの! そんな貴方が勝手に居なくなったら、私たちだってとても寂しいじゃない!!』

 

 今まで見たこともないような強烈な剣幕で口角泡を飛ばす彼女を、慌てたように小波が抑える。ヤツの表情を見る限り、あんな彼女は俺じゃなくても見るのは初めてらしかった。

 

 それは、それとして。

 

『……すまないな、小波。お前にあれだけカッコつけたことを言っておいて、俺は何も出来なかったから……合わせる顔がなかったんだ』

『……嘘を、吐くなよ』

『本当さ』

 

 灰原がどうなったかは分からない。

 そうである以上、俺と小波が接触しているというだけで彼に矛先が向いてしまう。

 ならば早々に退散を。……と思っていたんだが。

 

 そんな顔をしてくれるな、二人とも。

 

『……友子』

『でも、小波君……』

『頼む』

『……分かったわ』

 

 ぼんやり思いを馳せていた俺をよそに、二言三言と交わした二人が前に一歩歩み出る。そっと友子が懐から取り出したのは、一つの茶封筒だった。

 

『はいこれ。餞別』

『……用意してたのか?』

『本当は、私たちが居なくなる時に渡そうかと思っていたんだけど……今日、突然小波君がこれを持って出かけるって言いだしたから。まさか、こんな形で的中するとは思わなかったけど』

 

 差し出された茶封筒を、一度受け取る。

 思ったよりずっしりとしていたそれの中身は、俺でなくとも察することが出来る。

 すぐさま突き返した。

 

『受け取れない。俺はお前たちに何も出来ていない。むしろ、礼をするのは俺の方だ。お前たちに色んなものを貰ったんだ。これ以上施しを受けるわけにはいかない』

『おいおい、プロ野球選手の年棒なめるなよ? 最多勝利投手だぞ、俺は』

『だからと言ってな』

『細かいことは気にするな』

 

 ばしばしと外套越しに背中を叩く小波。

 

『何も言わなくていい。お前は、俺たちに多くの助けをくれた。悩んでいたところに手を差し伸べて、俺たちの知らないところで色々やってくれて、それに感謝を求めることすらしない。これでお前がふらりと消えたら、俺たちがやるせない。――深紅』

『……なんだよ』

『お前は、俺たちのヒーローなんだ』

『――』

 

 言葉が、出なかった。

 ふわりと微笑んだ目の前の男の、その言葉。

 同意するように後ろで微笑む少女の笑顔。

 

 ……お前たちの、ヒーロー。

 

 ああ。

 

 俺は。何をすればヒーローになれるのか。何をすれば己の存在を本物に出来るのか、ずっと悩んで生きてきた。けれど、ここに答えの一つがあったのだとしたら。

 

『……ありがとう。俺は、お前たちに何も返すことが』

『だーかーらー! 良いの! 貴方は十分、私たちに色んなものをくれたのよ! それでも受け取れないっていうのなら、しょうがない。……貴方、次の旅路に目的はあるの?』

『いや……特には』

『気ままな旅ガラスってとこか。なら、ちょうど良いんじゃねえか、友子?』

 

 気ままな旅ガラス……? 良いな、なんかかっこいい。

 

『一つ、頼みを聞いて欲しいの。……私と同じように、私より先に、過去より未来に生きようとした子を――救ってあげて欲しい』

『よし、任せろ』

『早いわよ!! もう、もう、小波君!! 私やっぱり深紅君のこと心配!!』

『そうは言っても、それが深紅だからな……。おい深紅、お前、どのみち先立つ金がないんだから。そうだな……ここぞという時に。大事な時に使う金だと思って、受け取ってほしい。ダメか?』

『……分かった』

 

 渋々、受け取った。

 手が震える。金の入った封筒なんて、持つのは初めてに近いと言っていい。

 それに、大事な友達が頑張って稼いだ金と来たら、プレッシャーも余程だ。

 地区大会決勝なんかよりずっと緊張する。

 

『助けてあげて欲しい子の名前は……ええっと、確か……』

『なんで覚えてないんだよ』

『仕方ないじゃない、別れる間際なんだから。名前付けたの』

 

 その後、詳しく話を聞いた。

 広川武美という少女の、過去と待ち受ける苦難を。

 

 それは確かに、救いたい。

 

『……分かった。必ずその子は俺がなんとかする』

『ありがとう、深紅君。……またいつか、会えるよね』

 

 ああ、と頷く。

 

『深紅。俺は今年、最後の一年に挑む。テレビのある場所があったら、たまにでいいから俺の雄姿を見届けてくれ。必ず、優勝してみせる』

『……お前は、まさしく最高の野球選手だよ、小波』

『まあな。お前に「俺もうピッチャーやめる」って言わせた実力は、プロにおいても最強だって示してやるさ』

『楽しみにしている』

 

 ぐ、と拳をぶつけ合う。それを友子が暖かく見守ってくれる。

 ああ、この関係も今日で最後か。

 さらば、安藤小波。森友子。

 

『……それじゃあ、またいつか』

 

『ほんとに、さくっと行っちゃうのね』

『それが風来坊だからな』

 

 お達者で。と手を挙げて、公園をあとにする。

 この先にはまたきっと、新しい旅が待っているから。

 また会おう、友よ。

 

『――俺たちは、いつまでも親友だぞ、深紅』

『じゃあね。この……おせっかい野郎!』

 

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

『ええっと、小波さん』

『……』

『あの、小波さん?』

 

 ……ん? 誰だ?

 

 とある製鉄所の近くの河川敷を、遠前町へ向けて歩いていた。

 その道中、聞き覚えのある名前を連呼する声を聴き、最初はプロ野球の話でも電話でしているのかと思って少々友人として誇らしく思っていたのだが。

 

 振り向けば、明らかに俺に話しかけてきている、金髪の女性。

 

『……え、俺ですか?』

『あ、はい』

『人違いですよ。俺があんな不細工に見えますか?』

『え、いや、でも』

 

 ちょっと失礼、と彼女はぴょいっと俺の背に回る。

 そして、背中から何かが剥がれたような気がした。

 

『ここに、ほら』

『なっ……』

 

 彼女が手に持っていた白い紙には。

 

『俺の名前は小波深紅。宜しくな!』

 

 と、書いてあった。

 

 ……あのバカ。

 

 一言断って受け取り、裏を返すと。

 

『お前、苗字もないなんて浮くから俺からプレゼントだ。本当は友子の子で子波でもよかったんだが、なんか可愛くなっちゃうから却下、だそうだ。悪いな。名前を呼ばれる度に俺を思い出して、最後まで打てなかったスクリューの味を悔やむがいい』

 

 あいつらは。

 

『……ははっ』

『ええっと、小波さん?』

 

 訝しそうに、彼女が問いかける。

 俺はそれに、笑って答えた。

 

『はい、俺が小波です。間抜けな張り紙を剥がしてくれて、ありがとうございました』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ケラケラケミカル》I――違うぞ権田――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、何をしようかな」

 

 総合練習を終えて、商店街から河原への帰り道。

 ここ最近は段々と一日のローテーションも安定してきて、なんだか普通の人みたいな生活を送ることが出来ている。……家がテントでなければの話だが。

 

 朝、河原で起きてまず封筒を探す。

 その後、軽くランニングと、(あれば)朝食。

 そして腹ごなしに封筒を探す。

 練習へ向かう。

 帰りに商店街へ寄る。スポーツ用品を見たり、権田と駄弁ったり、ドリルメイドにいびられたり、カンタくんと遊んだり。

 その後、テントに戻ってきて封筒を探す。

 日が暮れたら(あれば)夕食。

 河原で身体を清めて、就寝。

 

 驚くほど普通の人みたいな生活だ。素晴らしい。

 

 そんな一般人小波深紅だが、今日は少し予定に変更を入れていた。

 

「……あれ、留守か」

 

 御用の方はカシミールまで。

 

 広川漢方に辿り着いた俺は、張り紙を見てそのままUターン。

 くるりと回ってカシミールまでやってきた。

 しかし……どうしようカレーを食べるお金はあるだろうか。

 何かの間違いで小銭が落ちてやしないかと、自販機を見る度につり銭クンポケットに手を突っ込んでみたりしているのだが、貰えた小銭は皆無だった。ついでに商店街の皆さんから不審の目で見られた。

 

 仕方がない。武美に会いにいくだけと思えば、カンタくんのお母さんも目を瞑って……くれるかなあの人。割と好感度低い感じがするのだけれど。

 

「いらっしゃいませ……あら」

「どうも、こんにちは」

「あん? よぉ、小波じゃねえか」

「権田もいたのか」

 

 カンタくんのお母さん――奈津姫さんに軽く会釈をして店内を見渡すと、さっきまで一緒に練習していた権田が居た。しかも、そっちは……。

 

「まあ座れよ」

「いや、悪いが俺は金がない」

「じゃあ何しに来たんだ」

「武美を探して――」

 

 と、そこで厨房の方からひょっこり顔を出すリボンの少女。

 

「呼んだ~? って、お、風来坊のご登場だ」

「よう」

 

 軽く手を挙げて挨拶すると、武美はピースで返してくる。

 鍋の調子でも見ているのか、またのれんの向こうへ彼女は消えていったが――権田は軽く頷いて、彼の目の前にある席を指さした。

 

「いいから座れ。今日は俺の奢りにしてやるから」

「え、いいのか?」

「権田さん? どういうこと?」

 

 目を丸くしたのは俺だけではないらしい。

 意外そうな目で奈津姫さんが問えば、権田はバツが悪そうに頬を掻きながら、あーだのうーだの唸っていたが。それでも言葉が見つかったのか、席についた俺の前に水を置きながら笑った。

 

「ちょっとした礼、かねえ。ああ、奈津姫。こいつに例のヤツを」

「ふーん……権田さんが商店街以外の人と仲良くなるなんて珍しい」

「い、いいんだよそんなことは」

 

 などと、軽口を交わしながら二人は作業に入った。

 ――そう、権田がカウンターを隔てて厨房側に居るのである。

 

 なるほど、手伝いを申し出たのか。

 

「ところで権田。何の礼だ? いまいち分からないんだが」

「い、良いんだよそんなことは! ほら、助っ人の礼だとでも思っておけ」

「じゃあ違うってことじゃないか」

「うるせえ!」

 

 奥から奈津姫さんの、「ちょっとうるさいよ!」というクレーム。

 とたんにしおれた権田の様子に、俺は何かを察した。

 

 ……はっはーん、邪念というのはそういうことか。

 

「おいなんだ小波、その顔は」

「ぶぇっつにぃ~?」

「あ、くそ、腹の立つ!」

 

 カレー皿に米をよそった権田は、そのまま奈津姫さんにパス。彼女がカレーをかけて――と良いチームワークを見せてくれる。手伝いそのものに、全くと言っていいほど邪念のようなものは見られない。

 むしろ真摯に彼女のために、店のために頑張っていると言えた。

 なんで今までやらなかったんだよ。

 

「ほら、権田さん。仲良しの小波さんに渡してあげて」

「仲良しじゃねえよ! ――ほら、お前がいつか来ると思ってな」

「ありがと――これは!!」

 

 カレーの隅に遠慮がちに腰かける、美しきパールの如き輝き!!

 

「ラッキョウ!! ラッキョウじゃないか!!」

「はしゃぐな」

「ばっかお前、ラッキョウだぞ!?」

「お前の中でラッキョウの重要度どうなってるんだよ! ――まあいいや、せっかく仕入れてもらったんだ。有難く食えよ」

「おお……権田、お前が電脳世界の神か……」

「崇め過ぎだしなんで電脳なんだよ」

 

 いっただっきま~す。

 

「……本当にラッキョウ好きだったのね」

「いや俺もまさかここまでたぁ思わなかったが……」

「どしたの二人とも――ってなんか深紅さんが無心でカレー食べてる! すごい、みるみる皿がっ、掃除機かっての!」

 

 ふう……ごちそうさま。

 

「奈津姫さん、ごちそうさまでした。権田、お前、最高だよ」

「ラッキョウでそんな賞賛されてもリアクションに困るんだよ」

「こんな輝くような表情で笑うのね、小波さんって……」

 

 これからは何かにつけて権田に恩を売ってはカレーで返してもらおう。

 そのためにも、次のコアラーズ戦は勝つぞ。27奪三振してやる。

 

「で、深紅さんはあたしに用事があってきたんでしょ?」

「ああ、そうそう」

「――へえ、深紅さん、ねえ」

 

 権田がにやにやしていた。

 いや、邪推のしすぎだ邪念野郎。

 

「俺の友達に同じ名前のヤツが居てな。そいつの話がし辛いからってだけさ」

「なんだよ面白くねえな」

「その友達っていうのがねー、安藤小波選手なんだよー権田くぅん」

「なんだって!?」

 

 冗談めかして武美が言うと、驚いたように権田がカウンターに両手をついた。

 しかし物凄い剣幕だな。……キャッチャーとして、良いピッチャーには思うところがあるのかもしれないが。

 

「お、おま、おままま、安藤小波と言えば、ホッパーズの救世主だぞ?」

「権田お前、ホッパーズファンかなんかだったのか?」

「そうじゃなくてもプロ野球好きなら知らないはずがないだろうが!」

 

 ……あれ、なんだろう凄い誇らしい。

 そうだ、俺の友達はちょっと凄いぞ?

 

「深紅さんその顔むかつく」

「……で、小波。ひょっとしてこの前言ってた甲子園が云々っていうのは」

「ああ、そいつはまた別人。今は日ハムで外野手やってる」

「お前の交友関係どうなってるんだ……」

「交友、と呼べるのは小波のヤツだけだよ」

 

 ちょっと誇らしさが減った。

 哀愁が増えた。

 

「それで、あたしに用事って何なの?」

「あー、いや。この前の話の続きだよ」

「お、風来坊の旅路を教えてくれるのかな?」

 

 ワクワクな雰囲気で問いかけられては、すぐに首を振るわけにもいかないか。

 権田も妙に耳がでかくなっている気がするし、奈津姫さんは何だか……にこにこしている。小波と俺がバカ話している時の友子を思い出すような微笑みだ。

 

 ……ならまあ、いいか。

 

「そうだなあ。じゃあ小波の話が出たし……俺はこの前までホッパーズの本拠地近くに居たんだよ。そこで、小波と――あいつの彼女と知り合った。あいつらは良い恋人同士で、俺はあいつらを応援していた。なんだかんだ、仲良く三人で話すことも多かった」

 

 彼らとのこまやかな思い出。

 公園の草が食べられるか、小波と真剣に吟味したり。

 小波がバカ過ぎて心配だと訴える友子のために、簡単なテストを作ったり。

 

 裏に関わることは一切触れず、友子の名前も出さず、ぽつぽつと楽しい記憶だけを掘り返していると。ふと口をはさんだのは権田だった。

 

「――その二人は恋人だったんだよな。その……お前は邪魔だと思われなかったのか?」

「ちょっと権田さん、その言い方は」

「いや、良いよ」

 

 権田の言葉を詰める奈津姫さんを制して、続ける。

 ていうか権田、何を思いつめた顔してるんだお前は。

 

「俺が旅を再開する時、二人して泣きながら見送ってくれたし、邪魔じゃなかったと信じたい。それに、基本あいつらが俺を見つけて遊びを仕掛けてきてたからな。ほら、この通り連絡手段もないわけで」

「そこは誇るところじゃないよ深紅さん……」

「あとはまあ、俺の性格かもしれないな」

「ていうと?」

「俺はどうも仲人に定評があるらしい。俺の部下は俺のクラスメイトとくっついたしな……」

「またコメントし辛い過去だなあ。……ていうか部下って何さ。風来坊さん」

「その話はまた追々な」

 

 きゃー、人生経験豊富な旅人さんだー! とテンションを上げる武美。

 経験豊富かは分からないが、密度の濃い生き方をしている自覚はある。

 

 権田はといえば、さっきまでの深刻そうな表情はなりを潜め、楽しげに俺の話を聞いているようだった。お前本当に分かりやすいな。お前と奈津姫さんをくっつけようとはしてねえよ。

 

「ところで小波さん。武美と仲が良いみたいですけれど」

「それがさー聞いてよなっちゃん! この前ね、『俺は広川さんのことを知りたい』なんて言ってねー!」

 

 頬染めるな頼むから。奈津姫さんもそんな、旅ガラス発言の時みたいな目で見ないでくれ。

 

「やるじゃねえか」

 

 違ぇよ。今そんな尊敬のまなざしで見るんじゃねえよ。

 

「いや、みんなが想像しているのとは違う。俺はただ――」

 

 ただ、武美がガイノイドである自分をどう思っているのか、この先の短い人生に何を思っているのか、それを打開する手段はあるのか、そういうことを――聞けるかこんなタイミングで!!!

 

「言い訳すんなよ。そこは押せよ」

「酔っ払ったおっさんかお前は!!」

 

 お前の茶々入れのせいで照れ隠しみたいになってるだろうが!

 

「じゃあなんであたしのことが知りたいの?」

「それは、その」

 

 言えるかよ!!

 

「へっへー、風来坊さんでもこの手のことには奥手なんだね」

「男なんだからもっとびしっといきなさいよ」

 

 奈津姫さんまで勘違いしはじめた……。

 助けろ権田。

 

「……ぐっ」

 

 サムズアップすんな折るぞ親指。

 

 と、そこでずいっと奈津姫さんが顔を寄せてくる。

 貴女ひょっとして実は今まで猫被ってたりしました!?

 

「小波さん、いいですか」

「は、はい!」

「行く時は行くものです。それを、押せなくて何が男ですか」

 

 おい権田、なるほどみたいな顔して頷くな。

 

「ね、風来坊さん。じゃあ今度一緒に出掛けようよ」

 

 ね? と楽しそうに小首をかしげる武美。

 強烈なプレッシャーをかけてくる奈津姫さんと、盛大に勘違いした権田の前で、俺にそれを断る勇気はなかった。

 




補足
1,本文中にあった日ハムの外野手がこのお話に出てくる予定は今のところないです。
2,このお話は准ルートです。
3,ただ、お話の都合上とはいえ武美のこの扱いはあんまりかと思うので、この作品での武美ルートも本編終了後に用意する予定。作者は武美派だし。なんなら1~14まで全部通しても武美が一番だし。「だから……見捨てないでね?」
4,准が攻略出来ないのはバグ。


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《ケラケラケミカル》II

 

 

【いろんな物がそろってる!】

【明るい、楽しい、商店街!】

 

【ブギウギ商店街!!】

 

 

「まったく、しけた町だな」

 

 商店街が懸命に作ったポスターを、一瞥して歩みを止めた男が一人。

 青のハットに青の外套、顔の切り傷が特徴的な彼は、当然ながら只人とは一線を画す雰囲気を身に纏っている。とはいえ吐き出した言葉にその貫禄は見られず、どちらかと言えば悪戯小僧的な笑みを浮かべており。

 

 それが魅力にも威圧にも変わりそうな、不思議な男と言えた。

 

 実際、彼の発言も間違ってはいない。

 商店街の想いを込めたポスターが、ただ展開されているだけであれば活気があって地元愛の強い街だと思うこともできるだろうが……それが閉まった店のシャッターの上に貼られていたならイメージというのはがらりと変わってしまう。

 

 木川がこの場所にポスターを貼った時、権田が居たら殴られていたのは間違いない。

 

 と、男はそこで商店街を駆け抜けようとする一人のメガネの子供を見つけた。  

 

「おーい、そこの少年」

「オイラでやんすか?」

「他にいねえだろ。――それより、最近このあたりでなにか変わったことなかったか?」

 

 男の勘が正しければ、この町には来たはずなのだ。探し人というほどではないにせよ、暇つぶしにちょっかいをかけるには最適な悪友が。……向こうが自分をどう思っているかは別にして、彼個人は相手のことを悪友だと思っていた。

 

「変わったこと、でやんすか?」

「ああ。そうだな、変なヤツが来たとか、変なヤツが通りすがったとか、変なヤツが居ついたとか。最後のがあれば最高だ。そろそろ移動もかったるいしな。あいつと違って歩くのは嫌いなんだよ」

「居ついた……ああ、おじちゃんのことでやんすか?」

「ほぉ、おじちゃんと来たか。俺たちも変わったねえ……ちょっと案内してくれるかい、そのおじちゃんとやらのところへ」

「いいでやんすよ。……あんたは、おじちゃんの友達?」

「そんなところだ」

 

 こっちでやんすよ、と先導する少年が、商店街を抜けて河原の方へと進んでいく。

 居ついたというのに案内されるのが河原。そして、道中に少年が語ってくれたそのおじちゃんとかいう男の風貌を聞いて、思わず口角が上がる。

 

「久々に、楽しいことが出来るかもしれねえな」

「あそこのテントでやんす」

「少年」

「なんでやんすか?」

「よくやった」

 

 乱暴に少年の頭を撫でくり回し、彼はずんずんとテントの方へ歩いていく。

 河原特有のごろごろとした大きな石を、軽いステップでぴょんぴょん飛びながら川岸に寄っていくさまは、まさしく久々に友達のところへ遊びにいく子供のようで。

 

 その茶色い外套と、真新しい黄色のストールを見つけた彼は機嫌よく声をかけた。

 

「なんだ、河原に住み着いた野郎ってのはやっぱりお前かよ」

 

 だが、ゆっくり振り向いた"おじちゃん"は、青の男とは正反対に敵視するような瞳で彼を見据えた。驚いたように丸くした目も、すぐさまにらみつけるように細くなっている。

 

「お前は……椿!」

 

 近くまで寄ってきた少年は、椿と呼ばれた男の隣に立って彼を見上げる。

 しかし椿は敵愾心さえ孕んだ"おじちゃん"の声にも動じることはなく。むしろ愉快そうに軽く手を挙げて挨拶していた。

 

 ――悪い人には、見えないでやんすけど。

 

 かといって良い人かと言われたら、それにも首は傾げてしまう。

 目の前の"おじちゃん"がとっても良い人であったから、その思いは猶更だった。

 しかしこの椿という男も、どこかガキ大将がそのまま大人になったような人好きのする雰囲気がして、どうにも少年は彼を嫌いにはなれなかった。

 たとえ、目の前で"おじちゃん"がただならぬ雰囲気を醸し出していたとしても。

 

「おじちゃん、この人と知り合い?」

「……まあな」

 

 嫌そうに頷く"おじちゃん"。

 ぽす、と少年の頭に載せられたのは、椿の大きな手。

 

「俺たち、昔は一緒に組んでたんだ。――いいコンビだったよな」

 

 前半は少年に、後半はきっと"おじちゃん"に向けられたもの。

 苦々しい思い出でもあるのか、不愉快そうに"おじちゃん"は椿の言葉に返す。

 

「だが、お前はいつからか金で雇われてなんでもするようになった」

「おいおい深紅さんよ。今でも正義の味方気取りか?」

 

 おじちゃん――深紅に向けられた挑発的な言動。

 しかし、手をのせられたままだった少年は、微妙に彼の言葉に込められたニュアンスを感じることが出来た。これはまるで、ただただ友達をからかっているだけのような。

 

「いいかげんそういうのは卒業しろよな」

「悪党が、正義の味方よりマシとは思えないんでね」

 

 小馬鹿にしたような椿の発言を、吐き捨てるように深紅は言う。

 と、その瞬間ぴくりと椿の手が動いた。

 バツが悪そうに、少年の上にのせていた手を引っ込めるとポケットへ突っ込む。

 ついでおどけたように肩を竦めて、心底意外そうに問い返した。

 

「悪党? それって俺のこと? マジで言ってる?」

「ああ、本気だ。雇われた側につく、なんて、そんなのは道具と変わらない」

「ドライになった、って言ってほしいね。金を貰って人助けをしてるんだ。いわば、才能の有効利用ってわけだ。それとも無償で人助けをすることこそが尊いとか、そういう慈善事業こそが至高だとでも思ってるのか?」

「金が問題なんじゃない。何でもするのが問題だと言っている。……いつか決別した時もそう言ったはずだ」

「分かってねえなあ。何でもするから周りは俺たちを頼りにするんだ。やりすぎるくらいがちょうどいい。……中途半端に終わらせたからあんなことになったんだろうが。たとえば……黒猫のこととかな」

「そうか」

 

 黒猫。

 その名前が出たとたん、目を細めて深紅は立ち上がった。そのまま少年を一瞥して、

 

「そのおじさんは危ない人だから気を付けろよ。取って食うようなことはしないと思うけど」

「あ、うん」

 

 と、すたすた歩いて商店街の方へと行ってしまった。

 

「……おやおや。あいかわらずスカした野郎だぜ」

 

 残された椿と少年。帽子を深くかぶり直した椿は、やれやれといった風に首を振った。

 

「ちょっとからかい過ぎたかな。……子供を俺のところに置いたままにしておくとは、信頼されてるんだかされていないんだか。ま、いいや。この町で何が起こってるのかね」

 

 そこまで言うと、椿は少年の頭にもう一度手を置いて、人好きのする笑みを浮かべて踵を返す。

 

「へへ、面白くなってきたぞ。あばよボウズ、また会おう!」

 

 

 振り返りもせず、深紅とは逆方向――あちらは、スーパーのある方だろうか。

 そちらに向かっていった彼を見送って、少年は一人小さく呟いた。

 

「……波乱の予感でやんす」

 

 

 

 

 

 

 

《ケラケラケミカル》II――からかい上手のメイドさん――

 

 

 

 

 

 

 

 

「何をしようかな」

 

 少々面倒なヤツが現れたせいで、つい商店街の方へ足を運んでしまったものの。

 金も無ければやることもない。今日の練習は休みになっていたし、本格的に手持ち無沙汰だ。となれば、俺が行くことが出来る場所なんて、殆ど限られてくるわけで。

 

「いらっしゃいませ、ご主人様♡」

「よう、准」

「いつものでいいよね?」

「ああ、頼む」

 

 勧められたままに席につく。

 この時、お店に維織さんが居れば維織さんの目の前に通されるんだが、今日はどうやら不在のようで。二人席を一人で扱うような形で、俺は腰を落ち着けた。

 

 ――ふう。

 一息ついて、考える。

 議題は、今朝訪れた男――椿のことだ。

 あいつは俺と組んでいた頃の冷徹さをさらに増して、方々で仕事をしているらしい。噂は、放っておいても幾つも入ってくるくらいだ。最近では確かどこかの企業に雇われていたとかなんとか、そんな話も聞いていた。

 

 そのあいつが何故このタイミングで遠前町を訪れたのか。

 ちょっと調べなければいけないことかもしれないな。あいつの裏にどんな組織が関わっているのか分からない以上、その厄介さは未知数もいいところだ。

 

 あいつが敵に回った時の面倒臭さを、俺はよく知っている。

 ……というかあの野郎、一度それで味を占めて嬉々として俺の敵に回ることが多くなりやがったからな。一度会長さんに確認しておくべきか。

 

「お待たせいたしましたご主人様♡ 無料コーヒーです♡」

「金は払ってるだろ!?」

「維織さんがね」

 

 まったく。

 こと、と置かれたコーヒーの黒い水面を覗き込めば、ゆらゆら踊る湯気に混じってぼんやりと俺の今の表情が浮かび上がる。少々考えすぎだろうか。いや、でも……。

 

「このまま顔をカップに叩き込んだら犬のマズルみたいになるかしら」

「外藤さんかよ!! あれカップじゃねえよ!」

「誰よ」

「知らないならいいけどやめてくれ」

「いいけど」

 

 お盆を両手で抱えた准は、気付いたらまだ俺の前に居た。

 それとなく周囲を見渡すと、確かにこの時間帯は少し空いている。

 とはいえウェイトレス一人の職場じゃそこそこ忙しいと思うんだが。

 

「何じろじろ見てるのよ。ご主人様ったらメイドの魅力に惚れちゃいました?」

「いや何で俺を見張ってるのかと」

「んー? べつに見張ってるわけじゃないよ? ただ……」

 

 ちらりと俺を見る准の瞳が、何を考えているのかは分からない。

 

「……変な顔だなって♡」

「よぉし、よほど訴訟沙汰になりたいと見えるな……!」

「いやです、ご主人様♡ 訴えますよ♡ メイドに詰め寄るな・ん・て♡」

「なんで俺が訴えられるんだよ!」

 

 コーヒーを一口。……美味い。ブラックで美味しいコーヒーって最高だな。

 

 しかし……。傾けたカップに隠れ、まだ近くに立っている彼女の様子を窺うと。

 ……やっぱりこいつ、ちらちら見てるな。早く帰れってことですかねえ?

 

「……ねえ、小波さん」

「なんだよ」

「今日は変な顔してるね♡」

「日によってそうそう顔が変わってたまるか! 俺の顔は外付け不能なオンリーワンだよ! 本当だよ!?」

「そこまで必死にならなくても分かるけど。むしろ顔を二つ以上持ってるってどういう状態なんだか」

「じゃあなんでそこまで俺の顔を気にするんだよ」

 

 目を眇め、彼女を軽く咎めるような雰囲気で問いかけると。

 彼女は面倒臭そうにそのドリルの髪を弄りながら、俺から目を逸らす。こっち向け。

 

「普段と違うからだよ」

「一緒だよ!」

「んーん、違うよ。……なんかあったの?」

「……」

 

 ……存外、鋭いなこのメイド。

 

「メイドは観察力豊かなものですから♡ メイドに分からないことなんてありません♡」

「それはもうメイドとは違う何かだよ。エージェントだよ」

 

 何ならこいつ、サイボーグ同盟に居ても違和感ないしな……。なんだ、食堂に関係する女性はみんな何かしら強かったり抱えていたりするんだろうか。

 と、ぼんやり考えていると、奥の席から准を呼ぶ声がかかった。

 

「戻ってきたら教えてね」

 

 彼女はそう言うと、ささっと注文を取りに行った。

 

 メイドは観察力豊か、ねえ。

 あながち間違いじゃないのかもしれない。そんなに長い付き合いでもないのに、こうも見抜かれたら俺としても「嘘つけ」とは言えないし。

 とはいえ、椿のことをあいつに話すのもちょっと違う気がする。

 俺はこの場ではただの旅ガラスで、金のない一人の客。彼女をこちら側の事情に引きずり込む理由はない。

 

 分からないことがない、なんていう彼女の洞察力が本物だとしたらはてさてどう誤魔化したものか。濁す、と言い変えてもいいが。

 注文ついでに客と雑談を交わす准は、日常を謳歌する楽しそうな少女そのもので――

 

「ねえねえ准ちゃん、俺、香水変えたんだけど分かる?」

「え、あ、ほんとだ! イメチェンですね、ご主人様♡ この香りも素敵だと思います♡」

「だろう? ……ん、あれ? あ、間違えた。これ昨日と一緒のヤツにしちゃってた」

「あら♡ お茶目さんですね、ご主人様♡ でもそんなご主人様も素敵です♡」

 

 ……観察力ぅうううう!!

 全然ダメじゃねえか! そいつは准の笑顔でごまかされてるけど! お前いま確実に香水の話てきとうに合わせたろうが!!

 

「……戻ってきたよ。……何その顔。変とかいうレベルじゃないよ。終末だよ」

「お前の接客スキルが終末だよ! 全然観察力ないよこのメイド!」

「なんで盗み聞きしてるのよ。で、小波さんはどうして思いつめてたの? 小波さんのくせに」

「俺の癖には余計だろ。……特に大したことはないよ、気にすんな」

「ふうん……ところで今日は普段より来るの少し早かったよね」

「なっ……い、いつもと変わらないだろ」

「あと、今日は練習も無かったんでしょ? お腹もすいてないみたいだし」

「す、空いているかもしれないじゃないか。維織さんがいないからご飯を食べる手段がないだけで」

「あと顔が変」

「キシャアアアアアア!!」

 

 おのれ何度も!! 何度も何度もぉ!!

 

「……だから、だいたい分かるんだって。小波さん、分かりやすいから」

「そんなに分かりやすいか……」

 

 観察力ゼロのメイドに見抜かれるくらい分かりやすいか。

 ……落ち込んでいる場合じゃないな。

 もう、いっそ開き直ろう。

 

「だから何かあるんでしょ?」

「なまじ、もし俺に悩みがあったとして。准に話したところで解決の目を見ることはない」

「あ、凄い勢いで開き直った。……ご主人様ぁ、私、そんなに頼りないですかぁ♡」

「だ、騙されないからな。俺は、もう、絶対に篭絡されたりしないからな」

「篭絡だなんて……私、ただご主人様が心配だったから……♡」

 

 む、無視。無視。

 ただ黙っているのも変なので、コーヒーカップに手をつける。

 と、カップを取ったその手に、そっと触れる温かい手のひら。

 

「……私、ご主人様だけのメイドです。ご主人様のお悩みを解決することは出来なくても、寄り添うことだけは出来るはずですから。……だめ、ですか?」

「ぬ、ぬぎぎぎぎぎ」

 

 太ももを!! 強くつねってぇ!! 痛みだけを!! 脳に叩き込めえ!! 視界に映る上目遣いのメイドに気を取られるな、俺ぇ!! 頑張れ頑張れ!! バンザイ!! バンザイ!! バンザーイ!!

 

【練習で得られる経験値が二倍になりました】

 

「……准、待ってくれ。俺は、別に」

「そんな……私は、不要ですか? ご主人様……♡」

「いや、そうじゃなくて」

「くすん……私は、ダメなメイドです。大好きなご主人様のお役に立ちたいだけなのに……お手を煩わせるばかりで……」

 

 ち、違うんだ、准。いや、いつも通りのお前なら毒舌でも吐いて居なくなるかと。

 

「じゅ、准……」

「はい、ご主人様……♡」

「そ、その、俺は……」

 

 ……お前が、俺のことをそんなにも真摯に思ってくれているなんて思わなかったから……。仕方ない、正直に話すよ。俺の、すべてを――

 

「准ちゃーん! 注文お願ーい!」

 

 

 はっ。

 

「はーい、ただいまお伺いしますね♡ …………ちっ。あとちょっとだったのに」

「舌打ちした!! 今絶対舌打ちした!」

「そんなことありませんよ、ご主人様♡ でも……『俺はもう絶対に篭絡されない』って、あれ数秒も持ちませんでしたね♡」

「う、うわああああああああああああああああ!!」

 

 人の純情を弄びやがってえええええええ!!

 

「あ、逃げた。……でも、小波さん。全部、本心だよ?」

 

 

 



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《ケラケラケミカル》III

「いらっしゃいませ♡ ご主人様♡ 性懲りもなく♡」

「なんで一言余計なんだよ、来るよ! ただでコーヒー飲めるからな!」

「はいはい。いつものね」

 

 颯爽と身をひるがえし、彼女はいつものように注文を伝えに戻っていく。

 俺はと言えば、准が物凄く適当に「あそこ」と指を差した席に座って彼女を待つ。

 いつも通りの日常。もはや、最近はこの流れが定着してきていた。

 

「お待たせいたしました、ご主人様♡ 無料で提供される可哀そうなコーヒーです♡」

「だから金は出してるだろ!」

「維織さんがね。何度も言うけど」

 

 どす黒いオーラを身に纏い、半眼で見据えられると流石に俺としてもビビる。

 この眼光だけは裏社会でも通用するクラスじゃないだろうか。

 

「小波さん、暇だからなんか話してよ」

「それでいいのか接客業……」

 

 確かに今日は普段に比べてもだいぶ空いている方ではあるし、埋まっているテーブルも既にカップや皿がサーブされたあとのようだ。これなら会計でもない限り、彼女も確かに暇だろう。俺が追加注文なんかするはずがないのだし。

 

 しかし、話題か。話題ねえ。

 昨日のこいつの悪ふざけを続けさせるわけにもいかないし、と少し考えてふと思った。当たり前すぎてスルーしていたが、そういえば聞いたことがなかったことを。

 

「なんでメイドなんだ?」

「え、今更? 喫茶店のウェイトレスといったらやっぱりこれでしょ? フリルとか可愛いし。大変だったけど」

「大変……ああ、なるほど」

 

 彼女の夢はデザイナーだったか。

 とはいえ、服飾のデザインにはデザイナーの他にもパターナーが必要だし、縫製に関してもまた人の手が加わる。それを一人で拵えようなどというのは、ましてやこれほどの服装をとなると……どうやら、俺が思っていたよりずっと腕が良いようだ。

 

「服飾学校とかで共同で作った……わけじゃないのか?」

「んーん。私一人でやったよ。ていうか服飾学校じゃないよ、私。大学も経営学部。……でも小波さん、ひょっとして意外とそういう方向詳しいの?」

「なんでだよ」

「普通、デザイナー目指してるならメイド服くらいさっと作れる、みたいに思われるからさ。というか、私の夢を知ってる親戚とかはだいたいそんな感じだったし」

「詳しいわけじゃないぞ? 聞いただけだから」

「え、私の話?」

「准の話というか。ほら、一緒に入った……っていうと語弊があるけど、ブティックがあっただろ? あそこの人がこの前の狂犬ドッグスとの試合を見に来てたから、デザイナーってどんな仕事なのか聞いてみたんだよ」

「……なんで?」

「そりゃ……」

 

 なんで、か。なんでだろうか。

 その質問に明確な答えを持っていたわけではなかった俺は、一瞬詰まった。

 言ってしまえば流れだろう。准がそういえばデザイナーを目指していると言っていたから、どんな職業なんだろうかと疑問に思った。

 

 その程度だ。

 

 ただ、別に大して繋がりが強いわけでもないこの少女の将来の夢に、俺が興味を持つというのも、言われてみれば変な話だ。

 

 だが。思い返せば。

 

「……俺は、人の持つ夢ってものが好きだから」

 

 自然と、答えは出た。思わず、すっきりして表情がほころぶ。

 

 甲子園に行きたいという誰かの想いがなければ、俺はきっとここに居ない。

 誰かと添い遂げたいという願いがなければ、俺はきっとここに居ない。

 

『深紅。俺は今年、最後の一年に挑む。テレビのある場所があったら、たまにでいいから俺の雄姿を見届けてくれ。必ず、優勝してみせる』

 

 ――その強い意志を。未来の希望をつかみ取ろうとする人の心を。

 

 俺は、助けたいと思ってしまうんだ。

 

「……ふうん」

「人に聞いておいてその態度!!」

「ちゃんと聞いてるよ」

「じゃあこっち向けよ!」

「いや♡」

「話題を要求しておいてこの仕打ちはあんまりじゃないか……」

 

 後ろを向いたまま、一切顔を見せない彼女の背。

 小さくても、見事にぴったりと縫製されたその衣装姿がまじまじと目に入る。

 ……こいつも、頑張ってるんだな。せめてもう少し俺に優しかったら表立って応援しても変な感じにはならないんだが。

 

「しかし、メイド、メイドねえ」

「なに?」

「いや。准はメイドっていうよりも准って感じだな。ありのまま接客してるというか」

 

 そういうと、ようやく准はこっちに振り返った。

 ……なんで目を隠してるんだよ。いかがわしい店みたいだろ。

 

「私はこっちの方がいいかなって思ってるんだけど。それとも小波さんは他のがご所望なのかな?」

「いやそんなことは一言も……。ていうかその目隠し外せよ。失礼だろ」

「ほんとに失礼。顔が」

「この前やっただろそのくだりは!!」

「ご主人様はどれがお好みなのですか? ドジっ娘? 妹? それともツンデレ?」

「聞けよ!!」

「ご主人様はどれがお好みなのですか?」

 

 こしこしと袖で目を擦る准。お前、大事な衣装に化粧ついたらどうすんだよ。

 ようやく俺を見た彼女の目はなんか赤かった。よく見れば頬も赤い。

 

「いや准で良いよ……。ていうかなんで泣いてるんだよ。俺なんかしたか?」

「あまりに小波さんが失礼すぎて泣いちゃったよ。准でいい、ってなによ」

「いやいやいやいや明らかにその前から――」

「准、で?」

「准が良いです! はい!」

 

 だからその意志の光が感じられない瞳でこっち見るのをやめてください。

 

「うんうん、そっかー、私が良いか~」

「誘導尋問どころか誘導拷問……」

「じゃあ、お礼に今度全部やってあげるね?」

 

 

 は?

 

 

 

 

 

《ケラケラケミカル》III――全部載せとかラーメンかよ――

 

 

 

 

 

 

 

 商店街の野球チーム、ブギウギビクトリーズは、今日も8-0でマックスパワーズに勝利を挙げた。午前中に試合が終わったこともあり、上機嫌の権田がそのまま俺にカレーを奢ってくれる流れになっていた。

 

 よしよし、27奪三振とはいかなかったが、それでもかなりの成績を上げた甲斐がある。こんなによくしてくれるなんて、権田は本当に良い奴だな。

 

「試合が終わるや否や耳元で『ラッキョウ……ラッキョウ……』なんて囁かれたら連れていくしかないだろうが! ああもう、今日も良い活躍だったよクソ!!」

 

 オレ、ソンナコトシテナイヨ?

 

 今日の成績は16奪三振、被安打0。九回を投げ切りノーヒットノーランを達成した。三回ほどバットを折った。

 打撃の方は6-3の1打点。ちょっと調子が浮かなかったが、個人成績としては上々のはずだ。……まあ、目の前の権田は5-4の4打点でホームラン一本という猛打賞だったわけだが。ていうかこいつの4打点中2点は俺がホームを踏んだ数字だ。

 

「権田の調子もかなり良かったじゃないか。お前のリード、普段よりずっと投げやすかったし。バッティングも良かった」

「今日はまあ、褒められて悪い気はしないな。……試合前に奈津姫から『頑張って』って言われたからな、これはもう負けられねえと思って」

「分かりやすい奴だ……」

「うるせえよ。……結局、試合には来てくれなかったみたいだけどな。あ、武美は来てたぞ、良かったな小波」

「あー、だからな……?」

 

 いい加減、権田一人でも誤解は解いておいた方がいいかもしれない。

 ラッキョウカレーを食べにいって、そこに武美が居て余計ややこしいことにでもなったら、誰も得はしない。なにより、武美に失礼だ。

 

 さて、どう切り込んだものか。当然ながら権田に全てを話すわけにはいかない。

 

「お前には本当のことを話しておく」

「……ひょっとして、マジに違うのか?」

「言ってるだろ」

 

 驚いたように瞠目する権田に、言葉を続ける。

 いつも通りの商店街への帰り道。一応、バッテリーを組んでいる相手ともあってか、割とこの一か月ほどで権田とは打ち解けた気がする。ある程度なら、気持ちを汲んでくれもするのではないだろうか。 

 

「武美は一人暮らしだろう? ……俺はこんな風来坊だから、親御さんとも縁が出来てな。武美には言伝をするつもりでこの町に来たんだ」

「ならなんでささっと言ってやらねえんだ?」

「別居の事情が事情なら、そう簡単にもいかないだろ。俺はこの町に来て、武美がとても楽しそうに今を謳歌していることを知った。なら、頼まれたとはいえ苦い過去を直接伝えるべきかどうか……見極めなきゃいけないと思ったんだ」

 

 上手く言えた気がする。

 その証拠に、権田もふざけたテンションはなりを潜めて……あれ? なんか、思ったより深刻そうな顔してないか?

 

「……その、なんだ。茶々入れて悪かったな」

「構わないさ。俺の言い方が悪かったんだ。お前が勘違いしてしまうのも当然だ」

「そんなことねえよ。お前と安藤小波選手の話を聞いた時も思ったが、お前の人生に比べて、俺は少し人生そのものが小さかった。協力するよ、武美の件」

 

 ぐ、とサムズアップする権田。良い奴なのはありがたいんだが、買いかぶりすぎだ。

 お前の方がよほど、自分の中で大きな問題と向き合ってて、頑張って――

 

「だからよ、ちょっと、俺の方にも協力してくれ。な?」

「台無しだぁ」

 

 

 

 そんな俺たちの背中を、見ているひとりの影があるとは気づかずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 カシミールでカレーを掃除機のように平らげた俺は、その足でいつものように喫茶店へと向かっていた。しかし、一般人小波深紅凄いな。野球の試合をしてカレーを食べて喫茶店でコーヒーを飲む。優雅! 優雅過ぎて自分が怖くなる。

 今日も己の心を落ち着かせ、ゆるやかにブレイクタイムを――

 

「お兄ちゃんなんてじぇんじぇん来なくてもいいんだからね! あう、噛んじゃった♡」

 

 あ?

 

 

「どうしたのよお兄ちゃん! 入るなら入っちゃってよ! 空調がもったいないでしょ!」

「え、あ、……えぁ?」

 

 ごめんちょっと理解が追い付かない。

 深紅サーモグラフィーで感知したところ、間違いなく目の前の生命体Xは夏目准通常型だ。にも拘わらず誰だこいつは。魂か? 魂が入れ替わってるのか? 誰に? 俺の妹に? いねえよ!

 

「しっかりしてよねお兄ちゃん。なんでお兄ちゃんなんかを私がお世話しなきゃいけないんだか……」

「どうでもいいけどお前、エプロンの裏表が逆なのはわざとか?」

「え、あっ……!」

 

 ものの見事に顔が真っ赤になった。

 

「も、もう! 早く言ってよ! バカお兄ちゃん! 勝手に座りなさいよ!!」

「いつも勝手に座ってるだろ……」

 

 きゃ、と何もないところで転んでいった。……スパッツかよ。

 

 しかしなんなんだいったい。

 俺の理解を遥かに超えた状況じゃないか、これは。

 何が起きているんだ。この世にブラックホールでも開いたのか?

 ゲームじゃあるまいし。

 

 席についても俺の混乱は収まらないままだったが、追い打ちをかけるようにメイドがテーブルへやってきた。

 

「はい、コーヒー。わざわざ淹れてあげたんだからありがたく飲みなさいよね! あとこれ! サンドイッチ!」

「……いや、頼んでないが」

「あ、あああ余っただけよ! わざわざお兄ちゃんのために作るわけないでしょ!?」

「なあ、このサンドイッチ、またしてもマスタードにパンが挟まってるようにしか……」

「た、食べなくてもいいわよ? べつに、手作りとか、してないし……」

「おい、その、これ見よがしにつんつんしてる人差し指についた大量のばんそうこうは何だ」

「きゃっ、な、なんでもないわよ!!」

 

 頭痛ぇ……。

 

「頼む……そろそろ普段の准に戻ってくれ……」

「あら。お気に召さなかった?」

「お気に召すとでも思ったのか!? なあ、なあ!!」

「そんな食い入るような目でマスタードサンドマスタード指差さないでよ」

「マスタードサンドマスタード!! そうか、幾度も俺を苦しめるお前の名はマスタードサンドマスタードというのか!! 覚えたぞ!!」

「なにしてんの」

「それは数秒前までのお前に言いたい……」

 

 先ほどまでの無駄なキャラ遊びはどこへ行ったのか。けろっとした顔でいつも通りの准がそこに居た。無駄にほっとしてしまう自分が悔しい。こいつだって随分な劇薬なのに。

 

「なんでこんな訳の分からないことをしたんだ」

「だって小波さん、私なら何でもいいんでしょ? だからツンデレドジっ子妹やってみた」

「頼むからありのままの君で居てください」

 

 体力が50は下がった気がするんだ……。

 

「ねえ、小波さん」

「なんだよ」

「ありのままの私なら、受け入れてくれるの?」

「は?」

 

 こいつは何を言ってるんだ。と顔を上げた時には既に彼女は踵を返していて。

 

「冗談だよ♡」

 

 と振り返りざまに微笑んだ。

 

 

 



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《ケラケラケミカル》IV

 俺は小波深紅。こっちの単三電池にロン毛のカツラ被せたみたいな見た目してるのは、鼻に電池を突っ込んだら大恩を感じて仲間になってくれた電視。

 

「おい君、この辺りに落ち着ける場所はないか? 新しいプログラムを思いついたから、腰降ろしてやりたいんだ」

 

 常時ノートパソコンを抱えたその姿は、実は練習中でも変わらない。

 いや、降ろせよと。何度も指摘はしているんだが、応じるのは投球の間だけだ。

 こいつの頭はどうなっているんだか。それはそれとして。

 

「お前、いい加減その君って呼ぶのやめろよ」

「電脳世界では僕の方が年上だ。だからいいじゃないか」

 

 どういう理論だよ。

 

「……もういいや。そのノートパソコンでやれるなら、喫茶店で良いんじゃないか? ここは偶然にも店の前だしな……」

 

 俺と電視が無駄話に興じていたのは、例の腹減り喫茶店の前だった。

 というのも、ちょうど俺たちは練習帰り。歩きながらプログラムを思いつくっていうのは、つまりどういうことなんだ。新しいバッティングとか、そういう方向性なのだろうか。

 

 ふむ、と電視は喫茶店の外装を見上げた。

 そうか電視は初見か。俺も誰かと店に来るのは初めてのことかもしれない。

 ……だからといっていつもと何も変わらないんだが。

 

 扉を開くと奏でられる、心地いいドアベルの音。

 すぐに振り向いたウェイトレスが、楽しげに――ん? 営業スマイルだ。

 

「いらっしゃいませ♡ ご主人様♡」

「……よう、准」

「二名様ですね? お席にご案内致します♡ ご主人様方♡」

 

 なんだ気持ち悪いな。

 背を向けると同時にふわりとスカートが風を孕んで柔らかに舞う。

 なんだかいつもと違う彼女に首を傾げていると、背中からどつかれた。

 

「痛い!」

「こ、こんなところに居たら邪魔になりますよ小波さん!!」

「小波さんっ!?」

 

 目を仁王のように見開いて、息も荒く猛々しい別人のような電視。

 控えめにいってばっちいが……。

 

「どうなされましたか、ご主人様? こちらへどうぞ♡」

「お前もこれに顔色一つ変えないって大したもんだよな」

「知的な雰囲気から一変した雄々しい姿も、素敵だと思います♡」

「知的というより痴的だし、雄々しいというよりおどろおどろしいが」

「お上手ですね、ご主人様♡」

 

 否定しねえのかよ。そこは一貫してフォローしてやれよ。

 

「こ、小波さん! 何やってるんすか!! メイドさんを待たせるなんて言語道断!」

「侍従に気を遣う主人ってなんか物凄く間違ってる気がするが……」

 

 その辺どうなんだ、と思いながら准の後ろをついていくと。

 あいつ、俺にしか聞こえない声のトーンで、

 

「お金もないのにご主人様かー」

「聞こえてるぞ准!!」

「あら♡ 密やかにご主人様を想うメイドの気持ちが漏れてしまいました……♡」

「お前が心中でも俺を罵倒していることだけはよく分かった……」

「罵倒だなんてそんな……ご主人様を強く想えばこそ……」

「物は言いようだな!?」

 

 挙動不審に准を凝視する電視には、俺たちの会話など殆ど聞こえていないようで上の空全開ではあるが。それにしても、准がこんなに営業スマイル張り付かせているのはやはり電視が居るからか。

 

「こちらのお席になります。ご注文がお決まりの頃、またお伺い致しますね♡」

「は、はいいいい!!」

 

 オーバーリアクション気味に准に受け答えする電視の姿は滑稽だが、逆にまたむなしくもある。実際、この店に通っていると"こう"なる客の一人や二人や三人や十人、幾度も目にしてきたつもりではあるが。

 知り合いがこうも簡単に遊ばれているのを見ると、虚無が襲ってくるようだ。

 

 准は俺たちが席についたのを確認すると、俺にだけ見えるように悪戯げな笑みを浮かべて去っていった。……あいつめ、懲りないなあ。

 

「君、彼女とはどういう関係なんだ?」

「ただの知り合いというか、常連というか。お前それより、准が居なくなったとたんにノリが戻ったな」

「つまり、何もないわけだな!?」

「聞けよ」

 

 はい毒牙ー。

 食い入るような視線と荒い鼻息のハッピーセット。

 これはもうだめですね。完全に准のメイド色香にやられてます。

 

「あの姿! あの言葉使い! あの雰囲気! まるでメイドさんじゃないか!」

「姿だけで十分だろ。まるで、というかメイドさんらしいが」

「いいや、分かってない分かってない! 君は全く分かってない! メイドになるだけでもそもそもの素養が必要というのに、ご主人様と呼んで客を気分よくさせるためにはまたさらに上の――」

 

 電視の熱弁はどうでもいいんだが、注文を取りにきた件のメイドがお前の後ろで微笑んでるぞ? 営業努力が実って良かったな、准。……いや、心から賞賛する気には毛ほどもなれないが。

 

「お待たせいたしました、ご主人様」

「はいいいいい!! い、いや、全然! 全然待ってません! むしろこちらから毎日通わせていただきます!」

 

 毎日来るのかよ。

 せめて出されるコーヒーとか食べ物の出来を見てからにしろよ。

 お前が准目当てで来てるのが丸わかりだよこのタイミング。

 

「ありがとうございます、ご主人様♡ 精一杯ご奉仕させていただきますねっ」

 

 そんな電視にも、まるで嫌そうな顔一つせずふんわりと笑顔を浮かべてみせると。

 彼女に見惚れたままの電視の横を通って、俺の背後へ。 

 

「……固定客ゲット」

 

 准、お前ってやつは……。

 

「ハア、ハア……」

 

 電視、お前ってやつは……。

 

 

 

 

 

 

 

 

《ケラケラケミカル》IV――惚れた腫れた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませ♡ ご主人様♡」

「おっす、准」

 

 翌日。いつものように流れで喫茶店にやってきた俺は、軽くコーヒーを飲んでから武美のところに行こうかと考えていた。

 というのも、この前のお出かけ発言以降少々日が経っているというのに俺から出向こうとしなかったからだ。流石にこういうのは俺から向かうのが筋だろうし、それを差し引いても連絡手段の一つもない俺が何もしないでいるのは良くない。

 

「維織さん居ないし、いつものでいい?」

「ああ、頼む」

 

 いつも通りの准との会話を済ませて、いつも通りの席へと向かう。

 最近になって気づいたんだが、准が案内するあの席はフロア全体へと目を向けることが出来て、かつ席の間隔が広い。意訳するとだな。

 

 すぐに客にレスポンス出来て、なおかつ通常モードの准をあまり見られないで済む、と。

 つまりは准が俺でヒマつぶしするのにうってつけなんだろう……。

 

 

「じゃあ、すぐに持ってくるから、席に座っててよ」

「おう」

 

 とはいえ、別にあいつの暇つぶしに付き合うのは嫌じゃないし、くだらないことで日常を謳歌できる素晴らしさをこの店は教えてくれる。

 そういう意味でも、維織さんには本当に感謝しなくてはならないな。

 

 カタカタカタカタカタカタ

 

 ん? 何の音だ?

 激しくなにかを叩いているような……。

 

 ッターン!!!

 

「おおう、電視!」

「いやあ! 君か!」

「お前、こんなところで何やってるんだ」

 

 何がいやあ、だ。ご機嫌だな。

 

「僕がお茶を飲みに来てはいけないのかい?」

「いけなくはないが、そんな猛烈な速度でキーボードを叩く場所でもないだろう」

「彼女のデーターを入力するにはここが一番いいんだ」

 

 彼女……電視の視線の先を追えば、注文ついでにマスターと楽しそうに話す准の笑顔。なるほど。

 

「ストーカーかよ」

「キィィィィィィボォォォォォォドォォォォォォ! 僕をそんな奴らと一緒にするんじゃない! 奴らのレベルが25なら、僕のレベルは99だ!」

「いや、ダメだろそれ。上回っちゃったよ」

「ネトゲの世界ではレベルがマックスだと尊敬と羨望のまなざしで見られるんだぞ!」

「ここはリアルワールドだ。……で、そんなデーターを入力して何をする気だよ」

「もちろんゲームを作るのさ。僕と彼女の恋愛シミュレーションゲームを! ――タイトルは、僕がメイドでメイドが僕で、だ」

「全部お前じゃないか……。何だよ、そのシミュレーションゲームってのは。仮想恋愛ゲームってことか?」

「その通りいいいい!」

 

 常識のない変態に技術を持たせた結果がこれか。

 お前、小学生でもそんな妄想は胸に秘めて押しとどめておくというのに。

 ゲーム作っちゃうって。

 

「正解したきみには僕の作ったウィルスをプレゼント」

「いや、要らないし。そもそも俺はパソコンを持っていない」

 

 しかし誇らしげな電視は、俺が明確に呆れを声に混ぜこんでいることにも気づかずに上機嫌に解説を続けてくれる。

 しかし、准のデータを入力するってどういうことだよ。

 見た目か? 口調か? こいつに准の本心が分かるとも思えんし……いや、俺にもまるで分からないが。というか、准に限らず俺に分からないことをこいつが理解してるってなんか腹が立つな。

 

「所詮ゲームだろ? そんな中で頑張ったって現実とは無関係……」

「僕のプログラムに間違いはない僕が作ったこのゲームの中で彼女を僕の物にできれば、現実の世界でもきっと僕の物になる!」

 

 何を言っても無駄そうだ……。

 思えばこいつは、自分の作った野球プログラムを実戦で試すためにビクトリーズに入った人間。人間? ……たぶん人間。

 ならば迷わず一直線になってしまうのも仕方のないことなのかもしれない……か?

 

「もう、お前の好きなようにしていいよ」

「まかせたまえ! これが成功したあかつきには、君にも貸してやるから!」

「……准の目の前でやる分には面白そうだな」

 

 准との恋愛ゲームを准の目の前でやる。

 普段はからかわれてばかりだからな、これほどの恥辱もそうそうないだろう。

 その日ばかりは俺が上に立たせて貰うかな。くっくっくっ……くしゅん!

 あれ? なんでくしゃみが。

 

「お待たせしました。ご主人様……ってなんであの人は叫んでいるの?」

「気にするな、そういう歳ごろなんだろ」

 

 コーヒーを持ってきてくれた准の視線は、残像が既に釈迦如来のようになってしまった電視の腕と、その全てを受け止めるパソコンへ向かっていた。

 まさか、自分のデータが打ち込まれているなどとは夢にも思わないだろうが……。

 

「准……頑張れよ」

「何を言われてるか分からないけど……頑張るよ?」

 

 将来の為だからね♡ と続けて、意味ありげにウィンクをかましてきたこいつは知らない。自分の分身が電視によって攻略され続けているということを。

 

 初めて准を哀れだと感じた。

 

 

 コーヒーを置いた准は、今日は忙しいのかあちらこちらへと駆けまわっている。

 冷静に考えて、普段の暇つぶしの方が珍しいのかもしれないが。

 それにしたって人が多い。この分だと、コーヒー一杯で居座るのは邪魔だろうし……それに、そろそろ俺は用事があった。

 

 武美の漢方薬局がどのくらいの時間までやっているのか、そもそも何曜日にやっているのかすら知らないが……夜に彼女に迷惑をかけるわけにもいかない。

 

 ちょうど夕暮れも近いことだし、彼女だって自分の夕飯を作ったりなんなりとすることはあるだろう。

 なら、そろそろ行く方がいいはずだ。

 

 咆哮を上げながら(大迷惑かよ)キーボードをたたき続ける電視を放って、立ち上がる。

 

「……あれ、もう帰っちゃうんだ?」

「この混み具合で、コーヒー一杯で粘るのも普通に迷惑だろ」

「無料コーヒー飲みに通うような人にそんな良心があったなんてね」

「だから金は払ってるだろ!!」

「維織さんがね」

 

 そこまで言って、もはや日常と化したこの会話の下りにどちらからともなく吹き出した。

 

「あはは。じゃあ、また来てくださいね、ご主人様♡」

「言われなくてもまた来るよ。コーヒー美味しいからな」

「ところで、こんな時間にお店出て大丈夫なの? むなしくない?」

「俺はお前にどう思われてるんだ……」

「一人寂しく河原で時を過ごす放浪者?」

「間違ってないけど言い方考えろよ! 今日はちょっと知り合いに会いに行くんだ」

「ほー、ヒモになってる女のところか」

「女だけどヒモになった覚えはねえよ。じゃあな」

 

 相変わらず失礼なやつだ。それが、嫌にならないのが不思議だが。

 軽く手を挙げて、俺は店を出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぅん? 女なんだ?」

 



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《ケラケラケミカル》V

 夕暮れ時の商店街。

 自転車のベルが近づき遠ざかる一瞬で音の波長を変え、道行く家族連れや立ち話に興じる店員と顧客の楽し気な笑い声が響き渡る。

 廃れ、たとえ商店街が崩れ落ちそうな小径だったとしても、まっすぐ歩き続けて未来をつかみ取ろうとする熱がふと俺の胸を焼いた。

 

 いい町だな。

 

 掛け値なしにそう思う。この遠前町という小さな町は、いい町だ。

 

 空気を読まずに一声鳴いたカラスの羽ばたき。店先の商品でもかっぱらわれたのか、慌てて飛び出す鮮魚店のおやじ。ものの見事にいわしを盗まれた店主の間抜け顔を笑う通りすがりの客と、つられたように伝播する微笑みの輪。

 

 ぼんやりと遠巻きにそんな光景を眺めていた俺の背後に、小さな気配がやってくる。

 

「良い町でしょ?」

「ああ」

「だから、結構好きだよ、あたし」

 

 隣に並んだ華奢な矮躯。ふわりと風にリボンが揺れる。

 彼女の手には手提げの袋が下がっており、長ネギがぴょこんと飛び出しているのが妙に所帯じみていた。彼女は俺の方を振り向いて、屈託のない微笑みと共に口を開いた。

 

「や、数日ぶりだね、深紅さん」

「ああ。ちょうど今から店に行こうと思ってたんだ」

「今日はやってないよ」

「みたいだな。武美がここに居るってことは」

 

 肩を竦めてみせる。

 打てば響くような小気味良い会話に俺も思わず表情を緩ませながら、一歩を踏み出した。

 

「ここで、何の用事なんて聞くのは野暮ってもんだよね。せっかくだからさ、うちにおいでよ。このあと、何か予定ある?」

「予定は無いが、一人暮らしの家に見知らぬ他人を上げるのはどうなんだよ」

「――そこはそれ、人の情ってやつだよ。河原で寒空の下過ごす友へのね」

「もう五月なんだが……」

 

 とはいえ。どこかの店に入って、となると俺には金がない。

 あまり人の居るところで話せる話題でもないのが事実だ。

 お言葉には少しだけ甘えるとしようか。

 

「じゃあ……すまないが、お願いしようかな」

「うん、素直になるものだよ。一名様ご案内~」

 

 明るく機嫌よく、「すぐ近くだよ」と隣を歩き出す彼女の快活さは某ドリルメイドとはまた違ったまろやかな楽しい雰囲気というか。席に案内するか家に案内するかの違いはあれど、導かれる側としては、人によってこんなに違いがあるのかと思わず相好を崩した。

 

 こうして実感するまでは、武美と准はちょっと似ているかな、などと思っていたが。

 全然違う。

 

「ほら、ここ」

「本当にすぐ近くだったな」

 

 あがってあがって、と玄関口で手招きされて、俺も続けて屋内へ。

 流石に荷物を持たせておくのも悪いからと半ば無理やり預かった買い物袋とともに、そのままキッチンの方へと通される。

 

「夕飯の支度するけど、ご相伴に預かってみる?」

 

 そのままエプロンを身に着け始めた彼女は、振り返りざまにそんなことを言った。

 

「流石にそれは不味いだろ、そんなに会って日もないし」

 

 まだ会話すら数回の仲だ。彼女の無防備っぷりは正直心配になるレベルで、俺としても素直に好意に応じられる限度というものが――

 

 ぐぅうう……。

 

「おい武美、おなかが空いているなら無理しない方が」

「いやあんただ」

「……」

「……」

「……ごちそうになります」

「ん、素直でよろしい」

 

 じゃあちょっと待っててね、と声をかけて、彼女はシンクで準備を始めた。

 ご機嫌に鼻歌まで入り始めたその背中を、俺はぼんやり眺めるだけ。

 

 小波と友子は、今頃もしかしたらこんな生活を送っているかもしれないな。

 友子は料理に自信があるとかなんとか言っていたし、小波は見た目通りかなり食べるほうだ。円満な夫婦生活が待っているといい。

 

「なんか、深紅さんってさ」

「ん?」

 

 てきぱきと野菜を刻む音に混じって、彼女のソプラノボイスが耳に触れる。

 振り返ることはせず、片手間というかむしろ間を繋ぐためというか。

 何の気なしの無駄話するよー、といった具合の声のトーンで始まった彼女の言葉は、しかしどうにも本質を得ているようなものだった。

 

「とっつきやすいんだ。あたしにとっては。雰囲気かな?」

「雰囲気か。そう言われても、自分じゃいまいち分からないな」

 

 とっつきやすい。それが誰と比べてのことなのか。

 それを考えるよりも先に、彼女の楽し気な声が続く。

 

「えーっとね。リンゴの木の中にメロンがあるみたいな!」

「それがどうしてとっつきやすいんだ?」

「あたしもバナナとかそんな感じだから」

 

 フライパンにひいた油に、流し込んだ野菜が跳ねる音。

 バナナ、か。リンゴの木というのは、遠前町のことだろうか。

 そうだとすれば、彼女の想いは正しく――そして少しだけ寂しいものだ。

 俺をとっつきやすいと思ってくれるのは良い。

 けれど、それはつまり。

 

 彼女は今、この町で疎外感を覚えているということではないだろうか。

 

「あ、分かるんだ、やっぱり」

 

 喜色の混じった彼女の声と、木ベラでフライパンをなぞる音が出来の悪いアリアのように響き渡る。そこに彼女は一人だけで、ようやく仲間を見つけたとか、そんな具合だったのだろうか。

 

 思わず、問いかけた。

 

「……武美は毎日楽しいか?」

「楽しいよ。なんで?」

「いや、なら良いんだ」

「変な人だね。風来坊だね」

「変な人だという自覚はあるさ」

 

 目を閉じた。

 楽しいよ、と即答した彼女の表情は背中越しだと分からないし、俺をメロンだと例えた彼女の心情もいまいち測ることはできない。

 それでも、なんだろう。思うことはある。

 

 たとえば、彼女がリンゴになろうとはしていないこと。

 けれど寂しさのようなものは抱えていたこと。

 そして――全てを受け入れてしまって"当たり前"になっているから……今の楽しさが歪んでいたとしても、きっと彼女はそれを自分にとっては普通なのだと思っていること。

 

 俺にとっては普通のことを、彼女は極上の幸せだと感じてしまっているのかもしれない。一つのことに感謝をしめし、幸福を感じるそれ自体は良いことだ。

 けれど、もっと良いものに、もっとすごいものに手が届くかもしれないのに、伸ばすことをあきらめてしまっているようにも見えてしまう。

 それは、寂しいことだ。少なくとも、俺から見たら。

 

「はい。簡単なものだけど食べていって」

「ありがとう」

 

 メニューは最高級の品ぞろえだった。ごはんと、味噌汁と、野菜炒め。

 

「凄いな……こんな素晴らしい食事にありつけるなんて」

「そうかな? ……普通だよ?」

「……そうか、武美にとっては、普通か」

「まあ深紅さんにとっては素晴らしいのかもね」

 

 つまり、そういうことなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

《ケラケラケミカル》V――電脳世界の王VS悪魔メイド――

 

 

 

 

 

 

 

 

『明後日、どこかに出かけようよ!』

 

 武美の提案を受けたその翌日。つまりは、武美とのお出かけを前日に控えた今日。

 俺はいつものように練習を終え、コーヒーを飲みにこの店にやってきていた。

 

 軽く准と話をして、席に通されて、美味しいコーヒーを飲む。

 この長閑な雰囲気こそが、やはり喫茶店の持つ"味"というやつだろう。

 

 准はと言えば、今日は俺のところに来るでもなくカウンターのそばでぷらぷら店内を見渡している。いつもなら真っ先に俺のところに来てバカなことをやり出したりからかってきたりとするはずが、珍しいこともあるものだ。

 

 ……まあ、そういうこともあるだろう。ほら、女性は生理とか――

 

「じ~~~」

「ひっ」

 

 寒気がした。

 今確実に、確実に准の目が光ってたぞ。一歩遅ければレーザーが放たれて俺は即死だった。レベルイエロー、ちょっと苦戦? むしろガンダーロボがって俺は何を言ってるんだ。

 

 俺の妄言はともかく、彼女は変に俺の邪念を察知した後も、なんだか小さくため息をついて髪の毛を弄っているようで。……ひょっとしたら何か考え事でもしているのか。

 

 まあ確かにあいつも将来や現状や、自分でやらかした色々もあるだろうし。

 大いに悩むがいいさ。それも人生経験だろう。

 

 ……ふう。こうして静かなひと時も良いものだ。

 ゆっくりとコーヒーを飲むことが許される。こんな穏やかな日が――

 

「おい! 喜べ! ついに完成したぞ!」

「ぶち壊しだあ」

 

 わっざわざ遠いところから嬉々として報告にやってくる電脳世界の王が一人。

 お前、店の迷惑だから本当にやめてくれ。あと当たり前のように俺の目の前に座るな。やめろ、俺の優雅な一日が。

 

「どこかクラッシュしたのか?」

「クラッシュしてるとしたらお前だよ電視。で、何なんだよ」

「完成したんだよ、例のゲームが」

「例のゲーム?」

 

 はて、何のことだったか。

 少し考えて思い至った。

 

「ああ、准とお前の恋愛ゲームか」

「恋愛シミュレーションゲームだ。ちなみに全年齢対象だ」

「お前しかやらないんだから、べつに電視対象でいい」

 

 准とお前の恋愛ゲームを誰が喜んでやるんだよ。

 せいぜいお前らの関係を知ってる俺くらいだよ。

 

「いや、これはなかなかの汎用性がある。その場合、やはり購買層は広い方がいいからな」

「そうかい。商品展開とか准の肖像権はどうなってるんだ」

「そこは電脳世界の王である僕があらゆる手段を使って」

「こいつ捕まらねえかな」

 

 捕まらないんだろうなあ。無駄に技術は凄いから。

 

「それで、お前が作ったゲームでは、お前と准はどうなるんだ?」

「どのルートに行っても好感度はマックスだ! 全てのグッドエンディングを回収したぞ」

 

 ゲームってもっと試行錯誤が楽しいものじゃなかったか。

 最初から好感度マックスとかどんな――ああ、なるほど。お前には、あの准の対応が好感度マックスに見えているのか。……哀れな。

 

「でも電視。いい加減に気づけよ。現実での恋愛はゲームのように上手くいかないってことに」

「そんなことはない。きっとうまく行くはずだ! 僕のプログラムに不可能はない! きっとこのまま、現実世界での彼女も僕のものになるはずだ!」

「そこまで言うならまあ、止めはしない。頑張れよ。オレはここでコーヒーを飲みながら応援しておくから」

 

 まあ、電視なら悲惨なことにはならないだろう。せいぜいがギャグで済む。

 

「ああ、今までのプレイ内容からして、一発OKだ」

「いや、ゲームの中でいくら愛を育んでもこの世界の人間には影響はないからな。何を言っても無駄なようだから、行って玉砕してこい」

 

 そりゃ好感度マックスなら一発OKだろうが。

 ……まあでも、あれだ。まかり間違って電脳世界と現実世界がリンクするようなことがあったとして、准をお前が射止めるようなことがあったら祝福してやるよ。

 

「真エンドさえもコンプリィィィィト!」

 

 まあ、無理だろうがな。

 

 意気揚々と立ち上がった電視は、そのままカウンターのそばで上の空の准の目の前へと歩いていって――って、今かよ。まさかとは思うが……ちゃんと口説くんだろうな?

 

「そ、そ、そのお、じゅ、准さん!」

「はい? なんでしょうか、ご主人様♡」

 

 流石の営業スマイルだな。さっきまでぼうっとしていたのが嘘のような切り替えだ。

 

「じゅ、准さん! 僕だけのメイドさんになってください」

 

 好感度0で言ったああああああああああ!

 

 恋愛シミュレーションゲームだったんだよな!? ちゃんと告白までの駆け引きとか、そういうものを――ああ、はじめから好感度マックスだったわ。解散。

 

「困ります、ご主人様……メイドとご主人様の恋なんて、世間がきっと許しませんわ」

「世間なんて関係ない!君が僕のことが好きかどうかだ!」

「そんなのもちろんですわ!」

 

 もちろんですわってなんだよ。しかし流石の躱し方というか……いや、褒めてねえけども。……とはいえ。

 

「私はご主人様が……」

 

 こいつ好きとは一言も言ってないんだよなあ。悪魔かよ。

 

「准さんの気持ちはわかりました。僕がこの世界の神になればいいのですね」

「えっ?」

 

 えっ。

 

「わかりました。僕はこれまで以上に頑張って、世界を裏で操る男になりましょう。僕のプログラムなら、不可能はないはず。さっそく家に帰ってプログラムを組まなければ」

「あ、あのう」

「じゃあ少しの間ですが、待っていてください。電脳世界の王である僕が、現実世界の王になって。いえ、神になって帰ってきます」

「聞いてる?」

「ええ、聞いています。貴方の心から聞こえる声を。キィィィィィィボォォォォォォドォォォォォォ! と叫んでますね」

「……」

 

 おお、あの准が絶句してる。

 

 ……俺、やだな。心の中でキィィィィィィボォォォォォォドォォォォォォ!とか叫んでる女。

 

「では今日より電視炎斬は貴女のために世界を敵に回して頑張ります」

「……」

「それでは!!」

 

 勢いよくドアベルを鳴らして、颯爽と(?)電視は出て行った。

 ……あいつちゃんと会計していったか?

 

 それはともかく、あいつのテーブルの片付けをするためによろよろと准がこちらへ寄って来る。せっかくだから、声をかけておくか。面白いし。

 

「珍しいな。お前が何の反応も出来ないなんて」

「……小波さん」

 

 ゆらりと振り向いた彼女の表情は幽鬼のようで。

 

「あの人、おかしいよ! 絶対におかしいよ! 世界征服とか神になるとか言ってたよ! キーボードってなに? 私そんなこと一言も思ってないよ!」

「落ち着け、准」

「わけがわかんないよ~。……悩みは増える一方だよ」

 

 あの准がここまで取り乱すなんて……やるな、電脳世界の王。

 テーブルをクロスで拭きながら。その手にもやたらと力がこもっているように見えるが、それはそれとして。

 

「お前今日、ちょっと上の空だよな。どうしたんだ? 本調子だったらあいつもどうにかできたんじゃないのか?」

「ちょっと色々考えることがあっただけ。というか、分かるんだ?」

「何が?」

「私のこと」

「……風来坊は観察力豊かなものだからな」

 

 この前、しつこく俺に悩みがないか聞いてきた時に言っていたことをそっくりそのまま返してやった。

 准はぱちくり目を瞬かせて、ついで小さく吹き出した。

 

「……あはは、なにそれずるい。ねえ小波さん、明日って予定ある?」

「ああ。なんで?」

「そっか。んじゃいいや、明日もバイト入れよっと」

「休みだったのか?」

「そうだよ。貴重なお休みだったんだよ。あーあ、小波さんのせいで無くなった」

「どうして俺の用事がお前の休みに関係してくるんだ……」

 

 ちょっと強引すぎるだろ。さてはこいつ本当に調子悪いな。

 

「何を悩んでたんだよ。俺で良ければ聞くぞ?」

「いや♡」

「いやって、お前な」

「絶対ダメ。小波さんだけには、意地でも教えてあげない♡」

 

 それ、つまりあれか。この前の当てつけってことか。

 

 ……ま、こいつは強いし、自力でどうにかするだろ。

 

「ね、小波さん」

「ん?」

「また私が変な人に絡まれたら助けてね」

「お前の相変わらずの接客じゃあ仕方ないな。俺がこの町に居る間だけな」

 

 そう返すと。彼女はようやくいつものような、楽しげな表情を浮かべてくれた。

 




次回から楽しいデート(深紅が楽しいとは言ってない)

大半の方がお気づきかとは思いますが、サブタイトルは殆どがポケ9で使われているBGMタイトルです。一部例外曲がどこかで混ぜ込まれる可能性はありますが。


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《楽しいデート》I

 広川武美はその日、上機嫌で自分の店の前に立っていた。

 河原の風来坊という名の暇人と、楽しく遊ぶ約束をしていたからだ。

 

 諸事情あって、人に比べて童心が多く残っている彼女にとって、友達と遊ぶということはかけがえのない楽しいものであり、また商店街の現状を考えると中々誰かを誘って遊ぶというのも難しい話であった。

 

 野球は、自分では力不足だし。

 

 そう考えると、遊び相手としてあの風来坊は打って付けで。

 なんだか似たようなにおいも感じるとあっては、ワクワクドキドキゴー! といったような想いが心中を支配しているといっても過言ではない。

 

 待ち合わせ場所は自分の店の前。

 早いところやってこないものかとやきもきしていると。

 しかし、歩いてきたのは別の人物であった。

 

「あ、木川ちゃん」

「広川、ちょっといいか?」

 

 頬のやせた顔色の悪いマザコン、もとい木川則夫。

 130Khを超えるストレートを投げるそこそこの投手ではあるのだが、その根暗な印象と不気味な趣味が相まって商店街でもなめられている不憫な男だ。

 

 とはいえ武美にとっては薬にも毒にもならない商店街の身内。

 彼が自分に話しかける理由など十中八九理解しており、すぐさま軽く脳内で"準備"をする。

 

「チケットの予約、頼んでいいかな。いつもの、アレなんだけど」

「いつの?」

 

 彼女の得意とする、先着チケットの取り置き。ないしは、ダフ屋じみた行為を木川はやたらと頼りにしていた。今日もお気に入りの公演に出かけるべく、その注文代行を頼みに来たのだろう。

 

「だから、できればこの日曜日のチケットがいいんだけど」

「……それ、もう締め切ってるよ」

「ええ、ウソ!? ……じゃあ、その次の週で頼むよ」

「二枚でいいんだね?」

「ああ、ありがとう」

 

 こんなものかな、と目を開いて、武美は仕事の終わりを告げる。

 傍目には信じられないことだが、既に彼女は何もせずともそのチケットの手配に成功していた。木川は彼女が如何なる手段でその力を発揮しているのかは知らないが、腕は信用しているようで礼を言う。

 

 と、普段ならそこで終わりなのだが、木川は若干目を泳がせて、何かを言うか言うまいか悩んでいるようだった。

 

「どうしたの?」

「いや……お前はさ、昔からこの町に住んでるよな?」

「うん、何を突然」

「いまいち記憶が確かじゃないんだけど、両親と別居とかしてた?」

「えっ? ……どうして?」

「風来坊のヤツがさ」

 

 木川は、その胸中を吐き出す。

 権田と深紅が共に帰っている際に彼らが話していた内容を。

 

「お前、小波に一人暮らしだって話したことあったか?」

「ないよ。……それは、昨日ちょっと気になってた」

 

 思い返せば確か、さらりと「一人暮らしの家に男を上げるのは不味いだろ」というようなことを言っていた気がする。それを、彼が知る術がどこにあったのか武美は知らない。

 同意を得られた木川は鷹揚に頷き、続ける。

 

「あいつやっぱり不気味だよ。権田さんは気を許してるけど……やっぱり余所者なんか信用できない」

「それはこの前、抑えに出ることも出来ずに深紅さんが完全試合したから?」

「そ、それとこれとは関係ない!!」

「むきにならないでよ。だから木川ちゃんは……」

「というか、深紅さんとか呼んでるのか」

「……それより、本当にその時深紅さんは、あたしの親から言伝を預かってるって言ったんだね?」

「ああ、それは絶対だ。権田さんになんでささっと言わねえんだって言われて、なんかそれにも適当に言い返してたみたいだったけど……」

「そっか……あ、噂をすれば」

 

 木川と話している最中も、ちょろちょろとあたりを見渡していた武美は遠くからやってくる特徴的な人影に気が付いた。テンガロンハットと外套。そして、初めて会った時は着けていなかった黄色いストール。

 

 見間違いようもなく、待ち人の小波深紅であった。

 

「っ。広川も気を付けろよ。何を考えてるか分からない余所者なんだから」

「あ、うん」

 

 すたすたと歩いて去っていく木川を見送った武美はぼんやり思う。

 余所者、か。それは自分も同じだと、彼は知らないのだろうけれど。 

 

 それにしても、親とはまた随分と恐ろしい話だった。

 だって、自分にとって親というのは――

 

「よ、武美。待たせたか?」

 

 やってきた、間抜け顔の男に対して。武美は、困ったように眉根を寄せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《楽しいデート》I――ロマンのプレゼント――

 

 

 

 

 

 

 

 

「この先だよ」

 

 武美が出かける場所に選んだのは、この町の裏山だった。

 せっかくだから作ってきた、と微笑む彼女のランチボックスは、今俺が揺らさないようにしながら提げている。山道はなだらかで、ただ車が通れるほど広くはない。

 二人で登るのにはちょうどいいくらいのその道を、彼女はずんずん先へ進んでいく。

 

 今朝会った時は少し元気がなさそうに見えたが、昼前になった今ではそんな表情はなりを潜めて楽しげそのものだ。

 

 しかし静かだな。この町の喧騒も、この山までは届かない。

 彼女は山頂まで登るといっていたから、もうそろそろ辿り着くのではなかろうか。

 流石に武美が元気だというのに、俺がへばるようなことはないけれど。

 

「はい、到着!」

 

 何の儀式か分からないが、俺たちの上を覆いかぶさるように茂っていた木々のトンネルを抜けると、山頂は開けた台地が広がっていた。おあつらえ向きに置かれたベンチと、あとはもう広場といった具合。

 けれど山頂から見下ろす景色は確かに良いもので。

 

「ハイキングのゴールとしては良い場所でしょ」

「そうだな……あれが遠前町か」

「深紅さんが住んでる河川敷はあの辺りだね」

「あ、ほんとだキャンプがある」

「深紅さん、目が良いんだね」

「特別製だからな」

「あはは、なにそれ」

 

 落下防止の柵の前までやってきた武美は、両腕をぐっと広げた。

 ちょうどいいタイミングで、優しいそよ風が肌を撫でる。 

 

「うーん、良い風。ねえ深紅さん、キャッチボールでもする?」

 

 彼女のパーカーのおなかのポケットから、ぴょこっと硬球が顔を出した。

 

「よし、そうしようか」

 

 せっかく、誰もいない平日の裏山だ。身体を動かさなきゃ損だろう。

 そう思って、武美からある程度距離を取る。

 

 彼女はにこやかに手を振ってから、緩やかな放物線をボールで描いた。

 キャッチしたそれを、緩く投げ返す。

 落下地点が自分の胸元であることを武美が察知するまで数秒、ちょこまかと動き回るのが可愛らしい。

 

「おお、コントロールいいね」

「実は俺、ちょっと野球が上手いんだよ」

「あはは。ちょっとどころじゃねー!」

 

 ぶん、と今度は直線的なボールが飛んできた。それを左手でつかみ取ると、どうもそれが気に入らなかったようで武美は頬を膨らます。

 

「余裕ぶっちゃって! こっちにも本気で投げてこい!!」

「よし、任せろ」

 

 先ほどよりもさらに到達点の高いボールを投げる。ちょうど、浅めのフライのような感じだ。彼女はよろよろとキャッチする地点を探して――

 

「あだっ!?」

「おい、大丈夫か!?」

「いたた……まさか頭に当てるなんて。ピッチャー失格だよ!」

「いや、今のは自分から」

「ピッチャー失格だよ! 乱闘だおらー!」

「すみませんすみません」

「今更帽子とっても遅いわー!」

 

 飛び込んできた武美を受け止めて、降参とばかりに両手を挙げる。

 

「ぷっ……あはは」

「楽しそうで何よりだ」

「そりゃあ、楽しくないと損だからね」

 

 ゆっくりと武美が俺と距離を取る。

 楽しくないと損。そのセリフに、妙に真に迫ったものを感じ取って、ふと顔を上げた。

 

「信じたくないんだけどさ」

 

 ぽつりと呟いた彼女の表情は、前髪に隠れていまいち見えない。

 けれど、何だか寂しそうで。俺は、声を掛けようとして踏みとどまった。

 だって、彼女の口からこぼれた言葉が。その不安が、今の俺を怖がっているように思えたから。

 

 

「貴方は、大神の関係者なの?」

「大神の……? 誰が、そんなことを」

「ちょっと小耳に挟んだんだ。貴方が、あたしの親からの言伝を預かってる、ってさ。あたしに親なんていない。けど、もし親に当たる人がいるとすれば、それは――。ねえ、深紅さん。貴方……あたしのことをどれだけ知っているの?」

「……落ち着けないだろうから、一つだけ言っておく。俺は大神の関係者なんかじゃない。むしろ、それと敵対した――いや、敵対していると言っても過言じゃない」

「……でも」

「……この続きの話をする前に、俺の質問に答えて貰うことは、出来るかな?」

 

 権田が漏らしたのか、それとも別の誰かが聞いていたのか。

 俺にそれを知る術はないし、知る必要もないと思う。

 

 けれど、残念に思った。結局俺は、彼女の今の幸福を見ようとして、俺という存在のせいで不安を呼び込んだのだから。これじゃあ、最初から俺が直球で聞きに行くのと何ら変わらない。心を傷つけたことに、違いはない。

 

「あたしに聞きたいこと?」

「ああ。俺は確かに君のことを幾つか知っている。けれど、それを打ち明けなかったのは……君が幸せかどうか。君が、どうしたいのか。ここの生活をどう思っているのか。それを、先にそれとなく知りたかったからなんだ。余計なお世話で過去を振り向かせることが、果たして正しいことなのか。それを見極めてからでも、遅くないと思ったから」

「ああ……それで、今幸せかって」

「そうだ。こうなってしまった以上、俺の余計なお世話は不安を煽るだけだったみたいだから……申し訳なく思う」

「……あたしは、幸せだよ。誰かに守って貰わなくても生きている。自分の力で立つことが出来た。……あとは、幸せに散るだけ」

 

 彼女の答えに、一度瞑目する。

 幸せ。その言葉に、ウソ偽りはないのかもしれない。

 遠前町で過ごして、あの輪の中に彼女は居た。それでいいのだと。それでいいのだと彼女は受け入れていた。けれど――もし、リンゴの木の中に自分だけ別のものだったとして。それでいいと思っていたのは、果たして幸せなのだろうか。それは……時間がない故の諦めじゃないのか。

 

「武美」

「なぁに? あたしは、貴方が何をしてくれるとも思ってないよ。だから安心して。過去を思い出させた、くらいのことで怒るほど狭量じゃないし……もう、割り切ってるんだ。今を楽しく生きようってさ」

「なあ、武美。俺は――」

 

 彼女がゆっくりと顔を上げた。

 もし、もしも。このままひっそりと居なくなりたいと。消えたいと思っているのであれば、選択肢を渡すだけ無意味に悩ませる苦痛にしかならないと思ったから。

 けれど、そんなことはない。彼女は今幸せで。それ以上の幸せに蓋をしている理由も、今分かった。なら、迷うことはない。

 

「――お前に、渡したいものがあるんだ」

「渡したい、もの? ……なんだろ。楽しみだな」

「ならもう少し期待した顔をしてくれよ。ちょっと寂しいじゃないか」

「……しないよ。期待は。だって、今のあたしは十分幸せで、満ち足りているから。今更正義のヒーローが駆け付けたって、あたしは心から喜ぶことはできないんだ。なら、もっと……早く来て欲しかったから。今更なんだもん。……今更、なんだよ」

「そう、言ってくれるなよ。ロマンが薄れるだろ」

「あはは。確かに。ごめんね。あたしは満ち足りて、十分幸せ。それはきっと、絶望でもあるんだよ。自分にこれ以上の何かは訪れない。だから諦めているって言われても言い返せない。……なら、ちょうだい。絶望したあたしに、どんでん返しの展開を。誰も予想しないような、ヒロインが幸せになれるロマンをさ」

「ああ」

 

 そんなことを言って、けれど彼女の表情からは、およそ期待のようなものは見えなかった。あるのは滑稽なものを笑う準備だけ。俺がどんな期待外れのものを持ってきても、お礼を言うための身構えだけ。

 

 寂しいじゃないか、そんなもの。

 

「武美」

「うん」

 

「俺は、友達に頼まれて」

「うん」

 

「きみに、"時間"を持ってきた」

「…………え?」

 

 武美の表情が凍る。

 何が言いたいのかと、怪訝ですらある。そんな概念的なものを、ポケットからぽいぽい出せるはずもない。それが、プレゼントだなんて。分かるはずがない。

 

「俺の親友、安藤小波はCCR所属のエージェントで、恋人はサイボーグ同盟所属のサイボーグ、森友子。決して許されない敵対組織の"人間"同士の恋愛は、俺に力と熱をくれた」

「森、友子……?」

 

 瞠目した彼女から零れ出たその言葉は、きっと聞き覚えがあったに違いない。

 まったく、助けたい相手の名前が浮かんでこなかったどっかのみょんみょんとは偉い差だ。今度会えたら、説教しないと。

 

「俺は結局何も出来なかったけど。別れ際に、そんな俺に二人が託してくれた仕事があったんだ。これからを生きると決めた仲間の中に一人、とんでもない爆弾を抱えさせられている子がいる。その子を助けてあげて欲しいって」

「ぁ……やっぱり、友子って……」

「居場所を作ってあげることだけは出来た。けれど、それ以外の全てが出来ないまま置いてきてしまった。今更自分は動けない。だから代わりにって。そうして、俺は旅に出た。町を幾つか渡って、この遠前町へ。俺のかけがえのない友達が、助けたいと思った女の子がいる場所へ」

「し……ん、く、さん……」

「俺には、精神的なブロックが効かない。この力を使ってきみと共に大神のデータを吸い出せば、寿命タイマーに関する情報も抜けるはずだ。あそこには、サイボーグでは手の届かない精神的アルゴリズムを利用したプロテクトがかかっている」

「…………ぁっ」

「思い当たる節があったみたいだな。そいつは何よりだ。……俺は、きみにいつでも付き合う。そうしたら、一緒にあのふざけたシステムを消し飛ばそう」

「……ほん、とに……?」

 

『彼女には、寿命タイマーっていうものが仕掛けられているの。サイボーグなんて、言ってみれば人間扱いされない駒だから、任務成功と同時に自爆させることもあるわけで。それが誤作動しないかどうか、そんな実験に放り込まれていたのが広川武美。定期的にリセットしていたから私もあの時は居場所を見つけてあげることで精一杯で忘れてて……でも、リセットされていなかったとしたら彼女の寿命はもう幾何もない』

『研究所に戻せばいいのか?』

『そんなことしたら、死ぬより恐ろしい目に合わされるわ。それより、彼女の力ならできる方法がある。……けれど、それにはきっと貴方のように精神的な攻撃が効かない人の力が必要なの』

 

 ……小波、友子。

 きっと約束は果たしてみせるさ。彼女にとって、お前たちの残したプレゼントはきっと……最大限の幸せだったはずだから。

 この彼女の、ぐしゃぐしゃに歪んでしまった表情を見れば、分かる。

 友子も、泣いている時はこんな顔をしていたよな。涙なんかなくたって、そのくらいは理解できる。大事な友達のことだったし……目の前の友達のことだから。

 

「本当に……本当に、出来るの?」

「ああ。なんせあいつの記憶操作を、俺だけは受け付けなかったからな」

「……あり、がとう」

 

 しゃがみこんでしまった彼女を、そっと抱きかかえてベンチに持ってくる。

 ……こう言っちゃなんだが、ちょっと重いな。流石はサイボーグ。

 

 そんなことはおくびにも出さず、彼女を座らせて景色を眺めた。

 ああ、良い景色だ。

 

「……ひっく……うぅ……」

「そうやって泣けるくらい嬉しかったなら、俺も、来て良かったと思えるよ」

「……泣けない、んだぁ……あたし……」

「泣いてるよ。友子もそうやって泣いてた」

「……そっか……ありがと……あたし、泣いてるんだ……」

「ああ」

 

 そっと、帽子をかぶり直した。

 こんな少女に、残酷な運命を運んだ大神の研究所。許すことなどできない悪だ。

 俺は、そう思う。けれど、新しい命を生むということを一概に悪く言えるかというと、そうではない。人工生命であったとしても、彼女らは生きている。

 

 正義とは、ままならない。

 

「……ありがとう。深紅さん」

「収まったか?」

「うん。あたしね、幸せだよ?」

「そうか。なら、こんなに嬉しいことはない」

「うん。うん……」

 

 俺たちを包み込むように風が吹いた。

 

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、深紅さん。貴方はいったい何者なの? ……どうして旅をしているの?」

 

 山を下りて。そろそろ日が暮れようかという時間帯に、二人は歩いていた。

 伸びてきた影を見れば、小さい方の影がご機嫌にぴょこぴょこリボンを動かしているのが分かる。

 

 近々、大神の研究所にサイバー攻撃を仕掛ける話はお互いに合意していた。

 彼女の寿命タイマーが起爆するまで、まだ時間の猶予はある。とはいえぬか喜びになってはいけない。一発勝負には違いない。万全の準備を整えて、武美がある程度期間を決めて、行こう。山頂で二人で頷きあった。

 

「俺はしがない――」

「しがない風来坊に、精神攻撃が一切効かないとかあり得ないから」

「さてな。正義のヒーロー……になれなかった男、とでも思っておいてくれ」

「それ、さっきのあたしの言葉のせい? でも、深紅さんはあたしを守ってくれたよ。本当に、一発逆転のロマンだったよ。……あはは、これも深紅さんが次の町で誰かに語る物語になればいいなあ」

「そのためにも、頑張ろう」

「おー! へへへ♪」

 

 上機嫌の武美と共に、商店街に戻ってきた。

 

「あ、そうだ。せっかくだからもう少しお話したいな。あたしが奢るから、ね?」

「情けない話だけど、お世話んなります」

「素直で宜しい。作戦会議だー!」

 

 とてて、と武美が向かう先。

 何の気なしに目で追って、俺は思わず吹き出すことになる。

 武美が意気揚々と入った店は。

 

「いらっしゃいませ♡ ……二名様、ですね?」

 

 何故かは分からないが猛烈に嫌な予感がした。

 

 




本来、大神のプロテクトはサイボーグにはどうにもできないという設定ですが、果敢にチャレンジしたのがサイボーグだけであったことから、友子は"誰なら大丈夫なのか"いまいち判断できない状況でした。なので、精神的なものが何も効かない深紅なら絶対に大丈夫だとして託しています。普通の人間でもワンチャンあるかもしれませんが。

R15タグ外しました。パワポケは全年齢対象だもんな。うっかりしていた。飛び降りたり爆発したり医療費払えなくて死んだりメロンパカしても全年齢対象だよ。


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《楽しいデート》II

『決まったあああああ!! 見逃し三振!! 安藤小波、今シーズン未だ無敗の8連勝――!!』

 

 インハイに143khのストレートを見せられた直後、抉れるようにアウトローへ突き刺さるスクリューに、手も足も出ないラストバッター。

 画面の中の小波は一息ついて帽子を取ると、軽く客席に手を振ってからベンチへと戻っていった。

 

「ちょっとかっこつけすぎじゃない?」

「見るところはそこかよ……」

 

 テレビの前にあぐらをかいていた小波が、背後からの声に振り向くと。

 シャワーを浴びて、髪をバスタオルで拭う色っぽい恋人が、半眼でテレビを眺めていた。

 

「絶対スクリューが来るって分かってるのに打てないものなのね」

「お、野球が分かる人のコメントですね!」

「いくらなんでも、恋人があれだけ騒がれてるスポーツを何一つ知りませんじゃ……この先恥ずかしいでしょ?」

「そっか」

 

 彼女の言うことはごもっとも。

 そのまま友子はしなだれかかるように小波の隣に座りこみ、肩を枕にしてぼんやりとテレビを眺める。テープを戻して、再生して。己のピッチング研究に余念がない小波の横に寄り添って、真剣なまなざしをテレビに向ける彼の頬を軽く突いた。

 

「立派な、プロ野球選手ね」

「ああ。友子と一緒に人並みの人生を送る、一人のプロ野球選手だよ」

「……そっか」

 

 人並みの人生。

 その言葉に籠った実感を、きっと彼らを傍目から見る人間は理解が出来ない。

 二人の間に――いや、二人を取り巻く環境は、去年と今とで目まぐるしく変化を起こしていた。

 

 色々、あった。戦い、お互いの同胞を殺し合い、精神を汚染して近づいて。

 けれどその縛りはもう存在しない。二人を縛る鎖は消え、残っているのはお互いの間で結ばれた赤い糸ただ一つ。幸せを、ようやく甘受できるこの日常を、誰がくれたのかなんて二人の中で答えは一つ。

 

「……深紅君は、今頃どうしてるかな」

「CCRは解体される見込みだ。もし動きがあるとしたらそのあとの大神だろう。上層部には軽く探りを入れているけれど……そっちはまだ分からない。きっと遠前町で、河原のキャンプ暮らしとかそんな感じじゃないか?」

「どうしよう……やめてほしいけど凄くあり得る」

 

 うわ、と引きつった表情を浮かべる友子。

 

 ――CCRは、世の闇に溶けて消えた。そう言って相違ないほどに、もう組織として機能していない。その存在を、在った事実を、きっと大神は消滅させるだろう。

 同僚の女もそう言っていた。

 

 ……灰原は死んだ。

 隊長の死を知らされた日、小波は少しだけ思考に時間を取ってからすぐさま深紅の元へと出かけたのだ。友子に連絡を取り、別れの日に託すつもりだった封筒を持って。

 

 元々あの隊長の立場というものは気になっていた。けれど、灰原が殺されるような状況と、直前にあった深紅と小波の会話を思い出せば何が起きたのか、どういう背景があったのかを結論づけるのは容易だったと言っていい。

 

 そういう点において、凄まじく頭がキレるのがこの小波という男だ。

 

 死んだ灰原よりも、深紅の居場所を先に探した冷静さもこの男であればこそ。

 機を逃せば、姿をくらませるに違いない。実際彼はそうしようとしていた。

 何も出来なかった、などとうそぶいて。

 

 きっと深紅は、小波と友子が全てを知っていることを知らない。

 どれほど、深紅という男に感謝しているのかを知らない。

 けれど、それでも良いのだ。友達が、友達のままで居られるのだから。

 

 いつかきっと友達として何かを返すことが出来ればと。小波はそう考えている。

 

「……とはいっても、あいつが助けを求めることなんてそうそう無いとは思うがな」

「そうね。全部ひとりでやっちゃうんだから。……それに気づいてくれる人がいれば、いつか深紅君も――」

 

 少しは私たちを頼ってくれても良かったのに。

 つまらなそうに友子は言う。そんな彼女の髪をそっと撫ぜながら、思った。

 

「そうだな。あいつは遠前町で、きっと友子の友達を救ってくれようとするだろう。どこに行ったってあいつはそういうヤツだ。そうして続けて、いつか。守るだけが人じゃないって……きっとどこかであいつも気づくさ」

「……ドジャースからのオファー、受けるの?」

「それは――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《楽しいデート》II――俺の胃キャンプファイヤー――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 助けてくれ、小波。救ってくれ、友子。

 

「ご主人様♡ 本日もいつも通り、コーヒーで宜しいでしょうか♡」

「深紅さんここ良く来るの? 教えてくれても良かったのに」

「はい♡ それはもう、いつもメイドにデレデレしております♡ ご主人様に想って貰えて、私とっても幸せです♡」

「へえ……深紅さん、そんな趣味だったんだ」

「深紅さん、ね……?」

 

 何これ。

 どうしよう、どう弁解……いや、なんで俺が弁解する必要があるんだ。

 それこそいつも通り准の適当なセリフはあしらえばいいし、武美にはよく無料コーヒーを飲んでいるだけだと正直に言えばいい。

 

 いいはずだ。

 けど、なんだこれ。俺の目がおかしくなってなければ、いつも准から立ち上っている黒いオーラが武美からも見えるんだけど。なんでそんな据わった目で俺を見てるわけ?

 

「えーっと、准」

「はい、いつも通り私の頭をなでなでされますか♡」

「したことないだろそんなこと!?」

「ではいつも通り私のスカートの中にお潜りに♡」

「したことないだろそんなこと!!!! 捕まるわ!!」

「ご主人様♡ 私はいつでも、ご主人様の想いを受け止める準備は……♡」

「頬染めんな!! なんでこんないかがわしい店みたいなノリになってんだよ! おかしいだろ!! じゃなくて!!」

「はい♡ なんでしょう、ご主人様♡」

「……友達に友達を紹介するだけで、どうしてこんなに疲れるんだ。こっちは広川武美。商店街の漢方屋さん。前居た街の友達の連れで、それで知り合った」

「ふぅん。宜しくお願いいたします、お嬢様♡ この店の看板メイドの夏目准です♡」

「うん、宜しくねー」

 

 はあ、疲れる……。思わずテーブルに突っ伏した。

 なんか、二人とも仲良さそうに笑顔で宜しくやってるし、これで何とか……ん?

 武美はともかく、准の目が明らかに笑ってないんだが。怖ぇよ。武美が何したっつーんだよ。

 

 けど、なんか武美も変だ。にこやかに手を振って、メニューを見ているだけなのになんだろう……こう、迂闊にこの二人の間に入ったら死ぬ気がする。

 なんで喫茶店でこんな張りつめた空気にならなきゃいけないんだ。

 マスターが恐る恐るカウンターから覗き込んでるじゃないか。

 

 武美はメニュー表から顔を上げると、満面の笑みを俺に向けてきた。

 可愛い。可愛いんだが……なんか、怖いぞ?

 

「じゃあ、あたしもコーヒーを一つと……深紅さん、何か食べる?」

「え、あ、いや、今は良いかな。お腹空いてないし」

 

 山を下りる前に、武美お手製の弁当を食べてきたばかりなのだ。

 それを分かっているはずなのに、わざわざ聞いてきた意味が分からないが。俺が必死で食い溜めしたりしてるの知ってたっけか?

 

 などと悩む暇もなく。

 彼女はまるで俺の返事が分かり切っていたかのように言葉を返してきた。うんうんと頷きながら、准にメニュー表を返しつつ。

 

「そうだよね、あたしのお弁当食べたばっかりだしね。あたしもコーヒーだけでいいや。じゃあ店員さん、コーヒー二つお願い」

 

 ……ん? なんか見間違いでなければ今の准と武美のメニューの受け渡し、おかしくなかったか? なんか二人の視線が交錯する瞬間だけ、どこかで見た目に……はっ。

 

 この喫茶店でよく見る殺し屋の眼差し……!!

 

「かしこまりました♡ あ、でもご主人様♡ この前召し上がられたパスタ、今日もありますよ♡ 今日一番の美味しさを提供させていただきます♡」

 

 お腹空いてないって言ったじゃん。

 ていうかあれお前の自作だろ? メニューにも書いてないし……ああ、だから言ってくれた、のか?

 

「いや、いいよ。空腹が何よりのスパイスだよ」

「あら残念♡ ご主人様がいうと含蓄がありますね♡」

「バカにしてやがる!」

「あはは。それでは、失礼いたします♡」

 

 俺との会話で満足したのか、彼女は楽しげにスカートの裾をつまんだ。

 そして、たたた、とカウンターの方へ戻っていく。

 なんだったんだ今の空気――ひっ。

 

「た、武美?」

「気に入らない」

「な、なにが?」

「気に入らない気に入らない気に入らない! あたしのお弁当食べたって言ったのに! 今日一番って! なにあれ!」

「武美もなんでわざわざあんなこと言ったんだよ」

「ピッチャーなら分かるでしょ?」

「は?」

「もういいですー」

 

 ぶー、と不貞腐れたようにむくれて。なんだか知らんが武美はそのまま出されたお冷をちびちび飲みながら無言になってしまった。

 ピッチャーなら分かるってなんだ? 投球?

 

「……深紅さん、ここよく来るんでしょ」

「まあ、練習のあとはだいたい」

「カシミール来ないで、ここに来るんだ?」

「ここならただでコーヒー飲めるしな」

「え、なんで?」

「まあ、色々あってな……」

「へーー!」

 

 ぷっくー、と頬を膨らませる武美。

 いや、ここにはいないお姉さんが俺の一年分のコーヒー代払ってくれたとか、意味不明すぎて説明にまた手間取るだろう……。そういえば、その維織さんを最近見ないな。

 どうしたんだろう。

 

「お待たせいたしました♡ コーヒーお二つお持ちいたしました♡」

「お、さんきゅ」

「ありがと」

 

 准は俺以外が居ると完全営業モードになるのはまあ、電視の件でよく知っている。

 けれど、武美もこんなに人見知りだったとは思わなかった。

 なんかもう、来客に敏感になる家猫のようだ。猫飼ったことないけど。猫みたいなやつなら居たからな。身近に。

 

「いつも通り、私がふーって冷まして差し上げましょうか♡」

「やったことねえし冷めたコーヒーなんて冒涜だ!」

「無料のコーヒーは冒涜じゃないの?」

「そ、おま、こ、それを言ったら戦争だろうが!!」

 

 今一瞬、ちょっと素の准が出たぞ。あの黒い表情は間違いない。

 なんてくだらないことを言っていると、スティックシュガーをさらさらと自分のカップに入れていた武美が微笑む。……表情だけ。

 

「でも今日、このお店混雑してて忙しそうだね」

「はい♡ おかげさまで♡ いつもご主人様がいらっしゃる時は蜘蛛の子を散らすように閑散としているのですが♡」

「それじゃあ俺が避けられてるみたいだろ!! 素直に空いてるって言えよ!」

 

 あらあら、と准は准でご機嫌だ。ご機嫌、に見えるがなんかこう、なんだ。いつもと違う。

 そんな彼女に対して、しかし武美もなんだかさっきよりも笑顔がこう、深いというか強気というか。

 

「あっちの人とかメニュー閉じてるし、あっちの人もカップの中身ないし……やっぱり一人でウェイトレスさんって大変そう」

「えっ?」

 

 准が驚いたように目を開いた。いや、俺たちの角度からそんな細かい情報……あ、さては武美、監視カメラをジャックしたな。

 

「大変そうだね、店員さん。頑張ってね」

「……それではごゆっくりどうぞ♡」

 

 ぺこりと柔らかな物腰で頭を下げた准は、そのまま俺の後ろを通り過ぎ――

 

「気に入らない……」

 

 ぼそりとなんか呟いてった。怖ぇよ! お前もかよ!!

 

「……あのメイドさんさ」

 

 ミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーをくるくるかき混ぜながら、武美はぽつりとつぶやいた。彼女の視線は、笑顔で客に応対する准に向いている。

 

「前にあたしと深紅さんが話してる時、走ってた人だよね?」

「よく覚えてるな」

「あんな見た目だしね。それにあの時、深紅さんの目が……」

「俺の目?」

「んーん。言ってあげない」

 

 彼女は笑った。俺に向けて、いっそ華やかなまでの優しい表情で。先ほどまでと違って、目も含めて。……なんだろう、こいつら水と油の関係なのか。

 

「はあ、このお店にするんじゃなかったかなあ。確かにちょっと混んでて、あまり聞かれたくない話とかし辛いね」

「まあ、触りだけでも良いんじゃないか? いつにするかとか、そういうの」

 

 今更店を変えるのもあれだし。

 そう思って俺が提案すると、少し考えた武美はぽんと手を打った。

 

「おお、それは名案だね!」

「言うほどではないだろ」

「そんなことないよ、名案だよ。それなら大きな声で言ってもバレないね」

「わざわざ大きな声で言ってどうする」

「じゃあ、深紅さん。次のデートはどこにしよっか♪」

「……はあ?」

 

 頬杖ついて両のほっぺたを支えながら、にまにまと嬉しそうに彼女は言う。

 いや、デートって。カモフラージュにってことなんだろうけど、それはそれでちょっとこっぱずかしいだろ。

 ……お前もちょっとほっぺた赤いじゃねえか。

 

「えへへ。幸せ~」

「いや、なんでだよ」

「あん? 深紅さんがそれを聞きますか。あたしが諦めてた色んなことが、これからできるかもしれない。そんな期待が、未来が待ってるかもしれない。久々なんだよ、こんなに希望なんてものを抱けたのは。全部、深紅さんのおかげ」

「油断はするなよ」

「するわけないじゃん。人生の分岐点だよ。徹底しなきゃ。そのためにも、あたし的には隣町の繁華街にお買い物行きたいな」

「……ブギウギ商店街じゃダメなのか?」

「……」

 

 じとっとした目で俺を見る武美。

 それは、なんだ。カモフラージュする気があるのか、みたいなことか?

 

「だめだめ。誰に見られてるかわかんないんだよ? その場に人が居なくたって、カメラ越しに見てるかもしれない。そんなことになったら、あたし恥ずかしくて死んじゃうよ」

 

 この時点でだいぶ恥ずかしそうな彼女の表情を見る限り、まあ確かに死にそうではあるが。

 ……なるほど、大神の連中がインターネット越しに居場所を特定してくる可能性があるわけか。そうなれば、隣街辺りまでは少なくとも足を運ばないと厳しいと。

 

「分かった。いつにする? ちょうど明日の試合が終われば、しばらくは時間が出来るけど」

「といっても、商店街も夏祭りの準備で忙しいからね。もうすぐ六月だし、梅雨に入っちゃったら色々身動きも難しくなるし……じゃあ、来週の日曜日とかどうかな」

「ん、分かった。何か準備するものは?」

 

 来週にはもう準備が整うのか。流石だな。

 とりあえずしっかり打ち合わせ自体はしておこうと、最後の詰めを問いかけると。

 彼女は頬に指をあてて思案すること少し、照れたようにはにかんだ。

 

「あたしへの愛情かな」

「真面目にやれ」

「真面目だもん。……真面目だよ?」

「……」

「ごめん、不安なんだ。貴方にとっては頼まれごと。あたしにとっては、降ってわいたかもしれない最後のチャンス。どんなに貴方が優しくても……信じ切れるか不安なんだよ」

「――大丈夫だ」

「どうして?」

「正義のヒーローは、無責任に逃げ出すようなことはしない。たとえ自分が死ぬような状況でも、必ずヒロインを救い出すさ」

「そっか。……そっか。ずるいなあ。ずるいなあ、深紅さんは」

 

 てひひ。なんて可愛く頬を掻く彼女の表情に、不安は感じられない。

 信じて貰った分は、必ず応えよう。それすらできないというのなら、俺に存在価値はない。なんのために自分がここに居られるのか。それは分からないけれど、きっと誰かを助けるためだから。

 

「じゃあ、来週のデート、楽しみにしてるね」

「覚悟して待っていよう」

 

 武美が頷いたのを確認して、俺はまだ残っていたぬるいコーヒーを飲みほした。

 

 

 

 

 

 

 

「准ちゃん、どうしたの?」

「あ、マスター」

「……大丈夫?」

「はい、看板メイドはいつでも元気そのものですよ♡ ……ただ」

「ただ?」

「……あの人、いつも誰かを助けてるなって」

「?」



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《楽しいデート》III

「よし、いよいよ宿敵コアラーズとの試合だな。今日勝って、三連勝だ! 行くぞ!」

 

 権田の掛け声に従い、同じユニフォームに身を包んだメンバー全員で応じる。

 今まさにマスクを被ろうという背番号2の背中に、俺は声をかけた。

 

「今日は、気合入れないとな」

「……ああ。もちろんだ」

 

 振り返り、微笑み、頷く権田とともに観客席を見上げる。

 最前列のフェンス越しに見慣れた影を見つけて手を振ると、少年は嬉しそうに振り返してきた。

 

「おじちゃーん、頑張るでやんす!」

 

 ダイヤモンドの中央に足を運びながら、カンタくんに応じると。

 その後ろに心配そうに座っている女性とも目があった。言わずもがな、カンタくんのお母さんである奈津姫さんだ。今日、試合会場には、奈津姫さんと権田がカンタくんを連れて一緒に来ていた。

 

 奈津姫さんは、いい加減心配になってしまって来たとか言っていたが。

 権田が鼻の下を掻いているのを見て、思わずどついてしまった。

 俺は本当にこんな役回りばっかりだな。人の幸せの過程を追うことが、こんなに嬉しいことだと……もっと早くに知るべきだった。

 

「ニコニココアラーズ。元プロのピッチャー大北がやはり一番厄介だ。あいつを打ち崩せるかどうかが勝負の鍵と言っていい。クリーンナップの俺たちが、バッテリーの俺たちがこの試合を支配するぞ」

「安心しろ権田。俺は安藤小波からも何度も柵越え打った男だぞ」

「……スクリューは?」

「あれは無理」

「なんだそりゃ」

 

 げははは、と豪快に笑ってミットで俺の背を叩くと、権田は悠々と定位置に歩いていった。余計な緊張もなさそうだし、むしろ良い集中をしていると言ってもいい。

 本気であいつにとって奈津姫さんは勝利の女神なんじゃなかろうか。

 

 ……おや?

 

 奈津姫さんやカンタ君とは真逆のスタンドに、なんだか珍妙な男たちが居た。

 

「さて、今回も商店街の連中の悔しがる姿を見せてもらおうかな。なにしろ、こっちには元プロの……あれ?」

「店長、どうしました?」

「商店街の連中の中に、変なのが混ざってるぞ?」

「そうですね。ひょっとしたら、向こうも外部から助っ人を呼んだのかもしれません」

「なにぃ!?なんてずるい奴らだ!」

 

 ……やる気が1下がった。

 

 なるほど、連中はジャジメントスーパーの……つまりは、倒すべき敵の親玉か。

 ジャジメントねえ。まあ、彼らに大した悪としての素養はなさそうだし、ひとまずは安心しておくべきか。それよりも、今日も野球を楽しもう。

 

 

 

 

 

 

《楽しいデート》III――商店街の仲間たち――

 

 

 

 

 

 

「悪いな、奈津姫」

「いいのよ。私もすっきりしたし、ヒーローさんたちにお手伝いさせるわけにもいかないでしょう?」

 

 カレーショップ:カシミール。

 ニコニココアラーズとの試合を3-1の勝利で終えた俺たちは、そのまま祝勝会と称してカシミールに招かれていた。

 当たり前のように厨房に入ろうとした権田が奈津姫さんに首根っこ掴まれて席に座らされ、待つこと少し。俺、権田、カンタくん、そして会長の前に出されたのは、いつも通り美味しそうなカレープレートだった。

 

「ああ……最高だな……」

「ラッキョウを前にした時のお前の変態的な顔さえなければ、勝利投手として賞賛できるんだがな」

「まあまあ、人には欠点の一つや二つあるからね」

「こんな欠点がある奴は流石にそうそういないと思うんですが」

 

 全てのラッキョウと、あとカレーに愛を表して。いただきます。

 

「奈津姫、今日も美味しいよ。ありがとうな」

「気にしないの。カンタも嬉しそうだったし……何よりスーパーの店長の悔しがりようを見たら、貴方たちに何か返せなきゃって思うもの。ふふふ」

「母ちゃん、怖いでやんす」

 

「……ふむ」

「どうしたんです、会長。俺の顔に何か?」

「いや。権田くんも成長したなと思ってな……キャプテンとしてもキャッチャーとしても、今日も申し分ない働きだった」

「権田のおっちゃん、おじちゃんと仲良しで見ていて楽しいでやんす」

「やめてください会長。それとカンタ、ピッチャーとキャッチャーは仲良しじゃないとダメなんだ。こんなヤツともな」

「……楽しそうだねえ、権田くん」

「俺はこいつが来たことには感謝してますから。……問題は今、山積みですが」

「そう、だな」

 

 りゃっきょおおおおう美味ちいのおおおおおおおお!!!

 

「こんなヤツだけどな」

「おじちゃん、普段のかっこよさが台無しでやんす」

「どうだカンタ、今は俺の方がこいつよりかっこいいだろう」

「ん~~~、ぎり、でやんす」

「今のこいつとギリギリなのかよ!!」

「ぷくく~、でやんす」

「あ、てめ、からかったなこのクソガキ!」

「権田のおっちゃん、最近愉快だから好きでやんすよ」

「ちょっと褒めるのやめろよ! ええい、大人をからかいやがって!!」

 

 ……ふぅ。ごちそうさまでした。

 おや、なんか楽しそうだな。カンタの頭をぐりぐり撫でつける権田も、それを後ろから見守る奈津姫さんも。言わずもがな、俺の隣で盛大に笑う会長も。

 

 この空気は良い。明るくて、希望に満ちていて。願わくば、こういう風景がこの世に溢れたら、それ以上の幸いはないんじゃないだろうか。そううまくはいかないのが、寂しいところだが。

 

「お、意識が戻ったか、小波」

「いやあ、良いカレーでした。奈津姫さん」

「え、ええ……まあ、喜んでもらえたなら、はい」

「母ちゃんはまだおじちゃんのテンションに慣れてないでやんす」

「え、そんなにおかしいかな。俺……」

 

 あはは、と周りが笑うのに釣られて、思わず俺も表情がほころぶ。

 あまり実感はないが、ずっとやり込められていたコアラーズに勝てたというのは、彼らにとってはとても嬉しいことに違いない。試合内容も、まあ悪いものではなかったしな。

 

「なあ、小波。少し聞いてもいいか?」

「なんだよ」

「お前、いつまでこの町にいるんだ?」

「さあな……思ったより用事は早く終わりそうだから、ビクトリーズに一度決着みたいなものがつけられたら、と思ってる。なんか不味いか?」

「いや。……俺としては、いつまで居てもらっても構わないんだが……」

「そうでやんす! ずっといるでやんすよ、おじちゃん!」

 

 カンタ君に笑いかけつつ、権田を見る。

 何かしら悩んでいる風な彼の心中がいまいち読めない。会長にそれとなく目をやっても、権田の悩みについては分からないようだった。

 

「お前の用事ってのは、アレか?」

「ああ、アレだ」

「そうか、そっちは終わりそうなのか。……そうか」

 

 あれというのは武美のことだろう。

 そっちは、終わる。終わらせる。必ずだ。

 それにしても。

 

「もったいぶらずに言えよ。らしくもない」

「ああ、そうだな。らしくもない、か。お前にそんなことを言われるくらいには、俺とお前は打ち解けた。少なくとも、俺はそう思っている」

「気持ち悪い言い方だな」

「うるせ。……正直なことを言うと、お前が居なきゃビクトリーズは勝てない気がするんだよ」

「なに?」

「試合内容をちゃんと思い出してみろ」

 

 スプーンで指さすな、行儀悪い。

 しかし試合内容か。今日の試合では、俺のバッティングは4-1だ。打点は0で、一回セカンド強襲で二塁打があるから実質二回出塁。まあ、三番としての最低限の仕事は出来たと思うが。

 翻ってピッチャーは、0点に抑えて七回まで投げたあと、センターに回った。木川が1失点してノー満チャンス作っちゃったから俺がもう一回上がって……ああ。

 

「要は、バッティングはともかく投手としての問題か」

「今日は負けるわけにはいかなかった。木川は気の毒だが、会長の采配は間違ってない。勝つためには、小波に投げて貰うしかなかった。他の助っ人はよく分からんしな」

 

 言われてるぞ電視。

 

「……今のビクトリーズは、コアラーズの大北同様にピッチャーが強くてどうにかなっている、と?」

「打撃戦になれば分からないが、相手のピッチャーが優秀だとどうしてもこっちが後手に回る。小波の存在は大きい」

「投手としての自信がなくなってた俺をそこまで買ってくれるとはな」

「プロ野球最多勝利投手と自分を比べて自信なくすとか、俺からしたら舐めてんのかって話だ、まったく。最近じゃ安藤が登板すると相手チームのファンが帰るとまで言われてるんだ」

 

 小馬鹿にしたように権田は俺を鼻で笑った。いやでも友達だもの……比べるよ……。

 てゆか地味に権田ってやっぱ小波のこと好きだよな。ファンだよな。詳しいし。

 

「なるほど、権田くんの心配は分かった。小波くんが居なくなると、チームが瓦解するということか」

「それだけじゃねえんだ。……悪く思わないで聞いてほしいんだが、助っ人が居ないと勝てねえってのが、お前の存在感の強さもあってかチーム全体に蔓延してる」

「権田さん! そんな言い方したら小波さんが悪いみたいじゃない!」

「だが、事実なんだよ。このままじゃ助っ人と元メンバーの間に亀裂が入る。いや、既に入りかけてる。『権田さん、このままでいいんですか』だとよ。……皮肉な話だ、小波が居てくれたから俺たちは勝ててるってのに」

「……誰かのために頑張ろうとすると、どうしても誰かにとって邪魔になるんだな」

「小波?」

 

 息を吐いた。

 何だか、懐かしい苦さだ。ただ誰かのために頑張ろうと思った。誰かの夢をかなえるために頑張ろうと思った。けれど、それは俺が強いだけじゃ意味のないものだ。かといって、誰しもが努力できるわけでもない。誰もの想いを叶えられるわけじゃない。

 

「この件に関しては、俺とお前の間で共有しておくべきだと思った。……小波」

「ん?」

「助けて貰ってばっかりですまない。だが、俺はどうしてもビクトリーズを強くしたい。商店街に息を吹き返させてやりたい。そのために、野球を頑張ってる。……勝てているだけじゃダメなんだ。この先色々な面倒がお前に降りかかるかもしれないが……ブギウギ商店街を見捨てないでくれるか」

「権田のおっちゃん……」

「権田くん……」

 

 言われずとも、見捨てるわけがないじゃないか。

 

「幾らでも使ってくれ。俺は正義の味方が大好きで、正義のヒーローになりたいと思ってはいるが……その実、悪役の方が向いているらしいんだ。踏み台にでもなんでもして、お前の正義を掴んでくれよ」

 

 そうやって、あいつらは自分たちの居場所と夢を両立させた。

 皆が笑っていられるなら、それを祝福の旅路にして俺は去ろう。

 それでいいんだ。それで――

 

 と、テーブルを勢いよく叩く音で思わず顔を上げた。

 目の前には、怒りにか、顔を赤くした権田。

 

「踏み台になんかするわけねえだろ!」

「ちょ、権田くん。そんなに怒らなくても」

「うるせえ! 黙ってろ会長! ああ俺は利用するっつったよ! でもな、小波。一つだけ分かってないようだから言っておく。俺はビクトリーズを強くしたいんだ! 商店街が好きなんだ! いいか、よく聞け! 俺とダチになったお前は! 俺にとっちゃビクトリーズの一員で、商店街の仲間なんだよ! 仲間を犠牲なんかにしてたまるか、このバカが!」

「権田、お前……」

 

 呆然と。口から零れ落ちたのは、まともな言葉にすらなっていないただの感嘆詞。

 それで権田も少し我に返ったのか、すとんと椅子に座り直すと額に手を当てて天井を仰いだ。

 

「ああもう、ガラじゃねえってのによ。……けどな。お前は仲間だ、小波。風来坊だか旅人だか知らねえが、一歩引いてくれるな、頼むから。ビクトリーズにとって、新参は確かに助っ人だ。この街をいずれ出ていくかもしれない。けど、それでも仲間だ。お前は、仲間なんだよ。通りすがりの駅みたいに思うなよ。ここは今、間違いなくお前の家がある場所だ」

 

 ……。

 

「いいこと言うじゃないか!」

「いってえな奈津姫! どつくな!」

「なにさね、あんたがそこまで熱くなるなんて、いつ以来よ! ……ずっとそうだったら良かったのに。ほんと、小波さん様様だねまったく!」

「うるせえよ。正義のヒーローだか何だか知らねえが、俺たちはただ救われたいんじゃねえって、教えなきゃいけなかったからな」

 

 ふん、と権田はそっぽを向いた。

 ただ救われたいだけじゃない、か。俺は、仲間か。

 

 思わず、俯いた。すると視界に入るのは、ブギウギビクトリーズのユニフォーム。会長も権田も着ている、同じ服。……そうか。助っ人だと思っていたから、俺はいつかのように何れ消えるものだと思っていた。

 それ自体は決して間違いじゃなかったとしても。俺は今、同じユニフォームを着ているんだ。あの時とは違う。仲間だと、思っていいのか。

 

「ありがとう、権田」

「おう。捕手は投手を導かなきゃいけねえしな。……小波。そういうわけで、助っ人と元メンバーの間の亀裂はいずれどうにかしなきゃならねえ。その橋渡しができるのは俺たちだ。少なくとも俺はそう思っている。だから、表面化した時……できればする前の方がいいが、手を打つ時に協力してくれ」

「協力、か。ああ、もちろんだ」

 

 さりげなく権田がテーブルの上に出した右手を、引っ掴んで頷いた。

 

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 

 カシミールを出た俺たちは、三々五々に散っていった。

 会長は言わずもがな商店街会長としての仕事がまだまだあるだろうし、コアラーズに勝ったこともあって色々また忙しくなるだろう。

 権田はカンタ君と一緒にどこかへ行った。野球でも教えてあげるのだろうか。

 

 勝利の余韻に浸っていても良いのだが、俺にはそれ以上に考えさせられることがあった。権田の言っていた、俺たちは仲間だというセリフ。

 

 俺も表面上ではそうしてきたつもりだった。野球はチームスポーツで、和を乱したらやっていけない。重々、理解はしていたはずだった。

 

 けれど、違った。同じユニフォームを着ているということは、対等な仲間である。頭では理解していても、どうにも俺の心は上手くそうなってはくれていなかったらしい。

 この商店街を助けるために、権田たちに力を貸す。

 そのスタンスで居たら、決して仲間のためにはならないのだと。俺の自己満足的な正義で終わってしまうのだと。それは善ではない。間違いなく偽善だった。

 

 いつかの日、俺は。同じチームの仲間としてあいつらと一緒に野球が出来ていたら、今の未来は違ったのだろうか。

 

「世話ないな」

 

 自嘲した。

 そんなIFを考えたところで、今の俺に変化が訪れるわけでもない。

 今気づかされたのだ。なら、未来を変えるべきだろう。手を貸すのではなく、仲間として。俺は料理のレシピを知っていても、何故そこで火を強めなければいけないのかが分からなかったようなものだ。本質的な理解を、けれど今出来た気がする。

 

「いらっしゃいいらっしゃーい! 安いよ安いよ~! ……ってなんだ小波かよ。客かと思ったわ。次はホームラン期待してるからな!」

「お、小波じゃねえか! お前本当に客と間違えるからいつもの格好してろ! 今日も良いピッチングだったぜ!」

「あ、小波さん! コアラーズ戦お疲れ様! それはそれとしてお金ないんだから客の真似しないで」

 

「どうすればいいんだよチクショウ!!」

 

 店先で呼び込みをする商店街の連中に叫び返すと、皆が皆けらけらと笑っていた。

 全員の共通認識がカネなし野郎なのは涙が出てくる。

 

 でも、ああ。この涙は半分くらい、今更気づいたのかってものなんだろう。

 ……きっとあいつらにとって、俺はもう日常なんだって。

 

 ブギウギ商店街は、良い街だ。

 

「あ、小波さーん!」

「ん?」

 

 あの特徴的なドリルメイドは。

 とてとてと走り寄ってくる彼女は上機嫌で、軽く手を振りながらやってきた。

 

「お金もないのに商店街で何してるの?」

「准までそれを言うのかよ」

「事実じゃないの」

 

 それはまあ、そうだが。

 

「どうせ暇でしょ? 買い物付き合ってよ」

「ああ、もう今日は予定もないし――っておい、腕絡めんな! メイド服が汚れるだろ!」

「洗い方なんて熟知してるわよ。ほら、行こ行こ」

 

 ぐいぐい引っ張る准に引かれて、あれよあれよと買い物へ。

 八百屋に行っては准の魅力でころっとして、雑貨屋にいっては准の魅力でころっとして、パン屋にいっては准の魅力でころっとして。

 

 えっぐいなあ。店の買い出し、こんな風にしてるのかよ。

 

「初めて小波さんと会った時も買い物中だったんだよ」

「まあ、そうかもしれんが」

 

 腕を絡ませた方とは反対――左腕に買い物袋を持たされて、俺は彼女と歩いていく。

 その度に商店街の方々から殺し屋のような目つきで睨まれた。

 ははあ、八百屋と殺し屋を兼業なさってる感じで、みたいな。この街みんな殺し屋を兼業してんのかよ。供給過多だよ。人口減る一方じゃねえか。

 

「小波さん、今日機嫌よさそうだね」

「試合にも勝ったし……ちょっと思うところがあったからさ」

「へえ。聞いてもいいの?」

「俺もチームの仲間なんだってさ」

 

 そう言ってくれたのは素直に嬉しかったんだ。

 と、准に告げると。彼女は何だか驚いたような顔をして……それから、なんだか怒ったように見えた。けれど次の瞬間にはその表情はいつもの笑顔に隠されて。

 

「……あっきれた。小波さんはこの町の大事な人だよ。通りすがりなんかじゃないよ」

「……准もそう言ってくれるのか」

「口が滑りました、ご主人様♡」

「なんでだよ!!」

 

 ひでえやつだ。

 

「でもさ、小波さん。貴方はやっぱり、なんだかみんなの中に居ない感じがしてたから……わざとじゃなかったんだ?」

「マジか。マジなのか」

「私にしてもだよ」

「ん?」

 

 隣を歩く彼女を見る。その言葉の真意は、流石に今の一言ではくみ取れない。だからと思って目をやれば、しかし邪魔っけなツインドリルに顔が隠れていまいち見えない。

 

「私の夢を応援してくれるって言ってたじゃない」

「ああ」

「それは、どこからなのかなって。貴方の言い方だと、少なくとも隣じゃないよね」

「……いや、隣は」

 

 隣で夢を応援するって、それはもう完全に――。

 

「嫌?」

 

 首を傾げ、瞳は潤んで。

 掴んだ腕をぐっと引かれて。ぽつりとつぶやかれた寂しげなセリフ。

 そんなことをされたら。そんなことをされたら。

 

 

 そう、そんなことされたら、――いくら何でもいつもからかわれてりゃ気づくわ!!

 

「はいはい、もう騙されませーん」

 

 と、軽く流す。

 驚いたように、彼女は目をぱちくり。

 はっはっは、俺だって成長する生き物さ。お前がいつどこで何を仕掛けてこようと、俺にとってはもう過去の壁! 俺は乗り越えたんだよ、お前という壁をな!

 

「……へ?」

「だからまた俺をからかおうとしたんだろ? いい加減気づくわ」

「……」

 

 え、なにそのきょとんとした顔は。

 

「あ、あはは。バレたか。流石に」

「おう、もちろん。風来坊は観察力豊かなもので」

「気に入ったの?」

「少なくとも准と話す間では」

「なにそれ腹立つなあ」

 

 するりと彼女は俺の腕から手を放して、次の店へと入っていった。

 

 

 

「ほんっと。腹立つなあ」

 

 

 

 最後の言葉に隠された彼女の真意を、俺はまだ知らない。

 



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《楽しいデート》IV

「店長、これを見てください」

 

 部下から太田の前に提出されたのは、一枚の書類だった。

 ダークブラウンのマホガニーデスクに置かれたそれを、皮張りのチェアから軽く乗り出して太田は受け取った。眺めると同時、ゆったりと背をもたれると、軋んだソファの音だけがしばらくの室内を支配する。

 

 ここは、ジャジメントスーパー遠前支店の支店長室。

 マネージャー兼支店長というこの店の総支配権を持つ彼は、ゆっくりとその書類に目を通して。ちらりと紙の上から目を上げれば、待っていたように部下が申し出た。

 

「客からのクレームと、警備会社からのコメントです」

「……食品に衣類? 店の商品が傷つけられているのか」

「あと空調や設備にも一部障害が」

 

 一考。誰がそんなことをするのか。

 この時点で太田の脳内には、人災以外の選択肢はなかった。

 

「まさか、商店街の連中のいやがらせか?」

 

 そういえば、この前の野球の試合で変な奴らが出てきていた。

 ニコニココアラーズとブギウギビクトリーズの苦い思い出を振り返り、苛立ったように眉をしかめる。だが、かといって有効な対抗手段がすぐに浮かぶこともなかった。

 

「さては、あいつら……あの助っ人とかいうよく分からん連中か」

「こうなったら、警察に通報して取り締まってもらいましょう!」

「それはできんのだ」

「え?」

 

 何を当たり前のことを、と太田は部下の発言を鼻で笑う。

 それが出来ていれば、最初から苦労はしないのだ。

 

「騒ぎが大きくなって、このスーパーの条例違反の話が、大きく報道されたらどうする。一転して悪者はこっちだ」

「あ」

 

 言わずとも分かるだろう。再びチェアに深々と腰を落ち着けた太田は、くるくると軽く椅子とペンを回転させながら思案する。何か、手はないか。

 

 と、ふと思い出すことがあった。

 

『よお、邪魔してるぜ』

『オレのことは椿と呼びな』

『深紅の野郎がいるからには、あんたらの計算通りにコトは運ばないんじゃないかなあ』

 

 愉快気に。せせら笑うように太田へ接触を図ってきた男が居たはずだ。

 青いパナマ帽を被った、頬に傷のある危険な雰囲気の人物。

 

「そういえば、以前ここに妙なヤツがきていたな。たしか名前は椿……」

「おう、呼んだかい?」

 

 返事があったことに思わず太田は叫んだ。

 

「ああ、いつの間に!?」

「そしてまた私のコーヒーを勝手に!」

 

 まだ温かいコーヒーを一気飲みしたこの無礼な男は、追い出した時に店のブラックリストに登録したはずだった。それが平然とやってきているとは。

 監視カメラの網を抜けてきたのか……しかし。

 

 今となっては、使える一つの駒かもしれない。

 

「商店街の連中、潰せるか?」

「まかせな。そいつは俺の得意分野だ」

 

 まるで太田の答えを分かっていたかのように、椿という男は応接用のソファにふんぞり返る。そして懐を軽くまさぐり、こちらを振り返りもせずに一本のビンをちらつかせた。

 

「これを使えば一発だぜ」

「なんだ、その怪しげなビンは。白い粉が入っているようだが」

「神のマナ、200グラムさ。名前くらいは聞いたことあるだろう」

 

 部下が訝し気にそのビンを見つめる中、太田は問いかける。

 白い粉末。何かしらの薬であろうことは分かるが……それが果たしてなぜ商店街を潰す力になるのかと首を傾げた。

 

「こいつは南米で開発された迷惑兵器でね。これを食った虫はホルモンバランスを崩し、猛烈に食って巨大化するんだ。これだけの量があれば商店街を巨大なゴキブリの大群に襲わせることができる」

「なっ……」

 

 思わず絶句する太田に、椿が振り返って口元を歪ませる。

 

「どうだい、すぐにやってみようか?」

「ば、バカ者!遠前町を虫まみれにしてイメージダウンをさせるようなそんな作戦が採用できるか! うちの売り上げまで下がってしまう!」

「おやおや、それは残念。オレは商店街を潰せ、としか言われてないんでね」

 

 それは、そうだが。

 それにしても、こんな危険なものをほいほいと持ってくる神経が恐ろしい。

 

「ほ……他の計画はないのか?」

「まあ、今のところはないな。この薬、やるよ」

「わっ、あぶない!」

 

 軽く放られたビンを、慌てて部下がキャッチする。

 

「おいおい、落とすなよ。その薬をぶちまけたら、このスーパーが虫まみれになるぜ?

 わはははは!」

 

 高らかに声を上げて笑いながら、椿は部屋を出て行った。

 部下はビンを弄りつつ、額を抱えた太田に声をかける。

 

「店長、大丈夫ですか?」

「くそ、あの男め。その気になればこっちを潰すのも簡単だと脅してるんだ」

「しかし、その薬は本当にそんな効果があるんでしょうか?」

「なら、試してみるか? わざわざこの薬を置いていったのも、疑うなら試してみろってことだろう。まったく、恐ろしい奴だ」

 

 ああ、やれやれ。

 ただでさえ事が上手く運ばなくて心労が積み重なっているというのに、あの男の傍若無人なふるまいはそれに輪をかけてストレスを超過させるものだった。

 

「試すって、どこでです?」

「そうだな。最近、商店街にウチが買い取った酒屋が一件あったな」

「で、でもまずいんじゃ」

「まあ、少しの量なら大丈夫だろう」

 

 太田が部下に使用許可を出した時、廊下の方でかすかに去っていく足音がした。

 もちろん彼らはそれに気づけるほど耳もよくなかったし、それが普通だった。

 

 彼らの行動指針をだいたい把握した椿は、一人スーパーから出て笑う。

 ああ、まったく楽しくなってきやがった。

 そして、彼はポケットから電話を取り出すと、慣れた手つきで番号を入力し。

 

「……ああ、オレだぜ。奴らは神のマナを受け取った。オレに借りが出来たってわけだ。……分かってる。連中の狙い……というよりも、さらに上の狙いのようだが。……了解。もうしばらくこの町で楽しませて貰おうぜ。お互いな」

 

 通話を切って、燦燦と降り注ぐ太陽の下。椿は、心底愉快そうに、また一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

《楽しいデート》IV――夢と幻――

 

 

 

 

 

 

 

 その日、商店街の中にある集会所(という名のたまり場)から出てきた権田とばったり遭遇した俺は、ある程度の商店街の事情を教えて貰った。

 条例違反で出店しているスーパーだが、別に罰則があるわけではなく。スーパーを追い出すためには地道な運動を重ねていくしかないこと。

 ついでに、ビクトリーズの地位は日に日に向上していて機嫌が良いことも。

 

 その一助になれたのだとしたら、俺も嬉しく思う。

 

 権田との世間話もそんなに多いわけではなく、少し会話して別れた。

 あいつにはあいつのやることがあるだろうし、何より今は商店街にとっての正念場だ。昔からいるあいつが懸命に頑張っているのを、背中から押すくらいでちょうどいい。

 

 そうそう、それだけチームが重要になってきているなら、野球でこの町を宣伝するのもありなんじゃないかとは言っておいた。

 プレッシャーになるとかなんとか渋面を浮かべていたが、その程度は飲み下して背負う覚悟はあいつにもあるだろう。

 奈津姫さんのことも含め、頑張ってほしい限りだ。

 

 さて、何をしようかな。

 権田が居るであろうカシミールに行くのもちょっとさっきの今では微妙に気まずいし――そう考えたら、だいたい行く場所なんて一択だ。

 

 と、喫茶店に足を向けた時だった。

 見覚えのあるツインドリルが見えたのは。

 

 結構パンパンに膨れた紙袋を、四つほど抱えて歩いている。

 ……買い物か? 喫茶店の買い物は昨日したばかりだろうし……もしかしたら私物かもしれないが。

 いずれにせよ、声をかけない理由もない。

 後ろから、小石でも蹴るような軽い気持ちで声をかけた。

 

「持ってやろうか?」

 

 くるりと綺麗なターンで振り向くと、メイド服のスカートがふわりと浮かぶ。

 中にペチコートでも入っているのか、というような具合に広がるその柔らかさは、……可愛いが准がやっているだけで警戒心が生まれるのはなぜだろう。

 

「あ、小波さん。ありがと~。だから大好きだよ、貴方のこと」

「だからって、一言もそんなこと言われたことないぞ」

 

 まあもし言われたとしても、どんなネタにして晒されるか分からないからスルーを決め込むが。……もう騙されない。絶対に騙されない。

 

「じゃあ、はい」

 

 手渡された紙袋……全部かよ。いいけど。それらを持ち上げて、ふと気づく。

 随分と軽いな。上げたり下げたりしていると、彼女は俺の思っていることに察しがいったのか、軽く人差し指を立てながら笑った。頬に当てるなあざといから。

 

「布とか生地とか色々だよ」

 

 布……色々……。縛ったり、吊るしたり?

 あり得る。こいつならやりかねない。

 

「それは犯罪だぞ、准」

「小波さんは縛ったり吊るされたりするのが好きみたいだね。やってあげてもいいよ。サービス料は無理やり取るけど」

「ご、ごめん。俺にそんな趣味はない」

 

 だからその黒い表情やめてください。

 

「それは服を作るのに使うんだよ」

「ああ、そういう」

「他になにがあるのよ。私が何やってるのか知ってるくせに」

「いや、デザイナーの話よりずっと普段の准が強烈だから」

 

 じと、と湿った瞳で見上げながら、彼女は俺の隣にさらりと並んだ。

 少しだけ歩調を緩めると、彼女は後ろ手を組んでとことこ歩き始める。

 

「時間が出来た時に作ってるの。こうやってまとめ買いしておかないと、時間ができた時に買い物に時間を費やすのはもったいないでしょ」

「まあ、確かにな。作ったものは誰かに見せたりするのか? そのメイド服みたいに」

「そうだねー。たまにかな。それ系のイベントに出たり、フリマで売ったりしてるよ」

 

 それ系のイベント。

 作ったものを見せ合うとか、そういう服飾系のイベントがあるのだろうか。

 服飾にはまるで疎いので、そのあたりのことは知る由もないが。

 

 でも、と思う。

 

 横を見れば、ぽつぽつと話す彼女の姿。

 喫茶店で見る営業スマイルでも、俺でヒマつぶしする時の極悪人の笑顔でもない、なんだか自然な微笑みがそこにあった。それだけで、俺でも分かる。

 

「そうか。本当に好きなんだな」

「うん」

 

 こくんと。小さく頷く。照れ臭いのだろうか。……いや、これはおそらく俺の油断を誘う演技と見た方がよさそうだ。主導権を握ろうとすると偉い目に遭うからな。

 経験的に。

 

 察しがいいピッチャー小波深紅は、話題転換ついでにふと思った疑問を投げる。

 

「でも、それならなんであの店でバイトしてるんだよ。アパレルとかの方がよくないか」

「ううん、そんなことないよ。ここで、こんな格好でバイトしてるといろいろな人がやってきてくれるでしょ」

「色んな人ねえ」

 

 電視とか? 維織さんとか? まあ、確かに濃い人間が多いよな。

 分かる分かる。

 

「放浪してる人間とか、軽くヒモになってる人間とか、自分のお金じゃないのに我がもの顔でコーヒー飲んでる人間とか」

「ふむ、さっぱり見当がつかないがそんな人もいるんだな」

「そういう人たちと接する方が今の私には大事かなと思ったんだ」

 

 どう考えても一人だが。

 俺の視線に気づいたのか、目があった准は軽く鼻で笑った。

 そして、何事もなかったかのように続ける。このアマ。

 

「確かに衣料関連の場所でバイトしたほうが良いのかもしれないけど、ここは衣類関係よりも、より多くのお客さんの表情が見れるでしょ」

 

 ……なるほどなあ。一理あるのかもしれない。

 独学でどの程度できるかにもよるけれど、彼女の考えることも分かる気がした。

 より多くの人と会いたい。その気持ちは、俺にもある。

 

 彼女の将来と違って、俺のそれは暗中模索に近い霧中の幻かもしれないけれど。

 

「だから私はここでお客さんの表情から、いろいろなことを読み取れるようになるために勉強してるの」

「そうか。ここでは人の勉強をしてるわけだな。将来の夢のために突き進む姿は、俺も見てて気持ちがいいよ」

 

 素直に思ったことだ。

 彼女のこの先は、きっと俺の及びもつかないほど明るい未来が広がっているに違いない。ブランドを代表するデザイナーになるかもしれないし、企業の中枢で服飾業界を動かす人間になるかもしれないし、いずれにしてもその才能を発揮できる場所に、彼女はいけるはずだ。

 才能のある奴が努力する。これは、殆ど無敵に近いと俺はよく知っている。

 

 と、俺が勝手に一人で納得していると。

 気づけば、彼女は少し元気をなくしているように見えた。

 

「准?」

「やめよっかなって思う時もあるよ?」

「……そりゃ、そうか。どんなものも、挫折とは隣合わせだろうしな」

「うん。……それこそ服飾は独学だし。イベントに出て、私が凄いなと思った人がちゃんと専門に通ってたりすると、置いていかれるんじゃないかって焦ることもあるし。バイト中も、こんなことしてる時間があったら勉強した方がいいんじゃないかって思う時もある。……うまくいかなくて、才能ないんじゃないかって。やめちゃおうかなって思う時もある」

「いいのか、そんなこと俺なんかに言って」

「貴方じゃなかったら言わないよ」

 

 その瞳が俺をからかうものかどうか、正直俺には分からなかった。

 こいつには何度も騙されたし、騙されまいと思ってもその真贋を見抜くのは至難の業だ。……けれど。この話は。彼女の大事な夢の話だ。

 なら……信じてバカを見て笑われた方が、俺が笑うよりも百倍マシだ。

 

「そっか」

「うん。そうなんだよ」

 

 ぽつぽつと、歩く足音だけがしばらく耳に響く。

 それを遮ったのは、准のか細い声だった。

 

「小波さんはさ」

「ん~?」

「小波さんは……私がそんな状態になっている姿を見たら助けてくれる?」

「ああ、助けてやるさ」

 

 今だって、そんな感じじゃないか。

 夢の話をする相手がそう居ないのであれば、その愚痴を受け止める人間だって限られる。なら、頑張る彼女の背中を押す手のひらの数は、応援する人間のたった二倍だ。

 彼女を支える一助になるなら、俺は何度でも――

 

「頑張れよと一言、言ってやるよ」

「えっ。それだけ?」

 

 振り向いた勢いがちょっと強くて、二房の金髪が勢いよく揺れた。

 ぱちくりと目を瞬かせる大きな目を、まっすぐに見返して頷く。

 

「それだけだ。でも、お前にはそれで十分だろ?」

 

 だって、夢を持つ人間は。努力を怠らない人間は。

 

「そう言ってくれる人がいるだけで、夢を持ってる人間は前に進むことができるからな」

 

 そうだったろ、小波。

 ……そして、あいつらもそうだった。

 

「さすがに下手に歳をとってないね、小波さん」

「下手にってどういうことだよ」

「大人だねって言ってるの」

「はいはい、さんきゅ」

 

 褒められてると思っていいのか……いや、良いだろ、別に。

 准が俺をまともに褒めてくれることなんて未来永劫あり得ない気もするし、たまの礼もどきくらいは、まあ、うん。言ってて悲しくなってきたな。

 

 そうやってあれこれ話していると、もうそろそろ喫茶店に辿り着く。

 そんな頃合いになってきた。

 

 次の曲がり角を曲がれば、もう目の前だ。

 

 と、微妙に会話が途切れたことが気になって准の様子を窺った。

 何だろう。やっぱり、微妙に元気がないような気がするのだ。

 

 さっきの励まし方は良くなかったのだろうか。

 もしかしたら、頑張れ程度じゃ足りねえよ的な文句でも――

 

「じゃあ、頑張れって言ってくれる人がいるから、頑張ってみようかな」

「おいおい、居なくても頑張れよ。自分の夢だろ」

「だってさ」

 

 ……ぱたりと。

 准は足を止めた。つられて止めて、振り向けば。

 なんだろう。いつもの雰囲気のどれとも違う准が、そこに立っていた。

 

 強いて。強いて言うなれば。まるで今にも泣き出しそう――いや、泣きだすわけではないにせよ。怒る? 悲しむ? 分からない。けれど、一つ分かるとすれば。

 

 彼女は何か、うちに秘めた決壊寸前の感情を、抑え込んでいるような。

 あれだけ営業スマイルの上手い准が、何を。

 

「准……?」

「だってさ。当てにしてないと……居なくなりそうじゃん、小波さんは」

「……」

「否定しろよ♡」

 

 泣き笑いのような表情で、准は無理に作った笑顔で俺をどつく。

 でも。今のお前は……真面目な話をしているはずで。なら。

 

「嘘ついちゃダメだろ?」

「……ねえ、小波さん。なんで、旅してるの?」

「真面目な話だと思っていいんだよな」

「うん。今は、真面目な話」

「贖罪かな」

「っ……、贖罪?」

「そう、贖罪。だって、普通に暮らしている方が楽じゃないか。お金もあるし、家もあって。わざわざそれをしないで居るのは、俺にとっては……贖罪、かな」

「なにを……ごめん。なんでもない」

 

 何をしたの。とでも聞こうとしたのか。

 俺が気に病むと思ってやめたのか。……なんだかんだ、こいつ優しいしな。

 

「……探してるんだ。俺の存在する理由を。これでも昔は正義のヒーローだったんだよ」

 

 きわめて明るく、おどけて肩を竦めてみせる。

 目と目が合って。けれど、彼女は黙って俺の言葉の続きを待っているようで。

 

「……」

「あれ、怒らないのか」

「真面目な話って言ってるのにボケるような人じゃないって信じてるよ。今の言葉がぽつんとそこに有ったら蹴り飛ばすけど、貴方から出た言葉なら黙って聞く」

「そっか。ありがとう」

 

 俺、そんなに准から信用を得ていた覚えはないが。

 けれど、まあ。俺としても、彼女に隠すような話ではない。

 

「まあ色々あってさ。正義だったはずの俺たちは悪で、誰かにとっては乗り越える壁でしかなかったんだよ。あいつらは答えを見つけて、俺たちは消えた。俺たちは、間違っていた。今にして思えば、色んな悪いことをしたからな」

「……消えた?」

「ああ、消えたんだ。けれど、俺たちにも続きの人生があった。何故、そのまま消えなかったのか。その答えが欲しくて、俺は旅を続けているんだ。俺の人生の意味を」

 

 何かを察したように、准が思い切り顔を上げた。

 ちょっと気圧されたけれど、俺は嘘は言っていない。

 

「……よく、分からないけどさ。維織さんの「生まれ変わりを信じるか」って言葉にすんなり信じるって答えたのは――」

 

 ああ。そういうことだよ。

 切ない話ではあるけれど。でも、これは俺にとっての罰なのかもしれない。

 だから、贖う。俺は、どこに行っても人を助けようって思ってる。

 そうすればいつか、分かるんじゃないかってさ。この手が誰も引き上げられないほどボロボロになった頃、何かを見つけられる気がしているんだ。

 

「今、俺は生まれ変わってしまったばっかりなんだよ。赤ん坊同然。いや、流石に子どもくらいにはなれたかな。前の街で出会った奴らのお陰で、少なくとも人を知った。……けど、それだけじゃ、俺が生きている理由は分からないまま。だから、探すんだ」

 

 どん、と。

 彼女は、俺に体当たりをかましてきた。

 言っちゃ悪いが、所詮は女の子一人分。受け止めるには容易で……あれ?

 

 ……離れないで何してるんだ?

 

「小波さん」

「ちょ、准?」

「消えちゃいそうだよ、今の貴方。よく分からないのに、"本当"なんだよね。……ごめん、こんなことして」

 

 俺の胸元、ストールに顔を埋めたまま、准は動こうとしない。

 か細く聞こえるくぐもった言葉を聞き取って拾い集めて。彼女は俺の言葉を全部信じてくれているみたいで。それは、嬉しいことだけれど。

 

「いや、良いけど。でもそろそろ離れてくれると」

「離れてやらない」

「准? なんでお前、こんな。今はふざけてる場合じゃ」

「貴方は、分かってないよ。人を分かってない。貴方が人だってことを分かってない。貴方は、貴方自身が守られることを知らないんだよ。誰かを守るだけじゃ生きていけないよ。そんなの、疲れちゃうよ。疲れちゃうから、貴方はまたどこかへ行っちゃうんだよ」

 

 ありがとう。心配してくれるのは嬉しい。

 でも俺は平気だ。人とは身体の作りが違うからな。きっとそれにも何か理由があるはずで。考えられるのは、そう。人より多くの人を救える者の身体だから。

 疲れるなんてことはないさ。

 

「平気だよ、だって、他の街でも誰かを助けられればって思ってるだけで――」

「貴方は正義の味方かもしれないよ!」

 

 ぐ、と外套を掴む力が強くなる。

 

「でも、正義は貴方の味方じゃなかったんだよ」

「っ……」

 

 それは、俺が間違っていたからだよ。

 

「それを突き付けられたんでしょ? 悲しそうだったよ。今の貴方は寂しそうだよ。貴方がみんなから一歩引いてるのは、もう傷つけたくないからだよ」

「おい、准……落ち着けって」

「何も知らないよ、貴方のこと。ただ貴方の言葉を信じてるだけ。信じられるくらい、貴方の生きてきた道と、今の在り方が繋がってるから。……そんな生き方、ダメだよ」

「……俺は、人じゃないかもしれない。だから、」

「そうだね。人じゃないよ、小波さんは」

 

 ああ。そうだよ。人じゃない。人間の眩しさは、俺にはまだ遠い。

 小波や友子の軌跡を美しいと遠ざけているうちはまだまだだ。それは俺にも分かってるさ。

 ……准も分かっているから、そう言ったのかもしれないけれど。

 

 参ったな。

 准と色々話すの、楽しかったんだけど。この調子じゃ、あいつらと同じく決別を――

 

「一人じゃ誰だって人にはなれないよ。そんなことも知らないんだもん」

「准?」

 

 するりと。力なく彼女の腕が俺から離れた。

 前髪に隠れた彼女の瞳は見えない。

 

 けれど、か細く聞こえた彼女の言葉と、俺の横をすり抜けて走っていくその行動の意味を察せないほど俺はバカじゃない。

 

「ごめん、小波さん。荷物持ってくれてありがと。お店に置いといて」

 

 

 雨が、降ってきた。

 

 

 

 

ハンサムが5下がった。

バンザイが3下がった。

やる気が2下がった。

???が1上がった。

 



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《楽しいデート》V

『そうだね。人じゃないよ、小波さんは』

 

『誰かを守るだけじゃ生きていけないよ。そんなの、疲れちゃうよ』

 

『疲れちゃうから、貴方はまたどこかへ行っちゃうんだよ』

 

 

 

 

 

「虫退治、ですか」

「そうなんだよ。地下の貯蔵室に大量発生してね」

 

 商店街を行く当てもなくぶらついていた俺を呼び止めた会長は、困り果てた表情で頷いた。礼金は出すから頼まれてくれないか、とまで言われたら、引き受けない理由もない。どのみち、今日は特に何をする予定もなかった。

 強いて言うなら、河原に戻って食料の確保か。

 

 とてもじゃないが……喫茶店に行くわけにもいかないし。

 

『ごめん、小波さん。荷物持ってくれてありがと。お店に置いといて』

 

 リフレインする彼女の言葉。

 あの後、なんとなく店に入ることもせず、マスターに彼女の荷物を預けて帰った。

 なんだか准と顔を合わせるのも気まずくて、今日も足を運ぶのは躊躇われる。

 

 だから、ちょうどいい。

 人助けになるんだから、いいじゃないか。

 

「ええ、いいですよ。じゃあ殺虫剤を焚けばいいんですか」

「それが、かなり凶暴なやつでね。まあ、とりあえず来てくれたまえ」

 

 会長と共に歩くこと数分。

 やってきたのは、とある酒屋の地下倉庫。

 ここなんだが……と会長が微妙な表情を浮かべて俺を見た。

 何だろうか。開かれた地下の扉の中を覗き込んで……思わず顔をしかめた。

 

「……あの、あれって本当に虫なんですか」

「ワシに聞かないでくれよ。でも、形はゴキブリに似てるだろ?」

 

 大きさはネコくらいあるんだが。

 それが何十とひしめき合う様は、正直見ていてとても気持ちのいいものではない。

 

「これは保健所…いやむしろ自衛隊に連絡したほうがいいんじゃないですかね」

「ダメだダメだ、商店街の評判をこれ以上悪くするわけにはいかない。そこで君に頼みたいんだよ」

「なる、ほど……?」

 

 まあ、やっつけられないことはない、か。

 殺虫剤の類が効けばの話ではあるが。

 

「殺虫剤を何度か炊いてみたんだが、どうやら、外に巣があって壁の穴から入って来るみたいなんだ」

「はあ。じゃあ、壁の穴をふさぎましょう。ちょうどそれに使えそうな荷物もあるみたいですし。で、壁を塞いだら、あとは地下室の外に殺虫剤を噴射しましょう。それで全て解決です」

 

 見た感じ、ちょうど壁を埋められそうな台座や石の置物が……ここはいったい何の倉庫だったんだ?

 

「それじゃあ、頼めるかい。一番強い殺虫剤を持ってきてある」

「分かりました。じゃあ、始めましょうか」

 

 外套の取り、……汚れるのも躊躇われたのでストールを外して会長に手渡した。

 よし、虫退治開始だ。

 

 

(そして・・・)

 

 

「ふう、やれやれ」

「ありがとう、助かったよ」

 

 なんとか害虫駆除に成功した。しかし奴らめ……てこずらせてくれたな。パワーありすぎるだろ。でかいし。

 

「これは報酬だ。受け取ってくれ」

「ああ、ありがとうございます」

 

 封筒に入っていたのは、三万円くらいだろうか。ありがたく受け取って、懐へ仕舞う。ついで預けていた外套を羽織ると、次いで受け取ろうとしたストールを、会長が何故か手放さない。

 

「……会長?」

「いや。小波くん、なんだか調子が悪いのかい?」

「あはは、そう見えますか?」

「少なくとも、いつも動じない君らしくもないというか」

「動じない、ですか」

 

 そんなことはない。確かに野球をしている時は、動揺は死活問題だ。

 それに、助っ人としてやってきたのに無様を晒すわけにはいかないから、一応感情には気を遣っているが。……それでも、俺は無感情な方じゃない。

 いつだって、例の喫茶店では振り回されてばかりで……。

 

「……やっぱり調子悪いのかい? 明日の練習は休んだ方が……」

「いえ、大丈夫ですよ。このくらいの不調は慣れてます。最近じゃ栄養不足に悩まされることもないほどで」

「そうかい……? なら、良いけれども」

「あ、それから会長。体調とは全く関係ないのですが、明日だけ練習は休ませてください」

「あ、ああ分かった。何か用事なんだね」

「ええ」

 

 軽く、会長に頷いて。

 ストールを首に巻き付けて、酒屋を出た。

 少し、普段と変わらないはずの首もとを息苦しく感じた。

 

 

 

 

 

 

《楽しいデート》V――ひとりの人――

 

 

 

 

 

 町と町とを結ぶ幹線道路を行く一台の車があった。

 助手席に武美を乗せて、権田から借りた車で俺は一路ある町へと向かっていた。

 

「何度かもう試してるんだけどね、あたしの能力じゃぜーんぜんダメ。これ以上は足が着くと思って、もう諦めてたんだ」

 

 ウィンドウを少しだけ開けて、風を感じて目を閉じる彼女。

 不安げなその口調とは裏腹に、言葉尻に込められた希望は本物だ。

 俺はそんな彼女を横目に、軽くアクセルを踏む力を強めた。え? 免許? ははは。

 

「泣いても笑っても一回勝負というわけか」

「……不安だよね」

 

 街道を通り抜けて、やってきたのはミルキー通りとかいう繁華街。

 その裏道を通っていくと、ちょうど駐車できそうなスペースが見つかった。

 ここまで全て武美ナビのおかげというから流石と言う他ない。

 すごくないか? カーナビから彼女の声で、「あ、次の信号右だよ♪」とか聞こえてくるんだぜ?

 

 それはそれとして。

 緊張を孕んだ彼女の言葉に、ふと思う。

 一回勝負。勝てなきゃ死ぬ。絶対に逃せないチャンスと、絶対に手放してはいけない居場所。失いたくない人に手を伸ばすたった一度の機会。

 

「もう慣れたさ」

「かっこいいなぁ。ロマンだねえ。頼って、良いの?」

 

 横目で見た彼女の頬が緩んだ。

 緊張が解けたのなら何より。調子づいて、俺も笑みを返す。

 

「当たり前だろ。そのためにこの町へ来たんだから」

「……そっか。えへへ」

 

 車を回して、スペースに止める。

 武美ナビによれば、ここの目の前にある裏路地が一番良いポイントらしい。

 

 スーパーまる生と、大通りを挟んで高層ビルが立ち並ぶこの街を選んだ理由は結局まだ聞いていなかったが。

 機材を抱えて助手席から飛び降りた武美に先導して貰い、やってきたのはスーパーの裏側。ちょうど、小さな立て看板がネオンを輝かせているその背中だ。

 

「で、ここか」

「そ。あっちのビルに大神グループの会社が入ってるんだ。この位置なら看板用のコンセントも利用できるし」

 

 なるほど確かに、大神の会社の近くならそれほど好都合なこともない。

 それにこの位置なら上手く隠れることもできるだろう。

 ……昔はサイボーグ同盟の連中がこうして路地裏に潜んでいたっけ。今と変わらないか。

 

 ついこぼれた笑み。サイボーグというとどうしてもあいつらを思い出してしまう。

 元気かなあ、小波と友子は。

 

 そんなことを考えていると、しゅるるると足元にコードが伸びてきた。

 元をたどっていくと……武美さん、貴女のスカートの下から伸びているのですが、これは……いったい、どこから……?

 

「このプラグ、そこのコンセントに挿して。生体電源だけじゃたぶん足りないから」

「あ、おう。しかし、便利なもんだな。喫茶店のフリー電源も使えるじゃないか」

「見られたら何て言うつもりなのさ」

 

 コーヒーも電気も美味しいですね、とか?

 ダメだメイドに何を言われるか分からん。

 

 ……。

 

 

やめよ、考えるの。

 

 まあ電源ならこの看板の電気供給元を一緒に使わせてもらおう。

 ちょうど一個空いている壁のプラグに差し込んだ。

 

「うひゃあ、ひっぱっちゃダメ!」

「ご、ごめん」

「もう、なんて声出させるかな」

「これ神経通ってたり…? なあ武美、大変興味が」

「うるさい。はいこれ被って」

 

 若干頬を赤らめた武美が、ぐいっと押し付けてきたのは彼女が持っていた機材のうちの一つ。ゴーグルのようなそれは、確か最近開発されたVRとかいう技術に使うような代物と見た目が似ていた。

 

「ああ」

「あ、メットはプラグに挿して」

「了解。仮想世界から戻ってくる方法は?」

「ほっぺたをつねると仮想世界から現実に戻るように設定しておいた。……そうだよね。一応貴方を連れて行くとあたしの処理能力は落ちちゃうんだ」

「なら俺は自分の仕事を終えたら先に戻ることにしよう。もし君が戻って来れなさそうなら担いで逃げるさ」

 

 ほっぺた、ね。覚えた。

 ミッションとして、俺がする仕事は決して多くはないだろう。

 なら、やることは先に決め打ちでいいはずだ。

 

「……どっちみち、セキュリティに捕まったら脳を破壊されて死んじゃうからあんまり意味ないけどね」

「なるほど。友子が、俺も危ないみたいなことを言っていたがそういうことか」

「うん。……だから、ちょっとでも異変を感じたら逃げてね?」

「ああ、分かった」

 

 最後に周囲を見渡し、きちんと死角になっていることや人気がないことを確認して。

 武美と顔を見合わせた。

 

「じゃあ、行くよ」

 

 

 ……。

 …。

 ……なんだ? まるで夜空みたいだな。

 

 ふと意識が沈んで、浮かび上がった。視界一面を暗い世界が満たしている。

 まるで宇宙儀の中に閉じこめられたような場所だ。と、隣に居た武美が袖を引く。

 良かった、彼女も俺も、この世界でも普通に人型を保っているらしい。

 

「ちなみに、星がゲートで流星がデータ移動だよ」

「こんなタイミングでなかったら、のんびり即席プラネタリウムも乙なもんだが」

「そうだね。戻れたら、やりたいね。――大神の研究所はこっちだよ。ああ、不自然に見えるものには触らないで」

「不自然……?」

 

 どれが自然でどれが不自然かもいまいち判別できてないんだが……お?

 

「たとえばこの派手な星とか?」

「あ、それワクチンソフト!」

 

 ってことは触ったらまずいのか。げ、こっちに来るぞ?

 

「はやくこっちに来て!」

「いきなりやられるところだった……」

「あれは市販のワクチンソフトだよ。警報が出るか、追い出されるだけ」

「ということは、この先さらに危険なものだらけってことか!」

 

 これは気を引き締めてかからなきゃいけないな。

 そう、取り直して進むことしばらく。

 武美の先導で歩いてきたはいいが……。行けども行けどもこんな風景か。

 ちょっとめまいがしてきたぞ。

 

「ストップ! ……深紅さん」

「どうした?」

「目の前に赤い星が並んでるでしょ? あれはこっちから手を出せないの。この先には進めない……いわゆるファイヤーウォールなんだ。これまで何度か試したけど、やっぱりここもダメなのかな」

 

 何か、貴方には分かる? と。

 半ば縋るような目つきで見上げられたら、俺も何かしないわけにはいかない。

 俺に精神的な干渉が効いていないと仮定したうえで、何か抜け道のようなもの。

 あるはずだ。自分たちがデータを弄れないんじゃ意味がないんだから。

 

 ……お?

 

「どうして右から三番目だけ白いんだ?」

「え、どこ?」

 

 あれあれ、と指を差すと。彼女はしばらく「え、赤いよね……?」と悩んでいた風だったが。

 

「あ、そうか!貴方の向いてる方向がありえない値になってる。そうか、これがあたしの脳の心理トラップなんだ」

「プログラムされた、対サイボーグの仕組みってことか!」

「大神の重役が作ったプロテクトが、このネットに対しても同じ処理がされてるわけ。セキュリティの穴を見つけても、あたしには認識できないんだ」

「だが、俺には見ることができる。……友子が言っていたのは、そういうことだったか」

「そうと分かれば……よしっ、中に入れた。とりあえず、手あたり次第にデータをいただくぞ♪ 食べ放題タ~イム!」

 

 時間がないかもしれない。

 彼女は白い星をすり抜けて中に入ると、目を閉じて何かしらぶつぶつ言いだした。……おそらくこれで俺の仕事は終わりだろう。データに罠が貼られていなければの話ではあるが……っ!?

 

「待て、あたりの様子がおかしくなった! 武美!」

「やば、セキュリティソフトに見つかった! こうなったらぎりぎりまで!」

「俺の仕事は!?」

「大丈夫!」

「……外で待つ」

 

 これ以上いても彼女の邪魔になるだろう。

 軽く頬をつねった瞬間、また脳が揺さぶられるような感触とともにホワイトアウトした。

 

 ……う、頭ががんがんする。とりあえず、俺が居なくなれば武美の負担は減ったはずだ。これでいいんだよな。

 

「武美?」

 

 声をかけても返事がない。

 しばらく様子を見た方がいいか……っと!?

 

 車のブレーキと、タイヤが派手に地面を擦る音。

 看板の裏側――大通りの方に止まった車の窓から伸びる黒光りするマズル。

 

「クソッ……!」

 

 意識がない彼女に覆いかぶさると同時、鳴り響く銃声の雨嵐。

 はっ……痛くなんかねえよ。幾らでも撃つがいいさ。

 

 ただ武美に一発でもあたるとまずい。

 身体を覆いかぶせるようにして彼女を守ること数秒、一度弾丸の雨が止んだ。

 

 同時、武美が目を覚ます。

 

「うわ、何がどうなって、って大丈夫!?」

「なに、心配は要らないさ。かすり傷だ。急いで逃げよう」

 

 誰かを守れないことに比べたら、欠片も痛くはない。

 そうだろ? 俺。

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

「危険な任務成功にかんぱーい!」

 

 車に乗って、遠前町への帰り道。

 立ち寄ったコンビニエンスストアで彼女が買ってきたのは、二本のペットボトルだった。助手席に乗り込んでくるなり、今まで以上に快活なその満面の笑みで俺にボトルを握らせる。乾杯ってもっとこう、アルコールとかじゃないのか。

 

「帰ってから酒じゃダメだったのか?」

 

 エンジンをかけて、再度車を出発させる。

 頃合い的には、あと数分もすれば遠前町に入れるだろう。

 

「あたし、まだ九歳なんだよ。11年後まで待たないと」

「……寿命タイマーはどうにかなったのか」

 

 ウーロン茶をちびちびやりながら窓の外をぼんやりと眺めていた武美に声をかける。

 すると、こくんと頷いたのが見えた。こちらを向いてくれはしないが、俺だって運転中にずっとよそ見をしているわけにもいかない。

 

 彼女が助手席から景色を眺めている間も、ぐんぐん遠前町は近づいてくる。

 

「データを解析してみないとわかんないけど……たぶん大丈夫」

「そうか。よかったじゃないか」

「うん」

 

 良かった。ああ、本当に良かった。

 武美が助かってくれて本当に良かった。

 俺自身、心からそう思う。

 

 ……俺が、嬉しいんだ。助けられたことが。

 

『そうだね。人じゃないよ、小波さんは』

 

 ……だとしても。人が幸せになれることは、喜べる。

 それじゃダメなのかなあ。

 

「深紅さん」

「ん?」

 

 赤信号に、ブレーキを踏む。

 ぼんやりと目の前を行きかう車を見ていると、武美からぽつりと声が漏れた。

 

「なんていうかさ。あんまりうれしくてその、実感がわかないんだ。でも……あたし、助かったんだよ」

「おめでとう」

「ありがとう。……ありがとう。貴方のおかげで、あたし救われた。本当に、なんて言っていいかわかんないけど」

 

 相変わらず彼女はこちらを見ない。

 けれど、窓ガラスに反射して、彼女が今どんな顔をしているのかは分かる。

 

 泣いているんだって。

 

 

 信号が青になった。

 ここからは遠前町に入る。

 

 そう、帰ってこられたんだ。

 

「深紅さん、ありがとう。本当に、ありがとう」

「お礼は、小波と友子にも言ってやってくれ。あいつらが居なかったら、きっと遠前町に来ることもなかったさ」

「あはは。友子には、借りを作りっぱなしだね、あたし」

 

 

 ああ、本当に。

 俺も、あいつらには借りを作りっぱなしだ。

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 権田に車を返して、俺は武美と別れた。

 泊まっていきなよ、と武美が誘ってくれるのは嬉しかったが、なんだろう。

 なぜか、断ってしまった。人の善意には、未だに慣れない。

 少し、一人になりたかったのかもしれない。彼女の好意に甘えるのは、少し申し訳ない気がした。貸しを作ってしまった、ようなものだからだろうか。

 なんというか、そうやってお礼を言われて。感謝されて。

 その場にいると、いつの間にかぎくしゃくしてしまって。俺もどうしていいのか分からなくなって。

 

『うわあやったあ~!』

『逆転サヨナラでやんす!!』

 

 ……そこで離れておけば、関係も壊れなかったのかなって。

 

 

『誰かを守るだけじゃ生きていけないよ。そんなの、疲れちゃうよ』

 

 

 ……。

 疲れていたのだろうか。俺は。

 

 分からないな。分からないから、こうして探して旅しているんだけど。

 

 ぽつぽつと考え事を巡らせながら。

 歩いて河原まで帰ってきたところで気が付いた。

 

「あれ? テントが無いぞ?」

 

 いつもなら、河川敷近くまでやってきたら憎めない黄色い三角さんが見えていたはずなんだが見えたらない。暗いから? もう夜が近いから? いやいやそんなことはないはずだ。

 川の急な増水? 流された? んなバカな話はない。

 

 慌てて駆け寄って、近くまで来て。気づいた。

 

「人助けの帰り?」

 

 そこに、誰かが立っていることに。

 

「……准?」

「はい、ご主人様の頼りになるメイド出張版、夏目准です♡」

「いやここ店でも何でもないんだけど」

「確かに何もない寂しいとこだね」

「なんだと!? ここは住みやすくて見晴らしのいいベストスポットなんだぞ!?」

「住むところじゃないんだってば」

「っとそれで思い出した。俺の家を知らないか?」

「ああ、あれ貴方のだったの」

「知ってたはずだろ!?」

「バーベキューしようと思ったんだけど燃料がなくて」

「くべたのか!? 人の家バーベキューなのか!? 何故そんな、この悪魔メイド!」

「冗談に決まってるじゃない」

「お前の冗談は笑えないんだよ……」

 

 なんてヤツだ。けど、何故ここに准が居るのか。そして俺のテントがどこに行ったのか分からないままだ。

 

 こいつが何かを知ってるかは分からないし……。それに、少し気まずい。なんだかぎくしゃくしてしまっていて、普段のような軽い受け答えもあまり思い付かないというか。よくない、感じがする。

 

 と考えていると。夕日も沈みかけで逆光になっていてよく見えないが。

 准が、なにか言おうとしているような気がした。

 

「……今度は、広川さんを助けてきたの?」

「えっ? なんで知ってるんだ?」

「知ってるも何も、あのお店でデートがどうのって……小波さんにまともに人とデートできるとは思えないし」

「し、失礼じゃないかね君!?」

「それと、その穴だらけの外套と……私があげたストールもちょっと焦げてるし」

「……」

 

 それは。

 

「なに、してんだか」

「……准?」

「昨日、色々考えたんだ。勝手に帰ってごめんなさい。荷物、ありがと」

「いや、それは別に良いが。考えたって何を? 俺の暗殺方法?」

「ヤッテイイノ?」

「真顔でそんなこと言うのやめてください」

「ごめん。貴方とこうして話す時は先に言っておくべきだったね。今、真面目な話」

「……」

 

 そんな気落ちした顔するなよ。

 

「……きっと今日、広川さんを何かから助けてきたんでしょ?」

「俺が言っていい話じゃない」

「いいよ別に。それは分かってるから。でも……なんで助けたのに一人でここに帰ってきたの?」

「いや、失敗したわけじゃないぞ?」

「分かってる」

「……?」

「ほんとに分かってないみたいだから言うけどさ。もう、見ていられないよ」

 

 眉根を寄せて。悲しそうに。

 なんで、俺をそんな痛々しいものを見るような目で見るんだよ。

 真面目な話なんだろ? 俺をからかうんじゃなくて。

 

「疲れちゃうから、貴方はまたどこかへ行っちゃうんだ」

「……」

「私、言ったよ。きっと、今もそうでしょ。……みんなを守る、貴方を。貴方を守る人は、居るの?」

「必要ないさ。俺は、誰かを――」

「……小波さん」

「ん?」

「……はい、これ」

 

 つかつかと、近づいてきて。

 彼女は、俺に手を差し出した。

 

 夕日に反射してちらっと光ったそれは、――鍵?

 まさか、押し入り強盗をすることによって、俺の善悪を相殺させようと。

 

「……それは犯罪だ」

「バカなの? 私の家に決まってるじゃん」

「は?」

 

 ……は?

 

「だから、私の家」

 

 ぐ、と押しつけるように俺に鍵を手渡して。

 彼女は、そっぽを向いた。

 

「……状況が上手く呑み込めないんだが、俺は何をされるんだ? 私刑なのか?」

「まあ、ある意味、そうだね」

「ある意味!?」

 

 どういうことなのか。何ひとつ分からない俺に振りむいた彼女の笑顔は、今までにないくらいに綺麗で。

 

「この町を出ていくまで、貴方には私と一緒に住んで貰うことにしたんだ。貴方の物は全部、うちで人質になってるから」

「な、なんだってーーーー!?」

 

いや、マジで意味が分からない。なんで? なんでそうなったの? 俺に選択権は?

 

困惑している俺をよそに、彼女は笑って指を突きつける。

 

「小波さん!!」

「はい!?」

「貴方には、これから人になって貰います!!」

「どういう意味だよ……」

 

 

 

(住んでる場所が准の家に変わった!)

(准と遊びに行く コマンドが使えるようになった!)

ハンサムが5上がった!

バンザイが4上がった!

 

 




住む場所変わるまで長かった……。
10万字近くってもう文庫一冊じゃねえか。
おまけ含めて構想のだいたい1/3が終わりました。おかしいな、20話くらいで〆るつもりだったんだけど。

あとちょっと今日はパソコン触れないんで感想返信出来てないと思います。今回の更新でいただけた分と合わせて明日返します。いつも戴く皆さんのパワポケ愛溢れる感想は、読むのも返すのも楽しいんでこの場を借りて一度お礼しておきます。ありがとう!!!

次回からバーサクわっしょい!

ええじゃないかええじゃないかええじゃないかええじゃないかバンザーイ! バンザーイ!


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《バーサクわっしょい!》I

「ダチョウ、まつり?」

 

 その日、俺は商店街へ買い物に出かけていた。

 さらさらと書き込まれた食材のメモから、ふと顔を上げて気づくのは、普段と違う商店街の顔。何やらのぼりや看板がところどころに立てられており、はてと首を傾げる。

 

 ダチョウ。あのダチョウだろうか。ミンミン鳴いて、コヨーテから逃げ続ける、あの。祭りというと、いっぱい来るのだろうか。ミンミン鳴いて、コヨーテから逃げ続ける、あのダチョウが。……どこからくるのだろうか。ミンミン鳴いて、コヨーテから逃げ続ける、あのダチョウが。

 

「そう、ダチョウがテーマなんだ。やっぱり、人を呼ぶにはインパクトが必要だからね」

「ああ、会長。どうも」

 

 商店街のど真ん中、道の中央でぼんやりしていると、ふと後ろから声がかかった。

 振り向けば、商店街の会長。いつも通りの好々爺然とした笑みを浮かべて、楽しげに手を挙げてくる。軽く頭を下げて挨拶すると、何やら目を丸くして俺を上から下まで眺めた。

 

「……え、今日は……客、なのかい?」

「そこまで驚かれますか」

「いや、だって、ネギのささった袋を、一人で、小波くんが……ええ……?」

「そこまで、驚かれますか……」

 

 スタミナ切れみたいにへたってしまった。

 俺の扱いは日に日に金なし野郎で安定してきていることは知っていたが、まさかここまでとは。いや、そんなことは良いんだ。

 

「まあ、そんなところです。それより、このダチョウっていうのは」

「ダチョウ牧場と契約して、イベント用に何羽か借りたんだよ。ダチョウに触れて、ふれあえるんだ」

「なるほど。……そういえば明日は休日でしたね」

「そうそう。だから今日は前準備なのさ。商店街の重要メンバーも集まってくれている」

 

 指さした方角――といっても商店街の集会所だが。そこには、わっせわっせと機材を運び出している見覚えのある面々が見て取れた。

 商店街振興のためか。……なんでダチョウなんだろう。好きなのかな、会長。

 ミンミン鳴いて、コヨーテから逃げ続ける、あいつのことが。俺も好きなんだけど、あまりぐいぐい行くと引かれそうだ。

 

「しかし、大丈夫かね」

「先生ー、何か心配事?」

 

 お? 聞き覚えのある声がして、そちらを見れば。

 野球チームのメンバーでもある先生と、武美がこちらに向かってやってきているところだった。会長が声をかけると、二人も気づいたように歩み寄ってくる。

 武美なんかはご機嫌に表情を緩ませてのご登場だ。

 

「深紅さん、やっほー……………え、お買い物?」

「やあ会長。小波くんも…………え、お買い物?」

「もういいですよそのリアクションは!」

 

 ああもう。

 

「それより、どうしたんですか」

「ダチョウはキックが強力だからね、万が一、お客さんにケガでもさせたら商店街のイメージが一気に悪くなるじゃないか」

「おお~、なるほど~。あたしは全然思いつかなかったな」

 

 そう。ダチョウはキックが強力なんだ。俺もよく知ってる。あと足が速い。速すぎて下半身が車輪にしか見えなくなるくらい速い。スケート靴や磁石でも追い付けない。

 

「……なんで深紅さんはそんなに誇らしげなの。ダチョウ好きなの?」

「小波の家で見たダチョウとコヨーテが鬼ごっこする話が大好きなんだ」

「…………ああ、これか」

 

 こいつさては今ウェブで検索かけたな。

 と、武美とあれこれダチョウについて話していると。

 慌てた様子の木川が向こうからやってくるのが見えた。

 

「た、大変だ!」

「どうしたんだね」

「ダチョウがいなくなってるんです!!」

「まさか、逃げたのか?」

 

 勢いよく木川が首を縦に振る。

 

「あ~、良かった。これでお客さんは怪我しないね♪」

「ば、馬鹿!それじゃイベントはどうなる!」

「しかも、逃げたダチョウがどこかで事件でも起こしたら…。ああ、想像するだけでも大変なことに」

 

 先生と会長が頭を抱えるのは良いが、いや良くないが。

 とりあえず。

 

「檻の方に行きましょう。ここで頭を悩ませても仕方ないですし」

「あ、ああ」

 

 会長の先導で檻へ向かう。

 

「……あたしのことバカって言った」

「とにかく、ダチョウを探そう」

「む~~」

 

 ……しかし武美。

 

「なんか言動がわざとらしくないか?」

「そんなことないよ! やだなあ、深紅さんは!」

 

 

 

《バーサクわっしょい!》I――ダチョウ祭り――

 

 

 

 

「よし、一匹捕まえた」

 

 首元を掴んでしがみつくように抱き込むと、路上を走っていたダチョウはおとなしくなった。……しかし、やっぱり速いな。一匹捕まえるだけでもだいぶ骨が折れたぞ。

 

「こいつはおとなしいやつだな」

 

 後から追いついてきた権田が言う。

 振り向けば、他にも何人かが探しに出ているようだった。

 

「権田、あと何匹居るのか知ってるか?」

「他に誰かが捕まえていなければ、あと十匹だな」

「まだそんなにいるのか」

 

 参ったな。どこに逃げたのかも見当がつかないし、何よりこうして一匹一匹捕まえるのは手間だ。

 

「ひとまず、そのダチョウは俺が檻まで連れていこう」

「ああ、頼――」

 

 権田にダチョウを譲り渡そうとしたその時だった。派手なクラクションと共に、近くを通りかかった車が止まったのは。ウィンドウが下りて、顔を出したのは十字傷の目立つ青の男。

 

「よお、深紅! 今日はダチョウの世話か?」

「椿! さてはお前の仕業か!」

「さあて、どうだろうね。それよりも、とっとと逃げたダチョウを捕まえた方がいいんじゃないのか?」

「……商店街の妨害でも依頼されたのか」

「そんなところだ。さあて、お前はどうしてくれるんだ?」

「お前を楽しませるつもりはない」

 

 言って捨てると、椿は眉を寄せ、そうかよ、とだけ呟いて車のウィンドウを締めると、つまらなそうにアクセルを踏んだ。

 

「……今のは?」

「腐れ縁の野郎だ。金で雇われて何でもする悪党。おそらく――」

「ジャジメントに妨害を命じられた、か。クソ、やってくれるじゃねえか」

 

 が、と地面を蹴って権田は気炎を吐く。

 

「ああ、逃げたダチョウが向こうに固まって走ってるでやんす!」

「まずい! このまま隣の町に入られたら大騒ぎになってしまう!」

「じゃあ、早く止めないと。誰か車だ、車持ってこい!」

 

 カンタ君と会長、先生の声に、権田と俺は顔を上げた。見れば、確かに集団で脱走するダチョウたちの姿。

 

「車……? そんな時間はないだろ。権田」

「ああ、十匹居るな」

「よし、じゃあ行ってくる」

「くえ!?」

 

 捕まえていたダチョウに飛び乗る。

 まあ要領は乗馬と変わらないだろう。

 

「お前ならやりかねないとは思ったが、大丈夫なのか?」

「ああ。その代わり、権田」

「分かってる。俺は犯人を探す。あと、お前の捕まえたダチョウのカバーリングは周囲にやるよう言っておく」

「頼んだ」

「お互いな」

「よし、行くぞロードランナー!」

「……名前付けたのかよ」

 

 言葉を交わして、ダチョウの腹を蹴る。これで走り出すかどうかは不安だったが、思ったより上手くいった。

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

「やるな、深紅。だが、それでこそオレの価値も上がるってもんだぜ」

「商店街の邪魔はさせねえよ」

 

 何とか十匹のダチョウを集め終えた俺は、そのまま商店街へと戻ってきた。

 俺の走路にふざけた妨害の爆弾を置いていった椿の野郎はさておき、ひとまず一仕事終えて頑張ったダチョウをねぎらう。

 

「くえっ」

「よしよし、よく頑張ったなロードランナー。お前の学名はスバシッコクテハヤインスに違いない。おかげで商店街は窮地を脱したよ。おおよしよし」

「……お前は何を言ってるんだ」

「権田か。紹介しよう、うちのロードランナーだ」

「そいつはダチョウ牧場のものだし、名前も多分別にあるだろうよ。何を言ってるんだ」

「そんな……お前は、ロードランナーだよな? 俺のパートナーだよな?」

「くえっ?」

「ほら、そうだってよ!!」

「今明らかに疑問符あったろうが」

 

 ダチョウを全て回収し終え、あとの雑多なものを全て任せていた権田が戻ってきた。

 俺とロードランナーの絆についてはさておき、細かな情報を聞くことにする。

 

「ダチョウ祭りは中止になった。当たり前だが、こんな管理不行き届きを見せておいて明日も貸してくれなんて言うわけにはいかねえからな」

「そうか。で、どうするんだ?」

「……野球イベントをすることにした」

「野球イベント?」

 

 ああ、と権田は鷹揚に頷く。

 

「ほら、お前が以前に言ってくれたことがあったろが。野球でこの町を宣伝するのも良いんじゃないかってよ」

 

 そういえば、そんなことを告げたような気もする。あれは確かカシミールの帰りだったか。

 

「俺なりに考えてみたんだ。……元々、ビクトリーズはただの草野球チームで、商店街への貢献どころかただの遊びでしかなかったが……奈津姫の旦那のおかげで強くなって、今もこうしてお前のおかげで強くなってる。今なら、商店街の看板を張れる」

「……その、意志表示か」

「おう。背水敷いておけば後戻りは出来ねえしな」

「……負けられなくなるな。そうなると」

「当然だぜ」

「ところで、俺は何かした方がいいのか? 野球イベントの手伝いとか」

「ああ、設営は頼みたいんだが……なあ、ちょっと聞きたいんだけどよ」

「ん?」

 

 権田の言葉が濁る。

 どうしたんだ、と彼の目を見れば、視線の先には俺の左手……買い物袋。

 

「……お前、金あったの?」

「お前までそれを言うのか! お前までそれを言うのか!」

「ま、いいや。手伝いは明日の朝来てくれればいいからよ、今日は帰って休んでくれ。これ以上小波を働かせたら……帰りを待ってるヤツに迷惑だろう」

「……いや、別にそんなことはないと思うぞ?」

「やっぱ居るんじゃねえか」

「あ」

 

 笑いをこらえられない、といった様子で権田は口元を抑えた。

 この野郎、やってくれるじゃねえか。

 

 ……実際、今日の俺は頼まれた買いだしに出てきていただけだ。こんなことになるとは思っていなかったが。とはいえ、そんなに察せるものかよ。

 

「テント無くなってたしな。まあ、旅に出たとは思わなかったが」

「そうか」

「見捨てねえって約束してくれたしな」

「……」

「まあともかくだ。明日の野球イベントに来てくれりゃ構わねえよ」

 

 話はそれだけだ。と、片手をポケットに突っ込んで権田は去っていった。

 ……はあ。さて、俺も帰りますか。

 

 ……新しい家に。

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

「おかえりなさいませ、ご主人様♡ お風呂にしますか? シャワーにしますか? それとも、湯・浴・み?」

「そんなに臭いですかねえ!?」

「いらっしゃいませお客様、大浴場はあちらとなっております♡」

「会話をしてくれ」

 

 2DKのアパート。二階建ての二階角部屋。

 そこが、俺の新しい住所だった。

 

「おかえりなさい、小波さん」

「ああ、えっと……」

「ただいま帰りました、我らが准様、でいいよ」

「よくねえよ。……ああっと、ただいま」

「はい、よくできました」

 

 ……そして、彼女が俺の同居人もとい居候先もといなんだ、半ば強引に俺を住まわせた……なんだ?

 

「飼い主?」

「俺はペットか何かか」

「まあそんなことより、さっさと入って」

 

 玄関先での会話はようやく終わり、彼女は絹のようなその長髪を背になびかせて部屋の奥へと戻っていく。……あいつ、髪を降ろすと誰だかわかんないや、ってくらい印象が変わるのだ。紺のパーカーのような部屋着にもびっくりしたが。あんな格好するんだ、みたいな。

 

 彼女曰く、髪は店でセットしているとのこと。

 そうすることで、家を追跡されないようにしているとかなんとか。やっぱり、髪型が変わるだけで人間分からなくなるものだなと納得した。

 

「はいはい、帰ってきたんだからすぐにさっぱりする。部屋着はこれ!」

「あ、ああ」

 

 そして、彼女は意外と店に居る時と雰囲気からして違った。

 なんだろう、まず一つ目がこう、ただいまを強要するというか。ここが俺の家であると、認識させたいような。……こんないい匂いのする家が俺の家のはずないじゃないか。もっとこう、明かりをつけると蛾が寄ってくるような……。

 

 自分で言ってて悲しくなってきたな。

 

 風呂場に放り込まれ、半ば仕方なくというか、シャワーを借りることにする。

 貧乏性だし慣れているから、お湯は出さない。ガス代勿体ないし。

 

 ……部屋着に関しては、俺を家に連行したその日に彼女が採寸して、気づいたら仕立て上がっていた。初のオーダーメイドが上下のスウェットというのはまた微妙な話だが……それ以上に何だろう。どうして俺にそこまでしてくれるのかが不気味で怖い。

 

 少なくとも、決して好感度は高くないはずなんだが。

 

 金ないし、すげえディスられてるし、馬鹿にされてるし。対等以下とか言われたことあるし。……たぶん、あの雨の日に死ぬほど嫌われただろうし。

 

 かといって俺を無理やり家に上げる理由もまた分からない。人にするってなんだ。

 

 シャワーを浴び終えて、脱衣所に戻る。

 俺の荷物は、元々彼女の被服の物置になっていたところに置いてある。というか、そこで寝れと言われた。まさか、布団で寝ることが出来るようになろうとは。至れり尽くせりである。

 

「はい、お座り」

「だから俺はペットか」

 

 着替えて出ると、キッチンに置かれた簡易テーブルの上に食事があった。

 今日俺が買い出したものがちょこちょこ見て取れる。

 

 准は既に座っていて、その対面にも折り畳みの小さな椅子があった。

 ダイニングキッチンとはいえそこまでキッチン部分の面積は広くないが……こうして二人で座る分には問題ないというか。

 

 言われるがままに着席して、いただきます。

 

「何故こんな美味しいものを作る奴が、マスタードサンドマスタードなど……」

「あり合わせでレシピ通りなら、誰でもこのくらいは作れるよ」

「そういうものか。……なあ准」

「ん?」

「俺の分までご飯作って……バイト代、頑張って溜めてるんだろ?」

「その割にしっかり食べてるじゃない」

「いや、それは、こう、やはり目の前に出されたものは生きとし生ける全てに感謝して食べるべきだろう」

「じゃあ、良いじゃん」

「そういう問題なの!?」

「そういう問題だよ」

 

 小さな箸を動かしながら、もちもちと食べ続ける彼女。数か月前はまさかこんな関係になると思っていなかった――いや今も思ってねえけど。准の考えが、分からない。

 

「遠慮されたら困るから言っておくけど、自炊って一人だと全然節約にならないんだよね」

「そうなのか?」

「うん。お弁当買って食べてるのと全然変わらない。食材なんてすぐ腐るし。だから、二人分の食材を買って綺麗に消化するのと、私が一人でお弁当買って食べるのは殆ど値段一緒だから。気にしないで食べなさい」

「貴方のような人ばかりなら、恵まれないアフリカの子供たちも救われるでしょう」

「拝まないでよ……」

 

 ……なんか、それでもおかしい気がするけれど。

 これ以上突っ込んでくれるな、といった感じの壁を感じたので黙っておく。

 ありがたいのは確かなのだ。ただ……これでいいのかと俺の心が囁くだけで。

 

「変な顔してるね」

「また人の顔をそうやって!」

「……気にしなくていいって言っても気にするなら、何も考えられないようにしてしまうのもありか」

「怖いこと言わないでください。いや、これは俺の問題というか」

「そっか。貴方がそれをここでぐちぐち呟けるくらいになったら、少し関係の改善を考えてあげる」

 

 それまでは、このままね。

 そう、准は言って笑った。彼女が何を考えているのか、俺にはまだ分からない。

 

 




准の家って本編で言及されてないよね?
なんか喫茶店住み込みで働いてたみたいな話をどっかで見た記憶があるんだけど、再プレイしまくっても、調べても、一つも情報ないので、もし矛盾あったらこの作品ではこんな感じということで一つ。


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《バーサクわっしょい!》II

 ジャジメントスーパー、支店長室。

 

「椿! 椿はいるか!」

 

 自分以外に誰の姿も見当たらない。

 それが分かっていても、太田は叫んだ。

 

「はいはい、聞こえてますよ」

 

 ――自分に気づかれないレベルで気配を消すことが出来る化け物が居ると、知っているからだ。

 椿はいつものように勝手に太田のコーヒーを飲み干しながら、いつの間にか応接室のソファにふんぞり返っていた。

 

「商店街をつぶすとか言ってたくせに、どうなってるんだ」

 

 もう、太田も慣れたものだ。額に手を当てながら、唸るように言う。

 椿が飄々として、何も考えていなさそうな顔をしていてもだ。

 

「何かあったのかい?」

「あいつら、ブギウギ商店街を野球の街としてアピールするつもりだぞ。まったく元気そのものじゃないか!」

 

 つい、癖でデスクを殴りつけて威圧する。

 部下たちなら軒並み竦み上がるような一喝も、しかし椿にとってはそよ風以下だ。鬱陶しそうに手を払って、彼は頷いた。

 

「ああ、なるほどね。野球ねえ……」

 

 ぼんやりと、部屋から窓の外を見る。余裕に満ちたその雰囲気は、ますます太田を苛立たせるだけだった。あげく、振り返った椿は子供のような笑顔で言ったのだ。

 

「いいんじゃない?」

「いいかげんにしろ! 土地の買収計画がますます遅れる……」

「買収計画?」

「あ」

 

 思わず口を押えるも、もう遅い。

 そうかそうかと椿は頷いて、太田の元へと歩み寄る。

 気づけば、足が下がっていた。目の前の脅威から逃れるように。

 しかしそんなもの知ったことではない。が、と肩を組まれてしまって、横を見ればすぐ隣に、鋭利な眼光が迸る。

 

「ははあ、あんたらの真の目的はあの街の土地か」

「いや、その、駅前の土地を再開発しようかと、お、思ってるだけだよ?」

「ふーん。じゃああそこに何かがあるんだな?」

「ないないない、絶対になんにもない! とにかく、お前は商店街を再起不能にしてくれれば、それでいいんだ!」

 

 なけなしの勇気を振り絞って彼を振り払う。

 おどけたように大げさに椿は両手を上げると、ついで笑った。

 

「簡単じゃねえか、そんなの」

「なに?」

「今すぐビクトリーズに試合を申し込むんだな。試合でコテンパンにやっつけて大恥をかかせてやればいい。野球の看板背負えないくらいにね」

「な、なるほど」

 

 考えなかったわけではなかった。

 けれど、太田には自信がなかった。

 

「だがこの前の試合でコアラーズは負けてるんだぞ」

 

 そう、どこか縋るように問いかけると。

 椿は愉悦を顔いっぱいに広げて言い放つ。

 

「そのときは、オレがいなかったんだろ?」

 

 

 ――野球は、オレの得意分野でね。

 

 

 

 

 

 

《バーサクわっしょい》II――野球の町、遠前町――

 

 

 

 

 

 

 

「あら、ダチョウイベントは中止になったの?」

 

 ダチョウの脱走騒ぎがあった翌日の話だ。

 俺は権田や会長の指示に従って幾つかの機材の運び込みを手伝ったあと、手持無沙汰になって見物へと繰り出していた。

 権田や会長が、客に対して笑顔で応対している姿が見て取れる。

 

「はい、その代わり野球イベントとなっております。我が商店街の誇るチーム、ブギウギビクトリーズがじっさいに使っているバッティングマシーンで、三球中一球でも当てられたら商品券をプレゼント」

「あら、それならやってみようかしら」

 

 練習で使っているバッティングマシーンまで引っ張り出してきて何をするのかと思えば、結構色々考えられていた。バッティングマシーンのあるブースには列ができ、商品券を獲得した人もちょこちょこ見受けられる。

 なるほど、楽しそうだ。

 

「はい、はい! 人間の投げた球がいい方はこちら。ブギウギビクトリーズのピッチャー、木川則夫の球を打てたら豪華賞品をプレゼント!」

 

 へえ。

 

「ピッチャーってことなら俺も……」

「お前の球は洒落にならないから引っ込んでろ小波」

 

 いつの間にか背後に居た権田に首根っこを掴まれた。

 何をするんだ。

 

「のりおのヤツには、コントロールの狂わない程度の球速でストレートを投げろと言ってある。その場合、あいつは120km/h出るか出ないかという……まあ、普通の人にとってはそこそこ難しい球を放るわけだ」

「ああ」

「お前、そうなったらどのくらいの球速だよ」

「145くらいだな」

「打てるヤツが居るわけねえだろ、引っ込んでろ」

 

 おのれ、なんてことだ……。

 ……おや?

 

「これは、投げたボールをパネルに充てるのか。テレビで見たことあるな」

「どうです? 一回500円ですが、得点によっていろんな景品がもらえますよ?」

 

 なるほど、ストラックアウトまであるのか。

 それは面白そうだけれど……俺そんなにコントロール良い方じゃないしな。

 

「やらないの?」

「うぉ、准!」

 

 ぴょっこりと。背後から顔を出したツインドリルに驚く。

 お前、仕事中じゃ――ああ、仕事の買い出しね。

 買い物袋で察したわ。

 

「……おい小波、そっちの方は?」

「初めまして、ダーリンの彼女です♡」

「嘘をつくな嘘を」

 

 腕に絡みつく准を引きはがす。

 

「そんな……私はもう、要らないのですか……ご主人様ぁ……♡」

 

 流石にもう騙されないからな。俺はもう絶対に、そんな潤んだ目したって絶対に騙されないからな。

 

「ああ、あんたが彼女さんですか。どーも、俺はこいつと組んでるキャッチャーの権田です」

 

 権田あああああああああああああ!!

 

「嬉しい♡ 信じて貰えるなんて♡ 小波さ――深紅さんったら酷いんです♡ 私のこと、邪魔みたいに……♡」

「小波お前……女の扱いくらいは心得てると思ったんだが、失望したぜ」

 

 ごぉぉおん……。

 脳内で鈍い音が響いた。今の俺の顔は黒く染まっているに違いない。

 

「さて、彼女さん、せっかくだからやっていくかい? 商店街で買い物していたんだろう?」

「あ、じゃあダーリンにお願いしてもいいですか♡ ダーリンダーリン、私ぃ、あの景品欲しいぃ~♡」

「あー、一応こいつはビクトリーズの仲間だからな。流石にそれは」

「でもでも、私、ダーリンのかっこいいところみたいです♡ それに、お買い物はしましたし♡」

「…………よし、良いだろう。ただ、小波が参加したとバレたら厄介だから――」

 

 ぽそぽそと権田が准に作戦を話す。

 何でも、俺はストラックアウトの宣伝のために見本として客集めに使うらしい。

 で、景品取れるくらいポイント稼いだら准にこっそり渡す、と。裏の処理は俺をただの客扱いして終わらせておく、と。

 

 ……重いわ。責任重大じゃねえか。

 

「ありがとうございます♡ きっとダーリンならやってくれます♡」

「ま、そうだな。なんてったって俺たちの頼れる投手だからな」

「えっ、そうなんですか?」

「なんだよ、彼女さんに何も教えてねえのかよ。小波は俺たちのチームの投手で、打撃もうちで一番と言っても過言じゃない。俺たちにとっちゃ、最も頼もしい仲間だよ」

「凄い凄い♡ 誇らしいです♡」

 

 軽く会話していた二人が、こちらを向いた。

 権田は准に見えないようにサムズアップしやがった。あの野郎、本当に准を彼女だと思って俺の株上げて……おそらくは奈津姫さんの方でのアシストを期待しているに違いない。そして准の方はと言えば。

 

 なんか、凄い黒いオーラを出しながら、口パクで

 

(景品とってね?)

 

 お前やっぱり最初から目的はそれかあああああ!!

 

 

 なんてヤツだ夏目准。権田に彼女ですとか言った時からこれを狙ってたのか。

 策士過ぎる。こっわ。やっぱこいつ怖いわ。何考えてるのか分からん。

 

「……まあ、頑張るわ」

「おい小波、一つだけ条件がある」

「まだあるのかよ」

「ビクトリーズの力を示す良い機会だ。全力で投げて、全部のパネルを抜け」

 

 また無茶ぶりを……。

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 俺の周りには人だかりが出来ていた。無理やりユニフォームを着せられて、仕方なく肩を温めるために軽く何球か放っている。 

 

「へえ、あれがビクトリーズのエースか」

「そんなに球威ねえな」

「コントロールが良いとかそんな感じじゃねえの? これストラックアウトだし」

「ふうん。ビクトリーズねえ」

 

 などなど、好き放題言われている。

 そしてエースになった覚えはねえよ。誰が言ったんだそんなこと。

 

 衆人環視の中で投げるのは何度かやってるけど、近いわ。マウンドから数メートル横で見られるってどんな状況だよ。

 あと准の目が怖い。「舐められたままでいいの?」みたいな視線の圧を感じる。

 

 これあれだな、球速が低かったらバカにされて終わってたんだろうなあ。

 けどまあ。実はちょっと球の速さには自信がある。コントロール? はっはっは。

 

「はいそれでは皆さんご注目ください! ストラックアウトのやり方を簡単にご説明させていただくと同時に、我がブギウギビクトリーズのエース、小波深紅の投球をお見せいたします!!」

 

 権田……お前がエースだのなんだの言ってたのか……。

 

「じゃ、小波。くれぐれも全力で、な」

 

 ドスの利いた声で、俺にだけ聞こえるように呟いた。分かったよ。分かった。

 ぽかしても怒るなよ。

 

 振りかぶって一球目。まあ、ど真ん中狙えばどっか抜けるだろ。

 1~9まで割り振られた番号のうち、真ん中の五番を狙う。

 

 パァン!! とはじけたような音がして五番が抜けた。おお、調子が良いぞ。

 

 くるくると肩を回す。

 

「はっや」

「え、草野球ってあんなピッチャー居るの?」

「さっきのバッティングの方も結構早かったけど、この投手やべえ」

 

 ちら、と様子を見る。

 

「~♪」

 

 ……准は上機嫌だ。ならいいか。

 と思っていたのに権田がわざわざデカい声で言う。

 

「おい小波、全力で投げろっつっただろ」

 

 周囲が少しざわめいた。いや、俺結構ちゃんと投げたよ? 本当に。

 

「お客様の前で緊張するのは分かるが、全力だ全力。まだ143km/hとかだぞ」

「ありゃ? マジ?」

 

 スピードガンを突き付けられたらまあ仕方ない。

 どこで測ってたのか知らないが。

 

「マジだマジ。……はいすみません皆さん。このように投球速度も測ることが出来ますので、ご要望の際は係り員までお申しつけください!」

「145キロ近く出てて"まだ"ってどういうことだよその投手」

「マックス幾つだよ」

 

 ……権田め。なんだか最近こいつまで策士になってきやがった。

 

「はい、ブギウギビクトリーズのエース、小波深紅の球速はマックスで155キロを記録します。そして我々ビクトリーズは、日夜そんな彼の球を打って、取ってを繰り返しチームとしての強さを盤石なものにしております。ぜひ、試合の際は見に来てくださいね!」

「155!?」

「それが本当ならプロでもおかしくねえじゃねえか」

「小波さんだっけ、投げて投げて!!」

 

 こ、な、み。こ、な、み!

 

 やめろやめろ。コールをかけるな恥ずかしい。

 したり顔の権田が物凄い腹立つな。これたぶん155出すまで帰らせて貰えねえぞ。

 

 最高速出すなんて、そうそう上手くいかねえんだからな。

 

「深紅さん、頑張って♡」

 

 准め、調子の良いことを。

 

 振りかぶって、投げた。

 どかん、とフレームにぶつかった音とともに、1、2、4番を纏めて打ち抜いた。

 

 おお、マジか。やったぜ。

 

「おおおおおおおおおおお!!」

「すげえなビクトリーズ!」

「こんなヤツからいつも打ってるのか!」

 

 やんややんやの大騒ぎ。

 権田がにやけた顔でスピードガンを見せてくる。球速は155キロ。

 喧騒の中、誰にも聞こえないような小声で権田は笑った。

 

「奈津姫さんの応援ネタで俺をからかえなくなったな」

「うるせえ」

 

 嘆息して。

 

「はい、ビクトリーズの試合がある時は町の広告やネットで逐次報告しております! 皆さん、ブギウギビクトリーズの応援もぜひ宜しくお願いいたします!!」

 

 上機嫌な権田の声が腹立たしくて、俺はもう一球を全力で投球した。689番が同時に抜けた。

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 景品を受け取った准は、ご機嫌で「またあとでね」と帰っていった。

 あいつ、俺を利用し尽くしやがって。

 

 あの後、俺は残った3と7のパネルを4球使って抜いてストラックアウトをクリアした。観客からの歓声に応えて、ついでにストラックアウトをする客の投球アドバイスとして残らされ、あれこれやっているうちに日が沈む。

 

「なんだかんだ最後まで付き合わせて悪かったな」

「それは良いが……あれで俺がしくじってたらどうするつもりだったんだよ」

「投手を信じるのが捕手の役目だからな」

「好き放題言いやがって」

 

 イベントを終え、ストラックアウトの機材の片付け。

 俺と権田の二人であれこれやっていると、そこへ会長がやってきた。

 

「やあ、今日はありがとう。盛況で終わったようで何よりだよ」

「いえ、小波のおかげです」

 

 さらりと権田が言う。いや、それは良いって言ってるだろうが。

 まあ、権田が俺を見て笑ったところを見ると、たぶん計算づくなんだろうけれど。

 

「うん。いやほっとしたよ。一時はどうなるかと思ったからね」

「……ああ、ダチョウ祭り」

「そうそう。色々大変だったからね」

「ロードランナーのおかげで何とかなりましたから」

「ロードランナー?」

「こいつが乗ってたダチョウに勝手につけた名前です」

「ああ」

 

 勝手にじゃないやい! あいつも同意してくれたはずだ!!

 

 適当にあれこれ言葉を交わしながら、片付けを進めていく。

 日が落ち切ってしまったら、視界も悪くなるしみんな家の用事があるだろう。

 てきぱきと一つ一つを終えていくと、ふと会長が思い出したように口を開いた。

 

「ところで、ダチョウを逃がした犯人だが」

「ああ、それなら――」

 

 椿って野郎です。と、俺がいうよりも先に権田が割り込んだ。

 

「それについては少し待って貰えませんか」

「権田? どうした?」

「いや。ただ、俺を信じてください」

 

 俺には一瞥をくれるのみ。

 ただ、会長は困ったように少し思案してから頷いた。

 

「分かった。けれど、もうこんなのは勘弁だよ」

「はい。必ず」

 

 ……権田は犯人を知ってるのか?

 

 



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《バーサクわっしょい!》III

 ジャジメント、ニコニココアラーズ屋内練習場にて。

 

 木製バットが芯を捉え、響き渡るは弾かれたような打球音。

 それが何度も何度も、リズミカルに鳴り続ける。

 

「な、なんなんですかこの人は!」

「椿の実力が、これほどとは……」

 

 打席に立つのは、マウンドの投手の顔くらい青い青に身を包んだ一人の男。

 ぷらぷらとやる気なさげにバットを握り、しかし投手が腕を振るうと同時、その瞳に一瞬だけ力が奔る。そして、スイングしたと同時にあの音が響き、打球はスコアボードへと。

 

「元プロの大北の本気の投球を100球連続で柵越えアーチにするなんて……」

 

 部下の青年の呟きも、今の太田には聞こえない。

 

「おう、このくらいで勘弁してやるよ。元プロのプライド、潰しちまったら悪いからな」

 

 流石に飽きたのか、椿はバットを担ぐと打席を後にした。

 あくびを一つして、汗一つかかずに練習場を出ていく。

 その背を見送った大北が足元から崩れ落ちると同時、太田は思わず叫んだ。

 

「そんなもの、とっくに粉々だ!」

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 

「コアラーズから試合の申し込み?」

 

 練習前の軽い素振りに興じていた権田の元へ、会長がやってきた。

 俺もスパイクの紐を結びながら、ゆっくり顔を上げる。

 

「そうなんだよ。ずっと先の七月十五日なんだけどね」

「夏祭りの翌週ってところか」

「ああ。ただ、なんだか観客も集めてイベントにしようって言ってきてる」

 

 なるほど、そういうことか。

 

「こっちが野球で商店街をアピールすると聞いて、試合で叩き潰そうって腹ですね」

「へっ、ちょうどいいや。商店街復活の景気づけに、完全勝利をあげてやるぜ」

「気にかかることがあるとすれば、ひと月近く空けてきたことですが」

「まあ、宣伝やらなにやらで時間がかかる分じゃないかな?」

 

 ……それは、そうかもしれないが。

 逆にもし客寄せが理由ならスパンが短すぎる気もするし……余程ブギウギ商店街を発展させたくないのか? いや、にしても理由にしてはやってることがぞんざいだ。

 

 もし叩き潰すことを考えるなら、そこそこ野球の街が浸透してきた頃の方が振れ幅は大きいし再起不能にもなる。なんだ、なんでひと月なんだ?

 何かの準備か罠でもあるのだろうか。

 

「どうした、小波」

「いや、妙だなと思って。中途半端過ぎないか? 期間が」

「そうか? どうせ新戦力でも増やしたんだろ。ジャジメントのことだからな。チームに戦力馴染ませるなら、ひと月もあればいい」

 

 ……ああ、なるほど。

 

 お前か、椿。

 

 

 

 

 

《バーサクわっしょい》III――七夕――

 

 

 

 

 

 それからしばらくの間、俺たちは練習に練習を重ねて自分たちの実力強化に努めてきた。妙な新メンバーも増えてきて、連携プレーも難しくなってくる。

 特に、助っ人として加入した連中は腕は良いが性格に難ありといった者たちばかりなのだ。性格というか、見た目というか。

 

「どうしたのカニ?」

「いや、なんかすまん」

「どうして小波が謝るのカニ?」

「色々とな……」

 

 何故カニがこんなところに居るのかとか。

 なぜ内野でピエロがジャグリングしているのかとか。

 何故みんな鎧武者を特に気にしないのかとか。

 何故マウンド上でパソコンを弄っているのかとか。

 

「……権田」

「なんだ」

「いや……今はいい」

「そうか。練習始めるぞ」

「おう」

 

 まあ、紅白戦が出来そうなくらいに人数が増えてきたことをひとまず喜ぶとしよう。

 会長の号令で、一度メンバーが集まる。

 

「おはようみんな。今日はみんなに話がある」

 

 ん?

 隣の権田は訳知り顔で居るが、ざわついている奴の方が多い。

 商店街の方ではもう決まったことなのか、権田にだけは相談していたのか。

 

「今まで、私が商店街会長として監督をやってきた。しかし、商店街の立て直しと野球の練習を両立するのははっきり言って無理だ。そこで、監督を雇うことにした」

 

 はあ、なるほど。

 そりゃ権田は知ってるはずだ。キャプテンだしな。

 

 にしても、監督。監督ねえ。

 べつに誰が来てもそんなに大勢に影響はないと思うが――

 

「紹介しよう、佐和田さんだ」

「よろしく」

 

 ……。

 

「佐和田さんは、長年学校で野球監督をやってきて、甲子園優勝の実績がある方なんだ」

「おお、それはすげえや! ……ん、どうした小波。その顔は」

「ほっといてくれ」

 

 甲子園優勝実績、ねえ……。

 いや、皆まで言わなくてもいいさ。頑張ってくれ、監督さん。

 

「それじゃあ、さっそくチームメンバーの実力を見せて貰おうか」

 

 ぱん、と手を叩いた彼の号令で、ひとまず今日の練習メニューをこなすことになった。会長はと言えば、うんうんと何か一人で頷いて商店街の方へと戻っていく。

 このまま会長の思うように、うまいこと進んでくれればいいのだが。

 

 俺だけが不安を抱えつつ、投球、バッティング、諸々の練習を終えて。

 

 最後に監督の元へと集合すると、全員の顔を眺めてから彼は口を開いた。

 

「よし、だいたいのところは分かった。練習メニューは次回までに組んでくるとして」

 

 ……本当に分かったのか?

 

「小波、お前がキャプテンをやれ」

「えっ?」

 

 訝しむ視線がバレたのかと思ったが、目が合った佐和田監督は予想の斜め上の発言を繰り出した。隣に居た木川が慌てたように進み出る。

 

「でも、これまでこのチームは権田さんが中心になって……」

 

 彼の言いたいことは、俺を含めたメンバー全員の総意だったろう。

 正負はどうあれ、困惑はみんなの共通点だ。

 そんな木川の談判を聞いた監督は、しかし表情一つ変えずに権田を見ると。

 

「ああ、そうなのか。じゃあ権田、小波を補佐してやってくれ」

 

 などと供述し。

 

「じゃ、今日はこれで解散」

 

 それだけ言うと、グラウンドを降りていった。

 ……前よりひどくなってないかあのおっさん。

 

「ちょ、ちょっと。なんなんですか、あの監督」

 

 視線を横にやれば、ちょっと離れたところで権田がメンバーに囲まれていた。

 殆ど……いや、全てが昔からいるメンバーだ。

 

 逆に、俺の肩に手を置いたのは寺門。

 

「おう、新キャプテン! 一番強い兄貴がキャプテン、うん分かりやすくていいな!」

「野球に誘ってきたのはお前だ。異論はない」

 

 気づけば俺の周りにも助っ人たち。

 これは……。

 

 ちらっと権田を見ると。

 

「……まあ、監督の言う通りにしてみよう」

 

 そう彼らを収めて、俺を見て小さく頷いた。

 少し、ちゃんと話しておく必要がありそうだ。

 

 それも、なるべく早く。

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

「ご主人様、これをどうぞ♡」

 

 今日は練習が終わったら喫茶店に来るよう言われていた俺は、権田と軽く話をし終えた足でこの店の扉を開いていた。

 同居していなかった頃と同じようにいつも通りの営業スマイルを浮かべて俺をテーブルに案内した彼女は、引っ込むより先に紙とペンを差し出してきた。

 

「今日は何の日か知ってますか?」

「ああ、そういえば今日は七夕か。だから紙とペンなんだな」

「そうで~す♡」

 

 理解した。しかし、どこに短冊を飾っているのか見当たらないが――

 

「それでご主人様には遺書を書いて貰おうと思ってます♡」

「織姫と彦星を祝ってやれよ!」

「血祭り。生贄。捧ぎの儀式」

「真っ赤だな! あの二人も邪神になった覚えはないと思うぞ!?」

「冗談じゃない。ちゃんとあとで竹を流すから、小波さんも願い事を書きなよ」

 

 ……そうだなあ。何を描こうか。

 

 A強くなりたい

 B金持ちになりたい

→C准と仲良くなりたい

 

 おお、これにしよう!

 思い返すは電視のくだらないゲーム騒ぎ。あの話の時に、准の目の前で恋愛ゲームをしてやろうと考えていた。それと若干毛色は違えど、これは面白いことになるぞ……。

 

 ペンを走らせ始めた俺を見て、准は特に何の感情も載せずにひょっこりと顔をのぞかせる。ふっふっふ、その間抜け面もここまでだ。

 

「何を書いて……え、ちょ、何書いてるの!」

 

 おっ、案の定真っ赤……いや、まだ演技の可能性もあるな。

 

「思いついたことを描いてるだけだけど、願い何て自由に書いていいんだから、別に何でも構わないだろ」

「いや、そうだけどっ」

 

 髪まで弄り出した! 目を逸らした! ……これは、いけるんじゃないか?

 

「そういう問題じゃなくてその……」

 

 ……どうだ、見極められたか?

 あいつから言い寄ってきてる時は流石に耐えられるようになったとはいえ……こっちから踏み込んだ時の反応は未知数だ。

 しかし、これが本当だとしたら? 押しには実は弱いとしたら?

 普段、こいつには好き放題言われてるからな。今日くらいは上に立たせて貰おう。

 

 おほん。よし、平常心で行こう。俺の勘が言ってるぜ、チャンス、と!

 

「まあ准、気にしなくてもいいぞ。これはただの願いだ。叶わなくても仕方ないさ」

「いや、だけどっ」

 

 おー、狼狽えてる狼狽えてる!

 

「こんなのを見たからって今まで通りな」

 

 ……きわめて涼しい顔を装い、ぴしゃりと決める。

 あれ、カンペキでは? この恥らいに満ちた表情、そうそう見れたものじゃないぞ?

 その照れた表情から、果たしてどんなごまかしの言葉が飛び出すのか――

 

「私も」

「え」

「私も小波さんとこれまで以上に仲良くなりたいな♡」

「え、ちょ、何言ってんだ!」

「私もね、小波さんと仲良くなりたいって短冊に書いたんだ」

 

 そっと、潤んだ顔が寄せられる。

 ペンを握っていた手を上からそっと重ねられて、胸元がゆっくりと俺の前に……。

 

「う、うそだろ」

「二人が一緒に同じことを描いたんだもん、きっと願いはかなうよね――深紅さん♡」

「う、うわあああああああああああああああ!」

 

 

 

 

 

「あ、逃げた」

 

「私をからかおうなんて百年はやいわよ」

 

「まあ、だけど、その願いはかなえてあげてもいいよ……ふふ」

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 ……き、気まずい。

 かと言ってこのまま、扉の前で待っているわけにもいかない。

 

 目の前の扉には、『夏目』と書かれた表札が下がっている。

 今は俺の家でもあるらしい、が……家主にさっきからかわれたのが引き摺っていた。

 何より今回は俺から仕掛けたにも拘わらずクロスカウンターだったのが痛手だ。

 まるで俺が本心から書いたみたいになっているじゃないか。

 

 おのれ、どうしてくれよう。

 

「なにしてんの」

「ひぇ!」

「帰ってこないなあと思ったら、こんなところで。扉を眺めるのが好きなら部屋の中で好きなだけ見せてあげるわよ」

「あ、おう、はい」

 

 いきなり開いた扉の奥から、顔を出した准は既に髪を解いていた。というか、風呂に入った後だったのだろうか。バスタオルで髪を拭っていた。

 

「で?」

 

 玄関を入ったと同時、彼女は手で俺を制する。

 ……流石に、ひと月も続くと覚えたというか、刷り込まれたというか。

 

「ただいま」

「はい、おかえり」

 

 花の咲くような笑みを浮かべて准はそういうと、ダイニングの方へと戻っていった。

 この儀式、必要か? いや、分からないが。

 

「あ、深紅さーん」

「ん?」

「お風呂」

「俺は風呂ではない」

「バスタブのお湯飲み干してきて♡」

「死ぬわ!」

「はいはい、いいから入ってきて。深紅さんが出たらご飯にするから」

「ああ、分かった」

 

 脱衣所に放り込まれて、そのままいそいそと風呂に入る。

 妙になんか、違和感があった気がするんだけど何だろうか。

 

 ……いや、気のせいか。だいたいいつも通りだし。舐められてるし。

 

「あ、出た? 深紅さん、ご飯どのくらい食べる?」

「貰えるだけ」

「じゃあ足りない分はそこの生米ね」

「…………良いだろう」

「なんで葛藤してんのよあり得ないでしょ」

「生米だって高級品だい!」

「深紅さんうるさい」

 

 はい……。

 いつものように席につくと、対面に座った准と合わせていただきます。

 今日は鮭のムニエルと温野菜、ご飯と卵スープ。あと、漬物。

 ……なんだろう。最初の頃も美味しいと思ってたけど、ここのところやたらと上達してないか?

 

 目が合って、彼女はいたずらっ子のように目元を緩めて問いかけてきた。

 

「どうしたの、深紅さん」

「いや……思ったんだけど」

「ほうほう」

「なんか、ご飯上手くなってないか?」

「え、そっち?」

「他になんかあるのか?」

「いや……ないけど。そう? 慣れたんじゃないかな」

「慣れた?」

「そう、慣れた」

 

 ぽりぽりと漬物を食べながら、彼女は話す。

 曰く、調味料の塩梅とか、レシピ通りにやるとどうしても決まった人数分のしか乗ってない。で、濃さの好みとかも色々ある。ある程度ざっくりやっていいところとか、ちょうどいいこの二人での分量が分かってきたとかなんとか。

 

「深紅さん好みになってるでしょ♡」

「うん。……ああ、最初の頃色々聞いてきてたのは」

「そういうこと」

「もっと言い方あったんじゃないか!?」

 

 思い返せば、彼女との会話は

 

『今日の夕飯は、よく分からないものを混ぜてみました』

『よく分からないもの!!』

『どんな味がする?』

『いや……美味しいんだけど。確かに少し塩気が強い気がする……え、何を入れた!?』

『さあ? その辺に生えてた草とか?』

『ノオオオオオオ!!』

 

 ……ひどい。

 

「もっと普通に聞いてくれ」

「私も食べるのに変な草とか入れるわけないでしょうが」

「しまった、そうか!!」

「深紅さんやっぱバカなんじゃないの」

 

 あれ?

 

「俺のこと名前呼びだったっけ」

「ぇ、あ、いやその。え、今聞くの?」

「他にどんなタイミングがあったんだよ」

「七夕に、深紅さんが准ちゃんともっと仲良くなりたいって祈ったからです♡」

「まだ天の川で二人が遭遇するより早いと思うんだが」

「ご主人様……お嫌ですか……?」

「今の格好でメイドされてもなー!」

「ま、別にいいじゃん。同じ家に住んでて、苗字呼びなのも変でしょ?」

「そういうものか?」

「そういうものだよ」

 

 ……まあ、なら、いいか。

 

「そういうわけで、宜しくね、深紅さん♡」

「今更何を宜しくされるんだよ」

「いまいち反応が面白くないね、深紅さんって」

「連呼しすぎだろ! 流石に違和感あるわ!」

「なぜその違和感に気づくのが今なんだか」

「え? ……あっ! 今日帰ってきてからずっと!!」

「……鈍すぎるなあ、この人。まあでも、凄い自然に帰ってきたって言ったから許してあげよう」

「何か罪を犯した覚えはないんだが」

 

 その日は、普段より少し遅くまで起きていて。やたらと深紅さんと呼ばれ続けた。

 元々名前しかなかったから気にしなかったつもりだが……なんだか妙に気恥しく感じたのはなぜだろうか。



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《バーサクわっしょい!》IV

 

 昼前の練習場。各人がフリーで練習に打ち込んでいる時に、その事件は起こった。

 くるくるとバットを振り回し、バッティングマシーンの前で構えていた寺門に、木川が突っかかったのだ。

 

「さあて、ガンガン打つぞ~」

「おいちょっと待てよ、次は僕の番だぞ」

「あん? お前はピッチャーだろ? それよりチームの主力の俺が練習したほうが試合に役立つだろうが」

「なんだと!?」

 

 どこかで見たような光景に、仲裁に入ろうかと悩む。しかし、俺自身が木川から余所者として嫌われていることは知っていた。ここは権田に任せるべきかと視線を移した矢先、つかつかと足を進める一人の男に気づく。

 あ、まずい。

 

「寺門が正しい。木川はあっちで投げ込んでこい」

 

 案の定かよ。変わってないなあの監督さん。

 

 憤懣やるかたないと言った様子で、とはいえ監督に歯向かうわけにもいかず木川はブルペンへと向かっていった。

 

「ったく、お前らが不甲斐ないから俺たちがこんなに頑張ってやってるってのに、少しは感謝の気持ちを」

「おい黙れ! 余計なことは言わんでいい。さっさと打ってこい」

「へいへい」

 

 ただただ空気を悪くして、誰も幸せにならずにみんなで仲良くマイナス方向。

 足の引っ張り合い上等といったこの雰囲気に、小さくため息を吐いていると。

 

 俺の投球を受けていた権田が、マスクを外してこちらに歩いてきた。

 

「……どう思う、小波」

「俺から何か言うのは角が立つ。キャプテンを拝命してしまっている以上、確かに何か言わなきゃいけないのかもしれないが……この現状で俺が言うのは逆撫でにしかならないだろう」

「そうだな。と言って……」

「かといって権田に任せるとそれはそれで不和の元、か」

 

 助っ人としてチームに入っていることは周囲も認めているものの、俺がキャプテンになったことに対する反発は強い。それをどうにか権田が収めていても、彼らの心理は権田を担ぎあげることにしか作用していない。

 

 俺が前に出れば、元々商店街に居るメンバーが反発する。

 権田が前に出れば、助っ人メンバーから反感を呼ぶ。

 俺が引き下がれば助っ人メンバーは不満を持つし、

 かといって俺を権田が立てれば今度はきっと権田が裏切り者扱いだ。

 

「こんなことしてる場合じゃねえってのに」

 

 諦めたような権田の最後の一言が、俺たち二人の心中を物語っていた。

 

 

 

 

 

《バーサクわっしょい》IV――楽しい夏祭り――

 

 

 

 

 

『今日から夏祭りでやんす! 小波さんも行くでやんす!』

 

 練習の帰りに会ったカンタ君にそう言われて、行ってみようかなと思ったのがついさっきのこと。考えてみれば、俺は祭事というものには結構縁遠いのだ。

 

 甲子園を祭りだと考えるなら、俺は行けなかったわけだし。

 クリスマスなどの行事にも、何かしらの形で参加したことはない。サンタが似合いそうだと黒猫から言われたことはあるが。……もうそれ、名前だけだろ。

 

 そして、夏祭り。花火を見たことくらいはあるが、遠目からだったしたまたまだ。

 花火を見たいとか、イベントに行きたいとか、そういったことにあまり関心がなかった。

 小波と友子に一度誘われたことはあったが、そういうのは恋人同士水入らずで行く人が多いと聞いて遠慮していたし……。

 

「権田、一緒に行くか?」

「なんでだよ気持ち悪い」

「気持ち悪いとはなんだ! お前も俺と同じ独り身だろ!」

「うるせえよ。俺は今年はカンタたちと一緒に行くんだよ。だからカンタが俺の前でお前を誘ったんだろうが」

「……ああ、なるほど。なら遠慮したほうがいいな」

「お前もあの可愛い彼女さんと行けば良いじゃねえか」

「彼女じゃないし、あいつは仕事があるだろうよ」

「……本当に彼女じゃないのか?」

「色恋沙汰でお前に勘違いされるの、もう二度目だな」

「お前の存在が紛らわしいんだろ」

「存在が紛らわしいとかやめろよ……」

 

 やめてよ。凹むじゃないか。

 

「ならそれこそ武美でも誘ったらどうだ。喜ぶと思うぜ?」

「むしろ武美こそお前らと一緒に行くんじゃないのか?」

「奈津姫がもし誘ってたとしても、お前が誘えばそっちについていくだろうよ」

「不義理そのものじゃないか」

 

 完全に俺が恩を盾に脅しているようなものだろうが。

 その恩だって、俺だけでは完成しないものだったわけだし。

 

「ま、いいや。俺にとっちゃどっちでもな。率直に、小波としちゃ好みの女は居ねえのかよ」

 

 商店街の真っただ中で、そういう会話をするのは大変やめて欲しいんだが。

 

 しかし、好みの女ねえ。

 

「なんだかんだ、お前のファンだって多いんだぜ? 腹が立つくらいにな」

「の割に余裕そうじゃねえか」

「余裕っつーか。それで当然だと思うからな。颯爽と現れてエースで三番打者、プロ級の実力を引っ提げこの街を救いつつあるヒーロー。これで奈津姫までお前に取られてたら殺したいほど憎かったかも分からんが」

「怖いこと言うなよ」

「……ま、もしもの話だ。俺はお前が居てくれたおかげで、奈津姫とも昔みたいに仲良くなれたし。その点についても感謝はしてるぜ」

「俺は大して何もしてねえがな」

「案外人間は初心に帰れないもんなのさ」

 

 目を閉じて、実感たっぷりに権田は言う。

 まあなんかきっと色々あったんだろう。あんまり興味はないが。

 

「……好みの女ってさ。例えば権田はどうなんだよ」

「いや、見てりゃ分かるだろ」

「そうじゃなくて、奈津姫さんのどこが良かったんだ?」

「……俺にそれを聞くってことはよ、お前ひょっとして恋愛経験無いのか?」

「……放っておけ」

「ぶははははは!! おま、お前、マジか!! マジなのか!!」

「笑い過ぎだろ!」

「まあ、そうだな。……俺に無いものを持っていて、それを羨ましいとか、それが俺にとって必要だったりとか。そういうところなんじゃねえか?」

「……俺にないもの、か」

 

 金か。

 

 ……冗談はさておき。俺に必要なもの。それはつまり、何なんだろう。

 正義になりたかった。悪ではなく、善であり正義。

 それが正しいと思っていたのに、そうではなかった。俺の正義は、悪だったんだ。

 

 ……なら、俺の欲しいものは何だろう。俺に無いものは何なんだろう。

 

「実際、お前その夏目さん? のことはどう思ってるんだよ」

「悪魔。アンノウン」

「ひでえなおい」

「……いや、本気であいつのことが分からなくなるんだ。最近は、特に」

「へえ?」

「……基本的に世話焼きなんだよ。あれだけ人のことバカにしておいて……俺をどうにかしたいらしいが、いまいちどうしたいのか分からない。基本は本心隠してるみたいだけど、たまに弱音かどうか分からないけどぽろっとこぼしたりするし」

「へえ? ほおん? ふうん?」

「なんだよ」

「いや、心配なんだな、と。な?」

「心配、か。まあ心配っちゃ心配だな。俺が居る間は良いが、あんなことばっかしてたら何人男を勘違いさせるか分かったもんじゃないし、強硬手段に出るヤツだっているだろう。実際居たしな。あと、あいつがたまに自分の夢をかなえられるのかも心配になったりする。信じてないわけじゃないけどな。あれだけ努力して頑張ってるんだ、きっと成功するとは思う。けど、心がそんなに強い方だとも思えない。ああいうヤツはぽっきり折れたらそれまでのような気がしてな」

「ああ、もう惚気なくて良い」

「惚気じゃねえよ! 心配してるか聞かれたから答えただけだ!」

「経験無いだけあって、分かりやすくて何よりだ。お前、もう夏目さん無しじゃ生きていけねえよ」

「そんなわけないだろ。俺は風来坊だ」

「街を渡る度に夏目さんを思い出して心配になるのが簡単に想像できる」

「……」

 

 お前みたいに何でもかんでも恋愛につなげたりしねえよ。

 というか、そもそも准の俺に対する好感度は最低値割ってるんだぞ。

 金なし無料コーヒー野郎ってな。

 

「たとえばだ、小波。奈津姫は身長高くないから、手を伸ばしても届かないところがある。俺は、それを取って渡すことが出来る」

「なんだよ急に」

「逆に俺はメンタルが弱い。そうだな、お前みたいな良い投手が打たれたら、絶対に俺のせいだと考える。奈津姫はそれを叱咤して、次どうにかすればいいと支えになってくれる」

「……支え、か」

 

 友子と小波も、そうだったな。そして、俺の部下だったヤツと、俺のクラスメイトもそうだった。寄り添う二人はいつだって支え合って生きているように見えた。

 特に、友子と小波は息がぴったりで。お互いの不安定なところを支え合って、一緒に居る姿は傍目から見ても眩しかったのをよく覚えている。

 

 ……でも、俺には俺の不安定なところを支えてくれる存在なんて、

 

 

『一人じゃ誰だって人にはなれないよ。そんなことも知らないんだもん』

 

 

『誰かを守るだけじゃ生きていけないよ。そんなの、疲れちゃうよ』

 

 

『そうだね、人じゃないよ。小波さんは』

 

 

『貴方には、これから人になって貰います!!』

 

 

 ……。

 

 えっ。

 

「どうした?」

「いや、ダメだろ。あいつにだけは、あいつにだけはガチになったらダメだろ。俺が大量に見てきた客同様、翻弄されてさよならの未来しか見えない」

「落ち着け、どういうことだ」

 

 頭を抱えた俺を、権田が制する。

 ……仕方ない。

 

「……まあ、簡単に言うと、だ」

 

 ひとまず路地裏へと避けて、俺は権田にだいたいのあらましを語った。

 夏目准という女がどれだけやばい奴なのか。そして、俺にあんなことを言ってきた話。それが同居に繋がっている話。あと、何故か権田がそのあとの生活について色々聞いてきたので、とりあえず答えた。

 

「……いや、脈あるだろ。脈あるとかいうレベルじゃねえだろ」

「あるわけないだろ。お前はあの喫茶店で哀れな男たちの骸を見たことがないからそんなことが言えるんだ」

「その男たち全員と彼女は同棲してんのかよ」

「……もしやあいつは幾つか拠点を持っていて」

「落ち着け。ありえねえから。……ま、いいや。そうか、夏目さんかー」

「いや、だから」

「そろそろ奈津姫も待ってるだろうし、俺は先に祭りに行ってくるぜ。お前は喫茶店寄ってからでも何でも来い」

「なんでだよ……」

 

 ひらひらと手を振って、権田は背を向け去っていった。

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 どうしてこうなった。

 

 俺は深い紅の着流しに身を包み、ぼんやり祭りの入り口付近に立っていた。

 ちょこちょこ見たことのある顔を見つけては、居心地悪く挨拶を交わす。

 そりゃそうだ。金のない人間が何故こんなところに居るのか。そして、お前その服はいったい何事だ。そう思うのも不思議はない。

 

 全ては、権田と別れてひとまず喫茶店に行ったところから始まった。

 今日も今日とてウェイトレスとして働いていた准は、俺を見るや否や『深紅さんはお金ないから今日も予定ないよね?』と突然ブッ込んできて、コーヒーを飲んだら家に帰れと言い出した。

 半ば追い出されるように店を出て、言われた通りに家へ帰ると、テーブルの上に置いてあったのはこの着流し。

 

『これを着て会場の入り口に来るように♡』

 

 恥ずかしい服とかではないし、罰ゲームというわけではないだろう。着てみたらサイズもぴったりだったから、この前の採寸通りにきっと彼女が仕立てたオーダーメイドだ。オーダーメイドとは違うな。ただ俺用なのはきっと間違いない。

 

 いつから作っていたのかは知らないが。

 

 しかし、夏祭りにも拘わらず中に入れないというのはまた……寂しいものだ。

 十中八九、准は来るものだと思っているが。ただ待ちぼうけを食らう可能性も若干否定できない。

 

 などと、思っていた時だった。

 

「よう、珍しくまともな服を着てるじゃねえか」

「椿。なにをしにきた?」

「決まってるだろう。商店街の一大イベント夏祭り。そいつを今からぶち壊してやるのさ」

「っ……そんなことはさせない」

 

 俺の前に現れたのは、青い帽子に青い外套を身に纏った珍客だった。

 ジャジメントの方であれこれしていると思っていたが……今度はこういう妨害か。

 

 そういうことなら、容赦はしない。

 

 だが、俺が身構えてもあいつは自分の無精ひげを撫でるだけだった。

 余裕そうな顔で、俺を見やる。

 

「そうだな、なんならやめてやってもいいぜ」

 

 なに?

 

「なあ、お互いスマートにいこうぜ」

 

 手元を弄びながら、椿はにやにや笑って言った。

 水の入った祭りのヨーヨーがばっしゃばっしゃと揺れる。

 何祭り満喫してんだよ。

 

 いや、分かってる。こいつはそういうヤツだった。

 パトロールと称して催し物に突っ込んで、好き放題暴れるようなヤツだった。

 

「オレはお前が邪魔だし、お前もオレが邪魔だろう。だから勝負して、負けた方がこの商店街から手を引くってのはどうだい?」

「いいだろう。それで、ここで勝負するのか?」

「おっと勘違いするなよ。スマートだ、スマートに行こうぜ。勝負は野球で決めようじゃないか」

 

 ……やっぱりか。

 つい最近、権田と話したことが甦る。今週に迫ったコアラーズとの試合。

 何故こんなタイミングだったのか、考えればすぐに分かる話だった。

 

「お互いに、助っ人らしく自分のチームの勝敗で決めるんだよ」

「その勝負、乗ったぞ。忘れるなよ、試合で負けた方はこの商店街から手を引くんだ」

「ああ」

 

 どのみち、もうビクトリーズは負けられないんだ。

 ついでに椿を追い出せるなら万々歳さ。

 

「何勝手に決めてるのよ」

「あん?」

 

 声がかかった。

 椿の眉が上がり、視線はその声の主の方へ。

 

 その聞き覚えのある声色に、俺もゆっくりと振り向くと。

 そこには、群青色の浴衣に赤い帯。絹髪をかんざしでまとめた上品な女の子が居た。

 

「っ……准?」

「私の魅力で深紅さんをからかっちゃおうかなーって思ってたのに、その計画が台無しじゃない。何を勝手に、この街からいなくなるなんて約束を交わそうとしてるのか」

 

 なるほど。

 この格好で最初から彼女が俺で遊ぼうとしていたら、見事に弄ばれていただろう。

 可憐で女性らしいその身なりを眺めた椿が小さく笑う。

 

「はっは、元気の良い嬢ちゃんだ。お前のコレか、深紅?」

「……椿からそんな話を振られるとはな。からかってるつもりなのか?」

「いや? とうとうお前もそういう相手が出来たのかと驚きはするが。あと、女の趣味は合いそうに無いな」

「それは良かった。語り合うことがまた一つ減ったな」

「フン。ま、その大事な彼女に何かされたくなかったら、約束は守るこった」

 

 じゃあな、と去ろうとする椿の背中に、下駄の軽い音をさせて准が叫んだ。

 

「なんでこんなことするの!?」

「……そりゃ、俺は深紅のことが気に入らないからな。そして、こういう勝負事をするのが楽しいのさ。理由なんてそれくらいだ。それくらいしか……今のオレを楽しませてくれることはねえんだよ」

「……」

 

 今度こそ、椿は雑踏の中に消えていく。

 それを見送って、准は俺のもとへと帰ってきた。帰ってきて、無言の腹パン。

 

「いたっ!?」

「深紅さん、バカなんじゃないの。もし負けたら、本当に出ていくつもりなの?」

「負けたら、な。負けないけど」

「そういう問題じゃないでしょ! ……テントがどうなってもイイノ?」

「人質!?」

 

 どういう脅し方だ。

 けど、まあ。

 

「今週末、バイトってどうなってる?」

「空けてあるよ」

「あ、偶然だな。じゃあ、試合見に来てくれないか?」

「……いいよ。偶然だね。見に行ってあげる。負けたら……燃えるから」

「何が!?」

 

 それじゃ、今日は遊ぼう。と准が俺の手を取って歩き出した。

 

 ……ああ、そうだ。せっかく祭りがあるのなら、誰かと楽しみたいと思っていたし。

 相手が准なら……きっと楽しいはずだ。

 

 なぜか素直に、そう思えた。

 



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《バーサクわっしょい!》V

しばらく前まで俺が住んでいた河川敷に、浴衣姿の准と二人で並んで座っていた。

 暗闇を照らす幾つもの花模様が、隣の彼女の顔を明かるく見せてくれる。

 

 少し遅れてやってくる激しい破裂音の旋律と、次々に打ち上がる華々しい彩り。

 その音色と色合いが美しくて、幾らでも眺めていられる気がした。

 

「自主的な花火大会、ね」

 

 そう、こじんまりしたことを会長は言っていたが。とんでもない。

 丹精を込めて作ったのだろう、そして商店街の多くの財を投じたであろう、この街の為を想った夢が夜空に広がっていた。

 

「お世辞じゃなく、綺麗じゃないか」

「そんな貴方より花火の方が綺麗だよ♡」

「……ん? ただの悪口じゃないか!」

「冗談だよ。花火の方が綺麗だよ♡」

「……変わってないじゃないか!」

「ちょっと考えなきゃ分からないのかしら」

 

 周りに明かりのないこの河川敷でも、花火という名の眩しい夜景のお陰で彼女の表情がよく分かる。どどーん、とひときわ大きな花火が打ち上がると同時、彼女は明らかにいつもの俺をバカにする黒い表情をしていた。

 

 ……せっかく、綺麗な浴衣と普段はしないアップの髪型で印象が違うというのに。

 対応はまるで変わらない。

 

『……いや、脈あるだろ。脈あるとかいうレベルじゃねえだろ』

 

 バカを言うな、権田。

 これが脈あるように見えるのか。

 

「たーまやー♡」

 

 いや、そもそもだ。脈があるなしとか、関係ないだろう。だって別にほら、くっつきたいとかそういうのじゃないんだし。ああまったく。欠片も思ってません。ほんと。

 

 惚れたら負けだ。特にこいつには。マジで物理的な敗北が待っているに違いない。

 

「どうしたの深紅さん、せーので言わないと」

「え、そうなの?」

「ほらほら」

「か、かーぎやー!」

「ちなみにあれって花火を作るメーカーを讃える意味だから、ブギウギ商店街に対してかーぎやーってただただ恥ずかしい無知を晒してるだけなんだけど」

「なんで言わせたんだよ!!」

 

 なんてやつだ、夏目准。

 帯の背に差していたうちわで口元を隠しながら楽し気に笑う様は、からかわれていても確かに表情が緩んでしまいはするけれど。別に惚れているわけではないのだし。

 

「はー、楽しいなあ。明日からまた頑張ろうって気になるね」

「そう、だな。頑張らないとな」

 

 准にとっては、毎日が戦いだ。バイトして、お金を貯めて、夢へとつなぐ。

 まさに眼前に広がる風景はブギウギ商店街が自身に向けて放った夢へのエールなのだ。それに触発されないような鈍い人間にデザイナーは務まらない。

 

 きっと彼女が夢をかなえるといい。それは俺の本心だ。

 

「……」

「……ん?」

 

 両手を後ろに投げ出すように、杖にして俺たちは空を眺めていた。

 そんな俺の左手に、何かが重なる感触。

 

「頑張ってね、深紅さん」

「言われずともな。どのみち二度と負けは許されない」

「そうだね、燃えるもんね♡ ……何がとは言わないけど」

「ほんとに頑張らないとな!!」

 

 合わさった手と手。絡まるように指先が繋がる。

 横を見ても、彼女はまるで夜景から目を離さない。平常運転で、いつもと同じ。

 からかわれているのか分からないが。まあ准が何も言ってこないのであればスルーしよう。言い出した方の負けだ。負けのはずだ、これは。

 

 ……ただ、気恥しいというよりはなんだろう。

 

 なぜか、居心地が良い、といった方が良い気がした。

 

「深紅さん」

「んー?」

 

 最後の花火の十連発。

 盛大な炸裂音にわざと重ねるようにして、彼女は口を開いた。

 

 

「私、貴方のこと好きなんだよ?」

 

 

 

 ……俺が、耳が良いことを知っていてからかったのか。

 それとも、聞こえないと思って言ったのか。

 

「准?」

「ん? なに? 聞こえた? 聞こえなかった?」

 

 まるで悪戯が成功した童女のように、楽し気に問いかけてくるその様に恥じらいはいまいち感じられず。花火の明かりのせいで、彼女の頬や耳が赤いのかまでは判別がつかなくて。これもきっと、計算づくなのだろう。なら。

 

「また騙されるところだった、とだけ言っておこう」

 

 そう、目を閉じてそう言った。

 

「ばーか♡」

 

 本当にこいつは、俺のことを何だと思っているのだろうか。

 

 

 

 

 

《バーサクわっしょい!》V――あの夏と同じ亀裂――

 

 

 

 

「うわっ」

「観客がいっぱい来てる!?」

「見てる人がいっぱいいるよ!」

「こんなにお客さんがいると、僕緊張しちゃうなあ」

 

 ジャジメントスーパーの抱える草野球チーム、ニコニココアラーズとの試合当日。

 いつものように球場へと足を運んだビクトリーズの視界いっぱいが、観客で埋まっていた。普段なら四割も埋まっていれば多い方というレベルだというのに、この球場のおよそ八割が観戦客であふれかえっていた。

 

 当然、歓声やざわめきも普段の倍だ。いや、空間に込められた熱の量を考えたら、倍どころではないのかもしれない。

 

「まだたいして宣伝もしてないのに、どういうことなんだこれは」

 

 俺たちを引率してきた会長の、ぼやくような呻き声。

 そして、反対側のベンチ付近で笑う見知った男を、俺は視界に入れていた。

 

「くくくく。みたか、ジャジメントスーパーの力を。この試合の各イニングで貰えるスタンプを集めれば、商品が最大で40%オフになるんだ」

「でも、大丈夫ですか? この割引率…大赤字ですよ」

「ははは! きみが気にすることではない」

「あ、もうしわけありません!」

 

 ……相変わらずというか。どうしてここまでするのかというか。

 それを俺が今考えたところで仕方がないか。

 

 ま、いつも通りやるだけだと帽子をかぶり直す。

 権田を誘って投げ込みを――あれ?

 

「お前ら、なにをボケっとしてるんだ。さっさと試合前の練習を始めろ」

「でも、観客が……」

 

 へえ。権田でも飲まれるのか、この空気は。

 

「はあ? 高校野球の甲子園に比べれば、無人みたいなもんだ! そら、とっとといけ!」

 

 ……あんたが言うか。甲子園の話を。

 いや、いいけどさ。

 

「おい、小波!」

「はい」

「よーし、お前はしゃんとしてるな。いいか、今日のお前は試合全体を見ろ。なにしろキャプテンなんだからな」

 

 白い目に気づかれたかと思ったが、全然違う話だった。

 それにしても、あんたが俺をここまでキャプテンに押す理由は何なのか。

 

「権田、投げ込み付き合ってくれ」

「あ、おう」

「……お前、ひょっとしてこういう状況で野球やるの初めてなのか?」

「もう十年も昔の話だ。それに、今は商店街って重みがある。そりゃ、緊張したっておかしくねえだろ。お前が慣れていそうな方が意外だよ」

「俺は俺で色々あったからな。それに……倒すべき相手がはっきりしてるんだ。闘志の方が湧いてくる」

 

 スコアボードに目をやれば、相手の四番にはセンター椿の名前が刻まれている。

 

「ま、俺にいわせりゃ、あいつを四番に据えている時点で打撃陣は大したことないのかと思うけれど。うちのクリーンナップの方が強いぜ」

「カニ、ムシャ、俺か」

「ああ」

 

 今のビクトリーズの打線は、俺、寺門、カニ、ムシャ、権田で五番まで続く。この強力さは、俺が知っている野球チームの中でも随一だと自分でも思う。

 俺は一番打者になる代わりに完投スタイルを捨てた。木川や電視に抑えて貰えれば、最後までどうにかなるはずだ。

 

「警戒すべきは椿だ。あいつを抑えられるかどうかが、試合の鍵だ」

「分かった。……勝つぞ、小波」

「当然」

 

 

 鈍い打球音が空に響きわたる。打撃練習に興じていた椿の一閃。

 バックボードに吸い込まれていく打球を眺めながら、彼は呟く。

 

「……うん、良い日だ」

「頼むぞ、椿」

「任せろ。貧乏くさい深紅の野郎と、貧乏くさい草野球チームに引導を渡す日にしちゃ、上出来だ。お前こそ、深紅にへぼな球投げるんじゃねえぞ。あいつは俺のマブダチだからな」

「……肝に銘じておく」

 

 椿の隣で肩を温めていた大北が、椿の言葉に頷いた。

 

 

 

「おじちゃん、がんばってー!」

「よーしみんな! この試合が商店街の正念場だ! 絶対に勝つぞ!」

 

 

 

 試合が、開始される。

 

 

 

「一番、ピッチャー……小波」

 

 

 先攻で挑んだビクトリーズの攻撃、一番バッターは俺だった。

 いつものようにネクストを通り過ぎ、打席へと歩いて向かう中……ふと、俺は観客席の隅に一人の少女の姿を見つけた。

 

 集団で固まり、応援してくれる面々に混じって一人ぽつんと。

 応援、というより見守るようなまなざしで、俺を見ている。

 

 そういえばあいつは、俺たちの野球を見に来たことなんてなかったな。

 なら見せてやろう。俺の野球を。

 

 左打席に立つと、主審のコールがかかる。

 さあ、試合開始だ。

 

 大北の投球については、もう皆の知るところ。であれば、初球からいっても問題はない!

 

 大北が振りかぶると同時、投手越しに見えたセンターの椿の表情が強張る。

 何かを叫んだように聞こえたが気にしない。

 

「まずい、外せ大北!!」

 

「おせえ」

 

 初球にコアラーズバッテリーが選んだのはアウトコースへのストレート。

 良く言えば定石。悪く言えば、安直だった。

 

 迷いなく踏み込み、鋭く振り抜く。

 

 一閃。

 

 打球は椿の頭を軽々と超えて、スコアボードにぶち当たった。

 

 

 「だぁからヘボな球投げるなつったろ……」

 

 吐き捨てるように帽子の鍔を弄る椿のつまらなそうな声が、小さく耳に触れた。

 

 

 

ビクトリーズ1

コアラーズ 

 

 

 しかし、一回は三人で抑えた二回の裏。先頭打者の椿が苛立たし気に俺を睨む。

 

「お前はよお……いつもいつも本当に、やってくれるぜ」

「それは俺のセリフだ。毎回邪魔しやがって」

 

 ……こいつは一番警戒しなくちゃいけない相手だ。権田もそれはわかっているはず。ならば初球はアウトコースへのスライダー。それが権田と俺の下した判断だった。

 

 ワインドアップから、丁寧に、しかし豪快に腕を振り下ろす。

 軽く弾いた指先の感触は最高。

 まずは一球、アウトローへのストライクカウントを稼いでみせる。

 

「相変わらず――」

 

 目を見開く。権田のミットと寸分違わぬベストコース。

 だというのに、椿の体幹はまるでブレちゃいない。球速に合わせた理想的なスイングで、曲がる角度まで完全に狙って振るわれるバット。

 

「スライダーでそんな球速でちゃあ、緩急とは呼べねえなあ」

 

 椿の一閃。自らから逃げていくスライダーをわかっていたかのように踏み込むと、そのまま力任せにレフト方向へもっていった。

 

 当たった瞬間に理解した。

 場外まで届く当たりであると。

 

「嘘だろ? スライダーを読まれた……?」

「あー、あいつには球種全部割れてるから、狙い打ちされたら不味いのは分かってたんだが」

 

 権田は唖然としている。守っていたメンバーも驚いた様子でダイヤモンドを回る椿を見ていた。あいつらにとって俺の球をホームランにされたのは初めてのことだ。仕方がないとはいえ。

 

 俺としては慣れっこだ。どんな速球でも、打たれる時は打たれる。次は抑えて、俺たちがより点を取ればいい。

 

 切り替えていこうじゃないか。

 

「まだまだ序盤だ、楽しんでいこうみんな!」

 

 帽子を振り上げ、声をかける。

 気を引き締めて、行こう。

 

 

ビクトリーズ10

コアラーズ 01

 

 

 三回の表。先頭打者は俺。

 大北の球を流し打ち、これをヒットに。

 続く寺門がエンドランでレフト前ヒットを放つが、三番カニのフライが浅く、塁に釘付けにされてしまう。ムシャも高め低めに踊らされ三振したものの、五番権田がフルカウントから意地のライト前ヒット。

 

「小波にばっか良い格好させられねえよ!!」

 

 ファーストでガッツポーズする彼に、奈津姫さんとカンタ君の声援が届く。

 俺はセカンドから悠々ホームに帰ってきてこれで二点目。ここからだ。

 

ビクトリーズ101

コアラーズ 01

 

 次に試合が動いたのは五回の表だ。

 椿を三振に抑えた流れのまま出塁しようとするも、大北の必死の投球に俺と寺門が倒れる。しかし、カニがぼてぼての内野安打で出塁すると、ムシャがレフトの頭を超えるツーベース。一塁ランナーのカニは三塁を蹴って帰ってきた。

 

「野球は、楽しいカニ。必死になって勝てた時が、一番楽しいカニ」

 

 キャッチャーのブロックとクロスプレーでボロボロになったカニのその笑顔が、俺たちに火をつけた。

 

ビクトリーズ10101

コアラーズ 0100

 

 その裏、俺は一度センターへ退いた。マウンドに上がった木川はしかし緊張からか出塁を許し、椿の強烈な当たりがショートの頭を越える。

 

「ちっ」

 

 ぎりぎり左中間を抜かせることなくホームへ投げ返すが、間に合わなかった。

 

「……へ、三塁まで行くつもりだったのによ。それでこそだぜ、深紅」

「だったら柵越えでも打ったらどうだ?」

「言ってろ」

 

 その後椿に三盗を許すも、後続をきっちり木川が抑え、一点でこの場を切り抜ける。

 

 

ビクトリーズ10101

コアラーズ 01001

 

 六回を終えた七回。

 リードが一点と心もとない今、どうにかして点を稼いでおきたいビクトリーズはこの回、俺が四球で出塁した直後、寺門のツーベースで一気にチャンスを作る。

 

「投手が心配な間は、俺が頑張らないとな!」

 

 頼もしくはあるが、若干チームメイトへの配慮を欠いた発言に周囲が少し反応するが、後続は助っ人陣。カニのタイムリーヒットで一点を稼ぎ、この回も得点に成功した。

 

 しかし、続く裏。ベンチで木川と寺門が揉め、荒れた精神状態からの投球で木川が崩れる。ノーアウト満塁で迎えるバッターが椿という地獄のような状況に、権田が一度タイムを取った。

 

 木川は意気消沈しており、かといって今交代を告げるというのは酷だろう。

 その確認をしに行ったところ、しかし木川は奮い立った。

 

 椿に対して初球フォークで空振りを取ると、続けて今度はストライクゾーンにフォークを投げ込み2球で追い込むことに成功。

 高めのボール球で2-1としてから2球ちらつかせたフォークの印象のまま、インコースに渾身のストレートを投げ込んだ。

 

 「ぐっ」

 

 高めに目付けをしてからの変化球で三振を取りに来ると思っていた椿は、そのストレートに盛大に振り遅れる。

 ゴンと鈍い音を出して弱弱しく上がった打球は、しかしレフトとショートの間に落下、ビクトリーズにとって不運のポテンヒット。

 ハーフウェイ状態で待機していた二塁ランナーまで生還し、2点を許してしまう。

 

 「クソッ」

 「大丈夫だ! お前の球が勝ってたぞ! そのまま投げてこい!」

 

 権田に激励され、木川は後続を連続三振に抑え込み、この回を2失点で切り抜けた。

 

 

 

ビクトリーズ10101010

コアラーズ 0100102

 

 

 八回の表、ビクトリーズは何も出来ずに凡退する。

 ここで佐和田監督は継投策を取った。木川を下げ、八回を任せるピッチャーは藤本。

 しかしこの采配が仇となったか、木川の球速に慣れていた相手打線が火を吹く。

 

 一気に逆転され二点差。残すは九回のみ。

 だが、まだチームメイトの目は死んでいなかった。

 

ビクトリーズ10101010

コアラーズ 01001022

 

 

「一番、センター小波」

 

 

 大北から変わった太村の投球は、やはり大北と比べると見劣りする。

 ここはなんとしても出塁しなければならない。太村から投じられたストレートを忠実に逆方向を狙ってコンパクトに振りぬいた。

 打球はショートの頭を超え、ヒット。センターが椿でなければ二塁打も行けたかもしれないが……仕方がない。

 続く二番の寺門が三振に倒れ、三番のカニ。

 

「やってやるカニ!」

 

 彼の打球はライト線ギリギリのフェアゾーンへ。俺は勢いに乗って三塁へ。

 これで一、三塁。

 

 四番のムシャがここで大きな犠牲フライを放った。

 センターの定位置少し後ろ辺り。半身になってボールを追っていた椿はそこでホームベースに正対すると、2歩、3歩と助走をつける。

 なら、俺のすることなんてたった一つ。

 

「よーい――」

「――かけっこかい、負けねえぞオラ!!」

「――ドン!!」

 

 俺と椿の競走だ。

 あいつの肩と俺の足。どちらが速いか――その軍配は、俺に上がった。

 

「セーフ!!」

 

 湧き上がる商店街サイドの大歓声。軽く次のバッター、権田とハイタッチをかわし――その背中をどつく。

 

「……やってやれ、ヒーロー」

「ヒーローはお前だよ。……だがまあ、商店街の誇りをかけて、やってやるさ」

 

 打席に立った権田を見送って、俺はベンチに引っ込もうと――ふと、二塁から声が聞こえた。

 

「ホームに、返して欲しいカニー!! 絶対に、勝つカニ、権田さん!!」

 

 あいつ、気づいたら二塁に走っていたのか。本当に野球が好きなんだな。

 思わず笑みがこぼれた。そして、ツーアウトのこの状況でも俺は心配していない。

 

 権田の緊張が解けていて、カニの声にも頷いたあいつ。

 ベンチの仲間たちが、あいつを見守っている。負けねえよ、権田は。

 

 俺がベンチのタラップをふんだ瞬間、この日一番の快音が鳴り響いた。

 

 

ビクトリーズ101010103

コアラーズ 01001022

 

 

 

 

 

 その頃、ビクトリーズ側の観客席はざわめきに包まれていた。

 一人でぽつんとやってきた少女――夏目准に、野球のルールはいまいち分からない。

 けれど、この機会にしっかり調べてみようかなと、少し心を躍らせていた。

 

 だって、こんなに胸が高鳴るのだもの。

 

 次は九回の裏。最後の攻撃だということくらいは、准も知っている。

 と、ふと近くで観戦している商店街の人々の怒声にも似た論争が耳に入った。

 

「このまま藤本が投げるのか!?」

「木川が下がった以上、投手は――」

「いやしかし、一点でも取られたら延長。下手すると逆転なんだぞ!?」

 

 やいのやいのと。そう騒ぐ気持ちも分かった。投手が重要であることくらい、素人だって理解している。

 八回もあわや打者一巡の憂き目にあった投手を、このまま投げさせるのはみんな怖い。

 

 その事情は、彼らのこの試合中の雑談で聞いていた。

 野球で売っていく街。そのメンツをつぶしに来たニコニココアラーズ。この試合の注目度の理由。

 

 そして、出てきた投手は――変わらず藤本だった。

 

「おいおいマジか!」

「大丈夫、大丈夫、監督は甲子園優勝経験もあるんだろ?」

「なら、信じるしか……」

 

 九回の裏が始まった。

 打順は八番からの下位打線。何とかアウトカウントを稼ぎたいバッテリーだったが、変化球のない藤本の投球の組み立ては至難に過ぎた。

 

 八番、九番、一番と三人連続の連打で、あっという間に満塁とされる。その僅かな時間に起きた悲劇に、遅れて客席が悲鳴を上げた。

 

 権田は思わず監督を一瞥するも、静観の姿勢。

 一度藤本に声をかけに行ったが、彼の顔色は真っ青のまま変わらない。

 とはいえ、こんな精神状態で投げさせるわけにもいかず、一度アウトロー一杯に好きに投げさせるサインを送る。

 

 しかしここでど真ん中への失投。

 痛烈な打球が右中間へ。

 

「男、寺門!! ここで終わってたまるかッ!!」

 

 ここでセカンド寺門にファインプレー。まさかの利き腕――右手でむんずとライナーを引っ掴む異常事態。

 飛び出してしまったファーストランナーを跳躍した状態からジャンピングスロー、唸る風切り音とともに突き刺す。

 

 このツーアウトに観客が湧く――が、調子の戻らない藤本が四球で塁を埋めてしまう。

 

 ツーアウト、満塁。

 そしてここでバッターは。

 

「四番、センター……椿」

 

 

 この試合で誰が目立っていたのか。少なくともニコニココアラーズで誰が一番脅威だったか。それは、元プロの大北ではない。この男――椿だ。

 

 もうだめだ。おしまいだ。

 そんな雰囲気が周囲に満ちようとした時だった。

 

 一人の少年が、声を上げたのは。

 

「……小波さんでやんす」

「カンタ?」

「権田のおっちゃんが言ってたでやんす! エースはピンチを救うヒーローだって!! だから絶対、小波さんでやんす! おじちゃんでやんす!! おじちゃーーーーん!!」

 

 小波さん。

 その言葉は、すんなりと准の心に入ってきた。

 そうだ、これはピンチだ。なら、ピンチを救うのはヒーローだ。

 なら――

 

「ブギウギビクトリーズ。選手の交代、並びに守備位置の変更をお知らせします。ピッチャーの藤本に代わりまして、ピエロがセカンド。セカンドの寺門がセンター」

 

 ざわ、と観客がざわめいた。

 

 センターへと駆けていく寺門と代わるように、悠々とマウンドへ向かって歩く背番号1。

 

「センターの小波がピッチャー。以上に代わります」

 

 

 歓声が、はじけた。

 

 

 それがどうしてか。嬉しくて、誇らしくて……少しまた、不安になった。

 

 

 

 

 

 

 

 マウンドに上がって土の調子を確かめる。

 塁上にはランナーが1,2,3。ちょっと多いな。

 

 そして、バッターは――押しなべての仲間。今は敵。

 

 出来過ぎじゃないかと笑えてくる。まあでも、良い。調子は上々。一点もやれない。

 決着には最高だ。そうだろう、椿。

 

「小波、大丈夫か……ってお前、緊張とは無縁なのか?」

「この上なくいい気分だ。心配するな。お前をヒーローのまま終わらせねえとな」

「俺のことは良いんだよ。商店街だ。商店街を守るためだ。必ず勝ちたい。俺たちの命運は今、お前に託されてんだ。チームのエースのお前にな」

「分かってる。頼もしいリードを期待する」

「この状況でよく言えるな……」

 

 満塁の状況を見渡して、権田は肩を竦めた。

 点をやらなければいい話だ。楽しもうぜ、権田。

 

「……よし、行くぞ小波」

「おうよ」

 

 それだけ言葉をかわして、権田は定位置に戻っていく。

 さあ、バッターボックスの椿とご対面だ。

 

「……いいねえ、派手にお前をぶち倒せる」

「最高のシチュエーションだな。お前を下すための」

 

 さあ、やってやろう。ボールを握って、要求はストレートインハイ。

 

 投げた瞬間、椿がバットを振るった。

 

 当たる。大きい。……が、これは逸れる。

 

 

 ファールゾーンの客席がどよめいた。同時に、商店街側からの安堵のため息。

 

「ふう」

 

 ま、そのくらいの力はあるって分かってる相手だ。大丈夫。

 このチームの仲間を俺が守るんだ。問題ねえさ。

 次のボールを握る。さあ、勝負――

 

 

「深紅さん!! ――――……がんばろ!!」

 

 

 っ。

 弾かれたように観客席を見上げた。

 フェンス越しに見える切なげな表情が目に入った。

 声なんて聞こえる距離じゃなかった。特に、こんな鮮明に。

 けれど、届いた。

 

 がんばろ、か。

 なんだろう、頑張って、より頑張れる気がしてきた。なんでなのか、分からないけれど。

 

 よし、良いぜ。

 

 次は、シュート。

 

「ぐっ」

 

 椿がバットを振るった瞬間のことだった。

 ばき、と勢いよくバットが折れて、ボールがファールゾーンに転がる。

 

 ツーストライク、だな。

 

 恨みがましい瞳で睨む椿に軽く笑みだけを向けて、権田からの返球を受け取った。

 さあ、あと一球で決めてやる。この、アウトローへのストレートで。

 

 

 椿がバットを変え、主審の「プレイ」と殆ど同じタイミングからモーションを取る。

 アウトローに突き刺さったストレートを、椿は勢いよく空ぶっていた。

 

 

「バッター、アウト!!! ゲェェエエエム、セット!!!」

 

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 

「対コアラーズ戦勝利に乾杯! ……あれ? どうしたんです、みなさん」

「ちっとも嬉しくなんかないよ。なんだかおかしいですよ、今のビクトリーズは」

 

 戦勝会、とでもいったところだろうか。

 集会場に集まった商店街の主要メンバーは、会長の音頭で乾杯、勝利を祝うはずだった。しかし――それにしてはあまりにも空気が異質だった。

 

 木川たちの不満げな瞳を受けて、元キャプテンの権田は頷く。

 

「まあ、監督も主力選手も外から来た連中だからな」

「それはそうだが、彼らなしでは試合に勝てなかったんじゃないのかね」

「それとこれとは別でしょう」

 

 権田まで、いまいち喜んでいない状況にメンバーの愚痴が加速する。

 どちらかといえば権田は助っ人擁護に回ると思われていたからだった。

 

「あいつら、いい気になってますよね。この前だって」

「なにがあったんだ?」

「あの連中の練習した後の、ボールの跡片付けをやらされたんですよ。自分の後始末くらい、自分でやりゃあいいのに」

 

 それが、メンバーの愚痴を聞き、共感し、同情している。

 もしや彼もずっと不満を押し殺していたのでは。

 自分たちにも助っ人たちにも隠して、同じ感情を抱いていたのではと。

 次々、この前もあんなことが、こんなことがと助っ人たちをなじる会が始まった。

 

 戦勝の空気など、ここにはない。

 

「ねえ、これでいいんですか権田さん。昔、河川敷の石を拾って、練習場所を作ったじゃないですか。仕事もろくにしないでって、白い目で見られながら練習したじゃないですか。あの苦労は、あんな余所者の連中が活躍するための準備だったんですか」

 

 縋るように、権田の肩をゆする木川。

 権田はしばらく瞑目していたが、ゆっくり立ち上がって周囲を見据える。

 

「手は、ある」

 

 その言葉に、全員が注目する。

 

「擁するに、あの連中がいなくてもジャジメントに勝てるようになればいい」

「な、なるほど。じゃ、あいつらに気づかれないようにこっそり練習しておくんですね」

「ええ? しかし、本官は時間が……。それに、今の練習だけでもへとへとで」

「このままだと、僕たちはあの連中の引き立て役で終わってしまうんですよ!?」

「俺はやるぜ、あんな奴ら吹き飛ばしてやる!」

「僕もやるよ。あんな野球舐めた連中に負けてたまるもんか」

 

 権田の提案に、同調圧力宜しく皆が乗る。

 野球をもっと上手くなって、あいつらを追い出してやるんだと。

 その気持ちで、皆が固まっていく。

 

 特に木川は不満だった。エースとしてのポジションも、練習時間も、正捕手との投げ込みも全部奪われた。そのうえ、今日は自分も活躍したのに……最後は全部小波が持っていったのだから。

 

 彼は誓う。ビクトリーズは自分たちだけで十分だと。そして。

 

「商店街のヒーローは、この僕だ!」

 

 

 

 

 

 

あのコアラーズとの試合以来、ビクトリーズは連戦連勝。

敵なしの大活躍で地方紙やローカル番組でも取り上げられるようになった。

それと同時に、ブギウギ商店街も野球テーマの商店街として少しずつ知名度を上げていった。

 



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《旅ガラスのうた》I

 ――ジャジメントスーパー、支店長室。

 

 平日の昼下がり。下の階では従業員たちが毎日の糧のために精一杯働いている中、支店長である太田洋将もまた孤独な戦いに挑んでいた。

 普段はふんぞりかえっているデスクから立ち上がり、受話器を相手にひたすら平謝りし続けるという、中間管理職の戦いを。

 

「それでは、ブギウギ商店街の土地はまだ集め切っておらんのだな?」

「はい……」

「もっといい報告を聞きたいものだね、オオタマネージャー」

「は、はい、申し訳ありません。……ただ、なにぶん資金が足りませんので」

「必要なら、日本支社に協力させよう。ともかく、今年中にメドをつけるのだ」

 

 ぷつり。むなしく通信切れの音が鳴り続ける受話器を、太田は力なく本機に戻した。

 思わず、ため息が漏れる。何故こうも上手くいかないのか。

 ニコニココアラーズは、椿が姿を消したあの試合以降痛恨の四連敗。

 

 どれだけあの男の居る居ないが大きかったのか。

 それを痛感させる試合内容に太田は頭を抱えるほかなかった。

 チーム全体にも、椿さえ居ればなどという雰囲気が広がってしまっており、その椿は音信不通。いや、元々連絡先など知らない男ではあったが、本当にどこかへ消えてしまったのだ。

 

 ……しかし今太田が考えている計画を実行するにはどうしても椿の力が必要だ。一人で試合をひっくり返す、そういう単独での強さが。

 彼はどこへ行ってしまったのだろうか――

 

「で、あの土地には何があるんだ?」

「うわっ、椿!?」

 

 突然の声に、太田は竦み上がった。思わず振り返れば、デスクテーブルの上に足を組んで座った死ぬほど無礼な男が一人。またしても太田のコーヒーを勝手に飲みながら、太田を見やっていた。

 

 一瞬目を輝かせてしまったが、太田はぶんぶんと首を振ると椿を睨む。

 

「待てよ、なぜここにいる。お前は小波に負けて逃げ出したんじゃなかったのか?」

「ははは、逃げてきたんじゃねえよ」

 

 よっと。

 テーブルから飛び降りると、青帽子を取ってくるくると手で回す。

 相変わらずもったいぶるのが得意なようで、太田は急かすように椿を睨んだ。

 

「ちょっと野暮用を片づけてたのさ。数匹、珍しい鼠が居たもんでね」

 

 いったい、何の話なのか。

 ただの鼠退治に丸二か月もかかるはずもない。なら暗喩の意味での鼠だろう。しかし、ただの風来坊の男が鼠を狩る必要などない。……こいつ、ひょっとして。

 

「お前はいったい、誰の手の者なんだ?」

「そいつはお前さんが気にすることじゃねえ。肝心なのはこっちだ」

「気にするも何も――」

 

 お前がどこかと繋がっていれば、私は――と怒鳴ろうとしたところで、気づいた。

 今、この部屋に誰が居るのかを。椿と太田以外に、まだ三人。

 

「勝つために頭数を揃えてきたのさ。紹介するぜ、ザ・トリオだ!」

「ソルジャーと呼べ」

「……番長だ」

「……ロボ」

 

 なんだ、こいつらは。

 目を瞬かせる太田に、椿は軽く笑って答える。 

 

「ちょいと昔の知り合いでね。今度こそ、深紅の野郎は潰すさ」

「……ビクトリーズのエースか。……そういえば、お前はやたらとあの男に固執しているように思えるんだが、どういう関係なんだ?」

「お前に話すようなことじゃねえが……ぶっちゃけただの趣味だよ。あいつがどこへ行こうが、その先々でぷちっと潰して遊んでるんだ」

「なんて趣味の悪い」

「それ、お前が言うのか?」

 

 鼻であしらうように椿は続けた。そして、帽子を深くかぶり直して小さく呟く。

 

「ま、完全に潰しきったことは未だかつて無いんだがな」

「何か言ったか?」

「いや? さて、それでさっきの話だが」

 

 気を取り直して、太田を見やる椿。

 太田の背後にはいつの間にか番長とソルジャーが構えており、部屋の入口にはロボが仁王立ちしていた。まるで逃がす気のない布陣に、太田の頬を汗が奔る。

 

「ん? なんのことかな?」

「商店街の土地には、なにがあるんだ?」

 

 にこやかに椿が問いかける。

 

「フン、なぜきみらに話さねばならんのだ?」

「ああ、そうかい? おい、ロボ。ちょっと下の売り場で暴れてこい」

「こっ、こら、ちょっと待て!」

 

 慌てて太田が押しとどめると、椿は今度こそ笑う。完全に脅迫の手口だった。

 言わねば分かっているな、という椿の表情に、太田はがっくりとうなだれる。

 

「本当のことを言うと、私も会長から何も知らされていないのだ」

「本当か?」

「……あそこに何か埋まってるらしい。私が知っているのはそれだけだ」

 

 しばし太田の瞳をじっと眺めていた椿は、興味を失ったように目を逸らした。

 信じて貰えたようで、太田は膝から崩れ落ちる。その太田を、ソルジャーと番長が支えてくれた。礼を言うより先にソファに投げられた。

 

 番長はその特徴的な学生帽を弄りながら椿を見やる。

 

「おい、椿……」

「世界的なスーパーグループの経営者が興味を持つお宝ねえ……殿様の埋蔵金とかじゃないだろうな。古代の超兵器ってのもなさそうだ。……何だろうな」

「……面白そうだ。呼ばれて来た分、暴れさせて貰うぞ、椿」

「おう、楽しもうぜ」

 

 明確に、性質の悪い不良グループの雰囲気だった。

 いや、雰囲気というか、そのままだろう。このままでは何をしでかすか分からないこの面々に、太田は必死で抗弁する。

 

「とにかく、他言無用だぞ! 商店街に関しては、もう作戦がある。お前たちにも協力して貰うからな!」

「おーけー分かった。ご機嫌じゃねえか。んじゃ、またな」

「いいか、絶対に他言無用だぞ! 絶対にだ!」

 

 吼える太田にひらひらと手を振って、ロボの開いた扉から三人が出て行く。

 その姿を見送って、太田は盛大にため息を吐いたのだった。

 

 

「ああもしもしオレだ。椿だ。楽しいことになってきやがったぜ。ジャジメントの会長が狙ってんのは、どうも商店街に埋まってるなにかしららしい。……これだけ絞れれば十分か? 流石だなおい。期待してるぜ」

 

 

 そんな太田との約束が、果たされるはずもなく。

 

 

 

 

 

 

《旅ガラスのうた》I――不穏の影――

 

 

 

 

 

 

 

「商店街の総テナント化計画?」

「ああ、ジャジメントスーパーからの提案が会長のところに来たらしいんだ」

「ふうん」

 

 スプーンでカレーを掬っていただく昼下がり。

 今日も午前中に試合を終えて、権田にカレーを奢って貰っていた。

 奈津姫さんと、武美がバイトで入っているこの時間帯。しかしながら、意外にも客が他に一人もいなかった。……この時点でおかしいと思うべきだったんだろうが、哀しいかな俺はその時、この町での俺の立ち位置を真の意味で理解することが出来ていなかったらしい。

 

「で、断ったのか?」

「当たり前です! そんな話を飲んでしまったら、この商店街は本当に無くなってしまうんですよ。それに、テナント料だって信じて良いものなのかどうか」

「……なるほど」

 

 権田が答えるより先に、カウンター越しに奈津姫さんがキレた。

 よほどおかんむりだったと見えるが、話を聞く限りそんなに悪い条件でもなさそうだった。……問題があるとすれば、ここまでいやがらせを続けてきたジャジメントスーパーが突然すり寄ってきたことに対する疑念、だろうか。

 

「それにしても、なんでこの話を俺に? しかも、わざわざ裏口から入って」

「ん? ああ、ちょっとな」

「別に言いにくいことがあるならそれでもいいが」

 

 最近、試合の帰りを権田と共にすることが殆ど無くなっていた。

 俺がキャプテンに就任して以来、雑務が増えたのも事実だが。権田は権田で商店街の古参メンバーとあれこれ話をしながら帰るようになっていたし、俺は俺でカニとかピエロと帰ることが多くなっていた。

 

 今日も、そうして商店街まで戻ってきた後に、まるで犯罪後のようなこそこそした様相で権田が俺を呼びつけて、カシミールにも裏口から入ったのだ。

 

 何のゲームだよ。

 

「それで小波、最近の助っ人たちはどうだ?」

「どう……いや、普段と変わらないが。強いて言うならピエロに好きな人が居るとかなんとかで少し盛り上がってるくらいかな。相手が分からないが、どうもこの町の人らしい。一目惚れしてサーカス辞めたらしいぜ。凄いよな」

「あー……平和そうで何よりだ」

「まあ、寺門は少し荒れてるけどな。監督がどうにか抑えてる」

「そうか」

 

 しばし、権田は瞑目した。

 

「寺門に、もう少し実力主義を改めさせることは出来ないもんか?」

「あいつの場合、実力主義どうのというよりも、少し言動をどうにかしてほしいとは言ってるよ。……新戦力っていうのは勝手に出てくるもんじゃないんだ。みんなで互いを育てなきゃ、チームは強くなれない」

「至言だな。エースでキャプテンのお前が言うと重みが違う」

「色んな意味でな」

 

 思わず自嘲する。かといって、俺のこの煩悶とした感情が権田に伝わるわけもない。

 とはいえ、権田は夏頃からこうして、俺から助っ人の話を聞くようになった。

 殆ど分裂しているに近い現状を、権田もどうにかしたいと思ってくれているとすれば俺も嬉しい。俺も出来れば権田たち――ないしは古参メンバーに歩み寄りたいと思っているんだが、こう、もう突き放されているようなもんなんだよな。

 

 それを権田も分かっているから、こうしてとりなしてくれているんだろうが……。

 

 と、そこで入り口のベルが鳴る。

 

「いらっしゃいませー」

「一人なんですけど……空いてますか?」

「ええ、どうぞ」

 

 カウンターに案内されたのは、白い髪の女性だった。

 奈津姫さんが笑顔で応対している。しかし……あの女……。

 

「おい、closeにしてたんじゃないのか?」

「ごめん、そのはずだったんだけど……」

 

 おい武美、権田。なんだそれは。この店、今日閉店してたのか?

 なのに俺は平然とカレーを頼んでたのか? なんかすごい無礼なヤツみたいじゃないか。

 

「……あ、野球やってるんですね」

「え、あ、ほんとだ。優勝のハイライトかしら」

 

 女性の声に、天井近くに設置されたテレビを見上げる。

 日本シリーズ出場を決めた大神ホッパーズの、リーグ優勝時のハイライトが放映されていた。……ちょうど、先週のことだ。

 俺も准の家でテレビを見せて貰って、あいつの応援をしていた。

 そう。ペナントレースは最後の最後まで0.5ゲーム差の熾烈な戦いを演じており、その幕引きとなる最終試合の先発投手こそ――

 

『ストライクアウト!! ホッパーズ、今期リーグ優勝を決めました!! マウンド上の安藤小波、勝利の雄叫び!! プロ野球史上38年ぶりとなる30勝越えの最多勝利!! 36年ぶりの奪三振記録300オーバー!! ホッパーズ、下馬評を大きく覆すペナント優勝ーーーーー!!』

 

 ――安藤、小波。

 

「冷静に考えてとんでもない化けモノだよな、安藤小波」

「去年までとは気迫が違ったというか……流石だよね。ね、深紅さん」

「吹っ切れたのだとしたら。野球に専念出来たんだとしたら、感無量だよ」

 

 二人に笑いかけて、最後の一口を掬った。

 

 CCRの存在は、おそらく完全に隠蔽された。胴上げするチームメイトと共に笑いあうあいつの姿を見て、心底ほっとしたんだ、俺は。

 野球を好きになったと言っていたあいつが、好きなものに熱中できる環境に身を置けたこと。それがたまらなく嬉しかった。俺のしたことは無駄じゃなかったんだって。

 

「……ありがとうございました。ごちそうさま」

「あ、はい。ありがとうございましたー」

 

 白髪の女性は、そっと目を閉じると立ち上がった。

 会計を済ませて、最後にテレビの映像で吼える小波の姿を一瞥して、帰っていく。

 

「……」

「深紅さん。今の人、知り合い?」

「どこかで見たことがある気がする。……たぶん、あの人は少なくとも何人か殺してるな」

「えっ」

 

 

 

 

 店の外に出た彼女は、小さく伸びをすると。

 持っていた端末から番号をコールし、……少ししてため息交じりに呟いた。

 

「ええ、発見しました。遠前町に……はい。了解しました」

 

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 

 今日は喫茶店に来い、という趣旨の伝達を朝のうちに受けていた俺は、カシミールをあとにするとその足でいつもの店に向かっていた。

 

 うん、まあ、たぶん間違いないだろう。

 

『今日の試合の後は何をなされますか、ご主人様♡ コーヒーをお飲みになりますか? メイドを愛でられますか? それとも血祭りにあげられますか?』

『入店orDIE!?』

 

 ……たぶん、間違いないだろう。

 

 ということで、聞きなれたベルの音を感じながらいつものように入店。軽くマスターの瀬納さんに会釈しつつ、テーブルに着こうとすると――

 

「いらっしゃいませ!オス♡」

 

 嬉々としてヤツがやってきた。

 

「メイド服でなんで体育会系の挨拶なんだ?」

「先輩、今日は体育の日です! というわけで、今日のノリはこっちで行こうと思ってるんすよ! オス♡」

 

 そうか……。

 拳を突き出す動作は可愛らしいが、いちいち的確に俺の鳩尾を狙うのは大変やめていただきたい。

 

「……体育会系でも文科系でもどっちでもいいや。いつもの」

「熱い男達の汁コーヒーですね!」

「なんだそのむさそうなコーヒー名は。普通のコーヒーで頼む」

「吹き出す塩の結晶コーヒーですね!」

「しょっぱいわ! 普通のコーヒーをよこせ!」

「先輩が白いものを黒と言ったら、それは黒になります!」

「俺がおかしいみたいじゃないか!」

 

 などとごちゃごちゃツッコミを入れていると、周りの年配の客から和やかな目で見られていることに最近気が付いた。なんか、凄い、名物にされてる……。

 

「せ、先輩、す、すぐにお持ちしますね!」

「最後にはオレが使い走りさせたみたいになってるし」

 

 なんで初手からこんなに疲れるんだ。まさか、今日来いって言ってたのは体育の日だからか……? また無駄に手のこんだネタを。

 

 と、隣のテーブルのおばあちゃんが皺の刻まれた笑顔で会釈してきた。

 ああ、なんだそのふれあい広場の動物でも眺めるような瞳は。

 

「元気やねえ……。准ちゃん、彼氏さんが来るといつも楽しそうで」

「え?」

 

 か、彼氏?

 

「准ちゃんがいつも言っとうよ。彼氏さんが商店街の野球チームでエースでかっこええって」

「あ、ああ……」

 

 そういえば、半年前に彼氏役やらされてたな。

 あれ、まだ有効だったのか。

 

「最近、お友達もあんまり来ないから、いつも笑顔でもちょっと寂しそうでなあ。准ちゃんの楽しそうな声が聴けるのは、あんたが居る時だけでなあ。頑張ってや、彼氏さん」

「そうですか。まあ、あいつが楽しそうなのは俺も嬉しいですし……死なない程度に善処します」

「そうかえそうかえ。彼氏さんも、准ちゃんのこと好きなんやねえ」

 

 それだけ言うとおばあちゃんは手元の本に目を落とした。ああ、友達ってもしかして維織さんか。言われてみると、本当に全然見ないよな、あの人。最近何してるんだろう。

 

「お待たせしました、オス♡」

「まだやってるのか?」

 

 手元に置かれたコーヒーでふと我に返ると、目の前には准(体育会系)がいつの間にか。

 

「お前ちょっと顔赤いぞ」

「ぇ? えっと……走ってきました、オス♡」

「店の中!! そしてそのせいかちょっと冷めてるじゃないか!」

「え、ほ、本当ですか。三分で買ってこい、ですか?」

「焼きそばパンみたいなノリになってるから……。いや、普段よりちょっと冷めてるだろ」

「す、すみません先輩!」

 

 ぺこぺこと頭を下げた准(体育会系)は、そのままそっとカップを手に取ると……勝手に飲んだ。

 

「お、おい!」

「そんなに冷めてませんよ、オス♡」

「オス、じゃねえよ! 何してんの!?」

「せ、先輩のために毒見を」

「もうそれ体育会系じゃなくてヤのつく自営業じゃないか……」

 

 と、そこで入店を告げるベルの音が鳴り、彼女は「じゃあごゆっくりどうぞ、ご主人様♡」といきなりメイドに戻ってウィンクして去っていった。

 

 まあいいか。とコーヒーを傾けかけて……あいつ、カップのどっちに口付けて飲んだ?

 

 右手で持っていた? 左手だったっけ。

 何故かこういう時記憶力というのは宛にならない。どっちでもあったかのように脳内で再生されてしまうのだ。あれ、どっちだ? これ、失敗するとアレだぞ。

 

 ……いや、まあ、相手は准だし? 向こうは完全に俺のこと男として見てねえし? なら……いやいやいやいやダメだろ。無理だよ。なんてことしやがる。

 

 ええ……どっちで飲んだ……?

 

「あの」

「へ? ……あれ、さっきの」

 

 俺が一人で頭を抱えていると、ふと差した影。

 見上げれば、ばらついた白髪が特徴的な女性がそこに居た。

 先ほど、カシミールで会ったばかりの相手である。

 

「どうも。ホッパーズ、リーグ優勝出来て良かったですね」

「ああ、そうですね」

「……相席、良いでしょうか」

「ええ、まあ、全然」

 

 どうぞ、と対面の椅子を勧めると、彼女はゆっくりと腰を下ろし――ひっ!

 なんか、俺だけに見える角度から、真っ黒なオーラを出してこの席を見据えているメイドが居るうううう! 怖い怖い怖い怖い、なにあれ、なにあれ、なにあれ!

 

 ねえ、何作ってんのそれ。お冷のカップになんか変な草すりつぶして入れてるのは何で? 明らかに人の飲み物じゃない色のドリンクが仕上がりつつあるんだけど大丈夫?

 

「……安藤小波とはお知り合いだったんですか?」

「へっ?」

 

 視線を戻せば、腰かけた彼女はやけに真剣な瞳でそう口にした。

 安藤小波と知り合いかどうか。……普通に考えれば、イエスだ。隠すようなことでもない。ただ……。

 

「なにか?」

「いや、あんたがどういう立場から俺にものを聞いてるのか気になったんですよ」

「……ただの、一個人ですよ」

「そうですか。……知り合いですよ。俺の親友です」

「っ……」

 

 何やら、苦虫をかみつぶしたような顔。

 この隙の無いたたずまいと言い、完全にこの人は小波の関係者と見て間違いないな。

 問題は、どういう関係だったのか、だが。

 

「お知り合いだったんですか?」

「まあ、はい。安藤とは、そこそこ長い付き合いだったものですから」

「……なるほど」

 

 またどっちとも取れる言い方を。

 と、そこでそっとお冷が置かれた。

 

「いらっしゃいませ、お嬢様♡ ご注文をお伺いいたします♡」

「コーヒーを一つ」

「ありがとうございます♡ ところで」

 

 お盆に口元を隠しながら、柔らかく目じりを下げた営業スマイル。

 准は目の前の女性と目を合わせて、首を傾げた。

 

「私のダーリンとどういう関係で?」

「……ああ、そうだったの。それは無神経なことをしたかしら」

「いえいえ。どういうご関係でしょう?」

 

 ぐいぐい来るなこいつ。初対面の、しかも女性に対してわざわざ彼氏役の刷り込みをする必要はないんじゃないか!?

 

 流石に女性も驚いたのか、若干たじろぎながら、こぼすように答えた。

 

「さっきカレー屋さんで会っただけで、共通の友人が居たことで少し」

「共通の友人?」

「安藤小波だよ、准。この人、小波の同僚だったらしいんだ」

「元、だけどね」

 

 かまかけのつもりだったんだが……あっさり肯定か。ということはCCR。

 となると俺にわざわざ絡んできた理由は――なんだ? 灰原の復讐か? それとも安藤からの伝聞か? 或いは……まだ彼女がそちら側の人間だというのなら、新たな組織での任務。

 

「それで、小波のことで何か聞きたいんですか?」

 

 コーヒーを一口飲んで、彼女を見やる。

 

「ええ。なんだか一年ほど前からちょっと様子がおかしかったので、何か知ってる人が居ないかとね。そうしたら、安藤が貴方の話をしていたのを思い出して」

「……同名の友達が出来た、とでも?」

「ええ。なので、来ました」

 

 それからしばらく、表面上は和やかに話を進めて。

 彼女は満足したのか、帰っていった。

 

 

「……嘘だな」

「え、何が?」

「俺に小波という苗字が出来たのはあの町を出てからの話だ。あいつが俺を、同名の友達が出来たなんて言うはずがない。となれば……」

 

 コーヒーを飲み切って、ふと考える。

 俺の予想が合って居れば、CCRひいては大神の関係者だ。しかし、単なる口封じであればエージェントを派遣して俺を殺せばいいだけの話。

 そうせず、彼女が俺に接触してきた理由はなんだ? 情報収集か?

 

「分からないな」

「私も分からないよ」

「え、何が?」

「ご主人様ったら、そのコーヒーを顔色一つ変えずに飲むんですもの。やだ、ダ・イ・タ・ン♡」

「あっ。……いやまて、俺が口を付けたのはこっち側だ!! お、お前は向こう側だったからセーフだ!!」

「ご主人様……私、お盆を右手に持ってるんですから、左手で掴むに決まってるじゃないですか」

「え、あ。う、うわあああああああああああああああああああ!!」

 

 

 

「あ、逃げた」

 

「ああもう、楽しいなあ。……ほんと、准ちゃんは彼氏が来ると楽しいんだよ? 周りにバレちゃうくらいに」

 

「だから……不安にさせないでよ」

 

 



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《旅ガラスのうた》II

 ――遠前山、山頂グラウンド。

 

 練習を前にスパイクのヒモを結んでいると、監督が相変わらずの無気力な風体を隠そうともせずに俺のところへやってきた。

 

「小波、面倒なことになった」

「は?」

「ジャジメントから試合の申し込みが来たんだが」

 

 ちらっと俺に目配せする。

 俺の背後に居る寺門や、他の面々には聞かせたくない話なのかは分からないが。

 とりあえず気づかないふりをした。

 

「それで、どうしたんです?」

「……どうにもな。会長の強い意向で、助っ人を出さないでくれだそうだ」

「なんだよ、それ! オレたちは要らねえっての!?」

「待て待て寺門」

 

 佐和田監督に噛みつこうとする寺門を抑えつつ、考える。

 会長の意向で助っ人を出すな、ということの意味を。

 

 ジャジメント側から脅されたのか?

 いや、その線は薄いか。商店街に居るヤツだけで勝負しろなんて、口が裂けても言えた相手じゃない。だとすると、町内会からクレームか?

 ……あり得ない話ではないか。最近は勝ててるんだから、今なら助っ人は要らないんじゃないかとか、そういう意見は出てもおかしくない。

 

「そろそろ、俺たちは邪魔になってきましたか」

「ああいや違う。そうじゃない。ビクトリーズにテレビ局の取材が入るらしくてな。そこにジャジメントが試合をぶつけてきた形だ。商店街以外のメンバーが居ると色々厄介だとか何とか……これだから外野から物を言うしか能のない輩共は」

 

 あんたが言うか。

 

「まあ、分かりました。じゃあ次回は応援にでも回りますよ」

「それも違う。小波、お前だけは出ろ。それだけは会長にねじ込んだ」

「は?」

「おいおい監督さんよ。それはえこひいきじゃねえの?」

「決まったことだ、練習の準備をしておけ」

 

 またしても寺門がかみついた。

 そりゃそうなるだろうと嘆息する。助っ人は休み。俺だけは出る。それで生まれる不和なんて、分かりきったことではないのか。

 すたすた去っていく監督を、寺門が最後まで物凄い形相で睨んでいた。

 

 

 

(次回の試合には助っ人は出ないことになった!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《旅ガラスのうた》II――旅ガラスと仲間――

 

 

 

 

 

「あ、小波さんちょっといいですか」

「え、奈津姫さん?」

 

 練習帰りに商店街をてくてく歩いていると、カシミールの前で奈津姫さんに捕まった。捕まったというと語弊があるかもしれないが、店の前できょろきょろしていた奈津姫さんが俺を見るなり腕を掴んだのだから、だいたい合っているはずだ。

 

 彼女はそのまま俺をカシミールに引きずりこむと、小さく頭を下げて奥へと案内してくれた。奥の席には権田が居た。あれ、つい最近同じ状況あったぞこれ。

 

「奈津姫、すまん」

「これに関しては仕方ないもの」

「俺にも分かるように状況の説明をしてくれないか」

 

 席を勧められ、気付けば温かいカレーが目の前に提供されていた。

 有難いんだが、何だろうこの裏社会感漂う談合会場みたいな空気は。

 

 どんよりしつつ、でもお腹はすいたのでカレーは食べる。いただきます。

 

「……食べたな?」

「これ賄賂か何かなのかよ!」

「誰も無料とは言ってねえよ」

「卑怯だぞ!!」

 

 おのれ卑怯なり権田正男。策士か。策士なのか。

 ええい、毒を食らわば皿まで。カレーは完食してやる。胃袋事情は譲れない。

 

「休憩終わったよー、って深紅さん来てたんだ。どう、美味しい?」

「あ、ああ。おかげさまで。武美も仕事お疲れ様」

「ただのお手伝いだから全然ヒマだよ~」

 

 ひらひらと手を振りながら、楽しそうに彼女は笑う。

 そそくさとカレーを食べ終えて隣を見れば、権田は俺の完食を確認すると両膝に手をついた。

 

「すまん」

「何を謝るんだよ。まさか、金か? 俺に奢る金がないのか?」

「違ぇよ。次の試合の話だよ」

「……ああ」

 

 そりゃ権田は町内会にも顔を出している人間だ。知っていてもおかしくはなかったか。次の試合、助っ人無しで試合をすることになったとのこと。何故か俺は参戦すること。全部まるっと把握したうえで、こうして頭を下げさせているのだとしたら、これほど申し訳ないことはない。

 

「気にするな。世間体を気にするのも、上に立つ人間の必要なスキルだ」

「そうかもしれんが……商店街のメンバーと助っ人の亀裂がいよいよやばい」

「まあ、そうなるよなあ」

 

 今日の練習、控えめにいっても古参メンバーの機嫌はやたらと良かった。ただ良いだけじゃなく、助っ人たちに見せつけるような雰囲気であったこともいただけない。

 ただお互い商店街のために勝とうとしているだけなのに。

 ままならないものだ。

 

「俺のせいだ」

 

 すまん、と重ねて彼は低頭した。

 こいつ、マジになると拳が震える癖があるんだよな。とはいえ、俺に謝られたところでどうしようもない。そもそも、別に怒っちゃいない。仕方のないことだ。

 

 そうは言っても権田は割り切れないらしく、瞑目したまま。

 見かねた武美が、俺の空皿を片づけながら嘆息する。

 

「権田さんは発破かけようとしただけでしょ。おかげで商店街のメンバーはやる気満々じゃん」

「助っ人を追い出すことに全力を注いでいなければ、の話だ。俺たちは打倒ジャジメントを掲げなきゃならねえのに」

「それはそうだけど。嫌になっちゃうね、嫉妬とか」

 

 寂しいなー、とか言いながら彼女は厨房へと引っ込んでいった。

 しかし、打倒ジャジメントに息を合わせなきゃいけないというのだとすれば。

 

「それを言うなら、権田。流れ上とはいえキャプテンを任されてる俺が纏められてねえのにも問題がある」

「いや、それは違う! 俺があいつらを――」

 

 古参メンバーを纏めていた元キャプテンとして。今まで扇の要、キャッチャーとしてビクトリーズを支えてきた者として、権田には責任感があるのかもしれない。

 けれど、そうだとしても権田一人の責任ではない。俺が今まで古参メンバーの方に上手く橋渡しを出来なかったことも原因の一つだ。

 そんなことを言い出したら、ビクトリーズ全員に責任はある。

 

「ならさ。こういうのはどうだ?」

「何か案があるのか?」

「ああ。紅白戦をするんだ」

「……いつもやってるのじゃなくてか? チームの和がそれで元に戻るならそれに越したことはないが」

「いや、助っ人と古参に別れてやりあって、古参が勝ったら助っ人は出ていくんだよ」

「なんだと!?」

 

 椅子を蹴倒すような勢いで権田が立ち上がった。

 

「そんなもん認められるか! なんでそんな仲間割れの決別みたいなことをしなきゃならない!?」

「だって、これならお互いに本気を出すだろう。古参は助っ人を追い出したい。助っ人は古参を舐めている節がある。だから、一度本気でぶつからないと」

「理屈は分かる! けど、負けたらお前たちが出て行くなんて、俺は一度だって望んだことはない!! 前に言ったはずだろうが!! お前も大事な仲間だって!!」

「そう言ってくれるのは嬉しい。けど、仲間の和と商店街の存続。どっちを取るんだよ、権田」

「なに!?」

「このままいけば、何れ亀裂は決定的なものになってぱっくり割れる。どんなに一人一人が強くても、一致団結した奴らには絶対に勝てない。いいか、絶対にだ。もし、ことが大事な試合の最中に起きてしまったら、ビクトリーズも商店街もそこで終わりだ」

「だとしても! ……だとしても。俺は、お前たち助っ人が……事情は違えど商店街のために戦ってくれてる連中が、不幸になるのを見過ごせはしない……」

 

 力なく、権田は席に腰を下ろした。

 おいおい、言ってくれるじゃねえか。

 

「まるで古参が勝つと決まったような口ぶりだな」

「そうは言ってねえよ。けど、その可能性がある以上――」

「商店街が潰れる可能性がある中で、戦い続けてきてるんだ。今更さ」

「お前ってやつは」

 

 呆れたように権田は閉口した。

 少しの間、店を沈黙が支配する。気づけば奈津姫さんもいないし、二人して厨房に引っ込んでいるのだろうか。

 

「……もし、その試合をやる時は俺が助っ人の方に」

「権田が俺を庇ったらお前まで裏切り者だ。それに、発破かけて商店街の仲間を奮起させて練習までしてるんだろ? なら、貫かなきゃダメだ」

「そうは言っても、小波。幾らなんでも人数が」

「その時は、助っ人を見つけるさ」

「……」

 

 人数が足りないのは仕方がない。数合わせでも何でも頼んで、そうするしかないだろう。もしその試合が実現するなら、俺にとっては勝っても負けても損はない。俺が誘った助っ人たちに少し申し訳ない……くらいのものだ。

 

「なあ、小波」

「なんだ?」

 

 少し考え込んで。顔を上げた権田が、何かを決意したような眼差しで俺を見やった。

 

「次の試合は、お前以外の助っ人無しでやることになる。そこで、あいつらが自分に自信を持って、助っ人たちと仲間意識を保てたら……」

 

 ああ、もしそうなれたら良いと俺も思う。けれど――

 

「人間そんなに甘くないよ権田さん。きっと、自分たちだけでいいじゃんみたいになるよ」

 

 と、ひょっこり厨房から武美が顔を出した。

 面白くなさそうに眉を寄せる彼女を、優しく諭す。

 

「武美、言い過ぎだ」

「む~。深紅さんだってそう思うでしょ?」

「……たとえそうであったとしても。それでビクトリーズが勝ち続けられるなら、それでいいさ」

「待ってくれ小波。……きっと今は少し、みんなささくれ立ってるだけだ。助っ人に何もかも劣る状況で練習のモチベーションを保とうとしてる。お前を追い出そうなんて思ってないんだよ」

「お前がそう言ってくれるだけで良い」

「小波!」

 

 ふう、と息を吐いた。そして、権田を見て、声に出す。

 

「次の試合、勝とう」

 

 次の試合で、全てを決めよう。その意図を権田は理解してくれたようで……不満そうながらも小さく顎を引いてくれた。

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 

『今日は試合でしょ? 頑張ってね』

 

 准がバイトへ出かけた後、俺もすぐに家をあとにした。

 今日はテレビの中継も入るという大事な一戦。そして、助っ人が参加できないという厳しい条件もプラスされている。負けるわけにはいかない。

 

 テンガロンハットをかぶり直し、遠前山へと一路向かう途中、通り抜ける商店街では色んな人にエールを貰えた。頑張ってくれと、勝ってねと、そう言ってくれる人が俺にも居る。

 それが嬉しくて、少し笑みがこぼれてしまう。

 

「よお、今からおでかけかい?」

 

 水を差されたのは、その直後のことだった。

 振り向けば、青に一身を染めた一人の男。

 

「椿! まだこの街にいたのか?」

「いや、戻ってきたんだよ」

「……もう、関わらないという約束だったはずだが」

「ああ、まあそうだな」

 

 耳をかっぽじりながら、斜に構えてひらひらと手を振る仕草。どうにも、俺の話をまともに聞くつもりはないらしい。……これは、俺との約束を守る気はなさそうだ。

 

 となると――

 

「今日の試合の妨害でもするつもりなのか?」

「そんなせせこましいこと、オレがするかよ。それより、あのメガネかけた子供な。カンタって言ったっけ。ひと駅むこうの町に建築中の高層マンションがあるだろ。そこで見かけたぜ」

「なんだと!?」

 

 ひと駅向こうって……この前武美と一緒に出掛けたあの街か。

 確かに開発が進んでいた。建設中のマンション……あれか。

 

 記憶を遡っていると、椿は上機嫌に指を立てる。

 

「ああ、なんだか縛られていたような気もするな」

「貴様!」

「ま、たぶんオレの気のせいだろう。今日は大事な試合の日なんだし、気にしないで行ってこいよ」

「くそっ! 結局妨害じゃないか!! この悪党が!!」

「これも仕事なんでね」

 

 そんなことを言われてじっとしていられるような神経を、俺が持ち合わせていると思うのか。

 気取ったように戯言を垂れる椿を置いて、駆け出した。

 今なら、まだ試合には間に合う。

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 遠前山、山頂。

 既に観客は詰め詰めで、テレビカメラが回っているのが遠目からでもよく見えるグラウンド。喧騒が試合前の集中を乱す煩わしさを抑え込み、佐和田が瞑目していた時だった。

 

「監督、大変だ! 相手チームがコアラーズじゃない!」

「なんだって?」

 

 顔を上げると、一塁側で準備をしているチームのユニフォームは確かに見覚えがないものだった。

 キングコブラーズ。なるほど、全く知らないチームだ。

 

 遠目に会長と、ジャジメントの支店長が何やら揉めているのも見えることから、おそらく会長もこの展開は知らなかったことが窺える。となると、コアラーズより格上を相手にするつもりでかからねば不味いだろう。

 

 だというのに。

 

「小波のヤツはどこに行ったんだ」

 

 不動のエースで、今日は五番打者を任せるつもりだったキャプテン、小波の姿がどこにもない。遅れるだのなんだのという連絡は受けていないし、そもそも彼に連絡手段がないものだから心配だけが募る。

 

「おい権田、何か聞いてないのか」

「いや……今日は必ず来るはずだと思ってたんですが」

「っ……ええい、オーダーを組み直す!!」

 

 居ないものは仕方がない。

 この土壇場でオーダーを変えるのは聊か苦しいものがあるが、木川は既に肩を温めている。諦めたように打順と守備を組み替えて、佐和田は審判側へオーダーを提出した。

 

「小波君もいないってことは、久々に助っ人なしで試合ということか」

 

 若干心配そうに眉を下げる医師の青島と、彼をはじめとした普段の控えメンバー。

 しかし木川は先発投手になると分かってか、興奮気味に声を上げた。

 

「これですよ、これ! これがビクトリーズ本来の姿なんですよ!」

「よーし、絶対に勝つぞ! 見せつけてやるんだ!」

「遅れてくるようなキャプテンに、目にもの見せてやる!」

 

 木川に呼応するように、古参メンバーが意気軒高に気持ちを高ぶらせている中。

 

「……」

 

 一人、権田は複雑な表情でベンチの中を見据えていた。

 



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《旅ガラスのうた》III

 走る、走る、走る。

 ミルキー通りにある建設中のマンションを見つけた俺は、一気に助走を付けて飛び上がった。周囲から建設物を支える鉄骨に飛びつき、そのまま腕の力を使ってよじ登る。

 

 クレーンが垂れ下がる屋上は既に九階程度の高さになっていて、ここから落ちれば無事では済まないだろうことが察せられた。

 

「よっと――カンタ君!」

 

 足場は悪い。屋上と言っても、建設中のマンションの一番高いところというだけだ。そこら中に穴はあるし、鉄骨の上を歩かなければ真っ逆さまに転落するだろう。

 そんな中、確かにカンタ君は一本のポールに縛り付けられていた。

 

「おじちゃーーん!」

「今解いてやるからな! ――っ!?」

 

 カンタ君に接近しようとしたその瞬間だった。久々に感じる気配――殺気を感じて跳躍する。その瞬間、今まで俺が居た場所に鉄パイプが振り下ろされた。

 緑の軍服に身を包んだ、サングラスの男。

 気づけば、カンタ君の周りにも二人の男が現れる。 

 

「なんだ、お前たちは」

 

「私はソルジャー」

「俺は番長」

「ロボ」

 

 一歩ずつ前に出ながらの自己紹介。

 

「三人そろって、ザ・トリオ!」

 

 声を合わせたその登場は見事なものだと感心はするが、どこもおかしなところはない。

 ……俺は何を言ってるんだ。

 

 ともあれ、ザ・トリオねえ。このイロモノ丸出しの連中は、おそらく椿の仲間だろう。

 あいつが面白がってこういう名乗りをさせたに違いない。ゲラゲラ笑うあいつの姿が想像できる。

 

 かといって。椿の仲間であるということは、イロモノであると同時に――あいつが認めるほどに強いということでもある。

 

「……俺を殺せとでも言われたのか?」

「やれやれだぜ。そんなわけねえだろう?」

「なに?」

 

 番長と名乗った男が学生帽の鍔を直しながら、呆れたように返してきた。

 続いて、鉄パイプを担いだソルジャーという男がブーツの踵を合わせて吼える。

 

「説明してやろう! 我々ザ・トリオはお前という男の強さに懐疑的だ!」

 

 それだけ言うと満足したようにソルジャーは胸を張った。

 説明が終わった。

 

 いやいやいやいや。

 だから何だよ。おい、そこの無言のロボット。

 

「それで?」

「…………証明終了」

「出来てないだろ!!!」

 

 何がQEDだ!

 

「とはいえ、お前たちに構っていてビクトリーズの試合に間に合わないのも癪な話だ」

「同意してやろう! 話が分かるではないか」

「やれやれだぜ。その勝負、乗った」

「……来い」

 

 ああ、なるほど。

 

「要は、椿の野郎が俺を潰すためにそろえてきたメンツってことか。で、お前らは俺がそこまで尽力するほどの相手なのか疑問だと。だから、カンタ君を攫って俺を試すと」

「肯定してやろう! 椿はこの件には無関係だ」

 

 鷹揚に頷くソルジャー。

 オーケー分かった、ならやってやろうじゃねえか。

 

「……怪我しても知らないからな」

「そっくりそのまま返してやろう! 深紅とやら!」

 

 ソルジャーが鉄パイプを握りしめ、飛び掛かってきた。

 

 ――速い。

 この不安定な足場で、まるで慎重さの欠片もない豪快な跳躍。

 俺が完全に避けるより先に、どこでもいいから殴りつけてやろうという魂胆か。

 

「なら!!」

「食らえ!!」

 

 鉄パイプの殴打。右からの振り抜きをしゃがんで回避。

 

「ホワチャオ!!」

 

 その瞬間、眼前に足が飛んできた。

 

「私の前でしゃがむなど、愚の骨頂!!」

「ちっ」

 

 その足を掴み、起点にして回転。そのまま蹴りを顔面に叩き込む。

 ――が、それは鉄パイプによって受け止められた。

 パイプを蹴って一旦距離を取ろうとすると、ソルジャーはすかさず距離を詰めてくる。

 

「逃がすわけがないだろう!!」

「逃げ? 違うな」

 

 走り寄ってきた勢いを殺さずに、鉄パイプを握った左手めがけて下から弾く。

 

「なにっ?」

「これは相手の力を利用した――」

 

 慣性に逆らえない、倒れこんでくるソルジャーの腹部に一撃。

 

「――カウンターというものさ」

「ぐぉおおおおおおおおおおお!?」

 

 勢いよく十メートルほど吹き飛んで、カンタ君の横にあるポールに身体を打ち付けたソルジャーは吐血する。

 この程度じゃ死なないだろう。

 

「…………対象の脅威判定を変更」

「ん?」

「…………対象を無力化」

 

 それだけいうと、ソルジャーと入れ替わるようにロボが飛び込んできた。足のブースターを回転させ、幾何学模様のように不可思議な軌道を描いて迫ってくる。

 

「気になってたんだが、お前はサイボーグか?」

「…………ロボ」

「そうか」

 

 旧年代のロボットのように拳を構えて飛んできたロボをかいくぐり、拳を叩きつける。が、鈍い音をさせて弾かれた。装甲が厚いのはなるほど、それらしいな。

 

 右、左、右、とマジックハンドのように伸びる拳が襲い来る。

 ちらりと番長の方を警戒すれば、彼は腕組みをして仁王立ちするのみだった。

 なるほど、ソルジャーに続き一対一と。

 

「厄介は厄介だが、動きが硬いな」

「…………なに?」

「柔軟に動けてこそ、戦いでは役に立つ」

 

 伸びてきた拳を回避し、引き戻される前に懐へと飛び込んだ。

 一歩退こうとしたロボの重心を崩す掌底を打ち、そのまま片足に全て重心が乗ったタイミングで踏みつける。仰向けに倒れたロボの伸びた拳を引っ掴み、跳躍。

 

「俺の拳が効かなくても、お前の拳は効くだろう?」

「…………タンマ」

「あるかそんなもの!!」

 

 そのまま、落下の運動エネルギーともどもロボの拳を無防備な腹部に叩き込んだ。

 

「…………きゅう」

 

 その場に転がって、ロボは気絶した。気絶という表現が正しいのかどうかは知らないが。

 伸びきった拳を捨てて振り向けば、口元を楽し気に歪ませた番長の姿。

 

「さて、残るはお前一人だが?」

「面白い。タイマン張らせて貰うぜ」

「三連戦させといてタイマンと称するか」

「行くぜ」

 

 問答無用かよ、とツッコむ間もなく番長が眼前に現れた。

 ソルジャーと同じく速攻型か。

 迫りくる拳をいなそうと手で打ち払おうとして気づく。

 

「おっも――」

「極限までパワーを高めれば、そのパワーで速度も技術もカバーできる」

「その理屈はおかしいだろ!! ……ぐっ!?」

 

 いなすことも出来ず、そのままストレートが俺の片腹に突き刺さった。

 錐もみ回転して吹き飛ぶ。

 

「いてて……」

「まだまだ行くぞ」

「クソっ」

 

 前のめりに番長が飛ぶ。こいつ、足自体はそんなに速くなさそうなのに力任せに飛ぶだけでこんなに速いのかよ。なら、完全に避けるしかないか。

 

「オラオラオラオラァ!!」

「拳が影分身!?」

「オラァ!!」

「ぐおおおおおおお!?」

 

 あわや顔面。

 左肩にぶつかった拳打の後ががんがんと響く。

 こいつ……どんなパワーしてやがる。俺の知り合いのカレー好きと同等かそれ以上……。

 

「オラァ!!」

「くうかよ!!」

 

 バックジャンプで回避し、鉄骨を背に身構える。

 そのパワー、利用させてもらう。

 

「背水の陣か。良いだろう、受け取れ、俺の拳を!」

「悪いが受け取り拒否だ。あと、ここは背水じゃなくて背柱だ。気を付けろよ」

「同じことだ!!」

 

 飛んでくる拳を、鉄柱を起点に回転して避ける。そのまま鉄骨の裏側に飛んだ。

 瞬間、鉄骨に番長の拳が叩き込まれる。案の定の力業でひしゃげた鉄骨の天辺を、蹴り落とす!

 

「なにっ!?」

「ブッ潰れろ!!」

「ぐほ!?」

 

 蹴りがとどめとなって折れた鉄柱が、番長の顔面にクリティカルヒット。

 鈍い音を立てて、よろけて、番長は倒れた。

 

「……やれやれ、だ、ぜ」

「色々ダメだろこいつ」

 

 ザ・トリオは倒した。

 ……カンタ君!

 

「無事かい!?」

「おじちゃん、強いね!!!」

「まあ、ちょっとな」

 

 目を輝かせるカンタ君の縄を切る。

 

「それより試合はどうしたんでやんすか!?」

「なあに、急げば間に合うさ」

 

 

 

 

 

 

 

《旅ガラスのうた》III――VSキングコブラーズ――

 

 

 

 

 

 

 遠前山の球場はざわめきに包まれていた。

 それもそのはずだ。野球を売りにしている商店街の、肝心の野球チームが、七回を終えて大差で負けているのだから。

 そして原因は負けそうなことだけではなかった。

 

「……おい、どういうことだよ。カニもムシャも居ねえ。オレはあいつらを見に来たのに」

「それどころか、小波が居ねえじゃねえか。あいつの投球があるからプロ野球みたいに観戦が楽しめるのに」

「主軸を欠いて負けましたなんて、テレビで流すつもりかよ。応援してるオレたちがバカみたいじゃないか!」

「そうよ! 早く小波さんを出してよ!」

「それともテレビで負けるのにビビッてんのかよビクトリーズ!!」

 

 どよめき、怒声の飛ぶ観客スタンド。

 

 歴戦の活躍で、ビクトリーズには早くも"外部のファン"というものが出来始めていた。

 当然、チームのファンということは選手のファンでもあるわけで。

 今日の選手のオーダーは、控えめに言っても本気とは言い難い、ファンたちにとってはよく知らない選手で固められていたのだから、文句が出ても仕方がないのかもしれない。

 

 事情を知っている商店街の人々も、この試合の展開には不満が募っていた。

 自分たちから言い出したことではあるけれど、助っ人が居ないだけでこれほど不甲斐ないのかと。しかしそんな状況の中で、キャッチャーマスクを被った男は動じずに声を上げていた。

 

「大丈夫だ! 俺たちならやれる、それを見せるために今日は頑張るんだろう!!」

 

 その声に奮起してか、木川はピンチを三振で切り抜け、ビクトリーズの守備がベンチに引き上げていくのを、スタンドの観客たちは複雑な雰囲気で見守っていた。

 

 七回が終わって3対7。 

 

 小波深紅の姿はどこにもない。

 バイト帰りに球場へ寄った准は、この試合展開をぼんやりと眺めていた。

 

 観客席のざわめきからして、深紅が今まで出場していないのは確か。

 けれど今日は、試合に行くと言っていたはず。何かがあったのか、それとも。

 

「よう、隣いいかい?」

「ええ、いいですよ♡」

 

 背後からかかった声に軽い気持ちで返答すると、がさつに腰を下ろした相手に准は見覚えがあった。青い帽子に青い外套。……いつぞや、深紅と揉めていた相手。

 

「……貴方は」

「椿だ。深紅のマブダチだよ」

 

 目線をグラウンドからそらさずに、缶コーヒーのプルタブをひく椿。

 この男は確か、深紅と条件付きの勝負をして負けたはずだ。この町から手を引くと言っていたはずだ。それが、何故。

 もしやと思って、准は問いかける。

 

「……その深紅さんが来てないのは、貴方の仕業?」

「さあてね。ま、どのみちこんなところでくたばるようなタマじゃねえよ。そんなヤツだったら、わざわざオレがこんなに遊ぶ理由もねえしな」

「……ねえ。とても言動が親友とは思えないんだけど」

「向こうはオレのことを親友だとは思ってねえだろうしなあ」

 

 ぐびぐびと缶コーヒーを飲みながら、ぞんざいな態度で椿は言う。

 

 その言葉にどうしてか、准は妙な寂しさのようなものを感じた。

 

 ただ商店街にいやがらせをする、深紅の敵。そんな風に思っていたけれど。この人にはこの人の事情があるのではないかと。事情なんて大層なものではないかもしれないけれど、何か考え方があるのではないかと。

 

「それより、お前さんこそ深紅の何なんだ? 祭りの夜は、随分大事そうに庇ってたが」

「私は、あの人の……ううん。あの人に、哀しい生き方をしてほしくないだけ」

「ほぉ?」

 

 椿は軽く髭を撫でた。ついで愉快そうに笑う。

 

「そうか。なるほどな。あの正義の味方気取りを、哀しいと見たか。思ったより面白い女だな、お前さん」

「女の趣味は合いそうにない、なんて私の前で言っていたのはどの口だったかな」

「はは。それは今でも変わらねえよ。……そうだな。面白いから教えておいてやる。あいつとオレの話を」

「……」

 

 椿の言葉に、准が取ったのは無言の催促だった。

 

 深紅の過去を、思えば准は何一つ知らないままだ。何故あんな風に人を助けて、見返りを求めず、一人で生き続けているのか。その理由に、未だ踏み込めてはいない。

 

 けれどこの男が知る背景が、今の彼に繋がっているのなら。

 

「昔、オレとあいつは組んでた。正義の味方ごっこをしてたんだよ。他にも何人かいたが、オレはそいつらをただの手駒だと思ってた。オレとあいつで、正義を飾るんだと、それ以外には何も考えちゃいなかった」

「……」

「けどオレたちは負けたんだよ。正義だと思っていたのに、それを悪だと糾弾されてな。あいつはそれを、受け入れちまった。オレはその時、全てが許せなくなったね。だってそれは、オレたちのたった一つの生き方を否定されたようなもんじゃねえか。だから、決めたのさ。あいつがどれだけ、自分の正義を貫けるのか。オレが試してやるってよ」

「……よく、わかんないけど。貴方は間違ってたの?」

 

 ぶちぶちぶち、と鈍い音がした。見れば、椿が缶コーヒーのスチール缶を握りつぶした音だった。椿は一言「おっと」と茶化したような声を入れてから、困ったように笑った。

 

「正義の反対ってなんだと思う?」

「考えたこともなかったけど、なんだろう。正義?」

「……お前やっぱりいい女だな。ただ、それはちょっと違う。この場合の反対は、正義と対抗するものって意味じゃない。正義の対極にあるものの話だ。善と悪だと、善と対抗するのも悪、善の対極も悪って、分かりやすいんだがな」

「ああ、そういう。……答えは分からないけど、貴方は正義の反対になろうとしたの?」

「もうなってるって話だ。だから金を貰えば誰にでも肩入れするし、戦いもする。その在り方が、深紅にとっちゃ許せねえのかもしれねえなあ」

「……正義の反対は、正義を成さないこと、か」

「お、近いぜ。あとは、正義じゃできないことをすれば完璧だ。悪に肩入れしたり、善と共存したりな。今のオレみたいに。……んでよ、結局なにが言いたいかってーと」

 

 椿はおっさん臭く腰を叩きながら立ち上がり、グラウンドに背を向けて。

 

「お前は深紅よりずっとオレに近い人間だ。……オレたちみたいなやつにしかできないことがある。お前が深紅を支えたいなら、あいつに正義の反対を教えてやれ。口で言ってもしょうがねえから、お前の行動でよ」

「確かに、目的のためならお互い何でもする気がするね」

「だろう?」

 

 それだけ言って、椿は客席から去っていく。

 

「もう行くの?」

「ああ、もう試合が見えたからな。見ていても胸糞悪くなるだけだ」

 

 なんだそりゃと思いながら、准は椿からグラウンドへと目を戻した。

 そして、そういうことかと頷いた。

 

 

『ブギウギビクトリーズ、代打のお知らせをいたします。一番増田に代わりまして、バッター、小波。小波』

 

 

「素直じゃないなあ、椿って人も。……正義の反対、か」

 

 その小さな呟きは、ようやく出てきたヒーローの登場に対する歓声に溶けて消えた。

 

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 

 

 なんとか、間に合ったか。

 ようやく遠前山の山頂に辿り着いた俺は、そのままベンチに転がり込んだ。

 ちょうど回が終わった直後のようで、全員がベンチに居る、が。

 

「よーし、オレが出場してやるから今から逆転するぞ!」

「いらないよ。お前今日は出ないはずだろ」

「こんな大差で負けておいてなにわけのわかんないこと言ってんだ? いいからオレに任せておけって」

「よそ者は引っ込んでろ!」

 

 ……おいおい。まずなんで寺門がここに居る。

 そして木川の発言も、寂しい話だ。

 

「そこまでだ」

「キャプテン!?」

 

 割って入ると、権田が驚いたように目を見張る。

 

「お前、どこに行ってたんだ!」

「いつもの妨害だ。すまん」

「すまんってお前……」

 

 本当に申し訳ないとは思う。権田との約束は約束だ。なのに遅れてきたのは俺だ。これではまるで、あの試合を俺がしたがっているように思えてもおかしくはないかもしれない。

 けれど、俺だってそんなつもりはない。

 

「監督、状況は?」

「四点差で負けてて、残り2イニング。ずいぶん苦しいが、これから反撃するところだ」

「了解しました」

「増田に代えてお前を代打で出す。とりあえず塁に出ろ」

「はい。行くぞみんな!」

 

 監督が選手交代の連絡をするのと同時に、スパイクを履いて準備を整える。

 アップは十分だ、走ってきたし。あとは何が何でも塁に出るだけ。

 

「ちぇ、遅れてきたくせに。言われなくてもやってやるよ」

 

 小さく呟かれても、俺には聞こえてしまうんだがな。

 と、そんな古参メンバーを押しのけて権田がやってきた。

 

「……塁に出ろ」

「分かってる。大事な一戦だ。落とすわけにはいかない」

「……事情はあとでしっかり聞かせてもらう。身体に問題はないんだな?」

「ああ」

「……ちっ」

 

 軽く舌打ちして、権田は怒りの表情を引っ込める。

 そして、マウンドに上がったピッチャーを指さして言った。

 

「球速はお前と同じくらい出ている。球種はカーブとフォーク。左腕のオーバースローだ。球威じゃお前の方が上だが、変化球のキレはあちらが上だ。七回を投げ切ってるから、もうそろそろ球が浮いてくるといいんだが……希望的観測だな」

 

 俺と同じくらい球速が出ている、か。

 

「……速いな」

「慣れてる速ささ。三点も取れた」

「言いやがる」

 

 ふ、と権田と小さく笑いあう。

 さあ、楽しもうじゃないか。

 

『ブギウギビクトリーズ、代打のお知らせをいたします。一番増田に代わりまして、バッター、小波。小波』

 

 バッターボックスに立つ。しかし、左投げのピッチャーか。

 久々に相手することになるが、勘が鈍ってないと良い。

 

 球審のコールに合わせて、バットを構える。振りかぶっての第一球はアウトコースへのストレート。155キロ。この球速が八回にまだ出るか。

 

 ストライクのランプが灯る中、ゆっくりと一度バットを揺らす。

 

 左投手相手の慣れは、どうやら鈍っていないらしい。

 

 ピッチャーバルソーの二球目はアウトコースへ逃げていくカーブ。ストライクゾーンから外しに行きたかったのか、それともカウントを稼ぎたかったのかは分からないが……高めに入ってきたこの緩い球は、絶好球だ。散々誰かさんのドロップに苦しめられたことのある俺にとって、この程度のカーブはスローボールも同然。

 

 踏み込み、一閃。甲高い音を立てて弾けたように飛んでいく白球。この手応えなら、もはや走る必要もなかった。

 

 左中間スタンドに突き刺さった打球。

 どっと沸く歓声に応じながらダイヤモンドを回る。

 ベンチに帰ってきて軽く権田とハイタッチ。

 

「お前マジで最初から来い」

「いやほんとごめん」

 

 謝る他なかった。

 

 

 二番河野、三番並木がショートゴロ、三振に倒れ、続く権田が右中間を抜く二塁打。

 あいつもうちょい足が速ければ三塁打になったんだがなあ。

 

 続く青島先生と栗原が連続ヒットで権田が生還するも、菊池が三振してこの回を二点で終える。

 

 5-7。

 

 八回の裏。

 スコアボードを見た時から薄々感付いては居たが、投げる木川は既にガス欠状態だった。

 投球数自体はそこまででもないが……これはきっと権田が最初から打たせて取る方向で投球を組み立てていたからだろう。それでもごまかしきれずに、五回以降は被安打の数が洒落になっていない。

 

「大丈夫だ、木川! この回を乗り切れ!! 頑張るっつってただろう! 特訓を忘れるな!」

 

 センターから見守っていると、内野陣の声かけが妙に眩しく感じた。

 どう見ても木川は限界だ。だというのに、彼から投球の意志は毛ほども抜け落ちてはいなかった。みんなが声援を送り、懸命に投げ続ける。

 

 しかし、それでも球威はどうにもならない。

 連打を浴びて2、3塁。バッターは八番打者。その時点で俺は前進守備を取っていた。

 

 外野も少しは木川を支えてやらなきゃな。

 センターからぽけぽけ様子を見ていると、気づけばフルカウント。

 バッテリーが決め球に選んだのはストレート。インコースに決まるそれに打者が手を出し詰まらせた。

 

 ゆらりと上がる打球。しかし流石にこれはフライとして取れる飛距離ではない。どう頑張ってもおそらく俺の前にぽてんと落ちる。

 なら、センターとしての仕事をこなしましょう。

 

 ちらりと視界の端に映った三塁ランナーはハーフウェイで俺の動向を見守っている。つまりこれは、コーチャーもランナーも、ヒットかフライか判断しかねているということだ。

 

 オーケー分かった。

 "野球"の時間だ。

 

「よし捕るよー!」

 

 セカンド、ショートに対し、俺がフライを取る旨を告げ、さも俺が呑気に取れるフライかのようなスタンスを取る。両手を広げるポーズも取れば完璧だ。

 三塁ランナーは慌てて帰塁しタッチアップの姿勢を取りに行く。

 

 残念、これはこんな当たり損ねのふわついた打球であってもセンター前ヒットはセンター前ヒットだ。

 

 前に落ちた打球を取った瞬間、三塁ランナーは全てを察したらしい。悪態を吐きながら慌ててホームに突っ込もうとするが、流石にそれは許さない。

 

 お前性格悪いなとでも言いたげな権田の顔めがけて一気に肩を振るう。

 

「アウトォ!!」

 

 ブロックに成功した権田が掲げたミットに対し、手を挙げて応じる。

 いいじゃないか、これで三塁ランナー刺せたんだし。

 

「よぉし、キャプテンの肩も上々だ! 抑えるぞみんな!!」

 

 おう、と掛け声を合わせたしかし次の打者。九番と甘くみていたせいか、ライトが頭を越されてあわや複数点を取られる危機に。

 それでもすぐに追いついて一点に抑えると、一塁ランナーを三塁で押しとどめて次の一番をピッチャーゴロに抑えきった。

 

 5-8。

 

 

「さて、最後の攻撃か」

 

 九回の表。最低でも三点、出来れば四点は欲しいという、厳しすぎる条件下。

 ネクストサークルに入った俺は、この回先頭打者の木川のバッティングを見守っていた。

 

 木川が、俺を一瞥する。

 そしてグリップを握りしめると、次の投球に勢いよくバットを振った。

 確かに俺がバッティングピッチャーを務めての練習はしていたが、それでも木川がちゃんとこの球速に当てられるとは。目を見張るも、打球はショートへのライナーコース。

 

 これはダメかと思ったが、ショートの金が打球を弾いた。

 エラーでも、出塁は出塁。木川に頷くと、完全に無視されてしまったが。

 

「一番、センター 小波」

 

 なんかどっかで聞いたことあるなと思ってたんだが、このウグイスさんはもしかして奈津姫さんか? あとで権田に聞いてみるか。

 

 さて、それはそれとしてだ。ノーアウト一塁。これは紛れもないチャンスだ。

 そして上位打線から始まるという僥倖も含め、点数はしっかり取りたいところ。

 

 バルソーの投球を見る限り、組み立てはシンプルだ。

 カーブとフォークを見せ球にストレートで片づける。俺と同じ速球派。

 フォークは権田から聞いた話だとストライクからボールになる傾向が強い。

 そして俺は前の回にカーブをスタンドに放り込んだ。

 そんな相手に、初球からカーブを放るバカはいない。ならば、まず来るのは勿論、

 

「ストレート、ってな!!」

 

 アウトコース高め。警戒してくれたのは結構だが、流石に九回となって球が浮いてきた。

 ライト線に引っ張る低めのヒットで、全力で駆ける。

 いいか権田、このくらいの打球なら、足が速ければ三塁に辿り着けるのだ。

 

「セーフ!!」

 

 塁審のコールと同時、スタンドが湧いた。よし、まずは一点。

 

 二番河野が三振し、しかし三番並木がセカンド方向へ転がる内野ゴロ。

 迷わず飛び出していた俺にセカンドがホームへ投球。間に合うわけないだろ。これで一点。フィルダースチョイスがついて並木は一塁へ。上々の出来。

 

 そして、次のバッターは。

 

「四番、キャッチャー 権田」

 

 ビクトリーズ切っての好打者だからな。

 

「毎回俺が返すより先に帰ってくるんじゃねえよ」

「残塁したくないからな」

「おい、どういう意味だ」

「是非、俺の鼻をあかしてくれ」

「……当然」

 

 バッターボックスに入る権田と軽く言葉を交わし、ベンチに戻る。

 権田への声援が、ベンチの内外から響いていた。

 

「あいつは、商店街の代表みたいなところがあるからな」

「ならなんであいつにキャプテンをやらせなかったんです?」

「……あいつは、責任には強くないと思ったからだ」

 

 歓声に包まれた中で漏らした佐和田監督の発言に反応した。

 実際、あいつがキャプテンになっていればと思ったのは一度や二度の話ではない。

 けれど。

 

「権田は、良い捕手だ。投手のために何かが出来る。だが、その手で誰もを助けられるような器ではない。お前の方が向いている。それだけだ」

「そんなことないと思いますけど」

 

 だって、ほら。響き渡った快音と、二塁上でガッツポーズをするその姿に、ベンチの仲間がこれほどに沸き立っているのだから。

 

 三番の並木がこれで生還し、同点。

 

「さて、私も頑張りますか」

 

 隣に座っていた青島先生が、ネクストサークルに向かっていく。

 

「小波くん」

「はい?」

「私はね、貴方が来てくれたおかげでチームが良くなったと思っていますよ」

「……そう言って貰えると、嬉しいですよ」

 

 五番高野が犠牲フライで、権田が三塁に進塁した。

 続く六番が青島先生。バルソーの速球を、正面から打ち返したセンター返し。

 これで権田が帰ってきて逆転した。爆発的な声援がグラウンドを包み込む。

 

 ……ああ、なんだか良い空気だ。

 

「よっしゃ、見たか小波! 鼻を明かしてやったぞ!」

「ああ、本当にな」

 

 野球って、楽しいなあ。

 

 バルソーが降りるも、七番栗原がさらに連打。1、2塁。しかし八番の菊池がサードゴロに倒れてここで回が終わる。あとは抑えるだけだ。

 

「クソ、僕も打てたのに」

 

 ネクストから戻ってきた木川は一人不貞腐れていたが、ピッチャーグラブを握って出ていこうとして……監督に引き留められた。

 

 まあ、流石にスタミナが限界だろうしな。

 

「まだ投げられますよ、監督!!」

「一点もやるわけにはいかない状況だ。他の投手の調子も悪いからお前に投げさせていたが、小波が戻ってきた以上は小波に投げさせる。いけるな?」

「ええ、俺は大丈夫です」

「でも! 僕は完投して――」

「それはもっと走りこんで体力をつけてから言え」

 

 ぐずついていた木川だが、それでも監督の言に逆らえはしない。

 外野用のグラブを握って、ライトへと回った。

 

「……こっちに球が来たらわざと送球を遅らせてやる」

 

 ……だから、聞こえてるんだってば。俺には。

 

 

 

「守りますブギウギビクトリーズ、守備位置の変更をお知らせいたします。ピッチャーの木川がライト。ライトの河野がセンター、センターの小波がピッチャー。以上に代わります」

 

 

 

 マウンドに上がると、権田が声をかけてきた。

 

「さて、三人で終わらせるぞ」

「ああ。リードは任せた」

「お前のリードは気が楽だ。何せ適当でいい」

「おい」

「冗談だ。でも、信頼してるってこった」

 

 どん、とミットで俺の胸をどつくと、権田はそのまま守備位置へと歩いていく。

 まったく、そう言われちゃ俺もやるしかないじゃないか。

 

「プレイ!!」

 

 俺の投球数は、たった九球。全球ミットに吸い込まれて、試合が終わった。

 

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 ブギウギビクトリーズの勝利に終わったベンチ裏で、不貞腐れた寺門に深紅が絡まれている間。古参メンバーたちは、いつもよりも数倍の元気で勝利の味に酔っていた。

 

「別にキャプテンが居なくても僕たちだけでも勝てたさ」

「でも助っ人なしでも結構やれるもんですね」

「当たり前さ!! これから先もずっと!」

「今度はあのキャプテンが居なくたって勝てる!」

 

 口々に、そうしてお互いを称え合うビクトリーズ。

 

「……」

 

 権田は、一度誰も居ないマウンド上に目をやって。

 

『次の試合は、お前以外の助っ人無しでやることになる。そこで、あいつらが自分に自信を持って、助っ人たちと仲間意識を保てたら……』

 

「権田さん! やりましたよ僕たち! これでビクトリーズは――」

 

 あれこれ言う古参メンバーを押しのけて、深紅の前へとやってきた。

 

「おい、小波」

「ん?」

「お、なんだ権田、テメエ兄貴に何か――」

 

 権田の後ろには、多くの古参メンバー。

 深紅は少し目じりを下げて、自嘲するように微笑みながら寺門を制した。

 

「これではっきりした。お前たち助っ人を、俺たちはもう必要としていない」

「そうか。分かった。……次に会う時、俺はお前たちの前に立ちはだかろう」

 

 寺門が何か言うより先に、深紅は寺門を連れて外へと出て行く。

 古参メンバーが権田を讃えて一斉に沸いた。

 振り返り、拳を振り上げて権田は叫ぶ。

 

「さあ、ビクトリーズはこれからもっと強くなるぞ!!」

「おー!」

 

「今日は祝勝会ですね!」

「久々だよ、こんなに気分が良いのは」

「ええ、まったく。助っ人どもに見せつけてやりたい」

 

「……あれ、権田さんどこに行くんですか?」

「ちょっとトイレだ。すぐ戻る」

「はい! あとでうちの酒屋からケースでビール持っていきますよ!」

 

 その歓声を背に、権田は一言断ってベンチを後にする。

 

 胸を張って、歩く。グラウンドを抜けて、山の雑木林まで辿り着いて。

 夕暮れの暗闇の中。

 

 

 鈍い音を響かせて、山の木が一本大きく揺れた。

 

 

 

「クソッ!! クソッ!! クソが!! どうして、どうしてこうなるんだ!!!」

 

 

 

 その声を、誰も耳にすることはなく。




※ハーフウェイとは、特殊な状況下(多数例有り)において、ランナーが取る、塁と塁のちょうど中間で待機する状態のこと。決してウェイとオタクの間に生まれたハーフのことではない。


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《旅ガラスのうた》IV

 

 ――カレーショップ、カシミール。

 

 閉店時間も直前になり、店じまいの準備を進めていた奈津姫は、乾いた音を立てた来客ベルの音に営業スマイルを浮かべて振り向いた。何もこのタイミングで来なくとも、などという内心はおくびにも出さず、残っていた米飯の量を脳内で計算する。

 

 ……が、現れたのは彼女にとって予想外の人物であった。

 

「あら。どうしたんですか、権田さん」

「……すまん。頼みがあって、来た」

 

 今日はテレビ局の取材があるという大事な試合だったはず。ユニフォーム姿のまま来店し、しかもその表情が暗く重いものだとしたら、奈津姫としても察せざるを得ない。

 まさかという思いが渦巻き、弾かれたように彼の顔を見る。

 

「母ちゃーん、ご飯まだ……ってあれ、おっちゃんでやんす」

「よう、カンタ。……ごめんな。邪魔しちまったみたいだ。あとでまた来るよ」

 

 そういえば、と壁時計に目をやった。

 もう、夕刻を過ぎて夜と言っていい時間帯。カシミールも閉店準備といったところだろう。無神経な時間に来てしまったと、権田は自嘲の苦笑を浮かべて背を向ける。

 

 その背に声をかけたのは、外ならぬ奈津姫であった。

 

「良かったら、食べていってください。……ううん、食べていきな。ただ事じゃないよ、今のあんた」

「……奈津姫」

「それとも、あたしには聞かせられてもカンタには聞かせられない話かい?」

「いや、そんなことは、ない。……そうだな、カンタも野球好きだもんな」

「うん! 大好きだよ! おっちゃんに負けないキャッチャーになるでやんす! そして、おじちゃんの球を受ける役を奪うでやんす!」

「はっはっは、こいつめ」

 

 ぐりぐりと頭を撫でつけると、カンタはぎゃーぎゃー言いながらその手を払った。

 あまりにも大きさの違う手。

 ……カンタが捕手になりたいと言い出したのは、権田がこうしてこの店を訪れるようになってからだ。毎度カシミールの手伝いついでにカンタに野球を教える日々。権田にとっても予想していなかった楽しい毎日であった。

 

 元々投手になりたい、エースで四番になりたいと言っていたカンタだが、ビクトリーズの試合を見るうちに「おじちゃんの球を取りたい」と言い出したのだ。

 

 おじちゃんの凄い速い投球。それを受けて声を出して、チームのメンバー全員を元気にする扇の要。そして、何よりあれだけの強打者であるおじちゃんを差し置いてクリーンナップに座り続けるその姿。

 

 実のところカンタが憧れているのはおじちゃんなのか、おっちゃんなのか。

 両方なのだろう。そして、より身近に居るおっちゃんの真似をして、おじちゃんと同じところに行きたいと思った。カンタにとっては、それが全てだ。

 

 なんでも最近、小学校で仲良くなった友達と一緒に野球をするらしい。

 そこで負けたくないという思いから、そして投手志望の子は多くても捕手志望が少ないことから、権田に捕手としてのあれこれを教えて貰っていた。英才教育である。

 

「はい、どうぞ」

「……ありがとう。いただきます」

「いただくでやんす!」

「カンタ……そろそろやんすは卒業しなさい。おじちゃんみたいになれないわよ」

「……うぐ」

「なんだ、そこまで小波に影響されてるのか」

「元々やんすも誰かの影響だからね。よりかっこいい人に会えたら、そっちに移るんじゃない?」

「ま、やんすよりはかっこいいか」

「ううう~!」

 

 ちゃぶ台に三人で、優しい夕ご飯。

 きっと今頃古参のメンバーたちは飲み会に興じている頃だろう。

 遅れていくとは言ってあるけれど。なんだかもう、この場から離れたくなかった。

 

「で、まさかとは思うけど、負けたの?」

「いや、勝ったさ。そうだな、そこを心配させるのは良くなかった」

「なんだかあんた、変に気を遣うところが小波さんに似てきたね」

「え、そうか? ……はは、カンタのことを笑えないかもしれねえな」

 

 やめるでや……やめてよー、と抗議の声をあげるカンタの頭を乱暴に撫でながら、煮物を一つ口に運ぶ。

 

「奈津姫は、今日の試合のことをどれだけ知っていた?」

「テレビの取材が来ることと……それから、小波さんの話くらいかしら」

「そうだ。助っ人なしで試合をやることになった。小波だけは入れるって話だったんだが、その小波が今日、八回になってようやくやってきてな」

「えっ?」

 

 今日は助っ人なしで試合をしたこと。そして、その結果として古参が自信を持てれば良し。まだ助っ人への嫌悪を寄せるようなら、本気で試合をする。そしてことと次第によっては助っ人は出て行く。その取り決めの話を、奈津姫は知っていた。

 ほかならぬカシミールで話したことだ。武美と奈津姫は奥に引っ込んでいたといえど、流石に聞こえてはいたのだろう。

 

「3-7から、小波が来て逆転勝ち。あいつだけの力とは言わない。けど、あいつのお陰で風向きが変わったのは疑いようもない事実だ。けど、最初からあいつが来ていれば、また形は違ったかもしれない。木川はポジションを奪われる形になったし、増田は一番打者としての違いを見せつけられた。他の上位打線にとってもそうだろう。それが嫉妬に代わることを……俺は仕方ないと思ってしまう」

「あの~……おっちゃん」

「どうした、カンタ」

「その、僕……今日、変な大人たちに攫われたんでやんす」

「なんですって!?」

「母ちゃんが心配すると思ったから言わなかったけど、おじちゃんが助けに来てくれて……試合に行く途中だったみたいで……」

 

 だん、と権田は己の太ももを殴りつけた。びくついたカンタに、慌てて「すまん」と謝りながら……気炎と共に恨みを吐き出す。

 

「なんで……あいつはそういうことを言わねえんだ」

「おじちゃんは、ヒーローだから……」

「ああ、そうだな。確かに、ヒーローだ。けどなカンタ、忘れちゃいけねえことがある」

「なに?」

「ヒーローに助けられるだけじゃいけねえのさ。お前の好きなレンジャーは確かにかっこいいが、助けて貰った人たちをかっこいいと思ったことはあるか?」

「……ない、かも。だってヒーローが一番かっこいいでやんす!」

「そうだろう? でも、それじゃいけないんだ。お前がかっこよくならなきゃいけない。俺たちがかっこよくならなきゃいけない。ヒーローに助けて貰うだけじゃなくて、ヒーローを支えてあげなきゃいけないんだ」

「……でも、どうすればいいの?」

「……わっかんねえや。俺も出来てねえしな」

「ええ~!?」

 

 両手を振り上げて抗議するカンタに、権田は笑って応えた。

 けれど、事実だ。自分が何も出来ていないことを含めて全て。

 

「……奈津姫。俺たちブギウギビクトリーズは、助っ人たちと試合をすることになった」

「っ、それって」

「ああ。……それで、お前に頼みがある」

 

 そう言って、権田は深々と奈津姫に頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

《旅ガラスのうた》IV――遠前山の大きな穴――

 

 

 

 

 

 

 テーブルにゆっくりと置かれたソーサーと、黒く香り立つコーヒーの波間。

 このシックな店の雰囲気と相まって、それはもう優雅なひと時を演出してくれる――

 

「なにか面白い話してよ」

「なんで俺がお前をもてなさなきゃいけないんだよ」

「今ほとんどお客さん居ないし、ヒマなんだよね」

「面白い話ねぇ……」

「そうやってすぐノッてくれるから、深紅さん大好きだよ♡」

「はいはい」

 

 目の前のメイドの営業スマイルは相も変わらず小悪魔的な魅力にあふれていて、俺じゃなかったらうっかり勘違いしているほどの愛らしさだが。残念ながら俺には毛ほども通用しない。最初からそうだった。ああ、本当だ。

 

 それはさておき、手持無沙汰なのかお盆を抱えて退屈そうにつま先を遊ばせているところを見ると、本当にヒマなのだろう。確かに客も数人しかいないし、注文は全て届けられたあと。本を読んだり、仲良しの会話に興じていたり。

 

 しかし面白い話か。ああ、そういえば昨日聞いたアレがあったな。

 

「……遠前山の抜け穴伝説って知ってるか?」

「なにそれ。……まさか本当にちゃんと面白そうな話が出てくるとはね」

「おいどういう意味だ」

 

 黒いオーラを纏って俺から目線を逸らす失礼なメイド。

 いや、良い。

 この話に関しては俺の話というか、カンタ君や商店会長から聞いた話でしかないのだが。

 

「遠前山の山頂に、よく野球の試合に使ってるグラウンドがあるだろ?」

「ああうん、山頂なのに結構広いよね」

「あそこ、昔は城があったらしいんだよ」

「あ、そうなんだ。地図とか見ると城跡になってるのかな。でもあんな山の上にお城って、囲まれたら終わりだよね」

「兵糧攻めに遭ったのかどうかは知らないが……」

「無残な深紅さんが死屍累々」

「どうして俺が餓死しなきゃいけないんだよ!」

「だってこの町で餓死しそうな人ランキング一位でしょ?」

「どこからそんな統計を取ってきたんだ……」

 

 でも冷静に考えて一位に輝きそうで嫌だ。

 もう少し栄誉あるナンバーワンはないのか。こう、ハンサムとか。バンザイとか。

 

「で、抜け穴伝説は?」

「今の商店街があるところが元々城下町で、城から城下町まで抜け穴があったらしい」

「へー。埋めちゃったのかな?」

 

 コーヒーを一口飲みつつ、頷いた。

 

「戦後に商店街復興させる際、埋めてしまったんだとさ。落盤が起こったとかなんとか。商店街に沿って伸びて山の方へつながってたみたいだけど、詳しい資料は残ってないらしい」

「ふーん。落盤が起こったってことは洞窟自体はまだ残ってるのかな。……頑張れば誰か埋められそうだね」

「俺を見て埋めるとか言うんじゃない」

「墓は漁ってあげるよ」

「骨を拾ってくれよ!! そして俺の墓なんか漁っても何も出ないよ!」

「こ、これは……私の下着!」

「死んだ人の名誉を傷つけないでいただきたい……」

「じゃあ私のメイド服にしておく?」

「どうして俺が墓にお前の私物を持ち込んでるんだよ!」

「メイドはご主人様のものですから♡」

「俺の独占欲凄いな……」

 

 なんの話だよこれは。

 

「でも、伝説っていう割には大したことないね」

「町おこしに使えれば、って会長は言ってたな。それで言うと、戦争中に爆撃機のパイロットが墜落した話があったか。その人はしばらく抜け穴に隠れていたらしくって、戦後に忘れ物をしたとかなんとかで戻ってきたんだけど、もうその時には穴が埋められていたって。がっかりして帰ったんだとさ」

「その忘れ物を掘り起こして町興しに使おうってこと?」

「そもそも場所すらよく分かってないから無理だって、会長は言ってたな。それに掘り起こしたところで、果たして町興しに使えるようなものかどうかも分からないし」

「町興しかー。やっぱりそろそろこの商店街も経営厳しいんだろうなあ」

「この店はどうなんだ?」

「ああ、別に赤字だろうとなんだろうと関係ないし」

「へ?」

「あれ、話したことなかったっけ?」

 

 無言で首を振ると、珍しく准も少し驚いたように目を見開いた。

 あれ、とかそっかーとか、少し考えたように人差し指を顎に当て。

 

「維織さんからも聞いてない?」

「いや、全く。そもそもなんでそこで維織さんが出てくるのかも分からない」

「うーん、そうなると私の口から言っていいものか迷うけど……NOZAKIって知ってる?」

「ああ、名前だけは。かなり大きな企業だよな」

「そうそう。維織さんはそこの社長令嬢で――」

 

 そこで、准は少し逡巡するように目を逸らす。

 

「維織さんのプライベートにかかわるなら、別に聞かせてくれなくてもいいぞ?」

「……んーん、やっぱり話しておく。だって、私のこれからにも関係することだし」

「まったく話が見えないな……」

 

 なんで准の今後に影響するのかも分からないし、何が"だって"なのかも分からないし。

 

「この店はさ。維織さんのために作られた場所なんだよ」

「なんだって?」

 

 思わず目に変な力が入った。

 維織さんのため。社長令嬢クラスになると、そういうものがぽんと与えられるのか?

 

「維織さんにも色々事情はあったんだけどね。私も後から聞いたんだけど、ちょうど今年の五月くらいに踏ん切りがついたみたいで……今は色々頑張ってるよ。何があったのかはあまり聞いてないけど」

「……なるほどな」

 

 複雑な事情、というものにあまり興味はない。

 けれど、准の話しぶりから察するに彼女はもう大丈夫なのだろう。何かを抱えていて、その何かを考える場所がここであり、ここに居た時間だった。そして、彼女は自分で歩み出した。なら、それは素敵なことだ。

 

「だから……この店も、少ししたら閉めると思う」

「そうか、寂しくなるな」

 

 目を閉じて、コーヒーを一口。

 不思議と、もうなくなってしまうと聞くと急に寂しさが押し寄せてくるものだ。

 この味も、いつ飲めなくなるのか分からないとなると、途端に愛着が寂寥に取って代わる。

 

 と、思っていると。准が小馬鹿にするように笑った。

 

「どうだか。ふらりと貴方が居なくなるのと、どっちが早いか分からないじゃない」

 

 その言葉で、ふと気づいた。

 ああ、そうか。そうだったな。俺は風来坊だ。気ままな旅ガラスだ。この町からだって、やろうと思えばいつでも居なくなれる。

 姿を現すも姿を消すも自由。この場所に根付くつもりなど最初からなくて、ほどほどに触れ合って誰かを助けて消えていく、旅ガラスのうた。

 今までもそうやってきた。追い出されようと、惜しまれようと、そうして旅を続けてきた。

 

 今だってそう。武美の件を終わらせた以上、あとはジャジメントとの戦いを終えればこの町を出て行く。

 

 ……出て行くんだ。出て行かなきゃいけない。

 

「深紅さん? どうしたの?」

「別に。准の言う通りだと思っただけだよ」

「……ふぅん?」

「なんだよ。にやにやしやがって」

「面白いなって。……顔が」

「ウッタエテヤル!!」

「はいはい、訴え訴え」

「どんな流し方だ!」

 

 なぜかご機嫌になった准は、そのまま会計の接客のためにフロアは駆けていった。

 あの客は、さっきまで窓際で本を読んでいた客か。……そういえば色々頑張っているという維織さんは、もうこの店にはやってこないのだろうか。

 

「ただいま戻りました、ご主人様♡」

「いやおかしいだろ。お前の定位置はここじゃない」

「そんなことありません♡ ご主人様のおそばが、メイドの居場所です♡」

「もういいや……。維織さんって、もうこの店には来ないってこと?」

「うーん、どうなんだろ。でもすごく頻度は減ったかな。なんか面白いものを見つけたとかなんとか……」

「元気ではあるのか?」

「ああうん、あのめんどくさい星人がどうしてこんなに元気なのかってくらい元気」

「そっか、ならいいや」

「心配?」

「そりゃ、知らない仲じゃないし」

「大丈夫だよ。深紅さんなんかに心配されなくても、維織さんは元気だよ」

「すげえ言うこいつ」

「ご主人様はメイドにうつつを抜かすので精一杯ですから♡」

「勝手に決めるな勝手に決めるな」

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 

 

「妙だな。今日はここで練習のはずなのに。いつまでたっても監督がこないぞ?」

 

 商店街近くの河川敷。練習場の一つとして利用しているこの場所は、なんでも昔権田たちが手作業で整備したところらしい。いつもの集合場所のはずの一塁側ベンチで待っていると、助っ人メンバーが続々現れた。

 寺門、カニ、ムシャ、ピエロ、電視、そして俺。

 

 けれど、助っ人以外の面々は三塁側に溜まっていっている。

 

「あいつらなんで向こう側に集まってるんだ?」

 

 寺門の問いかけに、全員が首を傾げていた。

 

「……兄貴、何か知ってんのか」

「なるようになるさ」

「なんだよそれ。練習がないなら俺は一人で――」

 

 と、ちょうどその時、権田が向こう側に合流したようだ。

 そして、彼を先頭としてぞろぞろと古参メンバーがやってくる。

 その雰囲気は少し異様で、寺門ですら一歩後ずさった。

 

「よう、小波」

「おう、権田」

 

 軽く手を挙げて挨拶。そのなんでもないような素振りにすら、普段と違う雰囲気が見て取れる。張り付けたような笑顔。睨みつけるような瞳。けれど、それら全てが張り子の虎で、奥には葛藤の炎がちりちりと見て取れる。

 

 ……しょうがない奴だな。

 

「よし、権田がみんなを引き連れてきてくれたし、監督はいないが練習を始めよう。キャプテンとして俺が命じる」

「なっ……小波!」

「どうした? 早く始めるぞ。お前がのろまな古参の連中を纏めてくれないと、俺が手を煩わせなきゃいけなくなる。時間の無駄だ」

「お前っ……!!」

 

 が、と胸倉を掴まれた。

 そうだ、そのくらいしてくれないと、お前が手加減したから負けたとか言われるぞ?

 

「……どうして、そこまで」

「本心だよ」

「……クソッ!」

 

 突き飛ばされた。俺に気を遣って左胸をどつく辺りが、本当にこの男は。

 後ろの古参メンバーはえらい顔して俺のことを睨んでるってのに。

 

「……その必要はない」

 

 震える声で、権田は言う。

 

「ここまでお前たち助っ人のおかげで試合にも勝ってこられたが、もう助っ人は必要ない。これからは俺たちだけでやる」

 

 その権田の言葉に、隣に居た寺門がかみついた。

 

「なんだよそれは!お前ら、わけわかんねえぞ! この前の試合も兄貴が来なけりゃ負けてたじゃねえか!」

「そんなことない! 僕たちだけで十分だったさ! 小波なんか監督が少し贔屓してるだけで――」

 

 権田が木川を制する。

 俺も寺門を抑えた。

 お前たちには見ていてもらうだけでいい。

 

「だが、あの試合ではっきりわかった。ジャジメントとの闘いは、俺たち商店街の人間だけで戦うべきなんだ。お前らが居たら、試合に勝っても俺たちの勝利にはならねえ」

「それは、商店街みんなの合意なのか?」

「いや、俺たち昔からのメンバーの意志だ」

「じゃあキャプテンとしてその意見は聞けないな」

「お前をキャプテンだなんて認めないぞ! あれは監督が勝手に決めたことだ!」

「商店街の存続とお前らの意地なんて、天秤にかけるまでもないだろうが」

「俺たちだけじゃ商店街を維持できないっていうのか?」

「違うのか?」

「……いや、この際はっきりさせようか、小波」

 

 小さく、権田がかぶりを振った。

 彼のその発言の意図を読めなかった他のメンバーが、新参古参問わず頭に疑問符を浮かべる。

 

「分からないか? お前ら新参が舐めてる俺たちの力を見せつけてやろうって話だよ」

「……良いだろう。じゃあ、明日紅白戦をしようか。こっちが勝てば今まで通り。そっちが勝てば俺たちは去ろう」

 

 古参メンバーは権田の啖呵に意気軒昂。どよめきと熱の混じった歓声を上げる。

 半面、寺門は俺の提案に不服のようだった。

 

「ちょ、ちょっと待てよ。なにもそんなことしなくても」

「このまましこりが残っていては次の試合で戦えない。それに、彼らがどれだけ戦えるのかはっきりさせたいんだ。受けて立とう、寺門」

「……おう!! 古参の奴らなんか、けちょんけちょんにしてやるぜ! せっかく助けてやってるってのに、なんて奴らだ!」

 

 多かれ少なかれ、寺門に限らず助っ人の中には今の寺門の発言に想うところがあったらしい。みんなで小さく頷いた。

 それを見届けて、権田は言う。

 

「よし、特訓で生まれ変わった俺たちの実力を見せてやるぜ! じゃあ試合は明日だ」

「……ああ」

 

 それだけ言うと、権田は「特訓だ!」と言って古参メンバーを引き連れ別の場所に向かっていった。おそらくは山頂の球場だろうか。

 わざわざ俺たちに練習場を残していくあたりが、本当に詰めが甘いというか、あいつの本意が筒抜けというか。

 

「おい、どうするんだよ。試合をするったって、そもそも人数が足りないぞ」

「ダメなときは諦める。俺たちは必要なかったというだけのことだ」

「それはあんまりじゃねえか!! 兄貴!」

 

 とはいえ、どうするか。

 俺を含めて六人しかいない状況で、あと三人集めなきゃいけない。

 顎に手を当てて思案していると、ふと俺のユニフォームの裾を引く感覚。

 

「大丈夫でやんす! オイラが助っ人として参加してあげるでやんす!」

「えっ、カンタ君?」

「商店街のために頑張ってくれてる人たちを追い出すなんて、おかしいでやんす。……それにね。助けてくれた人を、助けるんでやんすよ!」

「くー、ありがたいねえ。気持ちだけでも嬉しいよ」

 

 わしわしと寺門がカンタ君の頭を撫でる。

 と、その時だった。

 

「ほんとしょうがない子だね。それじゃ、あたしも仲間に入れてくれない?」

「へ? ……奈津姫さん!? なんですかその格好!」

 

 野球帽に練習着、加えてバットの先にグラブを乗せて。

 

「奈津姫は昔ソフトボールでサードやってたんだよ。そこいらのへっぽこ選手よりよっぽど頼りになるはずさぁ!」

「言うじゃん、へっぽこ選手」

「あーひどい! あたしだって深紅さんが困ってるなら助けたっていいじゃん!」

 

 そしてその後ろから、同じく練習着の武美まで。こちらは完全に練習着に着られている感が凄まじいが。

 

「それより、まだほかにも助っ人が来たみたいだよ」

 

 武美の指先につられて土手の方へと目をやれば、数人の男がこちらに向かってくるのが見えた。……あれは。

 

「……先生と会長?」

「すまない。権田たちを止められなかったんだ。だけど、昨晩じっくり考えてみたんだが、やっぱりあんたらを追い出すのはなんだかおかしい気がしてね」

「じゃあ紅白戦はこっちのチームに?」

「あと、私と同意見の連中も集めた。明日の試合はその連中もあんたらと一緒に戦ってくれるよ」

「話を聞いてやってきたよ。そもそもわしがあんたを雇ったからこういうことになったんだ。一応、責任は取らないとな」

「ありがとうございます! みんな、本当にありがとう」

 

 …………ああ。

 これでいいのだ、と思っていたけれど。権田たちが、俺たちを乗り越えるならそれでいいのだと思っていたけれど。この人たちは、この人たちも、居て良いと言ってくれるのか。

 俺の成したことは間違いでないのだと、肯定してくれる人たちが今度は居るのか。

 

「……俺は、居ていいんですか」

「てりゃあ!」

「痛い! た、武美?」

「何を言ってるんだか。あなたは居ていいんだよ。居て欲しいんだよ。貴方みたいに、優しいことを正しいと思ってしてくれる人が居るから、みんなここに居られるんだよ。商店街もあなたが居なければどうなっていたか分からない。……あたしなんて、ほんとに。だから、居なくなろうとしないでね」

「……ありがとう」

 

 




旅ガラスのうたVですが、ちょっとボリューミーな感じになりそうなので分割or4/1更新になるやもしれません。明日投下されなかったら察していただければ。すまぬ。


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《旅ガラスのうた》V――前

「深紅さん、何か隠してるよね?」

「ん? 何が?」

 

 准が衣装合わせ用に持っているのであろう大きな鏡を相手にシャドウピッチングをしていたところ、鏡越しに部屋の扉が開いた。じとっとした目を向ける彼女は、風呂上りなのか首にタオルを巻いている。

 

「……普段、この時間まで練習とかしてないでしょ」

「明日、紅白戦だからな。それだけさ」

「それだけなら、よくあることでしょ。貴方がそういうことしてるのは、テレビの取材があった試合の前日と、ニコニココアラーズとの一戦の前だけ。……大事な試合の前だけ」

「うぐっ。い、いや、その……」

「明日なんの試合ナノ?」

「観察力豊かですね……」

 

 スタミナ切れみたいにへにょって答えた。

 

「夏目准は観察力豊かなものですから。で、なんなのよ」

「……明日の紅白戦はさ。助っ人と古参に別れてやるんだよ。あいつらが俺たちを乗り越えられるなら、俺たちは出て行く約束だ」

「ふぅん」

 

 なんですかそのどす黒い雰囲気は。

 

「テント……」

「勝ちます勝ちます! 勝ちますから!!」

「負けたら、どうするの?」

「それは……出て行くよ。テントもあきらめるしかないけど」

 

 けじめだとも思う。

 負けた後も俺たちがこの町に居れば、空気を悪くするだけだ。

 それに、商店街のみんなにも「あいつらが試合に出ていれば」なんて思わせたらそれだけで悪影響に違いない。だから、負けたら出て行く。

 

「そっか。じゃあ、私もバイト辞めるね」

 

 は?

 

「え、なんでっ……」

「時給良かったのになあ。辞めなきゃいけないのかあ」

「どうして准がバイトを辞める話になるんだよ!」

「……だから、勝ってね」

 

 部屋に背を向けて、顔だけ振り返って彼女は言う。

 

「このくらい言っておけば、深紅さんだって負けられないでしょ? 私がバイトしてる理由まで知ってるんだから」

「お、おう……。じゃあ、本当にやめるってことは」

「どっちだと思う?」

 

 A:嘘

→B:本気

 

 ほ、本気だ……こいつ、本気でバイト辞める気でいやがる……。

 

「……必ず勝ってくるよ」

「がんば♡」

 

 

 

 

 

《旅ガラスのうた》V――ブギウギビクトリーズ――

 

 

 

 

 

 ――遠前山山頂、ビクトリーズ専用球場。

 

 そこでは既に、古参のメンバーが集まって試合の時間を今か今かと待っていた。

 午後一番から試合を開始して、夜までには終える。今日の練習はお休みだ。

 その分明日からは球場をいっぱいに使って練習する。そう、メンバーの面々は誓っていた。

 

「なあ、本当にあいつらに勝てんのかな。なんだか心配だよ」

 

 と、そこで木川の弱気が顔を出した。

 ぽつりとこぼれた言葉は波紋のようにチームの皆に広がり浸透する。

 正直な話、それは全員が思っていることであった。

 

 類稀な膂力と、そうでありながらきっちり細かくヒットも打てる理想の四番、ムシャ。

 打率こそ低いが、一発当たれば球場の外まで運ぶパワーを持ち、誰よりも真摯に野球を楽しむカニ。

 打ちにくいアンダースローに加え、強靭なメンタルを併せ持つリリーフエースの電視炎斬。

 全体的に器用で、曲芸よろしくバントやエンドランにバスターまで決める小業使いのピエロ。

 パワーも走力も併せ持ち、守備に打撃に野手としての仕事をこなすオールラウンダー寺門男。

 

 そして、投げては155キロの剛球と無尽蔵のスタミナ。打ってはカニに劣らぬパワー、ピエロ以上の打率、寺門よりも速い足。守ってはエラーの隙など欠片もない、ホームまでノーバウンドで届く送球を併せ持つ小波深紅。

 

 そんなタレント揃いの面々に、臆するのも不思議な話ではなかった。

 

 一人を除いて。

 

「この期に及んで何を言い出すんだ。言い出したのは俺たちだろうが。違うのか?」

「権田さん、でも……」

「お前らは、あいつらを倒すために練習してきたんだろう。なら、それが嘘でなかったと証明しなきゃならねえ。びびってろくに力も発揮できませんでしたなんて言おうもんなら、これから一生助っ人たちの球拾いでもしてろ」

「っ……! ああそうだ、負けない、僕たちのチームワークなら!」

 

 おお、と気迫も合わせて声を上げるビクトリーズの面々。

 権田はその中にあって一人静かに考えこんでいた。

 

 相手に弱点はある。そこを突けば勝てるかもしれない。

 ……だが、勝って何になる。理想的なのは、善戦して負けること。

 古参のプライドを守り、古参の力を助っ人に認めさせ、良きライバルとしてまた一からチームを作り直すこと。

 

 決して、助っ人を追い出すつもりはない。

 

「あ、来た」

 

 並木巡査の声に権田はゆっくりと目を開ける。

 山を登ってくるメンバーは、深紅を先頭に助っ人が全員。そして、奈津姫とカンタの姿が見えて目じりを少し緩めた。他にも、会長や武美まで居る。野球が出来るかどうかはさておき、きっと助っ人たちに出て行かないで欲しいと思ってくれたのだろう。

 

 きわめて厳しい目つきで、深紅はこちらへと歩いてきた。

 何もここまで悪役に徹しなくても良いだろうに。内心で苦笑いしつつ、権田も真顔で応対する。

 

「権田、試合を始めようか」

「おう。勝ってお前らを追い出してやる」

 

 深紅の先に見えた奈津姫の複雑そうな表情が、妙に心に刺さった。

 

 

1坂本 中 

2河野 左

3並木 三 

4権田 捕

5増田 右

6高野 二

7栗原 遊

8南野 一

9木川 投

 

 

1小波  投

2ピエロ 二

3寺門  捕

4ムシャ 左

5カニ  一

6青島  遊

7菊池  中

8神田奈 三

9神田カ 右

 

 

 オーダー表を確認した権田は、自分の考えていた助っ人チームのオーダーと殆ど変わらないことに小さく頷いた。とにかく上位打線には気を付けなければならない。

 そして……。

 

「男、寺門!! 兄貴の投球だって怖くはない!!」

「そうか、次行くぞ」

「お、おお!!」

 

 投球練習をしている深紅の姿を目にして、権田は目を細めた。

 最高155キロという球速は、長い時間を野球に費やしていてもそうそうお目にかかれるものではない。この歳になって初めて出会ったとなれば、慣れるのも一苦労だ。

 助っ人たちはとにかく深紅の球速に慣れようとここ数か月バッティングマシーンを最速にしていたが……それでも、あの剛球はバッティングマシンのそれとは格が違う。

 

 余談だが、キングコブラーズのバルソーを相手にそこそこヒットを打てたのは逆にこの恩恵だろう。

 

 ずどん、と鈍い音をさせて寺門が深紅の投球を受ける。

 寺門は何度かキャッチャーの練習をしていたし、木川と喧嘩する前はブルペンキャッチャーもやっていた。そんな彼なら、反射神経も含めて深紅の球を受けることは出来るだろう。

 

 軽く素振りをしつつ、権田は作戦を考える。

 向こうには会長という監督が居る。こちらは権田が選手兼監督だ。

 大変ではあるが、やりがいもあった。

 

「……ん?」

 

 そこで権田は気が付いた。

 一塁側のブルペン。見たことのある子供用の防具一式を身に着けて、一人の少年が電視の球を受けている。アンダースローとはいえ、120は出ている電視の球を、小学校低学年の子供がだ。

 

「……あいつやっぱり才能あるなあ」

 

 キャッチャーになりたいと言っていたカンタの言葉を思い出し、しみじみ感傷に浸る。あの頃の自分は、100キロだって受けられたか分からない。

 

「まあ、とはいえ」

 

 スコアボードに目をやれば、カンタはライト。

 今日は、せめて野球そのものを楽しんで貰えたら。

 そう権田は小さく独りごちた。

 

 

 

 

 

 ブギウギビクトリーズVSブギウギビクトリーズ、試合開始。

 

 

 

 

「いいか、初っ端がラスボスだ。全力で行くぞ、木川」

 

 その一言が、全てを物語っていた。

 古参は後攻。一回の表を攻めるは助っ人組。

 先頭打者を抑えるのはセオリーだが、この助っ人チーム――ひいてはブギウギビクトリーズの一番打者は、何なら全ての選手の中において一番抑えるのが至難と言えた。

 

 木川もそれを分かっているから、小さく頷く。

 

「分かってます……! 僕は、あいつに勝たなきゃいけない」

 

 ミットで木川の背を叩いて、権田はホームベースまで戻ってくる。

 

 勝ちたくないとはいえ、負けすぎるのも問題だ。だからこそ、とにかく小波深紅だけは押さえなければならないというのが権田の結論だった。

 彼にヒットを打たれると途端にチームは活気づくし、彼の走力を持ってすれば二盗三盗は当たり前。木川が投球どころのメンタルではなくなってしまう。

 だからといって変化球を下手に散らせばそのリストでアウトコースさえライトスタンド。

 直球勝負にこだわれば、直球中心の組み立てが読まれた時点で、そのアジャストの上手さで二遊の頭を超えていく。

  

 それが、打率六割、得点圏打率八割、塁に出れば必ず生還するとも言われているブギウギビクトリーズ最高の選手。小波深紅。

 

「お願いします」

 

 ヘルメットに軽く手を当てて、左打席に入ってきた深紅を少し見上げる。

 

「敵に回ると、こんなにおっかないとはな」

 

 主審のコールに合わせ、権田はサインを送った。

 まずはボールになっても良いから、アウトコース低めへストレート。

 木川の調子を確かめる上でも、そして打たれにくいという点でも、一番良い。

 

 振りかぶった木川の一球目。ストライクコースぎりぎりに、決まると権田は読んだ。

 ミットを寸分もずらさず、捕ろうとして――

 

「しっ」

 

 快音。しかしレフト線を逸れてファールになった。

 あわや初球ホームラン。見れば木川の表情はこわばっている。

 

「球が勝っていた結果だ! 胸を張れ木川!」

「は、はい」

 

 主審に貰ったボールを木川へ投げる。

 

「あれを飛ばすか普通」

 

 呆れ交じりに腰を据えた。

 ストライクはストライクだ。黄色い明かりがともったことをまずは喜ぶ。

 

 相変わらず深紅は無表情で木川を見据えている。

 

 なら次は、アウトコースに逃げるシュートで様子を見よう。ボールになっても良い。

 

 サインに頷いた木川はそのまま投球モーションへ入った。

 

 離れたシュートのキレは上々、ストライクゾーンから上手く逃げる。

 

「ボール!」

 

 構えていた深紅は、コールを聞いてようやく動いた。

 ぷらぷらとバットを揺らしながら、次を考えているようだ。

 よくもまあこれで釣られない。何故振らない。球速もさっきのストレートと10キロと変わらなかったはずなのに。

 

 だが、逆に収穫もあった。

 

 今日の木川の調子はかなり良い。

 

 次は、インローにスライダーを投げ込む。これもボールになっても良いから低めにだ。

 頷いた木川の投球、最高のコース、腰丈から沈むように切れる。

 

「ボール!」

「……これも見送りか」

 

 権田は考える。アウトコース二球を見せられてインコースへのスライダー。

 逆に反応できなかったのかもしれない。ストライクになっていても振らなかったとすれば、それは一つの選択だ。

 

 慎重に、かつ大胆に行く。今日の木川の調子は上々。

 もう一度、外角を攻める。さっきと同じシュートを、今度はストライクゾーンに入れていくぞ。

 

 オーバースローから放たれたシュートは、綺麗に曲線を描いて、そしてコース取りも絶妙に逃げていく。しかしそれでもストライクだ。

 

 権田の視界に、バットの影が見えた。

 よし、詰まらせろ!

 

 凄まじい快音が鳴り響いた。

 

「……嘘だろお前」

 

 走ることすらしない。打球は遠く、スコアボードにぶつかって力なく落ちた。

 何も言わずにダイヤモンドを回る深紅を、木川は呆然と見送る。

 助っ人組は大歓声だ。完全にのせてしまったに違いない。

 

 ホームへと戻ってきた深紅はしかし、権田を一瞥して言った。

 

「本気で来い、権田」

「なに?」

「勝ち気が感じられないぞ。お前にとって野球は、そんなもんじゃないはずだ」

「……だが」

「関係ない。野球を楽しもう。俺はお前と一度本気でやってみたかったんだ」

「……ははっ」

 

 沸いているベンチに戻っていく深紅を見送って、権田はタイムをかけた。

 木川の元へと駆けていき、声をかける。

 

「木川」

「す、すみません権田さん」

「謝るな。今日のお前のコントロールは最高だ。それに、一点だろ? 俺が打てば同じことが出来る、気にするな」

「は、はい!」

「よし。……楽しんでいこうぜ」

「はい! ……え、楽しむ?」

「あいつらと試合が出来るなんて、楽しいじゃねえか。本気で叩き潰してやろう」

「は……はい!! もちろん!」

 

 その甲斐あって、木川はピエロ、寺門、ムシャを三者三振に取って切る。

 一番打者を除けば、最高の立ち上がりだった。

 

 

新1

 

 

 一回の裏。古参組の攻撃は、しかし徹底的に封じ込められていた。

 

「ストライッ!!」

 

「ストライッ!!」

 

「ストライアウッ!!」

 

「ストライッ!!」

 

「ストライッ!!」

 

「ストライアウッ!!」

 

 一番坂本、二番河野があっという間に三球三振。どれ一つとっても掠りもしないストレート。

 これが剛球、小波深紅。

 

 坂本、河野ともども、バッティングマシンとはくらべものにならないとの結論。

 

「だが、隙はある」

 

 そう、権田が言った直後の三番並木。

 

「ストライクッ……!?」

 

 あれはスライダーか。2ストライクからの三球目、勢いよく突き刺さったアウトローへの投球を、寺門が弾いた。

 

「すまねえ!!」

 

 寺門が叫ぶも、並木は振り逃げに成功。

 そして迎えるは、四番権田。

 

 平謝りする寺門をマウンド上から笑顔で抑える深紅の姿を見て、権田は自分の予想が正しかったことを察した。弱点は捕手。寺門はブルペンで球を受けていたとはいえ、その剛球をいつも捕球していたのは紛れもなく権田自身。そして試合ともなれば、いくら深紅であろうと投球はばらつく。

 

「そもそもあいつコントロールはそんなに良くねえし」

 

 バットを担いで打席に入る。

 並木は軽くリードを取っているが、ファーストのカニに変化はない。

 そして、これは深紅の精神性を鑑みての思考だが……牽制なんてしないだろう。

 

「俺が、ここに立ってる以上な」

 

 そうだろう? とばかりに深紅を見れば、彼は"そのまま"投球モーションに入った。

 低めのストレート。それを権田は、無言のスルー。

 

「ストライク!」

 

 ここでも予想が当たっていた。

 深紅は、首を振ることもなければ頷くこともない。 

 かといって監督の方を見もしない。

 ……投球サインは、無い。

 

 初球のストレートは低め真ん中に決まった。

 権田は完全に見送った。その真意を、深紅が見抜いているとは思えない。

 ならば、一球目を見に徹したとでも思うことだろう。

 となると、釣り球はない。もう一球、低めにストレートが来るはずだ。

 

「だって、俺は普段のサインでそうしているからな」

 

 深紅の振りかぶっての投球。

 

 それを、権田は勢いよく振り抜いた。

 

 快音と共に、権田はバットを放る。

 

 先ほどとは反対側のベンチが大歓声。

 奇しくも、同じようにスコアボードにボールをぶつけて。

 

 やられたとばかりに微笑む深紅に軽く笑って応えて、権田は意気揚々とホームベースを踏みつけた。

 

「野球は、楽しいなあおい」

 

 権田がそう言うと、マウンド上の深紅は帽子の鍔を直しながら、

 

「だろう?」

 

 と不敵に笑った。まだ、試合は序盤。

 

 

新1

古2

 

 




次は4/3


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《旅ガラスのうた》V――中

終わらんかった。
なんもかんも試合全部書こうとするのが悪い。


 

 喫茶店の看板メイド夏目准は、あらかたの接客を終えた段階でぼうっと窓の外を眺めていた。

 店内には客が六組ほど。おひとり様も居れば、団体客もいる。

 スナックもドリンクも届け終えて、何かをぼんやり憂うように視線を空へ馳せる姿は実はここ最近の名物でもあった。

 

 何でも、可愛いだけじゃなくて綺麗になった、とかなんとか。

 彼女がこうして何をするでもなく景色を眺める姿が見られるのは、実はブギウギビクトリーズの試合の日だけ。おかげでビクトリーズのファンでこの喫茶店の常連となると、彼女を見るか試合を見るかで二択を迫られる事態になっていた。

 

 とはいえ、准本人にビクトリーズのファンなのかと問うとやんわり否定するのだが。

 

「准ちゃーん」

「はい、お伺いいたします、ご主人様♡」

 

 声をかけられればすぐに営業モードに切り替えて、彼女はあわただしく喫茶店の中を動き回る。きびきびとした動作は慣れを感じさせるもので、流石はオープニングスタッフと言えるものだった。

 会計と、片付けと。それらを済ませて暇になると、またぽやっとした表情で外を見る。

 なんだかループしているような気がしなくもないが、マスターである瀬納は特に関与しない。

 

 と、そんな時だった。

 入店を知らせるベルの音に反応して、准はさらりと入り口へやってくる。

 

「いらっしゃいませ、お嬢様♡ あちらのお席へどうぞ♡」

「…………久しぶり」

「ほんとですよ。元気してますか?」

「…………げんき」

「それは何よりです♡」

 

 いつも席へと案内し、いつものようにコーヒーを持ってこようとして、しかし自分を見つめる維織の視線に准は首を傾げた。

 

「どうしました?」

「…………小波くんは?」

「今日は試合みたいですよ♡」

「……………………くわしい」

「え? たまたまですよ♡」

「……そう」

 

 一瞬の沈黙が舞い降りる。

 

「…………准ちゃん」

「なんでしょう♡」

「………………なにかおもしろい話」

「私がするんですか? そんな突然言われても……芸人じゃないんですから」

「…………最近の町の話とか」

「この町の話ですか? そういえば深紅さんが遠前町の昔話を聞いたとか言ってましたけど」

「…………じゃあそれで」

「ええ……。そうですね、なんでも――」

 

 

 

 

 

 

《旅ガラスのうた》V――ブギウギビクトリーズ――

 

 

 

 

 

「ストライク!! バッターアウト!! チェンジ!」

 

 二回の表、奈津姫さんがフォークを空ぶって帰ってきた。

 なんだか申し訳なさそうな顔をしているけど、不満そうなのは次に打つはずだったカンタくんくらいのものだ。チームのみんなで励まし合って、守備を頑張ろうと飛び出していく。

 

 雰囲気の良いチームだ、本当に。

 

「キイイイボオオオドオオオオ!! 何故僕はベンチなのだ!!」

「抑えの投手が居なきゃ困るからだよ。会長、こいつのこと頼みます」

「あ、ああ……どうしよう……」

 

 面倒なことは会長に丸投げしつつ、マウンドに上がる。

 遅れてやってきた寺門があわただしく座って、試合再開。レガースの取り付けくらい手伝ってやれば良かったか。

 

 二回の裏は六番の高野から始まる。

 ストレートを素直に寺門のミットに叩き込み続けると、高野、栗原を打ち取ったところで異変に気付いた。やけにスイングが遅いのだ。そして、続く八番南野。

 

「ライト!!」

「任せるでやんす!」

 

 カンタ君の前に落ちたボールを、彼はしっかり捕球してセカンドのピエロへ送球。しかしその時には既に南野は二塁に辿り着いていた。……どうしても、カンタ君の肩じゃどうしようもないこともある。そして、おそらく古参組はこれを狙っていた。

 

 徹底した右打者の流し打ち。ライト狙い。……ベンチを見れば、権田がサインを送っている。

 ……全力で勝ちに来やがったな。

 

 九番、木川。

 

 険しい表情で権田の方を見た彼は、メットに手を当てて打席に入った。

 木川の打球なら長打はない。ライトに流し打とうとしている相手に対してなら、インコースに思い切り切り込むのも一つの手。

 

 振りかぶり、一球目はインハイのストライク。

 続く二球目、ストレートがインローに突き刺さる。これはボール。ちょっとリリースミスったか。そして三球目。

 

「僕は、負けない!!」

 

 木川が腕をたたんで振り抜いた。インコースに振り負けて、しかし打球はライト方向へ。走る木川に焦ったのか、カンタ君が捕球でもたついてしまう。しかしピエロを継投して木川は二塁で食い止めた。……一点入ったけれど、まあ仕方ないさ。

 

 続く一番坂本に正対した時、寺門がサインを送ってきた。

 牽制、セカンド、今。

 

 振り向きざまに投球。ピエロのブロックが成功し、リードしていた木川を刺した。

 妙に上の空だったような気もするけれど。大丈夫か?

 

 

 

 

「……権田さん。勝つのは良いけど、この作戦は良いんですか。カンタ君を狙うなんて」

「それがどうかしたか? あいつだって一人の選手だ」

「で、でも子供ですよ!? 小学生ですよ!? 流石に可哀そうというか」

「木川。忘れているようだから言っておいてやる」

「……なんですか」

「俺たちは、小学生が味方につくような奴を敵に回してるんだ」

「……」

 

 

 ネクストサークルからマウンド上で会話するバッテリーを見ていると、何だか少し揉めているようだった。木川のメンタルは正直そこまで強くないと思うけれど、大丈夫なのか?

 

「さあ、こいでやんす!」

 

 バッターボックスにはカンタ君。

 何やら含むものがありそうな表情で投球モーションに入った木川は、しかしやはりというべきか調子を崩していた。元々ストライクゾーンの狭いカンタ君を相手に、3ボールからようやく1ストライク。

 会長の指示は待球。一丁前にメットに手を当てて了承したカンタ君は、その小柄な身体でストライクゾーンに覆いかぶさるようにアウトコースへ寄った。

 

 ……度胸あるなあ。本当にこの子は才能ある選手だ。

 

「っておいおい」

 

 思わず俺は声を漏らした。

 権田のヤツ、当たり前のようにインコースにミットを構えてやがる。

 カンタ君もカンタ君なら、権田も権田だ。カンタ君のことを一端の選手と認めているのか、それとも別の理由からかは分からないが。先ほどのライト攻めといい、本当に妥協や容赦がない。

 

「ボール!! フォア!」

 

 だがそれは権田に限ったことのようだった。

 アウトコースに大きく外れる木川の投球を権田は手を伸ばしてキャッチし、カンタ君は意気揚々と一塁へ。

 さて、じゃあ返してあげないとな。

 

『一番、ピッチャー小波』

 

 コールに応えて左打席。

 軽くリードを取るカンタ君はいい笑顔だ。楽しそうに野球をやっている。

 対して、カンタ君に対しいまいち警戒していない様子の木川は、権田のサインに頷いたようで。振りかぶって投球モーションに入った。

 

 カンタ君が走る。

 

 ファーストの声に気づいた木川は、高めのボール球を放る。既に背後の気配は立ち上がろうとしている。そしてこの程度の高さなら……

 

「しっ!」

 

 二塁に寄ったショートとサードの間を抜けるライナー軌道の左中間打球。

 我ながら完璧。

 

 三塁コーチャーの声に応じ、カンタ君は二塁を蹴った。

 ほどなくして俺も一塁を蹴る。カンタ君はさらに三塁まで走り抜けた。

 

「ホームバック!!」

 

 権田の叫び声。マジか、間に合うのか。

 二塁上で息をつくと同時、権田がショートの継投を受け取った。

 そしてその時には既に、カンタ君はホームベースへ滑り込んでいた。

 

「やったよおじちゃーん!!」

「ああ、良い走りだった!」

 

 手を振るカンタ君がベンチへ戻っていく。

 そんな彼の背中を見る権田の目が完全に成長を見守る父親のそれであることにはいったん触れないでおくとして。

 

 続くピエロがサードゴロ。寺門が内野安打で出るも、ムシャが三振してカニもショートフライに終わった。

 

 

 

 その裏。

 

「ストライク!! バッターアウト!! チェンジ!!」

 

 三者凡退に抑えきって軽く肩を回す。これで30球か。

 と、マウンドを降りようとして寺門が相手側のベンチをぼうっと見ていることに気が付いた。

 

「どうした、寺門」

「兄貴。……いや、権田のヤツはいつも兄貴の球をずっと受けてたんだな」

「そうだが」

「……うし、負けてられねえ。気合入れていくぜ」

 

 ぱんぱんと顔を叩いて、寺門の表情が引き締まった。

 何に触発されたんだか分からないが、パスボールもしないし寺門も頑張ってくれている。必ず勝とう。

 

 

新101

古210

 

 

 四回の表。

 

 先頭の青島先生に木川が失投、フォアボールで歩かせる。

 そこを丁寧に菊池が送って、続く奈津姫さんがレフト前ヒット。1、3塁とした。

 

「すげえ足腰のしっかりしたスイングだな、奈津姫さん」

「流石ソフトボールの花形だけあるわ」

 

 続くカンタ君だが、今度は釣り球に手を出してゆるいピッチャーフライになってしまう。

 

「ぐう、悔しいでやんす」

「次打つって考えな、カンタ」

「母ちゃん……」

 

 強気な母親の気炎に触れて、カンタ君はアウトになっても胸を張って戻ってきた。

 いやしかしほんと、カンタ君は良い選手になるだろうなあ。

 

「さて、俺の番か」

「1、3塁でお前かよ。最悪だなおい」

「負けてるからな。本気で行かせて貰おう」

 

 打席に立ち、軽くバットを揺らせて肩に担ぐ。

 

 第一打席では初球の外角ストレートをファール。外角の……あれはシュートだったかな。をホームラン。第二打席は高めのボール球を三塁打。今日は引っ張るより流している感じがあるけれど、まあそれはボールに合わせた結果だ。

 さて、その投球を当然権田は覚えているだろうが、初球は何からくるか。

 

 低めに来たら様子見のフォーク、カウントを稼ぎに来たら外角のストレートってところか。……そして、インローに来るとしたら。

 

 木川の投球。ノーワインドで、低め、インコース。この回転は、案の定――

 

「スライダー!!」

 

 掬い上げるようにリストで右へもっていく。

 

 ライト線上に転がったライナー性の打球。

 三塁の青島先生は悠々ホームイン、奈津姫さんも三塁を蹴った。

 ならばと俺も二塁を蹴る。ホームにボールが届くころには先生は生還、俺も三塁にスライディングしていた。

 

「……小波ぃ」

「さて、俺も帰りたいよ?」

 

 ちらりとピエロを見ると、力強く頷いた。

 

 サインは、ギャンブル・ゴー。どのみちツーアウトだが、この投球で決めるつもりだ。ピエロが初球の低め、ストレートを打つ。

 ぽてぽてとは言え、内野安打に――って、

 

 俺よりも早く並木巡査が目の前に居た。クソ、スクイズ警戒とはいえ、このタイミングで飛び出してくるか。

 

 そのまま俺はタッチアウト。

 ブロックサインを出していたであろう権田はしたり顔だ。

 ああクソ、やられた。

 

 

 

 試合は四回の裏。先頭打者は権田正男。

 

 さて、どうするか。あいつは俺を怖いと言うが、俺もあいつを一番警戒している。

 とはいえ球種が割れていて、俺のストレートを受け慣れている以上はコントロールでどうにかするしかない。

 

 ……初球、フォークから試すか。

 握りを変えて、低めに叩き込む。

 

 快音。

 

 ショートの頭を超える痛烈な左中間。

 おいおい、なんでだ。読めたのか? なんであのタイミングでフォークを打てる。

 

 帽子をかぶり直し、マウンドの土を固めて切り替えた。

 もうあいつは良いや。帰らせないことにしよう。

 

 続く増田へはインハイへストレートから入る。

 決まったと思ったがしかし、勢いよく振り抜かれた。

 詰まったような音がして、ライトのカンタ君がさっと定位置に付く。

 

 取った瞬間、権田が走った。すぐにカンタ君はピエロへ投げ渡したが、流石に間に合わない。しゃーない、バッター勝負だ。

 

「ストライク!! アウト!!」

 

 下位打線と思って気が抜けないことは、前回学んでいる。

 きっちりシュートとスライダーでカウントを稼ぎ、ストレートを外角に叩き込んだ。

 

 これでひとまず二死。次の栗原には、まずインローのストレートから。

 

「ストライク!!」

 

 次、低めにスライダー。

 

「ストライク!!」

 

 よし、とどめはフォーク。

 

 

「ストライク!! ……!」

「しまった!!」

 

 寺門が後逸してしまった。

 低めのフォークは気を付けなければならないな。

 栗原は一塁へ。権田が生還し、失点。

 

 んー、まあしゃあない。

 

 次の南野を切って終わりにしよう。

 フォークは使わず、処理していく。

 

「ストライク!!!」

 

 二球目、シュート。

 

「ストライク!!」

 

 よし、スライダーで一球外す。

 

 と、そこで南野がバットを振った。

 僅かに上を振り、三振。だがここでさらに寺門が弾いた。

 

 栗原と南野で1、2塁。

 

 タイムをかけた寺門がこちらへ走ってくる。

 

「すまない、兄貴」

「気にするな。それより、大丈夫か?」

「ああ……問題ない。いや、兄貴はすげえよ」

「木川を三振に取ってこの回を終わらせよう。頼りにしてるぜ、寺門」

「お、おう!」

 

 さて、試合はそろそろ折り返し地点だ。

 気合を入れていこうか。

 

 

 




次回は4/5


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《旅ガラスのうた》V――後

ビクトリーズ     ビクトリーズ

1小波  投     1坂本 中

2ピエロ 二     2河野 左

3寺門  捕 [プレイ] 3並木 三 

4ムシャ 左 作動能力 4権田 捕

5カニ  一 やめる 5増田 右

6青島  遊     6高野 二

7菊池  中     7栗原 遊

8奈津姫 三     8南野 一

9カンタ 右     9木川 投

 

 

 

《旅ガラスのうた》V――ブギウギビクトリーズ――

 

 

 

 

「ストライク!! バッター、アウト! チェンジ!!」

「くそっ……!」

 

 深紅のストレートがミットに突き刺さった。

 僅かに下を振ってしまった木川は、そのバットのヘッドをホームベースに叩きつけて気炎を漏らす。けれどその目から闘志は消えておらず、必ず勝つという気概が感じられた。

 

 深紅は一つ息を吐くと、帽子をかぶり直してベンチへと引き上げていった。

 

 

新1012

古2101

 

 

「三番、キャッチャー――寺門」

 

 この回の先頭打者は寺門だった。レガースの着脱を仲間に手伝ってもらい、意気揚々と木製バットを握って飛び出していく。

 兄貴に迷惑をかけている分、このバットで返してやる。そう心に決めた寺門はしかし、素振りの途中で苦悶に表情を歪めた。

 

「っ……」

 

 実際、寺門はよくやっている。

 小波深紅という投手は、本人が思っている以上に恐るべき投手だ。比べる相手が悪いというだけで、殆どの草野球チームでエースを張れることは間違いない。速球にして剛球というのは、ただそれだけで強いのだ。

 

 そんな男の投げる球をノーサインで受けることの難しさ。

 度胸と根性、そして凄まじい反射神経を持ち合わせている寺門でなければ、この大任は受けることが出来なかったと言っていい。

 

 ただ、寺門には投球の組み立てに関するいろはが無かった。

 野球をもっと勉強してさえいれば、自分も楽に捕球でき、深紅に余計な思考をさせることもなかった。

 

 その自らの短所に、まだまだ鍛錬不足であることを突き付けられて。

 

 気付けば左手は真っ赤に染まり上がっていた。擦過傷と打撲跡、度重なる捕球で痛めたその手のひら。

 

 バットを握るだけで痛みが走る。

 けれど、それでも。

 

「オレはもっと野球がしたい! 兄貴と、みんなと」

 

 ぐっとバットを握りしめ、打席に立った。

 するとちょうど権田がマウンドから戻ってきたところで、ふと目が合う。

 

「……あんた、いつも兄貴の球を受けてたんだな」

「……ああ」

「舐めたことばっか言ってて、悪かった。あんた、すげえよ」

 

 珍しく、本心からの言葉だった。

 目を丸くした権田は、しかし少し表情を綻ばせると。

 マスクを被って、首を振った。

 

「俺だけじゃねえよ。みんな自分なりに頑張ってんだ。野球だけで言ったら、そりゃ腕がものを言うかもしれねえけどよ。みんな、店とか職場とか、自分の大事なものを守るために戦ってる。それが尊いとは言わねえよ? だから強くなれるとも言わねえ。けど、頑張ってることは覚えておいて欲しいんだ」

「……あんた、もしかして最初から俺たちにそれを伝えるために」

「さ、折り返しだ。楽しんでこうぜ、野球をよ」

 

 パン、とミットに拳をぶつけて。

 権田は両手を振り上げ叫んだ。

 

「さあ五回だ!! 締まっていくぜ!!」

 

 おー、と外野からも届く気迫の籠った掛け声。

 寺門は小さくヘルメットをかぶり直して、目を閉じた。

 

「プレイ!」

 

 マウンド上の木川が頷き、ワインドアップから投球モーション。

 第一球のストレートがアウトローに決まる。

 

「ストライク!!」

 

 息を吐いて、深紅と同じようにバットを揺らした。

 ただ深紅の真似をしているだけだったが、案外これが集中と休憩の切り替えに役立つのだと最近知った。

 寺門に対する投球は、徹底してストライクゾーンぎりぎり。ボール球も多いが、ストレートとスライダーでの緩急が主だ。フォークやシュートが投げられることは殆ど無い。

 

 これに関して、深紅は「お前なら変化球は持ち前の反射神経でアジャストして吹き飛ばせるからだろう」と言っていた。

 タイミングを外されることだけに気を付けて振ればいい。

 

「ボール!!」

 

 スライダーがボールゾーンへ逃げて行った。

 これもあわよくばストライク、といった感じの投球だろう。

 

「野球を楽しもう、か」

 

 深紅もよく言っている気がする。

 ぐっとバットを握りしめ、息を吐く。

 パスボールに対する責任感や、この試合結果如何での今後。

 それらを一度忘れよう。

 

 そしてただ来たボールを打つ。それで良いじゃないか。

 

 木川の一投。

 低めに切り込んできたストレート。

 

 響き渡る乾いた音。寺門はそのまま走り出した。

 セカンドの脇を超えて飛んでいく痛烈なライナー性の打球は、右中間を貫いて迸る。悠々セカンドに辿り着いた寺門は、感情のままにベンチへと手を振った。深紅を始め、皆が湧く中で。

 たとえこの手がどれだけ痛もうと、打てて良かったと微笑んだ。

 

 その直後のことだった。

 

「寺門の心意気、受け取った。ムシャも続かねばならんな。……償いのためにも」

 

 四番ムシャの鋭い一閃は、大きくアーチを描いてスコアボードに直撃した。まるで初回の深紅のような打球に、寺門は不満げに眉をしかめる。

 

「ちぇ、オレが活躍したところだったのに!」

「それはすまんな。だが、ムシャとてここで野球を終えたくないのだ」

「……それは、オレもだよ。ま、せいぜい楽しむとするか!」

「……ああ」

 

 これで二点を獲得した助っ人組。

 木川はボールを弄って少し精神を落ち着かせているようだが、まだまだ闘志は薄れていないらしい。

 助っ人の打線が強力であることは織り込み済みだ。悔しくはあるが、試合に勝てればそれでいい。そう言わんばかりの彼の意地は、ある意味で投手向きの強さと言えた。

 

 そして、その強さが備わっていない者もいる。

 

「五番、ファースト――カニ」

 

 打席に入った奇怪な見た目の男は、しかし根はやさしい青年だった。

 

「その……権田さん。僕たち、何か悪いことしたカニ……?」

「集中しろ。俺たちが負けたら、お前らに従う」

「従うとか、そういうのじゃなくて。仲間じゃなかったのカニ!?」

「……」

 

 カニの言葉に、権田は無言でミットを構えた。

 

 ……正直なところ、この試合で得るべきものをカニは既に持っている。

 だから、彼に関してはとばっちりも良いところなのだが……むしろ、カニの場合は逆だった。こんな奇妙な見た目でも、とても良い奴なのだと。それを、古参に伝えるため。

 

 だからこそ、敢えて権田は突き放す。

 

 木川が投球モーションに入り、ストレートを叩き込む。

 挑発交じりのど真ん中だ。

 けれどそれにカニは反応出来ない。

 

 次のスライダーも。そして、とどめのフォークも。

 

「ストライク、バッターアウト!!」

 

「……権田さん」

「本気でやれと、小波は言ってなかったか?」

「言ってたけど! ビクトリーズで楽しく野球がしたいだけなのに、なんだってこんな……」

「戻れ、次の打者が来る」

「ッ……」

 

 とぼとぼと、カニはベンチへと戻っていった。

 

 続く青島がサードゴロ、菊池がファーストライナーで、この回は幕を引く。

 

 

 その裏。

 

「しっ」

 

 深紅から放たれる剛球に、またしてもビクトリーズの上位打線は誰も手も足も出ずに三者三振に切って取る。アベレージヒッターを揃えているとはいえ、それでも剛球の前ではあまりに無力だった。

 

 問題は、むしろ――

 

 

新10122

古21010

 

 

 

六回の表。

 

「ストライク! バッター、アウト!」

 

 インハイに叩き込まれたスライダーに、奈津姫は小さく笑みをこぼした。

 

「容赦ないねえ、正男」

「容赦したら負けちゃうだろうが」

「……へえ。負けちゃう、か。いいんじゃない? 次の打席はぎゃふんと言わせてやる」

 

 バットを担いでベンチへ戻る奈津姫は上機嫌で、権田も気合を入れ直す。

 次のバッターはカンタだ。

 さっきは釣り球でピッチャーフライに処理した。次もこの方法で行こうと木川にサインを送る。

 

「宜しくお願いします!」

 

 ヘルメットに手を当てて、一丁前に打席に入ったカンタ。

 すっとバットを回す仕草は誰かに似ている。

 

 さあ、第一球だ。さっと振って、もう一度ピッチャーフライに――

 

 しかしカンタのスイングは思いのほかしっかりしたものだった。

 

「アウト!」

 

 結果はライトフライ。

 けれど、外野が前進守備を取っていなかったらきっとヒットになっていた。120キロのスライダーにしっかり当てた子供に、権田は手を乗せて笑う。

 

「やるな」

「アウトになったら意味ないでやんす!」

「はっはっは、じゃあざまあみろ」

「なんだとー!!」

 

 微笑ましいやり取り。

 試合中にどうなんだと思うこともあるが、息抜きは大事だと権田は考えていた。木川もふっと脱力したようにこちらを見ている。

 休みは大事だ。

 

 何せ。次のバッターは。

 

「一番、ピッチャー――小波」

 

 今日3-3のラスボスなのだから。

 

 

 木川の調子は俄然良い。それでも抑えられていないのは、助っ人陣がそれだけ強力な打線であることと、キャッチャーである権田の力不足であると考えている。

 

 ――とはいえ、木川の持ち球は深紅と同じシュートとフォーク、そしてスライダー。多少木川の方が変化量が大きいとはいえ、二人に共通して言える弱点は緩急の付け辛さ。

 

 そこを剛球で補う深紅と違い、木川の球速は相手打線にとっては打ちごろだ。球速によって一番差がつくのはフォークボールだ。回転で露見するフォークボールは、球速でゴリ押せるかによって決め球に使えるものかどうかが大きく変わる。その点で、木川のフォークには球威がない。

 

 それを念頭に入れて戦うとなると、やはり相手としてこの助っ人たちというのは脅威的だった。

 

 権田はまず、野手用サインで内野を下がらせた。

 ツーアウトランナー無し。この状況で深紅と戦えるのは都合がいい。

 最悪ホームランさえ避ければ良いのだ。組み立ては多少楽になる。

 

 一球目は定石通り、低めにストレート。

 これを狙われているとたまらないから、そもそも外す。

 と、耳元でバットが空を切る。

 

「ストライク!!!」

 

 ――僥倖だ。深紅のスイングが空ぶったことで、木川の表情に少し余裕が出来た。ホームラン、二塁打、三塁打。そんなふざけたバッティングをされている男の空ぶりは、木川に勇気を与えてくれたに違いない。

 

 あとは、何故今のをスイングしたか。

 低めのストレートを読んでいたからこそ、つい手が出たのか。

 それとも、わざと空ぶったのか。

 バットは僅かに上を振っていた。タイミングは合っていた。

 ならば。

 

 送るサインはスライダー。低めに、ボールゾーンへ。

 ストライクになっても良い、くらいの気持ちで。

 木川は頷き、投球する。

 

 く、とバットが動くも、止まった。

 

「ストライク!!」

 

 上手くタイミングをずらせたか。

 フォークで処理しようとすると安直すぎるが、ここは三球勝負。

 飛ばされなければいい。ストレートを低めに要求する。

 

 頷いた木川が投球モーションに入り、ボールを放ろうとした、その時だった。

 

 権田の目の前に、バットが寝かされた。

 

「なに!?」

 

 こん、と軽い音を立ててサード方面にボールが転がる。

 誰一人警戒していなかった。慌てて権田が取りに行き、ファーストに向かって放るも、既に深紅は駆け抜けた後。

 

 塁審のセーフコールに、権田は額にミットを当てて空を仰いだ。

 

「何でもありかよ、あの野郎」

 

 ツーアウトのこの状況だからこそのプレイだろう。

 完全にセーフティバントの可能性を刻まれた。

 権田はともかく、木川にとってはこれ以降"セーフティもある"という新たな脅威が生まれてしまった。本当に、本当に小波深紅というプレイヤーの万能振りには呆れてしまう。

 

「どこのイチローだお前は」

 

 動揺している木川の元に駆け寄り、バッター勝負することを伝える。

 ホームに返さなければいい。

 あからさまに大きくリードを取っている深紅を、権田はひとまず無視することにした。盗塁上等、その間に打者からアウトを貰う。

 

 二番のピエロが打席に入る。

 要求はスライダー低め。だが、気持ちどこでもいいくらいに軽く投げさせる。

 

「ストライク!」

 

 びしっと低めに決まってきた。コントロールは鈍っていないらしいが、若干球速が落ちてきたことを確認する。次はストレート。外角。

 

「ストライク!」

 

 困ったように目を閉じるピエロを見て、いい具合にタイミングを外せていることを確認し、フォークを要求した。

 

「ヴヒャッハーイ!」

「ストライク!! バッターアウト! チェンジ!!」

 

 三振に切って取ったことに内心で安堵しつつ木川を見れば、彼も同じのようで。お疲れさんと一言入れると、照れ臭そうに頭を下げた。

 

 

 その裏。

 残塁した深紅が、ネクストに居た寺門のレガース装着を手伝っていると、彼の手が真っ赤に腫れていることに気が付いた。

 

「おい、その手……」

「大丈夫だよ兄貴。権田のヤツに負けられねえからな」

「そうは言っても」

「……勝つんだろ?」

「……ああ、わかった」

 

 重々しく深紅が頷くのと、寺門が笑みを見せるのはほぼ同時。

 二人してマウンドとキャッチャーボックスに向かうと、勝負の相手は四番権田。

 

 寺門はミットをどっしりと構えているが、ここで深紅は思考した。

 ストレートをきわどいところに放るのは流石に寺門への負担が大きい。

 なら、一球目は――フォーク。

 スプリット気味に微小な変化をする自身のフォークで打たせて取る。

 

 だが、それは。

 

「――さっきの寺門の表情。二人で出てきたグラウンド。それだけあれば、小波が少し気を遣ってストレートを捨てることくらい想像がつく」

 

「小波の球種なら、気持ち下を振れば変化球には当たるんだ」

 

「フォークとはまた随分――俺を打たせて取ろうなんて舐めたことをしてくれた!」

 

 快音。

 

 夕焼け空に吸い込まれていった打球は、ほどなくして鈍い音を立ててスタンドで跳ねた。

 

 ダイヤモンドを回る権田は、小波と目を合わせて言い放つ。

 

「本気でこいよ、小波」

「初回の当てつけか?」

「まさか。御礼と言って欲しいぜ」

 

 ベンチへ戻る権田を見て、深紅は少し帽子を整えた。

 この回を抑えれば、電視に継投するのも悪くない。

 五番増田は高めのストレートに手を出してセカンドゴロ。しかし、六番高野がぼてぼてのサードゴロを内野安打に変えてしまった。

 

 そしてゲッツ―を取るつもりで釣ったシュートを栗原が器用に受けてライト前。

 権田がベンチでガッツポーズしていたところを見るに、変化球狙いで完全にやられてしまったのだろう。

 寺門が駆けよってきて、三振勝負で構わないと言ってくれたことに頷くと、八番南野は低めのストレートで三球三振。

 

 そして次の打順は、九番木川。

 

 1、2塁なら内野ゴロにするのが最適解と踏んで、初球に深紅はフォークを低めに叩き込んだ。だが、そこで寺門が後逸してしまう。

 

「……すまん、兄貴ッ! 本当にすまねえ……!!」

「良いって。ノーサインで、お前は本当によくやってくれてる」

 

 しかしこれで2,3塁。一応木川はスイング判定で1ストライク。

 マウンドの土を固めて、正対する。

 木川は深紅を睨むように見据えており、自身が投手であろうとこのチャンスをものにするという気概が感じられた。

 

「……三振、取りに行くか」

 

 直前にフォーク。決め球をストレートにするなら、ここはスライダーを。

 振りかぶって、リリースする瞬間に気づいた。スライダーの引っかけが上手くはまっていない。

 

「しまっ――」

 

「う、おおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 棒球と化した中心付近への、まごうことなき失投。

 それを見逃すほど、木川の集中は散らされていなかった。

 振り抜く。所詮は下位打線の打球とはいえ、見事にライト前へと飛んでいくその球。2アウトということもあって走り出していた2、3塁のランナーが帰還する中、木川自身も一塁の上で吼えた。

 

「見たか!! これが僕たちの実力ッ……」

「セーフ」

「ん?」

 

 既に一塁をふんで少し時間が経っているというのに、何故今更セーフコールがかかるのか。気付けば、カニがちょうどボールを捕球したところだった。投げた元は――ライト。

 

「……ごめん、おじちゃん。まにあわなかった」

「どんまい。しょうがないさ。頑張っていこう」

「……うん! オイラ、頑張る! 絶対、おじちゃんたちを追い出させたりしないよ!」

 

 それだけ言って、カンタはライトの定位置まで戻っていった。

 ぼうっとその背中を見送っていた木川は、小さく呟く。

 

「……なんで、商店街のヤツでもないのに応援できるんだ?」

「木川さん。好きな球団ありますカニ?」

「え? んー、強いて言うならホッパーズだけど。なんだよ、敵に話しかけるなよ」

「ホッパーズに今年から移籍してきた他の球団の選手、嫌いカニ?」

「………………いっしょ、なの? それと、これは」

「少なくとも、応援してくれてる商店街や、ファンの人たちはそうだと思ってるカニよ。それを、町内会とか、木川さんたちが違うと思っていたことが、寂しいカニ」

「っ、それはお前らが!」

 

「ストライクアウト!! チェンジ!!」

 

 コールがかかって、守備が引き上げていく中。

 カニは、名残惜しそうに一度木川を振り返った。

 

 

 

新101220 

古210103

 

 

 

 七回の表。先頭打者の寺門は、レガースをがっさがっさ外すと意気揚々とバットを握ってやってきた。痛みもある。六裏の三点の責任もある。けれど、だからこそ先頭打者としての仕事を果たそう。

 そう心に決めた寺門は強かった。

 何か悩んでいそうな木川から投じられたのは、高めのストレート。

 あまりの絶好球に、寺門は半ば反射で手を出した。

 

 三遊間を突き抜ける痛烈な当たりは、1バウンドしてレフトが捕球。

 綺麗にヒットで飛び出した。ベンチに手を振れば、深紅もしみじみと頷いていた。

 

 続く四番のムシャも、低めに投じられたスライダーを掬い上げるような大きい打球。ライトの頭を超えるヒットに、寺門は一気に三塁へ。流石にバックホームとは行かなかったが、それでもノーアウト2,3塁のチャンスだ。

 

 そして、五番のカニ。

 

 木川を励まして戻ってきた権田は、しょぼくれた表情をしているカニにたった一言告げた。

 

「野球しようぜ」

「権田さん。これからも、みんなで楽しく野球がしたいカニ」

「勝ったら考えてやる」

「っ」

 

 ぐ、とグリップを握りしめたカニを見上げて、権田は少し笑った。

 勝つと言っておきながら、何を相手に発破かけているのだか。

 

 けれど、それもまた一つ楽しくなっている自分が居る。

 全力の相手と勝負できるのも、また野球の楽しさだ。

 

 サインのコールは低めのストレート。振りかぶった木川が、見事なコースに放った瞬間だった。

 

「もっと――」

 

「もっと権田さんたちと野球がしたい!!」

 

 痛烈な当たりはセンターの頭を超える長打。

 大きな声援と共にカニは二塁へ。

 

 寺門とムシャが帰還したところでマウンドに駆け寄ると、木川はどこか吹っ切れたような表情をして立っていた。

 

「……ごめん、権田さん」

「謝るな。今の球は決して」

「気持ちで負けたんです。こいつに打たれても良いかなって。……でも、もう大丈夫です。楽しんで、いきます」

「そうか」

 

 その後、六番青島をゲッツーに、そして菊池を三振に取る見事なピッチングで木川はこの回を終えた。

 

 

 

「頼む、兄貴!!」

「だが、お前のその手じゃもう」

「あと一回で良い。あと一回でいいんだ!」

 

 懇願する寺門の手は既にボロボロだ。拳法家にあるまじきその痛々しい手を見せられて、頷けるほど深紅は無感情に勝利を目指すことは出来なかった。

 

「あと10球。頼むよ。オレは、権田たちを甘く見ていた。けれど、それを認めるにしたって、こんな情けない姿は見せられねえ。だから頼む」

「……10球。だけだ」

「ああ、必ずだ!」

 

 それは、深紅にとっても全球ストライク宣言に他ならなかった。

 

「――少し、聞いておけ。この回は……」

 

 マウンドに上がると、打順は二番の河野から。

 そこで深紅は、帽子に手をやった。

 

 寺門のミットが、少し低めに降ろされる。

 

「ストライク!! スイング!」

 

 フォークボールがベース上にバウンドしたのを、しかし冷静に寺門は処理した。

 

「っ……」

「どうしました、権田さん」

「いや……」

 

 ベンチの方で権田が小さく顎に手を当てた。

 

 深紅は続けて、土を二度踏む。

 寺門の表情が引き締まった。

 

「ストライク!!」

 

 ストレートがインハイに突き刺さる。

 

「ナイスボール!」

 

 返球を受けた深紅が軽く受け取り、ロージンバックを軽く撫でたあと、もう一度土を二度踏んだ。

 

「ストライク!! バッターアウト!!」

 

 三球三振。

 河野が戻ってくると同時に、権田はネクストへ出て行く。

 

「……権田さん、どうしたんですか」

「最初のフォークの前、小波は何かしていたか?」

「さあ……いや、特別なことは。あ、帽子を触っていた気はしましたが」

「……よし。ありがとう」

 

「ストライク!!」

 

 マウンド上の深紅は、三番並木に対してもすさまじい球威のストレートで翻弄していた。高めに浮いたかと思ったそれはしかし、それでも下を振ってしまうほどのノビを見せつける。

 

 続いて深紅は軽くロージンに触れ、そのまま投球モーションに入った。

 

「ストライク!!」

「……あれは、スライダーか」

 

 なるほど、と権田は頷く。

 

 最後に土を二度踏んで、深紅は低めに剛速球を投げ込んだ。

 

「ストライク! バッターアウト!!」

 

 戻ってくる並木の肩を叩きつつ、権田は一度目を閉じる。

 

「なるほどな。初球にフォークさえ投げてなきゃ、一回は持ったかもしれねえぜ」

 

「四番、キャッチャー――権田」

 

 深紅は軽く息を吐くと、土を二度踏んだ。

 そして、勢いよく放たれる――

 

 ばきゃ、と鈍い音がして木製バットが折れた。

 

「なに?」

「ファール!!」

 

 バットを変えて貰いながら、権田は少し考える。

 タイミングは完璧だった。だというのに、折れたのは何故だ。シュートしていたのか?

 

 ――一球、待つか。

 

 深紅はそのまま、帽子に触れた。

 そして投球。

 

「ストライク、ツー!!」

「……フォーク」

 

 "何か読み違えたか"?

 

 そんな思いが脳裏をよぎるが、そこでしかし権田は気づいた。

 

「ふう」

 

 深紅は軽く息を吐いて、帽子を弄る。

 

 ――前二人の時にはしていなかった、一呼吸。

 それもサインなのか? だとすれば、先ほどは土を踏んでからシュート。

 ストレートをシュートに変更するサインだとすれば、今回は帽子を触ったという時点でフォークはない。スライダーかストレート。

 

 ……相当、俺を警戒してくれているのだとしたら。前二人へのあからさまな投手サインも、俺に読み違えさせるための細工だとしたら。

 そして、寺門が既に投手サインを使わなければならないほど捕球に困っているのだとしたら。

 

 そう、一瞬で権田は推理を重ねる。

 

 

 投げるのは、自分の最も自信のある球のはずだ!!

 

 凄まじい快音と共に、ストレートがはじき返された。

 それは投手めがけての直撃コースとなり――

 

「アウト!!」

 

 グラブで掴み取るように腕を振るった深紅によって捕球される。

 

 権田はその結果を受け止めて小さく笑うと、寺門に小さく呟いた。

 

「今度、投球の組み立てとキャッチャーのいろはを教えてやる」

「え?」

「あと、捕球の時はもっとミットの角度を地面と垂直にすることだ。手首を柔らかくすりゃ、痛みは少なくなるだろうよ」

 

 

 それだけ言って、バットを担いで戻っていく。

 

 その背中に、深紅は笑って呟いた。

 

「なんで一回で全部読み切るんだあの野郎」

 

 

新1012202

古2101030

 




終わると思った? 終わらなかったよ……。二万字以上試合やってる……。
准ルートのおまけに過ぎないくせに、なんか深紅VS権田みたいになってる……。
次回、旅ガラスのうたV――終は書きあがり次第。たぶん明日。遅くても明後日。そろそろまた原稿が来そうなので、それまでに次の章も終わらせたいなあ。


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《旅ガラスのうた》V――終

 

 神田カンタという少年にとって、野球というスポーツは最も身近な"勝負事"であった。父親はビクトリーズのキャプテン、母親はソフトボールの花形。父親こそすぐに他界したものの、ブギウギビクトリーズは常に彼の隣にあった。

 

 父亡き後も中心になっていた捕手の権田正男と母親の距離が近くなったのもその大きな要因と言えるし、河原にふらりとやってきた男が野球がちょっと上手なおじちゃんであったことも一つのファクターだ。

 

 もっと野球を感じたくて、カンタはいつしか権田正男から野球を教えて貰うようになっていた。

 

 四番でエースが将来の夢、などと言ってみてはいたものの、所詮は野球をよく知らないままに吐いた子供の妄言だ。少しずつ野球を自分でやってみるうち、自然に自分が一番やりたいもの、一番なりたいものを探し始めることが出来て。

 

 小学校でも野球をやり始め、仲のいい野球友達も増えた。

 ライバルと呼べるような、カンタと同じくらい野球が得意な子もいたせいで、カンタはますますのめりこんだ。

 

 そして、自分のなりたいもの、憧れの欲求、憧憬の在り処を知ったのだ。

 

 

『ナイスボールだ、小波。次も三振で頼む』

『お前がこの裏で一点入れてくれたら少しは気合も入るな』

『なんだとこの野郎。見てろよ』

 

『よっしゃあ、スリーランだ、どうだ見たか』

『よし、リード宜しく。このままノーノ―で押し切ってやる』

『へっ、口だけじゃねえだろうな』

 

『あ、すまん失投した。……大丈夫か?』

『なに、それを受け止めるのも俺の仕事だ。次もこのくらい良い球投げろよ』

『ああ。バットへし折ってやる』

 

 

 ――憧れた。

 どの試合も見に行った。その度に学校や宿題をほっぽり出して駆けつけた。

 あの二人が勝つのを見る毎に胸のうちが焦がされるような思いが身体の中を奔り抜ける。

 自分も戦いたい。自分も、野球で凄いことがしたい。

 

 そして、見るうちに二人の選手への憧れが、別種のものであることに気が付いたのだ。

 

 おじちゃんと野球がしてみたい。

 

 おっちゃんみたいになりたい。

 

 ああそうか。

 神田カンタという少年は、エースでも四番でもなく。チームの要に、エースの柱になりたいのだとどうしようもなく自覚した。

 

『お、キャッチャーになりたいのか。渋いな』

『ならまず足腰と、体幹だ。鍛えればおのずと強打者にもなれる』

『まだまだ子供だからな、筋トレよりもきちんと慣れを身に着けることだ』

『成長する身体に慣れ続けながら、目や頭脳を野球に慣れさせていく。それこそ、小波の投げたボールがフォークかスライダーかシュートかストレートか、一瞬で分かるようになるくらいに』

 

 権田と一緒に練習した。いっぱい色んなことを教えて貰った。

 全ては小波と一緒に野球がしたいから。

 そうして練習を続けていると、疲れて倒れた時に権田はカンタに問いかけた。

 

『どうだカンタ。野球は楽しいか?』

 

 ぜえはあ息を上げながら。

 それでも笑顔で頷いたのを、覚えている。

 

 

 

 

 

 八回の表。先頭は八番、サード神田。

 見惚れるほどしっかりした下半身と、最も効率よく力を使える理想的なスイングで快音が鳴り響く。一塁に辿り着いた彼女は、鼻で笑いながら木川に吼えた。

 

「今のあんたじゃ、全然力がこもってないよ!」

「うるさいなあ! ……僕たちは間違ってないはずなのに……くそっ」

「本当に間違ってないのかい?」

「っ……だって、ここは僕たちの商店街で」

「あたしのチームのみんなも、商店街の仲間だ。これはブギウギ商店街の草野球チーム、ビクトリーズの紅白戦だよ」

「うるさい!! そんなこと、"もう分かってるんだよ"!!」

 

 くそ、と木川は目線を切って、バッターに正対する。

 九番ライト、神田カンタ。

 まっすぐにこちらを見据え、バットを構える彼に、木川は目を閉じた。

 

 木川の息は既に荒い。この数か月、がむしゃらにスタミナは着けてきた。完投させてもらえなかった悔しさをバネに、これまで以上に練習を重ねてきた。特訓に特訓を積み上げて得た、九回を投げ切るスタイル。権田と一緒に考えた打たせて取る戦法。

 

 その全てをぶつけてなお刻まれた失点9。

 どれほど助っ人が強いのかを木川に突き付ける大きすぎる数字。

 

 ああ、強いなあ。本当に。

 

 勝ったらどうとか、負けたらどうとか、全てを忘れて木川は腕を振り上げる。

 

 負けたくないなあ……!!

 

「ストライク!!」

「……いい球だ。疲れてるかと思ったが」

「九回投げ切るって言ったでしょ、権田さん」

 

 返球を受け取りながら、帽子を取って汗をぬぐう。

 

 負けたくない。負けたくない。その意志だけで、今は十分だ。

 

 だからとりあえずカンタをアウトにして――

 

 

 その一瞬の気のゆるみが、小学生と侮ってしまったことが、大きすぎる代償を生んだ。

 

 

「……権田のおっちゃん。おいら、権田のおっちゃんとおじちゃんが仲良しなの知ってるでやんす。いつもいつも試合を見ていたでやんす。おいら、おっちゃんみたいになりたい。おじちゃんと一緒に野球がしたい。だから」

 

 

「ここでおじちゃんに居なくなられたら、困るんだ!!」

 

 

 前進守備の外野が楽に取れるフライ。これがカンタの限界だと、権田は考えていた。

 週に四日は一緒に野球の練習をする仲だ。権田も優秀な捕手である以上、カンタのスペックはしっかり図り切っていた。

 

 そのはずだ。

 けれど、今にして思えば権田も甘くみていたのかもしれない。

 

 子供の成長と。そして、どれだけ権田と小波のバッテリーを、彼が大好きだったのかを。どれだけ野球を愛していたのかを。

 

「ライト!!」

 

 マスクを外して叫ぶも、ライトの頭を超えるヒットとなる。球の勢いこそないが、十分二塁に回れるくらいの長打にはなった。

 前進守備を取っていなければ、せいぜいがただのライトフライだったであろう打球。

 

「ホームバック!!」

 

 ライトの捕球に合わせ、ライトから直接ボールが飛んでくる。

 ワンバウンドでキャッチするも、既に奈津姫はホームベースを踏んでいた。

 

「自慢の息子だよ」

「……カンタのヤツ、無理しやがって」

 

 すれ違いざまに交わす言葉。

 けれど、そこにコールがかかった。

 

「サード!!」

「なに?」

 

 見れば二塁を蹴ったらしきカンタがとてとて走っている。

 小さく笑って、権田は本気でサードに球を放った。

 

「アウト!!」

「流石にそれは舐めすぎだ、カンタ」

「あの当たりなら、おじちゃんは三塁打にしてたでやんす」

「それはお前が成長したら、な」

 

 ああ、本当に。子供の成長は早い。

 

 

 

 

 

《旅ガラスのうた》V――ブギウギビクトリーズ―

 

 

 

 

 

 

 

 木川は少し凹んでいた様子だが、気を取り直したように頬を叩くと権田に向かって頭を下げた。集中が切れていたことを含めて、次から切っていこうと。

 僥倖の1アウトを含め、後二人。

 

 

 ……後二人で終わればの話だが。

 

 

「一番、ピッチャー――小波」

 

 

 木製バットを握ってゆっくりと左打席に入ってきたこの男を、止めることが出来なければ勝利は訪れない。そう最初からずっと分かっていたはずなのに、結局ただ一度すらアウトカウントを稼げていない。

 

 自然、木川の表情が引き締まった。

 

 小波には前回、低めのストレートをセーフティバントされている。

 その前はインローのスライダーを二塁打。

 第二打席は高めのボール球をエンドランで三塁打。

 第一打席は外角のシュートをホームラン。

 

 改めてスコアを思い出して、権田は一人呆れた。なんだこいつは。

 ちらりと見上げて、思わず問いかける。

 

「面倒だから立ってもいいか」

「……それも一つの勝利への選択だ」

「じゃあ寂しそうな顔すんじゃねえよ」

 

 悪態交じりに、木川へサインを送る。

 長打を警戒して低めは徹底。最悪シングルヒットでも良い。

 だがフォークは少し危ない。そろそろスタミナも不味いし、すっぽ抜けでもしたらコトだ。ということで、スライダーだ。

 

「ストライク!!」

 

 ぴくりとバットが動いた。

 そして権田も捕球して少し顔をしかめる。

 球が少し浮いてきてしまっていることに気が付いた権田は、シュートを要求した。

 ボールになってもいい。

 

 木川は頷くと、一呼吸おいて振りかぶった。

 低めギリギリ、完璧なアウトロー。

 

「よっと」

「もうやだ」

 

 快音。身体を柔軟に使い、バットの遠心力を上手く使って流し打ち。

 サードの頭を超えるレフト前ヒットにして、深紅は悠々と一塁へ。

 何故ボール球ぎりぎりのシュートを、何故あんなに簡単にレフト前に運べるのか。

 

「バッター勝負バッター勝負!!」

 

 木川は軽く頷いて、権田の方を向いた。

 権田は少し舌打ちする。これだけ調子が良い木川のペースをとことんまで突き崩してくれる深紅の存在に。しかし集中を切らしてはいけない。

 

 二番のピエロに対して、ストレートを要求した。

 

「ヴヒャッハーイ!!」

 

 鈍い音と共に打球が詰まる。ゲッツーコース。――のはずだったが、深紅は既に走っていた。

 

「セーフ!!」

「ファースト!!」

「アウト!!」

 

 643の送球。二塁がセーフになってしまった以外は理想的な守備だった。

 

「よし、2アウト2アウト!!」

 

 権田は声を上げる。

 しかし、木川の表情は少し強張っていた。

 その理由など分かり切っている。深紅が得点圏に居るからだ。

 足の速いランナーが一塁に居る時と二塁に居る時では、投手の負担はまるで違う。

 

 そのせいか。

 

「ボール、フォア!」

 

 1ストライクを取るも、制球が乱れて寺門を一塁に歩かせてしまう。

 そして、続くムシャに事件は起こった。

 

「デッドボール!!」

「ムシャ、大丈夫か!?」

 

 手首に直撃したストレートに、ムシャはしかし気丈に手を振ると一塁に歩いていく。

 

 二死満塁の状況が出来上がった。

 

「大丈夫か、木川」

「……権田さん。ああ、心配しないでください」

 

 ムシャに頭を下げた木川は、しかし返ってそこまで深刻そうな表情ではなかった。

 

「……デッドボールしてしまった時に、素直に申し訳ないと思えたから、大丈夫です」

「……そうか」

 

 そう小さく笑った木川は、続くカニを三球三振に切って取った。

 

 

 

 その裏。

 

 ムシャは大事を取って下がることになり、継投ついでに電視と交代。結果としてオーダーは大きく変わった。

 

 

1小波  中

2ピエロ 二

3寺門  捕

4電視  投

5カニ  一

6青島  遊

7菊池  左

8奈津姫 三

9カンタ 右

 

 

「よし電視、頼むぜ!」

「僕のプログラムに間違いはない!!」

 

 軽くウォーミングアップを終えた電視が、寺門をめがけて投球する。

 速球本格派の深紅から打って変わっての技巧派の登場に、下位打線は何も出来ずに凡退した。

 

 

 

新10122021

古21010300

 

 

 

 九回の表。

 先頭打者の青島がヒットで出ると、今日不調の菊池は送りバントを丁寧に成功させた。そして奈津姫がセンター前に綺麗にヒットを打つと、次のカンタは綺麗に三振に切って取られる。

 

 二死、一、三塁。

 

 ここで流石に不味いと思った権田は立ち上がろうとして――木川が首を振った。

 満塁策を取るよりも、深紅と戦うことを選んだ。

 

「……小波キャプテン。あんたは僕が欲しいものを全部持っていた。エースも、商店街のヒーローも、権田さんとのバッテリーも、打者としての凄さも。……僕は、それが妬ましくて仕方がなかった」

「……」

「でもさ。あんたらみんな商店街のことしか考えてなくて、だからみんながあんたを助けるんだってさ。……背中を見つめるだけの僕が、越えられるはずもなかった」

 

 けれど。

 

「それでも、僕だって野球が好きだから。逃げたくない。特にあんたからだけは、どんなにボコボコにされても逃げたくない」

 

「……そうか。よし、来い」

 

 バットを構えた深紅に頷き、サインを送る権田に頷いた。

 

「ストライク!!」

 

 低めに決まるストレートの球威は、当然初回の比でもなく弱い。

 けれどそれでも深紅は打つのを躊躇った。いや、手が出なかった。

 インローの打ちにくいところだったというのもあるが、それ以上にぴたりとコースギリギリ。打ってもろくなことにならないと直感が告げたのかもしれない。

 

 二球目のスライダーはストライクゾーンギリギリのきわどいところに決まった。

 高めに浮いてしまったが、それでも深紅は手を出さなかった。

 

 ツーストライク。一瞬で追い込まれた深紅。

 

 テンポよく、権田はサインを送り込む。

 今の木川なら、すっぽ抜けることはない。

 

 緩い球が放られた瞬間、深紅は手を出した。

 しかし、

 

「フォークッ……!!」

 

 ホームベースにワンバウンドするほど、今日一番のキレあるフォーク。

 完全に木川が勝った。

 

 と、思った。

 

「うそっ」

 

 鈍い音を立てて、ワンバウンドの球を深紅は振り抜いた。

 

 打球はサードの横を通り抜け――

 

「アウト!」

 

 ――なかった。並木のダイビングプレー。

 やっちまったとばかりに深紅はバットを降ろすと、ベンチに戻っていく。

 

 木川は一瞬何が起こったのか分からず――しかし何とか打ち取れたことを知り。

 

「……はあ」

 

 膝から崩れ落ちたのだった。

 

 

 

 

 

 その裏。

 二点差を追う古参組最後の攻撃。

 

「九番、ピッチャー、木川」

 

 最後の戦いに木川が立つ。

 

 だが、この時点で木川はスタミナも底をつき、九回を投げ切ったことで満身創痍だった。

 

「……僕が打って逆転しないといけないのに」

「そんなことじゃ、これから先もエースなんか張れねえぞ?」

「……寺門」

 

 キャッチャーマスクを被った寺門が声をかける。

 力ない瞳で、けれど木川は寺門を睨み返した。

 

「僕は、お前が大嫌いだ。追い出してやりたい」

「ならへろへろになってる場合じゃねえだろ。あれだけ無様に点数取られておいて」

「うるさいな。……なんで早く投げさせない?」

「体力がないからダメでしたーなんて言わせたくねえからに決まってんだろうが」

「……寺門」

「なんだよ」

「僕たちが勝ったら、お前が雑用やれよ」

「……へっ。やれるもんならやってみな」

 

 ぐ、とバットを握った木川が電視を睨み据える。

 独特のアンダースローに対し、木川はグリップを絞って――

 

「小波キャプテンほどじゃないな!!」

 

 痛烈なセンター前ヒット。

 深紅が捕球して軽く返球する頃には木川は一塁に立っていた。

 

 

 しかし電視は動じない。坂本、河野を討ち取って2アウト。

 

「……僕は電脳世界の神になる!!」

 

 が。ここで三番並木が意地のヒットを見せ、二死1、3塁。

 

 奇しくも先ほど深紅を相手に木川がしたのと同じ状況で――

 

「四番、キャッチャー――権田」

 

 一打さよならのチャンスで、権田正男。

 この危機をぼんやり後ろから見守っていた深紅に、ふと声がかかった。

 

「おじちゃーん!!」

「……どうした?」

 

 

 

「約束を果たさせて欲しいでやんす」

 

 

 

 

 

「守りますブギウギビクトリーズ、守備位置の交代をお知らせいたします。センターの小波がピッチャー。ピッチャーの電視がライト――」

 

 バッターボックスに立っていた権田は、深紅がマウンドに登ってきたことに関しては歓迎した。最後の勝負を深紅とやれるのであれば、それは願ってもないこと。

 

 だが、その後がおかしかった。

 

「ライトの神田カンタがキャッチャー。キャッチャーの寺門がセンター。以上に代わります」

「なんだって!?」

 

 がっさがっさとレガースの音をさせて走ってきたのは、まだ権田の胸ほどもない身長の子供。いくら120キロの電視の球を受けられるとはいえ、深紅の155キロは大人でも厳しいもの。とてもではないがカンタに受けられるものではない。

 

 思わずマウンドの深紅を見れば、当たり前のような顔をして土を固めていた。 

 

「おい、カンタ……」

「ねえおっちゃん」

 

 ホームベースの土を払いながら、カンタは口を開く。

 

「オイラ、おっちゃんとおじちゃんのバッテリーが大好きだよ」

「……それとこれとは」

「だから、まだまだ見ていたいでやんす。オイラが、おっちゃんにとどめを刺して勝つでやんす」

 

 今の権田は敵チームだ。母親の奈津姫が何も言わずにサードの守備についている以上、とやかく言うつもりはない。

 

 マウンド上の深紅も、変わった様子はなく準備をしている。

 

 ……なら、小波を信じよう。と権田は思った。

 いくら何でも、カンタが怪我をするような事態にはならないはずだ。

 

 そう思い、バッターボックスに立つ。

 

 泣いても笑っても最後の打席。

 自分が打たねば負ける。

 

 そう分かっているからこそ、権田も真剣だった。

 

 プレイ、の声が妙に耳に響く中……深紅が頷いた。

 

 カンタが何かしらのサインを送ったようだ。

 ワインドアップから放たれるは――

 

 

 

 ど真ん中への、150キロを超える剛速球だった。

 

 

 

 

「う、そだろ!?」

 

 思わず力づくで振り抜く。

 痛烈な打球音はサードへのライナーコース。

 

 

 それは、危なげなく捕球した奈津姫によって一瞬でアウトになった。

 走る間もなく打席で呆けると、奈津姫が小さく笑う。

 

 ああ、やられた。

 

 反射で振ってしまったことも全部カンタの読み通りだとしたら。

 

 

 

「ゲーム、セット!!」

 

 

 

 まったく、末恐ろしい"息子"だよ。

 

 

 

新101220210 

古210103000

 

 

 

 

 試合が、終わった。

 

 




次回からShe Iなのですが、意外と早くまた原稿が来てしまったので、また一冊書いてから戻ってきます。
4/20くらいに戻ってきて、本編を月末までに終わらせたい。
なにとぞー。


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《旅ガラスのうた》VI

 やりすぎた(意味深)。だが後悔はない。



 

 

 ――ジャジメントスーパー、支店長室。

 

「くっくっく、今週は、二軒も店をたたませてやったぞ。その土地はすでに買収させてもらった」

 

 ジャジメントスーパー支店長太田洋将は、いつものようにデスクにふんぞり返り、手元の書類を放り投げて笑っていた。

 そろそろ計画も大詰め。年内に商店街をどうにかせねばとは考えているが、その道筋はおおむね順調と言えた。

 そうともなれば、高笑いの一つもしようというものだ。

 

 そんな彼の笑い声をバックグラウンドに、応接用のソファでだらける男も一人。

 

 勝手に給湯室で淹れてきたコーヒーを飲みながら、思いついたように声を上げた。

 

「ところで、支店長。会長の狙ってるお宝なんだが、ちょいと情報を集めてみた」

「ほう、それは聞きたいな」

 

 両腕をソファの背に乗せながら、講釈を垂れるように彼は続ける。

 

「前の戦争中、米軍の爆撃機が遠前町に墜落したそうだ。大都市の上空で被弾して、この街まで逃げてきたらしい」

「ふむ、それで?」

「墜落による火災で商店街は全焼した。パイロットは脱出したが、捕虜になって終戦を迎えてる。そしてそのパイロットは、五年前に病院で亡くなった」

 

 そこまで言って、椿はコーヒーを飲みほした。

 一息ついて余裕の表情。さあ続きを催促したらどうだ、とばかりの彼の振舞いに、額に青筋を浮かべながら太田は急かす。

 

「もったいぶるな。そのパイロットがどうしたんだ」

「それがな」

 

 椿はまるで敏腕コンサルタントか弁論家か何かのように言葉を溜め、そして告げた。

 

「ゴルトマン会長のいとこなんだよ」

「なに!? 五年前か……たしかに、その頃から会長はブギウギ商店街に興味を示していた。私が、この土地の調査を命じられたのも四年前なんだ。じゃ、爆撃機に何か積んでいたのか?」

「さてな。パイロットの個人的なお宝かもしれん」

 

 組み上がるピースに、思わず目を緩ませる男二人。グフフ、いやらしいですなお前ら。

 

「どうだい、楽しくなってきただろう」

「くくく……そのお宝を手に入れるためだけに、会長は何百億という金を使ってるんだ。つまらない宝のはずがない! そしてそれを会長が手に入れれば、尽力した私の未来も明るい!よーし、商店街は必ず潰す!」

 

 愉快そうに腕をまくり、なにかしらの書類に取り掛かった太田を置いて椿は立ち上がった。

 これ以上居ても楽しい話にはならないだろう。

 だが、とふと思う。

 

 これだけなら滑稽な男で済むかもしれないが、一応このままでは不憫だ。

 聞こえるかどうかは別にして、忠告の一つはしておいてやるかと椿は考えて、

 

「……ま、本当にすごい宝だったら口封じで殺されないように注意した方がいいと思うがな」

 

 それだけ言って支店長室をあとにした。

 

 彼の耳に届いたかどうかは重要なことではない。

 自分が思ったことを、忠告という形で告げておいた。それが、椿にとってのせめてもの良心というやつだった。

 

 または、正義の残り香ともいうかもしれないが。

 

 スーパーを出たところで椿は懐から携帯電話を取り出すと、ワンプッシュでとある人物をコールする。少し経ったところで相手が出たことを確認した彼は、軽い調子で口を開いた。

 

「ああオレだ。聞いた件の確認取ったら、ジャジメントのゴルトマン会長はこの件に何百億と使ってやがってな。遠前町でこんなことしてるのもそれが原因らしい」

 

 一歩を踏み出し、珍しく屈託のなさそうな笑みを浮かべて語るように言葉を続ける。

 

「……なに? ぶははははマジかよ! そいつぁお笑いだ! じゃあ、もうそろそろこの町に居る理由もなくなるな。……あ? 深紅? ああ、潰すぜ」

 

 まるでただ喫茶店か何かで語らうかのように、世間話よろしくこの町での大ごとを話題にしながら。

 

「……ん? 何を勘違いしてんだ。オレがあいつを潰すのは、野球で、だよ。野球。ベースボール。……デッドボールじゃねえよ。それじゃオレがあいつに潰されちゃうだろ。……ま、そんなとこだ。最後まで楽しく、この町で遊ばせてもらおうじゃねえの。愉快になってきたぜ、まったく」

 

 通話を切って、空を見上げた。

 

「ああ、今日は眩しいったらありゃしねえや」

 

 気持ちの良い晴天が、彼を照らしていた。

 

 

 

 

 

《旅ガラスのうた》VI――いつか帰る場所――

 

 

 

 

 

新101220210 9

古210103000 7

 

 

 新参、或いは助っ人と呼ばれた彼らと、古参の商店街メンバーとの試合は幕を下ろした。結果として、助っ人側の勝利という形でだ。

 

「……く、そ。ちくしょう……負けた」

 

 木川が崩れ落ち、他のナインも悔し気に曇天を仰いだ。

 ただ一人権田だけが、空に小さく気炎を吐いて前を向く。

 

「……負けたぜ。だが、良い試合だった」

 

 手を差し伸べる権田の立ち位置は、今居るブギウギビクトリーズのメンバーの中心だ。彼が手を差し出したことの意味を理解できない者などいない。

 

 深紅はただ一度権田の顔を見る。

 そして、互いに小さく笑って、手を取った。  

 

「こちらこそ。楽しかったよ」

「……これで、また元通りだ。お前らを悪く言って、すまなかった」

 

 握手を終えた権田が深々と頭を下げる。

 そんな彼にどよめく古参のメンバーと、そして驚いたように助っ人たちも目を丸くする。

 それはそうだ。あれほどいがみ合い、戦った相手に対して完敗を告げたのだ。

 自分たちの今後、助っ人たちのこれから。ある種それを決定付けかねないその行為。

 

 しかしそんな彼を、そのままにしておくはずもなく。

 

「元通りではないさ」

 

 顔を上げてくれ。と深紅は権田の肩を叩き、そして周囲に目をやる。

 

「実力は見事だった。俺たちの見えないところで、しっかり練習していたんだな。みんなの努力は、これからのジャジメントとの闘いで役に立つ」

 

 まるで演説だった。

 権田から注目を奪うように深紅は続ける。

 

「俺たちは助っ人だ。いずれこの街を去る。だから、安心したよ」

 

 そして、だからこそやっぱり。

 

「キャプテンはお前がやってくれ、権田」

「な、いやそれじゃ示しがつかねえよ。こっちは勝負に負けたんだ。キャプテンはあんただよ。俺たちはこれから、あんたの言うことに従う」

 

 深紅は目を瞬かせ、何故かきょとんとして。

 

「え、えーっと。お、お互いの健闘を称えるとしよう」

 

 と権田の背に手を回すと、小声でどついた。

 

「おい、話が違うぞ」

「いいからやれよ、キャプテン。今年の最後まで」

「…………おのれ謀ったな」

 

 呆れたように権田から離れ、周囲に向かって深紅は言う。

 

「よし、じゃあ今から再び俺たちは仲間だ。共に商店街のために戦おう」

 

 おー!! と声を合わせる助っ人と古参組。

 

 そんな中、未だ立ち上がれないでいる木川のところへ向かう影があった。

 

「おい、立てよへっぽこ」

「……寺門」

 

 差し伸べられた手を払い、木川は鬱陶しそうに立ち上がる。

 するとしかし寺門は小さく笑って言った。

 

「なんだよ、立てるじゃねえか」

「当たり前だろ。ちょっと疲れてただけだ」

「その調子で頼むぜ。お前のこと、弱いと思ってたじゃねえか」

「……それは、どういう」

「今後はオレの打撃練習に付き合えよ。……三振に出来るもんならしてみやがれ」

「なんだそれ。……素直に僕の投球練習に付き合うって言えよ」

「違うね!! オレの打撃練習だ!」

「僕の投球練習だ!」

 

 ぎゃーすかぎゃーすか。

 

 寺門と木川が揉めているのはいつものことだが、その光景にはしかし今までに無かったお互いへの敬意のようなものが少しだけ見て取れた。

 

 そんな彼らを眺めながら、権田は隣の深紅に小さくこぼす。

 

「……つき合わせて悪かったな」

「協力するって言っただろ。俺の方こそ、ありがとう」

「何がだ?」

「俺たちを追い出そうとしないでくれて」

「……バカが」

 

 深紅の発言を鼻で笑った権田は、そのままバットを担いでグラウンドを後にする。 

 疲れた、とでも言いたげな背中を苦笑いしながら見送って、深紅は小さく伸びをした。

 

 ……ああ、終わった。

 

 ビクトリーズはまた一つになれた。

 

 こんなに嬉しいことは、今まであっただろうか。

 

 

「あーもう終わったか?」

「監督!?」

「まったく、俺の知らないところで青臭いことしやがって。明日からは以前通りに練習だ。遅れてくるんじゃねえぞ」

「あの、ひょっとして監督は今まで隠れてたんじゃ……」

「あはは、そうだろうね。みんな毒気を抜かれちゃったね」

「まったく、ひどい監督だ」

 

 ひょっこり顔を出した佐和田監督を、みんなが微笑ましく見守る。

 久方ぶりに感じるグラウンドの温かな熱は、じんわりと心の中に染みわたって。

 

「……そうだ。ひとつ連絡がある」

 

 先ほどまでは呑気に笑っていた会長が、手を叩いて注目を集めた。 

 

「ジャジメントが、年末のクリスマス後に試合を申し込んできたんだ」

「それはまた、寒い時期ですね」

「この試合のために、ドーム球場を借りてくれる」

「ええ!?」

 

 一難去って、また一難。

 しかしながら皆の顔は疲れを感じさせないほど引き締まっていて、会長は満足げに頷くと。満を持して、監督へと向き直る。

 

「ケーブルテレビで配信するほか、観客も集めるらしい。大勢の目の前で恥をかかせるつもりだろう。これに惨敗すれば、ブギウギ商店街が野球で名前を売るのは、ちょっと無理になるかもしれない。断ることもできるけど……監督はどう思われます?」

 

 そんな会長の問いかけに、佐和田監督は面倒臭そうに耳を掻きながら。

 それでも、周囲を見渡して言い放った。

 

「そうですねえ。いまはチームが一つですから、まず勝てますよ」

「監督、信じていいんですね」

「ええ、もちろん」

「それならば、ジャジメントの挑戦は受けよう」

 

 そうして、年末に最後の試合が決まった。

 深紅は小さく帽子の鍔に触れると、そっと目深にかぶり直した。

 

「……?」

 

 深紅のその行為を、武美は不思議そうに見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おかえりなさいませ、ご主人様♡」

 

 いつものようにとてかんとてかんアパートの階段を上って、最奥にある彼女の部屋の扉を開く。いつも通りに准が出迎えてくれていて、しかし何故かメイド口調だった。

 

「なんでメイドなんだ、その恰好で」

「いってらっしゃいませ、ご主人様♡」

「どこにだよ」

 

 片眉を上げて問いかければ、彼女は目を逸らして呟いた。

 

「この町からどこかへ」

「行かねえよ!!」

 

 相変わらずなんて奴だ、と目の前の失礼なメイドもどきを睨んだところで、しかしふと気が付いた。彼女にしては珍しく、というか。一周回って気圧されそうなくらい穏やかで優しい目で俺のことを見ていたから。

 

「……そっか。よかった」

 

 ことここに至って、ようやく彼女が何を言いたいのか気が付いた。

 ああ、俺はバカなのかもしれない。

 あれだけ心配されていたのだ。帰ってきたらまず報告するのが常だろうに。

 

 自嘲に笑みがこぼれる。

 

「准」

「ん?」

「ただいま。勝ったよ」

「……ん」

 

 もう一度「そっか」とだけ言って、准は部屋の奥へと引っ込んでいった。

 

 その背中をぼうっと眺める。

 華奢で、伸びた髪がさらさらと背に流れていて。綺麗だと思った。

 

 ……ああ、なんというか。

 なんだろう、この気持ちは。ほっとした、というのか。安堵には違いない。

 だが、何故。

 

「……深紅さん。いつまでそこで立ってるのよ。そこ貴方の部屋にする?」

「いや、なんかちょっとな」

「はい?」

「……帰って来られて良かったなって思ってさ」

 

 思ったことを素直に口に出来た気がする。

 そうだ。負けたら俺はこの町を出ていたはずだ。それが風来坊の生き方だから。

 けれど、俺は弱くなったのかもしれない。

 

 この場所に帰って来られたことで、こんなにも心が安らいだ。

 

「っ」

 

 そこから准の百面相が面白かった。

 目を丸くして、ついで若干頬を赤くして、それから黒いオーラを纏ってそっぽを向いた。

 

「ばかじゃないの」

「何故罵倒されたんだ」

「貴方が勝手にこの町を出るかどうか賭けしておいて、戻って来れて良かったってなに? そういうプレイ? ちょっと理解できません、ご主人様」

「性癖とかじゃねえよ!」

 

 部屋にあがって、キッチンにまでついていく。

 なんてこと言うんだと思ったが、それきり背を向けた彼女の様子はどこかおかしかった。

 

「准?」

「深紅さんさ。なんでかえって来られて良かったの?」

「……」

 

 思いもよらない問いに、言葉に詰まった。

 どうして、帰って来られて良かったのか。

 

 出て行かずに済んだことをようやく言語化出来たばかりの俺にとって、それは単なる掘り下げだった。けれど何故だろう、俺はここで考えるのを辞めてしまいたかった。

 

 だって、それを答えにしてしまったら。

 

「……答えて、深紅さん」

「何かが終わるかもしれないとしてもか?」

「貴方がそう思っていてもだよ」

「……そうか」

 

 彼女は振り向かず、動きすらしない。

 小柄で華奢な矮躯が、俺の目の前にぽつんとある。

 それがどうしてか寂しそうで、それでいて何か張りつめていて。

 俺は、言われなくてもこれが本当に大事な話なのだと理解した。

 

 それなら、本心をさらけ出すしかない。

 帰って来られて良かったと思えたのは、試合が終わった直後などではなかった。

 ビクトリーズが再び一つになれたことを喜びこそすれ、俺自身のことなんて二の次だった。……それが、どうしてこの部屋に戻ってきた途端そう思えたのか。

 

 そんなの、言葉にするまでもないんだ。本当は。

 

 この半年間無理やり言わされた「ただいま」も。

『人になって貰います』と宣言されて、一緒に過ごした思い出も。

 彼女には全部見透かされていた俺の行動も全て。

 

 全部が、この家で。彼女が居る場所で。

 

「ここが大事な場所で……いや、違うな」

「違うね」

 

 大事な場所なら、この町も、その前居た街も、その前に居た学校だって大事な場所だ。その全てを、俺は誰かの為なら捨てられた。けれど。

 

「ここは、俺の場所なんだ」

「私の家なのに?」

「准の家だからだよ」

 

 言うんじゃなかった、と瞬時に後悔した。

 振り向いた彼女の表情は前髪に隠れて見えはしない。

 今のは俺の心が叫んだ本心だ。けれどこんなエゴはあってはならない。

 まるで善人の発言じゃない。

 

 ふるふると、かすかに彼女の身体は震えていた。ああ、やっぱりやめておけばよかった。ただのヒモでしかなかったし、好感度は最低値を割っている野郎にそこまで入れ込まれたら、気持ち悪い以外の何もないだろうが。

 

 この関係は今日で終わりだ。テントや俺の私物を回収することに、彼女も否やはないだろう。そう結論づけて俺が動こうとしたその時、彼女がゆっくり顔を上げた。

 

 その表情に、俺は思考の全てを奪われた。

 

「えへへ。頑張った甲斐があったなぁ」

 

 ……その笑みは。今まで見た彼女の表情の中で、一番綺麗な華やぐような笑顔だった。

 

 なんでそんな顔をするんだとか。どうしてこんなことを言われて笑えるのかとか。

 浮かんでは消える思惑の中で、絞り出せた言葉はどうしての四文字が限界で。

 

「それを言わせたくて、私は今までこんなに頑張ってたんだよ」

「……なん、で?」

「貴方は誰かを守ることで精一杯。自分のことなんか二の次で、誰にも理解されずに疲弊して、その度にどこかに消えてしまう。……そんな生き方を、貴方がしてるのが嫌だったよ。だから、貴方がそう言ってくれたことが嬉しいよ」

 

 にへらと屈託なく目元を緩める彼女の瞳から、目を逸らすことが出来なかった。

 俺が感じたことのない、その全てを受け入れてくれさえしそうなその瞳は。

 何故だか縛り付けられたように、心を捉えてやまないのだ。

 

「だって、それはさ。私の家が、この場所が、貴方に必要なものになれたから」

「……俺に、必要なもの?」

「ここが、貴方を守るよ。私が、誰かを守る貴方を守るよ。それを、貴方は許してくれたんだよ」

 

 准が何を言っているのか、実はその殆どを理解出来ていなかった。

 分かるのは、彼女がただ俺を容認し、そしてただ寄り添ってくれそうな……違っていたとしても、そう感じさせてしまうような彼女の想いだけ。

 

「貴方がここを居場所だって思ってくれた今なら言ってあげるよ」

「なにを……?」

「貴方が正義で居ようとするなら、私はその全部を支えてあげる、って」

 

 その言葉は、今まで受けた誰のどんな言葉よりも深く俺の心を抉った。

 自分が成す正義に何かを言う人はいた。否定であれ肯定であれ、それが俺の全てだった。成してきた軌跡だった。

 

 けれど、これは違った。

 

 俺の成すことではなく、彼女は。俺を。

 どうして、そこまでしてくれる。どうしてそこまで言ってくれる。

 分からないことしか無かった。この世に自我を持ってから、今まで自分は。

 

「正義でない俺なんて居ないはずだ」

「そんなことないよ。貴方が何をしても、いいんだよ」

「それで、いいんだろうか」

「いいんだよ。私は正義には興味ないもん」

 

 今度こそ、言葉を失った。

 

 俺がここに居て。一番近くに居る人が、正義に興味がないなどと。

 そんなの、俺の存在する意味がない。理由がない。

 

 なのに、どうして突き放せない。

 

「貴方を信じてるだけだよ、深紅さん」

「俺を信じているのに、俺の成すことは興味がないのか?」

「うん。野球は楽しそうだなって思うけど」

「……なん、だそれ。なんだよ、それは。じゃあ、俺でいる意味がないじゃないか」

「それは違うよ深紅さん。貴方がすることだから、私は――」

 

 ああ、そうだ。と彼女は楽しそうに笑って、歌うように続けた。

 

 

 

「貴方が何をしようとしても「頑張れ」って言ってあげる。それだけで、貴方は頑張れるはずだから。……でしょ?」

 

 

 

 目の前が真っ白になりそうだった。

 ……俺は、正義ではなかったらしい。俺が居て、正義があって。

 ただ、それだけだった。

 彼女の夢と、俺の正義は同じことだった。

 追いかけるものが違うだけなのだと、俺は目の前の少女に突き付けられて今初めて認識した。

 

 笑うしかない。

 こんなに滑稽で、こんなに愉快なことはない。

 

 彼女は、准は、ただそれだけを俺に教えるためだけに、この半年間尽くしてくれていたのか。

 

「あ。だけど一つだけ約束して。貴方の帰る場所はここだって。ね?」

「……なんで」

「ん?」

「なんでそこまでしてくれるんだ?」

 

 それだけが、分からなかった。

 

 俺にそこまでしてくれる彼女のことが。どうしても。

 

 優し気な笑みを浮かべていた彼女は、一転して目を丸くして。

 ついで、吹き出したように笑った。

 

「なんで分からないかな」

 

 いい? と前置きして。

 

「……私が貴方に出会ってから、貴方に今まで言ってきたことはね」

 

 

 

 

 

『すごい頭してるんだね』

 

『貴方があんまりにも面白いからつい』

 

『それにしても……維織さんはこんな男の何が良いんだか』

 

『でも、確かに。似合うね、正義の味方』

 

『……そうだね、人じゃないよ、小波さんは』

 

『貴方には、これから人になって貰います!!』

 

 

 

『私、貴方のこと好きなんだよ?』

 

 

 

 

 

「全部、本心だよ」

 

 これは、真面目な話の続きのはずだ。

 であれば、彼女の今の発言は――けれど、どうしても心にブレーキがかかる。

 冗談ならさておき、俺は今まで好意を受け取ってきたことなど……それも正面から誰かにそんなことを言われたことなど無かったから。

 

「……准」

「疑うのも無理はないとは思うよ。からかってばっかりだったし」

 

 悪戯っぽく微笑んで。

 そっと、俺の手を取った。

 

「だから、確かめてみる?」

「確かめるって、なにを」

「貴方が何をしようとしても、私はそれで良いんだよ?」

「……」

 

 かすかにその瞳が揺れていて。

 俺は一度目を閉じた。

 

 これは彼女の慈悲なのか。そんな想いが未だに心に渦を巻く。

 けれど。そんな思考に囚われていた俺の口元に何かが触れた感触がして。

 

「ね♡」

 

 俺が悩んでいたように、きっと彼女も今、これまでの関係から変化する恐怖と戦っていたのだと気づいて。そうなったら、もう彼女のいじらしさにすべてを救われたように思えた。

 

 ……ありがとう。

 今はただそれだけを。

 

「確かめる、なんて言わないでくれ」

「え……?」

「ただ、俺は、俺なんかのためにここまでしてくれた、どうしようもなくいじらしい貴女が好きだ」

「……ありがと。そう言って貰えると、幸せだよ」

 

 そっと彼女の手が背中に回る。

 小さく吐息のように彼女の声が耳元で触れた。

 

「負けちゃった時の保険でさ。明日、バイト休みにしたんだ」

「……そうか」

 

 

 

 

 

 

弾道が1上がった

ジュン が 彼女 になった!

 

 




 流石に前回で切ると准ルート的にどうなんだと思ったので、ここで一区切りにしておきます。次回は本当に4/20とかその辺。
本当は5話で一つ構成を守りたかったんだけど、まあ旅ガラスVがあんなんだから別にもういいよね!!


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《She I》I

絆を深めるターン


 ――ジャジメントスーパー、支店長室。

 

「おい椿、聞いて驚け」

「なんだよ藪からスティックに」

 

 華美になり過ぎず、さりとて質素に見せることもなく拵えられた、この城のトップに相応しい一室。

 マホガニーのデスクで仕事をこなしていた太田は、革張りの応接用ソファで寝そべる椿に声をかけた。

 

 もはやたまり場、或いは日常と化してしまっているこの支店長室の光景に太田の部下も指摘するだけ野暮と呆れており、そんな彼の周りにはザ・トリオと呼ばれる三人組が控えている。

 

 内心、部下はどこのマフィアの部屋だと嘆息していたが、それはそれ。

 実際ちゃちなマフィアより遥かに過剰戦力が揃っていることも、そしてマフィアなんぞより断然恐ろしい組織がジャジメントであることも、おそらく彼は知る由もない。

 

「で?」

「なんと、我がグループの総裁ゴルトマン会長が試合をご覧になられることになったぞ」

 

 誇らしげな太田の発言に、ぴくりと椿の眉が動いた。

 

「……へえ」

「だから無様な真似はできん。椿! ビクトリーズとの年末決戦は絶対に勝つのだ」

 

 念を押すように太田は告げて、チェアに深く腰を下ろす。

 椿は勝手に淹れてきたコーヒーを喉を鳴らして飲みながら、挑戦的な笑みを浮かべて指を振った。

 

「その試合には、ザ・トリオの三人も参加する。負けることはねえだろうさ。……なあお前たち」

 

 振り返れば、ソルジャー、番長、ロボの中の人が鷹揚に頷く。

 頼もしい限りだと椿は口角をゆがめた。

 

「えっ?」

「どうした?」

「ちょっと待て! いま、一瞬見てはいけないものが見えてしまったような気がするぞ!?」

「まあ、試合は俺たちに任せな」

 

 と、そこで椿の携帯が鳴り響く。

 

ラブ★ラブ★ビッグバーン!

 

「ちょっと失礼」

「どこから突っ込めば良いんだ……!?」

 

 着信元の名を見て椿は首を傾げ、そのまま受話した。

 

「もしもしオレだ。食器棚でもぶちまけたのか?」

 

 軽い調子で一言おどけて、しかし少し経って椿の瞳が鋭利な光を帯びる。

 

「……なに?」

 

 遠前町で、何かが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

《She I》I――ずるいよ――

 

 

 

 

 

 

 

 遠前山は山頂、ビクトリーズ専用球場。

 呆れかえるような晴天の下、ミットを鳴らす心地良い音が鳴り響いた。

 

「よーし、今日の練習は終わりだ。それぞれダウンして上がれ」

 

 監督の一言に応じるように、全員の掛け声が揃う。監督自身は各々がダウンを始めたのを眺めながら、一人後片付けに入っていった。

 

 マウンド上で肩を回していた俺は、マスクの外しながらこちらへ歩いてくる権田と軽くキャッチボール。徐々に肩を休ませていくためには必要な身体の手入れだ。

 

 隣を見れば、ブルペンで木川と寺門が同じようなことをやっていた。

 そう、寺門がブルキャに立候補したのだ。古参勢と電視も合わせて、ビクトリーズにはそこそこ投手が居る。けれどしっかりと捕手が出来る人間が殆どいなかったのもあり、そしてその権田が俺に付きっ切りだったのもあり、揉め事の一因になっていたのだとか。

 

 昨日の試合で捕手の仕事を気に入ったらしい寺門はそこで、自分もやってやるという結論に落ち着いたらしい。

 相手の木川ものびのび投球ができるからかなんだかんだで上手くやっている。

 

「やっぱり正解だったな。昨日の試合は」

「野手同士も打ち解けたみたいではある。だがあんな荒療治は二度と御免だね」

「悪かったよ、権田」

「終わったことさ」

 

 マウンドからは、グラウンド全体が見渡せる。

 そして気づくのはやはり、新参と古参の垣根なしに練習している面々の姿だろう。

 多少のしこりは残るのではないかと思っていたが、そうでもなかった。

 

「ま、一応は筆頭だったことになってる俺がお前とこうしてバッテリー組んでるからってのもあるだろうがな」

「なんだ、古参の間では俺のことをボロクソに言ってたのか?」

「当たり前だろうが」

「そりゃそうか」

 

 どこまで貶されていたのか、微妙に興味がわかないでもなかったが。

 まあ今更掘り返して要らぬ禍根を作るのも趣味じゃない。

 

「……ところで小波、ちょっと今日は調子が悪そうだったが大丈夫か? 投球にせよバッティングにせよ、いつものフォームじゃなかったぜ」

「あー、ちょっと背中が痛くてな。筋肉とか骨がまずいわけじゃないから安心してくれ」

「背中? 筋肉でも骨でもない? ……あ、ふーん」

「なんだそのリアクションは」

 

 嫌な予感がした。権田の目がきらりと輝いたからだ。

 

「いや別に? 確かに背中のひっかき傷を庇ってたらあんなフォームにもなるか」

「俺ひっかき傷って言ったっけ」

「なるほどなるほど、昨日は帰ってからごゆっくり過ごされたようで。睡眠不足もあるんじゃねえか?」

「ちょ、ちょっと待て――」

「しかしその傷があるってことは良かったじゃねえか、お前がモノにしたのは間違いなく初球――」

「う、うわああああああああああああ!!」

 

 

「あ、逃げやがった」

 

「ったく、こっちも報告あったってのに。お前のお陰だぜ、ヒーロー?」

 

 

 

 初球〇が身に付いた!

 弱気 になった!

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

「そういやピエロがサーカス辞めてまで追いかけてる相手のこと、兄貴はどれだけ知ってる?」

 

 練習からの帰り道、寺門と二人で歩いていると、ひょっこり話題に上がったのはピエロの想い人の話だった。

 この街での公演中に見つけた女の子らしく、その子に会うためにサーカスを辞めたとまで言うピエロのバイタリティには感心する。頑張ってほしいとも思っているが、しかし俺はそのお相手に関しては殆ど知らなかった。

 

「あいつが言ってた"黒いオーラ"くらいしか情報ないし、全然分からないな」

「あ、そうなんだ。この前兄貴が居ない時にピエロのこと色々話したんだけど、あいつ今度会ったら自分の妙技で落とすって息巻いてたよ」

「まあ、頑張って欲しいな」

 

 黒いオーラというのはよく分からないが、色んな意味でピエロになってしまわないことを祈るばかりだ。

 一人心中で思いつつ、しかし大事な仲間の恋愛がうまく行くといいとは考えていた。

 電視みたいなこう、見るからに残念なアプローチであれば話は別だが。

 

 商店街の面々からの声に応えつつ、広いメインストリートを進む。

 金がないから店に入ることは殆ど無いが、ビクトリーズの連戦連勝で周囲の空気は温かい。

 いつまでも、この空気が続くと良いな。

 

「って、あれ?」

 

 ふと、見知った顔を通りに見つけた。

 あれは、

 

「おお!! 偶然とはいえちょうど現場に出くわすとは!」

「――准とピエロか。あいつら接点なんてあったのか」

「……へ? 兄貴、知り合いなの?」

「知り合いというか、なんというか」

 

 知り合いというには近すぎる関係だが、特に説明する理由もないので二人の方へと歩みを進める。軽い挨拶をするつもりで――というか、准の方は今日はバイトがないはずなのにどうしてメイド服なんだか。

 

 マスターに買い出しでも頼まれたのかね。あいつ、意外とそういうのは断れない性質っぽいしなあ。

 

「ちょ、ちょちょちょ兄貴ストップ!!」

「なんだよ」

 

 外套の裾を引っ張る感覚に振り向けば、なんだかやたらテンションの高い寺門が猛然と首を振っていた。

 どうしたんだよ。

 

「さっき言ったばかりじゃんか!」

「え? ……え? ちょっとまて、つまり、ピエロの好きな人ってまさか」

 

 ……准!?

 

 うわ、確かに黒いオーラ満載だわ。

 しかしあいつ、電視といいピエロといい……認めたくねえが俺といい、変なヤツにばっかモテるなおい。

 

「え、えっと、ボ~ク、ピエロ」

「いつも見に行ってたサーカスのピエロさんだよね♡」

「そ、そうだよ~、ボ~ク、ピエロ」

 

 何度も言わなくても、姿かたちでお前がピエロだって一発で分かるわ。

 

 ちょっと脇に避けて、野次馬根性全開の寺門とともに見守るハメに。

 なんだこの状態。

 

「それで話ってなにかなピエロさん♡」

「えっと……ボ~クは君がだ~い好きなんだ~」

 

 ……妙技どこにいった!? 直球じゃねえか。

 

「あ、ありがとう。私もね、ピエロさんのこと大好きだよ♡」

「ええ~!! ほんと~に~!?」

「うん♡」

 

 寺門が目の前でぐっと拳を握りしめた。

 や、ガッツポーズしてるところ悪いが、アレは……。

 

「でもね、私、あまり知らない人と仲良くなれないの」

「えっ?」

 

 ……だろうな。からの。

 

「誤解しないでね。ピエロさんと仲良くなれないわけじゃないの。ただもっと相手のことを知らないと、私は用心してそれ以上、近づけなくなっちゃうの」

「そ、そうなんだ~。ボ~クどうすればいいかなあ」

「私、ほとんど毎日、喫茶店でバイトしてるわ。だから、そこに来て。そこで仲良くなりましょう♡」

「う~ん!!」

 

 知ってた。

 

 寺門が目を白黒させている。

 確かに何が起きてるかさっぱり分からねえもんな。

 俺だって怖ぇよ、なんだあいつ。

 

 好意を逆手にとって常連客を増やしやがった。しかも、相手の好意はさらに倍増。ピエロの見事なピエロっぷりが、かわいそうになってくる。

 

 しかしまあ、それでもピエロは幸せそうに准の手を握って、笑顔で頷いた。

 准は准でなんやかんや応対はいつもの営業スマイル。

 ……そろそろ、その手は離していいんじゃないか?

 

「それじゃ、お店で会いましょう? 明日から、また居るから」

「ボ~ク、必ず行くよ~」

「はい、お待ちしております、ご主人様♡」

 

 ぶんぶん手を振って去っていくピエロ。

 

 そうだよな、あいつは基本、ああやって常連増やしてるんだったわ。

 

 ……分かっちゃいたことだが。うん。

 

「あ、兄貴。ピエロが惚れるのも分かるというか、めっちゃ可愛いなあの子。クソ、ピエロなんかに取られるなんて」

「取られてねえから」

「え、ちょ、兄貴、顔怖っ!?」

「そうか?」

 

 気のせいだろ。

 

 特に理由はないが帽子を目深に被り直して、そのままカシミールにでも行こうと思ったのだが、そこで准がこちらに気づいたようだった。

 

「お~い、深紅さ~ん!」

「……なんだ、准か」

 

 寺門の目が「なんで素知らぬ振りなんだ」と言ってるようにも見えるが、スルー。

 告白現場見てました、なんてわざわざ言う理由ないだろ。

 

「今日も元気にダメしてる?」

「してねえよ。どういう意味だ」

「いいじゃない。減るもんじゃないし。で、なにしてたの?」

「べつに、ふらふらしてただけだよ」

「ふーん。やっぱり今日も元気にダメしてるんだね~」

「ああ、もういいよそれで。お前こそ何してるんだよ」

 

 あっけにとられる寺門をよそに、軽く言葉を交わす。

 とはいえ、なんだか居心地が悪いのでさっさとカシミールに向かうつもりで居た。

 

「買い物だけど……どしたの? 機嫌悪くない?」

「別に? 相変わらずそんな派手な格好で買い物してるんだな。恥ずかしくないのか?」

「ううん、まったく。全然、さっぱり」

「ああそうかい」

「……ほんとにどうかしたの?」

「お前が気にするようなことは何もねえよ」

 

 きょとんとした准を置いて、寺門に目を向ける。

 准が買い物中だって言うなら、それこそ邪魔するのも悪いしとっとと行こう。

 

 頬の裏を舌で突きつつ、目を逸らして歩き出す。

 

「ちょ、え、兄貴、ピエロの好きな女の子と知り合いだったの?」

「知らなかったけどな。俺、カシミール行くからまたな」

 

 寺門も准の魔の手にかかってしまうというなら、まあそれもどうでもいいことだ。

 ただ、べつにそこに俺が居る理由はない。

 そんなわけで、寺門を置いてその場を去る。

 

「あれ? ちょっと、深紅さん?」

「あの、兄貴とどういうご関係で?」

「……。……ええっと、もしかしてだけど、さっきの見てました?」

「え、あ、はい」

「深紅さんも?」

「そう、ですけど」

「…………」

 

 しばらくカシミールに向かって歩いていると、背後からヒールの足音が響いてきた。

 警戒する必要もないけれど、なんでわざわざ追いかけてきたのか。

 

「どうした?」

「深紅さーん♡ 嫉妬してるの?」

 

 やけににやにやしながら、胸元で顔を見上げてくる准の瞳。

 嫉妬、か。ああ、なるほど。

 

「……准だけはたとえ何があっても誰かに渡したくないって、変な話だよな」

「えっ」

 

 ……そういう意味では、初めての感覚なのかもしれない。

 こんなことで揺らいでいたら正義になんてなれるかどうか分からないけれど。

 でも、人の感情を一つ理解出来たとしたら、それはそれで嬉しいことなのかもしれない。気分は、すぐれないけれど。

 

 そのまま歩き出せば、彼女はその場で動かなくなっていた。

 とりあえず俺も心の整理がつくまでは会いたくないし、なんか傷つけてしまいそうだしちょうどいいか。

 

 

 

 

 

 

 

「いきなりそんなの、ずるいよ……」

 

 商店街の真ん中に立ち尽くしていたメイドの小さな声が、喧騒の中に溶けて消えた。

 



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《She I》II

「いらっしゃいませ。感謝しろ、ご主人様♡」

 

 店に入るなり、やってきたメイドの一言はそれだった。

 

「いきなり何を言ってるんだ?」

「今日は何の日か知らないの?」

 

 周囲を見れば、割かし人の入りは少ない。

 さては暇してるんだなと彼女を見れば、席に案内するその足取りは軽く楽しそう。

 

 准の気持ちを知って、俺が自分に気が付いて、あれから数週間。

 俺たちの関係がそう劇的に変化したかというと、実はそれほどでもなかった。

 基本的に准は俺で遊ぼうと隙あらば狙ってくるし、俺は俺でいつも通り何とか逃げ切ろうとするそんな関係。

 

 もし変わったとすればそれは、俺で遊ぶ彼女が本心から楽しんでいるのであろうという安心感と、俺自身の感情だろうか。

 俺が、いつか帰る場所。それが見つかったというか、なんというか。

 

 決して見つかることはないと振り返らずに進んできた旅路の中で、想いもがけず見つけた庇。それが夏目准という女の子だったという話だ。

 

 

「今日は私に感謝する日だよ。特にメイドさんには超特大大盛りで感謝しないといけない日だよ」

 

 手渡されたお冷を一口。喉元を通り過ぎていく冷たさは、そろそろこの季節になってくると寒さを覚える。とはいえこの温かい店内であれば、特に気にする必要はないのだが。

 

「だから何を言ってるんだ?」

「今日は何の日フッフ~!」

「テンション高いなっ!」

 

 黒い眼差しで見つめてくる不気味な准に軽くツッコミを入れつつ、考えること少し。

 今日は祝日だったはずだ。それくらいは分かる。練習の参加者も多かったし。

 けれど、十一月も後半の休日となると……なんだ、なにがあったっけか。

 

「すまん本気で分からん」

「やっぱり自由人には関係ない日だからわからないか」

「そこはかとなくバカにされてる気がするのは気のせいか」

「今日は勤労感謝の日ですよ!」

 

 ああ、それで感謝と、そういう。なるほど。

 これ見よがしにくるりと一回転。空気を得て膨らむスカートがメイド服を強調してくるが、残念ながら中までは見えなかった。いや、簡単に見えるような服で仕事されるのも嫌だとはいえ。

 

「ああそうか、いつもお疲れ」

 

 というわけでいつもの。と、メニューのコーヒーを指さす。

 何が不満だったのか、眉根を寄せて抗議する准。

 とはいえ、ここで色々するのも不味いだろうが。彼女を見上げれば、やたらあざとく頬を膨らませながら、やりすぎじゃないかというくらいに頬を染めて。

 

「心がこもってないよ! 愛が感じられないですよ!」

「ここに愛があったらまずいんじゃないのか!?」

「もっとメイドさんを愛でて♡」

「そういう店だと思われるだろうが」

 

 まったく。

 

「わけわからんこと言ってないで、はやくコーヒー持ってきてくれ。働いてないメイドに感謝する必要性はないからな」

「間違ってないけど、深紅さんの口からその言葉を聞くことになるとは思わなかったよ。はいはい、すぐ持ってくるね」

 

 身をひるがえしてカウンターの方へと戻っていく准を見送って、お冷を一口。

 去り際にそこはかとなく残念そうな顔が見えたが、こんな衆人環視の中で何かしらのモーションをかけるのもまずいだろう。この店の客は、べつに俺たちの関係を知る由もないのだし……変に勘違いされて他の客が調子に乗るのも癪だ。

 

 そういえばダーリンだのなんだのと呼ばれていた時期もあったが……あれを本気で信じている人間がどのくらいいるのかと。

 

 まあ、頑張って働いてるようだし何かしてやってもいいが、何かしてやる金はないんだよな。どうしようか?

 

 A:行動で示す

 B:言葉で示す

→C:行動と言葉で示す

 

 ……。

 

 行動で示そうとしても、言葉で示そうとしても、結局のところこの場でやるには限界があるな。あれだけ世話になってる相手だし、小波からもらった金さえ見つかれば何かしらのプレゼントでも出来るのだろうが、結局見つからず仕舞い。

 

 となれば、この場はひとまず保留というか、置いといて。

 

 ……うん、そうだな。そうしよう。

 

「お待たせしました、ご主人様♡」

 

 コーヒーを手元に置いた彼女は、そのまま戻るでもなくにこにこと俺の前で待機している。勤労感謝のネタでまだまだ俺で遊び倒そうという気だろう。

 相変わらずとんでもない女だが、惚れた弱みというやつか。

 

 一口熱いコーヒーを嚥下して、准に言った。

 

「直近の休みっていつだ?」

「え? うーん……マスターに言えばいつでも取れるけど、どうして?」

「なんだかんだまだだったからな。デートにでも行こうか」

「えっ……」

 

 驚いたような顔の彼女に、続けて言う。

 

「ま、金はないけどな」

「……知ってるよ。全然かっこよくないよこの人」

 

 目線を逸らして黒いオーラを醸し出す彼女の表情に、何故か俺は妙に楽しくなって破顔した。

 

 

 

 

 

 

《She I》II――『准』に会いにいきます――

 

 

 

 

 

 

 ――車で少し行った街。ミルキー通り。

 

「へえ、よくこんな場所知ってたね、深紅さん」

「ちょっと前に一度来たことがあってな」

 

 翌日の朝、権田に車を借りて二人で出かけたのはミルキー通りと呼ばれる近くの繁華街。

 雑多ながらに若者向けのアパレルやブティックが揃う街並みは見ているだけで華やかだ。

 

 この場所を俺が訪れたのは二度目のこと。

 というのも、大神の会社が入ったビルがあったのがこの街だったのだ。武美と共に訪れた時は全く観光を楽しむ気分ではなかったが、よくよく思い出せばこうしたファッション系に強い通りだった。

 それなら准にとってもマイナスにはならないだろうと考えた次第。

 

 デートなんざしたことのない俺だが、どんなに俺が無能でも場所さえ良ければ彼女もそこそこ楽しんでくれるだろう。

 

 隣を見れば、既に結構楽しそうだ。

 

「古着屋の類も多いし、掘り出しものもありそう。ついでに生地とかも買えそうだし……深紅さん!」

「な、なんだよ」

「この場所に私を連れてきたんだから、荷物は覚悟してね♡」

「出来るだけ軽いものでお願いします……」

 

 やっぱり俺にエスコートの才能なんてなかった。

 

 いこいこ、と腕に絡みついてくる准の服装はいつもの雰囲気とは打って変わった新鮮な印象だ。全体的にモノトーンなのだが、何と言うのかどことなくファンタジーな制服っぽいカジュアルフォーマルというか。肩がざっくり見えているのに、腕はグローブ……というか袖がちゃんとある。角襟でネクタイもトップまで締まっているのに、凄いオシャレに見える。

 

 白いラインの入った黒地のミニスカートがひらひらと彼女の細い足を主張していて、どうしても気になってしまうし、パンプスも黒で整えられて可愛くも大人っぽいイメージを作り出していて、まあざっくり言うとエロい。

 

「その服、自分で作ったのか?」

「そだよ。まだ試作だけど、可愛いでしょ♡」

「目線を合わせられないくらいには」

「これだから服に疎い風来坊は」

「舌打ち!?」

 

 俺の腕を抱く手とは反対の手でスカートをつまむ彼女はそれでも楽しそうで、流れのままにとことこと彼女についていく。道行く人は明るく、恋人同士も数多く、笑顔が絶えない明るい空気が充満していて、気づいたら俺も少し笑ってしまっていた。

 

「色々見て回るのもいいけど……そうだなあ」

「なんだよ、じろじろと」

「流石に深紅さんもそろそろ新しい服を考えた方が良いと思うんだけど」

「新しい服~?」

「大学生くらいの人間にとっては基本ですよ、基本」

「俺は大学生ではないんだが」

「でも大して歳変わらないでしょ」

「……どうなんだろうな」

 

 俺の年齢か。外見的にはだいたい二十半ばあたりだとは思うのだが、実年齢はと聞かれると答えは詰まる。そもそも戸籍すらないわけだから、果たして人間なのかどうかさえ分からない。

 

「ふうん。どのみち来年以降のことを考えたらやっぱり服装はしっかり考えないとね」

「来年以降?」

「私、大学に戻らなきゃいけないし」

「そういえばこの一年は休学中だったか」

「本当は休学とはちょっと違うんだけどね。大学行ってないって意味では同じかな」

 

 ひとまず一度ミルキー通りを隅々まで歩いて、被服関係の店の存在を一個一個チェックしていく。その後折り返して片っ端から見ていくということで二人の意見はまとまっていた。

 

 時折いい香りのするカフェやケーキショップ、或いはゲームセンターなど雑多に詰め込まれたこの繁華街は、若者だらけの新鮮さと時代の潮流を感じる場所だった。

 

 准はおろした髪を靡かせながら、あれこれ話しつつも目線は忙しなく街道沿いの店々やビルの看板へ移っている。その表情は喫茶店に居る時とはまた別種の活気あるものになっていて、連れてきてよかったとほっとする。

 

 権田、車貸してくれてありがとう。無免で捕まったらごめんな。

 まあ権田には無免許であることは言ってないんだが。

 

「准が大学に行くことがどうして俺の服装と関係してくるんだ?」

「大学って、敷地内に入るだけなら別に誰でも咎められないんだよ」

「それで?」

「流石にその恰好だと警備員に捕まるかなって」

「そんなに不審者か……」

「不審者というか、そんな恰好で大学に来る人はいないよね」

 

 白い目を向けられると、俺も答えに窮する。

 とはいえ、べつに俺が大学に向かう理由は一つもないのだが。

 

 准が大学に行っている間の一年は、俺はまた別のところを放浪していてもいいのだし。

 

「なあ准。俺はどのみち、今年を最後に遠前町は去るつもりで居るんだが」

「……」

「……准?」

「え? あ、ううん。そだね。風来坊だもんね。でもさ」

 

 ぎゅ、と俺の腕を掴む彼女の力が強まった。

 気づけばミルキー通りの反対側の端にまでやってきていて、そろそろ折り返そうかという塩梅の地点。

 

 俺の遠前町での折り返し地点はとっくに過ぎていて、けれど准との関係はきっとちょうどターニングポイントに差し掛かったところだ。ゴールに着いた時、どうするのか。

 それをまだ、俺たちの間では共有していなかった。

 

「私が大学に行って、貴方も遠前町から居なくなったそのあとはどうなるの?」

「着いてこいなんて言うつもりはないが」

「その言い方はずるいよ」

 

 眉尻を下げて、困ったように准は言った。

 

 ビクトリーズが仲間割れした時に、俺が負けたら准は一緒に出ていくと言ってくれた。きっとあの時はそれが本心だったのだろうし、切羽詰まっていたが故のことだとも理解している。

 だから平穏となった今、准の暮らしに影響が出ず、俺も気ままにというのがきっと理想の未来予想図だ。

 

 けれど、俺はやっぱり遠前町に最後まで根付くという選択を取る気にはならなかった。

 

 まだまだ色んな人に会いたい。もっと色んなものを見たい。

 そんな未練は未だに俺の心を力強く鷲掴んでいるし、何より俺はまだ正義の答えを出せていない。

 

 でも。

 

「准。俺は嬉しいんだよ」

「へ?」

「どこへ行っても、帰る場所があるんだ」

「……」

 

 じっと俺を見つめていた准は、小さくため息を吐いた。

 

「ちょっと服巡り中止」

「えっ」

「こっち来て」

 

 何かに思い至ったらしい。

 ぐいぐいと俺を引っ張って、連れていかれた先は……なんだここ。

 

「いらっしゃいませ」

「こんにちは♡ サルでも使い方が分かるケータイありますか?」

 

 俺はサルなのか!?

 

「ええと……サルは分かりませんが、一応簡単な設定だけ出来るようなものであれば」

「特定の相手と電話やメールが出来ればそれで大丈夫です♡」

「ああ、でしたら――」

 

 そこから先は未知の言語で行われる様々な会話に俺はまるでついていくことが出来なかった。

 

(そして・・・)

 

「はいこれ」

「はいと言われても」

「私にメールが送れて、私と電話が出来ます♡ ツーカーな仲だね♡」

「なるほど……?」

 

 ぱか、と開いてみると時計が画面に映し出されていた。

 なるほど、これは便利だ。

 

「そこ、満足して閉じるんじゃない」

「え」

「画面開く、そのボタンを押すと私のプロフィール画面に行くから、そこでその電話ボタン。……ちがう、それは電話を切る方! そうそう、それ」

「これか」

 

 ♡准♡ とこっぱずかしいプロフィール画面が表示されているんだが、これは仕様なのだろうか。それはそれとして、緑色の受話器のようなボタンを押すと、准の持っていた手提げ鞄の中から何やらバイブ音がした。

 

「はい♡ 貴方の可愛い可愛いメイドさん、夏目准です♡」

『はい♡ 貴方の可愛い可愛いメイドさん、夏目准です♡』

 

「なるほど、二重に聞こえるな」

 

「当たり前でしょ、電話なんだから」

『当たり前でしょ、電話なんだから』

 

 それだけ言って、彼女は通話を切って鞄の中に戻した。

 

「これでよし。適度に充電して、どこに居てもちゃんと電源を入れておくこと」

「……それで?」

「貴方がどこに居て、私がどこに居るか確認するためだよ。来年以降の」

「なるほど」

 

 瞑目して納得。

 よく分からないが、文明の利器をくれたらしい。

 おかしいな、勤労感謝のデートのはずが、なんか世話されている。

 

「だから、離れていてもどこでも捕捉出来るね」

「そこはかとなく言動が怖いんだが」

「こちらメイドリーダー、対象を確認した。これより抹殺する」

「マッサツサレル!?」

 

 しかし妙にメイドリーダーって肩書が似合うなこいつ。

 

 ケータイをひとまずポケットの中に仕舞うと、准は満足げに俺の腕を取って再度歩き出した。

 

「じゃあ買い物続行。荷物持ち覚悟してね♡」

「あ、ああ」

 

 その後の彼女の行動力はすさまじかった。

 しらみつぶしに被服系の店に入っては、あれこれ眺めて店員と話し、買う時もあればそうでない時もある。女性向けの店はやたらと敷居が高いというか入りづらかったのだが、そんなことお構いなしに准が引っ張っていくものだから大変だった。

 

「あとは、深紅さんの服だけだね♡」

「もう既に両手が塞がって久しいんですが」

「大丈夫大丈夫、力もあるしね。よ、男前!」

 

 げっそり。

 生地専門の店だったり、小物だらけの店だったり、被服系と一概にいっても多くの種類があることは学べたが、それにしても量が多かった。

 流石は若者の街というべきか、これだけの店が同居していて潰れないというのは強い人の営みを感じることが出来る。

 

 別にそれは良いんだが、准の元気についていけない。

 でも好きこそもののなんとやら。俺も野球やっている時間は疲れよりも楽しみが前に出るからな。きっと准もそうなんだろう。

 

「深紅さん、ジャケットとか合いそうなんだよね。黒いタイトでシンプルなパンツに、靴を茶色で合わせて上はドレスシャツとベスト……スリーピースもありだけど、ちょっと固すぎるからインナーはTシャツ系でもいいか。やっぱりベルトはしっかりしたのがマストだけど、流石にシーンを選び過ぎるからタイは無し。そうすると……」

「ちょっと何を言ってるのかさっきからまるで分からないぞ……?」

「覚えてね♡」

「えっ」

「将来の有名デザイナーのダーリンなんだから、少しは覚えてね♡」

「ぜ、善処します……」

 

 将来の有名デザイナー、か。根拠もないし俺には知識もないけれど、不思議と准なら叶えられる気がする。あれこれメンズのショップに連れていかれながら、そんなことを思った。

 

「夢、叶うと良いな」

「え? うん。大丈夫だよ。頑張ったら叶うって証明できたし」

「もう証明できたのか?」

「だって、深紅さんがここに居るじゃん」

「……そうか」

 

 ふふん、と誇らしげに准は笑う。

 

 

「大丈夫、メイドさんは最後に願いが叶うって決まってるんだよ」

 

 楽しげに、歌うように。

 

 参ったなと思う。彼女の幸せな未来予想図に、どうやら俺は既に組み込まれているようだ。ならばその想いに応えられるよう、俺も精一杯努力しよう。

 

 二人を別つものはもう何もない。

 

 

 

 

 

 その時は、そう思っていた。 



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《She I》III

 ――ジャジメントスーパー支店長室。

 

 華美になり過ぎず、さりとて質素に見せることもなく拵えられた、この城のトップに相応しい一室。しかし普段はチェアにふんぞりかえっている支店長の姿はなく、代わりに応接用のソファに腰かけた老いた男性と、彼に必死に胡麻をする滑稽な男が見受けられた。

 

「これは会長、ようこそおいでくださいました」

「表向きは日本視察のついでだがね。だが、本当はここが目的だ。いよいよアレが見つかるかもしれんのだからな。アメリカでじっとしてはおれんよ」

「ははは、そうですか。ところで、その……アレというのがどんなものなのか、そろそろ私にも教えていただけないかと」

「ところで、オオタ」

「はい」

 

 会長と呼ばれた白髪の老人は、見合わない鋭い眼光を太田に向ける。

 

「今度北極支店がオープンするのだがね」

「え、北極ですか。そんな場所に人が来るのですか?」

「来るのは、白熊とペンギンと探検隊くらいのものかな。だがメリットもある。商品を殆どおかなくてもいいんだ」

 

 言葉の意味がいまいちくみ取れず、愛想笑いをするしかない太田。

 だが、ローテーブルに差し出された茶を一口すすった会長は当たり前のように節くれだった指を太田に向けて言い放った。

 

「そこの支店長は、きみにしよう」

「は!? まさか、ご冗談でしょう!?」

「……週末を楽しみにしているよ」

 

 失敗したら本当にやる気だ、と愕然と膝を着く太田を前に、満足げに会長は立ち上がる。

 背後に控えていた金髪の女性を連れ退室しようとする彼の耳に声がかかったのは、ちょうどその時だった。

 

「よう爺さん」

 

 見れば、壁に背をもたれて煙草に火をつけた謎の青い男。

 テンガロンハットを目深に被り、只者とは思えない気配を周囲に漂わせながら、場違いな呑気な瞳で会長を見据えた。

 

 そのちぐはぐな在り方に、さしもの会長も困惑する。

 このような不思議な男は、他に何人いただろうか。

 

「む、お前は……?」

「誰でも良いだろう? ところで聞きたいんだが……ジャジメントを裏切ったデイライトという超能力者を知ってるかい?」

 

 その問いかけに反応したのは、会長ではなく控えていた女性だった。

 

「なんだと? あの裏切り者の仲間か、貴様」

 

 警戒心も露わに、番犬のように身構える女性を一瞥して男は呵々と笑う。

 否定するように振る手から揺蕩う紫煙はまるでこの男のようにつかみどころがない。

 

「まさか。どうにもこの街に来ているという情報を聞いてね。あんたら絡みなのかと思ったんだが、その様子だと何も知らなそうだな」

「……何者だ、お前は」

 

 肩をすくめ、椿は小馬鹿にしたように踵を返すと軽く手を振って去っていく。 

 その背中にゴルトマン会長が問を投げれば、彼は楽しげに振り返ってこう言った。

 

「はは、なあに。しがない旅ガラスさ。じゃ、邪魔したな」

 

 

 

 

 

 

 

《She I》III――アルバムNo.57――

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、今日も気合を入れて練習練習。

 頬を撫でる風がそろそろ冷えてきた実感がわいた頃、それはそれとして俺たちブギウギビクトリーズは年末のジャジメントとの決戦に向けて練習の日々を送っていた。

 

 途中、幾つもの試合をこなした。結果は連戦連勝で、少なくともこの地方でビクトリーズよりも強い草野球チームは存在しない、というところまできていた。

 俺としても鼻が高いし、皆が皆誇らしげにグローブを身に着け、バットを振っているこの雰囲気がどうしようもなく好きだった。

 

 試合に何度も足を運んでくれているファンの皆や、権田と完全にくっついたらしい奈津姫さん、その息子のカンタくん。商店街の重要メンバーや武美も合わせ、皆で一生懸命この街を守っているその一体感は、何者にも代えがたい。

 

「じゃ、気を付けてね深紅さん。今日は早く帰ってくること♡」

「おう。ああそれと――」

「ん、なあに?」

「誕生日、おめでとう」

 

 華やいだような笑顔とともに添えられる「ありがとう」に小さく頷いて家を出た。

 今日は准の誕生日だ。変わらずアルバイトは入れているみたいだが、帰ってきたら小さくてもお祝いをしようと心に決めていた。

 

 いつものように河川敷沿いの道を歩き、グラウンドのある遠前山へ。

 休日の早朝ということで人通りは殆どないが、普段と違う顔をした道を歩くのも俺は嫌いじゃない。

 

 その先に見たくない顔さえなければ、最高だった。

 

 路肩に止めた車。

 紫煙を登らせて俺を待ち構えるように寄りかかっていたのは、青い帽子に青い外套が特徴的な一人の男。

 

 少し前まで来て、歩みを止めれば。満足げにヤツは口元を歪めた。 

 

「よう、深紅。まだ生きていたか」

「どういう言い方だ」

「いや別に。CCRを潰した張本人に刺客が差し向けられたと聞いたもんでな。人違いだったか」

 

 どの筋からの情報か。

 俺が知る限り、椿と繋がっているのはジャジメントだ。CCRの所属するオオガミとは敵対勢力。そうなればある程度の情報は入ってくるのか……?

 それにしても、CCR――灰原と事を構えたのは、やっぱり露見していたのか。

 

 ジッポライターを開け閉めする小気味良いリズム感とともに、ヤツはぼんやりと空を仰ぐ。12月も末に近づいてきたこの時期、晴天の寒空は寂しくも青々とした爽やかさを感じさせる。

 

「遠前町にやってきたって話を聞いたから、てっきりもう処分されてるもんだと思ってたが、ぴんぴんしてるじゃねえか」

「情報源はどこだ」

「さてね。まあ、二か月くらい前に嗅ぎまわってた連中がようやく尻尾を掴んだとかなんとか。……あとはほら、実験じゃねえの?」

「なんのだ」

「それをお前が知る理由はねえだろうさ。しかしそうか、お前に直接来ていないとなると……これはひょっとして、向こうも賢い手段を取ったのかね」

 

 こいつの口ぶりからすると、満を持して既に刺客はやってきている。

 それも俺の情報を粗方抑えたうえで……クソ、やっぱりまだ付け狙われていたのか。

 あまりに居心地が良すぎて、この町に長居しすぎてしまったのが原因か。

 

 それにしても。

 

「賢い手段?」

「人質に決まってんだろ。お前が大事にしてる女くらい、向こうだって調査してるんじゃねえのか」

「まさか、お前の差し金か!」

「さあてね」

「くそ!」

 

 准!!

 

「ああ、深紅!」

 

 駆け戻ろうとした俺に、背後からかかる愉快そうな声。

 見れば、にやついた表情を隠そうともせずに、椿は続けた。

 

「……手伝ってやろうか?」

 

→A:ふざけるなよ

 B:……頼む

 

「ふざけるなよ。お前なんかの手を借りるかよ」

 

 お前の罠かもしれないのに、そんな間抜けな真似をするはずがないだろう。

 そう告げると、椿はつまらなそうに帽子を目深にかぶり直す。

 

「そうかい。……まあ、冥福を祈るぜ」

 

 その言葉を背に、俺は再度駆け出した。

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 

『誕生日、おめでとう』

 

 その言葉を反芻して、小さく笑みがこぼれた。

 

 自分の誕生日を誰かに教えたのはいつ以来の話だろう。

 分からないけれど、こうして好意的な感情を持っている相手から何かを祝われるという経験そのものが嬉しかった。

 

 ましてや、それが他人にも自分にも無頓着な風来坊からとなればなおさらだ。

 せっかく今日は早めに帰って一緒に夜を過ごそうと約束しているのだし、晩御飯のメニューは少しこだわってみようと考える。

 

「深紅さん、カレー好きだったし。あ、でもちゃんとしたお店のもの食べてるから、がっかりされても嫌だし……どうしようかな、今日」

 

 記念日なのだ。精一杯のことはしてみたい。

 

 あれこれとメニューを夢想していた、その時だった。

 

 来客を知らせるベルが鳴り、おおかた深紅が忘れ物の一つでもしたのだろうと扉を開く。

 

 その先に居たのは……大柄な黒人の男だった。

 

「え? あの、どちらさまでしょうか」

「深紅という男、知っているな?」

「っ?」

 

 すぐさま准は扉を閉めようとした。が、割り込むように突っ込まれた靴によって阻まれる。

 

「なにをっ」

「ルッカがこっちに来ていると聞いてやってくれば……ちょうどよく任務があって助かった」

「帰ってくださいッ……!」

「そうはいかない。こっちに来て貰おう」

 

 或いは、と男は告げる。

 

「どこに行ったか教えるだけでもいい」

「……あなた、いったい何者なの」

「私はデイライト。オオガミの者でね。うちの組織の一つを一人で壊滅させた、ある男の処分にやってきたんだ」

「っ、まさか」

 

 瞬間、准の脳裏によぎる外套の男の笑顔。

 

「どこに行ったか教えろ。そうすれば何もしない」

「……言うはずないよ」

 

 デイライトと名乗った男の眼光に、闇の世界を知らない准は一瞬気圧される。

 だが、それも瞬きの間にすら満たない時間のこと。

 男を見上げた准の瞳は、強い意志に庇われていた。

 

 デイライトは小さく舌打ちするも、そのまま面倒そうに後頭部を掻くと、

 

「まあ、そうだろうな。だが、今回の任務に出向いているのは私だけじゃない。どのみち時間の問題だ」

 

 そう吐き捨てた。

 

「そんな」

 

 突然の出来事に理解が追い付いていない中、しかしこの男の言うことには不思議と嘘だとかホラだとかのし付けて突っ返すことが出来ないでいた。

 只人とは思えぬその気配と威容は、全く裏社会に縁のない准でさえ分かるプレッシャーを放っている。それが故、だろうか。

 

 今、間違いなくあの人に危機が迫っているような気がして、震える声で彼女は言った。

 

「深紅さんをどうするつもりなの」

「処分と言っただろう。処分というのは、殺すということだ」

「そんなことっ」

「しかし」

 

 食い下がる准をよそに、デイライトは面倒臭そうに外へ目をやった。

 

「お前も気の強そうな女だな。私はそういう女が嫌いなんだ。ヤツを消した後、お前も消滅させるとするか」

 

 そのあっさりとした一言に、准の背筋が凍る。

 本当に軽々しく人を殺せる人間なのだと、目の前の男はそういうモノなのだと、否応なしに突き付けられた。

 

(ずがーん! どかーん!)

 

 強烈な炸裂音と、地震と判別がつかないほどの大きな揺れがこの部屋を襲った。

 デイライトは楽し気に口角を歪め、手で庇を作って河原の方を見やる。

 

「お、おっぱじめたようだな。まあ、あいつ一人に任せてもいいか」

「深紅さん!!」

 

 駆けだそうとする彼女の腕を、太い手が握る。

 

「おっとっと、邪魔はさせないからな」

 

 今はただ、祈ることしかできない。准の顔から表情が消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 地面を重い何かが跳ねる音。2、3回とバウンドした人の身体が慣性を失いきる前に、河川敷の露出したコンクリートにぶつかった。

 

「か、はッ……!」

 

 呼吸がままならない。背中を強かにぶつけた衝撃で、肺がひしゃげるような激痛と共に失われた喉からの酸素の運搬は、声にならない声となって口から血を吐き出した。

 

「しぶといな」

「クソ……」

 

 疲労困憊の身体に鞭打って、震える足で立ち上がる。

 口元に垂れてきた血を拭って、深紅は眼前に佇む男を睨み据えた。

 

 妖刀のようなものを払った状態で一つ息を吐く残心。

 

 まるで求道者のような強烈な武の雰囲気と、似つかわしくないほど決めたスーツ姿。

 赤いネクタイは胸元できつく結ばれており、動きやすいとはとても思えないその風体。

 にも拘わらず、深紅はまるでこの男に及ばなかった。

 

「灰原……!!」

「オレは灰原ではない。……犬井灰根。お前の始末を請け負ってきた」

「……CCRの件か」

「いかにも」

「そうか……」

 

 刀を構えたこの男に、勝てるビジョンがまるで浮かばない。

 舌打ちして身構えること数瞬、逃げようにも彼の刀はひたすらに深紅の動きをけん制していた。

 

「見逃しては、くれなさそうだな!」

 

 光弾を手に宿らせ、それを地面に叩きつける。土煙が空を舞い、深紅はそのまま後方へと飛んだ。目くらましと時間稼ぎ。そして、光弾を作る準備。

 

 しかしそうして深紅が一息ついた瞬間、煙を突き破って襲い来る殺気。

 

「くっ!?」

「……この程度でオレが止まると思ったか」

「何も考えずに突っ込んで来るとはな」

「何も考えず? 違うな」

 

 灰原に酷似した男――犬井はそのまま刀を薙ぎ払った。

 土煙が一瞬にして晴れ渡り、ついでに霊的な波動が拡散する。

 精製した光弾を三つ立て続けに深紅は放った。しかし、その全ては刀によって切り捨てられる。

 

「ち、どうなってるんだその刀は」

 

 あの刀はやばい。本能でそう察した深紅だが、察したところで対抗策は見当たらない。

 しかし冷静になってみれば、灰原との戦いもそうだった。相手は圧倒的強者で、その中で戦わなければならないのは変わらない事実。

 

 ならば、と瞬時に深紅身を翻した。

 このただ広いだけの場所で戦うのは不利だ。

 

 戦術さえ構築できれば、相手とて人型だ。戦う術はある。

 

 まず目を付けたのは家屋だ。木造の脆い建物なら、上手く利用すれば攻撃手段にはなりうる。なりうる、が。深紅は首を振った。

 

 目端に映るブギウギ商店街の看板。この町を、少しでも壊すわけにはいかない。

 そう思い、駆ける。犬井は迷わず追ってきた。

 

 背後にその姿を留めつつ、しかし商店街を抜ける頃にはとうとう回り込まれてしまう。

 

「クソ、俺より速いのか」

「歩法の違いだ。ただ走るなら貴様の方が速い」

「是非ともご教授願いたいな!!」

 

 光弾は全てあの刀によって弾かれ消滅した。

 一瞬の間が出来上がる。

 

「家屋を上手く使えば戦えただろうに、何故そうせずこんな場所まで来た」

「まるでもう勝ったような口ぶりだな」

「事実を言ったまで。……その姿のまま戦うのか?」

「何のことかな。あいにく、俺は正義を名乗れるような身ではないさ」

「そうか。ならば是非もない」

 

 犬井がその場から消滅した。

 同時、深紅は跳躍。今まで深紅が居た場所が、犬井の刀によって叩き潰された。

 どんな膂力だと血相を変えるも余裕はない。目の前に現れた犬井の刀をスウェーで避けるも、黒足が飛んできて見事に深紅は宙を舞った。

 

 そのままくるりと一回転、光弾と拳を駆使して戦おうとするも刀一本の前に手も足も出ない。

 

「ち、くしょう! 灰原とそこまでスペックは変わらないだろうに」

 

 ――戦いの腕は遥かに犬井の方が上だ。

 

「動きの差だ。速度が変わらずとも、動きの仕方で大きくその結果は異なる。洗練されればこの程度造作もないというだけ」

「初動も最高速もこれだけ違うのに、洗練されただけとは笑えねえな」

 

 一撃、二撃、三撃。

 刀が振るわれる度に深紅の身体に刀創が出来る。

 

 交えること数十合。

 一度刀を降ろした犬井は、訝し気に深紅を見やった。

 当の彼は荒い呼吸を繰り返し、今にも倒れそうにふらふらだ。

 

「しかし不思議だな。何故こうもしぶとい」

「お前、何か力使ってるだろ。俺はそういうものには強いからな……だからといって、どうにもできないが」

「そうか。それは良い」

「なんだと」

「俺は、より強くなるというだけの話だ」

 

 犬井が消えた。否、消えるほど速く動いたのだ。

 眼球を酷使してその姿を探すも、背後に感じた殺気に従って後手後手に回避するしかない。

 足、腕、胴、どんどん傷が増えていく。

 

 これはもう死ぬかもしれないと深紅は思った。

 

 ああ、せっかく帰る場所が出来たかもしれないのに。

 

「クソ、チクショウ!! うおおおおおおおおお!!」

「良い足掻きだ。だが、無意味としれ」

 

 どす、と鈍い音がした。

 切っ先がストールに触れ、黄色が空を舞う。

 

 身動きの取れなくなった深紅に、犬井は無感情に一言呟いた。

 

「とどめだ」

「――ごめんな、准」

 

『今日は早く帰ってくること♡』

 

 誕生日だったのに。

 

 ……約束、守れなかった。

 

 

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 

 デイライトによって取り押さえられていた准にとって、唯一の希望は深紅の帰還だった。

 早く帰ってきて、という心情がまさかこんな形に代わるとは思っていなかったが、それでも文面にすれば同じこと。

 

 だから、早く。

 そう思っていたのに。

 

「終わったぞデイライト」

 

 現れたのは、目の前の大柄な黒人よりも遥かに危険な空気のするスーツの男だった。

 

「お、早かったな。じゃあこの女も」

 

 何が終わったのか。

 それが分からないほど准は察しが悪くなくて、血が凍る。

 デイライトという男はそのままごりごりとした手を准の方へと伸ばしてきて――その手を犬井が掴んだ。

 

「……なんだよ、犬井」

「我々の仕事はあの男の処分だけだ。むやみに人を手にかけるな」

 

 ち、とデイライトは舌打ちする。それだけで力関係が理解できようものだった。

 

「……命拾いしたな、嬢ちゃん」

 

 吐き捨てたデイライトは先に行った。

 残った犬井は、准に無言で小さな布を差し出すと。

 

 背を向けて去っていく。

 

 手元に残されたのは黄色い布きれ。

 服が好きな彼女なら、あの人を想う彼女なら、この小さな切れ端が元は何だったかなどすぐに分かって。分かってしまって、

 

 准が膝から崩れ落ちた。

 

 楽しい毎日は、こうして唐突に終わりを告げた。

 

 

 




 アルバムNo.57 夢の対価

 バイトを辞めた。願いを捨てた。夢を、諦めた。
 笑うことが出来なくなった。明るい未来は消え去った。一緒に居たい人を失った。
 ……代わりに手にしたものがある。世界を相手に戦える場所。
 目線を合わせてくれなくなった親友が、権力という名の力をくれた。
 彼女は戦い続ける。あの日奪われた暖かな色の希望が、忘れられない限り永遠に。
 止まれない彼女は暴走した。思うままに力を振るって憎悪の連鎖を容認した。
 希望はとうに失って、復讐を遂げてもなお渇いた彼女の振舞いは、いつか背中刺す刃に儚く散った。
 血だまりの中抱いていた、黄色い布きれが深紅の色に染まる。
「あは……ようやく、会えるね……深紅、さん♡」
 いつかと変わらぬ声色で囁いたその言葉は、虚しく銃声に溶けて消えた。




次回はちょっとまたお時間いただきます。
たぶん27とか。


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《She I》IV

 

\パワプロクンポケット/

 

 

→サクセス

 

→さすらいのナイスガイ

 

→つづきから

 

 

「ゲームオーバーになったみたいだね……こんな可愛いメイドを酷い目に合わせるなんて、ダメなご主人様♡」

 

「テメエの本質を忘れるなよ深紅。オレたちは一人で戦えるようには出来てねえ」

 

「今度失敗したら、指で目を突き抜けるね♡」

 

「さ、プレイ再開だぜ」

 

 

 筋力が10下がった

 技術が10下がった

 素早さが10下がった

 変化球が10下がった

 

 

 

 

 

 

 

 さて、今日も気合を入れて練習練習。

 頬を撫でる風がそろそろ冷えてきた実感がわいた頃、それはそれとして俺たちブギウギビクトリーズは年末のジャジメントとの決戦に向けて練習の日々を送っていた。

 

 途中、幾つもの試合をこなした。結果は連戦連勝で、少なくともこの地方でビクトリーズよりも強い草野球チームは存在しない、というところまできていた。

 俺としても鼻が高いし、皆が皆誇らしげにグローブを身に着け、バットを振っているこの雰囲気がどうしようもなく好きだった。

 

 試合に何度も足を運んでくれているファンの皆や、権田と完全にくっついたらしい奈津姫さん、その息子のカンタくん。商店街の重要メンバーや武美も合わせ、皆で一生懸命この街を守っているその一体感は、何者にも代えがたい。

 

「じゃ、気を付けてね深紅さん。今日は早く帰ってくること♡」

「おう。ああそれと――」

「ん、なあに?」

「誕生日、おめでとう」

 

 華やいだような笑顔とともに添えられる「ありがとう」に小さく頷いて家を出た。

 今日は准の誕生日だ。変わらずアルバイトは入れているみたいだが、帰ってきたら小さくてもお祝いをしようと心に決めていた。

 

 いつものように河川敷沿いの道を歩き、グラウンドのある遠前山へ。

 休日の早朝ということで人通りは殆どないが、普段と違う顔をした道を歩くのも俺は嫌いじゃない。

 

 その先に見たくない顔さえなければ、最高だった。

 

 路肩に止めた車。

 紫煙を登らせて俺を待ち構えるように寄りかかっていたのは、青い帽子に青い外套が特徴的な一人の男。

 

 少し前まで来て、歩みを止めれば。満足げにヤツは口元を歪めた。 

 

「よう、深紅。まだ生きていたか」

「どういう言い方だ」

「いや別に。CCRを潰した張本人に刺客が差し向けられたと聞いたもんでな。人違いだったか」

 

 どの筋からの情報か。

 俺が知る限り、椿と繋がっているのはジャジメントだ。CCRの所属するオオガミとは敵対勢力。そうなればある程度の情報は入ってくるのか……?

 それにしても、CCR――灰原と事を構えたのは、やっぱり露見していたのか。

 

 ジッポライターを開け閉めする小気味良いリズム感とともに、ヤツはぼんやりと空を仰ぐ。12月も末に近づいてきたこの時期、晴天の寒空は寂しくも青々とした爽やかさを感じさせる。

 

「遠前町にやってきたって話を聞いたから、てっきりもう処分されてるもんだと思ってたが、ぴんぴんしてるじゃねえか」

「情報源はどこだ」

「さてね。まあ、二か月くらい前に嗅ぎまわってた連中がようやく尻尾を掴んだとかなんとか。……あとはほら、実験じゃねえの?」

「なんのだ」

「それをお前が知る理由はねえだろうさ。しかしそうか、お前に直接来ていないとなると……これはひょっとして、向こうも賢い手段を取ったのかね」

 

 こいつの口ぶりからすると、満を持して既に刺客はやってきている。

 それも俺の情報を粗方抑えたうえで……クソ、やっぱりまだ付け狙われていたのか。

 あまりに居心地が良すぎて、この町に長居しすぎてしまったのが原因か。

 

 それにしても。

 

「賢い手段?」

「人質に決まってんだろ。お前が大事にしてる女くらい、向こうだって調査してるんじゃねえのか」

「まさか、お前の差し金か!」

「さあてね」

「くそ!」

 

 准!!

 

「ああ、深紅!」

 

 駆け戻ろうとした俺に、背後からかかる愉快そうな声。

 見れば、にやついた表情を隠そうともせずに、椿は続けた。

 

「……手伝ってやろうか?」

 

 A:ふざけるなよ

→B:……頼む

 

「……」

 

 何を悩んでいる小波深紅。

 椿とはかつて決別したはずだ。そんなヤツに、今更頼ろうなんてどうかしている。

 けれど、あの挑発的な表情はいつか見たことがあるものだった。

 まるで俺のリーダーとしての資格を問うようなあのむかつくツラは、いつぞやあいつが「お前がリーダーだ」と笑顔で言った時と同じ……。

 

「……お?」

 

 顔をあげれば、意外そうな顔をして紫煙をのぼらせる椿の姿。

 

「……また、俺を試しているのか?」

「同じ言葉を繰り返してやる。"さあてね"」

「相変わらず食えないヤツだ。俺に接触してきたのも、だいたい調べが付いたからだろう。お前のことだ、戦略まで立てているに違いない。それも、冷酷な類のそれだ」

「おいおい、オレはドライになっただけだぜ? オレは正義じゃないらしいからな。目的のためには、あらゆる犠牲に寛容なのさ」

 

 そう言って椿は車の扉から背を離すと、煙草を地面に捨てて踏みにじった。

 

「だが、その慈悲深いオレにとって……お前がオレ以外の誰かにぷちっとされるのは気に入らねえ。お前の返答次第では――今一度オレは正義に寝返ってやらんこともねえ」

「椿、お前」

「勘違いすんじゃねえぞ。お前の女はこの件に無関係だ。お前の女だからって、裏のいざこざに全く関係ねえヤツに手を出すってのは"間違ってる"。別にお前を助けようって訳じゃねえ」

「……」

 

 帽子の鍔を少し上げて、椿は珍しく屈託のない笑みを浮かべる。

 まるであの頃、俺たちが何も間違っていない正義の味方だと信じきっていた頃のような。

 無邪気に作戦を立てて、ただ周囲に称賛されていた頃のような。

 

 椿のこんな顔を見るのは、いつ以来のことだろうか。

 

「……椿」

「おう」

「……頼む。力を貸してくれ」

「はっ。高く付くぜ」

 

 俺は、信じた。

 こいつの言葉を。正義の残り香を。そして、今のこいつが正しい行いをしていることを。

 

 椿が指を鳴らした。

 すると、車の後部座席と助手席から、合わせて三人の男が出てきた。

 ソルジャー、ロボ、番長。……ザ・トリオ。

 

「つーわけだ、こいつの女を助けて――オオガミの連中をタコ殴りにする。準備はいいか」

「拝命した。これよりオオガミを殲滅する」

「オオガミぶっ飛ばす良い機会だロボ」

「……やれやれだぜ」

 

 まさかこいつらまで協力してくれるとは思わなかった。

 椿は新しい煙草を取り出して、ソルジャーのライターを借りて一服する。

 そして、口角を歪めて言った。

 

「深紅お前、朝の特撮戦隊ドラマ見たことあるか?」

 

 言われて思い出す。自分たちの存在意義を考えていた頃、よく似た連中が朝のテレビで活躍しているのを見ていた。あの輝きに惹かれ、そして俺たちは紛いモノだと突き付けられた。

 

「ああ。いつも眩しく思ってた」

「だろう? オレもそうだったぜ」

 

 そして、椿はその場のメンバーを全員見回して続ける。

 

「あいつら、何故か分からないが……五人揃うのが標準らしいぜ」

「……へえ、いいな」

 

 俺たちが見ていた戦隊ヒーローとは掛け離れたアウトローの集団でしかないが。

 それでも、何故か俺の胸の内に熱い何かがこみあげてくる。

 

 椿は笑う。

 

「準備はいいか、英雄(ヒーロー)?」

 

 笑って返した。

 

「上等だ、悪党(ヒーロー)」

 

 

 

 

 

 

《She I》IV――ガッツだー!――

 

 

 

 

 

『誕生日、おめでとう』

 

 その言葉を反芻して、小さく笑みがこぼれた。

 

 自分の誕生日を誰かに教えたのはいつ以来の話だろう。

 分からないけれど、こうして好意的な感情を持っている相手から何かを祝われるという経験そのものが嬉しかった。

 

 ましてや、それが他人にも自分にも無頓着な風来坊からとなればなおさらだ。

 せっかく今日は早めに帰って一緒に夜を過ごそうと約束しているのだし、晩御飯のメニューは少しこだわってみようと考える。

 

「深紅さん、カレー好きだったし。あ、でもちゃんとしたお店のもの食べてるから、がっかりされても嫌だし……どうしようかな、今日」

 

 記念日なのだ。精一杯のことはしてみたい。

 

 あれこれとメニューを夢想していた、その時だった。

 

 来客を知らせるベルが鳴り、おおかた深紅が忘れ物の一つでもしたのだろうと扉を開く。

 

 その先に居たのは……大柄な黒人の男だった。

 

「え? あの、どちらさまでしょうか」

「深紅という男、知っているな?」

「っ?」

 

 すぐさま准は扉を閉めようとした。が、割り込むように突っ込まれた靴によって阻まれる。

 

「なにをっ」

「ルッカがこっちに来ていると聞いてやってくれば……ちょうどよく任務があって助かった」

「帰ってくださいッ……!」

「そうはいかない。こっちに来て貰おう」

 

 或いは、と男は告げる。

 

「どこに行ったか教えるだけでもいい」

「……あなた、いったい何者なの」

「私はデイライト。オオガミの者でね。うちの組織の一つを一人で壊滅させた、ある男の処分にやってきたんだ」

「っ、まさか」

 

 瞬間、准の脳裏によぎる外套の男の笑顔。

 

「どこに行ったか教えろ。そうすれば何もしない」

「……言うはずないよ」

 

 デイライトと名乗った男の眼光に、闇の世界を知らない准は一瞬気圧される。

 だが、それも瞬きの間にすら満たない時間のこと。

 男を見上げた准の瞳は、強い意志に庇われていた。

 

 デイライトは小さく舌打ちするも、そのまま面倒そうに後頭部を掻くと、

 

「まあ、そうだろうな。だが、今回の任務に出向いているのは私だけじゃない。どのみち時間の問題だ」

 

 そう吐き捨てた。

 

「そんな」

 

 突然の出来事に理解が追い付いていない中、しかしこの男の言うことには不思議と嘘だとかホラだとかのし付けて突っ返すことが出来ないでいた。

 只人とは思えぬその気配と威容は、全く裏社会に縁のない准でさえ分かるプレッシャーを放っている。それが故、だろうか。

 

 今、間違いなくあの人に危機が迫っているような気がして、震える声で彼女は言った。

 

「深紅さんをどうするつもりなの」

「処分と言っただろう。処分というのは、殺すということだ」

「そんなことっ」

「しかし」

 

 食い下がる准をよそに、デイライトは面倒臭そうに外へ目をやった。

 

「お前も気の強そうな女だな。私はそういう女が嫌いなんだ。ヤツを消した後、お前も消滅させるとするか」

 

 そのあっさりとした一言に、准の背筋が凍る。

 本当に軽々しく人を殺せる人間なのだと、目の前の男はそういうモノなのだと、否応なしに突き付けられた。

 

(ずがーん! どかーん!)

 

 強烈な炸裂音と、地震と判別がつかないほどの大きな揺れがこの部屋を襲った。

 デイライトは楽し気に口角を歪め、手で庇を作って河原の方を見やる。

 

「お、おっぱじめたようだな。まあ、あいつ一人に任せてもいいか」

「深紅さん!!」

 

 駆けだそうとする彼女の腕を、太い手が握る。

 

「おっとっと、邪魔はさせないからな」

 

 今はただ、祈ることしかできない。准の顔から表情が消えた。

 

 

 

 

 その、瞬間の出来事だった。

 

 

 

 

「おっと動くなよ、ジャジメントを裏切ってオオガミに付いたS級超能力者デイライト」

 

 

 

 扉は開いたまま。准が腕を掴まれている大男の背後に、青い外套がはためく。

 准からは殆ど何も見えないが、確かにそこに一人の男が居た。聞いたことのある声だが、今までに聞いたことのないような冷え切った声色。

 

「え、まさか……」

 

 脳内にその主を呼び起こすよりも先に、デイライトが表情を歪めて嗤う。

 

「おいおい、昼間に私と相対することがどういうことか分かっているのか?」

「さあ何が起こるんだろうなあ。きっとデイライトなんて間抜けな名前からは想像できないほどの、光源さえあれば瞬時に周囲を焦土に変えられる能力を持つ能力者なんだろうなあ。そして光源も自分で確保してあるんだろう? 用心深いねえ、強いねえ、おっかないねえ、鉄壁だねえ――」

「分かっているじゃないか」

 

 誇らしげに頷くデイライト。自らへの自信と自負に満ち溢れたその顔に、准は言葉を失った。

 

 そんな恐ろしい能力を持っているのか、というのはある。超能力などとは無縁の世界で生きてきたのだ。眉唾かもしれないという思いだって少しある。けれどこんな大の男が二人、大真面目に話をしているのだ。

 それに、深紅という得体の知れない風来坊と共にいれば、彼の話から超常的なことが当たり前のようにぽろっと漏れてきたことだってあった。

 

 だから、順応できる心も持ち合わせている。その上で、デイライトの能力は確かに恐ろしい。

 

 だが、そんなデイライトに対して、背後でせせら笑うような様子を崩さない椿は何なのだ。いや、そうではない。

 

 どうしてそこまで相手を――ましてや初対面らしい男のことを、こうも調べ尽くしているのか。その周到さに准は戦慄した。

 

 恐怖の中、初めてのことでここまで理解が及ぶあたり准には本人も知らぬ才能があったのやもしれないが、今はそれは措き。

 

 自信に満ちたデイライトが、准の腕を握りしめる。その力は以前よりまして、彼女の表情が苦悶に歪んだ。

 

「そこまで分かっていて、何故私と戦おうなどと思えるのか。覚悟はいいな、見知らぬ男。背後を取った程度で浮かれるなよ!! 死ね!!」

「――」

 

 デイライトが「はあ!!」と叫ぶ。

 

 しかし、何も起こらなかった。

 

「え、なん――」

 

 瞬間、デイライトの身体が外へと吹き飛んだ。アパートの外廊下に備え付けられた鉄柵を突き破り、地面に強かに打ち付けられる。

 風に青い外套が靡いた。ただ拳を放っただけでここまでの威力を発揮するのかと准は目を見張る。

 

「くだらねえ能力者だぜ。光の力を操るあまり、影の力ってもんを知らねえんだから」

「まさか、お前も超能力者か!!」

「さあて、ね!!」

 

 デイライトがまた、おそらくは能力を行使しようとして手を翳す。その手を、二階から飛び降りた椿が引っ掴み、あらぬ方向へへし折った。痛みに身をよじろうとするデイライトの腹部へつま先が襲い掛かり宙へ浮かぶ。

 その後頭部を掴んだまま、地面に転がっていた石をめがけて叩き伏せた。

 

「ぶふご!?」

「どうした、光を上手く使って戦ってみろよ。そうすりゃ、オレの能力にも対抗できるかもしれないぜ?」

「く、おおおお!!」

「――できうるならの話だが」

 

 血みどろで顔を上げたデイライトを、またしても顎目掛けた蹴り上げが襲う。

 隙だらけの股間に椿は連撃の蹴りを放った。

 

「サノバビッチ……!!」

「クソ野郎はお前だ。ま、あいつの女で良かったな。オレの女に手ぇ出してみろ。これじゃ済まねえからな」

 

 白目を剥いて泡をふくデイライトの顔面を足裏で潰しながら、椿は懐から煙草を取り出した。

 

 あまりに容赦のない展開に、言葉を失っていた准はおそるおそる近づいていく。

 

「あ、りがと……」

「罪のないヤツに手を出したんだ。報いとしちゃぬるい方だろうよ」

「強いんだね、貴方も」

「強か、と言って欲しいね。こいつが能力以外に芸のない野郎だってことは調べがついてた。だからやれたようなもんだ」

 

 それにしても容赦がない。最後まで必死に能力を使おうとしていたようだが、椿の物理的かつ非人道的な暴力の前に完全に屈した形だった。

 

「貴方の能力も凄いんだ?」

「は? 能力? んなもん使ってねーよ」

「え? でもさっき――」

 

 散々、自分の能力でデイライトを煽り、封殺していたような……。

 そう思って小首を傾げる准に、げらげら笑いながら椿は懐から何かを取り出した。

 

「これは?」

「知り合いの博士が作った試作品。名付けてESPジャマーだ。超能力限定だが、封じる機能を持っている。いつかオレたちもそれに似たもののせいで偉い目に遭ったからな……備えあればってヤツよ」

「……じゃあなんでデイライトには嘘を?」

「デイライトって能力者は自分の力にかなりの自信を持っていた。それが封じられたなんて言ったら逃げるだろうが。それより、がむしゃらに能力使おうとしてもらった方が動きが読みやすい。おかげでこのザマだろう?」

 

 靴裏で何度もデイライトを踏みつけながら椿は言う。

 准は、そんなものなのかーと納得した。

 そんな彼女を見て、椿が小さく笑う。

 

「やっぱりお前はこっち側だな」

「いや、流石に貴方のやってることはどうかと思うよ……?」

「そうかい」

 

 軽く准の言葉をあしらった椿がどこかへコールすると、二十秒とせずに黒塗りの車がアパートの前に止まった。そこに椿がデイライトを突っ込み、車はすぐに発進する。

 

「さて、行くか。……ああ、お前はここに居ろ。深紅の邪魔になっても困る」

 

 椿は小さく屈伸して身体を伸ばし、そのまま外套を払って歩き出す。

 ひらひらと手を振るサマはどこかの風来坊に似ていて、そして微妙に違う。

 温かさを感じる深紅の別れ方に対して、この男のそれは何だか適当だ。

 

「どこへ行くの?」

 

 その背中に問いを投げれば、椿は楽し気に声だけを返す。

 

「スーパーヒーロータイムだ」

 

 去り行く彼の姿は、いつ見た時よりも一番楽しそうだった。

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 犬井灰根にとって、この任務はいまいち気乗りしないものであった。

 デイライトという男とも肌が合わないし、抹殺対象自体もそこまで気を引かれる相手ではない。そして何より、自分の能力を見るための実験としてあてがわれたにしては些か強そうには思えなかった。

 

 これならば、上司の護衛をしている方がまだ骨のある相手に会えるだろうと。

 

 しかし。しかし。

 

 その犬井の心配は、今や杞憂を通り越して歓喜のそれへと変わっていた。

 

「……やるな」

「何がやるなだ。こっちは四人がかりなんだぞ……」

 

 河川敷。

 軽く息が上がっていた犬井の周りには、四人の男たちが膝をついていた。

 無傷の犬井に対して、四人は既に裂傷を幾つも抱えている。

 

 だが、犬井は楽しかった。四人対一人とはいえ、久々に骨のある戦いを演じられている。

 一歩気を抜けば攻撃にさらされる。彼らの連携は中々のものだ。

 

「行くぞ」

「来ないでくれ……」

 

 げっそりしながら深紅は犬井の刀を迎え撃った。

 分裂しそうな勢いで五月雨の如く襲い掛かってくる剣閃を、光弾で何とかしのいでいく。ぎりぎりになる前に深紅の背後から飛び出したソルジャーが三節昆を振り回し犬井の刀とかち合った。

 

「ハイヤー!!」

「お前たち、何等かの力を使っているな? この程度の武器を斬れない理由が思いつかん」

「この程度だと!? 我らの技術は世界一!! コケにした罪は重い!!」

「……かもしれんな。かかってこい」

「はあああ!!」

 

 ソルジャーの三節昆と犬井の刀がかち合う。しかしそれも数合のこと、あっという間にソルジャーは押され、強烈な突きに吹き飛ばされる。その瞬間、背後から番長が殴り掛かった。殺気に気が付いた犬井が刀を振るうと同時、空を舞う刃に番長はしゃがむことで対応する。

 

「ちっ」

 

 攻撃の機会を逸し、舌打ち交じりにローキックを放つ番長。

 だがそれすらも犬井は分かっていたように刀を軸に跳躍した。

 

「ロボ!!」

「了解だロボ!」

 

 番長の声に合わせ、空中で身動きの取れない犬井にロケットパンチがとびかかる。

 飛来するそれを視界に入れた犬井はしかし、そのロケットパンチを足掛かりに腕を辿って走ってくる。

 

「なんだロボ!?」

「させるかよ!!」

 

 ロボの顔面を狙った一刀を、しかし深紅が横やりを入れることで防いだ。

 かち合う刀と拳。足元からロボが右手を飛ばして応戦するも、紙一重で回避される。

 左からソルジャー、背後から番長が全員で犬井に殴りかかろうとしたその時、犬井はコンマ数秒の会敵までの差で全ての攻撃を刀一本で捌ききった。

 ソルジャーが胴を打たれ、ロボが吹っ飛び、番長はぎりぎりで回避。最後の一刀を向けられた深紅は光弾を犠牲に飛び下がる。

 

 息を吐かせる間を与えまいと光弾を飛ばした深紅だが、犬井はそれを刀で跳ね返した。

 深紅の頬を光弾がかすめる。

 

「……今の攻防は中々だった」

 

 サングラスを少し上げる犬井に対し、深紅は隣に居たソルジャーに問いかける。

 

「おい、ジャマーとやらは働いてるんだよな?」

「ああ、能力は封じているはずっ!」

「それでこれかよこの男……」

 

 小波、助けてくれ。

 静かに深紅は心の中でそう思った。

 この男レベルの技量の持ち主など、深紅は安藤小波以外に知らなかった。

 

「さあ、来い」

「来いじゃねえんだよ帰れよマジで」

「仕事だ」

「ちくしょおおおおお!!」

 

 テンチョーーーーー! と叫びながら深紅は犬井に突っ込んだ。

 

 鍔ぜり合う光弾と刀。

 鈍い音を立てて衝撃波を生んだその邂逅は、ちりちりと火花を奔らせて大きくはじける。

 

「犬井、と言ったか。結局お前も灰原と同じ、命令に従うだけの物なのか」

「灰原とは根本が同じなだけだ」

「……なら、今お前がしようとしていることに正義はあるのか!!」

 

 光弾の全てを刀で弾き、一歩を踏み込む風圧で背後から襲い掛かっていたソルジャーを吹き飛ばす。ついでロボの腕を掴んで地面に叩きつけながら、番長の拳を紙一重で躱してカウンターとばかりに柄で殴りつけた。

 

「正義? それは仕事に必要なことではない」

「CCRのやっていたことは間違いなく悪だった。それを知る俺や、他の人々を口封じに殺害することの何が仕事だ!」

「……それが命じられたことであれば、即ち仕事になる」

「結局、やっていることは同じじゃないか。何も灰原と変わらない!」

 

 刀から放たれる閃光を転がるように回避し続けながら、深紅は叫ぶ。

 しかしその全てを犬井は意にも介さない。

 大きく舌打ちした深紅の光弾が、また犬井の真横を通過する。

 

 ヤケクソ気味に深紅は光弾を放った。当たるはずがないと分かっていても、この男に一撃入れてやらないと気が済まない。吼えるようなその光を、犬井はまたしても首を傾げるだけで回避する――はずだった。

 

 ぱり、とサングラスがはじけ飛ぶ。

 

 驚いたように目を見張る犬井と瞳が交錯する中、深紅は背後の気配に気が付いた。

 

「おう、ボロボロじゃねえかテメエら」

「椿!」

 

 深紅に並び立つ、煙草を咥えた外套の男。

 

「……准は?」

「何も無かったからキスしておいた」

「……」

「冗談だから人殺しみたいな目で見るんじゃねえよ。オレの趣味じゃねえしな」

「……」

「人殺しみたいな目で見るなよ……」

 

 ソンナコトスルワケナイジャナイカ、ハハハ。

 

「……今の一撃、どうやった?」

 

 額を抑えて犬井が立ち上がった。

 軽く血を流しているが、かすり傷がせいぜいだろう。

 こちらの満身創痍っぷりに比べたら、ほぼ無傷と言っていい。

 

「教えるかよバーカ」

「……おおかた、なんらかの能力によるものだろうが、まあいい」

 

 再度刀を構える犬井に対し、こちらは椿を加えて五人。

 

 椿は煙草を放り投げると、そのまま犬井に突貫した。続くようにソルジャーと番長が殴り掛かる。犬井はすぐさま刀を振り上げると、一刀のもとに椿を切り伏せようとする。ブレるように回避した椿に追撃とばかりに二の太刀。切り払われた一撃に椿が吹き飛ぶ。ソルジャーを見事巻き添えにしたまま、冷静に番長の攻撃を回避、さらに一刀。

 

 起き上がった椿がすぐさま暗器を投擲するが、それも簡単に刀身で弾かれる。

 だがそれは椿にとっても囮。急接近とともに光弾を放つ彼を、犬井は刀一本で捌ききる。

 そのまま痛烈な蹴りを食らって椿は後方へ吹き飛ばされた。

 

「ふう」

 

 帽子をかぶり直して、椿は嘆息する。

 

「……つっよ。お前らこんなのとやり合ってたのかよ」

「でなきゃこんなにボロボロんなってねえよ」

「割に合わねえ仕事だぜ、おい」

 

 そのやり取りに、犬井が片眉を上げた。

 

「仕事だと?」

「それがどうかしたか? おっと、どこのモンか詮索するのは無駄だぜ? 非正規雇用だからな。いやあ人生世知辛いぜ」

「ジャジメント……ではなさそうだな」

「さあて、どうだろうな」

 

 肩を竦める椿に、犬井は小さく目を向ける。

 

「……お前はなぜこの仕事を引き受けた」

「別に大した理由はねえよ。それとも、たいそうな使命や誇りが必要かい?」

「必要ないな。だが、邪魔立てするなら容赦はしない」

 

 かちゃり、と切っ先を向けられた椿は鼻で笑った。

 容赦、容赦ねえ、とせせら笑う。

 

「ただの仕事ならそんなに必死になってんじゃねえよ。失敗したら失敗したで上司に責任の一つでも押しつけて帰りゃいい。少なくともオレは命が惜しいからね、形勢不利になったら帰るぜ?」

「……」

 

 何か言いたげに、しかし閉口した犬井はもう一度刀を構える。

 しかし、その刀が振るわれることは無かった。

 

「……オレだ。どうした……なに? ………………今の任務は? ……わかった」

 

 刀を収め、犬井は背を向ける。

 

「……おまえたちの差し金か? いま、いくつもの研究所が攻撃を受けているらしいが」

「さあてね。無駄話しているヒマがあるのかい?」

「……」

 

 通信機を苛立たし気に懐へ仕舞った犬井は、そのまま住宅街の方へと消えていった。

 

「……終わったのか?」

「ああ。間に合って良かったぜ。ったく、化け物かよあの男」

 

 ニヒルに笑って、椿は煙草に火をつけた。

 美味そうに一服すると、どさっとその場に胡坐をかく。

 

「おー痛ぇ。お前らもあちこちボロボロじゃねえか」

「椿」

「なんだよ」

「……助かった」

「気にすんじゃねえよ。うぜえ」

 

 ひらひらと手で深紅を払う椿に、少し眉をひそめると。

 深紅も椿に背を向けた。少々、心配な人もいる。

 

 ほっと一息ついて歩き出した彼に、後ろから椿の声がかかる。

 

「来週の試合は本調子でこいよ、ヒーロー」

「お互いな」

 

 それだけ言葉を交わして、深紅はその場を去っていった。

 

「良かったのか?」

「ああ、問題ねえよ」

 

 後ろから顔を出した番長に、椿は懐をまさぐってぼろぼろの封筒を取り出した。

 100万円の大金が入ったそれを、にやにやしながら椿は放る。

 

「ま、報酬は半年前に戴いておいたしな」

 

 何も知らずに去り行く男の背中を見送った椿は身体を河川敷に投げ出すと、大きく伸びをして笑い出した。

 

「くぁー、世の中まだまだ楽しいことがいっぱいだなおい」

「椿、ボロボロだロボ」

「るせー、良いんだよこれで」

「深紅という男、中々侮れぬな」

「おうよ、そりゃそうだ」

「ふっ……やれやれだぜ」

 

 最後の決戦の日は、近い。

 




次回から最終決戦。
ちょっと日付が確定し辛いけどGW中には。


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《She I》V

色んな仕事が舞い込んで、書いてる暇なんてないって自分に言い訳し続けていたけれど。それでも、ふと開いた作品ページで、最大10件しか入れられないような高評価をくれている人たちや、そうじゃなくても高評価や感想をくれていた皆さんのリストを目にして、あーやっぱ、応えなきゃ嘘だって。

ここ一か月くらい500文字とか1000文字とか、ちまちま書き続けていました。

ただいま。


 外套が風に揺れた。

 飛ばされそうになった帽子を抑えると、ふわりと広がった外套の中にちらりと見えるVictorySの文字列。冷えた突風に負けじと息を飛ばしてみれば、白球より幾分か大きい真っ白が空の中に溶けて消えた。

 

 今日は、決戦の日だ。

 

 あまりの寒さにかじかみそうな手をポケットにねじ込めば、そこで固い何かに触れる。

 金属のそれは冷たくて、しかも慣れない感触で思わず深紅は中の固形をとりだした。

 

「……ああ、そうか」

 

 これは、ケータイ電話というヤツだ。

 最近は画面に触ればそれで操作が可能というハイテクなものも登場したらしいが、正直勘弁してほしいと思う。自分にはこれでも機械的すぎて精一杯だというのに。

 

 ちゃらり、と人差し指に引っかかるストラップ。

 お守りと称して編んでくれた、グローブを模したビーズクラフト。

 

 今日勝てるようにと。そして、これからも連れ添っていけるようにと。

 そんな願いが込められたこのクラフトは、しっかりと夢や求めるものを掴めるようにという彼女の想いが見て取れる。

 

 何故ボールでないのかと聞いたら、「ボールだとどこかに行ってしまいそうだから」だとか。

 野球に触れ始めてそんなに時間が経っていないはずなのに、ペアルックと称して彼女は似たようなストラップを電話に付けていた。

 

 深紅のそれがピッチャーグラブで、准のそれはキャッチャーミット。

 

 これが深紅のナイスなグラブだ。

 

「あれ? 画面が暗い」

 

 ケータイ電話を開いてみれば、何故か画面は真っ暗だった。

 充電とやらは毎日しているはずだし、壊れたのかと首を傾げて少し弄ってみる。

 

 と、何故か電話は突然コールを始めた。

 

『…………もしもし?』

「お、わ、繋がった」

 

 電話の向こうから馴染みのある声がして、慌てて電話を耳に当てる。

 聞き心地の良いソプラノを、耳に押し当てて聞くだけで、不思議と深紅の口角は小さく弧を描く。

 

『繋がるよ、電話だもん。使い方、覚えた?』

「いや、まだ全然。真っ暗だったからどうしようかと思ったんだけど、なんか弄ってたら電話かけてしまったみたいだ」

『……なんだろ。今日は良い天気だし、太陽の光に負けちゃって見えづらかっただけじゃない?』

「なるほど、そういうのもあるのか」

 

 耳から外して、そっと画面に手で庇を作る。なるほど、微妙に暗く"通話中"と"♡准♡"の文字が見えた。ついでに空を仰いでみれば、バカみたいな快晴だ。陽光が若干遠くて寒さはあるが、それでも雲一つない晴天は見ていて気分が良い。

 

 ああ、今日は試合には良い日だ。

 

「最後の試合を楽しんでくるよ」

『うん、頑張って。ちゃんと見に行ってあげるから』

「仕事は?」

『偶然お休みなんだよ♡』

「そうか。偶然か」

『うん、偶然ね』

 

 それじゃ、と通話を切って、ポケットの中に電話を仕舞い直す。

 外気はまだ寒々しいが、胸のうちは温かだ。

 

 もっと野球がしたい。

 

 そう、思える。

 

「よう、小波。ちょうど良かったぜ」

「権田。おはよう」

 

 河川敷付近の道を歩いていると、後ろからやってきた車が隣に止まった。

 深紅も何度か運転したことのある見覚えのある車から、ひょっこりと馴染みの顔が現れる。

 

 この男とも、思えば一年近くの付き合いだ。目を細めて挨拶すれば、権田は空いている助手席を指さして言う。

 

「乗ってくか?」

「……そう、だな」

「お、珍しい。ちょっと待ってろ」

 

 意外だったのだろう。

 普段も呑気に、時間など気にせず歩いている風来坊だ。

 そんな権田の思惑を理解して、しかし深紅は笑うに留めた。

 

 言うべきことは、乗ってからでいいだろう。

 

 ドアのロックを解除して貰って、さらりと助手席に乗り込んだ。

 同時に車は発進する。こんなことが簡単に出来るのは、ここがそこそこの田舎であるからだ。

 

 だが、それが良いのだと。

 深紅は一人頷いて窓の外を眺める。

 

 見慣れた田舎の風景と、遠目にブギウギ商店街のメインストリートが見て取れた。

 

「権田」

「あん?」

「最後の試合だ」

 

 その言葉が何を意味するのかなど、考えなくとも肌で感じ取れる。

 窓枠に頬杖をついて外を眺める深紅の横顔を一瞥して、権田は小さく鼻息を飛ばした。

 

「楽しかったな」

「ああ、最高に楽しかった。こんなに楽しく野球をしたのは、初めてだ」

「それがこのビクトリーズで、良かったぜ」

 

 ハンドルを握る権田の表情に悲壮はない。

 寂寥もない。けれど、ほんの少しだけ漂う愁いと侘しさの残り香が深紅の胸を突いた。

 

「俺はさ、小波。商店街はもうゆっくり終わりに向かってるもんだと思ってたんだよ。時代の流れには勝てねえ。出来るのはせいぜい、それをジャジメントスーパーのせいにして悪態をつくことだけだってよ。けど、お前が来てくれて変わった。俺たちは流れに逆らうことが出来るんだって思えた。――楽しかった」

「それは俺も同じだよ、権田」

 

 それでも、去ると決めた。

 風来坊の旅路はまだ終わらない。ここで終わって良い旅ではない。

 

 けれど、この街は本当に良い街だった。

 

 色んな出会いがあった。色んなものを見た。

 たくさん、野球が出来た。

 

 そして、守りたいものも出来た。

 

「ビクトリーズは終わらねえ。お前が居なくなっても、決して終わったりしねえ」

「……」

「だから、いつでも戻ってきてくれていいぜ。お前がなんと言おうと、席は空けておく」

「………………ああ」

 

 何かを言うのは無粋だった。

 いつか本当に戻ってくることがあるのなら。それはまた、その時の話。

 今はまだ語るに至る場所ではない。

 

「勝とうぜ、小波。今日勝って、胸張って行ってこい」

「ああ。心配するな。負ける気は微塵もない。お前こそ、久々に観客が多くても驚くなよ」

「安心しろ。俺には女神がついてるからな」

 

 にや、と。おどけたように権田は歯を見せた。

 彼の言葉が何を意味しているのかなんて、分からないはずがない。

 

 きっと奈津姫が、そしてカンタが応援に来ているのだろう。

 

「そうか。なら俺も大丈夫だ」

「そうか」

 

 あの子が見に来るから。

 

 だから勝てる。必ず勝つ。

 

 心にかかったアクセルが、車の勢いを増した。

 

 早く野球がやりたい。

 

 最後の試合を笑顔で終わろう。

 何の杞憂もない。

 

 だってそうだろう。

 

 二人は思う。

 

 

《あいつと俺が居るから》

 

 

 

 

 

 

《She I》V――She I――

 

 

 

 

 

 

 

「ドーム球場か」

 

 ジャジメントスーパーに招待されたこの球場は、どうやらジャジメントスーパーのホームグラウンドらしい。金がかかっていることが随所に見受けられ、権田あたりはやれやれと額に手を当てていた。

 

 羨ましいのだろう。こんな環境で練習が出来る――彼らが。

 

 先に練習を開始しているキングコブラーズの面々を眺めれば、バッティングを開始していたザ・トリオのメンバーと目が合った。

 

 流石にロボも伸びるアームを使う気はないらしく、一塁から二塁、三塁へとボール回しの最中。

 ソルジャーはあれこれ大きな声で指示を出し、チームメイトを従えている姿が見て取れた。

 番長はバットを片手にストレッチの最中らしく、じっくり集中力を高めているらしい。

 

 三人ともが、口元の笑みを隠しきれていないようだった。

 

 ――快音。

 

 野球に慣れた者なら聞きなれたその音に、思わずビクトリーズの面々は天井を仰いだ。目に入った白球は美しい弧を描き――バックスクリーンに直撃した。

 

 ビクトリーズは一番打者、小波の名前が光る電光掲示板に。

 

 深紅は呆れたように目を打席の方へと移す。

 

 満足げに打撃練習を終えた青い男が、わざわざ一塁側へと歩いてきていた。

 

「よう深紅。商店街も今日でおしまいだな」

 

 けらけらと楽し気に。

 頬の傷が歪んで凶悪さを滲ませている。

 

 深紅は手元で弄んでいた白球を空に放り投げ、掴み取るまでの一瞬だけ目を閉じて。

 それから、小さく笑った。

 

「それはどうかな。ビクトリーズは強いぞ?」

 

 やってきた椿に対し、深紅の後ろに控える面々の瞳に気圧された様子はない。

 先制攻撃、とばかりに精神を揺さぶったはずのパフォーマンスが空振りしたことに椿はこれまた楽しそうに笑みをこぼしてから背を向けた。

 

「面白ぇ。楽しみにさせて貰おう」

 

 それだけ言って去っていくその背中は気迫に満ちて。

 

 けれど、この満員のドーム球場で強敵と向き合う彼らに、緊張や恐怖は無かった。

 

「コアラーズとの試合以来じゃないのか。これだけ観客が入っているのは」

「でもこの観客なんですけれどね。さっき聞いてきたんですけど、殆どがジャジメント系列のスーパーの職員らしいですよ。社内イベントとしてこんな企画を持ち込んだとかなんとか」

「は~? そこまでしてプレッシャーをかけたいもんなのかね」

 

 耳をほじりながら観客席を眺めるビクトリーズ。

 古参も、助っ人も、皆が何の気負いもなく。

 

 さあ、そろそろビクトリーズの練習時間だ。気合を入れてやっていこう。 

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

「……ええっと。席空いてるといいんだけど」

 

 コンクリートの階段を上った先に広がっていた、収容人数二万人の世界。

 宙を覆う円と、地上のダイヤモンドが現す戦いの舞台。

 

 彼女はきょろきょろと、見下ろした先で空席を探した。

 ビクトリーズのユニフォームや、それに似た紅白の服装で身を包む人々。

 これから始まる試合へ高まる期待の熱気が、この狭い世界を膨張させていく中で。

 

 自分は浮いているなあ、と眉根を下げた。

 

 大きく振られる旗や、揃いのタオルに描かれたVictorysの文字。

 商店街のオリジナルグッズとして販売しているらしいそれを見ると、妙に最近商店街の活気があったことも頷ける。これだけビクトリーズのグッズが売られているなら、それは確かに経営も立て直せることだろうと。

 

「お、嬢ちゃんこっちこっち! ジャジメントに負けずに応援しようぜ!!」

「え? あ、はい」

 

 階段口でまごついていた彼女を何人ものビクトリーズファンが席へ案内してくれた。

 ビクトリーズファンの真っただ中。

 

 相変わらずアウェーな気分を拭えない彼女だったが――実は言うほど、彼女の存在は浮いているわけではなかった。

 

 背に流した金髪が、ふわりと風に揺れれば見える背番号1。

 

 KONAMIと刻まれた名前は、ファンご用達のユニフォームグッズ。

 

 彼女の心情はどうあれ、傍から見ればどう見ても彼女はただのビクトリーズファンそのものであったから。

 

 ――しかし彼らは知らないだろう。

 

 これが、正式販売されているものではなく。

 ましてや、彼女自身がオーダーメイドで作ったものでもなく。

 

 彼女の体格より二回りは大きいぶかぶかの、"本物"であるということは。

 

 

 

 まったく同じユニフォームに身を包んだ青年が、グラウンドの中心で最後の球を放った。引き上げていくビクトリーズと、流れ始めるアナウンス。

 

 

 

 さあ、そろそろ試合開始だ。

 

 

 

 

キングコブラーズ     ビクトリーズ

1  椿  中     1 小 波 投

2  金  遊     2 ピエロ 二

3 ロ ボ 一【プレイ】3 寺 門 中 

4 番 長 三 作動能力 4 権 田 捕

5ソルジャー左 やめる 5 ムシャ 左

6 スミス 右     6 並 木 三

7 久 保 捕     7 カ ニ 一

8 須 藤 二     8 増 田 右

9バルソー 投     9 青 島 遊

 

 

 

 

 一回の表。一番バッターは、あの男だった。

 

 深紅はロージンバックに軽く触れ、指先を馴染ませて前を見る。

 

 頼もしい捕手が、いつも通りどっしりと構えていた。

 

『一番、センター。椿』

 

 青い男が、その長身を十全に使ってバットを握る。

 ニヒルに笑った彼は深紅を挑発するように笑った。

 深紅はその笑みに返すように、呟く。

 

「行くぞ、椿」

 

 バットを握るグローブがみしりと軋んだ音を立てた。

 

「来い、ただのヒーローめ」

 

 振りかぶって、第一球はストレート。

 

「ストライッ!!」

 

 インコース低めに決まった、球速は152kh。

 上々の出来に軽く肩を回して、権田からの返球を受け取る深紅。

 

 権田はちらりとアンパイアを見上げる。

 結構際どいコースではあったのだが、あそこでストライクを取ってくれるということは妙な贔屓やジャジメントの息のかかった審判ということではないらしい。

 

「安心しろ。俺とあいつの試合に、下らねえ茶々入れするヤツが居たら正義の制裁を加えてやる」

「……正義、ねぇ」

 

 深紅を睨んだまま、権田の思考を察したのだろうか。

 バットを構えた椿の台詞を、権田はひとまず信用してサインを送る。

 

 この男に甘い球を放るのはそのまま死に直結する行為だ。

 そういう意味では、深紅を相手にする時と似ている。

 

 違うのは、深紅が丁寧に球を打ち返してヒットにするのに対し、椿は半ば強引にでもリストで外野に持っていく傾向があることだ。

 どちらもアベレージヒッターとして随一の才能、そしてパワーヒッターとしての素質も兼ね備えている。

 

「どいつもこいつも、風来坊ってのは嫌になるね」

 

 アウトローへの直球を要求。

 ゆっくり頷いた深紅から、ワインドアップで放たれる直球。

 

「っ、っとぉ!」

 

 鈍い音と共に、イレギュラーバウンドの回転がかかったボールはファウルゾーンへ転がっていく。

 

 乱雑なバットの振り方にしては、器用なカットだった。

 

「……なるほど? 前回の教訓が生きてるってわけだ」

 

 へらっと笑って、椿はバットを構え直す。

 

 ――前回の教訓。

 ストレートで押すならまだしも、変化球で緩急をつけようとした瞬間にスタンドへと運ばれたそんな記憶がよみがえる。

 

 実際、だからこそ変化球を嫌って二球続けてストレートを放らせた。

 

 深紅の持ち球はスライダー、フォーク、シュート。

 きっちり三振を取りに行くには、中々に組み立てが難しい球種だ。

 どれも変化量が大きいわけではないし、何よりも球速でテンポが作りづらい。

 

 それでもこれまでビクトリーズでエースの座を獲得出来ていた理由はたった一つ。

 

「っ、ファール!!」

 

 三球目のストレートも椿は押し負けてバックネットへと浮かせてしまった。

 

 深紅の武器は、この最高品質の剛球である。

 

 深紅本人曰く大した球ではないと肩をすくめるこの球は、才能無しには得られない強力な武器だ。

 

 詳しく聞けばどこぞのホッパーズのエースと比べて自分のストレートを卑下していたようだが、権田からすれば馬鹿げた話。

 

 キレ〇、リリース〇、逃げ球、ノビ〇、テンポ〇、重い球、etcetc……などという慮外の化け物と張り合えるだけでも相当のものなのだ。

 

 これでツーナッシング。

 考える限りでは二番目に理想的な形で椿を追い込んだ。

 

 あとは。

 

「ぐっ」

 

 またしても鈍い音。

 しかしゴロにしては早いペースで1、2塁間を抜けようとするこの球に、深紅はすぐに反応してファーストのベースカバーに入った。

 飛び出していたカニの綺麗なダイビングキャッチ。セカンドのピエロにグラブトスからの丁寧なワンアウト。

 

「良い連携だ!!! ワンナウト!!」

 

 権田の気迫籠った咆哮に応じるように全員が声を上げる。

 

「ああ、いいチームだ」

 

 帽子の鍔を握り、深くかぶり直した深紅は小さく笑って呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 金を三振に打ち取り、ロボをぼてぼてのピッチャーゴロで抑え込んだ一回の裏。

 

 電光掲示板の表示はフルカウント。

 

 悠々打席に立つ深紅は、探るような表情でピッチャーのバルソーを睨んでいた。

 

「球速はざっと見積もって俺と同等かそれ以上。みんなは"慣れた"って言ってたが、流石にやっぱり速いってのはそれだけで打ちづらいな」

 

 小波深紅の球速とその剛球に慣れているビクトリーズの猛者たちにとっては、バルソーのストレートくらいは驚くに値しないらしい。

 そんなバカな話があるかと、深紅は球速を見ながら思う。

 

 しかし実際、深紅が試合に遅れた日には彼らは自力で三点を獲得しているし、彼らの言葉を信用しない理由は深紅には無かった。

 

 

 一番、投手。

 

 

 深紅ほどのパワーと選球眼があるバッターが、投手として先発しているこの状況は控えめにいってスタミナには優しくない。

 一番と先発。本来ならばどちらかを選ぶのがセオリーだ。ましてや負けられない相手に一回勝負。それでもビクトリーズにとって、一番バッターに最も相応しいのは小波深紅であり、先発投手に相応しいのもまた小波深紅だった。

 

 だがそれは、それだけではこうしてフルカウントまで粘って一番としての仕事をここまで懸命にこなす理由にはならない。

 

 ある程度の情報を持って帰ればそれでいい。

 だというのにここまでの仕事をしている理由は、簡単だった。

 

 投手としても。打者としても。

 

 後ろのメンバーを信頼できるから。

 

 小波深紅という強打者を、クリーンナップにすら置かずに済む打線。

 そして、リリーフを任せられる投手が他にもいるという安心感。

 

 ちらりとベンチに目をやれば、静かに状況を見守る権田と、欄干に乗り出してヤジなのか応援なのか分からない声を上げる木川の姿。――あ、隣の寺門と喧嘩になった。

 

 仕方のない連中だと思う。

 けれど、確かに木川の口から"打て"という一言が聞こえてきた。

 

 だから決める。難しい話じゃない、チームの為に一撃を。

 

 ――快音。響き渡る鈍い音と共に転がった白球の速度は最高。

 

 あっという間にバルソーの足間を抜けて、セカンドベースに跳ねて大きなイレギュラー。

 

「よし、回れ回れ!!」

 

 思わず叫ぶ木川の頬は赤らんでいる。一回からチャンスを作ることが出来ればゲームメイクは遥かに楽になる。そうすれば先発である本人にも負担がかからないと踏んでの声援。

 

 ビクトリーズ側の応援席からも同じように沸いた喜色に染まった声が届いたが、しかしコーチャーの増田とランナーの深紅は冷静だった。

 

 一塁を駆け抜け、しかし少しいったところで制止する。

 なぜなら。

 

「……ちっ」

 

 既にショートの金がセカンドのベースカバー、送球を受け取り深紅を二塁で潰す気満々に待ち構えていたからだ。

 

「マジかよ!」

「兄貴の足でアレが一塁どまりだぁ?」

 

 目を剥く木川と、運動能力には一家言ある寺門の呟き。

 彼らの視線の先に居たのは、外野の浅いところで帽子を目深に被る一人の男。

 

 センター椿の弾丸のような送球があってこそ、深紅は一塁に釘付けにされたのだ。

 

「……ふう、この前はかけっこ負けちまったからな。今回はぶっ殺してやるつもりだったんだが」

「わざわざ死地に飛びこみゃしねえよ」

「おいおい、ヒーロー唯一の得意分野だろ?」

「得意分野ってのがお前のスローなスローを言うのなら、まあ得意分野だな?」

「抜かせ」

 

 続く二番のピエロが打席に入り、バルソーの速球が唸りを上げる。

 ぽん、と転がったゴロに深紅は大きく舌打ちして飛び出した。

 

「番長!!」

「分かってる!!」

 

 サードの番長が目の前に転がったボールをベアハンドでつかみ取り、そのまま二塁へ送球。セカンドの須藤に仕掛けたスライディングはしかし空を切り、一塁のロボが危なげなく捕球した。

 

 ダブルプレー。

 

 せっかくノーアウトのチャンスだったが、まだまだ野球はこれからだ。

 ピエロの肩を軽くたたいて、ベンチへと戻っていった。 

 

 

 続く寺門が初球をフライに上げて、ビクトリーズの攻撃も0点に終わる。

 

 静かな立ち上がりだった。 

 

 

 

 

 

 

『二回の表、ジャジメントキングコブラーズの攻撃は――』

 

 

 ドーム球場はいっぱいに人が押し寄せていた。

 ジャジメントスーパーの社員が多くを占めているにせよ、当然ながらブギウギビクトリーズの応援団も駆けつけている。

 一塁側のスタンドを埋める彼らの中には、選手たちと縁深い人物も多く居た。

 

「おじちゃーん! おっちゃーん!」

「おら気張りなさいよ、正男ー!」

 

 その中央に陣取って声を上げる見慣れた親子。

 神田カンタと、その母神田奈津姫。

 ビクトリーズにとっての勝利の女神、などと言われて本人は少し照れ臭げにしていたが、試合が始まればこの通り。しかめっ面に大きな声で、子の尻でも叩くような声色で応援を送っている。

 

 そんな彼女に当てられて、熱気の籠った声援がチームの選手たちに送られるスタンドは、プロ野球や高校野球の大舞台と比較しても遜色ないほどの盛り上がりを見せていた。

 

 元々、ビクトリーズはこの半年間で多くのファンを獲得したスター性溢れる選手たちのチームだ。

 

 だから、ピエロがダブルプレーに倒れた時はがっくりと皆が肩を落としたが、決してそれはピエロのプレーを卑下するようなものではない。

 

 ツーアウトになれば、ビクトリーズ勝利の方程式が完成しない。

 そう思ったからだ。

 ネクストサークルから出ることなく回を終えた男に注がれる期待の視線は伊達ではないのだ。

 

 権田正男。

 

 元ビクトリーズのキャプテンで、今は捕手としての仕事に全力を注ぐ、猛者揃いのビクトリーズにあっても最高の強打者。

 

 ベース上に小波深紅、打席に権田正男が立つという条件下において、ビクトリーズが他チームから1点も取れなかった回は今までに一度たりとも存在しない。

 

 だから、深紅が塁から居なくなったことに対する落胆は大きかったのだろう。

 

 しかしビクトリーズは折れない。

 

 

 ネクストサークルに座っていた権田が戻り、商店街メンバーに手伝ってもらいながらレガースを装着している隣で、白球を弄る深紅があれこれと何かを呟いているようだった。おそらくは、バルソーとキングコブラーズについての情報のやり取りだろう。

 

 真剣な彼らの表情はしかし、どこか楽しそうにも見えるもの。

 

 スタンドからは見えないが、グラウンドに散っていく選手の背中から十分に感じ取れる"熱"。

 

 それこそが、ビクトリーズの原動力だ。

 

「おじちゃーん! おっちゃーん! 三者三振だー!!」

 

 豪胆な応援をするこの少年、カンタは最早ビクトリーズの試合に足を運ぶ者たちにとって名物マスコットと化している。

 

 元キャプテンの遺児であり、勝利の女神の息子、などと言われて。

 

 その本人にも類稀な野球の才能があるとなれば、人気になるのも当然のことか。

 おっちゃんに負けないキャッチャーになる、と豪語する彼は小学校のクラスメイトと共に毎日野球に励んでいるらしい。

 

 その練習風景は、たった数人の野球クラブにも拘わらず異常なほどの実力に溢れているとか。

 

「よく言ったぜカンタ!! 小波ーー!! カンタに恥かかせんなよー!!」

「お前ならやれる!! エースの力を見せつけてやれ!!」

 

 勢いに任せて咆哮のようなエールを送るビクトリーズ応援団。

 会長を筆頭としたこの集団は、商店街に無関係なただのファンも多く押し寄せまさしく大きな和を生み出している。

 

 だから。

 

 たまたま親子の隣に居合わせた少女は、なんとなく居心地の悪さを感じていた。

 

 

「……深紅さん」

 

 

 そっと、ざわつく胸の感情を抑え込むように、持っていた携帯電話をぎゅっと握りしめる。添えられたキャッチャーミットのストラップが、天井の証明に反射してきらりと光る。込めた想いは、今日も頑張れますように。

 

 マウンドに上がった彼を見つめ、そっと祈った。

 

「――おじちゃんなら、大丈夫だよ」

「え?」

 

 顔を上げる。自分に向けられたと感じた、まだ変声期も来ていないあどけない少年の言葉。目を丸くする少女をよそに、カンタはグラウンドを見つめて呟く。

 

「さっき会った時、言ってたんだ」

 

 背番号1が振りかぶった腕が勢いよく降ろされると同時、主審のコールが響き渡る。

 灯されるランプの色は黄。わっと歓声が巻き起こる。

 

「今日は商店街の為にも負けられない。それに、負ける気がしないって」

「……そうなんだ。あの人、凄いんだね」

 

 子供に優しく接する、保育士か教師かのような笑顔を浮かべて彼女は頷いた。

 誇らしげな気持ちと一緒に、ほんのちょっとの疎外感。

 けれど、カンタは小さく首を振った。

 

「おじちゃん、普段は負ける気がしない、なんて言わないよ。オイラ、"その人"のことは知らないけど……」

 

 鋭い投球の速度は155km/h。本人の最高球速に、またしても会場が沸いた。

 Sと表記された電光掲示板に、輝く星が二つ目。

 

「大事な人が偶然来られることになったらしいって、嬉しそうに言ってた」

「――」

 

 

 

 

『仕事は?』

『偶然お休みなんだよ♡』

『そうか。偶然か』

『うん、偶然ね』

 

 

 

 

 

 

 深紅が腕を振り抜くと同時、バットを振ることも叶わずに打席を降りる。

 

『ストライク!! バッターアウト!! チェンジ!!』

 

 当たり前のような顔をして三者三振。ああ本当に負ける気がしていないのだろう、淡々と、しかし軽い笑みを浮かべてベンチへと戻っていく背番号1に投げかける。

 

 

「偶然なわけないでしょ。ばーか」

 

 

 ああ。蹴りたいなあ、あの背中。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キ00000000

ビ0000000

 

 

 

 

 試合は膠着状態を脱することなく、既に八回の裏を迎えていた。

 深紅は一度マウンドを降り、継投を任された木川は二回を無失点に抑えきっていた。

 

 ここで打席は、一番センター 小波深紅へと舞い戻る。

 ノーアウトの状況。ここが最大のチャンスだと、会場も大きく盛り上がる。

 

 行け、押せ、重なり溢れる声援がただ一人、打席に立つ男へと向けられた。

 

 ――ただ、感じる。この手に漲る力を。

 

「小波!! ここが! こここそが正念場だ!!」

 

 今までの回は腕を組み、ベンチでじっくりグラウンドを見据えていた権田が柵から乗り出すようにして咆哮する。

 

 追随するようにベンチで騒ぐ、ブギウギビクトリーズのメンバーたち。

 

「兄貴!! いっけええ!!」

「小波さん!! 打つカニー!」

「……ゆけ、小波」

 

「小波くん、頼んだよ!」

「小波さんならいけるよ~!」

 

 寺門、カニ、ムシャ、青島先生、そして、ネクストサークルのピエロ。

 

 初めてだった。こんな風に、多くの想いを託されて打席に立つのは。

 

 カウントは既に2-2だ。

 腰元をえぐるようなストレートを見逃し、一息つく。

 明確なボール球。フルカウント。

 

 ――と、そこで気づく。

 投手であるバルソーが、険しくも愉しげな表情で頷いたのを。

 

 重々しく縦に振られた首から、入るのは綺麗なワインドアップのモーション。

 

 深紅は微妙に違和感を捉えた。

 

 投げられたのは低め、ストライクゾーンには入っている。

 カットしにかかるかとスイングすると同時――その変化に気が付いた。

 

 

 

 左投手。この軌道。

 前回の情報には無く、今回初めて出てきた変化球。

 

 後半もここまで詰まった状態まで温存しておいた隠し球。

 ここまで溜めておいたのは、勝負を決定付けるためか、それともまだ未完成だったのか。両方、なのだろう。険しい表情も、見せつけたいという意志も。

 

 

 ――小波深紅は、これまでただの一度とて、打席での勝負で安藤小波からこの球を打ったことが無い。もしかしたらその情報が洩れ、弱点だと思われていたのかもしれない。

 

 この土壇場で、しかも小波より速い球の持ち主であるバルソーなら、安藤小波に迫る投球が出来るかもしれないということか。

 

 

 ――スクリュー。

 

 インコース低めに食い込んでくるこの球に合わせ、深紅はバットを振るった。

 

 

 バルソー本来の球速よりも20キロ近く遅い球。

 それをしかし、深紅は当たり前のようにタイミングを計ってステップする。

 

「あいつの球で鍛えられた俺に、そのスクリューは温かったな」

 

 変化球のキレも、その緩急の落差も、コースの選定も全て。

 

 あいつに比べれば大したことはない。

 

 打ち抜くは左中間。ソルジャーと椿という外野陣を鑑みれば二塁打は厳しいだろうが、それでもノーアウトでのランナーだ。

 

 ここで一点でも取れば世界の見え方が変わって来る。

 

 終盤でのヒットに沸くビクトリーズスタンドに軽く手を振って、深紅は一塁からバッターボックスを睨んだ。

 

 

 二番はピエロ。軽くリードしておくと、監督からバントのサインが出る。

 是が非でも一点が欲しい場面、そして小波深紅が一塁に居るのと二塁に居るのとでは大きな差が生まれる場面。

 

 ワンアウトと引き換えに、勝負への鍵を手に入れるビクトリーズ。

 丁寧にボールを転がせたピエロは、やり遂げた顔をして深紅と目を合わせた。

 

 後は頼んだとでも言いたげな彼に笑みを作ることで応え、バルソーの背中越しに三番寺門を見守る。

 

 外野まで飛べば一点確実に取ってやる、とにじり寄るように三塁側へ足を向ける深紅だが、彼の快速を知るジャジメントがそう易々とリードをさせてはくれない。

 

 二度にわたる牽制によって、寺門もテンポを崩されたように眉根を寄せる。

 

 そんな中、深紅は様々な方向からの視線を感じ取った。

 

 右方向には三塁の番長とレフトのソルジャー。

 左方向からは、一塁のロボ。

 そして背後にはセンターの椿。

 

 ボールが来たら、真っ先にお前を叩き潰す。そう言わんばかりの体勢に、深紅は思わず苦笑いした。戦いの中でこんな感情を覚えるのはきっと間違っているのだろうが、それでも。

 

 一時は敵対し、殺し合う可能性すら示唆された相手。

 つい先日は共闘し、この日の為に決別した連中との野球。

 

 つくづく、この世にはまだ未練が多すぎる。

 楽しくて。もっと色んなことがしたくて。

 

 バルソー渾身のストレートを、寺門が打ち返した。

 

 レフト前へ抜ける速い打球に、深紅は躊躇うことなく駆け出した。

 確実にここで一点を取る。その意志を込めて蹴ったスパイクは、まずは三塁とばかりに突っ走る。

 

 だが。

 

「させるか!!」

 

 ソルジャーはすぐさま球を拾うと、フィルダースチョイスも躊躇うことなく三塁にボールを放る。番長もそれが分かっていたかのように身構えている。

 

 だから、

 

「ストップだ!!!」

 

 三塁のコーチャーになっていた電視の叫びに、深紅は三塁でつんのめる身体を押さえブレーキを掛けた。

 

 屈辱の進塁に歯噛みする深紅を後目に、番長は笑みを作って捕球する。

 

「……まだまだだな」

「ちっ」

 

 しかし寺門も生きてのワンアウト1,3塁の状況は間違いなくチャンスだ。

 

 そして、何より。

 

『四番 キャッチャー 権田』

 

 強打者揃いのビクトリーズにあって四番を張る、得点圏打率七割に迫る男が今、打席に上がろうとしているのだ。

 

 コールされた名前にお祭り騒ぎと化したビクトリーズスタンド。

 

"ベース上に小波深紅、打席に権田正男が立つという条件下において、ビクトリーズが他チームから1点も取れなかった回は今までに一度たりとも存在しない"

 

 その小波深紅が三塁。

 ワンアウトで権田正男。

 

 湧き上がる歓声は最早喚声、鬨の声と表現する方が正しいくらいの轟音だ。

 

 しかしその中にあって、打者は冷静だった。

 

 バットをゆっくりと構えると、一度だけ三塁側に視線を寄越す。

 目が合った深紅もいつも通りの気楽な表情で、権田は一つ頷いてバルソーと相対した。

 

「――あれがお前の相棒か」

 

 三塁で構える番長が、権田から目を離さずに隣の深紅に問いかける。

 無言の首肯に、彼はそうかとだけ頷いて。

 

「なるほど、強い。心にブレがない。お前や椿ともまた違う強さを持っている」

 

 神妙に呟く番長に、しかし今度は深紅は否定した。

 

「あいつはそんなに精神が強いヤツじゃなかったよ」

「――ほう?」

「ブレてないように見えるのは、支えてくれてる人がいるからだ」

 

 

 バルソーがクイックでストレートを振り抜く。

 

「いいもんだろ?」

 

 それだけ言って、深紅は駆けだした。

 権田の振り抜きと同時、快音と共にセンター方向へ白球が宙に弧を描いたからだった。

 

 ボールはセカンド後方に落下する。ちょうどセカンドショートセンターの中心部、これで打球が緩ければポテンヒットになってもおかしくなかった三角地点。

 

 しかしそこに飛び込むように、もしセカンドやショートが居れば跳ね除けるような勢いで駆けてきた椿は、そのままボールを掴み取り――一気にセカンドベースを踏んだ。

 

「アウト!!」

 

 塁審の声に椿は口角を上げる。

 

「いいや、チェンジだ」

 

 勢いよく肩を振るった。

 

 捕手の久保が、槍投げのような椿の鋭い球を捕み、一気にベース前に叩きつける。

 完璧なブロッキングだ。椿の投球も見事だった。

 

 

 

 ――喚声が上がった。

 

 

 

「――欲を掻かなきゃ、お前の勝ちだったな。椿」

 

 久保の背後から聞こえた声。

 

 主審が何のコールもしなかったのは。既に深紅が帰ってきていたから。

 

 

 念願の一点を、ビクトリーズが獲得した。

 

 

 

 

キ00000000

ビ00000001

 

 

 

 運命というのは、やはりあるものだ。

 

 ビクトリーズ八回の先頭打者が小波深紅であったように、コブラーズ九回の先頭打者は青の男その人。

 

『一番 センター 椿』

 

 ヘルメットを目深に被り、やれやれと首を振る動作は本当に己の行動を悔いているような、そんな雰囲気さえ纏っている。

 

「いや、やっちまったな。ああ、やっちまったよ。お前を潰すって決めてたのにな。かっこつけちまった。――だが、だからもう二度はない」

 

 握りしめたバットで睨むマウンドの上。

 

 ロージンを弄びながら、ビクトリーズのエースは小さく口角を上げていた。

 

 ――木川が二回を押さえてくれたおかげで、だいぶ休むことが出来た。

 草野球のルールに、再登板を禁止するものはない。

 

 だからこそ最終回は小波深紅が、というのはチームの共通見解だった。

 

 この試合が終われば、小波深紅は旅に出る。

 みんなそれを知っていて、商店街の進退を決定づけるマウンドを彼に任せたのだった。

 

 無責任に去るとは微塵も思っていない。

 信じているからこそ、彼に決めて貰う。

 

 だから、そののびやかなストレートに快音が走った時も――すぐにセンターの寺門が反応した。

 

 左中間を抜けるような痛烈なヒットに、しかし寺門は食らいつく。

 二塁打以上になどさせて溜まるかとセカンドへ放られた球を、すかさずピエロがカバーに入った。

 

 椿の足でも、シングルヒットに済ませる守備。

 

 投手への信頼と、信頼しているからこその堅守。

 

 この回をしっかり終えて、勝利をもぎ取るのだという熱意がここに在った。

 

 

 二番の金を三振に打ち取り、続く打者は三番のロボ。

 

 ここから三人、ザ・トリオの打順が続く。

 

 じりじりとリードを取る椿に一度牽制を入れて、バッター勝負へ。

 

 彼ら三人は強打者ではあるが、バッティングの巧さは無い。

 一番打者の椿が異常に優れているだけで、トリオは典型的なプルヒッターでパワーヒッターだ。

 

 だからこそ――権田のリードが光る。

 

 

「ロボッ……!?」

「悪いなロボ……全力だ」

 

 あの日は助けて貰ったが、それとこれとは話が別。

 ロボも分かっては居るだろう。

 だが、流石に。ツーストライクまでど真ん中のストレートを連続して投げるとは思っていなかったようだ。

 

「どうしようもなく、身体が軽い。負ける気がしない」

 

 椿が塁上に居ようと。

 これからトリオを相手するというのに。

 

 球速は未だ衰えず150キロ。球はずっしりと、浮くこともない。

 

 この回を戦い抜いてなおあまりある気力が、全身にみなぎっていた。

 

「ストライク!! バッター、アウト!!」

 

 九回表、ツーアウト。

 

 ロボがしょげたように打席を外れ、肩を叩いた番長がゆっくりと深紅に相対した。

 

「私に回せ!! 必ず逆転してみせようぞ!!」

 

 ネクストサークルでソルジャーが叫ぶ。

 

 頷いた番長はヘルメットの庇を軽く握り、深紅を睨む。

 そして、

 

「支えるもの、か。俺にはそんなものはないが。――だが、それでも負けたくはない」

 

 にや、と口角を上げてバットを振り抜いた。

 

「ストライク!!」

 

 アウトコース低めに決まったストレートの、上を振るった番長に深紅の口元がひくついた。

 

 どうやら、あの振り方。球は見えている。捉えられたらそれで仕舞いだ。

 

 しかしそれでも、変化球の選択はない。

 

 権田は一球外すことを指示。

 頷いて、振りかぶる。

 

 コースは外角、外すとしても、空振りを狙う。

 

 ――快音。

 

 慌てて深紅が振り向く先は――内野のスタンドだった。

 

 ファールボールへの警告アナウンスが流れる中、一つ息を吐く。

 

 少しずれていたらホームランだ。

 

 トリオの中でも飛びぬけたパワーを持つ番長の腕。

 それを改めて痛感させられ、深紅の背を伝う冷や汗。

 

 ジャジメント側の大歓声。

 逆転ホームランが出れば、九回裏のビクトリーズは下位打線だ。

 勝てる目を、夢を、期待を見せた一条の光こそ、今の番長のファールボール。

 

「俺を返せ、番長!!!!!」

 

 熱くなった椿が吼える。

 珍しいほどに鬼気迫ったその表情に、番長は応えるように頷いた。

 

 ベンチからも、いつから結ばれていたのか絆の芽生えたメンバーたちが口々に声援を送る。

 

 ムードは完全にジャジメントキングコブラーズ。

 

 不味い、と思った権田はタイムを取ろうとして――辞めた。

 

 

 深紅は、ファールボールの飛んでいった方角をじっと見つめていた。

 最初は惚けているのかとも思ったが、違う。

 

 あちらは、ビクトリーズ側のスタンドだ。

 

 

 

「――深紅さん!!」

 

 

 

 

 ――声が、聞こえた気がした。

 

 だから大丈夫だ。権田はミットを大きく叩く。

 

 バッター勝負だ、とその意志は目と目だけで伝わり、振り返った深紅の熱のこもった瞳に権田は頷いた。

 

 大丈夫だ、何一つ問題はない。

 

 勝てる。

 

 椿という快速の選手が居るにも拘わらず、ゆっくりとワインドアップで振りかぶられたその腕。

 

 

 全速力で走り出す椿を気にも留めず、勢いよく指先から放たれた白球は――番長のバットの下を掻い潜るように権田のミットの中に納まった。

 

 

 

 

 

「ストライク!! バッターアウト!!」

 

 

 

 

 

「ゲーム、セット!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――試合が、終わった。

 



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《揺れる想いは万華鏡》I

 

 

 

 

 試合を終えた瞬間、沸き起こる悲喜こもごもの歓声は混ざり合い、ドーム内を飽和させるように、天井から弾けるのではないかと思うほどに、勢いよく弾けた。

 

 0-1

 

 電光掲示板に刻まれた数字が伝えてくれる、ブギウギビクトリーズの勝利。

 

 ビクトリーズ側のスタンドは今やお祭り騒ぎだ。

 はしゃぎ、「おじちゃんとおっちゃんのコンビは最強でやん――じゃなくて、最強だー!」と母親らしき女性に飛びつく少年の隣で、少女は一人大きく息を吐いた。

 

「――頑張ったね、深紅さん」

 

 柔らかな微笑みと共に向けた視線の先で、ベンチから飛び出してきた"仲間たち"から乱暴な歓待を受ける青年が、呆然とした表情で空へと何度も放り投げられていた。

 

 なんていう顔をしているのだろう。

 

 普通ならもっと喜んだり、勝利を噛みしめたり、今までの自分を思い浮かべて熱い涙の一つでも流すところのはずなのに。

 

 まるで、勝った自分が歓迎されていることを、このドーム中の祝福を受けていることを、夢幻か何かのようにでも思っていそうだ。

 

 

 

 誰かを助けて去る背中に石を投げられて生きてきた。

 

 

 

 そんな寂しかった貴方の周りには今、貴方の正義ではなく貴方自身を受け入れてくれる人達がたくさん居る。

 

 だから、

 

「頑張ったね、深紅さん。良かったね」

 

 ただ一人で多くのものを背負い込んできた背中を、乱暴に叩く相棒が居る。

 彼を慕っていた仲間たちが、口々にチームの勝利を叫んでは喜びをかみしめている。

 

 その光景を見ているのが嬉しくて。隣の親子が早々にグラウンドへと足を向けていった後も、ぼんやりとスタンドから彼らの姿を眺めていた。

 

 ブギウギビクトリーズのユニフォームを、ちょっとだぼついた本物のそれの胸元をきゅっと握りしめて。少女は彼が誰からも認められている姿を、泣き笑いのような優しい表情で眺めていた。

 

「――はっ、凄ぇな深紅のヤツ」

 

 既に多くの人が引き上げていったスタンドで、ふと隣の人が残っていることに気が付いた。どこかで見たことがある顔なのだが、パッと名前が出てこない。

 

 親子とは少女を挟んで反対の席に座っていた彼。

 ちょうど、試合開始前にこの場所に自分を呼び寄せた青年であるということしか、彼女の中に情報は無かった。

 

 と、そのまた隣に座っていた少女が、にこにこしながら深紅を指さした。

 

「本当ね。凄いわ、深紅くん」

 

 まるで知り合いのようなその会話。

 けれど最初は、ちょっと鼻が高い程度に思っていた。

 

 わたしが好きになった人は、こんなに褒められる人なんだって。

 

 けれど二人の次の一言は、"ただの知り合い"には到底吐けない言葉だった。

 

「――ちゃんとヒーローになれたじゃないか。深紅」

「何言ってるのよ。深紅くんは、ずっと前から私たちのヒーローじゃない」

 

 弾かれたように少女が顔を上げたと同時。

 その二人組――柔らかく繋いでいた手を見るに恋人――は立ち上がって、一息ついた。

 

 少女の驚いたような目に気が付いていたのか、それとも最初から彼女と深紅の間にある関係を察していたのか。それは、彼女には分からない。

 

 けれど、その二人は振り向いて、少女に言った。

 

「深紅くんを、私たちのヒーローを」

「宜しく頼む、お嬢ちゃん」

 

 そっと自らの大きくなったお腹をさすりながら、片割れの少女ははにかんだ。

 そして、彼女の答えを待つまでもなく二人は去っていく。

 

「あ、あの!」

 

 その背中に、少女は。

 事情は全く分からないけれど、何かを言わなければいけない気がして。

 間違っていたら恥ずかしいけれど、外れたことを言ってしまったら変な子だと思われるけれど、それでも声に出した。口にした。

 もとより、恥ずかしいことには慣れている。

 

「今まで、深紅さんをありがとうございました」

 

 ――聞いたことがあったから。

 

 深紅がこの街に来る前に、少しの季節を共にした一組の恋人の話を。

 

 

 少女の言葉に、二人は嬉しそうに頷いて、今度こそスタンドから姿を消した。

 

 小さく息を吐いて、ふとグラウンドに目をやると。

 散々騒いで疲れ切ったチームメイトたちの真ん中で呆れたような顔をした青年が顔を上げた。

 

 目が合って、手を振って。

 

 せっかくだから会っておけばいいのにとも思ったけれど。

 今の出会いは胸の奥にしまい込んで、彼女もスタンドをあとにした。

 

 きっとグラウンドの中央で、わたしの風来坊が待ってくれていると思うから。

 

 

 

 

 

 

《揺れる想いは万華鏡》I――揺れる想いは万華鏡――

 

 

 

 

 

 

「やったー、勝ったぞ!」

「ビクトリーズ、最高!」

 

 勝利の喜びに声を上げる木川と寺門。今日ばかりはとハイタッチを交わす二人を始め、ベンチメンバーを含めたビクトリーズのメンバーはグラウンド上で大騒ぎをしていた。

 

 先ほどまではもみくちゃにされていた深紅も一息ついて、顔を上げる。

 スタンドに残っていたらしい少女と目が合って、思わず表情が綻んだ。

 

 しばらくしたら、こちらにやってくることだろう。

 少し待っていることにして、深紅は反対側のベンチから歩いてくる三人の男に目をやった。

 

「――完敗、だな」

「お前ら強かったロボ」

「くっ……不覚を取った……」

 

 ザ・トリオの、番長、ロボ、ソルジャー。

 敵対し、共闘し、そして野球で勝負した。面白可笑しい格好とは裏腹に、どんな時も強かった三人。

 

「……お前らも、ありがとうな」

 

 無論、彼らも挨拶ないし話をしにきたのは深紅一人だった。

 だから深紅もそう答えて目を向ける。

 

「俺たちの仕事も、とっくに終わっていた。今日の試合を楽しんだから、これでお別れだ」

「……そうか。楽しんだか」

「勝ったらもっと楽しかったロボ」

「はは、そりゃそうだ」

「一時の別れは受け入れよう! だが!! 次は勝つから覚えておけ小波深紅!!」

「……ああ、またいつか会おうな」

 

 それだけを言いに来たのか、満足したように踵を返す彼らの姿は、まるでただの野球選手だった。珍妙な身なりの割に、ただお互いの健闘を称えにきたその姿には好感が持てる。出来ればもっと、変な因縁のない試合がしたいものだと深紅も思った。

 

「――椿はどうした?」

 

 番長の背中に問いかければ、彼は肩を竦める。

 

「次の仕事がある、だそうだ。得意分野が多いヤツは大変だな」

「そうか。じゃあ一つだけ伝えておいてくれないか?」

 

 片眉を上げて、挑発気味に深紅は言った。

 そんな彼に、番長は振り向く。

 

「俺の勝ちだ、ってよ」

「――ふ」

 

 番長の答えは、口角を上げるのみだった。

 また背を向けて、ベンチの方へと引き返していく。

 

 椿が来ないというのなら、それもまた良いだろう。相変わらずドライな男だと深紅は思う。次に会うのは、また別の戦場か、それとも――同じような球場なのか。

 

 後者なら良い。なんて思って、首を振る。

 そんなに甘い話は、無いだろう。結局あいつは、元相棒でしかない。

 殺し合うことも、きっとまたあるはずだ。

 

 遠前町とは別の場所なのか、それは定かではないが。

 

「終わったな、最後の試合が」

「……ああ、終わったな」

 

 感慨深げに口にした無精ひげの男に、深紅は小さく笑みを返した。

 この一年、多くのことで共に戦った相棒の姿がそこにあった。

 

 終わった、と口にするのがこんなにも清々しい気分になるのだと。

 深紅が息を吐くのを見て、権田正男はあっけらかんと笑った。

 

「ありがとよ。お前のお陰で、この一年の野球は本当に楽しかった。心の底から楽しめた。……投手としても、キャプテンとしても、お前は申し分ないヤツだったよ」

「やめてくれ、俺はそんなに完璧なヤツじゃなかったよ」

 

 謙遜する。自分はそう大した選手ではないのだと。

 けれど深紅に向けられたのは、単なる持ち上げでも世辞でもなく、怪訝そうな眼と小馬鹿にしたような悪態だった。

 

「誰が完璧なんて言った、バカが」

「えっ」

「背負い込む性格、女のヒモ、ラッキョウ狂い。お前のどこが完璧なんだ。俺はただ、ビクトリーズのエースとして、キャプテンとして、お前で良かったっつっただけだ」

「……そうか」

 

 遠前町に来たばかりの頃、確かに権田は深紅を完璧超人か何かと勘違いしていた。

 けれど、そうではないことくらい散々バッテリーを組んだ今の彼はよく知っている。

 小波深紅という男が、悩みもすれば迷惑もかける当たり前の"人"なのだと。

 

 特に、そう。河原のテントが無くなってからは、それを顕著に感じるようになった。

 

「行くのか?」

 

 その問いの意味を、理解できない深紅ではない。

 

「……たぶん、な。みっともなく未練が出来ちまってる」

「そうか。もし残るなら、俺たちは歓迎するぜ。最悪、今日の祝勝会が大騒ぎになるかもしれん」

「はは、それは大変だ」

 

 そう在れたらいい……かもしれない。

 楽しかった。あまりにも。この街での思い出は。

 

 しかし、自分は――

 

 

「おじちゃーん! おっちゃーん!!」

 

 声に振り向けば駆けよってくる少年と、その後ろを優しい瞳で歩いてくる女性の姿。

 権田が流れるような動作で少年を抱え上げ、勝ったぞと高笑い。

 

「おじちゃん凄かった! 三振の山で!! しかも打率は十割!!」

「おいおいおい俺の話もしろよ!!」

「おっちゃんは……よくおじちゃんの球捕れるでやんすね」

「それだけかよ!!」

 

 権田の肩に乗せられた少年の、愉しい掛け合いを眺めていると深紅の瞳も少し細まった。なんだかとても、尊いもののように見えて。まるで、そう。親子、と呼ばれるもののような。

 

「やんす、じゃないでしょう、カンタ。おじちゃんみたいになれないよ」

「おっとっとでやんす。じゃなかった」

「ダメダメじゃねえか」

 

 肩の上というやたら近い距離で子供じみた喧嘩を始めた二人を置いて、深紅の肩を叩く手のひら。見れば、奈津姫がいっそ美しくすら感じる一礼と共に、目元の涙を拭っていた。

 

「本当に、ありがとうございました。貴方のおかげで、この町は」

「いえ、みんなの力があってこそですよ。それが野球ですから」

「……そう、ですか」

「ええ、そうです」

 

 奈津姫と共に見る視線の先に、権田とカンタの仲良さげな光景。

 

「――行ってしまわれるんですか?」

「……どう、でしょうか」

「……カンタは、貴方を目指して野球を頑張るそうです。おっちゃんみたいになって、おじちゃんの球を受ける四番になるって。最近はお友達と一緒に……」

「それは、嬉しいことですね」

「…………見守っては、いただけませんか」

 

 懇願にも似た、そんな瞳だった。

 だから、少し困ってしまって、つい話を逸らす。

 

「権田も自慢げに言ってましたよ。奈津姫さんと権田に鍛えられたら、さぞ強い選手に育つことでしょう」

 

 そう微笑みかけると、奈津姫は少し躊躇った後に頷いた。

 

「……はい。再婚を、考えています」

「それは、良いことを聞けました」

「あ、奈津姫!! それは俺からこいつに言おうとしてたのに!!」

「誰が言ったっていいじゃないの!」

「良いわけあるか!! こいつにもこう、なんだ、覚悟を決めさせるためにだな!」

「しょうもないこと言ってんじゃないよ! チームの祝勝会の幹事なんだろう!? さっさと行きなさいな!」

「ええええ! これだけ身体張って、ようやくジャジメントに勝ったってのに……」

 

 がっくり肩を落とす権田。それを見て笑い出すカンタ君。

 奈津姫も厳しい瞳から一転して笑いだし、その空間がとても暖かくて、深紅も笑った。

 

 ――ああ、ここも良い街で。

 良い出会いがあったのだと。

 

 未練がある。後悔もある。この試合が終わったら出ると決めていたけれど。

 出る理由が、ついぞ無くなってしまいそうなくらいに。

 償いの旅路は、もう終わりでも良いのではないかと、そんな風にさえ。

 

「……よかったな。ビクトリーズの勝利だ」

 

 家族三人の騒ぎを、少し遠巻きに眺めて微笑んでいた深紅の元に、一人のチームメイトが声を掛けてきた。

 

 彼の名はムシャ。

 カンタ君と深紅の為に頑張ることで、成仏をしたいと願っていた助っ人。

 厳格で寡黙な男だが、誰よりも実直で真剣なその様は、深紅としても好感が持てる人物であった。

 

「ああ、君の助けがあったからだ」

「……どうやらムシャの役目もこれで終わりのようだ」

「そうか」

 

 役目。

 そう聞いて、深紅の目が細まる。

 

「で、成仏できそうなのか」

「そのようだ」

「しかし、どうして俺を助けたら成仏できるんだ?」

 

 そういえば聞いていなかったと、深紅が問えば。

 ムシャはぽつりぽつりと、これまでのことを語り出した。

 まだ侍であった頃、生きていた時代の話を。

 

 多くの人を殺めたが故に、処刑された後も地縛霊になってしまった過去。

 そして、その償いを求められている、と感じたこと。

 償いというのが具体的に何かを探し、見つけたのが、

 

「――ムシャが助けたいと思った人を助けることが償いになる」

 

 との、ことだった。

 

「そして、そのすべての償いがどうやら済んだようだ」

 

 この、野球が最後。

 そう言う彼の瞳は、先の深紅と権田のように清々しい"終わり"を感じさせるもの。

 

 だが、彼はここで終わりなのだ。

 それが深紅にはどうにも、気になった。

 

「そうか。で……未練はないのか?」

「なんのことだ」

「この世への未練だよ。もっと野球をしたいとか、いろんなものを見たいとか、いろんな人と会いたいとか!」

 

 ――自分で言っていて、思う。

 これは、己の話であると。

 けれど、似た境遇にいる目の前の男に問わずには居られなかった。

 

 未練が、想いがあるからこそ自分はここに居るのだと。

 お前もそうではないのかと。

 

「……ああ、野球は楽しかったな。だが、あっちには妻と四人の子供が待っている」

「……そうか、そうだったな」

 

 守りたいものがある。

 だから、彼は逝くという。

 それが不思議と、胸の奥にすとんと落ちた。

 

「奥さんと子供によろしく。できれば野球を教えてやってくれ」

「ああ、約束だ」

「このまま行くつもりか? みんなに別れも告げずに?」

「そうだ。所詮は一時の夢に過ぎん。やがて、皆の中からムシャの記憶も消えていくはずだ」

 

 超常の力で、この世に留まっているだけだからな。そう言ったムシャの表情が少しだけ寂しそうだったから、深紅は首を振った。

 

「俺は忘れないよ、ムシャ」

 

 何せ、自分には"そういう力"が効きにくいのだ。ならばこの意志とをもって、必ず忘れずにいよう。

 その確信めいたものを胸に抱いた深紅の瞳は、きっと説得力にも優れていたのだろう。

 ムシャは小さく笑って頷いた。

 

「……清十郎だ」

「えっ」

「あの墓に刻まれている本当の名前だ」

「そうなのか。清十郎、おまえの墓はピカピカに掃除しておくよ」

「別にかまわん。あの墓には、もう戻らないからな。あれはあのまま、あの河原に投げ出しておいてくれ」

 

 未練の欠片も見せずに、ムシャ――清十郎は言う。

 

「……わかった。さらばだ、清十郎」

「あの子供にも宜しくな。小波、楽しかったぞ、礼を言う」

 

 そう言うと、彼は踵を返した。

 すると不思議と、徐々に身体が消えるように、彼が歩みを進めれば進めるほど、姿形がぼやけて透けていく。

 

 だから最後に深紅は言った。

 お前と一緒にやった野球は。

 

「ああ、こっちも楽しかったぞ!」

 

 それに、ムシャが答えることはなく。

 深紅は小さくため息を吐く。

 

「……行ったか」

 

 もっと野球がしたい。

 もっと色んなものが見たい。

 もっと色んな人に会いたい。

 

 それが小波深紅の存在理由。そうである以上、清十郎と同じ選択は取らない。

 けれど。

 大事なもの、一番したいこと。償いというのは、結局は旅の目的で。

 

 自分が一番やりたいことを、深紅は改めて胸に刻んだ。

 

「あいつと会ったのも運命のいたずらか。俺も、そろそろこの街を……俺には未練が多すぎて、あいつみたいに潔くはなれないや」

 

 見送って、清十郎が消えていったベンチ奥の出口から。

 

 笑顔で駆け寄ってくる少女に目を向けて、自然と深紅の瞳も柔らかく緩んだ。

 

 ビクトリーズのユニフォーム――それも深紅のものを着ているせいで、ミニスカートが本当に裾しか見えていない。

 その辺りもファッションなのだろうか。

 

 ――いつもと違う可憐さを感じられたから、きっとそうなのだろう。

 

「――良かったね、深紅さん」

「ああ。だから――

 

 

 

 

 

 

 

 この街を、出よう。

 

 

 

 

 

 



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《揺れる想いは万華鏡》II

 

 ジャジメントスーパー。

 

「えー、北極支店?」

「ああ、支店長はそこに飛ばされるらしいぞ」

 

 営業時間中の休憩時間。

 店舗のあちこちで噂されていた支店長の凋落具合に、当の本人は顔を恥辱に染めながらも耐えていた。

 今、支店長室ではゴルトマン会長が寛いでいることだろう。

 一息ついたら沙汰が下るに違いない。

 

 北極支店。

 

 冗談ではない。

 

 とはいえ、仕事に失敗したことは事実だ。

 暗澹たる心中を押さえつつ、太田は呼び出しを待っていた。

 

「――支店長。会長がお呼びです」

「……わかった」

 

 案内されるままに連れてこられた支店長室。

 自分の城だというのに、どうしてこうも緊張するのか。

 付き人の声に合わせて、扉を開いた。

 

「ただいま参上しました、太田です。それで、その、会長。ご用件というのは」

 

 眉尻を弱弱しく落として、問いかける。

 

 ゴルトマン会長は爪にやすりをかけながら、のんびりと太田の椅子にふんぞり返っていた。隣に控える秘書の女性の冷めた瞳が、太田に静かに突き刺さる。

 

 緊張が重い。

 会長と目を合わせるのも心労の種だとばかりに、太田は焦点を敢えて合わせないようにしながら彼の言葉を待っていた。

 

 そんな彼に掛けられた言葉は、しかし幾分か明るいものだった。

 

「喜べミスタ・オオタ、あれが見つかったぞ」

 

 何の話かと会長を見れば、愉快そうというか、上機嫌に口を開いた会長の姿。

 アレ。おそらくは、椿が探りを入れていた"宝"の話。

 

「先月、商店街の土地を買い取ったところ、そこで発掘された保管庫にこれがあったのだ」

 

 すぐさま太田は反応した。

 宝が見つかったのなら、左遷の話もあわよくば。

 

 そんな心持ちで、機嫌を損ねないように問いかける。

 

「なるほど、本でございましたか。それで、これはどんな力を持った魔導書なので?」

「魔導書? いやこれは聖書だ」

「ははあ、聖書でございましたか」

「初期の活版印刷物でな。これは盗賊聖書と呼ばれるものだ」

「盗賊聖書! なにやら凄そうな名前ですがどんな神秘的なパワーを」

 

 ゴルトマン会長の眉根に皺が寄った。

 不味い、と思い口を噤むより先に、会長の白い眼差しが彼を穿つ。

 

「何か勘違いしているようだなオオタ。十戒というのがあるだろう。汝なになにしてはならんというやつじゃ。ところがこの聖書ではその中の『汝盗みを働くべからず』の否定を示すNOTが抜けておる。つまり、汝盗むべしと書かれているわけだ」

 

 ――はあ。

 よく分からない。太田の脳内を疑問符が埋め尽くす。

 それというのは、つまり。

 

「あの、それってただの誤植――」

 

 そこに何の価値もありはしないのではないか。

 そんな意図を込めた太田の問いかけに、いやいやと手を振ってゴルトマン会長は否定する。

 

「当時の教会の権力を甘く見てはいかん。出版関係者は全員処刑され、この本も発見次第回収されて処分された。ゆえに、この聖書は奇書中の奇書だ」

 

 素晴らしいだろう、と胸を張る会長の真意が、俗世に染まった太田には読めなかった。

 

「あの、それじゃ、これって、ただの珍しい本……」

「なにを言う。この本が、ここに存在することは、中世より今日にいたるまで、いかにキリスト教的倫理観に逆らおうとする者が多かったことの証明になるのじゃぞ」

 

 分からない。

 目の前の男が何を求め、何の為にこんな――

 

「そんなもののために何百億という大金を」

「わが一族に伝わる財宝なのだ。ほれ、ここに我が一族の署名がある。たかが本一