戦姫絶唱シンフォギアASH (がめちょん)
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第一話  半天の月、咲き立つ花

アダムとの戦いから数か月。
新年を迎えた装者たちは、束の間の平和を謳歌していた。
そんなある日、S.O.N.G本部へと米軍基地より救援の要請が入る。
ヘリに搭乗し現場へ急行した装者たちは、アルカ・ノイズを一掃する。が、そこへ識別不明機より降り立った装者が現れる。
その装者とは――


序章

 

 夜の闇を切り裂くように、一機のヘリが空を駆けて行く。

眼下に広がる街は、燃える様に煌々と輝きを放っている。

――いや、事実としてそれは、燃え盛る炎の色だった。

 方々から上がった火の手は、意思を持った様に線となって軌跡を描き、一点の開けた土地に収束しているかの様に見える。

そのヘリはその上空を、収束地点へ向けて飛行していた。

 

「警告。貴機は当基地の領空を侵犯している。速やかに退去せよ」

 

 無線から聞こえる警告は何度目だろうか。

次第にその言葉は強い意味を持ち、その声音もまた緊張感を増しつつある。

 

「これ以上進むのは危険です。威嚇では済みません」

 

 パイロットは必死に危険を訴えている。その言葉は決して大袈裟なものではなく、現実として充分考えられる事であった。

米軍保有の施設の上を飛行しようと言うのだ。迎撃されても何もおかしな事はない。

 

「頃合いか」

 

 無線越しの声はポツリと呟いた。

パイロットの顔に、僅かばかりの安堵が浮かぶ。

 

「彼奴等は既に戦端を開いておる……分かって居ろうな」

 

 無線越しのその声は、パイロットに向けられたものではなかった。

後方の座席。そこに、フードを目深に被った人物がいた。

全身を覆う外套によって、その姿形まではわからないが、とても小柄なその体躯は少女のそれのように見える。

 言葉は発さず、フードを被ったその人物が立ち上がると、それを合図にドアが大きく開け放たれた。

風が激しく吹き荒れ、言葉も聞き取れないほどに轟々と鳴る。

パイロットが何か叫んでいるようだが、口をパクパク動かしているばかりでその声は聞き取れない。

フードを被った人物は、耳の辺りに手を当てると、なにかを呟いているようだった。恐らく無線機か何かでやりとりをしているのだろう。

 開け放たれたドアのところまでやってくると、その人物は胸元から小さなペンダントを取り出した。

赤く輝く鉱石のような『それ』を手にすると、戦場へと向けて駆け出すように、開け放たれた空へと向けてその身を躍らせる。

 それと同時に、ヘリはその機首を翻し、その空域を離れていく。

やがて、間もなくして空に一つの輝きが眩く閃いた。

 それは、装者がシンフォギアを纏う際に発せられる輝きに他ならなかった。

その光は、月明かりと混じり合うようにして、今なお戦火の消え行かぬ戦場へと、ゆっくりと、吸い込まれていくように降下していった。

 

 

 

束の間の日常

 

 

 

 アダムとの戦いから数か月が経とうとしていた。

年末年始と賑わいを見せていた街並みも、一月の半ばに差し掛かる頃には、随分落ち着きを取り戻しているようだ。

 

「ッ……寒ぃな」

 

 白い息を吐きながら、何重にも巻いたマフラーに埋もれるようにしてクリスは吐き捨てた。

これから二月へ向けてもっともっと寒くなるなど、信じたくも無いといった面持ちで肩を狭めて歩いている。

そんなクリスの背中を追うように、切歌と調が後ろをついて歩く。

 

「本当、手も耳も冷たくてしもやけになりそう」

「だったら暖め合うデスよ!」

 

 クリスに同調する調の手を掴んで、無理やりにクリスの元へ駆け寄ると、切歌は調の反対側からクリスを挟み込むように回り込み、空いている方の手をクリス越しに調へ差し出した。

「ほら」と言わんばかりに差し出されたその手へ、調がおずおずと自らの手を差し出すと、切歌はその手をギュっと捕らえて力任せに引っ張る。

 

「ちょっと切ちゃん!」

「何やってんだこのバカ!」

 

 急に引っ張るものだから、思わず調はバランスを崩してクリスに持たれかかってしまう。

クリスはすんでのところで踏ん張りを利かせると、何とか体制を立て直し、どこまでもお気楽な後輩を罵倒した。

 

「危ねーだろ! すっ転んで怪我でもしたらどうんだ!」

「ごめんなさい……暖まるかと思ったのデス」

 

 真剣に叱るクリスの怒声に、然しもの切歌もお気楽ではいられず、シュンと委縮してしまう。

身を寄せ合えば暖かくなるだろうと思い付きで行動したのだろうが、その考えなしの行動は、どこかの誰かを想起させるものだった。

 

「ったく……あいつのバカが感染ったか?」

「デ、デース!?」

 

 クリスは思わず落としてしまった鞄を手に取ると、土を手で払いながら呆れた声を上げた。

その『バカ』とは当然立花響の事を指していることぐらいは切歌にも調にもわかる。しかし、そんな響と同類扱いされたことが余程ショックなのか、切歌は思わず驚きの声を上げた。

調もまた、口に出さないものの、ぼんやりと「確かに似ている」と内心にそう思うのだった。

 幸か不幸かそうこうしている内に一同は本部へと到着した。

内部は空調が効いており、三人は漸く人心地着くと、訓練所へ向かう。

 

「そういや今日あのバカはどうしたんだ?」

 

 通路を進みながら、クリスは響の所在を訊ねた。

普段なら帰りに「クリスちゃーん」と間の抜けた表情で飛びついてくるはずが、今日は姿が見えない。

 

「わたしも見てないです」

 

 思い返してみるものの、調にも心当たりは無い。

確かに一緒に帰らないのは珍しい気がする。

 

「あっ、アタシさっき見かけたデスよ!」

 

 そんな二人とは対照的に、切歌は大きな声を上げた。

帰る前に響と未来の姿を見掛けたことを思いだす。

ただ、その姿は何だか――

 

「実はさっきデスね――」

 

 と、話し出そうとした切歌の言葉を遮るように、警報音が鳴り渡った。

 

「警報?」

「何が起きやがった!」

「アタシは何もしてないデスよ!?」

 

 急な警報音に、各々慌てた様子で声を上げる。

どうやら警報音は艦内全体に流れているらしく、クリスは咄嗟に端末を取り出すと、その画面に目を走らせた。と、ちょうど弦十郎からの着信が入ってくる。

 

「おっさん! こいつは何の警報だ!」

「とにかく発令所に集まってくれ、翼たちも既に来ている」

 

 手短に用件だけを伝えて弦十郎は通話を終了してしまった。

端末越しの声は、少し張り詰めたように聞こえた。どうもただ事ではないらしい。

クリスは振り返ると後輩二人に目配せをする。

 

「行くぞ!」

「はい!」

「はいデス!」

 

 三人は警報の鳴り響く通路を発令所へと急いだ。

一難去ってまた一難。

新たな脅威が現れたのだろうか? と頭を悩ませるが答えなどは出るはずもない。

 

「何だってんだ、畜生」

 

クリスはただ小さく、忌々しそうに吐き捨てるのだった。

 

 

 

「来たか、雪音」

「先輩。一体全体何が起こったってんだ?」

 

 発令所には既に翼とマリアが詰めており、やってきたクリス達を真剣な面持ちで出迎えた。

正面に表示されたモニタには、今まさに爆発を起こして炎上する建物の映像が表示されている。その風景は、どこかの基地施設のようだ。

 

「米軍施設が突如としてアルカ・ノイズの襲撃を受けた。早速で済まないが急ぎ向かってもらいたい」

 

――米軍! と三人は身を固くした。

先のアダムとの戦いに際して、神の力より響の救出が成功したというのに反応兵器を撃ち出し、この国を焦土に変えようとした米国が、今さら何と都合の良い話だろうか。

「そんな奴ら見捨てちまえば良いだろ!」と反吐を吐きたくなるのをクリスは必死に堪える。そこに居るのはただ一介の軍人達に過ぎず、あの判断を下したのは彼らではないのだ。

 

「米軍を助けるのは癪だけど」

「ノイズ相手なら仕方がないのデス」

 

 調と切歌もまた不満気ではあるものの、不承不承それを受け入れる。

心では割り切れていなくとも、頭では分かっているのだ。

 

「ところで、彼女は一緒ではなかったの?」

「確かに、立花の姿が見えないようだが」

 

 マリアの問いに翼も同調する。

どうやら響は、この発令所にも本部自体にも来ていないらしい。

人助けが趣味の響の事である。いの一番に駆けつけていてもおかしくは無い。が、クリス達が連絡を受けたのも今しがたであることを考えれば、それも無理からぬ話かもしれない。

 

「通信機にも応答が無いのよ。未来ちゃんにも掛けてみたんだけど……」

 

 友里が心配そうに、補足するように告げる。

確かに、二人して連絡が着かないというのはどうにも不自然に思える。

 

「あっ、アタシさっき響さんたちを見たデスよ?」

 

 言いかけたまま途切れてしまった話を、切歌は再び思い出す。

先ほどはちょうど警報と呼び出しに遮られてしまったのだが、今度はきちんと話せそうだった。

 

「授業が終わった後に中央棟の廊下を二人して走ってたデス。何だか慌ててる様子だったデスよ」

 

 今にして思えば、随分と様子がおかしいようだった。

切歌は思い出しながらも「うーん」と首をかしげるようにして二人の姿を瞼に描く。

響が先を行き、それを追うようにして駆ける未来。二人はどちらも真剣な面持ちだったように思えた。

 

「中央棟といえば――」

「先生たちの職員室があるはず」

 

 一同の間に沈黙が流れる。

こちらの本部が把握していない事情だとすれば、家族に何かがあったのかもしれない。

響の祖母もそれなりに高齢なはずである。

だとすればこちらで口を出せる問題では無いだろう。

 

「藤尭、友里」

「学校及び響ちゃんの自宅に連絡してみます」

「こっちは通信機の位置情報をトレースしてみます」

 

 弦十郎の一言で二人は即座に対応に回る。

この二人であれば確認もさほど時間はかからないだろう。

「うむ」と頷くと、相変わらずの覇気を漲らせて一同の方へ向き直る。

 

「響くんの事はこちらで確認する。お前たちはヘリで現地へ向かってくれ」

「へっ。あいつが来るまでに全部片づけてやらぁ」

「そうデスよ! アタシたちだけでも充分なのデス!」

 

 弦十郎の指示に減らず口を叩く二人。

それは一抹の不安を振り払うための強がりでもあり、響の身内に何かあった場合に、こちらの負担を背負わせまいとする優しさの表れでもあった。

 

「そうね、あの子が来るまでに片付けちゃいましょう」

「ああ」

 

 一同は頷き合い、出動のために準備しているヘリに向かう。

装者達が去ったしばらく後、藤尭は弦十郎に声を掛けた。

 

「響くんたちが見つかったのか?」

「いえ、実は通信機の位置情報がですね……」

 

 その歯切れの悪い答えは、普段の藤尭らしからぬ様子だった。

その様子に弦十郎も思わず眉を顰める。何か異常があったのだろう。

 

画面に映し出されたその位置情報。

その情報が示す場所は――

 

 

 

「あれ? この鞄ビッキーたちのじゃない?」

 

 響たちのクラスメイトの一人。安藤 創世は、机の上に放り出された二人分の鞄を指して言う。

それは確かに響と未来の鞄に間違いなかった。

 

 

 

降り立った装者

 

 

 

「通信機も置き忘れているみたいです」

 

 同じくクラスメイトの寺島 詩織は、そこに残された二人の端末を手に取る。と、ちょうどその時、通信機へと着信が入った。

詩織は驚きのあまり、思わず通信機を手から滑らせる。

 

「えっ、ちょっとなんてタイミング良く着信が入るのよ、アニメじゃないんだから!」

 

 三人組の最後の一人、板場 弓美は咄嗟に通信機をキャッチする。

 

「繋がった……響ちゃん、聞こえる?」

 

 どうやらキャッチした瞬間に、うっかり通信に出てしまったらしい。

二課の端末を勝手に触り、剰えその通信を受けてしまったとなれば、叱られるどころでは済まないのではないか? と弓美はもう気が気ではなかった。

 

「あの、すみません。ビッキー……じゃなくて、立花さん居ないみたいで、鞄と通信機だけが置き去りで」

 

 その慌てぶりに、創世は仕方なく通信機を取ると、代わりに返答する。

弓美は声を出さずに、両手を合わせて「ごめん」と大げさに謝ってみせた。

 

「あなたは響ちゃんのお友達?」

 

通信機越しの女性――友里は、通話の相手を確かめるように問う。

その声はどことなく聞き覚えがあるような気もするのだが、どうにも思い出せない。

 

「はい、クラスメイトの安藤 創世と言います」

 

 冷静に受け答えするその少女の名前を聞いて、友里は思い当たる節があった。

かつてフィーネによりカ・ディンギルの地下シェルター部分に取り残された二課の面々。そしてそこには同じく取り残されたリディアンの生徒たちが居た。

その中に、響のクラスメイトとして未来の他に居た三人組、確かそのうちの一人が同じ名前だったはずである。

 特徴的な名前に、友里は一人納得した。

 

「あの、立花さんに何かあったんですか?」

「私たちも今探しているんだけど……」

 

創世の問いに正しい答えを持たない友里は思わず口ごもる。

鞄と通信機。その両方を置き去りのまま、二人で姿を消すなど、いよいよもってただ事ではない。

 

「こちらでも探してみるから、あなたたちも何か分かったら連絡をお願いね」

「わかりました」

 

 創世との通信を終えて、友里は振り返る。

通話の内容は発令所内にも聞こえているため、弦十郎も当然把握していた。

 

「響くん、未来くん……」

 

 連絡のつかない二人を慮る弦十郎の声は、いつになく重々しい。

その声色、その言葉、その状況に、発令所の一同もまた、顔に暗い翳を落とすのだった。

 

 

 

 その頃。

クリスたちは間も無く基地上空へと差しか掛かろうとしていた。

既に建物のあちこちから黒煙と火の手が上がり、時折格納庫らしき建物から大きな爆発が起こっている。

 

「翼です。間も無く基地上空へ到達。ノイズの殲滅を行います」

 

 翼は弦十郎へと通達しながら、遥か下の地面に降りられるような場所を探す――が、アルカ・ノイズは辺り一面を覆い尽くすほどの物量で、どうにもヘリを降ろせそうにない。

それどころか、対空攻撃を有するものが居ればこちらの方が危険である。

 

「翼」

「飛び降り様にギアを纏うしかあるまい……」

 

 マリアの不安そうな声に、翼は苦々しげに答える。

飛び降り様にギアを纏う――そのものは難しいことなど特に無い。

問題は、眼下に広がるこの景色を、夥しい数のアルカ・ノイズが埋め尽くしている事に他ならない。

この中へ降下するということは即ち、着地点からして既に囲まれた状況になる。ということである。

 

――何を迷う、風鳴翼ッ!と、内心に己へ言い聞かせるように立ち上がろうとする。

そんな翼の前に、クリスが立ちはだかった。

 

「あたしが行く」

「雪音!」

「無茶よ、あなたのギアでは囲まれた場合に対処出来ない!」

 

 あまりにも唐突なクリスの提案に翼とマリアは反対する。

それも当然の話である。

 

「イチイバルのギアは遠距離特化」

「近接で多数を相手にするならアタシと調の方が向いてるデスよ」

 

 二人に続き、切歌と調もまた、反対する。

後輩二人の言葉は全く正しく、確かに囲まれてしまえば切り抜けるのは難しいだろう。

当然それを分からないクリスでは無い。

 

「おいおい、あたしをどこぞのバカみたく、考え無しみたいに言ってくれるなよ」

「何か策があるのか?」

 

 自信を漲らせるクリスに翼が強く問い詰める。

大切な後輩をむざむざ危険に晒すものかと、その声音が、その表情が語っている。

――大事に想われてんだな、あたしも。と、翼の様子を内心嬉しく思いながら、クリスは眼下の景色を見下ろした。

 その敷地内で、アルカ・ノイズに追われながら、通常兵器で抵抗する人々の姿が見える。

一人、また一人とアルカ・ノイズの攻撃を受けて命を散らしているのが見える。今、この瞬間にも。

一刻の猶予もない。クリスは翼へと向き直ると、真っ直ぐな目で翼を見据える。

 

「確かに、あたしのギアは遠距離特化。囲まれたらライフルで殴るぐらいしか能が無ぇ」

「そうと分かっていて何故」

 

 詰め寄ろうとするマリアを翼が手で制した。

どうして止める? とその横顔を伺うと、翼の表情には、クリスの提案を最後まで聞こう。という意思が見て取れた。

その真剣な面差しに、マリアは仕方なく言葉を噤む。

 

「けど逆に言やぁ、あたし以外はあの大群のど真ん中に飛び込まなきゃならない」

 

 確かに、とマリアは歯噛みした。

切歌にせよ調にせよ、全く遠距離の相手に太刀打ちする術がない。という訳ではない。

しかし如何せんあの物量である。足元を切り開くには、さすがに手数が足らない。

クリス以外に対応できるとすれば――

 

 

「ならばわたしが千ノ落涙にて足場となる場所を一掃する。皆が出るのはそれからでも遅くはあるまい」

 

 どうやら翼もまた同じ答えに辿り着いていたらしい。

しかし、そんな翼の提案に、クリスは黙って頭を振った。

 

「あの物量だ。いくら先輩でも対応しきれないだろ」

「しかし……」

 

 図星を指摘されて翼は口ごもる。

どのような手を以ってしても、足場を固めるためには手数が足りない。

翼と言えど、最初の一度こそなんとか凌げるものの、あの数相手に立ち回るには、天羽々斬もまた、響のガングニールのように近接に特化し過ぎている。

 結局のところ、数が多過ぎるのだ。

確かに、この窮地を切り開くためには、イチイバルによる上空からの攻撃で、着地までの間に周囲を一掃する以外に困難のように思える。

 

「雪音……」

「信じてるっすよ、先輩」

 

 苦々しげに名を呼ぶ翼に、柔らかな笑顔でクリスはそう答える。

そのような顔をされては、翼もこれ以上反対することが出来なくなってしまう。

己の不甲斐なさを恥じるように歯噛みしながら、翼はクリスの提案を受け入れた。

 

「クリスくん、無茶はするなよ」

「わーってる! どんだけ出ようが今更アルカ・ノイズ――なんて油断はもうしねぇ」

 

 クリスは振り返らずに、後ろに立つ翼を想った。

――大丈夫だ、あたしはやれる。先輩だってすぐに来てくれる。だから! と、そう自分に言い聞かせるように、開け放たれたドアへと駆け出す。

 

「雪音ッ!」

 

 飛び降り様に、翼の声を聞いた気がした。

胸の奥から聖詠が浮かぶ。

心配すんなよな、先輩。と笑いながら、クリスはその聖詠を口にする。

 

「Killter Ichaival tron……」

 

 降下するクリスの身体が輝きに包まれる。

聖詠によって励起されたギアが呼応し、放たれたフォニックゲインが衣の形でクリスの身体を包み込む。

赤く、紅く、朱く。

燃える意志を体現したかのような真っ赤なギアを身に纏い、クリスは歌と共に無数の弾丸を足元に向かって放つ。

降り注ぐ弾丸を受けたアルカ・ノイズは、塵となって霧散していく。

 

「うおぉぉぉ! 持ってけ全部だッ!」

 

 地面に到達するまでの僅かな時間。クリスは全てを出し切る覚悟で、攻撃を浴びせかける。

既にクリスの直下には、アルカ・ノイズの居ないスペースが出来上がりつつあった。

 

「私たちも続くぞッ!」

 

 翼もまた、ギアのペンダントを手に空へと身を躍らせる。

雪音一人に背負わせてたまるものかと、ギアを纏って追い縋る。

 二人の後を追ってマリア・切歌と調の順に、装者全員がヘリから飛び降りると、本部からの指示によりヘリは速やかに脱出していった。

 

「無事かッ! 雪音ッ!」

 

 迫り来るアルカ・ノイズを撫で斬りにしながら、翼はクリスの元へと駆け寄る。

 

「あぁ……けど、ちっと、休ませてくれ」

 

 呼吸が随分と荒い。

怪我はないようだが、戦闘を継続するのは難しそうだった。

 剣と鍛えた翼の胸の内を、ぢりぢりと憤怒の炎が灼き焦がす。

それは、後輩の無理に頼らざるを得なかった己への不甲斐なさか、そんな窮地を作り出したアルカ・ノイズへ対してか。或いはその両方か。

 

「殲滅するぞ」

 

 遅れて到着したマリア・調・切歌へと、振り返らずに声を掛ける。

その声は随分と低く重く、怒気を孕んでいることが容易に窺い知れた。

 

「当然よ」

「先輩のかたき」

「晴らさでおくべきかデス!」

 

 三人は各々に答え、アルカ・ノイズに対峙する。

そんな三人に対してクリスは息も絶え絶えに「勝手に、殺すんじゃ、ねぇ」とこぼすのだった。

 

 

 

「司令、現場上空に識別不明、未確認のヘリが近づきつつあります」

「なんだとッ!」

 

 五人の奮戦を固唾を飲んで見守る発令所。その最中に捉えた反応を藤尭は報告した。

モニターに情報を展開すると、確かに識別不明機が現場上空に向かって来ている。

 

「基地側からの警告にも反応が無いようです」

「味方か、或いは……」

 

 自問自答するように、苦々しげな声を出す。

識別不明。警告にも反応しない。そんなものが味方であるはずはない。そんなことは弦十郎自身、百も承知だった。

 だが、その正体がはっきりしない今、危害を加えるわけにもいかない。

 

「目を離すな、何かあれば即座に報告しろ」

「わかりました」

 

 弦十郎は固く握った拳をわなわなと震わせながら、食い入るように双方の画面を見据える。

 

「新たな敵。でしょうか」

 

 不安そうにエルフナインは問う。が、弦十郎からの答えは無い。

彼自身、それは未だ測りかねているのだ。

そこへ、響の自宅へと向かわせていた緒川から通信が入る。

 

「司令、響さんの実家ですが……」

「どうした緒川」

 

 苛立ちを隠しきれない弦十郎を察し、緒川は手短に用件を伝える。

 

「もぬけの殻です。響さんや未来さんだけでなくご家族の誰一人いませんでした」

「なん……だと」

 

 弦十郎に、もはや動揺を隠す余裕など無かった。

一連の事態。別々の問題のように思えたそれらが、まるで繋がっているかのように思え、不安を握り潰そうとするかのように拳に力がこもる。

 

「引き続き調査を進めてくれ。未来くんの実家の方もだ」

「心得ています」

 

 通信を終える頃、アルカ・ノイズの方は粗方片付きつつあるらしかった。

画面上には体力の回復したらしいクリスの姿も見える。

 こちらはひとまず安心だな。と、険しい表情はなおも崩せないものの、内心にほっと息を吐く。

そうしてもう一つの画面。識別不明機の方へ視線を移そうとしたその時であった。

 

「司令! 先ほどのヘリから人が!」

「何ッ!?」

 

 拡大された画面を食い入るように見つめる。

ヘリからは確かに人が飛び降りていたが、外套とフードで人物の様相は窺い知れない。

一同の視線が集まる中、画面の中の人物。その周囲が眩いばかりに輝き、モニターは光量に対応しきれず白く染まった。

 

「何が起きた! 藤尭ァ!」

「今確認していますッ!」

 

 予想外の事態に発令所は混乱に包まれる。

――あの輝き、まさか。と、一つの可能性が頭をよぎる。

 モニターの復旧まであとどれくらいかかるのか、焦りと苛立ちばかりが募っていく。

その状況に追い討ちをかけるかのように、藤尭と友里が驚愕の声を上げる。

 

「司令! 現場近くに高出力のエネルギー反応……まさかこれって」

「アウフヴァッヘン波形……!? パターン照合します!」

 

 その報告に、言葉もなく弦十郎は立ち上がる。

モニターには既にその人物の姿は見えないが、それはやはり、間違いなくシンフォギアの、それを纏う際の輝きに違いなかった。

 

「新たな……装者だというのか」

 

 半ば放心したように、弦十郎は言葉をこぼした。

いや、振り絞ったと言うべきかもしれない。

その声は、普段の彼からは想像もつかないほど弱く、消え入りそうなほどだった。

 

 

 

その輝きは、当然地上の装者たちにも確認出来た。

空から降りてきた装者は、着地時の衝撃で大きな砂煙を辺り一面に噴き上げさせ、その姿を隠していた。いや、それは意図したものでは無かったのかもしれないが。

 視界が奪われた中、一同は新たな、その装者の出方を伺う。

敵か、味方か。

何も知らされていない以上、味方である可能性は低い。

警戒しないわけなには行かなかった。

 

「皆、油断するな――」

 

 そう呼びかけようとした翼の背後に、突如気配が現れる。

 

「しまッ……!」

 

 言うが早いか、相手の奇襲に対応しきれず、重い衝撃を背面に受けて、翼は数十メートルを弾き飛ばされた。

 

「先輩ッ!?」

「翼ッ!」

 

 クリスとマリアは咄嗟に駆け寄り翼を抱き起す。

どうやら外傷はないらしいが、先ほどの直撃により、呼吸がままならないらしい。

 それでも、苦痛に顔を歪めながらも「油断するな」とその装者に向けて翼は指をさす。

遅れて駆け寄った調と切歌に翼を任せると、クリスは立ち上がった。

 

「よくも先輩を……どこのどいつだッ! 顔を見せやがれッ!」

 

 怒りを露わにその装者へ向けて声を張り上げる。

その指は既に引き金へとかけられ、何が起ころうと即座に撃つ覚悟がそこにはあった。

 収まり切らぬ砂煙の向こうに、月明かりを受けたその人物の姿が浮かび上がる。

 

「無言かよ……」

 

 クリスは忌々し気に吐き捨てる。

やがて、それらが鎮まり始めると、その人物は姿を現した。

 

「そんな……」

「嘘デスよ……」

 

 調と切歌が驚きの声を上げる。

 

「なぜあなたが……」

 

 マリアもまた、驚きを隠せない。

 

「やはり……さっきの、は……」

 

 翼だけは悟っていたかのように呻く。

決して油断していた訳ではなかった。

『敵』が現れたなら即座に対応出来るよう、あの時確かに神経を研ぎ澄ませていた。

しかし、インパクトの直前、翼が耳にしたその声は――

 

「おい、おっさん……あのバカは今どこにいる」

 

 通信機越しに、クリスは弦十郎に問いかける。

しかし、答えは無い。

ただただ向こう側の音声だけが、聞こえている。

 

「照合完了! モニターに出ますッ!」

 

その声は友里だろうか?

 

「まさか、そんな……」

 

その消え入りそうなか細い声はエルフナインのものだろう。

 

「嘘だろ……」

 

 藤尭の声もまた、消え入りそうなほどに弱々しい。

ああそうだ、こいつは嘘なんかじゃねぇ。クリスは内心に吐き捨てる。

信じられないものが、信じたく無い事が、その目の前で起こっている。

頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回されたように思考がまとまらない。

 

「なぁ、おい……」

 

 それでも、なんとか言葉を見つけ、一つ一つ絞り出すように口にする。

 

「視界が悪かったせいで……戦う相手でも、間違っちまったのか?」

 

 その装者へ問いかける。

答えは無い。

 

「それとも、本当に、おまえの意思でやったのか?」

 

 答えは、無い。

その装者はただ、どこまでも冷たい表情をクリスへと向けるのみだった。

 

「なぁ、答えろよ……なあ?」

 

 今にも泣き出しそうな声でクリスは問う。

その目に涙を浮かべながら。

それでもなお、その装者は答えない。

答えないのか、答えられないのかはわからない。

思考がまとまらず、この事態すらもはや飲み込めない。

 これがただの悪夢であってくれと、ただただクリスは願う。

けれども、その身体の、胸の、心の痛みが、どうしようもなく「これが現実である」と突き付けるようで、クリスは声を荒げる。

 

「答えろよッ!」

 

 涙ながらにその銃口を向け、問うた。

強い風が吹き荒び、辺りの砂煙は完全に晴れていく。

 そこに立っていたのは、誰もが見慣れた人物だった。

 

「立花 響ーッ!」

 

 力一杯に引き金を引く。

直前に、空へと向けなおした銃口からは、まるでクリスの想いを代弁するかのように弾丸が迸る。

 翼を弾き飛ばす直前に、その耳に聞こえたのは、聞きなれたその声と「ごめんなさい」という言葉だった。

 時を同じくして、画面上に表示された『それ』に、弦十郎もまた、己の目を疑っていた。

 

「ガングニール……だと」

 

――そうとも。

今、彼女たちの目の前で、言葉を発することなく対峙している人物。

月明かりに照らし出され、拳を握って立ち尽くしているその人物。

それは、紛れもなく。

ガングニールの装者。

立花 響――その少女だった。




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第二話  Pathétique

「繋ぐための手」を凶器と変えて、少女――立花 響は「守りたいもの」のために、拳を握る。
手を取り合った仲間へ向けて、信じ合った友へ向けて。
理由もわからないまま運命に翻弄される少女達は、ただ戦う。
その先に希望があると信じて。
その悲しみを映し出すかのように、その歌はどこまでも悲しく、悼ましく紡がれる。


交わる拳

 

 

「あくまでだんまり決め込もうってのか」

 

 涙を振り払うようにクリスは吐き捨てた。

相も変わらず何も、何一つ、事情も状況も分からないものの、響に答える気が無い事だけはよく分かる。

 クリスに向かい拳を構えるその瞳には、僅かな迷いも見られなかった。

燃え盛る炎に包まれた基地施設。その滑走路にて、装者たちは対峙していた。

無言を貫く響に対し、痺れを切らしたのはクリスの方だった。

 

「だったら――」

 

クリスは体勢を低く落とし、銃口を再び響へと向けると、引き鉄に指を沿える。

響もまた、それに応えるかのようにやや腰を落とす。

 

「首根っこ引きずってでも、連れ帰ってやらァ!」

 

 クリスの腰部ユニットが展開し、いくつもの小型ミサイルが発射される。さながら土砂降りの雨のように弾丸をばらまきながらクリスは吼えた。

銃口から撃ちだされた弾丸は、ジグザグに駆け寄る響をなかなかに捉えられずに虚空へと無数の軌跡を描く。

急所を避けて手足の先を狙うものの、的の小ささとその俊敏な動きに、クリスは翻弄されてしまう。

眼前数メートル――クリスの銃口は響の顔面を捉えるが、クリスは引き鉄に掛けた指を思わず離してしまう。

響はその、クリスのわずかな隙を見逃すこと無く、その胸元に拳を打ち込んでいた。

両手の小銃を交差させてガードしたクリスは、そのガードごと弾き飛ばされ数メートルを吹っ飛ばされる。

 

「クリス先輩ッ!」

 

 調と切歌は同時に声を上げた。

咄嗟に後ろへと飛び退っていたというのに、それでも響の拳は重く、何とか着地したものの、そのままクリスは片膝を着く。

 

「くそっ、やり辛れぇ……!」

 

 片方の銃を支えに、かろうじて立ち上がると、クリスは思わず弱音を吐く。

その肩を調と切歌が支えていると、呼吸を少し落ち着けた翼が駆けつけた。

 

「大丈夫か、雪音」

「ああ……けど――」

 

 拳を主体に近接での体術を得意とする響に対して、銃や弓は余りに分が悪かった。

何よりも、人を殺傷せしめる武器を、共に戦っていたはずの仲間に向けるのは躊躇われる。

対する響はその拳を力任せに叩きつけたところで、よほど打ち所が悪かったとしても、そうそう命には関わるまい。

それ故に、有利不利な状況は、本部にいる弦十郎たちにも見て取れた。

 

「手心を加える余裕などは無い――かと言って我々の武器では、直撃すればたとえギアを纏っていたとしても……」

 

 クリスの言わんとしたことを言外に察して、翼は言葉を継ぐ。

例えギアを纏っていても、近距離でその弾丸を受ければただでは済まない事を、クリスと翼は身を以て知っている。

フロンティア浮上に際して、ソロモンの杖を奪還せんとしたクリスは、切歌やウェルたちに己の立場を信じさせるべく、至近距離から翼へと銃弾を浴びせたのだった。

その時の翼の苦痛に満ちた顔も、思わず漏らした呻くような声も、クリスは未だにはっきりと思い出せた。

――立花はそうと分かっていて懐に飛び込んでいるのだろうか。と翼は響の表情を伺う。

 しかし、普段からは想像もつかないその冷たい表情からは何も読み取れそうにない。

 

「斬撃武器では……」

「直撃したらただでは済まないデスよ」

 

 調と切歌も、躊躇いを見せる。

この二人もまた、フロンティアの上で互いの想いをぶつけ合い、その果てに、切歌は調へと己のアームドギアで致命傷を負わせたのだった。

 

「あんな想いはもう二度とごめんデス……」

「切ちゃん……」

 

過去の記憶に苛まれ、イガリマを握る手に力が篭る切歌。

だからといって、響の方は黙ってそのまま帰ってくれそうにはない。

 

「まさか、誰かに操られているんじゃ……」

「いや……あれは間違いなく立花の意思でしょう」

 

通信機越しに聞こえる友里の言葉に重ねるように、翼は断言した。

最初の一撃を食らう直前。響は確かに「ごめんなさい」と言った。

それ故に翼は、思わず警戒を解き、味方である立花 響へと無防備を晒したのだった。

――だとしたらやはり。と、翼は意を決する。

響が己の意思でそれを為しているのならば、やはり何としても響を降し、理由をその口で語らせる以外には無いだろう。

 

「クリス、あなたは切歌と調を連れてノイズの対応をしてちょうだい。彼女はわたしと翼でなんとかするわ」

 

マリアは翼の前に割って入ると、三人に指示を飛ばす。

クリスたちであれば、対個人よりもノイズ相手の方が向いている。そう判断しての事である。

何よりも、未だ敷地内には取り残された人々が果敢と言うべきか無謀と言うべきか、通常兵器でアルカ・ノイズに応戦している。本来の彼女たちの目的もまた、彼らの救出だったはずだ。

 

「わかった、奴らはあたしらが何とかする。だからあのバカを――」

「ええ、任せてちょうだい」

 

 マリアの力強い頷きを信じ、クリスは二人を伴って建屋へと向かう。

三人へと向けられた響の視線を遮るように、マリアは響の前へと立ちはだかった。

 

「マリア」

「わたしだってこれで一応はインファイターなのよ」

 

心配する翼を尻目に、格闘戦の構えを取る。

確かに、かつてマリアはその拳を振るい、キャロルの従えるオートスコアラー『ガリィ』や、パヴァリアの錬金術師の一人『カリオストロ』ともやり合っていた。

しかし、格闘の技術と経験は言ってしまえば響とマリアとで、天と地ほどの差があるだろう。

 

「ならば、わたしは後方より、対人戦技で支援しよう」

 

二人は互いに目配せをして頷き合う。

前衛でマリアが直接やり合うというのなら、翼は後衛より、兼ねてから研鑽を重ねてきた対人戦技にてそれをバックアップする。

それでも埋まらぬ響との力の差をカバーするにためには――

 

「歌うわよ! 翼!」

「応とも!」

 

――二人は歌を重ねる。

技術や経験が劣るとしても装者同士の戦い。ならばその出力でもって圧倒的な不利を覆す。

そのフォニックゲインの高まりは、S.O.N.G本部でも確認できた。

 

「ユニゾンによって二人の出力が相乗的上昇しています。これなら!」

「翼ッ、マリアくん……頼むぞ」

 

モニタを食い入るように見つめる弦十郎は、歯痒そうに拳を握り締める。

今はただ二人に任せるしかない。響を何としても連れ戻ってもらうしかない。

――信じるんだ、彼女たちを。と、己に言い聞かせる。

 

「はっ!」

 

響に向かって跳躍するように、マリアは一気に間合いを詰める。

長引けば長引くほど技術と経験の差で不利になるのは必至。だからこそ、短期の決着を付けるべく、奇襲のように詰めたのだった。

放たれた拳は響の顔面を捉えた――かのように思われたが、そっと、触れるような響の手捌きにいなされて、軌道をそらされたマリアの拳は紙一重のところで空を切っていた。

 

「がッ……!」

 

隙だらけになったマリアの脇腹へと、響は容赦なく掌底を打ち込む。

辛うじて、身をよじるように直撃を免れたマリアは、それでもその打撃の重さによろめくように二、三歩ほど後退る。

そんなマリアの隙に、すかさず響は追撃するべく、とどめと言わんばかりに踏み込んだ。

その刹那、マリアの背後から翼が跳躍する。

 

「翼ッ!」

 

偶然か意図的か、誘い込まれるように踏み込んだ響の隙を、翼は見逃さない。

 

「立花ァ!」

 

マリアの頭上より放たれた数本の短刀は、響目掛けて――いや、その後方にある影目掛けて飛んで行く。

かつて暴走する響すら足止めした、緒川直伝の対人戦技『影縫い』である。

月光に、ぎらりと鋭い白銀の軌跡を描いて、響の足元へと放たれた短刀は――しかしその影を貫くことは叶わなかった。

咄嗟に放たれた、薙ぎ払うような回し蹴りの一蹴により、それらの短刀は方々へと弾かれてしまう。

 

「馬鹿なッ!?」

 

愕然とする翼。その下で、マリアは響に向かい踏み込む。

『影縫い』を撃ち落としこそしたものの、その回し蹴りによる無理は響の体勢を明らかに崩していた。

――その隙、見逃すものか! とマリアは全力の拳を振るう。

しかし、その拳が届くよりも早く、響は次の一撃を放ち、その直撃を顔面へと受けたマリアは、意識を寸断されて膝から崩れ落ちてしまう。

 

「マリアッ! おい、マリア!」

 

着地した翼は倒れたマリアへと駆け寄る。

敵を目の前にして背を向ける――それは誰の目に見ても大きな、あまりに大きな油断であったが、響は翼へと追い討ちをかけるようなことはしなかった。

響はその場から動かずに、ただただギアの耳当てのあたりに手を添えて何か呟いていた。

翼は気を失ったままのマリアを抱き起こしながら、苦々しげな表情で、半ば見上げるようにして響の顔を睨め付ける。

 

「何故だ立花。何故私たちと拳を交える」

 

不可解な響の行動に、信じ難い目の前の現実に、納得のいく答えなどあるだろうか?

それでも、真っ当な答えがないにせよ、響の、響自身の口からその答えを聞くまでは、何一つ進まない。

響は真っ直ぐな翼の視線をしばらくじっと見つめ返した後――

 

「守りたいものが、あるんです」

 

とだけこぼした。

 

「守りたいもの……だと?それは一体」

 

怪訝そうに問い直す翼。しかし、響はそれ以上何も語ろうとはしなかった。

かつて、まだ翼と響が打ち解けていなかったころ、響は同じように言っていた。

あの時は――と、その言葉の意味を思い出そうとする翼だったが、響が取り出した小瓶に目を奪われる。

響は取り出したその小瓶を地面に叩きつけると、幾何学模様の輝きの中へ姿を掻き消して行く。

 

「待てッ! 立花ッ!」

 

その姿を捕まえようと翼は咄嗟に手を伸ばすが、その手は虚しくも空を掻きむしるだけだった。

 

「立花……」

 

響が姿を消した後をただ見つめ、未だ冷めやらぬ戦場の熱に打たれながらも、翼はただただ放心する事しか出来なかった。

頭の中では「守りたいものがある」と言った響の言葉と、その表情がいつまでも消えない残像のように繰り返されていた。

 

 

 

「響ちゃんの反応をロスト……」

 

か細い声で友里は報告を上げた。

もちろん皆、モニタの映像から確認はしている。

 

「あの紋様は錬金術師たちが使っていた――」

「はい、間違いなくテレポートジェムだと思われます」

 

藤尭の言葉にエルフナインが答える。

かつて、キャロルとオートスコアラーたちが。そしてパヴァリアの錬金術師たちが、幾度となく用いてきたそれを、見間違うはずもない。

キャロルから受け継いだ記憶にも、たしかにそれらは刻まれている。

だとすれば、追跡は不可能であろう。

断絶された空間の軌跡を捉える方法など、ありはしなかった。

 

「……藤尭、逃亡したヘリの方はどうなった」

 

消沈した声で弦十郎は状況を問う。その声にはもはや、普段の彼の放つ覇気など微塵も感じられない。

 

「日本海を西北西へ針路を取り、以前逃亡を続けています。このままでは日本の領空外へと……」

 

答える藤尭の表情もまた苦い。

その針路の先は、情勢不安な北の独裁国家がある。

お世辞にも日本との国交が良好とは言えないそこへ逃げ込まれてしまえば、いかなS.O.N.Gと言えども容易に手出しはできないだろう。

 

「なんとしてもその前に押えるんだ。このまま逃すわけには――」

「なッ……司令! 先ほどのヘリが……」

 

弦十郎の指示が飛ぶよりも早く、藤尭は声を上げた。

モニタには爆散する機体が映っている。

 

「撃墜……されました」

 

半ば放心したような声で告げられた報告。

どこからか発射されたミサイルにより、ヘリは爆散した。

残骸は細かな火球となり、海へと落ちては大きな水柱をあげている。

弦十郎は思わず握り込んだ拳を己のデスクへと叩きつけると、驚きに顔を上げて振り返るオペレーターたちへ向けて――

 

「残骸を――レコーダーだけでも何とか回収するんだ」

 

――と振り絞るような声で指示を飛ばす。

しかし、それもまた不可能だった。

 

「司令、残骸の落ちた座標は既に……」

 

モニターに地図と座標とが表示される。

そこは既に某国の領空内であった。

その撃墜、偶然であろうはずもない。

 

「全ては……周到に用意されていたというのか」

 

結果として、何一つ手ががりを得ることは叶わなかった。

ただ、立花 響の裏切りという現実だけが本部の面々に暗い翳を落とす。

誰も予想していなかった出来事の連続。

果たしてそれは現実だろうか。あるいは悪夢でも見ているのではないか。と、誰もが内心に問う。

しかし、それに答えられるものなど、ありはしなかった。

 

 

 

暗い部屋――畳の敷き詰められた和室の中で、響はある人物と対峙していた。

時代に反するように置かれた火鉢からは、パチパチと炭の弾ける音がする。

その男はあからさまな落胆を顔に浮かべながら、わざとらしく大きなため息を吐いた。

 

「起動は……敵わぬか」

 

そうぽつりとこぼす。

響は拳を震わせ、苦々しい面持ちでただ俯いていた。

そして今更ながらに己のしたことを内心に自責する。

手を取り合った仲間たちに拳を振るい、傷付けた。

如何なる理由があったとしても、それは明確な裏切りだ。ましてや彼女たちは、響の行動を慮ってくれたというのに。

だというのに、わたしは――と、血が滲むほどに強く拳を握りこむ。

傷も何もないはずなのに、打った拳が疼くように痛んで感じられた。

そんな響の苦しみも意に介さず、男は更に脅しをかけるように言う。

 

「やはりあの娘を使うしかない、か」

 

その言葉を聞き響は顔を上げた。

かっと目を見開き男を見据える。その表情には、動揺や焦りといったものがはっきりと浮かんでいた。

 

「わたしが歌います……」

 

振り絞るように響は声を出した。

男はあえて聞こえぬふりをして「なに?」と聞き直す。

 

「今度こそ、わたしがちゃんと歌います! だから……だから未来には手を出さないでッ!」

 

はっきりとした言葉で、はっきりとした意思を響は示す。

睨め付けるように男を見据えたその目は、まだわずかばかりの迷いが宿っているかのように震えていた。

 

「その言葉、努努忘れるでないぞ」

 

その言葉に撤回は許さん。と意思を込めて言外に突き付けると、男は立ち上がって奥の間へと去って行く。

その男は、背を向けたまま不敵な笑みを浮かべながら「良い報せを待つ」とだけ告げると、音もなく襖を閉めた。

一人残された響はしばらくそうして放心した後、よろよろと立ち上がり、その部屋を後にする。

去り際、誰もいない部屋へ向けて、響はぽつりと呟いた。

 

「未来……わたしが必ず助けるから」

 

 

秘策

 

 

「司令、未来さんの実家ですが……」

 

 報告する緒川の声は心なしかやや重い。

 

「もぬけの殻。か」

「はい」

 

 緒川が全てを言い終えるよりも早く、弦十郎は予想を口にした。

実際のところ、結果は予想の通りだった。

 

「争った形跡は無く、家財も全てそのままですが、ご両親も未来さんも見つかりませんでした」

「響くんのみならず、未来くんまでも……か」

 

 一同の間に沈黙が流れる。

重い、重い沈黙が。

緒川の報告によると、未来の家も響の家も、施錠された痕跡は無かったらしい。

そのうえ、テーブルの上には飲みかけのコーヒーがカップに入ったまま放置され、浴室の蛇口は掃除中に慌てて放っておかれたかのように水を溢れさせていたという。

 また、学校での聞き込みでも「身内に不幸があったと連絡があった」「迎えが来ていた」としか聞き出せておらず、二人に繋がる具体的な情報は得られずじまいだった。

各所の監視映像も確認したが、それらすべてが妨害や加工によって痕跡を消し去られていた。

 

「巧妙に連れ去ったと見て間違いないようだな」

 

 強盗や、暴力的な連中のやり口であれば、争った形跡が必ず残るはずだ。

そうでないとすれば、響たちとその家族を信頼させられるだけの何らかの術を有していたに違いない。

ましてや監視映像まで手を加えることのできる相手である。一筋縄では尻尾を掴ませてくれそうにない。

 

「ええ。だとすると響さんが敵対行動を取った理由というのも……」

「ああ。未来くんと、家族を盾に取ったんだろう」

 

 弦十郎は忌々し気に吐き捨てた。

『敵』の正体は依然不明だが、それでもその卑劣さだけはよくわかる。

あの真っ直ぐな少女を、その真っ直ぐな心根を利用しているのだ。

弦十郎は思わず拳を握りしめ、わなわなと震わせる。

 

「司令、以前より行われていた本部へのハッキングというのもこれが狙いでしょうか」

 

 藤尭は思い出したように弦十郎に問いかける。

以前から――遡れば、キャロルとの戦いが終わった頃からS.O.N.G本部には時折ハッキングが仕掛けられていた。

出所は不明だったものの、今回の事件がその頃から計画されていたものと考えると、こうまでスムーズに、周到に立ち回れたというのも頷ける。

確信は無い。かといって関連が無いとも判断がつかず、弦十郎は答えに詰まる。

 

「とにかく、今俺たちに出来る事は全力で響くんたちを探すことだけだ」

 

 不確定要素に気を取られている場合ではない。

当然そのハッキングの出所も調査はするが、やるべきことはまだ他にもある。

 

「いいか、些細な情報でも構わん。二人に繋がる情報を徹底的に洗い出せ!」

 

 弦十郎の檄により、オペレーター各員は情報の海へと視線を走らせるのだった。

緒川もまた、調査へと戻っていく。

 そんな発令所に、緊急の通信が入る。

それは、また別の基地施設がアルカ・ノイズによって襲撃を受けているとの報せだった。

 

 

 

 ファミリーレストランの一角を陣取るように、装者たちは向かい合って座っている。

テーブルの上には各々に頼んだ甘味が届けられて随分経つが、殆ど手を付けられていない状態だった。

 クリスの目の前には一杯のコーヒーだけが置かれている。普段は健啖なクリスらしからぬ内容だが、誰もそれに触れようとはしなかった――いや、誰もがそんな些細なことを気にしては居られなかったのだった。

 

「響さん、何があったんデスかね……」

 

 最初に口を開いたのは切歌だった。

それは普段のお気楽から出た軽い言葉ではなく、誰もが重い口を開けないのを慮ったうえで、先陣を切るように言葉にしたのだった。

 

「やっぱり、未来さんと何かあったんじゃ……」

 

 調がそれに続いて未来の事を話す。

響だけでなく未来までもが、両名の家族共々行方不明になったという報告は既に聞いている。それを結び付けて考えずにいられようものだろうか。

 

「だからと言って、味方にその拳を向けるなんて」

 

 俄かには信じられない。とマリアは苦々しに言う。

普段の響であれば、とてもこんな行動をとるようには思えない。

 

「余程の理由があったのだろう……あの時立花は「守りたいものがある」と言っていた。だとすれば……」

 

 最悪な予想を浮かべて、翼は思わず顔を顰める。

あの健気な少女が、響への交渉材料として残酷な目に遭わされるなど、想像したくもなかった。

 

「クリス先輩はどう思うデスか?」

「うるっせぇんだよ! ごちゃごちゃとッ!」

 

 意見を求める切歌に対し、クリスは思わず苛立ち紛れに声を荒げた。

切歌はビクッと身体を震わせて「ごめんなさい」とだけ言って押し黙ってしまう。

それを見たクリスは、感情的になってしまったことを内心に自責した。

 

「ちょっとクリス、その言い方はないでしょ」

「悪ぃ……ちょっと頭冷やしてくる」

 

 マリアの強い指摘に一言詫びると、クリスは一度席を外そうと立ち上がる。

そんなクリスの態度に、言い足りないことをまだまだ言ってやろうと思ったものの、その目に涙が浮かんでいるのを見て、マリアもそれ以上は何も言えなくなってしまう。

 もしかしたら一番動揺しているのは、他ならぬクリスなのかもしれない。

昨夜も、対峙した響に対して一番感情的だったのはクリスだった。

 誰もが口を閉ざし、その席からクリスが離れようとした時。

まるで計ったかのようなタイミングで通信機に連絡が入る。

 

 

 

 昨夜に引き続き起った襲撃は、またしても米軍施設を標的としていた。

装者たちはヘリに乗り、現地へと向かう。

機内には重い沈黙が満ち、その誰もが一様に暗い面持ちをしていた。

 

「頼むぞ、クリスくん」

「あぁ、わかってる」

 

 誰も口にしないものの、昨日の今日で同じやり口である。まず間違いなく、響が現れるだろう。

弦十郎から立案された、対響ようの作戦の要として選ばれたのはクリスだった。

 それ自体を実行するのは難しくは無いはずだ――が、気持ちが揺れてしまう。

――本当にあたしはあいつと戦えるのか? と、内心に自問自答するが、答えは出てこない。

固く目を閉じて己を奮い立たせようとするクリス。

 そんな、迷えるクリスの手を切歌はそっと包み込んだ。

 

「大丈夫デスよ、クリス先輩」

「おまえ……」

 

 さっきあんなにも苛烈な言葉を浴びせたというのに、切歌はクリスを責めることも無く健気に力づけるように言う。

嬉しさや申し訳なさが綯交ぜになり、クリスは思わず目を潤ませた。

 

「クリス先輩なら、できます」

 

 空いたもう片方の手を同じようにして調はそっと包む。

 

「あぁ……ったりめーだ、あたしに任せとけ!」

 

 泣き出しそうな気持を誤魔化すように、クリスは精一杯に強がって見せる。

二人に包まれた両の手の温かさは、かつて響と翼にもらった温かさを思い出させる。

――あたしってば何遍一人ぼっちを気取ったら気が済むんだ。と内心に自嘲しながらも、クリスはもう一度響と向かい合う決心を付ける。

 

「そういうことは家でやりなさい」

 

 そんな三人を揶揄するように、マリアはクリスの真似をする。

顔を真っ赤にして食って掛かろうとするクリスの様子に、翼は何も言わずただただ苦笑するのだった。

 

「そろそろ現場上空だ。おまえたち、準備はいいか」

 

 通信機から弦十郎の声が聞こえ、ヘリから外を見下ろすと、既にそこは炎と黒煙に満ちていた。

その遥か下方、滑走路の上に、一人の少女の姿が見える。

ヘリを見据え、仁王立ちをしているその少女は、まぎれもなく立花 響だった。

 

「行くぞ皆」

 

 翼が先陣を切ってヘリから降下する。

その手にギアのペンダントを握りしめ、響の待つ地上へと向かう。

 

「Imyuteus amenohabakiri toron……」

 

 輝きと共にギアを纏い、千ノ落涙と共に地表面へと着地する。

昨日とは違い、装者たちを待つ響によって、地上にはある程度のスペースが用意されていた。

あるいは、そのスペースはまるで格闘におけるリングのように、アルカ・ノイズを観衆として用意されたステージのようにも見える。

 程なくしてマリアが到着し、その後にクリス・調・切歌が続いた。

響はアルカ・ノイズをけしかけること無く五人が揃うのを黙って待っていた。

 向かい合う五人。

最初に口を開いたのはマリアであった。

 

「立花 響ッ! これがあなたの正義だと言うの!?」

 

 マリアの言葉に、一瞬響の表情が曇る。

しかし、答えは無い。

マリアは残念そうにひとつため息を吐くと、クリスたちを振り返る。

 

「まずはわたしと翼で彼女を抑える。あとはクリス、任せるわよ」

「あぁ、わかってる」

 

 その声に、その表情に、迷いは無い。

――あのバカを連れ戻す。という強い意思が浮かんでいる。

そんなクリスの表情に安心したように、マリアは響へと向きなおす。

 

「翼ッ」

「ああ。家出娘を皆で連れ戻すぞッ!」

 

 翼とマリアを前衛に、その後ろでクリスをかばうように切歌と調が立ちはだかる。

しばしの沈黙、しばしの対峙。

アルカ・ノイズもまた響の指揮によるものか、動こうとする気配はなかった。

 ふと、少し離れた建物で爆発が起こる。

それを合図に、響は、マリアは、翼は一斉に間合いを詰めて戦闘へと移るのだった。

 

 

 

「こと、対人格闘に於いて、響くんとまともにやり合うのは困難だろう」

――と、作戦立案に際して弦十郎は断言した。

 確かに、マリアや翼でさえも、響の格闘技術が相手では満足に立ち会うことは困難だった。

そのうえ、武器での攻撃が躊躇われるこちらに対して、響の方は遠慮なく打ち込めるのだ。

その差は誰の目にも明らかに不利だった。

 ましてや今の響は、仲間を傷つけることも厭わないだけの覚悟を持っているのがわかる。

相性の面でも、覚悟の面でも、響を降すことは不可能と言っても過言ではないかもしれない。

 

「そこで、こいつをクリスくんに使ってもらう」

 

 弦十郎はクリスにアタッシュケースのようなものを手渡した。

軽々しく片手で差し出されたそれを受け取ると、クリスはその重さに危うく倒れそうになる。

 

「おいおっさん、こいつは……」

 

 その中身を目にしたクリスは怪訝そうな顔で弦十郎を見る。

その中身には見覚えがあった。そして使い道も。

 

「こいつを正確に、響くんだけにぶち込めるとしたら……クリスくんだけだろう」

 

 真剣な眼差しを向ける弦十郎にクリスは思わずたじろいでしまう。

『それ』を使うということは、つまりはそういう事だろう。と弦十郎の考えをクリスは言外に察する。

 

「響くんを頼む」

 

 まるで父親のような顔で、父親のようなセリフを吐く。

そんな弦十郎を目にしてしまうと、クリスにはもうそれ以上何も言うことが出来なかった。

だが今は、切歌と調に支えられた今ならば。

 

「へっ、頼まれてやらァ」

 

 弦十郎の言葉を思い出し、クリスは一人呟いた。

既に手渡された『それ』は、イチイバルの弾倉に詰め込まれている。

後は引き鉄を引くだけだった。

 響とマリアは近接で打ち合い、翼はその隙をついて影縫いを放つ。

互いに直撃を躱し、隙を見てはまた打ち込む。

 そんな衝突を幾度か繰り返し、ふと三人の姿が交錯する。

響を残し、翼とマリアは大きく間合いを取ってクリスを振り返った

 

「クリスッ!」

「託したッ!」

 

 互いに同時に発声すると、眼前には響へと続く空間が開いていた。

遮るものの何一つないそこで、響とクリスの視線が交わる。

――刹那、半ば反射のようにクリスは引き鉄を引く。

銃口が狙うは響――その足元。

 撃ちだされた弾丸の不可解な軌道に響の反応が少し遅れる。

遠く外れたわけではなく、かといって被弾することは有り得ない位置への射撃。

それは本能と思考のエラーを引き起こし、「避ける」と「避けない」の判断の衝突を起こしたかのように、響の足を留まらせる。

 その弾頭は地面に着弾した瞬間にはじけ飛び、その内容物を霧のように辺りに散らした。

 

「くっ……」

 

 ようやくに反応した身体で飛び退るものの、その大半を受けてしまい響は片膝を着いた。

ギアが重く、体中が軋む。

全身が苦痛に汗ばみ、呼吸が苦しくなる。

 

「まさか……」

 

 呻くように、響は心当たりを思い浮かべて呟いた。

 

「S.O.N.G.印の」

「Anti_LiNKERデス!」

 

 調と切歌は声を合わせて言い放つ。

弦十郎から手渡されたそれは、高濃度で粘液質に改良された本作戦用のAnti_LiNKERだった。

 クリスはそれを響の足元へ撃ち込むことで、その大半を響だけに浴びせかけ、ガスよりも高効率かつ、他の装者への影響を最小限に抑え、響を無力化したのだった。

 

「勝敗は決した。ギアを解除しなさい」

 

 マリアは肩で息をしながらも、響に投降を勧告する。

響はすでにバックファイアに身を焼かれ、立ち上がることもままならない様子だった。

このままでは最悪、命に関わりかねないだろう。

 

「さあ、帰るぞ立花。事情は後できちんと聞かせてもらう」

 

 翼もまた、剣に身を預けるように呼吸が荒い。

それでも響はギアを解除しようとはしなかった。

 

「ったく、何やってんだこのバカ……ほら、早く――」

 

 差し伸べた手を払われて、クリスは言葉を途切れさせた。

憔悴しきった響は、それでもなお拒絶を示す。

 

「なッ……おまえ!」

 

 明らかな動揺を見せてクリスは後退る。

振り払われた手が、ビリビリと痛む。

振り払われたそのことで、胸が、痛む。

 そんなクリスの痛みなど気に掛ける余裕すら無く、響はその手で『それ』を取り出すと、自らの首元に突き立てる。

 

「まさかあれは!」

 

『それ』を目の当たりにして調は驚愕した。

 

「なんで響さんが持ってるデスか!?」

 

 切歌もまた、驚きの声を上げる。

 

「ぐうッ!」

 

 引き鉄を引き、響は身悶えした。

内部の薬剤が注入され、Anti_LiNKERの薬効を中和するかのように、体内を焼くかのように暴れる。

全身の血管が、神経が、脈動するかのように激痛を伴い、その身を痙攣させた。

 

「ぐあああぁぁぁぁぁッ!」

 

 苦痛のあまり、響は天に向かうように吼える。

 

 

 

「まさか……響さんがLiNKERを……でもどうやって?」

 

 エルフナインは戦慄した様子でその映像を目にしていた。

響が己に射ち込んだ『それ』は、まごうこと無きLiNKERだった。

LiNKERの製法はかつてフィーネこと櫻井了子が作り出し、その研究はF.I.S.とウェル博士に引き継がれたものの、現在ではエルフナインを除けば他に開発できるものなど居ないはずである。

 ましてや、通常必要とされない響のためのLiNKERなどは、エルフナイン自身も作り出したことがない代物だ。

 

「おまえたち! 響くんを急ぎ捕縛するんだッ!」

 

――余計なことを考えるのは後だ。と弦十郎は指示を飛ばす。

 しかし、それらは既に手遅れとなっていた。

LiNKERにより限界以上に引き上げられた適合係数は、ガングニールの出力を劇的に引き上げる。

その出力はさながらイグナイトをも上回るほどに高まっていた。

 

「立花ッ!」

「駄目よ翼! あれはもうわたしたちの手に負えるものではないわ!」

 

 思わず駆け寄ろうとする翼の手を引き、マリアが制止する。

響の周囲の地面が、白煙を、蒸気を上げている。

 

「これじゃまるで……」

「あの時みたいデス!」

 

 その熱量に調と切歌は融合症例第一号だったころの響を思い出す。

その時も同様に、響は異常な熱量を発していた。

 

「わたし、歌うよ……未来」

 

 発せられる熱量にたじろぎ、愕然とする装者を前に、響は口を開く。

旋律が、歌が、紡がれる。

 

「止せッ! そんな状態で歌ったら――」

 

 クリスの制止する声も、届かない。

それは何処までも悲しく、悼ましい。

『悲愴』という言葉が相応しい歌だった。

 

 

目論見

 

 

 響が歌い始めて間もなく、一つの高出力反応が起こっていた。

S.O.N.G.すら知り得ないその波形パターンを眺め、その男はほくそ笑む。

 

「彼奴め……妄言かと思ったが、どうやらそうではなかったようだな」

 

――と、誰もいない部屋の中で一人、呟く。

 

「早く戻れ、立花 響」

 

 男は、待ちきれない様子でモニタへ向かって語り掛ける。

無論、通信機を切っている今、何を言っても響には聞こえないことは分かっている。

 それでも、それと知りながらも、その男は待ちきれないのだ。

その手に、起動状態になった『それ』が届けられる事が。

 

「『神の力』……漸く吾のこの手に還るか」

 

 長い時を待った、随分と長い時を。

待ち焦がれ、いつしか老いさらばえた己の姿を確かめるように、傍らの鏡を覗き込む。

 そこに映るは風鳴 訃堂。

風鳴の、老獪なる防人であった。




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第三話  暗澹たる未来

少女の歌を利用して、老獪なる防人は己が野望を達成せしめんとする。
しかし、未だその野望は完遂へと至らず、更なる苦難を少女へと課していく。
一方、新たな知らせに希望を抱いたS.O.N.G.の装者たちは、その可能性を掴み取るべく敵地へと出陣する。
そこに待つのは、希望か――絶望か。


轟雷

 

 

 足元の草が火を噴き、地面は蒸気とも白煙とも言えぬものをゆらゆらと立ち昇らせる。

響の周囲に発散された異常な熱量は視界を歪め、その姿さえ曖昧にさせるほどだった。

 

「なんて熱量なの……このままじゃ取り押さえるどころか近づくことすら……」

 

 肌をちりちりと焼く熱気に、マリアは思わず一歩二歩と後退る。

そのただ中に、熱の中心にいる響は果たして無事なのかと心配になるものの、どうにも打つ手が見つからず、マリアは歯噛みした。

 

「基地施設であれば消火設備があるはずだ。しかしこの惨状では……」

 

 周囲のアルカ・ノイズこそ動かずじっとしているものの、遠くの建屋では先ほどから幾つもの爆発が起こっている。

この状況では、例え消火設備があったとしても、その機能がまともに働く可能性は低い。

 

「くそッ! どうすりゃいいんだよ……」

 

 何もできない己の無力にクリスもまた憤る。

あの時、例え何度手を払われてでも、響を、その手を引いてやるべきだったと己を責める。

何故、ただ一度振り払われただけで戸惑ってしまったのか、と。

 

「司令! 現場に新たなアウフヴァッヘン波形が!」

「未確認の波形……データに無いパターンです!」

 

 友里と藤尭はそろって声を上げた。

響の歌に呼応するかのように、新たな高出力のエネルギー反応が検知されたのである。

それは、S.O.N.G.すら知り得ない未知のパターンであった。

 

「何……だと? 翼! 響くんの周囲に聖遺物らしきものは見えるか!?」

 

 通信機越しに、耳に痛いほどに弦十郎の声が聞こえる。

翼はその言葉を聞き、響の周囲に視線を走らせるが、それらしきものは見つからない。

 

「いえ、それらしきものは――」

 

 見つからない。と答えようとした翼の目に、響の姿が映る。

その拳に、鈍く輝く金色の『なにか』を握り、空へと掲げていく。

 

「まさか……立花?」

 

 言外に、その問いに答えるかのように、響の拳に握られた『それ』は輝きを増す。

響を中心に、先ほどまでの熱に加え、帯電した空気が巻き起こり、翼たちの通信に、本部に移される映像にノイズが混じる。

 

「おおおおぉぉぉぉぉぉ!」

 

 響は耳を劈かんばかりの咆哮を上げ、その拳を真っ直ぐ空へと突き上げる。

――刹那、その拳から凄まじい轟音と共に極大の雷撃が迸り、空へと立ち上がった。

雷撃は、まるで巨木のようにその枝を散らしながら空の雲ぐもへと到達すると、厚く積層した雲を散らし、空へと大きな穴を穿つ。

 散らされた雲ぐもは依然帯電し、互いにばちばちと小さな稲妻を飛ばし合う。

 

「何なんだよ……ありゃぁ……」

 

 クリスは愕然として呟いた。

その雷撃は、ディバインウェポンのそれを彷彿とさせる圧倒的な力を見せつけ、装者たちは言葉も無く、ただその様を目にして立ち尽くすのであった。

 

 

発露する悪意

 

 

 周囲を焦がすほどの響の放熱は、雷撃と入れ替わるように治まっていた。

それでもその消耗は激しく、憔悴しきった面持ちで、荒く、肩で息をする。

 

「響さん、さっきのは一体……」

 

 調の問いに響は答えない。

視線は地面の方へやや落とし、ただただ肩で息をする。

 

「一体どうしちゃったんデスか? 響さんらしく無いデスよ!」

 

 切歌は、今にも泣きだしそうな顔で、声で、響に問う。

しかし響は、その言葉に弾かれるように顔を上げ、切歌を睨め付ける。

 

「わたしらしくない……って、何」

 

 それは静かな、それでいてひどく荒っぽい声だった。

響は苦々しい表情を浮かべて、拳を、その肩を震わせる。

 

「何も知らないくせに、知ったようなことを言わないで」

 

 ありったけの怨嗟を込めるようにそう言うと、響はテレポートジェムを取り出し、地面へと叩きつける。

幾何学模様の輝きに響が姿を掻き消していく姿を、装者たちはただただ見送ることしかできない。

響の吐き捨てたその思いがけない言葉に、誰ひとり、何も言えずに立ち尽くすのだった。

 

 

「立花 響の裏切り……そのうえ二度も逃走を許すとは、とんだ失態だな」

「言われなくとも分かっている」

 

 風鳴 八紘の叱責に、弦十郎は辟易しながらも返答する。

本部のモニタに大きく映し出された八紘は、相変わらず表情に乏しいものの、その声色には落胆とも取れる陰が感じられた。

 

「既に国連が、米国を中心に調査に動き出している。今のところ『立花 響』の存在は秘匿されているが、それもいつまで保つかは分からん」

 

 幸か不幸か、今回の事件に於いて、基地関係者に生存者は殆どおらず、僅かな生存者たちもまた、ノイズから生き延びる事に必死だったため、響の存在が認識されることは無かったらしい。

 しかし、立て続けに起こったこの二件の襲撃は共に米軍施設に対して行われたものであり、そこにはいずれもアルカ・ノイズが関わっている以上、遅かれ早かれ、特異災害に対抗している我々S.O.N.G.への追求が行われるのも時間の問題だろう。

 今はまだ監視映像に関してもノイズの襲撃によって失われたとしているが、そのような嘘がいつまでも通じるはずもない。

 

「反応兵器の危機、再び……か」

 

 苦虫を噛み潰したような面持ちで弦十郎は呟いた。

前の時は、その命を燃やし尽くすように錬金術師たちがその脅威を抑え込んでくれた。が、彼女たちももう居ない。

今度それが発射されれば、もはや打つ手は無いのだ。

 

「いや、それは当面無いだろう」

「何……?」

 

 八紘の答えは意外なものだった。

米軍施設が立て続けに狙われ、ましてやそのどちらも壊滅的な被害に見舞われていると言うのだ。反応兵器を持ち出された方が自然と言うものだろう。

 

「今朝ほど米国の大統領は暗殺された。先の、国連決議に反した行動には他国も批判的になっている事もあり、しばらくの猶予は稼げそうだ。」

「なっ……暗殺、だと」

 

 八紘は事も無げに言い放ったが、一国の大統領が暗殺されるなど、とてもじゃないが穏やかでは無い。

異常が起こっているのはこの国だけでは無いらしい。

あるいは、それもまた、響を連れ去った黒幕たちに繋がっているとでも言うのだろうか。

 弦十郎は八紘の、モニタ越しに映るその顔をじっと見据える。

冷徹・怜悧なその男は、普段から表情を顔に出すことは多くない。事実この今とて、これほど重大な事柄について、顔色一つ変えはしない。

 弦十郎は、そこにかえって違和感を覚える。

 

「兄貴、親父は何と言っている」

 

 弦十郎は父である風鳴 訃堂の事を思い浮かべて、八紘に問う。

立て続けに起こる事件とこの失態。あの老人の性格を考えれば、己から直接通信を入れてきてもおかしくないはずである。

 それが、一度目ならず二度目までも姿を表さない。

 

「先程わたしが言った通りのことだ。今日の私はあくまで代弁者に過ぎん」

「本当にか?」

 

 この状況、あの男が代理など立てるものだろうか? と弦十郎は訝しむ。

いや、あの男のことである。むしろ何時ぞやのように私設の部隊を動かし、直接の対応に当たろうとしても何ら不思議ではない。

仮にそれが米軍施設の危機であっても、この国の体制が疑われるような状況。見逃すはずもない。

 だと言うのに、今回の件に関して、あの男は何も、何一つ、直接に関わって来ようとしないのだ。

 

「兄貴、もしかして今回の件、裏で糸を引いてるのは……」

 

 あの爺いでは無いのか? という結論な行き当たる。

だとすれば、もしもそうだと考えるのなら、響たちの身柄を怪しまれることなく確保し、周辺の監視映像全てに手を加えられていた事にも納得がいく。

真実はどこにある? と、弦十郎は八紘を睨め付ける。

 

「弦!」

 

 八紘は声を荒げた。

表情にこそ変わりは無いが、その強い口調が言外に「追求をするな」と語る。

弦十郎は思わず口ごもり、それ以上何も聞き出そうとすることが出来なくなってしまう。

 

「とにかく、今は防衛と、立花響への対応を尽くせ。調査は我々の方で対応している」

 

 そうとだけ告げると、八紘は一方的に通信を切ってしまった。

それは、一切の追求に対する拒絶だった。

拳を震わせ歯噛みする弦十郎の元へ緒川が歩み寄る。

 

「風鳴の関連施設を洗え、徹底的にだ」

「はい」

 

 八紘のその態度に、弦十郎は半ば確信を抱いたように緒川へと指示を飛ばす。

もしも訃堂がこの事件に関わっているというのなら、猶予はない。

あの男は国防のために、どんな非人道的な行為も辞さない。捉えられている響や未来。そしてその家族とて、何をされているか分かったものではない。

事は一刻を争うだろう。

――響くん、未来くん。無事で居てくれ。と、然しもの弦十郎とて、ただただ祈る事しか出来ないで居た。

 

 

 

「気取られたか」

「はい、恐らくは」

 

 八紘の報告に訃堂は特段慌てた様子も見せなかった。

むしろ訃堂にとっては、これほどの状況に於いてなお、その可能性に行き当たらない方が、弦十郎の能力に対し不安になるというものだった。

 

「構わん、捨ておけ」

 

 そう吐き捨てて訃堂は廊下をひた進む。

先程から何処かへ向かっているらしいが、その行く先は杳として知れない。

昔ながらの古い木造の床は、しかしその見た目の古さに反して軋むことなく、しっかりとしているらしかった。

 八紘は既に、我が家の事ながら、今自分がどの辺りにいるのかを計りかねていた。

 

「どこへ向かっているのです」

 

 あまりに長いその道行に、いよいよ持って不安を抱き、八紘は先を行く父に目的を問う。

しかし訃堂は歩みを止める事なく、その背中越しに答えを返す。

 

「風鳴の、始まりの地よ」

「風鳴の、始まり……?」

 

 訃堂はそれ以降何一つ口を開く事は無かった。

いくつもの角を曲がり、いくつもの廊下を進み、宛らそれ自体が聖域へ至るための、ある種の儀式のように、薄暗い廊下を進む。

そうして二人は、古びた木造建築に、あまりに似つかわしくない近代的なゲートへと辿り着いた。

 訃堂がセキュリティユニットのドアを開き、その中へと入り込むと、しばらくの後、空気の流れゆく音とともに重々しくもゲートが開かれる。

そのゲートが開く間際、内部へと強烈な吹き込みがあったのは、内部が真空に保たれていたことを伺わせた。

 セキュリティユニットから出た訃堂は、内部へと侵入する。

それに伴い室内に自動で明かりが灯ると、二人の目の前に、またも異質な物体が姿を現した。

 

「これは……」

 

 然しもの八紘も動揺を隠せず、その顔に、その声に驚愕の色が浮かぶ。

二人の目の前に鎮座していたのは、大きさは凡そ六メートルほどはあろうかという大きな――鉄釜にも似た形状の物体であった。

 訃堂はその、とある外殻へ近付くと、先の戦いにて立花 響が起動させたという聖遺物をかざす。

――刹那、その鉄釜は大きな音とともにその全体を震わせて、各所に光を湛え始める。

 

「二百年余り前、この地に此奴が流れ着いたことが、風鳴の家の始まりよ」

 

 そう語る訃堂の顔には、年齢に似つかわしくない、まるで少年のような無邪気な笑みが浮かぶ。

余りの出来事に唖然とする八紘を尻目に、訃堂はその中へと入り込むと、その内側をあちこちに触れている。

 

「これは……これは一体何なのですか」

 

 八紘は、ただただ愕然として訃堂へと問う。

訃堂は、やや面倒臭そうに八紘へと語って聞かせる。

 

「曰く、神を乗せて空を駆ける船の伝承は世界各地に偏在しておるという……これもまた、その内の一つだ」

「神の……」

 

 その言葉を聞き、八紘は先日訃堂から聞いた『神の力』の話を思い出す。

あの時は、立花 響がその身に宿した力そのものを意味しているのだと思ったのだが、どうやらそうではないのかもしれない。

その、八紘の驚き満ちた表情を見て訃堂はにやりと口元を歪める。

 

「『靭舟――うつぼぶね――』……その真なる姿は、彼の国の聖典に記されている神の舟、『ヴィマーナ』と呼ばれるその一機よ」

 

 その鉄釜――『ヴィマーナ』の名を告げると、訃堂はその機内を縦に貫くシャフトのようなものを確かめるように触れる。

どうやら内部の構造を調べているようだが、それはどうにもに近未来的な造りをしているように見えた。

 

「『靭舟』……『ヴィマーナ』とは一体……」

 

 八紘の問いに訃堂は答えない。

ただただシャフトを一通り撫でた後、その身を起こすと眉を顰めて舌打ちをした。

 

「これもまた、鍵。というわけか」

 

 一人、そう忌々しく吐き捨てると、天井を仰ぎ見ながら八紘に指示を出す。

 

「八紘、『犬』を使え。彼奴等をここへ呼び込むのだ」

 

 その表情も声色も、先程までとは打って変わって重く、渋い。

恐らくは思ったような結果が得られなかったのであろう。

 

「『犬』を、ですか?」

「即時だ、二度は言わぬ」

 

 聞き直す八紘に訃堂は焦れる。

鍵は開かれたものの、その力を発揮することの出来ぬ『ヴィマーナ』を前に、苦々しげな表情で八紘に即時対応を強いた。

――もう一度歌わせねばならんか。と、訃堂は歯噛みする。

 

「どこまでも忌々しいものだな……『歌』というものは」

 

 その言葉は果たして誰へと向けられたものなのか。

その答えを知るは、訃堂のみであった。

 

 

示された希望

 

 

「未来くんたちの居場所がわかっただと!?」

 

 緒川からの報告に、弦十郎は思わず声を荒げてしまう。

それは、緒川率いる調査部がもたらした情報だった。

 モニタ上にいくつもの映像が展開すると、確かにそこには響の父親と、母親や祖母らしき人物が映っていた。

また、他の視点からの映像には資料に載っていた未来の両親も映っている。

 

「場所はどこだッ」

「茨城県神栖市……旧風鳴邸です」

 

 その言葉を聞いて、弦十郎は髪を逆立てんばかりに怒りを露わにする。

 

「あの爺い……やはり噛んでいたかッ!」

 

 その表情はさながら明王像を彷彿とさせるほどであった。

これまでの出来事を思い返し、弦十郎はその肩を、拳を、わなわなと震わせて憤る。

 

「しかし、外からの映像では未来さんの姿は……恐らく地下に幽閉されていると考えられます」

 

 緒川の予測に、弦十郎は心当たりがあった。

現在の本家とは違い、旧風鳴邸には弦十郎自身も数える程しか訪れた事がない。

しかしその、海に面した膨大な敷地には、幾つかの家屋が縦並び、やや高台の母屋には、確かに広大な地下室があったことを覚えている。

 

「急ぎ装者たちに知らせろ。未来くんたちを取り返すんだ!」

「はい!」

 

 オペレーターたちへ指示を飛ばし、モニタに表示された映像を食い入るように見つめる。

そこに姿の見えない少女を思い浮かべて、弦十郎は無事を祈った。

 

「未来くん、無事でいてくれッ」

 

 

 

 海岸沿いの道を、一台の車とバイクが疾走する。

バイクには翼とマリアが。

緒川の運転する車の荷台部分には、クリス・調・切歌がそれぞれ乗り込んでいた。

 天気こそ快晴なものの、やはり海風は冷たく、装者たちは肩を寄せ合うようにその行く先を見据える。

 

「こちら翼。旧風鳴邸を目視にて確認しました」

 

 遠目にその建物を捉え、翼は弦十郎へと報告を入れる。

話に聞いてはいたが、実際に訪れるのは翼自身も初めてであった。

 その建物が実際に利用されていたのは、翼の生まれるずっと前の事である。

 

「調査部の情報によれば、先程伝えた地点に未来くんがいる可能性は高い……頼むぞ翼!」

 

 弦十郎は、その希望を通信機越しに翼へと託す。

翼は迷いなき眼でその建物を見据え、「小日向は必ず連れ戻します」と答える。

翼の心にも弦十郎と同じく、訃堂への憤怒の炎が燃え盛っていた。

 

「翼さん、あれを」

 

 緒川の声に視線をすぐ手前の道路へ戻すと、そこにはアルカ・ノイズが立ちはだかっていた。

道路を埋め尽くすほどのその物量に、緒川は止むを得ず車を停めて、クリスたちを降車させる。

翼たちもまた、そのそばにバイクを停めた。

 

「これじゃ通れない」

「くそッ、迂回しようにも他に道は無いみたいだな」

 

 調とクリスは思わず歯噛みをする。

辺りを見回しても整備された道は他にない。

――で、あるならば。取るべき行動は一つしかないだろう。

 

「目の前に障害があるのなら」

「アタシたちの手で切り開くデス!」

 

 切歌は先陣を切って先頭に立つと、ペンダントを手に聖詠を口にする。

 

「Zeios igalima raizen tron……」

 

 ギアを展開し、身にまとう。

その輝きを切り裂くように放たれるイガリマによる一閃。

迷い無きその刃は、目の前に群がるアルカ・ノイズを一薙ぎの内に切り払うのだった。

 

「どんなもんデス!」

 

 しかし、その後ろからは、第二波・第三波と新たな群れが集まってきていた。

 

「切ちゃん!」

「あんまり一人で突っ走んじゃねーぞ」

 

 そこへ加勢するは調のシュルシャガナとクリスのイチイバルである。

無数の弾丸と飛び交う丸鋸の雨に、アルカ・ノイズたちは塵へとかえっていく。が、それでもやはり数が多く、切り開くにはどうにも時間がかかってしまいそうだ。

 

「雪音ッ! わたしも今――」

「行ってくれ先輩! あいつを……小日向を助けてやってくれッ!」

 

 自らも加勢に乗り出そうとした翼をクリスが制する。

ここで翼とマリアまでもが足止めを食っていては、本来の目的など達成できない。

だからこそクリスたちは、ここで戦うことを引き受けたのだ。

 

「しかしこの数、おまえたちだけでは……」

「翼ッ!」

 

 それでも躊躇する翼を、後ろに乗ったマリアは叱咤する。

後輩を慮る気持ちはマリアとて同じ。ましてや切歌と調はこれまで姉妹のように一緒だったのだ。加勢したいというのは痛いほどに理解できた。

 しかし、翼とマリアの目的は小日向 未来の奪還である。

ここで迷い、その機を逃せば、全ては水泡に帰してしまうのだ。

 

「彼女たちを信じて、あなたの為すべきことを為しなさい」

「マリア……」

 

 真剣な眼差しで「己の目的をはき違えるな」と「後輩たちの力を信じろ」とマリアは翼に訴える。

クリスも、調も、切歌もまた「自分を信じてくれ」と言わんばかりに翼を見据える。

――そうだ、わたしが迷っていてどうする! と、己を奮い立たせ、翼はバイクのハンドルを握りしめた。

 

「わかった。皆、ここは任せたぞ」

「ああ、任せといてくれ」

 

 互いに頷き合い、アルカ・ノイズへと向き直す。

 

「道を空けやがれッ!」

 

 クリスは狙いを絞り、翼たちの向かう先へとミサイルを、弾丸をありったけに撃ち込んだ。

 

「やあッ!」

「とぉッ!」

 

 それに続くようにして、調と切歌は刃を合わせて周囲を一掃する。

翼は、三人がこじ開けたその、手薄になった一帯へ向けて騎刃ノ一閃にて駆け抜ける。

 

「駆けるぞマリアッ! 振り落とされるなよッ!」

「もちろん!」

 

 二人は互いに声をかけ、地下へと続く通路のある母屋へと向かう。

目指すは地下――小日向未来が捕らわれているであろうその場所であった。

 

 

 

 翼たちがアルカ・ノイズと戦闘を始める少し前。

邸内を一人歩く響の姿があった。

 その表情は暗く、足取りもまた、どこかおぼつかない。

一昨日。訃堂に渡された聖遺物の起動に成功し、やっとのことで帰還した響は『それ』を訃堂に手渡すと、未来に会わせてもらえるよう約束を取り付けた――はずであった。

しかし、当初それを了承していた訃堂は、昨日になって急遽その約束を反故にしたのである。

 その理由は響へ明かされることも無く、響はただただ軋む身体を引きずるようにして、自らの家族の元。そして、未来の家族の元を訪れようとしていた。

 

「未来……」

 

 いつも隣にいたはずの親友は、今はどこにも居ない。

ここへ連れて来られてからというもの、引き離された最初の日を除けば、一度もその顔を見ていない。声を聞いていない。

 今、未来がどんな目に遭っているのか。何を思っているのか。

それすらも、何一つ、響にはわからない。

 

「ねぇ未来。わたし、どうしたらいいのかな……」

 

 答えは無い。

あるはずがない。

分かっては居ても、問わずにはいられなかった。

答えを教えて欲しかった。

導いてほしかった。

 

「未来が居なきゃ、わたしは自分が正しいかどうかだってわかんないんだよ……」

 

 俯きながら、よろめきながら。

響が歩いたその後には、幾つもの涙の跡が残されていた。

 

 

 

 家族の捕らわれた部屋へやってくると、父も母も、祖母も変わり無いようで、響は少しだけ安心をした。

しかし、父と違って、詳しいことを知らされていなかった母と祖母は、響の身をとても心配していたらしく、一昨日の戦いの傷についても、悲しそうな顔を見せる。

 響はそんな二人にこれ以上心配をかけまいと、いつもの口癖通りに「へいき、へっちゃらだよ」と強がって見せるのだが、内心に「また迷惑かけちゃったな」と自分を責めるのだった。

父――洸だけはそんな響の気持ちを察してか、優しく笑って頭を撫でる。

 

「俺たちは大丈夫だ。だから響も無理をするな。何かあったら遠慮せずに言ってくれ」

 

――と真剣な顔で言われ、響は少しだけ救われた心持となった。

 

「うん、ありがとうお父さん」

 

 そう言って響は笑顔で部屋を後にする。

しかし、その後に寄った小日向 未来の両親の部屋では、散々に罵られ、詰られて、少しだけ上向いた心は、再び失意の底へと突き落とされてしまうのだった。

 

「だからこんな子と付き合うのは反対だったのよ」

「あの子に何かあったらただじゃおかないからな」

 

 そう声を荒げる未来の両親は、中学時代に響へと心無い言葉を浴びせかけた彼らと同じ顔をしているように見える。

響は、ただただ機械のように「ごめんなさい」「わたしが必ず何とかします」と、何度も何度も繰り返し二人に伝えるのだった

 二組の面会を終え、半ば放心したような状態で「わたしの守りたいものって、何だっけ……」と思い浮かべながら、与えられた自室へ響は戻ろうとする。

しかし、そこへ追い打ちをかける様にして、侵入者の報せが入ってきた。

 

「敵は三人。あの娘を守りたいのであれば、戦え。立花 響」

 

 どこまでも冷たく、重い声で訃堂は指示を飛ばす。

響は静かに「わかりました」とだけ答えると通信を終え、軋む身体を、壊れそうな心を押して外へと向かうのだった。

 

 

 

 響が表へと出てくる頃には、クリスたち三人は、既に邸宅前までたどり着いていた。

アルカ・ノイズの数は多く、既に満身創痍の様相である。

とはいえ、響自身も先の無茶が効いている。

コンディションのみで言えば五分五分と言ったところだろうか。

 

「よう、ちょっとやつれたか?」

「……何しに来たの」

 

 クリスの軽口に、響は冷たく返す。

 

「そう邪険にすんじゃねーよ。おまえ、小日向の事で脅されてんだろ」

「だったら何?」

 

 図星を指されたかのように、響は苛立った様子で答える。

 

「響さん……」

「クリス先輩……」

 

 調と切歌は、そんな二人のやりとりを心配そうに見守っていた。

 

「助けに来たに決まってんだろ、このバカ」

 

 気恥ずかしかったのか、少しだけ顔をそむけるようにクリスは言う。

しかし、それに対して響の面持ちは暗い。いや、そこには苛立ちすら見て取れる。

 

「何も知らないくせに、偉そうなこと言わないで」

 

 響は苛立ち混じりに反論すると、拳を構え、腰を落とす。

どうやら交渉の余地はないらしかった。

 

「だったらちゃんと説明しろってんだ……おい、やるぞ」

「はい」

「仕方ないのデス……」

 

 三人もまた、それぞれのアームドギアを構えて対峙する。

そこに込められた覚悟とは何か。

そして、響の戦う理由とは何か。

身も心も、己自身も傷つけて、少女は何のために、誰がために拳を握るのか。

 答えは未だ明かされること無く、目の前にはただ、暗澹たる戦いの宿命だけが、四人を待ち受けているのであった。

 

 

陽だまりの少女

 

 

 薄暗い地下通路を翼とマリアは駆ける。

迷路のように複雑なそれは、ともすれば容易に迷ってしまっても不思議では無いはずだった。

しかし、二人は見えざる意思に導かれるかのように、迷うことなく真っ直ぐと目的地へと進んでいく。

それは、灯された明かりのせいか、はたまたところどころに見える電子キーのランプの明滅によるものか、二人にはわからなかった。

 幸いにして二人は、一度も迷うことなく小日向 未来の元へたどり着いたのである。

 

「小日向ッ! 無事かッ!」

 

 勢いよく扉を開くと、やや薄暗い部屋の中に一人の少女の姿が見える。

その少女――小日向 未来は虚ろな眼差しを翼たちに向けるが、その口から発せられるのは、まるで呻くような、言葉にならない言葉だけだった。

 

「おい、小日向?」

 

 答えは無い。

だぶついた、ツナギのようなものを着せられて、口元まである襟の中で、埋もれるように動かされた口からは、ただただ、だらしなく涎が垂れている。

翼は脈拍を測るべく袖口をすこしだけ捲ったのだが、そこにある夥しい注射針の跡に思わずその顔を顰めてしまうのだった。

 

「この臭い、まるで……」

 

 マリアは口元を押さえながらぽつりとこぼす。

部屋に充満しているのは、まるで腐臭のようにも感じられる。が、今は未来の身体を隅々まで確認している余裕などは無い。

 その身の安否は気になるものの、まずは何よりも、ここから脱出することを優先しなければならない。

マリアに未来を預けると「小日向を頼む」と言って、翼は本部へと報告する。

 

「小日向の身柄を確保……ですが、激しい衰弱が見られます。メディカルルームの手配を頼みます」

 

 そう告げると、マリアに「脱出するぞ」と合図を送る。

剣を握るその手が、怒りに震えているのをマリアは決して見逃さなかった。

その肩が、背中が、あの男への怒りに燃えている。

 

「風鳴 訃堂……貴様はどこまで人の道を外れれば気が済むッ!」

 

 胸の中の、煮えたぎる憤怒を吐き出すかのように翼は咆哮する。

陽だまりのように笑う少女は、もうどこにも居ない。

そこに居るのは――そこにあるのは最早、小日向 未来という少女の形骸でしかなかった。




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第四話  繋いだ手

翼とマリアは、旧風鳴邸の地下にて遂に未来を発見する。
しかし、未来は既に心神喪失の状態となっていた。
訃堂に対する怒りを胸に、まずは未来の救出を優先する翼とマリア。
その頃――地上では、クリス・調・切歌の三人が、響の足止めをするべく対峙していた。
果たして装者たちは、未来を掴み取る事が出来るのか。


戦う理由

 

 

「限界が近ぇ……こっからは出し惜しみ無しだ」

 

 クリスは完全に息が上がっていながらも、二人に檄を飛ばす。

ここまで、旧風鳴邸前で戦端を開いて以来、休む間もなく戦い続けてきたのである。

すでに、気を抜けば膝が笑ってしまいそうなほどに消耗しきっている。

 

「わかっています」

「何としても響さんを押し留めるデスよ」

 

 そう答える二人の表情も随分と苦い。

これまで二度戦い、二度とも敗れた相手に対し、こうまで満身創痍で挑まなければならないというのは、傍目から見ても不利であった。

 だからこそ歌うのだ。三人で。

 

「ユニゾンッ……だからと言って!」

 

――負けるわけには行かない! と、強い意志をその拳に、瞳に宿し、響は踏み込む姿勢を見せる。

 その姿からは疲労も、ダメージも、微塵も感じることはできない。

――けど、あいつだってあの無茶。平気なはずが無ぇ。と、クリスは響の様子を伺う。

 事実、先程クリスが指摘したようにその顔は随分とやつれ、目の下には悼ましいまでの濃いくまを刻んでいる。

建物から出てくる時の、おぼつかない足取りも、全て一昨日の無茶によるものだろう。

――そうまでして、手を振り払うのかよッ! と、クリスは内心に吐き捨てる。

 しかしそれは、響に対して憎しみを抱いたからでは無く、ただただ悔しくて、悲しくて、堪らないからに他ならない。

仲間として苦しみを分かち合ってもらえない事が。こうしてたった一人、命の危険すら顧みずに無茶を重ねる事が、クリスには何より辛いのだった。

 

「ちゃんと全部説明しやがれってんだ、このバカ!」

 

 怒声と共に乱れ撃つ。

その弾丸一つ一つがクリスの心の叫びでもあった。

響は咄嗟に横へとそれを躱し、強く大地を踏み込んだ。

 

「クリスちゃんには関係無いッ!」

「ちッ!」

 

 飛び込むように一気に間合いを詰める響に対応しきれず、クリスは後方へ飛び退さりながら、響へ向けて銃弾を浴びせかける。

 その弾丸は完全に響きを捉えたかに思われたが、響はすんでのところで脚部ユニットによるインパクトハイクにより、僅かに斜線から逃れ、再びクリスへと迫る。

 

「そうはさせないのデスッ!」

 

 そんな響とクリスの間へ割って入るように、イガリマの一撃が閃いた。

 

「邪魔をするなァッ!」

 

 大鎌の一撃にその勢いを殺され、響は一旦後退さると、今度は切歌に向かってその拳を打ち出す。が、その拳は空を切る。

切歌は手にした鎌の柄を軸として、咄嗟にその身を回転させるように響の一撃を躱したのだった。

 

「あ、危なかったのデス」

「このッ!」

 

 我ながらよく避けたものだと胸を撫で下ろす切歌に、再び響は飛びかかろうとする。

 

「させないッ!」

「調!」

 

 その足元に無数の丸鋸を撃ち込まれ、またも響は足を止めた。

ままならない状況に、響は歯噛みしながら三人を睨め付ける。

確かに、ユニゾンにより三人のギアの出力は明らかに高まっている。

 しかし、こうして響が翻弄されているのは、響自身のコンディションによるものだけではなかった。

 

「いいぞおまえたちッ」

 

 通信機越しから弦十郎の声が届く。

それは、事前に皆で打ち合わせた通りの立ち回りだった。

響の身体能力と戦闘センスは、こと近距離の格闘戦に持ち込まれてしまえば、太刀打ちできない程に高い。

それ故に、本来不利なはずのクリス・調・切歌が足止めを対応するにあたり、互いに互いを援護しつつ、距離を稼ぐ算段で挑むのであった。

 

「けど……」

「長くは持ちそうに無いのデス……」

 

 調と切歌は弱音を吐く。

それもそのはずで、響の野性じみたその反応速度は、打ち合う度にその精度を増し、一つ間違えば拳の餌食になりかねないほどの順応を見せている。

 

「くそッ……頼むぜ先輩。早く小日向を連れ出してきてくれッ!」

 

 切歌を狙い拳を振るう響に対し銃弾で牽制しながら、クリスはただただ翼が戻ってくるのを待つしかなかった。

 

 

 

 ちょうどその頃、地下室では翼とマリアが未来を発見、その身を確保していた。

振動音と爆発音が地下までも響いてきている。

それは、地上で三人と響の交戦が始まったことを示しているのだろう。

 

「始まったようね」

 

 地上の様子を気にかけてマリアは呟く。

しかし、翼は答えない。

 

「翼、あなたの怒りはわかる……けど今は――」

「ああ、分かっているとも」

 

 訃堂を討つよりも小日向 未来の回収が先だ。とマリアは促そうとするが、どうやら要らぬ心配だったらしい。

その身を焦がす憤怒の炎を、翼はなんとか胸の内に抑えると、未来をその身に背負う。

 

「マリア、頼む」

「ええ、任せてちょうだい」

 

 目の前を塞ぐように現れたアルカ・ノイズに対し、マリアは「待ってました」と言わんばかりにギアのペンダントを取り出すと、聖詠を口にした。

 

「Seilien coffin airget-larm tron……」

 

 眩い白銀の輝きがその身を包む。

アガートラームを見に纏ったマリアは、眼前の敵へと無数の短剣を躍らせた。

見る間にアルカ・ノイズたちを一掃し、二人はその地下室を後にする。

 しかし、通路へと躍り出た二人の視界は、通路のはるか先までも、すでにアルカ・ノイスたちによって埋め尽くされていた。

 

「どうやら、温存して正解だったようね」

「ああ、思う存分に暴れるが良い、マリア!」

 

 マリアは新たな短剣をその手に、今度はその身をアルカ・ノイズの群れへと躍らせると、華麗な身のこなしで行く先を塞ぐアルカ・ノイズたちを次々と討ち果たしていく。

その後ろ、未来を背負った翼は、僅かばかり残った残党を撫で斬りにしながらその後を追う。

敵の妨害が予測されるとして、翼は予めマリアにギアを温存するよう言っておいたのだった。

たとえ小日向 未来を発見できたとして、二人とも消耗していては脱出も難しいだろう。という見立てからのことだった。

 結果的にそれが功を奏し、今や万全の状態でマリアは道を切り開く。

翼の天羽々斬では、この狭い地下通路での戦いは不利である。

その点アガートラームの短剣ならば造作もない。

 その二人を、別の部屋から監視する人物があった。

 

「果敢なき者が……その身が何を背負っておるかも知らずに」

 

 侮蔑を込めて訃堂は吐き捨てる。

もはやその眼差しは、己が子に対するそれでは無かった。

 

「上の様子はどうなっている? 彼奴等の歌は?」

 

 訃堂は、翼に対して興味すら無くしたかのように四人の様子を問う。

いや、あるいは事実として、既にその目論見さえ達成されてしまえば、翼の存在は必要ないのかもしれなかった。

 

「エネルギー自体は上昇しています……ですが――」

「まだ、まだ足らんと言うのか」

 

 憎悪に満ちた眼差しで、訃堂はその映像を睨め付ける。

響は、まだ歌ってはいないらしい。

それは先日から続くダメージによるものか、あるいはその精神的な面によるものか。

 

「何をしておる、歌え……歌わんかッ」

 

 焦れた様子で通信機越しに届けられた訃堂の指示は、皮肉にも響に大きな隙を生じさせる。

それに気を取られた瞬間、響の足元に撃ち込まれたミサイルは無残にも炸裂し、その直撃を受けた響の体を数メートルの向こうへと吹き飛ばしたのであった。

 

 

 

 朦朧とする意識の中、響は訃堂と会った時の事を思い出していた。

 下校のチャイムが鳴る学園。

響と未来は、互いに今夜の夕食や、週末どこへ出掛けたいか。などと、他愛もない言葉を交わしていた。

そんな二人のいる教室へ、見慣れぬ教員が駆け込んできた。

――おばあさんが車にはねられた。

 そう、告げられた響は、一瞬その言葉の意味を理解出来なかった。

 

「え? おばあちゃんが……何って……」

 

 震えた声で響は聞き返す。

聞き間違えであってほしいと切に願う。

 

「今、市外の病院で治療を受けているの。一刻を争う状況よ」

 

 全身の血が引くような感覚を覚え、足元がぐらつく。

思わず倒れこみそうになるその体を、慌てて未来が支えた。

 

「響……」

 

 なんと声をかけて良いかもわからず、未来もまた戸惑っている様子だった。

 

「校門のところに車を手配してるわ、急いで」

 

 女性教員の言葉に弾かれるように、響は立ち上がって走りだす――荷物すらも持たずに。

すれ違う生徒が、教員が、口々に響を叱責していたように思う。けれど、その言葉は、その意味は、全く響には届かなかった。

ただただ、あの優しい祖母の安否を思い、駆ける。

 校門に着くと、確かに車が一台停まっていた。

響が慌てて乗り込むと、間も無く未来も追いついて、一緒に車へと乗り込む。

病院へ向かう車の中、響はずっと、握り込んだ拳を震わせていた。

そんな響の拳を包むようにして、未来は黙って寄り添っていたのだった。

 

「立花響さんですね」

「はい! あの、おばあちゃんは……おばあちゃんは無事なんですか!?」

 

 市外の見慣れぬ病院の受付で、響は思わず声を荒げる。

――良いから早く案内して下さい! と、院内のスタッフを急かしていた。

 

「あなたはここでお待ちください」

 

 と言われ、待合室のソファへと腰掛ける未来を残し、響は案内されるがままに着いて行く。

 

「あの、おばあちゃんは無事なんですか?」

 

 案内するスタッフの背中に声をかける。が、答えはない。

不安ばかりが胸の内に膨らみ、今にも張り裂けそうで苦しくなる。

しばらく歩いた後、響はとある一室へと通された。

しかし、たどり着いたそこは、病室では無かった。

 薄暗い院長室のようなその中に、黒服の男たちが並ぶ。

その中心――響と向かい合う位置に座していたのは、他ならぬ風鳴 訃堂であった。

 

「あの、なんなんですか? おばあちゃんは何処にいるんですか!?」

 

 余りに異質な状況に、響は動揺して声を上げる。

そんな響の目の前に、一つの大きな端末が置かれた。

 そこには見知らぬ一室に、まるで閉じ込められたかのような家族の姿があった。

祖母の姿もまた、その中に映っている。

 

「立花 響」

 

 訃堂は、重々しくその口を開く。

響は名を呼ばれ、その身を緊張させる。

 

「貴様は何のために、誰がためにその拳を振るう?」

 

 訃堂は響へと、問う。

戦う理由を。拳を握る理由を。

肚の内を探るような、その薄暗い目に射抜かれて、響は思わず立ち竦む。

 

「守りたいものが、あるからです」

 

 内心の脅えを、戸惑いを隠すかのように、響は己を奮い立たせるようにして訃堂を見据える。

 

「守りたいもの……か」

 

 嘲るように訃堂は笑って、その言葉を繰り返した。

そして再びあの、薄暗い眼差しへと戻ると――

 

「ならば吾に力を貸せ。立花 響」

 

――と、響に持ちかける。

響はいま自分が置かれている状況の何一つが分からずに、戸惑う。

 

「あの、言ってる意味……全然わかりません。これは、何なんですか? 何でわたしをこんな……」

 

 戸惑い、ただただ動揺する響に向けて、落胆を込めたため息を吐くと、訃堂はその理由を告げる。

 

「『神の力』が必要なのだ」

 

 その言葉に、響は全身が総毛立つ思いがした。

目の前のこの男は、あろうことかあの忌々しい力を欲してると言うのだ。

 

「あなたたちは一体何なんですか……なんで『神の力』なんて……」

 

 数歩後退る。が、黒服たちは入り口のドアを既に塞いでいる。

このままでは逃げ場はないだろう。

 響は胸のペンダントを取り出すと、口を開く。

この力、人に向けたくなどはない。けれど、『神の力』を欲するような人たちである。何としてもこの場を脱して弦十郎たちに助けを求めなければならない。

覚悟の元、響は聖詠を歌おうとする。が――

 

「小日向 未来」

「ッ……!」

 

 訃堂が口にしたその名を聞き、響はその身を硬直させた。

何故気づかなかったのだろうか?

響がここへ誘い出されたとすれば、共にここまでやってきた未来も当然――

 

「貴様が出来ぬと言うのなら、あの哀れな娘に代役をさせるまでだ」

 

 響の見せた反応に満足し、訃堂は追い討ちをかけるように言う。

 

「待ってください! 未来は関係ない……未来には手を出さないで下さい!」

 

 絶望的な表情で、響は必死に訴える。

親友を、わたしの陽だまりを巻き込むわけにはいかない。と、なんとか未来を守りたい一心で。

その答えを聞くと、訃堂は口元を歪めながら、響に座るよう促す。

 

「これからの大切な話をしようではないか。それは貴様の目的とも、いずれ合致しよう」

 

 全ては最初から仕組まれていたことだったのだ。

あの女性教員も、今にして思えば、見たことのない人物だった。

この医療施設も、他に一般の人々が一人も居なかったではないか。

――わたしが、わたしのせいで未来が。そう自分の愚かさを思い知らされ、響は力なくその場へ、ぺたんと座り込む。

 そんな姿を見て、訃堂はその表情を、その口角を、さらに歪めるのだった。

 

 

繋いだ手

 

 

 やがて土煙が治まると、そこには地面に突っ伏した響の姿があった。

クリスはその身を案じたが、響が何とか起き上がろうとするのを見てほっと胸を撫で下ろす。

 

「終いだ。勝負はついた」

 

 クリスは響に呼びかける。

その声色は、優しく、少しだけ悲しそうに聞こえる。

 

「もうこんなのやめましょう。事情を話してください」

 

 調もまた、悲しそうに、響の答えを求める。

 

「アタシたちは響さんと戦いたくなんてないデスよ」

 

 泣き出しそうな声で、泣き出しそうな顔で切歌もそう訴える。

しかし、それでも響は、黙って立ち上がると、その首元にLiNKERを突き立てる。

 

「私が、未来を守らなきゃ……」

 

 引き鉄に掛けた指へと力を込める。

己の過ちを思い出し、覚悟を、決意を胸に抱く。

 

「もう止めろよッ! おまえ一体どうしちまったんだよ!」

 

 堪え切れずにクリスが叫ぶ。

その目から、いくつもの涙が粒となって溢れるのを見て、響は指を止めた。

その胸の内を、後悔が、葛藤が、良心の呵責がぐるぐると渦巻いて、言葉に詰まる。

 

「あたしのこの手を最初に繋いだのはおまえの方じゃねーか……今更一方的に放してんじゃねぇよ」

 

 クリスは銃を落として、差し伸べるように手を向ける。

もう一度掴んでくれと、響に向けて真っ直ぐと突き出す。

 

「クリス……ちゃん」

 

 響もまた、手にしたLiNKERを地面に落とすと、戸惑いながらも歩み出そうとする。

そこへちょうど翼からクリスへと通信が入った。

 

「わたしだ。小日向の身柄は確保した。二人の両親も既に緒川さんが救出済みだ」

 

 その朗報に、クリスの、調と切歌の顔がパッと明るくなる。

これで響を踏みとどまらせる理由など、何一つ無くなったはずだ。

 

「本当か、先輩」

 

 確かめるようにクリスは問う。

あの先輩が嘘をつくものか。と、分かってはいるが、その無事を確かめたかった。

 

「ああ、これから緒川さんとの合流ポイントへ向かう。立花にも、教えてやれ」

 

 その言葉尻が少しだけ消沈しているように聞こえたのが気に掛かったが、それでも未来や家族が救出された事は事実のようだった。

 

「おい、聞け!先輩たちが小日向の事を――」

「――小日向未来が、連れ出された」

 

 響もまた、今まさにその報せを訃堂から受けていた。

翼が、マリアが。未来を連れ出したと言うのだ、この地下から。

そして、こともあろうにこの旧風鳴邸の敷地を、今まさに脱しようとしているという。

 クリスと訃堂。二人の知らせを受けた響は、その顔に一目でわかる動揺を浮かべていた。

響は何故今まで気付かなかったのだろう? と、自問する。

ここには最初からクリスと調、そして切歌の三人しか居なかった。

ならば、残る翼とマリアは別行動を取っているのは当然のこと。

 その考えに至らなかったのは、先日から続く無理に、身も心も余裕を持てなかったからだろうか。

あるいは直前に受けた、未来の両親の言葉によるものか。

 いや、今はそんなことを考えている余裕など無かった。

未来が、ここから、連れ出されようとしているのだ。

 

「だめ……だ」

 

 ぽつりと呟くように言う。

クリスたちはその言葉が聞き取れず「何だ?」と聞き返した。

 

「連れて行っちゃ駄目だッ!」

 

 そう叫ぶや否や、必死な形相で足元のLiNKERを拾うと、響は一息にそれを射ち込んだ。

 

「響さん!?」

「LiNKERを!?」

 

 調と切歌は揃って声を上げる。

まさかここでLiNKERを使うとは、予想だにしなかった。

未来も、その家族も救出された今、響を縛るものなど無いはずだ。

だというのに。

 

「何やってんだこのバカッ!」

 

 クリスは再度戦いの構えをとる。

あんな状態でのLiNKERなど、それこそ自殺行為に他ならない。

一刻も早く連れ戻して体内洗浄をさせなければ。と、取り押さえにかかる。

 

「どけぇッ!」

「ぐあッ!」

 

 しかし、一瞬出遅れたためか、あるいはLiNKERによって響の力が高まったためか、その突進を受けてクリスは吹っ飛ばされてしまう。

 

「マリア! 響さんがそっちに行ったデス!」

「なんですって!?」

 

 切歌はクリスを抱き起こしながらマリアに連絡をする。

響はもうすでに遥か先まで駆けて行ってしまった。

 

「立花が!? 一体何があったというのだ!」

「わからない。でも未来さんが救出されたと聞いた途端に……」

 

 翼の問いに調が答える。

――救出されたと聞いてから? と、翼は訝しむ。

救出前ならばともかく、救出されたのを知って激昂するなど、何か理由があるに違いない。

 果たしてこのまま小日向を連れ出して良いものか。と、翼は逡巡して立ち止まる。

何かが胸に引っかかっている。

 

「何を呆ける暇があるッ!」

「ま、待てッ! マリアッ!」

 

 そんな翼に焦れた様子で、マリアは半ば引っ手繰るようにして未来を背負うと、合流ポイントへと駆けていく。

翼はマリアを制止するが、すぐ後ろに響が迫っている状況。マリアは悩むのは後だと聞き入れない。

 

「待って! お願いだから未来を連れて行かないでッ!」

 

 響の声はすぐそこにまで迫っている。

翼は走りながらも、必死にその引っ掛かりの――違和感の正体を探る。

裏切り敵対する仲間。

戻らない理由。

話せない事情。

 ふと、クリスの放った言葉が頭をよぎる。

 

「首根っこ引きずってでも、連れ帰ってやらァ!」

 

 響と対峙した際に、クリスはそう言った。

その言葉は、かつてソロモンの杖を奪還するために、F.I.S.に取り入ったクリスに対して翼が放ったものと同じだった。

 あの時、クリスの首にはウェル博士による爆弾が取り付けられていたはずだ。

しかし、響の首元にそんなものは無かったはず。

ならば――

 

「まさかッ……」

 

 最悪の考えが浮かび、翼は慌ててマリアへ、その背に抱える未来へと視線を走らせる。

その服の襟は高く、首元まで隠してしまっていた。が、僅かに明滅する赤い光を目にして、確信する。

響ではない。首輪をつけられていたのは――

 

「止まれッ! マリアーッ!」

「駄目だァーッ!」

 

 翼と響が同時に声を上げる。

マリアはその切実な声に、思わず未来の手を取り立ち止まろうとした。

 しかし時既に遅く、電子音が聞こえたその刹那。マリアの背の辺りで閃光が瞬いた。

抗いがたい衝撃を受けて、未来の手を取ったままマリアは遥か前方へと吹き飛ばされる。

程無くして、轟音は周囲の山々との間で木霊し、木々の間から鳥たちが飛び出していった。

 

「先輩、何があったんだ! 先輩!?」

「マリア! 聞こえる? マリア!」

「返事をするデスよ! 二人とも!」

 

 三人の声が通信機越しから聞こえてくる。

しかし、翼はただただそこへ立ち尽くし、答えることが出来ずにいた。

マリアは衝撃に意識を朦朧とさせ、呻いている。

響は立ち止まり、言葉もなく膝から崩れ落ちた。

 マリアはその身をゆっくりと起こすと、自分の身に何が起こったのかすらはっきりしない頭で、未来の安否を気遣った。

しかし、その姿が見つからない。

 

「小日向……未来?」

 

 マリアはふと、その手に握られた感触を思い出す。

衝撃の直前に、わたしは確かに彼女の手を取ったはずだ。と、視線を向ける。

やがて、土煙が治り始めた頃。

マリアはその目を見開き、声にならない叫びを上げる。

 その手には、確かに未来の手が握られていた。

しかしそれは、辛うじて爆発より守られただけの、手首より先を喪失した小日向 未来の残骸であった。

 

「風鳴……訃堂ォーッ!」

 

 ありったけの怨嗟を込めて、翼はその名を叫ぶ。

戦場に響き渡る慟哭。

運命は、どこまでも残酷に、少女たちの未来を閉ざしていく。

繋いだ手、放された手。

 それはもう、繋ぎ直すことはできないのだろうか。




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第五話  ブラックアウト

万事万物、全てのものは表裏一体。
少女もまた、その輝きの強さゆえに暗転し、その善性を憎悪に染めた。
誰よりも人を愛した少女は今、誰よりも人を憎んで拳を握る。
その行く末に、光は未だ見えず。


瓦解する絆

 

 

 海沿いの木立の中を流れる潮風へと、僅かに焦げ付いた臭いが混じる。

耳鳴りは、今なお止む事なく続いてる。

そうして、言葉もなく、ただただ呆然と立ち尽くす翼の元へ、クリスたちは慌てて駆けつけた。

 

「先輩、無事か?」

「雪音……」

 

 クリスの問いに、翼は力無く応える。

外観からは大した怪我はないようだったが、どうにも様子がおかしいのが見て取れた。

調は、倒れたままに嗚咽を漏らすマリアのそばに駆け寄って、その安否を気遣っていたが、その手に握られたものに気が付くと、青ざめた表情をして翼へと振り返った。

 

「翼さん、未来さんは……?」

 

 翼は調の問いに答えることなく、ただただ苦い表情を浮かべていた。

その無言が、その表情が、最悪の答えを予想させる。

 

「さっきの爆発は何だったんデスか? 未来さんは……未来さんはどこにいるんデスかッ」

 

 切歌もまた、その『残骸』に気が付き声を荒げる。

頭の中では分かっていた。けれど、分かりたくなかった。信じたくなど無かった。

 

「おい、嘘だろ」

 

 クリスは漸くに『それ』に気が付き、一歩二歩とよろめきながらも翼に歩み寄る。

震える手で、翼の胸ぐらを掴み上げる。

 

「あんたさっき『救け出した』って言ったじゃねぇかよッ! 小日向は……小日向はどこに居んだよッ!」

「雪音……」

 

 涙混じりにクリスは翼を責め立てる。

そうすべき相手は翼ではないと知りながらも、分かっていながらも、それでも、信頼を寄せた翼が、あの少女を救ってやれなかった事が、どうしても許せなかった。

 

「すまない、雪音」

「何でなんだよ……なんでこんな風になっちまうんだよ……」

 

 苦々しげに翼は詫びる。

クリスとて、翼自身が何より己を責めているのは分かっているのだ。が、それでも行き場をなくした憤りを、どうしても翼へと向けてしまう。

 

「なんで……」

 

 響が、言葉をこぼす。

大粒の涙と共に。

 

「わたし、言ったよ……『連れて行かないで』って」

 

 一歩、また一歩と、翼たちの元へと響は歩み寄る。

その声が震えているのは、悲しみに打ちひしがれての事だろうか。

 

「なのに、なんで」

 

 それとも、抑えきれぬ怒りによるものか。

 

「何で未来を連れて行ったんだッ!」

 

 悲痛な表情で響は吼える。

その表情を、姿を、どす黒い激情が塗り潰すが如く、黒に染めていく。

それはまるで、その身に抑えきれぬ怒りが噴出するかのように、ギアから放たれていく。

 

「まさか、そんな……」

 

 モニター越しにそれを見ていたエルフナインは、愕然とした表情で驚きをこぼす。

 

「響ちゃん周辺のエネルギー増大……異常な数値を示しています」

「嘘だろ、まさかこれって……」

「暴走……だとッ!?」

 

 友里と藤尭の報告、そして目の前に映し出された響の姿に弦十郎もまた、驚きを隠せずにいた。

黒く染まったその姿は、たしかにまるで、暴走を思わせる。

 

「そんな……ダインスレイフの焼却によりイグナイトモジュールは喪失われたはず……融合者でもない今の響さんに暴走なんて!」

 

 出来るはずがない――そのはずだった。

かつて響が引き起こした暴走は、ガングニールの破片との融合により引き起こされた現象であり、ギア本来に搭載された機能では無い。

マリアの暴走も、あくまでイグナイトによって呼び覚まされた衝動に呑み込まれた結果に起因するものである。

 そのどちらも失われた今、装者たちに『暴走』という現象は起こり得なかった。そのはずであった。

しかし、その姿は、まごう事なき黒い衝動の化身――暴走のそれに他ならない。

 

「くッ……!」

 

 翼は咄嗟に『影縫い』を放つ。

これまで幾度となく躱されてきたそれは、理性無き響の影を容易に捉えた――が、それでもなお、響はじりじりとその身体を動かしていく。

 最早、膨れ上がるその力は、対人戦技だけで抑えることは敵わないらしい。

 

「月読! 暁! マリアを頼むッ! 雪音、ここは退くぞ!」

 

 翼は調と切歌へと指示を飛ばし、クリスへと向き直る。

クリスもまた、翼を睨め付けるように見据えていた。

 

「話は後だ、今は一旦退く……異論は無いな?」

「ああ。逃げるんじゃねーぞ」

 

 二人はまるで、かつて敵対していた頃のように言葉を、意思をぶつけ合いながらも、響を残して旧風鳴邸を脱出する。

やがてその姿が木立の向こうへと溶け消えた頃、天羽々斬の影響下から外れた短刀は、霞のように消失した。

 一人残された響の姿は、既に少女のそれへと戻っていたが、響はただただ立ち尽くす。

手を繋ぎ、分かり合えたはずの友たちは、響の制止も聞き入れず、大切な――何よりも大切な、かけがえのない存在を奪い去っていった。

 

「未来……未来……うあ、うわあぁぁぁぁッ!」

 

 その怒りと悲しみを、失意を綯い交ぜにするように、彼女たちの去った後へ向けて、響はただ、慟哭するのであった。

 

 

小日向 未来の死

 

 

 二人の両親の身を救出し、装者たちは何とかS.O.N.G.本部へと帰還した。

そこで待ち受けていたのは、緊急のブリーフィングであった。

 米軍施設への襲撃を発端とする一連の騒動は、響の裏切りと、今なお正体不明とされている聖遺物の起動などの謎を残し、そのうえ風鳴 訃堂による謀略の末に小日向 未来が命を落とすという、最悪の結果へと至っている。

更には、駄目押しをするかのような立花 響の暴走が、装者のみならず、S.O.N.G.本部の全員の顔へと、一様に暗い影を落とすのだった。

 

「解析結果が出ました……」

 

 ブリーフィングルームのドアを開き、エルフナインが姿を見せる。

その面持ちも、また暗い。

 

「マリアさんが持ち帰った『手』を解析したところ、遺伝子・骨組成。いずれの観点からも99.9%、未来さんのものであると思われます……」

 

 悲痛な面持ちで、エルフナインはその事実を告げた。

何かの間違い、あるいは外観だけ似せた別人なのでは無いか――という僅かな希望すら踏み躙られて、誰もがその表情をより暗くする。

 

「はッ……わざわざ聞きたくもねー絶望を押しつけにきてくれたってのか!」

 

 その報告に、苛立ち紛れに噛みついたのはクリスであった。

ソファの背もたれへとその両手を掛けて、忌々しげに吐き捨てる。

 

「止さないか雪音。エルフナインとて、そのような結果を望んだわけでは――」

「助けられなかった分際で偉そうにッ!」

 

 その態度に対し窘めようとする翼を、糾弾するかのように、クリスは思わず声を荒げた。

最早感情の昂りは、己を抑えておくことすら出来ぬほど、クリス自身の胸の内を焦がしている。

その言葉を聞き、翼もまた、平静では居られなかった。

 

「わたしとて、小日向を救いたかった! 救おうとしたのだ!」

「どうだかな……防人様の言うことはいっつも当てにならねぇや」

 

 思わず感情を露わにする翼に、一層の皮肉をぶつけるクリス。

一触即発の空気が装者たちの間に充満していた。

 

「そんな風にいがみ合うなんて、未来さんは絶対望んで無いデスよッ! 二人ともいい加減にするデス!」

「切ちゃん……」

 

 涙交じりの後輩に諌められ、二人は思わず口ごもる。

その言葉に、悲しむ未来の姿が頭をよぎり、一同は再び押し黙るのだった。

 

「エルフナイン、マリアの容態は?」

 

 気まずい空気を察するように、調はエルフナインへと訊ねる。

最後の瞬間、その『手』を掴み続けていたのは他ならぬマリアだった。

それだけに、そのショックは誰よりも大きく、計り知れない。

 

「今は鎮静剤で眠っています……けれど、目が覚めたらまた――」

「ご心配ありがとう。だけど、わたしはそんなにヤワじゃないわ」

 

――また取り乱すのではないか。と思っていたエルフナインだったが、その予想は裏切られることになった。

 その表情に憔悴の影は濃い。が、それでも起き上がってきたマリアは、病衣のままにその身を引きずるようにして、ブリーフィングルームへと顔を出したのだった。

 

「マリア!」

「デース!」

 

 調と切歌は、揃ってその表情を輝かせる。

翼もまた、安堵した表情をマリアを迎える。

唯一クリスだけが、特段の反応を見せず、むすっとした表情で黙り込んでいた。

 

「それに、これはわたしが背負うべき十字架だもの。目を背けるわけにはいかないわ」

 

 未来の手の感触――今でも思い出せるそれを確かめるように、マリアは己の手を見据えて、苦々しくも決意を口にする。

あの時、翼と響の制止を聞き入れず、未来を死に追いやったのは他ならぬマリアであった。

だからこそ、向き合わなければならない。

響の思いを受け止めなければならない。

 そう自らに言い聞かせ、マリアその手をぎゅっと握る。痛いほどに。

 

「しかし、小日向無き今、立花を説得するのは……」

「ああ、難しいだろうな……」

 

 響にとって、小日向 未来は唯一にして無二の存在だった。

その未来を、未来の命を奪ったのだ。

和解など出来ようものだろうか。

 翼の懸念に対し、弦十郎もその表情を曇らせる。

然しもの弦十郎とてこの現状に「だが、それでも」と希望的な発想を打ち出すことは出来ず、一同の間には、ただただ重い沈黙だけが、澱のように募っていのだった。

 

 

 

 薄暗い部屋の中、訃堂と八紘は向かい合って座っていた。

先の見えぬ状況。

読めぬ訃堂の腹の内に、翳る面持ちで八紘は口を閉ざす。

それに対し、訃堂の方は存外に平素のそれと変わらぬように見て取れた。

 

「宜しかったのですか?」

 

 先に問うたのは八紘だった。

訃堂は心当たりがない風で「何がだ?」と返す。

 

「あの娘。立花 響への重要な交渉材料だったのでは?」

 

 そもそも、風鳴 訃堂と立花 響。

その関係性は弱味を握っての脅迫だったと言える。

その要たる存在こそが、他ならぬ小日向 未来という少女であったはずだ。

 だと言うのに、まるで無関心を示す訃堂の様は、八紘の目には余りに不可解に映る。

 

「あのようなもの、急拵えの代替品に過ぎぬ」

 

 少女を、命を、物のように。

訃堂は吐き捨てるように言う。

 

「代替品……ですか」

 

 八紘の胸の内にぢりぢりとした感情が燻る。

表向き、冷徹・怜悧を貫く八紘と言えど、内心に憤らずには居られず、その声音に僅かながら、熱が籠る。

 

「八紘よ、真の防人たらんとするならば、いい加減に肚を決めよ。余人に気を取られ、己が守るべきものを見失ったあの、愚かな吾が娘のようになるでない」

「翼は、風鳴翼は私の娘です……あなたの娘などでは無いッ」

 

 訃堂の心無い言葉に、翼への侮辱に、思わず八紘は声を荒げる。

それでも、数十年を従順に従ってきた八紘の、その反抗にも動じることなく、訃堂は「ふん」と鼻を鳴らすと、端末へと向き直る。

 この男にとっては血縁も、己が子も、すべてが瑣末な問題なのだろう。

すべてに優先すべきは国防。それが訃堂という人間なのだ。

 

「もう一人の娘はどうなっている?」

 

 訃堂は端末へと向かい声をかける。

その通信する相手は一体誰なのだろうか。

『もう一人の娘』とは。

 

「実に順調。先程も新たに一つ、起動に成功しましたよ」

 

 マイクの不調か、相手方の興奮混じりな鼻息のためか、その声はザラザラとしたノイズを混じえて随分と聞き取りづらい。が、恐らくは男であるらしい。

 

「これで三つ。ならば残り四つの起動に励め」

「いえいえ! 四つ目。です! いやぁ、思った以上の逸材ですよ彼女は」

 

 訃堂の言葉に、興奮を隠せぬ様子で男は答える。

その声色には狂気すら感じさせるほどの喜びに満ち溢れていた。

その報告を受けた訃堂は、珍しく「ほう」と、感嘆の声を上げる。

 

「しかし『槍』の方はやはり駄目ですね。これは彼女の性質・相性によるものなのか、単純に生み出すフォニックゲインの強さによるものなのかはわかりませんが、いやぁ実に興味が絶えない! ここはやはり――」

「姦しい男だ……」

 

 饒舌すぎる男の言葉に、訃堂は些か苛立ちを憶えて話途中に通信を遮断した。その眉間あたりには深い皺が刻まれている。

どうやら寡黙なこの老人は、この手の科学の信徒というやつが、どうしても苦手なようであった。

 

「八紘よ、よくよく考えておくがいい。貴様が守るべきは何であるかを」

 

 未だ憤りが醒めやらぬ様子で訃堂を睨め付ける八紘。その様を一瞥すると、訃堂はそうとだけ言い残し、部屋を後にするのだった。

一人残された八紘もまた、やり場の無い憤りを胸に、その部屋を後にする。

 

「守るべきものは、人か。国か――か」

 

 誰一人居ない静かな廊下を歩きながら、八紘は誰へともなく言葉をこぼす。

その視線の先を、一人の人影が横切った。

 

「なッ!?」

 

 八紘は思わず声を上げる。

目を疑うような人物が、向こうの廊下を通り過ぎたのだ。

 慌ててその人物の去った方へと追いかける――が、通り過ぎた辺りまで来たものの、姿形も見えなくなっていた。

見間違いか、或いは幻覚でも見たのか。と、八紘は動揺をその顔に浮かべ、元来た方へと戻ろうとする。

 しかし、その視界の端にまたもその人物は通り過ぎた。

 

「馬鹿な、有り得ん」

 

 八紘はその存在を、己の目を、頭を疑うような心持ちでその人影を追い縋る。

その人物は何度も姿を消しては、諦めかけた八紘の視界にまた現れる。

八紘はまるで迷うように、誘われるように。

そうして、その人物が何人もいるかのような錯覚を憶えながら、八紘はとある一室の前に辿り着く。

 散々に振り回された八紘は、既にその息を荒く、肩で呼吸をしていた。

ごくりと生唾を飲み込み、その――旧風鳴邸には不釣り合いな、重々しいドアに手を掛け、ゆっくりとその中を伺う。

 

「これは……これは一体なんなのだ」

 

 その室内の様を見て、八紘は愕然とする。

信じ難い光景、信じ難い人物がそこには居た。

それは宛ら、白昼夢でも見たかのように八紘を混乱させる。

 

「何故貴様がここに居るッ!」

 

 思わず荒げたその声は、眼前に居る人物へと放たれる。

その人物は八紘の言葉を聞き、ただただにやりとその口元を歪めるのだった。

 

 

 

 響は一人歩く。

旧風鳴邸を出て、S.O.N.G.の本部へと、歩を進めていた。

その最中、何度も未来の姿が、声が、その顔が、フラッシュバックする。

 いつだって隣で笑っていた。

悩んだときは、ずっと支えてくれていた。

殴る事しかできない拳を、優しく包んでくれた。

すぐそばにいたその少女を、響は何度も思い出す。

二人で過ごしたその光景を、頭の中で何度も、何度も繰り返す。

 今でも手を伸ばせば届きそうなそれは、しかし二度と触れる事の出来ない虚像でしかなかった。

 

「君、大丈夫か?」

「具合でも悪いのかい?」

 

 そんな響の姿を目にした警官が、その様子を心配して声を掛ける。が、響はそれらを無視してなお歩く。

ただただ、S.O.N.G.へと、大切な陽だまりを奪った、憎いあの少女たちの元へと。

 

「おい、君! 私たちは心配して……」

 

 無視されたことに腹を立てたのか、あるいは響の様子を不審に思ったのか。

警官は響の肩を強引に引き戻そうと手を掛ける。

その直後、言葉にならないうめき声をあげて、その警官は地面へと倒れ込んだ。

 響の拳により、一撃のもとに昏倒する相棒を目の当たりにして、もう一方の警官もまた、奇声を上げながら響へと飛びかかる。

傍目から見ればそれは明らかに、いたいけな少女へと襲い掛かる暴漢のそれであったが、響はものともせずに――そして他人の痛みなど、気にもかけぬように、残る一方を地面へと叩きつける。

 

「邪魔しないで」

 

 悲しみに満ちた目で、二人にそう告げると、響はその場を立ち去ろうと歩き出した。

しかし、先に倒れた警官が、既に緊急信号を発していたらしく、応援に駆け付けた警官たちに響は取り囲まれてしまうのだった。

「ちっ」と短く舌打ちをして、胸元のペンダントへと手を伸ばす。

S.O.N.G.へと辿り着くまで、温存したかったのだが、そうも言ってられない様子である。

 

「悪いのは、邪魔しようとしたそっちだから」

 

 そう吐き捨てると、響は聖詠を口にするのだった。

 

 

 

「何? 立花 響が?」

 

 その報せは当然訃堂にも届いていた。

響は無断で外へ出たうえ、一般人相手に戦闘行為を行っているという。

訃堂はそれを聞き、うんざりした面持ちで嘆息を吐く。

 

「果敢なき者が……だがまあいい。いずれにせよ今はしばしの時を稼がねばならん」

 

 その暴走は決して訃堂の本意ではなかった。しかし、聖遺物の起動が思うように進んでいない今、S.O.N.G.の側から報復にと、攻め込まれるわけには行かなかった。

起動のための歌女として響が役に立たない以上は、そのままS.O.N.G.の足止めをしてくれた方がよほどの役に立つだろう。

 

「彼奴の実験を急がせよ。最早猶予は無いのだ」

 

 訃堂は表情にこそ出さないものの、その言葉に若干の焦りが混じっているようだった。

――完全なる起動を急がねばならん。と、訃堂は歯噛みする。

その焦りの理由は、S.O.N.G.の報復に対するものか、あるいは――

 

 

予期せぬ邂逅

 

 

「やあ、久しぶりですね。その顔、実に見覚えがある」

 

 その男は八紘の顔を見るや否や、狂気じみた笑みを浮かべた。

八紘自身もまた、その人物には見覚えがあった。いや、忘れたりなどするものか。

 

「貴様は、死んだのではなかったのか……ドクター・ウェル」

 

 八紘は、苦々し気にその名を口にする。

その視線の先には、相も変わらぬ白衣姿のジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクス――人呼んでドクター・ウェルの姿があった。

そしてその周囲には、まるで王族が侍らせる侍女のように小日向 未来が寄り添っている。

それも一人ではなく、何人もの小日向 未来が。

そのどれもが虚ろな表情を浮かべ、何一つ言葉を発さない。

まるで人形のような彼女たちこそ、先ほど八紘が幾度となく姿を目にして、見失った人物に他ならなかった。

 

「彼女たちはまさか……クローンか」

 

 それならば、訃堂の言った『急拵えの代替品』という言葉も説明がつく。

しかしどうやら、その予想は外れていたらしく、八紘の言葉にウェルは思わず鼻を鳴らす。

 

「はっ! こんな短期間でそう簡単に成体クローンをぽんぽんと作れるものか。そんなことはこの天才をもってしても不可能だ」

 

 自嘲なのか自慢なのかわからないが、ともかくただのクローンでないことは確からしい。

だが、だとすれば――

 

「ならば、そこに居る小日向 未来は……」

 

――何だというのだ? と八紘は問う。

 その問いに満足したのか、ウェルは悦に入るかのような表情を浮かべて、己の身に起こったことを八紘に説明するのだった。

 

 キャロルの一撃により崩落したチフォージュ・シャトー。

その中で、瓦礫に埋もれる様にして、ウェルは死の淵に瀕していた。

 チップを手渡しマリアを見送ったその後、最低であれ何であれ、英雄として死を迎える己の生を、その末路を、ウェルはただ受け入れようとしていた。

しかし、三人を見送ってしばらくの後、その周囲に急激なフォニックゲインの高まりが生じたのである。

 それは奇しくも、キャロルがその身を碧の獅子機へと取り込ませた際に生じた力の奔流であった。

ウェルは薄れゆく意識の中、半ば無意識に場に満たされたそれを左手――ネフィリムの左腕で吸収し、己がエネルギーへと変換。その命を辛うじて繋ぎとめた。

 その後の爆発も、聖遺物由来のエネルギーで有る限り、ウェルにとって脅威足り得ることは無く、爆発から身を守ると同時に傷ついた肉体を修復することで、生にしがみついたのである。

 

「まぁ、おかげでこんな身体になっちゃいましたけどね」

 

 ウェルはそう言って事も無げに白衣をめくって見せる。

かつて左腕のみにネフィリムを宿していたウェルは、今やその大部分をネフィリムに侵食されているようだった。

それは、損傷した臓器をネフィリムに侵食させる事で機能を肩代わりさせ、生命活動に必要な働きを死に物狂いでものにした証でもあった。が、あまりに凄惨なその外観に、思わず八紘はその顔を顰めずにはいられなかった。

 ウェルは腕のみならず、腹部から下腹部。上は首元にまで至ろうとしているそれを忌々しそうに撫でながら、話を続ける。

 

 キャロルとの戦いが終わった後、命こそ永らえたものの、その身、その重要な臓器へと侵食を成功させたネフィリムの因子は、本来の性質を取り戻しつつあるのか、ウェルそのものを取り込もうと、その侵食・増殖を加速させた。

飲み込まれようとする己を、その自我を、必死の想いで繋ぎ止めんともがくウェル。

それを見つけたのは、風鳴 訃堂の配下だった。

 その後、ネフィリムの左腕やウェルのその知識に興味を持った訃堂により、ウェルは私用の研究室をあてがわれた。

軟禁され、訃堂の目論見に手を貸すことを条件に、ネフィリムの因子を抑えるためのAnti_LiNKERを精製・投与し、己を維持し続けていたのである。

 

「いかに僕が天才といえど、真っ当な設備が無ければ薬一つ満足に作ることは出来ませんからね……」

 

 そうしてため息混じりに説明を終えると、ウェルはその話を証明するかのようにその腕へとAnti_LiNKERを投与する。

よくよく見てみれば、その面持ちは随分とやつれているらしく、目の下のくまもまた、濃いものとなっていた。

 

「そして僕は彼女たちを作った……いや、複製したと言った方が適切かな?」

 

 鼻にかけるような物言いで、ウェルはそう説明する。

――複製ということはやはりクローンなのではないか?と、八紘はその話に疑問を抱くのだが、実際のところはどうやら少し違っていたようである。

 

「あれはホムンクルスの製法に生化学の技術で彼女の遺伝子を掛け合わせた、言うなれば錬金術と科学の間の子――ハーフみたいなものです。ただし、S.O.N.G.の皆さんに連れ出させたのは随分と初期のもので、常に投薬が必要なうえ身体のあちこちが腐りかけた失敗作ですがね」

 

――なるほど、道理で。と八紘は漸くに合点がいく。

 翼の報告に有った注射痕や腐臭というのは、つまりそういうことだろう。

 

「だが、これほどの人数を何故」

 

 それでも、不可解なのはその数であった。

一人二人。のみならず、今ここにいるだけでも優に七人以上は小日向未来の複製体が居る。

それは、人質として使うにはあまりに多過ぎる。

 

「愛、ですよッ!」

「何故そこで愛ッ!?」

 

 唐突なキーワードに然しもの八紘も、動揺せずにはいられなかった。

この狂人は小児性愛の気でもあるのだろうか? 確かに報告によれば、フロンティア事変の折に、暁切歌や月読調に対する執着を見せたと聞くが。

 

「あぁ、勘違いしないで下さい。僕にそう言った趣味はありませんので」

 

 そんな八紘の疑念を言外に察したかのように、ウェルは釘をさす。

――だとすれば、この数は?

 

「彼女たち複製体には魂と呼ぶべきものが無いのですよ。要するに愛を持たない人形です。それでも並列に繋ぐことで、本物の小日向未来の歌の力を共鳴・増幅するブースターユニット程度の役割はしてくれる」

 

 それによって、安定させた強いフォニックゲインを用い、先程訃堂へと報告したように、驚異的なペースで聖遺物を起動しているのだと言う。

 

「その聖遺物とは何だ? あの男は一体何を隠している?」

「そこから先はまだ話せませんねぇ。何せ僕にとっても重要な交渉材料なのですから」

 

 八紘は焦れたように問うが、ウェルは答えようとしなかった。

交渉材料とは何か? そもそも、ウェルは何故、何のために八紘をここへ招いたのか。

分からないことはいくらでもあった。

 

「一つ聞かせてもらいたい」

 

 八紘は、その内の、最も重要であろう疑問を口にする。

 

「なぜ私をここへ連れてきた」

 

――何を企んでいる? と、八紘はウェルを睨め付ける。

 もしもこれまでの話が事実であれば、それは八紘にすら知らせていない以上、訃堂にとっても秘匿したかったものに違いない。

それを訃堂に黙って八紘に打ち明けようものなら、ウェル自身もただでは済まないはずである。

それだけのリスクを背負ってまで、この部屋へ招き入れた理由が八紘には分からない。

 ウェルはその問いを受けると、「待ってました」と言わんばかりの笑みを八紘に向ける。

 

「さぁ、取引と行こうじゃありませんか」

「取引だと……?」

 

 八紘はウェルの提案を訝しみ、その表情を推し量ろうとする。

しかし、狂気に満ちたこの男の表情から読み取れるものなどは無く、ただただその口から語られる言葉を待つしかないようであった。

 

「僕が提示するのは彼女――本物の小日向 未来の所在です。S.O.N.G.の人間にとっては喉から手が出るほど欲しい情報のはずだ」

 

 確かにそれはウェルの考える通りであった。

翼や弦十郎が今の話を知れば、すぐにでも飛びつくだろう。

問題は――

 

「ならば、その情報の代わりに何を求める?」

「なに、簡単なものですよ。あなたたちにとってはね」

 

 警戒する八紘へと、ウェルは下卑た笑みを浮かべる。

この狂人は一体何を要求してくるのか。と、身構える八紘に対し、ウェルはその条件を口にした。

それは意外な提案であった。

 

「僕の身柄をS.O.N.G.で引き受けてくれませんかねぇ」

「何……?」

 

 八紘は思わず耳を疑った。

S.O.N.G.で身柄を引き受けるということは、拘束を甘んじて受けるという意味だろうか。

それとも、かつてのマリアのように、S.O.N.G.への転属という形を希望しているのか。

答えあぐねている八紘を急かすかのように、ウェルは響の近況を口にする。

 

「そういえば、彼女――融合症例だったあの少女、S.O.N.G.本部へと報復に向かったそうですよ。独断でね」

「なッ……」

 

 その言葉に八紘は驚きを隠せずに声を上げる。

今の響に対して、小日向 未来の存在無くして和解などは有り得ない。

ならば、その行く末は装者同士の血みどろの戦いだろう。

 

「さぁ、迷う時間はありませんよ」

 

 ウェルの言う通り、最早逡巡するほどの余裕など、残されては居なかった。

八紘の頭を「いい加減、肚を決めよ」と言った訃堂の言葉が過る。

守るべきは人か、国か。

――ならば私は。と、自問する。

 八紘の答えは既に決まっていた。

 

「分かった。取引に応じよう」

 

 

 

――S.O.N.G.本艦の停泊する港の設備。

 そのあちこちから火の手が上がる。

夥しい数のサイレンを引き連れて現れたのは、他でも無い立花 響。その少女であった。

 

「司令ッ! 響ちゃんが単独で……!」

「本艦に向かって周辺設備を破壊しながら真っ直ぐ向かってきています!」

 

 友里と藤尭が立て続けに状況を報告する。

二人の言葉が示す通り、響は既にすぐそばまで迫ってきていた。

 モニタに映されるその表情は憤怒に燃え、その身に纏うギアは黒に染まっている。

響の周囲に噴出された――かつてマリアが纏っていた時と同じようにしてその周囲に翻されるそれは、しかしマントというよりも漆黒の、黒煙にもにたオーラであった。

 その身を押し留めんとする警官や警備員達を容赦なく叩きのめし、迷いのない足取りで響はS.O.N.G.本艦へと歩を進める。

響本人をして「誰かを傷つけるために使いたくない」と言わしめたその力で、響は迷う事なく人を傷つけ、打倒していく。

 

「俺たちはもう、手を取り合うことは出来ないのか……響くん」

 

 モニタを食い入るように見つめる弦十郎は苦い面持ちで呻くように言葉をこぼした。

装者たちは既にそこへ向かわせている。

彼女たちが響と対峙したとすれば、その先には戦い、ぶつかり合う道しか残されてはいないだろう。

 その勝敗がどちらに傾くにせよ、少女たちは傷つくのだ。

弦十郎は己の無力を呪うように「くそッ!」と声を荒げては、拳をわなわなと震わせた。

 

 響の向かう先――本部からの出口から、真っ先に現れたのは調であった。

その後ろを追いかけるようにして、翼と切歌も姿を現す。

 

「あんな事を続けたら、きっと響さんは後から自分を責める……だから止めなくちゃ」

 

 誰に聞かせるでもなくそう呟き、シュルシャガナのペンダントを手にする。

かつてその在り方を「偽善」と罵り、響を傷つけた。

だからこそ、誰よりも響の気持ちを。この先に抱くであろう自責の念を想い、決意を――覚悟を胸に、聖詠を紡ぐのだった。

 

「Various shul shagana tron……」

 

 輝きを纏い、その機動性で調は一息に響へと迫る。

こと接近戦に関しては、シュルシャガナとガングニールの力の差は歴然。

それは宛ら捨て身の特攻に思われた。

 

「止せッ! 月読!」

 

 翼が制止するも既に遅く、二人の姿は一瞬交錯する。

直後、調の鋸の幾つかが響の拳による一撃に力負け、粉々にはじけ飛んだ。

体勢を崩してよろめく調に向かい、響は容赦なくその拳を打ち込もうと踏み込む。

 

「非力なシュルシャガナでは響さんのガングニールの力には勝てない……だとしてもッ!」

 

 調は咄嗟に疾走して体勢を立て直すと、鋸の横面を響へと叩きつける。

直撃したかと思われたそれは、しかしやはり打ち砕かれ、調は再度その体勢を崩してしまう。

響はその隙を見逃すことなく反撃に転じようとするが、間に割って入った翼の天ノ逆鱗に遮られ、間合いを取った。

 

「無事か、月読」

「一人で突っ込むなんて無茶が過ぎるデスよ!」

 

 翼と、そして切歌が合流する。

その後からはマリアとクリスもまた、三人のもとへと追いすがる。

 

「ごめん、切ちゃん。でもわたし……わたしは響さんを助けたい」

「調……」

 

 胸の想いを、決意を、調は口にする。

自分を偽ることなく真っ直ぐに、響へと向けてその思いを強く、ただ強く。

 

「それはわたしたちも同じ。一緒にあの子を止めるわよ」

 

 合流したマリア・クリスを加えて、五人は響と対峙する。

五対一、数の面で見ればその差は歴然だった。

それでも響はなお、その怒りを燃え上がらせるように、漆黒のオーラを湧き立たせる。

 

「何で……」

 

 響はぽつりと問う。

それは、五人に向けた言葉だろうか。

それとも別の、当てもなく発したものだろうか。

 

「何でわたしだけが奪われなくちゃいけないんだッ!」

 

その怒声と共に響の、漆黒に染まったギアから、質量を伴ったオーラが噴出する。

それはまるで意思を持っているかのように蠢き、五人の周囲を取り巻いていく。

 

「立花……」

 

 翼は呻くように、その名を呼ぶ。

しかし、それは響に、その心に届く事は無い。

仲間を想い、己を偽って、それでも信じた少女の心は、しかし言葉無き対峙にその真意をわかり合う事も出来ず、裏切られ、生まれ持ったその善性を反転させた。

かつて、誰よりも人を愛した少女は、誰よりも人を憎み、恨み、呪い――それらを今、純粋な暴力へと変える。

 

「みんな味わえばいい。わたしと同じ苦しみを……失望をッ!」

 

 響の咆哮を引き鉄に、周囲のオーラは翼たちへと向かい襲い掛かる。

それは他ならぬ、立花 響の憎悪の体現。

傷つけられた事に傷ついて、傷つける事になお傷ついて。

それでも少女は、暗澹たる世界へと牙を突き立てる。

己を、世界を呪いながら。




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第六話  復讐の牙

信じたが故に裏切られ、愛したが故に憎しみを抱き、少女は復讐の『牙』を突き立てる。
そんな中、大人たちもまた、己の為すべき事を胸に抱き、立ち上がっていく。
最早後戻りのできないほどに罪を抱え、自ら穿った絶望の深淵で慟哭する少女に、光は届くのだろうか。


クリスの葛藤

 

 

 艦内に響き渡る警報音は止む事を知らず、職員たちはあちこちで声を上げて走り回っている。

調と切歌、そして翼の三人は、弦十郎の指示により、襲撃に来た響を押し留めるため、既に外へと向かっていた。

そんな中、動かずにただただ立ち止まっていたのは、クリスだった。

 

「クリス! わたしたちも行くわよ!」

 

 まだ快復しきらぬ身体を、気持ちだけで支えるようにマリアは外へ向かおうとする。

しかし、それでもクリスは動こうとしない。

 

「何をしてるの?」

 

 俯いて黙ったまま動かないクリスに、マリアは焦れたように問う。

三人を早く追いかけなければ。

 

「わかんねぇんだよ……あいつにどんな顔で会えばいいのか」

 

 今でも響の、絶望した顔が目に浮かぶ。

悲痛な慟哭が、耳を塞いでも聴こえてくる。

――そうさせたのはあたしらなんだぞッ! と、クリスは内心に己を、マリアを、仲間たちを責める。

 偉そうなことを言っておきながら、結局彼女の言葉を聞き入れなかったのは自分たちではないか。と責め立てる。

 

「クリス……」

 

 同じ気持ちが、マリアにもあった。

いや、マリアこそが、誰よりも強くその気持ちを抱いていた。

小日向未来の、その手に残った感触が、嫌でもマリアにその罪を思い出させる。

 しかし、だからこそ――

 

「そうして俯いていれば彼女は救われるの?」

 

 マリアは、強い口調で詰るようにクリスに問う。

そうとも、こうして己を責め立てたところで、何も変わらない。響の心が救われるわけではない。

未来が、救われるわけではないのだ。

 

「だからってあいつとやり合えってのかよ!」

 

 クリスは涙混じりに応える。

傷付けて、大切なものを奪って、その上また傷付けようというのか?と、その眼差しが言外にマリアへと問うていた。

 その強い眼差しに、マリアは一瞬言葉に詰まってしまう。

それでも、それでもマリアは絞り出すような声で答える。

 

「そう、戦ってでも、それでも彼女を止めるのよ」

 

――今、誰よりも優しかったあの少女は、分かり合うことを望んだあの少女は、激情に駆られ人に牙を向けている。

 傷つける事に傷つきながらも、それでも激情に身を任せ、暴走しているのだ。

いつしか目の前の人々を打倒して、その果てに彼女に残されるものがあるとすれば――

 

「このまま戦いを続ければ、きっとあの子は後悔に苛まれる。あなたはそれで良いの?」

 

 その言葉にクリスは「はっ」と顔を上げた。

今の今まで、自分は己の事ばかり考えていたことを思い知らされる。

響に対する負い目から、ただただ己を責めるばかりで居たのだと。響の苦しみなど、本当の意味では理解していなかったのだと気付かされる。

 

「わたしはあの子を止めてあげたい。例えそれがわたしのエゴでしかないとしても。ね……あなたはどうなの?」

「あたしだって――」

 

 かつて響が、自分にそうしてくれたように、クリスもまた響をその闇から救い出してやりたいと願う。

今、こうして居場所を手に入れられたのは他でも無い、響がその手を繋いでくれたからこそだった。

 

「あたしだってあいつを、あのバカを救ってやりたい」

 

 先ほどまで俯いていた弱気なクリスは何処へいったのか。

しっかりした足取りでマリアを置いて先を行く。

その瞳に迷いなどはもう、無かった。

 

「行くぞマリア。あのバカを連れ戻しに」

「ええ、行きましょう」

 

 互いに視線を、言葉を、意思を交わし、出口へと向かう。

二人は通路から出ると、共に聖詠を口にした。

 

「Killter Ichaival tron……」

「Seilien coffin airget-larm tron……」

 

 鮮烈な紅と白銀のギアを纏い、二人は出口から躍り出た。

そうして、二人を加え揃い立つ五人へと、響は身に纏うオーラを『牙』へと変えて突き立てる。

――復讐の『牙』を。

 

 

 

 

 海岸に面した施設の上で、少女たちは死闘を繰り広げる。

無数に枝分かれし、まるで命を持ったように蠢くその『牙』は、装者たちを狙っては、足元を抉り、大きな穴をいくつも穿っていく。

 その穴には黒煙のような憎悪の残滓が、ぢりぢりと焦げ付いたように湧き立っていた。

 

「皆、気を付けろ。まともに受ければただでは済まないだろう」

 

 その刀身を手に、何とかそれらを薙ぎ払いながら、翼は警戒を促す。

続くマリアも、クリスや切歌たちも、その猛攻を辛うじて躱しながら、響との間合いを計っていた。

 

「拳による攻撃ではなく、あくまでこっちが本命ってわけね」

 

 マリアの言葉が示す通り、響はここへ来てからというもの、直接的に向かって来る事をしなかった。

ただただ、間合いを取りながら、その背に浮かべる憎悪の『牙』を、執拗に突き立てている。

 多人数相手に拳では分が悪いと判断してのことか、あるいはその拳よりも『牙』による何らかの攻撃を狙っての事か。

――ならば足元まで踏み込めば。と、少しだけ前のめったマリアを牽制するかのように、その足元へと『牙』が襲い掛かる。

 

「「マリアッ!」」

「くッ!」

 

『牙』は切歌と調による咄嗟の判断により、イガリマとシュルシャガナの一撃を受け、僅かながらに軌道を逸らされた。が、その直後に迫るもう一本がマリアへと迫る。

既のところで躱そうとしたマリアは、それでも肩口を掠めるようにして撫でていった『牙』の衝撃に片膝を着く。

 いや、それは今のダメージだけではない。

先のショックから抜け出しきれていないマリアは、LiNKERをもってしても充分な適合係数を得られないまま、それでも無理を押してギアを纏っていたのだ。

その無茶が、今に響いてきたのである。

 

「おいッ! 大丈夫かよ!」

 

 クリスは駆け寄り、よろめいたその肩を支えるようにして抱く。

その呼吸は随分と荒い。

低い適合率でのギア運用は、間違いなくマリアの身体を蝕んでいる。

 これ以上の戦闘継続は、命にも響きかねないものだった。

 

「平気よ、これくらい」

 

 その強がる言葉に反し、痺れる腕から短剣をこぼしたマリアは膝を着いてしまう。

ほんのひと撫で。しかしそれは、マリアの身に憎悪を、怨念を擦り込むには充分であった。

 

「わたしのことよりも、あなたたちは彼女を」

 

 内心に膨れ上がる感覚を、苦痛を押し殺しながら、クリスたちへと注意を促す。

すでに呼吸は乱れ、額にはいくつもの脂汗が浮かんでいた。

響は既に次の一撃を放つべく、その『牙』をふりかざしている。

 

「調……」

「うん、わかってる。切ちゃん」

 

 切歌と調は小さく頷き合うと、左右に分かれ、息を合わせて響へと立ち向かう。

イガリマの大鎌が、シュルシャガナの鋸が、響の左右から挟み込むように放たれる。

 

「左右からの同時攻撃デスッ!」

「防げるものならッ――」

 

 立ち上がれないマリアへ追い打ちをかけさせるわけには行かない。

だからこそ、二人は危険を顧みず、無理を承知で強襲したのだった。

 しかし、響は目線だけを二人へと走らせると、その『牙』を二人へと放つ。

今や意志を持ったかのようなそれは、一度獲物を認識してしまえば、あとは半ば自動的に相手を追従するかのように、二人へと執拗に突き立てられていく。

 

「そんなッ!?」

「左右同時デスよ!?」

 

 そのイガリマの大鎌も、シュルシャガナの鋸も弾かれて、二人は愕然とする。

そんな、機を逃した二人へと、響の『牙』は容赦なく追い立てるように放たれる。

咄嗟に身を翻し、鋸の疾走で一撃、二撃と躱すものの、休むこと無い猛攻は徐々に二人を追い詰めていく。

 

「あいつら……無茶しやがって! 先輩、あたしらも!」

「あぁ、行くぞ雪音!」

 

 弾幕を張るかのような弾丸の雨が、翼の放つ天ノ逆鱗が、響の『牙』の猛攻を遮る――が、立て続けに放たれる追撃は、じわじわと調と切歌の二人へと迫っていく。

一つ二つを落としたところで、響の『牙』は新たにその背から生みだされていくのであった。

 

「雪音ッ! 二人を頼む!」

 

 このままでは二人が逃げ切れないと判断し、二人の事を雪音に託すと、翼は響の元へと一息に飛び込んでいく。

霞の構えを取り、脚部のスラスターにより地を駆けて行くその姿は、宛ら捨て身の一撃を狙うかのように見えた。

 

「先輩! 無茶だッ!」

 

 クリスはその身を案じるように声を上げる。

響もまた、それを察して迎え撃つように翼に狙いを定めて『牙』を放とうと構えていた。

 しかしその直前、その身へと『千ノ落涙』による無数の短刀が降り注ぎ、響は咄嗟に後ろへと飛び退る。

 

「さすがに躱すか……」

 

 翼は苦々し気に吐き捨てる。

黒に染まったギアを纏っていても、今の響は暴走というよりも『イグナイト』のそれに近いらしい。

激情に駆られて猪突するのではなく、影縫いに対する警戒から冷静に、『牙』で防ぐようなこともせず、短刀そのものを避けたのであった。

 

「少し手荒になるが……恨んでくれるな!」

 

 その着地点へ、『蒼ノ一閃』を――エネルギーの刃を幾重にも放ちながら、翼は間合いを詰めていく。

それでも響は、立て続けの刃をいくつかの『牙』で薙ぎ払い、残る『牙』を翼へと放つ。

同時に放たれた複数本の『牙』は翼へと集束する。

 クリスは咄嗟に弾丸を放つが、既に間に合うタイミングではなかった。

 

「翼ッ!」

「先輩ッ!」

 

 マリアとクリスは同時に声を上げた。

しかし、翼の身体を貫いたかに思えた『牙』は、その目前で炎を纏った刀身に両断され、霧散する。

 

「ちッ……」

 

 響は、剣の間合いへと迫る翼に対し、距離を取ろうとするが、左右からの無数の鋸と弾丸が、背後に迫る切歌の鎌がそれを許さない。

 

「立花ァ!」

 

――五人の姿が交錯する。

 確かに響を捉えたかに思えたそれは、しかしながら全身を包むように纏われた『牙』により、その身へと届く事は無かった。

 

「何でもアリかよこいつはッ」

 

 身を包む『牙』が突如として展開し、周囲に居た四人の身体に巻き付いた。

それらは、驚愕に足を竦めた四人の身体を絡めとり、ギリギリと締め付ける様にその身を持ち上げる。

 

「くッ……これは一体何なのだ、立花ッ」

 

 翼の顔が苦痛に歪む。

切歌も、調も、クリスもまた、同じように捕らえられ、その顔に苦痛を浮かべている。

 響は何も答えず、その四人を締め上げた『牙』へと、再び黒煙のようなオーラを纏わせる。

その『牙』に触れた辺りがぢりぢりと焦げ付いたように痛み、骨身へと侵食するように広がっていく。

それはまるで毒のように、装者たちの身体を侵していく。

 

 

 

「司令ッ! このままでは……」

 

 藤尭が声を上げるまでもなく、その危機は本部のモニタで窺い知ることが出来た。

未だ立ち上がることすら出来ないマリアと、捕らわれた四人が映る。

締め上げられて動く事すらままならない装者たちの苦痛に満ちた表情もまた、絶望的な状況が見て取れる。

そしてそのバイタルもまた――

 

「装者たちの適合係数、急速に低下……響ちゃんに捕らわれた部分から急速に広がっています!」

 

 その状況をモニタに表示させながら、友里は状況を報告した。

見る間に危険域へと至る急速な適合係数の低下は、響の『牙』にもたらされたものに間違いはないだろう。

 

「五人がかりでも押さえきれんか……」

 

 呻くように弦十郎はこぼす。

翼たちとて、ある程度の覚悟を持ってこの戦いに臨んだはずであった。

傷つけ、傷つけられ、傷つけ合ってでも、響の凶行を止めるために覚悟をしていたはずだった。

 それでも、それ以上に響は、彼女たちを打倒するための強い意志を持っていたのだろうか。

それともあるいは、これこそが響本来のポテンシャルなのかもしれない。

いずれにせよ、装者たちが倒れた今、動けるものがあるとすればそれは――

 

「司令、何処へ?」

 

 立ち上がり、発令所を後にしようとする弦十郎へ友里は声を掛ける

その声に、藤尭もエルフナインも、そして緒川もまた弦十郎へと視線を向ける。

 

「俺が出る。あとの指揮は任せるぞ」

「しかし司令! アルカ・ノイズが出て来たら……」

 

 確かに、もはや響を止められるとすれば、弦十郎をおいて他には居ないだろう。

それでも、もしも響がアルカ・ノイズを出してくれば、例え弦十郎とて無事では済まないはずだ。

 

「いえ、恐らくそれはないでしょう」

 

 その懸念を払拭するかのように言ったのは、他でも無いエルフナインであった。

その声に迷いは無く、その面持ちにもまた、明確な自信が見て取れる。

 

「これまでの襲撃は全て周到に用意されたものでした。そのため我々は後手に回った対応をせざるを得ませんでしたが、今回響さんは単独で、単身で乗り込んできています」

 

 ヘリから現れた最初の一度目。

そして最初から待ち構えていた二度目の邂逅。

そのどちらも、訃堂により周到に準備された上での襲撃であった。

 旧風鳴邸ではこちらからの襲撃であったが、それゆえにアルカ・ノイズの洗礼を受けたのだった。

しかし、今回の襲撃ではたしかに響だけがここへ来ているようだった。

 

「今回の襲撃、恐らく響さんの独断によるものだと推察されます。そのためアルカ・ノイズや乗り物などの助力を得られず、単身でこうして現れたのではないでしょうか」

 

 エルフナインの言う通り、今回に限りは一度もアルカ・ノイズの姿を見ていない。

響の出現にしても、事前に警官との乱闘があったからこそ、事前に察知することすら可能だったのだ。

そこには以前の襲撃のような周到さは微塵も感じられない。

 

「つまり、アルカ・ノイズは出てこないってことか」

 

 藤尭は、エルフナインの推察に納得したように声を上げる。

確かに、その推察が正しければ、人間離れした弦十郎の身体能力をもってして、響を押さえることは可能かもしれない。

 

「よし。アルカ・ノイズさえ出てこなければ俺一人で十分だ」

「司令!」

 

 そうとだけ吐き捨てるように、制止する声を無視して弦十郎は発令所を後にした。

緒川もまた、それに続いていく。

 

「司令……今の響さんは普段の彼女とは違います。大丈夫ですか」

 

 外へと向かうその道行き、緒川は懸念の言葉にする。

今の響は、人を傷つけることを厭わないように見受けられる。

それゆえに、訓練では対等に以上に渡り合えていた翼たちでさえ、その覚悟、その意思の元に打倒されているのだ。

 然しもの弦十郎とて、今の響が相手では勝てないのではないか。と緒川の胸の内に一抹の不安がよぎる。

 

「元はと言えば彼女を……彼女たちを巻き込んだのは俺だ」

 

 そんな緒川の問いに、苦々しい面持ちで、声色で弦十郎は答える。

かつて偶然にもガングニールのギアを纏った響に対し、特異災害対策機動部二課の司令として助力を求めたのは、他ならぬ弦十郎であった。

戦う力を、術を求めて、己の元を訪れた響に、戦い方を教えたのもまた、他ならぬ弦十郎であった。

 そして今それは、彼女たちを戦いの運命へと巻き込み、その親友までも奪う結果を招いたのだ。

それは、目を背けてはならない。逃げてはならない弦十郎の背負う十字架であった。

 

「司令……」

「それに……バカ弟子のしでかしたことは、師匠であるこの俺が受け止めてやらねばならんだろうよ」

 

 震える拳に血が滲む。

己への怒りに胸の内を焦がしながら、弦十郎は響の待つ外へと向かう。

 それ以上何も言う事が出来ず、緒川はその背中を追った。

 ふと、そのポケットの辺りから端末の呼び出し音が鳴る。

 

「暗号回線からの通信? 一体どこの誰が――」

 

 画面に表示された内容を訝しみながら、弦十郎は渋々にそれに応じる。

通信の相手は意外な人物であった。

 

「弦、私だ」

 

 それは、まごうこと無き八紘の声であった。

 

「どうした兄貴、暗号回線など使って――」

「――時間が無い。手短に伝えるぞ」

 

 弦十郎の言葉を半ば遮るようにして、八紘は用件を伝える。

暗号回線の使用だけでない。その様子は、明らかに普段の八紘とは違うものであった。

その声色に、何処となく緊張が感じられる。

 

「本物の小日向 未来はまだ生きている」

「何だとッ!? 本当か兄貴!」

 

 弦十郎はその、八紘の告白に驚きの声を上げる。

この兄が嘘など吐くものかと分かっていても、耳を疑ってしまうような話であった。

 

「旧風鳴邸の地下だ。協力者と共にいる。その場所までは彼女の複製体が案内してくれる手筈となっている」

「協力者? 複製体? 兄貴、それは一体――」

 

 不可解なキーワードの連続に、弦十郎は聞き返すが、しばし音声が途切れてしまう。

その間は僅か数秒ではあったが、再び端末越しに喋る八紘の声は、少し息を切らしているようであった。

 

「行けば分かる。合流ポイントはすぐに送ろう……それから慎次、頼みたいことがある」

 

 弦十郎はその言葉に振り返り、緒川を見据える。

それは当然緒川にも聞こえていた。

端末を受け取ると、緒川はいくつか相槌を打ちながら八紘と言葉を交わす。

 

「当然です。響さんは僕にとっても恩人ですからね」

 

 緒川は力強く頷き、応えた。

かつて、一人頑なに、己を一振りの剣として生きていた翼を、その孤独から救い出したのは、他ならぬ響である。

緒川の言った「翼さんを嫌いにならないでください」という約束を、響は守ってくれたのだ。

 もちろん響自身にはそんなつもりは無く、彼女の本心からの行動だったのだろう。

それでも、だとしても、その出会いこそが翼を救ってくれたのだ。

 その恩義に報いるのであれば、ここを於いて他にないだろう。

 

「頼むぞ、緒川」

「必ず未来さんを連れ戻します」

 

 緒川はそう言うと、一足先に通路を駆けて行った。

弦十郎もまた、出口へと向かう。

――未来くんが生きているのならば、なおさら止めてやらねばならん。と、その拳に、その胸に決意を新たに抱きながら。

 

 

師弟対決

 

 

 『牙』により、マリアを除く四人は地に伏せていた。

その身にはぢりぢりと、響の纏うものと同じようなオーラが、漂うかのように纏わりついている。

 

「翼ッ! クリスッ! 調ッ! 切歌ッ!」

 

 マリアは悲痛な声で四人の名前を呼ぶ。が、誰一人答えるものは居なかった。

誰もが呻き声をあげ、悶えるように苦しむ――まるで熱病にうなされるかのように。

 

「響……あなた、みんなに何をしたの」

 

 マリア自身もまた、先に受けたひと撫でにより、その影響下にあるらしく、胸の内には抜剣時に受けるものと似たような、黒い感情が煮える様に湧き上がってくるのを感じる。

 それでもマリアは、それを押し殺すように響を睨め付けた。

対する響は怯むことなくその目を見据え返して答えるのだった。

 

「わたしの痛みを、苦しみを伝えただけ」

 

 どこまでも昏い、光を失った瞳がマリアへと向けられる。

いつだって「分かり合いたい」と言っていた少女の姿は、もうそこにはない。

 そこに居るのは、どこまでも悲しい『復讐者』でしかない。

 

「もうやめなさい響。そんな事をすれば傷つくのはあなたの方じゃない」

 

 人を傷つける事を恐れ、拒み、それでも戦った。

誰かに負わせたその傷に、その痛みに、自らの心を痛め続けていた。

そんな響がこんなことをして、後で後悔しないはずがない。

 しかしその言葉に、マリアの制止に響の表情が曇る。一層に歪む。

 

「わたしも、止めてって言った……未来を連れてかないでって言った」

「響……」

 

 その声が、言葉が、肩が震えている。

裏切られた憤りに、喪った悲しみに、ただ震えている。

――刹那、背後の『牙』がマリアを捕らえ、締め上げる。

 

「言ったんだッ!」

「うぐッ……」

 

 悲痛な咆哮に、マリアは答えることも出来ずに呻き、悶え苦しむ。

その身を黒い衝動が、絶望が、失望が焦がしていく。

それはマリアの心の、どこまでも深いところへと侵食して広がっていき、やがてその意識を飲み込んでいった。

 その身体が抵抗の意思を失う頃、遠くの車両用出口付近から、一台の車が飛び出した。

その運転席に緒川の姿が見て取れる。

 突進されることを警戒し、マリアの身体をどさりと投げ捨てる――が、その予想に反して、緒川はそのままどこかへ走り去っていってしまった。

――あんなに急いで何処へ? という疑問は、しかしすぐさま忘れ去れることになる。

 

「それくらいにしておいたらどうだ、響くん」

 

 通り過ぎた車の向こう辺りから歩み寄る弦十郎の姿があった。

真っ直ぐに、響の元へ向かってくると、辺りに倒れる五人の姿を見て、大きなため息を吐く。

 

「あーあ、随分と派手に暴れやがって。何やってんだ、バカ弟子が」

 

 響は、その言葉に答えることなく、弦十郎へ向けて拳を構える。

背の『牙』ではなく、己の拳を。

ギアを纏っていないとはいえ、弦十郎の力量は底知れない。いや、天井知らずである。

一瞬たりとも油断するわけには行かない。

 弦十郎もまた、首を、拳を鳴らしながら、少し離れたところで構えを取る。

しかし、拳を交えるよりも先に、伝えておかなければならないことがあった。

 

「響くん。兄貴から連絡があった。未来くんはまだ生きている」

「そんな嘘を」

 

 弦十郎の言葉に、しかし響は忌々しげに吐き捨てる。

目の前でその死を目の当たりにしたのだ。そんな嘘に容易く従うことなど出来るはずもない。

――わたしだってそんなに単純じゃない! と、拳に力がこもる。

 

「嘘じゃないさ。今、緒川を救出に向かわせた」

 

 それもまた事実であった。

既にヘリの手配も済んでいる。緒川ならば未来を連れ帰るのも時間の問題だろう。

 しかし、それでも響は信じようとしなかった。

いや、信じられないのも無理はない。

己の目で見たもの以上に確かなものなどあるものか。と、響は弦十郎の言葉を頑なに否定する。

 

「響くん……君は、今のそんな姿を未来くんに見せられるのか?」

「ッ!」

 

 その言葉に、響は「かっ」と目を見開き、咆哮と共に大地を蹴って飛び出した。

未来を奪っていったその本人たちが、その名を、軽々しく出しに使うなど、許せるはずもなかった。

 弦十郎は、響の放つその――怒りに任せた拳を片手でいなし、その横腹へと掌底を叩きこむ。

しかし響とてそれをただ受ける事なく、身を翻してそれを躱すと、弦十郎の頭上から勢いに乗せて一息に蹴り込んだ――が、それもまた防がれ、一旦響は距離を取る。

 

「やれやれ……説教するのは良い汗をかいてからのようだな」

 

 やり場のない憤りをぶつけていく響。

弦十郎もまた、それに応えるかのように響へと向かうのであった。

 

 

 

「ここですか……」

 

 緒川が到着したのは旧風鳴邸から一㎞ほど離れた林の中であった。

今回の救出には協力者による助力が不可欠である。

あくまで隠密性が求められる今回の救出に、緒川 慎次という男はうってつけだったと言える。

 指定されたポイントで緒川は周囲を警戒していると、ふと木立の中から気配が現れた。

緒川は、その人物の姿を見て思わずぎょっとしてしまう。

 

「未来さん……ではなく、あなたが案内の複製体の方ですね」

 

 未来の複製体は言葉も無く、緒川の姿をじっと見ていたが、しばらくすると背を向けてひたひたと歩き出す。

 

「ついて来い。と、言うわけですか」

 

 言外にそれを察し、思わず苦笑いを浮かべてその背中を追う。

複製体は木立の中を旧風鳴邸の裏手側まで進むと、地下に続く非常口を開き、中へと入っていく。

 その中は巨大な迷宮であった。

先日、翼とマリアが侵入したのは、その極浅い層の部分に過ぎず、地の底までも及びそうな深い地下空間を、二人はひた進む。

薄暗い通路をぐるぐると回り、その地下施設の深部へと、ただただ進んでいくようだった。

 ふと、先を行く複製体の動きが止まる。

その視線の先を覗き込むと、そこには周囲の和風な造りとは明らかに異なる、先端技術の扉があった。

 

「あれが……未来さんの居る場所、ですか?」

 

 複製体は相も変わらず何も答えない。

しかし、ここで止まるということは恐らくそうなのであろう。

問題は、どうやって中へと踏み込むか。

 明らかに厳重なロックが掛かっているとみられるその扉は、一筋縄に開けられそうにない。

ましてや内部に未来と協力者が居るのであれば、爆発物などの危険な方法を取ることは出来ない。

 

「隠れてください」

 

 緒川は、ふと生じた後方の気配に、複製体を伴って咄嗟に身を隠した。

薄暗い通路の向うから、闇を纏うようにやってきたのは風鳴 訃堂であった。

 その表情に苛立ちが見て取れる。

それは響の独走によるものだろうか? それともあるいは、別の理由でもあるのだろうか。

 訃堂がセキュリティユニットに入ると間もなく、その扉が開け放たれた。

そこは、他でも無い。

先日訃堂が八紘を伴った、ヴィマーナの置かれた部屋であった。

 

「いやぁ、お待ちしていました。実はちょっとしたトラブルがありましてねぇ」

 

 訃堂を出迎えたのは、他ならぬウェルである。

八紘から話を聞いていたとはいえ、緒川は思わず驚愕してしまう。

まさか生きていようとは、この目に見てもまだ信じられない。

 

「御託は良い、状況を話せ」

「えぇ、実は五つ目まで起動は成功したのですが、残る分で判断に迷う点がありまして……」

 

 苛立ち混じりに問う訃堂、その向うのウェルが、緒川に気付いているかのように視線を向ける。

――なるほど、そういう事ですか。と、その意図を察した緒川はすかさず物陰から躍り出る。

その気配に訃堂が気付くよりも早く、その影へと銃弾を撃ち込んだ。

 

「何ッ!?」

 

 突如として身体の自由を失い、訃堂は思わず驚きの声を上げる。

己に何が起こったのかもわからず、周囲へとその目線を走らせるが、室内に怪しい者など誰一人、何一つ見つからない。

だとすれば――外。

 

「忌々しい技ですが、今ばかりはその『影縫い』とやらに感謝しなければなりませんね」

 

 ウェルは、かつて自らも受けたその技を思い出しながら、腕をさするようにして緒川へと声を掛ける。

訃堂もまた『影縫い』という言葉に、背後へと迫る人物の予想を付けた。

 

「慎次、貴様血迷ったか」

 

 振り向くことも出来ず、訃堂は歯噛みする。

緒川の襲撃は、然しもの訃堂とて予想外の事態であった。

ましてやこの場所へ辿り着くなど――と、考えを巡らせた訃堂は、目の前の男に対して「はっ」とする。

 

「ええ、そうですとも。僕の手引きによるものですよ」

 

 目の前の白衣の男は、ウェルは自信を漲らせた風で訃堂が抱いたであろう疑問に答える。

 この部屋の扉は強固にして堅牢。

いかなる物理的な手段でも容易に破壊することは叶わず、下手をすれば外を破るよりも先に、内部の人間の生死に関わってしまう。

かと言ってセキュリティユニットもまた、生きた訃堂の自らの意思を持ってせねば扉を開くことは叶わない。

だからこそ、こうして訃堂を招き入れたのだ。

だからこそ、緒川を導いてきたのだ。

 

「血迷ってなんか居ません。僕が仕える防人は、昔も今も翼さんただ一人ですから」

 

 先ほどの訃堂の問いに、緒川は答える。

そうとも、一度たりともこの男に仕えた覚えなどは無い。

 

「緒川さんッ!」

「未来さん、無事でしたか」

 

 ヴィマーナの傍らに立ち、声を上げたその少女は紛れもない小日向 未来であった。

その顔色には若干の憔悴が見られるものの、存外に元気そうな姿に、緒川は内心に安堵する。

 

「さて、グズグズしてる暇はありませんよ。早く案内してもらいましょうか」

「ウェル博士……話は後から聞かせていただきます」

 

 緒川自身、聞きたいことはいくらでもある――が、今は二人を連れての脱出を何よりも優先しなければならない。

手元の端末で、その部屋に残されたヴィマーナを、それと知らないまでも手早く撮影する。

 

「貴様も吾を裏切るというのか」

「はッ! 裏切るも何も、端から僕はAnti_LiNKER精製のために従っていたに過ぎない。その必要が無くなった今、英雄たるこの僕が貴様の悪事の片棒など担ぐものか!」

 

 怒りにわなわなと震える訃堂の問いに、ウェルは早口でまくし立てる。

訃堂はその表情を、忌々しげに歪めて呻く。

 

「果敢なき者どもが……自分たちが何をしているかわかっておるのか! あの娘が何のために吾に与したか……!」

 

 その言葉に未来がハッとする。

未来もまた響と同じように、何も状況を知らされることなく「立花 響を助けたければ」と、聖遺物の起動のために歌うことを強いられていたのだった。

今、響がどうしているかなど知りようが無かったのである。

 

「緒川さん、響は……響は無事なんですか?」

 

 その瞳が不安気に揺れる。

今にも泣きだしそうな面持ちを向ける少女に、緒川は柔らかな笑みを作って見せた。

 

「今は無事です。ただ……」

「ただ?」

 

――話しても良いものだろうか?

 響は今、未来が死んだものと思いこみ、その怒りを他の装者たちへ向けてぶつけている。

己の感情のままに拳を振るい、周りの人々を傷つける響の状況を、未来に話すべきかどうかと逡巡する。

いや、きちんと話すべきだろう。しかし今は――

 

「詳しい話はここを出てからにしましょう。ウェル博士、脱出の経路は?」

「もちろん下準備はバッチリですよ」

 

 複製体が道の先を行く。

出口まで出てしまえば、後は一息にS.O.N.G.本部へと逃走するのみである。

訃堂が身体の自由を取り戻す前に、何とか安全圏まで脱出しなければならない。

 

「おのれ……果敢なき者どもがッ!」

 

 忌々しげな訃堂の声が、辺りに響く。

部下たちがその声を聞きつけてたどり着くには、些かその迷宮は入り組み過ぎており、奇しくも訃堂は、己の張った安全策によりその発見を遅れさせるのであった。

 

「緒川です。無事に未来さんと……協力者を救出しました。至急回収をお願いします」

 

 外へと出るなり緒川は手短に用件を伝え、回収のヘリを要請する。

合流ポイントを指定しようとした時、本部から伝えられた事実により、その顔に驚愕の色が浮かぶ。

 

「えっ、司令が……!?」

 

 思わずその端末を落としそうなほどに、緒川はただただ、愕然としていた。

 

 

 

 打ち合い、離れ、また打ち合う。

藤尭が、友里が、エルフナインが、モニタに映る二人の攻防を、ただただ固唾を飲んで見守っていた。

 弦十郎との戦いで、響は『牙』を使わず、己の拳だけを頼りに戦っていた。

弦十郎もまた、その体術を以って、ギアを纏った響の攻めを躱し、隙を見て打ち込む。

弛まぬ鍛練により身に着けた体術を駆使する弦十郎に対し、幾つもの死地を、死線を越えてきた響の、感覚的な格闘センスもまた、互角以上に渡り合っていた。

 しかし、これまでの戦いによる継続的な疲労が、積み重ねてきた無茶が、じわじわと響の動きを蝕み、そのキレを失わせていく。

弦十郎もまた、衝撃やダメージを発勁でかき消してはいたが、人の身である限りその限界は近く、既に身体のあちこちが軋み始めていた。

 訓練とは違う、本気の打ち合いは、手加減なしのガングニールの出力を弦十郎へと浴びせかけているのだ、無理もない。

 

「随分と息が上がっているようだが、大丈夫か響くん」

「別に……これくらい」

 

 互いに肩で息をする。

言外に、その限界を感じ取り、次が最後の一撃だ。と互いを見据える。

 どこまでも真っ直ぐな瞳をしていた少女の目は、しかし今は昏く淀み、翳り、憎悪を込めて弦十郎を睨め付ける。

 そうさせたのは俺なのだと、自らを責める。

――だが、だからこそ。と弦十郎は己を奮い立たせる。

 その責任から目を背けることは出来ない。

彼女の、響の痛みを、苦しみを、悲しみを、受け止めてやらねばならない。と、強い意志を、決意を抱く。

 

「はぁッ!」

「ふんッ!」

 

 互いに声を発し、その身を跳躍させるがごとく、一息に間合いを詰める。

二人の姿が交錯し、衝撃が一面に砂埃を巻き上げる。

 響の拳は弦十郎の胸元を捉えていた。が、その手首を弦十郎はしっかりと掴んでいた。

 

「くッ……」

 

――衝撃は発勁で打ち消されたはず。

 ならば、早く振りほどかなければ反撃を受けるだろう。と判断し、響は後退ろうとする。が、しっかりと保持された手首は振りほどくことも叶わず、弦十郎はその手を大きく振りかざした。

 響は打たれる衝撃を覚悟し、固く目を閉じる。固く、固く。

しかし、予想に反して放たれたそれは、どこまでも優しく、まるで触れるような平手であった。

 

「えっ?」

「ったく……このバカ弟子が」

 

 弦十郎は、優しく、ただただ優しく微笑みかける。

ぺちりと打たれた頰が、じわりと温かくなるのを感じる。

いつの間にか、手首に掛けられた力は和らぎ、弦十郎は響の拳をそっと包むようにして、握った。

 

「この手は、そんな風に使うためのものじゃないだろうが」

「し……しょ……」

 

 その表情の、声色の優しさに、響は思わず名前を呼ぼうとする。

胸の内に押し殺してきた感情が、噴き出しそうな程、胸の内に湧き立つ。

握りしめてきた拳の力がふっと抜け、頬に触れる手を、そっと掴もうとした。その刹那――

 

「がはッ!」

 

――視界が紅に染まる。

 響の胸元へ、優しく包まれた拳へ、弦十郎は鮮血を噴き出した。

 

「え……?」

 

 その手に、その胸に、熱いものを感じて、視線を向ける。

鉄臭い血の臭いが、むせ返るほどの臭いが鼻をつく。

重い身体が、力無くのしかかり、響は思わず尻餅をつく。

 

「師匠……?」

 

 答えは無い。

ただただその身体から力が――熱が、じわじわと失われていく。

 

「嘘、ですよね? 師匠……ねぇ、師匠?」

 

 その肩を抱こうとする手が震える。

弦十郎なら衝撃を打ち消せたはずだ。

それなのに、そうでなければ――ギアを纏った響の拳をまともに受け止めたりなどすれば、ただでは済まない。

だというのに――

 

「救護班を至急回してッ!」

 

 友里は声を荒げて指示を飛ばすと、慌てて発令所から駆け出ていく。

直撃を喰らったのであれば、然しもの弦十郎とて無事では済まないはずだ。

 

「そんな、司令が……嘘だろ?」

 

 藤尭はただただ愕然として、その様を眺めていた。

こと、対人戦において弦十郎が負けるだなどと、考えたことも無かった。

それが今、打倒されたというのだ。

 

「ギアを纏って放たれた一撃を生身で受け止めるなんて……急いでください! 早く処置をしなければ!」

 

 エルフナインもまた、動揺している。

モニタ越しの響は、ただその目を見開き、己が討ち果たしたその相手を、何とか目を覚まさせようと揺さぶっていた。

 

「だれか、師匠を助けて……誰か! 誰かッ!」

 

 動かない弦十郎を抱きかかえ、助けを求める。

悲痛な叫びを――しかし、誰も答える者は居ない。

辺りを見回したところで、自分以外にそこに居る者などはいなかった。

 

「師匠、しっかりしてください! 師匠……! 師匠ッ!」

 

 大粒の涙が零れ、弦十郎の頰を濡らす。

震える声が何度も弦十郎を呼ぶ。震える手が、その肩を揺さぶり、抱きしめる。

その命が零れ落ちてしまわぬよう、必死に、懸命に。

 

「師匠ぉぉぉぉッ!」

 

 立ち上がる者の居ない戦場に、慟哭だけが響く。

自ら穿った絶望の深淵で、少女は新たな罪を刻む。

その身、その拳へ。

――そして、ようやく取り戻した己の感情へと。

 

 

ささやかなる反抗

 

 

「やれやれ、慣れないことをするものではないな……」

 

 通信を終えた八紘は、壁にもたれかかるようにして、薄暗い通路を歩き出す。

その足元は随分とおぼつかず、今にも倒れてしまいそうなほどにふらついていた。

ところどころに点々と、赤黒い染みを作りながら、それでも八紘は進む。

 訃堂の追っ手により受けた銃創は、急所こそ外れていたものの、かすり傷というには深すぎる。

何とか外へ出ればあるいは――と、淡い期待をしたのもつかの間。

突如、通路全体を照らすような眩さが、その姿を照らし出す。

 

「貴様には失望したぞ、八紘よ」

 

 眩しさを遮るように手をかざす――が、その光量はそれすらも許さず、声の主をはっきりと目にすることは叶わなかった。

だが、しかし、姿が見えずとも分かる。

その声は、風鳴 訃堂。その人物のものに相違ない。

 

「果敢なき者が……安い情にほだされて己の為すべきことを見誤るとは」

 

 その声は明らかに怒りに震えていた。

八紘の、ウェルの裏切りにより、目論みのすべてはご破算となったのであろう。

八紘はこの、非道なる父の凋落に「ざまあみるがいい」と内心毒づいた。

 物心ついた頃から防人として育てられ、人の心を持つことも許されず、自らの妻をも奪われながら、これまでずっと己を殺して生きてきた。

 そんな自分のたった一つの、この半生を掛けた最後の反抗は、どうやらこの男の泣き所をうまい具合についたらしい。

 それが、八紘にはどこまでも心地よかった。

 

「最早貴様には何も期待などはせん」

 

 訃堂の手が、その影がすっと上げられる。

それを合図に、訃堂の背後の気配の一つが八紘の元へと歩み寄る。

眩さにくらむ視界の中、八紘はその人物の手に、鋭い銀光が宿るのを見た。

 薄れゆく意識の中、八紘は翼の事を想っていた。

ただただ「すまない」とだけ内心に、ぽつりとこぼして。




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第七話  深淵の底に眠るモノ

打ち砕かれた可能性。
絶望に覆われた、暗澹とした世界。
それでも少女は前を向き、駆けていく。
深淵の底に射す、一筋の光を手にするために。


最強の男

 

 

 等間隔に鳴る電子音が、辛うじて命の繋がりを示している。

明かりの消された薄暗い部屋の中、生命維持装置の淡い光だけが周囲を照らしていた。

その傍に置かれた椅子へと腰掛けて、友里はそこへ眠る人物をただただ見つめている。

――風鳴弦十郎は、幸いにしてその命を取り留めた。

 いくつかの臓器を損傷しながらも、それでも生に食らいついたのだ。

その生存が、言外に語っている。

――こんなところで死んでたまるものかよ。と、その強い意志を示して見せている。

 

「司令、響ちゃん……泣いてましたよ」

 

 そう一人呟きながら、眠る弦十郎へと微笑みかける。

それは、どこまでも悲しい微笑みだった。

そんな友里の眼前に、飲み物の入ったカップが差し出される。

 

「あったかいもの、どうぞ」

 

 いつの間に来ていたのだろうか。

そこにはカップを手に現れた藤尭の姿があった。

 

「あったかいもの、どうも」

 

 友里は、手渡されたそれを、そっと口に運ぶ。

座りっぱなしで凍えた、その身体の芯まで沁みるように、温まっていく。

思えばもう何時間も、こうして弦十郎を眺めていたかもしれない。

 

「司令、まだ起きないんだ?」

 

 そう言って覗き込む藤尭の眼差しもまた、悲哀に満ちている。

もうかれこれ三日は眠り続けているだろうか。

弦十郎が倒れた事による混乱は、今のところ一先ず治ってはいる――しかし、弦十郎を欠いた今、S.O.N.G.全体が暗く沈んでしまっているのも確かだ。

 それも無理はない。

これまでずっと、無理も無茶も通せてきたのは、その頼もしい背中に誰もが引っ張られてきたからこそと言える。

弦十郎が倒れ、八紘との連絡が途絶え、その上装者たち全員が、弦十郎と同じく目を覚まさない状況。

目の前にはただ、暗澹たる絶望が広がっているのみである。

 

「幸い、あっちからの襲撃も今のところは起きてないけど、今度響ちゃんが来たらもう……」

 

 藤尭は思わず弱音を吐く。

事実、戦える者を欠いた今、その襲撃に対抗する術はない。

幸いにして訃堂の側からの襲撃が無いからといって、いつまでもそれが訪れないとは限らないのだ。

 

「そんな弱音ばっかり吐いてると、あとで司令に叱られるわよ」

 

 暗い面持ちの藤尭を励ますように、友里は笑って見せる。

藤尭も、そんな友里につられて「そうだね」と笑う。

 きっと、今は眠ってるこの弦十郎も、その地獄耳で二人の会話に聞き耳を立てているに違いない。

こんな弱気な様子を見せていては、目を覚ました時に雷の一つや二つでは済まないだろう。

 

「さて、少し休んだら? ずっと付きっきりだったんだろ?」

「うん、だけど……」

 

 藤尭の提案に、しかし友里は不安そうに弦十郎を見る。

今は安定しているとはいえ、心配せずにはいられないのだった。

 

「司令のことは、俺がちゃんと見ておくからさ」

 

 藤尭はそう言って笑う。

先ほどの弱気な姿は、そこにはもうなかった。

 確かに、もうずっとまともに眠っていないせいか、少し意識がぼんやりする。

ここで無理をして倒れてしまっては、それこそ他の人々に迷惑をかけてしまうだろう。

ただでさえこんな状況だというのに。

 

「そうね……じゃあお言葉に甘えて、少し休ませてもらうわ」

 

 そう言って、友里は上着を片手に立ち上がる。

おぼつかない足取りで病室を後にすると、藤尭だけが、静寂の中に取り残される。

 

「司令、早く帰ってきて下さいよ。でないと俺たち、どうしたら良いのか……」

 

 弦十郎の眠る装置に、縋り付くようにこぼす藤尭の声は、震えているようだった。

誰一人として答えるものは無く、ただただ等間隔に鳴る電子音だけが、その部屋に響いていた。

 

 

憎悪の残滓

 

 

「外傷はゼロでは無い。が、致命的なものなどは何一つない。脳への損傷も見られず、肉体的に見れば至って健康そのもの――だというのに、彼女たちは目覚めない。さて、君はどう考えているんだい?」

 

 モニタ上に映し出された装者たちのデータに目を通しながら、ウェルはエルフナインに訊ねた。

エルフナインは、少しだけ思案すると「あくまで仮説ですが」と念を押すように、前置いたうえで、己の推論を語り始める。

 

「この黒い靄のようなものが鍵だと思われます。様々な方法で測定してみましたが、これらは物質的な側面を一切含んでいません。にも関わらず皆さんの身体に纏わりつき、蝕んでいます」

 

 エルフナインが示すように、確かに装者たちの身体を取り巻くように、響の放った黒い靄のようなオーラが纏わりついている。

それらは払っても払っても、まったく触れる事が出来ないのだった。

揺らぎ、漂い、それでいて何にも反応を示さないそれらは一体何なのだろうか。

 

「これは恐らく、響さんの強い意思によりギアから放たれた一種の哲学兵装のようなものなのかもしれません。いわゆる呪い・怨念・生霊と言った、負の感情が可視化されたものではないでしょうか」

 

 ウェルはその説明を聞くと「ふむ」と押し黙ってしまった。

チフォージュ・シャトーから錬金術の秘奥――その一部を垣間見たとは言え、ウェルにとってそれらの知識や技術は本来分野違いである。

 生化学者であるウェルにとって、その手の幽霊だとか亡霊だとかと言ったものは、全く縁が無い与太話のようなものであった。

 

「だったとして、それに対抗する術は――」

「ラピス・フィロソフィカス――賢者の石ならあるいは、そのあらゆる不浄をも焼き払う特性により、効果が期待出来るかもしれません。しかし、それらはパヴァリアの錬金術師たちと一緒に……」

 

 そう、既に失われて久しい。

かと言ってそれらを作り出すことなどは、出来ようはずもない。

 

「つまりは八方ふさがりと言うわけだ……いや、待ちたまえ。呪い、不浄と君は言ったか?」

 

 あからさまな落胆を見せたウェルだったが、何か思い当たる節があったらしく、エルフナインへと詰め寄る。

エルフナインは、ウェルの持つその勢いに思わず怯えた表情を浮かべる。

 

「は、はい。あの黒い靄が装者の皆さんを蝕んでいるとすれば、その特性は呪いや怨念と言った性質を持っているとボクは考えま――」

「つまりはそれさえ取り除くことが出来れば、彼女たちは目覚めるというわけだ」

 

 エルフナインの推論を遮るように、ウェルはその口元を歪めて笑う。

その邪悪さはかつて英雄としての在り方に固執し、世界を窮地に陥れた頃のウェルを彷彿とさせた。

そんなウェルにたじろぎながらも、エルフナインは「何か心当たりでも?」と訊ねる。

 

「勿論あるとも。この上なくそいつに適した極上の逸品が」

「それは一体……」

 

 この男は一体何を思いついたのか。

自信に満ちたウェルの表情に、期待と不安を綯い交ぜにしたような心持ちで、エルフナインと緒川はその口から語られるであろう答えを、生唾を飲み込んで待つ。

 ウェルはそんな二人の様子に満足したのか、「ふっ」と鼻を鳴らすと、眼鏡の鉉を持ち上げながらその答えを口にする。

 

「『神獣鏡』……ですよッ!」

 

 その答えに二人は思わず絶句してしまう。

その絶句の意味に気付かない様子で――いや、むしろ二人が自らの考えを理解していないのだろうと憐れむかのように説明を続けた。

 

「神獣鏡の持つ光は、聖遺物をかき消す力を持つことぐらい知っているでしょう? それらは古来より伝え聞く、鏡に付随した呪いなどを退ける凶祓いの特性によるもの。ならば呪いや怨念と言ったものにはうってつけではないか」

「しかし、ウェル博士……」

 

 己の考えに絶対的な自信をもって言い放つウェルに、エルフナインは反論を示そうとする。が、「あァん?」と声を上げられ思わず閉口してしまう。

代わりに答えたのは緒川であった。

 

「神獣鏡のシンフォギアはあの時、響さんのガングニールと共に消滅してしまったのでは?」

 

――そう。

 かつて響と未来が戦いを繰り広げた末に、それらは共に光に飲まれ、たしかに消失したはずである。

縦しんば欠片程度の残骸が残されていたところで、聖遺物の欠片から作り出されたシンフォギア。その更に欠片となってしまっては、かつての響のケースのように、融合でもしない限りはその機能を取り戻すことは出来ないだろう。

 

「その通り。たしかに我々――F.I.S.が保有していた神獣鏡のシンフォギアはあの時に失われてしまいました。それは当然、僕も確認している」

「だったら――」

 

 存在しないものを使う事など不可能である。

ウェルの発案がそれに端を発したものである限り、どうしてもそれは実現不可能なはずであった。

しかし、訝しむ二人へと、ウェルはなおも言葉を続ける。

 

「お忘れですか? かつて天羽 奏が纏い、立花 響が受け継いだそのガングニールは、そのたった一振りというわけではなかった事を」

 

 その指摘に二人は思わず「はっ」とする。

櫻井 了子ことフィーネにより二課から持ち出された聖遺物。

その中には奏と響が身に纏ったそれとは別の、もう一振りのガングニールが存在していた。

かつてフィーネを演じたマリアがその身に纏った黒のガングニール。

今でこそ響に受け継がれたそれは、元々がもう一振りの撃槍であった。

その事実が指し示す可能性は――

 

「まさか……」

「神獣鏡も一つではないと?」

 

 二人の言葉に、ウェルは満足げに頷く。

そこには確信とも言えるほどの自信が窺えた。

しかし、二課の頃から現在のS.O.N.G.に至るまで、神獣鏡が他にも存在するなどという話は聞いたこともない。

もしもウェルの言う通り、それらが存在するとすれば、それは一体どこにあるというのか。

 

「発掘された神獣鏡。それを盗み出した彼女が最初に行ったのは、そのシンフォギアを精製することでした。しかし、万が一それらが起動でもしようものならアウフヴァッヘン波形を検知され、その裏切りが白日の下に晒されるのは当然。だからこそ彼女は――」

 

 手元の端末のキーを弾き、ウェルは前方モニタへと映像を出力する。

それは、かつてF.I.S.が所有していたエアキャリア――その操縦席の映像であった。

その一部に、機械的に増幅されたエネルギーにより運用された神獣鏡が映し出されている。。

 

「我々F.I.S.と共同研究する事で、まずは神獣鏡の持つ『不可視』の特性を獲得したのです」

「不可視の……」

 

 その言葉に反応を示したのは緒川である。

緒川には、エアキャリアと『不可視』の関連性に心当たりがあった。

かつて翼・クリス・響の三人は、F.I.S.のアジトという情報を得て浜崎病院へと乗り込んだところで、ウェルとネフィリムに遭遇したのであった。

 その際、ウェルの身柄は確保したものの、ネフィリムのケージは逃亡を図られることとなった。

それでも、翼の猛追によりあと一歩で確保出来るかと思われたそれらは、しかし突如として現れたマリア・切歌・調によって既のところで阻止され、エアキャリアによって逃亡されてしまったのである。

 あの時、管制情報によれば、出現の瞬間まで一切の予兆は示されなかったとされている。

恐らくはそれが、今ウェルの語っている『不可視』の特性なのだろう。

 

「不思議だと思いませんでしたか? ソロモンの杖も、ネフシュタンの鎧も、イチイバルも……何一つ痕跡なく現れ、そしてまた痕跡を一切残さずに追跡から逃れ、姿を眩ますなんて」

「つまり、全ては不可視の特性……『ウィザードリィステルス』によるものだった。という事ですか」

 

 エルフナインは、記憶を手繰るようにしながら、以前目を通した神獣鏡の情報から、その特性を思い出す。

可視光線のみならず、振動も信号も、一切のシグナルを低減し遮断するその特性。

たしかにウェルの推論が正しければ、盗み出された聖遺物やその欠片を、長年隠しおおせたというのも頷ける話である。

 

「それが事実だったとして、神獣鏡は一体何処に?」

 

 エルフナインのその問いに、待ってましたと言わんばかりにウェルは答えを提示する。

この男はきっと、早く答え合わせをしたくて堪らなかったのだろう。

眼鏡の奥の瞳が、爛々と輝いていた。

 

「その場所とは――」

 

 

 

 草一つ生えていない不毛なる大地。

そのなだらかな丘の上には、派手な色彩をした人工物の残骸が、未だ撤去されることなく聳えている。

中心地には、巨大でどこまでも深い――地の底までも続いていそうな大穴が開き、緒川ともう一人の人物――小日向 未来はその縁に立つと、時折噴き上げる強い風に髪を、服の裾を揺らしていた。

 

「東京番外地・特別指定封鎖区域――通称『カ・ディンギル址地』ですか……」

 

 普段よりも幾段か暗い声色で、緒川はぽつりと呟いた。

私立リディアン音楽院の痕跡も、地下にあった特異災害対策機動部二課の本部の痕跡も今はどこにも残らない。

それでも、櫻井 了子――フィーネによって決戦の場と変えられたそこは、緒川たちにとっても因縁深い場所である。

 

「あの日……二課の装者たちとの果し合いをこの場所に指定させたのは、フィーネの研究資料を探るためでもありました。しかし、装者たちがやってくるまでの間、何とか探ろうとしてみたのですが……何分フィーネがデータを残しているであろう深部へと到達するには、電力が供給されていない以上エレベーターが使えず終いでしてね……結局断念せざるを得ませんでしたよ」

 

 懐かしむように、それでいてやや不満そうにウェルはこぼした。

残留したエネルギーの残滓による危険性から一般人の立ち入りを禁じられて以降、必然電力や水道などの最低限のライフラインすら供給を断たれている。

生身のウェルが単身あの奈落の底へと降りようにも、それはあまりに深く、エアキャリアに搭載された装備では、その底までは辿り着けなかったのである。

 

「この場所に――本当に神獣鏡があるんですか?」

「むしろここを於いて他に無いでしょう」

 

 未来の不安を払拭するかのように、ウェルは断言する。

そもそもフィーネの拠点は他にも幾つかあったはずである。

弦十郎たちが乗り込んだ後に崩落した屋敷もまた、フィーネの重要な拠点ではなかったのか。

 しかし、ウェルの方はそのような疑問など、とっくにお見通しという様子で答える。

 

「彼女のセーフハウスが米国からの襲撃を受けたことからも、神獣鏡はあちら側ではなくこちら側にあったのは間違いないでしょう。もしもあちらにあったのなら、そもそも襲撃など受けようはずがありませんからね。ただ、その正確な位置は――」

「潜ってみなければわからない――ということですか」

 

 やれやれといった表情で答えると、緒川は再びその深淵を覗き込む。

途中までは恐らく避難に使った経路で潜れるであろう。が、最深部ともなれば、非常に危険な道行きとなる。

ましてや今回は一人では無く未来も一緒である。

 

「他に、方法は無いんですか?」

「他に、方法などありませんよ」

 

 駄目で元々――ほかに使える手立ては無いのかと、緒川はウェルに問うが一蹴されてしまう。

緒川一人でも危険の伴う探索である。

そこへ未来まで連れて歩くというのは、弦十郎が健在であれば絶対に反対したか、あるいは弦十郎自身が出張ってきていたに違いない。

 

「元々、F.I.S.の神獣鏡とて機械的に起動させてようやく運用していたものです。今や完全に電力も何も途絶えているのだから、反応など探りようが無いでしょう。第一起動していたらしていたで、ウィザードリィステルスにより余計に捜索は困難な状況となっていたのだから、停止していただけラッキーですよ」

 

「どうしてこんなことも分からないのか」と小馬鹿にしたようなウェルの言い様に、緒川は思わず苦笑を浮かべる。

 機械的な探索が出来ない以上、残された可能性というのが未来の存在だとウェルは言う。

かつてLiNKERにより神獣鏡と適合した未来であれば、あるいはその強い想いにより神獣鏡のペンダントが呼応してくれるのではないか。という案なのだが、やはり危険性が伴う以上、緒川も素直には従い難いものである。

 

「緒川さん。わたしなら平気です」

「しかし……」

 

 不安そうな緒川とは対照的に、未来の方は迷いのない様子であった。

身の危険すらあるというのに、随分と気丈な様子である。

旧風鳴邸より救出した際、緒川は無線で弦十郎が響に倒されたとの報せを受けた。

響がそうして他人や、大切な人々を己の意思で傷つけようとしたなどと聞けば、平気ではいられないのでは。と心配したものの、どうやら杞憂だったらしい。

 

「わたしが居ない間、響が何をしていたのか――何をしたのかは聞きました」

 

 恐らくは自分と同じく訃堂に脅されていたのだろうと未来は考える。

いや、複製体の話を考えれば、自分よりもよほど重圧があったに違いない。

誰かに打ち明けることも出来ないまま友人と拳を交え、そして未来だと信じきっていた複製体の死を目の当たりにし、そのうえ友人たちを傷つけ、弦十郎へと致命傷を負わせたのである。

だれよりも、響自身が傷ついているに違いない。

己の行いに、自分自身を責めているに違いない。

ずっと一緒に居たのだ。そのぐらいは未来にはよく分かっていた。

 だからこそ、響が己を見失っているのなら、自分が皆と共に響を救い出しに行かなければならない。

出口の無い自責の迷宮から救い出さなければならない。

 そう強い意思をもって未来はここへ来たのだ。

 

「わたし、響を救いたいんです。みんなを助けて、響に会いに行きたいんです。だから――」

「未来さん……」

 

 こうなるとテコでも動きそうに無いのは、性格こそ違えど響と良く似ている。

最早何を言ってもっても無駄だろうと、緒川も覚悟を決め、進むべきその深淵の入り口を見据えていた。

ウェル博士の提案も最もである。

いかに緒川といえど、広大な深淵の底で小さな小さなシンフォギアのペンダントを探すのはやはり簡単なことでは無い。

可能性があるのなら、それに縋るしかないのだ。

 

「わかりました。必ず守りますから、絶対に離れないで下さいね」

「ありがとうございます、緒川さん」

 

 決意を確かめ合い、頷き合うようにして二人は、深淵の底へと向かう。

目指すは最下層のデュランダル――あるいは、その近くにあったはずの櫻井 了子――フィーネの研究室である。

 

「今回僕は一緒には行けません。何せ彼の容態を見なければなりませんからね」

「不本意ですが……司令を頼みます」

 

 生化学者であるウェルの存在は、今の弦十郎にとっては不可欠だろう。

容態に異常があった場合、すぐ対応できるよう残ってもらうほかに無い。

事実、死の淵に瀕していた弦十郎を救ったのは、他でも無い帰還したばかりのウェルの治療によるところが大きいのだ。

 弦十郎をウェルへと託し地下へと向かう入り口を進んでいく二人。

その背後に忍び寄る影があることを、二人はまだ知らなかった。

 

 

 

 駆け付ける人々の足音。

揺さぶられる身体の感触。

引っ手繰るように手から剥がされ、失われる重みと、その熱。

誰かの口から、けたたましい音が幾つも、幾つも、断続的に発せられる。

それが『言葉』だと理解するのに、どれほど掛かっただろうか。

 

「響ちゃん……! 響ちゃん!」

 

 響は、その声の主を見る。

その顔を、その声を思い出そうと、ぐちゃぐちゃになった頭の中から、何とか記憶を探る。

――ああ、そうだ。それは、この人は友里さんだ。と気付く頃には既に、弦十郎の身体は救護班の担架に乗せられていた。

 

「し、しょぉ……」

 

 辿々しくも何とか、その言葉を口にする。

まるで、自分の身体が、言葉が、心が、自分のものでは無いようにふわふわと、現実味を失わせている。

――これは夢? それとも。と、友里の方へと向き直る。

 

「響ちゃん、分かる? これから司令をメディカルルームへ搬送するの。響ちゃんも一緒に――」

「――ッ!」

 

 一緒に戻ろう。と、友里の伸ばした手が触れるか触れないかの刹那――響は反射的に手を引いてしまう。

血に塗れた手が、腕が、目に映るその光景全てが、この身体の感触全てが、錯乱した意識を覚醒させる。

目の前で起こっている全ては事実なのだと、どうしようもなく現実なのだと響へと突き付ける。

 

「あ……あぁ、うわあぁぁぁぁッ!」

「響ちゃん!」

 

 震える拳を握りしめ、響は振り返ると、そのままその場から走り去ってしまう。

己のした事を今更ながらに理解し、受け止めることも出来ず、ただただ響はそこから逃げ出したのであった。

 

「響ちゃん……」

「友里さん! 今は回収を優先して下さい!」

 

無線越しのエルフナインの声に一瞬躊躇するも、友里は弦十郎をメディカルルームへと搬送するのだった。

 

 その後、旧風鳴邸の自室へ戻った響は膝をつき、その血に塗れた手を震えさせていた。

その手に残された、打ち込んだ拳の、貫いた弦十郎の胸の感触を思い出す。

光を失った瞳を、熱を失っていく身体を思い出す。

重くのしかかる身体の感触も、揺さぶっても答えることの無い、その人の全てを思い出す。

 

「わたし……わたしは……わたしはッ……!」

 

 黒い靄が、その牙が、硬質化した殻を描くようにして響の全身を覆っていく。

受け入れがたい己の罪と、何もかもを失った現実とを拒絶するように、その残滓を黒く漂わせながら、外界と己とを隔絶していく。

やがてその身が全て覆い尽くされる頃、慌ただしい足音と共にやって来る人物があった。

 

「何だこれは、どうなっておる」

 

 訃堂は、そこに鎮座する、巨大な黒い繭のようなものを一瞥すると、連れ添って現れた配下へと状況を問う――が、答えられるものなどあるはずもない。

 

「何をしておる立花 響。答えよ!」

 

 苛立ちか焦燥か、訃堂はその殻へと手を伸ばす。

その残滓が鞭のように襲いかかり、訃堂は思わず身をたじろがせた。

 

「危険です! お下がりください……ぐあッ!」

 

 側に仕えた配下の男は咄嗟に、訃堂を突き飛ばすようにしてそのひと撫でを背に受けると、声もなく白目を剥いて昏倒した。

地に伏した男は、呼吸自体は辛うじて繋いでいるものの、意識のみが寸断されたかのように、男は言葉も無くぐったりとしている。

 

「果敢無き者がッ! 彼奴らはすでに戦端を開いておるのだ! 最早猶予など残されておらぬというのに……!」

 

 訃堂は年甲斐もなく地団駄を踏むようにして声を荒げる。

そこには、弦十郎や八紘を前にした時のような威厳は一切感じられず、ただただ目先の事態に慌てふためくだけの、老いた男が居た。

彼奴等とは、猶予とは何なのか。

誰もその言葉の真意を知ることもなく、ただただ訃堂は荒れ狂う。

 

「……ええい、何処までも忌々しい歌ッ! 歌めがッ!」

 

 その言葉通り、訃堂は忌々しげに吐き捨てる。

固く握った拳を壁へと打ち付けて、荒く息をする。

そうしてふうふうと獣じみた呼吸を繰り返していたが、しばらくの後それらが治まると、配下の者に対して訃堂は問うた。

 

「人形の方はどうなっておる……」

 

 冷静であろうと努めては居たが、その声は憤りに震えていた。

配下の一人が、取り乱した訃堂の姿に狼狽えながらも端末を確認し、その状況を伝える。

そこにはアダムの所持していた自動人形であるティキの残骸と、細かなレポートが記されていた。

 

「やはり修復は難しいようです。特に人格を形成する部分は不可逆的な破損をしているようで……」

「形だけでも構わん。即時計画を進めよ」

 

 苛立った様子で訃堂は指示を飛ばし、歯噛みする。

そのすべてを起動しきらぬ聖遺物に、ウェルの裏切りと響の閉じこもった殻。

訃堂の計画も目論見も、それら全てが狂ってしまっている。

 

「これ以上、これ以上遅延させるわけにはいかぬのだ」

 

 頭上を仰ぐように天井を――いや、そのさらに先を睨め付ける。

忌々し気に、憎々し気に。

 

「不完全だとしても、起動だけでもせねばならぬのだ……」

 

 その視線の先に映るのは果たして――

 

 

 

 薄暗い通路を、手元の明かりだけを頼りに緒川と未来は走る。

もう随分と降って来てはいるが、それでもまだ底には程遠いようで、いくつかのルートを経由し、時折縦穴の縁を通るものの、未だその底は見えてこなかった。

 

「大丈夫ですか? 未来さん」

 

 普段こういった荒事には無縁の未来である。

疲れたのなら、失礼を承知で抱えていこうと考え、未来を気遣って声を掛けたのだが、どうやらそれは要らぬ心配だったらしい。

 

「大丈夫、です。わたしだって、元陸上部、ですから」

 

 返答は途切れ途切れながらも、その呼吸はまだしっかりとしていた。

陸上部時代に培ってきた走り方によるものか、あるいはその強い意思によって己を支えているのか。

 

「それに――」

「それに?」

 

 装者たちは今、メディカルルームにて生命維持装置に繋がれている。

もちろん差し当たって命に関わるような状態というわけではないが、それでも見る間に衰弱していくのが確認されている。

弦十郎もまた、峠を越したとは言え未だ予断を許さない状況である。

 何より――たった一人、飛び出していった響の事が心配でならない。

皆と共に、少しでも早く響の所へ無事を報せに行かなければならない。

その一心で未来は走る。

 

「みんなが、苦しんでいるのに、わたしだけ、弱音を吐くわけには、行きませんから」

 

 未来は、腰元のポーチを、その中身を確かめるように弄った。

本部を出る前に、エルフナインから手渡された大切なものがそこには入っている。

 

「未来さん。これを――薬害の事もあります。出来れば使う事無く見つかってくれればいいのですが……」

 

 そういってエルフナインが手渡してきたのは他でも無いLiNKERであった。

かつてフロンティア事変に際して、そして旧風鳴邸でもまた、それらは未来に投与されたのであった。

 幸いにして、エルフナインの言う薬害による影響は、これまでのところ起ってはいない。

少なくとも未来自身にその実感はなかった。

それでも、神獣鏡を探すために必要となれば、躊躇なく未来はそれを使う覚悟があった。

効果時間を考えればそれは、地下へと乗り込む前に投与しても良かったのかもしれない。

いや、使っておくべきだったのだろう・

 深部へと向かって走る二人の無線機に、ふとウェルからの通信が入る。

 

「ああ、そうだ。言い忘れてましたが……その辺りにはコソ泥対策にノイズをばら撒いてありましたから、気を付けて下さいね二人とも」

「なッ……」

 

 ウェルに告げられたそれらの情報は、奇しくも現実の脅威として二人の前に姿を現していた。

通路の向こう――薄闇の奥に多くのノイズたちがひしめき合っている。

 

「そういう事は、事前に教えていただきたいものですね……」

 

 息を潜めて迂回路を探るように緒川は視線を走らせる。

気付かれさえしなければやり過ごせるはずである――が、しかしその希望は、儚くも砕かれることとなる。

 そのうちの一つが、こちらを見つけて身を躍らせる。

それに続くように一体、また一体と、宛ら極彩色の棘のように緒川と未来へ向かい襲い掛かった。

 

「未来さん!」

「きゃっ!」

 

 緒川は咄嗟に未来を抱えて横道へと飛び退った。

紙一重で二人のそばを通り過ぎたノイズは、向こう側の壁へ墨のように弾けていく。

ほっと息を吐いたのも束の間――先ほどの通路の方から、何体ものノイズが二人を追って現れた。

 緒川の額に汗が浮かぶ。

その技前は弦十郎と同じく常人の域を遥かに逸しているとはいえ、あくまで対人戦技である。

シンフォギア抜きにしてノイズと渡り合うことなど、自殺行為に他ならない。

 

「緒川さん……」

「残念ながら、退路は塞がれました……今はとにかく最深部を目指します」

 

 不安そうな未来を抱え、緒川は通路を駆けていく。

執拗に追い縋るノイズの猛攻を、幾つもの角へ、幾つもの縦穴へ飛び込んでは何とかやり過ごしているが、それもいつまで続けられるものだろうか。

 然しもの緒川とて、未来を抱えたままの逃走で次第に息が上がっている。

 

「未来さん! 神獣鏡は……」

 

――まだ反応を感じられませんか? と緒川は問う。が、未来は首を横に振る。

 例え適合者であっても、基底状態で何らエネルギーも信号も捉えられないシンフォギアのペンダントを感じ取ることは難しい。いや、不可能といっても良いのではないだろうか。

本作戦での未来の役割もまた、あくまでLiNKERによる補助で適合係数を高め、その胸に聖詠が浮かぶことを期待してのものである。

直接的なレーダーとしての役割ではないのだ。

 

「緒川さん! 後ろにノイズがッ!」

「しまった!」

 

 一瞬の隙を突かれ、二人の背後にノイズが迫る。

緒川は咄嗟に壁を蹴るようにしてその攻撃を躱す――が、それは未来のそばを掠めるようにして通り過ぎ、腰元のポーチごとLiNKERを分解してしまう。

 

「LiNKERがッ!」

 

 どうして予め投与しておかなかったのかと悔やむ――が、今更失われたものはどうにもならなかった。

己の無力を、迂闊さを噛みしめるように、未来は歯噛みする。

身体を掴む手に思わず力が入っているのを緒川も感じていた。

 

「未来さん、そのまましっかり掴まってて下さい!」

「えっ……きゃああッ!」

 

 緒川は咄嗟に身を躍らせる。

それは、カ・ディンギルの中心部。

地の底へと続くかのような巨大な空洞であった。

その深い闇の中へと、未来の悲鳴が溶けていく。

 

「未来さんッ! 緒川さんッ!」

 

 エルフナインの声が無線から発せられる。

しかし、深淵へと降下する二人を取り巻くような、重く淀んだ高エネルギーの残滓はやがて、それらすべての通信を遮るようにして雑音だけをただただ返すのだった。

 

 

神獣鏡

 

 

「――さ、しっかりしろ! 翼!」

「はッ――」

 

 翼が意識を取り戻したそこは、夕暮れに染まるステージの上だった。

眼下に広がるフロアでは、今まさに人々が、ノイズに襲われ炭素へと分解されていくのが見える。

――これは、夢?

 唐突な出来事に正確な判断もできず、翼は周囲を伺う。

その景色、忘れたりなど出来るものではない。

それはまごう事無きツヴァイウィングのラストライブ。

天羽 奏が命を燃やし尽くしたあの日の光景だった。

 

「翼ッ!」

「かな……で?」

 

 その、聞き覚えのある声に――未だ忘れ得ぬその声に、翼は振り返る。

そこには確かに奏が立っていた。

少し怒気を孕んだ表情で、翼を見ている。惚けていた事を怒っているのだろうか。

 

「飛ぶぞ翼ッ! この場に槍と剣をを携えてるのはあたしたちだけだッ!」

「待って! 奏――」

 

 翼が制止するよりも早く奏はステージから飛び出していた――ガングニールのペンダントをその手に握りながら。

 

「Croitzal ronzell gungnir zizzl……」

 

 聖詠を口にして、ガングニールのシンフォギアを纏うその姿。

今まで幾度となく夢の中で繰り返してきたその姿。

勇壮なる戦士としてのその姿。

 忘れ事のできない因縁の日は、しかし、いつになく現実感を帯びてそこにあった。

だとすればその先に、あの絶望もまた約束されているのだろう。

――例え夢だとしても、迷ってなどいられるものか。と、翼もまた、天羽々斬のペンダントを手にしてステージから飛び出す。

 

「Imyuteus amenohabakiri tron……」

 

 ギアを纏い、奏と並び立つ。

二人は互いに目線を交わし小さく頷くと、その手に槍と剣を構えてノイズの群れへと駆け出していく。

会場を埋め尽くすようなノイズを見る間に塵へと変えて二人は戦う。

しかしそれでも尽きることの無いノイズの群れに、二人は次第に追い詰められていくのだった。

 

「……ッ! 時限式はここまでかよッ」

 

 LiNKERの効果時間の超過により、奏のガングニールはその出力を著しく低下させる。

半ばその役割を失ったそれは、ただただ重い枷のように奏の身体へ負荷となって伸し掛かった。

肩で息をしながらも、それでも奏はノイズの猛攻を凌ぐ――が、それも長くは持ちそうにない。

 

「奏ッ!」

 

 奏の異変に気付き、翼は駆け付けようとする。

しかし、その行く手を阻むように、遮るように、ノイズの群れが翼を取り囲んで行く。

『ネフシュタンの鎧』――その起動実験のため、しばらく前から奏はLiNKERの投与を中断していた事を翼も当然知ってる。

奏の身に起きている異変が、その効果時間切れによるものだとは容易に想像がつく。

だからこそ、今すぐにでも、奏の元へ向かわなければならないというのに。

 

「邪魔をするなァッ!」

 

 目の前のノイズを撫で斬りにしながら、奏へと向かって歩を進めて行く。

しかしそれでもノイズの数は余りに多く、いつまで経っても距離は縮まらない。

 折しもその頃、奏は逃げ遅れた少女――幼い立花 響を守るため、ノイズの猛攻にその身を晒していた。

 

「ぐうぅぅぅッ!」

「奏ッ!」

 

 身に纏うガングニールが徐々に砕かれていく。

もう一体、更にもう一体と増して行くノイズの猛攻。

それでも奏は、抗い続けている。

――だと言うのに、何故わたしはこうも無力なのだ。と、翼は己の不甲斐なさを内心に責める。

 何度も繰り返してきたその夢は、それでも、分かっていながらも奏を救わせてはくれないのか。

砕かれた破片を受けて、少女が外壁に叩き付けられる――夥しいほどの血を撒き散らしながら。

奏は「生きるのを諦めるな」と、悲痛な声で呼び掛けている。

このままではまた、奏が絶唱を歌ってしまうに違いない。

 そうはさせまいと、必死にノイズを蹴散らし、斬り捨てて、翼は進む。

それでも、どうしても、その距離は縮まってはくれない。

どこまでも届かない遥か先で、ついに奏は、決意を胸に絶唱を歌い始めてしまう。

 

「歌っては駄目! 奏ッ――!」

 

――ああ、また、そうして奏は死んでゆくのだ。何度も、何度も、わたしの夢の中で。そう翼は胸を痛め、涙を流す。

あの時もっと力があれば。と何度も己の不甲斐なさを、覚悟の甘さを責め立ててきた。

そして今日もまた、同じ末路へと辿り着く。

 

「わたしは……また奏を救えなかった……」

 

 遣る瀬無さと、失意が胸を打つ。

夢の中、誰一人居なくなったライブ会場の瓦礫の上で、翼は膝をつく――その腕に、今まさに息絶えんとしている奏を抱きながら。

 

「わたしはどこまで無力なのだ……少女一人救うことも出来ずに何が剣だッ! 何が防人だッ!」

 

 奏の死、小日向未来の死も、全ては己の不甲斐なさによるものだ。と己を責める。

 

「そうとも、あんたはいつだってそうやってあたしを見捨ててきた」

 

 それは、奏の言葉だった。

翼は思わず目を見開いて、腕に抱えた奏の姿を見る。

 

「その気になればあたしを救えただろうに。あんたはそうしなかった」

「違う、わたしはしなかったんじゃ無い。救おうとしたんた……奏を守ろうとしたんだ……」

 

 奏の責め苦に思わず翼は弁明する。

救いたかった。

守りたかった。

そのためになら、何だって投げ打つ覚悟があった。

あったはずなのだ。

 

「じゃあ、なんであの時あんたが絶唱を歌わなかったんだ」

 

 奏の言葉に、思わず翼は絶句する。

確かにあの時、歌ったのが翼であれば、――LiNKERの効果も切れ、適合係数が著しく低下していた奏ではなく、生まれ持ったその適正により高い適合係数を誇っていた翼が絶唱を歌っていれば、二人とも助かったのかもしれない。

少なくとも、奏の身は守られたはずだった。

 

「わたし……わたしはあの時、奏の元へ行くことばかり考えていたから……頭がいっぱいで……」

「嘘だ、あんたは自分の身が可愛くてあたしを見捨てた。その証拠に見ろよ翼、あたしの身体はこんなんになっちまった」

 

 奏はまるでホラー映画の亡者のように、ボロボロに、今にも腐り落ちそうな腕を伸ばす。

赤黒い血を滴らせながら、裂けた肉の奥に白い骨すら覗かせたその腕を翼へと伸ばしていく。

 

「ひッ……違ッ……!」

 

 その手で翼の頬を撫で、首元に触れる。

その冷たさに、悍ましい感触に、全身が総毛立つ。

 

「あんたがあたしを殺したんだ」

「ぐッ……かな……でッ!」

 

 奏は一段と低くなった声でそう言うと、翼の首を締め上げた。

普段の夢とは違う。

まるで実感を伴ったような悪夢は、いつもよりも辛辣に翼を責め立てる。苦しめる。

 喘ぐように息をしながら、何とかその手を振り解こうとする――しかし、まるで岩のように固く締め上げられたその手は、容易には外れそうになかった。

 

「なァ翼――あんた、あたしを殺しておきながら、なんでのうのうと歌ってんだ?」

 

 どこまでも冷たい声が、骨の芯まで響く。

悪意が、憎悪が――自らが失ったものを未だに抱き、輝かせ続ける事への嫉妬が、翼を責め立てていく。

 

「奏も……言って、くれた……『許すさ』って……だから、わたしはッ……」

 

 復帰ライブの時のことを翼は思い出す。

あの時、確かに奏の声を聞いた気がした。

『歌う事』を、その夢を『許してくれる』と言った。

だからこそ翼は歌い続けたのだ。

 

「それは、本当にあたしが言ったのかい?」

「えっ……」

 

 ギロリと、奏の目が翼を睨め付ける。

低く、怒気を孕んだような声で、なおも奏は続けて言う。

 

「そいつはあんたが、都合良く己に言い聞かせただけの言葉じゃないのか?」

「そんな……事は……」

 

 締め上げる手に一層力を込めて奏は詰問する。

憎しみに満ちた目で、声で。

 

「あんたはあたしの死を都合良く利用しただけだろ? 悲劇のヒロイン気取ってお涙頂戴って訳だ」

 

 奏は忌々しげに吐き捨てる。

その顔に、引きつった笑いを浮かべながら。

 

「違う……奏は、あの時」

「勘違いしてるならその考え、改めさせてやる。あたしはあんたの歌が、あんたが一人で気持ちよく歌い続ける事が心底堪らないんだ」

 

 冷徹に言い捨てる奏の言葉に、翼は堪えきれず大粒の涙をこぼす。

全ては自分の思い込みだったのだと、都合の良いまぼろしだったのだと思い知らされる。

薄れゆく意識の中、翼はただただ奏へと「ごめんなさい」と繰り返すのであった。

 

 

 

 燃え盛る火炎の中。

崩落していく建物の中。

その少女はゆっくりと振り返る。

その口元から、目元。いや、その穴という穴から血を流しながら、それでも少女は――セレナは笑顔で振り返る。

「姉さんが無事で良かった」と、炎に、瓦礫に呑まれていく。

 幾度となく繰り返されてきた悪夢。

大切な妹を、ただただ見ていることしかできなかったあの日。

己の無力と弱さをどうしようもなく思い知らされた。

 だからこそ、マリアは強くなろうと、強く在ろうと己を奮い立たせたはずだった。

それなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろうか?

 

「ごめんなさい……全てはわたしの弱さのせいであなたたちを巻き込んでしまった」

 

 マリアの眼前には今、ウェルによってノイズをけしかけられ、炭素へと分解された野球少年たちがの姿があった。

米国のエージェントたちによる銃撃に巻き込まれ、命を落としていった民間人たちの姿があった。

そのどれもが、誰もが、恨めしそうな目でマリアを睨め付けている。

許されざる罪を、過去の過ちを「忘れるな」と責め立てる。

 

「ぼくは、将来プロ野球の選手になりたかった」

「ぼくも」

「ぼくもだ」

 

 少年たちは声を合わせてそう訴える。

その幼い夢は、しかしもう決して叶う事はない。

忌々しいあの日、ノイズによって炭素へと分解された彼らは、もう二度と夢を見ることも、大好きな野球をすることも出来やしないのだ。

 

「僕は、来月恋人と結婚する予定だった」

「わたしは、老いた母の介護のために実家へ帰るつもりだった。母一人では生きていけないから。なのに――」

 

 当人たちと言葉を交わしたわけではない。

しかし、その言葉はきっと事実なのだ。

己の罪と向き合い、それらをきちんと受け止めるべく、スカイタワーの犠牲者たちの素性を、マリアは以前に調べていたことがある。

 彼らは皆、夢半ばにしてその命を散らしていった。

彼らは皆、それまで送っていたはずの平穏な日常を、あの日理不尽にも奪われたのだ。

それは他ならぬマリアの過ちによるものであった。

 

「ごめんなさい……」

 

 他に言葉など見つかるはずもなく、ただただマリアは謝罪の言葉を口にする。

謝って許されることなどではない。

この言葉が、真に彼らに届き、誰かを救う訳もない。

それはただの自己満足だと知りながらも、それでもマリアはただ謝る。

 

「姉さんが歌えば良かったのに」

 

 そう呟いたのは、他ならぬセレナであった。

血にまみれたその姿を、有らぬ方向へ体を折り曲げながらマリアへと言葉を掛ける。

 

「どうしてあの時姉さんは歌ってくれなかったの? 助けてくれなかったの?」

 

 不自然に折り曲げられた手を伸ばしながら、セレナは尚も問う。

マリアは思わず後退りながら、首を左右に振った。

 

「違う! わたしだってセレナを、みんなを助けたかった! 歌えるものなら、代われるものならそうしていた! だけど出来なかったのよッ!」

 

 事実――セレナの死後、マリアはセレナの代わりになるべく、マムと共に歌い続けた。

それでも、充分な適合係数を得る事は叶わず、フィーネの魂を宿す事もまた出来なかった。

そうしなかったのではなく、出来なかったのだ。と、マリアは弁明する。

 

「うそよ、姉さんは本当は出来たはずだわ。でも、自分が手を汚したくなかったから、傷付きたくなかったから、ずっと弱い自分を演じ続けてるのよ」

 

 セレナの顔が歪む。

無理矢理に作られた笑顔は、どこまでも悪意を潜ませて、暗い影を落とす。

 

「どこまでも悪賢い偽善者……違うというならあの人たちにそう言えばいいじゃない。謝るんじゃなくて『仕方なかったんだ』って」

 

 そう言ってセレナは、スカイタワーの犠牲者へと指差した。

彼らはいつの間にかマリアの目前まで迫っては、虚ろな目を、どこまでも昏い眼差しをマリアへと向けている。

 

「どうして……どうしてそんな事を言うの、セレナ」

 

 マリアは思わず膝から崩れ落ちる。

その様を見てケタケタと笑いながら、セレナはなおもマリアを責め立てる。

 

「憎いからに決まってるじゃない。悪賢く生き延びて、のうのうと過ごしてる姉さんが、わたしは憎いの……大嫌いよ」

 

 まるで少女のようにマリアは慟哭する。

己の過ちによる被害者たちに囲まれながら、無残な姿でケタケタと笑い、責め立てる妹に苛まれながら。

マリアはその場に蹲り、ただただ憎悪の炎に身を灼かれていた。

 

 装者たちのバイタルを監視していたエルフナインは、マリアと翼の異変に気付いてはいたものの、何もできない己の無力さにただただ未来たちの無事を祈る事しか出来なかった。

響の悪意――その残滓によりうなされる装者たちを救えるとすれば、それは他ならぬ神獣鏡の力のみである。

 

「未来さん……緒川さん……」

 

 しかし無線からの通信は、未だに途切れたままであった。

 

 

 

「大丈夫ですか? 未来さん」

「は、はい……なんとか」

 

 幸いにしてそこは、デュランダルの安置された、まさにそのフロアであった。

勿論、緒川とて考え無しに飛んだのではなく、そうと知ってとんでいたのだが、うまく足場へと着地出来るかどうかは半ば賭けであった。

 

「良かった……くッ」

「緒川さん!?」

 

 立ち上がろうとした緒川は思わずよろめいた。

よくよく見ると、脇腹のあたりがじっとりと濡れたように光を反射している。

スーツの一部が裂け、その奥に赤く染まったシャツが見える。

 

「まさかノイズに――」

「いえ、咄嗟に避けるため、瓦礫に引っ掛けただけですよ」

 

 緒川は笑顔を作って見せるものの、その額には大粒の汗が浮かんでいる。

足元にその血が伝ってきているところを見ると、かなりの深手に違いないだろう。

 

「どうしよう……早く戻って手当てしないと……」

「無線は……駄目ですね、辺りに残留したエネルギーの影響か、通信が届いていないようです」

 

 呼びかけてみるも反応はない。

どうやら完全に孤立してしまったようである。

ならば、ノイズが迫っている以上、もはや残された手段は神獣鏡のペンダントを見つける以外には無さそうだ。が、しかし、LiNKERを失った今、それすらも容易ではない。

 

「未来さん、少し肩を貸してもらえますか」

「はい……でも、大丈夫なんですか?」

 

 緒川の呼吸はかなり荒い。

顔色ももはや青ざめており、相当量の出血がある事を窺わせる。

 

「お姫様を守るのは騎士の役目、ですからね」

「それはわたしじゃなくて翼さんに言ってあげてください」

 

 心配をかけまいとしたのだろう。

無理に笑顔を作った緒川の軽口に、未来はそれと察して軽口で返す。

今はとにかく神獣鏡を探さねばならない。

 

「緒川さん、あれは……!」

 

 未来の指差す先――かつてデュランダルを安置していた、その管理端末のところに、見慣れた紅い鉱石のようなものが取り付けられているのが見えた。

フィーネにとって、何よりも重要な最後のピースであるデュランダルである。

そこに、守りの要として神獣鏡が組み込まれているのは、必然と言えるのかもしれない。

 

「わたし、取ってきますね!」

 

 探し求めていたそれを見つけた歓喜に、未来は一人駆け出した。

これで皆を救えるのだ。と、響の元へ希望を届けられるのだ。と、胸を躍らせる。

その頭上から、ノイズが忍び寄っているとも気付かずに。

 

「危ない! 未来さんッ!」

 

 それに気付いた緒川は、咄嗟に声を上げて駆け出した。

振り返った未来の視界に、自らへ向けて飛来するノイズの姿が映る。

 

「くッ」

 

 緒川は傷の痛みを耐えながらも、既のところで未来を抱えてその直撃を躱したのだった。

しかし、ノイズは足場へと直撃し、支えを失った足場は、二人とも共に深淵の底へと崩落していく。

神獣鏡のペンダントもまた、底へと向かって落ちていく。

 

「このままでは地面に……なんとか未来さんだけでもッ」

 

 緒川は未来だけでも助けようと、どこか安全に掴まれそうな場所を探す――が、落下速度を考えれば壁にしがみつくことなど生身では難しいだろう。

ましてや未来は、ただの少女なのだ。

緒川のようには行かないだろう。

どうすれば――と考えあぐねていた緒川に、未来は声を掛けた。

 

「緒川さんッ! わたしを神獣鏡のところへ投げられますか!?」

「ええ、なんとかそれくらいなら……でもLiNKERの無い今、それを起動することは――」

 

――不可能では? と、未来の身を案じる。

 しかし、未来の瞳は諦めなど宿してはいなかった。

いつだって諦めることのなかった立花響と同じく、真っ直ぐなその眼差しに、緒川も全てを託そうと決意する。

 

「分かりました。行きますよ!」

「お願いします!」

 

 緒川はなんとか反動をつける格好で、未来の体を神獣鏡のペンダントの方へと放る。

しかし、体勢の悪さによるものか、先ほどの傷の痛みによるものか。僅かながらに不足した力は、もう少しというところでペンダントの元へは届かせてくれなかった。

 

「もう……少しッ!」

 

 未来は懸命に手を伸ばす。

地底面へと向かう落下――もはや、何秒も猶予はない。

迫る地底面に、緒川は半ば覚悟を決める。

しかし未来は――

 

「わたしは――諦めないッ!」

 

 未来は手を目一杯に伸ばし、ペンダントを手にしようとする。距離にして僅か数十センチ。

もう少しで届きそうなそれは、しかし縮まる事はない。

それでも未来は、生きる事を――皆を、響を救う事を諦めたりはしなかった。

強く、強く、ただ強く。守りたいもの、救いたいものを想い、手を伸ばす。

その為の力を手にするために、手を伸ばし続ける。

 

「わたしは……わたしが響を助けるんだッ! だから応えて、神獣鏡ッ!」

 

 その胸に聖詠が浮かぶ。

手の内に、胸の内に確かなものを感じ、握りしめるように聖詠を紡いで行く。

 

「Rei shen shou jing rei zizzl……」

 

――刹那、深淵の底に眩い輝きが灯った。

 噴き上がるシンフォギア装着時のエネルギーは、周囲に残留したノイズを一掃して行く。

それらは、迸る光の奔流となり、カ・ディンギルの内部より、空へと向けて屹立していった。

 

「未来さんッ!」

 

 緒川は思わず目を見開いた。

LiNKERの投与もなく。そればかりか、ペンダントへと手は届いてなかったはずだった。

――にも関わらず、それは未来の呼びかけに呼応したのである。

 

「待ってて響……わたしが必ず助けに行くから!」

 

 少女は今、再びその力を手にした。

大切なものを守るため。

大切な人を救うため。

身に纏う白と紫に彩られたその輝き。

それは、紛れもなく神獣鏡のシンフォギアであった。




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第八話  ブーシャースプの檻

手にした光明は、新たな苦難へと少女を誘っていく。
囚われた夢の檻の中。
魂の領域にて、少女は邂逅を果たす。
その先にあるものは、悪夢か、あるいは――


光明

 

 

 大地に深く、どこまでも深く穿たれた大穴の中。

今まさに地底面へと激突せんばかりに落下する緒川の身体を、神獣鏡のシンフォギアを纏った未来は、その飛行機能を持ってして受け止めた。

 

「大丈夫ですか、緒川さん」

「立場が逆になってしまいましたね」

 

 気遣う未来に対し相変わらず笑っては見せるものの、その顔色はひどく青ざめているのが見て取れる。

抱きかかえた手に、ぢわりと生温かい感触が広がり、その出血量の多さを想わせた。

おそらく、一刻を争うほどの傷なのだろう。

 

「飛びます。しっかり掴まってて下さい」

 

 遥か上空――カ・ディンギルの口許より射す光を見据え、未来は緒川の身体を落とさぬように強く抱くが、「お願いします」と答える声は、随分と弱々しく――今にも途切れてしまいそうな程であった。

 未来は、その飛行機能をなんとか制御して、カ・ディンギル趾地の上空へと向かう。

響と渡り合った時とは違い、自らの意思でギアを――その力を使うのは初めてではあったが、それでも、不慣れながらにも真っ直ぐに、地上を目指し空を駆けていく。

 

「未来さん! 緒川さん! 無事ですかッ!?」

 

 半分ほどを昇った頃、高エネルギーの残滓より解放された通信機器は、ようやくにその機能を回復させたらしく、安否を問うエルフナインの声が聞こえてくる。

随分と心配していたのだろうその声は、緊迫感と安堵を綯交ぜにしたものであった。

 

「わたしは大丈夫です。ただ緒川さんがひどい怪我を……このまま本部へ向かいます!」

 

 カ・ディンギルの口許より飛び出し様に、未来はそう答え、一気に本部へと向かう。

本部のモニタには先程の迸る光の柱と、その後飛び出して来た未来たちの姿が映し出されていたが、望遠の映像からは緒川の詳しい様子は見て取ることは困難であった。

しかし、未来の緊迫した声――そして無言のままの緒川の様子が、その傷の深さを窺わせる。

 エルフナインはウェルに目配せすると、ウェルもまた、その意図を言外に察してメディカルルームへと向かい、発令所を後にした。

 

「わかりました。こちらも受け入れの準備をしておきます」

「お願いします」

 

 手短にやり取りを済ませると、未来は真っ直ぐにS.O.N.G.本艦の停泊する港へと飛び立っていく。

それは、神獣鏡の飛行機能をもってすれば、さほど長い距離では無い。

 事実、二人が本部へ到着したのは、まだ受け入れ態勢が整う前の事であった。

 

 

 

「あったかいもの、どうぞ」

 

 緒川の処置も無事に終わり、自身のメディカルチェックを終えて一息ついた未来の元へ訪れたのは友里であった。

その後ろにはエルフナインとウェルの姿も見える。

 

「あったかいもの、どうも」

 

 未来はそれを受け取り、口へ運ぶ。

カップに満たされたそれは、強張った身体を解しでもするかのように、温かく沁みていく。

 メディカルチェックの結果は、まだ正確には聞かされていない――が、チェックを受けている間に聞こえた医療スタッフの口振りからすると、特に異常は無さそうだと未来は感じていた。

 

「神獣鏡のおかげで皆さんを蝕む黒い靄は取り除かれました。あとは目を覚ますのを待つだけです」

 

 エルフナインもまた、ようやくひと段落ついた様子でほっと一息をつく。

戻ってきた未来は緒川をメディカルルームへと預けると、そのまま眠り続ける他の装者へ向けて、その輝きを照射したのであった。

 そうして未来の意思により調整された神獣鏡の輝きは、無事に装者たちを取り巻く黒い靄のみを取り除くことに成功し、今や彼女たちは安らかな寝息を立てている。

切歌と調に至っては、時折まるで同じ夢でも見ているかのように寝言で語り合っているのが実に微笑ましい程である。

 

「果たしてそうでしょうか」

 

 安堵した表情で語らう一同へと、怪訝そうな面持ちで声を上げたのはウェルであった。

端末を手に、その内容へと向けられた横顔には、どこか暗い影が落ちているように感じられる。

 

「彼女たちは、依然として夢の世界に囚われているのかもしれませんよ」

「どういうことですか?」

 

 ウェルに差し出された端末を受け取ると、エルフナインはそこに表示されたデータへと目を通していく。

それは、黒い靄に囚われていた間の――そして、それが除去された後に記録された、装者たちの脳波を示すモニタリングデータであった。

 一通り目を通してはみたものの、エルフナインの目には、現在の状況に特に異常は見られなかった。

 一体ウェルはそこから何を読み取ったというのだろうか。

 

「これを見る限りでは皆さん一様にレム睡眠……つまりは、夢を見るような睡眠状態だと考えられます。それ自体は勿論異常な事ではない。しかし、気になるのはこの二人の脳波です」

 

 そう言ってエルフナインの持つ端末を操作し、切歌と調、二人分のデータのみを抽出すると、それらを重ね合わせた状態で表示させた。

その重なった像を見て、エルフナインもまた「あっ」と小さな声をあげて、驚きをその顔に浮かべる。

 

「ほぼ同一の波形……これは」

「例の黒い靄が取り除かれて以降、ずっとこのように似通った波形を繰り返しています。先程寝言で会話していた事も偶然では無いのかもしれません」

 

 その言葉通り、二人のデータはずっと――時折差異を見せながらも、ほぼ同一のパターンを示していた。

それは宛ら、二人が夢の中で同一の体験をしているかのように見て取れる。

 エルフナインは慌てて他の三人のデータも表示すると、全員分のデータを照合していくが、特に類似性を示すのはあくまで切歌と調のみであった。

 

「つまり、二人が同じ夢を見ていると?」

 

 友里もまた、それを覗き込むようにしてエルフナインに訊ねる――が、データへと意識を集中させているためか、返事は無い。

ただただその横顔に、焦りのようなものが浮かんでいる。

 

「博士、彼女はたちに覚醒のための投薬を――」

「もうやってますよ。その結果がこれだ」

 

 エルフナインが気付くよりも早く、覚醒を早めるための投薬はとっくに済ませている――にも関わらず彼女たちは目覚めなかったのである。

例え被験者がどれだけ疲弊していたとしても、覚醒作用のある薬物の投与があれば、麻酔でも効いていない限りは目覚めるはずだった。

 しかし、それでも彼女たちは一向に目を覚ます気配が無い。

 

「どういう……事ですか?」

 

 未来もまた、不安そうな表情を浮かべる。

神獣鏡のギアを手に入れ、その黒い靄を打ち払った。

これでようやく皆が目を覚ませば、響に会いに行けると期待していたというのに、どうやら別の問題が起こっているらしい事だけは、その様子から窺い知れた。

 

「夢の共有……無意識の繋がり……まさか」

 

 エルフナインは、何かを思いついたように声を上げ、その端末を、宛ら突き付けるようにしてウェルへと手渡すと、おもむろに立ち上がった。

なおもブツブツと何かを呟くその姿を見る限りでは、何か心当たりがあったのだろう。

 

「皆さん、すみませんが十分後にボクの研究室まで来てください!」

 

 しばらくそうして思案した後、エルフナインはそれだけ言い残し、薄暗い廊下を駆けて行った。

置き去りにされた未来たちの間には、振り払う事のできぬ不安に満ちた空気だけが残されていた。

 

 

 

 

「観測地点にてフィールドの歪みが複数確認されました。いずれも非常に小さな反応で、確認された物体に『活動体』らしき反応は見られませんでしたが……」

「彼奴等もまだこちらの状況を探っている段階なのだろう。しかし――」

 

 配下の者からの報告に、訃堂はその表情を苦々しげに歪めて見せた。

眼前に表示されたレポートへざっと目を通し、より深く、眉を顰める。

 

「はい……間隔は徐々に、明らかに短くなっております。他にも関連機関からの報告で――僅かながらですが、KAGRAが重力波の歪みを捉えたとの報告も上がっております」

 

『重力波』

その言葉を聞いた瞬間、その表情に憤怒が宿る。

訃堂は「ぎり」とその歯を鳴らすと――

 

「そのまま収集と観測に務めよ」

 

――とだけ言い残し、その場を後にした。

 憤りをぶつけるように荒々しく足音を立てては、廊下をひた進む。

古びた廊下はその足音を四方八方へと響かせては、ぎしぎしときしむ音を立てる。

それらは、かえって訃堂を苛立たせ、時折壁へ拳を打ち付けては、内に湧き上がる憤怒を、何とか堪えようと努める。

 やがて訃堂は、ヴィマーナの安置されたその部屋へと入ると、その中へと乗り込んだ。

依然、何ら反応を示すことの無いヴィマーナの中、訃堂は小さな匣を取り出すと、そこに入れられた金色の聖遺物を取り出す。

 

「未だ起動へと至ったのは『ヴァジュラ』のみ。鏡に至っては道半ば……果敢無き者どもが! この『力』無くしてこの国を防人る事が出来るとでも思うたか!」

 

 訃堂は一人、声を荒げる。

膝をつき、まるで癇癪を起した子供のように、その両の手を、拳を握り込み、何度も床面へと叩きつけて吠える。

 

「歌……歌、歌ッ! 貴様は吾の、この有様を笑っておるのだろう! 歌うことの出来ぬこの身を! 人として老いさらばえるこの吾を!」

 

 その怨嗟は、いつしかその――小さな匣へと向けられていた。

 

「母よ! 巫女の血を、防人たるその血を授けておきながら、何故吾を男と生んだのだッ!」

 

 訃堂はその身を焦がす怒りに身を任せ、匣を横薙ぎに叩き払うと、中に入っていたいくつもの遺物はぶちまけられ、小さな小瓶がコロコロと転がった。

それらは――その匣は、風鳴の始祖が娶ったとされる女の持ち物であった。

 かつて風鳴の始祖は、この舟に乗ってやってきた女を娶り、その持ち物であった匣の中に納められていた数々の異端技術――そして聖遺物の力を以ってして、その家を興したのである。

立花 響に起動させた『ヴァジュラ』もまた、元々そこへ納められていた聖遺物の一つに過ぎない。

 しかし、いつしか消耗の末に力を失い、基底状態となったそれらは、動かせぬ事には最早ただのガラクタでしかなく、歌による起動も望めない訃堂の目に、忌々しい呪いの品々としか映らなかった。

 

「吾が女であれば……貴様が生きてさえおれば、先の大戦であのような辱めを受けることなど無かったのだ」

 

 訃堂はそう言い終えると、しばらくそうして「ふうふう」と息を荒げる。

歌う事の出来ぬ己が身を、そう産んだ母を、そして聖遺物を再び起動することなく死した母を、訃堂はただただ憎んでいた。

 そうしてどれくらいの時が過ぎただろうか。

やがて気を取り直すと、訃堂は散らばったそれらを一つ一つ匣へと納めて安置する。

動かなくなっているとはいえ、貴重な――そして希少な聖遺物である以上、粗雑に扱おうとも、他の者たちに渡すわけにはいかないだろう。

 配下の者が現れたのは、ちょうどその頃で合った。

あるいは、訃堂の様子に、出てくる機を伺っていたのかもしれない。

 

「小日向 未来が神獣鏡への適合を成功させたようです」

 

 その報告に、不動の目には僅かばかりの光が宿る。

それは事実として、停滞したこの状況に於いては光明と言えるに違いないだろう。

S.O.N.G.の装者が今どうなっているかは訃堂自身も当然把握している。

立花 響の暴走と沈黙により塞がれていた、その閉ざされていた可能性が、再び日の目をみるのだ。

これを光明と言わずして何と言うのだろうか。

 

「なれば今ひととき、彼奴等の出方を観るとしよう」

 

 やや焦燥した様子で、それでも、先ほどに比べて僅かながらに力強さを取り出した声色で訃堂は配下の者へ声を掛ける。

まずは、再び装者たちが歌えるようにならなければ何も始まらない。

それを改めて思い返し、訃堂はまたも忌々しげに「歌め」と一人呟いたのだった。

 

 

 

「来ましたか、皆さん」

 

 エルフナインは、椅子に座ったままに一同を迎え入れた。

目の前のモニタ上には、既にいくつかの資料が並べられている。

ウェルと未来。そして友里と合流した藤尭の四人は、それぞれに出力された資料に目を通す。

 

「皆さんは『集合的無意識』というものをご存知ですか?」

 

 エルフナインは、真剣な眼差しで問う。

その自信に満ちた様子は、既に何かしらの結論に至った表れなのだろう。

 

「集合的無意識というと、ユングの提唱した概念。ですかね」

「確か、人は無意識の領域で繋がっているって話だったかな」

 

 先に答えたウェルの言葉を補足するように、藤尭はそれらを思い出す。

はっきりと学んだわけではないが、どこかでそう、聞いたことがあった程度である。

 

「はい。世界中に点在する神話や伝承――その中に描かれるイメージは、時代や地域に関わらず、共通するものが散見されています。ユングはそれらを、人々の無意識の領域に存在する共通の、共有される認識。つまりは『元型』から来るものだと考えたのです」

 

 そう言ってエルフナインは、水面に浮かぶ二つの山のような図解を指し示した。

それぞれが個人の意識として描かれたそれは、水面の下を個人的な無意識とし、その更に下――海底のように他の山々と連なる部分を『集合的無意識』として描かれているようだ。

 

「確かに、神様のイメージや神話の物語……その他にも死後の世界や、世界の創造だって似たイメージが存在する事も少なくないわね」

 

 友里もまた、考え込んだように、いくつもの伝承をうーんと思い浮かべる。

 

「でも、その集合的無意識と夢が関係あるの?」

 

――と、未来はエルフナインに問う。

 仮に無意識の領域が繋がっていたとして、それと眠りながらにしてみる夢とはまた別物だろう。

それらを同一に考えるのは、それだけの理由があるのだろうか?

未来の問いにエルフナインは「そうですね……」と呟くと、次なる質問を投げ抱える。

 

「では『This Man』については?」

 

 聞き覚えのない言葉に、一同は答えも無くエルフナインの顔を見ていた。

すると、エルフナインはコンソールを操作して、画面にある男の顔を表示させる。

 扁平な顔立ちに、左右に大きな口。そして特徴的な太くーー眉間の辺りまで繋がりそうな眉と、頭髪の薄い額。

特徴的なその顔は、しかし誰にも見覚えのないものであった。

一同の様子を確かめると、エルフナインは小さく頷き、説明を続ける。

 

「二〇〇六年頃から観測されるようになったこの人物こそ『This Man』と呼ばれる存在です。彼は、世界各地の人々の夢の中に、共通した姿で現れると言われています」

 

 エルフナインはコンソールを操作し、『その人物を夢の中で見た』というレポートを順に表示していく。

それらは、アメリカやドイツ、中国やインドなど、各地から様々に報告が集められているのが見て取れた。

 

「世界中で数千件にも及ぶ報告例がありますが、その報告はいずれも関連性を持たない人々です。人種・性別や年齢に関わらず、同じ人物を夢の中で目にしていると言われています」

「それってまるで……」

 

 エルフナインは、未来の声にこくりと頷くと、同じように先ほどの、集合的無意識に関する様々な例や図解を表示させていく。

そして、それらを指して――

 

「まるで『元型』のようだと思いませんか?」

 

――と、一同に問いかける。

 

「夢も、集合的無意識も、同じように人の深層……いわば『魂』の領域で繋がっているのだとすれば……」

 

 端末のキーが弾かれて、モニタ上の図面が書き換えられる。

それは、簡略化されてはいるものの、響を中心に、眠り続ける装者達が無意識を共有しているかのような図を示していた。

 

「この仮説が正しければ、響さん自身もまた、装者の皆さんと繋がったまま、今も夢の中に囚われているものと考えられます」

「響が……」

 

――そこに居る。

 だとすれば、声を掛ければ届くだろうか?

触れて揺さぶれば、伝わるだろうか?

 未来は、逸る気持ちをぐっと堪える。

おそらくはきっと、そんな単純な事ではないだろう。

そうでなければ、わざわざこんな研究室へと一同を招くはずがないのだ。

 

「だけど、ここにいない響さんをどうやって起こすって言うんだ? まさか、未来さん単身で旧風鳴邸へ……」

 

未来も、友里とウェルも抱いていた疑問を、藤尭は投げ掛ける。

まずは響を目覚めさせなければならないとして、一体どうすれば良いと言うのだろうか。

 

「一つだけ方法はあります。ですが、それが可能だとすると……」

 

 エルフナインは、藤尭の問いに少しだけその表情を曇らせると、ちらりと未来の方を見る。

何か言い出しづらいような、未来にしか出来ないことがあるのだろう。

それは、危険を伴うことかもしれない。

あるいは、苦痛を伴うことかもしれない。

だとしても――

 

「教えて、エルフナインちゃん」

 

 未来は、強い眼差しをエルフナインへと向ける。

そこに迷いなど、有りはしなかった。

 

「……わかりました」

 

 ため息交じりに頷くと、エルフナインはその概要を一同へと伝える。

それはやはり、危険を伴う作戦に他ならなかった。

 

 

ブーシャースプの檻

 

 

 無機質な部屋の中に、装者たち五人が寝かされている。

その誰もが、頭部に――ヘッドギアにも似た装置を取り付けられていた。

この部屋も、装置も、エルフナインにとってはまだ、記憶に新しいものだろう。

 マリアと共にLiNKERの製法を探るため、その記憶の中へと飛び込んだあの部屋。そしてその装置を、こうしてまた使うことになろうとは。

 ましてや今回は、仮想空間への複写ではない。

未来の精神そのものを、全員と繋げようと言うのだ。

その危険性は、以前の比較にならない事を、エルフナイン自身も良く分かっていた。

 

「大丈夫ですか、未来さん」

 

 特殊ガラスの向こう側、エルフナインはスピーカー越しに声をかける。

その、押し殺したような声色は、不安からだろうか。

あるいは、自らに対する憤りを表に出さぬよう堪えているのだろうか。

 

「うん、大丈夫……だと、思う」

 

 睡眠導入剤による影響か、どうにも抗えない睡魔を感じながら、途切れ途切れに、そのうえ呂律すらも怪しくなりながらも、なんとか未来は答える。

油断すればすぐにでも眠りについてしまいそうな、そんな意識の痺れに支配されているようだった。

 

「今回ボクは一緒に行けません……しかし、ここで状況はモニタリングしているので、何かあればすぐに停止させますから、安心してください」

 

 力強く、安心させるようにエルフナインは未来へとそう伝える。

未来は、既に言葉を発する気力すらも無い様子で、力なく頷いてはそっと目を閉じる。

間もなく呼吸は安らかな寝息へと変わり、穏やかな表情で未来は眠りの世界へと落ちていった。

 

「皆さんを……お願いします」

 

 既に眠りの世界へと旅立った未来へと、そう囁くように声を掛けると、エルフナインは機器を作動させていく。

幾つもの機器がそのランプを明滅させ、しずかな作動音が起こる。

それらはやがて安定化すると、装者たちの脳波をそこから得られる信号を、半ば複写させる形で未来の脳領域へと照射していった。

 それに伴い、未来は苦痛に呻きを上げ、身をよじるようにして悶え始めていく。

逸らしたくなる視線を、それでもしっかりと未来へと向けて、エルフナインはその動静を見守った。

一つ間違えば、未来は――その人格や精神は、不可逆なまでに破壊されてしまうだろう。

そうならないよう、目を逸らさずに未来の状態を、モニタに表示される波形をしっかりと監視しなければならないのだ。

 その危険域を、デッドラインを見極められるのは、エルフナインを於いて他は居ない。

藤尭と友里もまた、傷ましい眼差しで未来を見守る。

いたいけな少女に、少女たちに、背負わせることしか出来ない自らの無力さを噛みしめながら。

 

「ひとまずは小康状態……と言ったところですかね」

 

 表には出さなかったまでも、ウェルもやはり内心に不安だったのだろうか。

容態の安定し始めた未来を見て、深い息を吐きながらエルフナインへと声を掛ける。

 

「はい。でもまだ安心はできません……ボクがしっかり見ていなければ」

 

 額に汗を浮かべながらも、ウェルと同じように深くため息を吐きだすと、少しだけリラックスした様子でエルフナインはモニタリングを続ける。

既に未来の様子は落ち着いており、その脳波も、寝息も、寝顔も、平常時のそれとさほど変わらない様子であった。

今、彼女はどんな夢を見ているのだろうか。

 しかしそれは、未来自身にしか分からないことだった。

 

 

 

――微睡。

 心地よい静寂に包まれ、安らかな眠りの中で未来はゆっくりと沈んでいく。

――どこへ? 意識の底へ。

 まるで、温かな羊水に包まれる赤子のように、どこまでも続く平穏の地平を、未来の精神は揺蕩う。

ふと、その静寂を破るように、どこからともなく声がした。

――声、誰の声?

 その声は、未来の名を呼んでいる。

聞き覚えのある声。

いつもそばで聞いていたその声。

忘れることなど出来るはずのない、その声。

それは――

 

「未来ってば」

「えっ……ひ、響?」

 

 その声に、思わず未来は顔をあげた。

目の前に、物珍しそうな顔をした響が、半ば覗き込むようにして未来の顔を見つめていた。

窓からは明るい陽射しが射し込み、柔らかな春風が窓際のカーテンをゆらゆらと揺らしている。

周囲の喧騒に気が付いて目をやると、制服を着た同級生たちが楽しそうに談笑していた。

 ふと、口元に水気を感じて、思わず未来は袖で涎を拭う。

垂れてやしないかと視線を落とすと、そこには堅い机と、くしゃくしゃになったノートがあった。

 どうやら未来は、いつのまにかうたた寝してしまったらしい。

覚めやらぬ意識で時計へと視線を移すと、時刻は既に午後四時を指していた。

 

「未来が居眠りなんて珍しいね。具合でも悪いの?」

 

 響は心配そうな顔で、未来の前髪をかきあげるとそっと額を合わせた。

柔らかくも温かい感触と、思わず接近した響の顔に、未来は思わずどきりとしてしまう。

 

「ひゃッ、響!?」

「んー……熱は無さそうだけど」

 

 うーん、と悩んだような顔で未来を見つめる。

響の言うように、居眠りをするのはいつだって未来ではなく響の役目である。

心配をするのも無理からぬことかもしれなかった。

 それでも、思わぬ響の行動に、その眼差しに、未来は顔がかーっと熱くなるのを自分でも感じる。

自覚して、意識するほどに、その熱は高まっていくように感じられた。

 

「あ、でも顔赤いね。やっぱり熱でも――」

「無い! 無いから! 熱なんて!」

 

 再び額を合わせようとする響を、未来は思わず両の手で押し退ける。

これ以上接近されようものなら、それこそ熱を出してしまいかねない。と、未来は何とか響を遠ざける。

 

「本当? でも、無理しちゃ駄目だよ? 具合が悪くなったら言ってね」

 

 そんな未来の様子に、響はかえって心配そうな表情を浮かべ、その身体を気遣ってくれていた。

その優しさが嬉しくもあり、申し訳なくもあり、未来は笑顔を作って平静を装う。

 

「うん、ありがとう。でも本当に、大丈夫だから」

 

 赤らんだ顔を、その熱っぽく火照った頬を冷ますように、両手で顔を覆うと、未来は何度か深呼吸を繰り返す。

やがて、ようやくに気持ちが鎮まった未来は、帰り支度のために鞄へ荷物を仕舞い込んだ。

 響はというと、その間もずっと未来の方を見つめていた。

まだ体調を心配してくれているのだろうか。

 ふと、帰り支度をするその手が止まる。

――あれ? わたし、これから帰るんだっけ?

 居眠りしていたせいか、意識はともかく記憶がはっきりしなかった。

今日――居眠りをするまでの間、何をしていたのかも、どんな授業を受けていたのかも、うまく思い出せそうに無い。

 はっきりしない記憶に違和感を憶え、ぼんやりと考える未来だったが、廊下から聞こえてくる騒がしい足音によって、それらの思案は寸断されることとなった。

 

「立花! 立花は居るか!」

「響ちゃん、ちょっと良いー?」

「立花さーん! お願いがあるんだけど!」

 

 大勢の大きな声に、教室の入り口辺りにいた同級生の殆どが、思わずたじろいでいた。

未来もまた、同じようにして「何事?」といった顔でその様子を見ている。

 よくよく見ると、やってきたのは学年もバラバラの、それも十人以上がドアのあたりでひしめいていた。

これは、ますますもってただ事ではないのでは? と狼狽える未来の横で、響は立ち上がって大きく手を振って合図をする。

 

「あ〜、ごめんね。今日はちょっと先約があって」

 

 頭を掻きながら、苦笑いで響が詫びると、一同から落胆の声が上がる。

一体何を、誰と約束しているのだろう?

未来自身も心当たりが見つからず、不思議そうに響の横顔を見上げていた。

 

「すまない、ちょっと通してもらっても良いだろうか」

 

 そこに現れたのは、他ならぬ翼であった。

しかし、どうにも普段と比べて雰囲気が違う。

剣道着を着たその姿は、まるで在学生のようである。

 

「あ、翼さん。ちょうどこれから向かおうと思ってたんですよ」

 

 響はそうとだけ伝えると、未来の方へと振り返り、小さく舌をぺろっと出した。

 

「ごめんね、未来。そういう事だから、今日は先に帰ってて」

 

 笑いながら謝ると、響は自分の鞄を持って翼の元へと駆けていった。

先ほどまで教室の入り口を埋め尽くしていた他の人々もまた、口々に「風鳴さんが先なら仕方ない」「いっつも風鳴ばかり……ずるいなぁ」などと言いながら、散り散りに去っていた。

 未来は思わず、去りゆく響の背中に「『今日は』じゃなくて『今日も』でしょ」とこぼしては、自分でもその言葉が何を差しているのか分からず、声を掛けた事そのものに思わず首を傾げるのだった。

 

 夕暮れの帰り道を未来は一人歩いていた。

合唱部の歌声や吹奏楽部の演奏が、傾いた陽に照らされた校舎に響いている。

春先の暖かな風は、それでもこの時間帯ともなれば、冷たく撫でるようなそれへと変わり、思わず未来は身震いをする。

 グラウンドの近くまで来ると、その喧騒はいつの間にか運動部の掛け声へと変わっていた。

「元気だなぁ」と呟きながらも一人歩く未来は、ふと構内の隅にある弓道場に目をやった。

その目に、一人の小柄な少女が映る。

どうやら向うもこちらに気付いたらしく、その少女は小さな身体で大きく手を振ると、未来の名を呼んだ。

 未来は小走りにその少女の元へ駆け寄ると、軽く挨拶を交える。

 

「よぉ、今日はあのバカと一緒じゃないんだな」

 

 相変わらずの口の悪さで、クリスは未来へ笑いかけた。

その笑顔に、未来も「そ、今日も」と笑って返す。

 弓道場は相変わらず静かで、不慣れながらも何となく落ち着く雰囲気があった。

あるいはそれは、他に部員がいないことも理由としてあるのかもしれない。

顧問の先生とクリスと、たった二人だけの弓道場は、今日も声一つ無くがらんとしている。

 

「あーあ、あたしが卒業したらこの弓道部も終わりか」

 

 クリスは、不満気味に漏らした。

普段のクリスの素行からか、あるいは元々の弓道に対する人気からか、どうにも新たな部員が入ってこないらしい。

それを日々嘆きながらも、響を新入部員として迎え入れれば、あるいはその人を引き寄せる性格で弓道部も盛り上がるのではないか? と、考えて、クリスは事あるごとに響を勧誘するために教室にやってくるのだった。

 

「あのバカが入ってくれれば、つられてて入部するやつも増えそうなもんなんだけど……」

 

 年上にも関わらず、小柄で可愛らしいこの先輩は、ぷぅ。と頬を膨らませては口を尖らせる。

しかし、何にしろ頼まれごとをされれば断れず、自分に予定があったとしても人助けを優先してしまうあの性格である。

一処に身を落ち着けるとも思えず、仮に入部したとしても部活よりも他を優先してしまうのではないだろうか。

 容易に想像のつく響のイメージに、「多分、無理だと思うけど」と苦笑いすると、クリスもまた「だよなぁ」とため息をこぼした。

 

 そうしてしばらくクリスと談笑した後、未来は再び帰路へとつく。

いつも通りの部屋。

いつも通りの生活。

いつも通りの――と、部屋のあちこちを指差しながら、確認するように呟く。

けれど、どこか、心の奥底に、何か言い知れぬ違和感が拭えないでいた。

それは、着替えている最中も、帰ってくる響のために料理を作っている間も変わらない。

 今日、あの時。教室で居眠りから覚めて以来ずっと、その違和感が付きまとっている。

――いつも通りって、何だっけ? と首を傾げていると、ドアがガチャリと開いた。

 

「たっだいま〜!」

「おかえりなさい、響」

 

 いろんな人の手伝いや人助けをしてきたであろう響は、それでも元気良く未来に「ただいま」を言う。

そうして手も洗わずに食卓を覗き込んでは、「おいしそう!」と、唐揚げの一つを摘もうとするのだった。

 

「こら、響! ちゃんと手を洗ってきなさい!」

 

――と、まるで母親の様にそれを叱りつけると、響は「しまった」といった表情で洗面所へと逃げていく。

そんな響を見て「まったく……」とため息を吐きつつも、こうして響と平穏な時間を送れることが嬉しくて、未来は思わず顔を綻ばせるのであった。

 

 その晩も響は饒舌だった。

どうやら今日は、翼の手合わせに付き合っていたらしい。

もうすでに剣道部の部員では、翼の相手が務まるような部員が居らず、今は響を相手に研鑽を積んでいるそうだ。

 響は元々運動神経がずば抜けて良いというわけでも無かったはずなのに、いつからそうだったんだろう? と未来はまたも首をかしげる。

けれども、答えなどはどうにも出てきそうにない。

 他にも、帰り道に迷子の子供を保護してお母さんを探してあげたり、歩道橋の前で大きな荷物を抱えたおばあさんを手伝ったりしたのだと、響はよく喋った。

そのおかげで、未来は胸に湧いた違和感について思いを巡らす暇もなく、響の話に夢中になってしまうのである。

 それでも、相変わらずに思えるその姿は、どこか懐かしいような、憧れていたような、そんな遠い感覚を思わせて、未来は時折押し黙ってしまう。

その度に響は未来を心配したように声をかけるが、言葉にできないその感覚に未来が答えあぐねていると、「変な未来」と言ってけらけら笑うのだった。

 

「そういえば、今日は訓練だけだったの?」

 

 食事を終えて洗い物をしていた未来は、無意識にそうぽつりとこぼした。

直後「訓練って何だっけ?」と思い返す。

どうにも心当たりは無いそれは、けれど、いつもそうして響に訊ねていたような気がする。

――どうしてそんなことを聞いてしまったんだろう? と、内心に自問自答する未来の背中へ、響は――

 

「訓練って、なに?」

 

――と聞いた。

 その言葉に、声色に、未来は思わず背筋が凍りつきそうになった。

響の声が、言葉が、背中へと突き立てられたように、冷たく刺さる。

さっきまでの明るさが微塵も感じられないそれは、静かな怒りを燃やしているかのように、低く、少しだけ震えて聞こえた。

 はっとして振り向くと、響は表情も無く、人形のような顔で、未来をじっと見つめていた。

瞬き一つしないその姿は、まるで未来が知らない、響ではない別の誰かのように感じられて、未来は思わずたじろいだ。

 自分自身よく分からない言葉を浮かべた。と、分かってはいる。

けれど、響は逆に、その言葉を――その意味を知っているのではないか? という疑念が湧く。

 自分の知らない、思い出せない言葉の理由を、響は知っているのだろうか。

だったとすれば、何故それを自分は思い出せないのか。

何故響はそれを未来に教えようとしないどころか、思い出すことを許さないかのように振舞うのだろうか。

 いくつもの疑念と不安が、未来の心の中にぢわりと湧き上がっていく。

 

「ご、ごめん。わたし今日はちょっとぼうっとしてるみたいで……くんれんって何だろうね、あはは」

 

 未来はそれを押し殺すように、平静を装って笑って見せるが、思わず声が上ずってしまう。

響は、そんな未来の返答に「そう」とだけ呟くと、押し黙ってしまった。

ピリピリとした、張り詰めた空気が室内に充満して、未来は息苦しさすら憶える。

 しかし、それ以上響は詮索しようとはしなかった。

結局、それまでに比べて口数が少なくなった響は、特に未来を責めるでもなく、問い詰めるでもなく、ただただ静かに入浴や課題を済ませていく。

 そうして二人は、同じベッドでいつものように眠りにつくのだった。

ただ一つ、互いに背を向けて眠りについたことを除いて。

 

 

狂気の闖入者

 

 

「未来さん……未来さん、聞こえますか? 未来さん!」

 

 エルフナインの悲痛な声が響く。

しかし未来は眠り続けていた。

 脳波の同調が続き、危険を察したエルフナインは、強制的にそれらを停止させた――が、既に手遅れだったのか、各種の機器を取り外され、覚醒を促すための投薬すらされているというのに、未来は一向に目を覚まそうとしなかった。

他の装者たちと同じく、眠りに取り込まれてしまったのだろうか。

 

「未来さん……どうすれば……」

 

 未来を揺さぶり、困惑するエルフナインの横を、ふと誰かが横切った。

振り返ったその視界に、真っ白な白衣が翻る。

慌てふためくエルフナインとは対照的に、落ち着いた様子のウェルは、「やれやれ」とため息を吐くと、その機器を手に取って頭部に装着した。

 

「ウェル博士……何を?」

 

 怪訝そうに訊ねるエルフナインに、ウェルは不敵な笑みを浮かべる。

 

「決まっているでしょう? 助けに行くんですよ、彼女たちを」

「しかし、危険です。未来さんも取り込まれてしまった今博士まで……」

 

 思わぬウェルの提案に、エルフナインは慌てた様子で制止する――が、ウェルは一切聞き入れる様子もなく、その場に身体を横たえると、手元の端末を手早く操作していく。

 

「眠り姫を起こすのは王子様――即ち英雄であるこの僕を於いて他にないでしょうッ」

 

 ウェルは、狂気じみた自信を漲らせ、スイッチに手をかけると、エルフナインが止めるのも聞かずにそれをオンにした。

直後――ウェルは脳を焼くような衝撃に叫び声を上げながら全身を痙攣させ、間もなくその意識を失った。

 

「ウェル博士ッ! ウェル博士―ッ!」

 

 エルフナインの呼び声も虚しく、ウェルの意識は無意識の底へと落ちていく。

果たしてウェルの存在は、装者たちの夢を照らす光となるのか、あるいは毒となるのか。

それは未だ、誰にも分からない。

やがてウェルの意識は、夢の世界にて覚醒する。

それは薄暗い、実験室のような部屋の中であった。




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第九話  覚醒のアステリズム

それは、焦がれていた平穏。
それは、蜜月のような日常。
少女はその甘やかな夢に溺れ――そして縋る。
例えそれが、目覚めれば消えてしまう幻想でしか無いとしても。


睡蜜

 

 

「大体にして、あなたは余計な頼まれ事を抱えすぎなのよッ」

 

 食堂のちょうど真ん中の、大きく開けたホールの中央で、マリア・カデンツァヴナ・イヴは演劇部部長の名に恥じぬ声量もって、立ち上がり様に響を叱責した。

そのあまりに大きな声に――オーバーなアクションに、食堂中の視線が一点へと集中し、しばしの静寂が辺りへ立ち込める。

 

「ま……まぁまぁ、落ち着くデスよ、マリア」

 

 痛いくらいに集まる視線に耐えきれず、切歌はマリアを横で諫めようとするも、マリアはまだその憤りが治まり切らない様子だった。

 

「わたしたちも頼みに来た立場は同じ……」

 

 調もまた、そう言ってマリアを諫める。

確かにその言葉通り、マリアも他の人々同様、響に頼み事に来た立場であった。

そう言われてしまうと、大きな事は言えないことを自覚し、然しものマリアとて、口を噤まざるを得ない。

「ぐうぅ……」と唸るようにして、歯噛みしながらもマリアは席に座るのだった。

 気付けば辺りは相変わらずの、雑多とした喧騒を取り戻し、視線はいつしかあちこちに散っていた。

 

「いやぁ〜、面目無い。マリアさんのお手伝いもしたかったんですけど、どうしても先約が……」

 

 響は、相変わらずの苦笑いでマリアへと詫びる。

どうやら響は、今日も今日とて余計な頼まれ事を沢山抱え込んでいるらしく、先ほどから何度も、他の人々の頼み事をそうして断っているのだった。

 一体この少女は、日々どれだけの頼まれごとを抱え込めば気が済むのだろうか?

あるいは、逆に頼まれごとをされない方が気が気でないのかもしれない。

――まったく難儀な性格ね。と、マリアはかえって響の事が心配になってしまうのだった。

 

「まぁそう責めてやるな。我々とてそんな立花の人の良さに助けられている立場ではないか」

 

 そんな二人を取り持つように、翼が間へと入ってくる。

マリアは「それを言われたら何も言えないじゃない」と年甲斐もなく頬を膨らませて、不満をこぼしていた。

またもや噴き出しそうなマリアの不満に、切歌と調は「まぁまぁ」と抑えようとするが、二度目の爆発はどうやら無いらしく、ようやくマリアはしおらしくなっていた。

 

「でも、そんなにいつもいつも抱え込んでちゃ、本当に何かあった時に身動き取れなくなっちゃうんじゃない?」

 

 度の過ぎた響のお人好しに、心配ばかりしているのは未来とて同じである。

いくら人助けをするのが響の響らしい部分とはいえ、いつもそうやって、ボロボロのへとへとになって帰ってくるのは、やはり何度見ても辛いのだ。

ましてや、怪我をして帰ってきた日には、未来はもう気が気でない。

 

「へーきへーき、わたし身体は頑丈だから、へっちゃらだよ」

「へっちゃらじゃない。あなたこの前だってそうやって怪我をして帰ってきたじゃない」

 

 先日もそうして、身体に幾つも傷を作ってきたことを思い出し、未来は響の――自らの危険を顧みない響の生き方に、ついつい辛らつに当たってしまう。

責めるつもりは無いとはいえ、もっと自分を大切にして欲しい。と、常日頃から未来は考えていた。

 そんな思わぬ身内からの指摘に、然しもの響とて、言葉に詰まって苦笑いを浮かべるのだった。

 

「あ、そうだ翼。あなたにもお願いしたい事があったのよ」

「わたしに? マリアが?」

 

 そんな二人の様子を呆れたように眺めながら、マリアはふと、思い出したように声をあげる。

唐突なマリアの言葉に、翼は目を白黒させて、聞き返した。

接点が無いとは言わないまでも、マリアに頼まれるような事はこれといって思いつかない。

 そもそも、演劇部が剣道部に一体どのような頼みごとをするというのだろうか。

殺陣のための指南をするほど、学園の演劇部は本格的ではないはずである。

見当も付けられず悩んでいる翼の様子に、マリアは「ふふ」と鼻を鳴らすと、翼の目の前に分厚い手製の本を突きつけた。

 

「これは?」

 

 そこには表題と思われる文字と、『演劇部』の文字が記されていた。

見るからに台本と分かるそれをみて、嫌な予感が翼の頭を過る。

 

「今度やる劇なんだけどね……是非とも翼にも出て欲しいのよ」

「なッ……わたしが!?」

 

 的中した予感に――マリアの提案に、翼は思わずたじろいだ。

演劇と言える演劇など、これまで一度もした事がない。

生まれてこの方、剣道一筋に生きてきた翼にとって、演劇などというものは遥かに遠い世界だと言える。

 考えただけで緊張からか顔が熱くなってくるのを翼は自覚した。

 

「この中に出てくる剣士の役が、翼にぴったりだと思うのよ」

 

 そう言って肩を寄せるようにして、マリアは開いた台本の何箇所かを指し示すように、翼へと突き付ける。

一瞥しただけでも、『男装の美麗な剣士』という単語が何度も目に入り、思わず翼は台本を叩き合わせるように閉ざすと、マリアへと突き返した。

羞恥の炎に焼かれた翼は、今にも顔から火を噴き出しそうなほどである。

 

「どうしたのよ、ぴったりでしょ? きっと翼なら似合うわ」

 

 マリアは、心から不思議そうにきょとんとして、台本を開き直して目を通すと、そのセリフと翼とを見比べるようにして、首を傾げた。

顔を赤らめてそっぽを向いた翼の袖を引っ張るようにして、台本の細かなシーンを一つ一つ説明するも、翼は「知らない」「興味ない」と頑なに突っぱねるのだった。

 

「やれやれ、始まったデスよ……」

「マリア、ずっと言ってたものね」

 

 そんな二人を、切歌と調は呆れた様子で眺めていた。

台本が出来上がった頃――いや、正確にはその少し前から、マリアは二人にその役を演じるのは翼しかいないと何度も豪語していたのだった。

 いつの間にか翼とマリアの後ろへ回りこんでいた響は、興味深そうにその台本を覗き込むと、ふんふんと頷きながら目を通していき、感嘆の声を漏らした。

 

「ぴったりじゃないですか翼さんッ!」

「なッ……立花までッ!」

 

 目を輝かせて縋り付く響に、翼は思わぬ伏兵が。と驚いては、深いため息を吐く。

そんな翼へ追い討ちをかけるように、通りすがり様に騒ぎを聞きつけたクリスが興味深そうに割って入る。

 

「へぇ~、先輩演劇やるんすか?」

「ほう、面白そうじゃないか」

 

 その更に後ろから割り込むように顔を覗かせたのは弦十郎であった。

体育教師の弦十郎と、社会科全般を受け持つ八紘。

そして理事長である風鳴 訃堂と、目の前にいる風鳴 翼という生徒。

その誰もが血縁者であることは、今や校内において周知の事実となっている。

 それでも、文武両道眉目秀麗。抜きん出たその才覚ゆえに「血縁だからと翼を不当に扱っている」などと考える隙も与えないのだろう。

事実、翼は憧れを集めこそすれ、妬みや嫉みといったものを受ける事はそうそう無かった。

 対して弦十郎はというと、豪快にして気さくな性格で生徒受けは悪くないものの、どうにも人の心といった部分には気が回らないらしく、こういった場面で翼の気持ちを慮ってくれることなどは期待するだけ無駄である。

 

「雪音……それに叔父様まで……」

 

 翼は、神も仏も居ないのかといった表情で項垂れるも、マリアはそんな翼の落胆を気にもかけない様子で「ほらほらみんなも言ってるじゃない」と、追い詰めていくのだった。

 

「あ、先生もそう思います?」

 

 突然の現れた弦十郎へと、響は嬉しそうに笑いかける。

普段から、どうにもこの二人は気が合うらしく、よく映画についての話をしたり、二人で『特訓』と称してトレーニングしている姿が散見されるものの、あまりに大っぴらなその健全っぷりに、男女仲としての噂は皆無であった。

 ふと、未来はその『先生』という呼び方に違和感を憶える。

響が弦十郎の事を呼ぶのは、もっと別の呼び方ではなかったか? と記憶を手繰るように思い出そうとするが、どうにもはっきりとせず、一人「うーん」と思い悩むのだった。

 

「わたしも、翼ちゃんの演技見てみたいわァ」

 

――と、そこへ現れたのは。保健と科学担当の櫻井 了子その人である。

ニマニマと、いかにも好奇心を抑えきれぬ様子で加わってくる了子に、思わず翼は身震いする。

 生徒たちは皆、了子のことを『ゴシップの女王』と呼ぶ。

街を歩けば、すれ違った男との怪しい噂が立ち、学園内でも男性教員との噂が絶えることは無い。

中には、黒服の男たちと密会している。だとか、黒塗りの高級車に乗り込む姿を見た。など、ドラマやアニメでも見過ぎたかのような噂が立つことすらある。

 そんな了子に目を付けられたのだ。

もしもこのまま演劇に加わったりでもしようものなら、それは瞬く間に学園中に知らされることとなり、本番では好機の目に晒されることは間違いないだろう。

 

「櫻井教諭まで……とにかく、わたしは演劇なんてするつもりは無いからッ!」

 

 翼は大きな声と大きな音を立てて席を立つと、大げさに怒りを露わにしながら一人、食堂を出ていく。

その後ろ姿に、どうやら相当に怒っていると思わせる事には成功したようで、残された一同は互いに顔を見合わせると、「やりすぎた」と反省の色を浮かべて苦笑いするのであった。

 

 そんな彼女たちの姿を遠目に窺い、ため息を吐く男の姿があった。

白衣を纏い、化学準備室から食堂を見下ろすその男。

それは紛れもなくウェルであった。

 

「まったく……ミイラ取りがミイラになる。とはこの事ですね」

 

 やれやれといった様子で大きくため息を吐くと、ウェルはおもむろに左腕の袖を捲りあげる。

男にしては随分とほっそりと、そして病弱な白さを浮かべているものの、綺麗な肌の腕がそこにある。

 それは、とうの昔に失われたはずの生身の腕であった。

忌々し気にそれを一瞥すると、ウェルは固く目を閉じて左手の拳を握りしめる。

 

「これが夢であるというのなら……来いッ! ネフィリムッ!」

 

 その言葉に呼応するかのように、左手がどす黒く染まり、膨張をしていく。

ビリビリと白衣の袖が破け、その腕の一切があらわになる。

ところどころに爪とも牙とも言えぬ白い硬質のものを覗かせて、黒ずんだ姿のそれは、紛れもないネフィリムの左腕であった。

 

「くくッ……ッはははははは!」

 

 ウェルは高笑いをする。

嬉しそうに、ずり落ちた眼鏡を戻しながら、狂気に満ちた笑いを浮かべていた。

 

「この世界なら、これもあれも意のままだァッ!」

 

 そんなウェルの叫びも、この世界の中では日常の風景なのだろうか。

奇声鳴り響く廊下においても、生徒たちは平然と歩いていた。

誰一人、そんなウェルの事を気にする様子も無い。

どこまで行っても、どんな世界においても、やはり狂人は狂人なのだろう。

 

「さてと、それじゃあまずは、彼女と接触と行きましょうか」

 

 にやり。と、下卑た笑みで口元を歪め、ウェルは準備室を後にする。

向かう先は――そして『彼女』とは。

 

 

 

 食事を終えて未来は一人、教室へ向かっていた。

響はまたしても頼まれごとの話し合いがあるらしく、「先に戻ってて」とだけ言うと、未来を送り出したのである。

 未来はそうして一人歩きながらも、先日から続く『違和感』の正体について考えていた。

当たり前の日常。

平和な日常。

危険など何一つない、平穏そのものの世界。

けれど、何かが引っかかるのだ。

 弦十郎に対する「先生」という響の呼び方。

そして、了子に対する「櫻井教諭」という翼の呼び方。

 何かが掛け違っている。けれど、それが何なのか、依然としてはっきりはしない。

それでも未来は、言い知れぬ違和感に捕らわれているのだった。

 携帯端末を取り出すと、どうやら予鈴まではまだ十分以上はあるらしく、安堵した面持ちでそれをポケットへとしまう。

 ふと、廊下の向う側に佇む姿があることに未来は気が付いた。

それは、白衣を脱いで、細身の腕を露わにしたウェルであった。

いつも以上に異質なその様子に若干警戒しながらも、未来は廊下の反対側を、壁に沿うように歩く。

ウェルの顔が、にやにやと未来の姿を追い、思わず未来は全身が総毛立つのを感じた。

少女に対する性愛の気があるとは聞いたことがないが、それでも、舐め回すようなその視線に、身の危険すら感じて未来は足早に通り過ぎようとする。

 

「やあ、随分と甘い夢のようですね」

 

 ウェルの発したその言葉に、未来は思わず一瞬足を止めた。

『甘い夢』とは何の事だろう? と、思案する。

それは、忘れてはいけない事なのではないだろうか?

この違和感の正体はそこにあるのではないか? と、考えを巡らせる。

 答えは出ない――けれど、この人は何かを知っているのでは無いかと感じ、未来は振り向いた。

 

「夢……ですか?」

「そうとも、甘く蕩けて癖になりそうな……蜜のような夢だァ」

 

 その顔をにやりと歪めて恍惚とした表情を浮かべるウェルに、思わず未来は身震いをしながらも、その様子を窺う。

やはり、ウェルは何かを知っているのだろう。

この狂人にも等しい化学教師は、何かを知っていて未来に声を掛けたのだ。

――だとすれば、知っているとすれば何を? と、ウェルの表情を窺う。が、その狂気の浮かんだ表情からは、何一つ読み取れはしなかった。

 ふと、唐突に、その表情が――眼差しが、真剣そのものに変わる。

 

「けれど、君はそれで――甘い夢に溺れたままで良いんですか?」

 

 その眼差しに、その問いに、射抜かれたようにはっとして、甘い夢、溺れたまま――わたしは今、夢に溺れているの? と、未来は自問自答する。

ウェルの言葉が、拭えない違和感が、脳の深いところをぢりぢりと焦がしているような感覚が襲う。

忘れてはならない何かを呼び起そうとしているように感じられる。

 

「わたしは――」

 

 何かを掴みかけたその瞬間、大きな音で予鈴が鳴り響いた。

端末の時計を見ると、いつのまにか随分と時間が経っていたらしく、昼休憩は間も無く終わろうとしていた。

未来は、目が覚めたように顔を上げ、その音の止むのを待つと、ウェルへと向き直る。

 

「すみません、授業が始まってしまうので」

 

――と、ペコリと頭を下げると、未来は足早に教室へと駆けていった。

ウェルはその後姿にため息を吐くと――

 

「やれやれ。アプローチを変えるしかないようですね」

 

 そう言って、一人愚痴を言うような声色でこぼした。

 未来とウェル――この場において両者に差異があるとすれば、それは響との関係性だろう。

響の最もそばにいた彼女は、それ故に、容易くこの夢へと飲まれてしまったのかもしれない。

ふと気が付くと、落胆を見せるウェルの背後――最初に未来が歩いて来た食堂側の廊下に、一人の少女が立っていた。

 その姿を視界に捉えたウェルは、目を見開いて全身に汗を噴出させる。

 

「あなた、何?」

 

 それは他ならない、立花 響――その少女であった。

冷たく、突き刺すような敵意をウェルへと向ける。

ぢり。と、空気が焦げ付いたような緊張感を帯び、空気そのものが震えているかのように、怒りに満ちている。

 ウェルは、額に湧き上がる冷や汗を誤魔化すように、わざとオーバーなアクションで肩をすくめた。

 

「おお怖い。あまりの怖さに縮み上がってしまいそうですよ」

 

 そう強がって笑うウェルに対して、響は無言で歩み寄っていく。

ウェルの心臓が早鐘の様に鼓動を打つ。

一歩、また一歩と響が歩み寄るにつれて、ウェルの脳裏にはかつての忌々しい記憶が蘇ってきた。

 それは、ネフィリムの心臓を引きちぎった暴走した響の姿であった。

 それは、心臓を回収した際に目の前に現れた響の姿でもあった。

圧倒的な力を持ってウェルを――その野望の悉くまでもねじ伏せた響の姿が、フラッシュバックするようにウェルの脳裏へ浮かんでは消え、また浮かぶ。

「ごくり」と生唾を飲むウェルの横を、響はゆっくりと、通り過ぎて行った――が、ウェルは振り返ることも出来ず、ただただ視線だけでその姿を見送った。

 

「余計なこと、しないで」

「ひいッ」

 

 通り過ぎ様に、冷たくそう投げ掛けられると、情けない声を上げて振り返りながら、ウェルは半ば腰を抜かすようにして地べたへと尻餅をついた。

膝ががくがくと笑って、立ち上がることはおろか、後退りさえも出来ず、みっともない姿をさらしている。

 響は目を見開き立っていた。

そこには一切の感情が読めない、宛ら人形の用に冷たい目でウェルを見据える響が、立っていた。

 ウェルはただただ、絶対的な強制力を伴って、心臓を鷲掴みにされたような恐怖に支配され、言葉も無く頭を大きく、何度も縦に振って頷くと、響はようやくゆっくりと振り返り、教室の方へと歩いていった。

 

「これは……思ったよりもまずいかもしれませんね」

 

 もはや生きた心地のしないウェルは、振り絞るような声でそうとだけ呟くと、全身を引きずるように、震えながら準備室へと逃げ帰ることしか出来なかった。

 

 

 

 未来が――そしてウェルが装者達の夢に取り込まれてから、既に八時間以上が経過していた。

ひとり休みなくモニタリングし続けていたエルフナインの顔には、疲労が色濃く浮かんでいる。

それでもなお、食い入るようにして、その変化の何一つを見逃さぬように、モニタを覗き込んでいたのだった。

 

 

「ひゃあッ!」

 

 突然の冷たい感触に、思わずエルフナインは飛び上がるようにして振り返る。

誰のものとも分からない手がエルフナインの顔の辺りに伸び、そこにはカップアイスが乗せられていた。

どうやら首筋に当てられたのは、突然に差し出されたそれだったらしい。

 

「さて、そろそろ交代だぞ。エルフナイン」

 

 声の主――藤尭は悪戯っぽい笑みを浮かべつつも、真剣な眼差しで、それをエルフナインに手渡すと、半ばその身体を割り込ませるようにして、端末の前を陣取った。

困惑するエルフナインに目もくれず、端末上に表示される数値やグラフのいくつもを、ぶつぶつと確かめるように視線を滑らせていく。

 そうして、程なくして「よし」と小さく漏らすと、エルフナインの方を振り返った。

 

「ふ、藤尭さん。ボクはまだ大丈夫です。だから……」

 

 少しだけ、疲れた目元を手で解しながらも、エルフナインは藤尭の服の裾を引っ張るように訴える。

けれどもやはり、充血したその目には疲労の色が濃い。

気を張り詰めたままずっと表示を追っていたのだから、それも無理からぬことだろう。

 

「そうは言っても根を詰めすぎだろ。この状況でエルフナインにまで倒れられちゃお手上げだからな」

 

 あらかたの情報を理解し、藤尭はエルフナインをあしらうように、ひらひらと片手を振る。

エルフナインはそんな藤尭に「あうぅ……」と涙目になりながら、なおも縋りついた。

そんなエルフナインの背中へと、声を掛けたのは友里である。

 

「そうよ、たまには大人を頼りなさい」

 

 その顔色にもやはり、疲労が浮かんでいる。

恐らく、弦十郎の様子を見た後で、そのままこちらの様子も見にきてくれたのだろう。

――大変なのはボクだけじゃないのに、ここで一人へばってしまうなんて。と、エルフナインは思わず自分を責めようとするが、それを察してか、藤尭は声を掛ける。

 

「その代わり、後でしっかり働いてもらうからな」

 

 冗談めかした声で、優しく笑う藤尭にエルフナインは思わず目頭が熱くなるのを感じ、慌てて溢れそうになる涙を拭うと、元気よく「はい!」と返事をした。

その優しさを無駄にしないためにも、今自分はしっかりと休まなければならない。と、己に言い聞かせる。

 

「わかりました。じゃあ皆さんのことをよろしくお願いします」

 

 そう深々と頭を下げると、エルフナインはカップアイスを手に部屋を後にした

藤尭は、片手を上げて挨拶を返すと、再び端末に視線を落とす。

 

「随分と素直になってきたわね、あの子」

「ずっと頑なだったからな……もう少し子供らしくあってもいいんじゃないかな」

 

 二人は、互いに顔も合わせず笑い合うと、モニタリングデータへ、そして装者たちへと視線を移す。

未だ目覚める気配もなく眠る少女たちが――ウェルがそこに居た。

 

 

星彩

 

 

 秋らしく色付き始めた夕暮れの空に、烏の鳴き声が響く。

屋上の床へと長く、夜の訪れを告げているかのように、響と未来――二人分の影を伸ばしている。

 

「あっ、あれじゃない?」

 

 校舎の屋上で、若干息を切らしながら、遠い街並みへと未来は指差した。

その指の示す先に、一台の車が見える。

それは、器用に建物の間をすり抜けながら、向こうの方へと遠ざかっていく。

 

「本当だ! おーい、了子先生―ッ!」

 

 響は大きな声を上げて両手を振る。

当然それは、気付かれる筈もなく、聞こえるはずもなく、止まる事なく車は街並みに溶け込んで、やがて見えなくなっていった。

 

「もう響ったら、そんな声を出しても聞こえるわけないじゃない」

 

 呆れたように未来が声を掛けると、響は「そっか、そうだよね」と落ち込んだ声で項垂れる。

了子の退職は、生徒たち皆にとって青天の霹靂という言葉が相応しいほどに突然であった。

「家庭の事情で」とだけ説明した了子は、いつもながらの――年甲斐もなくはしゃいだような様子で皆に別れを告げると、一週間と待たずして、この街を後にしたのである。

誰もがその別れを惜しみ、『良いお姉さん』でもあった了子との別れに涙しては、学園の門の前で、代わる代わる抱き合うようにして、了子を見送った。

 二人もまた、同じようにして了子に別れを告げると、校門前でその車を見送ったあとに大急ぎでここまで駆け上がってきたのだった。

 

「行っちゃったねぇ……」

 

 響が、寂しそうに呟く。

その背中が、いつも以上に小さく見える。

 

「うん、行っちゃったね」

 

 未来もまた、そう呟くと、響とは逆側の手すりの方へと歩いていく。

その視線は、遠い空の、高いところを見つめていた。

 

「未来、どうしたの?」

 

 振り返った響は、そんな未来へと不安そうな声で訊ねる。

未来は答えず、ただただ、遠い空を見据えていた。

 二人の間を、秋口の――冷たくなり始めた風が強く吹き抜けた頃、未来はようやくに振り返ると、ふっと目を細める

響の姿はすっかり夕日の逆光に照らされて、眩しくて――それでも未来には、響が不安そうな表情を浮かべているが分かる気がした。

 

「わたしもね、行かなくちゃ」

 

 そう言いながら、未来は優しく微笑みかける。

そんな顔をしても、響が心配しないわけがないと知りつつも、それでも、少しでもその不安を和らげたくて、笑顔を作る。

 

「行くって、どこへ?」

 

 不安そうに――それでいて、冷たく冴えたような声で響は問う。

未来がこの世界に対して違和感を抱く度。

そして、この世界に無かった出来事を口にする度に、響が発してきた、とても冷たい、問い詰めるような声。

 

「この夢の、外側……かな」

 

 幾度となくウェルから投げかけられた『夢』という言葉。

この世界のあちこちに散らばる違和感が、いつしかこの世界が夢の中なのだと、未来に気付かせていた。

 

「なんで……?」

 

 響の声に――その言葉に、未来は確信する。

響はずっと、この世界が夢なのだと知りながら、未来を引き留めていたのだ――と。

 それは、決して嫌なことではなかった。

むしろ、この世界はどこまでも平和で、優しくて、出来ることならいつまでも、この甘い夢に溺れていたい――と、未来自身も、何度思ったかは分からない。

 

「わたしね、すごく幸せだったよ……みんなが居て、了子さんや弦十郎さんも、マリアさんや翼さん、クリスや切歌ちゃんに調ちゃんもすごく楽しそうで……何より、響がずっと笑っていてくれたから。だから、こんな夢も悪くないって思った」

 

 未来は、胸の内を吐露していく。

人の命を奪う『ノイズ』や『特異災害』も無い世界。

そんな中で、居なくなってしまった人たちまで一緒に笑い合える。そんな平穏な日常を送れるのは、未来にとっても、やはり幸せな時間だった。

それは間違いなく、未来にとっての本心だったと言える。

 

「だったら、ずっとここに居れば良い……ここなら痛いことも、苦しいことも、怖い事も何も無いんだよ、未来」

 

 相も変わらず逆光に隠されて、響の顔は――その表情は少しも見えなかった。

それでも、その急き立てるような言葉が、震える声が、今にも泣き出しそうな響の顔を想わせて、未来は思わず胸がつまりそうになる。

 

「うん、そうだね。そうできたらきっと、ずっと幸せ――なのかもしれない」

 

 この先に続いていくであろう、その平穏な世界を想い、未来は目を閉じる。

響が――大切な人たちが、ずっと幸せそうに笑い合える平和な日々が続いていく。

争いもなく、危険な戦いも、死の危険すらもない夢の世界。

それはきっと、どこまでも甘く優しい、幸福なところに違いないだろう。

 だけど――と、未来はそっと目を開く。

 

「だけど、それじゃ本当の響が救われない」

「わたし……が……?」

 

 未来の思いがけない言葉に、その顔に浮かべた悲しみに、響は思わず言葉に詰まってしまう。

未来が居なくなった現実の世界で、もう二度と自分は救われるはずが無い。と、響は内心に、未来の言葉を否定する。

 

「わたしは、未来が居れば……そばでずっと笑ってくれればそれで幸せだよ? 例えそれが夢だって……偽りの世界だって、それでもわたしは――」

 

 堰を切ったようにあふれ出す涙に、言葉が詰まり、響は喘ぐように、振り絞るように言葉を続ける。

続けていくほどに、ずっと心の奥底へと押し込んでいた「未来はもう死んでしまった」という事実を思い出し、胸が張り裂けそうで、苦しくて、響は嗚咽を漏らした。

涙が止めどなく溢れ、頰を濡らしては、足元へいくつもの染みを作っていく。

 

「わたしは、未来ともう二度と会えないなんて嫌なんだッ!」

 

 その悲しみを、胸の痛みを振り切るように、響は声を――その飾り立てるものの何も無い、心の底からの想いを、未来へとぶつけるように吐き出した。

未来もまた、そんな響の想いに打たれ、泣き出してしまいそうになるのを必死に堪えていた。

 嬉しくて、嬉しくて。

自分をそうまで大切に想ってくれることが、ただただ嬉しくて、胸が詰まる。

 それでも――だからこそ、未来は行かなければならない。と、決意を固くする。

 

「ありがとう。そんなにも大切に想ってくれて」

「未来……」

 

 その言葉を口にした時、堪えきれなくなった涙が、未来の頬を伝う。

未来は、それは悲しい涙なんかじゃなく、嬉しさから溢れたものだと伝えたくて、精一杯の笑顔を浮かべて、響を見つめる。

夕日はすでに雲の向うに隠れてしまったものの、すっかり薄暗くなった景色の中で、やはり響の顔は見えなかった。

それでも、見えなくても分かる。

響がどんな顔をしているか――ずっと、ずっと一緒に歩んで来た未来だからこそ、手に取るように分かる。

きっと今、響は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、縋るような眼差しで未来を見ているのだろう。

 後ろ髪を引かれるような想いで、踏み出そうとした足が止まる。

――けれど、行かなければ。そう自分に言い聞かせ、未来はその想いを口にしていく。

 

「でもね、違うよ響」

「未来……?」

 

 掠れてしまいそうな声を、振り絞るように。

ちゃんと最後まで、胸の想いを伝えるために、震える声を必死に振り絞るようにして、未来は言葉を続ける。

 

「わたしは、もう一度――本当の響と会うために行くんだ」

 

 未来は、そう言い切ると、胸元から紅く輝くペンダントを取り出した。

かつて、同じように響に向けたその力を、止めるためでは無く、救うための力に変えて、胸に浮かんだそれをなぞるように、聖詠を紡いでいく。

 

「Rei shen shou jing rei zizzl……」

 

 夕暮れに染まった薄暗い世界の中、太陽よりも眩い輝きが、その身を包んでいく。

無垢にして清廉なその輝きを衣のように身に纏い、響へと向かい合う。

 ふと、空気がぢりぢりと、怒気を帯びたような緊張感を孕んでいた。

それは、他ならぬ響自身の発するものであった。

響は言葉もなく、同じように紅く輝くペンダントを取り出すと、その胸に浮かぶ聖詠を荒々しく紡いでいく。

 

「Balwisyall Nescell gungnir tron……」

 

 力強い――夕陽にも似た輝きと、エネルギーの奔流が生まれ、未来の肌をびりびりと打つ。

それらはやがて黒いオーラとなり、響の身体を包み込んで行く。

 未来にとっては初めて目にするそれを――黒に染まったガングニールを身に纏い、立ちはだかるように響は構えを取る。

 

「駄目だッ! 未来は何処にも行かせないッ! 力づくでも行かせるもんかッ!」

 

 その怒号に呼応するかのように、辺り一面が――世界そのものが歪んだように、大地を、建物を波打たせる。

校舎の外壁に、屋上の床にいくつもの大きなひび割れを刻み、地鳴りのような音を響かせて行く。

 それは宛ら、響の意思によって形作られていた世界が崩壊していくかのように、激しく揺らいでいた。

二人はしばらくの間、ただ向き合い、見つめ合っていた。

そして、どちらとも無くその一歩を踏み込むと、互いにその名を叫び合うようにして飛び込んで行く。

 

「未来―ッ!」

「響―ッ!」

 

――刹那、二人の姿が交錯する。

響の渾身の拳は――それでも接触の瞬間に、ほんの僅かな躊躇を見せて、未来は咄嗟にそれを払いのける。

未来は、バランスを崩した響へと、そのアームドギアを横薙ぎに打ち付けるが、響もまた、咄嗟に後ろへと飛び退るようにして直撃を免れていた。

その、着地しようとする足元へと追い討ちをかけるように、浮遊する鏡よりいくつもの光線が放たれて行く。

 

「くッ!」

 

 何度も空中を蹴るようにして、それらの直撃をかわしながら、響は距離を詰める隙を窺うが、未来もまた、そんな隙を与えまいと、光線を乱射する。

しかし、一瞬の隙をついて懐へと入り込んだ響は、その拳を――そして蹴りを、何度も未来へと放って行く。

それらを未来は、既のところで防ぎ、いなし、躱していく。

 いつだって見ているだけだった。

見ていることしか出来なかった。

フロンティアの浮上する前、直接同じようにして戦って以来、未来は以前のように、ただ戦う響を見守るだけだった。

それでも――だからこそ、響の動きが、これからどんな動きをするのか、何となく感じる事が出来た。

 あるいはそれもまた、神獣鏡の助けによるものだったのかもしれない。

本気で未来へ拳を打ち込めずにいる、響の甘さのおかげかもしれない。

 二人がぶつかり合っている最中、校舎から飛び出す幾人かの姿があった。

制服を着込んだ少女たちと、白衣の男がそこに居た。

 

「おい、何だよあれ……」

 

 クリスは驚いて声を上げ、屋上で戦う二人の姿を目で追う。

 

「まさか……小日向と、もう一人は立花かッ!?」

 

 翼もまた、その驚きを隠せずにいた。

響だけならともかく、大人しい未来が争うなどとは信じられず、思わず自らの目を疑っていた。

 

「この地震のようなものも、あの子たちが起こしているの!?」

 

 二人の姿を確認した後、マリアは周囲の惨状へと視線を走らせる。

校舎はすでに崩壊寸前と思えるほどにひび割れ、歪み、軋んだ音を立てている。

 

「それにあの格好……」

 

 頭の奥がぢりぢりと、何かを思い出そうとしているのか、調は痛む頭を抑えるようにしながら二人を見据える。

 

「何だか忘れてはいけない事を忘れてる気がするデス……」

 

 切歌も同じように頭を抑えながら呻いていた。

しかし、その理由は見当がつかなかった。

 

「始まったのですよ、この夢の終わりが。そして、覚醒の時が」

 

 それは普段の――自信に満ちたウェルの声ではなく、低く、沈んだような声色であった。

今はまだ、未来が響に敗れる可能性は充分に残っている。

未だこの可能性は、成功するかどうかも分からない、むしろ戦い慣れていない未来の事を考えれば分の悪い賭けと言えるのだ。

 

「はぁッ!」

「やぁッ!」

 

 互いに直撃を逃れ、攻撃を放つ。

何度も間合いを取っては、またぶつかっていく。

 拳も、閃光も、蹴りも、無数の光線も――互いに幾度となく交差させながらも、未だ決定打へと至ってはいなかった。

それでも、肉弾戦に慣れていないうえに、性能の劣る神獣鏡を纏う未来は、ウェルの危惧を体現するかのように、次第に息が上がっていく。

 

「未来……お願いだから、ずっとここに居てよ。わたしはそれだけで――」

 

 未来の様子に気付いた響は、少し間合いを取ると、戻ってきてほしい一心で、未来へとそう訴る。

しかし、それでも未来は、首を縦には振らなかった。

言葉もなく、息を切らしながらも未来は、なおも響に向かってアームドギアを構える。

それを目にした響は、泣き出しそうな顔で、未来の抵抗に応えるかのように、拳を構える。

 

「わたしは救われなくたって良い、未来がいてくれればそれで良いんだ。だから――」

「わたしは、苦しんでる響も、悲しんでる響も、ちゃんと全部救いたい。だから――」

 

 神獣鏡のアームドギアが、鈍い光を放っていく。

響の拳が、ぎりぎりと握られ、その硬度を増していく。

 

「行かせないッ!」

「行くんだッ!」

 

 咆哮と共に二人は、そのアームドギアに――その拳に、想いの全てを乗せて、跳躍するように飛び込んだ。

未来は掴みかかる響の手を既のところで躱し、すれ違い様にその背中へとアームドギアを叩きつける。

辛うじて、僅かに前方へと跳躍する事で直撃を防いだ響だったが、それでも数メートルを弾かれて、屋上の反対側の柵へと叩きつけられた。

 ぐしゃりと鉄柵がひしゃげ、土台のコンクリートが大きなひび割れを見せながらも、響はなんとか体勢を立て直し、未来の方へと向き直る。と、その目を大きく見開いた。

 既に未来は屋上ではなく、その飛行機能を以って、空高くへと飛翔していた。

真っ直ぐと向かうその先――空の高みに、宛らステンドグラスのような、極彩色の反射面が、水面のように広がっている。

 

「今は……今は響と戦うよりもッ!」

 

 全ての力を飛行機能へと回して未来は空を駆け抜ける。

響とぶつかり合う前に見据えていたそれこそが、この世界の出口に違いないと信じて。

 

「そうだッ! そのまま行ってしまえッ! それこそが意識の『境界面』……この世界に装者達を閉じ込めている蓋ですッ! そんなものはぶち壊してしまえば良いッ!」

 

 遥かな下方から、未来の予想を肯定するかのようにウェルの声が響く。

未来は、その言葉に振り返らずに頷くと、一直線に『境界面』へと飛び込んでいく。

 

「あれさえ壊せばッ」

「駄目だァーッ!」

 

 地を蹴り、響もまた跳躍する。

ギアが軋むほどにバーニアを噴かせた加速は、一時的に未来の上昇速度を上回り、見る間にその距離を詰めていく――が、それでもやがて勢いを失い、その身体は急激に失速していく。

 

「くそッ……止まるなッ! 動けぇぇぇッ!」

 

 その叫びに呼応するかのように、響の全身が見る間に黒に染まっていく。

衝動に塗りつぶされ、半ば暴走状態に陥った響は、その背中から、無数の『牙』を放つ。

 それらは、見る間に未来へと一気に追い縋り、間もなく『境界面』へ達しようとしていた未来の身体を捕らえ、締め上げるように巻き付いていく。

 

「うぐッ……あぁッ!」

 

 それらは、未来の四肢を、その首元を、全身を、ぎりぎりと締め上げると同時に、響の身体を引き上げるようにして、その距離を縮めていく。

手を伸ばせば届きそうなそこに『境界面』を捉えながらも、未来の身体はその浮力を失っていった。

呼吸すらままならず、未来は思わず咳き込み、喘ぐようにしながらも、なんとかその『牙』へと手をかける――が、それはどこまでも硬く未来の首へと絡みつき、微動だにしなかった。

 やがて、神獣鏡はその飛行能力の一切を失い、未来と響の身体はもつれ合うようにして、螺旋を描いて落下していく。

その最中、薄れかかった意識の狭間で、未来の苦痛に満ちたその表情に気が付くと、響は己の衝動に抗うようにして、涙をこぼした。

 

「ち……がう……わたしがしたいのは、こんな……ッ」

 

 半ば朦朧とした意識の中、その言葉に――その涙に未来は、その力を振り絞る

 

 

「こんな事じゃ、無いんだッ!」

「ひび……きッ」

 

 そう叫んだのと同時に、響による拘束が緩み、未来は呼吸を取り戻すと、地表面すれすれまで落下していたその身を、急上昇へと転じさせた。

響の身体を強く抱きしめたまま、未来は空へと駆けあがっていく。

 

「これ以上……響に悲しい涙を流させるもんかッ!」

 

 その叫びに――想いに応えるようにして、神獣鏡からあふれ出した輝きが二人を包んでいく。

黒に染まった響を――ガングニールを、白く染め上げていく。

 やがて二人の姿は、宛ら一つの流れ星となって、一直線に――既に闇に染まりつつある世界の空を切り裂いた。

 

「わたしはッ……わたしが響を助けるんだッ!」

 

 一筋の流星が、空の『境界面』を貫く。

それは、万華鏡のように辺りに煌めきを散らしていく。

空はフィルムのネガを反転させたかのように幾度となく明滅し、やがて全てがやわらかな光へと変わっていく。

 響は光の中で立ち尽くし、声を上げて泣いていた。

それは、未来を失う悲しみか。

それともあるいは、未来を傷つけたことで、自分を責めているのだろうか。

 未来は何も言わずに響を抱きしめる。

 

「必ず、会いに行くから」

 

 そう囁き、幼子をあやすようにそっと髪を――その背を撫でては、優しく響に微笑みかけた。

 

「だから……生きるの――諦めないで」

「未来……」

 

 響の瞳からいくつもの、大粒の涙がこぼれていく。

響は、ただただ泣きながら、何度も頷くと、途切れ途切れな声で「うん、約束する」と微笑み返した。

やがて柔らかなその光は二人をも飲み込み、溶け合うようにして白んでいった。

 

 

 

 しばらくの後、視界の先に見慣れない人工物の壁のようなものが映る。

しかしそれは壁ではなく、どうやら天井らしかった。

 

「ずっと、夢を見てた気がする……」

 

 未来はそれを眺めながらぽつりとこぼした。

その、誰へともなくこぼしたつぶやきに答えるものがあった。

 

「全くですよ……どうなることかとヒヤヒヤしたじゃありませんか」

「ひッ!?」

 

 ぼんやりとした意識は、しかし、足元から聞こえたウェルの声により一気に覚醒する。

べッドからずり落ちそうなほどに驚き後退っていた未来の視界に、翼が――マリアにクリス、そして切歌と調が起き上がってくる姿が映る。

 

「皆さんッ! 目が覚めたんですねッ!」

 

 ガラス越しに、エルフナインの笑顔が目に入る。

その後ろでは、藤尭と友里も安堵した様子でこちらの様子を伺っていた。

クリス達はまだ、事態を把握できないまま、それぞれにあくびをしたり伸びをしたりと、随分と良く休んだ様子である。

 ふと未来は、その手に――その身体に未だ残された、響の温もりを思い出す。

それらはまるで、つい今し方までそこにあったかのような、確かな現実味を帯びて感じられた。

未来はそれを懐かしむように、そっと自らの身体を抱く。

 

「待ってて、響……必ず会いにいくから」

 

 遠く離れた響を想い、未来はその胸に硬く誓う。

かつて響が自分を連れ戻してくれたように、今度は自分が響を救い出すために。

そして何より、彼女の――本当の笑顔を取り戻すために。

 

Reboot

 

 

――時を同じくして、旧風鳴邸の自室で、響もまた目を覚ましていた。

いつの間にか、全身を覆っていた殻は跡形も無く消え、胸の奥をぢりぢりと焦がした憎悪もまた、まるで嘘だったかのように、心が凪いでいる。

その理由は、響自身もよく分かっていた。

 

「わたし……諦めないよ、未来」

 

 未来を想い、響は拳を握る。

例えその約束をしたのが、夢の中の幻でしかないとしても、それは響にとって、確かな未来との約束だった。

それを反故になど出来るはずも無い。

ふと、廊下の向こうから足音が近付きつつあった。

 

「ようやく目覚めたか……」

 

 偶然か、はたまた様子を確認してやってきたのか。

現れたのは他でも無い、風鳴 訃堂であった。

 

「最早一刻の猶予も無い。即時起動に努めよ」

 

 そうとだけ言い、訃堂は響を睨め付ける

その目に、表情に、焦燥の色が濃く浮かんで見えるのは気のせいではないのだろう。

響たちが置かれている状況を考えれば、眠っていた分の遅れは、看過できるようなものでは無かったはずである。

 響はふと、胸の内の――訃堂に対する憤りが、いつの間にか失われている事を自覚した。

この男もまた、やり方は違えど目的は同じなのだと、今ではわかる気がしている。

 

「わかっています……守りたいのはわたしだって同じ、だから――」

 

 少女は今ふたたび、拳を握る。

大切な親友のいた世界を守るため。

彼女が幸せだと言った日常を守るため。

そして、そのための力を手に入れるため。

それこそが『正義』と信じて。




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第十話  discord

七色の輝きと、七つの歌。
全ては終局へと向けて収束していく。
その言葉、その想い、その歌は、交わるのだろうか。
それとも、或いは――


 S.O.N.G.本部。

その中でも広々とした休憩スペースに一同は集まっていた。

翼・マリア・クリス・調・切歌の五人は、その誰もが少しだけ気怠そうにソファへと腰掛けている。

長きに渡る眠りから覚めて間もないのだから、それは無理からぬ事だろう。

 翼は、甘い夢の檻より解き放たれた己の身体の――現実の重みを感じるようにして、何度もその手を開いては閉じ、そしてまた開く。

感覚に薄膜を重ねたような僅かな違和感は既に無く、間違えようの無い己の肉体の感覚がそこにはあった。

そうして、自分自身の実在を確かめるように身体を動かしながら、翼はふと、呻くようにして、言葉をこぼす。

 

「我々が眠っている間にそんな事があったとは……」

 

 響によって打ち倒されてから、既に随分と日数が経過している。

その間ずっと眠っていたのだと知らされた翼は、思わず己の不甲斐なさを悔いるように、苦々しく顔を顰めたのだった。

――いや、それは翼だけでは無い。

そこに居る誰もが同様にして、ただただ甘い夢へと浸っていた事を恥じるように、俯いている。

 

「全く……己の不甲斐なさに恥ずかしくなるわね」

 

――偉そうにクリスに発破をかけておきながら、役にも立たずこの様か。と、マリアもまた、翼と同様に顔を顰めると、悔しさに――己の不甲斐なさに下唇を噛みしめる。

 

「だけど、正直あの夢の中でずっと過ごしたい気持ちは有ったデスよ……」

「うん……すごく平和で、幸せで……あれが響さんの理想の世界――なのかな」

 

 少しだけ残念そうに、惜しむように、その甘やかな夢の面影を思い起こしながら、ため息を吐く切歌。そして調もまた、それに同意するようにそっと息をついた。

つい先ほどまで見ていたはずの夢なのに、もう随分と遠い記憶のように感じられて、失われてしまった幸福感に、胸が詰まりそうになる。

争いも、特異災害も無い、何処までも平和な世界。

幸福を焼きつけたような、そんな夢を、誰にも見せることなく一人抱き、響は戦ってきたのだろう。

 

「あいつもずっと、そいつを一人で抱えてきたんだな……」

 

 何一つ、自分の内にある苦しみを打ち明けようとしなかった響に、半ば苛立ちすら憶えるようにクリスは歯噛みする。

人の事ばかり気にして、救おうとして、そうして自分の苦しみは隠したまま笑っていたのだと思うと、そんなにも自分たちは頼りなかったのか。という悔しさに胸が痛むようだった。

 

「そうね……でも、それは偽りの幸福だわ」

 

 そんな三人の言葉を打ち消すように否定したのはマリアであった。

F.I.S.に居た頃は決して体験することのできなかった、ごく普通のありふれた学園生活。

それは、他ならぬマリア自身がずっと焦がれていた、年頃の少女として送るはずの日常風景でもあったはずである。

 それでも、だからこそ、そんな甘い夢に溺れてなどは居られないのだ。

幸福すぎる夢など、覚めてしまえば決して叶うはずのない幻に変わってしまうのだから。

 

「ともかく、皆さんが無事でよかったです」

 

 思いつめたような一同の空気を払おうと気を遣ったのだろう。エルフナインはその顔に未だ色濃い疲労を浮かべながらも、装者たちの帰還に安堵した様子で一同を見回した。

 手元の大判な端末に視線を落としながら、各装者たちのデータを確認し、小さく頷いて見せる。

万全には程遠いものの、それでも致命的なダメージの痕跡は、装者たちのデータからは見られない。

 むしろ、体調の面で言ってしまえば、ずっと睡眠不足のままモニタリングしていたエルフナインの方が、随分と具合が悪そうに見えるほどである。

何せ、よくよく見ればその幼い顔立ちに、深いくまさえ刻んでいるのだから。

 

「バイタルの数値は安定。若干の衰弱は見られるものの、筋力の衰えなどの心配は無いようです」

 

 自身の身体に異常が無いと聞き、一同は各々に安堵し、息をつく。

事の顛末は、既にエルフナインから聞かされていたものの、それらは耳を疑うような話ばかりであった。

あの弦十郎ですら響と戦い、敗れ、そして未だ意識が戻らないほどの重傷を負った事。

緒川による未来の救出と、驚くべきウェルの生存、そしてS.O.N.G.への協力。

何より、未来が神獣鏡のギアを、再びその身に纏ったという事実にも、一同は驚きを隠せずにいた。

 

「あなたにも、迷惑をかけてしまったわね……ありがとう」

「そんな、迷惑だなんて!」

 

 頭を下げて深々と礼を述べるマリアを前に、未来は思わず赤らめた顔を横に首を振る。

かつて、東京スカイタワー崩落の間際に未来を救い出してくれたのは、他ならぬマリアである。

助けられた――救われた恩があると言うのなら、未来にとってマリアの方こそ命の恩人だと言えるはずである。

もしもあの時、マリアによって連れ出されていなければ、あの日あの場所で未来は命を落としていたのだから。

 

「私の方こそ、以前危ないところをマリアさんに助けてもらいましたから」

 

 そう言って未来は照れたように笑うと、小さくぺこりとお辞儀を返す。

それを見たマリアもまた、つられるようにして微笑みを浮かべると「じゃあ、これでお互い様ね」と未来へとウィンクを返すのだった。

 そんな二人とは対照的に、未だに暗い顔を面持ちで未来を眺めていたのは、切歌と調である。

未来をじっと見据える二人の目には、羨望――というよりも、恨めしさのようなものが宿って見いるようだった。

 

「それにしても驚いたのデス」

「未来さんがまさかLiNKER無しで適合するだなんて……」

 

 切歌と調は、肩を落とし、あからさまな落胆を見せる。

長年訓練を積んできたはずの二人ですら――いや、中でも適合係数の高いマリアですら、未だにLiNKERを必要としているというのに、未来は何食わぬ顔でLiNKERも無しに、それどころか、訓練も無く、ぶっつけ本番で神獣鏡を纏ったと言うのである。

二人が落ち込むのは無理からぬ事と言えるだろう。

 マリア自身も、表には出さないまでも大きなショックを受けているのは確かである。

ただそれは、未来本人へ――ではなく、マリアたちにとっては「この場に不釣り合い」と言える人物へと向けられる事となった。

 

「それもこれも『愛』の力。とでも言うのかしらね」

 

 マリアはうんざりした眼差しで部屋の隅に立っていたウェルを睨め付ける。

ウェルが生きていたと、そしてS.O.N.G.に力を貸す事になったと説明された時は、思わず耳を疑ったものだ。

しかし、事実としてその姿を目にして、マリアたちはより一層、それこそ心底うんざりした気持ちとなった。

チフォージュ・シャトーで切れたと思っていた悪縁が、こうして再び結ばれようとは、神ですら予想だにしなかったのではないだろうか? と、この運命を呪うようにして、深いため息を吐く。

 そんなマリアの心情など知らぬウェルは、「ふん」と鼻を鳴らすように立ち上がり、両手を大きく広げるようなオーバーアクションで語り始めるのであった。

 

「そうとも、まさに『愛』――ですよ。裏も表もなく、全てを受け止めようという真っ直ぐな愛に、諦めずに手を伸ばし続けた強い想いにこそ、神獣鏡は応えたのです。君にも何度だってそう教えてきたはずだ」

 

 この狂気に満ちた『愛』の信奉者は、なんでもかんでもそうして『愛』で片付けるのだろう。

そして、それはまるで「お前らには愛が足らない」と蔑まれているかのように思えて、マリア・切歌・調の三人は、尚のこと神経を逆撫でされたような気分になってしまう。

 目に見えて敵意と不快感をむき出しにしてウェルを睨め付ける三人を後目に、翼は依然として浮かない顔でエルフナインへと不安を口にした。

 

「しかし、我々の目が覚めたと言うことは、必然立花もまた……」

「はい……恐らく目を覚ましているのではないかと思います」

 

 その言葉に、再び一同の表情に暗い翳が落ちる。

だとすれば――響が目覚めたのであれば、そのまま黙って大人しくしてくれるだろうか。

目覚めてすぐにでも、こちらへ向けて再度襲撃に訪れるのではないだろうか。

もしそうなれば、あの響の力に対抗することが出来るのだろうか。

 

「そうなると、再度の襲撃が――」

「いや、それはないだろう」

 

 思わず口をついて出た翼の抱く不安は、しかし凛としたその声に唐突に遮られてしまう。

一同が揃って通路の――声が聞こえた方へと視線を向けると、いつの間に現れたのか。そこには友里によって車椅子を押されてやってくる風鳴 八紘の姿があった。

 

「お父様! ご無事だったのですね……」

「すまない翼……心配をかけたな」

 

 翼は、一目散に駆け寄り、跪いて八紘の手を取ると、安否を気遣うようにその全身を、顔色を、あちこち見回しては、目に大粒の涙を浮かべる。

緒川たちとの通信を最後に音信不通となっていたことは、既にエルフナインから聞かされていた。

皆のいる手前、私情は挟むまい。と、表には出さなかったものの、内心にはその安否を気にかけていたのだ。

 無事を知り、然しもの翼とて人の子である以上、平静ではいられなかった。

八紘の言葉もまた、翼がその瞳に湛える涙を想ってか、いつになく柔らかい声色で、翼へと声を掛ける。

 

「今朝連絡があって、迎えに行っていたの」

「全く、びっくりしましたよ……いきなり連絡があったかと思えば、入院してるっていうんですから……」

 

 皆を安心させるように語る友里とは対照的に不満気な言葉をこぼす藤尭であったが、それでも声には安堵した様子が窺えるのは、弦十郎が倒れて以降、しばらく失われていた指揮系統が回復する事への期待からだろうか。

 

「簡単な外科手術だけだったが、出血量が多かったようでな。お前たちにも迷惑をかけたな……すまなかった」

 

 藤尭の言葉に、八紘自身も、やや自嘲気味に、やれやれといった様子で息をつく。

実際、重要な内臓に損傷は見られなかったまでも、その出血量の多さにより、一時は失血死する手前にまで至るほどの状況。

今回とて、「まだまだ退院は許可できない」と止める医師に無理を言って、転院という形で病院を出て来たのだった。

療養するだけであればS.O.N.G.本部にも医療施設はあるのだから、そこで充分という判断もあったのだが。

 

「それでお父様、立花響の襲撃は有り得ない――という判断の根拠は?」

 

 傷の状態や、どういった経緯で傷を負うような事をして、そして医者へと転がり込んだのか。

父親を心配する娘として、聞き出したいことは山ほどある。

しかし今は、私情を挟むよりも重要な事がある。

 

「それを説明するには、まず奴の目的から話さねばならんだろう」

 

 八紘は翳の差した面持ちで、翼の方をちらと視線を走らせると、一同へと向き直る。

そして、静かに、深く息をついた後、ゆっくりと語り始めるのであった。

 

「全ては、神すら禁じたその力を得るためだ――」

 

 

目論見

 

 

 ヴィマーナの安置された間にて、響は息を切らし、肩で息をしていた。

目の前には鈍く金色に輝く『ヴァジュラ』が置かれている――が、それを除けば何一つ音の無い、ただただ静寂だけがその場を支配している。

決意を新たに歌ってはみたものの、それらは依然として起動する兆候の一切を見せる事は無かった。

それは、響と聖遺物との相性によるものか、あるいは――

 

「まだ、起動へと至らぬか」

 

 呼吸を整え、もう一度歌おうとした響へ、部屋の入口辺りから声を掛けたのは訃堂であった。

相変わらずの険しい表情ながらも、目覚めてからのその声色は以前に比べてやはり、穏やかさすら感じられるほどに和らいでいる。

眠っている間にどういった心境の変化があったのか。

あるいは、万策尽きて消沈しているのだろうか。

探るようにその面持ちを窺ってみるものの、真意などやはり響には知りようも無い。

 

「わたし一人のフォニックゲインじゃ足りないんでしょうか」

 

 響自身もまた、その声に落胆と疲弊の色を浮かべて訃堂へと訊ねるが、答えは無い。

思案するようなその表情は、答えないのではなく、答えられないのかもしれない。

訃堂自身、その真因を掴めていなければ答えようが無いのだろう。

『ヴィマーナ』の起動。

それは今や、響自身の意思でもあった――いや、元々本来はそのつもりで訃堂に協力していたのだ。

以前と変わった部分が有るとすれば、未来を失った今、自分に残されている『できる事』が、それ以外にない。という事だけだろう。

迷う理由がもう、無いのだ――そう、何一つ。

 しかし、そうは言っても、もうどれくらい歌い続けているか分からない。

休んでは歌い、また休んでは、また歌う。

延々と繰り返されるそれらは、ただただ無為に響の体力を消耗させるばかりで、一向に結果へと結び付きそうには無い。

 

「ならばやはり、いま一度向こうの装者たちがやって来るのを待つより他に無い……か」

 

 訃堂は「ふぅ」と深くため息を吐く。

今でもまだ、装者たちが響を仲間と思うのであれば、必ずここへ連れ戻しに来るだろう。

そこで互いに歌い、フォニックゲインを高め合えば、あるいは起動に必要なだけのエネルギーを得られる可能性はある。

 しかし、そうだとして、あとどれ程の猶予があるものか。と、訃堂は逡巡する。

既に想定よりも多くの時間を無駄にしている。

配下の者たちより寄せられる報告は、日々その頻度と深刻度を増している。

S.O.N.G.側の出方が遅くなれば遅くなるほど、それこそ致命的な遅延となりかねないだろう。

 

「来る――でしょうか。わたしなんかのために」

「実に歯痒いものだな……ただ待つことしか出来ぬというのは」

 

 それでも今打てる手があるとすれば、やはりS.O.N.G.側からやってくるのを待つ他には無いだろう。

せめて八紘が未だにこちらにいれば、装者達を誘い出すことも出来たかもしれない――が、考えたところでそれは最早、後の祭りでしかない。

今出来る最善は何か? と内心に自問自答し、響へと指示を飛ばす。

 

「失敗の許されぬ状況だ。起動のために歌うのは切り上げ、彼奴等が来るまで大事を取って休むがいい」

「わかりました……」

 

 訃堂は、そうとだけ言うと響を伴ってヴィマーナの間を後にする。

響は、己の力不足を悔いながらも、今は訃堂の言葉通り休まざるを得ない。と、それらを受け入れて自室へ向かう。

次に皆を迎え撃つには、万全の態勢で臨まねばならないだろう。と己に言い聞かせるようにして。

 

 

 

 発令所へと場所を移した一同は、モニタ上に表示された二つの聖遺物を順に眺めていた。

広い室内に安置された『ヴィマーナ』と、匣から取り出された状態の『ヴァジュラ』である。

その後者に関していえば、一同には心当たりが一つあった。

二度目の響による襲撃の際に起動されていた、轟雷を放った小さな聖遺物であろう。

そしてそれすらも、八紘の話に寄ればただの鍵に過ぎないと言う。

 

「ではその『靭舟』――『ヴィマーナ』を起動することが、訃堂の狙いだと……?」

 

 翼は怪訝そうな面持ちで八紘へと問う。

神の舟と呼ばれるそれは、訃堂によれば、先にF.I.S.が浮上させたフロンティアと同種の――ただし、星間航行船とされたフロンティアに対し、こちらはむしろ小型の、戦闘に特化したものだという。

八紘は小さく頷くと、少しだけ迷いながらも、説明を続ける。

 

「そうだ。そのためには旧風鳴邸にお前たちが向かう事こそが、あの男の狙い。先の立花 響の暴走は奴にとっても不測の事態だったに違いあるまい」

「やはり……あの時の響さんは、激情に駆られて冷静さを欠いていましたから」

 

 以前エルフナインが立てた仮説は、しかしどうやら正解だったらしい。

あの時の響の襲撃は、訃堂の意図したものでは無く、だとすればこの先も響が単独でこちらへやってくる可能性は低いだろう。

 

「あの男がそれを何のために使うのかは分からん。しかし、少なくとも立花 響は自らの意思で、あの男の目的に同調していたようだ」

「馬鹿な……立花が自分の意思で行っているというのですかッ!」

 

 響が訃堂に与するなど、翼たちにとっては信じがたい事であった。

未来の事を盾に脅されているというのなら分かるが、響自身が、自らの意思で訃堂の求める『力』のために助力するなどと、信じられようはずも無い。

 

「そもそも彼女――小日向 未来の複製体と言ったかしら? それらを盾に言動を制限していたとばかり思っていたけれど、あの子が元々自分の意思で従ってただなんて……俄かには信じられないわね」

 

 マリアもまた、その言葉を疑わずにはいられなかった。

いや、その場にいる誰もが皆、そんなことがあるものか。と信じられない面持ちであった。

 

「あのバカを従わせようってんだ。よっぽどの理由があるはずだよな……」

 

 クリスは、何度も響と言葉を交わした時のことを思い出す。

あの時、頑なに事情を話そうとしなかったのは――いや、話せなかったのは、未来の複製体を以て脅されていたに違い無いだろう。

 

「けど、響さんが『神の力』なんて求めるのかな……」

「むしろ殴って壊しそうなものなんデスけどね」

 

 調も切歌も二人して首をかしげている。

アダムによってもたらされた『神の力』は、そうして響の手によって破壊されたのも記憶に新しい。

ましてやそれを、響が求めるなどとは、有り得るのだろうか。

未来を守ることを除いて、響が力を得るために戦う理由など、何があるというのだろうか。

 

「結局、響さん本人に聞く以外、方法は無いようですね」

 

 押し黙り、考え込む一同に対しエルフナインは、ため息交じりにそうこぼした。

本人のいないところであれこれ考えたところで、正しい答えなど出るはずもない。

エルフナインの言うことも最もである。

 

「確かに……今ならば、小日向が居れば立花も話し合いに応じてくれるだろう。しかし……」

 

 翼は言葉に詰まるようにして、ちらと未来の方へと視線を向ける。

その胸の内に、二人がいつしか衝突し、互いにギアを以って戦った様が去来する。

かつて、響に戦わせたくない一心でその力を手にした未来は、響と戦い、傷つけ合い、そしてそれを悔やみ。そして、長らく気に病んで居たであろう事を、翼は今でも時折思い出す。

 

「小日向は……それで良いのか? 再び立花と拳を交えることになるとしても」

 

 鋭く、突き刺すような翼の視線に、未来は思わず身体を強張らせる――が、小さく一つ息を吐くと、その視線を真っ直ぐに見返して、胸の想いを口にする。

 

「わたしは……わたしも響を救いたいんです。だから、そのための力があるのならわたしは、響のところへ行きたいです」

 

 その身を――気持ちを案じて気遣う翼へと、未来は応える。

その強い眼差しに、迷いなどは無い。

ただ響の帰りを待ち、ただその無事を祈るだけだった少女は、しかし今、確かな力と意思を以てそこに居た。

 強い覚悟を示す未来に対し、翼は「そうか」とだけ答えるが、その表情がどことなく満足気に見えるのは気のせいだろうか。

 

「ともかく皆さん、今しばらく休んでから、万全の体制で響さんの救出に向かいましょう!」

「けれどその前に、勘を取り戻さなくっちゃね……」

 

 一同に呼びかけるエルフナインに対し、マリアは忌々し気にこぼした。

震える拳をもう片方の手で押さえるようにして、小さくため息を吐く。

長時間眠っていた上に、数々の投薬による影響。

響から受けたダメージや、絶望的な悪夢による疲弊、それに甘い夢に囚われていた事によるものだろうか――全身に纏わりつく倦怠感と脱力感が未だ拭えずにいた。

 

「そうだな……どうにも寝過ぎちまったみたいで、身体が鈍っちまって仕方ねぇ」

 

 そんなマリアの意思に、クリスも伸びをしながら立ち上がると、そばにいた切歌と調へと、促すように視線を向ける。

 

「そうですね、わたしたちもただ休んでなんていられない」

「トレーニングルームへ行くデスよ!」

 

 どことなくぎこちなく、よたよたとした足取りで調と切歌が、その後をクリスとマリアが競うようにしてトレーニングルームへと駆けていく。

 

「あっ、皆さん! 待ってください!」

 

 エルフナインの制止も聞かず、四人の後を追うように慌てた未来が発令所を後にすると、エルフナイン自身もまた、一同を追いかけて慌てて駆けていく。

斯くして、出遅れた翼だけが八紘の隣に残っていた。

 

「わたしも、皆と行って参ります」

「待て、翼」

 

 同じく、一同を追いかけようとする翼だったが、ふと、その背中を八紘が呼び止める。

振り返ると八紘は「お前に伝えなければならないことがある」と、真剣な眼差しで言うのであった。

 

 

 

「さて、そんじゃあ実力のほどを見せてもらおうじゃねぇか」

「ちょっとクリス! 彼女は本来非戦闘員なのよ? 手加減を忘れちゃダメよ」

 

 それぞれにギアを纏い、街並みを再現したフィールドの中で、クリスとマリアは構えていた。

いや、二人だけでは無い。

 

「けど、生半可な覚悟と力で戦場に立つのは、自殺行為」

「だからこそ、それを見極めなければならないデスよ」

 

 調と切歌もまた、そこにいた。

四人が立ち向かう先に居るのは、他ならぬ神獣鏡のギアを身に纏う、小日向未来である。

 

「何をやってるんですか、皆さん! 未来さんのアームドギアの特性は『聖遺物殺し』……下手をすれば皆さんのギアが――」

 

 ようやく隣接するモニタールームへと辿り着いたエルフナインは、既に――今まさに戦闘を開始せんばかりに向かい合った装者たちへと、真っ青な顔で制止を促す。

神獣鏡のギアが手に入り、装者たちが眠りから覚めたというのに、肝心のギアが分解されては元も子も無いのだ。

 しかし、そんな心配をウェルは鼻で笑っていた。

 

「ああ、平気ですよ。あれはバトルプログラムによって強制的に引き出された力です。本来であれば装者の意思によって振るわれたところで、せいぜい聖遺物由来の力を減衰させる程度でしょう」

 

 その言葉は、トレーニングルームに遅れてやってきた藤尭と友里だけでなく、中に居る装者たちにも伝わったようである。

 

「そういうことなら安心だな。おい、そっちも手加減抜きで来いよな」

 

 クリスは、遠慮なくその両手の銃口をを未来へと向けて、狙いを定める。

かつて同じように銃口を向けた時、未来はウェルに操られて戦っていた。

それが今は、自分の意思でその力を手にし、自分たちと対峙しているのだ。

その覚悟、力。

――先輩として、きちんと見極めてやらなきゃな。と、クリスは内心に意思を固める様に、深く息を吐く。

 

「たしかに、わたしたちのリハビリにもちょうど良いかもしれないわね」

 

 マリアもまた、剣を構える。

不慣れな未来に対し、万全とは言い難いコンディションの一同である。

それらを考慮しても未来には不利な状況だが、それでも、それを乗り越えられなければ戦場に立たせるわけには行かないだろう。

 

「司令もきっと生きてれば『こんな時は特訓だッ!』って言うデスよ」

「切ちゃん……司令はまだ生きてるよ」

 

 気合たっぷりに空回る切歌に呆れながらも、背中を合わせる様にして、二人もまたそのアームドギアを構えていく。

四人の向かう先。

未来もまたアームドギアを構え、その飛行機能を以て僅かに浮遊する。

圧倒的な戦闘経験の差と、ギアそのものの能力の差を考えれば、アドバンテージを取ることが出来るとすれば、その飛行機能くらいであろう。

 

「はい……お願いします!」

 

 その言葉を合図に、マリアが、切歌が、そして調が一気呵成に間合いを詰めていく。

上昇しようとするその先へと放たれた銃弾は、クリスの狙い通りに、未来の飛行を牽制し、その回避を阻んだ。

 

「くッ……」

 

 咄嗟に上昇から水平移動へと転じたものの、その隙を逃さないかのように調が鋸の加速にて迫っていた。

その後ろには、既にマリアと切歌も詰めてきている。

 

「未来さん!」

 

 エルフナインは思わず顔を手で覆い、悲痛な叫びを上げてしまう。

しかし、間一髪のところで調の追撃を躱した未来は、その飛行機能を以て建物の陰へと巧みに身を躍らせ、その切れ間から姿を現しては、閃光を放っていく。

 短い期間で有りながらも、己のギアの特性を生かした戦い方を身に付けて行けるのは、響を救うため。という強い意思によるものだろうか。

あるいはフィールドの助けもあっての事だろうか。

今や、不慣れなギアを纏い戦う少女は、他の四人にも引けを取らないほどに、その力を発揮するのであった。

 

 

 

「つまり、あの男の母親は、百年以上を生き永らえていたと?」

「そう言うことになるな」

 

 一人残った翼は、八紘から先程よりも詳しく己の出自について打ち明けられていた。

旧風鳴邸に隠されたヴィマーナと呼ばれる聖遺物――そしてそこにあった匣。

それを手に入れた事こそが風鳴の家の興りであり、何より訃堂に流れる血の半分は、その異邦人の女のものだと八紘は語る。

そして訃堂の父とその女は、匣に収められていた霊薬の力を以て人ならざる時を生き、様々な功績をこの家にもたらしたのだという。

 

「奴が言うには、その女は古の巫女だったそうだ」

「巫女――ですか?」

 

 八紘は、訃堂から聞かされた言葉を、記憶をなぞる様に言葉にしていく。

俄かには信じがたい話の連続だが、それらは嘘ではないだろう。という、半ば確信めいたものを八紘は抱いていた。

 

「奴がまだ幼かった頃、基底状態に陥った聖遺物を、その女が『歌』により励起状態へと引き戻すところを何度か見たのだと、奴は言っていた」

「『歌』で……それはまるで――」

 

 はっとした翼の目を見据え、八紘は静かに頷いた。

その話を聞かされた時、八紘自身も当然同じ考えに至ったものである。

 

「かつての適合者だったと考えて間違いないだろう――いや、そもそも『適合者』そのものが、謂わば古の時代における『巫女』だと言うべきかもしれん」

「『巫女』……確か以前に、フィーネも言っていました。自らは超先史文明期の『巫女』であったと……つまり『巫女』――『適合者』とは、フィーネの――」

 

――末裔なのではないか? という問いを、思わず翼は飲み込んだ。

同様に、八紘もまた、険しい表情のまま押し黙っていた。

恐らくは、同じ答えに行き着いているのだろう。

 もしもそうだとすれば、適合を見込まれて集められたというリディアンの生徒たちの多くもまた、その素質を備えているということになる。

そして、それは奇しくもF.I.S.が行っていたのと同じ、レセプターチルドレンを集めていたのと同義なのではないだろうか?

 偶像として、知らぬ内にそれらの大きな――そして危険を伴う陰謀に加担していたのだと思い知らされ、思わず目の前が暗くなり、よろめく様に翼は後退った。

 

「だとすれば、お父様……わたしは――」

 

 訃堂が、この身に流れる血に固執していたことも、母の胎から自分を産ませたことも、全てはそのためだったのだ。

『巫女』としての血を色濃く残さんとするために、自らの胤を孕ませたのだ。

 失意と、己が身に流れる血への自己嫌悪に揺れ、離れ行く翼の手を、八紘はそっと繋ぎとめる。

その胸の内で、あの時、訃堂へと言い放った言葉を思い出していた。

――そうとも、流れる血など関係あるものか。と、己に言い聞かせるように、翼の目を見据え、八紘は同じ言葉を、けれども優しい声で翼へと投げ掛ける。

 

「おまえにどんな血が流れていようと関係あるものか。お前は私の娘だ」

「おとう……さま……」

 

 その優しい言葉に――声に、縋るようにして、八紘の胸に顔を埋めると、翼は静かに嗚咽を漏らした。

そうまではっきりと「私の娘だ」と言われた事が、今までにあっただろうか。

こうして、親子として、その優しさと温もりに触れる事が、これまでにあっただろうか。

――その言葉だけで、わたしは充分だ。と、翼は思わず喜びの涙に咽ぶ。

そんな翼の肩を、ふと抱き起すと、八紘は真剣な眼差しを翼へと向けていた。

 

「ところで翼、一つお前に頼みたいことがあるのだが……」

「何ですか、お父様。私にできることならば、是非――」

 

 目を輝かせて応じようとする翼に対し、しかし八紘の方は、後ろめたいことでもあるのだろうか、ふっと目を逸らす。

それは、弦十郎が響との対決へと打って出る直前。

緒川と交わした密約であった。

 

 

極彩色の不協和音

 

 

 トレーニングルームに、幾つもの音と叫び声が鳴り渡る。

あちこちに閃光が瞬き、銃弾が飛び交い、刃の軌跡が刻まれている。

既に切歌とクリスは体力を使い果たしたかのようにぐったりとして、肩で息をしては、アームドギアを支えにするように立っている。

マリアもまた、呼吸は荒く、その足取りは覚束ない。

ただ一人、調だけがローラーによる移動に助けられ、何とか未来を追い縋っているが、それでも随分と疲労の色が隠せずにいた。

 

「空を、飛び回られるのが、こんなに……やり辛いなんてッ」

 

 必死に未来を追い、建物を回り込みながらも、途切れ途切れにマリアは声を上げる。

ただでさえ、どちらかといえば近接に特化したマリアでは、空を飛翔して攻撃を避ける未来を捉えるのは、かなりに困難である。

いくら普段から少しは走り込んでいるからと言って、こうまで振り回されてはさすがに息も絶え絶えとなるのも無理はない。

 

「建物も多くて……やり辛いッ」

 

 調も同様に、幾つもの鋸を飛ばしてみるものの、建物の陰へと巧みに躱す未来相手では、遮蔽物に阻まれて攻撃が当たる事は無い。

 

 

「調ッ!」

「あッ……」

 

――刹那、建物の僅かな隙間を狙い、未来の閃光が放たれる。

攻撃ばかりに気を取られ、防御に気が回っていなかった調へと、それは無慈悲に迫っていた。

マリアは咄嗟に調の前へと躍り出て、バリアを張るが、未来はなおも建物の隙間を狙い、小型の鏡を幾つも浮かべては、器用に光線を狙い撃ってくる。

この環境においては、攻守ともに神獣鏡の方が圧倒的なまでに有利だと言えよう。

 

「くそッ……こっちは何年も戦い慣れてんだ。なのにこうも翻弄されるのかよッ」

 

 少し休んで回復したらしいクリスが銃弾を放つ――が、それらもまた、建物に阻まれて未来には届かない。

かと言って大型のミサイルでは、速さも機動性も足らずに迎撃されるだけである。

 

「おい! その鎌で建物全部刈り取って来い!」

「そんな……無茶デスよッ!」

 

 いい加減に焦れたクリスのめちゃくちゃな注文に、切歌は思わず泣き言を言う。

背中を蹴り出されないだけマシなのかもしれないが、それにしたって如何な斬撃武器を以てしても、ビルを切り倒すなど不可能だろう。

 

「まさかこれ程とは……環境に恵まれているとはいえ、やはり空を飛ぶ相手にはエクスドライブが無い場合、相当に分が悪いようですね」

 

 貴重なデータを得た喜びからか、エルフナインはその目を爛々と輝かせている。

まるで新しいおもちゃを手に入れたばかりの子供のように、嬉々とした様子で観戦するエルフナインに対し、友里と藤尭は、若干引きつった笑いを浮かべていた。

そんな一同の目に、ふと、ある人物の姿が映る。

 

「あれ、いつの間に……」

 

 音も――気配も無く現れたその人物の手に、鈍い光が閃く――と同時に、突如、立ち並ぶビルの一つが横一文字に切り裂かれ、倒壊する。

唖然とする一同の前で、砂埃に巻かれながらも立っていたのは、他ならぬ風鳴翼であった。

 

「えぇッ!? ビルを斬るだなんて……とんでもなくでたらめデスよッ!」

 

 思わず切歌は驚きの声を上げた。

例え天羽々斬の刀身が幾らかの長さを誇ろうと、蒼ノ一閃によるエネルギー刃を放とうと、一撃のもとにビルを両断するなどとは、誰が予測できようか。

 

「先輩、流石に相性がわるいっすよ」

 

 とはいえ相手は空を飛ぶ神獣鏡である。

完全に接近戦に特化した翼の天羽々斬ではあまりに分が悪いというもの。

クリスは一応に声を掛ける――が、返事がない。

 

「どうかしたんですか?」

 

 調の言葉にも、反応はない。

ただ無言で、切り倒したビルの瓦礫の上を、真っ直ぐに未来へと向かい進む。

 

「パパさんと何か――」

「あのような男が父親なものかッ!」

 

――あったの? と、マリアが言い切るよりも早く、翼は吼えていた。

どうやら逆さ鱗に触れてしまったらしく、振り向きもしないその後姿が、震える肩が、翼の内に憤怒の炎が燃え上がっていることを、容易に想像させる。

 

「あ、あの、翼さん。お手柔らかにお願いします……」

 

 ビルの上に立ち、未来は請うように声を掛ける。

他の皆からは見えないが、未来だけは翼の表情が見えているのだろうか。

引きつったような笑顔が未来の顔に浮かんでいる。

 しかし、その言葉は翼の耳へ届くこともなく。

鬼神の如き圧倒的な力で未来を追い詰めていくと、一同が必死になって止めるまで、翼は追撃の手を緩めることは無かった。

 

 

 

「すまなかった、小日向」

 

 訓練が終わった後、トレーニングルームが元の、無機質な景色へと戻った中で、翼は未来の目の前で地面へ手をつき、深々と頭を下げた。

先ほどの怒りは何処へやら、すっかりしおらしい様子である。

 

「一体さっきはどうしたんすか先輩」

「そうよ、明らかに様子がおかしかったわ。それに、あのパパさんのことを『父親であるものか』」だなんて、何があったのよ」

 

 痛いところを突かれたらしく、翼は渋い顔を見せた。

しかし、この状況――何も説明しないわけには行くまいと、翼は渋々「実はだな――」と事情を打ち明ける。

 

「ホストクラブへ行けと言われた?」

 

 驚嘆の声を上げるマリアに、翼はただ、頷いて答える。

その横顔には、未だに濃い憤りが浮かんでいた。

 

「一体なんでまた……」

 

 あの真面目そうな父親が、訳もなくそんな事を言うとは、どうにも信じがたい事である。

しかし、どうやら翼自身は、それだけ聞くと憤慨して飛び出してきてしまったらしく、マリアが訊ねても「わからない」の一点張りである。

途方に暮れた一同の元へ現れたのは、緒川であった。

 

「それは、僕から説明しましょう」

 

 以前より若干やつれたように見えるものの、その足取りは随分とはっきりしている。

浮かべている笑顔も、どうやら作り笑いや無理をしているわけではないようだ。

 

「緒川さん……」

「大丈夫なんデスか?」

 

 ひどい傷を負った。と、エルフナインから聞かされていた二人が、思わず安否を気遣うと、緒川は少しだけ苦笑いの表情を見せる。

そんな表情を見せるのは、普段の緒川にしてみれば珍しいことでは無いだろうか。

 

「激しい運動は禁止されていますが、日常生活くらいなら……」

「それで、パパさんがそんな事を翼に頼んだ理由というのは?」

 

 本人が平静を装っているというのに、それに触れるのは野暮な事だろう。

マリアは余計な気遣いをさせぬように、単刀直入にその件について訊ねる。

実際のところ、あの八紘が翼に対してそんなことを頼むなどと、容易には考えられないものである。

 

「実は……旧風鳴邸を抜け出る際に、翼さんのお父上には追っ手を差し向けられていたんです。一応、未来さんの複製体の方々が足止めをしてくれていたそうですが――」

 

 そこまで言ってふと、緒川は未来の方へと視線を向ける。

自分と同じ姿かたちをした者たちがどんな目に遭ったか――など、当の少女に語って聞かせるには、あまりに残酷ではないだろうか。

少し思案した後、緒川はやはり、その部分については深く触れないことにしたようで――

 

「結局追っ手に追いつかれてしまったんです。とはいえ、勿論事前に想定済みでしたから、予め救援をを頼まれていたんです」

 

――と、その部分に関しては、省略して説明するのであった。

 

「緒川さんに――ですか?」

 

 翼は、思わず目を丸くして緒川へと訊ねる。

未来の救出に、ウェルの保護。

そのうえ八紘を連れ出すというのは、然しもの緒川一人では困難ではないだろうか。

 

「いえ、ぼくは未来さんたちの救助がありましたから。それにあの時、既に翼さんのお父上は、別経路から脱出を試みていたんです。だから止むを得ず、緒川家の――中でも、風鳴の家から息のかかっていない者に頼む必要があったんです」

 

 確かに、謀略の只中にあって、敵方から息が掛かっているような者を頼れるはずもない。

そんなものは自殺行為だ。と、切歌や調にも分かる事である。

だとすれば、一体その相手とは何者なのか。

 

「それが緒川 捨犬。僕の弟、緒川家の末弟でした」

「待ってください緒川さん、確かその方は――」

 

 その名前は翼にも聞き覚えがあった。

以前、何かの折に緒川自身から聞かされた話である。

たしか、一切の奥義を継承しない代わりに緒川家とは関わりを断って自由に生きているはずではなかったろうか?

だとすれば、一般人にも等しい人物を救援へと差し向けたというのだろうか。

 

「えぇ、表向きは緒川家の奥義、その一切を継承していないことになっています。けどね、翼さん。彼は幼い頃から僕らの鍛練をこっそりと眺めて育っていました。その結果、実は見様見真似でその技前の多くを、自己流ではありますが体得しているんです。だからこそ、技前は有っても顔話知られていない彼が、今回の救援には打ってつけだったというわけです」

 

 そういうことであれば、確かに正式には継承していないのだろう。

しかしそんな屁理屈が通るものなのかと、思わず翼は唖然とする。

それゆえに助けられたのだ。と、そう言われてしまえば返す言葉も無いのだが。

 

「それで、その弟さんの話が、ホストクラブへ行くこととどうつながるわけ?」

 

 二人にしか分からぬ人物の話に、半ば焦れたように、呆れたように、マリアは割って入るように緒川へと問う。

内輪だけに通じる話で盛り上がられることほど、他の人間にとってつまらないこともないだろう。

そんなマリアの気分を察してか、緒川は早々に結論を告げる。

 

「彼は歌舞伎町のホストクラブに勤めていまして、今回の交換条件として提示されたのが、翼さんに店で指名してもらうことだったんです……状況が状況だったので翼さんに確認が取れなかったんですが……」

「わたしはそんな話聞いていませんし、了承もしていません」

 

 爽やかに言う緒川に対し、翼は思わずむくれながらとげとげしく答えた。

その身に危険が迫っていたとして、事が急を要していたとして、だからと言って、大事な娘に断りもなく、ホストクラブへと差し向ける約束を勝手に取り付けるなど、どういう了見なのだ。と、翼はただただ憤慨しているようだ。

 

「でも、何故ホストクラブに?」

「何でも……売り上げに伸び悩んでいるらしく、トップアーティストが指名してくれれば箔が付くんじゃないかということだそうです」

 

 マリアの問いに対して、答えは呆れるほどに下らない理由であった。

緒川自身、その部分に関しては、弟のことながら呆れているらしく、思わず苦笑いを浮かべていた。

 

「まぁ、ホストクラブへ行くだけでパパさんが助かったんだから安いものじゃない」

 

――と、マリアは翼を宥めるが、翼は顔を真っ赤にして「そういう問題では無いッ!」と声を荒げるのであった。

 

 

 

「彼奴等がこちらへ向かっておる。迎え撃つ準備をせよ」

 

 訃堂が訪れる頃、薄暗い部屋の中で、響は既に目を覚ましていた。

しばらく歌い続けていた疲れによるものだろうか、それでも既に、時刻は疾うに正午を回っていたらしい。

小さく「はい」とだけ答えて頷くと、訃堂はそれ以上何も言わずに、部屋を後にする。

 響は、握りしめた己の拳を見据え、静かに息を吐いた。

その拳に震えはない――迷いも。

守りたいもののために、振るうと決めたのだ。

胸元のペンダントをぎゅっと握ると、衣服を着替え、響は部屋を後にする。

 

「いってくるね……未来」

 

 そうとだけ、ぽつりとこぼして。

 

 

 

 

 街道沿いの道を、いつかのように、再び車とバイクが疾走する。

しかし、その行く手を、ノイズが阻むことは無かった。

 

「警戒が薄い……いや、招かれているのか?」

 

 翼は怪訝そうな面持ちで、その状況の分析に努める。

向かう先は旧風鳴邸。

訃堂の、悪意に満ち満ちた伏魔殿である。

ノイズの出迎えが無いことも、何か理由があってのことだろう。

罠だとも考えられる。

しかし――

 

「だとしても、行かなくてはね」

 

 苦虫を噛み潰したようしたような顔で、マリアは呟く。

辿り着けば、必ず響とまた、対峙しなければならないだろう。

響が未来に気付けば、戦いを避けられるだろうか。

あるいは、八紘の言葉が正しければ、それでも響は自らの意思で、戦う事を選択するかもしれない。

そうなった時、今度こそ自分は、響と拳を交えることが出来るだろうか。

向き合って戦う事が出来るだろうか。

答えの無い自問自答に思案を巡らせるのは、マリア一人では無い。

誰もが言葉も無く、向かう先を見据えている。

皆、きっと同じなのだろう。

 

やがて、一同を乗せた車は、何事も無く旧風鳴邸の敷地内へと到着した。

その、大きく開け放たれた前庭に、二人分の人影が見える。

それはまごうことなき、訃堂――そして、響の二人であった。

 

「行くぞ、皆」

 

翼の言葉を合図に、緒川を残した全員が車から降り、二人へと対峙した。

安全圏へと退避する緒川の車を見送って、一同は睨み合う。

そこには束の間の静寂が広がっていた。

遠く、海鳥が鳴いている。

風が時折、木々を揺らしさざめきを立てる。

永遠に続くかと思われた、言葉無き対峙は、しかし響の声によって破られることとなった。

 

「……未来?」

 

響は、驚きに満ちた表情で、声を振り絞るように、その名を呼んだ。

向き合った装者たちの中に見つけたその姿を、見間違えるはずなど無い。

決して見間違えたりなどするものか。

未来は微笑み、頷くと、応えるようにしてその名を呼ぶ。

 

「響」

 

二人は今再び、向かい合う。

夢の中では無い、たしかなこの、現実の中で。

 

「言ったでしょ、必ず会いに行くって」

 

そう未来は、微笑みかける。

ようやく――ようやく本当の響と、こうしてまた向かい合って話せることが嬉しかった。

冷たく張り詰めた響の表情が、ふと、崩れる。

大粒の涙が瞳からこぼれ、頬を伝っては、その足元を濡らして行く。

 

「良かった……未来、良かった」

 

嗚咽交じりに、振り絞るように声を上げる。

何故無事だったのかなど分からない。

どうして生きているのか――生きていてくれたのかなど、分かりはしない。

けれど、今こうして、生きて、そこに存在してくれる事が、何よりも嬉しくて、嬉しくて。

そんな響に背を向けて、訃堂は何も言わずに建物へと向かっていく。

 

「訃堂ッ! 何処へ行く!」

 

その背中へと、忿怒を露わに翼は吼えていた。

最早同じ血を引く身内などとは、微塵も思いはしない。

討ち果たすべき外道そのものとして、翼は訃堂を見据えていた。

しかし、訃堂はその言葉に足を止めるが、何も答えない。

ただ響に「務めを果たせ」とだけ告げると、そのまま建物へと姿を消す。

 

「待てッ!」

 

翼は咄嗟にその背中を追う――が、それを遮るかのように、立ちはだかるようにして、響は、泣きながらに拳を構えていた。

 

「おまえ……何やってんだこのバカッ! もうあたしらがやり合う理由なんざ無ぇだろッ!」

「そうデスよ! 何で戦わなくちゃ行けないんデスかッ!」

 

響は何も答えずに、ただその涙を片手で拭う。

それでも、拭っても拭っても、堰を切ったように溢れ出した涙は、一向に止まってくれそうにない。

 

「あなたを縛るものなど、もう何も無いはず……なのに何故?」

「理由を話せッ! 立花!」

 

マリアと翼の問いに、少し迷いながらも真っ直ぐな眼差しを向けると、響はただ一言――

 

「守りたいものが、あるんです」

 

――とだけ、静かに答えた。

これまでも聞いてきたその言葉は、一体何を指していると言うのか。

 

「守りたい……もの?」

 

調の問いに、こくりと頷く。

 

「響の守りたいものって、何? ちゃんと話してくれれば、わたしたちも一緒に――」

「駄目だよ、未来」

 

一緒に手を取り合う事を――未来の言葉を響は拒絶する。

その顔に浮かぶ笑顔が、少しだけ悲しそうに翳っている。

 

「わたしは、みんなを傷付けた……師匠だってこの手で……だから、わたしはもう、みんなと手を取り合う資格なんて無いんだ」

 

そう言うと、響は真っ直ぐな瞳を、拳を、未来たちへと向け、聖詠を紡いでいく。

 

「Balwisyall Nescell gungnir toron……」

 

鮮烈な、太陽にも似た輝きを経て、響はその身にガングニールのギアを纏う。

依然として黒に染まったギアは、しかし以前のような禍々しさは感じられない。

あの悍ましい『牙』もまた、破壊衝動や憎悪と共に、今は失われているようだ。

 

「そんな事ない……資格だなんて、誰もそんな風に思ってなんか無いよ、響」

 

本心でそう伝える未来に、それでも響は拳を下げてくれそうには無い。

ただただ、首を横に振って応えるだけであった。

 

「どうやら今は――」

「口で言っても無駄みたいだな!」

 

翼とクリスが、天羽々斬とイチイバルのペンダントを取り出し、聖詠を紡ぐ。

 

「Imyuteus amenohabakiri tron……」

「Killiter Ichaival tron……」

 

マリアは振り返り、調と切歌へ視線を走らせると、三人は互いに小さく頷いて、胸元からペンダントを取り出した。

 

「行くわよ、調! 切歌!」

「うん……マリア! 切ちゃん!」

「分からず屋にはお仕置きデース!」

 

マリアも、調と切歌も翼たちに続いて聖詠を紡ぐ。

 

「Seilien coffin airget-lamh tron……」

「Various shul shagana tron……」

「Zeios igalima raizen tron……」

 

そして、未来もまた、神獣鏡のペンダントを掲げ、聖詠を紡いでいく。

 

「Rei shen shou jing rei zizzl……」

 

極彩色の輝きと共に、清廉な――太陽よりも眩い輝きに包まれ、未来はその身に神獣鏡のギアを纏う。

それはまさに、あの夢で見た光景の再現であった。

 

「未来……」

「響……」

 

今再び、少女たちは対峙する。

夢の中では無く、この現実の世界の中で。

七色の輝きと七つの歌。

それらは互いに交わり、やがて一つに紡がれていく。

その先に産み落とされるのは、希望か――絶望か。

 




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第十一話  旧世界の火

遥かな海上――宵闇の東の空に、陽が灯る。
赤く、朱く、眩いそれは、万象に灯されし晩照の輝き。
絶望を希望へ――そしてまた、絶望へと塗り替えながら、少女たちの運命は流転する。


 黄昏色に染まり始めた空。

傾き始めた陽の光に、眩く煌めく海岸線。

車一台通らない静かな街道沿いの道。

そして――それらを一望する小高い丘の上。

旧風鳴邸の前庭にて、装者七人は互いの想いを胸に、向かい合う。

 ただただ風の音だけが、その静寂を彩っていた。

 

「あの禍々しいオーラは見られないが……皆、油断するな」

 

 天羽々斬の、その切っ先を真っ直ぐに響へと向け、翼は僅かに体勢を低く落としながらそう呼びかける。

響の背後には、今あの『牙』の姿は無い。それでも、その強い覚悟の前に何度も敗れてきたのだ。

油断など出来ようはずもない。

握り直した柄が――刀身が、僅かに音を立てる。

 

「そうね……そう何度も敗れるわけにはいかないわ」

 

 マリアもまた、銀色に鈍く煌めく短剣を構え、響の出方を見る。

十メートル以上はあろうこの距離であっても、パワージャッキによる瞬発力は、瞬きの間にこの距離すら詰めて見せるだろう。

僅かな隙さえ見せるわけにはいかない。

 

「先輩の威厳ってものを見せてやらなくっちゃな」

 

 イチイバルのアームドギアを弓の形へと形成し、クリスは引き鉄へと指をかける。

自分の意思で戦っていると分かった以上、ならばこちらも自らの意思で、それを打倒する覚悟を持って臨まなければならない。いや、そうしなければ対等に渡り合えない事は、先の戦いで身を以て学んでいる。

 迷う事などは、もう有りはしない。

 

「わたしたちにだって後輩の意地がある」

 

 戦いを望む気持ちは無い。けれど、それでも打倒しなければ言葉すら聞き入れてもらえないのなら、負けるわけにはいかない。

――響さんに打ち勝って、そしてちゃんと言葉を交わすんだ。と、その眼差しに強い意思を宿し、シュルシャガナのヨーヨーを手に、調は響へと向かい合う。

 

「いつまでも舐められっぱなしではいられないデスよ」

 

 切歌もまた、調の意思を――想いを言外に察したように、続く言葉を繋ぐと、調と背中を合わせるイガリマをその手に構えを取った。

響が真っ直ぐに駆けて来るのであれば、ブースターで加速したその鎌にて横薙ぎに迎え撃つことが出来るように。

 

「一緒に帰ろう……響」

 

 戦うよりも、戦わずに言葉を交わしたいと、分かり合いたいと、そう願い、未来はその手を差し伸べる。

ようやく再会できたその喜びを、分かち合うことを望みながら。

しかしそれでも、響はその首を横へと振り、拒絶を示す。

 

「駄目だよ、帰れない……わたしはもう、この方法しか選べないんだ」

 

 拭いきれぬ涙で頬を濡らし、それでも笑顔を作りながら、震える唇で噛みしめるようにそう答えると、再び拳を構え直す。

――汚れてしまったわたしの手で、大切な陽だまりを汚すわけにはいかない。と、本当は手を取りたい気持ちを押し殺すように。

そして、握りしめ、押し隠すように。

 

「だから、わたし――戦うよ」

 

 翳した拳には震えは無い。

ただ、貫くべき意思と、守るべきもの。

そして手にするべき力のために、響はその拳を握る。

 

「だったらわたしは……わたしたちはそれを止めてみせる」

 

――あの日、道を誤ったわたしを響が止めてくれたように、今度はわたしが響を止めるんだ。と、強い決意を胸に未来もまた、応えるようにしてアームドギアを眼前に構え、そして響と向かい合う。

 長く伸びた影と、冷たい風。

傾いた夕日に照らされて向かい合う二人は、正にあの夢の再現のようであった。

 

 

胎動

 

 

 束の間の沈黙。

言葉無き対峙と、交錯する意思。

ごう。と吹き抜ける風の音に、永遠に続くかと思われたその一瞬は終わりを告げる。

――刹那、響は地を蹴り、その間合いを一息に駆け抜けた。

 それを合図に、互いの口から――いや、全員の口から、歌が紡がれて行く。

悲愴な響の歌が――重ね合う六人の歌が、互いに打ち消しあうように。

あるいは、それらを交わし合うように。

強く、鮮烈な歌が、七つの声で紡がれていく。

戦場に満たされたフォニックゲインはその勢いを増し、それぞれのギアもまた、出力の飛躍的な増大を示すように、少女たちの力へと変わる。

 

「未来ーッ!」

「響ーッ!」

 

 響の咆哮に応えるようにして、未来もまた吼え、響へと間合いを詰める。

夢の中での対決と同じように――しかし、躊躇無く放たれた拳を、未来は咄嗟に扇の側面で受けると、すれ違いざまの空いた背中へと、鞭のようにしならせた腕部のユニットで強かに打ち付ける。

 それは、決して痛烈な打撃では無かったが、それでも体勢を崩した響は、一瞬未来を見失っていた。

 

「くあッ……!」

「クリスッ!」

 

 それと同時に飛び退さり、距離を取ると、未来はクリスへと叫ぶ。

クリスは待ち構えていたかのように、既にその矢の向かう先を響へと向けていた。

 

「言われなくたって!」

 

 未来へと振り返ろうとした響へ向けて、クリスは決意と覚悟を胸に引き鉄を引く――直後、鮮烈な朱い軌跡を描くように無数の矢が放たれ、逃げ場がないほどの物量にて、響へと迫っていく。

――逃げ場のない『面』での制圧、こいつを喰らって大人しくしやがれッ! と、尚も続け様に、響の逃げ道を塞ぐようにクリスは矢を放つ。

しかし咄嗟に跳躍した響は、その脚部のパワージャッキにより空気を蹴り込むようにして、僅かな隙間を縫うように、降り注ぐ矢の雨を躱すのであった。

 

「んのッ……ちょこまかとッ!」

 

 水平方向だけでは捉えきれないその機動に対応すべく、乱れ打つように射線を重ねていく――が、分散したそれらはかえってその隙を大きくさせ、響はジグザグな軌道で徐々にクリスとの距離を詰めていく。

未来もまた、背後からそれを牽制するように閃光を放つものの、その姿を捉えるまでには至らず、既に響はクリスの目前まで迫っていた。

 

「くそッ……寄るんじゃねぇッ!」

 

 クリスは咄嗟にイチイバルを銃の形へと変え、その連射力を以て牽制に掛かる。

しかし、無数に放たれた弾丸は、響の鼻先を幾つも掠めていくが、単調になったその射線は、かえって回避を容易にさせ、響は一息にその間合いを詰めていく。

――眼前一メートル。

それは最早、銃撃による牽制も、弓へと切り替えての制圧も望めない、クリスにとって絶望的な接近であった。

 

「はぁッ!」

「クリス先輩ッ!」

 

 拳の射程圏内にクリスを捉えた響が、その拳を今まさに放たんとしたその刹那――高く跳躍した調が、無数の小さな鋸を放ち、響の行く手を阻むように牽制していた。

鼻先を掠める様に放たれたそれらを、咄嗟に前方へと空気を蹴り込むようにして反動をつけると、響は辛うじて後ろへ跳んで回避する。

 しかし、そこには既にイガリマを携えた切歌が、すぐそばまで迫っていた。

 

「響さんッ!」

「くッ……」

 

 追い討ちをかけるように、イガリマの一閃が響目掛けて横薙ぎに放たれる。

咄嗟に上体を反らす様にその刃を躱すと、半ば打ち上げるような恰好で、響は切歌の横腹へと拳を叩きこんだ。

 切歌もまた、反射的に腕でそれを防いではいたものの、数メートルを弾き飛ばされて、苦痛に喘ぐ。

その隙にクリスは跳躍し、響から大きく距離を取っていた。

 

「悪ぃ、助かった!」

 

 然しものクリスとて、さすがに肝が冷えたのか、その顔に焦りを浮かべていた。

冷や汗が額を――頬を伝い、引き鉄にかかる指が僅かに震えている。

 クリスは再び遠距離からの射撃にて響を狙い撃つ。

その斜線と交差するように、未来も閃光を――そして調もまた、無数の鋸を放っては、響を追い詰めんとする。

 

「数が……くッ! このままじゃ……ッ!」

 

 飛び交う弾丸、そして鋸と閃光。

それら全てを躱し、いなし、そして防ぐには、あまりに手数が多すぎる。

――まずは、一人ずつ。と、判断した響は周囲の状況を把握しようと視線を走らせた。

しかし、それはかえって隙を作る事になり、躱しきれなかった弾丸が脚部のプロテクターを直撃してしまう。

 

「しまったッ!」

「その隙は見逃さないッ!」

 

 足元へ直撃したその弾丸の一発は、響の体勢を崩すには充分であった。

ダメージこそ軽微なものの、半ば無防備になった響の背中へと、回り込んでいたマリアのアガートラームが、鞭のような様相で襲いかかる。

 

「マリアさんッ!?」

「はぁッ!」

 

――金属音に似た音を立てて、鮮烈な火花が散る。

 響は、既のところでそれらを、手甲部分のパーツを滑らせるようにいなし、動きを止めるべく、掴みにかかる――が、それもまた、撃ち込まれた弾丸と閃光、そして鋸により妨げられ、止むを得ず距離を取ってやり過ごすのだった。

 激しい攻撃により、やがて周囲には激しい砂煙が舞う。

立ち上った砂煙は響の視界を奪い、それは僅かな隙を生じさせる。

 

「立花ァッ!」

 

――刹那、その砂煙を切り裂くようにして翼が姿を現した。

天羽々斬による一閃は、不意を突かれた響へと襲いかかり、辛うじてそれをガングニールの手甲部分で滑らせるようにいなすと、再び鮮烈な火花が散った。

反撃に響は翼の腹部へと掌底を放つ。

 

「ぐぅッ……まだだッ!」

 

 確かな手応え――しかし、咄嗟に放たれたれたそれは、踏み込みの甘さからか、翼を打倒するだけのダメージには至らず、翼は呻きながらも飛び退き様に千ノ落涙を放つ。

無数の短刀が響へと降りかかり、その影を貫かんとする。

 

「影縫いッ!? だけどやられるわけにはッ!」

 

『牙』無き今、それらを全て弾き落とす事は容易ではなかった。

まして、無数の短刀が相手では、それら全てを回し蹴りにて薙ぎ払う事は不可能だろう。

止むを得ず、後方へと大きく飛んだ響へと放たれた閃光が、夕闇の色に染まる暗い空を、咆哮とともに切り裂いていく。

 

「響―ッ!」

「逃すかよッ!」

 

――いや、それだけではない。

クリスの弾丸もまた、同時に響へと放たれていた。

交錯する閃光と弾丸。

そして迫る翼や切歌。そしてマリアの刃。

尽きる事の無い猛攻を、防ぎ、躱し、いなし。そして距離を取る。

 そうして漸くに戦況が停滞する頃、響の呼吸はひどく荒くなり、その動きも鋭さを失っていた。

パワージャッキによるインパクトハイクの多段使用は、攻撃の直撃こそ回避させたものの、しかし響の体力を著しく消耗させていたのであった。

 

「いい加減大人しくしてもらうデスよッ!」

 

 疲弊した響へと、切歌は肩のアンカーを射出する――と同時に、ブースターの加速にて一息に迫る。

既に消耗しきった響は、それらを迎え撃つ姿勢を取った。

 

「そんなもの……全部打ち落として――」

 

 既に、回避するだけの余力は無い。

真っ直ぐに迫り来るそれらを全て打ち落とす他に術はない。と判断し、響は拳を――その背後に、挟み込む形でマリアが迫ってきている事にも気付かずに、ただただ切歌へと向かい、拳を構える。

 

「取った!」

「ッ――!」

 

 勝利を確信し、思わずマリアは声をあげる――が、響はその声に反応したのか、反射的に身を屈め切歌のアンカーを躱すと同時に、マリアへと鋭い足払いを浴びせ掛ける。

その結果マリアは、思わぬ反撃に体勢を崩し、ブースターの出力も前回に迫りくる切歌と衝突してしまうのであった。

 

「ッ……身体がッ!?」

 

 すかさず他の装者たちへと警戒を巡らせようとした響は、その身体の硬直に気が付き戦慄する。

指先一つ動かすことすら出来ず、響は視線だけでその技の主を探る。

その人物は、視線の届かぬ範囲――響の背後より声を掛けた。

 

「捉えたぞ、立花」

 

 夕日に長く伸びた影、その中にぎらりと光る短刀が目に入る

切歌とマリアに挟み撃ちにされたその刹那。

警戒する響の意識の外より、ただ一本のみ放たれたそれは、見事に悟られること無くその影を射抜いていたのである。

一瞬の隙をついて放たれた『影縫い』は、今度こそ響の身体の自由を奪い、無力化に成功したのだった。

 

「くッ……」

 

 身じろぎ一つ出来ぬ完全なる拘束。

『牙』が失われた今、単身で抗う術を持っていない以上、戦闘の継続は不可能であった。

 当初の目的が未だ達せられていないことに、ただただ響きは呻きをあげる。

それでもまだ、可能性の全てが尽きているわけではない。

このまま日没を迎えることが出来れば、然しもの『影縫い』とて、縫い付けるべき影を見失い、その効果は失われるだろう。

――それまで何とか時間を稼がないと。と、響は考えを巡らせる。

物理的な拘束により連れ戻される事だけは、絶対に避けねばならないのだ。

 

「勝負あったわね」

 

 ようやくに切歌のアンカーから自由になり、腕をさするようにマリアはそう言った。

その声色に、僅かながら憤りが感じられるのは、みっともない敗北を喫してしまったことによるものだろうか。

 ふと、その周囲に視線を走らせると、気付けば六人全員が、既に響のそばまで集まってきていた。

 

「これ以上の戦いは無意味」

「そうデスよ」

 

 切歌と調も息を切らしながら、互いに支えあうようにして響へと声を掛ける。

切歌の片側の頬が少し赤くなっているのは、マリアと衝突した際のものだろうか。

いや、二人だけではない。

誰もが、その顔に濃い疲労の色を浮かべている。

 響の胸中に罪悪感が湧き上がる。

そうさせたのは、他でも無い。響自身なのだ。

 

「さーて、洗いざらい全部話してもらおうじゃねぇか」

「何ゆえ訃堂と行動を共にする。答えてもらうぞ立花」

 

 クリスと翼に詰め寄られ、それでも響は無言を貫く。

今は少しでも、打ち明けるのを先延ばしにしなければならない。

いざ、連れ戻してから聞き出そうとされた時にこそ、気を引くように話せば、それだけこの場を離されるまでの時間も稼げるだろう。

 そのためにも、今はまだ無言を貫かなければならない。そう、自分に言い聞かせるように、響は口を噤む。

 

「もう止めよう? 響」

 

 悲しそうなその声に――その言葉に、響は驚いた表情で声の主へと視線を向ける。

そこには他でも無い。今にも泣きだしそうな顔で響を見つめる未来が居た。

 こんな――凡そ争いといったものの似つかわしくない、大切なたった一人の陽だまりは、けれどその顔を涙と砂とで汚しながら、それでもただ響を心配するように、じっと――覗き込むようにして、響の顔を見つめる。

 

「この手は、そんな風に使うためのものじゃないはずだよ」

「未来……」

 

 温かな感触が、響の手を包む。

未来は優しく、その手を両手で包み、そっと微笑みかけるのであった。

 

 

 

 装者たちが戦いを始めてどれだけ経っただろうか。

訃堂はヴィマーナの間にて、 その動静を見守っていた。

依然、沈黙を続けるヴィマーナ内部――しかしふと、その全体が震え、淡い光が辺りを照らし始めていく。

撫で上げたシャフトのその内に、僅かな胎動を感じ、訃堂は満足げに口角を吊り上げる。それは歓喜か、あるいは狂喜と言うべきか。

未だ起動には至らぬまでも、高まりつつあるフォニックゲインは、ヴィマーナの根幹たるエネルギー炉心としての『それ』を、今まさに目覚めささんとしているのであった。

 

「覚醒の時は間も無く……ならば吾も、相応の準備をせねばならぬか」

 

 訃堂はその上半身を衣服からはだけさせると、歳の割に引き締まった右腕へと、LiNKERを押し当てる。

訃堂は固く目を閉じ、大きく息を吸い込む。

その眉間に浮かぶ皺は、嫌悪か――あるいは畏れか。

 やがてそれらの全てを吐き出すと、訃堂は目をかっと開き、一息に引き金を引いた。

その濁った薬剤は、僅かながらの粘性を見せながらも、訃堂の腕の中へと注入されていく。

 

「ぐッ……ぐうぅ……」

 

 全身を悶えさせながら、訃堂はその全量を射ち込んで行く。額に汗が浮かび、身体の至る所で筋肉が痙攣を起こしたように引きつっている。

自らの内から、その在り方が書き換えられていくような不快感を、自らを蝕む異質なるモノを拒もうとする自らの本心を、押し殺すようにして、同様に左腕へと射ち込んでいく。

――荒い呼吸。

滴る汗。

全身を覆う苦痛と脱力感。

老いよりも深く、苦痛による皺が刻まれたその顔に、それでも僅かばかりの安堵を覗かせて、ようやくに訃堂は己の両腕へと視線を落とした。

 その全てが体内に注入された今、両腕はすっかりどす黒く染まっていた。

ゆっくりとそれらが掲げられると、それは訃堂の意思に応えるようにして蠢き、その様相を変質させていく。

牙とも爪とも言えぬものを生やし、グロテスクに膨張するそれは、まごうことなきネフィリムの腕であった。

 

「不測の事態への備え……作らせておいて正解だったか」

 

 全身を汗で濡らしながらも、訃堂はぜぇぜぇと喘ぐように、忌々しげにそう吐き捨てる。

射ち込まれたそれは、ウェルに作らせた『ネフィリムの因子』を内包するLiNKERであった。

全てが目論見通り――とは、とても言い難い状況ではあるが、それでもヴィマーナを、そしてその聖遺物を使うための力を手にし、訃堂は笑みを浮かべる。

――と、時を同じくして、ヴィマーナの内部、そのシャフトへと取り込まれていた聖遺物は、高まったフォニックゲインにより起動可能な状況へと至り、眩いばかりの輝きを、虹色の明滅を起こし始めていた。

 

「ようやく目覚めるか……ならばその力を示せ」

 

 その腕を以てコンソールへと触れると、いくつかの鏡へと順に光が点る。

同時に、シャフト内部の聖遺物は一層輝きを増し、その船体全てへとエネルギーを伝播させてゆく。

 

「貴様にも役に立ってもらうぞ、木偶め」

 

 訃堂は、傍に立て掛けられたティキの残骸へと吐き捨てる。

それは、疾うに人格を喪失した形骸。

上半身のみ――それも以前よりもさらに損壊の進んだそれを訃堂は片腕で持ち上げると、残ったもう一方の腕をヴィマーナのコンソールへと伸ばす。

 ネフィリムの腕は、宛ら蠕動するかのようにティキの残骸を飲み込み、やがてそれは訃堂の体内を通すかのように、ヴィマーナへと取り込まれて行った。

 その様を満足げに見届けると、訃堂は鏡へと視線を走らせる。

そこには未だ、旧風鳴邸の前庭にて戦闘を続ける響たちの姿が映っていた。

 

「さあ、始めようではないか」

 

 その言葉に呼応するように、ヴィマーナはその全体を震わせるようにして、ゆっくりと浮上と変形を始める。

幾つかの鏡に文字らしきものが浮かび、アラートのような音がヴィマーナ内部に響き渡る。

やがて大きな衝撃と共に、それらは上方の建物を、そして周囲の岩盤を巻き上げるようにして、自らを覆う天蓋を突き破っていくのであった。

 

 

万象へと灯る晩照

 

 

「離して未来……わたしなんかの手を取っちゃ駄目だ」

 

 優しく包まれた手を拒絶するように、響はそれを振りほどこうとする――が、未だ夕陽に色濃く模られた影には、深く短刀が突き刺さり、その『影縫い』による拘束は、それを許してはくれなかった。

悲しそうな表情を浮かべる未来の目を直視することも出来ず、響は思わず目を逸らしていた。

その逸らした視線の先に、クリスの姿があった。

 

「ったく、世話の焼ける」

 

 未来の手の上から、そっと――片手だけを添えるようにして、クリスは同じように響の手を取る。

 

「クリスちゃん……」

 

 少しだけ気恥ずかしそうに、それでも真っ直ぐに見据えるクリスの眼差しに、響はまたも、目を逸らす。

 

「全くだ」

「本当、随分振り回されたわね」

 

 翼も、マリアも、呆れたように笑いながら、同じようにその上に手を重ねた。

 

「世話の焼ける先輩デスよ」

「わたしたちが付いててあげなきゃ」

 

 そして切歌も、調も――皆が優しく響の手を包んでいく。

 

「なんで……なんでみんな……」

 

――汚れてしまった。と、繋ぎ合う資格などもう無い。と、そう諦めていたはずだった。

なのに、手を包む暖かさが、心の奥に沁みていく。

閉ざそうとした心を、無理矢理にこじ開けていく。

――もう一度、みんなと手を繋ぎたい。と、胸の想いが、涙が溢れていく。

 

「例えおまえがこの手を振り払ったって、あたしらは何度だって繋ぎ直してやる」

 

 普段見せない、優しい笑顔の、クリスがそこに居いた。

その優しさに、胸が詰まる。

――その優しさを、わたしは裏切ったんだ。と、胸の内で自らを責めるように、言葉を絞り出していく。

 

「でも、わたしはみんなを傷付けた……沢山の人をこの手で……」

 

 自らの過ちを責めるように、その想いを吐露する響に、未来は首を横に振った。

その手に、少しだけ力が篭る。

 

「だったら、わたしも同じだよ。神獣鏡を初めて纏った時、わたしは沢山の人を巻き込んだ。わたしのほうが――」

 

 未来は、今も時折その時のことを思い出す。

神獣鏡のギア放たれた閃光によって、何隻もの軍艦が沈められた、あの時のことを、思い出す。

 彼らはただ、ウェルの――F.I.S.の凶行を止めるために任務に当たっていただけであった。

そこには確かに大勢の人々が乗っていたはずだ。

生きていたはずだ。

そして彼らにも、守るべきもがあっただろう。

帰りを待つ家族がいただろう。

 それを――その命を、全てを一瞬の閃光により摘み取ったのは、他ならぬ未来なのだ。

 

「それはッ……未来はあの時操られてたんだ、未来のせいじゃないッ!」

 

 それはダイレクトフィードバックにより、ウェルに操られての行動。

それは、未来自身の意思では無かったはずだ。

――だから、それは未来の責任なんかじゃない。と、響は未来の言葉を否定する。

 けれど、その言葉にも、未来は首を横に振って応える。

 

「だけど、わたしが自分の意思で、ギアを纏いたいと思ったの……ううん、そうでなかったとしても、それはわたしが背負うべき事なんだ」

 

 響の否定を、未来は否定する。

――見て見ぬ振りをしてはいけない、自分の犯した過ちなのだ。と、今にして思う。

 

「違う……違うよ、未来は――」

「じゃあよ……自分の意思でやったことが許されないってんなら、ソロモンの杖を起動しちまったあたしを、おまえは許せないって言うんだな」

 

 涙ながらに未来の言葉を否定しようとする響へと、追い討ちをかけるように言うのはクリスであった。

思い出したくも無い忌々しい記憶を、それでもクリスはなぞる様に思い出していく。

 戦いを、争いを――その火種を無くすために。そう信じてクリスは、自らの意思で『力を持つ者』を止めようと、世界から無くそうと、ソロモンの杖を起動したはずだった。

 しかし、結果としてそれは、争いを無くすどころか関係のない人々を巻き込み、大勢の命を奪う結果となった。

その後ウェルに奪われたそれは、より多くの人々の命を奪うことになったのだ。

 自らの意思で行ったことを問題だとするのなら、自分こそが、響にとって責められて然るべきだろう。と、内心にクリスは己を自嘲する。

 

「違うよクリスちゃん。わたし、そんな事……だって、クリスちゃんは争いを無くそうと、と思ってやったんでしょ? だから――」

 

――そんなつもりじゃなかった、そこに悪意はなかったんだから、クリスちゃんは悪くない。と、涙ながらに訴える響へと、マリアもまた声を掛ける。

 

「だとしたら、自分の意思でフロンティアを浮上させ、自分の意思で――大勢を苦しめると知りながら、それでも世界中を巻き込もうとした私こそ、許されるはずもないわね」

 

その顔には、僅かばかりではあるものの、少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かんでいた。

 

「マリアさん……」

 

大げさに肩を肩を竦めて「あーあ」と言って見せるマリアに、切歌と調もおどけたように同調しては――

 

「わたしたちもマリアと同じ」

「沢山の人を犠牲にしたデスよ」

 

――そう言って笑いかける。

 誰も、誰一人、響のことを責めてなどいない。と、誰もがそう訴える。

それでもなお、響はそれを聞き入れようとはせず、ただただ首を横に振る。

 否定する理由などはもう無かった。

ただ、自分で自分を許せないだけに過ぎないとは、自分でも分かっていた。

それでも、自分だけは許されてはいけない。と、心の内で自らに言い聞かせる自分が居た。

 

「誰しも、過ちを犯すもの……大切なのは、その先にどう生きていくか。ではないか」

 

『影縫い』を解き、微笑みかけるようにして翼は響へと声を掛ける。

 その優しい声に、いつか――まだ響が未熟であった頃、学校の屋上で語らった時の事を思い出す。

 

「翼さん……でもわたしは……」

「いい加減にしやがれッ!」

 

 それでもなお、自らを否定しようとする響の胸ぐらを掴んで声を荒げたのはクリスであった。

響へと向ける真剣な眼差しに――震える瞳に涙が浮かんでいる。

 その表情は、何処と無く悔しげですらあった。

いや、事実クリスは、響が自分たちに頼る事もせず一人傷ついたことが悔しくて、悲しくて、だからこそ憤っているのだろう。

 

「同じなんだよッ! おまえも、あたしらも。一人で特別になって、勝手に傷付いたりしてんじゃねぇッ……あたしらはそんなにも頼り無いのかよッ!」

「クリス……ちゃ……」

 

 強く――けれど、優しいその叱責するような言葉に、思わず口ごもってしまう。

――頼りないなんて思っていない。そう伝えたいのに、言葉にしたいのに、ただただ口をぱくぱくさせる。

もどかしくて、苦しくて、切なさくて、咽ぶように響は喘ぐ。

 ふと、クリスの手が解かれ、そっぽを向いたその頬は、今更ながらに照れくさくなったのか、目に見えて分かるほどに赤くなっていた。

 

「わたしたちに、前を向いてやり直すきっかけをくれたのは、あなたよ」

「マリアさん……」

 

 再びマリアがその手を取る。

その表情は、どこまでも優しかった。

 

「おまえがあたしらの手を取ったから、あたしらは今こうして居られるんだ。それを忘れんじゃねぇ」

「クリスちゃん……」

 

 そっぽを向いたままにクリスはそう吐き捨てる。

その背中を響は抱きしめていた。

 

「わッ……バカ、何やってんだよ、おまえはッ!」

 

 言葉にならない嗚咽を漏らしながらも縋り付くように抱きつく響に、クリスは思わず驚きの声を上げる。

それでも普段のように振り解くことはせず、クリスはれるがままに身を任せる。

 

「わたし、良いのかな……ここに居て、みんなと一緒に居て良いのかな」

 

 途切れ途切れの言葉を必死に――繋げていくように、響はそっと、こぼしていく。

呼吸さえ苦しいほどに、咽ぶ響の頰を――涙を、撫でるようにして拭いたのは、他ならぬ未来であった。

 

「わたしは、響が居てくれなきゃ嫌だよ」

「未来……」

 

 触れられた頰が熱くなる。

未来の――陽だまりの温かさに、胸の奥が熱くなっていく。

 

「わたしも、立花に居なくなってもらっては困る」

 

 いつもと変わらぬ様子で、それが当たり前だと言わんばかりに、翼は胸を張って響に笑いかける。

 

「居なくなったら寂しいデスよ」

 

 切歌もまた、翼の言葉にうんうんと頷きながらも、少しむくれたように、そう言っては頰を膨らませる。

 

「わたしも、響さんにまた料理を美味しいって食べてもらいたい」

 

 穏やかな笑みを浮かべて、いつかのバースデーパーティーのことを思い出しながら調もまた二人に賛同する。

 

「そうね、この子たちが寂しがるから、わたしも困るわ」

 

 マリアは、少しだけ澄ましたように、二人のためと言って笑う。

その様子が何だか強がっているようで、一同は思わず噴き出すと、それを見透かされたのが余程恥ずかしかったのか、マリアは顔を赤くして「なによ?」と声を荒げるのであった。

 

「あたしは……その、今更居なくなられても調子狂うんだよ」

 

 クリスもまた、背中を向けたまま、響へと声を掛けると、気恥ずかしそうに頭を掻いて見せる。

 

「みんな……ありがとう」

 

 胸のうちに溢れる温かさに、みんなの優しさに、言葉に詰まりそうになる。

それでも、どうしても伝えたくて、絞り出すように、吐き出すように、響は胸の想いを言葉にしていく。

 

「わたしも――」

 

――そう、口にした刹那。

 轟音が、大きな振動が、一同を襲う。

雷鳴にも似た地鳴りの音が辺りに響き、地震どころではない激しい揺れの中、地面が激しく脈動し、せり上がっていく。

 

「一体何が起こったと言うの!?」

 

 一同が距離を取り、安全圏へと逃れて間も無く、マリアが上げた驚嘆の声に応えるかのように、敷地内の地面が割れるように噴き上がっていく。

大勢の悲鳴と共に、やがて『それ』は姿を現した。

 

「見るデスよ!」

「地面の中から何か……」

 

 切歌と調が揃って上げた声に、皆『それ』へと視線を注ぐ。

『それ』は、巨大な翼を取り付けた、優に五十メートルは越えるような――宛ら鉄の鳥のような姿をした、巨大な舟であった。。

旧風鳴邸を半ば突き破るようにして、地中より現れた『それ』は、旧風鳴邸を破壊し尽くしてなお、上昇を続けていく。

 そうしてやがて百メートル以上の高みへ至ると、ようやくに静止した。

その周囲には、重力場の異常により共に巻き上げられた岩盤がいくつも浮遊し、事の異常さを窺わせるには充分であった。

 

「なん……なんだよ、ありゃあ……」

 

 クリスは、愕然として、呻くように呟いた。

その脳裏に、かつて海上へと浮上したフロンティアの記憶が過ぎる。

あの時、もしも海上に残っていたとすれば、同じような光景を目にしていたのだろうか。

 

「まさか、ヴィマーナ……?」

「あれが? しかし我々が目にしたデータとは姿が全くの別物……どういう事だ」

 

 翼の問いに、少しだけ逡巡を見せる響だったが、やがて己の中で答えを見つけたように、その考えを言葉にしていく。

 

「わたしの知っているヴィマーナは、起動していない休眠状態でした。もしかしたらあの姿こそが起動を成功させた――」

「――ヴィマーナ本来の姿。というわけか」

 

 響の憶測に、翼は苦々しげに呻くと、響もまた頷いて応える。

姿形こそ違えど、つい昨日までそれを起動するために歌い続けたのだ。

そして、フォニックゲインの不足こそが起動に至らない原因だと考え、響は――訃堂は、翼たちの訪れを待っていたのである。

今、このタイミングで、事態を大きく変え得るとすれば、それはあのヴィマーナ以外に無いだろう。

 

「迫り来るアヌンナキの脅威に抗うために……人々を――世界を守るために必要な力だと……だからわたしは……」

「アヌンナキですって?」

 

 その言葉にマリアは思わず耳を疑った。

同じようにして調と切歌もまた、驚いたように声を上げる。

 

「アヌンナキ……?」

「確かアダムが言っていたデスよ!」

 

――そう、あの戦いの最中、アダムは確かに言っていた。

カストディアンの降臨は間も無くだと。

そして、それを超えるだけの力を手に入れるために、神の力を求めたのだと。

 

「だったとして、何故わたしたちに協力を求めなかったの?」

「ましてや人質を取るような真似を……どういうつもりだ風鳴 訃堂」

 

 一同の胸中には疑念ばかりが浮かんでいく。

装者たちを協力させるでもなく、争い合わせた理由とは何だったのか。

人類守護のための力だとするのなら、何故手を取り合おうとしなかったのか。

ましてや、人質を取るような真似をしてまで、響を己が手駒としたのは、何故なのか。

 その問いに、疑念に応えるかの如く、辺り一面にこだまするかの様な声が――訃堂の声が響いた。

 

「協力? 果敢なき者どもが……己が為すべきことも見失い、守るべきものを履き違えた者どもと手を組めと? 笑止! この力、正しく行使する者があるとすれば、吾を於いて他に無いわ!」

「この声は……訃堂!? 一体何処から!」

 

 突如空より響いた訃堂の声に、一同は周囲を見回す――が、その声の主を見つけることを見つける事は叶わなかった。

だとすれば――と、上空へと視線を走らせたマリアは、その光景に思わず声をあげる。

 

「あれは……ッ!」

 

 その声に、一同は揃って視線を空へと向ける。

見上げる装者たちの視界の先――遥か上空のヴィマーナに、船首像のようなものが聳えていた。

 

「あれはまさか……ディバインウェポン!?」

「ぶっ壊れたはずじゃ無かったのかよ!」

 

 マリアと、そしてクリスの言葉が示す通り、それはまごうことなきディバインウェポンであった。

アダムとの戦いの最中、ティキを中心に神の力を纏いしその姿――しかしそれは、装者たちの目の前で、徐々にその姿を変貌させる。

蠢くように、宛ら一つの生き物のように蠕動し、無機的な外観だったそれらは、やがて人の肉に似た質感を持ち、そして装者たちにとっては見覚えのある人物を模っていく。

 

「まさか……」

 

 未来の表情が凍りつく。

その顔には、つい先日まで見覚えがあった。

いや――未来だけではない。

その場に居る誰もが、その異様な光景に言葉を失い、唖然としていた。

 

「まさか……訃堂かッ!」

 

 翼の言葉に応えるように、それはにやりと唇の部分を歪めて、足元の装者たちを一瞥する。

それは当然生身ではなかった。

ネフィリムの因子をその両腕へと取り込み、ティキと――そしてヴィマーナそのものをも取り込んで同化した訃堂の、仮初めの肉体であった。

 その右手には雷撃を放つヴァジュラが。

そして左手には、金色に輝く一振りの杖――いや、槍が握られていた。

 

「まずはその力、確かめさせてもらおうではないか」

 

 訃堂はおもむろに、海の向こう――既に陽が沈み、宵闇の訪れを示す薄暗がりの遥か先へと、その槍の穂先を向けるようにして掲げた。

その先端へと徐々に光が宿されていく。

 

「一体……何を……」

 

 響の顔に絶望が浮かぶ。

守るための力だと知らされたはずのそれは、今、どこへ向けられているというのか。

その力を以て、訃堂は今、何をしようとしているのか。

響の問いに応えるかのように、訃堂はその口角を吊り上げる。

――それは明確なる悪意。

破壊の意思。

今、訃堂はその力を装者たちへと、そして世界へと示さんと、収束させていた。

やがて、その穂先へと目も眩むほどの禍々しい輝きが宿っていく。

 

「刮目せよ! これが――これこそが、旧世界を焼き尽くした炎だ!」

 

 その言葉を引き金に、その輝きは一筋の光となって太平洋の彼方へと放たれた。

――刹那、東の海上に、水平線に、明るい陽が灯る。

夕暮れよりも赤く、朱く、眩い陽が灯る。

 いや、それは太陽ではない。

宵闇を焦がし、空を焼く、狂気の炎であった。

全ての命を焼き尽くし、塵の一片すら残さず滅ぼすほどの、圧倒的な力を持つ破壊の炎であった。

間も無くして海岸線へと――装者たちの立つその場所へと、肌を焦がすような熱波が。そして、激しい衝撃が訪れる。

噴き上げられた海水は、多量の、湯のような雨で以て地表を叩き、この国そのものを飲み込まんとするかのような高い波が一体へと打ち寄せる。

 それらは、遥かな市街をも、この国そのものをも――いや、今や太平洋に面する国や街の全てをも、死と恐怖によって飲み込まんとしているのだろう。

 

「あ……あぁ……」

 

 その、絶望を焼き付けたような光景に、響は膝から崩れ落ちると、小さな呻きを上げる。

守るための力だと信じていた。

救うために使われると信じていた。

そのための正義を、この手には握りしめていたはずだった。

大切な人たちを傷付けてでも、その力のために拳を握ったはずだった。

 しかし今、その力は、圧倒的な破壊力を以て、世界に絶望をもたらさんと振るわれていく。

信じた正義が、人々を、殺していく。

絶望だけが、響の胸の内に広がっていた。

 

「くっくく……そうだ。この力こそ、神すらも恐れるこの力こそ、吾の求めた防人の――巫女の力よ!」

 

 ヴィマーナの中、訃堂は一人高笑いをしていた。

その力こそ、先の大戦時に訃堂が求め、ついぞ手の届かなかったものであった。

 それは今、半世紀以上を経てこの手に握られている。

かつて、古き聖典に記されたそれは、今再び世界に――この手の中に顕現したのだ。

神すらも恐れ、禁忌とした絶対的な力。

あらゆるもの焼き付くす力――それは遥かな太古に『アグネーヤ』と呼ばれた力であった。




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第十二話  ASH

それは、終局へと到る流転。
原初への回帰。
希望は既に灰燼と帰した。
それでも少女は歌を歌う。
キセキを重ねた祈りの歌を――


 遥か東の海上を――その宵闇を焼く、禍々しい晩照は、旧風鳴邸へ向かい航行していた本部のモニタでも映し出されていた。 

誰もがその光景を、圧倒的な破壊の様を、固唾を呑んで見守り、そして戦慄する。

ある者は、言葉も無く愕然として。

またある者は、頭を抱える様にして、ただ祈るように。

 為す術もなく、ただただ打ち拉がれる職員たちの中、それでも藤尭は、現状把握に努め、先んじて動いていた。

 

「衝撃波の到達予想時間……出ましたッ! およそ二十分ですッ!」

「急ぎ、針路を爆心点へ向けて取れ! 隔壁は全て封鎖! 総員メインブロックへと退避せよ!」

 

 藤尭の報告を受け、八紘は即座に指示を飛ばすと、モニタに映し出される映像や情報へと視線を走らせる。

既に別地点からの映像には、まるで海の色を白く塗り替えるかのような衝撃波の痕跡が、瞬く間にこの国へ向けて広がっている様が捉えられていた。

今この艦へと――この国へと迫り来る危難は余りに大きく、然しもの八紘とて、冷静でいる事は困難であった。

 艦内に居る全職員は騒然としながらも、的確にその指示へと従い、迫り来るその猛威を乗り切るべく、艦の向かう先を爆心点へと向け回頭する。

あれほどの恐ろしい破壊をもたらした力である。その威力によって引き起こされる激しい衝撃波は――そして、それにより生み出される高波は、果たして如何程のものになろうか。

もしもそれらが横腹へ直撃すれば、最新鋭の技術を誇るこの艦とて、無事ではいられまい。

そしてそれは、もう間もなく訪れるのだ。

 本部全体に緊急のアラートが鳴り響く中、艦は海岸線から徐々に遠ざかって行く。

 

「皆さん……」

 

 エルフナインは、無意識にその両の手を――指を組み、装者たちの無事を祈っていた。

いや――誰もが皆、ただ祈り、その無事を願う事しか出来はしないのだ。

 やがてその艦の周囲一帯を、打ち付けるような衝撃波と、天を衝かんばかりの波濤が、飲み込んで行く。

S.O.N.G.の本艦そのものを。

そこに居る人々を。

そしてその、祈りの何もかもを――

 

 

祈りの歌

 

 

 大きな事変の起こる前、その前兆とも言うべき静寂を『嵐の前の静けさ』と呼ぶのなら、事が終わった後の、絶望によってもたらされる沈黙は――その静寂は、なんと呼ぶのが相応しいのだろうか。

為す術も無く、茫然と立ち尽くす装者たちは、何一つ――ただの何一つ、言葉を発する事も出来ずに、破壊されゆく世界の様を見つめていた。

 遥かな海岸線の、その向こうへと、白と黒を入り混ぜたような煙が上がる。

あちこちに朱やオレンジの火が灯り、大きな火の手が上るのを示している。

破壊の限りを尽くされ、押詰められた瓦礫が重ねられ、浮かび、そしてまた、そのいくつかが崩れ落ちて行く。

 今そこではまさに、大勢の人々が苦しみ、嘆き、恐怖と絶望に泣き叫んで居るのだろう。

捥がく様に――縋る様に伸ばしたであろう、救いを求める手と共に、希望を信じた心までも、そして明日を夢見た想いまでも、それら全てを手折られて、その全ての命は息絶え行くのだろう。

海沿いの市街を飲み込んだその波は、そこに面した数々のシェルターをも水没させ、そこに閉ざされた命の何一つをも残さずに、全て摘み取っていくのだろう。

 

「呆気ないものだな、人の命と言うものは」

 

 その声に、響を除いた全員が、はっとして顔を上げる。

一同の視界――その遥か上空には、依然としてヴィマーナが、そしてその船首から、半ば生えるかのように姿を現した訃堂が、一同を見下ろしていた。

今やその顔には憐憫にも似た色が浮かんでいる。

 響だけが、未だそれを見上げる事も出来ずに、膝をつき、茫然自失としていた。

既に、訃堂の左手に握られた槍からは、輝きが失われて久しい――が、その周囲に残留する高密度の熱量は、朱く灼けたその穂先を朧げに揺らしている。

 

「翼……見るがいい。これが貴様の――貴様らの守ろうとした『人』の儚さよ」

 

 訃堂は小さなため息を一つ吐くと、蔑んだような眼差しで、翼へとそう吐き捨てた。

その声色には、憐れみさえ宿って聞こえる――が、それは尚更翼の胸の内を焼き焦がし、憤怒を煮えたぎらせるのであった。

 

「これが……こんなものが『国を守る力』だとでも言うのかッ!」

 

 翼は思わず目を見開き、胸の内も湧き上がる憤怒を抑えきれぬように訃堂へと吼える。

――この破壊をもたらしたのは貴様ではないか。と、その瞳を怒りに燃やしながら。

そして、握りしめた天羽々斬の――その震える切っ先が訃堂の眉間へと向けられる。

しかし、そうしてぶつけられた翼の言葉に、かえって訃堂は深くため息を吐き、あからさまな落胆を見せる。

 

「はかなきかな……絶対的な――神すらも凌駕し、恐させ、それ故に禁忌とされたこの力を以てすれば、いかなる夷狄をも打ち払う事が出来るとまだ分からんか」

「打ち払う……?その力、守るために使うって……だからわたしは、それを信じて……」

 

 冷ややかに言い放つ訃堂の言葉を聞いた響はようやくに顔を上げ、辿々しくも、言葉を探る様に問うた。

その顔色は血の気を失い、瞳は絶望に揺れる。

動揺に声が――全身が震える。

 訃堂は響の様子を一瞥すると、残虐さを滲ませるかのように歪んだ笑みを浮かべ、「そうとも」とだけ答えた。

その視線をふと月へ――今まさに、満ちて行かんとするその月へと向け、睨め付けるように訃堂は言葉を続ける。

 

「彼奴等から……アヌンナキからこの国を守護せしめる事こそ、真の防人たる吾の役目よ……」

 

 そう告げた訃堂の目が、すっと細くなる。

そこには既に、先ほどまでの笑みなどは無く、ただただ憎悪だけが浮かんでいた。

 

「だが、その前に――」

 

 左腕が――握られた槍の穂先が、先ほどよりも高く、遠く、再び遥かな東の海上へ――その更に向こうへと向けられる。

ヴィマーナもまた、訃堂の言葉に呼応するかのように、さらなる高みへと上昇を始めていた。

 

「かつてこの国が受けた汚辱は、今ここで――全力の一撃を以て濯がせてもらおうではないか」

「まさか……その力で先の大戦の報復を行うと言うのかッ!」

 

 訃堂の言葉に翼は戦慄する。

先の敗戦の屈辱を払うために、そのあまりに強大な力を今、米国へと向けようというのだろうか。

既にその穂先には、僅かながらではあるものの、禍々しい光が宿り始めている。

先ほど放たれたあの威力が、まだ全力では無かったとするならば、これから訃堂が放たんとしている一撃は、どれほどの破壊と殺戮を、その槍で以て世界へともたらすというのか。

 

「わたしの、せいだ……」

 

 ゆらり、と響は立ち上がる。

その瞳を絶望に揺らしながら。

その拳を、力なく握るようにして。

ゆっくりとその一歩を踏み出していく。

 

「わたしが……わたしがあんなものを目覚めさせたから……」

 

 引きずるような足取りで、響はヴィマーナの方へと歩んでいく。

宛ら亡者のような姿を見せるその背中へ、未来は静止するように手を伸ばす――が、僅かに触れたその指先は、しかし駆け出した響を止めることは叶わず、空気を掴んだ未来の手だけを置き去りにして、響は一息に、空へと飛び出していた。

 

「響……待って!」

 

 未来のあげた声にも振り返らず、響は数百メートルの高さを一人、駆け上がっていく。

先ほどまでの消耗すら忘れたかのように、ヴィマーナの重力場に巻き上げられて浮遊したままの岩盤や、いくつもの瓦礫を足掛かりにして、そのパワージャッキによる加速を以て、響はヴィマーナへと迫っていく。

 

「響ーッ!」

 

 悲痛な叫びを上げながら、未来はその飛行能力を以て響を追う。

クリスと翼の二人が、そしてマリアと調、切歌の三人もまた、その後を追うようにして、浮遊した岩盤を駆け上がっていく。

唯一未来だけはその飛行機能を持って、急速に響の元へと距離を縮めていくが、それでも先んじて飛び出した響の背中はあまりに遠い。

残る五人に至っては、響との差は広がる一方であった。

 

「ふん、再装填にはやはり時間を要するか……」

 

 訃堂は苛立ちを隠しきれず、呻くようにして歯噛みする。

いかに世界を焼き滅ぼすほどの火力とはいえ、その力を、禍々しい破壊の光を集束させるのは容易ではない。

放つ力が大きければ大きいほど、その力を溜めるには、必然、より長い時間を必要となるようだ。

 苛立つ訃堂の視界にふと、響の姿が映る。

そうして、同様に足元から駆け上がった来た装者たちの姿に気が付くと、訃堂は小さく舌打ちをした。

掲げた槍はそのままに、右手のヴァジュラを響たちへと向けて、小さな稲妻を纏わせていく。

 

「人の身でこの――神の座に手を掛けようと言うのか……果敢なき者共がッ!」

 

 訃堂の発した怒号に応じるが如く、ヴィマーナの周囲へと帯電した空気が広がる。

ヴァジュラを中心に放たれたそれは、自身をぐるりと取り巻くように、周囲へと青白い舌を這わせながら、急速にその密度を増していった。

それは宛ら雷の龍の如く、夜空を駆けまわる。

 

「神の雷に灼かれるが良いッ!」

「いけないッ! みんな離れてッ!」

 

 マリアが促すが早いか、その拳から――そこに握られたヴァジュラから、激しい極大の雷が放たれた。

耳を劈く轟音のような咆哮を上げ、巨木の如く枝分かれたそれらは、もつれあうように、そしてまた弾かれ合うように、装者たちへと襲い掛かっていく。

 マリアを始めとした五人は、そして未来を含めた六人は、咄嗟に飛び退ってその直撃を躱す――が、訃堂のすぐ足元まで至っていた響だけは、躱すことも防ぐことも叶わず、雷撃の直撃を受けてしまう。

 

「ぐあッ……!」

 

 雷撃による痺れか、あるいはそのダメージの大きさゆえか、受け身を取る事すら出来ぬまま、響は幾つかの岩盤を転がり落ちるようにして地面へと落ちていく。

 

「響ッ!」

 

 未来は咄嗟に追い縋り、手を伸ばす――が、それでも僅かに間に合わず、響は地表面へと激しく叩きつけられてしまう。

他の装者たちも皆、響の無事を確かめるべく、続け様に足場から駆け下りて、その傍らへと集っていく。

 訃堂はその様を一瞥すると、ふん。と鼻を鳴らし、再び槍へと意識を集中させた。

最早その凶行を止める術は無いのだろうか――

 

 

 

 その頃、ようやくに通信状況を回復させたS.O.N.G.本艦は、その針路を再び旧風鳴邸へと向けて航行していた。

幸いにして対応の早さが功を奏したのか、各ブロックの資材や積み荷等が幾らか崩れた事を除けば、損害は軽微であった。

それでも、本部のモニタにも映し出された光景を目の当たりにして、誰もが皆一様に不安を浮かべている。

 今や抗う者も無く、響でさえ立ち上がる事すらままらなぬ状況の中、訃堂の持つ槍には、第二射のエネルギーが集束しているのだ。

それは無理からぬ事であろう。

 

「響くん……」

 

 ふと、背後から――呻くように吐き出されたその声に、誰もが驚いた様子で振り返る。

そこには、息を切らしながらも、モニタを食い入るように見つめる弦十郎の姿があった。

その傍らに、弦十郎を支えるようにして寄り添う緒川の姿もある。

 装者たちを送り届けたのち、一足先に本部へと向かった緒川は、訃堂による第一射が放たれる直前に辛うじて合流を遂げていたのであった。

あと少し、僅かにでも遅れていれば、恐らく緒川も港湾にいた人々同様――あるいは、湾岸沿いのシェルターに避難した人々同様、無事では済まなかったかもしれない。

 

「司令!」

「弦十郎さん!」

 

 藤尭と友里が、そしてエルフナインが――その場にいる誰もがその名を呼ぶ。

喜びに満ちたその声に苦笑いを浮かべながらも、弦十郎は片手を挙げるようにして応えると、一同に表情に安堵の色が浮かんだ。

 

「弦……傷はもう良いのか」

 

 八紘は気にかける様に声をかける。

弦十郎の顔色は未だ悪い――それも当然だろう。

報告によれば、内臓の幾つかを損傷していたはずである。

例え弦十郎の肉体がいかに頑丈であろうとも、本来ならば未だ立つ事すら難しいほどの重傷のはずだ。

 

「こんな状況で、俺だけが呑気に寝ていられるものかよ」

 

 それでも、脂汗を額に浮かべながらもそう言うと、弦十郎は八紘へ気丈にも笑みを作ってみせる。

対する八紘は、それ以上の追求するのも躊躇われたのか、半ば呆れた様子で「そうだな」とだけ言って頷くのであった。

二人の――そしてつられるように一同の視線が、再びモニタへと注がれる。

 そこには未だ、希望など何一つ映し出されては居なかった。

ただただ装者たちが傷つき、苦鳴を上げながら––そしてそれらを意にも介さず力を集束させていく訃堂の姿だけが、そこにあった。

 

 

 

「響、しっかりして!」

「くッ……」

 

 支えるように抱き起こした未来の腕の中で、損傷を見せるギアの各部に、小さな稲妻が走る。

立ち上がる事すらままならない程のダメージを負いながら、それでも響はその手を、縋るように訃堂へと伸ばす――こぼれそうになる苦鳴を噛み殺すようにして。

 

「止め……なきゃ」

 

 訃堂の持つ槍は、依然その禍々しい光を集束させ続け、増大されていくそれは、間も無く米国へと放たれようとしている。

そうなれば米国は、そこに住まう大勢の人々は――いや、それだけではない。

その全力による一撃は、この星全体を揺さぶるほどの破壊を全世界へと及ぼすのだろう。

――全部わたしのせいだ。わたしが何とかしなきゃ。と、響は歯を食いしばり、何とか立ち上がろうと懸命に踏ん張りをきかせようとしていた。

 しかし、身体を支えていた未来の手が唐突に離れ、響は思わずよろめくようにして再び膝をつく。

 

「み……く……?」

 

 驚きを、そして言い知れぬ不安をその顔に浮かべ、響は未来の顔を見上げた。

立ち上がった未来の瞳は、真っ直ぐに訃堂を捉えていた。

その横顔に、強い意思を宿しながら。

 

「大丈夫、なんとかする」

 

 未来はそうとだけ言って優しく微笑みかけると、再び訃堂へと――その禍々しい光へと真っ直ぐな眼差しを向ける。

その口許が、小さく動き、何かを呟いていた。

それは、どうにもならないことを、何とかしてくれる魔法の言葉。

いつだって、何度だって、響が繰り返してきたいつもの口癖であった。

未来は自らに言い聞かせるように「へいき、へっちゃら」と、繰り返す。

 やがて、翼たちが響の元へと辿り着くと、未来は「響をお願いします」とだけ告げて、訃堂へ向かい飛翔した。

 

「止せ、何をするつもりだ小日向!」

「未来……ッ!?」

 

 翼の制止をものともせず。

響の悲痛な呼び声に、振り向く事もせず。

未来はただ真っ直ぐに、訃堂の元へと空を駆けていく。

 

「まさか……一人で止めるつもり!?」

「そんなの無茶デスよッ!」

 

 マリアと切歌の言葉も聞き入れず、未来は瞬く間に訃堂へ向けて飛翔していく。

岩場を一つ一つ駆け上がっていく他の装者たちでは追いつく事すら出来ず、それでもその無茶を何とか押し留めようと――あるいは、その支えになろうと、皆同じように駆けあがっていく。

立ち上がりつつある響の姿に、少しだけ安堵を見せた未来は、訃堂の前でそのアームドギアを――その鏡を円環状に展開していく。

 

「何考えてやがる……あいつのバカが感染ったのか!」

「未来さんッ!」

 

 クリスたちもまた、駆け上がっていく――が、飛行機能を持たない以上は、いくら急いで駆け上がったとしても、発射には到底間に合わないほどの距離が、そこにはあった。

――だからと言って! と、クリスは歯噛みする。

ただ一人、未来だけであの力に対抗することなど出来はしないだろう。

 カ・ディンギルの一撃を、身を以て受けたクリスだからこそ、その圧倒的な力の前に一人だけで立ち向かうことが、如何に無謀な事かを知っていた。

 

「神獣鏡の輝きが――その閃光が聖遺物の力を抑えられるのなら、わたしが止めてみせるッ!」

 

 それでも未来は、臆することなく、怯むこと無く、その身を以て訃堂を抑えん。と、鏡へ力を――光を集束させていく。

無垢にして清廉な神獣鏡の輝きと、旧世界を焼き尽くした『アグネーヤ』の輝きは、共に対照的な力を、今まさに撃ち放たんとしていた。

 

「これ以上響に、過ちを――後悔を背負わせたりさせないッ!」

「ふん……塵一つ残らず焼き尽くされるがいい」

 

 二人の視線が――意志が交錯する。

破壊の光が––そして希望の光が、既に夜のそれへと変わった空の暗がりを、煌々と照らし出す。

――刹那、空を切り裂かんとする二条の閃光が放たれた。

 ほぼ同時に放たれたそれらは、互いにぶつかり合い、目が眩む程に瞬きながら、打ち消しあって拮抗する。

その輝きは、真昼のそれを思わせるほどに辺り一面を照らし出し、激しいエネルギーのぶつかり合いによって、地表面では宛ら嵐のように風が吹き荒れていた。

浮遊した岩盤の幾つかは、その衝撃を受けて、力の及ばぬ圏外へと弾き飛ばされ、地上へと落下していく。

 ぶつかり合う力の奔流。

それは、拮抗しているかのように思われた。

しかし――

 

「このまま押し切って……くぅッ!」

 

――束の間の拮抗を見せたかのように思われたそれは、徐々に未来を追い詰めていく。

 額に幾つもの汗を浮かべ、苦しげに耐える未来とは対照的に、訃堂の顔はどこまでも涼やかに、残虐な笑みすら湛えていた。

それは、絶対的な力の――あるいは勝利への確信によるものか、自らに逆らおうとする者を踏み躙る事への、歪んだ嗜虐心によるものか。

 次第に未来の放つ閃光は、その力強さを失い始める。

同様にして、その背に浮かぶ鏡は、いくつものヒビを生じさせていく。

覚悟と意志とを以て立ち向かった未来を、破壊が――悪意が今まさに、飲み込まんとしていた。

 

「未来―ッ!」

 

 ぶつかり合う二人の遥かな眼下で、響は咆哮を上げた。

翼の支えを振りほどき、気力を振り絞るように立ち上がると、強く――有らん限りの力で大地を蹴り込み、大きく跳躍して、未来の元へと駆け上がっていく。

 

「立花ッ!?」

 

 突如として飛び出して言った響を止める事すら出来ず、翼は慌ててその背中を追いかけるべく、同様にして岩場へと跳躍する――が、何度も空気を蹴り込み、精一杯の力でバーニアを噴かせる響の背中は、一息にその距離を広げていく。

しかし、それでもまだ未来までの距離は、どうしようもなく遠い。

全力を以てしたその跳躍も、その噴き上がるバーニアも、次第に勢いを無くし、失速していくのであった。

 それでも――誰もがその姿に諦めを抱く中、響だけは真っ直ぐに未来を見据え、迷いのない瞳で胸元の、シンフォギアのコアを、半ば無意識に握りしめていた。

イグナイトは既に失われて久しい。

エクスドライブなどは、この状況に於いて使えるはずもない。

それほどまでに大きなフォニックゲインなど、ここには無いのだ。

 ならば、残された力の可能性はただ一つ――

 

「Gatrandis babel ziggurat edenal――」

 

 響の口から、旋律が紡がれる。

それは、かつて天羽 奏が自らを救うために歌った歌。

それは、かつて風鳴 翼が自らを守るために歌った歌。

それは、かつて雪音 クリスが、フィーネの野望より世界を守らんとして歌った歌。

そして、響自身が幾度と無く、皆と重ね続けてきた――祈りの歌。

 

「Emustolronzen fine el baral zizzl――」

「まさか……立花ッ!?」

 

 翼の表情に、戦慄が浮かぶ。

それを歌う事が何を意味するのか。

誰よりも翼自身が知っていた。

痛みも、苦しみも、その身を以て味わったのは翼と――そしてクリスであった。

 

「あのバカ、絶唱をッ!」

「イグナイトも無しで一人で歌うなんて……ッ!」

 

 クリスも、マリアも、響の紡ぐ歌に――それがもたらすであろう光景を想い、悲痛な声を上げる。

 

「「響さんッ!」」

 

 そして、調と切歌もまた、目を見張って響の方へと振り返るのであった。

その歌の意味を、未来とて知らぬでは無かった。

今や、イグナイトも、マリアの支えも無しに放たれるそれは、かつて天羽 奏の命を燃やし尽くし、翼やクリスでさえも命に関わるダメージを負ったものと同様の――その身を焼く恐ろしき諸刃の剣であった。

 

「Gatrandis babel ziggurat edenal――」

「駄目ッ……響ぃーッ!」

 

 痛ましいまでの悲しみをその顔に浮かべ、未来は叫んでいた。

――それでも響は歌う。

大切な親友を、かけがえのない陽だまりを救いたいと――ただそれだけのために、その命の全てを燃やすようにして。

 

「――Emustolronzen fine el zizzl……」

 

 全ての旋律を口にした響を――その全身を強烈なバックファイアが襲う。

その奔流は、血液の全てを逆流させるかのように熱く迸り、内側から灼き尽くすような熱を――骨をも軋ませるような痛みを、その身へと駆け巡らせる。

穴という穴が血を噴き、溢れさせ、そして視界すらも赤に染めていく中、それでも響は立ち止まる事なく、その力の全てを、その想いを吼えた。

 

「お願い……ガングニール! わたしの全部を力に変えても良い――だから、未来を助けるための力をぉぉぉッ!」

 

 その咆哮に――響の想いに応えるように、全てのエネルギーを力へと変換し、ガングニールは輝きを放つ。

それら全てをバーニアより噴出し、未来の元へと響を運んでゆく。

 夜空を切り裂くように、最速で、最短で、まっすぐに――一直線で駆け抜けるそれは、宛ら投擲された一振りの槍のように、未来の元へと放たれていく。

 

「未来ーッ!」

 

 その鏡が粉々に砕け散る間際、差し伸べられた響の手は、未来の手を摑んでいた。

反動を付けるようにして、響はその持てる全ての力を以て、未来の身体を投げ飛ばした。

――と同時に、神獣鏡の力が、その抵抗が失われ、禍々しい輝きがその身を飲み込んでいく。

 弾かれるように投げ飛ばされ、反転し、回転する視界の中。

未来は、必死に響の姿を探していた。

永遠に静止したかのように切り取られた一瞬を、それでも鮮明に、意識は捉えていく。

未来の目が、その輝きに眩む直前。

最後にその視界へと映されたのは、少しだけ悲しそうに――それでいて、安堵に満ちたような、響の笑顔であった。

 

「響ぃーッ!」

 

 慟哭と轟音が響き渡る中、夜の闇を切り裂いた閃光は、その射線を僅かに虚空へと逸らされて、遥かな星空へと長く――輝く一条の軌跡を描いていく。

それはしばらくの間、夜を明るく照らしながら、やがて溶け行くように消えていくのであった。

――間も無くして静寂が訪れる。

 それは、満ち満ちた絶望の静謐。

誰もが皆、何一つ言葉をこぼすこと無く、ただただそれを見上げていた。

 

「嘘……だろ……」

 

 ぽつり。と、そう呟いて、クリスは、膝から崩れ落ちた。

焦点の定まらぬ目を見開き、静まり返った虚空を見つめる。

動揺か、悲しみによるものか。

その瞳が僅かに揺らいでいる。

 

「馬鹿な、立花が……そんな事あるはずが……」

 

 翼もまた、折れそうになる膝を必死に堪える。

地面へと突き立てた天羽々斬にもたれかかるように、目の前の事実を否定するように、固く目を閉じて首を横へと振る。

 

「本部ッ! 彼女の……立花 響の反応はッ!」

 

 マリアは、急ぎS.O.N.G.本部へと通信を飛ばした。

――ただ弾き飛ばされただけなら、きっと彼女は無事なはず。と、僅かばかりの希望を託すように、答えを待つ。

しかし、帰ってきたのは、どこまでも残酷な現実であった。

 

「ガングニールの反応途絶……数㎞圏内にそれらしきアウフヴァッヘン波形は確認できず……」

 

 苦々しげに、呻くように、それでも絞り出すようにして、藤尭はそれを告げる。

響の反応は、もうどこにもありはしない。

ギアより放たれるエネルギーも、発せられるバイタルのシグナルも、定点からの観測による映像からも、響の生存は確認など出来はしない。

 全てはあの、禍々しい輝きへと飲まれ、向こう永遠に失われてしまったのだから。

 

「そんな、響さんが……」

 

 エルフナインもまた、それらを確認しながらも信じられないでいた。

いや――あの響が、こんなところで居なくなってしまうなど、誰も皆、信じたくは無いのだ。

 

「嘘デスよ、あの響さんが、そんな」

 

 大きな音を立てて、その手から離されたイガリマが地面を叩いた。

よろめくようにしてへたり込んだ切歌の頰を、涙が筋となって伝う。

それ以上何も言葉にすることも出来ず、ただただ口を、唇を震わせる。

 

「ねぇ、間違いだよね、エルフナイン。そんなはず……ちゃんと探してッ、藤尭さん!」

 

 取り乱したように声を荒げ、調は本部へと問う――が、しかし、応えられる者など誰一人として居なかった。

沈黙を以て応える本部の様子に、調は呟くように「うそだ、うそだ」とこぼしながら、顔を覆うようにしてその場に座り込む。

 

「ふん、果敢なき者が……ただ一度を防いだところで何にもならんと分からぬか」

 

 そう吐き捨てると、訃堂は更なる一撃を放たんと、三度力を集束させていく。

絶望の光が、その槍の穂先へと灯っていく。

 

「そんな……まだあれを撃てるというの?」

 

 掠れそうな、消えそうな声で、呻くように絶望を口にすると、マリアはその瞳に絶望を宿し、茫然自失とする。

 

「嘘デスよ……こんなのもうおしまいじゃ無いデスか……」

「嫌だよ……こんなの悪い夢だと言って……」

 

 調と切歌もまた、恐怖と絶望に押し潰されそうな呻きを――涙をこぼして震えていた。

 

「立花の死は無駄だったというのか……」

「ちくしょう……もう、どうしようも無ぇのかよ」

 

 悔しそうに歯噛みする翼とクリスとて、立ち上がる気力などは疾うに失っている。

弦十郎も同様に「響くん……」とだけ呻くように呟いて、後はただただ閉口するのみであった。

 

「わたしは……諦めない」

 

 誰もがその状況に、絶望し、失望して、諦めを抱く中――それでも未来は立ち上がり、そしてもう一度訃堂のもとへとの元へと飛翔していく。

 

「響が守ろうとしたものを……わたしは絶対に諦めたりなんてしないッ!」

 

 誰よりも、響を失ったことに苦しみながら、それでも――だからこそ、未来はもう一度歌を紡いでいく。

――響が歌ったその歌を。

 

「Gatrandis babel ziggurat edenal……Emustolronzen fine el baral zizzl――」

 

 

 その顔に、苦痛が浮かんでいく。

ただの一節でさえ、身を灼くほどのバックファイアを呼び起こす。

それでも響は、その苦痛を耐え、抗い、そしてその意思を貫いたのだ。

――ここで膝を折るわけには――諦めるわけにはいかない。と、そう自分に言い聞かすように、未来は歌を紡いでいく。

 

「そう……だな、わたしたちが、立花の残したものを諦めるわけにはいかない」

 

 未来の言葉に突き動かされたように、そのギアを折れることない翼へと変えて、翼は絶唱を歌いながら駆け上がっていく。

 

「あぁ……あいつの言う通りだ」

 

 クリスもまた、その後を追う。

 

「アタシたちだけ、勝手に投げ出すなんて、顔向けできないデスよ」

 

 その手に、拾い上げたイガリマの大鎌を握りしめ、切歌も二人と共に駆け上がっていく。

 

「そうね……たとえ一万と一つ目の可能性が失われても、わたしたちが諦めることなんて出来ないわね」

 

 いつだって、諦めなかった響の姿を思い浮かべ、マリアも同じように――

 

「何度だって、響さんがそうして来たように立ち上がるんだ」

 

――そして、響の想いを継ぐようにして、調もまた、皆と共に訃堂の元を目指し、駆けていく。

 

「お前たちッ!」

 

 傷が開くことも厭わずに、弦十郎は身を乗り出すようにモニタへと向かう。

ただその無事を祈る事しか出来ない己の無力を恥じ入るように、その拳を固く、血が滲むほどに握りしめていた。

 

「みんな絶唱を……そんな」

「このままじゃ翼さんたちまで……」

 

 友里も、藤尭も、苦々しい面持ちで、それをただただ見守ることしか出来ずに居た。

 

「ッ……翼ッ……!」

 

 八紘もまた、モニタへと映し出された愛する娘の無事を、そして、その勝利をただただ祈る。

 

「皆さん……」

 

 心配そうな面持ちで、エルフナインは装者たちを見守る。

それでも、出来る事など今は何も無く、ただただ少女たちを信じ、祈る事しかできないのであった。

 

「Gatrandis babel ziggurat edenal――」

 

 未来の元へ集い、六人は共に残る戦慄を――絶唱を紡いで行く。

全てを――己が命を燃やし尽くしてでも、訃堂へと抗うために。

彼女が――立花 響が守ろうとした世界のために。

そしてまた、自らが守りたいと思うもののために。

 やがて、六人を中心に眩いほどの輝きが放たれていく。

それは、訃堂の宿す輝きとは異なる――虹色の輝きであった。

 

 

ASH

 

 

――浮遊感が身体を包む。

上とも下ともつかないところを、流されては揺さぶられて、どこへともなく揺蕩う。

そんな感覚に、響はふと目を覚ました。

未だはっきりしない意識のままに、辺りを見回すと、己の置かれた立場について少しだけ思案する。

 

「わたし……あぁ、そうか。死んじゃった、のかな?」

 

 何だか不思議な感覚で、どうにも実感が得られなかった。

俗に言うあの世というのは、もっとこう、三途の川を越えたり、綺麗な草原があったりすると聞くし、響自身も少なからずそういったものを期待しないでもなかった。

―――ああけれど、自分が行くなら地獄だろうか。と、響は思わず自嘲気味に笑う。

 何せ、自分と来たら、全世界を巻き込んで、とんでもない危機へと陥らせたのである。

しかし、それにしたってそれらしくないにも程があるのではないだろうか。

いまや響の目に映る世界は、どこまでも続く薄暗い――あるいは薄明るいとも言える、水底のような無限の空間であった。

天国にしても、地獄にしても、これではあんまり味気が無さすぎる。

実に中途半端な場所である。

 

「なんだよ、おまえもこっちに来ちまったのか」

 

 ふと、その永遠にも思われた静寂の中で、どこかで聞いたことのある声が聞こえ、響は思わず周囲を見回した。

しかし、前を向いても後ろを向いても、左や右に、ましてや上にも下にも、人影などはありはしない。

ここはどこまでもひとりぼっちの世界なのだ。

――空耳かな? と、首を傾げた響の目の前に、ふと柔らかな光が灯る。

それは徐々に膨れ上がり、人の形を――色を宿していく。

 

「よう、久しぶりだな」

 

 腰まであろうかという朱い髪を靡かせるようにして、その人物は気さくそうな笑顔を響へと向ける。

響はその――思わぬ人物に、言葉を上手く結ぶことも出来ず、それでもしどろもどろになりながら、その人の名を口にした。

 

「えっ……えぇっ!? か、奏……さん?」

 

 驚かないで居られるはずもない。

その顔を――その人を忘れられるはずもない。

あの、運命のライブの日。

現れたノイズから響を守るために、命を燃やし尽くして歌ったその人を、忘れる事などできるはずはない。

 奏は、名前を呼んだ響へと「おう」と言って軽く手を挙げて答える。

その姿に、響は思わず涙を堪えるようにして、泣き笑いの顔を作る。

 

「こっち……奏さんが居て『こっち』ってことは……あは、あはは……やっぱりわたし、死んじゃったんですねー……」

 

 奏の言葉に、上ずった声でおどけたように響は笑う。

それは、誰の目にも分かるほどの強がりであった。

 そんな響の様子に、奏は少しだけ、悲しそうな表情を浮かべる。

響の見せた傷ましいまでの強がりがそうさせたのだ。と、当の本人は気付くこともなく、嬉しさと、悔しさと、申し訳なさを綯い交ぜにした涙を、ぽろぽろとこぼして行く。

 

「ごめん……なさい。わたし、奏さんに、もらった力で、歌で……救ってもらった命であんなことを」

 

 途切れ途切れに、嗚咽交じりに、奏へと響は謝った。

命懸けで奏が救った自らの命を――その胸に受け継いだはずの歌と、そしてその力。

それらを全てを無駄にしてしまった。と、そして何より、大勢の命を奪うために使ってしまった。と、何度も言葉に詰まりながら、響はそうしてただひたすらに詫びるのであった。

 

「そんなことないさ」

 

 そんな響の頭を、ぽん。と軽く叩きながら、奏は笑う。

 

「あんたは、あたしには出来なかったことをやって来たんだ」

 

 そう言って笑う奏に、心当たりが見つけられず、響は不思議そうな顔をする。

奏に出来なくて、自分にしか出来なかった事などあるのだろうか? と、首を傾げてみせた。

心当たりがあるとすれば、結果的に招いた大量虐殺の片棒くらいである。

 

「ただ戦って――目の前のもんを守るだけで精一杯だったあたしと違って、あんたは敵にだってその手を差し伸べて来た」

 

 そう言って響の手を取ると、奏は優しくその手を包むように、そっと撫でていく。

響が、これまで手を取り合ってきた姿を思い出しながら、何度も――何度も撫でていく。

 

「そうして手を取り合って、あんたは何度だって世界を、大勢を救って来たじゃないか」

「でもそれは、助けてくれるみんなが居たから……」

 

 なおも自嘲気味に消沈する響に、奏は少しだけため息をついた。

今の響は、奏が何を言おうと――それこそ、責める言葉でもなければ、聞き入れそうにない様子である。

 

「ったく……おまえも何か言ってやってくれよ」

 

 

 そう言って奏は、視線を響の向こうへと向ける。

つられるように振り向いてみると、気付けばそこには、奏とは別の少女が立っていた。

初めて会う――けれど、どことなく見覚えのある少女に、響はその心当たりを付けようと、内心に記憶をなぞってみるものの、どうにも思い出せそうになかった。

あどけなさを残すその少女は、奏と同じようにして、響のもう一方の手をそっと取る。

 

「そう……あなたが居たから、過ちに気付いて――前を向いてやり直せた人がいる。そうして誰かを救えた人がいる」

「わたしが……いたから……」

 

 響の言葉に「そうよ」と頷き、微笑みを浮かべると、少女はなおも言葉を続ける。

その声色に、少しだけ懐かしむような様子があった。

 

「姉さんも、あの二人も。あなたが居たから救われた」

「もしかして、セレナ……さん?」

 

『姉さん』という言葉に、響はようやくにしてその人物を思い出す。

それはいつしか、マリアから見せられた写真に写っていた少女――彼女の妹であるセレナ・カデンツァヴナ・イヴ――その人であった。

 

「あなたがその手で救った誰かが、別の誰かを救っていく……それはきっと『誰かと手を繋ぎ合う』事の出来る、あなただから出来たこと」

「そうさ。だから、自分のして来た事に胸を張りな、立花 響」

 

 奏が、セレナが、そう笑いかける。

過ちを犯してしまったはずの自分を、それでも二人は――いや、二人だけではない。

翼やクリス、マリアに調、そして切歌に未来。その誰もが皆、許し、受け入れようとしてくれていた。

その手をもう一度――今度は皆んなの方から繋ごうとしてくれたのだ。

 それはとても嬉しくて――だからこそ悲しくて。今更それに気付いたところで、もう何も伝えることはできないのだ。と響は思わず声を上げて泣き出してしまうのであった。

奏とセレナは、ただただその肩を優しく抱いていた。

 

「Gatrandis babel ziggurat edenal――」

 

 ふと、その世界へと、歌が聞こえてくる。

その声に響は「はっ」として顔を上げる。

 

「Emustlronzen fine el baral zizzl――」

 

 尚も紡がれていくその歌声を、聴き間違えるはずがない。

それは間違いなく、いつだってすぐそばで――寄り添うように隣で聞いてきた未来の声であった。

――いや、それだけではない。

それはやがて、翼たちの歌声も織り交ぜて、一つの歌へと紡がれていく。

 

「未来……それにみんなッ!」

 

 姿は見えない――けれど、どこか遠く、それでいてすぐそばから聞こえるような感覚があった。

見えない空間を隔てたすぐ向こうから、聞こえてくるような感覚があった。

やがて、遠くとも近くとも言えない場所に、未来たちの姿が浮かび上がる。

それは宛ら見えないスクリーンのように一同の『今』を、映し出すのであった。

 

「翼……ッ」

「姉さん……」

 

 奏とセレナは、その歌声へと苦々しげな表情を浮かべる。

助けることのできない己の無力さを噛みしめるように、二人は強く拳を握っていた。

それは、この意識だけが揺蕩う世界の中で、ずっと繰り返されてきたのだろうか。

そして響もまた、これからずっとこうして、大切な人たちが傷付いていく様を、ただただ黙って見守ることしか出来ないのだろうか。

 響は、今更ながらに自らがギアを纏っておらず、そのペンダントも失ってしまっていることを自覚して、歯噛みする。

いつだって、響の想いに応えてくれたガングニールは、あの閃光の只中で完全に失われてしまったのであった。

 

「わたし、みんなを助けたい……もう一度手を取り合いたい。だけど、もう……」

 

――この手はもう、何も繋ぐことは出来ないんだ。と、内心に諦めを抱きながらも、それでも諦めきれない想いが、胸の内へと湧き上がる。

胸の奥がぢりぢりと焦げ付くように熱くなり、疼くように痛くなる。

 

「本当にもう、放って置けない子なんだから」

 

 ふと掛けられたその懐かしい声に、響は思わず顔を上げると、自らの目を――耳を疑った。

見間違うはずがない。

聞き間違うはずもない。

いつか、手を取り合えぬまま、居なくなってしまったその人を、忘れることなど出来るはずもない。

ずっと、もう一度わかり合いたい。と、手を取り合いたい。と思っていた人物がそこにいた。

長い髪をゆらゆらと漂わせ、印象的な赤い眼鏡をかけたその人物は、他ならぬ、櫻井 了子であった。

 

「了子さん!」

 

思わず飛びつこうとする響を、了子は片手で制しながらも、呆れた顔でため息をつく。

 

「はいはい、再会を懐かしむのは後。今はそれどころじゃないでしょ? 早く戻らないと未来ちゃんや翼ちゃんたち、みんな大変なことになっちゃうわよ」

 

 その言葉に響は思わず「うっ」と押し黙ってしまう。

そうとも、今はみんなを助けることが何より大切なのだ――とはいえ、未だにそのための方法などは皆目見当もつかないのだが。

 

「あたしと再会した時よりも嬉しそうじゃないか」

 

 奏が、二人を冷やかすように皮肉を投げかけると、セレナは思わずくすくすと笑ってしまう。

そんなセレナへと、奏は少しだけムッとして「なんだよ」と口をとがらせるのであった。

 

「ねぇ響ちゃん。あなたは覚えてないかもしれないけど、その左手は一度ネフィリムに食べられちゃってるのよ」

「……そう言えばそんな話を聞かされたような聞かされてないような……」

 

 うーん。と考え込む響に、了子は「呆れた、自分の事なのに何にも知らないのね」と思わず噴き出してしまう。

奏とセレナも同じように、呆れた様子でそれを笑うのであった。

 

「でもあなたは無意識の内に、ギアのエネルギーを腕の形に固定化させた……そのうえそれを本当の左腕として再生しちゃったの……信じられる?」

「自分のことながら、信じられません!」

 

 そうまで堂々と、自らの事を「理解不能」と言い切られてしまうと、いっそ清々しいものである。

――いや、事実としてそれは、常軌を逸した出来事であり、信じられないのも無理からぬ事だろう。

 事実、奏にしてもセレナにしても、口々に「だよなぁ」だとか、「ですよね」と言っては、うんうんと頷いているのだ。

 

「それが聖遺物由来のエネルギーである限り、本来なら未来ちゃんの――神獣鏡の輝きに飲まれた時、失われてもおかしくなかったはず……だけど、あなたの腕は消えなかった」

「この腕が……」

 

 了子の言葉に、響は自らの左腕を、確かめるように眺める。

もちろん、生身としての響の身体は既に失われてしまっているのだから、それを『この腕』と呼ぶのが相応しいかどうかは怪しいものであるが。

 

「あなたの歌はね、奇跡を起こすのよ」

 

 少しだけ遠い目をしたように、了子は微笑む。

ネフィリムの事だけではない。

キャロルとの戦いの中でも、アダムとの戦いの中でも――いつだって響は、絶体絶命の窮地に於いて、およそ奇跡としか言いようのない事を、その歌によって起こしてきたのであった。

 

「わたしの歌が……」

「そうよ。だから……胸の歌を、信じなさい」

 

 ルナタックの起こされたあの日、月の欠片へと向かおうとした響へそうしたように、了子は響の胸の辺りを「とん」と突く。

あの日と同じように、優しい微笑みを浮かべながら。

響はそっと目を細める。

――今ならば、手を取り合えるだろうか?

あの日からずっと、繋げないままだったその手を、今度こそ繋ぐことが出来るだろうか。

 響が差し出そうとしたその手は、しかし――

 

「そうさ、なんたってそいつはあたしがくれてやった歌なんだからな」

 

――と、誇らしげに語る奏によって、遮られてしまうのだった。

奏にしてみれば、それはもちろん冗談のつもりだったが、それでも響は力強く頷くと「はい! 信じます!」などと言うものだから、奏はかえって気恥ずかしくなってしまうのだった。

 

「奏さん」

 

 そうとだけ言って差し出された響の手を、奏は黙って繋ぎ返す。

そして響は、セレナにも同様に手を差し伸べた。

 

「セレナさんも」

「えぇ」

 

 優しい微笑みで、セレナもまたその手を取る。

互いに確かめるように、二人と頷きあった響は、振り返って「了子さん」と声を掛ける――が、そこには既に了子の姿は無くなっていた。

 

「了子さん……」

 

 ようやくまた会えたというのに、相も変わらぬマイペースな了子は、響を焚きつけるだけ焚き付けて、その姿を消してしまったのである。

 

「やれやれ、了子さんらしいっていうか、本当マイペースな人だよな」

「響さん……」

 

 奏は呆れたように笑いながら、そしてセレナは心配した様子で、響の背中へと声を掛ける。

響はこくりと頷くと、少しだけ震えた声で「へいき、へっちゃらです」と二人に答えた。

 

「きっと、いつかまた会えるって、わたしは信じてるから」

 

 強く――真っ直ぐな眼差しで、涙を振り切るように振り返ると、響は二人へともう一度手を伸ばす。

二人もまた頷くと、言葉も無く三人は手を繋ぎ合った。

そして響は――響たちは、共に歌を紡いでいく。

 

「「Gatrandis babel ziggurat edenal……Emustolronzen fine baral zizzl――」」

 

 そこから少し離れたところで、了子は三人の姿を遠く見届けていた。

その姿は、朧げに揺れ、霞みがかったように半ば透けつつある。

 

「私に出来るのはここまでよ。あとは、あなたたちで何とかしなさい」

 

 響たちの背中へ、そうとだけ呟くと、少しだけ残念そうに――けれど、微笑みを浮かべて、了子はそっと目を閉じる。

その身体はまるでその魂の残像を――想い出の全てを燃やし尽くしたかのように燐光を放ち、やがてその輪郭すらも薄らいでいく。

 

「あなたは『らしくない』って笑うかしら……でも、私にしては上出来でしょ?」

 

 それは、誰へと向けた言葉だったのか――

少しだけ自嘲気味にそう笑うと、程なくして了子は、その姿を揺蕩う世界へと溶かしていった。

 

 

 

 未来を中心とした六人が、その旋律を全て歌い終える頃。

六人とは別の、新たな歌声が、どこからとも無く鳴り響き渡った。

 

「この声は……まさか立花?」

 

 その、聞き覚えのある声に、翼は驚きを隠すこともできずにいた。

それは、失われたはずの響の声に他ならなかった。

 

「嘘でしょ? 有り得ないわ」

 

 マリアもまた、愕然として周囲を――声の主を、探る。

声は聞こえるが、未だその姿はどこにも見つからない。

 

「デタラメにも程があるデスよ!」

 

 まるで荒唐無稽な悪夢でも見ているかのように思えて、切歌は思わず声を荒げる。

それでもその顔には、少なからず喜びが浮かんでいた。

 

「でも、とっても響さんらしい」

 

 調はそう言って素直に喜びを浮かべ、響の姿を探すように、辺りを見回す。

 

「ったくあのバカ……心配かけさせやがって」

 

 涙交じりにクリスは悪態を吐く。

しかしその顔は、隠しきれない安堵に――あるいは喜びに、思わず綻んでいた。

 

「響……ッ」

 

 未来もまた、涙ながらに響の姿を探す。

 

「「――Gatrandis babel ziggurat edenal……Emustolronzen fine el zizzl」

 

 その旋律の全てが紡がれる頃、装者たちの胸元から、そのシンフォギアのコアから、鮮烈な輝きが放たれていく。

辺り一面を照らし出すそれは、訃堂の放つ禍々しき輝きとは別の、虹色の輝きであった。

それらはやがて一点へと集束すると、徐々に人の形を結んでいく。

 

「翼さんたちの周辺に、高出力のエネルギー反応を検知ッ!」

「これはアウフヴァッヘン波形……でもこの波形パターンは……ッ!」

 

 その現象は、本部でも同様に確認されていた。

藤尭と友里は、入り乱れた波形パターンに揃って驚きの声を上げる。

それは、新たなる聖遺物の波形か、あるいは――

 

「これは……もしかして」

「あぁ、彼女のしでかした事だろうよ」

 

 モニター上に表示された波形パターンは、未だその答えを明示してはいない。

しかし、その場にいる誰もが、誰に言われずとも一人の人物に行き着いているのだろう。

エルフナインの言葉に、弦十郎は笑いながら答える。

そのような事をやって除ける人物など、他に居るはずもない。

 

「照合完了……モニターに出ますッ!」

「なん……だとッ!?」

 

 その照合結果がモニタへと出力されると、そこに居る誰もが、思わず自らの目を疑った。

そして、弦十郎もまた、予想外の答えに驚きの声を上げるのであった。

 

 装者たちと同じく、そしてS.O.N.G.本部の職員たちと同じく。

信じられない光景を目の当たりにして、訃堂は愕然と――いや、狼狽えていた。

 

「馬鹿な……有り得ぬ! その身は一片の灰燼すら残さずに失われたはず……神ですら恐れた業火に身を焼かれ、不可逆な肉体の喪失を受けておきながら、何故蘇る! それは貴様の歌が起こした事なのか、貴様らの歌とは、その力とは一体何だ……何だと言うのだッ!」

 

 目の前の光景に狼狽え、己が目を疑い、訃堂は誰へとも無く矢継ぎ早に問うた。

――その問い応えるように、咆哮が響き渡る。

 

「「シンフォギアァァァァァァァッ!」」

 

――そうとも。

今、再びその身にシンフォギアを纏い、訃堂と対峙する少女たち。

ギアの放つ輝きに身を包み、並び立つその少女たち。

それは、紛れもなく。

天羽 奏。

セレナ・カデンツァヴナ・イヴ。

そして、ガングニールの装者。

立花 響――その少女だった。

 




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最終話  命燃え尽きて倒れても、終わることのない歌が

この世界には歌がある。
命が失われ、想い出と変わっても、決して消えることの無い歌がある。
これは――命を賭して歌い続けた、九人の少女たちの軌跡。
――その終着の物語。


Rebirth-day

 

 

 漆黒の夜空を二つの光が分かつ。

空を灼く禍々しき紅蓮の輝きと――そして、シンフォギアより放たれた虹色の力の奔流。

それらは互いにその鮮烈さを増し、眩いばかりに煌々と輝いてゆく。

 宛らストロボを思わせるその明滅は、監視衛星越しに見守る人々の脳裏にその映像を――起こされた奇跡の光景を焼きつけるかのように、世界へと発信されていた。

そしてS.O.N.G.のモニタ上にも同様に、それらは映し出されていたのであった。

 

「アウフヴァッヘン波形が三つ……それに、彼女たちは……」

 

 エルフナインは、表示された三つのパターンに。そして、少女たちの姿に、愕然として声を上げる。

しかし、それも無理からぬことだろう。

存在するはずのないものたちが、そこには映し出されているのだから。

 

「彼女はマリアくんの……それに、奏……なのか?」

 

 弦十郎もまた、驚きを隠せずに声をあげる。

友里も、藤尭も、そして八紘・緒川らも。誰もが同じように、目を見張るようにして、食い入るようにして、モニタを見つめていた。

そこに映し出された二つの輝き。その中心に浮かび上がった――像を結んだ姿は三つ。

それはかつて、命の限りに歌い、砕けていった少女。

それはかつて、目覚めし脅威を眠らせるために、命を賭して歌った少女。

それはつい今しがた、絶望の火に灼かれ、失われたはずの少女。

戦いの最中でその命を――その身を失ったはずの少女たちの姿がそこには在った。

 

「響ッ!」

「うわっとと……」

 

 名前を呼ばれた――と同時に、その背中へと伸し掛かる重みを受けて、思わず響は前のめりになってよろめいてしまった。

背後から思い切り抱きしめられ、振り返ることすら出来ない。しかし、それが誰によるものかなど、確認せずとも分かる。

抱きしめる腕の感触も、名を呼んだその声も、背中から聞こえてくるすすり泣くようなその様子も、間違う事など有るはずもない。

 

「ごめんね未来、心配かけて」

 

 自らを抱きしめるその腕を、そっと撫でるようにして声を掛けると、ただただ未来は、言葉も無く首を左右へと振だけであった。

その様子に、安堵の表情を浮かべる響のそばへ、気付けばクリスもまた、やってきていた。

 

「っとに心配かけやがって、このバカ」

 

 呆れたように、しかし震えた声で悪態を吐いたクリスだった――が、響は予想に反して顔をパッと輝かせると、すかさずクリスの手を取り、満面の笑みを浮かべる。

 

「心配? 心配してくれたの? クリスちゃんが? ありがとう!」

 

 まるで、人懐っこい子犬を思わせるようなその喜び様に、唐突に手を取られたクリスは、今更ながらに照れ臭くなった様子で「お、おう」とだけ答えて、赤くなった顔を向こうへと向けるのであった。

 

「でも、本当に良かった」

「どうなるやらと思ったデス」

 

 調と切歌もまた、安心した様子で響のもとへとやってくると、クリスと入れ替わるようにして響の手を取った。

響もまた、その手を握り返すようにして「ありがとう」と笑いかけるのであった。

 

「奏……奏なの?」

 

 信じられないその姿に――その背中に、翼は震える声で問う。

あの日、あのライブ会場の惨劇の中、その少女の最期を確かに看取ったはずであった。

その光景は今でも瞼を閉じれば浮かぶほどに、鮮明に焼き付いている。

何度も繰り返し、悪夢の中で失い続けてきたその片翼は、しかし今、あの日と寸分違わぬままの姿で翼の目の前に立っていた。

 

「なんだい翼。相棒の顔を忘れちまうなんて、随分と薄情じゃないか」

 

 相も変わらぬ軽口で奏は笑う。

その笑顔も、声も、何年振りか。

もう一度会いたいと、抱きしめたいと、何度思ってきただろう。

言葉を交わしたいと、共に歌いたいと、何度願ってきただろう。

半ば飛びつくようにして、翼はその身体を思わず抱き竦めていた。

その腕に、手のひらに、頰に触れる髪と、鼻腔に感じる懐かしい匂いに、確かな存在を感じ、翼は思わず噎ぶようにして涙をこぼす。

 

「忘れるわけが無い……忘れられるわけ無いじゃない……」

「全く……相変わらず翼は泣き虫だ」

 

 突然の抱擁に驚きは見せたものの、縋るようにして泣く翼の姿に奏は優しく微笑むと、そっと髪を撫でる。

大げさに「おーよしよし」とあやすようにその背中を叩きながら、奏自身もまた、その懐かしさにふっと目を細めるのであった。

そしてもう一人――

 

「セレナ……あなたなの?」

 

 唇が震え、上手く言葉を結んではくれない。それでも何とか振り絞るようにその名を呼ぶと、セレナは黙って頷いた。

振り返るようにして、その手をと差し出され、マリアは、恐る恐るその手に触れ、そっと握りしめる。

 確かな生命の温かさと柔らかさがそこにはあった。

変わらぬ幼いその姿を、マリアは強く、強く抱きしめて、ただ「会いたかった」と呻く。

窒息しそうなほどに抱かれて、セレナはぷは。と息を吐きながらも、嬉しそうに笑った。

 

「みんなの歌が――響さんの繋ぎ束ねる力が、わたしたちにもう一度だけ立ち上がる力を、仮初めの身体を与えてくれた」

 

 仮初め――その言葉にマリアはセレナの姿を確かめるように見つめ、その身体が幽かに透き通るように光を放っているの事に気が付く。

――それでも。と、セレナをは抱き竦めると、声を上げて泣いた。

セレナもまた「わたしも会いたかった」と抱きしめ返すのだった。

幼い日に死に別れ、もう決して会う事など出来ないはずの相手は、しかし今、確かにそこに存在していた。

 その再開の喜びも束の間――

 

「下らぬ茶番をッ!」

 

 訃堂の怒声が辺りにこだまする。

それは、予期せぬ響たちの復活に対する言葉だろうか。

それとも、ひとり状況から取り残されたことへの憤りによるものだろうか。

訃堂はその顔に怒りを露わにしては、わなわなと肩を震わせていた。

 

「歌……歌めッ! どこまでも忌々しい歌めがッ! あくまでそうして吾の前に立ちふさがると言うのなら――」

 

 訃堂はその言葉通り忌々し気にそう吐き捨てると、その槍の穂先を一同へと――響へと差し向ける。

神すら恐れ、禁じたその力を、三度撃ち放つべく輝きの集束を加速させていく。

それは可視化された破壊の力、紅蓮の輝き。

少女たちへと絶望を突きつけた、狂気の瞬き。

極限まで高まりつつあるそのエネルギーは既に、先程あの閃光が放たれた時と同等のレベルへと迫りつつあった。

 

「高出力のエネルギー反応、集束していきます!」

「これまでのデータから推測される、発射までの残り時間、およそ六十秒ほど……このままでは――」

 

 コンソールを弾きながら、友里と藤尭は揃って声を上げる。

それが今一度撃ち放たれてしまえば、最早止める術などは無い。

阻止するにはただ一つ――

 

「それまでに何とか発射を止めないと……皆さんッ!」

 

――そう、訃堂本体を叩くしかあるまい。

 エルフナインの言葉に、一同はその槍の穂先を見据える。

しかし、その想いも虚しく、今まさに三度神の火を放たんと、訃堂はその穂先を輝かせていた。

 

「止められるものか……いま一度、歌もろともに灼かれ死ぬが良いッ!」

「歌は死なない――死ぬもんかッ!」

 

 訃堂の言葉に拳を構え、響は吼える。

その瞳に、その声に諦めなど宿してはいない。

折れることのない確かな意志を以て、少女は今、目の前の男へと向かい合う。

 

「そうとも。例え命が尽きたって、この胸の歌は死んだりしない……そいつは誰かの胸に受け継がれて、鳴り響いていくんだ」

 

 奏はもう一振りのガングニールを携えるように、響の隣へと立つ。

かつて自らの歌が、そうして響へと受け継がれていった事を、奏こそがよく知っていた。

 

「祈りや願いが刻まれた、想い出の軌跡。それが歌だというのなら、わたしたちは――人はずっとそれを紡いできた。そう簡単に死なせはしませんッ!」

 

 セレナもまた、アガートラームの剣を手に二人と共に並び立つ。

自らが歌い、纏ったそのシンフォギアは、いま愛する姉が同様に歌い、纏っている。

その祈りも、想いも、マリアへと託され、受け継がれている事を知っている。

 

「大それたことをッ! 果敢なき者共がッ!」

 

 訃堂の咆哮と共に閃光が放たれた。

それは三度夜空を灼き、宵闇を分かち、少女たちを飲み込まんと疾走する。

視界すらも歪むほどの熱量を以て、その周囲の景色を歪めていく。

 

「皆さんッ!」

「お前たちッ!」

 

 白んで行くモニタへ向けて、弦十郎とエルフナインは同時に叫び声をあげる。

絶望が、絶対なる死の輝きが、九人へと迫っていくのを最後に映像は掻き消えてしまった。

ただ、音が――声だけが、それでも確かに聞こえていた。

 

「セット! ハーモニクス!」

 

 響の声に呼応するように、脚部の、背面の、頭部のユニットが変形・展開し、輝きを発していく――と同時に右腕へと束ねられた両腕のユニットは、四枚の羽根を形成するように再構成され、高速で回転を開始した。

虹色の力の奔流が集束し、束ねられ、一つの輝きを発する。

響はその拳へと、虹色の力の奔流を握りしめ、咆哮と共に天へと衝き立てた。

 

「束ねた軌跡を奇跡に変えてぇぇぇッ!」

 

――刹那、放たれた閃光と、虹色の力の奔流がぶつかり合い、眩い輝きが世界を照らす。

 激しくぶつかり合う二つの力は、宛ら太陽のような光を発しながら、天を衝く巨大な竜巻の如く屹立し、空の高みへと放たれていく。

やがて、それらが徐々に闇夜へ溶けて搔き消える頃。そこには真白く輝く九つの姿が浮かんでいた。

 

暁切歌のイガリマが。

月読調のシュルシャガナが。

雪音クリスのイチイバルが。

風鳴翼の天羽々斬が。

小日向未来の神獣鏡が。

マリア・カデンツァヴナ・イヴと、セレナ・カデンツァヴナ・イヴのアガートラームが。

そして、立花響と天羽奏のガングニールが。

白の――エクスドライブを成したギアを纏い、並び立っていた。

 

「馬鹿なッ……!」

「エクスドライブだとォッ!」

 

 愕然とする訃堂と同じく、ようやくに映像を回復させたモニタの前で、弦十郎もまた驚愕し、思わず声を上げていた。

その、白く輝く姿。

変形したギアも、そのギアからはためく翼も、見紛う事なきエスクドライブの輝きであった。

 

「そんな……だけどそんなフォニックゲインをどこから……」

「六人の絶唱だけでは、それだけのエネルギーを集めることなんて……」

 

 友里と藤尭は、そのデータに目を通すが、その高まりを示す根拠など、どこにも見つけられはしなかった。

 

「おのれ……おのれ、おのれ、おのれッ! 歌如きが! どこまでも立ち塞がりおってッ!」

 

 地団駄を踏んでいるであろう事が見て取れるほどに、訃堂は狼狽し、苛立ち、吐き捨てる。

ヴィマーナより屹立したその仮初めの肉体に――その顔にすら青筋を浮かべながら、忌々しげに歯噛みする。

その様を、奏は鼻で笑う。

 

「歌如きだって? よくも言ってくれるじゃないか爺さん」

 

――歌の力、見せてやる。と言わんばかりに、手にした槍を訃堂へと向ける。

 その強い眼差し、強い意志に寄り添うようにして、翼もまた隣へと並び立った。

――この邂逅は泡沫……だとしても、わたしは奏ともう一度ッ! そう、胸の想いを強く、より強く抱き、懐かしいその少女の名を呼ぶ。

 

「奏ッ!」

「あぁ、一緒に飛ぶぞ! 翼ッ!」

 

 翼の想いを言外に察し、奏は笑い掛けると、一気に飛び出した。

一同に先行して翼と奏は、互いの旋律を重ね合うように、歌い、飛翔する。

 

「耳澄ましてよぉく聴けよな爺さん」

 

 悪態をつき、目線を翼へと向けると、二人はにやりと笑い合い、言葉もなく頷き合う。

剣と槍を携えて、両翼を夜空へと棚引かせるように、今――二人は空を駆けていく。

 

「ツヴァイウィング――」

「今宵限りの――」

「「――再演だッ!」」

 

 懐かしいその歌声に乗せて、絡ませ合うように紡ぐ。

二人のギアは、その歌に呼応するように展開していく。

分裂した槍が――無数の短刀が、流星となって訃堂を、ヴィマーナを襲う。

 

「ぐうッ……」

 

 その腕を以て薙払おうにも、そのいくつかは訃堂の防御を掻い潜り、ヴィマーナの外殻へと命中していく。

しかし、そうは言っても、それが起動した聖遺物である以上、簡単に破壊できるはずもなく、船体へのダメージは軽微と言えるものであった。

 

「まだまだァ!」

 

 奏はガングニールの穂先を回転させて一息に飛び込むと、その外殻へ深々と抉り込むように一撃を見舞う。

その背後には既に、翼が巨大な刃と化した天羽々斬を高々と掲げていた。

 

「この一太刀は、貴様への――風鳴の家への決別の意思と知れッ!」

 

――一閃。

 それは宛ら巨大な断頭台の刃の如く、訃堂へと放たれる。

バルベルデにて、敵艦を両断したその一撃を以て、ヴィマーナの船体へと決別の刃を突き立てる。

 激しい衝突音と破片をまき散らしながら、船体が揺らぎ、訃堂の呻くような声が響く。

回避も防御もままならぬほどの一撃は、確かにヴィマーナを捉えていた。

 

「やったか!?」

「いや……直撃の間際に、僅かながらに躱されてしまったッ……」

 

 歓喜を浮かべた奏の言葉に、しかし翼は苦々しげに答える。

その言葉通り、振り下ろされた刃は既のところで躱され、船体側面を削ぎ落としたに過ぎず、致命傷を加えるまでには至らなかったのである。

 

「図に乗るなッ!はかなきもの共がッ!」

 

 再び攻撃を加えようと体勢を立て直す二人へと、訃堂は怒りを露わにして、その右腕をヴァジュラを掲げると、雷撃を浴びせかける。

青白い稲光は幾重にも重なり、虚空を跳ねるようにして二人へと襲い掛かかった。

それは、回避すらする間もないほどの速度で二人へと迫る。

 

「姉さんッ!」

「えぇ、分かってるわッ!」

 

 一同がその窮地に声を上げるよりも早く、マリアとセレナの二人は、奏と翼の前に飛び込んでいた。

互いにバリアを展開し、辛うじてその雷撃を受け止めると、ぶつかり合った雷撃は、四方八方へと散り散りに、青白い稲光を散らした。

 

「悪ぃな、助かった」

「すまない、二人とも」

 

 奏たちは短く礼を言うと、訃堂を睨め付ける。

眼前のその男は、未だ色濃い忿怒の様相を呈しており、ふぅふぅと荒い息をついているのが見て取れる。

――まるで獣だな。と、翼は内心にそれを憐れむ。どうしてこのような男に、皆怯えるように従っていたのか。と、今では不思議な程に、今の訃堂には威厳も恐怖も感じられずにいた。

 

「近付けば雷撃……かといって離れていればいずれはあの強力な兵器。このままでは……」

「そうね……次がチャージされるまでにカタをつけなければ」

 

 翼とマリアの言葉に四人は意思を確かめ合うように頷いた。

事実、既に訃堂の持つ槍には、既に僅かばかりではあるが光が宿り始めている。

それを退けられるほどの奇跡など、そうそう何度も起こせはしないだろう。

 

「おまえら、あたしらだって負けてらんねぇぞ!」

「はいデス!」

「わたしたちだって!」

 

 クリスたちもまた、四人に負けじと訃堂へと攻撃を集中させていく。

無数に放たれたミサイルは、しかし雷撃の一薙ぎによってその大半が破壊されていく。

それでもその内のいくつかが着弾し、爆煙をあげると、切歌と調はその隙を突いて一気に間合いを詰めて行く。

 

「いただきデースッ!」

「その腕さえ落としてしまえばッ!」

 

――まずは左の槍、そして次に右腕を! と、二人はほぼ同時に、訃堂の腕へと斬りかかる。

 それは確かに訃堂の左腕を深々と斬り裂き、切り離すのに成功した――かのように思われた。

しかし、右腕へと向かおうとする二人は、思わずその目を疑った。

 神の舟より得た力により、神の力として再び顕現したそれは、ティキがそうであったようにその不死性すらも、獲得していたのだろうか。

確かに斬り落としたはずの左腕は、並行世界に跨るようにして再生――あるいは復元を果たしていた。

 

「駄目デスッ!」

「やはりここは響さんでないと……ッ」

 

 振り返った調の視界に、響の姿が映る。

その言葉よりも早く、響はその拳を構えて飛び込んできていたのであった。

 

「はぁぁぁッ!」

「させるものかッ!」

 

 空を切り裂き真っ直ぐに迫る響の拳は、しかし訃堂へと――ヴィマーナへと届くことは無かった。

突如、ヴィマーナの周囲に、黒煙にも似た闇が立ち上がり、それらは船体を覆い隠して余りある量をもって、響の視界を遮ったのだった。

 

「くッ……外したッ!?」

 

 渾身の拳が空を切り、響は反対側から闇を突き抜けて飛び出すと、再び訃堂の元へと向かおうと振り返る。

しかし、相も変わらずその空域に満たされた闇は、訃堂の姿も、船体そのものも覆い隠していた。

 

「見えなくたって、数をばら撒きゃ――」

 

 闇の中心点へ向けて、クリスのイチイバルより無数の弾丸が、そしてミサイルが放たれて行く。

しかしそれは、先程までと同じく、雷撃によりその悉くが無力化されてしまうのであった。

 

「貴様一人を葬るだけであれば、これだけで充分よ」

 

 その闇の中、僅かに灯る光が響へと差し向けられる。

三度放たれたそれらに比べて、ごく小さなその輝きは、しかし確かな破壊のそれであった。

世界を焼き払うとまでは行かずとも、神の力に対抗し得る響さえ葬り去ることが出来れば、最早誰にも訃堂を止められはしまい。

他の誰よりも訃堂自身がそう、理解していた。

 それ故に、ただ一人分の殺意を宿し、今やそれを放とうとしているのだ。

 

「響―ッ!」

 

 槍の穂先を差し向けた先――響のすぐ背後に未来の姿が舞う。

未来の声を聞いた響は、言外に意図を察し、入れ替わるようにして未来の背後へと後退る――と同時に、エクスドライブで引き上げられた出力によって大きく展開された鏡より、高輝度の閃光が幾条にも放たれた。

それは、船体を覆う闇を容易く打ち払い、光の中へと呑み込むようにしてヴィマーナを直撃する。

 

「ぐおぉぉぉッ! 目がッ! 目がぁぁぁッ!」

 

 響の姿を目で追っていた訃堂は、不覚にもその閃光に目を焼かれ、視界を失い身悶えする。

確かに響を捉えていたはずの訃堂の槍は今、その穂先を定めることすらままならず、虚空へと向けられていた。

 

「おおおぉぉぉぉッ!」

 

 その隙を、勝機を逃す事なく、響は再び訃堂へと突貫して行く。

真っ直ぐに、最短で、一直線に――苦し紛れに放たれようとした、その槍を携える左腕へと向けて。

――刹那。

 僅かな閃光が瞬き、装者たちの目を眩ませる。

発射の間際に捉えた響の拳は、確かに訃堂の左腕を捉え、粉砕させた。

行き場を失ったエネルギーは、それと同時に周囲へと爆散し、響もまたその衝撃に打たれて弾かれるように飛び出したのであった。

その背中を、すかさず未来は受け止める。

 

「大丈夫? 響」

「ありがと、未来のおかげだよ」

 

 二人は笑い合うと、視線を戻して訃堂の姿を見据える。

失われた左腕を再度復元しようと踠く訃堂だったが、しかし響とガングニールによる『神殺し』の特性は、神の力による不死性をも、確かに打ち砕いたのであった。

 

「やったデス!」

「さすがッ!」

 

 切歌と調もまた歓喜の声を上げる。

忌々しいあの左腕――その槍の力さえ無くしてしまえば、先程までの力は放てまい。と、安堵する。

 事実、今の訃堂は復元すらままならぬ様子で、身悶えするのみであった。

 

「おのれ……神殺しがッ!」

 

 訃堂は激しい雷撃をもって船体を包んで行く。

砕けた左腕の近辺へ新たな腕を構築すべく歪に変形を見せてはいるが、それには恐らく時間を有するのであろう。

復元よりも先に訃堂は敵を――響たちを排除する事に専念しようと考えたようであった。

 迸る雷撃とともにその船体の各所から、大小様々なアルカ・ノイズが放たれて行く。

それらは、力の占有を図るべく、草の根を分けるように探し出し、狩り尽くしたパヴァリアの残党より得たものであった。

 

「ここでアルカ・ノイズのばら撒きたぁ今更が過ぎんだろ、爺さん!」

 

 ヴィマーナの近辺から溢れ出たアルカ・ノイズへと向けて、装者屈指の火力によりクリスは一気に殲滅を試みる。

その数は数千――いや、数万ほどにも及ぶだろうか?

だったとしても、エクスドライブを果たした今、彼女たちにとって大した数では無いだろう。

 

「数は多い……けど、敵じゃない」

「往生際が悪いデスッ!」

 

 調と切歌もまた、互いの力を合わせるように、アルカ・ノイズの殲滅へと移る。

鋸と鎌による斬撃は、宛ら草でも刈り取るかのように、大群を見る見るうちに排除して行く。

 

「わたしたちも行きましょう、セレナ」

「うん、行こう姉さん!」

 

 二人分のアガートラームが、アルカ・ノイズの群れの中へ白銀に閃く――と同時に、それらは一息に切り裂かれ、あるいは閃光に焼かれ、紅い塵へと還っていく。

マリアとセレナの間にある、長きに渡る死別の時。

しかし今、二人はその空白の時間など存在しなかったかのように、互いに息を合わせて戦っていく。

 

「立花ッ!」

「こいつら雑魚はあたしらに任せて、おまえはあいつをやってくれッ!」

 

 翼が――奏が、そして他のみんなが、響へと託す。

未来を、そして可能性を。

ただ一人、それを成し遂げられる響を信じ、任せて戦っている。

裏切りや、ぶつかり合った事など、まるで無かったかのように。

 

「響、行こう」

「うん、行こう。未来」

 

 二人もまた、並び立つ。

今、同じ場所で、同じ敵を見据え、同じ想いを胸に、二人は並び立つ。

その唇から二人――共に同じ旋律を口ずさみながら、そして飛び立っていく。

 

「目など見えずともッ!」

 

 二人へ目掛けて雷撃が迸る。

視力を失った訃堂は、それでもなおヴィマーナの機関により感覚を統制し、響たちの位置をおおよそには把握出来ているようであった。

夜空を青白く、跳ね回るように伝播するその雷撃は、宛ら意思を持った生き物のようにうねり、襲いかかる。

 

「雷はわたしがッ!」

 

 響の背後から展開された鏡から、幾条もの閃光が放たれては、聖遺物の力を減衰し消し去るその力を以て、迫り来る雷撃を――その悉くを飲み込んでいく。

 響の眼前。

開かれた雷撃の先に訃堂の姿が、ヴァジュラを手にした右腕が、目に映る。

雷撃を再び放つまでの僅かな間隙を、逃すことなく捉えていく。

 

「貫けぇぇぇぇッ!」

 

 渾身の拳が放たれる。

それは、ヴァジュラの中心を射抜き、そのままに訃堂の右腕を一息に貫いていく。

肩口までを粉砕された訃堂は、大きくよろめきながら、断末魔の叫びを上げた。

 

「やりましたッ! 皆さんッ!」

 

 その一部始終を見据えていたエルフナインは、思わず歓喜の声をあげる。

――いや、エルフナインだけではなかった。

弦十郎も、八紘も、緒川も友里も藤尭も、誰もが安堵していた。

S.O.N.G.本部の誰もが――そして、装者たちもまた誰もが、戦いの終わりを確信していた。

その両の腕が失われた今、訃堂は完全に無力化されたのだと。

そう――そのはずだった。

 

「ぐあッ……!」

 

 その安堵も束の間――横薙ぎの衝撃を受けて、響はその全身を弾き飛ばされていた。

受け身を取ることも叶わず、直撃したその衝撃に思わず呼吸もままならず、喘ぐように転落していく。

 

「響ッ!」

「立花ッ!」

「響さんッ!」

 

 各々が悲痛な声を上げる。

それは、復元途中で放棄された左腕による一撃であった。

雷も、神の火も宿してはいないただの殴打ではあったものの、その直撃による衝撃とダメージは、とても軽微なものとは言い難く、ガングニールの破片が幾つも飛び散っていく。

 その身体が地面に衝突する間際、なんとか追いついた未来は、響の身体を受け止めた。

一同が胸をなで下ろしたのも束の間。

装者たちの眼前で、再び船体は雷撃を纏っていく。

 

「嘘だろッ!?」

 

 クリスは思わず己の目を疑い、声を上げていた。

両腕を破壊してもなお、雷撃を纏うその姿を、信じられないと言った面持ちで見据える。

 

「そんな、腕も聖遺物も破壊したはず……」

「なのに何でまだ戦えるんデスかッ!?」

 

 左腕は幾らか復元が進んでいるものの、右腕の方は未だに打ち砕かれたままであった。

しかし、それはあくまでティキの残骸から造り出した仮初めの肉体に過ぎなかった。

謂わば、聖遺物本体ではなく、ただの砲塔に過ぎないのである。

 

「果敢なきもの共が……本当の聖遺物が無事な限りこの力もまた健在……仮初めの肉体を破壊した程度で、吾を押し留められる等と思うてくれるなッ!」

 

 その言葉を証明するかのように、再度その船体より青白き雷撃が迸る。

それは宛ら意思を持ったかのように響を――そして、抱きかかえるように飛翔して逃れる未来を執拗に追い、雷撃の舌を、触手を伸ばして行く。

 

「立花ッ! 小日向ッ!」

 

 翼は千ノ落涙を以てして、無数の短剣により押し留めようとするが、雷撃相手では妨げる事すら出来ず、ただただ乱反射をさせるのみであった。

己の不甲斐なさに思わず歯噛みする。

 

「くっ……遠距離からじゃ効きゃしねぇ!」

「かと言ってここからでは直接的な援護も……どうすれば良いのッ!」

 

 それはクリスのミサイルでも、マリアたちの短剣でも同様であった。

攻めあぐね、援護すら難しい状況に、クリスもマリアも思わず弱音をこぼす。

まして、接近戦を主体とする調と切歌では言わずもがなであった。

 

「未来ッ!」

「響!?」

 

 追い縋る雷撃がすぐ背後まで来ている事に気が付き、響は半ば突き飛ばすように未来の支えから逃れると、一人その身に雷撃の直撃を受ける。

帯電するその身体を、未来は咄嗟に再び受け止めると、その異変に気が付いてはっとした。

 

「響……?」

 

 いつからだろうか?

その身体は随分と薄ぼんやりと透けたように見え、抱きしめる感触もまた、頼りないほどに弱々しい。

まるで今にも目の前から消えてしまいそうなその姿に――その有り様に、未来は心配そうにを抱くが、響は気丈に笑ってみせる。

 

「へいき、へっちゃら……だって、わたしは一人じゃない……みんなが居てくれる。だからまだ、頑張れるッ」

 

 よろめく身体を押して、響は立ち上がると、再び訃堂の眼前へと向けて飛翔する。

未来もまた、その身体を支えるように寄り添って、共に飛び立っていく。

気付けばアルカ・ノイズを片付けた一同も皆、響の元へ集まって来ていた。

 その耳元へ、ふと本部からの無線が届く。

それは懐かしく、優しく、そして力強い声であった。

 

「そうとも、君は一人なんかじゃない。一人になんぞさせるものかよ」

「師匠ッ……!?」

 

 発令所のカウンターにもたれかかるようにして、弦十郎は無線を発していた。

傍では緒川が、心配そうにその身体を支えているものの、それらを悟られまいと、弦十郎は声を張る。

響はその言葉に、声に、半ば泣き笑いのような顔をして、安堵した。

 あの日、自らの手で傷付けてしまったはずの弦十郎が、それでも自分の事を受け入れてくれるのが嬉しくて。

 

「響さんッ! こちらから観測する限り、ヴィマーナのエネルギー炉心は、船体中心――その底部に近い位置にあると思われますッ!」

 

 エルフナインは、友里・藤尭とともに観測・分析したデータから、そのエネルギー源を推測し、響へと手短に伝える。

恐らくは、そこにこそ訃堂の本体は居るのだろう。

そして二振りの聖遺物もまた、そこにあるのだろう。

――ならば狙うはその一点である。

 

「腕など無くともッ!」

 

 両腕を無くした訃堂は、それでもその口腔内へと力を――光を集束させていく。

禍々しい紅蓮の輝きは、既に随分と煌々と宿つつある。

最早一刻の猶予も有りはしなかった。

 

「やれるか、響くん」

「わかりました、やってみます!」

 

 響は目の前に、真っ直ぐ訃堂の姿を捉えると、拳を構える。

その背中を後押しするように、一同もまた並び立ち、響へと力を集めていく。

それらは巨大なフォニックゲインの塊となり、やがて実体化したそのエネルギーは、巨大な拳を形成していく。

 

「何をするつもりかは知らぬが、そこへ集っていると言うのならちょうど良い。まとめて灼き尽くしてくれるッ!」

 

 その口腔内の輝きが増していく。

今や、眩いばかりに輝くそれは、その姿を目視にて捉える事すらもままならない程であった。

残された勝機は一度にして一瞬。

しかし、迷いも、諦めも、誰一人抱いてなどはいなかった。

ただ響を信じ、響に全てを託していく。

 

「フォニックゲインで出来たこの身体は、今日にだって消えてしまうかもしれない……だけど、それでも、守った明日は――未来は消えたりしないッ!」

 

 拳を握り、狙いを定め、響は一息に飛び出した。

それは夜空を切り裂くように、最速で、最短で、まっすぐに――一直線に訃堂の、その船体のエネルギー炉心へと、宛ら一振りの槍のように放たれていく。

 

「させるものかッ!」

 

 ヴィマーナのセンサーとも言える機関の働きによりその接近を悟った訃堂は、突貫する響を迎え撃つべく、天を衝くその豪雷を一点へと集束させていく。

それは間も無くして、巨大な稲妻の塊となって、響へと襲い掛かった。

 

「おおおぉぉぉぉッ!」

 

 握った拳を開き、豪雷を受け止めるようにして響は尚も突き進む。

帯電した空気が肌を焼き、その身に纏うシンフォギアをショートさせるように火花を散らしながらも、響は決して折れることなく突き進んでいく。

その雷撃を切り裂くように、打ち砕くように。

 誰もが響の名を呼び――叫ぶ。

力よ届け――と。

歌よ届け――と。

強く祈りながら、その背中へと祈るように、押すように拳を突き出して。

 

「稲妻を喰らい――」

「――雷を……握り潰すようにぃぃぃッ!」

 

 弦十郎と響は、共に声を合わせるように吼える。

かつて教わった、その拳の使い方を。

大切なものを守ろうと手に入れた力を。

そしてその意思を握りしめて、ただ真っ直ぐに――真っ直ぐに貫いて行く。

 

――刹那の静寂。

 月を背に、二つの影が交差する。

巨大な船影を貫くようにして一筋の影が通り過ぎると、間も無くして中天に、眩い輝きが瞬いた。

それと同時に、辺り一面に爆風が吹き付けて、海は再び猛々しく荒れ狂っていく。

それは宛ら小型の太陽が落ちたかのように、夜の闇を照らし上げ、やがてゆっくりとその輝度を失って行くと、静寂のみが後には残されていた。

 

 

未来へ向かって、咲き立つ花

 

 

「はかなきものが……この力失くして、どうアヌンナキに対抗する。この国を――星を蹂躙せしめんとする夷狄を、どう討ち滅ぼす事が出来ると言うのだ」

 

 粉々になったヴィマーナの残骸の中に、挟まれるようにして訃堂は横たわりながら、呻くように響を詰る。

息も絶え絶えに、振り絞るように吐き捨てるその姿からは、その目前に死が迫っている事を窺い知れるようだった。

その、僅かな時間に怨嗟を吐き散らす訃堂の手を、そっと握るようにして、響は問い掛ける。

 

「戦わないで分り合うことは、出来ないんでしょうか……」

 

 優しく包むようなその手を振り払うと、訃堂は苦々しげに天上の月を仰ぎ見た。

既に光を失ったその瞳には、何が映っているのだろうか。

その胸中に、どのような想いを抱いているのだろうか。

 

「世迷言を……語り合う言葉すら取り上げた者共と、わかり合う事など出来るものか」

 

――馬鹿げた事を。と吐き捨てると、訃堂はゆっくりと息を吐き、翼を見据える。

 その瞳は何処と無く澄み渡り、優しささえも窺わせているようであった。

――いや、あるいは諦観によるものだろうか。

訃堂は、しばらくそうして翼の姿を眺めた後、弱々しくその手を――指先を、頭上の月へと指し示す。

 

「彼奴等は間も無く月へと現れる。示して見せるが良い、貴様等の……信念を……」

 

 そうとだけ言い終えると、伸ばした手をゆっくりと下ろし、訃堂は事切れた。

誰一人、言葉を発するものは居なかった。

ただ、風の音だけが、耳元で鳴っていた。

束の間の静けさだけが、辺りに充ちていた。

 しかしそれは、唐突な本部の警報音に破られる事となる。

 

「どうした藤尭ッ!」

「これは……月遺跡近辺に、異常な高エネルギー反応……それも、一つや二つじゃありません!」

 

 その言葉に、弦十郎も慌ててモニタへと視線を移す。

藤尭の言葉が示す通り、そこには夥しい数の反応が捉えられていた。

 

「十や二十どころじゃありません……百、いや、それ以上に増え続けています……!」

「まさか、これが全てアヌンナキだって言うの?」

 

 無数の巨大な反応を前に、藤尭も友里も、弦十郎すらも言葉を失っていた。

見上げた月のその表面に、無数の光点が明滅する。

それは、徐々に数を増し、そしてこちらへ近づいてくるかのように大きくなっていく。

 

「こちらでも確認しました……月の上に、肉眼で捉えられるほどの多数の光点を」

 

 報告する翼の声からは、感情が失われているようだった。

唖然とした面持ちでそれらを眺めて居たのは、翼だけではない。

そこにいる誰もが同様に、ただただその光景を見上げて居た。

 

「その一つ一つ……どれもが絶唱級……いえ、それ以上です。こんなの、どうすれば……」

 

 エルフナインの声も、絶望に満ちていた。

抗いようの無い絶対的な力が、いま目の前に、この星を覆い尽くさんばかりの量で現れたのだから、それも無理からぬ事だろう。

キャロルをも――あるいは訃堂のヴィマーナすらも凌駕するそのエネルギーは、未だその数を増し続けているのだ。

 

「みんな、もう一度だけ力を貸してくれないかな」

 

 響は、そう言って笑いながら振り返る。

唐突な響の言葉に戸惑う一同は、しかし抗う間も無く、半ば強制的にギアの力を取り上げられて、インナーギア姿のみが残された。

 

「おまッ……どういうつもりだ!」

 

 食ってかかろうとするクリスだったが、何も言わずに笑顔を――少しだけ寂しそうな笑顔を向けられて、思わずそれ以上何も言えなくなってしまう。

その笑顔の裏に込められた響の想いを言外に察してしまい、何も――何一つ言葉など発する事は出来なくなってしまう。

 

「翼さん。半人前だったわたしを、ずっと引っ張ってくれてありがとうございました。勇気をくれた翼さんの歌、これからもずっと楽しみにしてますから!」

「立花……?」

 

 まるで、遺言のようなその言葉に、翼は困惑する。

――馬鹿なことを言うな。と、口に出したいのに、どうにも言葉に詰まってしまう。

言葉も無く、ただただ口をぱくぱくとさせる翼へと、響は改めて笑いかけた。

 

「マリアさんも……いつかわたしが力の使い方に迷った時に、叱ってくれましたよね。おかげでわたし、立ち直ることができました」

「そんな……わたしの方こそあなたが居たから踏み留まる事が出来た。感謝するのはわたしの方よ」

 

 マリアに礼を言われ、響は少し照れ臭そうに笑う。

響の想いを、意図を言外に察し、引き留めようとするものの、マリアもまた言葉に詰まり、口ごもってしまう。

 

「切歌ちゃん。わたし、切歌ちゃんって何だか他人の気がしなくて、妹がいたらこんな感じかなって思ってたんだ。もっと……もっと姉妹みたいに話してみたかったな」

「だったら、今度一緒に出掛けるデスよ! お揃いの服を着て姉妹みたいに……」

 

 哀願するような切歌の約束に、けれど響は言葉もなく、申し訳なさそうな顔で笑って応える。

その無言の答えが、響の想いを窺わせる。

 

「調ちゃんの作ってくれた料理、本当に美味しかった。来年の誕生日もまた食べたかったな」

「わたし、また作ります……誕生日じゃなくたって何度も、だから――」

 

 今にも泣き出しそうな調へと、響は「ありがとう」とだけ返し、微笑んだ。

 

「クリスちゃん……あの時、わたしの名前呼んでくれたでしょ? 本当はね、あの時すっごく嬉しかったんだ。もっともっと、沢山呼ばれてみたかったな……」

「これから何度だって呼んでやる……たがら、そんな、これで終わりみたいな言い方するんじゃねぇよッ」

 

 肩を震わせ、泣きながら答えるクリスに、響も涙を堪えながら、小さく「ごめんね、ありがとう」と微笑みかけると、未来の方へと向かい合う。

 

「未来……」

「響……」

 

 響は、何度も何かを言おうとして、口を開くものの、言葉が上手く出てこない。

伝えたい事は幾らでもあるはずなのに――だからこそ、本当に伝えたい言葉が、上手く出て来てくれそうにないのかも知れない。

 その手をそっと繋がれて、響はハッとして未来の顔を見る。

未来もまた、目に涙を浮かべて、それでも懸命に、笑顔を作っていた。

響の想いを察するかのように。

 それが嬉しくて、胸が詰まりそうで、響は小さく「へへ」と笑う。

 

「春になったらね、また流星群が見られるらしいんだ。わたしはそれを未来に……みんなに見せてあげたい」

「うん……わたしも響と一緒に、また流星群を見たい」

 

 未来は精一杯の笑顔を作って応える。

その頰を幾つもの涙が溢れ、地面を濡らしていく。

 

「うん……そうだね、約束だ」

 

 響は嬉しそうに笑い、そして――手を離す。

柔らかな感触が、温かいその温もりが、離れてしまう。

 

「必ず、帰ってくるから」

 

 真っ直ぐな眼差しでそうとだけ言うと、響は振り返り、駆け出していく。

その手を――背中を、追い縋るように未来は手を伸ばした。

けれど、しかし、駆け出したその背中は遠く――

 

「――響ッ!」

 

 堪え切れなくなりその名を呼ぶが、響は振り返らない。

月へと向かい一気に飛翔していく。

未だその数を増やし続ける頭上の反応へと向かい、真っ直ぐに。

 遠ざかるその背中から、旋律が、歌が、紡がれる。

それは何処までも悲しく、勇ましい。

『悲壮』という言葉が相応しい歌だった。

 

「さて、と……そんじゃ、あたしも行ってやらないとな」

「奏……?」

 

 ただただ黙って見送るしか出来ずに居た一同の中、奏は一歩踏み出す。

その横顔に浮かぶ笑顔は、何処と無く寂しさを窺わせていた。

 

「この身体は、あいつからの借りモンだ。返してやらなくちゃいけないだろ?」

 

 翼の方へと向き直り、奏は「にっ」と笑う。

いつかのように――いつものように。

変わることの出来ないあの頃の、少女のままの笑顔で。

 

「翼……歌うの止めんなよな。あんたが歌ってる限り、あたしは此処に居るからさ」

 

 そう言って奏は翼の胸のあたりを、拳でトンと叩く。

触れられたあたりから、ぢわりと全身に熱が伝わるような感覚が広がったように思えたのは、気のせいだろうか。

思わず、触れられた辺りを確かめながら、翼は奏へと聞く。

 

「わたしは、歌ってもいいの……? だって奏はわたしが一人歌う事を――」

「ったりまえだろ? あの時だって言ったじゃないか……『許すさ』って」

 

 奏が呆れたように口にしたその言葉に、翼の瞳から大粒の涙が溢れる。

ずっと、自分の記憶の中の姿でしかないと思っていた。

胸に焼きついたままの想い出だと思っていた。

けれどそれは、歌の力が繋いでくれた、本当の奏の言葉だったのだ。と、今更ながらに知らされて、ずっとそばに居たのだと気付かされて、翼は思わず嗚咽を漏らす。

 そんな翼を、奏はそっと抱きしめるのだった。

 

「相変わらず、翼は泣き虫だ」

「そういう奏は意地悪だ……でも、そんな奏がわたしは大好きだよ……これからも、ずっと」

 

 そんな翼に、奏は少しだけ照れ臭そうに「ばーか」と笑いながら、そっと身体を離す。

その身体は既に随分と透明がかり、消えてしまいそうな儚ささえ漂わせていた。

「じゃあな」と、響の元へと空を駆けて行くその背中へ伸ばされた手は、けれど触れることなく空を掴む。

 その指先に、虹色の残滓を残して――

 

「行くのね、セレナ」

 

 涙交じりのマリアの言葉に、セレナはこくりと頷く。

セレナもまた、奏と同じく響の元へ向かおうとしているのだとは、すぐに分かった。

心配そうに見上げる眼差しが――そして、マリアへと向けられた優しい眼差しが、言葉も無くその想いを物語っていた。

 

「わたしも、マリア姉さんの生きているこの世界を――明日を守りたい……だから、行かなくちゃ」

「そう……そうね。あなたはいつだって優しすぎるから……」

 

 いつの間にか、身長も、身体の大きさも差がついてしまった。

大人になってしまったマリアとは違い、セレナはあの頃のまま、時を止めていたのだと思うと、胸が詰まる。

そんな一回り大きなマリアを、抱き寄せるようにして、セレナは抱きしめた。

その感触は、既に随分と薄ぼんやりとして、もう既にセレナの実体が失われつつある事が、マリアにもよく分かる。

 そんな残された僅かな感触を探るように、マリアもまたセレナを抱きしめた。

柔らかな感触に指先が、手のひらが、その腕さえも沈み込んでいく。

 

「そんな優しいセレナを、わたしはいつまでも誇りに思うわ」

「ありがとう……ずっと大好きよ、姉さん」

 

――するり。と、その感触が腕の中から抜け落ちて、セレナは少しだけ、哀しそうに笑って見せた。

 そうして、セレナもまた、響の元へと飛び立って行く。

その背中へ、マリアはあらん限りの声で「わたしもずっと大好きよ、セレナ」と叫ぶ。

その声は、セレナへと届いただろうか――

 

「お前たち! 本艦を近場につけた! 急ぎこちらに退避するんだッ!」

 

 弦十郎からの無線とほぼ時を同じくして、沖の方にS.O.N.G.の本艦が浮上する。

月の表面に浮かぶ光点は、今や明確な形を示すほどに近付き、増え続けている。

それは宛ら、伝承に登場する天の御使のように、神々しいまでの、白銀の羽を広げた姿を模っていた。

地上でも分かるほどに、肌をビリビリと打つその存在感が、エネルギーの余波が、今や世界を絶望へと叩き落としていく。

 

「小日向、何をしているッ!」

 

 一同が退避しようとする中、未来だけはただ一人、頭上を仰ぎ見ていた。

翼の声にも動じる様子はない。

放心しているのだろうか? 否――自らの意思でそこにいるのだ。

 

「わたしは、見届けます……響はきっと、必ず何とかしてくれる……だから、それを最後まで見届けたいんです!」

 

 頑なに未来は動こうとしなかった。

その言葉に、他の装者たちもまた、立ち止まる。

 

「そうだな……まだあいつに貸したもんを返してもらってないしな」

 

 クリスは、インナーギア姿の己の手足を眺めながら言う。

――こんな薄ら寒い格好させやがって、あのバカ。と、悪態をつきながら、同じように頭上を仰ぎ見る。

 

「そう……響さんならきっと……ううん、必ず」

「帰ってくるって、約束デス」

 

 調も切歌も、響の言葉を信じて帰りを待つ事に決めたらしく、二人手を取り合って空を見上げる。

繋ぎ合った手を、恐怖を押し殺すように強く握りしめながら。

 

「そうだな……」

「そうね、あの子のことだから……」

 

 翼とマリアもまた、思い直したようにそこへと留まり、互いに笑い合う。

これまでも、さっきだって、およそ誰にも不可能と思われることをやってのけてきた響の事である。

これが、彼女の可能性を――その希望を信じずにいられようか。

 

「この馬鹿者共が……」

 

 そうは言いつつも、弦十郎の声は何処と無く嬉しそうであった。

弦十郎だけだはない。

本部にいる誰もが未来の言葉に同意を示し、呆れたように笑い合っていた。

 

「だったら、響くんの帰りを待ってから、お前たちも帰投しろ。それまで俺たちもここにいるさ」

 

 そうとだけ言い、弦十郎もまた甲板へと上がり、空を見上げた。

そこにはすでに、空を埋めつくさんばかりの輝きが迫ってきている。

夜明け前のまだ暗いはずの空は、しかし今、真昼のそれに等しい明るさを持って照らされている。

およそ人に、人間にどうこうしようなど、出来る相手ではない。と、その光景が現実を――絶望を突きつけようと示している。

 それでもあの少女は――立花響は、決して諦める事なく、たった一人で立ち向かっているのだ。

 

「響くん……」

 

 拳を固く握りしめ、一人小さくその名をこぼす。

疑いなどはしない。

響を信じざるを得ないこの状況である。

 ただ、響一人に背負わせてしまう自らの不甲斐なさを、内心に自責しているのだ。

そんな弦十郎へと、マリアは提案する

 

「司令、お願いがあるのだけれど――」

「お願い、だと?」

 

 

 

――上下左右。

 言い換えるのであれば見渡す限り――だろうか。

それらは既に地球を取り巻こうとしていた。

みんなの手前、そして未来の手前、あんなことは言ったものの、本当に分かり合えるだろうか? 手を取り合えるだろうか? と、今更な不安が胸をよぎる。

 たかだか一人のエクスドライブ――それも、随分と消耗して、既にこの身体も消え行かんとしている。

だというのに――

 

「だとしても……ッ!」

 

 自らを奮い立たせるように、両手で頰を打つ。

今ここで自分が諦めてしまえば、守りたい人たちが、大切な人たちが、そして何よりも、大切な陽だまりが危機に晒されるのだ。

 響は心を、勇気を振り絞ると、地球を背に手を広げ、宛ら庇うような――受け止めるような姿勢をとる。

それに呼応するようにガングニールの背面から生えた羽が広がっていく。

それでも、迫り来る全ての脅威を受け止める事は叶わないかもしれない。

――力が欲しい。と、願う。

 戦う為ではなく、守る為の力を少女は切望する。

ただ一人になったとしても、守りたいものたちのために。

 

「おいッ、大丈夫か!」

「響さんッ!」

 

 背後から聞こえた声に振り返ると、そこには奏とセレナの姿があった。

その姿に、響は思わず「二人とも……なんで?」と声を上げていた。

響に遅れて飛び立つこと――ようやくに追いついた二人は、けれど響と同じく、随分とその輪郭も、存在そのものも薄ぼんやりとさせている。

 

「あたしらの分も使ってくれッ!」

「守りたいものがあるのは、わたしたちも同じですッ! だから――」

 

 響の手を取り、二人は声を上げる。

既に空を埋め尽くした脅威は、地上へと向け下降を始め、目前にまで迫っている。

迷っている余裕など無いことは、響にも分かっている。それでも――

 

「だけど、そんなことしたら二人とも……」

 

――もうみんなと会えなくなってしまう。と、躊躇う響の手を、二人は痛いほどに強く握り締める。

二人の向けるその眼差しには、確かな――強い意志が浮かんでいた。

 

「ほんの少しの間でも、翼とまた歌えたんだ。あたしはそれで充分さ」

「わたしも、マリア姉さんに、ちゃんと『大好き』って伝えられたから、充分です」

「二人とも……」

 

 三人は顔を見合わせて頷くと、再び手を強く握り合う。

想いを一つに束ねて、再び絶唱を紡いでいく。

守りたいもののために。

守りたい明日のために。

奏とセレナの身体は次第に輝き、その輪郭を失い始めた。

それらはやがて虹色の輝きを放ち、響の身体を包み込んでいく。

 

「そうだ、わたしは……わたしたちは生きるのを諦めるんじゃない……大切な人たちの明日を――未来を諦めないためにッ!」

 

――刹那、空の彼方、月を背にして金色の輝きが生じる。

 それは、太陽の輝きに似た温かさを以て、地上を――そして月をも照らして行く。

響の元へと集束し、その身に纏うギアを、再び金色へと染め上げていく。

その背中の両翼もまた金色に輝き、迫り来るアヌンナキたちを、その全てを受け止めんとばかりに急速に――そして大きく広がっていく。

 

 同じ頃、地上ではS.O.N.G.によって緊急的にジャックされた全ての通信回線、全ての映像回線に、マリアの姿が映し出されていた。

それは、かつてフロンティアに於いて行われた演説を彷彿とさせる姿であった。

 

「みんな、聞いてほしい」

 

 いつかの演説での事を思い出しながら、それでもマリアは世界に告げる。

この脅威を、そしてそれに抗う少女が居ることを。

 

「いま世界は、アヌンナキという未曾有の脅威に晒されている……けれど、その脅威にたった一人立ち向かっている少女が居る」

 

――どうか、どうか届いて欲しい。と、切に願いながら。

そして祈り、訴えるように。

 

「だから、どうか諦めないで欲しい。そして、彼女を信じて欲しい。歌って欲しい。それこそが、何よりも彼女の力になるのだから」

 

 そして、それだけ伝えると、残る装者たちと共に、歌を紡いでいく。

優しくも力強い旋律を――

 

 

 

――響は、ありったけの力を以てその翼を広げていた。

 既にそれら全ての脅威を受け止めるだけには広がっただろうか。

しかしその負荷は、容赦無く響の全身を灼いていく。

全身を引き裂かんばかりの痛みが、まるで握りつぶされるような苦しみが、その小さな身体を蝕んでいる。

 それでも響は、途切れそうになる意識を、歯を食いしばりながらも必死に繋ぐ。

諦めるものか。

投げ出すものか。

手放すものかと、己に言い聞かせながら。

たった一人で――

 

「これは……」

 

――いや、一人では無かった。

ふと、その苦痛が和らぐ。

辺りを見渡すと、優しい光が一面に溢れていた。

それは確かな温かさとなり、響の体を包み込んで行く。

 

「もしかして、みんなの……?」

 

 目を見開き、その確かな想いを握り締め、束ねるように両の翼に込めていく。

それらは星を守る笠のように、あるいは衆生を救う観音の、無数の御手の如く、いくつも大きく展開していく。

 

「そうだ……わたしたち人間は繋がれる、分かり合える。だったらきっと、神様とだって――」

 

 広がり続けるその翼は、空一面を金色の光で覆い尽くしていく。

アヌンナキたちの姿さえも見えぬ程に広がったそれは、宛ら金色の華のように、空へと眩く咲き乱れていく。

 やがて、それらに触れたアヌンナキたちは、まるで光へと分解されるように、その姿をひとつ、また一つと夜空に解かしては消え始めた。

それらの残滓はいくつもの星のように空を流れていく。

流星群のように輝きの流れる空を、未来たちは、ただただ真っ直ぐな瞳で見上げる。

ただ、そこへ立ち尽くすようにして。

 

「わたし、諦めないよ。響が守ったこの世界で……生きていくから」

 

そう、誰へともなくこぼしながら――

 

 

 

 ――八千八声

 啼いて血を吐く

 ホトトギス

 

 その小さな鳥は、血を吐きながら、歌を歌い続けるという。

 わたしの大切な親友も、歌を歌い続けた。

 血を流しながら、歌い続けた。

 

 わたしの大切な親友は、戦場で、歌を歌い続けた――

 

 (戦姫絶唱シンフォギア 一話より引用) 

 

 

 

 合唱部によるリディアンの校歌が聞こえてくる。

春風が優しくカーテンを揺らし、暖かな陽射しが教室内を照らしている。

放課後の、どこまでも平和な――日常の風景がそこにはあった。

 その歌声に耳を傾けながらもそそくさと荷物を仕舞うと、未来は一人教室を後にする。

正面玄関へと向かうその廊下で偶然に会ったのは、いつもの仲良し三人組であった。

 

「ヒナ、これから帰り? 良かったらこれから一緒にふらわーにでも行かない?」

「ごめん、今日はちょっと……」

 

 創世の誘いに、しかし未来は迷う事なく断りを入れる。

少しだけ申し訳なさそうに、けれど、明確な意思を表する。

 その様子に、創世は「おや?」という表情を浮かべた。

 

「何かご予定でも?」

「うん、流星群をみんなで見に行くの」

 

 創世と同じく不思議そうに訊ねる詩織に、未来は二人へと説明する。

今日は以前から約束していた、みんなとの星を見る予定であった。

その約束を反故にするわけにはいかないだろう。

 

「そっか……じゃあ、また今度行こうよ」

「うん、ありがとう」

 

 予定があるなら仕方ない。と、がっかりした様子の弓美たちと、その後も一言二言交わすと、未来は真っ直ぐに帰路へ着いた。

その背中も、そのやり取りも、何処と無く元気が無いことは、弓美ですら目に見えて分かるほどである。

 

「ビッキーのこと、やっぱり気にしてるのかな」

「そうですね……小日向さんのことですから」

「っとにあの子ったら……アニメみたいな生き様をしちゃってさ」

 

 その表情は一様に暗かった。

誰もがその理由を知っている。

今こうして、未来の隣に響が居ない、その理由を――

 

 自室へと戻り、ドアに鍵を掛けた頃。ポケットの中の端末が小さな音で着信を告げた。

それは、他ならぬ切歌からのメッセージであった。

「今日の何時に迎えに来るか?」という簡単な内容ではあるものの、様々な絵文字や顔文字を駆使されたうえに、分かりづらい言葉で語られるそれは、内容の数倍以上に長い文面となっていた。

 未来は苦笑いを浮かべながら手短に返信すると、時計へと視線を移す。

シャワーを浴びる余裕くらいはありそうだ。と、確認すると、荷物の片付けもそのままに、未来は洗面所へと向かうのであった。

 

 シャワーを済ませて身支度を整え終わる頃には、窓の外も既に夕暮れのそれへと染まりつつあった。

予定の時間までまだ少しある――けれど、やる事も無くぼんやりとする未来の視界に、ふと、立てかけられた写真が目に入った。

 それは、いつか響と撮った、泥だらけの二人の写真であった。

未来はそっと目を細めると、これまでの出来事に想いを馳せる。

 たった二年の間に、言葉にしきれないほどの出来事があった。

喧嘩をしたり、仲直りしたり、シンフォギアの事や特異災害にまつわる様々な事件……大変なことも沢山あったものの、それでもそれは未来と響だけの、大切な思い出であった。

瞼を閉じれば、今もまだ鮮明に、昨日の事のように思い出され、懐かしむように未来は記憶を辿る。

 

 ふと、窓の外でクラクションの音が鳴り、未来は我に返った。

時計へと視線を走らせると、どうやらいつのまにか迎えの時間となっていたらしい。

未来は慌てて荷物を抱えて玄関へと向かっていく。

端末には幾つものメッセージが届いており、窓の外からは、切歌と思わしき声も聞こえている。

 未来は、写真の中の響へと向かい「行ってきます」と告げ、目を細める。

けれど、その言葉に応えてくれる人は、ここには居ないのだ。

再びクラクションの音が聞こえ、慌てて未来が飛び出して行くと、部屋の中には暗闇と静寂だけが残されていた。

 

 マリアの運転する車には、調と切歌が一緒であった。

二人は久々にマリアと会えた喜びからか、随分嬉しそうな様子が見て取れる。

マリアもまた、心なしか少しはしゃいでいるようであった。

 窓の外――通り過ぎる景色を眺めては、誰かが「ずいぶん復興した」と声を上げる度に、他のみんなも口々に、街の復興具合を語り合う。

――あれから数ヶ月。

 世界中が未だ混乱と復興の最中にある中で、それでも世界に報じられるニュースは、少しずつ明るいものを増やし始めている。

その度に、随分時間が経ったように錯覚してしまうが、こうして街並みを見ると、やはりまだまだ復興は始まったばかりなのだと分かる。

 四人は、時折そうして思い思いにこの数か月の事を思い返しながらも、日常話に花を咲かせて笑い合った。

道中に聞かされた話では、翼とクリス、そして弦十郎たちは、仕事を終えてから合流するのだそうだ。

 クリスと言えば――リディアンを卒業した後は、他に行くあても無いからと、そのままS.O.N.G.へと入り、正式にマリアと翼と同じくS.O.N.G.の正式なメンバーとなっていた。

新年度が始まったばかりではあるものの、どうやらクリスは、しきりに調と切歌の事を気に掛けているらしい。

当の二人もまた、学校で随分と退屈そうに、寂しそうにしている事を未来も知っていた。

 

「さてと、ここで良いのかしら?」

「はい、ここから少し歩くんですけど……」

 

 そうして、互いの近況や他愛もない話をしている内に、車は目的地へと辿り着いた。

それは、いつか響と二人で行った、流星群を見た場所であった。

二人で何度もやってきたこの場所へ――けれど、今日はいつもとは違う。

 響は、そこには居ないのだ。

 

「響とも、ここで一緒に星を見たんです」

「……そう」

 

――そう、懐かしむように空を見上げると、景色は既に夕闇のそれへと変わっている。

 日中の温かさはすっかり身を潜め、風が吹く度に寒ささえ感じる。

夜の気配が、すぐそこまでやってきていた。

 

「それじゃ早速、ご飯の準備をするデスよ!」

 

 寂しげな未来の雰囲気を振り払うように、切歌は元気良くそう宣言すると、車のバックドアを開けては積み込まれていた荷物を順番に取り出していく。

組み立て式の簡易なテーブルや、折り畳み式の椅子。

飲み物の入ったクーラーボックスなどを取り出して、四人は早速食事の準備に取り掛かる。

 そうして、弦十郎たちがやって来るよりも前に、食事の支度はすっかり済んでしまうのであった。

 

「昨日のうちに作っておいたものばかりだけど……」

 

 弁当の包みを開けながら、調はおずおずと説明する。

作り置きとは言え、随分と彩りの鮮やかなそれらは、宛ら総菜店のオードブルのように、十二分に豪勢な食事と言えるものであった。

 

「おっ、集まってるじゃないか」

 

 相変わらず様子でそこへやって来たのは、弦十郎率いる残りのメンバーであった。

翼とクリスの他にも緒川・藤尭・友里とエルフナインも一緒に来たらしく、すっかりいつも通りの顔触れとなっていた。

 

「うぅ……アタシもうお腹がぺこぺこデスよ……」

「あなた、車の中で散々お菓子を食べてたじゃない」

 

 切歌の消え入りそうな声に、マリアは思わず呆れたように声を上げると、「それとこれとは別腹デスよ」と切歌はむくれるのであった。

かくして一同は、何よりもまず食事にしよう。と、早速に調の持参した弁当の他、大人組の持ち込んだ食べ物を楽しむのであった。

 

「やっぱり調の作るお弁当は最高デース!」

「ああ、さすがは月読だな」

 

 ほくほく顔の切歌と共に、翼は弁当をつつく。

弦十郎や友里もまた、その出来に随分と感心した様子である。

そんな一同とは打って変わって、藤尭だけは興味深そうに味付けや調理方法について訊ねては、調を戸惑わせていた。

 

「でも、本当は響さんにも食べてもらいたかった……」

 

 そんな中、調はふと、内心の思いを口にする。

それは、本人にとっても半ば無意識に言葉にしていたものではあったものの、一同の間に重い沈黙が流れる。

 

「そう……デスね。きっと響さんなら飛び上がるほど喜んだデスよ」

 

 調に同調する切歌を見かね、マリアは「ちょっと二人とも」と、咎めると、三人は未来へと詫びる。

響の不在を誰よりも気に掛けているのは、他ならぬ未来のはずなのだ。

 

「良いんです。悪いのは約束を守らなかった響だから」

 

 そう言って微笑みを作る未来の姿は痛ましくすらあった。

本当は、誰よりも今日、共に星を見たかったであろう未来は、それでも周囲へと気を遣い、気丈に振る舞っているのだ。

 

「けど、あいつのことだ。きっと『おーい、みんなー』って現れるんじゃねーか」

「そうだな、立花の事だ。ひょっこり顔を出すかもしれないな」

 

 クリスと翼は、そんな響の姿を思い浮かべ、笑い合う。

本当に、今にもそして現れそうで、一同もつられて笑い声を上げる――同じように未来もまた。

 

「何せ、食い意地が張ってるからな」

「本当、いつもびっくりするくらいにごはんをおかわりするんですよ」

 

 弦十郎の言葉に、普段の響を思い浮かべながら、未来は笑って頷いた。

それは作り笑いではなく、本心からの笑顔だろう。

 

「本当、今にも声が聞こえて来そうね」

 

 懐かしむようにマリアも微笑んでいた。

遠くから、本当に響の声が聞こえる。そんな気がする。

耳を澄ませば、そこで呼んでいるような気さえする。

 

「ボクもです」

「そうね、わたしも」

「俺も……ってあれ?」

 

 エルフナインも、友里と藤尭も、響の声が聞こえたように思えて、思わず振り返る。

――いや、それは、まごう事なき響の声であった。

 

「おーい! みんなーッ!」

「響ッ! あなたどうしてここに……?」

 

 その場にいた誰もが驚きを隠せなかった。

まさか本当に現れるとは。

誰一人として考えてもいなかった。

響が、今日、この場所に来られるはずは無いというのに。

 

「酷いよ未来、わたしを置いて行くなんて」

 

 泣き出しそうな声で響は未来を責める。

しかし、未来の方はと言えば、むくれた顔で響を睨め付けていた。

 

「響が悪いんでしょ。ちゃんと終わらせるって約束してた春休みの課題、サボったのは響なんだから」

 

 そんな「つん」とした態度に、響は思わず涙目になって「そんなぁ〜」と声を上げる。

全くこんな少女が世界を――今日に繋がる明日を守ったなどと、誰が思えるだろうか。

今、一同の目の前にいる少女は、どこにでもいる――人一倍出来の悪い、けれどどこまでもお人好しな、ただの一人の少女であった。

 

「しばらく先生のところで泊まり込みの補修だったんじゃなかったんデスか?」

 

 呆れた様子で切歌は訊ねる。

未来からも間違いなくそう聞いていたはずである。

調と隣で「うんうん」と興味深そうに話に混じって来ていた。

 

「あぁー、それね……なんとか『今日だけは』って拝み倒して許してもらったんだよ……ってすごいお弁当! これ調ちゃんのだよね、食べていい?」

 

 響はあっけらかんとして笑うと、調のお弁当を見て目を輝かせる――が、早速に唐揚げを一つ摘もうとするものの、未来に耳たぶを掴まれて「まずは手を洗ってからでしょ」と連れて行かれていくのであった。

 しかし、そんな未来の顔もまた、嬉しそうに綻んでいるのは誰の目にも見て取れる。

一番喜んでいるのは、何だかんだ言っても彼女なのだろう。

 

「ったく、相変わらずバカなやつ……」

「あぁ……だが、立花らしい」

「えぇ、そうね」

 

 クリスと翼、そしてマリアは肩を並べて笑い合う。

手を洗い終えた響は、すでに調のお弁当をつまみ、あれやこれを褒めちぎっている。

それを遠目に眺めるエルフナインもまた、そんな響の自由っぷりに呆れながらも、一緒に星見を楽しめるのが嬉しそうな様子だった。

 呆れたようにため息をつきながらも、やはり嬉しそうな顔でその様子を眺める未来へと、ふと弦十郎は声をかける。

 

「その、なんだ……響くんの身体の方は大丈夫なのか?」

 

 一度は失われた身体をどうして響だけが取り戻すことが出来たのか。それは、未だに解き明かされてはいない。

エルフナインもまた、未だに「奇跡としか言いようが無いです」と頭を抱えている次第だ。

だからこそあの一件以来、弦十郎は事あるごとに響のことを気遣っては、未来へと内密に連絡を入れているのであった。

 

「大丈夫です。何かあれば連絡を入れますから」

 

 くすりと笑いながら未来は答える。

あれ以来、どこをどう検査しても、響の身体には異常など発見されていない。

特にどこか身体をを痛がったり、苦しむ様子も見られない。

何の変哲も無い、ただの立花響――ただの普通の女の子がそこに居るだけである。

 強いて言えば、あの戦いの後でガングニール のペンダントだけは復元されなかったくらいだろうか。

今や響は、文字通り『ただの女の子』なのだ。

勿論その辺りのデータ自体は、弦十郎も知っているはずなので、聞きたいのはやはり日常生活の中での異変だったのだろう。

 未来の答えを聞いて、弦十郎は安心したようにため息を吐く。

 

「そう……か。しかし、アヌンナキとは一体何だったんだろうな」

 

 あの時、現れては消えて行ったアヌンナキの行動もまた不可解であった。

月遺跡近辺に転移して来た彼らは、その強大なエネルギーを行使することなく、響の広げた翼へと触れると同時に、流星となって散っていったように、誰からもそう見えていた。

 彼らが月を使い、人々から統一言語を取り上げたというのなら、何が目的だったのだろうか。

そして、フィーネやアダムの想いとは――

 何一つ分からないことだらけの現状で、ただ一つ確かなことは、今こうして人々が無事で居る以上は、人類の存続は許されたのであろう。ということだけである。

それもまた、束の間に与えられたものなのか、あるいはこの先永続的なものなのかさえ分からないのだ。

 

「あれはですね、わたしもよくは分からないんですけど――」

 

 皿いっぱいに盛り付けた弁当をつまみながら、いつの間にやらやってきていた響は二人の間に割って入るように腰掛けた。

二人は思わず「聞かれていなかったか?」と慌てるものの、響はそんな二人の心配も全く気付いていない様子で話を続けていく。

 

「触れた瞬間にこう、頭の中にパーっとイメージが流れてきたんですよ」

「イメージ?」

 

 未来の問いに、響は「うーん」と頭を悩ませると、一つ一つの情景を思い起こすように、ぎこちなくそれを語り出していく。

 

「戦争だとか、災害で大勢の人が苦しんだり、死んじゃったり。そんな光景が見えて……」

 

 なぞるように、紡ぐように語る響に、未来は訝しげな顔で「なあに、それ?」と訊ねる。

それに対して弦十郎は、「ふむ」とだけこぼし、後はただ黙って響の言葉に耳を傾けていた。

 

「上手くは言えないんだけど、子供を心配するお母さん……って感じがしたんだ。子供たちがまた争ってるんじゃないかって、様子を見に来るような……」

「母親――か」

 

 その言葉に、弦十郎は思わず呆れたような声を上げた。

世界を襲った未曾有の脅威の元凶が――その理由がが母の愛だったなどと、三文芝居にしたって酷い顛末ではないか。と、笑う。

 だとしたらあの時、世界中の想いを束ねた響が、その手を伸ばして伝えた『分かり合いたい』という想いを見届けた事で、彼らは安心してこの星を去ったとでも言うのだろうか?

 あまりに馬鹿げた与太話で――しかしそれを否定することも肯定することも出来ず、弦十郎はただただ苦笑いを浮かべることしか出来ずにいた。

 

「おーいッ! 流星群、始まってるデスよーッ!」

 

 ふと、三人へと向けられた切歌の呼び声に夜空を見上げると、その視界の先――星々の間にひとつ、またひとつ、星が流れていくのが見える。

いつの間にか始まっていた流星群に、響は慌てて弁当の残りを掻き込むと、飛び上がるように立ち上がった。

 

「ほら! 行こう未来!」

「うん!」

 

 嬉しそうに声を上げながら、二人はどちらともなく手を繋ぎ、みんなの元へと駆けていく。

並び合い、空を見上げては、こぼれる星の数を数え合う少女たち。

その姿は、どこまでも年相応の幼ささえ感じさせて、弦十郎は思わず目を細める。

その隣に、いつの間にか緒川が立っていた。

 

「司令、ウェル博士の行方ですが――」

「――見つかったのか?」

 

 緒川の言葉に、厳しい顔つきに戻って訊ねるものの、緒川は黙って首を横に振る。

あの日、混乱の最中において、ウェルはS.O.N.G.から姿を消していた。

いくつかの研究データと短いメッセージのみを残して――

 

「『平和な世界に英雄は不要、新たな動乱が僕を呼んでいる』か……」

「次に会う時、彼はまた敵に回るのでしょうか」

 

 ウェルの残したメッセージを思い返すように呟く。

緒川が言うように敵となって現れるか、あるいは味方となって現れるかは分からない。

どちらかといえば、弦十郎としては――

 

「むしろ、二度と顔を見たくないものだがな」

 

 そう言ってため息を吐くと、緒川もまた「そうですね」と苦笑いを浮かべた。

パヴァリアの残党はまだまだ潜伏を続け、それとは別に、今日も世界のどこかでは争いや衝突が起こっている。

明日になれば、また新たな脅威が訪れるのかもしれない。

 それでもせめて、今だけは、この束の間の幸福が――平和な時が、少しでも長く続くように。そして、英雄など必要とされない世界が、いつか訪れるように。と、誰かが――誰もがそう、祈り、願う。

数え切れないほどの流れ星たちに祈り、願えば、一つくらいは叶うだろうか。

 

 誰かがふと、歌を口ずさむ。

つられるように、一人、また一人と、歌声を重ねて行く。

それはやがて美しい旋律となり、夜空へと鳴り響く。

 

――そうとも。

 この世界には歌がある。

命が失われ、想い出と変わっても、決して消えることの無い歌がある。

今日も、明日も、そのずっと先の未来でも。

少女たちは歌い、手を取り合って行くのだろう。

今こうして、そう在るように。

それは、どこまでも優しい旋律。

平和への――祈りの歌のようであった。




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