チート転生者 in キャンプ物 (加賀美ポチ)
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一話

 我輩は転生者である。

 数多の小説に登場する一山幾らの転生者同様、転生特典なるものを持たされ今世へと産声を上げた。

 貰った特典は三つ。

 

 ひとつ、国民的漫画である野菜人並の肉体。

 これはいわゆる鉄火場対策である。

 残念なことに我輩が次の人生を送るであろう世界についての詳細は秘匿されていた。

 故にどのような環境であっても生き残れそうな身体能力を求め、この特典を所望した。

 

 ひとつ、国民的RPGゲームの二大タイトル全てに登場する魔法と、それを扱えるだけの膨大な魔力。

 強靭な肉体を備えていても、腕っ節一つで人生の困難や世間の荒波を乗り越えていけるとは限らない。

 故にエフ○フとド○クエに登場する魔法を特典とすることで選択肢の幅を広げたのだ。

 

 ひとつ、上記二つの特典を使いこなせるだけの才気。

 我輩が好きな言葉にこのようなものがある。

 『彼女は黄金を願ったが、それを持ち運ぶための力を願い損ねた』。

 どれだけ貰った特典が素晴らしかろうが、使いこなせなければ宝の持ち腐れ。

 力が強すぎて日常生活さえ儘ならないような事態にならぬ為、我輩は最後にこの特典を願ったのだ。

 

 之にて我輩の次の人生への準備は整った。

 剣と魔法の世界ばっち来いである。

 無双ハーレムなぞは性に合わぬゆえ目指すつもりは毛頭無いが、豊かな人生を送りたいものである。

 

 しかし。

 我輩は失念していた。

 前世にて転生ファンタジー物を読み漁っていた弊害であろうか。

 貰った特典が然程意味を成さない日常系に転生しようとは、この時露ほど思ってなかったのである────

 

 

 

 

 ゆるキャン△

 Fan fiction

 チート転生者 in キャンプ物

 

 

 

 

 軽快な自転車のチェーンの音をバックに、少女の必死な息づかいが鼓膜に届く。

 

「ひぃぃ……やっと半分だよぉ」

 

 年相応のソプラノで苦悶の声を上げるのは、我輩のお隣さんである各務原(かがみはら)・なでしこ。

 幼児期から家族ぐるみのご近所づきあいで保育園は勿論のこと小学校、そして現在の中学校に至るまで同窓のいわゆる幼馴染みという間柄である。

 夏休みの日差しの中。

 少々肥満気味の少女は、強制的に全周約60kmの浜名湖サイクリングコースを走らされていた。

 事の発端は、この幼馴染みの余りにも自堕落な生活故に、彼女の姉が遂に雷を落としたことから始まる。

 

「なでしこ、休むんじゃないよっ」

「ひぃぃ……」

 

 なでしこの後ろより彼女の姉である各務原桜の叱咤激励が飛ぶ。

 ダイエットを強制している張本人とはいえ、毎日妹に付き合って原付バイクで追走しているあたり、桜さんも大概面倒見が良い。

 そんな姉妹を横目に、我輩──僕はなでしこに30分毎の水分補給を促す。

 

「はい、ドリンク」

「ひぃひぃ、ありがとうコタ君。んぐ、んぐっ……ぷっはー!」

 

 手渡されたドリンクボトルを受け取り、なでしこは砂漠でオアシスを見つけた旅人のように勢い良くスポーツ飲料を呷る。

 口にしたのがスポーツ飲料ではあるが、毎度の事ながらこの幼馴染みの少女は、本当に美味しそうに物を飲み食いするものだ。

 

「ありがとうね、コタ君」

「ん」

 

 喉を潤したなでしこの声は、生気を取り戻していた。

 返却されたボトルを受け取り、僕はさらに彼女のやる気を出す為に言葉をかける。

 

「今日はみかんゼリーが家にあったから、走り終わったら一緒に食べよう」

「ほんとっ?」

 

 パァッ、となでしこの顔が花開く。

 無邪気が少女の形をとれば幼馴染みの少女になるのではないかというくらい、今時珍しい純朴さである。

 故に、ついつい子供を甘やかす感覚でなでしこに対して甘くなってしまう。

 自制せねば。

 

「小太郎君、あんまり家の妹を甘やかさないでやってね。あくまでダイエット中だから」

「分かりました。ゼリーは三個までで良いですか?」

「いや、一個で十分だから」

 

 むぅ。

 どうやら実姉の感覚では三個は甘やかし過ぎらしい。

 だが、それも仕方が無いではないか。

 幼少より何かと面倒を見てきた女児が、思春期でも擦れることなく懐いてきてくれるのだ。

 ついつい、判断基準が緩くなってしまうのはご愛嬌と言うもの。

 

「小太郎君も毎日妹のダイエットに付き合ってもらってゴメンなさいね」

「自分にも責任の一端がありますので」

「九割九分食っちゃ寝していた愚妹の責任だから気にしなくていいのよ」

「いえ、それに僕も適度なトレーニングになっていますので、自分の為でもありますから」

「適度、ねぇ」

 

 原付バイクと併走している僕を見て、桜さんは胡乱げな横目を流してくる。

 かれこれ朝から三時間以上もランニングを続け、汗一つ掻いていない己は、確かに奇異に映るのであろう。

 しかし、約30kmの道程も某野菜人の肉体を持ってすれば朝飯前、否、もう朝飯は終わっているので昼飯前である。

 現代社会において過剰極まりない身体能力ではあるが、こういった時には非常に有用であると実感する。

 ダイエット初日からなでしこの付き添いを続けているが、初めて浜名湖一周を終えてピンピンしている己を見る桜さんの表情は中々に珍しいものであった。

 終いには、男の子って体力あるのね、と呆れる顔は今でも瞼に浮かぶ。

 

「ねぇ、小太郎君」

「はい何ですか?」

「なでしこを女の子としてどう思う?」

 

 ちょいちょい、と手招きをされて問われた内緒話。

 原付のエンジン音に掻き消されて話題の人物の耳には届いてはいない。

 僕は恥ずかしがる素振りもなく答える。

 

「好ましいと思いますよ?」

「あんなに丸っこくなっているのに?」

「愛嬌がありますよね」

「……」

 

 嘘偽りの無い本心である。

 天真爛漫の中にも気立ての良さがあり、その内面が外面に滲むようにしてなでしこは常より笑顔が多い少女だ。

 容姿でいえば確かに世間一般で太っている部類ではあるが、僕からしてみればマイナス要素とは感じられない。

 身内の贔屓目かも知れないが。

 本心からの言葉だと伝わったのか、桜さんは僕となでしこを交互に見つめる。

 

「良かったら家の妹を貰ってくれる?」

「お互いが成人して、なでしこがそう思ってくれるのなら吝かではないです。

 あっ、ここでの吝かは喜んでという風に捉えてください」

 

 吝かという言葉には、喜んで~するという意味の他に、しぶしぶ~するという全く逆の意味に捉えられる場合がある。

 勿論、僕は前者の意味合いで桜さんへと意思表示をする。

 数瞬、見つめ合い、桜さんは片手でぐっとガッツポーズ。

 

「言質は取ったからね」

「あはは、でもまぁ、なでしこの方が僕のことをどう思っているかは分かりませんけどね。

 それに、人生まだまだこれからなんですから、僕より素敵な人と沢山出会うと思いますよ」

「や、小太郎君は駅前一等地ばりの優良物件だから」

「ちょっとオーバーじゃありません?」

 

 確かに二度目の人生と言うことで文武ともに優秀な成績を修めていることは自覚している。

 だがしかし、それはあくまで二度目と枕詞が付随する成績に過ぎない。

 他の誰かが同様の境遇になれば、己よりも優秀な者はごまんと居るだろう。

 

「まだ社会的地位も無いのに、その評価は学生の身としまして、まさに身に余るかと」

「……小太郎君ってさ」

「はい?」

「時々年齢を誤魔化してるんじゃないかって思う時が結構あるんだよね。

 なでしこはポヤポヤしてる所があるからさ、そんなしっかり者の小太郎君が一緒になってくれると私も安心かなぁって」

 

 なるほど。

 確かに僕は、同年代の男子と比べると如何にも『青春!青春!』しているという風には見えないのだろう。

 二度目の人生の弊害か。

 少々情熱に乏しいことは自覚している。

 それを落ち着いていると捉えるか、枯れていると捉えるかはそれこそ人それぞれだ。

 

「少し気恥ずかしくなってきましたので、一旦この話は止めにしませんか?

 惚れた腫れたの話は当事者でない時にしたいものです」

「りょーかい」

 

 人差し指同士で×印を作り、曖昧な笑顔でそう提案してみる。

 桜さんもこれ以上深く掘り下げるつもりは無かったのか、追求の手を軽く引っ込めてくれた。

 

「おねぇちゃ~ん! ほんのちょこっとだけ休憩したいなぁって」

「ブタ野郎が一丁前に権利を主張するんじゃない! 死ぬ気で漕いで、そのぶくぶくと蓄えた脂肪を燃やすんだよ!」

「ひぃぃぃん」

 

 姉の叱咤になでしこは涙目である。

 果たして姉の愛の鞭は実を結ぶのか否か。

 麗しい姉妹愛を横目に、僕は浜名湖の美しい景色を走る。

 そして、なでしこに向かってボソッと言霊を零す。

 

 ────『リジェネ』っと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 浜名湖一周を軽く終え、僕は現在太平洋を臨むとある海水浴場に来ていた。

 シーズンは夏休み。

 多くの海水浴客で賑わう海を、何をするでもなくチャプチャプと漂う。

 

 ちなみにお昼ご飯は各務原卓でご一緒させてもらった。

 家の両親は共働きをしており、家族団欒でご飯を食べる機会が少ない。

 それを見かねた各務原の親御さんが僕を夕飯に誘ったのが切っ掛けで、それからも度々各務原家で食卓を囲むようになった。

 なお、お昼ご飯後のデザートに用意していたみかんゼリーの大半は無事なでしこの胃袋に収まった模様。

 

 というわけで、僕が海に繰り出している理由は端的に言って食糧調達である。

 海は自然の宝庫。

 転生特典を駆使すれば、素潜りで魚の捕獲など赤子の手を捻るようなもの。

 各務原さん家にお世話になりっぱなしは心苦しいので、こういった形でご恩返しをさせてもらっているのである。

 

 海水浴客の視線が向いていないことを確認し、とぷん、と海へと潜水する。

 そして、心の中で呪文を唱える。

 ピオリム、そしてヘイストと。

 次の瞬間、僕は海の生物最速ランキングを塗り替えた。

 

 ゴーグル越しに水中の景色が目まぐるしく流れる。

 その速度はカジキマグロを優に超え、回遊している小魚の群を猛スピードで抜き去っていく。

 傍から見ればそれは肌色の弾丸が海を横断しているように見えるだろう。

 

 海岸を抜け、沿岸へと潜水にて到達。

 上下左右の青景色には色取り取りの様々な魚が優雅に泳いでいる。

 僕はお目当ての魚を見つけるために、心中でとある呪文を唱える。

 

 ────『レミラーマ』。

 

 瞬間。

 視界の端でキラリ、と光が瞬いた。

 レミラーマ、それは画面内に何かある場所があった場合、そこを光らせて知らせてくれる呪文である。

 これを現実世界で使用した場合、探しているものを光らせて知らせてくれる超有用呪文になっていた。

 

 僕は光った場所目掛け、ドルフィンキックで海中を突き破っていく。

 視界で米粒大であった目標との距離は瞬く間に目と鼻の先となった。

 

 目方は50cmと通常のものより一回り大きい大物。

 全身に小豆色の斑紋があるその魚は岩礁域に身を潜めていた。

 しかし。

 野菜人の暴力的な身体能力に補助呪文も加わった僕にとっては、まな板の上の鯛である。

 逃げる暇も無く、その魚を手掴みで捕獲した。

 

 捕獲した瞬間、気をナイフ状に固め、魚の目の後方を突き刺し、即死させる。

 その後、海上へと顔を出し、レビテト(浮遊魔法)で浮かびながら締めていく。

 エラを切って、血を抜き、腹を割いて内臓とエラを除去。

 ウォーターの魔法で綺麗に洗い、当面の処理は完了である。

 活け締めの終わったその魚を僕はポイ、と宙に放り投げる。

 投げ捨てたのかと思うかもしれないが、それは違う。

 宙に舞った魚は次の瞬間、空中に溶けるように消失した。

 

 種明かしをすると、これはドラ○エにある『ふくろ』のシステムを利用したのである。

 最近になって判明したのだが、この『ふくろ』も魔法として扱われているらしい。

 しかも。

 中に入れたものは、そのままの状態で保たれるため、こういった足の速い食材の保管に最適なのである。

 

 ふむ。

 各務原家の家族構成を鑑みるに、後3・4匹ほど確保しておくかな。

 思い立つや否や、僕は再び海中のハンターとなっていた────

 

 

 

 

 

 

 

 

「なでしこ、今日の晩御飯はこれにしよう」

 

 午後四時過ぎ。

 各務原家の居間にて。

 テレビを見ながら寛いでいた姉妹の前でクーラーボックスを開け放ってそう提案してみた。

 

「なになにー、お魚? 釣ってきたの?」

「そんなところ」

 

 てこてこ、寄ってきたなでしこがクーラーボックス覗き込み、目を輝かせる。

 そこにはサイズの良い新鮮な魚が5匹も入っていた。

 

「ねぇ、コタ君。このお魚の名前はなんていうの?」

「こいつはね────」

 

 どうやらなでしこは捕ってきた魚を知らないらしい。

 つんつん、と指先で中にいる魚の腹をつついていた。

 

「────キジハタっていう魚だよ」

 

 『夏のふぐ』とも呼ばれる高級魚である。

 分布は日本海や瀬戸内海だが、静岡の沿岸でも取れなくは無い。

 今の季節が旬であり、脂の乗った弾力のある白身は絶品。

 潮汁にしてよし、薄作りにしてよし、唐揚げにしてもよし。

 1kgあたり5000~7000円程度するが、頑張ったなでしこのご褒美はこれくらいが丁度良いのではないかな。

 

「キジハタ?」

「うん、煮てよし、焼いてよし、揚げてよしの魚だからなでしこが好きなもの作ってくれると嬉しいな」

「うん! 腕によりをかけて作っちゃうよっ」

 

 あっ、桜さんが目を見開いてこっち見てる。

 たぶん、キジハタの相場を知ってるんだろうなぁ。

 

 

 

 

 その後、こんな高級なものをただで貰うわけにはいかないと、桜さんと一悶着があったが、無事キジハタは各務原家の食卓に上がった。

 頬一杯にキジハタを食べるなでしこはとっても愛嬌があると思いました、まる────




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 あとがき

 いっぱい食べるなでしこが、いっぱいちゅき。
 ただなでしこに美味しいご飯を食べさせてあげたいが為にこのSSを書きました。

 主人公のチート能力もそのためです。
 あと、戦闘用に貰ったチートが全く戦闘用に使われない世界観に転生するってシチュが結構好きです。


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二話

 季節が過ぎ行くのも早いもので紅葉の秋。

 通学路の街路樹もその身を緑から紅に染めて、季節の移り変わりを示してくれている。

 

 そんな中学三年の下校時。

 相も変わらず我が幼馴染み殿はのほほん、と表情を緩めていた。

 公園のベンチに座り、手にはホクホクと芯まで火が通った安納芋。

 つい先ほど石焼き芋屋の屋台より購入したそれを美味しそうに頬張っていた。

 

「うまー」

「相変わらずなでしこは物を美味しそうに食べるよね。や、私も買っちゃったんだけどさ」

 

 同じくベンチに腰掛けていたなでしこと僕の共通の幼馴染み、土岐綾乃(ときあやの)がそう呟いて、手に持った焼き芋を頬張る。

 綾乃の食べている焼き芋は一つ。

 なでしこの食べている焼き芋は紙袋一つ。

 この事実だけで我が幼馴染み殿の食に懸ける姿勢が伺えてしまう。

 

「おいしー」

「うまー」

 

 一口食べて甘いものに頬をとろけさせる姿はやはり女の子なのだろう。

 そんな二人を尻目に僕も買った焼き芋を食べる。

 

「やー、それにしても本当になでしこも変わったよねぇ、夏から大変身じゃん」

「えへへー、お姉ちゃんとコタ君のおかげだよ」

 

 そう、なでしこは変わった。

 丸っこかった外見は、浜名湖周回により女の子らしい丸みを残したままダイエットに成功していた。

 ほっそりとした腕、すらりと伸びる脚。

 元々整っていた目鼻立ちを美しく見せる顔の輪郭。

 贔屓目無しでも、文句無しの美少女である。

 

 しかし。

 幾ら枕詞に『美』が付く少女になろうとも、焼き芋で表情を崩す様を見ていると相変わらずだなぁ、としか思えない。

 比喩抜きでほっぺが落ちそうになっている。

 

「夏休み明けになでしこ見た男子共なんか目の色を変えてたじゃん。それまで素振りすら見せなかったのになでしこのこと意識し始めちゃって」

「そ、そうかな?」

「そこのところはどう思われますか、旦那さん」

 

 背景に同化していると急に話題が振られる。

 振った張本人は茶目っ気たっぷりにニヤついて此方の反応を窺っていた。

 

「なでしこは元々美人さんだからね。クラスの男子の反応も順当じゃないかな」

「おお、余裕ですなぁ」

「綾乃も美人さんだと思っているよ。器量良しだし、気立ても良いしね」

「おお……そう来ますか……」

 

 此方の初心な反応を引き出したかったのだろうけど、残念。

 初心と言うには前世を含めて些か年を重ねすぎている。

 代わりに思っていることを素直に口にすると、綾乃はなんとも可愛らしい反応を見せてくれた。

 ちびちび、と頬を染めて焼き芋を口にする姿は、小悪魔というよりは小動物じみていた。

 隣ではにかんでいるなでしこも実に愛い。

 

「ま、まあ、ダイエットに成功してもなでしこのほっぺの柔らかさは流石に変わんないよね」

「うにゅ」

 

 焼き芋を食べている最中に頬をつままれ、なでしこが奇妙な鳴き声を上げる。

 そのまま綾乃は頬をむにぃー、とお餅のように伸ばすが途中でその動きを止める。

 

「……なにこれ」

 

 呆然と驚愕。

 二種の感情が入り混じった表情で綾乃はなでしこの頬から指を放す。

 そして。

 まだ感触の残る指を自分の頬に添える。

 なでしこの感触と、自分の感触との差異。

 その差を綾乃は受け止め切れない。

 

「え? なにこれなにこれ!」

 

 指がなでしこと綾乃とで行き来する。

 ぷるん、と瑞々しく、それでいてうっとりするほどスベスベで柔らかななでしこのほっぺ。

 年相応に弾力と若さが感じられる自分の頬。

 

「なんでこんなに赤ちゃんみたいな肌になってんの? え、ダイエットってそんな効果があったっけ?」

「?」

 

 無自覚ゆえになでしこはきょとん、と綾乃の奇行を見守る。

 無論、なでしこの赤ちゃん肌にはれっきとした理由がある。

 

「あっ」

「おっ、心当たりがあるのか。さあキリキリと吐け、吐くんだ。一人だけ抜け駆けはずるいぞ」

「んっと、多分だけどアヤちゃんが言ってるのは、コタ君のマッサージのおかげだと思う」

「え? マッサージ?」

「うん」

 

 ぐりん、と綾乃の首が此方を見やる。

 なにやら言葉が足りないようなのですぐさま付け足す。

 

「足つぼの方ね。流石に幼馴染みだからといって普通のマッサージはやらないよ」

「そ、そうだよね」

「なでしこが浜名湖一周した後は、次の日に疲れが残らないようにやってただけだよ。ある程度足つぼのことも知っていたし」

 

 弁明に綾乃はほっと胸を撫で下ろしたようだった。

 

「いやでも、足つぼマッサージで肌はこんなにならないでしょ」

「えー、でもコタ君のマッサージはすごい気持ちいいんだよ、私なんかやってもらうといつの間にか寝ちゃうもん」

 

 無論ただの足つぼマッサージではない。

 ホイミ(回復呪文)込みの足つぼマッサージである。

 転生特典である膨大な魔力が作用したのか、僕が扱うホイミは体力回復は勿論のこと、シミそばかす、ニキビも完治。

 更には、リラックス効果、アンチエイジング効果付きという素敵要素が盛り沢山。

 正直このままエステティシャンとして就職しても、大成間違いなしの効能だった。

 

 その恩恵に預かったなでしこは、紫外線ダメージなど皆無で夏を乗り切り、産まれたてのもちもち肌すら手に入れる結果となった。

 水を玉にして弾くなど今のなでしこにとっては造作も無いことだろう。

 

「でもあれってすっごい痛いときがあるじゃん。私はちょっと苦手かな」

「そうかな。コタ君は痛くしないよ」

「やー、興味はあるんだけどねぇ」

 

 ちらちら、と僕となでしこの頬を交互に見やり、綾乃は興味を隠しきれていない様子。

 赤ちゃん肌の誘惑と、同年代の男子に身体を触られる羞恥心。

 板挟み状態の綾乃を他所に、なでしこはあーん、と焼き芋を幸せそうに頬張った────

 

 

 

 

 ゆるキャン△

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 チート転生者 in キャンプ物

 

 

 

 

「じゃ、じゃあ……よろしく」

「はい、よろしくされました。そんな硬くならずに気楽に、ね」

 

 いつもの各務原家の居間。

 結局、綾乃の天秤はアンチエイジングに傾いた。

 これが女性の若さに懸ける執念か。

 まぁ、男に肌を許す抵抗はあるようなので、ちゃちゃっと済ませてしまいましょうかね。

 まずは、緊張をほぐす為に素足を両手で包み込む。

 

「……あ、温かい」

 

 ソファーの上の綾乃がぴくり、と反応するが、次第に身体のこわばりが抜けていく。

 それもそのはず。

 僕の手は今現在ホイミ・リジェネの効果を高濃度で纏わせている。

 綾乃の足先から身体全体へと魔法の効果を浸透させていくと、ぽかぽかと陽だまりに居るような安心感に包まれる。

 

「ふわぁ……」

 

 その状態で、足指の間を恋人つなぎのように握ると、口から陶酔の吐息が漏れだす。

 そして、綾乃の身体には劇的な変化が起こっていた。

 シミ、そばかす、ニキビ、肌荒れ、冷え性などの習慣病は、強化促進された自己回復能力により瞬時に癒え、血色が明らかに良くなる。

 目的であった美肌は既に手に入り、美人さんにますますの磨きが掛かっていった。

 水滴を肌に垂らしてあげれば玉になって弾かれるだろう。

 

 蕩けきった状態で足裏のつぼを押す。

 たまご肌になった足裏がぷにっとへこむ。

 

「これぇ……だめなやつだぁ……だめになるぅ……」

「あら、綾乃ちゃん来てたの? いらっしゃい……って聞こえてないわね、これ」

 

 居間に入ってきた桜さんが綾乃に声を掛けるが、彼女の精神は涅槃へと旅立っているので答えが返ってこない。

 状況把握を済ませた桜さんは、気にすることなく冷蔵庫からお茶を取り出して、とぽとぽ、と淹れだした。

 コップを傾けて喉を潤す桜さんの肌はつるり、としたゆでたまご肌。

 そう、桜さんもこの足つぼマッサージのリピーターなのである。

 聞いた話では大学の友人に鬼気とした形相でその肌の秘密を問いただされているとかなんとか。

 そのエピソードを聞かせてくれた桜さんの顔には確かな優越感が滲んでいた。

 

「綾乃ちゃん、綾乃ちゃん」

「はっ……あ、桜さん、お邪魔してます」

 

 肩を叩かれながらの呼びかけに対して、綾乃は漸く涅槃より帰還する。

 正気に戻った綾乃の肩を力強く握り締め、桜さんは据わった目で顔を寄せる。

 

「いい、綾乃ちゃん? このことを広めてはダメよ」

「えっと、それはどういう……」

「はいこれ」

 

 ぽん、と手渡された手鏡。

 磨かれた鏡面に映し出されたのは、いつもの自分の顔。

 否。

 顔形は同じでも、その本質は全く異なるものとなっていた。

 

「うわっ、何これ! ニキビまで無くなってるし、どうなってるの!?」

 

 鏡に映る自分の顔をぺたぺた、と触ると明らかに数分前までのものとは雲泥の差があった。

 しっとり、と吸い付くような指ざわり。

 指が離れたときにぷるん、と揺れる水分をたっぷり含んだ弾力。

 まるで魔法のようなビフォーアフターである。

 

「小太郎! なにしたの!?」

「なんだろうね?」

 

 勿論、魔法のことについて暴露するつもりは無い。

 無いのだが、その恩恵を身内に対して御裾分けすることについては別段忌避もしていない。

 故にすっとぼける。

 問い詰められようともすっとぼけ続ける所存である。

 

「なでしこもこれは絶対おかしいと思うよね!」

「不思議だなぁ、とは思うけどコタ君も分からないみたいだからそんなものなんだぁ、としか思ってなかったよ」

「いやいや絶対おかしいって、それはぐらかされてるから!」

 

 納得してくれているなでしこは良い子である。

 後で飴ちゃん(北海道バター飴)をあげよう。

 

「不思議だねぇ」

「小太郎! アンタ絶対分かって言ってるでしょ!」

 

 なおも追及の手を伸ばそうとする綾乃に、待ったを掛けたのは桜さん。 

 再度、ぐわしっ、と綾乃の両肩を握り締め、諭すように言葉を紡ぐ。

 

「いい、綾乃ちゃん? 世の中には過程が大事と言う人も居るけれど、結果も凄い大事だと私は思うの。

 綾乃ちゃんは好奇心で鶴の機織りを見てしまう方なの? それとも見て見ぬふりをして綺麗な織物を貰う方なのかしら?」

 

 知れば霞の如く消え、知らねば与えられ続ける恩恵。

 若さばかりを武器に出来なくなりつつある桜さんの言葉は重圧が伴っていた。

 ハッ、となる綾乃。

 好奇心と美肌。

 天秤が傾くのは早かった。

 

「小太郎のマッサージテクニックって凄いですね! 私、このために小太郎のところを通いつめちゃうかもしれません」

「ええ、私もそう思うわ」

 

 堕ちたな。

 僕は白々しく掌を返したもう一人の幼馴染みを見て、そう確信した。

 うふふ、ほほほ、と笑い合う二人の女性。

 時代・年齢問わず女性の美容に対する執着は凄まじい。

 この結果は当然であり、必然であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふぅ、と一息を吐く。

 一通り足をほぐし、知っているツボを刺激し終えた。

 その結果は目の前ですぴー、と気持ちよさそうに熟睡している綾乃を見れば一目瞭然だろう。

 首元に巻いたタオルがじっとり、とよだれで湿る程度には眠りは深い。

 乙女のあられもない姿は見ないふりをしてあげるのが武士の情けというやつだろう。

 でも、ネタになりそうなのでスマホでパシャリ。

 

「やっぱり、こうなっちゃったね。起こすのもかわいそうだし、アヤちゃんのお母さんには私から連絡しとくね」

「よろしく」

 

 ソファーの一つを独占している綾乃を見て、なでしこはくすくす、と鈴が転がるように笑いをかみ殺していた。

 夕飯時にはまだ時間がある。

 茜色が窓から差し込み、テレビでは明日の天気をニュースキャスターの女性が読み上げている。

 食事当番の桜さんがトントン、と包丁で具材を小気味良くきざんでいる。

 まったり、とした雰囲気に身を委ねていると、電話を終えたなでしこがソファーに身を沈めてきた。

 僕の隣で、幼馴染みは何がそんなに嬉しいのかほにゃり、と柔らかく表情を崩している。

 

 そんななでしこの表情をぼんやり眺めていると、伝えなければならないことがあったと思い出す。

 

「あ、そうだ。なでしこ」

「うん? なぁに?」

 

 小首を傾げる幼馴染みに、僕は夕飯の献立を伝える気軽さで内容を伝えた。

 

「僕、この冬で山梨の方に引っ越すから」

 

 瞬間。

 各務原家から音が消えた。

 包丁がまな板を叩く音は止み、なでしこは呆け、綾乃は熟睡。

 ニュースキャスターの天気予報のみが思い出したかのように花粉情報を読み上げている。

 

『…………え』

 

 なでしこと桜さん。

 二人の放心したようなか細い声が重なる。

 次瞬。

 各務原家から姉妹の姦しい叫びが木霊した────




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 あとがき

 県ひとつ分の距離も『テレポ』でえいっ、じゃよ


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三話

「やだよー! コタ君と離ればなれなんてっ」

 

 懐かれたなぁ、と現実逃避。

 引越しの件を伝えた後、正しく言葉の意味を認識したなでしこに縋り付かれてしまっていた。

 相当に切羽詰っているのか、詰め寄られた僕はソファーへと押し倒されている真っ最中である。

 仰向けに倒れる僕の胸元に圧し掛かり、我が幼馴染み殿は涙目の癇癪を起こす。

 ああもう、春から高校生だというのにはしたない。

 女の子がみだりに男へ引っ付くものではありません。

 

 だがしかし。

 縋り付かれて悪い気はしない。

 我侭を言う姿も、贔屓目の色眼鏡で見れば幼げに思えて頬が緩みそうになってしまう。

 

「心配しなくてもそんなに遠くへは行ったりしないよ。お隣の県じゃないか。会おうと思えばすぐに会えるよ」

「でもでもっ」

「スカイプを使えば毎日でも顔を合わせてお喋りも出来るし、なでしこが携帯を買ってもらえればメールでのやり取りも簡単に出来るよ」

「うーうー」

 

 そのうーうー言うのやめなさい、可愛らしいだけだから。

 どうしたものか。

 すっかり幼馴染み殿に臍を曲げられてしまった。

 

「ほら、飴ちゃんあげるから機嫌直して」

「……いらない、コタ君の方がいい……」

 

 なにぃ!?

 なでしこが食べ物に釣られないだと。

 しかもこの飴ちゃんは大阪老舗の高級べっ甲飴だというのに。

 まあそれはさておき。

 どう宥めたらよいものか。

 そう思っていると綾乃がなでしこの首根っこを掴んで引っぺがしてくれた。

 ふらーん、と猫の如く吊られるなでしこ。

 

「はいはい、小太郎が困ってるでしょ。そんくらいにしときなよ、なでしこ」

「でも~、アヤちゃんはいいの? ずっと三人一緒だったのにコタ君が遠くに行っちゃうんだよぉ」

「そりゃ、私だって寂しいよ……そもそも何でまた山梨に?」

 

 そういえば引っ越すとは話したが、理由についてはまだ何も話していなかった。

 話す前になでしこが暴走したのは置いておこう。

 

「親の仕事の都合。父さんの勤務地が山梨の方になってね、通うのは距離があるから単身赴任も考えたらしいんだけど母さんが付いていくの一点張りで」

「仕事の都合かぁ……それは私たち未成年にはどうしようもないね」

「そそ」

 

 扶養されてる身としてこればかりは仕様が無い。

 そんな遣り取りをしていると、なでしこがすっかり落ち込んでしまった。

 

「小太郎君」

「あ、はい何ですか?」

「引越し先はもう分かってるの?」

「はい、山梨の○○市って所です」

「…………よし」

 

 あの……桜さん、その小さなガッツポーズはなんなのでしょうか。

 ひょっとしてホイミマッサージを受けるのに支障が無い距離だったことについてですか。

 SUVの車お持ちでしたよね。

 

「なでしこ、いい加減機嫌直しな。○○市くらいなら私が休みの日に車出してあげるからさ」

「ほんとっ」

「ほんとほんと。小太郎君も機会が合えば引越し先にお邪魔してもいいかしら?」

「はい、是非とも。僕のほうからもこっちには遊びに来ようと思ってますので」

 

 流石に桜さん一人へ負担が集中するのは忍びない。

 車の燃料代だって馬鹿にならないだろう。

 大学生の彼女には相当な負担な筈だ。

 僕の場合は、FF魔法『テレポ』で移動は事足りる。

 『ルーラ』では謎の人型未確認飛行物体としてお茶の間を騒がせてしまう可能性があるので却下である。

 

「だから、ね。ちょっと遠くへ行くだけだから、疎遠になるわけじゃないよ」

「……うん」

「飴ちゃん舐める?」

「うん」

 

 ころころ、となでしこのほっぺを膨らませるべっ甲飴。

 口の中の甘味にやっとなでしこは少し笑みを見せてくれた。

 眦に涙の跡は残るけど、やっぱり悲しげな顔よりも此方の方がずっと良い。

 

 

 

 

 その後。

 冬の訪れと共に、引越しのお別れ会が各務原家主導で盛大に行われた。

 なでしこが腕によりを掛けて作ってくれた料理はとても美味しく、幼馴染み殿の成長が感じられてほろり、としたことは内緒である。

 これを機に携帯を買って貰えたなでしこと綾乃の三人でアドレス交換を行い、一日一メールはするように約束させられた。

 そして。

 僕は山梨へと旅立つ────

 

 

 

 

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 ピンポーン。

 日曜日の午前中に各務原家のチャイムが木霊する。

 

「はーい。あら小太郎君じゃない、どうしたの?」

「こんにちわ、桜さん。静岡の近くを寄る機会がありましたので顔を見せに来ました。これ、つまらない物ですが」

「そんな気を使わなくてもいいのに」

「貰い物ですので、遠慮せずに受け取ってください」

 

 まごうことなき貰い物である。

 手渡した無地の発泡スチロール箱の中身は北海道産タラバガニ1匹丸ごとである。

 甲羅の大きさ、足の長さ、太さも良型のカニを厳選してきたと自負している。

 無論、買ってきたわけではない。

 ちょっと真冬のオホーツク海を潜水して獲ってきただけである。

 まごうことなき『海からの』貰い物である。

 

 焼きガニの足をちゅるん、と食べるなでしこは可愛いと思いました、まる。

 

 

 

 

 ピンポーン。

 また別の休日に各務原家のチャイムが軽快に響く。

 

「はーい。あら小太郎君、今日も?」

「こんにちわ、桜さん。はい、今日もたまたま近くに寄る機会がありましたので」

「顔を出してくれるのは嬉しいけど、無理してないかしら?」

「心配してくれてありがとうございます。でも大した負担でもありませんので大丈夫ですよ。ひょっとして頻繁すぎてご迷惑でしたか?」

「ああ、そういうのじゃないから。私も小太郎君のこと弟みたいに思っているから来てくれて嬉しいわ」

「ありがとうございます。あ、これ、つまらない物ですが」

 

 渡すのは今回も無地の発泡スチロール箱。

 前回が海だったので今回は『山からの』貰い物である。

 中身は今朝解体した山梨県産の鹿肉。

 高タンパクで低脂肪、なおかつ鉄分の含有量も非常に高いとされるあの鹿肉である。

 世間では肉質が硬く、臭いがきついとされているが、それは大きな間違い。

 適切な血抜きと処理を行えば、柔らかく匂いが穏やかという特徴を持ったお肉なのだ。

 処理を行ったのは僕自身なのでそこの所は抜かりない。

 生食では危険だが、そこはキアリー、キアリク、ポイゾナ、リブートといった状態異常回復魔法をふんだんに行使したので、刺身でも食べれると自負している。

 

 もみじ鍋をはふはふ、と食べるなでしこはめんこいなぁと思いました、まる。

 

 

 

 

 ピンポーン。

 そしてまたとある休日に各務原家のチャイムがポチられる。

 

「……」

「こんにちわ、桜さん」

「……ねぇ、小太郎君」

「はい、なんですか?」

「家までの移動手段はどうしているのかしら?」

「うーん…… えいやっ、という感じでしょうか」

「……」

「……」

「……はぁ……小太郎君の不思議は今に始まったことじゃないから詳しくは聞かないけどさ、本当に無理してない?」

「お箸を持つくらいの無理ならしています」

「ん、ならよし。家に上がりな」

 

 ぽんぽん、と頭を軽く撫でられる。

 桜さんはくるり、と踵を返して敷居を跨がせてくれた。

 摩訶不思議で一歩間違えれば不気味であろう己を、軽く受け入れてくれる桜さんは本当に素敵な女性だと思う。

 その日頃の感謝を込めて、今日もまた誠心誠意ホイミマッサージに取り組むことを決意した。

 

 追記。

 白トリュフのパスタをつんつん、つついて恐る恐る食べるなでしこはチャーミングだと思いました、まる。

 




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 あとがき

 今回は少し短めのお話となっています。
 以下、小太郎のソロキャンプ適正
 ↓
 衣:防寒着など不要! 半袖短パンで真冬もOK! 極寒の地ならフバーハで快適!
 食:現地調達で事足りる!
 住:レビテト or トベルーラによるエアベッドでぐっすり安眠! テントなぞ不要! 身一つあれば事足りる!

 ……この主人公、キャンプ道具要らなくね?


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四話

 志摩リンは天狗に出会ったことがある。

 こう言うと大抵の人間は何を馬鹿なと一笑に付すだろう。

 だからその体験を祖父以外に話したことは無い。

 しかし。

 志摩リンは確かに天狗に出会ったことがあるのだ。

 少なくともリン自身にとってはそれが事実だ。

 

 

 

 

 落葉の季節になり始めた頃。

 木々が紅葉をその身から切り離し、冬支度をする山道。

 リンは祖父から譲り受けたキャンプ道具一式を自転車に積み込み、その山道を登っていた。

 義務教育を受けているであろう年齢の少女が一人、山道をキャンプ道具と共に登る。

 傍から見れば中々珍しいと思える光景であった。

 

 はふ、とマフラーからはみ出た口で大きく息を吐き出せば、ほのかに白く霞む。

 ペダルを漕ぐたびに、頭の上で結われた大きなシニヨンが揺れる。

 この目的地までの骨の折れる道程も、キャンプを楽しむスパイスの一つであるとリンは考える。

 しかし。

 

 ──とはいえ、やっぱりしんどい。免許取れるようになったらバイトしてスクーター買おうかな。

 

 楽が出来るのであれば楽をするべきだともリンは考える。

 そんな事をつらつらと考えつつも、リンはキコキコとチェーンの回転音を奏でる。

 

 ──ん?

 

 ふと、前を見れば道の端に黄色い標識を発見した。

 デフォルメされた横向きのサルが描かれたそれは動物注意標識。

 山梨県には素晴らしいキャンプ地が多いが、野生動物もまた多い。

 鹿、猪、猿、たまに熊などの目撃情報がテレビやネットで流れている。

 

 一人キャンプを是とするリンにとって野生動物の情報は死活問題だ。

 だからこそ、目撃情報にはアンテナを張り、目撃された場所へのキャンプは自制していた。

 

 ──確か、今からいくキャンプ場に出没情報は出てなかった筈だから、大丈夫だよね。

 

 頭の中の情報を参照していると、道の横に広がる雑木林がガサリ、と揺れた。

 ビクリ、とリンの小さな肩が跳ねる。

 野生動物を考えていた直後の出来事に対して、思わず背筋に冷たい汗が流れる。

 ガサリガサリ、と雑木林の奥の枯葉が『何か』に踏まれている音。

 木々によって薄暗くなっている奥の林。

 リンは怯えを含みながらも目を凝らす。

 居た。

 足音の主と目が合った。

 

 短い足と寸胴な体躯。

 黒に近い茶褐色の体毛の合間から覗く無機質な目。

 それは──イノシシだった。

 

 サッ、と顔から血の気が引いていくのをリンは自覚した。

 

 ──ヤバイ、この状況は非常にまずい。落ち着けっ、パニックになったら駄目だ。

 ──イノシシは臆病な性格だから、刺激せずにゆっくり距離を取ったら大丈夫、きっと。

 

 祖父から教え込まれた知識を脳裏に思い出し、リンはゆっくりと後ずさる。

 しかし。

 カチカチ、と硬い物を打ち付ける音が雑木林に響く。

 響いた音の発生源。

 それはイノシシが牙を打ち合わせている音であった。

 そして、その行動が指し示している事柄は、イノシシの威嚇行動である。

 ガリガリ、と前足で地面を削り、リンをその目で確かに見据えていた。

 

 ──なんでっ!

 

 この時点でリンは半ばパニック状態になりかけていた。

 冬が近づき繁殖期故に興奮状態であったイノシシの威嚇行動は、それだけで少女の冷静さを奪うだけの威圧感があった。

 

 ──逃げなきゃ、自転車で坂を駆け下りれば追いつかれないはずっ!

 

 咄嗟の行動であった。

 踵を返し、来た道に反転する動作。

 それが、イノシシの引き金を引いた。

 

 猪突猛進。

 猛然と突進してくるイノシシの速度は、リンが自転車で逃げるものより遥かに速い。

 背後に迫り来るイノシシの脅威。

 イノシシの牙で太股の大動脈が破かれ、失血死した男性のニュースが走馬灯のように過ぎる。

 数瞬先の未来にリンは身を硬くして身構える。

 

 しかし。

 覚悟していた衝撃は、横合いからの闖入者によって回避された。

 イノシシが居た雑木林から道を挟んで反対側の林。

 其処から影が飛び出してきたのをリンは確かに見た。

 瞬間。

 イノシシの断末魔が寒空に響き渡った。

 

 恐る恐るイノシシの様子を窺えば、其処には人影とイノシシが重なり合っていた。

 それは異様な光景であった。

 体勢を低くした人影の伸ばした手がイノシシの耳の後ろへと深々と刺さり貫いている。

 驚くことに人影の手には何も持っていない。

 否、素手が手首までイノシシにめり込んでいるため確認できないのだ。

 

 ずるり、と引き抜かれる人影の手。

 それと同時にイノシシは糸が切れた人形のように枯葉のベッドへ倒れ伏した。

 

 リンはイノシシを絶命させた人影を呆然と観察する。

 中肉中背のこれといって特徴の無い体型。

 身体のシルエットからおそらく男であると予想するが、後ろ姿と目深に被られた帽子によって確認は出来ない。

 

 リンがなんと声を掛けようかと躊躇していると人影は、仕留めたイノシシをひょいっ、と片腕で担ぎ上げた。

 成人男性以上の重さはあるであろうイノシシを軽々と持ち上げる人影の膂力に軽くない衝撃を受ける。

 しかし。

 次の瞬間、リンは今度こそ言葉を失った。

 

 人影が跳んだのである。

 イノシシを担ぎ上げたまま、近くの木の太枝に助走もつけずに飛び乗ったのだ。

 そして。

 人影は猿のように木と木の枝を飛び移っていき、山へと消えていった。

 

「……」

 

 数十秒前までの恐怖も忘れ、リンはその現実離れした光景にぽかん、と呆けてしまう。

 リンの常識と先ほどの現実が上手く摺り合わせられない。

 故に。

 リンは説明の付かない現実に理由をつけた。

 

「……天狗だ、天狗の仕業だ」

 

 志摩リンが高校に上がる前の出来事であった────

 

 

 

 

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 ──焦った。とても焦った。

 

 11月を迎え、狩猟解禁がなされた山梨の山を僕は忍者の如く駆け回っていた。

 目的は静岡に居た頃、なでしこと綾乃に好評だった鹿肉を獲るためである。

 日本では野生動物を狩猟するために狩猟許可が必要だ。

 正規の狩猟免許を持たずに狩りを行うことは密猟であるため、それも当然だと思う。

 

 しかし。

 この決まりには抜け道が存在する。

 狩猟免許とは『法定猟具を使用して狩猟をするため』の免許であり、法定猟具とは主に銃、網、わなのことである。

 つまり、それらの法定猟具を無免許で使用して狩猟を行うことは違法であるが、素手や石・パチンコなどの自由猟具を用いての狩猟は問題無いらしいのだ。

 

 ここで『らしい』と言ったのは、詳しい法律については調べてなく、経験則からの物言いであるからだ。

 実際、静岡に居る時に鹿を仕留めた際には必ず猟友会に一報を入れるようにしていた。

 その時に猟友会の人と行政関係者から何かしらの罰則を受けたことは無い。

 無いのだが、当然の如く大人には大目玉を食らってしまった。

 しかし、何度か同じことを繰り返していると、やがて異様なものを見る目に変わり、最終的には僕はそういうナマモノなのだから仕方ないという認識に収まった。

 加えて獲った獲物を毎回猟友会の皆さんにお裾分けしていたことも大きいのだろう。

 そんな事を繰り返しているうちに野生動物の処理の仕方の造詣も深まっていった。

 閑話休題。

 

 

 

 

 そんな経緯故に、山梨でも狩猟解禁を機に山へと繰り出していた。

 しかし、まさか山の中で小学生くらいの女の子がイノシシに襲われている場面に出くわそうとは夢にも思わなんだ。

 横目の視界に納めたキャンプ道具を見るに、此処のキャンプ場へ一人で来たのだろう。

 イノシシの突進が少女の身体を突き飛ばす未来を回避すべく、急所に貫き手を差し込み、内部からサンダーで絶命させてしまった。

 

 さてこの後はどうしよう。

 緊急事態への焦りは既に冷えた。

 暫し、迷った末に僕はその場から逃亡を選んだ。

 幸いなことに少女の周囲にはもう危険な野生生物の存在は無い。

 明らかに不審人物というか、イノシシを素手で殺害するような変人が血塗れの手をそのままに声を掛けてくるというのは恐怖だろう。

 夢か幻と考えてくれるよう祈りながらイノシシを担いで木々の間を飛び移っていき、少女の視界から姿を消した。

 

 

 

 

 山の麓まで下山した僕は、早速山梨の猟友会へ連絡を入れつつ、イノシシの解体作業へと取り掛かった。

 先ずは近くの小川の水流を利用して、血抜きである。

 鹿の解体の応用で捌くことは出来るだろうが、やはりイノシシ特有の分厚い皮下脂肪が厄介である。

 四苦八苦していると、オレンジ色のベストを羽織った二人組みが軽トラに乗ってやってきた。

 

「おーい、お前さんがイノシシの連絡入れてきた人かーい!」

「はいっ、そうです」

 

 軽トラの窓越しの大声に、此方も声を張り上げて答える。

 降車した二人組みのおじさんに多少の脚色を織り交ぜて事情を説明する。

 イノシシを仕留めた際に使用したものは、転がっていた太い木の棒を使用したなどそういった脚色である。

 その道のプロであるおじさん二人組みは僕の話に半信半疑であった。

 しかし、僕が名乗ると驚いた様子を見せた。

 

「おめぇさん、ひょっとして静岡の天狗小僧けっ!?」

「そう呼ばれたことは何度か」

「おお!」

「竹さん、それは何のことだ?」

「おお、重さんは聞いたことが無かったか。静岡には自由猟具だけで鹿狩りする中学生が居るって噂を。

 アッチの猟友会の連中と飲む機会があったからそれとなく聞いたんだが、どうにもその話は本当らしくて、んで当の本人がこの子なんだよ」

 

 久しぶりに聞いた渾名に目が瞬く。

 それは、静岡の猟友会の皆さんか冗談交じりに付けた僕の呼び名であった。

 まさか県を跨いで効力のある知名度とは、猟友会ネットワーク恐るべしである。

 

「しっかし噂の天狗小僧がなんでまた山梨に?」

「えっと、親の都合で最近此方に越してきたので」

「本当か! だったらおめぇさん、ウチの猟友会に入らないか? 有望な若手は大歓迎だ」

「あはは、狩猟免許を取れる年になったら考えます」

 

 所在地が山梨になったことを知ると、重さんと呼ばれたおじさんから熱烈なオファーが舞い込んできた。

 静岡に居た頃にも似たようなやり取りがあった。

 やはり何処の地域でも猟友会の若手不足は深刻らしい。

 

「あ、そうだ。よろしければイノシシの解体の仕方を教えてくれませんか。鹿なら解体したことはあるのですが、イノシシは中々勝手が分からないので」

「おお、ええぞ! 教えたる教えたる! ただ、手伝った分の取り分はきっちり貰うで」

「それは勿論。どの道、僕の家族だけでは消費しきれないので渡りに船です」

「ははーん、さてはおめぇさん、そのことを勘定に入れてワシらを呼んだな?」

「少しだけ」

「ぬはは! 天狗小僧は中々したたかな奴だ!」

 

 重さんは上機嫌にイノシシの解体について教えてくれ始めた。

 まず、使用する器具が違っていた。

 ナイフだけで三本、毛落とし用、内蔵用、部位解体用。

 そして骨はずしに、吊り下げ用のS字フック。

 更には、その場での作業がしやすいように長い足場の脚立台形をてきぱきと取り出し始めた。

 流石にナイフ一本での解体は骨が折れる作業だと実感していた僕は、次々と用意される器具をしげしげと観察する。

 眺めていると重さんが懇切丁寧に一つ一つの器具の用途を、実技を交えて伝授してくれた。

 

 僕、重さん、竹さんの男三人での解体作業。

 それは夕刻までにはある程度の区切りを終え、イノシシは完全に皮と骨と内臓、そして肉へと仕分けることが出来た。

 僕は家族で食べる分と、各務原家、土岐家の分の肉を頂いて、残りの肉は猟友会の皆さんの物となった。

 

 多少のハプニングはあったものの。

 結果を見れば、猪の解体技術を学び、猟友会への伝手も結ばれた非常に有意義な一日となった。

 新天地での幸先の良い滑り出しに、僕は意気揚々と帰路へと就くのであった────




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 あとがき

 天狗じゃ、天狗の仕業じゃ!

 作者が狩猟免許のことを調べた限りでは、自由猟具で個人が狩猟する分にはOKらしいです。
 まぁ、普通はナイフ一本や徒手で猪なんぞは獲れないよね、てことなのでしょうが。
 ただし、裏づけはとれてませんので、あくまで作中では大丈夫な世界観だよ、という認識でいてくだされば幸いです。


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五話

 女子高生、犬山あおいには気になる男子が居る。

 誤解の無きよう予め断っておくが、決して異性として意識している訳ではない。

 ただクラスメイトについつい目で追ってしまう変わった男子が居るのだ。

 

 その男子の名前は田中小太郎。

 中学三年の冬に静岡から引っ越してきて、僅かな期間の中学校生活を共にした同窓である。

 縁があったのか、高校も同じ本栖高校であり、クラスも一緒になった男子である。

 それだけであれば、特段気にするようなものではないのだが、無論あおいが気にする訳がこの男子にはあった。

 

 体格は中肉中背。

 容姿も芸能人のように際立って整っているとか、アイドルのように煌びやかというものでは無くて至って普通。

 ただ顔立ちは人に穏やかな印象を与え、笑うと愛嬌がある。

 

 そんな彼だが、他の男子に比べると明らかに抜きん出た要素があるのだ。

 それは──存在感。

 彼という人物が同じ空間に居るだけで、意識せざるを得ない存在感があるのだ。

 根拠はあおいが朝の教室に入った際。

 教室へと一歩踏み入れる前に『あ、この感じ田中君が居るんやなぁ』、と判断できるのだ。

 

 近い雰囲気を挙げるとしたら、動物園で見たことがあるアフリカゾウだ。

 3mを超える体長と、7トンを誇る巨体。

 その生物的な格の違い故に感じられる圧と、田中小太郎が発する存在感が非常に酷似していた。

 

 またその存在感は夏が近づくに連れて日増しに、徐々に強くなっていった。

 まるで成長していくように。

 小太郎の発する圧は教室だけに留まらず、学校の敷地内に入った範囲で感じられるようになっていき、

 それまで小太郎に話しかけていた男子も遠巻きに見るだけになってしまっていた。

 もはや珍獣扱いである。

 

「な、なぁ田中君?」

「うん? どうかした?」

「なんか不機嫌になるようなことでもあったん? 最近、そんな雰囲気みたいなの出とってみんな話しかけづらくなっとんよ」

「え…………あっ……」

 

 ある日、あおいは勇気を出して小太郎に指摘した。

 指摘した直後。

 小太郎は一瞬何を言われたのか理解できていない様子だったが、その後、ハッと何かに思い至ったような顔になる。

 瞬間。

 田中小太郎が発し続けていた圧力がぱったり、と止んだ。

 否。

 無くなったわけではない、変質したのだ。

 

 ──な、なんやのこれ。

 

 どっしりと大地に根を張る大樹のような安心感を齎すものに変わった存在感に、あおいはパチクリ、と目を瞬かせる。

 

「あー、なんというか……ごめんね。ちょっと気が付かない内に雰囲気を悪くしていて」

「う、ううん、別に気にせんでもええよ」

 

 バツが悪いように謝罪する小太郎に対して、慌ててフォローをする。

 一瞬にして親しみやすく、話しやすくなったクラスメイト。

 あおいはそんな摩訶不思議な男子を改めて観察してみる。

 

 ──はわぁ……あらためて見るとすっごい筋肉やわぁ、カチカチしとる。やっぱり田中君も男子なんやね、ウチら女子とは大違いやわぁ。

 

 半袖カッターシャツから覗かせる小太郎の腕は、他の男子のものより一回りも二回りも太い。

 腕だけでは無い。

 胸筋、腹筋、背筋、下半身。

 全身を覆う筋肉の厚み。

 田中小太郎という人型に内包された男としての力強さに、あおいは思わず圧倒される。

 

 ──それにしても、ほんまなんやったんやろうか? ウチが指摘した途端に雰囲気ががらり、と変わってしもうたで。

 

 思考を巡らせども答えは無い。

 

「本当にごめんね。飴ちゃん要る?」

「あ、うん。貰うわ」

 

 自然な動作で手渡された飴玉を思わず受け取る。

 掌に光るべっ甲飴は柔らかい黄色い光を反射していた。

 

 ──べっ甲飴って意外と渋い趣味しとるんやね。おじいちゃんみたいやわ。

 ──そういえば、田中君って他の男子と違ってガツガツしとらんのよね、ウチ見ても胸の方に視線が向かんし。

 

 あおいは自身の胸が同年代女子に比べて平均以上の大きさであると自覚している。

 その事実が男子にどう受け止められているかも重々承知している。

 故に。

 判を押したような反応以外の対応を見せる小太郎がことさら印象に残った。

 それ以前で色濃い印象が残り過ぎてはいるが。

 

 ──ま、そんな男の子もおるんやろ。あ、アキがテントをネット注文するって言うとったけどまだ届かんのやろか。

 

 そんな出来事があったが故に、犬山あおいは田中小太郎という男子を『気になる男子』のカテゴリーに入れている。

 他の男子よりも注視していると言い換えてもいい。

 これからも田中小太郎が巻き起こす特異な出来事を目撃していくことになるのだが、それはまた後の話である────

 

 

 

 

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 ──いかん……気にも成長期というものが在るのだとは思っていなかった。

 

 身体の成長期に伴い、気が倍増していたなど指摘されるまで気が付かなかった。

 無意識に余剰分の気が垂れ流されていた。

 高校入学後、ある時点から己に話しかけてくれる級友が皆無になったのはこれが原因であったか。

 クラスメイトには悪いことをした。

 恐らく猛獣と同じ檻に入れられるような毎日を送っていたのではないだろうか。

 

 指摘してくれた犬山さんには感謝である。

 すぐさま、気を最小限に抑えた時のクラスメイトのホッ、としたような表情が忘れられない。

 無駄に心労を掛けさせてしまっていたようで本当に申し訳ない。

 

 僕は自己嫌悪を抱えながら放課後の廊下をトボトボ、と歩く。

 何らかの形でクラスメイトにはお詫びが出来ればよいのだが。

 直接的な被害が無い分、面と向かっての謝罪が出来ないのが辛いところである。

 

 ──当面の方針としては、クラスのみんなが困ってることがあれば助力を惜しまないようにしよう、そうしよう。

 

 下に向かいがちの視線を前に向ける。

 すると。

 其処には教室棟の用具室前で何やら思案に耽るクラスメイトの姿が。

 一人は、亜麻色の髪をサイドポニーに結んだ八重歯が特徴的な少女。

 気の件を指摘してくれたクラスメイトの犬山あおい。

 もう一人は、黒縁眼鏡を掛け、前髪だけがベリーショートでツインテールに髪を結わえている少女。

 犬山さんとよく話している姿を見かける、名前は確か大垣千明。

 

「でもアキ、大町先生が持っていってええって言ってくれたんはええんやけど、どうやって運ぶん?」

「いやーアタシもこんな大きさと思ってなくて何も考えてなかったわ。よし、どっかから台車でも借りてくるか」

「せやけど持ってくまで階段とかあるよ? 結局そこは手作業やで」

「……結構厳しいか?」

「結構厳しいなぁ」

 

 漏れ聞いた会話から察するに、どうやら荷物の運搬について困っているらしい。

 これは僥倖である。

 今の僕は罪滅ぼしの絶賛奉仕活動の募集中である。

 早速、僕は用具室前の二人に声を掛ける。

 

「お二人さん、用具室前でどうしたの?」

「んあ、お前は確かイヌ子のクラスの──」

「田中小太郎くんやで、アキ」

「おおっ、なんかやたらめったらに存在感があるっていう有名人じゃないか。あれ? でも今見たらそんなでもないよな?」

 

 大垣さんのリアクションが非常に心へ刺さる。

 いや本当にこの度は申し訳ありませんでした。

 

「あはは、それで何か困りごと?」

「ん? ああ、使ってない収納棚をアタシらの部室で使っていいってことになったんだが……」

「想像以上に棚が大きくて運ぶのに難儀しとったんよ」

 

 大垣さんの言葉尻を補完するように、犬山さんがほんわか関西弁で補足する。

 用具室の扉から覗いてみると其処には腰くらい高さの収納棚が鎮座していた。

 横6×縦3に収納スペースが分かれた収納棚が合わせて二つ。

 なるほど、これは確かに男手でも運ぶのは難儀しそうである。

 しかし。

 ひょいっ、ひょいっ、と二つの収納棚を小脇へ持ち上げる。

 

「これ、部室棟の何処まで運べばいい?」

「うおっ、軽々と持ち上げたっ」

「はえ~、田中君って力持ちなんやね~」

 

 某野菜人の膂力をもってすればこのくらいの重量、百個二百個あったところで問題無い。

 持てるかどうかは脇において。

 驚く二人を他所にスタスタ、と足を部室棟へ向ける。

 

「あ、でも田中君、無理に手伝ってくれんでもええんで。私たちだけでもなんとか運べると思うし」

「気にしないで、今は丁度奉仕精神に溢れている所だから」

「いいじゃんかよ、イヌ子。本人もこう言ってるんだからよ。

 にしし、それにしても田中ってお爺ちゃんみたいな男子って聞いてたけど、女子に良い所見せようって気持ちはあるんだな」

「せやろうか?」

 

 確かに自身を良く見て欲しいという願望は無きにしもあらずだが、今現在は罪滅ぼしの気持ちが強い。

 そう言った意味では此度は丁度良かった。

 人様が困ってる場面に出くわす事を丁度良いと思うのは、些か不謹慎だとは自覚しているが。

 

 

 

 

 そして。

 滞りなく収納棚の搬入作業は終わった。

 その際、二人が所属している部活は『野外活動サークル』という同好会だということが判明した。

 なんとこのサークル、犬山さんと大垣さんが二人で創設したらしい。

 若い二人のバイタリティに感心しつつ、『野外活動サークル』、通称『野(の)クル』の部室を見渡す。

 狭い。

 第一にこの感想が真っ先に思いつくであろうほど、野クルの部室は狭かった。

 奥行きはあるのだが、幅が極端に狭い。

 収納棚を設置してしまえば、人一人分が通れるだけのスペースしか残っていない。

 与えられた部室が部室棟の用具入れだった故の狭さである。

 

「いやー、悪いねー田中。道具の整理まで手伝ってもらっちゃって」

「いいよいいよ、どうせ帰宅部だし。放課後は時間も余ってるから」

「なんや田中君、どこかの部活には入らへんの?」

 

 部室の片隅に置かれてあったアウトドアの本や、薪を棚に入れていると僕の部活の話になった。

 何かしらの部に入部することは考えたこともあった。

 しかし、これといってピンと来るものが無かったので保留のまま今に至っているのが現状である。

 

 運動部と文化部。

 この二つを選択した場合、まず運動部は論外である。

 身体能力が違いすぎて大人と子供というレベルではない。

 野球などで接触プレーなど起きようものなら相手側が比喩抜きで吹っ飛ぶ。

 死傷者を出さぬために僕は運動部へ入るつもりは毛頭無かった。

 だが、こんなことは馬鹿正直に話しても法螺話としか受け取ってもらえないだろう。

 

「うーん、今のところは帰宅部で満足かな。運動部に入って青春を謳歌するってほどの情熱は無いしね」

「ふーん、そっかぁ」

「二人は普段どんな活動をしてるの? やっぱり山梨はキャンプ地が豊富だから土日にキャンプかな?」

「いやーそれが……なぁ、アキ」

「だなぁ……今のところ部活動らしい部活はしていない!」

 

 大垣さんに断言されてしまった。

 そんな力強く言わなくても。

 

「普段はお喋りしたり、アウトドアの本なんかを見て時間を潰しとるんよ」

「ふふふ、だがそれもこれも今だけよ。ネットで注文したテントさえ届けば、アタシたちの活動は名に恥じぬキャンプへと移行するのだ!」

「お値段980円(税込み)の激安テントやけどなぁ~」

 

 胸の前で握り拳を作って熱弁する大垣さんに、犬山さんの補足が入る。

 しかし、980円のテントって大丈夫なのだろうか。

 安かろう悪かろうにも限度があるだろうに。

 

「なら、夏休みあたりにそれを使ってキャンプに?」

「そやで~」

「よーし! 道具の収納おわりっ! 中々良い感じに整理整頓出来たじゃん」

 

 大垣さんが元気の良い声を上げ、どかり、と棚の上に腰を下ろす。

 一仕事を終えた快活な笑みは、見るだけでこちらも元気を分けてもらえそうである。

 しかし。

 

「大垣さん、そんな所に座り込むとスカートの中が見えるよ、はしたない。でもお疲れ様、お菓子食べる?」

「あ、うん……食べる」

 

 指摘するとサッ、と広げた脚を閉じ、床へ女の子座りで座り込んでしまった。

 顔を若干朱に染め、しおらしくなった大垣さんに友人の犬山さんは珍しいものを見たと言いたげな顔をしている。

 

「なんやアキがこんな女の子女の子しとる反応初めてみるかもしれんね」

「う、うるせーし。ちょっとアタシも油断してただけだから」

「ごめんごめん、ちょっとデリカシーが足りてなかったよ。今は蕎麦ぼうろとべっ甲飴しかないけどいいかな?」

 

 学生鞄を床に置き、持っていたお菓子類を広げる。

 

「なんやチョイスが渋いなぁ。このお菓子は田中君が食べるん? 男の子が鞄にお菓子忍ばせとくんはなんか可愛らしいわぁ」

「普段は食べないよ。なんというか静岡に居た頃の習慣かな」

「そんな習慣あるん?」

「向こうの幼馴染に食べるのが大好きな子が居てね。

 その子があんまりに美味しそうにものを食べるもんだから、その子用にお菓子持ち歩くのが癖になってしまって」

 

 その幼馴染は勿論なでしこのことである。

 話していると脳裏になでしこの食べる姿が浮かんでしまい、ついつい頬が緩んでしまう。

 休日になると頻繁に顔を見に行っているが、今日も元気でやっているであろうか。

 大垣さんがさり気無く用意してくれたお菓子皿にざらざら、とべっ甲飴と蕎麦ぼうろを広げる。

 

「お、田中が思い出し笑いしてら。ひょっとしてその幼馴染って女の子なのか」

「そうだよ、これがまた可愛い子なんだ」

「おおっ! 恋バナ、ひょっとして恋バナなんか? 田中君、その子の写真とか持っとるん?」

 

 大垣さんの疑問に、身内の贔屓目込みで答えると犬山さんが勢い良く食いついてきた。

 なでしこの写真は確かに携帯に何枚か収めている。

 なでしこの魅力を伝えるためには中学三年の夏休み前の写真が良いだろうか。

 少しまるっこかったなでしこの食事姿はとても可愛らしい。

 携帯を操作し、件の写真を表示する。

 

「……丸いな」

「でも、ほんま幸せそうに食べとるね、なんかこっちまでお腹が空いてきてしまうわぁ」

「そうなんだよ、今のなでしこは痩せているけど、この頃のなでしこが一番美味しそうにものを食べてる姿だと思ってるんだ。

 なでしこのお姉さんにはいつも甘やかさないでくれって言われてたけれど、この姿を見てしまうとついつい甘くなってしまって。

 この年になると多少なりとも反抗期があるはずなんだけど、なでしこにはそれが無くてね、コタ君コタ君といっつも後をついて来ていたなぁ。

 あ、これが最近のなでしこの写真ね」

 

 思わず饒舌になってしまったが、それもしょうがないことだろう。

 幼児期から見守ってきた子供が成長した姿はとても誇らしいものだ。

 この感情を伝えきる語彙が不足している自分が情けない。

 

「なんちゅうか……」

「ああ、完全に保護者の顔だな……」

「って、この写真ほっそっ! わりと別人やんか!?」

「うわマジだ、本当に同一人物か?」

 

 二人の驚きも無理は無い。

 それだけなでしこは努力したのだ。

 僕はどれだけなでしこがダイエットを頑張ったかを二人に伝えるために口を開いた────

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふう、満足である。

 久しぶりになでしこの魅力を人に話すことが出来て大変満足である。

 話していると本人の顔を見たくなる欲求が強くなってくる。

 よし、今週の休日に各務原家にお邪魔させてもらう。

 土産は何が良いだろうか。

 お土産のチョイスに思考の羽を広げ、意気揚々と帰る僕。

 

 そんな鼻歌でも歌いだしそうになってると、廊下で人にすれ違う。

 一見中学生に見間違えてしまいそうになる低身長。

 文庫本を片手に歩く姿は、芯が通っており姿勢の良さが目を引く。

 そして、頭頂部には可愛らしいお団子状に纏められた髪が歩くたびに揺れている。

 

 ──はて、どこかで見たことがあったかな?

 

 少なからず覚える既視感。

 しかし、なでしこに会う楽しみに大半の思考を裂いていた僕は、すぐにその既視感を塗りつぶす。

 

 ──お土産はクエにしようかな。『クエを食ったら、他の魚は食えん』って言われるけど、そんなこと言うなでしこは想像できないかな。

 ──さて、帰ったら太平洋にダイナミックエントリーしますか。




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 あとがき

 ゆるキャン△特有のニアミス。
 次話からいよいよ原作時間軸です。


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六話

『小太郎君、冬に私たちもそっちに引っ越すことになったから』

 

 なんと。

 放課後からの帰宅後。

 電話口から受け取った情報は、若干の驚きを僕に齎した。

 受話器越しの動揺が伝わったのか、通話相手の桜さんはくすくす、と上品に笑いを零す。

 

「驚きました、どうしてまた?」

『こっちも親の仕事の都合。私もついさっきお母さんから話を聞いたばかりで吃驚よ。で、引越し先を聞いてまた吃驚。

 まさか小太郎君が引っ越していった県に私たちも引越しすることになるなんて、縁ってあるものね』

 

 スピーカーから聞こえる声の調子は上機嫌。

 普段から心の機微が表に現れにくい桜さんが、此処までその上機嫌さを隠さないのは余程のことだ。

 

『小太郎君は確か本栖高校の生徒だったかしら?』

「そうですが……あ、ひょっとして」

『ええ、なでしこも本栖高校へ転入予定よ。尤も、あの子の学力だと転入試験を頑張ってもらわないと不安だけど。

 もし小太郎君と同窓になることができたら、静岡に居た時みたいになでしこのことまたお願いできるかしら?』

「そういうことなら任せてください。こっちに早く慣れるよう精一杯フォローさせていただきます」

『ありがとう、小太郎君』

 

 僕の返答が桜さんの琴線に触れたのか、お礼の声色は一層柔らかいものだった。

 しかし、そうか。

 なでしこが山梨に来るのか。

 その事実がふつふつ、と僕の胸の内から喜びを沸きあがらせる。

 何時なでしこが家に遊びに来ても良いように好きな茶菓子を用意しておかねば。

 気が早すぎるような事にまで頭が回ってしまう。

 

「あ、実際に引っ越しの段階になったら言ってください。荷造りと荷解きをお手伝いします」

『……小太郎君。この場合、山梨在住の君が手伝えるのは荷解きのみが普通じゃないかしら』

「あ……あはは」

 

 鋭い突っ込みである。

 各務原家に関しては、魔法の使用をわりと自重していない状況だったため、つい常識的な範囲を飛び越えてしまう。

 これ以上薮蛇にならぬよう話題を変えよう。

 

「そういえば、なでしこはもうこの話を知っているんですか?」

『まだよ。もうそろそろ家に帰ってきてもいい頃だとは思うんだけど、アヤちゃんと何処かで買い食いでもしてるんじゃないかしら』

「あー、わりとあるパターンですね」

『多分、引っ越しの件を知ったらいの一番で小太郎君に連絡を入れるわよ、あの子』

「ですかね」

『間違いないわよ』

 

 桜さんの忍び笑いがスピーカー越しに鼓膜を擽る。

 本当に機嫌が良さそうである。

 普段からその調子で過ごせば彼氏の一人や二人すぐに作れるであろうに。

 

 僕が各務原桜という女性と出会ったのは、覚えている限り3歳の誕生日を迎えてからである。

 両親が仕事でどうしても僕の面倒が見れない時に、各務原家に預けられたのが最初だ。

 その時から桜さんはしっかり者だった。

 僕と同い年のなでしこの手をちゃんと握って、年下の僕に対して礼儀正しく挨拶をしてくれたことを今でも良く思い出せる。

 

 ──君が小太郎君? 私は桜、今日はこの家を自分の家だと思ってゆっくりしていってね。ほら、なでしこ、挨拶しな。

 ──こんにちは!

 

 しっかり者の姉と、天真爛漫な妹。

 各務原家の美人姉妹は両極端な性格であったが、互いが互いの不足分を補うように姉妹仲は良好であった。

 少なくとも二人が本気で険悪な雰囲気になった姿を、僕は見たことが無い。

 

「こっちで桜さんに会えるのを楽しみにしていますね」

『ええ、私も。そっちに行ったら良いコーヒーのお店を紹介して頂戴ね』

「はい、それじゃあまた」

『ええ、またね』

 

 挨拶の後、通話が途切れる。

 さて、冬の楽しみが一気に増えてしまった。

 各務原家が引っ越してくるまでに色々と準備をしておかねば。

 まず、なでしこに美味しい食べ物屋さんを紹介するために人気店を調べておきますか。

 

 その後。

 桜さんの予想した通り、なでしこから電話がすぐに掛かってきた。

 既に桜さんから知らされていた内容が殆どであったが、ころころと声色が喜怒哀楽に変わるなでしことの会話は心が和む。

 一緒の高校へ通えるのが嬉しいと喜び、

 桜さんが引越しの件を先に話してしまったことへ少しむくれ、

 綾乃と離れるのが哀しいと落ち込み、

 でも、富士山が近くで見れる新しい場所での生活は楽しそうだと笑う。

 結局。

 電話口の向こうで桜さんがいい加減にするようにと竦めるまで、なでしことの長電話は続いた────

 

 

 

 

 ゆるキャン△

 Fan fiction

 チート転生者 in キャンプ物

 

 

 

 

「桜さん、お久しぶりです」

「小太郎君、久しぶり。といっても向こうに居るときも遊びに来てくれてたからそんなに久しぶりって感じではないけど」

 

 被ってきた帽子を脱いでの挨拶に、桜さんは微かな微笑を浮かべて返してくれた。

 時が過ぎるのは早いもので、各務原家が山梨に引っ越してきた当日。

 僕は約束どおり、荷解きを手伝うために各務原家の新居に来ていた。

 

「早速ですけど荷解きをお手伝いします。なにから手をつければいいですか?」

「ありがとう、じゃあコッチに来てくれる?」

 

 玄関で靴を脱ぎ、居間へと案内される。

 新居へ上がる際に、桜さんが『折角の休日なのにごめんなさいね』、と申し訳無さそうにするが、なんのこれしき。

 此方が好きでやっていることなのだ。

 桜さんが気にする必要は無い。

 

 そんな旨を伝えると、桜さんはぽんぽん、と僕の頭を撫でてくる。

 幼い頃からしてもらっている良い子良い子の所作に、少しだけ気恥ずかしくなってしまう。

 昔と今では当然僕と桜さんの身長差は逆転している。

 桜さんの腕は下向きから上向きに変わって掌を頭に乗せられていた。

 

「あ、ごめんなさい。つい癖で……そうよね、もう小太郎君も高校生なのよね。一昔前まではあんなに小さかったのに、今じゃ私のほうが見上げるほうなのね」

「大きくなったのは図体だけですよ。中身は昔とそんなに変わってないと思いますよ」

 

 居間では一家の大黒柱である修一郎さんが忙しなく荷解き作業をしていた。

 修一郎さんの見た目は、口髭をたくわえた恰幅の良いおじさんである。

 各務原姉妹の容姿は母親である静花さんの影響が色濃く、あまり父親似ではないのだが、修一郎さんが笑った様子はなでしこにそっくりである。

 

「こんにちは。修一郎さん、お久しぶりです」

「おおっ、小太郎君来てくれたか。久しぶり、わざわざすまないね」

「いえいえ、気にしないで下さい。僕は何をすればいいですか?」

 

 大型の家具や家電類は既に引越し業者が運び込んでいるため、これらを動かす必要はない。

 引越しの荷解きのセオリーとしては、まず生活に必要なものの整理から始めるのが順当であるが、僕は何を手伝えばよいだろうか。

 

「そうかい? じゃあ早速で済まないけど、あそこの一角に固めてあるダンボール箱を庭の物置へ運んでくれないかい」

「分かりました」

 

 見れば居間の一角をダンボール群が占拠している。

 物置への移動ということは、すぐには使わない物品で占められているのであろう。

 僕は手頃なダンボールをひょいっ、と何個も重ねて持ち上げる。

 軽い軽い。

 見慣れぬ人が見れば、持ち上げたダンボールの数に目を剥くだろう。

 だが、僕の身体能力の一端を知る各務原家の人たちは慣れたものである。

 

「いやぁ、やっぱり男手……というか小太郎君の手があると随分楽が出来そうだ、本当に助かるよ」

「もう、お父さんったら」

 

 快活に笑う修一郎さんの仕草は、やはり僕の幼馴染殿のそれに似通っている。

 そういえば、件の幼馴染殿の姿が見えない。

 何処に居るのだろうか。

 

「桜さん、なでしこは居ないんですか?」

「ああ、あの子ね。富士山を近くで見るんだって言って自転車で飛び出していったのよ。そういえば、今日小太郎君が来ることをあの子に伝えてなかったわ」

「なんというか、なでしこらしいですね」

「もう少し、落ち着きをもってもらいたいのだけどね」

「桜さんとなでしこを足して割ったら丁度良いかもしれませんね」

 

 桜さんと軽口を言い合いながらもテキパキ、と荷解きを進めていく。

 だが。

 テキパキ、と進めすぎて修一郎さんに任された仕事は瞬く間に終わってしまった。

 さて、また修一郎さんに仕事を貰わねば────

 

 

 

 

 

 

 

 

 キコキコ、とチェーンの音を奏でてタイヤはトンネルを転がる。

 なでしこ愛用の7段変速折りたたみ自転車が、本人の鼻歌と一緒に進んでいた。

 浜名湖周回で鍛えたなでしこの体力は伊達ではない。

 新居のある南部町から富士山の望める麓まで、息切れもなく踏破する姿は軽い体力お化けである。

 

 彼女の目指す場所は、富士山を眼前に望むことが出来る湖の綺麗な麓キャンプ場である。

 お昼の爽やかな風を伴って、自転車がトンネルを抜けた。

 なでしこの桜色のおさげ二つ結びがふわり、と風に遊ばれる。

 

 ──ここら辺で少し休憩しようかな。ふふーん、富士山あともうちょっと。

 ──こっちに来る途中は寝ちゃって見れなかったけど、今日中には絶対に近くで富士山を見なきゃね。

 

 キャンプ場までの途中に建てられた休憩スペースに、丁度良いベンチを見つけて、そこに腰を下ろす。

 季節は秋の終わり頃、冬の始まり頃ではあるが、頭上高くまで昇った太陽がぽかぽかと空気を温めて過ごしやすい。

 

 ──此処からでも富士山だって分かるけど雲がかかっててあんまり見えないなぁ。

 ──キャンプ場に着いたらちゃんと綺麗に見えるかな。

 

 お目当ての富士山があるというのに、意地悪な雲が邪魔してその雄大な姿を隠している。

 その事実になでしこはむぅ、とあどけなく頬を若干膨らませる。

 

 ──でも、太陽はぽかぽかしてて良い天気。ん~……。

 

 太陽の陽気に、お尻からベンチへと離れたくない気持ちの根が張り出す。

 ぽかぽか陽気が誘う睡魔と、憧れの富士山を拝むという欲求。

 二つが天秤で鬩ぎ合いを始めていた。

 そして。

 天秤は傾く。

 なでしこはブーツを脱いで並べ、ベンチで横になって寝転がった。

 

 ──ちょっとだけ……ちょっとだけ横になった後に富士山見に行こう。少しくらいなら……大丈夫だいじょ……ぶ……。

 

 おいやめろ。

 実姉が愚妹の出した答えを知れば確実にそんな台詞を吐くだろう。

 それほどまでになでしこの『ちょっと横に』は確定した未来を現していた────

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅い」

 

 殆どの荷解きが終わった各務原家の新居に、桜さんの簡潔な一言が響く。

 時刻は夕暮れ刻が終わりに差し掛かった頃。

 窓から差し込むオレンジ色の光は既に薄れ、暗闇の帳が辺りを包もうとしていた。

 

「なでしこ、帰ってきませんね」

「携帯も家に置きっぱなしだったし、なんの為に買ったのよ」

 

 腕組みをし、指先でとんとん、と自身の腕を叩く桜さん。

 機嫌が悪いときの桜さんの癖。

 それは妹の身を案じるが故の苛立ちから来る行為であった。

 かく言う僕もいい加減なでしこの事が心配になってきた。

 見知らぬ場所で迷子になってはいないだろうか。

 心細くて泣いてはいないだろうか。

 まさか、何かの事件に巻き込まれたのでは。

 想像の翼が嫌な方向へと羽ばたき出した瞬間、僕は行動を開始する。

 

「ちょっと近くまで探しにいってきます」

 

 僕は我慢弱い人間である。

 なでしこが迷子になっているのでは、と考えただけで身体が居ても立っても居られなくなっていた。

 すぐさま玄関へと急ぎ、靴を履く。

 黒の帽子を目深に被り、気持ちを引き締める。

 とんとん、と靴のつま先を整える僕を、桜さんが見送りに来てくれていた。

 

「小太郎君」

「なでしこを見つけたらすぐ連絡を入れますので、安心してください」

 

 分かりにくいように見えて実は非常に分かりやすく妹を可愛がっている桜さんのことだ、内心不安と心配なのだろう。

 その眼鏡越しの瞳から焦燥の色が窺えた。

 僕はそんな桜さんを安心させるように、真っ直ぐ目を合わせて力強く微笑む。

 全霊でなでしこを探してみせると。

 

「ありがとう、あの馬鹿妹のことをよろしくね」

「はいっ、行ってきます」

 

 一歩。

 玄関を出た瞬間、僕は風を孕んで駆ける。

 二歩。

 レムオル(透明化魔法)を唱え、全力を出す僕を隠蔽し、隣家の塀へと上る。

 三歩。

 ヘイストとピオリムによる速度上昇呪文を重ね掛け、塀より上空へと跳び上がる。

 中空。

 トベルーラ(飛行呪文)を使用し、跳躍から飛翔へ、南部町を見渡せる遥か空まで高度を上げる。

 桜さんに姿が消える瞬間を見られたかもなどの心配は既に思考の片隅へ。

 仮に見られていた所で、見て見ぬ振りをしてくれるだろうという甘えもある。

 だからこそ。

 今は一刻も早く人騒がせな幼馴染殿を見つけねば。

 レミラーマ(探索魔法)。

 視界を掠める微かな光を求め、僕は透明な流れ星と化した────

 




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 あとがき

 アニメ1話終了まで書き切りたかったけど、一旦此処で区切ります。


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七話

 寝て起きたら夜だった。

 一言でなでしこの状況を述べるとそれに尽きた。

 これが自宅の部屋ならば特に問題は無かったが、なでしこが熟睡していた場所は土地勘の働かない見知らぬ野外である。

 夜の帳は既に落ち切り、明かりとなるものはぽつん、と立っている街灯一つに休憩所の電灯のみ。

 自転車で通り抜けてきたトンネルは、闇を孕んだ口を大きく開けている。

 まるでその闇の中に何かが潜んでいそうな雰囲気に、なでしこはぶるり、と身震いを一つ。

 

 ──どうしよう……これじゃあ帰るなんて無理だよぅ……。

 

 なでしこは怖いものが苦手である。

 特に暗い夜道や、怪談が怖くて仕方ない。

 ホラー映画なんて見た夜は姉や小太郎に縋り付くくらいには苦手だ。

 故に。

 ちらり、と再度夜闇のトンネルを見やる。

 

 ──無理無理! あんな所なんて怖くて通れないよっ! コタ君、どうしよう……。

 

 なでしこの性格上、とてもではないが夜のトンネルを通り抜けることは不可能。

 かと言って他に帰る手段も思い浮かばず、途方に暮れてしまう。

 なんとか打開手段は無いのかと周囲を歩いてみるが、恐怖心で遠くまで行けず、休憩スペースの周りをとぼとぼ、と愛車の折りたたみ自転車と共に回るのみ。

 当然、その行動で事態が好転することはあり得ない。

 

 ──くらいよぉ、こわいよぉ……どうしよう、どうしよう……

 

 独り、暗闇、心細さ。

 様々な負の感情が綯い交ぜになり、じわり、と眦に涙が滲む。

 一度精神のダムが決壊すると、後はただ零れ落ちるのみ。

 ぽろぽろ、と大粒の涙が止め処なく瞳から溢れてくる。

 遂にはその場で蹲り、嗚咽を零してしまう。

 暗がりを怖がる子どもの姿そのもの。

 

 ぱたぱた、とアスファルトに黒い染みが滲んでしまった後、キィ、と扉の蝶番が軋む音をなでしこは確かに聞いた。

 休憩スペースのトイレの扉が開く音。

 それは人が居る証左だった。

 

 ──だれか……いるの……?

 

 恐る恐るなでしこが建物の裏手から表へと出てくると、パチリ、とトイレの電気が点いた。

 急な変化に肩を跳ねさせるなでしこ。

 しかし。

 暫く立ち竦んでいると、トイレの扉から小柄な少女が出てきたのを見て全身の力が抜ける。

 そして。

 自分以外の人の存在に安心して、再度収まっていた涙がまた込み上げてきた。

 

 ──人だっ! あの人に助けてもらおう……

 

 とてとて、と少女の持つランタンの灯に惹かれ、そっと近づいていく。

 だが、なでしこは気がつかない。

 自身が音を立てずに近づいていることに。

 夜の暗がりの中から突然人が浮かび上がる様がどう捉えられるかということに。

 なでしこは事が終わるまで気がつかなかった。

 

 

 

 

 そして。

 少女の手に持たれたLEDランタンの光がゆっくりとなでしこを照らし出す。

 少女の視点からすれば突然現れた人影。

 その人影は鼻水を垂らし、嗚咽を伴って涙を流し続けている。

 出会い頭の訳の分からなさに、少女の頬は盛大に引きつった。

 次の瞬間。

 少女──志摩リンが取った手段とはすなわち──逃亡である。

 

 想定外の出来事に対してリンの取捨した選択は的確であった。

 なでしこ──不審者に己の位置を知らせるランタンを即座に投げ捨て、己のテリトリーたるテントへの全力ダッシュ。

 一連の行動は実に淀み無く行われた。

 頭に思い描く黄金比の逃走経路。

 しかし。

 地獄に見つけた蜘蛛の糸をなでしこも逃すまいと必死であった。

 遠ざかる小さな背中を見失わんと全身全霊で追い縋る。

 まさに生きるか死ぬかのデッドヒート。

 

「まっでよォー!」

 

 涙声の切なる叫びが、富士山の麓キャンプ場で木霊した────

 

 

 

 ゆるキャン△

 Fan fiction

 チート転生者 in キャンプ物

 

 

 

 紆余曲折を経て、なでしことリンは焚き火を二人で囲んでいた。

 ぱちぱち、と薪が燃える炎のゆらぎ。

 他者の存在と暖かな焚き火の光に、なでしこは安心の二文字を体感していた。

 

 リンはトンネルの坂道で帰ることを勧めるが、なでしこが必死のぐずりを見せたためその案を棄却。

 携帯にて家族と連絡を取るように促してみるが、なでしこが家に忘れてきてしまったためその案を断念。

 八方塞がり。

 袋小路のなでしこが出した答え、それは──── ぐぅぅぅぅ、と腹の音で空腹を主張することであった。

 その姿があまりにも惨めに思えたリンからカップヌードルの施しがなされる。

 

「ラーメン、食べる?」

「えっ!? くれるの!?」

「1500円」

 

 目の前に差し出されたカレーヌードルに目を輝かせるなでしこ。

 しかし、続く言葉は無慈悲であった。

 1500円。

 高校生にとっては暴利をむさぼる値段設定だった。

 なでしこは震える指先でがま口財布を開く。

 開け放たれたがま口の中身は、その設定に太刀打ちが出来ない。

 

「じゅっ、じゅうごかいばらいでおねがいしまふぅ……」

「ウソだよ」

 

 100円玉単騎で交渉に出たなでしこの涙まじりの分割申請。

 それは嘘の一言で切って捨てられる。

 元々タダでカップヌードルを施すつもりのリンであったが、なでしこの純朴な反応に悪戯心が刺激されたが故の行動だった。

 一頻りなでしこを堪能したリンは早速お湯を沸かす準備に取り掛かる。

 その際、なでしこはリンのキャンプ道具を好奇心の赴くままに見つめる。

 

 小型ガスバーナーコンロに水を注いだコッヘル(携帯用小型調理器具)を乗せ、コンロに火を点ける。

 火が点く瞬間。

 青白いガスの火がコッヘルの底を舐めるように這う。

 焚き火とは異なるガスの火を見つめるなでしこの頭に浮かんだ疑問。

 それは、焚き火で直接水を沸かさないのか、というものだった。

 キャンプ初心者の素朴な疑問に、リンは煤で鍋が黒くなるためだと答える。

 キャンパーにとっては当たり前の答えでもなでしこはプロみたいだ、と尊敬の光を瞳に宿していた。

 

 お湯が沸くまでの間。

 リンは自身の携帯で家族に連絡を取るように提案してみる。

 しかし。

 なでしこの記憶領域に新居のものは勿論、自分の携帯の電話番号も刻み込まれていなかった。

 

 そんなやり取りをしていると、ボコボコ、と沸騰を知らせる音色がコッヘルから聞こえ出す。

 熱湯をカレーヌードルの容器に流し込み、割り箸で蓋に重石(おもし)をする。

 そして、きっかり三分後。

 

「どうぞ」

「ありがとーっ」

 

 出来上がったカレーヌードルを受け取り、笑顔でお礼を述べるなでしこ。

 そして、待ちに待った実食である。

 

「かっれーめん♪ かっれーめん♪」

 

 独特のなでしこ節で音頭を取りながらカップ麺の蓋を開く。

 湯気のカーテンを抜けた先には、カレースープに浮かぶポテト、にんじん、ダイスミンチ、そしてつややかな麺が腹ペコなでしこを迎えた。

 空腹という最高の調味料を使用した彼女の目には、大量生産のインスタント麺が珠玉のご馳走として映る。

 自然と浮かぶ笑顔。

 

「ふぁぁっ……いただきますっ」

 

 パンと掌を合わせて一礼の後、ぱちん、と割り箸を二つに割る。

 割り箸にて麺を掬うと、とろみのあるスープが絡んだしなやかでコシのある麺が焚き火に照らされる。

 あたたかな湯気漂うそれを、なでしこは可愛らしい小さな口でふーふー、と冷ます。

 そして。

 ずるずる、と麺を啜る。

 麺の始点から終点までが一気になでしこの口へとちゅるん、と消えていった。

 はむはむ、と舌に広がる美味さを噛み締め、続いてカップの縁へ口付ける。

 熱々のカレースープを少しずつ口内へ導く。

 

「ん~……ぷはっ!」

 

 本栖湖の湖畔に食の幸せに満ちた吐息が漏れた。

 やめられない、とまらない。

 一度カレーヌードルを口にしたなでしこの状態はまさにそれであった。

 ずるずる、はむはむ、ずずー、ぷはっ。

 一心不乱に食べるなでしこの姿はお世辞にも行儀の良いものと言えなかったが、マイナス面を補ってあり余るほどプラス面があった。

 

 ──しかし、うまそうに食うなぁ……。

 

 それは美味しそうな姿そのもの。

 なでしこの食事風景を見るだけで、見ている側が幸せになりそうなほど彼女は全身で食べることを楽しんでいた。

 

「ん~~~~っ!! ぷはっ! くちの中ヤケドした!」

 

 熱々のスープで火傷したことですら、なでしこは嬉しそうに言う。

 リンは何故うれしそうなんだ、と疑問に思うが、なでしこの天真爛漫さにその思いを言葉にはしなかった。

 美味しそうな食事風景を肴に、リンも己の分のカレーヌードルを食べる。

 

「ねぇ、あなたどこから来たの?」

「あたし? ずーっと下の方。南部町ってとこ」

 

 地元民であるリンは、南部町から本栖湖に来るまでの道のりを正確に把握した。

 約40km強の距離である。

 リンは自身がその距離を自転車のみで走破できるか、と問われると首を傾げざるを得ない。

 

「『もとすこのふじさんは千円札の絵にもなってる』ってお姉ちゃんに聞いてながーい坂上って来たのに、曇ってて全然見えないんだもん。聞いてよ奥さん」

 

 不満を垂れるなでしこ。

 しかし。

 なでしこの対面に座るリンにはとある光景が見えていた。

 雲がカーテンのように開けて、その奥に在る夜の富士山が姿を現す瞬間を。

 天頂の雪化粧に、裾野に広がる青木々原樹海。

 月明かりに照らされたその雄大な姿は荘厳そのもの。

 眼前に広がる絶景を誰かと共有したいという気持ちがリンに芽生える。

 故に。

 

「見えないってあれが?」

「え?」

「あれ」

「あれ?」

 

 リンの指差す方向。

 促されたなでしこは不思議そうに振り返る。

 そして。

 なでしこの瞳に映る光景と、リンの瞳に映る光景が重なった。

 

「みえた……ふじさん……」

 

 誰に言われずとも立ち上がり、なでしこは放心したように雄大な富士を見続ける。

 綺麗、凄い、大きい、そんな在り来たりな感想は浮かばずに、ただただ圧倒されたが故の放心。

 そして、頭の中をまっさらにしたなでしこは帰路に就くための妙案に思い至る。

 それを実行する前に。

 

 

 

 

「なでしこ」

 

 聞き馴染んだ少年の声が背後から鼓膜を擽った。

 高校生になって少し低くなった声色。

 気疲れか、その声は少しだけ疲れが滲んでいた。

 しかし、なでしこにとっては全幅の信頼を寄せるに値するものであった。

 

「コタ君!?」

 

 弾かれたように振り返り、確認する間もなく声の発生源へと飛び込んだ。

 飛び込み先──小太郎はなでしこの予想と違わず少女の身体を受け止めた。

 鼻先を微かに掠める幼馴染みの匂い。

 その匂いにより包まれるために、なでしこは厚い胸板に顔を深くうずめた────

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜闇から音も無く出現した人影に対して、リンは本日二度目となる驚愕に包まれる。

 思わず声が聞こえた瞬間、ビクリ、と肩が跳ねる。

 気配など今の今まで欠片も感じなかったというのに、その存在は唐突に自分の近くに出現した。

 

 ──びっくりしたぁ……誰だよ、この人。あの迷子が懐いている様子を見ると知り合いだよな。

 ──彼氏彼女の関係なのかな?

 

 未だに小太郎へじゃれついているなでしこを視界に収めつつ、リンは闖入者を観察する。

 中肉中背。

 性別は体格を見るに男性であろうか。

 装いはキャンプ場に来るにしては荷物も無く軽装。

 夜だというのに帽子を目深に被り、その顔立ちを窺い知ることは出来ない。

 そして。

 何より、骨格がとても骨太であった。

 その骨格を覆うワイヤーを束ねたかのような筋繊維が構築する筋肉の盛り上がり。

 

 ──すげぇ体格だな。どんな顔をした男なんだろ。あの迷子があそこまでじゃれついているんだから男前なんだろうか。

 ──しかし……どこかで見たような、筋肉……帽子……うーん……。

 

 頭を掠める既視感に内心首を傾げるリン。

 答えが喉まで出掛かっているのに、最後の一押しが成されないもどかしさに、リンは形の良い眉を顰める。

 懊悩する彼女を他所に闖入者はなでしこを保護してくれたリンへと向き直る。

 そして、帽子を脱ぎ、深々と頭を下げる。

 身体には飼い犬──なでしこが抱きついたままである。

 

「あの、なでしこを保護していただき本当に有難うございます」

「あ、いえ、そんな感謝をされるようなことをしたわけじゃ……」

「……あれ……ひょっとして志摩さん?」

「ふぇ?」

 

 頭を上げた闖入者──小太郎とリンの瞳がぱちり、とかち合う。

 突然呼ばれた己の苗字に、リンは思わず変な声が漏れてしまった。

 あらわになった小太郎の顔を確認し、リンに理解が広がる。

 

「田中君……だったっけ、おんなじ学校の……」

「うん、そっちは図書委員の志摩さんだよね。まさかなでしこを助けてくれた人が同級生だったとは思わなかったよ……あ、ちょっとごめんね」

 

 ブーブー、と小太郎の胸元から振動音が微かに耳を掠める。

 小太郎はリンに一言断って、胸ポケットから携帯を取り出し、通話ボタンを押す。

 

「はい、小太郎です。桜さんですか? はい……無事確保できました。場所は本栖湖のキャンプ場です。

 親切なキャンパーの方に助けてもらっていたみたいです」

 

 リンは電話をする小太郎の横顔を何するでもなく見つめる。

 

 ──なるほど、同級生か。それで妙なデジャブがあったのか。直接話したことなかったけど、一時期話題になっていたもんな。

 

 既視感の正体が判明したリンの心持ちは幾分かすっきりとしたものとなっていた。

 そんな中。

 小太郎と桜。

 二人の電話越しでの事情説明が続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい……あ、なでしこと代わりますか? わかりました……ほら、なでしこ。桜さんが代わって欲しいって」

「お姉ちゃんから?」

「うん」

 

 なでしこの無事を伝えた時、桜さんのほっと安堵した雰囲気が通話口からでも感じ取れた。

 一体どれだけ妹のことを心配していたのか。

 僕には桜さんの心を苛んだストレスの多寡を想像するしかない。

 そして。

 なでしこに電話を代わって欲しいと電話口で頼んできた時。

 桜さんの声に色は無かった。

 人が激怒した場合、外にその怒りを撒き散らすタイプと、内に秘めて静かに激昂するタイプの二種類に分けられると僕は考えている。

 桜さんのパターンは後者だ。

 

 その事実を知らない幼馴染み殿は、きょとん、とした様子で携帯を受け取る。

 なでしこは通話状態を継続している携帯を耳に当てた。

 

『首を洗って待っていろ、ブタ野郎』

 

 言付けの直後、プツン、と通話が切られる。

 一拍遅れて親愛なる幼馴染み殿はガタガタ、とその身を揺らし始めた。

 傍から見ていると身体の震度は随分と高いようだ。

 

「こ、こ、コタ君……どうしよう、お姉ちゃんめちゃくちゃ怒ってたよぅ」

「なぜ怒っていない可能性を信じられていたのかが僕には疑問しかないのだけれども。

 桜さんの怒りも筋が通ってて尤もなことだから、腹を括ってちゃんと怒られなよ」

「…………うん」

 

 縋り付くなでしこを引っぺがし、桜さんの怒りは当然だと、改めてなでしこに言う。

 すると。

 本人にも自覚が大いにあったのか、シュン、と身体を縮めながらも素直に頷いた。

 こういう反応をされてしまうと庇ってしまいたくなるが、今回の件では心を鬼にしてそれを行わないと心掛ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あうあうあう……」

 

 頭に三段鏡餅のたんこぶを作ったなでしこが意味を成さないうめき声を上げている。

 あれは痛そうだ。

 眦に大粒の涙を湛えて、痛がるなでしこに回復呪文を施してやりたくなるが、そこはぐっと我慢をする。

 

「ウチのバカ妹が、ほんっとーーーーにお世話になりました」

「別に大したことは……」

「これ、お詫びです」

 

 連絡を入れて後、程なくしてキャンプ場へ到着した桜さんが深々と、本当に深々と志摩さんへ頭を下げる。

 差し出されるはビニール袋に入った大量のキウイ。

 先程、目の前で起こった折檻のあまりの苛烈さが印象深かったのか、志摩さんは引き気味で桜さんが差し出したビニールを受け取った。

 怒りがまだ収まらないのか、桜さんはキッ、とへたり込んだなでしこを睨みつける。

 志摩さんへの対応と違い、表情は一瞬にして鬼の形相へと早変わり。

 

「アンタ、持ち歩かなきゃ携帯電話とは言わないのよ!! おらっ、さっさと乗れブタ野郎!!」

 

 桜さんは妹の首根っこを引きずり、愛車へと投げ込んだ。

 そのまま車へと押し込むように足蹴での追撃も忘れない。

 

「いでででで!! やめれー、カレーめんがでるぅ……」

 

 執拗な腹部へのストンピングになでしこの呻きが弱弱しく響く。

 その情けない声に溜飲が下がったのか、幾分か冷静な桜さんが戻ってきた。

 

「小太郎君もなでしこが面倒を掛けてごめんなさいね」

「いえいえ」

 

 労いの言葉に対して、何でもないように軽く答える。

 なでしこが無事だった。

 それだけで今回の騒動は僕にとって一件落着である。

 

 

 

 

 それから。

 桜さんと志摩さんはいくつか謝罪と感謝のやり取り再度交わし、この場はお開きの雰囲気が流れる。

 バタン、と運転席のドアを閉じ、桜さんが愛車のSUVのエンジンに火を点ける。

 すると、運転席の窓を開けて質問が来た。

 

「小太郎君は此処までどうやって?」

「一応徒歩です」

 

 返答に対して、僕の隣に居た志摩さんが目を見開く。

 その大きくなった目はさも『徒歩!?』と口ほどに物を言っていた。

 

「じゃあ、一緒に乗っていく? 家まで送るわ」

「いえ、お構いなく。家までは月を見ながらのんびりと帰ることにします。今日はそんな気分なので」

「そう?」

「はい」

 

 山梨に来てもうすぐ一年ではあるが、依然と見飽きぬのは僕が日本人であるからだろうか。

 今日の満月は実に見事だ。

 その光に照らし出されている富士山の立派な夜姿。

 これを堪能しないのは損だろうという感性が働いたが故の返答である。

 

「わかったわ。それじゃあおやすみなさーい。風邪ひかないでねー」

「おやすみなさい」

「桜さんもおやすみなさい」

 

 窓枠に肘を付き、振り返りながら桜さんは就寝の挨拶をする。

 怜悧で知的な印象の彼女がするその姿は実に様になっていた。

 

 遠ざかる車のエンジン音。

 さて僕も帰るかな、と考えていると、車から降りてきたなでしこが息を切らして近づいてきた。

 何事かと思っていると、どうやら志摩さんに自分の携帯の連絡先を記したメモを渡しているらしい。

 物怖じしない、誰とも仲良くなれるなでしこっぽさの出た対応である。

 

「今度はちゃんとキャンプやろーねっ! じゃーねーっ! コタ君もじゃーねーっ!」

 

 来たときと同様、元気良く走り去っていくなでしこ。

 泣いたカラスがなんとやらである。

 元気があって大変よろしい。

 じゃあ今度こそ、月と富士山を見ながら僕も帰るとするかな…………あ、リリルーラ使えば一発でなでしこを見つけられたんだ……────

 

 

 

 

 

 

 

 

 やっぱり変な奴。

 手に握らされた連絡先の書かれたメモ。

 それを見ながらリンは嵐のように去っていった少女を思う。

 

「まあ、登録だけしといてやるか」

 

 ぽそり、と呟いて自身のテントへと踵を返すリン。

 その背中に小太郎の声が掛かる。

 

「じゃあ志摩さん、おやすみなさい。また学校でね」

 

 ピクリ、と肩が反応する。

 髪に隠れてはいるがその耳は徐々に朱に染まっていた。

 それは独り言を聞かれたが故の羞恥によるものであった。

 

 ──か、完全にこの男の存在を忘れていた。

 

 なでしこという少女の印象が鮮明に残っていたがための忘却である。

 しかし一拍の時間で平静を取り戻したリンは、小太郎へ疑問を零す。

 

「おやすみなさい。でも本当に此処から家に帰るの?」

「うん、ここら辺はもう庭みたいな感覚だから気にしないで。それじゃ」

 

 帽子を目深に被り、小太郎は気負い無く踵を返し、帰路へと歩を進める。

 トンネルに向かって小さくなる大きな背中。

 確かにあそこまで立派な体格であれば徒歩でもなんとかなるのだろう。

 リンはそう判断を下し、己も小太郎と反対方向へテクテク、と足を動かし始める。

 

 

 

 

 ふと。

 リンはなんとなくもう一度小太郎が気になって後ろを向く。

 ほんの気まぐれによる動作だった。

 しかし。

 その何気ない思い付きが、彼女を怪奇現象の目撃者とした。

 

 トンネルへと入っていくかと思われた小太郎は、その選択肢を選ばなかった。

 ぴょん、と軽く『トンネルを飛び越える』小太郎の後ろ姿。

 そのままトンネルの上に生えた木の太枝に飛び乗った。

 そして。

 猿の如く枝から枝へと飛び移っていき、そのまま夜闇の中へと消えていく。

 

 冗談のように現実離れした光景を前にリンは────

 

 ──くぁwせdrftgyふじこlp!? テング!? テングナンデ!?

 

 言語中枢が異常をきたしてしまい、言葉として成り立たない文字の羅列を心内で思いっきり叫んでいた────




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 あとがき

 テングリアリティショック回

 なでしこのカレーメンを食べている場面がとても好きだったので、そこらへんはほぼ原作に沿って描写しました。


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八話

 放課後を告げるチャイムの音。

 その電子鐘の音を皮切りに、ホームルームの時間が終わる。

 教室から先生が去り、クラスメイト達が各々の自由行動を開始する。

 ある者は部活動へと足早に教室から出て行き、ある者は仲間内で新作ゲームでの進捗を語り合う。

 

 さて。

 そんな放課後の喧騒の中。

 帰宅部である自分が取るべき選択は名の通り帰宅一通りなのであるが、今日は違う。

 行くべき場所、会うべき人物が校舎内に居るのだ。

 

「小太郎君、今帰るとこ?」

「今日は寄る所があるから、帰るのはその後かな」

 

 意気込んでいると犬山さんが間延びした関西弁で話しかけてきた。

 彼女とは収納棚の件以来こうして世間話に花を咲かせる間柄となっていた。

 名前呼びも何時の間にかである。

 

「寄るとこ?」

「うん。あ、犬山さん、ひょっとしたらだけど今日は野クルに僕の知り合いの子が顔を出すかも」

 

 つい先日のなでしこ迷子事件の後。

 なでしこは甚くキャンプに関心を持ったのか、頻りにあの夜にあったときの事を僕に話して聞かせてくれた。

 如何に志摩さんの手際が良かったか。

 如何にキャンプギアが機能的であったか。

 如何に外で食べるカレーメンが美味しかったか。

 如何にあの日見た富士山が綺麗だったか。

 きらきら、と目を輝かせて体験したことを語るなでしこはとても微笑ましかった。

 

「知り合い? それって女の子?」

「うん、キャンプに興味があるみたいだから野クルの事を話してみたんだ。そうしたら入部してみたいって言い出して」

「ウチとしては部員が増えることは歓迎やけど、その入りたいって子はどんな子なん?」

 

 犬山さんの質問は至極当然。

 大垣さんと二人で完結している現在の野クルに入部希望者が居るという事実は良くも悪くも大きな意味を持つ。

 少しでもその人となりが気になるところだろう。

 だからこそ、僕は間髪入れずコンマ数秒の遅滞もなく答える。

 

「いい子だよ」

「えーと、そうなん? もうちょっと詳しくその子の事を教えてほしいんやけど」

「とてもいい子だよ」

「…………えーと」

 

 僕は学ぶ人間である。

 なでしこという幼馴染み殿を表現しろと言われれば原稿用紙が何枚あっても足りないがそれを此処で披露するわけにもいかない。

 僕にとってなでしこの話は何時間語ろうが苦では無いが、犬山さんにとってもそうでもないだろう。

 故に。

 なでしこを端的にまとめると表現としては『いい子』が適切だ。

 枕詞を考え出すと切りが無いので、それも『とても』だけに留めておく。

 

「別に意地悪してこう言っている訳じゃないよ。ただ多分詳しく喋りだすと時間が幾らあっても足りないからね。30分や1時間じゃ終わらないと思うよ」

「えぇ…………」

「それに事前情報が沢山ありすぎると会ったときの楽しみが減ると思うから」

「まぁ、それは確かにやなぁ」

 

 納得がいったようなそうでないような。

 そんな微妙な表情が犬山さんを彩るが、それ以上の質問は続かなかった。

 

「でも、出来たらでいいから、その子が来たら仲良くしてくれると嬉しいかな」

「悪い子じゃないんならウチとしてもええけど……それじゃぁ一個だけ質問してもええ?」

「うん?」

「その子と小太郎ってどんな関係なん?」

 

 暫し逡巡。

 僕となでしこの関係は幼馴染みの一言で表すことができる。

 しかし、それを正直に言ってしまえば犬山さんは『その子』の正体を予想できてしまうだろう。

 事ある度になでしこの自慢話をしているのだ。

 多くを語れば符号する点が多すぎて『その子』がなでしこに辿り着いてしまう。

 故に。

 幼馴染みという事実は伏せ、己がなでしこをどう思っているかだけを伝える。

 

「うーん、相手側がどうかは分からないけど────僕にとってその子は大切な人になるのかな?」

 

 さて、言うべき事は全て口に出した。

 今日の僕には行くべき場所が、会うべき人物がいるのだ。

 当初の目的を果たすべく僕は犬山さんへの別れの挨拶も早々に教室から飛び出す。

 既に思考は会うべき人物──志摩リンさんに向かっていた。

 しかし。

 犬山さんから挨拶への反応が無かったのは、はてどうしたのだろうか────

 

 

 

 

 ゆるキャン△

 Fan fiction

 チート転生者 in キャンプ物

 

 

 

 

 天狗なんてないさ。

 天狗なんてウソさ。

 寝惚けた人が見間違えたのさ。

 休日から延々とリピートしているフレーズを脳裏に流し、リンは心の平静を保っていた。

 ぱらり、と『空想科学読本』を捲りながら、しかして内容は一切頭の中に残らない。

 

 ──よくよく考えてみたら、クラスメイトが天狗なわけがないよな。人が10m以上も垂直跳びなんて常識的に考えて出来るわけがないし。

 ──見間違え見間違え、人はそんなに跳ばない。暗かったから何かと勘違いしただけの間抜けな話なだけだ。

 

 通算して二度目の怪奇現象との邂逅は、リンの現実と空想の境界線を著しく乱していた。

 故に、リンは海馬に刻まれた記憶を捏造する。

 アレはきっと見間違え、天狗の正体見たり枯れ尾花である。

 尤も、それはリンにだけに適応される現実であり、田中小太郎という『静岡の天狗小僧』が実在することに些かの揺らぎは無い。

 

 だからこそ。

 カラリ、と扉がスライドし、件の人物が図書室へ入室する現実がこんにちわ。

 しかし、リンの精神は思考の海へと潜水し、件の人物──小太郎が入ってきたことに気がつかない。

 加えて友人である斉藤恵那が己のシニョンで面白おかしく遊んでいるのにも気がつかない。

 

 小太郎は小脇に紙袋を抱えてキョロキョロ、と視線を辺りへ這わせる。

 幾許もしない内に、小太郎はお目当ての人物を発見する。

 図書室の受付カウンターという目立つ位置に座っていれば見つけるのも容易い、早速小太郎は思考に耽るリンへと近づく。

 しかし、まだリンは気がつかない。

 

 小太郎が頬杖を突いて本へと視線を落としているリンの前に立つ。

 本の文字に落ちた影に、漸くリンは目の前の存在に注意が向く。

 

「あ、ごめんなさい。本の貸し出し────」

 

 言いかけた台詞が途中で途切れる。

 視線を上げれば其処には同年代の男子とは一線を画する肉体を誇る小太郎──天狗が居たのだから。

 

 ──くぁwせdrftgyふじこlp!?

 

 図書館ではお静かに。

 大絶叫を心の中で留めて置けたのは奇跡的であった────

 

 

 

 

 

 

 

 

 椅子から芸術的なすべり落ちを披露し、それだけに飽き足らず尻餅を突きながらも後方へ這いずる志摩さん。

 その瞳は幽霊でも見たかのように限界まで見開かれていた。

 静から激動へ。

 物静かな文芸少女然としていた志摩さんが、僕を視界に収めた瞬間、アクロバティックなリアクション芸人と化してしまった。

 少なくない図書室利用者の目が一斉に僕たちの方へと集まる。

 

 ──えぇ……そんな反応は予想していなかった。志摩さんは男性恐怖症か何かなのかな?

 ──けどこの前はそんな素振りは無かったし、一体何が……

 

 そんな僕の疑問は次の志摩さんの一言によって氷解する。

 

「て、天狗!? わ、私を攫いに来たのか!?」

「なにその物騒な発想!? しないよ!」

 

 わなわな、と震える指先は確かに僕を指している。

 僕たちの動向を注視していた図書室利用者の目は点である。

 皆一様に頭の上へ疑問符を浮かべている様子。

 

 そんな微妙な雰囲気の流れてしまう中。

 僕の心境としてはあちゃー、である。

 見られていたのか。

 恐らく志摩さんが何を指して僕を天狗といっているのかは、十中八九あの夜のことであろう。

 幾らなでしこの安否の確認が取れたとはいえ、気が緩みすぎていた感は否めない。

 しかし。

 そんな内心を他所に置いておいて、とりあえずはこの場の空気を何とかしなくては。

 だから、隣の女の子はそんな不審者を見るような目つきで見ないで下さい、僕は志摩さんに何かしたつもりはありませんから。

 黒髪のショートカットの女子──斉藤さんはさり気無く移動し、僕と志摩さんを引き離す立ち位置へ陣取る。

 

「えーと、志摩さん大丈夫? 後、図書室ではお静かに、だよ」

 

 僕の言葉は幸いにも恐慌状態の彼女に確りと届いたようで、ハッとなる志摩さん。

 辺りの視線が集まっているのに気がつくとゴホン、と咳払いを一つ。

 立ち上がり、スカートの埃を一掃いした後、椅子へと座りなおす。

 朱に染まった耳に関しては、触れないことにしよう。

 

「志摩さん、先日はなでしこを保護してくれて本当に有難う。これ、家にあったもので申し訳ないけど御礼です」

「い、いやお姉さんの方にも言ったけど、大したことじゃ」

「志摩さんにとってはそうでも、僕にとっては大したことでした。だからどうぞ受け取ってください」

「……うん」

 

 志摩さんが持ってきた紙袋を受け取ってくれたので、一先ずは此処に来た目的は達した。

 中身は焼き菓子の詰め合わせである。

 こういったお礼の品は消えてなくなるものが無難故のチョイスだった。

 

「というか、幾ら知り合いとはいえ、家族でもないのに御礼の品っておかしくない?」

「確かにそうなんだけど、なでしことは昔から家族ぐるみ付き合いをさせてもらっているからね。殆ど身内のようなものなんだ」

「……ふーん」

 

 さて。

 用は済んだので何かしらの追求を受ける前に立ち去りたい、早々に。

 しかし。

 志摩さんの隣にいる斉藤さんの目が僕を捉えて離さない。

 先程のやり取りで、瞳の中の僕は不審者から脱したようで、警戒心は薄れているように見える。

 警戒心の代わりに彩るものは好奇心。

 

「ねぇねぇ、リン。天狗ってなーに?」

 

 斉藤さんからすれば純粋な好奇心からくる質問なのだろう。

 しかし、このタイミングでその質問は、僕としては最も避けたいものであった。

 

「いや、別に……なんていうか単なる勘違いっていうか」

 

 よし。

 心の中でガッツポーズを繰り出す僕。

 この場で根掘り葉掘り問い質されることを避けたい僕としては願っても無い展開である。

 

「えー、でも、リンのさっきの様子はちょっと普通じゃなかったよ。勘違いなら勘違いでもなにかしらのそうするだけの理由があったんだよね」

「えーと、まあ、その……そうだけど」

 

 おっと、雲行きが怪しくなってきてしまった。

 僕はポーカーフェイスを保ちながら内心で脂汗をびっしり掻いていた。

 この場からの不自然な退散は悪手。

 二人の懐疑心を助長させるだけなのでなんとか穏便に取り繕わなければ。

 

「その、休みの日にソロキャンへ行ってたんだけど……」

「うんうん」

「夜に変な迷子を見つけて、なし崩しで面倒を見てたんだけど……」

「うん、それで」

「それで迷子の知り合いが迎えに来て、それが田中だったんだ」

「ふんふん」

「で、迷子のお姉さんも車で迎えに来て、その二人はそのまま車に乗って帰ったんだけど、田中は歩きだったんだ」

 

 あ、これはマズイ。

 にこにこ、と楽しげな表情、絶妙な相槌。

 斉藤さんが聞き上手すぎて志摩さんの口がとても軽くなってしまっている。

 何とか志摩さんの言葉を遮りたいが、それはあまりにも不自然。

 事の経過を眺めていることしかできない。

 

「なんとなく別れ際に気になったんで振り返って田中を見ようとしたんだけど、その時、信じられないものを見たんだ」

「どんなもの?」

「暗かったし、何かの見間違えかもしれないけど、田中がトンネルを飛び越える姿が見えたんだ。

 それで木の枝を次々に跳び移って森に消えていった。少なくとも私にはそう見えた……」

「あー、それで田中君を天狗呼びなんだ」

「うん」

 

 果たして自分は上手いことポーカーフェイスを保てているだろうか。

 自分の落ち度過ぎてぐうの音も出ない。

 事情聴取を終えた二人の視線が僕に突き刺さる。

 深々と刺さりすぎてとても痛い。

 

 正直、僕は嘘が苦手である。

 正確には嘘を吐くことが、吐き続けることが非常に苦手だ。

 一つの嘘を、誤魔化すためにまた嘘を吐く。

 連鎖的に嘘が積み重なり、訳が分からなくなってしまうことが非常にストレスなのだ。

 故に、僕は極力嘘を吐かないこと信条にしている。

 尤も、これはなでしこに対して誠実でいたいという僕の我儘が多分に含まれている信条であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「秘密です」

 

 人差し指を一本。

 顔の前に突き出したその仕草は、リンの瞳にはとても不恰好に見えた。

 太く、男らしい眉を八の字に曲げて、苦笑いと共に齎された一言。

 たった一言。

 しかし、目の前の男子は困ったように、本当に困ったように顔を歪ませて言うのだ。

 誤魔化せばいいのに、呆けてしまえばいいのに。

 これでは何かあるのだと自白しているようなものだ。

 

 ──……なんというか、不器用な奴だな。適当に誤魔化せばいいのに。秘密なんて言ったら何か隠してますって答えているようなものじゃんか。

 ──しかし……最初見たときはすげー大人びた奴に思えたのに、今は大分年相応だな。

 

 じー、と穴が開くほど見つめると身を小さくする小太郎。

 背丈は普通だが、筋骨隆々の男子が身体を小さくしている様は酷く哀愁を漂わせる。

 その姿は、主人に叱られている大型犬を想起させた。

 同年代の男子に抱くような感想ではないが、なんとなく可愛らしく思えてしまう。

 

 既にリンの中には、田中小太郎という男子がおどろおどろ恐ろしい天狗のイメージとはかけ離れていた。

 少なくともリンを山へ攫っていくような真似をする性格だと思えない。

 そう思えただけでリンから肩の力がストン、と抜けた。

 

「……はぁ、もういいよ」

「え、でもリン……」

「どうせこれ以上追及しても何も出てこないと思うよ、いや何も出してこないか」

「秘密なので」

「ほらね。とりあえず、御礼に関しては受け取っておくよ」

 

 秘密、ということはこれ以上踏み入れて欲しくないという拒絶だ。

 つまる所、追及の継続は無意味。

 溜息一つ。

 リンが矛先を収めると小太郎は明らかにホッ、とした様子で身体から力を抜く。

 斉藤恵那は当事者がそれでいいのなら、とリンと方針を同じくした。

 

 

 

 

「それじゃあ用も済んだし、僕はこれでお暇させてもらうね…………あっ」

 

 そそくさ、と風体に反して素早い動きで図書室より戦略的撤退をする小太郎。

 しかし。

 窓の外、校庭。

 親愛なる幼馴染みの姿を見つけたことにより、一時的に撤退は中断される。

 

「なでしこ……」

 

 リンが急に立ち止まってしまった小太郎の視線の先を追う。

 そこにはジャージ姿の女子三人組──各務原なでしこ・大垣千明・犬山あおいがなにやらゴソゴソ、と作業を行っていた。

 何をしようとしているのかは一目瞭然──テント設営である。

 経験者のリンからすれば三人組の手際は初心者のそれであった。

 グラウンドシートは敷いていない、テントの骨格であるポールも固定に手間取っている有様だ。

 しかし。

 リンの意識が向いたのは小太郎の表情である。

 

 ほほえましいものを見るような、慈しむような、そんな微笑みで三人──その内のなでしこを見ていた。

 男子が女子を熱心に見つめている。

 字面だけを見ると思春期特有の欲求に後押しされた行動に思えるが、小太郎の場合そうではない。

 傍から見ているリンにもそれは理解できた。

 

 ──田中ってアイツにだけはそんな顔をするんだな。御礼の件もアイツの面倒を見たからだし、そんなに特別なのだろうか。

 ──……なんていうかのほほんとして間抜けな顔をしてるな、アイツ。

 

 すっかりお爺ちゃんの顔になっている小太郎の横顔を観察しつつ、野クル三人組の動向を窺っていたリン。

 すると。

 バキリ、と窓越しにポールの折れる音が聞こえた。

 

 ──あ、折れた。

 「あ、棒が折れちゃったよ」

 

 リンの内心と恵那の呟きが重なる。

 そしてそれ以上に。

 

「田中君、すっごいそわそわしてるねー」

「めっちゃ挙動不審になったなー」

 

 野クルメンバーはテントの破損に慌てふためく。

 見ていた小太郎もわたわた、と狼狽。

 手が虚空を彷徨い空を切り、助けにいこうか様子を見ようかとその場を行ったり来たり。

 その情けない姿の何処に恐れる要素があるのか。

 そして。

 リンはくすり、と初めて小太郎に対して笑みを零すのであった────




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 あとがき

 アニメが終わってしまった……
 キャンプ難民キャンプは何処ですか?
 なでしこと野クルの接触描写は次回にします。


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九話

 犬山あおいはチャームポイントの太眉を少し寄せながら部室棟の階段を上っていた。

 手に持つのは友人の大垣千明が所望したキャンプ雑誌。

 昼休みに図書室から借りてきたものだ。

 

 あおいが眉を寄せる原因。

 それは今日、野クルに訪問してくるであろう入部希望者の存在である。

 同好会でしかない野クルにとって新入部員の存在はプラス要因だ。

 なぜなら野クルの部室は狭い。

 本栖高校の規定では、正式な部として認められる最低部員数は4人。

 つまり、来るであろう入部希望者を頭数に入れれば後1人で部に昇格である。

 

 ──小太郎くんも野クルに入ってくれればええのになぁ。

 

 一度、あおいは小太郎を部に誘ったことがあった。

 しかし、結果は丁寧に断られて敢え無く撃沈。

 曰く、申し出は嬉しいが男の自分が入部することは少々宜しくないとのこと。

 曰く、野クルは女子限定の同好会と周囲から思われているとのこと。

 曰く、あおいも千明も別嬪さんで男子から人気があるとのこと。

 つまり、現状で小太郎が入部すると他の男子が女子目当てで入部を希望する可能性が大なのだ。

 それは純粋にキャンプを楽しみたい二人の望むところでは無い。

 

 ──でも別嬪さんって面と向かって褒めてくれたところはポイント高いで。

 

 当時を思い出し、あおいは相好を崩す。

 あおいとて女子の一人。

 一部の女性的な部分は育ちに育っているが、その部分以外の容姿を褒められて悪い気はしない。

 なにより小太郎は嘘を吐かない。

 正確に言うならば、小太郎が嘘を吐いた場面を見たことが無いのだ。

 つまり、別嬪という感想は小太郎の本心。

 その事実があおいの自尊心を大いに満足させていた。

 

 故に。

 多少なりとも気になっている男子が『特別』と言い切った入部希望者に対しては、なんとなく面白くないものを感じてしまっている。

 

 ──まぁ、小太郎くんがあそこまで『ええ子』やって言うんやから、悪い子やないと思うんやけどなぁ。でもなぁ……

 ──あかん、あかん。会ってもない子の事を色眼鏡で見たらあかんやないか。

 

 雑念を振り払うようにその場で顔を振るあおい。

 すると。

 眼前に野クルの部室が見えてきた。

 そして、部室前には見覚えのある友人の後ろ姿。

 

「あき~、図書室からビバークの新刊借りてきたよ」

 

 声を掛けるも、後ろ姿に反応は無い。

 部室の引き戸を少し開き、中の様子を覗き込んでいる姿は不審者のそれである。

 

「あき? なにしとるん?」

「……」

「ほんまどないしたん?」

 

 ちょいちょい。

 千明は指先の動きであおいに近づいてくるよう促す。

 不可解な友人の行動に首を傾げながらも、あおいはジェスチャに従い、千明と共に扉の隙間を覗き込む。

 

 きょとん、としたまん丸おめめと目が合った。

 綺麗というよりは愛嬌に比率が傾いた可愛らしい顔立ち。

 桜色の髪を二つおさげにした少女が部室内に居た。

 

「部室に空き巣が居るんだ……けど、どっかで見たことがあるような」

「多分空き巣ちゃうよ。今日、小太郎くんの知り合いが入部希望で野クルに来るかもっていうとったからその子やない?」

「……」

「……」

 

 小太郎。

 その単語は条件付けのようにある光景を連想させた。

 携帯、静岡、ダイエット、食べることが好き。

 小太郎が嬉しそうに地元のことを話す際に、いつも話題に上がっていた人物が居た。

 その少女の名は。

 

『なでしこだ(や)!!』

 

 申し合わせたかのように二人は異口同音。

 空き巣の正体を言い当てた。

 そして。

 言い当てられた本人は、不思議そうに口を半開きにして首を傾げていた。

 

「……ふぇ?」

 

 これが各務原なでしこと野クルメンバーとのファーストコンタクトであった。

 

 

 

 

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 休日。

 自宅の広いリビングで、僕はテレビから流れるニュースキャスターの声をBGMに暇を緩やかに潰していた。

 自宅内に僕以外の人の気配は無い。

 それもそのはず。

 両親は共働きの上、どちらも企業戦士。

 働くことが何よりの生き甲斐だと公言して憚らない人種なのだ。

 当然の如く生き生きと休日出勤を敢行する両親に対し、何時も通りだな、という感想しか抱けない。

 

 ──まぁ、元気そうならそれでいいか。身体を壊さないように回復呪文も毎日使ってるし…………いや、使っているからこうも忙しないのでは……。

 

 幾らその身を酷使しようとも、一晩熟睡すれば全快する生活環境。

 我が家は企業戦士にとって天国と喩えても過言では無い宿屋なのではないだろうか。

 

 ──まさか、良かれと思って使用している回復魔法が両親を無間地獄に陥れているのでは……

 

 傍から見れば地獄、当人達にとっては天国。

 頭を掠める嫌な考えを、深くしない内に破棄。

 僕は心を落ち着けるため、先日の出来事を脳裏に蘇らせることにした。

 

 

 

 

 結論として、なでしこの入部は恙無く承認された。

 そして。

 晴れて部員となったなでしこを歓迎する意味で、野クルらしい活動であるテント設営を決行。

 先日の図書室から眺めていたテント破損の一件に繋がる。

 

 あの後、テントのポールが折れて途方に暮れていたなでしこ達を救ったのは、志摩さんのキャンプ知識だった。

 折れたポールを補修するリペアパイプという存在を志摩さんが冷静に教えてくれた。

 さらに運が良いことに、そのリペアパイプの代用品となるようなパイプが落とし物箱の中にあったのだ。

 早速、斉藤さんと僕で救援隊を結成して途方に暮れる野クルを救助。

 紆余曲折ありながらも無事テントを張ることに成功した。

 

 ──なでしこの物怖じしない性格は高校生になっても相変わらず、か。

 

 当初、テント補修の知恵だけを授けて図書室に隠居していた志摩さんだったのだが、そこで斉藤さんからのキラーパス。

 テント補修に尽力してくれた第一人者として野クルメンバーに紹介された。

 そして、なでしこは迷子の一件で世話になった恩人との再会を果たすことになった。

 

 ──かといって図々しいわけじゃなくて、相手の都合もちゃんと考えた上で距離感を測って接することもできている。

 

 加えてあの溢れんばかりの愛嬌。

 本当にいい子に育ったなぁ、と僕はしみじみと思いつつ、ソファーでお茶をしばく。

 

 恩人との再会後。

 なでしこは『またキャンプをやろうね』の約束通り、志摩さんと一緒にキャンプするため彼女を野クルに誘った。

 しかし。

 よほどその誘いが承服しかねたのだろう。

 それを志摩さんはしかめっ面による態度で返答。

 なでしこもその反応で察したのか、それ以上の勧誘をすることはなかった。

 

 ──まあそれでも、あの場の全員とライン交換するのは流石だなぁ。

 

 なでしこは転んでもただでは起きなかった。

 しょんぼり、としつつもすぐに元気を取り戻し、ライン交換を申し入れ、それを承諾させてしまった。

 その流れに飲まれて、何故か僕までも志摩さんと斉藤さんとライン交換することとなったが、幼馴染み殿の勢い恐るべしである。

 

 

 

 昨日のことで頬を緩めていると、リビングテーブルに置いてあった携帯電話からライン受信の音色が奏でられる。

 はて、と思いながらも液晶画面を覗くと、其処には各務原なでしこと発信者の名が表示されてあった。

 噂をすればなんとやら。

 受信したラインには簡潔な一言が綴られていた。

 

【リンちゃんがキャンプしているところに今から行ってきます!】

 

 幼馴染み殿のフットワークは些か軽すぎではないだろうか。

 何がどうなってそうなったのかの背景は全く分からない。

 僕が首を傾げつつ、なでしこが楽しそうであればそれでいいかと結論に達したところで更にピロン、と着信音。

 

【不肖なでしこ隊員、この前のお礼にリンちゃんへお鍋を振る舞う所存であります!】

 

 送られてきたメッセージに返信すべく、僕は携帯の画面をタップ。

 鍋にするなら丁度良い新鮮食材が、今朝穫れたばかりなのだ。

 とんとん、と人差し指で一文字ずつ入力していき、書いたメッセージを送信。

 

【良かったら家に鹿肉があるから持っていって】

 

 送ると幾許もしない内にまたピロン、と着信音が携帯を震わす。

 素早い。

 何故、最近の子はこうも携帯で文字を打つ速度が早いのかと思いながらも、受信したメッセージへと目を滑らせる。

 

【コタくん、ありがと~! 今からお姉ちゃんの車でそっちに向かうね】

 

 静岡に居た頃のようにお隣さん同士では無くなってしまったが、それでも車でなら十分程度の距離。

 僕は各務原姉妹を迎えるべく、ソファーから腰を上げる。

 浮き足立つように、持ち上げた腰は存外軽かった。

 

 ──戸棚に羊羹があったかな?

 

 杉箱に入った少しお高めの老舗羊羹がまだ残っていた筈だ。

 定番の小倉羊羹は勿論、抹茶や黒砂糖味、変り種では蜂蜜入り羊羹や紅茶味なんてのもある。

 老舗なだけあってその味は洗練された上品なもの。

 一口食べれば硬すぎず柔らかすぎない食感が口で融け、優しい味わいが舌に広がる。

 どの種類でも絶妙な甘さと絶妙な風味が、贅沢なバランスで仕上がっている。

 そんな羊羹だ。

 

 ──なでしこも気に入ってくれるといいのだけれども……しかし、お菓子に羊羹というチョイスは些か年寄りじみているだろうか。

 

 

 

 

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 山梨の田園風景をSUV車が各務原美人姉妹を乗せて走る。

 運転手は姉の桜。

 乗客は助手席の妹のなでしこである。

 

 車が開けた場所に出ると、窓から見える景色に富士山が大きく映り込んだ。

 初見で無い筈のなでしこだが相も変わらずその富士山の見事な大パノラマにふわぁ、と目を輝かせていた。

 そして。

 ひょい、と紙皿を彩る色とりどりの羊羹を一つ、菓子ようじで持ち上げぱくっ、と可愛らしい口に運ぶ。

 

「おいひぃ~」

「……」

 

 絶景で目を洗い、高級和菓子で舌鼓を打つ。

 贅沢で頬が落ちそうになるほど、なでしこの表情は緩みに緩んでいた。

 そんな幸せいっぱいの妹を見慣れているのか、姉は運転に集中してスルー。

 

「お姉ちゃん、何味がいい?」

「ん、じゃあ紅茶」

 

 幸せは二人で分ければ二倍になるとばかりに、なでしこが桜に幸せのお裾分けを提案。

 要望どおり紅茶色に透き通った羊羹を菓子ようじでプスリ。

 一口大に切り分けられた羊羹を、ハンドルを握っている姉の口元へと運ぶ。

 

「はい、お姉ちゃん。あーんして」

「ん……ありがと」

「えへへ」

 

 前を向いたままの桜が、妹に言われるがまま口を開くと寸分違わずに羊羹が口内へ。

 一連の動作は淀み無く行われ、まさに阿吽の呼吸。

 一口。

 口の中で一噛みするとなめらかな食感が感じられ、控えめな甘さが味蕾に伝わる。

 その上品な味わいを舌で堪能していると、後から紅茶の風味が口全体へと広がってくる。

 

「……おいし」

「だよねっ」

 

 思わず口を突いて出てきた素直な感想に、なでしこが笑顔で同意。

 その妹の無邪気さに、無表情であった桜の口元が僅かに緩む。

 

 ふと、桜がルームミラーに視線を向けると、後部座席のバスケット籠が目に入る。

 それは各務原家で使われている洗濯籠である。

 しかし、現在中に入っているものは洗濯物ではなく、野菜にまな板にカセットコンロ、冷凍餃子が入った箱である。

 更に、その上にはタッパに詰め込まれた鹿肉。

 赤身の眩しいそれは薄切りにされており、鍋用の肉だと判断できる。

 

 ──貰いすぎ…………小太郎くんに会うと結構な確率で物を貰ってしまうから少し気が引けるのよね。

 ──殆どが自己調達だから金銭的に負担になっていないとは本人が言うけど……。

 

 各務原家からも貰った分のお返しをしているが、小太郎が調達してくる食材の市場価格と釣り合っているかと聞かれると首を傾げざるを得ない。

 気にしないで、とは小太郎本人の言であるが、それでも若干の申し訳無さが桜に残る。

 この感覚に桜は覚えがあった。

 そうそれはまさしく祖父母へ会いにいった際、やたら食べ物を勧めてくる感覚にとてもよく似ていた。

 

 ──今度、小太郎くんをドライブに誘って何処かでもてなそうかしら。

 

 運転に支障が出ない程度で思案に耽る桜。

 黒縁眼鏡の奥にある理知的な瞳が、車道と未来のプランを見据えていた。

 そして。

 その肌は異様に艶めいて、きめ細かく、潤いに満ち満ちていた。

 ぷるるん、と張りのある弾力は十代、否、一桁代のそれである。

 つるつるたまご肌の秘密──それは小太郎が行う回復魔法込みの足ツボマッサージの施術を受けたからに他ならなかった。

 

 ──今日は大学の友達と会うし、小太郎くんにマッサージして貰えて丁度良かったわ。

 

 大学内ではクールビューティとして高嶺の花と目されている各務原桜。

 その凪いだ瞳には、高い確率で羨ましがるであろう女友達の姿が見えていた──




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 あとがき

 迷いに迷ったけど、結局今回は主人公の同行は無しの方向で舵を取りました。
 しまりんにはなでしこの口から語られる主人公の『それはちょっとおかしいだろ』という行動につっこみを入れてもらうことにします。


 そして、なでしこと桜の姉妹関係が尊いじゃぁ~。


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十話

「ふんふん、ふふーん」

 

 何処かで聞いたことのある邦楽のリズムを鼻歌で刻む女の子の声。

 鼻歌の発生源は他所様の台所。

 其処にはスタジアムジャンパーの上にエプロンを付けた女の子の後ろ姿が僕から見えた。

 

 じゅうじゅう、とフライパンに熱せられたサラダ油が肉を焼く音色。

 肉の全体に焼き色が付いたのが確認できると、女の子はそれをまな板へ移し、てきぱきとラップで肉を包んでいく。

 その手際は実に鮮やかで女の子が日常的に料理をしていることが見受けられた。

 

 僕は女の子──土岐綾乃が動くたびにふわふわ、と揺れるボブカットを、ソファーで寛ぎながら見ていた。

 ダイニングのレースカーテンからは既に朱色の光が差し込み、時刻が夕暮れ時だという事を表している。

 

「にひひ、小太郎。もうちょっとまっててね、この綾乃ちゃんが絶品鹿料理を振る舞ってあげるから」

 

 得意げに笑いながらも腕まくりをした細腕は淀み無く動く。

 ラップに包んだ肉達をジップロックに包み、空気抜き。

 そして、それを沸騰したお湯に菜箸で沈めて煮る。

 

 一連の手順を見るに綾乃が作っている料理は鹿肉のローストだと当たりをつける。

 普段からユニセックスなファッションをしている綾乃だが、手際良く料理をしている後ろ姿を見ると女の子なんだな、と改めて実感できた。

 

 

 

 

 さて。

 なぜ僕が今現在、土岐家にお邪魔しているのかと説明すると、理由は簡単である。

 鹿肉のお裾分けだ。

 なでしこと桜さんに鹿肉を渡した後、僕の頭にもう一人の幼馴染み殿の姿が思い浮かんだ。

 そして、思い立ったが吉日。

 山梨と静岡をテレポで移動した後、土岐家のチャイムを鳴らしたのであった。

 ひょっこり、と玄関から顔を出したのは思い描いていた少女。

 訪問の理由を話すと共に処理した鹿肉のブロックを渡すと、綾乃が折角だから家に上がっていけと鶴の一声を発した。

 そしてあれよあれよという間に夕飯をご相伴に預かることになってしまっていた。

 

「こたろー、近頃どうなの。なでしこも同じ高校になったんでしょ?」

「んー、なでしこがキャンプに興味を持ったことは知ってる?」

「知ってるよー、最近よくラインでそれっぽい話題出してくるから」

 

 綾乃は料理へ、僕はそんな綾乃の背中へ視線を向けての会話。

 鹿肉を湯煎しながら、綾乃は手作りソースの製作へと手を動かす。

 玉葱、にんにくをおろし金ですりおろし、ボウルへと投入。

 そこへお酢、砂糖、醤油、酒、塩こしょう、レモン汁、そしてオリーブオイルを入れてスプーンで混ぜ合わせる。

 

「今日は富士山の麓キャンプ場に行ってるよ。なでしこのキャンプデビューの日なんだ。といってもテント泊じゃなくて桜さんの車での車中泊みたいだけど」

「早速行ってるんだ。本格的にやるつもりなのかな?」

「それはわからないけど、傍から見てても近年稀に見る熱の入れようだったよ」

「ふーん、冬にキャンプねぇ……」

 

 なでしこの近況を話題にするも綾乃は冬キャンプには興味が無い模様。

 背中越しに気のない反応が返ってくる。

 

「小太郎はどうなのさ」

「僕?」

「そ、小太郎はキャンプしようとは思わないの?」

「実はちょっと興味が出ているかも。ここに来る前に本屋でキャンプの雑誌を買ってきちゃったし」

 

 僕は綾乃の質問に答えながら、買ってきたキャンプ雑誌『BIVOUAC』を紙袋から取り出し、ソファーで広げる。

 すると目に飛び込んでくる見出しは『ブッシュクラフト』。

 見慣れない単語だが、ページをよくよく見てみると必要最低限の道具で行うキャンプらしい。

 玄人になってくると火起こしも原始的な手法を取るようになり、食糧も現地調達。

 雑誌には落ちている木を使って簡易的なベッドを作っている写真が載せられていた。

 

 

 はて、果たして僕がこの『ブッシュクラフト』を行った場合、道具は何が必要であろうか。

 ナイフ。

 気を刃状に形状変化させれば生半可な刃物より切れ味が良いので必要無し。

 クッカー。

 適当な岩を加工し、鍋等の作成が可能なため必要無し。

 メタルマッチ。

 メラ系統またはファイア系統の魔法で事足り過ぎるので必要無し。

 考えれば考えるほどに魔法が便利すぎて裸一貫でブッシュクラフトを敢行しても大丈夫なような気がしてきた。

 

 やってみようかな、と気持ちが傾きかけた時、雑誌のとある一文が目に飛び込んできた。

 『不便を楽しもう』。

 この一文に、僕はなるほど、と目から鱗が落ちるような気分になった。

 便利の頂点がシティライフだとすれば、都会の喧騒から離れたキャンプは確かに不便だと言える。

 しかし、不便だからこそ料理や寝床の設営などの目的が達成したときの感動も一入なのだろう。

 貰った能力が便利すぎるというのも些か考え物なのかもしれない。

 だが、能力をわざわざ縛るような行為も趣味ではない。

 となると僕が不便だと思えるような環境下でキャンプを行えば、不便の中での楽しさを享受できるのだろう。

 

 ──北極とかはどうだろうか。

 

 脳裏に浮かんだ選択肢に僕はよくよく考えて首を傾げる。

 果たしてそこまで行き着いてしまうとキャンプではなく、それはサバイバルの域では無いだろうか。

 キャンプとサバイバルの境界線が頭で入り混じり始めた瞬間、背中に軽い衝撃を受けた。

 

「はいどーんっ。その雑誌面白いの?」

 

 女の子一人分の衝撃。

 その下手人は料理をしていた筈の綾乃だった。

 綾乃はソファーに座る僕の背後から首に手を回し、顔の横からひょっこり、とその花のかんばせを覗かせる。

 

「中々面白いよ。料理は見てなくていいの?」

「お肉の煮込みが終わるまで後10分くらい掛かるから大丈夫。ねぇ小太郎、このブッシュクラフトって何?」

「ここに書いてあるけど『必要最小限の道具のみで野山に分け入り、できるだけ現地にあるものだけを利用して、自然の中で過ごす野遊びの一種』、だって」

「キャンプのちょっと過酷なバージョン?」

「みたいだね」

「ふーん」

 

 会話が途切れる。

 しかし、嫌な沈黙ではない。

 ダイニングでは、ぐつぐつ、と鹿肉料理の煮える音と、雑誌のページを捲る音のみが聞こえる。

 互いに言葉を発しないまま、僕たちはキャンプ雑誌をなんとなしに眺めていた。

 

「……」

「……」

「ねえ……小太郎」

「ん?」

「その……ありがとね。こうして何回も訪ねてきてくれて」

 

 後ろから抱擁されているため綾乃がどんな表情か窺うことはできない。

 しかし。

 きゅっ、と首に回された腕に力が入る。

 身体の密着面積が大きくなることで綾乃の感謝の気持ちが伝わってきた。

 

「最初に小太郎。その次になでしこまで引越しちゃってさ……小さいときからずっと一緒だったのに私一人が取り残されたみたいで、

 なんか胸がきゅっとなって苦しかったんだ」

 

 幼馴染み二人との離別。

 それは思春期の少女にとって衝撃となり世界観を揺るがしたのだろう。

 波紋は大きな波となり、綾乃へと打ち寄せた。

 綾乃の受けたショックは如何ばかりだったのか、僕には想像することしかできない。

 

「だからさ、小太郎が顔を見せに来てくれるとさ……やっぱり私たちの関係が切れてないんだって分かって安心する。ラインだけだとやっぱり少し寂しいし」

 

 僕は雑誌から手を離し、ぽんぽん、と空いた手で綾乃の頭を撫でる。

 綾乃はその手をくすぐったそうにしながらも逃れようとはしなかった。

 

「小太郎って不思議なことができるよね」

「……どうだろうね」

「マッサージだけで肌があり得ないくらい綺麗になるし、山梨から静岡までの距離をおかしなくらい短い時間で移動するし」

「記憶にございません」

 

 心当たりがありすぎて有名政治家のような答え方になってしまう。

 些か自重するべきであろうか。

 

「ちゃんと答えてくれなくていいよ。ただ、その不思議な力を使ってまで会いに来てくれてるのが、嬉しいんだ…………ほんと、ありがと」

 

 言った内容が恥ずかしかったのか、綾乃は僕の肩口に顔を埋めて表情を隠してしまった。

 そんな事をしなくても此方側からは顔が見えないのだというのに。

 その仕草が微笑ましくなって、僕は綾乃のシャンプーの残り香薫る髪を手櫛で梳く。

 穏やかな時間が土岐家を過ぎていく。

 

「……はいっ、サービスはおしまいっ! 残念、綾乃ちゃんとのハグは品切れですっ!」

 

 唐突に告げられた早口気味の宣告と同時に傍にあった温もりが遠ざかる。

 振り返ると、綾乃がパタパタ、とスリッパを鳴らしてキッチンへと戻る姿が見受けられた。

 その耳たぶは恥ずかしさゆえか、茹でた蛸の如く鮮やかな朱色をしていた。

 

「何か手伝おうか?」

「いいから小太郎は座ってて! 包丁使ってるんだから間違ってもコッチに来ないでよね!」

 

 そう言って綾乃は鹿肉の調理へと戻る。

 鼻歌混じりに仕上がったローストを薄くスライス。

 炊き立ての白米に千切ったキャベツを敷き詰め、その上からローストを綺麗に重ねていく。

 鹿肉へ手作り甘辛ソースを絡め、刻みネギと刻みノリをトッピング。

 最後に温泉たまごを乗せたら完成。

 

「小太郎、出来たよー」

 

 そして。

 この日に振る舞われた土岐綾乃特製『鹿肉のロースト丼』は大変美味だったと此処に記しておく────

 

 

 

 

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 時刻は少し巻き戻る。

 富士山の麓キャンプ場へ到着したなでしこは、斉藤恵那の情報を頼りにソロキャンパー──志摩リンの姿を探していた。

 途中、キャンプ場の入場料のことを失念していたなでしこであったが、姉におねだりをすることで事無きを得ていた。

 

 バスケット籠を両手で抱え、ひょこひょこ、と歩く。

 頭の天辺にポンポンの乗った耳当て付きのニット帽。

 首元には薄緑色の暖かなマフラー。

 赤と黒のチェックシャツの上から白のダウンベストを着込み、下はデニム生地のハーフパンツながらも厚手の黒ストッキングで多少の風も凌げる仕様である。

 全体として、寒さ対策もしながらも女の子らしさの主張も忘れない可愛らしいファッション。

 それが今日のなでしこのコーディネイトであった。

 

 朱に染まる逆さ富士の池を歩き、野外自炊棟を見て周り、キャンプスペースへと辿り着く。

 そして。

 視界の遠方に、見覚えのある後ろ姿を見つけた。

 

「リンちゃーん!」

 

 なでしこの快活な声が原野に響く。

 しかし、ローチェアに体重を預けているリンは気が付かない。

 

「リンちゃーん!」

 

 籠を両手にとてとて、と駆け寄るなでしこの声は更に幾分か大きくなってリンへと届く。

 もごもご、と口元を動かしているようだったが、近寄るなでしこに気が付いた様子は無い。

 そして。

 

「やっぱりリンちゃんだっ」

「うおっ!?」

 

 至近距離にて、漸く二人はお互いを正しく認識した。

 直前までなでしこの事を考えていたリンは、急な現実のなでしこの登場に動揺を隠し切れない。

 一方、なでしこは目的の人物に出会えた嬉しさでえへへ、と可愛らしくはにかむ。

 

「な、ななな、なんでこんなところに!?」

「斉藤さんが教えてくれたんだ」

「……また、あいつか」

 

 前科一犯。

 学校内でなでしこを引き合わせた人物の繰り返された犯行に、リンは少々の溜息を零す。

 そんなリンに対し、なでしこはキャンプ場へ訪れた目的実行の為に質問を投げ掛ける。

 

「晩ごはん、もう食べちゃった?」

「あ、えっと……まだ、だけど」

「よかったー」

 

 質問の答えになでしこは安堵の笑みを浮かべる。

 持参したバスケット籠を地面へと下ろし、中の土鍋を取り出す。

 それを強調するように胸の前に持ってきて、なでしこは提案した。

 

「リンちゃん、今からお鍋、やろうっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐつぐつ、とカセットコンロに乗せられ蒸気穴から沸騰を知らせる水蒸気を吐き出す土鍋。

 夕暮れ刻は過ぎ行き、夜の帳が落ちた麓キャンプ場。

 レジャーシートの上に腰を下ろしたなでしことリンの二人は、一緒に一つの鍋を囲んでいた。

 囲む晩ごはんは、なでしこ特製のお鍋である。

 

「さてさて、そろそろいいかな」

 

 二人仲良く鍋を覗き込み、ぱかり、と開けられる蓋。

 瞬間。

 ふわり、と大量の湯気が夜闇を漂い、次いで食欲をそそる香りが女の子二人の鼻腔を刺激する。

 まず視界を染め上げるのは豆板醤の赤色。

 そして、鍋の大部分を占拠する浜松餃子。

 なでしこ特製『坦々餃子鍋』の完成である。

 

「あ……真っ赤だ」

「坦々餃子鍋! そんなに辛くないから心配しなくていいよ」

 

 こと料理に関しては一家言を持っているなでしこ。

 それもその筈、元々食べることが大好きな彼女は、その事が高じて料理も得意である。

 更に昔から幼馴染みの小太郎の手によって持ち込まれる高級食材の数々。

 その高級食材の味を引き出す為に、なでしこは粉骨砕身、一念発起。

 己の料理の腕前を高め、レパートリーを増やすことに余念が無かった。

 そんな彼女の作り出すお鍋が美味しくない筈が無いのである。

 

「辛そうで辛くない。少し辛いお鍋だよ奥さん、おいしいよー」

 

 お椀とお玉をこつん、と突き合わせ、セールストークのようにおどけてみせるなでしこ。

 必然、リンも内心でツッコミを入れる。

 

 ──スーパーの実演販売か。

 

 お玉にたっぷりと具を掬い取り、お椀へとよそう。

 目に鮮やかな坦々スープと共に、ぷりん、と皮をつやめかせる浜松餃子。

 白菜、長ネギ、エリンギ、そして豆腐とお椀の中身が小さなお鍋となった。

 

「はいはい、たーんとおあがり」

 ──田舎のお婆ちゃんか。

 

 リンとキャンプをしながらお鍋を囲うのがそんなに嬉しいのか、なでしこ節は絶好調である。

 そして、比例してリンの心の突っ込みも鋭さ満点になっていた。

 

「それじゃあ、いただきまーすっ」

「……いただきます」

 

 元気に溢れたいただきますと、控えめないただきます。

 そのままなでしこは坦々餃子鍋を口にするかと思いきや、固唾を呑んでリンの最初の一口を見守る。

 レンゲに坦々スープと餃子を一掬いして、ふーふー、と息でスープの熱を適温にするリン。

 そして、小振りな唇でまずはスープを一口。

 瞬間、口の中に広がるスープの旨みにハッ、とする。

 次いで、リンは迷うことなくレンゲに乗った餃子をぱくり、と口へと運んだ。

 

「……美味い」

 

 白い息と共に自然と漏れ出る一言。

 それはリンが生きてきた中で上位に入るほどの美味しさを誇る味であった。

 

「よっしっ! どうじゃぁ、身体の芯から暖まるじゃろう?」

 

 リンの反応をじっと見守っていたなでしこは喜色でガッツポーズ。

 ほにゃり、と顔を緩ませて老人言葉を使う。

 

 ──田舎のお婆ちゃん、気に入ったのか?

 

 当然、リンの心のツッコミが一閃見舞われるが、美味しいものに心奪われたリンの語調は柔らかい。

 心望んだ反応に気を良くしたなでしこもレンゲで坦々餃子鍋を一口。

 調理した通りの確りとした味付けが舌を満たし、うん、と満足げに頷いた。

 

 じんわりと効いた唐辛子の辛さが二人の身体をぽかぽか、と暖める。

 そして。

 なでしことリン。

 互いにタイプの違う美少女二人は、上着を脱いでしまうまでハフハフ、とお鍋を堪能した────

 

 

 

 

 

 

 

 

 50個入り浜松餃子の大半がなでしこの胃袋へと消えてしまった晩ごはんの中頃。

 上着とニット帽とマフラーを脱いだ二人は、食の間奏へと入っていた。

 そして。

 タイミングを見計らっていた料理人は、更なる食材を鍋に追加せんと動きを見せる。

 ごそごそ、とバスケット籠の底へと手を入れ、目的の物を探す。

 そのタイミングでリンがなでしこへ少し言い淀んだように話しかけてきた。

 

「……あのさ、この間はごめん」

「この間? なんだっけ?」

「サークル誘ってくれたのになんていうか、すごい嫌そうな顔をしたから」

 

 バスケット籠に手を入れ、固まっていたなでしこもリンの言葉に得心がいく。

 確かに再会直後の勧誘時、リンは傍から見て分かるほどのしかめっ面であった。

 その雑な対応がリンの心にしこりを残していた。

 しかし、それはなでしこも心にしこりが残っていた事柄であった。

 

「あぁ、私もなんだかテンション上がっていて……無理に誘っちゃってごめんなさい」

「え?」

「あの後、あおいちゃんに言われたんだよ。リンちゃんはグループでわいわいキャンプするより、静かにキャンプするほうが好きなんじゃないかって」

「それはまあ……そうなんだけど」

 

 自身の信条を言い当てられたリン。

 ただ、それだけでこの純朴で人の良いなでしこの誘いを断ってしまった事に自分の中での折り合いが付いていなかった。

 故に。

 

「じゃあ、またやろうよ。まったりお鍋キャンプ。そんで気が向いたら皆でキャンプしようよ」

 

 ほにゃり、と柔らかく笑って提案するなでしこ。

 その邪気の無さに、リンも思わず釣られて笑みを零す。

 だからこそ。

 

「わかったよ」

 

 そんな言葉が自然に口を突いて出てきた。

 リンは自身でも驚くほどなでしこの提案を素直に受け入れることが出来た。

 なでしこの人懐っこさと、リンのぶっきらぼうな優しさ。

 その二つが水魚の交わりの如く合わさった結果であった。

 

「て言っても道具とかいっぱい揃えなきゃいけないんだけどね。あ、鍋の具が少なくなってきたからお色直ししよっか」

「え、いやでも」

「ふっふふー、取り出しますは今朝獲れたばかりの新鮮なこちらの鹿肉でございますっ!」

「し、鹿肉?」

 

 お腹の満ち具合から追加の具材を辞退しようとしていたリンであったが、飛び出してきた食材に思わず聞き返してしまう。

 なでしこが取り出したタッパの中にあったものは、牛でも豚でも鳥でも無く鹿肉。

 なぜそのチョイスなのか。

 リンの疑問はなでしこの次の一言で氷解した。

 

「そだよー、コタくんが今日キャンプ行くって言ったらコッチに来る途中で分けてくれたの」

 ──ああ、納得した。天狗の獲物か。

 

 時間はベターな薬である。

 比較的当初よりも心の耐性が付いたリンは、本人がこの場に居ないこともあって冷静なツッコミを入れることが出来た。

 

 ふんふふーん、と鼻歌を交えながらなでしこは鍋に鹿肉を投入。

 弱火にしていたカセットコンロのつまみを捻り、一気に強火へと火力を上げる。

 坦々餃子鍋から坦々もみじ鍋へと早変わりである。

 鹿肉へ火が通るまでの間、リンは常々疑問に思っていたことの解を得るためになでしこへ質問する。

 

「ねえ、田中ってどうやって鹿とか獲っているのか知ってる?」

「え? んーと私も詳しくは聞いたことが無いからよく分かっては無いんだけど、自由猟具? って言うのを使っているから免許は要らないってコタくんは言ってたよ」

「ふ、ふーん」

 

 素手は自由猟具と言わないだろ。

 思わず口から飛び出しそうになった言葉をリンは必死で繋ぎ止めた。

 

 ──いやそもそも、だ。一年前に助けてくれたのは本当に田中なんだろうか?

 ──でも、田中がコッチに来たのと時期は一致しているし、なにより田中みたいに天狗じみた人間が他にうじゃうじゃ居るとは考えづらいし。

 

 自由猟具とは、法定猟具に当てはまらない石やナイフ、パチンコなどの猟具を指す言葉である。

 逆に法定猟具とは、銃や網、罠といった使用して狩りを行うのに免許が必要な猟具のことだ。

 しかし。

 幾ら免許が必要の無い自由猟具とは言え、それで鹿やイノシシなどの野生動物を仕留めるのは至難である。

 況してや、素手での狩りなど何処の野生児だとリンは思わざるを得ない。

 

「コタくんね、地元の方だと静岡の天狗小僧だって言われてて、猟友会の人たちと仲良かったんだよ」

 ──やっぱり天狗じゃねぇかっ!!

 

 齎された新たな事実にリンは表情を崩さずに、心で盛大にツッコミを入れる。

 今日の一日で一か月分のツッコミを消費したような気さえする。

 なでしこに小太郎。

 静岡が地元のペア恐るべしである。

 

 ピロリン。

 唐突になでしこが脱いだダウンベストから電子音が響いてきた。

 ゴソゴソ、とベストを弄り、取り出しますは薄黄色カバーの携帯電話。

 噂をすれば影。

 画面を見やると其処に『コタくん』からのメッセージが届いていた。

 

「コタくんからだー」

「マジか」

 

 送られてきた画像は2枚。

 『綾乃特製鹿肉ロースト丼』の写真と、それを囲む小太郎と綾乃のツーショット写真だった。

 そしてメッセージには『小太郎と晩ごはんなう』と書かれていた。

 その文面でなでしこは送り主は小太郎ではなくもう一人の幼馴染みである綾乃からのものであると察した。

 

「ふわぁ、リンちゃん見て見て、こっちのお肉料理も美味しそうだよ」

「確かに。こっちの女の子は知り合いなの?」

「うん、土岐綾乃ちゃん。静岡に居る私のもう一人の幼馴染み」

「ふーん……ん? という事は山梨に遊びに来ているの?」

「え? んーん、そんな話は聞いてないから静岡に居る筈だよ。写真のテーブルとかも綾乃ちゃんの家で見たことあるのだし」

 

 ちょっと待て。

 リンは状況を把握すると同時におかしな点に気が付いた。

 なでしこは麓キャンプ場に来る途中で小太郎から鹿肉を受け取ったと供述した。

 しかし、なでしこの言が正しければ小太郎の現在地は、静岡に住んでいる土岐宅だということになる。

 

「ねえ、田中の家に行ってから私の所に来るまで何分くらいかかった?」

「んーと30分くらいかな」

「田中が静岡で住んでた所ってどこら辺?」

「浜松の西側だよ」

 

 リンとなでしこが邂逅してから現在までが約30分。

 つまり合計約一時間で小太郎は山梨から静岡まで移動し、更に鹿肉を調理し食べていることとなる。

 そして。

 南部町から浜松の西側までは高速道路を使っても二時間は掛かる距離である。

 つまり。

 

 ──物理的にも時間的にもその距離を移動するのは不可能だろ。

 ──田中はどうやってその距離を移動したんだ!? 瞬間移動なのか!? 天狗は瞬間移動が使えるのか!?

 

 思考の坩堝に嵌まりかけているリン。

 そんな彼女の前に、ふわり、と湯気が舞う。

 現実世界へ戻ると其処には、お椀に鹿肉をよそったなでしこの姿があった。

 

「はい、リンちゃんお肉煮えたよ」

「あ、うん。ありがと」

「後ね、リンちゃん」

「うん?」

「大丈夫だよ」

「え?」

「コタくんはいっぱい不思議なところがあるけどすっごく優しいの。

 昔から私が困ってるといつも助けてくれて、美味しい物をくれて、一歩引いて危なくないか見ててくれるの」

 

 だから──不思議だけど怖い人じゃないよ。

 すとん、とその言葉がリンの腑に落ちた。

 それが飾り気の無い素直さを体現するなでしこの言葉だったから、そのなでしこを見守る小太郎の横顔を思い出したから。

 視界の霧が晴れ、初めて田中小太郎の人間性を垣間見た気がした。

 故に。

 

「……そうかもね──ん、うまい」

 

 忌憚無く同意の言葉を綴った。

 そして、お椀によそった坦々もみじ鍋を一口。

 じゅわ、と口の中で肉の旨みが広がる。

 牛や豚肉とは明らかに違う味、しかし違和感の無いとても美味しい味が味蕾を包み込む。

 

 

 

 アレだけあった土鍋の中身はすっかりと空になっていた。

 鍋の大半はなでしこの胃袋に消え、リンは食べ過ぎたと少し苦しげ。

 なでしこは静岡時代の小太郎のエピソードを、そしてリンは高校に上がってからの小太郎のエピソードを。

 共通の知り合いである小太郎の互いに知らない摩訶不思議な点で盛り上がった。

 リンが驚き、なでしこが笑う。

 二人の夜は緩やかに、穏やかに更けていく────




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 あとがき

 綾乃ちゃん、原作ではちょい役立ったけど、正直サバサバ系の幼馴染みで好きです。
 スクーターも乗りこなしててクール。

 次は野クル冬キャン準備と初キャンプ編です。
 つまり温泉回、なでしこのお湯をガラスコーティングの如く弾く赤ちゃん肌がベールを脱ぐことに。


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十一話

 何時もの放課後。

 特段学校に残る理由も無い僕は平常通り帰路へ就くため教室を出る。

 そのまま正面入り口の下駄箱へ向かおうとした所で意外な人物から呼び止められた。

 

「田中、ちょっといいかな」

「志摩さん? どうしたの?」

 

 声を掛けてきた人物は志摩リン。

 頭の上で髪をお団子にしている纏めている印象が強い彼女だが、今日は自然に髪を下ろしていた。

 癖の少ない真っ直ぐな髪質。

 ピン、と芯の通った背筋。

 小柄な身長も相俟って良い意味でお人形のような、という形容詞が似合う少女だ。

 

 しかし、僕に声を掛けてきた理由は何であろうか。

 どちらかと言えば僕よりもなでしこの方が関わり合いのある少女である。

 故になでしこ関連であろうか。

 はたまた以前の追及の続きであろうか。

 

「えっと……話があるんだけど、人が居ない所で話そ」

「……わかった」

 

 キョロキョロ、と辺りを見回した後に、切り出したのは場所の変更願い。

 時刻はまだ放課後になったばかりである。

 教室棟の廊下にはまだ人の喧騒で満ち溢れていた。

 しかし、提案された方である僕は気が気でなかった。

 僕への追及なのか、それともまた別の事なのか。

 尋ねる事も出来ずに、ただ志摩さんの小柄な背中の後を追う。

 

 着いた先は教室棟と部室棟の間に位置する中庭。

 学校の正面入り口からは完全に死角となっており、他の生徒の姿も見えない。

 つまり、内密な話をするのにはうってつけの場所であった。

 

「……此処でいいかな」

 

 思春期の少年少女が、放課後で二人っきり。

 もし僕が青春真っ盛りの年齢相応な精神をしていれば、色恋沙汰の期待もしただろう。

 しかし、現実はそう甘くない。

 内心は次に志摩さんが発する言葉に戦々恐々としていた。

 

「あのさ……田中って一年前の冬に私と会わなかった?」

「……?」

 

 完全に予想外からの質問に思わず首を傾げる。

 正直心当たりは無い、筈である。

 だが。

 

「たぶんだけど、田中が猪から私を守ってくれたんだと思うんだけど」

「……ああっ、あの時の」

「やっぱり、田中だったんだ」

 

 志摩さんの続く言葉に、関連付けの如く記憶が呼び覚まされる。

 山梨に引っ越してからの初の狩り。

 猪に襲われかけていた小学生と見紛う少女と志摩さんが等符号で結ばれた。

 しかし。

 志摩さんの言葉に肯定の反応を示してから、気が付く。

 掘ってしまった、と。

 墓穴を自ら掘ってしまったと。

 

「あの、志摩さん──」

「──大丈夫、誰にも言いふらしたりはしないよ。危ない所を助けてもらった恩人にそんな無体は働かないよ」

「……ありがとう、助かるよ」

 

 僕の言葉に先んじた志摩さんの返答にほっ、と肩の力が抜ける。

 この様子だと危惧していた未来にはならなくて済みそうだ。

 志摩さんがいい子で本当に良かった。

 

「いや、こっちの方こそありがとう。正直、あの時はもう駄目かもって思ってたから」

「こっちも一年前は吃驚したよ。長いこと山での散策はしていたけど、まさか人が襲われている場面に出くわすとは夢にも思わなかったよ」

「ねぇ、なんであの日はすぐに居なくなったの? やっぱり秘密だったから?」

「あぁ……それもあるんだけど、自分の姿とシチュエーションがあんまりにも不審者のソレだったからね。

 猪に襲われた被害者をこれ以上混乱させるのはどうかなと思ったんだよ」

「確かに……」

 

 一年前の出来事に思いを馳せながらの志摩さんとの会話。

 世間とは存外狭いものである。

 まさか、当時助けに入った女の子が同級生だったとは。

 

「あのさ、また後日ちゃんとお礼させて、今日は確認の為だけだったから、何も用意できてなくて」

「そこまで気を使わなくてもいいよ、僕にとっては其処まで大したことじゃなかったから」

「いや、私にとっては命の恩人だから、ちゃんとさせて」

 

 ふむ、と思案する。

 僕にとって猪狩りは本当に大した労力の掛からない仕事である。

 寧ろ、狩った後の処理の方が大仕事。

 しかし。

 此処で頑なに礼を固辞しても志摩さんの面目を潰すだけか、と考えて一つ提案をする。

 

「それなら、さ。キャンプのことについて相談に乗ってもらってもいいかな?」

「キャンプに?」

「そう、なでしこが楽しそうにしているの見て、僕も興味が湧いてきたんだ」

 

 魔法や身体能力のごり押しで大抵のことはなんとかなってしまう。

 しかし、それだけでは味気無いと思いキャンプギアの購入に踏み切ろうとしたのだが、何が良い物なのか五里霧中状態。

 そこで志摩さんの存在は渡りに船であった。

 

「でもどういった道具が良いのかとか素人だと指標も分からなくて誰かに相談に乗ってもらいたかったんだ。志摩さんが良ければ色々と教えてくれないかな?」

「そんなことでいいなら、いいけど」

「ありがとう、助かるよ」

「そもそも田中ってどんな道具なら必要なの?」

 

 割りとタイムリーな質問が志摩さんから来てしまった。

 先日、僕も土岐家で考えた事項である。

 ナイフは気のナイフで事足りる、クッカーは自作可能、メタルマッチは火炎系呪文で良し。

 大半のキャンプギアは無くても何とかなってしまう。

 といってもあくまで代用可能というだけで、勿論あれば便利なものが大半である。

 そうなると直近で必要となってくるものは、代用が難しく尚且つキャンプに必要不可欠な品ということになる。

 つまり。

 

「テントとシュラフ……くらいかなぁ」

「他は大丈夫なの? コンロとかランタンとか」

「それ以外なら、まあ大抵のことはなんとかなるよ」

「……」

 

 言ってしまった後に喋り過ぎたと気がついた。

 なでしこが懐いている人なら悪い人間ではないだろうという判断で、つい脇が甘くなってしまっていたようだ。

 じとー、と無言の半目で此方を見てくる志摩さんの視線がとても痛い。

 

「……やっぱり天狗」

「て、天狗? なんでそう呼ばれていること志摩さんが知ってるの?」

「なでしこから静岡の天狗小僧って呼ばれていることを聞いた。それ以前に田中の印象が天狗過ぎるのが問題」

 

 そんなに天狗天狗としているだろうか。

 素手での猪狩り、猪を担いでの跳躍、樹上の移動。

 志摩さんが見たであろう僕の常人離れした行動を頭で思い浮かべてみる。

 確かにこんな行動をした人型生命体と出くわせば天狗と勘違いされてしまう要素を網羅してしまっていた。

 

「最近はSNSとかですぐネットに拡散するんだから、気をつけなよ」

「返す言葉も御座いません」

 

 しゅん、と居た堪れなくなって身を小さくしてしまう。

 そんな僕の様子がおかしかったのか、志摩さんは半目から一転してふっ、と微笑して表情を緩めた。

 こうして忠告をしてくれるということは、志摩さんが僕の秘密を公にしないという証左である。

 やはり直感型であるなでしこの人の見る目に間違いは無かった。

 そう思って僕も志摩さんと一緒に相好を崩すのであった────

 

 

 

 

 ゆるキャン△

 Fan fiction

 チート転生者 in キャンプ物

 

 

 

 

 ぷちぷち、ぷちぷち、と口ずさみながらなでしこは校庭を小走りで駆けていた。

 現在彼女の所属する野クルは夏用シュラフ(寝袋)を冬用にするためシュラフカバーを自作中。

 その材料集めの為になでしこも奔走中である。

 目的の代物は梱包用のプチプチシート。

 それを夏用シュラフに巻けば断熱効果が得られるのでは、という魂胆だ。

 

 学校指定のジャージ姿にマフラーで走るなでしこ。

 すると、彼女の視界に見知った人物二人が映った。

 部室棟と教室棟を繋ぐ渡り廊下を連れ立って歩く男女二人組み。

 

「コタくんっ、リンちゃんっ」

「あ、なでしこ。どうしたの、そんなに急いで」

 

 とてとて、飼い主を見つけた犬の如く二人に寄って行くなでしこ。

 この場合、飼い主はリンか小太郎か、果たしてどちらであろうか。

 

「あのね、ぷちぷちを探してる途中だよ」

「ぷちぷち? ああ、梱包用の、なんでまたそんなものを?」

「今度野クルでキャンプに行くことになったんだけど、シュラフが夏用のしかなくて、なんとかシュラフカバーを自作できないかなって」

「ああ、それで。でも志摩さん、シュラフカバーって代用できるものなの?」

 

 銀マットに包まったり、なでしこの言うように梱包用プチプチシートを使えば出来なくも無さそうである。

 しかし、小太郎としてはちゃんとしたシュラフを購入して温かくして寝て欲しいのが本音だ。

 安物買いの銭失いでは無いが、なでしこの健康が第一である。

 

「えっと、工夫すれば出来なくは無いんじゃないかな。ただ、ちゃんとしたものを買ったほうが良いと思うよ。

 今はまだそこまで寒くは無いけどこれからはもっと寒くなるし」

「むー、やっぱりそうかなぁ……」

「冬キャンって結構難易度と敷居が高めだから。キャンプを始めて間もないのなら、事前に準備出来るところはしっかりとしといたほうが良いよ」

 

 冬キャン少女の言には厚みが伴っていた。

 リンのアドバイスを聞いたなでしこは思案気に考えているようだった。

 

「まあ、色々言っちゃったけどシュラフカバーを代用するってのはわりといい案だとは思う。私も興味があるし、一度完成品が出来たら見せてよ」

「そうだね、いっぺん作るだけ作ってみるよ! で、駄目だったらシュラフを買うよ!」

 

 何事も挑戦、当たって砕けろの精神である。

 やる前から諦める事を良しとしなかったなでしこは、とりあえずシュラフカバーの代用品を作ってみる方向で舵を取ったようだった。

 

 そんなやる気を見せているなでしこに小太郎は尋ねる。

 

「なでしこ、キャンプのご飯は今回どうするの? 担当はなでしこ?」

「うん、そのつもり」

「じゃあ、何か獲ってきてあげるから、海と山、どっちが良い?」

「いいのっ!?」

「うん」

 

 小太郎の提案に瞳を輝かせるピンクの健啖家少女。

 山ならば鹿を始め、猪、熊といった肉類を、海ならばクエや鯛、タラバガニといった魚介類を。

 どちらを選んだとしても、キャンプで食べるならハズレは無い。

 なでしこは眉間にむむっ、と皺を寄せて熟考を始めた。

 

 小太郎が答えを待っていると、なにやら横から視線を感じる。

 首を動かせば其処にはリンが胡乱げな目つきで小太郎を見ていた。

 

「田中って山だけじゃなくて海からも狩猟するのか?」

「魚を獲ってくるのは得意だよ」

 

 そう言って小太郎は釣りをするジェスチャーをしてみせる。

 

 ──これで志摩さんは、魚釣りが得意なんだと勘違いしてくれるだろう。

 

 ミスリードをしただけで嘘ではない。

 小太郎は内心でほくそ笑む。

 しかし。

 

「まさか素潜りとかで手掴みはしないよな」

「……」

 

 さっ、と目を逸らす。

 リンの追及が一枚上手であった。

 図星を突かれてしまったため、小太郎はリンと目線が合わないように明後日の方を向いて沈黙を貫く。

 その仕草が答えを示しているようなものであるが、小太郎が話さなければ真実は闇の中である。

 闇の中だといいなぁ、と現実逃避を半ば始める小太郎。

 

「……天狗の次は海坊主か」

「……」

 

 ぼそり、と呟かれた的確なツッコミに耳が非常に痛い。

 沈黙は金とばかりに、小太郎は海底の貝の如く口を閉ざす。

 その頬はうっすらと汗ばんでいた。

 リンと小太郎。

 両者の間になんとも微妙な空気が漂い始めた時。

 

「コタくん! 海の幸がいいと思います!」

 

 なでしこの溌剌とした声が渡り廊下に響いた。

 そして、なでしこは目の前の二人に流れる名状しがたい雰囲気におよ、と小首を傾げる。

 しかし、疑問符を頭に掲げるなでしこを他所に小太郎は動く。

 天の助けとばかりに小太郎はなでしこの言に了承の旨を伝え、その場からそそくさと立ち去るのであった────

 

 

 

 

 

 

 

 

 カタカタ、と自宅のパソコンで僕は検索ワードを打ち込んでいた。

 検索をする言葉は主に『漁業権』についてである。

 しかし、成果は芳しくない。

 

「やっぱり無人島も駄目かぁ」

 

 調べ物の内容は漁業権が設定されていない無人島はないか、というものである。

 南硫黄島あたりなら漁業権の設定はもしかしたら無いのでは、と考えたが現実はそう甘くなかった。

 しっかりと定着性魚貝藻類を対象とする共同漁業権が設定されてあった。

 つまり、日本の何処でもアワビやイセエビの漁は漁協を通さなければ不可能だということである。

 

「仕方ない、素直に買うことにしよう」

 

 出来る事なら僕が手ずから獲ったものなでしこに食べてほしいという欲求はあったが、無理なものは駄々を捏ねてもしょうがない。

 幸いな事にお金ならある。

 大体『サラリーマンの生涯収入の二回分の貯蓄』が。

 

 なぜ、一介の学生である僕の口座に其処までの大金があるのか。

 その答えは簡単である。

 前世と今世が非常に似通っているのならば、暴騰する株の種類も同じ可能性が高いということに他ならない。

 つまり、ソーシャルゲームの黎明期にその振興株を買っておいたのである。

 元銭は今まで使わずに貯めておいた小遣いと、鹿や猪を捕獲した際に貰える県からの報奨金である。

 そして、予想は見事に的中。

 株価が100倍近くまで跳ね上がった所で売却。

 高校生にして成金の誕生である。

 

 といっても、使う機会が無かったので殆ど手付かずのまま口座に眠っていたのだが。

 少なくともなでしこに美味しい物を食べさせるのには不自由しない額である。

 

 さて、それでは。

 

 ──行くか、三陸の獲れたてアワビと伊勢海老を買いに!




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 あとがき

 日本の漁業権の隙無さワロタ。
 当たり前とはいえ、アワビ獲れる所が無いや。


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十二話

「二人ともおくれてごめん──っ!」

 

 息を切らしたなでしこが山梨市駅入り口から飛び出してきた。

 耳当て付きニット帽についた飾り紐ボンボンを揺らして走る様子が、彼女が如何に急いできたのかを如実に表していた。

 

 水色の耳当て付きニット帽に、桜色の髪の毛と首元を抱くオレンジ色のマフラー、チェック柄のダウンジャケット。

 デニム生地のハーフパンツから伸びる黒ストッキングの脚。

 そして、リュックサックと両肩に掛けられた二つの鞄という重装備。

 それが本日のなでしこの出で立ちだった。

 

「おお来た来た」

「甲府駅で迷っちゃって……」

「えーよえーよ、まったり行こかー」

 

 既に駅前で待機していた野クルメンバーである千明とあおい。

 申し訳無さそうに謝るなでしこに対して、あおいはのんびりとフォローを入れる。

 

 ふわり、と柔らかい髪の毛をころん、と丸みを帯びたフォルムで覆うキャスケット帽。

 花柄を控えめにあしらったマフラーを首に巻き、女性らしさを十二分に魅せるスタイルを覆うスカートとコート。

 全体として綺麗に纏まった淑女スタイルがあおいのコーディネイトだった。

 

 下ろした長髪に被さったボンボン付きの黒色ニット帽。

 首元の防寒がしっかりと成されたフード付きダウンジャケット。

 ファー付きキュロットから伸びる脚はなでしこ同様、厚手の黒ストッキングで覆われている。

 ユニセックスの中で女の子らしさが控えめに主張するコーディネイトが今日の千明の格好であった。

 

 なでしこと異なり二人はキャリーカートに荷物をコンパクトにまとめて運搬性を高くしていた。

 

「よし、冬シュラフも何とか手に入れたし、テントももう一個買い足した!」

 

 キャリーカートに詰め込んだ980円のテントと、化学繊維の冬用シュラフ(定価3980円)を確認し、千明が気合を入れる。

 それは結局、自作シュラフカバーの計画が頓挫したという証左であった。

 夏用シュラフにアルミホイルと梱包用プチプチシートを巻き、ダンボールで雁字搦めにした見た目。

 最終的に暖を取るという目標はクリアされたが、携帯性そして利便性を著しく欠くことになった野クル謹製シュラフカバー。

 お蔵入りは必然といえた。

 

「んじゃー今日の目的地、『イーストウッドキャンプ場』へ────しゅっぱーつっ」

『おーーーーっ』

 

 野クルキャプテンである千明の号令。

 あおいはのんびりとした中に期待を込め、なでしこは楽しみな気持ちを隠さずに、それぞれ腕を高く上げて答えた。

 

 

 

 

 ゆるキャン△

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 チート転生者 in キャンプ物

 

 

 

 

「あきちゃん、今日泊まる所ってどんなとこなの?」

「よく聞いてくれた!」

 

 駅からの道を三人娘がてこてこ、と歩いているとなでしこから素朴な疑問が口を突いて出てきた。

 それに対し千明は眼鏡を光らし、待ってましたとばかりに答える。

 

「薪がただで温泉が近くて夜景がキレイで、一泊1000円!! ってゆーナイスキャンプ場らしい」

「夜景かぁー、楽しみー」

「温泉もええね」

 

 千明の口から出てくるキャンプ場の圧倒的プラス面。

 それを聞いた二者はまだ見ぬキャンプ場への期待に想いを馳せる。

 

「駅から4キロ、徒歩で50分くらいやって」

「ちょっとした遠足って感じだねー」

「そうだ『夕飯は任せて』、て言ってたけど何作んの? 言われたとおりパックご飯は持ってきたぞ」

 

 本日のキャンプ飯担当はなでしこ。

 日頃から高級食材で試行錯誤を繰り返している彼女を炊事係に据えるというのは名采配である。

 抜擢されたなでしこは、鉄砲の形をした手を顔の横に持ってきて自信満々といった様子で答えた。

 

「キャンプっぽいごはんだよ! 何かは夜のお楽しみ!」

「カレーとか?」

「お、お楽しみだよ!」

 ──カレーか。

 ──カレーやな。

 

 夜のお楽しみは非常に分かりやすかった。

 なでしこの狼狽した反応から、あおいと千明は満場一致の可決で今晩のキャンプ飯がカレーであることを確信した。

 だが。

 なでしこ飯が何かは分かったが、本日のキャンプ飯は二段階構えである。

 

「なぁ、なでしこちゃん。小太郎くんがキャンプご飯の材料を持ってきてくれるって話やったけど、もうなでしこちゃんが持っとるん?」

「ううん、コタくんが新鮮なまま現地に届けるから心配しないでって言ってたよ」

 

 二刀流キャンプ飯の片割れは小太郎が用意する海の幸。

 しかし、なでしこは海の幸とリクエストしただけで、その内容の詳細は小太郎本人しか知らない。

 故に、着いてからのお楽しみになでしこは心を躍らせていた。

 それは小太郎の持ち寄った材料にハズレ無しと経験則で身体が理解してるからだ。

 

「でも昔からコタくんがくれるものは全部美味しいから、今晩は楽しみなんだぁー」

「へぇ、それは楽しみやねぇ。て、あき? 急におとなしくなってしもうてどしたん?」

 

 えへへー、と想像の羽を広げ、小太郎が持ち寄るであろう食材に胸躍らせるなでしこ。

 その一心不乱に心待ちしている様子にあおいも期待が膨らむ。 

 しかし。

 如何にもこういった話題で騒ぐであろう野クルメンバーの一人の反応が芳しくない。

 怪訝に眉の角度を下げたあおい。

 

「へ、いやなんでもないぞっ…………そっか、小太郎、今日来るんだ」

 

 二人分の視線に我に返る千明。

 しかし、すぐにニット帽から垂れる髪の一房を人差し指でくるくる、と弄んで独り言を零す。

 その様は何時もの騒がしさが成りを潜めた花を恥らった乙女のものであった。

 

 大垣千明にとって田中小太郎という同級生は異性を意識せざるを得ない男子であった。

 意識し始めたのは初対面の時である。

 油断から大股で棚に腰掛けた所作を注意された際に思わず乙女然とした反応を返してしまった。

 それから小太郎の前ではなんとなく同学年の他の男子よりも異性として自身の所作を気にしてしまう癖が付いてしまった。

 普段は大雑把な、悪く言えばがさつとも表現できる行動をする千明であるが、小太郎の前では借りてきた猫状態。

 千明にとって小太郎の目がなによりの異性の視線であった。

 

「前々から思うとったけど、あきは小太郎くんを意識しすぎやない?」

「い、意識なんてしてねぇーし!」

「小太郎くんと会うたんびにしどろもどろやないかい。かと思えば嘗め回すように見とるし」

「ちょっと筋肉見てただけだろっ! 嘗め回してねぇーし!」

 

 からかい調子で友人を揶揄するあおいであったが、彼女もまた小太郎と相対するとその筋肉をチラ見する癖があった。

 しかし、それは別段おかしな話でもない。

 容姿、身長、知能、学歴、収入。

 現代社会では様々な要因が異性に気を惹く要因となっている。

 その中で純粋な腕っ節の強さは、相対的に異性へのアピールとして些か弱い傾向にあると言えた。

 完成された社会の中で必要なくなってしまった要素故、それは仕方の無いことであった。

 だが。

 そんな理屈を度外視して蹴り飛ばすような超弩級の強さを持つ男が現れた場合はどうであろうか。

 強い。

 ただひたすらに強い。

 地球上において唯一にして比類なき強い雄──それが小太郎であった。

 

 僅か2mにも満たない体躯に秘められた圧倒的な膂力。

 理性理屈ではなく原始的な本能が、小太郎という雄の優秀すぎる遺伝子を感じ取ってしまう。

 ある意味で小太郎という存在は、大人でも子供でもない少女達にとって目に毒な存在であった。

 故に、少女達が小太郎の筋肉に興味を持つことは当然の帰結と言えた。

 

「あー、確かにコタくんの筋肉ってすごいよね。お腹さわらせてもらったことがあるけど凄かったよ。

 カッチカッチでおっきな板チョコにさわってるような感じだったなぁ」

「なでしこちゃん、さわったことあるん?」

「うん、コタくんにお願いしたらさわらせてもらえたよ。男の子の筋肉ってあんなに硬いんだね、私たちとは全然違うの」

 

 その時の感触を手に描きながら、なでしこは回想する。

 

 ソファーで寛ぐ小太郎。

 幼少期から同じ時間を過ごしてきた男の幼馴染みに、好奇心からなでしこはお腹を触らせてくれ、とおねだりをする。

 当然、断る理由も見つからない小太郎はこれを了承。

 一緒に居た綾乃も巻き込み、少女二人は異性の肉体を合法的に接触する権利を得た。

 そして。

 暖かな皮膚のすぐ下に眠る筋繊維の鎧を感じた。

 少女達の丸みを帯びた女性らしい柔らかな身体とは全く趣を異とする男の肉体。

 当初は服の上からの接触であったが、悪ふざけに興が乗った綾乃が服の下に手を突っ込んでから後はなし崩し。

 同年代の異性の肌と直接触れ合うという初体験をなでしこも済ませることとなった。

 余談であるが、腹筋を直に触る綾乃となでしこは顔を赤くして終始無言であったそうな。

 

「や、やっぱり六つに割れてるもんなのか?」

「うん、ちゃんと数えたから間違いないよ。指で埋まるくらいデコボコがはっきりしてたお腹だったよ」

『へ、へぇ~……』

 

 なでしこの飾らない感想。

 その当事者の発言に、あおいと千明は知り合いの男子の裸を想像してごくり、と思わず喉を鳴らしてしまった。

 

「……なぁ、あきはなでしこちゃんが言うたような腹筋さわったことってあるん?」

「ない。ていうか男の腹を直に見たことなんて父親の三段腹くらいなもんだ」

「小太郎くんのってそんなにすごいんやろか」

「すごいんだろうな」

「……今日って小太郎くん来るんよね」

「……来るな」

「……あかん、絶対お腹周り見てまうわ」

「……ガン見はしないようにしような」

『……』

 

 無言で頷き合う野クルメンバーの二人。

 知らずの内にいたいけな少女を筋肉フェチの世界へ引きずる小太郎は罪な男である────

 

 

 

 

 

 

 

 

 富士山を望み、甲府盆地を見下ろし眺望することが出来る『ほっとけや温泉』。

 泉質はアルカリ性の単純温泉であり、神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・冷え性・疲労回復・健康増進など様々な症状に効能がある。

 二つある浴場は『こちちの湯』と『あちちの湯』。

 

 事件は富士山を望むことが出来る『あちちの湯』の男湯で起きていた。

 違和感に包まれる男湯。

 休日の昼間であれば少なくない利用客の喧騒が聞こえる筈であるが、男湯を支配するのは静寂。

 

 その異変は一人の男が内湯に入ってきたことにより発生した。

 男──小太郎が内湯の扉を開けた瞬間────音が消えた。

 雑談に興じていた老人。

 風呂場ではしゃいでいた子供。

 友人と馬鹿話で盛り上がっていた若者。

 その全てが静寂という沈黙を選択していた。

 

 一歩。

 小太郎が浴場のタイルへ歩を進める。

 動きに合わせて盛り上がり収縮する各部の筋肉。

 まるでワイヤーを筋繊維として束ね、人型を形成したような肉体。

 その内側に収められた膂力は、圧迫感を伴って周囲に己が力を泰然と誇示していた。

 生物としての格が違う。

 違いすぎる。

 この動物が一度暴れるようなことがあれば自分達など濡れた紙の如く、文字通り引き千切られてしまう。

 如何に外側が純朴そうな少年であっても事実は変わらない。

 理屈ではなく本能で男湯の利用客は理解した。

 

 故に凡百の徒は小太郎の関心を引かぬように息を潜めて身を硬くする。

 それはさながら天変地異が過ぎ去るのを祈りながら待つ行為に似ていた。

 

 小太郎が洗い場に腰掛け、シャワーの栓を捻る。

 湯気を伴った温水が小太郎の肉体を這うように滑り落ちていく。

 ボディーソープを良く泡立て、身体を洗う。

 その動作一つ一つで強靭な筋肉が蠢き、温水の艶めきもあり、一種の美しさを伴っていた。

 小太郎の隣に居た男達はすぐさま席を立とうとしていたが、その肉体美に思わず動きを止めて見入ってしまっていた。

 そして。

 身体を洗い終えた小太郎は、内湯から露天風呂へと歩を進めた。

 

 小太郎が露天風呂へと消えてゆくまで、息を潜めていた利用客が声を発することは終ぞ無かった────

 

 

 

 

 

 

 

 

 富士山を望む『あちちの湯』の露天風呂。

 そこでは背中に刺青を彫った強面の男が一人で入浴していた。

 年の頃は三十半ばであろうか。

 他の利用客は、その刺青が意味する所を察し、嫌な顔でそそくさと内湯へと移動してしまった。

 そのことに優越感を感じた刺青の男は上機嫌で露天風呂を独占していた。

 

 カラカラ、と内湯と露天風呂を繋ぐ引き戸が開かれる。

 それは露天風呂へ新たな利用客が入ってきた証左。

 刺青の男は、己の背中の和彫りを見ればすぐに居なくなるであろうと高を括っていた。

 しかし。

 ざばっ、とすぐ近くで掛け湯をする音が奏でられる。

 まさか、と思う前にその発生源である人間がちゃぷり、と温泉にその身を浸からせた。

 

 闖入者からは己の刺青が見えていた筈だ。

 自分の存在を認識しながら温泉に入ってきた人物を見やる為に、男はその強面を更に凶悪に歪めて隣を睨みつける。

 そして。

 その表情が一気に凍りついた。

 

 男の心境を例えるのであれば、お隣さんは閻魔大王でした、といった所だろうか。

 それほどの心的衝撃が男の全身を駆け巡った。

 生物として逆立ちをしたって勝てはしない存在。

 象が蟻を踏み潰すより容易く己を捻り潰せる益荒男が其処に居た。

 

 刺青の男が考えていた脅し文句はその喉の声帯を震わせることは無かった。

 驚愕から正気へ戻るまで長過ぎる時間を要した男が取った次の行動。

 それは逃亡の二文字に他なら無い。

 恥も外聞も、そして矜持も金繰り捨てて男は逃げた。

 そうせざるを得ないほど彼我の戦力差は隔絶していた。

 

 この場を無事に切り抜けることが出来るのであれば、今やっている稼業から足を洗おう。

 男はそう誓い、股間の一物を盛大に揺らし、脱兎の如く露天風呂から飛び出していったのであった────




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 あとがき

 お待ちかねの入浴シーンだぞ。

 小太郎が周囲に威圧的な印象を与えていたのは、注目を浴びて緊張していたからです。


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十三話

 紆余曲折ありながら野クル三人娘は『ほっとけや温泉』までやって来た。

 山梨市駅から笛吹公園を経由してからの到着である。

 此処に至るまでの道程は野クルメンバーらしい実にゆったりとしたものだった。

 

 一番の大荷物持ちであるなでしこは持ち前の体力を活かし、悠々と駅から笛吹公園までの4キロを踏破。

 遅れて続くのは日頃の運動不足が祟った千明とあおい。

 公園までの坂道を登る頃にはすっかりと息も絶え絶え、着いた途端、その場で崩れ落ちる始末。

 絶景スポットで知られる笛吹公園から望む風景を楽しんでいたのは、体力が有り余っているなでしこのみであった。

 しかし。

 なでしこが笛吹公園内にある『Ochard Kitchen(オチャードキッチン)』にてスイーツが販売されていることを聞くや否や即座に復活。

 息を吹き返した千明とあおいはダッシュでカフェへと向かうという実に食欲に忠実な一面を見せた。

 三人娘は仲良く暖房の効いたカフェのレストランでアイスを食べ、そして次なる癒しを求めて『ほっとけや温泉』へと来たのである。

 

「ほっとけや温泉だってー、おもしろい名前ー」

 

 なでしこが敷地内に設置された木の看板に書かれた『ほっとけや温泉』という珍妙なネーミングセンスを面白がる。

 だが、その親しみやすい愉快な名前と立地、そして温泉の効能もあってか温泉目当ての客はそれなりに見て取れた。

 

「タオルとか持ってきた?」

「ちゃんと持ってきたよっ」

「そこの休憩所に荷物置いて入りに行くかー」

「せやなー」

「おんせーん」

 

 千明の提案に迷う事無く賛成の意を示す二人。

 寒空の下、昼間から温泉に浸かってゆったりとした時間を過ごす。

 これほどの贅沢が他にあろうか。

 既に二人の頭の中は温泉に入って癒されることが大半を占めていた。

 

「おお……このくつろぎスペース……」

 

 千明の口から感嘆の溜息が零れる。

 足を踏み入れた休憩所はまさに癒しの空間であった。

 木の温かさが感じられる木造建築。

 部屋の中央には石油ストーブが焚かれており、暖められた室内は外からの来客をじんわりと包み込んでくれる。

 更に内装に合致したテーブルと座布団完備。

 筋骨隆々な肉体を薄着で覆う小太郎。

 温泉で心も身体もリフレッシュした客を堕落させる癒し空間が其処に形成されていた。

 

「温泉に浸かった客をオトしにかかる悪魔の刺客たち……ここで一度寛いだら二度と『起きて』は帰れまい……」

「せやな、尻に根が張るなんてレベルやないわ」

 

 眼前に広がる人を駄目にする空間を前に慄きを隠せない千明とあおい。

 ごくり、と知らず唾を飲み込む。

 二人は今一度その魔の空間をぐるり、と見渡す。

 木造の室内。

 石油ストーブ。

 ふかふか座布団にテーブル。

 そして────筋肉もりもりマッチョマンな小太郎。

 

 違和感の正体に気がついた二人は、その場所をもう一度見やる。

 スラックスに薄桜色の半袖シャツというラフな格好。

 清潔感のある服装だが、その盛り上がった筋肉を覆うには些か頼りない印象を受ける。

 湯上りなのか、その髪の毛はしっとりと濡れ羽色となって室内の照明を反射していた。

 入り口から入ってきた野クルメンバーからは後ろ姿しか見えないが、その特徴的な肉体には見覚えが大いにあった。

 

「コタくんだー!」

「えっ?! こ、小太郎!?」

 

 真っ先に気が付いたのは長年を共にしてきたなでしこである。

 驚く千明を他所にぱたぱた、と笑顔で見知った背中へと駆け寄る。

 

「あれ、なでしこ? 奇遇だね、野クルのみんなで温泉に入りに来たの?」

「そだよー、コタくんは入った後なの?」

「うん、いいお湯だったよ」

「どんな温泉だったの? 景色は良かった?」

 

 寄って来たなでしこを朗らかに迎え入れる小太郎。

 ふんふん、と小太郎の回りを忙しなく動き回る様はまさしく犬の如し。

 大型犬に小型犬がじゃれついているようであった。

 

「小太郎くん、こんにちは。ほんま奇遇やね」

「よ、よお、小太郎」

「犬山さんと大垣さんもこんにちは。野クルへのお届けものついでに寄ったけど、世間は意外と狭いね」

「ほんまやね」

 

 自然体で挨拶を交わすあおいに、やや緊張気味のぎこちなさが目立つ千明。

 小太郎はお届けものと言って、傍に置いてあった持ち手の紐が付いている発砲スチロール箱にぽん、と手を置く。

 

「コタくんっ、それがひょっとして今晩の?」

「うん、ご所望の海の幸だよ」

「わあ、いつもありがとう、コタくん! うへへー、中身はなにかなー。海の幸だよね、魚かなー、蟹かなー?」

「中は現地で開けてからのお楽しみだよ」

 

 発泡スチロール箱の中に入っているであろう海の幸を想像し、なでしこの顔は緩む。

 彼女の目には何の変哲も無い箱が、漆塗りの重箱の如く上等なものに見えていた。

 そんな喜色を示す幼馴染みの様子に、小太郎の目元もだらしなく緩む。

 

「にしてもめっちゃ荷物が多いな。発泡スチロール箱は別として、小太郎もキャンプするつもりなのか?」

「ああ、それは違うよ。なでしこ持参のカセットコンロだけじゃ、少し心許なかったんで即席のバーベキューコンロが作れるように煉瓦と網を持ってきたんだ」

 

 そう言って、見るからに大きく頑丈そうなミリタリーリュックから取り出したのは煉瓦ブロックと網。

 蓋を開いたミリタリーリュックの中にはまだ十数個の煉瓦ブロックがごろごろと詰め込まれていた。

 これだけのブロックがあれば確かに簡易バーベキューコンロは設営可能。

 小太郎が持ち寄った海の幸を焼いて食べるのに十分な火力が確保できるだろう。

 

「はぁー、やっぱり発想が男の子やねぇ。ウチらやったら思いついてもよう実行できんわ」

「重量と嵩張ることに目を瞑れば1000円以内で材料が揃うから、自宅の庭でバーベキューするときなんかは便利だよ。

 終わった後は重ねて隅っこにでも置いておけば省スペースだし」

「そう考えると確かにオートキャンプなんかで車が確保出来るなら便利やね」

「安くて持ち運びやすさを求めるなら網4つとキーホルダーなんかで使われてる二重リングがあればもっと簡単なコンロが出来るよ。見た目はちょっとアレだけど」

「たしかにソレもありやなぁ」

 

 網3つをコの字状に二重リングで繋ぎ合わせ、そのコの字の中に残り一枚の網で焼くスペースを作れば完成である。

 持ち運びやすさ、価格の安さ。

 その二つをクリアした超簡易コンロ。

 金銭に大きな制限がある高校生キャンパーにとっては中々に有用なアイデアである。

 見た目の安っぽさに目を瞑れば。

 

「……んーと」

「……」

「……」

「僕に何かついてる?」

 

 先程から気になっていたことについて小太郎はとうとう千明とあおいの両人に尋ねた。

 それは先程から彼女達と会話していても視線が合わないことであった。

 小太郎は千明達の目を見て話そうとするが、合う筈の視線は常に下向き。

 小太郎は顔を見て話しているが、野クルメンバー二人は小太郎の腹部を見て会話していた。

 思わず着ている薄桜色のシャツを確認してみるが、特段変な部分は見受けられない。

 

「い、いやなんもあらへんよ、気にせんとってっ!」

「そ、そうだよ、ちょっと来る前に小太郎の話題になってたから、ばったり会って驚いていただけだって」

「そう?」

 

 疑念に二人は同じタイミングで首肯して強引にこの話題を流す。

 どこか納得いかない部分もあるが、焦る二人の様子に踏み入って聞くべきものでもないかと思い直し追及の手を引き戻した。

 

 すると。

 休憩所の床に置いていたなでしこのリュックのポーチから携帯の振動音が響いた。

 幼馴染みの横に腰を下ろしていたなでしこは携帯を取り出すと、早速画面を覗く。

 ラインの着信相手はリンからであった。

 

【リンちゃんは今日どこ行ってるの??】

【ここだよ。http://live.kiri/camphp?l】

 

 携帯の背景にはリンが送信してきたボルシチの画像が映し出されており、その詳細をなでしこが尋ねていたのだ。

 そうして返ってきた返信は、地名ではなくアドレスが添え付けられていた。

 思わず頭の上で疑問符を浮かべるなでしこ。

 

「アドレスだ」

 

 携帯の画面をタッチし、送られてきたアドレスを読み込んでみる。

 すると画面には霧ヶ峰カメラと表示されたライブ映像が流れ出す。

 流れる動画には、道路と駐車場とのどかな草原風景。

 

「ん? んんー??」

 

 一見何の変哲も無いライブカメラの映像であったが、注目すべきはその左下端。

 カメラに小さく映った人影がカメラ目線で手を振っていた。

 防寒着を着込んだ女の子、それは女子高生ソロキャンパー志摩リンに相違なかった。

 

「あーーーーっ!! リンちゃんだこれーーーっ!!」

 

 目を細めてライブカメラを覗いていたなでしこが、リンの姿を認識すると目を見開いて叫ぶ。

 なでしこの急激な反応に、その場に居た人間の注目が集まった。

 

「どうした、なでしこ?」

「リンちゃんがっ! リンちゃんがテレビに映ってるんだよーーっ!!」

 

 テレビではなくライブカメラである。

 これこれ、と差し出された携帯の画面を千明とあおい、そして小太郎が覗く。

 すると三人の目にも、ライブカメラの端で手を振る可愛らしいリンの姿が見て取れた。

 

「ホントや。志摩さん、今霧ヶ峰におるんねー」

「霧ヶ峰ってどこにあるの?」

「長野県の諏訪湖の近くにある高原だな」

「長野かぁ、そんな遠くまで」

 

 なでしこの疑問に対して、野クル部長である千明が素早く所在地を答える。

 伊達に野クルの部長をしている訳ではない。

 彼女の頭の中には、中部地方の主要なキャンプ地が確りとインプットされていた。

 

「今めちゃ寒いはずだけど大丈夫なのか」

「さすがソロキャン少女やねぇ」

 

 なでしことあおいは、場所は違えどキャンプへと向かうリンの粋な計らいにほっこり。

 ほのぼのとした様子で携帯の画面を見合っていた。

 

「ライブカメラで返事なんておもろい事すんねー」

「だねー。あんなに手をふってー元気だなーリンちゃんは」

「ホントやねーこんな寒い日なのに」

 

 其処で小太郎ははた、と気が付く。

 此方から返信をしないため、何時まで経っても映像の中のリンが手を振ることを止めない、と。

 そして、徐々に車道の方へと身体を乗り出していることにも気が付いた。

 車の通りがそこまで無いとはいえ、危険な行為である。

 

「ていうか返事したほうがええやない?」

「あ、そ、そうだね」

 

 あおいの提案になでしこも慌てて同意。

 すぐさま返信の為に文字を打ち込もうとした。

 しかし。

 映像の中に映るリンは、車道の半ばまで歩を進めており、その背後からは車が迫っていた。

 見晴らしが良い場所とはいえ、ドライバーがリンに気が付いて減速するとは限らない。

 

 小太郎の決断は迅速であった。

 

 ──リリルーラ!!

 

 瞬間。

 小太郎の体は、ほっとけや温泉の休憩所から掻き消える。

 なでしこの携帯を注視していた野クルの面々は幸いなことにその異常現象を視界に収めることは無かった。

 

「あっ!! 後ろから車来とる!!」

「うわっ!! リンちゃんよけてーっ!!」

 

 なでしこ達が無駄だと分かっていながらも画面に向かって叫び、リンに危険を伝えようとする。

 だが、叫びは虚しく休憩所に響くばかり。

 リンの耳に届くことは物理的に在り得ない。

 そう、彼我の距離を瞬間移動でもしない限りは。

 

「ってリンちゃんが何かにさらわれたーっ!!」

「なんやあれっ? ずさーって志摩さんがすごい勢いで横にスライドしていったでっ!!」

「おいおい、しまりん大丈夫なのか! なでしこ、ラインになんか送ってみたらどうだ!」

「そ、そうだね」

 

 突如。

 画面内のリンが、薄桜色をした人影のようなものに担がれ、猛烈な速度で画面外へと消えていってしまった。

 何の前触れも無い突発的な出来事に野クルメンバーは軽いパニック状態。

 慌ててなでしこが安否確認のため、ラインを送るが返事は来ない。

 

「て、天狗か!? 天狗の仕業かっ!?」

「志摩さん大丈夫なんやろか。よお見えんかったけど、親切な人が助けてくれたんかなぁ?」

 

 遂には千明が先程の怪現象を妖怪の仕業と疑い始めてしまう始末。

 相方のあおいの方は現実的な枠組みに当て嵌まる可能性を示唆し、リンの安否を気遣う。

 そして。

 ぺこぺこ、と携帯へ一生懸命に文字を打ち込んでいたなでしこは、千明の天狗発言にはた、と気が付く。

 きょろきょろ、と視線を巡らせれば頼りになる幼馴染みの姿が無い。

 その事を認めると、なでしこははふー、と肩の力を抜いた。

 確証は無い。

 しかし、長年の経験からなでしこは確信した。

 

 ──コタくんが助けに行ってくれたんだ。

 

 ならばリンは無事である。

 全幅の信頼がそこにあった。

 そして、なでしこの信頼に応えるように手に持った携帯からラインの着信音が聞こえてきた────

 

 

 

 

 ゆるキャン△

 Fan fiction

 チート転生者 in キャンプ物

 

 

 

 

 リリルーラで空間を跳躍し、画面越しであった霧ヶ峰の風景が眼前へと広がった。

 だが、その風景に現を抜かす暇は無い。

 目標は志摩さんただ一人。 

 すぐさま志摩さんの姿を確認すると、僕はゼロから瞬時に最高速へと身を躍らせた。

 勢いをそのままに志摩さんの小さな身体を横抱きにし、殆ど横一直線へ跳ねるようにして移動。

 人一人を抱えているとは思えない身軽さであるが、産まれて十数年来付き合って来た身体スペックからすれば造作も無いことであった。

 

 そして。

 勢いを殺すため素足を地面のアスファルトに擦り付ける。

 自身が出している速度を鑑みるにそんな事をすれば、足の裏がずたずたになりそうなものであるが、此処で心配しなければならないのはアスファルトの方である。

 力を入れすぎて砕かないように、尚且つ腕の中の志摩さんに過度の衝撃がいかないように細心の注意を払い、肉体を操作する。

 程なくして跳躍した勢いを完全に殺し切り、ほっと一息を吐く。

 志摩さんに迫っていた車は何事も無かったかのように通り過ぎ、辺りは霧ヶ峰の環境音だけが控えめに響いていた。

 

「志摩さん、無事?」

「…………田中? た、田中っ!? 何でこんなところにっ!? ていうかお、降ろしてっ!?」

 

 一瞬の呆け。

 横抱きに抱いた志摩さんからなんとも気の抜けた調子で名前を呼ばれる。

 しかし、現状が把握できたのか、腕の中の志摩さんはぱたぱた、と両手足を動かし、降ろすように催促してきた。

 無論、窮地を脱した故にこれ以上女の子の身体をむやみやたらに触っておく趣味は無い。

 

「うん。じゃあゆっくり降ろすね」

「お、おう……」

「志摩さん、ちゃんと周りを見てないと危ないよ。危うく車にぶつかる所だったんだから」

 

 壊れ物を扱うように小柄な志摩さんをアスファルトの地面へと降ろす。

 両足が地面に着いた事で人心地が付いた志摩さんへ嗜めるように言葉を紡ぐ。

 どうにも自分より年下の子を注意するようになってしまっているが、それは失礼ながら志摩さんの体格の所為である。

 

「ご、ごめん、気をつけるよ……ってそうじゃなくて何で田中が此処に居るんだ?」

「あぁ、説明したいのも山々なんだけど、あいにく時間が無いんだ。そうだ、なでしこからラインが来てないかな? ちゃんと返事返してあげてね」

「ラインって言ったって……あ、ほんとだ。なでしこからラインが来てる」

 

 ──リリルーラ。

 

 志摩さんの視線が携帯へと落ちた瞬間。

 心の中で呪文を唱える。

 すると、一瞬にして僕の姿は霧々峰から掻き消え、影も形も無くなった────

 

「田中……? あ、あれ、田中どこいった? …………また天狗の所業か……あとで問い詰めてやる……」

 

 故に。

 目が据わった志摩さんが其処に残されていたことを知ることとなるのは、ほんの少し後になってからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 刹那、眩暈のような立ち眩みの後。

 視界に映ったのは数十秒前まで居た『ほっとけや温泉』の休憩所である。

 リリルーラ(合流呪文)を唱える際に、なでしこ達の視界外に到着先を念じたため、丁度野クルメンバーの背後を陣取るように姿を現すことが出来た。

 

「あ、リンちゃんから連絡が来たよ。無事だって、通りがかった人が助けてくれたみたい」

「ほんまに、よかったわー、安心したわ」

「ったく、ちょっと心配しちまったぜ」

 

 どうやら丁度、志摩さんから無事を知らせるラインが到着したらしい。

 三者三様に安堵の表情を浮かべる野クルメンバー。

 

「良かったね、なでしこ」

「うんっ!」

「って、どわっ!? 小太郎、いつの間にあたし達の後ろに居たんだ!? 近い近い!」

「ついさっきから居たよ、なでしこの携帯に集中してたみたいだから気が付かなかったんじゃないかな」

 

 背後から声を掛けた事にオーバーなリアクションで驚く大垣さん。

 確かに、後ろから近づいたことは思慮が足らなかった気がするが、其処まで驚くようなことだろうか。

 此方には驚かせようという意志は全く無いのに。

 

「さて、志摩さんの無事も確認できたことやし、ウチらは温泉にでも行こかー」

「そうだな、そうしようか」

「おーーっ!」

 

 一悶着はあったが、無事解決したため三人は当初の目的を果たすための舵を取った。

 ならば僕も一足早くなでしこ達の目的地であるイーストウッドキャンプ場へ行って、簡易バーベキューコンロでも設営しておこうか。

 

「ほな、小太郎くんもまた後でなー」

「うん、景色が抜群に良いからゆっくり浸かってくるといいよ。僕は一足早く現地に行って準備してるね」

「おう、任せたぜ、小太郎」

「任されました」

 

 大きな荷物を休憩所へと置いていき、着替えを手に持った野クルの面々が休憩所から出て行く。

 三人寄れば姦しいとはよく言ったもので、女の子三人が居なくなった休憩所は急に静かになってしまった。

 さて、それではぼちぼち僕も行こうか。

 そう思い、よっこいしょ、と煉瓦ブロックが大量に詰まったミリタリーリュックを担ぐと後ろから声が掛けられる。

 

「コタくん」

 

 休憩所の入り口からひょっこり、と顔だけを出したなでしこ。

 少し斜めに首を傾げて扉から顔を出しているため、桜色のお下げが重力にしたがって柔らかく垂れ下がって揺れている。

 

「ん? どうしたの、なでしこ。忘れ物かな?」

「ううん、違うよ。あのね────『ありがとう、コタくん』」

 

 野花がいとけなく花びらを広げるように、笑顔が花開いた。

 その小さな唇から述べられる感謝の言葉。

 何に、と此処で問うのは無粋だろう。

 なでしこは僕が行ったことに対して、詳細は尋ねずに感謝だけを伝えてくれた。

 ならば此方から返す言葉は一つである。

 

「どういたしまして」

「うんっ」

 

 僕の返答に元気良く頷いて、今度こそなでしこは温泉へと行ってしまった。

 さて、では僕も今度こそキャンプ場へと行くとしよう。

 その前に。

 

 ──この鬼のように着信している携帯電話はどうしようかな…………

 

 表示された『志摩リン』の文字が閻魔大王の名前のように感じられる今日この頃である────




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 あとがき

 すまない女性陣の入浴シーンはまだなんだ。
 でも、もう小太郎の入浴シーンは描写したんだしもういいかな、て気がしてきた。

 あと、ピンク色の半袖シャツ見るとべジータ王子を連想するのは筆者だけだろうか。

 前回の感想返しを全て返すのは明日以降になりそうで、ご容赦ください。


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