魔法少女みおみ☆マギカ 平穏の魔法 (鉄槻緋色/竜胆藍)
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第1話 どう捉えるかは、ひとそれぞれ

 こちらは、基本的に鉄槻オリジナルキャラクターをメインに構成される『魔法少女まどか☆マギカ』の外伝的ストーリーです。
 世界観に若干のズレがあるほか、原作のキャラクターはほとんど登場しませんので御注意下さい。
 それから、原作を御存知の方におきましては言うまでもないことですが、この先、原作程度にヘヴィな展開が予定されております。
 空がきれいな青さでいつも待っててくれても挫けそうな方は、くれぐれも御注意下さい。



 見渡す限りを色も大きさも高さもばらばらな丸い石柱が立ち並ぶ。狭間から下を覗き込めば、石柱の根は底も見えない深淵に沈んでいる。

 そんな石造りの園を、やはり様々な形状のコンクリート製の動物像やバネ付きマスコットが無軌道に跳ね回っている。

 遠くで、見えないほど高空から垂れ下がる二本の鎖に提げられた一基のブランコが、簡素な台にうつむいた黒い影を乗せてその長さに違わぬゆったりとした、かつ圧倒的な速度で反対側へ揺れていった。

 

 

 これなるは「公園」の魔女。その性質は「享楽」。

 

 

「……っく!? 」

 絶好の狙い目を跳ね回る「遊具」の使い魔に阻まれて、明るい緑色の、まるで草原の妖精のような衣装を纏った少女が焦燥に顔を歪ませて跳躍した。

「はっ!」

 少女は懐から振り払った拳を解き放つと、握り込んでいた大量のボタン──衣服に縫いつけるカラフルなボタンを遠くあちこちにばら撒いた。

 その少女の横からバネ付きの馬型の遊具が飛びかかる。だが激突の瞬間、少女の姿は赤い小さなボタンに代わり「遊具」の使い魔は目標を見失ったまま石柱のどこかに落下していった。

 緑衣の少女の姿は、離れた空中にあった。

 それを追って次々と「遊具」の使い魔が飛びかかるが、やはり同様に少女の姿はボタンに代わり、離れた空中に少女が姿を現す。

「ええいっ!」

 裂帛の叫びと共に、少女が片手に握る剣を振り向き様に突き出した。

 それは針のように細い刀身を持つフルーレ。丸いグリップガードには細かく美しい紋様が描かれている。

 長めの切っ先ではあるが、もちろんこんな離れた場所では何者にも届きはしない。

 ところがその刀身が突如爆発的な勢いで伸長し、直前に自身を狙ってボタンに飛びかかった「遊具」の使い魔数体をまとめて貫いた。

 重たくくぐもった音を立ててバラバラに崩れ落ちてゆく使い魔たち。

 だが跳ね回る遊具の数は尋常ではない。

 長い跳躍の着地点と目した石柱に、悪いタイミングで迫る遊具を目撃した瞬間には少女は使い魔と激突していた。

「ああっ!? 」

 吹き飛ばされた少女は別の広い石柱に転がり落ちた。

 そこへ、先ほど通過していったブランコが、先ほどとは軌道を変えて迫ってきた。

「!? 」

 うつむいた黒い影を乗せた台座を吊すチェーンが不自然にたわみ、蠢くとずるずると伸び、すれ違いざまに少女に巻き付き引きずり上げていった。

「ああああっ!? 」

 再び遠くへ振れてゆくブランコのチェーンの途中には、ぐるぐるに絡め取られ苦悶に呻く少女の姿があった。

 不条理なことにチェーンは人ひとりを巻き付けたまま、ぴんと伸張して振り子運動を続ける。

 

 

 その様を、このとても異常で、異様で、不気味で、不条理な光景を、離れたところで見つめている人影があった。

 この年頃の女子としては平均的な身長だろう。特徴はと言えば、痩せぎすの体躯に比して膨らむほどに多く見える髪を背中でひとまとめに緩く三つ編みにして括っていることくらい。

その少女は、茫洋とした顔のまま目に映る光景を眺めていた。

『由貴 みおみ』

 同じ石柱の上で足下に並んでいた、白い猫とも兎ともつかない奇妙な生き物が、少女の顔を見上げて呼びかけた。

 それは幼い声質ながらも歯切れの良い滑舌で、溌剌としていて底抜けに明るい。

『あまり驚いていないみたいだね』

「いいえ? 驚いていますよ?」

 言われてきょとんとした少女──みおみは謎の生き物を見下ろしておっとりと応えた。

 だがその顔は、目を丸くしていてもちっとも驚いているようには見えない。

「なんだか、すごいですねえ。 あの人、大変じゃないですか」

『……由貴 みおみ。 君の発言は、内容とイントネーションの組み合わせがボクの知るどの人間とも異なるよ』

 しばしその茫洋とした横顔を見上げていた白い生き物は、うつむいてゆるゆると首を振った。

「ええと、よく言われます。」

『まあでも実際のところ、あの魔法少女・綾名 きりえにとっては、あんなのは窮地にも入らないよ。見ててごらん』

 白い生き物の発言が示す緑衣の少女──綾名 きりえは鎖に縛られたままもの凄い速度で振り回されながら後ろ手からボタンをばら撒くと、途端に鎖の緊縛から姿が消え失せ、離れた虚空に出現した。

 片やいきなり鎖を解かれてバランスを崩したブランコが、軌道を歪めながら振り子運動の頂点に至り、きりきりと捻れながら舞い戻ってくる。

「じゃあ、あの人はやっぱり、きりえちゃんだったんですか」

『そこなんだ。コメントするのは』

 真っ赤なビー玉のような瞳を半ばほど閉じて嘆息するように白い生き物が呟いた。

『彼女の戦いに、他に何か思うところはないのかい?』

「はあ。すごいなあと思いますけど」

『……由貴 みおみ。君の発言は、ボクの会話のバリエーションに新たなカテゴリを構築しつつあるよ』

「よかったですねえ」

 にっこりと微笑み返すみおみに、白い生き物は再び目を閉じて嘆息した。

『今ボクは「皮肉」っていうのを言ってみたつもりなんだけど、どこか間違っていたかな』

「さあ。そういうのは、よく分からないんですけど……」

 みおみは小首を傾げた。

「でもでも、言われたことをどう捉えるかは、ひとそれぞれだと思いますし」

『それには同意するね』

 頬に人差し指を添えて反対側に小首を傾げたみおみに、白い生き物はこくりとうなずいた。

『さて、由貴 みおみ。 突然巻き込まれてしまったこんな状況下で悪いんだけど、ボクは君にお願いがあるんだ』

「はい。なんでしょう」

 神妙な白い生き物の態度に、みおみも居住まいを正した。

『ボクと契約して、魔法少女になって欲しいんだ』

 ひょこり、と小首を傾げて白い生き物が告げた。それにつれ、頭頂の三角形の耳のような部位から垂れ下がる、体毛とも別の器官とも取れる部位が揺れた。

「はあ」

 みおみは肯定ともつかない相づちをこぼすと、彼方を見上げて緑衣の少女・綾名 きりえを指さした。

「ええと、あなたの言う「魔法少女」って、きりえちゃんみたいなことをするんですか?」

 どうやら、先ほどの白い生き物が発言した単語は聞き覚えていたらしい。

『そうだよ。 ……ここがもう、君の知る常識からはかけ離れた場所だということは、君は理解しているよね』

 赤いビー玉のような瞳が、みおみの瞳を覗き込んだ。

『ここは「魔女」の「結界」。呪いから生まれた「魔女」が、現世から隠れ潜む小さな異世界だ』

 バランスを崩した「公園」の魔女をきりえがフルーレの切っ先を突きつけて狙うも、そこに大量の「遊具」の使い魔が殺到し妨害してきた。

『魔女は結界の中から魔力で現世の人間に干渉し、心にいたずらしてその命を食べてしまう。 例えば、自殺に見せかけて命を奪ったり、直接結界に誘導して閉じこめたりするんだ。結界に取り込まれた人間に、脱出するすべはない』

 ボタンをばら撒いたきりえは、次々と姿を消しては別の場所に現れ使い魔たちの突進を躱し続ける。

『それを退治するのが、「魔法少女」の役目なんだ。 魔法少女なら、魔女に対抗できる。結界を突破して、無力な人々を魔女の脅威から守ることができるんだ』

 再び魔女から距離を離されたきりえは、迫り来る使い魔をフルーレの刺突の連続で次々と貫いてゆく。

 伸縮するフルーレの切っ先が、まるでミシンのように凄まじい速度で往復する。

「……はあ。 一応聞きますけど、「契約」の内容は、なんですか?」

『ボクは、君の願いをなんでも叶えてあげる。 どんな奇跡だって、起こしてあげられるよ!』

「……「どんな」っていうのは、どのくらい「どんな」ですか?」

『君が想像しうる、あらゆる不可能も可能にできるよ』

 わずかにみおみは黙り込んだ。

 ややあって、みおみは無表情で口を開いた。

「……死んだお母さんも、生き返りますか……?」

『もちろん!』

 白い生き物は請け負った。

『それが、君が命を懸けるに値する願いなら、魔法少女になってくれるなら、ボクがそれを叶えてあげる!』

 みおみののどが、わずかに動き。

「……ぅざけないでよっ!? 」

 怒声と共に、白い生き物とみおみの間に緑衣の少女・綾名 きりえが後ろ向きで飛び込んできた。

 みおみの髪をなびかせて通過したきりえが、ずざざと床面を擦って立ち上がる。

「ちょっとなんであんたがここにいるワケ!? それで、選りにも選ってキュゥべえ! なんでこの女が魔法少女になれんのよ!? 」

「なんか、巻き込まれちゃったみたいで」

「あんたになんか訊いてないわよっ!? 」

「ええ~!? 」

 凄まじい剣幕で怒鳴りつけてきたきりえに、朗らかに応えたみおみは一転して困り顔になってしまった。

『きりえ。 みおみには素質があるよ。 そうと分かれば、ボクとしてもお願いしない訳にはいかないな』

「そんな見境いなしにぼこぼこ増やしたってしょうがないでしょお!? 他の誰ならともかく、この女だけはダメ! ぜーったいにダメ!」

『それはみおみが決めることだと思うけど』

「っき~~~~!? 」

 白い生き物──きりえが言うところのキュゥべえが澄まし顔でさらりと告げ、きりえは怒り心頭に達しカギ爪のようにねじくれた両手の五指をわななかせた。

 やがて両手を振り払い、みおみを睨み付ける。

「ちょっと! あんた!」

「はい!」

「な に ほ が ら か に 返 事 し ちゃってんのあんた!? 」

 満面の笑顔のみおみにきりえがなおも吼えた。

「いい!? 絶対にあんたは魔法少女になんないでよ!? 」

「この服可愛いですね。どうやって作ったんですか? 縫い目が見当たらないですよ? どこの新商品ですか?」

「聞 け。」

「痛いいたい!? 」

 白眼比率を急上昇させたきりえの五指がみおみの顔面に噛みついた。

「とにかくあんたは、魔法少女になんかなっちゃダメ。分 かっ た ら 「はい」は?」

「はいはいはいはいいたいたいですうううう!? 」

「ふん」

 きりえにぽいと捨てられたみおみは泣き顔で痛みの残るこめかみを両手でさすった。

「……これ以上、あんたなんかにお株を取られたら、たまったもんじゃないのよ」

 一瞬、暗い顔で吐き捨てたきりえは魔女を振り返ると、フルーレを胸元で立て、真横に振り切った。

 きりえの喉元に貼り付いている、クローバー型の宝玉がきらりと閃いた。

 その途端、みおみとキュゥべえの前に緑に光る二重螺旋の棒杖が次々と床に突き刺さり幾重にも立ち並んだ。

 そこに、きりえを迂回して飛びかかってきた動物像の使い魔が、二重螺旋の格子に激突するなり粉々に砕け散った。

 魔法少女が標準的に備えている、防護の魔法陣である。

「あんた、そっから出るんじゃないよ」

 言いおいてきりえは、常人にあらざる勢いで駆け出していった。

 迫る使い魔の群を、片っ端からフルーレで貫きながら突進し、大きく跳躍する。

「ほわ~……」

『魔法少女がどんなものかは、聞かないのかい?』

 感嘆の声を漏らすみおみに、キュゥべえが問いかけた。

「ええと、だいたい見たような感じになるってことですよね?」

『まあね。だいたいそうだね』

 きりえの後ろ姿を指さして言うみおみにキュゥべえがうなずいた。

 つまり。

 常人を遙かに超える身体能力。戦う為の技能。

 そして、超常の現象を操る魔法の力。

 それらを備えた少女、すなわち魔法少女。

『理解が早くて助かるよ。 ボクのことも結局きりえが言うまで聞かれなかったし』

「……そう言えば、お名前をお聞きするのを忘れてましたね」

『……だから、そこなんだ。気にするの』

 朗らかに言うみおみに、キュゥべえは半眼で嘆息した。

 だが事実、人語を解する異生物のことをみおみはなんとも思っていないようだった。

「だいたい、見たままのことですし、あなたのことを否定しても、消えてなくなるわけじゃありませんし」

『受け容れる精神の間口がとても大きいんだね。 ボクとしてはとてもありがたいことだけど、人間の中では珍しいことじゃないかな』

「ううん。 よく言われる気がします」

 小首を傾げたキュゥべえに言われ、みおみも同じ方向に小首を傾げた。

『でも、そんなみおみにも、ひとつ注釈をつけるとすれば』

 彼方では、きりえがブランコに乗る魔女に肉迫したところだった。

 色とりどりのボタンをあちこちに投げばら撒いたきりえは、使い魔の突進を姿を消しては離れた位置に現れることを繰り返して躱し、魔女に接近してゆく。

『魔法少女はね。祈りによってその力をは発現する。 つまり、願い事の内容によって、ある程度能力に方向性がつくことがあるんだ』

 良く見れば、きりえが瞬間移動しているのは投げたボタンがある場所だった。きりえがいた場所には、ボタンが残されている。

 そして今、大量の使い魔が殺到してきた瞬間、きりえの姿がバネ付きマスコットに変わってしまった。

 否。

 きりえの姿は使い魔の群の最後尾にあった。

 自身と他者との位置を入れ替えたのだ。

 使い魔同士の激突による大爆発が起こった。

 きりえは、「他者との位置を入れ替えることでの空間転移」の能力を持つようだ。

 大量のボタンは、入れ替え先の目標(マーカー)らしい。

『だから、みおみが魔法少女になったからといって、きりえと全く同じことができるとも限らない』

「すごいですねえきりえちゃんは……」

 聞こえているのかいないのか。みおみは朗らかに感嘆をもらした。

「たあああああああ!」

 気勢を上げたきりえは、振り子運動で戻ってくるブランコの魔女めがけて跳躍した。

 もう邪魔するものはいない。

 きりえは取り出した大量のボタンをフルーレの柄を覆う丸いグリップガードにじゃらじゃらと注ぎ込んだ。その 途端、フルーレがその姿を多重にブレさせ始めた。

 フルーレが「その場で」空間転移を高速で繰り返しているのだ。

「グラ・カトーレ!」

 自棄ぎみに絶叫したきりえが繰り出したフルーレの刀身が、爆発的な速度で伸張した。同時にミシンのような高速で伸縮を繰り返す。

 それは先ほど使い魔を蹴散らした刺突の比ではない。

 高速でその場の空間転移を繰り返し、幾重にも重なった剣がそれを繰り出しているのだ。ただのひと突き・ひと刺しではない。

 幾重もの刃がブレて重なったそれは、まるで流星の突撃のようだった。

 一点集中した無数の刺突が黒い人影の魔女を貫き、魔女の身体は引き裂かれるようにして崩壊し、爆発した。

 きりえが石柱に着地したところで魔女が巻き起こした爆炎はくすぶりやがて消え去り、同時に周囲の光景も揺らぎ、まるで溶け崩れるかのようにして消えてしまった。

 それと入れ替わるようにしていつもの街並みの光景が見えてきた。

 そうだ。みおみは帰り道の途中で、なんとなく通りかかった公園を横切ろうとして異変に巻き込まれたのだ。

「……わあ」

 その変化をきょろきょろと見回していたみおみの前に、きりえが着地してきた。そう言えば、最後にきりえが着地した石柱は数段高い柱だった。

 

 風変わりな緑の衣装をじろじろ見るみおみの前で、きりえの姿が緑の輝きに包まれ、弾けるようにして消えた光の中からみおみと同じ久那織(くなしき)中学校の制服姿のきりえが現れた。

「……なに見てんのよ」

「うーん。 すごいですねえ」

 しかめっ面のきりえに対し、みおみは屈託のない満面の笑顔を向けて賞賛した。

 だがきりえは顔をそむけると、さっさと歩き出した。みおみの脇を抜け。

「……行くよ。キュゥべえ」

 ところが、呼びかけられたキュゥべえは動かず、みおみを見上げて言った。

『さて。色々とあって、突然だったけど、魔法少女のこと、だいたい分かってもらえたと思う』

「……!? ちょっと、あんた!? 」

 きりえが振り返ってくるのにも構わず、キュゥべえは続ける。

『どうだろう、由貴 みおみ。 ボクと契約して、魔法少女になってくれないかな?』

「ええと、」

 きりえが焦った形相で迫ってくるが、みおみは手首の時計を見下ろして言った。

「あのう。 わたし、帰って家事のことやらなくちゃいけないので、これで失礼しますね」

『?』

「は?」

 あれほどの異常事態がまるでなかったかのように日常の用事を言い出したみおみに、キュゥべえは黙り込み、片手を突き出した制止の動作できりえは怪訝な声をあげた。

「で、あの、わたし、いつも早めに帰っておうちのこと色々とやらなくちゃいけないので、たぶんきっと、魔法少女のお仕事ってできないと思うんです。 だから、キュゥべえさん、ごめんなさい。ほかのひとを当たってくださいね。 それじゃ、さようなら」

 魔法少女の壮絶な戦いを、まるでバイトかなにかのように断ったみおみは、固まっている一人と一匹を置いてさっさと振り向き公園出口から出ていってしまった。

『……由貴 みおみ。 君は……』

「……!? 」

 未だ呆然としている一人と一匹。

 傍目には一人で奇矯な体勢で止まっているようにしか見えないきりえを、通りすがりの老婆が怪訝な顔で眺めて通り過ぎていった。

 

 




◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 

『みおみには、なにか叶えたい願い事はないのかい?』
「いかがかしら。わたくしと一緒に、テニスをやってみませんこと?」

第2話 わたしには やる事がありますから

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 


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第2話 わたしには やる事がありますから

 みおみの朝は早い。

 

 ざっ。

 左右に開け放たれたカーテンの向こうから、穏やかな陽光が差し込み室内を明るく照らし出した。

 かごにまとめられた衣類を洗濯機に放り込み、ぴっぴとスイッチを操作して稼働させると台所に向かう。

「~♪」

 軽く鼻歌など交えながら覗き込んだ冷蔵庫の中身を吟味し、昨夜のおかずの残りと冷凍室から数点の冷凍食品を取り出すと、順番に電子レンジに入れては加熱させてゆく。

 その間に代わるがわる調理台の前に戻っては、トースターにパンを放り込み、コーヒーメーカーをセットし、炊飯器を開けてご飯をかき出してはおにぎりにして皿に並べてゆく。

「おう。はええな」

「おはようございます♪」

 みおみが忙しく動き回る台所に、兄がシャツのボタンを留めながら入ってきた。

 歳が離れた兄は大学生である。纏う衣服は制服などではない。

「これもレンジに入れちまっていいのか?」

「はい! お願いします!」

 順番待ちしていた冷凍食品の皿を指して問うた兄にみおみは快活に応えた。

 ひとつ手間が減ったみおみは火にかけたフライパンに油をひいて卵を割りいれた。

「おにぎり、ラップでくるんじまうぞ」

「はい! お願いします!」

 父の仕事は、夜の帰りが遅く、出勤が他と比べてやや遅めだ。

 不規則な生活の兄はともかく、みおみと直接顔を合わせることができるのは非常に稀だ。

 だから、できたての食事は用意してあげられないが、みおみは父の為にいつでも食べられるよう弁当とは別におにぎりを用意しているのだ。

 三つ並べられた大小の弁当箱に、次々と準備された食材が詰め込まれてゆく。

 コーヒーメーカーから自分のカップにコーヒーを注いだ兄が、隣に来て完成した弁当箱から布に包んで結んでゆく。

「ありがとうございます!」

「おう」

 ぶっきらぼうに応えた兄は、椅子に戻って朝食を開始した。

 朝の支度を終えたみおみも向かいに腰掛けてトーストを取り上げる。

 しばし、食器の立てる音に包まれて。

「そう言えばお兄さん。最近、佳乃さん、みえませんね」

「おまえヤなこと訊くなよ。 つまりはどういうことか分かるだろ?」

「残念ですねえ」

 遠回しに「別れた」と告げた兄の意図をみおみはあっさりと読み取り、顔をしかめた兄の対面で心底残念そうに眉根をよせる。

「まあ、長くはもたないって思ってたよ。 なんか、こう、……違うし」

「はあ」

 兄はこれまでたびたび彼女を家に連れてきていた。

 来客のもてなしまで気にしなくていいと兄に念を押されていたし、二人はさっさと兄の部屋に入っていってしまうので、みおみは兄の彼女の顔をあまり覚えていなかった。

 まあ男女のこととはそういうものだろうと、みおみも特に気にせず自室で自分のことをしていたのだが。

 いずれにせよ、当人同士の問題である。

 朝食が終わったみおみは椅子から立ち上がった。

「お兄さん、今日は早いんですか?」

 兄が早起きするのは毎日のことではない。

 ある程度曜日のパターンが決まっていて、今日はその日ではなかったはずだ。

「いんや。たまたま早く目ぇが覚めただけだ」

 なんということのない、普通の会話。

 いつも通りにいつも通りであることの幸せを噛みしめつつみおみは鞄を取り上げ玄関に向かった。

「それじゃ、行ってきますー」

「おう」

 兄のぶっきらぼうな返事を受け、みおみは家を発った。

 

 

 石畳で整備された小川を挟む大通りを、一様の制服に身を包んだ学生たちが歩いてゆく。

 大勢の学生が一方を目指して歩くここは久那織中学校にほど近い通学路。

 その中の、肩ほどの長さの髪の少女の後ろ姿にみおみは駆け寄った。

「きーりーえーちゃーん!」

「……!? 」

 満面の笑顔で近寄ってくるみおみに対し、きりえは苦虫を一掴みほど噛み潰したかのような曰く味のある顔で振り返った。嘔吐く動作までして。

「おはようございます!」

「……朝から話しかけないでくれる?」

 素っ気なく返してきりえはさっさと前を向いてしまう。

 みおみは、きりえの隣を歩くものにも覗き込むようにして告げた。

「キュゥべえさんも、おはようございます!」

『やあ。おはようみおみ』

「……!? 」

 底抜けに明るく返事したキュゥべえの横で、やおらきりえは振り向いてみおみの頭を鞄で殴り倒した。

 フルスイングしたきりえの足下で、みおみが勢い良く顔面から地面に貼り付いた。

 そのみおみの元にきりえがしゃがみ込んだ。

「……あんたねえ!? キュゥべえは、あたしらにしか見えてないの! こんなところで朗らかに挨拶したって、周りからはあんた、何もないところにしゃべりかけてる重症患者にしか見えないのよ!? 」

「ええ~!? 」

 鼻を押さえて起きあがったみおみの耳元できりえがこそこそとまくし立てた。

『でもさ、きりえ。 今のはむしろ、君の暴力行為のほうが人目を引いているみたいだよ?』

「……え……?」

 はた、と我に返ったきりえが周囲を見回すと、こちらを見ては隣の者と何事か話して通過してゆく学生の姿がちらほら見受けられた。

『ほらね』

 きりえの隣で、キュゥべえはしれっと呟いた。

「…………!? 」

 きりえは慌てて立ち上がると、みおみを置いてさっさと歩き出した。

「じょ、冗談じゃないわよ!? 私まで由貴さんみたいな「不思議さま」と同列視なんてされたくないわよ!? 」

「え~ん。待ってよお~」

 鼻を押さえたままのみおみがとことこと後をついてくる。

「うっさい! 近寄んな! あっち行け!」

「え~ん」

 そのまま速歩きによる追走劇が校門を過ぎても繰り広げられた。

 

 

 誰が、いつ付けたあだ名か。

 直接の呼びかけには用いられないが、彼女を知る生徒たちは皆、みおみを指す時は「不思議さま」と呼び親しんでいる。

 その一種独特の思考形態は既にただの「不思議ちゃん」の域を超えており、超越した存在に対してはきちんと敬称を付けるべきだとの意見から「ちゃん」ではなく、「さん」をも越えて「不思議さま」と呼ばれるようになった。ということを本人は知らない。

 前に立つ者の心の垣根を自然と取り除く、とても穏やかで屈託のない癒しすら感じさせる天真爛漫さはありとあらゆる人を惹き寄せた。

 道端にたむろしていた危険視されている少年集団と邂逅した際に、なぜか談笑した挙げ句笑って手を振り合ってわかれたという逸話もある。

 あらゆる学科をはじめ、たいていのことをそつなくこなしてしまう為、教師をはじめ多くの人間に一目置かれる存在となっている。

 

 

「……そんなこいつが、さらに魔法少女になんてなってみなさいよ! 私の立つ瀬がなくなるじゃない!? 」

 昼休みの屋上で仁王立ちしたきりえが吼えた。

「キュゥべえさんて、ほんとに他のひとには見えないんですねえ」

『ボクが、それと選んだ人間でない限りね』

「そ こ! 無視してんじゃない!」

 フェンスのそばでしゃがんで向かい合っていたみおみとキュゥべえに振り返り指先を突きつけ怒鳴りつける。

「とにかく! ダメったら絶対にダメ。 分かった!? 」

『みおみには、なにか叶えて欲しい願い事はないのかい?』

「はあ。」

 さらに無視されて硬直したきりえの前で、みおみはあごに指先を当てて虚空を見上げた。

「……特に、これと言って、そういうのって、ないんですよねえ……」

 言いながら、みおみの上体がゆっくりと横に傾いてゆく。どうやら悩んでいるポーズらしい。

「ほら見なさいよ!? こんな脳内にいっぱい花咲かせてるような女にはそんな「悩み」なんてものはこれっぽっちもありゃしないのよ!」

『「悩み」じゃなくて、「願い事」だよ。きりえ』

 きりえは、それ以上採り合わずにキュゥべえを抱えあげると屋上入り口に向かってずかずかと歩き出した。

「とにかく、私は魔女と戦わなくちゃいけないんだから、あんたは私に近付いてこないで! いい!? 」

「う~ん。 そうは言われましても……」

 やがて辿り着いた教室で。

「お隣の席なのは致し方ないですよねえ」

「うるさいっ! せめて話しかけんな!」

 真横から言われ、きりえは極力目を合わせないようにして、食いしばった歯の隙間から押し殺した声音で呻いた。

 

 

 空に舞い上がった黄色いボールがやがて頂点で動きを止め、重力に従って落ちてくる。

「……はッ!」

 うなりを上げて振り下ろされたラケットに殴打されたボールは鋭く飛翔し、横っ飛びに伸ばしたきりえのラケットの先を抜けてコートに突き刺さった。

 ずざー、とコートに身を投げ出し、苦悶の表情のきりえが悔しさに唇を噛んだ。

「……きりえさん」

 真上から、冷徹な声が容赦なく降り注ぐ。

「あなた、わたくしを舐めてらっしゃるの?」

「……志摩先輩……」

 転倒の衝撃を堪えながら起きあがったきりえが、相手の名を呟いた。

「最近、突然腕が落ちて、調子でも悪いのかと心配していたのはわたくしの勘違いでしたのね。 どういうことかしら。もう馬鹿馬鹿しくなってしまったとでも?」

 冷たい眼差しに耐えきれず、きりえは再び唇を噛んでうつむいてしまう。

 

 志摩(しま) レイカ。久那織中学校三年生にしてテニス部の部長であり、全国トップクラスの腕を持つ久那織中テニス部のエースである。

 志摩家と言えば、きりえの家である綾名家と共に知られた大規模の資産家である。

 いずれ高校の全国大会で優勝する頃には、それはさぞかし立派なドリルのようになるだろうとも揶揄される可憐なくるくるカールヘアを左右に垂らし、厳しい面持ちでテニスラケットを構えるユニフォーム姿はまさしく「お嬢様」の鑑である。

 家のことはさて置いても、きりえでは色々と及ばない存在。

「他の誰ならともかく、あなたが一から練習し直す姿など、わたくしは見たくありません。 一度、お帰りになって、御自身の有様をお考えなさい。それでもなおわたくしの前に立つ気があるのなら、わたくしはいつまでも待っています」

 やる気がないのなら、情熱を注ぐべきがほかにあるのなら、今の立場を考え直すべきではないのか。

 それは、志摩 レイカが一度ライバルと見定めた相手に対する最大限の気遣いの言葉である。

(……でも、私には、重い……!? )

 きりえはその熱視線を直視することができず、肩を落としてうつむいてしまった。

「あ!? 」

 その時、隣のコートでラリーの練習をしていた部員から素っ頓狂な声があがった。

 見れば打ち返しを失敗したのか、ボールが外れた方角へと飛んでいってしまったのだ。

 しかも別の部員がコートに入ろうとフェンスの出入り口を開けたところにボールが飛来し、タイミング悪くその出入り口の隙間を通過してしまったのだ。

 強く打ち過ぎてしまったのだろう。真っ直ぐに飛翔するボールは校舎の渡り廊下まで飛び、さらに悪いことに、そこへ女子生徒が通りかかったのだ。

「危ない!」

 志摩 レイカが鋭く叫んだ。

 鍛え上げた身体から発する通りの良い発声のおかげか、渡り廊下を歩く女子生徒がこちらを振り向き、己に迫るボールに気付いたようだった。

 でも遅い。誰もが激突することを想像していた。

 ところがその少女は、ととっとステップを踏んで足の位置を変えると、抱きかかえていたクリップボードを両手で構えて、あろうことかテニスボールを打ち返してしまったのだ。

 打ち返された打球は真っ直ぐに飛翔し、フェンスの入り口を通過して失速、コートに落下し何度かバウンドして転がっていった。

 この一連の応酬に、テニス部の一同が呆然としていた。

 志摩 レイカでさえも。

 だが誰よりも早く立ち直った志摩 レイカは意識を復帰させるとやおらすたすたと歩き出し、フェンスをくぐり出て、渡り廊下に立って笑顔でこちらに小さく手を振っている女子生徒へと真っ直ぐに近寄っていった。

「あなた。二年生?」

「あ。 はい」

 問われた女子生徒は臆することなく朗らかに応えた。

「部活は?」

「いえ。 特にやってません。」

「テニスの経験はあるのかしら。」

「いいえ? まったく。 これっぽっちもやったことないです」

「じゃあ、」

 志摩 レイカはやおら女子生徒からクリップボードを取り上げると、隣に来た部の後輩に押しつけて少女の両手を掴み上げた。

「あなた。テニス、やってみませんこと? とても凄い素質。今から始めてもきっと楽しめると思うわ!」

 志摩 レイカは見ていた。 咄嗟だとしてもステップの位置は的確で、かつクリップボードなどという脆弱なものでボールを打ち返した技量は、正規の訓練を受ければ相当な腕前に成長するだろう。

「あなた。お名前は?」

「はい。 由貴 みおみです」

 女子生徒──由貴 みおみはにっこりと応えた。

「そう。 わたくしは志摩 レイカ。 テニス部の部長ですの。 いかがかしら。わたくしと一緒に、テニスをやってみませんこと?」

「ええと、その、」

 由貴 みおみは掴まれている両手をやんわりと引き抜くと、ひょこ、と頭を下げた。

「ごめんなさい。 わたし、家で家事のことやらないといけないので、部活動している時間がなくて、それで入ってないんです。 ですからその、すみません。 失礼します」

 申し訳なさそうに、だがはっきりと辞意の旨を告げた由貴 みおみは、後輩部員からクリップボードを受け取ると、すたすたと通り過ぎていってしまった。

 しばし、渡り廊下に不自然な冷気が舞い降りた。

 最後の姿勢で固まったままの志摩 レイカが纏う気配の変化に気付いた後輩部員が、怯えながらわずかに後退した。

「……ふふふ…… 由貴 みおみさん。 わたくしは諦めませんよ。 わたくしの渇きを癒せるのはもう、あなたしかいない……」

 

(……由貴さん……あんたってやつは……!? )

 残されたコートでその様子を見ていたきりえは、さらなる嫉妬と怒りに打ち震えていた。

 

 

「でやああああああ!」

 妖精のような緑衣姿に変身したきりえのフルーレが使い魔のキャベツ頭を貫いた。

『rhんう゛ぃrぁえうんぁぇlxcなsmrjflfgっふthgdzだkm!!』

「ナニ言ってっか分かんないのよ!」

 落書きじみた立体感を感じさせない胴体で、首に載ったリアルなジャガイモに貼り付く乱杭歯をはみ出した唇が放つ意味不明な罵声に言い返し、きりえのフルーレが次々と様々な野菜を頭に持つ使い魔どもを刺し貫いてゆく。

 まるでリノリウムのタイルで覆い尽くされたグランドキャニオンとも言える無機質で起伏の激しい荒野のあちこちに、一定数の使い魔が群を点在させている。 その群同士は互いに近付こうとはしない。

 そんな賑やかなのにどこか荒涼感を抱かせる広大な結界の中心部に、高々とそびえ立つ歪(いびつ)な塔があった。

 その頂上には、首の代わりに黒い闇を載せた、フレキシブルパイプを寄り合わせて作ったような身体を持つ異形がうずくまっていた。

 

 

 これなるは「おしゃべり」の魔女。その性質は「寂寥」。

 

 

『fxcっghgjほtfhtdんらxふぁjcいxう゛ぃおvぼcfhrzん!!』

「ッツッ!? 」

 別の「十把一絡げ」の使い魔の群が、ばらばらな野菜頭の口で一斉に喚き立てた。

 その途端、きりえの耳と身体全体に鋭い痛みが走った。物理的な痛みを伴う破壊音波か。

 たまらずきりえは遠くに投げ放ったボタンと位置を入れ替えて距離を取りフルーレを構えるが、騒音は結界の各所で展開されており、きりえの集中力を著しく削いでいる。

「……うるさいってのよ!」

 フルーレの切っ先を伸長させて使い魔どもを次々と貫いてゆく。

 だがそうして群ひとつを一掃しても、また別の使い魔の群がぞろぞろと移動してくるのだ。

 起伏の激しい地形も相まって、きりえの空間転移の魔法でもなかなか魔女まで接近できない。

「きりえちゃん、大変そうですねえ」

 またも結界に巻き込まれていたみおみが、きりえが張った魔法の防護柵の内側で呟いた。

 片手には野菜や肉が詰め込まれたビニール袋を提げている。

『確かに、きりえの魔法と能力では少し相性の悪い相手かもしれないね』

 隣でキュゥべえが首肯した。

『でも、もしここに魔法少女がもう一人いたら、きりえもぐっと楽になると思うよ』

「でもでも、わたしには、やる事がありますから」

『……』

 だから魔法少女になってよという台詞を先んじられ、キュゥべえは黙り込んだ。

『ダレがピンチよ!? あんた達の脳はフシ穴!? 』

 みおみの脳裏にきりえの絶叫がダイレクトに飛び込んできた。

 キュゥべえを介して行われると言う、魔法少女とその資格者同士専用のテレパシーである。

『まったく!? こちとら魔女探しにあちこち奔走してたってのに、なんであんたはナチュラルに巻き込まれんのよ!? 』

「さあ」

 みおみとしても、偶然通りかかったと言うよりほかない。

『とにかくぱっぱと片付けてやるから、あんたは黙って待ってなさい! いい!? 絶対にあんたは魔法少女になんないでよ!』

「はい。よろしくお願いします。 う~ん。お肉痛みそう」

『やかましいわ』

 ビニール袋を見下ろしたみおみの生活感漂う日常的な呟きにきりえのツッコミが突き刺さった。

 だが状況は依然膠着していた。大量の使い魔に阻まれて、きりえの進攻が思うように進まないのだ。

「ええい!? どいつもこいつも邪魔よっ!? 」

 

 まるで琥珀で形成された芸術品のような美しいバトンが持ち上げられる。

 そのバトンは下端のグリップから先が楕円形の円環となっており、輪の中には何もない。

 だが水平にかざされた円環の内壁から突如、鋭い音を立てて幾本ものオレンジの光条が縦横に放たれて網状に輪をふさぐ。

 そして振り上げられたバトンの円環の光線の網の中から、オレンジに輝く光球が生まれて舞い上がった。

 宙に舞い上がったオレンジ色の光球はやがて頂点で動きを止め、重力に従うように落ちてくる。

「……はッ!」

 うなりを上げて振り下ろされたバトン──ラケットに殴打されたボールは鋭く飛翔し、うるさく喚いていた使い魔の群をいくつも貫いて飛翔していった。

 たちまち無数の破裂音を轟かせて大量の使い魔が消滅してしまった。

 

「!? 」

 突然の横槍に、着地したきりえがオレンジの光球が飛来した方を振り向いた。

「無様ですわね。きりえさん」

「……レイカさん……」

 悔しげに呟かれた名前には、みおみにも聞き覚えがあった。その顔にも。

 ただし、姿はまるで見慣れぬものであったが。

 リノリウムの床が盛り上がったような丘の上にいたのは、オレンジを基調としたテニス用ユニフォームのような短衣に身を包み、やはりオレンジ色の宝石のような輝きを放つラケットを提げ、オレンジ色の巨大なサンバイザーを被った久那織中学校三年生の志摩 レイカであった。

『なぜ、由貴 みおみさんがこんなところにいるのかしら?』

「はあ。たまたま通りかかりまして」

 肉声の会話が通じる距離ではない為、脳裏に響いてきた問いにみおみは口と同時にテレパシーで応えた。

「!? 」

 ところが遠くの志摩 レイカはぎょっとしてみおみの方を振り向いた。どうやらみおみに通じているとは思っておらず、きりえに問いかけたつもりだったらしい。

『レイカさん! 由貴さんは魔法少女じゃありません!』

『……ふうん。キュゥべえに見初められたということ。 ……さすがね』

 辺りの使い魔の群を貫いて一周してきたらしきオレンジの光球を、志摩 レイカはそちらをろくに見ずにかざしたラケットで受け止めた。 光球は、そのままネットに吸い込まれて消えてしまった。

『結構。 きりえさん!さっさと片付けますわよ! わたくしが道を拓きます。あなたは魔女へ!』

『わかりました!』

 降り立ったオレンジ色の衣装と並び立った緑衣の魔法少女が、使い魔の群と、その向こうの魔女めがけて疾く駆け出していった。

 

 




◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

「だからわたしは、いつ明日がなくなっても大丈夫なように、毎日を大事にして生きてるんです。」

第3話 それを強制できますか?

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆


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第3話 それを強制できますか?

 リノリウム張りの荒野を二人の魔法少女が駆け抜ける。

 向かう先には一定の間隔を空けて群がる「十把一絡げ」の使い魔が、キャベツやジャガイモ等ばらばらの頭に貼り付いた汚い口で何かを喚きながら待ち受けている。

 途中でオレンジのテニスウェア姿の魔法少女・志摩 レイカが立ち止まり、琥珀で練り上げたかのようなテニスラケットを華麗なフォームで振り上げた。

 ラケットを握る手首のリストバンドに埋め込まれた、テニスボールと同じラインが刻まれたオレンジ色の丸い宝玉がきらりと閃いた。

 まるでトスするように光条のネットから飛び出したオレンジ色の光球を、レイカは一転して鋭いサーブで打ち飛ばした。

 弾丸の勢いで飛び出したオレンジの光球は緑衣の魔法少女・きりえを追い越し、使い魔の群に飛び込むと、使い魔の身体を次々と貫いて通り過ぎていった。

 貫かれた使い魔の身体には、オレンジ色の光球と同じ径の穴が穿たれていた。

 たちまち間抜けな爆音を立てて消えてゆく使い魔ども。

 その中を、きりえが猛スピードで駆け抜けた。

 緩く弧を描いて飛翔を続けるオレンジ色の光球は失速することなく飛び続け、触れるものを一切の区別なく貫いて突き進んでゆく。それは、堅そうなリノリウムの大地を抉っても、なんら勢いを弱めることがない。

『一応、言っておきますけれど、アレに触ろうだなんて思わないでくださいね。 丸く削り取られてしまうから』

「はあ」

 レイカのテレパシーに、みおみは茫洋とした顔でうなずいた。

 レイカの放つ光球は、その球形の表面に触れたものを、その界面を境に異次元に放逐してしまう「空間掘削」の魔法球。空間そのものを削り取るため防御不可能という強力無比な攻撃である。

 そのオレンジに輝く光球が、辺りを巡ってレイカの元へ戻ってきた。

 それをまた、レイカは華麗かつ鋭いフォームで打ち返した。唯一、レイカの持つラケットのみがこのボールを弾くことができる。

 再び使い魔どもに襲いかかった断絶の光球は、使い魔とこの結界の何もかもを丸く抉りながら飛び回る。

「さあ! わたくしの正義において、悪しき魔女とその下僕は一切の区別なく掘削して差し上げますわ!」

 高らかに宣言したレイカは三度自らのボールを打ち返し、使い魔の群を、この無機質な光景を抉り散らしてゆく。

 

「やああああああああ!」

 レイカの援護の元、リノリウムの荒野を駆け抜けたきりえは、歪な柱の上でうずくまっている「おしゃべり」の魔女めがけてボタンを投げ放った。

 そのボタンと自身の位置を入れ替えたきりえはたちまち高空に姿を現す。

 落下する前にボタンを投げては位置を入れ替えることを繰り返してきりえは魔女と同じ高みへと至った。

「でやあああ!」

 宙にある内にきりえはフルーレを引き絞り、切っ先を魔女めがけて伸長させた。

 だが、まるでフレキシブルパイプで作った人形めいた魔女の身体から、その表面の溝の隙間から奇妙な穴が空いた小さな黒いカードが無数に飛び出してきた。

「!? 」

 両刃カミソリなど、きりえは知らないし見たこともない。

 それらは滞空しているきりえの身体のあちこちを鋭く切り裂いていった。

「あああっ!? 」

 たちまちいくつもの切り傷を刻まれきりえは血を撒き散らしながら墜落していった。

「きりえさんっ!? 」

 叫ぶも、今のレイカには手立てがない。たった今、光球を打ち返したところだったのだ。

 だが気を取り直したきりえは体勢を入れ替えて着地すると、自己治癒の魔法を展開した。これも魔法少女が標準的に備えている魔法。身体の各部の裂傷の上に小さな魔法陣が現れ次々と傷をふさいでゆく。

「まだですっ!」

 きりえはレイカに応え、再びボタンを投げ上げて飛び上がった。

 改めて柱の上の魔女を対峙するも、魔女は再び身体中から無数の両刃カミソリを放ってきた。

 ところが、無数のカミソリの雨に蹂躙されたのは、当の「おしゃべり」の魔女本人だった。

『ーーーーーーッッ!? 』

 きりえが、魔女と自身の配置を入れ替えたのだ。

 その場の魔女が座っていた柱の上に着地する。

 虚空を、痛みに身を捩ったフレキシブルパイプの魔女が落下してゆくのを見下ろして、きりえはフルーレのグリップガードに大量のボタンをじゃらじゃらと注ぎ込んだ。

「さあ、とどめよ」

 その場での空間転移を高速で繰り返すフルーレの切っ先を魔女に突きつけ。

「グラ・カトーレ!」

 そして無数の刺突の流星が魔女を貫き、魔女は断末魔と共に爆裂四散して消滅した。

 

 かきん。と、アスファルトに黒い玉櫛が突き立った。

 既に薄暗いここは、町の小さなスーパーの隣の路地。

 なんてことのないこの場所で、通りすがりのみおみは魔女の結界に巻き込まれたのだ。

 地面に落ちたそれに近い位置に立っていたレイカが、上体を折り曲げてその黒い玉櫛を引き抜き、拾い上げた。

 レイカもきりえも、既に制服姿に戻っている。

「……使いなさい。今回はあなたのものよ」

「レイカさん……」

 放り投げられたそれを受け取ったきりえは、わずかに曇った顔でレイカを見返した。

「そういう順番でしょう? それに、最近のあなたの不調は、決して魔女退治が無関係でもない。違うかしら?」

「……」

「あのう。それ、なんですか?」

「うっさい」

 全く空気を無視して手元を覗き込んできたみおみに、きりえは思わずつっけんどんに言い返した。

「きりえさん。せっかくだから、みおみさんにも見せてあげましょう? 魔法少女のなんたるかを」

「…………はあ」

 先ほどとは別種の苦渋の表情を浮かべたきりえは不承不承にうなずいた。

 やがて、黒い玉櫛を持つ手とは反対の手に取り出されたものは、緑色に輝く卵形の宝玉。複雑で細かい金の装飾に包まれている。

「わあ。綺麗ですねえ」

「それは「ソウルジェム」。キュゥべえに選ばれた女の子が、契約によって生み出す宝石」

 自らもオレンジに輝く宝玉を掌に取り出して見せ、レイカが告げた。

「魔法少女の魔力の源にして、魔法少女であることを示す証でもあるもの。 だから当然、魔法の行使によって輝きは失われてゆく。 御覧なさい」

 みおみはレイカの指し示す指先に従って、きりえの手元の緑の宝玉──ソウルジェムを改めて覗き込むと、その中程に暗い淀みが沈んでいるのを見つけた。

「言うなれば、ソウルジェムは消耗すると、穢れを溜め込むの」

「ええと、じゃあ、きりえちゃんは、もう魔法は使えないんですか?」

「いいえ」

 みおみの疑問を、レイカが頭を振って否定した。

「その程度の消耗は日常茶飯事。でも回復させる手だてはあるの。 きりえさん。やって見せて」

「……はい」

 言われたきりえは、自身のソウルジェムと、どす黒い玉櫛を触れ合わせた。

「そちらの黒いものは「グリーフシード」と言って、言わば魔女の卵。あるいは、成れの果て」

 触れ合った緑の宝玉から沈んでいた黒い淀みが浮かび上がると、隣の黒い玉櫛──グリーフシードへと吸い込まれていった。

 緑のソウルジェムが、曇りを拭い去られ一段と輝きを増したように見えた。

「わたくしたち魔法少女は、魔女の脅威から人々を守るのと同時に、こうして魔女からグリーフシードを回収し、自身の魔力を維持していかなければならないの。 でなければ、魔女を倒し続けることができなくなってしまう」

「大変なんですねえ」

 真摯に語るレイカの前で、みおみは丸っきり他人事のような顔で感心した。

「……みおみさん。あなたも他人事ではなくってよ? キュゥべえに認められたということは、あなたには魔女と戦い人々を守る資格があるということ。 それがどれだけ素晴らしい事であるか、分かって?」

「でもでも、わたしには、やる事がありますし」

 茫洋とした顔のまま、みおみはあっさりと否定した。

「……あなた……!? 」

 レイカの麗しい容貌に、怒りの色が浮かび上がった。

「これほどの異常事態を知って、自身の潜在能力を知って、それでもなお拒否すると言うの!? あなた、自分の手で守れるはずの人々の命を無視すると言うの!? 」

 ずかずかと歩み寄ったレイカがきりえを押し除けてみおみの手首を掴み上げた。

「無視していませんよ?」

 レイカの血相にも寄らず、みおみは普段とまったく変わりない顔で応えた。

「だって、誰もがみんな、自分のことで頑張らなくちゃいけないのは同じじゃないですか」

 突き刺す勢いのレイカの眼光など、まるでそんなものありませんみたいな顔でみおみは続ける。

「ニュースに出るような事件で死ぬのと、お風呂場で石鹸踏んづけて滑って転んで頭ぶつけて死んじゃうのと、確率ってそんなに変わらないと思うんですよ。お外も車がびゅんびゅん走ってますし」

「そんなものが、魔女の脅威と同じだなんて……!? 」

「同じですよお」

 烈火のごとく怒りを燃え上げるレイカに対し、みおみはあくまでも朗らかに微笑んだ。

 端で見ているきりえは青い顔に脂汗をだくだくと浮かべていた。

「だからわたしは、いつ明日がなくなっても大丈夫なように、毎日を大事にして生きてるんです」

「その明日を無くさない方法があるのよ!? 」

「明日を守り続けるお仕事も、それはそれで立派だと思いますよ?」

 みおみは臆することなく小首を傾げた。

「でもわたしは、また楽しい明日が来ることを祈って、今日を大切に生きることを選んだんです。 お互いにそれを強制できますか?」

「……っ!? 」

 レイカが唇を噛んだ。

「だからせめて、事情を知ったわたしが言えることは、」

 みおみが、片手を掴み上げられたままぺこりと頭を下げた。

「これからもよろしくお願いします。怪我しないように気をつけてくださいね。 ……これだけです」

「…………」

 レイカは、幾分か温度の下がった顔でみおみを見つめていた。

「……あの、ところで、もうそろそろ離してもらえますか? お肉が痛んじゃうんで」

「……あ、ええ」

 言われて我に返ったレイカが手首を掴む手を緩めるが、「それ」に気付き再びみおみの手首をひったくるように掴み上げた。

「はい?」

「……あなた。わたくしに嘘を吐きましたね?」

 怪訝に見返すみおみに、レイカは再び怒りに染まった顔でみおみを睨み付けた。

「いいえ? 嘘なんてついてませんけど」

「いいえ。わたくしの目は誤魔化せませんわ」

 朗らかな顔をわずかに困惑させたみおみに対し、レイカはあくまでも怒りをたぎらせる。

 そのレイカの目は、掴み上げたみおみの手のひらを見つめていた。

「……この手。ここと、ここのところが硬くなっているわね?」

「はあ。そうですね」

 レイカはみおみの手のひらの各所を指さして告げる。

「あと、ここも少しマメみたいになってる。 ……なんでかしら」

「……さあ」

 みおみは本気で首を傾げた。

「……あら。まだシラを切るおつもり? 手のこの辺が硬くなるのはね……」

 みおみの手首を捻り上げ、レイカは続けた。

「テニスを嗜んでいる方の手の特徴なの。 長いことラケットを使っていないと、逆にこういう手にはならないわ!」

 激高するレイカに詰め寄られても、みおみはきょとんとするばかりだ。

「もう申し開きはできないでしょう!?  今日のあの時のお話を覚えているかしら。 テニスの経験についてお伺いしましたら、あなた、なんて言いましたかしら?」

「ん~。 でもでも、本当にわたし、テニスなんてやったことないんですよ?」

「……!? 」

「レイカさんっ!? 」

 見たこともない程の危険色を浮かび上がらせたレイカの腕に、突如きりえが飛びついた。みおみの前に立ちはだかって。

「本当に由貴さんはテニスをやってませんっ! ……だって、だってお母さんが死んで、それで家のことやらなくちゃいけなくなって、それでテニスをやってる暇なんてないですよ!? 」

「……!? 」

 きりえの絶叫に、レイカの顔から怒りの色が急速に抜けてゆく。

 きりえは少々乱暴にレイカの腕を掴んで手を離させると、みおみの肩を押し遣った。

「行って! あとは私が説明しとくから! 帰って!」

「……はあ。 それじゃあ」

 後退したみおみはきょとんとした顔で応えると、ぺこりと頭を下げて振り返り、立ち去っていった。

 狭い路地に、きりえの荒い息遣いの音だけが響く。

 向かい合うレイカの瞳に、ようやく平常の光が戻ってきた。

「……ごめんなさい、きりえさん。みっともない所を見せてしまって……」

「いいえ! レイカさんは悪くないです! レイカさんは……!? 」

 翻って涙混じりにきりえが叫んだ。

「私が……私が……、」

 嗚咽を漏らし、手のひらで顔を拭い。

「……私、頑張りますから! だから……!」

「……ええ。そうね」

 若干自嘲ぎみに溜め息を吐いたレイカが、きりえの上腕に手を添えた。

「でも、調子を落としている時は、きちんと回復しておいたほうがいいわ。 自己管理も大切だから。ね?」

「……はい……」

 それでも、きりえはしばらく泣き暮れていた。

 

 予定よりも少し暗くなった帰り道で。

 歩きながらみおみは、確かに覚えのない手のひらの硬質化した部分を不思議そうな目で見下ろしていた。

 

 




◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 

「魔法少女の中には、ああいう下劣で愚昧でどうしようもない輩が結構な数いますの。」
「あのさあ。 あんた、バカじゃないの?」

第4話 くだらない

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 


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第4話 くだらない

『やあ、みおみ。 ボクと契約して、魔法少女になってよ!』

 

「ごきげんよう、みおみさん。 わたくしと一緒にテニスをやってみませんこと? ちなみにこれが入部届けですわ!」

 

「ごめんなさい。わたし、家で家事のことやらなくちゃいけないので、失礼しますね」

 

『やあ、みおみ。 ボクと契約して、魔法少女になってよ!』

 

「ごきげんよう、みおみさん。 わたくしと一緒にテニスをやってみませんこと? ちなみにこれが入部届けですわ!」

 

「ごめんなさい。わたし、家で家事のことやらなくちゃいけないので、失礼しますね」

 

『やあ、みおみ。 ボクと契約して、魔法少女になってよ!』

 

「ごきげんよう、みおみさん。 わたくしと一緒にテニスをやってみませんこと? ちなみにこれが入部届けですわ!」

 

「ごめんなさい。わたし、家で家事のことやらなくちゃいけないので、失礼しますね」

 

 

 ここ連日続けざまに返り討ちにされたレイカが入部届けを握りしめて崩折れている横で、キュゥべえがひょこひょことしっぽを振っていた。

『みおみは、なかなか手強いね』

「うふふ……わたくしは、諦めませんわよ……?」

 仄暗いオーラを漂わせるレイカを、物陰からきりえが悲しそうな瞳で見つめていた。

「レイカさん……!? 」

 

 

「人間誰しも、それぞれの都合を持っていますわ」

「はあ」

 テニス部の部室で、自身のラケットにグリップテープを巻き付けながらレイカが呟いた。

「だったら、どうしてレイカさんは、そんなに由貴さんを誘うんですか?」

 今この部室にはきりえとレイカの二人しかいない。

 だからきりえは対外的に部活の後輩を装う「志摩先輩」ではなく、名で呼びかけている。

「あの娘が言った通りのことよ。 誰しも自分のことで頑張らなくてはならない。 だからわたくしも、わたくしの都合でみおみさんを誘うことにしたの。 みおみさんも、お家のことで大変でしょうけれど、それでもなんとかしてテニスの楽しさと素晴らしさを、是非とも体感していただきたいの。……お家のお仕事を圧迫させてしまうかもしれない、わたくしのエゴですけれど」

「……魔法少女のことも、ですか?」

 レイカの、テープを巻く手が止まった。

「……それもあの娘が言う通り。確かに強制なんて、できませんわね」

 再びグリップテープを巻き付け始める。

「事は命懸けですし。 だからわたくしは、わたくしの正義を貫くのみですわ。 これまでと同様に」

「……」

 きりえは、それきり沈鬱にうつむき黙り込んでしまった。

 

 

 ある日のこと。

「御崎 芽衣(みさき・めい)ですっ!」

 朝の教室の教壇の横で、小さい女の子がにこにこ顔で底抜けに明るく自己紹介をした。

「よろしくおねがいしますっ!」

 大きな声で言って、ひょこんっと上体を折り曲げお辞儀した。

 それにつれ、頭の左右に括った小さなおさげが子犬のしっぽのように揺れる。

 その小さな体躯は同じ中学校の制服を纏っていても、とても中学生には見えない。

 いったいどこの小学生が紛れ込んできたのかと教室の中は男女問わず賑やかになった。

「はいはい静かに。 御崎さんは、お家の都合で何年か遠くで暮らしていたのだけれど、昔は久那織市に住んでいたことがあるそうですよ? ですから」

「あーーーー!」

 担任教師の説明を遮って突如、御崎 芽衣が喜色に溢れた素っ頓狂な大声を上げた。

 嬉しそうな顔の御崎 芽衣が指さす先では、みおみが笑顔で小さく手を振っていた。

「……由貴、知り合いか?」

「はい」

 教師の問いにみおみが応えたところで、一切を無視して御崎 芽衣が駆け出した。みおみに向かって。

「みおみお姉さまっ!」

 そしてそのままみおみに抱きついたのだった。

 教室中が怪訝な空気に包まれた。

 

「小学校の頃、今よりももっとちっちゃくて、みんなから遅れがちだったアタシを、みおみお姉さまが色々と面倒見てくれたんですっ!」

「だからって、同い年なのに「お姉さま」呼ばわりはどうなのかな」

「由貴さん実はどっかでダブってんのかと思ったよ」

 転校生・御崎 芽衣の周りに群がるクラスメートが口々に言い笑いが巻き起こる。

「ええ~? だって、入学式から一緒だったじゃないですかあ」

「だ・か・ら、不思議だなあって」

 みおみの反論にクラスメートの一人が応え、また仮借ない笑いが巻き起こる。

「……まあ、三月の早生まれとかじゃ、人によっては一年も違うし、特に成長差が顕著だった小学生の時期だと相手によっちゃ同い年でも「お姉さん」くらい違うかもね」

 きりえの話にああ~、と一同が納得する。

「そっか。それで「お姉さま」か」

「んーでも、中学生になったんだし、もう「お姉さま」なんて付けなくてもいいんじゃないの?」

「んんー?」

 クラスメートが訊ねるも、御崎 芽衣はたいして悩まずに朗らかに応えた。

「でも、お姉さまはお姉さまですからっ!」

「あー。こりゃまたこのクラスに違う色の風が吹き荒れそうだわ」

 禁断の百合の園の展開の予兆に、群がったクラスメートが男女問わずに大騒ぎになった。

 

 

 傾いた日差しの色に染められた放課後の廊下を、大量のプリントの束を抱えたきりえが歩いていた。

 委員会の仕事である為、部活には遅れて入る旨を他の部員には伝えてある。

 降って涌いた仕事に辟易しながら人気の少なくなった廊下をすたすたと歩いてゆく。

「ねえ」

「?」

 ふと、横合いから声をかけられてきりえは立ち止まった。

 廊下の途中にある階段の踊り場からきりえを見下ろしていたのは、転校生・御崎 芽衣であった。

「あのさあ。 ちょっと聞きたいことがあんだけどさ」

「……!? 」

 だが、良く見知った顔のはずの御崎 芽衣に著しい違和感を感じてきりえは背筋を這い上がる不快な冷たさに身震いした。

 その違和感の元はすぐに分かった。

 小さく可憐で天真爛漫な見かけに違わずみんなの妹分的な明るい振る舞いをしていたはずの御崎 芽衣が、

 

 なんということだろう

 

 御崎 芽衣が、どろりと濁った目つきで威嚇的に首を傾けながら、剣呑な気配を発散しつつきりえを見下して階段を下りてきたのだ。

一段ずつ、足を投げ出すような気怠い歩き方で。

「…………え?」

 きりえには意味が分からなかった。

 一瞬、別人かと思うほど御崎 芽衣はその態度を激変させていたのだ。

 その御崎 芽衣が、きりえの数歩手前で立ち止まり、眇に睨め上げてきた。

「あんた。名前なんつったっけ?」

「……ゅあ、綾名、きりえ……」

「あーあーそうそう。 悪いね。あんなにいるから、すぐになんか覚えらんなくてさあ」

 両手を広げて肩をすくめる仕草をするが、御崎 芽衣の嘲る気配は依然きりえを縛り付けている。

「そんで、きりえさんさあ。 アタシってば是っ非っとっも、聞きたいことがあるんだあ」

「……な、 なに……?」

 相変わらず剣呑な調子で語る御崎 芽衣に、きりえは震える口でどうにか応えた。

「あんたさあ。なんでアタシが三月の早生まれだって知ってるワケ?」

「……!? 」

「アタシさあ。あの時まだ誕生日の話なんかしてなかったと思うんだあ。アタシの勘違いかなあ?」

 小さい少女にあるまじき凶悪に濁った三白眼が斜めに傾いて真下からきりえを睨め上げる。

 その凄まじいまでのギャップが醸し出す恐怖にきりえは完全に竦んでいた。

「……あ……芽衣ちゃ、ん……どうし、て……?」

「なんでアタシの誕生日を知ってんのか?って訊いてんだけどさあ?」

 より怒気を膨らませた御崎 芽衣にきりえは息を飲み、どうにか言葉を絞り出した。

「……べ、つに、小さい頃、困るほど遅れてたっていうのは、つ、つまり、そういうことだろうって、……勝手に推理しただけだけど……」

「……ふん」

 それを聞いて、御崎 芽衣はようやく気配を収めて鼻を鳴らし、後退して距離を開けた。

「まあそういうことにしといてあげるよ」

 言って、振り向き立ち去ってゆく。

「でもさ、見透かされんのは嫌いなんだ。アタシ」

 ぎろり、と肩越しに再び睨み付けてきた。

「もう余計なこと言うなよ」

 そしてそれっきり振り返ることなく元来た階段を下りていった。

 きりえは、御崎 芽衣の姿が見えなくなっても、足音が聞こえなくなっても立ち竦んでいた。

「……芽衣ちゃん……どうして……?」

 

 

 夜の街の雑踏の中を、目立ちにくい暗色系の服装できりえは歩いていた。

 左手にソウルジェムを握り込んで、時折指の隙間からソウルジェムの輝きを伺う。

 魔法少女が標準的に備えている魔法のひとつ、魔女の気配の探知に集中しているのである。それと察知すれば、ソウルジェムは特定パターンの明滅で知らせてくれる。

「…………。」

 ところが、そうして魔女探しに歩き回りながらもきりえは気もそぞろであった。

(……芽衣ちゃん……どうして……)

 夕方の、御崎 芽衣との邂逅を思い出していたのだ。

 突如豹変した彼女の余りの変わりぶりに、きりえは衝撃を受けていた。

 ふと、目の端に光が瞬くのを感じてきりえは意識を戻した。

 慌てて手元を見てみると、ソウルジェムがほんのわずかに光量を変化させていたのだ。

(……近い……!? それとも……)

 いくつかの可能性を思い浮かべながらきりえは辺りを見回した。

 周囲を、会社帰りの大人が行き交っている。

 その向こうに、きりえは見たくもないものを目撃して顔をしかめた。

「……で、なんであいつがあんな所をふらふらしてんのよ!? 」

 路地の隙間から、ビルひとつ向こうの大通りをのたのたした歩き方で通過してゆくみおみの姿を発見したのだ。

 いくらなんでも無視できず、きりえはそちらに駆け寄った。

 たいした距離ではない。すぐに追いついて回り込む。

「ちょっとあんた!? こんな時間に、こんなとこでなにしてんの!? 」

 言えた義理ではないが、自分は魔法少女。日常でも非日常でも夜の街に用がないはずのみおみとは違う。

 ところが、みおみは目の前のきりえなどいないかのように無反応で前進を続ける。

「って、ちょっと!? 」

 身体ごと押し退けられるという、みおみらしからぬ行動に泡を食うが、きりえはすぐに気を取り直して再びみおみの真正面に回り込んだ。

 肩を掴んで無理矢理激しく揺する。

「ねえ!? あんたってば! ちょっと!」

「……ほえ?」

 まるできりえが壁かなにかみたいに押し止められたその場で足をずりずり動かしていたみおみが、ようやく反応を示した。

「……きりえちゃん……」

 きりえの顔を認め、ほにゃりと破顔するみおみに、きりえは言いしれない不安を感じた。

「ちょ、っと……あんた……?」

 見れば、あろうことか、みおみは靴を履いていなかった。

「うふふふ。 いっしょに、いこうよお」

 みおみは、きりえの手首を掴んでそのまま歩き出そうとする。

「え? や、ちょっ……」

 思いがけない腕力に驚いているうちに体勢を崩して引っ張られてしまう。

 だが既にきりえにはこの怪現象の心当たりがついていた。

 きりえは手を引かれるまま歩きながら、物も言わずに空いた手でみおみの後ろ髪を掻き上げた。みおみは反応しない。

「……「魔女の口づけ」……!? 」

 露わになったみおみの首筋に浮かぶ、不気味な小さい紋様。

 魔女や使い魔が結界内から魔力干渉し、人間を無差別に催眠誘導する魔法のマーキングである。

「なんてこと……!? 」

 例え嫌っていたとしても、近しい人間が被害を受けたことに衝撃を受けつつ、きりえは片手で携帯電話を取り出して操作した。

 やがて連絡を受けたレイカが後方から追いついてきた。

「きりえさん!」

「レイカさん!? 」

 横に並んだレイカに、再び掻き上げたみおみの髪の下、首筋に浮かぶマークを見せる。

「……そういうこと」

 辺りは人気が薄くなっており、何人かの通行人が同じ方向へ歩いているのみ。

 否。

 その人影は皆、どこかおぼつかない足取りで歩んでいた。

 この辺は中小の企業ビルや工場が集まる区画で、この時間帯は灯りが少ない。

 奇妙な人々の流れは、その暗い方へ、暗い方へと向かっていた。

「……間違いないわね。皆さん、魔女に導かれている。近い」

「どうしましょうレイカさん? このままじゃあ由貴さんも……」

「このままお邪魔しましょう?」

 間髪入れずに応えたレイカの顔を、きりえは仰天して振り返った。

「でも、それじゃあ!? 」

「みおみさん一人を安全圏に退避させてる間にもこの行列の行方を見失ってしまいます。 ならばいっそ、共に出向いて皆さんを纏めて守った方が被害を抑えられますわ」

 真面目な顔のレイカがきりえを見つめて応えた。

「その時は、あなたがディフェンスで、わたくしがオフェンスよ。 いいこと? あなたが守るのよ?」

「……!? 」

 レイカに言われ、きりえは身が引き締まる思いがした。

 確かに能力的にもきりえの魔法は守りながら戦うことに向いている。

 翻ってレイカの魔法は攻撃に特化している。

「……分かりました!」

「よろしい。 さあ。わたくしたちのペアの力を思い知らせてやりましょう!」

 

 

 彼女はその光景を見下ろしていた。

 灯りの落ちた暗闇の工場に、糸に吊られたようにもたもたと歩く人々がぞろぞろと入ってゆく光景を。

 それを見下ろす暗く、濁った瞳にはなんの感慨も浮かんではいない。

 屋上のへりに腰掛けて、投げ出した脚をぷらぷらと揺らしていた。

「よう」

 そこに、何者かが少女の声で舞い降りてきた。

「ウマそうなの持ってんじゃん。あたしにも喰わせろよ」

 底抜けに朗らかな調子で恫喝してきたその少女を、彼女は首を傾けて見返した。

 その姿を見るまでもなく、彼女には相手が何者か分かっていた。

 この一帯で最も高い場所であるここに「舞い降りて」これる者など他にはいないし、その声には聞き覚えがあった。

 付近の街灯を照り返す光加減によっては真っ赤にも見える赤毛を後頭部で高く結い上げ、貴族のドレスと武闘士衣装を掛け合わせたような深紅の長衣を纏ったその魔法少女を睨め上げる。

「消えなよ、佐倉 杏子(さくら・きょうこ)。 殺されたいの?」

「釣れないコト言うなよ御崎 芽衣。同じ魔法少女じゃんか」

 巨大な二等辺三角形の穂先を付けた長槍を肩に担ぎ、少女にあるまじき獰猛な笑みを浮かべる佐倉 杏子を濁った目で見返し、彼女──御崎 芽衣は黙って魔法少女に変身した。

 微動だにせずその身をクラシックバレエような形状の水色の衣装を纏った姿に変える。

 右耳のピアスから提げられた、涙滴型のアクアブルーの宝玉がきらりと閃いた。

 小さな体躯に可憐な衣装を纏っているというのに、その闇よりもなお暗い瞳が異様なまでにミスマッチであった。

 後ろ手に付いていた両手には巨大な水色のリングが握られており、いつの間にか片足にも同じリングを引っかけてくるくると回していた。

 それは既に御崎 芽衣の臨戦態勢。

「まあ待ちなよ。 アレ見てみ」

 同様に戦闘態勢だった佐倉 杏子が芽衣の様子にも頓着せずにあごをしゃくって地上を示した。

 芽衣も気にせずそちらを見遣った。

 すると、「魔女の口づけ」を受けて集まる人の群の中に、芽衣の見知った姿が三人ほどあった。

 うち二人は、手元に見覚えのある輝きを携えている。

「アレがこの街の魔法少女だろ。しかも二人だ。 真ん中に挟んでんのはダチだろアレ」

「……」

 饒舌にしゃべる佐倉 杏子とは対照的に芽衣は無表情でそれを見下ろしていた。

「後生大事に庇っちゃってまあ。 ヤツらはアレだね。「セイギノミカタ」気取りだろ。 こン中の使い魔、潰す気だぜ?」

 槍の石突きで屋上の床をこつこつと叩いて示す。

 この工場の中に巣くっているものが「魔女」ではなく成長途中の「使い魔」であることを看破した佐倉 杏子を、芽衣は殺気の籠もった三白眼で睨み上げた。

「……ヤだなあ。 アタシ、見透かされんのって大ッ嫌いなんだけどなあ?」

「は。文句があんなら聞いてやんよ」

 佐倉 杏子も獰猛な笑みに怒気を混ぜて芽衣を見返した。

「ただし。アイツらをぶっ潰してからにしようじゃねえか。 お誂え向きに「二対二」だしよ」

「…………」

「ひとりでも余裕だってんなら、あたしがアイツら全部潰して、中の使い魔も喰っちまうぞ」

 佐倉 杏子にそれが不可能だということは分かっていた。 だが芽衣にも単独で二人の魔法少女を退けることはできないだろう。

「……他の人間に手ぇ出して遊ぶようなことしたら、背中から斬るかんね」

「そんなもったいない真似すっかよ!」

 使い魔の餌は、多ければ多いほうがいい。

 言うなり佐倉 杏子は飛び降りていった。

 芽衣も立ち上がる。

 ちなみに今の芽衣の発言は、犠牲者に混じるみおみに万が一にも手を出させない為の牽制だった。

 なぜなら。

(みおみお姉さまは、アタシが遊ぶんだから……!)

 にぃ、と狂喜の笑みを口の端に浮かべ、芽衣も飛び降りていった。

 

 

 ここが目的地のようだった。

 モノトーンの四角い影が立ち並ぶ工場区画。

 シャッターを全開にされた暗闇の中へと、操られた人々がそのままの歩調で入ってゆく。

「レイカさん!? このままじゃあ!? 」

「……場所は、あそこの中に間違いないようですわね……!? 」

 自身のソウルジェムの、「魔女確定」の輝きを見てレイカは決断した。

 指先に摘み上げたソウルジェムを振りかざし、その場で優雅に身を翻したレイカは輝きに包まれてオレンジ色を基調としたテニスウェア姿の魔法少女へと変身した。

「みおみさん。ごめんなさいね」

 言って、レイカは指先をみおみの首筋にあてがった。

 レイカの指の下、みおみの首筋から閃光が迸り、「魔女の口づけ」の刻印が黒の霞となって消滅する。

「……あ……」

 呻いて崩折れたみおみの身体を、レイカがそっと支え、抱き上げた。近くの植え込みの陰に横たえる。

 かけられた魔法の強制解除には、強い衝撃が伴う。みおみはそれで気を失ったのだ。こればかりはどうしようもない。

「さて。行きますわよ」

「はい!」

 同様に輝きの中から魔法少女の姿で現れたきりえがうなずいた。

 そして工場入り口へ駆け出したその時、上から何者かが飛び降りてきた。

「!? 」

「え!? 」

 工場入り口で立ちはだかったのは、人間。

 魔女でも使い魔でもなく。

 二人の魔法少女だった。

 

「……芽衣ちゃん!? どうして!? 」

 そこに現れたうちの一人が、バレリーナめいた形状の水色の衣装を纏った魔法少女が御崎 芽衣であることに気付いたきりえが驚愕に叫んだ。

 呼ばれても、芽衣は無反応だった。

「きりえさん、お知り合い?」

「おい。アレお前のダチか?」

 レイカが、杏子がそれぞれ横に訊ねる。

「クラスメートなんです! 芽衣ちゃん!? 芽衣ちゃんも魔法少女だったの!? 」

「は。おいおい実は「三対一」だったのかよ……!? ハメやがったのか!? 」

 きりえの絶叫にも杏子の疑惑の声にも、芽衣はあくまでも無言だった。

 そんな中、芽衣はやおら眉をしかめてがしがしと頭を掻いた。さも面倒臭そうに。

「……うるさいなあ」

 胸の淀みを吐き出すかのように、ぼやく。

「……ここに何があんのか、知ってんでしょ?」

 芽衣が、ひょいと背後を指さした。

「もちろんですわ」

 きりえは、自身の前に制するように突き出されたネットのない琥珀のラケットに身動きを止め、前に進み出たレイカを呆然と見上げた。

「人々に仇為す魔女か、それとも使い魔かしら。 それらに誑かされた人々を黙って見送ったあなた方は、何者かしら?」

 レイカの詰問を聞いた途端、杏子が目を剥いて爆笑しだした。

「っはっはっはっは! おめえそれマジで言ってんの!? ぎゃっはははは」

 赤毛を振り乱し腹を抱えて笑う。

「はっはははは! えーマジ「正義の味方」? そういうのが許されるのって小学生までだよねーキモーイ♪ ぎゃははははは」

 途中で何かの真似までして笑い転げている杏子を無視し、レイカはきりえに語りかけた。

「きりえさん。覚えておきなさい。 巴 マミに何を教わってきたのかは知りませんけれど、魔法少女の中には、ああいう下劣で、愚昧で、どうしようもない輩が結構な数いますの」

 それを聞いた途端、杏子の哄笑がぴたりと止まった。

「……てめえ。今なんつった?」

「今のわたくしの発言が理解できないだなんて、会話以前の問題ですわね」

「……!? 」

 白眼比率を急上昇させた杏子が無言で槍の柄尻をチェーンで繋がれたいくつもの多節棍に分割して展開させた。

「おおかた、手っ取り早くグリーフシードを得んが為、人々を犠牲にして使い魔の成長を促進してからそれを刈り取るおつもりなのでしょう?」

「え?」

 きりえは、レイカの発言に喫驚した。それは発想だにしない話だった。

「確かに魔法少女存続にとっては効率的なことですわ。 ですが、それは魔女となんら変わることのない下劣な所業。許されるものではありません。わたくしの正義において、処断致しますわ!」

 レイカのラケットの円環に、鋭い音を立ててオレンジの光条が縦横に走りネットを形成した。

「は。てめえ、マジで言ってんのか……?」

「れ、レイカさん、……相手は、同じ魔法少女ですよ?魔女じゃないんですよ? それなのに戦うんですか?」

「きりえさん。今の話、あなたにも理解できるはずよ?」

 動揺するきりえに、レイカが押し殺した声音で告げた。

「魔法少女の仕組みを考えれば、そういうふうに考える者が出てくる可能性は充分にありますわ。事実、目の前のあの者たちは、なぜこちらに身構えているの?」

「……あ……でも……」

「わたくしは!」

 レイカが突然声を張り上げた。

「わたくしの正義において、邪悪なるものと、それに与する全てのものを有象無象の区別なく一切合切をこの手で断罪致します!それがわたくしの祈り!」

「……あのさあ」

 決然と宣告したレイカを前に、芽衣がやおら口を開いた。

「あんた、バカじゃないの? 生存を正悪で括らないでくれる? くだらない」

 気怠げに、溜め息すら混じるほどに暗い声音で吐き捨てた。

 それに対しても、レイカは微塵も揺らがない。

「結構。矜持を失くしたとなれば、ますます生かしてはおけませんわね。……参りますわ」

「あ……!? 」

 未だ逡巡するきりえを置いて、レイカが、芽衣が、杏子が同時に動き出した。

 

 




◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 

「あんたら、考えたことないワケ? は。ないよね。そこに気付いてたら黙ってそんな顔してらんないもんね!」

第5話 なにを見てたのかな?

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 


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第5話 なにを見てたのかな?

「あ……!? 」

 きりえが逡巡している内に、先行したレイカと相手の二人が激突した。

「はははっ! おいおい緑のボンクラが置いてきぼりだぞ? おめえ一人であたしら二人とやり合えんのかあ?」

 芽衣の巨大なリングと杏子の穂先が付いた多節棍の乱舞を、だがレイカはラケット型バトンで次々と打ち捌いてゆく。

「半人前がお二人で丁度よろしいのではなくて?」

 ぎゃらぎゃらとチェーンを引きずって襲いかかる幾重もの多節棍を優雅な宙返りでかわし、芽衣のリングの殴打もラケットで打ち返し、レイカは一歩も退くことがない。

「あなた、足し算はできるかしら」

「てめえっ!? 」

 杏子が激高した隙を突いてレイカが振り下ろしたラケットのネットからオレンジの魔法球が飛び出した。

 それはごりりと固い音を立てて槍の中程を噛み砕き、ぎりぎりで身を捩った杏子の脇腹と後ろ髪を丸く抉り取った。

「ッ!? 」

「あら。よくかわしましたわね」

 脇腹から血がしぶき途中を抉られた赤毛が舞い散る頃にはレイカの鋭い後ろ蹴りが芽衣の腹に突き込まれていた。

 小さな体躯ではウエイト差に抗しきれず大きく吹き飛ばされてゆく。

「チッ!? 」

 慌てて後退した杏子はバラバラになった長槍の成れの果てを放り捨て、長さがちぐはぐになった後ろ髪に手を突っ込むと髪の中から新たな長槍を引きずり出してきた。

 基本的に魔法少女の固有の手持ち武器はいくらでも生成が可能だ。ただし魔力は消耗するし、武器の機能によっても消費量が異なる。

 多くの意味を付与された杏子の長槍は、数多くを運用するより一本を活用してこそ杏子の強みを引き出せる。

 はずだった。

「舐めんじゃねえええええ!」

 頭上で振り回した長槍からチェーンで分割された多節棍が飛び出し、レイカめがけて殺到した。

 同時に杏子本人も穂先を突き出して一直線に突撃する。

「っらああああああ!」

 稲妻のごとく無軌道に襲いかかる多節棍の乱打をレイカは舞うようにかわし、突き出された槍の穂先に対してラケットのネットを合わせてきた。

「バカか!? そんなお嬢様のオモチャで防げるワケが」

 嘲笑の途中で杏子が見たものは、振り下ろされたラケットのネットに喰いちぎられるようにして消し飛んだ、先端を失った槍の先だった。

「……あ……?」

 がり、ごりとレイカがラケットを振るう度に杏子の槍──今となってはただの棒が先端から消し飛ばされ長さを縮めてゆく。

 触れたものを抉るのは、あの時打ち出された魔法球だけではなく、このラケットのネットを構成する光線も同様だということだ。

「……ッ!? 」

 あわや自身の手首までもがれそうになった瞬間にようやく杏子は武器から手を離して跳び退いた。

「……てっ、てめえ!? 」

 目の前を薙いだラケットに戦慄しながら杏子が吼えた。

「惜しかったですわね」

 冷徹に細められたレイカの眼光は杏子に勝るとも劣らぬ殺す気満々の殺気を放っていた。

「……っくっ!? 」

 再び杏子が背後に回した手から新たな武器を引っ張り出したところで、唐突に二人のいる場所が僅かな光源を失ってより暗くなった。

 杏子とレイカが同時に、何が街灯の明かりを遮ったのかと素早く周囲を見回した途端、やはり二人同時に己の頭上にとんでもないものが出現しているのに気付き愕然とした。

 レイカと杏子の真上に巨大なリング──芽衣の武器が拡大されたものだ──が滞空しており、夜空とは異なる黒に塗り潰されたその円の中から、大型ダンプトラックが今まさに下向きで落ちてこようとしていたのだ。

「「ッッ!? 」」

 それも、ただの大型ダンプトラックではない。これは、そこらの公道を走っているものとは比べ物にならないほど巨大な代物で、本来は鉱山で使用される、タイヤだけで直径が4メートルもあり、全長15メートル・全幅10メートル・全高7メートルもあるちょっとしたビル程の大きさの超巨大ダンプトラックだった。

「……な……あ……」

 魔女ほど「明らかに不気味でかけ離れているもの」ならば充分見慣れていた。いかなる異形と対峙しようとも魔法少女にとって今さら恐れることなどない。

 だが人は「理解の範疇に片足を入れた異常」に対しては、反射的にそれがなんなのかを把握しようとして混乱する。

 今のレイカと杏子がまさにその状態だった。

 見覚えのある形が有り得ない大きさの圧倒的な質量となって、重力に従い最初はゆったりと、やがて迅速に二人を圧し潰さんと迫ってきた。

「とりあえず、あんたら厄介だからさ」

 レイカに蹴り飛ばされた離れた場所で、芽衣が暗い瞳で無感情に素っ気なく告げた。

「二人とも死んじゃいなよ。ぺしゃんこになってさあ」

「……て、めえ……」

 杏子が、かすれた声で呻いた。

 夜の工場区画の真ん中で、巨大構造物が地面に激突する轟音が響いた。

 

 

 

『……! ……ぉみ! ……おみ!』

「ん……」

 みおみは、ふと意識を覚醒させた。

『みおみ! ……ああ。やっと起きた』

「……キュゥべえさん?」

 肌寒さのおかげで一気に目が覚めた。

 どこかの軒先の植え込みらしき草の上で上体を起こしたみおみは、まったく見覚えのない景色を見回して、最後の記憶の検索と同時にとりあえず現在地をどうやって知ろうかと思案に暮れた。

『相変わらず冷静だねみおみは。こういう時の常套句は、「ここはどこ?」って言うんだよ?』

「キュゥべえさんは、ここがどこだか知っているんですか?」

『もちろんさ!』

 隣で座るキュゥべえは、跳ねるようにうなずいて請け負った。

『ここはね、経度ひゃくさんじゅ』

「座標値じゃなくて、住所で言ってもらえますか?」

『人間が作った領域の名前なんてよくわからないよ』

 しれっとキュゥべえは説明を放棄してきた。

 それはともかく、ご近所の人に現在地を聞こうと周囲を見回したみおみは、さすがに途方に暮れてしまった。

 どうもここは工場が集まる区域らしい。

 全ての建物の灯りが落ちており、光源と言えば等間隔に並ぶ街灯しかない。つまり、訊ねられる人がこの辺にはいない。

 しかもグレーの建屋の並びに、ビル程もあろうかという超巨大ダンプトラックが脈絡なく逆立ちしているのである。あんな鉱山でしか見かけないはずの代物が置いてある場所なんて近所にあっただろうかと、みおみは真剣に首を傾げた。

『そんなことより大変なんだよみおみ』

「わたしも大変なんです」

『生きて帰れないかもしれないことのほうが大変なはずだろう? お願いだから、ボクの話を聞いてくれ』

 

 

「……あ……あ……」

 尻餅をついた杏子は、目の前に突き立った巨大な鉄塊を見上げて口をぱくぱくさせていた。

 間一髪、みっともない体勢ではあるが跳び退くのが間に合ったのだ。

「……ふん。運のいいヤツ」

 圧倒的な殺意を行使したにも関わらず、これほどの異常を為した当の芽衣は実につまらなそうに吐き捨てた。

 杏子だけではない。

 芽衣がちらりと瞳を傾けた先には、遠く離れた所に青い顔のきりえに腕を抱えられて立ち尽くすレイカの姿があった。

 きりえが手元のボタンとレイカの位置を入れ替えて瞬時に救出したのだ。

「……あ、ありがとう、きりえさん」

「……!? 」

 突然の異常と惨劇の予兆にきりえはとっさに空間転移の魔法を行使するのが精一杯で、がたがたと震えている今は口を開くこともできないようだった。

 そんな魔法少女たちに構わず、芽衣は片手をかざすと上空に滞空していたリングを操作した。

 ゆっくりと下げる手に合わせて巨大なリングが降下するにつれ、リングを境に通過するはずの鉱山用超巨大ダンプトラックが姿を消してゆく。

 やがてダンプトラックを全て飲み込み地上に降りたリングは、十メートル以上もの直径を迅速に一メートルほどまでに縮めながら地面に付いた芽衣の手に収まった。

「綾名 きりえと、その隣のあんた。 今の状況が分かってんの?」

 立ち上がった芽衣が、片手でリングをくるくると回しながら足を投げ出すようなぞんざいな歩き方で迫ってきた。

「アタシはここで守りに徹しているだけでいいんだよ? 翻ってあんたらは、急ぐ用事があるんじゃない?」

「……ふん。上等ですわ」

 呆然としていたレイカの顔に、再び生気が戻り苛烈な怒気が溢れ出す。

「ではおっしゃる通り、急ぎの用事がありますので、早々に失礼させて頂きますわ!」

「レイカさん!? 」

 きりえの制止を無視してレイカが駆け出していった。

 芽衣も、手元のリングを両手で握り、左右に引っ張ると分裂するようにして二つに増えた武器をかざして走り出す。

「……」

 その途上で、芽衣が扇ぐように一振りしたリングの中の暗闇から、突如何かが飛び出してきた。

 どうやら芽衣の持つリングはその円を境に亜空間にでも繋がっているらしい。先ほどの超巨大ダンプトラックも、恐らくそうして持ち運んでいるものだろう。

 そして今、レイカめがけて投げ放たれたものは。

 辺りにばら撒かれたものは、何かが詰まった上着やズボン、ひとの手首、それと、知らない顔。

「ひっ!? 」

 ひきつった悲鳴をあげたのはきりえだった。

 革靴とスラックスには中身があり、ひざの辺りでわずかに曲がった形で凍り付いている。

 そのベルトから先にあるはずの上半身が離れた場所に転がった。

 運良くきりえの位置からはその断面は見えなかったが、レイカにめがけて放られたその人間の下半身の向こうに垂れ下がる土気色のチューブみたいなものが何なのかに気付いてしまい、きりえはこみ上げるものを感じて口元を押さえうずくまった。

「ーーーーッ!? 」

 くぐもった音を立ててその場で嘔吐する。

「今さらそんなものでこのわたくしを阻止できると思って!? 」

 だがレイカは一瞬の躊躇もなくラケットを振りかぶった。

 レイカのラケットのネットは、構造上枠に入る大きさの物しか掘削できない。が、レイカは瞬時に三度ラケットを振るって邪魔な半分の死体を掘削して消滅させた。

「ふうん。今のを見てもなんとも思わないなんてあんた、死体なんて見慣れてるってこと?」

 その隙に回り込んだ芽衣が暗い声で迫るが、レイカが向き直るほうがなお速かった。

「ご想像にお任せしますわ!」

「っ!? 」

 横薙ぎのラケットの殴打をリングで受け止めた芽衣は、今度はウエイト差に逆らわず、衝撃を利用して後退した。

「ところで覚えていらっしゃるかしら。わたくしが先ほどボールをひとつ打ち込みましたこと。」

「!? 」

 その台詞で芽衣はようやく気が付いた。自分がレイカに誘導されていたことに。

 だがもう遅い。

 遠くを周回してきたオレンジ色の光球が、背後から芽衣の左上腕を削り飛ばして通過した。

「……ッ!?」

 愕然とした芽衣の顔の前で、切り離された左腕が回転して宙を舞った。

 

(ちっ!? 冗談じゃねえよ!? )

 御崎 芽衣とテニス女の交錯を睨み付けながら、杏子は思考をフル回転させて打算を検討していた。

 脇腹に当てた手には自己治癒の魔法陣が重なり、抉られた箇所を治している。

(妙な魔法を使う奴が三人!? ひとりはボンクラだけど、こりゃ分が悪過ぎる!? )

 杏子の魔法は中・近距離の直接攻撃に特化している。有り体に言えば一番性に合っている「ケンカ殺法」を魔法に反映させているのだ。

 それ故たしかに絡め手を持つ相手は苦手だが、だからと言ってこの場にいる魔法少女の誰かとでも一対一でさえ戦えば絶対に勝てるつもりだ。どんなに奇妙奇天烈な魔法だろうと、杏子の魔法でも付け入る隙は必ずある。そういうものだ。実際、杏子はそうして魔女を狩り、他の魔法少女を出し抜いて今まで生き残ってきた。

 負ける戦いは絶対にしない。まずは逃げてでも生き延び、勝てる算段を立ててから挑めば済む話なのだ。

(こりゃ割に合わねえや。やめよう。)

 戦況を分析し瞬時に撤退を決めたあとの杏子の行動は素早かった。

 御崎 芽衣が片腕を吹き飛ばされた瞬間を機に長槍を鞭状にしならせて工場の屋上に突き立て、それを利用して大きく跳躍しその向こう側へ着地すると、そのまま戦場から離れる方向へと駆け出していった。

 

「!? 」

 杏子の撤退を訝しんだレイカが一瞬注意をそちらに向けた。絶対に戦いに割り込んでくると踏んでいた相手の予想外の行動に気を取られたのだ。

 その隙を目敏く捉えた芽衣が、目前を舞う己の左腕を掴むと、それをレイカめがけて投げつけた。

「っ!? 」

 切り離された腕が血を撒き散らしながら回転して迫る。

 だがレイカも完全に目を離していたわけではない。既に体勢は攻撃の動作に移っている。

 己の元に戻ってきた魔法球を、レイカはほんのわずかにグリップの角度を変えて打ち返した。

 魔法球は回転を加えられ、軌道を予定より歪めると、こちらに迫っていた左腕を削り飛ばして消滅させると狙い通り芽衣の胸の真ん中を背中まで丸く掘削して通過していった。

「ッ…………!? 」

 苦悶と喫驚を混在させた顔の芽衣が、心臓を貫かれたバレリーナの矮躯が、穿たれた穴から大量の血液を噴射して膝を落とし、仰向けに倒れ込んで動かなくなった。

 

「……ふん。お粗末なものですわね。口ほどにもない」

 今度は近距離を巡ってすぐに戻ってきた魔法球をネットで受け止めて消し、レイカは傲然と言い放った。

「さ。行きますわよきりえさん」

 言い放ち、工場入り口へと歩き出したレイカは、返事がないことを訝しんで立ち止まり、振り返った。

 きりえは先ほどの位置で屈んだまま、自分の吐瀉物の前で未だ口を押さえて嗚咽混じりに嘔吐いていた。

「……、……」

 その腑甲斐無さを叱責しようと息を吸ったレイカは、だが肺に触れた夜の冷気に熱くなっていた頭を冷まされて我に返った。

 先ほどの戦闘を思い返し、辺りに散らばった人体の部品──恐らく御崎 芽衣が「調達」してきたバラバラの死体を見回すと、ひとつずつラケットのネットを押し当てて全て消滅させていった。

「……」

 無為の犠牲者をきちんと弔ってあげたいが、いかに志摩 レイカといえども人としての生活に影響を及ぼさぬよう謎の死体を処理することは難しい。

 せめてわずかに黙祷したレイカはうずくまるきりえに歩み寄っていった。

「……きりえさん。あなたはここで休んでいなさい。 「魔女の口づけ」を受けた皆さんは、わたくしが救出してきますから」

「…………!? 」

 口を押さえたままきりえが苦悶に歪む顔を上げるが、レイカは手のひらを突き出して遮った。

「無理しないで。……ああいう、悪辣な魔法少女も残念ながら存在しますの。 今回は、それが分かったことを経験値にしたことで良しとしましょう?」

「…………」

 悔しさと、おぞましさの衝撃で未だ困惑が抜けないきりえは、それでもどうにかレイカの言葉にすがり、必死に吐き気に抗った。

「……!? 」

 下がる目線の中で、きりえはそれに気が付いた。

「危ない!? 」

 きりえの前にいたレイカの姿が小さなポリバケツに変わった瞬間、今までレイカの頭があった場所を見覚えのあるリングが貫き、同時に横に跳び退いたきりえの跡にバイクやら冷蔵庫やらの大量のスクラップを撒き散らして飛び去っていった。

 ポリバケツと配置を入れ替えさせられたレイカの姿は、そこの工場の壁際にあった。

 一瞬でも遅れていたら、二人ともあの大量のスクラップに押し潰されて死んでいただろう。

 周囲を旋回してゆくリングを目で追いながら、きりえはその有り得ない事象に混乱していた。

「……な、んで……」

 それに気付いたレイカも同様だった。

 ぱし、と戻ってきたリングを手で受け止めた、起き上がった御崎 芽衣の姿を目にして。

 

 胸の中央を貫かれたのだ。心臓からの大量出血、気管を失っては呼吸ができない、脊椎を断たれては体機能が停止して、いずれにせよ死ぬしかない。

 よしんば意識が完全に途絶えるまで時間があったとしても、胸を貫かれた文字通り死ぬ程の激痛の中で魔法を行使できるとは思えない。仮にできたとして、自己治癒の魔法でも組織が復元されるまで魔法に集中する思考が保つわけがない。

 有り得ない。有り得ないのだ。

「……そ……な、ぜ……」

「ほんっと、運がいいよね。 ムカつくわ」

 呆然と呟くレイカに、きりえに、芽衣は忌々しげに吐き捨てた。

 そうだ。運が良かった。

 きりえは、先ほど自分が目撃した異常を思い返した。

 

「無理しないで。……ああいう、悪辣な魔法少女も残念ながら存在しますの。 今回は、それが分かったことを経験値にしたことで良しとしましょう?」

「…………」

 悔しさと、おぞましさの衝撃で未だ困惑が抜けないきりえは、それでもどうにかレイカの言葉にすがり、必死に吐き気に抗った。

「……!? 」

 下がる目線の中で、きりえはそれに気が付いた。

 遠くで仰向けに倒れる御崎 芽衣の身体が一瞬の閃光に包まれて、トレーナーにデニムパンツの元の姿に戻ったのだ。

 魔法少女の力を失ったらそうなるのだろうときりえは思ったのだが、あろうことかその芽衣の死体が再び閃光を放って水色のバレリーナに変身すると、跳ね起きて武器を放ってきたのだ。

 ──胸の穴も、左腕も、完全無欠の元通りになった御崎 芽衣が。

「危ない!? 」

 そして……

 

「は。せっかくだから教えてあげるよ。 魔法少女はね、魂を抜き取った抜け殻の肉体を改造して造られた、改造人間なんだよ。なんだったらゾンビって言ってもいい」

「……………………え?」

 きりえが、レイカがそれぞれ怪訝に聞き返した。

 芽衣はつまらなそうに自身の右耳のピアスに提げられた水色の涙滴型の宝玉を指先で弾いた。

「キュゥべえと契約した時、キュゥべえは何をした?ソウルジェムはどこから出てきた?」

 儀式のように集中したのち、頭頂の三角形の耳から垂れ下がる部位を伸ばして、こちらの胸板を透過させた。そしてやがてそれが抜き取られたあとから、自身の胸の内からあの卵形の宝玉が現れたのだ。

 

 『さあ。受け取るといい。それがキミの運命だ』

 

 そんなキュゥべえの宣告と共に。

「ソウルジェムはね。人間の魂を物質化させたものなんだよ。どんだけ身体をぶっ壊されても、魂だけ別にしとけば死ぬこともない。危険な魔女とガチで殴り合っても大丈夫なようにね」

「……そ、それは、魔法だから」

「あんた今さあ、なにを見てたのかなあ?」

 きりえの言葉を、芽衣が呆れたように遮った。

「魔女をやっつけんのに、伊達や酔狂でこんな格好してると本気で思ってんの?」

 自身の水色の衣装の端を引っ張って言う。

「アタシらは、なんでいちいち変身してんの?あんたら、考えたことないワケ? は。ないよね。そこに気付いてたら黙ってそんな顔してらんないもんね!」

「……どういう、こと……!? 」

 レイカが、震えを押し殺しながら問いを絞り出した。

「……わたくしたちは……この身体は、いったい……」

「だから。アタシたちは魔女を退治する為に変身するたびに、日常生活用のフツーの身体から、戦闘用の強い身体に根こそぎ変換してるんだよ。変身の魔法は、魔法少女の身体をその都度再構成してるんだ。強靱な皮膚と筋肉と骨格を持った身体にね」

 再構成。

 その単語に、きりえはさっき見た光景を思い出した。

 欠損した芽衣の身体が、変身解除と共に完全無欠の状態に戻っていた。

「でもさすがにアタマをブチ抜かれたら、死にはしないけどどうにもなんなくなるだろうね。 は。なんでかって?」

 こめかみに人差し指を突きつけた芽衣が、勝手にこちらの疑問を継いで続けた。

「壊れたアタマを直そうって「考えられなくなる」からさ。当たり前でしょ?思考する脳を失ってんだもん。 神経伝達も命令も失って、身体は動かなくなる。やがて血の巡りも止まって身体は朽ちる。 でも安心しなよ!魔法少女は死なない!ソウルジェムが無事な限りは。 肉体が潰れたって無くなったって、魂が無事だからそれでいいでしょ?ってのがキュゥべえの言い種なんだよ。 そうでしょ!」

「「!? 」」

 芽衣が叫んだ方向に、気付いたきりえとレイカがそちらを振り向いた。

 そこには、こちらを見て呆然と佇むみおみと、横に並ぶキュゥべえがいた。

 

「……ほんとうなの、キュゥべえ……?」

 わなわなと震える唇で、レイカが詰問した。

 レイカは、芽衣が身体を再構成する瞬間を見ていない。だがきりえの反応が芽衣の言葉を裏付けており、何より実際に欠損した部位を短時間で復元させた芽衣がそこにいる。自己治癒の魔法ではこうはいかない。

 もし御崎 芽衣の言うことが本当ならば、これは、こんなものは、レイカが望んだ「力」ではない。

 人間ですら、ない。

「ああ。本当だよ?」

 ところが、キュゥべえはさも当たり前のように首肯した。

「それがどうかしたかい?」

 しかも赤いビー玉のような瞳をくりくりさせて、逆に朗らかに問い返してきた。

「あはははっ! 「祈りと引き替えの契約」の末が、これが魔法少女の正体だよ! それで?あんたの正義がなんだって?あははっ!」

「…………!? 」

 レイカの内に、これまで感じたことのないほどの激しい怒りがこみ上げてきた。

「キュゥべえ、あなたは……!? 」

 何を言おうと思ったわけではない。荒れ狂う破壊衝動に突き動かされてレイカはキュゥべえに向かって足を踏み出した。

 ところが、堅い感触のはずのアスファルトに踏み込んだ力をわずかに吸収されて喫驚したレイカは足下を見下ろした。

 いつの間にか、黒いアスファルトだった地面は、安っぽいプラスチックでできたような板になっていた。

「!? 」

「これは!? 」

 見回すと、工場の壁も、街灯もすべてプラスチック製に塗り変わっていた。まるで一分の一のチープな玩具の町だ。

 これは、魔女、あるいは使い魔の結界。

 工場に巣くっていた魔女か使い魔が、その力を解放したということは。

「レイカさん!? 中の人が!? 」

「……くっ!? 」

「まあ、こんくらいにしといてあげるよ」

 慌てふためくきりえとレイカとは逆に、芽衣は素早く後方に跳躍していった。

「獲物を取られた腹いせにはちょうど良かったよあんたら。 それから」

 飛びすさりながら芽衣は、みおみに向かって満面の笑みを浮かべた。

 とびきり残忍で冷酷な嘲笑を。

「みおみお姉さま♪ 今度遊びに行くから。楽しみに待っててね♪」

 やがて芽衣の姿が見えなくなった。結界から離脱したのだろう。

「……!? 」

 レイカは再びキュゥべえを睨みつけるが、その横にいるみおみの姿を見直し、工場を振り返った。

「……行きますわよ、きりえさん」

「……はい」

 覇気に欠ける声音ではあったが、例え聞いた真実が衝撃的でも魔女は放っておけない。

 考えることを無理矢理後回しにした二人は、今やプラスチック製となった世界の工場の中に駆け込んでいった。

 

 それを見送って、みおみは思わしげに、微かに眉をしかめていた。

 

 




◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 

「わたし、芽衣ちゃんとお話ししたくて」

第6話 少し遊んでこうよ

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 


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第6話 少し遊んでこうよ

 これほど寂寥感を感じた朝があっただろうか。

 

「……」

 朝の教室で、みおみは空のきりえの席を見つめていた。

 次いで、同じく無人の芽衣の席を。

「……」

 ここ数日、顔を合わせては部活動の勧誘をしていたレイカとも、今朝は会わなかった。

 時は既に朝礼直前。

 やがて入室してきた担任教師が追い払うようにして皆に着席を促し出欠確認を取り始めた。

 その後の連絡事項で。

 きりえが体調不良で休むこと、芽衣の不在をいま初めて知った担任にもまだ芽衣から連絡がないことを告げられた。

 

 昼休みになっても芽衣は来ることはなく、きりえがいない為、みおみは別のクラスメートと机を並べて弁当を広げていた。

 この辺りはグループの心の垣根すら自然に下げさせてしまうみおみの持つ不思議な雰囲気によるもので、特にこの場の誰もが疑問を感じることなくごく自然にみおみのいる状況に溶け込んで談笑していた。

 もっとも、みおみも本来の調子とはいかなかったが。

 昨夜見せられた魔法少女同士の苛烈な戦い。そして語られた魔法少女の残酷な真実と、打ちのめされた顔のきりえとレイカ。死体すら武器に使った芽衣の変貌。

 工場に巣くっていた使い魔はきりえとレイカで撃退することができたが、事態は一同に深刻な影響を及ぼしていた。

(きりえちゃんと、志摩先輩、大丈夫でしょうか……?)

 レイカはそもそも今日学校に来ているのかどうかも分からない。 ただ、昨夜、打ち拉がれたきりえの背を支えてみおみと共に自宅まで送り届けたのはレイカだった。

 さすが巨大資産家の綾名家の敷地は広大だったが、玄関までの道のりの長さは昨夜に限っては酷い仕打ちだった。

「……ごめんなさいね」

 去り際に、レイカは力無い笑顔でみおみに謝った。

「こんなものに、あなたを巻き込もうとしたこと。 あなたは魔法少女にならなくて、本当に良かった」

「きりえちゃんは……」

「もちろん、契約してしまったことは当人の責任ですし、こんな重要事項を隠匿していたキュゥべえには然るべき報いを受けさせねばなりませんわ」

 その時は、いつの間にかキュゥべえの姿はなかった。

「わたくしは大丈夫。……きりえさんにも、いずれ心の折り合いをつけてもらわなくてはなりませんわ。その為にも、今は落ち着いて休息してもらわなくてはなりません」

 レイカは、きりえを迎えに門まで出てきた家人にきりえの不調を伝え、明日は休むことを勧めていた。

「いずれわたくしときりえさんとで、今後どうするのかを話し合います。みおみさんは、どうかこのまま日常に戻って」

 そうして昨夜はふたりと別れたのだ。

 そして、もう一方の芽衣。

(……芽衣ちゃん、なにがあったんでしょう……?)

 去り際の芽衣の悪意溢れる嘲笑よりも、何故そうなってしまったのか、これまで音信不通だった空白の期間の中で何が起こったのか、その原因に遭った芽衣のことをみおみは心底心配していた。

 それどころか、芽衣の嘲笑すらそれを「悪意」だとは認識していなかった。

『暢気なものですわね。みおみさん』

「はい?」

「……でさあ。って、由貴さんどうしたの?」

 突如脳裏に響いてきた声に応えたみおみの声に反応したのは、隣で談笑するクラスメートだった。

「ああ、いえ、志摩先輩が何かお話があるみたいで」

「は?」

『お黙りなさいこの唐変木!?』

 再び脳裏に突き刺さる勢いで飛び込んできたレイカの絶叫に、みおみは思わず両耳をふさいだ。

 隣のクラスメートはきょとんとするばかりだ。

『あああもう!? 耳をふさいでもテレパシーは遮れませんわ!? というか、これはいま遠話の魔法で話しかけていますから、あなたにしか聴こえてませんの! 声に出して答えてもあなたが周りから変に思われるだけですのよ!? 』

「ええと、そんなこと言われましても」

 とうとう謎の電波と交信を始めてしまったらしき「不思議さま」を、同じ机を囲むクラスメートが曰く味のある顔で見つめていた。

『口も喉も動かさずにしゃべる真似をする心地で思考するのがコツですわ』

『こうですか?』

『よろしい』

 唇を引き結んでどうにかテレパシーの体裁を整えたみおみは、両耳をふさいだまま宙を凝視して続けた。

 突然しかめっ面の埴輪の真似に移行したみおみを、やはりクラスメートのきょとんとした顔が見つめていた。

『……御崎 芽衣は、来ていませんのね?』

『はい。 先生のところにも連絡がないって言ってました』

『そう』

 そこでいったん言葉を区切ったレイカは、ややあってから怪訝な声で続けてきた。

『それからみおみさん。こちらからはあなたの姿が見えないのですけれど、お話の相槌に、いちいちうなずいていたりはしませんわよね?』

『ええと、してると思います』

『……おやめなさい。電波を受信しているようにしか見えませんから』

 きりえとそっくりの溜め息混じりの声音でぼやかれ、みおみは周囲の奇異の視線に気付いた。

『そう言えば、よくわたしが耳をふさいでるってわかりましたね』

『なんとなくよ』

『……あのう、志摩先輩。ケータイに替えません?』

『万が一誰かに聞かれてはまずいお話ですので、声に出す手段は一切却下です。 それより急ぎ伝えたいことがありますの。うなずいたりしないでお聞きなさい』

 うなずきかけたみおみはぴたりと身動きを止めた。

『御崎 芽衣にはお気をつけなさい。 覚えているでしょう?昨夜の彼女の去り際の台詞』

『はあ』

『わたくしも彼女に用がありますの。ついでにあなたの周辺を警戒していますから、安心なさって』

『え?どうしてですか?』

『……』

 レイカが沈黙した。みおみはレイカと違って芽衣を危険だとは認識していないのである。

『あの御崎 芽衣にお姉さま呼ばわりされているあなたとあの娘の関係は良く存じませんけれど、彼女はいずれ、あなたに危害を加えるつもりよ』

『なんでですか?』

『さあ。知りませんわ。 でも、御崎 芽衣はあなたにご執心の様子ですから、いずれ姿を現すでしょう』

 テレパシーなのに咳払いの声まで聴こえてきた。

 軽く苛立ちの混じった調子で続ける。

『……みおみさん。バラバラの死体を攪乱に使った御崎 芽衣に対して、何か思うところはなくて?』

『亡くなられた方にはお気の毒ですけど、どうして芽衣ちゃんがそんなことをするようになったのかには、興味があります』

『……そう。テニスの素質だけでなく、度胸も据わってますのね』

 レイカが溜め息を吐いた。

『仮にそれを知ったところで、どうなさるつもり? 御崎 芽衣を真人間に戻すとでも言うの?』

『良くないことは、やめて欲しいなとは思いますけど』

『あなたも聞いたでしょう?魔法少女の真実を。 一度始めたら後戻りできないの。御崎 芽衣は、決して止まらないでしょう』

『きりえさんの様子は、いかがでしたか?』

 唐突に内容の異なる問いを挟まれ、レイカの声が途絶えた。

 やや戸惑いがちに声が復帰する。

『……今朝もテレパシーでお伺いしたんですけれど、芳しくありませんわね』

『志摩先輩、言ってましたよね? 心の折り合いをつけて、これからどうするかを話し合うって』

『魔法少女の件に関しての時は、名前で呼んで下さって構いませんわ。 ……で、それがどうかしましたの?』

『芽衣ちゃんも同じです。魔法少女でもなんでも、これからも生きていかなくちゃいけないんです。それなのに、あんなひどいことを続けていても、辛いだけです。だから、芽衣ちゃんに何があったのか、わたしは聞きたいと思ってます』

『みおみさん。魔法少女の世界は、生きるか死ぬかの戦いの世界ですの。一度その世界に足を踏み入れた御崎 芽衣に、そんな平和な日常世界の話は、もう通用しませんわ』

『それを判断するのは、わたしだと思いますけど』

 茫洋とした調子で頑なに主張を続けるみおみに対し、レイカの沈黙にはどこかぴりぴりとした苛立ちが渦巻いていた。

 やがて溜め息の音と共に応える。

『……結構。 まあいずれにせよ、わたくしの行動方針は変わりません。あなたも、御崎 芽衣を説得するおつもりだとして、相手はいきなり攻撃してくるかもしれないということを忘れないでくださいね。 もっとも、わたくしもなるべくみおみさんから目を離しませんから』

『はあ。よろしくお願いします』

『交信終了』

 それきりレイカの声が途絶えた。

 ケータイと違って通話のオン・オフの区切りがない為、みおみは両手を耳から離しても、ふた呼吸ほど虚空を眺めて声がしないことを確認してからようやくお弁当に向き直った。

 そして何事もなかったかのように食事を再開する。

「……あの、由貴さん?」

「ふぁい?なんれすか?」

 ずっと呆気に取られていたクラスメートが怪訝に訊くも、みおみはごく普通にもぐもぐと返事した。

「ええと……その、妖精さんから電波でも受けてたのかな?」

 クラスメートの指す疑問が、先ほどのテレパシーのことだということはすぐに分かった。

「いいえ? レイカさんからの連絡でしたよ?」

「……ああそう……」

 みおみが箸を運んでいる間に、クラスメートたちが顔を寄せ合って何事かこそこそと話し出した。

 そう言えば最近、三年生の志摩 レイカがみおみに執心しているという噂を彼女らも聞いている。

 この後、一部の生徒たちの間で「志摩 レイカも実はみおみと同類か?」という噂が流布し始めた。

 図らずも、みおみの「異常事態を異常だと認識せずに全て受け容れてしまう特性」のせいで。

 

 

 きりえは暗闇に包まれた部屋の中でベッドの中にうずくまっていた。

 今朝早くに改めて不調を訴えたきりえは、慌てた父親によって綾名家お抱えの医師の診察を受けさせられ、ありもしない病気の為に栄養剤のみを投与されて再び自室に戻った。

(……医者でもおかしいと思わない!? 本当に、私の身体は……魂は……!? )

 結局、父親が手配した医師の診断結果も、昨夜の御崎 芽衣の発言がもたらした恐怖を後押しするものにしかならなかった。

 毛布の中で、きりえは指輪から元の卵形の宝玉に変換したソウルジェムを手のひらに取り出して見つめた。

 布団の中が、緑色の灯りに照らされる。

(……私は……!? )

 緑の灯りを呆然と照り返すきりえの顔には生気がなかった。

『どうしたのさ、きりえ。 学校には行かないのかい?』

 跳ね起きたきりえは枕をひっ掴んで投げつけた。

 ろくに見当も付けずに投げつけられた枕は何も無い壁にぶつかって床に落ちた。

 そこから離れた机の上に、キュゥべえの姿があった。

「……あんた……よくもノコノコと……」

 毛布をはぐり、押し殺した声音できりえは床に降り立った。

 怒りとも悲しみともつかない、崩壊寸前の非常に均衡の危うい形相で。

「なによこれ!? 私、ちっとも幸せになってないじゃない!? なおさらひどくなってるじゃない!? 」

『でも、君の願いは間違いなく叶っただろう?』

「ッ!? 」

 あくまでも朗らかに言うキュゥべえの言葉に、きりえは詰まった。

『奇跡は間違いなく起きたじゃないか。契約通りだろう?』

「……こんな身体にされるだなんて、聞いてないよ……?」

『ボクは「魔法少女になってくれ」って、きちんとお願いしたよ? そりゃ細かい説明は省略したけど、でも、これまで何の不都合もなかったじゃないか?』

「最初に聞いてたら、私は絶対に契約なんかしなかった!」

『御崎 芽衣は、自分であのことに気付いた上で、それを受け容れたよ? 御崎 芽衣にできたことが、どうしてきりえにできないんだい?』

「あんな性悪のバカと一緒にしないでよ……!? 」

 立ち上がったものの、底冷えのする恐怖と平衡を狂わす怒りで一歩も前に進めない。

 だが、きりえはそれでも別に構わないと思った。

「……こんな契約、無効よ。私はもう魔女とは戦わないから」

 そうだ。もうやめてしまえばいい。こんな怖くて辛いばかりの魔女退治など、昨夜現れたあいつらのような凶暴な連中に任せておけばいいのだ。

 そう思って捨て鉢に叫んだが、意外なことにキュゥべえはあっさりと首肯した。

『それがきりえの判断なら、ボクが口出しすることではないね』

「じゃあ、」

『でも、一度履行された契約内容を元に戻すことは不可能だ』

「……え……?」

 言われたことが理解できず、きりえは訝しげに首を傾げた。

「な……によ、私はもう、戦わないって言ってんの!」

『うん。別に構わないんじゃないかな』

 机の上のキュゥべえは可愛らしく小首を傾げた。

『きりえが魔法少女であることが肝要なんだよ。だから、無理に戦う必要はないよ』

「その魔法少女を辞めるって言ってんのよ!」

 とうとう怒鳴りつけるも、キュゥべえはなんらたいした反応を見せなかった。

 それどころか。

『それは不可能だ』

 きりえの想像だにしないことを、言った。

『さっきも言ったよ。一度履行された契約内容を元に戻すことは不可能だ』

「…………!? 」

『ねえきりえ。 きりえは、出された料理が気に入らないからって返したとして、消費された食材が元の形に戻ると思うかい?』

「……っ!? 」

『仮にそれが可能だとして、そうしたらきりえは、「食材を調理する契約」の次に「調理された食材を元に戻すお願い」が必要になるよね?』

 それは、つまり。

『「魔法少女を辞めてただの人間に戻りたい」という願いがあったとして。その奇跡の代価をきりえはもう持ってないだろう? きりえの魂は、もう支払われてしまった』

 ソウルジェムは、契約の成れの果て。

 もう、元には戻れない。

 成された奇跡は、そのまま在り続ける。

「…………!? 」

 自身が床に崩折れたことに、床に手をつくまできりえは気付かなかった。

『仮に代価があったとしても、ボクのお願いは「魔法少女になって欲しい」だから、やっぱりただの人間に戻ることは不可能だ』

 滔々と語り続けたキュゥべえは、やおら机から床に飛び降りた。

『さて。きりえが戦うことを辞めるとすれば、ボクとしてもお役目の為に、ほかの娘の所に行かなくてはいけない。 短い間だったけど、楽しかったよ』

「……由貴さんの所に行くの?」

 傍らをとことこと通過するキュゥべえに、きりえは暗い声で問いかけた。

『そうだね。あれほどの大きな素質を持っているなら、お願いしない訳にはいかないな』

「……なんなの?その素質って。 そんなに凄いなら、どうしてキュゥべえは私じゃなくて、先に由貴さんの所に行かなかったの?」

 続くきりえの言葉に、なぜかキュゥべえが歩みを止めた。

『……なんでだろう。ボクにも良く分からない』

「なによ、それ」

『でも、順番は間違っていないよ? きりえが魔法少女になった後に、突然みおみに魔法少女の素質が現れたんだ』

「……!? 」

『じゃあね。きりえ。 もっとも、学校でまた会うと思うけど』

 きりえの怪訝な気配にも頓着せず、キュゥべえは暗闇に溶けるように部屋から出ていってしまった。

 ドアも何も開閉せずにいったいどうやって姿を消したのかにまで気を配る余裕は、きりえにはなかった。

 

 

「……ふん。学校を無断欠席しておきながら、おめおめと真正面から来ましたわね」

 校舎の屋上から、人気のない道を歩いて学校に迫る御崎 芽衣の姿を発見したレイカは冷たい眼差しで呟いた。

 どういうつもりか、学校の制服ではなく私服姿だ。

 昨夜の言葉通り、由貴 みおみに用があって来たのだろう。

「そうはいきませんわ。 みおみさんの矜持を無下にしてしまうことになりますけど、やはり危険な魔法少女は生かしてはおけません」

 言って、変身する為に指先に摘み上げたソウルジェムを振りかざしたところで、ソウルジェムが見覚えのある輝きで瞬いた。

「!? 」

 それは、魔女出現を感知したサイン。

「こんなタイミングで……!? 」

 忌々しげに反応の方角を振り向いたレイカは、いつものようにきりえに救援を頼もうとして取り出したケータイを握る手を止めた。

 きりえは今、まともに戦える状態ではない。

「わたくしだけで行くしかありませんわね……!」

 レイカはちらりと御崎 芽衣を見下ろした。

(場合によっては、あの娘が介入してくるでしょうね。)

 魔女を倒す目的は同じだが、その後手に入るグリーフシードを横取りする為に、介入してくるとすれば魔女もろとも巻き込む攻撃を仕掛けてくるはずだ。

 互いに油断ならない戦力である相手をアテにしなくてはならないという悪状況に、レイカはこれまで培った経験から想定される横槍とその対処を検討しながらソウルジェムが示す魔女の反応地点へと向かって行った。

 

 

 委員会の仕事で遅くなったみおみは、世界が夕焼けに染まるこの時間になってようやく帰宅するところだった。必要な買い物は昨日済ませてあるので問題はない。

 部に所属している生徒は、まだ活動中であろう。運動部のかけ声も聞こえてくる。 そうでない生徒は、とっとと帰ってしまっている。

 だから中途半端なこの時間帯に昇降口から正門への道を歩いているのは、今はみおみだけであった。

 他に誰もいない。

「みおみお姉さまっ♪」

 そこに、不意に声をかけられて、みおみはそこの並木を振り向いた。

 樹木の陰にいたのは、御崎 芽衣であった。

「あ! 芽衣ちゃん!」

 みおみは満面の笑顔で名を呼び返した。

「どうしたんですか?今日は。 大丈夫なんですか?」

 正門まで舗装された道路を逸れ、土が露出した大木の元までとことこと歩いてゆく。

 芽衣は、昨夜見た水色のバレリーナのような魔法少女の衣装を纏っており、その上から大きなサイズのジャンパーを羽織っていた。

 水平に広がったスカートが隠れ切れておらず、非常にアンバランスな出で立ちであるが、芽衣もみおみも気にしていない。

 その芽衣は、薄い笑みを浮かべていた。

 みおみには、それが「酷薄な嘲笑」に見えていない。

「でも、来てくれて良かったです。わたし、芽衣ちゃんとお話したくて」

「アタシも、みおみお姉さまに用事があるんです!」

 発言に頓着せず、芽衣が跳ねるようにみおみの前に歩み寄った。

「はい。一緒に、おしゃべりしながら行きましょう」

「ねえ、みおみお姉さま! 少し遊んでこうよ!」

 ところが、芽衣はみおみが促すのを無視して片腕を振りかざすと、昨夜見た水色の巨大なリングを上から振り下ろしてきた。

 それは、みおみの肩幅をゆうに越える直径。

 円を境に、その中は夕焼け空ではなく暗闇となっている。

「はい?」

「いいトコ連れてってあげますから!」

 芽衣の言葉と行動の矛盾に怪訝に小首を傾げているうちに降り下ろされたリングの暗闇を被せられ、視界が全く利かなくなったと見た次の瞬間にはみおみの意識は完全に途絶えてしまった。

 

 




◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 

「お願いっ! もう嫌なの!? もう耐えられない!」

第7話 何もかも 元に戻して

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 


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第7話 何もかも 元に戻して

 顔面を砕かれて失った女性型の石像が、関節毎に砕けた腕脚を、かろうじて繋いでいる針金を屈曲させて歪な四肢を蠢かせレイカに迫る。

 

 

 これなるは「お化粧」の魔女。その性質は「見栄」。

 

 

 女性型に見えたと言うのもレイカの主観に過ぎず、まるで土偶のように極端に湾曲してくびれた腹部と胸部の丸い突起からそう類推しただけである。

 結界の中は鏡の抜けた無数の鏡台と不自然に大きなコスメボックスが石畳のように積み上げられて起伏のある大地と成し、辺りを虫のような脚を生やしたパフやコットン、ブラシといった形状の「試供品」の使い魔が跳ね回っている。

「……!」

 レイカは「お化粧」の魔女を遠巻きにしながらコスメボックスが積み上がった丘を駆け抜け、時折飛びかかってくる「試供品」の使い魔をオレンジの魔法球で、あるいはラケットで迎撃していた。

 普段とは勝手が違う。

 いつも共に戦っていたきりえがおらず、いつ乱入してくるか分からない悪辣な魔法少女を気にしながらの戦闘は、思いの外レイカの神経を磨り減らした。

 レイカの「空間掘削」の魔法球は、一度に一個しか放てない。防御無視の強力無比な攻撃力と引き替えに、大量の魔力を圧縮した結果であるからだ。

 普通に遠くから狙撃してやれば呆気なくカタが付くのだが、魔法球が遠くを飛翔している間レイカは攻撃手段を失ってしまう。 そこを御崎 芽衣に狙われると厄介だ。

 魔法球がすぐに旋回して戻ってくるよう至近距離に迫る手もあるが、そうするとまた昨夜のように超巨大ダンプトラックで魔女もろとも潰されかねない。

 だからレイカは「お化粧」の魔女の周りを駆け回り、起伏のある地形の中で最も適した場所を探していた。

(すれ違いざまの一撃離脱!)

 それがレイカの出した答え。

 魔女に致命の一撃を叩き込んだあとの逃げ道が拓けるまで、レイカは地形を探り駆け回り続ける。

 

 

「……!? 」

 まるで被せられていた巨大なカゴを開けられたかのように。

 突如、下から上に広がった光にみおみは目を瞬かせた。

 校門の手前で芽衣に巨大なリングを被せられた次の瞬間には、屋外にいたはずのみおみと芽衣は、どこかの建物の中にいたのだ。

 みおみに被せていたリングを頭上に持ち上げた体勢の芽衣は、そのまま二、三歩ほど下がってみおみを見下ろした。

 いつの間にかぺたんと腰を下ろしていたみおみは、周囲を見回した。

 まさに魔法。一瞬で違う場所に移動してしまったことにみおみは素直に感心していた。

 どこかの倉庫だろうか。用途不明の什器とうず高く積み上げられた段ボール箱の山。それらのおかげで遙か高みにある天井の蛍光灯の灯りを遮られたここは少々薄暗いのが難点だ。

 そしてここにはみおみと芽衣のほかにも人がいた。

「さあ。こいつ好きにしていいよ」

 芽衣の言葉は、みおみにではなく、周囲を取り囲む大勢の少年たちに向けられたものだ。

 みな一様にだらしない姿勢と濁った目つきでみおみのことを睨め付けている。

「あら。こんにちわ」

 その少年たちを見て、みおみは座り込んだまま朗らかな笑顔で挨拶した。

「……!? 」

 言われた少年たちは、粘っこい視線を次々と怪訝の色に塗り変えて互いを見合い、やがて少年たち全員が芽衣の方を向いた。

「どうしたの? まさか今さら怖じ気付いたワケ?」

「……いや……」

 顔を見合わせた少年たちのリーダーが、怪訝な顔のまま芽衣に向き直った。

「ちょっと待てよ。「久那中の不思議さま」だなんて聞いてねえぞ!? 」

「は? 」

 今度は芽衣が怪訝顔になった。

 みおみには少年たちに見覚えがあった。

 かつて帰り道で少年らが集まっているところを通りすがった際、最初の経緯は忘れたが、話しかけられてそのまま楽しくおしゃべりしたことのある「お友達」たちだったのだ。

 同じ経緯を少年たちの視点で語られた芽衣は頭痛を堪えるように頭を押さえて目をつぶった。

「……このお姉さまは……!? 」

「あんたナニがしてえんだかさっぱ分かんねえけどよ。さすがにダチはヤれねえぜ?」

 しばらく、奇妙な沈黙が室内を覆った。

「あのさ。このままどっか遊び行かねえ?」

 やがて、少年たちのうちの誰かがおずおずと提案したのを皮切りに、皆が口々に乗り始めた。

「あーもー完ッ全に萎えたわ。つーかヒくわ」

「「不思議さま」はさすがに無ぇなあ?」

「ちょうどイイじゃん、いつか一緒に遊び行きてえって思ってたんだ!」

「はは!それいい!」

「あのー。でもわたし、家事とかー」

「少しだけ! な?少しだけだからさ!」

「ちょっと駅裏のあそこ電話しとけよ、スペース取られんなって」

 そうか芽衣ちゃんはみんなと遊びに誘ってくれたのかとみおみが理解したところで、

 

 ぼぎんっ!

 

 突如響いた鈍い破砕音と苦悶の絶叫に全員が身動きを止めた。

 芽衣が持っていたリングで少年のひとりの脚を、大腿部を殴り付けたのだ。

 宙に浮く勢いで壁に激突し床に崩折れて泣き叫んでいる少年の押さえた太股は、付け根とひざの中間辺りで有り得ない角度に折れ曲がっていた。

「……ふ ざ け ん じゃ な い わ よ……」

 ゆらり、と芽衣が青白い無表情で見上げた。

 それは年頃の少女にあるまじき凄まじい殺気を纏っていた。

 リーダー格と数人はそんな芽衣をも睨み返していたが、他の少年たちは完全に怖じ気付いて後退っている。

「アタシは、連れてきた女を犯れって言ったのよ!? なに暢気な顔で遊ぶ算段なんか立ててんの?」

「おいテメエいい加減にしろよ」

 少年も負けずに言い返した。

「こちとら楽しきゃいいけどよ、犬コロみてえに来た女すぐ喰えとかバカにし過ぎだろ!? 」

 仲間の何人かが、手元で金属色の閃きをかざした。折り畳み式のナイフだ。

「おいマサキ、「不思議さま」連れて逃げろ」

 リーダーの指示で一番端にいた最年少の少年がみおみの元にやって来た。

「こっち」

「あ」

 少年がみおみの手を取って立ち上がらせる。

「セージ、ちょっと待ってろ。ここじゃサツもなにも呼べねえからな」

 脚を折られた少年に告げると、リーダーの手振りで各々凶器を構えた少年たちが芽衣を囲んで散開した。

 その間にもみおみは少年に手を引かれて彼らの後ろを回り込んでゆく。

「あ、あの~、ケンカは、よくないですよ?」

「アンタはこんな時になに言ってんだ!? 」

 なぜか剣呑な雰囲気になった一同に言ってみるも、手を引く少年から呆れた声で遮られた。

「……ああ、そう」

 完全に敵対した少年らに向かって、芽衣は呆れた顔で巨大リングを肩に担いだ。

「犬ほども役に立たないんじゃ、殺すしかないよね。 魔女の餌にもちょうど良いしね。 キュゥべえ!」

 芽衣の虚空への呼びかけで、段ボールの山の上にキュゥべえが座っているのをみおみは発見した。

 ただし、キュゥべえの姿はこの場では芽衣とみおみにしか見えないはずである。

「ちょっと計画変わったけど、別にいいよね?」

『うん。構わないよ』

「やっぱテメエ、イカレてるぜ!」

 朗らかにうなずくキュゥべえの台詞が聴こえない少年らは、芽衣を異常者だと断定したらしい。リーダーの罵声と同時に少年たちが殺到した。

「あの!? 」

 それを止めようとみおみは声を上げたが、今さらそんなものは届かない。

 少年に手を引かれるまま歩くみおみは、そこに予想通りの展開を目にして痛ましげに眉を顰めた。

 魔法少女に変身した芽衣の腕力は尋常ではなかった。

 それなりに鍛えているであろう少年の大腿骨を、リングなどという不安定なものでへし折った芽衣の膂力は襲い来る少年らを片っ端から薙ぎ払って見せた。

 幸いみおみの手を引く少年は背後を振り返らず真っ直ぐ前を向いているので惨状を目撃せずに済んでいる。

 どうしたものかと思案しているそこに、段ボールから飛び降りてきたキュゥべえが床を横に並んで歩きながらみおみにテレパシーで話しかけてきた。

『やあみおみ。立て込んでいる最中に悪いんだけど、君にお願いがあるんだ』

 後方で起きている惨劇などないかのようにキュゥべえは語り出した。

 みおみも、思考の中で応答する。

『ええと、本当にお取り込み中なので、あとにして欲しいんですけど』

『ボクと契約して、魔法少女になってよ! ボクは君の願いをなんでもひとつ、叶えてあげる! その代わり、みおみには魔法少女になって欲しい』

『キュゥべえさん、あなた……!? 』

 さすがにみおみにもキュゥべえの目論見が理解できた。

 それどころか、余りにも露骨過ぎる。

『どうだろう。芽衣が言っていたんだけど、差し当たって急ぎの用事がみおみにはあるらしいね?』

「……!? 」

 黙り込んだことで、芽衣のいる所から罵声と鈍い打撲音がよく聞こえてくる。

 少年たちの中には鉄パイプを持った者もいたはずだが、芽衣の悲鳴は一度も聞こえてこない。

『……キュゥべえさん。わたしが魔法少女になると、キュゥべえさんにはそんなにメリットがあるんですか?』

『へえ?』

 歩きながらこちらを見上げるキュゥべえの表情は相変わらず知れないが、脳裏に響いてきた声は感嘆の意図に溢れていた。

『そこに人間が気付くことは、実に珍しいことだよ! みおみ。君は人間としては非常にに優秀だね!』

『あるんですね? 魔女をやっつけることとは関係ない、キュゥべえさんにとってのメリットが?』

『……!』

 みおみの断定に、今度はキュゥべえが沈黙する。

『やれやれ。みおみは優秀だ。優秀過ぎる』

 溜め息を漏らしながら、キュゥべえは歩きながら頭を振った。

『……だったらもう分かるだろう? それにタダでとは言ってない。ボクは儀式的に候補者の願いをひとつ、叶えてあげなくてはならないんだ。だから、ものはついでと思って望みを言ってごらんよ。芽衣が、あそこの人間たちを一掃してしまう前に』

『その必要はないよ』

 突如テレパシーに割り込んできた声と共に、この倉庫のような建物の入り口のシャッターがまるで地震でも起きたかのように小刻みに震えて、真ん中に四角い穴を開けた。

 そこに現れたのは、草原妖精のような緑衣を纏った魔法少女・綾名 きりえだった。

 水平に構えたフルーレで、その高速の刺突でシャッターに人がくぐれる大きさの四角のミシン目を描き、突き破ったのだ。

 床に激突したシャッターの切れ端が、がしゃあんと耳障りな騒音を立てた。

 反響する騒音に、芽衣を中心とした喧噪が一時止まる。

「きりえちゃん!? 」

 喜色を上げてみおみが呼びかけるも、きりえは暗い眼差しで奥の芽衣を睨み付けたまま、一歩、倉庫の中に入った。

 既に少年たちの中で立っているものはいなかった。

 それぞれ身体のどこかを押さえて呻く少年たちの中でつまらなそうに立っている芽衣が、実に白けた顔できりえを迎えた。

「綾名 きりえ。 何の用? どうしてここが分かったのかな? ……アタシ、見透かされんのは大ッ嫌いだって、言ったよね?」

「うるさい」

 淀んだ瞳できりえが一蹴した瞬間、唐突に芽衣の姿がボタンに変じて消失した。

 それと同時にきりえが身を翻して倉庫の外に駆け出してゆく。

 事の異常に飽和して立ち尽くす少年を置いて、みおみも外に駆け出した。

 出てみると、ここは入り組んだ場所で、細い路地の彼方に車の往来が辛うじて見えるような奥まった場所だった。

 その路地を駆け抜けながら、きりえがボタンを遠くに投げては芽衣の身体を次々と転移させてゆく。

車が往来する車道の方へ。

「きりえちゃんっ!? 」

 きりえのやろうとすることに見当が付いても、今のみおみには止める手だてがない。

「ってっ!? てめえ!? 」

「とりあえず、消えろっ!」

 最後の宣告と共に、路地の外の県道を高速で走るトラックの前に投げ込まれたボタンと配置を交換させられた芽衣の姿が、巨大な質量のもたらす急ブレーキと激しい激突音と共に見えなくなった。

「…………」

 やがて路地の外に喧噪が巻き起こり、だがそれらを無視してきりえが倉庫の前のみおみの所まで歩いて戻ってきた。

「……きりえちゃん……」

「あんなんじゃ、死にやしないわよ」

 吐き捨ててみおみの目の前に立ち止まったきりえは、無言で変身を解除して私服姿に戻った。

「……!? 」

 そしてやおら崩折れるように座り込んで両手を地面につくと、いや、まるで土下座のように身体を丸めると堰を切ったように嗚咽と共にそれを吐き出した。

 

「お願いっ! もう嫌なの!? もう耐えられない! 」

 

 涙を溢れさせ、きりえがみおみの顔を振り仰いだ。

 

「だからっ!? お願い!返して! 元に戻してえっ!? 」

 

 絶叫し、必死にみおみに懇願する。

 みおみは、わずかに喫驚しながらそんなきりえを見つめていた。

 

「私はもう魔法少女になっちゃったから! だからもう、あんたに頼むしかないの! お願い!あんたが契約して、何もかも元に戻してっ!」

 

 夕焼けの朱とビルの影のツートンカラーに挟まれた矩形の峡谷の底で。

 懺悔を叫ぶ暗闇の中の少女の前で、朱に染まるみおみは黙ってそれを見下ろしていた。

 

 




◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 

「困ってるお友達を、わたしは助けてあげたいんです」

第8話 わたし、魔法少女になります

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 


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第8話 わたし、魔法少女になります

 私はお父さんとお兄ちゃんが大嫌いだった。

 

 お母さんが死ぬまでは、普通に仲の良い家族だった。

 なのにそれが、お母さんが事故で死んでから跡形もなく壊れてしまった。そういうふうに感じた。

 当時はとても悲しくて、家族全員が、ひとり欠けたことの喪失感に苦しんでいたと思う。

 でも、生き残った私たちは生活を続けていかなくてはならない。そんな当たり前のこともちゃんと分かっていたつもりでも、朝遅く夜遅い仕事で家族とまともに関わらないお父さんも、女遊びに明け暮れるお兄ちゃんも、全部ぜんぶ嫌だった。まるでお母さんが忘れられていくみたいで。

 その上、生活の上でお母さんが欠けた穴を誰かが埋めなくてはならないという、これまた当たり前の問題が私の前に立ち塞がった。

 家事の一切を、私ひとりに押しつけられたのだ。

 お父さんもお兄ちゃんも、もういい歳の大人だ。ご飯くらい自分でなんとかならないのか。そう問うても、外食は意外と高価だということをこの時初めて知った。一食いくらだとしてそれを一ヶ月分、計算した私もさすがに顔が青くなった。

 洗濯、掃除、それから炊事。学業の上に慣れない仕事が重なって、私はたいして経たずにふらふらになってしまった。

 お母さんが死んだのは悲しかったけど、もうそんなことが考えられなくなるくらい私の心は疲弊して荒んでいった。

 だからろくに顔も合わせられない、なんの為の家族なのか分からないお父さんのことも嫌いになったし、どこかのいやらしい女を部屋に連れ込んでそういうことをしているお兄ちゃんも穢らわしくなって顔も見たくなくなった。

 そんな嫌な家族の為の家事など、まともになんてやってられない。

 洗濯は当然私のものと、それ以外とを分けてやったし、掃除は端まで行き渡らなくなったし、ご飯もだんだん適当になっていった。

 お父さんもお兄ちゃんもたびたび文句を言ったけど、私だって疲れてるし嫌だから、だからその度に喧嘩になった。

 お父さんは途中で引いてくれるけど、お兄ちゃんとの仲はどんどん悪くなってくばかりだった。

 

 そして学校に行けば、親に甘えて好き放題しているクラスメートや他の生徒を嫌でも見なければならない。

 そんな学校にいるのも嫌だった。

 お母さんが死ぬまでは、テニス部に入っていた。玉拾いと初歩の素振りだけだったけど、憧れの存在の近くにいたくて始めたことだったから苦にならなかった。

 当時から久那織中テニス部のエースと目される輝かしい活躍をしていた志摩 レイカ先輩と、それに並ぶ実力を持つクラスメートの「綾名」 みおみさんのハイレベルなラリーの応酬は心躍らされるものがあり、二人とも私の憧れだった。いつか、ああなりたいと願って部活動を頑張っていたのに。

 私はテニスの練習すらできなくなってしまったのだ。

 だから家のことで辞めざるを得なかったテニス部の活動は、見たくても見れない、羨望と嫉妬の象徴となってしまった。

 羨ましかった。妬ましかった。

 特に同じクラスの綾名 みおみさんの存在は、近しいが故に急速に疎ましく感じるようになった。

 金持ちの家の娘で何不自由ない暢気な生活を送っているだろうと思うと憎しみすら涌いてきた。

 なんでもそつなくこなしてしまう見境のない高い能力を持ちながらそのことを自分で自覚しておらず、そのくせおっとりした腑抜けた顔で相対する者の心の垣根を溶け崩してしまう不思議な魅力まで兼ね備えていた。

「きりえちゃん! おはようございます!」

「きりえちゃん! 一緒にお弁当食べましょう!」

「きりえちゃん! 途中まで一緒に帰りましょう!」

「きりえちゃん!」「きりえちゃん!」「きりえちゃん!」

 屈託無く話しかけてくる綾名 みおみさんを、それなのに私もなぜか振り払うことができなかった。

 どんなにつっけんどんに文句を言っても、なぜかいつの間にか彼女のペースに墜ちているのだ。

 私の不満と怒りも知らないで……

 

 不公平だ。

 どうしてこいつはこんなに無条件で幸せを甘受しているのに、私だけ煤けたおばさんみたいな生活で苦しまなければならないのか。

 激しい怒りと憎しみで、もう何も訳が分からなくなってきた。

 その時だ。

 ある日私は魔女の結界に巻き込まれた。

 今にして思えば、その荒んだ心の隙を突かれたのだろう。

 そしてそこに颯爽と貴族の猟師めいた格好の魔法少女・巴 マミさんと、あの白い生き物が現れたのだ。

 

『やあ。驚かないで聞いて欲しい。 ボクの名前は、キュゥべえ! そして、彼女はあの魔女を狩る者、「魔法少女」さ』

 

 キュゥべえは、実に可愛らしい様子で跳ねるように小首を傾げて自己紹介した。

 

『ボクは君にお願いがあるんだ。君には素質がある。 だから、ボクと契約して、魔法少女になってよ!』

 

 それはまるで小さい頃観ていたテレビアニメの魔法少女そのものだった。

 不思議なマスコットとの出会いから、少女の世界は一変するのだ。

 輝かしい希望の光を振りまく魔法少女に変身して。

 

『ボクは、君の願いをなんでもひとつ、叶えてあげる! その代わりに、魔法少女になって欲しいんだ!』

 

 素晴らしい。私は選ばれたんだ。

 その時は、不幸な暮らしに差し込まれた一筋の光明に見えた。

 戦闘のあと、マミさんから魔法少女のなんたるかの説明を受けたが、もう私の心は決まっていた。

 願いを叶えてもらって幸せになって、挙げ句「悪者の魔女」をやっつける魔法少女になれるだなんて、最高じゃないか。命懸けも望む所だった。

 だから私は、幸せになる為に行動を起こした。

 後日、綾名 みおみさんを放課後に呼び出して、ふたりきりになったところでキュゥべえに願いを伝えた。

 

「私と、この女の立場を入れ替えて! 「綾名 みおみ」を「由貴 みおみ」に、「由貴 きりえ」を「綾名 きりえ」にするの! 私は、幸せになりたい!」

『……君の祈りは、エントロピーを凌駕した』

 

 そして私は魔法少女「綾名 きりえ」になった。

 運命を塗り変えられた「綾名 みおみ」・今や「由貴 みおみ」はここに来た理由を忘れ、前後の脈絡に若干小首を傾げながらも「由貴家」へと帰っていった。

 こうして私は金持ちの娘の立場を得たのに。

 

「お嬢様。お琴の先生がお見えです」

「お嬢様。茶道のお教室のお時間です」

「お嬢様。華道の先生がお見えです」

 私は愕然とした。

 「綾名 みおみ」の生活は、あの茫洋とした普段の姿からは想像もつかないほど過密なスケジュールを組まれていた。

 当然、いきなりやれと言われて素人の私にまともにできる訳がない。

 ことごとく習い事を失敗してはそれぞれの教師に理不尽に怒られた。

 自分(みおみ)の部屋に入れば、嫌味なほど大量のトロフィーや楯、賞状が飾られている。

 全て書かれている名前が「綾名 みおみ」となっていて一瞬肝を冷やしたが、なぜか誰もかれもがそれらを「私のものだ」と認識していた。誰一人、文字の違いに気付かない。

 だけど、冗談じゃない。

 こんなものの為に、これからもこんな苦労をしなきゃいけないだなんて!?

 これじゃ、なんの為にあの暗い「由貴家」から出てきたんだか分かりやしない!

 

「でやああああああ!」

 鬱憤を晴らすように使い魔を、魔女をやっつけていった。

 「綾名」の家を勝手に抜け出しては、訓練期間としてマミさんと一緒に魔女をやっつけている時だけは「家」のことを少しだけ忘れられた。

 「立場を入れ替える」という願いで発現した私の固有魔法の「二者空間転移」は使いようによってはとても有効な魔法だった。

 効果的な使い方を指摘してくれたマミさんにはいくら感謝してもし足りない。

 やがてマミさんの元から一人立ちして久那織市内の魔女を探索しているうちに、魔法少女のレイカさんと出会い、そして協力するようになった。

 憧れの先輩と行動を共にできることは大きな喜びだったが、それは同時に苦い思いを自ら抉ることでもあった。

 なぜなら。レイカさんは私のことを「テニスのライバル」としても見ているのだから。

 本来その立場であった「綾名 みおみ」さんの存在を、自分で入れ替えてしまったからだ。

 お稽古事と同じ、応えようがない期待の眼差しにさらされても私にはどうしようもなかった。

 魔法少女としてはともかく、部活では隔絶した実力差に挙げ句見放される始末。

 それでも私は「由貴家」に戻りたくなくて、だから「綾名 みおみ」さんにそれを押しつけたくて、頑なに「綾名 みおみ」さんを「由貴さん」と名字で呼び続けていた。自分から「由貴」の字を遠ざけたくて。

 せめてこのまま「綾名 みおみ」さんに全てを押しつけていれば、「綾名家」では成績の不調とお稽古の不手際への小言さえ聞き流して逃げていれば、生活だけは安泰でいられる、そんなことを考えていた。

 

 でも。

 知ってしまった魔法少女の真実。

 こんなゾンビみたいな身体にされて、「やらなきゃいけないこと」に囲まれたこの「綾名家」で誤魔化しを続けて、そして何にもならない魔女退治を繰り返すだけの人生なんて、もう耐えられなくなった。

 ここにも私の幸せはなかったんだ。

 奇跡の力を使って、「綾名 みおみ」さんの人生を捻じ曲げてまで手に入れた立場も、結局私を幸せにはしてくれなかった。

 もう、やめたいんだ。

 

 

「……だから、もう、いやなの……」

 嗚咽混じりに告白するきりえの前に一緒に座り込んで、みおみは黙って話を聞いていた。

 曲がり角の向こうでは数台の救急車が並び、この倉庫の中の、芽衣に怪我をさせられた少年たちが次々と救護士に処置され担架に乗せられては代わる代わる搬送されていた。

 みおみが手配したものだが、きりえの話を聞く為に、自分たちは倉庫の陰に移動したのだった。

「うーん」

 言うべきことを言い切ったらしききりえは、座り込んだまま涙を流し、しゃくりあげている。

 だがみおみには、きりえの話がいまいちピンと来なかった。

 きりえの話が全て本当だとして、なにしろみおみ自身は「由貴 みおみ」として生来から「由貴家」で暮らしてきたと認識している。母が亡くなった時の悲しみは、今でも鮮明に思い出せる。

 それに、きりえの中の「由貴家」像とみおみが感じる家族の関係もまるで異なっているのも奇妙だった。

 みおみは「綾名家」のお嬢様の暮らしがどういうものかは知らないが、きりえがここまで嫌がるとは、そうとう大変なのだろう。

 だとして。

「……ねえ、きりえちゃん。 もし今のお話が全部本当だとして、それで、もしわたしがキュゥべえさんと契約して、入れ替わりを元に戻すお願いをしたとしたら、きりえちゃんは嬉しいですか?」

 小首を傾げて問いかけるも、きりえは涙を流したまま目を逸らしてうつむいている。

「……今の、そっちの家は、幸せなんでしょ……?」

 きりえが、目を逸らしたまま途切れ途切れに訊ねた。

 きりえによれば、元々は母の死を境に家族の絆がバラバラになったと言うが、みおみには特に家族間で問題が起きた記憶がない。

 確かに、今の「由貴家」なら、もしもきりえがみおみと替わって入ってもなんら問題はないと思うが。

「でもきっと、きりえちゃんが変わらないと、きっとどこに行っても辛くなると思うんですよ」

「……だって!? あんたはいま幸せなんでしょ!? うまくいってるんでしょ!? だったら私も……!? 」

「ええと、最初は幸せそうな人の人生を取り替えたんですよね?きりえちゃんは。 でも、やってみたら幸せじゃなくて嫌になっちゃったんですよね?」

 これがみおみでなかったら、痛烈な皮肉の言葉になっていたであろう。

 きりえは、みおみの言わんとするところを素直に察したのだろう。みおみを見つめる目を大きく見開いた。

「ね? また入れ替えても、違うお家の生活に苦しんで、また辛くなっちゃいますよ? それでも、きりえちゃんの言う「本当のお家」に戻りたいですか?」

「…………」

 きりえは、再びうつむいて逡巡する様子を見せた。

 きりえの沈黙は長かった。

 黙考している様子を見て、みおみはただきりえが応えるのをおとなしく待っていた。

 顔をわずかに上げかけてはうつむくことを繰り返し、やがておずおずといった様子でみおみの方を見た。

「……あ、あのね。……あの、」

「はい?」

 みおみは、あくまでも優しく促す。

「契約した当事者である私の記憶は、人生を入れ替える前の記憶のままなの。だから、今のお父さんとお母さんは、私の本当の親じゃなくて」

 言いづらそうに言葉を紡ぐきりえを、みおみはただ見つめていた。

「おじさんもおばさんも仕事で忙しくて滅多に会えないし、由貴さ……あんたのしゃべり方がなぜか「です・ます」言葉だったから、私が少しくらい他人行儀でも、別になんとかなってたの」

「うん」

「……でも、やっぱり私の親じゃないから、本当の家族じゃないから、あそこにいるのは、そういう意味でも、辛いの」

「うん」

「……でも、元の家に戻っても、お父さんもお兄ちゃんも嫌いで。 でも、お母さんが死んじゃうまでは、本当に仲が良くて、また仲の良い頃みたいになれたらいいなって、思ってた」

「うん」

「……いまのあんたがいるあの家は、幸せなんでしょ? なんで?どうしてなの?」

「うーん」

 みおみは小首を傾げた。

「お父さんは、家族の生活を守るために、お仕事を頑張ってるじゃないですか。たとえ顔を合わせられなくっても、家族を守りたいっていう強い想いがないと、できないことだと思うんですよ。 家族のことが嫌いだったら、あんな時間が遅くなる大変なお仕事って、できないと思うんですよね」

 きりえが、はっと弾かれたように顔を上げた。

「ですから、わたしもお父さんのことをお弁当の用意とかで助けてあげなきゃって思いますし、着ていく服も、洗っておいてあげたいなって思います。 お兄さんも、無口でぶっきらぼうですけど、言えばちゃんと手伝ってくれますよ? ただ、お料理とか細かいことが不向きですから、お願いするとしたらそういうの以外のできそうなことでお願いすると、きちんとお手伝いしてくれますよ?」

「……え……?」

 

 きりえは、みおみの話に愕然としていた。

 本来の家族でないにも関わらず、みおみの家族に対する指摘は的確だった。

 ふと、自分がいた時のことを思い返してみる。

 なにかと父や兄と衝突する時は、互いに無茶振りを繰り出した時だった気がする。

 だが、みおみの言うように注意して見れば、ほんの少し役割を整理すれば、それは充分普通に家を回すことが可能なのではないか。

「……知らなかった。私。お父さんのことも、お兄ちゃんのことも。 ただ、自分勝手な嫌な男だなって、思ってた……」

「たぶん、ちょっとした見方の違いだと思うんですよ」

「……う……」

 きりえの目に、再び涙が溢れてきた。

 なんてことだろう。こんな、ほんの少し考え方を変えただけで、あんなに嫌だった家にこんなにも郷愁を感じるだなんて。

 自分の勘違いで、大切な家族を壊してしまった。

 しかももう、そこに戻ることはできないのだ。

 そのことを真摯に語って気付かせてくれたみおみにも、自分の為に契約して犠牲になってくれだなんて、もう言えない。

 全て自分の責任で、これからこうして自分のしでかした人生を歩んでいかねばならないのだ。

 でも、もしかしたら、なんとかなるかもしれない。

 お稽古事だって、やればやっただけ経験値になるだろう。みおみのように、「綾名家」の両親のこともいずれ理解できるようになるかもしれない。なにしろ、このみおみの親なのだから。

「ところできりえちゃん。さっきの質問ですけど」

「え?」

 黙考の最中に問いかけられ、きりえは怪訝に見上げた。

「もしわたしがキュゥべえさんと契約して、入れ替わりを元に戻すお願いをしたとしたら、きりえちゃんは嬉しいですか?」

「ええ!? 」

 きりえは仰天した。

 たった今きりえを諭した張本人が、なぜ未だにそんなことを言い出すのか。

「……な、なんで、そんな……!? 」

「だって、きりえちゃんは、本当は本当のお家に戻りたいんですよね?」

「そ、それは……!? 」

 その通りだ。だがそれは愚かな自分への罰で、これからは責任を取らねばならない、そう考えていたのに。

 なのに、そんな事を言われては……!?

「嫌だと思っていたお父さんとお兄さんのこと、誤解が解けたなら、今ならお家に戻っても、ちゃんとやっていけるんじゃないですか?」

「う……!? 」

 胸の内に押し殺した後悔が、再び頭をもたげてくる。

 でも、今の自分にそんな資格などありはしない。

 だが、逡巡するということは、みおみの言うことを認めたということでもある。

 変なところで聡いみおみはきりえの心中を察したのだろう。朗らかな笑顔でその先を告げた。

「それならわたし、契約してもいいですよ?」

「……え?」

 

 あまりにもあっさりと「契約」を口にしたみおみを、きりえは唖然と見上げた。

「……どうして……?」

 きりえは呆然と問い返した。

 不思議で仕方なかった。みおみの言うことは、いつでも不思議で仕方なかった。

「どうして、そんな簡単に背負い込めるの!? あんたが元の家に戻ったって、あんなたくさんの習い事があったら、大変になっちゃうよ!? あんたは、嫌じゃないの!? 」

「さあ? でも、そんなお嬢様みたいな生活も、それはそれで楽しそうですけどね?」

 言って朗らかに微笑むみおみの笑顔を、きりえは呆然と見つめた。

 きりえは、なんとなく直感した。みおみと自分の違いを。

 嫌なところに注目するのではなく、良いところを見出すその着眼点。

 かつて、テニス部で玉拾いをしながら羨望の眼差しで見つめていたみおみは、まさしく憧れるに足る人物だった。

 でも。

「でも、契約なんかしたら、魔法少女になんかなったら、魂を取り出されて、ゾンビみたいになっちゃうんだよ!? そんなのさせられないよ!? 」

 みおみも聞いていたはずだ、芽衣が語った残酷な真実を。

 それを知った上でこんな身体に進んでなりたいだなんて、普通の神経ではない。

 ところが、そのみおみはきりえの頬に手を伸ばしてきた。涙をそっと拭う。

「こんなに、苦しんで、悲しんで、胸を痛めて。ちゃんと感情が残ってるじゃないですか。少し魂の形が変わるだけで、わたしは別に、そんなに悪いこととは思いませんよ?」

「でも!? 」

「大丈夫です」

 なおも言い募るきりえを、みおみは珍しく強気の笑顔で見返した。

「困ってるお友達を、わたしは助けてあげたいんです。 ……キュゥべえさん?」

 みおみは立ち上がって振り返り、どこへともなく呼びかけた。

『なんだい?みおみ』

 呼びかけに、キュゥべえが悪びれもせずに物陰からとことこと現れた。

「わたし、魔法少女になります。わたしのお願いを叶えてください」

「え? ちょ、あんた……?」

 慌てて立ち上がったきりえは、みおみの肩に掴みかかった。

「自分がなに言ってるか分かってんの!? 魔法少女になっても、良いことなんてなにもぐ!? 」

 ひょいと口を塞がれたきりえは、じたばたともがいた。 なぜか自分と大差ない細腕が振り解けない。

 そう言えば、みおみはかつてはトップクラスのテニス選手で、数々の習い事をこなしてきた人間だ。その腕力は、思いの外強靱だった。

 そうこうしている内に、自覚なく強い握力を発揮しながらみおみの交渉は進んでゆく。

「きりえちゃんのした契約内容を、元に戻してください! きりえちゃんとわたしの立場を、元に戻してください。二人が元の生活に戻ることが、わたしの祈りです!」

「むぉむぃっ!? 」

 きりえが塞がれた口で叫ぶが、もう遅かった。

『……みおみ!? ……その祈りは……!? 』

「さ。ちゃんと叶えてくださいね? キュゥべえさん?」

 夕日も没し、紫紺の空と影に包まれた路地裏に、突如白色の輝きの奔流が走り、きりえを抱きしめるみおみの身体を取り巻いた。

 空気の流れとは異なる圧力が吹き荒れる。きりえは、目を開けていられない。

 やがてエネルギーの奔流に弾き出されてきりえはたたらを踏んで尻餅を付いた。

『……そうか! みおみ、君の持つ膨大な魔法少女の素質の正体は……!? 』

 キュゥべえがこの後に及んでまた何かよく分からないことを言っているようだったが、変化は止まらない。

 吹き荒れる全ての色を含むが故の純白の輝きに包まれたみおみは纏う光量を徐々に落とし、やがて変化は完了したようだった。

 ゆっくりときりえを振り向いたみおみの両手には、この薄闇の中で純白に輝くソウルジェムが載せられていた。

 みおみは相変わらずにこにこと微笑んでいる。

「ふふ。こんばんわ。「由貴 きりえ」さん」

「……あ……」

 かつての本来の名を呼ばれ、きりえは自身の記憶の中に、自身が契約してからの記憶を残しながらも今の自分がもう「綾名 きりえ」でないと認識していることに驚いた。

 両手を見下ろしても、ソウルジェムはどこにもない。

 きりえは、みおみの顔を見上げた。

「……こんばんわ。「綾名 みおみ」さん」

 冗談めかした「さん」付けに、顔を見合わせて笑い合う。

 つられて笑ったきりえの笑顔は、まだぎこちなかったけれど。

「……さて、キュゥべえさん。良いお取り引きでした。 それじゃあ、これでわたしたちは帰りますね」

 きりえを促して立ち上がったみおみはキュゥべえに会釈すると、そのままきりえの手を引いてこの倉庫街から立ち去っていった。

 途中でここがどこだか分からないと言い出したみおみに変わって、文句を言いながらきりえが誘導して、そしてやがて姿を消した。

 

 

 キュゥべえはその場に座ったまま、先ほどの契約を思い返していた。

『…………』

 思いがけないものに出会ったことで、キュゥべえは「困惑」という精神疾患に揺れていた。

 

 




◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 

「もちろんわたくしの正義において死んでいただきますわ。」
「実際のところ、どうすんの?」

第9話 きちんとお話し合いすればいいんですよ

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 


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第9話 きちんとお話し合いすればいいんですよ

 その日のきりえの朝は早かった。

 

 ざっ。

 左右に開け放たれたカーテンの向こうから、穏やかな陽光が差し込み室内を明るく照らし出した。

 かごにまとまられた衣類を洗濯機にもたもたと放り込み、一瞬だけ躊躇してから自分の洗濯物も一緒に投げ込んでスイッチを押すと台所に向かった。

 冷蔵庫の中を覗き込み、おかずの残りやら冷凍室から冷凍食品やらを取り出すと、順番に電子レンジに入れては加熱させてゆく。

 その待っている間に、はたと気付いてはトースターにパンを放り込み、電子レンジのブザーを聞いては駆け戻って中身を入れ替え、コーヒーメーカーに粉を入れたところで慌ててパンを焦がす前にトースターから取り出した。

「あち、あち」

 手際を意識して同時施行に挑戦してみたが、やはり簡単なことではない。

 だが、今はなんだか身が軽い。なんでもやってみようかという気になっているのだ。

「おう。はよう」

「お兄ちゃん、おはよう!」

 のそのそと身支度をしながら台所に入ってきた兄にきりえは明るい調子で返事した。

「……なんか、いいことでもあったのか?」

「ううん!別に!」

 コーヒーメーカーに水を充填してスイッチを入れ、また電子レンジの中身を入れ替える。

 皿に並べたおにぎりを、兄が物も言わずにラップにくるみ始めたのを見てきりえは驚いた。

(みおみの言ったとおりだ!? )

 さらには弁当箱三つを、蓋を開けて順に並べて置いたのだ。

「あ、ありがとう!」

「おう」

 ぶっきらぼうに返しながら、兄はカップにコーヒーを注ぎ入れて自分の座る位置に持って行く。

 やがてきりえが苦労して弁当の中身を詰め終わると、またも兄が何も言わずにやって来て、詰め終わった弁当箱から布に包んで結んでゆく。

「ありがとう」

「おう」

 これまた驚愕の出来事だった。

 ぶっきらぼうに返事して自分の椅子に戻ってゆく兄の背を見て、きりえは求めていた幸せの充足に胸を熱くしていた。

 

 

「きーりーえーちゃーん!」

 石畳で整備された小川を挟む大通りで、後方から追いついてきたみおみにきりえは笑顔で振り向いた。

「みおみ!」

「おはようございます!」

 朗らかな笑顔で挨拶したみおみがきりえの横に並んだ。

 きりえにとっては、自分のしでかした事のせいで貧乏くじを引かせてしまったという負い目が激しく、ひとりになるたびに自責の念で潰されそうになるのだが、こうして顔を見ると、そういった負い目がなぜか消し飛んでしまうのだった。

 魔法少女になってもみおみはいつも通りのみおみであり、性格上なにかを溜め込んで腹を黒くする性格でないことは良く知っている。

 逆に、きりえが申し訳なさそうに表情を少しでも曇らせると、黙って首を振り、肩に手を触れるのだ。

 別に、魂なんて無形のものの形が変わっただけ。なにも問題はない。

 みおみはそう認識しており、自身の身に起きたことをなんらハンディとも重荷とも思っていないのだ。

「……」

 ここまでしてくれた友達に、この感謝の気持ちをどうやって伝えればいいだろう。

 ずっと「由貴さん」だの「あんた」だのとしていた呼び方を下の名前に改めてみても、みおみは笑顔で応えてくれた。

 わずかに宙をさまよわせた手を、意を決してみおみの手に重ねてみた。

 突然手を握られても、みおみは変わらぬ笑顔で自然に握り返してくれた。当たり前のように。

「……!」

 もう、それでいいのだと。

 なにも言えなくなったきりえは、綻ぶ顔が照れくさくて思わず下を向いてしまった。

 

 

『無事でしたのね。良かったわ』

『レイカさん!? 』

 教室に着いたところで、きりえの脳裏にレイカの声が飛び込んできた。

 テレパシーの心得を忘れていないきりえは、何もない風を装って席に向かいながら胸中で応答する。

『……あの、無事って、どういう……』

 だが、レイカの台詞の意味が分からず怪訝に問い返すと、溜め息を返された。

『あなた、昨日の夕方に御崎 芽衣に拉致されたことをもうお忘れ? それとも警護にあたりながら、同時に現れた魔女への対処で出遅れたわたくしへの当てつけかしら。 まあ、その為にみおみさんにも付いていてもらったのですけど』

「あ!? 」

 きりえは思わず肉声で喫驚の声をあげてしまった。

 驚いて見返すクラスメートに手を振って誤魔化しながらきりえは昨夜の出来事を思い返す。

 

 みおみがキュゥべえと契約し、きりえの魔法少女の契約を「なかった事」にしてしまった為、現在のきりえの周辺の人物の相関関係が変わってしまったのだ。

 「きりえは魔法少女にならなかった」事になり、レイカは単独で戦い続けていたことになった。

 躊躇なくテレパシーを使ってきたということは、レイカの中ではきりえを「魔法少女と魔女の事情を知る一般人」だと認識しているらしい。

 そしてみおみと入れ替えた人生を元に戻したことにより、御崎 芽衣の「本当の幼馴染み」はきりえということになった。

 つまり、昨日の夕方に芽衣が狙うべきは、みおみではなくきりえということになる。

 一般人でしかないはずのきりえが、魔法少女である芽衣の仕掛けた暴挙から逃げおおせたということは、もう一人の善意の魔法少女であるみおみがなんとかしたのだろう、とレイカの記憶は改竄されたようだ。

 

 そこまでざっと状況を整理したきりえは、言うべきことを急いで組み立て直して返答した。

『あっ、いえ、とんでもないです! おかげで助かりました! ちょっと思い出したくないくらいひどいことされそうになって、それでその……』

『大丈夫。それ以上言わなくてもよろしくてよ』

 特に気を悪くした様子もなくレイカは応えた。

『大変でしたわね。 みおみさんが間に合って、本当に良かった』

 心底安堵したような優しい声音で続けるレイカの言葉に、きりえの胸中に熱いものがこみ上げてきた。

『以前も言いましたけれど、きりえさんは、キュゥべえにどんな甘言を弄されても絶対に魔法少女になんてなってはダメよ。 なってしまったわたくしたちは自分の責任でこれからの道行きを考えますけれど、まだそうでないあなたには何の落ち度もないことですから、負い目に感じることもないの。 お願いだから、わたくしたちの為に、あなたは日常の世界にいて。よろしくて?』

『……レイカさん……』

 目の奥が熱くなってきた。

 それはきりえも同時に感じたことのある絶望だ。

 だがきりえはみおみに救われてしまった。

 運命を改竄した為にレイカに伝えられない申し訳なさに、レイカの優しさにとうとう堪えきれずに涙が溢れ出す。

 ふと、いつの間にか前に回り込んでいたみおみがきりえの目元にハンカチを当てて、微笑みながら涙を拭ってくれた。

 怪訝にきりえの方を見るクラスメートにみおみが適当に応えて注意を逸らしてくれる。おかげで、いもしないきりえの親戚がひとり犠牲になってしまったが。

『朝からごめんなさいね。おかげでわたくしも安心しました。 また放課後、部活でお会いしましょう? 交信終了』

『……ありがとう……ございました……』

 みおみに庇われながら、きりえは胸を熱くする感謝の念に涙を流し続けた。

 

 

『とはいえ、御崎 芽衣の脅威がなくなったわけではありませんわ』

 昼休み。

 みおみの脳裏でレイカが怜悧な声で告げた。

『もう一度お聞きしますけれど、御崎 芽衣は「倒した」のではなく「追い払った」んですわよね?』

『はい』

 窓辺の席にもたれてうたた寝しているようにしか見えない姿勢でみおみは脳裏で応えた。

『それで、今日も無断欠席している、と』

『はい。そうですね』

 転校して次の日から二日連続で音信不通となってしまった御崎 芽衣のことは、生徒たちの間でも様々な憶測の種となっている。

『まったく。 それにしても、御崎 芽衣の目的はなんなのかしら。 仮にも「お姉さま」と呼び慕っておきながら、きりえさんが思い出すのもはばかられる暴挙に出た理由は……』

『魔法少女の契約を、無理矢理させようとしたんです』

 みおみは、事実のみを要約して伝えた。

 運命の改竄に関わった当事者以外には言っても通じないからと、きりえに何度も念を押された成果である。

『……キュゥべえも、その場にいたということ!? 』

『はい』

 しばし、レイカの呻く声が聴こえる。

『……いったい、何の為にそんなことを……!? 』

 魔女を倒すには手勢が多いほうがいいが、貴重なグリーフシードは取り合いになる為、魔法少女は増え過ぎても都合が悪い。

 以前、きりえやレイカが言っていたことである。

『競争相手をわざわざ増やす真似を、選りによってあの御崎 芽衣がやりたがるはずがありませんわ』

『魔法少女のお友達が欲しかったんでしょうか?』

『あなた、その為にきりえさんがどんな目に遭ったかお忘れ? それに、仮に寂しさを紛らわせる為だとして、ソウルジェムが消耗した途端に互いに敵となってしまいますわ。 それは御崎 芽衣が一番良く分かっているはず』

 薄く目を開いた先では、みおみと向かい合わせに座ったきりえがやきもきした様子でみおみを見つめている。

 今のレイカとのテレパシーはみおみのみと繋がれている。きりえには一連の会話が聴こえていない。

『いずれにせよ、御崎 芽衣はまたきりえさんを狙うはずよ。極端な話、きりえさんを拷問にかけてでも契約をさせようとするはず。魔法少女になってしまえば、身体の傷など治せてしまいますから』

『そこまではさすがに……』

『甘く見てはいけませんわ。 とにかく、わたくしとみおみさんとで、しばらくきりえさんの護衛に付きましょう』

『あの。レイカさんは、芽衣ちゃんをどうするおつもりですか?』

『もちろん、わたくしの正義において、死んでいただきますわ。説得の余地は見受けられませんし、御崎 芽衣の命などより、きりえさんのほうが大事ですわ』

『……そうですか』

『あなたにもあなたの矜持がおありでしょう。互いに譲れないことも承知してますわね?』

『はい』

『分かってるなら、結構。 せいぜい、逆手に取られないよう気を付けることですわね。 交信終了』

 レイカのいつもの断りと同時に遠話の魔法の接続干渉が消える。

 みおみは、ゆっくりと目を開いた。

「レイカさん、なんだって?」

「芽衣ちゃんが、また狙って来るかもって言ってました」

「……そっか……」

 きりえは目線を床に落とした。

 運命の改竄が元に戻ったことにより、小学生時代から世話になった御崎 芽衣が「お姉さま」と呼び慕うのは「由貴 みおみ」ではなく「由貴 きりえ」となった。

 芽衣がかつてクラスで語った思い出は、きりえとのものだった。だから、きりえは芽衣の早生まれの事情を知っていた。

 おかげで芽衣の変貌をいち早く知る羽目になったのだが。

「……芽衣ちゃん、なんであんなふうになっちゃったんだろう……」

「この数年間に、芽衣ちゃんかご家族になにか深刻な事件でも起こったんでしょうか……?」

「そうかもね…… ……ん!? 」

 みおみの口振りに違和感を感じたきりえは顔を跳ね上げた。

「ちょっとみおみ。あんた、もともと芽衣ちゃんとそんなに親しく……あ!? 」

「ええ。残ってますよ?昔の記憶」

 こめかみに人差し指を添えたみおみがにっこりと応えた。

 運命の改竄が戻されたなら、本来「綾名 みおみ」が御崎 芽衣と顔を合わせたのは転校初日の一度だけのはず。

 それなのに先ほどから親しげに芽衣の名を呼ぶみおみには、つまりは人生を入れ替えられていた間の記憶も本来の人生の記憶と同時に残っているということ。

「……そんな!? アタマ大丈夫なの!? 」

「なんだか失礼な心配のされ方ですねえ?」

「なにを今さら……」

 朗らかに小首を傾げるみおみの前で、きりえはへなへなと脱力した。

「でもでも、要は契約した当人の記憶は変わらないということですよね? きりえちゃんも、そうだったんでしょう?」

「まあね」

「それで、わたしのお願いは「わたしの人生を戻すこと」じゃなくて、「きりえちゃんの契約を無くすこと」ですから、わたしたちがお互いに記憶の改竄の対象外に該当しちゃったんじゃないかと」

 契約者であるみおみと、契約内容の対象者であるきりえ。どちらも「当事者」であるということ。

「とにかく、わたしにとっても芽衣ちゃんは大切なお友達なんですよ」

「……そっか」

 みおみが「魔女の口づけ」を受けたあの夜、きりえのことを「お姉さま」と認識していない芽衣に攻撃を受けても、きりえには戦うことができなかった。

 芽衣の変貌を知っても、レイカのように敵対することはできそうにない。

 昨夜は非常に錯乱しており、怒りのままに振る舞っていたから勢いで芽衣を車道に放り出してしまったが、「魔法少女だから、なんとでもなる」という計算もあったとはいえ、落ち着いた今となってはあれもまたきりえの心を締め付ける悪い出来事だった。

 でも、芽衣に悪いことはやめさせたいという気持ちはみおみも同じようだった。

「レイカさんには悪いけど、芽衣ちゃんに関しては私たち極秘のコンビだね」

「そうみたいですね」

「でもさ。実際のところ、どうすんの? 芽衣ちゃん、かなりアブない連中ともツルんでるみたいだし、ハナシしようとしても、取り付く島もなさそうな感じだけど……?」

「それは、もちろん」

 眉根を寄せるきりえの前で、みおみは朗らかに人差し指を立ててみせた。

「きちんとお話し合いすれば、いいんですよ。」

 

 

「…………」

 薄暗い部屋の中で、芽衣は棒付きキャンディーをくわえながらベッドの上に座っていた。

 背中を壁に預けて、だらしなく両足を投げ出している。

「…………」

 しわくちゃになったシーツの上には、もうひとり人影が寝転んでいた。

 全裸の、若い男のようだった。

 それを無感情に見下ろす芽衣も一切の着衣を身に付けておらず、カーテンの隙間から覗くわずかな光を、姿勢を変えた芽衣の内腿の付け根に張り付く粘液が照り返した。

「…………」

 黙ってひょこひょことキャンディーの棒を上下させる。

 特に何をしているでもない。疲れたから休憩しているだけ。

 薄暗がりのベッドに寝転がる少年の胸の真ん中には、なにやら黒い棒が垂直に生えていた。

 その根本からおびただしい量の赤黒い液体を溢れさせているこれは、急所にナイフを根本まで突き立てられた死体だった。

 男が一番油断する瞬間が「達した」直後だということを、芽衣は知っている。

 だから、用済みになったその瞬間に始末しただけのことだった。

「…………」

 ふと、座る尻の重心を変えた拍子に感じた内股の粘液の動きに、初めて芽衣は眉をしかめた。

「……汚い」

 呟いて、ようやく立ち上がった芽衣はベッドの上で魔法少女に変身した。

 肉体変換の魔法の効果により、古い角質程度なら吹き飛ばす魔力が身体に付着した粘液をも根こそぎ消し飛ばした。

 続いて瞬時に水色のバレリーナめいた衣装に身を包まれる。

「…………」

 そして取り出したリングを二メートルほどに拡張させた芽衣は、それをまるで輪投げゲームのように少年の死体を囲むように放った。

 ベッドの上の少年の死体は、被せられたリングを境目にして一瞬で消え去ってしまった。

 

 まったく、訳が分からない。

 昨夜、「お姉さま」を拉致して無理矢理魔法少女になってもらおうと画策したことが、どういう訳かとんだ失敗に終わった。

 それも、なぜか途中の経緯が思い出せない。

 なぜか反旗を翻したバカな男どもを血祭りに上げたところまでは覚えているのだが、なぜかその次の記憶は、途中経過をすっ飛ばしてトラックに撥ねられ重傷を負ったところなのだ。

 まったく、訳が分からない。

 事故現場に群がった野次馬を無視して自己治癒を繰り返しながらその場から立ち去り、再変身してから元の倉庫に戻ってみれば、そこは警察が張り巡らせたイエローテープに囲われており、バカな少年集団はおろか、「お姉さま」もいなくなっていた。

 なぜかそこに残っていたキュゥべえにも『ワケがわからないよ』と言われる始末。

 一気にやる気をなくした芽衣はそれから一夜、適当な男と不貞寝していたのだ。

 だが、それもこれまで。

 一時的な憂さ晴らしは済んだ。消耗して穢れを溜め込んだソウルジェムにグリーフシードを当てがって澱みを転嫁させる。

「キュゥべえ!」

 言って、芽衣はグリーフシードを放り投げた。

 暗闇の中から現れた白色の小動物が、背中の赤い紋様にグリーフシードを受け止めて取り込んだ。

『……けっぷ。 やるのかい?芽衣』

「その前に。 あんた、昨日、本当になにがあったのか覚えてないの?」

 ベッドから飛び降りた芽衣が、少年を飲み込んだリングを担ぎ上げた。

『正確に言うと、ボクの認識を超える何かが起こった、だね』

「同じことじゃん」

 眇に見下ろして一蹴する。

 だがお行儀良く座るキュゥべえは揺らがない。微かに首を振り。

『でも、推論はできる。 あの時に、時間か、あるいは運命の改竄が起こったんだろうね』

「だから」

『前後に起こったことの辻褄が合わないんだ。 明らかに魔法で破られた入り口があったけど、綾名 みおみが契約したのはその後なんだよ。 あの場にもう一人「魔法少女」がいたことになるんだけど、その痕跡がなにもないんだ』

「……あの「志摩 レイカ」とか言うテニス女が追いついてこれたワケもないしね。 佐倉 杏子のやり口ともちょっと違うな」

 忌々しいことに、自分がトラックの前に投げ込まれた原因も不明だ。

「……」

 しばし黙考した芽衣だったが、たいして経たずに顔を上げた。

「ま、いいや。謎の第三者がいたとして、そいつは一撃でアタシを殺すことはできないってことでしょ?」

 キュゥべえすら困惑させる現象は起こせるのに芽衣に対しては半端な攻撃をしたこと、手加減の理由がないことから芽衣はそう結論した。

「一撃で殺されなければ反撃のしようはいくらでもあるし。気にすることないよキュゥべえ。 ……行くよ。今度こそお姉さまを魔法少女にしてあげるんだから」

 あっけらかんと第三勢力の懸念を捨て、芽衣はキュゥべえの脇を抜けてドアを出ていった。

「まずは、下準備から、かな?」

 にい、と口元を嘲りに歪めて。

 

 




◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 

「みおみさん、くれぐれもきりえさんのこと、よろしくお願いしますわね?」

第10話 どうしてこんなことをするの?

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 


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第10話 どうしてこんなことをするの?

 がこん、と重い音を立てて重厚な扉が開かれた。

 一同の前から赤絨毯が一直線に伸び、左右には等間隔で並べられたいかにも高級そうな調度品と装飾を施された柱、アーチを描く天井に咲いたガラスの花とでも言うべきステンドグラスが煌々と灯りを湛えるこの志摩家の別邸の巨大な正面玄関で。

 みおみと、隣で呆然とそれらを見上げるきりえを前に、レイカが優雅に髪をなびかせて振り向いた。

「今日からお二人には、わたくしと共にここで生活して頂きますわ!」

 

 なぜ、こんな事になったかと言えば。

「もちろん魔女も放ってはおけませんけれど、火急の危機として、御崎 芽衣がきりえさんを狙っているのを防がなければなりませんわ」

 故に、レイカとみおみ、魔法少女ふたりできりえを護衛しなくてはならない。昼に話した通りである。

 ただし、普通に夜になる度にそれぞれの家に帰っていてはきりえを守りきれない。

 しかし三人それぞれにも生活がある。

「そこでわたくしが思いついたのがコレですわ!」

 言って、テニス部の部室でレイカが一通の封書をみおみときりえの前に突き出した。

「「主体的な勉学の一環としての共同生活企画」……?」

 きりえが、怪訝な顔でその表面の文面を読み上げる。

「そう! 言うなれば、「子供たちだけで共同生活を体験して、生活力と、共同生活における協調性を育む」という自主学習……という体裁を取った、三人をひとまとめにする為の方便ですわ!」

「……え? あの、どこで……?」

「もちろんウチでですわ。この為に我が志摩家の敷地内にある別邸をひとつ、貸し切りました」

 おっとりと、みおみが頬に指先を当てた。

「つまり、そこで三人でしばらく一緒に生活しましょうと?」

「その通りですわ」

 みおみの解釈にレイカがうなずいた。

 ところが、きりえがおずおずと片手を挙げた。

「でもあの、うちは私がいないと、炊事とか洗濯とか掃除とか……」

 言い淀んだきりえの前に、レイカの細長い五指が開かれて話を遮った。

「もちろん心得ておりますわ。あなたのお家の事情は、失礼ながら調べさせて頂きました。きりえさんをお預かりする間、主催であるわたくしから、由貴家に衣・食・住居の環境整備に至るまで全てをカバーするハウスキーパーを派遣いたします。きりえさんのいない間の家事の心配は、一切なさらなくて結構!」

「え!? いやでもそんな」

「勘違いなさらないで。全ては御崎 芽衣への対策の為。敵の目標であるきりえさんには安全確保の御協力をして頂くのと引き替えに、わたくしが御自宅の生活を保障するのです。敢えて悪く言えば、「おびき出す餌になってもらう代わり」ですわね。 みおみさんのお宅は、必要ないでしょう?」

「そうですね」

 志摩家と同様に使用人を雇っている綾名家には、必要のないものだ。

 レイカは髪を横に払って強気にきりえを見下ろしてきた。

「次期頭首であるわたくしは、ウチの教育の一環で既に個人資産を所有してますの。これくらいの金額は些事ですから、気にすることはありませんわ! さ、必要なものはウチで用意させますから、お二人ともこれから着の身着のままでついてらして!」

 

 そしてテニス部部室から直接連れて来られたのがここである。

 それから志摩家別邸での生活が始まったのだが、寝室は各自に個室をあてがわれ、食事はすべて志摩家のシェフが用意し、掃除も各自の衣類の洗濯も、担当の使用人が預かり全てを片付けてしまう。

 正直、ここにいるだけでやることがない。

「……あのー。共同生活のお勉強では……?」

「お馬鹿。方便と言ったでしょう? 宿題以外は、なるべく手を空けておきたいの」

 きりえが恐縮するも、レイカには簡単にあしらわれた。

 みおみはと言えば、すっかり状況を受け容れてリビングのソファで潰れたお饅頭みたいな顔でくつろいでいる。

「いつ、何が起こるか分かりませんからね」

「……!」

 言われ、きりえも気を引き締め直した。

 そうだ。全ては芽衣への対策の為。芽衣に、これ以上悪いことをやめてもらう為に。

「この件に関しては明確な見通しが立てられないのが心苦しいのですけれど、ざっと二週間は続ける予定ですから、ご承知置き下さいね」

 

 

 そして志摩家での共同生活が始まって数日が経過した。

 三人がひとつの邸宅で寝起きし、共に登校し、そして共に下校する。

 時折、レイカが家の用事などで夜間に外出するが、きりえが一人になることは、ほぼ、ない。

 そしてこの間、芽衣は姿を現さなかった。

 とうとう担任教師が「御崎 芽衣は都合により休学した」との旨を朝礼で告げたが、それをきりえから聞いたレイカは「突然行方不明になられた、学校側の対外的な建前ですわ」と一蹴した。

 既に志摩家のコネで、学校に登録された御崎 芽衣の戸籍情報を取得したレイカが、古びた廃屋しかない住所の土地を確認している。

「いったいどうやって編入したんだか知りませんけれど、これで元々の目的がきりえさんの事の為だけであることが分かりましたわね」

 「お姉さま」を無理矢理にでも魔法少女にする。その為だけに、芽衣は久那織中学校にやって来たのだ。

「タネが知れたので、もう学校に在籍している必要性がなくなったのでしょうね」

「……そこまでして、どうして……」

 きりえは青い顔で口元を押さえ、ソファの端で沈鬱にうつむいた。

 だが、いずれにせよ当人に聞かなくては分からないことではある。そして、その為のこの対策なのだ。

 それを承知しているレイカは、きりえの苦悩を深く詮索することなくソファから立ち上がった。

「さて。今夜も用事ででかけますので、みおみさん、くれぐれもきりえさんのこと、よろしくお願いしますわね?」

「わかりましたっ!」

 そう言ってリビングのドアに歩いてゆくレイカに、みおみは敬礼しながら実に元気良く返事した。

 

 

 こんこん、とリビングに響いたノックの音に、みおみがぱたぱたとドアに駆け寄っていった。

「はーい」

「お客様。お茶をお持ち致しました」

「ありがとうございますー」

 シックなメイド服姿の使用人からティーセット一式の載ったワゴンを受け取ったみおみは、自分たちでやりますからと断ってドアを閉め、テーブルの元へとワゴンを押してきた。

「きりえちゃん。お茶にしましょう」

「うん」

 二人は既に寝間着姿。リビングのテーブルで一緒に宿題を片付けていたのだ。

 巨大な振り子時計を見れば、時刻は十時を回っている。

「うわ。いつの間に。 なんとなく真面目に勉強しちゃったわ」

「そうですねー」

 言いながらテーブルの上の教科書やノートを重ねて退かし、みおみがてきぱきと二人分のお茶を用意する。

「なんかすごいよねそれ。立派な紅茶の道具」

「市販でも、手頃なお値段で似たようなものがいっぱいありますから、きりえちゃんもお家で好きな紅茶をいれられますよ?」

 かぶせられていた袋のような布をどかしてポットの中の琥珀色の液体の様子を確かめ、専用の容器で温められていたカップを取り出して並べながらみおみが応える。

「いやー。お茶の葉とかって、いろいろ種類があるんでしょ? そんなに覚えらんないなあ」

「別に、全部を知る必要もないですよ?好みの味のお茶を探すのも、なかなか楽しいですし。 とりあえずこれは、クセの少ない葉をお願いしましたから、試してみてください」

 紅茶を注がれたカップを受け取り、その温かさを味わい、しばしくつろぐ。

「あ」

 だが、せっかくくつろいでいたのに、きりえは忘れかけていた懸念を思い出してソファの背もたれから起き上がった。

「そう言えばみおみ。あんた、自分の魔法とか、ちゃんと分かってんの?」

「……ほえ?」

「起きろ!お茶飲みながら寝るな!」

 くつろぎ過ぎてなんだか極楽に吹っ飛んでいたような寝惚けた顔のみおみに怒鳴りつけた。

「だいたいあんた、ひょっとしなくても契約してから一度も魔女やっつけてないんじゃない!? 」

「……そう言われてみれば、そうですね」

 みおみがキュゥべえと契約した翌日の夕方にはこの志摩家の別邸に来ている。

 それからはレイカの仕切りで学校が終わるたびにこの家に直行しているのだ。そしてそのまま数日が経過して今に至っている。

 それでもなおレイカがみおみを信頼する様子でいるのは、運命の改竄の事実を知らないレイカの中では「みおみは魔法少女になってある程度経った経験者」ということになっているからだ。少なくとも、かつてのきりえと同程度の実力であると思い込んでいるはずである。

「そうですねじゃないわよ!? あんた、そんなんでいきなり何かに襲われて戦えるの!? い、今からでも魔女を探して、練習しないと!? 」

 慌てて立ち上がり右往左往し始めたきりえを眺め、みおみはあくまでも幸せそうにお茶をすすった。

「大丈夫ですよお」

「し ん じ ら れ る かー!? 」

 五指を鉤爪のように捻くらせたきりえがみおみに詰め寄ってきた。

「そんなんで、あの凶暴そうな芽衣ちゃんを止めた上で「お話し合い」だなんて、できるワケないでしょお!? だいたいあんた、自分の魔法とか能力とか、ちゃんと分かってんの!? 」

 必死の形相できりえがまくし立てるが、みおみはそんなきりえを不思議そうに見上げながらマイペースにティーカップを口元で傾けた。

「聞 け。」

「あああお茶が、こぼ、こぼれ」

 とうとうきりえの五指がみおみの顔面に噛みついた。

 ようやくティーカップをテーブルに戻したみおみが、解放されたこめかみをさすりながら口を開いた。

「んん~。 でもでも、契約してみて分かったんですけど、自分の魔法って、だいたい分かりますよ?」

「そりゃ、そうかもしんないけど、じゃああんたの魔法ってなんなのよ? それに基づいて対策とか考えなくていいの?」

 腕組みして見下ろすきりえに、だがみおみはあっさりと朗らかな笑顔に戻ると、立てた人差し指を口元に添えて言った。

「うふふ。 それは秘密です」

「…………!? 」

 ぴき、ときりえの額に青筋が浮かび上がった。

 

 その瞬間。

 

 魔女との戦いですら聞いたことのない激しい衝撃と轟音が響き激震がリビングを襲った。

「…………ッ!? 」

 立っていたきりえは成すすべなくソファに倒れ込んだ。

 ワゴンが倒れ、ポットのお茶がぶち撒けられる。

 他の調度類も滅茶苦茶に転倒し、ものによっては粉々に砕け散った。

「なに!? なにこれ!? 」

 この場の激震はすぐに収まったが、遠くから同様の轟音が立て続けに響いてくるの聞こえる。

 近くのひびが入った窓に駆け寄ったきりえが、外の様子を見た途端、その有り得ない異常と恐怖に息を詰まらせた。

「……ッ!? 」

 身体を揺らしたきりえの背を支え、横に並んだみおみが見たものは。

 この広大な志摩家の敷地に点在する大小の屋敷・施設全てに、鉱山用の超巨大ダンプトラックや、何の為の用途か分からない無数のタイヤを付けた荷台と合体した巨大なトレーラー、シートや窓を失ったスクラップの電車などがそれぞれ突き刺さり建物を叩き潰していたのだ。

 きりえを下がらせて窓を開けたみおみが横を見上げると、この別邸の屋根にも大型クルーザーらしきものが半ば以上突き刺さっていた。先ほどの激震の原因はこれだろう。

 そして。

「あははははははははははははは!」

 中庭の中央に立つひときわ背の高い三つ叉の庭園用外灯の上で、哄笑をあげる水色のバレリーナめいた衣装を纏う少女がいるのを発見した。

「芽衣ちゃん!? 」

「ええ!? 」

 みおみの呼びかけを聞いたきりえも隣に並び、そこに現れた芽衣の姿に驚愕する。

「あはははっ! あー!きりえお姉さまったら、そんなトコにいたんだあ!」

 こちらに気付いた芽衣が、にたりと笑んで振り向いた。

 

「芽衣ちゃん!? な、なんてことしてんのよ!? 」

「うふふふふふ♪」

 きりえの絶叫にもよらず、芽衣は嘲りの笑みを深くするばかりで周囲の惨状など気にも留めない。

「きりえお姉さま! アタシの用件は分かってるよね! これからお姉さまにも魔法少女になってもらうから!」

「……!? 」

 会話が通じないことに、きりえは改めて戦慄した。

「め、芽衣ちゃん!? ここ、誰の家だか知ってるの!? 志摩 レイカ先輩っていう、相当強い魔法少女やってるひとの家なんだよ!? この間、会ったでしょう!? こんなことしたら、芽衣ちゃん、殺されちゃうよ!? 」

 そうだ。じきレイカが帰ってくる。そうでなくても自宅に大惨事が起きたことを志摩家の誰かが連絡するはずだ。

 どんなに先制しても、単独で二人の魔法少女を相手取る困難さは、芽衣だって心得ているはずだ。

「なんで!? ねえ、どうして、こんなことをするの!? 」

「は? シマレイカ? なに言ってんのお姉さま?」

 三つ叉の外灯の上で芽衣はきりえの問いかけを無視し、わざとらしく眉をしかめてその手のリングをひと振りすると、リングの中の亜空間から放り出した卵形の宝玉を宙でキャッチした。

「それって、この人のこと?」

 それを顔の前でひょこひょこと振って見せる。

 

 オレンジ色に輝く、酷く見覚えのあるソウルジェムを。

 

「…………あ……」

「あはははっ♪ シマレイカがどうしたって? 身体なんか魔女に喰われて、とうにこんな魂だけになっちゃった人に、なにができるのかな? ねえ!なにができるのかなあ! あははははははは!」

 芽衣の哄笑が弾ける。

 きりえは、あまりの衝撃に身動きができない。

「……な、 そ、んな……!? 」

「さあて! 残る邪魔者はお姉さまの隣のあんただけだよ! でもアタシが用があるのはお姉さまだけなの。 あんたはこいつの相手でもしてなよ!」

 みおみを睨めつけて言うなり、芽衣はひと振りしたリングから数個のグリーフシードを放って宙でキャッチすると、オレンジ色のソウルジェムと纏めて両手で全て握り込んだ。

 すると、いくつものグリーフシードから黒い淀みが浮かび上がり、それら全てがオレンジ色のソウルジェムに流れ込んでゆく。

 一気に穢れに汚染されたソウルジェムは瞬時に真っ黒になって表面にひびを入れた。

「ほらっ!」

 そうして投げ放たれたソウルジェムは上空で粉々に砕け散ると、爆弾のごとく暴風を放射してその周囲を、志摩家の敷地を、世界の秩序を吹き飛ばして常識を塗り変えてゆく。

 ぎゃりぎゃりと耳障りな音を立てて遠く地平をいびつな鉄柵が立ち上がり世界を囲んでゆく。

 地面を縦横に枕木とレールが走り、その上をざくざくと無機質な人影が整然と並んで行進してゆく。

 かちかちと規則的な音を立て、無数の外灯の足下から伸びた影がそれぞれ時計の針のように回転する。

 とても奇妙で、奇怪で、異様で、不気味な魔女の結界。

 やがてその結界の中心地の上空から、豪奢な額縁に納められた巨大な肖像画が舞い降り、宙に留まって周囲を睥睨した。

 描かれているのは女性にも見えるが、顔の上が見切れている上、デッサンも構図も滅茶苦茶で、それが人であるかも疑わしい。

 

 

 これなるは「正義」の魔女。その性質は「狭量」。

 

 

「あはははははははは!」

 さらに狂ったように哄笑を続ける芽衣は、手元のリングを両手で掴み、左右に引っ張るようにして二つに分裂させると片方を彼方に投げ飛ばした。

 そのリングは飛翔しながら大きさをぐんぐんと拡張させ、百メートルをも越えそうなほど大きくなると、敷地の中心にある志摩家の「本邸」の上空に滞空した。

 すると、亜空間に接続し夜空とは異なる漆黒で塞がれた巨大なリングの内側からおびただしい量の濁流が滝のように流れ出し、それと共になにやら巨大な三角形のものが突き出てきた。

 それはだんだんと下降を続け、その先端のあとに伸びる長い長い胴体を引きずり出してくる。

 それは、船。

 それも、全長二百メートルをも越えようかという超巨大タンカーだった。

 超高層ビルほどもあろうかというそれが、有り得ない場所に現れた有り得ないものが、その何万トンとも呼ばれる圧倒的な質量が豪華な志摩家本邸の真上に突き刺さり、叩き潰し、もろとも崩壊していった。

 志摩家本邸は、まるでドミノ倒しをスローモーションにしたかのようにゆっくりと内側へと崩れてゆき、巨大タンカーも想定外の前後からの荷重によりまるで提灯のように自壊してゆく。

 続け様に爆発が起き、おびただしい黒煙が噴き上がった。まさかと思ったが、見た目に違わずあのタンカーの中には石油か何かが入っていたらしい。それが本邸の火元に触れ引火したのだ。

「……あ……な……なんて、こ、と……」

 あまりの惨劇と異常事態の衝撃の連続に、唇を震わすきりえの精神が平衡を失いつつある。

 だが芽衣は一切の暴虐と惨劇を無視して窓の二人を振り向いた。両手を広げて。

「さあどうするの? そっちの魔法少女は、どっから手を付ける? やる事はいっぱいあるよお? 魔女はいるし、屋敷の中にも逃げ遅れてんのがいるんじゃないかなあ?」

「……あ……あ……」

 きりえは意識せず窓から後退り、尻餅をついた。

 レイカの死、そして穢れを溜め込んだソウルジェムの思いも寄らない末路と、そこから生まれた魔女。

 なぜ?

 青ざめた顔の眼球が不規則に揺れ、常識を破壊する残酷で圧倒的な暴虐の光景がもたらす衝撃に、精神が状態を危うくしている。

 

 きりえの額に、みおみの掌がそっとかざされた。

 その手の中にある純白のソウルジェムから穏やかな白の輝きが放たれ、きりえの顔を優しく照らす。

 やがて、不規則に震える瞳が焦点を合わせ、きりえの顔に生気と感情の平衡が戻ってきた。

「きりえちゃん、大丈夫ですか?」

「……み、みおみ……?」

 穏やかに気遣いの笑みで覗き込むみおみに、きりえが応えた。

「ごめんなさい。少しきりえちゃんの心を整理させてもらいました。強い衝撃は、心を傷つけますから」

 言われ、きりえは自身が落ち着いていることを自覚した。

 確かにレイカの死も、ソウルジェムの異常も、巨大構造物の崩壊も、その惨劇の意味はきちんと理解したまま、心臓を潰されそうな痛みだけは消滅している。

 みおみの気遣わしい笑顔の意味。残酷な出来事を悼む気持ちを緩和した魔法は確かに感情的には冷酷だが、まさに戦いの渦中である今だけは平静であることが必要だ。それはきりえにも分かっている。

「……うん。大丈夫。ありがと」

 言いながら、みおみの手を取りきりえは立ち上がった。

 きりえを立ち上がらせたみおみは数歩下がると、部屋の中央で純白のソウルジェムを指先に摘み上げ、胸の前から真横に振り払うとまた胸元に引き寄せて正面にかざした。

 ソウルジェムから白の激しい輝きが放たれ、きりえは思わず目を覆った。

 その輝きの中で、みおみが纏っていた寝間着が、下着が残らず亜空間へ収納され、代わって次々と純白の衣装がその痩身に身に付けられてゆく。

 小さな白薔薇をちょこんと載せたパンプスから伸びる脚は白いタイツに覆われ、膝丈で大きく膨らむスカートは腰で絞られて再び大きく広がり胸元を包み込む。長い手袋は上腕の半ばまで覆い、ドレスから露出した肩や首周りはレースのようなアンダーウェアがぴったりと包んでいた。

 丸く膨らんだスカートの一部に螺旋状にスリットが走って割れ広がると、その中から溢れんばかりの無数の白薔薇が顔を出した。

 そして頭頂に添えた手の下から次々と綿毛で作った花のようなものが現れて並び、そこから広大なヴェールが吹き出して、みおみの顔を覆って垂れ下がった。

 それはまるで純白のブーケを象った花嫁のように。

 肌の露出を極限まで抑えたこれが、魔法少女・綾名 みおみの姿。

 みおみは顔の前のヴェールを両手で持ち上げて後ろに流すと、片手を差し出して呆然と見惚れているきりえの手を取った。

「さあ。行きますよ?」

「はぇ、あ、 うん」

 微睡みから醒めたような声でうなずいたきりえと共に、みおみは屋敷の窓から外に飛び出した。

 

「ひあああああああああ!? 」

 みおみの美しさに気を取られて飽和していたきりえは、つい一緒に飛び出してしまった空中で自由落下の恐怖に悲鳴をあげた。自分はもう魔法少女ではないというのに、完全に脈絡を忘れていた。

 ところが、手を取り合うみおみときりえの落下速度は非常にゆったりしたもので、みおみは当たり前のように、きりえも難なく着地できた。

「……や、やるならやるって言ってよ!? なにこれ?浮遊の魔法?」

「いいえ? 違いますよ?」

 きりえに応えながら、みおみは手を解いて前に進み出た。三つ叉の外灯から飛び降りた芽衣に向かって。

みおみはまるで清水の泉のごとき穏やかな表情を湛えたまま、片手を振ってきりえの周囲に防護柵の魔法を展開させた。

 ただし、きりえの周囲に舞い降りたのは、微かにたゆたう白色のヴェール。

 ふわふわと漂うそれに囲まれたきりえはその柔軟な見かけの頼りなさに怪訝顔になった。

「ちょっ、みおみ、これ……」

「きりえちゃんは、動かないでくださいね」

 振り向かずに告げ、みおみは斜めに傾いた目線で睨め付ける芽衣の元へと歩いてゆく。

「……あんたさあ。バカなの? なあんでアタシんトコに来るワケ? ほら。魔女もいるし、お屋敷も大変だよ?」

 リングを左右に振って呆れたように芽衣が吐き捨てるが、みおみは意に介さない。

 きりえからはその顔が見えず、背中からではみおみの意図が読めない。

 だが、もはやただの人間に過ぎない自分には手の出しようがないことを思い出し、きりえは臍を噛んだ。

 地上に穿たれた線路をざくざくと歩くぼんやりとした人影の使い魔とすれ違っても、みおみは何もしなかった。

 周囲の惨劇の一切に目もくれず、みおみはただじっと芽衣を見つめて歩みを進めた。

「芽衣ちゃん。いったいどうしたんですか?」

「は?」

 静かな問いかけに、芽衣がバカにしたようにあごを突き出して聞き返した。

「なに言ってんのあんた」

「久那織市から引っ越してから、なにがあったんですか?」

「……!? 」

 罵声も嘲笑も、芽衣の悪意を一切歯牙にも掛けない、淡々と問いを重ねたみおみに気圧されて、芽衣は思わず息を飲んだ。

「教えてくれませんか? 芽衣ちゃんが、魔法少女になった訳を」

 

 




◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 

「せっかくだから、もっぺん訊くよ! あんたの正義がなんだって?」

第11話 例えば、こんなふうにさ

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第11話 例えば、こんなふうにさ

「ここね」

 無言でうなずいた運転手に短く指示を下してレイカは車を降りた。

 ドアを閉めると黒塗りの高級車はすぐに走り去ってゆく。

 中学生という身分には不釣り合いな、だがよく似合っている黒のパンツスーツを纏ったレイカは、夜闇に立ち並ぶ黒い岩山のような影を見上げた。

 

 志摩家の別宅にきりえとみおみを集め、みおみにきりえの護衛を任せると言ったのは、御崎 芽衣の殺害をみおみに邪魔させない為だった。

 レイカは父親が興した組織のうち社会の闇部を担当するセクションに魔法少女の力を利用して接触し、その機能の一部を自らのものとしていた。

 元々は裏社会の情報力を駆使して魔女狩りに利用しているものだったが、今は御崎 芽衣ひとりを探し出す為に活用していた。

 そして数日の調査の結果、候補のひとつとして挙がったこの都市区画整理の為に無人となった鉄筋コンクリート製の、いくつもの棟が建ち並ぶ古くさい団地にやって来た。

 街灯は点いているが等間隔に立ち並ぶ巨大な壁のような団地の群の中にはもはや生活の灯りがないため、広大な路地を歩いているとまるで漆黒の巨大迷路にでも迷い込んだかのような錯覚を覚える。

 築数十年と言われるこの建物の住人の退去が完了したのはついこの間のはずだが、古びた外観はもう既に廃墟の様相を呈していた。

「アタシさあ。見透かされんのって大ッ嫌いなんだよねえ」

 突如、夜の静寂に響いた少女の高い声に、レイカは立ち止まった。

「あんたには言ってなかったっけ?」

「さあ。初耳ですわ」

 傍らの棟の屋上に姿を現した水色のバレリーナを見上げ、レイカも瞬時に魔法少女に変身した。

「どうしてここが分かったのさ」

「目立ちますわよ?小さい女の子が平日の昼間に食料品店やコンビニをうろちょろするのって」

 御崎 芽衣の不機嫌な様子にも構わず、レイカは冷淡に応えた。

 きりえやみおみから聞いた御崎 芽衣のプロフィールを分析すると、狡猾な割に、享楽的で自分の欲望に忠実で、かつおおざっぱな性格のようである。

 悪知恵は回るようだが、自身の魔法にかなりの驕りがあり、攻め手に回るとそれなりに厄介だが、こうして追われる側になるとたちまち捕捉できてしまう。

 ここはもともと周辺の目撃情報から絞り込んだ隠れ家の候補地のうちのひとつだったが、御崎 芽衣の性格からして「追われている」と分かったら、こっそりとやり過ごすよりも追っ手を叩き潰してさっさと隠れ家を変えると判断するだろうことも分かっていた。事実、これだけ隠れ場所に事欠かない広大な場所にも関わらず、レイカが来ただけで芽衣はあっさりと姿を現した。

 つまり。

 殺す気である。

 そしてそれは、そのつもりでここに来たレイカも同様に。

「……!」

「派手に死になよ!」

 芽衣が展開した巨大なリングから大量のスクラップが撒き散らされ、それらをレイカが放った魔法球が丸く抉りながら貫いていった。

 だが小さな穴を開けられたくらいでこれほどの巨大な質量は止められず、潰れた自動車や廃家電が路上に次々と激突した。

 レイカは既にその範囲から駆け出している。ただし、棟と棟の間に入る愚は犯さない。高所は御崎 芽衣の戦法にとって優位の地である。迂闊に建物に挟まれる位置に入ると今のようにスクラップを撒き散らされて逃げ場がなくなる。

 団地の棟の並びの横の道を駆けるレイカを、芽衣が屋上を跳び移りながら追走してきた。

「あはははは!どうしたのさ!せっかく来たのに逃げるだけなのかな?」

「あなたは高い所がお好きなようね」

「言ってなよ!」

 芽衣が投げ放ったリングがレイカの進行方向の上空に飛翔し、またあの鉱山用超巨大ダンプトラックを吐き出してきた。

 地面に激突した鉄塊に道を遮られたレイカは、だが止まらずに跳躍し、巨大ダンプトラックの腹の機構に足をかけて上に飛び上がった。

「まだ足らないってんなら、喰らいなよ!」

 真横の棟の屋上に追いついた芽衣がさらに展開したリングから、今度は朽ちかけた電車を吐き出してきた。三両編成の長大な車体がまるで蛇のようにのたうって落ちてくる。

「……!」

 軌道変更のできない跳躍中の空中にあって、レイカは防護の魔法陣を展開して真上から降ってきた列車を受け止めた。

 空中を縦横に走ったテニスコートの白線のような防護柵を足掛かりに、バランスを崩して倒壊してゆく電車とは反対方向へと跳躍する。

 巨大な構造物が崩壊する轟音を聞きながら、レイカは団地のベランダの柵に着地し、そこから階段のように次々と上階のベランダへと跳ねていった。

「フトコロに入れば勝ちって!? 」

「お黙りなさい!」

 ようやく同じフィールドに至り、至近距離に迫った芽衣のリングの殴打をレイカのラケットが打ち払った。

「耳障りだわ。あなたの声」

「あんたの高飛車なツラもムカつくよ!」

 棟の屋上で二人の魔法少女がそれぞれの武器をぶつけ会う。

 その中でリングを両手で掴み、瞬時に二つに分裂させた一方のリングを芽衣はくるりと背中に回した。

 芽衣の背後には、戦闘開始時に放たれたオレンジの魔法球が迫っていたのだ。

「読んでたよこのバカ女!」

「それは結構なことね」

 芽衣のリングは内側を亜空間に繋げることができる。

 そこに魔法球を取り込んでかわすつもりだった芽衣の顔は、腕を肩の付け根から抉り飛ばされて驚愕に染まった。

「……っ!? 」

「バカはあなただったようね!」

 レイカの魔法球は「空間を掘削している」のである。そこに別空間の入り口があったとして、魔法球は術者であるレイカが存在する位相に従い空間を掘削するのだ。

 亜空間の入り口ごと腕を抉られた芽衣は僅かな混乱に体勢を崩した。

 間髪入れずに打ち返された魔法球は、だがそれでもぎりぎり身を捩った芽衣の鼻と左目を丸く抉って通過していった。

「!? 」

 まさかこの至近距離でかわされると思わなかったレイカは一瞬だけ目を剥いた。確実に仕留める為に、的の小さい「脳」を狙ったが故のリスクではあったが。

 だがその一瞬の隙に、片腕と顔半分を失った芽衣は血を撒きながら屋上のへりから横っ飛びに飛び出して落下していった。

 その残った顔には、嘲笑が浮かんでいた。

「そんな!? 」

 慌てて地上を覗き込んだレイカが見たものは、落下中に変身を解除し、瞬時に再変身して欠損した身体を元に戻し地上に着地した、五体満足となった芽衣の姿だった。

「あはははっ! バカはやっぱあんただったね!」

 復元された顔の嘲笑に歯噛みするも、レイカの脳裏には、御崎 芽衣との二回の戦闘の中で気付いたある推論が成り立っていた。

「……そう。魔法少女は、痛覚を完全に遮断することもできるのね」

「知らなかった? やっぱ知らなかった? あはははは!」

 すぐ戻ってきた魔法球を地上に打ち込むも、芽衣は即座にリングから巨大トレーラーを吐き出して、それに飛び乗って隣の棟の屋上へと飛び上がった。

 地下を抉って旋回し、屋上まで飛び上がってきた魔法球を、今度は身を翻して躱した芽衣は、分裂させたリングを投げ放ちながら哄笑を続ける。

「あはははは! せっかくだから、もうひとつ教えてあげる!」

「お黙り!」

 リングをかわしながら魔法球を打ち返すが、遠距離の撃ち合いになっては互いに容易く躱されてしまい、状況は膠着してしまう。

「いいから聞きなって! 例えばここにソウルジェムがあるじゃん?」

 扇ぐようにひと振りしたリングの中から放り出した卵形の宝玉を宙でキャッチした芽衣が、魔法球を躱しながらそれを突き出した。

「……!? 」

 レイカは目を剥いた。

 それは当然、芽衣のものでもレイカのものでもない。

 それどころか、レイカの知るどの魔法少女のパーソナルカラーとも異なる色をしている。

 少なくともレイカの知り合いではないが、つまり芽衣は、誰か他の魔法少女からそれを奪い取ったことになる。

「……あ、あなた、それ……」

「ははっ! そんでさあ、グリーフシードもこんなにあったりしてさあ?」

 背後から戻ってきた魔法球を踊るように躱しながら、芽衣は三個のグリーフシードをキャンディのように気安く指先に挟んで出して見せた。

「そんで、これは世間話なんだけどさあ? 穢れの転嫁って、それを行使する魔法少女の意志で操作できるじゃん? ってことはさあ、穢れを転移させる方向って自由にできるってことだよね?」

「まさか!? 」

 レイカがなにをする暇もなく、芽衣がソウルジェムとグリーフシードを接触させた。

「例えば、こんなふうにさあ!」

 たちまちグリーフシード三つ分の澱みがソウルジェムに流れ込み、どす黒く染まった卵形の宝玉にひびが入った。

「さあて! そう言えば魔女ってどこから来るんだろーね! 今からそれを教えてあげる!」

 上空に投げ放たれた黒く染まったソウルジェムだったものが微細に砕け散ると、爆発的な圧力が放射され、世界が塗り変えられていった。

「……な……あ……!? 」

 そこに現れたものに、吹き荒れる圧力に耐えながらレイカは完全に言葉を失っていた。

 

 夜も九時を回ったと言うのに、辺りが黄昏色に塗り潰された。

 結界に取り込まれた足場が、等間隔に並ぶ団地の棟の屋上ではなく、地平まで見渡せそうな広大無辺の平らな大地に変わった。

 遠く彼方を、陸橋のような黒い柵が次々と延びて結界を一周してゆく。

 どかどかっ、とどこからともなく飛来した巨大な洋風の外灯が地面に突き立った。それも、いくつもの外灯が次々と降り注いでは地面に突き刺さってゆく。

 やがてその外灯のうちの一本の足下から黒い線が地面に沿って長く長く伸びた。

 光源が判然としないのに地面に広がるそれを、レイカは「影」だと直感した。

 

 

 これなるは「影法師」の魔女。その性質は「憂鬱」。

 

 

 誰のものとも知れないソウルジェムから、魔女が、生まれた。

「……う……そ……」

 レイカは、黄昏の世界の中で呆然としていた。

「あはははははは! 知らなかった? ねえ、知らなかった? ソウルジェムが穢れきったらどうなるか、考えたこともないって顔だよね!あははははははは!」

 両手を広げた芽衣の哄笑が再び弾けた。

 いや、レイカも考えたことはあった。ただ、試すことができなかっただけ。魔女退治で忙しく、ソウルジェムを放っておく暇がなかったから。

 ソウルジェムが穢れきったら、単に魔法が行使できなくなるだけだと思い込んでいたのだ。

「さあ!せっかくだから、もっぺん訊くよ! あんたの正義がなんだって?あはははは!」

「くっ!? 」

 地面が水平になった為、疾く駆けて迫ってきた芽衣のリングの殴打を辛うじてラケットで打ち払った。

 だが、動揺したレイカの動きは明らかに精彩を欠いていた。

「ほらほらどうしたのかな? さっきの威勢はどうしたのさ!」

 リングによる連撃の最中に淀みなく分裂させたリングを次々と放り上げ、上空に舞い上がった直径を拡張させたリングから、タイヤのない自動車やら錆びたブルドーザーやらが次々と落下してきて、レイカに躱されては地面に激突して鈍い轟音を立てた。

「…………!? 」

 芽衣のスクラップによる質量攻撃は予備動作が明確で、躱すこと自体は難しくない。

 だが深い衝撃を受けた今のレイカでは、同時に襲いかかってくる芽衣を捌くことも困難になってきた。

 それどころか、ここは魔女の結界。

 異物の存在に気付いた魔女が、こちらに向かってその影の身体を伸ばしてきた。

 地を這う影は、足下に影がない「外灯」の使い魔の根本に取り付くと、最初の外灯の根本から身体を離してまた別の「外灯」の使い魔の根本に取り付く。

 それを高速で繰り返して「影法師」の魔女は迅速に迫ってきた。

 魔女の足場にならない「外灯」の使い魔は、その長大な身体を曲げて伸ばしては跳躍し、この広い結界内をのんびりと跳ね回っている。

 それどころか、今レイカの近くには遮蔽物になりそうな巨大な瓦礫が落ちている。

 とうとう逆さまの錆びたブルドーザーの足下にたどり着いた「影法師」の魔女は、影の身体を扇状に広げると無数の黒い針を無差別に爆発的な勢いで伸ばしてきた。

「……ッ!? 」

 咄嗟に前にかざしたラケットで幾本かの針を防ぎ、幾本かの針はネットに触れて消し飛んだが、肩と片足を貫かれて苦悶に身を捩った。

「あははっ! ゾクゾクする顔しちゃって、バカじゃないの!」

 そこに芽衣が駆け込んできた。

 自分の横に大きく拡張させたリングを転がしながら、亜空間に繋げたそれを盾にしながら魔女の横を駆け抜ける。

 魔女が無差別に伸ばした影の針のうち、芽衣を狙ったものは全てリングの中の亜空間に飲み込まれて、リングの向こうの芽衣には届かない。

「痛いのなんて、全部消しちゃえばいいじゃん!」

 迫る芽衣のリングの殴打を辛うじて弾き返したレイカは、「魔法少女は痛覚を完全に遮断できる」ことを思い出し、それを実行した。

 瞬時に、貫かれた箇所から煩わしい激痛が消失した。

(……確かに、これなら……!? )

 目つきを鋭くしたレイカが体勢を取り戻して大きく後退してゆく。

 それを追うように「外灯」の使い魔が次々とレイカの跡に降り立ち並んでゆく。

 芽衣は使い魔の頭の上に飛び乗って追跡し、使い魔の根本を魔女がジグザグに渡って追いかける。

 まるで二対一のようだが、魔女は魔法少女二人ともを狙っている。

「いつまでも調子に乗ってないで!」

 立ち止まったレイカが叫び、影の針を伸ばしてきた地面の魔女にラケットを振り下ろして魔法球を叩き込んだ。

『ーーーーーッ!? 』

 地面ごと身体を貫かれ、「影法師」の魔女がその輪郭を揺らめかせて身悶えした。

 その隙に外灯の使い魔の身体を蹴って飛び上がり、跳んできた芽衣を迎え討つ。

「ほら!」

 嘲笑する芽衣が扇ぐように振ったリングの中から裸の人間を放り出してきた。

 胸にナイフを突き立てられた少年の死体を、レイカは眉一つ動かさずにラケットを振るって消し飛ばし、外灯の使い魔の頭の上に降り立った。

「相変わらず、下劣なことをするのね」

 地中で旋回して再び魔女の身体を貫いて飛び上がってきた魔法球を、正面の芽衣めがけて打ち放つ。

「こちとら、生きてりゃ勝ちなもんでさあ!」

 同時に無数の瓦礫をばら撒いた芽衣は、片足のつま先を丸く抉られながらも瓦礫を足場に跳躍した。

 すぐに戻ってきた魔法球は躱されたが、レイカはそれを上空にいる芽衣へと打ち返す。

 血を撒きながら芽衣は、空中でリングから吐き出した巨大なスクラップを蹴って軌道を変えながら魔法球を躱した。

「あははっ! あんた、足下がお留守なんじゃないの!? 」

 芽衣の言うことなど信じられたものではない。

 だがレイカは下も見ずに「外灯」の使い魔の頭を蹴って別の使い魔の上めがけて跳躍した。

 一瞬、視界の端で下方を確認するが、思った通り地を這うしかない「影法師」の魔女は未だ地面でまごついていた。

「どっちにしろ跳ぶと思ったよ!」

 落下を続けながら芽衣が投げ放ったリングが鋭く飛翔し、レイカが着地しようとした「外灯」の使い魔を真っ二つに斬り倒した。

「チッ!? 」

 仕方なくレイカは使い魔の消えた地表へと着地した。

 即座に「影法師」の魔女が地面を滑るように迫り無数の影の針を全方位に伸ばしてくる。

 それは落下中の芽衣にも向かったが、芽衣はリングの亜空間を盾にしてやり過ごした。

 レイカは後退しながらラケットを振り、針を片っ端から消し飛ばしてゆく。

 レイカの周囲にいくつもの「外灯」の使い魔が着地し、さらにスクラップのトラックが地面に激突した。

「ええいちょこまかと!」

 戻ってきた魔法球を地面の魔女に打ち込んだ。

 三度身体を貫かれて魔女が身悶えする。

 既に周囲を使い魔や瓦礫で囲まれている。遮蔽物が多い。

 芽衣を捕捉しようと振り向いたレイカは、後方にいた芽衣に気付きラケットを振るった。

「……!? 」

 ところが、突然あまりにもラケットが軽くなったことに気付き、レイカは振り切った己の右腕を見下ろした。

「……!」

 そこには、肘から先には右手もラケットもなかった。

「……あ……」

 後方から投げつけられたリングがいつの間にかレイカのラケットを持つ手を切り離していたのだ。

 痛覚を完全に遮断していた為、その衝撃に気付けなかった。

「あはははっ! ほおらバカを見た!」

 残忍な嘲笑を浮かべ、芽衣は振りかぶったリングをレイカではなく、その足下に振り下ろした。

 地面に落ちたレイカの右手首、そこに巻かれたリストバンドに張り付くオレンジ色のソウルジェムを芽衣のリングの亜空間が飲み込んだ。

「あっ!? 」

 その途端、レイカの意識が途絶えた。

 

 レイカの知らないソウルジェムの特性。「魔法少女の本体であるソウルジェムが肉体を操作できる限界距離百メートル」を、亜空間に取り込むことで一気に引き離された「レイカの身体」は、魂の制御を失って瞳から光を失い、完全に脱力してその場に倒れこんだ。

 オレンジを基調としたテニスウェアのような魔法少女の衣装が、まるで電源を切られたモニターのように瞬いて消え、元の黒のパンツスーツ姿に戻った。

 

「あはははっ! ばっかみたい!じゃあね!」

 素早く身を翻すと、無数の影の針に串刺しにされるレイカの死体を置き去りにして芽衣は迅速に結界の外へと走り去っていった。

 

「……こりゃあ、あのバカの仕業か?」

 魔女の結界に降り立った佐倉 杏子は、結界内の惨状を見渡して呻いた。

 広大無辺の黄昏の空間のあちこちに、巨大な瓦礫やらスクラップやらが散乱している。

 そして跳ね回るいくつもの外灯に囲まれて、影型の魔女が影に引きずり込むようにして人間を貪り食っていた。

 少なくとも、その犠牲者は御崎 芽衣ではなさそうだ。影からはみ出た下半身の体格がまるで違う。

 御崎 芽衣は、どこかに隠れているのか、それとも……?

「……まあ、見つけ次第ぶちのめすだけだけどよ。」

 言って、獰猛な笑みを浮かべた杏子は長槍を構えて魔女へと駆け出していった。

 

 

◆◆

 

「教えてくれませんか? 芽衣ちゃんが、魔法少女になった訳を」

 空に浮かぶ絵画型の魔女が見下ろす、燃え盛る炎に巻かれた志摩家の敷地だった結界の中で。

 石畳敷きの広場でみおみと芽衣が向かい合っていた。

 純白の花嫁を、水色のバレリーナを、巻き上がる炎がそれぞれ朱色に照らしている。

 気圧されていた芽衣は、鼻を鳴らすと分裂させたリングを振りかぶった。

「……ぅるさいよあんた!」

 投げ放たれたリングは直径を拡張させながらみおみの真上に至ると内側の亜空間を展開し、中から巨大な鉄の円筒を車輪に持つロードローラーを吐き出してきた。

「みおみっ!? 」

 きりえは思わず悲鳴をあげた。

 後ろからでは顔も目線も見えないが、その瞬間みおみの頭は微動だにせず、芽衣が投げたリングを見上げようともしなかったのだ。

 圧倒的な重量の鉄塊が直下のみおみを圧し潰そうと落下してくるのに、みおみは先ほどの問いかけの応えを待つ姿勢のまま芽衣を見つめて立っている。

 間抜けな敵をもう殺したつもりで嘲笑っていた芽衣は、直後にその笑みを引き攣らせた。

「!? 」

 ロードローラーが、空中でやんわりと静止したのだ。

 みおみはそれを見上げてすらいない。視線も芽衣から僅かたりと逸らさない。

 なのになぜか落下をやめてしまったロードローラーは、みおみの真上で不自然に停止していた。

「……な、に?」

「芽衣ちゃん。教えてくれませんか?」

 絶句する芽衣の様子にも構わずみおみは同じ問いを繰り返した。

 瞳は真摯に芽衣をひたと見つめている。

 

 だが芽衣は、それを余裕の挑発だと判断し怒りに顔を歪ませた。

「……舐めんじゃないよッ!」

 絶叫しながら駆け出した芽衣は、振りかぶったリングを大きく拡張させて上から振り下ろした。

 十メートルにも及ぼうかという巨大なリングの内側は既に漆黒の亜空間に繋がれており、空中で静止していたロードローラーを飲み込んで消滅させるとそのままみおみを囲んで地面に叩きつけられた。

 その場にみおみを残して。

「…………は?」

 芽衣には意味がさっぱり分からなかった。

 亜空間接続が、ロードローラーのあった位置を通過した途端に解除されたのだ。

 それどころか、地面に叩きつけていたみおみを囲む芽衣のリングまでもが、水色の飛沫を瞬かせて弾けるように消滅してしまった。

「…………」

 呆然と、無手になった自分の両手を見下ろす。

 自分は魔法を解除するようなことはなにもしていないのに。

 なんだ?これはなんだ?

 初めて遭遇する現象に芽衣の手が震えた。

「っ!? っあああああああああ!」

 魔女を超える怪現象に、感じた恐怖を自ら否定するかのように吼えた芽衣はどこからともなく再びリングを取り出すとそれを振りかぶって殴りかかっていった。

 そこで初めてみおみが身動きした。

 くるりと翻した手のひらに現れたのは、円形の白い化粧用コンパクトに見えた。ぱかりと開かれた蓋の裏に鏡がついていたからだ。

 芽衣には、よもやそれが魔法少女・みおみの固有の武器だとは思いも寄らない。

「え?」

 そのミラーを向けられたまま突撃する芽衣は、突き出したリングを微細に砕かれ、なぜか自身の意図に寄らず変身を解除させられ、トレーナーにデニムパンツの姿に戻った身体が力を失って地面に倒れ込んでも何をされたのか一切理解できなかった。

 

 




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「アタシはナニもかもぶっ壊すつもりで帰ってきたんだ!」

第12話 アタシが魔法少女になったワケ

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第12話 アタシが魔法少女になったワケ

 燃え盛る炎に囲まれた石畳敷きの広場で、近寄ってひざをついたみおみが倒れ伏す芽衣の上体を抱き上げて膝枕した。

「……て、め……い、ったい、なに……を……」

 震える唇で絶えだえに芽衣が怨嗟を吐く。体中に力が入らず、睨め上げる視線も震えて定まらない芽衣の顔を覗き込んでみおみは穏やかな顔で応えた。

「だって。芽衣ちゃん、すぐ乱暴なことするんですもの」

 動けない芽衣の額を撫でて乱れた前髪をどかし、おっとりと微笑を浮かべる。

「お話がしたかったので、邪魔な魔力は最低限まで遮断させてもらいました」

「…………は?」

 転倒した時に落とした水色のソウルジェムを、みおみが拾い上げて芽衣の胸元にそっと置いた。

 芽衣には、みおみの言っていることが理解できなかった。

 今だって、芽衣を始末しようと思えば、ソウルジェムを砕けば呆気なくカタが付いたはずだ。なぜそれをしないのか。

 その時、周囲を取り囲む気配が変わったことに芽衣とみおみは気が付いた。

 結界内の線路をざくざく歩く「大衆」の使い魔も、外灯の足下で時計の針のようにかちかち回る影の「規律」の使い魔も、己の使命に没頭しているようで態勢に変化はないが、上空に浮かぶ巨大な額縁に納められた「正義」の魔女がようやく結界内の異物に気付いたのか、みおみと芽衣の方を向いたのだ。

 枠内の奇妙な絵画が不気味に蠢いている。

 絵画の背景に描かれていた細長い線が蠢くと、表面からいくつも浮き出るようにして実体化し、鋭い槍となってみおみと芽衣めがけて降り注いできた。

「……!? 」

「みおみっ!? 」

 動けぬ芽衣が恐怖に息を飲み、後方の防護柵の中からきりえの絶叫が飛んだ。

 だが、みおみは上空の魔女を見上げて再びその手のコンパクトを開いただけだった。

 

 それだけなのに、鋭く殺到してきた無数の槍が次々とみおみの手前で音もなく霧散して消えてしまった。

「!? 」

「……あれ、レイカさんなんですよね……」

 思わず目を閉じた芽衣の耳に、もの悲しげに呟くみおみの声が聞こえた。

 みおみは、先の動作からずっと上空の魔女を見つめていた。

「ソウルジェムは、穢れに染まるとグリーフシードになって、魔法少女は魔女になってしまうんですね……」

「…………!? 」

 みおみの考察に、きりえは はっとした顔でみおみの背を見返した。

「そんな!? 」

「……そう、だよ」

 みおみの膝の上で、芽衣が忌々しげに呻いた。

「芽衣ちゃん。元に戻す方法を知ってますか?」

「……だから、なにをさっきから慣れなれしく……」

 歪んだ顔でそこまで呻いた芽衣が、ふと口の端を釣り上げた。

「……アタシの魔力を元に戻してくれたら、アタシに、イイ手があるよ」

「知らないんですね」

「!? 」

 返す刀でずばりと嘘を看破され、芽衣が目を見開いた。

「……てめえ……ふざけんなよ、アタシを元にもどせ」

 再びそこに絵画の槍が雨霰と降り注ぎ、みおみに当たる手前で全て消えてしまった。

 

「っ!? 」

「……では、仕方ありませんね……」

 喫驚して芽衣が目を瞑った瞬間も変わらぬ態度で魔女を見上げていたみおみは、再びコンパクトを取り出すと、それを開いて上空の魔女にぴたりと鏡を向けた。

 その途端、周囲の光景が歪み、波打ち、一方へと引き延ばされた。

 景色そのものが、まるで布に描かれた絵のように引っ張られ、しわを寄せられてどこかへと手繰られてゆくのだ。

 その消失点は、みおみの手の鏡の中。

 まるでそこが排水口であるかのように、結界の景色が吸い込まれてゆくのだ。

『ーーーーーッ!? 』

 そしてそれは、「正義」の魔女もその使い魔も例外ではない。

 突然の圧力に身じろぎするも、上空に浮かぶ巨大な絵画が周囲と同じ勢いでみおみの手元に引き寄せられてゆく。

 それらは景色ごと圧縮され、渦を描くと次々と黒い飛沫を散らしながらみおみのコンパクトに吸い込まれて消えていった。

 一瞬の出来事だった。

「……!? 」

「…………!? 」

 瓦礫と炎に囲まれた現実世界の志摩家の敷地の中庭で、唖然とするきりえと芽衣に構わず、芽衣に膝枕したままみおみはコンパクトをぱたんと閉じた。何事もなかったかのように。

 ただ、頬に一筋の涙を流して。

 それと同時に白いヴェールの防護柵が消え、きりえは改めて魔女や使い魔がいなくなった周囲を見渡すと、慌ててみおみの元へと駆け寄った。

「……みおみ、今のは……」

 問いかけるも、さめざめと泣き暮れるみおみの姿に思わず言葉を詰まらせた。

 やがて、両手に握られていたコンパクトを、みおみはくるりと裏返した。

 コンパクトの底面には、魔法陣めいた装飾が描かれている。

 その中心から何か、尖ったものが透けるようにして生え、やがて丸い胴体を引きずって全体を現しコンパクトの上に浮かび上がった。

 それは、グリーフシードの形をしていた。

 だが、中央の球体が、純白だった。

「……うそ……?」

「残念です」

 沈鬱に呟き、みおみがそっとそれを握り込んだ。

「……おい……なんだ、今の魔法は? そんなの、アタシ知らないぞ……?」

 一連の流れを呆然と見ていた芽衣が、膝の上から驚愕の眼差しで戦慄いていた。

「なんだ、それは……!? あんた、なにをした!? 」

 体中から力を奪われているにも関わらず、それは叫ぶ心地で。

「どんな願いをすりゃ、そんな魔法になるんだよ!? ぐ、グリーフシードが、白に? 」

「元々は、きりえちゃんが魔法少女だったんです」

 みおみの応えに、芽衣の首が僅かに震えた。驚愕に身を捩ろうとしたのだろう。

 芽衣の、きりえに対する執着の感情は、質はどうあれ本物のようだ。

「それを、わたしの願いで元に戻してもらいました。 それによって生まれたわたしの魔法は、「中和」です」

「……な……!? 」

 がたがたと震える芽衣は、視界に映る範囲のみおみの純白の花嫁衣装をじろじろと凝視した。

「……あ、有り得ないだろ!? なんで……なんでソウルジェムが濁らねえんだ!? こんだけのことをしたら、かなり消耗するだろ!? 」

 芽衣の目線は、みおみの胸の中央に衣装の装飾の一部のようにして張り付いた楕円形のソウルジェムを凝視していた。

 それを追って見つけたきりえも驚きに目を見張った。

「ちょっと、みおみ!? どうして!? 」

「さあ? 少しは消耗していますよ? ただ、芽衣ちゃんやレイカさんの場合は、魔力なら相手さんがいっぱい持ってますから、それをちょっと利用させてもらってるだけで」

 完全中和魔法。加えて固有の武器であるコンパクトミラーが魔力を反射し、まるで合気道のように相手の力を受け流して利用し自らの力に転化する。

「……で、でも、さっきのロードローラーは? あれ、ただの機械だよね?」

「魔力に限らず、エネルギーならなんでも中和できますよ? 位置エネルギーも、運動エネルギーも、重力も」

 それがみおみの魔法。きりえとの落下速度を調整し、質量攻撃を受け止め、芽衣の魔力を遮断した。

 魔法少女としての言わば本体であるソウルジェムからの、身体を動かす魔力を抑えられた為に芽衣はこうして倒れ、指一本動かすことすらできなくなっているのだ。

「……ば、ばかな……!? そんな、むちゃくちゃな魔法……!? 」

 つまりそれは、いかなる魔法を以てしても、みおみの前では全てが無力であるということ。

 対抗できる魔女も、魔法少女も存在しないだろう。

「さあ。芽衣ちゃん。教えてくれませんか? 芽衣ちゃんが魔法少女になった訳を。 それと、レイカさんと何があったのか」

「あ!」

 そこでいきなりきりえが声をあげた。

「あんた、みおみ、さっき……」

 言ってきりえの震える指先が指したのは、みおみの手に握られた、純白のグリーフシード。

「あんた、レイカさんのこと……」

「もしあれが、本当にレイカさんだとしたら」

 みおみが、ゆっくりときりえを見上げた。

 静謐な、真摯な眼差しで。

「レイカさんも言ってましたよね? 契約してしまった者の責任だと」

 その眼差しに、きりえは縛られたかのように動けない。

「ずっと正義を謳ってきたレイカさんが、魔女に変質してしまったとしても、害を為すのは本意ではないでしょう。なにより、きりえさんを守りたいと言っていました。 すぐに元に戻せない以上、きりえさんの生命を守る為には、レイカさんの矜持を守る為には早急に倒させてもらうしかありませんでした」

「……ふん」

 膝枕の上で鼻で笑った芽衣を、ふたりが見下ろした。

「……なんなんだよこの女。だからって躊躇なさ過ぎだろ。なんでこんな……」

 目を閉じて芽衣は嘲りの混じった溜め息を吐いた。

「いいよ。教えてあげるよ。アタシが魔法少女になったワケ」

 

 

 アタシの両親はアタシが小学生の時に離婚した。

 久那織市を離れたのは、親権を得た母親の実家に共に引っ越す為だった。

 それから数年経ったある時、母さんは再婚して、アタシはまた別の町に引っ越した。 その「新しい父親」の家に。

 アタシが中学校に上がった頃だった。

 新しい父親は優しかった。母さんの連れ子であるアタシを実の娘のように可愛がってくれた。

 いや。「実の娘のように」だなんてワケがない。

 普通の「父親」は、娘に乱暴したりはしないだろう?

 新しい父親は、最初からアタシが目当てで母さんに近付いたんだ。

 再婚してからも母さんは離婚してから始めた仕事を続けていた。

 同様に職に就いている新しい父親とは生活時間も休日もズレているから、母さんの目を盗む隙はいくらでもある。

「お母さんにバラしてみな。お前の手足へし折って、山奥に捨ててやるから。 芽衣ちゃんだって、生活する場所は惜しいだろう?」

 アタシは竦み上がった。同じ理由で学校が終わった後も寄り道して帰りを引き延ばすこともできなかった。

 アタシは新しい父親の暴力に苛まれ続けた。

 それはだんだんとエスカレートしていった。

 母さんのいない時間を見計らって、そいつは知らない男どもを連れてきた。

 そいつの知り合いらしき男たちは、要はそいつと「同好の士」らしく、アタシを弄ぶケダモノは三匹に増えた。

 母さんに相談しようとしても、できなかった。暴力への恐怖は確実にアタシの心を縛り付けていたから。

 それからしばらくして母さんは帰りが遅くなりがちになり、やがて帰ってこなくなった。

「え?お母さん? は、もうここには戻ってこないよ」

 そいつは嫌らしい笑みで告げた。

「お前のお母さんはな、生活費欲しさにお前を俺に売ったんだ」

 愕然とした。信じられなかった。

 それからは家を出ることを禁じられ、奥の鍵付きの別室に閉じこめられた。

 電話線も断たれ、男がいなくとも逃げることも助けを呼ぶこともできなくなった。

 だがいずれ、学校や周囲が不振に思うはずだ。誰かが助けに来てくれるはず。

 そんな微かな希望にすがりながらアタシは毎晩暴力に耐えていた。

 でも、そんな甘い希望はいつまで経っても来やしなかった。

 それどころか、ある時から体調がおかしくなった。

 男どもは、アタシが苦しんでも、挙げ句吐いても構いやしなかった。

 その症状がいったいなんなのかを理解したのは、下腹部の隆起が無視できないくらい異常に大きくなった頃だ。

 妊婦の姿は見たことがあった。

 だからアタシは「赤ちゃんが出来たのだ」と直感した。

 そしたら全身を寒気が走った。体内に抜けようのない楔を打ち込まれた気がして。体内に異物を埋め込まれたようで。

 それでも男たちは一顧だにしなかった。アタシの腹が膨れても一向に暴虐を止めなかった。

 もうやめてといくら懇願しても聞き入れられなかった。

 アタシはだんだん積み重なる恐怖で自棄になっていった。

 いずれ内側からこのよく分からないモノに喰い破られてアタシは死ぬんだ。呆然と天井を見上げて寝転んでいた。

 その時だ。キュゥべえが現れたのは。

『やあ。ボクはキュゥべえ! ボクは君にお願いがあって来たんだ!』

 正直、そんなマンガのマスコットみたいなものに用はなかった。夢物語の存在が今さら動いて目の前に現れたところで、アタシの不幸が変わる訳じゃない。そう思った。

『ボクは君のお願いを、なんでもひとつ、叶えてあげる。 その代わり、君には魔法少女になって、魔女と戦って欲しいんだ』

「……なに言ってんのあんた」

 それならなにも、こんな所で死にかけている自分になど頼まなくてもいいじゃないか。

 

『君には素質がある。ボクだって見境なしにお願いしているワケじゃない』

「……じゃあ、これ、堕ろしてよ」

 寝転がったまま腹をなで、逆さまに見えるキュゥべえに捨て鉢に叫んだ。

「アタシの身体から、あの汚い男どもに付けられた傷跡を、なにもかも消して見せてよ! できるもんなら!」

『……君の祈りは、エントロピーを凌駕した』

 できるわけがないと高を括っていたアタシは驚いた。

 若干の苦しみの後に胸から出てきたソウルジェムを受け取った時には、全身を苛むあらゆる不快感が消滅していて、お腹の膨らみも、最初からなかったみたいにきれいに消えてなくなっていた。

「……あ……」

 身体が、完全に暴行を受ける前の状態に戻っていたのだ。

 そして、アタシはこの「魔法」とやらの可能性を直感した。

 それからの行動は迅速だった。

 足と壁を繋ぐ鎖を断ち切り、濁った薄笑いを浮かべて家に入ってきた男どもを「素手」で殴り殺し、最後に驚いた顔で部屋に入ってきた継父を足から丹念にちぎってやった。狂乱するそいつから母さんの居場所を聞き出し、最後には真っ二つにしてやった。

 

 男どもの死体を残らずリングの亜空間に放り込んだアタシは、次は母さんの所に行った。

 住処である小さなアパートに戻ってきた母さんは、窓から入り込んでいたアタシを見つけて驚いた顔をしていた。

 その顔のまま袈裟掛けに輪切りにされて動かなくなった。

 正直、身体が元に戻っても、もう何もかもがどうでも良くなっていた。

 ただ人体を切断する感触と、物を壊すのが楽しくて、そのついでに魔女退治をやっていた。

 他のバカな魔法少女どもも同様だ。

 細かいことは、もう忘れた。

 こんなことを繰り返していれば、そのうち殺そうとした相手に殺されて、なんとなく終わるだろう、そんなふうに考えていた。

 そんな時、ふときりえお姉さまのことを思い出した。

「そうだ。教えてあげなくちゃ。世界はこんなに汚くて、醜くて、あんなにけらけら笑うほど楽しいもんじゃないって。教えてあげなくちゃ」

 昔の、久那織小学校に通っていた頃の思い出の、なんと白々しいことか。

 アタシは実父の元へ行き、再会を喜ぶ素振りを見せるそいつの前に、母さんの半分を放り出して見せて、脅して命令した。

「いいから、アタシが久那織中学校に入れるように手配しなよ」

 そして、アタシは久しぶりにお姉さまの前にやって来た。

 

 

「分かったかよこのボンクラども! 分かったらさっさと離」

 捨て鉢に罵声を上げた芽衣の頬に、ぽつりと涙が落ちた。

 芽衣を見下ろして、さめざめと泣き暮れているみおみの涙が。

 横に立つきりえも、口元を押さえて泣きじゃくっていた。

「……おい。舐めんなよ。哀れまれるとな、なおさらムカつくんだよ!」

「だって!? お友達がそんなに辛い目に遭っているのに!? 悲しくないわけないじゃないですか!? 」

 みおみに絶叫されて、芽衣は怪訝な顔になった。

「……だから、なんであんたがトモダチ面するワケ!? 意味わかんないんだけど」

「ウチの母さんが死んじゃったの、知ってる?」

「!? 」

 きりえの言葉に、芽衣は跳ねるようにその泣き顔を見上げた。

「……うそ……おばちゃんが!? 」

「私もね、それで人生と自分の家が嫌になっちゃって。家事とか押しつけられてさ。それで、キュゥべえにお願いして、みおみと人生を入れ替えてたの。 そっちも嫌になっちゃって、元に戻してもらっちゃったけど」

「ですから、わたしも悲しいんです。 だって、昔、くなしき公園で最後にみんなと遊んだことだって楽しい思い出として残ってるのに」

 どこか自嘲ぎみに語るきりえと、みおみの顔を芽衣は変わるがわる見上げた。

「でも、芽衣ちゃんのに比べたら、私の問題なんてほんと、ぬるいよね。 人のこと、言えないね」

 きりえが、涙を拭ってうつむいた。

「ねえみおみ。ずっと守ってもらってて、レイカさんにも悪いんだけど、私、キュゥべえにお願いして、芽衣ちゃんの辛い記憶を、なかったことにしてもらおうと思うの。……ダメかな」

「それが、きりえちゃんの願いなら。わたしが口を挟めることじゃありません」

「……おい!? 」

 きりえとみおみの会話に、芽衣が血相を変えて叫んだ。

「さっきからナニ言ってやがる!? アタシはナニもかもぶっ壊すつもりで帰ってきたんだ!今さらトモダチなんか欲しくねえよ!? 」

「みおみに教わったの」

 怒鳴る芽衣を、きりえが透き通るような笑顔で見返した。

「友達の為に、できることは、してあげたいなって」

「いらねえよ! なんでそんな」

「みおみ。私ん時みたいに、邪魔されるとなんだし、そうやって押さえておいて」

「はい」

「おい!? 」

「キュゥべえ!」

 慌てる芽衣を無視して、きりえは辺りに呼びかけた。

 確証はないが、キュゥべえは神出鬼没だ。なんとなく呼べば出てくるような気がしていた。

『なんだい?』

 テレパシーで脳裏に響く声は、耳に届く音と違って発振源の特定が難しいが、同時に一瞬だけ届いてきたキュゥべえの視点の光景のイメージからその方向を振り向いた。

 夜空よりどす黒い煙を噴き上げる志摩家本邸だった瓦礫の一部、未だ建物の原形を留めている角の部分の屋根の上に、ふっくらした尻尾を右に、左にと振るキュゥべえの姿があった。

「……なんでそんな遠くにいんのよ……」

『話は通じるから、いいじゃないか。 それで、ボクに用かい?』

「うん」

 きりえは、若干怪訝に思いながらもうなずいた。

 まあ確かにキュゥべえには心象よからぬ所が多過ぎて、近くにいたら思わず蹴ってしまうかもしれない。

「私、魔法少女になる! 私のお願い、聞いてくれる?」

 ところが、キュゥべえは首を横に振った。

『悪いけど、今は忙しくて聞けないな』

「は? なんでよ!? なにが忙しいってのよ!? 」

 みおみからは既に聞いていた。キュゥべえにとって人間に魔法少女になってもらうことは、魔女退治以外にも何らかの利益があること。

 それに寄れば、キュゥべえが自主的な契約を断るというのは考えにくいことだった。少なくともきりえには全く想定外のことだった。

「ちょっと! みおみのお願いは聞けて、私のお願いは聞けないっての!? 」

『別に個々人を差別する理由はないよ。今は忙しいって言っただろう?』

 キュゥべえは悪びれもせずに同じ言葉を繰り返した。

『ねえ、芽衣。頼まれてたものが届いたよ』

「え?」

「?」

 三人が同時に怪訝な声を上げた。

 みおみときりえが、芽衣を見下ろした。

「ちょっ、キュゥべえ、それって……」

 芽衣が、キュゥべえを見上げて唇を震わせている。

『ょいっしょ』

 言って跳ねたキュゥべえの、背中の赤い円形の紋様から小さなリングが飛び出すと、それは急速に拡大しながら志摩家の上空に滞空した。

 それは、芽衣の魔法少女としての武器と同じもの。

 だが芽衣は力を奪われてみおみの膝で寝ており、武器を生成するなどできるはずがない。

『さて。じゃあ開くよ』

 言ってキュゥべえが色とりどりのソウルジェムを二、三個、尻尾の上で転がして言った。

「ま、待ってキュゥべえ!? 」

 芽衣が力を奪われていながらも絶叫した。

「け、計画は、中止! 中止だからっ! それは、返してきて!」

「へ?」

 芽衣の慌てぶりに、きりえが怪訝顔になった。

「ちょっと、芽衣ちゃん、どうしたの?」

「おい!? あんた! アタシを離せ! ヤバい事になる!」

「ほえ?」

 言われ、みおみはあっさりと芽衣の魔力中和を解いた。

 ソウルジェムからの魔力供給が回復するや否や、跳び起きた芽衣は瞬時に魔法少女に変身して駆け出した。

 キュゥべえの元に。

『そうは言われても、もう芽衣の魔力領域に入っちゃってるよ? すぐに出さないと、いくら芽衣の魔法でも長くは保たないよ』

「うるさいっ!」

 走りながらリングを取り出した芽衣は、それをキュゥべえめがけて投げ放とうと振りかぶった。

『すぐにって、言ったじゃないか』

 屋根の上で、微動だにせず呟いたキュゥべえの前で、芽衣の右耳に提げられた水色の涙滴型のソウルジェムが有り得ない速度で真っ黒に染まりきり表面にひびを入れた。

「っ!? 」

 芽衣はたちまちもんどり打って地面に倒れ込んだ。駆けてきた勢いのまま地上を転がる。

「芽衣ちゃん!? 」

「芽衣ちゃんっ!」

 みおみときりえの叫びが重なる。

「っああっ!? ああああああああああ!」

 頭を、耳のソウルジェムを押さえ、石畳の上で身悶えする芽衣が悲鳴を上げ、とうとう微細に砕け散る音と共に芽衣のソウルジェムが粉々になった。

『あーあ。すぐにって言ったのに』

 芽衣のソウルジェムだったものから吹き上がる黒の霞を見上げてキュゥべえはげんなりと溜め息を吐いた。

 石畳に転がる芽衣の身体は私服姿に戻っており、完全に脱力して倒れている。

「……ちょっと、キュゥべえ……なにしたの……?」

 呆然と、きりえが問うた。

「なんで、いきなり芽衣ちゃんのソウルジェムが壊れんのよ!? 」

『芽衣に頼まれたんだよ』

 しれっといった調子でキュゥべえは応えてきた。

『この街を壊すから、一番強い魔女を持ってきてくれ、って』

「「……え?」」

 みおみと、きりえの、呆然とした声が重なった。

 

 

「……で? そいつはどこにいんのさ」

 無人の団地の一室で。

 芽衣は壁に背中を預け両足を投げ出した体勢であごをしゃくった。

『経度およそ26.79、緯度およそ52.12の地点さ』

「……殺すよ?」

『芽衣には無理だよ』

 殺気を放つ芽衣に、向かいに行儀良く座るキュゥべえはしれっと応えた。

『いずれにせよ、芽衣が徒歩で簡単にたどり着ける場所じゃないからね。 芽衣の魔法を貸してよ。ボクが芽衣の亜空間を借りて、その魔女を閉じこめてこよう』

「は?」

 芽衣は怪訝に首を傾げた。

「なに?魔法を貸すって。 それに、要はムチャクチャ遠くにいんでしょそいつ? どうやってあんたが捕まえに行けんのさ」

『願いを叶えるのと要領は同じさ。幸い、芽衣の魔法は、芽衣の手から離しても効果を発揮する。発現しさえすれば、ボクでも操作くらいはできるんだ』

 ひょこり、と白い尻尾が揺れた。

『それと、多数のボクの個体がこの星の各所で同時に活動しているって話はしたよね。 ボク同士は、内部では高次元を経由してひとつに繋がっているんだ。 ここのボクが借り受けて取り込んだ芽衣の魔法を、その魔女の近くにいるボクが取り出して使用しその魔女を捕まえる。そしてまたここのボクがそれを取り出すのさ。容易いことだよ』

「……ふーん」

 芽衣は半分も理解していない顔だったが。

 

 

『それで芽衣の魔法の一部を借りて、代替エネルギーとしてのソウルジェムも預かったってのに。 こっちのソウルジェムを使って開封してやれば、芽衣自身の魔力を消耗させることはなかったんだ。 それを芽衣が止めようとするから……』

 キュゥべえが頭を振る。

『あんな巨大な魔女を、いくら芽衣の広大な亜空間だって、いつまでも留めておける訳がないのに。亜空間に物を収納しているのは、芽衣の魔力なんだから』

「……なに? なにを言ってるの?」

 きりえが、聞こえてきた単語の不気味さに、恐怖に震えていた。

『いるんだよきりえ。強大過ぎて結界に閉じ篭もる必要がない、やること為すことが全て自然災害と謳われ、世界各地を放浪してはあちこちに伝説を残してきた、世界最大級の魔女が』

 どこか覗き込むかのような圧迫感を以てキュゥべえが、だが朗らかな調子で告げた。

 

『そいつには、唯一名前がついている。世界各地で畏れ慄かれる名が。 この国の言葉では、それを』

 キュゥべえの上空に滞空している、巨大リングを縁とした漆黒の円盤に、びしりとひびが入った。

『「ワルプルギスの夜」と言うね』

 

 




◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 

「私も魔法少女になるから、一緒に戦おう!? それしかない!」

第13話 お手伝い、してくれますか?

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第13話 お手伝い、してくれますか?

 舞台の開幕を告げるように鐘の音が幾重にも鳴り響く。

 どこからともなく舞い降りたオペラカーテンが左右に割れ広がって消えていった。

 瓦礫の荒野と化した志摩家の敷地を、渦巻く闇の彼方から道化めいた意匠を施された像やゴンドラが無数に行列を成して現れ粛々とみおみときりえの脇を通過していった。

 そして砕かれた空中の芽衣のリングの中から現れたものは、無数の歯車が出鱈目に噛み合って回り続ける奇妙な機械。

 天板と奈落が入れ替わり、回り舞台が宛もなく回転を続けている。

 それは複雑怪奇な舞台装置。

 だが、その舞台で舞うべき役者はひとりだけ。

 全ての歯車を、天から底へ貫く一本の軸の最下端に、逆さまにぶら下がる粗末な案山子(かかし)がゆったりと回転していた。

 嬌声が聴こえる。

 それは案山子の丸い頭に穿たれた、三日月のような釣り上がった口から狂ったように吐き出されているのだ。

 粗末なドレスを着せられて、舞台役者の案山子は喚くように、叫ぶように哄笑い続けていた。

 

 

 これなるは「舞台装置」の魔女。その性質は「無力」。

 

 

「ひゃっ!? 」

「わっぷ!? 」

 突如、地上を舐めた突風のような圧力にみおみときりえが喫驚する。

 だがそれはみおみの魔法によって瞬時に中和された結果。

 放たれた魔力の真の効果はふたりの周囲で発揮されていた。

 ざっ。と土砂降りの雨が降り注ぐ。

 散乱する瓦礫が宙に浮かび始め、あろうことか暴雨をものともせずに紫色の不気味な炎を噴き出したのだ。

 まるで舞台を囲む篝火のようだ。

 見れば、魔女の──キュゥべえが言うところの「ワルプルギスの夜」の周囲には既に、潰れたタンカーやら列車やらクルーザーやら、果ては屋敷の残骸に至るまでが浮遊していた。

 比較対象と並んだことで、空中にあるその魔女の異常な巨大さが知れた。

 そしていつの間にか。空が、見渡す限りを鈍い灰色の雲が覆い尽くし不穏な渦を描いていた。

 暗雲は、遙か彼方まで覆っている。落雷もあちこちで発生していた。

 吹きすさぶ暴風も豪雨も、みおみの周囲で中和されて二人には直接当たってはいないが、志摩家を中心とするかなりの範囲が大嵐に見舞われているようだ。

 下手をすると、この久那織市を中心とする広域が嵐に襲われているのではないだろうか。

「……な、なによあれ……」

 その大きさも、規模も、自分の知るどの魔女とも桁違いであろうことは今のきりえにもなんとなく分かる。

『だから、「ワルプルギスの夜」だよ』

「そんなこと聞いてんじゃない!」

 いつの間にか足元に来ていたキュゥべえにきりえが怒鳴り返した。

『そんな事よりきりえ。ボクの用事は済んだから、君のお話を聞いてあげられるよ。なんの用かな?』

 だがキュゥべえはきりえの剣幕など意に介さず、ひょこっと小首を傾げてきりえの顔を見上げてきた。

「……あんたって奴は……!? 」

 これほどの異常を為しておきながら飄々たる言い種に、戦慄と共にきりえの頭に血が登った。

 そこではたと思い出したきりえは、遠くで倒れている芽衣の亡骸を振り向いた。

 最後に見た地点からは圧力に吹かれて転がされてはいたが、離れた位置に脱力した姿勢で倒れたままだ。

「……ねえ、みおみ。 私の願いで、芽衣ちゃんを生き返らせて……」

「それを、芽衣ちゃんが喜ぶでしょうか……?」

 間髪入れずに応えたみおみの意見に、きりえは はっと振り返った。

 そうだ。世界への憎しみに染まったままの芽衣を生き返らせても、彼女の深い憎しみを取り除いてあげられるだろうか。

 恐らく、みおみの魔法を知ったなら、今度こそ姿を眩ませてみおみもきりえもいない街で同じことを繰り返すだけだろう。

 きりえが使える願いはひとつだけ。「生き返らせて」「辛い記憶を消す」。二つの願いを行使することは、できない。

「……くっ!? 」

 そうこうしている内に、芽衣のソウルジェムから吹き上がった黒の霞が、その勢いのまま「ワルプルギスの夜」の歯車の中に吸い込まれて消えてしまった。

「ああっ!? 」

 きりえが嘆きの悲鳴を上げる。

 「ワルプルギスの夜」は、他の魔女を喰らうこともするのか。

 やがて最下端に逆さまにぶら下がる案山子の顔を正面として「舞台装置」の魔女の身体が回転し、無数の歯車の山が向きを変えると宙を移動し始めた。

 それに伴って黒雲が激しく渦を巻き、稲妻を撒き散らし、浮かび上がった瓦礫のいくつかが凄まじい勢いで彼方に吹き飛んでいった。

「ぅわああああああ!? 」

 きりえが悲鳴を上げた。

 みおみと、その側にいるきりえには一切の衝撃も伝わってこないが、巨大な質量がうなりを上げて吹き飛んでゆく様はとても恐ろしい光景だった。

 彼方で、その瓦礫がどこかに激突した音だろうか。凄まじい振動と轟音が響いてきてきりえは思わずみおみにしがみついた。

「……っっ!? み、みおみっ!? このままじゃ、街が、みんなが!? 」

『ねえきりえ? 立て込んでいるみたいだけど、ボクが力になってあげられるんじゃないかなあ?』

「うっさい!」

 この期に及んで見え透いた勧誘を嘯くキュゥべえにきりえは怒鳴りつけた。

 みおみはきりえを背後にかばったまま、コンパクトを展開して上空の魔女に向けた。

 その途端、歯車の山が移動を止め空中で静止した。

「……やった!? 」

 ところが、みおみの魔力干渉に気付いたのか、宙に浮かぶスクラップの自動車やら屋敷の瓦礫やらがみおみときりえめがけて襲いかかってきた。

「ひゃああああああ!? 」

 きりえの悲鳴を容易く掻き消す轟音が響いて瓦礫が地上に激突し、粉々に吹き飛んでいった。

 土煙の跡からは、白いヴェールの防護柵に囲まれて無傷の二人の姿が現れた。

「大丈夫ですかきりえちゃん!? 」

「私は大丈夫だけどッ!? 」

 防護柵を境に足元の地面が丸く抉られていた。

 その威力にきりえは恐々とするばかり。

「みおみ、逃げよう!? こんなバカでかい魔女、見たこともないよ!? 」

 未だコンパクトミラーをかざしているみおみの肩をきりえが掴んで叫んだ。

「一人じゃ無理だよ!? 誰かと協力しよう!? 隣町に、強い魔法少女知ってるから!」

「いいえ」

 みおみは首を振った。

「体勢を立て直す前に、街が全部壊れちゃいますよ」

 凄まじい暴風と瓦礫の嵐の中、みおみは「ワルプルギスの夜」から瞳を逸らさずに応えた。

「実はわたし、きりえちゃんを守りながらあの魔女を抑え込むので、もういっぱいなんです」

「え?」

 それは余りにも普通の言い方で、きりえは一瞬なにを言われたのか分からなかった。

「今も、レイカさんの時のように吸引しようとしているんですけど……」

 見れば、みおみと魔女を繋ぐ空間が歪曲し、みおみのコンパクトミラーに吸い込まれている。

 ところが、宙に浮かぶ巨大な魔女は、微動だにしていないのだ。

「……な、なんで!? 」

『「ワルプルギスの夜」の結界は、他の魔女とは質が異なるよ』

 嵐の轟音を越えて、ふたりの脳裏にキュゥべえが朗らかに注釈を告げてきた。

『厳密には「結界」とは違うんだけど、「ワルプルギスの夜」はその強大さ故に、結界に隠れ潜む必要がない。 だけど魔女の魔力の影響は一般に自殺などの人身事故として現出するのは知っているよね』

 正直それどころではないが、きりえは脳裏で滔々と語るキュゥべえの言葉に集中した。

『「ワルプルギスの夜」の魔力はね、その影響の規模も比例して跳ね上がるんだ。他の人間たちには、これらの異常も自然災害だと認識されている。「ワルプルギスの夜」が、異常認識の干渉波を同時に放射しているからなんだ』

「だから、なんなのよ!? 」

『みおみが引き寄せているのは、「ワルプルギスの夜」が放射し続けている干渉波だよ。みおみが吸い込むよりも速く膨大な干渉波が放射されているから、さっきの魔女のようにはいかないと思うな』

「……!? 」

 きりえにはキュゥべえの言っていることの半分も理解できなかったが、要はみおみの魔法が通じないであろうことはなんとなく見当が付いた。

「…………」

 巨大魔女は動かず、みおみも退くことができない。膠着状態である。

 魔法の防護柵の中に入れてあげることもできずに芝生の上で倒れている芽衣の亡骸を見遣り、上空の魔女を見上げ、みおみの背中を見つめた。

「…………!」

 きりえは、決意した。

「ねえ、キュゥべえ」

『なんだい? きりえ』

 キュゥべえはいつもと変わらぬどこか暢気な調子できりえを見上げてきた。

「お願いがあるの。聞いてくれる?」

『魔法少女になってくれるなら。 ボクは君の願いをなんだって叶えてあげられるよ』

 膠着した状況を動かすには、やはりどうしても魔法少女がもうひとり必要だ。

 このままでは、いずれみおみのソウルジェムも消耗して壊れてしまう。

「私、」

『だめ』

 きりえの脳裏で弾けたみおみのテレパシーがはっきりと制止した。

『それはだめ』

『でも、みおみ!? このままじゃジリ貧だよ!? 』

 きりえは魔女を足止めし続けるみおみの背中を振り向いて脳裏で叫んだ。

『二人が助かる為だよ!? 私も魔法少女になるから、一緒に戦おう!? それしかない!』

『だめ』

 だが、みおみは頑なに拒否した。

『わたしには、なんとなく分かるんです。あの大きな魔女は、例えきっとレイカさんの魔法でも倒しきれない。大勢の魔法少女がいればいいとか、強い魔法をぶつけてやるとか、そういうんじゃないんです』

『え……?』

 きりえは思わず身動きを止めた。

『じゃあ、どうするの……?』

『きりえちゃん。聞いてください』

 再び巨大な瓦礫が防護柵に激突して粉々に砕け散って吹き飛んでいった。

 衝撃に身を竦めたきりえは体勢を立て直してみおみのテレパシーに集中した。

『聞いてください。 わたしは、なにがあってもわたしの大事なものを無くしたりはしません』

 みおみは、コンパクトをかざした姿勢のまま真摯に続けた。

『レイカさんも、芽衣ちゃんも、とても残念なことになってしまいましたけど、生き残ったわたしたちは、生き続けていかなくちゃいけないんです』

 瓦礫の嵐は勢いを増し、防護柵に激突する瓦礫の頻度も増えるばかりだ。

『わたしは、もしこれが無事に終わったら、もうたまにしか魔女とは戦いません。わたしには、やる事がありますから。 きりえちゃんも同じです。せっかく取り戻した、大切な家族との新たな生活は始まったばかりなんですから』

『だったら、なおさら!? 』

 後ろ姿のみおみが首を振った。

『二人とも、大事なものを無くさない方法が、あるんです。 ……うまく行くか分かりませんけど……』

 そこでみおみは僅かに言い淀んだ。

『それには、きりえちゃんの協力が必要なんです。 ……きりえちゃん。お手伝い、してくれますか?』

『……!? 』

 それを聞いた瞬間、きりえの胸中に何か暖かいものが湧き上がって広がった気がした。

『なに言ってんの!? 水くさい! なんだってやってやるわよ!』

 その暖かさの理由に気が付いた。

 大切な友達であるみおみが、自分を救ってくれたみおみが、きりえを頼ったのだ。

 みおみに「手伝って」と言われることが、こんなにも嬉しいなんて。

『…………』

 暴風を遮り続けながらも、みおみの背中の気配はとても穏やかなものだった。

『……ありがとうございます。きりえちゃん』

『いいって! それよりどうすんの?早くしないと……』

『それはですね』

 続いて、今度は言葉ではなくイメージでみおみの求める「お手伝い」のプランがきりえの脳裏に流れ込んできた。

 勢い付いて見開かれていたきりえの目つきが、なぜかだんだんと平淡な半目に変わってゆく。

『……それって、なんか意味なくない?』

『そんな事はありませんよ? だって、そういうことですから』

 やや呆れたきりえの溜め息に、みおみはあくまでも朗らかに請け負った。

『しかも、なんかさっき言ってたことと違うし。』

『えー? 手伝ってくれるって言ったじゃないですかー?』

『言ったけど!? 』

 語られたプランに、なんだか瓦礫の激突の轟音も白々しく感じてきた。

『もっかい聞かせて。それって……』

『そういうことです。 だって、そういうことですから』

 きりえのイメージでの確認に、やはりみおみは全く同じ調子で請け負った。

『…………』

『では、よろしくお願いします』

 きりえは半信半疑の様子だったが、それでもゆっくりとキュゥべえを振り向いた。

 胡乱げな眼差しのまま、足元のキュゥべえを見下ろす。

『どうかしたのかい? きりえ』

「……いや」

 それでも何か反芻している様子だったが、きりえは居住まいを正すと身体ごとキュゥべえに向き直った。

 深呼吸をして、それを告げる。

「キュゥべえ! 私、魔法少女になる! 私の願いを叶えて!」

 

 




◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 

最終話 ずっと一緒なんですから

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最終話 ずっと一緒なんですから

 きりえが深呼吸をして、それを告げる。

「キュゥべえ! 私、魔法少女になる! 私の願いを叶えて!」

『いいよ』

 足元に座るキュゥべえは、朗らかに首肯した。

『さあ。その魂を代価に、きりえはどんな願いを叶えたいんだい?』

「私は……」

 そこできりえはみおみの背を振り返り、きりえの確認の意図を察したみおみが前を向いたままうなずいたのを見て再びキュゥべえに向き直った。

「……私の願いは! 私の願いは、みおみの願いが叶うこと! みおみの願いを、叶えて!」

『へえ?』

 キュゥべえが、小首を傾げた。

『変な願い事だね。そんなの初めて聞いたよ』

「さあ、どうなの?できるの?」

『もちろん』

 眉を釣り上げてどこか怒ったように睨み付けているきりえの前で、キュゥべえは当然の様子で軽く請け負うと、ふいっとみおみの背を振り向いた。

『じゃあみおみ。きりえがこう言ってるんだけど、君の願いを聞かせてよ』

「はい」

 正面を向いてコンパクトをかざしたまま、みおみが応えた。

「わたしのお願いは!」

 上空の魔女を見上げながら、みおみが決然と叫んだ。

 

「きりえちゃんの代わりにわたしが魔法少女になることです!」

 

『…………え?』

 キュゥべえの、珍しい怪訝な呻きが聴こえた。

 

 

 きりえとみおみの唱えた願いは、常識的には破綻にまみれた言葉遊び以下の、何にもならない矛盾でしかない。

 きりえの願いは、みおみが願いを叶えること。

 そのみおみの願いは、自分が魔法少女になること。

 契約者はきりえであり、願いが叶えられた暁に魂を引き抜かれるのはきりえであるはず。

 だが願いの内容は「きりえの代わりにみおみが魔法少女になること」であり、きりえから魂を引き抜く訳にはいかない。

 ところが、みおみから魂を引き抜こうにも、みおみは既に魔法少女だ。引き抜くべき魂はすでに物質化してソウルジェムになっている。

 それどころか、みおみはもう魔法少女なのだから、その願いは既に叶っていることになる。

 しかし今契約でのきりえの願いは「みおみの願いが叶うこと」であり、みおみの願いは「きりえの代わりに魔法少女になる」ことであり、だがみおみは既に魔法少女で代価を持たず、契約を履行できない。

 従って、この契約条件は無効である。

 

 ……理論的には。

 

 ところが、ここにはその矛盾した契約を成立させる不条理を条理に変えてしまう条件があった。

 

 

『んむ!? 』

 キュゥべえの顔が、身体が、突然腐泥か鍋の中身のように泡立ち全身のあちこちが丸く膨れ上がった。

『んgyぉdcbvがfxrmっ!? 』

 そして粉々に弾け飛んだ。

 

 

 この矛盾を解決させる為に必要なものは、ソウルジェム──キュゥべえが得るべきエネルギーの礎となるモノである。

 ところが、その基となるべきみおみの魂は既にソウルジェムとなっている。ここにはもう、ない。

 ならば仮に、その「エネルギーの礎となるモノ」を別にどこからかこの場に調達してやれば、この契約は成立する。

 ここでは「みおみが魔法少女であること」は問題ではない。キュゥべえが必要としているのはあくまでも「エネルギー源」であって、「人間が変身すること」ではない。

 だから、その「エネルギー源」さえそろえば話は成立するのだ。

 その「調達できるエネルギー源」はここにあった。

 キュゥべえの中に。

 

 

「……やっぱり。思った通りですね」

 弾け飛んだキュゥべえの体内から出てきた白色のグリーフシード──ただし、球体の部分が人の頭ほどに巨大な──をコンパクトを持たない方の掌の上に浮かべながら、みおみは呟いた。

 きりえは呆然とそれを見つめていた。

「……ほんとに……みおみの言う通りだった……」

 

 

 みおみの推測。キュゥべえはなぜ少女たちを魔法少女にしたがるのか。

 難しい理論や仕組みのことはみおみには良く分からないが、この世界の誰もに益となるモノと言えば、「エネルギー」ではないだろうかとみおみは考えた。

 魔法少女が行使する「魔力」はその最たるものだろう。

 原始生物の生命活動から、文明の社会活動に至るまで、すべてを動かすものは「食糧」や「金銭」やなんらかの対価である「エネルギー」だ。

 キュゥべえはこの「魔法」に関わるテクノロジーでそのキュゥべえにとっての「エネルギー」を求めているのではないかとみおみは推測した。

 そしてそれは当たりだった。

 巨大な白色のグリーフシード。

 それは、このキュゥべえの個体がこれまで回収してきたエネルギーの結晶だった。

 

 

「では、これで!」

 みおみは魔女と拮抗しているコンパクトを放り上げて宙で静止させると、空いた手に魔女化したレイカから得た白色のグリーフシードを取り出し、両手のそれをひとまとめにして上にかざした。

「これだけのエネルギーがあれば、あの魔女にも対抗できます!」

 ひとつに融合した白色の巨大グリーフシードが、爆発的な閃光を放った。

「レイカさん!一緒に戦ってください!」

『ーーーーーーーーッ!? 』

 何もかもが白くなるほどの光量の中で、狂ったような嬌声を上げる魔女の声にくぐもった音が混ざった。

 煌々と照らす白の光の中で、宙に浮かぶコンパクトが迅速に拡張し、巨大化してゆく。

「えいっ!」

 みおみは巨大グリーフシードを宙の巨大コンパクトの蓋めがけて投げ放った。

 それはコンパクトの天板の紋様に触れると、まるで透過するかのように沈み込んで消えていった。

 一度収まった閃光の嵐が、今度はコンパクトの巨大な鏡から噴き出した。

『ーーーーーーー!? 』

 膨大な輝きの濁流が魔女を巻き込み、響き渡る狂ったような嬌声が不規則に音程を上下させた。

「…………!」

 みおみは片手を宙にかざしてその魔女の様子を見つめていた。

 みおみときりえの周囲を、無数の白色の奔流が帯のようにのたうちながら走り回る。

 二者の間の魔力の拮抗が傾きつつあった。みおみ側に。

 

 ぱきん。

 

「みおみっ!? 」

 みおみの胸の上のソウルジェムが、澄んだ音を立てて微細に砕け散った。

 志摩家の広大な敷地を、爆発的な白の閃光が瞬く間に埋め尽くした。

 

 

『彼女たちを裏切ったのは、ボクたちではなく、むしろ自分自身の祈りだよ。 どんな希望も、それが条理にそぐわないものである限り、必ず何らかの歪みを生み出すことになる。やがてそこから最悪が生じるのは当然の摂理だ。 そんな当たり前の結末を「裏切り」だと言うのなら、そもそも願い事なんてすること自体が間違いなのさ。 でも、愚かとは言わないよ。一部の魔法少女たちの犠牲によってヒトの歴史が紡がれてきたのもまた事実だし』

 だとしても、その人が下した判断を貶める事を言うのは、わたしが許しません。

 最悪が生じたとしても、わたしは前に進むことを絶対に諦めたりはしません!

 

 

「へへへっ。おいおいゾクゾクするじゃねえか。なんだこのバカデカい魔女の気配はよ?」

 佐倉 杏子が街を埋め尽くす暴風雨に逆らいながらずぶ濡れで駆けていた。

「それも、ひとつやふたつじゃねえ。こりゃ仕留めりゃグリーフシードも一個や二個じゃ済まねえぞ!? 大儲けできそうじゃねえかよ!」

 掌のソウルジェムの異常な反応を見下ろして杏子は獰猛な笑みを浮かべた。

 これほどの強大な魔女の気配だ。恐らく久那織市と近辺の魔法少女が大勢集まってくるだろう。

 魔女を倒す為の手勢は、多ければ多いほど良い。

「だけどよ、グリーフシードは全部あたしが頂くかんな!」

 棒付きキャンディーを噛み砕いて棒を吐き捨て、杏子は走りながら魔法少女に変身した。

 そこに、県道の交差点に飛び込んできた一陣の白い風が杏子めがけて飛びかかってきた。

「っ!? 」

 ソウルジェムの反応がなかったせいで杏子は完全に不意を突かれた。

 長槍を取り出すが間に合わなかった。

 白い暴風の体当たりをまともに喰らい、吹き抜けられた杏子は目を閉じ顔を覆ってやり過ごすのがせいぜいだった。

「なんだ今のは!? 」

 白い暴風と見えたものは、まるで子供がシーツを被ってお化けの真似をする姿に酷似していた。

 だが、その先端に人の、少女の顔が浮かび上がっていたような気がしたと思った時には、長槍は微細に砕け散り、魔法少女の衣装も消え失せて普段着に戻り、ソウルジェムからの魔力供給も途絶えて佐倉 杏子の身体はまるで死体のように崩折れて倒れ伏した。

 

 これなるは「思い出」の魔女。その性質は「悔恨」。

 手足の代わりに藁束を生やした巨大な少女の服が振り下ろしてきた腕を、二人の魔法少女はそれぞれ反対方向に横っ飛びに跳び退いて躱した。

「あのおっきな反応に魔女が呼び寄せられてるっての!? 」

「……でも、それはいっぱいグリーフシードが取れるっていうこと」

 魔女の周囲を駆け回りながら叫ぶ魔法少女に、相棒が不敵に呟いた。

「上等じゃん! みんな刈り取ってやろうよ!」

「……いいよ」

 笑い合ってうなずくと、魔女を挟み込むようにふたりは駆け出した。

 突如結界の天井が砕け散り、そこから白い突風が飛び込んできたのを見て、二人は急停止した。

「なにあれ!? 」

 飛び込んできたものも、魔女のようだった。

 子供が白い布をすっぽり被ってやるお化けの真似のような姿のそいつには、先端に人間の顔らしき凹凸が浮かび上がっていた。

 だが、妙だ。そいつには魔女の気配を感じない。

 白いそいつは飛び込んできた勢いのまま「思い出」の魔女に飛びつくと、しがみついて頭を仰け反らせ、まるで頭突きをするかのように先端をぶつけた。

 すると、「思い出」の魔女の上半分を、白いそいつが丸飲みにしてしまった。

 口を開いた様子がない。白い身体が透過したかのように二体の魔女が重なっている。

 組み合った姿勢で固まっていた二体の魔女だったが、やがて白いそいつが「思い出」の魔女を飲み込み続け、「思い出」の魔女は白い身体に沈み完全に消えてしまった。

 どう考えても「思い出」の魔女の方が大きく白いそいつの体内には収まりそうにないのに、白い身体を透過した魔女は影も形もなくなってしまったのだ。

「……な、なによ、あれ……」

「……!? 」

 戦慄する二人の魔法少女の前で、結界の地上に舞い降りた白いそいつは浮遊したまま旋回すると、二人の魔法少女めがけて殺到してきた。

「ッひッッ!? 」

 その先端に、おっとりとした穏やかな表情を浮かべる同じくらいの年頃の少女の顔が浮き出ていたのに気付いて悲鳴を上げた。

 あまりの不気味さと異常事態に混乱しているうちに、白いそいつは二人の魔法少女をすり抜けるとそのままどこかへと飛び去っていった。

「……なに……あれ……」

 力ない呟きと共に結界は白くかすれて消え、二人の魔法少女も己の意図に寄らず変身を強制解除され、身体を動かす力の一切を失って死体のように倒れてしまった。

 

 白い突風は久那織市内を飛び回った。嵐をも意に介さず飛翔し、市内に蠢く魔女を、突然の異常事態に飛び出した魔法少女たちをくまなくすり抜けては魔女を消滅させ、魔法少女たちを昏倒させていった。

 市内を周回した白いそいつは、やがてひとまわりして志摩家の敷地へと舞い戻ってきた。

 この間、数分も経ってはいない。

 それなのに白いそいつは数倍にも大きくなっていた。

 未だ志摩家敷地の上空に佇んでいた「舞台装置」の魔女へ、白いそいつは疾風の勢いで激突した。

『ーーーーーーッ!? 』

 音もなく激突した異形が魔女を数十メートル押し流した。

 出鱈目に撒き散らされる嬌声が振幅を揺らし、歯車を寄せ集めた巨体が傾いた。

 魔女に飛びついた白いそいつは、まるで爬虫類のような先端が鋭く各部が節くれ立った形状の白い腕脚を延ばして歯車の身体にしがみ付くと、みおみの顔面を浮かび上がらせた先端を大きく仰け反らせ、頭突きの要領で突き込んだ。

『ーーーーーーッ!? 』

 魔女の中には苦悶や焦りなどを覚えそれを表現できる個体も数多くいたが、事この「舞台装置」の魔女に限っては、そんな反応は遠い。

 狂った舞台に立つプリマには、己の舞台で起こる何もかもが主演の為の演出であり、喜び。

 それが当然であるかのごとく自然現象のように無機質に嬌声をばら撒き続けている。

 やがて魔女の周囲を浮遊する瓦礫や篝火が白いそいつに襲いかかるが、瓦礫も虹色の光弾も、白い身体をすり抜け、あるいは飲み込まれて消されるばかり。引きはがそうにもあらゆる抵抗が無効だった。

 白いそいつも魔女の反応を意に介さずすり抜ける頭突きを何度も何度も繰り返した。

 だが互いに傷ひとつ付かず、体勢になんら変化は見られない。

 ところが、白いそいつの体躯がいつの間にか「舞台装置」の魔女を超えるほど巨大化していた。

 白いそいつは頭突きをやめ、伸びた腕脚で歯車の身体を抱え直すと、抱きしめるように身体を押しつけ、魔女を引き込み始めた。

『ーーーーーーッ!? ーーーーーッ!? 』

 魔女の嬌声に、絹を引き裂くような断末魔が混ざり始めた。

 ここにそれを知る者はいないが、それは「舞台装置」の魔女が初めて上げた「喜び」以外の反応の叫びだった。

 白い手足に抱き込まれた歯車の身体が、白いそいつに沈み込み始めたのだ。

 舞台で起こる何もかもが演出の喜びだとしても、その舞台を消されることは「舞台装置」の魔女の望むところではない。

 消される恐怖に魔女は嬌声を悲鳴に変えて絶叫し続けた。

 振り払おうにも、あらゆる抵抗が無意味。そうこうしている内に、歯車の身体が半分以上白いそいつの中に消えてしまっている。

『ーーーーーーッ!? ーーーーーッ!? 』

 歯車が、奈落が出鱈目に動き回り、必死に脱出を試みるがびくともしない。

 それどころか、白いそいつは歯車の身体の半分を飲み込んだ辺りからまるで沈没する船を飲み込む海のように浸食速度を跳ね上げ、「舞台装置」の魔女は呆気なく白の中に消えてなくなってしまった。

「……………………」

 史上最大の魔女を飲み込んだ白いそいつは、みおみの顔を振り仰いで手足を縮め、宙につままれた白い布のようにしばし虚空に佇んだ。

 空は、いつの間にか暗雲が取り払われ、地平まで続く綺麗な星々の瞬きを晒していた。

 風も穏やかで、先ほどまでの嵐が嘘のようだった。

「……………………」

 やがて白いそいつは糸を切られた白布のように裾から広がって舞い落ち、地上に触れる前に音もなく色を薄れさせ、消えてしまった。

 

 

 翌朝のテレビのワイドショーは、全て久那織市の志摩家の敷地で起きた謎の大災害についての報道で埋め尽くされていた。

 突然のダウンバーストによって志摩家の敷地は全てを薙ぎ払われ跡形も無くなったとワイドショーは報じていた。

 異常気象現象について専門家が何事か口走っていたが、どれもこれも要領を得ない解説だった。

 ただ、政財界に大きな影響力を持つ志摩家の消滅によって、今後業界は大きなパワーバランスの変動の渦に巻き込まれるだろうとワイドショーの内容はスキャンダラスな方面へと移っていった。

 

 由貴家のキッチンに、兄が頭を掻きながら入ってきた。

「おう。おはよ」

 調理場とテーブルをくるくると行き来して朝食の支度をしている妹の挨拶にいつも通り応え、兄は自分の椅子に座った。

「なんかゆうべは雨とか凄かったな」

 与太話をしながらやがて支度の様子を見て兄は立ち上がり、皿に並べられたおにぎりをラップで包み、カップにコーヒーを注いで自分の席に運んでから、また棚に戻って人数分の弁当箱を取り出してテーブルに並べた。

「おう」

 妹の弾んだ調子の礼の言葉にぶっきらぼうに返して兄は自分の椅子に腰掛けた。

 

 久那織中学校の朝の通学路は、少々浮つきつつもいつもと変わらぬ光景であった。

 ただし、毎朝練習するテニス部員でごった返しているはずの構内のテニスコートは閑散としており、登校してきたテニス部部員たちは次々と傍らの部室棟のテニス部部室に殺到していった。

 その中の、ひとりやふたりがいないことについて気に留める者は皆無であった。

 

 教室では、担任教師から昨夜の志摩家の大惨事と三年生の志摩 レイカの行方不明・生死不明の報、それと、なぜか志摩家の敷地で遺体で発見された転校生の御崎 芽衣のことが告げられた。

 教室中がざわめいた。

 志摩 レイカは校内では有名人であり、御崎芽衣も転校初日の一日だけだが、言葉を交わしたことのある者はそれなりにショックを受け、そこかしこで涙する者もいた。

 クラスメイトの間では、綾名 みおみと言えば志摩 レイカのテニスでのライバルとしてお馴染みで、由貴 きりえは転校生の御崎 芽衣と幼馴染みにして「お姉さま」であることは周知の事実だ。

 ところが、これほどの大事件が立て続けに起こりながら肝心の綾名 みおみに、由貴 きりえに気を配るものは誰一人としていなかった。

 

 まるで綾名 みおみも、由貴 きりえもそこにいないかのように。

 

 志摩家消滅の大事件があった当日は、急遽全校集会が行われたのみで、突如休校が決まり全ての生徒が午前中で帰された。

 志摩家は全てが消滅してしまった為、志摩 レイカの行方を求める措置が取られておらず、彼女を慕う者たちは感情の区切りを付けることすらできない日々を強いられることになった。

 御崎 芽衣については、数日後に芽衣の実父が喪主として葬儀がしめやかに執り行われた。

 芽衣の家庭にどんな問題があったのかは分からない。しかも一日しか顔を合わせていないにも関わらず、クラスの多くの者が弔問に訪れた。

 そうして久那織中学校の制服姿が代わるがわる受け付けで記帳してゆく中、受け付けのテントの脇で弔問客を出迎えていた芽衣の実父は、その少女を見て驚きに目を見張った。

 かつて小学校の頃、芽衣と仲良くしてくれた子だったからだ。

 記帳されたそれを見てようやく名前を思い出す。そうだ。由貴 きりえちゃんと言った。

「……来てくれてありがとう。 久しぶりなのに、こんなことになって、ごめんね」

 実父は憔悴した顔ながら、そう伝えて謝ることがせいぜいだった。

 そしてその後に誰かが記帳した。

 こちらは見覚えのない名前だったが、クラスメイトのひとりなのだろう。

 実父は、誰にも言えない問題を抱えた芽衣にこれほどの人々が集まってくれたことに、涙ながらに感謝していた。

 実の母を謎の方法で惨殺してしまった実の娘に、助けてやれなかった後悔を抱えながらも、これだけの人が来てくれた意味を思い、亡き娘に胸中で「良かったね」と告げた。

 

 受付に立つ人間も、芽衣の実父も弔問客も、誰一人気付かなかった。

 とある人物が、ひとりで二人分の記帳をしたことを。

 

 

 それでも生き残った者たちの世界は動いてゆく。

 社会も学校も、失われた穴を有形・無形のもので埋めながら日常の流れを押し進めてゆく。

 授業も平常に再開された。

「……さて、ここのこれ、由貴、答えてみろ」

 数学の教師に指名された由貴 きりえは、誤魔化し笑いで頭を掻きながら結局正しく答えることができなかった。

 

 この間、クラスにいるはずの「何者か」がいないことに誰も気付いていなかった。

 

「それじゃあ、次、ええと……綾名、答えてみろ」

 続いて指名された、その隣の綾名 みおみが代わって立ち上がり、おっとりとしたしゃべり方ながらも淀み無く正答を導き出してみせた。

「よおし、そうだ。 ここの式は……」

 教師はみおみの答えに満足して黒板を振り返り解説を始めた。

 きりえの不勉強を注意することは、意識から消えてしまったかのようだ。

 その間も、クラスの中の生徒たちは時折、クラスの誰かがいたり、いなかったりしているような錯覚を感じながらも、その原因が思い当たらずに首を傾げながらもその異常を日常に埋没させていった。

 

 

 

 みおみが考案した矛盾に満ちた願いでキュゥべえを陥れる策は、キュゥべえを騙すことはできても、結局キュゥべえの持つテクノロジーが生み出した「システム」を欺くには至らなかった。

 キュゥべえを矛盾に巻き込みエネルギーをかすめ取ることには成功したが、その後、矛盾を孕んだ契約内容を是正すべく働きかけた「システム」がみおみときりえの運命に作用し、願いの文面を成立に近付ける為に現実に干渉したのだ。

 「二つの願い」に対して二人の魔法少女になるべき人物はひとり。

 契約ゆえにきりえは絶対に魔法少女にはならないが、みおみの持つ魂はひとつだけ。それも、既にソウルジェムとなってしまっている。

 だがその矛盾を解決させる不条理を条理に変えてしまうのが、キュゥべえらのテクノロジーが生み出した「システム」だ。

 「システム」はみおみの望み通り、みおみをきりえの代わりに「魔法少女」とした。

 それはすなわち「既に魔法少女である存在を魔法少女にする」ということ。

 「システム」は、ソウルジェムと化したみおみの魂をさらに「ソウルジェム化」させたのだ。

 それはどういうことか。

 みおみの第一の願いは「きりえの契約を元に戻すこと」であり、その願いによって発現した魔法は「中和」。

 第二の願いは「きりえの代わりに魔法少女になること」であり、それに基づいて発現される魔力の方向性は、きりえの願いによる。

 そしてきりえの願いは「みおみの願いが叶うこと」。

 みおみは「自らの願いを叶えること」と願ったも同然であり、それによって現れた魔法は「疑似万能」とも言えるものだった。

 ところが、ふたつの「魔法少女化」を受け容れるには、みおみと言えどただの人間ひとりには荷が重過ぎた。

 結果みおみと言う存在は、人間を越える魔法少女をも越え、そして魔女とは対極の存在へと変質してしまった。

 実はこれはシステムエラーによってもたらされた偶発的な現象だった。

 それが、真白き謎の異形。みおみは、魔法少女でも魔女でもないモノになってしまったのだ。

 きりえも無事と言うわけにはいかなかった。

 契約の文面からすれば、きりえは何一つ背負うことがないはずだが、「きりえが契約者である」という事実を「システム」は看過しなかった。

 だが魂を変質されるべきはみおみであり、きりえの魂に触れることは「システム」を以てしてもできないこと。

 その代わりに、異なるフェイズへと生まれ変わったみおみを現世に繋ぎ止める為の言わば「舫い杭」として指定され、みおみときりえは存在をひとつに融合されてしまった。

 三次元では「ふたりの人物」として見える二人だが、より高次元にあっては「ふたつの人格を持つひとつの存在」となってしまったのだ。

 それ故、街を歩いていても、教室にいても、「ただの人間」には一度にどちらか一方しか認識することができず、また、その異常を「異常なことだ」とも認識できない為、不思議に思うことすらない。

 「ワルプルギスの夜」に対抗する力を得た結果、みおみときりえは、世界から「半分」忘れられる存在となってしまったのだった。

『……まあ、あんなハリウッド級の魔女を相手にして勝ち残って、挙げ句これで済んでいるのが僥倖かもしんないね』

『ごめんなさいきりえちゃん。きりえちゃんを魔法少女にしないで、かつわたしもきりえちゃんもそれぞれ何も無くさないようにするには、これしか方法がなくて』

 学校からの帰り道を歩きながら、ふたりは言葉を交わしていた。

 等間隔に並ぶ電柱と電線が、ゆっくりとふたりの脇を、上を流れてゆく。

『いいよ。こっちこそみおみにばっか背負わしてごめん。 私が、何か戦う為に魔法少女になったって、遠くないうちに自分がイヤになっちゃうのは分かってたし』

 かつてみおみに泣きついた時のことを思い出して、きりえはばつの悪い顔を上に向けた。

『それに、今のこの状態ってそんなに悪く思わないんだ。 だって、私もみおみの存在を助けてあげられてるし……』

 顔を赤くしてうつむいたきりえがごにょごにょと呟いた。

『ありがとうございます。きりえちゃん』

 その様子に、みおみはにっこりと微笑んだ。

『おかげで、わたしもわたしの大事な生活をなくさないで済みました』

『……うん。 私も』

 赤くなった顔のまま、きりえが照れ臭そうにみおみを見上げた。

『それじゃあ、きりえちゃん。また明日』

 分かれ道で、みおみはきりえに向き直って胸元でひらひらと手を振った。

『うん。明日』

 きりえも応え、それぞれの帰途へと振り向いた。

 数歩歩いたところで立ち止まり、きりえが振り返って叫んだ。

『ねえ! みおみ!』

『はい?』

 呼ばれ、みおみはゆっくりと振り向いた。

『……その、みおみの事、大事な親友だから!……なんて、言ったら、だめ……かな……?』

 声を張り上げておきながら、みるみる顔を赤くして尻すぼみになってゆくきりえをきょとんと見返していたみおみは、やがてにっこりと微笑んだ。

『はい。きりえちゃんは、わたしの大事な親友ですよ? なにしろ、これからもずっと一緒なんですから』

 

 

 

 みおみは上機嫌に帰途を歩いていた。

 あれほどの大事件に遭遇しながらも、どうにか自らの人生は無くさずに済んだ。

 きりえも守りきることができたのは、本当に良かった。

 レイカと芽衣のことは、返すがえすも残念なことだった。レイカとも、芽衣とも、もっと早く、もっと良く話し合えていたら、また違った結果が得られたかもしれない。

 だが、後悔に囚われて生きることはみおみにとっては「生きていない」も同然のことである。

 悲しみや辛い事に負けてやる訳にはいかない。

 前に進み続けなくてはいけないのだから。

 レイカも芽衣も、それぞれの人生でそれぞれの判断を下して生きたのだ。それを貶めることは、何者にも許されることではない。みおみはそう考える。

 だからみおみは、自分の人生を、自分の大事なものを大事にして生きるのだ。

 その為ならば一生懸命にもなるし、できる範囲で誰か助けてあげられるなら、助けてあげたい。

 それがみおみの祈り。

 キュゥべえの契約やテクノロジーがあろうが無かろうが変わることのない、みおみが為すべき、みおみ自身の魔法なのだ。

 

 

 

 

...fin...

 



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魔法少女みおみ☆マギカまとめ@Wiki

 当作品の内容を、某所のまとめサイト風に情報整理の真似事をした、お遊びです。

 ついでにさらっと裏方噺とかしているので、よろしければ物語を振り返りつつお楽しみ頂ければと思います。

 

 

 

 

◆登場人物◆

 

○綾名 みおみ(あやな・みおみ)

 物語の主人公。

 久那織中学校二年生。

 性格はおっとり穏やかかつ天真爛漫なのんびり屋。そして超が付くほどマイペース。

 独特の思考形態を持つに至り、周囲からは変わり者と認識されており、彼女を知る者は本人のいないところでは親愛を込めて「不思議さま」と呼び親しんでいる。みおみはそう呼ばれていることを知らない。

 テニス部に所属しており、その腕前は県大会優勝者であるレイカと張るほど。

 ほか、見境のない高い能力と素質を持ち、家の方針であらゆる習い事を修養するが、本人にとっては「自分ができる当たり前のこと」と認識しており、自分の成した成果には一切無頓着である。驕ることもなければ、遜ることもない。

 マイペースの弊害で、温厚な態度からは想像もつかないほど頑固であり、自分で決めた意志は決して曲げることがない。

 家族や友達、そして日常を非常に大事にしており、それらを脅かすものがあらば徹底的な防衛行動に出る。

 きりえの契約によって一時期人生を入れ替えられ「由貴 みおみ」として生活していた時も、由貴家の人間を家族と見なしながらその信念は変わることはなかった。

 きりえの契約を無効にして本来の人生を取り戻してからもその信念は変わらず、きりえとの友情も微塵も揺らぐことはなかった。

 芽衣が召還した「ワルプルギスの夜」と対峙した時には、きりえの協力を得た上でキュゥべえを策に陥れ、膨大なエネルギーを得て対抗しようとした。

 ところがそれはキュゥべえらの持つ「人間を魔法少女化させるテクノロジー」を欺くには至らず、みおみはきりえと存在を融合された上で魔法少女でも魔女でもない存在に変質されてしまった。

 その後も、きりえによって存在を繋ぎ止められたおかげで現世での生活に戻っている。

 だが、変質の影響でみおみは世界から「半分」忘れられる状態となってしまった。

 なお、主人公でありながらみおみの足跡は成長とは異なる点などの共通点から、原作のまどかと同じポジションと言える。

 

 

○由貴 きりえ(ゆき・きりえ)

 久那織中学校二年生。

 当初は母親を失った家庭での不和から、非常に潔癖でわがままな振る舞いが目立った。

 それらは全て、担わされた欠けた母親の役割に消耗したストレスによる逃避行動でもあった。

 テニス部に所属しているが、腕前は素人。憧れの存在であるレイカとみおみの側にいたくて始めたことだった。

 ところが、前述の家庭環境の変化によって、みおみに激しく嫉妬することになる。

 それが契約によってみおみとの人生を入れ替える暴虐に至った心の短絡の原因であったが、みおみの真摯な友情によって目を覚まし、みおみの契約によってきりえのした契約が無効になり「魔法少女にならなかった」ことになってただの人間に戻った。

 それからはみおみに対するわだかまりは一切解消し、態度も一変して軟化し真に友人となった。

 それからも魔法少女と魔女の戦いに関わり続け、生身のまま「ワルプルギスの夜」にみおみと共に対峙し、みおみの提案に協力してこれを撃退。結果、キュゥべえの持つテクノロジーのシステムエラーに巻き込まれてみおみと存在を融合され、同様に世界から「半分」忘れられる存在となった。

 なお、物語の経過によって成長した唯一の人物であり、そういった意味ではもう一人の主人公と呼べるかもしれない。途中で心がへし折れている辺りがさやかに近いが、結果的に決戦における主人公の勝因を呼び込んだことから、原作におけるほむらのポジションとも言える。

 

 

○志摩 レイカ(しま・れいか)

 久那織中学校三年生。

 巨大資産家である志摩家の長女にして次期当主。いずれ志摩家のすべてを取り仕切ることになっていた。

 その為に幼少の頃から英才教育を施され、あらゆる文化芸能に通じ、頭脳も身体能力も超中学生級。

 中でもテニスはトップレベルの腕前である。

 出生ゆえに、己の信念と正しさを貫く意志の持ちようを徹底的に叩き込まれており、それはあらゆる場面で発揮された。

 魔法少女の活動も、己の正義を行う手段の一環であり、いずれは志摩家のあらゆる組織の運営に影ながら活用するつもりであった。

 その高い能力で魔法少女の世界でも他の魔法少女を圧倒する高い実力を備えていたが、それ故トリッキーな相手を苦手としており、予想外のことに弱い側面を突かれて芽衣に敗れた。

 年上で練達者で暖色系で一番に死ぬあたり、マミさんポジションか。

 

 

○御崎 芽衣(みさき・めい)

 久那織中学校二年生。ただしこの立場は、己の目的を達成する為の足掛かりに過ぎず、必要性を失った際にはさっさと無断で姿をくらませた。

 過去の家族の不和と残酷な虐待の為、何者も信用せず全世界を敵と見なして魔法少女の力を以て何もかもを破壊しようとする復讐鬼と化していた。

 手段の為なら目的も厭わず、残忍かつ冷酷で頭も切れる。魔法少女の真実にもほぼ独力で気付くに至った。

 それ故、利害が一致したキュゥべえと協力関係になる。

 かつての幼馴染みであるきりえを執拗に狙い、キュゥべえと組んで無理矢理魔法少女にしようとした。

 それは、かつて仲良くしてくれた「お姉さま」にも同じ苦しみを味わわせて共有したい、分かって欲しいという歪んだSOSのサインでもあった。

 みおみときりえの訴えによって、キュゥべえに貸与した魔法で呼び寄せた「ワルプルギスの夜」を解放寸前で思い直し止めようとしたが時既に遅く、「ワルプルギスの夜」の膨大な魔力の内圧によってソウルジェムを一気に消耗しきらされ死亡した。

 

 

○佐倉 杏子(さくら・きょうこ)

 原作に登場する佐倉 杏子と同一人物。

 「魔法少女みおみ☆マギカ」は原作第1話以前の話なので、原作初登場時の性格・行動パターンに寄る。

 原作との世界観の繋がりを示す橋渡し的な役割として登場させた。

 

 

 

◆魔法少女◆

 

 

○綾名 みおみ

 契約の願いは「きりえのした契約をなかった事にして欲しい。きりえと自分、二人の生活を元に戻したい。」

 それによって発現した魔法は「中和」。魔力を含めたあらゆるエネルギーを中和してしまう、ほとんどの魔女・魔法少女を凌駕する何者にも対抗不能な魔法である。

 中和作用自体は微少の魔力で発揮でき、武器であるコンパクトミラーを利用して該当エネルギー自体を合気道のように受け流して自らの力に転化する為、いかなるエネルギーが相手でもみおみ自身の消耗はごく少量で済んでしまう。

 イメージカラーは白。デザインコンセプトは「花嫁」と「ブーケ」。固有武器はコンパクトミラー。

 

 

○由貴 きりえ

 契約の願いは「みおみと自分の立場を入れ替えて欲しい。私は「綾名 きりえ」になりたい。」

 それによって発現した魔法は「交換」。指定した二者の配置を入れ替える空間転移の魔法。自分ひとりや単一のもののみを転移させることはできない。必ず、行き先の何かと位置を入れ替えなくてはならない制限がある。

 その為にきりえはボタンを大量に持ち歩いていた。

 対象は術者が「個体」と認識できるものでなくてはならず、大きさ・重量に制限はないが、「建物」や「大量の液体・気体」は扱えない。

 イメージカラーは緑。デザインコンセプトは「妖精」と「木の葉」。固有武器は伸縮自在のフルーレ。

 

 

○志摩 レイカ

 契約の願いは「悪を打ち砕く正義の力が欲しい。全ての悪をこの手で消し去りたい。」

 本人は、とてもマジです。

 それによって発現した魔法は「空間掘削」。発生させた魔法球、及びネットに触れたものを、対象の強度や波形に関係なく一切合財削り飛ばして異次元に放逐してしまう。削られたモノがどこへ消えるかは本人にも不明。

 ただし、強力な願いを発現させる為に大量の魔力を圧縮する必要があり、球形なら小さく、あるいは線のように細長い状態でしか生成できない。固有武器の上ならば幾重にも交差させてネット状にできるが、身体から放して飛ばすには球を一個生み出すのがせいぜい。

 イメージカラーはオレンジ。デザインコンセプトは「テニスウェア」と「令嬢」。固有武器はテニスラケット型バトン。

 

 

○御崎 芽衣

 契約の願いは「胎内の胎児を堕ろして欲しい。「あいつら」がつけた傷を全部消して欲しい。」

 それによって発現した魔法は「母胎」。あるいは「亜空間生成」と呼ぶ。固有武器を境目に亜空間を生成し、あらゆるものを収納できる。出し入れは術者の任意。固有武器は拡縮自在で、大きさに比例して魔力を消耗するが、二百メートル級のタンカーを海水ごと取り込むことも可能。

 亜空間内部には時間の概念がなく、知性体が取り込まれたならそのものの意識は「停止」する。また、現実世界とも隔絶しているため、ソウルジェムのみを取り込まれた魔法少女は肉体を動かす魔力供給を失い体機能が停止する。

 イメージカラーは水色。デザインコンセプトは「バレリーナ」と「新体操選手」。固有武器は拡縮・分裂自在のフープ。

 

 

 

◆各話考察◆

 

○第1話

・「グラ・カトーレ!」

 イタリア語で「ぐちぐち言う」「罵倒する」等の意。

 当然、魔法少女としての師匠である巴 マミにあやかって、きりえが独自に考えた。

 最初は格好良くって(当人はカッコいいと思って)叫んでいたが、後に気合いを入れる為の癖として用いるようになる。

 きっとレイカはコンビを組んだ当初、スルーするのに苦労したに違いない。

 

・「公園」の魔女

 彼女はブランコがとても大好き。

 足も使わずに景色の方が動いてくれるから。

 他に行く所を知らない彼女は楽しい楽しいブランコ遊びに興じ続ける。

 

・「遊具」の使い魔

 全ては魔女に遊んでもらうために生まれてきたが、魔女はブランコに御執心。

 手持ち無沙汰な使い魔たちは、いずれ跨ってもらえた時の為に、跳ね回る練習に余念がない。

 

 

○第2話

・「おしゃべり」の魔女

 自分のことだけをしゃべりたくて仕方がない彼女は、相手の言葉を聞いて返す「コミュニケーション」がとても苦手。

 他者のことを省みない彼女は、ひとたび口を開けばカミソリのように相手を傷つけることしか言わないのだ。

 おかげで自分の使い魔たちにも仲間外れにされる始末。

 自分の事を悲劇のヒロインと思い込んでいる彼女は今日も話を聞いてくれる者の訪れを待って塔の上でうずくまっている。

 

・「十把一絡げ」の使い魔

 どんなにたくさん魔女に話しかけても、どんなに大勢で集まっても、所詮魔女にとってはどれもこれも同じ顔。

 魔女に愛想を尽かした使い魔は、おしゃべり同士で寄り集まった。

 だけど「他のグループ」の使い魔とは決して口を利いてはいけないのだ。

 

 

○第3話

・みおみの掌のマメ

 後の「人生入れ替えの事実」への伏線でした。

 この時点でカラクリがバレたらどうしようと冷や汗をかいていた小心者の作者です。

 

 

○第4話

・「あんた。名前なんつったっけ?」「…ゅあ、綾名、きりえ……」

 この時きりえは、恐怖に竦んで一瞬自分の名字を「由貴」と間違えかけていました。

 

・魔女の口づけを受けたみおみ

 溜め込まない性格のみおみが魔女の口づけにひっかかったのは、常時警戒心がゼロなせい。

 ちなみにこの時、みおみは靴を履いていなかった。

 

 

○第5話

・魔法少女の欠損した身体の復元

 原作にも描写はなく、設定にも記述が見当たらなかったが、キュゥべえの口振りからして、魔法少女は誰でも「自己治癒」の魔法でも時間をかければ欠損した部位を復元すること自体は可能なのではないだろうかと鉄槻は考察した。

 それを「みおみ☆マギカ」では拡大解釈して「魔法少女は「自分の健康体の姿」にいちいち変身している」という設定となった。無論、損壊具合によって魔力の消耗は激しいだろうが、芽衣は奪い取った他人のソウルジェムを使って消耗をカバーしている。

 多分、芽衣以外の普通の神経の魔法少女は、試そうという発想すらしないはず。(普通は、手足を失ったら、自己治癒で治してから変身解除するとか)

 

・「贋作」の魔女の使い魔

 工場に巣くっていた使い魔。結局描写すらされず。

 結界に触れた素材をたちまち「良く似た劣等素材」に変質させてしまう能力を持っていた。アスファルトや建物をプラスチック化したり。

 

 

○第6話

・テレパシー

 キュゥべえを介さない魔法少女とのホットラインは、みおみはこれが初体験。ここで指摘されるまでみおみはずっと「口頭」と「思念」の両方で同時にしゃべっていた。

 多分、「寄り目」とか「口笛」とか「指ぱっちん」くらいには難しいんだろうなと思います。

 

・「お化粧」の魔女の登場タイミング

 当然、レイカの警護を外させる為に、芽衣が手持ちの他人のソウルジェムを汚染して放り出した魔女である。

 

 

○第7話

・「お化粧」の魔女

 誰よりも美しくなる為に、自分に化粧を施さねばならないが、肝心の顔をどこかに落としてしまった。

 まずは自分の顔を探さなくてはならない。

 

・「試供品」の使い魔

 魔女を美しくしたいのに、肝心の魔女の顔が見つかるまでは仕事はお預けである。

 

・芽衣の亜空間の魔法

 四次元ポケットかは分からないが、亜空間内部には「時間」の概念が存在しない。

 普通の人間は「時間の概念が存在しない空間」を認識できない為、亜空間に閉じこめられた人間はそこで意識が「停止」する。

 みおみにしてみれば「一瞬で違う場所に来た」ように見えるが、実際はみおみを捕らえた芽衣が普通に時間をかけて歩いて少年らのアジトまで持って来た。

 

・倉庫の少年たち

 第二話で語られた「不思議さまにまつわる噂」に登場した少年たち本人。

 

 

○第8話

・みおみの、膨大な魔法少女の素質の正体

 結局、キュゥべえも「運命の改竄」の外に出されてしまった為、本文で語ることができなくなってしまったのでここに記す。

 きりえに人生を入れ替えられていた期間の、「本来だったらお茶やお琴などの習い事の経験値になるはずだった、みおみの人生のキャパシティ」が、丸ごと行き場をなくした為、それが魔法少女としての性能に加えられたもの。

 元の人生を取り戻したみおみは、各習い事が若干下手になってしまっているが、本人は気にしていないので問題はない。

 

 

○第9話

・キュゥべえの認識の範囲

 原作において、キュゥべえは「停止された時間」も「巻き戻された時間」も認識できていなかった。

 だから、同様に「運命の改竄の事実」も認識できない、とここでは解釈しています。

 

 

○第10話

・「正義」の魔女

 自らの定めた正しさの為ならば、いかなる犠牲も厭わない。全ては正しくあるべきなのだ。

 結界内では、秩序を乱すことは一切許されないと知れ。

 そして魔女は偉大な正義の体現者として遙か高みで崇められるのだ。

 

・「大衆」の使い魔

 魔女の言う通りに唯々諾々と秩序ある行動を繰り返す。

 そうしていればいいと魔女が言うから。

 

・「規律」の使い魔

 全ては魔女の求める秩序の為、延々とただひたすらに時を刻み続けるしかない。

 秩序がなければ、時計の針などに生きている資格はないのだから。

 

 

○第11話

・魔法少女は痛覚を完全に遮断することもできる

 さやかのようにキュゥべえに教えてもらうか、偶然大怪我でもしない限り、普通の魔法少女は想像だにしない機能だと思うのです。

 ほむらですら、被弾した衝撃に朦朧としていた。

 

・「影法師」の魔女

 魔女はずっと待っている。

 暮れない黄昏の中で、ただただひたすらに待ちぼうけ。

 遊び相手は、影を持たない外灯だけ。

 飛び石のように取り付いて、代わりに影になってあげるのだ。

 

・「外灯」の使い魔

 本来の仕事は、暗くなった世界を照らすことなのに、ここは一向に黄昏より暗くならないからやることがない。

 だから、暗くなるまでは遊んでいよう。

 この寂しがり屋の魔女と一緒に。

 

 

○第12話

・「ワルプルギスの夜」がいた場所

 座標値を検索できる方は、調べてみてください。

 ロシアの西の方です。

 とりあえず、「ワルプルギスの夜」がたまたまいてもそれほど大事には至らなさそうな場所ということで。

 

○第13話

・「ワルプルギスの夜」の外観

 後書きでも書きましたが、ここで登場した「ワルプルギスの夜」は原作に登場したものと同一の個体であり、言うなればプロトタイプです。

 原作においても、登場する度に姿の細かいところが異なっていたという噂を聞いて、もしかしたら時間の経過と共に変化する魔女なのかな?と勝手に妄想した次第です。

 

○最終話

・「思い出」の魔女

 楽しかった思い出は、すぐに飽きるもの。

 だから手元には暗い思い出しか残っていない。

 ああすれば良かった、こうすれば良かったと今考えてもどうしようもないことばかりを考えて、我が身を藁人形に変えてその恨みつらみをぶつけるしかない。

 

・白いやつに倒された魔法少女

 ソウルジェムからの身体を動かす魔力供給を遮断されただけで、死んだわけではありません。

 

 

 

◆番外編◆

 

『まあとにかくこの主人公はスゴいワケよ超絶美形のイケメンで頭なんか超良くって分け隔てなく優しくって全世界の少女のアコガレの存在なワケそんで性格もすげえイイヤツなもんだから男友達にも恵まれてて熱い友情で結ばれまくっててさ文武両道?成績オールトップで全てのスポーツが金メダルレベルの実力でそれで』

 目隠しと耳栓を装着した石膏像の生首が、べらべらと意味不明なおしゃべりをばら撒いている。

 首から下には黒いマントをはためかせ、丸めたアニメポスターの棒を柄とした大鎌を周囲に旋回させて浮遊している。

 

 これなるは「アマチュア作家」の魔女。その性質は「厨二病」。

 

 描画線少な目・右斜め四十五度カメラ目線のキャラクターのバストアップだけがひたすら描かれた無数の原稿用紙を地平の果てまで敷き詰めた結界の中に、二人の少女が舞い降りた。

「行きますよっ!きりえちゃんっ!」

「いいよ、みおみ。……ゾクゾクするねえ。恐怖で」

 眉を「V」の字に釣り上げたみおみの隣で、きりえが青い顔をしてあごの下を拭いながら応えた。

 そして二人同時にソウルジェムを取り出すと、みおみは右手に持った純白のソウルジェムを左方に、きりえは左手に持ったグリーンのソウルジェムを右方にそれぞれ振り切って身構えた。

「「変身!」」

 同時に叫び、まずはきりえが緑のソウルジェムを腹に巻いていたベルトバックルの右側のスロットに差し込んだ。

 するとその緑のソウルジェムは縦線のノイズと共に消滅し、みおみの腹に巻かれたベルトのスロットに転移して現れた。

 続いてみおみが白のソウルジェムをベルトバックルの左側のスロットに差し込み、両手を交差させ、指先を外側へ跳ね上げる動作でバックルのスロットを左右に展開した。

《スゥィッチ!》

《ニュートラライズ!》

 存在を同化され気を失ったきりえがその場に崩折れ、唯一立ったままのみおみの身体を緑の旋風が巻き込み、白色の輝きに包まれて見えなくなった。

 やがて一際強い閃光ののちにそこに現れたのは、純白の布を「お化けの真似」のように真ん中で釣り上げたような異形の姿だった。

 その頂点には、みおみの顔が浮き出ている。

 そいつは爬虫類の手足のように節くれ立った腕を伸ばすと、スナップを利かせた指先を魔女に向かって突きつけた。

『さあ!あなたの穢れを数えなさいっ!』

『って言うか、百パーあんたの白じゃないこれッッ!? 』

 言うなり同じ白の右腕が白布の左半身を叩いた。

 

 

○……はいコレ身内の発言から着想を得ましたバカ噺、言うなれば「魔法少女W(ダブル)」です。分かる方のみどうか暖かい目で見逃して下さいお願いします……

 

 

 

 

魔法少女みおみ☆マギカまとめ@Wiki・・・完。

 

 




◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 

魔法少女みおみ☆マギカ 第二部

第1話 アタシの秘密、知りたいか?

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆ 


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