アハーンジュルジュルレロレロレーン (宇宮 祐樹)
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プライベートでは指揮官とイチャイチャするポートランドよくない? 誰が何と言おうと俺は好き

題名とかあらすじとかで凄い怒られそう


 

「指揮官、しきかん。少しいいですか?」

「どうした?」

「私がインディちゃんの子を身ごもるか、インディちゃんが私の子を身ごもるかで悩んでるんですけど」

「は?」

 

 は?

 

「いや、だから、インディちゃんと私の子供の話で……」

「今すぐ病院に行ってこい」

「なんでっ!」

 

 仕事の合間の会話だとしても、午後五時に振るようなものではないと思う。けれど彼女――先程の話からして、もちろんポートランド――は不満らしく、頬をぷくー、と膨らませながら強く叫んだ。

 

「もー、どうして指揮官はマジメに聞いてくれないんですか!? 私とインディちゃんの大切な話なんですよ!」

「真面目も何もお前のそれは妄言だと思う……」

「妄言じゃないです! あるべき未来なんです!」

「お前とインディじゃ子供作れないだろうが!」

「心のちんぽこで孕ませろ、です!」

 

 鎮守府名言集がまた一つ更新された。なお八割ほど彼女のもので埋まっている。

 そろそろ彼女は狂気すらも自らのものにするんじゃないか、と考えていると、彼女は腕を組みながら、長い息を吐いた。

 

「はあ……これも全部インディちゃんがかわいいからいけないんですね……」

「十割お前がいけないと思う」

「正直インディちゃんで四回はシコれますね!」

「そのギリギリいけそうなラインやめない? お前ついてないだろ」

 

 正直わけが分からなかった。とにかく彼女と話すと疲れる。

 ポートランドという少女を一言で表すならば、「それすらできない」という言葉しか出てこなかった。要するに無理。彼女の思考回路はブッ飛び過ぎて人類にもセイレーンにも予測不可能だと思う。おそらくセイレーンの中枢とかにこいつの脳神経ぶち込んでやればセイレーンとの抗争とか一瞬で終わるんじゃないだろうか。

 そんな対セイレーン最終兵器として認定された彼女は、どこからか取り出した写真を持ち出して、ふう、と机に伏せる。

 

「……あー、マジ。無理。無理じゃない? いけない……」

「語彙力溶けてるぞ」

「インディちゃんに言い寄られたい……アッ、駄目……インディちゃん、私たち、姉妹なんだよ……? しかも、こんなところで、なんて、っはぁ……ぁ、インディちゃんっ……ゃ、そこ、私、弱くて……――っ!?……き、きす……初めて、キスしちゃった……ぁ、えへへ……、っぁ、んぅ……インディちゃん……? ゃっ、おっぱい……そんな、強く揉んじゃ……っ、ダメっ…………、もぅ、インディちゃんったら……ぁ……こんなところでしたいの……?……えへへ、大丈夫だよ……お姉ちゃん、インディちゃんの頼みなら……私、なんだってしてあげるから……ひゃぅん!? そ、そんなに欲しかったの…………? インデ」

 

 勝手に一人で絶頂しそうな女は置いておいて、書類に手をつける。今月はセイレーンとの戦いも激しく、そのための資材の消費も然り。食事も色々工面しなくてはならないし、燃料の補給も先日の戦闘の消費を参考に少し増やすべきだろうか。

 そういえば、そろそろ遠征から睦月たちが帰ってくるころだろうか。彼女たちのことだから飴玉でも用意しないと。

 

「ほぼイキかけました」

「ノーハンドでイくな」 

 

 とても凛々しい顔になりながら彼女はそう宣言した。妄想だけで絶頂しそうな女をどうして秘書艦にしてしまったのだろうか。過去の自分にと問い質し、あわよくばその時点で彼女を別の鎮守府へ送りたい。

 

 と。

 

「…………」

「…………」

 

 静かな沈黙が執務室に流れる。

 先程までの喧噪が嘘の用だった。

 沈みかけている夕陽が、彼女の銀色の髪を照らす。黙っていれば美人、というのはこういうものを言うのだろう。西日に照らされている彼女は、どことなく清廉とした、純白のような雰囲気を感じさせた。

 

「ねえ、指揮官」

「何だ」

 

 いつもとは違う、おっとりとしたような彼女の声。雰囲気の変わったその言葉に、ペンを走らせる手が止まる。

 

「今夜、空いてますか?」

「……出来る限り、開けておこう」

「ぃやったっ」

 

 その誘いに応えると、彼女は小さく跳ねて笑顔を見せた。こういう時だけ、彼女はその笑顔を見せるのだった。

 それから、また再びペンを走らせる音が響きだす。しかし先程のような会話は流れず、ただ淡々と時間が流れていくだけ。彼女はその青い瞳に、沈む夕日を映していた。

 

「……やはりお前のそういうところは分からん」

「え? なんでですか?」

 

 やはり、彼女は不思議な少女だ。

 何度も彼女が愛する妹の話を聞いても、何度も彼女の妹の話に振り回されても、何度も窮地をくぐり抜けてきても、何度も彼女と夜を共に過ごしても、ポートランドという少女は分からなかった。

 

「簡単な話ですよ」

 

 けれど、こうして長く付き合っただけで、これだけは言える。

 

「インディちゃんも、指揮官も、みんな大好き、ってことです!」

 

 彼女は、好きなものを笑顔で好きだと言える、素晴らしい女性だという事だ。

 

 

 



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あ、ハムマンだ ハムマンすき

ハムマンすき


 

 それは机仕事が嫌になり、休憩がてら指揮官が鎮守府の外回りをしている最中だった。

 ぼけっとしたその視線の先にあったのは、委託から帰ってきたばかりの艦船たち。帰ってきたと同時にわいのわいのと騒いでいるその中でも、指揮官の虚ろな瞳に映っているのは、

 

「あ、ハムマンだ」

「げっ」

 

 指揮官がぽつりとつぶやいたその言葉に、彼女の頭の上にあるネコのような耳が、ぴくんと跳ねる。心なしか、頬に少し紅が差しているようだった。

 

「ハムマンだ。ハムマンすき」

「う、うるさいこのヘンタイ! というか仕事中でしょ!?」

「ハムマンすきだからサボってる」

「何だその理由は!」

 

 本当に訳が分からなかった。けれど指揮官は叫ぶハムマンを意に介さず、その小さな頭へ手を乗せる。

 

「ハムマンすき。かわいい」

「は、ハムマンをおだてても何も出ないわよ! というか撫でるのやめなさい! 恥ずかしいから!」

「そんな……ハムマンすきなのに……」

「だ、黙りなさいよっ! とにかく戻るっ! 仕事しなさいっ!」

「仕事したらハムマンすきだから撫でても良い?」

「それは……っ、とにかくあっちいきなさいよヘンタイ! 通報するわよ!」

「ええー……分かったよ。ハムマンすきだから帰るわ」

「だからどういうことなのよっ!」

 

 腕を振り上げてぎゃー、とハムマンがまくしたてると、指揮官は肩を落としながら、とぼとぼと自らが来た道を戻ってゆく。けれど彼女のいう事はちゃんと聴くようで、しょんぼりとした背中を見ながら、ハムマンはふん、と嘆息を吐いた。

 

 ここのところ、彼女は思い悩んでいた。

 

 言うまでも無く、先程のアレである。最近になってから、指揮官はハムマンを見つけるたびに「あ、ハムマンだ。ハムマンすき」と間抜けた声で言うのである。正直訳が分からなかった。何か狂気のようなものを感じた。

 始めは周りの艦船も急な指揮官の発言に驚いていたが、それは三日と続かなかった。それどころか指揮官の影響なのか、周りの艦船すら冗談まじりに「ハムマンちゃんすき」と言うほどになってしまった。

 

 けれど、それはまだいい。冗談であれば、やめろと言えば止めてくれるし、そんな冗談を許せないほどハムマンも心の狭い艦船でもない。

 本当の問題は張本人の指揮官である。彼ばかりはどうも冗談か本気なのか分からなかった。

 

「どうしよう……」

 

 いや、正直どうしようもないのだが、ハムマンはそうとしか呟けなかった。

 ハムマンも彼のことを嫌っている訳では無い。むしろ、こうして口に出して伝えてくれるあたり、指揮官も彼女のことを信頼しているのだろう。それだけは確実であった。長い時間をかけて作られた信頼は、胸が苦しくなるような気持ちと、少し似ているような気がした。

 いつもは恥ずかしくてつい悪口を言ってしまうけれど、ふと静かに考えると、ハムマンはやはり嬉しい気持ちになる。けれどそれは少しだけはみ出したような、歪なものに感じられた。

 

「……よし」

 

 そう独り言ちて、彼女がぎゅ、と拳をにぎる。

 すたすたと足を運ぶ方向は、学園の寮であった。

 

 

 小さな寮の一室、三人の少女が床に置いたテーブルを囲む。

 

「綾波ちゃん、そこのお菓子とってー」

「どれですか」

「右からにばんめ! あとその奥にコーラもあるからそれもおねがーい」

「はあ……よい、しょ」

 

 二リットルのコーラをどん、と置いて、白い髪の艦船――綾波がふぅ、と息を吐く。その隣に寝転んでいるのはロング・アイランドであり、袖を通しているのはいつもの青い制服ではなく、「焼肉」という文字が記された白いシャツ一枚のみ。彼女の後ろに同じような白い布が積んであるあたり、いくつか種類があるのだろう。

 

「それでハムマンちゃん、相談ってなにー?」

「あ、えっと……指揮官の、ことで」

「指揮官、ですか?」

 

 意外そうに綾波が首を傾げる。ぱす、と袋菓子を開けるまぬけな音に、ロング・アイランドが目を輝かせた。

 

「ふ、二人はこの鎮守府に始めからいたから、何か分かるかと思って」

「あー、そっか。そういやそうだったねー」

「……最初、って言ってもすぐ増えたですけどね」

 

 ハムマンの言葉に、思い出したように二人が顔を見合わせる。

 

「まあ、それはそれとして。指揮官に何かされたんですか?」

「……指揮官が、ハムマンと会うたびに変な事を言ってくるのだ」

 

 本当は二人も分かっているのかもしれない。けれど、自らの口から話す事に何か意味があるのだろう。ハムマンはここ最近の指揮官の奇行について、綾波とロング・アイランドに語って見せた。

 やがてハムマンの話を聴いた二人は、ふむふむ、と頷きながら思い出すように口を開く。

 

「んー、まああの人そういう変なところあるもんね」

「……綾波も、綾波じゃなくて『レイ』って言われてました」

 

 別に汎用人型決戦兵器には乗らないので、当時の綾波はただただ首を傾げるしかできなかった。

 

「私もスパーランドとか呼ばれてたけど、紛らわしいからやめて、って言ったらやめてくれたよ」

「綾波も、ちゃんと呼んでって言ってくれたら、直りました」

「むぅ……」

 

 やはり只の冗談なのだろうか。けれど、ハムマンはどうしてかそれでは落ち着かないようだった。

 うつむいて黙り込んでしまうハムマンに、ロング・アイランドがふと声をかける。

 

「ハムマンちゃんは、指揮官にすきって言われていやなの?」

「ふぇっ!? そ、それは……うぅ……」

 

 お手本のような反応に綾波は心の中で拍手をした。

 

「べ、別に嫌ってわけじゃないけど……分からない」

「分からない、です?」

「……だって」

 

 絞り出すように、ハムマンがぽつりぽつりと語る。

 

「ハムマンは、指揮官にあれだけ酷いこと言ってるのに、どうして指揮官はハムマンのこと好きっていってくれるのだ? 私、指揮官に何もしてあげられない……それどころか、指揮官を傷つけてるはずなのに……どう、して」

 

 その事実を口にする度に、ハムマンの肩に見えない圧のようなものがのしかかる。心が、重くて潰れそうだった。自分でもわかっているのに、それを認めてしまう辛さが、ハムマンを襲っていた。

 視界がぼやける。こんなものは、自分のわがままだって分かってる。

 なのに、なぜかハムマンの淡い翡翠の瞳は潤んでいた。

 

「……わかんない……わかんないよぉ……」

 

 ぽろぽろと、ハムマンの頬を雫が伝う。心の端から溢れ出したような、崩れるような涙だった。

 

「ご、ごめんなさっ……わ、たし、どうしたらいいか、わかんなく……て……」

「……とりあえず、落ち着くのです。胸に手を当てて、深呼吸、です」

 

 綾波に言われるがまま、ハムマンが胸に手を当てる。震える唇から洩れた息は、とてもか弱いものだった。

 やがていくらか落ち着いたのか、赤くなった目をこすっているハムマンに、綾波が声をかける。

 

「……多分、あの人はハムマンちゃんに思ってることを、口にしてるだけです」

「まあ会うたびに言うくらいだし、それは間違いないねー」

 

 だから、と綾波は一つ置いて、ハムマンに告げる。

 

「ハムマンも、指揮官に思ってることを、そのまま言えばいいと思うのです」

「…………へ?」

 

 むふ、と何故か胸を張る綾波に、ハムマンは思わず間抜けた声を出した。

 

「目には目を、歯には歯を、です」

「それ、実は使い方違うんだってねー」

「ロングアイランドのそういうところ、スレ民みたいです」

「あーっ! 人が気にしてるところをー!」

 

 なんだよなんだよー、といじけ始めたロング・アイランドをよそ目に、綾波がハムマンへ向き直る。

 

「相手がゴリ圧してくるならこっちもゴリ圧しで行くのです。これは闘いです」

「ん……? ハムマン、綾波の言ってる事がよくわかんないのだ……?」

「とにかく、ハムマンも指揮官と同じようにしてみるです。そうすれば、上手くいく、です」

 

 理屈は分からないけれど、綾波の目には確固たる自信が伺えた。

 やがて、うつむいていたままの彼女が、顔を上げる。すく、と立ち上がって涙の痕を拭うと、ハムマンは一つだけ息を吐いて、綾波へ確かめるように口を開いた。

 

「……わかった。指揮官に言えなかったこと、言ってくるのだ」

「ん、頑張れ、です」

 

 ぐっ、と綾波が遠くなる足音へ親指を立てる。口元には満足したような笑みが浮かんでいた。

 

 

 ハムマンは面倒な性格の少女だった。

 いつも本当の事は隠してしまって、自分の言いたい事が言えなくなる。その上に自分の上司に馬鹿だのヘンタイだの暴言を吐きながら、あわよくば小突いたり蹴ったりするほどの、大馬鹿者だ。

 自分でも、それは知っている。それで何度も悩んだり、落ち込んだりもした。

 だから、これ以上そんなことがないように。

 

「指揮官っ!」

 

 ばん、と執務室のドアを開くと、丁度仕事が終わったのか、椅子にもたれかかって沈んでいる指揮官の姿が見えた。

 

「……ハムマン?」

 

 間抜けに開いた口から、そんな言葉が漏れる。

 けれどそれに続くはずの言葉は、どこかへ消えていた。

 

「……なんで、言わないのよ」

「へ? 言う? 何が――」

「どうしてすぐに好きって言ってくれないのよ、この馬鹿っ!」

 

 自分でも何を言ってるのか分からない。けれど、心にできた空白を埋めるには、そう叫ぶしかなかった。

 やがて呆然としていた指揮官は、思い出したように、ハムマンと視線を合わせて口を開く。

 

「あー……ハムマン?」

「なに」

「……すき」

 

 たった二つの文字だけど、ハムマンの心にはそれがすぅ、と落ち着いた。こんな面倒な私でも、指揮官は好きだと言ってくれる。それだけハムマンは満たされたような気持ちになった。

 思わず笑みがこぼれる。こんな砕けた笑顔は、指揮官の前で見せたのは初めてかもしれない。いつもは怒ってばっかりだったけれど、こうして指揮官の前で笑えたのが、すごくうれしかった。

 そうして、心に思い描いたのは、ただ一つ。

 

「ハムマンも、指揮官のこと、大好きなのだ!」

 

 

 



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うぅ……サラトガっ…!!ううっ…うう…クソッ…!この……!大人を舐めやがっ……え……?今日の色…って、あ、あぁ……もう少しで見え……あ、うぅ……この…ッ!……うぅ……!

今更だけど各話の指揮官は別人ですね


 

「しきかーん、ちょっといーい?」

 

 ドアの向こうから聞こえてきたのは、サラトガの声だった。

 

「いいぞ、入ってこい」

「はーい」

 

 扉をくぐった彼女の片手には、何やら数枚に纏められた書類が握られている。手元のそれに視線をやったまま、彼女は少し考えるようにして俺へ声をかけた。

 

「えーとね、明石ちゃんと夕張ちゃんが、装備の改修について相談があるって」

「……嫌だ…………」

 

 十中八九、予算をせびられるのだろう。彼女らは暇さえあれば、倉庫のジャンクパーツや代用品をいじってとんでもない兵器の実験をしているのだ。彼女らの相談といえば、大体の予想はついた。

 悪いが断っておいてくれ、と続けようとすると、サラトガは書類から目を離して俺へ答えた。

 

「でも指揮官、二人とも頑張ってたよ? 見るだけ見てあげたら?」

「うーん……」

 

 確かに彼女らの装備開発への頑張りには目を見張るものがある。いつも二人には装備関係の大部分を任せているし、だからこそ装備の開発自体は全て許しているのだが……

 

「おねがい、指揮官。かわいいかわいいサラトガちゃんの頼みだと思って!」

「……まあ、聞くだけ聞いとこうか」

 

 観念したように息を吐いて、立ち上がる。いかんせん、俺は彼女に頼まれると弱いのであった。

 

 サラトガという少女を一言で表すならば、無邪気、というのがしっくりくる。

 イタズラが大好きで、周りの艦娘をからかったり、おちょくったりするのをよく見かける。それでも冗談と迷惑のラインはきっちりしているようで、それも含めてサラトガは皆から慕われるような存在であった。

 また、その性格とは裏腹に人望は厚いらしく、大規模な作戦での中心的な人物になったり、またこうした頼み事も多くあるらしい。それも全て二つ返事で了承するあたり、こちらが彼女の素なのだろう。

 イタズラするほど無邪気ながら、時には芯の強い頼れる艦娘、それがサラトガである。

 

 ……もっとも、いつもイタズラされてる身からすれば、たまったものではないが。

 

 

 倉庫に辿り着くと、重たい金属音が響いてきた。

 

「入力する数値、右から六〇、二三、一〇二にゃ」

「りょーかい……ってあれ? ここの排熱管増やした?」

「ああ、それ昨日付けたやつにゃ。もう一本余裕あったからだけど、いけなかったにゃ?」

「いや、これで入るなら、確か奥のほうにもっといいパーツあったぞ。取ってくる」

 

「明石ちゃーん、夕張ちゃーん! 指揮官連れてきたよー!」

 

 金属音に負けないようにサラトガが叫ぶと、何やら話し込んでいた二人は、同時にこちらへ目を向けた。

 

「おお、サラトガ、ありがとにゃ」

「ご主人も仕事中にすまない」

「そう思うのなら予算をせびらないでほしいんだが……」

 

 溜め息混じりに呟いた言葉に、夕張と明石はきょとんと首を傾げていた。

 

「よさん……? 別に明石たち、今月はオーバーしてないにゃ」

「オーバーしてるのは艦隊の方の予算だぞ」

 

 …………。

 

「マジ?」

「マジだ」

「こっち来るにゃ」

 

 ぶかぶかの袖のままの手招きに促され、夕張の持つ書類を覗く。いくつもの数字と罫線が並ぶその紙の上に、わかりやすいように赤いペンで記されたところを見ると、確かに予定していた金額よりも少ない金額が充てられていた。

 

「多分、こことここの予算が入れ替わってるんじゃない?」

「……あ、本当だ」

 

 サラトガの指が示したところを見ると、確かに明らかに過剰なまでの桁が振られている。

 寝ぼけでもしない限り、こんなミスしないはずだが……

 

「まあ、この前まで大規模作戦で忙しかったからな。入力ミスだろ」

「悪い。すぐに直しておく」

「許してほしいならもっと予算ちょうだいにゃ」

「……考えとくよ」

 

 元はと言えば身からでたサビなのだ。それに、彼女等も先日の作戦では頑張っていたから、それくらいは妥当なのかもしれない。

 

「そういえば明石ちゃんたちは、今なに作ってるの?」

「よくぞ聞いてくれたにゃ!」

 

 待ってました、と言わんばかりに、明石が目を輝かせる。そして飛び跳ねるように先程まで弄っていた部品――ブーツのようなものだが――を持ち上げると、興奮気味にこちらへと戻って来て、口を忙しなく動かした。

 

「これ、足に着けるタイプのブースターにゃ! 普段の五倍は速度出せるやつにゃ!」

「艤装とかが足にさえ干渉しなきゃ誰でも使える。それに可動域も広いから、蹴りとかできるぞ」

「この管から一気にぶしゅー、って排熱するにゃ! 浪漫にゃ!」

「その分、風ものすごいけどねー……」

 

 早口でまくしたてる彼女等に思うのは、どうしてそんな発想が生まれてくるんだ、という疑問だけだった。

 自慢げに見せてくるそのブーツに、ふとサラトガが問いかける。

 

「でもこれ、風向き的にスカートめくれちゃうんじゃない?」

「今時そんなの気にするやついないにゃ」

「そうかなー」

 

 確かに艦隊には短いスカートを着用している艦娘が多い。今目の前にいるサラトガも、細い太ももに掛かっているスカートを確認するように、ひらひらと指でつまんで遊ばせていた。

 …………やっぱり、短いと思う。それだけでちょっと見え――

 

「あれ~? 指揮官、今なに想像してたの~?」

 

 はたと気づいた時にはもう遅かった。視線がストッキングに包まれた太腿から、彼女の顔へと移る。何か新しい玩具を見つけたように、サラトガは意地の悪い、とても嫌らしい笑みを浮かべていた。

 

「……いや、何もしてない」

「えー? でもサラトガ、指揮官のことずっと見てたけど……私のお尻、ジロジロ見てたよ?」

 

 気が抜けていた。いやまあ、釘づけになっていたのは否定しようもないが。というかそれよりも後ろ二人からの視線が痛い。頼むからそんな目で見てないでほしい。死ねる。

 

「まあ、指揮官の気持ちもわからないでもないにゃ。でも表に出したら待ってるのは鉄格子にゃ」

「擁護してるかしてないか分からんからやめてくれ……」

「この事黙ってほしいならもっと予算を回すのだな」

「……わかった…………はあ」

 

 元はと言えば俺の管理の問題である。溜め息とともに抜けていくのは幸せではなく、お金だという事は、ここ最近で知った事であった。

 

「それじゃあ、私たちもう行くね? 明石ちゃんも夕張ちゃんも、頑張ってー」

「にゃー、ありがとにゃ」

「明日までには試験できるようにしとくからな」

 

 そんな風に手を振って、サラトガと俺は倉庫を後にする。

 明石たちが去ったあとでも、サラトガはにやにやとこちらへ笑みを浮かべているままだった。

 

 

「あはは、指揮官ったら面白いんだから」

「まったく……お前も少し、節度を弁えろ」

「でも、あの時の指揮官の顔……ふふっ、思い出したら笑えて来ちゃったっ」

 

 執務室に戻る道で、くすくすと面白そうにサラトガが笑う。

 

「頼むからもう許してくれよ……」

「え~? うーん、そうだなあ……サラトガちゃんの、今日の色当てたら、許してあげる」

 

 そんな事を言いながら、サラトガは短いスカートを指でつまんで、ひらひらと振った。

 

 おそらく、ここで聞き返すのは得策ではない。聴いたらそれで「そんな事も分かんないの~?」とからかわれるのは、火を見るより明らかである。同じ轍を踏むほど馬鹿ではない。

 だから、あえてここは正面から突っ切る。回りくどい手を使う必要はない。サラトガのパンツの色を当てれば済む話なのだ。セクハラが何だ。非難するなら存分に非難しろ。

 

 彼女の今つけている下着の色は、

 

「……黒だろ」

「ふーん、指揮官ってそういうのが好きなんだぁ~」

 

 勝てる気がしなかった。否定できないところも含めて。

 

「ま、正解だから許してあげる」

「本当か?」

「ホントよ? 何だったら、今見せてあげよっか?」

 

 にまにま、という疑問が聞こえてきそうなほどの笑みを浮かべて、彼女がスカートを少しだけ翻しす。そろそろ使い物にならない頭を抱えていると、サラトガはまたくすくす、と口元を押さえて笑うのだった。

 

「指揮官、今日はいつにもましてひっかかるね」

「……ああ、本当に疲れてるのかもな」

 

 先程のミスといい、この状況といい、自分でもわからないほど疲れているらしい。別の意味で痛くなってくる頭を抱えていると、サラトガはまた何か思いついたらしく、にまー、とした笑みを浮かべながら、俺の顔を覗いてきた。

 

「やっぱり指揮官も、溜まってるのかな?」

 

 唐突に駆けられた言葉に、思わず息が詰まる。

 

「……お前なあ、さすがにそれは」

「いやー、指揮官も人間だし、疲れも溜まっちゃうよねえ~、仕方ないよ」

 

 うんうん、と大げさに頷いたサラトガが、ふとわざとらしい笑みを浮かべ、こちらに問いかけた。

 

「あれれ? 指揮官ったら、また何か変な妄想しちゃったのぉ?」

「…………」

「ふふっ、指揮官も大変だね~。でも、ガス抜きも必要だよ?」

 

 大変なのは誰のせいか分かっているのだろうか。いや、恐らく知っているのだろう。その上で、彼女はくすくすと笑いながら、頭を抱える俺を面白そうに眺めていた。

 既に執務室の前へついているけれど、もう仕事をする気にもなれない。サラトガと話すと疲れる。別に悪いわけではないのだが、心労がひどく積み重なるのだ。

 

 思えばここから、少し思考がおかしくなったのかもしれない。

 

「しきかーん、もしよかったら、サラトガちゃんが今夜のお相手してあげましょうか~?」

 

 どうせ本当は晩酌とかそういう意味なのだろう。それは分かる。けれど疲れた頭では、すぐに切り返すことができなかった。上手く返せる気がしない。

 しかし、やられてばっかりも癪である。どうにかして彼女に一泡吹かせてやりたい。こちらを伺うようなあの視線を、一度でいいから見開かせたい。そんな意地の悪い感情が、少し芽生えた。

 

「……お前さえ、良ければ」

 

 彼女の肩に手を伸ばしながら、そうつぶやく。

 

「今夜、開けておく」

 

 なるべく平静を保ちながら、一言一言伝わるように、強く。

 何か言いかけたらしいサラトガは、俺のことを見上げたまま、ぽかんと固まって、

 

 

「――――…………ふぇっ……?」

 

 

 顔を真っ赤にしながら、そんな声を漏らしていた。

 

「じゃあ、また夜に」

 

 ぱたん、とドアを閉じる。しばらく経ったあとに、どたばたと激しい足音が聞こえてきた。

 かなりきわどいラインまで行ったが、これで彼女も懲りたはず。これで彼女のイタズラが減るといいが、まあ直ることはないだろう。そこも含めて、彼女の個性なのだから。

 

「疲れた……」

 

 ペンを執る気にもなれず、窓から見える夕陽をぼんやりと眺める。

 空は暗く沈んでいき、夜はすぐそこまで来ているようだった。

 

 

 こんこん、と静かにドアを叩く音が、一人の執務室に響く。

 既に日は堕ち、時刻は十時を過ぎている。皆ももう寝ているだろうに、はて、こんな時間に誰か呼んだだろうか。不思議に思いながら、俺は寝室に向かおうとした足をそちらへ向けた。

 

「誰だ? こんな時間に、もう俺は寝るぞ」

「……指揮官?」

 

 返ってきたのは、震えたような声で、

 

「サラトガ?」

 

 いつものような彼女の元気な様子からは、とても想像できないようなものだった。

 

「……入るよ」

「あ、ああ……いいけど」

 

 かちゃ、と恐る恐ると言った様子で、ドアが開く。

 果たして、姿を現したのは、声のとおりサラトガであった。髪を下ろしたその表情はいつもよりも随分しおらしくなっており、何よりも身にまとっているのは、いつもの可愛らしい制服ではなく、薄い布のワンピース。枕を両手で抱きしめながら、彼女は俺へ潤んだ瞳を向けていた。

 

「何から、するの」

「は? 何、って……」

「……言わせる気? 指揮官の、バカ……」

 

 つん、と口を尖らせて、頬を赤く染めたサラトガが、軽く体を寄せてくる。胸に収まったサラトガの身体はとても熱く、彼女は俺のことを見上げながら、こう呟いた。

 

「夜のお相手、って……言ったでしょ」

 

 頭が大事故を起こした。疲れている頭のはずなのに、全てのことが一瞬で理解できた。

 つまり、彼女は俺が昼に言ったことを、正直に受け取っているということ。手の内から聞こえるサラトガの鼓動が、それを明確に教えてくれた。

 

「……なに? 指揮官、冗談だったの?」

「そ、ういう訳では」

「ちゃんとこっち見なさいっ」

 

 ぐい、と胸倉を引っ張られる。こちらを睨む瞳には、潤んだ熱がこもっていた。

 

「……やっぱり私じゃダメなの?」

「そんな訳ないだろ」

 

 すぐに否定をするけれど、サラトガはふと俯きながら、声をもらす。

 

「分かってるよ。こんな生意気でイタズラばっかりしてる子、指揮官は嫌いだよね」 

「違う」

「いつも周りに迷惑かけて、それで自分勝手で……ほんとの事なんて言えずに、いつも誤魔化して」

 

 崩れるように、彼女の小さな体がもたれかかる。

 

「じつは、ちょっとだけ嬉しかったの。指揮官からそうやって誘ってくれるなんて、思ってもなかった……それこそ、冗談だったんだから」

「…………」

「でも、そうだよね……私みたいなちっちゃな女の子なんて、やっぱり指揮官の役に立てないや。こんな私じゃ、指揮官に、何も……」

 

 照れくさそうに笑う彼女の背中を、優しく包む。

 

「ぁ……」

「そんなこと、ない」

 

 柔らかな体を抱きしめると、微かな声が漏れた。

 

「……私で、いいの?」

「お前がいいんだ」

「いつも、指揮官にイタズラばっかりしてるのに?」

「ああ、それがお前の個性だろ」

「……からかったり、馬鹿にしたりしてるのに?」

「可愛いと思う」

「……指揮官に、好きって、言えなかったのに……」

「大丈夫」

 

 今更引き下がるつもりもない。彼女が答えてくれただけで、俺は嬉しく思えた。

 視線が交錯する。鼓動が高鳴る。腕の中にある彼女は、とても綺麗に映っていて、

 

「……指揮官」

「何だ?」

「好き、だよ」

 

 そう笑う彼女の唇を、俺は――

 

 



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全く部屋から出てこないので指揮官があれやこれやと画策していくうちにだんだんエロい気分になってそのまま情事に入るけど本当はそれを狙ってるがために休日は朝から部屋に閉じこもる長島スパーランドすき

ロング・アイランド

長島

長島スパーランド


          Q.E.D.


 

 お前は長島スパーランドの凄さを何も分かっていない

 

 

「起きろオオオォォォ!!!!!」

「ひゃあっ!?」

 

 ロング・アイランドが起きて初めて聞いたのは、ささやかな鳥の囀りではなく、指揮官の怒鳴り声であった。日は既に高く登っており、床に倒れている時計は十二時過ぎを指している。寝起きのままの頭で、ロングアイランドは引き戸を蹴破ってきた指揮官に口を開いた。

 

「こ、ここ女子寮だよ!?」

「指揮官権限」

「ず、ずるい……ってうわ、ほんとに入ってきた! ぎゃー! 誰かー!」

 

 そう叫んで布団にくるまって後ずさるも、答える者は誰もいない。それもそのはず、本日は大規模作戦後の長期休暇の始めである。たった一人を除いて、狭い寮にとどまる者は誰もいなかった。

 

「おいもう昼だぞ! テメエ飯も食ってねえだろうが!」

「だってお休みだもーん! 何してようが自由でしょー!」

 

 ふんだ、と入り込んできた指揮官から目を離して、ロングアイランドがもう一度敷布団へ体を預ける。どうやらまだ布団から出るつもりはないらしく、彼女は布団にくるまったまま手の届くところにある携帯ゲーム機へと手を伸ばしていた。

 いつまで経っても変わらない彼女に、指揮官は重たい息を吐く。

 

「あのなあ、休みとは言ってるけど、別に自堕落にしてろ、って言ってる訳じゃないんだぞ」

「自堕落じゃないもん。動くエネルギーを温存してるだけだもん」

「それを人は自堕落と言う」

「知らないもーん」

 

 間延びした声で、ロングアイランドが応える。いつまでも態度の変わらない彼女に、指揮官はさてどうするか、と頭を捻らせた。

 

「頼むからメシくらいは食ってくれよ。お前、今日何も食べてないだろ」

「べつにお腹へってないしー。夜ごはんには顔出すから」

「そう言ってこの前死にそうになってたよな……」

「アレは生放送あっただけだし……べつにわたし悪くないし……」

 

 どの口が言うねんダボカス、と指揮官は毒づきたくなった。

 

「どの口が言うねんダボカス、いっぺんマジで殴るぞ」

「指揮官、抑えきれてないよー」

「うるせえ! とにかく布団から出ろ! 太陽の光を浴びろモグラ!」

「やぁーだぁー! ロングアイランドは幽霊さんだから、太陽に当たったら溶けちゃうよぉー!」

「吸血鬼か! ってかヴァンパイアもうちにはいねえよ!」

 

 布団からはみ出た足を掴んで叫ぶが、ロングアイランドは動く気配すら見せない。普段は華奢というよりは脱力感が強い彼女だが、仮にもセイレーンと日々闘っている身である。指揮官の腕ではぴくりとも動かなかった。

 ぜえはあと肩で息をしながら、指揮官は寝転んだままの彼女へ視線を向ける。

 

「重っ……」

「指揮官、女の子にそんなこと言っちゃダメなのー」

「女の子……? どこが……?」

「部屋を見回さない」

 

 クソゲ―良作なんでもござれの室内を見回して、指揮官が首を傾げた。

 

「……つかお前、仮にも女を自称するなら服をどうにかしろ」

「仮じゃないんだけどー」

 

 仰向けになりながらもゲームをする彼女に、指揮官が呆れた視線を向けた。

 退役至上、と書かれた白いシャツ一枚。それが彼女を包んでいる衣服の全てだった。いや、一応として靴下を履いているが、それも片方だけのしかも足先で引っ掻けているだけ。休日の指揮官でもここまでひどくなかった。

 だから色々きわどいところも見えているし、そもそもシャツの下からは彼女の生足がまるごと露出していた。年がら年中引きこもっているくせに、その足は割と肉付きも線もよく、見る人が見れば割と殺意を抱くかもしれない。

 

「…………」

「んー……? 指揮官、どこ見」

 

 がし、とその両足を指揮官が掴む。

 

「休日の親父かっ! 着替えろ! スカートくらい履け!!」

「やーっ! 見える! 見えるから! 指揮官足離してっ! だーめー!」

 

 ぶんぶんと足を持ったまま上下に振る指揮官に、ロングアイランドは割と強い拒絶を示した。すぐに彼女の両足は手から離れ、そのまま布団の中へと消えていく。

 けれど指揮官の注意はそちらへは惹かれなかった。

 

「……お前さ」

「…………………………なに」

「パンツ履いてなくね?」

「ぎゃ―っっっ!!!」

 

 興奮だの男と女が一緒だのを通り越して、指揮官は冷めきっていた。

 

「だってだって、面倒だったもん!」

「面倒で済ませていい問題じゃねえだろ……」

「ふんだ。指揮官のえっち」

 

 頬を膨らませながら、ロングアイランドはそっぽを向いて再びゲーム機を手に取った。頬が赤くなっているあたり、それなりの恥じらいは在るらしい。一応の感情の存在に、指揮官は安心していた。これで恥ずかしがってなかったら本当に心配していた。

 

「とにかく早く起きろ。また倒れて貰っても困る」

「やーだ」

 

 んべー、と舌を出す彼女に、指揮官は一つ

 

「……そっちがその気なら、こっちにも考えがあるんだぞ」

「へぇー。でも私、ぜーったい動かないもんね」

 

 ふん、とうつ伏せになりながら、ロングアイランドはゲーム機の画面を見つめたまま。どうやら本当に引く気の無い彼女に、指揮官はすぅ、と息を吸う。

 部下に手をかける時は、いつでも覚悟が必要だった。

 

「ふぇっ」

 

 がし、と再び、ロングアイランドの生足を指揮官が掴む。

 

「お前が悪いんだからな……」

「し、指揮官!? 何して」

 

 こちょこちょ。

 

「ゔぁ―っはっはっは! あは、おははは! あひぃーーひひひ!! うっふぇ!! おゔぁっはっはっはっは! ゲホ!! ゲホ!!! ぐっふぇ!!! あーーダメダメダメ!!」

「笑い方が汚すぎる……」

 

 下に敷いた枕に顔をうずめて、ロングアイランドが声を荒げる。喉の奥から出てくるそのガラガラした声に、指揮官は軽蔑の目すら向けていた。

 左足の裏をくすぐる手を止めると、ロングアイランドがぱたりと倒れ込む。

 

「はぁ……し、きかん……ずるい……」

「ずるくないので早く起きろ」

「そんなことおおぉおおっははは!!! あーははは!! うんッふぇえへっへえへ!!!」

 

 問答無用の指揮官の手がロングアイランドの足を襲う。足の裏からふくらはぎ、そして膝の裏と辿っていき、どうしてこんな声が出るのだろうと指揮官は彼女の後頭部を見つめていた。

 上へ上へ、指揮官の手が登る。膝の上は既に通り抜け、五本の指がしまりの良い太ももを揉みしだく。

 

「ほらほらほらさっさと起きろ起きろ」

「いやーーーははははっ!! ぜーったい、うふ、起きないもおおおおおうんあははは!!!」

 

 もみもみ。こちょこちょ。ふにふに。

 

「ふぇッ」

 

 寝転んでいたロングアイランドが、ふとそんな声を上げた。

 先程までの汚い笑い声ではなく、少し上ずった高い声。思わず漏れたそんな声に、彼女は自分自身で口を塞いだ。

 

「……指揮官?」

「いい加減に起きろ。さもないと、ここから先まで行くぞ」

 

 恐る恐る振り向いたロングアイランドの視線の先にいたのは、自分の臀部へ手を置いている指揮官の姿だった。固い指の感触が、薄布一枚を通して伝わってくる。

 改めてこの状況を確認すると、さすがのロングアイランドでも少しだけ予想がついた。

 そして。

 

「……べ、べつにー? 指揮官がしたいなら、いいんじゃない?」

「お前なあ」

「私、どこにもいかないもん。絶対動かないもん、ね」

 

 ふん、とロングアイランドが枕へ顔をうずめる。そんな彼女に、指揮官はふと思い立って、彼女へ覆いかぶさった。

 いきなり倒れ込んできた指揮官の行動に、ロングアイランドが思わず目を見開く。けれど振り向くことは許されず、その耳元で、彼の囁く言葉が聞こえてきた。

 

「本当に、いいのか?」

「……すきに、すればいいんじゃない?」

「あのなあ……毎回毎回、こうも手間取らせるなよ」

 

 うぐ、とロングアイランドが渋い表情を見せる。

 

「だってー……指揮官がこうして来てくれるの、嬉しいし」

「だからってこっちを動かさせるなよ」

「うぅ……ごめん……」

 

 一気にしおらしくなって呟く彼女に、指揮官が溜め息を吐いた。

 

「とりあえずこっち向け」

「……はずかしいから、やー」

「………………」

「? 指揮官、って、――ぁ」

 

 声は途切れ、息遣いだけが聞こえる。

 

 結局のところ、二人が寮から姿を現したのは、太陽が沈もうとしている頃だった。

 

 




ロングアイランドが数日籠って彼女の匂いが充満している中での気だるいふわとろえっ


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『青いバラを、あなたへ』

 

 眼前に広がるのは、溢れるような色とりどりのバラだった。

 

「……見事だ」

「ふふっ。そう言ってくれて、とても嬉しいです」

 

 ぽつりとつぶやいたその言葉に、隣に佇んでいるオーロラはくすりと笑みを浮かべていた。

 本日の仕事は早く終わり、夕食まで少し時間があるころ。さてどう時間を潰そうか、と暇をしていたところに声をかけたのは、秘書艦であるオーロラであった。

 

『指揮官さん、私の育てているバラを見にいきませんか?』

 

 何でも彼女は趣味でバラを育てているらしく、鎮守府の隅にある小さな土地を許可を得てバラ園にしているとのこと。それもオーロラ一人で全てを管理しているようで、時折皆から噂を聞くことはあったけれど、こうして直接誘われることは初めてであった。

 前々から興味のあったことなので、彼女の誘いを承諾してから十分と少し。俺が目の当たりにしたのは、見わたす限りに広がっている一面のバラの花畑であった。

 

「これを、本当に全て一人で?」

「はい。と言っても、前々からここは花畑だったらしくて。元々あったものを整備しているだけですけれど」

「それでも凄いな……正直、もっと小さなものだと思っていた」

 

 目を覆うほどの色とりどりのバラに、俺はただ感嘆することしかできなかった。夕陽に照らされた色とりどりの花々は、冬の始めの冷たい風に撫でられて、静かな波を打つ。

 足元に咲く数本のバラへ手を伸ばして、オーロラがこちらを見上げた。

 

「……うん、やっぱりこの色ですね」

 

 そう言ってオーロラが手に取ったのは、真紅のバラだった。

 燃えるように艶やかなそのバラが、彼女の手から渡される。儚げに咲くその小さな花を見つめていると、オーロラは首を傾げながら問いかけてきた。

 

「指揮官さん、どうですか?」

「そう言われても……花なんか、俺に似合うだろうか」

「ええ、とっても似合うと思います」

 

 にっこりと、彼女が笑う。

 

「赤いバラか。どうも、少し恥ずかしいな」

「私はとてもいいと思います。どうでしょう、こう、口にくわえて……なんて」

「流石にそれは似合わんだろう」

「ふふっ。でも、似合うのは本当ですよ?」

 

 冗談めいて言うオーロラに、俺は嘆息を吐いて返した。

 冬の陽は海へ身を隠し、空は深い紫に沈む。既に夜はそこまで来ていて、微かに光る星が一つ、俺と彼女の眼に映っていた。静謐のような時間が、俺と彼女の間へ流れる。

 

「私、この戦いが終わったら、お花屋さんになってみたいんです」

 

 ぽつりと、彼女が口にする。空を仰ぎ続ける淡い碧色の瞳は、どこか遠くを見つめていた。

 

「……どうして?」

「私の育てたバラを、みんなに見て貰いたいから……って、ふふっ。なんだか、照れちゃいますね」

 

 頬を指で掻きながら、彼女が語る。

 

「いいんじゃないか、お前に似合ってて」

「そうでしょうか?」

「ああ。素敵な花屋になれるさ」

 

 優しい彼女ならば、すぐに人気の花屋になれるだろう。そう伝えると、彼女は頬を紅潮させながら、どこか恥ずかしそうに笑っていた。

 

「それだったら……私、指揮官さんと一緒に花屋さんがしたいです」

「俺と?」

「はい。一緒にここまで来たんです。我儘なのかもしれませんけど」

 

 そう言って、彼女は俺へ向き直る。

 

「これから先も――私と一緒にいてくれますか?」

 

 応えるのに、時間はいらなかった。

 

「ああ。お前さえ良ければ、ずっと一緒に」

 

 ぽつぽつと光る星空を背に、彼女は満面の笑みを浮かべていた。

 二人だけの時間は過ぎて、花畑にも夜が来る。鎮守府からの遠い光に照らされる彼女の横顔は、どうしてか俺の瞳に儚げに映っていた。

 

「そろそろ戻るか?」

「……もう少しだけ、居たいです」

「そうか」

 

 それだけ答えて、再び静寂が訪れる。夜の花畑というのもなかなか風情があって、身を縛るような寒さとは裏腹に、夜風になびく花々は微かにそれぞれ色を灯していた。

 微かな光だけを残して、彼女は俺へと視線を向ける。

 

「指揮官さん、私につけるバラも選んでくれませんか?」

 

 笑顔の彼女に、思わず俺は呆然としてしまった。

 

「……やめておく。俺にはそうセンスがない」

「大丈夫ですよ。私、指揮官さんが選んでくれたものなら、何でも嬉しいですから」

 

 そう笑ったままの彼女に引くに引けず、俺は彼女の隣へ腰を下ろした。

 花に疎い俺はバラに赤色というイメージしか抱いていなかったが、どうもそれだけではなく、黄色や白色、その他にも様々な色彩があるようだった。

 この中から彼女に似合う花を探せ、と言われても、やはりセンスのない俺は少しだけ悩むことになる。あれだこれだと悩んでいる間でも、オーロラはずっと俺の側で待っていてくれた。

 

 やがて、少しの時間をかけて、俺が手に取ったのは。

 

「青いバラ……」

 

 こちらの顔を覗き込んでいる彼女へ、手に取ったバラを差し出した。

 

「お前には、青色が似合うと思って」

「そうですか?」

「……どうだろう」

 

 問いかけた俺に、彼女は、

 

「はい、とっても嬉しいです」

 

 そう、笑ってくれた。

 

「それにしても、青いバラなんて初めて見たな」

「知ってますか? 青いバラって、最近育てられるようになったんですよ」

「そうなのか」

 

 手元に揺れる青色のそれを見つめながら、オーロラが語る。

 

「だから、青いバラは――」

 

 

 

「夢が叶う、って言われてるんですよ」

 

 

 

 




『青いバラ』

「不可能」「奇跡」「神の祝福」


 ――――「夢、叶う」


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クリーブランド姉貴のことソープランド姉貴って呼ぶのやめたれよ

ロング・アイランド
ポートランド
クリーブランド
ソープランド

         Q.E.D.


 

 

「クリーブランドちゃん?」

 

 手に持った大きなカメラをいじりながら、グリッドレイは俺の質問に答えてくれた。

 

「確か、さっきロングアイランドちゃんと一緒に居たような?」

「そうか、ありがとう」

「いいよいいよ。それにしても指揮官、クリーブランドちゃんに用ってどうしたのさ」

 

 用、と言う程のものなのだろうか。それは彼女の受け取り方次第だと思う。

 別にこれが終わった後で艦隊の士気や運営が変わる訳でもなければ、俺や彼女自身の位置が変わる訳でもない。ただ、俺と彼女の関係の話で、それを一言で表すのは難しかった。

 なんて言葉を濁していると、グリッドレイは何かを察したのか、少しだけ意地の悪そうな笑みを浮かべた。

 

「あー、なるほどね。うんうん、それならあんまり聞かない方がいいかな?」

「そうしてくれると助かる」

 

 いかんせん疎いものなので、どう話していいのか困っているところだった。正直に答えると、グリッドレイは呆れたように、けれど少し同情の籠ったように笑った。

 

「私にもあんまり分かんないなぁ……今は別にそう言った気持ちもないし」

「そういうものか」

「そ。それに今、私はサラトガちゃんの追っかけで忙しいから! じゃあ指揮官、頑張って!」

 

 励ましの言葉を残して、彼女は愛用のカメラと共に去っていく。

 その小さな背中を見て、ふと少しの疑問が湧き上がるのを感じた。

 

 誰かを好きになる、というのは良く分からない。生まれてこの方恋愛もしたことがないし、彼女のように誰かに情熱を注いだこともない。自分がそうなるという想像すらも出来なかった。

 だから、これがその気持ちなのかも分からない。もしかしたら違うものなのかもしれないし、それこそ彼女への押し付けなのかもしれない。少しだけ怖く思う。

 

 けれど、これだけは伝えなくてはならない。

 そう、強く感じた。

 

 

 古ぼけた扉をこんこん、と叩くと、その向こうから足音が聞こえてくる。

 

「はーい、誰ですかー?」

「俺だ」

「は……うぇ、しきかん!?」

 

 返ってきたのは、とても驚いた様子のロングアイランドの声だった。

 

「ど、どうしたのさー、こんなところに」

「いや、クリーブランドに用があって来たんだが……」

「クリーブランド!? ちょ、ちょっと待っててっ」

 

 ロングアイランドの声にそう返すと、今度は忙しない足音が去っていく。今はいけない時間だったのだろうか、と首を傾げていると、遠くからドア越しでも分かるような騒々しい会話が聞こえてきた。

 

 

「たいへんたいへん! 指揮官がクリーブランド探してるって!」

「なにっ!? なぜこのタイミングで……!?」

「と、とにかくあのまま隠しとくです。あの人、ヘッドホン勢ですから今は会話不可能です」

「そそっ、そそそそうだね! よし、何とか追っ払ってみるよ!」

「待て! 今のお前じゃ危険だ、私もついていく」

「綾波もご一緒するです!」

 

 

 扉越しだからあまり聞こえなかったが、どうやらロングアイランドの部屋には綾波と夕張がいるらしい。彼女らはもともと仲が良く、食事の際にゲームの話題に華を咲かせたり、出撃も一緒にすることが多いため、それはあまり不思議ではなかった。

 いくらか時間をかけたのち、再び扉が開かれる。想像どおり姿を現したのは、夕張と綾波であった。

 

「どうしたんだご主人、クリーブランドなんかいないぞ」

「そうです。こんなところにあの人がいるわけない、です」

 

 やけに迫ってくる彼女たちの後ろで、ロングアイランドがどうしてか後ろの方を隠すように立っているのが見えた。そわそわと覚束ない様子であるあたり、何か隠しているようだった。

 明らかに怪しい。というか、どうして三人は一気に出てきたのだろうか。

 

「……本当か?」

「本当だ。ここにクリーブランドなんていない」

「そもそもあの人がゲームなんてするはずないじゃないですか」

「それもそう……か?」

 

 確かに彼女はインドアよりもアウトドア派のイメージがある。始めにロングアイランドと一緒に居る、とグリッドレイから聞いた時も、少し耳を疑ったくらいだ。

 やはり、本当にここに彼女はいないのだろうか。

 

「……そうか、疑ってすまなかった。それなら、彼女が今どこにいるか知らないか?」

「え? あ、えーと……綾波?」

「み、見てないです。でも、見かけたら一応声はかけてお」

 

 

「うわーッ! くっそなんだこいつ!? そんなんありかよー!」

 

 

「…………」

「…………」

「…………今の声ってクリ」

 

 

「よーっし! やっとくたばったな! っはは、私も成長したな~」

 

 

 …………。

 

「クリーブランドおるやろ」

「あれ録音です」

「何で録音してるんだよ」

「毎週の楽しみなんだ。クリーブランド姉貴観覧会」

「憲兵に引き渡すぞ」

 

 とにもかくにも、ここに彼女がいることは明らかだった。けれど手前の二人に退く意志は無いらしく、厳しい言い訳をしたまま俺を奥へ通そうとすることを許さない。

 だが、こちらとて引くに引けない状況なのだ。今でないと、彼女に渡す事はできない。

 

「退けッ貴様ら! 俺は彼女に会わなくちゃいけないんだ!」

「だったらなおさら駄目、です! 頼むから引き返してほしいです!」

「ここまで来て帰れるか! 絶対彼女に会ってやるからな!」

「いや帰ってくれ! 頼む! 悪いことは言わないから!」

「そうだよぉー! また後でも良いでしょ!」

 

 なんて、後ろにいたロングアイランドも含めてわちゃわちゃすることしばらく。

 どうにかして彼女たちを押しのけて、さっきまでロングアイランドが前に立っていたドアへ手をかける。彼女の声が聞こえてきたのも、この先からだった。

 今彼女に伝えなければ、間に合わない。きっと、これを逃してしまえば、俺は一生後悔することになるだろう。それだけは、なぜか絶対に嫌だと思えた。

 

「クリーブランド!」

 

 がちゃ、と扉を開けると、そこには。 

 

「あー? なんだ? まだゲームの時間終わって――」

 

 無茶苦茶にダラけているクリーブランドが居た。

 

 帰投してから何も弄っていないのだろう、ぼさぼさになった金髪をそのままに、身に着けているのは白いシャツ一枚。座っている足元にはいつもの制服が転がっており、ぽかんと空いた口には棒付きのアメが覗いていた。

 真っ暗な部屋の中、明かりはディスプレイについたゲームの画面のみ。周囲にはゲームのカセットだったりスナック菓子の袋だったりが転がっていて、その中心の彼女は、黙ったまま俺の事を見上げていた。

 

「…………」

「…………」

 

 いつものクリーブランドは、頼りになる存在だった。

 ここに着任したときから持ち前の明るい性格で艦隊のみんなを元気にしてくれて、辛いときがあったら真摯になって俺の悩みを聴いてくれる時もあった。

 いつしか彼女とはそれなり長い付き合いになり、俺の中でも彼女のイメージというのが固まっていた。だから、彼女のこんな姿を見て俺は固まってしまったのだろう。こんな休日のおっさんみたいな姿は、普段のクリーブランドとはかけ離れていたから。

 だから。

 

「…………」

「…………」

 

 

 彼女の瞳に、色が戻る。

 そして、その薄い唇が開き――

 

「…………うぇ、っ」

「あっ」

 

 気が付けばぽろぽろと、クリーブランドの瞳から大粒の涙があふれていた。

 

「し、きかん……見ないで……み、ないで……っ……!」

「お、落ち着け! 大丈夫! 何も見てないから!」

「ちがっ、違、う……違うんだ……ち、がうんだからぁ……!」

「そうだよな! 違うもんな! 悪かった!」

「うっ……ぐ、ずっ……うあぁぁ……うえええぇぇぇ……」

 

 そのままギャンギャン泣いてしまったクリーブランドにどうしていいか慌てていると、ふと後ろから突き刺さるような視線を感じた。

 

「だから後にしろ、っていったです」

「誰にだって見られたくない所はあるのに……」

「しきかん、さいてー」

 

 ぐうの音も出ない。早く彼女に会いたいがために、急ぎ過ぎてしまった。

 

「ゔああぁぁぁぁん……う、っ、あぁぁああぁっぁぁぁぁ……」

「とにかく、指揮官は出てくです」

「い、いや……しかし……」

「このまま残っても何もできないだろ」

「指揮官、全然乙女の心が分かってないのー」

「くっ……」

 

 泣きじゃくったままのクリーブランドから引き剥がされ、冷たい視線を受けながら部屋を追い出される。勢いよく閉じた扉の向こうからは、クリーブランドを慰める声が聞こえてきた。

 

 自分を許せなかった。ここまで彼女を悲しませてしまう自分が、酷く醜いものに見えた。彼女のことを分かっていたように思ったままの俺は、とても愚鈍で救いようのない馬鹿だった。

 そんな俺が、何を彼女に伝えられるというのか。そして、伝えたところでどうなるというのか。全てが無駄に思えて、あれだけ張りつめていた緊張が、とても空しいものに感じられた。

 

 結局のところ。

 俺は彼女のことを何も分かっていなかったのだ。

 

 

「……指揮官、入るぞ」

 

 なんて沈んだ声と共に、クリーブランドが執務室へ入ってくる。表情は重く、いつもの彼女はどこかへ行ってしまっているようだった。それでも、ちゃんと呼びかけに応じてくれるあたり、彼女の性格の良さが見て取れた。

 

「ああ、ありがとう」

「それで、用って何なんだ?」

「……その」

 

 何というか。今切り出すにはいささか難しい内容であった。

 

「なあ、クリーブランド」

「何だ?」

「俺はお前に失望なんかしてないし、見る目を変えようだなんて思っていない。寧ろ、お前の知らなかった一面を見れて……なんだ。嬉しい、と思う自分がいる」

 

 一言一句、本心からの言葉であった。あれくらいで接し方を変えるほど彼女との付き合いは短くないし、それこそ、彼女のことをもっと知りたいとまで思うほどだった。

 途切れ途切れのそんな言葉に、彼女は目を見開いたままだった。

 

「お前とは長い付き合いだったよな」

「……そうだね。気づいたら、こんなに」

 

 季節をいくら跨いだろうか。それすらも曖昧だった。

 

「けれど、俺はお前のことを何も分かっていなかった。だから、あんなに悲しい思いをさせてしまった」

「いや、違うんだ。私もその、隠している、って部分も、あったし……」

「……それでももう二度と、お前にああやって涙を流してほしくない」

 

 理由はどうであれ、俺は彼女を泣かせてしまった。それは許されないことなのだろう。

 そして、それをもう二度と繰り返してはいけないと、そう思う。

 

「そのために、お前のことをもっと知る必要がある」

「……指揮官?」

「だから……そうだな」

 

 懐に仕舞っておいた四角い箱を、机の上へ。

 

「そのために、もっとお前の側に居たい、というのは……いささか口下手が過ぎるか」

 

 それでも俺が彼女に伝えられる、精一杯の言葉だった。

 

「もっとお前の事が知りたい。いろいろなお前が見たい。そう、思っている」

 

 傲慢なのは分かっている。子供のような我儘だし、それを認められるとも思っていない。こんな話を切り出して失望されるのも厭わないし、彼女から嫌われることなんて、覚悟の上だ。

 けれど、それ以外に俺ができることは無いように思えた。

 

「……私で、いいのか?」

 

 やがて帰ってきたのは、そんな震えた声だった。

 

「違う。お前がいいんだ」

「でも……私、あんな恰好で……指揮官に見られて……」

「別にそれでもいいじゃないか、ゆっくり休めたか?」

「……うん」

「なら良かった。お前は頑張りすぎなんだ。もっと休んでいいんだぞ」

 

 そう言葉かけると、彼女も恥ずかしそうに笑ってくれた。

 

 やがて少しの間を置いて、クリーブランドがこちらへゆっくりと歩み寄る。その足取りに迷いは見られなくて、彼女の瞳には強い意志の色が覗いていた。

 そうして、クリーブランドの細い指が机の上の箱へ伸びる。

 

「……開けていい?」

「ああ」

 

 手に持った小さな箱を開けると、中から取り出したのは、小さな指輪であった。彼女は手の内で光るそれをじっくりと見た後に、左手をこちらに差し出しながら、笑顔を浮かべた。

 

「なあ」

「どうした?」

「指輪。付けてくれよ」

「いいだろう」

 

 左手を取って、輝くそれを薬指へ。

 

「……どう? 似合うかな?」

「ああ。綺麗だ」

「……へへ」

 

 そう言ってやると、クリーブランドは恥ずかしそうに頬を掻いた。

 まだ彼女のことをよく知るのには、長い時間が必要らしかった。けれどそれで彼女が悲しまないでくれたら、俺はいつまでも彼女の側にいられるような気がした。

 それくらいしか、俺にできることは無いように思えた。

 

「指揮官」

「……なんだ?」

「私、すごく嬉しいな」

 

 どんな彼女でも受け入れよう。だから、彼女とずっと一緒にいられるように。

 

「そう言ってくれて良かった」

「……指揮官はどうなんだよ」

「無論、嬉しく思う」

「へへっ、そっか」

 

 輝きを添えた彼女は、幸せそうに笑ってくれた。 

 




割烹にこの作品についていろいろ書いておいたので宜しければご一読ください


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グリッドレイちゃん……かわいいね……お、おじさん、サラトガちゃんの写真一杯持ってるんだ……一緒にあ、遊んでくれたら……写真いっぱいあげるよ……だ、だから……おじさんと一緒に、い、いいことしようね……

なんかあ
モンスターハンターワールドとか
オリジナルのやつ書いてたら
更新遅れたんですよね


 

 どぼーん、と、遠くで水飛沫が上がる。

 

「サラトガちゃん! サラトガちゃん、こっち見て! 見て! 手を振って! ちょっとサラトガちゃん! サラトガちゃん!? おーい!! サラトガちゃーーん!? ぴーす! ぴーーす!! ウインクしてーッ! おーーーい!!」

「うるっさ」

 

 愛用のカメラを覗き込みながら叫ぶグリッドレイに、たまらず指揮官が言葉を漏らした。

 けれど当の本人は気にする素振りも見せず、堤防に座り込んだまま、水面に触れそうな足をぷらぷらと振っている。そんな彼女を横目に見つつ、隣で同じように座っている指揮官は、一つ重たい息を吐いた。

 

「うーん、やっぱりここからじゃあんまり映らないよ。指揮官、もっと近くまで行ってもいい?」

「演習の邪魔になるだろ。ここで我慢してろ」

「むぅー、けちんぼ」

 

 ぷい、と口を尖らせるグリッドレイが、再びカメラを覗き込む。そのレンズに映っているのは、艦隊の日課である他の鎮守府との演習であった。もっとも彼女が見たいのは、戦術的なものではなく、サラトガをはじめとした彼女らなのだろうが。

 愛用のカメラを覗き込みながら、ぱしゃりと一つシャッターを切る。彼女なりにいい画が取れたのであろう、レンズから離れた目は満足気に細められていた。

 

「どうだ?」

「うん、いい感じだよ。やっぱりサラトガちゃんは可愛いね」

 

 指揮官の問いかけに、グリッドレイは笑って答えた。

 

 グリッドレイというのは自分に正直な艦であった。

 いつものようにサラトガの追っかけをしているかと思えば、ふとした時にサラトガとはまた別の艦へカメラを向けたり、たまにただの風景写真を撮る事も有る。

 ただの写真好き、と言ってしまえばそれまでなのだろう。けれど、自分の好きなものに正直になって、その通りに行動できることは、指揮官にとってはとても難しいことのようにも思えた。

 

「ねーねー、指揮官はさ、あの中だとどの子が一番かわいいと思う?」

「……あー」

 

 ふと、グリッドレイはそんな疑問を口にする。唐突にかけられた問いかけに、指揮官は腕を組んで考え込んだ。

 

「………………そう、だな……」

「あ、迷うんだ」

「上司と部下という関係がある」

 

 真剣になって答える指揮官に、グリッドレイが頭を抱える。

 

「指揮官、そう言う時だけ妙にカタいよね」

「逆に俺がいろんな奴に手を出してたらどう思う?」

「……ごめん」

「分かってくれればいいんだ。けれど、どいつもこいつも妙に見てくれがいいのは分かる。だから誰がいい、と言われると少し迷うな」

 

 その言葉は半ば本心からのものらしく、指揮官は腕を組みつづけてうんうんと唸っていた。グリッドレイからすればこの質問は軽いものでもあったのだが、そう言う意味でも指揮官はどこか固い人間であった。

 

「お前は」

「サラトガちゃん」

 

 愚問である。

 

「というか、そんなに悩む事なんだね。この職場そういうの考えたことないの?」

「あるにはあるが……何というかな」

「知られたくない?」

「そう、だな。特にお前には」

「む、なにそれ。こう見えても私、口は堅いんだからねっ」

「そう言う意味とは少し違うのだろうな」

 

 指揮官の曖昧な返しに、グリッドレイは首を傾げた。

 

「うーん、よく分かんない……」

「分からなくていいんだ」

「そう言われると気になっちゃうもん。私だって女の子なんだし」

 

 そうして考える素振りを見せた後、グリッドレイは何かを思いついたらしく、首にかけたカメラを弄って指揮官へ語り掛けた。

 

「ねえ指揮官」

「何だ?」

「言うの嫌だったら、カメラ貸してあげるよ。これで撮ってみれば、誰か分かんないでしょ?」

 

 果たしてそれに意味があるのだろうか、という指揮官の疑問を無視して、グリッドレイは手に持ったカメラを指揮官へ押し付けるように渡した。

 

「しかしなあ……難しいぞ?」

「大丈夫だよ。私、サラトガちゃん以外にも撮ってるし。バレないバレない!」

「そういう意味ではないけれどな……」

「とにかく、私は見てないから。一思いにぱしゃっ、って行っちゃって!」

 

 それだけ残して、グリッドレイが遠くに見える演習風景に目を馳せる。

 旗艦はサラトガ。その両脇に控えるようにしてレナウンとイラストリアスが主力艦隊を努めており、前衛には綾波に続いてノーフォークとプリンツ・オイゲン。

 この六人の艦の内、果たして指揮官は誰を選ぶであろうか。イラストリアスやレナウンは立ち振る舞いからして可憐であるし、プリンツはそれとはまた違った蠱惑的な雰囲気を感じさせる。対してノーフォークや綾波は庇護欲のようなものが掻き立てられるし、サラトガはもちろん可愛い。

 うんうんと唸っても、グリッドレイがはっきりとした答えに辿り着く事は無く。

 

 やがて、長い時間を置いて、ぱしゃりとシャッターを切る音がした。

 

「……うむ」

「どう? 指揮官。綺麗に撮れた?」

「ああ。とても可愛いと思う」

「そっか、それなら良かったね!」

 

 指揮官の手からカメラを受け取って、グリッドレイがにこりと笑う。

 

「それじゃあ指揮官、私は現像してくるから!」

「あっ、待て」

「待たないもーん、じゃあねー!」

 

 ぴょん、と飛び跳ねるように立ちあがって、グリッドレイがとたとたと駆けていく。突拍子もない彼女の行動に指揮官は呆れたように息を吐いたが、上機嫌になって笑っている彼女を見ると、どうも怒る気にはなれなかった。

 

「……まあ、いいか」

 

 そう呟く瞳は海の上ではなく、去っていく彼女の後ろ姿を映していた。

 

 

「上がった上がった~」

 

 即席の暗幕を翻しながら、グリッドレイが疲れたように声を上げる。

 

「……グリッドレイ、倉庫に暗室作るのやめるにゃ」

「だって、寮でやると怒られるもん」

「理由になってないにゃ……」

 

 手に持ったいくつかの写真をひらひらと振りながら、グリッドレイは肩をすくめた。明石もそんな彼女に呆れたような視線を向けていたが、それは次第に彼女の右手にあるものへと引かれていった。

 

「それ、今日の午前の演習のやつにゃ?」

「そうだよ。それでね、最後の一枚に指揮官のイチオシの子がいるんだよ」

「イチオシ、にゃ?」

「そう! 気になるでしょ? 私も現像するまで見ずに、仕上げる時も目をつむってやったの。この中から当ててみるの、面白そうじゃない?」

「……イイにゃ。指揮官の弱みを握ってやるにゃ」

 

 目的は別であるが、行き先は同じである。明石とグリッドレイは二人で倉庫の隅に座り込みながら、手の内の写真を一枚一枚吟味していた。

 

「ほら見て、このサラトガちゃんかわいくない!? この流し目! すき!」

「サラトガが多いにゃ」

「だって可愛いんだもん……あ、これはイラストリアスさんだね」

「イラストリアスは綺麗だにゃ~、お姫様ってカンジがするにゃ」

「だよねー。可愛いっていうより、綺麗だよね」

「あ、レナウンもいいにゃ。カッコイイにゃ」

「あの人は純情そうだよねー。何というか、美少女、って雰囲気がする」

「あ、これはノーフォークだにゃ? 綾波も一緒に映ってるにゃ」

「この二人、何となく気が合いそうじゃない? 何というか、妹ってカンジがする」

「綾波はともかくノーフォークはどうなんだにゃ……」

「あ、プリンツさんだ。この人すごい綺麗だよね」

「オトナの雰囲気がするにゃ。指揮官もこれにはイチコロだにゃ」

「だよね。私もプリンツさんが一番だと思うな」

 

 と、会話を続けることしばらく。

 とうとう最後の一枚に辿り着き、グリッドレイと明石が無意識で息をのむ。

 

「……プリンツさんかなー、私は」

「いや、明石は裏を読んでノーフォークだにゃ」

「よーし、じゃあ行くよ? せーの、」

 

 ぽん、と意を決して、グリッドレイが最後の一枚をめくる。 

 そして、そこに映っていたのは。

 

 

 物憂げに海を眺めている、グリッドレイの姿であった。

 

 

「………………へっ?」

「にゃー…………」

 

 僅かな沈黙を置いて、二人が顔を見合わせる。そしてもう一度写真へ目を落とすが、やはりそこに映っているのはグリッドレイ本人の姿であった。

 顔が赤くなるのが分かる。あわあわと慌てたようなそぶりを見せるグリッドレイに、明石はじとっとした視線を向けた。

 

「……ノロケならヨソでやってくるにゃ」

「ち、違うよぉ! ま、まま、まさかそんな……」

 

 言葉にできなくなって、グリッドレイがうー、と顔を隠す。けれど指の間から見える写真には、やっぱりグリッドレイが克明に映っているのであった。

 疑問が彼女の頭を埋め尽くす。理解があまり追い付かず、指揮官の顔を思い出すのにも、今のグリッドレイにはかなりの時間を要した。

 

「だ、だって指揮官、全然私のこと――」

 

『指揮官、綺麗に撮れた?』

『ああ、とても可愛く映っている』

 

「あーーー! やだやだ、うわーーーん!」

「忙しないやつにゃ……」

 

 真っ赤になって騒ぎ立てるグリッドレイに、明石がため息混じりに呟く。

 

「ま、ガンバレにゃ」

「待って明石ちゃん! 行かないで! こういう時どうすればいいの!?」

「一気に押し倒すか誘惑して押し倒されればいいにゃ」

「そ、それってどういう!? あ、待って! 行かないで! 明石ちゃーーーん!!」

 

 倉庫に甲高い叫び声が響き、明石が再びうるさそうに嘆息を一つ。

 彼女が静かになるのには、長い時間がかかるようであった。

 

 

 



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『透色彼女』

 

 

たとえ、あなたが見えなくても――

 

 

 

 潮騒の音が、遠くで響いていた。

 

 かつて戦場だったあの海は、もう二度と戻ることはない。水平線を超えて轟く鉄の号砲も、海を染める緋色の血も、あの日の向こう側へと消えていく。

 ただ残っているのは、戦火の果てにある、静かな平和であった。いつも彼女らの声で賑やかであった学園も、絶え間なく騒音が響いていた倉庫も、今はもう誰もいない。

 執務室で一人、彼は遠くに見える水平線を見つめていた。

 

 時計の音が聞こえる。波の音が聞こえる。

 海を眺めるその瞳に映っているのは、決して開けることのない暗闇であった。

 

「指揮官さーん、お手紙だよー」

 

 そんな間延びするような声と共に、かちゃ、とドアの開く音がした。

 

「……ロングアイランド、か」

「んー、そう――……って、今、ここには私しかいないよ?」

 

 こてん、と首を傾げながら、彼女は背中を向けたままの指揮官へ問いかける。

 

「いや……一人のことを、考えていたから。そうだな、ここにはまだ……君が、いる」

「むー、なにそれ。私は指揮官が心配だから引きこもってるんだよー?」

「あはは、そうか……それはとても、嬉しく、思う」

 

 途切れ途切れの声で、指揮官が答えた。

 戦争が終わって訪れたのは、慣れるのに時間のかかる平和であった。かつて海の上で共に戦っていた彼女たちは日々の中へと姿を消し、道を違え、牙を向け合った彼女たちもまた、知らない何処かへと消えていく。

 果てに訪れた日常は彼女たちを連れていった。戦火の火は、もう灯されることはない。

 そんな中、彼女――ロングアイランドは、ただ一人だけ、鎮守府に残る事を選んでいた。

 

「それで、手紙っていうのは?」

「また偉い人からのやつ。戻ってこい、だってさー」

「……捨てておいてくれ」

 

 ふてくされたように呟いたロングアイランドが、手に持った封書を机の上に放り投げる。それに一瞥することも能わず、指揮官は彼女の声のする方へと振り向いた。

 

「戻る気、ないの?」

「まだ、何も終わっていない。全てまだ、残ったままだから」

 

 虚ろな瞳は、遠くのどこかを見つめているようだった。

 

「……ここには、皆の生きた証がある」

 

 そうして、指揮官が自らの足元へと目を向ける。

 床を埋め尽くすほどに散らばっているのは、いくつもの書類であり、そこに刻まれているのは、血と硝煙の染みついた、かつての灰色の記憶――『大戦』の歴史であった。

 もう見えなくなってしまったその爪痕に目を馳せながら、指揮官は重く呟く。

 

「俺は、皆の記憶を守らなければならない。彼女たちの生きた証を、残さなくてはならない」

 

 忘れ去られてしまうのだろう。語られぬ禁忌の歴史になるのだろう。

 けれどその灰色の瞳には、彼女たちの生きた「かたち」が克明に残っている。それを残すためには、相応の時間と覚悟が必要であった。

 

「そして、もう二度とこのような争いが起こらぬように、しなければならない。あの赤い海ではなく、かつて見たあの景色を――碧藍の、あの地平線を」

 

 人と人とが争うのではなく、人と人とが手を取り合うために。

 創り上げねば。二度と、彼女たちが失われないように。

 

「終わらせた俺達には、その使命があるはずだ」

 

 ――青い海を、思い出した。

 目を伏せ、まるで眠ってしまっているかのように地面を見つめる彼に、ロングアイランドが静かに寄り添った。決して短くない年月を経て細くなった肩へと手を添えると、その上から、折れてしまいそうな指が重ねられる。

 

「君もまだ、ここにいるのか?」

「うん」

 

 虚ろな瞳を覗きながら、ロングアイランドは頷いた。

 

「指揮官さんは一人じゃ大変でしょ? それに、ここにはゲームもマンガもいっぱいあるし! 理由をつけて引きこもるにはこれ以上ないくらいに快適なの!」

「ははは……君は変わらないな」

「ふふん、ロングアイランドは、いつまでも指揮官さんに憑りついてる幽霊さんなの! だから、見えなくても……見えなくて、も…………」

 

 崩れ落ちるように、彼女が指揮官へと体を寄せる。

 

「――見えなくても、ずっとそばに、いるからね」

 

 その呟きは、静かだった。

 細い指が、彼女の頬を伝う。その温もりを確かめるように、何度も、何度も。

 

「皆は、もう消えてしまった」

 

 過ぎ去った時は、彼の見る世界を大きく変えた。

 

「俺には、何も見えない。今を生きている彼女たちも、未来の彼女も――君のことも、全て」

 

 滑り落ちてしまいそうな手を、ロングアイランドは握りしめた。冷たい指先が、彼女の柔らかな温もりに包まれる。それは指揮官が感じられた、最後の暖かさでもあった。

 彼女の吐息が聞こえる。彼女の香りを感じる。彼女の鼓動が伝わる。

 

「けれど君は、ここにいる」

 

 ゆっくりと。

 彼女を確かに感じながら、指揮官は呟いた。

 

「ロングアイランド」

「…………うん。どうしたの?」

「渡したいものが、あるんだ」

 

 覚束ない指が、執務室の机を彷徨する。さまよう指は引き出しの小さな取っ手を弱くつかみ、その中から一つの小さな箱を取り出した。

 手のひらに収まるほどのそれを開くと、そこに指揮官が冷たい銀の感触を覚える。

 

「……いつ渡そうか、迷っていた」

「いつでもいいよ。だって私は、指揮官さんと離れるつもりなかったもん」

「そう、か」

 

 震える指先が、彼女の手を取る。

 

「長い旅になる。それでも、もしも君が、俺と一緒に居てくれるのなら」

 

 虚ろな瞳が、透色の彼女を映す。

 

「どうか、受け取ってほしい」

 

 静かなその問いかけに、ロングアイランドは指揮官の手を強く握った。

 銀の輪が通される。あまりにも簡単に指を包み込んだそれは、彼女の手の中で眩しすぎるほどに輝いていた。

 たとえそれが灰色の瞳に映らなくても、その輝きは煌々と。

 

「似合うかな?」

「ああ……君によく、似合っている」

 

 たとえ見えなくても、輝きを添えた君はとても綺麗で。

 

 彼女は、と笑っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん……」

 

 何てことは無い昼下がり、倉庫の片隅で、ロングアイランドは小さく声を上げた。

 

「……何してるにゃ、ロングアイランド」

「いやー、どう考えても不思議だなー、って思って」

 

 つんつん、と彼女の指先がつつく先には、透明めいた青い箱の形があった。

 一般にメンタルキューブと呼ばれるそれは、ロングアイランドを含めた艦を建造するために必要不可欠なものである。それはそれによって作り出された彼女自身も良く分かっているけれど、しかし彼女はどうしても腑に落ちないものがあった。

 

「こんな小さな箱から私たちができるの? だって私、このちっちゃな箱よりも大きいのに」

「にゃー……それはまた、少し専門的な話になるにゃ」

 

 倉庫の整理も終え、ヒマになった明石は彼女に付き合うことにした。

 

「そもそもその中に入ってるのはただの記憶にゃ」

「記憶?」

「にゃ。どこかの戦場で残された、誰かの生きた証。その記憶……まあ、言ってしまえばデータにゃんだけど、それをもとにして私たちは造られるのにゃ」

「じゃあ私たちはコピーで大量生産されてる、ってこと?」

「そう言う訳でもないにゃ。保持されるのはあくまで記憶。言うなれば下地だけにゃ。建造された後は、それぞれ個人個人の記憶がその記憶に上書きされるのにゃ」

「そうなんだー」

「ま、それくらいしか今のところは分かってないにゃ。まだまだソレには謎が多いにゃ」

「ふーん」

 

 珍しく物憂げな表情をしながら、ロングアイランドはそれに触れ続ける。微かに光を放つそれを見ると、彼女は見たことも無い記憶を思い描くのであった。

 

 証。

 記憶。

 彼女はまだ、生きている。

 それは長い旅で、ずっと一緒に。

 見えない。確かな、銀の光。時計の音。青い海。

 灰色と平和。碧藍の地平線。輝きを添えて、笑って。けれど君はここにいる。たとえ、あなたが見えなくても――

 

 ――――透色。

 

「大丈夫」

 

 頭より溢れるような奔流から手を離し、ロングアイランドが虚空を見つめて、

 

「どこにいても、ずっと一緒だよ」

 

 今まで感じたことのない、銀色の感触を思い出しながら、そう呟いた。

 

「ロングアイランド?」

「…………え?」

「いきなりどうしたんだにゃ。今すっごい乙女な顔してたにゃ」

「む、なによそれー。私はちゃんと乙女なのー」

 

 ぷくー、と頬を膨らませながら、ロングアイランドが眉を顰める。先程まで頭を支配していたあの灰色の景色は、その残滓だけを残してどこかへ消えてしまっていた。

 そうして再び、ロングアイランドが目の下の小さな箱へと視線を向ける。

 

「でもさー、どうしてこの人は私たちの記憶を残したんだろうね?」

「にゃ?」

「これに記憶が入ってる、ってことは、誰かが何かの為にのこした、ってわけでしょ? それなら、なんでその人はこれを残そうと思ったんだろう? こんな大変なこと、よくやる気になったよね」

「にゃぁ……それは明石には分からないにゃ……ただ」

「ただー?」

 

 

 

「それが、成すべきことだったから、じゃないかにゃ?」

 

 

 



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不知火ッ……お前、またこんなゴミ掴ませやがって……!……いい加減に……ぁ……? そ、その目、お前、からかうのもいい加減に…!…み、見てろ……大人ってのを分からせてやる……!……この、このっ……!

一週間も遅れたけど雪風が来てくれたのでSSに雪風を出していい権を獲得しました


 

 鎮守府の片隅――小さな購買所で、重たい溜息がまた一つ。

 

「どうなさいましたか?」

「……また外れた。これで二十回目だ」

「それではもう一度お買いになられますか? 見たところ、まだお金は残っている様子……」

「いい。これ以上は予算を超えるから」

「それはそれは」

 

 軽くなった財布を見て、不知火がにっこりと笑みを浮かべる。指揮官のそれとは対照的に膨らんだ包みは、不知火の小さな手の上に、ずん、と偉そうにのっかっていた。

 装備箱と呼ばれるそれは、文字通り艦の装備が中に入っている箱型の装置であった。正確には対応した装備を開発できる『核』のようなものが入っており、それを改造して初めて装備と成り立つ、というのは明石の談である。

 けれどおかしなことに中身は全くの秘密であり、開けてみなければ何が入っているのか分からない始末。効くところによれば、メンタルキューブだのかつての遺産だの、何やら不思議な技術を応用しているらしいが、指揮官にとってみれば、それは悩みのタネ以外の何でもなかった。

 そして、通常は大本営から一定の頻度で配給されるその装備箱を、不知火はなぜか指揮官に高額で売り飛ばしていた。

 

「本日も、指揮官さまは運が悪いようで……」

「運の問題じゃないと思うんだがな」

「あら、妾を疑うのですか……? ですがそれは必然でございます。妾は言い方ひとつならいざ知らず、身の振る舞いでも欺いている嘘吐きにございますから……」

「……いや、言い方が悪かった。俺の運が悪いだけだな」

「ふふふ……指揮官さまは、そう言って下さるのですね」

 

 珍しい方、と不知火は、困ったような顔をする指揮官の顔を眺めていた。

 

「しかしなあ……もう少し、値段がどうにかならないのか」

 

 いくらか軽くなった財布を吊るしながら、指揮官がぼやく。

 

「どうにもございません。これで艦隊の設備が整うのであれば、妥当でありましょう」

「……本当か?」

「…………」

 

 押し黙る不知火に、指揮官は財布の中からもう一箱分の金額を取り出した。

 

「これで、どうだ」

「…………本当に、指揮官さまは大うつけでございますね。これを聴いて何になるというのやら」

 

 そう語りだした彼女の瞳は、とても虚ろなものであった。

 

「妾達の陽炎型は、姉妹が多いのはご存知でしょう?」

「ああ。皆、元気な子たちだ」

「……ですが、彼女らもまだ幼き赤子。甘味の類も、それ相応に欲しがります。ですが陽炎姉さまは妾たちが誇る陽炎型の長女。そんなあの子に、このような仕事など任せられるでしょうか」

 

 目を伏せて話す不知火の背中が、指揮官にはとても小さなものに見えた。

 

「妾はあの子とは違い、陰でありますので……それに、これで妹たちは喜んでくれるのです。それであれば、陰のような妾がこのような仕事をするのが妥当であるかと」

「……君は」

「はい。陽炎型二番艦、不知火にございます」

 

 淡々と語る不知火に、指揮官が何ともいえない無言で返す。すると指揮官はおもむろに財布を片手で持ち上げたかと思うと、不知火の前の机に、その中身を盛大に撒き散らした。

 いきなりの指揮官の行動に、不知火のぼんやりとした目が見開かれる。そんな彼女を気にするわけでも無く、指揮官は隣に置いてある装備箱をかき集めていた。

 

「気が変わった。ここにあるものを全て貰う」

「……指揮官さま?」

「釣りはいい。君も、美味しいものでも食べるといい」

 

 両手で抱えるほどの装備箱を持ちながら、指揮官が購買所を後にする。

 未だに驚きが抜けていないまま、不知火はそんな彼の背中をぼうっと見続けていた。

 

 

「何と、あの指揮官がそのような事をか」

「はい……何か変なものでも食べたのございましょうか」

 

 鎮守府の寮の一室。こまごまとした喧噪の中で、不知火と陽炎はそんな事を話していた。

 

「浦風さま! 磯風のこれと、そのお菓子、半分こしましょう!」

「……それ、食べかけよね。交換するならその手を付けていないのにして」

「は、浜風ちゃん、谷風と一緒に食べ合わせっこしない……?」

「いいよ。じゃあそのチョコがついたのを」

「あーいいなー! 谷風、雪風さまにも食べさせるのだ! ほら、あーん! あーん!」

「ゆ、雪風ちゃん……!? ちょ、ちょっと待っ……」

 

 わちゃわちゃとお菓子を囲む妹たちを眺めながら、不知火はとても不思議な顔をしていた。確かに妹たちが喜んでくれるのは、不知火にとって唯一の喜びである。けれどその元である指揮官は、どうしてそのような行動に出たのだろうか。不知火にはそれが分からなかった。

 そんな彼女を横目で流しながら、陽炎が袋に分けられた菓子を口の中へ放り込む。

 

「しかしまあ、指揮官がこれを見たらどうなるかの」

「別に、何も言わぬでしょう。あの大うつけさまにそのような事を考える頭はありませぬから」

「ほぉ? 随分と分かったような口を聞くではないか」

 

 にやにやといやらしく笑う陽炎に、不知火は溜め息で返した。

 

「違います。あのお方は、もともとおかしいお方なのですよ」

 

 呆れたように首を振る彼女に、陽炎がほう、と興味を示す。

 

「毎度損を分かっていながら、あのお方は私の所へいらっしゃるのです。それはもう、酒を飲まされた鴎のように。いなくなったかと思えば、またふらりふらりと私のところへ……こんな私がいるところです。二度と来たくは無いはずなのですが」

「なに、あやつも遊びでやってる訳ではなかろうて」

 

 肩をすくめる陽炎に、不知火は少しだけ眉を顰めた。

 

「それに、あやつくらいの寡黙ならば、不知火も苦手ではなかろう? なに、いずれ彼もそなたに惚れるであろうに。悪い男ではないと思うぞ?」

「からかうのは止してくださいませ」

 

 ぴしゃりと打ちとめたその言葉は、きゃっきゃっとした喧噪をどこか遠いものに感じさせた。

 

「妾は陰でございますれば」

 

 そうして、不知火が自らの頭の上に載った兎の耳へと手をかける。はりぼてのように軽いそれはいとも簡単に外れてしまい、そこで隠し留めてあった艶やかな黒髪を宙へ躍らせた。

 かかる前髪を翻し、紅の双眸を覗かせる。袖に隠してあった紐を後ろの髪で結うと、尾のような黒い束が、彼女の首に合わせて揺れた。

 

「こうして……しまえば、誰だか分からぬでしょう。不知火のことなど、誰も覚えていないのですから」

 

 赤い瞳を持った、見知らぬ長い髪の少女は、そう静かに呟いた。

 

「この愚妹めが。どのような姿であっても、そなたは吾輩の自慢の妹。不知火に他ならぬ」

「……姉さまは、そうでしょう」

 

 それは艦の記憶でもあるし、駒と素体としての関係でもある。陽炎の二番目の妹は不知火であるし、不知火の唯一の姉も陽炎以外に在り得なかった。

 

「けれどあの人には分からぬはずです。こうして姿かたちをすげ替えてしまえば、分からぬ存在だというのに……妾はそれまでの存在なのに……、どう、して」

 

 その時だった。

 こんこん、と軽く戸を叩く音が、不知火と陽炎の耳へ流れ込んでくる。会話の流れを遮られた二人は、しかし不思議そうな視線を扉の向こうへ向けた。

 そして、聞こえてくるのは

 

「俺だ」

「…………は?」

 

 いくらか沈んだ声の、指揮官の声であった。

 

「指揮官? 指揮官だ」

「その声は……磯風か。となると遠征班は全員いるな? 今入っても大丈夫か」

「ええと……陽炎姉さま、いいでしょうか?」

「うむ、よいぞ」

「いけません。今はいけませんよ。ええ。いけません。入って来てはだめでしょう」

 

 自分でも驚くほどに声を荒げながら、不知火が立ち上がる。そのまますごすごと妹たちの間を抜けてドアの前へ立つと、その取っ手を押さえつけながら扉の向こうへと語り掛けた。

 

「そもそもあなたはどうして女子寮にいらっしゃるのですか。やはりあなたは大うつけでございますね。そこまでして憲兵に連れていかれたいのなら止めることはしませんが」

「差し入れのコーラを持ってきた。菓子ばかりでは喉が渇くだろう」

「それはありがたいことですが、それならば部屋の前に置いてしまえばよろしいでしょう」

「……いつもこういった事が出来ないんだ。たまには顔を合わせて返そうと思ったんだが……」

「うむ、良いぞ。入ってくると良い」

「か、陽炎姉さまっ」

 

 思わず扉から手を離し、不知火が後ろの陽炎へと声を荒げる。奥の方で座っている陽炎は、とても面白そうな、また何か新しいおもちゃを見つけたような、悪戯めいた笑みを浮かべていた。

 かちゃ、と扉の開く音がする。

 

「…………」

「…………」

 

 いつもより不知火は静かで、けれどその頬は赤く染まっていた。

 

「不知火か」

「…………ああ、やはりお入りになられたのですね。まったく、年頃の女子の部屋に強引に入ってしまうとは……やはり指揮官さまはつける薬もない大うつ」

「お前、雰囲気変わったな。綺麗だぞ」

「――――」

 

 ぽかん、と。

 言葉を遮られたまま、不知火は口を開けて固まっていた。

 

「……ああ、そうだ。これ、コーラだ。ちゃんとみんなの分ある。分けて飲むんだぞ」

「わぁ……指揮官さま、ありがとうございます」

「ふん、来るのが遅いのだ! 雪風さまのこと、忘れてたんじゃないだろうな?」

「悪かったよ。でも忘れるわけないだろ」

「指揮官さまー、磯風コーラの瓶開けれないよー」

「磯風、あなたねえ……」

「いや、いい。持ってきたのは俺だからな。浦風のも貸してみろ」

 

 妹たちの喧噪は既に不知火の耳には入っていなかった。ただ彼女を満たしているのは、どうしてそのような言葉が出てくるのかという疑問と、今すぐ海の真ん中へ逃げ出したいほどの羞恥であった。

 やがて、ふるふると体を小刻みに震わせながら、不知火が後ろを振り向く。

 

「ほら、不知火の分もあるから」

「…………貴重な資源を妾に使うなんて。明石へ相談しに行きましょうか」

「俺は直すところなんてどこにもない。それにな、こういう時は素直に取っておくといい」

 

 小さな手に冷たいコーラの瓶を握らせて、指揮官が不知火の横を抜ける。彼女の赤い二つの瞳は、その横顔を映し続けていた。

 ふと、彼の動きが扉の前で止まる。

 

「不知火」

「いかが、いたしましたか」

「……その、もし良かったらで、いいんだが」

 

 少し恥ずかしそうにして、指揮官が頬を掻きながら。

 

「また、その姿を見れたら、嬉しく思う」

 

 それだけ残して、かちゃ、とドアを閉める音がした。

 後に残っているのは、指揮官が入ってくる時と変わらないわちゃわちゃとした騒ぎ声。けれど不知火がその場から動く事は無く、業を煮やした陽炎は溜め息を吐いて、彼女の側へと歩み寄った。

 ぽー、と心あらず、と言った様子の愚妹に、一つ。

 

「すけべ」

「なっ、何を……すけべはあちらの方でございましょう。こんな少女体型に興奮しながら、あんな逢引のような誘いを持ちかけるなど……不埒の極でございます。やはりあのお方は救いようもない大うつけ。いずれ檻の中で一生を暮らすことになりましょう」

「だがぬいよ。そなた満更でもなかったろう」

「うぐ……」

 

 にやにやと笑う陽炎に何も言い返せず、不知火が紅潮した頬を隠すように顔を背ける。

 胸の高鳴りは、しばらく止むことはなさそうだった。

 

 



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みんなの前でしましょうか?っつって目の前で超絶濃厚でそのまま致すんじゃねえかみたいな赤城さんと指揮官とのベロチューを見せつけられる二航戦の子たちかわいそう

お前このタイトルだと誰の話か分からねえって


 

 こんこん、とドアが優しく叩かれる。

 

「……姉さまだ」

「ん、そっか。入ってくれ」

 

 加賀の言葉と同時に、ペンを走らせていた指揮官が扉に目を向ける。それと同時に執務室の中に入ってきたのは、何枚かの書類を手にした赤城であった。

 背中まで広がる艶やかな黒髪に、紅を差した鋭い、しかし色のある瞳。そして何よりも特徴的だったのは、頭の上に生えている尖った耳と、九つの尻尾であった。

 

「指揮官様、遠征に行っていた子たちの報告書を持って参りました。ご確認をお願いしますね」

「ありがと。助かるよ」

「いえ、これくらいは秘書艦として当然の務めです。何かお困りでしたら、何なりと赤城にお申し付けくださいませね?」

 

 にっこりと、目を細めながら赤城が指揮官の瞳を覗き込む。すると彼女は執務机の後ろへ回り込むと、座ったままの指揮官の両肩へ手を置いた。

 

「ふふふ……指揮官様、お疲れではないですか?」

「ん、大丈夫。だからそんな気使わなくてもいいよ」

「あら、そうですか……では、失礼いたします」

 

 少しだけ残念そうな顔をして、赤城は指揮官の肩から手を退ける。けれどそこから離れる気はないらしく、赤城は指揮官の隣に立ち続けながら、彼の横顔をじっと見つめていた。

 紙の上をペンが走る。隣で書類の整理を行っている加賀も何も言わない。

 続く沈黙に耐えかねて、指揮官が思わず口を開いた。

 

「赤城」

「はい、赤城はここに」

「何か近くない?」

 

 無駄に広い執務室、そこだけ人口密度が偏っていた。

 

「私は指揮官様をお慕いしておりますから」

「答えになってなくない?」

「そうでしょうか? 本当はもっと指揮官様とお近づきになりたいのに……」

 

 割と素でこんな事を言う赤城に、指揮官は眉間に指を当てた。

 

「……まあ、赤城がいいならいいか。ごめん、変な事を」

「いえ、そんな事はありません。指揮官様がおっしゃるのなら、赤城はそのように致しましょう。私は指揮官様の言葉なら、何にでも従うつもりでありますので……ふふふ…………」

 

 助けを求めるように指揮官が加賀に視線を向けるが、彼女も彼女で顔色一つ変えず、黙々と仕事をこなしている。彼女のメンタルも相当のものであった。

 

「ですが、赤城も少し困っていることがあるのですよ」

 

 割と指揮官も現在進行形で困っているが、艦隊の監理をするのもまた、指揮官の役目であった。

 

「どうしたの?」

「はい。私は指揮官様を愛していて……指揮官様も、私を愛してくださっていますよね?」

 

 割とスルーするのは勇気が要るが、赤城が嫌いか、と言われれば指揮官は首を強く横に振った。

 

「それなのに、どうして……どうして、なのでしょう」

 

 とても困った、不満そうな顔で。

 

 

「どうして私は、指揮官様との子宝に恵まれないのでしょうか?」

 

 

 ………………。

 

「加賀」

「知らん」

「加賀」

「知らん私は何も知らん」

「指揮官様? どうして加賀の方を見るのですか?」

 

 くい、と両手を頬に当てながら、赤城が指揮官の顔を覗く。その瞳には、とても強い圧がかかっていた。

 

「いやその……あぁ、いや…………え……? うそ? お前マジ?」

「指揮官様、何か知っておられるのでしょうか? まさか、他の子に何か――」

「いや、赤城の思ってることは無い。ほんとに。それは赤城が一番良く知ってるはずだ」

「……それも、そうでしたわ。申し訳ありません。指揮官様を疑うようなことをしてしまって」

 

 トイレと風呂とか以外はほぼ赤城といっしょの生活である。赤城もそれは重々理解していたらしく、少しだけ安堵した様を見せて、指揮官の頬を離した。

 しかし指揮官のほうは未だに理解が追い付いておらず、ぼんやりとしたまま赤城の顔を見上げていた。

 

「……あら? 指揮官様、私の顔に何か?」

「いや……」

 

 指揮官と赤城との仲は、決して短くはないものだった。

 セイレーンの進行を止めるべくして構成された連合組織、アズールレーン――その中の重桜でもかなり高い位置に存在する艦、赤城。滅ぼされた人類の中で、成り上がって指揮官に圧しだされた彼は、そんな彼女の運用を任されていた。

 最初は無理だと思っていた。指揮官どころか、軍に入るだなんて思ってもいなかったのだ。このまま逃げ出したいと思ったときもあった。

 けれど、彼はそこに居た。いついかなる時でも、彼女と共に居た。

 戦友としての絆、と言えばそうなのかもしれない。もしかしたら、それはまた別の何かなのかもしれない。けれど、偶然によって出来たその力は、赤城と指揮官との繋がりをより一層強いものにしていた。

 そして、赤城の方は――彼の事を、心の底から愛していた。それこそ、彼に目に見えて分かるように。そして、それが拒まれていないということも知っていた。

 なのに。

 

「……もしかしたら、私の愛情が足りないのかしら? けれど、私は指揮官様のことを想って……おかしいわ。ええ、不思議……どうしてしまいましょう?」

 

 今まで知らないでいて、あの振る舞いである。呆れを通り越して、指揮官はかつてない心配と不安に包まれていた。

 なんと声をかけていいか迷っていた時、ふと今まで黙っていた加賀が口を開く。

 

「姉さま、飛龍と蒼龍の改装が済んだようです。迎えに行ってやってください」

「あら、ありがとう加賀。それじゃあ指揮官様、赤城はこれで……」

 

 すんなりと加賀の言葉を呑みこんで、赤城は執務室を後にする。

 後に残った加賀と指揮官がお互いの顔を見合わせ、先に口を開いたのは加賀の方だった。

 ため息とともに、言葉が漏れる。

 

「……私たちは、戦いの中でしか生きてこられなかった。それは、あなたも理解しているだろう?」

 

 重たく語る加賀に、指揮官が頷く。

 

「弱き者は淘汰され、強き者だけが生き残る。ここはそう言う世界で、私たちはそのために此処に居る。だから、他の事を知らなかった。知る事なんて、許されていなかった」

「……けれど、あれではあまりにも」

「ああ。常識離れしているだろうな。だが、我々が常識の範疇に居ると思うか? 人の力から溢れ、あのような化物と戦う我々に、ヒトと同じような常識を求めるのか?」

 

 問いかける加賀の眼には、強い意志が込められていた。

 

「……あのような姉さまは、見たことが無かった。あれだけ満たされ、幸せそうな姉さまは……本当に、初めて見たのだから」

 

 何もない天井を仰ぐ加賀は、どこか昔の灰色の記憶を思い出していた。

 

「あなたにだって感謝はしているんだ。姉さまを満たしてくれるのなら、それはどのような形であれ、正しいことなのだろう」

「……いまいち、実感が持てないけれど」

 

 目を伏せる加賀に、指揮官が答える。

 

「加賀がそこまで言うのなら、それは確かに受け取っておこう」

「……何だ、その私が固いような物言いは」

 

 むすっと頬を膨らませる加賀に、指揮官がおかしいように笑った。

 

「まあいい。とりあえず私の仕事は終わった。帰らせてもらうぞ」

「ん、ありがと。ゆっくり休……む前に、ちょっといい?」

「何だ。私は忙しいんだぞ」

 

 面倒くさそうに頭を掻きながら、加賀が指揮官の方へ振り向く。

 

「赤城は子供の作り方を知らないんだよな」

「……まあ、そうだな」

「加賀はそのことを前々から知ってるんだよな?」

「ああ。姉さまと一緒にいるから、それくらいは」

 

 ふむ、と指揮官が首を傾げた。

 

「……加賀ってさ、どこで」

「今ここで首を落とすか、口を閉じるか、どっちがいい」

 

 向けられた青い札に、指揮官が急いで口を閉じる。尋常じゃないくらいに冷や汗が出ていた。

 けれど加賀もやはり分かっていたのか、溜め息を一つ吐きながら手を下ろす。そうしてしばらく考え込んだ後に、少し躊躇いがちになりながら口を開いた。

 

「……重桜の中にも、そういった奴らはいる。私はたまたまだ。たまたま」

「たまたま」

「話はもういいか? まったく、くだらん……」

 

 そっぽを向いたままで、加賀が執務室の扉を強く締める。ばたん、と音を立てた扉を見て、指揮官は困ったような笑みを浮かべていた。

 

 

 加賀は思い悩んでいた。

 無論、先程の事である。あの時は思わず指揮官という立場に対して無礼な態度を取ってしまったが、考えてみればそれはあまり加賀らしくない行動だったのだろう。

 少しの後悔と自責に苛まれてふらふらと鎮守府を歩いていると、ふと加賀は廊下の遠くに自らの姉の姿を見た。

 

「姉さま」

「あら加賀。もうお仕事は終わったの?」

 

 そこには敵意も熱望も籠っていない、純粋な赤城の笑顔があった。

 

「ええ。これで本日の分は終わりました。指揮官にも暇ができるかと」

「そうなの……ふふふ、それはいいことね…………」

 

 先程の笑みとは一変し、ぐちゃぐちゃになった何かを含ませて赤城が笑う。

 そんな彼女に、加賀はふと思い立って口を開いた。

 

「姉さまは、指揮官との子供が欲しいのですか?」

 

 その問いかけに、時間はいらなかった。

 

「もちろん。指揮官様と私との、愛の結晶なのよ? それさえあれば、私と指揮官は永遠に一緒に……もう、離れ離れになることなんてないわ」

「そう、ですか」

 

 その笑顔は加賀が見たこともないほどに満たされていた。目の前の姉は、とても幸せそうで――それこそ、加賀が憧れるほどに、輝かしく映っていた。

 それがこのままずっと続くのなら。その姉が、幸せになれるのならば。 

 加賀は。

 

「姉さま、すこし話が――」

 

 

 その夜、指揮官は実家の犬を思い出していた。

 もふもふとした肌触りのいい毛並みに、かわいらしく自分にのしかかって来る姿。きらきらした眼はこちらを覗き込んで、興奮しながら立てている鼻息は、とても荒い。

 もふもふとした毛並み。自分にのしかかって来る姿。きらきら――とは言えないけれど、こちらを覗く瞳。興奮したような鼻息。

 

「指揮官様……? お目覚めに、なられましたか……?」

 

 犬ではないけれど、指揮官の真上に乗っているのは、黒い狐であった。

 

「赤城? 何してるんだ?」

「申し訳ありません……本来ならば、指揮官様が眠っている間に済ませようと思っていたのですが」

 

 目を伏せて首を振る赤城に、指揮官は首を傾げたまま動かなかった。動けなかった。

 手繰る腕には細い指が絡みつき、彼女の華奢な体が指揮官の上へ。完全に動きを封じられた指揮官は、目の前に迫る赤城を止める術を持ち合わせていなかった。

 吐息がかかるほどの距離に近づきながら、赤城がにっこりと目を細める。

 

「指揮官様、私、分かったんです」

「何を?」

「……ふふ、ふふふふふふ…………」

 

 そうやって笑みを浮かべながら、赤城は指揮官の耳元へ、

 

「赤ちゃんの、つくりかた、です」

 

 そう、囁いた。

 

「加賀に教えて貰ったのです。ああ、私ったら愚かだったのですね。やはり、愛するのなら、それ相応の行動をとらなければ。赤城は未熟者でした……でも、指揮官様は許してくれますよね?」

 

 許す許さない以前の問題ではないと思う。眠気のはざまで、指揮官はそんな事しか考えることが出来なかった。 けれど赤城はそんな事すら露知らず、身にまとった黒い浴衣をはだけさせながら、指揮官へ顔を近づける。

 

「さあ指揮官様、力を抜いて、くださいませ……全て、赤城に任せて…………」

「あか、ぎ」

 

 何もできずに言葉を放つけれど、指揮官の頭にあったのは、拒絶ではなく許容であった。

 彼女に全てを包まれる。あの細い指に、艶やかな黒の髪に、艶めかしい流れるような目に、全てを支配されるのだ。けれど、彼はそれを良しとした。それが赤城の望むものなら、指揮官はそれに応えるだけだった。

 

 そして。

 

 

 唇に、ほのかな甘い香りが広がった。

 

 

「…………」

「…………」

 

 …………。

 

「は?」

「うふふ……これで、指揮官様は私のもの……指揮官様と私は、永遠に一緒になるのですね……」

 

 唇の甘い感覚を反芻しながら、指揮官が思考を回転させる。驚きすぎて眠気が吹き飛んだ。

 言ってしまえば、それは軽い口づけだった。それも出来たての恋人がするような、初々しくも甘い、穏やかなもの。指揮官の想定していたそれとは程遠い、優しいキスだった。

 けれどそれで満足したのか、赤城は指揮官の上で笑ったまま、何度も確かめるようにして唇に指を当てる。

 

「……赤城? ええと……、その、さ。加賀に聴いたって?」

「そうですわ。加賀が教えてくれましたの。本当の子供の作り方、というのを」

 

 そろそろこの艦隊は駄目なのかもしれない。思わず指揮官は顔を手で覆った。

 けれど考えてみれば、それは当然の事であった。ただでさえ戦いの場に身を置いている艦たちなのだ。それらが噂している情報が全て正しいわけではない。そう考えると、加賀が勘違いをしてしまうのも、おかしな話ではなかった。

 ならば、ここで正しいことを教えるのが指揮官の役目なのだろうか。それで赤城は満たされるのだろうか。そうすることが、本当に彼女の幸せなのだろうか。

 指揮官が赤城の事を理解するには、まだ長い時間が必要らしかった。

 

「……赤城」

「はい、いかがいたしましたか?」

「その恰好じゃ寒いだろ。ほら、布団入って」

 

 横のほうをぽんぽんと叩くと、赤城がすっぽりと指揮官の横へ入って来る。ふわふわの尻尾は、指揮官の冷えた体をほどよく包んで温めてくれた。

 

「……尻尾って、いいな」

「今日はお手入れに時間をかけましたから」

 

 体にかかる尻尾のうちの一つに、指揮官が指を梳く。指の間を通る毛並みは、さらさらと心地よい感触を与えてくれた。

 

「赤城はそんなに、俺との子供が欲しかったのか?」

「ええ。もちろんですわ。欲しくて欲しくて、たまりませんでしたの」

「……どうして?」

「そんなもの、決まっています」

 

 指揮官の顔を見つめながら、強く。 

 

「指揮官様のことを、愛しておりますから」

 

 そう語る赤城は、とても満たされた笑顔を浮かべていた。

 




大学始まったりオリジナル書き始めたんで投稿する頻度遅くなります
ゆるして


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なあ綾波…みんな心配してるし、そろそろ外…ひっ…ご、ごめん……そうだよな、綾波も頑張ってるし…悪かったよ…だから物を投げるのは…きょ、今日の分のおやつ、置いとくから…気が変わったら、出てきてくれよな…

これから隔週くらいになると思います


 

 白い波の音が聞こえる。

 

「綾波」

「問題ない、です」

 

 潮風が、白い髪を揺らす。ぴりぴりと肌を焼くような感覚を、透き通るような一瞬の緊張を、綾波は全身で感じていた。

 

「いくら演習っても、気だけは抜いちゃいけないからな」

「綾波がそう見えますか?」

「はは、悪い。愚問だったか」

 

 からからと笑うクリーブランドに、綾波もつられて口元を緩める。けれどその眼光は鋭いまま、二人は同じ海に立つ同胞へと視線を向けていた。

 今回の演習は半ば模擬的なもので、新たに編成された艦隊の試験のようなものらしい。それに抜擢された綾波とクリーブランドは、けれどどこか軽い調子で、時間まで言葉を交わしていた。

 剣を水面に立てて座り込む綾波に、クリーブランドがしゃがんで語りかける。

 

「アレが完成すれば、私たちの『大戦』も終わるんだろ?」

「……だと、いいですけどね」

「でもなあー、それだと今後の身の振り方とか、考えないといけないしな。戦争が終わると、やることも無くなっちゃうし……私たち、ここでの生き方しか知らないからなぁ」

「じゃあ……クリーブランドは、戦争が終わるのは嫌、ですか?」

「まさか。あんなもん、早く終わってほしいと思ってるよ」

 

 その言葉に、綾波はどこか水に浮くような、心が浮遊する感覚を覚えた。

 戦争が終わり、この戦場も消えていく。それはとても素晴らしいことなのだろう。この世界の誰もが望み、待ちわびた未来なのだろう。

 けれど、どうしてか、綾波はそれが怖く感じた。そこでなくては、生きられないような気がして、それが奪われるのがとても寂しく、惨めな思いになった。

 暗い色は、泡の様になって、戦いの渦に溶けていく。

 

「……そろそろ時間です」

「だな。よっし、頑張るか!」

 

 しゃがんだ膝を勢いよく伸ばして、クリーブランドが高く声を上げる。それと同時に綾波も剣の柄に手をかけると、かきん、という子気味の良い音と共に、ふたつの短い剣へ分けた。

 

「クリーブランドは援護をよろしく、です」

「いいぜ、存分に暴れてきな」

「……頼もしいです」

 

 白い剣を両の手に握りながら、綾波がだんだんと姿勢を低くする。

 暗くなりかけた心も、沸き立つ闘争心も全て駆け抜けるように消え、残ったのは研ぎ澄まされた、紙縒(こより)のような平穏のみ。それは綾波がいつも感じている感覚で、未だに綾波の心を落ち着かせるものだった。

 紅の瞳が、揺れる。

 

「……行くです」

「ああ」

 

 すぅ、と綾波は息を吸い込んで――

 

「ポッキィィィーーーーーーーゲェェェーーーーーム!!!!!」

「は?」

 

 ブゥン!

 

「デュクシ!! デュクシデュクシ!! デュクシュッシュッ!! デュクシ!!デュクっ」

 

 

「あのさあ」

「大丈夫です」

「その……何? どうした? 何かストレスとかそういうのは」

「大丈夫です」

「何か辛かったら言ってくれよ? 本当に、綾波が頑張ってるのは分かるからさ」

「大丈夫です」

「お前も色々背負ってるのは理解してるつもりだし……何だったら、長い休みも、欲しけりゃやるから。気負わなくてもいいんだからな?」

「大丈夫です」

 

 心配そうな視線を向ける指揮官に、綾波は真顔でそう返していた。脳裏にはまだ、獣耳を生やした、ヴァーチャルな男性が「むずぅー……むっ、難しい問題じゃよね」と苦言を呈していた。

 

『綾波の艤装って、なんか色々できそうだよねー』

『双剣っぽいしな。鬼神化とか綾波っぽいじゃないか』

『……でも、綾波はランスですから』

『あーそうだよね……あ、でもアレは?』

『アレ?』

『音割れポッキーゲーム』

 

「綾波」

「聴いてるです」

「何か最近辛いこととかあったのか? それかイライラしてるとか」

「特にないです」

「でも俺、クリーブランドがあんなに怖がってるの見たのは初めてだぞ?」

 

 『しっ、指揮官っ! あ、あや、あやなみ、綾波がおかしくなっ、わた、私っ、どうしたらいい、か、わかん、なくて……ど、どうしよう…………しきかん……ど、どうしよぉ……ぅ、ひっぐ……、ぅえ…………』

 

「すみませんでした」

「謝るならちゃんとクリーブランドにな? 一応演習のデータ採取が成功したのも、あいつのお蔭なんだから」

 

 最早問題はそこにとどまるものではなかったが、指揮官はそう言うことしかできなかった。何か病気の時に見る熱と同じ様な、そんな違和感を感じていた。

 けれど綾波本人が言う通り、彼女は普段とは変わった様子もなく、ただいつものようにとろんとした瞳でこちらのことを見つめている。そしてこれもいつものように、その奥にある瞳の色は、指揮官は分からなかった。

 

「あー……まあ、何だ。綾波。自分で気づかない疲れ、っていうのもあるからな。一週間は休んだらいい。こっちで申請も済ませて――」

 

「嫌、です」

 

 遮るように、綾波の小さな言葉が響く。その変わりようのない表情に、指揮官は、とても触れない、理解できないような、どろどろの暗いものが見えた。

 

「ど、どうしてだ? お前、ここのところ毎日出撃してるじゃないか」

「……闘えないのなら、そっちの方がマシです。毎日出撃できるなら、綾波はそれでいいです」

 

 どこかぼんやりとしたその物言いに、指揮官は首を捻るだけしかできなかった。そんな彼を導くように、綾波の小さな唇が動く。

 

「……指揮官は、この戦争が終わると思いますか?」

「無論、そのつもりだ」

 

 そのために此処に居る。もう二度と血を流させないよう、悲しみを繰り返さないように、ここにいる。

 けれど指揮官の強い瞳とはまるで違って、綾波のそこに灯っているのは、弱々しく灯る、蝋燭のような光だった。

 

「じゃあ、この戦争が終わったら、私たちはどうなるです?」

「どうなる、って」

「私たちが行きつく先は、どこになるのですか?」

 

 その問いかけに、指揮官はすぐに答えることはできなかった。

 

「綾波は、闘うことでしか生きてこられませんでした。私がいられるのは、あの海だけです。あそこでしか、私は私でいられないです……」

 

 喪失のような虚ろが、綾波の心を満たしていた。それは未だに埋まる事は無く、ただあの海の、血と硝煙とがまじりあったあの戦場でしか、満たされる事はないように思えた。

 彼女は、縋る。消えていく同胞たちに、流れていく血と骨に。

 

「……たぶん、みんなはどこかへ行ってしまうのです。この戦争が終わってしまったら、あの海には誰も戻ってこないのです」

「それは、そうかもしれない」

「けれど……わがまま、です。綾波は悪い子、です。このまま戦争が続けばいい、って思ってしまってる、です。それはいけないことで……みんなが、望んでいない事です」

 

 自分の身体を抱きしめるように、綾波が自らの左腕を握る。今ではそれすらも無為なことで、自分の身体の感覚もすでにどこかへを消えてしまいそうだった。

 脳裏に孤独が蘇る。暗闇の中から手を伸ばす者は、誰もいない。あるのは紙縒の様に研ぎ澄まされた静寂で、それは綾波が恐れ――けれど、望んでいた光景で。

 

「――それでも、一人は、いや……!」

 

 掠れるような独白が、彼女の空白に響いていた。

 

「……行かせて、ほしいです」

「綾波?」

「私を、戦いに征かせて、ほしいです。そうなるなら、綾波は何だって、します」

 

 机を挟んで、綾波が指揮官へと迫る。覗き込むようなその双眸には、先程の蝋燭の灯は在らず、まるで全てを焦がしたような、焼け爛れた灰色が映っていた。

 顔と顔とが触れ合いそうな距離になって、指揮官と綾波が口をつぐむ。そこにあるのは圧されるような静寂で、それは綾波としての一つの悲願でもあった。

 白い波の音が。

 あの戦場の音が、聞こえていた。

 

「……お前が、そうしたいのなら」

 

 やがて口を開いたのは、指揮官のほうだった。

 

「お前がそうしたいのなら、何度でも海に出す。お前がそれで満たされるのなら、俺はいつだってお前を征かせてやる」

「……ありがとうございます」

「けれど」

 

 彼女の肩に手を置きながら、指揮官は綾波の事を見つめていた。

 

「もし、それでも戻ってきたかったら……その時は、お前の居場所を作ってやる。もうお前が独りにならないように、皆で受け入れられるような、そんな居場所を作ってやるから」

 

 両の手で、彼女を離さないように、彼女の小さな肩は、手を離せば二度と戻ってきそうになくて、それを離すことはとても勇気のいることのように思えて。

 

「だから、生きて帰ってこい」

 

 それだけしか、指揮官は信じることができなかった。

 二度目の静寂が流れる。けれど先程から聞こえてくる波の音はどこか遠く、時計の針の音だけが綾波の耳へ入って来る。それは綾波が遠くで望んでいた事で、二度と手が届かないように思っていたものだった。

 

「わかり、ました」

 

 縋りつくような、震える手を握りながら、綾波がそう答える。

 

「……綾波、すこしだけ自分の場所がわかったかもです」

「いいさ、少しだけでも。お前がお前でいられるのなら、それで。そうなれるなら、俺は何だってできるから」

「……やっぱり、綾波は悪い子です。こんな事にも、長い間、気づかなかったですから」

 

 そう語る彼女の瞳には、透き通るような色が灯っていて。

 

「綾波は、もう一人じゃなかったんですね」

 

 その言葉を何度も噛みしめるように、綾波は笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「委託斑、戻りましたー」

 

 独特な間延びした声と共に、指揮官と加賀が同時に扉へと視線を向ける。そこに在ったのは軽巡洋艦の長良の姿で、彼女はまだ執務室の空気に慣れていないのか、少し恥しそうな笑みを浮かべていたまま、その場で立ち竦んで居た。

 それを確認したのか、加賀が机の上に置いてあった包みを手に取って、長良へと歩み寄る。

 

「ご苦労だった。軽食を用意してあるから、皆で分けて」

「わあー、ありがとうございます! ちなみに中身は……」

「……握りだ。ちゃんと人数分あるから、心配しなくてもいい」

「はい――あ、でも、今はちょっと……」

「ん? …………ああそうか、そういえば今回の委託は綾波がいたな。けれどいい。後で彼女の分も作っておく」

「ありがとうございます! 伝えておきますね」

 

 包みの代わりに委託の報告書を受け取った加賀が、再び指揮官の隣でペンを走らせる作業へ戻る。そうして彼女たちの会話を聴いていた指揮官は、ふと隣の加賀へと口を開いた。

 

「綾波、どうしたんだ」

「ん? ああ、指揮官は知らないのか」

 

 何かを思い出したように、加賀が語りだす。

 

「あいつはな、たまに一人で海に残ってるんだ」

「……それ、ちゃんと報告してくれよ。で、何で」

「何……というのは、私にも分からない。けれど、彼女はあそこに居る方がいい、とは言っていたな。そこがあるべき場所だ、とも」

「驚いたな。いつもおとなしい子だと思っていたけど、そんなこと」

「……大人しい? 彼女が?」

 

 おかしいように、加賀が笑みを浮かべる。それは海の上で見るそれと同じようだった。

 

「そう、だな。ここでは見えない景色もあるのか。そうか、あいつが大人しい、か。あの鬼の子が、か……くく、私よりも海を愛しているあいつが、か……」

「……どういうことだ?」

「なに、お前はあいつが海の上でどうしてるのか知らないのか?」

 

 そう、加賀は恍惚にも似た、艶やかな笑みを浮かべて。

 

 

 

「あいつは海の上で……私たちの戦場で――笑っているんだよ」

 

 

 

 



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『灼きついた記憶』

 

 

 あなたは、瞳に焔を映した。

 

「…………は?」

 

 湧き上がる黒煙と、くすんだ鉄の匂いが、あなたの鼻孔を貫く。胸にずん、と響くような轟音は鳴りやむことを知らず、突き抜けるような初夏の青空だけが、いつもと同じ顔であなたの事を見下ろしていた。

 あなたは、海の上に立っていた。それはあなたにとっては見飽きた日常で、こうして戦いの中へ身を置くことすらも、あなたにとっては至極当然のことだった。あなたの知る全ては、この海の上だけに存在していた。

 

「……ここ、は?」

 

 あなたは、何かを確かめるようにして、自らの両手へと視線を下ろす。いつのまにか血が滲み、最早感覚すらも消え去ったその手は、けれどいつものように、あなたの意のままに動いていた。

 砲撃の音がどこか遠くに聞こえる。まるで、あなただけが置き去りにされているようにして、その世界は存在している。そこは誰かが見た灰色の世界で、あなたの知らない世界だった。

 

 そして――証は、灼きつけられる。

 

「あ、がぁ……っ!? う、ぁ……ぐぅ……っ……!」

 

 頭の中をぐちゃぐちゃに掻き回されるような、喉の奥から全てを吐き出すような、そんな全身が粟立つ感覚だった。急激に襲ってきたその感覚に、あなたは崩れるようにして、深い海へと体を斃した。

 喚くような響きが聞こえる。誰かの慟哭があなたを貫く。もう二度と手の届かないとこへ行く彼女たちが、あなたの心を空白で満たしていく。

 視界が歪む。脳内を、灰色の奔流が駆け巡る。

 そうして導き出された答えは、誰かの記憶の中にあった。

 

「…………ね、え、さま?」

 

 それは、既に海へ消えた名だった。

 

「赤城先輩……? 加賀先輩……!?」

 

 それは、既に海へ消えた名だった。

 

「……皆、沈んだのか……? ぼくが――飛龍だけが、残っ、て……」

 

 それは、今ここに在る、あなたの名だった。

 

「そんな、ッ! どうして!? 姉様!? 先輩!?」

 

 吐き出された叫びに返って来るのは、鐵の砲弾だった。

 倒れているあなたの身体を掠めてゆく黒い鉄は、あなたの身体を吹き飛ばし、内蔵が揺れる感覚と、全身に千切れるような痛みを感じさせた。

 

「が、はッ……ご、ぼ……」

 

 口から溢れる赤い液体を手でとどめながら、あなたは困惑の中で立ち上がった。それはまるで、定められた末路のような、そんな意志を感じさせた。

 戻ることは許されない。逃れることも、許されない。

 かつての同胞は深い海の底へと帰し、二度と見えることも許されない。

 残ったのはたった一人だけ。いずれ海に消える、あなただけ。

 

 そう、あなたの記憶が――誰かの証が、告げていた。

 

「沈む――の、か? 僕は、こんな、こんなところで……」

 

 既に頬が破れていることも、視界が既に半分潰れていることも、その記憶は全て知っている。もう彼女たちと会うことが出来ないことも、その先に待つ結末も、全てあなたに刻み込まれている。

 足元に見える海は昏きを増し、まるであなたを誘わんとして、波の向こうで揺らめいていた。

 

「……ぼくは、ここで、沈む…………今、ここで……」

 

 水面に映るあなたは、まるでこちらへ手を差し伸べるようで。

 飛龍は、ここで尽き果てる――と。

 記憶の中で、あなたはそれを知っていて。

 

「…………いや、だ」

 

 あなたは、それを受け入れ――

 

 

 

「嫌だッ!」

 

 

 

 ――追憶の果て、あなたは運命に抗った。

 

「艦載機、発艦始め! ()べッ!」

 

 叫ぶ言葉と同時に、轟音があなたを支配する。舞い上がる艦載機たちは、まるで死にかけた鳥の様に、けれどその勢いは銃弾のようにして、舞う黒煙へと向けられる。

 既に半身は動かず、頭もどこか夢の様にぼうっとしていて、視界もほとんど灰色へと塗り替えられる。ここで戦ったとしても、いずれ沈んでしまう運命なのだろう。

 けれど。

 

「まだだ! まだ終わりなんかじゃない! ぼくはまだ、ここにいるんだ!」

 

 あなたの果ては、ここにある。あなたの望みは、ここで尽きる。

 

「それ、でも! それでも、ぼくはッ!」

 

 ひゅん、と風を切る音が、ひとつ。

 飛んでゆく札は迫り来る鐵を切り裂き、あなたの背後に二つの水飛沫を上げた。

 

「ぼくはまだ、沈まない! たとえ一人でも、誰もいなくても、ぼくは――ぼく(飛龍)は、ッ!」

 

 

 

 

 

 

    「 () () ()―― () () () ()! 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――、ッ!?」

 

 がばり、と布団を翻す音が、寮の一室で響く。

 窓から差し込む月明かりが、額の汗を映し出す。夜の冷たい風は昂った飛龍の身体へ叩きつけられて、今ここに体があることを実感させた。

 

「はぁ……っ、が……ぁ、あ…………ぅ、ぐぁ、っ……」

 

 胸の鼓動は止むことを知らず、どくん、どくんと体を熱くさせる。胸元の肌着を乱暴に握りしめながら、何度も確かめるように、飛龍がもう片方の手のひらへと視線を下ろす。自らの意志どおりに動くそれは、何かに怯えるように小刻みに震えていた。

 

「夢……? いや、違う……夢、なんかじゃない。これ、は――」

 

 ――証。

 忘れられぬようように灼きつけられた、誰かの生きた証であった。

 

「一体、何が……」

 

 理解の追い付いていない頭を押さえつけようとしたところで、飛龍はその先に妙な感触を覚えた。

 

「……耳?」

 

 それは、白い兎の耳であった。飛龍の頭の上でぴょこんと跳ねているそれは、いつも通り飛龍の上で、けれど感じたこともない不気味な感触を飛龍へと伝えていた。

 

「なんで、艤装も付けてないのに……」

 

 重桜の艦の特徴として、動物の特徴の一部が身体に顕現する、といったものがある。

 大まかな理由は不明であり、発端も艤装を装備すると何か生えてきた、という適当なもの。けれどそれはいつしか普遍的なものになって、戦いの中に生きている艦にとっては、強さを与えられるのであれば何ら不都合のないことであった。

 

「どうして?」

 

 ただ、このときばかりは、飛龍はその疑問を振り払うことができなかった。

 目元の上あたりまで垂れてくる白い毛並みをつまみながら、飛龍は首を傾げたまま。けれどそれに返す者は誰もおらず、ただ頭の中には、さっきまで見ていた夢――否、誰かの証が灼きついていた。

 喪失。孤独。そして、昏い海。

 

「……少し、風でも浴びてくるか」

 

 敷かれた布団から這い出て、夜風の吹く方へ。静まり返った寮の中は、飛龍に一人ということを感じさせる。ぼう、と光を放つ、廊下にいくつも並んだ窓の向こうには、それぞれぼんやりと光る満月が海の上で浮いていた。

 そして、暗闇に隠れた時計は、六月六日を過ぎた頃を指していた。

 

 

 月明かりは冷たく、潮騒の音は飛龍の耳へと確かに伝えられる。鎮守府から突き出したような堤防へ腰を据えると、飛龍は履いてきた下駄をそばに置いて、その海面へと自らの素足を滑らせた。

 ちゃぷちゃぷ、と静かな水音と共に、飛龍の足に冷えた感覚が走る。夜の海はまるでひとりぼっちになったように冷たく、けれど心地いい感覚を飛龍へと教えてくれた。

 

 ――暗闇へと、心が沈んでゆく。

 その覚悟が無いという訳では無かった。あのときの誰かの記憶は、それを受け入れていた。飛龍にはそれが、どこか満たされたもののようにも思えた。

 けれど、飛龍は孤独になる事を望んだ。先征く者の後を追うのでは無く、ただ前へ前へと突き進む事を。あの時に飛龍ができることは、ただそれだけのようにも思えた。

 後を追う事は許されない。そして、二度と戻る事も許されない。

 飛龍はただ一人、赤い海の上で果てるのだろう。

 

「それでもぼくは……それを、選んだんだ」

 

 そんな、感じたことのある孤独を思い出して――

 

「――飛龍?」

「わぁっ!?」

 

 唐突に聞こえたその声に、飛龍は体をびくん、と震わせた。

 

「し、指揮官? なんでこんなところに……」

「それはこっちのセリフだ。とっくに消灯時間は過ぎてるぞ?」

 

 呆れたように息を吐きながら、指揮官は飛龍へと訝しげな視線を向けた。

 

「……ちょうどさっき仕事を終わらせてな。そろそろ俺も寝ようと思ったら、寮からお前が出て行くところが見えた」

「それで、ぼくのことを追ってきたんですか?」

「そりゃそうだ。規律違反は違反だし、それに……お前がこんなところへ一人で来るなんて、絶対に何かあるに違いない。そう思って」

 

 長い時間は、二人のことを強く繋ぎ止めていた。

 

「まあ、無理に話せとは言わないさ。でも何か、俺に出来ることがあるなら、力を貸そう」

「……少し、難しいです……ああいや、指揮官が力になれないって言う訳じゃなくて、何と言うか、その……」

「ゆっくりでいい。良ければ聞かせてくれ」

「…………時間を、ください」

 

 優しく微笑みかける指揮官に、飛龍が一瞬だけこくりと黙り込む。足元で揺れる水面は、飛龍の心にできた空白を現しているようで、その向こうに映る飛龍の顔は深い昏きに染まっているようだった。

 踏み出すのが、少しだけ怖い。それは怯えではなく、未知へ対する畏怖で、逃れられることはできなかった。

 やがて。

 

「――夢を見たんです」

 

 恐る恐る、飛龍は語り始めた。

 

「夢? それは、どんな?」

「姉様と、赤城先輩と、加賀先輩が沈む夢。それと、ぼくも。でも、それはぼくじゃなくて……いや、違う、あれはぼく(飛龍)……? 誰かの夢? それとも……」

「分からないなら、それでいい。話すことで落ち着くなら」

「……よく、分かりません。夢の中の景色をぼくは見たことが無かったんですけど、でも夢の中のぼくはそれを覚えていたんです。決して忘れないように」

 

 思い出されるのは、紅の海の記憶。朧げなそれは、けれど飛龍の心に忘れることのできない何かを灼き付けていった

 

「それで、どうしてか知らないけれど、夢の中のぼくは、それを――沈むことを、受け入れていたんです」

「受け入れる?」

「はい。もう、どうにもならない、って思ってて。自分も、姉様たちと同じところで沈むのか、って。それ以外に選択肢なんてなかったんです」

「……お前らしくは、ないな」

 

 励ますように口にする指揮官に、飛龍はうっすらと儚げな笑みを浮かべた。

 

「そうでしょう? だから、ぼくは嫌だ、って言ったんです。こんなところで沈まない……沈むわけにはいかない、って」

「……それで?」

「分かりません。気が付いたら、目が覚めてましたから」

 

 あはは、とおどけたように笑う飛龍に、指揮官がふむ、と顎に手を当てる。

 

「まあ、夢だな。現実味がない。お前が沈むなんて思ってもいないし」

「もちろんぼくも、そのつもりですよ。ただ……」

「ただ?」

「……とても、怖かったんです」

 

 普段は見せない弱々しい表情の飛龍に、指揮官が思わず目を見開いた。

 

「怖い?」

「はい。ぼくは一度、そこで沈むことを受け入れたんです。もう、誰にも会えない……たった一人で、沈んでいくんだって、思って。それが、ぼくの……いや、飛龍の運命で……! あの日、初夏の空……姉さまたちは、沈んで、ぼく、だけが……っ!」

「……飛龍?」

「ああ、ぃ、嫌だ! 嫌だッ! まだ、ぼくは沈みたくない! まだ、ぼくはやれるんだ! 戦えるんだ! 一人でもまだ戦える! 姉様たちも、先輩たちも沈んだんだ! もう、ぼくだけしかいないんだ! ま、だ! まだ、沈まない……ぼくは、まだ――」

 

「飛龍ッ!」

 

 灰色の奔流から、あなたを呼ぶ声がした。

 

「……し、き、かん」

 

 掴んだ肩は少し力を入れてしまえば折れそうで、おぼろげな瞳のまま呟く彼女の声は、風に吹き飛ばされそうなほどに儚いものだった。

 そんな彼女を強く見つめながら、指揮官が口を開く。

 

「お前はここにいる」

 

 飛龍の心に、空白ではない何かが映り込んだ。

 

「暗い海の底でも、誰かの記憶の中でもない。お前は今、俺の腕の中で――泣いているんだから」

「……ぇ?」

 

 小さく漏らした飛龍の瞳から、雫がはらりと舞い落ちる。その輝きを指ですくうと、指揮官はゆっくりと飛龍の身体を抱き寄せた。

 優しい感触だった。夜空を見上げる飛龍の瞳に、暖かな色が戻っていた。

 

「あ、れ? なん、で……ぼ、く……」

「……いい。好きなだけ泣け。こんな夜だ、誰も見る奴なんていない」

 

 その言葉に、包み込まれて。

 

「う……ぁ、ああ、…………――っ!」

 

 頬を伝う涙が、月明かりに照らされる。

 夜の海に、縋るような慟哭が鳴り響いた。

 

 

「落ち着いたか?」

「……すみません。見苦しい様を」

「いいんだ。それで飛龍の悩みが晴れるなら」

 

 薄暗い鎮守府の中を二人で歩みながら、飛龍が申し訳なさそうに目を伏せる。涙の痕は既にどこかへと消えさり、飛龍に残っているのは穴があったら入ってしまいたいほどの恥ずかしさだった。

 

「それで、どうだ? もう寝れそうか?」

「はい。本当にありがとうございます。こんな所まで付いてきてもらって……」

「別にいい。お前の力になれたのなら、何よりだ。それよりも」

 

 と、指揮官が、ぺこりと頭を下げる飛龍に指を指して。

 

「さっきからずっと気になっていたが、その耳は?」

「え? あ、これですか? それが、ぼくにも分からなくて」

 

 自らの頭の上で跳ねている白い耳へと手をやって、飛龍がおかしそうに首を傾げた。

 

「艤装はもちろん外しました。他の人がこうなった、って言うのは聴いたことが無いですから……こんな時間に明石の所へは行けませんし」

「ふむ……何か、心当たりとかは?」

「あったらとっくに言って……」

 

 そう言いかけた途端、飛龍は全身を覆うような、気味の悪い感覚を覚えた。

 

「……夢」

「え?」

「夢を、見ました。夢を見た後に、気が付いたら、これが生えていたんです。いや、逆? 夢を見たから、これが生えて……?」

「ふむ……」

 

 そう考えこむ指揮官をよそに、飛龍はまた、どこか遠くへ行ってしまいそうな、空くような孤独を感じていた。喪失にも似た、そんな空白が、彼女の心を満たしていた。

 ふらふらと体が揺れる。それはまるで、どこか深くに落ちてしまいそうで――

 

「……違う」

「飛龍?」

 

 ぽつりと呟いたその言葉に、指揮官が首を傾げた。

 

「付き合っていただいて、すみません。ぼく、もう寝ますね」

「……ああ。また、明日の朝」

「はい、また。おやすみなさい」

 

 未だ不安が残った顔の指揮官を後に、飛龍がくるりと踵を返す。そうして自らの寝室へと歩いていく最中、飛龍の背中でまた、静かな足音が鳴り響いた。

 月明かりだけ残る廊下は先が見えないほどに暗く、夜闇から現れた孤独が、再び飛龍を包み込む。それはどこかで感じたことのあるもので、飛龍の頭の中に、紅の海と灰色の空が浮かび上がった。

 

「……また……っ」

 

 灼きついた記憶が、再びこちらへと手を差し伸べる。

 迫る運命を、飛龍はまっすぐと受け止めて――

 

「――――ぼくは、君とは、違うッ!」

 

 誰かの記憶が、崩れ落ちた。

 

「沈まない……たとえそれが運命だとしても、諦めたりしない!」

 

 空白は消え、そこに光が灯る。それは誰も見たことのない、目がくらむほどの明るみで、そこから差し込む輝きが、飛龍の胸をだんだんと満たしていた。

 受け入れることも、それから逃げることもしない。

 ただ一つ、彼女が選んだのは、それに抗う道だった。

 

「君が成し遂げなかったことを、ぼくがやってみせる。君が望んだ道を、ぼくが進む」

 

 孤独はどこか背中を押すものに変わって。

 

「ぼくは、今ここにいる。だから――」

 

 

 

「ぼくはまた、あの人の所へ帰るんだ」

 

 暖かな感触を、思い出した。

 

 



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翔鶴ぅ……翔鶴……ッ……あ、ぁ、目……ッ……そんな目で見られたら……ううっ……お、俺、もうダメ……で、出ちゃう……ッッ!!!!!!! ア”ッ!!!! オ”!!!!! ン”ォ”ッ”!!!!!

三塁にしました


 

「あれ、指揮官?」

 

 何てことはない、休日の午後だった。

 共用の小さな寮舎へ足を踏み入れようとしたとき、入れ違いだったのか、開いた扉を挟んで、瑞鶴が俺へそんな声をかけてきた。見るにこれからどこかへ出かけるらしく、いつもの白い着物を羽織ったまま、彼女は俺へと不思議そうな視線を向けていた。

 

「どうしたの?」

「少し翔鶴に用が」

「あー……そっか。うん、翔鶴姉なら縁側で休んでるよ」

「助かる」

 

 扉の向こうに広がる和風の休憩室の、さらに奥の方を親指で示しながら瑞鶴はそう答えてくれた。けれどその声色はどこか弱いもので、彼女の訝しげな視線は俺へと向けられたまま、しばらく動くことはなかった。

 寮舎から出てくる彼女へ道を譲りながら、どちらも語らないことしばらく。じとっとした視線を浴びせ続けてくる彼女は、やがてしびれを切らしたように肩を落とし、重い息を吐きながら俺へと語り掛けてきた。

 

「その、さ。指揮官」

「何だ」

「……いろいろと、頼むよ」

 

 聴くと、瑞鶴はやきもきしたような雰囲気で頭を軽く掻いた。

 

「……それは」

「みんなはもう前線の方に行っちゃってるじゃない。それこそこんな小さな基地、いつ用無しになって解体されるかも分かんないし。そうなったら私だって、もっと前の方の基地に行っちゃうかもしれないでしょ?」

「そうだな。よく分かってるじゃないか」

「……だから、頼れるのは指揮官だけ。あなたしか、翔鶴姉にはいないんだから」

 

 そんな瑞鶴は、まるで何かに縋るような、何かが来ることを恐れているような、そんな弱々しい表情を浮かべていた。

 

「……姉ちゃんはさ、ああ見えてとっても意地っ張りなんだ」

「ああ」

「いっつも赤城先輩や加賀先輩の背中を追って、そのくせして自分のことは後回しで。よく口が悪かったり、腹黒いとか言われるけど、本当は優しいお姉ちゃんなんだよ?」

「知ってるさ。これだけ長く一緒に居たんだ」

「だから……こんな今みたいな状況になったのも、本当は私のせいなのに……私が、間に合ってれば……なん、で……! 翔鶴姉は、ずっと笑ったままで……どう、して……!」

「……違う。お前のせいじゃない」

「違わない! 私が付いていれば……っ、私が翔鶴姉を守ってあげられた! なのに、どうして!? どうして、私たちは……また同じことを繰り返すの!? もう、嫌だ……翔鶴姉だけが傷つくのは、もう、見たくない……私は、私は……!」

 

「――――瑞鶴」

 

 両肩をしっかりとつかむと、彼女は震えた眼で、俺のことを見上げてくれた。

 頬を伝う涙が、地面へと落ちてゆく。空になった瞳が、彼女の心の空虚を映し出しているようで。そんな彼女は、俺も、翔鶴も望んではいなかった。

 

「お前が気負うことじゃない。翔鶴もそう言っていた」

「……それでも、私は自分が許せない」

「けれど、お前がそうでは……彼女のほうが、悲しんでしまう。俺だって、彼女が悲しむ姿はもう見たくない。瑞鶴だって、それは分かってるだろ」

 

 自らの全てである青い海を失ったとして、他に彼女に何が残るだろうか。戦いの中でしか生きられない彼女は、果たして何を希望にして生きてゆけばいいのだろうか。

 白い鶴が、夢の様に儚く映っていた。

 

「……ごめん。そっか、そうだよね。翔鶴姉の分も、私が頑張らないと」

「それでいい。それなら、彼女も笑ってくれるはずだから」

「でも、指揮官も……あまり、無理はしないでね。それこそ指揮官がいなくなったら、翔鶴姉、何するか分かんないんだから」

「……肝に銘じておく」

「お願いよ。だって、翔鶴姉は――」

 

 こつん、こつん、と。

 ()()が、聞こえてきた。

 

 俺と瑞鶴の会話を遮るようにして、そんな地面を鉄で叩くような音が、扉の向こうから俺の耳へと入ってくる。まだ慣れていないのだろう、断続的に響き渡るその音は瑞鶴の言葉を遮り、その顔に再び虚ろを思い出させていた。

 開いた口を、瑞鶴はつぐむ。そうして、彼女は一瞬だけ、灰色めいた表情のままで、俺の方へ向き直り、

 

「呼び止めちゃってごめんね、指揮官。私、もう行くから」

「……ああ」

「姉ちゃんのこと、幸せにしてあげて」

 

 ――私には、できなかったから。

 小さく動く唇は、そんな言葉を紡いでいるような気がした。

 

「あら、指揮官?」

 

 扉の向こうから姿を現したのは、壁に体を寄せながらこちらを覗く翔鶴であった。

 白い髪は寂れた羽のように透き通り、ふらついた体は今にもどこかへ飛んで行ってしまいそうで。壁にもたれかかりながらこちらを見上げる翔鶴の足先には、彼女の細い両足――ではなく、()()()()()()()()がふたつ。それが、今の彼女の身体を支えていた。

 こつ、こつ、と固い音を立てながら、翔鶴が壁を伝ってこちらへ歩み寄る。

 

「瑞鶴と会いましたか?」

「……ああ。さっき、少しすれ違ったよ」

「そうなんですね」

 

 くすくす、と翔鶴はどこかおかしそうに笑っていた。

 

「あの子、忙しいはずなのに、ああやって会いに来てくれるんです。私の事なんか放っておいて、もっと前線に出て行けばいいのに」

「……そう、思うのか?」

「はい。瑞鶴はもっと出来る子なんですよ? だってこんな私なんかより、もっと――ぁ」

 

 ふらり、と。

 倒れてしまいそうな、どこかへ行ってしまいそうな彼女へ、思わず手を差し伸べた。

 

「……翔鶴?」

「すみません、まだ慣れていなくて」

 

 俺の腕の中で、恥ずかしそうに笑みを浮かべる彼女の体は、まるで鳥の羽のように軽く感じられた。それが、彼女と言う存在そのものを表しているようにも思えた。

 

「立てるか?」

「はい……大丈夫、です」

 

 こつ、こつ、と。

 無骨で、とても軽い金属音を鳴らしながら、翔鶴は壁へ体を寄せた。

 

「ありがとうございます」

「別に気にするような事でもない。それより、中で少し話でもしよう。その方が君にとっても落ち着くだろう?」

「そう、ですね。丁度、おいしいお茶を貰ったんです。指揮官さえ良ければ、二人で……」

 

 そうやって笑う彼女の左目には――決して開けることのない漆黒が、映っていた。

 

 

 縁側に座って、海を眺めるのがここ最近の彼女の日課であった。

 

「翔鶴」

「…………指揮官? どちらに?」

「こっちだ」

 

 動かない左目を向けたまま、翔鶴は首を動かして俺の方を見上げていた。

 そんな彼女の隣に座りながら、盆にのせた湯気の立つ湯呑みを彼女へ。暖かい、けれど少し苦いような香りを感じながら、俺も湯呑みを手にとって、その中の熱い液体を一つ口に含んだ。

 

「お茶まで運ばせてしまって、すみません」

「気にしなくてもいい。その体じゃ不便だろう」

「ありがとうございます……それで、どうでしょうか」

「……美味いな。重桜のか」

「はい。赤城先輩が送ってくれたんです。そんなに気を使わなくてもいいのに」

 

 どうしてでしょう、とため息を吐きながら、翔鶴も同じようにして湯呑みを傾ける。初夏の日差しが、彼女の透き通る様な髪を照らしつけていた。

 

「それで、指揮官」 

 

 柔らかな呼びかけに、ふと顔をそちらへ向ける。

 

「こんな不出来な艦に、今更どのような用事ですか?」

 

 いつも変わらない、毒舌というか、少し皮肉めいた言い回しが、今ではとても脆いものに感じた。そんなことを言う彼女が今まさに何処かに行ってしまわないか、とても不安に感じた。

 

「別にこれと言ってない。ただ、ヒマだから話をしに来ただけだ」

「あら、それは意外です。てっきり解体の通知かと思いましたから」

「そんな事は、決してない」

「ふふっ、指揮官はそう言って下さるのですね」

 

 呆れたような、けれどおかしいように、翔鶴は彼女らしい笑みを浮かべていた。

 

「こんな(マト)にもならない艦船、早く解体してしまえばいいのに」

「俺ができると思うか?」

「いいえ、全く。だって、指揮官(あなた)なんですから」

 

 まるで、悪戯が上手くいったような、そんな子供らしい笑みであった。

 

「私のような、何もできない艦船と話してくれるような人ですもの。今更、そんなことをする度胸があるかどうか」

「……まあ、事実だな。けれど、度胸がない、って意味じゃない」

 

 無責任な励ましの言葉を掛けるわけでもない。けれど、彼女自身を否定するわけでもない。

 ただ俺が求めているのは、そのままの彼女であって。

 

「お前と、一緒に居たいから」

「…………」

 

 暗い左目からは、何も感じられなかった。

 

「……損な人ですね、指揮官も」

「お前と一緒に居て、損だと思った事は無い」

「こんな欠陥船と一緒に居て、ですか?」

「ああ。お前とここまで居られたことを、とても嬉しい、と思っている。幸せだとも」

 

 曇りの無い、本心からの言葉であった。彼女と共にいられるなら、全てを投げ出せる覚悟があった。

 そして――彼女と添い遂げる覚悟も。

 

「……指揮官?」

 

 上着の懐から取り出した箱を見つめて、翔鶴が不思議そうに首を傾げる。

 

「それは?」

「……何、と言って良いのかは分からないが……指輪だ」

「指輪? どうしてですか?」

 

 ……本当に、理解していなかったのか。

 

「結婚、と言えば分かるか?」

「結婚……ですか? 指揮官と」

「お前が、だ」

「私が、ですか」

 

 いまいち、どうしてか雰囲気がぎこちない。晴れない雰囲気に箱を弄りながらどうしたものか、と思索に耽っていると、翔鶴はくすくす、と小さく笑い始めた。

 

「お前なあ」

「ふふっ、だって、おかしいんですもの。艦船と結婚するなんて言い出す人、初めて見ましたから」

 

 すぅ、と笑みを消して、翔鶴は自らの足先を見つめていた。

 

「こんな、人にすらも足りえない欠陥品に、そんな事を言うなんて」

「違う。お前だから、この選択をしたんだ」

「……ずるい人。本気にしてしまいますよ?」

「俺は元々そのつもりだ」

「そう、ですか。それなら――」

 

 また、彼女の身体がふらつくのが、視界の端で見える。

 そうして次に感じたのは、肩に優しく寄りかかる、暖かな感触だった。

 

「……ねえ、指揮官」

「どうした?」

「これからも、翔鶴を傍に置いてくれますか?」

 

 崩れ落ちてしまいそうな彼女の肩を抱いて。

 

「ああ。お前が朽ちるまで、ずっと」

 

 ――鈍い銀の光は、あっけなく彼女の指で輝きを取り戻した。

 左の薬指に嵌められたそれを、翔鶴はただじっと見つめていた。その表情には曇りも、ましてや喜びもなく、ただ目の前の事象を捕らえるので精いっぱいのような、そんな不慣れなものが浮かんでいた。

 やがて、どうにかして絞り出したように、翔鶴が小さく唇を動かす。

 

「――……不思議な感覚、ですね」

「嫌だったか?」

「いえ、そうではないですけど……とても、嬉しく感じます。それと、満たされたような」

 

 言葉を聴くことはできなかったけれど、彼女の笑顔はとても眩しかった。

 

「それで」

「……それで?」

「どこまで、されるんですか?」

 

 含みのある深い笑みで、彼女がこちらへ問いかける。その答えにはとても迷ったけれど、やがて口にした言葉は、俺の心からの思いであった。

 

「……共に、行けるところまで。一緒に」

「はい。それなら、私はあなたの側に」

 

 ――やがて朽ちる、その時まで。

 お互いの瞳を見つめ合いながら、二人で向き直る。

 

 

「私には、あなたしかいませんから」

 

 

 そう薄く、儚いような笑みを浮かべている彼女の唇を、俺は――

 

 



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『テセウスの船』

 

 扉を開くと、そこにあったのは、こちらを覗く虚ろな金の瞳であった。

 

「よ、指揮官」

「……勝手に座るなって言ってるだろ」

「なんだよー、少しくらいは労わってくれてもいいだろー?」

 

 執務室の椅子にふんぞりかえりながら、何やら外に見える夕暮れ色の海をみていたらしいダウンズは、こちらに視線を向けながら、いつものような明るい笑みを見せていた。そんな自由気ままな秘書艦の隣へ立って、少しの溜め息を吐きながら、手にした書類を机の上へと放る。

 

「……ん、なんだそれ」

「気になるなら見てみるといい」

「ほーい」

 

 机に手をかけてもたれながら呆れたように言ってやると、彼女はその小さな手で書類を掴み、書類へと目を通していった。

 

「今回の海域の戦闘報告書だ」

「……あー…………」

「被害報告がまだ一つ、残っているようだが?」

 

 少し力を込めて言うけれど、当の本人は両手を頭の後ろへ回しながら、わざとらしくそっぽを向いていた。

 

「し、知らねえな。あたいは被害だと思ってないぜ? 本人が気が付かなかったら仕方ねえんじゃねえか?」

「……カッシンが言っていたぞ。お前が被弾したって」

「だーっ! なんであの姉はこういうところで!」

 

 寧ろ、姉だからこそ妹の被害を気にするものだろうが。

 それに気づいていないらしい彼女は机にばたりと伏せながら、横たわった瞳で書類を眺めていた。おそらく姉の字なのだろう、被害艦の欄には丸っこい字でダウンズとだけ書かれており、それ以外には何も書かれていなかった。

 そんな白紙の欄を指でとんとんと何度も叩きながら、ダウンズが気だるそうに口を開く。

 

「だいだいさぁ、こんなもん、もう意味ないじゃん」

「どういうことだ?」

「いまさらあたいの傷が増えたって、関係ないでしょ?」

 

 そう言って彼女はおもむろに、身に着けた白いシャツをまくり上げて――その下に刻まれた、いくつもの傷を俺の視界へ映した。

 既に色を失った傷は、まるで何かを縫い付けたように全身に跨って存在して、その小さな体を半分――否、それよりも多く支配している。刻まれたその証は痛々しさを感じさせて、しかし俺はそれから目を離すことができなかった。それは、彼女を否定しているような気がして、彼女を拒むことは、俺には出来る筈も無かった。

 けれどダウンズはその痛みを感じるそぶりも見せず、片手で下腹部から左胸へとかかる火傷の痕を細い指でなぞりながら、上目使いで俺へ金と紅の双眸を向けていた。

 

「ほらほら、もっと見ていいよ?」

「……止めろ」

「指揮官がそういう趣味だったら、あたいも付き合ってあげなくないけど」

「止めろ」

 

 強く良い放つと、ダウンズは不満そうに口を尖らせながら、捲った布を元へ戻した。

 

「何さ、あたいの裸くらい何度も見てるだろ?」

「修理するたびにな。けれど、俺はお前のそんな姿はもう見たくない」

 

 長い時間というのは、全てを変えていった。俺達を囲む環境も、俺自身の心情も、そして彼女の身体も。それは決して否定できることでもなく、戻ることもできないものだった。

 負った傷を自慢しないようになったのは、半分を超えてからだった。刻まれた戦いの歴史を自慢げに語っていた彼女は、自らの瞳を失っても、何も言うことはなかった。自らの身体が別のものへと変わっていくのを、彼女は淡々とそれを受け入れていた。

 見開いた眼を、しかしいつものように細めながら、ダウンズが軽く笑う。

 

「なんだよ指揮官、あたいみたいな女の裸には興味ないか?」

「そういう意味じゃない」

「じゃあ何さ、もっと綺麗でいてくれ……って言うのか? あたいみたいな存在に、戦うな、って言って――」

 

「ダウンズ」

 

 震える声を遮って、彼女の名前を告げる。

 それが避けられないことを知っていたのだろう。けれど、そうやって受け入れる彼女は、いつ消えてもおかしくなくて、彼女が、だんだんと何処かへ消えてしまいそうで。

 

「……お前を失いたくない」

 

 彼女の頬に手を添えながら、虚ろな金色を覗き込む。小さな波の音はどこか遠くに聞こえていて、それがどうしてか、俺の心へ強く残っていた。

 視線の交錯と、しばらくの静寂。流れる時間が、どろどろになって溶けていく。

 

「……わ、わかった! わかったからっ!」

 

 ふと我を取り戻したかのようにダウンズは俺の手を振り払い、頬を膨らませながら机へと向き直る。顔に差した紅は、夕日のものか、それとも――結局それは、俺には分からなかった。分からない方が、幸せのように思えた。

 

「きゅ、急にそんなこと言わないでくれよ。こっちだって焦るだろ?」

「本心だ」

「ああもう……指揮官、あたいみたいなヤツにそんな気ぃ使ってたら疲れちまうよ?」

「知らん。それが俺の仕事だ。そして、これを書かせることも」

 

 胸にしまってあったペンを取り出しながら、それをダウンズの前へ転がす。放り出されたその黒いペンを、彼女は渋い顔をして取り上げながら、未だに白く空いた書類へと向き直る。

 けれど、その手が動くことは、無いように思えて。

 

「ダウンズ?」

「………………」

 

 やがて彼女は持った筆を、静かに机の上へ降ろした。

 

「やっぱり嫌だ」

「お前」

「――……嫌、なんだ。傷を負うのが。傷を負って、この体を直すことが」

 

 ぽつりとつぶやかれたその言葉に、思わず続く言葉を呑みこんだ。ゆっくりと振り向いた彼女の瞳には、まるで助けを求めるような、縋るような色が映っていて、造られた片方の眼へ手を当てながら、ダウンズは途切れ途切れに話してくれた。

 

「あたい、さ……もう、分かってるんだよ」

「……何を?」

「もう二度と、元に戻れないってこと」

 

 沈みゆく夕陽を眺めるその瞳には、どこか懐かしむような色が差しこんでいて。

 太陽にかざした彼女の左手には、無機質な鉄の骨格が透けていた。

 

「戦って、直して、また戦って、また直して――気が付いたら、こんなに遠くまで」

「ああ。お前と共に歩めたことを、誇りに思う」

「嬉しいよ、あたいにそんなこと言ってくれるなんて」

 

 本気の謙遜なのだろう、いつもの彼女からは想像もつかないような、しおらしい笑みをダウンズは浮かべていた。

 

「でも……やっぱり、怖いんだ。上手く言えないんだけど……あたいが、あたいでいられないかもしれなくて。いま、ここにいるあたいも、本当のあたいか、時々分からくなる、から」

 

 自らの左目を抑えながら、ダウンズが天井を見上げて呟く。何の含みも無い、からっぽの機械の駆動音が、彼女から幽かに聞こえてきた。

 

「海の上に立ってるからには、傷つくのは覚悟してる。沈むことだって。怖く、なんかないさ。この海の上にもう一度立てるんだから。できるところまで、行ってみたい」

 

 軽く続ける彼女は、けれどどうしてかとても儚いものに見えて。

 

「けど、本当に怖いのは……自分の体が無くなっていくこと。だんだん、自分がどこかへ行っちまうことなんだよ。傷を負っていくうちに、直していくうちに、体もどこかに行っちまって……そのうち心だって、おかしくなるかもしれない。あたいは、どこまであたいなんだろう。あたいは……一体、誰、なんだろう」

 

 既に半分を超えて、もうその言葉は誰のものかも分からない。それは自らの口が紡いだものなのか、果たしてダウンズではない、顔も名前も無い誰かが紡いだものなのか。

 けれど、そうやって俺の事を見つめているのは、確かにダウンズという一人の少女であった。

 

「なあ、指揮官」

「……何だ?」

「手、握ってくれねえか?」

 

 差し出された左のてのひらを、両手で優しく包み込む。肌触りの良い柔らかな人工皮膚と、その下にある細い機械軸は、とても冷たかった。

 

「あ、はは……あったかい…………あったかい、なあ……」

「……ダウンズ」

「指揮官、あたいはここに居るよな? あたいの体も、心も――全部、指揮官の手に」

 

 脈の通っていない、透き通るようなその腕を、けれど強く握り締めた。力の込めた腕は、不自然なほどに触り心地の良い肌の上から機械の腕を押さえつけて、けれどその痛みが彼女に届くことは、決してなかった。

 

「なあ、指揮官……頼み、あるんだ」

「言ってみろ」

 

 暗い瞳を覗き込んで、彼女に応える。

 

「これからもずっと、側にいてくれよな。あたい、心も、体も、ぜんぶ指揮官にあげるから……だから、指揮官。どうか……あたいを、あたいのままで、ここに居させてくれよ……」

 

 彼女の笑顔も、温もりも、全て見てきた。悲しむ顔も、喜ぶ顔も――そして、こうして縋りつく顔も、全て。

 小さな体を抱き寄せると、少しだけ彼女の声が漏れて、けれどそれは胸の中へ収まっていった。ただ感じるのは、半分だけ残った、けれど確かに伝わってくる彼女の温もりだけ。くすんだ白い髪に指を通すと、それははらはらと揺れて、銀の輝きを見せてくれた。

 

「……大丈夫だ。お前を……離したり、しない」

 

 彼女はいま、ここにいる。俺の腕の中で、生きている。

 その温もりを感じられることは、これ以上にない喜びに思えた。

 

「……はは、なんだか、湿っぽくなっちまったな」

「いい。それがお前の望んだことなら、お前の全てを受け入れる」

「…………………………」

「……ダウンズ?」

 

 黙ってしまった彼女は、ぎゅ、と俺の服を強く掴んで、

 

「ありがとう」

 

 そう、くぐもった声で告げた。

 

「――――よし! 指揮官、晩メシ行こうぜ! あたい、ハラ減ったよ」

「そうだな、行こう」

 

 紅に染まった部屋を駆け抜けて、ダウンズはいつものようにこちらを向いて笑っている。そんないつもの光景が、彼女がそばに居る光景がとても素晴らしいものに見えて、夕日の照る彼女の笑顔が、輝いているように映っていた。

 儚げな白い少女は、けれど俺のことを確かに見つめていて。

 

「ほら、指揮官。手ぇ繋いでくれよ」

「……ああ」

 

 差し出されたその左手は、どうしてか――とても暖かく、感じられた。

 

 




モソスターハソターワーノレドの小説書いてたら更新空いちゃいました
でも完結まで持ってったので許してください


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プリケツ

最近真面目なのしか書いてないのでタイトルの芸が下手になりました。
大変申し訳ございませんでした。


 

 喉に香る酒の熱さと共に感じたのは、冷たい手のひらだった。

 

「……君か」

「なによ、その意外そうな顔」

 

 暗い紅の瞳は不満そうに細められて、頰に触れる手はもう片方に握られたグラスを受け取る。どう返すものかと考えて、とりあえずグラスへ注いだ熱い液体をもう一度煽ると、彼女はいつの間にか俺の隣へちょこんと座っていた。

 さらさらと揺れる銀糸の隙間に、ほのかに染まるうなじが覗く。見に纏う薄い紫色のネグリジェは彼女の柔らかな肌を透かしていて、こちらへと向けられる視線にはどこか爛れたような熱が込められていた。

 そんな彼女――プリンツ・オイゲンへ、酒の混じった口を開く。

 

「珍しいと、思った」

「何が?」

「君がこんな時間に此処へ来て……俺と、こうして話すことが」

 

 窓の外の月は、雲に隠れて淡く光を放っている。流れる静けさには夜の波の音が響いて、そこに彼女のくすりと笑う声が混じっていた。

 

「ここには何もない。君の好きな面白そうなものも、なに一つ」

「あなたが居るじゃない。たった一人で、寂しそうにお酒を飲んで居るあなたが」

「……何をしに、ここへ」

「あら、寂しい旦那の晩酌に付き合うのは、妻の務めじゃないの?」

 

 そう翻す彼女の指には、小さな輪の形が輝いている。

 

「必ずともそうとは限らない。君の都合を考える」

「優しい夫を持てて幸せものね、私」

「君が……君が何かを望むのなら、俺は君に与えたい。君が嫌だと拒むのなら、俺はそれを引き剥がす。それが、君を求めた俺の務めだと、そう考えている」

「……じゃあ、もし私が嫌じゃないって言ったら?」

 

 突き出したグラスに、彼女は少し慣れない様子で透いた液体を注いでくれた。

 

「重桜のお酒?」

「ああ。瑞鶴が持って来てくれたから、少し」

「ふぅん」

 

 そっけない返事に続くのは、からん、と氷が鳴る音だった。底の厚い、口が広く開けられたグラスに俺と同じものをとくとくと注いで、彼女はそこへふわりと浮かんでいる氷をじっと見つめていた。

 

「酒、弱いんじゃなかったか」

「あなたのためだもの」

「正月にやらかしたことを思い出せ、と言っている」

「……今日は酔いたい気分なの。酒にも、あなたにも」

 

 好きにしろ、と声をかける前に、彼女は手に持ったグラスを一気に煽っていった。こく、こくと可愛らしく音を立てる喉は、しかし彼女の何かをこらえるような、当てられた熱に耐えるような表情とは対照的に俺の目に映っていた。

 やがて空になったグラスへ氷が打ち付けられて、彼女が口を話す。

 

「…………、ぷは」

 

 絹のような白い肌は、ほのかな春色に染まっていた。

 

「この前よりは飲めたじゃないか」

「………………」

「……プリンツ?」

「…………………………きゅぅ」

 

 そんな可愛らしい声と共に、とす、と左の肩へ軽い感触が走る。

 とろんとした、ふやけるような紅い瞳が、俺の事を見上げていた。

 

「だから言っただろ」

「ん……だって…………」

「だっても何もない。ほら、ベッドまで連れてって――」

 

 そう立ち上がろうとした俺の腕を、彼女の指が絡め取った。

 

「だ、め」

「……プリンツ」

「…………しない、と」

「何?」

「……こうしないと、正直に甘えられないの…………」

 

 火照った身体を俺の腕へと絡めながら、ぽつぽつと彼女が呟く。けれどその言葉の響きは重く、俺はもう一度机に置いたグラスを煽りながら、倒れ込む彼女の髪を梳いた。

 酒の香りと、時間が流れていく。混ざり合うような熱い時が、二人の間を満たしていく。

 

「……初めて会ったときのこと、覚えてる?」

「あまり思い出したくは、ないな。君の傷ついた姿は」

「そうね。あの時は……痛かったわ。何かに目覚めちゃうくらいに」

「…………」

 

 細くなめらかな白いうなじには、酒の暖かさとともに、かつての傷跡が赤く浮かび上がっていた。

 

「あなたにつけられた傷も、全て思い出せる……初めてよ? 男の人に傷をつけられたなんて」

「……すまない。いや、ここで謝ったとしても、俺は…………」

「いいのよ。そのお蔭で、私はここに……あなたの、そばにいるんだから」

 

 天井の淡い光が、彼女の顔を照らす。こちらにもたれかかるように仰向けになった彼女は、その細い手の平を真上へと突き出して、

 

「ねえ」

「何か」

「どうして、私を選んだの?」

 

 かざした指の輝きを見つめながら、プリンツはそう俺へと問いかけた。

 

「……不安になった?」

「違う。けれど……私は、あなた達にとって敵だったはずよ? それなのに、あなたは私を……選んで、くれた。こんな私を対等に、大事に、一人の女として扱ってくれた」

「そうだな、確かにおかしいのかもしれない。かつての敵であった道具に、婚姻を申し込むなど」

 

 寄り添う彼女はとてもしおらしくて、その細い体を引き寄せると、薄い唇からは蕩けるような小さな声が漏れる。

 

「けれど、君は俺を受け入れてくれた。それはどうして?」

「……わたしが聴いてるのよ? 答えてくれないなんて」

「いいから」

「もう、いじわるな人……」

 

 しばらくの静寂を通して、彼女が小さく口を開く。

 

「あなたと一緒にいると、笑えたから」

 

 それだけ言うと、プリンツはすぐに恥ずかしくなってしまったのか、自らの顔を俺の腕へと強く押し付けていた。思わず宥めるように頭を撫でてやると、彼女は少しむっとしたような顔を俺に向けて、

 

「あなたとなら、心から笑えたのよ……そばに居てくれるだけで、嬉しかった。皆から離された私を、あなたは受け入れてくれた。だから……あなたが選んでくれて、私は嬉しかったの。とても……とても、幸せだった」

 

 いつものような艶のある笑みではなく、そこには満たされたような、華やかな笑みが浮かんでいた。そんな美しく咲く花へ、俺は思わず手を伸ばして、その白い花弁を優しく包む。胸に吸い込まれる赤い双眸は、ただじっと俺のことを見上げていた。

 

「……これで満足かしら?」

「ああ。とても嬉しいよ。今夜は酒が美味いな」

「ひどい人ね」

 

 すると彼女は自らの身体を起こし、俺へ覆いかぶさるようにソファーの上へ膝をついて、

 

「あなたの答えを聴いてないというのに」

 

 耳元へそう、柔らかな息と共に囁きかけた。

 

「……どうして君を選んだか、か」

「あら、言えないの? それとも、私とは遊びだったわけ?」

「断じてない。誓おう。ただ……うまく言い表すのは、難しい」

「他人に言わせておいて、自分はそれだなんて。ひどい夫だわ」

「すまない」

「ええ、許してあげる。私のかけがえのない人だから」

「………………」

 

 酒ももう空になって、口も回らない。心を埋め尽くすのは、ただ彼女の景色だけで。

 

「君の笑う顔が、とても綺麗だった」

 

 開かれた唇は、そんな何のひねりもない、つまらない言葉を紡いでいた。

 

「君の笑顔が好きだった。もっと、見たいと思っていた。心から笑う君を、俺はどこか求めていた。笑う君のそばに、ずっといたかった」

 

 拙いその言葉に、自分の顔が赤くなっていくのを感じる。俺の真上で笑っている彼女にはその様子がよく分かるのだろう、プリンツは口元をゆるりと吊り上げながら、呆れの色を見せて呟いた。

 

「わがままね」

「……それだけ、君が欲しかった」

「私は敵よ?」

「違う、君は君だ」

 

 たとえ敵であっても。たとえ、人ではない存在だとしても。

 

「だから、君を選んだ。だとしても、君を選んだ」

 

 その選択に、後悔はない。

 

「……そう」

「足りなかったか?」

「いいえ、十分。のぼせちゃうくらいに」

 

 くすり、とまた彼女が笑う。火照った身体と身体を絡めあって、彼女の香りが強くなる。額と額がこつんと触れ合って、溶けるような媚熱に当てられる。

 それはまるで、彼女に溺れるように、酔いしれていくように。

 

「でも……そうね。もっとくれると言うのなら……」

 

 細い指が、首筋を走る。

 冷たい感覚とともに感じるのは、彼女の熱い視線で。

 

「あなたが、欲しいわ」

 

 交わされた唇が、激しく水音を立てる。

 いくつもの傷がつけられた彼女の腰へ、手を伸ばした。

 

 



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俺はなァ!たとえ世界を全て敵に回したとしてもいつもはとっつきにくいグラーフがふとしたことをきっかけにして指揮官とイチャイチャするのが見てえんだよ!なあお前もそう思うだろ!?にくすべマンよォ!

>_<つ「煮込んでいる、全てを」

支離滅裂な
発現・思考



 

「内にある欲求を果たすには、どうするべきか」

 

 対面して座るフィーゼ(Z46)の唇から紡がれたその問いかけに、グラーフ・ツェッペリンはふむ、と顎に手を当てて、熟考した。

 

「貴艦の望む欲求、とは?」

「私たちは人ではない。私たちは母体から生まれる事は無く、全て同一であり、しかしながら偏在する存在より産まれてくる」

「ふむ」

「だが、私たちは指揮官と同じ種族に見える形をとっている。更に私たちの全てにはそれぞれの個体差があり、それを考慮するに我々は人に限りなく近い存在なのだろう」

「なるほど」

 

 正直言っている事の半分が分からなかったが、ツェッペリンは構わず首を縦に振った。自身がフィーゼの数少ない話し相手であり、またよき理解者であることも知っていたからこそ、急に自分の部屋にやって来て悩みを打ち明けるフィーゼのことを、ツェッペリンは放っておくことができなかった。

 どうやら今回の悩みというのは、フィーゼ本人もよく理解していないものらしい。

 

「私たちには感情というものが存在する」

「うむ」

「戦場にて被弾をすれば痛みは伴うし、それによって不快や恐怖を味わうこともある。また同様に甘味などを摂取すれば、快楽や幸福を感じることもある」

「そういうものか」

 

 この前フィーゼが駆逐達に囲まれながら、二段重ねのアイスクリームを食べていたことを思い出す。言われてみれば確かに、あの時の彼女は少しだけ顔に笑顔を浮かべていたかもしれない。

 ――少しだけ、ツェッペリンの中に、感じたことのない感情が芽生えていた。

 

「そう考えるのなら、私たちは人となんら変わりない存在なのだろう。現に艦隊の中には私よりも感情が豊かな艦も存在するし、この私が考えていることも、単なる一つの個体差、として処理できるものかもしれない」

「そうか」

「しかし私は……いや、やはり良く分からない。この私の内にある欲求が何なのかも、それがどのようにすれば果たされるものなのかも、私には分からない」

「……なるほど」

「かくして……この私の内にある、理由の知らない欲求を果たすには、どうするべきだろうか、という問題に帰結する」

「ふむ……」

 

 まっすぐとしたフィーゼの視線に、ツェッペリンはううむ、と再び熟考する。今回の話はやけに難しく、自分をまったくの艦船という存在として認識していた彼女にとっては考えもつかない問題であった。

 それをフィーゼの方も汲み取ったのか、こてん、と首を傾げながら再び問いかける。

 

「グラーフにはそういった欲求はないのか?」

「……我は、どうしようもなく艦船なのだ。故にそういった感情を持ち合わせたことは……少ない。だからそれについて話すのは難しいだろう」

 

 この世界に存在として確立したときから、闘うことしか知らなかった。記憶の奥底にある何かに動かされるように、敵をなぎ倒し、戦火の中に存在理由を見出していた。

 だから今のフィーゼの話もよく理解できなかったし、これからも理解できることは無いのだろう。その理解できないという事実に、ツェッペリンは初めて、自らの存在を少し残念だと思っていた。

 珍しく沈んだような顔をすぐ彼女に、ふとフィーゼが語り掛ける。

 

「では、グラーフも共に欲を堪能するのはどうだろうか」

「……堪能、なのか?」

「然り。欲求の達成は快楽を与えてくれる。その快楽に一度溺れてみれば、あなたも何か分かるかもしれない。それこそ、私では見えない、どこかへと通じる道を見出せることさえも」

 

 かたん、と小さな音を立てて席を立ち、フィーゼがてくてくとドアの前へと歩いてゆく。そんな彼女の背中をツェッペリンは少しだけ追いたくなって、けれどそこから見える彼女の意志にあらがう事はできなかった。

 

「早計だったのだと、思う。迷惑だった」

「そんな事はない」

 

 決して偽りではない、本心からの言葉だった。

 

「……あなたがそう口にしてくれるのは、とても嬉しい」

「そうなのか」

「グラーフ、そう疑問に思うのなら、あなたも一度自らの内より出でる欲に従うといい。何も考えず、その願望に従うといい。その思考を超越した行動理由は、時にあなたに良い結果をもたらすかも、しれない」

 

 それだけの言葉を残して、ぱたん、とドアが閉められる。決して、力になれなかった、という事ではないのだろう。彼女の瞳に映っていたのは失望ではなく、どこかに憧れるような光だったのだから。向けられる先が何処かは分からなくても、ツェッペリンにはそれが失望ではないことだけは理解できた。

 やがて部屋の中にはいつも通りの静けさが残り、その中でふと彼女が、机に置いてある電子時計へと視線を向ける。

 

「…………今日は、やけに早かったな」

 

 午前七時三十二分。

 彼女の土曜日はそんな話を聞いた後、とりあえず寝間着替わりの白シャツ一枚を脱ぎ捨てるところから始まった。 

 

 

 何と言う事は無く、ツェッペリンは基地の中をふらふらと歩き回っていた。

 朝の光が差す廊下はどこか静けさを感じさせ、研ぎ澄まされた静謐さすらも感じさせる。ただ鳴り響くのはツェッペリンの足音だけで、それは何かに導かれるように廊下へ痕を刻んでいった。

 

「…………」

 

 窓から見える海はいつも通り蒼く、打ち付ける波が潮騒の音を遠くで鳴らしている。その向こうに見える水平線はどうしようもなくまっすぐで、その境目から広がる空は青く、まだ淡い太陽の輝きが、彼女の真紅の瞳に映っていた。

 眩しさに帽子をより深く被りながら、またツェッペリンは廊下へ足音を響かせる。そこにあるのはただの無我であり、しかしながらその奥にある何かが、彼女の足を動かしていた。

 やがてその音は止まり、目の前に立つ扉を見上げる。

 

「ふむ」

 

 くすんだ鉄のプレートに刻まれた、執務室という文字に、彼女は小さく息を吐いた。

 果たして、自らの内にある欲求に従って辿り着いたのは、どうやら此処らしい。けれどツェッペリンにはその理由が分からず、ただその手は欲求に従うまま、薄汚れたドアノブへと伸ばされていた。

 きぃ、と軋む音が鳴る。

 果たして中に見えたのは、いつも通りの光景であった。

 

 かつかつと足音を響かせながら、執務室と言うには少し広い部屋の中を、ツェッペリンが歩いてゆく。部屋の隅に置かれているテーブルの上にはロイヤルのメイドがよく手にしているティーカップとポットが置いてあり、その中にある淡い椛の色は、白い湯気を立たせていた。

 そしてその横には白紙になった書類が撒き散らされており、何でもなくツェッペリンはその中の一つを拾い上げる。そこにあったのは目を覆いたくなるほどのデータの数々であり、その上に記されていたのは――計画艦、という文字列で。

 

「これは……」

 

 そう口にしようとした瞬間、ツェッペリンは再びドアが軋む音を聴き、

 

「ツェッペリン様?」

 

 また、自らの名を呼ぶ声も聴いた。

 

「……ロイヤルの、ベルファストか」

「あなたがいらっしゃるのは珍しいですね。このような朝に、いかがいたしましたか?」

 

 如何、と言われても、ツェッペリンに応えられることは何もなく。

 

「……何、と言う訳でもない。ただ、言われるがままに歩いていたら……ここに」

「左様でございますか」

 

 曖昧な答えに、けれどベルファストはそれだけで返し、机の上に置いてあったポットと、まだ手の付けられていない白いカップを手に取った。

 

「ではこちらへどうぞ。お茶を淹れますので」

「……いや、私は……」

「ご主人様も、もうすぐお見えになります」

 

 その言葉につられて、どうしてかツェッペリンは口をつぐみ、書類の散ったほうとは反対のソファーへ腰を下ろす。

 

「砂糖はどう致しましょう」

「……ふたつ」

「かしこまりました」

 

 時間もたたないうちに、彼女の前へ同じように湯気を立たせるカップが差し出された。その白い取っ手へと指を通し、中にある液体を口の中へと注ぎ込むと、少し苦い、けれど不快感の無い芳ばしい香りが鼻へと抜けてゆく。

 息を吐くと、ツェッペリンは自らの中に少しの快楽が産まれているのを感じた。

 

「……美味いな」

「ありがとうございます」

 

 深く頭を下げる彼女に、いつもの彼女の影が重なった。

 エディンバラ級の二番艦、ベルファスト。初期のころからこの艦隊に配属されていて、幾多の戦火をくぐり抜けたことを、ツェッペリンは知っている。また、常に指揮官の側に寄り添い、その力になっていることも、そのつながりが長い時間によって作られていることも、ツェッペリンには何となく理解できた。

 そんな普段の彼女を脳裏に思い描きながら、ふと彼女は口にする。

 

「ベルファスト、よ」

「はい」

「我にはお前が、自ら望んで卿へ……指揮官へ仕えているように見える」

「その通りでございます。ツェッペリン様の目に間違いはございません」

 

 その答えに、やはりツェッペリンは理解をすることができなかった。

 

「と言う事は、貴艦は自ら望んで卿に束縛されているというのか?」

「束縛と私は思っていません。ご主人様に奉仕し、その力になること。それが私の真に務めることだと、そう思っています。ご主人様が幸せであり、笑顔でいてくれることが、私の幸せですから。そのために私は」

「……つまり、貴艦は卿に奉仕することで、自らの欲を満たし、快楽を得ていると」

「見るようによっては、そうなのかもしれませんね」

 

 躊躇いの無い突飛なツェッペリンの物言いに、ベルファストは思わず小さく笑みをこぼした。

 

「貴艦は欲に正直なのだな」

「ええ」

 

 にっこり、とベルファストは笑い、

 

「羨ましい、ですか?」

 

 そう問いかけた。

 

「…………否定はできない。しかし、肯定するには少し躊躇いがある」

「差し出がましかったでしょうか」

「そうではない。ただ……貴艦のような欲を持てたら、この我の疑問も晴れるのではないか、と思っただけだ」

「疑問、でございますか」

 

 そうひとりでに頷いて、ベルファストがツェッペリンの左にあるソファーへ腰を下ろす。考え込むような彼女の横顔を、少しだけほほえましそうに眺めながら、またベルファストはその薄い唇を開いた。

 

「私のような者で良ければ、お聞きします」

「……少し、待ってほしい」

「はい」

 

 眉間に手を当てながら、そう呟く。紅い瞳を閉じて、うんうんと悩む彼女は、どうしようもなく人間らしく、ベルファストの瞳に映っていた。

 やがて。

 

「我はこの内に、欲を内包している」

「左様でございますか」

「この欲に従い、我は此処へ辿り着いた。意志ではない。しかしまだ、我の中には得体の知れない欲が残っているように思う」

「そうなのでしょう。今のツェッペリン様は非常に苦悩されているように見えます」

「……今の我の内にある欲を満たすには、どうすればよい?」

 

 縋るような声であった。それこそベルファスト自身が手を差し伸べたくなるほどに弱々しく、いつもの彼女からは感じられないほどに細々としたものだった。

 けれど。

 

「申し訳ありません、私ではツェッペリン様の力には……到底、及びません」

「だろうな」

「……正しくは、私ではあなたの欲求を満たすことはできません」

 

 続けられた言葉に、ツェッペリンが目を向ける。

 

「……やはり、貴艦が羨ましく思う」

「そうでしょうか」

「艦船である身ながら自らの欲を十分に理解し、それを果たすことが出来る。果てには他人の欲求をも受け止め、それを理解することができる。それはとても、人間らしい」

「いいえ、それは違います」

 

 強く否定されたツェッペリンが、首を傾げる。

 

「今のツェッペリン様の方が、よほど人間らしい。自らの欲求が理解できず、それに苦悩する様なんて……羨ましいほどに、人間のように見えます」

 

 そう語るベルファストの瞳には、少しだけ羨望の色が灯っていたように感じた。

 

「……申し訳ありません、言葉を選ぶ余裕もなく」

「いや、いい。けれどお前のことが、少し理解できたと思う」

「……じき、ご主人様がお見えになります。そうすれば、あなたの苦悩も晴れるでしょう」

 

 そこでどうして彼の名前が出てくるのか、ツェッペリンには理解できなかったが、しかしどこか安心する感覚を覚えていたので追究するのはやめておいた。内にある何かは、どうやらそれを望んでいたらしかった。

 浮かぶ疑問を晴らすように、ツェッペリンは先程と同じように散らばった書類のひとつをひろいあげる。

 

「……計画艦、か」

「ツェッペリン様はどう思いますか?」

 

 答えには、しばらくの時間がかかった。

 

「……非常に、脆い存在だろう」

「というと」

「我らの本質は、かつての存在そのものだ。それに依存することによって我々はこうして今、確たる存在を得られる。こうして貴艦と話すのも、海の上で戦うことが出来るのも、全てそのかつての存在があったからこそ」

 

 しかし、と再び紅い瞳が、無機質な数値を見下ろす。

 

「これらの本質は、人々の思想だけだ。それによって生み出された存在というのは、非常に脆くなるのだろう。もしかするとこれは我々のような存在とはまた違ったものになるかもしれないし、我々の常識を逸した存在にもなり得る」

「……確かに、ツェッペリン様の言う通りですね」

「まあ、実際に見てみなければ話しにはならんが。少なくとも、我々とはまた違う存在というのは確かだろう」

 

 Neptune、と記されたその名前に、ツェッペリンはふん、と強く息を吐いた。

 

「それよりも、卿はまだか?」

「少々お待ちください、もうすぐお見えに――」

 

 そうベルファストが言葉を続けようとしたとき、またドアの軋む音が鳴る。

 果たしてその向こうに姿を現したのは、ひとりの若い青年であった。

 

「悪いな、ベルファスト。少し備品の廃棄に手間がかかって……」

 

 何やら急いでいるらしく、身を包む深い緑の軍服は着崩されており、目にかかるくらいの黒い髪を掻きながら、そんな言葉を投げかける。そうして手に持った書類から目を離そうとして、彼はこちらを覗く紅い瞳とぶつかった。

 

「…………ツェッペリン、か?」

「ああ」

「……なんでいんの?」

「卿を待っていた」

 

 俺、と自らを指で示す指揮官に、ツェッペリンがこくり、と頷く。

 

「どっか悪いところでもあるか?」

「いや」

「じゃあ何だ、新しい装備の申請とかか」

「そうでもない」

「……どうした? 何かあったのか」

「何か、と言う訳では無いが」

 

 少しの沈黙を置いて、薄い唇から紡がれる。

 

「卿と共に居たいと、そう思っただけだ」

 

 そう口にして、ツェッペリンは自らの中にある欲求のことを、初めて理解できたような気がした。フィーゼと話した時に感じたあの感覚も、欲求に従って辿り着いたこの場所の意味も、全て自らの内にある感情とすることができた。

 これが、彼女(フィーゼ)の求めていた事なのだろうか。ならば、彼女がこの感覚を得るにはどうすればいいのか。

 次々と湧き上がる疑問に、ツェッペリンが再び口をつぐむ。

 

「……ベルファスト?」

「私からは何も。ただ、ツェッペリン様がご主人様を求めてきたのは本当のことでございます」

「うーむ……その、アレだな。こんな美人さんにそう言われると、ちょっと勘違いしちゃうよな」

 

 遠慮がちな笑みを浮かべながら、指揮官がツェッペリンの対面へと腰を下ろす。それを見てベルファストは静かに立ち上がり、座る彼の斜め後ろへと寄り添った。

 

「……また、フィーゼと話してたのか?」

「ああ。内にある欲求を達成するには、どうすればいいか、と」

「なるほどねえ」

「我の欲求は分からなかった。だから、その欲求に愚直に従って……ここへ、辿り着いた。けれどそれだけでは満たされなかった。そうして、卿と相見えることで初めてそれは果たされた」

「はあ…………」

 

 散らばる書類を一つ一つ集めながら、指揮官は生の返事で答える。

 

「しかし……まだ、満たされていないのだと、思う」

「まだ?」

「卿と出会ったことで、また別の欲求が我の内に産まれたのだ。それも、先のような一つのものではなく、より多くのものが……」

「いいよ、ゆっくりで。落ち着いて話してくれれば、聞くから」

 

 内側から湧き上がるその奔流に、ツェッペリンは導かれるようにして口を開き――

 

「アイス」

「…………ん?」

 

 ぽつりとつぶやいた言葉に、指揮官が思わず首を傾げる。

 

「アイスクリームが、食べたい」

「……ツェッペリン」

「二段重ねだ。上がイチゴで下がバニラ……いや、チョコミント……なるほど、そういった可能性も……」

「ツェッペリン?」

「無論コーンで頼む。しかし……そうだな。もしかすると三段重ねになるかもしれない」

「ツェッペリン? おい! ツェッペリン!」

「チョコミント……あれは素晴らしいものなのだ。ああ、なんて甘美な……しかし悲しいかな、甘美なものは生き永らえぬ……永遠に生きるということは、ただただ冷たい……いや、アイスも冷たい……つまりアイスクリームというのは甘美でありながら永遠の快楽をもたらしてくれる、この世界におけるただひとつの……光……」

「ツェッペリン! 戻ってこい! おいッ! ツェッペリン! ツェッペリンっ!」

 

 かくして。

 

 

 購入を終えた食堂から少し、小さな堤防にて。

 

「非常に甘美だ」

「さいですか」

 

 チョコミント、イチゴ、バニラの三段重ねスペシャルデラックス乗せ(トッピングのウエハース付き)のアイスクリームをぺろぺろと舐めながら、ツェッペリンはそう重々しく呟くその左隣では千と二〇〇円を朝から消費させられた指揮官が、眉間を強く抑えながら、未だに現実を受け入れられないでいた。

 

「何かと思ったら朝からアイス奢れと要求してくるとは……」

「ご主人様、本当に私も頂いて宜しかったのですか?」

「いいよ別に、あいつに比べたらカップアイス一個なんて優しいモンだよ」

 

 小さなアイスを遠慮がちに両手で持つ彼女に、同じカップを手に持った指揮官が疲れたように笑い返す。その隣では既にチョコミントの半分を食べ終えたツェッペリンが、じっと指揮官のことを見つめていた。

 

「卿よ」

「……どうしたよ」

「それはオレンジか」

「んま、そうだけど」

「…………」

 

 アイス三つにはあまりにも小さすぎるスプーンを手にとって、ツェッペリンが残ったチョコミントを掬い上げる。

 

「我のをやる。少し貰えるだろうか」

「いや、別にいいけど……」

「では」

「は?」

 

 ぐい、と手に持ったチョミントを押し付けてくるツェッペリンに、指揮官が裏返った声を上げる。ふと向こうに座っているベルファストを覗いてみると、彼女には珍しい、少し意地悪そうな笑みを見せていた。

 

「ツェッペリン、お前それ」

「なんら、いらないのか……それとも、チョコミントは苦手か」

「いや、どっちかってっと好きな部類だけど」

「それならなぜ拒む? それか、私のようなものからモノを送られるのは嫌いか?」

「いや、そんな事無いけど……」

 

 どうしたものか、と額を抑えながらため息を吐いて、やがて指揮官が差し出されたスプーンを口にする。

 

「どうだ?」

「……ん、美味い」

「そうだろう。やはり私の目に狂いはなかったな」

 

 正直この状況の全てが狂っているようにも思えたけれど、指揮官はそれを口にする事は無かった。こうして目を輝かせている彼女を見ると、狂っている、と口にするのは憚られた。

 

「うむ、では卿のも貰おう」

「そうだったな。それじゃあほら、適当に取って……」

「あー」

 

 ………………………………。

 

 ぱく。

 

「美味いな」

「よかったね」

 

 もう何も言う事ができなかった。ただ指揮官が覚えられたのは、めったに見ることのできない、ベルファストのお腹を抱えた姿であった。

 

「ベルファスト」

「何でこざいましょう」

「今日の事は忘れてくれ……」

「かしこまりました」

 

 交わされる二人のやり取りに首を傾げながら、ツェッペリンはまた積まれたアイスへと食指を伸ばす。既にチョコミントの層は跡形もなくなっていて、プラスチックのスプーンには桃色のフレーバーがちょこんと乗っかっていた。

 さざなみの音と共に、時間だけが過ぎてゆく。静かな時間は初めてではないけれど、こうして誰かと共に過ごしていくのは、ツェッペリンにとっては初めての感覚であった。

 またアイスをすくって、口の中に運んでゆく。

 

「それじゃあ、もう時間だ。行ってくる」

「はい。お気をつけて」

 

 ベルファストにそう言われてて立ち上がった指揮官を、ツェッペリンは食指を止めて不思議そうに見上げた。

 

「卿よ、何処へ行く?」

「午後から本部の方で会議があってな。俺もちょっと顔出さなきゃいけないんだ」

「なるほど」

 

 語る指揮官の口調は、けれどどこか面倒そうに見えた。そんな彼へふと思い立ったようにして、ツェッペリンが口を開く。

 

「卿よ、我も着いていくことは可能か?」

「……今日のお前は、なんだかグイグイくるな」

 

 見上げてくる彼女の頭をぽんぽん、と撫でながら、指揮官はそう呟いた。

 

「残念だが、ちょっとそれは叶えられない」

「何故だ? 我では卿を満足させられることはできない、ということか?」

「そう言う意味じゃなくて、あっちには艦船そのものを良く思っていないやつが多いんだ。お前だって嫌な思いをするだろうし、俺もそんなところにお前たちを連れて行きたくない」

 

 どうしてかツェッペリンは、フィーゼの口にした言葉を思い出していた。

 我々は人ではない。その差はどうしても埋めることはできず、またどちらからも歩み寄ることは能わない。それはツェッペリンにとっても十分理解できることで、けれど今この時だけは、それがどうしても疑問に思えた。

 

「だから、まあ」

 

 何故、自分はこうも人間の形をしているのだろうか。

 何故、我々には感情が存在しているのだろうか。

 

「ここで待っててくれると、嬉しい」

 

 何故、彼はこうも人間ではない自分に、そんなに優しい声で語り掛けてくるのだろうか。

 

「じゃあ、そろそろ本当に行ってくる。帰りは日没くらいになるか?」

「承りました。では、本日は腕によりをかけるとしましょう」

「お、いいな。帰りが楽しみになるよ」

 

 にっこり、と笑みを残して、指揮官はその場から去っていった。そこに残ったツェッペリンは再び手元のアイスを口にしながら、しかし瞳はどこかおぼろげな場所を眺めているように思えた。

 そんな彼女へ気になったのか、既にアイスを食べ終えたベルファストが問いかける。

 

「まだ、一緒にいたかったのですか?」

 

 口に運ぼうとしたスプーンを止めて、ツェッペリンは躊躇う事も無く首を縦に振った。

 

「まだ……まだ、卿と同じ時を過ごしたかった。こうして卿と離れることは、少し寂しく思う。我の内にある欲は満たされない」

 

 内側に生まれた空白に、彼女はそう語る。うつむいたままの彼女の表情は、まるで患うような女性のそのものに見えて、それを眺めていたベルファストは微かな微笑みを浮かべていた。

 

「やはり、あなたは人間に似ていますね」

「……こうして、苦しむことが、か?」

「ええ。たとえ今のようにご主人様がどこかへ発ったとしても、あの人が待て、とおっしゃるのなら、私はいつまでも待つのでしょう。しかし、ツェッペリン様はご主人様と共に在ろうとした。そして、ご主人様が居なくなることを寂しく思った。それだけでも、十分ではありませんか?」

 

 そう語るベルファストの瞳には、やはりどこか羨望の色が灯っていた。

 

「……我々は、人間ではない」

「ええ」

「だが……もし望むのなら、我々も卿と同じ様な……それこそ、人間のように在り、もっと同じ時と卿と過ごすことは、できるのだろうか?」

 

 曖昧な問いかけに、けれどベルファストは確たる声で、

 

「ツェッペリン様が、それを心から望むのなら」

 

 

「という訳だ」

「ふむ」

 

 語るツェッペリンに、チョコチップの含まれたアイスをぺろぺろと舐めながら、フィーゼは小さく答えた。

 

「非常に興味深い。ということは、グラーフ。あなたは指揮官のことを心から望んでいた、ということになるのか」

「そうなのだろうな。卿が居ると、心が安らぐ。出来ることなら、卿と共に在り続けたいと、この身ながらそう思っている」

 

 自嘲めいた笑みを浮かべながら、グラーフは少しだけ溶けたチョコミントをスプーンで掬う。口の中に広がるのは透き通るように爽快な甘みと、あの時と同じ様な満足感であった。

 そんな目を閉じながら甘味を味わっているツェッペリンに、ふとフィーゼが思い出したように口を開く。

 

「時にグラーフ、この艦隊にはケッコン、というものがある」

「そうだな、我も知っている。一種の制限解除のようなものだろう?」

「然り。しかしながら、我々のような艦船と、人間とでは少し認識が違う」

 

 ふむ、と顎に手を当てながら、ツェッペリンがフィーゼの言葉へと耳を傾ける。

 

「人間の言う結婚とは、愛するその人と、これからも同じ時を添い遂げる宣言だと」

 

 …………。

 

「アイス?」

「愛する、だ」

「愛する、か」

「……否、この場合には双方の同意が必要であるから、愛し合う、の方が適切である」

「ふむ……」

 

 つまり。

 

「フィーゼよ、貴艦には我が卿を愛しているように見えると?」

「然り。知識的に間違いではないと、そう思っている」

 

 まっすぐとした視線に、ツェッペリンは未だに疑問を浮かべていた。

 愛がどういうものか、というのは知識的に知っている。それが艦船にとってはどうしようもなく無為なものであり、また人にとってはそれを構成する重要な一つであることも。

 しかし、この自らの内にある欲求は、本当に愛と呼べるのだろうか。心に浮かんだ彼と共に在りたい、というのは、愛するという感情と同じなのだろうか。

 分からない。ツェッペリンという存在は、やはりまだ人間に遠いのだろう。

 けれど。

 

「愛し合う、か」

 

 共に在り続けられるのなら。同じ時を、過ごせるのなら。

 

「それも、悪くない」

 

 アイスクリームの甘さを感じながら、グラーフ・ツェッペリンはそう言い切った。

 

 




一ヵ月も更新空けるとかこいつやる気ないな?
何かって言うと普通にオリジナルのSS書いてたんで許してください。ってかよければそっちも見てくれ どっちかというとそっちが本職なんだ
けどオリジナルの方もそろそろ落ち着きそうなので、アズレンの更新ももう少し早くなりそうです。七月後半からまた以前くらいのペースで上げれるかもしれません。
次回は今月中に上げれたらいいな……


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エディンバラと無茶苦茶濃厚なキスをするとき涎と雌の匂いの中にふとした煙草の匂いを感じるしそれに気づいたエディンバラは「お嫌いですか…?」って彼の胸元を優しく握るんだ 俺は詳しいんだ

 

 艦船少女たちにとって、煙草とはどのように映るのだろうか。

 工廠の裏にある小さな堤防へと続く道、片手に握ったジッポを暇つぶしに鳴らしながらそう考える。

 少なくともうちの艦隊にはそう言った話題を上げる者はいなかったし、実際に吸っているような光景も見たことはない。けれどその知識がないというわけではないらしく、一つすえば体に悪いだのヤニの匂いがするだの、一般的な嫌悪感は持ち合わせているらしい。

 いつ死ぬか分からないこんな状況に身を置いているのだから、煙草の一つや二つ吸わせてほしいものだが、彼女らも精神的には年頃の少女である。やっかいなのは何かと言うと、彼女らの気分が艦隊の士気にかかわってくることだった。

 

「これだから、ったく……」

 

 別に彼女らが嫌いだと言う訳でもない。喫煙が好きにできない当てつけだと言う事も、愚かながら理解している。

 ただ許せないのは、彼女らがそういった人間らしい意志を持っていることだった。

 

「……それをあいつらに言っても、無駄だというのに」

 

 やるせないというか、無意味だと言うか。

 だから俺は現実から目を背け、こうして逃げることしかできなかった。

 こじんまりとした堤防から見える海は、昼下がりの太陽に照らされながら、はらはらと淡い光を放っていた。その向こうの水平線はいつものようにまっすぐ続いていて、初夏の入道雲がぼんやりと青い空へ伸びている。

 形としては駅のホームに似ていた。数メートルくらいしかない細い幅に、工廠のほうに背もたれを向けているベンチがふたつ。その間には小さな銀色の筒が立っていて、その周囲には入れ損ねた煙草が落ちている。

 そして、そこに加わるもう一つの風景は――

 

「ほひ…………」

 

 いつものメイド服に身を包み、口の端に煙草をくわえながら、丸眼鏡の向こうの目を見開いているエディンバラの姿だった。

 エディンバラ。エディンバラ級のネームシップであり、あのベルファストの姉にあたる艦船である。しかしながら何と言うか、別に比較をするわけではないのだが、彼女は少し()()()()()()()()節があった。

 何かと忘れ物が多かったり、寮の部屋のカギをどこに置いたか忘れたりと、時にはお前の来ているメイド服はコスプレなのかと一石を投じたくなることもある。しかしながらそれに目をつむれば、ロイヤルのメイドの中でも一番親しみやすいというか、話していて疲れない少女でもあった。

 しかし。

 

「ちがうんです……ちがうんですよご主人さま…………」

「お前の主人になった覚えはない」

「これココアシガレットですから……ほら、噛めばおいしい、おいッ……お、ゲボ、苦ッ……」

「自爆してんじゃねーかしっかりしろ」

「だっ、だって……いいじゃないですか別に! 私たちがタバコ吸っちゃいけないみたいな決まりあるんですか!? あるなら出してみてくださいよ!」

「テンパりすぎだろ、少し落ち着け。別に何か言うわけじゃねえから」

 

 涙目になって叫ぶエディンバラにそう声をかけると、彼女はまた頬を膨らませたまま、ゆっくりと元のベンチへと腰を下ろす。灰皿を挟んだその隣へと腰を下ろして懐からケースを取り出すと、落ち着いたようなエディンバラはいつもの口調になって問いかけてきた。

 

「指揮官もここで吸われるんですね」

「ま、他の連中がうるさいからな。喫煙者はいつも身分が狭いよ」

「お点けしましょうか」

「いいよ。そこまで任せるつもりじゃない」

「でも指揮官と仲良くしとかないとバレちゃうかもしれないですし……」

「……別に他の奴に言う気も無いよ」

 

 というより今時マッチ派とは驚いた。

 取り出したマッチ箱を片手に持って、その中から一本を取り出すと、器用に中指と人差し指で端の方を持ちながら親指で先端の方を側薬へ押し付ける。そのまま親指を強く押すと、少し遅れて小さな火が灯り、彼女はそれを口の方へと持っていくと、口にくわえたままの煙草へとその火種を灯し渡した。

 ひゅ、と軽く腕を振ると、細く白い煙が夏の空へとたなびいていく。

 

「片手すごいな」

「え? あ、これです? 別に、手癖の問題だと思いますよ」

 

 いつもの彼女の様子からは思えないその手つきに、思わず声を漏らす。

 癖なのか、咥えた煙草をゆらゆらと上下に揺らしながら、エディンバラは何でもなく答えた。

 

「銘柄は何にしてるんだ」

「めいがら……? いや、煙草ってどれも煙草じゃないんですか?」

「ん?」

「えっ?」

 

 持っている箱を見たところポールモールのようだけれど、本人はそれといって気にしてないらしい。

 

「……すいません、銘柄とかあんまり気にしたこと無いんです。好きで吸ってるっていうより、その……吸わないとやってられないって感じですから」

「というと」

「逃げてるんですよ。やるせなくて。それが惨めな事も、いけないって事も分かってるのに」

「……聞こう。誰も居ないから」

 

 目を細めるエディンバラのその笑顔は今までみたことのない、とても儚げなものに見えた。

 

「私、これでもお姉ちゃんなんですよ? そりゃ、普段の生活がダメダメなのは知ってますし、アイツの方がメイドとしても出来がいいのなんて百も承知です。けど……それでも、私はアイツのことが大好きですし、辛いときや悲しい時は一緒になって、力になりたいと思ってるんです」

「妹思いだな」

「それが姉というものでしょう?」

 

 くすり、と少し自嘲の籠った笑みで、彼女はそう答えていた。

 

「アイツ――ううん、ベルはいつもなんでも一人で抱え込んじゃう子ですから。お姉ちゃんの私がそれを受け止めてあげないと、いつかいっぱいいっぱいになっちゃうかもしれませんし」

「ま、それはそうかもな。ベルファストは一人でなんでもしすぎなんだ」

「そうなんですよ。妹の癖に姉の私を頼ろうともしませんし、逆におせっかいしてくるしっ!」

「……心配か」

「とっても。もしかしたらいつか倒れちゃうんじゃないかって。そう考えると、夜も眠れなくて」

 

 だんだんと声は小さくしぼんでいって、とろんとした青い瞳もゆっくりと地面へ向けられる。打ちつける波の音が、ひどく大きく、まるで彼女へ伸し掛かっているようにも聞こえた。

 

「……ベルの姉は、私しかいないんです。だから、私が受け止めてあげないといけないのに、私ったらドジばっかりで……なにも、お姉ちゃんらしいことできなくって。それなのにアイツはそんなこと気にせずに、一人でなんでもこなしちゃうんですから」

「だから吸い始めたのか」

「ベルが悪いんじゃないんです。ただ……やるせなくなっちゃって。それで……こんなことに」

 

 ぽつりとつぶやいたエディンバラの横顔は、とても人間らしく俺の眼に映る。

 その時だけ初めて、彼女たちがこうして人間と同じ様な形を取っていることが、とても美しいことだと、そう思えた。限りなく人間に近い彼女に、俺は――おそらく、見惚れていたのだと、思う。

 

「ごめんなさい、こんなこと長々と」

「いや…………いい。そういった悩みを聴くのも俺の仕事だ。それに……」

「……それに?」

「……まあ、それを聴けて良かったと思う。その……何と言うか、安心したから」

「安心、ですか?」

「形だけの人間じゃなかった。お前らは……綺麗だよ。どこまでも」

「……口説いてます?」

「まさか」

 

 高鳴る鼓動を押さえつけるようにして、燻る煙を強く()く。その後に続く言葉は何もなく、けれどふと隣に目をやったその先では、煙草の箱を弄っているエディンバラの頬が、少しだけ紅くなっているように見えた。

 波も去り、ふたつの息遣いだけが、夏の海と空へと消えていく。いつもなら一人で眺めているこの光景が、どうしてかまた真新しいものにも見えた。

 そして、次に聞こえてくるのは――かつかつ、と一定のリズムを刻む足音で。

 

「あら、お二人もいらしたのですね」

 

 工廠の壁の裏からひょっこりと姿を現したのは、エディンバラの妹――ベルファストだった。

 

「べ、ベル!? あんた何しに来たのよ!?」

「姉さんと同じですよ。聴けば、ここでしか吸えないと言われたので……ご主人様も、ごきげんよう」

「別に楽にして構わん。喫煙所にそんなルールはないし、それに姉妹揃ってるんだからな」

「ありがとうございます」

 

 いつものしっかりとした調子とは違い、姉のようにおっとりとした笑みを浮かべているベルファスト。その右手には小さな緑の箱が握られていて、それに気づいたエディンバラが驚いたような様子で立ち上がった。

 

「ちょっと待って、あんたも吸ってるの? それ、体に良くないのよ? 今すぐやめなさい」

「姉さんもそれは同じでしょう。それに、憧れの姉を真似る妹は嫌いですか?」

「う、何よその言い方……まるで私が悪いみたいじゃない……」

「姉さんは何も悪くありませんよ。隣、失礼しますね」

 

 ひょいひょいと言葉を交わしながらベルファストがエディンバラの左隣へと腰を下ろす。そうして手に持った箱から細身の煙草の一本を取り出すと、それを指の先でつまみながら唇の真ん中で咥え込んだ。

 かちり、とライターの点く音がする。それと同時に、エディンバラががっくりと肩を落とす。

 

「妹がこんな非行に走るなんて……」

「てかバレてるじゃねえかお前」

「バレてるバレてないはこの際どうでもいいんです! というより指揮官、ベルのことをみんなに話したら承知しませんからね!」

「そんなことするはずないだろ。第一、俺は誰が吸ってようと吸ってなくても……」

 

「んぐェふッ」

 

 ………………。

 

「エディンバラ? 今日お前テンパりすぎじゃないか」

「え、何の話ですか? というより、そっちこそ人が話してるのに急に咽ないでくださいよ」

「今更そんなことするかよ。五年目だぞ」

「…………ええと」

 

 合点がお互いの中で交わされて、ゆっくりと同じ方へと首を向ける。 

 

「…………何か、問題でも」

 

 手元に煙草を持ったまま動かないベルファストが、そう呟いた。

 

「ベル、あんた今まで煙草吸ったことある?」

「……あるわけないでしょう。今日が初めてです」

「なによそれ!? ベル、いいから今の内にやめなさい! こんなロクでもないもの早く捨てちゃいなさい!」

「ご主人様、しばらく私から(ヤニ)の香りがするかもしれませんがご容赦を。この数日に吸いつくして徹底的に慣れますので」

「構わん。俺も慣れてるからな」

「ありがとうございます」

「勝手に吸う事を決めないでください! ベルもそれ早く渡しなさいよ!」

「では私はまた、姉さんから一歩離れてしまうのですか? ようやく、唯一の憧れの姉に近づけると思ったのに」

 

 語られるその言葉に、エディンバラはぐ、と言いかけていた何かを堪えた。

 

「……何よそれ、どういう意味?」

「言葉のままです。憧れの姉さんの真似事をする妹は、嫌いですか?」

「ちょっと待って、ええと……そんなこと、初めて聞いたんだけど」

「もちろん、いま初めて姉さんに言いましたから」

 

 火の点いたままの煙草を指の先で揺らしながら、ベルファストはうっすらと笑みを浮かべる。

 

「……自由ですよね、姉さんは」

「どんくさいって意味?」

「まさか。自由奔放で、少しドジを踏んだりするけど、とっても人懐っこくて優しい姉さん、って言ってるんです。ただ仕えることしかできない私には……それがとても、素晴らしいことに見えましたから」

「な、何よ……今日はやけに正直じゃない」

「まあ言えてるな。それがエディンバラのいいところだと思う」

「し、指揮官までやめてくださいよ……もう……」

 

 褒められることに慣れてないのか、エディンバラは顔を紅く染めながら煙草をふかす。その様子がどうにもおかしくて、くすくすと笑うベルファストに、彼女は眼鏡の後ろできつい視線を向けていた。

 

「それにしても、真似るにしてももっと他にいるでしょ。それこそアキリーズ様とか、ジャベリンちゃんとか。なんで私なんかの真似事を……」

「何を言ってるんですか、姉さん」

 

 呆れたような溜め息をひとつ。

 

「私の姉さんは、あなたしかいないんですから」

 

 まっすぐと彼女の目を見て、ベルファストはそう言い放った。

 

「……一本だけ」

「はい?」

「い、一日一本だけね! それ以上だと体に悪いから! 約束破ったら、お姉ちゃん許さないから!」

「分かりました。気を付けますね」

 

 あれだけぎゃあぎゃあ叫んでいたわりには、以外と簡単に折れてしまった。しかしまあ、それも彼女らしいといえばらしいが。

 先程と同じようにしてエディンバラがマッチを取り出して、片手だけで器用に火をつける。そのまま二本目の煙草へと火種を灯すと、紫煙と共に呆れたような声を吐き出した。

 

「まったく、こんな子に育てた覚えはないのに……」

「………姉さん、今のなんですか」

「今の? あ、マッチのこと? ほら、こうしてやるだけよ。簡単でしょ?」

「教えてください」

「へ? べ、別に減るもんじゃないからいいけど……」

 

 紫煙の香る小さな場所で、二人の艦船がマッチを囲みながら話し合う。

 

「こう……こうですか?」

「あー違う違う、もっと中指離して、ってそれじゃあ指焼けちゃうわよ。あんたそんなに不器用だったっけ?」

「私には難しいです。逆に姉さんはいつもと違って器用ですね」

「……あはは」

「ふふっ」

 

 それはどうしても、姉が最愛の妹へと遊びを教えている、ごくありふれた姉妹の光景に思えた。

 

 




エディンバラって色々とユルそうだし不意におっぱい触っても叫ぶだけで赤面もせずに怒るだけなんだけどふとシガーキスの時に「あっこれ滅茶苦茶エロいやつだ」って気付いて思いっきりメスの顔をしてほしい


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『檻』

 

 夕陽に暮れる執務室に、水音だけが響き渡る。

 

「…………ん、ぅ…………っ…………」

 

 艶めかしく舌が絡み合い、息遣いはだんだんと荒くなってゆく。流れるのは苦い珈琲の香りで、けれどその確かな感覚が、少女――ジャン・バールのことを限りなく満たしていた。

 唾液と唾液とが混じりあって、こくん、と小さく喉が鳴る。通りすぎた熱い感覚は彼女の体を火照らせて、一度離れた瞳は、じっとりと濡れていた。

 

「む……ん、ぁ……ぷは、…………あ、っ……ん……」

 

 ソファーへと押し倒されて、動きはより一層の激しさを増していく。白く細長い腕は覆いかぶさる彼の首へと回されて、求めるその指がそこに紅い爪痕を残した。

 やがて唇が離れ、とろんとした銀の糸が夕陽の中で輝いている。

 

「まだ、するか?」

「……もう少し」

 

 答えたその薄い唇が、再び塞がれた。

 ジャン・バール。かの大戦において、未完成のままで戦火に曝された悲運の艦――だと、この体は知っている。癒えることのない傷も、拭うことのできない屈辱も、この体は全て知っている。

 けれど――否、だからこそ彼女は、この体で感じられることの全てに、代えがたい快感のようなものを覚えていた。

 

「んく…………ぷ、ぁ、……はぅ……ん、ぅ…………」

 

 まどろみにも似たその快楽へと身を任せ、求めるがままに欲へと呑みこまれていく。ただ彼女の頭を埋め尽くすのは灼けつくような快感で、それは彼女をより深く、どこか光の見えない闇へと沈ませていった。

 

「っ…………む、……んぅ…………っ……!」

 

 ぷは、と息を吸う音が洩れる。

 

「……もう、いい」

「そうか」

 

 嫌がるでもなく、口惜しむでもなく、彼はそれだけ残して離れてくれる。そうして首元へと感じる痛みへと手を伸ばすと、その指の先に小さく紅い液体が滲んでいるのを見た。

 

「悪い」

「いや、いいんだ。お前が楽になるなら、それで」

 

 彼はそう、微笑んでいた。

 溺れているのだろう。本懐の半ばで沈んでいく彼女を受け入れ、そして国の映し身でもなく、できそこないの艦船少女でもなく、たった一人の少女として見てくれた彼に、ジャン・バールはそんな感情を抱いていた。

 いつからこうなったのかは、もう思い出せない。愛とは少し違う。けれどそれはとても近しい位置にあって、いつかそちらへと倒れてしまってもおかしくはなかった。

 だんだんと沈んでゆく。昨日のことでさえも、既に取り戻せないものになる。けれど、そうして堕ちていくことすら、彼女にとっては代えがたく、満たされたものに思えた。

 唇にはまだ熱が籠っている。

 

「バール?」

「…………、すまない。仕事、まだだったな」

「大丈夫か? さっきからぼうっとしてるけど」

「いや、少し考え事をしていただけだ。何も……何も、ない」

 

 不安そうにこちらを覗き込む彼に、ジャン・バールはそう嘘を吐いた。

 隣に座る彼の腕へと寄りかかりながら、机の上へと広げられた書類の中のひとつへと目を通す。並べられた数列を眺めると、その上にある一つの名前へと目がいった。

 

「計画艦?」

「ああ、それか。正直眉唾物だがな」

 

 ぽつりとつぶやくと、指揮官はそう溜め息を吐いた。

 

「建造されるはずのなかった艦を、人の認識によって作り上げよう、っていう計画だ。その実験にウチが選ばれてな。クリーブランドを筆頭にして今戦闘データを集めてるところ」

「……アイリス教国所属、サン・ルイか」

「知ってるのか?」

「…………」

 

 紅の瞳の中に、無数に散りばめられた数列が映る。そしてその向こうには、かつての戦火の中にある、ひどく廃れたような自分の背中が見えた気がした。

 ジャン・バール――正確には、その記憶の中の自分は、大戦の中で最後に建造された艦であった。未完のままで戦火に曝されたのも、それが原因なのだろう。そのせいで負った痛みも、深い海の底へと沈んでゆく孤独も、全て過去の記憶が鮮明に教えてくれた。

 いつのまにか閉じた瞳を開けて、彼女が薄く口を開く。

 

「……繰り返すな」

「なに?」

「私と同じようには、なるな。たとえそれが偶像だとしても、きちんと全てを受け入れろ。そうでないと……私のようになるから」

 

 言えることは、それだけだった。

 

「……分かったよ。他でもないお前の頼みだ。何としてもやり遂げるさ」

「ならいい」

 

 伸ばされた手が、頭を優しく撫でる。ベージュの髪が揺れ、さらさらと音を鳴らすけれど、ジャン・バールはその感覚をどうしてか好んでいた。無言のまま伝わってくるその優しさに、身体を委ねていた。

 そうして彼の手が離れていく。失った暖かさに、紅い瞳がいじらしく濡れる。

 

「どうした?」

「……何も」

 

 ぐい、とより強く彼へ自らの身体を押し付ける。けれど彼は、それを拒むことは無かった。

 受け入れられたのだ。彼はジャン・バールという存在そのものを、真正面から受け要れて――否、そのまま落ちて行ったのだった。たとえ彼女が寂しく思う時でも、誰かに寄り添いたいと思う時でも、全てを彼は受け入れてくれた。それこそ、溺れるような感覚であった。

 浸りたい。また、その温もりを感じていたい。

 身体が疼く。残った唇の暖かさが、彼女の脳裏をどろどろに灼いていく。

 

「なあ」

 

 気が付けば、ジャン・バールは仕事を続けている彼の首元へと、手を伸ばしていた。

 

「あー…………さっきので終わりじゃなかったのか?」

「気が変わった。寂しい」

「……そうか」

 

 書きかけの書類を机の上に置いて、彼はジャン・バールへと向き直る。

 そしてまた唇が触れ合い、水音を立て始めた。

 

「……っ、ぁむ…………ふ、ぅ…………」

 

 暖かかった。溶けあっていくようで、爛れ堕ちていく。この感覚にあらがう事は、できるはずもなかった。

 最初は手を繋ぐだけだった、と微かに思い出せる。指と指とが絡み合う感覚が、確かな温もりを感じさせてくれて、それを拒むことはできなかった。そうして今も、手のひらとを合わせながら、また深くまで堕ちていく。

 次は側で寝させてくれることだった。彼の側はどうしてか暖かくて、大戦の記憶によって荒んでいた心も、そこでだけは安らげるように感じた。だから今も、こうして彼の側で崩れていく。

 接吻がいくらか重たい事だというのも、知っている。一定の信頼関係を築き上げた上にあることも、それがとても甘くて、これ以上になく彼女の心を満たしてくれることも。

 だからこそ、こうして、蕩けてしまいそうに――

 

「んぅ…………ぷ、ぁ、んむ…………っ」

 

 戻ることは諦めた。否、それすらもできないほどに、堕ち果ててしまった。

 何も考えられず、ただただ彼と一緒に快楽へ身を委ねていく。それがとても心地よくて、どこか欠けていた彼女の心を満たし、そしてとろんと溶かしていった。

 逃れることはもうできない。もう昨日の自分さえも、ずっと遠いものになる。

 

「もっと……もっ、と……!」

 

 それはまるで、抜け出すことのできない檻のようで。

 その中でもなお、ジャン・バールという存在は、それを求め続けた。

 

「……っ、ぅ………………ぷ、ぁ……!」

 

 押し倒し、そして――吸いつくす。

 跨ったままのけぞるように天上を仰ぎ、どろどろに混じり合ったそれを喉へと下す。身体を巡る熱いものへと身を委ねると、頭はもう、それ以上を考えることができなかった。

 ふらり、と身体が揺れる。

 

「おい、バール? 大丈夫か?」

 

 大丈夫なわけがない。正気でいられるはずがない。

 こんな快楽を知ってしまった時点で、もう既に狂ってしまったのだから。

 

「っ…………もっ、と……」

「けどお前、もう疲れて……」

「もっとだ、もっとお前がほしい……ぜんぶだ……ぜんぶ、私にくれよ……!」

 

 寂しさはどこかへ消えてしまって、また別の何かが心へ大きな穴を開ける。

 深く、底を知らないそれは、もう彼でしか埋められなかった。

 

「私にはもう、あなたしかいないんだ……あなたがいなくなったら、私は……おかしくなって、……耐えられなくなるかも、しれないから……」

 

 呪いの言葉のようだった。それが彼を縛り付けることも、自分をさらに深くへと沈めていく言葉だとも、理解できていた。けれどそれに抗うことなんてできなくて、ただただ深くへ落ちていく。

 

「もう、いい。あなたと一緒に居られるのなら、何も怖くない。あなたがこうしてそばにいてくれるのなら、どこまでだって行ける。だから――」

 

 指先を絡ませて、囁くように。

 

「あなたの、ぜんぶを奪って……ぜんぶ、私のものに、したい」

 

 さざ波の音だけが、遠くで聞こえている。交錯する視線の中には蕩けるような熱が篭っていて、お互いの吐息すらも、混ざり合っていた。

 鼓動が伝わる。高鳴りは速さを増してゆき、彼女の芯をとくんと熱くさせる。正しさなんて、倫理なんて、もうどうでもよかった。彼と共にいられるのなら、全てを捨てられる覚悟だった。

 やがて。

 

「……いいさ」

「なに?」

「お前がそう望むのなら、それでいい。俺の全てなんて、くれてやる」

 

 頬に手が添えられる。伝う指先は優しくて、けれどその温もりに、ジャン・バールは一瞬だけ崩れ落ちてしまいそうな、そんな儚げな表情を浮かべていた。

 受け入れられた。確かにそれを望んだはずなのに、どうしてか彼女の心にあったのは、恐怖のような、怯えのような何かであった。

 

「……どう、して?」

 

 やがて口にされたのは、疑問の言葉で。

 

「どうしてお前は、そう答えられるんだ?」

 

 堰き止めれられていた感情が、零れ落ちていく。

 

「……縛って、しまうかもしれない。共にそのまま、果ててしまうかもしれないのに、お前は……お前はそれを、受け入れてくれるのか? こうして崩れていく私のことを、否定しないのか? ……共に、堕ちてくれるのか?」

 

 吐き出されるそれは懺悔のようにも思えて、身体がどうしようもなく震えてしまう。握る手はとても強くなっていて、けれどそれに返されるのは、おだやかな彼の瞳だった。

 

「応えられるさ。お前の望む全てを差し出すと、そう決めたから」

 

 解放、なのだと感じた。透き通るような感覚だった。

 あれだけ強張っていた身体からはするりと力が抜けて行って、そのままふわりと腕の中へ抱き寄せられる。

 

「ぁ」

「怖がらなくても良い。お前が望む限り、ずっと一緒にいるから」

「…………後悔、するなよ」

「ここまで来たんだ、するはずないだろ」

 

 寄せる体からは確かな温もりとやさしさが伝わって来て、このまま溶け合ってしまいそうだった。熱く、蕩けてしまいそうで、身体がじんじんと疼く。

 解放と惑溺、そして堕ちていくその隙間に、嬉しさを感じていた。

 

「…………なあ」

「ああ」

 

 唇が触れ合って、すぐにそれは離される。

 今までのどれよりも短いそれは、今までのどれよりも甘いものだった。

 

「――――ぁ」

 

 途端に身体から熱が抜けて行って、視界がぐらりと揺れる。そのままソファーへと倒れ込むと、次にジャン・バールが見たのはこちらを覗く心配そうな瞳だった。

 

「大丈夫か?」

「少し、その……疲れた、だけだから」

「無理しなくていい。少し休んでろ」

 

 かけられる言葉は優しくて、やはりそれに甘えてしまう。

 いつまで続くのだろうか。あるときにはたと終わってしまうのかもしれないし、どちらかが死ぬまでかもしれない。それでも、今にこうしていられるのなら、それはとても素晴らしいことに思えた。

 寄り添う彼の輪郭がおぼろげに揺れる。気が付けば頭はもう働いていなくて、無意識に彼の腕を微かな力で握っていた。

 

「……少し、寝る」

「ああ」

「…………離れ、ないで」

 

 ぽつりとつぶやいた直後に、強いまどろみのなかに落ちていく。眠りはだんだんと深さを増していって、ぼやけた意識は深淵へと堕ちてゆく。 

 暗闇の中には誰もいない。温かさも、優しさも、声も、何も届くことはない。誰の光も届かない闇の中へと、たった一人で沈んでゆく。

 

 けれどもう、怖くない。

 

 



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は?ドイッチュラントなんてメスガキに指揮官の俺が負けるはずないが?むしろ自分の立場をこれから理解らせてやるつもりだが?負けんが?

濃いの()
ああ濃いの()
濃いの()

もう()ないから
動くのやめて

     ――南中江路定(0721〜1919)


 

 夜の十時を、少し過ぎたころ。

 

「ちょっと下等生物!? まだ起きてるわよね!?」

 

 突如として蹴り破られた扉の向こうからは、そんな声が響いてきた。

 

「……ドイッチュラント?」

「あら、どうしたの? そんな顔をして」

「扉を蹴るなと何度も言ってるだろ。壊れたらどうするんだ」

「なによその言いぐさは。この私がせっかく出向いてやったと言うのに」

 

 反省するような気も見せず、けれど彼女――ドイッチュラントは、開いた扉をわざわざ後ろ手で閉めてくれた。

 

「それで、何の用だ。明日の編成内容とかはもう伝えたはずだが……」

「どうしたも何も、見れば分かるでしょ?」

 

 そう言われて、改めてドイッチュラントの装いへと目を向ける。

 鋭く光る青い双眸に、少しだけ水気を帯びた、腰あたりまで伸びる黒髪。身に纏っているのは黒いロングのネグリジェであり、いつもの黒いコートとは一変して、彼女の意外にも丸みを帯びた体の線を、くっきりと露わにしていた。

 少し紅くなった首元へと手を添えながら、ドイッチュラントが黒髪を靡かせる。

 

「……湯冷めするぞ?」

「そんな心配をしてほしいんじゃないの」

「では……いつもの椅子か? こんな時間だから、明日の朝にしてほしいところだが……」

「どうしてあなたはそう慣れてるのよ」

 

 どうしても何も、彼女とこうして長い時間を過ごせば、自然と身体に身に着くと思うが。

 そんな俺の考えもやむなく、ドイッチュラントはいくらか不機嫌になってしまった。

 

「髪よ」

「……髪?」

「分からないかしら? この私の髪を梳かしなさい、と言っているのよ」

 

 どこからか取り出した櫛を振って言う彼女に、ああそうか、と妙な納得を覚えていた。

 確かにドイッチュラントの髪は、かなり長い部類である。それを手入れするのにはかなりの時間がかかるだろうし、ドイッチュラントという艦船の性格なら、それを他人に任せるのも何らおかしなことではなかった。

 

「わざわざそんな事のために?」

「そうよ、ありがたく思いなさい。この私の髪へ櫛を通せることにね」

 

 手の内で櫛を遊ばせながら、ドイッチュラントがソファーへと腰を下ろす。

 ペンを置いたまま俺もその隣へ寄り添うと、存外に細い指から櫛が手渡された。

 

「俺でいいのか?」

「何? 嬉しくないの?」

「そういうわけでは、ない。こうして触れ合えるのは嬉しく思うが……あまり、俺はこういう事に慣れていない。不快に思うだろう」

「頼んだ相手に文句を言うほど、私も落ちこぼれてないわ。まして、貴方にはね」

 

 髪をふさりと揺らしながら、ドイッチュラントがそう呟く。

 石鹸の甘い香りが伝わってきた。

 

「……じゃあ、行くぞ」

「早くなさい」

 

 黒く、けれど細い髪が、指と指の間を通る。

 そこへ櫛をあてがうと、さらさらとした軽い音が、何度も執務室へと響き始めた。

 

「頼んできたということは、いつも誰かにやって貰ってるのか?」

「いいえ、全然。むしろ、他人に髪なんか触らせたことないわ」

「……緊張してくるな、それは」

「ふふ、優しくしなさいよ? なにせ、あなたが初めてのひとなんだから」

「善処しよう」

 

 口元を緩く吊り上げるドイッチュラントが、目に浮かぶようだった。

 

「しかし、少し意外だった」

「何が?」

「君が、こうして体に気を使うこと……それと、それを俺に頼むことが」

 

 含みの無い、本心からの言葉であった。

 艦船にとっての身だしなみや盛装というのは、人間のそれ以上に嗜好品の色が強い。言ってしまえば彼女らは装備とその身一つあれば戦えるような存在であり、極論を言ってしまえば裸のままでもいくらかの戦闘は行えるのだ。

 けれどそのような事は勿論なく、むしろ彼女らの装いは普通の人々のそれよりも多彩な傾向にある。それが兵器である彼女らに残された最後の人間性なのか、それとも彼女らの方から人間に近寄っているのかも分からなかったが、少なくともそうしている彼女らは、とても人間らしく、また少女らしくもあった。

 その中でもドイッチュラントという艦船は、そういったものにはあまり興味を示さないような艦船であった。

 

「失礼な奴ね。でもまあ、否定はしないであげるわ」

「というと?」

「妹がね、最近可愛くなってきたから」

 

 その言葉に、ああ、と彼女の姿を思い出す。

 

「シュペーか」

「あいつ、この前までそんなこと気遣わなかったのに、急に女らしくなったのよ」

「……羨ましい?」

「まさか。むしろ、嬉しく思うわ」

 

 そう言われて、確かにそうだな、と首を縦に振る。

 ドイッチュラントの姉妹艦――アドミラル・グラーフ・シュペーがこの母港へと着任したのは、つい半年前のことであった。彼女はどちらかと言えば内気な性格であるから、馴染むのにも時間が要るかと思ったが、ここ最近は交友関係も良好であり、たびたび仲間と共に外出許可を求めてくるくらいにはなっている。

 そうして変わった彼女のことを、ドイッチュラントは嬉しいと言い切った。

 

「あんなに楽しそうにしているシュペーは初めて見たから。今までのどれよりも、あの子は幸せそうで……それで、いいのよ」

「……君は」

「鉄血のことも、あの大戦のことも、忘れてしまえばいい。あの子が、あの子のままで……皆と一緒に居られるのなら、それはとても素晴らしいことだわ」

 

 そう語る彼女の声色は、今までに聴いたことのない、とても優しいものだった。それこそ今の彼女が艦船ではなく、ただの少女と見間違えるほどに、その後ろ姿は儚げに映っていた。

 

「……手が止まってるわよ」

「ああ、すまない。少し……」

 

 驚いてしまったから。

 そう口にするのは、どうしても憚られた。

 

「……とにかく、妹がそれだと姉の私もそれなりに身だしなみを整えないといけないのよ。そうじゃないと、妹だけ着飾ってるなんて、みたいな事をあの子が言われかねないもの」

「優しいんだな」

「まさか、迷惑してるだけ。だからこうしてあなたを使ってあげてるのよ」

「ありがとう……で、いいのか?」

「ふふ、いい子ね。それでいいのよ」

 

 弄ぶように、彼女がそう告げる。

 その本心は分からなかったけど、どうしてか彼女が笑っているのだけは、理解できた。

 

「……ねえ、下等生物」

「何だ」

「あなたは、あの子のことをどう思ってるの?」

 

 そんなドイッチュラントの言葉に、ふむ、と首を傾げてしまう。

 

「……良い方向に傾いた、と思っている」

「どうして?」

「それは……仲間に囲まれている彼女が、笑顔だったから。闘うことだけじゃなくて、人間らしい、少女としての生き方を見つけられたというのは……とても、嬉しく思う」

 

 それは、艦船としての在り方とはまた遠いものになるのだろう。人間と同じ形をして、人間と同じ様な生き方をしているけれど、中身は全くの別物である、そんな存在。それはもしかすると我々が忌み嫌うものであり、また我々の脅威になり得るものであるかもしれない。

 けれど、どうしてか彼女のことを嫌う事はできなかった。

 彼女だけではない、皆を嫌い、僻み、恐れることなど、決してなかった。 

 

「……変な人間よ、あなたは」

「君と同じことを言っただけだ」

「私はあなたとは違う。個人と言う処でも、在り方という処でも」

 

 この立場にあるのなら、それは理解している。

 共に生きることすらも能わない、遠く離れた存在だと言うことも、充分に。

 

「でも……そうね。あなたのような人間で良かった、とも思えるわ」

「それは、どういう?」

「他の人間だったら、あなたのような考えではなかったかもしれない。私たちのような艦船が人間らしく生きることを許さないし、ただ闘いに生きることだけを強要してきたのかも」

 

 否定をすることはできなかった。

 確かに人間の中には、そう言った思想を持つ派閥も居ないとは言えない。むしろそう言った風潮が多い中で、俺のような人間はどちらかと言えば、変な人間だと捉えられるのだろう。

 けれど、彼女らと共に過ごす中で、そう言った考えを持つことは一切なかった。

 

「私は……私たちは、どうしてこの体で産まれたのかしら」

 

 白い手を天井へ掲げながら、ドイッチュラントがぽつりと呟く。

 

「私たちは闘えされすればいい。感情も、感覚も要らない――それこそ、私たちの基になった艦船として産まれればよかった。そうすれば、あいつらみたいな下賤な考えを持つ者も、あなたのような異端者も、生まれてこなかったでしょうに」

「それは……」

 

 確かに、そうなのだろう。強く言い返すことはできない。

 現に誰かは彼女らに怯え、また誰かは彼女らを畏れているのだから。

 

「……ねえ、下等――いえ、指揮官」

「何、を」

 

 続けられるであろう言葉に、どうしてか怯えてしまっていて。

 

「私たちのような存在は……この感情は、消えてしまった方がいいのかしら」

 

 いつの間にか、櫛を通す手が止まっていた。

 

「そんな事は、決してない」

「……そうなの?」

「少なくとも、俺はそう思っている。君達が消えることは、とても悲しく思う」

 

 それこそ、二度と立ち上がれないくらいに。恋い焦がれていると言っても過言ではない。

 それほどまでに、彼女たちを失う事を、俺は恐れていた。

 

「じゃあ、もし私たちが本当の船になるとしたら?」

「誰にもそうはさせない。命に代えても、君達の今の在り方を守ろう」

「例え話よ、例え話。でもまあ、今の言葉は受け取ってあげる」

 

 こちらへ顔を向けることも無く、ドイッチュラントがそう促した。

 感情も感覚も、言葉も愛情も何もない、鉄の艦船。今ここに生きている彼女がそうなるとしたら、俺は我儘に悲しむのだろう。他にある多くの人間とは違っても、彼女らの持っていた人間らしさが失われるのを、酷く嘆くのだろう。

 けれど、それが彼女たちの本来の在り方ならば。もしかしたら、それを望む者も居るのかもしれない。そうして闘うことに生きる道を見出す者だって、否定することはできない。

 それなら。

 

「たとえ君達が鉄の塊となったとしても、俺は君達と生きることを択ぶ」

 

 どれだけの悲しみが襲い掛かろうと、それだけは確かに言えた。

 ふわり、と黒い髪が揺れる。さらさらとした流れるような長い髪は、その向こうに彼女の笑顔を映し出していて、細められた青い瞳は、まっすぐとこちらを見通していた。

 

「本当に、馬鹿な男ね。そこまでして、私たちを愉しみたいのかしら」

「そうでなければ、今のように君の髪へ櫛を通すことも、君の笑顔も見られなくなるから」

 

 黒い櫛を手渡しながら、そう告げる。

 受け取ったドイッチュラントは、けれどそれを机の上に放り投げた後に、ぽすり、と軽い音を立てながら、俺の膝の上へと体を預けてきた。

 

「……もう髪は終わっただろ?」

「座椅子よ、座椅子。じっとしてて疲れたの。私のために膝を差し出しなさい」

 

 断ることは、ない。

 下から覗く彼女と目を合わせると、その唇が微かに動いた。

 

「私は、良かったと思っているわ」

 

 白い手が、頬を伝う。

 その指はとても、暖かかく感じた。

 

「妹の知らない一面を見れた。人間のような在り方の素晴らしさを、理解できた。闘いの中ではない、平穏の中での生き方を見つけられた……それが、とても嬉しかったから」

「……そう、か」

「それに、この体じゃないと、こうしてあなたを椅子として使えないでしょう?」

 

 にやり、とぎらついた刃を覗かせながら、ドイッチュラントが笑う。

 

「こんなに心地いい椅子は、あなたが初めてよ。誰にも渡したくないくらいには」

「それは……喜んでいいのだろうか?」

「ええ、喜びなさい。私がこの体でいられること。そして……あなたと離れたくないと思うこと。それが、今ここに居る私の在り方なのだから」

 

 傍から見れば、無様なのだろう。傲慢とも取れる彼女を受け入れて、何も言わずに付き従うことを、良しとしない人間も否定はできない。

 けれど、それが彼女の在り方であるならば、それも悪くないと、確かに言えた。

 

■ 

 




更新が空いたけどその分長いというわけではないです ごめん
ちなみに一周年記念の衣装はサウスダコタでした。うわシコって思って着せ替えようと思ったらその時点での戦果ポイントが1200しかありませんでした。ちなみにこれ俺がアズールレーンを今年の始めにDLしてから今に至るまでの合計のポイント
次回はもしかしたら男装兄貴姉貴かもしれません 男装兄貴姉貴ってなんだよ


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