やはり師匠の青春ラブコメはちょーかっこいい。 (黒虱十航)
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一巻分
とにかく日木宗八は八幡に憧れている。


 高校生になって

       一年J組  日木 宗八(ひき そうはち)

 

 比企谷 八幡様を僕は敬愛している。

 あの方の目を見たとき、僕は実感した。彼こそ僕を導く者だ、と。心の師だ、と。

 あの方の素晴らしさを列挙していこう。

 あの方は国語のテストに於いて一年生時、いつも学年三位だった。これは素晴らしいことである。

 この総武高校は、かなり偏差値の高い進学校だ。実力テストだって、非常に難しい。入学試験を受けた一年生である僕だからこそ分かる。国語学年三位というのは、偉大な成果である。

 また、あの方はいつも孤独である。

 この数週間、あの方を時々見かけたが、必ずと言っていいほどあの方は一人でいた。誰かと話しているところを見た事が無い。それなのに、あの方から一切、惨めさを感じない。むしろ活き活きをしている。

 そんな比企谷 八幡様に、僕は憧憬を抱いた。

 あの方のようになりたい、と心底思っている。

 結論。

 僕、日木 宗八は比企谷 八幡様を敬愛し、高校生活の全てをあの方に捧げたいと思う所存であります。

 

 

 

 

 

 国語教師の平塚静は額に青筋を立てながら、俺の作文を大声で読み上げた。……はずなのだが、何故か途中からその声にはため息が混じり、最後にはほぼ声が聞こえなかった。

 こうして聞いていると、自分の文章力がまだまだだということに気づかされる。小難しい単語を並べれば比企谷 八幡様のような文章が書けるんじゃないかという、どこにでもいる凡人の薄っぺらい思考が見透かされる気分だ。

 が、文章の質はともかく比企谷 八幡様への情熱はよく書き込まれていると思う。

 さては、そういった比企谷 八幡様への情熱に平塚先生も共感したから呼び出されたのか。ああ、そうだ。きっとそうに違いない。

 平塚先生は読み終わると額に手を当てて真剣な声で問いかけてきた。

「なあ、日木。私が授業で出した課題は何だった?」

「え? そりゃ、『高校生になって』ですよ! 何を言ってらっしゃるんですか」

「やたら元気だな……。まあそうだ。じゃあそれでなぜ君はこんな妄言を書き上げているんだ? そもそもこれは本心か? 本心じゃ、ないよな?」

 平塚先生は力なく言うと、懇願するように身を乗り出してきた。

 おかげで、胸の辺りが強調されて、視界に入る。

 そも、女教師という文字列がなんだかエロさがあるように思う。保健室のベテラン女教師とか、もうエロさがぱない。あと、あれね。飛び級して先生になった同年代の女の子とか。リアルにないけど、ぐっとくる。

 そんなことを考えていると、紙束がくしゃっと丸まるような音がした。

「もう一度訊こう。本心じゃ、ないよな?」

「いえ、紛れもなく100%本心です!」

「くっ、やめろ。そんなに目を輝かせるな。君の目はあれだな、仔犬の目のようだな」

「そんなに可愛さがありますか。め○ましテレビに出れそうですね」

 ひくっと平塚先生の口角が吊り上った。そんなに面白くない返答だったのだろう。ジョークスキルを磨かなければ。

「日木。どうしてあいつに憧れた? 一応確認してやる」

 先生がギロリと音がするほどにこっちを睨み付けてきた。一年生なのでさしで話すのが初めてなだけにこういう視線には異様なまでに恐怖を感じてしまう。っつーか、マジこの人怖い。

 っていうか、なに? 比企谷 八幡様は憧れてはいけない存在なわけ? なんかかわいそうなんだけど。

 まあ、僕はそれでも憧れるんだけど。

「そ、そんなの簡単な話ですよ。近頃の高校生とは明らかに違う目つき! 自意識があまりに大きいその言動! 何よりあの人の作文! そんなの、憧れるに決まってるじゃないでしゅか!」

「涎が垂れてるぞ」

「あ、すみません」

 謝ってから、僕はハンカチで口元を拭いた。

 いかんいかん。比企谷 八幡様への敬愛が爆発してしまった。普通に自分が好きなものを話すときでも興奮しすぎてしまうことがあるんだから、比企谷 八幡様について話すとなれば尚更興奮してしまうのだ。

「というか、いつ作文を見たんだ?」

「え、ああそれはあれですよ。あの方、ここに来るときに一回、作文を落としているんです。その時に、チラッと見えました」

「落とした時に? そんな近くにいたのか?」

「いえ、かなり距離は離れてましたけど。僕、目は人よりいいんです。あ、なので普通の人なら分からないような先生の皺も」

 風が吹いた。

 グーだ。ノーモーションで繰り出されるグー。これでもかというくらにに見事な握り拳が僕の頬より僅かに右にあった。

 これ、僕の動体視力が人よりよくなかったら絶対頬にかすってたよ。かすってるだけでも痛いよ絶対。

「次は当てるぞ」

「いや、まあ多分避けられそうですけ」

 再び風が吹いた。これも、なんとか避ける。けれど、目がマジだった。

「すいませんでした。実際問題、平塚先生の皺は見えませんよ。女子高生レベルの肌で驚いてるくらいです」

 謝罪と慰めの意を込めた言葉だった。とはいえ、嘘じゃない。平塚先生が何歳なのかは知らないが、僕の目で見て、皺がほとんど見つからないというのは本当にすごいことだ。若々しい。

 平塚先生には満足いただけたご様子。よかった。とりあえず土下座せずに済みそうだ。僕が土下座するのは比企谷 八幡様に弟子入りを頼む時と決めているからな。

「私はな、比企谷と一応、面識はあるんだ」

「マジですか!?」

 僕は平塚先生の言葉に瞬時に食いつき、身を乗り出した。

 すごい奇跡だ。まさか呼び出しにあったおかげで、あの方のご知り合いと会話することが出来るなんて。雲の上の人だと思っていただけに、感動を隠せない。もしかして、わざわざ言ってくれたということは、あの方について何か話してくれるのだろうか。

 だが、平塚先生は残念なことにあの方について話す様子はなかった。

 平塚先生ははちきれそうな胸ポケットからタバコの箱を取り出すと、何かをとんとんと叩きつける。両親共にタバコを吸っていたのだが、詳しいことは知らないので今叩きつけたのがなんなのかは分からない。作業が終わると、安っぽいライターでかちっと火をつける。ふぅっと煙を出すその仕草は、両親とはどこか似ておらず、頼れる大人の姿に思えた。

 そんな所作に見惚れていると、平塚先生は何か決意したような顔でこちらを見据えた。

「君は部活はやっていなかったよな」

「まあ一年生なんで。これから入る予定もないですけど」

「……友達とかはいるか?」

 僕に友達がいないことを前提に聞かれていた。ってか、そもそも友達とかってなに? 戦友とか犯罪仲間とかも含めってこと? そんなのがいる奴、いないだろ普通。

「い、一応いましたよ中学の時は。た、ただ普通にシャイなんで数週間しか一緒にいないクラスメイトにはいないですけど」

「……微妙な返答だな」

「悪かったですね!」

 僕は若干涙目になりながら叫んだ。

 正直、微妙と言われるのは苦手だ。自分が中途半端だ、と言われて馬鹿にされている気分になる。

 なのではっきりさせることにした。僕に友達はいるのかいないのか。

 まあ中学の時も胸を張って友達だと言えるような奴はいなかった。それなりに仲がいい奴くらいのものだ。……だからこそ、比企谷 八幡先生に憧れたのだ。

「いませんよ、おそらく。友達の定義によりますけど」

「あー、その台詞! 紛れもなく友達がいない奴の台詞だ。いやぁ、その仔犬のような目を見たときは少し不安になったよ」

 不安になったってなんだよ。友達いちゃ悪いのかよ。まあ悪いと思うけど。

 平塚先生は納得顔でうんうんと言いながら、僕の顔を遠慮がちに見る。

「…………彼女とか、いるのか?」

 とかってなんだよとかって。僕が嫁いるって言ったらどうすんだよ。

 気になったので僕は真実を答えることにした。

「将来を誓い合った未来の嫁ならいますね」

 未来への希望を一心に込めて言った。

「ははは。そうかそうか。一つ下にか?」

「え、いやむしろ一ヶ月上ですけど」

「は?」

 刹那、時が止まったかのように平塚先生が固まった。

 その表情は、まるで現実離れした事実を受け止められないような顔だった。

 いやいや、それは酷くないか? ってかいないって思ってて、いるって現実を受け止められないなら最初から質問するなよ……。

 それから約10秒経っても受け止めらていない平塚先生に呆れた僕は、渋々、バッグから、水色がかった巾着を取り出した。

「これとか、その人に作ってもらったんですよ。中二のときに」

「そうか……」

 先生は今度は売るんだ瞳で僕を見つめる。それは明らかにタバコの煙が目に染みているわけでは無さそうだった。おいやめろ。本気で辛そうな未婚者の悩み全開の視線を向けんな。

 それにしてもどうして美人な平塚先生が結婚できないんだろうか。別に結婚したくないわけでもなさそうだし。流れが一気にお通夜っぽくなったので、僕は慰めることにした。

「先生。余り者には福があるっていいますし、歳を取ってから好きになってくれる相手の方が、外見だけじゃなくて内面も見て結婚を真剣に考えてくれるでしょうから、まだ諦める時じゃないですよ!」

「ああ……そうだな。がんばる。ありがとうな」

 その表情は、悩みを打ち明け、明日への希望に満ちた顔だった。

 平塚静(アラサー)は、こうして今日も、いつか結婚できる日を待ち、多くの婚活をする男性とテーブル越しで、多くの生徒と机越し向き合うのだった。とかやれば、感動的物語になりそうだ。

 先生は僕の言葉に気をよくしたのか、優しく頭を撫でた。

「よし、こうしよう。君を比企谷に紹介する」

「マジですか!?」

「ああ、もちろんだ」

 おお、まさかの棚から牡丹餅! でも棚牡丹っていうとこれじゃない感出るんだよな。やっぱり棚ぼたじゃないと。

 まさかの想定外。僕の想像を遥かに超えていた。

「だが、彼は普通に紹介したところで一切君とは話さず他人として認定するだろう。或いは敵かもしれない。なので、君には奉仕活動を命じる」

 相当僕の慰めが効いたのだろう。先生は威勢よく、普段よりも元気で嬉々とした様子だった。いやはや、親の愚痴に相槌を打っていてよかった。

 嬉しさの余り思わず、そういえば嬉々としてと父として五感が似ているなぁ……と彼女のお父さんに挨拶に行く予定を思い出して、にやけてしまう。

 それにしても奉仕活動か……もしかして、比企谷 八幡先生は実は奉仕活動をいつも勤しんでいるのだろうか。放課後はすぐに帰ってしまって、観察していないのでその可能性が高い。

「奉仕活動って……何すればいいんですか?」

 つい涎が垂れそうになるのを抑えながら訊く。もうね、平塚先生は怖くない。

「ついてきたまえ」

 こんもりと盛られた灰皿にタバコを押し付けると平塚先生は立ち上がる。詳しい説明はないが、その提案は確実に俺に得があるので、俺は平塚先生の真後ろをついていった。

「元気がいいなぁ。若いっていいなぁ」

「平塚先生も若いですよ、あのパンチとか」

「そうだよな!」

 平塚先生をおだてながら……ってか普通に若いのに、なんでこの人年齢、気にしてんだろ、まったく。



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やはり平塚静は慰められる。

 この千葉市立総武高校の校舎は少し歪な形をしている。

 上空から見下ろせば、ちょうど漢字の口、カタカナのロの形によく似ている。その下にちょろりとAV棟の部分を付け足してあげれば我が校の俯瞰図が完成する。それにしてもAV棟の中高校生を刺激する感は異常。絶対誰しも一回は同じボケをすること請け合い。

 っと、話が逸れた。

 道路側には教室棟、それと向かい合うように特別棟がある。特別胸と誤変換した暁にはどの胸が特別なのか、貧乳派、巨乳派で抗争が起きてしまうだろう。あ、巨乳も貧乳もいいとオモウヨ。って言っておかないと、貧乳贔屓だと思われかねない。個人的には普通くらいがいいと思うけどな。うちの彼――なんか寒気がしたのでやめとく。

 棟それぞれは二階の渡り廊下で結ばれており、これが四角形を形成する。

 校舎で四方を囲まれた空間は中庭。そこでは、よく男女混合グループ昼食をとったり、腹ごなしに運動をしたりしている。そういった様をきっと、人はリア充と呼ぶのだろう。

 舐めんな。

 僕は、あんなグループに入りたくなんてない。リア充、なんてくそみたいな種族にはならない。彼らの青春ドラマで役をもらうくらいなら、「木」の役でもやった方がマシだ。ってか植物は酸素作れるし、人より優秀だ。

 平塚先生が床をかつかつ言わせながら向かうのは特別棟らしい。

 ――すごくわくわくする。

 何故、奉仕活動なのかというのはよく分からない。マジな話をするなら、比企谷 八幡様は奉仕活動なんてしなさそうだし、そもそもとして奉仕活動というのが違和感がある。まあこれは僕の勝手な解釈かもしれないが、奉仕というとメイドさんがご主人様にご奉仕、というニュアンスの方がすぐ思い浮かんでしまうものだ。それくらいなら、ボランティアと言った方が、しっくりくる。……それはそうと、今度彼女にメイドさんやってもらうかな。なんか想像してぐっときた。

 おっと話が逸れた。

 ともかく、比企谷 八幡様と奉仕活動というのが一ミリも結びつかない。結びつくとしたらメイド喫茶くらいだろうが、千葉にメイド喫茶なんてもの、ないであろう。いや、なんでもかんでも取り入れちゃう千葉だしあるかも。

 それに特別棟に来ている。そう考えると余計に結びつかないものだ。まだ到着地まで遠いようなので、僕は暇つぶしに当ててみることにした。

「あ、先生。もしかして比企谷 八幡様は肉体労働でもしていらっしゃるんですか?」

「え? いや、違うな。ちなみにヘルニアだからやらせてないわけじゃないぞ。あいつ、ヘルニアじゃないし」

「へ? そりゃ、そうでしょうけど……」

 平塚先生はなにかを思い出したのだろう。とことん面倒臭そうな顔で僕を見た。っていうか、そもそもどうしてヘルニアなんて出てきたんだろう……すっごい気になるが今はクイズを続けることにした。

 ふむ。肉体労働じゃないということは、調べ物とかということだろうか。所謂単純作業。そう聞くと、なかなかどうして、比企谷 八幡様のイメージにしっくりくるものがある。

「なるほど。事務作業ですか。確かに、そういった地味な作業は孤高ってイメージがありますからね。黙々と事務作業をする比企谷 八幡先生……なんか、かっこいいです」

「本当に君はあいつが好きだなぁ!? まあ、あいつが事務作業をするのは、なんとなくしっくりくるかもしれないな」

 いや、そりゃ好きだよ……まあ、彼女(未来嫁)の次なんだけどね。どちらかって言うと、ライクとラブで明確な違いがあるので、好きって言うより、敬愛してると言ってほしいものだ。

 まあ、そんなことを言っても無駄なのは分かっているので口を噤む。どっちにせよ、比企谷 八幡様に会えるのだ。頑張って弟子入りを頼まなければ。

「ここだ」

 先生が立ち止まったのは、普通の教室。

 プレートには教室名などが書かれた様子はない。空き教室、というやつだろう。少なくとも中学校の時は、そんな教室なかったのだが、高校ともなるとあるのだろうか。

 その部屋が不思議な存在なのか普通のものなのかさえ分からず、ぼんやりと眺めていると先生はからからっと男前に戸を開けた。……そういうところっすよ、先生。

 その教室の隅っこには机と椅子が雑に積み上げられている。倉庫として使われているのかもしれない。僅かに埃っぽいのは、使用頻度が高くない証拠なのだろう。だが、私気になります! な点はそこくらいで、後は普通の教室だった。むしろ、埃っぽさで言えば、掃除を雑にやってるうちの教室もあんまり変わらない。

 しかし、そこがあまりにも異常に感じられたのは。そこに一人の少年がいたからだ。断言してもいい。

 その人は、斜陽から少し離れたところで本を読んでいた。

 彼が世界の中心である、そう錯覚させるほどに、この光景はラノベのイラストじみていた。頬杖をついているのが余計にクールさとエロさを引き出している。

 それを見て、僕は身体も心も停止してしまった。

 ――完っ全に見惚れたのだ。

 彼は来訪者に気付いたようだったが、わずかに怪訝そうな視線を向けてきた他はリアクションをすることもなく、文庫本に視線を戻した。……って戻すのかよ、クールすぎるぜ、比企谷 八幡様。

「平塚先生。ノックを」

 どこからか声が女性の声が聞こえて、ようやく僕はその部屋にいる少女の存在に気付く。容姿端麗と言って差し障りのない外見、艶やかな黒い髪。うちの彼女の方が百倍可愛いがその人もそれなりに可愛い部類ではある。

「ああ、悪い悪い」

 平塚先生が形式だけテキトーに謝ると、少女は僕の方を見てきた。

「先生、そこの小さい人は?」

 ちろりと少女の馬鹿にしたような瞳が僕を捉えた。

「小さくないですっ!」

 途端、僕は反応して平塚先生の後ろから抜け出して教室に入る。

 後ろから覗き込むよりも、比企谷 八幡様の顔がよく見えた……ああ、もちろん少女の顔もね。そのせいかおかげか、少女の名前が僕の頭をよぎった。

 二年J組、雪ノ下 雪乃先輩。

 名前を知っているだけではなく数度会話したことがあるのは、雪ノ下先輩がJ組だからだ。それに、僕、別にコミュニケーション苦手なわけじゃないし。

 総武高校には普通科9クラスのほかに国際教養科というのが1クラスある。このクラスは普通科よりも2~3、偏差値が高く、帰国子女や留学志望が多い。因みに、僕はそのどちらでもなく、普通に暗記が得意なのでなし崩し的に英語も得意で、どうせだからそっち偏差値高い方に行って彼女に自慢してやろう、と思っただけだったりする。

 J組は女子が多い故に派手なのだが、その中でも特に美しいと評判で、目立っているのが雪ノ下先輩だ。

 彼女は噂によると定期テストでも実力テストでも常に学年1位に鎮座している成績優秀者らしい。

 要するに、学校一と言ってもいいくらいの美少女で、誰もが知る有名人なわけだ。それなのに僕が雪ノ下先輩と話したことがあるのは何故か。

 答えを言っちゃうと前に廊下ですれ違った時に「どうして小学生がここにいるの?」って言われただけなんだけど……なにが〝だけ〟だよ! 僕には死活問題だっ!

「僕は一年J組、日木 宗八です! しっかりした高校生ですから!」

 僕のさきの発言に、雪ノ下先輩は不思議そうな視線を向けてきたので僕ははきはきと自己紹介をする。高校生って言わなきゃいけないの、すっごい悲しいなぁ……

「彼は……ちょっと変わり者というかおかしな奴だ」

「入部希望者、なんですか?」

 平塚先生は悩ましげな表情でこちらを見てきた。え? なに、その顔。っていうかそもそも入部ってなんぞ? 色々分からないことがありすぎて、ちょっと状況が掴めない。なんか、ほとんど初対面な雪ノ下先輩とずっと憧れ続けた比企谷 八幡先生がいることによる緊張で、頭も回らないし……実は僕、シャイだからなぁ。

「ま、まあ入部希望者みたいなものだ。日木、この部に入れば毎日比企谷と話すことが出来るぞ。比企谷は私が連行するからな」

「連行とか、んな物騒なこ」

「マジですか!?」

「ああ」

 何か今、すごく芯の通ったカッコイイ声が聞こえた気がするが、僕はあまりの興奮でかき消してしまった。くそ、自分が憎い。

 そんな僕の葛藤を知ってか知らずか平塚先生は話を進めていった。

「詳しい話は本人に聞くといいが、こいつはいたって普通の高校生だ。別に、無個性でもないし普通を目指してるとか、そういうわけでもない。ただ、一点のみこいつは異常なだけだ」

 普通とか言われるとやっぱりイラっとくるんだよなぁ。しかも、全部的を射てるし。

 いや、でも一点のみ異常なところってなんだろ。比企谷 八幡様への敬愛は普通だし、思いつかない。

「正直、更生の必要はないんだがな。まあこいつは私に優しいからな。特別に連れてきてやることにした。本人の意思によっては、入れてやってくれ」

 先生が頭をぽりぽり書きながら言うと、彼女はワケがわからないと言いたげな顔で口を開いた。

「はあ……意味が分からないのですが。要するに先生はおだてられて、気をよくなさったので彼をここに連れてきた、と?」

「マジかよ……先生。俺だって先生をよいしょしてるじゃないですか。どうして俺には優しくしてくれないんですか」

 比企谷 八幡様らしい発言だ、と思った。不服そうなその声色は、実にクールでずっと聞いていたいと思うものだった。

「私がよいしょされたと思っているからだろうな」

 平塚先生は言うと、胸を張った。いやいや、既に張ってますから、その胸。そう思ったのは僕だけじゃなかったらしく、比企谷 八幡様は平塚先生の方を努めて見ないようにしていた。

「「違うんですか?」」

「違う!? そうだよな、日木!」

 雪ノ下先輩と比企谷 八幡様がハモる様に僅かな嫉妬を感じている自分がいた。いいなぁ、僕もハモりたい。まあ、いざとなったら絶対緊張して噛むけど。

 平塚先生が切実な視線を向けてきたので、僕は正直に答えることにした。なんかここで「え? よいしょしましたよ?」とか言ったら可哀想だしな。

「まあ、おだててはませんよ! 実際問題、平塚先生お若いですし。タバコを堂々と吸うのさえやめれば、すぐにでも結婚できそうじゃないですか?」

 刹那、平塚先生は膝から崩れ落ちた。なんか、しくしくと泣く声が聞こえる。おいおい、あんた生徒指導だろ。生徒の前で泣くなよ。しかし、雪ノ下先輩や比企谷 八幡様を見るが、別段気まずそうな顔も驚いた顔もしていない。見慣れた光景なのだろう。比企谷 八幡様に至っては敬礼までしている。

「大丈夫ですよ先生。いつか、そんな先生を好きになってくれる人が……くくっ」

「おい、慰めるなら最後まで慰めろ。……もういい。私は帰る」

 比企谷 八幡様はあまりにも無駄のない所作で平塚先生を畳み掛けた。流石だ。慰めると思わせて、噴出すとは。

 すごいとは思うしぜひぜひ真似したいが、流石に平塚先生を不憫に思えてくる。

「大丈夫ですよ、タバコなんてつまらないことで消えちゃう愛なんて、愛とは呼びませんから。そのままの先生を愛してくれる運命の赤い糸はきっと誰かに繋がっています」

 前にラノベ作家を目指していた頃の名残で、なんか胡散臭い台詞になってしまった。がとりあえず平塚先生には聞こえていたらしく、閉められた扉の向こうで、静かに感謝の言葉を述べられた。

 誰かもらってあげてほしい。僕はもらえないからな。僕にはもう、嫁がいる。

 って、そんな場合じゃなかった。さてはて、平塚先生がいなくなってしまい、僕はぽつんと取り残された。

 雪ノ下先輩は正直どうでもいいが、比企谷 八幡先生と同じ空気を吸えているかと思うとなんだか緊張してくる。なんというか、憧れのスポーツ選手に会う、みたいな感じだ。

 チクタクと時計の秒針がやけに速く、小さく聞こえる。

 おいおい、どうする僕。比企谷 八幡様に話しかけるのはちょっと緊張しすぎて無理だし雪ノ下先輩は僕のことチビって言うしなぁ。

 別にシチュエーションに文句があるわけじゃない。むしろ憧れの人との突然の接近。喜ばしい出来事だ。

 が、しつこいようだが僕は無茶苦茶シャイなのだ。彼女曰く「犬っぽい。慣れたら普通より懐いてくるけど、慣れてないとすっごい怯えてくる」らしい。否定はできない。

 あ、じゃあここは犬らしく威嚇してみるか。

「くぅぅぅぅぅ」

「ひっ……犬?」

 お、なんか雪ノ下先輩のことは威嚇できた。かなり怯えられてる。流石、僕。一方、比企谷 八幡様はどこか遠くを見つめていた。その表情は、明らかに過去を思い出している目だった。

 その、ちょっとワケありな感じもかっこいい。ため息が出るほどだ。

「別に犬じゃねぇよ。そいつが、出してるだけだ」

「ああ、そう……当然じゃない。犬なんているわけないでしょう?」

 比企谷 八幡様が教えてあげたというのに酷い言い方をするものだ、雪ノ下先輩は。ちょっと腹が立ったが、比企谷 八幡様もそんなに嫌そうな顔をしていなかったので、いつもの流れなのだろう。それはそれで失礼だと思うが、聞き流すことにした。

「っていうか、なに? 犬嫌いなの?」

「何を言っているのかしら。私が犬を嫌いだという根拠でもあるの? まったく根拠もないのに私が犬が嫌いだと断定するだなんて流石は普通未満と言ったところかしらね。か、仮に私が犬が嫌いだと言いたいならその根」

「くぅぅぅぅ」

「ひっ」

 比企谷 八幡様がこちらに目配せしてきたので僕は犬のようにうなり声を上げる。比企谷 八幡様に頼られたことに感動を覚えながら、僕は雪ノ下先輩に「ざまあみろ」と呟いた。

「やっぱりおま」

「日木君。そんなところで唸り声を上げていないで座ったら?」

 比企谷 八幡様の言葉を無視して雪ノ下先輩は俺を見た。多分、睨みつけているのだろう。その目には明らかな敵視が見える。

 でも、残念なことにその程度では僕はびびらない。椅子を教室の隅から取って、僕は比企谷 八幡様と雪ノ下先輩の間に座った。どちらか、というと比企谷 八幡様の方に近い位置だ。



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そして雪ノ下雪乃はとことん先回りされる。

 それきり雪ノ下先輩は僕に一切関心を示さない。まあ、平塚先生は僕の面倒を見ろとは言っていない。ここにおけ、と言っただけなのだから関心なんて持たないのだろう。それは比企谷 八幡様も同様なようで、ぺらりとページをめくる音が二つ、別々に聞こえた。

 二人とも、カバーの生で何を読んでいるかは分からないが、きっと素晴らしい文学的ものを読んでいるのだろう。特に比企谷 八幡様。かなり高度な文を読んでいる可能性がある。

 雪ノ下先輩が一切姿勢を崩さずにお嬢様や優等生っぽい姿勢で読書をするのに対し、比企谷 八幡様は頬杖をついて、時々僅かに動いて読書をしていた。その姿の方が、なんだか気張っていない感じがあるが、実際の話をするなら雪ノ下先輩も別に気張っているわけじゃないのだろう。

 似ているように見る人もいるかもしれない。けれどかけ離れている。二人はまったく別の存在だ。

 だって、比企谷 八幡様は僕のこと小さいとか言わないし、無茶苦茶カッコイイし。

 それで思い立つ。折角、比企谷 八幡様が近くにいるのだ。出来るだけ観察して、彼女に土産話をしてやろう。

「はぁぁ」

 つい、ため息が漏れる。彼の吐息、僅かな動きにさえ見惚れてしまう。、

「え……なに?」

「いえいえ。なんでもございませんっ!」

「お。おう」

 あー、戸惑う比企谷 八幡様もカッコイイ。なんか、もう幸せすぎてやばいなぁ。いや、でも別に僕はアイドルのおっかけではないのだ。僕は弟子入りを頼みにきた。そうだそうだ。マジで危うく忘れるところだったぜ。

「あ、あのっ!」

「どうしたのかしら、日木君」

「あなたになんて話しかけてませんっ! 引っ込んでいてください!」

「なっ……」

 絶句。まさかの絶句だった。まさか雪ノ下先輩が絶句するとは思わなかった。いい気味だ、と思っていると比企谷 八幡様は一生懸命笑いをこらえていた。

「すげぇなお前。くくっ。やばい、最高すぎる……。えっと、日木、だったか?」

「はいっ! お褒め頂き光栄です!」

 やった! 頼られるだけじゃなく、褒めてもらえた。このまま行けば、弟子入りもいけるかもしれない。ささやかな希望を胸に、僕は口を開いた。

「あの、すみません。ここって何部なんなんですか? どうしてあなた様と雪ノ下先輩が一緒にいるんですか? 共通点なんてぼっちってことくらいですよね?」

「お。おう……お前、どうして雪ノ下がぼっちだって分かったんだよ。こんだけの美少女だぞ?」

 比企谷 八幡様は意外そうな顔をした。雪ノ下先輩も、ちょっと気になったのか、本を読むフリをしながらこちらを見ていた。なんか鬱陶しいなぁ……まあ、いいんだけどさ。

 それにしてもどうして比企谷 八幡様は当たり前のことを訊いてくるのだろうか。もしかして、もう弟子入り試験は始まっているとか? 崇高な比企谷 八幡様のことだ。可能性はある。

「いや、そこまでの美少女じゃないですけど……でもまあ、経験則ですかね。人はみな完璧じゃないですから。弱くて、心が醜くて、すぐに嫉妬し蹴落とそうとします。不思議なことに優れた人間の方が生きづらいんですよ、この世界は。だから雪ノ下先輩は、人の輪から外れています。あ、もちろんあなた様も」

 言っている途中、雪ノ下先輩は一度、本を落としそうになっていた。本当に失礼な人である。人が話しているときに静かにすることも出来ないのか。

 ただ、僕が言い終えたとき、比企谷 八幡様がすごく面白そうな顔をしてくれたのでとりあえずチャラにしてやることにした。

「すごいな……よかったじゃないか、雪ノ下。お前と同じ考えのやつだぞ。お前も、世界を変えようとかしてるんだろ? しかも人ごと」

「へ? 何を言ってらっしゃるんですか。そんな面倒臭いことするはずないです。僕は、ただあなた様のようになれればいいんですっ! 世界とか正直、どうっでもいいです」

 僕には比企谷 八幡様の仰っていることが分からず、申し訳なかったがなんとか僕の思いの丈を言うことができた。何故か、比企谷 八幡様と雪ノ下先輩はドン引いた表情になっている。

「なるほど。日木君の異常な点がようやく理解できたわ」

「ああ……不本意だが、分かった」

 二人は、目を見合わせてうんうんと頷いた。え? なんなんだろ……。僕自身、分からないのでぜひ、教えてほしい。

「え? なんですか? 私、気になります!」

「お前、そのネタは女子が……いや、思いのほか、お前がやるといいな」

「その台詞。前に読んだ小説に出ていた気がするわね」

「まあ、有名だからな、色んな方面で」

 おお、流石比企谷 八幡様。僕のネタを拾ってくれるとは。雪ノ下先輩も知ってたのは驚きだが、まあ今はラノベじゃないしな。確かあれ、最初はスニーカーから出てたと思うけど。

「で、なんなんですか? 僕の異常なところって!」

 異常であることはすごくいいことだと思っているので、一刻も速く知りたい。身を乗り出して訊くと、さしもの雪ノ下先輩も僅かに姿勢を崩した。

「んんっ……異常なところって、そんなのあなたの、比企谷君への愛に決まってるじゃない。別に男同士の愛が悪いわけではないけれど、あなたのその愛はなんというか、普通の愛を超えているわ」

「随分はっきり言うな。まあ、そうだ。後輩に慕われるのは〝いい先輩〟である証拠になるから嬉しいがそれはちょっとな。悪いが俺はそういう趣味ないんだ」

 二人はマジで僕から数歩遠ざかっていた。いやいや、それそういう趣味の人に、失礼だろ。比企谷 八幡様は、自分が狙われていると思ったんだししょうがないというかむしろ適切な判断素晴らしいという感じですが、雪ノ下先輩はただの差別だろ。許せん。

 っていうか、ちょっと二人の発言は困るので訂正しておくことにした。

「やめてください。僕が抱いているのは愛ではなく敬愛です。尊敬です」

「どうかしらね」

「隠す奴もいるらしいからな」

「いや、本気でやめてくださいって。僕、もう将来を約束した人がいるんですから」

 言うと、比企谷 八幡様と距離を置かれてしまう気がしたので言いたくなかったが別に恥ずかしいことではないのでいっそのこと言ってしまうことにした。このままホモ認定よかよっぽどマシである。

「ああ、俺もいるぞ。お前と同じく一つ下にな」

「なんですかそのネタ流行ってるんですか!?」

 平塚先生といい、比企谷 八幡様といい同じネタを使うとか息ぴったりすぎるだろ。しょうがない。さっきと同じ手でいこう。バッグから水色がかった巾着を取り出す。僕の名前の刺繍があるところを優しく撫でながら、差し出した。

「これ、彼女に作ってもらったやつです。言っておきますが、彼女は三次元ですからね」

「「…………」」

 絶句。まさかのダブル絶句であった。

 比企谷 八幡様……ちょっとそれは酷いですよ。そりゃ、僕も今の彼女じゃなきゃ、彼女なんて一生出来なかったと思うけど。

「まあ、今の彼女と出会えたのが幸運だっただけです」

「そうね……比企谷君。きっといつかあなたを好きになってくれる虫が出てくるわ」

「蓼食う虫も好き好きってか。酷いな、おい。っていうか今は日木の話だろ。なんでそんなリア充様が俺に憧」

 刹那、教室に椅子のがたがたという音が響いた。それがなければきっと僕は自分が立ち上がったことに気付くこともなかっただろう。

「リア充だなんて、そんなこと言わないで下さい。あんな奴らと一緒にしないで下さい」

 真っ直ぐに、比企谷 八幡様の腐った目を見つめる。静寂の間、時計の秒針の音が場違いにうるさくなっていた。

「違うのか?」

「違います。確かに彼女はいるでしょう。でも、それはあの子が僕を好いてくれたからこそ成り立っています。それにそこらのリア充みたいに考えてないわけでもない。だからこそ僕はあなたに憧れたんです。孤独でいることを決して嫌わず、気高く生きるあなたに」

「そうかよ……それなら雪ノ下のがあってるだろ」

 僕に気圧されたのか、比企谷 八幡様は目を逸らした。でも、僕は彼の視線の先にいよう、と思い移動する。

「いいえ、違います。あなたじゃないと駄目なんです。あなただから、いいんです。あなたのようになりたいんです。だから、お願いします。弟子にしてください」

 喋りながら、ズボンの皺を払うようにびしっと直し、右足、左足と順々に折って床につけた。そして言い終わったとき、僕は頭と床が一センチの距離になるようにする。床に頭をこすり付けないのが、正しい土下座の仕方だ。これを勘違いするから素人はいけない。

「お願い、します」

 改めて言う。その言葉にはいつか、彼女と喧嘩して謝罪したときと同じくらいの力をこめる。

「流石卑怯ヶ谷君。下級生が土下座をしても尚、頼みを聞かないのね」

「おまっ、そんなわけないだろ……。分かったよ。弟子入りって言っても、うちの部に入るくらいのことだけどそれでいいならな。むしろ、なんかわざわざ教えるなんて無理だ」

「それでも構いません」

「そうか。なら弟子にでもなんでも勝手になれ」

 言われて、僕は全身全霊で感謝の言葉を叫び、頭を上げる。するとそこには少し恥ずかしそうに顔を背けている比企谷 八幡様がいらっしゃった。

「でも、ただ弟子入りというのもつまらないわね。やる気も能力もない人が入っても、部を混乱させるだけでしょうし。そうね……じゃあゲームをしましょう」

 言う、雪ノ下先輩の顔は嗜虐的だった。ああ、なるほど。さっきから僕が色々言ったから根に持ってるんだな。負けず嫌いそうだもんなぁ、なんか。

 ゲームか。まあ、楽しそうっちゃ楽しそうだ。なんか比企谷 八幡様も嬉しそうにしているし。でもその前にここ、何部なんだろうか。さっきから読書しかしてなかったのに、ここにきてゲームってことは文芸部でもなさそうだし。

 研ぎ澄まされた刃物みたいな視線を向けてくる雪ノ下先輩のことは一旦置いて、考える。なんか気になるし。

 気になるといえば、結局奉仕活動ってなんだったんだろう。謎でしかない。まだ、奉仕要素ゼロなんだけど……ん? ああ、そういうことか。

 この教室には特別な機具がない。人数がいなくても廃部にならない。つまり人に利益を与えているわけだ。なら簡単な推理。「あれれー、おかしいよー?」とか言いながらヒントを出してくるメガネの小学生がいなくてもこれくらい朝飯前だ。

「あ、つまり奉仕部の入部試験ってことですね!」

 答え合わせの意味も含めるが、まあ確信に近い。だって、平塚先生、奉仕活動って言ってたし。

「……そう。もういいわ。入部で」

「へ?」

 なんだか更に雪ノ下先輩が不機嫌になった。比企谷 八幡様はすっごい楽しそうに笑ってるので、よかったのだが、なんか初日から部長さんを怒らせまくるというのも具合が悪い。

 ま、これで小学生呼ばわりしたのはチャラってことでいいか。

「ようこそ、奉仕部へ。歓迎するわ、日木君」

 という雪ノ下先輩は心底歓迎してない様子だった。すっごい嫌われたなぁ。まあ、比企谷 八幡様の弟子になれただけで満足だ。

「ありがとうございます! あ、すみません。師匠って呼んでもいいですか?」

「え? ああ……まあ勝手にしろ」

 たじろぐ師匠は、やっぱりものすごくかっこよかった。絶対彼女に自慢してやろう。ってか、僕もこれくらいかっこよくなりたい。

「師匠!」

「……なんだよ」

「言ってみただけです!」

「そうかよ。ならあんまり無駄な口を叩くな。うるさい奴は破門だ破門」

「はいっ!」

 破門はまずいので、口を噤む。

 さっきと同じように雪ノ下先輩と師匠は読書をする。二人は言葉を交わすこともなければお互いのことを見ることさえなく、ただ刻々と過ぎるときを同じ空間で過ごしているだけであった。

 別に、僕は沈黙が気になるわけではない。だから、僕も師匠に倣い、読書をすることにした。と、言っても僕はラノベしか読まないのだが。

 読みながら、僕はふと思いを馳せる。

 問い。

 僕も、師匠を、雪ノ下先輩も友達はいない。

 けれど、僕は雪ノ下先輩を堂々と嫌えるし躊躇したせいで本音を言えない、なんてことはありえない。それはきっと師匠と雪ノ下先輩も同じだと思う。相手を慮り、空気を読む故に本音を封じ込める、ということを師匠も雪ノ下先輩もしないはずだ。

 それは、おそらく今の僕も同じ。

 かつての僕は、違っていた。

 強調して騙し騙し、自分と周りを誤魔化しながら上手くやっていた頃の自分の姿が頭によぎる。そういう生き方をするのは本当に楽で、世の中の多くの人間は実際にそうやって生きているのだと思う。

 勉強が得意だったのにテストでいい点を取ったときまぐれだのヤマが当たっただのと言ってきたように。短距離走の速さで褒められたとき自分の体力のなさや自分より上の人間がいることを主張したように。

 きっとそういう生き方を雪ノ下先輩も師匠もしない。

 自らに決して嘘を吐かない。

 師匠は当然素晴らしいお方だが、雪ノ下先輩についてもその点だけは評価してやらないこともない。

 かつての僕が手が届かず、今の僕が必死になることでようやくたどり着いている場所だから。

 二人は似ても似つかない姿勢で文庫本に目を落としている。完全な個の空間。それを見て僕は、不思議な気分になる。

 ――きっと僕は二人と別種の人間だ。折角弟子になったのに僕はそんなことを思ってしまった。

 ――故に、今はこの沈黙がとてもつもなく心地いいと、そう感じていた。

 ――いつかと同じくらい、自分の鼓動が速くなるのを感じた。心臓の刻む律動は秒針の速度を追い越して〝そこ〟に行きたいと、そう言っている気がした。

 

 ――なら。

 ――なら、今、僕は。

 

「師匠には無礼かと存知上げますがその上で言ってもよろしいですか?」

「あ? 別にいいぞ。どんな罵倒も慣れてる」

「なにかしら、その謎の頼り甲斐は。かっこいいことでもなんでもないじゃない」

 いやいや、十分かっこいいだろ、今の。雪ノ下先輩の目は節穴でございますか? って感じなんだけど。ま、一人、師匠のかっこよさを分かってらっしゃる人もいるし、分かって貰う必要も無い。

 咳払いをしてから、言葉を続ける。

「もしよろしければお二人とも、友達にな」

「それは無理だわ。比企谷君とは絶対に無理だわ」

「お前、酷すぎるだろ……ってか、どうして俺が振られた感じになってんの」

 雪ノ下先輩は断固拒否した。しかも、師匠を馬鹿にしたような顔をしている。

 やっぱり、雪ノ下先輩は可愛くないし評価もできない。師匠とのラブコメとか展開しないな、これは。




 雪ノ下さんは、もうこういう扱いから抜けだせないでしょうね……別に雪ノ下さんに恨みがあるわけじゃなく、むしろいいキャラだと思っているんですがね。

 今回のように、中間の部分が変わっても最後には帳尻が合わされる(友達にはなりえない、など)というスタイルで行きます。


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だから日木宗八は理論武装する。

「君はあれか。悪影響しか受けられないのか」

 ちょうど体調を崩して休むことになった調理実習の代わりに課されていた家庭科の補習レポートを提出したら、なぜか呼ばれた職員室。

 ものすごくデジャブる。

「先生も大変ですね。鶴見先生に丸投げされて」

「ああ、君達のような不真面目な生徒を私は更生させなければならないからな。でもよく分かったな、私が丸投げされたと」

 職員室の隅っこの方で、家庭科教師の鶴見先生が観葉植物に水をやっている。平塚先生はそれをちらっと見てから俺に不思議そうに尋ねる。

「まあ、そりゃさっき師匠を見ていたんで。前だったじゃないですか、師匠にお説教なさったの」

「お前……まさかあいつと同じことをしたかったからサボったとかじゃないだろうな?」

「ま、まさか。流石にそんなことはしないですから」

 話を立ち聞きした時は、本当に今度やってやろうと思ったのも事実っちゃ事実なんだけど。でも残念なことに僕は弱虫なので、行動に移さないだろう。ってか休んだ日は僕の方が後だけどサボったの知ったのは今だし。

 そんな僕の弱虫度を知らない平塚先生は完全に疑いの目をこちらに向けてきた。

「本当か? 君ならやりかねないと思うんだが」

「いやいや、何言ってるんですか先生。僕は弱虫界のプリンセスですよっ! どんなにやりたいと思っても、実際にはやりませんよ。あまり、僕の弱虫っぷりと馬鹿にしないでください!」

「そんなことを堂々と言うんじゃない、まったく」

 心底疲れたと言いたげに、平塚先生は頭を抱えた。なんか大変そうである。もしかしてこの人、色々ストレス溜まってるから結婚できないんじゃね? だとしたら犯人は師匠と僕ということになる。やったぜ☆ 師匠と同じになれた!

「真面目に聞け」

 僕の思考を見透かされたのか見透かされてないのか、平塚先生は紙束で僕の頭をはたいた。多分見透かしてないな。見透かしてたら多分、腹パンされてる。

「まあ、君の言葉を信じるとしよう。じゃあ、どうして休んだ?」

「へ? そりゃ、体調不良だったからですけど」

 嘘は言っていない。いや、本当だよほんと。ソウハチウソツカナイ……なんで平塚先生はそんな、睨んでくるんだよ。

 しょうがない。言っていない事実があることを否定できないので、僕は白状することにした。

「……彼女が体調悪かったので看病してたんですすみませんでした」

 更に言うと、師匠と同じことができる! と思った部分があるのも否定出来ない。が、それは言わないでおこう。なんか痛い目に遭う気がする。

「ったく、はっきり言ってそんな理由でさぼらないでほしいものだが、なんか感動的な話で、自ら補習レポートを書くと言い出しているからな……意欲はあるんだよな」

「そうですよ! 僕だってしっかりした調理実習ならやりたいですから! まあ、学校の調理実習は実地からかけ離れているのでやりたくないと思わなくもないですけど」

「比企谷と同じことを言うんじゃない。あいつにも言ったがそれとこれとは話が別だ」

「先生! 師匠が間違ってるって言うんですか! 許せない! これ以上話しても無駄なようですね! しょうがない。こんなこともあろうかと用意した、奉仕部での師匠のご様子をまとめた極秘資料をお見せするしかありませんね!」

 そう言い返して、僕はくるりと振り向き、後ろにあるバッグから紙の束を取り出す。

「帰らないんかい!」

「帰るわけないじゃないですか。っていうか、先生、ちょっとテンションおかしいですよ」

「あ……つい若さが出てしまった」

 僕のツッコミに平塚先生は嬉しそうに反応した。どうやらさっきのおかしなテンションを若さだと取ったらしい。どちらかと言えば、今のノリは色んなものを知ってノリがよくなった親父のテンションに思える。だが外見は十分若いので今回は言わないでおく。

「で、これは?」

「これは、先ほど言ったように、奉仕部での師匠のご様子をまとめた極秘資料です。会話とかもあるので雪ノ下先輩の様子も入っていますが」

 ある意味では議事録のようなものだ。議事録の書き方とか詳しく知らないので、雑ではあるが。

 まだ奉仕部に入部してから五日(土日を挟んだので通ったのは三日)しか経っていないし、そもそも会話が少ないので半分以上、師匠の動きを記録しただけのものになっているが、その中にはたまに行われる会話も入っているので読んでいるだけで師匠の偉大さと正しさを理解できる。

「そ、そうか。やっぱり君、好きなものには一直線だな。ん? でも、こんなものいつ書いているんだ?」

「いつって、そりゃ部活中ですよ。今、パソコン置いてありますし」

 何を当然のことを。家帰ったら、彼女とメールのやり取りしたり、アニメ見たりしたいんだから部活でやるに決まっているだろうに。

 雪ノ下先輩にも活動日誌、という体でパソコンの持ち込みを許可してもらっているのでこれを部活外で書くわけに行かないのも事実なのだ。

「なるほど。それなら……」

 平塚先生は、俯いて何かをぶつぶつ言いながら考えている。その顔はどこか面倒事を運んできそうな顔だった。そういう姿を見ていると、やっぱり綺麗な人なんだな、と実感させられる。余計に、結婚できない理由が分からない。

「とりあえず、これを読めば分かりますから! それでは!」

 紙の束を押し付け、僕は踝を返し、その場を後にしようとする。今度は帰るのだ。

「こんなものを押し付けて帰ろうとするなコラ。まだ話は終わっていない」

 ……ばれたか。平塚先生は腕を伸ばすと僕の制服の襟を後ろから引っ張る。子猫を掴みあげるような形で再び平塚先生の方を向かされる。これなら、バッグの中の白紙の束を撒き散らして混乱させている間に逃げればよかったかもしれない。早く、部活に行きたかったから極秘資料を見せたのに。

 平塚先生はため息をつきながらレポート用紙をぱんっと手の甲で叩く。すごい、師匠にもやっていた仕草だ。今僕は師匠と同じことを体験しているぅ!

「だから真面目にやれ」

「はぃ、すんません」

 僕が渡した紙の束で頭をはたかれた。不服だ。僕の扱いが圧倒的に酷すぎる。

「調理実習の日にピンポイントで欠席してしまったという無礼をここに謝罪し、その意思表示としておいしいカレーの作り方を書かせてもらいます。ん、まあここまではいい。問題はその後だ。1、玉葱はいれない。あんなもの、上手く煮えないとただまずいだけだ。薄くすれば味は染みやすいが、この世の中には薄っぺく、人に影響されやすい奴なんていらないのでカレーも同様に玉葱を取り除く……。皮肉を混ぜる前にまずはおいしいカレーの作り方を織り交ぜろ! あいつより酷いじゃないか」

「先生、師匠より上等なものを求めるのはやめてください……自分でも分かってるのにそういうこと言われるとちょっと辛いです……」

「あ、ああ。そうか。なんかすまん」

 平塚先生は心底申し訳無さそうに言う。そんな真剣に謝られるとそれはそれでなんだか具合が悪い。先生は、深くため息を吐きながらタバコに火をつけ、口に運んだ。

「再提出じゃなく未提出、ということでもいいそうだ。体調不良で欠席したからといって成績を下げることはないからな」

「いえ、再提出用のは用意してあるので出します」

「おう、そうか……こっちは随分と作りこまれているな。君は、料理できるのか?」

 再提出用のレポート用紙をひらりとめくりながら平塚先生が意外そうな表情で尋ねてくる。心外だ。カレーくらい最近の高校生なら誰でも作れるだろうに。

「まあ、そうですね。将来のことも考えれば」

「なんだ? 君も主夫とか言い出すのか?」

「いえ、流石にそれはないです。思ってたこともありましたが」

「ああ、そうか。あったんだな……」

 少し残念そうな顔をされてなんだか罪悪感を感じてしまう。と、同時に平塚先生はじゃあ、なんで? と視線だけで聞いてきた。

「料理できないと、嫁が風邪のとき助けてあげられませんから」

 僕が答えると、平塚先生は大きな瞳を瞼で隠し、煙をふぅっと吐き出した。その所作はどこか、寂しさを感じさせる。

「君は主夫になるつもりはないのか。よかった」

「今も魅力的だと思うんですけどね。でも、どう考えてもうちの彼女には家事スキルで勝てないので」

「キラキラと仔犬のような目をしながら夢を諦めるな。せめてどろどろさせろ」

「いや、だからどろどろさせたいんですけど師匠には追いつかないんですって!」

「ああ、そうだな、悪い。っていうか、別にどろどろさせなくていい」

 先生は心底気まずそうな顔をする。別にそんな顔しなくてもいいんだけどな……敵わないのは既に分かっているし、弟子入りしてるし。

 それはそうと、そんなに僕の目は仔犬みたいなんだろうか。僕は師匠のようなどろどろした目がいいんだけど。

「君と話しているとどうにも調子が崩されるな。参考までに聞くが、君の将来設計はどうなっているんだ?」

 あなたの将来がどうなるのかの方が私、気になります! とか言ったらまた泣かれてしまう気がしたので正直に僕のことを話す。

「まあ、それなりの大学に進学しますよ」

 頷き、相槌を打つ平塚先生。

「ふむ。その後、就職はどうするんだ?」

「ライトノベルを書くのが趣味なのでそちらを並行してプロを目指しますかね。基本的には」

「君もか……どうせ君もすぐにころころ夢を変えるんだろうな」

「それはないですって! ワナビだってしっかりしてる人しますから!」

「そ、そうなのか……衝撃だ。すまないな。知人、というか生徒に、ラノベ作家志望の奴がいるんだがそいつが駄目人間でな。つい、一緒にしてしまった」

 そんな生徒がいるのかよ。平塚先生、本当に生徒思いだなぁ。早く結婚相手見つかるといいなぁ。

 真剣に謝罪をしてくる平塚先生を見て、僕の心がちくりと痛んだ。

 確かにワナビにもしっかりしている人はいる。けれど、僕はその中には入らないんだと思う。

 だって僕はラノベ作家になれなかったときのことを考えていない。どうなるか、という具体的なことを考えているわけでもない。ただ妄信しているだけでしかないのだ。

「あ、もしラノベ作家になれなかったらどうするのか、考えているのか? 教師としてはそういうところを考えさせたいんだが」

 痛いところをつかれた、と思った。

 別にそれなりの企業に就職する、とかでもいいんだと思う。大学だって別に具体的な名前を出しているわけじゃないんだし。それでも答えられなかった理由は、今の僕には分からない。

「そのときは、主夫になりますよ! 家事、勉強して!」

「それはヒモと言うんだっ! 恐ろしいくらいダメな生き方だ。奴らは結婚をちらつかせて気付いたらいつの間にか家に上がりこんできてあまつさえ合鍵まで作ってそのうち自分の荷物を運び始め、別れたら私の家具まで持っていくんだぞっ! 君はそんな奴にならないでくれ……」

 微に入り細を穿ち懇切丁寧にまくりたてる平塚先生の目には涙が浮かんでいる。最後の方とか、本気で懇願していた。きっと、辛い過去があったのだろう。つい、同情してしまう。

「先生! 馬鹿にしないでください! 僕はそんな風にはなりません。絶対に今の彼女と結婚しますから。彼女のためだけのヒモになります」

「そんなオーダーメイドのヒモはいらないっ!」

 ちょっと上手い事を言ったかのような顔をする平塚先生を見て、僕は師匠が言いそうなことを考えて理論武装することにした。

「ヒモっていうのはあれですけど。男が家事をするっていうのは悪いことと言い切れないと思いませんか?」

「はあぁ? 聞いてやろう」

 平塚先生は椅子をぎしぎしと軋ませて呆れた顔でこちらを見る。ああ、既に師匠、この状況に合ってるんだ……多分、調理レポートの再提出をくらった後に話したんだろうな。僕、その時ちょうど呼び出されたからそこまで立ち聞きできてない。

「今って女性の社会進出が当然のようになってるじゃないですか! まあ、教師とかってなると女性は前からいたでしょうけど。それこそ東京の都知事も女性ですし」

「……まあ、そうだな」

 師匠は一体何を言ったんだろうと思いを馳せながら言葉を続ける。

「けど、女性が職場に出てきたら、その分男性が職にあぶれるのは分かりきってますよ。そうなれば、それぞれの職に適正がある人が選ばれるでしょう。餅は餅屋って言いますしね。と、なれば僕は仕事につけるはずがありませんっ!」

「そんなことを自信満々に言う生徒を前にした教師の気持ちを、少しは考えてほしいものだな」

 深々とため息を吐き、頭を抱える平塚先生には申し訳ないと思う。いやね、言い始めたらちょっと自分でも怖いくらいにしっくりきちゃってるんですよ……。

「更にっ! なんかロボットが出てきて、仕事をどんどん減らしてってるって聞きますしね。そうなりゃ、仕事自体が減ります。余計に僕は仕事に就けません。僕が仕事に就くよりもっと優れた人が就いた方が社会のためですからね」

「捻じ曲がった概念だが、間違いじゃないな。君が自己評価が低すぎる気がしなくもないが」

「ですからっ! 僕なんかよりずっと長けているうちの彼女が社会に出て、僕が家事をやるって選択肢もなきにしもあらずかな、と。ま、できれば僕が家計は支えたいですが」

「そ、そうか……君のことが少し分かった気がする。別に君は働くのが嫌なわけじゃ、ないんだな」

 うんうんと頷きながら、平塚先生は言う。

「そう、ですね。むしろ働くの大好きですよ。なので、今日も奉仕部で勤労してきてよろしいでしょうか! 師匠にお茶をご用意したいのですが」

 茶、というのは昨日、僕が運び込んだティーセットで入れる紅茶のことである。そこまで詳しくないので、セレクトは雪ノ下先輩。なので茶葉を持ち込んだのは雪ノ下先輩だ。

 僕が用意することになっているのは、僕が後輩で、弟子だからだ。

「は? 茶? そこまで奉仕部は豊かになっているのか……私も、今度行こうかな」

「ええ、ぜひぜひ!」

 お茶を入れる技法とかも本当に詳しくないのだが、まあ自分でやったことで誰かが喜んでくれるというのは嬉しいものだ。

 なので、平塚先生にも来てほしい。あと、奉仕部にお客さんが来てもいいと思う。

「あ、多分今日、客が行くと思うからよろしく頼むぞ」

「マジですか!? 分かりましたっ! あ、じゃあ帰りにその極秘書類だけとりにきますねっ!」

「あ、ああそうだな」

 敬礼をしてから、僕は職員室を出た。

 あの師匠と一緒にいられるパラダイス、奉仕部に向かう。部を名乗っているがまだ活動していなかったが、ようやく今日、活動できるかと思うと楽しみだ。師匠のご活躍を見ることができる!

 やばい、また彼女に自慢できてしまうぜ。



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なので、由比ヶ浜結衣は日木宗八と似ている。

 いつものように部室では師匠と雪ノ下先輩が本を読んでいた。

 遅れたことをわびるため僕は師匠の前で深々と挨拶をすると、僕は師匠の近くの場所に椅子を持ってきて、そこに荷物だけ置く。まずは、師匠の茶を用意しなければ。

 今や奉仕部は完全にリラックスルームと化していた。不本意ではあるが雪ノ下先輩セレクトの茶葉は香りがよく、淹れているだけで穏やかな気持ちになる。

「遅くなりましたが。どうぞ」

「おう、悪いな」

「ありがとう」

 好きなわけでもない雪ノ下先輩だが、微笑まれて感謝をされると少し好感を持ってしまう。師匠も本気で嫌っているわけではなさそうだし、きっと悪い人ではないのだろう。

 だが、敵は敵だ。

 先日、師匠と雪ノ下先輩が勝負をしていると聞いた。どちらが人に奉仕できるかの勝負とのこと。勝利するのは師匠に決まっているが、ここは僕も弟子として何かしなければならない。

 そのためにも今日来るお客様には全力で愛想を振りまかなければ。

 そんなことを考えながら、僕はいつも通りパソコンを起動させ、活動記録もとい師匠観察記録を作成し始めた。

 来訪者の弱々しいノックはそんな中、唐突になった。

「どうぞ」

 雪ノ下師匠はページをめくる手を止めて丁寧に栞を挟みこむと、扉に向かって声をかけた。

「し、失礼しまーす」

 緊張している、とすぐに分かる声だった。

 からちと戸が引かれて、僅かに隙間が開いた。そこから身を滑り込ませるようにしてお客様は入ってきた。まるで誰かに発見されるのを嫌うかのような動きである。

 肩までの茶髪に緩くウェーブを当てて、歩くたびにそれが揺れる。探るようにして動く視線は落ち着かず、師匠と目が合うと、ひっと小さく悲鳴を上げた。

 ……なんか、失礼だなぁこの人。

「な、なんでヒッキーがここにいんのよ!?」

「……いや、俺ここの部員だし」

 っていうか、ヒッキーって師匠の事? お客様だから愛想を振りまこうと思いはするが流石にこの人失礼すぎる。

 彼女はまさに今時のジョシコウセイって感じの女子だった。この手の女子はよく見かける。青春を謳歌している派手めな女子。短めのスカートに、ボタンが三つほど開けられたブラウス、覗いた胸元に光るネックレス、ハートのチャーム、明るめに脱色された茶髪、そのどれもが校則を完全に無視した出で立ちで、THE・リア充という感じだ。

 僕は彼女と交流があるわけではないが、しかし彼女のことは知っていた。

 だが、師匠は彼女のことを知らない風だ。当然と言えば当然である。ここは師匠に教えて差し上げるべきなのかもしれないが「師匠、あの人は~です」とは言えない雰囲気だった。

 と、そこで師匠の視線が胸元に行った。おそらくリボンが赤なのに気付いたのだろう。この学校は三学年、それぞれに割り当てられたリボンがあり、それで学年の区別がつくようになっている。赤、というのは師匠と同じで二年生であることを意味する。だが、師匠は同じ学年であることに気付いたからといって名前を思い出せはしないだろう。

 だって、そもそもご存知じゃないだろうし。

「まぁ、とにかく座って」

 師匠はさりげなく椅子を引いて、彼女に席を勧めた。その紳士的な姿、痺れるほどにかっこいいぜ。

 師匠ってば超紳士。僕も見習いたいものだ。

「あ、ありがと……」

 彼女は戸惑った様子ながらも、師匠に勧められるままに椅子にちょこんと座った。僕はそれを見て、彼女の分の茶を用意した。

「由比ヶ浜 結衣(ゆいがはまゆい)先輩ですよね?」

「え? あ、あたしのこと知ってるの?」

 彼女は意外そうな顔をして僕を見る。いや、そりゃ知っているに決まってる。なにせ彼女、由比ヶ浜先輩は師匠が好きだから。あ、ライクじゃなくてラブな意味で。

「ふ、普通は知っているわよ。知らないのは比企谷くんくらいじゃないかしら」

「なっ、いや、そんなことないぞ。俺だって別に知らなかったとは言ってないだろ」

「そうかしら? じゃあ、由比ヶ浜さんが何組か分かる?」

「…………」

 師匠は、あからさまに視線を逸らした。ああ、やっぱりご存知ないようだ。当然と言えば当然。なにせ、師匠はクラスのリア充なんかに興味をお持ちになる方ではないのだから。とはいえ、ここで師匠が恥をかくのは僕の本意でもない。

 僕は師匠にだけ聞こえる声で、Fと呟く。

「え、F組だろ。分かってるっての」

「はあぁ……日木くん?」

「なぁんですか♪ ゆ・き・の・し・た・せ・ん・ぱ・い!」

「っ……何でもないわ」

 きりっと睨んだって怖くないんですよ雪ノ下先輩。いい加減に学んでください……まあ笑顔で返せば大抵折れてくれるあたり、チョロくて(都合が)いい人かもしれん。

 雪ノ下先輩は咳払いをしてから、肩にかかった髪を払った。

「なんか……楽しそうな部活だね」

 由比ヶ浜先輩がなんかきらきらした目で僕達三人のことを見ている。あ、もちろんその視線の中心は師匠である。……それにしてもあれだな。この人、僕と同じ匂いがする。

「別にゆかいではないけれど……。むしろその勘違いがひどく不愉」

「もちろん、楽しいですよ! なにせ師匠がいらっしゃいますから」

 雪ノ下先輩の冷ややかな視線と言葉を遮るように、僕は身を乗り出して答えた。実際、師匠のおかげで毎日パラダイスだし。あ、ちなみにこの辺の会話も全部ブラインドタッチで記録している。

「ししょう?」

「八幡様のことです!」

「えっ……ヒッキー、後輩にそんな風に呼ばせてるの?」

「違うっ、断じて違う。そいつが勝手に言ってるだけだ」

「勝手に? 土下座までしてい」

「ああ、分かったからそれ以上言うな。誰かも知らない相手に変な情報流したら炎上だからやめろ」

 テンポのよい会話だなぁ、とぼんやり思っていると、由比ヶ浜先輩は感心したような声を漏らした。

「ヒッキー、クラスにいるときと全然違うね。ちゃんと喋るんだー」

「いや、喋るよそりゃ……だからしみじみ言うんじゃねぇ。余計辛いだろ」

 由比ヶ浜先輩の言う事は、僕も何となく分かる気がした。

 師匠は基本的にはお話なさらない。。奉仕部も静かだし。けれど、いざというときには驚くほどにお話なさるのだ。饒舌になる、というのだろうか。パロディーをぶっこんできたり、ツッコんだり色々と。

「流石、由比ヶ浜先輩! 師匠のこと、よく見てますね!」

「え? いやいやむしろ見てないから。視界から抹消してたから! なんであたしがヒッキーなんかのことよく見てると思ったのかむしろ疑問なぐらいだし」

「ひでぇ……」

 ノリであおっただけなのだが随分と分かりやすいものだ。僕が気付くわけだし、師匠もお気づきになってそうなものだが……と思い視線を師匠に向けると、師匠は苦い顔をしていた。これは、気付いてらっしゃらないパターンですか。まあ、しょうがないのかもしれない。

「っていうか、別に僕は変な意味で言ったわけじゃないですよ? ただ、由比ヶ浜先輩って〝リア充〟じゃないですか。だからクラスのこと見てるなぁと思っただけですよ」

 僕が付け足すと、なんだか師匠の目がいつも以上に腐った。由比ヶ浜先輩は自分の勘違いで顔真っ赤にしてるし、雪ノ下先輩は僕と由比ヶ浜先輩のノリに疲労し始めてる。

 だからだろう。師匠の目のその腐り具合がこれまで見た事がないほどになっていることに僕しか気付かなかったのは。

「……このビッチめ」

 師匠は小声で毒づく。

「はぁ? ビッチって何よっ! あたしはまだ処――う、うわわ! な、なんでもないっ!」

 由比ヶ浜先輩は、ばさばさと手を動かして今しがた口にしかけた言葉を掻き消そうとする。なるほど。どうやら由比ヶ浜先輩はアホの子らしい。その慌てぶりを助けるつもりなのだろう。雪ノ下先輩が口を挟む。もう、話が逸れまくる予感しかしない。

「別に恥ずかしいことではないでしょう。この年でヴァージ――」

「わーわーわー! ちょっと何言ってんの!? 高二でまだとか恥ずかしいよ! 雪ノ下さん、女子力足んないんじゃないの!?」

「…………くだらない価値観ね」

 おぉ、なんか分からないけど雪ノ下先輩の冷たさがぐっと増した。あれか? 地雷踏んじゃったのか?

「にしても女子力って単語がもうビッチくさいよな」

「同感です! 師匠、流石ですよ! 本当に女子力ある人は女子力とか気にしませんからね。ソースは僕の彼女ですっ!」

「うぅ……二人して酷い。ヒッキーに味方がいるなんて」

 由比ヶ浜先輩は悔しそうを通り越して心底ショックそうに吐き捨てた。いや、僕は味方じゃなくて弟子なんだけど……まあ言わないでおくか。

 彼女のことを詮索されてもあれだし、由比ヶ浜先輩がビッチかどうかを判定して時間が終わってもあれなので、僕は強引に話を進めることにした。

「由比ヶ浜先輩の下半身事情はちょっと本当にどうでもいいのでご用件をお願いします。さもないとうっかり」

「え、あ! う、わ、分かったからやめて!」

 どうやら僕が最後まで言わなくても僕が脅迫していることは分かったようだ。うんうんやっぱり流石はリア充。恋愛脳は伊達じゃないということか。

 でもまあ、マジな話をするなら由比ヶ浜先輩は師匠が抱いているような憎むべきリア充ではない。だからこそ、師匠を好いているわけだし。

「……あのさ、平塚先生から聞いたんだけど、ここって生徒のお願い叶えてくれるんだよね?」

 かすかな沈黙の後、由比ヶ浜先輩はそう切り出した。

「そうなのか?」

 師匠は驚いた顔をしながら言う。

 雪ノ下先輩は師匠の質問は一切無視して由比ヶ浜先輩の質問に答える。まあ、由比ヶ浜先輩の質問も師匠の質問も同じだが。

「少し違うかしら。あくまで奉仕部は手助けをするだけ。願いが叶うかどうかはあなた次第」

 その言葉はいささか冷たく突き放したようだ。

「どう違うの?」

 怪訝な表情で由比ヶ浜が問う。それはどうやら師匠の疑問でもあるらしい。なので、ここは僕が答えることにした。

「簡単に言うと、百点のテストをあげるんじゃなくて、テストで百点が取れるように教えるということです。ボランティアっていうのはそもそもそういう方法論を与えるものですからね」

 まあ、平塚先生としてはそんなことまで考えていないのだろう。ただ単に生徒の悩みを解決するための部活、くらいにしか考えて無さそうだ。だが、うちには凝り固まった倫理観の塊、雪ノ下嬢がいるからこういう大義名分が必要なのだ。

「なるほど」

「なんかすごい!」

 師匠にご理解いただけたようで何よりである。雪ノ下先輩にはまたしても不満足げな視線を向けられるが。

 それにしても由比ヶ浜先輩、すっごい納得した表情しすぎてむしろ将来が不安になりますよ……。

 何の科学的根拠もない話だが、巨乳の子は往々にして……という仮説も世の中には存在する。その一例に加えてもよさそうだ。うちの彼女は、そんなふるいにはかけられない。だってあの子、エンジェルだし。

 かたや、塗り壁みたいな胸をした知性明晰にして怜悧極まる雪ノ下先輩は、不機嫌に口を開いた。

「必ずしもあなたのお願いが叶うわけでは無いけれど、できる限りの手助けはするわ」

 その言葉で本題を思い出したのか、由比ヶ浜先輩はあっと声をあげる。

「あのあの、あのね、クッキーを……」

 言いかけて師匠の顔をちらっと見る。

 ほほぅ。由比ヶ浜先輩の依頼がまるっと分かってしまった。ってか、もしかして雪ノ下先輩も分かっていないのだろうか? いや、多分表面的なことは理解しているが、内層的なことを理解していないパターンか。

「比企谷くん」

 雪ノ下先輩はくいっと顎で廊下のほうを指し示した。師匠に対してそんな失礼に、しかも指図するとかいい度胸だ。せめて「目障りだから席を外してもらえるかしら、二度と戻ってこないでくれると嬉しいのだけれど」って優しく言えばいいのに。いや、よくないな。どっちにしても許さん。

 まあ、それとは別に、なんかここでわざわざ師匠に席を外して頂いてまで女子二人で(僕は師匠についていくに決まっている)話させるのはちょっと効率が悪いような感じがする。師匠の活躍を早くみたい僕は、時短することにした。

「……ちょっと『スボル」

「その必要はないですよ、師匠。わざわざ退出しなくてもご用件は分かりましたので。由比ヶ浜先輩、ちょっと」

 確実ではあるが、一応確認しておかないと偏屈部長を動かせないので、僕は由比ヶ浜先輩を手招きする。すると、由比ヶ浜先輩は身を乗り出してきた。いやいや、それじゃ聞こえちゃうし目のやり場に困りますから……。

 どうやら由比ヶ浜先輩に配慮を期待した僕が馬鹿だったらしい。今度は僕が、由比ヶ浜先輩の方に行き、二人と距離を置いてから由比ヶ浜先輩に囁いた。

「師匠にクッキー渡したいんですよね? でも料理が苦手で、師匠にただクッキーを渡すだけじゃ周囲の目が気になるからここにきたんですよね?」

 由比ヶ浜先輩が料理が下手であることは先日、鶴見先生がぼやいていたので知っている。どうやら危険なレベルらしい。あとは簡単な推測だ。

 図星だったらしく、由比ヶ浜先輩は分かりやすく顔を赤らめて頷く。

「でしたら家庭科室にいきましょう。雪ノ下先輩、どうせ料理上手いでしょうし。なんなら僕も教えられます。試食とかこつければ師匠に食べて頂けますし、後日、お礼と言って渡せますよ。その後、奉仕部に入部すれば事故のお礼もいつかできますよ」

 師匠の事を誰よりも知っている僕だからこそ提示できた案。僕が優れているとかじゃなく、僕の師匠への敬愛が優れているのだ。

 事故、と言った瞬間由比ヶ浜先輩の顔が驚きの色で満たされる。当然だ。普通は知らないような情報。こんなの、師匠への敬愛云々でどうにかなるものじゃない。

 それを知っている理由は師匠への敬愛とはまったく別のことなのだが、別に僕のことなんてどうでもいいだろう。

「う、うん。すごいね。えっと……」

「日木 宗八と申します」

「じゃあ、ハチね! よろしく、ハチ!」

「はい」

 由比ヶ浜先輩は、無邪気な笑顔を浮かべた。それを見ていると、弟子の僕まで誇らしくなってくる。

 流石師匠。うちの彼女には劣りますが、由比ヶ浜先輩は魅力的な女の子ですよ。

 思いながら、二人の方を向き直り、にっこりと笑う。

「話は終わったかしら」

「ええ。あなたがいないおかげでスムーズに話が進みましたよ、雪ノ下先輩♪ 師匠。師匠抜きで話をしてしまったご無礼をどうかお許し下さい」

「ああ、いや別にいいから。で、何するんだ?」

「家庭科室に行きます! もちろん、師匠も」

「家庭科室?」

 そう、家庭科室である。好きな人たちでグループを作って調理実習とかいう実地から遠い実習(笑)を行う教室だ。

「何すんの?」

「クッキー……。クッキー焼くの」

「はぁ、クッキーを」

 師匠はワケが分からなそうな顔をしている、くっ、弟子としてはぜひ説明して差し上げたいのだが……クッキーを焼く以外の説明ってなると由比ヶ浜先輩が師匠の事を好きってことが入ってくるし、それを僕の口から言えばきっと師匠は由比ヶ浜先輩との距離を測りかねてしまう。それで距離を取る、なんてことになれば師匠の活躍が見れない! それは嫌なので黙る。

「なんで俺たちがそんなこと……。それこそ友達に頼めよ」

「う……、そ、それはその……、こういうマジっぽい雰囲気、友達とは合わない、から」

 由比ヶ浜先輩は視線を泳がしながら答えた。

 ふぅ、と師匠が小さくため息をついた。

 そりゃそうだろう。師匠は、おそらく人の恋路に興味を持たれるタイプではない。もちろん僕も、師匠以外ならどうでもいいと思うタイプだ。そんな師匠は、誰が誰を好きかなんて知るくらいなら英単語の一つでも覚えていたほうがよっぽど有意義だ、とか思ってらっしゃるのだと思う。

 リアルな話すると、師匠、当事者なんだけどね。

「はっ」

 そんなことを知らない師匠は鼻で笑った。

「あ、あう……」

 由比ヶ浜は言葉を失って俯いた。スカートの裾をきゅっっと握り締めて、少し唇を震わせている。

「あ、あははー、へ、変だよねー。あたしみたいのが手作りクッキーとかなに乙女ってんだよって感じだよね。……ごめん、やっぱいいや」

「あなたがそう言うのなら私は別に構わないのだけれど……。――ああ、この男のことは気にしなくてもいい話。人権はないから強」

「強制的ではないですし、師匠は人権ありますから!」

 雪ノ下先輩が師匠に失礼なことを言おうとしたので邪魔する。

「いやーいいのいいの! だって、あたしに似合わないし、おかしいよ……。優美子とか姫菜とかにも聞いたんだけどさ、そんなの流行んないっていうし」

 そう言って由比ヶ浜はちらりと師匠を見た。そのしゅんと萎れた姿に追い打ちをかけるようにして雪ノ下が口を開いた。

「……そうね。確かにあなたのような派手に見えるような女の子がやりそうなことではないわね」

「だ、だよねー。変だよね!」

 たはは、と人の顔色を窺うようににして由比ヶ浜先輩は笑った。

 その姿はかつての僕に重なった。

 周囲の目を気にするが故にいじめをいじりだ、とのたまい笑った頃の自分。

 微妙、な生き方をし、中途半端な苦しみを叫びもせず、ただ目を背けた自分。

 そんな僕に由比ヶ浜先輩が重なったとき、僕は師匠に目を向けた。

 師匠なら救ってくれるのではないか、という懇願。由比ヶ浜先生を救ってくれればきっと過去の僕も救ってくれる気がしたのだ。

「……いや別に変とかキャラじゃないとか似合わないとか柄でもないとかそういうことが言いたいんじゃなくてだな、純粋に興味がねぇんだ」

「もっとひどいよ!」

 師匠の適当なジョークに由比ヶ浜先輩は笑顔を取り戻す。

 答えはくれない。でも笑わせてくれる師匠を、心底かっこいいと思った。

 バンッと机を叩いて由比ヶ浜先輩が憤慨する。

「ヒッキー、マジありえない。あー、腹立ってきた。あたし、やればできる子なんだからねっ!」

「それは自分で言うことじゃねぇぞ。母ちゃんとかがしみじみ潤んだ目でこっちを見ながら言うもんだ。『あんたもやればできるこだと思ってたんだけどねぇ……』みたいな感じで」

「あんたのママ、もう諦めちゃってるじゃん!」

「妥当な判断ね」

「大丈夫ですよっ! 師匠、やらなくてもできるすばらしい方ですからっ!」

 由比ヶ浜先輩がぶわっと目に溜め、雪ノ下先輩がうんうんと頷く。雪ノ下先輩ひどいなぁ。でもその場がどこか和やかな空気になった。

 それは紛れもなく師匠の力だ。

 師匠は本当にすごい。孤独な世界にいながら、人を笑顔にできるだなんて。

 昔の僕も、きっと師匠になら本当の笑顔を見せられたんだと思う。

「じゃあ、行きましょうか」

 師匠、ありがとうございますっ! と、言葉にはせず、けれどしっかりと心の中で感謝をして、僕は奉仕部の扉を開けた。



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こうして比企谷八幡は快進撃をする。前

 結論から言おう。由比ヶ浜先輩には料理スキルが欠如していた。足りるだの足りないだのの問題ではく、最初から存在しない。

 由比ヶ浜先輩は不器用な上に大雑把で無駄に独創的というおおよそ料理をするのに向かない人間だった。化学の実験とかも、手順どおりにこなせないタイプだ、この人。僕と一瞬でも似てると思ったが、それはどうやら見当違いだったらしい。

 例のブツが焼きあがったころにはなぜか真っ黒なホットケーキみたいなものができている。それは、うちの彼女が作ってくれたものとは大きく異なり、匂いからして苦いっていうかヤバイ。

「な、なんで?」

 由比ヶ浜先輩は愕然とした表情で、物体ⅹを見つめている。いや、なんでとか思う余地ないだろ。

「理解できないわ……。どうやったらあれだけミスを重ねることができるのかしら……」

 雪ノ下先輩が呟く。小声であるあたり、由比ヶ浜先輩に聞こえないように配慮はしているんだと思う。さっき、エプロンつけてあげたり何気に面倒見てあげたりしてるので、それなりに由比ヶ浜先輩を好意的に捉えているんだと思う。

 それでも、我慢できずに漏れ出たという感じだ。

「見た目はあれだけど……食べてみないとわからないよね!」

「そうね。味見してくれる人もいることだし」

 言いながら雪ノ下先輩は師匠の方を見る。ああ、確かに僕は師匠に『味見』という体で食べて頂こうと思ってはいた。でも、これは『味見』じゃない。

「ふははは! 雪ノ下。お前にしては珍しい言い間違いだな。……これは毒見と言うんだ」

「大丈夫ですっ! 師匠、僕が代わらせていただきます!」

「そうか? お前、いい奴だなぁ」

 師匠が、ごしごしと頭を撫でてくださった。やばい、極楽すぎる。彼女に撫でてもらうのもいいが、これは力が少し強くて、彼女とは別の気持ちよさがある。

「どこが毒よっ! ……毒、うーんやっぱ毒かなぁ?」

 威勢よく突っ込んだわりに見た目が不安なのか由比ヶ浜先輩は小首をかしげて「どう思う?」みたいな視線を向けてきた。いや、どう思うも何も紛れもない毒ですから……。

 師匠は由比ヶ浜先輩の子犬チックな視線を振り切って雪ノ下先輩に水を向けた。

「おい、これマジで食うのかよ。俺は食わないけど、日木にだけ食わせるのもヤバイんじゃないか? ジョイフル本田で売ってる木炭みたいになってんぞ、これ」

「食べられない材料は使っていないから問題ないわ、たぶん。それに」

 雪ノ下先輩はそこで言葉を切ってから髪を耳にかける。

「私も食べるから大丈夫よ。というか、あなたも食べなさい」

「えぇ……俺の分も日木が食ってくれるって言ってるじゃん」

「……あなた、本当に最低ね」

「雪ノ下先輩! 師匠を悪く言うのはやめてください! 僕は師匠の体内に有害物質を入れてはいけないと思ったんです!」

「はあ……そう、でも一枚くらいは食べないと問題を解決できないのではないかしら? 知るためには危険を冒すのも致し方ないことよ」

 なるほど、納得。皿を自分の側に引き寄せ、鉄鉱石ですといわれても信じてしまいそうな黒々とした物体を摘み上げる雪ノ下先輩の言葉にうんうんと僕は頷いた。

 確かに、少しだけでも食べて頂かないと師匠のご手腕を見せて頂けない。僕は深々と頭を下げ、師匠に懇願した。

「一枚、食べて頂けますでしょうか?」

「頭下げなくていいっての。まあ、雪ノ下も食うんだしな」

 師匠はそう言いながら由比ヶ浜先輩のほうを見た。彼女は仲間になりたそうな目で師匠を見ている。……あ、こういうところは似てるな、と思った。

 

                  ×    ×    ×

 

 由比ヶ浜先輩の作ったクッキーはぎりぎり食べることができた。

 よくマンガに出るような食べた瞬間ゲロを吐いて倒れるようなことはなかった。が、気絶できるだけ彼らは幸せだったんだな、とまずいものを食べてきた登場人物達に思いを馳せるほどのリアルな不味さだった。

 即死するようなものではない。が、長期的に見ると発癌リスクが高まりそうなレベルだった。僕は由比ヶ浜先輩の料理の下手さを舐めていたのだ、と思った。

 まずいだの、苦いだの、やっぱり毒だのとぼやきながら、四人でなんとか食べきり、今は僕が用意した紅茶で口直しをしていた。あぁ、でもこれじゃ足りないな。今度、彼女にクッキー作ってもらお。

 それぞれがようやく一息ついて、ため息を漏らしたとき、そんな弛緩した空気を引き締めるように雪ノ下先輩が口を開いた。

「さて、じゃあどうすればより良くなるか考えましょう」

「由比ヶ浜が二度と料理しないこと」

「師匠に賛成です!」

「二人に全否定された!?」

「二人とも、それは最後の解決方法よ」

「それで解決しちゃうんだ!?」

 驚愕の後に落胆する由比ヶ浜先輩。がっくりと肩を落として、深いため息をつく。

「やっぱりあたし料理に向いていないのかな……。才能ってゆーの? そういうのないし」

 それを聞いて雪ノ下先輩がふうっとため息をついた。

「……なるほど。解決方法がわかったわ」

「どうすんだ?」

 師匠が尋ねると、雪ノ下先輩は平然と答えた。

「努力あるのみ」

「それ解決方法か?」

 師匠が問う。が、僕は今ばっかりは雪ノ下先輩の意見に賛同せざるをえなかった。

 由比ヶ浜先輩には、確かに才能がない。料理に関して言えば、もはや最悪レベルに非才だろう。そんな人間はもう頑張るしかない。その他のどんな要素も入れることなど出来ないのだ。はっきり言って無策。見込みがないからやめろ、と言われたほうがずっとマシだとは思う。でも。それでも凡人だって努力すればそれなりになれるはずなのだ。努力しない天才を追随するくらいには。

「努力は立派な解決方法よ。正しいやり方をすればね」

 彼女の発言は師匠の問いに答えた。けれどもその代わりに僕の賛同を裏切る。

 ああ、やっぱりダメだ。この人は所詮、〝強者〟。

「由比ヶ浜さん。あなたさっき才能がないって言ったわね?」

「え。あ、うん」

「その認識を改めなさい。最低限の努力もしない人間には才能がある人を羨む資格はないわ。成功できない人間は成功者が積み上げた努力を想像できないから成功しないのよ」

 雪ノ下先輩の言葉は辛辣だった。けれど、それはどこまでいっても強者の言葉。才能がある奴の意見でしかなかった。

 ふざけるな、と言いそうになる。

 努力したって成功なんてしないんだよ。成功者が積み上げた努力と同じ分だけ努力したって、成功できないから凡人は凡人たりえるんだ。

 それなのに、成功できない人間ハ努力が足りないみたいな言い方、許せるはずがない。

 由比ヶ浜先輩の顔には戸惑いと恐怖が浮かんでいる。ただ、正論を言われるのに慣れていないだけなんだろう。

 それをごまかすように由比ヶ浜先輩はへらっと笑顔を作った。

「で、でもさ、こういうのさいきんみんなやんないって言うし。……やっぱりこういうの合ってないんだよ、きっと」

 へへっと由比ヶ浜先輩のはにかみ笑いが消えそうになったとき、カタッとカップが置かれる音がした。それはとても物静かで小さな音でしかないのに、透き通った氷のような音色だった。有無を言わさず音の主へと視線が引き寄せられる。そこには強者たる、怜悧な雪ノ下先輩がいる。

「……その周囲に合わせようとするのやめてくれるかしら。ひどく不愉快だわ。自分の不器用さ、無様さ、愚かしさの遠因を他人に求めるなんて恥ずかしくないの?」

 雪ノ下先輩の語調は強い。色んな意味で〝強い〟。その姿に、僕は彼女からにじみ出る嫌悪よりも大きな、深い嫌悪を彼女に抱いた。

「なんですか、それ。それじゃ、由比ヶ浜先輩が不器用で、無様で、愚かみたいじゃないですか。まあ、不器用なのは否定しないですけど。でも、どこが無様で愚かだっていうんですか? 自分の望みのために、自分が得意じゃないことに手を伸ばして、才能がないことなんて分かりきってるのにそれでも奉仕部にきたんですよ? そうやって必死こいてやって、その上で諦めようとすることのどこが無様で愚かだって言うんですか」

 由比ヶ浜先輩は気圧されて黙り込んでいる。きっと誰も求めているわけではないだろうに口を出してしまった自分に僅かな嫌悪を抱く。でしゃばってしまった。コミュニケーション能力が高い由比ヶ浜先輩にとっては、きっと僕の言動は邪魔でしかないんだと思う。

 由比ヶ浜先輩は、僅かに驚いて僕の方を見ていた。その目は潤んでいる。

 僕が何も言わなきゃ、普通に謝るだけで済んだ。なんなら、投げ出して帰るとか言って、依頼を放棄できた。

 でも僕が下手に言ってしまったせいで、きっと優しい由比ヶ浜先輩は動けない。こんな愚行、師匠なら決してなさらないだろう。

「か……」

 やはり、帰るのだろうか。いや、むしろそうしてくれるならよかった。下手に気にせずに出て行ってくれるなら気が楽だ。今にも泣き出しそうなか細い。肩が小刻みに震えているせいで、その声をゆらゆらと頼りなげだ。

「かっこいい……」

「「は?」」

「え?」

 師匠と雪ノ下先輩の声が重なり、追尾するように僕の声を被る。これには険悪ムードになっていた雪ノ下先輩と僕、そしてそんな雰囲気から逸脱していた師匠も顔を見合わせてしまう。

「建前とか全然言わないんだ……。なんていうか、そういうのかっこいい……」

 由比ヶ浜先輩は熱っぽい表情で雪ノ下先輩と僕をじっと見つめる。へ? 僕も? 理解できずにいると、雪ノ下先輩が強張った表情で二歩ほど後ろに下がる。

「な、何を言っているのかしらこの子……。話聞いてた? 私、かなりきついことを言ったつもりだったのだけれど。実際、日木くんもああ言っているわけだし」

「ううん! そんなことない! あ。いや確かに言葉はひどかったし、ぶっちゃけ軽くひいた。ハチが庇ってくれて嬉しかったけど、正直、そのせいで余計パニックになっちゃったけど……」

 うん、まあそうですよね。それは分かってましたよ。突然、由比ヶ浜先輩と雪ノ下先輩のやり取りに口出してるわけだしね。馬鹿でしかないわな。

「でも、本音って感じがするの。ヒッキーと話してるときも、ひどいことばっかり言い合ってるけど……ちゃんと話してる。あたし、人に合わせてばっかだったから、こういうの初めてで……」

 由比ヶ浜先輩は逃げなかった。

 今逃げても、その勇気は気高いのに。それでも逃げずにやろうとした。

「ごめん。次はちゃんとやる」

 謝ってからまっすぐに雪ノ下先輩を見つめ返す。

 予想外の視線に今度は雪ノ下先輩が声を失った。ざまぁみろと言いたいところだが、僕も同じように声を失っていたので言える立場になかった。

「…………」

 雪ノ下先輩はふいっと視線を横に流して、手串で髪を払う。何か言うべき言葉を探して、けれども見つからないといった表情をする。……なるほど、この人、アドリブに弱いのか。

「……正しいやり方ってのを教えてやれよ。由比ヶ浜もちゃんと言うことを聞け」

 その場の無言を壊すように師匠が言うと、ふっと短いため息をついて、雪ノ下先輩が頷く。流石師匠だ。一番大切なところで口をお出しになるのだから。僕とは大違いだ。

「一度手本を見せるから、そのとおりにやってみて」

 そう言って立ち上がると雪ノ下先輩は手早く準備を始めた。

 そうなると、もう僕は出番がない。おとなしく依頼の解決を待つことにした。

 

                  ×    ×    ×

 

「なんでうまくいかないのかなぁ……。言われたとおりにやってるのに」

 心底不思議そうな顔をして由比ヶ浜先輩は自分が作ったクッキーに手を伸ばした。

 雪ノ下先輩の完成度が高いクッキー(うちの彼女には劣る!)を食べた後、由比ヶ浜先輩は雪ノ下先輩に一つ一つ細かく説明されながら第二号のクッキーを作った。

 第一号と比べればはるかにこっちの方がいい。食べ物の体を成しているわけだし。

 しかし、二人の様子を見て僕は思った。

 天才や強者の天敵は非才や弱者なのだ、と。

 本当に頭のいい奴は人に教えるのも上手だとか、どんなバカにも分かるように説明するというが、そんなことはない。だってそれがあったら、科学のテレビでアホみたいに難しい言い回しをする科学者なんていなくなるはずだ。

 天才の天敵は非才。何故なら見えているものが違いすぎるが故に、天才が理解するまでの順序で教えると非才は理解できないのだ。

「うーん、やっぱり雪ノ下さんのとは違う」

 由比ヶ浜先輩は落ち込み、雪ノ下先輩は頭を抱えている。

 師匠はそんな二人の様子を見つつ、クッキーをもう一つ齧った。この陰鬱な空気じゃなきゃ、写真でも撮りたくなるクールさだ。

「あのさぁ、さっきから思ってたんだけど、なんでお前らうまいクッキー作ろうとしてんの?」

「はぁ?」

 由比ヶ浜先輩は「こいつ何言ってんの? 童貞?」みたいな顔で師匠を見た。あまりに馬鹿にしくさった顔に、僕はムッとしてしまう。師匠は童貞に決まってるだろ、師匠につりあう女性がいないんだから。

「お前、ビッチのくせに何もわかってないの?  バカなの?」

「だからビッチ言うなっつーの!」

「男心がまるでわかってないのな」

「し、仕方ないでしょ! 付き合ったことなんてないんだから! そ、っそりゃ友達にはつ、付き合っている子とか結構いるけど……そ、そういう子たちに合わせてたらこうなってたし……」

 由比ヶ浜先輩の声は見る間に小さくなっていき、もう全然聞き取れない。はっきり喋りましょうよ、小学校の頃の僕ですか……。

「別に由比ヶ浜さんの下半身事情はどうでもいいのだけれど、結局、比企谷くんは何が言いたいの?」

「師匠。お恥ずかしいのですが、僕も理解できません」

 師匠は充分のためを作ってから勝ち誇ったように笑った。

「ふぅー、そうやらおたくらは本当の手作りクッキーを食べたことがないと見える。十分後、ここへきてください。俺が〝本当〟の手作りクッキーってやつを食べさせてやりますよ」

「何ですって……。上等じゃない。楽しみにしてるわ!」

 自分のクッキーが否定されたのがカチンと来たのか、そう言って由比ヶ浜先輩は雪のした先輩を引っ張って廊下へと消えていく。

「あ、お前はここにいていいぞ」

 師匠は実に楽しそうに仰る。

 これで、勝負は師匠のターンということだろう。実に楽しみである。



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こうして比企谷八幡は快進撃をする。後

 しばらくの後、家庭科室は剣呑な雰囲気に包まれていた。

「これが『本当の手作りクッキー』なの? 形も悪いし、不揃いね。それにところどころ焦げているのもある。――これって……」

 雪ノ下先輩が怪訝な表情でテーブルの上の物体を眺めている。その脇から由比ヶ浜先輩がひょいと覗き込んできた。

「ぶはっ、大口叩いたわりに大したことないとかマジウケるっ! 食べるまでもないわっ!」

「ま、まあ、そう言わずに食べてみてくださいよ」

 あまりの暴言に口角がひくひくと動きそうになるが、努めて笑う。これが師匠の作戦なのだと、逆転の一手があると、その勝利の確信を胸に師匠の隣で笑う。

「師匠がこう仰ってるのですから、ぜひ食べてみてくださいよ」

 手本を見せるかのように僕はそのクッキーに手を伸ばし、口に放る。別においしいわけではないそれをおいしそうに食べて見せる。

「そこまで言うなら……」

 由比ヶ浜先輩は恐る恐るクッキーを口にした。雪ノ下先輩も何も言わず一つ摘む。

 サクッと快い音がしたのち、一瞬の沈黙。

 それは嵐の前の静けさに他ならない。

「っ! こ、これはっ!」

 由比ヶ浜先輩の目がくわっと見開かれた。味覚が脳にまで到達し、それにふさわしい言葉を探し出そうとする。

「別に特別何かあるわけじゃないし、ときどきジャリッてする! はっきり言ってそんなにおいしくない!」

 驚きから一転、怒りへと感情が揺れ動いた。そのせいなのか、由比ヶ浜先輩は師匠のことを睨む……くっそ、後でおぼえとけよ。

 雪ノ下先輩は何も言わないが師匠を訝るような視線を向けている。食べてすぐ気付くあたりは流石というべきか。

 師匠は二人分の視線を受け止めてから。そっと目を伏せる。

「そっか、おいしくないか。……頑張ったんだけどな」

「――あ、ごめん」

 師匠が俯くと、由比ヶ浜先輩は気まずそうに視線を床へと落とす。

「わり、捨てるわ」

「師匠! そんなことする必要ないですよ!」

「いや、あいつらまずいって言ってるし、いいんだ。悪いな、かっこいいところ見せられなくて」

 師弟による猿芝居。悲しそうな顔をする師匠を必死で引き止めるような仕草をする。それでも捨てようとする師匠を見て、僕は由比ヶ浜先輩に懇願する。

「ま、待ちなさいよ」

「……何だよ?」

 由比ヶ浜先輩はそんな僕の懇願よりも先に師匠の手を取って止めていた。そのまま師匠の言葉に返事をする代わりにその不揃いなクッキーを掴んで口に放り込んだ。

 ばりばりと音を立て、じゃりじゃりとしたそれを噛み砕く。

「べ、別に捨てるほどのもんじゃないでしょ。……言うほどまずくないし」

「……そっか。満足してもらえるか?」

 師匠が笑いかけると、由比ヶ浜先輩は頷いてすぐにぷいっと横を無入れしまう。窓からは夕日が差し込んでいて、その顔が赤く見える。

「まぁ、由比ヶ浜がさっき作ったクッキーなんだけどな」

「……は?」

 クールに、そつなく、師匠は真実を告げた。僕も師匠も一言も師匠が作ったとは言っていないので嘘はついていない。

 由比ヶ浜先輩が間抜けな声をあげる。目が点になって口が大きく開いてむしろ間抜けだ。

「え? え?」

 目をぱちくりさせながら師匠と雪ノ下先輩、そして僕を交互に見つめる。何が起こったのかさっぱり把握できていないようだ。

「比企谷くん、今の茶番になんの意味があったの?」

 雪ノ下先輩は不機嫌にそう尋ねる。

 師匠の顔が、一気に優越感に染まるのが見ていてわかる。何故だか、僕まで誇らしくなる。

「お前等はハードルを上げすぎなんだ。せっかくの手作りクッキーだ。手作りの部分をアピールしなきゃ意味が無い。味なんて悪くたっていいんだ」

 まあ、いいに越したことはないと思うけど、と心の中でぼやく。

 だが実際、男とはちょろい生き物なのだ。

「そうなの?」

「ああ、そうだ。上手に出来なくても、一生懸命作りましたっ! ってところをアピールすれば『僕のために頑張ってくれたんだ……』って勘違いすんだよ、悲しいことに」

「そんなに単純じゃないでしょ……」

 由比ヶ浜先輩は疑わしげに師匠を見る。またしても何言ってんの、童貞? みたいな視線を向けている。僕も余計かもしれないが援護射撃をすることにした。

「少なくとも師匠はそうだってことですよ。僕もそうですしね。それに、由比ヶ浜先輩みたいな可愛い女の人の手作りでしたら、大抵の人は喜ぶと思いますよ。ね、師匠?」

「あ、ああまあそうだな」

「ふーん」

 可愛い、という点に師匠が同調したからなのか由比ヶ浜先輩の頬が一気に赤くなる。ああ、ちょっと見てて楽しい。

「由比ヶ浜さん、依頼のほうはどうするの?」

「あれはもういいや! 今度は自分のやり方でやってみる。ありがとね、雪ノ下さん」

 振り向いて、由比ヶ浜先輩は笑っていた。その笑みは、決してリア充の偽りの笑みではなく、無邪気な子供っぽい笑みだった。

「また明日ね。ばいばい」

 手を振って今度こそ由比ヶ浜先輩は帰っていった。エプロン姿のまま。

「……本当に良かったのかしら」

 雪ノ下先輩はドアの方を見つめたまま呟きを漏らす。

「私は自分を高められるなら限界まで挑戦するべきだと思うの。それが最終的には由比ヶ浜さんのためになるから」

 やはり、正論。強者の考えに僕は鬱々とした。

 努力がどうしてその人になると決め付けるのだろう。努力によって失うものと得るものを計算して、本人が納得できるかどうかをどうして推し量れるのだろう。

 その人間のことを知らないくせに努力がその人のためになるだなんて、そんなのは傲慢でしかない。そのことを理解できないのは、彼女が強者で、持つ者だからだ。持つ者だから努力には必ず見合う結果が返ってくるのだと思い込んでいるのだ。

「まあ、正論だわな。努力は自分を裏切らない。夢を裏切ることはあるけどな」

 だからだろう。師匠の言葉が耳朶を打つように心地よかったのは。

「どう違うの?」

 振り返った雪ノ下先輩の頬を風が撫でる。わずかに温かいその風は今が春なのだと主張しているように感じた。

「努力しても夢が叶うとは限らない。むしろ叶わないことのほうが多いだろ。でも、頑張ったって事実さえありゃ慰めになる」

 救われたな、と思う。

 ジョークで笑わせてもらっただけじゃなくて今度は本当に。

 才能がなくて苦しんでいて、自分の努力が足りないんじゃないかと思い苦しんだ頃の自分に聞かせてやりたい。

 別に結果が出ないのは、夢が叶わないのは努力が足りないからじゃないのだ。そういうこともある。そういうことの方が多い。それだけなのだ。そんな、自分を庇う言葉を師匠に正当化してもらえた気がして、僕は嬉しくなる。

「ただの自己満足よ」

「別に自分に対する裏切るじゃねぇさ」

 だからいいじゃないか、自己満足でも、と言われた気がして、うっかり涙がこみ上げそうになる。

 師匠、やっぱりすげぇな。本当にかっこいい。

「甘いのね……。気持ち悪い」

「お前含めて、社会が俺に厳しいんでな」

「師匠! 僕はもっと師匠に優しくさせていただきます!」

「ああ、ありがとさん……なんか、例外もいるみたいだけどな」

「そうね。よかったじゃない。慕ってくれる人がいて」

 そう言った雪ノ下先輩の言葉には他意があるような気がした。

 ま、まさか雪ノ下先輩に限って、由比ヶ浜先輩の好意に気付いたということはあるまい。

 それと、すごいどうでもいいかもしれないが今のこの辺のやり取りはばっちりボイスレコーダーで録音しているので明日までに文字に起こさなければならない。

 まあ結論は確定だな。

 師匠、まじかっこいい。

 

 ちなみに。

 由比ヶ浜先輩はたまたま僕が外せない用事で奉仕部を欠席した日から奉仕部に入り浸り始めた。

 雪ノ下先輩曰く、入部届けはもらっていないとのこと。あと、どういうわけか雪ノ下先輩と由比ヶ浜先輩が仲良くなっていた。本当に何があったんだろうか。ちょうど欠席してしまったことが惜しまれる。

 だがまあ、いつの間にか奉仕部は四人の部活となり大所帯となったのだった。




短いですね、すみません。
まあ、あまり途中の話を入れても同じようになりすぎてしまうので。
次回あたりには一色さん、だしますかね


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だから一色いろははいじめられている。

 チャイムが鳴り四限が終わった・一気に弛緩した空気が流れ始める。ある者はダッシュで昼を調達しに向かい、ある者は机をがたがたと動かして弁当を広げ、またある者は別の教室に向かう。

 昼休み、まだ日常を成型しきれていない一年J組の教室はどこか不恰好な喧騒に包まれる。

 今日のように雨が降っていると僕には行くところがない。普段なら師匠が見つけた昼食にピッタリなベストプレイスがあるが、さすがに二年生の教室に僕が行くと師匠のご迷惑になってしまうのだ。

 仕方なく教室で一人、彼女が作ってくれた弁当を広げもぐもぐと食べていた。

 こんな雨の日こそ、彼女とメールをして過ごしたいものなのだが、彼女はコミュニケーション能力も高いために友達に近しい関係の人が多く、学校でのメールは授業間の短い休みでしかできないのだ。

 まあ、授業間の休み時間にメールしてもらえるだけありがたい。その幸せを噛み締めながらお弁当を頬張る。

 J組は女子が九割をしめる。故に、男子は基本的に一箇所――教室の前のほうに集まっている。

 その中に、僕は混じろうと思えば混じれてしまう。僕は中途半端だ。師匠のような真のぼっちは他人に思考のリソースを一切割かないためにその思索はより深いものになる。しかし僕は違う。どうしても周囲に目を向け、リソースを割いてしまう。

 膨大な情報を会話という限られた表現手段によって伝えるのは難しい。パソコンと同じだ。膨大なデータをサーバーにあげたりメールで送ったりするのには時間がかかる。それを理解するが故に僕は、無意識に情報を減らしてしまう癖がある。

 僕はそれを悪癖だと自覚している。メールをするだけがPCのすべてではないというのに、メールをするためだけにPCを使っているような気分になってもったいない。

 人とは、考える葦なのだ。それなのに考えることを打ち切ってしまうのは、もはや人であることを放棄したのと同じ。

 俺は人であることをやめたんだ……などというとかっこいいところがあるが、実際問題考えないというのは愚か極まりない。それこそ、彼らのような。

 彼ら、というのは今、教室の前で青春を謳歌しまくっている彼らである。確か伊勢原とか高津とかいったか。

「は!? お前、彼女いるの? このリア充」

「いや、別にそんな可愛い奴じゃねぇって」

 実に愚かである。そも、自分の彼女を貶す時点で男として最悪。別に知らない奴だが殺意が湧くレベル。

 まあ、僕も彼女の自慢をしたい部分はあるし僅かに混じりたいと思わなくもない。だが彼女自慢なんてしたってリア充に話せば鬱陶しいことになること請け合い。あと、普通にああいう鬱陶しい爽やかリア充みたいのは苦手だ。

 そんな爽やかな男子とは異なり、割とどろどろとした会話を繰り広げている集団もいる。それが女子だ。

 教室の後ろにいる十人に満たないグループがそうだ。

 ぶっちゃけ彼女らのことは一切知らない。興味もないし。

 どいつも派手な格好をしており、その中には由比ヶ浜先輩以上に校則を無視している奴もいる。

 だが彼女らが無視しているのは校則だけじゃない。道徳観もまた、無視しているのだ。

「あの子、サッカー部入ったんだってぇ」

「マジ? うっわ、あざと。絶対、部員食うつもりでしょ」

「それ思った! ほんとビッチだよね」

「それそれ、ほんとそれ。サッカー部って葉山先輩いるんでしょ? 最悪じゃん」

 そんな風にある一人の女子を彼女らは罵倒する。その中心にいるのは一際派手な少女。金髪の髪が肩に触れるか触れないかのところまで伸び、かなりこてこての厚塗りメイクをしている。見せパンでも穿いてるのかよってくらいに短いスカートと、襲われたのかとってくらい乱れた制服。名前は……ああ、思い出した。小田原だ。

 小田原の顔立ちは綺麗で整っているのだが、その分、無茶苦茶性格が悪い。だが、そのカリスマ性からなのか周りにはいつも彼女の味方がいる。なので、男子も、女子も彼女を恐怖の対象としてみている。

 だが、僕にとっての小田原は恐怖の対象ではない。むしろ簡単に嫌ってくれるいいカモ、という認識だ。嫌われないとなんか微妙に、グループの一員みたいにされてしまうので、後々嫌われる場面が必要なのである。

 まあ、今の僕とは何の接点もないから話しかけることなんてない。

 ただ、一つ。今日も今日とて行われる特定の人物への悪口に腹が立つ。

「それそれ。葉山先輩のいる部活に、入るとか節操ないよね。マジうざい」

 小田原が畳み掛けるように言う。周囲の取り巻きもうんうんと頷く。それは、一種の宗教のようでもある。

「今度、あの子こらしめよーよ!」

 一人の取り巻きが口にすると、その場にいた全員が、同調する。

 それを、ほかの女子のグループは黙ってみているしかない。女社会とはそういうものなのだろう。男社会よりも権力による圧力が顕著。女のスクールカーストはもはや、政界の次元だ。

「ぶはっ・・・・・・」

 思わず笑いがこみあげてくる。もうね、なんか愚かすぎて見てられない。マジでほんと、ダメ。ダメ、絶対。

 その愚かしい空気がいつしかクラスの日常になるのだろう。少ない男子は小田原を恐れるゆえになにもできず、女子はダメージを恐れて一人の女子を生け贄にする。

 そうして、成り立つ平和は、なんて愚かで醜いんだろう。きっと、師匠なら欺瞞だ、と罵るだろう。

 自分を犠牲にして犬を、助けてしまうくらいに師匠はお優しいお方だから、自分以外が犠牲になることなんて、きっと、許さない。

 だが、だからといって、今ここで僕が動いたって迷惑になるだけだ。当事者がいない中でやっても意味がない。

 そう、思っていたとき。ふいに教室が凍りついた。男子は黙りこみ、小田原の周り以外の女子も沈黙する。

 そしてどういうわけか、その場の全員の視線は教室の前のドアに、集中した。

「あははは・・・・・・」

 気まずそうに作り笑う少女が、そこにはいた。

「ねえねで、なんかあの子、また男子に色目使いに、きてるよ」

「うわっ。葉山先輩だけじゃなくてうちのクラスの男子まで狙ってるとかありえないんだけど」

「ほんと、それ。あの子マジでビッチじゃん」

「あの・・・・・・」

「あれじゃん? もう、色んな男子とヤってるんでしょ」

 小田原の取り巻き3号が言うと、追随するようにどっと笑いが起きた。まるでアメリカのコメディ番組のような胡散臭い笑い声だ。或いは嗤い声かもしれない。

 聞きたくもないのに、ついそちらに意識が向いてしまうのが僕の中途半端さだ。まあ、基本集団で人を攻撃するときの声はでかいから、聞こえるのかもしれないが。

「・・・・・・あの」

「あ、でもやりすぎるとなんか、面倒なことになるかも。あの子腹黒いし」

「あー、それもある。うっわ、マジ厄介なんだけど」

「あ、あの高津くん。いいですか・・・・・・」

「え・・・・・・。別にいいけど」

 少女に、呼ばれた高津とかいう男は心底迷惑そうな顔をする。

 少女はサッカー部の話で、声をかけているだけなのにそんな顔しなくたっていいだろ。この場で一番気まずいのは彼女なんだから。

 一色いろは。一年C組。サッカー部マネージャー。亜麻色の髪の髪がショートカットよりは、少し長く伸びている彼女と僕は多少なりとも、親しい。

 同じ中学だった。彼女の友達だった。その程度の繋がりでしかないから親しいと、言うほどじゃないのかもしれない。でも、少なくとも一色いろはという人間を知っていると胸を張って言える関係性だ。

「えっと、それ今じゃなきゃダメ?」

「そ、その方がいいですけど・・・・・・」

 いつもはきゃぴきゃぴした一色があんなにもおとなしくなっていることが意外だった。彼女なら、小田原に、食って掛かりそうなものだが。

 きっと、リア充というのは僕が知る以上に大変なのだろう。あの一色でさえ敵わないほどに。

 なら、やっぱりぼっちこそ最強だな。気を使うのとか、面倒臭そうだし。

 と、一色とたまたま目があった。その悔しそうな顔に胸を痛めると、何かを決意したようにすぅーっと深呼吸をした。

「あの・・・・・・あたしのこと悪く言うのやめてくれませんか?」

「え、なに? 別に一色サンのことなんて、話してないんだけど。ってかそもそも悪くいってないし。やましいことでもあった?」

「そ、そんなのないですけど。でも、明らかに私のことですよね?」

 小田原の嘲る顔を見て、刹那一色の顔が硬直する。

 普段のあざとさはどこにいったのか、今の一色は今すぐにでも舌打ちをしそうな表情をしている。これまでもこんな場面には何度か遭遇したがここまで険悪な彼女の顔は初めて見た。まあ友達であるうちの彼女は、見たことがあるだろうから、僕がこれまで目を背けて来ただけなのだと思う。

 だって、どこにいっても人は変わらない。高校にきたから、一色に対するいじめが激しくなっただなんてことありえないのだ。

「は? え、ちょ、なになに? 思い当たるところがあるわけでもないのに決め付けてるの? うっわひど」

「へ? いやあの・・・・・・」

 歯切れ悪く答える一色。もう、そう答えるしかない。これはもう、彼女の失態ではない。

 その彼女の様子は小田原たちを調子に乗らせたらしく暴走というレベルにまで達していた。

 クラスの中心にいる小田原の暴走にクラス中が静まり返る。男子の視線が余計に一色と小田原に集まる。

 男子の前では可愛くいようとする一色のことだ。普通に小田原と口論するよりも、堪えるものがあるのだろう。

「ねぇ、なに? それじゃわかんないんだけど。根拠もないのに、こっちを悪者みたいに、扱ったんだからさ、謝ってくんない?」

 一色は震えながら俯いてしまう。

 小田原の言っていることはもはや私刑の宣告だった。この場で謝ること。それは、自分の非を認めるだけでなく、男子という第三者の前で二度と逆らわないことを誓わされるようなものだ。

 ほんと、どこにいってもこういうことはなくならない。嫌なものだ。

 目の前で彼女の友達が悔しそうに震えていて、理不尽に負けそうになっている。そんな状況でも彼女の弁当はおいしいにはおいしいが、やっぱり楽しさが半減される。

 『孤独のグルメ』的に考えて、食事ってのは幸せなもんだろ。

 あと、彼氏ってのは彼女の友達も助けてやるもんじゃないのか? 別に一色のために助けてやろうとは思わないけど、うちの彼女のために助けてやるしかないじゃんか。

 それに、そうやって嫌われるのは僕の予約席だ。他の誰かに譲ってなんかやらねぇよ。

 あー、あとあれだ。

 ・・・・・・気に入らねぇんだよこの野郎。

 僕は机をがたっと鳴らして颯爽と立ち上がった。

「あ、やっべー! 間違えて昼休み始まった時からずっと録音してたぁ。まあ、一年生の様子、葉山先輩知りたいって言ってたしちょうどよかったかぁ」

「ちょ、あんたなに言って」

「あ? いや独り言だから気にすんなよ。昼休み始まった時からおたくらの会話全部録音してただけだし。別に悪く言ってないならいいっしょ?」

 白々しく言ってからスマホを掲げ、僕は鼻歌を歌いながら教室の扉に向かう。

「ちょ、待っ」

「えぇ? 待ってほしいんすか? でも悪く言ってないんすよね? ならよくないっすか?」

 小田原と、その周りの女子の顔が見る見る青ざめる。葉山先輩と言う人が師匠と同じクラスで、トップカーストのリア王であることは、知っていたがまさか、ここまでとは。利用できてよかった。

「よ、よくないから。悪く言ってから。だから、その・・・・・・やめて」

「へ? マジですかぁ! 小田原さんは一色さんを悪く言ってんすかぁ! へぇ! それで? 一色さんに謝るわけでもないのにぃ、こっちに頼むわけですかぁ?」

 わざと大声で廊下にいる人にも聞こえるように言う。これは師匠のやり方とは絶対違う。中途半端で確実性のない愚かなやり方だ。

 でも少しは効果があったらしい。

「あの、一色サン。ごめん」

「わ、わたしも」

 小田原に続くように色んな人が少し頭を下げて謝る。強制されたがゆえに気持ちなんてこもってないし、このまま終われば一色への攻撃が陰湿になるだけなのはわかってる。

 だからこそ、僕には解決しきれない。

 あとは、一色の舞台だ。

「いえ、あの、べ、別にぐすん、構いませんぐすん」

 一色は見事に、腰を抜かした演技を決める。

 それまで虚勢を、張っていた、と思わせるような演技。そして、今、気が抜けたかのような演技。

 そして、涙をこらえるように、けれどこらえきれずに泣いてしまう演技。

 あざとい彼女に男子はころっと騙される。

「一色さん。何もできなくてごめん。これからは、俺たちが守るから」

 さっきまで黙ってたくせに、手のひら返しをして一色に寄り添う。

 あそこまでいったんだ。しかも、空気は明らかに小田原が不利。パワーバランス的にも男子は強くなる。これで今後も安心。一色いじめも、解消されることだろう。

「んじゃ、これは、消すか」

 そう聞こえるように言ってから外に出る。

 実際は録音すらしてないので、一応消すような素振りだけはする。

 そのとき、スマホが震えた。

『今回はありがと。ここにも言っといてあげる♪』

 一色からのメール。

 それにしても、あいつ、いつの間に打ったんだか。

 まあ、別にいい。興味ない。

 

 結論。可愛いは正義。あざといは悪魔。一色いろはは恐ろしい。

 




この間に由比ヶ浜さんのいざこざが起こっています。

最終的に変わらないつもりでしたが、ほんと、終着点が変わらないだけで途中は変わります


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ひとまず作者は閑話休題を入れる。

 ちょっと別のものを書いていて、今日は余裕がありません。ごめんなさい。
明日からは書くぞ、という意思表示のためにも今日は主人公のプロフィールを。

4月2日、修正しました。彼女の名前が変更されています。


 一年J組 日木 宗八

  誕生日 

 9月24日

  趣味

 小説を書く 彼女いじり アニメ鑑賞 読書(ラノベ、しかもラブコメのみ)

 八幡観察

  休日の過ごし方

 彼女とメールをしながら小説を書く

 彼女とメールをしながらアニメ鑑賞

 彼女とデート

  座右の銘

 餅は餅屋

  身長

 八幡よりかなり低く、一色よりもさらに低い。

  その他

 ・八幡の制服の着崩し方をまねしている。

 ・八幡を崇拝しはじめたのはとある事件があったから。

 ・とある事件には、奉仕部メンバー全員が関わっている。

 ・普通よりかなり目がよい。

 ・普段は彼女お手製の巾着を持ち歩いている。その中には本やティッシュ、

  文房具などが入っている。

 

 

 一年J組 小田原 華(おだわら はな)

  はっきり言って今後登場する予定が皆無なほどの出落ちキャラでは

 ありますがオリジナルキャラではあるので。

  誕生日などの詳細な説明はしませんがいくつか説明をします。

 

 ・二年F組の小田原という人物の妹。詳しくは原作をチェック。

 ・原作で一色いろはを勝手に生徒会長選挙に立候補させたのは彼女。

 ・非常に派手な見た目。

 

 別学校  櫻木 心(さくらぎ こころ)

  日木の彼女です。今後、登場する予定ですので詳しく紹介をば。

 

  誕生日

 8月25日

  趣味

 小説を書く 漫画を描く 絵を描く お菓子作り 読書(何でも)

  休日の過ごし方

 彼氏とメールしながら小説を書く

 彼氏とメールしながら漫画を描く

 彼氏とメールしながら絵を描く

 彼氏とデート

 図書館で読書など

  座右の銘

 やらない理由よりやる理由を。

  身長

 日木よりもさらに小さい。小さいことを気にしている。

  その他

 中学生の頃に日木と付き合い始めた。

 非常に手先が器用。

 

 

 

 かなり残ったので彼の作文を再び。

 

  高校生になって

       一年J組  日木 宗八(ひき そうはち)

 

 比企谷 八幡様を僕は敬愛している。

 あの方の目を見たとき、僕は実感した。彼こそ僕を導く者だ、と。心の師だ、と。

 あの方の素晴らしさを列挙していこう。

 あの方は国語のテストに於いて一年生時、いつも学年三位だった。これは素晴らしいことである。

 この総武高校は、かなり偏差値の高い進学校だ。実力テストだって、非常に難しい。入学試験を受けた一年生である僕だからこそ分かる。国語学年三位というのは、偉大な成果である。

 また、あの方はいつも孤独である。

 この数週間、あの方を時々見かけたが、必ずと言っていいほどあの方は一人でいた。誰かと話しているところを見た事が無い。それなのに、あの方から一切、惨めさを感じない。むしろ活き活きをしている。

 そんな比企谷 八幡様に、僕は憧憬を抱いた。

 あの方のようになりたい、と心底思っている。

 結論。

 僕、日木 宗八は比企谷 八幡様を敬愛し、高校生活の全てをあの方に捧げたいと思う所存であります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  キャラクターデータを構築完了しました。

 思考性質を精密化します。

 データ入力

 →バックデータとして以後の記録を入力します。

 



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こうして彼ら彼女らは数段階スキップする。

 今さらだが、我ら奉仕部という部活は要するに生徒のお願いを聞きその手助けをする部活だ。

 と、こうして確認しておかないと、そろそろ僕もこの部活が何をしているのか分からなくなりそうだ。だって師匠も雪ノ下先輩もずっと読書してるだけだし。由比ヶ浜先輩も携帯弄ってるし。

 別段、その状態が嫌なわけではない。師匠とともにいられるだけで充分だから。だがそれでも、流石にかなりの間、依頼が来ないと退屈してしまうのだ。

「ん。あー、っつーかお前なんでいんの?」

 由比ヶ浜先輩はあまりにも自然に雪ノ下先輩側にいるため、当たり前のように対応していたが、由比ヶ浜先輩は入部届けを出しているわけでは無い。だがまあ、ここで僕があれこれやって、介入してしまうのもよくない。もしかしたら由比ヶ浜先輩は何かしら、考えがあって入部していないのかもしれないし。

「え? あーほら、あたし今日暇じゃん?」

「じゃん? とか言われても知らねーよ。広島弁かよ」

「はぁ? 広島? あたし千葉生まれだけど」

 ま、実際広島の方言は「~じゃん?」とつくらしく、「え、いえ初めて聞いたんだけど」という感じになることがよくあるそうだ。男の広島弁は怖いイメージがあるが、その一方で女性の本場の広島弁はそれはもう大層可愛らしく、僕と師匠の選んだ可愛い方言十傑にランクインするくらいだ。のような会話を師匠とするのは、部室ではなく登下校中だ。部室だと、ほぼ確実に雪ノ下先輩に罵られてしまうし、何より部活中は読書のお邪魔になってしまいかねない。

 僕も師匠も方言を使うキャラで一番可愛いと思っているのは橘万里花である。何せ彼女は我らが千葉県のYさんの愛しのキャラだしな。

「由比ヶ浜先輩。千葉県出身者は偉大なんですよ! 師匠しかり、Yさんしかり。ですので、千葉に生まれた程度で千葉県生まれを名乗られたくないですね」

「ああ、同感だ」

「ヒッキーもハチも何言ってるのかわかんないんだけど……」

「師弟揃って、頭がおかしいのかしらね」

 雪ノ下先輩が心底蔑んだ目で僕たちを見た。特に師匠を蔑んでいる。が、師匠は気にしないし僕も気にしない。

「いくぞ由比ヶ浜。……第一問、打ち身でできてしまう内出血のことを何という?」

「青なじみ!」

「なっ!? 正解ですね。まさか千葉の方言まで押さえていらっしゃるとは……」

 由比ヶ浜先輩の誇らしげな顔が少し鼻につく。

 このままでは由比ヶ浜先輩如きが、師匠と同じだとつけあがってしまう。それはなんだか癪だ……が、それ以上に僕はとあることのための最高の機を得たことに気付く。

「では第二問!? 千葉県出身、千葉をこよなく愛する師匠は入学式に参加していませんでした!? さて、ではそれは何故でしょう!」

 刹那、雪ノ下先輩、由比ヶ浜先輩、師匠の三人の肩がそれぞれに震える。分かってたことではあるが、なんだか師匠にまで気まずい思いさせちゃってるんじゃないか、と思うと申し訳なくなる。

 だが、師匠のことだ。僕がどう動いたところで大して困る事はないであろう。

「あ、えっと……それは」

 気まずそうに笑う由比ヶ浜先輩。

「…………」

 静かに読書を続けるフリをする雪ノ下先輩。

「……?」

 僕の意図を探ろうとする師匠。

 三者三様の反応に僕は僅かに心を躍らせる。なんか、この人たち面白いな。

 師匠のかっこよさを改めて自覚する。

 師匠ってこんな目をするんだな。僕の意図を探ろうとする目は、腐っているけれど非常に鋭利でナイフよりも怖い。さながら天をも貫く神槍のようだ。

 真実を白日の下に曝け出してしまうであろう、その絶対的正義の瞳は、ある意味では絶対的な悪の瞳にも思える。

 ああ、マジかっこいい。でも、流石に僕はここで退くわけにはいかない。色々、全員で清算しとかないと、師匠が困るのだ。

 だから、悪意がない風を装って、にっこり笑いながら言う。

「正解は、自動車に轢かれていたからでした!」

 だが、部室には一ミリも笑えない空気が漂った。いやぁ、まさか千葉県横断ウルトラクイズから、例の事件の話題になるなんて思わなかっただろうな。でも、師匠。これはあなた様のための行為なのです。どうか、お許し下さい。

「師匠、師匠! 師匠は、何故、車に轢かれたんですか?」

「あ? そうだな。折角だし話してやるか」

 師匠は咳払いをする。

「俺が自転車漕いでたらアホな奴が犬のリード手放してな。そのワンちゃんが車にはねられそうになっているところを身を挺して守ったの。それはもう颯爽とヒーロー的に超かっこよく」

 師匠が話している間も、あくまで雪ノ下先輩は読書に集中しているフリをしている。けれど流石に無理がある。さっきから反応してるし。

 由比ヶ浜先輩は、というとひくっと顔を引きつらせていた。

「あ、アホな奴って……。ひ、ヒッキーはその子のこと覚えてたり、しないの?」

「いや、それどころじゃなかったしな、痛くて。まあ、印象に残ってないんだからたぶん地味な子だったんだろう」

「地味……そ、それは確かにあのときはスッピンっだったし……、髪も染めてなかったし、パジャマとか超適当な格好だったけど……あ、でもパジャマの柄クマさんだったからちょっとアホっぽいかも」

 由比ヶ浜先輩の声は非常に小さく、全然聞き取れない。口の中だけでもごもご言いながら俯いてしまう。

「で、それがどうかしたのか? ぶっちゃけ、どうして日木が俺が轢かれたことを知ってるのか疑問でしょうがないんだが」

「え? ああー、まあそうですね」

 やはり、師匠は気付いていないのか。よかった。先ほどの鋭い視線は、先の言葉どおりの意図だったということ。本当は全て気付いていて、その上であの目で見てきたんだとしたら、僕は師匠を見限るところだった。

 だがまあ、気付いていないのならば尚更、ここで清算しなければならない。僕は由比ヶ浜先輩、雪ノ下先輩を見てにっこりと笑う。そのことで、全てを僕が知っているのだ、と暗に伝える。

「師匠。これはちょっとだけ真面目な話なんで、さっさと済ませましょう」

「ん。お前から真面目な話ねぇ。ま、聞くけどよ」

「ありがとうございます」

 行ってから僕は、制服のポケットに入っている再生用紙のメモ帳を取り出す。そこから一枚切り取り、ペンで師匠に説明するために整理した情報を列挙する。

「師匠。この事件について話すにあたり、まずは立場を確認しましょう。この事件には幾つかの立場が存在します」

「被害者、加害者、ということかしら?」

「それもありますが、もう少し細かく分けましょう」

 流石に読書するフリはできなかったのか、本に栞を挟んだ雪ノ下先輩が口を挟んできた。開いてたところよりだいぶ前に栞を挟んでるあたり、本当に読んでなかったんだなって思う。

「車に轢かれた人。犬の飼い主。車に乗っていた人。轢いた人についた弁護士。そんな感じですかね、おおまかに分けると。もちろんもっと細かくしろって言えばできますけど」

 異論は無い。お三方の(特に師匠の)興味を引けていることに心の中でガッツポーズしながら、話を続ける。

「この中で、車に轢かれた人って言うのが師匠ですよね?」

「そうだな。あと、弁護士は謝罪に来たから覚えてる」

「でしょうね。でしたら師匠。この事件に関与している者は、皆、師匠の周囲の者であることをご存知ですか?」

「は? いや、意味分からん」

 流石に突然すぎたか。いくら頭のよい師匠といえど、今のような説明ではご理解いただけなくて当然だ。自分の無能さを自覚し、恥ずかしく思いながら改めて話す。

「犬の飼い主も、車に乗っていた人も、弁護士も皆、今の師匠が知っている人だ、ということです。もっと言うなら、弁護士以外は今、この場にいます」

 言うと、その場の僕以外の人間は誰もが引きつった笑顔を見せた。取り繕っているわけではなく、きっと無意識の内に出てしまうものなのだ。

 師匠も由比ヶ浜先輩も戸惑っている。この場で、状況を理解しているのは皮肉なことにクソ加害者の僕と雪ノ下先輩で、被害者である二人は何も知らなかったのだ。そう考えると早いうちに爆発させておいてよかった、と感じる。

 すぅ、と誰かが息を吸った。或いは、全員だったのかもしれない。

 さあ。いい機会だ。さっさと再定義してしまおう、奉仕部を。

 事件について、僕は全てを知っている。

 事件について、雪ノ下先輩は僕が関わっていた、ということ以外知っている。

 事件について、由比ヶ浜先輩は犬を助けてくれたのが師匠であることだけを知っている。

 事件について、師匠は自分が犬を助けたことと事件の概要のみ知っている。

 こう並べると、何かの論理クイズのようだが、難しいことはない。

 要するに事件について語るのは僕の役目だ、ということだ。だから、語るとしよう。と、言ってもややこしいことはない。

 犬の飼い主は由比ヶ浜先輩。轢かれたのが師匠。よってこの二人は被害者。

 車に乗っていたのは雪ノ下先輩。それから――僕の父親。だから。その息子である僕と雪ノ下先輩が加害者だ。

 僕の父親はその時、ちょうど運転手をしていた。車の運転手をつけるほどに、雪ノ下家は権力を持っていた。だから、ことを穏便に済ませるためお金を渡した。そのおかげで、僕の父親も捕まることはなかった。

 だが、罪が消えることはない。

 なにせ、僕の父親は人を轢いたのだ。一歩間違えば殺していたかもしれない。しかも、師匠を。

 だから僕は、父とともに何度も見舞いに行った。そのことを、師匠はおそらく覚えていないだろうが、僕はよく覚えている。入学式に参加できず、高校デビューを完全に失敗したのに、決して動じることなく読書し、ゲームし、勉強するその姿に僕は憧れたのだ。

 ……話が逸れた。

 まあ、要するにそれが真相。

 さらに言うなら、弁護士というのが葉山先輩の親族なのだが、ぶっちゃけそこはどうでもいい。

 そのようなことを、僕は説明しながらメモ帳に書いた。もちろん、僕が師匠に憧れた理由なんてものは書いていないし言ってもいない。あれは僕だけが知っていればいいことだ。

 話し終えると、その場の誰もがため息をついた。流石の僕も疲労ゆえに、ため息をつく。この状況に持ち込むまでに相当な時間がかかった。情報が正しいのか、父親に頼んで探ってもらったりしたのだから。あ、ちなみに父親に関しては雪ノ下家が働かせすぎたせいで疲労がたまっていた、ということになりお咎めは一ヶ月、僅かに減給されるだけで済んだ。

「さて、師匠。これを聞いていかがなさいますか? 先に言わせていただくと、僕が師匠をお慕いしているのは僕がそうしたいからです。師匠のためではございません」

「そりゃ、そうだろうな。俺のためになってないし」

 苦笑しながら、師匠は言う。その表情はどこか苦しげであり、晴れやかでもあった。その矛盾こそ、師匠だ、と感じる。

「まあ、あれだ。雪ノ下はそんなことないだろうけど由比ヶ浜。お前、なんか事件のことで気を遣ってるならそういうのはやめろ。そんだけだ」

 と、同時にその発言は師匠らしくないな、とも思う。

 師匠なら自戒のために由比ヶ浜先輩を遠ざけることくらいしそうなものだ。関係をデリート、くらいのことしても不思議じゃない気がする。

 だが、僕は師匠がこうするだろうと思っていた。期待していたのだ。

 きっと師匠なら救ってくれるだろう、と。

「うん……別に、気を遣ってるわけじゃ、ないよ」

 由比ヶ浜先輩は搾り出すように言ってから無邪気に笑う。作り笑顔じゃない。それはすぐに理解出来た。

「はい、じゃあこれで終わりにしましょう! 今日は師匠がお好きなマッカンをご用意しましたので。ぜひ、お二人も」

 クーラーボックス(またも持ち込みましたてへっ)の中に入っているマッカンを四本取り出し、僕は全員に渡した。紅茶は、ちょうど全員飲みきっている。

「これ、甘いやつじゃん」

「身体に悪そうね。悪いけれど、紅茶を……」

「いいじゃないですか! 今日くらい、同じもの、飲みましょっ!!」

 すこぶる嫌そうな顔をする二人に対して、うちの彼女直伝のおねだり術を使う。勢いやノリを利用して、あざとくおねだりするのは男がやっても割と効き目があるらしい。

「あー、そうだね! さすがハチ、いいこと考えるぅ! ゆきのん、一緒に飲も?」

「はぁ……。しょうがないわね。今日だけ、よ」

 なるほど、雪ノ下先輩は由比ヶ浜先輩の弱いのか。やはり天才の天敵は非才ということか。なんて思いながら僕は師匠のほうを向く。

「それでは師匠。音頭を、ぜひ」

「はぁ? 音頭? んなもんいらんだろ」

「ヒッキー、はやく!」

 何故か雪ノ下先輩と腕を組んでノリノリの由比ヶ浜先輩が急かすと、師匠はため息をついてからマッカンを掲げた。

「はいよ、じゃあリア充爆発しろっとな。完敗」

「なんか、ニュアンス違うし」

「卑屈さもここまでくると清々しいわね」

「流石、師匠かっこいいです」

 かんかん、とマッカンの当たる音がする。

 ほらな。早いうちに動けば困ることなんてないんだ。面倒臭いことを放置した結果が一番面倒臭いってな。

 

 結論。師匠の青春ラブコメはちょーかっこいい。




まじごめんなさい、反省してます。


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つまり生ゴミ先輩はマジうざい。

ええ、ごめんなさい。
本当にすみません。材木座兄さんファンの方、原作者様、ごめんなさいっ。
ですが言い訳させてください。
主人公、マジやばいです。どんどんストーリーをぶち壊します。
ですが宣言どおり、最終的なところは変わりませんのでご安心下さい。


 翌日のことである。部室に師匠と一緒に向かうと、珍しいことに雪ノ下先輩と由比ヶ浜先輩が扉の前で立ち尽くしていた。何してるのだろうか、と観察してみるとどうやら扉をちょっとだけ開けて中を覗いているらしい。

「何してんの?」

「ひゃうっ!」

 もはや卑猥な感じの悲鳴と同時に、びくびくびくぅっ! と二人の身体が跳ねた。いや、だから卑猥だって。R18小説じゃないんだからそういうのやめろよ、まったく。

「比企谷くんと日木くん……。び、びっくりした……」

「驚いたのはこっちの方だよ」

「本当ですよ、まったく。挙動不審ですね、もう」

 師匠に同調するようににやっと笑って雪ノ下先輩を攻撃する。昨日、突然事件について口走ったせいなのか僕は雪ノ下先輩にさらに嫌われていた。

「いきなり声をかけないでもらえるかしら?」

「師匠だってあなたなんかに声をかけたいわけないじゃないですか。あなたが不審だから仕方なく師匠は声をおかけになったんですよ」

「あー、もう。お前は一旦黙ってろ。雪ノ下も、睨むな睨むな」

「承知しました、師匠」

「別に睨んでないけれど。そもそもなぜ比企谷くんに指図されなければならないのかしらね。不快だわ」

 不機嫌そうな表情で睨み付けてくるのは前にうちで飼っていた猫にそっくりだ。あの猫、父親にだけ懐いてたんだよなぁ。そういう点でも雪ノ下先輩は前に飼っていた猫にそっくりである。懐かれるのは由比ヶ浜先輩か。

「悪かったよ。で、何してんの?」

 師匠が改めて尋ねると由比ヶ浜先輩は先ほどと同じく、部室の扉を僅かばかり開いて中をそうっと覗き込みながら答えた。

「部室に不審人物がいんの」

「不審人物はお前らだ」

「同感です!」

「いいから。そういうのはいいから。中に入って様子を見てきてくれるかしら」

 雪ノ下先輩はむっとした表情で命令を下した。これは男子二人がいけ、ということなのだろう。まだまだ未熟な僕一人では負けてしまうかもしれないので、師匠と共に僕たちは言われるがまま、二人の前に立つと、新調に扉を開いて中に入る。

 僕たちを待っていたのは一陣の風だった。

 扉を開いた瞬間に、吹き抜ける潮風。この海辺に立つ学校特有の風向きで教室内にプリントを撒き散らす。

 それはちょうど手品で使われるシルクハッとから幾羽もの白い鳩が飛び交う様子に似ていた。その白い世界の中に一人、佇む男がいる。

「クククッ、まさかこんなところで出会うとは驚いたな。――待ちわびたぞ。比企谷八幡」

「な、なんだとっ!?」

「待ちわびてるのに驚いてるという矛盾。師匠をフルネームで呼ぶという愚行。何より折角僕が綺麗にした教室に紙を撒き散らすという大罪。あ、あと神聖な我が奉仕部に、コートとグローブ装着でしかも勝手に入るという無礼。四つ揃って完全ギルティーですね。退場してください、せんぱぁい♡」

 こっちが驚くわこのゴミクズがッ!? 

 舞い散る白い紙を掻き分けるようにして、僕は相手に接近した。

 果たしてそこにいたのは……いや、んなことクソどうでもいい。材木座義輝なんて男、語る必要もないッ。

 いや、まぁ師匠以外の奴はほとんど語る必要もないんだけどさ。その語る必要がないのカテゴリーの中でも断トツで語る必要のない人間だった。いや、むしろ人間じゃなくてゴミクズだ。

 そんな奴に我が奉仕部に入室しる資格はない!

「クッ、まさか貴様もいるとはな、日木宗」

「黙って失せやがれ、ゴミクズがッ」

 これまでに出したことがないほどの大声を出して僕はそいつを、奉仕部の室内から出すために手を引っ張った。早く出さないと、ゴミはゴミ箱に。というか、今日は収集車が来る日だったはず……。

 雪ノ下先輩は師匠の背中に隠れながらも、怪訝な顔で僕とゴミを見比べる。そのナイスな視線にゴミクズは怯み、師匠に縋るような視線を向ける。

 が、そんなこと関係ない。全身全霊で僕はゴミを部室から出そうとする。

「日木くん、まだ話を聞いていないのだし、少し落ち着きなさい」

「えぇ? 雪ノ下せんぱぁい、誰から話を聞くんですかぁ? 今日も、依頼者は来てないですよ? っていうか、本当に暇ですねぇ。はやく、お茶飲みましょう! ちょっと、ゴミ捨ててくるんで」

「日木……気持ちは分かるが、ちょっとやめてやれ。なんか、そいつ、無茶苦茶泣きそうになってるから」

「し、師匠……命拾いしましたね、生ゴミ」

「フッ、仮に死んでもあの世で国取りするだけよ! 生ゴミと罵られようと、痛くも痒いもない」

 生ゴミが腕(仮)を高く掲げるとばさばさっとコートがはためく。ほんと、この生ゴミ礼儀を知らないなぁ。コートとか、手袋なんて建物入ったら外すのが普通だろ。

「何の用だ、材木座」

「むっ、我が魂に刻まれし名を口にしたか。いかにも我が剣豪将軍・材木座義」

「師匠! やっぱりダメですよ、これ。もう、出しましょう! ゴミ収集車、行っちゃいますよ」

「残念だがな、日木。俺も同じこと思ったがもうごみ収集車は行ってる」

「くっ、そうですね!? おのれ、遅かったか」

 あまりの悔しさに、僕は崩れ落ちた。目尻が自然と熱くなる。

 剣豪将軍とかいう設定に完全に入り込もうとしていた生ゴミは、そのいたたまれない空気に視線を泳がせていた。

「ねぇ……、ソレ何なの?」

 不機嫌、というよりかは不快感を露わにして由比ヶ浜先輩が師匠を睨み付けた。なんで師匠を睨むのか。もう生ゴミを睨めばいいのに。

「こいつは材木座義輝。……体育の時間、俺とペアを組んでいる奴だよ」

「先に言っておきますがあの生ゴミと師匠は類似点、皆無ですからね。友でもないですし。はい、終了。帰ってもらいましょう」

 僕はすっきりとした表情を作って、手をぱんぱんと叩く。また止められても面倒なので、今度は雪ノ下先輩に視線で許可を取ろうとした。

「そうね……けれどそのお友達、比企谷くんに用があるんじゃないかしら?」

「友達じゃないですよっ!」

「何故、俺のことをお前が力説するのかは謎だが、まあそうだぞ。友達じゃない」

 雪ノ下先輩に言われて、師匠は泣きそうになっていらっしゃった。きっと、生ゴミと友達扱いされたことが相当堪えたのだろう。ほんっと、師匠にダメージを与えるだなんて生ゴミ最悪だなぁ。

「ムハハハ、とんと失念しておった。時に八幡よ。奉仕部とはここでいいのか?」

 調子に乗りまくってる生ゴミが奇怪な笑い声をあげながら師匠と僕を見る。

 実にムカつく笑い方である。ぶん殴ってやりたい。

「ええ、ここが奉仕部よ」

 師匠や僕の代わりに雪ノ下先輩が答えた。すると生ゴミは一瞬雪ノ下先輩のほうを見てからまたすぐさま師匠と僕のほうに視線を戻す。こっち見んなよ、虫唾が走る。

「……そ、そうであったか。平塚教諭に助言いただいたとおりならば八幡、お主は我の願いを叶える義務があるわけだな? 幾百の時を超えてなお主従の関係にあ」

「師匠と主従関係にいるのは僕だけ、です」

 言葉を遮り、僕は生ゴミにいよいよ殴りかかろうとした。が、その拳を雪ノ下先輩は静かに止める。

 任せろ、と視線だけでそう伝えてきている気がする。流石部長だ。やっぱり頼りになる。

「別に奉仕部ははあなたのお願いを叶えるわけではないわ。ただそのお手伝いをするだけよ」

「……。ふ、ふむ、八幡よ、では我に手を貸せ。ふふふ、思えば我とお主は対等な関係。かつてのように天下を再び握らんとしようではないか」

「主従の関係どこいったんだよ。あとなんでこっち見んだっつーの」

「ゴラムゴラムっ! 我とおお主の間でそのような些末なことはどうでもよい、特別に赦す」

「むしろ僕が赦さないっ! 皆さん、ちょっと会議をしましょう」

「そう、ね。賛成だわ」

 雪ノ下先輩の賛成を得て、奉仕部は一度生ゴミから距離を置き、話し合いをすることになった。

 そのときだ。足元でかさりと何かが音を立てた。

 それは部室の中で舞っていた紙吹雪の正体だった。

 拾い上げると、素敵な文字たちがびっしりと羅列されていて、その黒さに目を奪われる。

「これ……師匠、すみません。しばし、お待ちを」

 深く謝罪してから、僕は部屋中を見渡す。四十二字×三十四行で印字されたそれは室内に散らばっていた。それを僕は急いで一枚一枚拾い上げ、通し番号順に並べ替えていく。

「先輩方も、ご協力いただけますか!? 番号順に、なっているので」

「え、ええ……まあ、あなたがそこまで言うのならいいわよ」

「う、うん! ハチ、必死だし」

「そうだな。待つのも面倒だからな」

 師匠のお手を煩わせるのは心苦しかったが、四人がかりでやったおかげですぐに回収することができた。よかった。

「ごめんな、気付いてあげられなくて……」

 自らの無力をわびるように紙の束を撫でてから、僕は生ゴミを睨んだ。

「それって……」

「ふむ、言わずとも通じ」

「流石師匠。お察しいただけているとおり、この子たちはライトノベルの原稿です。ページは大体、文庫本一冊程度。おそらく、新人賞に出るつもりだったんでしょう、この子たちは」

「この子?」

「ええ。可愛い文字たちです。いい子ですよ」

 意味が分からなそうに首を傾げる由比ヶ浜先輩に、僕はそぉっと紙の束を差し出した。ぺらぺらとめくり中身を改め始める。

「けぷこんけぷこん。ご賢察痛み入る。如何にもそ」

「とりあえず、会議をしましょうか。何となく理解できましたので」

「ええ、そうね」

 ほんっと、生ゴミはうるさい。こっちは会議をするって言っているだろうに。

 今度こそ、僕たちは集まり会議を始めた。

「おそらくですが、あの生ゴミはこの子たちを読んで感想がもらいたいのだと思います。投稿サイトとかだと、辛辣な意見が多いですし、そもそもコメントもらえない可能性がありますからね」

 個人に頼めば、確実に感想はもらえる。それに生ゴミと奉仕部メンバーくらいの関係性なら辛辣な意見は出にくいといっていい。あくまで一般的に考えれば、ではあるが。

 だから生ゴミがここに来るのは普通の思考だ、残念なことに。

「そう。なら、読んで感想を各自が持ち寄り、明日、彼に伝えるということでいいかしら」

「まあ、いいんじゃねぇの」

「うん! いいじゃんいいじゃん、楽しそうで」

 由比ヶ浜先輩は、奉仕部でなんかできればそれで満足なんじゃないかとも思えなくないが、まあそれより普通に否定意見を出すのでそっちは言わないでおく。

「師匠、身勝手かもしれませんがこの依頼、僕に一任していただけないでしょうか?」

「は? お前だけでやるっていうことか? それともあいつを葬るのか?」

「葬りたいところですが、まだまだ師匠のお側にいたいので前者です」

「そんなこと、許可するわけないでしょう、日木くん」

 師匠に許可を得ようと思っていたのに、雪ノ下先輩の冷たい声が割り込んできた。弓矢のような目を、僕は睨み返す。

「何故ですか?」

「依頼は、部員で行うのよ。一人だけに任せるわけにはいかない」

「そうかもしれませんね。ですが、この量です。コピーするにしても用紙がかなり必要になりますし、あいつを見ても人数分用意があるようにも見えません。資源的にも、たくさんの人数でやるのは如何なものかと。それに、この量を読んできて明日感想を言うというのは負担がでかいです。部員だから、とその負担を全員に強いるくらいなら、僕がその負担を背負い、別の依頼が来る可能性やこの依頼の〝裏の意図〟なんかを考えたほうがいいように思います」

 由比ヶ浜先輩は完全に黙り込んでいる。なんか、真剣な雰囲気出してるけど、絶対この人、意味理解してないよ。雪ノ下先輩や師匠と同じ学年のはずなのにな。

 師匠と雪ノ下先輩は二人で目を見合わせていた。多分、雪ノ下先輩が僕が言った〝裏の意図〟というのについて師匠に聞いているんだろう。だが、師匠に分かるはずない。んなもん、僕だって知らんし、何よりそんなものないと思うし。

「……分かったわ。ただし、あなた一人では不安だから私も読むわ。原稿は平塚先生にコピーしてもらいましょう」

「はぁ、まあそれなら」

 師匠のお手を煩わせないならまあ、それでもいい。僕としてはあの生ゴミに現実を突きつけてやれればいいんだし。

「じゃあ、そういうことで。……ざ、ざい、財津くん? この依頼、私と日木くんが解決するわ。読んで、感想を言えばいいのよね?」

「如何にも。では、よろしく頼んだぞっ」

 雪ノ下先輩と話すのが辛かったのか生ゴミは逃げ出すように奉仕部を立ち去ったのであった。



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でも、生ゴミ先輩なのは変わらない。

「頼もう」

 部活が始まり、眠そうな雪ノ下先輩と師匠、由比ヶ浜先輩、そして僕が揃ってお茶を飲んでいた頃、生ゴミが古風な呼ばわりとともに入ってきた。

「さて、では感想を聞かせてもらうとするか」

 生ゴミは椅子にドッカと座り、偉そうに腕組みをしている。顔にはどこかしら優越感じみたものがある。自信に満ち溢れた表情だ。

 対する雪ノ下先輩は珍しいことに申し訳なさそうな顔をしていた。

「ごめんなさい。私にはこういうのよくわからないのだけど……」

 そう前置きをすると、それを聞いた生ゴミは鷹揚に応じる。

「構わぬ。凡俗の意見も聞きたいところだったのでな。好きに言ってくれたまへ」

 ほほぅ、言ってることだけはラノベ作家志望みたいだな。なんか、余計にムカついてしまう。

 そう、と短く返事をすると、雪ノ下先輩は小さく息を吸って意を決した。

「つまらなかった。読むのが苦痛ですらあったわ。想像を絶するつまらなさ」

「げふぅっ!」

 あーあ、雪ノ下先輩、また僕のスイッチ押しちゃったよ。

 がたがたっと椅子を鳴らしながら生ゴミがのけ反るが、どうにか体勢を立て直す。うむ、前回、由比ヶ浜先輩のときは由比ヶ浜先輩の迷惑になってしまうと思い後悔したが、今回は生ゴミに迷惑かけたくないとか一ミリも思わないので言うことにした。

「雪ノ下先輩。訂正してください。つまらない、という読むのが苦痛ですらあった、という言葉を」

「どうしたの? 急に庇うの? 私は感想を言ってほしいと言われたから感想を言っただけなのだけれど」

 淡々と口にする雪ノ下先輩を見て、僕は小さくため息をつく。師匠と由比ヶ浜先輩は、どこかこのあと起こることを予測しているように思えた。

「あなたは先ほど、こういうものがよくわからないと言いましたよ。でしたら、一般的な意見を言うのはまだしも、その作品自体を否定するような発言は控えるべきです。感想、といえば幾らでも傷つけていいわけじゃないですよ。文章だって生きているんです。あなたの発言は、文章たちに対して、死ねと言っているようなものです」

「…………」

 熱い視線を雪ノ下先輩にぶつける。

 ここは譲れないことだ。

 作品、というのは作者の子供だ。そして、その子供に対してつまらないなどと言ってはいけない。存在を否定するような発言をするのは、それは道徳観に反する。

「そ、そうね。ごめんなさい。訂正するわ」

「ありがとうございます」

 由比ヶ浜先輩と師匠とついでに生ゴミは、緊張が解けたようなため息をもらす。僕はそれを確認してから、雪ノ下先輩が続きを言えるように促した。

「まず、文法が滅茶苦茶ね。なぜ、いつも倒置法なの? 『てにをは』の使い方知ってる? 学校で習わなかった?」

「ぬぅぐ……そ、それは平易な文体でより読者に親しみを……」

「そういうことは最低限まともな日本語を書けるようになってから考えることではないの? それと、このルビだけど誤用が多すぎるわ。『能力』に『ちから』なんて読み方はないのだけれど。だいたい、『幻紅刃閃』と書いてなんでブラッディナイトメアスラッシャーになるの? ナイトメアはどこから来たの?」」

「げふっ! う、うう。違うのだっ! 最近の異能バトルではルビの振り方に特徴を」

「そういうのを自己満足というのよ。あなた以外の誰にも通じないもの。人に読ませる気があるのかしら」

「雪ノ下先輩、ちょっといいですか?」

 なんかこの先もどんどん続きそうだったので、とりあえず気になったところを解消していくことにした。別に生ゴミのことはどうでもいいが、文章がバカにされるのは嫌だ。

「なにかしら?」

「あのですね、生ゴミは文章を創って読ませようとしているのではなく、ライトノベルの新人賞に応募しようとしているのです。で、もってライトノベル自体、ルビに特徴をつけるジャンルなんですよ。あえて、こうやってるんです。そこは、誤用ではありません。あと、ついでに言っとくと、通じないと分かってるからルビで読者との共通認識を作ってるんです。そこに入り込めないのは読者が読み込めてないだけかと」

 と、言うのはぶっちゃけ作者側が言っちゃアウトだ。それを言ったら、ただの自己正当化になる。だからこそ、ここは僕が言った。

「……やたらと雄弁だけれど、そうかもしれないわね」

 雄弁? 確かに、僕、過去最高に長文を喋ってるかもしれない。ってか、そっか。雪ノ下先輩、僕がラノベ作家目指してるの知らないのか。

「それと、話の先が読めすぎていたわ。で、ここでヒロインが服を脱いだのは何故? 必然性が皆無で白けるわ」

「ひぎぃっ! し、しかしそういう要素がないと売れぬという……展開は、その……」

 いつの間にか、生ゴミが僕に縋るような視線を向けていた。

 いやね、これもラノベであるから庇いたいところではあるんだけどね、ぶっちゃけた話をすると、僕自身はそういう要素で白けちゃうタイプの人間なんで、何も言えないんだよなぁ。

「そして地の分が長いしつこい字が多い読みづらい。というか、完結していない物語を人に読ませないでくれるかしら。文才の前に常識を身につけたほうがいいわ」

「びゃあっ!」

 生ゴミが四肢を投げ出して悲鳴を上げた。肩がぴくんぴくんと痙攣している。目なんか天井むいたまま白目になっている。ざまぁみろ、と言いたいところだが今回のダメだしは僕にも当てはまり、胸が痛んだ。なんか、これ以上聞くと僕まで泣きそうだ。

「その辺でいいんじゃないか。あんまりいっぺんに言ってもあれだし」

「まだまだ言い足りないけど……。まぁ、いいわ。じゃあ、次は日木くん」

 師匠に僕と生ゴミは全力で感謝をしただろう。

 ほんと、マジ命の恩人ですよ師匠。これ以上言われたら、僕まで自分と向き合って、彼女のところまでダッシュするとこでした。

 とはいえ、僕の番だ。僕が言うのブーメランじゃないはずなので、とりあえず堂々と言える。

「んんっ。文章に関しては雪ノ下先輩が言ってたとおりです。ルビに関しては、まあ文字が多すぎたんでもうちょい、工夫するといいかもですね。名前も長いですし。まあ、それくらいです」

 どんなに嫌悪する相手でも、品評する時は敬語。それが僕の流儀だ。無論、誰かと品評しあったことなんてない。材木座先輩は、ダメージをこらえながらもふむふむと唸っていた。

「言いたいことはあるんですが、その前に一つ。あなたは、ラノベを書くことが好きなんですよね? 好きだから、書きたいから書くんですよね?」

「うむ、その通りだ。それが、どうかしたのかね?」

「どうかしましたね。僕はぶっちゃけあなたを引きますよ。僕はあなたがラノベを書くのが好きだとは思えない。ラノベを書くのが好きな奴は、自分が書いた小説の原稿を室内に散らばったのを当然のように見てはいられないですよ、普通。つまり、です。あなたは寝食を犠牲にしてまで小説を書く覚悟がないんです。だから、当然のように散らばった原稿を拾わずにいられるんです」

 立ち上がり、僕は不器用ながらに制本した材木座先輩の原稿を手渡す。不思議そうな目を向けてくる彼に、僕は微笑む。

「こうして、本にすると愛情が増すもんですよ。どうにもこそばゆくて、くすぐったい。でもなんか大切に感じませんか?」

 受け取った材木座先輩は、本を見つめて優しく微笑み返してきた。……うわ、マジ気持ち悪い。

「そうかもしれぬ、な。そうか、我は大切なことを忘れていたのか」

 なんか、心を取り戻した主人公のように材木座先輩は呟く。僕は、息を吸ってその言葉を紡いだ。

「書かない人はわからないでしょうけど文庫一冊レベルの文字数。十万文字超えって、書くのにエネルギーいりますからね。どんなにレベルが低くとも、こんだけの量書くのは難しいですよ。しかもこんだけ文字が多い。後になればなるほど書きにくくなりますからね。まあ、だからこそ言い切りましょうか――先輩。お前、ラノベ愛してねぇだろ、舐めんなよ同業者(ワナビ)を」

「ひぐぅぅっ!」

 いつか、すごい昔に一度材木座先輩に見せた僕の姿が露わになったからだろう。彼の表情が恐怖に染まる。

「こんだけ力こめて書いたのに大切にできないとか、最悪ですよ。だから、話がどこにでもある、ありきたりなものなんです。いいですか? 書きたいって衝動があれば、レベルはさておき、オリジナリティのある予想できない展開の一つや二つ、書けるんですよ。ね、師匠?」

「あ? ああ、うん。そうだな」

 師匠は、僕が昨日渡した原稿を持ちながら返事をしてくださった。その原稿は昨日渡したときより読んだ形跡があって、しっかり読んでもらえたのだと思った。

「ヒッキー、なにそれ」

「昨日、日木が俺に渡してきたんだよ。何でも、日木、ラノベ作家志望らしくてな。で、読んだんだけど、あれだ。さっき雪ノ下が言ってたような文章のあれこれである程度齟齬はあったが、少なくとも読んでて飽きはしなかった」

 暗に面白かった、と告げられている気がしてついにやける。やばい、うちの彼女に褒められたときレベルににやけてる。あ、なんかこれで満足すぎる。雪ノ下先輩も由比ヶ浜先輩も驚きに満ちた顔でこちらを見てきた。

「そういうことですよ。だからまあ、本当にラノベを書くのが好きならパクリでもなんでも好きに書いたほうがいいと思います」

「まあ、そうだな。大事なのはイラストだし、どんなに文章力がない話でも流し見で笑えれば充分だからな」

 師匠は言ってから、生ゴミの肩に手を置いた。

 

                  ×    ×    ×

 

「……また、読んでくれるか?」

 そう言うだろうと、僕はずっと思っていた。師匠たちが黙り込んでいると、再び同じことを聞いてきた。さっきよりもはっきりと力強い声で。

「また読んでくれるか」

 熱い眼差しを由比ヶ浜先輩以外の奉仕部に(まあ、由比ヶ浜先輩奉仕部員じゃないけど)向けてくる。

「お前……」

「ドMなの?」

 由比ヶ浜先輩は師匠の陰に隠れて生ゴミに嫌悪の視線を向けていた。変態は死ねといわんばかりだ。いいぞ、もっとやれ!

「お前、あんだけ言われてまだやるのかよ」

「無論だ。確かに酷評されはした。もう死んんじゃおっかなーどうせ生きててもモテないし友達いないし、とも思った。むしろ、我以外はみんな死ねと思った」

「そりゃそうだろうな。俺でもあれだけ言われたら死にたくなる」

 しかし、生ゴミはそれらの言葉を飲み下して、それでも言った。

「だが、だがそれでも嬉しかったのだ。自分が好きで書いたものを誰かに読んでもらえて、感想を言ってもらえるというのはいいものだな。この想いに何と名前を付ければいいのか判然とせぬのだが。……読んでもらえるとやっぱり嬉しいよ」

 そう言って材木座先輩(・・・・・)は笑った。

 それは剣豪将軍の笑顔でなく、材木座義輝の笑顔。もっと言うならば、創作者の笑顔。

 ああ、いい。それは、本当に。誰かのためとかじゃなくて、普通に、好きだ。そういう創作の喜びを知った人の目は。

 書きたいことを書く。それだけじゃ、僕はとっくにワナビなんてやめてる。

 ラノベ執筆ってのは辛いんだ。アイディア思いつかずに歳月が過ぎれば胸が張り裂けるほどに痛いし、勢いが乗れば頭が狂うように熱くなるから後で身体がだるくなるし、過呼吸になって髪を引きちぎるくらいにのめり込むことだってるんだ。

 そんな中で僕が続けるのは伝えたいことがあるから。誰かの心を動かせたとき、くたばりそうなくらい嬉しいから。だから何度だって書きたくなる。十万字を超える物語を何度だって紡ぐのだ。たとえ、それが認められなくても。 

「ああ、今度は俺も読む。笑ってやりたいしな」

 師匠は冗談交じりに、けれど真剣な優しい顔でそう呟いた。

 弱者が。非才が。病気扱いされても白眼視されても無視されても笑い者にされても、それでも決して曲げることなく諦めることなく妄想を形にしようと足掻いた証を師匠は認めてくれた。

「また新作が書けたら持ってくる」

 そう言い残して材木座先輩は僕たちに背を向けると、堂々とした足取りで教室を後にした。

 閉じられた扉がいやに潤んで見える。

 歪んでても幼くても間違っていても、それでも貫けるならそれはきっと正しい。誰かに否定されたくらいで変えてしまう程度なら、そんなものは夢でもなければ自分でもない。そのことは、誰より昔の愚かな僕が知っている。

 だから材木座先輩は変わらなくていい。

 無論、あの人には恨みがあるので生ゴミと呼び続けるがな。ま、先輩くらいはつけてやらなくもない。

 

 その後。

 僕の書いたラノベは何だかんだで奉仕部全員が目を通し、いつの間にか平塚先生の手にも届き、平塚先生に将来の夢を熱く応援された。




はい、ブーメランばかりでしたごめんなさい。
以上です。


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なので速水春陽はムカつく奴である。

 月が替わると、体育の種目も変わる。

 我が学校の体育は三クラス合同で、男子総勢六十名を二つの種目に分けて行う。二つの種目に分ける、というのは中学の時にはなかったので新鮮だが、別段、そういった高校生になったことによる新鮮さが心地よいと思う事はなかった。

 この間までやっていたのはサッカーとバレーボール。なんともぼっち殺しだが、二年生と調整した結果らしい。僕は先週、なんとかバレーボールでぼっちを貫きやっていたが、今月は陸上とテニスである。これなら、ぼっちでも余裕だ。

 僕は対戦相手がいなくとも自らを高めるファンタジスタ的存在なので、テニスでは最終的に誰かと組んでやらなければならないだろうと考え、陸上を選択した。師匠もテニスを選択なさったそうなので、テニスがよかったという気持ちもあったが、僕は師匠と同じステージで学ぶ以前に基礎から身に着けなければと思い、陸上にしたのだ。

 決してテニスの競争率が高く、じゃんけんに負けたとかではないと言っておこう。

「はぁ……師匠と同じテニスがよかったなぁ」

 なんて、気丈に振舞ってみたものの、やはり少しずつ現実を突きつけられ、悲しみを感じる。ってか、よく考えると陸上でも割とペア組む機会あるんじゃね? とか考えて、僕は精神的なダメージを受けた。彼女に慰めてもらおう。

 一体僕は誰と組めばいいのだろうか……誰かに聞きたい気持ちを抑える。

 そして陸上の授業が始まる。

 丹念に準備運動をこなした後、体育教師の厚木先生から練習メニューについての説明がなされた。フォームなどのレクチャーもされるので、その話は割と面白い部分があった。やはり速く走るのは男のロマンなのだろう。その場に入る半分以上が(ほとんどリア充だった)厚木先生の話を聞いた。

 厚木って名前、なんか体育教師がしっくりくるんだよなぁ。上手く言えないけど。

「うし、じゃあお前ら走ってみろや。各自、周りに気をつけてやれ」

 そう厚木先生が言うと、皆が三々五々めいめいにペアを組んで校庭の端から端へと移動した。ひとまず、孤立可能な作業に安堵する。

 なんで各自やるのにペア組むんだよ。迷うことなく抗うとか、お前ら革命の達人なの? 同士になったって危ねぇだけじゃん。

 とはいえ、この状況には僕のぼっちレーダーが敏感に反応せざるをえない。面倒臭く、他人とペアを組まないでいいこの状況は最高だ。僕は嬉々としながら、校庭の砂を蹴った。

「一、二、三、四、五」

 少しリア充が多めなエリアで僕はゆっくりとしたテンポで数える。数字を数える速度は少しずつ早くなっていき、さながら体力テストのシャトルランのようであった。やばい。無茶苦茶横っ腹が痛い。ちょっと目眩までする。くっそ面倒臭ぇ。

 だがまあ、普通に走るよりこうしたほうが体力強化にはなるだろう。

 倦怠感という悪魔が身体の端から端に伝播し、今の僕は魔王と戦った後の勇者のように疲れていた。

 きっと周りもそうだ。信じて僕は男子の声に耳を澄ませた。

「っし、俺のが速い! お前のおごりな」

「くっそ、マジかよ……や、安いのだけだぞ」

 絶叫しながら楽しそうに追いかけっこをしていた。

 うっせーなー死ねよと思いながら振り返ると、そこにはうちのクラスの男子の姿もあった。

 別に驚くことはない。人数の少ないJ組男子は女子と違って体育が別授業ではなく、F組に合併という形でやっているのだからJ組の人間がいないはずがないのだ。

 だが、おそらくこのタイミングで彼らがいたことに驚いたのは僕と同じクラスだからではないく、とある理由で彼らのことはよく見ていたからだ。

 速水 春陽(はやみ はるひ)。少し前まで、僕は彼を取るに足らない存在だと、思っていた。一色のときも、別段目立って動いていたわけじゃないし。僕の記憶だと、J組男子にしては珍しく、一色の親衛隊(キモい)に入っていない(真っ当)やつだ。が、無論、一色の親衛隊に入らなかったから記憶に残っているとか、そういうわけではない。

 速水はペア、というより4人組カルテットを形成している。一色の親衛隊の上の方の地位にいる高津と後の二人は見覚えがない。たぶん、うちのクラスではなくC組かI組、或いはF組の人間なのだろう。いずれにせよオシャレオーラを振りまきながらそこだけとでも華やかだった。

 4人の周りにも何人か集まり始めて、いつの間にかリレーのようなゲームが始まっていた。

「っがぁ、速水くん、マジ早っ。狂ってるっしょ」

「いや、もっと速い奴いるって」

 顔の前で手をはためかせる速水だが、別にその言葉は謙遜してるわけではなかった。

 普通に、上がいるってだけで自分もそれなりに上にいることは自覚しているらしい。その辺を嘘ではなくぼやかすことで流す姿勢は、流石葉山先輩の弟子といったところか。

 別に本人から聞いたわけではない。が、僕も師匠に弟子入りをしている身。師弟のやり取りなど容易く見抜ける。たまたま、放課後に葉山先輩を見かけたとき、速水は一緒にいた。そして、僕が師匠に話すように敬意と尊敬をもって、会話していた。

 それを見てすぐに分かった。速水は葉山先輩の弟子なのだ、と。

 だから僕は彼のことをよく覚えていた。それは純粋に〝敵〟として見ているからに他ならない。

「え? 陸上部でも負けるっしょ」

「いや、陸上部の奴らは専門的だから敵わないよ。競えて、日木とじゃないかな」

 ガラスの瓶を割ったように、一気に僕の方に視線が集まった。一色の件のとき以来かもしれない。ここまで色んな人に見られているのは。

「日木くんって足、速いの?」

「は?」

 高津の言葉には決してバカにするようなニュアンスは混じっていなかった。J組の少ない男子の仲間として僕のことを悪く見ていないのだろう。なんか、変に気に入られたら嫌だし、ここは上手く返答したいところだ。

 折角ぼっちでやっていたっていうのに、そんな僕を巻き込んだ速水にはきっと悪気はないのだろう。ただ、一人でやる=ダメなこととして捉えている故に、僕を孤立させまいとしているだけだ。それは考え方の相違であり、僕はなによりそういう考え方をするリア充が嫌いなのだ。

「まあ、微妙だろ」

「微妙ってなんだよ。じゃあさ、速水くんと競争してみてよ」

「嫌だけど」

「えー、いいじゃん! な、速水くん?」

「そうだな。やろうぜ、日木くん?」

「……チッ」

 誰にも聞こえないように舌打ちをする。聞こえてしまっても別に構わないが、なんかこの状況で反感買いまくってぼこられるのも嫌なので、わざわざ聞かせる必要もあるまい。

 まったく、同学年との会話は本当に低レベルで嫌だ。

 彼女や一色との会話なら、まだ刺激的でいい。……あ、先に言っておくが二人が女子だから刺激的なわけではない。二人とも、なんかこう、いいのだ。たとえ男子でも。……まあ彼女の場合、男でも恋に落ちる自信あるしな。

 師匠だけじゃない。由比ヶ浜先輩や雪ノ下先輩、それこそ生ゴミ先輩との会話でさえ、彼らとの会話よりはマシだ。彼らとの会話は、もはや会話とすら呼べない。

 そう思うと、なんだか全身がけだるくなってきた。

「ほら、やろうぜ。じゃあ、あそこスタートで、一直線で走ってあの池の前がゴールでどうよ」

「ああ、それがいいな。日木くんもいいよな?」

 無言の同調圧力。同調圧力に歯向かおうと思えば歯向かうことくらう容易い僕だが、今は頭が回らない。走りすぎたのだろうか……いや、違うな。小学校の頃にもあった症状だ。視界がぼやけ、立っているもさえ面倒になる。

 前は、いじめられて失望したせいでなったが、今回は多分そうじゃない。今、悪意なく僕を見る彼らに、これまで奉仕部をやっていく中で出会った人たちのようなものを見つけることができなかったからだ。

 なんというんだろう。

 奉仕部で見てきた人は、少なくとも何か意志があった。

 雪ノ下先輩は、なんか壮大な強者の意志を抱いているように見える。

 由比ヶ浜先輩は、師匠への想いを抱き奉仕部に訪れた。それからというもの、奉仕部という居場所を大切に思っている節もある。

 生ゴミ先輩は、……まあ生ゴミらしい意志があった。ラノベへの情熱は、本物だろう。間違ってたとしても、続ける限り。

 師匠は、言わずもがなだ。その孤独を誇る意志。逃げることを恥じず、否定しないことで今を生きる意志。

 あ、あとついでに平塚先生は、結婚したい意志とかじゃないですかね。知らんけど。

 まあ、僕はそんな風に奉仕部で色んな〝意志〟を見てきた。でも、確固たる意志を、今の彼らからは感じなかった。

「……悪い。君と戦ってみたくて、卑怯な手を使った」

「あ? なんだ、急に」

 スタートラインに渋々立ったとき、速水からようやく意志のようなものを感じた。

 それは決してリア充としての自らの地位を安定させたい、というようなものではなく、むしろ真っ当に僕と戦ってみたかったという言葉どおりの意味であるように思える。

「比企谷先輩の、弟子なんだろ?」

「それが?」

 つい、師匠のお名前が出てきて興奮しそうになるがそこはなんとか理性で抑えた。怪訝そうな視線を向ける。

「比企谷先輩より葉山先輩のほうが優れてるって、証明したかった。まあ、こんなことじゃ証明できないし、葉山先輩が優れてらっしゃるのは当然なんだけどね」

「……さいで」

 素っ気無い返事をした。

 でも、思った。こいつとの会話は気持ち悪くは無いな、と。

 無論、リア充だから嫌悪マックスだし、何より葉山先輩のが師匠より上とかほざいてる時点で殺戮対象レベルなんだけどね。

 でもまあ、悪い奴じゃないと思う。むしろいい奴すぎて嫌いだが。

 だが、葉山先輩と師匠が近しい存在などと全校生徒で思っている人間が何人いるであろうか。ほとんどが残念ながら師匠よりも葉山先輩のほうが優れていると考える人が多くいるだろう。

 雪ノ下先輩。由比ヶ浜先輩。師匠ご本人。それから僕。平塚先生。それくらいだろう、いや、もしかしたら雪ノ下先輩は思っていないかもしれない。……あと、平塚先生はハブると可哀想だったんで生徒じゃないけど入れておいた。

 それでもまあ、なに? 師匠のことを正しくは無いにしてもそれなりに評価してるわけだからちょっとはマシな人種だろう。

「んじゃ、まあ、適当に」

「うん」

 別に正式な勝負ではない。まして授業中だ。

 ピストルの音など鳴るはずもなく、高津の声でスタートダッシュを決めた。




気付いたらUAが10000を超え、お気に入りもありがたいことに五十を大きく超えております。
まことにありがたいことです。
これまでの作品は、こういったことがなかったこともあり続けられなかったのですが今回はなんとか書いていく所存です。

とはいえ、4月を超えると投稿ペースが不定期になると考えられます。
今から書き溜め、週に一度の投稿にしようかと迷いましたが、少しでも多く、早くお届けしておきたいと思いましたので。
できれば、一巻分だけでも投稿してから終わりたいと思うので
よろしくお願いします。


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一色いろはのあざとさは可愛いがまだまだである。

 昼休み。

 本当ならいつもの、師匠がいらっしゃる昼食スポットで彼女作の弁当を食うはずだった。しかしながら、誠に遺憾なことに僕は今日、師匠のもとにいけなかった。

 いつもの教室。クラスを一望できるようなポジションで僕は何故か、とある女子と昼食を食べるハメになっていた。

 彼女が丁寧に作ってくれたことが分かる玉子とハムマヨ、野菜たっぷりのサンドイッチをむしゃむしゃと食べる。

 安らぐ。

 昼食を一緒にする相手は非常にムカつくが、しかし彼女の出してくる話題は僕にとって利のあるものであり、それに加えて彼女が作ったスープをすすると体の芯から温まる。別に寒いわけでは無いが、やはり温かいものというのは人の心を落ち着かせる、

 だがしかし、周囲の視線はどうにも居た堪れないものになっていた。なんか、みんなの一色を奪った、的な目で見られている。やめろよ、むしろ僕がうちの彼女だけのものなんだから。とは、まあ流石に言えないが。

 しかし、僕はぼっち。この程度のことを気にする必要もない。

 肉っ気のあるハムマヨサンドを頬張り、その幸せな味に舌鼓を打っていると僅かな窓の振動音が聞こえた。

 風向きが変わったのだ。

 その日の天候にもよるが、臨海部に位置するこの学校はお昼に境に風の方向が変わる。何度か、師匠のお供をしてベストプレイスで昼食を食べた時の経験で、僕はそれを学んだ。

 いつもなら、この風を肌で感じることができて心地よいのだが今はその風を窓でしか感じられない。

 どうしてこうなったのか。

「なあ、ココの秘蔵写真見せてくれるのは嬉しいんだが、どうして僕はここでお前と昼食を食わなきゃいけないんだ? 師匠のところいきたいんだけど」

 師匠、と言った瞬間、J組の男子が全員集まった十人ほどの集団の中心で会話を回していた速水の視線がこっちに向く。一色と話してるときは向いていなかったのに、師匠のほうで反応するとか分かりやすい。

 僕が問うと、僕が教室の外にいこうとするのを阻んだ張本人はにこっと笑った。

「だってぇ、ここに言ったら今日はお昼一緒に食べてって」

「言うって、何を?」

「何をって、それは、どっかの誰かさんがクラスのリーダーに短距離走をやって、体力不足で倒れたことですよぉ」

「…………」

 他の男子に見せるような究極的な作り笑顔だった。こういうのを、悪魔系女子というのだろう。速水以外の男子が、尚更、僕に羨望の眼差しを送ってくる。驚くほどでもないが、速水は一色のこれを見抜いているらしい。流石はイケメン様ってところですかね。

「言っちゃったのかよ……」

「ここに、何かあったら報告するように言われてますからねぇ」

「ココが直々にやってくれるなら最高なんだがなぁ」

 現実的に無理であろうことは、簡単に予想できてるのでそれはジョークなわけだが。

 でも、意外だった。一色、僕のことなんか一切見ていないと思ったからだ。ま、僕を見ていたことはむしろ、厄介な点だが。とはいえ、一色とうちの彼女がまだ、ものを頼んだり頼まれたりする関係にあることは、嬉しい。

 つい、頬をほころばせると一色が怪訝そうな視線を向けてきた。

「日木くん、変わりましたよね」

 顔はにっこりと、他の男子に向けているようなスマイルを浮かべながらも声はすっごい冷たい感じだ。いや、一色の場合、これは冷たいわけではなく真面目な話をしようとしているだけなのだ、と知っているのだが。

 周囲の男子の視線は、速水が引き取ってくれたようで、男子は体育の話で盛り上がっていた。速水、別に僕のことが嫌いなわけじゃないんだな。

「変わった?」

「そうですよ。ここと付き合ってからも変わりましたけど、なんていうか、高校生になってから変わりましたね」

「どんな風に?」

 思い当たる節がなさすぎて、僕は聞いた。

 僕は変わった覚えはない。かつて、いじめられてきたときの頃の、あの人に流される弱い自分からすれば変わったとは思う。でも、それは小学校のときのことだ。中学の時、師匠のように孤独だった一年上の先輩を見てからは付き合ってからも、高校生になってからも、ずっと今の僕だと思う。

「なんていうか、ダメ人間になったっていうか、犬度が増したというか」

「あー……」

 犬。その言葉はあまりにもしっくりときた。

 うちの彼女にも言われたし、この前も誰かに言われた。

 一匹狼、という言葉がある。しかしながら、僕は狼にはなりきれない。それほどの恐ろしさがないのだ。故に犬。一匹でいる犬なんて、飼い主を待っている忠犬でしかない。

 つまりそうだ。僕はどうしても一匹狼にはなれない。孤高を気取っても、何かを期待しているようにしか見えないのだ。それは、きっと本当の孤高である師匠や、不服ではあるが雪ノ下先輩に触れ合うことによって強くなったんだと思う。

「ま、師匠に忠実な日々を過ごしてるから」

「へぇ」

 興味なさそうな声で一色は言うが、その瞳にかすかな興味の色があるのに気付いた。別に僕自身は一色と親しいわけではないが、それでも経験則的に気付いてしまうらしい。

「なんか質問あるなら、一つくらい教えるけど?」

「いえいえ、師匠って誰かなって思っただけです」

「あっ!? それか! 教えてやろうじゃないか! ちょっと来い。お前に紹介してや」

「騒がないでください。っていうか休んどくように言ったじゃないですか。ここに怒られますよ」

「うっ」

 勢いよく立ち上がって教室から出ようとする僕の頭がぱこんとはたかれた。え、なにこれ。見た目軽くやってる感じなのに割とパワー強いんだけど……この辺のことは、うちの彼女から学んだろうなぁ。うちの彼女、一色以上にあざとかった頃あったし。

「ココに怒られるのは嫌だな」

「はぁ……ほんとラブラブですよね」

「そりゃ、当然」

 言って、脳裏に浮かぶのは世界一可愛いといっていいほどの美少女の顔だった。

 櫻木 咲(さくらぎ さく)は僕と同学年だ。

 今は近隣の海浜総合高校に通っている。ちなみに、海浜総合高校は単位制という未来感あふれるシステムらしいのだが、そこはどうでもいいか。

 彼女と出会ったのは中一のとき。付き合うまでに一年以上かかったが、中二の夏から付き合い、受験を乗り越え、何だかんだで今年で交際二年目だ。結婚すると決意しているので交際期間はこれから更新される予定だ。

 うちの彼女は家事全般が得意で、絵を描けて文章も書けて、声もすごく可愛く勉強も僕よりできるという僕からすると才能がある側の人間だ。けれど、彼女自身は脆く、思考は持たない者の思考が混じっている。

 故に僕は彼女に追いつくため、才能を手にするために努力をした。それこそが、。僕が弱者だと自覚し、非才だと自覚した由縁なのだが……まあ、詳しい事はここで思い出すべきではない。

 まあ、ようするにそれだけ可愛い彼女がいるのだ。それなのにラブラブにならない道理がないだろう。

「でも……今の方がいいです。ここと付き合う前の日木くんは、つまらなかったですから。利用のし甲斐があります♪」

「さいで」

 ああ、一色、性格悪いなぁ……友達の彼氏を利用するとか言っちゃうあたり、もうヤバイでしょ。

 とはいえ、一色に助けられたのも事実だ。

 なんだか分からないが、一色と僕はつながりがあるらしいという風に思われているおかげで、僕は適度に男子に敵視されているのだから。……僕だからいいけど、他の男子なら迷惑極まりねぇな、一色。

「この前とか、助かりましたよ、マジで。中学校の時も多分、日木くんなんかやろうとしたでしょうけど、中学校の時はあんな風にやらなかったんじゃないですか? なんというか悪・即・断って感じでしたし」

「そりゃ、成長くらいする」

「身長は成長してませんけどね」

「お前っ」

 人の目がなきゃ殴ってるところだった。マジで、身長のことに触れてはいけない。

 ……身長については考えないが、僕はふいに身長ではないことについて考えてみた。僕は成長したのだろうか、と。

 納得する。僕は、確かに悪・即・断だった。それは、決して正義ではない。あれは、雪ノ下先輩がのような凝り固まった残酷な意見だ。正論、と言ってもいい。

 正論と正義は違う。時に正義は、邪論であることもあるのだ。

 自分の才能のなさを知って、師匠と出会って、僕はそういうことを学んだのだと思う。

 由比ヶ浜先輩の依頼は大きい。

 努力という正攻法ではなく、師匠は努力をしないという邪法を選んだのである。僕が一色の時にやったのも、それをまねしきれないなりに僕の技に昇華させたものだ。

「全部、師匠のおかげだろ。二年F組、比企谷 八幡師匠」

「へぇ」

 今度は興味がありそうな返事をしてくる。やはり、一色は僕が師匠師匠、というから気になったのだろう。

 二年F組、と聞いて顔色を変えたのはやはりスクールカーストトップに君臨する葉山先輩がいるからであろう。速水の師匠という方が僕としてはしっくりくる。

 別に一色は葉山先輩が好きなわけではない。ただ、彼女の中ではトップカーストと付き合うというのが一種のステータスなのだろう。僕としては、愛とはそういうものではないと思うのだが、かといって一色の恋を定義するのも不遜だと思うので文句を言うつもりはない。

 ……が、彼女に頼まれていたのも事実だ。一色が、本当に好きじゃない相手と付き合おうとしないようにしてくれ、と。

「師匠はいいですよ。きっと、あなたもいつか救われます」

 だが、それはきっと僕には難しいことだと知っているから。

 故に僕は、師匠に頼る未来を見た。

「はあ……よく分からないですけど。そういう胡散臭いこと言うのは変わらないですよね」

「人間簡単に変わらないだろ。そもそも、僕は普通だし。変人ならまだしも」

「いや、日木くんが普通ってのはちょっと……」

 ないないと言わんばかりに一色が手をひらひらとさせる。だが、僕はその態度を見て首を横に振ることで否定する。

 自覚しているのだ。僕は変人ではない、と。いくら変人ぶっても、結局そこらの人間と同じなのだ。

「言っとくが、お前のが百倍変人だからな」

「え? どこがですか、ひっどいなぁ」

「そういうあざといとこだっつうの」

 生憎と、僕はうちの彼女のあざとさに慣れてるせいで一色のそのあざとさに一ミリもときめかないのである。まあ偽って好かれようとすること自体、僕としては違和感あるけれど。

 まあ、うちの彼女は天然であざとくなるんだがな。

 

 結論。一色はうちの彼女に劣る。



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ぼっちな師弟は最強である。

 数日が経過した昼休み、僕はジャージに着替えていた。

 どういうわけか。概要を説明しよう。

 ある日、奉仕部にとある生徒が訪れた。より正確に言うならば、由比ヶ浜先輩が連れてきたのである。名前は戸塚 彩加。名前からして女のようだし、容姿も完全に女子なのだが、戸塚先輩は男子で、しかもテニス部らしい。運動系の部活には見えなかったぜ……。

 そんな彼女……じゃなかった、彼の依頼はこうだ。

 自分をテニスで強くしてほしい。そうすれば部員も頑張ってくれると思う。

 しかし、奉仕部部長である、あの雪ノ下先輩はその依頼を断った。というか、奉仕部の理念を説明して、強くなるかどうかはわからない、と言ったのだ。まあ、断ってはないな。

 そんな雪ノ下先輩に対して、急いで入部届けを手書きで書いて(いや貰ってこいよ)、雪ノ下先輩に提出した(そこは顧問じゃね?)由比ヶ浜先輩は言った。

「ゆきのんとヒッキーとハチならなんとかできるでしょ?」

 と。

 僕が混ざっていることが疑問でしかなかったが、雪ノ下先輩はそんなこと、気にも留めなかった。それよりも、由比ヶ浜先輩の発言を「できないの?」という挑発にとってしまったのである。

 かくして、雪ノ下先輩はやはり依頼を受諾した。変なスイッチを入れてしまった由比ヶ浜先輩には何かしらの罰を与えるべきだと考えるが、まあ、今回も師匠の活躍が見れるのだと思えば赦してやらなくもない。

 戸塚先輩の命と引き換えに技術向上を助けるようなレベルの怖さがあった雪ノ下先輩は昼休みに部員を集め、依頼の解決に取り組むこととなった。ぶっちゃけ、それより怖い人知ってるから、怖くなかったが、戸塚先輩は怯えてしまっていた。師匠が守ってくれるのだろう。

 ならば、僕もしかとその状況を見届けなければ。

 その思いを噛み締めながら、師匠と共に僕はジャージに着替え、テニスコートに向かおうとしていた。

 にしても、流石師匠だ。あまり普段は見せないが、全身がそれなりに引き締まっている。腹筋は割れているわけではないが体つきががっしりしていて、憧れてしまう。それに比べると、僕はダメダメだ。体は細く、貧相で、師匠にとても見せられるものではない。

「……お前、なんで恥ずかしがって着替えてるんだよ」

「そ、それは師匠にお見せできるほどの体ではないので」

「へ? い、いやそ、そうか。べ、別に気にしなくてもいいのにな」

 師匠の目は泳ぎまくっていた。ベリーベリースイミングである。いや、意味わかんないな、これ。

 と、そんなことを言っている暇でもなかった。僕は切り替えて、さっさと着替え、テニスコートに、師匠と共に向かっていった。

 僕の学年のジャージは無駄に暗めのレッドで目立つことはないのだが、その壮絶なまでのダサさは折り紙つきで、生徒には大不評で、体育や部活の時間外にこれを好んで着る奴はいない。

 周囲が制服であるが故に、僕たちはやたらと目立っていた。

 そのせいで、最悪な相手に捕まってしまった。

「ハーッハッッハッハッ八幡」

「高笑いと師匠のお名前を繋げるな僕の目の前に現れるな気安く師匠の名前を呼ぶな今忙しいから失せろの四段攻撃で退場っ」

 ……が、即時撤退してもらった。

 生ゴミ先輩の腹部を全力で殴り、涙目になったところで僕は師匠の手を引く。生ゴミ先輩を師匠が気にする様子が若干あったが、あんなのといてもいいことはない。ってか、あの人、よく僕に恨まれてること分かった上で堂々と顔出せるよな。

 思いながらテニスコートに到着した。

 

  ×   ×   ×

 

 テニスコートには既に雪ノ下先輩と由比ヶ浜先輩がいた。

 雪ノ下先輩は制服のままで、由比ヶ浜先輩だけがジャージに着替えている。

 ここで昼食をとっていたのだと思う。棒たちが現れると先輩たちはそのやたらと小さいお弁当箱を手早く片付ける。

 尚、僕は彼女に連絡して、すぐに食べれるようなものを作ってもらった。流石、僕の未来の嫁。

「では、始めましょうか」

「よ、よろしくお願いします」

 雪ノ下先輩に向かって、戸塚先輩がぺこりと一礼する。

「まず、戸塚くんに致命的に足りていない筋力を上げていきましょう。上腕二頭筋、三角筋、大胸筋、腹筋、腹斜筋、背筋、大腿筋、これらを総合的に鍛えるために腕立て伏せ……とりあえず、死ぬ一歩手前ぐらいまで頑張ってやってみて」

「うわぁ、ゆきのん頭よさげ……え、死ぬ一歩手前?」

「そうですよ、超回復っていうんですけど、ハードなことをやってから二、三日筋肉を休ませたほうが、ハードなことをやり続けるよりも筋肉がつくんですよ。だから死ぬ一歩手前なのかと」

「んな、サイヤ人じゃねぇんだからよ……」

「まぁ、サイヤ人みたいにすぐに筋肉がつくわけじゃないですけどね。とはいえ、基礎代謝をつければエネルギー変換効率も上がりますしやっておいた方がいいという判断なのかと思います」

「そ、そうね」

 僕から言葉を奪われたのがショックなのか、少し声を落として雪ノ下先輩が言う。

 しかし、女子よりも男子の方がこの手のことに詳しいのはある意味では当然だ。

 男にはあるのだ。筋肉をつけたいと思うときが。しかし、中高校生ともなるとジムに通うわけにはいかない。そうなったときに、効率よく筋肉を付け、痩せる方法を調べるのはよくあることなのである。

 師匠の場合、そのようなことが身近になかったのだろう。師匠は体引きしまっているからなぁ。

「……?」

「簡単に言うと、生きているだけで痩せていくことになりますね」

 由比ヶ浜先輩が戸惑っていたので補足すると、瞳に輝きが増した。うっわ、この人犬っぽい。別に気にするほどの体型じゃないだろうに。

「と、とにかくやってみるね」

「あ、あたしも付き合ってあげる!」

 戸塚先輩と由比ヶ浜先輩が腕立て伏せを始めた。僕も、どうせなので便乗することにする。

 というか、運動でもしていないと戸塚先輩の優しさによって参加することになった生ゴミ先輩を殴ってしまいそうで仕方ない。……というか、師匠の名前を連呼しながら倒れている生ゴミを拾ってきて、練習に参加させるよう説得するとか、戸塚先輩マジエンジェル。

 正直言うなら、今ここに居る中で断トツで可愛いしな。うちの彼女には負けるが。

 最終的に師匠と生ゴミ先輩も腕立て伏せをやり始め、それを雪ノ下先輩が見下すという謎の状況の中、練習は続いたのであった。

 

  ×   ×   ×

  

 そんなこんなで日々が過ぎ、僕たちのテニスは第二フェイズに突入していた。

 かっこよく言ったが、要するに基礎訓練を終えて、いよいよボールとラケットを使っての練習に入ったのだ。

 練習をするのが戸塚先輩だけ、というのは戸塚先輩の身が危ない気がしたので今は、鬼教官の指導の下、僕と戸塚先輩で壁打ちをしていた。まあ、戸塚先輩も競争相手がいた方がいいだろう。

 テニスをやったことがない僕だが、戸塚先輩の動きを見ることである程度出来るようになった。壁打ちくらいなら誰だってできる。他のメンバーは、基本的に好き勝手に時間を過ごしていた。

 雪ノ下先輩は木陰で本を読みながらときどき思い出したように戸塚先輩の様子を見ては檄を飛ばす。……おいおい、しっかりやれよ。

 由比ヶ浜先輩は最初こそ戸塚先輩と一緒になって練習に参加していたが、すぐに飽きてほとんどの時間、雪ノ下先輩の近くで寝息を立てていた。ほんと、その姿が犬に被り過ぎてやばい。

 生ゴミ先輩は必殺魔球の開発とやらをしている。どんぐり投げたり、ラケットでクレーコートを穿り返したりと迷惑極まりないが依頼者の希望なら仕方ない。

 師匠は、というとコートの片隅でアリの観察をなさっていた。様子を見ているだけで実に楽しそうである。何故か、表情をころころ変えていらっしゃるし。

 そんなことを考えている間に練習内容の変更の指示が来た。どうやら、コートにボールを投げて、それを相手のコートに返す練習らしい。バレーボールとかでもよくある奴だ。由比ヶ浜先輩がえっちらおっちら運んでいるボールカゴを引き継ぎ、僕が戸塚先輩に投げることにした。

「戸塚先輩! 十五球を目処に僕と役割を交代しましょう。どこに投げれば相手が取りにくいのか、知るのも重要ですから」

「そう、ね。一理あるわ。戸塚くん、日木くんの言うとおりに」

「は、はい」

 僕の提案に乗ってくれたようで、よかった。僕も体動かしたいし、何より戸塚先輩の最後の目的は部員全体の技術向上だ。それなら、練習の補助の役割も果たせるようになる必要がある。

「よし、じゃあ交代お願いします」

「う、うん」

「さっき僕がやったみたいに、相手に意地悪するくらいやってください」

「わかった!」

 コートをチェンジし、今度は僕がラケットを構えて戸塚先輩のボールを返す。……戸塚先輩のボールっていうと、なんか卑猥だな。

 ここで、突然だが先日の体育の話をしよう。

 僕は、先日速水と短距離走をしたわけだ。体力がない僕は、走り終えてから倒れたわけなのだが、別に僕は走り負けたわけじゃないのである。

 端的に言うと、速水と勝負して、僕は勝ったのである。

 では、何故そんなことを今言ったのかというと、得意分野の話をしたいからだ。

「す、すごい……比企谷くんもすごいけど、日木くんもすごいなぁ」

「そんなすごいことじゃないですよ。体力ないんですぐバテますし」

 詰まるところ、僕は素早い。テニスのようなものでも、ランダムに飛んでくる球に追いつき、返すのは得意だ。だから、戸塚先輩は僕を褒めてくれる。

 しかし、自覚している。僕はそれどまりだ。褒めてくれる、というくらいが限界で、高みを目指すのは難しい。だからこそ、喜ぶことができないのだ。

「それは、僕も同じだよ。今度、お昼一緒に練習したいな」

「まあ、考えておきます。さ、交代です」

 言いながら、コートチェンジをする。今の練習でどこに球が投げられると嫌なのか分かったので、もっといやらしく投げていく。

 ――と、そのとき。

 戸塚先輩がずさーっと体勢を崩して転んでしまった。

「うわ、さいちゃんだいじょうぶ!?」

 由比ヶ浜先輩がネット際に駆け寄る。戸塚先輩は擦りむいた足を撫でながら、濡れそぼった瞳でにっこり笑い、無事をアピールした。健気な人だ、と思う。

「大丈夫だから、続けて」

 だが、それを聞いて雪ノ下先輩は顔を顰めた。

「まだ、やるつもりなの?」

「うん……、みんな付き合ってくれるから、もう少し頑張りたい」

 聞いて、僕も顔を顰める。

 こんなにいい人に怪我をさせたのは紛れもなく僕だ。僕が性格悪い投げ方をしたからいけない。試合で、あんなところに球がくることないだろってところだったし。

 褒められて調子に乗ったのだ。愚かだ。いや、後悔している場合じゃない。自戒するのは一人のときだ。

「雪ノ下先輩、救急箱をお願いしますっ!」

「ええ、そうね。由比ヶ浜さん、日木くん、続けていて構わないわ。戸塚くんも、大丈夫よね?」

「う、うん」

 戸塚先輩の返事で、雪ノ下先輩は保健室の方に立ち去っていった。

 その代わりに師匠が僕たちの元にやってくる。

「日木、お前は休んでろ。由比ヶ浜じゃ、あれだが俺ならやるから」

「師匠……申し訳ありません。お願いします」

 自戒するためにも、磨り減った体力を回復するためにも今は休憩するのが最善手だ。流石師匠、冷静な判断をなさる。

 僕はおとなしくコートから出て、座り込んで休憩をした。

 師匠が何球か投げていたとき、不意に由比ヶ浜先輩の顔がどこか暗くなった。

「あ、テニスしてんじゃん、テニス!」

 きゃぴきゃぴとはしゃぐような声がして、振り返ると葉山先輩と金髪の女子を中心にした一大勢力がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。ちょうど生ゴミ先輩の横を通り過ぎたあたりで、向こうも師匠と由比ヶ浜先輩の存在に気付いたらしい。

「あ……。ユイたちだったんだ……」

 金髪女子の隣にいた眼鏡の女子が小声で漏らす。

 どうやら彼らは皆、師匠と同じ二年F組のようだ。見るからにリア充なグループで、葉山先輩がいることから考えて、いつもなら速水はいるのだろう。が、速水は今日は体調不良で休んでいる。なので彼らの中で僕を知る者はいない。

 だとしたら……万が一のことを考えて、僕は物陰に隠れる。で、とあることの準備を始めた。

「ね、戸塚ー。あーしらもここで遊んでていい?」

「三浦さん、ぼくは別に、遊んでいるわけじゃ、なくて…練習を…」

「え? 何? 聞こえないんだけど」

 戸塚先輩の小さすぎる抗弁が聞き取れなかったのか、金髪少女の言葉で戸塚先輩は押し黙ってしまう。どうやら金髪少女は三浦という名前で、お山のボス猿をやっているらしい。なんか面倒だなぁ。

 戸塚先輩はなけなしの勇気を搔き集めて再び口を開く。

「れ、練習だから……」

 だが、ボス猿はそれを屁とも思わない。

「ふーん、でもさ、部外者混じってるじゃん。てことは別に男テニだけでコート使ってるってわけじゃないんでしょ?」

「そ、それは、そう、だけど……」

「じゃ、別にあたしら使っても良くない? ねぇ、どうなの?」

「……だけど、」

 そこまで言ってから戸塚先輩が困ったように師匠を見る。おう、流石分かってらっしゃる。

 師匠ならきっとなんとかしてくださる。由比ヶ浜先輩が気まずそうにしているところを見ると、きっと彼女もあのグループにいたのだろう。が、師匠はそんな由比ヶ浜先輩を救った。

 ならばこそ、師匠ならなんとかしてくださると期待できる。

「あー、悪いんだけど、このコートは戸塚がお願いして使わしてもらってるもんだから、他の人は無理なんだ」

「は? だからあんた部外者なのに使ってんじゃん」

「え、いや、それは戸塚の練習に付き合ってるだけで、業務委託っつーかアウトソーシングなんだよ」

「はぁ? 何意味わかんないこと言ってんの? キモいんだけど」

 刹那、堪忍袋の緒がいとも容易く切れたのは言うまでもない。ダメだわ、このボス猿由比ヶ浜先輩と比にならないくらいゴミだわ。だが、今、出て行くわけにもいかない。僕は最悪な状況を見越して急いで準備をする。

「まぁまぁ、あんまケンカ腰になんないでさ」

 葉山先輩がとりなすようにして間に入る。

「ほら、みんなでやったほうが楽しいしさ。そういうことでいいんじゃないの?」

 あーあ、やっちゃった。師匠、怒らせちゃった。ボス猿によって撃鉄が起こされ、葉山先輩が引き金を引いた。

 後は、うつだけだ。

「みんなって誰だよ……。かーちゃんに『みんな持ってるよぉ!』って物ねだるときに言うみんなかよ……。誰だよそいつら……。友達いないからそんな言い訳使えたことねぇよ」

「撃つ」と「鬱」のダブルミーニング! 奇跡のコラボレーション! 完璧すぎますよ、師匠!?

 これはさすがに葉山先輩と言えど、動揺したらしく、

「あ、いや。そういうつもりで言ったわけじゃないんだ。……なんか、ごめんな? その、悩んでるんなら俺でよければ相談乗るからさ」

 すごい勢いで師匠を馬鹿にしだした。

 葉山先輩はいい人なのだろう。慰めだって取るのなら、思わず「ありがとう…」とか涙ながらに言いそうになってしまった。

 けどな。

 その程度の安い同情、僕たちにとっちゃ侮辱でしかねぇんだよ。そんな言葉一つで誰かの悩みが解決できるなら、そもそも悩みゃしねーんだよ。

「……葉山、お前の優しさは嬉しい。お前の性格がいいのはよくわかった、そしてサッカー部のエースだ。その上、お顔までよろしいじゃないですか。さぞや女性におモテになられるんでしょうな!」

「い、いきなりなんだよ……」

 突然のヨイショに葉山先輩が明らかな動揺を示す。ふん、せいぜい師匠に讃えられいい気になるがいい。今なら、師匠の仰りたいことが分かるぞ、僕には。

 なぜ人が人を褒めると思う? それはな、さらなる高みに持ち上げることで足元を掬いやすくし、高所から叩き落すためなんだっ! 僕自身、何度も経験してるからな、これの強烈さは分かるんだよっ!

 これを人は褒め殺しと呼ぶ。

「そんないろいろともっていて優れてるお前が、何も持っていない俺からさらにテニスコートまで奪う気なの? 人として恥ずかしいと思わないの?」

「そのとおりだっ! 葉山某! 貴様のしていることは人倫に悖る最低の行動だ! 侵略だ!復讐するは我にありっ!」

 いつの間にか生ゴミ先輩が寄ってきて、師匠の隣で怪気炎をあげる。

「ふ、二人そろうと卑屈さと鬱陶しさが倍増する……」

 師匠の横で由比ヶ浜先輩が絶句する。僕も同感だ。この状況に於いてのみは、生ゴミ先輩の援護射撃はでかい。

 何故ならトップカーストの葉山先輩は二対一という状況で自然に退散することができるからだ。彼は頭をがしがしと搔いてからため息をついた。

「んー、まぁそうかぁ……」

 師匠と僕の口元から思わず邪悪な笑みがこぼれてしまう。流石だ、師匠。この状況で真面目に交渉するべきはボス猿ではないのだ、とすぐに察知したのだから。これなら、最悪の場合はありえないかもしれない。

「ねー、ちょっと隼人!」

 気だるげな声が脇から滑り込んできた。

「何だらだらやってんの? あーし、テニスしたいんだけど」

 ほんと、ボス猿邪魔だなぁ。脳細胞、曲がってるんじゃねぇの? その髪も曲がってるしさ。話の流れちゃんと追えよ。お前みたいな奴がアクセルとブレーキを間違えて踏むんだよ。

 実際、ボス猿はアクセルとブレーキを間違えていた。

 その言葉のせいで葉山先輩に考える余裕を生んだ。

「んー。あ、じゃこうしよう。部外者同士で勝負。勝ったほうが今後昼休みにテニスコートを使えるってことで。もちろん、戸塚の練習にも付き合う。強い奴と練習したほうが戸塚のためにもあんるし。みんな楽しめる」

 はぁ、結局トップカーストってどいつもこいつも馬鹿なんだな。

「テニス勝負? ……なにそれ、超楽しそう」

 ボス猿が炎の女王特有の獰猛な笑みを浮かべる。

 その瞬間、わっと取り巻きの連中が沸き立つ。男三人に女子一人。女子一人以外はどいつもこいつもバカにしか見えない。

 第三フェイズに突入した瞬間であった。

 かっこよく言ったが、まぁ要するにテニスコートを賭けて勝負、である。

 しかしながら、僕は嫌な予感がしてならない。だからこそ、僕は用意をしていたのだが、できればそれはやりたくない。

 最悪の展開がこないように、僕は祈った。




ごめんなさい、キリが悪くて遅くなりました。
本日は二度、投稿しますのでご容赦を。


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故にぼっち師弟は負けるはずがない。

 熱狂や混沌が、現実に展開されるとは思いもしなかった。だって、ここ、高校だぜ?

 今や、校庭の端に位置するこのテニスコートには人がひしめき合っていた。

 数えてみればたぶん二百名を優に超しているだろう。葉山先輩グループはもちろんのこと、どこから話を聞きつけたのかそれ以外の連中も多く押し寄せていた。……訂正。一色が色んなところに教えてるっぽいわ。

 その大半が葉山先輩の友人、およびファンである。二年生が主ではあるが、なかには一年生も交じっており、ちらほらと三年生の姿も見える。

 マジかよ。そこらの政治家より人望あるんじゃねぇの。

 そんな葉山先輩の側に入る奴らも少し面倒だ。

 何より、ボス猿が厄介である。

 なにせ、奴は我侭でこの場をセッティングし、さらに僕が想定していた最悪の状況に持ち込んだのだから。

 端的に言おう。テニス勝負は男女混合ダブルスになってしまった。

「八幡。これはまずいぞ。お前には女子の友達は皆無。見知らぬ女生徒にお願いしてみたところでボッチ野郎でジミオのお前に手を貸してくれる人などいないだろう。どうする?」

 生ゴミ先輩うるせー。しかも否定できねー。

 いや、実際、由比ヶ浜先輩は女子だし奉仕部だから参加するっていうのはあるんだ。師匠のこと、好きだしな。でも、僕としてはそれでは勝てないと思う。

 師匠はテニスが非常にお上手だ。それは僕も知っている。だが、相手は葉山先輩とあのボス猿。師匠お一人で勝てる相手でないのは自明の理だし、かといって由比ヶ浜先輩がどうにかできるとも思えない。由比ヶ浜先輩が葉山先輩のグループなら尚更だ。

 師匠が思わずため息をつくと、連鎖したのか由比ヶ浜先輩と戸塚先輩もため息をついた。

「…………」

「比企谷くん。ごめんね。ぼく、女の子だったらよかったんだけど……」

 ああ、戸塚先輩に謝らせてしまった。くっそ、何を躊躇っているんだ僕は。作戦は考えてある。

 僕の知りうる情報を精査し、こうなることは予想できていたのだ。だからそのために、今僕はここで隠れているのに。なのに、何故僕は踏み出せないっ!

 一色がいる。だから躊躇っているのは分かってる。絶対後でなんか言われる気がするし、黒歴史になる気もするし。――いや、そうじゃないだろ。そんなことで、躊躇ってたら支障の弟子になった意味ないだろ。

「それから……、お前も気にしなくていいからな。ちゃんと居場所があるんなら、それを守るべきだ」

 師匠が言うと、由比ヶ浜先輩は肩をびくっと震わせて、申し訳なさそうに唇を噛む。

 師匠は、そうして誇り高い表情でコートの中央へと一人で歩き出した。

 ああ、そうだ。師匠は己の正義のために戦うのだ。戸塚先輩のためだけじゃない。独りよがりな戦いでもあるのだ。

 それに師匠の弟子が参加しなくてどうする?

 それにさ、僕だって師匠と同じ考えなんだよ。

 一人でも生きられる。一人で、ぼっちでいることは可哀想じゃない。ぼっちだから人に劣ってるわけじゅないんだって。でもって、僕は一人でもやれるんだって。

 僕を蔑み、彼女がいること以外に取り得がないと言ってきた奴らにそう言ってやるためにも、僕は戦うべきだ。

 師匠の後を追って僕は駆けた。

「せんぱぁい♪ 私、やりますよ!」

 一人でこっそりと練習していた女声を全力で発揮した。群衆の注目を引き受け、僕は師匠に抱きつく。

「あ?」

「師匠、僕やります。多分、ばれません」

「あ、お前かよ。全然印象違うのな」

「はぁい♪ どうですか?」

 にこっと笑って、くるりと回って見せる。師匠はそんな僕を驚愕の色いっぱいの目で僕を見てきた。

「お、おう……すげぇな」

「ちょっと髪型と声を変えて、ジャージをそれっぽくしただけですよ♪ それより、せんぱぁい、やっていいですか?」

 師匠はにやけながら葉山先輩たちのほうに目を向けた。僕も釣られてそちらに視線を向ける。

 葉山先輩グループの女子、ボス猿を先頭に腕を組んでこちらを怪奇の目で見ていた。

「ヒキタニくん、その娘は?」

「ヒキタニじゃないですっ! せんぱいは、比企谷、です! 私は、せんぱいをすごぉく慕ってるんです! なのでぇ、せんぱいが困ってるので出ます。いいですよ、ね?」

 女声で話すの疲れるなぁ。だがまあ、葉山先輩はそれで納得してくれたのでよかった。ボス猿も早くテニスやれればいい、みたいな雰囲気だし。だが、なんとなく危機を回避できた気がした。

 今のボス猿の目、由比ヶ浜先輩が出てたら絶対もっと怖いのだった。公開処刑不可避なレベル。

「三浦せんぱいは、着替えを女テニの人にでも借りてきてくださいっ。その間に、三人でルールの確認でも、しましょ♪」

「そうだな。それでいいか、比企谷くん」

「そ、そうだな。って言っても、詳しいルールとか知らんからな。単純に打ち合って点を取り合う、でいいんじゃねぇか。バレーボースみたいな感じで」

「あ、それわかりやすくていいね」

「さすが、せんぱいですっ」

 もう分かりやすいくらいにあざとくいこうと思った。爽やかな葉山先輩の笑みに合わせて、師匠はニヤニヤとかっこいい笑顔で笑った。

 そうこうして、僕もテニスラケットを受け取っている間にボス猿が行って、戻ってきた。

 僕は、師匠のところに駆け寄り、一応僕の持っている情報を伝えた。

「せんぱぁい、あの三浦せんぱいってぇ、中学生のときに女テニで県選抜選ばれてるらしいですよぉ」

「お前、よく知ってるな……縦ロールは伊達じゃないということか」

「そうですねぇ、縦ロール恐るべきです」

 後ろから、「あれ、ゆるふわウェーブだけどね」と聞こえたが無視である。どっちでもいいっつーの。

 

   ×   ×   ×

 

 試合は火花散るような一進一退の攻防を見せた。

 始まった当初こそ、ギャラリーは熱い雄叫びや黄色い声援を送っていたが、息の詰まるような接線が続くと次第に目で追い、ポイントが決めるとため息をついたり、快哉をあげたりするようになった。その中でも、師匠は最もかっこよくプレイなさっている。

 長いラリーで極度緊張状態が続く。一球打つごとに精神を削り合うような試合運びだった。ぶっちゃけ、もう体力は底をつきかけている。

 その均衡を打ち破らんとボス猿がサーブを放つ。

 ヒュパッとラケットが鳴ったと思ったら、コートに弾丸の如くボールが突き刺さり、後方へと飛んでいく。

「チッ」

 舌打ちと共に僕は足に力を込めた。顔を顰め、一気にボールを追い、僕は両手でラケットを、体重をかけて振った。

 スピードが加算されたおかげで、コートギリギリのところでがしっと音を鳴らして球は転がっていった。とりあえず、点数は落とさなかった。が、ボス猿がハイレベルプレイヤーなのは分かった。

「お前、よくやれたな」

「まあ……でも、師匠。申し訳ないのですが僕は今、満身創痍の状態です。師匠のお力を借りることになります」

「あー、まあそうだな。じゃあ、しばらく、お前後衛な。さっきから何度も転んでるし、息荒いし」

「すみません」

 師匠も僕と同等に体力は削られているはずなのに、と思うと申し訳なくなるが勝つことを優先すべきだ。師匠と基本方針を確認して、僕は後衛に行く。

 それからは、僕は師匠のサポートに回った。

 やはり、師匠は非常にお上手だ。フォームが美しく、的確にボールを返していく。僕の乱れたフォームとは大違いだ、と思うとため息が出る。

 とはいえ、師匠の手だけでは回らないものもある。僕もサポートするのだが、やはりそれでも何点かは取られてしまう。そのたびに観客が、コートを揺らすように騒ぐので僕や師匠でなければやりにくいところだっただろう。

 そんな中、いつの間にか雪ノ下先輩が帰ってきていたが、しかし雪ノ下先輩は何も言わず僕と師匠のことをじっと見ていた。

 由比ヶ浜先輩も、生ゴミ先輩も、戸塚先輩もそうだ。

 誰も嗤うことはない。その環境が心地よかった。

 しかし、時計が残酷な事実を教えてきた。

 昼休みがもうすぐ終わる。だが、僕と師匠という普段運動しない二人の体力が切れ掛かっているのに対し、葉山先輩とボス猿は余裕で、故にだんだん点を取りにくくなっている。

 おそらく負けることはない。その自信はある。

 でも、勝てる自信は無い。このままでは、引き分けになってしまう気がするのだ。時間切れで引き分けになれば、この件はほんわかとなる。そうすれば、彼らももう絡んでくることはないと思う。

 けれど、それは僕が嫌だ。

 孤独の強さを証明したかった僕たちが、あいつらに引き分けるだなんて、そんなことは嫌だ。

 そんな中、僕にサーブが回ってくる。その時だった。

「二人とも、早く決着をつけなさい。あなたたちは勝つわ」

 雪ノ下先輩の音を掻き消すような声が僕たち二人の元に届く。

「いい? 私は虚言を吐かないのよ」

 風が止み、クリアに聞こえたその声に僕は微笑む。

 雪ノ下先輩のことは大嫌いだ。が、虚言を吐かないと決めているのなら、その決定を曲げることなんてしない。

 嘘をつきたくないのにつくのは、辛いからな。

 

   ×   ×   ×

 

 不自然なまでの静けさの中、トントンとボールを地面に打ち付ける音だけが聞こえる。

 その独特な緊張感の中で僕は自分の中へ中へと意識を埋没させる。次第に、師匠の思考を今だけ、完全にトレースできている気がした。師匠に被る、そんな感覚が心地いい。

 だから、できる。そう、容易く信じられた。

 だって、僕が負けるはずがないのだ。

 学校生活なんてろくでもない、悲しくてつらくて嫌なことばっかりの、嘘をつきたくもないのにつかないといけなくなかったものを彼女だけを支えに生きて時に彼女を支えてきた僕が、苦しくて惨めな青春時代なんてものを力強く一人で過ごしてきた師匠に弟子入りした僕が、大勢の人間に支えられて平気で嘘をついてきたような奴に負けるはずがない。

 昼休みの終わりまでもうすぐだ。

 最近ならテニスコートの正面にある保健室脇で飯を食い終わっているところだ。

 何度も、何度も師匠と共に過ごしてきたあの時間が頭をよぎる。

 ただ耳を澄ました。

 ボス猿の嘲弄する声も、ギャラリーの喧騒も聞こえない。

 ひゅうっ、と。

 その音が聞こえた。師匠が一年間以上、ずっと聞いていたであろうあの音。

 しかし、そうではない、と思いかぶりを振る。

 僕たちはぼっちだ。彼女がいようとなんだろうと、ぼっちだ。ならば、誰かの武器を借りるのは違う。これは師匠が聞いてきた音だ。受けてきた風だ。偉大なるぼっちである師匠だけの武器を、僕が用いるなんて不遜もいいところだ。

 ならばこそ、僕は僕だけの武器を用いる。

 僕だけの武器。あるとすれば、それは師匠が持ちえない情報を駆使して戦うことだけだ。

「そういえば三浦せんぱい、知ってますか? せんぱいがやってるのってぇ、嫉妬って僻みっていうんですよぉ」

「は? 何言ってるし。うざいんだけど」

 情報。そこからできるのは攻撃――否。口撃だ。

「えー、だって三浦せんぱいってぇ、中学校のときにぃ、県選抜で負けて、それでテニスやめたんですよねぇ? それなのにテニスやってる戸塚せんぱいを邪魔するとかぁ、まだテニスやれてることへの僻みじゃないんですかぁ?」

「ち、違う。あーしはただ、テニスをやりたいだけだし」

「だったら、放課後に集まってやればいいじゃないですかぁ。あ! それともぉ、上手にテニスやってる姿を見せてぇ、『三浦さん、やっぱりすっごぉい」とか思ってほしいんですかぁ?」

「は? あいつ、マジ意味分かんないし。早くサーブしろし」

 ボス猿に僅かな動揺が見られる。観客もざわざわする。僕への罵倒も飛ぶが、それでいい。罵倒は注目なのだから。

 僕は、サーブの準備をしてから口を開いた。

「せんぱい、安心していいですよぉ。せんぱいのだぁい好きな葉山せんぱいはぁ、せんぱいが崇められなくたってぇ、せんぱいのそばにいてくれますからね。あ、そうだそうだ。いつか、付き合えるといいですね♪」

 最後にとどめを刺すように言う。刹那、校庭の空気が完全に凍りついた。校庭の空気と同じように、ボス猿も凍りついていた。そんなボス猿の方にサーブを打つ。

 しかし、状況を理解した葉山先輩がそこに走り込んでいた。

 読みどおり。口の中でそう呟いて、女声を再度、口にする。

「サッカー部もうらやましいですよね。弱小のテニス部の戸塚先輩は、人に頼りたくないのにそれでも耐えてわざわざ奉仕部に頼って、お昼に練習してるのに、強いサッカー部は我が物顔で、テニス部と奉仕部の活動を邪魔するんですもんねぇ。前に好きだった雪ノ下先輩に意地悪って、お年頃ですねぇ」

 葉山先輩への直接攻撃とサッカー部を間に挟んだ間接攻撃。二種類の攻撃にさしもの葉山先輩も足を止めた。

 無慈悲に、とんとんと二度、球が跳ねる音が鳴った。二度の、トップカーストへの直接攻撃に凍りついた空気の中ではその音は恐ろしく大きく聞こえた。

「なぁんて、じょーだんですけど、ね♪ 三浦せんぱいが葉山せんぱいのこと好きなわけも、葉山せんぱいが雪ノ下せんぱいのこと好きだったわけも、ないですもんね♪」

 全体に、一応フォローを入れておく。

 あいつらは憎むべき相手だ。だからと言って、こういうことを言って、彼らが苦しむのもおかしな話なのだ。だから否定しておく。形だけは。

 葉山先輩も三浦先輩も、雪ノ下先輩も僕のことを睨んできた。由比ヶ浜先輩でさえ、僅かに怪訝そうな視線を向けている。

 誰もが僕を侮っていた。師匠以外は、誰もが。

 いつからぼっちは情報を得ることができないと決めた? むしろな、ぼっちだからこそ情報ってのは山ほど必要なんだよ。

 それに、忘れてもらっては困る。

 あの日、雪ノ下先輩の乗った車の運転手が僕の親だってことの意味をもっとよく考えた方がいい。

「そ、そうだよね。もう、冗談やめてよ、騙されちゃったじゃん」

「うんうん。キミ、面白いね!」

 由比ヶ浜先輩と眼鏡の少女が追撃でフォローしてくれたおかげでひとまず今さっきの発言はジョークとして捉えてもらえたようだ。 

 僕はボールを貰い、今度は師匠に渡した。

「お願いします」

「お、おう……。お前もえげつないよな」

「なんのことでしょう?」

「はぁ……まあ、いい。後は俺のステージだ。あいつらには絶対に分からない、俺たちの武器、見せてやるからよ」

「はいっ!」

 暗に見ていろ、と言われて僕は返事をする。

 共鳴するように、師匠の気持ちが分かった。

 いや、違う。僕も同じように思ったのだ。

 あいつらに分かるかよ。馬鹿みたいに暑い夏の最中も指先がちぎれそうなくらい寒い雪の日もたった一人で登下校するつらさが。あいつらがいっつもいっつも味わってる幸せをいつも味わうことはなく、本当にたまにしか僕は味わえないんだぜ。あいつらが暑いだの寒いだのありえないだの言い交わして騙し誤魔化し紛らわしてきたのを僕たちは一人で切り抜けたんだ。

 わかってたまるか。テストのたびに試験範囲を誰に確認するでもなく、黙々と勉強して、自分の出した結果に真正面から向き合う恐ろしさが。彼女と一緒に勉強してたって、それは変わらないんだ。確立された世界で言い訳することもできずに現実と真っ向から向き合う。現実から逃げるなんてしないんだぜ。

 どうだよ、この最強っぷり。

 師匠は、感情のままにサーブを打つ体勢に入った。

 身体を半身にし弓のように引き絞る。そして、ボールを高く放り投げた。ラケットのグリップを両手で握り締めて、首の後ろに寝かせた。

 ああ、美しい。あの孤高。それほどまでに美しい師匠の姿に息を漏らす。

 青い空、そして去りゆく春と迎えつつある初夏。そんなもの、全部ぶっ飛ばしてください、師匠っ!

「「っ! セーシュンのばかやろおぉ――――――っ!」」

 僕と師匠の咆哮が空を貫くように響いた。

 師匠は落下してくるボールをアッパースイングで思い切り打ちあげる。

 ラケットのもっとも固い部分、フレームにジャストミートした打球はガッと音を立てて、抜けるような青空に吸い込まれていく。

 ボールはまだまだ高度を上げていた。遥か彼方で米粒よりもなお小さいあの一点がおそらくはそれ。

 『空駆けし破壊神・隕鉄滅殺(メテオストライク)』と名付けられた師匠の孤独の象徴、最強の矛はボス猿を打ち破り、トップカーストのリア王さえも打ち倒し。

 そうして、師匠と僕は四点以上差をつけて、勝利を収めたのだった。



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やはり日木宗八は比企谷八幡を慕う。

 青春。

 漢字にしてわずか二文字ながら、その言葉は人の胸を激しく揺さぶる。世に出た大人たちには甘やかな痛みや郷愁を、うら若き乙女には永久の憧れを、そして、僕や師匠のような人間には暗い憎悪を抱かせる。

 青春をうらやましいだなんて思ったことはない。僕には大切な人がいる。青春を共に謳歌することができる彼女がいる。だから、うらやましいとは思わない。でも。いや、故に僕は青春が大嫌いだ。仄暗い、モノクロームな世界を否定し、ラブコメやスポ根と縁がなければそれだけで不適格だと断じる青春なんて大嫌いだ。嘘に凝り固まった青春など、愛せるはずがない。

 僕は好きなのだ。

 孤独に昼食を食べることによって風の向きが変わることを知り、その静けさを愛する師匠や、欺瞞を赦さず常に疑問を持つ師匠、孤独な世界でトラウマを抱えた者にしか出来ない方法で数々の人を救って見せた師匠が、そんな師匠のような、人と仲良くすることに疑問を抱く究極の馬鹿野朗共(ぼっち)が僕は大好きだし、憧れているのだ。

 だから、僕はそんな中で師匠に憧れたことを決して否定しない。むしろ胸を張って肯定しよう。その姿勢はきっと永久に変わることは無い。

 しかしながら、師匠のようにはなれないことも僕は知っている。僕はあくまで僕、日木 宗八であって、比企谷 八幡師匠ではないのだ。

 師匠のように人を救う事はできない。そんなこと、僕にできるはずがない。

 なら、僕には一体何かできるのか。それは、やっぱり決まっている。

 師匠のようになろうと足掻いて、才能のなさにもがいて、吐いても吐いても好きなことをやり続け、決して死んだ魚のような目にならなくとも確固たる強さのために仔犬のように瞳を輝かせる。

 そして、僕は師匠の青春を見ていこうと思う。

 結論を言おう。

 

 とそこまで書いてから筆が止まった。

 放課後の教室で、ただ一人残っていた僕はふわぁと欠伸をする。

 別に何かいじめにあっていたわけではなく、平塚先生に課されていた再提出用の作文を書いていたのだ。ほんとだぞ? ほんとに平塚先生に課されたんだぞ? 自主的に言い出したとかでは決してない。

 途中まではいつも通りすらすらと進んでいた作文なのだが最後の部分だけがどうにもしっくりこず、こんな時間までかかってしまった。

 続きは部室で書くか……。

 そう考えて、原稿用紙や筆記用具を手早く鞄に放り込むと、誰もいない教室を後にした。今日は、確か彼女も練習があるから帰るまで一切連絡とれないしな。

 今日も師匠と雪ノ下先輩は本を読んでいるのだろう。それなら、急いで茶を準備しなければ。

 なにせ、あの部活は奉仕をする部活なのだから。

 ごくごくたまにお客様がいらっしゃるが、そんなのは本当に稀なことだ。だいたいの活動では先輩方、主に師匠に御奉仕をさせていただきながら小説を書いて時間を過ごしている。

 それは僕にとって好きな時間で、望まれる平和なのだと思う。依頼がくるってことは平和じゃない証なのだ。実際、奉仕部に集まる人々は、平和じゃないから依頼をした。

 友情だの恋愛だの夢だのもろもろのことは、多くの人間にとってはきっと素敵なものだろう。うじうじと悩んでいることすら輝いて見えるんだろう。

 曰く、それを青春と呼ぶのだ。

 でも、そいつは結局のところ苦痛を青春と呼ぶことで麻酔をかけて傷を気付かないようにするだけなのだって、僕なんかは思ってしまう。実際、僕もうちの彼女も、かつてはそうだったのだろう。

 

  ×   ×   ×

 

 僕が部室のドアを開けると、師匠ははいつもと同じ場所で同じ場所で何かを書き殴っていた。雪ノ下先輩は、というとこれまたいつもの場所で平素と変わらぬ様子で本を読んでいる。

 イレギュラーな人が一人。平塚先生が堂々と立っていた。

 戸の軋む音に気づくと、三人の視線がこちらに集まる。

「あら、昆虫」

「ふっ、そうだな」

「だからせめてもっと可愛い動物にしろって!」

 突然昆虫扱いされて混乱する。が、別に侮辱されたという感じではなく、むしろ本音交じりの会話のようで心地いい。

「平塚先生、どうしたんですか?」

「ああ、勝負の中間発表をしにきたんだ」

「あー、なるほど。結果は?」

 身を乗り出して問うと、平塚先生はどこか子供をたしなめるような、けれど悪戯をするようにも見える顔をした。

「判定不可能、だ。君は相当かき回してくれるな」

「へ? なんですか、それ。僕が悪いみたいな言い方を……」

「いや、お前だろ」

「いや、あなただわ」

 師匠と雪ノ下先輩の両方に言われてしまい、僕は席に座ってすぐに項垂れる。

「僕が何をしたっていうんですか……」

「色々しているだろう? 由比ヶ浜の件では依頼を先読みし、方針をアドバイスして」

「材木座の時は、完全に一人でやってたしな」

「この前も、結局、成果は果たしたけれどあなたが色々画策してくれたじゃない。依頼外のことまで計算に入れて」

「そ、そりゃそうですけど」

 なんだよこの、示し合わせたかのように師匠含めた三人に指摘されるとか。

 っていうか、それ聞いても納得できないんだが。基本的に、師匠が活躍して解決してばかりだったように思うわけだし。

「君はあれだな。比企谷への気持ちがなければ、本当に普通の高校生だ」

「それにしてはちょっと変わり者すぎじゃないですかね」

「師匠、残念ですがそれは違います。僕は普通ですよ、本当に」

 師匠の言葉を否定するのは気が引けたが、過大評価されるというのも落ち着かない。言うと、平塚先生は頷いた。

「ああ、そのとおりだ。日木は普通だ。もっと言うなら、普通になれるのに、普通になることを拒んでいる。君に憧れるから、彼は普通じゃないんだ」

「は、はぁ」

 師匠は少し納得いかなそうに首を捻っている。

 でも、平塚先生のその言葉は事実だ。

 僕は普通が嫌だ。どこにでもいる奴にはなりたくない。

 そんなんじゃ、大切な人を守れないから。周りの人を救えないから。自分が傷ついてしまうから。

 だから僕は普通が嫌なのだ。

「謎なんだがお前ってどうして俺に憧れたんだ?」

「そうね、それは私もわからないわ」

 出会った日に口にしたはずでは……と考えて気づく。

 そういえば、僕はあの時、憧れたポイントを言っただけだ。どうして憧れたのか、という問いに答えられていない。

 考える。

 確かに、大切な人を守りたかった。けれど、そのためなら師匠以外に憧れたってよかったはずだ。

 師匠じゃなきゃダメだった理由。

 考えて分からなかった答えは、心に問いかけるとすぐに出てきてくれた。

「師匠のお見舞いに行ったとき、師匠を見て、全身でかっけぇって思ったんですよ。どこが、とかじゃなくて。彼女に対して好きだって思ったときくらいしか、全身でなにかを感じるってなかったんで、すっごく心地よくて」

「そ、そうか……」

「やはり蓼食う虫も好き好き、だな。君はいい後輩に慕われたと思うよ、比企谷。失望させないようにするんだぞ?」

「……うす」

 優しい母親のような声を聞いて、頼もしいヒーローのような声を聞いて、それで僕は作文の続きを思いつき、隠すことなく書きなぐる。

 

 やはり師匠の青春ラブコメはちょーかっこいい。




 これで一巻分は終わりです。
 つたない文章ながらお付き合いいただきありがとうございました。
 ところどころカットしながら、オリジナル展開をいれていったのですが、やはりオリジナル展開は難しい部分もあり、非常にお見苦しいものをお見せしてしまいました。
 そんな中で、ここまで書き終えたられたのは読んでくださった方のおかげに他なりません。
 自分自身、ここまでの方に呼んでいただけた作品はこれまでございませんでしたので感無量です。
 これからは更新ペースは落ちるかもしれませんが必死に書いていきたいと思いますので、これからもお読みいただけると嬉しい限りです。
 また宣伝と致しまして、ペンネームで調べて頂けると小説家になろう様の方位僕のオリジナル小説の方も見つかりますのでぜひそちらもお暇な時にお読みください。
 最後に、この作品を読んでくれ、絵を描いて応援してくれた友人に心より感謝したいと思います。

 さて、これで筆を置かせていただきます。
 もちろん、完結ではないのでこれからもよろしくお願いします。
 


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二巻分
日木宗八は狂わせる。


あらすじを一部変えました。
短いですが、二巻です。

お気に入りが百をこえました!
みなさま、ありがとうございます


「あなた、そうですよね」

「…………」

 ゴールデンウィークも過ぎて、じわりじわりと暑くなりはじめてくる今日このごろ、放課後は生徒のざわめきも絶好調になり、余計に暑い。

 元来、クールで静かな僕は暑さにめっぽう弱い。あまりの暑さに、思考が曖昧になって冷静な判断ができなくなりそうだ。

 人間の基礎体温は三十六度程度。気温にすれば夏日どころか真夏日である。しかも、人間の体内には多くの水分がある。いくら我慢強くともそんな高温多湿に耐えられるはずがない。人という種族自体、生きにくいのだと証明できた。

 そんな人が近くにいるなんてやっていられない。犬なんかもそうだろう。暑いと無駄な毛を捨て、新しい毛に変える。だから僕も、不必要なうるささを切り捨て、少しでも人がいなくて涼しい、屋上にいる。

 これは合理的な判断であり、むしろ、そうしないと凡人の僕は失敗してしまうのだ。

「どうして?」

 穏やかそうな先輩は、表情を変える事なく訊いてくる。

 否定はしないのか、と心の中で嘯きながら頭の中を整理する。

 僕はある情報筋から、二年F組にチェーンメールが流れ始めていることを知った。その目的は不明だが、葉山先輩グループの悪口の書かれている内容だった。

 曰く

『戸部は稲毛のカラーギャングの仲間でゲーセンで西高狩りをしていた』

 そんな強そうな奴いなかっただろ、戸部って誰だよ。

『大和は三股かけている最低の屑野朗』

 そんなモテそうな奴いなかっただろ、大和って誰だよ。

『大岡は練習試合で相手校のエースを潰すためにラフプレーをした』

 ああ、そういう奴ばっかりだったじゃねぇか、大岡ってどれのことだよ。

 とまあ、要約するとこんな感じの真偽が定かじゃないメールがいくつもあった。

 そんな情報を得た僕は、おそらくこの件が依頼として奉仕部に持ち込まれることを予想した。

 奉仕部には二年F組に所属していらっしゃる師匠と由比ヶ浜先輩がいるのだからチェーンメールの話が上がってもおかしくないし、由比ヶ浜先輩はトップカーストの葉山先輩と親しいらしい。というか、由比ヶ浜先輩も葉山先輩グループだそうだ。なので、葉山先輩のほうから依頼が来る可能性も十二分にある、と考えたのだ。

 僕としては奉仕部にお客様がくるのはウェルカムだし、師匠のご活躍が見れると思うと最高なのだが、そのために僕は圧倒的な悪を放置しておくことなどできなかった。正義感なんて持ち合わせてはいないが、とある理由からチェーンメールやいじめと言った圧倒的悪は根絶やしにしたかったのだ。

 なので、僕は持つだけの情報網を駆使して犯人を炙り出したのだ。

 故に僕は犯人を、屋上に呼び出した。

 屋上の南京錠は壊れていて、誰でも入れるようになっている。そのことは、先日師匠がお話なさっていた。僕にとり的確な情報を下さるとは、流石師匠である。

 屋上に広がるのはオレンジ色に染まる空、そして、水平線。

 今やこの屋上は僕専用の処刑場と化していた。

 無論、ここは師匠のプライベートスペースなのでそんなものは勘違いだな。

 学校にプライベートスペースを持てるってのもなかなかいいものだよ、○太郎。と言わんばかりに僕はにやりとニヒルな笑いを浮かべる。

「簡単ですよ。僕、色んなところに伝手がありましてね。まあ、その中には学校外の馬鹿みたいな天才もいるので、あなたがそうだっていう情報を簡単に得ることができました」

「……犯人では無いと言ったら?」

 穏やかな顔の先輩の顔が、曇る。

 やはり、と思った。

「そうでしょうね、と言います」

「は?」

「そうでしょうね、です。別に僕はあなたが犯人だ、とは言ってませんよ?」

 嘘はつかない。嘘をつききれるほどの技術を僕は持ち合わせていないからだ。

 空はあくまでも五月晴れていて、いつか天才たちのように羽ばたいていけるのだと、そう告げているようだった。往年の名画でいうなら、『ショーシャンクの空』的な。まぁ観たことないんだけど。名前的に往年の名画っぽくってちょいムカつく。

 遠く霞み行く空を眺めるのと、遠くにいる天才を見据えるのはどこか似ている。

「あなたがそう(・・)だ、としか言っていません。ちなみにこのそう(・・)ってのは無実だってことです。それは確信できているので。あ、ちなみに誰が犯人なのかも分かってますよ」

「そうなのか?」

「はい。大岡、とかいう人です」

「な、なら今すぐにでも」

「待ってください」

 考えがあるから、と付け足して先輩を引き止める。

 焦る気持ちは分かる。この先輩も陰湿なチェーンメールの被害者なのだ。犯人を殴ってやりたいと思うのは当然だし、早く名誉を回復したいとも思うはずだ。

 大和 勇次(やまと ゆうじ)。

 葉山先輩のグループであり、ラグビー部に所属している。だから運動はそれなりにできるし、運動部のカーストを身をもって体験しているが故にボス猿よりは利口だと僕は考えた。

「ただ、言いつけたって葉山先輩が適当にフォローして終わりますし、名誉回復も簡単ではないでしょう。なら、僕の話に乗りませんか? 大岡先輩を苦しめて、望むなら葉山先輩グループから排斥し、あなた方の名誉も回復できます」

「……は?」

 顔が引き攣ったのが目で見てわかる。

「僕にはその作戦があります。あなたが協力してくれれば」

「……俺はダメージを受けないのか?」

「はい、もちろんです」

 大和先輩が瞑目する。考えているのだろう。よかった。ボス猿ならすぐに追い払われてるだけだっただろうし。

「……わかった。乗ろう。その代わり、俺が加担していることは誰にも言うな」

「はい! 流石、先輩ですね。話が早くて助かります」

 深く頭を下げるが、大和先輩の顔が柔らかくなることはない。

 まぁ、これは悪魔との契約みたいなものだしそれでいい。生半可な信頼なんていらない。僕が才能がないのは重々承知で、作戦に穴があるかもしれないと常に思っているのだ。だから大和先輩には疑ってもらったほうがいい。

「では、一つ聞かせてください。どうしてチェーンメールが回り始めたのか、推測できますか?

「あ、ああ。できる。おそらく職場見学だ。三人一組でいくから、それで」

「なるほど。理解しました」

 三人一組だと、葉山グループの男子では一人あぶれる。だから、チェーンメールに名前の出た三人の内、誰かを蹴落とそうとしたのだろう。その選択に不思議は無い。不思議なのは、彼らが三人グループにこだわるのか、である。

「あれって平塚先生がぼやいてましたけど、同じところに行ってもいいらしいじゃないですか。それなのに三人にこだわる意味ってあるんですか?」

「……そうだったのか。ああ、そうだな。確かに、そうだ。別々の場所に行くようには言われていない。思いつかなかったな」

「あー、やっぱり」

 平塚先生の企みどおりになってるってことじゃねぇか。

 平塚先生はあまり一箇所に色んなグループが集まると面倒だが、それを禁止すると苦情がくる。だから、同じ場所に行っていい、ともダメとも言わなかったらしい。その結果、もっと面倒なトラブルが起こっているが、その罪は後で償ってもらうとしよう。

「じゃあ、大和先輩はグループでいるときに愚痴ってください。チェーンメールの犯人に疑われた、、みたいなことを」

 そうすることでおそらく犯人は苦しむ。犯人が身内にいることが気づかれていて、すぐにでも犯人が割り出されてしまうという恐怖に苛まれる。

「わかった。それだけでいいのか?」

「そうですねー、はい。あと、葉山先輩に後輩が言ってたって伝えてください。『せんぱぁい、この前はごめんなさい、テヘペロ』って」

「……あ! お前……」

「では、またいつか!」

 言い捨てて僕は屋上を去った。

 スマホを取り出し、先日入手したばかりの師匠のメールアドレスに宛てて『これから部活に行かせていただきます』とだけ書いたメールを送る。遅れた謝罪は、直接の方がよかろう。

 五月になっても奉仕部の活動は続く。

 僕はずっと師匠の弟子のままだ。

 でも、こうして陰で動いていることは師匠には後ろめたくて言えない。自分は本当に卑怯な屑だな、と思った。

 

 

  意見書

 

 一年J組 日木 宗八

 労働とは等しく、国民に与えられた義務であろ。これは、避けることなどできない。故に職場見学が存在する。

 しかしながら、職場見学を行う二年生の中には大企業を希望しておきながら、遊び半分で行くような輩がいる。企業にとって、そんな輩は邪魔でしかないし、学校側としてもそのような輩の存在で評判が落ちるのは損失だ。

 それならば、一年生の中から希望を取り、的確だと学校側が判断した人間を上記のような、遊び半分の輩と交代で職場体験に参加させるべきである。

 また、職業には様々な種類がありどの職業が劣っているということはない。なので、主夫の職場見学も赦されるべきであり、自宅という選択肢も間違いではないはずだ。この点も許可すべきであると思う。



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☆★ほうしぶ★☆が誕生する。

 意見書を提出してから部活に行こうと思って、僕は職員室に向かう。

 こつんこつんという足音が、グラウンドの喧騒と交じる。合いも変わらず、世界は青春を演じ続けていた。

 放課後が始まり、色んな部活のウォーミングアップが終わって色んな部活が本格的な活動になる時間帯だ。うるさいこと子の上ない。特にサッカー部。葉山先輩や戸部先輩とやらに加え、速水や一色までいるサッカー部は、もはや僕の中ではリア充の象徴みたいになっている。

 つまり僕の敵だ。ま、だからどうということはない。

 

 職員室の一角には応接スペースが設けられている。革張りの黒いソファーにガラス天板のテーブルが置かれ、バーテーションで区切られている。そのすぐそばに窓があり、そこからは図書室が見渡せた。

 開け放たれた窓からは、うらららかな初夏の風が入ってきて、何枚かの紙が踊っていた。

 テーブルを挟んで座っていたのは、師匠と平塚先生であった。なんだろう。しっくり来る組み合わせすぎて逆に怖い。

「日木、どうしたのかね?」

「ああ、ちょっと出したいものがありまして」

「出したいもの? 課題は出していないはずだが……」

「まあ課題ではないですが」

「……? まあ、いい。ちょうどいいから君も調査票の開票を手伝いたまえ。今からやる予定だったから」

「え、はい」

 ナチュラルに手伝わされていることに若干の違和感を抱きつつも、師匠と一緒ならと思い了承した。

 持っていた意見書を平塚先生に渡しながら師匠の隣に座る。

「……っ」

「師匠? どうか、なさいましたか?」

「い、いやなんでもない」

 師匠の顔が赤い。熱でもあるのだろうか。体調をお崩しになられたのなら、看病をして差し上げなければならない。不安に思って身を乗り出すと、師匠は顔を背けた。

 なるほど。今は作業に集中しろ、ということか。

 師匠の指示に従って、僕はテーブルの上に置かれた多くの書類に目を落とす。それらの書類にはちょうど先ほど話に出た「職場見学」の文字が印刷されていた。

 この千葉市立総武高校には二年次に「職場見学」がある。

 各自の希望を募りそれをもとに見学する職業を決定し、実際にその職場に行く。社会に出るということを実感させるゆとり教育的なプログラムである。

 それ自体はどこの学校にもあることだ。特殊なのはその「職場見学」が中間試験の直後にあることである。つまり、調査票の開票をしている今日は中間試験近くであり、師匠は試験前の貴重な時間を使って仕事をしているのである。

 流石、お優しい方だ。一刻も早く仕事を終わらせて、師匠のお勉強の時間を作って差し上げなければ。

「日木。なんだこれは」

「意見書ですが」

 紙がくしゃっと丸々音がした。あー、せっかく書いたのに。そんな風にやるなんて酷いなぁ……。

「君が書いたのか?」

「ええ。そうですけど」

 もぞもぞと紙束を希望職種ごとに分けながら答えると、平塚先生は驚きを隠せないっと言った顔をした。

「君、真面目な文も書けるんだな。最後の文だけ余計だが」

「そりゃ、書けますよ。で? どうです? 検討していただけますか?」

「なにを?」

「一年生の職場見学参加です」

「は? なんだ、行きたい職場でもあるのか?」

 師匠は意外そうな口調で仰る。当然の反応だ。僕が語った夢は職場などない。出版社には行くわけであって、強いて職場があるとすれば自宅になるのだから。

 師匠が自宅を希望していることは先日知ったが、僕は別に自宅に見学したいとは思っていない。師匠のご自宅であれば興味はあるが、やはりこういう機会なのだから色んなものを見たいのだ。

 ……というのは建前で、この意見書は大岡とか言う人を苦しめるためのものなんだけど。

「特にないですが、ぜひ見聞を広げたいな、と」

「ほーん。真面目なのな」

「恐縮です」

 言っている間に、調査票の仕分けはもうほとんど終わった。流石師匠、手際がよい。僕もこういうところくらいは師匠に近づけるようにしなければ。

「これに関しては持ち帰って考えよう」

「ありがとうございます」

 持ち帰って検討ってなんか絶対意見が通らないパターンだよなぁ、絶対。

「にしても、なんでこんな時期にやるんですかねぇ……」

 師匠の問いに、空きデスクに座っていた平塚先生は加え煙草で答えた。

「こんな時期だからこそだよ。夏休み明けに、三年次のコース選択があるのは聞いているな?」

「そんなんありましたっけ」

「HRで伝えられているはずだが……」

「おお! 師匠の場合、アウェーだから聞いてらっしゃらないんですね。流石です」

「いや、まあそうなんだけどね、そんな目を輝かせなくていいからね」

 師匠にたしなめられるように言われた。

 師匠だけじゃない。僕だってあれはアウェーなのだ。

 あのHRを仕切る日直の制度とかな。日直は、HRとか授業ごとの号令をやらされるんだが、僕が号令かけるときだけやたらめったら静かになるのは本当に最高すぎる。どうせならブーイングとかもしてほしいまである。あ、今はそれもないからアウェーでもないのか。

「……とにかく、ただ単に漠然と試験を受けるのではなく、将来への意識を明確に持ってもらうために、夏休み前の中間試験直後に職場見学が設けられているんだ」

 その有効性は疑わしいものだがね、と付け足してから平塚先生はぷかぁと輪っか状の煙を吐き出した。

 千葉市立総武高校は進学校だ。生徒の大半が大学進学を希望し、また実際に進学する。当然、高校入学時から大学進学を念頭においている。今日日、大学進学を念頭に入れるのは基本かもしれないが、この学校ではそれがより顕著なのである。

 最初から四年間のモラトリアムを計算に入れているためか、将来への展望というのは定まっていない。ちゃんと将来のことを考えているのなんて、師匠くらいのものだろう。

 夢はあっても、将来の展望なんてものはない。将来のことを考えるのが嫌で、夢にしがみついているだけなのだと思う。それを考慮すれば、生ゴミ先輩のほうがまだ真面目に考えているように思えた。

 ……いや、違うな。生ゴミ先輩のが考えてないわ。僕のが考えてる。ほら、えっと……彼女との結婚とかな。

「あー! こんなとこにいた!」

 心の中で言い訳をしていると、騒がしい声が聞こえた。

 くるっとお団子状に纏められた明るめの髪が不機嫌そうに揺れている。相変わらず短めのスカートに二つ三つボタンが外されて涼しげな胸元。つい最近顔なじみになった由比ヶ浜先輩だ。僕には見向きもせず、師匠に駆け寄る。

「おや、由比ヶ浜。悪いが比企谷は借りているぞ」

「べ、別にあたしのじゃないです! ぜ、全然いいです!」

 言葉を返しつつ、由比ヶ浜先輩はぶんぶんと全力で手を振って否定する。超絶照れてるのとか見るとなんか和むなぁ。うちの彼女みたいだ。うちの彼女はもっと可愛く照れるけどな。

「なにか師匠に御用ですか?」

 僕の問いかけに答えたのは由比ヶ浜先輩ではなく、その後ろからひょいと現れた不機嫌な少女だった。前に出る動きに合わせて黒髪のツインテールがぴょこっと跳ねる。本来なら可愛いはずなのだが、既に雪ノ下先輩のことは知っているので、可愛いとは思えない。

「あなたたちがいつまで経っても部室に来ないから捜しに来たのよ、由比ヶ浜さんは」

「その、倒置法で自分は違うアピールいらねぇから、知ってるから」

「っていうか、むしろ部員が捜しに行ってるのに部長のあなたは一切捜さないってのもあれですよね。上に立つ者としての自覚というか。ま、遅れたのは僕が悪いんですけど」

「いちいち皮肉を言うしか脳がないのなら焼かれてしまったほうがいいのではないかしら。皮も肉もおいしくいただいてあげるわよ」

「…………」

「……何か?」

 雪ノ下先輩の発言に平塚先生、僕、由比ヶ浜先輩が驚く。師匠だけが、特に驚く様子もなく、しかし無言を貫いていた。

 代表するように平塚先生が、この驚愕の意味を教えた。

「君がそんなことを言うとは思わなくてな。なんというか、比企谷に似たか?」

「そ、そんなことはありません。私と彼では天と地ほどの差があるのですから似るはずがないかと」

「なんで俺、会話に入ってないのに罵倒されてんの?」

「いえいえ、師匠。天が師匠で、地が雪ノ下先輩だ、と自覚したんですよ」

「違うに決まっているでしょう?」

 実に不機嫌そうに僕と師匠を睨んできた。ふぅむ、見てくれは美少女のくせに、陶器さながらの冷たさを帯びている。

 僕たちの会話に入れないのが嫌だったのか、由比ヶ浜先輩が不満げにむんと仁王立ちになる。

「わざわざ聞いて歩いたんだからね。そしたら、みんな『比企谷? 誰?』って言うし。超大変だった」

「その追加情報いらねぇ……」

「師匠のお名前を知らぬとは……これだから愚民は」

 もういっそのこと師匠通信とか作って、全校生徒に師匠の素晴らしさを伝えたいところだ。いや、でも師匠のすばらしさは僕一人で独占を……くっ、悩む。

「超大変だったんだからね」

 言いながら、由比ヶ浜先輩はこちらの方をちらちら見てくる。なんだ、その目。もう一度言い直して僕の方を見てるんだから、意味があるはずだろ、言外の。

 というか、ちょい前から言われてたから意味は分かってるんだけどね。なんというか、気が乗らなかったというか、お膳立てってちょっとうざったいっていうか。

 が、まあいい。これも師匠のためだと思えば。

「あ、じゃあ皆さん! 奉仕部でライングループ作りませんか? そうすれば、仕事の連絡とかも楽ですし、欠席連絡とかもそうすればいいですし!」

 立ち上がり、手を挙げて提案する。由比ヶ浜先輩の顔がぱぁっと明るくなって、とりあえず安堵する。

「ライ……ン?」

「あれ、ゆきのんスマホ持ってない?」

「いえ、持ってはいるけれど。その、ラインというものが何なのかわからなくて」

 自分が知らなかったことが相当恥ずかしいのか、雪ノ下先輩は顔を真っ赤にして俯く。駄目だな、そこだ。そこが雪ノ下先輩の愚かさだ。

 無知を恥だと思うのは、強者の弱点だ。弱者ならば無知は当然故に恥じることなどなく、当然のように知ることができる。それを雪ノ下先輩はできない。そのプライドは、いつか彼女を苦しめる。

 人を頼らない、というのは悪いことではない。だが、頼らないことに固執するのは愚かだ。一人で頑張って、足掻いて、でもできないなら頼る。そうやって最終的に一人でこなせるようになるべきだと思うのだ。

 だから僕は、雪ノ下先輩に負けるはずはないな、と感じた。

 そうこうしている間に、由比ヶ浜先輩が雪ノ下先輩にラインについての説明をしてあげていた。……つまんねぇなぁ、教えちゃうのかよ。教えてとか頼ませればいいのに。

「なるほど……私は別に構わないけれど」

「ヒッキーは?」

「は? 俺、ラインなんて入れてないぞ。あんなの、リア充のツールだ」

 由比ヶ浜先輩の頬が再びぷくぅっと膨れる。師匠、流石すぎる。その清々しいまでのぼっち度、尊敬に値する!

「あ、でも師匠! ラインで今ってクーポンもらえたりとか色んな情報もらえたりとかするらしいですよ!」

「ほーん」

「おー、ハチ、ナイス! ヒッキー、ダウンロードして!」

「……別にいいけど」

 僕と由比ヶ浜先輩の二人に迫られて、流石の師匠も参ったのか了承してくださった。由比ヶ浜先輩が迫ったせいで胸元に目が行ったからとか、そういう下らない理由じゃないことを願ってる。

 師匠はテキトーにスマホを操作してから、由比ヶ浜先輩に渡した。

「よくわからんから、やっといてくれ」

「あ、あたしが打つんだ……、いいんだけどさ。ていうか、迷わずに人にスマホ渡せるのがすごいね……」

「そうか? 日木もそうだと思うが妹とアマゾンとマックからしかメール来ないからな」

 師匠と一緒にしてもらえて、僕はにやけそうになるが残念ながら一緒ではないと気づき少しだけ残念な気持ちになった。

 謝罪の意を示すために頭を下げて言う。

「師匠、すみません。僕、スマホは人に渡せないです……ラノベ関連とアマゾンからのメールはいいんですが、知り合いからのメールもちょっとアレですし彼女からのメールもあ」

「え!? ハチ、彼女いたの?」

 僕の誠心誠意の謝罪を邪魔したのは由比ヶ浜先輩の驚嘆の声である。その場にいた全員が由比ヶ浜先輩に怪訝そうな視線を向けるが、それ以上に痛いのは職員室の視線だ。ここは応接室だが、あまり声が大きければ漏れるのは必然。あとで平塚先生が痛い目に遭うことはたやすく予想できるが……まあしょうがないさ。

「そうか、言ってませんでしたね。そうですよ、僕、彼女います!」

「ああ、そうだぞ。そこの巾着も彼女が作ったそうだ」

 平塚先生が指差すのは僕が肩にかけていた巾着だ。ああ、運動するとき以外いつも持ってるから違和感なさ過ぎて忘れてた。

「ヒッキー、ハチに負けてるじゃん。女の子とメールしたこともないとか……ヒッキー可哀想」

「失礼な……。俺も中学のときは女子とメールくらいしてたぞ」

 哀れむような視線に師匠がそう応じると、由比ヶ浜先輩はスマホを落とした。師匠のスマホを落とすとは、不届き者である。僕は落ちる前になんとかキャッチした。

「嘘……」

「ねぇ、お前今酷いリアクションしてることに気づいてる? 気づいてないよね? 気づけ」

「……あー、や、ヒッキーが女子とっていうのが想像できなくて……」

 たははと誤魔化すように笑いながら、由比ヶ浜先輩は僕から師匠のスマホを受け取る。それにしてもあれだよな。師匠は女子とメールしてるだけでこんだけ驚いて、僕は彼女がいるってなってもあんなちょっとしか驚かれないのか。師匠のことが好きだからってのもあるんだろうけど、それにしても差が大きいなぁ。僕のぼっち力のなさが分かる。

 師匠はふっと自慢げに語りだした。

「ばっかお前。俺なんてほんとアレだぞ、ちょっとその気になればなんてことないぞ。クラス替えで皆がアドレス交換してるときに携帯取り出してきょろきょろしてたら『……あ、じゃ、じゃあ、こ、交換しよっか?』って声かけられる程度にはモテたっといってもいいな」

「じゃあ……、か。優しさはときどき残酷ね」

「師匠! 流石です! 痺れる伝説でした!」

 雪ノ下先輩が珍しく温かな微笑みを浮かべ、僕は身を乗り出して目を輝かせる。

「やめろ! そのあとはちゃんとメールしたんだから」

「……その子はどんな感じの子だったの?」

 由比ヶ浜先輩は気のないような感じで聞いてきた。多分、師匠の好みの女性とかを知ろうとしてるんだろうなぁ、でも無駄なんだよなぁ。師匠みたいなタイプは大抵、タイプが変わるのである。僕もそうだが、好きになった人がタイプなのだ。

「そうだな…。健康的で奥ゆかしい感じだったな。なんせ、夜七時にメールを送れば次の日の朝に返ってきて『ごめん、寝てたー。また学校でねー』とか返ってくるくらい健康的だったし、そのくせ教室では恥ずがしがって話しかけてこないほど慎ましくお淑やかだった」

「う、それって……」

 由比ヶ浜先輩が嗚咽を抑えるように口に手をやり、ぶわっと涙を流した。

 師匠のことだ。その言葉の先など言われるまでもなく気づいていらっしゃるのだろう。

「斬新なツンデレですね! ラノベに使います!」

 雪ノ下先輩のことだし真実を突きつけそうだからフォローする形で言った。実際、面白そうだし今度書いてみようとは思うが。

「比企谷……。私とも連絡できるようにするか? 私はちゃんと返すぞ?」

「あ、じゃあ先生もライン入りますか?」

「ああ、そうだな。頼む」

 という感じで、やり取りがどんどん進み、僕は二つのグループに加入するようになった。

 ☆ほうしぶ☆ぷらす先生♪

 となんかギャルゲーみたいになっているのが先生を含めた五人のラインで、

 ☆★ほうしぶ★☆

 というのが先生以外の四人のラインだ。まあ、先生がいると出来ない連絡もあるしね。

 師匠は、そのグループ名を見て少しうわっと言いたげな顔をしてからそっとスマホをしまった。

「さて、そろそろ行きましょうか」

 少し嬉しそうな雪ノ下先輩に従って僕たち四人は奉仕部に向かうこととなった。なんかもう、ドラクエみたいだなぁ。

 僕も行こうと思ったとき、ちょうどスマホが振動した。知り合いからラインが来ている。

『先日の件についての調査報告』

 とのラインの続いてテキストのデータが送付された。

 あまりの速さに驚き、流石だなぁと思いながら、僕は師匠の後に続いた。




何点か連絡を。

改めて、お気に入り100件、ありがとうございました。
で、皆様には申し訳ないのですが葉山の相談や川崎の件がある
二巻ですが、主人公の特性説明というか主人公の人物像などを
表現するために大幅カットを行います。
事件についてすっきりしてしまっていて、三巻のストーリーの
筋道が整わないためここで修正しようという狙いです。
なにかご質問があれば、感想やコメントをお願いします。


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かくして日木宗八は……

 その少女について僕が不審に思ったのはたまたま、二年生の教室の前を通ったときだ。

 ……別に師匠を盗み見ていたわけじゃないぞ? ほんとだぞ?

 まあ、いい。

 そういうわけで、僕は少女についての情報を得ることにした。

 僕には知人がいる。彼は顔が広く、僕でさえ想像できないくらいの情報ネットワークを持っている。しかも追跡の達人だ。それはもはや、ストーカーの域。

 敵に回すと非常に厄介な奴だが、僕は最近、彼に助けられている。

 チェーンメールの犯人についての情報をくれたのも彼だ。彼はどうやらうちの学校の奴にも知り合いがいるらしく、そこから詳細な情報を得ることで、犯人が誰なのか突き止めて見せた。

 そして、今回。

 僕はその気にかかった少女の写真を彼に送った。青みがかった髪が手作りらしきシュシュによってポニーテールにされて、鋭い目で窓の外を見ている写真だ。美人かどうか、と言えば美人だ。だから、わかりやすかったということもあったのだろう。調査から一週間ほど経った今日、僕の元に調査結果が届いたのである。

「どうかしたの?」

 ふと由比ヶ浜先輩に雪ノ下先輩が声をかけた。視線は変わらず文庫本へと向けられているのに、由比ヶ浜先輩の様子がおかしいと判断したらしい。それともため息か何かが聞こえたのだろうか。さすがはデビルマン、デビルイヤーである。

「あ、うん……何でもない、んだけど。ちょっと変なメールが来たから、うわって思っただけ」

「比企谷くん、裁判沙汰になりたくなかったら今後そういう卑猥なメールを送るのはやめなさい」

 内容がセクハラ前提で、しかも師匠は犯人扱いされていた。

「俺じゃねぇよ……。証拠はどこにあんだよ。証拠出せ証拠」

 師匠が言うと雪ノ下先輩は勝ち誇った顔で肩にかかった髪をさらっと搔き上げた。

「その言葉が証拠といってもいいわね。犯人の台詞なんて決まっているのよ。『証拠はどこにあるんだ』『大した推理だ、君は小説家にでもなったほうがいいんじゃないか』『殺人鬼と同じ部屋になんていられるか』

「最後、むしろ被害者の台詞だろ……」

 死亡フラグもいいところだ、と師匠は付け足す。雪ノ下先輩は「そうだったからしら」と首を捻ってぱらぱらぱらと文庫本をめくる。どうやら推理小説を読んでいたようだ。

「いやー。ヒッキーは犯人じゃないと思うよ?」

 由比ヶ浜先輩が遅まきながらそう言うと、文庫本をめくっていた雪ノ下先輩の手がぴたりと止まった。目だけで、「証拠は?」と問うている。

「あれじゃないですか? チェーンメール的な。だったら、師匠がやる必要ないかと。クラスに師匠がご興味をもたれるとも思いませんし」

「そー! ハチ、よくわかったじゃん」

「ほーん」

「なるほど。まあ、そうね。比企谷くんがチェーンメールを送ろうにも由比ヶ浜さんで止まってしまうものね」

「あ、それとあれ! ラインじゃないから、ヒッキーには送れないはず」

「なんだ、ラインじゃないのか」

 師匠は「無駄な会話をした」と言いたげな顔をして読書に戻る。ま、師匠はチェーンメールにもご興味を持たないのだろう。

 おそらくだが、由比ヶ浜先輩の元に届いたのは僕が先ほど、大和先輩と話したチェーンメールのことだ。ラインとは違い、メールアドレスさえ知っていればとりあえず送れてしまうので、犯人はラインがクラスの公用語となった今、メールを用いたのであろう。だからわかっただけなのだが……雪ノ下先輩はどこか怪訝そうな視線を向けてくる。

「ま、大丈夫ですよ。チェーンメールなんて、すぐやみます」

「あら、そうかしら? ああいうものは、とめどなく続くものだと思うわよ。仮に誰かが注意しても変わらない。表面上はやんでも、裏では続いて広がるだけだわ」

 強者にしてはド正論ではない、ごもっともな意見であるように感じる。……なんだろ。やっぱり雪ノ下先輩らしくない。少なくとも、初めに見た彼女の人物像とは違う。

「……まぁ、こういうのときどきあるし、あんまり気にしないことにする」

 そう言って由比ヶ浜先輩は携帯をぱたんと閉じた。その様はまるで自分の心に蓋をするかのような、そんな重々しさがあった。

 その所作に僕は胸を痛めた。

 もっといい手を考えて、彼女の元に届く前に鎮圧できればよかった。そうすれば、由比ヶ浜先輩はあんな苦しそうにしてくて済んだのに。

 だが、今回の手は僕としては最善手だ。犯人を苦しめ、犯人が名乗り出て謝罪をしなければチェーンメールというのは解決しない。犯人がやめただけでは遅く、当事者達の名誉挽回もしてこそ完全なのだ。

 あれほどぼろくそに書かれていたのだ。由比ヶ浜先輩は、直情径行型のお馬鹿さんであり、どんな人にも気をかけてしまうお人好しなので、ダメージはでかいはずだ。

 それを無理矢理振り払うように由比ヶ浜先輩は椅子を後ろに仰け反らせながら大きく伸びをした。

「……暇」

 暇つぶしアイテムであるスマホが封じられたことで、由比ヶ浜先輩はだらーっとだらしなく椅子の背もたれに寄りかかる。そうしているとやたらに胸が強調されて目のやり場に困るので、僕はパソコンに視線を戻した。

 雪ノ下先輩は文庫本を閉じてから、由比ヶ浜先輩に諭すように言う。

「することがないのなら勉強でもしていたら? 中間試験まであまり時間のないことだし」

 そう言うものの、雪ノ下先輩には全然逼迫した様子がない。超他人事っぽい口ぶりだ。だが、残念なことにその気持ちは僕も分かってしまう。中間試験なんていうのはルーティンワークだ。暗記するものを暗記して、計算は捨て、試験を待つだけの期間だ。暗記教科以外は丸腰で試験に挑むので成績は雪ノ下先輩ほどではないだろうが、だからといってこれ以上頑張るつもりもないのである。

 パソコンの、調査結果のファイルを師匠に見えないように開いて話を聞き流しながらチェックする。

 

 調査対象者の氏名

 川崎沙希

 家族構成

 父、母、その他多数の弟妹あり。直近の弟は中学三年生で現在、予備校に通っている。

 素行

 あまりよいとはいえない。先日、深夜にホテル・ロイヤルオークラの最上階にある『エンジェルラダー・天使の階』というバーに訪れたところ対象者を発見。店員側として、接客をしていた。周囲の店員が注意する素振りも見られなかったので、年齢詐称だと思われる。

 早朝になり、帰宅。後日、追跡を実施。

 追跡中、対象者は予備校に目を向ける。夏期講習の資料をもらっていたため、夏期講習のための資金稼ぎであると考えられる。或いは、大学進学用の貯金の可能性もあり。

 結論

 対象者、川崎沙希は夏期講習の資金稼ぎのために年齢詐称を行って深夜にバイトをしていると思われる。

 

 掻い摘むとそんな感じの報告書だ。写真がふんだんに交じっていた報告書は、実にわかりやすく、流石天才は違うなぁ、と思う。というかチートすぎてやばい。

 とはいえそのチートの恩恵を僕は受けているので文句も言えない。僕の武器である情報の根源は彼と、それから雪ノ下姉さまなのだ。彼を失うのは惜しい。

「ゆきのんは頭いいからいいけどさ……。あたし、勉強に向いてないし……周り、誰もやってないし……」

 読み終わって一息ついていると、由比ヶ浜先輩のそんな言葉と共にぐぅっと室温が下がるのを感じた。雪ノ下先輩の目が急に鋭くなり、由比ヶ浜先輩ははっとなって口を噤んだ。うっわ気まずい……。

「や、ちゃ、ちゃんとやるけど! ……そ、そういえば! ヒッキ-とハチは勉強してるの!?」

 おお、雪ノ下先輩に怒られる前に躱した。師匠と僕に矛先を向けようとしたのだろう。普段なら僕は雪ノ下先輩と対立するところだが、今回に関しては同じなのである意味では良策だ。

「俺は勉強してる」

「裏切られたっ! ヒッキーはバカ仲間だと思ってたのに!」

「失礼なこと言わないでください!? 師匠は文系コース国語学年三位なんですよ! 次は一位を取りますし」

「うっそ……、全然知らなかった……」

 由比ヶ浜先輩が知らないのも頷ける。この学校、テスト結果を張り出したりしないのだ。本人にひっそりと点数と順位が返ってくるだけである。あ、じゃあどうして師匠の順位を僕が知っているか、というと……これは雪ノ下姉さまのお力である。なんか、先生から探ったらしい。詳しい事は知らないけど。

「ヒッキー頭いいんだ……ハチも?」

「あ、いえ。僕、成績は普通ですよ。勉強もしてないですし」

「おお! ハチ、仲間じゃん。バカ仲間!」

 なにそれ、頭悪そうな仲間……ま、自分と同類を探してしまう気持ちは分からないでもない。この部活イレギュラーだから、リア充の由比ヶ浜先輩は心細いのだろう。なんかさっき、勉強、周りやらないとか言ってたし。

「由比ヶ浜先輩、つまりこういうことですよ」

「へ?」

 イエーイとハイタッチを求めてくる由比ヶ浜先輩に言うと、可愛らしげに首を傾げた。だがしかーし、うちの彼女の方が首を傾げる仕草は可愛いんだぜ!

「先輩、さっき周りは勉強やってないって言ったじゃないですか。だから教えて差し上げましょう。大抵の奴は僕みたいにやってます」

「……ほ?」

「なるほど。つまり、日木くんは周りが『勉強をやっていない』と言っていても、実際はやってるから勉強を頑張れ、と言いたいわけね」

「掻い摘むとそうですね。腐ってもここって進学校ですし。中には夏期講習とか行く人もいるんじゃないですか?」

 ちょうどさっき見かけたワードが上手くはまる気がしたので付け加えておく。

 実際、中学の時もそうだった。やってないやってない、と言って勉強をやってる奴はたくさんいたし、僕より成績悪いと思ってた奴が実は成績いいなんてことザラにあったのだ。自分だけ取り残されてる、と気づいたとき感じるのは孤独感だけ。

「高校生くらいになると知恵もつくしな。スカラシップとか狙う奴もいるだろ」

「スカラシップ?」

「……すくらっぷ?」

 補足するように言ってくださった師匠に僕と由比ヶ浜先輩は聞きなおす。んだが、由比ヶ浜先輩、おかしいだろ。

「由比ヶ浜さん、スクラップは比企谷くんと日木くんだけよ。他の人は狙わないわ」

「なんだ雪ノ下、今日は優しいな。てっきり生きることすら否定されると思ってたぞ」

「師匠、同意です!!」

「卑屈さもそこまでいくといっそ清々しいわね……」

 雪ノ下先輩はこめかいみのあたりを押さえて、苦い表情をする。

「師匠、お恥ずかしながらスカラシップについて存じ上げないので、教えていただけますか?」

「あ? 別にいいけど。最近の予備校は成績がいい生徒の学費を免除してるんだ」

「なるほど。実に興味深いお話でした。ありがとうございます」

 師匠に深々と頭を下げてから、ふむふむと頷く。

 スカラシップか。これはいい情報を得た。スマホで彼に追加の依頼をしていると、その間に師匠は崇高な計画をお話なさっていた。

 お三方の会話を聞きながら、僕は思考を張り巡らせる。

 奉仕部として動けば師匠のご活躍を見ることができる。それは僕が最も望む選択だ。

 けれど、そのためにしたくもない不正を抱えている人をそのままにしておくことは僕の中での〝正しい行動〟から大きく外れる行為だ。

 したい、よりも自分の中での正しさを優先すると決めたのだから今回もそうするべきだろう。それでダメだったら師匠のお力を借りればいい。

 ため息をついている間に雪ノ下先輩と由比ヶ浜先輩は勉強会の約束を取り付けていた。




解説を入れておきたいと思います。文章力がなく、わかりにくい部分もあるかもしれないので。

奉仕部の位置関係


                出入口
    机机机机机机机
   雪 結   日 比


このような感じになっておりますので、今後読むときの参考になれば。


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葉山隼人がやってくる。

 奉仕部の部室。

 もう部活は終わり、お三方も帰宅なさったというのに僕は椅子に座り、気まずい思いをしていた。

 どうしてこうなったのか僕は回想する。

 

 その日も、僕は奉仕部で部活をしていた。

 いつも通り茶を淹れ、パソコンをかちゃかちゃとやっていた。さすがにテストが迫ってきていることもあり、師匠も少しずつ勉強をなさっているが雪ノ下先輩は変わることなく読書を続けていた。

 生ゴミ先輩がやってきて、出版社の伝手がなんたらかんたらと言ったときにはさすがに僕もぶち切れ、奉仕部から追い出したがそれ以外は普通だった。

 いや、だって出版社に行ったくらいで伝手とか、ラノベ作家になれるとか舐めてるでしょ。舐めすぎててさすがに虫唾が全力疾走する。

「そかー、職場見学かぁ……」

 生ゴミ先輩を追い払うと、由比ヶ浜先輩が感慨深げにその言葉を口にした。そして横目で師匠をちらちらと見てはすぐにそっぽを向く。

「……ね、ヒッキーってどこ行くの?」

「自宅」

「や、その線はもうないから」

「いや、由比ヶ浜先輩。僕の意見書が通って、自宅アリになったんですよ。ただ行くのは教師陣の誰かのお宅ってことらしいので、()宅ではないですけど」

「うっそ、マジ?」

 由比ヶ浜先輩は驚愕するが、僕だって驚いた。さすがにあんだけ屁理屈こねても、実際に認められるとは思っていなかったのだ。これは、師匠も同じだったらしく、この知らせを平塚先生から聞いたときは師匠と共に「この学校大丈夫かよ」とぼやいたものだ。

「まさか、意見書の意見が両方とも通るとは思ってませんでした」

「ええ、本当よ。悪夢でも見ているのかしら」

 雪ノ下先輩がこめかみを押さえていることからもわかるように僕の要求は意外なことに全て通った。

 無論、一年生の職場見学は今回、僕が試験的にやって、という形になった。……というのは建前で実際は「これ以上騒がないでくれ。お前だけはいかせてやるから」という感じである。

「なので、あれですね。師匠のグループは僕と戸塚先輩という感じです!」

「そうなんだ……」

 師匠と一緒になれなかったことが残念だったのだろう。由比ヶ浜先輩はしゅんとした。いや、あなたボス猿と眼鏡女子と組むことになるだろ、絶対。

「由比ヶ浜さんはどこへ行くか決めているの?」

「うん。一番近いところへ行く」

「あなたみたいな人がいるから日木くんの意見が通ってしまうのね」

「それには同意です」

 最近、雪ノ下先輩との対立も減っている気がするなぁと思いながら、僕は由比ヶ浜先輩に侮蔑の視線を向けた。

「うぅー、ゆきのんもハチも酷いよ!」

「いや、事実ですから」

「そ、そうだけど!」

「否定しねぇのかよ……っつーか雪ノ下はどこに行くんだよ。警察? 裁判所? それとも監獄学園?」

「どれも違うわ。というか、最後のは何かしら。とても悪寒がするのだけれど」

 ウフフと凍るような笑顔の雪ノ下先輩。さすがだなぁ、師匠。ここでその名前を出すなんて真似できない。

「雪ノ下先輩はシンクタンクじゃないですか? もしくは研究開発職」

「……そう、だけれど。どうして知っているのかしら?」

「え、いや知ってるとかじゃないですよ。雪ノ下先輩はそういうの行きそうだなって。ちょうど意見書出すときにその辺の職業調べてたので」

 もちろん嘘八万だっ! シンクタンクは雪ノ下お姉さまが行ったところで、研究開発職は行こうと思って断念したところなのであーる! ……ちなみに、お姉さまの後を雪ノ下先輩は追っている節があるので、職業見学も同じ場所に行くと推測したに過ぎず、調査票は見ていない。きっと師匠が仕分けた分に入っていたのだろう。

「……そう」

「……ほーん」

 雪ノ下先輩だけでなく師匠も、疑わしげな視線を向けてきた。ふぅむ、ちょっとまずいかもしれない。別にばれても問題はないが、クライアントが一つ潰されると惜しいしな。

 などと思っていると由比ヶ浜先輩が雪ノ下先輩の耳元に口を近づけた。おお、百合か! 百合なのか!

「し、しんくたんくって何? タンクの会社?」

 耳がいいから聞こえてしまった。シンクタンクの発音がまるっきりお婆さんである。

「……由比ヶ浜さん」

 雪ノ下先輩はあきれた様子でため息をつくと、由比ヶ浜先輩と少し距離を取る。

「シンクタンクというのはね――」

 説明を始めるとふんふんと聞き入る由比ヶ浜先輩。二人は穏やかにお勉強タイムに入っていた。

 師匠は既に復習を切り上げ、少女漫画をお読みになっていた。

 そんな平和な時間が十五分ほど経過した。

 夕日が海に近づく。遠く、海面がきらきらと輝きを放つのが四階の部室からよく見える。下を見下ろせば、野球部はグラウンドにトンボをかけ、サッカー部はゴールを運び、陸上部はハードルやらマットやらを片づけていた。

 そろそろ部活も終わりの時間のようだ。僕がパソコンの電源を落とすと、師匠が時計に目をやり、雪ノ下先輩がぱたりと本を閉じていた。

 いつの間にか、雪ノ下先輩が本を閉じるのが部活終了の合図になっていた。僕も師匠も由比ヶ浜先輩もいそいそと帰りの支度をする。

 今日もお客様はこなかった。とはいえ、僕の中でいくつか問題はある。試験期間だからと言って休んではいられないわけだ。ま、これは勝手にやってるだけだが。

 とそのときだ。タンタンっと小気味よくリズミカルに扉を叩く音がした。

「こんな時間に……」

 師匠がほぼ不機嫌モードで時計を睨みつけた。

「どうぞ」

 師匠の態度を気にも留めず雪ノ下先輩は返事をしていた。お客様も部長様も空気が読めないようだ。

「お邪魔します」

 余裕を感じさせる涼しげな男の声だ。

 師匠の帰宅を邪魔したのはどこのどいつだ……と不機嫌に扉を睨みつけていると、入ってきたのは今、僕が極力会いたくない相手だった。

 ……マジ、ぱないわ、葉山先輩。

 

  ×   ×   ×

  

 その人は何やらイケメンだった。師匠と比べれば決してイケメンではないが、まあ一般的に見ればイケメンである。

 茶髪に緩く当てられらたピンパーマ。真っ直ぐな瞳が捉えていたのは、師匠でなければ同じグループの由比ヶ浜先輩でもなく、更に言えば部長である雪ノ下先輩ですらなかった。結論を言えば、僕を見ていた。

「こんな時間に悪い。相談があるわけじゃないんだけどさ。日木くんはここにいるだろうと思って」

「うげ……」

 ちょっと二人で話し合おうと言わんばかりの格好だ。荷物を床に置くことも、席につくこともなく「ちょっといいかな?」と軽く言ってきている。

「……はぁ。すみません、皆さんは先にご帰宅ください」

「ああ、そうだな。先帰るわ」

「え? ヒッキー帰っちゃうの?」

「帰れって言ってるじゃんか」

「そうね。では今日は日木くんに鍵も任せるわ。ここを使って頂戴」

「承知しました!」

 雪ノ下先輩から鍵を受け取る。数週間この部活に所属していたが、部室の鍵に触れたのは初めてだ。そう思うと、なんだか不思議な気分になる。嬉しい、というわけではないはずだが……ただ一つ言えるとすれば、今の雪ノ下先輩はおそらく悪い人じゃない。前回とはどこか違う気がする。

「それでは、また」

「うす」

「また……」

「ハチも、隼人くんもまたね~」

「うんまた」

 別れを済ませると、葉山先輩は僕の定位置の目の前に椅子を動かして座った。



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葉山隼人を恨む。

二話続いて短く申し訳ありませんでした。


「……初めまして」

「こうして話すのは初めてかもね」

「棘のある言い方ですね」

「それは受け取る側にやましいことがあるからじゃないかな?」

 爽やかなのに意地の悪い顔で葉山先輩は笑った。そんな顔もする人なんだな、とちょっと驚く。思っていたよりもやるらしい。

 とはいえ陽乃お姉さま曰く、彼は退屈な少年らしいので師匠よりは大したことのない人間のはずだ。

「さて、身に覚えがないですが」

「そうかもね。嘘はついてないんだし」

 おお、僕に一切非がないように仕掛けたトリックを見抜いたのか……ま、所詮僕が考えただけだしな。凡人が考えたトリックなんて、すぐに見抜かれますよそりゃ。当然だと思っていたので動揺はしない。……本当に動揺してねぇし。ちょっと足が震えただけだし。

「遅い時間に悪い。なかなか部活抜けさせてもらえなくてさ。……でも用事が終わるまで帰すつもりはないよ」

「さいで」

 深く鋭い眼光が向けられて、僕は苦笑する。ちゃらちゃらしたリア充に見えたけど、やっぱりそういうことじゃないんだな。雪ノ下お姉さまの見立て通り。本質は師匠と似ていて、それでいて相反している。

「ま、だから用事があるなら先に連絡を入れてくれ」

「別にいいですよ。用件をどうぞ」

 急かすような物言いをしてしまったが、ぶっちゃけあまり余裕は無い。そりゃ、確かに大和先輩を介して伝えたヒントで先日の奴が男であることはわかっただろうよ。でも僕、大和先輩に名乗ってないと思うぞ? それなのに僕だと確定するとか、おかしいだろ……もしかして、速水か?

 あー、絶対そうだよ。一色はさすがにしないだろうし、一色って葉山先輩に忠実ってわけじゃないし。うっわ、あいつ絶対許さん。

「ああ。一つずつ片付けよう。君はどうして俺や雪ノ下さんの過去を知っていた?」

「えぇー? なんのことですかぁ?」

「今日は、そんなペテンは通じないよ」

「まあ、そうでしょうね」

 葉山先輩は何が何でも情報を聞き出すつもりらしい。そのためになら居残りもさせられるパターン。見かけによらずねちっこいなぁ。凡人の僕に割くリソースがあるなら、師匠を超えることに使えばいいのに。思いながら、ため息をついて答える。

「二点。まず一点、僕は雪ノ下家の運転手の息子で、そのつながりでたまたま陽乃さんと仲良くなりました。お姉さま、とお呼びするくらいには」

「あぁ……」

 気の毒だ、と言いたげな目を葉山先輩は向けてくる。おそらく葉山先輩は陽乃お姉さまに振り回されてきたのだろう。

「言っておきますが、僕は陽乃お姉さまを慕ってますよ、本気で。色んな経験積ませてもらいましたし、情報もいただけますから。あなたや雪ノ下先輩は上手くやれてないみたいですが」

「それは単純にすごいと思うよ」

「いえいえ」

 別に僕はすごくない。陽乃お姉さまが興味のある人間を構いすぎて殺すか、嫌いなものを徹底的に潰すことしかせず、興味がない者にはなにもしない人だから、たまたま興味を持たれない普通である僕が上手くやれているだけのこと。

「あともう一つ。これが陽乃お姉さまと親しくなれた理由の一つでもありますけど。僕はあなたと雪ノ下先輩と同じ小学校(・・・・・)でした」

「は?」

「お気づきにならなくて当然ですよ。でも先輩。こう言えば思い出すんじゃないですかね。あなたの被害者(・・・・・・・)だ、と言えば」

 途端に葉山先輩の顔が青ざめる。

 ああ、そうだ。それでいい。僕はあなたを憎んでいたんだ。よく余計なことをしてくれたな、と。

 それは小学校にまで遡る。

 

 僕はいじめられていた。どうしようもないくらいにいじめられていた。

 けれど、目立った怪我をすることはなかった。中途半端に陰湿ないじめだ。だからこそ余計にどうしようもなかった。

 いじり、と言えてしまう次元の行為だったのだ。だから僕は何もせず、毎日へらへらと笑っていた。本当に今思えば最悪な生き方だった。けれど、その程度のいじめはどうでもよかった。耐え切れるレベルだったし、嫌われてる証だと思うと嬉しくもあったのである。

 そんな中、五、六学年で合同遠足が行われた。そのとき僕は五学年。つまり葉山先輩は六学年だ。

 しかも僕は葉山先輩と同じ班になった。今でも忘れない。僕たちは九班だった。メンバーは僕と僕をいじめていた三人、葉山先輩、他六年生二人に雪ノ下先輩を加えたグループだった。

  やはり遠足でも陰湿ないじめはあったが、その程度ではくじけなかった。当然となっていたいじめに動揺することはなかった。

 だが、葉山先輩は動揺した。日の当たるところで生きてきたから免疫がなかったんだろう。いじめを見つけりゃ本人の意思を取らず撲滅に動く。そんな幼稚な葉山先輩は、その時、僕をいじめた人に直接注意した。

 皆仲良く、だなんてクソみたいな論理を展開した葉山先輩は、しかしいじめをなくすことなどできなかった。それどころか、いじめはより酷いものになった。

 葉山先輩のせいだ、というのは逆恨みか? んなわけない。小学生だとしても、いじめをなくすことはできたのだ。雪ノ下先輩がたった一度、気高く論破することでいじめを霧散させたように。それができないなら放置してくれればよかった。動いてくれるだけで嬉しい? そんなこと思うはずがない。

 ちなみに、僕が強者を嫌うようになったのは強者の圧倒的な論理を展開した雪ノ下先輩に対し幼いながらに不満を抱いたからだ。

 

「まさか、君が」

「ええ、そうですよ。だからこそ、あなた方の確執について知っています。陽乃お姉さまもおそらくそれがあったらから、僕に優しくしてくださっていますし」

 過去があって今がある。だから、過去を憎んでいるわけではない。ただ、葉山先輩のことは憎んでいる。皆仲良くなんてクソみたいな論理できっとこれからも多くの人を傷つけるから。

「あの時は、すまなかった」

「別にいいですよ。ですが、もう二度と、あんなことしないでもらえますか? いじめを見かけても手を出さないと約束してください」

 あなたと話すことになったら必ず言おうと決めていた。絶対に現実を突きつけてやるのだ。しかも、被害者の立場で。

「……それは約束できない。きっと実際、出会ったら動くと思う」

 俯くことなく、堂々と葉山先輩は言ってのける。

「まあ、そう言うと思いましたよ。でも警告はしました。もしも動くときは徹底的に否定します」

「ああ、それは好きにすればいい」

 愛想笑いをすることもなく、葉山先輩は難しい顔で咳払いをした。

「もう一つ。大岡に何かしただろ?」

 あー、それも聞いちゃいますかぁ。この前、大和先輩に言ったから多分、大岡先輩の態度が変わってるし、不審がるだろうとは思ってましたけど。

「さぁ。思い当たる節はあるのでは?」

「……チェーンメールか?」

「ビンゴ。つまり、あの先輩が犯人です。僕は先輩に反省してもらい、謝罪を誠心誠意してもらいたと思っています。できることなら自首をして」

 葉山先輩の拳がきつく握り締められる。あー、僕とはまったく考えが違うから腹立ってるんだろうなぁ。皆仲良くってのは、ぶれてないんだろうし。

「あのさ、丸く収めるだけじゃダメなのか? その方がクラスの空気もよくなると思うんだ」

「はぁー……バカですか? このまま、大岡先輩が自首しなきゃ、絶対後々苦しむことになりますよ。それに、しっかりと犯人が全員の前で謝らない限り、いくら訂正メールを回してもチェーンメールの内容を否定しきれませんし。何より! 皆仲良くってのは、罪人を罰しないことじゃないですよ。国家だってそうでしょ?」

 面倒なので手短な解説を交えるだけにしておく。下手なこと言って、尻尾掴まれても面倒なだけだしな。葉山先輩は力なく僕を睨んだ。

「それでも上手くやれるはずだ……」

 ――分かってる。

「そうかもしれないですね」

「ああ。だから俺は俺でやるよ」

 ――分かってる。

「勝手にしてくださいよ」

 ――とっくのとうに分かってるっつうの。

 僕が上手くやれてないことくらい。

 それでも必死こいてやってるんだろ。師匠の下で学んで、けれどどうしようもない差を感じながら!!!

 壊れたラジオが放つような音がする。チャイムが鳴る前兆だ。

 いかにも合成音声っぽいメロディが流れると、葉山先輩は立ち上がり、去っていった。その態度はどこか不機嫌で、皆の葉山先輩らしさはない。

 今日はなんて厄日なんだろうか。

 憎い相手と会話して、情報元の一つがばれて、思い知りたくないことを思い知って。最悪にも程がある。




解説

冒頭で言っているトリックについて
稚拙なものですが解説しておきます。

テニス勝負のとき、男女ペアでの勝負になりましたが、
あのとき日木は自分が女子だからペアになる、とは言っていません。
「せんぱいが困ってるので出ます」としか言っておらず、
女子テニスに着替えを借りにいかなかったので自分が
「女子である」とは明言しておらず、実質葉山は
「男だが比企谷が困っているので出る日木」を認めたにすぎないわけです。
屁理屈もいいところですが、言われればそう返すことが可能、というわけです。
それが冒頭でのトリックで、嘘をついていないので悪くは無いということになっているわけです。



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この作品とは大きく文章が違いますが、こちらも読んでいただけると喜びます。


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彼らは繋がっている。

 中間試験が目前まで迫っていた。

 中間試験期間中は部活も停止になる。部活でも勉強はできるのだが、鍵が貸し出されないのだからしょうがない。

 さて、突然だが僕は基本的に一人で勉強するか、彼女と勉強するかの二択だ。

 では、放課後、僕が勉強するとなればどれを選択するかは明白であろう。

「はちくん、勉強しないの? テスト、近いんでしょ?」

「んにゃ、もう終わった。後は家で周回プレイする予定!」

 今日は、そのうちの後者をセレクトしていた。

 僕の勉強スタイルは基本的に楽だ。クイズゲームをするような感覚で単語帳を幾つも作り、各教科の試験範囲を頭に入れる。単語帳を作るときはやや苦労するが、それが終われば、後は何度か周回プレイをするだけで済む。

 故に深夜まで勉強する事は少ない。それに、試験目前ともなると、飽きてくるので基本的に今のように、読書をして過ごすことになる。

「ほんと、暗記力あるよねぇ。ずるい!」

「まぁ、暗記力はねぇ……でも、テスト点だと思考力もある人の方が高いんだよなぁ」

「あー、よく言ってるような?」

 彼女――櫻木 心は、うんうんと唸ってから問い、ストローでトマトジュースを吸った。ストローを通る赤い液体は、なんだか血のようでぞっとしてしまう。が、それも彼女がやると綺麗だと感じてしまう。

 ま、当然だ。さすがうちの彼女! 将来の嫁だ。

「そうそう」

「ユキノシタさんとハチマンさんだっけ?」

「そ! 特に師匠――あ、八幡様のことね。師匠が、本当にすごい!」

「そっか。よしよし、いい子だねぇ」

 ここは、犬を撫でるような仕草で僕の頭をわしゃわしゃとしてくれた。ああ、やばい。極楽すぎる。ふにゅーとか、ふにゃーとか、変な声を出してしまう。

 気分も良くなったことだし、読書はやめて勉強……もやめて、ここの喋り相手にでも徹することにしよう。

 と、その時のことである。四人連れが席を立ったのを見計らったかのように何者かが後ろを通過し、テーブルにトレイを置いてソファに素早く鞄を放った。つい、そちらに視線をやった瞬間のことだ。

「「あ」」

 という声が漏れ、しかもそれがどこか聞き覚えのある女性の声と重なった。

 その女性は、見覚えのある制服を着ていた。ソファを滑って自分の元にきた鞄を、先ほどまで四人連れが座っていたところに戻した。

「お兄ちゃんと……先輩だ」

 アホ毛の主張が激しく、八重歯をきらりと輝かせるその少女は僕の、そしてここの中学の後輩であった。

 僕の声に反応したのだろう。ここも僕が見ていたほうを見る。そして僕と同じような反応をした。

「あー、二年のちび!」

「今は三年生ですよ!」

 懐かしい会話が繰り広げられているのを和やかな気分で見る。確か二人は同じ部活の先輩後輩だったか。僕の場合は、少女が生徒会、僕が委員会で割と提携していたので覚えている。

 中学の制服のまま、嬉しそうな笑顔を浮かべ、僕たちとそれから鞄を放った相手に手を振った。

「…………お前ら、ここで何してんの?」

「へ?? し、師匠!?」

「え? この人がそうなの?」

 こくこくと頷く。

 何故師匠がいらっしゃる? っていうかさっき、中学の後輩がお兄ちゃんとか言ってたよな? へ? へ? へ? ま、まさか師匠の妹?

 やばいやばい、パニックになりすぎて本当にやばい。

「小町は大志君から相談を受けてたんだけど……なに? 先輩とお兄ちゃんは知り合いなの?」

「まあ、な」

 ああ、小町小町。うっかり名前を忘れてた。

 でもそうっぽい。やっぱり小町は師匠の妹みたいだ。小町の隣にいる、大志というのもどこかで聞いたことがあると思ったらあいつだ。あの、調査対象の弟だ。

 あまりにピンポイントなメンバーに驚きを隠せず、つい安心できるここの手を握った。

「はぁ……しょーがないなぁ。あの、私が説明しますね。自己紹介もしたいので」

「え? あ、あお、おう」

「比企谷くん。身の程を弁えずナンパをした挙句、挙動不審になるのはやめなさい」

 ここの可愛さに流石の師匠も動揺していたとき、後ろから冷静な声が降ってきた。僕と師匠が振り返ると、そこには雪ノ下先輩たちが来ていた。僕と同じ制服を着ていることから状況を理解した小町とここは、いつもの営業スマイルを作った。

「やー、どうもー。比企谷小町です。兄がいつもお世話になってます」

 そう言いながらぺこぺこ挨拶をする小町に対し、ここはどちらかというと護身に入っていた。僕と同じくシャイな彼女のことだ。笑っているが、実は内心パニック状態なのだろう。それに比べると小町はすごい。別にそれは中学生パワーではないようで、大志の方は中途半端な角度で頭を下げで、自分の名を名乗るだけだった。

「別にナンパはしてねぇよ。俺の妹と日木の……彼女? しかいない」

「あ、はい。彼女であってますよ。櫻木 心って言います」

「うっそ、かわいいー。ゆきのんゆきのん、ハチの彼女、すごいかわいいよ!」

「そうね。わかったからまずは席に座りましょう。他のお客さんの迷惑だわ」

 騒ぐ由比ヶ浜先輩を雪ノ下先輩がなだめて、四人は席についた。あ、もう一人は戸塚先輩だ。傍目から見ると女子三人を引き連れてる師匠一人にしか見えん。

 ここの緊張度もぐっと増す。まぁ、こんだけ人数が多いからな。僕だって初対面なら緊張する。それでも営業スマイルを続けられているだけ流石だ。

「さて、と。じゃあ、まず関係を整理しますね」

「そうね」

 この状態でここに任せるのもきついだろうから、僕が引き継ぐことにした。時間も取れたので一応、落ち着いたし何よりこの場においては僕が紹介するのが適任だ。

「えっと、まず僕とこの子は付き合ってます。で、僕とこの子は同じ中学だったんですけど、その後輩に当たるのがそこの二人です。大志くんとは面識ないですけど、小町さんとは割とつながってますね。生徒会とか部活とか色々。でもって、大志くんのほうは由比ヶ浜先輩と戸塚先輩ならわかりますかね……川崎先輩の弟さんです」

「あー。川崎さんでしょ? ちょっと不良っぽいっていうか少し怖い系っていうか」

「お前、友達じゃないの?」

「まぁ話したことくらいはあるけど……。友達、ではないかなぁ…・・・。ていうか、女の子にそういうこと聞かないでよ、答えづらいし」

 微妙に言葉を濁したものの、由比ヶ浜先輩は知っているようだった。ま、川崎先輩は女子の中でもそこまでグループに属す人ではないという調査結果が出てるし、その答えもしょうがないのだろう。

 ここの目は、だんだん鋭いものになっていく。観察するときの目だ。ちょうどいい。後で聞こう。

「でも、川崎さんが誰かと仲良くしているところって見たことないなぁ……」

「……ああ、そんな感じだな」

 戸塚先輩の一言で師匠が川崎先輩のことを思い出したようだ。……とはいえ、まだ関係性の整理も終わっていない。僕は咳払いをして関係の整理に戻す。

「で、僕たちが四人で奉仕部で、こちらが師匠と由比ヶ浜先輩の同級生の戸塚先輩。そんな感じですかね」

「そうね。では自己紹介を。初めまして、雪ノ下雪乃です。比企谷くんと日木くんの……。二人の何かしら……クラスメイトではないし、友達でもないし……誠に遺憾ながら、知り合い?」

「何その遺憾の意と疑問系……」

「どこまでで知り合いと定義していいのかは難しいですからね。はちくんが言うには、雪ノ下さんは『正しいけどおつむの弱い先輩』らしいですよ?」

「そ、そう……ありがとう櫻木さん。日木くんが私のことをどう思ってるのかよぉくわかったわ」

「いえいえ」

 あー、ここがすっごい楽しそうな顔してるよ。緊張はどこ言ったんだよ。なに? 僕への仕返し? すっごい怖いんだけど……ま、実施あおつむが弱いと思ってるのは事実だけど。

「え! ねぇねぇ、櫻木ちゃん! あたしのことなんて思ってるかも教えて! あたし、由比ヶ浜結衣です!」

「は……はい」

 あ、ここが嫌そうな顔した。まあ、こういうテンションの高さにはあんまり慣れてないからな。嫌そうな顔も可愛いなぁ。マジエンジェル。

「えっと、『師匠と雪ノ下先輩のことが好きすぎる忠犬』だそうで――あ」

 言ってて、自分がまずいことを言ってることに薄々気づいたのだろう。手で口を覆ってしまった、という顔をする。僕としては今、ばらしてしまっても構わないっちゃ構わないのだが、由比ヶ浜先輩にもタイミングってものがあるだろうからなぁ。

「ふっ、日木。お前も人間観察がまだまだだな。確かに百合ヶ浜間違えた由比ヶ浜は雪ノ下のことが好き好き大好きフリスキーだがな、俺のことは好きなわけがないだろ?」

 ――その心配はなかったようだ。ここと僕は胸を撫で下ろす。

 師匠、申し訳ないですがこのことに関しては師匠の方がまだまだですよ……鈍すぎますって。

「そ、そうだよ! あたし、ヒッキーのこととか大嫌いだから。ほんと殺意しかない! ヒッキー殺してあたしも死ぬとかそんな感じだよ!?」

「由比ヶ浜先輩、下手なこと言うと失敗しますよ。師匠……は大トリということで、戸塚先輩、自己紹介をお願いします」

「え、う、うん。戸塚彩加です。えと、僕のことどう思ってくれてるのかも、知りたいな」

 戸塚先輩まで……ここに言わないで! と目で訴えるものの、にやにや笑ってその訴えを棄却してきた。戸塚先輩は一番恥ずいんだよなぁ……僕は顔を逸らし、ずずっとクリームソーダを飲んだ。

「『男らしくないことにコンプレックスを持ってて師匠と友達になって喜んでる先輩』らしいです」

「は、ハチくん? よく見てくれてるんだね。てへへ……」

 呼び方に戸惑っているようだったが、戸塚先輩は頬を掻いて照れていた。そういうところなんだよなぁ、戸塚先輩が王子様とか呼ばれる理由って。

 その場の視線が一気に僕に集まる。うわ、ちょー恥ずい。ってか、このくらい、よく見なくたって推測つくだろ。

「さ、さあ。師匠、ぜひ、かっこよく自己紹介を!!」

「はぁ? そんなハードルあげられても困るんだが……比企谷八幡だ」

「『師匠』さんですね。いつもうちのはちくんがお世話になっております」

 冗談めかして深くお辞儀をするここから、師匠は視線を逸らした。やはり、ここの美女度は半端無いようだ。

「それで、川崎さんの相談というのは? 本校の生徒のことなのだし、何かあるなら奉仕部で動くことも考えるけれど」

「あ、えっと……」

 雪ノ下先輩はまあ、美女ではある。だから、大志が話しかけられて戸惑ってしまうのも無理がないことだ。だって僕もここと付き合う前なら動揺してたし。ここの美女度ゆえに慣れてしまったが。

「あれじゃないですか? 帰りが遅い的な」

「そうっす。帰り、5時とかで」

 僕がリードしたことによって幾分か緊張がほぐれたらしく、大志はそれから師匠たちに姉のことを話はじめた。

 それは、僕の知っている情報よりもはるかに踏み込めていない情報だった。が、雪ノ下先輩はその少ない情報だけで、川崎先輩の問題の解決に努めることを決めた。




UAが、なんと二万を越えました!
皆様のおかげです。これからも、よろしくお願いします。

また、明日の投稿より、ペースががた落ちします。ご容赦ください


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日木宗八は、こうして消え去る。

「やっぱりここにいましたか、川崎先輩」

 翌日のことだ。

 放課後になってしまうと、川崎先輩の問題の解決のために動くので忙しい。一刻も早く問題を解決し、依頼をなかったことにしたかった僕は師匠に断りを入れて、川崎先輩がいつも入る場所にやってきた。

 どこまでも青い空は、飛び立つことのできない自分を皮肉っているようにさえ思える。吹きすさぶ強風に巾着を揺らしながら、しかし僕ははっきりと川崎先輩を捉える。

 奉仕部に依頼がきたのだから、奉仕部でやればいいという思いはある。というか僕としては師匠の解決方法を見たいので奉仕部の一員としてこの依頼の解決に努めたいとさえ思っている。

 でも、それを赦さない自分がいた。

 それはダメだ、と。このまま、奉仕部の一員としているだけの毎日じゃ結局のところ昔から何も変われない。師匠に頼ってばかりじゃダメなのだ。

 師匠にだって将来がある。主夫だなんだといってらっしゃるが、きっと師匠は就職する。おそらくそれなりにいい大学に行って、それなりにいい企業に勤めて、由比ヶ浜先輩か若しくは他の誰かを家族にして生きるという未来がある。

 そんな中で、高校のテスト一回というのは軽いようで重い。

 雪ノ下先輩にとってはルーティンワークで、容易いテストなのかもしれない。だから、否応なしに依頼を受けたのだ。

 だが、強者である雪ノ下先輩のものさしに合わせて活動をしていけば他の人間は桁はずれた苦痛を味わうことになってしまう。今回で言えばテストで点数を下げる可能性が高い。師匠にはまだ秘めていらっしゃる力がある。その力を発揮すれば、雪ノ下先輩に勉強で勝つことさえ可能だ、と僕は思っている。

 勉強が全てだとは言わないが、誰かに奉仕することで師匠の可能性が費えるのは嫌だ。

 それに、このまま奉仕部の活動が拡大すれば、絶対、後々大変なことになる。それこそ内部分裂のような次元の。そんな未来は嫌だ。僕はあの部屋を気に入っている。四人だけのあの場所を守りたい。

 故に僕は今、動くしかない。

「あ? なに、あんた」

「一年Jの日木宗八と言います。あなたの弟さんの先輩です」

「おと……大志っ!」

 なんかまるで僕が誘拐したかのような形相で川崎先輩は僕を睨みつけてくる。そのたてがみのような青髪のポニーテールが揺れ、川崎先輩はすぐにでも僕を殴れるように構えた。

「乱暴だなぁ、別に僕は弟さんに何かをするつもりじゃないですよ。むしろ、僕は弟さんの味方です」

「……? 根拠は」

 根拠ときたか。よかった、情報をたんまり得ていて。それがなきゃ、この時点でキョドってたわな、確実に。

「さーちゃん♪」

 あからさまに顔が赤くなるのを見た。

 川崎先輩ってとっつきにくい人みたいに思ってたけど、むしろとっつき易いんだなぁ。いじりやすい、の方が正しいかもしれんけど。

 僕が口にした言葉は、川崎先輩の妹の京華が川崎先輩に対して言っているものだ。聞いていると家族思いだなぁと思う。が先輩だって年頃の女子だ。家庭的を飛び越えて母親的なレベルのシーンでの呼び名を適応されれば恥ずかしがる。

 ……ほんと、あいつの読みは当たるなぁ。

「そ、そ。で、なんなわけ?」

 川崎先輩が言葉を搾り出すのを見て、少し和む。うん、川崎先輩はこっち側だ。雪ノ下先輩のようなあっち側とは違う。

「川崎先輩。エンジェルラダーで働いてますよね? 年齢を詐称して」

「よくわかったね。気付かれてないと思ったんだけど」

 そりゃ、あいつの情報ネットワークはすごいからな。心の中でだけ呟く。

 しかし、すごいな。ばれたのに一切動揺していない。

「やめる気はないんですか?」

「ん? ないよ。……あそこをやめても、他のところで働けばいいし」

 川崎先輩は屋上のフェンスの先を睨みながら、しれっとなんでもないことのように言った。

 きっと、僕が川崎先輩の働く理由を理解せず止めにきたとでも思ったのだろう。

「あんたにはわかんないよ。別に遊ぶ金欲しさに働いてるわけじゃない。そこらのバカと一緒にしないで」

 僕を睨み付ける川崎先輩の目には力があった。邪魔をするなと、そう力強く吠える瞳。だが、それとは裏腹に瞳は潤んでいる。

 しかし、それは果たして本当に強さだろうか。誰にもわかりはしないだろうと、そう叫ぶ言葉は理解されないことへの嘆きと諦め、そして理解してほしいという願いがあるように思える。……だって、どっかの誰かさんもそれは同じだから。

 自分の苦悩がありふれたものではないと信じたいから。他の人間にとっては大した悩みでもないことで苦悩するほど、自分が矮小な人間だと思いたくはないから。何より、自分は孤独ではないと思いたいから。

 だから、理解してほしいと叫ぶのだ。

 それは弱者の思想だ。

 そして、奉仕部に悩みを相談しにしく者の願いだ。

 例えば、由比ヶ浜先輩だ。彼女は周囲に合わせてしまうことを苦悩し、故に師匠への恋心を秘めなければいけないことを苦しみ、理解を求めて相談にきた。そうでなく、ただクッキーを作りたいだけならば、親御さんにでも頼んでクッキーの作り方を習えばいいだけなのだ。

 例えば、戸塚先輩だ。彼は周囲の女子に守られ、王子様とされることで男らしくなれないことを悩み、男らしさを求める自分を肯定し男として見てくれる理解者を求めて相談にきた。そうでなく、ただテニスが強くなりたいだけならそれこそテニススクールにでもいけばいいし、筋トレとかのメニューなら今時ネットを調べれば出てくる。

 つまり、だ。

 弱者というのは。人に悩みを相談する人というのは理解を求めているのだ。由比ヶ浜先輩が悩みを理解した上で肯定、否定してくれる雪ノ下先輩という友達を得たように。戸塚先輩が男友達(仮)として師匠と仲良くなれたように。

 じゃあ、僕のやることなんて決まっている。

「分かってますよ。あなたのためにお金を用意するのは難しいですし、あなたが予備校の費用のためにバイトしているのも知ってます。大変ですよね、一番上の姉って。誰にも頼れないんですからね」

 そういえば、自分も大変だなぁと思いながら。

 弟一人だったが、それでも辛かったものだ。上の子だから。そんな風な固定概念に苦しめられる。まあ、それは下の子も同じだ。

「その中で川崎先輩、やりくりしようとしてるんですからすごいですよね。バイトも、年齢詐称してばれないってことはそれだけの能力があるってことですし」

「……何が言いたいの?」

 理解できるなんて傲慢だけれど。でも、理解すべきだ。それが僕の責任だ。

 彼女の行動は否定されるべきではない。ただ、上の子としての責任に追われて、結果として深夜にバイトするようになっただけなのだ。

 理解すべきだ。深夜にバイトしてまで学ぼうとする彼女の意志を。エネルギーを。

「ようするに――そんだけできる川崎先輩なら、予備校のスカラシップ、いけるんじゃないですか?」

 バイトにする時間を勉強に注ぐことができるなら。

 深夜にバイトをしてまで勉強しようという気概があるのなら。

 ならば、スカラシップくらい取れるのだ、と。

 そうして僕が飢えた人に与えたのは魚でも魚の取り方でもなく、生きることができるという希望だった。

 

 ×  ×  ×

 その日の放課後。

 僕たちは師匠のお家の猫、カマクラ様でアニマルセラピーを実行しようとして大志に川崎先輩が猫アレルギーだと聞いてやめたり。

 平塚先生に頼った挙句、結婚について言われて崩れ落ちる先生に敬礼したり。

 えんじぇるているとかいうメイド喫茶に川崎先輩がいないか確かめに行ったり。

 雪ノ下先輩を筆頭に解決に向けて様々な手を打った。

 解決したのを知った上での活動はある意味では空しく、悲しいものに映ったが師匠がいらっしゃったので非常に楽しかった。メイド喫茶でたじろぐ師匠の姿は貴重だったしな。

 戸塚先輩や生ゴミ先輩も参加し、奉仕部関係者総力戦(生ゴミ先輩とは関係ないが)のような状況になった。なので、僕は解決せずに放置して事の顛末を見ればよかったという気持ちが余計に強くなった。

 でも僕は先に解決すべきだと思った。僕には才能がないから、どんなに失敗したっていい。けれど師匠には才能があふれている。ならばこそ、師匠がこの先息苦しくなるのも、変わってしまうのも嫌だ。

 今のこの平和を永久に変えないためには、奉仕部にくる依頼なんて排斥するしかない。そうしないと、下手すれば生徒会なんかにも頼られてしまう。

「そうだ、雪ノ下。昨日小町に言われたんだがな、川崎がバイトをやめて早く帰ってくるようになったらしい。大志とのコミュニケーションも取れているからもう、依頼は取り下げでいいとさ」

 翌日の部活で、師匠がいつものように本を読みながら言った。

「あら、さぼりたいからって嘘をつくのはよくないわよ卑怯ヶ谷くん。何もないのに、突然そんなこと起こるわけないでしょう?」

「何を言ってるんですか雪ノ下先輩! 師匠の仰ってる事は本当ですよ! 僕も今日、たまたま大志くんに会いましたけど」

「確かに今日、川崎さんいつもと違う顔してたよ? ちょっとすっきりしてたっていうか……」

 雪ノ下先輩と師匠が本をめくる手を二人合わせて止めた。

 そして、仕草は違えどほぼ同じタイミングで二人とも本を閉じる。二人の、特に師匠の顔は険しい。

 打ち合わせをするとは思えない二人が、それでもタイミングが合う行動をしているということはそれだけ二人に共通する何かがあるのだろう。だが、生憎とそれが僕にはわからない。

「比企谷くん。大変遺憾だけれど、今に関してはあなたと考えていることが一致しているようね」

「ああ、遺憾だけどな」

 二人が本を読まず、依頼を受けるわけでもなく向き合うのは初めてであるように思う。師匠と意見が合っているのなら喜ぶのが正当な心構えであろうに、本当に雪ノ下先輩は失礼だ。

 文句を言おうとする。が、その言葉は喉から上がってこなかった。

 平たく言うなら、この僕が空気に気圧されたのだ。

「日木くん。奉仕部部長として命じるわ。奉仕部を退部しなさい」

「は? まったく雪ノ下先輩何言ってるんですか。それじゃあ、僕は師匠のお傍にいられないじゃないですか」

 鋭い雪ノ下先輩の声に反論する。そうだ。そもそも僕は師匠のお傍で色んなことを学ぶためにこの部活に入ったのだ。誰に強制されたわけでもないのだから、なにか僕がしたわけでもないのに退部なんてさせてもらえるはずがない。

「それ、今日で終わりだ。師匠師匠って俺を崇めてるけどよ、これまでの依頼、全部お前がお膳立てしてるじゃねぇか。川崎のこととかな。それに、知らないうちにチェーンメールにまで手を打ってるじゃねぇか」

「え……? 師匠、何を?」

「パソコン、見えんだよ俺の位置からだと」

 それは盲点だった。まさか見えている、だなんて思っていなかった。見えていると分かっていれば全て家だけでやったのに。そのせいで師匠を不快にさせたのなら、謝るほかない。

「すみません。このような事は二度といたしませんのでお許しください」

「そういうことが言いたいんじゃねぇよ。別に悪いことだって言ってるわけじゃねぇ。今までの全部のことをお膳立てしてこれたお前は素直にすごいと思う」

「そうね。私にもできない芸当だわ。でもね、日木くん。奉仕部自体、そういう場所ではないわ。何もかもあなたがお膳立てして、あなたの自己承認欲求を満たすだけなら、お友達とやりなさい」

 辛辣な、辛辣な言葉だった。

 けれど否定の言葉は出てこない。

 理屈は出てくる。でも、自己承認欲求を満たしていなかったという確証は、どこにある? いや、あるはずがない。

 実際、自己承認欲求を満たしていたのだから。

 色々と理由をつけていたが、結局のところ認められたかっただけなのだ。テニスの時と変わらない。調子に乗ったのだ。自分の力など何一つ使っていないというのに。

「そう、ですね。すみません。出て行きます。道具だけ、後日取りにきてもいいですか?」

「そうね。構わないわ」

「ちょ、ちょっと待ってよ! なんでハチが出」

「ありがとうございます。退部届けは帰りがけに出しておきますね」

 由比ヶ浜先輩の優しさが嘘だとは思わない。

 由比ヶ浜先輩は実際に優しくて、きっと本当に僕が退部すべきじゃないと思っているのだろう。

 でも、その優しさは残酷だ。

「ししょ……比企谷先輩。お世話になりました。すみませんでした」

 礼儀よく言って、僕は扉を閉めた。

 幸せ。それは本当にむごい。

 夜中に見上げた月みたいに、どこまでもついてくるくせに手が届かない。

 その距離感が掴めない。

 幸せに縁遠いわけじゃない。僕にはここがいる。それだけでも幸せなのだ。

 

 でもやっぱり()は満足できない。



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三巻分
彼は、本当に犬ではない。


お詫びを。
まず分量が短いです。すみません。
そして一巻分は原作に近かったですが今では全然別になって
しまってます。すみません。四巻には修復します。


 夜も深まる、午前二時。真っ暗な部屋の中、僕はパソコンに向かい、キーボードを無心で打つ。

「にししし……」

 深夜テンションゆえなのか、気持ちの悪い笑みが口の端から漏れてしまう。

「後ちょっと。後ちょっと」

 悲鳴をあげる脳と身体に言い聞かせるように連呼する。今日はいつもよりもラノベ執筆が捗っていた。

 もう、今の時間はここも寝ている。彼女とは、十一時過ぎまではメールをしていたが、それからは疲れて寝てしまったので僕は一人でラノベ執筆をしていた。こことメールをしている間はよかった。その間は、癒されていたおかげで脳の方も身体の方も適度に休んでいたのだ。

 だが、メールをしなくなってからの三時間ほどの間は、そんな癒しがなく、自分の世界にどんどんのめりこんでしまっている。自覚しながらも止まれないのは、ラノベ作家志望の純粋なところだろう。

 これは、次のJO文庫の小説賞に応募するために書いたものだ。孤独な主人公がとある部活に入部させられ、そこで色んな人の悩みを解決しながらも孤独の強さを証明する、という話だ。

 どこかの誰かさんのようだが、別にいいだろう。だってもう、あの人は僕の師匠じゃない。なら慮る必要もないのだ。

 本当に人と人との繋がりはあっけないものだ。些細なことで簡単に壊れてしまう。人生を一期一会だ。それを悲しむのは、人生そのものを悲しむのと同じだし、僕は人生を悲しみたくはない。悲しんだら、こことの出会いさえも悲しむことになるのだから。

 ここも、比企谷先輩も、雪ノ下先輩も結局のところ〝持つ側〟だ。僕のような〝持たない側〟の気持ちなんて理解できるはずがない。……ここのことを悪く言うつもりはないのに、寝不足だからかちょっと八つ当たりみたいになってしまった。

 ぴろりん、ぴろりん。

 そんな音が鳴った。スマホだ。メールの通知に設定していた音だけに、僕は送り主が誰なのか戸惑ってしまう。僕は基本的にパソコンかラインでしかやり取りしないのだ。

 ちょうどいい機会だ。まだもう少し書き終えるのに時間がかかりそうなので、一旦休んでメールを確認する。

『お主、学校に来ておらぬようではないか。まさかあいつらと戦っておるのか?』

「うっせぇ!!」

 ノータイムで僕はスマホをベッドに投げた。まったく、生ゴミ先輩は全然変わらない。本当に鬱陶しくて、嫌な記憶ばかり蘇る。

 あれはそう、僕が中二病だったときの頃だ。ネットで生ゴミ先輩と知り合って、リアルで会うことになって。本当に嫌な記憶だ。それを思い出すくらいなら中学校の時の先輩を思い出した方がいい。

 比企谷先輩のように目の腐った、けれど色恋沙汰に興味を抱き、幾度と振られて色んな人に愚弄されていた先輩だ。

 あれだけ色んな人に馬鹿にされても動じていなかった孤独なあの先輩に憧れて、僕は孤独になろうとしたのだ。ま、なんだかんだであいつとかここと仲良くなったんだけど。

 そういえば、あいつとも最近は話していない。仕事の依頼、報告はするけれどそれ以外のことは話さないようになった。中学のときは話したんだけどな。

 これもまた、一期一会。悲しむことではない。

 それなのに……

「あー、わかったよ、くそがっ」

 中途半端だからダメだって言うんだろ? 全ての関係性をデリートしてないから、悲しむ余裕があるんだろ?

 だったらいいっつうの。全部、人間関係なんて断ってやるよ。

「ラノベも、彼女も、学校も。何もかもいらねぇよっ!! くそがっ。くそ、くそ、くそ。全部全部くたばれよ、ごみがぁっ」

 部屋をのた打ち回る。ベッドを、壁を、床を。全力で叩いて、壊して、消してしまえばそれでいい。

 まずは、連絡先だ。ラインはとりあえずアプリを消せばいい。連絡先に関しては、使うメールアドレスを変えて前のは使わないようにしよう。そして、最後に学校をやめれば今の既存の関係性なんて……ああ、それじゃ不完全だ。親がいるじゃんか。それにこの家がばれたら、関係性は断てない。

 そうだな、家を出るか。

 決めてしまえば、後は迷うことなんてない。僕は自分の決めたことには従わざるをえないのだ。

 服を漁る。中二病時代のコートや中学生のときに彼女とのデート用に買った服。こうして見てみると、思ったよりも服を持ってるんだなぁ、と思う。

 が、そんなものを着たら意味が無い。関係性を断つのだから、誰かと結びつくことのない服にしないと。と、なると着る服は決まっている。

 灰色のパーカー。猫の耳がついていて、何故か着たいと思った服だ。かなり前に買ったやつだが、やたらと大きいのを買ったで今もぶかぶかだ。

「ふっ」

 フードを被ってみると、なんだか落ち着いた。何をイライラしていたんだか。今やってるのは、ただ使ったティッシュを捨てる作業だろうに。そんなことに、焦る意味もない。すぅ、と息を吸って僕は充分に充電したスマホをもって外に出た。

 家には、今の状況を説明する手紙を残す。お前らが僕を探したらすぐに自殺する、と書いたので探さないでくれるだろう。

 懸念すべきはうちの彼女だ。あの子とは、将来さえ誓っていた。だから、僕がいなくなって、連絡もつかないとなれば心配してしまうかもしれない。僕としてもあの子との関係は断ちたくはないので、あの子のことを思い出す度に決意が揺らいでしまうかもしれない。

 でも、今、全ての関係をデリートしないと僕は暗い部屋に閉じこもることになる。全部中途半端になってしまう。

 けじめはつけなければいけない。中途半端は大罪だ。怠惰だ。僕は誰よりそれを理解している。

 だからけじめなのだ。

 ゲームをやろうと思ってスマホを持ってきたが、ゲームをやるのも馬鹿馬鹿しい。

 僕は公園のブランコに座り、眠ることにした。

 

  ×  ×  ×

 

 起きて、僕は町をぶらつく。まだかなり早い時間なので、何人か犬の散歩で公道を歩いている人がいるが、それ以外にはむしろ誰もいない。

 これなら知人と出会うことはまずないだろう。

 と、その時であった。

「わう、わう」

 という明らかな犬の咆哮と共に

「あ、ハチ……」

 という由比ヶ浜先輩の声が聞こえた。

 ロングコートのミニチュアダックスフント。それは、いつか僕の父親が轢きそうになったという犬にそっくりだった。

 父親はあの事件のことを重く捉えていた。あのミニチュアダックスフントと男の子には悪いことをした。そう、何度も語っていたのだ。だから覚えていた。

「えと……」

 いっそのこと無視してしまった方が早い。俯いて僕は由比ヶ浜先輩も、その犬も無視して歩いていく。

「わうっ、わうわう!」

 吠えながら、犬が突進してくる。軽いとはいえ犬が全力で突進してきたのだ。僕はよろめき、前に倒れそうになる。

 その状態から体勢を整えたがゆえに、被っていたフードを脱ぐ破目になった。

「チッ、なんだよっ! まったく」

 突進してきた犬にガンを飛ばし、そこから視線をスライドさせて由比ヶ浜先輩にもガンを飛ばす。もはや今、由比ヶ浜先輩は他人だ。比企谷先輩を師匠としないのなら、由比ヶ浜先輩に興味を持つ理由なんてない。

「ね、ねえ……ハチ?」

「……なんすか」

 無視はきつそうだと判断してすぐに、普段とは違う声を出す。どちらかと言えば素に近い、ここにさえ怖いと言われた日木宗八の声だ。

「な、なんで学校きてないの?」

 由比ヶ浜先輩の顔に恐怖が見える。いつか、雪ノ下先輩のきつい一言を聞いたときよりもずっとずっと泣きそうな顔だ。

 ――でも、だからなんだ?

「なんで知ってんすか」

「へ? そ、それは平塚先生が……」

「そっすか。でも先輩。俺、退部したんすよね。あんたらとやってられなくなって。なのに『なんで学校きてないの?』って、そりゃないっしょ。俺は見限ったんすよ」

 世界も、学校も。

 世の中には、少しくらい僕の期待に沿う人がいると思っていた。人数の多い高校でなら一人くらいいてもおかしくない、と本気で思っていた。

 で、比企谷先輩を見つけた。奉仕部での活躍。それこそ、由比ヶ浜先輩の件に関しては僕では決して思いつかないことをしてくれたし、生ゴミ先輩のときも僕をも救うほどの言葉をこぼしてくれた。

 けれど、白けた。

 好意には鈍感。いや、敏感なくせに気づかないフリをする。それを偽物と言わず、なんと言おう。

 そんなクソみたいな欺瞞を求めていたわけではないのだ。

 けれど期待していた比企谷先輩でさえ偽物を許容するという事実を抱え、その中で僕はあの人を妄信していた。

「悪いっすけど、俺はあんたらが嫌いだ。最初っから、あんな部活で仲良しこよしするなんてなぁ! 気持ちわりぃと思ってたんだよ! どいつもこいつも、うっぜぇんだよ! 俺の前に現れるんじゃねぇ、雑魚がッ!!!!」

 裏切られたことにショックを受けて、逆ギレするなんて最悪だ。でも、いい。

 いっそのこと、とことん嫌われてしまった方がいいのだ。それに、今の僕は素に近い僕だ。

 ――ここのこと以外はどうでもいいとさえ思っている僕だ。

「え……ハチ?」

「うるせぇ! 俺は、犬なんかじゃねぇんだよ!!」

 不満が全部爆発した。

 犬に吠えられる。

 はっ、俺が悪いのかよ。全部、俺が。

 まあ、そうだろうな。今までだってそうだった。いじめられるのも、いじめに歯向かえないのも全部俺が悪くて、いつも強者に救われて、庇護下に生きて、迷惑かけてきたんだから。

 だから強者なんて嫌なんだよ。お前らさえいなきゃ、俺は悪くねぇのによ。

「ごめん……」

 空気を読む彼女には、もうそれしか言えないと分かっている。それを利用している自分に嫌気が差した。

 結局今の俺は、一番嫌いな俺じゃねぇかよ。




読んでもわかる通り面白くないです。
スランプというか、原作から離れているせいでてが止まっているので、しばらく週に一度プラスか気が向いたらで投稿します。ごめんなさい....


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奉仕部

遅くなりました。ごめんなさい……
残り1、2話で三巻分も終わりになると思います。
すみません。
それと、奉仕部、八幡アンチじみている部分もあるのですが
すぐに修正されますのでアンチヘイトはなしでいきます。


今回は、八幡サイドが基本です。


「すまない、今日も来るつもりはないのか?」

「まあ。ってか、俺、今の関係、全部断つつもりなんで」

「そうか。じゃあその前に一つくらい願いを聞いてくれてもいいだろう?」

「……まあ、色々やってもらいましたからね。正直、そのために電話出たんで」

「よかった。では一つ願いを聞いてくれ。君には――」

 

 特別棟の四階。奉仕部はそこで恙なく行われていた。

 部室は静かだった。

 由比ヶ浜はいる。けれど、由比ヶ浜も今は話すことなく、スマホを操作しているし、雪ノ下はいつものように本をめくっている。今日も小難しい文庫本なのだろう。

 そういや、最近はずっと騒がしかったな。本当に最初の最初は俺と雪ノ下だけで、ずっと沈黙が流れ、それ以外の時間は罵倒し合うだけあった。

 それがいつの間にか、日木が入部して、由比ヶ浜が入部して、気づくと騒がしくなっていた。一、二ヶ月の間のことでしかないのに、随分と懐かしくなり、俺がぼーっとドアを見ていると、それを見透かしたように由比ヶ浜が口を開いた。

「ハチ、来ないね……」

「そりゃそうだろ。あいつはもう、部員じゃない。来るはずがない」

「そ、そっか……あ、あのね。今日、サブレの散歩してたらハチと会ったよ」

 泣きそうな顔で由比ヶ浜が言う。ちくり、と胸が痛み、雪ノ下を見る。

 雪ノ下はひっそりと小さなため息を吐いていた。

「彼のこと、本当にこれでよかったのかしらね」

「いいんじゃねぇの?」

 少なくとも俺は、間違っているとは思えない。

 だが雪ノ下は、曖昧な顔で首を傾げた。

「そうなのかしらね。ええ、そうなのだと思うわ。けれど、なんでしょうね……何かを間違えた気がするわ」

「随分とぼんやりしてるな」

 雪ノ下雪乃がそんなことを言う奴だとは思わなかった。彼女はもっと、理論的に言葉を弄する人間だと思っていた。いや、紛れもなく初めはそうだったはずだ。俺と出会ったときは。

 けど、それは過去の話だ。今の彼女は少しずつ変わっている。変わることをいいことだと手放しに賞賛する趣味はないが、少なくとも今、彼女に生じている変化はいいものだと思う。

 その変化を――言い換えるのなら成長を雪ノ下に与えたのは誰なんだろうか。少なくとも俺ではない。俺にはそんな力はない。それに雪ノ下を成長させるとかんな狂ったことを俺はしない。これ以上成長したら魔王になるだろ、こいつ。

 俺が雪ノ下が魔王になる姿を想像して慄いていると、由比ヶ浜が俯いて深いため息を吐いた。

「まぁ、こういうのはあれだろ、一期一会ってやつだな。出会いもあれば別れもある。それを悲しむことはねぇよ」

「イチゴ? よくわかんないけど、あたしは悲しい、な。ハチ、面白かったもん」

「そう、ね」

 由比ヶ浜だけでなく、雪ノ下でさえ日木の不在を悲しんでいた。そのことに驚く。雪ノ下だって、日木の退部には賛成していたはずなのに。それに彼女は分かっているはずだ。人生は所詮一期一会で、ずっとつながりなんてないことくらい。

 君子危うきに近寄らず、来る者は拒み、去る者は追わず。たぶんそれがリスクを負わない唯一の方法だろう。

「人と人とに繋がりなんて案外あっけないものよね。些細なことで簡単に壊れてしまう」

 どこか自嘲気味に雪ノ下が呟く。その口調は、俺が思っていたより悲しそうなものだった。

 すると、唐突に戸がガラっと引かれた。

「だが、些細なことで結ばれもするのだよ、雪ノ下。まだ諦めるような時間じゃない」

 やたらとかっこいい台詞とともに白衣を翻しながら俺たちのもとへと歩いてくるのは誰あろう、俺へのオフェンスに定評のある平塚先生だった。

「先生、ノックを……」

 平塚先生は雪ノ下の苦言などまるで気にしないふうで、部室を見渡す。

「ふむ、日木が退部してからもう一週間か……。今の君たちなら自らの力でどうにかすると思っていたのだが……。さすがだな」

 何をどうにかするのか意味が分からないが、平塚先生は感心したような口調で言った。

「あの、先生……。なんか用があったんじゃ」

「ああ、それだ、比企谷。君には職場見学の時に言ったな。例の『勝負』の件だ」

 勝負、と言われて俺はなんとなく思い出す。確か、俺と雪ノ下、いったいどちらがより人に奉仕できるかロボトルファイトっ! というやつで、ロボボンじゃないほうだ。

 その勝負のルールについて一部仕様の変更をするとかゲーム会社みたいなことをこの間、平塚先生は言っていた。ちなみに、その職場見学には日木もついてきていた。

「今日は新たなルールの発表に来た」

 平塚先生は腕を組み、仁王立ちになった。俺と雪ノ下、そして話についていけてない由比ヶ浜も姿勢を正して聞く体勢に入る。ああ、そっか。由比ヶ浜、勝負の件知らねぇんだな。

 俺たちを交互に見つめ、平塚先生は充分なためを作る。そのゆっくりとした挙動が逆に緊張感を掻き立てた。こくっと自分の喉が鳴ったの意識してしまうほどの静寂。

 流れていた沈黙を破壊するように、平塚先生は厳かに口を開いた。

 

「君たちには殺し合いをしてもらいます」

 

「……古い」

 最近、金曜ロードショーでも見かけねぇぞ。

 というか、最近の高校生はその映画知らんだろ。と思って雪ノ下を見ると、雪ノ下は路傍のゴミでもみるような冷たい眼差し平塚先生に向けていた。由比ヶ浜ははて、と首を傾げている。

 二つの真っ直ぐな視線を受けて、平塚先生は誤魔化すように咳払いをする。

「ん。んんっ。と、とにかく! 簡単に言うとバトルロワイヤルを適用するということだ。三つ巴のバトルロワイヤルだから、共闘もありだ。そう考えれば、日木のやったことを糾弾する理由なんてないと思うがね」

 結局言いたいのはそれじゃねぇかよ……だが、確かにそうだ。バトルロワイヤルなら、別のプレイヤーを誘導してゲームメイクするようなキャラがいてもおかしくない。

 由比ヶ浜は平塚先生の言葉を受けて、ぱぁっと明るい表情になる。

「先生! それって、ハチは退部しなくていいってことですか?」

「ああ。私は日木に退部を命じてはいない。退部届けも受理していないしな。だから、彼が意志をもって部活に参加するのであれば、受け入れよう」

 意志をもって部活に参加するのであれば、か。どうやら平塚先生は現状の深刻さを理解しているようだ。おそらく、由比ヶ浜よりも。

「じゃ、じゃあすぐに戻ってきてもらえるよう言います!」

「いやそれはやめたまえ。私は退部届けを受理したと彼に言っていない。それだけで充分だ」

「え、でも……」

 由比ヶ浜がその言葉になんと続けようとしたのか俺は分からない。

 ただ。少なくとも平塚先生にとって認められるものではないのだろう。だから由比ヶ浜は口を閉ざした。

「君たちは何か勘違いしていないかね?」

 それは問いかけでも確認でもなく、調告であっただろう。疑問の形をとりながら暗に俺たちの罪科を責め立てるためのものだった。

 答えられず、俺たち三人が黙ると、平塚先生はなおも続ける。

「ここは君たちの仲良しクラブではない。青春ごっこならよそでやりたまえ。私が君たち奉仕部に課したものは自己変革だ。ぬるま湯に浸かって自分を騙すことではない」

「「……」」

 きゅっと唇を噛み締めて雪ノ下と由比ヶ浜がそっと目を逸らす。

「奉仕部は遊びではないよ。れっきとした総武高校の部活動だ。そして、君たちも知っての通り、やる気がない者に構ってやるのは義務教育までだ。いる場所は自ら選択するべきだ。それができないものは、居場所を失う」

「……つまり、日木くん本人が戻りたいと思わなければいけないと?」

「その通りだよ、雪ノ下」

 短く、ただ一言だけを言い残して平塚先生は去っていく。ただ、振り向きざまに見せた表情はどこか笑っていた。

 平塚先生が去り、俺たちは顔を見合わせる。

「なぁ、どうするつもりなんだ?」

「さぁ? ……申し訳ないけれど、思いつかないわ」

「だよな」

 俺も雪ノ下も、こういうのは苦手だ。なんなら俺は、このままでいいとも思っているし。

 その意味では今回の件を一番重く捉え、人と上手くやることに関しちゃプロと言ってもいい人物がここにいる。

 その人物は、というと平塚先生が来る前よりもずっと暗い顔をしていた。

「由比ヶ浜さん?」

「…………」

「由比ヶ浜さん?」

「…………」

 案じるような雪ノ下の言葉を由比ヶ浜が無視しているという現状があまりにも奇怪に、俺には映る。由比ヶ浜なら、雪ノ下に名前呼ばれただけで喜んで三周回ってワンしそうなもんだが。……いや、さすがにそれはしないか。

 だが、それにしたって由比ヶ浜の様子がおかしい。喩えて言うなら、体調悪い犬みたいな。

 ……それで思い出した。

 日木宗八という人物は犬に似ている。気になることがあれば目を仔犬のようにきらきらさせるし、可愛げがある。欲望に忠実だ。

 でも、それは一面だ。その一方で彼が見せた知的な面は、犬というよりも狼のようだった。狼について詳しいわけじゃないからイメージだけどな。

 本物の日木宗八をどうにも掴めない。元々、あいつのことを知っていたわけではないのだから、今更そんなこと言う必要もないが。

「ゆきのん、ヒッキー」

「あ?」

「何かしら、由比ヶ浜さん」

 ふいに由比ヶ浜が真剣な口調で言う。

「あのね、もしかしたら私たち、ハチにとって邪魔なのかもしれない。でもさ……」

 言葉が途切れたことを不思議に思い由比ヶ浜を見ると、彼女の目からは涙が零れていた。途端、俺の頭は真っ白になる。教室で三浦とかとやってたときにも涙目になっていたが、今回のはそれの比じゃないくらいに泣いている。

「だから……っ、そのっ……あのあ、そ、の」

 言葉にならない声に、雪ノ下は申し訳なさそうに微笑んだ。

「そうね。私に考えがあるわ。比企谷くん、由比ヶ浜さん、協力してくれるかしら」

「まあ、別にいいけど」

 正直、まだわからない、日木に戻ってきてほしいと思っていないのは確実だと思うのだが、でも協力したくないとも思えない。

 まあなるようになる。由比ヶ浜が泣いているのも、なんか嫌だしな。

 

 ――何故だろう。

 あれだけ偽物臭いと思っていたのに、今の奉仕部は本物に見える。




短くてすみません。
本当なら戸塚くんとのおでかけやわんにゃんするイベントがあるんですが、
そこもまた、割愛します。
この作品は必要なところを凝縮するスタイルですので。


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日木宗八は見極める。

 日曜日。

 梅雨の晴れ間とも呼ぶべき晴天だった。今日は奉仕部の面々と出かけることになっている。

 時刻は十時ちょうどになろうかというところだ。少し早く来過ぎただろうか。つい、いつもの癖で早く来てしまった。

 まさかあんだけ拒絶してきた雪ノ下先輩から「由比ヶ浜さんの誕生日プレゼントを買いに行くのに付き合ってくれないかしら」なんて言われるとは……。

 どういしょう……やっぱり断ろうかな……。などと思うこともあるが残念な事に僕にそんな勇気があるはずもない。先日は家出までした僕なわけだが、家出や自殺、退学といった何かを断つような行為というのは勇気がいるものなのだ。……何が言いたいかって言うと、あの時はちょっと頭に血が昇りすぎたわけであって、今は家出はまずいしこことの繋がり断つのもまずいってことになったのである。

 そんな意気地なしの僕が雪ノ下先輩の誘いを断れるとでも? まさか、ご冗談を。あの日、由比ヶ浜先輩を睨みつけ、あまつさえキレたお詫びもしなければならない。それに平塚先生に頼まれたことを遂行するためにも奉仕部に戻りたいのでこれまでの非礼のお詫びもしなければならない。そんな諸々のことをしなければならない僕は、この場に来るしかなかったのである。

 とはいえ、一人ではない。一人は恥ずい。だから強力な助っ人を呼んだ。

「っていうか、そのパーカー着てきたんだね。かわいい……」

 強力な助っ人――ここは僕の服に対し言う。

 今、僕が着ているのはこの前の耳月パーカーだ。正直ださいデザインなのだが、なんとなく最近、これを気に入ってしまった。僕らしい感じがするのだ。

 だが、それは服の印象と僕の印象が同じということを示すものではない。パーカーは可愛いが、僕は決して可愛くないのだ。

「んまね。ぶかぶかだから楽しいし」

「はちくんらしい♪」

 んー、やっぱりここの笑顔は和むなぁ。

 おかげで雪ノ下先輩と比企谷先輩が来ても正気でいられる。

「お待たせ」

「待たせたな」

 涼やかな一陣の風を引き連れて、雪ノ下先輩がゆっくりと歩いてくる。その横には少し背が曲がった比企谷先輩がいる。

 なんかこうして見ているのに一切カップルに見えないあたりが流石だ。

「……ここがいたんで暇しませんでしたから」

「そ。なら良かったわ。櫻木さんも、付き合わせてしまって申し訳ないわ」

「いえいえ、大丈夫ですよ。純粋に、はちくんと出かけたかったですし」

 流石のコミュ力だ。他人に対してのみ発揮されるここのコミュ力が発揮される時点で、ここの中で雪ノ下先輩は完全に他人扱いされているわけなのだが……ま、それが変わると急に喋れなくなるのでこのままでいいだろう。

 二人の姿を和やかに見ていると、隣に薄暗い気配を感じた。見ると、そこには比企谷先輩がいる。しかも、なんか気まずそうにしてる。

「…………」

「…………」

 お互い、何も言わない。ただ、視線だけは合う。近づくことなく、離れることなく。そんな微妙な距離感だった。

 だがいいんだと思う。

 今の比企谷先輩ははっきり言って尊敬すべき人ではない。むしろ、期待はずれな人だ。弱く、偽物を許容する人なら僕にとって嫌悪すべき対象だ。

「そろそろ行きましょうか」

「ああ、おう」

「はいっ!」

「……うす」

 だからこそ、見極めなければならない。そのために僕は来たのである。

 

   ×  ×  ×

 

「一体、何を渡せばいいのかしらね……」

「んー、わかんないですけどさすがに事務用品は由比ヶ浜先輩、喜ばないと思いますよ……私、よく知らないですが」

「そうね……」

 ……見極める以前の問題だった。

 やべぇな、この人たち。

 雪ノ下先輩は由比ヶ浜先輩へのプレゼントで事務用品探しに行くし、服に行ったかと思えば頑丈さで判断しては売ってる服、却下するし。

 比企谷先輩はと言えば、服屋入るだけで不審者扱いされるし。あれ、僕とここで助けにいかなきゃマジ警察来てたからな。雪ノ下先輩、助けにいかないし。

 なんかなぁ、この感じ。すっげぇ肩透かし感。

「……私、由比ヶ浜さんが何が好きとか、どんなものが趣味とか、……知らなかったのね」

 そのため息は彼女にしては深く、物憂げなものだった。

 知ろうともしてこなかったことを悔いているのだろうか。

 もしそうなのだとしたら、それは彼女の中で大きな成長かもしれない。由比ヶ浜先輩はやはり、雪ノ下先輩の中で大きな存在のようだ。

 暗い表情の相手にここは何も言わない。この状況では、まだ他人であるここは何かを言うべきではないと思ったのだろう。

 僕も何かを言うつもりはない。慰めるとすれば「そんなことないよ」とかになるが、そんな馴れ合いは排斥したいのだ。

「別に知らなくていいだろ、むしろ半端な情報だけで知った顔されたら腹が立つ。千葉県民に向かって、よその落花生送るようなもんだ」

「例えが千葉過ぎてわからないのだけれど……」

 雪ノ下先輩には伝わらなかったか……ま、ちょい千葉過ぎるのでしょうがない。

 ま、要約してしまえば餅は餅屋みたいなことだ。違うか。違うな。

 とはいえ、すごいと思う。僕の頭が足りなかったからだろうが、そんなこと言うなんて思いつきもしなかった。慰める気なんかなく、ただの独り言のような感じがしてすごくいい。そういうところは、装ってない、本物に見える。

「要するに、相手の弱点を突くんですね。由比ヶ浜先輩だと……料理とかですかね」

「あいつの場合、弱点どころの騒ぎじゃないけど、まあはまってるとか言ってたしいいんじゃね?」

「そうね……じゃあ探しに行きましょう」

 言うと、雪ノ下先輩は服屋のはす向かいにあるラグジェリーショップの隣にあるキッチン雑貨の店へと消える。ラグジェリーショップをわざわざ挟んだのは、別にエロいとか思ったわけじゃない。こんなのより、駅ビルとかの下着ショップの方が数倍エロい。

 そんなことを考えている間に、比企谷先輩と雪ノ下先輩は買う物を決めていた。後、決めていないのは僕くらいのものだ。なんなら、ここも付き合いで買ってるし。

 さてはてどうしたものか。色々言っていたが、僕もここ以外にプレゼントするというのは初めてだ。困って、右手の巾着をくるくる回すがそんなんでいい案が出るはずもない。

「あれー? 雪乃ちゃん? あ、それに日木くんもいるじゃん」

 無遠慮な声が僕の思考を遮る。

 ものすごく聞き覚えのある、ものすごくやばい人がものすごく近づいてきている。ものすごくやばい……やばいのは僕の動揺具合だった。

 艶やかな黒髪、きめ細かく透き通るような白い肌、そして、整った端正な顔立ち。輝きを放ちながらも、嘘くさいその笑顔にここでさえ営業スマイルを崩す。

 声をかけてきたのは、とんでもない美人だ。ここが天使なら、彼女は悪魔と言っていい。後ろにわらわらと来ていた人達に「ごめん、先行って」と拝んで謝るような仕草を送った。

「あ、お姉さま!」

 僕は大切な大切な情報源である雪ノ下お姉さまの元に駆ける。一応、こことも面識があり、僕は雪ノ下お姉さまに何があろうと恋愛感情を抱くことがないと理解してもらってなければできないことだ。

「おー、日木くん、久しぶりだね。何してるの? はっ――ダブルデートだな。このこの」

 雪ノ下お姉さまはうりうり~と雪ノ下先輩を肘でつついて、からかい始まった。ほらな。結局、お姉さまにとって僕はついででしかない。目的は妹の雪ノ下先輩だ。

「えっと、比企谷先輩に紹介すると、こちら雪ノ下先輩の姉の雪ノ下お姉さまです。僕はお姉さまによくしてもらってました」

「へぇ~、比企谷くんって言うんだ! 雪乃ちゃんの姉、陽乃です。雪乃ちゃんと仲良くしてあげてね」

「はぁ、何をよろしくするか分からないですけど」

 嵐のような人だ。ばっちり比企谷先輩も引いてるし。っていうか、どうしてこのモードのお姉さまと仲良くできないのだろう。これくらい勢いあった方が、流せていいだろうに。

 雪ノ下お姉さまは名前の如く朗らかで明るい人だ。……少なくとも、社会にはそう見せている。雪ノ下先輩と顔が似ているのに印象が違うのはその仮面のせいなのだ。こっろころつける仮面を変えるからたちが悪い。

 そうこうしている間にも、お姉さまは比企谷先輩に迫っていた。雪ノ下先輩との関係をからかっていたらしい。雪ノ下先輩に咎められてちょっと落ち着いたけど。

「比企谷くん、雪乃ちゃんの彼氏になったら改めてお茶、行こうね。じゃ、またね!」

 最後にぱあっと華やぐような笑顔を浮かべて、お姉さまはばいばいと胸の前で小さく手を振った。そしてとてとてと去っていく。

 お姉さまの放つ輝きから、比企谷先輩は目を逸らさず、最後まで見送っていた。

 そして、僕たちもとぼとぼと歩きだす。

「お前の姉ちゃん、すげぇな……」

 比企谷先輩の呟きに、僕はチャンスだと思った。

 ここで、比企谷先輩が師匠と呼ぶに値するか見極めよう。そう決めて、僕は二人の後をここと一緒にとぼとぼ歩く。

「姉に会った人は皆そう言うわね」

「だろうな、わかるわ」

「ええ。容姿端麗、成績最高、文武両道、多芸多才、その上温厚篤実……いよそ人間としてあれほど完璧な存在もいないでしょう。誰もがあの人を褒めそやす……」

 あー、そんな一面もあったっけか。なんかお姉さまのこと知りすぎて、そういう面を完全に忘れてた。

「はぁ? そんなのお前も対して変わらんだろ。遠まわしな自慢か」

 ――見込みアリ、だな。

「……え?」

「俺がすげぇっつってんのはあの、何? 強化外骨格みてぇな外面のことだよ」

「……さすがです、師匠! その腐った目だからこそ見抜けるものもあるんですね!!」

 二人の会話に割り込むように僕は言い、そしてお辞儀をする。そんな様子を、二人は驚きながら見ていた。

「ひでぇな。……ま、褒めてるんだろうけど」

「もちろん褒めてますよ! 絶賛です! ……師匠ならもしかしたら僕以上に、お姉さまに踏み込めるかもしれないですね」

「は?」

「……いえ、一身上の都合です!!」

「お前、好きだな氷菓」

「まあ」

 今はまだ、誤魔化しておく。これを教えるのはプライバシーの侵害だ。

 それに、確信した。師匠なら雪ノ下家の哀れな鳥、二羽を飛び立たせることができる。

「さて、と。じゃあ、もう解散しましょう。僕は個人的に買いに行くので。明日は部室行きますね。そこで色々話します」

「そう……わかったわ。ではまた」

「おう、また」

「先輩方、またいつか!」

 僕とここは、二人と別れのっそりと歩いていく。

 向かう先は時計店。エンターティナーな僕のサプライズの準備である。

 

 結論。

 奉仕部はいつか本物を見せてくれる。




 お久しぶりです。
 忙しくなってしまって、なかなか書けていませんがひとまず、次回で三巻は完結予定です。
 というか書いている間にも勉強したほうがいいんですが……できるだけ書き続けるので見捨てないでいただけるとありがたいです!

 それから、小説家になろうのほうでも同じペンネームで投稿しています。
 こちらは予約投稿で、今は執筆していないのですがその分、確定した量を投稿できるので、暇つぶしにそちらをお読みいただけるとありがたいです。

 それでは、またいつか。


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だから、青春ラブコメは刻まれる。

 お待たせしました(待っているかた、いらっしゃるといいな)
 これで三巻分、完結です。
 ちょこっとずつ改変している部分もあるのですが、それはおいおい。
 一点、言うとこの時点ではまだ由比ヶ浜さんはスマホではなくガラケーだと思われますが、ラインを使いたかったのと、12巻でスマホを使っている以上どこかで
買い換えているということで、最初からスマホもちということにしておきます。


 月曜日。英語で言うとMONDAY。つづりの覚え方はモンデーだ。なんとなくエロエロしいのでハッピーな曜日かというとそんなわけがなく、「また一週間学校なのか……」と思うだけでため息がこぼれ出る。わりとリアルに学校を休みたいのだが、これ以上休むと勉強が遅れるし、何よりやりたいことがあるので休む訳にはいかなかった。

 やりたいことについて語る前にここで僕について語る。

 人には必ず何か才能がある、という。それを僕はあるときまで信じていなかった。何故なら僕は一切才能のない凡人だからだ。まあ、それを思い知ったのは、とてつもない才能の塊とであったからなのだが、まあそこは語らない。

 才能がなくとも努力すればなんとかなる、という人間がいるがそれは違う。エジソンも言うように、成功には必ず才能が必要なのである。無論、99%の努力ができない者は才能があっても成功しない。その点では、由比ヶ浜先輩の一件での雪ノ下先輩の発言はあっていたのだ。

 ただ僕が違うと思うのは、努力が重要だとでも雪ノ下先輩が語っていたところである。僕はそうは思わないのだ。努力は才能を持つ人間がやればいい。文才をある人間は文を書く努力をすればいい。運動の才能がある人間はスポーツでもやって努力すればいい。

 要するに餅は餅屋。99%の努力を色んなことでするくらいならば自分が才能を持つ分野でのみ全てを注いだ方がずっといい。

 長年、その才能を見つけられなかった僕だがそんな僕にも才能はあった。

 それは努力の才能とか、そういうことではない。

 端的に言うならそれは、企画性だ。

 何かをやったところで僕はクオリティの高いことを創りあげることはできない。僕にはそういう意味でのクリエイティビティは存在しないのである。

 だが、その分、決められた作品を活用し、企画として面白いものにすることができるわけだ。

 喩えて話をした方がいいだろう。

 芸能人や芸術品など観客が目を惹かれるものがあるとしよう。そういった人になったり、ものを作ったりすることは僕には不可能なのだ。が、その見せ方(例えば芸能人の登場の仕方や芸術品を見せるまでの盛り上げ方など)を考えるのは得意なのである。まあ、他にもイベントをやるってなったときに何をやるか、というものを決めるのも得意だ。

 そういう企画性――あえてエンターティナー性と呼んでいる――の才能があると気づいた僕がその能力を最大限生かすために鍛錬しようとした結果、ラノベ作家になりたい、という結論になったわけだ。空想の中ならどんな企画も実行できるからな。

 そんな僕は、今回、奉仕部に戻るにあたって一つ、企画を実行した。その企画の結晶が入った、バッグを巾着と別の方の手で持ち、僕はのっそりのっそりと奉仕部に来ていた。

 ……別に放課後登校したわけじゃなくて、既に授業は済ませたんだからな?

 更に言うなら、僕はぼんやり授業時間を過ごしていたわけでもない。一応、テストの日は登校したのだが、その時の点数はかなり高かった。個別に教えられる順位でも文系教科だと一位だったはずだ。理系? 知らない子ですね。特に数学な。あれは流石に覚え切れねぇから。

 と、まあそういうわけで学生の本分を過ごした僕は奉仕部の扉の前で息を吸う。この前、一緒に出かけたとはいえやはり気まずい。これ、ここに告白する数日前の微妙な距離感のときと同じだ。

「すーはー、すーはー」

 空気はおいしい。流石、特別棟。人の気配もあまりしない。しっかり用意してきたんだし大丈夫、大丈夫。いつもここにやってもらうみたいに、自分を元気づける。

「……なにしてんた、お前」

「うひゃっっ! ……あ、師匠。え、えと別に何でもないですよ!! この空気は神聖だと思っていたまでです!」

 なんだろう。あいつと仲違いし、仲直り(はてなマークがつきそう)した後みたいな、感じ。

 ――それならやれる。

 順応性では負けない。なんたって存在が空気みたいなもんだからな。

「ほれ、行くぞ」

 僕が入りにくそうにしていると判断なさったのか、師匠は先行して部室に入ってくださった。流石師匠である。僕もそれに倣って入る。

 部室は変わっていなかった。結局取りに来れていなかったのでパソコンも置きっぱなしだし、僕の椅子も片づけられていない。由比ヶ浜先輩と雪ノ下先輩もいつもの定位置で、スマホをいじったり、本を読んだりしていた。

「日木くん……」

「や、やほー。ハ……日木くん」

 ハチ、と言おうとしてはっと由比ヶ浜先輩が口を覆った。そういえば、ハチって呼ばれてこの前、ぶちギレたんだっけか。なんだか心苦しい。

「いつまでもそんなところにいないで早く入りなさい。部活、始まってるのよ」

 雪ノ下先輩、隠しているつもりなんでしょうけど頬真っ赤ですよ。その言い方、家出した子供が帰ってきたときの母親みたいだし。

「は、はい」

 返事をして、僕はいつもの席に座った、

 師匠もまたいつもの席、雪ノ下先輩の対角線上に陣取った。

 さっきまでスマホを弄っている由比ヶ浜先輩は椅子にやや浅く腰掛け、両手は膝の上で固まっている。雪ノ下先輩は由比ヶ浜先輩のそんな様子を心配しているのか、さっきからちらちら見ている。あなた、由比ヶ浜先輩のこと好きすぎるでしょ。

 だらだらとした心地のよい静寂ではなく、緊張感のある沈黙だ。師匠が身を捩って立てた物音でさえ酷く気にかかる。わずかな咳払いさえ反響し、ゆっくりと一秒一秒刻む秒針の音が耳に残る。

 何か言葉を口にすべきは僕だ。僕の責任で起こった沈黙なのだから。

 自分の責任を誰かに取ってもらうなんてことはもうしたくない。中学の時、あいつにとってもらった責任の数々を思い出すと、戒めの刻まれる左手がずきんと痛む気がする。

 もう一度息を吸い、僕は立ち上がる。

「あの、話したいことがあるのですがよろしいですか、先輩方」

 ちくたくと動く秒針を見つめ、それが八を指したときに僕は沈黙を破った。

「ええ……構わないわ」

「別にいい」

「う、うん……いいよ」

 三者三様の反応をした後、先輩方は各々に咳払いをして僕の方を見る。

 うむ、だがこれだと具合が悪い。僕は荷物をもって、依頼者がそれまで座っていた方に行く。つっても、まともに座った人ほとんどいないんだけどな。

「えっと、ですね……」

 緊張。心臓が跳ねる。

 でも、僕はラノベ作家志望だ。緊張していたって言葉くらい使える。これまで書いてきた何百万文字と言う膨大な文字の海から、この状況に適する言葉を見つければいい。青春なら()の得意分野だ。

「まず謝らせてください。お三方に多大なるご迷惑をおかけしましたこと、心よりお詫びします。すみませんでした。完全にでしゃばりすぎました」

「あー、そのことはもういいぞ。平塚先生が勝負のルールを変えてな。バトルロワイヤルになったんだよ。だから、お前のやったことを糾弾する材料なんてない」

「そうね。あなたにも色々と欠陥があるようだし」

 簡単に学校をサボってしまうところとか、と雪ノ下先輩が楽しげに呟いた。そこにはたしなめるような様子はない。

 隔離病棟、サナトリウム。僕は問題がなかったから、出ていった。でも、問題が見つかったから、今僕は戻ってきたのだ。そう思うと一気に楽になる。

「そうですか……では由比ヶ浜先輩にだけ謝罪を。先日は急に怒鳴ってしまい、申し訳なかったです。僕、ハチってあだ名、気に入ってるのでぜひこれからも呼んでください」

「え、う、うん! もちろん、それはいいんだけど……あの、ハチにとってここは嫌な場所かな?」

 そっと、壊れないように由比ヶ浜先輩が呟いた問いは、またしても部室に沈黙を招待する。その理由は分かってる。僕が黙ったからだ。

 確かに、僕はあの時、奉仕部が気持ち悪いとまで言った。そのときの僕を否定してしまうのは簡単だと思う。あの時は気分がおかしかった、とか冷静じゃなかった、とか言ってしまえばそれでいいのだから。

 でも、それは過去の僕を否定することになる。そんなこと、僕はしたくない。あの状態の自分も紛れもなく自分で、本音だったのだ。どれが正しくてどれがまがい物なんてことはない。

 だから、否定しない。

「……そう思ってた瞬間もありました。いつからかこの部活が馴れ合いになってる気がしましたから。でも、もうその心配は杞憂でした。師匠は、僕が思っているよりずっと素晴らしい方でしたから」

「……そっか! よかったぁ!」

 一気に由比ヶ浜先輩の表情が晴れる。と、同時に部室の空気も温かくなった。

「やったよ、ゆきのん! ヒッキー!」

 師匠と雪ノ下先輩を巻き込んで喜ぶ由比ヶ浜先輩。彼女はきっと、僕以上に犬で、僕以上に考えている。彼女にも才能はあるのだ。

「それに、平塚先生に頼まれましたからね。もし、馴れ合いになりかけたなら、僕が全力で否定します」

「馴れ合いなぁ……馴れ合い以前に、俺はまだこの部活に馴染んでさえいないんだけどな」

「あなたは一生馴染めないでしょうね」

「そ、そんなことないよ、ヒッキー! ヒッキーいないと、なんか違うし……」

 恥ずかしいこと言ってるって自覚はあるのか、由比ヶ浜先輩は俯いて頬を紅潮させていた。

 なんか面白そうなので、さっさと僕の用件を済ませてラブコメでも展開してもらうことにしよう。

「あの、それから今回のお詫びもこめてお三方に渡したいものがあるんですけど、受け取っていただけますか?」

「え? なになに!?」

 由比ヶ浜先輩は食いついてくれたが、他の二人はあんまり食いついてこない。んー、まあいい。ここからが僕の舞台だ。

「えっと、ですね。まず、こちらを」

 言って、バッグから取り出すのは腕時計だ。

「師匠は黒を。雪ノ下先輩は赤を。由比ヶ浜先輩は青をどうぞ。一応、お揃いになるように選びました」

 あいつがつけているような良いメーカーのものではないが、それでもそこらの安い時計よりかは良い時計なのでプレゼントには最適だったと思う。その時計は、どれも全部同じ時間を刻んでいる。

「お、おう……ありがとな」

「ありがとう、日木くん……でも私が赤なのね。由比ヶ浜さんと逆なのかと思ったけれど」

「いえ、これでいいはずです」

 僕の知らない雪ノ下先輩や、由比ヶ浜先輩がいるはずだから、イメージで色を決めるべきではない気がしたのだ。だからあえて逆にした。

「お三方で同じ時間を刻んで行ってください。願わくば、最後のときまで」

「うん!! ありがとね、ハチ!」

 説明を終えてから、僕はもう一つのものを取り出す。どちらかと言えばこちらの方が僕のとっておきのものだ。

「もう一つ。お三方にこれを」

「……本か?」

 不思議そうな目で師匠が見てくる。僕は手に持ったそれを、三人に見えるようにしながら説明をする。

「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。……この奉仕部の活動をラノベにしました。今までで一番よく書けたものだっていう自信があるので、ぜひ、お三方に渡したくて」

「らの……以前財津くんが持ってきたようなものね。日木くんが書いているのだから面白いでしょうし、いただくわ」

「あたしも!」

「俺も、読む本に困ってたしな。結構良い感じに制本されてるし、もらうわ」

 三人は快く本を受け取ってくれる。雪ノ下先輩と師匠には普通の本を、由比ヶ浜先輩には誕生日プレゼントである師匠と由比ヶ浜先輩が仲違いし、仲直りしていたら……というエピソードのついたものを渡した。

「さて、と。じゃあ、もう外に出ましょうか。部活の残り時間も少ないのだし」

 雪ノ下先輩の言葉に反応して時計を見ると、もう部活が終了しそうな時間になっていた。無理もない。部室にくるまでにのろのろしてたわけだし。

「どこに行くんですか?」

「言ってなかったかしら。今日はこれから由比ヶ浜さんの誕生日をお祝いしようと思っていたのだけれど」

「あーそういえばそんなこと言ってましたね」

 この前出かけたときに言っていた気がする。完全に忘れていた。

「じゃあ、行きましょう!! あ、彼女も呼んでいいですかね?」

「ええ、もちろんそのつもりだわ。というか本当に忘れていたのね……」

 多分、出かけたときにここも一緒に行くみたいなやり取りしたんだろうなぁ。

 まぁ、いいのだ。

 忘れても記録すれば。

 それが僕の仕事だ。

 師匠と雪ノ下先輩と、由比ヶ浜先輩の青春をこれからも記録する。

 

 だって師匠の青春ラブコメはちょーかっこいいのだから。



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四巻分
誰しもに過去は存在しうるが私は今を納得していない。


短いですが、完全オリジナルです。
お待たせしてすみません!


 色んなことがあったわけなのだけれども、なんとか僕は奉仕部に戻る事と相成った。

 と、思っていたらいつの間にか夏休みになっていましたよ、はい。

 夏休みなので基本的に師匠や雪ノ下先輩、由比ヶ浜先輩に会うこともない。確か、一度合宿をするらしいのでそのときには会うことになるが、それ以外では特に予定はない。

 そうなると、夏休みが悪いように見えるが案外そうではない。むしろ、僕は夏休みを待ち望んでさえいた。

 ふと思い出すのは去年の夏休みの地獄のような日々。

 朝起きて勉強。飯食って勉強。夜もギリギリまで勉強し、空いた時間で必死になってラノベ執筆をする。こことメールをしていたのでそれが心の支えだったが(相手が心なだけにな)、ぶっちゃけそれでも日々たまるストレスを抱え、気温が上がっていくばかりの夏休みは酷かった。

 まあ、それ以上の修羅場を僕は知ってるんだけどな。

 ここと付き合うよりも前、毎日何万文字と書いた日々。あの時は、本当に苦しくてしょうがなかった。頭がくらくらしたし、文章の書きすぎて吐くかとさえ思った。

 そう考えると、今年の夏は優雅なものである。

 あの頃と違い、量産よりも一つの目標に向かってペースを守って書くようにしているし、勉強をする必要もあまりない。故に、パラダイスなのだ。

「んー、超おいしい! ここ、りょーり上手い!!」

 幸せな気分で玉子焼きを口に運ぶ。舌に触れ、歯で噛んで、そうして感じるそこはかとない甘さに心を休ませる。

 純粋な技量だけではない。これは、作り手の海より深く、広い愛がなければ決して生み出すことのできない甘さだ。

 作り手の方を向けばそこには、太陽のように眩しく、小動物のように可愛いここがいる。この状況を幸せ、と呼ばずして一体何を幸せと定義すべきなのか、僕にはわからない。

「そう? よかったぁ……頑張ったんだよ!」

「そっか。超うれしい」

 と、言ったのは本音。

 実際、嬉しいしこの状況は幸せだ。

 ただ、それを伝える時の自分の口調を作っている、という感じは否めない。如何せん慣れていないのだ。人と付き合うこと、以前に人に心を曝け出す、という事自体に。

 それでも幸せなのは事実だ。

 折角の夏休みとはいえ、毎日ここと遊んでいるわけではない。僕は暇だが、ここはそれなりに忙しいのである。メールをできる時間も減ってるし、出かけられるペースも全盛期に比べればぐっと下がった。それでも目指したい夢のために、ここは週に一度くらいのペースでスクールに通っている。更に言えばその費用を払うためにバイトもしているので……やばい、その間を縫ってデートしてくれてるとか嬉しすぎる。

 そんなことを考えている間に、呆気なくお弁当を食べ終えてしまった。口にかすかに残っている気がする幸せを何度も噛み締めて、お弁当箱を彼女に返す。洗って返すべきなのだろうが、僕、そういうスキルないんだ。許せ。

 

「次、どこいこっか」

「んー、そうだなぁ。本屋とか?」

「だね! 本屋本屋♪」

 女子とのデートで本屋、というのはもしかしたら珍しいのかもしれないが僕とここの間ではこれは普通だ。というか、僕たち、付き合った頃から必ず本屋には寄っていた。

 ふと、付き合い始めた頃の事を思い出して持っていた夏用の巾着をくるっと振り回す。春に平塚先生に見せたものではない巾着だ。……これも、ここのお手製である。

「ほんと、くるくる回すの好きだよねっ!」

「んっ、まあね。だってほら、なんかいいじゃん?」

「なんかいいって、すっごい子供! 可愛いなぁ」

「いや、だから可愛くはないでしょ」

 言いながら、手を繋いで町を歩く。暑い、すごく暑いが彼女といるのでそこまで暑いとは思わない。これぞ愛の力。

 実際問題、一人でいるときの方が暑さというのは気になるものだ。「暑い、暑い」とか言う奴が近くにいれば別なんだろうけど、少なくともここはそういうタイプじゃないからな。そう考えると、ここは最強の清涼剤なのかもしれない。

「そういえばさ、夏といえばフェスタ、楽しかったよね」

「あぁ……」

 まるで暑さにやられてしまったかのようにぼんやりと、僕は声を漏らした。

 過去の話をするとき、人はどこか遠い目をする。横に立つ彼女もその傾向があるらしく、遠い目をしていた。フェスタ、というのは僕たちの中学で行われていた文化祭の夏休みにやる小規模版、みたいなものだ。

 部活に参加している生徒くらいしか参加していなかったので、師匠は知らないのだろうが、僕もここも、そしてあいつも去年、一昨年のフェスタでは色々とやった。

 あいつ、と言い続けるのも変か。思い出すと胸がちくりと痛むのでこれまで名前は恣意的に記憶の奥底に追いやろうとしていたが、これ以上は伏せたところで無駄だ。あいつのことを最近、よく思い出すし。

 省木 能力(はぶき ちから)は、僕が中学の時、所属していたアニメ研究部の部長にして、僕が〝天才〟と心の底から言える相手だ。

 彼の才能は多岐に渡るが、一言で言うのなら人生の才能と言えるだろう。勉強だけは別だが、勉強以外のことでは常人を遥かに超える能力を持っていて、勉強だって卒業の頃にはかなりできるようになっていた。

 そんな彼が多くの人に信頼されていたが故にそれまで文集を作ったことさえなかったアニメ研究部が文集を作ることになった。300部配った創刊号、受験の中作った第二号。それらは今でも、僕の宝箱の中だ。

 それにここはフェスタで演劇とかバンドをやっていた。

 演劇は軽く参加させてもらったが、バンドは一切関与せず客として見たがあれは本当にすごかった。息を呑む歌声、ギター、ピアノ。あのなんとも言い難い空気を僕は二度と忘れない。

 そんなことがあったフェスタだったからこそ、思い出した……わけではない。

 失ったものがよぎってきたから思い出したのだ。

 上手くやれなくなって、省木と仕事の連絡しかしなくなったこと。他の、仲良くやっていたつもりだった人たちとは一切関わっていないこと。少しずつ、過去の記憶が薄れつつあること。

 そんなことを思い出したから、熱に浮かされたような声を出したのだ。

「とーちゃく♪」

「だね。ってか、ここの方が子供ってぽいでしょ」

「子供ですけど? なにかぁ?」

「……いや、高校生で子供とは言えないでしょ」

「うっ、確かに」

 まずった、と言いたげな顔をするここが本当に愛おしい。本のわくわくする香りと、ここの満面の笑みが失ったものを埋めてくれている気がした。

「ま、そういうところも好きだけどね」

「うっ……うぎゃー♪」

 ぼやくと、ここは全力で照れて繋いだ手を上下に激しく振った。なに、それどこのルロイ修道士だよ。あれ、割と面白かったから好きなんだよなぁ……受験期間じゃなくなったし、普通に買って読もうかな。

 あの頃とは色んなことが違うから、もしかしたらあの時とは違う感じ方をするのかもしれないしな。

 ――そう、本当に何もかも違う。

 省木との関係性も。社会との関わり方も。ここも変わった。そして、おそらく、僕も大きく変わったのだ。

 それでも譲っていないものは確かにあって、信じているものは確かにある。

 だからそれが本物ならいいと思った。

 

 デートが終わり、僕はとぼとぼと家に帰る。

 総武高校からは少し遠い我が家は、ちょうど近くに小学校がある。

 小学校は明日まで学校なのだろう。四時近くなのにランドセルを背負った小学生がちらほらいる。

 小学生でも、やはりグループというのはあるもので、男女混合グループこそ見つからないものの、女子同士の集団、男子同士の集団というのは色んなところに見受けられる。

 その中で一人、俯きながら歩いている少女が目に付いた。

 髪は雪ノ下先輩くらい。艶やかな髪とそれなりの器量からして、クラスでも美人な方なのだろうが……まあだからといってグループに入れるわけではない。ソースは雪ノ下先輩。ここはうまくやっていたが、雪ノ下先輩はぼっちだからなぁ。

 だがまあ、一人でいることは別に悪じゃない。むしろ、意味もなく群れるよりいい。

 

 ――けれど彼女からは昔の僕と同じ、〝いじめ〟の臭いがした。



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一色いろはは狂わせる。

この巻はいじめ、不登校への偏見が入っていたりとか(一応、私見のつもりではありますが)原作改変がはなはだしかったりとかするので、嫌な方は見ないようにお願いします。
その分、ここを読まないからわからない伏線はなくすつもりですので。

それでは、どうぞ。


 見慣れた地元の駅を離れ、ワンボックスカーは進み始める。平塚先生の運転する車はインターチェンジに向かった。僕たちの目的地である千葉村に向かうなら、カーナビの示す高速道路に行くのが一番よい。

 車に揺られながら、僕は深くため息をついた。

「ついてねぇなぁ」

 別に来たくなかったわけじゃない。むしろ、楽しみにしていた。

 奉仕部の合宿、なのだから。

 夏休みには入って少しして、ラインのグループ会話で平塚先生が合宿について話した。

『平塚静です。夏休みに奉仕部での合宿を予定しています8月1日から8月3日までですので予定を空けておいてください』

 とか、なんかそんな感じのやけにお堅い文章だった。平塚先生、普段と文章違いすぎるだろ、とか色々思ったわけなのだが、まあそういう人がいることは僕も知っていたし、省木がそうだったのでわざわざ気になるところではなかった。

 気になったのは、合宿のメンバーについて。

 夏休みに奉仕部が合宿する、となればそれはほぼ確実にボランティア活動だろう。ならば人手は多いほうがいい。そう考えた僕は平塚先生と交渉し、最終的に戸塚先輩、ここも一緒に行く事になった。なんか奉仕部だけの合宿じゃないらしいし。

 で、朝、僕たちはばっちり指定されていた場所に集合した。

 ここと一緒にラブラブしながらもきっちりと時間を守って集合したので、問題はなかったはずなのだ。

 それなのに、問題が発生した。

「いろはちゃん、サッカー部とか大丈夫だったの?」

「あ、はい! 大丈夫ですよ。むしろ、ここと一緒におでかけって最近できてなかったんで、誘われて嬉しかったですよ♪」

「え、いろはちゃんとこっちゃんって仲よかったの?」

「そうですよ! いろはは私の可愛い妹です!」

「誕生日的には私の方が年上だけどねっ☆」

 問題を生じさせた張本人がきゃぴっとした声で由比ヶ浜先輩と、ここと話していた。おのれ一色め……どうしてお前がいるんだよ、そもそも。

 まあ、そんなこと聞かなくても分かってるんだけどな。

 ようするに、夏の合宿→海や川で遊べるんじゃね?→水着!→あ、じゃあ愛する妹の水着を見たい! という、ここの変態な面が出てきてしまったのだろう。あ、わかるだろうけど別に一色とここは血の繋がりがあるわけではない。ただ、ここが一色の事を妹のように可愛がっているだけだ。

 僕がここを誘うと、ここは快諾すると共に一色を誘いたいと言い出した。一色と仲がいいわけではない僕はできればお越しいただきたくなかったが可愛い可愛いここ頼みということもあって断れなかった。そのことに調子に乗りやがった一色はここの隣、という特等席を雪ノ下先輩と共に奪っていったのである。

 なら雪ノ下先輩も悪い、という気もするが雪ノ下先輩にそういう気遣いを期待するのは間違いだと知っているので諦めた。なんもかも、一色が悪い。

「ふっ、まあたまにはいいだろう? 君とは話したいこともあったしな」

「たまにはですか……正直、その話したいことに心当たりがあるからこそ、今回は回避したかったんですよ」

 後ろでは女子勢と師匠がいる。だからその中に混じりたい、というのもある。でも、今回一番問題なのは、〝このタイミング〟で、〝平塚先生の隣〟になってしまったことだ。

 と、ここであまりに唐突だが一年生の夏休みの宿題について語ろう。

 一年生、ということもあってその宿題は非常に少ない。いや、高校というものは宿題が少ないものなのかもしれない。まあ、そこはどうでもいい。別に僕は宿題が嫌なわけではないし。

 で、今回、宿題として出されたものの一つに人権作文、というものがある。……もう話が見えたとか言うなよ。最後まで説明させろ。

 その人権作文だが、夏休みに入るまえの授業で原稿用紙を配られた。指定枚数は原稿用紙二枚以上。平塚先生は、さすがに五分では原稿用紙二枚を埋めきれないと思ったのだろう。授業で残った時間、それをやってもいいと許可を出した。

 が甘かった。僕は、それをきっちり五分で終わらせ、夏休み間、持っているとなくしそうだからという理由で平塚先生に提出したのである。――後々、胃が痛くなるとも知らずに。

「あの作文に関しては、教師としても人としても褒める気にはなれなかった。いや、否定すべきだとすら思ったな」

「そうですか。まあ、そうでしょうね……」

 逆に、あの内容を褒められてしまう人間が教師をやっていたら、僕は一刻も早く教師をやめろという。人としても教師としても、そりゃ失格だ。

 そこまでの内容だったけれど、でも僕はそれを不真面目に書いたわけではない。むしろ今回に関してはワナビとしての全身全霊をかけて書いたと言ってもいい。

 小町、雪ノ下先輩、由比ヶ浜先輩、一色、ここの楽しそうな会話と師匠のけだるそうなため息を聞きながら、僕は自分の書いた作文を思い出す。

 

 僕は不登校児の人生は潰れてしまえばいいと思っている。

 無論これは、病気などによって入院していて学校に来れていない人をカウントするものではない。僕がここで不登校児、と定義するのは精神的な理由によって教室にこれていない状態の人のことを言う。いじめ被害者とかもそうだし、いわゆる教室に行くハードルが高い人。そういう人はどんな事情があっても、消えてしまえと思う。

 何故か。簡単だ。不登校児は教室にくる。ただそれだけのことができないのだ。そりゃ、人が怖いのかもしれない。いじめられてきたって人なら、またそうされるのかもしれないというトラウマに襲われるのかもしれないし、なんとなく学校にいけないって人にも苦悩があるんだろう。

 でも、そんなの学校に行ってる人間だってもってる。いじめられても、学校にいけている人はいる。ソースは僕だ。かつて、僕はいじめられていて正直行きたくないと思っていたがそれでも必死に学校に来ている。その理由は簡単だ。他の奴が行っているから。それに僕にだって苦悩くらいある。でも、その上で行っていたのだ。

 まあこんなこと言うと『お前は不登校児ほど悩んでいない』とか言う奴がいるだろう。でもな、そんな奴に僕は言ってやろう。悩みに大小なんてねぇよ、だったら不登校児の悩みが僕の悩みよりでかいって証拠出してみろよ、と。

 不登校になってなければ、どんなに深刻な悩みでも大したことないっていうのか? そんなの、それこそ差別だろ。

 まあ不登校児っていうのは基本的に自分がダメだ、と思っている。自分が弱いのなんて分かってる。でも、そこで終わりだ。ダメで、弱いとわかった上で弱い者の戦い方をしない。自分がダメなら一度、無理矢理でも教室に連れて行ってもらえばいいのに。でも、それさえできない。人と関わることさえも恐れる。

 人と関わることが恐ろしいことだ、とは僕も思う。でも、だからといってそれを忌避してしまってはだめだ。少なくとも、義務教育である中学までは。

 それさえ終われば、自由に生きればいい。高校に行きたくなければ、行かなきゃいい。でも義務教育である中学まではダメだ。

 結論。

 不登校児が不登校児のままでいるのなら、そいつの人生は消えてなくなってほしいです。

 

 社会的に見て、一般的に見て、正しいとは思わない。でも、不登校児について僕はこう思っている。

 でもね、平塚先生、時に鉄拳制裁も厭わない人なんすよ。

「……すみませんでした、書き直します。そう言えばいいんですか?」

 暗に、そんなこと言うつもりは無いと伝える。

 そうだ。そりゃ、胃は痛い。この状況、なに言われるかたまったものじゃないからおちおち気を休められない。

 でも、だからと言ってあの作文を否定するつもりはない。

「いや、別に構わないよ。褒めるつもりにはなれない。……でも、君にも考えがあるんだろう?」

 運転しながらだったけれど、確かにその意識は僕の方に向いていた。平塚先生の言葉に僕はふと過去のことを回想させられる。

 小六のときに書いた作文。そのときの担任の反応。それを思い出して、僕は平塚先生に訊いてみたくなった。

「先生。一つ訊いてもいいですか?」

「ん? なんだね? 年齢以外なら答えてやろう」

「え、じゃあ生まれた年を」

「あ?」

 目はマジだった。

 いや、まあここで突然年齢以外とか言い出した平塚先生が悪いと思いますけどね。だってこの状況でさすがに年齢は聞かないでしょ、KYでも。

「冗談ですよ」

「だろうな。そうじゃなければうっかりファーストブリットが決まってしまうところだった」

「ふぁーすとぶり? 何ですか、それ」

 聞き覚えのない単語だった。久しぶり、みたいな感じの言葉だとは思うのだが。憶測で言葉を使うのはよろしくないから訊いたのだ。

 しかし僕の質問に、なぜか平塚先生は悲しい顔をした。

「ごめんなさい、戦闘アニメ自体、あんまり興味なくて」

「そ、そうだな。戦闘アニメだからな。古くは無いからな!」

 うわぁ、なんか一生懸命だなぁ。そもそもとして別に年じゃないんだし、気にする必要ないのに。それはそうと、本命の質問だ。

「で、本題なんですけど。――先生はいじめをしてはいけない、と思いますか?」

 問いに、平塚先生は顔を顰めた。それは、どこか答えにくそうな顔だ。

 いじめをしてはいけないか、という教師なら即答すべき質問に対して、答えにくそうな顔をした。そのことに、僕は感動する。あの時の担任とは違うんだな、と思って純粋に嬉しくなった。

「ま、いいですよ答えなくて」

 だからわざわざ答えを聞く必要なんてない。答えるのに戸惑った、という事実だけが重要だから。

 それからは、平塚先生とどうでもいい会話をして、時々よいしょして、千葉村にたどりつくまでの間、待った。



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こうして合宿が始まる。

GWはちょっと余裕があるのでかけそうです! 
前の話でもいっているようにこの章はかなり偏見的なので、読みたくない方はお待ちを。


 視界に山が飛び込んできた。

「おお、すげぇ、山だ」

「そうですね! 山です!」

「ほんと。山ね」

「ふむ。山だな」

 師匠がこぼした呟きに、雪ノ下先輩と平塚先生、そして僕がおうむ返しに頷いた。

 日々、広大な関東平野に抱かれて暮らす千葉人にとって山は珍しいものだ。

 かなり晴れている日には海岸線沿いに富士山が見えることもあるが、それ以外の山、特にこういう緑深い山々を見る機会はあまりない。それ故に、ちょっとした山を見かけただけでもテンションが上がる。あの無感動そうな雪ノ下先輩ですら、感嘆のため息を漏らすほどだ。

 それきり車内は静かになる。

 僕も師匠も雪ノ下先輩も窓の外に広がる景色を見ていた。普段は車酔いする僕だが、どうやらこれだけ自然パワーにあふれている場所だと、酔わないらしい。

 由比ヶ浜先輩とここは、それぞれ雪ノ下先輩と一色の肩に頭を乗せてくぅくぅと寝息を立てている。音を更に巡らせれば最後列の小町と戸塚先輩も眠っている。師匠はそんな二人の様子もチラチラ見ていた。ちょっと犯罪者に見えなくもない。

 少し前まではトランプやらウノやらやって騒いでいたが、飽きたらしい。一色の会話スキルならもう少し場を盛り上げられるのではと思っていたが、思ったより一色は静かにしていた。……なんか、様子が変なんだよなぁ。今も、一色は眠るわけではなく、どこか掴みにくい顔をしている。どこを見ているのかは、僕にはわからない。

 こういう光景は懐かしい。修学旅行や林間学校の帰りのバスみたいだ。はしゃぎ疲れたクラスメイトたちは元気を使い果たして静かになっていて、その瞬間が数日間で一番気が休まる時間になる。気が楽になったおかげで一人、清々しい目で外を見ていたものだ。

 高速道路の高い塀と、それを圧迫するようにそびえ立つ山並み。ぽっかりと闇の口を開けたトンネルに煌々と光るオレンジ色。

 窓の外を流れる風景を見ていて、強烈な既視感と悪寒に襲われる。

 分かっていたことだ。

 師匠は、何かを思い出したかのように呟いた。

「そうか……。千葉村って中学のとき、自然教室で行ったところだ……」

「確か、群馬県にある千葉市の保養施設、だったわね」

 雪ノ下先輩が補足するように言った。

 あれ? 雪ノ下先輩、中学のとき留学したんじゃなかったのか? 陽乃お姉さまはそう言ってたんだけど……。

「ああ、お前も千葉村行ったの?」

「私は三年のときにこちらへ戻ってきたから、自然教室には参加していないの。卒業アルバムのおかげで行事の存在自体は知っているけれどね」

「戻ってきた? どっか行ってたのか? むしろなんで戻ってきちゃったの?」

「聞き方に悪意があるわね……、別にいいけれど」

 二人の様子を見ようと振り返ると、雪ノ下先輩は窓の外を見ていた。わずかに開けた窓から吹き込む風で黒髪がはためいているせいで、窺い知れないその表情を僕と師匠はぼんやりと見つめた。

「留学していたのよ。前に言わなかったかしら。記憶容量がフロッピーディスク並みなのね」

「容量少ねぇ……。磁石とか向けんなよ、忘れちゃうから」

「ふろぴ? すみません、師匠、なんですかそれ」

「大丈夫だ、日木。普通、君たちの年齢でフロッピーディスクは知らない」

 平塚先生が、無知な僕を慰めてくれた。そういうところ、ほんと結婚さえできればいい母親になると思うんだよなぁ……。

「いや、たぶん生まれた前後くらいはあったと思いますよ」

「よく覚えているな。MO並みの記憶力だ」

「えむお?」

 話に乗っかり、上手い事を言ったように平塚先生はむふっと楽しげに笑った。が、僕としては笑えない。話についていけない。

「いや、MOとか普通知らねぇから……」

「MDなら知っているけれど……」

 雪ノ下先輩もこの話にはついていけてないようだった。よかったよかった。

「くっ! MOも知らないとは……。これが若さか……」

 平塚先生は悲壮な叫び声をあげた。少し可哀想になってしまったので、慰めてあげることにした。

「まぁ、あれですよ? 僕は結構知識偏ってますし、雪ノ下先輩も世間知らずみたいな部分あるんで平塚先生が年老いてるってわけじゃないと思いますよ」

「そ、そうだな!」

 平塚先生は笑顔を取り戻して、ノリノリで運転をしはじめた。

 車は一路、千葉村へと向かう。

 平日だというのに、道はそれなりの混み合いを見せていた。時折、一キロの短い渋滞などが発生している。

 こういうところも、小学校の頃と同じだ。

 嫌だなぁ、と心底思った。

 千葉村。それは僕の中で、いじめの象徴みたいな場所なのだ。

 本当なら楽しげな林間合宿を送るはずだった。自然は好きだし、イベントごとも好きなので本当なら楽しめるはずだったのだ。

 でも、班決めで僕をいじめる人ばかりの班に入れられてしまって、部屋が班ごとという風になってしまってから僕は絶望した。

 班でいるときも地獄。部屋に帰っても地獄。眠ろうとしても、幾人もに襲われ、荷物整理も邪魔をされ。そんなクソみたいな三日間を、僕は決して忘れない。

 でもそれは決してあの時のことを恨んでいるから忘れないわけではない。いじめた側にはいじめた側の理由があって、それを忌むのは間違っていることだ。人には人の理由がある。それがどんなに軽薄なものだとして変わらない。

 だから僕はいじめが悪だとも思わないのだ。

 強大な権力に対して、反抗できないの弱さがいけないのだ。強者がその弱さを救うのは強者の余裕であって、権利であって、義務じゃない。だから止めてくれない人を恨むのは間違っているし、そもそも、反抗する力のない人間には手を貸すべきではない。

 反抗したい、という意思があるのならどんなにちっぽけな反抗だってできる。極論、助けてと叫ぶだけでもいいのだ。その反抗をした者だけが人の力を借りる事が許される。それさえせずに、ただ助けてもらうのを待つのは愚かだ。

 無論、僕はそんな弱さを責めるつもりはない。弱者は往々にしている。そして弱者は悪ではない。

 ただ、弱者は弱者のまま、悪意ある強者に踏み躙られるだけだし、そのことに文句を言ってはいけないと思うのだ。弱肉強食。強者に食われることに文句を言う動物は、反抗の術を身に付けるべきなのだ。

 だから僕はいじめが悪だとは思わない。ただ、弱者である自分を呪うだけだ。いじめられて、被害者面していた自分を憎むしかない。

 もう、あの頃の僕は死んだ。

 

  ×  ×  ×  ×

  

 車を降りると、濃密な草の匂いがした。心なしか酸素が多そうだ。緑深い森がそう感じさせるのだろう。この匂いが、またしてもトラウマの引き金を引こうとするが、眠たげなここを見て、なんとかとどめる。

 やや開けた場所にはバスが数台止まっている。千葉村の駐車場だ。平塚先生はそこに車を止めた。

「んーっ! きっもちいいーっ!」

「ですね。んにゅ……」

 由比ヶ浜先輩と、ここは車から降りると思いっきり伸びをした。やはり、寝起きのここは可愛い。なんか小学生感漂ってるけど。

「……人の肩を枕にしてあれだけ寝ていればそれは気持ちいいでしょうね」

「んんー、ココ可愛かったなぁ」

 雪ノ下がちくりと言うのとは対照的に、一色は非常に満足げに言った。うわぁ、ずるい。僕もここの寝顔、間近で見たかった。

「わぁ……、本当に山だなぁ」

 戸塚先輩は一足遅れて山に感動している。平地で暮らすが故に山に憧れを抱くあたり、さすがは千葉人である。もうね、スーパー千葉人とかなれるレベル。まあ、戸塚先輩にはなってほしくないけど。小町も「小町は去年来たばっかなんですけどね!」と言いながらも深呼吸していたりそれなりに楽しんでいるようだ。あ、ちなみに小町のことは前から比企谷ではなく小町と呼んでいたので、その呼び方で今も呼んでいる。師匠曰く「お前なら小町とくっつく気配ゼロだから許す」だそうだ。まあ、当然だな。

 心地よい木漏れ日と高原の涼しい風。その気持ちよさに僕は吐息を漏らした。

「うむ、空気がおいしいな」

 そう言って平塚先生は煙草を吸い始める。それじゃ空気の味、わからんだろ……煙草、好きじゃないんだよなぁ。

「ここからは歩いて移動する。荷物を降ろしてきたまえ」

 すはーっと実にうまそうに息を吐いて、平塚先生が言った。

 指示の通り、車から荷物を降ろしていると、もう一台、ワンボックスカーがやってきた。キャンプ場もあるみたいだし、一般のお客さんも来るのだろうか。そういえば、僕のときもちょこちょこいたような気がする。

 人を降ろすと、車はそのままもと来た道を引き返していく。どうやらただの送迎らしい。

 ふと、たまたま一色のほうに目が行ったのだが、一色は非常に嫌そうな顔をし始めた。それで、なんとなく察した。

 この合宿、奉仕部だけじゃないんだもんな。そしたら、そりゃ、わちゃわちゃしたリア充も参加する可能性はあるよな。

 車から降りてきたのは若い男女五人組。

 いかにも真夏の果実かじってそうな男女五人恋物語風だ。マジ、ほんと最悪。僕やここが一番苦手とするタイプだ。それに、一色も今回に関しては求めていない相手らしい。

 一団の一人が、師匠に向かって軽く手を挙げた。

「や、比企谷くん」

「……葉山か?」

 そう。師匠に話しかけたのは葉山先輩だった。師匠の名前を間違えていない点は評価できるが、ここに来ちゃった時点で最悪だ。彼の後ろには彼のグループの面子がいる。ボス猿、戸部とかいうちゃらい先輩、眼鏡女子の先輩、さらには速水までいた。チェーンメールの犯人である大岡先輩と、かの大和先輩はいない。部活がかぶったのだろうか。

「……なんでいるんだよ」

「え? それは葉山先輩が誘ってくれたからだよ」

 にこにこ笑顔で近づいてくる速水は、ほんとに馴れ馴れしく話しかけてくる。マジで鬱陶しいし、更に言うとこいつには頭の回転で負けてるからちょっと身構えてしまう。

 こいつなんだよなぁ……僕が大岡先輩を貶めようとしているのに気付いて、大岡先輩にアドバイスをしてうまく、チェーンメール問題を解決したのは。やり方は甘いが、その実非の打ち所のないやり方だった。大岡先輩と速水で協力して、完全にネタに変えやがったからな。

「ふむ。全員揃ったようだな」

「ですよね。わかってましたよ、はいはい。もう、なんか面倒ですし暑いんで、さっさと荷物置きにいきましょう。先生が若手だから、奉仕活動の監督を申し付けられたんですよね? 小学校の林間合宿のスタッフ」

「お、おう……まあそうだな」

「じゃあ、もういきましょ。なんかこのメンバーだ話が逸れまくる気がしますから」

 ほんと、リア充メンバーと師匠や雪ノ下先輩を混ぜたらろくなことにならない。あと、なんか眼鏡の先輩が怖いんで、ちょっともうさっさとここを離脱したい。

「そう、だな。時間は無い。本館に荷物を置き次第仕事開始だ」

 納得してくださったようでなにより。平塚先生が先導する。僕たちはそれにつき従って歩き始めた。

 ほんと、呆れるくらいにまとまりのない集団だ。平塚先生のすぐ後ろに師匠と雪ノ下先輩、その後ろに小町と戸塚先輩、由比ヶ浜先輩と続き、更に下がって葉山先輩たちがだらだらと続く。僕たちは、と言えば葉山先輩のグループに巻き込まれるようにして入っていった一色に助け舟を出せるように、一番後ろにいる。車内で話せなかったし、ここの彼氏アピールをしておかないと誰が惚れるかわからないからな。

 駐車場から本館まではアスファルトで舗装されている。道々、ここは遠くをぼんやりと見ていた。

「いろは、面倒臭そうだね」

「だなぁ……超猫被ってるし。多分、葉山先輩がいるからああなってるんだよ」

「あー、なるほど。いろはも、可哀想だなぁ……こればっかりはなにもしてあげられないからなぁ」

「だよなぁ」

 色恋のことに関しては、僕たちは本当に無力だ。

 いや、葉山先輩と一色が付き合うためのサポートというのであれば、それくらいはやれる。以前の失敗があるにはあるが、あれはイレギュラーなケースだ。

 しかし、一色の問題はそんなところにはない。

 実際のところ、一色は葉山先輩の事が好きではない。ある程度の興味は持っているだろうが、それは絶対に本物ではない。

 人気だから、みたいな理由。それを恋とは呼ばないのだと思う。

 そして一色もそのことは分かっている。けれど、それと同時に彼女は恋を知らないのだ。本物の恋を知らないから、彼女は猫を被り続ける。

「それに、一色のやってることは悪いことじゃないからなぁ」

「だね……」

 きっと、僕たち二人が思い浮かべていたのは同じ人物だと思う。

 一色のように猫を被り、人とうまくやることにかけて一色よりもずっとうまい人物が僕たちの周りにはいた。一色よりも不恰好で、人気もなかったけれど、僕は彼が紛れもなく人生の天才だと思う。

 そう、省木だ。

 あの猫の被り方はもう、超人的だった。そのまんま、猫が憑依しているレベルだった。究極の人たらしで、リア充ともうまくやっていた。

 彼や一色のように人とうまくやる、というのはきっと重要なことなのだと思う。そして、たぶんそう難しいことではない。仲良くなるというのは感情の問題なので難しいかもしれないが、うまくやるというのはもう技術の問題だ。

 話題を振り、話を合わせ、相手に共感する。そうやって、距離を近づけるのは容易い。会話の技術だって、他の技術と同様、反復で身に付くのだ。

 つまり、人とうまくやるという行為は、自分を騙し、相手を騙し、相手も騙されることを承諾し、自分も相手に騙されることを承認する。その行為の連続でしかないのだ。

 それは正しいものなのだ。彼ら彼女らが学校で学び、実践している行為なのだから。

「ま、いろはは渡さないから! 私の妹だし! 私が認めた人じゃないと、渡さない!」

「ほんと、一色のこと好きだな?」

「そりゃそうだよ! だってあんなにかわいいんだよ! 声とかもう、やばいし! 髪もさらっさらだしさぁ」

 元気になったここが、一色のよさを語るのを横目に僕はふと思った。

 人とうまくやること。結局それは虚偽と猜疑と欺瞞でしかない。

 ――それを、ずっとやり続ける省木や一色はいつか本物を手にできるのだろうか。



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彼は合宿でも変わらない。

 最近になって変えたことがありますので報告しておきます。
 俺ガイル原作だと俺たち、などの~たちという複数を表す場合など漢字でも書けるがひらがなにしているというところがかなりあります。原作沿いなのでこれまではそちらに合わせていましたが、最近、主人公視点なので少し変えていこうと思い、漢字にあえてしている部分があります。
 これは主人公がワナビであるが故に、漢字を多用する人種であるという考えからであり、見落としではないのでご容赦ください。

 それと、UAがまさかの三万を超えました! これも、ひとえにみなさまのご愛顧のおかげです! 心より感謝します!!
 それでは、どうぞ。


 本館に荷物を置くと、今度は「集いの広場」たらいうところに行かされた。そこで待っていたのは100人近い小学生の群れだった。

 みな小学六年生なのだろうが、体格にもばらつきがかなりあり、雑然としていた。制服姿の高校生やスーツ姿のサラリーマンであれば大量にいても統一性を見出すことができるのでカオスさはない。だが、みながおもいおもいの服装をしているの服装をしている小学生の手段はそのカラフルさも相まってかなり混沌としていた。

 それより何より、ほぼ全員が同時にに喋っているからやかましいことこの上ない。

 きゃいきゃいすっげーうっせぇ。その騒々しさに僕たちは圧倒されてしまった。

 高校生ともなると、小学生の集団を間近に見ることなんてほとんどない。そのパワフルさに驚かされる。まあ、実際のところパワフルでもなんでもなく、ただやかましいだけなんだよな。

 周囲を見ると、由比ヶ浜先輩はどん引きしていて、雪ノ下先輩はちょっと顔が青ざめていた。ちなみにここは、ばっちり耳栓をつけているのでそのうるささをそこまで感じてはいない。まあ、僕もここも、このうるささだけでいくつもトラウマ出てきて、最悪、発作起こすからな。

 生徒たちの真ん中に――ああ、小学校は児童だっけか。児童たちの真ん中に教師が突っ立ってるのに、何も始まる気配がない。ただうで時計をじっと見つめていた。

 ふむ……多分これ、数分が経過する頃には児童も気付いて静まるんだろうが、それまでの光景を見ている側としては心地いいものではない。というか、マジで嫌な光景だ。

 故に、かつて、僕がやってほしいと思っていたことをそのまんまやってやることにした。

 ここの肩を叩く。ここは耳栓を外すことなく、僕に無言で用件を尋ねてくる。なんか、耳栓をつけても音は普通に聞こえるらしいので、ここに聞こえるような声で言えば、きっと小学生の耳にも届くだろう。信じて、僕はいつも通りやる。

「いやな、小学生ってこんなにうるさいんだなぁって。まあ、小六だし、先生を舐めてくる年だろうけどさ。こいつら、学校を休憩場だと思ってるんだぜ。ほんと、うるさくて殺意湧く。こっちすっげぇ待ってるのにそれがわからねぇんだよなぁ」

 一色のときにやったような手段だ。白々しいというか、皮肉じみているというか、ぶっちゃけやり方は最悪だ。が、この状況、小学生に注意するのは難しいのだ。教師としては、これで小学生に「静かになるまで○分かかりました」とか皮肉を言って、自分達で静かになるよう教える手はずなのだから。

 だが、そんなのは無駄だ。ダメな奴は変わらない。弱者が弱者で、強者になれないのと同じだ。

 だから、別に注意してないですよ、という体をとらないといけない。ほんとめんどくさいことこの上ないが、一応、僕だって高校生だ。……ち、チビだとしても! それでも、効果はあるはずなのだ。

 平塚先生や小学校の教師がほんの少しだけムッとする。けれど、マジな話、こっちの方が空気は締まる。郊外に出たとき、教師に怒られるよりも町の知らない人に怒られたほうが堪えたので、これは確実だ。

 静かになった小学生たちには、これからの予定が発表された。

 一日目最初の行事はオリエンテーリングだそうだ。ウォークラリーとも言うかもしれない。あの、班行動になるあれだ。

 みんな「林間学校のしおり」を開いて説明を聞いている。

 そのしろいの表紙にはアニメ調のイラストが描かれていた。なんか、ここが生徒会とかの発行物の絵を描いていたのを思い出す。多分実行委員の中では書ける人がいないんで、実行委員と親しかった人が頼まれたのだろう。生徒会でもそうだったし。

「では最後に、みなさんのお手伝いをしてくれるお兄さんお姉さんを紹介します。まずは挨拶をしましょう。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 あの、卒業式とかに言わされるような間延びした言い方だ。「心に残った」「しゅうがくりょこおー」みたいな。あれ、なんでそれを卒業式で言っていいかアンケートとらないんだろうな。僕が修学旅行(まあ、小学校じゃ林間学校だったけど)にトラウマ持ちすぎて発作起こしてたらどうしてたんだか。

 小学生たちの好奇の視線が一斉に注がれる。……僕に。まぁ、そりゃそうだよねぇ。小六って年上を舐めてるもんねぇ……。

 ここは部長である雪ノ下先輩かリア充グループの中心である葉山先輩が行くべきなのだが、もう教師の視線までこっちに集中してるんで、僕が言わないとダメなパターンみたいだ。速水、助けてくんないかなぁ……うわ、あいつサムズアップしてやがる。絶対許さない。

 仕方ないので、ここには離れてもらって、一歩前に出る。

「あー、『みんなが静かになるまで三分かかりました』とか言われると白けるんで、そういうのなしでいったほうがいいですよ。ま、そんくらいっすね。なんかすっごい明るい人と僕みたいに暗い人で差がある僕たちですが、頑張るんでよろしくです」

 ふむぅ、やはり僕はアドリブに弱いな。ちょっと言葉がおかしいし。これくらいなら空気ブレイクしてでも、葉山先輩のほうがよかった。ま、林間学校ってのはあくまで授業だ。わちゃわちゃするのは真面目な中で許されるものだし、これくらいの空気でもよかろう。

「お前、よくやるわな……」

「あー、ちょっと嫌なこと思い出しちゃいまして」

「さいで。まあ、程ほどにしろよ。まあ雪ノ下だけはなんかすっごいうんうん頷いてたけど」

 だろうなぁ。だって雪ノ下先輩なら「あなたたち、静かにすることもできないの? 騒ぐことしかできないのなら猿のほうがよっぽどましよ」とか言いかねないしな。いや、猿とかは言わないか。ま、罵るのは確実だろう。

「では、オリエンテーリング。スタート!」

 教師の掛け声で生徒たちが、五、六人のグループになる。事前に決めてあったのだろう。スムーズに班分けがされていた。おそらく、この林間学校の間、その班で行動することになるのだ。それは、ある意味では地獄から逃げることが難しい、ということを意味する。

 たとえば、班の中で孤立し、いじめられたときに困るのだ。少なくとも、自ら状況を脱することはできない。また、教師に言っても「班で仲良くしよう」みたいに言われるのがオチだ。班にいる班長が信頼の置ける人物だ、と教師が妄信しているから。

 それに、本気としてとってくれても対応に困る。班での話し合いとなれば林間学校の時間が削られ後々の事後学習なんかで苦労をするだろうし、他の班に途中から入れられたり教師達と行動なんてことになればそれこそ最悪だ。

 ――が、まあ逃げる手段なんていくらでもあるんだけどな。

 そんなことを考えている間に、ここや小町といった総武高生じゃない勢が自己紹介をしていた。よく考えるとここも小町も来てるの、おかしすぎるな。ま、小町は別だとしてもここはエンジェルだしいいだろう。

 それよか驚いたんだが、眼鏡の先輩――海老名先輩というらしい――って、腐女子だったんだな。しかも相当の。中学にもいたけど、海老名先輩のがすごい。あと、やっぱり高校でも空気を読まないで空気にあわせるような人、いるんだな。そのことも意外だわ。

 そうこうしている間に、平塚先生がきた。今回の仕事の説明がなされる。

「このオリエンテーションでの仕事だが、君たちにお願いするのはゴール地点での昼食の準備だ。生徒たちの弁当と飲み物の配膳を頼む。私は車で先に運んでおくから」

「俺らも車に乗ってけばいいんですか?」

「そんなスペースはないよ。きりきり歩け。ああ、小学生たちより早く到着してくれたまえ」

 昼食の準備というのなら、確かに子供たちより先に着いていないとまずい。もう結構な数の生徒達が出発してしまっている。……面倒臭いスタートになった。

 

  ×  ×  ×  ×

  

 暑い……暑すぎる。どうして僕は、こんな日に猫耳パーカーなんて着てきてしまったんだろうか。ほんと、馬鹿すぎる。

 あまり小学生は得意ではないので、道中で小学生にあっても僕は声をかけない。それはここや師匠、雪ノ下先輩も同じだった。対照的に葉山先輩やボス猿はボランティアのお兄さん、お姉さんをやっていた。

 そんな中、横に折れていく道で、女子五人の小学生グループに出くわした。

 これまたとりわけ元気のよい、活発そうな連中だ。女子はそれなりのおしゃれをしていて、会話も見事に年頃の女子感を醸し出している。こういう奴らが簡単に人を馬鹿にして、いじめて、中心的な人物になるんだろうな、中学とかで。

 そういう人間としてはまさしく同類のボス猿なんかは憧れの対象なのだろう。かなり積極的に話しかけてきた。

 葉山先輩やら由比ヶ浜先輩やら、とにかく派手な人のほうにいくと、必然的に師匠や僕、雪ノ下先輩は残る。驚いたのは、一色がここを庇うように小学生から離れたことだ。一色なら、小学生と戯れてる私可愛いアピールをすると思ったんだが。それだけ、ここが尊い存在だという事か。

 話を聞いていると、まず挨拶に始まり、ファッションの話やらスポーツの話やら中学の話やらをしていた。一緒に歩いているうちに話の流れで一緒にここらのチェックポイントを探すことになってしまった……いや、そりゃダメだろ。

「じゃあ、ここのだけ手伝うよ。でも、他のみんなには内緒な?」

 葉山先輩が言うと、小学生達は元気よく返事をする。

 ふむぅ、さすがにこれはいかんだろ。

「葉山先輩、ちょっとこれはやばくないすか? 一応、授業なんですし。これで一緒に行くのはフェアじゃないですよ」

「別によくない? ってか、あんたいちいちうるさいし」

 ったく、葉山先輩に話しかけてんのにどうしてボス猿がしゃしゃってくるんだよ。ほんと、まじうぜぇ。

 もういいわ。どうなっても知らん。僕は、のそのそと歩きながら、その班をぼんやりと見る。すると、すぐに気になる点を見つけた。

 だいたいの班がきちんと一つにまとまっている、或いは半分ずつ二つに分かれながらも緩やかに連結して一つになっているのだが、その班だけは歪に見えた。

 五人班で、一人の女子が二歩ほど遅れて歩いている。

 すらりと健康的に伸びた手足、紫がかったストレートの黒髪、他の子達に比べて幾分大人びた印象を受ける。フェミニンな服装も周囲より垢抜けている。有り体に言って十二分に可愛いと呼べる。ここの小学校時代の写真には負けるが、それでも雪ノ下先輩レベルに育つことは容易に想像できる。

 その子には見覚えがあった。



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鶴見留美は孤立している。

 どうもです。
 今回から本気でいじめに対する表現が過度になってくるので、お気をつけください。
 言っておきたいのは、奉仕部アンチ、原作アンチ、鶴見アンチではなく、あくまでいじめについての私見です。
 なお、今日は二連続投稿ですので、十時にもう一話、投稿します!

 では、どうぞ


 その子には見覚えがあった。

 先日、帰りに小学校の近くで見かけた子だ。あの、いじめの臭いがした子。

 誰も彼女が遅れていることに気づいていないようだ。

 ――いや、気づいてはいるのだ。他の四人は時折振り返ってくすくすとお互いにだけ伝わるような噛み殺した笑みを見せる。

 彼女達の距離は一メートルも離れてはいまい。傍目には同じグループと移っても不自然ではない。いや、そもそも同じグループなんだけど。

 だがそこには目には見えない皮膜が、不可視の壁が、歴とした断絶があった。

 彼女の首にかかっているデジカメが、儚げに揺れる。そのカメラが本来の役目を果たすことなど、ないように感じた。

「…………」

 雪ノ下先輩とここが小さなため息を吐いた。ため息が聞こえた方を見ると、師匠と一色も彼女のことを見ていた。

 どうやら異質さに気付いたようだ。

 まぁ、別に悪いことじゃない。人生には一度や二度、孤独と向き合うべきときってもんがある。いや、なきゃいけない。始終誰かと一緒にいていつもいつでも傍に人がいるなんて、そっちの方が余程異常で気持ちが悪い。孤独であるときにしか学べない、感じられないことがきっと存在するはずなのだ。

 友達がいて学べる事があるのなら、友達がいなくて学べる事だってある。だからこそ僕は師匠の弟子になったわけだしな。表裏一体なこの二つはどちらが優れているとか、そういうことはない。

 だから、この瞬間もあの少女には何か価値がある。それに、他者が手を差し伸べてくれないと状況を変えられないのなら、仮にこの瞬間が彼女にとって無価値でも、そのままでいるべきだ。

 自ら助けを求められるようになったときか、或いは一人で反旗を翻せるようになったときにこそ他者の助けは価値がある。

 けどまあ、そう思わない奴もいるんですよねぇ。

「チェックポイント、見つかった?」

 その女の子に声をかけたのは葉山先輩だった。

「……いいえ」

 困ったように笑って返事をすると、葉山先輩はにこりと微笑み返す。

「そっか、じゃあみんなで探そう。名前は?」

「鶴見、留美」

「俺は葉山隼人、よろしくね。あっちのほうとか隠れてそうじゃない?」

 言いながら葉山先輩は鶴見の背中を押して誘導していく。……鶴見? もしかして、うちの家庭科の先生と繋がってるのか? あの先生、近所の小学校に娘がいるとか言ってたしな。

 そんなことを考えていると、師匠は感心したのか言った。

「見た今の? あいつ超ナチュラルに誘ったぞ。さりげなく名前聞き出してるし」

「見てたわよ。あなたには一生かかってもできない芸当ね」

 ふっと雪ノ下先輩が小馬鹿にしたように言った。ま、師匠はできる必要もないからなぁ。それに、葉山先輩みたいにやったところで意味ないし。

 鶴見を見ていた一同(ボス猿一派と由比ヶ浜先輩は別のところにいる)が表情を曇らせる。

「けれど、あまりいいやり方とは言えないわね」

 鶴見は葉山先輩に連れられるまま、グループの真ん中らへんにいた。これでみんな仲良く、幸せに暮らしました。ちゃんちゃん、ってなったらいじめなんてものはおきない。鶴見は先ほどまでと同様、視線を誰かに向かわせることもなく、木々の間や道の小石に注いでいた。それはもう、楽しそうじゃないと言っていい。

 楽しそうじゃないのは鶴見だけじゃない。

 鶴見が入ってきた刹那、騒いでいた四人に一瞬走る緊張感。嫌悪、といかないまでも異物感がそこに生じていた。

 ああからさまに避けたりはしない。感情を露わにして舌打ちすることも苛立たしげにに地面を蹴ることもない。入ってきたことを咎めるような真似もしない。

 ただ、空気だけで語るのだ。誰一人として、鶴見が集団から出て行くように言っていないのだから、いじめとして認めるのは難しい。

 空気が、なんてことを言い出していじめにしてしまえばいじめられてない人間でさえいじめられっ子になってしまう。ただたまたまぶつかっただけでも、いじめと捉えればいじめ、なんて話、ふざけている。

 だからこの場合、悪いのは誰でもない。強いて悪を言うのなら、悪は葉山先輩だ。

 誰一人求めていない平和に、勝手に介入した葉山先輩のせいで平和が崩れてしまうのだ。

「やっぱりね……」

 雪ノ下先輩がさもありなんとため息を零すと、師匠は僅かな驚きがこもっていそうにぼやく。

「小学生でもああいうの、あるもんだな」

「小学生も高校生も変わらないですよ。きっと、大人でも」

「そうね。等しく同じ人間なのだから」

 珍しく僕と雪ノ下先輩の意見が合致した。が、別に感動しない。

 ここや一色だってきっと同意見で、更に言えばある程度社会の闇を知った者なら誰だって同じように思うはずなのだから。

 ようするに問題はその後、どうするかだ。

 一度は中心に入れられたものの、気づけば集団は鶴見をまた弾いている。

 ――いや、そんな言い方をすると集団が悪みたいに聞こえかねないな。

 集団は悪くない。だから言い換えよう。

 集団と鶴見の距離は広がっている。

 程なくしてチェックポイントが見つかり、僕達は小学生と別れた。

 

  ×  ×  ×  ×

  

 昼食の準備が終わり、僕達と小学生は飯盒炊飯に臨んでいた。

 と、言っても残念ながら僕のやる事はほとんどなかった。なんなら、他もほとんどやることはなかった。

 料理に関しては、小町が米を研ぎ、材料を雪ノ下先輩とここで手早く用意し、最後にルーを入れて煮込むだけだったのである。火の確認くらいはやろうと思ったが、それも師匠がなさっていたので、結局ほぼ棒立ち状態だった。

「お疲れ!」

「うぅ、疲れたよ……雪ノ下先輩、すごい手際よかった」

「十分、ここも手際よかったけどね。ってか、小町も入れて三人が、すごすぎる」

 やっぱり慣れている、というのはあるのだろう。ここが作ってくれる弁当、うまいしなぁ。今日もここの手料理を食えるのか。雪ノ下先輩との合作だが、……まあ許す。

 周囲を見渡せば、炊ぎの煙があたりに散見できた。

 小学生達にとっては初めての野外炊飯だ。苦戦しているグループも結構あるように見受けられる。

「暇なら見回って手伝いでもするかね?」

 言外に「私はごめんだが」といニュアンスを滲ませながら平塚先生が言う。座って火を見ている師匠も同様だ。僕も同意である。

 けれど、リア充というのは何故あんなにも交流を好むのでしょうか。電池とかでも交流で繋ぐんじゃないの。

「まぁ小学生と話す機会なんてそうそうないしな」

 葉山先輩は結構乗り気なようで、そんなことを言う。それを師匠は嫌そうに見た。

「いや、鍋、火にかけてるし」

「そうだな。だから、近いところを一箇所くらいって感じだな」

 いや、師匠はそういう意味でおっしゃってるわけじゃねぇよ……。まったく、これだからリア充は。っていうか、ほんとまじ、葉山先輩はダメだな。

「俺、鍋見てるわ……」

 師匠も同じこと言ったのか腑に落ちなさそうな顔で宣言した。が、束の間。

「気にするな比企谷。私が見ててやろう」

 師匠の前に立ちふさがったのはニヤニヤと笑う平塚先生だった。

 ふむ……まあ、これも奉仕部の活動と考えるべきだろう。と、なれば審判兼監視役である僕も着いていくほかない。というか師匠が回避しきれないのであれば、僕もいくに決まってる。

 葉山先輩が先頭切って一番近くのグループを訪ねる。

 そうすると、小学生は餌を与えられた魚のように群がる。

 葉山先輩たちは小学生に囲まれて和気藹々とやっている。さっき小学生と戯れていなかった組は今回も外れていた。

 こう見るとさすがはリア充という気もするが、実際のところそれだけが理由では無い。

 小学生というのが一番大人を舐めているのだ。大人の大人たる所以を知らず、チョロい相手だとそう思っている。ソースは過去の僕のクラスメイト。

 お金の価値も、勉強の意義も、愛の意味も知らない。与えられるのが当然だと思っていて、それの源泉を理解していない。世の中の上澄みを啜ってわかった気になっている年代だ。

 中学からは挫折や後悔や絶望を知り、この世界が実は生きにくいものだと分かるようになってくる。

 あるいは、賢い子であるならばそのことを既に知っているのかもしれない。

 例えばそこで存在感を薄くしている、あの少女とか。

 小学生達にとっては、彼女が一人でいることは日常的な光景なのだろう。しかし、外部の人間からすればそれは異質だ。

「カレー、好き?」

 葉山先輩が鶴見に声をかけていた。

 それを見て、雪ノ下先輩が小さな、ともすれば聞き逃しそうなほどのため息を吐いた。そのため息に混ざるように、ここと――それから一色のため息まで聞こえた。

 師匠も険しい顔をしている。

 完全な悪手。結局あの人は、僕がいじめられていたときから変わっていない。いじめられっ子が求めていないことをするのは間違いなのだ。

 鶴見が高校生、なかでも目立つ部類の葉山先輩に話しかけられることで、より彼女の特殊性が強調され、ひとりぼっちという特性が更に引き立ってしまう。

 葉山先輩が動けば葉山先輩の周りも動く。話題の中心である「憧れの高校生たち」が動けば、小学生達も付き従う。

 ただのぼっちが一気にスターダムに駆け上った。よかったね、シンデレラストーリーだね。超時空シンデレラだね、めでたしめでたしだね。

 とは、もちろんならない・

 どちらかといえば、不幸だね不幸だね、となるだろう。なんなら、その後、魔法少女になるまである。

 小学生たちの心境を忖度するのであれば「キャー! 留美チャン高校生ニ話シカケラレテル! カコイイ! 私トモ仲良クシテネ!」ではなく、「はぁ? なんであいつが?」だろう。

 高校生達からは好奇の視線に晒され、同級生達からは憎悪や嫉妬が向けられる。針の筵だ。

 鶴見はこれで詰み。ほんと、ざまぁみろだ。

 葉山先輩の質問にどう答えても、確実に悪感情が発生する。好意的に答えても、すげなく答えても「チョーシ乗ってる」となるのが、確実だ。

 驚いたような表情をしていた鶴見だが、

「……別に。カレーに興味ないし」

 冷静を装って素っ気無く答えると、すっとその場を離れた。

 また逃げるのか。自身の怠惰を償わずに。最初から切れるカードがないのなら、逃げるのではなく負けてしまえばいいのに。

 鶴見はなるべき人の目を集めないような場所へと動いた。人の輪の外、すなわち、僕達のいるところである。

 師匠や雪ノ下先輩もいるのだが、僕やここ、一色と師匠達との距離は遠い。師匠と雪ノ下先輩が僕達から離れているのだ。まあそうだわな。一色みたいの、師匠も雪ノ下先輩も嫌いそうだし。

 僕達と師匠達のちょうど真ん中くらいまでくると、鶴見はそこで立ち止まる。僕達三人も師匠達二人も鶴見に別段反応するわけではなく、ただ同じ場所にいるだけだった。



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彼と彼女らは似ていて、似ていない。

 予告どおり連続投稿です。
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 では、どうぞ。


 僕達と師匠達のちょうど真ん中くらいまでくると、鶴見はそこで立ち止まる。僕達三人も師匠達二人も鶴見に別段反応するわけではなく、ただ同じ場所にいるだけだった。

 葉山先輩は少し困ったような淋しげな笑顔(ざまぁみろ)を浮かべて鶴見を見ていたが、すぐに他の小学生達の相手に戻る。多分、あの頃の僕と姿を重ねてんだろうなぁ。

「じゃあ、せっかくだし隠し味入れるか、隠し味! 何か入れたいものある人ー?」

 聞いた者を惹きつけ、自分へと注目を向けさせるための明るい声だ。おかげで鶴見に張り付いていた嫌な視線がばたりと途絶える。残念なものだ。もっと鶴見が苦しめばよかったのに。小学生達は、はいっはいっ! と挙手してはコーヒーだの唐辛子だのチョコレートだのあれやこれやアイデアを披露する。

「はいっ! あたし、フルーツがいいと思う! 桃とか!」

 ああ、因みに今、言ったのは由比ヶ浜先輩だ。あの人、何参加してんだか……。流石に最近気づいたが、由比ヶ浜先輩ってアホの子なんだな。

 小学生と同レベルで参加しているどころか、アイデアの中でも明らかに一番料理レベルが低そうな発言だった。あの葉山先輩でさえ、表情を子尾ばらせている。

 数人と話していた速水はその様子を見てすかさず、由比ヶ浜先輩のもとにいき、何事かを言った。すると、由比ヶ浜先輩が肩を落としてこちらに向かってぼとぼと歩いてきた。多分、やんわりと邪魔者扱いされたんだろう。速水、先輩いると目立たないが、しっかりリア充っぽいなぁ。

「あいつ、バカか……」

 師匠が言葉を零すと、そっと囁くような言葉が続いた。

「ほんと、バカばっか……」

 鶴見は冷たく響く声で言う。

「はっ」

 つい、鼻で嗤ってしまった。

「まぁ、世の中大概はそうだ。早めに気づいてよかったな」

 師匠が言うと、鶴見は不思議そうな顔でこちらを見る。値踏みでもするかのような視線を師匠に向けるとは、失礼極まりない奴だ。

 鶴見の視線に雪ノ下が割り込む。

「あなたもその、大概でしょう」

「あまり俺を舐めるな。大概とかその他大勢の中ですら一人になれる逸材だぞ俺は」

「そうですよ! 師匠をその他大勢なんていう下等な生物と一緒にしないでください! 師匠を素晴らしいんですから!」

「はぁ……あなたも本当に比企谷くんのことが好きよね。呆れるのを通り越して軽蔑するわ」

「通り越したら呆れそうですけどね……」

 ここがぼそっと呟いた。ふむ、流石にここも慣れ親しんできたのだろう。が、その隣の普段ならすぐ馴染んでいきそうな一色は未だ、何も言わない。

 僕達のやりとりを鶴見はにこりともせず、黙って聞いていた。

 僕達と師匠達、両方に目をやると声をかけてきた。

「名前」

「あ? 名前がなんだよ」

 名前という単語だけで名前を訊こうだなんて不遜もいいところだ。まったく、失礼な奴だ。これだから、小学生も傲慢な弱者も嫌だ。弱者なら弱者としての自覚を持てばいいのに。僕みたいに。

 鶴見は不機嫌さを露わにして高圧的に言いなおす。

「名前聞いてんの。普通さっきので伝わるでしょ」

「……人に名前を尋ねる時はまず自分から名乗るものよ」

「師匠に対して、失礼だぞ、お前」

 肩にかけていた巾着を鶴見の顔面ギリギリでくるりと回し、睨んだ。中学から、かなりの回数巾着を回して遊んでいたおかげで、相当なスピードを出してもコントロールできるようになっている。

 鶴見は、僕とそれから雪ノ下先輩のほうを見て、少し怯えた顔になった。おそらく雪ノ下先輩も睨んでいるのだろう。まぁ、礼のなってない子供とか嫌いそうだもんな。

 鶴見は気まずげに視線をそらした。

「……鶴見留美」

 ぼそぼそと口の中で呟くような声だったが聞き取れないほどでもない。……だが、先ほどの高圧的な声の方が何倍も大きく聞き取りやすかった。ここは指導を……と思ったが師匠が納得したようなのでやめておくことにした。

「私は雪ノ下雪乃。そこのは、……ヒキ、ヒキガ、……ヒキガエルくん、だったかしら」

「おい、なんで俺の小四の頃のあだ名知ってんだよ。最後のほう、俺、蛙って言われてたからな」

「なんて失礼な輩なんでしょう、そいつは!」

 師匠をヒキガエルと呼ぶなんて失礼にも程がある。でも蟇蛙って書くと何かかっこいいよな。

「比企谷八幡だ」

 師匠が名乗ったので、ここは僕も名乗っておく。

「日木宗八っていう」

「櫻木心です」

「あ、いろはお姉ちゃんって呼んでいいよ♪」

 後に続いてここも自己紹介したのだが、一色はもう自己紹介の形を成していなかった。一気にモード変わりすぎて怖い。師匠の顔も引き攣っていた。

「で、これが由比ヶ浜結衣な」

「なに? どったの?」

 師匠が近くまで来ていた由比ヶ浜先輩を指差す。由比ヶ浜先輩は僕ら六人の様子を見て、それとなく察したようだ……ってやたら多いな、おい。それでも目立たないのは僕と師匠の存在感の薄さとここの隠密スキル、それから一色の変な様子ゆえだろう。

「あ、そうそう。あたし由比ヶ浜結衣ね。鶴見、留美ちゃん、だよね? よろしくね?」

 だが鶴見は由比ヶ浜先輩の声に対して、頷くだけに留める。直視すらしない。足もとのあたりを見ながら途切れ途切れに口を開く。

「なんか、そっちの人たちは違う感じがする。あのへんの人たちと」

 主語が曖昧なせいでわかりにくいが、おそらくこの場においては由比ヶ浜先輩と一色以外の四人があの辺、つまり葉山先輩たちと違う種類の人間だと言いたいのだろう。

 まぁ、確かに違うわな。今日に関しては一色も違う種類に見えなくもない気がするが、いつもはあの辺とやらに混じっているし。一点あるとすれば、ここも普段はリア充っぽくしてる点だ。そこは小学生だな。

「私も違うの。あのへんと」

 自分に宣言することで確かめるためなのか、鶴見はその言葉をゆっくり噛み締めるように言った。由比ヶ浜の顔つきが真剣なものになる。

「違うって、何が?」

「周りはみんなガキなんだもん。まぁ、私、その中で結構うまく立ち回ってたと思うんだけど。なんかそういうのくだらないからやめた。一人でも別にいっかなって」

 また鼻で嗤いそうになるのをなんとか堪える。が、胸中穏やかではなかった。

 孤高を、孤立の言い訳にするのは僕の好きなことではない。一人でも別にいい? じゃあ、なんでそう言うときのお前は、そんなに暗い顔をしている。

「で、でも。小学校のときの友達とか思い出って結構大事だと思うなぁ」

「そうですか? 僕、その頃の思い出のせいでうなされて寝れないとか今でもありますよ」

「やっぱりそうなんだ……だったら別に思い出とかいらない……中学入れば、余所から来た人と友達になればいいし」

 すっと顔を上げる。その視線の先にあるのは空だ。ようやく陽が落ちてきて、薄墨を流しかけたような藍色。点々と星が瞬き始めていた。

 鶴見の遠い目は悲しかったが、同時に綺麗な希望が宿ってもいた。

 鶴見留美という人間は、まだ期待しているのだ。新しい環境に鳴れば楽しくやれると希望を持っているのだ。仮に小学校の人間がそのまま同じ中学に行っても、きっと変わると。

 ――ああ、それはまるで僕のようだ。

「残念だけど、そうはならないわ」

「不服だが、そうなるかもしれないな」

 僕の言葉と被るように雪ノ下先輩が断言する。

 鶴見は僕への驚きの視線と雪ノ下先輩への恨みがましいし視線を交互に向けている。僕はそんな鶴見の視線を差し置いて、雪ノ下先輩を見る。すると、迎え撃つように真っ直ぐな雪ノ下先輩の視線とそれから師匠の視線が向かってきた。

「あら、庇うのかしら? 本当に彼女のことを思うのなら、現実を教えてあげるべきだと私は思うけれど」

「別に庇うつもりなんてないですよ。そりゃ、地元の公立小学校から中学校に進学するってなると、ほとんどの人間関係は持ち上がりです。それは、ぶっちゃけ僕も同じでしたから。でも、それだけじゃないんですよ。その子の学校だと、多分僕も行ってた中学に進学すると思うんですけどね、あの中学だと他の小学校からもくるんですよね。ってか半分くらいはそうですから。『余所からきた人』みたいな感じじゃないんですよ」

 実際、僕と同じ小学校だった奴と他の小学校だった奴の人数は同じくらいだった。色んなところからくるおかげで、他のところからきたとしても『余所者』という感じではないのだ。

 だが、雪ノ下先輩の瞳は揺るがない。

 ここが少し気まずそうに黙る。一色の様子は窺えない。いつもなら、一色あたりが和親条約を結ばせようとしそうなものだが、まあいい。

「それでも、半分は同じ小学校の子がいるのでしょう? なら、他の学校から来た人も一緒になって、同じ事をするだけよ」

「それが、違うんですよねぇ。ま、これは可能性の話ですけどね。本気で変わろうって思う人間なら、環境がろくに変わらなくても変わるんですよ。例えば僕。小学校の頃の関係が持ち上がりになりましたけど、彼女もできましたし親しくしてた人だっていました。中学でできた人で」

「……そう」

「ま、あくまで可能性の話です。僕はあるかも、と言っただけ。ぶっちゃけ、雪ノ下先輩の言ってることの方が起こりやすいですよ。それくらい、分かってるんだろう?」

 いつまでも僕が雪ノ下先輩と対立しまくるマンだと思うなよ? 僕だってちょいちょい雪ノ下先輩のことは分かってるんだ。それに、この場合、雪ノ下先輩のほうが現実的だしな。

 一気に裏切られたような状態の鶴見は何も答えられずにいた。師匠は、うわぁっという感じの顔をなさっている。今回に関しちゃ、一度味方についてから裏切ろうみたいな作戦ではないので引かないでくださいよ……

 返事できない鶴見を見ながら、雪ノ下先輩は何か堪えるように口もとをきゅっと引き結んだ。

 きっと、雪ノ下先輩も過去の自分の面影を見出しているのだろう。それは僕と同じ。

「やっぱり、そうなんだ……」

 諦めたような声が小さく漏れた。

「ほんとバカみたいなことしてた」

「何かあったの?」

 自嘲気味に呟いた鶴見に、ここがしゃがんで尋ねる。由比ヶ浜先輩と別のタイプだが空気を読めるここは、由比ヶ浜先輩よりも僕が作る気まずい空間に慣れているのでしっかりフォローをしてくれているのだ。

「誰かがハブられるのは何回かあって……。けど、そのうち終わるし、そしたらまた話したりする、マイブームみたいなもんだったの。いつも誰かが言い出して、なんとなくみんなそういう雰囲気になんの」

 鶴見は淡々と話すが、内容を聞いていると、殺意が湧いてくる。

「それで、仲良くて結構話す子がハブにされてね、私もちょっと距離置いたけど……。けど、いつの間にか今度は私がそうなってた。別に、何かしたわけじゃないのに」

 何かしたわけじゃない? なんて思い上がりだろう。十分、色んなことをしているじゃないか。被害者面している鶴見を今すぐ殴ってやりたい衝動に駆られる。

「私、その子と結構いろんな事喋っちゃったからさ」

 昨日まで友人だったはずの人間が、次の日には自分の秘密をネタにし、誰かの笑いを取っている。

 ああ、それは僕にもあった。小学六年生なら、好きな子だっているのだ。慣れなくて持て余す恋愛感情を誰かに吐露したくもなる。恥ずかしいから親しい人に。信頼できる人に相談の体で打ち明ける。

 でも、そんな信頼は幻想なのだ。一瞬で拡散されてしまうのがオチ。

 けれどそんなのは結局自分が悪いのだ。

 人を信ずべからず。信じた方が負けだ。裏切られる方が悪い。

 その悪を他者に転嫁するのは、愚行というものだ。

 ああ、本当に腹立たしい。

 誰かの尊厳を犠牲にするのも弱さ故の行為。

 誰かの尊厳を守るために犠牲になるのも弱さ故の行為。

 誰かを犠牲にする弱者が徒党を組むことは悪いことではないのだ。僕が許せないのは、犠牲になる弱者が歯向かわず、降参してはっきりと誰かに助けを求めることもなく、そのくせ被害者面して自分が正義だから助けてくれ、と言いたげな顔で平気に生きていることだ。

 誰かに助けを求めることは恥ずかしいことなのだ。捕食する側になれなかったのなら、恥ずかしい思いをしてしっかりと手順を踏んで、助けてもらわなければならない。

 だから、腹が立つ。この鶴見留美という存在に。

「中学校でも、……こういうふうなっちゃうのかなぁ」

 嗚咽の入り混じった震える声音。なんだよそれ。ふざけんなよ。

「なるな、今のお前なら。絶対に」

 ――と、言うギリギリで止まれたのは、師匠の鶴見を見る目と僕の肩の巾着を引っ張ったここの小さな手のおかげだった。



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しかし彼は。

 今回の話の前半僕のことをリアルで知ってる方だったら、確実に笑うと思います。僕も書いてて楽しかったので。とはいえ内輪ネタというか僕個人のネタなので、後半の方まで飛ばすこと推奨です。
 それと今日もかなり連続で投稿します。八時半にはもう一話投稿です。

 では、どうぞ。


 かちゃかちゃと食器とスプーンの立てる音がする。

 半ば諦めたような表情で、黙ったままの自分の班へと戻った鶴見を見送ってすぐ、僕達も自分のベースキャンプに戻ってきていた。

 平塚先生が番をしてくれていたカレーはじゃがいももすっかりいい感じに煮込まれていて、飯盒の方もなかなかの炊き上がりだ。ちょっとうまそう。

 席についての諸々の葛藤の末、ここを挟むようにして僕と一色が座ることになった。やったぜ! ちょっとにやけていると雪ノ下先輩に蔑んだ目で見られたが、別にいい。ここの隣なので最強だ。ってか、一色、葉山先輩の方いかないのな。ボス猿とかチャラ戸部先輩とかいるし、面倒なのかもしれん。

 師匠も、戸塚先輩の隣に座れたおかげでちょっと頬が緩んでいた。なんか由比ヶ浜先輩、気の毒だなぁ。

「さて、ではいただくとしようか」

 平塚先生の合図で、全員、軽く手を合わせて「いただきます」を言った。刹那、痺れるようなデジャブを感じる。

「給食みたいだね」

「給食っ!」

 戸塚先輩が師匠に囁いただけなのに、その言葉は鮮烈に僕の耳に響いた。

「え、どしたの?」

「あはは……」

「あははは……」

 由比ヶ浜先輩の問いかけに、事情を知っている一色とここは枯れた笑みを浮かべた。

「給食、いいですよねっ! カレー!」

「あ、おう。まあ、カレーって給食のメニューっぽいよな」

「男子、カレー好きだよね。献立がカレーの日って男子超騒ぐし」

 やばいやばい、ちょっと興奮してしまう。給食は禁句レベルだぞ、マジで。

 それにしても、由比ヶ浜先輩の学校だとそんなに男子、騒いでたのかまったく、男子ってありえないなぁ。え、うち? うちの学校は誓ってなかったぞ。

「そうそう。で、給食当番がカレーの鍋ごとひっくり返して、すげぇ批判浴びたりするんだよな」

 師匠が思い出すように言うと、離れた席でカレーを掻きこんでいる戸部先輩が笑う。

「あったわー、それマジあったわー」

「ふっ、ありえないですね。僕が指揮していれば鍋をひっくり返すことなんてなく、公立的でスマートな給食にしますからね。実際、師匠のクラスも二年生の後半くらいからはそんなことなかったと思いますよ?」

「あー……確かに。なんでだ? そういえば、二年生になってからやたらと給食の時平和だった記憶がある」

「「はぁ……」」

 ここも一色もちょっと呆れたように笑って、カレーを食べていた。いやいや、呆れないでくれよ。だって、これに関しちゃ自慢できるぜ。

「そういえば、小町が入学してからも、給食の時にお兄ちゃんが言ってたようなこと起きたこと、一度もないなぁ。どうしてだろ」

「ふっふっふ、それはですね! 僕が給食委員をやって、先生やら全校生徒やらに働きかけたからですよっ!!」

 満面の笑みで、僕は師匠と小町に向けて言い、胸を張った。

 事情を知るここと一色以外はよく分かっていないようだ。が、葉山先輩が興味を持ったおかげでボス猿とか速水までこっちの話に興味を持ってしまった。ま、いい。あの頃の話なら楽しいから。

「僕が一年で給食委員になって、半年間かなり極端に動いたんですよ。配膳する時間を短縮させたり、給食のトラブルをなくすために先生に頼んだり。で、次の年から生徒会になって動いたんで、うちの学校の給食は完全に統制されたんです。まあ、僕の学年じゃなきゃ知らないのも仕方ないでしょうけど」

 でも、まあそこそこ動いてたので有名だったと思うんだけどな。……因みに僕が生徒会に入ったのは、給食委員としてあまりにも派手にやった結果、生徒会にも働きかけるようになって「文句を言うならやってみろよ」と言われたのでじゃあということで入ったから、別に給食についてどうにかするために生徒会に入ったわけではない。

「……そういや、なんかやってたな」

「先輩、そんな理由で生徒会やってたんですか……」

 比企谷兄妹が揃って遠い目になっていた。まさか師匠までそんな目をなさるとは思わなかった。

 ちょっと凹んでカレーを食べていると、ここが頭を撫でてくれた。マジ、マイスイートエンジェルだな。

 

  ×  ×  ×  ×

  

「今頃、修学旅行の夜っぽい会話、してるのかもなぁ」

 小学生達が撤退し、もういい時間になった。

 僕が入れた茶を飲んでまったりしていると、葉山先輩が一昔前を思い出すような声音で言った。

 師匠達が修学旅行に行くのは二学期だ。しかも、文化祭や体育祭を終えたとき。まだずっと先、けれどすぐに訪れる未来だ。あれは、うまく割り切るか自分が生き易い環境を作るかしなかれば、地獄だ。

「大丈夫、かな……」

 由比ヶ浜先輩が少し心配そうな声で師匠に訊いた。

 何が、とは問うまでもなく鶴見のことだろう。彼女が孤立していることを知っているのはあの時、話を聞いた僕達だけではない。葉山先輩達だってそうだし、そうではなくとも、見ればすぐ分かる。

 シュッと擦るような音がした。平塚先生のクールな横顔が木の下闇にぽっと照らし出される。煙草を浅く吸い、紫煙が立ち上る。煙草は嫌いだが、こうかっこよく吸われると、悪いとも思えない。

「ふむ、何か心配事かね?」

 問われて答えたのは葉山先輩だ。……ほんとこの人、でしゃばんなぁ。

「まぁ、ちょっと孤立しちゃってる生徒がいたので……」

「ねー、可哀想だよねー」

 ボス猿は相槌のつもりなのか、当然の如く、その言葉を口にした。その言葉に鳥肌がたちそうになる。

「……違うぞ、葉山。お前は問題の本質を理解していない。孤立すること、一人でいる事自体は別にいいんだ。問題なのは悪意によって孤立させられていることだ」

「好きで一人でいる人間とまあいわゆるいじめとかハブによって一人でいる人間は違いますからね」

 ボス猿が理解してなさそうだったのですかさず補足しておく。すると、一応ボス猿でも理解はしたようだ。

 つまるところ、師匠は解決すべきは彼女の孤立ではなく彼女にそれを強いる環境の改善であると思ってらっしゃるのだ。

 ――が、今回に関しては僕は同じ考えにはなれなかった。

「それで、君たちはどうしたい?」

「それは……」

 平塚先生に問われて、皆が一様に黙る。

 どうしたい? 別にどうもしたくはない。ただそのことについて話してみたいだけ。

 要するに、テレビで戦争や貧困のドキュメンタリーを見て、可哀想だね大変だね私達にもできることをしようねなどと言いながら、心地よい部屋でおいしいご飯を食べているのと変わらない。

 じゃあ、そのうち何か動き始めるかというとそんなことはない。「今の自分達の幸福のありがたみを知った」だなんてお為ごかしが入るくらいだ。

 結局、この人たちはそんなところだろう。

 もちろん、問題意識を持って本気で取り組む人間もいる。今回で言えば、師匠や雪ノ下先輩、ここはそうなのだと思う。

「俺は……」

 口を開いた葉山先輩は、おそらく動くのだと思う。本気で取り組むのだろう。でも、彼は問題意識を持っていない。いや、その問題意識が間違っている。だが、彼は言う。

「できれば、可能な範囲でなんとかしてあげたいと思います」

 模範解答とも言っていい、欺瞞を。

 葉山先輩らしい解答だ。その言葉は優しい。鶴見にだけ優しいのではない。言った葉山先輩にとっても傍で聞いている者にも優しい言葉だった。

 誰も傷つかない、優しい嘘だった。希望だけはちらつかせて、けれども迂遠な言い方で絶望を内包させる。できない可能性自体も暗に匂わせて、全員に釈明の余地を与えている。

 きっと僕にしか聞こえないような小さな声で、本当に小さな声で、ここと一色がため息を吐いた。もうそれは、声にすらなってなくて、二人のことを深く知っている僕だからこそ聞こえたため息なのだと思う。

 

「先輩じゃ無理ですよ。そうだったでしょ?」

「あなたでは無理よ。そうだったでしょう?」

 

 そのため息の分も、僕は力を入れて葉山先輩の言葉を切り裂いた。なんか、今回は雪ノ下先輩と気が合うものだな。

 理由の説明を求めようもないほどに、確定した事実だと断じるように僕と雪ノ下先輩は言う。僕にも雪ノ下先輩にも共通する過去。故に、同じことを言えたのだ。

 葉山先輩は臓腑を焼かれたように苦しげな顔を一瞬覗かせる。

「過去に何があったかはわかりませんけど、今やるのは葉山先輩だけじゃないですよ。ここにいる全員、なら可能な範囲って広がるんじゃないですか?」

「どうだろうな」

「どうかしらね」

 雪ノ下先輩と僕を宥めるように速水が言ったのは、尤もな意見だったと思う。葉山先輩はここにいる人間の意見を代弁したにすぎないし、動くのも葉山先輩だけじゃない。

 加えて、速水の発言は誰も否定していない。ただ、解釈を正すようなレベルのことを言っているだけだ。雪ノ下先輩や師匠がいる。なら、できるだろ? と、そんな風にもとれる。そう考えれば、雪ノ下先輩への挑発にさえなる。しょうがない、ここまできたらむしろ話を飛ばして、建設的な会話にもっていった方がいい。

「じゃあ、奉仕部の活動の一環、その助っ人として葉山先輩方が参戦で全員で話し合って動くってことでいいんじゃないですか? 一色とかここも助っ人で」

「それがいいと思う。先生、先輩方、どうです?」

 異議のある人間は出てこない。まぁ言った本人で悪いんだけど、僕としては鶴見を助けるとかしたくないんだよな。だが、こんなところで異議をあげれば、批判されること請け合い。だから、出せないのだ。

「よろしい。では、どうしたらいいか、君達で――」

「――はぁーい、はぁーい、僕、異議あるっていうかあの子のこととかどうでもいいのでこの話から抜けまーす」

 でもね、僕ってそんな空気だからってやめるわけじゃないんですよ。

 批判の視線がここ以外の全員から向けられる。……なんか今回、師匠の僕へのあたりも酷くないっすかね? まあ今回はしょうがない。

「……なんだね、君は。自分から言っておいて」

「いや、僕が言ったのはこのメンバーの方針に関してだけですよ。僕は、ぶっちゃけこの話に参加したくありません。だから抜けます。他の皆さんはファイトです。それだけですよ」

「……そうか、ならいい。他に抜けたい者は?」

 平塚先生が聞くが、誰も名乗りでない。ここにはさっき、こっちに残って一色と色々見てもらえるように頼んだので名乗りでない。一応、ここもそっち側であることには違いないしな。

「よろしい。なら、やりたいもので考えたまえ。日木は寝て構わん」

「うす」

 平塚先生とともに、僕はその場を離脱した。



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そして彼は整理する。

 予告どおり投稿です。
 予告投稿も考えましたがかけたぶんをどんどん投稿してもらったほうが僕の立場ならありがたいので。かけたぶんをどんどん投稿します。よって、今日は三十分おきに登校して行く予定です。

 では、どうぞ。


 平塚先生から何かを話されるわけでもなく、僕は一人でバンガローに行った。

 布団諸々の準備を済ませ、僕は外に出ることにした。まだ、きっと師匠達は話し合っている。葉山先輩の愚行は雪ノ下先輩や師匠が止めてくれるだろうから、とりあえずそちらは任せていい。

 じゃあ、僕は何をやるか。

 答えを言ってしまうと、何もしない。少なくとも鶴見のためには何もしない。

 やるとすれば、それは僕が僕のためになることをするだけだ。

 これまでもそうだった。やりたいことをやった結果、僕は一度奉仕部を退部ギリギリになった。それでもなんとかなったのは、僕が折れたからではない。やりたいことを信じ続けたからだ。

 だからこそ、今僕は、奉仕部の勝負の審判兼監視員をやっている。

 奉仕部を隔離病棟だとするのなら、僕は差し詰めそこの職員だ。あるいは、医者。だから、それがよくないと思えばやる必要は無い。

 じゃあ、本当に僕はこの合宿を何もせず、ボランティアだけして過ごすのか。

 それもまた、否である。

 それは僕の性に合わない。それに、この件に関しては僕もちょっと色々考えたいことがある。それだけだと葉山先輩の欺瞞とやっていることは変わらないし、よくないが、とりあえず今は考えるしかないのだ。ちょっと、自分の中で答えが出ない。

「どうすっかなぁ」

 長い事考えていると、スマホが震えた。ここから、色々と情報が送られてきたのだろう。

『大丈夫?』

『おう、問題ない』

『ならよかったぁ。ひやひやしたよ!』

『ごめんごめん。でもほら、色々あったから。で、どうだった?』

『えっとね、雪ノ下先輩と三浦先輩? が、喧嘩しちゃって話は進まなかった』

『だろうな。ちょっと、頭を整理したいな。来れる?』

『うん! あ、いろは連れていってもいい? 三浦先輩泣いちゃってきまずいから』

 メールを見て、少し考える。一色か……まあいいだろう。一色はあれで観察眼には優れてるし、色々情報をもらえるかもしれない。

『わかった。連れてきてくれ』

 自分の今いる場所を地図で添付して、送る。

 高原の夜。実に静謐な夜だ。理性的にものを考えるにはふさわしい。

 少し待つと、ちょっと泣きそうなこことそれを見て自然に笑う一色がやってきた。うん、一色いなかったら絶対、ここ怖すぎて来れてなかったな。色々、感謝をしたい。まあ口で言うと調子に乗るし、黙っておくけど。

「ここ、大丈夫?」

「うん……怖かったぁ」

 怯えてるここも無茶苦茶可愛い。真剣なムードだったけど、一気に和む。それは一色も同様なようで、先ほどまでの硬い表情は消えていつもの猫被らない一色モードになっていた。

 うむ、これなら色々考えられそうだ。

「そっかそっか。いい子だなぁ」

「なんかすごい見せ付けられてるんですけど……まあココが幸せならいいですけど」

 一色がちょっと呆れて言うけど、しょうがない。一日中一緒にいた割にあんまりいちゃつけてなかったんだから。本来ならハグとかもしたいくらいだからな。

「んんっ、まあこことは後で戯れるとして。今はちょっと考えたい。けどその前に、一色。今日一日おとなしくしてた理由を教えてくれ」

 尋ねると、一色は至極面倒臭そうな顔をする。それもまた、素である証拠。中学時代に一緒のグループだったからこそ垣間見れる一面だ。でも、だからといって全てがわかるわけではない。一色いろはという少女の核を僕は知り得ないのだ。

 だから聞くしかない。

「……ちょっと観察したかったですよ、葉山先輩を。私、本当にこの人のこと好きなのかなって」

「なるほど。僕達に感化されたわけか」

「まあ、そんなところ。あざとさを教えてくれたココってやっぱり私の中じゃ憧れなんですよ。だから、私も本物が欲しくなった」

 本物――胡散臭い言葉だ、と我ながら思う。

 でも、僕はそれがほしくて、ここと一緒に追い求めてきた。それが、一色に伝播したのだとしたら、それは少なからずよいことだと思う。

 だが一色の表情は暗い。理由は明快だ。

 葉山先輩への気持ちが本物じゃない、と気づいたから。

「まあ、その辺は一色次第だからな。そこにとやかく言える立場じゃない。これに関しちゃただの興味で聞いただけだし。それより、本題だ」

 本題、つまりこの合宿での僕の動き方。

「ああ、それで聞きたかったんですけど、どうしてあのタイミングでやらないとか言い出したんですか? ちょー空気悪かったんですけど」

「うんうん! それは私も思ったよ! 考えがあるのはわかるけど、あの後、すごい居心地悪かった」

「あー、それに関しては申し訳ない。その辺はあいつじゃないから、うまいことできないってことで許して」

 掌を合わせて謝ると、二人とも何とか許してくれた。ありがたい。……まあ、おかげであいつのこと思い出しちゃったんだけど。

 あいつならどうするだろうか、なんて考えるまでもない。こういう問題に関しては彼と僕とは意見が違えるのだ。きっと彼なら師匠達の立場に回る。でもって、僕が考え付かないような作戦で鶴見を救ってしまう。

 では僕は――ああ、そうだ。僕は絶対に鶴見を救いたくない。

「僕は鶴見を救いたくない。というか、今回の件については鶴見の自業自得だ。他の子がいじめられているときは乗ったんだ、鶴見は。まあ、そういう空気だったのかもしれないけどな。それでも、空気に抗えなかった自分が悪い。それに、今回鶴見はこっちに助けを求めたわけでもない。自分から『助けて』って言えない奴は救われる資格もない」

「……日木くんってほんと理屈っぽいですよね」

「悪かったなっ!」

「大丈夫だよ、そういうところも好きだから」

「うぅ、ここぉ」

 マジでここがマイスイートエンジェル過ぎる。まあ、それ以前に嫁なんだけどな。それはさておき、話を整理しよう。

「ちょっと、ここ、話を整理してくれるか?」

「え、うん」

 僕は言葉で整理する能力が欠如している。だから、こういうのは文章をまとめるのが得意なここに任せるのがいい。餅は餅屋、である。

 ここは任せられて嬉しいのかちょっと胸を張って整理しだす。

「鶴見ちゃんは孤立してる。これは、これまでにもブームみたいな感じで女子の中であったことだったけど、今回だけ長引いてる。それで、そんな鶴見ちゃんを見かけた葉山先輩を含む私達がなんとかしようとしてる。こんな感じかな。まとめちゃうとあっさりしてるよね」

「ああ、そうなんだよな。こういうのって、まとめると一言で、詳しく考えたときに急に複雑になるんだよ」

 いじめとか、一言でいじめって言えるけどそこに色んな事情があるわけだしな。どんな事情があってもいじめはダメとか言うが、僕はあれに賛成できない。まあ、そもそもいじめ自体悪いと思わないんだけど。

「あ、今思ったんですけどどうして留美ちゃんだけ長引いてるんですかね。他の子をいじめてる時にいじめてたって理由なら留美ちゃんより早く別の子の時に長引いてた可能性だって十分にあるじゃないですか」

「あー、確かにな」

 これ、案外重要かもしれない。何故、鶴見だけ長期にわたってハブられ、ひいてはいじめのような状況になっているのか。

「よくないけど、やっぱり鶴見ちゃんって大人っぽいし可愛いからそれで長引いてるんじゃないかな?」

「やっぱりそれなのかなぁ」

 ここも一色も同意見らしい。なんか、女子の世界って怖いなぁ。

 でもまあ、分からなくは無い。可愛いから潰す。ありがちな気がする。実際、鶴見はかなり可愛い部類だ。

 しかし、しっくりこない。ここの意見だから否定したくはないし、実際全否定する必要は無いと思う。ただ、どこか違う。

 どこだ、どこだ。

 駄目だな、考えに行き詰った。どうするべきか……迷いどころだが、どちみちもうここや一色には帰ってもらった方がいいだろう。

「ありがと。後は、一人で考えるから先、二人帰ってくれ」

「え! う、うん……一人で抱え込まないでよ?」

「当然だって。だからこうやって呼んだわけだし」

「そっか!」

 ここと、僅かな間の別れを済ませ、二人を見送りながら僕は考える。

 今、鶴見は一体、どんな気持ちでいるのだろう。皆が修学旅行の夜っぽい会話をして入る中、一人眠っているかもしれない。もしかしたら、そんなこと予想して本の一冊や二冊、用意していたのかもしれない。

 なら、僕はそんな鶴見を見て何を思うのか。

 きっとそれは僕の根底に関わってくる問題だ。

 僕は不登校児を嫌悪している。何故なら、彼らは完全に逃げているから。立ち向かっている人がいる中で、逃げている自分は弱く、不幸なのだと傲慢にも思っているから。

 それを今回の件に置き換えるとどうだろう。

 結局のところ、鶴見も自分を不幸だと思っている節がある気がする。彼女はこう言っていた。

『ほんと、バカばっか……』

『誰かがハブられるのは何回かあって……。けど、そのうち終わるし、そしたらまた話したりする、マイブームみたいなもんだったの。いつも誰かが言い出して、なんとなくみんなそういう雰囲気になんの』

『それで、仲良くて結構話す子がハブにされてね、私もちょっと距離置いたけど……。けど、いつの間にか今度は私がそうなってた。別に、何かしたわけじゃないのに』

 ん? ちょっと待て。よく考えたら、今回がこれまでと比べて長引いてるだなんて、鶴見、一言も言ってないぞ? まして、僕達はほかの人がハブられたとき、どこまで酷かったか知らない。それはつまり、ほかの人もこれくらいだった可能性があるということだ。

 更に、発言を思い出してわかった。鶴見は事情を説明していたとき、ちょこちょこ自分を庇うような発言をしている。

『いつも誰かが言い出して、なんとなくみんなそういう雰囲気になんの』

 言ってみれば、言い出す人とみんなへの責任転嫁だ。

『私もちょっと距離置いたけど……』

 自分はそこまでじゃないのだ、と訴えるための発言にしか思えない。自分は他の人より慈悲の心があるかのようだ。

 いや、もちろん確証は無い。鶴見の言った事が事実で、事実を伝えているだけなのかもしれない。

 でも、だとしても、ここまで自分を庇う発言をする、というのは異様に思う。無論これは僕の価値観だ。

 が、考えるとそうな気がしてくる。

 とはいえ、もう少し情報がほしいな。

 結論を出すのは、それからにしよう。

 僕はふと、夜空を見上げる。

 星々の光は遥か昔のものだ、と聞く。それこそ幾星霜の時を超えて、昔日の光を飛ばしている。つまりは過去の残骸。

 誰もが過去に囚われている。僕はたくさん先に進んだつもりだった。でも、ふと見上げればありし日のできごとが星の如く、降り注いでくる。笑い飛ばしても、消し去っても、それでも尚、僕の核になっているのだ。

 きっとそれを変えることはできなくて、結局のところ僕は過去によってできているのだ。

 不意に疑問が生じる。

 僕と雪ノ下先輩は同じような過去を持っているはずだ。いじめられ、葉山先輩によって悪化させられたという過去だ。

 なのに――僕と雪ノ下先輩はどうしてここまで違うのだろうか。



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比企谷八幡は語る。

 この後も投稿しますが一時間後になります。

 では、どうぞ。


 キャンプファイアーの準備を終えた。力も体力もない僕なので、そこまで活躍することはできなかったが、男手が多かったおかげですぐに終わった。

 平塚先生に自由にしていい、と言われた僕はここに呼ばれていた川に向かった。なんでも、そこで水遊びをしているらしい。僕は水遊びをするつもりはなかったので水着は持ってきていないが、ここは水着を持ってきているので水着姿を見れるのである。

 師匠とともに行きたいとも思ったが、師匠とはいえここの水着をあまり見せたくは無いので今回だけは師匠を置き去りにする。

 しばらく歩くと、ちょろちょろと小川のせせらぎが聞こえてきた。音のする方向を目指し、道なりに歩いていくとちょろちょろした流れに出くわした。浅く小さくちょっとした用水路くらいの大きさだ。支流なのだろう。つまり、これを逆に上へと進めばもう少し大きな流れに出るはずだ。きっと、ここはそこで水遊びをしているのだろう。

 歩いていくうちに鬱蒼と茂っていた木々は徐々にまばらになり始める。

 水音が大きくなると、ひときわ開けた場所に出た。河原だ。

「あー、はちくん!」

 天使のような呼びかけに、炎天下の活動で疲れきった体を癒してくれる。声のした方に目を向けると、そこには水着姿のここがいた。

 ……やべぇ、もうこれ、未成年には見せられないレベルだろ。上にパーカーを羽織るような感じの水着(なんて言うのかわかんない)を着ているけれど、純白のパーカーは水に濡れたおかげで透けていて、それが余計にエロさを醸し出す。パーカーが張り付いているのでスタイルもよくわかるが、これがまた黄金比と言ってもいいほどのスタイルだ。大きすぎない、小さすぎない胸、痩せすぎているわけではないが故に完成しているくびれ、これまた大きすぎない、小さすぎないヒップ。その、どれもが神からの贈り物なのではないか、とさえ思う。

 パーカーから見えるふくらはぎもまた、筋肉によって引き締まっている。それは、ここが日々、バイトやレッスンで忙しくしていることを示唆していた。ここは自分がファンである歌手のふくらはぎを目指したい、と以前言っていたがもうその域に達していると言っても過言では無いだろう。

 つま先までの艶やかな肌は一切荒れておらず、露出しても決して恥ずかしくない。以前、彼女が傷つけた部分は僅かに痕が残っているもののそこまで目立たない。また、その傷の存在を知っている、という事実が僕の中で優越感を感じさせる要因になり、余計に美しく見える。

 パーカーから滴る水が、また美しい。水も滴るいい男とは言うが、水も滴るいい女とも言うのだな、と思う。日の光によってまるで宝石のようにパーカーから零れる光景に僕は吐息を漏らす。

 ちらりと、ここの鎖骨が見える。ここが恥ずかしがってパーカーをくいくいと下に引っ張ったおかげだ。その存在そのものが「エロス」を語るその谷にかかる水色っぽい橋によって、僕はようやく彼女が何色の水着を着ているのか理解した。

「……なんか日木くん、ずっと黙って不気味なんですけど。感想とか言ってあげたらどうですか?」

「い、いろは! そういうこと言わないでよ……恥ずかしいじゃん」

 恥じらったことで赤く染まる頬が、またそそる。それまで、水遊びをしていた余韻なのか僅かに肩が上下していて、それが胸を高鳴らせる。一色の方を向いたおかげで、ここの髪についた水がこちらに跳ねてくる。全身を引き締めるような水の冷たさにより、僕はようやく正気になった。

「……なんか、すごいいい。ちょっと僕の彼女にはもったいないくらい」

「う、うん」

 無意識に口から放たれた言葉に、ここは顔を真っ赤に染める。やばい、本当に可愛すぎる。

 ふむぅ、ちょっと興奮してしまうので落ち着くために一色の水着でも見よう。

 体型的にはここに非常に似ている、けれど水着のセレクトが非常にあざとく、彼女らしいので、あまり興奮しない。エロい、よりもあざとい、という感想が出てくるのは、おそらくここの天然のあざとさに慣れているからだ。

「なんか、一色ってほんとあざといよな。そのくせ、そういう露出多めのを本当に好きな奴には恥ずかしくて見せられないタイプだろ、絶対」

「そ、そんなことないですよ! っていうかあざといってなんですか! 褒めてくださいよ!」

 いやいや、彼女でもない相手の水着を褒めるとか僕にゃ無理だ。

「あ、あっちに由比ヶ浜先輩達もいたよ!」

「おー、じゃあ合流するか」

 というか何故合流しなかったのだろう、という気もするが……まあ由比ヶ浜先輩がいたらここの美しさを堪能できなかっただろし、いいか。

 由比ヶ浜先輩達のところに行くと、既にそこには師匠や雪ノ下先輩など水遊びとは縁遠い人も含む、今回の合宿に参加している全員がいた。

「君達も来ていたんだな」

「まぁ、平塚先生、川遊びできるって仰ってましたから。まあ、水苦手なんで僕は水着もってきてないですけど」

「じゃあ、お兄ちゃんと同じですね!」

「いや、俺は水遊びできるとか知らなかったし。ってかお前が用意忘れたんだろうが」

 師匠が仰ると、小町はあざとく「てへぺろ」と言って水遊びを再開した。そういや、小町もここに負けないくらい天然のあざとガールなんだよな。それに比べると、一色はあざとガールじゃなくてかしこガールだな、多分。

 水遊びが始まれば水着じゃない僕は退避するほかない。まあ、遠くから観察するのも一興だ。

 僕は師匠がいらっしゃるところに行き、師匠と共に暇を潰すことにした。

 ここと一色も空気に呑まれたおかげで打ち解け、女子勢はなんか武器とかまで持ってきてウォーターバトルをおっぱじめていた。ここも一色も、ってか全員目がマジだよ……女子って怖いなぁ。

 そんなことを思っていると、脇の小道からざっと足音が聞こえた。

 気配のある方を見やれば、見覚えのある少女がいる。鶴見留美だ。

「よっ」

 師匠が声をかけると、鶴見はうんと頷く。が、僕は何も言わない。「こんにちは」と言うのも変な感じだし、「よっ」と言うのもなんかしっくりこなかったのだ。

 鶴見はそのまま、僕と師匠の隣に腰掛けた。

 僕達は無言のまま、川を遊ぶ皆を見ていた。

 しばり沈黙が続いたが、僕はしびれを切らしたので口を開く。

「なぁ、どうしてお前は一人でこんなとこにいんだ?」

「……今日自由行動なんだって。朝ごはん終わって部屋戻ったら誰もいなかった」

 僕に問われたことに戸惑った様子を見せたが、鶴見はそつなく答えた。

 ――その表情が僕の昨日の仮説に信憑性を与える。

 けどまぁ、ちょっと今回に関しちゃえげつないとは思う。いきなり一人になると、案外びっくりするものなのだ。一切関わりがない人間だとしても、急にいなくなればびっくりする。死角からの孤立は、流石の僕でもちょっと不安になるものだ。

 僕達はしばしの間、ぼーっと川の方を眺めていた。これ以上の話題提供はなかなか難しい。

 すると由比ヶ浜先輩がこちらを向いた。それから雪ノ下先輩に何事か囁き、話し始めたかと思うと、二人揃って川から上がった。その様子を見ていたここと一色は、二人で話し合い、二人ともその場で水遊びを再開する。まあ、ありがたい。あんまり人数が多いと面倒だしな。

 近くのブルーシートに置いておいたタオルを取るとそれで体を拭って僕達の方へ歩いてきた。

 由比ヶ浜先輩はちょっと濡れた髪をタオルで乾かしながら、僕達の前にしゃがみ込む。

「あの……留美ちゃんも一緒に遊ばない?」

 だが、鶴見はすげなく首を振る。そのうえ、由比ヶ浜先輩とも目を合わせようとしない。

「そ、そっか……」

 かくっと項垂れる由比ヶ浜先輩。そこへ雪ノ下先輩が声をかける。

「だから言ったじゃない」

 まぁ、そりゃ当然だろうな。あんなきらきらした世界、僕だってちょっと入るのを躊躇う。人間にはやっぱり生き易い世界というものがある。僕は、ああいうきらきらした世界が悪いとは思わない。人を踏み躙ってリア充する奴らは許せないし大嫌いだが、欺瞞がなく、誰かに迷惑をかけるわけでもない本物を持つリア充なら好きだ。

 でも、好きだからと言って生き易いかと言うと別だ。いれば楽しい。でも、安らぐわけではない。ジェットコースターみたいなものだ。

 鶴見は雪ノ下先輩と僕に恐れを抱いているようで、師匠の方に向き直る。

「ね、八幡はさ」

「師匠を呼び捨てするなど失礼だぞ」

 座っていても水辺でも、すぐに放てる巾着アタック。昨日暇で改めて練習したこともあり、ギリギリを狙っているが当たる様子は無い。

「あ……そっか。えと、ごめんなさい。八幡さん、でいい?」

「え、まあいいけど」

 一応、礼儀は教えなきゃいけないからな。呼び捨てには、師匠も戸惑ってらっしゃったし、いいだろう。

「八幡さんは小学校の時の友達っている?」

「いない、な……」

 鶴見の質問の意図的には「まだ仲良くしてるか?」みたいな感じだったんだろうけど、師匠の場合は元々そんな相手がいないだろうからな。疎遠になるまでもなく、きっと縁をお持ちじゃない。

 師匠は、だからといって何か動じるわけではなく平然と仰る。

「まぁ、別に必要だとも思わんしな。たぶんだいたいみんなそうだぜ。ほっといていい。あいつら卒業したら一人も会わないぞ」

「そ、それはヒッキーだけでしょ!」

「私も会ってないわ」

 雪ノ下先輩が間髪容れずにそう言うと、由比ヶ浜先輩は諦めたようにため息を吐いて鶴見の方を向いた。

「留美ちゃん、この人たちが特殊なだけだからね?」

「特殊で何が悪い。英語で言えばスペシャルだ。なんか優れてるっぽく聞こえるだろ」

「おお! 確かに。ま、実際特殊な人は優れてますけどね」

 特殊な人って大抵天才だしな。それにしても、師匠、流石だ。日本語の妙をつくとは、僕には思いつかなかった。

 鶴見は僕達のやり取りを不思議そうな顔で眺めていた。折角師匠にご鞭撻いただいたというのに納得していないようだ。ならば、と師匠は更なる理論武装をなさる。

「由比ヶ浜。お前、小学校の同級生で今でも会うやつ何人いる?」

 師匠が問うと由比ヶ浜先輩は顎に人差し指を当て空を見上げる。

「んー、頻度にもよる、というか集まる目的にもよるけど……。純粋に遊ぶの目的だと。一人か二人、かなぁ」

「因みにお前の学年何人いた?」

「三〇人三クラス」

「九〇人か。以上のことから卒業から五年後も友達やってる確立は三から六%てところなわけだ。八方美人の由比ヶ浜ですらこの確立だぞ」

「美人……ふへ」

「由比ヶ浜さん、別に褒められているわけではないわ」

 好きな人に美人と言われてにやけた由比ヶ浜先輩を雪ノ下先輩が現実に引き戻した。ま、八方美人は褒め言葉でもあるし貶し言葉でもあるわな。

「常人の場合、なんとなく二方美人くらいだろうから四で割って。えー……」

「〇・七五から一・五ですね」

 師匠が悩んでらっしゃるようだったので進言する。雪ノ下先輩に言わせると、皮肉まで混ざりそうだし。

「じゃあ、さらにそれを平均しておよそ一%だ。小学生の卒業五年後友達確立は一%。こんなもん誤差だ誤差。よって切り捨てていい。四捨五入という名台詞を知らないのかよ。四と五なんて一つしか違わないのに四はいつも捨てられちゃうんだぜ。四ちゃんの気持ちになってみろよ。四ちゃんのこと考えたら一の奴なんて捨てられて当たり前だろ。はい、証明終了」

 完璧な結論だった。だが、雪ノ下先輩はこめかみをそっと押さえる。



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葉山隼人はどこまでいってもいい人である。

 遅れてすみません。
 今日明日で四巻が終わるように調整しているのでしばしお待ちを。

 それではどうぞ。


 完璧な結論だった。だが、雪ノ下先輩はこめかみをそっと押さえる。

「この男、何から何まで仮定だけで証明をでっち上げたわ……。数学への冒涜ね……」

「それが間違ってるのは小学生の私にもわかる……」

「なるほ……え、あ、そ、そうだよ! おかしいよ!」

 一瞬由比ヶ浜先輩が納得しかけていたのが惜しい。師匠は数学が得意ではないので、仕方ないだろう。それに師匠の目的は数学教室をすることじゃない。

「数値はどうでもいいんですよ。師匠が仰りたいのは要するに考え方の問題だってことです」

「その通りだ」

「さっきの証明はまるで出鱈目だけれど、その結論だけは正解に見えるのよね……。不可解だわ……」

 まあ、そこが師匠の素晴らしいところだからな。

「んー……。あたしはあんまり賛成しないけど。でも一%でいいって考えると少しは気が楽かもね。みんなと仲良くってやっぱりしんどいときもあるし」

 どこか実感のこもった由比ヶ浜先輩の声。その言葉に、きっと一色やここは賛同できるのだと思う。

 由比ヶ浜先輩は鶴見に向き直り、励ますように微笑んだ。

「だから、留美ちゃんもそう考えれば……」

 鶴見はデジカメを握りながら力なく微笑み返す。

「うん……。でも、お母さんは納得しない。いつも友達と仲良くしてるかって聞いてくるし、林間学校もたくさん写真撮って来なさいって、デジカメ……」

 ありがちなパターンだ。普通の感覚でなにもかも推し量って、子供の意思なんかそっちのけで気合を入れる。ここと似たような感じだ。

「そうなんだ……。いいお母さんだね。留美ちゃんのこと心配してくれてるんだし」

 由比ヶ浜先輩は安心したように言った。あぁ、由比ヶ浜先輩は幸せなんだな。

「そうっすか? まあ、心配はしてるかもですけど、そういう恩着せがましいのって心配してるいい親な自分に酔ってるだけですよ。鶴見が自分と同じものさしでものを見てると思って、押し付けて支配する。優しさを装った暴力ですよね、そういうのって」

 薄氷の如く、不安を掻き立てるような言葉を並べる。でも、これは譲れない。鶴見の親をいい親だなんて、僕は決して言いたくない。

 由比ヶ浜先輩は頬を打たれたような驚きを隠さない。

「え……? そ、そんなことないよ! それに、……その言い方はちょっと」

「そうかしら? 私も不本意ながら日木くんに同意なのだけれど」

「ん、まあ家の事情は色々あるだろ。あ、じゃあ撮っとくか? 俺の写真。スーパーレアだぞ。普通なら課金対象だぞ」

「いらない」

「……そうですか」

 師匠が話を逸らさなければ絶対、暗い方に進んでいたので感謝だ。それにしても、雪ノ下先輩と、本当に今回、意見が合うなぁ。

 師匠に真顔で即答した鶴見だったが、その真顔が不意に綻んだ。

「私の状況も今の嫌な感じも高校生くらいになれば変わるのかな……」

「少なくとも、今のままでいるつもりなら絶対に変われないわね」

 同意だった。

「けど、周りが変わることも充分あるからな。それまで無理して付き合う必要もないだろ」

 中学の時、カウンセラーの先生に言われたのにそっくりな文句だった。

「でも、留美ちゃんは今が辛いんだからそれをどうにかしないと……」

 由比ヶ浜先輩は気遣わしげに鶴見を見やる。すると鶴見はちょっと困ったような表情になる。お前にそんな顔する資格ないだろ、と思うが口にはしない。

「辛いっていうか……。ちょっと嫌だな。惨めっぽい。シカトされると自分が一番下なんだって感じる」

 鶴見の言葉に僕は確信する。

「そうか」

「嫌だけどさ。でも、もうどうしようもないし」

「なぜ?」

 雪ノ下先輩に問われ、鶴見はいくらか話しにくそうにするが、それでもきちんと言葉を紡ぐ。

「私、……見捨てちゃったし。もう仲良くできない。仲良くしてても、またいつこうな るかわかんないし。同じことになるなら、このままでいいかなって。惨めなのは、嫌だけど……」

 ――ああ、やっぱりだ。こいつはもう見限ったのだ。自分と世界を。

 自分が変われば世界が変わる。これは真理だ。が、そんなに容易いことではない。

 既にできあがってしまった自分への評価も既存の人間関係も容易くプラスには転じない。

 人が人を評価するのは加点方式でも減点方式でもない。

 固定概念と印象でしかものを見ない。

 人は現実がありのままに見えるわけではない。見たいと欲した現実しか見ようとはしない。けれども、小学生や中学生の中にだって。真実を、現実をありのまま見たいと願う人間はいるのだ。

 そりゃ、カーストの低い気持ち悪い奴が何か頑張ったところで「あいつ何頑張っちゃってんの? ぷーくすくす」と言われて終わるのがオチかもしれない。でも、そうじゃない可能性だってある。世界がそういう腐った奴らだけだったら、僕は生きていない。

 多少の変革じゃ、そりゃ変わらないかもしれない。だが、本気で変わろうとする者は絶対に報われる。

 その変革は義務じゃない。その変革をしなかった者を責める気はない。自分を持ち続ける、というのもある意味では正しい行為だ。

 でも、世界が変わらないから自分も変わらない。変わらない世界はクソだ。変わるなんていうのはそのクソみたいな世界に従うことでしかない。

 そんな風に思うのを僕は許せない。

 僕は酷い仕打ちにあってきた。そして、自分を変えてきた。その度に世界は変わって、クソだと思ってきた世界だけど最高だ、と思えるようになってきた。だが、どんなに変わっても僕の核は決して変わらない。

 だからこそ、変わることもなくこの最高な世界を見限って、自分が苦しんでいることを自分だったりこの最高な世界だったり、そういうもののせいにしてしまうのが許せない。変わり方を知らないだけで、上手に変わればどんな人でもこの世界は楽しめるし、全人類がしっかりと変われば、最弱は僕なのだ。っていうか、最弱の座はやすやすと渡さない。僕より優れてるくせに自分を見限るなんて、そんなのは僕への冒涜だ。

 世界が悪いんだから自分は変わらない。そんなのは強い言葉で武装して、自分の可能性すら潰す欺瞞にすぎない。

 ――それにさ、鶴見。お前だって、本当は世界が嫌いじゃないんだろ?

 そんな言葉と共に、ふつふつと胸の奥から湧き上がってくる怒りにも似た思い。

「惨めなのは嫌か」

 師匠が問う。それは、静かな、けれど師匠の大海のような深い怒りを感じられる声だった。

「……うん」

 ぐっと嗚咽を堪えるようにして鶴見は頷く。悔しいのか、それとも悲しいのか、今にも涙が零れ落ちそうだ。

「……肝試し、楽しいといいな」

 師匠はそう告げて立ち上がる。

 ああ、師匠の腹は既に決まっているらしい。

 けれど、結論は僕とは真逆のものだ。

 由比ヶ浜先輩が、去っていく師匠に声をかける。雪ノ下先輩は師匠の背中をただ、見つめるだけだった。

 僕も師匠の背中を見つめて――その上で、すぐに鶴見に視線を戻す。

 今回は師匠には従わない。

 弟子として、師匠の意思と争おう。

 将棋の世界では、弟子が師匠に勝つことを恩返しというらしい。

 なら、それに則って、僕が師匠に勝つことで恩返ししよう。

 僕は決意を固めその場を去った。

 けれど、行く先は師匠とは真逆だった。

 辛いものだ。前に省木と対立したときに似ている。

 あの時は、省木にまったく敵わなかったけれど、今の僕なら師匠に少しは敵うかもしれない。

 そうであってほしいと願いながら、僕は一歩を踏み出す。

 

  ×  ×  ×  ×

 

 師匠や省木のように論理的な作戦は立てられない。でも、弱者だからこそできる作戦を考えるのは得意だ。

 僕は、肝試しの準備をしながら師匠の考えた作戦を聞いていた。参加はしないが、だからと言って出て行くのも面倒だしな。

「う、うわー……」

 師匠が全てを話し終えると、由比ヶ浜先輩がドン引きしていた。由比ヶ浜先輩、あなたが恋したのは今あなたがドン引きしてる相手っすよ。雪ノ下先輩は極限まで細めた、ほとんど薄め状態で師匠を睨む。

「比企谷くん、性格悪いな……」

 決して人を悪く言わないであろう葉山先輩でさえこうだ。けれどもまぁ、そういう性格の悪さに慣れているここや一色はそこまで嫌な顔をしていなかった。ま、中学の時、ここまでじゃなくても性格悪いこと省木や僕がしてたからな。

 気になるとすれば、一色の師匠への目がどこか見定めるような視線に変わっていたところだ。

 戸塚先輩は感心したようにうんうんと頷いた。あぁ、なんかこの合宿で戸塚先輩と関わった記憶が少ないから忘れるところだった。

「八幡はよくいろんなこと思いつくね」

 雪ノ下先輩とかが言ったら確実に嫌味にしか聞こえないのだが、戸塚先輩が言うと完全に素にしか聞こえない。

「他に何か考えがあるわけでなし。……この際、しょうがないわね」

 雪ノ下先輩はしばらく悩んでいたようだが、消去法の末、決断したようだ。僕としてはその方法は最悪な方法すぎてやってほしくないのだが……。

 葉山先輩は浮かない顔をしている。

「……それだと、問題は解決しないんじゃないのか?」

 葉山先輩の指摘は師匠も分かっていたようだ。正解じゃない。間違いなんて重々承知。その上で師匠はこの作戦を提示したのだろう。だってこれは――

「でも、問題の解消はできる」

 ――問題の解消さえできればいい、と端から妥協している人が考える作戦だから。

 間違いじゃない。間違ってるかもしれないけれど、これはこれである意味正しいとも言えるのだ。

 人間関係に悩みを抱えるなら、それ自体を壊してしまえば悩む事はなくなる。負の連鎖ならもとから断ち切る。そういう考え方もあるにはある。逃げがダメだ、というつもりはない。

 でも、少なくとも鶴見は逃げちゃだめだ。

 鶴見留美という人間は今、いじめられているだけで立場が変われば確実に人を苦しめるタイプだ。

 雰囲気や誰かのせいにしていじめていた自分を庇い、シカトされることを惨めだと思う。自分が一番下だ、と考えて自戒することもない。簡単に世界を、自分を見限る。いや、簡単じゃなかったのかもしれない。でも同じだ。自分を見限れる人間は、仲間だってすぐ見限れる。

 結局のところ、鶴見留美は強者なのだ。いじめる立場にいれば、仲間を見限り、見下す。そのくせ気高さがない。ボス猿とまではいかなくとも、そういう側の人間になる。

 そんな人間は、ここで思い知るべきだ。苦しみ続けて。

 どんな理由であってもいじめからは逃げていい、だなんてことを他の奴が否定しないなら僕が否定しよう。

 そんな僕の考えはそっちのけで葉山先輩は師匠を見ていた。だが、ふっと破顔する。

「そういう考え方か……。彼女が、君を気にかける理由が少しわかったよ」

 彼女という言葉が誰を指しているのか、聞こうと思ったが葉山先輩はすぐに切り返してきた。

「OK。それで行こう。……ただし、俺はみんなが一致団結して対処する可能性に賭けて、だ。本性というのなら俺はそっちの本性を信じたい。根は良い子たちだと思うんだよ」

 葉山先輩の爽やかすぎる笑顔を前にして師匠は言葉を失ってしまう。同じ行動でも師匠と葉山先輩ではこうも違うのだ、と思う。

 でも、それと同時に思うのだ。

 何故鶴見が変わるという選択肢がないのだろう、と。

 新しい世界に行ったり、世界が変わることを願ったり。そんなのおかしいと思うのだ。鶴見が変わるという選択肢だってあっていいと思うのだ。

 今の彼女は立場が変われば加害者になる可能性も十二分にある少女だ。そんな奴に逃げる資格なんてないし、鶴見が変わらないまま、世界が変わるなんてそんなの鶴見が得をするだけだ。

 もし、それでも今の状況から変わりたいなら彼女自身が変わるしかない。そして、人が変わるには普通、何度も傷ついて、何度も苦しんで、自戒することで学ぶしかない。

 ――けれど、彼女は運が良かった。

 彼女は彼女の境遇とものすごく近しい人間と、今出会えた。変わるチャンスを得たのだ。

 それは即ち僕と出会ったこと。

 彼女は惨めなのは嫌だ、と言った。きっちり助けを求めたのだ。昨日今日出会っただけの他人の前で涙さえ流しながら。

 もう今の彼女は我が物顔で助けを待つ傲慢な人間じゃない。ならまだ変われる。彼女は不幸なんかじゃないのだから。魔法少女になる必要なんてないのだから。あとは、それに気づけばいい。もっと不幸な人間がいるのだ、ということに気づけばいいのだ。

 そのチャンスから逃げるのであれば。新しい世界に移住することを選ぶのであれば。

 その時、僕は鶴見を苦しめるために尽力しよう。苦しんでも、チャンスを与えてもらえない奴だってこの世にはたくさんいるのだ。その中で逃げる資格も、変革を待つ資格もないような鶴見がチャンスをもらえるのだ。その代償がいる。

 葉山先輩が皆が一致団結する未来に賭けるんだとしたら、僕は鶴見が変わる未来に賭ける。

「えー? あーし、超損じゃん」

「だべー。俺もきちーわー」

「葉山先輩、僕はやらせてもらいますよ! お二人も、やりましょうよ。葉山先輩も仰ってるんですし」

 ぶーぶー文句を言うボス猿と戸部先輩をまぁまぁと速水が宥めている間に、葉山先輩が師匠に言う。

「比企谷くんのアイデアに乗るよ。ディレクション頼む」

「……ああ」

 葉山先輩が嫌な役回りを応じたことに驚いたのだろう。師匠は少しだけ停止した。すぐに反応できるあたりは流石だ。

 僕はまだ、何もしない。

 ちょっと心が痛むが、これが弱者のやり方だ。

 僕は肝試しの衣装と称したコスプレの中から、作戦にちょうどいい物を選んだ。

 

 エンターティナーの本領、見せてやるよ。



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最後に鶴見留美は自分の道を勝ち取る。前編

 本当に誤字修正を毎回してくださる対艦ヘリ骸龍さんには感謝感激です。
 極力減らしていきますのでよろしくお願いします。

 ではどうぞ。


 肝試しも佳境だ。

 ルートを見回ってからスタート地点に戻ると、残っているのはあとニ、三グループという状態になっていた。

 小町とここが指名をして、また新たなグループが出発する。

 それを確認して、葉山先輩達が動きだした。

「じゃあ、比企谷くん。俺たち行くから、あとよろしく」

「了解」

 極めて簡素な業務連絡をなさった師匠は、葉山先輩達を見送り鶴見の番になるのを待つ。僕は師匠の付き人のような感覚で存在感を消している。ここのコスプレ(メイド服)が見たいからではなく、師匠の下にいれば作戦の情報が手に入るからだ。……ちなみにここのメイド服は可愛い。昼間、写真を撮らせてもらった。

 じりじりと篝火が燃え、灰が風に舞う。

 遠く、森の中からは小学生達の悲鳴とも歓声ともつかない絶叫が響いてきた。

 僕もそうだったな、と思う。

 いじめられていて、自分が被害者だと思っていて、けれど普通に肝試しを楽しんでいた。今の鶴見と同じように、立場が変われば確実に僕は加害者になっていた。いじめられていることを鼻にかけていたのだから。不幸な主人公、みたいな自分に酔っていた頃の自分。それは本当に今の鶴見に似ていて、だからこそ僕は彼女が変わる術も教えられる。

 互いに気遣って距離を置く。そんな鶴見と周りの人間との関わりを見ていると少し胸に靄がかかる。

 ここがポケットからスマホを取り出し、時間を確認した。小町と頷きあい、二人で合わせて言う。

「……はい! じゃあ、次はこっちのグループ!」

 残された二組のうち一組がわぁと騒ぐ。最後の一組は落胆とも安堵ともつかないため息を吐いた。

 小町とここ、戸塚に促され最後から二番目のグループが出発する。

 僕と師匠は彼らが出発したのを見てから、ひっそりとその場を離れた。

 目指すは山道の分岐点。カラーコーンで片方の道を塞いである場所だ。

 さっき見回ったのと同じ要領で、小学生達と鉢合わせしないよう、木立の間を抜けていく。夜露に濡れた葉が冷たい。暗くなれば暗くなるほど、夏だとは言え寒くなっているのを感じる。

 由比ヶ浜先輩のいる場所を素早く通り過ぎ、雪ノ下先輩の担当箇所もするっとすり抜ける。本来ならこんなことしてればお前は持ち場にいろ、といわれそうだが僕は師匠の補佐という役目を貰ったおかげで師匠について回れるのだ。

 最後の祠にほど近い、森を一周するコースと山道を登るコースとに分かれるポイントまでやってきた。

 軽く走ったせいで息が少し上がっている。それは師匠も同じようだ。呼吸を落ち着けて、潜む為に手近な木の下闇に身を隠す。

 最後から二番目の集団が通り過ぎた。騒がしい声が遠くへ消えていく。それを確認して僕はカラーコーンを移動させた。これは純粋に師匠に休んで頂くためだ。祠へと続く道を封鎖し、ゴールへと続いていない道を開け放った。

 山へと至る道には今回の作戦の鍵を握る葉山先輩達四人がたむろしている。そちらには師匠が行ってくださった。効率重視だ。彼らに出番だと伝えに行ったのだ。

 師匠が戻ってきたのを見て、僕は再び隠れる。

 一分、二分と時間を計りながら鶴見達のグループが来るのを待つ。そろそろ出発していい頃合いだ。

 夜が深まるたびに、森の闇は暗くなっていく。きっとここは今すぐ帰りたいと思っていることだろう。そう思いながら、そっと目を閉じ、耳を澄ます。ほーほーと梟の鳴き声が聞こえ、枝の揺れる音がする。

 その時、耳がピクリと反応した。

 複数人の声が聞こえてきた。弾むような声が近づいてくる。その中に鶴見の声はない。だが、彼女達が視認出来る距離までくると、鶴見の姿は確かにある。その集団の中で彼女だけが口を真一文字に引き結んでいた。

 それを今夜で終わらせたいなら、チャンスを逃すなよ。胸中で呟く。

 グループの先頭が分岐に差し掛かる。カラーコーンで塞がれた道を興味深そうに一瞥したが、足は道なりに進んでいく。グループの人間は疑うことなく後に続いた。

 僕達が充分な距離をとってから、気配を殺してついて行こうとしたとき、小声で師匠のお名前が呼ばれた。

「比企谷くん。状況は?」

 振り返ると雪ノ下先輩と由比ヶ浜先輩がいた。更にここや一色までも揃っている。鶴見達が最後のグループなので彼女達の仕事は終わったのだ。

「今、葉山たちのほうへ向っている。俺は見に行くけどお前らどうする?」

「当然行くわ」

「あたしも、行く」

「私達も、いきます」

「ですです」

 誰もが頷く。師匠はそれに頷き返し、ゆっくりと静かに移動を開始した。

 鶴見達のグループは暗闇の恐怖を追い払うように殊更大きな声で会話をする。終始お喋りに興じながら進んでいくと、誰かが「あ」と声を上げた。

 グループの前方に人影がある。

「あ、お兄さんたちだ」

 葉山先輩達を発見すると、小学生達は駆け寄っていった。

「超普通の格好してるー!」

「ださー!」

「この肝試し全然怖くないしー!」

「高校生なのに頭わるーい!」

 見知った顔が普段の姿でいることで緊張感が一気にとれたのだろう。これまでよりも尚一層くだけた感じで小学生は葉山先輩達に絡んでいく。それが罠だとも知らずに。

 近づいてくる小学生達を戸部先輩は乱暴に振り払った。そして、低く攻撃的な声で吠える。

「あ? お前、何タメグチ聞いてんだよ?」

「ちょっと、あんたらチョーシのってんじゃないの? 別にあーしら、あんたたちの友達じゃないんだけど?」

 刹那、小学生達の動きが停止する。

「え……」

 何を言われてるか理解するために、必死で考えを巡らせる。だが、その間さえ与えずにボス猿は続けた。

「つーかさー、なんかさっき超バカにした奴いるよねー? あれ言ったの誰?」

 問うたところで誰も答えられない。ただお互いの顔を見合わせるだけだ。やべぇな、ボス猿、マジぱない。……三浦先輩って呼んでやってもいいかもな。自分のためじゃないのにここまでやってくれるなら。ちょい見直したわ。

 少女らの様子に苛立ったように三浦先輩が舌打ちをする。そんな三浦先輩の舌打ちに突き動かされるかのように速水が言う。

「誰が言ったかって聞いてるんだよ。答えた方が身のためだぞ? 悪いけど、俺、先輩の言う事ならお前らのことどうとでもするからな」

「ごめんなさい……」

 グループの誰かが弱々しい声で謝った。

 だが、三浦先輩はそれでも尚、不機嫌そうな顔をする。速水はわざとなのだろう。ため息を吐いて、困ったように一言告げる。

「聞こえないんだよ。謝るなら、もっと大声で言えよ、まったく」

「舐めてんのか? あ? おい」

 戸部先輩と速水が睨み付けると小学生達は後ずさる。だが、その背後には三浦先輩がいる。

「戸部、速水。やっちゃえ! ここで礼儀を教えとくのもあーしらの仕事でしょ」

 逃げることも許されず、小学生達はじりじりと追い詰められていく。気づけば、葉山先輩、三浦先輩、戸部先輩、速水先輩の四角形に囲まれていた。

 直接的な粗暴さを醸し出す戸部先輩。

 理性的ながらも先輩の命令には確実に従うのだろうという雰囲気を出す速水。

 言葉の一つ一つに鋭利な棘を仕込み追い込んでいく三浦先輩。

 そして、黙って冷たい視線を投げかけ続ける得体の知れない怖さを出す葉山先輩。

 さっきまではしゃいでいたからこそこの落差はきつい。これは僕だってちょっと怖い。はしゃいでいた過去の自分の愚かさを思い知り、ぶん殴ってやりたい気分だろう。今彼女らはどん底にいるのだ。

 こきこきっと戸部先輩が派手に指を鳴らしてから拳を握った。速水も嫌そうながら、首を回す。

「葉山さん、こいつやっちゃっていいっすか? ボコっていいっすか?」

 名前を呼ばれて、小学生達も一斉に葉山先輩を見る。一番優しかったこの人ならば助けてくれるんじゃないか、柔らかい笑顔でとりなしてくれるのではないか。そんな期待がうっすらと湧き上がってくる。

 だが、葉山先輩は皮肉げに口の端を吊り上げ、打ち合わせ通りの台詞を口にした。

「こうしよう。半分は見逃してやる。あとの半分はここに残れ。誰が残るか、自分たちで決めていいぞ」

 残酷なまでの冷たい響きを声に乗せて、そう言った。

 水を打ったような静けさの中で、小学生達は互いに顔を見合わせる。無言の内にどうするか目配せだけで窺っていた。

「……すいませんでした」

 今度はさっきよりもなおしおらしく、ほどんど涙声で誰かが言った。

 だが、それでも葉山先輩は手を緩めない。

「謝ってほしいんじゃない。半分残れって言ったんだ。……選べよ」

 冷たい言葉が響く度、びくっと肩を震わせる。

「ねぇ、聞こえなかったの? それとも聞こえてて無視してんの?」

「早くしてくれよ。そうしないと全員残ることになるぞ? できれば、少ない方が良いんだけどな」

 三浦先輩が追い詰めれば、陰鬱そうな声で速水がぼやく。別のベクトルの恐怖を生じさせる速水のことも、少し見直す。……普通に怖い。

「……鶴見、あんた残りなさいよ……」

「……そう、そうだよ」

「…………」

 小声で囁き合い、生贄を決める。鶴見は無言のまま是とも否とも言わない。彼女自身半ば予想していたのだろう。師匠もこれは想定内だ。

 計画通りになっているのなら、こちらも計画通りに動くだけだ。

「これなら大丈夫そうですね。もう、帰ります」

「ここまで来て帰るの?」

「まぁ。ちょっともう眠いっす」

「そう。ならいいけれど」

 怪しむような雪ノ下先輩の視線を潜り抜けて、僕は静かに静かに帰る――フリをする。

 鶴見が押し出されるようにして前に出ると、葉山先輩は一瞬、苦々しい表情になったが、すぐに冷たい仮面を被り直した。

「一人決まったか。さぁ、あと二人だ。早くしろ」

 まだあと二人。一人選んでもまだ一人選ばなくてはならない。誰が悪いのか、罪咎を負うべきは誰なのか、魔女裁判が始まる。

 ああ、本当に醜い。

 葉山先輩の三〇秒のカウント。その間に彼女達は葛藤し、そして、いつの間にか〝みんな〟が登場する。

 僕は〝みんな〟が嫌いだ。どんな人間も僕より優れている、意思をもった人間であるはずなのに個人であることを放棄して〝みんな〟なんて有象無象の衆になる。そのことが許せない。

 〝みんな〟の暴力によって由香という少女が二人目の犠牲になった。

 本当に恐ろしい。〝みんな〟という化物は誰にでも食らいつく。

 かつては彼も、彼女も僕もその被害者だった。

 でも僕は恨む事はできない。

 有象無象の衆を一人一人解剖して見てみると素敵な人ばっかりだから。僕より優れている人ばかりだから。

 だから、嫌いだしもったいないとは思うけれど〝みんな〟を恨めない。

 そして、ある日ふと思ったのだ。

 ――〝みんな〟自体は悪くないのだ、と。

 悪いのは〝みんな〟が化物になることなのだ。〝みんな〟を救世主にできないことなのだ。

 だからこそ、僕はチャンスを与える。

 師匠が恨んでいるであろう〝みんな〟を武器に。



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最後に鶴見留美は自分の道を勝ち取る。後編

次の話で四巻は最後です。
五巻に関してなのですが、ここは飛ばしてもいいかな、と思っています。
というのも日木はそもそも
・あまり積極的に外に行くタイプではない
・家から追い出すような妹がいない
 のに加えてここがバイトやらレッスンやらに追われているためほとんど描写がなくなるからです。
 ですので、六巻に行ってしまって話のなかで五巻についてちょっと語る程度を予定しています。

 それでは、どうぞ。


 だからこそ、僕はチャンスを与える。

 師匠が恨んでいるであろう〝みんな〟を武器に。

 

「下手な芝居はもうやめにしてくださいよ。そいつらが一致団結? こんな方法じゃ無理ですって。ってか見る人が見たらわかりますから、仕込みだって」

 

 空虚な空気を切り裂くように響いたのは、僕の声だった。肩にいつも通り巾着をかけてはいるので親しい人ならすぐわかるだろうが、オペラとかで使われるような目だけの仮面をつけているため、一度や二度ボランティアで見かけた、くらいの小学生達からすれば誰かわからないだろう。

 存在が不確かな相手は、余計に恐ろしくなる。

 更に、それまで怖かった葉山先輩達も皆、一様に動揺している。これにより、少女達に僅かな安堵を与えるからこそ、恐ろしいのだ。

「……なんだよ」

「なんだよ、じゃないですよ先輩。()こいつらのこと、殺したいんですよね。嘘吐いて適当ぶっこいて、いじめたりいじめられたりして、気持ち悪いったらありゃしない。その上、俺が割かし楽しみにしてた合宿をふいにしてんだよ、こいつら。だから、俺がマジでやる。邪魔しないで、ください」

 葉山先輩が真意を探ろうとしてくる。でも、探らせない。そのための仮面なのだ。格上のとの勝負だ、と分かっているからこそ汚い手段を平気で使う。

「ちょ、日木クン? なにやっちゃってんの」

「うっせぇなぁッ!」

 刹那、極限まで音を抑えた砲撃がなされる。エアガンだ。省木がそういうのが好き、という話を聞いてから、バイトができるようになってすぐに買った、お守りみたいな銃だった。

 性能は悪い。でも、これを撃って心を落ち着かせる時があったから、割かしうまく撃てる。まあ、あいつとは比べられないけど。でも、この場においては武器は何より恐怖を掻きたてる。

「は? マジなわけ? あんた、あたまおかしいんじゃないの?」

 三浦先輩が本気で動揺する。状況を理解できておらず、師匠達がいる方や葉山先輩の方を見る。

 それがまた、少女達の恐怖を掻きたてる。

 さっきまで怖かったのは仕込みだった。よかった。でも、今度はマジな方の人がきた。しかも、その人は全員を殺す、と言ってる。

 状況は最悪だ。少女達の恐怖はもはや、最高値に達する。

 これこそが強者のやり方を利用して反逆する弱者のやり方だ。

 鶴見は首から下げたデジカメをぎゅっとお守りのように握っていた。……ほーん、なるほどね。それはさせねぇよ。

 咄嗟に鶴見の元まで走り、手早く巾着で鶴見の手をはたいて、デジカメを没収する。これのフラッシュで助かる作戦だったのだろうが、そうはさせない。チャンスを与えてやるんだ。まずはそこまで待て。

「悪いけど、逃がさない。先輩達相手だとしても、止まらないですし。それに、さっき知り合いに頼んだんでそこの小学生達の情報はいつでも拡散できるようになってます。先輩達が下手に動けば即、拡散です」

 もちろん嘘八百だ。そんなことやったら確実に罪だしな。ここがいる以上、刑務所に入るわけにはいかない。

 しかしこの状況。僕の言葉が確実に嘘だと言えない状況では誰も動けない。僕が本気で殺さない限り。口もとを高く吊り上げ、僕は小学生達に問う。

「死にたく、ないよな? 人生棒に振りたくないよな?」

「は、はい……」

 誰かが掠れた声で言う。もう、涙さえ出ないほどに彼女らは怯えている。そりゃそうだ。エアガンだとしても当たれば痛い。高校生相手となれば、エアガンや得体の知れない巾着を持ってる時点で死を感じるのが普通だ。

「そうかそうか。でも、俺はお前らを殺したい。俺は嘘が大嫌いなんだ。だからな、一つゲームをしよう。今から、俺がいいって言うまで、お前らの中の誰かに言いたい本音を言え。お前らの中でなら、誰に対して言ってもいい。もちろん、全員に対してでも可だ。あ、言っとくけどありがちなことを言ったって無駄だからな。俺は嘘を見抜くのは得意なんだわ」

 ぐるん、ぐるんと巾着を回すとがちゃがちゃと音がする。金属音。それが凶器でも入っているのだと思わせる。

 実際は、巾着を血で汚すなんてありえないからしないけどな。

 だが、これで空気はコントロールできた。

 自分達の保身の為なら『犠牲を作ってもしょうがない』という空気を作った彼女らだ。保身のために『本音を言ってもしょうがない』という空気を作れないはずはない。

 すると、誰からともなくぽつり、ぽつりと本音を言い始めた。

 最初は普段の生活への小さな不満。けれどそれで僕が納得しないのを見ると彼女らはついに、それ以上の深い本音を言い始めた。

 言い始めれば止まらない。本音を言う空気が出来たその状態では、もう、誰一人として嘘を吐かなくなっていた。

 しばらく経ち、全員が本音を満足の行く限り言った。鶴見が文句を言ったことで口喧嘩やばりばりの殴りあいも起きたが、僕がそれを止めようとする先輩達を制した。これでいいのだ、と目で語ったのだ。

「ふっ、最後だ。そこの黒髪ロング。お前だけ一つ、言ってないことがあるだろ?」

 鶴見に対して言う。すると、全員、彼女に注目した。

 喧嘩したせいで少しだけ赤くなった頬。ぼさぼさな髪。汚れた服。泣きじゃくった顔。それは美しいとは決して言えないけれども、しかし僕はそれを嫌いにはなれない。むしろ人間臭くてウェルカムだ。

「えと……」

 嗚咽を漏らしながら、戸惑う鶴見。

 それでいい。しっかり選べ。これがチャンスだ。

 このチャンスを棒に振るならお前に未来はない。ここで潰す。そのためなら、法だって犯せる。何故ならそうしないと、きっと後悔してここに迷惑をかけるからだ。

 でもきっと、彼女なら違えない気がした。これだけ人間臭くなれる彼女なら違えるはずはない、と信じていた。そして――

「えと、その……みんなと友達になりたい。私がしてきたこと、他の子にも謝って全部やり直したい」

 ――彼女はチャンスを掴んだ。

「なにそれ。こんなにいじめたのに友達になりたいの?」

「留美ちゃんっておかしー」

「だよね! でも、許してくれるんだ……」

「許してくれるなら私達も友達なりたいよ!」

 綺麗事にも聞こえる言葉。でも、本音を言う空気の中で、現代っ子にはそぐわない汚れた服を着ながら笑いあう彼女らを偽物だと罵ることは僕にはできない。

「ふぅ、合格だ。やっと分かり合えたじゃん、お前ら。威力弱いエアガンまで使って、ドッキリした甲斐があったわ」

 最後までネタばらしをする気がなかった僕だが、ついネタばらしをしてしまった。突然の告白に、驚く小学生達。なんだかその顔もさっきより幼くて人間らしい。子供が大人ぶってる、という感じがなくて自然だ。

「お兄さんも仕込みなんですか?」

「そーいうことだわな。一応、先生にも報告してあるから、今から帰っても特にお咎めはねぇだろうからな。ほら、帰り道はあっちだから気をつけて帰れよ。新しい友達五人で、な」

 にしし、と悪戯っ子のように笑うと小学生達は満面の笑みになりながらぺこりとお辞儀をして「ありがとうございました」と間延びした声でお礼をしてきた。ふむ、結果的には三浦先輩が言ったように礼儀も教えることができたみたいだ。

「ほれ、このカメラな。帰り道とか明日とか、残ってる時間でたくさん思い出作れよ」

 鶴見の頭を撫でながら僕はデジカメを返した。なんか僕には似合わないキャラだなぁ、この感じ。ま、今日だけってことでいっか。

「じゃーなぁ」

 大きく手を振って五人を見送る。その間、そこにいた中高校生は完全にフリーズしていた。今回に関しちゃここにも言ってなかったからな。どう転ぶかイマイチわからなかったし。

「……お前、どうやったんだよ」

 近づいてきた師匠が開口一番、不思議そうに言う。そこに悔しそう、という感じはない。ただ理解なさっていないという感じのようだ。なんだか師匠に勝ったみたいで心地いい。それ以上に、鶴見が無事、僕みたいに変われたことへの嬉しさでいっぱいだ。

 そのせいで答える声が少し大きくなってしまった。

「簡単です。鶴見が変わったんですよ」

「変わった、ねぇ。変わってよかったのか? 変わって何かを失っちまうことだってあるんじゃないのか? そんなの偽物だろ」

 今度は納得いかなそうな顔で師匠が仰る。

 でも、その質問に対する答えは最初から用意していた。変わること。それが大切なものを失ってしまうことなら、それは偽物だし欺瞞だ。

 だが僕は思う。変わった程度で失ってしまうものは大切なんかじゃないのだ、と。

「何度変わっても、それでも変わらないもの。それが本物なんじゃ、ないですかね。少なくとも僕の中での本物ってそうなんですよ」

「なるほど、なぁ」

 師匠はどこかぼんやりとした表情で虚空を見つめた。おそらく、師匠が望む結末ではなかったのだろう。

 もしかしたら他の人が望む結末ではなかったのかもしれない。そう思って僕は振り返った。

 ここは暗さに怯えながらもサムズアップしてくれた。よく頑張ったね、という声が今にも聞こえそうだ。

 一色は何が面白かったのか一生懸命笑いを堪えていた。こいつ、僕にはほんと遠慮ないんだなぁ。

 戸部先輩も三浦先輩も別段不快そうではない。「ぱねー」とか「戸部うるさい」とか言ってるのはいつも通りな光景なのだと思う。

 雪ノ下先輩はどこか切なそうな顔をしている。それは過去を惜しむような、そんな顔だった。同じ経験をしている僕であるけれど、彼女が何を考えているのかは僕には計り知れない。

 由比ヶ浜先輩と葉山先輩はどこか嬉しそうだった。理由は分かっている。本当は。鶴見達が仲がよかったからだ。ある意味、葉山先輩の賭けは間違いじゃなかったわけだ。

 見ていると、これでよかったような気もしてくる。

 間違っていたのかもしれない。でも、今はほんわかした気持ちがポジティブにさせてくれた。

 

  ×  ×  ×  ×

  

 あまりに眠たくて、今日は休んでいいと言われたこともあり、僕は早急に眠ることにした。布団を用意して、眠る準備をする。

 でも、そうすると逆に眠れなくて落ち着かなかった。外で行われているキャンプファイアーの音がここまで聞こえてくる。昔は忌み嫌ったキャンプファイアー。それも、きっとこことなら楽しかったのだろう、と僕はぼんやり思う。

 ここや省木がいてくれたおかげで僕の人生は大きく変わった。

 僕自身も変わった。ここや省木と関わるために色んなものを捨てて、色んなものを得た。それでも変わらない本物。それは一体なんなのだろう、と僕は思った。

 僕の核は過去だ。でも過去は過去、事実でしかないのだからそりゃ変わるはずはない。本物というのは変わるのに変わらなかったものだ。

 そう考えた時に僕の中で変わっていないものは誰かの救世主になりたい、という気持ちなのだと気づいた。

 ここの救世主に。省木の救世主に。

 そんな中で今回のことがあったのだ。けれど、今回の場合、僕は鶴見の救世主になりたかったわけではないのだ。

 僕は本気で鶴見はダメだと思っていた。鶴見はいじめられて当然。これからもずっとそうしているべきだ、とさえ思っていた。それは変わらない。けれど、僕は何かを救いたかった。それは感覚的に残っていた。

 僕は一体何を救いたかったのか。

 わざわざあそこまで嫌われるように仕向け、小学校の先生に時間を見て頼み込んで。そこまでして少女達の時間を貰って、僕は何を救いたかったのか。

『ありがとね。おやすみ』

 スマホが振動し、そんなここからのメールを表示した。と、同時に気づく。

 無意識すぎて気づかなかったけれど、どうやら僕は鶴見とここを重ねていたようだ。

 小学生の頃、孤立していたというここ。そんなここと鶴見が酷く僕の中で重なっていたのだ。

「ははっ」

 つい、笑みがこぼれた。

 結局、男の子っていうのは変わらないんだと思った。

 好きな子のためにならなんでもできちゃう。そんな自分が僕はまた一つ大好きになった。



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そして、比企谷八幡は去っていく。

 帰りの車内は静かなものだった。

 後部座席は全滅。師匠も含め、出発から三〇分もしないうちに全員寝オチするという、車での旅行にありがちな状況だった。

 僕は、というとまたしてもここの隣になることができなかった。別に行きと帰りで席を変える必要もないよね、という空気が出来上がってしまったせいで、僕はここの隣ではなく平塚先生の隣になったのだ。

 昨日、早々に寝たこともあって僕の目は冴えきっている。

 高速道路は空いていた。僕達学生は夏休みだからいまいち実感がないが、世の中的には平日だ。まだお盆前だし、千葉市内へ向かう道に混雑する要素は特にない。

 二、三時間もすれば着いてしまうだろう。

「解散は学校の予定だがいいかね? さすがに一人一人家まで送るのはちょっと骨が折れるのだが」

 ちょうど平塚先生も帰り道の算段をつけていたようで、そんなことを訊いてくる。

「いいんじゃないですかね」

 僕が答えるとうむと頷いた。平塚先生もお疲れだろうし、なるべく早く解放してあげないと可哀想だ。

 平塚先生は正面を向いたまま、そっと口を開いた。

「君はすごいな。やらない、と言っていたのに結局は救ってしまう」

 教師陣を説得するために事の顛末を話したので、平塚先生は僕が何をしたのかよく知っている。鶴見留美の一件について言及していることは明白だ。

「まぁ、まだ僕は鶴見が嫌いなままですけど」

「嫌い? それなのに、あの子のためにあれだけのことをしたのか? それはさすがに、無理があると思うがね?」

「いや、無理なんてありません。僕はあいつが嫌いです。きっと、それは同属嫌悪みたいですよ。僕があいつのことを嫌うのは過去の僕があいつに似ていたから。そして、きっとここや雪ノ下先輩にも」

「なるほどな。鶴見を救ったつもりじゃないということか」

「まぁ、そんな感じです。それと、他に言えるとしたらどんなに嫌いな奴が相手だとしても僕は僕が楽しいと思ったものを相手に楽しんでもらわずにはいられない性格なんですよ」

 それがエンターティナー気質に繋がるものだ、と僕は自覚している。

 平塚先生は心底不思議そうな顔をした。

「楽しいと思ったもの?」

「はい。今回の場合は人生、ですね」

「人生が楽しい……はて、君はそんなことを言う奴だったか?」

「言う奴ですよ、知りませんでしたか? 僕はこう見えて、人生が大好きなんです。むしろ、全人類が大好きですね。その中で、ここが断トツですけど」

 振り返ると、ここが気持ちよさそうな屈託のない寝顔を見せてくれた。バイトやらレッスンやらで疲れているのだろう。そんな中でも無理してこの合宿に付き合ってくれたんだから、ここは本当にいい嫁だ。

「君はリア充を嫌っていたんじゃないのか? 葉山とか」

「まあ、嫌ってますけどね。ほら、よく言うじゃないですか。嫌い嫌いは好きの内って。それですよ、それ。大っ嫌いですけど、でもまあ、ああいうリア充にも意思があって人生があると思うと、悪くないです」

「なるほどなぁ……君の事を、私は勘違いしていたよ」

 感心するように平塚先生がぼやく。

 そうして、きっと平塚先生は僕に対する認識を改める。それが、『知る』という行為なのだと思う。或いは『識る』でもいいけれど、僕は簡素な『知る』の方がいい。

 人が人を評価するのは加点方式でも減点方式でもない。

 固定概念と印象でしかものを見ないのだ。

 故に『知る』ことで固定概念を、印象を塗り替える。変わる、というのはその『知る』を促すことなのだ。

 知ってもらうために、心のうちを明かす。興味を持ってもらえるように努力する。傷つくことを恐れず一歩踏み出す。

 そうすることで、人は『知る』ことを促し、変わる。だからこそ、僕は不登校児が嫌いなのだ。まあ、作文には恥ずかしくて書けなかったけれど。僕は他人を『知る』ことを臨む。でも、不登校児は『知る』ことを促さない。『知られる』ことを拒む。それなのに、社会は自分を分かってくれないだのとのたまう。逃げ続ける。

 だから嫌いなのだ。

「今回も君の勝ちだなぁ……まったく、本当に勝負にならなくて困る」

「そうですかね? 今回に関しちゃ、僕も勝ってないですよ。僕があの状況に持ち込めたのは師匠のおかげですし」

「ふむ、まあ一理あるな」

「それに、僕は審判ですからね。勝ち負けには関与しませんよ。ま、そんな審判の目から見るなら、師匠の勝ちじゃないですかね。これは贔屓目じゃなく」

 実際師匠が動かなければ雪ノ下先輩も由比ヶ浜先輩も何も出来ていないと思う。現に、一色は師匠の事を少し見直したようだし。

「それは、同意だ。が、まあ彼はサボろうとした。それで、足し引きゼロだな」

「ひどいっすね……師匠に連絡行ってなかったわけですし、今回はしょうがないと思いますけど」

「あいつは、連絡行っててもサボろうとしただろうな」

「確かに」

 でも、そういうところが師匠のよさなのだろう、と思う。

 仕事をサボれない人間は痛い目を見る。かつての僕や省木がそうだ。

 だからサボれないよりはサボる方がいい。その上でやる時はマジでやる。そういう師匠のスタンスは勤め人として優れている。

「ま、君に免じて今回は彼の勝ちにしておくか。実際、仕事は真面目にやってくれたしな」

「そうですか」

 別に勝負がどうなろうと僕には関係ない。おそらく師匠が圧勝するだろうけれど、そんなことしなくたって師匠が優れているのはわかりきっていることなのだから。

 そんなことを話して、最終的にアニメの話なんかもして、学校に着いた。

 

  ×  ×  ×  ×

 

 ここの体を優しく揺すった。

「ここ。着いたよ、起きて」

「ん……」

 ここは、まるで王子様のキスによって目覚めた白雪姫のように目をこすりながらゆっくり体を起こす。やばい、可愛すぎる。王子様に僕以外がなることは許さない。

 余程疲れていたのだろう。ここは完全に熟睡していた。

 ここを起こして振り向くと、道路では各々が伸びをしたり、ふあと欠伸を漏らしたりしている。

 ワンボックスカーから荷物を下ろし、とろとろと帰る支度をする。アスファルトの照り返しがうだるように暑い。

 全員に忘れない物がないかチェックをし、気分的に何となく整列した。平塚先生はそれを満足げに眺める。

「みんな、ご苦労だったな。家に帰るまでが合宿だ。帰りも気をつけるように。では解散」

 何故かドヤ顔だった。たぶん、出発する前から最後はこれで締めようと思ってたんだろうな……。

 不意に師匠の方を見る、と師匠は僕のことを力強く睨んでいた。

「師匠?」

 問うけれど師匠は何も答えない。その代わり、眼力が寄り強くなる。

 腐ったその目が露わにしたのは紛れもない嫌悪だった。

「別になんでもねぇよ。じゃあな」

 師匠は吐き捨てて、小町と共に去っていった。

 嫌な予感。それはもう、紛れもなく僕の胸のうちにあった。あれは。あの目は。省木が僕から離れていく時にしていた目だったから。

 

 その夏休み。僕と師匠が再び会う事は、なかった。



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五巻分
予期せず、葉山隼人は報せる。


 夏休み。

 それは、長く、そして短い。

 長いのは当然のことで、こと学生の夏休みは一年の十二分の一を占める。予備校なんかが「夏休みに友達の差をつけよう!」みたいに謳うことから考えて、その長さは凄まじいものだ。もし社会人になった、一か月ほどの休みをもらおうとすれば、たとえ育児や介護みたいな理由でも、職場にいづらくなって、やめることになると聞く。そんなブラックな現状に思いを馳せれば馳せるほど、その長さは異様とも言える気がした。

 一方で、短い。それはもう、驚くべき程に短い。

 そも、僕たち学生にとって休みというのはいくらあっても飽きることはないし、いくらでも必要だ。自分磨きするにしても、人脈を広げるにしても、ほぼ確実に休日を消費する。先日も、趣味でコツコツ練習していた簿記の試験があったせいで、休みを半日潰してしまった。お金だって効率よく稼げないから、必然的にバイトで安い時給を貰うしかなくなる。時間を消費し続ける俺たちにとって、夏休み一か月とは短すぎる。

 だから、そんな短い夏休みのとある一日の朝、初めて目にしたものが『それ』であったとき、俺のテンションは下がった。

 『それ』は、一通のメッセージだった。いつもの奉仕部グループラインであれば、きっと俺のテンションは朝から最高だった。師匠と話すことができれば尚のことだろう。

 ――けれど、師匠とはあの日以来、会えていない。

 そもそも師匠とは、休みの日に会うような関係ではなかった。

 いや、よく考えれば僕は、師匠の弟子になんてなれていなかったのかもしれない。今になって思うのだ。

 比企谷八幡。

 彼のことを、僕は本当によく見ていたのだろうか。

 そんなことを考えていたせいからなのか、それともそうでなく僕の元々の顔のせいなのかは分からないが、父親が怪訝な目で僕を見つめていた。

「どうした?」

「あ、ああいや。何でもない。変な顔をしていたからな」

 尋ねるほどのことではなかった、か。冴えない顔をしながら父親はたばこに火をつけた。僕はその仕草に自然とムッとしてしまう。

 たばこは嫌いだ。特にそこには理由がなくて、科学的根拠とかそういうクソ真面目な理由で嫌っているわけではない。とにかく嫌いで、脊髄反射的にムッとしてしまう。そんな風に、理由も根拠もなく好きになったり、嫌いになったり。そういうことが、僕の人生にはありふれていたように思えた。

 そういう意味では、このメッセージの差出人もそうなのかもしれない。

 葉山隼人。二年F組、サッカー部。リア充。トップカースト。

 そういう表面的な、ステータス的なことだけは知っている。けれど、その根底にある『彼』については、まだ分からずにいる。小学校の頃も、彼との関わりはあった。なんなら中学も、彼とは同じだった。家族ぐるみでの付き合い、というほどの付き合いではないにしても、それなりに昔から関わってきた。過去のことを思えば、僕は彼が嫌いだし、恨んでいる。

 一方で、きっと僕と彼は似ているようにも思える。

 僕は、あるいは彼は。共にお姉さまに――雪ノ下陽乃の興味の対象になれない側の人間だ。言ってみれば『つまらない人間』で、そんなことを彼女は普段は口にしないけれど、僕も彼もそのことを理解しているのだ。

 僕は本物を持っている。こことの関係、それは本物と言えるはずだ。しかし、そのことを彼女は認めていない。彼女のお眼鏡にかなうほどの本物を、僕はまだ手にできていない。本物が何たるかという定義に於いて、僕は彼女と大きな相違を抱えている。

 彼の場合は、きっと本物など目指してはいないのだろう。偽物を貫いて、貫きづつけて。いつかそれが本物と変わる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。そんなことは関係なく、彼は偽物であり続ける。

 結局のところ、僕も彼もいつまでも偽物なのだ。

 そう考えると、やはり僕は彼と似ている。お姉さまによって人生が揺さぶられたことも含めて、大きな共通点をている。

 だからだろう。そのメッセージに即答できない。

 

『いつでもいい。夏休みの間に会わないか?』

 

 何故彼がこんなことを言ってきているのか、分からない。葉山先輩らしくない行動すぎると思うのだ。

 過去のことについて、僕も雪ノ下先輩も葉山先輩も、もう触れてはならないと決めている。この前の合宿ではその暗黙の了解を破ってしまったけれど、それは同じことを繰り返そうとした葉山先輩のせいだし、それ以外では触れてはならないという暗黙の了解は確かなものだった。

 これまで、過去のことについて触れたことはなかったはずだ。常に前を向く、なんて言うと聞こえがいいけれどもそうではなく、純粋にあの過去は誰にとっても不幸なものだから忌避しているだけではある。でも、忌避してきたのなら、今更、改めて突き付けることなんてないはずなのだ。

 なのに、葉山先輩は送ってきた。

 葉山隼人としてのメッセージでは決してないと思う。だって、俺と葉山先輩との繋がりは対外的には先日の合宿だけ。それなのに貴重な夏休みのひとときを俺に費やすなんて、おかしいと不自然だ。

 

『どうしてですか』

 

 もう、考えるのも面倒だった。

 そもそも、葉山先輩に思考リソースを割いてやるというのがなんだか気に食わない。相手が何を考えていようと、僕は分かってないフリをしてニコニコと笑って対応すればいい。ぼっちではあるけれど、そういうスキルは分かっているし、容易くこなせる。

 しばらくして、またスマートフォンが震えた。

 画面を見ると、それはメッセージの受信ではなく、着信を伝えていた。おそらく葉山先輩だ。確かにメッセージでのやり取りは時間がかかるし、相手への意思伝達を確実にできるわけじゃないから面倒臭い。だからって、いきなり電話かけてくるかね、普通。

 舌打ちして、僕は電話に出た。

「えー、お掛けになった電話番号は現在使われておりません」

『これ、ラインだから』

「ちっ」

 さりげなく、そつのない笑みを交えたツッコミにイライラが募る。

 たばこをわけもなく嫌いになったり、飴をかみ砕くときの音を意味もなく好きになったりするみたいに、言葉にしにい苛立ちだった。

「で、なんですか」

『口で伝えた方が早いと思ってさ』

「いや、それは分かってますよ。そうじゃなくて、理由です。どうして僕を誘うんですか」

『いきなり本題を聞くあたり、君らしいな』

 すかした声は、まぁ別に嫌いじゃない。そういう風な声を出していたところで、それが百パーセント悪いと思うほど子供ではない。

 僕はなんとなく、ベッドの下にある中学の時の卒業文集を手に取った。

 その、僕が書いたページを開きながら会話を続ける。

「僕は過去のことを振り返りたいとは思いません。未来、あなたと関わりたいという思いもありません。今、あなたを認知していることが嫌です。葉山隼人が嫌いなだけじゃない、僕はあなたが嫌いだ」

『……随分と嫌われているんだな』

「それはあなたも、でしょう。あなただって僕のことは嫌いなはずです」

『いやそうでもないさ。君も僕も同類だろう』

 そういうことを言うのは、本当にらしくなかった。葉山先輩がそんなことを喋っていると思うと、そのことが僕にとっては浅ましいことに思えた。それ以上喋るな、と言いそうになる。

『それに今日電話したのは君に関わることでも、俺に関わることでもない』

「はぁ、じゃあなんの話ですか」

 雑に言い返して、刹那、後悔する。

 これは予感だ。それを聞けば、たちまち僕の中の何かが崩れる予感だ。

『彼らのことだよ』

 そして、案の定、止めることすら叶わず、葉山先輩は口にした。

 僕の中の何かが、崩れた。

 

 きーんという耳鳴りがする。

 もわもわと、せり上がってくる体温が本当の夏の始まりを報せていた。

 



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