この寂しがり屋なお姫様に祝福を! (シルヴィ)
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プロローグ
――それはまだ、少女が『子供』でいられた時のこと。
平和だったはずの世界に突如として出現した魔王と、それに従う者達による侵攻。通称魔王軍に手始めとして狙われたのは、『ベルゼルグ』という名の王国だった。
それでも王国が崩壊することはなく、そこに所属していた騎士達と、優れた冒険者、またどこからか現れた、魔王を倒す役目を背負う『勇者』候補達によって、王国は今尚存続している。
魔王軍との戦闘の大部分は最前線と呼ばれる街で行われ、王都を始めとした都市には、一定の平和が保たれていた。
だが、その均衡にも限度があった。
元来戦争とは消耗戦のようなもの。食料、金銭、その他燃料を湯水のように使って行うことだ。そのため戦力があっても無くなっていく備蓄は抑えきれず、隣国等からそれらを融通して貰って保たせているのが真実だった。
――だから、そうなるのは目に見えていた。
少女は、王族だった。
それも、恐らく国内でも『最強』と言って過言ではない王族の、娘だった。優秀な才能を持った者達の血を受け入れ、深く濃い才能を持つ一族の、末だった。
とはいえ少女は未だ二桁にも及ばぬ齢。どれほどの才能があろうと、戦場へ行くにはあらゆる物が不足している。
だが、父親は別だった。また、己とは一回り以上年の違う兄も、別だった。王国最強の戦力。それを遊ばせている余裕は、この国には無い。
「伝令! でんれーい!」
――幼い少女が、家族から引き離される言葉が、その日、城内に響き渡った。
もたらされた内容は、前線に魔王の娘と、それに従う魔王軍幹部出現。それに伴う戦線の激化、それによる士気の減少だ。
特に問題なのが冒険者達だった。結局のところ彼等は金に雇われた傭兵に過ぎず、命が惜しければ他国へ逃げてしまえばいい。……実際、少数ながら逃げ出そうという動きを見せている者達は既にいる。
王は。父は、言った。
「私と、ジャティス。そして騎士を連れて最前線へ赴く。その報を持っていってほしい」
文官の誰かが引きとめようとして、止められた。王が出陣する。士気の下がった戦場に、これ以上ない朗報だった。
何故なら王も、またその息子であるジャティスも、その強さは国内外に響き渡っている。魔王の娘や幹部の一人や二人、何するものぞと騎士達は奮起してくれるだろう。
そして、戦線を押し返せれば、まだ稼ぎ時と判断した冒険者も撤退を止めるはずだ。
――その事を、幼いながら聡明な彼女は理解していた。
だから、止められなかった。
行かないで、お父様。お兄様――たったそれだけの言葉を言うことが、できなかった。戦況がそれを許してくれなかった。
結局少女は何も言わぬまま、顔を暗くしたまま謁見の間を後にした。
その後ろ姿を、王は、そして父は、兄は、顔に出さぬまま歯を噛み締める事しかできなかった。
如何に王が『出陣する』と言っても、すぐにとはいかない。王や、次期国王であるジャティスのやっていた仕事を、各人に分担する必要があるからだ。
本当に重要な物は、信頼する宰相や大臣達に任せればいい。というより、今まで最後に王が確認していた作業が無くなるだけだ。問題はない。
問題なのは、『王として』の責務を、任せられる者を探すことだった。同時に『父親としての』責務を任せられる者を探すことだった。
『――本当に、行くんだな?』
最愛の娘、今は亡き妻の面影を色濃く残す彼女の護衛を選んでいた彼の耳に、声が届く。それに顔を上げたが、執務室には横で書類を書いていた宰相しかいない。その宰相も、声を発した様子は無かった。
だが王は不審に思うこともせず、ただこう心中で返す。
――ああ、今私が行かなければ戦線は崩壊する。そうなれば、次に狙われるのは王都だ。
それだけは避けなければならなかった。ここには娘も、また妻の墓もある。それを狙われるのだけは、絶対にごめんである。
――私を、責めるか? 娘を置いていく私を。
『それについて俺がどうこういう資格は無いな。で、俺はどうすればいい? お前に着いていけばいいのか、それともジャティスに『移す』のか』
姿なき者は、王にも、また王子にも気安く接していた。更に言えば王もその態度を受け入れていた。
――それについてなのだが。……私は君を、娘に託そうかと思う。
その言葉に、彼はへぇ、と驚いた様子を見せた。
『彼』は、代々ベルゼルグの国王が受け継いできた者だ。常に王を支えてきた者だ。国王が象徴なら、彼はそれを彩る物だった。
――君を維持するのは、これから最前線で戦う私やジャティスでは辛いものがある。
『それならいっそ非戦闘員であるあの子に、か? 諦めで言っている、訳ではなさそうだが』
――実用的な話さ。死ぬ気は無い。だが、保険は必要だろう。
『……俺としてはそれでも構わない』
そもそも俺が王と契約してきたのは、王が一番安全で危険だからな、と言う。これから危地に赴く王様には必要ないだろう、と。
――君は本当に優しくないな。
『大人として扱っているだけさ。それとも王になったばかりの頃のように接してほしいか?』
――黒歴史を持ってこないでくれ。頼むから。
けらけら笑う彼に、王は羞恥に耳を赤くする。一度意味なく咳を零すと、話を変えた。
――この後娘を呼ぶ。しばらく消えていてくれ。
『わかった。これから数年以上会えないんだ。最後くらい、父親として言葉をあげてくれ』
言って、彼の気配がどこかへ消える。王は小さく笑みを作ると、人を呼んで娘を連れてくるように頼んだ。宰相には退出を促し、別の場所へ移ってもらう。
それから少しして、娘が控えめに扉を叩き、失礼します、という言葉と共に入ってくる。王族としては考えられないほど大人しい我が娘の姿に、だが思うのは愛おしいという感情のみだ。
その感情を押し隠し、まずは王として接する。
「先にも告げたが、私は戦場へ向かう。アイリス、我が娘よ。お前の役割はわかっているな?」
「はい。もし万が一、お父様とお兄様が……亡くなられたら。私と、私の夫となる者の二人でこの国を、支えます」
やはり聡明な娘だ。妻の血が濃いのだろう。己やジャティスがアイリスと同じ時、果たしてこれだけの理解力があったかどうか。
「その通りだ。理解しているなら問題ない」
冷たい親だろう。少なくとも別れ際にするような会話ではない。だが、これは王として、王族に生まれた者としての義務である。
これは、必要な事だった。
だから、ここからは父親として接する。
「アイリス」
「は、はい」
若干俯いていたアイリスが顔をあげた。その顔は、気のせいでなければ寂しさが色濃く宿っていて、その事に胸が痛む。
「これから私とお前は、長い間、お互いの姿を見ることもできなくなるだろう」
「……わかって、います」
「だからこそ、お前にこれを託そうと思う」
取り出して差し出したのは、古ぼけた本。否、本にすら満たぬ数枚の紙束だった。それを丁寧に受け取ったアイリスの顔に浮かぶのは、困惑。
「お父様、これは一体?」
「初代国王より私の代に至るまで受け継がれてきた物だ」
「え!?」
困惑が驚きに変わり、何度も紙束と王の顔を往復する。一体、これにどれほど重要な物が書かれているのか、そう思っていそうな。
「その本を読めば、お前の元に私が最も信頼する存在が現れる」
「お父様が?」
「ああ。彼であれば、お前を護り、導ける。そう言い切れる程の、絶大な信頼を寄せている」
だから、と続けた。
「もし私やジャティスと会えない事を寂しく思ってくれるなら。お前が信頼できる者と一緒にその本を読むんだ」
幼い娘にかける言葉としてはあまりに迂遠で、また意味のわからない物だろう。
それでいい。それでいいのだ。
己もまた、父に、先代国王にそうやって託されたのだから。
「この国における真の『国宝』を、お前に託す。これは王として、何より父親としてお前に渡せる最大の物だ」
ベルゼルグ王国の国宝といえば、宝物庫に安置される神器だろう。だが王は、この紙束をこそ真の国宝と断言した。
その事実に、アイリスの心に宿ったのは、それを預けられた嬉しさと、それを持つことへの責任感。
「ありがとうございます、お父様。初代国王陛下から託されたこの想いを、無駄にはしないと誓います」
「頼む。……もう夜も深くなる。お前はそろそろ寝なさい」
「わかりました。お休みなさい、お父様」
「ああ、お休み、アイリス」
それが、父と娘が交わした最後の言葉だった。
余程の事がなければ、二人が次に話せるのは、魔王が討伐された後のことになるだろう。
――数年前、最後にした会話を思い出しながら、アイリスは目を覚ました。
12歳となった少女は、未だ父から託されたあの本を読んでいない。それは王族の娘として軽々に扱わないと決めたが故の考えだったが、同時に父親の想い、その真意に気付いていない証拠でもあった。
「クレアとレインは、仕事……ですよね」
己の護衛であり、側近である二人の名を呼ぶ。だがその二人の姿は無く、クレアは騎士団の早朝訓練、レインは宮廷魔法師としての仕事らしい。
呼べばすぐにでも来てくれるだろう。だが、そうすればあの二人の邪魔をする事になる。
「……」
『おはよう』、そんな当たり前の挨拶すらまともにできなくなったのは、いつからだろうか。甘えられる態度を見せられたのは、いつまでだったろうか。
『もし私やジャティスと会えない事を寂しく思ってくれるなら――』
そんなお父様の言葉が、脳裏を過ぎる。
寂しいのだろうか、と自問する。
すぐに、寂しいのだろう、と思った。この城で働く者達が、『いつからかアイリス様は笑われなくなった』と話しているのを、聞いたことがあったから。
アイリスは豪奢なベッドが起き上がり、厳重に封じていた箱から、紙束を取り出した。
何百年前に書かれた物なのだろうか。表紙は擦り切れ、文字も読めない。色落ちし、紙はヨレ、皺だらけになった、しかし大事に扱われてきたとわかる物。
紙束を纏めていた紐を解き、アイリスはその中身に目を通した。
「これは……呪文? という事はこれは、何らかの魔法……」
見たことも聞いたこともない呪文だった。王族にのみ伝わるオリジナルの魔法とも違う。そもそも呪文を必要する魔法などないはずなのだが――紅魔族がたまに言う呪文は単に気分の問題でしかない――これは違うらしい。
「えっと……けっこう長いですね。コホン。
素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。
降り立つ風には壁を。
四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。
繰り返すつどに五度。
ただ、満たされる刻を破却する
誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者。
我は常世総ての悪を敷く者。
――告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
運命の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ、天秤の守り手よ――!」
本来なら、発動しないはずの魔法だった。
この魔法を発動するには、正しく描かれた
「きゃ――っ!」
光が満ちる。その光によって網膜を焼かれ、アイリスは目を瞑った。
目を開けたとき、彼女の目に映ったのは――、
「――え?」
「さあ、今日の早朝訓練を開始する! 朝が弱くて眠いです、だから戦えませんなどという軟弱者はいないだろうな!?」
いれば叩き切る、そんな雰囲気さえ滲ませる女性。
彼女の名はクレア。シンフォニア家の出身であり、国王陛下からの命で幼きアイリスの側近として彼女を守り続けている女傑だ。
女ではあるがアイリスを守る事の方が重要なのか、彼女が着用しているのは動きやすい男性用の白いスーツであり、また短髪でもある。
付け加えれば騎士達の訓練を指導している事から想像できるように、その腰にある剣は飾り物ではない。彼女は騎士達を相手にしてもなお上回る強者であった。
そんな女性が不機嫌な事に、情けないながらも身を竦ませる騎士達。それは彼女の苛烈さを身を持って知っているからだった。
故に、返答は一つしかありえない。
『ハッ! そんな惰弱な者など一人もおりません!』
声を揃えて返す。一糸乱れぬ彼等に、不機嫌そうだったクレアも少しはマシになったのか、眉間に寄っていた皺が少し消える。
「よし! 言うまでもないかもしれないが、敢えて言おう。我々は国王陛下から、王都を守る事を託された。我々が強くなることこそがこの王都を、ひいてはアイリス様を守ることに繋がることだろう。たかが訓練と手を抜くな、そう私が判断すれば、直々に指導をしてくれる!」
腰に差した剣を鞘ごと引き抜き、地面に叩きつける。その勢いのまま、では各自、体を解した後で対人訓練を行えと告げた。
騎士達が動き出すと、クレアは強ばった肩から力を抜く。先程はああ言ったが、騎士達が自ら手を抜くとは思っていない。
領主達が雇った騎士は知らないが、この王都にいる騎士はエリートである。つまり、相応のプライドを持ってここにいる。己が弱くなるような事をするなど、まずありえない。
とはいえ人の目があるかないかで、己に課せる内容の質が変わることも知っている。そのためクレアは、ザッと彼等を見渡す作業を止めることは無かった。
新人の騎士が先輩騎士の胸を借りている光景に、いつかは私もアイリス様に剣を教えることが、いやそのような機会を作らないのが私の役目、と戒めていると、ふいに目がチラついた。
『――――――――――!』
太陽の明かりを剣が反射したのだろうか、と思ったが、何かおかしい。
『―――――――――――――――!』
そもそも、この妙な音はどこから聴こえてくるのだろうか。
『――――――――――――――――――――!』
先程のチラつきも、この声も、どちらかというとこの訓練場からではなく、もっと――。
「避けろおおおおぉぉぉぉおおおおォ――ッ!!」
その叫びに目を上に向け、即座にクレアは叫んだ。
「中央にいる騎士二人、後ろへ飛べ!」
その指示に、クレアの指示に従うことに慣れた体が、頭が思考する前に行動へ移す。それによって二人は助かり――二人がいた位置に、轟音が響き渡った。
砂埃が舞い上がり、目と喉を襲う。それでもクレアは、城内にいきなり降ってきた謎の物体を見逃さんと、腕で盾を作りつつ目を凝らした。
煙に紛れてわかりづらかったが、それが晴れると、黒く丸まった何かが見えた。
「……何だアレは? 人、か?」
恐らく全身を黒いローブで覆っているのだろうが、はっきり言って不審者である。
……不審者? 城内に?
「ッ、何を呆けている! 侵入者だぞ、逃げられないようにせんか!」
その言葉に、呆然と立ち尽くしていた騎士が整然と動く。剣を構え、逃げられないように包囲網を作り上げる。
だが、侵入者はそれを一向に気にしなかった。その気になればさっさと逃げられただろうに、その必要などないと言わんばかりに立ち上がり、その場に留まり続けている。
背は、高い。騎士団全員を含めても上から数えたほうが速いだろうくらいには。
となると、やはり男か。
クレアは警戒心を滲ませつつ、騎士達が作り上げた包囲網を縫って近づいた。危険なのは承知の上でだ。
ある程度のところまで近づくと止まり、問いを投げる。
「貴様、何者だ。ここは王城だと知っての狼藉か?」
愚問だと自分でも思うが、敢えて尋ねた。
そもそもこの侵入者の意図がさっぱりわからない。念のため不審人物として接しているが、(恐らく)上空から降ってきたのも、下にいた騎士に避けろと警告したのも。
城内に侵入するという一点において、無駄という他ない。
一貫性がないのだ、この人物の行動に。
「……正直、どうして上空に放り投げられたのかなんて、俺が知りたいんだが」
声は、中性的だった。恐らく意識して変えれば女性の声と勘違いするだろうが、今は男だとはっきりわかる。
「何? まさか貴様、ここに来たのは自分の本意ではない、などと言うつもりか?」
「いや、ここに来たのは自分の意思だけど、上空に放り投げられたのは俺の意思じゃない」
「侵入方法が想定と違っていたということか? ……バカか貴様」
聞いても意味はわからなかったが、こいつは『城内に来るつもりだった』と暴露したのだ。拘束してからきちんと取り調べをするべきだろうと冷静に考えたクレアは、しかし、次の瞬間冷静でいられなくなった。
「多分召喚方法を間違えたんだろう。しっかりものに見えたけど、意外と抜けてるのかね、アイリスは」
「貴様……!?」
敬愛する己の主人に召喚されたと抜かす。
あまつさえ呼び捨て。
「一国の王女を呼び捨てとは大きく出たな! お前達、その不敬者を今すぐ捉えろっ、多少手荒にしても構わん!」
「あー待て待て待て! ちょっと落ち着け、クレア・シンフォニア!」
名を呼ばれ、顔をしかめるクレア。少なくとも今日名乗った覚えはなく、また名を呼ばれた覚えもない。
騎士達もそれに動揺したのか、勇み足で止まってしまう。その隙を突いて、彼は言った。
「別に大人しく捕まるのは構わない。だけどその前に、アイリスに聞いて欲しい。『あの紙束を読んだ時に、誰かと一緒にいたのか』って」
「一度ならず二度までも……。その言葉の意味はなんだっ」
「アイリスがこの質問の意図に気付いたら連れてきてくれ。わからなかったら……拷問でも何でもしてくれていいぞ?」
これ以上ないほど顔をしかめるクレアだが、騎士の一人に伝令を頼んだ。十中八九時間稼ぎだろうが、気になるのは事実だからだ。
五分か、十分か。距離を考えればそろそろ戻ってきておかしくない。
そして、伝令に走らせた騎士は、戻ってきた。
――その傍らに、敬愛するアイリスを連れて。
「な、アイリス様……どうしてここに!?」
「私が頼んだのです。ここに連れてきて欲しいと」
何故連れてきた、と騎士を睨むも、アイリス本人に止められた。クレアが説明して欲しいと目で懇願したが、アイリスはそれに気付かず、不審者の前へ躍り出た。
誰も、止める動きを見せられなかった。それほどに意外な行動だったのだ。
「あなたが、お父様の言っていた人物ですか?」
「どう言ったのかは知らないが、アイツに紙束を託されたんだろう? それを呼んで召喚されたのが俺なのは間違いないな」
「お父様を……国王を『アイツ』呼ばわり、とは」
「俺からすればアイツは今も子供みたいなもんさ。知ってるか? アイツがアイリスくらいの時はいつも正体を隠して王都に――」
「ま、待て! 待ってくださいアイリス様!」
普段大人しいアイリスが、ほとんど表情を動かさないアイリスが、期待に目を輝かせている。その事実に混乱するも、クレアは慌ててアイリスを己の背に庇った。
「結局お前は何なんだ!?」
その叫びは、クレアと騎士達の想いを纏めたモノ。突如現れ、敬愛する主の関心全てをかっ攫っている不埒者。
拘束したいがアイリスは何かを察しているようで、更に『父親』に『国王』という単語が出てきたせいで、行動にも移せない。
だからこその叫びに、彼は応えた。
「サーヴァント、アヴェンジャー」
パサリと、顔を隠していたフードを取る。
彼の顔は、その黒いローブに反して白かった。病的なまでに白い肌。何の色素も見えない、白い長髪。真紅の瞳。女性的な目鼻立ち。中性的、というより女性的な男性。
アイリスに引けを取らぬ美少女――のような少年。あるいは青年。
だが、何よりも目を引いたのは、顔の左半分を覆う包帯だった。額から左頬までを覆い隠すその包帯が、一番の注目を集めていた。
「召喚の呼び声に応じ、参上した」
そんな彼が見ていたのは、己を呼んだ召喚者。その輝く瞳だけを、射抜いている。
「問おう」
即ち、アイリス。
「お前が俺の、マスターか?」
最近このすばの動画を見ました。やっぱ面白くて最高ですね。その煽りを受けてハーメルンの二次創作も読みまくりました。大爆笑させていただきました。
でもですね、アレなんですよ。
アイリスがメインのお話が無いんですよ! 少なくとも私が読んだのでは!
お話の展開上出てくるのはあってもメインで出張るのがほとんどありません!
と、言う訳で。無いなら書けばいいじゃない思考で書き始めました。ただし私のメインはゲームなのでこちらは手慰み。
三話まで書きましたが、投稿速度はお察しです。期待しないで下さい。
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2話
「――まだるっこしい質問はしない。貴様の正体、アイリス様に喚ばれたという意味、それ以外にも全て答えてもらう」
「クレア、少し落ち着いて」
場所は王城内訓練場から変わり、アイリスの私室。
断固として反対していたクレアは主にどうしてもと言われたためか不機嫌そうで、仕事中ながら呼ばれたレインという女性が宥め立てる。
彼女はこの国の宮廷魔法師の一人であり、クレアと同じくアイリスの側近だった。その立場と同年代であり、また同じ女性という関係からか、彼女とクレアは親友と言っても過言ではない関係を築いていた。
そんな彼女の容姿は、どことなくアヴェンジャーと似ている。顔を覆い尽くすローブ――当然色合いや装飾は彼女の方が華美だが――に、長髪。また本人も気にしているため決して口には出せないが、地味目ながら整った容姿と、共通点は多い。
「落ち着けと言われてもだな、影も形も無かった者がいきなりアイリス様の
「言っておくが俺はアイリスの従僕ではなく使い魔だぞ?」
「どっちもそう変わらんわ!」
どこかズレた言葉を返すアヴェンジャーを睨み返す。冗談も通じないとは、などとボヤいているが、今回の件は可及的速やかに解き明かすべきものだ。
「こうなれば、最悪レインの薬で……!」
「あの、私の薬はそのような使い方をするために作っている訳では」
「よし、自白剤を持ってきてくれ」
「私の話聞いてます!?」
レインは宮廷魔法士だが、どちらかというと宮廷薬師の側面の方が強い。そもそも彼女がアイリスの側近となれたのは、魔法による戦闘力、護衛としてと、毒を盛られた場合の薬師としての力を見込まれてである。
本人の人を助けるためという想いにも沿うため受け入れたし、時には主を狙う相手を知るために汚い手を使う必要もあると割り切っているが。
「話し合いでわかる事に私の薬を悪用しないでください!」
「だ、だがな」
「大体敵意も殺意も悪意も無いとわかる相手にその態度はなんですか。アイリス様が心配なのはわかりますが、そのような対応ではいずれ――」
普段押しの強いクレアが、大人しめのレインに押しに押されている。その光景を意外に思っていたのか、アヴェンジャーが、
「持ちつ持たれつ、なんだな」
「ええ、あのふたりはとても仲が良いんですよ」
呟いた言葉に、まさかの反応があった。
それはクレアが落ち着くために敢えて黙していた――原因が自分だとは理解していた――アイリスだった。
その声は穏やかだが、相貌には羨望を宿していて。王の、彼女の父の真意を理解していたアヴェンジャーは、さっさと理解させないと、と内心で決意する。
「……話を、戻させてもらう」
どこか疲れたように言うクレアは全員を丸いテーブルを囲ませて着席する。アヴェンジャーは正面に、アイリスとレインはどことなくシオン寄りに左右の椅子に座った。
そして流れるように自然とレインは紅茶を、クレアはお茶菓子を置いてアイリスへ。アヴェンジャーにはクレアのみ渋々と。
そうして話ができる体勢を整えて、やっと聞き直せた。
「まず、貴様の正体から聞かせて欲しい。サーヴァントとはどういう意味か。
本当は召喚されたという部分が気になるのだが。相手の事を知るならば、やはりこちらからだろう。
アヴェンジャーは多少意外に思ったのか片眉を上げたが、
「そうだな……じゃあ、まず俺が使い魔と言った意味から答えよう」
すぐにそう言った。
「あらかじめ言っておくが、
「え?」
真っ先に反応したのはアイリスだった。この部屋に来るまでにアヴェンジャーに触れたアイリスからすれば、その言葉は信じられるものではなかったのだ。
体温があった。手首から感じられる脈拍もあった。息もしている。
これで……生きていない?
「つまり貴様は、アンデットの類だと?」
「厳密には違うが……どちらかというとまだゴーストの方が近い」
ゴースト。魂だけとなった者達。
「それでは触れられない理由がわかりませんが」
「ええい、わかりにくい。もっと直接的に言え、直接的に」
「じゃあはっきりと。俺は人として生きて、人として死んだ。その後魂をこの世に戻し、その魂を魔力で作り上げた仮初の肉体に押し留めているのが、今のこの姿だ」
……。
……!?
「そんな話聞いたこともないぞ!?」
「そりゃありふれてるように言われたらこっちが困る」
一応、俺と友人で作り上げた秘中の術式なのだから、と言う。
「友人?」
「そ。初代国王……初代勇者とも呼ばれた人間だな。俺の最初の契約者でもある」
「……」
はっきり言おう。
「嘘っぱちだな」
「聞いたのはそっちだろうに……」
「貴様の戯言を信じるということはつまり、貴様は数百年前に生きた人間であり、初代国王とそれほどの秘術を作り上げるほどの関係性を持っている、という事だ。子供の妄想、と切って捨てるのが妥当だろう?」
話を聞いた私が愚かだった、と断言して切り上げようとしたクレアだが、思いの外反応が帰ってこなかった。
賛同すると思っていた両隣の二人が、困ったように見つめてくるくらいだ。
「レイン? アイリス様?」
「えっと、ごめんなさいクレア。私は、アヴェンジャー様の言葉を信じようと思います」
「私もですね。切って捨てるには、話を全て聞いてからでも遅くはありません」
理解し難いと叫びたそうなクレアだが、アイリスとレインは既にアヴェンジャーの顔を見つめて話を聞こうとしている。このまま部屋を出ても関係無いだろう。
「……ええい! 私も聞いてやる!」
「じゃあ、この続きだな」
その後、アヴェンジャーはいくつかの事情を連続して話した。
「俺の肉体は魔力で形成されている。そして、魂のみの俺に魔力を生成する能力はない」
「だからこそ魔力を生成できる生きた人間――契約者であるマスターが必要になるんだ」
「そして今代の契約者がアイリス、初代国王の末裔である彼女だ。アイリスが俺の発言を信じたのは、
「使い魔云々はその辺りが理由だ。今の俺はアイリスの存在によって生き存えていると言ってもいい。彼女が死んだり、魔力切れを起こせば俺は消えるだろ」
――絶句するしかない。
「つまり貴様は、言葉通り使い魔そのもの、だと?」
「最初からそう言っている」
嘘など一つも吐いていないさ、とアヴェンジャーは言うが、信じ難い内容ばかり連続しているせいでイマイチ信用できないのが事実。
「あぁ、そうだ。これも伝えておくべきか。アイリス、左手を出してくれるか」
「え? それは構いませんが」
素直に左手を出してくれるアイリス。彼女の両手は二の腕までを覆う手袋によって、その素肌の大部分が隠されている。
その手袋を、アヴェンジャーは取ってしまった。
それにピクリと反応したクレアだが、レインにいい加減にして下さいと呆れと若干の怒りが綯交ぜになった瞳を受けて堪える。
「あれ? これは一体……?」
「翼の形をした痣、でしょうか。アイリス様、これは何時出来たのですか?」
「少なくとも朝起きた時には。アヴェンジャー様はこれに心当たりがあって左手を出せと?」
アイリスの子供らしい、だが高貴なる者として恥じぬ美麗な肌に、大きな痣が出来ていた。
痣、と言っていいのかもよくわからない。中心に剣、その両脇に今にも羽ばたかんと開かれた大きな翼。刺青をしたと言われても信じられるほどキメ細かい文様が、そこにあった。
ただし、その色は血のような紅色。アイリスに似合うかと問われれば、似合わないと答えるしかなかった。
「それは『命呪』と呼ばれるものだ」
「令、呪」
「サーヴァントに対し『命令』という名の『呪い』を与えるための物だ。それこそ『自害しろ』とでも命じれば、自害させられるほどのな」
「っ、そんな事しません!」
心外だと怒るアイリスに、例えだ例え、と宥める。
「それくらいの強制力を持つのが令呪って事だよ。もちろんそれだけじゃなくて、『私のところに来い』と言えば、一つや二つ離れた国からでも跳んで来れるだろう。アイリスの魔力が潤沢なら、世界の反対からでもね」
「それは……いや、そうか。なるほど。国王陛下が
貴様、からお前、に呼び方が変わったクレアは、ここでやっと硬質的な態度を解いた。レインも納得したように頷いている。
「どういう事ですか? 二人共」
「陛下の真意は、アイリス様を守るために万全を尽くしたい、という事でしょう」
「『テレポート』も命呪と同じで遠くからでも跳べますが、登録した場所にしか行くことはできませんし、細かいところまで指定できませんからね」
もし、本当に万が一アイリスを誘拐されてしまった時に、令呪があれば即座に彼女の元へ助けに行く事ができる。
「もちろん、そのような事が無いように尽くすのが我々の務めですが、だから保険を用意しないという理由にはなりません」
クレアが態度を軟化させた理由はもう一つある。
それは単純に、この男がアイリスに反旗を翻した場合、どうにかできるという保証がどこにも無いからだった。
だが少なくとも令呪があればその限りではない。
「アヴェンジャー、お前はアイリス様を守ることに」
「全力を尽くすさ。当たり前だろう? 俺のマスターだしな」
それだけではない。
「アイツの息子が王になってからずっと見てきたんだ。歴代の国王は、俺にとって息子であり、弟であり、友でもある。その末であるアイリスを手助けするのは当たり前だな」
だからこそ、とアヴェンジャーはアイリスを見つめ、表情を緩めて告げた。
「アイリスは俺にとって……マスターというよりも、娘であり、妹であり――友達だ」
「……!」
その言葉に。
そこに含まれる真意に、そして、先程クレアが言った国王陛下の、『父』の願いに、アイリスはやっと気付いた。
「そう、なのですね。お父様は、だからあなた様を私の元へ」
どこか泣きそうなアイリスに、クレアが慌てて腰を浮かせる。そんな彼女を視線で制しつつ、アヴェンジャーは頷いた。
「お前の事は、陰ながら見続けてきた。我儘を言わずにいるのは美徳だが、本心を語れないのは辛いだろう?」
言って、胸を叩く。
「俺を頼れ。俺に甘えろ。いきなり現れた、人ですらない奴が何をと思うかもしれないけど。俺は本心から、お前が『子供らしく』過ごせるようになって欲しいと願っているよ」
――それが、お前の父の、王ではない、人の親としての願いだから。
その言葉を受けて、しかしそれでもなお、アイリスは気丈に振舞っていた。今にも泣きそうだというのに、泣いてはいけない、上に立つ者は弱いところを見せてはいけないと、無理矢理己を奮い立たせている。
それを見て、クレアは己の失態を悟った。
「……アイリス様」
だから、レインと目配せを一つして。
「我々は今から目と耳を塞ぎます。ですので、これからアイリス様が何を言おうと、どう振舞おうと、我々は
「何も見えないですし、何も聞こえませんよ~」
早速とばかりに目を閉じ耳に両手を当てるレイン。そのわかりやすい、わかりやすすぎる態度の意味を、聡明な子供が理解できないはずもなかった。
「いい、のですか? クレアはあんなにも」
「アイリス様を王族の一員として相応しい、立派な人間になって欲しいというのは、私の本心からの願いです。ですが、それが私の我儘なのだと、今更ながら気付きました」
何故、王がアイリスにできるだけ近い年齢の女性を側近に選んだのか。浮かれすぎていたクレアは気付けなかった。
レインは――多分、気付いていたのだろうが。
「アイリス様はまだ12歳。ええ、少しくらい我儘でも、誰も文句など言いませんし、言わせませんとも」
だから、アイリス様のお心を裏切るな。傷つけるなと、目だけでアヴェンジャーに言い、クレアもレインに倣った。
……倣った、が。
少しだけ手に隙間ができていても、それはわざとではない。偶然である。ほら、レインもそうしているのだし私は悪くない。これはアイリス様のためである。
そう
「私は、あなたに頼ってもいいのでしょうか」
「構わないさ。むしろアイリスが頼れるのかが心配なくらいだ」
「私は、あなたに甘えてしまってもいいのでしょうか」
「お前の父親みたいに、こっそり王都に遊びに行くか? 安心しろ、俺は強いからな。何が来ても守ってやれるさ」
「……私、お友達と遊んだこと、ほとんど無いんです。つまらない思いを、させてしまうかも」
「なら最初は俺が先導しよう。……なーんてな。実は俺も言うほど遊びの経験は豊富じゃないんだ。初心者同士、楽しもうぜ」
「アヴェンジャー様が、私の父で、兄で、お友達?」
「ああ。俺がお前の父で、兄で、友達だ」
「ふふ……何ででしょう。本当のお父様もお兄様もちゃんといるのに」
「……」
「どうして――っ、こんなに、嬉しいんでしょうか……!」
小さな嗚咽が、漏れ聞こえてくる。
大声で泣いてしまっても構わないのに。むしろ今まで強いてきた分、思い切り感情を爆発させて欲しいくらいなのに。
ああ――なんて、私は愚かだったのか。
寂しかったのだ。
それからしばらく。
アイリスの部屋に、小さな少女の、秘めていた感情が溢れていた――。
この世界にはFateにおける聖杯(冬木の聖杯や月の聖杯)はありません。そもそも英霊の座もありません。
あくまで本来女神エリスの元へ行く魂を現世に押し留めているだけです。
聖杯のバックアップが無いので消費魔力は甚大ではなく、王族である彼等を除けばまともに運用可能なのはめぐみんやひょいさぶろークラスの魔力が必要です。
代わりに『生前の能力』をそっくりそのまま使えます。それにも大量の魔力を消費する事になりますが。
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3話
「落ち着いた?」
「は、い。すいません、こんなに泣いてしまうなんて」
静かながらも長く泣いていたからか、アイリスの目は真っ赤に充血していた。頬も涙の跡が強く残っている。
そんな彼女をフェイスタオルで優しく拭くと、謝られてしまった。
「別に謝って欲しい訳じゃないさ」
困ったように笑うアヴェンジャーは、ありがとうと言って欲しいと言う。
「どうせならすまなそうに謝ってもらうより、笑顔でありがとうの方が俺も嬉しいよ」
「え、あ……う……」
笑顔。
どうするんだっけ、と子供らしい、だが子供らしくない思考が浮かぶ。笑顔なんて浮かべたのはいつ以来だろう、と。
そんな風に思い悩むアイリスに、アヴェンジャーは彼女の頭を撫でた。
「無茶言ったな。その内でいいさ」
アイリスから離れ、クレアとレインの両肩を叩く。そのままアイリスにバレないよう、口の動きだけで、
――聞いたなら少しは思い直せたか?
実は二人が聞いていた事を見抜いていたと、言外に告げて二人を固まらせる。その後三人は素知らぬフリで椅子に座った。
一方アイリスは椅子を立つと、少し悩んで、何かを決心して、椅子の背もたれを持って動かし始めた。
王族に相応しい椅子はそれなり以上の装飾が付いており、その分重い。そのためアイリスは若干苦心しながら、それをアヴェンジャーの隣に引き寄せた。背もたれがくっ付くくらいにまで寄せると、アイリスは椅子に乗って、アヴェンジャーの腕に体を傾ける。
「……♪」
表情はほとんど変わらないが、どことなく満足そうだ。本人なりに『甘えて』みているようで、
「ぷっ」
つい、笑ってしまった。
「な、なんで笑うんですか? 甘えてもいいって言ったのはアヴェンジャー様でしょうに!」
「い、いや、もっと無茶なお願いも覚悟してたし……」
それこそ王都中を散策したい、とか。あるいは父や兄のところに行きたい、とか。
「いやぁ、アイリスは可愛らしいなぁ」
くすくす笑うアヴェンジャーに、アイリスはぷいっと顔を逸らした。そんな拗ねた態度を見るのが初めてなクレアとレインは眼を丸くしたが、悪いことではないだろうと苦笑を零す。
アヴェンジャーが空気を変えるように菓子を一つ取ると、アイリスに差し出した。その仕草をすぐに理解したアイリスは、拗ねていたことなど忘れたかのように口を開ける。
ここでサッと手を引いたら面白そうだったが、それはやめてその小さなお口の中にひょいっと放り込む。
「……ええ、やはりレインのお菓子はとても美味しいです」
「ありがとうございます。アイリス様は素直に褒めてくれるので、作り甲斐がありますよ」
「へぇ、これってレインが作ったのか」
「はい。こういうと微妙な顔をされるのですが、薬の調合も料理を作るのも、そう大差は無いので。私の一族は大体料理上手で有名なのですよ?」
お一つ如何ですか、と差し出しかけたところで、ふと思った。
「魔力で作られた体で、何かを食べたり飲んだりとかはできるのですか?」
「人間ができる事はできるよ。ただしなくてもいい。実際数十年くらい飲まず食わずだった時もあるし」
アヴェンジャー曰く、サーヴァントにとっての飲食はそれに含まれた魔力を吸収する作業で、多少マスターの負担を軽減できる程度でしかない。睡眠も似たようで、消費量を減らせる。
「食事はともかく睡眠はする気は無い。寝ている間にマスターが殺されたら本末転倒だからな」
「ダメです!」
「え?」
真っ先に反対の声をあげたのは、アイリスだった。アイリスはアヴェンジャーの片目を睨み付けるように覗き込むと、
「食事も睡眠も、人間として必要不可欠な事です」
「いや、昔やってたから別に平気だって」
「少なくとも私が主の時は、私と一緒に食事と睡眠をしてもらいます」
「その隙を突かれたら俺は死んでも死にきれな」
「ダメです」
「あの」
「ダメです」
「アイリ――」
「……令呪を持って命じ――」
「待った待ったわかったわかったわかったから!」
その命令は、流石に無駄が過ぎる!
「そんな事に令呪を使うな! するから! 食事も睡眠も!」
「良かったです。私も無理矢理は嫌ですから」
「……言っておくけど、今の場合は令呪を使っても意味がないからな?」
え、とアイリスの口が開いた。
「ど、どういう事ですか?」
「どういうも何も。令呪の魔力だって無制限じゃないんだ。無期限の命令を遵守させるなんて不可能に決まっているだろう」
要するに、何となく食事をしないとだめだな、と思うだけで、絶対に食事をしなきゃ、と思い込ませる強制力は発揮し得ない。
「無限のエネルギーなんて存在しない。だから、非現実的な命令や、あまりに長期に渡る命令は令呪を無駄に使って終わりだ」
説明し損ねていた、とアヴェンジャーは頭を掻いた。
「その令呪が無くなれば、お前はマスターである資格を失う」
「それはどういう事だ、アヴェンジャー」
「令呪はマスターである証なのさ、クレア。三つ全てを消費したり、腕を切り落とされたりして結果的に令呪を失う状況に陥ると、接続が切れるんだ」
前者ならまだマシだ。アヴェンジャーが消えるだけだから。
後者はマズい。何せ令呪を奪われるという事は、サーヴァントの支配権を奪われるということ。
「最悪俺が敵に回ることになる。……短絡的な事はするな、という事だ」
「じゃあ、私達があなたの事を欠片も知らなかったのは」
「国王に強力な使い魔が傍にいて、それを奪える可能性がある。この国を崩したい人間にとって俺を奪うのは、直接チェックメイトできるチートを得られるって事だ」
なるほど、とレインは頷いた。今のところ話の筋は通っている。
「……国王は。アイツは、俺という存在をアイリスの守護と、成長を促すために遣わした」
「私の守護と、成長?」
「ああ。俺を己の護衛、部下として。アイリス自身を主、上に立つ者として。守る者と守られる者、それをより明確にするためにな」
アヴェンジャーは全力でアイリスを守る。そこに嘘はない。だが、アヴェンジャーの行動がアイリスに左右されるのは事実だ。
「将来的にはともかく今は『守られる者』という自覚を養え、という事だ。守られる側が下手な行動をすれば、守る側が途方もない苦労を背負う。それを避けるためにどうすればいいのか、常にマスターは考えなければならない」
『下手な行動』における最悪は、令呪の強奪。そうされれば、アヴェンジャーはアイリスを殺すことになるかもしれない。
そうならないよう、『マスターとして』どう行動するかを、アイリスは常に考え続けなければならないのだ。
「甘やかす事だけを考えられないのが、国王って立場の辛さだろうな」
まぁ滅多な事ではアイリスに手出しすらさせない、とアヴェンジャーは言い切る。
「そういえば、お前の強さはどれくらいなんだ? 強い、と言い切ってはいるが」
「初代国王とタメを張れるくらいには強いぞ? そうだな、魔王と直接対峙できるような状況にでもなれば、確実に勝てるくらいだ」
「……信じられん。嘘を言っている訳ではない、とはわかっているのだが」
「だろうね」
「あの、それほどの強さを持つのなら、あなたが直接魔王軍と戦うわけにはいかないのでしょうか?」
手を上げて質問したのはレイン。
彼女の疑問も当然だ、とアヴェンジャーはこう返した。
「マスターの魔力が保たない」
「国王陛下程の魔力でも? 陛下の魔力は一般的な『アークウィザード』達よりもよほど多いと聞いていましたが」
「俺の体は魔力で構成されている。つまり、怪我を負えばその分新たな魔力を必要とする。その上で戦闘時に消費する魔力を考えると……」
例えばそれが魔王軍幹部や魔王そのものと戦うだけならば何も問題はない。マスターの魔力が尽きる前にどうとでもできる。
だが、国王や第一王子が未だに戻れない最前線のような、長期間戦闘終了の目処が立たない場所では、アヴェンジャーは戦い続ける事ができない。
「そもそもアイツは自分が戦いに行ったんだ。俺と自分自身、二人分の魔力消費を賄うなんてのは不可能だ」
「だからお父様は、アヴェンジャー様を私に?」
「ああ。王族であり、戦闘を行わないアイリスは、俺を受け継ぐのに最適だった」
娘の護衛と、王族としての実利。
「ま、その他にも色々事情はあったが、大部分はそういう事だな」
「なるほど」
頷くクレアとレイン。直接その強さを見ていない以上完全には信じきれないが、アイリスを守るという点においては心強いと納得したらしい。強くは突っ込んでこなかった。
「そ、そういえば! クレアも言っていましたが、どうして『復讐者』と名乗っておられるのですか?」
ポン、と柏手を一つしながら話を変えるように問いかける。この疑問、実は最初に彼が己をアヴェンジャーと言った時からの疑問だった。
復讐者にしては理智的すぎるし、何より面倒見が良すぎるような気がする、と。
「それは文字通り俺が復讐者だからさ」
だから、そんな事を言われてもハテナマークが頭に浮かぶくらい想像できなかった。首を傾げている様子からそれを悟ったのか、アヴェンジャーは続けて、
「生前、幼かった頃の俺は生まれ育った小さな村を壊滅させられた」
――あっさりと、そんな重苦しい事情を語った。
「え?」
「たまたま村の外に遊びに行った俺はその襲撃を避けられてね。命だけは助かった」
淡々と語るその顔に、嘘は見られない。親を、もしかしたらいたかもしれない兄弟を、故郷の者を失った時の絶望感を悟らせぬかのような、貼り付けた無表情。
「……まぁ、その時は復讐どうこうなんて考えなかった。故郷を失わせた下手人の顔を知らなかったからな。どうやっても不可能だ、手掛かりがほとんどない」
そうして何もかも失って途方に暮れた時に、一人の女性がアヴェンジャーを拾ってくれた。
「今俺がここにいるのは、その人のお陰だ。感謝している。とても……とても」
その女性の話をしている時だけ、アヴェンジャーからは今でも慕っているとわかる笑顔と、そこに宿る苦々しい後悔を宿していた。
「その人のところで生きていて、全てを失った絶望も癒えた頃に、そいつがやってきた」
――『やぁっと見つけたぜぇ? 全く面倒な事させやがってよ』
「魔術師の男だった。それも超を付けていい程の、一流の『アークウィザード』」
勝てる道理はなかった。逃げる暇さえ与えられなかった。ゴミ掃除をするように、アヴェンジャーは殺されて、そのまま家族と同じように、死ぬ――はずだった。
「あの人のお陰で生きられた。……代わりにあの人が死んだ」
確かに攻撃を受けて。体が焦げて溶け落ちるような感覚があって。でも、目覚めてみれば無傷だった。
それだけなら喜ばしい事だろう。
――目覚めた横に、何故か
「一度目と、二度目。俺から全てを奪ったあの男を、俺は決して許せなかった。決定的に弱かった自分を鍛え上げて、『アークウィザード』であるあの男を、殺すまでは」
結果的にアヴェンジャーはその男を殺しきれた。
「ま、その後も色々あってね。お前の先祖、初代勇者と出会ったのもこの頃――っておい、アイリス、どうしてそんな泣きそうに。クレア、レイン、お前らもどうして顔を逸らして目頭を押さえているんだ」
それはアヴェンジャーの真に迫るほどの話を聞いていたからです。とは誰も言えず、軽い考えで聞こうとしたアイリスとクレアは自己嫌悪で自分の首を絞めたくなった。
伊達や酔狂でアヴェンジャーを名乗る訳が無い。紅魔族でもあるまいに、と。
当のアヴェンジャーは三人の反応に困惑しつつ、締め括るようにこう纏めた。
「俺の人生は、その大半を暴力によって何とかするものだった。敵がいれば殺すか殺されるか、殺しきれずに封印をしたこともあったけど、殺伐としたモノだったね」
その経験から言わせてもらう。
「アイリスは、俺のようになるな」
「私が、あなたのように?」
目尻に浮かぶ雫を指先で拭いながら、アイリスはアヴェンジャーを見上げた。見下ろすアヴェンジャーの瞳には慈愛の色が浮かんでいて、本心からアイリスを想っているとわかる声音で、こう言った。
「お前には、色んな可能性がある。だから、俺みたいに、力で全てを解決しようと考えるな」
――そのために、俺はここにいる。
そう言って笑う彼の顔は、ずっと目に焼き付いて離れなかったと、後のアイリスは語った。
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4話
コホン、とわざとらしい咳が響く。それを発した主はクレア。彼女は口元に拳を置いて、アイリスに言った。
「申し訳ありません、アイリス様。私とレインはそろそろ仕事に戻らなければ」
アヴェンジャーの登場によって中断されただけで、本来二人は未だ仕事をしていなければいけない立場。懸念が解消されたのであれば、戻って続きをしなくてはいけない。
レインも目尻を下げて、
「私も、同僚に投げてしまった書類仕事と、薬の研究をしないといけませんから」
申し訳なさそうにアイリスに微笑む。アイリスはそんな彼女に、小さく笑みを返した。
「わかっています。私も朝食がまだですし……この時間では、昼食も兼ねてしまいますが」
「今日は午後からお勉強ですが、それまでは自由時間です。お好きに過ごしてください」
好きに、と言われてアヴェンジャーを見ようとした瞬間、その彼はこう言って来た。
「それじゃあ俺は霊体になってるから、必要になったら呼んでくれ」
それだけ言うと、さっさと三人の前から消失する。否、マスターであり接続が繋がっているアイリスの目には見えていたが。
「……いるのですか? そこに」
「え、あ、もちろん。やっぱり見えないのですか?」
「見えませんね。あと、触ることもできません。まだそこにいるのなら」
アヴェンジャーのいた場所に手を寄せ、左右に振っているレイン。
ちなみにアイリスの視界には、アヴェンジャーの胸元にレインの腕が貫通して見えていて、かなり心臓に悪い。実際アイリスは悲鳴をあげかけた。
「ア、アヴェンジャー様! すぐに霊体化を解いてください!」
「わかった」
しかし悲鳴に近い声が出てしまい、すぐにお願いする。実体化した時にはアヴェンジャーはレインから離れていた。もし腕が刺さりながら実体化したら、と考えて、アイリスは即座に、己のサーヴァントに命じた。
「私が主の間は、霊体化を禁止します! これは絶対です、無駄だとわかっていても令呪を使うことも辞しません」
「いや、霊体って色々便利なんだぜ? アイリスがいる城内限定だけど、悪巧みしてる奴がいたらバレずに盗聴できるし」
「それでも、です。私はアヴェンジャー様に人間として生活してもらうと決めました。一般的な人間は眠りますし、食べますし、霊体になれません。やれたとしてもやってはいけません。これは厳命ですよ!」
余程先の光景がショックだったのだろう。アイリスはそう言い切り、聞く耳持たぬと言いたげに呆然としている側近二人に告げた。
「アヴェンジャー様はこれから私の側近の一人として城内に留まります。二人は彼を連れて、まず騎士団と宮廷魔法士団、また給仕達にその事を伝えてください。お願いしますね?」
「「は!」」
アイリスに敬礼を示し、クレアとレインはテーブルの上を片付ける。その間にアイリスはアヴェンジャーの背中を押して、できるだけ真剣な顔を作って言う。
「私の父と、兄と。友達と言うのなら……私の『ワガママ』、聞いてくれますよね?」
「それを言われると弱いな。わかった、俺はこれから食べるし、眠るし、霊体化もしない。城内にいても不審を与えないよう挨拶周りもちゃんとしてくるさ」
「はい、それでいいんです」
アヴェンジャーの返答に、アイリスは笑う。意識的には無理なようだが、無意識なら、もう笑みを浮かべられるようだ。
その事に満足そうなアヴェンジャーに首を傾げつつ、三人がいなくなったアイリスは、フラフラと一歩、二歩と下がり、ベッドに倒れるかのように腰掛けた。
取り繕った笑顔を、崩しながら。
「……アレは、嫌です」
全く痛そうでも無かったし、実際何の影響も無いのだろうが。
「胸に、腕が刺さっているなんて。見たく、無いんです」
父や、兄が今この瞬間、そうなっているかもしれないと、何の根拠もなくそう思ったから。頭に浮かび上がってしまったから。
霊体化している時に見せた、あの虚無的な表情が、人間味を感じさせなくて。数百年のほとんどを霊体のまま過ごしている意味を、想像させて。
怖かった。
初めての友達は、あっさりと消えてしまうんじゃないかと思ったから。
嫌だった。
だから、人間として過ごさせると決めた。そうすれば、もう彼はあんな顔をしないで済むと、思ったから。
彼が、彼らしく。誰かと色んな繋がりを作ってくれれば。
「私の前からいなくなるなんてこと、無くなりますよね……?」
部屋を追い出されたアヴェンジャーを連れて歩き出す二人。フードは外したが、それでも首から下を黒いローブで覆い隠しているのと、顔半分を埋め尽くす包帯のせいか、時折すれ違う者達から奇異と不審な視線が向けられた。
ただ本人はそれに慣れているのか気にしていないようだったが。
「全く、我々の気遣いを無下にしおって」
「気遣い?」
「お前とアイリス様を二人きりにして、自由に行動してもらおうと思っていたのだ」
その言葉にアヴェンジャーが眼を丸くした。一番疑っていたクレアがそう言った事を、意外に思っているらしい。
「あれだけ疑っていたのに、随分あっさり信じるんだな」
「ふん、最もだな。レイン、もういいぞ」
「種明かしですか?」
レインに向かって差し出された手の上に、ローブの中に隠していた物を乗せる。それはアヴェンジャーも見たことがあるもので、だからこそ、すぐに納得した。
「嘘を言うと音を出す魔道具、か」
「ああ。『私はアイリス様を主君と認めていない』」
チリーン、と音が鳴る。壊れていないらしいな、とクレアが呟く。
「お前が全て真実を話すとは限らない。だから、レインを連れてくるように頼んだ騎士に、レインにこれを持ってくるようにと伝えておいたんだ」
クレアとしてはすぐに鳴ると思っていた。だがその予想に反して、これは一度も鳴り響く事無く終わってしまった。
「でも、それにしては一度俺の言葉を下らないと切り捨てていたじゃないか」
「この魔道具の唯一の欠点、忘れたとは言わせんぞ」
この魔道具はあくまで『嘘を見抜く』物でしかない。だから、本人がこれは本当だと、本心から信じていれば音が出ないのだ。
また嘘は言っていないが真実でもない、という曖昧な答えでも鳴らない。まあ、そんな答え方をする人間は滅多にいないが。
「おい待て。つまり最初にそう言った理由って、まさか」
「勿論『子供の妄想』と断じただけだが?」
あるいは狂人の戯言と思っただけだが。
ここで初めてアヴェンジャーの頬が引き攣った。流石に頭がアッパラパーな人間だと思われるのは嫌らしい。
「付け加えると、私があの時怒ったのは、これを持ってきたと知っていたからですね」
『話し合いで解決できるのに薬を使うな』と言っていたレインが笑う。ただ、アヴェンジャーとしてはあまり笑えない。
逆に言ってしまえば、それを持ってきていなければ薬を使うのも辞さないと考えているようなものだから。
アヴェンジャーは小さく肩を落とすと、一つ息を吐き出してから、口元を緩めた。
「……とても頼りになる仲間がいて、頼もしいよ」
「私はまだお前を仲間だとは思っていないがな」
ふん、とクレアはアヴェンジャーを睨み付ける。
「私が認めているのは、お前が本心からアイリス様を守ろうとしていること。その一点のみだ」
「私はクレアと違って仲間だと思っているので、そこは安心してくださいね?」
「レイン」
「あら、いいでしょう? クレアだって、味方だとは思っているんでしょうに」
「……ふん。おい、アヴェンジャー。付いてこい。まず騎士達にお前の説明をする」
まだ疑っていると、目を鋭くするクレアが背を向ける。アヴェンジャーは一度レインを見ると、彼女はニッコリ笑ってクレアに手を向けた。
「私達宮廷魔法士と宮廷薬師については後回しで構いませんよ。どの道今日は私もあまり時間が取れませんし。他の事を優先してください」
レインはアイリスの教育も請け負っている。帝王学を始め、その内容は多岐に渡るため、彼女自身教える内容の把握として勉強をし直したりと、忙しいようだ。
アヴェンジャーはレインに礼をすると、既に遠くなった背中へ駆け出した。
そして、最初にアヴェンジャーが降ってきた場所へ戻る。そこにあったはずのクレーターは既に無くなっているようで、騎士達の訓練は滞り無く続いていた。
ただその訓練はどこかおざなりで、彼等が上の空でやっていると一目でわかってしまう。怒鳴りつけようかと一瞬思ったが、その原因がわかってしまうので、今回だけは見逃した。
「へぇ、このレベルか」
眼を細めるアヴェンジャー。その眼球は恐ろしい程の速さで、騎士一人一人を見極めようと動き続けている。
その顔には、先までの温和さはない。優しさを感じられない。
――人としての色を、見れない。
まさに復讐鬼という言葉が似合うモノだった。
ここで初めて、クレアはアヴェンジャーに恐怖を感じた。
「アヴェンジャー、お前は……」
「ん、なんだクレア。俺の顔に何かついてるのか?」
問いかけようと名前を呼べば、すぐにそれは消え去った。人としての色があっという間に戻り、それに拍子抜けさせられる。
「……いいや、何でもない。それより騎士達を呼ぶ。言っておくが私がするのは紹介だけだ。彼等に認められるのは、お前自身でこなせ」
認められなければ、アイリス様の側近は務まらない。
かつて己が通った道を、己よりも不利なアヴェンジャーに課しながら、騎士達を呼んだ。
――結論から言おう。
一ヶ月どころか一週間もいらなかった。アヴェンジャーが、城の者に認められるのにかかった時間は。
これにはクレアどころかレインやアイリスも驚き、どうやったのかと問い詰めてしまった。
アヴェンジャーは特に不思議な事をしていないと言う。
騎士達には、力を示した。一対一、あるいは一対ニ、更には騎士団全員を纏めて相手取って勝っただけだ。
そう、わかりやすく『強い』というのを理解させただけだ。アイリスの護衛、その任を全うできるだけの力があるのだと。
後は彼等が成長できるようにアドバイスしておいた。思うところはあるだろうが、自分よりも強いと認めた相手の言葉だ。それを受け止め、糧にする度量があった。すぐに効果が出るわけではないが、確実に強くなるだろう。
「後は実戦で戦ってるところを見せれば、大体の騎士は指示に従ってくれると思う」
訓練で強くとも、実戦で強いとは限らない。次に魔王軍が王都を襲った時に、お前を本当に認めるかどうか決めるとは、彼等から言われた言葉だ。
「確かに、お前は強かったな」
クレアも一手交えた事がある。ただ、即座に理解した。
――『勝てない』と。
アヴェンジャーは、純粋に『強い』訳ではない。どちらかといえば『上手い』タイプだ。スキルを一切使わなかったので職業はわからないが、剣を振るう技術はクレアの遥か上を行く。
体捌き一つとっても別次元といっていい程差があった。技術と経験が揃った古強者、それがクレアの印象だった。
ここにスキルが加われば、と思いつつ、続きを促す。
魔法使いと薬師達には、知識を示した。外見からはわからないが、アヴェンジャーはこれで数百年も在り続けている。生前はともかく死後はほとんど城内から出たことはないが、それでも、その眼で見知った生の知識は得難いものだ。
特に過去起きた、しかし忘れ去られた出来事、歴史における裏や、間違った記述を指摘できるというのが大きい。
「まぁ、数百年も前の出来事を全て覚えてるとは言えないけどね」
アヴェンジャーの肉体は魔力で形成されている。だからこそ、肉体の老い、劣化というモノは存在しない。常に若いため、記憶力も相応に良い。
ただ完全記憶能力などは持っていないため、どうしても忘れている部分もある。
「それでも、新しい発見をいくつも見つけられました。失伝された薬のレシピも、かなりの数を教えてくれたんですよ」
かつてないほどにご機嫌なレインが言う。昔猛威を振るった伝染病などで消え去った薬――薬師が死んで、技術が途絶えかけた――もアヴェンジャーは覚えていたので、同じ薬師であるレイン垂涎の知識があったのだ。
最初は嘘っぱちだ、信じられるかと言い捨てた彼等も、その根拠や証拠、穴を指摘し訂正すべきだと議論に議論を重ねれば、信じるしかない。
そして怒声さえ交えて言い合えば、お互いに認めるしかなかった。
「宮廷魔法士と薬師は、ほぼ全面的にアヴェンジャーが城に滞在する事を認めています」
最後に、執事やメイドなどの使用人達。
彼等には単純に、人格を認めてもらっただけだ。強さも知識も彼等には示す必要はない。ただ『この人になら仕えてもいい』と、そう思ってもらうだけでいいのだ。
例えどうしようもない欠点があっても、ついていきたいと思わせる求心力。カリスマ性、と言ってもいい。
ただアヴェンジャーにはそのカリスマ性は不足している。
だからこそ、今も少しずつ交流し、人柄を知ってもらい、受け入れてもらおうとしている。
「彼等は『主とは思えないが、同僚としてなら共に働きたい』との言葉を貰っています」
「主はあくまで国王陛下とジャディス殿下、アイリス様だ、って事だろう。別にいいよ、俺は主なんて柄じゃないしね」
……もちろん、全員が認めている訳じゃない。
怪しすぎる、追い出すべきだという声が、決して無くなった訳じゃないのだ。アヴェンジャーが不審な行動をすれば、アイリスの内心がどうあれ、アヴェンジャーは城から叩き出されるだろう。
ただ、それを告げた時にアヴェンジャーはこう言った。
「なら、認めて貰うだけだ。アイリスの傍にいるために必要なら、ね」
少なくとも今すぐ追い出される事がないのなら、それで十分。
満面の笑顔を浮かべるアヴェンジャーは、自信に満ち溢れていた。
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5話
アヴェンジャーが城に現れてから、結構な時間が過ぎた。
現れ方が大分酷かったせいで大半の人から向けられる感情は完全に悪く、トドメにアイリスのサーヴァントと名乗った事で、当初はさっさとここから出て行けと言わんばかりの眼をされていた。
しかしそれも過去の話。出て行けという目線は、少しくらいなら、とアヴェンジャーを認める形になった。
それどころか気安く接してくれる者もいる。
……気安すぎる相手もいたが。
アイリスは勉強、レインがその教師をしていて暇だったアヴェンジャーが、廊下で同じく暇をしていたメイドの一人と会話をしていた時の事だ。
「アヴェンジャーじゃ長すぎるので、アーちゃんはどうでしょう?」
「ア、アー、ちゃん?」
「はい! アヴェンジャーさんではいくらなんでも不審過ぎますし、それならいっそあだ名で呼ぶのはどうかなと」
どうですか! と満面の笑顔を浮かべる相手に、アヴェンジャーは頬が引き攣る。そこに、偶然通りがかったクレアが、ぶふっ! と吹いているのが見えた。
「わ、悪くないんじゃないか、その提案。なあアーちゃん?」
「やめろ」
服の上からでもお腹が痙攣している様が見えたアヴェンジャーが真顔になる。クレアの言葉に笑顔を輝かせていたメイド、アーシャだが、アヴェンジャーの冷たい声音に、それを沈ませた。
「ダ、ダメでしたか? 良い考えだと思ったんですけど」
「ふむ、アヴェンジャー。彼女を泣かせるのか? 最低な男だな」
「何か段々良い性格してきてないかクレア」
出会った当初の頑固さが薄れてきているような気がする。かといってアーシャの提案を受け入れてアーちゃんと呼ばれるのは、と思って、言った。
「アーヴェ」
「はい?」
「アーヴェ・ルシア。……アヴェンジャーがダメならこれでいいだろう」
「ただアヴェンジャーを捩っただけか。安直だな」
クレアの嫌味に、アヴェンジャー改めアーヴェは取り合わない。その顔には、不本意だという言葉しか無かった。
アーニャはそれを見抜けなかったようで、曇らせていた顔をまた輝かせる。
「アーヴェ、アーヴェ……私、いいと思います! これからはそう呼ばせていただきますね」
「ならば私もそうさせてもらおう。アヴェンジャーよりは大分――」
そこで、クレアの言葉が止まった。
『緊急! 緊急! 魔王軍が攻めて来ました! 冒険者の皆様は装備を整えてギルドに待機、指示に従い行動をお願いします!』
「……どうやら、遊んでいられる時間は無くなったようだな。アーシャは仕事に戻れ、私もアイリス様の元へ報告したあと騎士団へ行く」
「は、はい! わかりました、お気をつけて」
息を吐いて言うクレアに、アーシャは一つ礼をすると足早に去っていく。それを遠目に見つめた後、クレアがアーヴェに向き直った。
「お前も来い。念のためアイリス様の護衛を頼む」
「言われるまでもない」
頼まれなくてもアイリスを守るつもりだった。その答えに満足そうに頷くと、アーヴェと肩を並べてアイリスのいる部屋へと赴いた。
ノックをし、掛け声が帰ってくるのを待ってから扉を開ける。中にいたアイリスとレインは、クレアとアーヴェの姿を見て安心したように口元を緩めた。
「アイリス様は無事ですね。私はこれより騎士団を率いて魔王軍と戦闘を行います」
「わかっています。私は城で待機、万が一があれば秘密の脱出路を使って逃げる。ですよね?」
「はい。レインとアーヴェが護衛につくので、逃走している間も安全でしょう」
アーヴェ? と首を傾げて疑問符を浮かべるアイリス。そこでこの呼び名はまだ二人しか知らないと思い至ったクレアが、指でその相手を示した。
「アーヴェはアヴェンジャーの略称です。アーヴェ・ルシア。まぁ、偽名ですがアヴェンジャーよりはマシでしょうと」
「では私もこれからはアーヴェ様と呼ばせていただきますね」
その言葉を聞くと、クレアはでは、私はこれでと頭を下げて部屋を出て行く。彼女は騎士達の準備が出来次第すぐに出撃しなければいけないので、あまり時間が無いのだ。
その背を、アイリスが物憂げな表情で見つめている。レインも、目尻を下げていた。いつもの事とはいえ、クレア一人を戦場に立たせるのに思うところがあるらしい。
それを横目で眺めながら、アーヴェは問うた。
「……で、どうする?」
「え?」
「いや何、本当にこのままここで待機してればいいのかな、と」
そんな事をアーヴェは言う。けれど、アイリスはそれに何も答えられなかった。
アイリスにはわかっていたからだ。自分は戦えない。戦えるだけの経験を持っていないから。
その事を、アーヴェが理解できていないはずがないのに。
「アーヴェさん、アイリス様に戦えとでも? あなたの役目はアイリス様の護衛でしょう」
肩を怒らせて詰め寄るレイン。その目はアーヴェが初めて見るほどキツくなり、彼を射抜いている。
「別に戦えなんて言ってないさ」
「ではどういう意味ですか」
「……『戦闘』を間近で見てみないか、と思っただけさ」
戦闘を? とオウム返しにアイリスが呟く。アーヴェはそれに頷き、続けた。
「アイリスは将来女王になる可能性がある」
その言葉の真意を一瞬で理解したアイリスが顔を歪め、だが頷く。
「お父様とお兄様が死んでしまえば、そうなるでしょうね」
「その場合、お前は二人がやっていた事を継ぐ事になるだろう。……意味がわかるか?」
「アイリス様は、戦場へ出なければ行けない時が来る……?」
レインが疑問を口にすると、アイリスはアーヴェの思考が読み取れた。
「そういえば、アーヴェ様の役割は私の護衛だけでなく、私の成長も担うことでしたね」
「ああ。……クレアやレインのやっている事も間違いじゃない。だけど、籠の中に閉じ込め続けて、布を被せて外を見せないのは、違うだろう」
それでは、人の両手両足を縛って、部屋に監禁しながら『守っています』と言っているのと何一つ変わらない。
ただ守る事だけが人の為になるわけじゃあないのだ。
「俺はお前が成長できるようにしなきゃいけない。何故ならお前は、王女だから」
矛盾している。レインはそう言いたかった。
アーヴェはアイリスに子供らしくいて欲しいと言っていた。ワガママを言って欲しいと、甘えて欲しいと。守りたい、と。
でも、レインの貴族としての立場が、その言葉を封じ込めた。
王族として、貴族として。相応の特権を甘受しているのなら、相応の責務があるはずだから。
「日常で、私的な状況でなら、俺はお前を子供として扱う。だが非日常で公的な状況なら、俺は一切お前を甘やかすつもりはない」
それを宣言した上で、もう一度問おう。
「お前はまだ、ここにいるのか?」
アーヴェの言葉を受け止めたアイリスが、一度眼を閉じる。ここを出て何を見るのか。何を聞くのか。
……人の、モンスターの死だ。
……彼等が今際に放つ、断末魔だ。
そして、それが己や、己の近くにいる誰かの者でないという保証はない。
「……行きます。戦場へ」
そこまで理解してなお、アイリスは言った。
リスクはある。だが、それ以上のメリットがあるとわかっていた。
最前線へ行ってしまった国王と、王太子。散発的に襲い来る魔王軍。それを不安視している王都の民。自身の立場。
そして現在と、将来の状況。
「今はまだ安全です。ですが、将来本当にこの王都を置いて逃げない保証はない。そしてそんな状況に陥ってから私が戦線に立っても、兵や冒険者を鼓舞できるとは思えません」
少なくとも一度逃げた王族に対し、兵はともかく冒険者が付いてくるとは考えにくい。理屈がわかっても感情がついてこないだろう。
王族に忠誠を誓う騎士達とは違うのだ、彼等は。
「ですが、私が今から戦場へ立っている姿を見せれば、話は変わるでしょう」
幼いながらも立場から逃げない王女。戦えない、逃げるだけのハリボテ、そのレッテルが貼られる事は避けられる。
同時に民達に、国王は居らずとも王族はここにいると知らしめる事ができる。国王不在という状況を晴らす一手になるだろう。
「終わったと一度でも判断した人は、脆い。……逆に言えば、まだ『次がある』と思えたら、人はそれに後を託せる」
その次を担うのが、アイリスなら。
「私は、今逃げることは許されない」
眼を開けたアイリスが、アーヴェの顔を見た。そこに宿っているのは、期待と喜び。
「何故なら、私にはあなたがいるから。私の剣。私を守り、私の敵を打ち払う剣」
少なくともクレアとレインしかいない状況でなら、アイリスが戦場へ出ることなど無かっただろう。だが今は、彼がいる。
アイリスを支えてくれる、最強の剣が。
「あなたは、魔王さえも倒せる『剣』なのでしょう? たかが魔王軍の尖兵、当たり前のように薙ぎ払えますよね」
じっと、アーヴェを見つめる。嘘は許さない、と。
「ああ。……当たり前だ、俺は最強だからな」
アーヴェが不敵に笑う。そこに嘘は見えず、だからアイリスは、それを信じた。そしてアーヴェから視線を外すと、傍にいるレインへ。
「レインは、反対しますか?」
「ここで反対したら、私はアイリス様を閉じ込める悪い魔法使いになるでしょうに。……どこにいたって変わりません。私レインは、全力を持ってアイリス様を守りますとも」
事実上の許可に、アイリスははにかんだ。それをすぐに引き締めると、二人に対し初めて、王女として『命令』を下した。
「私を戦場へ連れなさい。そして、私を全力で守りなさい」
「「Yes,your highness!」」
アーヴェは拳を、レインは手のひらを胸に当て、片膝を着く。それはアイリスを庇護対象としてではなく、主として守る事の証左だった。
けれどそれも一瞬で、三人はすぐに表情を緩めてしまう。
何となく合わないな、と思ってしまったのだ。
「ではそろそろ行きましょう。クレアが『私を仲間外れにするとは何事だ~』と怒ってしまいますから」
おどけていうレインに、アイリスもその姿が想像できたのか、クスリと笑ってしまった。口元を手で押さえて小さく笑うアイリスに、アーヴェも笑みを浮かべた。
「なら、急いで向かうとしよう。アイリスはこのローブを被ってくれ」
と、アイリスの全身を隠せるだけのローブをどこからか取り出すと、着せる。何故そんな物を着せるのか不思議だったが、素直に着たアイリス。
「……何故でしょう。嫌な予感がします」
逆にアーヴェから一歩下がったのがレインだった。それに勘がいいと思ったアーヴェだが、既に遅い。
「んじゃ、しっかり捕まって。あと口は閉じたほうがいいぞ。舌噛むから」
「「……え?」」
ひょいっと、アイリスとレインを脇に抱える。女性と少女とはいえ人を二人抱えながら歩いているというのに、アーヴェの動きには淀みがない。
そのままアーヴェは窓に近寄った。
「えっと、アーヴェ、さん? あの、素直に扉から行くというのは」
「アイリスを連れて行く時点で止められるのは目に見えているから却下」
「……口を閉じろ、というのは」
「飛び降りて悲鳴をあげていると、着地した時噛み千切るかもしれないから?」
質問に答えている間に、アーヴェは既に窓枠に足をかけていた。顔が青くなるアイリスとレインの二人は、噛み千切るという言葉に全てを諦め、口を閉ざす。
「この高さなら城壁に乗って行けるだろ。後はまぁ、屋根伝いかな。『――』」
ポツリと小さく呟いて、アーヴェが跳んだ。恐らく何かのスキルで跳躍をブーストしたのだろうが、緊張で頭が真っ白になっていた二人はそれを聞き逃してしまう。
「「~~~~~~~~~~ッ!??」」
落下に伴い、風が顔面に叩きつけられ、フードの中で髪が舞う。それでも暴れず、また叫びもしなかったのは、そうすれば後で自分が地獄を見るとわかっていたからだ。
後で絶対アーヴェに文句を言う、と心に誓いながら、二人は早く終われと願いつつ、アーヴェにしがみつくしかなかった。
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6話
アーヴェに抱えられての移動は、思いの外不快ではなかった。
もちろん快適とは程遠いが、ほとんど揺れを感じなかったし、押さえつけられているお腹周りも痛みを覚えない。驚く程に慣れている。
城から飛び出し、街の外壁へ向けて屋根伝いに移動しているアーヴェ。どうやら下にいる人に見られないよう、多少遠回りする事を選んだらしい。
そんな彼を見上げて、レインは聞いた。
「何故、ここまで手馴れているのですか?」
確かに、傍から見れば、誘拐しているようにしか見えないこの状況。手馴れている、とは言い換えれば誰かを攫うのに慣れていると考えられた。
まぁ、アーヴェがそんな事をするはずがない、という程度には、信頼しているが。それでも気になった。
「うーん、昔は仲間を運ぶ機会が多かったからな」
「……? その人はそんなに体力が無かったのですか?」
「いや、単純に相手の攻撃を躱すためだ」
昔、まだアーヴェが生きていた時代。
当時はドラゴンが当たり前のようにそこら中にいた。そのドラゴンに対抗するためにモンスター達は今より余程凶悪な強さを持ち、そのモンスターから逃げるために、戦闘を好まないモンスターや植物は、逃走や特異な能力に秀でていた。
それには人間も含まれる。総数では現代には遠く及ばないが、質という点では今より余程優れていたのだ。と、いうより、優れていなければとっくに全滅していた。
「
その言葉に、聞いていた二人は開いた口が塞がらない。
ドラゴンといえば、まさにモンスターの頂点といえる存在。それを倒せば英雄と呼ばれてもおかしくない現代で、ドラゴンを狩れてやっと一人前なんて考えられない。
「秘境だけにドラゴンがいた訳じゃないし、住処から飛んできたドラゴンのブレスに襲われて村を全滅させられるのを考えればな。たかが一体狩れる程度じゃ誇れなかった」
そもそもドラゴンだけが襲ってくる訳じゃない。ドラゴンに対抗できるモンスターは何体だって存在した。
「実際、今でもドラゴンに近い、あるいは上回るモンスターは残ってるだろう? アレはかつての名残だ」
……話が逸れた。
「とにかく、あの当時の敵はそれぞれ凶悪な性能をしていた。当然、攻撃だって相応にヤバいものばかりだ」
攻撃範囲や、攻撃した後に残る付加効果。単純に速度に優れていて回避が難しいものと、本当に千差万別。
「前衛として戦う俺やアイツはまだ良い。高速戦闘ができるように動体視力とか、反射神経はかなり鍛えていたからな」
問題は後衛。『アークウィザード』や『アークプリースト』の二人だった。
『アークウィザード』の彼女は、とにかく火力が高かった。その有り余る魔力を存分に使って放たれた『上級魔法』は、ドラゴンの鱗を吹き飛ばすほど。
ただ一方で高すぎる火力で味方を巻き込みかねないというリスクもあった。そのため彼女には味方を巻き込まない、そして最大限相手にダメージを与えるために集中しなければいけなかった。
『アークプリースト』の方はその必要は無かったが、単純に身体能力が不足していた。
その上で味方が少しでもダメージを負わないよう、支援魔法と回復魔法を途切れないようにしていたので自分に気を回す余裕がなかった。
「敵の攻撃を回避する時、連戦する余裕が無い時とか、こうして抱えて逃げるしかなかったって事だよ」
おんぶやら何やらをしている暇さえ惜しい。片手は空けておきたいので、お姫様抱っこも論外だった。……時には米俵を持つように逃げた時もあったくらいだ。文句は言われまくったが。
「ドラゴンを倒すので一人前、ですか。アーヴェさんが最強と言い切ったのも、納得です」
話の一端を聞いただけで、当時を知らないレインでさえその凄まじさがわかる。
初代勇者の親友である彼も、ドラゴンを狩れるのだろう。それも、一体や二体ではない、それ以上の数を。
アイリスも話を聞いていて気になったようだ。
彼女は城から出れないためか、冒険者が経験してきた冒険譚を好むところがあった。アーヴェの生前の話を聞きたいと思ったのだろう。
「最終的にドラゴンだけじゃなくて、高位の悪魔や邪神と呼ばれていた神様とも戦ったしな」
……最後に飛び出てきた言葉は、想定外でしかなかったが。
二人は聞きたくてしょうがなかったが、アーヴェは既に外壁を目前としていた。口を閉じないと噛むぞと忠告すれば慌てて口を閉じる。
なるべく高い屋根の上に飛び移り、一気に跳びはねる。壁に足をかけて、更に上へ。そして外壁の上に乗ると、人が集まっている方向へ駆け出した。
三人が部屋を出てからここに着くまで十分とかかっていない。アイリスが決断を下す時間を含めても二十分あるかないか。
だが、そのたった二十分で、その人の群れは展開されていた。
「……なるほど、慣れもあるが士気が高いのか」
中には怯えを見せる者もいたが、全体的に見れば十分な士気を保っている。信頼はできないが信用はできるほどだ。
「レイン、アイリス。クレアは見えるか?」
「私には、わかりません」
「んー、多分あの騎士達が集まってるところではないでしょうか」
アイリスは意気消沈、レインは自信無さげに言う。二人はクレアの居場所を探すために下ろされていたため、もう一度抱え直した。
人に見つからないよう注意しつつ駆け下りる。幸いクレアは外壁に近いところを指揮拠点にしていたようで、何人かには見つかったが、アーヴェがフードを下ろしていたため、呼び止められる事はなかった。
……視線は両脇に向けられていたが。
視線を感じる二人はフードの下で顔を伏せ、一方で目線を上に向けてアーヴェを睨む。
そう、気付いたのだ、二人は。
――ここまで来たら運ばれる意味はない、と。
かといって暴れれば騒ぎになるのが目に見えているので、アーヴェの脇腹を揃って抓り、手振りで下ろせと指示する。
意外にも素直に従ったアーヴェが二人を下ろす。
「何故、外壁を降りた時にこうしてくれなかったのですか?」
若干怒気を混じえてアイリスが詰問する。ただ聞かれたアーヴェは特に気にした様子も見せずに言った。
「言っただろう? 公的な立場のアイリスは甘やかさないと」
要するに、自分で考えて気付け、と言っているのだ。
「命が関わるなら俺がいくらでも出しゃばるが、そうでないなら基本的に俺はお前の指示が無ければ動かない。……サーヴァントだからな」
自分自身の意思を強く持ち、勝手に行動するから忘れがちだが、そもそもアーヴェはアイリスの使い魔、アイリスの
彼女が上手く指示を出して操作するべきものなのだ。
「俺がお前に色々問いかけているのは、前契約者、国王の『命令』だからだ。俺がお前に言われる前に守ると決めたのは、そう言われたからだ」
もちろん、言われずとも守る気はあったが、サーヴァントである以上、もし国王から『守るな』と言われれば、それに従っていただろう。サーヴァントとはそういうものだ。
「俺を通して、人の使い方を覚えろ。『誰かに気を遣われる』のが当たり前なんて、ただの子供ならともかくお前には通用しない」
酷な言い方だが、そういうものだ。
アイリスが従者や騎士達に守られているのは、身内、家族に近いからだ。だが本来彼女の立場は王族、貴族を纏める者。
「貴族の中には王族に従う事をよしとしない者も多い。表面上気遣っても、内心では侮っている者もな。そんな相手に指示を出さずに自分にとって最良の行為を望むのは、愚かな考えだ」
「……アーヴェ、少し言い過ぎでは?」
窘めるレインだが、決して否定はしなかった。実際、次期当主となるクレアは、女だからという理由で侮られる事が多い。決して直接言う事はないが、関節的に揶揄される事は多かった。
アイリスも、将来的には似たような立場となるだろう。
レインも一人娘で次期当主だが、クレアよりはマシな立場のため、あまり強くは言えない。言えないが、まだ十二の少女に自覚させる事ではない。
だが、気遣うレインもまた気付いていなかった。
そう言っているレインでさえ、アイリスを侮っているという事を。
「……私はどこかで、甘えていたのかもしれませんね」
ポツリと呟いたアイリスの顔に、決意が漲っていたのを。
「アーヴェ・ルシア。いいえ、アヴェンジャー。あなたは私の使い魔、私の剣。そこに、相違はありませんよね?」
「ああ。ちょっと口煩いけどな」
アイリスは、きちんと理解していた。こうして公に出たというのに、まだ私的な場所にいると、アーヴェに甘えている子供の自分がいたから、こうして説教をされたのだと。
だから、一時それを覆い隠す。
「であれば、命令です。……あなたが思う『最良』の行動をしなさい。先程城壁を降りてからの行動は、無駄でしょう。特に両手が塞がっていたのでは、剣も抜けませんでしたからね」
「……わかった。次からはそうしよう」
アイリスの『命令』に、アーヴェ……アヴェンジャーが笑う。そこまで考えられたのなら上出来だというように。
そんな彼を見つつ、アイリスはレインに視線をズラす。
「レインも、気遣ってくれるのは嬉しく思います。ですが、それでは私も成長できません。むしろ指摘してくれた方が、ありがたいです」
「……わかりました。アイリス様の教師として、拙いところは訂正させていただきますね」
それに頷くと、アイリスは二人を伴ってクレアがいるだろう場所に移動する。
形が変わったのとアイリスの背丈、アーヴェが従っているように見えることから、先頭に立つ者を見抜いて驚く者もいた。その度にアーヴェが目線で留めていたのだが、二人が気付くことは無かった。
やがて細かく指示を出している者の姿が見えた。後ろ姿だけでもわかる、クレアだ。彼女はしばらく気付かなかったが、指示を出している者が返答しなかった事で異変に気付く。
その視線を追って振り向くと、先程別れたばかりのアーヴェ、そして先頭に立つ、小さな、しかし見覚えのある大きさの人間。アーヴェの横にいる、一回り小さい人間。
即座に理解し、騎士達に待っていろと指示を出す。
「何故、お前がここにいる!? レイン、どうして止めなかった!?」
アイリスの名は敢えて出さず、恐らく煽ったのだろうアーヴェと、止める立場にいるはずのレインを怒鳴る。
「私が頼みました。ここに連れてきて欲しいと」
だが、答えたのは、聞かなかったはずの少女から。絶対にここに来て欲しくなかった、守りたいはずの者からだった。
「……どうして、アイリス様が」
信じたくはなかったが、やはりアイリスだった。それに顔を顰めつつ、理由を問う。
「アーヴェ様に言われたのと、私自身が決意したからです」
籠の鳥でいたくない、と。傷つく可能性を考慮に入れても、外を見たいと。
「国王陛下と王太子殿下が戦場にいるというのに、私が城で平穏に暮らす訳にはいきません。戦うことはできませんが、見守ることくらいは、させてください」
それが、王族の特権を甘受したものの責務なのだから。
そう言われれば、そもそもアイリスの部下、臣下であるクレアには、逆らえない。実際、アイリスが姿を見せれば、無様な姿は見せられないと騎士が奮起するのは確実だからだ。
それに、とアーヴェを見る。
「……余計な事を口走ったのなら、責任は取れるんだろうな?」
「取れるから、ここにいるのさ」
何も恐れることはないと言いたげに、獰猛に笑う。それに仕方がないな、とクレアは肩を落として認めた。
いいや、聞く前から認めていた。
ほんの数十分で、アイリスの覇気……王の器、その片鱗が垣間見えるようになっていたから。アーヴェが何を言ったのかは知らないが、アイリスの成長に大分役立ったらしい。
――籠の鳥か。
傷つかないように守る事だけが全てではない。飛び立つ鳥を見守るのもまた、大人としての責務だ。そういう意味では、クレアはまだまだ子供だった。
ジッとアーヴェを見る。先程の笑みは既に無く、どうしたと首を傾げていた。
――数百年を生きた人間か。……なるほど、な。
代々の王の契約者。
言い換えれば、彼はある意味
もしかしたら、彼こそがアイリスを王へ導く者なのかもしれない。……そう思いもしたが、ジャディス殿下がいる時点でそれはありえない、と切り捨てた。
「アイリス様を、頼むぞ」
複雑な想いを乗せて、クレアはそう言って頭を下げた。
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7話
クレアが頭を下げた瞬間、周囲がいきなりざわつき始めた。その事をクレアは、私が頭を下げるのはそんなに意外なのか、と遺憾に思ったが、すぐに違うと気付く。
彼等は誰もクレアを見ていない。
見ていたのは、突如現れた、魔王軍だった。
「な、何故奴らが!? 斥候はどうなったんだ!」
魔王軍が王都に接近していたのは、所々にある砦からの伝令、またある程度接近してからは斥候を担う者達を放って、その位置を常に把握していた。
当たり前だ、そうでなくては王都がいつ襲われるのかわからない。こうして人を集めて門前に展開させているのだって、相応の負担がかかるのだ。工夫しなくてはこちらが保たない。
「まさか、斥候部隊が裏切ったのか……?」
最も単純な答えに、ありえないとは思いつつ呟く。どちらかというと、伝令役の人間を殺してそれに姿を変え、嘘の情報を流したと言われた方がまだ納得できた。
だが斥候に任じられた人間は相応の実力者だ。いざとなれば魔王軍に見つかっても逃げられる者を選んでいる。
では、何故奴らがもう目の前にいるのか。
「いや、考えている暇はない。とにかく迎撃体勢を整えなければ」
「クレア、少し下がれ」
「アーヴェ、お前の相手をしている暇は」
言い切る前に、アーヴェは動いていた。クレアが動かないと見るや一瞬で近づき、押し退けるように彼女の肩を押して無理矢理後ろに下がらせたのだ。
受身を取る準備もできなかったクレアは、たたらを踏みつつ尻餅をついた。臀部に走る微かな痛みに顔を顰め、アーヴェを睨み。
――
それは『上級魔法』の『インフェルノ』だった。レインを始め宮廷魔法士団の魔法を見た事があるクレアにはすぐにわかった。
威力もかなり高い。少なくともクレアが防御すらできずに受ければ、即座に消し炭になっていただろうくらいには。
それが今、クレアを下がらせたアーヴェに当たりかけている。
「ど――」
どうして庇った、という言葉が出てこない。返事を聞く前に、アーヴェが死ぬと、直感的に理解したから。
横目でアイリスが飛び出そうとしたのを必死に押さえ込むレインが見えた。だが、いくらレインの方が大人であっても、所詮は魔法職。王族であり、ステータスが高いアイリスが本気で足掻けば引き摺られてしまう。
だが、やはり。間に合わない。
そうして、見ているしかない彼女達の前で。
――アーヴェは、『インフェルノ』を
見ていた全員――騎士や、いきなり出た炎に驚いた冒険者も――固まった。残心の姿勢を取るアーヴェを見て、その手に持つ剣を見る。
ただの、剣だ。少なくとも名剣ではあるのだろうが、魔力は感じない。魔道具や、あるいは王家に伝わる神器ではないのだろう。
何の効果もない剣で、『上級魔法』を斬ったのだ、アーヴェは。
周囲が驚いている間に、アーヴェは駆け出す。向かったのは『インフェルノ』が飛んできた方向で、そこにいた何かを横薙ぎに斬った。
『隠密』か、それに準じたスキルで隠れていたのだろう。死んでスキルの効果が消え、表れたモンスターの姿に場が騒然となる。
「悪いな、クレア。怪我はないか?」
「あ、ああ……お前が、庇ってくれたからな」
衝撃的な光景を目撃したが、助けてもらったのは事実。内心の疑問を押し殺し、何とかお礼を言うことができた。
差し伸べられた手を掴み、起き上がる。アーヴェは気にするなと言いたげに首を横に振ると、アイリスの傍へ戻ろうとした。
だが、その前に近づいてきたアイリスが、気になったことを聞いてきた。
「どうして、アーヴェ様はクレアが攻撃された事に気付いたのですか?」
それはクレアやレインも気になったところだ。クレアは考え事をしていたのもあるが、それでも当たる寸前まで気付かなかった。
「相手の移動方法を考えたら、そうしてくるかなとは思っていただけだ」
「移動方法?」
先程までクレアが考えていた事だろう。どうやって魔王軍はこんな近距離まで、誰にも気付かれずに接近できたのか。
「案自体はそう多くない。斥候の裏切り。伝令の嘘。『テレポート』による転移。……後は、見えないところから移動してきた、くらいだ」
最後のにだけは疑問が浮かんだが、アーヴェが目線で制してきたので黙って聞く。
「斥候の裏切りは考えにくい。一人二人ならともかく、部隊運用してたんだろう? 毒を盛って全員殺したとも考えられるが、毒に耐性を持つ人間もいる。ありえないな」
伝令の嘘も考えにくい。伝令とは、重要な情報を伝えるよう命じられたから伝令となるのだ。弱い人間や信用のおけない人間は使えない。
『テレポート』も、一度に移動できるのは使用者含めて三人まで。その上消費魔力も相応に高いのでこれも無し。
「……では、最後の案が妥当だと? だが、どうやって? 『隠密』や『隠蔽』スキルでは限度があるぞ」
「スキルを使った、なんて俺は一言も言ってないぞ」
言いつつ、アーヴェは片足を上げて、つま先で地面を何度か小突いた。
「地面の下、だよ」
「……ハァ!?」
要するに、地面を掘り進めてきた、と言いたいのだ。
「そう驚くことでもないだろう。魔王軍の編成を見ればわかる。大型がいない。いても上空を飛んでる飛行型モンスターだけだ」
言われて冷静に観察すれば、今も軍の形を保ちつつ近づいてくる魔王軍は、総じて小さい。一番大きくて精々大人の倍程度の身長か。
「モンスターは人より多種多様で、能力も多岐に渡る。ある程度限定すれば、地面を掘り固めて進む事も不可能じゃない」
「だが、どうやって斥候を騙す? 地面に潜れば、即座に伝令で伝わるぞ」
そう、そもそもそこを伝えられたら終わりだ。
「一旦別れればいい。部隊をいくつかに分けて、斥候を引き付ける。斥候がついてこない部隊は地面の下に潜ってそのまま移動。小分けに移動すれば、伝令を放ってももう遅い、なんて状況も作れなくはない」
アーヴェ曰く、斥候の動きを観察されていたのだろうとのこと。部隊の人数や動きの癖を見分ければ、出し抜く方法は簡単にわかる。
クレアを狙ったのもそこだ。指揮官を狙うのは戦の常套。敢えて魔王軍が姿を現したのは、姿を隠し接近する暗殺者の陽動役になるためだろう。
「ま、合ってるかどうかは知らないが。この侵攻を止めてから、王都周辺の地面を調べれば答え合わせができるけど」
こちらも準備を整えていたとは言え、浮き足立っているのに変わりない。クレアが死ななかった事で混乱は収まりつつあるが、限度があった。
後もう少し近づけば、弓矢や魔法など遠距離攻撃の射程内に入る。泥沼の殺し合いになるか、とアーヴェは予想した。
その事を、誰もが――戦を知らないアイリスでさえ、予期していた。
「……アーヴェ、お前なら、ここからどう挽回する?」
クレアが、懇願するかのような声音で聞いてくる。役に立たないからと、黙って聞いていた二人も、目線で問いかけていた。
――どうすれば、追い詰められたこの状況を変えられるのかと。
アーヴェは、一つ息を吐き出した。
「……誰かがカリスマ性を発揮して人を纏めること。あるいは、時間を稼ぐこと」
目的は単純。バラバラになっている意思を一つにするため。
動揺し、恐怖していても、高いカリスマがあれば、それを押し殺せる。この状況でも、己を取り戻させられるだろうが、そんな人間はいない。
であれば、後者しかできない。
「魔王軍が接近するのを抑えて、その間に急いで戦闘準備を整える。それだけしかできない」
できる事が限られすぎている。この盤面を作られた時点で、こちらは詰み一歩手前だ。相手が上手かったとしか言い様がなかった。
「それができれば、苦労はしない。今回の戦いには、最近有名になりつつある『魔剣使い』殿がいるらしいが」
ドラゴンをも倒したと噂されている『勇者候補』の『魔剣使い』でも、あの大群相手では抑えきれないだろう。
いや、そもそも相手は一人を殺すのに集中する意味はない。そのまま数と心の優位のままに、ただ押し潰しに来ればいいのだから。
クレアは自分の言葉を取り消すように首を振った。
――だが、アイリスは違った。
「……アーヴェ様なら、できますか?」
あらゆる知識を、本やレインの教育、冒険者の冒険譚を聞いてきたアイリスだけは、それができるかもしれない相手を理解していた。
己の、サーヴァント。
最強の剣と自身を評した、アヴェンジャーを。
「魔王軍を食い止め、少しでも時間を稼ぐことが。……可能ですか?」
『魔法を斬る』なんて事をやってのけた人間を、アイリスは知らない。だから、アイリスは気付けば聞いていた。
「……。戦うだけなら、できる」
アヴェンジャーは一拍の間を待ってから、そう答えた。だが、すぐに続ける。
「でも無理だ。奴らは俺だけを殺そうとする必要はない。門をこじ開けて、中にいる人間を惨殺すれば勝利なんだ。大半は無視する」
「で、あれば。
その言葉に、クレアとレインが驚いたようにアイリスを見た。そうアイリスが言い切るのなら、既に案があるのかと。
アヴェンジャーが続きを促すと、アイリスは心苦しそうに胸を手に当てる。
「……アーヴェ様は、表舞台に立つつもりは無いと、前に言っていましたね?」
「ああ、そうだな」
自分は既に死んだ身だから、と。
数百年のほとんどを霊体で過ごし、記録にも残さないように振舞っていた。今も、アイリス達と接するようになったとはいえ、名と姿が知れ渡っている訳ではない。
誰の目にも、記憶にも。記録にさえ、残らなくていい。
そう決意した相手の心を、踏み躙らなければならない事が、苦しかった。
「それを曲げて、くれませんか? ……
『アイリスの剣』、その言葉はとても重い。
王都に残った最後の王族。彼女の振るう剣となるという事は、彼女の背にある重みを、共に背負うということ。
逃げることは許されない。
隠れることも許されない。
死ぬことさえ、許されることはない。
何故なら、彼を剣として振るうという事は、彼が折れた瞬間、アイリスが折れたと同義。だがだからこそ、アヴェンジャーを無視することはできない。
――彼を
完全なるチェック・メイト。
全てを理解しているアイリスは、同じく全てを理解しているアヴェンジャーに、もう一度だけ言った。
「私のために。彼等のために。あなたの命を、私に捧げて下さい。あなたの全てを、敵を払う事に使って下さい」
傲慢だ、とアイリスは思った。アイリスは命令を下すだけ、苦労するのは彼なのに。この言葉は懇願ではなく、命令だった。
「……アイリス」
だと、いうのに。
「俺はもう言ったはずだ。『俺はお前の剣』だと。お前が『私の剣』と、言った時に」
彼は、眩しいものを見るように眼を細めて、嬉しそうに笑っていた。
「お前がそうしろと言うのなら、俺の全てを賭けて止めてみせる」
だから、
「お前はただ、全員に。敵にも味方にも伝えてくれ。――お前が俺を、どう思っているのかを」
そうすれば、後は戦い抜くのみ。
「命令を。アイリス」
「……私の敵を。殺しなさい。アヴェンジャー」
まるで、今から己が誰かを殺すかのような顔で、アイリスは言った。アヴェンジャーは、無理するなとアイリスの頭を軽く撫でて、一番前へと走っていく。
その背を見守る事さえ許されないとばかりに、アイリスはクレアとレインに顔を向ける。
「二人共、拡声器の用意を。私の言葉を、王都の住民を含めた全員に届けます」
「「ハッ!!」」
戦闘開始しようと思っていましたができませんでした。色々描きたいシーンが多くてどうにも冗長になるのは私のクセですね。
それと今更ですが感想と評価ありがとうございます。評価が9と1でこれまた正反対だなと苦笑しつつ続き書いてます。
ではまた次回で。
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8話
全てが順調だった。
これまでの侵攻の間に少しずつ、少しずつ穴を掘り進めていくためのモンスターを潜伏させ、長い時間をかけてここまで来た。知恵はあれど力は無く、少数の部隊を纏める程度でしかなかった自分が今、魔王陛下から作戦を認められ、一軍の指揮官となっている。
それでも慎重に慎重を重ねた。此度の作戦を失敗すれば、後がない。だからこれまでに知った相手の斥候部隊の動きを見抜き、出し抜いて、軍の大半が展開されている。
隠密に秀でた暗殺者を、相手の軍の指揮官である女にも放った。これで奴らは右往左往しているはず、後は軍を崩さぬように移動させて、最後の反撃である弓矢や魔法による被害を減らしつつ突撃させる。
これで完全な勝利。
想定通りなら王都を陥落させても、一割から二割の被害で済むはずだ。むしろ、これ以下の被害で済ませようとすればこちらが負けるかもしれない。
惜しんでは行けないところでは出し惜しみしない。それはかつて教わった重要な事だ。魔王陛下からも許可が出ている。
内心では心臓を荒れ狂わせつつ、外では冷静さを装って。
目前の勝利という果実を、もぎ取ろうとして。
――横から、その手を引っぱたかれた。
いつの間にか、相手側から一人の人間が現れていた。恐怖に駆られた馬鹿か、と思いつつ、適当に焼いてやれと指示を出す。複数のモンスターで一斉にやれば、避ける余裕も無く死ぬだろう。
それが奴らの末路だと、相手の恐怖を煽ることもできる。馬鹿様々と嘲笑い、相手の悲鳴を期待して。
それを凍らせられた。
放たれた魔法が、当たらない物を除いて全て斬られていた。
そんな曲芸ができる存在を、誰も知らない。魔王軍幹部の中でも剣を好んで使う、デュラハンのベルティアでさえ、不可能だろう。
誰もが――特に魔法を放ったモンスターが――言葉を失っていると、大きなノイズが響き渡ってきた。
『この声が届く、全ての者に告げます』
女、否少女の声。それがどこから発生しているのかと眼を張り巡らせると、すぐに見つかった。
『私の名はベルゼルグ・スタイリッシュ・ソード・アイリス。この国の第一王女です』
その宣言と共に、黒いローブを脱ぎ捨てて、豪奢なドレスと、それを身に纏う、黄金の少女の姿が現れた。
一瞬偽物かと思った。当然だろう、こんな、今から戦場になる地に、どうして王女が来るというのか。
だがその予想に反し、王女の横には魔王軍を退け続けた指揮官が、侍るようにして立っていた。つまり、本物。
――いや待て、そもそもどうして奴は死んでいない?
暗殺者を放ったはずだ。『インフェルノ』の炎も見えた。直撃していなければおかしいとまで考え、戦場の真ん中に立つ人間を見直す。
――まさか。
そう思いつつ、周囲のモンスターに指示を出す。小声で、少しずつその考えを浸透させていく。
『単刀直入に言います。――私達は、今、負けかけている』
事実を告げるような、淡々とした声音。能面のような無表情から放たれたその言葉を理解するのに、奴らは少しの時間を要した。
そして、その時間の間に、準備は終わる。
『ですが――。ッ!?』
何かを続けようとした王女の言葉が、驚きで止まる。大人数の魔力の高まりと共に、膨大な数の魔法が、少女へ向けて殺到したからだ。
躱せない。躱せるはずがない。前後上下左右、どこへ逃げても当たるように、分散させて撃たせたのだから。
何を言おうとしたのかは知らないが、手間を取らせないでくれてありがとう、と内心で嘲って。
それすらも、また凍らせられる。
「な……に……」
王女を守るように、黒ローブの人間が動き出す。一歩で魔法の群れへと突撃すると、一つ一つを斬りながら移動する。そのまま前を向きながら後退し、王女へ当たる物の大部分を消滅させた。
残った魔法すらも、王女の横に立っていたもう一人の女と、それに追従した奴らが唱えた魔法によってかき消される。
それを見る事なく、最初に立っていた場所に戻っていた奴は、剣を地面に突き刺し、柄頭に両手を置いた。
『ですが、臆することはありません!』
先程の、王女の言葉が続く。
『彼は私の剣。私と、私の守りたい者を守る、最強の剣』
それを、誰も否定できない。見てしまったからだ、あの魔法の大群を斬り払った、圧倒的な姿を。
名乗りを上げたバカな小娘を屠ろうとしたのを、逆に相手のパフォーマンスに利用されてしまった。
『彼がいる限り、私の
王女が、マイクを持たない方の手を拳にして、上へ掲げる。
『負けることはありえない! さあ、各々の武器を手に! 戦いなさい!』
言葉と共に、拳が振り下ろされる。同時、爆発的な歓声が辺りに響いた。敗北に呑まれかけていた奴らが、気勢を上げている。
逆にこちらはその勢いに圧されていた。このままでは負けてしまう。
――相手は勢いがあるだけだ! 武装の準備だってまともに終わっちゃいねぇ!
それを理解している。理解できている。だが、その事をわかっているのは、たった一体のモンスターだけだった。
今ここで、全員に指示を出さなければいけない。
「クソッ、落ち着けお前ら! あんな剣無視して突っ込め! 奴がどれだけ強かろうが相手にできる数には――……あ?」
――限度がある、そのまま門に走れば勝ちだ。
そこまで言えれば、まだ勝ちの目があった。けれど言えなかった。
「腕が……俺の、腕がアアアアアァァァァッ!??」
右腕の出血を抑えるために、左手を押し付ける。周りの声が聞こえなくなり、この痛みから逃れようとしていた時だ。
男なのか、女なのか、よくわからない声が、囁かれた。
『わざわざ声を上げてくれて助かったよ。お陰で狙いやすかった、負け犬さん?』
嘲りの声だった。
『数年かけた計画を引っ繰り返して悪かったね。ま、運が悪かったと思ってくれ』
哀れみの声だった。
『逃げるなら追わないぜ? どうせお前は俺に勝てない。一生負け続けるんだし』
「……ねぇ」
よぅくわかった。この、耳元で囁かれる声の主が。
「ふざけんじゃ、ねぇ!」
残った手を、血塗れの指で、奴を示す。
「アイツを殺せェ! アイツが死ねば、王女の意思が折れんだろ!? 所詮テメェの
――仕留め損ねた。
相手の指揮官がかなり優秀なのはわかっていた。その上臆病で、警戒心が強い。正直厄介な手合いだ。
だからこそ、
――モンスターを何体も盾にしていたか。
物理攻撃に、あるいは魔法攻撃に強いモンスターをそれとなく前に配置していた。そのせいで射線が通るギリギリが、アレだった。
冷静になられる前に『囁いて』おいたから、何とか挑発できたが。アヴェンジャーに来るのはともかく、騎士や冒険者の方へ向かわれると限度がある。
後はどれだけ時間を稼ぎ、敵の数を減らせるかにかかっている。
剣を軽く横に振る。体調は万全。精神的にも充実している。戦うのは久しぶりのはずなのに、負ける気がしない。
理由なぞ、わかっているが。
フードを取った。そのままローブの中におさめていた髪を出す。
長い、長い髪だ。……生前、あの後から一度も切らずにいた髪は、地面に着くのではという長さにまで至った。
視線を強く感じる。女だと勘違いされていそうだ。一応、アイリスは『彼』と言い切っていたはずだが。
まあ、別にいい。よくある事だから。
「……負けられないな」
そんな些細なことより、重要な事があるのだから。
「お疲れ様でした、アイリス様」
そっと、寄り添うようにクレアが肩を支える。けれど、アイリスは緊張感を切らす事は無かった。
まだ、壇上にいる。皆に見られている。その意識が、アイリスの肩から力が抜けるのを抑えていた。
「いいえ、まだこれからです。私は見届ける義務がありますから」
ジッとアーヴェ、いやアヴェンジャーのいる方を見つめる。その横顔を、二人は心配そうに見ていた。
あの宣言の時、アイリスはとても怖かったはずだ。大多数から見つめられ、命を奪うような攻撃をされて。
声に震えが出ないように。緊張で強ばった顔を、歪ませないように。マイクを、手のひらを握り締めていたことを、知っている。
「……負けることは許されんぞ、アヴェンジャー」
アイリス様にここまでさせて負けましたは、決してさせない。
そう励ましていると、指揮官の声が聞こえた。それはこちらにとって最も嫌な手段のはずだったが、途中で痛みに途切れた。
その後すぐにアヴェンジャーを殺せという指示で、クレアは理解した。
「レイン、準備しろ」
「クレア?」
「何をしたのか知らんが、アヴェンジャーは相手の指揮官を挑発したらしい。いつでも動ける者を前に出して、あぶれたモンスターを殺すんだ」
少しでもアヴェンジャーの負担を減らすために。アイリスの傍を離れるのは業腹だったが、それで負けては意味がない。
それでは、と一礼して直ぐにその場を離れる。しかし、アイリスはその全てを半ば聞き流して、アヴェンジャーを見続けていた。
アイリスなら一瞬で呑み込まれる数のモンスターがアヴェンジャーに殺到する。けれど彼は手馴れたようにまず目前のモンスターを一閃。首を落とし、頭をボールのように扱って別のモンスターの顔にぶつける。
飛び散った血で眼を塞がれた上に、衝撃で混乱したモンスターの首をまた落とす。そこを横から棍棒を持ったモンスターが襲いかかる。
でも、遅い。余裕を持って、ギリギリ回避できる程度の動きで躱し、首には届かないからと両腕を斬る。
両腕を失った痛みで、そのモンスターは巨体を暴れさせた。その動きによって、小さなモンスターは踏み潰され、大きなモンスターは殴られた。
それら全てを無視し、アヴェンジャーはモンスターの腕を持つと、それを投擲した。筋肉質の腕は、それなりに重い。それをアヴェンジャーがぶん投げたせいで、殺傷力を持った鈍器となった。
クリーンヒットしたモンスターが鈍い音と共に倒れる。衝撃で凹んだ部分が、致命傷になったのが何なのかを悟らせる。
前へ、前へと進むアヴェンジャー。ほとんど足を止めることなく、四方八方を囲まれると知っていて、ただ進む。
神速で抜き放った斬撃が、巨体のモンスターの脳天から股座までを真っ二つにした。モンスターの血と内蔵が溢れ出る。
遠方から飛んできた魔法を、近くにいた小さなモンスターを掴んで放り投げて、肉盾にしてしまう。
慈悲はない。冷徹に、利用できる物を利用して戦い尽くしている。
……おおよそ、真っ当とは言い切れない戦い方だ。彼をアイリスの騎士と呼ぶ事ができないくらいに。
でも、それでいい。
彼は剣であって騎士ではないのだから。
アヴェンジャーが一体のモンスターを斬った瞬間、その体に潜んでいたもう一体、スライムが飛びかかる。
伸縮自在のスライムは、その気になればモンスターの体に張り付いて移動が――基本的にはそうする前に食べてしまうのだが――できる。
相手の指揮官の指示だろう。スライムは物理攻撃を無効化し、更に高い魔法耐性のせいでとんでもなく厄介なモンスターだ。それをあんな至近距離まで運ばれれば、勝ち目などあるわけがない。
なにせスライムは張り付かれたら負け、とまで言われているほど凶悪なのだから。
それを見ていた者がいたのだろう。周りが騒がしくなっている。けれど、アイリスは叫び出しそうになる己を、全霊で押さえ込んだ。
――アヴェンジャーを、信じています。
ただの押し付けとも取れる想いを、アヴェンジャーに向ける。
――だから、それに応えてください!
そして、その想いは叶えられた。
スライムを避けるでもなく、防御するでもなく。一歩前に出て、スライムの体に拳を叩き込んだ。
終わった、と誰もが思った。スライムに拳など効くはずがない。そのまま取り込まれて溶かされておしまいだ、と。
アイリスと、アヴェンジャー以外の全員が思ったそれは、しかし覆される。
拳を叩き込まれても平然とアヴェンジャーを取り込もうとしたスライムが、突如暴れ狂い、苦しそうに脈動し、弾けとんだ。
粘性のそれに巻き込まれまいと、アヴェンジャーが距離を取る。だが、人間側もモンスター側も、身動き出来なかった。
理解ができない。
けれど、一つだけ理解できた。
戦場のど真ん中で、剣を掲げている彼は。
「さあ。――次はどいつから死にたいんだ」
アイリスの宣言通り、『最強』なのだという事を。
休みが終わったので、投稿がまばらになります。投稿時間も変更するかもしれません。その辺は忙しさ次第なので、よろしくお願いします。
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9話
正直に言ってしまえば、アヴェンジャーから見るとこのモンスターの大群は脅威と言えるような規模ではなかった。
確かに数は多いが、一体一体の質が低すぎる。どうやら奥の手であるスライムを纏わせての特攻を凌いだ時に驚かれたが、動きを止めるほどなのかとさえ思う。
確かにスライムは物理攻撃が効かないし、魔法も初級や中級であればほぼ無効化する。だが弱点だってあるのだ。
流体であるスライムは、その流体を固体に近い段階まで維持するための核が存在する。人間でいう脳にあたるこれを破壊すれば、スライムはその体液を纏められず弾けて死ぬ。
だから、
生前でもスライムはその方法で殺せたため、雑魚扱いだった。山程まで大きくなると、爆裂魔法でも吹き飛ばしきれないため面倒だが、それでもやはり、多少面倒なだけの雑魚にすぎない。
そんな雑魚を殺してここまで驚くということは――やはり、質は下がる一方なのだろう。
人も――モンスターも。
余計な事を考えた、とアヴェンジャーは頭を振って思考を切り替える。無造作に飛んできた魔法を斬って捨て、その方向に視線を向ける。
その先には、恐怖心から杖の先端どころか体全体を震わせたモンスター。アヴェンジャーに見られた瞬間、尻餅をつき、四つん這いになって逃げようとしていた。
それを、近くにいたモンスターの首を掻っ切り、顔を掴んで投擲。殺しきれなかったが、杖を持つ手をへし折った。握力が無くなり、杖を落としたのが見える。
投擲姿勢から、ゆっくりと体勢を正す。だが、その間誰も襲いに来ない。どいつもこいつも足を震わせている。そして、その視線がアヴェンジャーの後ろ、もう少しで迎撃に出れそうな騎士や冒険者の方を向いていた。
――倒しきれないと判断して、無視しようとしているのか。
間違った判断じゃない。いや、個人でそう考えられるだけ上等だろう。こちらはされたくない事だが。
だから、今まさに一歩踏み出そうとしたモンスターを、見る事なく剣閃を飛ばして前面と背面で二つに分ける。
「俺の後ろを行っても別にいいけど」
言いながら、また別のモンスターを殺す。
「あっちには行かせたくないからさ」
ニッコリと、笑いながら。
「
アイリスには近寄らせない。それこそが一番確実な守り方だから。
「通りたければ俺を殺してからの方が安全だぜ?」
だから殺して見せろ、とアヴェンジャーは笑う。笑って、自分を殺すように仕向けさせる。
逃げる事は許されず、無視する事すら封じられたモンスターの感情が爆発する。それらは恐怖や怒り、動揺、憎しみ、様々な物を内包させていて。
その全てを、八つ当たりに近い形でアヴェンジャーに向けられた。
それを見ているしかないアイリス。まるで『クルセイダー』が『デコイ』を使ったかのような程の敵の集まり方に、先程までの戦いから大丈夫だと理解していても、怖いと思ってしまう。
「クレア、まだなのですか。まだ、騎士達は出せないのですか……!」
アイリスにはわからないが、元々騎士団とは、軍とは、一定の『戦力』を、一定の戦法で運用するからこそその能力を発揮する。
もちろん個々人でも強いが、やはり一つの纏まった形で使う方が強い。
だが今回の奇襲で、戦うための準備段階であったためにその強みを封じられている。乱戦になれば最早立て直しは効かず、損耗覚悟かという時の援軍がアヴェンジャーだった。
だから詳しいことはわからなくても、まだ助けに行けないことなどわかっている。
そこで、ふいにアイリスの知識が別の答えを見出した。
――騎士は、まだ戦えない……?
ならば、集団戦に寄らない、冒険者ならば。
そう思ってからは素早かった。
まだ手に持っていたマイクのスイッチを入れる。それから何度か先端を叩き、聞き慣れないノイズから、まだ機能があるとわかった。
そして口元にマイクを添えて、アイリスは叫ぶ。
『冒険者の皆さん!』
何事かと、呼ばれた冒険者も、そうでない騎士達も、アイリスを見やる。再度集まる視線に体を強ばらせながらも、アイリスは言い切った。
『準備ができた方から、彼と共にモンスターの掃討を! 騎士達はまだ準備がいるため、手は貸せませんが』
アイリスが何を言いたいのかわからない、騎士達の準備を待っていた冒険者達は困惑する。むざむざ死にたくない彼等は、武器を持ちつつもその場で待機していたのだ。
そんな彼等の存在を思い出したからこそ。
『――代わりに、モンスターの討伐数に応じて報酬を渡しましょう!』
彼らに最も効果的なモノを、アイリスは提示した。
『勿論、普段と同じではありません。最低でも倍額、最も活躍した方には三倍を約束します』
沈黙が、冒険者達の間に舞い降りる。それだけ意外だったのだ。花よ蝶よと育てられているだろう王女様から、そんな俗物的な言葉が出てきたのが。
だが、やがて脳が理解に達すると、仲間内で話を始める。
命か金か、と。
だが、その会話もすぐに終わった。
『ですから』
掠れて聞こえにくい声。
『彼だけを、戦わせないで下さい……!』
けれど、ありったけの想いが込められた声。
そこで皆が思い出した。アイリスは戦いなど見たことのない人間だということ。喧嘩すら満足にした事のない人間だということ。
まだ、幼い少女なのだということ。
今もなお戦う青年を、己の剣だと、私の意思だと、凛々しく言っていても。やはり身近な人を失う事を恐れる、子供なのだということを、思い出した。
「……仕方ねぇ、行くか」
金は欲しい。
命は惜しい。
だが、このまま指を咥えて見ていて、あの青年が死んだら、少女は泣くだろう。考えるまでもなく分かる事だ。
それは、些か以上に
そんな冒険者らしからぬ思考に皆が苦笑している中で、既に突出している者がいた。見るからに業物、魔剣だとわかるそれを構えて、アヴェンジャーのいるところへ突き進む。
「げっ、おいてめぇら置いていかれるぞ! 金持って行かれちまう!」
気恥ずかしさから本心は言わず、慌てた風を装って、しかし足取りは確かに駆け出す。久々の自分以外のための戦い、けれど案外悪くないな、なんて思いながら。
その言葉は、戦っていたアヴェンジャーにも届いていた。戦いつつも苦笑を浮かべたアヴェンジャーは、信じられてないって訳じゃないんだろうけど、と心中複雑だった。
覚悟を決めたと言いつつ、どこか甘さがある。それが人間味を思わせて、より惹きつけられる。だから本来、信じたのなら信じ抜けと怒るべきアヴェンジャーも苦笑いしか浮かべられない。
ハァ、と息を吐きつつ、小さく腕を動かして前傾姿勢で近づいてきたモンスターを斬り捨て、その勢いを乗せて後ろへステップ。そんな彼の背後を取ったモンスターが剣を振りかぶっていた。それに気付かぬように反応しないアヴェンジャーを殺せると、口元が喜悦に歪んだ。
「大丈夫ですか?」
それを、少年と青年の間にあるような声が遮った。若干息を荒げた彼は、危なかったですねと続ける。
「お前が来るのはわかっていた。反応する意味が無かっただけだ」
そんな相手を見る事なく、別のモンスターの首元に片足を捻じ込む。あまりにも勢いがあったのか、力技で首が半ばちぎれた。
あまりに酷い殺し方に、彼の口から引き攣った笑い声が漏れた。
「は、はは……そうですか。あ、そうだ。僕の名前はミツルギキョウヤ。あなたは?」
戦場にいながら自然体。優男然とした風貌だが、肝は据わっているらしい。会話しながらモンスターを屠る余裕もあるようだ。
その剣を、見やる。
「……なるほど、噂の『魔剣使い』とやらはお前か」
「えっと、その」
「どちらかというと『神器使い』の方が相応しい気がするけど。――それ、『神器』何だろう?」
アヴェンジャーの言葉に、ミツルギが一瞬固まった。
「何の、事でしょう?」
「嘘が下手過ぎる」
一言でバッサリと捨てる。そんなアヴェンジャーに、ミツルギは少しだけ視線を険しくした。それは警戒心が出てきた証拠だが、そもそも初対面なら最初から持っていてしかるべきだ。
……やはり、そういう物なのだろうか。
「アーヴェ・ルシアだ」
「え?」
「俺の名前だ。安心しろ、お前のそれが『神器』だろうとそうじゃなかろうと興味はない。見抜けたのは何度か『神器』に触れたことがあるからだしな」
その言葉に、ミツルギは微かに警戒心を和らげた。逆にアヴェンジャーの目元が険しくなり、だがそれを悟らせない。
口の中でため息を吐いて、一歩下がる。その一歩下がった分だけミツルギが前に出て、アヴェンジャーの代わりにモンスターを斬った。
「あの、今のは?」
「俺はこれ以上モンスターを倒す必要性がない。経験値はくれてやるから、上手く倒せ」
というか、アヴェンジャーとしてはこれ以上モンスターを倒したくないのだ。
アヴェンジャーの立ち位置は『使い魔』である。ミツルギにとっての『魔剣』のようなもの。つまり、アヴェンジャーが倒したモンスターは、全てアイリスが討伐した事になる。当然その経験値も全てアイリスのレベルアップに注がれる。
要は彼が倒せば倒すだけ安全にアイリスのレベルが上がる、という事だが、それはアイリス自身の堕落に繋がる可能性が出てきてしまう。ある程度までは諦めるが、できれば必要最低限で済ませておきたかった。
それを知らないミツルギは、アーヴェの事を『これ以上レベルが上がらないくらい強いんだ』と認識した。
……あながち間違いでないのもタチが悪い。
「わかりました、お世話になりますアーヴェさん」
実はキョウヤからしても、このモンスターの群れを倒してもレベルが上がるほど経験値を得られるとは思っていない。だが、着実に強くなるため、その提案をありがたく受け入れた。
「俺が勝手にフォローするから、前だけ見て敵を斬れ」
言いつつ、アヴェンジャーが遠くからキョウヤを狙う魔法を斬る。そのまま近くにいたモンスターの腕を握るとへし折った。その後その手に握られていた、粗悪な剣を奪うと、それを投擲して魔法使いを殺す。
一応、『ソードマスター』であるキョウヤには遠距離攻撃ができる。だがその分隙ができるので遠くに居る敵はアヴェンジャーが担当する事にした。
「遠くを気にしなくてもいいのは、楽ですねッ!」
いつも魔法やそれに近い攻撃は避けるしかなかったキョウヤにとって、それらを全て捌いてカバーしてくれるアヴェンジャーの存在はありがたかった。それこそ、王女の剣でなければ仲間になってくれないかとスカウトしたほどだ。
アヴェンジャーの言った通りに、前だけを見て進むキョウヤを止められるモノはいない。
――『魔剣グラム』。
『神器』として神から与えられたそれは、常人が使っても相当な業物だ。だが、この剣を所有者であるキョウヤが使えば、『全てを斬り裂く』特異な力を発揮する。
剣も盾も鎧も。同じ『神器』で無ければ防ぐ事さえ不可能なそれを、たかがモンスターに止められる謂れはない。
けれど、その分弱点があからさまだった。遠距離攻撃に弱い、という、剣ではどうしようもない弱点が。
キョウヤとアヴェンジャーの周辺が暗くなる。咄嗟に上を見たキョウヤは、ワイバーンとそれに跨る騎兵、その後ろに魔法使い達が乗っているのを見た。
「アーヴェさん、撤退しましょう!」
狙いを察したキョウヤが提案する。上空から自分達を狙い撃ちする気だと理解しているからこその言葉だ。
それに、二人だけで突出し過ぎている。冒険者達が戦っているところへ下がり、そこで戦線を維持するべきだ。
「いや、お前はそのまま戦っていろ」
それをアヴェンジャーは一蹴する。困惑するキョウヤに、説明する暇すら惜しいと、近くで最も大きなモンスターに近づいた。
殺される、そう判断したそいつは背を向けて逃げようとするが、遅すぎる。二秒とかからず追いついたアヴェンジャーは、跳び上がり、そいつの肩に着地。
そして――『飛んだ』。
「え――えぇ!?」
キョウヤが驚愕している声が耳に届く。それを無視し、アヴェンジャーは高く高く、ありえないほどに飛び上がる。
だが――届かない。
後人間三人分の距離が届かない。アヴェンジャーの存在に気付いて慌てて避けようとしたワイバーンの騎兵も、ホッとしたように移動を止めた。
その背に乗る魔法使い達が魔法を放とうと口を動かすのが見える。空中で身動きの取れないアヴェンジャーは格好の的だ。
それを見ていたアイリスが息を呑む。咄嗟に令呪を使おうとして、
――必要ない。
脳裏を走ったその声に、集中力を乱された。
「今の声は……アーヴェ様の?」
必要ないとは一体どういう事なのか。意図が読めないアイリスは、固唾を飲んで彼のしようとしていることを見守った。
一方アヴェンジャーは、アイリスが令呪を使おうとしていたのを止められて安堵しつつ、獰猛に笑っていた。
狙い通りだ、と。
跳躍限界、最高到達点に達したアヴェンジャーの体が止まり、空に浮く。そこを狙って、『上級魔法』がいくつも放たれた。
躱す手段はない。無理にワイバーンを倒そうとして逆に倒された間抜け。誰もがそう思い、誰もがこれで終わったと考える。
――それが一番の隙になるんだよ。
アヴェンジャーが剣の腹を足元に添える。そしてもう一度、飛んだ。魔法が当たるギリギリのギリギリ。更に剣に当たった結果、魔法が爆発する。
まるでアヴェンジャーに当たったかのような爆発に、誰もが息を呑み、モンスターがざまぁみろと歓声を上げた。
けれど。
アヴェンジャー自身と、アヴェンジャーと『接続』しているアイリスにはわかる。
――まだ終わってません!
トン、とワイバーンの首元に微かな衝撃が走った。何だと困惑するワイバーンは、それが生前にできる最後の思考だと思わないまま息絶えた。
剣を蹴って飛んだアヴェンジャーによって喉元を素手で貫かれたワイバーンが絶命する。乗り物が
そんな惨劇を起こしたアヴェンジャーは、ワイバーンが死んだ時点で死体を蹴って地面へ急降下し、途中で空中を回転する剣を回収し、勢いのまま下にいたモンスターを真っ二つにした。
「あんな程度で死ぬと思っていたのか。温いな、温すぎる」
「いや、普通に考えたら死ぬと思います。というか、どうやって生き延びたんですか」
ドン引きした様子のキョウヤに、アヴェンジャーは肩を竦めた。少なくとも彼にとってあの程度の事は朝飯前なのだろう。
あらためて『最強の剣』という意味を理解したキョウヤは、魔王を倒すのは遠いなと、目標の遠さを実感しつつ、剣を振るった。
たった二人。されど、王都においては最強と、それに近い者。その二人を魔王軍の中心から食い破られ、冒険者が端から倒していく。
そして、やっと一軍として稼働した騎士団の活躍によって、あっさりと魔王軍が壊滅した。奇襲をメインに動いていた彼等は、それぞれの固体がそう強くなかったのだ。
「ふぅ……お疲れ様です。一時はどうなるかと思いましたが、王女殿下の英断のお陰で何とか切り抜けられましたね」
敵は強くなかったが、それでも油断すれば死んでいた状況。特に周囲全てを敵に囲まれたせいで精神的な負担が強かったキョウヤは、血汗を拭いつつそう言った。
だが声をかけられたアヴェンジャーはというと、キョウヤを無視して周囲を見渡していた。
「……? どうしたんですか、アーヴェさん?」
「いや……」
驚く程血を浴びていないアヴェンジャーの様子にただならぬものを感じたキョウヤが尋ねる。だがアヴェンジャーは、それに答えるのも惜しいという雰囲気を出していた。
「アーヴェ様!」
その時、戦闘は終わったと判断し、アヴェンジャーの元へ駆け出していたアイリスが見えた。その後ろには護衛としてだろう、クレアとレインの姿も見える。だが、アイリスと二人の間には数歩分の距離があった。
「アイリス!」
それを理解したアヴェンジャーが、この戦闘で一番の速さでアイリスへ向かった。それは速く近づくためであったが、それは決してアイリスに触れたいからではない。
「
警告するため――
「え?」
けれど、アイリスにはそれがわからない。慌てて止まったものの、アヴェンジャーが『生きている』という実感を早く知りたくて全力を出していた彼女は。
「あなたは――!?」
「せめて、貴様だけでも!!」
片腕を失ったモンスター。それを、アイリスは知っている。
魔王軍の指揮官。最初にアヴェンジャーが腕を切り落とした存在。
避けようとしたアイリスだが、完全なる奇襲、また地面が抉れた影響で体勢を崩していたせいで足を滑らせてしまった。
避け、られない――!?
恐怖に喉が震え、目元が痙攣する。
けれど確かに、モンスターの鋭い爪が、アイリスの瞳に映り込む。
そして――鮮血が舞った。
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