大冒険は終わらない (ろんろま)
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プロローグ:目覚める悪意、天界の兄弟

 眩いばかりの光が世界を包み込んだ。

 澄み渡るばかりの青い空を超えた遥か上、宇宙(ソラ)と呼ばれるその中で行われていた死闘が、ついに決着となったのだ。

 

 勝利者である人間の勇者は地上へ帰還し、敗北者である魔界の神は太陽の中に消える。

 

 成る程それは人間にとっては紛れもないハッピーエンドであろう。

 死神の策によって勇者は姿こそくらましたがその生存は約束されている。

 強い絆で結ばれた仲間たちがいる限り、勇者は必ず地上へ戻ることができるだろう。

 

 完全無欠の幸せな終わりというやつだ。

 

「そーんなの反吐が出るよねえ」

 

 暗い、暗い闇の中。一点の光源もない暗黒の中声が響く。

 粘性の強い液体を掻き分けるような水音を背景に、声の主は低く唸るように呟いた。

 

「まさかこのボクが一回殺されちゃうなんて……アバンとマァムめ、よくもやってくれた……」

 

 それは地上でキルバーンと呼ばれていたものの声であった。

 多大な疲労を感じさせるその声には確かな殺意が込められており、底知れない怖気すら感じられる。

 

 先の見えない暗闇の中であったが、キルバーンは道を知っているかのように真っ直ぐ進んで行く。

 

「あいつらだけハッピーエンドなんて許さないよ……」

 

 一歩一歩、キルバーンは進んでいく。粘性が強くなってきたのか、水音が重く深く沈んでいく。

 

「正義と愛の勝利だなんてくそったれなもの、認めるもんか……」

 

 怨敵に対する呪詛が紡がれる中、何かの溶けるような音が鳴り、肉の焼け付くような腐臭が香り始める。

 それきり水音は止んでしまった。キルバーンが立ち止まったのだ。

 

 正確に言うのならば目的地に辿り着いた、と言うべきか。

 

 キルバーンは最後に小さく咳き込み言葉を紡いだ。

 

「さあ起きなよ呪いと怨念の王サマ! バッドエンドを作るのはお手の物でしょ?」

 

 張り叫ぶような大声と共に一際大きな水音が上がる。

 その直後、濁流のような轟音が響き渡り、空間を照らすように赤い光が灯火を創り出した。

 

 まるで血の海のような液体が渦巻く中、キルバーンの姿はどこにも見えなかった。

 

 

 

 

 ーー地底に封じられた世界、魔界。

 例外を除き二つの勢力によって治められているそこは、太陽のない暗黒の世界だ。

 

 魔法力によって作られた人工の陽光によってそれぞれの領域を照らされており、強大な魔法力なくしてできないそれは王の強大さ、偉大さを示すシンボルであった。

 

 例外たる呪われた大地、ジオン大陸でもそれは同様だ。

 魔界最大の危険地帯と言われる瘴気と怨念の大地であるそこは基本的に戦う力を持たないものたちの楽園でもある。

 

 そんな彼らは主に農家、鍛治師として働いておりその姿は地上の人間との違いはまるでない。

 いかに魔族とて戦いばかりに明け暮れる訳ではないとは言え、代わり映えのない穏やかな日々を過ごせるのは変わり者の集いと言われるジオン大陸の魔族たちくらいであった。

 

 瘴気の霧が薄くかかる空気の中、今日も働きに出ていた魔族の少年はふと光が陰ったことに気づいた。

 

「あれ? 今、空が黒くならなかったか?」

「お前ボケたのか。空なんていつも黒いじゃないか」

 

 鍬を片手に同じく働きに出ていた黒髪の魔族の少年が呆れたように答える。

 陰りを見た少年はそういうことではなくて、と前置くと困ったように首を傾げた。

 

「空の色じゃなくて、本当に一瞬光が消えたみたいな感じじゃなかった? 何かあったのかなあ」

「気のせいだろ。それか大魔王様が地上侵攻してるしその影響かもよ」

「うーん、そうならいいけど……やっぱり心配だ。呪怨王様に何かあったのかも……」

「大丈夫だって! きっと隊長さまに怒られて出禁喰らってるだけだろうよ!」

「それはそれで気になるけど。まあ、俺たちが気にしたところで何もできないよなあ」

 

 そういって抱えた農具を担ぎ直す少年はやはり心配そうに眉根を寄せていた。

 少年たちの暮らすアーカの村は農業が盛んな村だ。

 魔界の過酷な環境の中での生命線とも言える食物の生産に携わることは何より尊いことで、ジオン大陸では作物は他の勢力との交易にも使われている程の重要物資だ。

 

 瘴気の中で作物を育てることは大変難しい中、アーカの村は生産量が図抜けていることから食料庫とも呼ばれている。

 そんな農家の少年たちはあーでもないこーでもないと口論を繰り広げていた。

 

 暫しの口論を繰り返す中、不意に黒髪の少年は我に返った。

 

「やっべ話してたら遅れるじゃん! アグリさんとルビさまの説教がくる!」

「え、やだよう殺されるかも!」

「誰が殺しますか悪ガキお二人」

 

 涼やかな女の声に少年二人の動きがまるでアストロンを受けたように固まった。

 壊れたゴーレムのように首を動かすと、その視線を追った先には魔族の女がいた。

 人間でいえば妙齢、といったところだろう。緩く波打つ黒髪を高いところで纏めており、紅玉のような赤い目が印象的な美女だ。

 そんな彼女は少年二人を怒ったように睨みつけていた。

 

「アグリ老がお呼びですよ。たっぷり叱られてからお仕事に行きなさい」

「ひえっ」

「急ごう! おじいさまの説教に遅れるともっと長くなる!」

 

 齢九〇〇歳に届こうとする老魔族の姿を思い出し少年二人は駆け足で荒れ果てた大地を駆け抜けていった。

 その姿を確認しルビと呼ばれた女は小さく息をついた。

 透き通った紅玉のような瞳が大地を照らす光を捉える。思慮に耽る彼女の意識には遠い王城の姿が思い浮かんでいた。

 

「……陰りはそう言うことなのでしょうね。おはようございます、陛下」

 

 十五年前突如として眠りについた主人の姿を思い返し、親衛隊員ルビは早くお会いしたい、と独りごちた。

 

 その同時刻。ジオン大陸を守る親衛隊長クリスタは王城で大仰にため息をついていた。

 

『……一応命令しましょう。帰れお前ら』

「開口一番無慈悲な!?」

『うるさいですね。そもそも作業着で登城するなお前ら本当に帰れ!』

 

 魔法で形作られた声は苛立ちを帯びており、眼下に集まる魔族たちを一斉に竦ませた。

 それもそのはずで、ここはジオン大陸の中心地、首都ユオンにある王城その玉座の間だ。

 限られた魔族しか出入りできないはずのそこに作業着姿の魔族が大勢集っていれば、ため息の一つや二つ吐きたくなるものである。

 

『陰りが見えただとか、復活はまだかとか喧しい! そもそも土足で踏み入るな仮にもここは王城だぞ! 門番は何をしてるのです!』

「あー……それが門番が全通ししておりましてー……」

『分かりました後で殺します。とにかく、民間人は即刻退去しなさい。それがお前達のためです』

「……嫌です」

 

 誰かが小さく声をあげた。

 

『……聞こえませんでしたか。退去しろと言っているのです』

「嫌です! 王様が眠ってから十五年が経ちます! 長くないはずなのに、もうずっと長いのです!」

「そ、そうです親衛隊長殿! 十五年前突然王様が眠りについた、心配はいらないと言われて信じてきましたがもう限界なんです!」

「レアロードが酒場で叫んでた、天界のせいって本当なんですか!?」

 

 煮えたぎるマグマのような怒気が玉座の間に広がる。その凄まじい勢いにクリスタはフードの奥で苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 ジオン大陸の魔族は大半が力無いもの、そしてそれらの子孫の集いだ。

 弱肉強食を理とする魔界において虐げられた者たちの最後の拠り所であるのがこのジオン大陸だ。そこを統べる呪怨王を眠りにつかせたというのは、普段は温厚な彼らを以ってしても堪え難い苦痛であった。

 

『……。仕事に戻りなさい。お前たちが日常を過ごさないのなら意味がない』

「でも!」

『ーーいい加減にしろッ! 負の想念をこの玉座に垂れ流すなッ!!』

 

 王城そのものを揺らすような怒声が響いた。

 

 ジオン大陸を任されている親衛隊長としてこ、クリスタはれ以上の狼藉は譲れなかった。

 大陸最強の魔族の殺気を含む怒気に戦う力のない魔族たちは凍りついたように止まっていた。

 

 やがて各々顔を見合わせると肩を落として外へと出て行く。最後の一人が外へ出るのを見届けて、クリスタは漸く肩をおろした。

 

『……どいつもこいつも好き勝手言って。こちらの気も知らないで……』

 

 そこまで呟いてクリスタは首を横に振った。魔族らに一喝した手前、弱音を吐くことはできなかった。

 しばらく玉座を見つめていたがそれも長くはない。王がいない今親衛隊長であり王の右腕である彼の仕事量は半端ではないからだ。

 フードの奥に隠した目を名残惜しそうに細め、クリスタは玉座を後にしようと踵を返した。

 

「まあ、悪く言うなって。こればかりはお前に苦労をかけた俺が悪い」

 

 掛けられた声にクリスタの脚が止まった。

 空っぽになった玉座の間はそれまでの熱気が嘘のように冷え切っており、その声はとても良く響いていた。

 黒いフードが翻る。その視線の先には紫水晶の玉座があった。

 先程までは誰も座っていなかったそこには黒い人型をした影が浮かんでおり、目にあたる部分だけが爛々と赤く光っていた。

 

 一見すればただの怪物だろう。

 けれどその纏う気配は禍々しいと言う言葉が霞むほどドス黒い色を帯びていた。

 

「おはようクリスタ。長い間の留守、悪かったな」

『あ……っ! おはようございます、呪怨王ブラッド様!』

 

 即座に跪いたクリスタの言葉に頷くように影は蠢き、その姿が変化していく。靄のように薄い密度であった影が密集し、肉体を形作る。

 影が黒い人体を作り上げると同時に、表面がひび割れるかのように血のような赤髪の魔族の男が現れた。

 ゆっくりと見開かれるその瞳もまた血のような赤色であり、爛々とした光を帯びておりこの男こそ先の怪物ーー呪怨王ブラッドだと確信できる。

 

 ブラッドは身体の調子を確かめるように拳を握ると小さくため息をついた。

 

「慌てて起きてきたからやっぱり本調子じゃないな。まあ、仕方ない……さて、親衛隊長」

『は、何なりと』

「今すぐ外の情報を遮断する。結界を発動させろ」

『……は。恐れながらその意図は?』

「何、大魔王バーンが死んだ。大魔王領域の明かりが消滅する前に情報を遮断しろ。民に混乱は不要だ」

 

 呪怨王の気軽な言葉に、一瞬。ほんの刹那のような間であったがクリスタの思考は停止していた。

 血のような赤い瞳が親衛隊長を見据える。冗談の欠片もない凍てついた眼差しに、今度こそクリスタの思考は再開し行動を開始した。

 

『た、直ちに!!』

 

 瞬間移動呪文を使い親衛隊長の姿が玉座から消え去る。その姿を認めて一人残された呪怨王は小さく息をついた。

 顔を上げ天を見据える。

 城の天井を見ているのではない。魔界、地上の空を超えてはるかその先を見通しているかのようだった。

 

「逝ったんだな。大魔王」

 

 誰もいなくなった玉座で呪怨王は一人、古い知己に黙祷を捧げた。

 

 大魔王バーンは原初の魔界を知る数少ない魔族であった。

 強大な力を持つだけの、ただの魔族の身でありながら、魔界の神の座まで上り詰めた強い男だった。

 

 その男が死んだ。その結果が何を齎すのか呪怨王は知っている。

 

「すべては時間との勝負になった。最早形振り構っていられないなこれは」

 

 最大勢力であった大魔王は死に、冥竜王は石に封じられたまま。

 覇者の消えた魔界に戦乱が蔓延るのは時間の問題だ。その先に待ち受ける破滅を想像するのは容易いことだった。

 

 目覚めたばかりというのに考えうる限りの最悪の事態になったことに盛大にため息をついて、呪怨王ブラッドは再生したばかりの心臓に手を当てた。

 

「俺も本気を出させて貰おうか」

 

 

 

 

 これで良かったんだ。

 

 覚束ない意識の中でダイは安堵だけを抱いていた。

 

 地上を黒の核晶の爆発から守るために空へ飛び立ち、共に来てくれた最高の相棒を庇って一人爆発の威力をまともに受けたことに後悔はない。

 そうしなければ誰も守れず、みんなの冒険は終わりを迎えていたのだから当然だ。

 その結果としてダイの身体が吹き飛んだ程度は、代償として安すぎるくらいだ。

 少なくともダイはそう思ったし事実として身体の感覚は未だない。

 

 だからきっとダイは死んだのだろう。

 

(あれ……じゃあどうしておれは考えていられるんだろう?)

 

 死んだのなら意識はないはずだ。そう考え、そう言えばポップは死んでいた時にゴメちゃんと会話していたなと思い出すと。

 なら死んだダイが物事を考えていても何もおかしくはないのだろう。

 

 そんなことをぼんやりと考えていると、ダイは誰かに手を引かれたような気がした。

 それは例えるなら昼寝していたときのようなポカポカな陽気。そう、太陽に包まれるような心地よさ。ダイにとっては母を連想させる温もりだ。

 それがあまりにも心地よくて、ダイはゆっくりと身を任せた。

 

(あったかいなあ……。そういえば、マァムに初めてホイミをしてもらった時も、こんな感じだったっけ)

 

 今更ながら地上に残して来た仲間たちのことを想いないはずの目頭が熱くなる。

 地上は守れたんだろうか。

 みんなは無事なんだろうか。

 かつて父が自分にそうしたように大魔王バーンとの死闘の末に残った僅かな闘気を使って黒の核晶の爆発を押さえ込んだはいいものの、地上に残すことになってしまった皆の安否が心配で堪らなかった。

 

『ダイ』

『ダイ君』

 

 臆病だけれど誰よりも勇気のあるポップや、母のように自分や仲間たちを慈愛で満たしてくれたマァム。

 もう一人の自分のような境遇を持つ頼れる長兄ヒュンケルに、自分にたくさんのことを教えてくれたアバン先生。

 

 次々と大事なひとのことが浮かんでは消えていく中、強い輝きを帯びた金色が脳裏をよぎった。

 

『ダイ君!』

(レオナ……!)

 

 泣き顔を浮かべた彼女に手を伸ばそうとして、その手がないことにダイは堪らなく悲しくなった。

 

(おかしいな。みんなを守れたらそれで良かったのに……)

 

 皆を思えば思うほど悲しみは深まり、とうとう両の目から涙が零れたような感覚を受けダイは自分が泣いていることに気づいた。

 

 ーー本当にこのままでいいのか。

 ーー死んでいなくなってそれで満足なのか。

 

 どこからか問いかけてくる声がする。その声がどこからのものなのか気にすることもできず、ダイはぐっと涙を飲み込んだ。

 脳裏に大魔王バーン……最後には大魔獣と化した宿敵との戦いが呼び起こされる。

 人智を超えたあの戦いを勝利した自分が地上に帰ったところで、幸福な未来を歩めるなんて、どうしても思えなかった。

 

(おれは竜の騎士だから……人間を守れたんだから、これでよかったんだ)

 

 ーーだから一人で黒の核晶を抱え込んだのか。

 ーーそれは都合のいい死に場所を探していたのではないのか!

 

 声は苛烈さを増して響き続ける。その苛烈さが何となく親友に重なりダイは小さく微笑んだ。

 

(いいんだ。おれみたいな化け物が地上のみんなと一緒に過ごすのなんて無理なんだ。だからもう、いいんだ……)

「良いわけないだろーが!! いい加減起きろ!!」

「っ!?」

 

 怒り狂った男の声が耳元で響き渡り、後頭部を強く殴られたような痛みが走る。

 そこでダイの意識は漸く覚醒した。

 

 痛みがある。

 身体がある。

 ……生きている!?

 

 全くの望外の事態にダイは殴られたことも忘れ呆然とした。

 

 今まで彼が寝かされていたのだろう白いベッドの横には小窓がついており、そこから外の景色が見渡せる。

 そこから見える景色は、大魔王軍との戦いで世界中を旅したダイですら知らない光景だった。

 

 見渡す限りにあるのは崩れ落ちた白い建物に、雲のように白い大地。

 一面には黒い霧のようなものが漂っており、見る限り空気が重い印象を受ける。地上にそんな場所があるなんてダイは聞いたこともなかった。

 崩れ落ちた建物だけならピラァ・オブ・バーンの被害にあった地域と予想したであろうが……そんなことを考えているとふと額が疼いたような気がした。

 

 そんな風に呆然と外の景色を観察するダイの背後では二人の人影が取っ組み合いを行なっていた。

 

「ジストにいちゃん、怪我人相手に何してるんだよ!?」

「黙ってろライト。俺はこいつの考えが超気にくわない。自己犠牲根性叩き直してやるからそこに直れ最後の竜の騎士ぃ!」

「ステイ! にいちゃんステイ!」

「……いたっ」

 

 再び頭部に衝撃を受け、ダイはそこで漸く二人の存在に気づいた。

 

 まず目に入ったのは拳を振り上げる青年と、それを止めようとする少年の姿だ。

 少年の年の頃はダイに近いだろう。それが成人を超えているだろう青年を必死に止めようとするのはダイから見ても少々無理があるように見えた。

 よくよく見れば青年の拳の先はダイに向けられており、ダイは先程感じた痛みの原因を察した。

 

「えっ。……え!?」

「ほらにいちゃん、ダイも気づいたから! ステイ!」

「人を犬みたいに言うなライト。まだ頭のネジが戻ってないようだな……」

 

 まだまだ拳を下ろす様子のない青年、ジストからダイを庇うようにライトと呼ばれた少年はダイの正面に立つ。

 ジストは暫くダイを睨みつけていたがーーやがて諦めたようにため息をついた。

 

「え、えっと……何がどうなってるんだ……?」

 

 混乱呪文を受けたように頭に疑問符を浮かべるダイ。

 そんなダイに改めて向き合いライトは口を開いた。

 

「ごめんね混乱させちゃって……ジストにいちゃん、回復呪文のウデはピカイチなんだけど捻くれちゃってて……」

「誰が捻くれ者だライトコラ」

「ジストにいちゃんは黙ってね。何から言えばいいかな……ダイはどこまで覚えてる?」

 

 ライトの問いにダイは頭に手をかざし、ゆっくりと首を横に振った。

 

「おれは確か……皆を黒の核晶から守るために太陽へ向かって……爆発の光が見えた後からは、覚えてないや」

「まず結論から言うね。ダイは死んでないよ。神様がいうには双竜紋だっけ? それが勝手に瞬間移動呪文を使って天界に連れて来てくれたんだ」

 

 ライトの言葉にダイは目を見開いた。

 

「双竜紋が!?」

「その中には先代の竜の騎士……ダイのお父さんの魂があるんだろう? ダイを助けるために力を振り絞ったんじゃないかって神さま言ってた」

「父さん……」

 

 ダイは思わず額に手を当て呟いた。

 竜魔人と化していた時と違いそこには焦げるような熱はもうなく、ただダイ自身の体温を感じられるだけだ。

 

 けれど父が助けてくれた。

 本当かどうかは分からないが今生きていることこそ何よりの証拠だ。

 それが堪らなくダイには嬉しかった。

 

「あ、でも爆発からは助かったとはいえダイの身体はボロボロだったから、ジストにいちゃんが治療してくれたんだ」

「……あの世に片足どころか肩まで浸かってた状況から引き戻してやったんだ。感謝しろ」

 

 ぶっきらぼうに告げるジストにダイは自分に声を掛けてくれていた人物の正体を漸く理解した。

 

「ありがとう、ジストさん」

「ふん。神々に頼まれたからやっただけだ、二度はないぞ」

「そういえば二人ともなんで俺の名前を?」

 

 ダイの疑問は尤もである。

 そのことに思い出したかのようにライトは手を叩いた。

 

「そういえば自己紹介、忘れてた! 俺は精霊のラズライト。皆はライトって呼んでるよ。で、ジストにいちゃんは」

「ジストメーアという。長ったらしいからジストでいい。俺たちがお前のことを知ってるのは当然だ、全てを天界から見ていたのだからな」

「ライトにジストさん……改めて、助けてくれてありがとう」

「俺は弟の頼みを聞いただけだからな。礼はライトだけでいい」

 

 ジストはそう言うと紫色の目をゆっくりと細めた。

 

「ライトがお前を見つけてなければ、今の天界じゃお前はのたれ死んでただろうよ」

「? それってどう言う……」

『ジストメーア! ちょっと手伝ってくれないか!』

 

 扉を叩く音がし、外から男性の声が響く。

 ジストは小さく息を吐くと、ライトの頭を撫で立て掛けてあった短剣を手にした。

 

「少し出てくる。ダイは絶対安静、ベッドから出すなよライト」

「ラジャー!」

「ちょっと待って、話はまだ……っ!?」

 

 布団を剥ぎ取りベッドから飛び降りようと身体に力を込めた瞬間だった。

 意識を向けた瞬間に骨という骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げる。これまでに幾度も激闘を越え傷を負ってきたダイだが、その全てを超えると断言できる激痛が全身を走っていた。

 

「……言っただろう。あの世へ肩まで浸かってた状態から引き戻したと。ライト」

「うん。ごめんね、ダイ。催眠呪文(ラリホーマ)」

「待って……!」

 

 竜の騎士であるダイには本来効き目の薄い筈の催眠呪文。

 それは正しく効果を発揮し、ダイの体に猛烈な眠気が襲い掛かった。生命力の尽きかけている今のダイに、それに抗うすべはない。

 

 瞼が閉じる寸前、ジストメーアはダイを振り返った。

 

「ゆっくり休め。三ヶ月ずっと戦いっぱなしだったんだ、少しぐらい休まない方がバチが当たる」

「ーー……」

 

 打って変わって優しい声を最後に、ダイの意識はゆっくりと微睡みに落ちて行った。

 



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第一話:ダイ捜索の始まり!の巻

 ーー勇者ダイが空に消えてから数週間が経った。

 勿論地上の人間たちは何もしなかったわけではない。

 各国の王が、民が、善き怪物たちがそれぞれ手を取り合い、勇者の捜索は大々的に行われた。

 

 けれど結局ダイは見つからなかったと言う。

 

 ダイの相棒である魔法使い……今や大魔道士となったポップも捜索を続けていたが彼もダイを見つけることは叶わなかった。

 

 ポップだって徹底的に探し回った。

 かつての冒険の道筋を辿り、秘境という秘境を呪文を駆使して探し回った。

 仲間であり優れた占い師であるメルルの力も随分と頼った。

 何度も山を越えた。海を越えた。

 けれど世界を何度回っても……ダイの姿は欠けらも見つかることはなかった。

 

 しかしポップは諦めなかった。

 黒の核晶が爆破するまで諦めなかった諦めの悪さは伊達ではない。

 

 ダイの剣に宿る宝玉が輝いている限り、諦める気は毛頭なかった。

 

 そんな中、ギルドメイン山脈の端で古びた地図を片手にポップは頭を抱えていた。

 

「…………これがこうで、あれがああだから……いやそうするとここの意味が繋がらねえよなあ?」

「あのねえポップ。さっきからずーっと同じことを繰り返してるけど、まだ解読できないの?」

 

 一向に終わらない彼の様子にマァムは呆れたように肩をすくめた。

 彼女の言うことはもっともである。

 ポップが地図を片手に悩みだしてかれこれ一時間は経過しようとしていたのだ。

 いくら周囲に怪物の影がなくともギルドメイン山脈はかつて鬼岩城のあった場所だ。この地に残る大魔王配下の怪物はそれなりにおり、周囲の警戒をしていた彼女としてはたまったものではない。

 

 その横で水晶玉を使っていたメルルも困ったように眉根を眉間に寄せていた。

 

「あの、ポップさん。やはりアバン様にきちんと教わった方が良かったのではないでしょうか……?」

「うっ」

「そうよポップ。それ魔界の文字なんだから一朝一夕で覚えられるわけないでしょう?」

「ううっ」

 

 少女二人の正論に頭に巨岩が乗せられたような錯覚を受けるポップ。

 無論気のせいである。

 

 マァムとメルルを旅に誘ったのはポップだ。かつてパーティの頭脳役として動いていた彼は地図を読むことに慣れておりマァムもメルルもそこはポップを信用している。

 しかしいくら慣れない魔界の文字とはいえ地図を地面に置き、辞書を片手に悩む姿をみれば彼女達の不安は尤もと言える。

 実際彼らは道に迷っていた。

 

 難解な文章に頭を悩ませるポップの様子を見かねたようにメルルは手を叩いた。

 

「気分転換にお昼ご飯にしましょう。ご飯を食べればきっと頭もよく回りますよ」

「……そうね、根を詰めてばかりじゃ疲れちゃうもの。私薪を集めてくるわ」

「はい、お願いしますマァムさん」

 

 軽い足音を立ててマァムの姿が消える。

 すっかり仲良くなった女性陣の様子を横目に、ポップは申し訳なさそうに眉根を下げた。

 

「悪ィ……気を遣わせちまったな」

「大丈夫ですよ、まだ旅を始めた初日ですもの。焦らずじっくりいきましょう」

 

 そういって食事の用意を始めるメルル。

 手際のいいその様子を眺めポップは慌てて手伝いを申し出るもそれはあえなく彼女に断られてしまう。

 しかし何もしないというのも何とも居心地の悪いもので、ポップは食器を出したり周囲の警戒に励むことにした。

 

 ひとまず鞄に地図と辞書をしまい込むと自然と小さなため息が漏れる。

 

 アバンの使徒、そのパーティの頭脳役と呼ばれたポップは決して頭は悪くない。

 しかし彼を悩ませるそれはダイたち勇者一行に味方した魔族、魔界の名工と言われるロン・ベルクにもらった地図であった。

 

 

 

 事の起こりは昨日のことだ。

 ダイの剣の製作者であるロンからダイの生存を教えられ、仲間たちは喜びに沸いていた。

 

 ダイが生きていてくれた。

 

 ただそれだけが彼らの望みだったのだから無理もないことだ。

 パプニカ王国の岬で誰もが涙を流す中、人一倍の涙と鼻水を流したのはポップであった。

 

 新女王となったレオナに招待されかつての仲間たちがパプニカ王城に集いダイの行方を話し合った。

 

 しかし地上の探せるところは隈なく探した。

 故にポップはこう提案したのだ。これだけ探して見つからない以上、ダイは天界か魔界のどちらかに行ったのではないか、と。

 

 その考えに真っ先に賛同を示したのは魔族であるロンであった。

 

【黒の核晶の破壊力は次元にすら影響を与えかねない代物だ、それは十分にあり得る】

【やっぱり! じゃあまずは魔界に……】

【マァム、止めてあげて下さい】

【勿論ですアバン先生】

 

 早速瞬間移動呪文でどこかへと旅立とうとするポップの襟首をしなやかな手が掴んだ。

 薄紅色の髪をした武闘家の少女マァムだ。

 尤も戦いの終わった今は武闘家ではなく村娘としての服に身を包んでいるが、その鍛え上げられた肉体は健在だった。

 

 大魔道士とはいえ素の身体能力では彼女に遥かに劣るポップはあっさりと首に呪文封じを喰らっていた。

 

 一瞬だけ鼻の下が伸びていたのは気のせいである。

 

【冷静さを忘れてるんじゃねえぞポップ。そもそもオメェ、魔界がどんなところなのか知ってるのか?】

 

 そんな彼らの様子を見て大魔道士マトリフは呆れたように声をかけた。

 重力呪文のように文字通りベタンと地に叩きつけられた師の言葉にポップははっと我に返った。

 言われてみればポップは魔界について何も知らない。

 ダイがそこにいるかもしれない、と言う情報だけで動くにはそれは危険すぎた。

 

 ポップが冷静さを取り戻したのを感じマァムはゆっくりと腕を解いた。

 

【もう、本当に世話がかかるんだから……】

【すまねえマァム。なあ、師匠は魔界についてどれだけ知ってるんだ?】

 

 弟子の問いに人間にして齢百に届こうとする大魔道士はふむと顎を撫でた。

 

【俺も随分長生きしちゃあいるが、魔界についての知識はカケラほどしかねえ。

 やれ暗黒とマグマの世界だ、毒霧蔓延る不毛の地だ、血を血で洗う戦乱の地だっつーロクでもねえ世界。

 実情についてはそっちの魔族さんに聞いた方が早いだろうよ】

 

 冷めた眼差しが魔界の名工を捉える。

 この場で唯一魔界を知る男は集まる視線を真っ向から受け止めるとゆっくりと頷いた。

 

【ふ。それだけ知ってれば人間にしちゃ十分さ。そして全く間違っていない。俺たちの故郷魔界はお察しの通りロクでもない世界さ】

 

 皮肉げな言葉と表情に彼の後ろに控えていたノヴァは悲しげに表情を歪めた。

 

【師匠、自分の故郷をそんな風に言わなくても……】

【実際そうだから何とも思わん。まあ故郷思いのお前にとっちゃいい気分ではないだろうが、こればかりは全魔族共通の思いだろうよ】

【……全魔族共通……】

 

 重みを帯びたその言葉にポップは唾を飲み込んだ。

 話を続けるぞ、とロンは言葉を続けた。

 

【いいか、魔界は神々によって封じられた地だ。高位の魔族でもなければ結界を突破し地上に出ることなど叶わん。無論この俺も自分の魔法力を使って突破してきた】

【魔法力を? 鍛治師や剣士としてのあんたはすごいけど魔法力……想像できねえなあ】

 

 ロンが魔法を使ったところなど見た事のないポップは首を傾げた。

 そんな魔法使いの様子にノヴァはムッと顔を顰めた。

 

【先生はオリハルコンを加工出来るんだぞ、ポップ。神々の創りたもうた金属であるオリハルコンを、だ! そんな先生の魔法力が弱いわけがないだろう!】

【あ、あー……! 落ち着けってノヴァ、唾飛んでるって……!】

【ガキのじゃれあいは程々にしておけ。……話がずれたな。そうやって俺は決められた地点で魔法力を使い脱出してきたわけだが……もう同じことはできんぞ。見ての通り腕がこの有様なんでな】

 

 そう言って動かそうとしたのだろう。ロンの包帯の巻かれた両腕が小さく震える。

 たったそれだけの動作ですら額に汗する魔族をポップは慌てて止めた。

 

【無理に動かすなって! それに魔法力が鍵なら俺に任せてくれよ!】

【単純な魔法力なら確かにお前さんが適任かもな。だが人間のお前さんにゲートが反応するかね】

【……ゲート?】

 

 マァムとポップの声が重なる。話の流れからして決められた地点のことだろうとポップはあたりをつけるも、まるで条件があるかのようなロンの言い方が気になったのだ。

 首を傾げる弟子たちの横で大勇者と大魔道士は納得したように頷いていた。

 

【成る程ねえ、魔法力の質ってやつか】

【となればアバカムで開けるのも難しいかもしれませんねえ】

【アバン先生、説明をいただいてもよろしいでしょうか?】

 

 事態を静観していたレオナが言った。

 賢者の卵として、今は女王としてあらゆることを学んでいる彼女であるが二人の先達の交わす言葉に聞き覚えがなかったためだ。

 最も新しい弟子の言葉にアバンは快く頷いた。

 

【勿論ですよレオナ姫。いえ、今は女王陛下とお呼びするべきでしょうか】

【何でしたらレオナとお呼びくださっても結構ですよ、カール王配アバン様?】

【……ま、まあそのお話は後ほどにしましょう。では私的な場ですし、親愛の意味も込めてレオナと呼ばせていただきましょう。

 では改めて、皆さんは大魔宮の扉を開けた時のことを覚えていますか?】

 

 アバンの使徒たちはその言葉にすぐに頷いた。

 唯一長兄だけが首を傾げていたが彼はその時殿を務めていたので無理もないことだった。

 それを見かねたマァムが彼に説明を始めるのを微笑ましく見つめ、アバンは話が終わるのを見計らって言葉を続けた。

 

【あの扉は大魔王の超魔力によって閉ざされていました。私たちは破邪の秘法を使って開きましたが、本来は大魔王の魔力でしか開かないものです。

 では魔界の入り口……ゲートも同じものだと考えられますね?】

【あ……!】

【付け加えるならゲートは魔族が無理やり作った入り口って考えられる。本来この世界にはないものだからアバンがやったように破邪の秘法で無理やり開こうとしても消えちまうだろうよ】

 

 師匠二人の言葉にポップは目から鱗が落ちる思いだった。

 それを捕捉するようにロンが言葉を続ける。

 

【まあそういうことだ。魔族が魔族のために作った代物だからな……人間嫌いの魔族が多いんだ、人間の魔法力を阻むよう作られててもおかしくはない】

 

 つまりそれは魔族がつくった魔界の入り口は魔族にしか開けない可能性があるということであった。

 種族の違いまでは流石のポップでもどうしようもない。

 

 しかしそれでもポップは諦める気はなかった。

 

【じゃあ半魔族のラーハルトの魔法力とか!】

【半魔族も怪しいもんだ。魔族は基本的に人間嫌いと言ったろう? 人間と関わった証拠である半魔族も対象の可能性は非常に高い。罠とか仕掛けてあったりな】

【……じゃあどうしろっていうんだよ!】

 

 あれもダメこれもダメ。八方塞がりの様相にポップの額に青筋が浮かび上がる。

 苛立ちのあまり地団駄を踏みかねない弟弟子にため息をついて、アバンの使徒長兄ヒュンケルは静かに声をかけた。

 

【落ち着けポップ。あくまで可能性が高いだけだ、試してみれば案外開くかもしれない】

【これが落ち着いてられっかよ! ダイが今どうなってるかもわかんないのに、んな博打みたいな賭けに出るなんて俺はゴメンだね!】

【同感だ。ダイ様を最速で迎えに行くためにも確実な方法を取るべきだろう】

 

 仰々しい槍を携えた半魔族の青年ラーハルトはポップの言葉に深く頷いた。

 先代竜の騎士バランの忘れ形見であるダイに絶対の忠誠を捧げる彼は魔界の名工を睨みつけた。

 

【隠していることがあるだろう。早く言わなければその首を落とす】

【なっ!!】

 

 遠慮も何もないラーハルトの言葉と殺気に思わずノヴァは背負った剣に手を掛けた。

 短気極まりないその様子にしかし、両腕が使えないロンは慌てる様子すら見せなかった。

 

【若いな、小僧。そういえば半魔族は見た目通りの年齢だったか】

【御託はいい。早く話せ】

【そう慌てるな……ノヴァ、持たせていたものがあるだろう。それを出してくれ】

【あ……は、はいっ】

 

 今にも槍に手を掛けかねないラーハルトの様子をチラチラと見ながらノヴァは鞄からいくつかの巻物を取り出した。

 広げられたそれは各地の地図であった。

 

 しかしそこに書かれた文字はほとんどの者にとって見覚えのないものだ。

 

 その内の一つを手にとってマトリフは唸り声をあげた。

 

【こりゃあ魔界の文字か。随分と書き込んであるがお前さんが書いたのかい?】

【少し、な。殆どは別の奴が書いたものを貰った。古いものだが……それには魔界で有名なゲートの大凡の位置が書いてある】

 

 ロンの言葉にポップとラーハルトは奪い取るように地図を広げた。

 予想通りの反応を示す二人にロンは愉しげに口元を釣り上げた。

 

【ゲートの大半を作っていたのは大魔王だが、ほかにも作っている魔族はいる。もしかすれば一人ぐらいは人間嫌いでないか、あるいは大雑把な作り方をしている奴がいるかもしれん】

【……それって結局運任せじゃないか?】

【何、魔法力が阻まれることはあっても大魔王との戦いを切り抜けたお前達をどうこうできるような罠はないはずだ。精々モンスターハウス程度の悪戯だ】

【悪戯程度で済むのかそれ!?】

 

 どこか愉しげな魔族の言葉にポップは地図を見つめた。

 彼は人間としては最強の分類に入るとはいえ元来臆病な性質である。魔族の言葉にひたすら不安そうな様子であったが、そんな彼を無視してラーハルトは言葉を続けた。

 

【これほどの数のゲート……一人が知ることのできる量ではない。これはどこで手に入れた?】

【だから貰い物さ。強いていうなら魔界を旅立つ時餞別にもらったってだけのな】

 

 言葉を濁すロンにラーハルトは更に追求しようとする中、見かねた様子でヒュンケルはやんわりと彼の肩に手を置いた。

 

【そこまでにしておけ。それを尋ねてもダイの捜索に直接の関係はないだろう?】

【む……それはそうだが……】

【それよりもロン・ベルク。この地図に記されている場所に行けばゲート……魔界の入り口は本当にあるのだろうか?】

【さてな。作った奴がのたれ死んで消えた可能性も大いにあるし、そもそも大魔王が作ったゲートは消失している。

 だから実際のところ、使えるゲートは片手に満たないくらいだろうよ】

 

 あっさりと告げられた言葉に人間達の表情が驚きに彩られる。

 ロンは更に捕捉するように告げた。

 

【それに万一ゲートが使えるとしても人間は準備もないまま突入するのはやめておけ。さっきも言ったが魔界は暗黒とマグマの大地だ。

 何らかの防御手段を講じるか、あるいは半魔族や怪物ならば問題ないが……生身で行けば即お陀仏だぞ】

 

 その言葉にポップとヒュンケルの肩が震える。

 生身で突入する気満々であった兄弟弟子の様子にアバンは見かねたように息を吐いた。

 

【……貴方達はそういうところ似てますねえ、ポップ、ヒュンケル】

【似てないです!】

 

 これまた声を揃える兄弟弟子の様子を見てレオナは腹を抱えて笑っていた。

 そんなレオナにマァムは呆れたように肩を竦めており、クロコダインは兄弟弟子を微笑ましげに目を細めて見つめていた。

 

 結局のところ地図はポップとラーハルトが分担して預かることになった。

 バランから魔界の文字について教わっていたラーハルトは問題なく地図を読むことが出来たため、本来なら彼が全て持ち出すつもりであったのだが、ポップがごねにごねたためだ。

 因みにポップに魔界の文字についての知識はない。

 

 ないが、二代目大魔道士は独学と根性で地図を読み解く気満々であった。

 

 そのあまりの熱意はアバンがそっと自身でしたためた魔界語辞典を渡すほどだ。

 

 ポップのあまりのしつこさに疲れ果てた半魔族の友人を労いながらヒュンケルは思った。

 ひと時でも早くダイがこの輪の中に戻れるように、と。

 そして相棒の暴走を納めてくれるように、と。

 

 長兄からそんなことを思われているとは露知らず、ポップは地図と辞典を見比べ読み解きを初めていた。

 

 

 

 そんな昨日の出来事を思い返しつつ、ポップは周囲に香る食事の匂いに唾を飲み込んだ。

 メルルが作っていたのはどうやらシチューのようであった。

 じっくりコトコトと煮込まれたそれはポップに気を遣ってか肉の量が多めに見える。

 

 思いがけないご馳走の気配に腹の虫が鳴るのがポップには分かった。

 

 そんなポップの様子に気づいたのか、メルルの手伝いをしていたマァムは微笑ましそうに目を細めた。

 

「あら、大きな虫。もうちょっとで火が通るからもう少し待ってね」

「う、うるせー。別に腹なんて鳴って……」

 

 赤面しつつ強がりを口にするポップをあざ笑うかのように一際大きな腹の虫が鳴り響く。

 耳まで顔を真っ赤に染めた弟弟子に慈愛の笑みを向け、マァムはパンを差し出した。

 

 ポップは暫くの葛藤の後それをゆっくりと受け取った。

 流石の大魔道士も食欲には勝てない。

 女性陣に背を向けパンにかじりつく哀愁漂うその姿に、メルルはそっと出来上がったばかりのシチューを渡した。

 

 大魔道士は泣いていない。断じて。

 

 それから一時間が経ち、十分に腹を満たした彼らは改めて地図を広げていた。

 

「……ちょっと頭を整理させてくれ。俺たちが今いるのはここ、ギルドメイン山脈の中央。ちょうど鬼岩城があったって場所だ」

 

 ポップの言葉に二人は頷いた。

 見渡す限り山脈が連なるここはギルドメイン大陸の最大山脈であるギルドメイン大陸だ。

 メルルの故郷テラン王国からほど近い山脈はかつて大魔王軍が恐るべき兵器、鬼岩城を隠していた場所でもある。

 その証拠に不自然に割れた山を横目に、ポップは古びた地図を指差した。

 

「で、ロンのおっさんの地図に書かれていたゲートの位置もこの辺り。かなり近いはずなんだが……肝心の部分が読めないんだよなあ」

「他のところは読めるの?」

 

 マァムの純粋な疑問にポップは頷いた。

 

「ああ。制作者の名前っぽいのとか、あとは細かな単語はな。読めないところを除くと『ギルドメイン山脈中央部、××に制作』って感じの文だ。そこが読めりゃああとは見つけるだけなんだが……まさかメルルの占いも弾かれるって言うのは想定外だった」

 

 ポップを始めダイ達勇者一行は占い師メルルの力に何度も助けられて来た。

 彼女の正確無比な占いや予知によって何度窮地を救われたことか、と思い返すポップだったが、肝心の占い師の少女は申し訳なさそうに眉根を下げるだけだった。

 

「ごめんなさい……なんども占い直してはいるのですが、やはり邪悪な力に阻まれてしまっていて。

 ……肝心な時にお役に立てなくて、何が占い師なのでしょう」

「気にしないで、メルル。ポップがろくすっぽ地図を読み解けないままここまで来れたのは貴女のおかげなんだから。

 それにメルルが先導してくれたから私たちは怪物達と無闇に戦わずに済んでるのよ。感謝こそすれど、恨むなんてありえないわ」

 

 意気消沈するメルルを励ますマァム。

 ポップもまた同じ気持ちだった。

 

「俺も同じだよメルル。そもそも今の俺があるのもメルルのおかげなんだ。昼ごはんも美味しかったし……メルルには世話になりっぱなしで俺の方こそ申し訳ねえ」

「マァムさん、ポップさん……」

 

 二人の言葉にメルルは感極まったように目を潤ませた。

 その背を優しく撫でながらマァムは笑う。

 

「大丈夫、すぐに上手くいかなくてもいいの。ゆっくりでも一歩ずつ進めていきましょう?」

「はいっ……あ……!」

 

 力強く頷き返したメルルの背が揺れる。緊張を感じる硬い表情に、ポップとマァムの表情が一気に引き締まった。

 

「……怪物がきました。数は十二、こちらを取り囲むように動いています……!」

「ったく空気読まねえ奴らだ! マァム」

「ええ、前衛は任せて。ポップはしっかりメルルを守ってあげてね」

 

 左手に仰々しい手甲……ロン・ベルク作魔甲拳を装備したマァムは呪文を唱えた。

 鎧化の声とともに彼女の半身が禍々しい装甲に包まれる。

 女性らしいボディラインを強調するように、しかし武闘家である彼女の身動きを遮らないように設計されたそれは彼女の防御力を高めるためのものだ。

 

 マァムが武装を展開したのを確認しポップもまた輝きの杖を構えメルルの側に立った。

 しん、と静まり返った山脈を見回してポップは声をあげた。

 

「隠れてるのは分かってるんだ、さっさと出て来やがれ!」

 

 ポップの挑発に応えるように上空に影が現れる。

 コウモリの翼に大きな角を生やしたそれはガーゴイルと呼ばれる怪物であった。

 その背後にはサタンパピーが四体、バルログが三体控えておりいずれも最上級と呼べる怪物たちだ。

 

 集団のリーダーであろうガーゴイルはポップを指差し怒声を上げた。

 

「見つけたぞ魔法使いポップ、武闘家マァム! 今こそ我らが主、バーン様の無念を晴らさせてもらう!」

「魔王軍の残党!」

 

 言うが否やマァムは武神流の構えに入った。

 その一方でポップは周囲の影を盗み見てメルルに目配せする。その視線に気づいたメルルは緊張した面持ちでコクリと頷いた。

 二歩ほど後退った後護身用のナイフをしっかりと握りしめたメルルを確認すると、ポップは小さく呪文を唱え始めた。

 

 そんな彼らの様子を鼻で笑いつつガーゴイルはサタンパピーらに指示を出した。

 

「いけサタンパピー、バルログ! 火炎呪文で焼き尽くしてしまえ!」

「させっかよ!」

 

 ヒャダルコ、と唱え終わった呪文が力として放たれる。

 ポップの右手から放たれる強力な吹雪はサタンパピーら七体分の火炎呪文とまともに衝突し対消滅を起こす。小さな爆発とともに白霧が発生しあたりを包み込んだ。

 しかし流石に七体分の火炎呪文と言うべきか。

 一発の呪文の威力ではポップに軍配が上がるが数の差で徐々にヒャダルコを押し返し始めていた。

 

 一気に視界が悪くなった中マァムはガーゴイルの姿を探す。

 ガーゴイルは呪文封じが得意な怪物だ。ポップが魔法を防いでいる今、彼を狙われれば自分たちは火傷では済まない。

 

 目を閉じ意識を集中する。

 ーー刹那の静寂の後、マァムの耳はコウモリの羽音を捉えた。

 

「そこぉ! 武神流奥義、猛虎破砕拳!!」

「グゲェ!!?」

 

 闘気を込めた痛烈な一撃がガーゴイルの胴体を粉砕する。

 マァムの猛虎破砕拳はオリハルコンすら砕く強烈な一撃だ。怪物とはいえ生物であるガーゴイルに耐えるすべはなかった。

 

 ガーゴイルが沈黙したことを確認しマァムは踵を返す。

 

 その一方ポップはメルルを庇いながらなんとか火炎呪文の猛攻を持ちこたえていた。

 

「メルル、状況は?」

「……邪悪な気配が減りました、残り十一、いえ十! ああすごい! どんどんと減っていきます!」

「さっすがマァム。怒らせちゃいけないな本当に!」

 

 相手の呪文の威力が明らかに弱まったのを実感し、ポップはヒャダルコを放つ手に力を込めた。

 氷系呪文が火炎呪文を押し返していく。

 そんなポップの勇姿を目に焼き付けながらメルルはナイフを片手にじっと機を待った。

 

(また動かない……こちらの隙を狙っている? 一体何の怪物が待ち受けているのでしょう……)

 

 まだ見ぬ残り四体の怪物に警戒を続ける中、ついに最後のサタンパピーが倒れた。

 その瞬間、メルルの中で最大級の警報が鳴り響いた。

 

「ポップさん、下です!!」

「うおっとぉ!?」

 

 メルルの声に慌てて飛翔呪文を発動するポップであったが一歩遅かった。

 ガッチリと足を掴む腕が影から伸びている。それはあやしいかげと呼ばれる怪物であった。四対の腕が絡みとるようにポップとメルルを拘束していく。

 

 大方戦闘後の不意打ちを狙ったのだろう。

 怪物は下卑た笑い声をあげると影でできた腕を首へと伸ばした。

 

 しかしポップもメルルも慌ててはいなかった。

 

「武神流奥義」

 

 白霧の向こうで囁くような声が聞こえる。

 次いで何かが勢いよく突っ込んでくるような音が辺りに響き渡った。

 

「土竜昇破拳ッ!」

 

 勝利の女神の拳が地面を押し上げる。

 それは地面を拳圧で操る武神流奥義。影とはいえ、否影だからこそ地面と密接していた怪物たちに逃れる術はなかった。

 

 拘束から解放され飛翔呪文でゆっくり地面に降り立つポップとメルル。

 拳圧の衝撃かすっかり白霧は晴れ渡り少し先の地面には土埃に汚れた手を払うマァムの姿が見える。

 

 マァムはポップたちの姿を認めると目の覚めるような笑顔でウィンクした。

 

 その姿に改めてポップは思う。

 

(やっぱ……こいつは怒らせちゃいけねえや……)

 

 くっきりとマァムの拳の跡が残った地面を見つめ、ポップは改めて自分の惚れた少女の強さを思い知ったのだった。



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第三話:凸凹コンビ襲来?の巻

前回までのお話に修正が多く入っております。内容自体は変わりません。


 さしたる被害も無く大魔王軍の残党を撃破したポップ達。

 そんな彼らの様子を遥か彼方から見ている者がいた。

 

 目を凝らすように虎の手を翳した彼の、青い毛並みが風に揺れた。

 

「……あれが噂のアバンの使徒。中々やる」

 

 そこにいたのは一言で言えば虎の獣人であった。

 黒を基調とした服を身に纏い、防具として動きを阻害しない革鎧を身につけている。

 

 彼は肩に蝙蝠のような羽の生えた黒いスライムを乗せ、ギルドメイン山脈の頂上から見下ろすようにポップたちを観察していた。

 

「ビィ。ビィビィ?」

「うん。嗾けた連中、やっぱりやられた。しかも割と瞬殺。大魔王軍と言っても残党じゃあの程度」

 

 黒いスライムはそれを聞いて一声上げた。

 鳴き声にしか聞こえないそれだが、相方には十分な意味として伝わっているらしい。彼は心底嫌そうな表情を浮かべた。

 

「……遊んじゃダメ? 十五年ぶりに起きたのに、それはつまらない。却下」

「ビ! ビビィ!!」

「ヤダ。その命令を施行するならやはり邪魔者がいない方がいいと思う」

 

 全く譲る気のない青い虎。そんな彼の様子にスライムは大きな目をキリリと釣り上げると、羽を使って器用にも胸を叩いた。

 

「ビィ。ビィ!」

「命令権ねえ……ちょっと調子乗り過ぎじゃない? ゴム毬みたいに跳ねてみる?」

「びっ」

「冗談。そんな意地悪は流石にしない」

 

 揶揄う虎の言葉に、スライムはあからさまにホッと安心した様に息をつく。

 そんな相方の頭を撫でながら虎は一つ伸びをした。

 

「ボルの方はどうなってるかな……なんて、分かり切ってるけど」

 

 同じ任務で別の方向へ向かった仲間のことを思い出し、虎は小さく笑った。

 下された命令は三つ。それさえこなせればやり方は任せるというのは実に自らの主人らしいやり方だ。

 

 そして実に青い虎好みの命令である。

 

「ビィビィ、ビィ?」

「……そうだね。いつも一緒の二人がいないのは変な感じがするけど、これはこれで面白い」

「ビ。ビィ」

「相方として十分頼ってくれって? 戦闘能力皆無なのに何言ってるの? 寧ろ頼る方だよね君」

「ビビビビビビーー!!!」

 

 余りにも失礼な虎の物言いにスライムは怒りも露わにその指に噛み付いた。

 甘噛みというには殺意の高い肉を噛む音が聞こえるも、虎は自分のことであるのにまるで他人事のように無視を決め込んでいた。

 

 そうこうしている間にスライムの方が飽きたらしい。歯に毛でも挟まったのかぺぺぺっと何かを吐き出している。

 

 暫くして治ったのか、スライムは恨みがましそうに虎を睨みつけた。

 

「ビィ……」

「自己責任。見ての通り毛むくじゃらな俺の手を噛む方が悪い」

「ビビィ……」

「……そろそろ任務開始するよ。俺も、我慢できそうにない」

 

 いつの間にやら山頂は冷気に覆われていた。

 凍った地面を踏み砕きながら、青い虎の彼は臨戦態勢に移行する。

 

「命令復唱。その一、アバンの使徒の実力を正確に分析。可能であれば撃破」

 

 氷系呪文で形作られた6本の短剣が宙を漂う。

 黒いスライムは彼の邪魔にならないよう、肩から頭の上へと移動し動きを止めた。

 

 相方が定位置に固定したのを確認し虎は跳んだ。

 

「出撃する」

 

 

「お二人ともまだですッッ!!」

 

 予知能力からの反射とも言えるメルルの叫び声に、ポップとマァムは一気に表情を引き締めた。

 メルルを中心に彼女をいつでも庇える位置であることを目配せで確認し、ポップは輝きの杖を、マァムは鎧化で覆われた左腕を油断なく構える。

 

 その直後のことだ。

 

 彼らを中心にした六ヶ所に氷の剣が突き刺さる。その範囲はかなり広く、ちょっとした城の広間程度はあるだろう。

 その内の一本、丁度彼らの正面に位置する場所に突き刺さった氷の剣の前に彼らは現れた。

 

「はろー人間」

 

 気の抜ける発音とは裏腹に、その声色はどこまでも冷え切っていた。

 飛翔呪文か瞬間移動呪文か。土煙もなく静かに降り立ったのは、先の青い虎の獣人だった。

 

 青い虎は小さく首を振ると律儀にも頭を下げた。

 

「俺、ティグルド。見ての通り獣人寄りの魔族。よろしく」

「へっ、なーにがよろしく、だ。こんな舞台作ってやる気満々な癖してよ!」

「挨拶・礼儀は大事。挨拶のできない者は異性にモテない」

「余計なお世話だ!!!」

 

 持ち前の冷静さも吹っ飛ばしてポップは心の底から叫んだ。

 そんなポップの後ろ袖を引っ張り正気を促すメルル。そんな二人の様子を見るまでもなく感じ取りながら、マァムは油断なく声を掛けた。

 

「貴方も大魔王軍の人?」

「答える必要性を感じない、却下。……と言いたいけどそこだけは明言しろと言われてるんだった」

 

 マァムの言葉にティグルドは咳払いを一つし胸を張った。

 

「改めて自己紹介。俺はジオン大陸の呪怨王様の部下。戦闘大好き獣魔族の一人、ティグルド」

「ジオン大陸、呪怨王……」

「いいのかよ? オレ達は大魔王を倒した勇者パーティだぜ? お前達が何か企んでることをバラしてご破算にされちまっても知らねーぞ」

 

 挑発するようなポップの物言いにティグルドはゆっくりと首を横に振った。

 

「全くもって無問題。宣伝は王様の命令の一つだから」

「宣伝って……私達に知られることが目的なのですか?」

 

 ティグルドの魔力に当てられたのだろう。予知能力が警鐘を鳴らす頭を抱えながらメルルは尋ねた。

 しかしティグルドは彼女の声が聞こえていないのか答える様子はない。

 

 まるでメルルを無視するかのようなティグルドの態度に、苛立ちを覚えたポップは指を刺した。

 

「か弱い女の質問に答えないのかよ? それこそ異性にモテないぜ」

「アレはお前が釣れそうだったから言っただけ。俺は弱者に興味ないの。ついでに他人と会話することもあまり好きじゃない」

「……そーかよ。んで、お前の……お前達の目的はなんだ? 宣伝して何がしたい?」

 

 自らが「弱っちい存在」であることを自認するポップはティグルドの言葉に強い嫌悪感を覚えたようだった。

 表情にそれを露骨に浮かべつつ尋ねた言葉に、ティグルドは別に、と前置きした。

 

「命令その二。脆弱な人間達への慈悲としてこれから戦いを仕掛けることを宣言する。感謝するか嘆くかはそちらにお任せ」

「……舐められたもんだぜ」

「俺としては感謝を推奨。……そろそろお喋りも飽きた。我慢も限界」

 

 そう言って新しく作った氷の剣を両手に携えるティグルド。

 虎の眼は爛々と輝いておりどことなく狂気すら感じる迫力を醸し出している。

 

 どこか浮き足立った様子に嫌な予感を覚えたマァムは訪ねた。

 

「宣伝だけならもう十分でしょう。このまま帰って欲しいんだけど」

「却下。命令はまだある。お前達の実力を分析しろという俺好みの命令が」

「それって……」

 

 心底嫌そうな表情を浮かべ、ポップは杖の先に魔法力を集中する。

 

「勿論戦う。心行くまで戦う。何せ人間の強者と遊ぶなんて初めて! 人間ならではの戦闘技術、全て見させてもらう」

 

 その叫びが戦闘の合図であった。

 大地に突き刺さった六つの氷の剣から猛烈な冷気が噴出される。

 

 それは瞬く間に周辺気温を下げ、基点に覆われたギルドメイン山脈の大地に霜を積もらせた。

 

 空気が急激に冷え込むのを身にしみて感じ取り、ポップは用意していた魔法力を炎に変換した。

 

「くそっ、やっぱりあの剣ただの飾りじゃなかったか!」

「六芒星結界を応用した氷結決闘場。解除方法は起点全てを同時に壊すか俺が消すか。身体を動かさないと人間は体の水分が全部凍りついて砕けちゃう、かもね」

「そんなことさせないわ! ポップ、メルルと結界をお願い!」

 

 先制を打って出たのはマァムだ。

 武神流の教えによって磨かれた縮地を使い、ティグルドとの距離を一気に詰める。

 全身の力と鎧化に守られた左半身も相まってまるで槍のようだ。

 

 常人には見ることの叶わないスピードである。ぶつかればタダではすまないだろう。

 

 しかしティグルドは慌てる様子もなく剣を交差させると、真っ向から槍を受け止める姿勢に入った。

 

「……お手並み拝見」

「っ、舐めないで!」

 

 マァムの咆哮が響き渡る。その刹那の後、拳の槍と氷の剣が激突した!

 氷の砕け散る音と共に氷片が花のように舞い散る。

 しかしそれだけだ。

 

 ティグルドの双剣は罅が入り、一部砕けていたものの……マァムの拳は鎧化ごと凍てついた状態で受け止められていたのだ。

 

「そんな! 鎧ごと凍りついた、ですって……!?」

「ロン・ベルク新作と推定。材質……魔鉱石。従来と特に変わらず。まだ鍛冶屋してたんだ、あの御坊ちゃま」

「マァムから離れろ!」

 

 ポップの放った火炎呪文がマァムの左半身を包む勢いでティグルドに襲い掛かる。

 大魔導士の魔法力によって高められた炎はマァムを拘束する氷を難なく溶解するも、ティグルドはまるで火の粉を振り払うかのような気軽さで放った氷系呪文で相殺した。

 

「初級呪文。にしては高威力。いいね。うん、もっとやろう。遊びはまだ、始まったばっかり!」

「こいつは……思ったより面倒そうな奴が来やがったな……」

「ええ本当。メルル、何か感じたら教えて。あの人……これまで戦って来た人達とは何か違う」

「はい……」

 

 マァムの攻撃によって罅の入っていた氷の剣を投げ捨てると、ティグルドの両拳に氷の爪が装着される。

 恐らくはこちらが彼の本来の獲物なのだろう。

 

 ティグルドは虎の顔に小さな笑みを浮かべると、マァムを見て笑みを深める。

 

「接近戦は俺も大好き。武闘家のお嬢さん、遊びましょ」

「望むところよ!」

 

 二人の拳が交錯する。

 まるで真冬の氷上のように冷え切った決闘場内で技を出し合う二人の熱が薄霧のように立ち込めては氷結して行く。

 それは徐々に不恰好な粉雪と化し、ただ冷え切っていただけの場内に降り始める。

 

 最初よりもさらに冷え込んだ空気に危機感を覚えたポップはメルルを見た。

 

「さっみぃ……! メルル、まだ動けるか?」

「はい……ポップさんが最初に火を灯してくれたお陰でなんとか……!

 でも、いけません。六つの基点からはまだ強力な力が放出されています……このままでは常にマヒャドが吹き荒れる中に閉ざされてしまいます!」

「そいつはゾッとしないな……!」

 

 乱打の音が響く中ポップは考える。

 このままでは敵を引きつけてくれているマァムも自分たちも氷漬けになることだろう。

 

 基点が六つというのも問題だ。同時に壊すという条件がなければ順番に壊してしまえばいいものを、どうしても呪文が限定されてしまう。

 

 ポップは試しに一つの基点となっている氷の剣にメラゾーマを放った。

 

「……やっぱあいつの言う通りか」

 

 最大の火炎呪文の直撃を食らった氷の剣は確かに溶けた。しかし瞬きの後、その姿を取り戻してしまったのだ。

 結界内に吹き荒れる吹雪の影響もありただのメラゾーマでは長時間燃焼し続ける事は厳しいだろう。

 

(……もう使いたくはなかったんだけどな!)

 

 寒さに凍えながらも予知能力で糸口を探すメルル、そして霜を被りながらも自分達を守ってくれているマァムの姿を見てポップは覚悟を決める。

 

 右手に魔法力を集中しイメージする。

 氷雪を焼き尽くす爆炎の力を。破壊に特化した禁呪に近いその呪文を。

 

(極大消滅呪文を撃てるほど成長した今の俺なら、完全な形であの呪文を使える!)

 

 ポップの右の指先に一つずつ炎が灯っていく。

 見るものが見れば気づくだろう、その一つ一つがメラゾーマ級のエネルギーを秘めていることに。

 炎が発する膨大な熱エネルギーが周囲の氷雪を溶かしてく。

 

 五指全てに炎を灯し終えたポップは目を見開き叫んだ。

 

「いくぜ! 五指爆炎弾!」

 

 それは人間の手に余る大呪文。

 かつて氷炎将軍と呼ばれた呪法生命体が使った、使用者の寿命を削るほどの禁呪。

 

 本来一発しか放てないメラゾーマを、威力を高めて五発打ち出す。

 

 それこそが五指爆炎弾、フィンガー・フレア・ボムズであった。

 

 ◇

 

「む」

 

 マァムとの拳闘を楽しんでいたティグルドであったが、結界の基点、その内五つが同時破壊されたのを感じとり真顔に戻る。

 しかもどういうわけか基点の再生が始まらない。このままでは残る一つもすぐに破壊されてしまうだろう。

 

 そう意識が横にズレ、動きに僅かな隙が生じる。

 

「マァム、残りの一つを……!」

 

 大呪文の反動を受けたポップが苦しげながらも声をあげる。

 その意味を瞬時に理解したマァムは、ティグルドの隙を見逃す程甘くはない。

 

 姿勢を整え全身の力を一瞬で集中させる。

 

 正の生命エネルギーである光の闘気が彼女の右拳に輝いた。

 それに気づいたティグルドだったが既に遅い。薄紅色の影は再度槍と化し虎の魔族へ襲いかかっていた。

 

「そこぉ!」

「!!!」

 

 防御姿勢を取るも僅かに間に合わず、ティグルドはアイアンフィストの一撃によって最後の一つの氷の剣へと叩きつけられた。

 ガラスの砕ける音が鳴り響き、決闘場内に溜め込まれていた冷気が一気に拡散される。

 

 周辺環境が一気に凍り付いたのを見てポップは改めて身を震わせた。

 

「っっ……とんでもねー中に居たんだなオレ達……!」

「ポップ、ありがとう! 大丈夫?」

「五ヶ所同時潰しは流石に草臥れたぜ……マァムこそ大丈夫かよ?」

「凍って居たのは表面だけよ。微弱な回復魔法で身体を守ってたから、私は大丈夫」

「さっすが」

 

 自らの勝利の女神が無事なことにポップは心底安堵した。

 信頼していても心配なものは心配なのだ。

 

 互いの無事を確かめ合うのも束の間、警戒を続けていたメルルが警告を促す。

 

「……気をつけてください。邪悪な力が強くなっています……!」

「…………痛い」

 

 氷の残骸に埋もれていたティグルドがゆっくりと身体を起こす。

 毛並みとは違う青色は血だろう。ぼたぼたと遠慮なく垂れ流しながら起き上がる様は異様ですらある。

 

 痛いとは口にしつつも口元には楽しげな笑みが浮かんでおり、それがまた異様な迫力を生んでいる。

 

 ティグルドは目に流れる血を乱雑に拭うと、五箇所に燃え盛る炎に気づいた。

 

「驚いた。人間が五指爆炎弾を使うなんて、無茶もいいところ。しかも五発全て発動できるとか、人間としてはバグそのものじゃない?」

 

 虎の魔族は本当に驚いた様子であった。

 使用した呪文をすぐに言い当てられたことに大魔道士は少しだけ動揺する。だが決して表には出さず、ニヒルに口元を釣り上げた。

 

「へっ、どうだい人間にご自慢の結界を破られた味は。舐めてかかるから足元掬われるんだぜ」

「それは素直に反省。次回へ改善。武闘家の一撃も中々の重さだったし、人間も捨てたものじゃない」

 

 拭い去った血をペロリと舐め取る。その口元には確かな愉悦の笑みが浮かべられていた。

 

「……楽しい。ボルじゃないけど、燃えてきた、というのが適切な表現」

 

 滴っていた青い血が氷結する。

 ティグルドを中心に再度冷気が吹き荒れているのだ。

 

 怪我も顧みずに戦いを続けようとするその様を見て、マァムは悲しげに目を細める。

 

「……引いて。その怪我じゃ、これ以上やったら死んでしまうわ」

「ジオン大陸の魔族は普通の魔族より頑丈。無問題。まだ分析が足りない。もっともっと遊びたい……遊ばないと気が狂っちゃう……!」

 

 氷系呪文の青い光がティグルドの両手に灯る。

 戦闘意欲をむき出しにしたその様子に、説得は不可能、とマァムは目を伏せ、意識を切り替える。

 

 慈母の眼差しから一気に戦士に戻った彼女の様子にティグルドは満足げに頷いた。

 

「見たい。もっと見たい。人間が戦うために編み出した技の冴え、もっともっと見せてーー」

「ビッビィ!!」

 

 そのまま呪文が放たれ、戦闘続行と思われたその時。

 ティグルドの頭上でじっと待機していた黒いスライムが痺れを切らした様に翼を使って青い頭を叩いた。

 

 ぺしんと軽い音に見合った弱々しい抗議であったが……水を差されたティグルドはそれはそれは不機嫌そうに相方を頭上から下ろした。

 

「……折角盛り上がってきたのに、無粋」

「ビー! ビビビビッ」

「……忘れてませんー。もう少し分析した方が明確だと判断しただけですー」

「ビビ。ビィ!」

「……はあ。王様の過保護も困りもの。わかった、やめる」

 

 不承不承の撤退宣言に満足したのか黒いスライムは満足げに頭上へと戻る。

 その様子をポップ達はただ見つめることしかできなかった。

 

 それは驚愕のあまり。

 

「……ゴ……メ?」

 

 そう、似すぎていたのだ、そのスライムは。

 

 かつて共に大冒険を歩んだ小さな友達に。

 体色と翼の形を除けば、全く同じと言って良いほどに。

 

 ゴールデンメタルスライムのゴメちゃんに、そっくりだったのだ。

 

 そんなポップ達の尋常でない様子に気づいたティグルドは不思議そうに首を傾げた。

 

「この子はドロップ。ゴメという名前ではない」

「っそう、よね……ごめんなさい、友達に余りにも似ていたから、つい……」

「ふうん。そういうこと」

 

 本当に興が削がれたのだろう。戦闘態勢を崩したポップ達をつまらなさそうに見やるとティグルドは頭の相方を掴んだ。

 ドロップは無造作な掴み方に怒ったのか、抗議するかの様にティグルドの指をガジガジと噛んでいる。

 その様子を見てティグルドは心底呆れたように肩を竦めた。

 

「……また歯に毛が挟まるよ」

「び。……ビ、ビビィ」

 

 先の出来事を思い出したのか震えるドロップ。そんな相方を気にも止めずティグルドは淡々と告げた。

 

「ドロップ、瞬間移動呪文の準備。反省したから、次へ行こう」

「ビッ!」

「ま……待って! その怪我でどこへ行くの!?」

「……妙なことを気にする。ほっとけばいいのに、変なの。まあ、行き先は流石に内緒」

 

 こくこくと頷くドロップ。

 機嫌の治った相方をそっと肩に乗せると、ティグルドはでも、と一つ付け加えた。

 

「楽しませてくれたから特別。命令以外なら何か一つ、教えてあげる」

 

 ティグルドのその言葉に驚いたのはポップだった。

 つい先程まで戦っていたのにまるで後を引いていない。というよりも気にする様子すらない。

 そんなつかみどころがなく、どこまでも気まぐれなその雰囲気は、虎というより猫のようですらあった。

 

 しかし望外の幸運ではある。

 

 ポップはマァムとメルルを見た。パーティの頭脳役の視線に二人は問題ないとばかりに頷く。

 もとより尋ねること、尋ねたいことなど一つしかない。

 

「ダイは……勇者ダイは魔界にいるか!?」

「勇者ダイ……ああ、今代の竜の騎士。大魔王を倒したっていう。魔界にはいない。大方、天界にでも拾われたんじゃない?」

 

 いたらほっとかないし、と小さく呟いてティグルド達の身体を魔法力の光が包む。瞬間移動呪文の兆候だ。

 制止の声を掛けようとしてポップは取りやめる。

 ダイが魔界にいないと分かっただけでも大進歩なのだ。これ以上は望むべくもない。

 

 これ以上言葉がないことを確認すると、ティグルドは何故かメルルを見つめた。

 

「……あと、これは警告。ジオン大陸関係を占うのはやめた方がいい。魂が汚染されても自己責任」

「それは一体……」

「ベルクの御坊ちゃまに聞くといい」

 

 それじゃあね、と言い残し、虎の魔族と黒いスライムは空の彼方へと消えていった。

 残ったのは荒れ果てた大地とポップ達だけだ。

 

 戦闘の緊張感が一気に途切れ、疲れ果てた様子でまず座り込んだのはポップであった。

 

「なんだったんだよあいつは……」

「つ……疲れたわ……」

 

 鎧化を解除したマァムも疲労困憊な様子だ。

 それは無理もない。回復魔法の表面付与はただでさえ繊細なコントロールと強い集中力が必要になる行為だというのに、彼女はそれに加えて前衛までこなしたのだ。

 ポップも大魔法の連発による魔法力の消費や、五指爆炎弾の反動で正直なところ立っているのがやっとの状態であった。

 

 ティグルド自身の実力はかつての大魔王軍の幹部達ほどではない。

 

 それでも急激な環境変化を利用した戦闘方法は、魔族に比べれば脆弱な彼らの身体に無視できないダメージを与えていた。

 パーティの消耗を判断したポップは瞬間移動呪文を使うことにした。

 

「しゃーねえ、一旦パプニカに帰るか……っ!?」

「ポップ!?」

「ポップさん!?」

 

 視界が反転する。身体が倒れたのだとポップが気づいたときには、電流が流れるような痛みが身体中を襲っていた。

 単なる魔法力が切れただけではない。

 

 これこそが五指爆炎弾の本当の反動なのだとポップは理解した。

 

(や……べえ……起きてられねえ……!)

 

 緊急事態と悟ったマァムとメルルが荷物からキメラの翼を取り出すのを最後に、ポップの意識は暗転した。



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第四話:沈黙する竜……!の巻

 場面は切り替わり、天界へ戻る。

 一つ、一つ。外へとつながる階段を踏みしめるように下りながら、ジストメーアは大きなため息をついた。

 

 それは声を掛けた人物へのものが半分。もう半分は目覚めたばかりのダイについてだった。

 

 その姿を初めて見たときは正直なところ死体か何かではないか、とジストメーアは思っていた。

 勇者が大魔王に勝利し消えるまでの一部始終を見ていたジストメーア達天界の精霊は知っている。黒の核晶の爆発に飲まれて生きていられる生物など存在しないことを。

 

 だから辛うじて息をしたまま天界にダイが流れ着いたことは本当に奇跡だったのだ。

 

 だがその怪我は酷く、無事と言えるのは頭だけ。と言っても火傷を負っていない箇所はなく、無事と言っても原型がわかる程度。

 身体の方など大火傷という言葉すら生温い有様だった。

 至近距離で爆風を受けたためか、鍛え上げられていただろう身体は反対が見えるほど穴だらけ。足など炭化しており、骨まで焼かれてしまったのか、異様な細さで辛うじてくっついているという有様。

 

 これで何故生きていたのかわからない。

 

 回復魔法においては天界最高峰の腕を持つジストメーアと、神々の宝物がなければ五体満足で復帰させることなど土台不可能であっただろう。二週間程度で治療できたのはまさに奇跡だ。

 ……だと言うのにダイが死を享受していたのは、そこまでの治療を施した身としては誠に遺憾なものであった。

 

 思い出すのは治療中のダイの表情。

 

 全てを諦め、死を享受する穏やかな顔は、これまで幾人もの精霊を治療してきたジストメーアですら見たことがないほど澄み渡った色だった。

 

 それこそぞっとするほどの。

 たかが十代前半の少年が浮かべていいものではないことは明白だ。

 

 ジストメーアはその表情が大嫌いだった。

 

(仕方がないことだってわかってる。あいつがやらなきゃ全てが大魔王の思うままになってたんだから、何もできなかった天界は感謝する他ない。

 それでも……あんだけ頑張った奴があんな顔をするのは、やっぱり許せねえ)

 

 勝者は勝者らしくその後の幸せを勝ち取るべきなのだ。だから早いところダイを地上に返してやりたい。

 そんなことを思い返しながらジストメーアは玄関の扉を開いた。

 

「ジストメーア、わざわざ呼びつけてすまないな」

「別に構わないぞ、フラッグ。患者の容体もひと段落したところだ」

 

 そこにいたのはやや小太りな男、フラッグだ。

 ジストメーアと同じ天界の精霊である彼だが、普段は居住区の外の警備をしている男だ。

 

 瘴気に汚染された天界では神々の命によって、精霊たちは居住区画以外では原則二人以上で行動することを義務付けられている。

 これは彼ら精霊が容赦無く襲ってくる瘴気に対抗するために必要なことだ。

 

 しかし常であれば相棒と共に行動している筈の彼がここにいることはおかしいことだった。

 

 そんなジストメーアの訝しげな視線にフラッグは薄く微笑みを浮かべた。

 

「いやあ何、相棒が怪我をしちまってね。治療が完了するまでは居住区内の警邏だよ」

「ふん。それで俺に治療の依頼か? これでも重症患者の手当てに忙しい身なんだがな」

「いやいや、天界最高の回復呪文の使い手に頼む程の重症じゃない。峠も越えてるし、三日も経てば現場復帰さ」

 

 それより、とフラッグは口元を釣り上げた。

 その視線はねっとりと玄関の先にある階段を見つめている。

 

 話の先が見えたのだろう。ジストメーアは露骨に嫌そうな表情を浮かべた。

 

「竜の騎士、いるんだろう? 会わせて貰いたいんだが」

「竜の騎士は重傷だ。治療に携わるもの以外は面会謝絶としている」

「神々の秘宝を使っておいて治ってないって? 冗談にしては笑えないぜジストメーア」

 

 挑発するようなフラッグの物言いにしかしジストメーアは無視を決め込んだ。

 フラッグの目的はわかりきっている。竜の騎士であるダイに、天界を脅かすあの瘴気を一掃してもらおうというのだろう。

 非力な精霊である彼らにとって味方である竜の騎士に助けてもらうことは当然のことだ。

 

 というか、それを目的に神々も秘宝をジストメーアに預けていたのだからこうなることは時間の問題であった。

 

 それにしてもフラッグの行動は早すぎるものであるが。

 

(目覚めたばかりで碌に力の戻ってないガキを前線に立たせるなんてどいつもこいつも馬鹿げてらぁ)

 

 内心神々とフラッグへの悪態をつきながらジストメーアは首を横にふった。

 

「帰れ、フラッグ。竜の騎士はまだ戦えない」

「……ジストメーア、お前の実力は皆理解してる。竜の騎士は回復しているはずだ。

 分かるだろう? 天界の汚染はもうどうしようもない。俺達の力だけでは抑えるだけで精一杯。神々を守るためにも竜の騎士の力が必要なんだ」

(その神々が俺たちに何かしてくれたのか?)

 

 込み上げた不満の言葉をジストメーアは何とか飲み込んだ。

 天界が瘴気に汚染されてから神々は住居である天上から出てきたことがない。天界の浄化を進めているとの噂だが、その出所も怪しいものだ。

 

 少なくともジストメーアが知る限り、守るべき民である天界の精霊達が瘴気に食い荒らされていても、神々が自ら赴いて瘴気を駆逐することは決してなかった。

 

 ふつふつと込み上げてくる怒りを押し込み、ジストメーアは努めて落ち着いた表情を浮かべた。

 

「……あのなフラッグ。つい先日まで死闘をさせられ、挙句に生死の境を彷徨ったばかりのガキを戦わせるなんてどうかしていると思わないか?

 少なくとも俺の目が黒いうちは戦闘行為なんて絶対に許可しないしさせてたまるか」

「完全回復しているなら問題ないだろう? 今代の竜の騎士は毛色が変わっているが、神々の作り出した戦闘兵器だ。天界の……神々の為に働いてもらって何が悪いんだ?」

 

 断固拒否と言わんばかりのジストメーアの表情に、フラッグは心底理解できない、と肩を竦めた。

 その言い分は精霊としてとても正しい。

 ジストメーアとて本来は自身もそうしなければならないことを理解している。それが天界の精霊として正しい在り方だからだ。

 

 それでもそれは間違っているとジストは思うのだ。

 

「……天界のことは天界のものが決着をつけるべきだ」

 

 絞り出すような声だった。

 肩を震わせているのは怒りか、罪悪感なのか。ジストメーア本人にすらわからないその激情を胸に堪え、ジストメーアはフラッグを真っ直ぐに見据えた。

 

「親が竜の騎士とはいえ、地上の人間を矢面に立たせるのは……間違いだ」

「彼は竜の騎士だよ。生来の紋章だけならともかく、継いでしまった以上、こちらの所属だ。ジストメーア」

「違う。あいつは人間だ。地上に帰すべき人間だ」

「ジストメーア」

「…………俺は譲らねーぞ」

 

 これ以上は話が進まないと悟ったのだろう。フラッグは深々とため息をついた。

 

「……分かった、今日は帰ろう。また来るよ」

「ああ、帰れ。治療でも警邏でも俺に関することなら話は聞いてやる。尤も、あのガキは絶対出さないがな」

「やれやれ。十五年前からすっかり口が悪くなって……日課のアレもだけど、本当に捻くれてしまって叔父さん悲しい……」

「うっせー余計な御世話だ帰れ!!」

「ははは。また来るよ」

 

 フラッグはしてやったりと笑みを浮かべると、名残惜しそうにジストメーアを見つめ……ゆっくりと歩き去って行った。

 残されたジストメーアは一人黒い靄に覆われた天を睨みつけた。

 

「……てめーのせいで全部十五年前から狂いっぱなしだ。いつか絶対この手でぶっ倒してやる……」

 

 十五年前に天界をこのようにした元凶への怒りを胸にジストメーアは玄関の扉を固く閉ざす。

 そして手にした短剣を改めて握り直すと、彼を待つ患者の元へと行くのであった。

 

 

 ダイはパッと目を見開いた。

 白光が顔にかかるように小窓から差し込んでおり柔らかな暖かさを肌に伝えてくる。見知らぬ白い部屋に一瞬硬直するも、ダイは自分がどこにいるか思い出した。

 

(ここ、天界だ! えーとえーと、おれはライトとジストの兄弟に拾われて……絶対安静って眠らされて……どれくらい寝ちゃったんだろう?)

 

 清潔な印象を与える真っ白な部屋はとにかく落ち着かない。ダイはベッドから降りるとライトとジストの姿を探した。

 その身体は眠りに落ちる前とは比較にならないほど軽い。

 今なら普通に動くこと程度ならできるだろう、と判断すると、奥の扉が開いた。

 

「物音がすると思ったら……おはよう! ちょうどよかった!」

 

 扉の影から覗くようにライトが現れた。その手には盆があり水差しとコップが乗せられている。

 ライトは小走りでダイの元へ近づくとそれを差し出した。

 

「はい、どうぞ。ずいぶん長く眠ってたねえ……やっぱり疲れてたんだ」

「ありがとう、ライト。……おれってどれくらい寝てたの?」

「地上でいう三日くらいかな? でもその分疲れは完全に取れたんじゃない?」

 

 体力は落ちただろうけど、と付け足すライトにダイは目を丸くした。

 

 予想外に長い時間眠っていたらしい。しかしよく考えれば極限の状況の中から生還したのでそれも当然だろう。

 言われてみれば随分と体に力が入らず、ダイにしてはたどたどしくコップを受け取るその直後、大きな腹の虫が鳴った。

 

 少年たちの間に沈黙が走る。先に口を開いたのはライトだった。

 

「ごはん、食べる?」

「……うん」 

 

 流石の竜の騎士も食欲には勝てなかった。

 ちょっと待っててと扉の向こうに引っ込むライト。扉の先にはジストが居たのだろう。暫しの会話の後、扉の先からふわりと米の炊ける匂いがかおる。

 胃を刺激するそれにダイの喉はゴクリと音を鳴らした。

 それからほどなくしてライトはエプロン姿のジストを連れて戻って来た。

 

 その手には暖かい湯気を放つ粥が載せられている。

 

 眉間に皺を刻んだ精霊の兄はぶっきらぼうにダイに告げた。

 

「眠れたか」

「うん、ばっちりだよ。ありがとう、ジストさん」

「礼は要らねえ。ライトもよくやってくれたし、礼ならそっちに言え」

「にいちゃん……本当素直じゃない……」

「うるせえライトちょっと黙ってろ。ダイはちょっと手を出せ」

 

 ジストはそういうと徐にダイの手首に触れた。

 

「……うん、もう大丈夫そうだな。あとはよく食ってよく休め。それで身体は良くなる」

「あ、あのジストさん!」

「悪いが少し手が離せない。食べて待ってろ」

 

 小さなテーブルに丁寧な動作で粥を乗せるとジストは部屋の外へ出て行った。

 素気無く出て行ってしまった兄の姿にライトは小さくため息をついた。

 

「もーにいちゃんたら……代わりに謝らせてね、ダイ。ごめんなさい」

「大丈夫だよ。ぶっきらぼうだけどジストさんが優しいのは分かるから」

「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど……」

 

 ライトは困ったように視線を彷徨わせると小さく息をついた。

 

「ダイの方が大人だなあ。ジストにいちゃん、基本ああいう感じだからよく誤解されるのに」

「そう? ジストさんが優しくて丁寧な人なのは見てたら分かると思うよ」

 

 そう言ってダイはジストの用意した粥を口にした。程よい塩気を帯びた白米が疲れた身体に染み込むようだ。

 三日も寝ていたダイを労ってか普通の粥よりも水気が多いが、そのお陰で枯れ気味であった喉をよく滑る。

 

 かつて、遊びすぎて疲れて寝込んでしまった時、ダイの祖父ブラスが作ってくれた粥ととてもよく似ていた。

 

 不意にダイの目尻に涙が浮かんだ。

 

「ど、どうしたの? にいちゃんの味付け、濃かった?」

「違うよ。ちょっと爺ちゃんのことを思い出しちゃっただけ」

「そう? いきなり泣き出すからびっくりしちゃったよ」

 

 そう言って誤魔化すように目尻を拭うと、ダイはあっという間に粥を平らげた。

 食べたことで身体にエネルギーが補給されたのだろう。ダイは自分の身体が回復に向けて動き出したことを感じ取った。

 

(そう言えば……父さんの声、聞こえないなあ)

 

 竜の紋章が宿っているはずの額に手を翳す。

 額に紋章が戻ったのはつい最近であるが、紋章が発している暖かさをダイが忘れる筈もない。

 

 けれどダイの額はただの人のようにひんやりとしていた。

 

 その様子を見たライトは訝しげに眉間に眉を寄せた。

 

「どこか不調でもあるの? 細かいことでもちゃんと言ってね、俺はこう見えてにいちゃんの助手なんだから」

「あ……うーん、不調、と言えば不調なんだけど……」

 

 ダイは少し悩み、正直に話すことにした。

 竜の紋章の存在を感じ取れないと聞いたライトの眉間の皺が深まる。

 

「闘気を感じる力がまだ回復してない? それとも黒の核晶に込められた魔力の影響? うーん、ダイ、普通の闘気は使えそう?」

「やってみる」

 

 ダイの意識が集中する。

 生命力を闘気へと変換し己の武器に通すのは、アバン流を修めた者にとって朝飯前の技術だ。

 武器ではないが握っていたスプーンに闘気が通ったのを感じ取り、ダイは小さく頷いた。

 

「……うん、大丈夫だよ」

「じゃあ次は竜の紋章の力を意識してみて。一応言っとくけど闘気技として出しちゃダメだよ?」

「や、やらないよ!」

 

 どうかな、と揶揄うように笑みを零すライトにダイはムッと唇を引き締めた。

 これはライトを見返してやらねばなるまい、と気合いを入れ、額に意識を集中する。

 

 闘気ーーその元となる生命エネルギーが身体の中を循環しているのがダイにははっきりと感じ取れた。

 だが竜の紋章から生まれ、ダイの身体を流れるはずの竜闘気の気配は微塵もない。

 

(父さん……父さん、どこにいるの?)

 

 かつて竜の紋章が分かたれていた両手にも竜の気配は微塵もなく、ダイの心に焦りが生まれる。

 しかし、どんなに集中しようとも紋章を通して心が繋がっていた父の残り香すら感じ取れない。

 

 まるで自分が竜の騎士ではなくなってしまったかのような喪失感。

 

 父との最後の繋がりすら消えてしまったような空白に、ついにダイの目から涙が溢れた。

 

「父さん! 父さん……返事してよ! おれを助けてくれたんだろう!? まだ紋章の中にいるんだろう!? なのにどうして……ッ」

 

 感情の決壊によって溢れ出したダイの光の闘気によって、室内だというのに風が吹き荒れる。

 そよ風程度だったその勢いが段々と増して行くことに危機感を覚えライトは扉へと叫んだ。

 

「ちょ……やっちゃった!? ジストにいちゃんへるぷ! へるぷー!!」

「ああ? うるさいぞライト……ってなんだこの惨状!?」

 

 まるで室内に竜巻が発生したような有様に、袋を携えたジストは目を見開いた。

 そして素早くその発生源であるダイに目を向けると弟の頭をひっぱたいた。

 

「患者を刺激してどーする! いくらあいつが色々規格外で回復傾向といってもそれは身体面! 精神面じゃまだまだズタボロなのを忘れたか!」

「返す言葉もありませんごめんなさい!! 竜の紋章が感じ取れないって言ってたから少し話を聞いたらこうなっちゃって……!!」

「竜の紋章!? あー……大切な形見ってやつか!?」

 

 ダイを中心に飛び回る家具から身を守りつつ、ジストは袋から何やら取り出す。

 それを見たライトは滲み出る刺激臭に顔を歪めた。

 

「ちょっ……にいちゃんそれ……!!」

「良薬口に苦し! とりあえず一発正気に戻りやがれクソガキィ!!」

「ダイ、強く生きてーー!!」

 

 一言断っておくとこれはただの薬である。

 ただジストの薬は煮詰めすぎた薬草を更に腐らせたような強烈な匂いが著しく飲む気を失わせてくるだけなのである。

 

 被験者にされたライトは知っている。その薬の凶悪さを。

 吹き荒れる暴風も、行く手を阻む家具類もなんのその。兄の執念を知る精霊の少年は静かに十字を切った。

 

 ーーその直後。悲しみに支配されていたダイの口の中に、形容し難い複雑な味が広がった。

 

 

 結論から言うと竜の騎士も薬には勝てなかった。

 

「…………」

「……はい、お水」

 

 複雑怪奇な薬の味が未だに残る舌に、苦い表情を浮かべながらダイは無言で五杯目の水を煽った。

 一杯目は全く役に立たず、三杯目で残渣が消え、四杯目でやっと口の苦味が薄れた為だ。水で膨れた腹を抑えるダイにジストは呆れたように肩を竦めた。

 

「普通に飲めるように準備中だったんだがな……恨むならライトを恨め」

「……元が殺人的な味なのはどーかと思う……」

「それはホラ、にいちゃんの性格の悪さが滲み出てるから……ってあばばばば!! にいちゃんごめんごめんギブギブギブ!!」

「原因はお前だろう反省しろ愚弟」

 

 口の滑る弟にはきっちり仕置きを与える兄であった。

 似たようなことをポップにやられたなーと思い返しながら、ダイは先の疑問を頭に入って思い浮かべていた。

 

(結局、紋章はどうなっちゃったんだろう?)

 

 竜の紋章を使えないダイは戦力としては半減以下だろう。素の彼が弱い訳では決してない。紋章無しでもアバン先生級の実力はあるだろう、とダイは正確に理解している。

 だが竜の紋章が備わればその強さは異次元に跳ね上がる。

 それほど強大な力なのだ。

 

 ただ今のダイにとって竜の紋章は……戦う力ではなく、父の形見であると言う比重の方が遥かに大きかった。

 

 額に触れても、あの暖かさは今はない。ダイにはそれが堪らなく寂しかった。

 そんなダイの様子に気づいたのだろう。

 兄の肘固めから何とか解放されたライトが気遣わしげにダイを見やった。

 

「ダイ……竜の紋章が使えなくなったのがそんなに悔しいんだね」

「そういえばそれが原因で暴走したんだったか? 何があったんだ一体」

 

 不機嫌そうに眉間に皺を寄せるジストに、ライトは簡単に説明をした。

 

「……そう言う経緯か。俺も、竜の騎士そのものについては正直専門外だからなんとも言えんな。そもそもお前例外しかないし」

「にいちゃんでも分からないの?」

「奇跡の末生まれた竜の騎士と人間の混血児が、奇跡的に自前の紋章を持っていて、それが歴代の紋章と融合し奇跡的な成長を遂げたなんて予想できるかボケ。

 神々とて理解に苦しんでるだろうよ」

 

 なんという奇跡のオンパレード、と吐き捨てるジストにダイは申し訳なさそうに視線を下げた。

 そんな少年の様子に深いため息をついてジストはその頭を叩いた。

 

「お前を責めてる訳じゃない。寧ろ親父の形見を取り戻してやれなくてこちらが申し訳ないくらいだ。

 ……俺に出来るのは回復による経過を見守ることだけだよ。畜生」

 

 心底悔しいのだろう。ジストの身体は悔しさを滲ませるように震えており、その表情は苦痛に歪んでいた。

 

「……にいちゃん、ダメ元で神さまに聞くのはダメなの?」

 

 沈黙が流れる中、最初に口を開いたのはライトだった。

 天界には竜の騎士を創造した神々が実在している。竜の騎士を創った彼らから何かヒントを貰おうと思っての問いだ。

 弟の真っ直ぐな眼差しに、ジストは瞠目し答えた。

 

「……神々はここ数年天上の間から出てきてない。俺が宝物を預けられたのも、天上の門番経由で直接会えてなんかない。

 それに潔癖症なあの門番のことだ。汚染区域にほど近い居住区に住んでる俺たちを通すことなんてないだろうな」

 

 余程嫌な思いをしたのだろう。門番の顔でも思い浮かべたのか、ジストの端正な顔立ちは怒りに染まっていた。

 怒気の溢れる兄の様子にたじろぎながら、それなら、とライトは続けた。

 

「あの人に聞こうよ! にいちゃんの一番の患者のーー」

「ラズライト」

 

 冷え切った声が響いた。

 視線を向ければ本気の怒りに身を震わせるジストメーアがそこにいた。紫の眼差しは燃えるように揺らめいており、遣る瀬無い怒りの感情が伝わってくる。

 

「俺の患者は皆重症だ。安易な接触は認めない」

「……それは分かってるよ。でも、だからこそ彼女にダイを会わせるべきだと思う」

 

 けれど今度はライトも引かなかった。ライトの瑠璃色の目がダイを見やり、また兄を見据えた。

 互いに全く引く気のない真っ直ぐな眼差しが交差する中、ダイは遠慮がちに尋ねた。

 

「……盛り上がってるところ悪いけど、そもそも彼女って誰?」

「聖母竜マザードラゴンだよ」

「オイコラ勝手に患者の情報漏らすんじゃない!」

 

 ライトの言葉にダイは目を見開いた。

 聖母竜マザードラゴン。それは竜の騎士の母だ。

 

 かつてダイが大魔王に敗れ、命を失いかけた時に助けてくれた白い竜。ほんの僅かしか会話しなかったが、優しくて暖かな雰囲気を纏っていたのはダイも良く覚えている。

 竜の騎士の母として歴代の竜の騎士の誕生と終焉を見守ってきた彼女ならば確かに竜の騎士について詳しいだろう。

 

 特にダイにとっては祖母とも言える存在だ。

 会えるのなら会ってみたいという気持ちがたちまちの内に湧き上がる。

 

 そんなダイの内心を察したのだろう。ジストは居心地悪そうに頭を掻いた。

 

「……全くライトめ、言うなと言うに……! だが諦めろ。彼女は天界一の重症患者だ。瘴気による汚染も酷く、近づくだけで命懸けな場所に隔離されている……。

 ここ数年は意識も戻らない。会いに行っても望みは薄いし、何よりお前がまず回復しないと話にならない」

 

 それに彼女は孫とも言えるダイを危険に晒すことを望まないだろう、と付け加えジストは口を閉ざす。

 言われてみればそれはそうなのだろう、とダイは思った。

 頭の中では冷静な部分が身体の回復を優先するべきだと訴えている。戦士としてそれが正しいとダイは思うのに、感情がそれではいけないと叫んでいる。

 

(マザードラゴンはあの時言っていた。自分は邪悪な力によって生命が尽きようとしているって)

 

 かつて交わした会話を思い出す。死の淵にいたダイを迎えにきたマザードラゴンは同じく死の淵におり、その身体も儚いエネルギー体であった。

 

 それでも最後の力であるエネルギー体としての身体をダイに与えて助けてくれたのだ。

 ーーその彼女にお礼を伝えないまま別れるのは、絶対に出来ない。

 

「おれは行くよ」

 

 確固たる決意を持ってダイは天界の兄弟を見つめた。

 回復してきたと言っても本調子には程遠く、装備を失くした今攻撃力も防御力も心許ない。そんな状態で未知の場所であり、危険な状態となっている天界を歩くのは危険極まりない。

 

 だが今を逃せばマザードラゴンにはもう二度と会えないだろうという確信が、ダイの背を押した。

 

「マザードラゴンに会いたい。竜の紋章のこともそうだけど……一回目に大魔王にやられた時、助けてくれたお礼を言いたいんだ。

 いつどうなるか分からないくらい危ないんだろう? なら、今行くしかないと思うんだ!」

「却下だ馬鹿野郎! お前自分が死に掛けたばかりだということを忘れたのか!? お前の身体はお前が思う以上に深刻なダメージを受けている!

 道中は危険極まりない、激しい運動、まして戦闘行為は絶対に許可できない!」

「大丈夫! おれ、走ってるうちに元気が湧いてくるから!」

「激しい運動はすんなっつてんだろーがああああ!」

「そんなに言うならジストにいちゃんが一緒に来れば良いじゃん」

 

 俺は勿論一緒に行くけどね。そう言って悪戯っぽく笑ったのはライトであった。その腕にはいつの間にやら大きなガラス瓶が抱えられている。

 それを見たジストの顔が露骨に歪んだ。

 

「げ。お前それいつの間に引っ張り出してきた……」

「聖水の常備は基本! ってにいちゃんの言いつけをちゃんと守ってるからね。第一マザーのところはいつも行ってるじゃん、今更すぎるよにいちゃん」

「いつも?」

「そう。ほとんど毎日。マザーを苦しめてる瘴気を少しでも払おうと、にいちゃんいつも頑張ってるの。ダイを助けたあの日も行っててね」

「ばっ」

「いつも成果が上がらなくてしょんぼりしてるのに、家に帰ったら心配させまいとカッコいい顔作っててさ」

「おま、」

「そうやって小難しい顔してるけどこっそり溜め息ついてたり分かりやすいんだよねえ」

 

 弟の容赦のない暴露にジストの顔に朱が差す。

 図星を言い当てられた反応にダイは既視感を覚えながらも生暖かい眼差しを向けた。

 

「……うん、ジストさんがそう言う人なのは何と無く分かってたから良いと思うよ。ポップもよくそんな顔してたし」

「ちょっと黙れ。マジで黙れ」

「なーに? もしかしてにいちゃん行かない気だったの?」

「んな訳あるか! 今日もこれから行く……ッ…………。………………、…………」

 

 言質取ったり。小声でライトが呟いたのをダイは聞き逃さなかった。

 

「ウンウン。じゃあちょっとダイ用の装備持ってくるから待っててねー。俺の予備だけどダイなら大丈夫でしょ」

「あ、ありがとう……ライト、ジストさんはどうしたら……」

「ほっときゃ後で落ち着くから大丈夫。にいちゃんマザー大好きだから、ちょっとしたことで動揺しちゃうんだよねえ」

 

 それじゃあね、と赤面したまま固まる兄を放置し、ライトの姿は扉の外へ消えた。

 扉の閉まる音が響いた直後、ダイはやっと既視感の正体に気づいた。

 

(……ああそっか……ライトはレオナに似てるんだ……)

 

 この兄弟の関係性がなんとなくみえてダイの口元に小さく笑みが浮かぶ。

 それはそれとして、固まり続けるジストにダイは小さく合掌した。



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