良いんだよ、求めて (雫。)
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諸星きらりは「それ」を知らない

「……きらりは、ほんとうにこんなに優しくしてもらっていいのかにぃ?」

 

そんな言葉が、弱音が、諸星きらりの口からついつい出てしまった。

 

ここは喫茶店。諸星きらりに対面して座っているのは、イケメンアイドルとして名高い東郷あいと木場真奈美。

 

「ふむ、私たちとしては特別に気を遣ったわけでもないが……」

 

「何か、気に障ったことがあったかな?」

 

「そ、そうじゃなくてぇ……」

 

きらりはこの日、あいと真奈美の二人とともに街に出ていた。理由は大したものではない。ただ、小物作りの材料を買おうと思った時に、二人の予定がちょうどマッチしていたから。一緒にハピハピ、その程度の考え。

 

でも、きらりにとっては初めての体験がそこには待っていた。ほんとうは、きらりが二人をハピハピさせようと思っていたのに。

 

東郷あいは、いつの間にか、動く気配すら隠して、車道側をキープしていた。電車の中で怪しい挙動の男が近くにくれば、何気なくきらりと男の間に割入って、男を萎えさせた。彼女は迷っていればすぐに、笑顔で何らかの選択肢も提示してくれた。

 

木場真奈美の手には、いつの間にか重い荷物があった。持ってくれ、なんて言わない。でも、力のあるきらりでも重いと思うものはいつの間にか、真奈美の手のひらにテレポーテーションしていた。真奈美は、きらりを笑う、或いは狙う者には冷たく鋭い視線を向けていた。何も言わない、それでも、絡もうと思った者は舌打ちをして何処かへと立ち去った。

 

こういうカタチで優しく、いや、これは本当に「優しい」という言葉で良いのかな? こうやって守ってもらえたことは、きらりには初めての体験だった。

 

「……きらりは、みんなよりちょっとおっきくて、だからきらりは、むしろみんなに気を遣ってもらうより、気を遣わなきゃいけなくて……なんな、守って? もらゆの、慣れなくて……」

 

きらりには、守られることがわからない。

きらりには、頼らせてもらうことがわからない。

 

身体が大きく、力の強い彼女は常に、自分こそが周りを傷つけぬよう配慮し、壊さないようにひたすら繊細に大きな手を動かし、そしてともすれば恐怖の対象になり得るその巨体を他者のために使うことを是としてきた。

 

否、使うことを強いられてきた。強いられていることを忘れてしまうほど長い間。

 

「あいさんと真奈美さんは、無理してないにぃ?」

 

だから違和感があった。あいと真奈美の接し方が、作られたものではないかと。

 

「私たちが、か……。いや、むしろ全くもって自然に接していたつもりだったよ。あいは?」

 

「私も同じく、だな。きらりくんをエスコートするのに、何の違和感も無ければ特別気遣うこともない。私は、私があるようにして、君に接していた」

 

「まあ、私としても君のことを恐れなきゃいけない理由は無いからな」

 

「私たちからしたら、君も普通の女の子だよ」

 

普通の女の子として接してもらえる。

別にそれを求めていたわけではない。

むしろ、そんなことは忘れていた。

普通の女の子として接してもらうには余りに厳ついきらりは、自分も周りも「ハピハピ」させることで、「諸星きらり」を一般概念が切り離すことに邁進して久しい。

 

「……あいさんと真奈美さんは、優しさをもらってゆ?」

 

「私たちが、か。はは、難しい質問をするな」

 

真奈美は自嘲気味の笑みを浮かべた顔の前で手を組んだ。

 

「まあ、察しの通り男扱いされることもあるよ。守ってやるような相手ではない、そう思われて別に悪い気がするわけでもないけどな。アメリカにいた時は一応レディーファーストの対象にはなってたようだが、あれは社交辞令だ。空虚なものさ」

 

「にょわ〜……じゃあ、真奈美さんも優しさを貰ってないにぃ?」

 

「いや、そんなことはない。私にとっては、社交辞令の延長にある優しさだけを受けても、それは私が私であることを担保し得るものじゃないからな。だが、私も幸せ者でね、自分を自分たらしめる強さ、それに正確に対応する優しさ、それをくれる人もちゃんといる」

 

「うーん、ちょっと難すぃ……」

 

「なに、難しく思うことはないんだ」

 

と、あいが続ける。

 

「例えば、私はアイドルをやるにしても、性別など関係無く、私という個人として人を魅了することを目指している。むしろそれこそが、何のフィルターもかかっていない、真の純粋な個人の魅力だ。もっと言うなら、〈イケメン〉という評価だって、性別や年齢に囚われなくてもいいと思う」

 

あいはそこまで言って、少しばかり身を乗り出してきらりに顔を近づけた。肩をすぼめて小さくなっているきらりの視界に、麗人と称されるだけある、神秘性を帯びた中性的な貌が広がる。

 

「魅力と優しさは、守りたいと思う心は、時として似ているんだ。『小さいから』『女だから』『弱いから』……そんなマニュアル化されたような基準で誰かに優しさを与え、守るよりは、その相手が欲している優しさを推察して与えたい。私はそうあろうと努力している。真奈美さんが言いたいのは、そういう風に君を守ってるに過ぎないから気にするなってことさ。君を見て、表面的な印象で優しさを与える選択肢を排除した者がいるなら、それはそうやって君と向き合う自信が無いからじゃないか?」

 

「うーん……なんとなくわかったけど……。じゃあ、どうしてきらりの……いや、きらりは……」

 

真奈美とあいが言いたいことはわかった。相手に合わせて優しさを、守りを変えることには慣れているということは。

 

でも、ここで疑問が生じた。だとしたら、私が必要としている優しさは、守りはなんなんだろう?

 

きらりが二人から受けたのは、ある意味で典型的な「優しさ」と「守り」だったと思う。しかしそれは一見、二人の言うような臨機応変さとは矛盾しているようで。

 

でも、きらりの中には確かな幸福感がある。真奈美が感じたような空虚感は全く皆無。

 

私は、私は何を求めているの……?

 



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私が恐ろしいなら

あれは小学校高学年くらいの時だったかな。いや、くらいまで。

 

私は、それまでの私は、当たり前のものをまだ求めていた。当たり前の弱さには、見合った助けを欲していた。

 

でも、私がそうするのは、それは人を傷つけることに他ならなかった。

 

私はちょっとだけ大きい。その分力も強い。でも、それだけで、私が当たり前のことをして周りを壊すのには十分だった。

 

自分の身体的特徴を理由に虐められたら反撃する。それでもだめなら涙という名の発煙筒で助けを求める。痛みを感じる前に身を守る、痛みを感じたら弱さを吐露する。全部、当たり前のこと。

 

助けを呼ぶとは、身を守るとは、即ち足りない分の「優しさ」を自身の外側に求めること。

 

でも、私が「優しさ」を求めることは、破壊にしか繋がらないようで。他の人にとって私の助けを求める声や身を守るための行動は、不条理な力の暴走に映るようで。

 

私の体格をからかった男子生徒。とっさに私が振り払った彼は、激しく横転して捻挫してしまった。私はただ、嫌なことはやめてと振り払っただけ。でも、原因を生んだ体格から繰り出される一撃は、子どものじゃれあいには強すぎたようで。

 

当然、先に、故意に口で心を傷つけた者より、後から、不意に肉体を傷つけた方が罪は重かった。

 

周囲が哀れみの眼差しを向けるのは足をくじいた男子の方で、きらりに向けられたのは恐れの眼差し。問題を処理した先生は後からきらりだけを職員室に呼び出し、「君は体格も良くて力も強いから、他の子よりいっそう気をつけなきゃいけない」と言った。

 

ならば助けを呼ぶことに専念すればいいの?

 

それもダメ。義務教育を受けているとは思えない身長の女性が、泣き叫ぶ光景は、肩をすぼめて先生に守ってという光景は、あまりにも異様だった。周囲の空気を読むなら、教室の和を破壊しないなら、自らそんな異物になることが許されるはずもないわけで。

 

そう、私が「優しさを求める」ことは、弱さを見せることは、人の和を破壊すること。私はが当たり前の自己防衛をすることは、私自身をも壊してしまう。

 

なればこそ、私はそれを回避できる存在になるしかなかった。

 

怖がられるくらいなら、変に思われた方が良い。

 

調和を破壊するなら、自身を破壊した方が良い。

 

一般的に言う優しさを求めることが、弱さを吐露することが許されないなら、せめて一般から離れて自分の中にそれを封じよう。

 

私は忘れるしかない。優しさを求めることを。

 

私は与えるだけに徹せねばならない、優しさを。自分の弱さが壊したものと同じ分だけ。

 

私が求めるべき優しさのリソースを拡散させたもの。いつしか、私が「ハピハピ」と呼んでいたのは、それだった。



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諸星きらりの帰るべきところ

(あいさんたちが言ってたのって、どういうことなんだろう)

 

きらりは杏を膝の上に乗せて唸る。

 

昨日のことがあってから、杏のもとに帰ってきてから、ずっとこの調子。あの違和感が何だったのか、どうして二人のイケメンはわざわざきらりに違和感を感じさせるようなことをしたのか、そのことを考えていた。杏ちゃんを心配させないよう、表面上は普段通りにしながら。

 

でも、何だろう。この違和感を自分で探れば探るほど、何かが自分の中で疼いている。何かが、塞いだ蓋を破って噴出しようとしているけど、いたずらに周囲にひび割れを作っているだけのような。

 

「きらり、何か隠し事してる?」

 

が、杏に隠し事は通じないようで。

 

「にょわっ⁉︎ な、なんにもしてないゆぉ?」

 

「……絶対してるやつじゃん、それ」

 

一度こうなれば、きらりに勝ち目は無い。

 

「んも〜……杏ちゃん、何でわかったの?」

 

「いや、きらりはわかりやすいよ、基本的に。少なくともうちにいる時はさ」

 

「うちにいる時は? きらり、そんなに外にいる時と違ってゆ?」

 

きらりとしては、基本的にはこのシェアハウスにいる時でも封ずるべきものは封じているつもりだ。だって、一番破壊したくない人がいるのだから。

 

「違うよ。いや、言動は違わないんだけどさ……。なんていうか、時々疲れが見える。無理して何かを我慢してるのがわかる。一緒に暮らしてれば、ね」

 

だらけているように見える杏は、きらりの些細な変化を全て見透かしていた。

 

きらりは杏のリアクションを前に焦ったが、落ち着くとすぐに、言葉では言い表せない深い安心感が代わりに心の中を満たしていく。

 

「きらりはさ、溜め込まない方がいいタイプだと思うよ。杏なんかよりよっぽど素直だから。素直な人は、溜め込まないで吐き出した方が自分の中での整理もつきやすいんだ、私なんかと違ってね」

 

杏はきらりの膝から気怠げに立ち上がった。そしてゆっくりと振り返りながら腰を下ろし、きらりに向かい合って胡座をかく。動作はニートアイドルの双葉杏らしく怠慢な風だが、いざ向き合ってみればその瞳は真剣そのもの。自ら身を粉にしてでも親友の一助になろうと決めた少女であった。

 

「なんかあったの? 悪いこと?」

 

「ううん、悪いことじゃなくて……だから、杏ちゃんに心配かけるのは……」

 

「世の中には、悪いことでも良いことでもないことが、良いことのはずなのに悪い影響を与えちゃうことや、その逆のこともあるんだよ。そういうのを最適化するには、とりあえず話してみるのが手っ取り早いんじゃない?」

 

確かにそうかな。杏に心配をかけたくない、その一心で平穏を装うことがかえって彼女に気を遣わせているのなら、言った方がが良いのかもしれない。

 

「実は、昨日……」

 

きらりは、ことの顛末を話した。

 



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「ふぅん、普通の優しさに、あまりに普通過ぎる優しさに違和感、ね。んで、きらりは実際のところどう感じてるのさ。イケメン2人からそんな優しさを受けてさ。嫌だったの?」

 

きらりの話を聞いた杏は、改めてきらりに向き直って問答を始めた。自分の親友が感じた違和感、その正体と、それが意味することを探るべく。

 

「ううん、全然嫌とかそういうのじゃなくて……」

 

「じゃあ虚無感は感じた? 真奈美が言ってたようなのは」

 

「それも特には……」

 

「じゃあストレートに。嬉しかった? イエスかノーか」

 

きらりは、少し頬を染める。

 

「それは……嬉しかったよ、嬉しかったに決まってるにぃ。温かさも、頼もしさも、確かに感じたよ。でも、それでも……」

 

それでも、どうしてそんな優しさが自分に与えられることになったのかがわからない。それが、きらりの違和感だ。

 

「なるほど……うん、少なくとも、そういうのが揃ってる限りは、きらりはそういう優しさを望んでないってことは無かったんだと思うな」

 

「……そうなの?」

 

「そうだと思うよ。じゃあ最後の確認ね。今、私にそうやって色々吐き出しててさ、その中で感じる気持ちはどんな感じなの? できれば、相手がこの私、双葉杏ってことを抜きにしても言えそうなこと」

 

「……」

 

きらりは、目をつぶって深く息を吸った。自らの胸の内を、改めて確認するために。

 

「……すごく落ち着くにぃ。……嬉しいに、落ち着くに決まってるよ、杏ちゃん。だって、心を縛らなくても良いんだもん」

 

「そう。そうだよね、きらり。よく頑張った。じゃあ、それと同じ気持ち、少しでも昨日の一件の時には感じた?」

 

「え……?」

 

「あいと真奈美に優しくしてもらった時、感じたのは本当に違和感だけだったの? 違和感に混じって、他に感じたことは無かった? 特に、今感じてるのに似たような……」

 

「……」

 

無音の間。

それが破れる時、きらりの瞳は僅かながら潤んでいた。何かを思い出したように、時を経て封印を解かれたように、潤みだしていた。

 

「……あれ? 感じた、感じてたよ? 杏ちゃんと今こうして話してるのと同じ感覚……なんで、なんでだろう? この懐かしい、でも温かなで自然な安堵感は……何?」

 

「……そうか」

 

杏はよっこらせ、と立ち上がった。

そしてきらりの両肩を叩くと、そのまま彼女を抱きしめたい。

 

今は杏の方が視線が高い。その状態から、きらりを柔らかく抱擁した。普段とは逆だ。でも、きらりが今ここで感ずるべきは、この状況こそであった。

 

「……杏ちゃん……きらりは……私は……!」

 

「……よし、きらり。よく頑張った。ここまで来たら、あと少しだよ。その殻を破るまで」

 

杏はきらりを、彼女の身にその温かさが染み渡るまで抱いた後、改めて立ち上がった。その手にはスマートフォンがある。

 

「きらり、自分のこの気持ちが何なのか知りたい?」

 

「うん」

 

「……わかった。じゃあ私なりに言ってみるね。でも、その代わりに交換条件。教えてあげるから、もう自分をごまかさないように」

 

双葉杏は、諸星きらりの殻を外から透かす。

 



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そこにあるもの

「……きらりが世話になったね。でも、どうしてわかったの?」

 

きらりが自分の中にある「優しさ」への変質した想いと向き合うのを手助けした日の夜、杏はバーカウンターに腰掛けていた。きらりには、敢えて一人でもう一度向き合う時間を与えている。

 

「……まあ、君たち二人の付き合い方、かな」

 

杏の隣に座っているのは、東郷あいと木場真奈美。杏が電話したら、二人ともすぐに応じてこのバーで合流してくれた。こうなることも予測済みだったからだろう。

 

「きらりくんの周りへの接し方は明らかに異質だった。自分の欲求を偽装しているかのようだった。でも、杏くんと一緒にいる時だけ、ほんとうの自分を曝け出しているように見えてね。これは真奈美さんも同意見だったようで、少し二人で話し合ってみたんだ。もし彼女が、自ら優しさを求めることを不条理な理由で封じているなら教えてあげよう、優しくされてもいいのだと」

 

あいは、そこまで言ってカシスオレンジを一口飲んだ。酒に弱い彼女がチョイスしたのは何とも初々しいカクテルだが、彼女はそれを打ち消すほどの優雅さで喉に流し込む。

 

「余計なお世話の可能性もあったがね。それでも私たちとて知っているんだ、自らの在り方にすら関わる欲求を偽ることがどれだけの負担をもたらすか。だから私たちは、彼女にせめて自覚させる機会を与えてみようということで一致した。本来きらりが持つべき、優しさを求める権利を……」

 

そう、あいよりも力強く続ける真奈美が口にしているのはテキーラだ。

 

「……そう。でも、きらりの殻はあいさんたちの想定以上に硬かったみたいだよ。私がさっき最後の一押しをして、これでも完全に破れるかはわからない。でも、ここから先はきらりが自分の中で向き合う問題だから……」

 

「だから、その時まで私が側で守らなきゃ、かな?」

 

あいは杏の続けようとしていた言葉を先に当てた。

 

「……やっぱりわかっちゃうか」

 

「だからこそ、君たちの関係の中に見出すもこを見出せたわけだからね」

 

杏は照れ臭さを隠すつもりか、ヴァージン・ピニャ・コラーダを平らげてしまい、追加でコンクラーベを注文した。

 

「……まあ、私はいるよ、あの子の側に。私との接し方があいさんたちにヒントを与えたってんなら、もう片棒担いでるしね」

 

「そうか。ならば、背中を押してしまった私たちも安心だ」

 

「まあ、その分私一人でキツくなったら遠慮なくこき使うからね?」

 

「ふふ、望むところだよ」

 

三人は改めて、手にしたリキュールで喉を潤す。

 

「……ありがとう。二人とも」

 

実を言うと杏には、この期に及んで、ある罪悪感があった。故にあいと真奈美の介入に感謝しているところがあった。

 

「……私が本来なら自分で踏み出すべき一歩を、代わりに見せてくれて」

 

杏はきらりの過去に何があったかを知っている。彼女の優しさに対する異常性の根元も理解している。

 

しかし、一番事情をよく知り、一番側にいる当事者であるにもかかわらず、否、そうであるからこそ、穿つべき穴を定めかねていたのだ。

 

自分がきらりを解放せんとして何か行動を起こす。それが、自分ときらりの間にある均衡を破壊する可能性が怖かった。だから何もできなかった。

 

「……私は卑怯者だよ。きらりに殻があってこその依存関係、この心地良さを捨てたくて、きらりを救うことすら先送りにしてたんだ」

 

杏はきらりとの依存関係、これが無くなったところに改めて同等の友情を成立させることを確証できるほど、愛を知るわけではないのだ。

 

「それは違うぞ、杏」

 

しかし、杏の自嘲を真奈美は否定した。

 

「その心地良さは、杏だけのものなのか? 違うだろう、きらりだって失いたくないもののはずだ。君がそれを守ったのも、きらりの守り方の一つだ。ほんとうに自分の居場所が欲しいだけなら、私たちの介入だって跳ね除ける選択肢があったろうに、杏はそれをしなかったろう? ちゃんときらりの救済を考えられているし、君ときらりがここまで感じてきた心地良さだって、決して偽物ではない、無駄にはならんはずだ」

 

真奈美の力強い言葉は、それ自体が杏に向けられた「優しさ」だった。無論、論理的にも間違いが無いことは明白だし、それは杏にも理解できる。でも同時に真奈美も知っているのであろう、真実を飲み込みやすく噛み砕いて再構築するだけの優しさもあるのだとあたうことを。

 

「……ありがとう、真奈美さん」

 

「良かったら、誤解を生まないためにも詳しく聞かせてくれないか? 君たちのことを」

 

「……そだね」

 

杏とて、自身がどの程度きらりの殻を透かせているのかもわからない。ならばここで吐き出してみるのも手かもしれないと思った。

 



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共依存

「きらりはさ、自分が優しさを求めることを怖がってるの」

 

杏は、抽象的ながらも親友の抱えたものを打ち明けてしまっていた。

 

あいと真奈美にはわかる。杏もまた、こう見えて助けを、優しさを求めているということに。

 

「あの子は、自分が弱さを見せたことが、助けを求めたことが周りに脅威と見なされたことがトラウマで、それ以来どんなにいじめられてもニコニコしてるようになっちゃったんだ。……馬鹿だよね、不器用だよね、自分が当たり前に享受しても良いはずのものまで一緒に捨てちゃう手段しか思い浮かばないなんてさ」

 

親友の過去を振り返る杏には、その痛みが、きらりが表に出さない分の痛みの一端が身体の芯で感じられた。故にきらり自身であるかのような「自嘲」すらした。

 

「あの独特の振る舞いは、本来の、弱さを当たり前に持ってて優しさと助けを必要としていたはずの『諸星きらり』と、何をされようと無害であることに徹する『諸星きらり』を切り離すためのものなんだと思う」

 

そうでもしないとあの子は耐えられない、耐えられるほど強くはないんだ、杏はそう続けるのに、数回喉を潤し直すことを要した。

 

「……自分の行いに見合った優しさを欲する、苦しくなったら助けを求める、耐えられなくなったらありのままの弱さを見せる。みんな当たり前のことでしょ? それなのに、あの子はそれが出来なかった。周りがそれを許してくれない時期が長過ぎたんだ。だから、それが許される状況にあることを十分に自覚できない」

 

「……でも、杏くんの前ではありのままの自分を僅かながら見せていた。私たちもそれに気づいたが、杏くんは今まで、きらりくんに自らの存在を以ってして居場所を提供することに徹していた、というわけかな?」

 

「……そうだよ。私は、そういう最低の人間なんだ。あの子が、それが優しさを求めてるんだってことすらわからない感情のままに接する。ただそれに応えるだけの簡単なお仕事。それで心地良さを得てたんだ。流石はニートアイドル、怠惰の極みだよ。あの子に何の前進も解放も与えない。共依存の甘美さを共有してきただけ」

 

杏とてわかっている。きらりが自分にだけ本当の気持ちを無意識下にさらけ出したのが、対称なようで自分ときらりに似ているところが……当たり前の権利を封じていた経験があるからであることくらい。でも、だからこそ依存したいのは杏も同じだった。似ている杏には、完全なる外からの力で殻を破ることはできなかった。

 

「……なるほど。それで、これからはどうだい?」

 

と、木場真奈美。自信があるようで、責任感も強い態度だ。自分たちの行動が決して悪い結末を招かない、そう信じながらも、失敗したら自ら腹を切る、そういう意志のもとに問うている。

 

「……まあ、私だけで踏み出せた可能性は小さかったし、私との関係性を無視しても、きらりがあのまま自分の中に『当たり前』を溜め込んでいったら、いつかどうなるかわからない。今回、あいさんと真奈美さんが彼女に、自分を疑う機会を与えてくれなかったら、私はいつ限界を迎えるかもわからないきらりと共依存を続けてたよ」

 

杏は改めてあいと真奈美に向き合う。

 

「今回ばかりは素直に礼を言うよ。ありがとう、一番堅い殻を……きらりと私の殻の合わさってるところを破ってくれて」

 

杏がここまで深々と頭を下げるのは、普段の彼女からは考えられない。もしかしたら、この種の素直さは、きらりにとっての当たり前の優しさと同等に、彼女にとっては異常なものかもしれない。

 

彼女がきらりをいかに大切に思っているか、最早彼女にとってきらりが自身の一部にも等しいことを端的に、しかし雄弁に物語っている。

 

「礼には及ばないよ。いつもの癖で勝手にやったことさ。それに……ここから先は、君たち二人の戦いだからな」

 

「……知ってる」

 

「自分が封じていたものの正体を知ったきらりは不安定になるかもしれない。それを支えられるのは君だけだ」

 

そう、もしかしたら荊があるかもしれない道だ。でも、このまま行ってもきらりの殻の中で膨張したものはいつか噴出していただろう。早い方が、立ち直りも早いはずだ。

 

あいと真奈美はきらりの殻に空気抜きのための穴を開け、杏はその穴から歪に亀裂が広がらないように管理し、支えるのだ。

 

「もっとも、私たちだって協力は惜しまない。一度乗った舟だからな」

 

「……うん、遠慮なく頼らせてもらうよ」

 

杏は親友を救うために、二人の紳士の手を借りることを恥じない。

 

プライドとかそんなのはどうでもいいんだ。確実に、きらりを支えていければ。

 

共依存に甘んじて問題を放置してきた私にできる贖罪はそれしか無い。

 

双葉杏は、まず自らの殻を破る。

 



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最後の殻

 

「このまででいいのかい、杏くん?」

 

「うん、エスコートありがと」

 

三人がバーを出た時、既に日付けの変わりは遠くない時間だった。

 

女の子が歩くには心許ない上に、杏なら見ためのせいで補導されかねない。だからあいと真奈美は、わざわざ定期券外の路線に同乗してまで、杏ときらりのアパートの最寄駅まで彼女を護衛してきた。こういう役目は流石に慣れたものだった。

 

「……では、今後も何かあれば力になるから、遠慮なく頼りたまえ」

 

「君たち二人に祝福があることを祈ってるよ」

 

「……うん」

 

杏は二人に背を向け、待つ人のいる、帰るべきところへ足を進める。最早迷いは断ち切れているのか、一度手を振ったら、頼ると宣言した二人を振り向くこともない。小走りでも気だるげな徐行でもなく、淡々と歩いて行く。

 

その背中が見えなくなるや、あいと真奈美もまた、二人の帰路につくべく杏が消えていった闇に背を向けて足を進めた。

 

二人は特に夜道を歩くことへの恐怖は無い。あいは今まで女性を男以上にエスコートしてきた、つまり二人分以上も闇夜に対し警戒をすることに慣れているし、真奈美は暴漢相手に筋トレの成果を活かした護身術を振るった経験もあった。警戒心こそあれど、二人のそれは合理的なものであり、直情的な恐怖から来るものではなかった。

 

そして、そんな二人が共に歩く時は、互いのそういった強さに対する信頼感がそれをさらに強めていた。

 

「さて……」

 

と、杏の気配が完全に消えたところで、真奈美は立ち止まった。

 

「いつからだった? この私もまた、優しさを欲していたことに気づいたいたのは」

 

数歩先を行くあいもそれに応じて立ち止まる。ゆっくりと、優雅に振り返る。

 

「出会ってわりとすぐ、かな?」

 

余裕のある笑み。他者に優しさと加護を与え続けることに慣れきった笑み。

 

「……ならば、私はあいに甘えてもいいのだと?」

 

ーーそう、真奈美もまた、当たり前の優しさを受けることに不慣れであった。

 

「……昔の私なら、きらりに偉そうなことは言えなかっただろう。私も当たり前の優しさを享受することも求めることも少なかったからな、君に会うまでは」

 

真奈美は、きらりに対して自分に優しさが向けられることがあっても空虚なものに過ぎないと言った。せいぜいがアメリカでの社交儀礼的なものくらいしかなかった。

 

「私は別に、きらりのように優しさを求めることを怖れていたわけではない。だが、私は求められるだけだった。私は強い、周りがそう言うならそうなのだろう。だが、私は強いが故に、求められ続けた。求めるべき優しさが何なのかを学ぶより先に」

 

だから真奈美は人一倍に努力した。労力を使った。人が求める優しさとは何なのか、それに応えるために。ただ強さを誇示すればいいという単純なものではない、それを踏まえて的確に期待された優しさを与え続けることは、与えられる間も無く求められ続けた強者にとって、自分ならどんな優しさを欲するかを考える余裕を奪い得るに足る戦い。

 

そんな戦いが終わりを見たのは、帰国してあいに出会ってから。彼女は、真奈美の強さを認めた上で「優しさ」を与えた。その強さの陰にある本人も気づかぬ隙間を見つけて支える、真奈美が強さを無駄にしないように、しかしその強さで自身が傷つかないようにする。

 

「私が求めていた優しさはこれだったのか。君に出会うまで、考えもしなかったかたんだ。この経験が無ければ、きらりが当たり前を拒絶されてきた故に当たり前でありふれた優しさに無意識に飢えていることにも気づかなかっただろうな……」

 

「そうかな? 私は真奈美さんの強さなら、いつかは自力でその段階に達することができたと思うよ」

 

「……そうだとしても、今はこうして気づかされた方が幸せだ。……今回のきらりの件を私に持ちかけたのは、あの二人を救うためだけではない。この私にも、改めて優しさを双方向から経験させるため、そして、それを通して私が既に君の目論見通りに……」

 

優しさをちゃんと学んだことを自覚させるためだったのだろう? 流石の真奈美でも赤面する。

 

「ふふ、深いところは好きなように解釈してくれたまえ。真奈美さんが望むように、幸せなようにね。さすれば、私もそれに応えるよう努めるつもりだよ」

 

今回の一件で救われたのは杏ときらりだけではなかった。真奈美もまた、彼女らを救う過程の裏で、大切なものを確認することになっていたのだ。

 

全て、あいの筋書き通りに……。真奈美は感謝とともに悔しさも感じる。普段なら、自分に比べてまだ可愛げのあるあいだと思っていたが、やはり人の求める優しさを検分する、その一点においては真奈美を以ってしても右に出ることはなかったのだ。

 

「……感謝するよ、改めて。だが、一つ確認したいことがある。……あい、君に最高の優しさを与えてくれたのは、何者だったのだ? 私がそうであったように、優しさを得る機会が無ければ他者に適切に与える難易度は上がる。……私やきらりが深層心理で自分にもわからないまま求めるものを見抜いて救済してしまう。その強さの源は一体……」

 

そう、あいのあまりも卓越した「優しさ」を与える能力は、彼女一人の存在ではなし得ない。彼女自身が自らの求める優しさを自覚しなければなし得ない。いるはずなのだ、彼女をここまで強く優しくした何者かが。

 

「……ふふ、それは想像に任せよう。そういう推察をするのも一興だろう? 君の洞察力、その強さを見せてもらうのも楽しそうじゃないか」

 

しかし、あいは珍しくも小悪魔めいてはぐらかすのであった。

 

彼女が本気で隠そうとしているのかはわからない。

 

だが、彼女が過去に感じた優しさ、今ある彼女の源流たる優しさ。そこには一切の嘘も偽りもないだろう。真奈美には、それだけは確信できた。



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