銀の軌跡 (暁学園前)
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序章

 

 

 

 

 

 しんしんと降る雪の中を一直線に駆け抜けていく列車。今じゃ、列車は徒歩や馬に代わる移動手段であり、最も有力な手段である。飛行艇という手段も無くはないのだが、コストが高いのと、未だに民間のものは信頼に足る安全性を獲得できていないことが原因で、結果的にコストが安く信頼性の高い導力列車が、最も有力な移動手段となっている。

 それに、今回の"仕事"を行うにあたって目立たないのが最重要項目だ。飽くまでただの警備隊員としてベルガード門に向かうだけだ。

 俺としては諜報活動なんて向いていないし、やりたくもない仕事ではある。世の中は案外単純であるが故に、その諜報活動はそれを崩した挙句、俺が次に来た時クロスベルに数年間立ち入り禁止の看板を掲げられる。俺にだけ有効な看板を。だから、諜報活動は好きじゃない。

「起きろチャールズ、駅に着くぞ」

 無線機からレクターの声がし、俺はその声によって、朦朧としていた意識を取り戻すことが出来た。

「右手をご覧ください。帝国の中でも最も強固と謳われるガレリア要塞を抜け、クロスベル最西端ベルガード門を越えると、クロスベル駅に到着致します」

 レクターが無線を利用したままいつもの悪ふざけが始まる。まるで、列車のアナウンスを真似たような口調だ、というより真似ている。

 俺はそれを無視して窓の外に降る雪を眺める。これから嫌と言うほど見れそうではあるが、どこかこれで見納めになってしまうのではないか、という杞憂が浮かんでくる。夏になってしまえば無くなる、という話ではない。これからの任務に不安を感じているのだろうか。

 すると、列車が緩やかに停車する。体が柔らかいシートに沈み込む。

 窓の向こうは既に白銀の雪景色ではなく、色とりどりで観光客を迎える壁があった。

 俺はため息を吐いて立ち上がると、新生活には少なすぎる荷物を持って列車を降りた。

 多くの観光客で賑わい、移動の要所となったこの駅は喧騒に包まれていた。

「さ、これからはアンタ一人で行ってこい。"Note"で情報を送るだけ。実質はアンタの能力を測るための仕事だ。短期間にどれだけの機密を漏らせる(リーク)のかがミソ、上手く行けば今後もウチらから依頼を出すかもしれない。そうなればアンタは儲かるし、局も楽が出来る──あと人員を失う確率も低くなる」

 レクターはそう言って背中を見せると、「ま、頑張れよ諜報員(スプーク)さんよ」と言い残して去っていった。

 俺はそのぶらぶらとした背中を見送り、Noteの入った鞄を手に提げて歩いていく。

 すると、列車が再度出発したにも拘わらずに銀髪の女性が、列車から降りてすぐの場所で辺りをきょろきょろと見回しているのが見えた。どうやら、同じ警備隊の制服を着ていることから接近するに値する人物だろう。田舎臭いこともあるし、仲を深めることは容易だろう。

「どうかしましたか」

 俺は物腰を柔らかく話しかける。

「えっ、あぁ、いえ大丈夫です。気にしないで下さい」

「でも、見たところ列車を利用するには慣れていませんよね。俺が案内しましょう」

 それにここが駅であってこれから過ごす街でもありますからね、と付け加えて、銀髪の女性に自分に付いてくるように促す。女性は素直に頷き、新生活を始めるにしても少々多く感じる荷物がパンパンに入ったスーツケースを転がし始める。

 俺は駅から出るための手続きを女性に説明しながら話しかける。

「クロスベルは初めてですか」

 すると、女性は微笑み、

「いえ、小さい頃に一度だけ家族と一緒に来たことがあるんです。帝国へ旅行に行っていたんですけど、予想以上に何も無かったものですからクロスベルに行ったんです────失礼、貴方の出身を教えてくれますか」

「俺の出身は帝国ですが、大丈夫ですよ。帝国って夏至祭以外は堅苦しい行事しかないものですから、観光でクロスベルには敵わないことはわかっていますよ。今の発言に対してどうこう思いません」

 俺が発言をフォローすると、女性は安堵の息を吐く。確かに帝国に旅行で来たところで何もないだろう。今こそ観光に対して力を注いでいる場所もあるが、五年ほど前なら、ただの軍国家──今もそうだが──であり、家族連れが来て楽しめる国ではなかった。 そして、駅から出て日光を浴びると、

「それでは、ここで。有難うございました」

 と、女性は言って街道に向かって去ろうとするが、俺はそれを呼び止める。女性は再び焦燥した様子になった。

「ベルガード門に行くのですか」

 女性が離れているため、少し大きめの声で言う。

「はい、今日が入隊する日なんです」

 俺から歩み寄る。

「俺もベルガード門に配属されるんですよ。良ければ一緒に行きませんか。貴方はどうやら東街道に出ようとしていましたし」

「え、あっちが西じゃないんですか」

 彼女がそう言って見せてきた地図は、明らかに紛い物であった。東と西が全く逆に書かれているのだ。しかし、彼女自身かなりの方向音痴の可能性がある。なんせ、左右が反転したはずの地図に従ってここまで正しい道のりを歩いてきたのだから。そして、その地図は恐らくただの嫌がらせで東と西が入れ替えられていただけだろう。

「この地図じゃ迷うのも当然です。俺もベルガード門行きですから案内しますよ」

 俺がそう言うと、今度は素直な反応。二秒ほど考え込んでから「ありがとうございます」と言う。どうやら自分の置かれた状況が飲み込めたようだ。偽の地図を買わされ、危うく目的地の反対に向かおうとしていた、ということ。

「ここから東街道に出て、そちらでバスに乗りましょう。一番速い移動手段です」

「そうですね。貴方に付いていくのが最善の選択肢ですね。実を言えばちょっと不安でしたので、案内して下さるなら、とてもありがたいです」

 俺はこの隊員を上手く引き込めたことを喜ぶ。これからの情報源としては機能しないだろうが、噂の類だろうと聞けるような人物がいるのは重要だ。たとえ噂だろうと、諜報活動では有効である。

 では、早速街道に行きましょうか、と俺が提案すると、女性も同意する。

 

「そう言えば、名前を伺っていませんね。これからはお互い同じ職場ですし、名前くらいは知っていても良いのでは」

 隣の席に座っている先程の女性が訊いてくる。

 勿論、マニュアル通りの答え方をする。

「そうですね────俺の名前はチャールズ・アイヒマンです。貴女の名前は」

 俺は女性に訊き返す。

「私はシルヴィ、シルヴィ・ロタールです」

 まるで、髪の色にかけたような名前だな、思いながらも、いい名前ですね、貴女に似合っていますよ、とシルヴィを褒める。男に慣れた女性ならば、ここまで褒めてくる相手には呆れるだろうが、シルヴィという女性はそうではないようだ。まず、男に褒められることに慣れていないのだろうか、困ったように頭をかいて笑っている。

 そして、それを誤魔化すように、

「チャールズさんは警察学校を卒業してから入隊するのですか、それとも途中入隊ですか」

 と質問を変えてくる。途中入隊とは、ある程度の実績──遊撃士などの、戦闘を行う職に就いていた経験。若しくは軍用車両の整備が可能──を持っているならば警察学校に入学、卒業していなくとも警備隊に入隊することが可能だ。

 途中入隊です、と答えると、前は何の仕事をしてらしたんですか、と訊いてくる。随分と質問が多いな。

「遊撃士ですよ。帝国の方面にある支部で働いていましたが、少し問題を起こしてしまいまして、辞めることになったんです」

「チャールズさん、優しそうなのに遊撃士を辞めることになったんですか」

「ええ────シルヴィさんは何をしていたんですか」

「私は警察学校を卒業してからです」

「すごい、それじゃあエリートって訳ですね」

 俺のお世辞ともとれるリアクションにシルヴィは照れ隠しに笑って、そうでもないですよ、と返す。その笑顔は少女のようであり、警備隊の制服を着ていなければ十六歳あたりと間違えられても仕方ない。何より、背中のように平べったい胸部が影響しているのだろう。

「褒め上手ですね。私みたいな田舎者がクロスベルに来て大丈夫なのか、不安になっていましたが、貴方のお陰で安心できました。ありがとうございます」

「ありのままの評価です。悪い点は言っていないだけですよ、言われない方が幸せなこともあります。貴女が言ってほしいのならば言いますよ」

 俺が挑発するように言うと、シルヴィは望外の言葉に驚く。

「うーん………そうですね、自分で振り返ります…」

 シルヴィがそう言うと、バスが急に停車する。荒い運転だな、と俺は呟くと、前にあるシートから見を乗り出し前方の様子を確認する。

 ────バスの目の前に、猿のような魔獣──しかし、人の大きさを優に超える──が悠然と道のど真ん中に立っており、こちらを見据えている。周りに座っていた乗客もざわめき始め、パニック寸前となっている。俺の心臓も拍動を高速で繰り返し、脳はアドレナリンを放出している。

 あの魔獣はこちらを"狩る"つもりだ。毎日の食事の中でも一つに過ぎない俺たちはクロスベルタイムズでは大きく取り上げられる。魔獣の機械的な衝動に対して。

 だが、ここで人生を終える訳にはいかない。

 俺はシルヴィにここで待機するように伝えて、窓を開けると、単独でバスを降りる。他の乗客や魔獣に悟られないように、バスの車体によって生み出された死角を利用して、魔獣の立つ位置からぎりぎり見えなく、且つ最大まで接近した場所に移動する。

 そして、身体強化を行う。身体強化、と言ってもアーツの類には思えない。かといって超常的なものだとは信じ難い能力。俺はそれを発動すると、両腕でバスを抱えている魔獣の側面に飛び出して、地面を蹴飛ばすと急接近する。そして、こちらが脅威でないと思っている魔獣の脇腹に、撓らせた腕の先端をめり込ませると、魔獣の骨を砕く音と共に、魔獣が三アージュほど吹き飛ぶ。

 しかし、彼はまだまだピンピンしていて、不動の直立を保ったままだった。

 あまりに想定外の出来事に眉をひそめる。

 すると、魔獣はゆっくりと右腕を振り上げるような動作をすると、先ほどの俺のものと同様に接近し、その勢いを拳に乗せる。俺は両腕を胸の前で交差させて衝撃を防ぐが、体は吹き飛ばされ、川面に投げた石のように数回跳ねる。

 そして、仰向けに倒れている俺に対し、魔獣はのそのそと近付いてきて、両の手を組んで、それを振り下ろそうとしている。

 俺は真横に落ちている拳台の大きさをした石を掴むと、腕を振り、その慣性を利用して、石を魔獣へとぶつける。が、魔獣は少し怯んだ程度であり、またすぐに止めを刺そうとしてくる。

 歯が軋み、このバスに乗った後悔が生まれると同時に、視界から魔獣が消える。

 俺は突然の逆転に、ぽかんと口を半開きにしてしまうが、トンファーを両手に持った青年が俺に駆け寄ってきて、大丈夫か、と声を掛けてくる。

「ええ」

 俺は気の抜けてしまった声で答える。

「アンタ、あのパンチを受けてもまだ生きてるとはな。なかなかタフじゃないか、新人のようだし警備隊には勿体無い。ウチに来ないか」

 彼の言うそれが冗談であることは分かっていたが、死にかけかもしれない相手に冗談を言うのもどうだろうか。

 俺は深く礼をして、再びバスに乗り込む。

 車内は俺と青年を称える人間で溢れていた。あのシルヴィという女性も同様だ。

 あまりこういうのは慣れていから、どう対応したら良いのかも分からずに、ただ黙ったまま、元いたシートに座り込む。

 

 

 

 

 

 

 ベルガード門に到着したバスから先に降りると、足許が覚束ないシルヴィに手を差し伸べると、彼女はそれを支えにして腕の力を追加すると、今度はスムーズに進んで降りる。

 バスのドアが閉まり、来た道へと戻っていくそれには見向きせず、

「ここが新しい職場ですね」

 と、安堵の声ともとれるが、内心は不安に満ちた声を漏らす。

 ここまでは誰にも怪しまれていない。怪しむ者がいない。だが、ここからは本物の警備隊員が勤めていて、飽くまで新人として働かなければいけない。それも、Noteの存在に気付かれずに。

 すると、シルヴィが少し挑発的に話し掛けてくる。

「私たち、もし同じ部隊になったら敬語禁止っていうのはどうでしょうか」

「良いんですか、敬語使ってなければ、嫌な奴ですよ、俺」

 俺は申し訳なさそうに、断るように言うが、シルヴィは気にしない。

「口が悪くても悪い人ではないでしょう。チャールズさんは私を守ろうとしてくれたじゃないですか」

 彼女はそう言って、微笑を浮かべ、今からでも良いんですよ、と付け加える。不意にも、その笑顔に惹かれそうになってしまう。少女のように無邪気なその笑顔に。

 俺は反応に困って、後頭部を掻くと、

「分かった……これでいいんだろ、"シルヴィ"」

「うん、ありがと、"チャールズ"」

 思わず、口角を上げてしまう。この女の前では何故か素の感情になってしまう。きっと、彼女の無垢な人格が影響している。自分の感情がシルヴィに操られているような感覚だ。

 手練の諜報員(スプーク)ならば、相手の無意識に干渉することすら可能な人間もいる、という話をレクターから聞いたことがあるが、それを彼女が使っているとは思えない。たとえ、使っていても無意識だろう。干渉しているものと同じ無意識────クラレンス曰く、意識が干渉していない行動というのは、我々が思っているより遥かに多いらしい。人間は意識が無い、無意識の状態でも、起きて、働いて、帰って、眠りにつく。それが本当なら、このベルガード門も無意識の人間が守ることだって可能だということだろうか。

 俺は一歩先を歩くシルヴィの姿を見ながら考える。俺は彼女に惹かれているのだろうか。

 すると、門の正面を警備していた隊員が、俺たちの元へ駆け寄ってくる。

「君たち、持ち場は何処なんだ」

「いえ、俺たちは入隊しに来たんですよ────司令官は司令室にいますか」

 俺は念の為、訊く。

「ああ、入隊者がいるとは聞いていたが…時間は大丈夫か、二〇分はオーバーしているぞ」

「え」

 シルヴィは俺に走るように言うと、司令室に急いで向かっていった。俺は隊員に礼を言って、シルヴィを追う。

 彼女は忘れていると思うが、俺は重傷を負ったはずだ。身体強化によって然程のダメージにはなっていないが、走れば痛む。

 そして、門に入ってすぐのところに階段があり、それを駆け上がる。二階に到達すると、競歩程度のスピードで歩く。流石に廊下でドタバタ鳴らすわけにはいかない。

 司令室の前に到着、俺とシルヴィは深呼吸すると、顔を見合わせて頷く。そして、覚悟を決めるとドアをノックして、ドアノブを押した。

「失礼します」

 室内に入ると、既に二十人ほどの隊員がぎゅう詰めになっていた。その隊員たちは皆、遅れてきた二人に注目する。

 両肩が誰かの肩と接触するほど、詰めている隊員たちの奥に、こってりと太った男が座っているのが見えた。男は椅子から落ち着き払い、その場から、事情は知っている、と言うと、俺たちの配属に関する説明を始めた。

「わたしは司令が不在のため、臨時で司令官を務めているアーノルドだ。今後一年はわたしの指揮下にいてもらう。

 それで、君たちの配属だが────ここにいる全員の所属を以て『特殊警備群』を設立する」

 予想外を過ぎた言葉は、俺たちを混乱させて、隣の者と話したり、ひたすら驚く人間を生み出した。

「その特殊警備群とは」

 この混乱の中、一人の男が極めて冷静に訊いた。それと同時に、混乱も静けさを獲得する。

「いい質問だ。この特殊警備群には、名前の通り特殊な作戦を行ってもらう。君たちも知っての通り、クロスベルは法律上、軍を持つことは出来ない。だからこの呼び方なんだ、実質は特殊部隊だ。破壊工作や人質救出を行う」

「ということは今日からでも、本格的な訓練が始まるのですか」

「当然だ。クロスベルの周辺の情勢は悪化の一途を辿っている。君たちは、今後のクロスベルが独立を続けるには必要なんだ」

「最新の軽装甲車が何台も購入されたのも、それが理由なのですか」

 彼は質問をする。

「そうだ、君たちの戦力として新たに購入したものだ。不整地の道でも時速五十アージュを保つことができる」

「何故、そこまでして特殊部隊という枠組みを必要とするのですか」

 彼がそう訊くと、あまりに執拗な部下にうんざりしたのか、眉間にしわを寄せる。

「安心したまえ、君たちを使って大使館の襲撃をして先制攻撃をしようという訳ではない。ストラナ・ヴォディーという国で少数精鋭の部隊が活躍したから、我々もそれに力を注ごうとしているのだよ」

「しかし、ストラナの部隊は────」

「さあ、聞きたいことはもう無いだろう。さっさと訓練を始めろ、演習所に行けば教官がいるはずだ。彼に特殊作戦のノウハウを教えてもらえ」

 アーノルドは彼の言葉を塞いで、埃でも払うように手を動かしている。さっさと出ていってほしいのだ。

 俺は、発言をしていた男の肩に手を掛け、今は諦めるように催促する。男はアーノルドに聞こえるような舌打ちをして、部屋を出ていく。

 すると、「ああ、そうだ。シルヴィ、チャールズ、お前たちは残れ」と呼び止められる。

 アーノルドは他の隊員が全員出ていくのも待たずに、チャールズ、お前が隊長をやれ、と指差し、シルヴィは副隊長だ、と付け加える。全く下品な声だ。

 俺は、了解です、コマンダー、と返事をして、シルヴィと共に、部屋を後にした。

 勿論、心の中では中指を立てながら。

 

 

 



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一章

 

 

 

 

 

「ブラボー・ワン、こちらアルファ・ワン、見張りを排除しろ」

 俺が指示をすると、監視塔にいた男がその場で両手を上げて座り込む。重傷、及び死亡判定の合図だ。不可視レーザーが当たると、当たった箇所を判断して、背中に背負った機械が静かに持ち主の死を告げる。最新の導力端末による管理によって動く代物であり、ペイント弾に代わる物だ。

 俺はよくやった、と言い、建物の四方を囲んでいる塀の裏口から、部隊を連れて侵入する。森林の中にひっそりと佇むプレハブ。

〈アルファ、こちらブラボー・スリー、目の前の部屋に三人以上いる。それ以上は部屋の様子が分からない。だが、ドアにトラップの類いは見られない〉

 俺はハンドサインで、アルフレッドとエドワードをドアの前に立たせて、シルヴィとジョージをラペリングで屋上に。そして、俺はドアの右側に立つ。遠くにスコープの反射光が見え、そこに向かって突入の合図をするということをジェスチャーで伝える。すると、了解、援護する、と返事が帰ってきた。

 アルフレッドとアイコンタクトで準備完了を知ると、エドワードがハルバードを水平に振り、ドアを破壊する。それと同時に、窓から身が出ている人間は次々に手を上げて、それ以外の人間に照星を固定して引き金を絞る。

 三秒も経たないうちに部屋は制圧され、上の階からの銃撃音とブラボーとアルファ・スリー、フォーから「無力化」の報告が飛び交う。

 しかし、

〈こちらアルファ・スリー、アルファ・フォー、ダウン〉

 シルヴィから冷静に、ジョージの仮想戦死の報告が告げられる。

 俺はアルフレッドに「救助にチャーリーをまわす」と言うと、アルフレッドは渋々と頷く。彼は戦闘能力は高いのだが、隊長の俺に従うことを良く思っていないようだ。

「こちらアルファ・ワン、アルファ・スリー、耐えてろ。チャーリーはアルファ・スリーの援護に向かえ」

〈アルファ・ワン、こちらチャーリー・ワン、了解〉

 早々に突入を崩されたことにより、部隊の士気は下がっている。スナイパーを頼りに進まなければいけないが、ただでさえ少ない窓を木材で塞いでいるこの建物は、狙撃するのに不向きだ。

「ブラボー、接近戦が可能な人材をこちらに送れ。狙撃手はそのまま残るんだ」

〈こちらブラボー、了解────ブラボー・フォー、ファイブ、シックスをそちらに送る〉

 俺は無線を切って、先行するエドワードの後を追う。

 この程度の屋内戦なら憲兵隊でもやっていたから、指揮をするのは慣れている。が、それを行う部下は、並の隊員として入隊するつもりだったから、銃撃戦になれば勝ち目は五分五分といったところだ。

 幾つも部屋が並んでいる廊下の奥に、最重要目標、つまり人質が囚われている部屋が見つかった。事前の偵察のお陰だ。

〈アルファ、こちらチャーリー、アルファ・スリーに合流した。これよりラベリングで“小包”のある部屋に突入する〉

「チャーリー、こちらアルファ・ワン、了解。五秒だ」

 俺は再び、エドワードにドアを破壊するように命令し、サプレッサーの付いた銃口をドアに向ける。

「スリー…ツー…ワン…ゴー」

 安っぽいドアの破片が辺りに飛び散り、防塵ゴーグルをこつこつと叩く。

 無理やり部屋内部に進もうとした時だった、グレネードのピンが外れる音が耳に入る。そして、逃げる間もなく、俺とエドワードが死亡判定。後に入ってきたアルフレッドも、撃たれて死亡判定を受けてしまった。同時にラペリングで侵入してきたチャーリーも、窓際に待機していた敵に全滅させられてしまった。

 

 

 プレハブから出ると、初老の教官が険しい顔をしてこちらを見据えていた。

「何人の犠牲者が出た」その声には怒気が混じっている。

「人質の救出に成功するも、アルファとチャーリーが全滅、ブラボーには二人の被害、計十二人の“戦死”です」

「その原因は自分たちで分かるか」

「アルファの戦力を分断したこと、チャーリーの到着が遅れたこと。そして、それらによって起こったアクシデントに対応しきれなかったことです」

 俺は原因だと思われるものは全て言った。すると、教官はそれに対して怒鳴ることもなかった。

 だが、

「隊員の戦死は、人質からしても良いことではない。自分を助けるために人が死んだとなれば、心を病む人間すらいる。少なくとも、そんな目的で警備隊に来た奴はいないだろう。次からは同じ失敗をするな。もし、してしまったら、お前たちは無能だという証明になる」

 と、必要なことだけを言うと、積もった雪に足跡を刻み、門へと向かった。

 そして、俺が作戦の見直しをしていると、おいチャールズ、と声を掛けられる。この若々しい声はアルフレッドの声だ。多分。

「なんだアルフレッド、作戦に関して指摘があるのか」

 アルフレッドは腕を組んで、こちらに明らかな敵意を向けてきている。

「あんたの立てる作戦、シルヴィとジョージにリスクを追わせすぎだった。彼女たちに恨みでもあるのか」

 アルフレッドは感情的に話しかけてきて、その唾が顔にかかりそうになり、俺は少し距離をとる。

「それはすまなかった。これからの作戦を立てるうえで参考にしよう。礼を言おう、ありがとうな」

「その態度が気に食わない」そう言って、俺の胸ぐらを掴むと、軋ませている歯の前方部分を口から覗かせる。

「もし、これが訓練でなければジョージとシルヴィは真っ先に死んでいたっ。なのにお前は────」

「そのように、戦闘で『死』が間近にあることを知るためのこの訓練だ。今は感情的になるのではなく、どうすれば戦死者を出さずに戦えるのかを考えろ。そして、それを実行するには更なる訓練が必要だ。わかったな」

 俺はアルフレッドを黙らせると、胸ぐらにある手を下げる。「だが、指摘をする部分は悪くなかった。俺も悪かった。それは認めよう」

 すると、アルフレッドは舌打ちをして「その態度が気に入らないって何度言えば分かるんだ」と言う。そして、そっぽを向いてしまうと、周囲の視線を集めながら地団駄を踏むように帰っていった。

「隊長…大丈夫だった…」

 シルヴィが心配した様子で駆け寄ってきた。まだまだ男の比率が大きい警備隊ではある意味、これも視線を集めてしまう。

「作戦に関して、指摘を受けた。お前とジョージに負担をかけ過ぎたってな。すまなかった」

 俺が謝ると、シルヴィは焦って否定する。

「そんな、今回の失敗はチャールズのせいじゃないって。だって、この部隊が結成されてから三日しか経ってないし、チームワークを固めれば成功すると思う」

「優しいな、シルヴィは」

 すると、シルヴィは冗談めかして鼻を鳴らせてみせる。

 それにしても、今回の作戦は二人にリスクを追わせるものだった。これが実戦でなくて、本当に良かった、一番強く思っているのは俺なのかもしれない。シルヴィの微笑を見てそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

‹Note//starting sequens......›

 “Note”の蒼い画面に黒いプログラムが大量に表示され、一瞬の不安に駆られるが、すぐにレクターの顔が画面に広がり、安堵する。

〈よぉ、これ見えてるか。見えてるなら二回ウインクをしてくれ。見えてないなら────〉

「見えている。音声もクリアだ」

 俺はレクターの冗談を塞ぐ

〈それは良かった。……んで、初めての報告だが何か良い情報は手に入ったか〉

 レクターの質問に得意げに答える。

「勿論だ。警備隊は『特殊警備群』という名の特殊部隊を結成した。俺もそれに入れられてしまったのだが、まあ、好都合だろう」

 すると、レクターは、おぉ、と感嘆の声を漏らす。

〈そいつは期待以上の情報だな。それで、規模はどのくらいなんだ〉

「まだ二十人ほどだ。恐らく、試験的に特殊部隊という枠組みを作っただけだろう。しかも、人員は……正直、特殊部隊には向いていない」

 すると、レクターはなるほどね、と言って暫く黙り込んでしまった。

〈よし、分かった。こちらでも憲兵隊に重きを置いてみよう。次に何かわかったらまた三日後に連絡してくれ〉

「了解、通信終了」

 

 Noteをそっと閉じる。この倉庫に鍵はかけてあるが、念のために他の人間が入っていないかを確認すると、倉庫から出る。流石に倉庫からノートを持って出てくるのはあまりに不自然だから、あまり人目につきたくない。といっても深夜だから見回りの隊員くらいしかいないのだが。

 それにしても、警備隊の装備は中々使いやすい。小柄な人間でも使えるように、人間工学に基づいた設計をしているらしい。それに加えて高精度──何にしろ、これがかなり嬉しい。帝国でもそのような方針はありはしたのだが、俺の所属していた鉄道憲兵隊(TMP)ではサブマシンガン等の小柄な銃が元々多かったのもあり、その影響を感じることは少なかった。それも接近戦闘の多い鉄道憲兵隊(TMP)では、取り回しの良い銃が好まれており、犯罪組織を制圧する際には装甲車の支援がある故に、これ以上に火力を求められていなかったのだ。

 部屋に戻ると、アルフレッドとエドワードが既に寝息を立てていて、ジョージはまだ作戦のマニュアルとにらめっこをしており、俺が部屋に入ってきたことに気付いていないようだ。

「ジョージ」

「はい、なんでしょうか、隊長」

「今日の作戦についてだ」

 俺がそう言うと、ジョージは畏まるように姿勢を正す。

「いや、俺の作戦にミスがあったことだ。お前とシルヴィに負担をかけ過ぎた。今度からは気をつけよう、すまなかった」

「いえ、気にしていません。我々も部下として、戦闘能力が低かったのは分かっていましたから。明日の訓練で頑張りましょう」

 俺はジョージに礼を言うと、あまり遅くまで起きてるなよ、と付け加えて眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 遥か彼方に死者の行進が見える。

 彼らは弾丸で頭部を吹き飛ばされていたり、首から上が綺麗に無くなっていたり、多種多様な死に方をしている。

「死者の国って知ってるか」

 左腕の根本から胴の半分が吹き飛んだバーナードが言う。

「さあな。お前の出身じゃないのか」

 俺は左腕があった辺りを見やる。

「これから行く所、だよ」

 バーナードはそう言って、左腕の袖を捲るように右腕を動かすが、虚空を掴んだことで、羞恥を誤魔化すようにバーナードは豪快に笑った。

「なにせ、今でも左腕があるように感じるからな。幻肢痛ってやつだ。いつまでも感覚が残ってやがる」

「左の胴も、だろ」俺は先程のバーナードの口調を真似て言う。

「確かにそうだ。お前からすれば、まだまだ分からない話かもしれないがな」

「まだ、それが分かるようにはなりたくないんでな────で、死者の国っていうのは何なんだ」

「ある国で伝えられる話さ。その死者の国じゃ、今まで死んだ人物が楽しく幸せに暮らしているんだと」

「馬鹿馬鹿しいな。死者は死んだんだろ、なら楽しく幸せ、なんて感じることもできない。まず、非現実的なところから話が始まっているからな」

「そう言うな。夢のある話じゃないか、生前に散々苦労したら、死者の国で永久に楽しく暮らせるんだぜ。これ以上に幸せなのがあるか」

「あるさ」

 バーナードは不意を突かれたように、眉間にしわを寄せる。

「何だ」

「わからん。だが、その死後の世界が人間にとって一番幸せな所だとは思えん」

「なるほどね。じゃあ、限りがあるからこそ、人は輝く、みたいなのを言いたいのか」

「それも分からん。だが────」

「だが、死者の国にはまだ来たくないのか」

 バーナードのそれは、俺の言葉を代弁していた。

 俺はただ頷き、バーナードに溜息を吐かせる。

「強情なやつだ。そういうところは昔から一つも変わってない」

「お互いさまだ」俺はそう言うと、バーナードに別れを告げる。何処に向かうかも分からないが、取り敢えず死者の行進に背を向けることにした。

 そして、少し様子が気になって振り返ると、バーナードは居なくなっていた。あの死者の行進に加わったのなら、彼個人を探すのは無理だろう。

 俺は再び歩きだした。 

 地平線に輝く夕日が俺の背中を焼き続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 すると突然、背中を打ちつける。ベッドから落ちたのかと思ったが、明らかに周囲が騒がしい。

 重い頭を持ち上げて周囲を見渡すと、パノラマ状に木、木、木であり、ここが森林であることは誰の目から見ても明らかだった。そして、一アージュと離れていない場所にジープの轍が刻まれて、恐らくは抜き打ちのサバイバル訓練なのだろう。特殊部隊員に対して厳しすぎやしないだろうか。

 俺は立ち上がり、先程より高い位置から視線をあちらこちらに動かすが、俺と同じ境遇に置かれている人間は見当たらない。だがせめてもの支給品としてサバイバルナイフが、俺の倒れていた位置のそばに置いてあった。

 ナイフを腰から下げると、俺は他の隊員を探しに出る。

 もしこれが訓練ならば、他にも隊員がいて、俺と同じ状況のはずだ。パニックを起こしていなければいいが、そうでない場合、大声を出せば魔獣に囲まれて死を確実なものとしてしまう。それだけは避けておきたい。

 すると人の足跡が見えた。俺のものと同じ靴跡が深く捺されている。

 俺がその靴跡を辿っていると、ある異変に気づいた。途中から靴跡の感覚が広くなって形が崩れていっていると共に、他の動物らしき足跡も増えている。持ち主は走って逃げたということだろう。

 俺は歩くのをやめて走り出す。この大きさからして女性の靴だろう、魔獣に襲われているならかなり危険な状況だ。やがて、足跡の上に血がトッピングされていき、それはさらに、先へと進んでいる。

 引き摺られていった体が流した血は、引いている者の止まった場所すらも教えてくれた。止まった場所には他より血が溜まっている。

 そして、その溜まった血が叢の向こうから、石や土の隆起している部分を避けながら流れてくる。

 俺は藪をかき分けて向こうに飛び出す。すると、視界に映ったのは、警備隊員の制服と獣の毛皮が限界だったが、動いたのは警備隊員の方だった。体全体が、首を始点として後ろに地面に打ち付けられる。そして、それは俺の鼻先にナイフを突き立ててきた。が、その勢いは目と鼻の先で止まる。

 やがて、刃は退いた。刃が無くなった景色にはシルヴィがいた。このナイフはその美しい顔に酷く似合わなかった。

「チャールズだったの」

 シルヴィは、俺の喉を押さえていた手を引くと、ナイフを仕舞い、こちらに手を差し伸べる。

「警察学校じゃナイフファイトも教わったのか」

 と、言いながら俺はシルヴィの手を握って立ち上がる。

「サバイバル訓練で動物を狩ることには慣れたけど、ナイフファイトは教わってない」

 俺はシルヴィの後ろに横たわっている獣を見る。

「ああ、あれ。私が他の隊員探そうと思って歩いてたら、襲ってきたの」

 彼女はそう言ってから、致命傷ではないから治療済みだし放っておいても治るよ、と狼に視線を落とす。

「で……、シルヴィも起きたらここにいたっていうことか」

 俺はシルヴィに質問をする。

「うん、辺りにあった痕跡からして、多分抜き打ちのサバイバル訓練じゃないかな。ジープの轍といい、支給品のナイフといい、人工物が多すぎるから」

「流石だ。警察学校でのサバイバル訓練の成果だな」

 シルヴィは、うん、と頷くと、他の隊員を探すよ、と言って藪の中を進み始めた。無駄に草を踏むことも切ることもない、優しさに溢れている進み方だ。先ほどの狼に件もあるが、彼女は優しすぎる。いずれその優しさが彼女自身を傷付けないか心配だ。

 

 すると、突然シルヴィの足が止まる。

「どうした」

 俺が質問をした瞬間に動き出し、今までの何倍もの効率で藪を進む。

 俺は先に何があるのか気になり、シルヴィの横から様子を見てみるが何者かがいる気配もない。だがシルヴィは依然として進み続けている。

「なあ、何があったんだ」

 俺は訊くが、シルヴィは、いたっ、と言って無視をした。

 シルヴィがしゃがんだ下には、まだ寝ている隊員がいた。アルフレッドだ。

 あんな雑な下ろし方をされたのに寝ているのは最早、評価に値するだろう。もしくはアルフレッドだけ、下ろし方が丁寧だったのか。どちらにせよ、環境の変化に気付かないのは問題でもある。

「起きろアルフレッド」

 俺はアルフレッドの体を揺する。すると、アルフレッドは不機嫌そうに目を覚ます。

「ここは………ベッドの上じゃなさそうだな」

「ああ、ドンピシャだぞ」

 アルフレッドはおもむろに時間を確認しようとしたが、こんな樹海の中では日の位置も分からない。まず東西南北が分からない。

 すると、シルヴィはしーっと人差し指を口に当てる。それと同時に複数の魔獣が藪の中を移動する音が聞こえる。葉の擦れる音。それはじわじわと俺たちを囲んでいき、やがてピタリと止んでしまった。

 アルフレッドは思わず警戒を解くが、それを隙と見たのか、一匹の狼が飛び込んできた。その牙先はアルフレッドの喉へと一直線に進んでくる。

 俺がアルフレッドの襟を掴んで引っ張ると、狼の牙がアルフレッドの目の前を通過する。シルヴィは狼を引き離すようにナイフを振って牽制し、俺は退路を見つけ、それを知らせる。

 背後にある道、多少開けすぎているが他の隊員が見つけてくれるかもしれない。可能性を捨てるべきではないぞ、と俺は二人に言うと、二人は静かに頷く。

 じりじりと、目を逸らさないようにして後退するが、これが何時までも効果を保っているとは考えられない。出来るだけ迅速に脱出しなければ。

 俺たちが開けた道に出たとき、狼たちが吠え始めた。そしてこちらに向かって走り出し、俺たちは最悪の事態に対して最善の対策であるナイフを構える。

 刹那、一発の銃声が鳴り響く。古典的なライフルの特徴的な銃声、こんなものを鳴らす知人は一人しかいない。

 狼たちはその銃声に驚いたのか、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 俺を覗いた二人は呆然と立ち尽くし、何が起こったのかを理解しきれていない。それは仕方ないことなのだろう。

 俺は銃声が聞こえた藪の方に視線を傾ける。するとそこには、骨董品の銃を抱えたクラレンスが小さく手を振っていた。彼は重度の収集家であり、一度家に訪ねたことがあるが、骨董品の類いは何でも好きなようで、聞けばいつも付けている腕時計は導力革命以前の物を使っているようだ。そんな彼も《身喰らう蛇(ウロボロス)》の一員であるから今日もその関連で近くにいたのだろう。

「これは借りだぞ」

 彼の声ははっきり聞こえなかったが、口の動きと表情からしてそう言ったのだろう。俺がそれに対して頷きで返すと、クラレンスは俺のことを指さしながら去っていこうとする。

「誰かが居たんですか、お礼を言わなくちゃ」

 俺の視線を辿ったシルヴィはクラレンスのいる藪の元へ駆け寄る。クラレンスは格好つけて去ろうとしたのが台無しになることを恐れ、無線機で誰かに連絡をしている。

 そして、シルヴィが藪を掻き分けた瞬間、空に向かって腕を振り上げ、その手に握っているフックショットの引金を絞る。発射されたフックは高速で飛来してきた飛行艇の底部に掛かり、クラレンスはそのまま引っ張られて空へ去っていってしまった。

 またもや異常の出来事に呆然とする二人を横目に、俺はジープの轍を見つけた。

「おい、これジープが通った跡だろ。これを辿れば樹海から出れるぞ」

「だけど、他の隊員はどうするの。まだいるかもしれないのに」

「大丈夫だ」

 俺は落ち着き払って言う。

 なんせ、クラレンスが俺たちを助けたからな。他のやつも助けるさ、あいつは。

「さっきの人、クラレンスっていうんだ」

「ああ」

「だとしたら、お前とクラレンスっていう男は知り合いなのか」

 アルフレッドが訊く。

「親しい友人だ」

 俺はそう答えた。

 

 

 



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二章

 

 

 

 体に纏わりつく草や木の枝を、落としながら扉を開けると部下たちが一斉に駆け寄ってきて俺たちを称える。これには驚かずにはいられない。

 皆先に脱出していたのか、と俺が質問すると、エドワードが出てきて、隊長たちで最後です、と俺の肩に手を置く。それに続いて、シルヴィやアルフレッドにも称賛が向けられ、俺はそれに乗じてこの場を抜け出す。皆は気付いていないようだ。ただ一人動じていない人、アーノルドだ。

 どういうことですか、と俺は訊く。それによって自分の中にある怒りの波が、全身に広がっていくのを感じられる。

 すると、アーノルドは下品な無表情から唇を歪ませてこう言った。

「どうもこうも、特殊部隊という枠組みである君たちがこれくらいで死ぬような人材ではいけないだろう。だから抜き打ちの訓練を行ったのだ」

「今回の訓練は度を過ぎています。隊員の命が危険に晒されました。このような訓練を行っていれば、いずれ死者が出てしまいます。確かに実戦では安全など確実ではありません。隊員の精神面も肉体面も強化していくのは大切です。しかし訓練で隊員自体を失っては元も子もないでしょう。それに、サバイバル訓練中に隊員が死亡しただなんて事実が外部に知れたら大事になりますし、その責任は貴方が負うことになるのですよ」

「貴様らが無能だったからだ。昨日の訓練じゃ大敗したようなものだろう、そんな人材、センスが無ければ一人二人死んだところで変わらん」

 俺はアーノルドの言葉に心底うんざりしたのと同時に、激しい怒りも湧いてきた。彼らとは、偽造された生活とはいえ、共に暮らした仲間でもある。だから彼らの命を粗末に扱うのはどうにも許すことはできない。

「貴様っ────」

 俺がアーノルドに掴みかかろうとした瞬間、何者かがアーノルドの胸ぐらを掴みにかかった。

 アルフレッドだ。

「俺たちがどうなってもいいって言うのか、お前は」

「この手を離せアルフレッド曹長。隊規違反だぞ、懲罰は免れなくなる」

 アルフレッドはアーノルドの脅しに怯む様子もなく、

「懲罰なんか知ったこっちゃない、無能なクソったれのお前が俺たちの指揮をすることが許せねぇ。部下を死なせるくらいならお前が死ね」

 と言って、掴んでいた手を前に押し出してアーノルドを押し出す。アーノルドはよろよろと立ち直し、意地悪い口調で、

「いいだろう。来月、TMPとの合同演習がある。そこで貴様らが勝つことが出来なければ貴様らは無能だ。碌な部隊に転属出来ると思うなよ」

 俺たちの方向に指差してくる。恐らくはアルフレッドに向かって言っているのが八割なのだろうが、俺たちは全員に言われたように感じた。しかし、俺は訊きたいことがある。

「なら勝ったときは」

 俺は尋ねる。

「お前たちの指揮を辞める。別の人間が指揮を執る」

 アーノルドはそう言って、どすどすと司令室へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

‹Note//starting sequens.........›

 

 今回は安心して見ていられる、この画面はヘルプの一つも表示してくれない、不親切な設計の端末だ。しかし、傍受を一切受け付けない通信技術と、国を一つ挟んでもタイムラグ無しに会話ができるほどの性能があるから大満足ではある。

「こんばんわ、鼠さん」

かかし男(スケアクロウ)が何を言うか」

 俺たちは軽い挨拶を終えると、本題に入るか、というレクターの言葉でビジネスの話を始める。

「仕事の話だ────まず、帝国側なんだが……少々厄介なことになるかもしれない」

「TMP関係か」

「なんだ、そっちにはもう伝わってたのか。なら話は早い」

 レクターは咳払いをする。

「そちらの特殊警備群とこちらのTMP、中でも近接戦闘(CQB)に慣れてる連中が演習をすることになった。生憎、こちらの部隊は幾度となく武装組織との実戦を経験しているから、そちらの勝機は薄いものかもしれん」

「俺が心配してるのはTMPの連中と会うことだ。近接戦闘(CQB)といえばリーヴェルトが得意でもあっただろう。彼女には俺がチャールズ・アイヒマンとして生きていることを伝えたくない」

「何でだ。もし嫌なら答えなくてもいいぞ」

「いや、大丈夫だ。────あいつにはな、恩を売ってあるからな。会いたくない」

「恩を売ってある……。それの何が障害となるんだ」

「…………あいつは執拗いんだ」

「執拗い……」

 俺は静かに、ああ、と答えた。

「なるほど、それ以上は訊かないほうがいいってことか」

「まあな、それで問題は他にも」

「あとは特筆すべきものは────ちょっと待っててくれ」

 すると、レクターは少し音声を切ってから暫く経つと、考え込んで頭を抱えている姿が映った。

「どうしたんだ」

「今、大きな問題が発生した………」

 俺は、レクターが深刻そうな顔をするほどの問題に固唾を飲む。そして、これから来る災難に備えた。大体、俺には大きな災難が数多く降ってくる。鉄道憲兵隊に所属していた時、四十人の敵に囲まれ、負傷したクレアを運びながらの脱出はぞっとしないものだった。

 そして、レクターは顔を覆った指の間から声を漏らす。

「その演習はミハイル大尉が指揮を執る。クレアの参加も確実だ。今ミハイル本人から連絡があった」

「ミハイル……」

 俺は思わずその名を呟く。

「ミハイルといえばあのミハイルだろ」

「ああ、その通りだ。お前も憲兵隊出身なら知っているだろう。あいつの指揮する部隊にお前の特殊警備群が勝てるかどうか──結果はお前次第でもある」

「あいつにも会いたくないんだが」

「仕方ない。演習が始まってしまうんだ。一応、俺はあんたらを応援してるぜ。精々頑張ってくれよな」

 レクターはいつもの軽口を取り返すと、通信終了していいか、と訊いてくる。俺は、ああ、お互い頑張ろう、と言って通信を切った。

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、チャールズ。あんたが貰って喜ぶものって何だ」

 ベッドに入った状態のアルフレッドが、突然質問をしてきたから驚いた。

「そんなに驚くことか」

「いや、お前からこうして話しかけてもらえたから嬉しいんだ。まあ驚いたのもあるがな」

「なんだそれ」

 アルフレッドは微かに笑う。

「お前がプレゼントをしてくれるのか」

 俺は敢えてその質問をして、この話の核心を突こうと試みる。しかし、

「そういうわけじゃないんだ。だが聞きたくなった」

「なんだそれ」

 先ほどのアルフレッドの口調を真似して言ってみる。すると、アルフレッドは声を出して、あはは、と笑う。

「あんた、意外とユーモアがあるんだな。知らなかったよ」

 アルフレッドは、そうだ、と付け加えて、本題に入ろう、と言う。

「そうか、俺が貰って嬉しいものかぁ………正直、部下にプレゼントを貰えるほど慕われてるなら、それだけでも十分な気もするな。だが、強いて、欲しいものがあるとすれば“他人の人生”だな」

 アルフレッドは思わず首をかしげる。俺は淡々と説明を始めた。

「俺は他人の人生、偉人伝だとか歴史とか、実際に人が生きた、そんな“匂い”のようなものが好きなんだ。創作された物語には無い、そんな匂いが」

 俺の発言に対して、アルフレッドは少々悩みこむ。それもそうだ。少しチョイスの難しそうなものを言ったからな。

「わかった。今度検討してみる」

「ああ、頑張ってくれ」

 俺はアルフレッドに激励の言葉をかけると、来月に控える演習に対する激しい不安を忘れるように、静かに眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 隊員たちは、時速四十アージュで走る装甲車の中でもみくちゃにされながら、マガジンのスプリングや銃の動作などを確認している。

「到着するぞぉ」

 操縦席のすぐ後ろにいる通信士が叫ぶ。それでも辛うじて聞き取れるほどだ。まるで削岩機の中に放り込まれたよう。

 俺は後部ハッチを開けると、一番に外へ出て周囲の警戒をする。続々と他の隊員も出てきており、装甲車の周りを囲んでいった。すると、アルフレッドが、右にいるぞ、と叫ぶ。確かに目標の建物は、右手の山の麓にある。

 俺たちはフォーメーションを整えると、装甲車を盾にして銃撃を開始する。こんな開けた平原じゃ他に隠れる場所が無い。

 続けざまに鳴り響く銃声の中、俺は操縦士の顔がうっすら見える窓を乱暴に、四回叩くと、前へ進め、俺たちが後ろから撃つ、と伝える。操縦士は頷いて、装甲車の向きを九〇度回転させ始めた。部隊は装甲車の狭っ苦しい後部へ移動し、大半が完全に隠れた状態で前進する。

 次第に仮想敵への距離が縮まっていくと、装甲車に籠もっていた通信士が銃座につき、重機関銃の発砲音を響かせる。

 俺は部隊に散開するように伝えると、建物に突入していく。

「CP、こちらアルファ・ワン、これより部隊は“箱”を開ける。オーバー」

「こちらCP、了解。十分に警戒しろ。アウト」

 ドアを破壊するための爆薬とフラッシュを先端にくっつけた、使い捨てのハルバードを、エドワードがドアの表面に叩きつけ、部屋の内部に先端を潜り込ませる。彼の腕前は一昨日の演習と比べてかなり上になっている。

 部屋の内部に侵入したフラッシュが炸裂し、爆薬によってドアが粉々になる。

 俺は内部に飛び入り、仮想敵が描かれた看板の頭を三つ、極めて冷静に二発ずつの弾丸で撃ち抜く。すると、撃たれた看板は倒れ、クリア、という声が部屋の中で響く。

 move。俺はそう命令すると、階段を上がった先に敵の声が聞こえたので、その場所にグレネードを投げ込む。そして、爆発音が聞こえると同時に看板が倒れる音が聞こえる。

 勿論、本当にグレネードが爆発したわけではない。そういう音と判定によって、端末によって管理されている、バーチャルな戦闘を行っているのだ。ハルバードの爆薬以外は全部音と判定だけだ。ここまで特殊警備群の訓練に金を掛けるとは。本気で特殊部隊として完成させたいらしい。

 俺が憲兵隊に所属していた時でさえ、こんな贅沢な訓練はさせてもらえなかった。実戦も多かったからそれだけで練度は上がったのだろう。

 

 俺はドアの横に張り付き、ハルバードを使え、という合図をおくる。

 すると、アルフレッドが折り畳まれたハルバードを真っ直ぐに伸ばし、柄を握ると、ドアに向けて、しならせた腕を思いっきりまわす。

 今度は容赦無しの指向性爆薬だ。ハルバードの先端に括られたそれはドアという障害を無理やり突破し、爆発を起こすとそれによって発生した破片を撒き散らす。俺たちが部屋に侵入すると、プラネタリウムのように破片が刺さっていて、部屋内部の看板は全て倒れていた。

 アルフレッドは口笛を吹いて感嘆を表現する。

 俺は作戦の手筈通り、この部屋を制圧したのちに行くべき部屋へと向かう。

 そして、廊下を渡っているとき、俺のすぐ横に看板が飛び出してきた。ライフルで対応できる距離じゃない。すると、俺の襟を掴んだ何者かが俺の体を後ろに引っ張り、俺の大腿にあるホルスターから拳銃を引き抜き、看板へ向かってそれを発砲する。

 気付くと自分の息が上がっており、俺は命の恩人がいる方向を見る。そこには拳銃を俺のホルスターへと戻すエドワードがいた。エドワードは、

「僕らもこれくらい戦えるんです。守るのが仲間じゃない、守り合うのが仲間なんです」

 そう言って、俺のヘルメットを小突いて、先導の位置へ立った。

 俺は隊員の成長とでもいうべきか。いや、自分がまだまだ未熟なことを思い知らされたような、そんな感覚に陥り、思わず涙ぐみそうになる。いつから自分だけが戦力で戦っていると思っていたのだろう。

 少し取り残された俺に、シルヴィが近づいてきて、「今日はチャールズが楽をする日だよ」と言って俺の肩を叩くと、先へ進んでいった。

 俺は彼らの言葉に応えるべく、前へと足を踏み出す。その瞬間、俺は自分自身がチャールズ・アイヒマンであることを願ったようにも思えた。警備隊に所属し、多くの隊員と共に任務を遂行する人間。チャールズ・アイヒマン。

 だが、現実というものは俺が忘れることを許さない。俺が彼らを売っているというのも、また事実なのだ。

 

〈全部隊、こちらスカウト、箱の中身は空だ。繰り返す、箱の中身は空だ〉

 ゴドーからの報告を受けると、全員が一気に気を抜いたように思える。明らかに警戒しているようには見せるが、視線を辺りに配らせているだけで、敵を発見しようという意思は感じられない。適度にサボることも軍事行動では大切だ。ゲリラのような敵を相手にする場合──全滅したと思って進んだら、足の真横で、地雷が土の中から顔を覗かせていたこともある──を除いて。

 俺は無線で、部隊に作戦終了の旨を伝え、よく休むように促す。彼らは本当によく働いてくれる。ただ、ここまで情がうつってしまっていると、任務のことも忘れたくなる。彼らがいつか、帝国の兵士と対峙することがないことを祈るばかりだ。

「隊長、今回の演習は上手く連携できたんじゃないですか」

 エドワードが俺の顔を覗き込んで言う。

 まあな、と淡白な返事をして、俺は踵を返す。

「この程度で喜んでいちゃ、実戦で敵に勝てるかどうか分からん」

 その言葉にエドワードは落胆した様子をみせる。

「だがな、今後の成長は十分見込める。俺の成長も含めてな。──チームワークは十分に固いものとなった。これからは各々の戦力を底上げしていくことに集中すればいい。今回の演習、お前たちの成長が見事だった」

 俺はそう言い残して、部屋を後にする。それと同時に、心の呵責が渦を巻く。本当にこのままで良いのだろうか。俺はあくまで、諜報が目的で忍び込んでる諜報員(スプーク)だ。俺と彼らでは釣り合わないだろう。純粋な仕事として、警備隊員という道を選んだ彼らとは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、チャールズ。休暇が与えられたら二人で遊びに行かない」

 真っ暗な中、ライトに照らされたシルヴィが、装甲車の整備をしながら話す。

「そうだな……二人同時に休暇をとるのは難しいかもしれないな」

 俺は装甲車の内部を、手持ちのライトで照らす。

「でもさ、もしとれたらどっかに遊びにいこうよ。山とか川とか」

「山も川も、訓練でたくさん見てきただろう。もう十分じゃないのか」

 すると、シルヴィは少々腹を立てた様子で、

「チャールズは分かってないなぁ。プライベートで行くから意味があるんだよ。────それに、チャールズと行くっていうのにもね」

「ん、俺と行ったって楽しくないだろ。アルフレッドとかエドワード、アシュリーとかケイト、他の候補を挙げだしたらきりがないぞ」

 シルヴィは、暫く静かになった。不味い発言をしたのだろうか。俺はシルヴィの名前を口にする。

「じゃあさ、私の今までの人生。それと交換っていうのはどう」

 瞬時に彼女の言っていることは理解できなかった。俺は、えっ、と慮外の出来事に対応できなかったことを、口から漏らしてしまう。

「私の今まで。それをチャールズに話すから、チャールズは私と遊ぶことを約束して」

「等価交換かどうかは分からないな」

「うん、だけどこれで交渉する」

 俺はシルヴィに心理戦専門の部隊を推薦したくなった。

「分かったよ。そうする、そうしてまで、遊びたいなら仕方がない」

「じゃあ、私の人生、話すね」

 彼女は作業をしている手から目を離さずに、始める。

 

 私は、コシチェイと呼ばれる国で生まれた。一次産業が発達している国だったから、他国への輸出で稼いでいる国だった。ただ、そうすると、不作になった途端に景気が悪くなるから、それ自体は安定した経済とはいえなかった。だけど、もう一つの経済、派兵というものがあった。だけど、命を落とすかもしれない戦闘をするんじゃなくて、貧乏な国の兵士に訓練をさせたりとかの仕事が、もっぱらの仕事だったらしいよ。

 その二つの経済がお互いを補完しあったおかげで、景気が悪化しても、国民は安定した生活と安定した収入を得ることができたんだ。

 誰もが幸せに暮らせていると謂われたその国が、ひっそりと抱えている問題。私は、その問題に気づいてしまった。兵士たちの負担が大きいということ。

 兵士たちが訓練するのは、貧乏な“国”の兵士と言ってはいるけど、その国の兵士たちがクーデターを起こして、政府を転覆させたこともある。こちらとしては関係ない話ではあるのだけど、コシチェイの兵士からすれば、自分たちの教えた技術が虐殺をも引き起こした、という考えに至ってもおかしくなかった。

 むしろ、そんな国が数多くあった。酷い場合は、政府軍だと思っていたら、反政府勢力の予備軍を訓練させてたこともあった。

 つまり、コシチェイの派兵経済は”戦争経済”になりつあったの。

 ただ、国民はそれに対して無関心(indifferent)だった。日々の生活で忙しい大人たちは、国の状況など興味はなかったの。私は、それに気づいてしまったのだけど。

 だから、私は抜け出した。いろんな国から恨みを買ってちゃ、いつ戦争がおきるのかも分からない。

 まあ、世界をみたかった、ていうのも無くはないんだけどね。

 

 シルヴィはすべてを語ったあと、警察学校に入ったのは一番支援が厚かったから、と付け加える。

 俺は銃座からシルヴィの顔を窺う。彼女の表情は、どこか、故郷を懐かしむような、哀しみが混ざった表情をしている。その目には何の邪心も虚飾もない。ガラス玉を思わせる目だ。光が屈折し有彩色に変換する、透明なガラス玉。

 暫し、場を沈黙が支配する。もう整備は終了した。

 すると、後ろから自分の名前を呼ばれ、それに耳をくいっと引っ張られる。

 そこには息を切らしたアシュリーが。

「鉄道憲兵隊の方が、部隊の責任者と話したい、言っています。早急に来いということです」

 わかった、すぐ向かう、と返事をすると、シルヴィに今日は早く寝るように言う。

 

 応接室に入ると、懐かしい顔が二つ、ソファに座っていた。

「こんばんわ」

 俺がそう挨拶をすると、同じように返ってきて、このやりとりでさえ、冷や汗をかかされる。

 向かいのソファには、ミハイル中尉とクレア少尉が座っていた。どちらとも知り合いだし、二人とも面識がある。

「来月行われる演習についてのお話でしょうか」

 俺は問う。

 ミハイル中尉は、ええ、と重く伸し掛かる声を発する。

「上層部からの命令で、明後日、演習を行うことになりました」

 俺はその日にちを口に出して驚いてしまう。

「ええ、我々鉄道憲兵隊(TMP)としても不本意ではあるのですが、特殊作戦コマンド(SOCOM)に逆らえないのが現実でして────」

 そこでミハイルは、唇の動きを止める。

「どうしたのですか」

 俺は訊く。恐らく、ミハイルが黙っている理由は?俺の予想が合っているだろう。

「いえ、昔の知人と顔立ちが似ていたもので。────失礼、まだ名乗っていませんでしたね。わたしはミハイルです。鉄道憲兵隊の中尉です」

 それと同時にクレアが、私も同じ所属の少尉です、と言う。

「では、自分も────自分はチャールズ・アイヒマン大尉です。この『第三歩兵小隊』の隊長を務めています」

「宜しくお願いします。アイヒマン中尉」

 ミハイルはそう言って、テーブルを挟み握手をしてくる。

 こちらこそ、と俺は言って手を握り返す。

 そして、俺がクレアとの握手を終えたのを確認したミハイルは、またソファに座り込み本題へと入る。

「そちらも分かっているとは思いますが、今回の演習は、一種の代 理 戦 争(プロキシー・ウォー)のようなものだと考えていいでしょう」

 俺は思わず苦笑する。このような男であることは分かっていたが、本来、このミハイル節にはリハビリが必要だ。少なくとも俺には。

「だと思いましたよ。しかし、はっきり言いましたね。良いんですか、貴方もこの演習の責任者であり、鉄道憲兵隊の要である人物でしょう」

「その心配はありません。先ほどは流れで“鉄道憲兵隊所属の”と言いましたが、二人とも“個人的な”用事で来ていることになっています。そのついでに伝えただけです」

 俺は少し大袈裟に安堵した様子を見せ、

「良かった…もし代理戦争というのが“仕事中”の貴方が発言しているなら、クロスベルと帝国で全面戦争(せんそう)になりかねませんからね」

「全くです」

 ミハイルが少しだけ口角を持ち上げる。こいつには似合わない手段だな、その時の立場を利用するなんて。

 すると、突然クレアが会話に入ってくる。

「しかし、我々は政府の要望に応えるために、演習に勝つのではありません。お互いを高め合うために今回の演習に全力を注ぎます。それはそちらも同じですよね」

 クレアは俺の瞳をじっと見つめたあと、眉間にしわを寄せる。彼女が表情を変えるのは珍しい。

「チャールズさん……貴方、本名ですか、それ」

 体が震えだす。他人からは分からないだろうが、微弱な震えが全身を伝う。

「何をおっしゃいますか、クレア少尉……」

 俺がそう言うと、クレアはふふっと笑い、口元に指を当てる。

「私の名前、会話の中でいつ出てきましたか」

 心臓がどきりと音を立てる。

 クレアは俺の正体を見破ったことで、優越感に浸っているようだ。

 ミハイルは額を手に乗せてため息を吐く。そして彼の視線は、額を乗せた腕を挟んで俺の視線とぶつかる。

「………今度は何をやるつもりなんですか、レッドルップ中尉」

「バレちまったか」

「鉄道憲兵隊を辞めて、遊撃士をやっているかと聞いてましたが──次は警備隊ですか」

「いや────遊撃士の『仕事』だ。お前たちの味方でもある情報局からの依頼」

 クレアが、深くは訊きません、と言って、再び本題に入る。レクターから何かしら聞いて、予想はついたのだろうか、平然としている様子だ。

 ミハイルは納得のいってない様子だが、仕方なく話を続ける。

「演習の実施が決まった当初はインドアのものが予定されていましたが、急遽、アウトドアに変更になりました」

「シチュエーションは」

「お互いに部隊が整っていない状態で、一つの平原を挟んで戦います。平原といっても、起伏が激しい地帯ですので、それを稜線として利用し、回り込むことも遮蔽物にすることも出来ます」

「歩兵のみか」

「はい。歩兵同士による銃撃戦の訓練が、お互い不十分だと判断された結果です。アウトドアでの話ですよ」

 俺は顎に指を当てて考える。

「確かに今まではインドアの訓練をやりすぎだった。あれじゃ、人質救出だけが限界だ。だが、アウトドアも対応できるとなれば、存在するだけで抑止力になるわけだ。もしかしたら最新の戦車を購入するよりも」

 すると、クレアが、そうだ、と言い、何かを取り出そうとしている。俺は、何をしているんだ、と訊く。クレアは紙に包まれた物を取り出し、俺の方へ差し出す。

 俺は心当たりのない贈り物に戸惑い、思わず紙を剥くのを躊躇ってしまう。が、クレアの視線が俺の顔へ一直線に伸びており、俺は開けざるを得なかった。

 がさがさと音を立てて、開けていく紙の奥には金色に輝く勲章が入っている。その勲章には丸い板の上に、古い騎銃──細くて木製であろうもの──が二つ、ななめに交差している。

 本当に心当たりがない。こんな勲章を貰うほどの偉業を成し遂げたことはない。あるとしても、ろくなものじゃないだろう。

「ガーディアン・オブ・オナーですよ。味方を救った兵士が貰える勲章です。それ持ってる人は結構少ないんですよ、覚えてくださいよ」

「あれか、お前が四十人に囲まれた時に、俺が助けに言ったら、お前が────」

 クレアがそこだけ大袈裟に咳払いをし、言葉を塞ぐ。この状況では言えないな。ミハイルは知らないだろうが、ある作戦で、両の大腿を弾丸が貫通した状態のクレアを助けに行ったら、クレアは泣きながら「ありがとうございます」と繰り返していた。

 仕方のないことだと思う。その作戦で俺とクレアは、死んだものと思われ救援が途絶えたから、普通の人間なら死を覚悟して、少しでも楽な死に方を選ぼうとするだろう。だが、俺は死ぬなんてまっぴらだ。たとえ軍に入ったとしても、俺は死を覚悟していない。死ぬつもりがないから。祖国のために死ねるのと、祖国のために引き金を引くのは少々違うのだよ、あの頃の上官がよく言っていた言葉だ。

 結局、俺はクレアの止血をし、敵の持っていた通信機を奪って救援を要請できた。

「それで──」

 ミハイルが続ける。

「我々もアウトドアはかじった程度の実力です。同等の戦いになる筈です」

 

 

 

 

 

 



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三章

 

 

 

 背中に触れる草は日光で暖かい。これがプライベートであれば、どれだけ心地よかったことか。

 俺が双眼鏡で稜線の向こうを覗くと、丘の上で白い軍服に身を包んだ憲兵隊員がスコープを覗き込んでいるのが、遠目に見える。

「何か見えますか」

 隣にいた女性隊員が訊いてくる。

「ああ、七〇〇アージュのところに監視所を築いている。スナイパーが警戒しているな…攻撃するならブラボーに排除してもらわなくちゃいけん。それに、やつらが防衛に徹している今、攻撃する俺たちはかなり不利だ」

「では、もう少し偵察しますか」

 もちろんだ、だが一旦ブラボーと合流しよう、と俺は答えて、太陽に暖められて眠そうに俯いている隊員たちを起こして、丘の後ろにある森へ向かう。平原の中でも、ひときわ深くへこんでいる場所を進まなければ、あの小高い丘から見えてしまうだろう。

 

 森林へ入ると、チームブラボーがこちらに向かってきた。ブラボーのリーダーであるエミリアが事前に、森林の方面からも偵察していた、という旨の話を聞く。

 それなら、同じ高さである森林から攻撃した方が合理的だろうか。俺は部隊に是非を問う。

「良いと思いますよ。その作戦」

 エドワードが言う。

「しかし、丘の下と森林で、二方向から攻撃をすることも可能じゃないのか」

 アルフレッドが別の攻撃を提案する。彼はいつも柔軟な発想と、周りに流されない精神を持っている。上官に対して遠慮のない暴力を振るうことを除けば、かなり特殊部隊向きの人物だ。

「そうなると、損害も大きくなりそうだな。────エミリア、憲兵隊が人員をどのように配置しているかは分かったか」

「はい。ですが彼ら、土嚢の後ろかテントの中に籠もっていたので、正確な配置を知ることはできませんでした。あまり見たことない戦法です、それを統率する指揮官と実行する兵士たち……流石は鉄道憲兵隊といったところでしょうか」

 そう言ったエミリアに、アルフレッドが「感心している場合じゃないだろう」

「で…侵入方法をどうするか、だが。二つの部隊を同方向から動かす案と、二方向から攻める案で二つ出ているな」

 本来、このような作戦を立てる場合、事前の偵察によって得た情報を基に、有能な将校が担当するのだが、今回のシチュエーションはそうもいかない。部隊が孤立し、その場に残っている戦力で相手を制圧しなければならない、という状況だ。増援は送れないとのこと。

「私はアルフレッドの案に賛成です。その案ならば、死傷者も少なくできると思いますし」

 シルヴィはそう言って、ハンドガンを取り出し、スライドを引いて弾薬を薬室に送り込む。

「しかし、そうした場合…ある問題が発生する。アルファとブラボー、それぞれの交戦地点にどれだけの敵が潜んでいるか、だ」

「それは相手側も同じだ。敵がどこから攻めてくるかわからないから、相手以上に警戒せにゃならん」

 すると、黙り込んでいたジョージが発言をする。

「相手の戦闘能力は我々の遥か上をいっています。そんな状況で一方向から攻めてください、死傷者は数知れませんよ。全滅だってあり得るかもしれない。相手だってこちらの位置が分からないなら、バランス良く兵士を配置しているでしょうし、二方向から攻めた方が有利でしょう」

 この空間が静寂に包まれてしまった。ジョージは、少し罰が悪そうな顔をして俯いてしまう。

 しかし、アルフレッドが「いや、驚いたよ」と言う。

「その通りだ、ジョージ。仲間の命、それ以上に大切なものはない。人命優先の作戦でいくべきだと思った──今のを聞いたか、みんな。ジョージの言うとおり、一方向からでは全員の命が危険に晒される。まあ、それは当たり前だが、リスクが上がる」

 アルフレッドが、それを聞いたらどう思う、チャールズ隊長、とこちらに視線を寄越したので、俺も全員に同じ問をする。多数決だ。

 すると、多くの隊員が二方向に賛成した。おそらく、多くといっても、全員だろう。

 俺はアルファとブラボーで、もう一度分かれるように指示し、これから二つの部隊の指揮は、俺とエミリアがそれぞれ請け負い、連携をとるときに限り、無線を使用する。実戦では、通信内容が傍受される可能性が高いため──警備隊の無線が殆ど旧式であることも、それを悪化させている──警備隊では、無線を極力使用するな、という教えがある。

 そんな矢先、俺の持っていた無線機が震えだす。

 俺は無線機を起動した。

〈こちらスカウト、敵の前哨基地を発見した。監視所(そちら)の様子はどうだ。オーバー」

 スカウトチーム(チーム・チャーリーを改名した部隊)のリーダーであるゴドーの声だった。

「こちらアルファ・ワン、これより監視所を制圧する。前哨基地にある戦力は。オーバー」

〈装甲車が二台と、兵員が二十名以上。スカウトだけでは制圧できません。そちらの合流を待ちます。オーバー〉

「コピー、監視所を制圧し次第、そちらに合流する。アウト」

 通信を切ると、シルヴィが「本丸が見つかったんですね」と言ってくる。

 俺は頷いて、部隊に散開の指示を出した。

 

 

 

 

 

 おれは無線を切り、再び姿勢を直す。叢の中に体を横たえ、銃に付けたスコープか双眼鏡を使って、憲兵隊の基地を監視する。増援が出るようであれば、こちらで食い止める。もちろん、一撃離脱戦法だ。機動力を重視し、最低限の装備しか備えていない我々スカウトでは、装甲車に対抗する術はない。

「アシュリー、何か傍受できた(聞こえた)か」 

 視線は向けずに、声だけの会話をする。

「待ってください。今何か聞こえているんです」

 アシュリーはヘッドセットを手で押さえて、それから発せられる音に耳を傾ける。そして、これより、スカウト隊員に無線の内容を送信します、と言う。

 おれたちスカウト全員がどんな知らせが来ても大丈夫なように、心の準備をした。すると、無線機が所々のノイズを自動で補正し、多少不自然ではあるが内容を全て伝えてくれる。

〈オーディン、こちらスクルド。前哨基地の南西に人影を確認した。これより確認に向かう〉

〈こちらオーディン、了解。場合によっては装甲車の出撃も許可する〉

〈コピー、歩兵だけで十分だ、どうせ偵察部隊とかだろう〉

〈油断するな────〉

 おれは会話が終わる前に、反射的にヘッドセットから手を離す。それと同時に呼吸が不規則になっているのに気付く。今はそれを整えている場合でもない。

 アシュリーに、無線を常に傍受すること命じると、ここをすぐに脱さなければならない、という衝動に駆られる。しかし、ここで逃げたところで意味はない。

 部下には高台か木へ登るように指示し、景色に姿を溶け込ませる。待 ち 伏 せ(アンブッシュ)だ。

 銃口が青く塗られた、訓練用のライフルのマガジンを叩き込むとおれたちは自分たちの呼吸さえも聞こえなくなる。このようなアンブッシュで、高い場所に登るのは古くから行われてきたことだ。偽装を施し、敵を待ち伏せるだけるだけでは効果が薄いのだ。偽装を施し、戦闘の際に有利になる位置にいることが体節なのだ。もちろん、退路も確保せねばなるまい。しかし、今回は逃げられない戦いだ。退路を確保しなくてよい分、偽装にかけられる時間が多くなる。

 やがて、何人かの人物が走り寄る音が聞こえる。耳が良くても聞こえもしないであろう音を、ヘッドセットが拾ってくれる。

 その音源が視界に入ると全員が安全装置(セーフティ)を外し、戦闘状態に移行する。静かな殺意、それは現代の戦場では日常的なものなのだろうか。クロスベルにいちゃ「戦争」を感じることがないから、戦場というものがどうなのか感じづらい。

 おれは隊員に射撃の合図をする。

 刹那、敵に銃口を向けて引き金を引く。多くの憲兵隊員は戸惑い、少数の者は銃口を天に掲げて反撃に出たが、偽装したおれたちを視認するのは精鋭部隊でも難しく、為すすべもなく真っ青に染まっていった。

 銃声が止むと、手を上げた憲兵隊員たちが、警備隊側のペイント弾の青いインクで真っ青に染め上げられていた。

 おれは木から下りて、周囲をクリアリングする。他の人影は確認できず、どうやらパトロールはこれで全滅のようだ。

 胸を撫で下ろすことで、あの鉄道憲兵隊に勝ったという事実に舞い上がりそうになる。木の板を撃って出た数値ではなく、実力勝負で勝ったのだ。部下たちもそれを理解しはじめたのか、浮足立つ。

 しかし、そんな場合ではない。

「まだはしゃぐなよ。これで終わりじゃない、本当に勝ったと分かるのは、もっと後だ」

 しかし、士気が上がっている今、良い状態であるのには間違いない。今のパトロールが、この一瞬で無力化されたと知ったら中途半端な増援は出すまい。

「アルファ、こちらスカウト、敵に発見された。追手は撃破したが増援の可能性がある。これより前哨基地の監視を破棄し、そちらに合流する。オーバー」

 おれがそう言うと、銃声が背景になっている声が聞こえた。戦闘中だったのか、申し訳ない。

〈こちらアルファ、了解した。地点フォー・スリー・ファイブで合流する。アウト〉

 おれは部下たちに逃走するように伝える。今度は敵に見つからないように、と。

 

 

 

「スカウトは監視を破棄してこちらに合流するようです。敵に発見されたとのこと」

 エドワードが俺に報告する。俺は両手を上げている憲兵隊員を遠目に眺めながら、合流地点は、と答える。

「フォー・スリー・ファイブです。ちょうど森の中ですね、あの場所ならば稜線に隠れているので見つかる心配もありません」

「スカウトの連中…あの装備で憲兵隊を追い返したのか」

 アルフレッドの言葉に対して俺は反論する。

 装備の優劣だけが勝敗を決める要因ではない。位置関係や練度、待ち伏せの有無によって勝利の可能性、その数値は大きく変動するということ

 アルフレッドは発言を取り消すように、芝居がかった咳払いをする。何人かの隊員はその咳払いがあまりに芝居がかっていたため、思わず吹き出してしまう。

 一旦、そこで隊は和やかな雰囲気になりそうになったが、すぐに気を取り直す。スカウトが未だに交戦状態である可能性も十分ある。

「いち早くスカウトの救援に向うべきだ。多少早歩きではあるが、付いてこれるな」

 俺は部下に訊く。すると、エドワードが先に進み出し、隊長こそ、遅れないでくださいよ、と言い残して、他の隊員をも連れて森の奥へ消えていく。

 すると、シルヴィと俺だけがその場に残された。他の隊員はもうかなり先に行ってしまった。自信がついたのはいいが、戦場で“絶対”の存在はない。絶対勝てるなんてことは考えないことだ、隊員たちにはよく聞かせたはずだ。

 俺はキャップの中に手を潜り込ませて後頭部を掻く。

「私たちも早く合流しよっか」

 シルヴィはそう提案する。

 俺はそれに合意し、一歩後ずさりして振り向く────弾丸という殺意が耳元で風を切る音を囁き、真横を過ぎていく。間一髪だ。

「隠れろっ」

 シルヴィは俺の言葉によって太めの木に背をつけ、自分の体を隠す。

 俺は盛り上がっている土の斜面に仰向けに伏せ、土の向こうにある景色に視線を馳せる。が、スナイパーの姿は見えない。

 その瞬間、一際光を放つものが見えた。森林という環境のなかで発光する物体といえば、ほぼ無いというのが妥当だろう。それがスコープの反射光だと気付いた俺は、すぐさまに伏せて安全を確保した。

「チャールズ、何か見えた…」

 シルヴィの問いにうなずき、二時の方向、スナイパーだ、と答える。

「ゆっくり逃げよう。チャールズと私で交互に囮をするの」

「その必要はない」

 俺はきっぱり答える。

「え……」

 シルヴィは困惑した様子だが、俺は話を続ける。

「恐らくは俺と関係したやつがスナイパーをやっている……そいつは執念深いからな、俺が逃げたところで味方の位置を教えるだけだろう。それならここに留まってやつを食い止めた方がいい、スナイパーは厄介だ。気付かれないまま背後にまわられていたら部隊は全滅しかねん」

 俺はシルヴィに言い聞かせる。だが、俺一人じゃ足止めにもならん、と付け加えて。

「ヘルメットを囮にする?」

 シルヴィがそう尋ねてきたので、俺は鏡を取り出し、もう一度土の向こうを覗く。すると、反射光は複数確認できる。一つはクレアのスコープ、もう一つはそのスポッターの双眼鏡だろう。

「スポッターがいた。恐らく護衛はいない」

 このような時、必要最低限の言葉だけで相手に伝えるのが大切だ。だが、これをやり過ぎると日常生活にも影響が出てしまい、カタギを演じる必要がある場合には厄介な癖となる。“同業者”には一瞬でバレてしまう癖だ。だから、戦闘時だけに限り、という誓約を自分に厳しくしておかないといけないのだ。

 しかし、それにしてもクレアの戦法は執拗いものだ。ずっとこの二人を狙っている。指揮系統を乱そうとしているのならば、それはほぼ不可能だ。俺が倒れたところでエミリアやゴドーがいるし、全ての隊員にはそれなりの指揮能力は備えられている──大半が警察学校卒であるため、警察学校時代にいつ指揮を執っても、問題がないようにしているのだろう──から、俺一人はただの戦力でしかない。シルヴィも同じだ。

 じゃあ、彼女の目的は何だ。単純に各個撃破をしているのか、たまたまキルゾーンに入ったのか。まさか、俺と勝負をしたいということではないだろう。

 俺は指揮権の委任をゴドーに伝えると、再びスナイパーを鏡で探す。

 すると、先ほどのスナイパーが反射光をチラつかせる。あれほどスコープが揺れていては、こちらを見失っているのがバレバレだ。

 俺はシルヴィに手招きをして彼女をこちらに向かわせる。地面を這うように移動する、彼女の様子はまるで芋虫だ。だが、その動きが自然との調和を保っている。安全を選ぶなら客観的な姿など選べない、ということだ。

 シルヴィはスモークグレネードを手にとる。俺はそれに頷きで返すと、彼女はグレネードのピンを抜いて三アージュほど離れた地点に投げた。

 一気に広がった煙を囮に、俺たちは走り出す。あのクレアがいる場所まで。

 すると、スモークが晴れて、俺たちがその場にいないことを知らせてしまう。しかし、それを知ってももう遅い。俺は護衛がいないことを確認すると、ホルスターから引き抜いた拳銃で、振り返ったクレアの顔面を撃ち抜いた。といっても真っ青に染め上げてやっただけなのだが。

 クレアとそのスポッターは、手を上げてその場に伏せる。これでこの厄介な連中も片付けられた。

「これで雌雄は決しましたね」

 伏せたままのクレアがそう言う。

「ああ、ミハイルにも伝えておいてくれ」

 それだけだった。俺とクレア、旧友ともいえる二人の再開は。

 だが、戦場で芽生えた友情はそのようなものなのだ。普通の「仲が良い」とは違う意味で「仲が良い」とでも言うのだろうか、俺にはその違いを実感することは出来るが、それが何なのかを言葉にすることが出来ない。唯一出来るとしたら、お互い乾いた関係であることだろうか。いつ死ぬかも分からない友人であるから、そうしているのかもしれない。そいつが死んでもこころに傷を負わないように。

 俺はシルヴィに、行くぞ、と言うと走りながら、ゴドーにスナイパーを排除したことを伝える。

 すると、ゴドーからは予想外すぎる言葉が聞けた。

〈我々で制圧可能だ、装甲車は全て排除済み。だが念のため、こちらに合流してくれ、あんたは誰よりも強いからな〉

 俺は今年一番驚いたかもしれない。ゴドーほどの戦闘員が俺を「誰よりも強い」と言ったこともあるが、彼らの成長ぐあいだ。設立から一年経っていないというのに、戦闘経験が豊富なTMPに勝つなど──厳密にはまだ勝っていないが──誰も予想しない結果だった。

 俺は、了解、と答えて無線を切る。その声がどのようになっていたかは分からない。

「みんな強くなったんだよ。だって優秀な人物は警察学校時代から警備隊にも知らされるから、もとから優秀なメンバーが集まってるのは当たり前とも言えるね」

「それは知らなかったな。警察学校時代には優秀な生徒が呼び出されたりしたのか。この部隊に入れ、とかのやつだ」

「そういうのは無かったかな。多分、本当の意味での極秘作戦(ブラック・オプス)を遂行するために設立されたんだと思う」

 俺は確かに、と思う。何事も失敗しないように大量のミラと最新の機材が集められた部隊なんて、ろくな部隊じゃあない。実戦があるとしたら、それは余程の汚れ仕事(ウェットワーク)に違いない。

「うん、確かにこの部隊は暗 殺(ウェットワーク)にも向いてるからね。サバイバル術と自然を熟知した部隊は何処からともなく、っていう現れかたが出来るから」

 すると、銃声が遠くから聞こえくる。あれが戦闘音だ。俺とシルヴィは顔を見合わせると、お互いに頷き、足を早めた。

 

 周囲を取り囲む木が少なくなってきたところで、前哨基地の憲兵隊と特警群の隊員が銃撃戦を行っているのが見える。一見すればカラフルな戦場が楽しげに見せてくるかもしれないが、限りなくリアルな戦場であるのだ。

 俺は急な斜面を滑り降りる。まるで草上で遊ぶ少年のように。

 そして、白い旗をキューポラから出している装甲車の影に飛び込む。背中に鉄板の冷たさが伝わる。

 すると、装甲車の内側から、こんこんと窓をノックする音が聞こえ、そこから顔を覗かせている憲兵隊員が「頑張れよ。ダレル中尉」と言ってくる。彼は今の俺の名、チャールズの部分を借りている男だ。彼とは憲兵隊時代に親しかったので、顔でバレたかクレアに言われたかだろう。

 俺は親指を立てて返すと、装甲車の下からモディファイトプローンの姿勢で、車体の下から射撃を行う。が、マガジンひとつぶん撃ったところで銃がイカれてしまったようだ。

 元々、信頼性の高い銃ではあったが整備を怠っていた証拠だろう。

 俺は静かに自己反省をすると、再びホルスターの拳銃を前に突き出す。

 反動が腕を伝わり、肩へ押しかけるのをその肩で吸収する。

 俺がそうして拳銃で応戦していると、後続のシルヴィが俺のライフルを拾って応急処置を始めた。俺は応戦するのに集中する。

 シルヴィは直ったライフルをこちらに投げてくる。本来はあまり好まれない行動ではあるが、このような場合は臨機応変にマニュアルを破り捨てる方が良いだろう。

 俺はライフルのハンドガードをキャッチする。そして、マガジンの中身と薬室を確認すると、装甲車の陰から再び狙撃を開始する。といっても、俺が応戦を始めた頃にはほとんどの憲兵隊員が青色に染まっていた。

 安心した俺は、シルヴィについてこい、と言うと隊員たちが固まって応戦している場所に駆けていく。

 もう銃声も散発的だ。

 

「あいつでラストだと思いますよ、隊長」

 エドワードが土嚢に背中を預けながら言う。

「前哨基地にしては規模が小さい。これは何か裏がある」

 アルフレッドがエドワードに対して反論する。

「監視所のほうが抵抗してきたぐらいだぞ」

「そういえば…関係ないかもしれないが、防衛側の装甲車って何台用意するって話だったか覚えてるか」

「俺がミハイルから聞いた話だと本来は歩兵のみの戦闘だったが、急遽防衛側に“三台”配置されると聞いている────」

 眼前にあった土嚢が真っ青に染まり、エンジンの唸り声が聞こえる。エドワードが俺のすぐ横にいたから、エドワードは俺の盾のようになってしまった。

 俺は即座にその場に伏せる。そして、体を横に転がしてエンジン音の側面へ回る。

 BDUを草に溶け込ませ、ゆっくりと顔を上げる。

 そこには機動砲を備え付けた、鉄道憲兵隊の歩兵戦車があった。

「まだだっ、まだ終わらせないぞ、チャールズ」

 ミハイルの叫ぶ声が歩兵戦車から聞こえる。

「ミハイルっ」

 俺もミハイルに場所を知らせるように叫ぶ。すると、歩兵戦車がこちらに砲塔を回す。

 俺はミハイルが主砲を発射する前に、その砲口から逃げるのと同時に歩兵戦車に向かって駆けていく。

 頬のすぐ横を大口径のペイント弾が過ぎていく。こんなものが直撃したら大怪我をするだろうに、訓練で死傷者が出そうだ。

 こいつは昔からこうだ──モラルの範囲内、という話ではあるが、勝負になると勝つことに異常なまでに執着する。

 俺は砲身に掴まり、砲口へとグレネードを投げ込む。この装甲車は自動装填装置は無いから、ちょうど次弾を装填しているところにグレネードが車内に転がってくるだろう。

 すると、グレネードが爆発する前にミハイルが脱出してきた。他の乗員が出てくる様子はない。

 俺はミハイルにライフルを向けるが、ミハイルは護身用の拳銃を三発発砲してきた。だが、所詮威嚇射撃だったのだろう。ペイント弾は俺の横を通り過ぎていった。

 ミハイルはよろよろと装甲車の陰に消えていく。俺もこんな無茶をしたものだから、体力が既に限界だ。ライフルを持って歩くのが精一杯というところがある。

 俺はミハイルの裏をかくように、進んだミハイルとは逆方向に回る。不意打ちをかけてやる。

 もうライフルじゃかさばるだけだ。俺はライフルを捨ててホルスターから拳銃を引き抜いた。

 そして、装甲車に伝って歩く。正直、息を荒げているこの状態で不意打ちが成功するかは五分五分だ。音で居場所がバレてしまう。足音を消して歩こうと努力できるほど余裕もない。

 すると、あることに気が付く。俺は既に装甲車を半周したはずだ。なのにミハイルと遭遇しない────刹那、後ろから構えられた拳銃を手の甲で射線を逸らす。ミハイルはそのまま引き金を絞り、装甲車に赤色のペイントを施した。俺はミハイルの隙をついて拳銃を構えるが、ミハイルは俺の身体を全て押し出すようにタックルをしてくる。実戦ならばここでナイフでも刺してやるのだろうが、生憎この手の訓練で刃物は与えられていない。

 俺は押されるがままにはならず、ミハイルの両の脇腹を掴むと、彼が自分自身で生み出したスピードをそのままに引き倒す。立て直そうとする彼は俺から手を離したため、俺は無防備なその背中に真っ青なペイント弾を撃ち込んでやった。

 

 ミハイルが両手を上げて一分も経たない内に「訓練終了だ」という通信がはいった。

 

 

 

 

 



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四章

 

 

 

「それで……勝ったのか…お前たちが…」

 アーノルドは手を震わせて訊いてくる。

「よくやったっ、これで俺も出世できるってもんだ」

 アーノルドは更に子供のようにはしゃぐが、その肥った体型のおかげで随分と下品な踊りに見える。

「これでお前も一緒に昇進させてやるぞ、チャールズ。どうだ、嬉しいだろう────」

 彼が俺の肩を叩いた時、

「あなたの昇進は取り消された、アーノルド」

 後ろから声がして、俺は反射的に振り向く。

「随分と金持ちなこった。違法カジノに入っていくところがバッチリ写ってるぜ」

 茶髪の青年が一枚の写真を指先で挟みながら言う。警備隊の関係者ではないだろう。となると、警察か、探偵か。しかし、俺は彼の顔に見覚えがあった。

「あの時の…」

 俺は思わず呟いた。

 そう、彼は俺を助けてくれた。バスが魔獣によって襲撃された時に。

 すると、その青年は俺に視線をやってから再びアーノルドの瞳を覗く。

「あなたがやってきたことは全てお見通し、それがバラされたくなかったら、また一兵卒からやり直すかこの職を辞めるか、ね」

 青年の後ろから白銀の髪をした女性が出てくる。風貌からして記者かなにかだろうか。それならよっぽどの凸凹したコンビだ。

 今までの罪状を淡々と読み上げられているアーノルドに目を傾けると、出世を前にして喜んでいた自分が恨めしい、とでも言うように顔を手で覆っている。

 そして、次々に司令室へと入ってきた警察にアーノルドは取り押さえられた。その場に特警群はシルヴィと俺しかいなかったが、他の隊員の喜ばしい声が聞こえてくるようだ。

 アーノルドが部屋を去ったあと、先ほどの警官が戻ってきて、

「また会ったな」

「…なにか縁があったのか」

 俺が訊くと、警官はガイだ、ガイ・バニングス、と名乗って手を差し出してくる。俺もそれに応えてガイの手を握る。

 すると、ガイは俺の肩を叩いて「クロスベル警察(俺たち)はあんたを歓迎するぜ。俺のとこに来ないか?」

 俺は静かにその手を払い除けて「俺はあと六年は警備隊に所属していなきゃいけない身だ。時が来たらそっちに行ってもいいぞ」と言う。

 ガイはわはは、と豪快に笑って、

「流石の答え方だ────じゃあ、約束を忘れるなよ。六年後には、一緒に働こうじゃないか」

 俺は勿論だ、と返すとお互いに別れを告げる。

 そんな彼の背中に、妙な焦燥を感じて。

 

 ガイが去ったあと、暫く間をおいて、インドア戦の訓練を担当した老練の教官が司令室に入ってきた

「さて…君たちの指揮官というと、それは私なんだ。それはそうと、君たちの司令部は他の部隊とは少し違う。君たちの最高司令官はこの私であり、野戦指揮官は君、チャールズ・アイヒマン。この二人のみとなる」

「何故ですか」

「機密性が高いからだ。作戦(オペレーション)も、存 在(イグゼスティンス)も。作戦を知っているのは議長と私と特警群、あとはごく一部の将だ」

「そんな部隊を本気で作ろうとしているんですか、クロスベルは」

「ああ。因みに資金の提供はIBCからもある。あの企業がどうしてこんなプロジェクトに積極的なのかは分からんがな」

 教官はそう言い、司令室の机を悲しそうな表情で見つめた後、こちらを向き、さて、ともう一度言う。

「君たちが特殊部隊としての実力はTMPと同等、またはそれ以上ということが今回証明された。これは他国への抑止力となると共に、TMPに勝ったという偉業でもある。そんな君たちに与えられるのは何だと思う……ロタール君、答えたまえ」

 突然話を振られたシルヴィは困惑しながらも、

「え、えっと……勲章…ですか…」

 と答える。が教官は「それもある。が、そうじゃない。もっと直接的な褒美だ」

 そう言って俺に、ある書類を差し出す。そして、俺がその書類に書かれていることを理解したと同時に、隊でヴァカンスだ、と教官が言う。

 

 

 

 これが海か。

 俺は初めて見た海に感動を覚えつつ、周囲の隊員がはめを外しすぎないように監視する。

 俺を含めた全員が水着を着ている。こんなもの…下着と布面積が変わらんだろうが。むさい男はいいとして、女性隊員の半裸は俺の目には少々眩しいようだ。

 そんなことを考えていると「チャールズっ」と後ろから声をかけられその音源に視線をやろうと思った矢先、シルヴィが冷たい缶ジュースを俺の頬に当ててくる。正直、この程度じゃ何も驚かない。塹壕の中で銃声が響いてトーチカから出たら敵が目の前だったときよりは。

 俺が何も反応せずに、ただ礼を言ってジュースを受け取ったのが詰まらなかったのか、シルヴィはむっとして「この不感症め」とつぶやく。

「案外間違ってないかもな、それ」

 俺はそう言って、貰った缶ジュースを開ける。ぷしゅっと爽快な音が鳴る。こんな平和な時間は本当に久しぶりだ。

 俺は喉に甘いだけの水を流し込みながら、引き続き監視を続ける。『監視』と言うのは語弊があるな……『見守る』とかのほうが適してるかもしれない。

「ねえ、私の水着どうかな…似合ってるかな」

 シルヴィは俺に、視線をよこせと催促してくる。

 俺は仕方なくそちらを向く。そして、少し離れて彼女の全身を視界に入れる。

「ちょっと冒険しすぎたかな。私、初めて海に来たからどんな水着が普通なのか分からなくて。チャールズから見てどう思う?」

「まあ…いいんじゃないか。他の女性陣とも大差ないしな」

「そう…よかった」

 俺はかなり控えめに言った。俺から見たらシルヴィの水着姿が一番綺麗だと思う。いや、美しい。

 白一色の水着だ。まるで肌も十代の少女のようだ、大事大事に育てられた綺麗な白い少女。そして、肩まで伸びた白銀の長髪は静かな美しさを醸し出している。しかしこれを全て言えば好意があると口に出しているのと同じだろう。

 すると、シルヴィは少し恥ずかしがる。

「そんなに見られると…」

「ん、ああ、すまん」

 俺は気まずさを感じるが、シルヴィはすぐに気を取り直したようだ。

「チャールズは泳がないの?」とシルヴィは首を傾げる。

「ヴァカンスとはいえ、一応指揮官の立場だからな。誰かが問題を起こさないか見てなきゃいかん」

「そうだけど……」

 シルヴィは後ろで手を組んで、少し俯いてしまう。だが「それなら心配無用ですよ」と言って出てきたのはゴドーだった。

「我々、スカウトは部隊員を二名ずつ各管轄を持たせています。その管轄で問題が起きればすぐに対処できるようにしています。これならば隊長が見張っているよりも素早い対応が可能です」

「そうだよ、現代の戦闘はフットボールみたいに一人の指揮官が駒である戦闘員を動かすんじゃなくて、サッカーみたいに一人ひとりが考えて動くものなんだよ。隊長であるチャールズがそんな古い考えを持ってたらダメだよ」

 俺は二人の勢いに押された。楽しみ、という感じを抑えて「仕方ない」という雰囲気で、キャップを風で飛ばないように石で固定し、肩に羽織っていたパーカーを脱ぐと、また石で固定する。

「仕方ない。初めての海だ。俺も泳ぐとしよう」

 そう言うと、シルヴィは、やった、と言って喜ぶ。

 シルヴィは俺の腕を掴んで海へと誘う。俺はそれに答えて走る。

 冷たくも日の光が暖かい海水に足を浸けると、シルヴィが奥から手招きをしているのが見えた。彼女の腹部辺りまで海水で浸かっている。

 俺は多少の不安を感じつつも、シルヴィの元へ海水をかき分けながら進む。シルヴィはなおも俺の反応を楽しみにしているようで、さらにさらにとハードルを上げていく。

 俺がシルヴィに追いつこうとする度、シルヴィは俺から離れて水深の深い場所へ行く。やがて、足がつかなくなり完全に泳ぐ姿勢になった。

 しかし、俺も遊ばれてばかりではない。ぎりぎり見える足場を使ってジャンプをすると、その勢いに任せて深くまで潜る。この水深ならば見つかりづらいだろう。

 俺はその状態からシルヴィの位置を特定し、背後に出るように移動する。そして、水面から飛び出た瞬間「つかまえたぞ」といってシルヴィの脇腹を掴む。が、シルヴィはそのまま俺の腕を脇に挟み込むと「息止めて」と言って、俺ごと沈み込む。

 俺は思わず腕を離したが、シルヴィには計算されていたらしく彼女はこちらを向く。お互い口から空気を吐いているのが、形となって見える。

 すると、俺はあることに気付く。海の中はこれほど美しいものだったのか、と。

 シルヴィも俺の心情に気付いてか微笑んでいる。

 水上からでは見えなかった景色。日の光が水中に柱のように差し込み、少し遠くを見やると魚が泳いでいる姿も見られ、更に奥を見ると深淵を映し出すような暗黒が広がっている。

 シルヴィは海の近くに住んでいたのだろうか。それで俺にこの景色を見せたくて、俺を誘った。

 俺は自然とシルヴィに視線が吸い込まれる。

 シルヴィは俺と目が合うと、ゆっくりと浮上していく。俺もそれに合わせて水面より顔を出す。海面が首の辺りに来たのを感じると、思いっきり息を吸う。

「良いでしょ、海は」

 シルヴィはそう言って、俺を連れて浜へと戻った。

 

 シルヴィと浜に戻ってから二分ほど。俺は日傘の下でエドワードと話していた。

「隊長はどう思いますか?」

 唐突に話題を変えようとしてきた。今までは俺が好きな映画の話をしてたのに。

「…何のことだ」

「そりゃあ…言って分かりませんか」

「分からないから訊いている」

「水着ですよ。彼女たちの御姿です。隊長は誰の水着姿が好きなんですか」

 俺は答えづらい質問に、思わず頭を抱えそうになる。

「大丈夫です、近くには男しかいませんから。隊長の趣味をバラすような人間でもないですよ、僕」

「じゃあ交渉だな。俺のNo.ワン水着姿を言うならお前もそれを言えよ。これが必須条件だ」

「ええ、勿論ですよ」

「俺が思うのは…シルヴィだな。肌も髪も水着も、銀か白で統一されているのが『美しい』っていう感想だな。性的な要素は一切除いて」

「紳士ですね…隊長……」

「元から部下を男女で区別しないんだ。悪い意味でもいい意味でも、な」

「必要とあらば女性にも暴力を振るえると?」

「いや、それは全くの別問題だな。命に関わるミスをした者は厳しく注意するし、ペナルティを負わせる。が、それを暴力で矯正しては意味がない。ただのトラウマになってしまうからな」

「隊長自身がミスをした場合は…」

「勿論、お前たちと同じペナルティを負う」

「注意してくれる人間は?」

「さあな、誰でもいい。──お前がやってみるか?」

 俺が意地悪に言うと、エドワードは「遠慮しておきます」と苦笑してみせた。

 それから暫くして、俺は「お前のNo.ワンは誰なんだ」と訊く。こいつは話題のすり替えが上手い。相手が自ら話題を逸らすように工夫している。これだけの話術があるなら諜報員も出来そうだ。

「そうですね…マリタの、ですね」

「マリタの水着か。……お前、“そういう”趣味だったのか。警備隊も警察の一部のようなものだ──軍事力を持つ口実として、だが──から、その手の不祥事は目に付くし何より────」

 エドワードは俺の肩をとんと叩き言葉を遮ると、

「そうじゃないんですよ。普段クールな彼女がこういう場所に来てはしゃいでいる姿を見ると、父親になったような目になりませんか。優しい父親に」

 俺はエドワードが顎で指した方向を見やると、マリタが、エミリアやアシュリーたちと海水をかけあって遊んでいるのが見えた。

 確かに父性というものが擽られる、といった感情が分からなくもない。というのも、マリタは既に二十二になるのだが彼女の身長はずば抜けて低く、本人によれば採用時に多少の不正をして基準の身長に届かせたようだ。しかもその体つきは貧相だときた。

 しかし、彼女は体が貧相だからといって無能な訳ではない。射撃訓練では好成績を出しているし、特警群専用飛行艇のロードマスターをやっている。降下訓練前に機内アナウンスの読み上げを噛むのは少し和んだものだ。

 何の話をしてるの、と若い女性の声が背後からする。俺は振り向かずに、

「胸部装甲の話だよ、最近は海上での戦闘も始まってるからな」

「そう。じゃあ──“首から下で選ぶ”とか“水着姿”とか聞こえたのは空耳ですか」

「そうかもしれない。だがそれは君が“聞こえた”という話だよ」

 エドワードが真面目な雰囲気で、ありったけの知識を活用して知的に喋ってみせた。

「アリシア、君の言う“聞こえた”は今に起こったことじゃないのが分かるか。君の『今』はリアルタイムで送られるわけじゃないんだ。神経から脳に情報が伝わるのに時間がかかる。それは僅かなものだ。しかし、脳はあたかも“今”聞こえたように編集するんだ。だから君の脳が多少改変を加えたのかもしれない。

 よって、君が聞いたことは真実ではないんだ。まず真実というものは存在せず、解釈だけが──」

「なに馬鹿なこといってるのよ。しかもそれ…マリタの受け売りじゃない。あんたには荷物運びの仕事が残ってんのよ」

 アリシアはそう言って、エドワードの耳元で囁く。それが何かはわからなかったが、エドワードは溜息を吐いて、アリシアについていった。恐らくは、マリタに言うぞ、とでも言われたのだろう。

 再び単独になった俺に、とシルヴィがこちらに手招きしている。俺はゆっくりと立ち上がり、そちらへと向かう。

 すると、足の裏で砂の奥になにかがあるのを感じた。もしかしたら地雷かもしれない、そんな思いが俺の頭をよぎった。

 俺はそれを踏んだ方の足を地に付けたまま、足元を掘り起こす。

 昔の話だが、地雷原で戦ったこともある。少年の頃だ。敵自身も仕掛けた地雷に引っかかり何に注意すればいいのかも難しかった。

 その記憶が呼び覚まされ、何かが見えそうになる度、心臓が跳ね上がる。どくん、どくんと。そしてそれの片鱗が見えると、胸を撫で下ろした。誰かが捨てた空き缶が砂に埋まっていたのだ。

 顔を上げると、心配そうにこちらを伺うシルヴィに「なんでもなかった」と言う。すると、彼女たちも安心したようだ。

 

 

 ホテルの部屋に戻ると、静かなベッドが一つ用意されている以外には目立つものはない。普通のホテルだ。しかし、そのベッドがふかふかで、俺の体に常時フィットするように沈んでくれる。野戦病院のベッドとは大違いだな、とふと思う。

 戦場や軍事基地、監視所以外で生活するのは、本来の軍人、遊撃士が行うよりも遥かに多く行ってきている。このような場所で寝泊まりすることも無くはなかったが、盗聴器と隠しカメラで監視されていることもあり、落ち着くことは難しかった。そのような経験のせいか、俺は落ち着いて眠れるのは、むしろ基地の硬いベッドの方だった。

 すると、ドアからこんこんと音がした。俺は「今行きます」と言ってからドアを開ける。そこにはシルヴィが海で見た太陽を彷彿とさせる笑顔で、「遊びに来たよ」と言う。

「部屋は個室だし、俺以外には誰もいないぞ。エミリアたちの方には結構集まっているじゃないか」

 椅子に座ったシルヴィに他の部屋は、と提案する。

「あまり騒がしいのは好きじゃないの。それにダレルともゆっくり話したいし」

「そうか…」

 俺はベッドへ座り込む。

「じゃあ、何について話したい」

 俺が質問すると、シルヴィはすぐにこう答えた。

「チャールズについて、っていうのはどう?」

「俺についてか…」

 俺は口元を手で押さえる。どうしようか。

 シルヴィも俺がこういう反応をするのが予測できていたようだ。むしろ、これを覚悟で訊いてきたのだろう。シルヴィの意志は堅い。話題を変えてもすぐに戻されるに違いない。

 俺は────俺は覚悟を決めた。今後シルヴィを、何があっても守り抜く。もしこれがバレたら情報局のいけすかない連中はきっと、調 査 団(インヴェスティヴ・チーム)とか名乗る暗 殺 集 団(アサシネション・チーム)を送るだろう。諜報員(スプーク)幽霊(スプーク)にしてしまう。だって、これは身元を明かしているのと同じだ。

 脳内で行った言葉遊びに満足すると、俺は口を開く。

 俺が今から話すのは明るい過去じゃない。硝煙と泥、返り血で汚れた話だ。

 

 

 

 俺は『ストラナ・ヴォディー』という国で生まれた。帝国やクロスベルとは根本的に違う国だった。いや、クロスベルとは少し似ているかもしれない。

 ストラナは多民族国家だった。お互いの文化や思想を尊重しあって共存する、今の国家も見習うべきといえるくらい平和だった。治安も良かった。それは国民全員が、十八歳以上であれば銃を所持できたから、と言われている。確かに、互いを抑止する力というのは争いを無くすのに、一番手っ取り早い方法だ。

 貿易は盛んで、資源も多くあったが、国土が砂漠で囲まれていることで他国から攻められることはなかった。

 しかし、そこで問題が起きた。新たな、政治のトップが独裁を始めたのだ。治安維持の法律で死刑の基準を下げたり、自分のやり方に文句をつける国民は武力で弾圧されていった。

 そこで、ある組織が立ち上がった。ストラナ再統合戦線(Strana Reinteglation Front)────SRFだ。

 俺はそれに所属していた。初の実戦は十歳の時、数少ないガスマスクを付けて、政府軍の毒ガスが充満した場所に突撃させられた。それには俺と同じような子ども兵士が送られた。今思うとみんな発狂してたんだと思う。寝てるときにいきなり叫び出したり、銃声を一発聞くだけで動けなくなるやつもいた。

 そのことから十四年も経ってるのに鮮明に覚えているのは、物心ついたときには軍隊の下にいて、銃を持てるようになったら隊列に加わってたことだ。

 みんなは麻薬をやっていて、それで戦闘時の痛みも和らげていたが、俺はお断りだった。あんなもの。あんなもの吸いたくない。俺は上官にもそう言って、あとは上手く誤魔化した。だが、後に知ったのは、食事に火薬(ガンパウダー)を混ぜられていたことだ。

 それによって、ここの食べ物しか食べれない、ここ以外で食べたらむしゃくしゃする、というようにして、釘付けにしておくんだ。人的資源ならば政府軍が圧倒的に上回っていたから、詰まらない理由で除隊されては困るのんだろう。もっとも、除隊を望んだ者のこめかみから即頭部を銃弾が通るんだが。

 独裁政権も民主主義を望む者も、そこでは変わりようが無かった。狂ってた。敵も味方も狂ってた。それが戦争だからな。

 一回、その戦争を引き起こしたとされるニコラスという男を殺そうとしたが、まだ子どもだった俺には不可能だった。

 その後、俺は作戦行動中に戦死したことにした。ヘルメットと戦闘服の一部、あとはそこらで拾った肉塊を置いて、グレネードを投げ込んだんだ。俺のドッグタグも忍ばせておいたから俺が死んだ、とやつらは確信した。今ここにいる俺は、亡霊みたいなものだ。

 その後はある貴族の貨物に紛れて国外に出たが、住む場所もミラも無い俺はどうしようもなく、そこら中をふらふらと彷徨って、ゴミを漁って生きるしかなかった。

 そんな生活が一ヶ月ほど続いたある日、俺が紛れた貨物を所有していた貴族が俺を養子にする、という話を持ち出し、肋骨がはっきり浮き出たような俺を拾った。その後は熱心に育ててくれた。

 勉強はそこまで苦じゃなかった。少なくとも戦争を起こすために捏造された歴史よりは。

 俺は士官学院に入り、そこで正式な戦闘術を学んだ。国際法なども学んだが、戦場で民間人と軍人の区別をつけるな、と言われ続けてきた俺には、その内容に慣れるまで時間がかかった。だって、民間人だと思って助けようとした友人が、そいつに撃ち殺されたこともある。国際法をしっかり守った軍隊なんて勝てるものじゃないだろう、俺はずっとそう思ってたな。今は少し違う考えではあるが。

 そして、俺は士官学院を卒業すると帝国軍の第三機甲師団に所属した。が、数カ月で鉄道憲兵隊に引き抜かれた。手に握った銃で人を殺す方が似合うって女神に言われた気分だったよ。

 俺はその後一年間憲兵隊を続けるが、どうも、俺にはその世界は合わないようで、俺は憲兵隊を除隊した。

 それで、今は遊撃士をやっているというわけだ。

 

 

 俺は全てを語り終えて、シルヴィの瞳をじっと見つめる。彼女の目にはほんの少しの涙が浮かんでいるように見える。

 すると、シルヴィは「でも」と質問をしてくる。

「でもチャールズが戦争から逃げれてない」

 俺は困惑する。ここは戦場じゃないし、銃の一つも置いていない、と。シルヴィは「ううん」と首を横に振り、

「逃げれてないのはチャールズの心。てっきり最初は実力を高めるために、日々戦場にいるかのようにしてるのかと思ってた。だけどそうじゃなかった。あなたはまだ戦争に囚われてる」

 振り返れば確かに、戦場にいるかのような気分がここ最近は抜けたことがないような気がした。日常に溢れる道具でさえ、人を殺傷するための道具に見える。実際、戦争ではそうだったのだから。

 そう考えていると、段々戦争と日常の境目が分からなくなってきた。

 いつここが戦場になるかもしれないし、俺の国も突然、内戦に突入した。実際ここもそうなるかもしれない。

 いつ隣人が銃を持って襲い掛かってくるか。

 いつ自分の町に砲撃が降ってくるか。

 いつ仲が良かった友人の頭を撃ち抜かなくちゃいけないのか。

 いつ。いつ。いつ。いつ。

 俺は気付けばそれを口に出していたように思える。何も考えられない。

 

 と、優しい感触が後頭部にすると、俺の顔がシルヴィの胸元に収まる。まるで聖母の抱擁だ。俺はそう思った。

 シルヴィは俺の頭を撫でて「大丈夫」と繰り返す。

「私はあなたの味方であり続けるから。みんなも一緒だよ。チャールズはもう戦争に関わらなくていいの」

 シルヴィの中にある言葉が、今俺に向かって流れる。優しい小川のような流れだ。

 俺はその流れに従い、ひたすら川を下るようにシルヴィの胸元で涙を流してしまった。人を頼る、というのは戦場にいる戦友に限るものであったのだが、そのルールはここで破られてしまった。

「ありがとう、シルヴィ」

 俺は無意識にその言葉を口に出していた。

 

 

 

 

 



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五章

 

 

 

 俺とシルヴィの唇が離れると、お互いの唾液が混ざったものがアーチとなる。シルヴィは顔を火照らせ、俺の名前を何度も呼ぶ。チャールズ、チャールズと。俺はそれに答えるようにシルヴィを抱き寄せ、彼女の着ているパーカーのチャックに手を伸ばす。

 と、その時だった。緊急招集の着信音が俺のオーブメントを震わせる。俺はシルヴィから離れるのと同時に、彼女に「すまない」と言うと、オーブメントを耳に当てる。すると、教官、改め最高司令官が今まで聞いたことのない、早口で喋り始める。

〈チャールズかっ。緊急事態だ。詳しくはこちらに到着してから話す。部隊の休暇を切り上げることにはなるが、急いでくれ!〉

 それだけ言って通信が途切れた。そして、心配げにこちらを見つめるシルヴィに司令官から言われたことを伝える。

 オーブメントの部隊招集用の回線を利用して、全員のオーブメントを強制的にスピーカーモードにして呼び出す。「第三歩兵小隊、ティータイムだ。各自でもいいからガゼボに集合しろ」という暗号を出す。下らない内容だ。

 俺が焦って荷物をまとめ始めると、シルヴィが俺の袖をくいっと引っ張り、頬にキスをしてきた。

「お預けにした分、挽回してね」

 俺はああ、と答え、少ない荷物を片手に、ホテルのチェックアウトを済ませる。

 

 俺とシルヴィはベルガード門にある部屋の内、常に「立入禁止」の札が付けられている部屋に入る。

 ノックは無しで入ってこいということだった。俺たちが部屋に入ったとき、司令官と一人の女性将校が壁に映し出された画像を見ていた。

 俺たちが部屋に入ると、それを映し出したまま司令がこっちを向いて話を始める。

「来たか」

「ええ。……それで、緊急招集をした理由を聞かせてもらいます」

「勿論だ」と司令は言うと、これを見てくれ、と壁に映っている画像を指差す。

 俺は思わず声を出した。奇声に近い短い声だ。

 画像に映っているのは、かなり遠く、軽くモザイクがかかったような画質ではあったが、子供が考えたように巨大な列車砲だった。その砲身が高く高く伸びて、大口径の砲弾をいつでも撃てるようにしている。

「これはガレリア要塞に配備されたものだ。目立つから遠目に撮影してもらった。帝国も警戒を強めているからこれ以上の接近は不可能だ」

「こんなのがすぐそこに配備されたのですか…」

「ああ、その目的は分かりやすいだろうな。だが、その性能については──ソーニャ君の方が詳しいだろう」

 司令が横にいる女性将校の名前らしきを呼ぶと、女性は敬礼をしてから「ソーニャ少佐です。今回から特警群の作戦にナビゲータとして参加します。戦場に直接出撃はしませんが、宜しくお願いします」と挨拶をする。

「自分は──」

 俺も挨拶しようとすると、眼前に指を広げてくる。

「あなたのプロファイルは貰っています。作戦を説明します」

 と、いけ好かない様子で俺の自己紹介を塞いだまま話を始めるが、司令も俺と視線が合うと、ゆっくりと首を横に振る。少佐の態度に困っているのは俺だけじゃないらしい。

「この列車砲には、ラインフォルトの社名が書かれているのが画像分析によって判明しました」

「ラインフォルト…帝国の大企業が何故…?」

 シルヴィが問う。

「ラインフォルトは軍需産業も請け負っている。鉄道憲兵隊の車両もラインフォルトの作ったものだ。それ故、どんな形にせよ、他国からも注目を浴びる兵器を作ることで発注を増やそうとしているのだろう。そいつらのせいで戦争が起きなければいいが」

 司令はそう言って腕を組む。

 そうだ。戦争は国同士がやるという面はあるものの、「起きる」のではなく、戦争によって利益を得る誰かが「起こす」のだ。だから、俺はそいつらを殺すことを優先している。二度とストラナのような国は出したくない。シルヴィが住むクロスベルに攻め込もうものなら、鉄血宰相から順に皆殺しにしてやる。戦争を起こした連中も。

 俺が静かな怒りに震えていると、ソーニャが列車砲の解説を再開する。

「この列車砲の口径と、帝国の戦車の主砲を比較したところ、この列車砲の射程と威力が分かりました。射程がクロスベル全域です。これは確実な分析です。そして威力ですが、射程と火薬の重さなどの情報で考慮したところ──長めに見積もってもクロスベルを壊滅させるのに一日とかかりません」

「で、私たちを招集した理由は。まさか、それを破壊しろということではありませんよね」

 シルヴィがソーニャを急かすように言う。

「ええ、そんな無茶な作戦はしませんので安心してください」

「じゃあ、なんなんだ。その理由は」

「これを見てくれ」

 司令はそう言って、一人の男の画像を、列車砲の画像と入れ替える。

 その男はどこか見覚えがある茶髪の男で、顔の横には「Nicholas Egolchev」ここらじゃ珍しくない名前が書かれていた。

「この男性がこれに関係しているのですか?」

「いや、それはまだ分かっていない。だが、この時期にノックスで異形の魔獣が多数見つかっているそうだ。このニコラスという男はその第一発見者であり、そのことを知らせに来た人物でもある」

「魔獣自体が異形なのではないでしょうか」

 シルヴィは俺も感じた疑問を司令にぶつける。

「魔獣にも種があるというのは知っているだろう。その種では有り得ない形質や能力を持っていたりするそうだ」

「この件と同時期……ということは帝国側の工作である可能性が高い、ということですね」

「そうだ。だから君たちにはその問題の“解決”に向かってほしい。ノックス森林をパトロールし、その魔獣を見つけ次第駆除してくれ。公の部隊じゃ出来ない極秘任務だ。これがもし帝国の仕業なら、それは宣戦布告を意味する。隠密に頼むぞ」

「了解しました。が、その魔獣の戦闘能力は詳しく分かりますか。こちらの兵装は」

 俺は一気に質問をする。この任務はどうも嫌な予感がする。恐らく今までにないレベルの嫌悪感。

「それは判明していない。本当に危険な任務とはなるが君たちには期待している」

「兵装は」

 再度、強めに訊く。

「君たち専用の装甲車をつける。隠密に遂行すべき作戦ということで飛行艇は用意出来ない。だが、パンツァーファウストは積んでおいた。これである程度巨大な魔獣が出現しても対応出来るだろう」

「ということはデルタチームは作戦に参加しないのですか」

「いや、デルタは車両の運転及び整備班としてつける。特警群総動員でかかるんだ」

「了解しました。では、作戦展開地域の地図は貰えますか」

「これの通りに作戦を行う必要はない。最低限、このルートに魔獣が潜んでいるとのことだ。もし、緊急事態に陥れば隊員は全て撤退させろ。臨機応変な対応が求められる」

 司令は机の引き出しから一枚の地図を取り出すと、それをこちらに渡してきた。俺はそれを受け取ると、司令の話を聞きながら一瞥する。

「作戦は明日。クロスベルの命運は君たちにかかっているのかもしれない。だが、全員で生きて帰って来い。もう、わたしからの命令はそれだけだ」

 

 

 俺は「作戦前で眠れないから外の空気を吸ってくる」という嘘をついて、宿舎を抜け出すとその裏でNoteを起動する。

 この接続までの時間が途方もなく長く感じる。別に、レクターを怒鳴りつけようって訳ではない。ただ帝国側の意向を聞き出したいのだ。この二つの件に関した情報も。

〈時間通りだな。チャールズ〉

 レクターは、いつもと何ら変わりない挨拶をいつもの表情でしてくる。

「挨拶は後でいい。この二つの件について説明しろ」

 俺は敵意を剥き出しで訊いてしまう。

〈二つ……?まあいい。列車砲のことだな。

 あれは帝国がクロスベルへの抑止力、そして共和国への抑止力としても配備したものだ。いつしか共和国軍がクロスベルに侵攻した際は街ごと、あの列車砲で潰すつもりだ。俺が知ってるのはそれだけだ〉

「共和国が侵攻して、民間人が残っていても、か」

〈……そうだ〉

 レクターにも聞こえるような舌打ちをする。このクロスベルにはシルヴィもいるってのに。

「じゃあ、ノックスの件はなんだ。列車砲と関係があるのか」

 するとレクターはその質問を想定していなかったのか、顎に指を当てて考える。

〈ノックスには何もしていないはずだが……。どんな問題が起こってるんだ〉

「異形の魔獣が出現したんだ。意味は分かるよな」

〈もちろんだ。しかし、帝国(うちら)には生物兵器なんてものはないぞ〉

「じゃあ別の組織がやったのか」

〈待て待て。魔獣とはいえ生物だ。人為的な変化を加えなくても、異常な進化を遂げた種がいてもおかしくないだろう。それに異形ということは中途半端な進化なんだろう、そんな生物は長く生きてられないだろ〉

「ということはお前たちじゃないんだな」

〈ああ。これは誓う。列車砲の件については保身ではあるが、俺のやったことじゃないし、その魔獣に関したのも帝国のやったことじゃない〉

「じゃあなんなんだ、これは。生物の特異な変化とは思いづらい」

 俺がレクターを問いただすと、レクターは少し怒り怒気を含んだ声を出す。

〈それは調査すれば分かることだろう。どうせ、何かしら作戦が検討されてるんだろ。それで真実が分かる〉

 俺はレクターの、怒りつつも冷静な意見に押されて納得がいった。

「すまない。取り乱した。──明日、ノックスにその魔獣を駆除しに行くんだ」

〈そりゃ良かった。帝国の潔白を証明してくれ〉

「ああ、もちろん────」

 俺がNoteの電源を切った時、後頭部の辺りで銃の安全装置を外す音が聞こえた。

「動くな。このスパイ野郎」

 それはアルフレッドの声だった。俺は両手を上げて立ち上がる。

 そうだった。俺は特警群隊員からしたら帝国の卑怯なスパイでしかない。これがバレればここには居られない。シルヴィとも別れることになる。

 俺はアルフレッドの方へ体を回す。彼は俺の目をしっかり見据えたまま、

「その機械から離れろ」

 と命令してくる。

 俺は素直に離れるが、アルフレッドは俺と一定の距離を保ち続けている。

「最初から騙していたのか」

 アルフレッドは睨むような表情で言う。

 俺は、ああ、と答える。

「最低な野郎だな」

 アルフレッドのその言葉は心に切れ目を入れたが、それを表情に出してはいけない。

「俺は帝国からのスパイだ。お前たちを陥れるためのな」

「この列車砲の件は。チャールズ、お前がやったのか」

「いや違う。もっと言えば俺はここに潜伏しているだけの任務だし、それ以上聞かされていない。もちろんノックスのこともな」

 するとアルフレッドは、俺の眉間に銃口を擦りつけてきた。

「それだけは信用してやる。だがな、これ以上特警群に留まるな。この作戦が終わったら出ていってもらうぞ」

 俺はアルフレッドに礼を言う。

 アルフレッドは歯を食いしばって何かを我慢した。

 

 

 

 



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六章

 

 

 

 森の中、不整地をゆっくりと歩兵に合わせて走る装甲車内は意外と快適だ。いつもなら、尻を殴ってくるような座席も鳴りを潜めている。だが、その空間でゆっくりするのが目的じゃない。

 俺は自分が見渡せる範囲を監視する。異常な魔獣がいたらすぐに排除し、可能ならばそのサンプルを回収してきてほしい、という上層部の願いを叶えなければならない。

 するとエドワードが俺の肩を叩いてきた。

「本当にザ・ストレンジなんて魔獣が発見されたんですかね」

「分からん。だが、ここ最近の情勢からして何かしらの異常があったのは確かだ」

 するとエドワードは銃座につきながら「そうでしょうがね。……特警群の初出撃がガセに踊らされたものだったらキツイですよ」とぼやく。それはここの誰しもが危惧したことだ。

 すると、外にいた隊員が何やら騒がしくなっている。

 俺は無線を使って隊員たちに呼びかける。

「状況確認。スカウト・ワン、何があった」

〈こちらスカウト・ワン。ザ・ストレンジらしき死体を発見した。かなり新しいものだが………っ…〉

 ゴドーが珍しく驚いたので、その緊急性を疑う。

「どうした」

〈人の顔をしている……〉

 その言葉で隊はどよめいた。これじゃあ、まるでホラー映画みたいだ。

 俺は部隊を混乱させないように鎮めながら、警戒をさせる。

「了解。総員に告ぐ、敵は恐らく魔獣じゃない。人為的な変化だ、これは。十分に注意しろ」

 

 そして、かなり森林の深くまで潜り込んだ時だった。

 突然、咆哮がノックスに響き渡った。重機のエンジン音のように低い音だが、それは特警群全員を震えさせるのに十分な声量だった。

「戦闘用意だっ」

 俺は外に向かって叫ぶと、装甲車から飛び出して外を警戒する。装甲車内にはデルタチームが待機し、銃座からの援護や負傷者が出た際に運び込んだりする役目を負っている。衛生兵もデルタに配属されている。

 すると、一匹の魔獣が藪の中から出てくる。いたって普通のヒツジンが出てきただけだった。誰もがそう思って銃を下げた。しかし、その次の瞬間だった。ヒツジンの体が、まるで沸騰した湯のようにぶくぶくと膨れ上がって、それが破裂するとそこから奇妙な触手のようなものが生えてくる。その触手はそれぞれが意思を持っているかのように、自由にうねうねと動いている。

 これを野放しにはできない。

 俺はヒツジンだったものが、これ以上に変化を起こす前に、頭に四発の弾丸を通した。すると、元気に動き回ってた触手が動きを止め、中枢のヒツジンも倒れた。

 俺はもう二発頭を撃ってから死体に近づく。

「ゴドー。お前が見たのと同じか」

「この破裂した痕は一致します。ただ、先ほどの死体は巨大な虫の足が生えていました」

 俺はゴドーの言葉を聞いて、ヒツジンの死体を見やる。たしかに破裂した場所は、卵の殻を触手が突き破ってきたかのような光景となっている。これはさっきの死体と酷似している。

「こんなものを……何故」

 ジョージが呟く。

「それも未だ不明だ。しかし、俺たちはこいつら、ザ・ストレンジを駆除しないといけない。放っておいたら大惨事になりかねんぞ」

 俺はそう言うと、咆哮がした場所へ向かうように、隊員たちに指示する。

 警戒を厳にした小隊は歩み続ける。先ほどのような魔獣が出てきても、この隊の実力で襲い掛かられる前に無力化出来ている。

 対人の部隊とはいえ、その訓練が魔獣との戦いで役に立たないわけではない。照準を合わせる速度なんかは、どんなものと戦うにも必要である。もちろん、連携も重要だ。連携といえば、過去、鉄道憲兵隊にいたころに、ゴーグルにカメラを取り付けて隊員同士で見ている景色をリアルタイムで共有する、という試みもあったが、作戦行動中に共有するには少々情報が多く、二ヶ月もしない内に廃れていった。

 そして、特警群が十四体目のザ・ストレンジを駆除した時、あの咆哮がすぐ近くで聞こえた。

 俺はエドワードにパンツァーファウストを車内から持ってくるように言う。エドワードは頷き、装甲車内へと警戒しながら入っていく。

 そこから一秒とかからなかった。咆哮の主であろう、巨大な鹿にも見える魔獣が飛び出してきて、縦列隊形の横っ腹をその角で引き裂こうとしてくる。しかし、ここでも隊員の練度は証明される。このような魔獣が出現するのは想定内だったし、突進というのも直線での攻撃だったから、怪我人一人出さずに回避した。

 俺は魔獣の脚に銃弾を叩き込むが、魔獣はそれを気にせず次の突進の用意をしている。まるで麻薬漬けの兵士のように、痛みを感じずに動いている。

 俺はエドワードの名前を叫ぶ。これ以上、攻撃をされれば負傷者が出かねない。

 するとエドワードが装甲車の銃座から乗り出し、戦車を黙らせるための筒を魔獣に向ける。魔獣が二度目の突撃をしようとしたとき、エドワードが引き金を引いた。すると、筒の先から突出していた弾頭が飛び出し、筒の後方からとんでもない勢いの煙を噴射する。

 俺は咄嗟に、伏せろっ、と叫ぶ。

 刹那、弾頭が魔獣に命中したのか、水を撒き散らしたように、びちゃっ、という音がした。

 俺が顔を上げると、魔獣の上半身と下半身が切り離されている光景が広がっていた。辺りにはミンチと血液が飛び散っていて、戦闘服にも少しかかっている。だが、俺たちに一番衝撃を与えた光景はそれじゃなかった。その魔獣の腹から人間の腕がにょきっと生えていたのだ。

 すると、シルヴィがこちらに駆け寄ってきて、状況の確認をしようとする。

「見るなっ、シルヴィ」

 俺はシルヴィを止めるように手を横に出すが、もう手遅れだったようで、シルヴィは目の焦点を合わせるので精一杯になっている。

「なるほど、人の味を覚えて俺たちを襲った、って訳だ」

 アルフレッドがそう分析したとき、彼の後ろにいたアシュリーが突然銃を投げ捨てると、両手で口を覆って茂みの方へ走っていった。アシュリーが吐瀉物を地面に落とす音とその声が、辺りの状況がいかに異常であるかを物語っている。

 サバイバルに長けたシルヴィですら、この光景には動けなくなるほどだ。そもそ獣の死体と人の死体じゃ少し変わるか。

「先に急ぎましょう。見てて気持ちいいものじゃありません。サンプルとして回収するにも中身が……」

「いや、アルフレッドと俺で籠に削り取ったサンプルを入れる。お前も含めて装甲車の中にいろ。これが見えなくなるまでしばらくそれで進む」

「了解しました、隊長。隊長もキツくなったら交代してくださいね」

 隊員はそう言うと、足早に装甲車へと向かっていった。

 

 

 装甲車の内部でグロッキーの隊員は、既に休ませている。俺は車内からの指揮をするから、通信士も兼ねている。

 そして、無線が入ったので俺は「こちら第三歩兵小隊です。オーバー」と言う。

〈こちらHQ、そちらに向かう不審な飛行艇を三隻確認した。その件と関わりがあるかもしれない。対空戦闘も用意しておけ。オーバー〉

 この無線は全員に聞こえている。もちろん、返事をすることも可能だ。言わずとも対空火砲として装甲車の機銃がある。直接銃座に付かなくとも遠隔操作できる上に、真上も狙えるほどの可動範囲ときた。対空火力としても十分だ。

 俺は小窓から外を覗く。先ほどまでの銃声とグロテスクな音は消えて、妙な静寂が辺りを包んでいる。動物たちの鳴き声一つ聞こえないのだ。木の葉が擦れる音だけが辺りに響く。

 だが、その静寂も飛行艇の駆動音でかき消される。その音が聞こえると、歩兵は伏せて機銃手が空に銃口を向ける。といっても空が見える場所はごく僅かで、飛行艇からこちらを見つけることは不可能だろう。

 本来ならば、この滞空している飛行艇にメガホンで呼びかけて捜査すべきなのだが、俺たちの存在はそれを許さない。極秘の部隊だからだ。

 すると、一隻の飛行艇から一つずつコンテナのようなものが落とされる。着地時には轟音を立て、その振動はこちらの足元までしっかりと届いた。それが残り二つ続き、飛行艇はそれだけ残して去っていった。

 その直後、コンテナのようなものの節々から透明な液体が溢れ出し、辺りをびちゃびちゃに濡らした。コンテナから液体が出切ると、その蓋の本体との接合部分が爆破され、蓋が勢いよく外れる。コンテナの中からは真っ黒な戦闘服を着て銃を持った人間たちが、我先にというような雰囲気で出てくる。

 あれは戦闘員だ、俺たちを殺すための。この場にいる特警群も馬鹿じゃない。銃撃戦に備えて装甲車の陰に隠れて応戦を開始した。

 しかし、敵もかなりの練度だ。バリスティックシールドを持った人間が前に出てきて、それを見計らい前進してくる。

 俺はパンツァーファウストを装甲車内から持ち出し、それを敵が出てきたコンテナに着弾させる。徹甲弾とはいえ多少の衝撃は広がる、対人の兵器としても申し分ないだろう。着弾点から円を描くような衝撃波は、襲撃者たちの四肢を胴体からもぎ取ったり、弾頭の破片が遠くにいた襲撃者にも刺さったりで、かなりの被害を与えることが出来た。

 どうやら襲撃者たちも、先進的な戦闘を行うようで、これならば敵を殺すよりも負傷させるほうが有効だろう。

 俺がパンツァーファウストの威力を確認し終わった瞬間、銃弾が頬を掠める。すぐに頭を引っ込めると、顎を伝って血が流れているのが分かった。ここから再び顔を出すのは危険だ。俺は装甲車の外に出て銃撃を再開する。

 ちょうど木の陰から飛び出した兵士の頭を一発で撃ち抜く。走り出そうとしていた体はバランスを失い、前に滑り込むように倒れた。

 俺が瞬きをした後、敵が謎の銃のようなものを構えているのが見えた。きっと脅威であるのは間違いない。俺はそれを持った戦闘員に四発の銃弾を浴びせる。戦闘員はしゃがんだ状態から後ろに倒れて、手に持っていた銃からは細い発射体が、ぎりぎり目に見えるスピードで飛んでいく。大きさとしてはボールペンより一回り大きい程度だろう。

 発射体の先を目で追うと、それがジョージに命中したようだった。ジョージは腕に刺さった注射器を抜き取って投げ捨てると、叫び声を上げて銃を乱射する。味方に当たってこそいないが正気を失っているのは確かだ。

 俺はすぐに駆けつけてジョージに声をかける。

「おい、しっかりしろ。ジョージ!」

 俺はジョージの肩に手をやって、彼の乱射を止める。

「冷静になるんだ」

 今度は静かに伝える。するとジョージはそれを理解しようとしないかのように、俺のことを突き飛ばした。コンバットハイだとしても異常だ。もしかして麻薬を混ぜられていたのか。

 どちらにせよ、このまま戦闘に参加させるのは危険だ。俺がジョージの後頭部を銃床で叩くと、ジョージは意識を失ってふらりと倒れる。彼の体が地面につく前に支え、ちょうど顔を出してきた衛生班にジョージを渡す。しばらくは装甲車で大人しくしてもらおう。

 そして、俺が再び敵に銃口を向けると、その瞬間に戦闘は終わってしまった。俺はすぐに死傷者の確認に移る。敵が全滅したとなれば第二波がすぐに来るだろう。すると、先ほどの衛生班から戦死者無し、しかし負傷者三名、という報告が飛んできた。

 

 撤退を開始した特警群は全員を装甲車に収容して、大急ぎでこの森林から脱出しようとしている。

 俺の乗った二番車には気絶したジョージが横たわっており、全員が彼を心配していた。勿論他の負傷した隊員も心配だが、ジョージの場合は状況が異常だった。しかもおかしな注射も打たれている。

 すると、俺がジョージの顔を覗き込んだとき、ジョージはぱちっと目を覚ます。そして、俺に掴みかかってくる。こんな狭い車内じゃ殴りかかってくる拳を捌くだけで精一杯だ。

「後部ハッチ、開けろ!」

 俺はマリタに向かって叫ぶ。俺自身もこの状況で冷静さを失っているように思える。マリタがハッチを開けると、俺は馬乗りになっていたジョージを抱きかかえて、そのまま外へごろごろと回転していく。地面にジョージを打ち付けると、ジョージから離れる。

 技も無しに突っ込んでくるジョージの腕を逸らし、その腕を掴みながら、ジョージの膝をきめてバランスを奪うと、体を地面に押さえつける。しかし、ジョージは力任せに俺を吹き飛ばす。『力任せ』といっても、それは既に人の出せる力を優に超えているだろう。

 俺は最終手段として拳銃を取り出すと、ジョージの大腿を撃ち抜く。それでも止まる様子はなく、反対の足のアキレス腱も撃ち抜く。しっかり赤い血が流れているということは確かだ。流石にそこまで足を狙われると、ジョージも動けなくなり、腕でゆっくりと這いずってくる。

 すると、這いずっていたジョージの傷口から湯気のようなものが噴き出す。それの出現と同時に、ジョージは痙攣しながらのたうち回る。やがて、のたうち回っていたジョージの、傷口がある場所から段々とバッタの脚のように変化していった。俺はその様子に圧倒されて動けなくなってしまう。部下が無残な姿へと変貌していく様子を間近で見つめることになった。

 気づくと、先ほどのコンテナがもう一度落とされており、敵の増援が続々と出現していた。

 と、装甲車内から銃声が響く。一瞬敵にやられたのかと思ったが、それで放たれた銃弾はジョージのこめかみを通っていった。ジョージの肢体は糸の切れた操り人形のようにくずおれる。

 俺は気が付いて、すぐに装甲車の陰に隠れようとするが、最悪の出来事が起きた。敵が対戦車ロケットを発射した。反射的に草むらへ飛び込むが、装甲車が破壊される衝撃波からは完全に逃れられず、後ろにあった木に頭を叩きつけられる。

 暫く耳鳴りが響き、視界も朦朧とする。そのとき、体が動かず、目の前の惨劇を見てるしかなかった。

「マリタ………マリタ……!」

 ふらふらと歩くエドワードが、左腕を根本からごっそり持っていかれたマリタに呼びかける。彼女ももう意識がほとんど無いが、エドワードの呼びかけに答えるように、彼の頬に手を伸ばす。が、その手は頬に届く前にパタリと落ちてしまった。銃声の雨音が響く中、エドワードの叫び声が強く、強く轟く。

 俺は半ば怒りを動力に立ち上がると、装甲車の向こうを見ようと試みる。そのとき前にいたエドワードが胸と胴を何度も撃たれて、目の前にて倒れた。その瞳は不思議にもこちらを見据えていた。

 意識せずに雄叫びを上げて、アサルトライフルをジョージともなんら変わらない様子で乱射する。すると、俺の肩を銃弾が掠めていく。俺はそれでも撃つのを止めなかったが、誰かが俺の襟を引っ張って装甲車の陰へ引き込んだ。

 俺は突然引っ張られて倒れてしまう。そして、顔を上げると、そこにはゴドーが立っていた。ゴドーは俺の胸ぐらを掴む。

「隊長、冷静になってください。おれもアシュリーを失いました。……もうあの顔は銃弾でぐちゃぐちゃです。しかし、おれたちは生きなければならない。それが死んだ者へと追悼となります」

 その言葉を聞いて、俺は再び銃を持ち直す。そして、敵に反撃を許さないように制圧射撃を加える。

 そこで、敵は再びあの注射器を取り出した。最悪だ、俺はそう呟いて、それを構える敵の頭を撃ち抜く。しかし、次から次へと注射器を拾いに行く者がいる。これじゃあまるで、あの兵士たちが消耗品である、とでも言っているようなものだ。そこまで重要な作戦のだろうか。

 すると、一人の兵士が注射器を拾ったまま草むらに隠れてしまった。俺は舌打ちをして、その周辺の草むらにグレネードを投げ込む。グレネードが炸裂すると赤い飛沫が草むらから飛んだが、量から考えれば致死量ではないだろう。俺はその飛沫が飛んだ場所に銃撃を加えるが、手応えがない。

 俺がマガジンを交換しようとしたとき、かなり離れた場所から兵士が飛び出して注射器を発射する。おそらく俺が撃っていたのは動物かなにかだったのだろう。

「やめろぉぉぉ!」

 俺は叫んで拳銃を構えると、注射器を持った兵士を何度も撃つ。二十アージュ離れている人間に拳銃を撃ってもなかなか当たらないが、マガジンの中身を全て叩き込んだので、マズルフラッシュが消えたと思ったら兵士は事切れていた。

 俺はすぐに注射器を打たれた隊員の元へ駆けつける。すると、そこには地獄が広がっていた。注射器を打たれた部分を、自分のナイフで、それも自分で切り落としていた。運悪く胴に当たったアリシアは、口の中に拳銃の銃口を突っ込んでいた。

 俺はアリシアの元へ走っていき、拳銃を口から引き抜いた。すると、アリシアは抵抗して暴れる。

「死なせてください、あんな化物になるのは嫌です……!」

 その目は真剣に俺の瞳を見据えていた。見たことない、強い意志を宿した目だ。そもそも自分の命を自分で断つのは、相当くるものがあるだろうに、それをやろうとしていたアリシアの覚悟は相当なものだ。俺はかつてこんな目を持っていたことがあっただろうか。

 アリシアの拳銃を掴んでいた手をゆっくり解く。アリシアは「有難うございます、隊長」と言って、自分に向けた銃の引き金を引いた。

 俺の決断はこれで良かったのだろうか。

 しかし、対応すべき事態はまだある。辺りを見渡すと、注射された部分を切り落とした隊員は四人…か。胴に当たった隊員はアリシアを入れて三人。

 すると、ミラーとエイデンが「隊長が殺して下さい」と懇願してくる。俺は何かがすっぽ抜けたように、ホルスターから拳銃を取り出し、それをまずはミラーの頭に向ける。ミラーは力いっぱいの笑顔と敬礼をする。彼が何故俺に頼んだのかはすぐに分かった。彼の拳銃が入ったホルスターと共に下半身が上半身と決別して、力なく横たわっているからだ。マズルフラッシュが俺の目に焼き付くと、ミラーの腕はだらんと垂れ下がっていた。

 次いで、エイデンにも狙いをつける。彼に関しては両腕が吹っ飛んでいるようだった。中途半端な威力で吹き飛んだ両肩からは、血に濡れてピンク色になった骨が顔を見せている。あまり観察しているのも彼に悪い。俺は静かにエイデンの額に真っ赤な花を咲かせた。

 刹那、最も考えたくない事態が発生した。後ろからシルヴィの声が聞こえた。

「チャールズ……」

 あまりにか細く、弱々しい声が俺の耳に届く。俺の体はその現実を目にするのが怖くて振り向けない。

「シルヴィ……なのか……?」

 俺は質問をする。しかし、俺のことをチャールズと呼んでいる隊員は司令を除いてアルフレッドとシルヴィだけだったから、この声が彼女のものであることは確実だった。

 うん、と返事が返ってくると、俺はようやく振り向いた。

 シルヴィの体は悲惨な状況だった。左足をまるまる切り落として、その状態で体の各所から出血をしていた跡もある。俺はこの場を生き延びなきゃいけない、という使命感とシルヴィの体を見ての、心の揺れを抑えるので、思いっきり奥歯を食いしばる。

 すると、男が「隊長、危ないっ!」と俺を突き飛ばした。それはアルフレッドだった。アルフレッドは、俺と一緒に隠れて、シルヴィも引っ張ってきた。

「お前……俺なんかを助けるのか…?俺は……」

「知ったことか!俺たちの隊長を死なせない!」

 アルフレッドがそう言って俺の顔を見てくるが、その次の瞬間にはアルフレッドの頭を、まるでフランケンシュタインのネジのように弾丸が過ぎていく。

 ここまで接近してきたか。

 俺は周囲を見るが、そこに生存者は少ない。俺とシルヴィ、ゴドーだけが生きている。しかし、悠長に眺めている場合ではない。俺はシルヴィを背負って、背の高い草むらに逃げる。

 

 

 先ほどの襲撃された地点からは数百アージュ離れただろうか。

 俺はシルヴィを木にもたれかけさせて、俺たちも休憩にした。このまま帰れるのだろうか。もしかしたら残党狩りが俺たちを襲うかもしれない、そんな恐怖を感じているのは俺だけじゃなくシルヴィもだ。しかし、出口へと進むしかない。それが俺たちの使命なのだから。

 

 

 



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終章

 

 

 

 もう、まる一日は歩きつづけている。周りの景色になんら変化はなく、同じような木が並んでいて、その間々から敵が飛び出してこないか警戒する。

 一種のルーチンワークと化した、この撤退は体力的には耐えれるが、精神面がやられそうになる。仲間が全滅させられたっていうのに、その襲撃者たちから逃げなければいけない。ゴドーだって出来るならば、今すぐあいつらの頭を撃ち抜いてやりたいだろうが、今の戦力じゃ太刀打ちできない。俺とゴドーだけじゃ、左脚を失ったシルヴィを守りきれないし、シルヴィが負傷していなくとも戦力としては貧弱すぎる。

 俺はゴドーに、休憩を提案する。距離としては大したことないが、敵の包囲網を潜り抜けながらの行軍は神経を擦り減らす。

 ゴドーはそうしましょう、と答えて、俺はそれを聞いて、シルヴィを木にもたれかけさせた。

 すると、俺が木に背中を預けたとき、耳元で声がした。

「久しぶりだなぁ……ダレル……!」

 俺はホルスターから拳銃を引き抜いて後ろに回す──ライフルはとっくにイカれた。しかし、そこに人影はなかった。が、頭上にて木と木の間を飛び回る者がいる音は聞こえる。葉が体に擦れる音、枝が体重をかけられ上げる悲鳴。それらは人間の成し得るスピードなんかじゃあ絶対なかった。しかし、人の声がしたのも確かだ。……いや、こんな精神状態だ、幻聴もあり得るのかもしれない。

 俺のそんな考えとは裏腹に、その木々を駆け回る者は俺たちの目の前に降り立った。あまりに異常な光景にトリガーを引くことも忘れて、眺めてしまう。

 降り立った人間──恐らくは男である──は関節付近を除いて、鎧を着けている。だが、それは鎧というにはあまりにスマート過ぎるし、金属光沢をそのまま発するのではなく、周囲の環境に合わせて、一色だけではあるが全身の色を変化させている。顔以外に肌を出しておらず、これではなかなか視認しづらい。

 と、男は跳ねるように顔を上げる。その顔は非常に見覚えがあったが、誰だったかを思い出せない。やがて男は立ち上がった。

「あの戦い方…見せてもらったぞ。見事だった」

「何故俺の名前を呼んだ」

 俺が男に質問をすると、ゴドーが訊いてくる。

「隊長の名前……?チャールズじゃなく」

 すると、男が子を諭すように言う。

「ダレル、お前噂には聞いていたが、名前を変えているのか。丁度いい、そこの嬢ちゃんと兄ちゃんに教えてやる。お前らのチャールズ隊長の本名。いいか、そいつはチャールズなんかじゃない、『ダレル・レッドルップ』だ。わたしが育てた兵士の中でも一番人を殺したやつだ」

「やめろっ!」

 俺は男に叫ぶが、男はそれを微塵も気にせず話を続ける。

意志あるところに道は開ける(Where there's a will, there's a way)────お前に戦いを教えてやったのはわたしだ。覚えていないのか?」

 男の言葉は俺の脳の底に沈んだ記憶を引きずり出した。驚くほど聞き覚えのある言葉に、思わず体を震わせて思い出した。

「トカレフ……」

 俺は彼の名を呟く。そう、彼の名前は『アレクサンダー・トカレフ』だ。俺の人生にて父親のような存在だった男。

「思い出してくれたか、なら……いいな?」

「何がだ」

「わたしとお前の決着だ。ストラナ・ヴォディーで別れた日からどれだけ成長したか見せてもらうぞっ!」

 俺はシルヴィとゴドーを下がらせる。これにシルヴィたちを巻き込めない、俺たちだけの問題だからだ。

「さあ始めよう、意志あるところに道は開ける(Where there's a will,there's a way)!」

 俺が拳銃を構えるのと同時に、トカレフは飛び上がり、木々を飛び回りはじめる。彼が着ている鎧のせいで、目視するのは厳しいが、音はギャンギャン鳴っているからそちらで追跡することは容易である。

 俺は予想をつけて、先読みした地点に拳銃を発砲する。彼の戦術は俺の戦術であり、俺の戦術は彼の戦術だ。互いに手の内は分かっているからこそ、実力での勝負となる。

 俺が発射した弾は木の枝に当たり、その枝に切れ目を入れる。命中はしなかったか。

 すると、幽霊のように動いていた影が木の幹で止まる。俺はそちらに銃口を向けるが、その影は力強く幹を蹴って、銃弾のような速さでこちらへ向かってきた。俺が顔を横にずらすと、頭が先ほどまであった木の幹に大きなクレーターが出来ており、クレーターを作った膝蹴りがあった。

 俺はトカレフの脚を左腕で抱え、右手でナイフを取り出すとそれをトカレフに突き立てる。しかし、ナイフが何かをぐにゅっと刺すと、トカレフは俺の拘束から無理矢理脱出する。そのとき、トカレフの服装が黒一色になっていた。恐らく色を変化させる機能を今の刺突で停止させたのだろう。

 この距離で拳銃を使わないのはお互い同じだ。俺はナイフを逆手に持って、トカレフの首元めがけて振るが、トカレフは俺がナイフを持っている腕を押さえて、反撃の出来ない俺の顔に一発、思いっきりのパンチをかましてきた。俺はそれがあったか、と空いていた腕でトカレフと同じように殴る。だが、所詮は真似をして使った技だ。俺のパンチは容易に防がれ、トカレフはすぐに反撃をしてきた。大腿に、腰に、腹に、胴に、顔に。両手両足を器用に使った打撃を加えてくる。

 俺もただやられているばかりではない。俺の顔に届こうとした拳を掌で受け止めると、それを掴んで引くのと同時に膝蹴りをかます。

 するとトカレフは血を吐く。しかし、彼はどことなく幸せそうな笑顔をしていた。

「そうだ、それでいい。戦いの基本は肉弾戦からだ」

 俺も彼との殴り合いで、どこか健全な時間だと感じる部分がある。ある意味で俺はトカレフと同じなのだろう。

 そして、腕を構え直したトカレフはすぐに飛びかかってきた。俺はその連撃を捌こうとするが、初発は予想外の一手だった。俺の腕と首を掴み、そのまま膝をきめて、バランスを崩したところを一気に叩く。

 俺はバランスを失うと、地面に背中を打ち付ける。トカレフはそんな俺に馬乗りになってきて、俺が抵抗できない状況であるのをいいことに、何度も何度も顔面に拳を打ち付けてくる。その度に俺は視界を左右に振られ、目まぐるしい状況となっており、反撃が難しい状況になっていく。

 すると、トカレフに殴られていると、右腕の先にナイフが落ちているのが見えた。俺はそれを掴み、腕を引き寄せるとトカレフの懐へ潜り込ませる。

 次の瞬間、それが当然であるかのように、トカレフの左胸にナイフが収まっていた。肋骨をくぐり抜けてみせたのだろう。俺がナイフを引き抜くと、傷口から少量の血が飛んだ後、大量の出血が始まった。

 トカレフが覆いかぶさってきたのを、俺は横に倒し仰向けの状態にする。すると、彼は胸を大きく上下させながら話す。

「ダレル………。世界はこれからだ……。わたしたち雇われ兵が戦場で活躍するのは帝国だ……必ずや我々を必要とする勢力が出現する……。貴族派と革新派の対立が深まっている今……わたしたちは必要とされるのだ。嬉しいことだよ……仲間たちも食いっぱぐれることがない……わたしも含めて戦いしか能のない連中だからな……。

 だが、ダレル……お前は違う……。お前は戦いを、戦争を捨てる“意志”がある──銃を捨てる“意志”が……。わたしには決して無かった“意志”だ……。部隊を全滅させたわたしが言うのもなんだが……あの嬢ちゃんは幸せにしろ。それが……お前の『銃を捨てる』ということだ……。それが出来なかったなら再び銃をとってもいい……。だが、そのときは……わたしの“意志”を引き継げ……。『自分の過去を精算する』これがわたしの意志だ、銃をとるなら……わたしの…………魂と……共に…………意志あるところに(Where there's a will,)…………道は開ける(there's a way)………………」

 トカレフはそう言い残すと、彼の生前からは想像出来ないほどあっさりと逝ってしまった。俺はまだ上にあるトカレフの瞼を手の平で下げる。

 彼も、ただ人に求められて、仲間を守りたかっただけなのだ。戦闘に志願するのに理由がない人間はいない。何か大切な譲れないもののために戦っているのが戦士なのだ。俺は彼の行ってきたテロ行為は許せないが、彼自体は尊敬に値する人物だし、俺が誰よりも信用していた人物でもあった。

「終わりましたね」

 ゴドーがトカレフの遺体を見て悲しげに言う。

 俺はああ、と答えて再び行軍を始めるために、シルヴィを背中に担いだ。

 

 俺たちは五十セルジュほど歩いてきた。そのとき、俺の背中にいたシルヴィが遠くを指差す。

「見て、小屋がある」

 俺は彼女の言った通りの小屋を見つける。苔だらけで、恐らく動物の寝床になっているだろうが、こちらに武器がないわけじゃないし、よほど凶暴な魔獣でもなければ数で不利な相手に襲いかかってこないだろう。

 ゴドーが先行してきぃっと音を立てるドアを開け、中の様子を窺う。そこには家具なんて贅沢品は全て無くなっていたが、かなりの幸運だろう、獣の巣になっている痕跡はない。

 俺はシルヴィを比較的清潔な場所に降ろし、彼女の表情を見てみる。俺が顔を覗くとシルヴィは少しばかり安堵した様子を見せていた。敵が周りに潜んでいる可能性があるとはいえ、屋根と壁がある場所を見つけられたのは幸運だ。敵に見つかる可能性も高くなるだろうが、シルヴィが負傷している状況でこれ以上の強行軍は繰り返せない。

 すると、シルヴィが眠っているのに俺とゴドーは気が付いた。ここ三日間くらいはほとんど戦闘区域で歩くか銃撃戦だったから、よほど疲れが溜まっていたのだろう。彼女自身もただ背負われているのではなく、警戒することを役割としているから俺たちと同じくらい疲労するのだ。

 ゴドーは俺の顔を見て困ったように笑うと、小声で「おれたちも眠りましょうか」と言う。俺もシルヴィの寝顔に少し目を向けると、そうだな、と答えた。

 

 

 

 

 

「へぇ、そんな動物もいるんだな」

「うん。ペンギンって動物なんだけど、鳥なのに飛べないんだって。一度生で見てみたいとは思うけど、ノーザンブリアよりずつと北にいるから多分見ることは出来ないかな。写真だけでも見ることが出来るなら満足だよ」

 シルヴィはそう言って微笑む。

「なんなら俺が連れて行ってやる。前みたいな長期休暇確保して行こう。金なら割と持ってる」

 すると、彼女は目を見開いて驚き、俺の顔を見ながら「本当なの」と呟くような声で訊いてくる。

「ああ、本当だ。飛行艇を用意出来る友人がいるんだ。少し長旅にはなるだろうが十分に可能だろう。それに俺もペンギンだけじゃない、色々な景色を見てみたいからな」

 俺がそう言うと、シルヴィは立ち上がり、また「本当?」と訊く。

 俺は勿論、と答えると、シルヴィは子供のように喜び飛び跳ね、足を滑らせる。しかし、間一髪で姿勢を保ち、転ぶことはなかった。

 シルヴィはそれを笑って誤魔化す。

「じゃあ」とシルヴィは言い、続けて「保険をかけます」と芝居めかして言うと、俺の右手を引っ張り、親指の根本を掴むと腰からナイフを取り出す。

 何をするのか不安になり、離れようともしたが彼女が、そこまで痛いことはしない、と言うので大人しくすると、彼女はナイフで俺の親指に軽い切り傷を入れる。すると、拍動に合わせて少量の血が流れ、シルヴィはそれを舌で掬い、味わうようにして飲み込んだ。

「次は私のを飲んで」

 シルヴィはそう言うと、俺と同じく右手の親指に赤い線を描く。

 俺はシルヴィの腕を引き寄せると、血液を舌で舐め取った。鉄の味がするのはやっぱり変わらないんだな、と俺は思う。いや、正確に言えば鉄の味に似ているだけであって血の味ではあるのだが。

 すると、シルヴィは、

「これは私が住んでいた国の、約束を破らせないためにすることなんだって。私は昔からやってるから慣れてるんだけど、嫌じゃなかった?」

「いや、俺の住んでた国じゃ多文化過ぎたからね。それから比べたらどんな行動でも受け止めれる」

「それは極端な話だよ」

 シルヴィがそう言って笑うと、俺も笑って答える。こんな幸せな日々がいつまでも、そう願って。

 

 

 

 

 

 シルヴィと過去にした約束を思い出しているといつの間にか眠っていて、それが夢に出てきたようだ。しかし、そんな俺を現実へ引きずり下ろしたのは銃声だった。ぱぱぱぱっとマシンガンを連射する音が聞こえる。俺はシルヴィにライフルを持たせているのを確認すると、木材の隙間から外の様子を覗き込む。

 そこにはゴドーが、胴体をずたずたにされて倒れており、その奥には一人のコートを纏った茶髪の男を囲むようにして、複数の兵士が歩いている。あの男には見覚えがある。なぜなら彼はニコラス、今回のザ・ストレンジを真っ先に報告した人物である。が、それ以前にストラナ・ヴォディーを戦争へと導いた男でもあった。通りで彼の顔がいけ好かない訳だ。

 俺はゴドーの仇を討たなければならない。

 ここから見える範囲の戦闘員を一発で仕留める。もちろん銃声は響くから、相当居場所が分かりやすいことだろう。すると、複数の足音がドアの前に密集しているのが聞こえた。突入の定番である指向性爆薬を使うつもりだ。

 ドアに照星を固定して一気に引き金を絞る。マガジンの中身が一つずつ減っていき、銃口から飛び出した銃弾は木材ごときものともせず、ドアの向こうで爆破準備を開始している戦闘員に命中する。しかし、銃弾が当たらなかった戦闘員は迷いなくドアを爆破する。まるで機械の兵士だ。

 俺は爆破の衝撃波を喰らって壁に打ち付けられる。そして、動いているのかもあやふやな右腕を持ち上げて拳銃の銃口をドアに向ける。

 真っ先に部屋へ入ってきた戦闘員の首元を撃ち抜く。ヘルメットと防弾服だからまともに狙ったら負ける。

 俺は、次いで飛び出した戦闘員の左胸を撃ち抜くが、彼は防弾チョッキをしっかりと着込んでいたようで弾は貫通せず、左半身が押されたに留まった。それは相互にとってチャンスだった。そこで俺は彼の銃弾を右の大腿に一発受けてしまい、俺の銃弾は彼の顔面を守るためのガラスを貫通してその顔をぐちゃぐちゃにした。

 その戦闘員が倒れるのと同時に二人の戦闘員が押しかけてくる。俺は同じように引き金を引くが、トリガーはただ虚しくカチっと軽い音を鳴らすだけだった。

「シルヴィ!」

 俺はライフルを持っているシルヴィを呼ぶが、彼女は既に唯一の武器であるライフルを取り上げられていた。俺もこの状況では抵抗のしようがない。幸運なのは、敵にこちらを無理にでも殺そうという意志がないことだ。俺は歯軋りをしながらゆっくりと両手を上げる。

 そして、一人の戦闘員が俺の頭に銃口を固定しながら歩み寄ってくると、俺の顔面を銃床で殴る。俺の意識はそこで途切れた。

 

 

 

 

 ぼんやりとした視界と聴覚の中で、今の状況を把握する。

 まず、俺は手を後ろに回された状態で拘束されて地面に転がされていること。足は自由だ。

 二つ目に、周囲は敵が取り囲んでいること。飛行艇も確認できる。

 そして、これは視界が鮮明になり分かった。シルヴィも俺の目の前で俺と同じ状況になっていること。

 すると、先ほどの茶髪の男、ニコラスが俺の前に一歩一歩踏みしめるように寄ってくると、

「やあ、ダレル。君と会うのはストラナぶりかな?」

「ああ、どうやら俺はノックスで旧友と出会う機会に恵まれているらしい」

 俺がそう返す。勿論、旧友というのはニコラスに対してのたっぷりの皮肉だ。だがニコラスは手を揉んで「それは良かった」と言う。

「さて、君たちだけが殺されずにここまで生き残った。その理由は分かるかい」

「さあな」

「それも当然だね。何故、君たちを殺さないかっていうのは、君たちに協力してほしいからだ」

 俺は思わず「何を言っているんだ」と質問をするが、ニコラスはそれをそっちのけで説明を開始する。

「君たちには“素質”があるんだ、とてもとても必要な素質が。そして、その素質は世界に必ずや平和をもたらしてくれる。正確にいえば……そちらにいる女性に素質があるんだ。ダレル、君はその護衛兼イコンとなってほしい」

「俺みたいな人間がイコンだと。笑えないぞ」

「いいや、ぼくが訪れさせるのは会議による平和じゃない。圧倒的な軍事力を一気に増幅させ、大陸の人間全てを滅ぼしてもお釣りがくるほどの兵器を、一国ずつに持たせる」

 俺は理解できなかった。そんな兵器を作ったらそれこそ文明そのものが消えてしまうだろう。

「たとえそれで武力衝突が無くなっても平和じゃない。軍人だけが肥えていく社会を作るだけ」

 シルヴィがニコラスに強く迫るように言う。

「そんなことはない。君たちが今、持っている兵器であれば一個の街を破壊しつくしていく。それ以上の兵器を山のように持っている『帝国』が隣にあるがクロスベルの住民たちは毎日平穏に暮らしているじゃないか。ぼくの理想は少しずつ叶えられているんだよ。そして、現代はそれにかなり近い状況なんだ」

 俺はある可能性を呟く。それによって考えられる平和というのは恐ろしいものだ。

「“抑止力”による平和……」

 すると、ニコラスは嬉しそうな表情を見せ、

「そうだ────例えるならば拳銃を持った二人の人間対立しているわけでもないのに、同じ部屋にいるようなものだ。そうなれば、お互いが拳銃を持っているということで、お互いのトラブルを平和的に解決しようとする。もし戦争の火蓋が切られたときの代償が大きすぎるからだ。

 だがお互いが銃を捨てることは出来ない。もし片方が銃を捨てなければ自分が殺されるかもしれないからだ。人類は、国同士はそこまで信頼しあえない。今までも、今も、そして、これからも。だからぼくはそんな信頼し合えない人間同士でも平和になれる唯一の方法を提示しているんだよ。なのに君たちはそれに反対する。腹立たしいよ」

「今の話を聞こうが聞かまいがお前の言うことについていく気はない。兵器というのが恐れられるのは、実際に使われてその恐ろしさを知らしめてからだ。お前の言うような『抑止力による平和』なんか訪れやしない」

「そうか……残念だ。しかし、参考程度に言っておくとダレル、君とぼくは同じ民族なんだよ」

 ニコラスはそう言って振り向くと、腰に据えていたポーチから注射器を一つ取り出す。それが何であり、誰に打とうとしているのかはすぐに理解できた。

 今後の逃亡についてなんてどうでもいい。今、シルヴィを助けなければ一生後悔する。俺は身体強化をし、手錠を無理矢理外すとニコラスの方へ走る。これならばすぐにでも止めを刺せる。

 しかし、俺の目の前には一人の兵士が飛び出してくる。邪魔だ、と叫んだ俺の左腕が彼の顔面を掴んで五アージュは離れた場所に吹き飛ばす。シルヴィが押さえつけられ、今にも注射を打たれようとしているが彼女自身も抵抗しているため、それには時間が掛かっている。

 俺はその隙を見逃すほどの馬鹿でもない。四方から飛んでくる銃弾をアーツによって出現した盾で防ぐ。俺が今考えたアーツだから名前はない。

 再びニコラスに接近し彼の護衛を全滅させるが、彼はそれすら省みずに注射を打つのに集中している。ニコラスが振り向いてからここまで十秒とかかっていないだろう。

 護衛のいなくなったニコラスはもう限界だということを理解したのか、飛行艇のカーゴへと踵を返してしまった。あいつを追って殺すよりシルヴィの救助が先だ。

 俺がぐったりとして倒れているシルヴィに目を向けると、そこには空になった注射器が見つかった。俺はすぐに駆け寄り、シルヴィにどこに打たれた、と訊く。するとシルヴィは首を横に振って自らの腹部を指差すと、

「彼、すごく焦ってたから薬の回りが早いところは打てなかったみたい。だけど、もってあと一週間もないから。だから私はここに置いていって。あなただけでも生きて帰ってこの襲撃を報告して」

 シルヴィは冷静な口調でそう告げる。しかし、俺はシルヴィを手放すつもりはない。

 俺がシルヴィを背負うと、何をしてるの、と抗議してきたが俺はそれに構わず歩き始める。彼女は抵抗しないようだからそれが救いだ。

「私を連れて行ったらそれこそチャールズが死んじゃう。それなら私を置いていって。死んでいった仲間に報いるためにもなるんだよ」

「いやだね。もう誰も失いたくない。シルヴィだけでも救ってみせる。たとえ君が魔獣になりかけてるとしても救ってみせる。何か方法があるはずだ」

 俺がそう言うとシルヴィは暫く黙ってから、

「本当の馬鹿だね。ダレルは」

 と震える声で言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一日目。

 

 ニコラスたちが俺たちを見つけるのも時間の問題だ。度重なる戦闘で方向感覚が多少ズレている可能性も否定できないし、シルヴィは警戒するといっても負傷が重なっていて集中力が分散している状況にある。だから、俺が行軍も警戒も同時に行う。シルヴィの命を助けられるなら軽いものだ。あまりに軽い。

 

 

 二日目。

 シルヴィの体は魔獣化よりも早くに、傷口から腐敗が始まっている。今は清潔な布などないから雑菌に塗れたものでしか傷口を保護できないのだ。最早、保護と呼べる状況ではないのだが。だから今日はもう、包帯を外した方が長持ちするだろうと提案したが、外したら外したで虫が寄ってくる。俺は悩みに悩んで包帯を付けた状態にしておくことにした。出来るだけ清潔なものを厳選して、こまめに洗って変えるようにしておく。

 しかし、問題はそれだけではない。敵の警戒網が未だ健在しているということだ。ニコラスの配置方法は分かっていて、それ自体に何ら問題はないのだが、それを避けていくということはかなり多くの時間を必要とする。現在は予定より二割ほどの余裕はあるが、それでもぎりぎりシルヴィの命が保っている内に到着できる、といった様子だ。

 これは時間との勝負だ。

 

 

 三日目。

 背中のシルヴィの嗚咽だけが響いている状況になってしまった。俺自身もどうすればいいのか分からないし、左脚を失ってなお魔獣化の危機に晒されている彼女の心情は想像を絶するだろう。

「殺して」

 彼女は涙の合間に言葉を漏らした。その願いを叶えるべきか少しでもある可能性に賭けるべきかは分からない。だから歩き続けなければならない。どちらにすべきかは分からないが、この選択肢を選んだのは俺だ。

 すると、後ろでぼとっと何かが落ちる音が聞こえた。俺が咄嗟に振り向くとそこには誰かの脚が落ちていた。俺は五体満足の状態だし、この状況で落ちる脚は────そこで、俺はやっとシルヴィが歯を食いしばっているのが分かった。あれはシルヴィの右脚だ。俺はすぐにシルヴィを降ろして応急処置を開始しする。右脚の膝から下がすっかり消えてしまっているので、その傷口を締めて止血するとすぐに包帯代わりの布を巻く。これで再び出血することはないだろう。雑菌がどうかは分からないが。

 しかし、それにしても魔獣化の副作用のようなものだろうか。死んでもいないのに体が腐敗を始めている。ここにいるシルヴィの心臓は動いていて、俺の目をしっかりと見据えることもできる。そう考えるとこの症状に対してかニコラスに対してか、ふつふつと怒りが湧いてくる。

 と、シルヴィが俺の頬に手を伸ばしてくる。少し腐敗臭のする手だが、俺にとってはいつもの白くて繊細な指があるシルヴィの手だった。手が頬に触れると、その冷たさが頬の皮膚を通して俺の脳に伝わる。

 シルヴィは力いっぱい微笑むが、多少の無茶を隠しきれていない。

「怖い顔してるよ、チャールズ」

 彼女の震える声が俺を呼ぶ。しかし俺は「ダレルって呼んでくれ」と返す。最後まで偽の名前で呼ばれるなんて嫌だ。

「分かったよ。じゃあ、進もうか」

 シルヴィはそう言って両手を空に掲げてぱたぱたと振る。俺はこの状況下で見れた微笑ましい光景に口角を上げて、シルヴィを背負い直す。思えば彼女が一番辛いはずなのに俺が励まされてしまった。この恩は必ず返さなければならない。生きて帰すということで。

 

 

 四日目。

 今日はシルヴィの口数が異常に少ない。昨日は励ましてくれたが、シルヴィが先に限界となってしまったのか。

 すると、シルヴィは俺の首に手を回して掴まっている状態から、俺の耳元で囁くように喋り始める。

「ねえ……ダレルは私のことが大切なんでしょ。なら私を殺してよ……。もう……こんな風に生きてても意味ないよ。ねえ、殺して」

 俺はシルヴィが何度「殺して」と言おうが、彼女が生きる術を探すつもりだ。こんな状況の俺たちを見たらニコラスはどうするのだろう。滑稽なものだろうか。

 シルヴィが俺の腰に据えているホルスターに手を伸ばすが、俺はそれを許さない。彼女がいくら死にたがっていても俺は誰かを救う義務がある。誰でもいい、と言えば語弊があるが、俺はもう何かを失うことはしたくなかった。

 

 

 

 五日目。

「昨日はその……ごめん。ちょっと参っちゃってたみたい。だけど今は大丈夫、落ち着いた」

 シルヴィが朝一にそう言ってくるので驚きを隠せなかったが、共にシルヴィが冷静さを取り戻してくれたことに安堵を覚えた。俺はシルヴィに礼を言うと、彼女を再びおぶって行軍を開始する。

 その日のシルヴィはいつにも増して喋っていたように思う。周囲に敵兵もおらず、安全な場所では談笑して少しは気を紛らわしたものだった。はずだった。

 今日に限ってはシルヴィの左腕が崩れ落ちた。右脚のようにぼとっと落ちたのではなく、確実に腐っていきジェルが落ちるように、びちゃびちゃと音を立てて崩れ落ちたのだ。シルヴィは自分の腕が崩れ落ちるという光景を目の前にし、唖然としていた。最早痛みは感じないようだ。神経ごとやられているのだろうか。

 しばらくしてシルヴィは小さな声で歌を歌い始めた。掠れたか細い声が同じ言葉を五回繰り返しては、また繰り返す。大きな間が空いているから、恐らくはそれで一曲なのだろう。

「それはどういう意味の言葉なんだ」

 俺は静かに尋ねる。すると、シルヴィは歌うのを止め、

あなたがたに平和が訪れますように(ヘィヴェイヌ・シャロム・アレィヘム)、だよ。私の生まれた国で歌われてた歌なんだ」

「帝国と比べると変わった響きの言葉だな」

「うん、他国とはかなり隔離されてたから独特な文化が成立していったんだ」

「隔離……派兵の成果で他国と干渉することはあっただろうに」

「それはあったけど、帝国をはじめとする先進諸国では自国で訓練が行えたこともあってあまり必要とされる国ではなかったんだ。だから、わざわざ物騒な商売でお金を得てる国とは関わりたくなかったみたい」

「確かに。そう考えれば帝国に住んでいて名前すら聞いたことないのも頷ける」

 俺がそう言うがシルヴィから返事が返ってこない。流石にまずい発言をしてしまったのだろうか。

 俺はおぶってるシルヴィの顔を覗くが、彼女は既に眠ってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 六日目。

 今日、シルヴィは限界なのだろうか。

 俺は横たわるシルヴィの左手をぎゅっと握っていた。その手は最早、人の持つべき最低限の体温すら感じられない。

 すると、シルヴィがゆっくりと話し始める。

「ダレル、もう死んじゃうね、私」

「そんなこと言うな。俺は必ず君を連れて帰る」

「でも見て」

 シルヴィがそう言って視線を傾けた先は彼女の腹部だった。俺がゆっくりと服を捲ると、そこには変わり果てたシルヴィの体があった。腹部は既に血塗れになっており元の肌色を窺うことが出来ない。なにより、蛆が湧いてきているのだ。シルヴィの腹部で蠢く小さな集合体が俺の気分すらも一層悪くさせる。ここまでの体を見たことはあるが、それが好意を寄せてる女性であることは初めてだ。

「もうね、痛くて痛くて耐えられそうにもないし、生きているのかも分からないよ」

 こんな状況にもなってシルヴィが生きていられるのは、皮肉なことにも魔獣化が進んで生命力が魔獣のものになってきているからだろう。

 俺は歯を食いしばって尋ねる。

「自分で終わらせられるか?」

「ううん、無理かな。左腕ももう力を入れられない。それに最後にあなたと話したい」

「そうか、じゃあコシチェイにいた頃の話をしてくれないか」

 俺がそう言うとシルヴィは「こんなときにそういう話はしたくないよ。もっと楽しい思い出がいい」と笑って言う。

 俺はそうだな、と迷って一つの話題を提示する。

「そういえばエドワードって真面目そうだけど意外と抜けてるところあったよな」

「ふふっ、門での落とし物は二割が通行人で、八割がエドワードの物だったからね」

「ああ。一度、食事のときだったかな。教官が水着の美女が写ったポスターを持って、凄い剣幕で食堂に入ってきたことあったよな」

「そうそう、『これを持ち込んだやつは誰だ』って叫ぶみたいに言ってたね」

「ああ、その瞬間にエドワードが椅子から転げ落ちたからな。教官が『お前か、エドワード』って寄ってきてな」

「その後だよね」

「あれは傑作だったな。エドワードが『そうです』って敬礼しながら言ったあとに教官が『このポスターに写っている女性の名前を言ってみろ』って続けてな」

「で、エドワードが『なんで訊くのですか』って質問したら『おれもファンになったからだ』っていうオチだもんね」

「どっと笑ったよな。真面目な声と顔でそんなこと言うんだから」

「それから一ヶ月も経ってないのに、今度はアルフレッドが不祥事を起こしたよね」

「ああ、あの馬鹿がな」

「確か春のお祭りがあるから、まだ小さい妹と一緒に出店を回ってたね」

「だけど勤務時間だった、あれは。そこで俺たち特警群が総力を挙げてアルフレッドの脱走を隠蔽したんだよな」

「そう、ゴドー辺りはもう本気だったよね。『あの妹を悲しませたら、実弾射撃訓練の途中でお前の頭にブチ込むぞ』って聞きなれなかったよね、ゴドーがあそこまで必死になったの」

「あの頃の司令官はまともに休暇すら与えなかったからな。あれじゃあ士気もだだ下がりだろう」

「そういえば、あれは覚えてる?ダレルの昇進祝いに皆でこっそりパーティー開いたこと」

 シルヴィが唐突に質問を変えたのは、きっとアーノルドに良い思い出が無いからだろう。

「ああ、勿論だ。確かあれはアシュリーが主催だったか」

「うん。アシュリーはダレルのことを誰よりも尊敬していたと思うよ。パーティーの準備も三週間前くらいから進めてたんだよ、アシュリーは」

「それは初耳だな。でも、あれだけ凝ったプレゼントをしてくれたんだ、当然と言えるかもしれないな」

「ん?プレゼントなんて貰ったの?」

「ああ、雷管を抜いた銃弾を貰った。サイズからしても恐らく一から作ったんだろう」

「そっか……」

 シルヴィはプレゼントの話に一区切りつくと、虚無を眺めるような目で遠くをみやる。その目には何が映っているのだろう。

 俺はシルヴィの吐く息が荒くなっているのを感じたが、それを口には出せない。

 すると、シルヴィはそのまま話し続ける。

「ねえ、ダレル……私たちが初めて会った日のこと、覚えてる?」

「ああ。クロスベル駅で迷っていた君と出会ったんだ」

「そう。私は怪しい商人から地図を買っちゃったから降りた後が分からなかったんだよね」

「そこで俺がシルヴィに声を掛けた」

「あの時の行動はきっと諜報目的だったんでしょ」

「最初は、な。その後からだ、君に惹かれていったのは」

「じゃあ……私のどこが魅力的だったの?」

「まず目に入る銀髪だろうな。周囲の色が溶けそうなほど綺麗だからな」

 俺がそう言うと、シルヴィは少し顔を赤らめる。といっても、目や口から徐々に出血が始まっておりその頬が赤いということがぎりぎり分かる程度だった。

「他には」

「その青い瞳。吸い込まれそうだ」

「見た目だけ?」

「いや、君の明るい性格にも何度救われたことか。その笑顔にも」

「そこまで────」

 刹那、シルヴィが急に痛みを訴え始めた。首を締められているような声を出し、のたうち回る。俺はシルヴィにどこが痛む、と早口で尋ねる。だが、シルヴィは答えられるような様子じゃない。痛い痛い、と泣き叫ぶシルヴィ。

 これは仕方がない。

 そう考えた俺はシルヴィの持っている医療キットから「痛み止め」なるものを取り出す。要は麻薬だ。戦闘で生じる傷は市販の薬でなんとか出来る痛みじゃない。

 俺はシルヴィの左腕にそれを注射すると、シルヴィの手をぎゅっと握って彼女を少しでも安心させる。

 その後、シルヴィは驚くほど静かになった。が、シルヴィの左腕も、右腕のようにジェルになって崩れ落ちた。俺はシルヴィの前で座り込みながら、今にも自分の嗚咽が響き渡りそうな空間を憎んだ。それと共に、シルヴィに麻薬まで打って生かすのは正しかったのだろうか、という後悔にも包まれた。

「ダレル……」

 シルヴィが静かに声を漏らす。その口は痛みに耐えている。俺が痛みは、と訊くと、

「うう……ん、あれ使うと眠くなって……くるし、多分……二回目はもう私が私じゃなくなっちゃうから……あなたと……最後まで話したい」

「分かった」

 と俺は答えるが今のシルヴィと何を話そうか。そう俺が悩んでいると、シルヴィが話題を挙げてくれた。

「あの約束……覚えてる……?」

「ああ、勿論だ。ずっとずっと北に行くんだよな。そのためにまず休みをとらなくちゃいけない」

「ふふ…………そう……だね。でもこの前……休暇があったから……難しいんじゃない?」

「なんてことはない。俺は本職が遊撃士なんだぞ、何でも可能にしてみせるさ。それに、何年かかろうがシルヴィをそこに連れて行ってやるさ」

「ありが……とう…………でも……私がもう持たない……かな。別の人と……幸せになって……」

「駄目だ。君じゃなきゃ駄目なんだ、シルヴィ!」

「……私……死んじゃうからさ、ほら……。もう……魔獣化が進んでる……から…………あなたが殺して、ダレル」

 俺は何度も問われた質問に、今回ばかりは頷くしかないと分かっていた。

 

 ホルスターから震える手で拳銃を引き抜く。

 

 照星をシルヴィの眉間に合わせる。

 

 かつて、ここまで銃、引き金が重かったことがあるだろうか。子供兵だった頃もここまで重く感じたことはない。きっとこれは銃の重みじゃなく、命の重みが乗っている。

 

 俺はゆっくりと撃鉄を下ろした。

 

 じゃあね、ダレル。天国とか地獄があるならまた、そっちで会おうね。

 

 

 

 俺は瞼を閉じたシルヴィに向けた拳銃の引き金に指を掛ける。

 

 じゃあな、シルヴィ。

 

 静かに、ただ静かに一発の銃声を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 我々が住む現在。公に記録されている戦争を見ただけでも、産業革命当時から地球上で銃声が止んだ日はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Continued to eplogue.



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エピローグ

 

 あの事件から五年、俺はクロスベルに構えた支部でニコラスの行方を追いながら生計を立てていた。ただ闇雲に追うのは、僅か一年で無駄だと分かった。待ち伏せるべきであり、その情報をいち早く掴まなければならない。しかもニコラスの持つ私兵とも戦争をしなくちゃならないから、大量の武器や弾薬、それを買うための資金も集める必要がある。そこで生じる人材不足というのはクラレンス曰く「“その時”になれば解決してやる」ということだ。彼のことだし、何かしらの策はあるのだろう。

 そして、俺が帰宅した時だった。ドアに一通の手紙が貼られていた。

 俺はその手紙がブービートラップでないことを見極めると、ゆっくりと剥がし中身を取り出す。

『トリスタのトールズ士官学院まで来てちょうだい。あなたのために四万ミラ用意されてるわよ。仕事については“案内役”を配置しといたから困らないはず。じゃあ良い教官ライフを♡』

 俺はこの手紙を寄越した人物が誰か分かってしまった。きっと渋いオジサマが好きでだらしのないあいつだろう。

 俺は溜息を吐きながらも、少し口角が上がっているのに気が付いた。こんな風に笑ったのは何年ぶりだろうか。思えばシルヴィがこの世を去ってから笑った気がしない。他人と接する機会すら仕事でしかなかったから友人以上の存在が一切消えてしまったようだ。クラレンスもここ最近は音信不通だし、俺の運命が動くのだろうか。

 俺は端末に何かの通知が来たが、今日はもう依頼の受付はやってない。届いた電文は迷惑メールフォルダに投げ込んで、着替えを始める。今日は本当に疲れた。明日からも疲労が溜まっていくだろう。今日はしっかりと休息をとらなければ。

 胸ポケットの中に入ってた小さな写真を取り出す。それは特警群のメンバーが各々、好き勝手にしている集合写真だった。肩組をしたり敬礼をしたりと差が激しい。俺はそこに写っているシルヴィに話すように、

「シルヴィ、俺は銃を捨てるつもりだ。ニコラスを殺すことでじゃない。別の方法、今はそれが何か分からないが必ず君を幸せにする。だから、もう少し待っててくれるか」

 そう言ってベッドに入り、目を閉じた。こうしていると、シルヴィといた日々を思い出す。彼女がいつもそばにいてくれたから俺はあの罪悪感にも耐えられたんだ。彼女の本当の死は俺と当時の司令官しか知らない。あの二十人はゆっくりと事故死で片付けられていくのだ。自然な期間で。

 そんなところで俺の意識はゆっくりと微睡んでいった。明日の仕事で会える女性に少々の期待を抱いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






ダレルの物語はこれが始まりのようなものです。これが「硝煙の軌跡」に繋がりますので、そちらをまだ見ていない方は是非ご覧ください。
最初の話からここまで見て下さった皆さん、お気に入りに入れてくれた皆さん、本当にありがとうございました。この物語があなたの心に残れば幸いです。


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