相川さんは秘密をもっている。 (王子の犬)
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最初の短編
格差社会


ご無沙汰しております。
連載再開に向けて長文を書く練習を始めました。
本作は練習の一環で書いた話になります。

※この話は短編として書いたものです。
※次の話までが2018年初頭に書いた文章です。
 2019年に書いた3話以降と文体が異なります。


 訓練機の使用許可がまだ下りない。

 噂に聞いていたとはいえ、リロードを繰り返しても携帯端末の画面は変わらなかった。そもそも清香の身分は一般生徒である。申請しなければISを使えない。

 

「ど~したの~」

 

 生徒会室から戻ってきた本音が独特のイントネーション、標準語を1/2倍速で再生したかのような言葉でたずねてくる。

 

「本音ぇ~、まだ順番待ちなんだよー」

 

 清香は机に広げたノートや筆記用具の上に突っ伏すと、頭だけを持ち上げて級友(クラスメイト)に向かって涙ぐんだ。

 

「遅いよー、おっそいよー」

 

 本音が前の席に座った。

 

「落ち着きなよ~。じたばたしても仕方ないよ~」

「初心者だから打鉄でもラファールでもどっちでもいいんだよぅ」

「いつ申請したの~?」

 

 清香は顔を横向け、本音の瞳をのぞきこもうとしながら答えた。

 

「昼休み」

「それじゃ~仕方ないよ~。そんなもんだってお姉ちゃんが言ってたよ~」

「わかってるよぅ。でもさぁ……甘く見た私が悪いんでーす! 暇つぶしで宿題やったら終わっちゃったんだよ!? やることなぁーい、どーしよぉー」

 

 無造作に投げ出していた清香の手を、本音が強く握りしめた。

 

「実は宿題まだなんだ~。うーつーさーせーてー」

「まだ四月始まったばっかじゃなかった? 自分でやれー」

「えぇ~!?」

 

 清香は体を起こしてノートをカバンに滑りこませた。名残惜しそうな視線を感じて、意地でも答えを見せたくなくなった。

 袖まくりした本音が十本の指をグニャグニャさせている。やたらと淫猥な動きだ。言いとがめようとしたそのとき、教室の戸が開いた。二人分の声が響く。長い髪と竹刀袋。篠ノ之箒と四十院神楽、つまり剣道部組だ。どうやら仮入部が終わって戻って来たところのようだ。

 清香の視線に気づいた神楽が軽く目礼した。気品漂う振る舞いにしばしの間見とれてしまう。箒の方は不機嫌そうな様子だ。

 清香は再び本音に視線を戻して、首を垂れながら言った。

 

「私たち、暇じゃね?」

「私は暇じゃないよ~」

 

 窓から差し込む光を手のひらで遮る。端末が影のなかに入った。ホーム画面を呼び出し、受話器の形をしたアイコンに触れる。アドレス帳からめぼしい人物を選んだ。

 

「だれに掛けてるの~?」

「アニキ」

「へえ~お兄さんがいるんだ~」

 

 清香は表情を変えず、アニキの顔を心に思い浮かべてみた。

 今ごろ電話に出るか、無視するか逡巡しているはずだ。JKから電話だ、悩むがよい、社会人……と自己満足に浸るうちに留守電に変わってしまった。

 

「チェーっ、出ない」

 

 アニキとは家庭教師と元生徒という間柄だ。訳有って家庭教師を乗りかえてから電話がつながりにくくなっていた。就業時間内ならばもしや、と淡い期待を寄せたのだが、予想通りの結果に終わった。

 

「んじゃ、こっちで」

「んー今度はだぁれ~?」

 

 顔を横に向けたまま端末を操作する。アドレス帳の見出しはすべてあだ名で登録しており、多少画面が見えても誰なのかわからないようになっていた。「天災おねーさん?」

 

「うん。中学のとき勉強を教えてもらってたんだ」

 

 清香は自称天才の<天災おねーさん>の姿を思い浮かべた。出会った頃から人格(キャラ)が不安定だった。距離をとろうと考えたものの、事情があって実行できなかった。

 今度はほとんど待つことなく繋がる。

 だが、<天災おねーさん>は無言を貫いた。いつもならば清香の言葉には一切耳を貸さない。マシンガンのように一方的に喋りだすものと覚悟していた。ゆえに拍子抜けしてしまい、言葉を紡ぎ出すのが遅れてしまった。

 

「十秒沈黙したね? 君は天才の時間を十秒も無駄遣いしたんだ。対価を支払うべきだと思わないかな、思うよね?」

 

 <天災おねーさん>がとげとげしい声で告げた。清香はぎょっとして身を強張らせ、端末を落としそうになる。

 

「お、おいくら……おいくら万円で……」

「そうだね……」

 

 幸い、今日の<天災おねーさん>は聞く耳を持っているようだ。清香は体を起こして座ったまま姿勢を正す。身ぐるみを剥がされるところまで想定して身構えた。

 

「一秒あたり一万円として……()()()()()()だね」

「わんてぃっつ? そんな単位あったっけ?」

 

 清香が聞き返すと、<天災おねーさん>が通話を切り、程なくテレビ電話機能を使ってかけ直してきた。女性の顔が端末の画面いっぱいに映って、清香は苦笑いを浮かべる。<天災おねーさん>は目元にくまを浮かべていた。

 

「既に六十秒も無駄にしている。ワンティッツなら、無駄にしてしまった時間をチャラにするだけでなく、おねーさんが君の無駄話を聞いてあげたくなるという優れものだよ。つまり、こういうことさ」

 

 端末を胸元まで手を下ろし、<天災おねーさん>の奇行を眺めた。彼女は奇天烈な歌を唄いながら胸元をゆるめ、スタイルの良さを主張してきた。豊満な胸をすくい上げては寄せて、谷間がちらりと見せつけてくる。清香も年齢(とし)の割に形が整っている方だが、<天災おねーさん>や本音ほどではない。

 清香は制服の上から自分の胸元をすくいあげてみた。

 

「粗末ですが……」

 

 <天災おねーさん>が動きを止めた。

 

「君のはゼロティッツだよ! 価値無しってことさ」

 

 清香は、がーん、と口にして肩を落とす。チラ、と本音の制服を見やって、端末を顔に近づけた。「じゃ、じゃあ」

 

「お粗末頭脳な君に、おねーさんがヒントを上げよう。周囲をよーく観察してごらん。誰かいる?」

 

 うなだれたままアドバイスに従う。

 

「三人。本音、四十院さん、篠ノ之さん」

 

 <天災おねーさん>が突然元気な声を張り上げた。

 

「そーだよ!!」

 

 清香はあまりの勢いに気圧されて体を強張らせた。

 

「三番目の()なら百万ティッツに匹敵する価値があるね!」

「待って待って……篠ノ之さんの……■■■■■■■(ゴニョゴニョゴニョ)って……?」

「おねーさんからお願いしたいね!!」

 

 篠ノ之箒は窓際の自席で帰り支度をしながら、神楽と部内の様子について話を交わしていた。清香は助けを求めて本音を見やる。クズリのアップリケを縫い付けたリュックに手を突っ込んでかき回しているところだった。本音はデコレートした携帯端末を眼前に掲げ、目を細めて悪戯っぽく笑みを浮かべる。「だいじょーぶ、私が証人になるよ~」

 

「めっちゃ、うさんくさい」

 

 清香は呆れた。

 

「ここは、『止したほうがいいよ~』って言うところじゃん」

「もしかしてやる気満々だった~?」

 

 本音は白い歯を見せると、ゆったりとした足取りで箒のもとへ向かった。

 

「やるの? やらないの?」

 

 <天災おねーさん>が清香にだけ聞こえるように言った。

 

「あのさぁ、君には選択肢なんて最初から存在しないじゃないか」

 

 清香は唇をとがらせ、嘆息しながら窓際に向かう。

 

「約束通り毎日ゼリー飲料飲んでるじゃないですか。篠ノ之博士特製の。どんどん不味くなってるって感想、欠かさずメールしてるけど、目を通してます?」

「天才にぬかりなしだよーん。美味しくするのは最終工程でって決めてるんだ」

 

 

 

 箒は神楽の支度し終えるのを待ってから出口へと足を進めた。清香はすかさず呼び止め、端末をポケットに押し込んでから扉の前に立ちふさがった。箒と神楽は互いに顔を見合わせる。

 

「相川さん。どうしたんだ、私に何か用でも」

「えっとさ、あのね……実は」

「ん? 聞こえないんだが」

 

 清香は携帯端末を胸ポケットに差しこみ、素早くカメラが真っ正面を向くよう整えた。

 

「先に謝っておくね! ほんっとーにごめんなさい!」

 

 清香が大げさに頭を下げた。端末がずり落ちかけたのに気づいて、あわてて胸を押さえる。

 

「話が見えないんだが」

 

 頭を上げるや困惑する箒を無視した。ひと思いに距離を詰め、右手を突き出すと、神楽が目を瞬かせて「まあ……」と驚きを隠せなかった。

 右手が箒の左胸を正確に捉えた。清香は、悪ふざけなのだ、と自分に言い聞かせた。体内では無数のナノマシンが蠢動している。IS学園入学の切符をつかみ取った代償だった。

 <天災おねーさん>の依頼を断る術がない。見返りを充分すぎるほど受け取っているからだ。

 ふんわりとした感触が手のひらに伝わる。成る程、やみつきになる類の危険物だ。柔軟性や弾力性、制服ごしに与える刺激によってどのような反応を返すのだろうか。強い探究心に駆られていろいろな動きを試す。

 箒は呆けた顔つきのまま固まっている。感情の処理が追いつかないらしく、ようやく声を発しても言語の体を成していなかった。

 

「※&$#0$#♪###ッッっ」

「本音、本音、すごいよっ。何食べたらこんなに育つの!? 意味不明なんだけど!」

「なになに~」

「ま、待っ※&$##ッッっ」

「ほんとだ~。ふにゅんふにゅんだねー」

 

 箒の背後から本音が抱きつき、じゃれ合うように全身を使って同級生の感触を確かめる。

 

「だ、か、ら、止めっ#$&%」

「一度こーしてみたかったんだよ~」

 

 箒の声が徐々に艶めていくにつれ、清香は赤面して手を止めていた。

 

「か、神楽ッ、み、見てないで、たすっ」

「そ、そうでしたっ」

 

 本音の手が右と左を行ったり来たりしている。神楽が止めに入ったので名残惜しそうに体を離した。

 箒は上気した頬のまま声を振りしぼって言い放った。

 

「……ぁ……はぁ……お、お、お前ら馬鹿なのかっ」

「そのとーり! 馬鹿でーす!」

 

 清香は頭を下げたついでに端末にささやきかけた。

 

「おねーさん」

「確かにワンティッツぐらいだね。おねーさんは約束を守る人だから、君の無駄話を聞いてあげよう。感謝したまえ」

 

 一言多かった。とはいえ、篠ノ之博士が他者の話を聞くのは珍しいことだ。不安定な人格のときに話しかけようものならば死にたくなるくらいの罵倒が返ってくる。

 

「女の子同士だし別にい~よね~」

 

 満面の笑みを浮かべた本音が指をぐにゃぐにゃさせている。

 

「良くないっ。布仏の手つきのほうがやらしかったんだぞっ」

「つまり私じゃあ物足りなかったと。ごめんね。次はもっとがんばってみる」

 

 清香はわざとらしく泣きまねをしてみせた。

 箒は誤解されていると思ったのか、早口で怒鳴った。

 

「違う! 次はない!」

 

 引き戸に手をかけ振り返った。

 

「行くぞ! 神楽っ」

 

 神楽がわずかに頭をさげると、箒を追いかけて飛び出していった。

 

 

 

 清香は自席に戻って、引き戸を閉める本音の姿を眺めた。

 

「実はおねーさんにお願いがあるんだー」

「万能の天才にできないことはないんだよー」

 

 <天災おねーさん>が端末のなかで得意げに胸を張った。

 

「現代のダ・ヴィンチだねっ!!」

「レオナルド・ダ・ヴィンチもおねーさんみたいに性格悪かったってこと?」

 

 清香は心の声を包み隠さなかった。本音が前の席に戻ってきて暇そうに欠伸(あくび)する。

 

「んー? なにか言った?」

 

 清香は首を振って、机の真ん中に置いた端末へ話しかける。

 

「実は今、ISの順番待ちをしてるんです。でも、訓練機が足らなくて私の番が回ってくるまでものすごく時間がかかるんですよー」

「へー」

 

 <天災おねーさん>は興味なさそうに相づちを打った。滅多に披露しない傾聴スキルを使っている。清香は、もしかしたら、という淡い期待を抱いた。

 

「ちょっとIS三十機ぐらい寄付してくれたらいいなあ、と思うんです。おねーさんが作ったんだから簡単ですよね」

「君。ISコアは世界に何個存在すると思ってるんだい?」

「四六七個。別に完全品でください、ってわけじゃないんです。歩留まりが悪かったり出来損ないのコアをこっそり隠してるんじゃないかなーって思ってたんですよねー。生徒間の格差を是正するためと思って、一肌脱いじゃってほしいなー、ほしいなー」

「君、自分が何言っちゃってるのかわかってる?」

「出来損ないでいーからISコア寄付してほしいなあ。訓練専用だって博士ご自身が言い張っちゃえば通るんじゃないかなっ」

「そんなコアはないよ。あったとしても全部壊して廃棄した。なぜならISコアを作って管理してるのは、全知全能の天才な、たっ……おねーさんなんだよ」

「隠さなくたっていいですって。私、秘密を知ってるんですよ……」

「どんな秘密なんだい?」

「えへへ……。織斑先生専用機を影でこっそり作ってるんじゃないですか? それとも、彼氏さんがIS乗りたいって無理言ったから男性専用機を作ってたりしてるんですよね」

「ちーちゃん専用機は行方不明だから今探してるんだよ。あとね、残念ながら、今付き合ってる男の人はいないんだ。あ! 今、疑ったね!? ほんとーだよ。おねーさんはちーちゃんとは違うんだもんっ」

「どう違うの?」

 

 清香が質問を投げかけると、端末のなかの<天災おねーさん>は自信をみなぎらせた。

 

「ちーちゃんは異性と付き合った経験がないんだよ! たっ……おねーさんは違う!」

 

 とはいえ、清香は友人である五反田蘭から<天災おねーさん>の交際経験や織斑千冬の武勇伝について事細かに聞いている。織斑千冬は女子にモテる。男子からは武神として崇拝されている。

 清香が五反田食堂で食事していたとき、地元の若者から「姐さん」と呼ばれる場面を目撃していた。

 

「それにっ! 男子がIS乗ってるなんて私は認めないよっ。いっくんは……あのさ、君。いっくんまだISに乗ってるの?」

「いっくんって織斑くん? ……これから乗るんじゃ。専用機が供与されるって先生が言ってたような」

「そーいう意味じゃなくってさ。■■(ゴニョゴニョゴニョ)■■(ゴニョゴニョゴニョ)じゃないかの問題なんだけど」

 

 <天災おねーさん>が生々しい表現を口にする。清香はしばらく心の中で反芻していたが、■■(ゴニョゴニョゴニョ)とISとの関係性がしっくりこず、理解するに至らなかった。

 

「そのぅ織斑くんって……なんですか?」清香は小声で聞いてみた。

()()()()()

 

 <天災おねーさん>が確信めいた眼差しでうなずき、しばらくしてから表情を和らげる。

 

「おねーさんは余分なISコアなんて持ってないんだ。君ね。おねーさんが秘密のコアを隠し持っていたなんて発覚したら、世間はどう反応すると思ってるんだい」

「えっと緊急ニュースのテロップが流れる……みたいな」

「わかってるじゃないか! みんな言うに事欠いてクレクレ頼み込んでくるに決まってるよ!」

 

 清香は本音のほうに向きなおり、腕を交差させてから人差し指を唇の前に立てた。本音は話に加わりたいのを堪え、いかにも残念と言った様子でカバンから取り出した簡易マスクで口を覆った。

 本音が口を閉じたのを確かめてから、清香は椅子の背にもたれかかってため息をついた。

 

「せっかくIS学園に入学したのに、自由にISに乗れないなんて、悔しい。これじゃ私は、いつまでたっても下手なままだよ」

「君ねえ。がむしゃらに練習したって格差は埋まらないよ。正攻法がだめなら別の方法があるかもよ。おねーさんはあきらめなかったな」

「……珍しく慰めてくれるんだ」

「箒ちゃんのワンティッツのお礼だよ。言ったよね、百万ティッツに匹敵する、と」

 

 清香は目元をぬぐって礼を言って通話を終えたものの、年長者の言葉をかみしめているうちに悪知恵が働く。「もしかしたら……」

 荷物をまとめて廊下に出た。本音が教室から出るのを見計らい、清香が引き戸を静かに閉めた。ヒール特有のカツカツという音が聞こえたので廊下を見回した。ダークスーツ姿の織斑千冬がタブレット端末を小脇に抱え、清香を見つけて手を振っている。

 

「探したぞ、相川。もうすぐ一機空く。今から行けば間に合うからアリーナまで案内しよう」

 

 千冬がタブレット端末を掲げてみせる。ISの通し番号の横に「相川清香」という名が表示されており、さらに配備先のアリーナ番号が記されている。

 清香は本音と顔を見合わせ、すぐに片手を挙げて元気よく答えた。

 

「行きます。行きまーす!」

 

 隣で佇んでいた本音がマスクを外す。踵を返したので、行かせまいと清香が腕をつかんだ。

 

「本音も行こーよ!」

 

 そのまま手を引いて、先を行く千冬の後を追った。

 

 

 



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短編の続き: 相川さんには秘密などなかった。
基地強襲


2話から10話までが短編連作として書いたものです。


 ウェールズ北西部アングルシー島。

 英国次世代ISの展示場は島唯一の空港内にあった。隣接する空軍基地の格納庫を利用しており、練習機が置いてあった場所には一般開示用の見学コースが設けてあった。

 英国空軍(RAF)はISが一世風靡する傍らで女性志願率低下に苦しんでおり、航空機とISのお披露目を兼ねることでイメージアップを図ろうとしたのだ。

 英国製次世代ISは二機展示してあった。ひとつはサイレント・ゼフィルス、もうひとつはブルー・ティアーズと呼ばれている。どちらも完熟訓練中の機体である。サイレント・ゼフィルスは英国空軍への配備が、ブルー・ティアーズは試験装備のテストベッドとして搭乗者ごとIS学園に移送されることが決まっていた。

 一般公開最終日、陽が傾き、格納庫内の人影はまばらだ。セシリア・オルコットはブルー・ティアーズの前に佇み、主のいない機体を見上げた。

 

「また飛べますわ」

 

 目蓋を閉じ、ブルー・ティアーズと対話しているような気分に浸った。お転婆なサイレント・ゼフィルスとは違い、この子(ブルー・ティアーズ)はとても素直だ。装甲に手を触れると、硬質な感触が肌になじむ。完熟訓練の行程は八割まで完了し、セシリアの技術は癖を熟知するまで達していた。長く触れ合い心を通わせるにつれ、セシリアは愛情と変わらぬ気持ちさえ抱いていた。

 

「ティアーズ?」

 

 ブルー・ティアーズの装甲に何かが当たって跳ね転がる音がした。

 

「どうしました?」

 

 天井が激しく凹み、照明が明滅する。格納庫に何かが落下したらしい。

 異常を察したセシリアはその場に身をかがめ、振動が収まるのを待った。一瞬静寂に包まれたかに思えたが、天井の一カ所に亀裂が生じ、破滅的な金属音が鳴り響いた。

 埃が舞い上がり、何かが屋根を突き破った。もうもうと煙が舞い上がるなか、二つの瞳とおぼしき丸い赤色の光が出現した。

 

「異常事態発生!」

 

 残っていた入場客を避難させるよう指示が飛ぶ。

 赤色の光が動き出し、煙から現れたのは、全長四メートルほどの巨躯。黒塗りの装甲には筋肉を象ったかのような灰色の曲線が描かれており、その胴体は人間一人がすっぽり収まりそうな太さだ。足先まで伸びた腕部が特徴的であり、二本の腕は胴体並みに太かった。

 警備兵は巨躯を認めるや即座に応戦行動をとった。

 銃撃を仕掛け、敵とおぼしき物体の行き足を止めようとした。

 だが、効いている様子はない。巨躯は素知らぬ足取りで展示物との距離を縮めていく。銃撃を続ける兵士に向けて腕を突き出すと、盛り上がった腕部から赤い光を投射した。腕を横に広げ、サイレント・ゼフィルスの保護ケースを手斧で破壊しようとしていた女性兵士にも向けた。

 直後、女性兵士が耳を押さえて表情を歪める。

 

「アアアアアッ!!」

 

 激しく叫びながらその場でのたうちまわった。落とした手斧が伏せるセシリアのそばに滑り転がる。

 手斧をつかみ、匍匐してブルー・ティアーズの背後に回った。

 

「ティアーズ」

 

 ブルー・ティアーズに呼びかけ、緊急接続を試みる。不安な面持ち。「早く、早く」

 胸が脈打つ。ブルー・ティアーズが応じた。何度体験しても不思議な感覚。骸がセシリアを包み込み、格納庫のなかに閃光が迸った。

 巨躯の攻撃はない。銃撃する兵士に向けて腕を突き出し、変わらず赤い光線を投射している。跳弾が兵士を襲い、赤い血が床を汚す。

 セシリアの予想に反して攻撃を向けてこなかった。それどころか動き出したISを見て、巨躯が怯んだように後ずさった。

 赤い光線を浴びた者はもれなく耳を押さえている。何らかの非殺傷兵器か。裏付けるようにブルー・ティアーズの聴覚保護機能が稼働していた。

 

(何か武器は)

 

 セシリアは視野内のリストから使える装備を探した。拡張領域(バススロット)には接近戦用ブレード(インターセプター)と無線誘導ビットを搭載している。主要装備である特殊レーザーライフル(スターライトmkⅢ)やミサイルビットは展示飛行の予定がないため最初から除外してあった。

 

(こんなに狭いところじゃビットは使えないじゃない……)

 

 インターセプター、と口にして接近戦用ブレードを呼び出す。落ちていた手斧も拾い上げた。

 兵士を無力化した巨躯はセシリアの前をすり抜け、隣のサイレント・ゼフィルスへ向かう。そばにはサイレント・ゼフィルスの搭乗資格を有すであろう女性兵士が失神している。

 セシリアは広域回線へおまじないを唱えながら、巨躯に向かって近接ショートブレード(インターセプター)を構えてにじり寄る。

 

バレー空軍基地(RAF Valley)司令部。わたくしはセシリア・オルコット。現在、未確認のISと……」

 

 セシリアは力強く言葉を放つ。「未確認のISと交戦中」

 応答はなく、耳障りな雑音だけが聞こえてくる。巨躯は展示してあったサイレント・ゼフィルスに手を伸ばしたが、保護ケースに阻まれた。

 赤い瞳が点滅し、両手の拳を構えて振りかぶった。何度もケースを殴りつけ、強引にケースを破壊してISを引きずり出した。

 三度深呼吸してからISを乱暴に抱え込もうとする巨躯を見据えた。

 セシリアに競技以外でISと戦った経験はない。お互いの顔がわかるほどの近さで戦うのは不得意だ。包丁すら未だに使いこなせないほど不器用なのだ。

 

(3、2、1……)

 

 セシリアは心の中で数を数えた。助走して手斧を投擲する。勢いを殺すことなく、巨躯に向かって急発進した。

 巨躯は顔を向けることなく投擲物を払い落とす。首を右へ左へと振ったが、先ほどまでいたはずのブルー・ティアーズの姿がない。が、セシリアは横合いから、死角から突進、巨躯を突き飛ばした。

 馬乗りになって人間でいう頸椎に当たる部分に接近戦用ブレード(インターセプター)を突き立てる。飛び散る火花。どこまで有効かわからなかったが、時間さえ稼げばアングルシー空港側の警備に当たっていたメイルシュトローム・マークⅢが駆けつけてくるはずだ。

 振りかぶった腕をつかまれ、無造作に放り投げられた。

 

「キャアアアアァァァ」

 

 慣性制御で姿勢を整えたが、巨躯が大きく跳躍した。天井の配線を引きずり出し、鞭のようにしならせてブルー・ティアーズの足首にまきつける。

 セシリアは無線誘導ビットを放出。巻き付いた配線をレーザーで焼き切った。スラスターを逆噴射して円状に飛び、配線をつかんで巨躯を引きずり倒そうとしたが、操縦に集中した隙をつかれ、接近を許した。

 

(このっ……なんて力ですかっ!!)

 

 大腿部を握りしめられ、引きちぎられそうになる。「ティアーズ!!」ビットからレーザー照射。だが、装甲が焼かれてもなお力を込めてくる。握力で装甲が陥没する。シールドバリアのエネルギー残量が激減し、人体の集中防御へ切り替わる。

 

(いけませんっ!)

 

 セシリアは脚部を引きちぎられそうになっている。とっさに除装して地面に落下する。着地時に転がって衝撃を殺した。顔を挙げたとき、ブルー・ティアーズは損傷し、脚部が破断して無残な姿に変わり果てていた。

 巨躯は壊したブルー・ティアーズを放りなげ、悠々とサイレント・ゼフィルスを抱えあげた。

 ようやく駆けつけたメイルシュトローム・マークⅢがBK-27単砲身機関砲(リヴォルバーカノン)から弾丸を放った。巨躯が体を傾け、角度をつけることで弾丸を弾き飛ばす。

 互いに一定の距離を保ち続ける。その均衡は上空からの狙撃によって崩されてしまった。一二〇ミリタングステン徹甲弾。

 サイレント・ゼフィルスが奪われ、セシリアは英国空軍の軍人に保護されたが、肝心のIS反応を失探してしまった。

 

 事後。

 サイレント・ゼフィルス強奪を表立たせたくなかった英国は、セシリアの自己判断を不問にし、彼女には別の機体をあてがい、IS学園へと送り込んだ。

 




相川さんが出てくるのはこの次。だけどいつ書けるのやら。


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学級委員

時系列順だと「基地強襲」→「格差社会」→「この話」

眠れなかったので一筆書きでサラサラ2時間ほど。若干手直しあり。

※この話から文体が変わっています。



 教科書を逆さまにしてみたが、良いアイディアが思いつかない。

 良い知恵がないか。自称天才に聞いてみようと電話をかけてみたが繋がらない。腕を組んで首をひねる。傍らにいる本音は指をグニャグニャさせながら箒の美巨乳を狙っている。

 

「わーん」

 

 泣きマネをしてみるが、周囲の反応がない。先日、ISに乗るまではよかったものの、どうやら相川清香にはセンスがない。経験者に上達の教えを請おうにもコネがない。担任の織斑先生と副担任の山田先生は忙しいときた。倉持技研からISが一機、急きょ搬入が決まって、その手続きで手一杯なのだと言う。

 

「どうしよ~」

 

 頭を抱える。清香は懐から四つ折りにした紙切れを取り出し、こっそり広げてみた。

 入学するちょっと前。合格通知が届いたので、自称天才な元家庭教師に礼を言いに行ったら篠ノ之基金への奨学金応募を勧められた。給付型奨学金。条件はIS学園に入学が認められた者、もしくは在校生であること。三年間で一〇八万円、三十六で割ると月三万円になる。

 

(月三万円は大きい)

 

 清香の財政事情は苦しい。生活費の捻出さえ苦労している。寮生活でよかったと心でほっとしていた。相部屋だけどルームメイトは別のクラスで接点なし。日本人、清香よりもはるかに美人でバイリンガル。そのうえ、ISランクAの才女。

 紙切れに緑色の蛍光マーカーが引いてある。給付の昇格条件。ISの搭乗時間に応じて金額も増える。在学中に代表候補生になれば金額は要相談とある。

 清香は紙切れを再びたたんで懐にしまう。窓辺を見やって軽くため息をついた。

 

(IS学園に入れば生活が楽になる、と思ったんだけどなぁ……)

 

 織斑一夏と篠ノ之箒が駄弁っている。鏡や谷本たちが囲んでいて、ときどき相づちを打っていた。

 一夏と箒はなぜか同じ部屋で、一夏が昨晩の非礼を謝っている。箒は一夏が口を開くたびに、軽くにぎった拳を振ってポカポカとたたいた。

 青春。

 史上初の男性IS搭乗者だからIS学園に強制入学させられたとのこと。

 

「ねーね~」

 

 指をグニャグニャするのに飽きた本音が話しかけてきた。男性がISに搭乗する条件を教えて欲しいと持ちかけてくる。

 

「なんで織斑くんなの~?」

「……答えにちょっと困るよー」

 

 プライバシー保護のため本当のことを口にできなかった。

 

(織斑くん、女子に囲まれて平気な顔してるくせに■■だなんて)

 

 年齢を踏まえると経験があるほうが珍しい。清香はなんとなく悟りを開いたような顔つきではぐらかした。

 

「本音~ISにたくさん乗るためのよいアイディア、ないかなぁ」

 

 本音がニヘラ……と表情を緩めた。何にも考えてない顔だ。清香は友のほっぺをデコピンする。

 

「う~ん、良い手があるよ~」

「どんな?」

「それはーね~」

 

 あ、と本音が口をふさいだ。視線の先を追いかけると織斑先生がいた。

 

「相川。布仏。駄弁ってないで席に着け」

「はぁーい」

 

 清香と本音は大きくかぶりを振って自席に戻った。

 追いかけるように、すぐチャイムが鳴った。他の者もバタバタ、少し騒がしい。山田先生も姿を見せる。こそこそ喋る生徒たちを見回して、「起立」「礼」

 

「よろしくお願いします」

 

 反射で口が動き、頭を下げる。山田先生が号令、「着席」

 織斑先生が板書を始めた。トメ・ハネ・ハライ、達筆。クラス委員、という大きな文字が躍った。

 入学式を終えてから今まで、ずっと山田先生が号令していたのを思い出す。クラス委員や日直がかけ声するもの。中学まではそうだった。

 

「今日のホームルームの主題はクラス委員を決めることだ。自薦を優先する。誰も挙手しなければ他薦。それでも駄目なら私が独断と偏見をもって決定する。では、立候補を募ろうか」

 

 ザワッ……。文字に表したらこんな感じだろうか。不安を隠さない生徒とは対照的に、織斑先生と山田先生はニコニコと笑顔。

 

(どうしよ~)

 

 とそこに一人が挙手。「先生」

 

「鷹月。立候補か」

 

 鷹月静寐が首を振った。「質問よろしいでしょうか」

 

「話せ」

「仮にクラス委員になったとして、有利な点があれば教えて欲しいです」

 

 周囲がざわつく。鷹月の質問に同調するクラスメイト、もちろん清香もそのひとり。

 織斑先生が咳払いした。

 

「肩書きがつく。卒業後就職する場合、履歴書に書ける。クラス代表を務めるから、クラスの代表としてISに優先搭乗してもらう……とまあ、仕事を色々頼むことになる。こんな感じでよいか」

「ありがとうございます」

 

 質問終わり。鷹月は静かに座席に着いた。

 

「立候補する者はいないか」

 

 すかさず誰かが挙手。清香は気になってふり向いた。豪奢な金髪。セシリア・オルコットさん。イギリスから来た淑女で日本語完璧。貴族ってすごい。

 

「わたくし、セシリア・オルコットがクラス委員に立候補致します」

「うむ。よいぞ、ほかにいないか」

 

 織斑先生がウキウキとした表情で教室を見回す。

 清香は頭の中がぐるぐるしていた。セシリアはイギリスの代表候補生で、専用機を持参して来日した。流ちょうな日本語でクラスにすぐなじんだ。専用ISを見せびらかすものとした予想に反して、入学してから一度もISを使っていない。もったいつけていると思ったけれど、本人は照れる雰囲気すらない。

 本音を見ると立候補する気はないらしく、誰がクラス委員になるのかにも興味がないようだ。ノートに落書きして遊んでいる。入学早々、他人の宿題を写している。何も考えていないだろうから、中間考査で泣きつくに違いない。どうやってIS学園へ入学したのか。入試、めちゃくちゃ難しかったような。

 

(まさか、裏口入学!?)

 

 現実逃避したくなってきた。清香は頭を振り、目を瞑ってから、ぷくっと頬を膨らませてピシャリ。

 

(イタタッ……)

 

 強く叩きすぎてジンジンする。本来の目的を忘れてはいけない。家計は火の車。大炎上。富士山が噴火したくらい。

 篠ノ之基金の紙をこっそり広げる。ISに乗れば乗るほど金額が増える。

 胸がドキドキする。清香は猫背になって、震えながらこっそり手を挙げた。

 立候補。清香も。

 

「――相川清香、と」

 

 セシリア・オルコットの隣りに清香の姓名が並ぶ。

 ザワッ……。またしても。ものすごく驚かれている気がした。だけど、顔は上げられない。

 

「ほかに自薦する者はいないか。他薦もいいぞ、誰かいないか」

「じゃあ」

 

 谷本が手を挙げた。「織斑一夏くんを推薦しまーす」

 

 一夏が目を見開いて、肩をふるわせた。

 山田先生が清香の隣りに彼の姓名を書く。画数が多いので、書くのに時間がかかっている。

 周囲が騒がしい。落書きに飽きた本音が箒を見てから手を挙げようとしたが、「やっぱりやめる~」と辞退した。

 箒が一睨み。ふたりのやりとりをみた一夏が「ずるい」とばかりに机に突っ伏す。セシリアは悠然として表情を動かさない。

 織斑先生が手をたたく。静まったところで鷹月が挙手。

 

「クラス委員の選考方法は?」

 

 織斑先生は清香を見た。セシリアと机に伏せる一夏も見やる。

 まだニコニコ。鷹月に目を向けた。

 

「投票形式だ。一週間後、この三人でクラス代表決定戦をやってもらう。試合を見てから誰がふさわしいか投票して決めるんだ」

「負けても投票していいのですか?」

「もちろん投票していいぞ。勝者を決めるだけだったら面白くないだろ」

「……そうですね。ありがとうございます」

 

 勝った者をクラス委員にするなら十中八九セシリアになる。清香は何度もうなずく。

 

「もう一点、よろしいですか?」

「いいぞ、どんな質問だ」

 

 促されて、鷹月は抑揚のない声で訊ねた。

 

「練習や本番で使用するISはどうしますか」

「何を使ってもよいだろう。オルコットには専用機が、織斑は間に合えば専用機を使ってもらうつもりだ。相川は……うーん」

 

(そこで唸っちゃうの!?)

 

 織斑先生はしばし考え込んでから、清香を見据えて明るく言い放つ。

 

「なんとかなるだろう!」

(ええええぇぇぇぇ……)

 

 清香は口をだらしなく開け、担任の適当さ加減を嘆いた。

 




地の文の書き方が前回と異なります。文体の統一をしてません。
ご容赦ください。


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熟練搭乗員

 朝。寮の食堂には色とりどりの服装。十代の少女の香しい匂いで満ちあふれている。

 いっぱいのお茶。清香の朝食後の息抜き。ボタンを一回押して湯飲み一杯分。

 

「ぷはーっ」

 

 空になった湯飲みを返して自室に戻る。

 ベッドにはうごめく人影。モニョモニョしていた毛布を勢いよく引っぺがす。ルームメイトが目をこすりながら大あくび。

 

「食堂、もうすぐ、しまっちゃうよ。たまには食べに行きなよ」

 

 ルームメイトが起き上がる。冷蔵庫の前で清香と並んで立った。

 

「こっちのほうが合理的」

 

 パウチ入りゼリー飲料。キュッと封を開けてグイっと飲み込む。清香にはラベルが貼っていない銀色のほうを投げ渡した。

 

「なに、その目」

「……たまには交換しない?」

「やだ」

 

 才女は提案の断り方もはっきりしている。謎めいた黒髪を手早くまとめて編み込んでいく。アヤカ・ファン・デル・カンプ。母親が南アフリカ国籍の日系二世。日本と南アフリカの二重国籍で、本人は生粋の日本人だと言い張っている。

 清香は銀色のパウチをつまみ上げると、やがて意を決して蓋をあけた。目を瞑って口に突っ込む。ズズズズ……、と中身を吸い上げる。

 

「うううう……マズい!」

 

 涙を浮かべて舌を出した。自称天才が開発しているナノマシン入りゼリー飲料。

 

「舌がヒリヒリするぅー。お水お水っ!」

 

 清香は顔を横向けて水道水をがぶ飲みする。ゼリー飲料は一度たりとて同じ味であることはなかった。漏れなくひどい味。自称天才は味音痴。すばやく報告メールを送信。

 

(人類が飲むには早すぎます。まる)

 

 登校して教室に着いてもまだ舌がしびれていた。本音が心配そうに話しかけてきた。

 

「タバスコでも飲んだの~」

「いつもの新商品なんだけど、マズくってさぁ」

 

 本音が「へえ~」と首をかしげる。清香もつられた。

 

(成分も効能もよくわかんない、怪しいゼリーなんだよね。健康被害が出てないのが不思議なくらい)

「なんでまた、マズいのによく飲むよねぇ~」

「おねーさんが報酬たんまり弾むよー、って」

「あのね~。相談があって。頼まれてくれないかな~」

「どんな? 宿題写すのはなしだよ」

「おねーさんとお話がしたいんだよ~」

 

 清香は耳を疑った。うろたえた。笑顔がひきつった。

 <天災おねーさん>は自称天才で頭が切れる。放浪癖がある。現在は五反田食堂の土蔵に下宿中。当時小学生だった五反田蘭に魅入られたとのこと。蘭ちゃんが好きだといってはばからない。なんて言うか、変人。大きな胸元が大好きでちいさいのもいけると公言する、変態。

 本音の瞳をのぞきこむ。

 

「何も考えてないじゃない」

「つぶらな瞳って言ってよ~」

 

 教室の壁掛け時計を一瞥。時間はまだ大丈夫。本音に携帯端末を渡した。繋がるかどうかは別として履歴から直通電話をかけてみた。

 

「繋がったよ~」

(ちょっと待て)

 

 清香が電話すると繋がらないことのほうが多い。恨めしげな視線を送っても本音は気がついていない。どこ吹く風だ。

 ワンティッツ、妹さん以外で検討の価値ありやなしや。

 本音にしては簡潔に要件を伝える。清香は電話に出るよう求められたので、受け取った端末を耳にあてがった。

 

「検討の価値ありだね。もちろん動画で検討するからね。変形させたときの表情が重要なんだよ。恥じらいってやつ? 撮すのはどちらかだけじゃ駄目だよ。ちーちゃんなら破格で買い取るから。うん」

「相川、ホームルームを始めるから携帯をしまえー」

 

 清香は震え声になった。「今声がしたね。ちーちゃん。織斑千冬のことだよ」

 おねーさんのからかいに青くなった。どう考えても自殺行為。「減るもんじゃなし」おねーさんが茶化す。

 

(減っちゃう! わたしの寿命(ライフ)が減っちゃうぅぅ!!)

 

 椅子にへたりこんだ。端末をしまいながら、清香はすがるように本音を見た。「ふーんふーんふーん」と脳天気な鼻唄に興じている。

 チャイムが鳴ってすぐ、織斑先生が朝のホームルームを始めた。

 

「お前たち、ISスーツを持ってきたか?」

「はい!」「はいッ!」

 

 谷本と一夏。同時に挙手。

 

「話せ」

「忘れました!」「持ってません!」

「馬鹿者」

 

 織斑先生の呆れ顔。珍しい。クスクスと、笑いが広がる。

 

「谷本。予備のスーツを貸す。洗って返せ。……織斑。入学式の前に渡したはずだが」

「女子用だと思って実家に置いてきました!」

 

 隣りで聞いていた山田先生、口元を隠す。目が笑っている。

 

「男子用の在庫がある。念入りに洗って返せ。今度の休みに自宅からスーツを取ってこい。必ずだ」

「わかりました!」

「昼食後、職員室に来い。昼休み中に専用機のフィッティングを済ませるぞ。筆記用具を持参しろ。ついでにスーツを渡す。谷本も一緒に来い」

 

 織斑先生が次の話題に移った。初めてのIS実習について。プリントを配布した。

 清香は受け取ったプリントを眺める。C班。どの班も班長の記載なし。

 

「A班は私が指導する。B班は山田君だ。C班は……そうだな」

 

 織斑先生がひとりの生徒を見つめる。

 

「オルコット。班を任せたいが、できるな?」

「もちろんですわ。織斑先生」

 

 セシリアが流ちょうな日本語で応じる。にっこりとした笑みがキラッと光る。しかし次の言葉で笑顔がわずかに曇る。

 

「ISの展示飛行をやってもらいたい。基本戦技だ。できるな」

 

 織斑先生の確かめる目つき。セシリアが二つ返事で承諾する。

 

(……何だろう)

 

 清香は首をひねった。セシリアにとって入学して初めての飛行だ。代表候補生となれば国家の威信を背負っている。英国の実力を見せつけることこそ彼女の留学の目的ではないか。

 

「任せた。詳細は山田先生に聞け」

「かしこまりました。山田先生、よろしくお願いいたします」

 

 ちょっとした礼儀を忘れない。貴族のたしなみ。優等生の鑑である。

 

 

▽▲▽

 

 

 午後の授業はアリーナでの実習。フィールドに集合するも一夏とセシリアの姿がない。山田先生が手をたたいて生徒の注意を引く。

 点呼。頭上からしきりにキュインキュイン、という音。気になるので空を見上げる。二つの影。セシリア・オルコットと織斑一夏が手を振って合図している。

 

「準備ができたようですね。織斑くんはこっちに降りてきてください。ゆっくりでいいですから。オルコットさんはこちらが合図をしたら基本戦技の展示飛行をよろしくお願いします」

(んんん??)

 

 清香は隣りの本音を小突く。セシリアを指さして質問。

 

「なんか見たことあるような、ないような。なんて言うんだっけ、オルコットさんのIS」

「えっとね~」

 

 と口にしつつ本音がとっさに胸をガード。「チェっ」大きな胸元に悪戯しようとしたのがばれた。本音は笑顔を崩さずにひそひそ声で話した。

 

「あっれぇ~? ブルー・ティアーズ、じゃ、ないなあ」

 

 本音がゴシゴシと目をこする。

 

「わたしの記憶が正しければB3、ブラック・バーン・バッカニアだよ、あれ。装備がちょっと、うぅん、めちゃくちゃ後付けしてる~」

 

 そのあと本音の瞳孔が開いた。突然覚醒して早口になった。びっくり。

 英国は現在、メイルシュトローム・マークⅢを正式採用しているそうだ。

 本音曰く、英国ISの系譜は次のような感じだという。

 ・メイルシュトローム (英国産一号機。第二世代機。解体初期化済)

 ・メイルシュトローム・マークⅡ (半露出型装甲に対応、解体初期化済)

 ・メイルシュトローム・マークⅢ (不具合が多発したマークⅡの改修型)

 ・メイルシュトローム・マークⅣ (第三世代機。ギリシャに売却。コールド・ブラッドに名称変更)

 ・メイルシュトローム・マークⅤ (マークⅣの発展型。第三世代機。BT計画一号機。別名BTⅠ<サイレント・ゼフィルス>)

 ・ブラック・バーン・バッカニア (マークⅣと同時期に開発。新設計の第二世代機。B3と呼称されることも)

 ・BTⅡ <ブルー・ティアーズ>(バッカニアの発展型。第三世代機)

 ・BTⅢ <グレート・パンジャンドラム> (新設計。一号機、二号機の装備が搭載できる。大幅なコストダウンに成功)

 

「へぇー詳しいね」

「えへへ~」

 

 本音が照れながら頬をかいた。どうやら好きなことにだけ情熱を注ぐタイプらしい。

 しばらくして一夏がおっかなびっくりとした風情で着地する。本音が指さした。

 

「白式。倉持技研の第三世代機だよ~」

 

 えっへん、と胸を反らす。清香は素直に相づちを打った。

 本音が前を向く。清香が追従すると、山田先生が両手を交互に振る姿が見えた。

 

「オルコットさーん。よろしくおねがいしまーす」

 

 展示飛行が始まった。セシリアのB3は背中に二つの巨大な筒を背負っている。動き出すにつれてキュインキュインという音が大きくなっていく。装甲の隙間という隙間からうっすら白い蒸気。排熱に無理があるらしい。

 セシリアの真剣な面持ち。

 歩く。走る。飛ぶ。武器を出す。瞬時に切り替え。近接ショートブレード、投擲用短槍と手斧。

 続いて銃火器の切り替え。BK27単砲身機関砲(リヴォルバーカノン)、ミサイルポッド、四〇ミリ機関砲。

 さらにレーザー兵器まで。六七口径特殊レーザーライフル(スターライトmkⅢ)、外部電源必須。増設スラスターを兼ねる有線誘導レーザービット(インコム)

 瞬時加速(イグニッション・ブースト)、一零停止。三次元躍動旋回(クロス・グリッド・ターン)

 目にもとまらぬ鮮やかさ。涼しい顔つき。

 山田先生の解説。「オルコットさんのIS搭乗時間は二二〇〇時間なんですよ」

 

(あわわわ……)

 

 清香の顔がだんだん青白くなっていく。五日後には三つ巴のバトルロイヤル。セシリアはあえて実力の片鱗をさらけ出したのだ。

 

(IS怖い! 戦い怖い! セシリアさんが怖いよーっ!)

 

 訓練機で戦いに臨む。初心者は間違いなく瞬殺だろう。実習のあいだ、清香はずっと身震いが止まらず困り果てた。

 

 



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打鉄改造

睡眠時間確保のため早めに更新。


 

 

「時間が惜しい。どちらか選べ」

「こっちで」

 

 差し出された二枚の札。一方には打鉄のイラスト、もう一方はラファール・リヴァイヴの札。清香は目を泳がせてから左の札を取る。

 なんとなく日本製のほうが扱いやすい気がした。説明書が日本語だったような。

 織斑先生が持参したクリアファイルの中身を机に広げる。書類がいっぱい。清香が怯む。「全部書くんですか?」無言でうなずく織斑先生。

 搭乗計画作成。直筆のサインが必要、と法律で決まっている。

 

「うわーん」

「泣くな」

 

 打鉄の使用許可証の裏にもう一枚。大きな文字で「改造申請書」とある。

 

「カスタマイズできるんですか?」「あったほうがいいだろ?」

 

 すべてサインし終えて書類を戻す。織斑先生がパラパラとめくって目を通す。席を立ち、事務員にファイルを渡して後処理を託す。戻ってくるや「ついて来い」と一言。

 見慣れぬ場所に案内された。奥にいる少女の姿になんとなく見覚えがある。全身青色のつなぎに身を包み、両手で交互にまんじゅうを頬張っている。「あまーい。うまーい」布仏本音のだらしないほっぺ。入学式のときより表面積が増えている。

 

「布仏」

 

 まんじゅうへ伸ばした手を引っ込めた。ゆっくり首を曲げて織斑先生を見つける。あわてて菓子箱を後ろに隠す。口元にあんこがついていた。

 織斑先生の視線移動。ばれた。本音が肩をすくめ、不問のうちに袋へ戻す。

 

「仕事だ。わかっているな」

「なんの?」

 

 事情をのみこめないのはむしろ清香のほう。入学のしおりについてきた制服類のカタログ。一年生はつなぎの購入は任意選択で、二年次から整備科コースを選択する場合は二学期の終わりに買うのが常だという。

 本音がへらへら笑う。まんじゅうの代わりにスケッチブックが出てきた。

 織斑先生がテーブルの前に立つ。先ほど清香が選んだ札を置く。

 

「布仏に希望を伝えろ」

「打鉄をどんな風にカスタマイズするかってこと~」

「私はレンダリング端末を借りてくる。戻ってくるまでにまとめておけ」

「はーい」

 

 織斑先生の姿が消える。清香は本音の隣りに座った。

 本音のA3ヨコのスケッチブック。一枚めくると打鉄のスケッチがでてきた。ボールペン画。結構うまい。

 おおざっぱな希望で良いらしい。清香は話を進める前に確かめた。

 

「これって五日後に向けた話?」

「そう。超特急で改造しろって無茶言ってるけど、設備持っててできちゃうんだよ~」

 

 わかった。清香は黙ってうなずいた。

 さっそく希望を伝える。肌が外から見えないように。手も足も顔も全部。

 空の紙コップを逆さまにしてみせた。こんな感じに覆って欲しい。

 

「視界がとっても悪くなるよ~。エネルギーシールドで防げるから覆っても意味ないよ?」

「わかってる。でもでも、セシリアさん怖い」

 

 次の希望。装甲について。

 

「傾斜をつけるの? 弾丸の種類によっては意味ないよ? 重くなるだけだよ?」

「わかってる。どっちかっていうと厚着したほうが硬そうに見えるから」

 

 武器について。刃物不要。自動照準できる砲を一門。できるだけ大きいの。

 

「打鉄のブレードは結構攻撃力が高いよ? 普通みんな装備してるよ?」

「刃物は閉所でなきゃ使えないよ。今日の見たでしょ」

 

 清香が首を振る。

 追加注文。できるだけ重たい金属塊がほしい。

 

「何に使うの?」

「投げる」

 

 シャープペンシルでサラサラとスケッチ。何カ所か指摘してデザインを変更。消しゴムで消して書き換える。

 そうこうするうちに織斑先生が戻ってきた。

 

「終わったみたいだな。よろしい」

 

 分厚いノートパソコンを広げる。見るからにゲーミング端末。キーボードライトつき。自称天才のおねーさんの部屋にあった端末とギミックがよく似ている。

 隣りに靴箱くらいの大きさの箱を置いた。ケーブルで繋ぐ。外部GPUと言うそうだ。

 織斑先生のIDでログイン。画面が出てきたら本音が代わって操作。マウスクリックで色々選んで一五分ほどで設定終了。

 レンダリング結果。織斑先生が心配そうな顔。

 底が深いバケツを頭からかぶった感じ。背中にはロールケーキみたいなボックス。拡張領域には金属塊を入れた。

 

「どうやって見る」

「レーダーっぽいので。銃構えるの見たら失神しちゃうかもだから」

 

 織斑先生が額に手を当てた。「いいのか?」「本人の希望を尊重しようよ~」

 すかさず「送信しますか?」ボタンを押す。

 ピットに移動してできあがるのを待つ。織斑先生は次の仕事があるのか、使い終わった端末を持ってどこかに行ってしまった。

 監視の目がなくなるや、本音がまんじゅうの箱を取り出す。お茶サーバーで紙コップに緑茶を注ぎ、一杯二杯と飲む。

 本音の特技について聞く。ISビルダー世界選手権なる世界規模の模型競技会。優秀賞を取った。「これ」とチラシを渡される。佳作以上の名前がずらり。日本人だけ探す。優秀賞のところ。ちょっと大きな文字で布仏本音。佳作には日本人男性とおぼしき名前がいくつか。ほかに女性がひとり。織斑マドカという名前。

 入試の話を振る。本音はどうやら推薦入試の模様。一般入試の話をすると食いついた。清香は得意になって話し込む。

 一時間もかからずに作業が終わった。まんじゅうは本音のおなかへと消えて跡形もない。

 

「頭が糖分を欲しているんだよ~」

 

 清香の視線に気づいて言い訳をする。残っていたお茶をグビッと飲み干した。

 カスタマイズし終えた打鉄を着装。視界は抽象化した映像と記号のみ。外の風景がどうなのか。別に相手の顔が見えなくったっていい。眼球から脳神経に流れ込む、膨大な情報。初心者である清香が仕分けるには技量も経験もない。とすれば余計だと思う情報は削ぎ落とす。

 歩く。走る。転ぶ。転ぶ。「あれ?」

 

(実習と感覚が違う)

 

 装甲をたくさん後付けした。慣性制御できるも質量増大は無視できない。

 通信回線から別の声だ。織斑先生が再び戻ってきた。

 

「布仏、相川の資料だ。使え」

 

 と勝手に個人情報を渡している。身長、体重、そのほか諸々が白日のもとに。「入試の実技試験結果だ」織斑先生が心配を見越して言った。

 入試。VR模試ではCランクだった。血液検査によればISのナノマシンと親和性が良くない、親和性が悪い体質だとか。でも、入試は通った。疑問が湧き起こる。

 資料をみた本音が驚く。「Aランク」と感動しているようだ。少し早口になっている。

 

(は? Aランク!?)

 

 元家庭教師、自称天才のおねーさんに実技試験突破を危ぶまれた。IS側を弄ってある程度適性値を向上する裏技があるそうだが、清香の体質的にそれが通じないと太鼓判を押されていた。

 何かの間違いじゃないか。何度も確認するが、資料を撮影した写真を見せられては納得せざるを得ない。

 なおも最後の抵抗を試みる。

 

「Aランクならラクショーだね~」

「待って待って、誰かの結果と間違えてない? 私、血液とVRの適性値がCだったんだもんっ」

「まったまたー」

 

 謙遜だと思われているようだ。入試のときのことを思い出す。

 学科試験が終わった日。実技試験の前日に清香は頭を打っていた。道が乾いていたので走って帰ろうとしたら、曲がり角の出会い頭で人とぶつかった。

 

「ガ○プラ!」「プラモがどうした?」

 

 手提げ袋から白黒の箱が、エコプラが見えたのだ。スカートをはいていたのでぶつかったのは女の子のはず。織斑先生似の小柄で気が強い雰囲気。

 清香は尻餅をついて頭を打った。女の子のほうは背中のリュックがクッションになって無事。ただしリュックの中身が身代わりに。「MG」と書いてあったような。助け起こそうと屈んだら突然身を起こしてきた。互いの顔面が衝突。歯と歯が当たって激痛に涙が零れた。唇を切って血がダラダラ。おそらく唇同士も衝突したに違いない。

 入試時の映像が流れる。まちがいなく清香本人。織斑先生が「担当が違うのでその場にはいなかったが、こいつは本物だ」などと口走る。記憶にございません。

 

「やめて、見ないでー」

 

 最後の捨て台詞だけは覚えている。恥ずかしい。夢のなかだと思ってクサイ台詞を吐いてみたなんて言えない。少なくとも入試のコンディションは良くなかった。てっきり自称天才のおねーさんのおまじないが効いたのだと思ったぐらい。「痛いの痛いのトンデケー」が本当に効くんだと。

 

「相川」

「はい?」

「その機体は五日後まで占有できる。布仏にオートバランサーを調整してもらえ。一年にしては腕が良い」

「すみません。織斑先生は指導していただけないのですか?」

「これ以上は手が回らん。代わりに先生役ができそうなのを連れてきた」

 

 先生役? 清香は首をかしげた。他のクラスのクラス委員って暇なわけないはず。

 

「相川がよく知っているやつだ」

「……準備できました」

 

 不機嫌な感じの声。ものすごく聞き覚えがあるやつだ。

 

「織斑先生に教えるよう頼まれました。短い間だけどよろしく」

【バケツなんか被って、バカなんじゃないの】

 

 ゆったりとした口調とおしとやかな仕草。一方、通信文では罵倒。

 

「一年四組。アヤカ・ファン・デル・カンプだ。彼女もAランクだ。お前たち、相部屋だろう?」

 

 織斑先生が愉快そうに言う。

 

(ISに乗るつもりはないって初日に言い切ってたじゃんかぁ……)

【廊下で織斑先生に拝み倒されたの。皆が見ていたのよ、断れるわけないでしょ】

「あとは任せる」

 

 今度こそ本当に織斑先生がいなくなる。

 ルームメイトは腰に手を当てて、厳しい口調で告げた。

 

「基本動作と基本戦技、教えるから。速成教育だから厳しくやるけど。いいでしょ? 軍隊よりはいくらかマシよ?」

(うわーん……)

 

 有無を言わせぬ口調。本音の鼻唄を聞きながら、清香は半ば混乱しながら、うなずく以外の術を持たなかった。

 

 

 



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代表決定戦

 授業。練習(しごき)。睡眠。繰り返し。

 日が経つのは早く、疲労困憊(こんぱい)で合間があれば眠るようになっていた。

 昼食のあと、寝ぼけ眼のまま本音に手を引かれる。

 案内された先には巨大なバケツお化け。清香は言われるがままカスタマイズした機体を着装する。

 

「……んにゃ?」

 

 眠気が消えた。右に左に首を振る。今何時!?

 目の前は真っ暗。地図を模す抽象化した記号と線。

 織斑先生の声。試合内容の説明。三機でバトルロワイヤル。清香は宙に浮く二体のISへ気持ちを向ける。

 映像が出現。まずは織斑一夏の白式。練習を積んだのか、あふれる自信。大きな手につかんだ巨大な太刀は「雪片弐型」とある。日光で機体の白がキラリと映える。

 次にセシリア・オルコットのB3。シルエットがブルー・ティアーズと似ている。全体が丸みを帯びている。それもそのはず、かのBTⅡは燃費の悪さを改善した機体である。セシリアは涼やかな顔つき。普段と変わらない。

 

(もう本番だよーっ!)

 

 連日のスパルタ。基本動作はなんとか初心者から毛が生えた程度。アヤカや本音いわく、他の者はもう少し飲み込みが早いという。原因はISを操縦するには相性の悪い体質。本来なら入試で落とされる。

 

(戦技って、どうしよ~)

「放っておいたほうがよろしいかしら?」

 

 セシリアがオロオロする清香に向けたつぶやいた。腰が引けている姿が、二人にとって歯牙にかけるに足りないと思われたか。

 

「先に俺とやろうぜ」一夏が雪片弐型を中段に構える。

「では、参ります」

 

 セシリアが清香に背を向ける。一夏に向かって瞬時加速(イグニッション・ブースト)。攻撃。

 

(攻撃!?)

 

 清香は驚く間もなく尻餅をついた。足下に斧が刺さっている。あわてて起き上がると、二本目の斧が見越した位置に突き立つ。

 

「うわっ、わわわわ」

 

 短槍が飛来する。

 避けようにも頭が真っ白。後付けした装甲に当たって、伝播した衝撃をシールドが打ち消す。装甲の内側にシールドを展開するよう設定変更してあったためか、改造打鉄のシールドエネルギーは清香が思ったより減っていなかった。

 また尻餅をついて後ずさる。黒い視界に飛来物の白く象った輪郭と、その位置が示される。抽象化してあるとはいえ音は本物。

 

(怖いよーっ!)

 

 戦意喪失。少しでもその場から離れようとする。

 セシリアは近接ショートブレード(インターセプター)を実体化させながら舌打ち。曰く、「初心者ですわね」

 広域通信。笑い声が観覧席に広がる。

 

「おいおい。よそ見するんじゃないぜ!」

 

 一夏は左手を閉じたり開いたりさせながら、接近するセシリアを顔の左に捉えるように飛ぶ。巨大な近接ブレード、雪片弐型を右手でつかみ、一気に増速。回転して方向転換するセシリアへ言い放った。

 

「あんた、遠距離狙撃が得意なんだろ! 慣れないことをするもんじゃないぜ!!」

 

 吠える一夏。BTⅡ時代のデータだ。セシリアは(まぶた)を細め、さらに出力を上げる。排熱が追いつかず、機体のあらゆる隙間から白い煙が立ち上りだす。

 雪片弐型の形状が変わり、エネルギーブレードを展開。零落白夜。単一仕様能力(ワンオフアビリティ)、シールドエネルギーを切り裂く刃。五日間の練習で獲得した力だ。敬愛する織斑千冬の乗機「暮桜」と単一仕様能力(ワンオフアビリティ)を同じくする。一夏は昂ぶった。斬って、斬って、斬りまくる。一夏にもできる気がしたのだ。

 荒削りながら必要な戦技を習得。的確な教えを与えれば、その場で理解して実現する能力に、直接指導に当たった山田真耶は舌を巻いた。

 IS操縦センスのかたまりだ。千冬の再来に違いない、と思ったくらい。

 一夏は零落白夜を振りかぶった。上段で仕留める。女に武器を向けるのは信条に反するが、そこは勝負。勝たせてもらう。

 一方で、セシリアは接近をやめなかった。零落白夜を見ても顔色ひとつ変えず、激突する瞬間を待つ。零落白夜と近接ショートブレード(インターセプター)では刃の長さが違う。近接ショートブレード(インターセプター)の利点は取り回しやすさのみ。

 が、獲物を上段に振りかぶった姿を見て、セシリアは初めて笑みをこぼした。

 

「ウオオオオオォォォォ一本ッッッ!!!」

 

 一夏が零落白夜を渾身の力で振り下ろす。まっすぐ。一刀両断。

 セシリアが身体を低くして伏せるような姿勢をとる。頭を守って、あたかもおびえているかのよう。

 一夏は勝利を確信したのだ。が、手応えなく、全身に広がる激しい衝撃に困惑する。

 セシリアは低い姿勢から近接ショートブレード(インターセプター)を繰り出した。

 突く。突く。突く。繰り返し。突く。突く。突く。繰り返し。

 一夏が身体を守るべく防御姿勢をとった。構わず滅多突き。

 あっという間に白式が色あせる。シールドエネルギーを喪失した証拠だ。一夏脱落。

 セシリアは茫然としながら降下する白式を見やって、あたかも高飛車なお嬢様な顔つきになった。

 

「あら、何故という顔ですわね。血の気の多い殿方にひとつ、お教え致しましょうか」

 

 近接ショートブレード(インターセプター)を構える。

 

「剣は斬るものではありませんの。突くものです。太刀(ブレード)は長さや取り回しやすさが中途半端。あなたの負けは確定していたのですわ」

 

 ホホホ、と上品に笑う。自然な仕草、セシリア本来の表情か。

 

「さて」

 

 清香へ向き直った。「落ち着きましたか、あなた」

 

(うわーんっ、こっち見たーッ)

 

 清香は一夏瞬殺の一部始終を見ていた。セシリアが見せた戦い方は練習(しごき)でアヤカが実演してみせたものだ。曰く、「誰でも必ず勝てるIS」

 右往左往していると、空中浮遊していたセシリアが優しげに微笑んだ。

 

 「ティアーズ(インコム)」 

 

 ぼそっと言った。有線誘導ビット射出。勢いよくワイヤーコイルが回転し始める。初めは四基、さらに四基繰り出す。「踊りましょうか、円舞曲(ワルツ)を」

 光線が十字を描く。八基のビットは互いにワイヤーを絡ませないよう、広がりながら波状攻撃を仕掛ける。

 清香はなりふり構わず逃げ、転んだ。

 

「うわっ、うわっ、さっきからウワウワばっかり言ってるよ、わたしー!」

「あら、案外頑張りますの。では、律動的(リズミカル)音色(トーン)も少し変えましょう」

 

  背部の外部電源から白煙が立ち上る。有線誘導ビットのレーザー射撃。八基同時に繰り出せば、燃費の悪いB3では排熱が追いつかなくなる。急速冷却と再充電が始まった。

 位置を変えながら、斧を投げる。

 今度はBK27単砲身機関砲(リヴォルバーカノン)。四〇ミリ機関砲。投げては砲撃。

 斧が装甲にあたる。凹んで使い物にならなくなる。

 

「いやーっ! 怖ーいっ!」

 

 だが、清香は逃げてばかりではいられなくなる。セシリア・オルコットは本来射撃の巧手である。相手の行動を制限するのはお手の物だ。

 清香が意図に気づいたとき、すでに逃げ道を失っていた。有線誘導ビットのレーザー攻撃が再開したのだ。

 清香はなおも、必死で逃げ道を探した。装甲ではレーザー攻撃を防げない。直接シールドエネルギーが減ってしまう。

 また転んだ。飛来した短槍が装甲によって弾かれる。休む間もなく投げ込まれる斧と槍、弾丸。一挙に押し寄せて清香はうろたえる。

 攻撃のさなか、天を仰いだ。身体を傾け、装甲の傾斜で実体武器を弾いた。

 レーザーを避け、転びながら弾く。実体弾のなかを泳ぐように。装甲はどんどん裂けて凹んでいく。

 弾く。弾く。たくさん弾く。走りながらやっとの思いで金属塊を実体化。

 

(持ってけ、って言われた)

 

 誰の提案だったか。投げるなら、と勧められた。スリングショット。

 ISの膂力で繰り出された塊は、さながら砲弾のように。清香は当たったかどうかも確かめず、目を瞑って背中の装甲板を開錠した。願わくは当たってくれ。毎分一二〇発におよぶ嵐。四〇ミリ対空機関砲。

 

終曲(フィナーレ)、ティアーズに捧げます」

 

 うっとりとした夢見るような顔つき。セシリアは実体化したライフルに向けて愛をささやいた。彼はならず者(巨躯)に襲われ、自由を奪われた。六七口径特殊レーザーライフル(スターライトmkⅢ)蒼い雫(ブルー・ティアーズ)の半身に等しい。己が愛情を込め、必殺の一撃を放った。

 

「清香さん、あなた、幸せ者ですわ」

 

 

 



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開票結果

 織斑先生、満面の笑み。

 翌日のホームルーム。二重封筒をこれ見よがしに教卓へ置いた。

 生徒が挙手。能面のまま質問。

 

「先生」

「鷹月か、話せ」

「封筒の中身はなんでしょうか」

「山田君、頼む」

 

 山田先生が板書を始める。チョークが擦れる音が響くなか、織斑先生はゆっくりと話す。昨日集めた投票の結果。織斑先生は生徒の顔をひとりずつゆっくりと見回した。

 黒板には三人の名前と数字。

 

◎セシリア・オルコット 二〇票

・相川清香 六票

・織斑一夏 五票

 

 清香は少し残念な気持ちになる。数打ちゃ当たる。目を(つむ)って撃てば一発くらいは当たると思っていたのだ。

 

「一位はオルコット。さすがだ」

「ありがとうございます」セシリアが優雅に微笑んだ。

「二位は相川。三位は織斑――」

 

 セシリアと同じく褒めてもらえると思っていたのか、一夏がニヤけながら言葉を待つ。織斑先生がじっと彼の目を見つめたが、少し困ったように山田先生を見やった。

 

「あ、そうですね。がんばってましたよ、織斑くん。相手が悪かったと思いますよ」

 

 山田先生は気を遣って瞬殺の件には触れなかった。

 

「相川さんもよくがんばりました。いきなり斧が飛んできたら怖いですよね。先生も経験ありますよー。うん、わかります。そうそう、織斑先生、伝えることがあったんじゃ」

「ああ。無効票がいくつかあった。誰とは言わんが、字はもっときれいに、読めるように書け」

(字が汚いと言えば~)

 

 清香は本音をチラッと見た。当人は頬をかいて照れ笑いしている。メッセージ着信。「わたしのこと~」

 

「なお、入院中の生徒は総数から除外している」

 

 入学前に事故に遭い、一度も登校していない生徒だ。清香は後ろを振り返った。空席がいくつもある。ふうっと吐息をついて板書を見た。

 「クラス対抗戦」という文字。山田先生はトメ・ハネ・ハライがきっちりしている。

 

「クラス委員はクラス対抗戦に出場する。オルコット、いいか」

「先生」

 

 セシリアが挙手して立ち上がる。

 

「わたくし、()()()辞退しますわ」

「……ほう」

 

 教室中が騒然とする。清香も本音を見やった。本音はセシリアの胸元に注目して指をグニャグニャさせている。「あのね、あのね~」

 清香はあえて無視して前を向く。セシリアが辞退したとなればお鉢が回ってくるだろう。ちょっとドキドキしながら織斑先生の言葉を待つ。

 

「代表戦はどうする。考えはあるか」

「相川さんと織斑さんにお任せします」

 

 一夏が「え?」と呆けた声をだした。安全圏だと思って安心しきった顔つき。「どういうことだ? 俺、三番だぜ?」

 またしても鷹月が挙手。

 

「質問です」

「話せ」

「実はクラス対抗戦のルールを掴みかねています。できれば先生の口から説明をお願いします」

「よろしい。山田君。説明資料を」

 

 山田先生が教卓の棚からプリントの束を引っぱり出す。

 一列ずつ配る。清香は自分の分を取ってから後ろに渡す。余ったプリントは空席のなかにすべて収まった。

 

「クラス対抗戦は例年、クラスから一名を代表選出。四クラス四名がトーナメント戦を繰り広げるものだ」

「……ちなみに去年の優勝者はロシアの国家代表、準優勝はギリシャの代表候補生ですね」山田先生が補足した。

「国家代表、もしくは代表候補生を有するクラスはほぼ間違いなく勝利できてしまう。昨日の試合を見た者なら理解できるだろう。加えて、今年は例年になく専用機が異常集結してしまった。資料の第二項を見てくれ」

 

 清香は軽い気持ちで資料を見た。目を丸くして驚愕。同じく初めて事情に触れた者がざわつく。事情に明るいであろう本音にこっそり聞いた。

 

「この資料、ホント?」「ホント、ホント~」

 

 一瞬の後に平静が広がる。

 資料にはこうあった。

 

【クラス別専用機一覧】

◇一組

 ・ブラック・バーン・バッカニア

 ・白式

 ・他、三機が搬入待ち

◇二組

 ・アダージョ・レガート

 ・他、一機が搬入待ち

◇三組 

 ・ミナス・ジェライス

 ・打鉄零式

◇四組 

 ・打鉄弐式

 ・他、二機が搬入待ち

 

「今年のクラス対抗戦はタッグマッチとした。使用ISは二機。専用機は一機までとする。国家代表および国家代表候補生、予備代表候補生は一名までだ。重複は認めない。一名は経験が浅い、経験がない生徒を必ず選ばなければならない。なお、二名のうちひとりが敗退すれば自動的にクラスの敗けが決まる」

 

 セシリアが手を挙げた。

 

「すなわち、二人目が重要、ということですわね」

「そうだ」

 

 織斑先生が嬉しそうにうなずく。

 

「ですから相川さん。この対抗戦、あなたが鍵となりますの」

 

 セシリアから思いかけぬ言葉。清香は色を失う。右へ左へ視線を揺らし、不安そうに前を、横を窺う。

 セシリアが和やかに微笑んで挙手した。

 

「先生、わたくしからも確認したいことが」

「何だ」

「イタリアのIS、アダージョ(ゆっくりと)レガート(切れ目なく)は対抗戦に出場しますの?」

 

 何度も目をまばたきする織斑先生。山田先生と見つめ合ってから腕組みし直した。

 

「例のISはレギュレーション違反。あまりにも大きすぎる。どうやってアリーナに入れるんだ? ひっくり返しても入らないぞ? しかも三座式だぞ?」

「わたくしとしたことが。愚問でしたわ。タッグマッチですのに」

 

 雑談になりそうな雰囲気。緩みを感じ取った山田先生がすかさずまとめる。

 

「クラス委員はオルコットさん。副委員は相川さん。クラス対抗戦には織斑くんと相川さんが出場します。みなさん、よろしくお願いしますね」

「副委員!? 聞いてないよっ!?」

 

 清香はひとり素っ頓狂な声をあげた。

 

 

▽▲▽

 

 

 クラス委員の仕事。雑用。

 仕事を抱えすぎの山田先生はプリントの束を紙袋に入れて、段ボール箱を脇に置いたばかりのセシリアと清香に告げた。「いきなりごめんなさい」申し訳なさそうな声。

 清香は額の汗をぬぐった。手の甲がほんのり湿っている。振り向いて傍観者をひと睨み。「手が塞がってるから~ほらほら~」長すぎる袖が邪魔で掌が見えない。

 

「終わりましたわ」

「ありがとー。わっ、すごい。全部五十音順になってる。もう大丈夫だから、ふたりともありがとう」

 

 部屋をあとにする。きびきびと動くセシリアの後ろ姿。金色の三つ編みを眺めながら、ちょっと肩をすくめてついていく。並び歩いている本音が鼻唄に興じ、懐から取り出したあめ玉を口に入れて舌の上で転がす。

 

「あめあもあむむ」

「何言ってるかわかんないよ」

 

 ガリガリ……ゴクン、と本音は粉々に砕いたあめ玉を嚥下した。

 

「オルコットさん。できる女だね~」

 

 むっとする清香。「私ができない女だと言ってるー?」

 本音の満面の笑みが零れる。「清香は私よりもできるから大丈夫だよ~テヒヒヒ~」

 

 だからさぁ、と本音が続ける。性懲りなく宿題の模写を頼み込んでくる。

 清香は渋い顔つきになる。交換条件を提示されてあえなく撃沈。お菓子の誘惑に負けたのだ。

 本音は緩みきった雰囲気のまま、セシリアの前に回り込んだ。「ねえ~ねえ~」「ちょっと本音」「お茶して休憩しよーよ~」

 一時停止。

 セシリアが振り返った。

 

「ご一緒しましょう」

「じゃあ、おねーちゃん秘蔵の茶葉をくすねてくるね~。手に入ったら連絡する~」

 

 本音が清香たちと別れ、スキップして階下に消えた。

 二人になった。どうしたものか。清香は廊下の照明を見上げた。

 思いっきり深呼吸。

 

(グェホ、ゲホッ……)

 

 吸い過ぎてむせた。すかさずセシリアが背中をさする。優しい。

 

「大丈夫。だいじょーぶ」

 

 まだ口のなかが酸っぱい。清香は落ち着いてきたものの、歩きながら伏し目がちに話しかけた。

 

「ごめんね。騒がしくして」

「そうは思いませんわ。布仏さん、わたくしに気を遣ってくださったのでしょう」

「……そうなの?」

 

 そうかな~。清香は首をひねる。お菓子をつまむ正当な理由がほしいだけのような……。

 

「助かりました。わたくし、清香さんとお話したかったのですよ。立ち話ですけど、よろしいかしら。ふたりきりのうちに」

「大丈夫だよ、です」

 

 セシリアは気にせず、艶やかな笑みを浮かべる。

 清香は生唾を飲み込んでから真剣な面持ちで言葉を待った。

 

 

 



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女子茶会

早めに投稿。
あと400字足せればよかったけど、時間切れ。


 立ち話。

 廊下の少し暗がりでセシリアの一挙一動を窺った。

 

「清香さんのご出身はどこかしら?」

 

 はい? 何度もまばたき。上を見てから下を見る。右を見てから左を見る。真ん中を見るとセシリアがやさしく微笑んでいる。

 

(そっか)

 

 深呼吸。今度は()せなかった。

 

「私はこっちのほうだよ。生まれは東京……の端っこ、川を渡ったら神奈川。中二の始めに引っ越してからおばあちゃんの家に世話になってたなー。岐阜県。織田信長のお城があった岐阜。おばあちゃんちは関ヶ原のほうなんだけど。それからIS学園受験のために上京して、またこっちに下宿してたんだー」

 

 今までの生活を振り返る。清香は細かい部分を端折って口にした。

 

「セシリアさんはロンドン? 貴族だし」

 

 イギリスの地名はロンドンしか知らない。虚勢を張る。ロンドンといえば物価が高い。物価が高い街に住んでいる人はお金持ち、という単純な論理だ。

 予想に反してセシリアが首を振った。ちょっと声を立てながらも上品に笑う。

 

「そう思うでしょう? ロンドンから列車で2時間と少しの片田舎ですの。使用人すら雇えない貧乏貴族。領地の手入れ、保全は自分たちでやるしかなく、小さな頃は父と母とわたくしで土いじりしていました。モノを売るにも買うにも不便な土地柄。自給自足の生活でしたわ」

「貴族って超お金持ちじゃないの? お城持ってるんじゃ」

「館をお城というならそうでしょうけれど……築五〇〇年、ですわよ? 外壁はオンボロ。しかも高所。危ないったら」

「セシリアさんも登ったの?」

「そういうのは父の仕事でしたわ。わたくし、やりたいと何度も頼みこみましたが、結局一度もやらせてくれませんでした」

「セシリアさんのお父さん、お父さまって、よく雑誌の表紙に載ってる、オルコット社……」

 

 オルコット社はIS産業を牽引するトップ企業のひとつだ。

 

「あれは母方の叔父ですの。それに叔父は貴族ではありませんわ」

「そうなの?」

「確かに叔父は裕福ですけれど、身内に対しては特にお金に厳しいのです。わたくし、叔父に家賃を払って、叔父の家に置いてもらっているのですよ」

「じゃあ、ご両親は」セシリアが首を振った。

 

 清香はとっさに謝った。失言を恥じ入る。

 

「清香さんのご両親はご健在ですの?」

 

 あいまいな顔つきのまま、首を振る。清香は意を決した。

 

「相川は母の姓なんだ」

 

 これでおあいこ。清香の父も社長だったが、自営業だ。

 清香は目を伏せたまま携帯端末を弄くる。

 セシリアに画面を見せた。

 

「これ」「それは」

 

 清香はふんわりした表情になった。セシリアがモデルデビューした広告を検索して見つけたのだ。メイルシュトローム、BTシリーズを開発・製造する英国IS公社がオルコット社と協同で製作したものだ。

 超美人。

 だが、セシリアは顔を赤らめ、眉を隠した。清香を手で招く。「なになに」清香はふんわりとしながら耳を近づける。

 

「これ、実は描いてますの。描かないとなりませんの」

「何を」

「わたくしの眉。薄いんです。生えているのかわからないくらい」

「全部描いてるの!?」

「遺伝ですわ。叔父も描いてます。毎日」

「外国の人は、ハゲが多いっていう」

「オルコットの遺伝子は眉が禿げるのです。ホルモンに関係なく……理不尽ですわ」

 

 睨めつけるような視線。清香は頭を覆う。記憶を探る。親戚の頭部。よし、禿げてない! 

 ニコニコ満面の笑み。けれども一抹の不安。父の親戚はどうなのだろうか。女の子は父親に似る。

 

(禿げやすさは遺伝しますわ)

(努力で補えるかも、かも……)

 

 視線が絡み合う。なんの話、してたっけ。

 メッセージ着信。本音から。「成功したぁ~。おねーちゃんの高級ブランド紅茶~」

 自撮り写真つき。セシリアにも画面を見せた。

 

「叔父がよくチェルシーに淹れさせている紅茶ですわね。なるほど、高いですわよ。……あらあら、後ろのほう」

 

 誰かの半身が映っている。本音を縦に伸ばし、眼鏡をかけ、あたかもキャリアウーマンのような雰囲気を持たせた女性。ただし般若の面。

 清香は試しに通話を試みる。

 ……かかった。

 

『うわぁぁぁぁあああん』

 

 切れた。

 セシリアと顔を見合わせる。

 

「紅茶。だめっぽいね」

「残念ですわね」

「ティーパックで良いなら私の部屋で、どう?」

 

 ティーパックはもちろんルームメイトの私物である。ルイボスティー。あとセイロン茶。

 

 

 

▽▲▽

 

 

 

「ということがあったんだ。アヤカさん?」

 

 フリーズ。次いで小刻みに振動……。才女にしては珍しい姿。

 再起動するまでのあいだ、清香は勝手にポットに白湯を満たす。「セイロン(ティー)もらうよー」セイロン茶は二人分。アヤカはルイボスティー派。

 セシリアが礼を言う。どういたしまして。

 

「このかたがアヤカさん?」「そう」

 

 ISの操縦を渋々教えてくれたこと。特に秘密でもないのでペラペラ話した。

 膝行して裾を引っぱる才女。「どうしたんだい?」耳を貸す。

 

(セシリア・オルコットじゃない。なんで連れてきちゃったの)

(ほかに茶葉持ってる子しらないもん。なんで?)

(何でって……)

 

 アヤカは言いにくそうに目をそらす。が、すぐさま切り替える。

 

「おいしい」セシリアはもみあげをすくい上げ、カップに髪が入らないよう気を遣う。

「でしょ」

 

 お気に入りのセイロン茶を褒められて、アヤカはまんざらでもない様子。

 気を取り直して箱に手を掛ける。マニキュアセット。メイクボックス。

 

「化粧。嗜みますの」

「明日、休みでしょ。街に繰り出すのよ。お洒落しなきゃ」

 

 セシリアが同意。キョトンとする清香。

 

「清香さんは明日、ご予定ありますの?」

「私も外出。友達の家に」清香の素っ気ない答え。

「女性? それとも殿方!?」セシリアの目がキラキラ。

 

 うーん。清香はチラッとアヤカを見やった。興味ない様子。今まで一度も男の話が出ていない。

 

「まぁ、男もいるかな。同い年の」

「幼なじみ、というものかしら」グイグイくる。

「友達のお兄ちゃん、かな。学校違ったし。私、弟いるから、まあ普通? セシリアさんも叔父さんと普通に話すでしょ? そんな感じ」

「まあっ」

 

 急に声が華やぐセシリア。

 アヤカは無言のまま驚き。いつもの不機嫌な感じで口を開く。

 

「で、目的地ってどこなのよ。腐れ縁って感じなら最寄り駅くらい言えるんじゃないの」

「友達の家、食堂やってる。(ふる)い、昭和の食堂って感じだったよ。()()()()()で検索してみてよ」

 

 清香はセイロン茶を口にしてから、携帯端末で画面を開く。大手グルメサイトにも一応載っている。レトロ食堂として。

 

「殿方にお会いになるんでしょう! でしたら、清香さんもお洒落をしなければ。どんな服がございますの?」

 

 セシリアが立ち上がってクローゼットに突撃。着せ替え人形。そうこうするうちに服が足りなくなってきた。背格好が同じくらいのアヤカから借りる。嵐だ。ふたりのこだわり。ギラギラ輝く。

 夕食までの時間。女子らしい会話に華を咲かせた。

 

 

 




ということで次は五反田食堂へ。


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五反田食堂

今回の次の話がある種の折り返しです。
ですから、今回はものすごくどうでもいいような話にしてみました。
要らねーだろ。冗長だろ。誰得だよ。と思う方もいらっしゃるでしょう。次で跳躍します。ここは我慢。


 駅。清香は腕時計に目を落とす。

 ランチには少しばかり早い。改札を通って商店街を目指す。

 道なりに並ぶ若い女性たち。目指す場所には古びた看板。

 清香は肩にかけたトートバッグを下ろす。「五反田食堂」の文字。暖簾を確かめ、来た道を振り返る。顔を戻して店に入った。

 

「いらっしゃいませー」

 

 威勢の良い声。赤い髪の店員が振り返る。見たことあるような。目をゴシゴシこすってから凝視してみた。

 

「……って、キヨか。ひっさしぶりだなー」屈託のない笑顔。こいつ知ってる。

「弾くん」

 

 常連客で経営が持っているようなレトロ食堂。若い女性が列に並ぶような店ではなかった。

 清香は弾と挨拶を交わす。

 

「ちょっと見ないあいだにかっこよくなった?」

「キヨこそ可愛くなったじゃん」

 

 サラッと言う。清香は照れてはにかんだ。弾はこういうやつだ。

 

(友達に借りたんだけどね)

 

 セットアップはアヤカから。大きな帽子はセシリア。靴とトートバッグは清香の私物。

 清香は店の奥に進む。母屋に進んで弾の両親にあいさつ。五反田食堂の看板娘とその旦那。弾の顔立ちは看板娘から、細く引き締まった体型は親父さんの遺伝。

 弾のことだ。深く考えずにお小遣い稼ぎのつもりでアルバイトしているのだろう。

 

(だけど、ちょっと鈍いんだ)

 

 まさか繁盛につながるとは。店から弾の声。「蘭は土蔵!」

 

「ありがとー!」

 

 靴をもって勝手口へ。柊の葉がチクチクする。小径を伝って裏へ回る。

 土蔵。日当たりが悪い。

 建て付けの悪い扉を開け、勝手に上がる。階段をあがって二階へ。

 赤毛を目にした。兄と同じ髪の色。背を向けて机に向かっている。

 手前には丸いちゃぶ台。積み本とたくさんの化粧品。真ん中にゲーミング端末。細長い白と紫の塊が蠢いている。跨いで蘭の元へ向かう。

 

「蘭ちゃん。こんにちは」

「相川先輩。こんにちは。お久しぶりです」

 

 挨拶。蘭が頭を下げる。

 

「テスト勉強?」

「受験勉強です」

 

 蘭は受け答えがはっきりしている。手応えのない()とは違う。まっすぐ目を見つめて背筋をピンと伸ばしている。

 清香は受験先を聞く。「IS学園」という回答。超がつく難関。おまけにほぼ女子校。「今の学校と変わりませんから」地元のお嬢様学校。制服が可愛い。

 蘭は目を細めてちゃぶ台のあたりを指さした。

 

「IS学園受験専門の家庭教師が転がっていますから。そこに」

「……いたんですね」

 

 清香は嫌そうに姿を認めた。

 

「わかってて無視したね」面倒そうな雰囲気を匂わすおねーさん。

 

 まずい、と清香はおねーさんに要件を伝えた。リモコンを取りに来た。

 すかさずトートバッグから青っぽい人形を出す。ダイカスト製のアンティーク。大きい大人のおもちゃ。実父から譲り受けた。

 蘭が押し入れを開けて、山型の金属塊をちゃぶ台に移した。二本のレバーが印象的。

 おねーさんが立ち上がってしゃべり出した。苦労話を自慢したい年頃。

 清香は話半分に聞き流しつつ、真ん中のつまみに手を掛ける。回そうとしたら腕をつかまれた。

 

「おねーさん?」

「部品取り寄せに二ヶ月かかったんだよ。また壊すつもりなのかな?」

 

 つまみが老朽化。回したら取れて、中の歯車まで欠けた。清香が壊したのだ。

 

「お父さんの形見でしょ。大事に扱おうか」

「父は死んでません。お金に困ったら売りなさいと言われてもらったものです。どう扱うかは私が決めますが」

「部品を発注するとき、たっ……おねーさんは調べたんだ。

 時価推定三〇万円。Z80マイコンで動く鉄○。世界限定一〇〇台生産。東ドイツの玩具会社でベルリンの壁と一緒に倒産済。

 国内で部品を扱っていないから、壊れたらまたドイツの会社に発注して削り出してもらわなきゃいけないんだよ。君、また壊したら代金はどうするつもりなんだい」

 

 言葉につまる。蘭がやんわりと「博士の研究を手伝えばいいでしょう?」と助け船を出す。

 ゼリー飲料を思い出し、口のなかに今朝の味が広がる。

 とっさに清香はその場を取り繕った。

 

「おねーさんのおかげで直ったんだし、せっかくだから動かしてみよう」

「動くんですか?」

 

 蘭の疑問。

 当然だろう。二本の操縦桿がそびえ立つ。大人の夢がつまった山型リモコン。

 リモコンだけが実物大である。清香は裏蓋を開けて電池を確かめる。

 

「おねーさん、勝手に弄りました?」

「軽量かつ大容量化と言って欲しいね」

 

 本来は単一電池が六本必要。電池ボックスに電子工作の痕跡。単一電池の形をした樹脂ケース。

 おねーさんは腕を掴んだままだ。耳許に顔を近づけささやく。

 

「候補の件。感謝してるよ」

「……初耳です」

 

 清香はついつい率直に答えた。

 

「ワンティッツ候補の件。

 君のお友達からいくつか動画が届いててね。残念ながらちーちゃんの分はなかったけど、副担任の先生だっけ? 血液か皮膚のサンプル取ってきてくんない? おねーさんの研究に役立てようと思うんだ」

 

 危険な雰囲気。蘭には聞こえないようにヒソヒソ。「でしたら、蘭ちゃんの遺伝子サンプルは取らないんですか」清香の反撃。

「!!!」

 

 君、とおねーさんに叱られた。おねーさんの顔が真っ赤。コトの始まりから終わりまで想像してしまったかのよう。「で、できるわけないじゃないかっ」と叱言(こごと)。ジト目で返す。

 一回り年下の女子に欲情する、変態。

 清香は気を取り直して操縦桿を握った。

 ポーズ。

 音声。

 ゆっくりと歩行。

 近年のロボットに慣れた身としては残念な仕様。どちらかと言えばおねーさんが興奮している。

 つまみを元に戻した。おねーさんに修理の礼を言い、人形をビニールクッションで来るんでトートバッグへ戻した。山型リモコンを持ち上げ、「重っ」再びちゃぶ台に置く。

 

「台車を貸そうか? 耐荷重二〇〇キロの」

 

 おねーさんの申し出。

 先ほど蘭が運んだときは軽そうだった。おかしい!

 不満を口にすると、おねーさんが清香を見た。

 

「パワーグローブ貸そうか? おねーさんがいつも使ってるやつ」

「それ、ISコア入りじゃないですかー。敷地から持って出た途端、盗んだ疑惑で特殊部隊が突っ込んでくるやつですよねー」

 

 四六七個あるISコアのうちのいくつかはおねーさんこと、篠ノ之束博士が所持していた。そのうち一個を重量物運搬目的で使っていたのである。

 やりとりを眺めていた蘭が苦笑い。「アニキさんを呼ぶってのはどうです?」

 

「アニキ? あの人は~」

 

 蘭はアニキの顔を知らないはず。上を向いて考え事。前を向くと、蘭と目が合った。キラキラ。昨日のセシリアと同じ目をしている。重大な勘違いをしているに違いない。

 

「蘭ちゃん。蘭ちゃん」

 

 手招きする。「どうしました?」「あのね」そっと耳打ち。

 

「え!?」

 

 清香は笑顔でうなずく。「アニキは女性なんだよ」

 江戸落語にありそうなべらんめえ調。もちろんわざと。理詰めで動く慎重派。冷静沈着、常に先を見越して行動する。国内海外問わず様々な重化学プラントを飛び回る女性技師。休職中に家庭教師のアルバイト。清香はその縁で知り合った。

 携帯端末を触る。検索してアニキの居所を探す。やっと見つけたメール。「連絡がほしい」とある。続く文面にさっと目を通す。アニキから頼まれごとだ。彼女は恩人ゆえ応えてやらねば女が(すた)る。

 清香はリモコンとパワーグローブを交互に見た。

 

「あのー、警察に連絡を取るとかできませんか?」

 

 しばらくクラス対抗タッグマッチの練習が続く。今日を逃すとリモコンを持って帰れない。配送業者を使うのも考えたが、リモコンが重すぎる。貧乏性の身の上。送料を節約したかった。

 

「じゃあ、おねーさんが骨を折ってあげよう」

「裏を感じるのでそういうのはいーです」

 

 即答。蘭が袖を引っぱった。

 

「ちょっとちょっと。先輩」清香が耳を傾ける。「博士は社会人アピールがしたいんですよ。聞いてあげないと、ヘソ、曲げちゃいますよ」

 

 面倒そうな雰囲気を察する。

 清香は言われたとおりに態度を変えた。

 

「まだ時間があるので」

「君ねェ、おねーさんを誰だと思ってるんだい」

「元家庭教師。自称天才の自称博士。なんで博士。を自称してるんですか」

 

 常々疑問に思っていたことだ。

 

「おねーさん、ちゃんと博士号取ったから。確かにISでは博士号は取らなかったけど、他ので取ったんだ。せっかくの機会だから、疑り深くていつまで経っても信じようとしない君の前で証明してみせようと思ったのさ」

「へえ……」

「興味ないって顔してるね!? おねーさんについてきたまえ」

 

 

▽▲▽

 

 

 タクシーでデパートに直行。支払いのとき、チラリとブラックカードが見えた。

 大きな建物を見上げる。アヤカが行くとか言ってなかったか。

 香油のにおいが立ちこめている。清香が連れられた先は化粧品売り場だった。

 右を見ても左を見ても四〇から六〇代の麗しい奥様方がいっぱい。

 おねーさんは張り出されたポスターの前に立つ。「これがたっ……おねーさんの研究成果だよ」と自慢げだ。

 店内掲示のポスター。そのモデル。

 ドイツ連邦軍が誇る美人過ぎるISパイロット【マレーネ・ディートリッヒ】。映画女優と同性同名。現役ISパイロットのなかでも最高齢の五七歳。最終階級OF-9(空軍大将)

 清香は沈黙した。ポスターの女性はどう見ても三〇歳くらい。いや二〇代後半に見える。半信半疑でおねーさんを見た。

 子供と大人の顔が交互に浮かぶ。画像加工? 首を振る。

 

「おねーさんが作った化粧品を使ってISに乗れば、若返る、のさ」

 

 もはや若返りの秘薬扱い。現実味のなさ。

 清香は隣の蘭を見た。蘭も半ば信じていない様子。ふたりの表情に気づいておねーさんがつけ加えた。

 

「どうして化粧品とか聞かないの?」

 

 また始まった。どうしても聞いて欲しい様子。こういうときだけ童女の瞳。

 ヘソを曲げられると困る。清香は半ば諦めた顔つきで言葉を絞り出す。

 

(おねーさん、友達いないもんなぁ……)

 

 蘭と顔を見合わせて、互いに肩を落とした。

 

 

 




ここまで。
次は相川さんが出てきません。
ここにいない誰かのお話。


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黒兎夜戦

ある種の折り返し。
2/10から暫定的に連載中に変えてみました。
特に変わらなければ短編連作に戻します。迷走してごめんなさい


 ドイツ連邦共和国ラインラント・プファルツ州、ビューヒェル航空基地。

 

 士官用個室。ラウラは布張りの椅子に座っていた。IS学園への転入手続きを完了したと報告する。

 夜の薄明かり。窓の防弾ガラスが鏡となって、向かいに座る人物を映した。

 端麗な横顔が黙して息を吐く。(うれい)を秘めた顔つきがやがて相好を崩した。

 美しい人だ。

 伸ばされた手がラウラの頬に触れる。ラウラの心をほどく、ゆりかごのような温もり。かつては織斑教官が、此処(ここ)では義母上(ははうえ)が与えてくれた。

 今、別離を告げた。瞳のまわりがカッと熱くなる。別れは辛く、新しい(みち)を照らす。

 

義母上(ははうえ)、どうかご自愛ください)

 

 マレーネ・ディートリッヒ予備役空軍大将の個室をあとにした。

 

▽▲▽

 

 ラウラは自室に戻り、机に向かって日記を(したた)める。

 【ラウラ・ボーデヴィッヒ】なる識別記号を与えられた日からずっと書き続けてきた。

 自分は何者で、何処(どこ)へ向かうのか。

 雑記帳(ノート)足跡(そくせき)を残す。今日の分を書き終え、引き出しにしまう。

 横になろうとベッドに向かった。小さなガラス窓に輸送機の赤色灯がサッと横切る。

 気になって窓を開け、夜の空気を吸い込んだ。

 着陸する大型輸送機を迎え入れようと、明かりが滑走路に沿って並ぶ。

 この日、空路はさほど混雑していなかった。

 横風がいつもより強い。大型輸送機は滑走路の進入をやり直した。空港周辺の空域を旋回。ラウラの目には赤と緑の光が波を描いているように映った。

 

(バンクを振っている……?)

 

 大型輸送機は何らかの異常を訴えているのだろう。ラウラは片手で携帯端末を操作。情報を得るべく管制塔へアクセスした。

 大型輸送機はまだ旋回を続けていた。

 突如として翼から炎を噴いた。折れた主翼が重力と慣性に導かれて落下する。滑走路周辺の草むらに火の手が上がった。

 大型輸送機の尾翼からも炎が出現した。残っていた主翼が根元から折れ、発動機を失った大型輸送機は回転しながらあっという間に墜落する。激しく爆発し、漏れ出した航空燃料に引火した。

 唖然。

 

 ()()()()()()

 

 炎がユラユラと(うごめ)く。滑走路の真ん中に人影が映しだされた。

 目をこする。滑走路のマーキングを凝視して人影の大きさを割出した。全長四メートルほど。人の形をした何かだ。

 悠然と歩行している。二つの瞳とおぼしき紅い瞳が点灯する。

 筋肉を象ったかのような灰色の曲線。その胴体は人間一人がすっぽり収まりそうな太さ。足先まで伸びた腕部、どちらも胴体並みに太かった。

 傍らには四つ足の獣。豹か、狼か。鎧をまとっている。全長はおそらく六、七メートル。背中には二つの筒。ドイツ陸軍が使っている、四四口径一二〇ミリ滑腔戦車砲と形状が酷似している。

 

「少佐!」

 

 声に驚き、振り向く。クラリッサ・ハルフォーフ大尉が血相を変えていた。昼間に整えたばかりの髪が汗でべたついている。「失礼!」部屋に押し入るやラウラに飛びかかった。床に押し倒される。「クラリッ……」

 声を上げかけたが、激しい衝撃でかき消された。一瞬のあいだ、闇に包まれる。

 ゆっくりと目蓋(まぶた)を開けた。照明が回復しているものの、煙や埃が立ちこめている。床にガラス片が散乱していた。

 伏せていたクラリッサが身を起こす。彼女に安堵の表情が生まれたとき、ラウラの頬に朱い液体がこぼれ落ちた。

 

「ご無事ですか」

「クラリッサ……」

 

 混乱が抜けきれぬ意識。震えた指先で頬を指し示す。

 クラリッサは初めて傷に気づいた。顔色ひとつ変えずに血を拭い、絆創膏で止血する。「このぐらい。傷には入りません」

 隣の棟から激しい音がした。天井の崩落。隣接する兵舎の下層階を押し潰す。

 ラウラは周囲の様子を窺いつつ立ち上がった。

 窓があった場所、クラリッサを続けて見た。前を向いて頬をピシャリとたたく。

 

(私は生きている)

 

 強く叩きすぎてジンジンする。だが、頬に浮かぶ朱色の手形に構わず声を放つ。

 

「征くぞ。黒ウサギ隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)の出撃だ。ならず者を迎え撃つ!」

ハイ(Ja)、少佐」クラリッサの瞳は獰猛な輝きを放った。

 

 

▽▲▽

 

 

 巨躯は両腕を突き出し、赤い光を窓という窓に投射していた。壁を舐めるように這い回り、窓という窓が砕け散る。管制塔にも光を向け、程なくして管制機能を失った。

 散発的な銃撃。駐機していたトーネード攻撃機が空中退避を試みたが、四つ足の機械獣が一二〇ミリ砲弾を放った。手前で炸裂。轟音と共に沈黙する。

 

散弾(バックショット)!)

 

 機械獣が筒を正面に向ける。見ている先にあるもの。砲弾が着弾し、周囲の建築物をなぎ払った。

 巨躯もその場所を認識したようだ。銃撃や砲撃を無視して悠然と進む。

 目指す場所の地下には、アメリカ合衆国軍が保有する核爆弾保管庫がある。B61核爆弾二〇基。

 その足を阻むべく、三機のISが地面を滑るように進む。

 

義母上(ははうえ)だ!」

 

 角張った鉄紺色の装甲。関節が鉛色に塗られた機体。ドイツ連邦共和国空軍IS実験中隊<通称・魔女中隊(Hexe/クソババアども)>の第二世代機「蜃気楼(ルフトシュピーゲルング)」。列車砲さえも装備可能な万能機である。

 

「予備役に遅れを取るな! 着装!」

 

 ラウラ、クラリッサがその身にISをまとう。黒い雨(シュウァルツェア・レーゲン)、その姉妹機である黒い棘(シュヴァルツェア・ツヴァイク)が顕現する。

 ISコアが赤外線を探知。巨躯は腕に搭載する炭酸ガスレーザーを放ち、自らを中心に円を描いた。ラウラは大口径レールカノンでの砲撃を試みるが、引き金に意識を向けた瞬間、ある異常に気づいた。同じく砲撃姿勢を取るクラリッサが代弁する。

 

(やつ)は、ハイパーセンサーに映っていません!」

 

 対して機械獣の動きは把握できた。ハイパーセンサーがISコアを有すと判定。その証拠に、銃撃にあっても装甲に達する前にエネルギー・シールドが阻む。

 だが、巨躯には反応がない。ハイパーセンサーに映らないため、巨躯がなんであるかも分からない。

 ISコアを隠蔽したステルス機、あるいはEOSの類いか。

 ハイパーセンサーから別の反応。巨躯に隠れた影。レールカノンの射線上に生体反応を捉える。「マズいぞ」ラウラは逡巡し、決断した。「救助する!」

 すかさず義母へ注進。機械獣と対峙するなか、マレーネ・ディートリッヒが許可を与えた。

 

「応!!」

 

 間髪を入れず、EOSを持ち出して橋頭堡を築く部下へ通信。

 

ネーナ(Nena)ファルケ(Falke)マチルダ(Matilda)イヨ(Iyo)! 私は同胞の救助に向かう。同胞の負傷が予想される。これより副隊長(クラリッサ)とともに突入する!」

 

 ネーナとファルケのEOSは巨大な外部電源を背負い、短い時間ながらAIC展開機能を有している。攻撃には使えないが、防御壁としては十分すぎるほど強固だ。

 ラウラは副隊長を引き連れ巨躯へ接近。予想に反して巨躯からの攻撃はない。地面に拳を打ち込むだけでラウラたちに興味がない様子だ。

 すんなり同胞である男性兵士の許にたどり着いた。

 彼は一八歳前後であろうか。幼い顔立ちを苦悶にゆがめ、出血する膝を押さえていた。

 

「無事か」

 

 兵士がケガの具合を伝える。

 「仲間が……」ほかの者は瓦礫のなかで生き埋めになっているという。

 ラウラは静かな怒りを覚えた。

 惨禍を生み出した片割れは穴掘りに夢中。機械獣は俊敏な動きで蜃気楼(ルフトシュピーゲルング)を翻弄。前脚で攻撃するかに見せかけ、ラウラたちに向けて砲弾を撃ち込んできた。

 AICを展開。徹甲弾と榴弾を防ぐ。さらに撃ち込まれた砲弾が遙か前方で炸裂。AICの有効領域より外を通過。

 小さな金属塊が生存者がいるであろう、瓦礫に降り注いだ。土煙が立ち、生体反応がいくつか消失する。膝を押さえている兵士は目を瞑り、涙を浮かべながら歯を食いしばった。

 最前線の様相。クラリッサ機が瓦礫を持ち上げ、さらに二名の生存者を見つけ出す。三名の生存者を抱いて後退するなか、巨躯が赤い双眼を向け、突然尻餅をついた。

 しばらく動きを止めていたが、また穴掘りを再開。

 核爆弾保管庫()探し。

 レールカノンを構えてジリジリ後退していたクラリッサ。赤い双眼が明滅した、次の瞬間。巨躯の拳が右肩を襲う。

 

「キャアアアアッアアァ!!!?」

 

 轟音。そして何かが砕け散る音。クラリッサ機が殴り飛ばされ、司令部がある建物に突っ込んだ。もうもうと煙りが立ちこめ、機体を見失う。

 煙が晴れたものの、どうやら無事ではすまなかったようだ。黒い棘(シュヴァルツェア・ツヴァイク)の右半身には、蜘蛛の巣のようなヒビが走っている。

 

「クラリッサァァァッ!!!」まさか……。

 

 ラウラは続けて悪態を口にする。

 が、生体反応あり。クラリッサは除装し、折れた右腕を抱えて立ち上がった。ISスーツが破れ、右の乳房が露わになっていた。そして右頬には深刻な裂傷。

 巨躯の一撃は軍用ISのシールドエネルギーを破ったに違いない。

 ゾワリ……。と背筋に悪寒が走る。

 

 ()()()()()()()()

 

 黒い棘(シュヴァルツェア・ツヴァイク)を一撃で戦闘不能に陥れた。

 通信。わめき声。クラリッサを慕っていたマチルダが取り乱している。副隊長を回収するよう、イヨに指示を飛ばす。ラウラ自身はネーナに生存者を託した。

 現状。

 蜃気楼(ルフトシュピーゲルング)がワイヤーブレードを射出。機械獣の四肢を絡め取った。一本のワイヤーブレードの先端が砲塔に刺さっている。三機がかりで獣を押さえ込もうと必死だ。

 マレーネ・ディートリッヒとの通信回線を開く。

 

義母上(ははうえ)。お願いがあります」

 

 残るは巨躯、ただ一機。核爆弾保管庫への到達を阻止せねばならない。

 しかし、どうすればよいか。銃弾はことごとく弾かれた。ならば最後の手。巨躯を格闘戦に引きずり込む。

 

()()()()()()の使用を許可されたし。(やつ)に核を渡してはなりません」

 

 戸籍上の義理の母である、マレーネ・ディートリッヒの端麗な顔が歪む。「非常時であるがゆえ」ラウラは義母の内心を見越してつけ加えた。

 VTブースト。黒い雨(シュヴァルツェア・レーゲン)単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)だ。 

 マレーネ・ディートリッヒの逡巡は一瞬だった。

 

「許可する」「……感謝いたします」

 

 マレーネがつけ加えた。

 

「生還を期せ」「ハイ(Ja)

 

 (もと)より死ぬつもりはない。織斑教官と再会するまで死ねるものか。

 呪文を唱えながら巨躯へ向けて歩を進める。

 拡張領域からVTブースト専用の追加装甲を顕現させた。黒い雨(シュヴァルツェア・レーゲン)の拳を強化。黒い(もや)が全身を包む。

 VTシステム解除コード入力。基地司令は生死不明。故に予備役空軍大将の認可で代替する。

 

 ブースト第一段階【越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)】発動。

 ブースト第二段階【死せる英雄(エインヘリャル)】発動。

 

 しかし、VTブーストは諸刃の剣。使えば使うほどISと搭乗者(パイロット)(むしば)んでいく。

 単一仕様能力を形作っているVTシステムそのものが制御困難な代物。実験機に封じ込め、幾重にも連なる鎖で縛った。ラウラは燃えるような感情の荒波に揺られながら、心を獣に変えていく。

 火影に漂う黒い(もや)。赤い双眼も近づきつつある黒い雨(シュヴァルツェア・レーゲン)の姿を認めた。立ち上がり、ゆっくりと身体を傾ける。強弓の弦を引き絞るように、豪腕を振りかぶる。

 横風が巻く。火災旋風が巨躯とラウラの間を通り過ぎる。つかの間の静寂に耳を傾け、ラウラは黄金の瞳を見開く。

 拳と拳が激突した。無数の亀裂が黒い雨(シュヴァルツェア・レーゲン)の右拳と腕、これらを取り巻く装甲に走る。巨躯の拳から放たれる衝撃は瞬く間にシールドエネルギーの臨界を突破。分子間結合を破砕し、金属塊を原子レベルにまで分解する。

 第二撃を放つべく、巨躯が大きく足を踏み込んだ。

 

形態崩壊(Gestaltzerfall)

再生(Neustart)

 

 ラウラは自機の右腕を瞬時に復元。攻撃をかいくぐり、否、装甲の一部を犠牲にしながらも巨躯の腹部に拳を撃ち込む。

 装甲を貫く。衝撃が伝播する。

 

(こいつ……! マダダッ!!)

 

 装甲の内部にシールドを展開しているに違いない。銃撃をものともしなかったのは、その身を貫くことは限りなく不可能に近いとわかっていたためか。ラウラは攻撃の手を緩めなかった。

 

再生(Neustart)

 

 拳をたたき込む度に黒い雨(シュヴァルツェア・レーゲン)の身体が損壊した。

 復元を繰り返せば、繰り返すほどに原型を失っていく。

 奇怪な闇色の獣に変貌を遂げていくのだ。銀色の美しい髪は光を失い、代わりに黄金色の瞳だけが爛々と輝きを強める。ラウラ・ボーデヴィッヒなる意識の塊は、眼前の巨躯に拳をたたき込むだけの戦闘機械へと、急速に最適化されていった。

 

形態崩壊(Gestaltzerfall)再生(Neustart)形態崩壊(Gestaltzerfall)再生(Neustart)形態崩壊(Gestaltzerfall)再生(Neustart)形態崩壊(Gestaltzerfall)再生(Neustart)形態崩壊(Gestaltzerfall)再生(Neustart)……】

 

 ゴトリ、と何かが落ちた。巨躯の腹部を覆う装甲が落下する。

 搭乗席とおぼしき空間。ぽっかりとした空洞。すなわち無人。

 ラウラなる存在は振り上げた拳を止めた。

 粘性を持った液体が地面を汚す。すでに黒い雨(シュヴァルツェア・レーゲン)の拳も崩壊していたのだ。

 

再生(Neustart)……」どこを再生するというのか。

 

 もはや腕はなく、足もない。かろうじて達磨のような形を止めているにすぎない。

 ラウラは混濁した意識のなか、首を鈍く動かして巨躯の姿を探す。

 赤い双眼は未だ光を留めている。装甲の大部分が凹み、粉々に砕け散っている。なおもガリガリガリ……と音を立てながら脚を引きずろうとしていた。

 手負いの機械獣が咆哮。背負っていた砲塔、そして鎧を切り離す。続けてワイヤーを力任せに振りほどき、蜃気楼(ルフトシュピーゲルング)の一機が引きずられて転倒した。

 機械獣が巨躯を背に乗せ、火炎のなかを脇目を振らず走り抜けていく。

 

(わたし)は」

 

 核爆弾保管庫まで残り数十センチ。仲間たちを、義母たちを振り返る。

 ラウラは涙を浮かべた。意識を手放して地面へと落下する。

 主を失った黒い雨(シュウァルツェア・レーゲン)は闇に混ざり、無へと回帰していった。

 

 

 




次から再び相川さんが出てきます。
ドイツの第二世代機についてはサクラサクラの設定を一部使っています。


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規則間隙

スッカスカなのは私の頭である。


 教材を後片付けする手。山田先生が顔を上げた。

 

「ふたりとも、ちょっと……」

 

 言いにくそうな雰囲気を醸し出す。山田先生は人に物を頼むのが苦手。

 副担任として頑張らねば、と気を張ってはいるが、やはり虚勢。おろおろする場面がチラホラ散見される。

 特に今日などは。

 織斑先生が一日休みをとっていた。(ゴシップ)によれば、ドイツの基地で起こった爆発事故に知己が巻き込まれ、憔悴(しょうすい)してとのこと。山田先生は同僚が行うはずだった授業を一手に引き受けたのだ。

 清香は一息ついてから立ち止まった。本音の何も考えていない瞳をのぞき込む。ニヘラ……という笑み。本音はクラス委員の仕事を優先するように言って、手を振りながら箒たちの元へ向かった。

 清香は教卓の前でセシリアと並び立つ。

 

「手伝ってほしいことがあります」

 

 山田先生の悩ましげな表情。

 清香はセシリアの横顔を見つめて決める。

 断る理由がない。

 案内された先は資料室。渡された軍手をはめて二人で脚立を運ぶ。

 山田先生は紙袋を運ぶ。大判の模造紙と道具をまとめたお菓子の空き箱が入っている。

 下足入れの前で立ち止まる。山田先生が緑色の壁を指さす。

 模造紙を貼る作業。

 

(なるほど、一人じゃできないね)

 

 模造紙の裏には丸まらないよう、予め紙テープが貼ってあった。山田先生の指示に従って貼り終えた。

 

「これは……」とセシリア。

「へえー」と清香。

 

 山田先生が毛筆書写したもの。大きな字で「クラス対抗戦 各クラス代表者・目録」とある。

 

「清香さんのお名前もありますわ」

 

 セシリアの含んだ表情(かお)つき。ほんの少しの勇気と妙な縁でこうなった。清香は緊張しながら怖ず怖ず視線をずらす。そこに記された文字を目で追った。

 

【クラス対抗戦 各クラス代表者・目録】

(訓:訓練機、専:専用機)

 

○一組

 ・相川清香 …… 打鉄 <倉持技研(訓)>

 ・織斑一夏 …… 白式 <倉持技研(専)>

○二組

 ・(ファン)鈴音(リンイン) …… 甲龍 <中国IS工業集団公司(専)>

 ・小柄(こづか)(しのぎ) …… 打鉄 <倉持技研(訓)>

○三組

 ・マリア・サイトー …… ラファール・リヴァイヴ <仏・デュノア(訓)>

 ・佐倉桜 …… 打鉄零式 <倉持技研・四菱重工(専)>

○四組

 ・更識簪 …… 打鉄弐式 <倉持技研(専)>

 ・マデリーン・ランラン …… 強風(レックス) <リバーウエスト・ファクトリー(訓)> 

 

 山田先生が二人の前に立つ。

 

「対抗戦の出場者、搭乗ISです」

「専用機一機と代表でないもの……?」

 

 セシリアが考え込むそぶりを見せる。

 対して、清香はセシリアの憂慮と山田先生の苦笑の意味が分からない。

 セシリアが少し怖い顔つきで疑問を投げかける。

 

「先生?」

「アハハハッ……」

 

 シュンッ……と山田先生がちょっと涙目で肩をすくめた。

 清香は脇を小突かれ、もう一度目録を凝視する。

 セシリアが短く言った。

 

「ルールの隙間、ですわね」

「……そうなんです」

「隙間ってなぁに?」

 

 清香が首を傾げる。セシリアが金髪をたくし上げ、清香の背を軽く叩いた。「山田先生。説明をお願いしますわ。特に三組と四組が問題」

 淡泊に言った。

 

「えぇっと先生が簡単に説明しますね。

 クラス対抗戦で出場(エントリー)できるのは、以前お話したとおり専用機は一機まで、肩書き付きの生徒は一名までというルールなんです」

「そういう風に見えますよ?」清香が再び首を傾げる。

「二組の組み合わせを見てください。先日転入した、凰さんは中国の代表候補生です。小柄さんは入試までIS経験ゼロの生徒ですね」

「私といっしょー」

「そこで三組を見てください。佐倉さんは専用機こそ受領していますが、相川さんと同じく入試までIS経験はありません。では、訓練機を使うサイトーさんはどうでしょうか」

 

 セシリアが携帯端末を操作した。ブラジルが誇るミナス・ジェライスの勇姿。欧州での販路拡大を狙っていた新興ISメーカー【SNN】から購入した、第三世代機である。

 

「専用機を持っていても訓練機に乗れるんです。特に制限はないですから。サイトーさんはブラジルの代表候補生でもあります」

「え!?」

「佐倉さんが受領した打鉄零式は、基本設計こそ倉持技研ですが、装甲ならびに装備はすべて四菱製。リミッターをかけてあるだけのほとんど軍用機なんです」

「ぐぐぐ軍用っ……??」

 

 山田先生が背を丸めて小さくなる。

 

「三組に輪を掛けて姑息なのは四組ですわ」セシリアが憤慨している。

「なんで……?」

 

 生徒の視線が山田先生に集まる。

 

「更識簪さんのことは皆さんご存じですね」

 

 清香がうなずく。本音がしきりに更識簪と彼女のISについて自慢していたからだ。

 

「オルコットさん。マデリーン・ランランさんについてどれだけご存じなのですか」

 

 山田先生の問いかけ。セシリアは胸を強調するように腕を組んだ。真剣な様子だが、こっそり張り合っている。

 

「事実上の代表、あるいは代表候補生。でしょうか。所属国はフランス。代表と代表候補生混在の欧州リーグで二度ほど対戦致しました。いきなり肩書きのない方が出てきたのでよく覚えていますの」

「フランスの代表候補生筆頭はシャルロット・デュノアさんです。ここ最近体調不良を理由に代表リーグを欠場しています。フランスには他にも代表候補生や予備代表候補生がいるにも拘わらず、肩書きをもたないランランさんを補欠出場させています。なぜでしょうか、オルコットさん」

「簡単ですわ。強いから、実績があるからです。たとえば半年前の大会で、優勝候補と目されていたベルギー代表(新興勢力)を破ってますわね」

「つっ……強いの?」

「ものすごく。更識さんも強いですわよ」

「ええぇ……」

 

 清香はただでさえ少ない自信が底をつく。

 

「そ、そんなに強いのに、どうして代表候補生じゃないの……」

「一言で言えば、人種差別です。彼女はアジア系フランス人ですから。英国人のわたくしが、口にするのはおこがましい、のでしょうけれど」淡々とした口調。

 

 フランスではマイノリティーへの差別意識が強いとされる。差別される側であった移民がさらなる少数派を差別するという悪循環に陥っていたのだ。

 逆境のなかで生きてきたが故に培われた、強さ。清香には経済的な逆境こそあれ、他人から差別・阻害されることはなかった。

 青白い顔で震える清香。どうすればよいか。

 セシリアにすがりつく。が、当の彼女は何事か思いついた様子。

 挑戦的な表情で清香の背後に回った。

 

「こうっ!」

「うひゃぁあっ!!?」青白い顔が赤くなる。

 

 あわてて振り向いたとき、廊下にいた本音が携帯端末を向けるのが見えた。

 困惑しながらセシリアに問いかけてみた。

 

 「落ち込んだらこうすればよいと布仏さんからお聞きしました。日本人の女子はこうするのがスキンシップの常識だと」

 

 セシリアの繊細な指遣い。

 

(何、これ……)

 

 本音のグニャグニャした指使いとは雲泥の差だ。指先に教養が詰まっている。貴族ってすごい……。

 などと考えつつ、留学生に誤った知識を与えたであろう人物の名を叫んだ。

 

「本音ぇええエエエエッ!!」

 

 

 



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中華乱入

 二日後。織斑先生は()()()()()()()()()()の動揺から明らかに脱し、元の元気な姿に変わった。

 授業の内容が徐々に専門的になっていく。必死にノートを取る。

 やはり本音が気になった。彼女は机にICレコーダーを置き、安心して落書きに興じていた。

 織斑先生はその姿を見ても表情を変えない。

 不思議に思って、昼食中のうちに本音に聞いてみた。

 

「ヌヒヒヒ」

 

 よくぞきーてくれました。と怪しげな笑い方。一緒に食事を摂っていた鏡がぎょっとしている。

 

「私には秘密兵器があるんだよ~。それはねー」

 

 ピンク色のトートバッグからガソコソ音が立つ。

 

「チャラララァーン。おねーちゃんのノォートォっ!!」

 

 清香はとっさに手首をつかんで押さえる。頭上に掲げようとしたノート。当然無断でくすねてきたに違いない。前科(高級茶葉の件)がある身。おそらく常習犯だ。

 清香と本音は互いに力をこめあった。

 

「あげないよ」

「返しなさい」

 

 しばらく対峙しあった。清香のほうから脱力した。互いに手首をぶらぶら。姉のノートにやましい秘密を持つ本音。めざとく左右を気にしつつ元あった場所へしまう。

 

(あ、いた)

 

 本音のお姉さん。本日も不出来な妹に怒っていらっしゃる。

 食事を終えて、お茶をすする。空の湯飲みを机に戻す。

 

「どうしたの、それ」

「テヒヒヒ……」

 

 本音の首が右、左、振り返って確認する。先ほどのトートバッグから長方形の包みが現れた。有名和菓子店の包装。満面の笑みを浮かべ、鼻歌交じりに包装紙を破る。

 拳大のイチゴ大福。「いただきまーす」

 

「あまーい、うまーい」

 

 両手に頬張って幸せを堪能。清香は慣れっこになっていたが、鏡ナギの前で饅頭を口にしたのは初めて。「ふ、太るよ」鏡の率直な意見。清香は同意の相づちを打った。

 破れた包装紙を手に取る。イチゴ大福の製造日は()()だ。消費期限も()()だ。午前中製造された饅頭を何らかの手段で昼食前に手に入れたに違いない。

 

「ナギさん。事件の匂いがしませんか……」

「事件ですね、特にカロリーが……」

 

 鏡が携帯端末の画面を見せる。和菓子はカロリーが低めとはいえ、ひとりで三つも四つも口にしてはいけない。長机の隅で食していた箒も(きも)をつぶしている。

 

「あまーい、アマ、甘っく……なーい」

 

 宙に浮いたイチゴ大福。背後からやってきた人物が抜き取った。ペロリと食し、代わりに五百円玉を置く。

 

「はい、代金」

「き、貴様は!」

 

 突然箒が叫びながら立ち上がる。眼前の人物を指さして血相を変えた。清香がキョロキョロするうちに、箒が名を告げた。

 

(ファン)鈴音(リンイン)!」

「篠ノ之箒、だっけ。昨日はひとりで枕に涙?」

 

 凰鈴音なる人物が鼻で笑う。

 直後にカシャリという音。

 本音が目にも留まらぬ速度で携帯端末を操作。すぐに返答。清香に耳打ち。

 

「マイナス・ティッツだって」

「ちっぱい言うんじゃないっ!」

 

 地獄耳。清香は目を見開いて驚嘆を示したが、再びキョロキョロする。

 袖を引かれたので振り返る。本音が鏡ナギを指さす。「0.5ティッツ」

 おねーさんの判定基準が見えない。ナギはマイナス・ティッツと清香のあいだくらいの物量だ。清香はゼロ。サイズ感とは別の何かで判定しているようだ。

 本音が繰り返し判定を試みる。「やっぱりマイナスだよ」

 

「小さかないわよっ!!」

 

 どうやらマイナスだと即答してくれるようだ。清香が判定しようとすれば、計ったように回答が来ない。清香はおねーさんの態度の悪さに憤った。

 箒と鈴音の舌戦。一夏礼賛。熱がこもるあまり痴話げんかの様相。

 一人の男を取り合う姿。女であれば当然か。清香は空の湯飲みを返そうと、こっそり席を立つ。

 

「そこの内弟子!」

「ご……ごめんさぁーい」

 

 ティッツ判定の件。即答してくれると思って何度も判定を試みた。

 頭を下げて言葉を顧みる。あれれ……内弟子?

 

「どーいうこと?」

「篠ノ之束の内弟子、アンタ」

 

 なるほどおねーさんの本名は篠ノ之束である。

 鈴音の指先が清香の左胸に吸い込まれる。……ちょっと痛い。

 

「弾とこの……五反田食堂にいたでしょ」

「いたのは五反田さんとこの土蔵の一階。下宿はしてましたよ。内弟子ってのとはちょっと違いますけど、わたしは、本命()ついで(くーちゃん)ついで(清香)だって」

 

 清香は限りなく真実を話した。顔つきは真剣そのもの。身振り手振りを添えた。ただし、半ば神格化された篠ノ之束像とはまったく異なる。

 

「ですから、あの人は実の妹さんのおっ○○を狙う変態ですよ? わたしは変態?の弟子じゃないですよー。()()()()()

 

 チラッと箒を見た。大きな胸の前で腕を組み、しきりにうなずいている。特に「変態」と口にしたとき、相づちまで入れてくれた。

 鈴音は何事か思いついたのか不敵な表情。胸を反らし、大声で言い放った。

 

「そうだ。授業の後、アリーナに来なさい。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ザワッ……。周囲騒然。

 清香は顔を引きつらせた。本音……は役に立たない。並んでいたナギにすがった。

「な、ナギさん。私」

「ハハっ……彼女、外国人だし。そういうこともあるよ」

 

 ナギも引きつった笑み。隅っこで箒が大きく嘆息するのが聞こえた。「……よかった、一夏は無事だったのか」

 

 

▽▲▽

 

 

 授業が終わり、震えながらアリーナへたどり着いた。心を奮い立たそうと篠ノ之基金のチラシを見る。昇格条件の文句は輝きを失い、目尻からぽろっと一粒零れた。

 目の前にハンカチ。白い手首。視線をあげるとセシリアが心配している。

 礼を言い、ハンカチを受け取った。

 

「なんとかなるから、するから……」

 

 全力で逃げれば大丈夫。根拠無き自信。捕食者におびえるウサギの気分。

優先搭乗権を使って打鉄を確保。セシリアがしきりに携帯端末を操作している。「……やりましたわっ」

 どんよりする清香とは対照的に少し嬉しそうなセシリア。

 理由を聞く。

 

「これから殴り込みにいきますの」

 

 清香はびっくりした。「()()()()!?」

 

「ここへ向かう前でしょうか。二組から四組までの専用機搭乗者と代表候補生に決闘を申し込んでみました。あらあら……こういった場合、日本語だと道場破り、なのでしょうか」

 

 にっこり。肌はツヤツヤ、若さあふれる。セシリアはウキウキと闘気をみなぎらせる。一挙一動が修羅の雰囲気。

 

「背後は任せてくださいまし。(ファン)さんが懸想(けそう)したら助け出して見せますわ」

「万が一のときはおねがいします~」

 

 フィールドに出ようとしたら凰鈴音に出くわした。振り返って退路を確認。手を振る男性の姿。「相川も来てたのか」一夏だ。

 

「そこで会ったのよ」と鈴音。少し誇らしげだ。

「ふぁ、凰さん。よろしく……お願いします」

「緊張してんじゃないわよ」清香の態度にあきれかえる。

 

 続けてセシリアもあいさつ。決闘の件。鈴音はセシリアをにらみつけたあとに鼻を鳴らした。

 

「セシリア・オルコット。そこの内弟子の付き添いで来たってわけじゃないのね」

「もちろんです」

 

 いつの間にか一夏が隣りに移動している。手練れふたりのにらみ合い。いたたまれなくなったから。

 

(大変だな)

(そっちも)

 

 互いに苦笑する。急に一夏が何度もまばたき。清香の顔をじろじろ見つめる。視線に耐えられず照れて笑う。 

 

(あのさ、ずっと言おうと思ってたんだ)

 

 妙な雰囲気。手練れのふたりは相変わらず牽制しあっている。

 

(去年の大晦日。昼間に五反田食堂でいなかったか? 弾とサシで昼飯食べてたよな)

(弾って、弾くん? 五反田弾くん?)

(やっぱり! 弾が妙に親しげに話してた女子か! 俺、覚えてない? 一回挨拶した)

(ごめん)

 

 一夏は頬をかきながら立ち止まった。

 覚えてない。年の暮れは手続きやらなんやらで忙しかったのだ。

 寝食を忘れて勉強していたので、時折弾に引きずられるようにまかないを食べていた。おそらく、一夏と邂逅したのはそのときだろう。

 清香は一夏を連れてフィールドに出る。前方には射出された打鉄。セシリアを待っていたであろう、そうそうたる面子。

 

「じゃあ、まずあたしから。内弟子の実力、見せなさい」

「無理無理!」

 

 清香はたじろいだ。おねーさんからは勉強以外教わっていない。ISに関してはアニキ、すなわち()()()()からVR操作の手ほどきを受けた。基本動作の触りはアヤカから。

 清香は必死に頭を巡らせる。偶然一夏の姿が目に入り、浮かんだ妙案を叫んだ。

 

「たたたた、タッグマッチなら!」

 

 セシリアと組めばどうにかなる。後ろを守ってください。どうかお願いします!

 

 

 



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接吻覚醒

タイトルほど期待するものでなし。
疲労困憊、フラフラしながら二時間余りで書きました。
あまり調子がよくないとわかる文章。
人数が増えると散らかりますね。反省。


「ね! セシリアさん!」

「嫌ですわ」

 

 即答されて肩を落とす。清香は右へ、左へ、首を巡らせるも一夏以外に知り合いはいない。

 大いに困った。(ファン)鈴音(リンイン)にはガチ○ズの気配あり。衆人環視のなか高らかと手籠め予告。大きな態度。肩で風を切っているけれど、腹の底では手頃な()によだれを垂らしているに違いない。

 どうしようかな。清香は腹を決め、目を瞑って走り出した。

 

(逃げよう!)

「いけませんっ」「わっ」

 

 とたんに激しい衝撃が走った。膝と額から激痛。口元に熱を帯びている。鉄の味がしたので間違いなく口腔内を切った。目を閉じて走ったのがよくなかったのだろう。

 恐る恐る薄目を開けてみた。白色と金色が広がっている。目の焦点が合うのを待つ。

 蒼い瞳に涙が浮かぶ。妙に近い。瞳孔まではっきり見えた。

 

(これはなぁに?)

 

 じっくり観察。息苦しいので口を開ける。ぷはーっ。

 顔を上げ、凰鈴音の姿を探す。清香を指さし、全身震えている。

 

「痛いですわ」

「ご、ごめん」

 

 言われて初めて四つん這いになっていると気づいた。セシリアを下に押し倒している。押し倒し……。

 

「ごめんなさぁーい!」

 

 セシリアの唇から赤い血。唇同士が衝突。痛みのあまり互いに口を押さえている。

 立ち上がると背後にアヤカの姿。呆れた顔つき。無言で絆創膏を差し出した。

 礼を言って受け取る。アヤカがセシリアを助け起こす。清香に渡したのと同じ柄の絆創膏をセシリアにも差し出す。「消毒は自分でやって」

 振り向きざま清香の額をデコピン。「痛いっ」

 

「何やってんの」

 

 清香は痛む額を押さえ、上目遣いで機嫌をうかがう。凰鈴音と勝負することになった、と告げる。猫のような目で凰鈴音を見つめ、次に清香を見た。「は? 代表候補生があんたなんか相手にするって?」冗談と受け取ったようだ。

 タッグマッチの相方にセシリアを指名したこと。断られたので逃げようとしたこと。まくしたてたあと、清香はアヤカの両手をとった。

 

「い・や」

 

 即答。清香から何か言う暇すら与えられなかった。「なんでよー」

 アヤカが理由を口にする前に誰かが叫んだ。

 

「あー! アンタ、去年、ベルギーIS代表団にいたやつ!」凰鈴音だ。

「南アフリカ共和国だったよね、国籍の片方」と清香が聞く。

 

 ルームメイトが額に手を当て、下を向きながら「やらかしたー」とつぶやく。

 清香はアヤカを小突いた。「アルバイトでアグレッサー役をちょっとね」などといった言い訳をする。

 凰鈴音が騒ぐ。

 

「早くしなさいよ!」

「じゃあ、織む」「一夏はあたしのものよ!」

 

 最後まで言わせてくれなかった。

 

「だったら二組のもうひとりの代表。小柄(こづか)さん? でしたっけ。彼女はいますか?」

「小柄は来ないわ」

「アダージョ・レガートの操縦者の人は? 三つ子のメテオさん、でしたよね。三人とも魔法少女っぽいコスプレ(衣装)をしたイタリアの代表候補生」

「あいつらはやかましいから置いてきた」

 

 即答だ。誰かいませんかー。誰もいませんねー。

 腕組みして困り果てる。頼るべき伝手がない。空を見上げる。太陽は悩みなど関係なく照りつける。

 

「仕方ありませんわね」

 

 口元の絆創膏。清香とおそろい。セシリアは凰鈴音を睨めつけ、清香に鋭い視線を送った。

 

「気が変わりました。わたくしが助力致しましょう。後ろは守りますわ。ただし、後ろは、ですけれど」

 

 含む言い方をする。「ありがとー」清香は深く考えずに膝を折って主を待つ打鉄のもとに駆け寄った。

 

 

 

▽▲▽

 

 

 清香の打鉄。

 相変わらずバケツを頭から被ったような姿。試験したいとかで持ち込まれた装甲の類いを身につけている。外見は筋肉質。装甲と装甲のあいだにエネルギー・シールドを展開するという変わった設定。

 

「もっと思い切ったらいかが?」

「まだ怖いんだよー」

 

 高度三〇センチ。足下に何もない感覚に怖じ気づいている。

 一夏の白式、凰鈴音の甲龍(シェンロン)は一〇メートルくらいの高さで静止していた。三名で清香を見下ろしている形だ。

 ヒソヒソ通信。

 

(作戦は?)

(グー・チョキ・パー……ですわ)

(へぇー、どんなどんな)

(わたくしがグーを出したら清香さんがお二人を攻撃します。チョキを出したらわたくしがインコムで援護します。パーなら逃げてください)

 

 パーが一番得意だ。清香は打鉄の手に持った三七ミリ軽砲を掲げてみた。

 清香から見ると、黒い画面に白く象った線が表示されているにすぎない。セシリアから通信。

 

(バケツを取ったらいかが。今の状態では、見えるものも見えないでしょう)

(取らないよ。取ったら怖いもん)

(シールドがあるから大丈夫ですわよ。見えない方がかえって危ないですと思いますの)

 

 清香は首を振って見せた。

 肉眼を用いず、計器とセンサーに頼る操縦法。最初の家庭教師であるアニキこと、巻紙礼子。清香に仮想空間でのIS操縦を教示している。

 

「さて」

 

 清香は目を開けた。計器とセンサーの表示。彼我の距離、高度差。白い形同士の距離で到達時間が割り出せる。

 双天牙月を構える甲龍。

 脇を閉じ、雪片弐型を構える一夏。前回の戦いの教訓を生かし、振り回すような真似はしない。

 先ほどから妙に頭がすっきりしている。ISに乗るといつも頭に(もや)がかかっていたような感覚があった。基本動作を行うだけでも大変だったが、今はまったく意識せずにできる。

 

(……日頃の行いが活きてきたかな?)

 

 成長したに違いない。模擬戦開始の合図。セシリアの指示はグー。

 

「突っ込むのに援護とかは?」

「バッカニアは旧型。燃費が悪いのはご存じでしょう。今の清香さんならわたくしの援護なしでもなんとかなりますわ」

「なんとかならないよー!」

 

 セシリアは連戦があとに控えている。最低限の助力のつもり。

 涙目で三七ミリ軽砲を撃ってみた。弾丸が空を切る。狙いをつけるのに戸惑っているうちに、白式と甲龍が接近する。

 白式と甲龍が二手に分かれる。正面からは甲龍。センサーが白式の動きを捉えている。あわてふためくが、極端に抽象化された画面では迫力がない。

 

(落ち着こう)

 

 甲龍が双天牙月を振りかぶる。攻撃と防御に長ける。「うわわっ」そのくせ足癖が悪い。

 凰鈴音が、チェ、と舌打ち。「なんで避けんのよ」

 

「当たったら痛いよっ」

「シールドがあんのよ。痛いわけっないじゃないの!」

「わーっ!!?」

 

 三七ミリ軽砲を取り落とす。銃に注意が向いたとき、横合いから一夏が突撃。突いてくる。一発目が装甲に当たって軽い衝撃が走った。驚いているうちに二発目を当てようと踏み込んでくる。

 

(あれれ?)

 

 ゆっくりだ。白く象った形が何層にも重なって見える。形と形との間の距離から時間が算出できた。清香は一番先を行く形に向かって手を伸ばす。

 雪片弐型が装甲表面を擦過した。火花が飛び散るなか、白式の手首をつかむ。慣性を生かしたまま回転し、甲龍が飛ぶ方角へ投げ飛ばした。

 清香は目を丸くした。驚いた。凰鈴音が白式を抱え込むように受け止める。

 甲龍が動く。真っ正面から突っ込んでくる。形はど真ん中だ。先ほどと同じく一番先を行く形に向かって飛び跳ねた。

 空を駆け上って天地逆。甲龍の勢いをPICを使ってねじ曲げる。向かう先には一夏の白式。真っ正面から衝突。

 通信のなかにパチパチという音。セシリアの拍手。

 

(指示は?)

 

 グーだ。ちぎっては投げ、ちぎっては投げる。清香無双。

 

「わたし、もしかして天才?」

 

 などと喜んだ、その三時間後。

 ちょっと身体が痛いかなーと笑いながら夕食を摂った。

 部屋に戻る。お腹が捻れるような激痛。強烈な吐き気。

 

「ウエェェェエェエエエッェェェ」

 

 洗面台に向かって身を乗り出す。一通り吐き終えた後、激痛が全身の筋肉という筋肉に転移した。床で泣きながらのたうち回る羽目に。

 

「うわぁーん! 痛ぁーい! 身体が痛いよーっ!! 助けてー! アニキー! おねーさーん!!」

 

 

 




当初、相方はセシリアではなく打鉄零式でした。
誰かいませんかー。→3組が手を上げる。二人が手を上げて、そこのフードファイター。という流れ。
グー・チョキ・パー……のあたりで、さすがによくないかな、と思い直してセシリアにしました。

次は区切りを目指して仕込んでいきます。


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未解決問題

予定到達地点に未到着。書けたところまでとりあえず投下。



 目覚ましのアラーム音が聞こえた。腹筋に力を込め、鈍い痛みが走って背を丸める。

 携帯端末をつかんでアラームの設定を消す。清香は寝たまま内容を確かめた。

 

(おやおや?)

 

 清香宛にメッセージ。アニキ(巻紙先生)より「元気にしてますか。帰国しました。今日、仕事でそちらに行くかもしれません」と記されていた。

 目を丸くする。口元がほころぶ。「やったー……イタタ」

 珍しく先に起きたルームメイト。にらんでくる。清香はシーツを引っぱり顔を隠した。

 

巻紙先生(アニキ)が来るっ! やったー!)

 

 巻紙礼子は恩師だ。祖父母の家から逃げるように上京して、右も左もわからぬときに手を差し伸べてくれた。家出娘に寝食を提供し、勉強まで面倒を見てくれた。IS適性が低いことがわかって放り出されそうになったとき、清香をかばって、おねーさんを紹介してくれたのだ。

 清香は留守電メッセージに気づいて、再生ボタンを押して耳に当てる。

 

「巻紙です。先日はありがとうございました。大変助かりました。お礼をしたいので、私のメールアドレスにご都合良い日を二、三記載して返信ください。よろしくお願い致します」

 

 巻紙礼子の素の声。勢いよく立ち上がって、ルームメイトの背中に抱きつこうとした。うれしくてしかたがなかった。

 アヤカが振り向いた。「何してんの」

 清香はベッドの傍でうずくまっていた。小指をおもちゃのリモコンにぶつけたのだ。ダイカスト製であるためか、かなり痛かった。

 

 授業。筋肉痛緩和。織斑先生の声を一生懸命聞き取る。

 空と速度の話。飛行速度。対気速度。対地速度。音速。スーパーソニック。

 これでも理系に分類される身の上。おねーさんのトンチキ講義と比べると、織斑先生は理路整然としてとてもわかりやすい。

 しっかり勉強したあとは食堂で昼食。いつもどおり本音と席を確保する。

 

「一緒にいいか」

「もちろんっ」

 

 妹さん。おねーさんと違って礼儀正しい。

 彼女がつるんでいる面子が合流。剣道部の四十院神楽。鏡ナギ、谷本癒子、そして織斑一夏。

 

(セシリアさん、いた)

 

 セシリアは上級生と親しげに話している。リボンの色からして二年生。同じ金髪でも少し怖い感じ。雰囲気がかなり異なっている。

 

「いただきまーす」

 

 日替わり定食。節約不要。優先搭乗券が有効なあいだは、食事代は篠ノ之基金が負担することになっていた。

 食堂内のざわめきが気になって、お味噌汁の椀から手を離す。「フードファイターかよ。すげえ」といった声が聞こえる。どうやら三組の生徒らしい。清香の位置からは姿が見えない。

 食べ終えると、箒が声を荒げた。「またお前か!」

 

「は? 何、来ちゃ悪いの」

「良くない!」

 

 夜半から今朝にかけての出来事。

 凰鈴音は忍び込んださきで寝ていた箒をベッドから蹴落とし、自分は一夏のとなりで朝を迎えた。

 清香は凰鈴音から視線を外して、本音を小突いた。

 

「もし……織斑くんがISに乗れなくなったら、彼はどうなると思う?」

「……どうなるの?」

 

 おねーさんは男性がISに搭乗するための例外条件をこっそりこさえていた。先日住処(すみか)を訊ねたとき、聞いてみた。『所帯持ちがISに乗ったら、アメリカンなガチムチヒーローになっちゃうじゃないか!』

 清香は互いに首をひねりあいながら、机のむこうを見た。

 くすみのあるブラウン。髪を染めた、いかにも大人の女性が佇んでいた。トレーを持って、席を探す。右へ、左へ。

 

「美人だねー。大人のおねーさんって感じー」

 

 学園の食堂にはときどき大人も食べに来る。今目にしている女性は外部の人。同じような制服の群れに驚いている。

 

「そうだねー。あーいう感じになりたいなー」

「憧れるねー」

 

 え。と清香は本音のつむじを見やる。

 どうやって飯を食っているのかよく分からない大人。清香はおねーさんが所持していたブラックカードを思い出す。

 

(本音はぜったいおねーさんルートだよね……)

 

 

▽▲▽

 

 

「大丈夫か、動き、ぎこちねえけど」

 

 一夏が心配を口にした。

 ほっそりした身体。ISスーツを身につけ、白式を着装。残念ながら貞操は無事だった様子。

 

「だ、だ、だいじょーぶぅ」

「無理するなよ」

 

 打鉄を少しだけ宙に浮かせ、手を振ってみせる。タッグを組んで練習。互いに初心者。才能、すなわち適性は一夏のほうがはるかに上だ。かつて適性がないゆえに見捨てられかけた。拾い上げる人がいて、奇妙な縁で学園にいる。

 問題がふたつ浮かび上がった。

 

「飛ぶ感覚? うーん、気がついたら飛んでたからなー」

 

 清香は飛べなかった。浮くことはできても、二メートルが超えられない。そうなれば当然戦術は限られてくる。拙いながら火器を扱えるが、地を這うことしかできない清香。自由自在に空を飛べるが、雪片弐型以外の武器がない一夏。ふたりとも空を制圧する能力はない。

 もう一つの問題。

 

「どうやったら頭がすっきりする?」

「ISと繋がる感覚のことか? ――……アァ、喉の奥につっかえてる感じだな……モヤモヤする。スマンッ。俺には説明ができないんだ。……束さんはなんか言ってたか」

「わたしね。IS操縦に関してはおねーさんからは何にも教わってないんだ。勉強のやり方だけ」

 

 一夏は考え込むそぶりを見せ、ひどく驚いた。

 

「相川って、実技の入試、すげえ高得点だって聞いたぜっ!? 俺、束さんに秘伝の妙技を教わったとばかり思ってたっ!」

「……誰に聞いたの?」

「え? 誰って。いつも饅頭食べてる……のほほんさん?」

「その件はね。誤解があって――……」

 

 言ってから口ごもった。先日の清香無双。本音が四組のクラス代表に自慢しまくっていた。その後のセシリア連戦。燃費が悪い機体で打鉄零式、ミナス・ジェライス撃破。打鉄弐式とは引き分け。強風(レックス)とは時間切れ判定勝ち。遅れて訓練機でやってきたメテオ三姉妹を三人まとめて圧倒。そのあと、戦闘詳報をまとめる段になって「清香さんはできる子」と褒めまくった。

 

「うわわぁーーんっ!!!」清香は頭を抱えた。

「うぉっ……相川? 相川、どうした!?」

 

 一夏に抱きついて涙ながらに訴える。

 

「織斑くんっ! みんな勝手に誤解してるんだよぉー!」

 

 やってくれました、セシリアさん。

 できる子扱い。適性Cなのに。あずかり知らぬところで勝手に評価が上がっている。

 

「わかった。ピットで話を聞こうかっ。だから、離れような。うん。抱きつくのはヤバいんだって!!」

 

 一夏は凰鈴音の突き刺すような視線をやりすごしつつ、清香をなだめ続けた。

 

 




次回も仕込み回。


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映像検証

「俺の感覚を絵にしてみると、こんな感じ」

 

 白紙にシャープペンシルで描かれた線。

 長机におかれたA4のコピー用紙に見入った。丸い形のなかは乱雑に塗られていて、何本もの線がもうひとつの丸い形につながっていた。もうひとつの丸のなかは何も塗られていない。

 

「繋がった瞬間、真っ白な空間が広がっているんだ」

 

 一夏が指先で丸い空白をトントンたたく。

 

視界良好(オール・クリア)?」

「相川の言う、頭がすっきりする、ということじゃないかな」

 

 一夏は向かいの席に顔を向ける。

 その場には清香以外の顔もあった。一夏の練習を見に来た、篠ノ之箒。彼女に付いてきた鏡ナギ、谷本癒子、布仏本音。

 清香は腕を組んだ。頭がすっきりした瞬間が訪れたのは二度だ。

 

「一回目は入試のとき。もう一回はこの前セシリアさんと組んだとき」

 

 本音が手をたたく。皆が傾注するなか、本音は明かりに向けて手をかざす。指の隙間からシリコンディスクの端子が垣間見えた。

 

「ニヒヒヒ」

 

 本音のうさんくさい笑顔。清香が疑問を呈す。

 

「再生してみようよ」

 

 清香たちは画面に釘付けとなった。

 

▽▲▽

 

 IS学園入学試験。

 実技試験において受験者の持ち時間はひとり一〇分。IS搭乗前に適性ランクの簡易検査を実施する。このとき、清香のIS適性はどういうわけかランクAを示していた。

 IS学園受験対策をするうえでまことしやかに流れる(ゴシップ)。適性ランクによる足切りだ。

 記念受験者をのぞいて、合格者の多くがランクB以上を示している。A、A+、Sとなれば、ほぼ確実に合格する。事前にA以上の適性値を持つ者は自治体や企業の優待制度を利用できることが大きい。自衛隊や企業のISが開催する公開・非公開練習に参加権を取得できるため、ISの搭乗経験を積みやすいのだ。

 ランクB以下だと優待制度を利用できない。そのような者たちは企業・自治体にコネクションを持つ私塾、家庭教師に頼らざるを得ない。

 実績を持つ者に生徒を集めやすく、また多くの場合、高額となる。実績を積むためには優秀な生徒を求める傾向が強く、見込みが低い場合は門前払いか、あるいは見込みがないとわかった時点で教育を打ち切る。

 清香が巻紙に師事したのは偶然だった。その後、篠ノ之束に師事することができたのは、巻紙と篠ノ之束のあいだに何かしらの繋がりがあったからだ。

 受験生はISスーツに着替えた後、読み取り機にICチップ入り受験票をかざしていた。搭乗するISはランダムで決められる。受験生に選択権はない。とはいえ、打鉄かラファール・リヴァイヴの二択であることがほとんどだ。受験会場によっては強風(レックス)(ヤン)を使うこともあった。

 清香が搭乗したのはラファール・リヴァイヴ。

 試験官は酒井(さかい)。搭乗機は打鉄改・陸自仕様。現在の日本代表だ。深刻な試験官不足のため、大学生の酒井にも協力が求められていた。もうひとりの試験官である山田真耶は、このとき休憩中だった。

 ISを着装した受験生には一分で試験内容説明、二分で操縦に関する注意、五分で試験。見込みがある場合は二分延長して確認を実施する。

 映像はラファール・リヴァイヴと打鉄改が対峙する光景だった。

 

「よ、よろしくお願いしまーす」

「よろしく。先ほど注意点は説明したので、ベルが鳴ったら始めます。シールドがありますからケガすることはありません。思う存分打ちかかってきてください」

「……は、はいっ」

 

 清香は緊張した様子で瞬きした。

 酒井がおもむろにファイティングポーズを取る。半身を前に出し、待つ。剣術を基にした織斑千冬とは明らかに異なるスタイル。彼女の零落白夜、戦闘技術は後進に継承されていない。戦闘技術を直接受け継いでいた、後継者第一位は奇縁でロシアの代表になってしまった。もうひとりの技術継承者だった第二位は織斑千冬の引退と同時に引退してしまった。酒井は第三位。千冬からの技術継承は一切なかった。

 映像は、清香が打ちかかるまでの表情に焦点をあてていた。

 

「がんばろー。がんばろー。おねーさんに言われたとおりおまじないを信じよー。痛いの痛いのトンデケー」

 

 清香は束に師事していたとはいえ、彼女を先生と呼んだことは一度もない。清香のなかで、先生は巻紙ひとりだった。

 

巻紙先生(アニキ)が言ってた基本のキ。目の前の光景は意識とISコアが生み出した映像。ISを信じろ。計器は正直だ。深呼吸。すっはー。すっはー。すっはー」

 

 精神統一。独り言をつぶやき続ける。

 

「次はわたしの癖。操縦桿を握る感覚。リモコンのレバーを動かすように。つまみを回して、一番力を強くして、一番速く身体を動かそう」

 

【試験開始・OPEN CONBAT(ビイイイイィィ――――)

 

 清香は笑顔を作る。口の端をつり上げていくうちに、頭がすっきりしていった。

 

「……――こーんな感じに」

 

視界良好(オール・クリア)

 

 圧が変わる。獰猛な捕食者の瞳。食え、あいつは、(食料)だ。

 清香の意識はセンサーから取得したデータと計器にのみ向けられる。グラフィカル・インターフェースで隠蔽された情報。直接ラファール・リヴァイヴの耐久値を読み取る。

 拳を振りかぶり、強く握りしめる。清香は計器を確かめながらラファール・リヴァイヴの動力を限界まで高め続ける。

 くるぶしの推進装置に火を入れた。砂埃が舞いあがり、身体は酒井の眼前に迫った。鋭く拳を突き出す。空気の塊が爆ぜる。

 酒井は顔色を変えない。冷静に拳と腕の表面をなぞるだけだ。眼球だけがめまぐるしく動いて、採点を行っている。

 最初の一分間は攻撃をしない取り決めだ。防戦に努め、観察に徹する。多くの受験生は一分間何もできず、その後も何もできない。一歩足を踏み出すことができれば合格する年もあるくらいだ。

 PICを使い、重心移動だけで滑るように後退した。清香は追随せず、腰を低く落とし、手を振って地面の砂を巻き上げる。視界を遮る目的か。

 酒井が一瞬拳を繰り出す。擦過音、そして轟音が鳴り響く。投擲された金属片を弾いたのだ。

 

「ラファール・リヴァイヴには投擲武器はなかったはず……」

 

 酒井が確認するように言葉をなげかけた。

 

「ありますっ」

 

 清香が種明かしするように膝をたたいた。ラファール・リヴァイヴの大腿部を覆っていた装甲板を剥がして投げていた。

 

「面白いですね」と酒井は淡々と口にする。

「こんな手もありますよ」

 

 最初と同じ一手。鋭く拳を突き出す。腕を引いて、さらに突く。

 速く、もっと速く。ラファール・リヴァイヴの推進器の限界を超える。

 猛打。酒井が採点不能になる限界を超えようと速度をあげる。こいつは上物だ! 壊れても構うな! 清香は背後から別の声がしたような気がした。

 

「一分!!」

 

 酒井が大声を放つ。「ここからは自由採点!」

 打鉄改の身体が独楽のように動いた。清香の足下をすくうように手が伸びる。

 清香は脚部のダメージを感知。よろけたところに、打鉄改の膝が撃ち込まれた。

 激突。ラファール・リヴァイヴが()し負ける。衝撃を防ぎきれずアリーナの端まで吹っ飛ぶ。

 

「おーよーへん。姿勢制御は――……とっても大事!!」

 

 PICで姿勢制御。足先にあるものが地面の代わり。壁を足場にして思い切り飛ぶ。背部推進器で増速。高速跳び蹴り。

 が、突っ込むだけ。酒井は初見で直線的な動きを見破る。半身になって、至近距離で攻撃をやりすごしつつ手の甲で軽く打ち払った。

 乾いた音。反して清香が受けたダメージは大きい。びっくりするほどシールドエネルギーが減っている。

 

(おねーさんっ。ヤマ当たってないよー)

 

 おねーさんの実技試験対策は驚くほど穴だらけだ。IS学園の教員が試験官を努めるから、各教員の現役時代を調べれば良い、というものだった。おねーさんが作ったリストには酒井なる名字はなかった。

 おねーさんは脇が甘い。そして浅はか。

 残り二分。

 

(どうしようかな)

 

 清香が教わった操縦法は視覚をさほど必要としない。清香はIS操縦経験がない。だったら余計な情報は削るに限る。

 それに今日は妙に調子がよい。肌がざわついている。背後から忍び寄ってくる感覚に賭けてみようと思った。

 清香は目を瞑ってみた。

 脳内で展開する情報に変化はない。脈拍は思っているよりも安定している。案外落ち着いている自分にびっくりしながら拳にエネルギーを集中させた。

 ISコアから生じる動力源。シールドに使っている余剰分も腕部に回す。

 酒井の座標を確かめる。PICで足下を浮かし、音を立てず滑りながら接近。

 

「残り一分」酒井が告げる。

 

 ラファール・リヴァイヴの左拳が空を切る。倒れるように右回転し、打鉄改の頭部に肘打ちを放った。そのまま身体ごと回転し、膝めがけて蹴りをいれる。酒井は肘に手を添え、力の向きを変える。大腿部を覆う装甲で蹴りを受ける。

 ラファール・リヴァイヴはPICで身体の進行方向を上へとねじ曲げる。右の掌底を肩に向けて突き出す。エネルギーフィールドをまとわせているためか、掌底の進路が爆ぜていく。酒井はあえてそのまま受けて、破損陥没した装甲を切り離す。くるぶしの推進装置を使い、身体を横倒してラファール・リヴァイヴの腕をつかむ。振り回し、身体を入れ替える。

 ラファール・リヴァイヴは左手で乱打。清香は目を瞑っていながらも凶暴な笑みを浮かべている。

 酒井も獰猛な笑みで応じる。打鉄改が右腕を掴んだまま下に潜り込む。身体を反転させてねじり上げた。

 ガッ。という断裂を告げる金属音。

 打鉄改がラファール・リヴァイヴの腕部装甲をもぎとってしまっていた。

 

試験終了(ビイイイィィィ――――)

 

「貴重な機体を……何やってるんですか! 酒井さん!」

 

 スピーカーから雷が落ちた。休憩から戻ってきた山田真耶の声だ。

 

 

▽▲▽

 

 映像が停止した。一夏は画面を指さしながら本音に話しかけた。

 

「これ、本当に相川?」

「間違いないよ~。この映像、織斑先生から借りたんだよ~」

 

 清香はふたりのやりとりを聞きながら肩をすくめた。

 

「どうしたの?」

 

 鏡の問いに首を振る。身に覚えがございません。記憶にないのだ。

 

「フェイク映像だよね、これ」

「違うよ~本物だよ~」

「基本戦技全部できてるぞ。本番でこれできたら結構いいところまでいけるんじゃ」

 

 一夏が関心している。顔を上げた清香に向かって身を乗り出す。

 

「相川。共通点はあるか。思い出してくれ」

「うぅーん」

 

 共通点。衝突、だろうか。凰鈴音とやり合う前にセシリアとぶつかった。入試前日にガンプラ女子とぶつかった。

 

「セシリアさんのときは頭、打ってないや」

 

 後頭部をさする。アスファルトで強打した。結構痛かったのを覚えている。あと、唇も切った。

 

「セシリアさんと唇のあたりをぶつけた。唇の裏を切って、とっても痛かった」

「それだ」

 

 一夏が膝を打った。

 

「どういうこと?」鏡と谷本が問いかけた。

 

 一夏は立ち上がり、ある考えに至ったらしく真剣な面持ちだった。

 

「相川。ぜひやって欲しいことがある」

 

 清香は肩をふるわせてから、怖ず怖ずと一夏を見上げる。

 

「衝突だ」

「は?」

「唇同士が衝突すればいいんだよ。つまり、……アァー、そのっ」

 

 急に目を右往左往。頬をかいて恥じらう。隣を向いて谷本癒子の手をとった。

 

「ごめん。俺の口からは。谷本さん。代わりに言ってくれ」

「いいの? いいんだねぇー」

 

 一夏がうなずく。谷本はわざとらしく咳払いをして見せてから、両手の人差し指を立てて交差させた。指先を軽くふれ合わせた。

 

「キ・ス」

 

 みんなが絶句するなか、一夏は繰り返した。

 

「相川。この場にいる誰でも良い。キスしてくれないか」

 

 



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騒動騒動

 ジャブジャブ顔を洗って、パッパと拭いてピットに戻ってきた。

 一度部屋をあとにする前と同じく、室内はずっと妙な緊張感が漂っている。

 みんながみんな、目配せし合っていた。あるいは牽制か。

 

「織斑くん」

 

 清香は発案者に向かって努めて笑顔で告げた。一夏の周りでは谷本と箒がジャンケンで遊んでいる。

 一夏が顔をあげた。

 

「で、誰にするんだ?」

 

 目が本気だ。自信たっぷりに腕組みしている。男子は選ばないだろうという確信があるに違いない。

 清香は再び周りを見回した。

 本音は隠し持っていたまんじゅうを味わっている。鏡ナギは菓子箱の表示を見て青ざめ、本音の肩を揺らして食べるのをやめさせようとしていた。

 

「だったら、アレ」

 

 本音を指さした。理由は一番気にしなさそうだったから。

 

「んんん~?」

 

 本音は指名に気づいて食べさしのまんじゅうを呑みこむ。飲み干したお茶の紙コップを机に置く。清香の手招きに応じ、ゆったりとした足取りでやってきた。

 

「なになに~」

「検証に協力してよ」と清香は無心で告げた。

「いーよー」

 

 え! 本音以外の全員が驚きの声を発した。「よくない、よくないよ!」と鏡が慌てふためく。

 

「女の子同士でも! ノット・ノーカウント! キスなんて! もっと自分を大事にしなくちゃ!!」

「数に入らないよ~。きにしなーい、きにしなーい」

 

 外野との温度差が激しい。

 清香は明鏡止水に至らんと本音の正面に向き直った。チラ、と一夏を見た。

 紅顔がさらに赤らんでいる。谷本が背後から彼の顔を覆っているが、微妙に隙間をあけている。無造作を装って胸を後頭部に押しつけており、一夏の心拍数が跳ね上がった。

 「近いっ。近すぎるっ」箒は後ろから谷本を引きはがそうと必死だが、上手くいっていなかった。

 

「ナギさん」

 

 あれ。と一夏たちを指さす。「一応恥ずかしいんだから」

 鏡ナギが一夏の視線を遮る。「男の子は見ちゃダメです」「ええー」谷本が不満の声を上げた。

 さて準備は整った。

 

(本音のことだから結果がどうなるか、何も考えていない気がする。念のため)

 

 本音が逃げないよう、両手で頭をがっちりと押さえる。

 

「じゃあ、軽くで」

「んー」

 

 グッと抵抗があった。薄目を開けると本音も清香の頭を押さえていた。(あれれっ!?)

 

「グギギギ!」「ギグググ!」

 

 動かない。清香は顔を近づけようとした。本音は顔を遠ざけようとした。双方血管が浮き出るほどに力を強める。

 

「グギギギ!!!」「ギグググ!!!」

「めっちゃ嫌がってんじゃんか!」

 

 ぜーはー。ぜーはー。と手を離してから荒い呼吸をつく。

 本音は直前になって怖じ気づいたのだ。

 清香は諦めて振り返った。本音とのやりとりで疲れており、手近な人間に声をかける。

 

「ナギさん。私より適性高かったよね」

「えええ! 待って。待って。私!?」

 

 ナギは自分を指さす。

 清香は構わず頬に手を掛け、顔を少し傾けた。そのまま距離を縮めていく。

 唇が触れあいそうになったところで、ナギが手を差し入れて危機を脱した。

 

「待ってって! 私は女子でもカウントすることにしてるからっ! パス! 私はパスっ! 癒子っ、癒子でっ!」

 

 清香は谷本たちを見た。

 椅子に座る一夏。谷本がいつの間にか対面で膝の上に座っている。一夏の頭を抱きしめ、彼の視界を覆っている。が、一夏は胸に顔面を埋めており至福の状況。 谷本は箒を見やりながらニヤニヤ笑みを浮かべている。

 

(篠ノ之さんのほうが大きいから、代わってあげれば織斑くん喜ぶのにな……)

 

 などと考えつつ谷本の肩を突いた。

 

「どしたの。相川ちゃん」谷本が振り返る。

「ナギさんがパスだって」

「何でわたしのところに?」

「パスしたナギさんが癒子を指名したから」

 

 谷本がとっさに鏡を見やった。「ごめーん」鏡が両手を合わせる。

 谷本は深々とため息をついた。

 

「ナギがダメならわたしはダメだねー」

「どうして?」

「残念ながらナギよりも適性が低くってね」

「……確かに」

 

 言われてみればそうだった。入学して知り合ったばかりの頃に適性を教え合っていた。

 谷本が一夏から身体を離し、膝から降りた。

 一夏は新鮮な空気を求めて喘いだ。谷本は清香の肩を小突いてから、ナギのもとへ向かった。

 清香は深呼吸してから口を開く。

 

「じゃあ、おりむ」「ダメだ! ダメに決まってるだろう!! やるなら私にしろ!!!」

「らくんじゃなくて、篠ノ之さんで」

 

 清香は箒の志願に心打たれた。「篠ノ之さん……」

 

(おねーさんとは違って妹さんは高潔な人格者なんだ……)

 

 本音が視野の裾を音も立てずに移動していた。携帯端末を机に据え付け、おねーさんとのテレビ回線を繋ぐ。

 「やるならやれ! 武士に二言はないぞ!」と腹を決めた箒の背後に忍び寄った。

 

「おのれっ卑怯なっ!」

 

 箒の叫び。清香をギロリとにらんだ。

 あわてて顔を左右に振って否定の意思を示す。……あまり届いていなかった。

 

「くそぅ! 動けんっ!」

「暴れるともっと関節極まっちゃうよ~」

 

 谷本と鏡が箒の両手を押さえる。一周回って自分に番が回るのを恐れたようだ。

 

「友達を売る気かア! 一夏! 助けてくれ! 男だろう!」

「俺は見てないっ。何もきーてないっ。何も起きてないんだあっ!」

 

 だが、肝心の一夏は背を向けており、両手で耳を塞いで目を瞑っている。

 いざ箒が腹を決めたので、一夏自身は恥ずかしくなって正視できなくなってしまっていた。

 清香は本当に爽やかな顔つきで迫った。途中、本音の携帯端末におねーさんの姿が映ったので話しかけてみた。

 

「おねーさん。おねーさん。妹さんの適性値はいくらでしたっけ?」

「E……ゴホンッゴホンっ……いやAだね。練習すればSいっちゃうよん」

 

 即答だ。こういうときだけは速い。()()()()()()()()()()()()()()()

 

「検証に最適だね」

「……――やっ、ヤメロォォォォオオオ」

 

 箒がなおも抵抗を試みるが、本音たちの拘束がしっかりしていて身体が動かせない。

 清香は男子としたことはなかったが、女子となら別に初めてではない。なに、粘膜と粘膜がちょっと触れあうだけだ。

 

(気にするだけ、損、損)

 

 清香は明鏡止水の境地に足を踏み入れていった――。

 

 

 



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来客熱香

 

「わたくし、合弁会社アルキテク卜ゥーラ・プラント設計部門および株式会社ミツルギ渉外担当を兼務しております、巻紙礼子と申します。こちらに篠ノ之箒様がいらっしゃると伺っておりましたが、……失礼。お取り込み中でしたね」

 

 入口から声。箒が失意のあまり崩れ落ちるのと同時だった。

 気配に振り返ると、ジャケットに白パンツの女性が立っていた。その人物は笑顔を浮かべたままピットのなかに進み出る。照明があたって顔が明らかに。

 

「具合が悪いのでしょうか?」

「いいえ!」

 

 清香が大きな声を出した。そのまま何度も口をパクパクと開閉させる。

 茶色の無造作ウェーブ。細面で美人。朱いフレームの眼鏡が似合っている。

 鏡と谷本が箒を立たせる。箒は初めてを奪われたかのように呆然と我を失っていたが、ぼんやりと来客の姿を認め、急に瞳が活気づいた。

 制服の裾で口をぬぐう。「私の客?」背筋を正した。

 

「こういう者です」

「篠ノ之箒です。ご丁寧に」

 

 箒が差し出された名刺を受け取る。鏡と谷本、清香、本音ものぞき込む。エネルギー管理、施工管理技士などの国家資格がズラリと並んでいた。

 清香と鏡ナギがあたふたと場所を整えた。

 

(巻紙先生)

 

 清香は着席を勧めた。巻紙を案内しながらこっそりと耳打ち。わかっています。と言わんばかりに巻紙の口元がほころぶ。アイコンタクト。先ほどの光景を見られたと思い返し、赤面してしまった。

 箒と巻紙が対面して座る。「ご友人方もどうぞ。ご一緒に」清香たちは箒の横の席に肩を寄せ合って座った。

 

「大人だね~」と本音が感心。

「きれいな女性だね」と鏡がこっそり。

「社会人って感じ」と谷本が応じる。

「谷本さん。俺は何も話さないからな」と一夏。谷本が腕に胸を押しつけてきて対処に困っている。

「……そうだね」と清香は口にするのがやっと。

 

 箒が咳払いした。

 

「アルキテク卜ゥーラ・プラント、みつるぎ、というのはどのような会社ですか」

「アルキテク卜ゥーラ・プラントは化学プラントの設計や施工、運用管理を生業(なりわい)とした企業です。近年はIS競技用アリーナの設計施工にも携わっております。わたくしもIS学園のアリーナ設計部隊に籍を置いていた時期がございます。第二、第三、第六アリーナは一部ですが、わたくしが図面を描いております」

「して、ご用件を伺いたい」

 

 巻紙が持参していたショルダーバッグから冊子を取り出す。ISのカタログだ。

 

「このたび伺いましたのは、箒様の専用機について直接ご説明するためです。わたくしが所属しております、株式会社みつるぎは、三年ほど前に新興ISメーカーであるSNNと代理店契約を締結いたしました」

 

 巻紙が予め付箋を貼ってあったページを開いてみせる。沈黙のなか、みんなの視線はカタログに向けられる。ページには一枚の写真があった。初めて見るISの姿。

 

「こちらはSNNの新型IS、銅椿(あかつばき)でございます。篠ノ之箒様の専用機でもあります」

「専用機!?」「すごーい!」

 

 鏡と谷本が歓声を上げた。IS搭乗者にとって専用機は名誉の証である。IS搭乗者を目指した者は一度は求め、(こいねが)う願望。英雄であった織斑千冬と同じく、専用機を以て空を駆ること。密かなロマンに胸をときめかすのだ。

 

銅椿(あかつばき)……?」

 

 箒は流し目を送った。本音の携帯端末が立ておかれたままだ。もしも回線が繋がったままならば、おねーさんが聞き耳を立てているに違いない。

 

「IS学園に入学する前に、姉から【()椿()】を送ると連絡を受けている。御社が提供される機体とは、異なるのではないか?」

「ご指摘のとおりでございます。お姉様である篠ノ之束博士がご連絡を差し上げた段階では、紅椿を提供する予定でした。博士が急きょ、銅椿で行く、と決定を下しております。わたくしどもとしては、博士の決定に従わざるを得ません。ですが、銅椿と紅椿は姉妹関係にあります」

「具体的にはどのように?」箒が問う。

「艤装が異なります。銅椿は開発中のK装備を除外した機体。K装備はいささか野心的試みを盛り込んでいると聞いております。

 現在博士は後進育成のため開発顧問という形を貫いておりまして、そのため、……言ってしまえば、開発が難航しているのです。我々としましては、箒様には、いち早く専用機で訓練し、経験をして頂きたく、博士の決定は英断であったと思っております」

 

 巻紙が一度背筋をただした。視線は机の隅。本音が席を立った。

 

「ちょっと失礼~」

 

 本音は携帯端末を清香たちへと向けた。画面にはおねーさんの毛細血管が映っている。ほっぺを強く押しつけていた。

 画面の人物に気づいて、巻紙が頭を下げる。

 

「ご無沙汰しております。その節はありがとうございました。大変助かりました」

「君かい? 礼には及ばないよん。借りは後日倍返しにしてくれたまえ」

 

 おねーさんの言っていることがむちゃくちゃだ。巻紙は慣れているらしく右から左へと聞き流した。

 巻紙が銅椿の細かい仕様を説明する。主装備は槍、弓、鉄砲、脇差。いかなる環境下でも性能劣化が生じない、画期的な機体だという。

 清香は話を聞いていて、箒の機嫌が良くなっていくのがわかった。K装備という胡乱な装備が間に合わなかった恩恵。

 

「これぐらいとーぜん、とーぜん」

 

 おねーさんがひとり胸を張る。自己主張する豊満な胸部。

 話のあいだ、清香はずっと巻紙の瞳を見ていた。前みたいにお話がしたい。離ればなれになっていた間の出来事を思い返し、相好を崩した。

 

「銅椿の件は了解した」

「ありがとうございます」

 

 箒と巻紙が立ち上がって握手を交わした。

 帰り支度を始めた巻紙は、ふと手を止めて清香を見やった。

 

「ところで、最初のあれは……」

 

 その実、巻紙はとても気になっていた。教え子(清香)顧客()とキスしている場面に出くわしたのだ。

 思い出して箒が赤面。清香はその場でもぞもぞ。

 

「別に言いたくなければいいですよ」

「実は、ちょっと」

 

 清香はしどろもどろになりながら事情を説明する。キスしたらISを上手に操縦できるかもしれない。

 巻紙は丁寧に応じる。今までの経験値か、清香たちの騒動を決して咎めなかった。

 清香はある思いつきをした。先生じゃなくて巻紙さん。アニキじゃなくて巻紙さん。何度も心に念じる。

 

「あ、あの、巻紙……さん。わかっていたらで良いんです。あ……IS適性は」

「……Aですよ」

 

 検査で高い値が出ていた。復職後すぐに兼務が決まったのだという。

 鏡と谷本が互いに手を合わせた。本音が清香の裾を引っぱった。

 

「ね~ね~」

「いやいやいや」

 

 本音は言外に、巻紙とキスをしろ、と主張している。好奇心旺盛な娘心。大人は和やかにしているものの、時を置かずして彼女たちの企みに気づいてしまった。

 

「ね~ね~」と本音が繰り返し裾を引っぱる。

「いやいやいや」

 

 清香は手を振り続ける。それはない。それはない。巻紙先生には恋人がいる。海外研修で知り合い、恋愛関係に発展。その人は外国にいると、巻紙自身の口から存在を聞かされていたのだ。

 

「ね~ね~」

「……なんだか悪いし」

「構いませんよ」

 

 え。と巻紙と本音以外の者が騒然となった。

 部屋の隅へ移動していた一夏。自ら顔を手で覆っているが、指の間隔が広く隙間だらけだ。

 箒のときとは反応が違った。明らかに興奮している体だ。

 

(ふぅーん)

 

 なんとなく一夏の好みがわかった。箒に教えるかどうかは別として。

 前を見る。「わっ」巻紙先生の顔を凝視してしまった。眼鏡を取る仕草が艶めかしい。

 胸に手が伸ばされた。巻紙が胸ポケットに紙片を差し入れる。

 次に頬に触れた。え、と上がった自分の声を疑った。

 

「生徒さんの力になるのがお仕事ですから」

(近いっ。アニキ――やりすぎィ――)

 

 清香はドキドキすることに衝撃を受けていた。巻紙を慕っているのは事実。だが、あくまでも師弟関係。同じく師弟関係?のおねーさんには何も感じなかった。巻紙の整った唇や鼻、瞳を間近で目にするのとは違っていた。

 信じがたい現象に遭ったとき、人は理性が鈍る。まさか、と思う心理状態に冒されているのだ。

 

(お仕事にキスはない! なぁーいっ!!)

 

 抵抗しようと拳を作ったが、その腕を取られる。存外、力が強い。

 清香は困惑を隠せなかった。巻紙の顔がわずかに傾く。美しい瞳が唇を捉える。

 恩師のなかに愉悦を感じた。からかっているにしては迫真に過ぎる。警戒。雰囲気に呑まれかけている。

 

「……――預けてください」

「――……ッ」

 

 熱。一瞬。力が抜けた。

 

 

 



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西風戦塵

 中華人民共和国・崇明(スウメイ)島、上海崇明基地。

 

 人民解放軍空軍管轄の地下施設。織斑マドカは欄干にもたれかかっていた。モチャモチャと崇明(もち)咀嚼(そしゃく)する。食べながら、眼前の光景を眺め続ける。

 空軍第二六師団のIS技師たちが整備に悪戦苦闘している。二年前に配備された(ヤン)八型で経験を積んだ精鋭。なかには甲龍で腕を上げた者、双発IS・黄龍の整備で抜群の評価を得た者さえいた。

 彼らに与えられた難題。持ち込まれたIS群の整備だ。

 いずれも唯一無二の存在。作業中の機体は二機あった。一機は西()()、もう一機は紅眼睛(レッド・アイ)と呼ばれる。

 前者は欧州規格(ヨーロピアン)。機体のデッドコピーを目論み、別の頭脳集団が知恵を絞っている。取りかかって間もないためか、未だ解明に至っていない。

 後者は異質。IS技師たちは設計者の(ゆが)んだ思想を垣間見て、背筋に寒気を覚えた。筋肉を象ったかのような灰色の曲線。その胴体は人間一人がすっぽり収まりそうな太さ。足先まで伸びた腕部、どちらも胴体並みに太かった。

 マドカは包み紙をクシャクシャに握りつぶす。ポケットに押し込み、二個目の崇明(もち)を取り出す。

 靴音。靴の種類、歩行の癖。目線をくれる必要はない。英国、ドイツ、イタリアを行脚(あんぎゃ)した同行者たちだとわかっていた。

 

(……うるさい)

 

 いずれも十代(ティーンエイジャー)らしくやかましい。部隊長への崇拝で成り立っていた前の部隊(モノクローム・アバター)のほうが、まだ居心地がよかった。

 ミュージシャンやアイドルの話。マドカには興味を抱けないものばかり。彼女たちもまた、欄干にもたれかかって、飲料水に口づけている。

 彼女たちのISは整備が終わっていた。次の作戦まで暇を持て余しているようだ。一応IS搭乗者なのか、紅眼睛(レッド・アイ)の話に移った。

 ここで初めて、マドカは隣を忍び見た。ビューヒェルの核を奪い損ねた奴がいる。マドカと同じく、黒髪だ。両親ともに生粋の日本人。片耳にはカナル型イヤホン。

 

(……こいつ、何人()ってたっけ)

 

 ドイツ軍相手に派手に暴れた奴だ。作戦後、入手したドイツ軍の被害報告を目にしたが、実際のところ紅眼睛(レッド・アイ)が直接の死因となった者はいない。当初の作戦計画には施設への攻撃は最小限にする、という条項が盛り込まれていた。護衛機が条項を無視して過剰殺傷したのである。

 

(キチガイめ……)

 

 前の部隊にいたとき、少女の経歴をざっと閲覧したことがある。反社会性人格障害(ソシオパス)罹患(りかん)者。リスクを顧みず衝動的。組織から真っ先に排除すべき人間。

 崇明(もち)を飲み込む。若いIS技師が、マドカたちを見上げながら駆け寄ってきた。

 

「M!」

 

 若いIS技師が大声で要件を伝える。整備が終わったばかりの西()()紅眼睛(レッド・アイ)と模擬戦をしろ、という。

 

「……見せつけてやる」

 

 人間の実力というものを。

 

▽▲▽

 

 部隊にはまことしやかな(ゴシップ)が流れている。

 『組織の実働部隊はいくつか存在するが、IS撃破数は紅眼睛(レッド・アイ)が随一である』というものだ。

 

「笑えない」

 

 マドカは(ゴシップ)を思い出して独りごちた。噂を正当化するかのように、誰かが黒い装甲に星印を刻みつけていた。

 

紅眼睛(レッド・アイ)は無人機だ。こんなガラクタが最優秀機だって?」

 

 星は四つだ。ブルー・ティアーズ、メイルシュトローム・マークⅢ、シュヴァルツェア・ツヴァイク、シュヴァルツェア・レーゲン。

 あとひとつでエースに昇格。笑えない冗談である。さきほど少女(キチガイ)でさえ撃墜数はゼロ。組織にはISとの戦闘経験者を多く有しているが、撃破にいたらしめたことはなかったのだ。

 審判を買って出た隊員が観客にわかりやすいよう、上海語を使った。

 

「一本を取れば勝ちだ! 西風(ゼフィルス)には悪いが、近接格闘戦に限らせてもらう。バスケットボールコート二面分の面積とはいえ、飛び回るには狭いからな!」

「……上等」

 

 マドカがうなずいた。

 

「おれたちが電磁障壁の外に出たらブザーを鳴らす。それで始めてくれ!」

 

 観客が一斉に壁へ向かって走り出した。人体がむき出しの電磁障壁を通過すると細胞が壊死する恐れがあるからだ。設備が整ったアリーナには何重もの安全装置が働いているが、ここにはなかった。

 ブザーが鳴るまでのあいだ、紅眼睛(レッド・アイ)を観察する。すぐ違和感に気づく。「白目だ」

 ヴァレー、ビューヒェルで垣間見せた圧がない。無人だと証明するかのようにその場に突っ立っているだけだ。

 マドカはパッシヴ・センサーを起動した。相変わらず反応がない。

 ISならば必ずIS反応を発するものだ。先の作戦前に「紅眼睛(レッド・アイ)はステルス性を有する」と説明を受けた。

 しかし、ステルス機というものはレーダーに対し完全な隠匿を実現するのではなく、探知されにくい状態を生み出す能力を付与された機体のことを言う。

 

(ステルス機という説明を肯定するならば、ほんの僅かな時間、センサーが反応を捉えるはずだ)

 

 マドカは近接ショートブレード(インターセプター)を実体化する。格闘技のような戦闘姿勢をとった。

 

合戦開始(ビイイイィィ――……)

 

 マドカは滑るように、静かににじり寄った。

 白目を浮かべた紅眼睛(レッド・アイ)は少しガニ股気味に膝を曲げ、ぎこちなく拳を握りしめた。白目が小刻みに動いている。いずれも作戦中には見られなかった行動だ。

 近接ショートブレードを構えながら距離を詰めた。突き、足蹴りを高速で放つ。身体を入れ替えながら超硬素材を埋め込んだ肘を当てる。

 

「この程度か」

 

 凡庸な動き。反応速度が遅く、追随できていない。しかも攻撃を回避しようとする。

 

「残念だ」

 

 無駄な時間だ。さっさと終わらせてしまおう。

 拳が大きく空を切る。隙が多すぎる。本当に格闘家の動きを参考にしたのか疑問すら浮かぶ。

 マドカは西風の身体をあて、脇に入り込んで巨大な腕を取る。

 

「一本だ」

 

 柔道で言うところの背負い投げ。ただし、超高速。関節の可動部を極めているので受け身は取れない。衝撃で地下施設の床が陥没するだろうが、知ったことではない。

 

(……興ざめだ)

 

 だが、待てども【合戦終了】の合図は鳴らなかった。

 何気なく眺めたセンサーが一瞬だけ励起する。

 電磁障壁の外周が騒がしかった。観客の声に耳を澄ませる。

 圧。

 肌がざわついた。掴んでいた腕に意識を向ける。紅眼睛(レッド・アイ)が空中で静止し、マドカの表情(かお)を観察していた。

 白い目が真っ赤に染まっていく。

 小刻みな動きが消え、ただ獲物を見据えている。相変わらずセンサーには反応がない。紅眼睛(レッド・アイ)は腰を曲げて推力を加えて着地。床のたわみを利用してマドカを放り投げた。

 すぐさまPICを使い勢いを消す。身体を翻した。センサーが使えないため、超至近距離での目視戦闘だ。 

 観客の誰もが稲妻を目にした。ごく狭い空間を亜音速で動き続ける。電磁障壁がなければ今ごろ聴覚を破壊されていただろう。

 拳をぶつける。数秒遅れて雷鳴が轟く。

 IS同士なら痛覚を感じないはずであった。マドカは期せずして人体の限界を超えた高速動作を強いられていた。痙攣し、筋肉がひきつる。が、それはISコアが肉体の限界を知らせるために設けた疑似感覚だ。なにかが、カチッ、という小さな音。一本を取ろうと手をかざしたとき、互いに擦れ合ったのだ。

 身体をひねり、しゃがむ。手槍の発射音か。

 

「違う!」

 

 射線がごく短い。紅眼睛(レッド・アイ)の大きく膨らんだ腕部。一本の金属杭が飛び出ていた。

 パイルバンカーだ。

 炸薬のにおいはしなかった。

 紅眼睛(レッド・アイ)は腕をひき、攻城杭(パイルバンカー)を収納する。初めて与えられた玩具を(もてあそ)ぶように、紅眼睛(レッド・アイ)が再び腕を引き絞る。

 

子供(がき)めっ)

 

 マドカは腕をしならせながら近接ショートブレード(インターセプター)を投げた。予期していたのと同じく紅眼睛(レッド・アイ)は避けずに接近する。

 再び突き出された攻城杭(パイルバンカー)。今度こそという思い。回転しながら身体を入れ、推力で強引に土をつける。

 轟音が消え去ってから数秒の後、歓声で湧き上がった。

 

合戦終了(ビイイイィィィ――……)

 

 マドカは苦しげに息をつきながら、汗を拭った。

 

「くそっ。途中で動きが変わった」

 

 赤い光が宿ったとたんに魂が入ったようだ。

 電磁障壁が解かれ、IS技師たちが駆け寄る。西風(ゼフィルス)を除装して彼らに任せ、マドカは汗を流すべくシャワー室へ向かった。

 道中、戦闘ログを眺めながら思索に(ふけ)る。

 足を止めて呼吸。沈黙。目を閉じる。赤い光を思い浮かべて視界を動かす。

 

「魂、か」

 

 女子用シャワー室の表示。簡体字。脱衣所に入って服を脱ぎ捨てた。

 

 



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情報伝達

 

 クラス対抗戦の前日。授業が午前中で終わった。

 

「相川、織斑はよく休んでおけ」

 

 昨日までの練習。試行錯誤と価値観の崩壊。

 

「起立」

 

 セシリアの号令でみんなが席を立つ。

 

「礼」

 

 ありがとうございました。顔を上げると、織斑先生が一言「解散」と告げる。

 途端に引き締まっていた雰囲気が和らぐ。

 織斑先生が出席簿を抱えて教室を出ていく。山田先生が小走りになって後を追いかけていった。

 ペタリ。清香が脱力しながら腰掛けた。胸の高鳴りを感じながら廊下を見やる。

 何人かは談笑しながら帰宅したり、部活に向かっていった。残っている者は十名足らず。布仏本音に篠ノ之箒、織斑一夏、鏡ナギに谷本癒子。ここまではいつもの面子。加えて、四十院神楽。箒の付き添いのようだ。

 足音。奏でる音、歩幅も優雅。清香はスカートのプリーツを目にして、視線をあげる。

 最後に、セシリア・オルコット。

 

「セシリアさん」

 

 クラス対抗戦の準備のあいだ、この英国の留学生はひとり、別行動をとっていた。

 腰に手を当てているか。と思いきや何か冊子を抱えている。

 

「清香さんに贈り物(プレゼント)

 

 糸とじ製本。お手製。礼を言って差し出された書物を手に取る。

 目次。対抗戦出場者の名前。ISの名前があとに続く。日本語で記された文字と数字に目を走らせていると、セシリアが告げた。

 

「殴り込みの記録ですわ」

 

 戦闘詳報。セシリア・オルコットは理論派、データ重視だ。

 連日連戦を続けていた。清香と一夏はふたりで練習。ほかの組は漏れなくセシリアが最難関だと考えているらしく、清香や一夏を偵察する者は少なかった。

 二組だけが一組を偵察した。理由は清香がまぐれで圧倒したから。キスをすると操縦が上手くなる、トンチキな現象。

 

「ありがとう!」

 

 貴重なデータ。頼りすぎてはいけないが、情報収集の苦労は相当なもの。各出場者の癖や食べ物の好みまで網羅。奥付には協力者の名前がズラリ。一組生徒、一同。

 照れくさそうに顔を背けるセシリア。冊子を胸に抱き、清香は彼女の背中を笑顔で見つめ続けた。

 

▽▲▽

 

 自室のベッド。清香は寝転びながら冊子を広げた。

 よくまとめ上げている。

 たとえば。凰鈴音が僅か一年で中華人民共和国の国家代表候補生になったこと。ほかにも男子の好みまで。料理上手、とある。

 

(へー)

 

 三組はサイトーに関する情報が多い。四組は更識簪。文章の書き方からしてデータの出所は本音だろうか。

 

(カタログスペックと、実測データまで)

 

 あえて低めに公開している機体。公開した数値がどうしても出せない機体。

 

甲龍(シェンロン)は低めに公開かー)

 

 公式情報と実測数値に約二割の差があった。理由は甲龍が生まれた経緯にある。

 甲龍は双発IS・黄龍を単発化した機体だった。黄龍はISコア二基を搭載している。二基のコア間の同期が不安定で、本来の能力を発揮できない場面が多かった。単発化することで機体を不安定たらしめる要因を排除したのだ。

 ISコアがひとつになったから、性能は二分の一かといえば、そう単純に計算できなかった。中国IS工業集団公司も潜在能力を読み切れず、確実に発揮可能な数値を公開したらしい。

 

「なんだろ」

 

 誰かが鉛筆で書き足していた。「夜道にご用心」

 凰鈴音の怒った顔を思い浮かべた。割と手段を選ばない雰囲気。相手は選んでいるようだが。

 清香にもやたらと突っかかってくる。気になって枕元の携帯端末を引き寄せる。テレビ回線を開く。難なく繋がった。珍しいことだ。

 唇の拡大画像。しかも迫ってくる。「おねーさん?」

 ゴトン。ガタタタタン。画像が上に下に揺れまくる。ようやく安定。おねーさんの顔。額に汗びっしょり。

 

「君か。なんだい。おねーさんは忙しいんだよ」

「……忙しい?」

 

 画面に向かって接吻しようとしていなかったか。おねーさんの奇行は今に始まったことではない。

 清香はふうっと息をついて切り出した。

 

「おねーさん。つかぬ事を質問しますが、凰鈴音って知ってますか?」

「凰? 知ってるよーん。中華メシ屋のちんちくりんだね」

 

 おねーさんは何度も凰鈴音のちっぱいを判定していたが、記憶に残ってはいないようだ。

 

「わたしのことを内弟子、といってやたらめったら突っかかってきます。理由を知りませんか?」

 

 最近は一夏に抱きついたことを咎めてくる。

 

(突っかかるなら、わたしより癒子だと思うなあ)

 

 癒子はスタイルが良い。快活な性格。悪戯好き。しかも女の武器を使うことに躊躇しない。ガンガン攻める。夏休みを過ぎたら一夏がISに乗れなくなっているかも知れないのだ。

 

「なんだい。君は無駄なことばかり気にするね」

 

 心当たりがある様子。「ちんちくりんが弟子入りしようとしたから断ったのさ」

 あっさり告げる。

 理由を聞いてみた。

 

「だって。ちんちくりんだもの。言っとくけど、おねーさんは将来見込みがあるのしか教えないからね」

 

 胸をたたいてみせた。清香が感慨深げにうなずくと繰り返し叩いた。さらに自分で揉んだ。

 見込みがあるやつ。蘭を思い浮かべる。「あっ――……」

 

(待てよ?)

「くーちゃんは? くーちゃんはちっちゃいですよ」

 

 特に胸が。とはいえ直接会ったことはない。おねーさん自ら撮影した写真で自慢してきたから、姿形は知っている。

 

「くーちゃんは別腹」

 

 言いきった。くーちゃんは胸以外を見ている、と。おねーさんの危険度が増していく。

 

「じゃ、じゃあ、わたしは? わたしは?」

 

 おねーさんが胡乱な目を向けた。「あえて言うなら実験台?」

 

「蘭ちゃんにできないからって、わたしで色々試しましたよねー。そーゆーことですか? くーちゃんにもできないからってのも聞きましたよー」

 

 聞いて損した。いつも本音が連絡すると即繋がるのは、本音の身体目当てだからか。うわー。おねーさんの変態。

 

「いーですよー。ふーんだ」

 

 通話終了。手足を伸ばしてプルプルしていると、アヤカが帰ってきた。

 いつにもまして不機嫌な様子。通学カバンを自分のベッドに放る。そのまま清香のベッドの前まで直行。見下ろしてきた。

 

「借りたいものがあんだけど」

 

 視線が冷たい。身体を起こしてベッドに腰掛ける。

 

「お願いする態度じゃないよね」おねーさんの変態さを再認識したので清香も不機嫌なのだ。

 

「リモコンとパワーグローブ。貸して」

 

 どちらもアヤカとは接点がないものだ。特にリモコン。

 

「リモコンは大事にして返してね。パワーグローブは……」

(やっばーいっ)

 

 返してなかった。リモコンを持って帰るのにパワーグローブを借りたままだ。おねーさんが気前よく貸し、そのうえ催促してこないから忘れていた。ぱっと見、厚手の作業用手袋だ。よくホームセンターで売っているケプラー繊維入りのお高い手袋。外見では見分けがつかないので、おねーさんは目印として、内側に自分の氏名(フルネーム)を油性マジックで書いていた。

 確かめる。「篠ノ之束」汚い字で書いてあった。

 

「パワーグローブないとソレ、持ち運べないでしょ。めちゃくちゃ重いんだけど」

 

 父から譲られたときでさえ重かった。修理のため、おねーさんに預けてから顕著に重くなった。

 六〇キロ。持ち帰ってから重量計で計ってみた値だ。米俵一俵分。

 補強にタングステンプレートでも使ったんじゃないか。そうすると、蘭が素手で難なく運んでいたのが気にかかる。再び携帯端末で回線を繋ぐ。出ない。うんともすんとも言わない。

 

「持ち上げて足に落としたら骨折ものだから。危ないったら」

「持って帰るのに苦労したんだよねー」特にエレベーター。

「貸して」

「うーん。必ず、必ず、返してね。ソレ、借り物だから返さなきゃならないんだよ。なくすのもダメだよ。ボロボロになっても必ず持って帰ってきてね。ボロボロのまま返すから」

 

 知らずにISコアをゴミ箱に捨てました。などという言い訳が国家権力に通じるだろうか。

 

「一日で返すけど? 私、そんなに信用ない?」

 

 清香の態度にご立腹。

 

「わたしよりよっぽど信用あるよぅ。ソレ、貸主の愛用品なんだよぅ」

 

 肩をすくめてみせる。愛用品なのは事実だった。

 

「いいわ。借りてくから。試合が終わったら返す」

「はぁーい」

 

 パワーグローブを手渡す。アヤカは早速手にはめてリモコンを持ち上げた。心配になってついていくと、部屋の前にごつい台車が置いてあった。中身が見えないよう配慮してか、段ボールのなかにしまう。

 台車のシールを確かめる。耐荷重二〇〇キロ。清香は安心してアヤカと台車を見送った。

 部屋に戻った清香は首をかしげた。彼女は鉄○には触れなかった。

 

(ま、いいか)

 

 アヤカなりの深謀遠慮があってのことだろう。清香はベッドに寝転んで冊子の続きを読みはじめた。

 

 



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友愛強化

あとちょっとで完結します。
もう少しだけお付き合いください。


 目が覚めたら本番。荷物をまとめて第三アリーナへ。

 巡回バスから降りてすぐ、正面入口にたどり着く。

 

「おはようございますっ!」

 

 元気よく挨拶。

 待機していた山田先生に連れられてピットへ直行。

 織斑先生はいつものスカートスーツ姿。照明の反射で柄が露わになる。授業のときより()った生地。

 

「時間通りだな。相川。着替えてこい」

 

 織斑先生は手首を返して腕時計を確かめる。集合時間になったが一夏の姿はない。

 清香は隣の更衣室でパッパと着替えた。制服をロッカーに放り込んで鍵をかける。

 所要時間はちょうど五分だ。ピットに戻る。

 

「ヤッホー」「おはよー」

 

 谷本と鏡のふたり。本音は遅刻するとのこと。試合に出場する生徒以外は早起きしなくともよかった。

 谷本が悪戯っぽい顔つきで清香の腕をつつく。「相川ちゃん。新しいスーツ?」

 誰も気づかなかったらどうしよう。と思っていた。

 

「試合用だよーっ」

 

 清香は両手を広げ、鼻を高くした。

 出所は篠ノ之基金。奨学金給付ランクが上昇した恩恵。運動性重視のためか、身体にぴったりはりついている。そのくせ、着用した感触が自然だった。

 出入り口のあたりが騒がしい。誰かが駆け込んできた。

 

「遅れました! すいませんっ!」

「遅いっ! すぐに着替えてこい」

 

 一夏は一〇分の遅刻。どうやら一本あとの巡回バスだった様子。

 額が汗でぐっしょり。本当に慌てていたようだ。荷物ごと更衣室めがけて駆けていく。

 入れ替わるように、箒と神楽が到着。

 

「織斑先生。すみません」

 

 一夏の件。目付失格。箒が頭を下げたので、神楽も同じように(こうべ)を垂れる。

 織斑先生は中に入るよう言った。箒の失策は不問とするつもり。

 清香は手近な椅子に腰掛けた。カバンからメモを取り出して確認する。気をつけること。特に安全。

 待っているあいだ、織斑先生と山田先生が仕事をテキパキとこなしていく。

 そして一夏が戻ってきた。男性用ISスーツ。試合用。

 

「おーっ」「かっこいいね」

「そ、そうか?」

 

 女子にもてはやされてまんざらでもない様子。一夏は照れながらも笑顔を浮かべる。

 織斑先生が先導する前に一言。「今日使用するISは隣の格納庫に準備してある」

 白式と打鉄が並んでいた。いつでも着装できる状態。

 打鉄の傷だらけだった装甲は艶やかに輝いている。つなぎ姿の本音がクロスで磨いていた。

 

「おはよ~」

「おはよーっ。朝から見ないから寝坊したと思ってたー」

「ニヒヒ。そう思わせておいておいたんだよ~」

「今日は頑張るからねー」

「おーっ、応援がんばる~」

 

 ISの周囲から目視点検。ISには自己修復機能があるとはいえ、清香のカスタマイズ打鉄は穴ぼこになりがち。練習で大きく凹んだ場所。打ち直してあるが、凹みの痕跡が残っている。

 本音に手を振ってピットへ戻る。

 山田先生がヘッドホンを身につけている。管制を兼ねていて、先ほどから試験通信を行っていた。

 開会式。学園長の訓示。

 試合順のアナウンス。三組対四組が先んじて行われる。一組対二組はそのあとだ。

 スピーカーから楽しげな曲が流れる。試合が始まるまでのあいだ、フィールドには十二機のISが躍り出る。

 オープニングイベント。ISをまとった踊り子たち。会場を盛り上げながら試合までの時間をつなぐ。

 

「戦術。確認しようぜ」

 

 清香がうなずく。一夏が開き癖のついたノートを机に広げた。文鎮代わりに未開封のペットボトルを置く。

 どちらがどちらの相手をするか。凰鈴音なら難しい。小柄なら凰鈴音よりはマシ。連携の方法。相手を入れ替えるタイミング。イチかバチかの零落白夜。

 

「俺が鈴を相手にしたほうが良い」

 

 一夏がセシリアからもらった冊子を開いた。機動力。三次元戦闘。

 

「手はひとつ。格闘戦にもちこむ」

 

 超至近距離の目視戦闘。一夏の狙い。

 

「こちらの手を読んで小柄さんが来るかも」

 

 逆に一夏と小柄が超至近距離で戦うと、一夏の分が悪くなる。小柄家は(しのぎ)をのぞいて一族全員が軍人だ。対甲冑術などもちろん仕込まれている。

 ふたりで読み合わせ。外が急に騒がしくなった。

 

試合開始(ビイイイィィィ――……)

 

 三組対四組の試合が始まった。専用機同士、それも兄弟機同士のぶつかり合い。

 織斑先生に促されて格納庫へ。

 

「がんばれー」「応援するよっ」「武運を祈る」「無事に帰ってきてください」

 

 箒の言葉につい笑みが零れる。ひとりだけ武士っぽい。

 長椅子にふたりで腰掛けながら、一夏が改まった態度で清香を見た。

 

「……と、ところでさ」

「どうしたのー? 急にそわそわして」

 

 一夏は口をパクパク開閉させる。手を閉じたり開いたり。赤面しながらぼそっとつぶやく。

 

()()()?」

「あれ……?」

 

 ()()か。一夏の言わんとすることはわかっていた。

 

「今日はしてない」そんなポンポンできるものではない。

 

 一夏が肩を落とす。垂れた頭をゆっくりと持ち上げる。

 一夏のまなざし。期待。

 

「いやいやそんな目で見てもね」

(相手がいないよーっ)

 

 清香はダメ元で周囲を見渡す。そばに本音。じーっと本音をにらんでみたが、足をぶらぶらさせながら鼻唄を歌っていて、視線に気づくそぶりすらない。

 足音。ちょっと急くような間隔。直感に急かされて振り返った。

 制服の上にスタジャン。きつい眼差し。ルームメイト。一夏は眼中になし。

 

「今、三組と試合してるよ」

 

 アヤカが眼前に立ち塞がる。スカートの下には黒いスポーツレギンス。

 

(脚ほそーい。やっぱりスタイルいいなあ)

 

 などと考えつつ、アヤカの答えを待つ。

 彼女には珍しく口をすぼめて、急に思い詰めた表情を浮かべる。

 

「ど、どうしたの」

「……わかってんでしょ」

 

 何を。いや、なんとなく察していたが、アヤカはソレを言うような人物ではない。

 顎をしゃくる。立て、という意味だろうか。あわてて立ち上がった。

 

「逃げんな」

 

 アヤカは腕を伸ばし、清香の頭に両手を添える。

 清香は必死で首を振った。

 

(うわーんっ。なんか怖ーい)

 

 アヤカが顔を傾け、近づける。

 清香も手を伸ばし、彼女の頭に両手を添えた。

 

「グギギギッ!」

 

 必死に顔を離そうとした。理由は怖かったから。彼女は四組の生徒だ。一組に塩を送る理由がない。

 

「……だからっ。逃げんなっ」アヤカは必死だ。

「キャラじゃないよーっ。何かありそうで怖いんだよーっ」

 

 ふたりでスクラムを組んだ形になっていた。試合前にも拘わらず互いに拮抗していた。

 考えてみてほしい。友達だと思っていた人物にいきなりキスを迫られている。しかも好意的なやりとりがあまりない相手と。異性だろうが同性だろうが怖いものは怖い。

 汗がどっ。

 荒い息を吐きながら互いの出方をうかがう。

 騒動に気づいたのか、足音が増える。どうやら本音も気づいたようだ。 錯綜するなか、本音の足音とは別に、ひとつだけ足並みがぶれない音があった。音はどんどん近づいてくる。

 

「もし」

 

 聞き覚えのある声。腕を組み合ったまま顔を上げる。

 セシリア・オルコット。髪を編み込んでハーフアップにしている。

 清香はきょとんとして息をするのを忘れた。何度も瞬きするうちに、空気が恋しくなって肺を膨らませる。呼気半ばといったところで、「んぐっ――……」

 

 セシリアの匂いで満ちている。

 目をパチクリ。右へ、左へ、上へ、下へ。

 中央。

 

(ええええええっ――???!)

 

 およそ三〇秒のあいだ続いていた。その間、清香は混乱のあまり呆然となっていた。

 現実か。現実なのだろうか。

 唇の感触は本物。体温も本物。匂いも本物だ。

 セシリアのほうから唇を離す。

 勝ち誇ったような表情で、一言だけ。

 

「こうすると、清香さんが強くなるのでしょう?」

 

 力添えにしてはあまりに強烈。勇者への鼓舞。凱歌の期待。栄冠を持ちかえらなくては。

 メッセージが、清香の心へ間違いなく届いた。

 

(ま、負けられなくなっちゃったよーっ!)

 

 

 



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因縁対決

 四組のISがピットへ帰還する。

 前の試合。三組健闘。されど勝利には届かず。打鉄零式が膝をついて、装甲の一部を解いて頭を垂れる。肩で息をして汗がしたたり落ちる。よほど厳しい戦いを強いられたか。

 回収機がISごと彼女を収容して去って行った。

 清香は打鉄を着装し、回収機のけたたましいエンジン音に聞きながらフィールドへ躍り出る。

 フィールドに着地。

 エンジン音が遠のく。砂煙が収まる頃には対戦相手が出そろった。

 

「ふっふーんだ」

 

 凰鈴音が(たの)しげに鼻を鳴らす。紫がかった装甲。甲龍を身にまとっている。以前は見なかった非固定浮遊部位(アンロックユニット)をも展開していた。

 小柄の打鉄が続く。拳の周囲を鉄甲で多い、右手に小さな円形盾を持っている。甲冑型装甲の大部分が取り去られ、思い切り軽量化した模様。

 

「一夏。今日は相手してあげる。相方をセシリア・オルコットにしなかったのが大失敗だったこと。思い知らせてあげる」

「鈴。簡単にはやられねーぜ」

 

 一夏が軽く応じる。いきなり清香に顔を向け、「なっ!」と笑いかけた。

 あわててうなずく。凰鈴音は一夏が見ていないのを良いことに不機嫌さを露わにした。

 

(うわーんっ。やっぱり目の敵にされてるよーっ)

 

 司会者が一組と二組のISについて軽く紹介。観覧席とフィールドを隔てる透明壁にプロジェクションマッピング。いつ撮影したのかわからない動画と写真が多数表示。甲龍の紹介。つづいて小柄と清香のカスタマイズ打鉄について。

 バケツを頭から被ったようなデザインはやはり不人気らしい。視界が極端に悪いというのも理由のひとつ。

 二機の踊り子IS【紫電改】がフラッグを携えて飛行する。派手なロゴが飛び交う。試合開始まで一分を切った。

 秒読み。その間、深呼吸。すっはー。すっはー。

 頭をコンコン小突く。セシリアの献身。効果大。頭はかつてなくスッキリ爽快。身体を動かすのにも一苦労していたのに、今は自分の身体みたい。

 装備を確認。武装を一部変更。VRで使い慣れていたもの。すべて要望通り。

 空を見上げて視界の中央に一夏を据える。拳を高らかに掲げてみせる。

 試合開始まで一〇秒。

 

「織斑くんっ! 手はずどーりにがんばろー!」

「相川もなっ!」

 

 凰鈴音も小柄(こづか)(しのぎ)に声をかける。

 

「小柄。一夏を抑えて。撃破しなくていいから」

「りょーかい。お代は中華でいいぜ」と鎬が茶化す。

「満漢全席おごってやるわよ」

 

【OPEN・COMBAT・試合開始(ビイイイィィィ――……)

 

 ブザーが鳴り響いた。観覧席が騒がしくなっていく。

 

▽▲▽

 

 小柄機目指して移動しながら、清香は異常を察して飛び退いた。一振りの青竜刀が足下に突き刺さる。小さな筒を実体化させ、急接近するISに備えた。

 

「残念。あんたの相手はアタシ」

「……そんなぁ」

 

 清香が落胆する。本当に裏をかいてきた。一夏の白式は甲龍よりも機動力に勝っていた。一夏と鈴音が戦えば、少しは勝ち目が見いだせるのだ。

 理論上、打鉄では甲龍には勝てない。それほどに第二世代と第三世代間の差は大きい。まして、素人と代表候補生。清香は腹をくくるしかなかった。

 

(わたしの腕、どこまで通じるんだろう)

 

 直接目視不要の計器戦闘。ジリジリと近づいていく。

 鈴音が地面に刺さった青竜刀を引き抜く。対となる青竜刀につなげ、双天牙月として脇に抱える。右手の人差し指で名指しするように突き出す。あまりに挑戦的な格好。

 

「ま、どー考えてもアタシが勝つのは目に見えてるけどっ。どうする? 何秒で倒してほしい? 言いなさいよ」

 

 口で煽って意識をそらす作戦か。清香は考えた。

 

「そっちこそ、残念。今日のわたしはひと味違うからっ」

 

 セシリアが見守るなか一度勝っている。感覚は鋭敏に。引き絞るように力をためる。清香の思いを感じ取ってか、打鉄のコアが自らの潜在能力を引き出さんとする。

 出力上昇。

 

(あったまってきたっ……)

 

 くるぶしの推進器を急噴射。遷音速に到達。一息に距離を詰める。自機の勢いを砲弾の初速に上乗せした。

 鋭敏な感覚。双天牙月は動いていない。

 

(やった……!!)

「……はッ、バーカ!!」

 

 突っ込んだのとは逆方向に吹っ飛んでいた。感じた直後に音が聞こえていた。打鉄の装甲に着弾する甲高い音。超音速子弾(スーパーソニック・バレット)

 

(なになにっ。なんなのーっ??)

 

 地面に落下。転がりながらPICの存在を思い出す。二転三転してから身体を(ひるがえ)す。

 ()()

 先に衝撃、後から音。歯を食いしばった口から悲鳴が漏れる。

 シールドエネルギー残量。思った以上に減っている。そのうえ、正体不明。

 

「バーカッ! バーカッ! あんた、やっぱり下手くそじゃないのよっ。何で一夏と組んでるのよっ!!」

 

 大気に状態異常。

 計器を見ながら正面を向く。三発目。またしても吹き飛んだ。

 跳ね転がりながら射線をたどる。甲龍の周囲に気圧の乱れ。赤外線の出方も変だ。考えるあいだに状態解析。吹き飛ぶ前後の違いは何か。結果が出るまでのあいだ、金属塊をふたつ実体化し、PICで転がる向きをねじまげて片方を投げつけた。

 次の動き。彼我の位置を把握。空中では一夏と小柄が超至近距離で小競り合い。

 不可視の超音速子弾(スーパーソニック・バレット)。螺旋を描くように跳躍しながらもうひとつの金属塊を投げる。着地時前転してから甲龍に向かって走った。もう一発撃ってきた。衝撃に身もだえ、後から聞こえる爆音に顔をしかめる。

 

(捉えたっ)

 

 大気のひずみ。超音速子弾(スーパーソニック・バレット)が発射された瞬間、非固定浮遊部位(アンロックユニット)の周囲の大気が急激に膨張している。

 地面に頭から叩きつけられた。甲龍まで五〇メートル。一度後退。甲龍に背を向ける。

 

「逃げんじゃないっての!」

 

 これ見よがしに双天牙月を振り回す。

 その間にも攻撃を見舞ってきた。打鉄の腹部に一発直撃。外部装甲が砕け散る。

 膝と手をつきながら着地。立ち上がろうとしたら、よろめいて再び膝をつく。

 

(攻撃を食らいすぎたかも……)

 

 胃が酸っぱい。筋肉が引きつりだしている。

 反応を遮断した。両手をついて身体を起こす。本音が磨いていた後付け装甲はひしゃげて凹んでいる。しかし、打鉄本来の装甲は無傷だ。

 一夏が助けに行く素振りを見せたが、小柄がしつこくはりついて救援できずにいた。

 清香は身体を引きずる振りをしながら呼吸を整える。

 

(さすが代表候補生。当たらないように努めても進路を先読みしてくるっ。だったら――……)

 

 物事は単純に。

 言語化するよりも速く。

 

(まわそーっ。まわそーっ。もっと速く、もっと、もっと、速くっ速くっ――……)

 

 IS適性は血液検査で計測できる。篠ノ之束が開発した試薬は、血液中に含まれる特定のタンパク質の反応を確かめることができた。陽性か、陰性か。陽性の顕著な例が織斑千冬。彼女に近い反応を示せば適性が高く、そうでなければ陰性。その度合いでランクを判定する。

 血液がISと人間とを繋いでいる。

 意思を強く持てば持つほど、ISは答えてくれる。適性が高ければ、より効率的に実現可能なのだ。

 

「こんな風にっ」

 

 清香の顔面と上半身を覆っていた外部装甲が外れた。

 機体の周囲に白い膜のような(もや)が出現。

 正面から真っ直ぐ突っ込んできた清香に向けて、不可視の攻撃を放つ。

 正面投影面積が最小の状況。身体をねじりながら跳躍。外れた装甲が当たって吹き飛ばされていく。

 拳が凰鈴音に届く。

 後から雷鳴が轟いた。音の壁を突き破った。

 

試合終了(ビイイイィィィ――……)

 

 もう一発。追撃するつもりだった清香は、何度も目を瞬かせた。

 

(……あれっ?)

 

 シールドエネルギー残量がゼロになっていた。外部装甲を外したのが裏目に出ていた。

 だが、負けたら表示されるはずの文字がない。清香の反撃は無駄ではなかったのだ。

 

▽▲▽

 

 負けはしなかった。勝ちもしなかった。

 プクーっと清香は片頬を膨らませた。

 

(負けはしなかったけどもっ――)

 

 栄冠を持ち帰れなくなった。残念な気持ちでいっぱい。

 空から一夏と小柄が降りてきた。それぞれの相方の元へ向かう。

 一夏は相川のそばに来るなり、合掌して頭を下げた。

 

「すまんっ! 助けに行けなかった!」

「気にしてないよーっ」

 

 助けに行こうとして何度も邪魔された。一夏は鋭く突いたが、小さな円形盾の向こうにいけなかった。鎬は凰鈴音が要望したとおりの仕事をしてのけた。

 

「満漢全席おごれよー」と鎬が凰鈴音の背中を何度もたたいた。

「分かってるわよっ!!」

 

 不機嫌な様子。打鉄の音速突撃を避けることもできずに直撃してしまった。不可視の攻撃を避けられないという確信があったから。

 会場整備のためのインターバル。ピットから二機の踊り子IS【燕二〇改】がフラッグを翻しながら飛び回った。

 

「覚えてなさいよっ!」「中華っ中華っ」

 

 凰鈴音は鎬に押されながらピットに戻っていく。

 結果は引き分け。清香は肩を落としたが、予想外の健闘に観客は盛り上がった。

 清香と一夏もピットへの舳先にたどり着く。

 まだ観覧席が騒がしい。後ろを振り返った。

 試合のことで頭がいっぱいで気づかなかった。

 会場は光に満ちていて、騒がしく、楽しい場所。クラスメイトがいる方角へ向けて手を振る。誰かが手を振り返してくれた。

 

(また、来たいなー)

 

 大きく息を吸う。少し埃っぽい。

 「相川!」一夏が呼んでいる。織斑先生たちが待っているらしい。

 清香はピット内へ戻るべく踵を返し――。

 

(えっ?)

 

 ――天蓋の中央から閃光。雷鳴が轟いた。

 突如として起きた地震。清香はよろめいて舳先から転がり落ちた。

 砂埃が舞い上がるなかで地面に背中を打ちつけた。打鉄を着装していなければ今ごろ死んでいただろう。

 

(なになにっ。なんなのーっ??)

 

 ハイパーセンサーが示す輝点。フィールドの中央にラグビーボール状の金属塊が着弾。塊が割れて、内部が露わになった。

 ふたつの白い光。小刻みに振動するソレは、首を左右に振っている。

 砂煙が収まり、巨躯の全容が露わになった。

 筋肉を象ったかのような灰色の曲線。その胴体は人間一人がすっぽり収まりそうな太さ。足先まで伸びた腕部、どちらも胴体並みに太かった。

 膝をがに股気味に曲げ、腕を怒らせて、拳を握りしめる。周囲を警戒するかのように顔を小刻みに動かしている。

 

(ば、化け物――……)

 

 腰を抜かし、縮み上がる清香。後ずさったが、輝点は巨躯の抜け殻を示しているに過ぎない。

 何度走査しても結果は変わらない。

 巨躯はハイパーセンサーに映っていなかった……。

 

 

 



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十二対一

 清香が後ずさるたびに、巨躯は一歩ずつ近づいてきた。周囲に動く物体。清香が一番大きかったからだ。

 人に対する恐れを知らない獣のよう。

 黒い巨躯が腰を折り曲げ、ゆっくりと手を伸ばしてきた。

 とっさに蹴り払う。掌を見ながら首を傾げ、白い目を何度も瞬かせた。しばらく動きはなかった。清香も動けずにいた。

 ヴヴヴ……という羽音。いつの間にかハチドリのような物体が黒い巨躯の周辺を飛び回っている。その数、八。

 清香は怖ろしげに顔を歪める。

 通信接続。セシリアの声。雑音が混じっていたが、徐々に明朗になる。

 

「ビットですわっ!!」

 

 ビットの先端が光った。

 灼けるような痛みが走った。清香は涙を浮かべて胸を押さえて転がり回った。

 

(撃たれた! いまっ、撃たれたーっ!!)

 

 清香は半ば混乱しながらくるぶしの推進器に命令を送った。

 逃げなければ。早くここから立ち去らなくては。

 真ん中で突っ立っていた巨躯も動き出した。拳を握りしめて大きく振りかぶった。

 清香を攻撃対象と認識したらしい。

 

「清香さんっ! そいつから逃げてください! あの拳は、シールドを貫きますわっ!」

 

 セシリアの叫び声。悲鳴に近い。

 

(シールドを貫く!? 貫通って、死んじゃうじゃんか??!)

 

 シールドが効かない? セシリアの言葉をにわかに信じられなかった。だが、セシリアの慌てた様子は初めてのこと。疑ってかかれば命にかかわる。

 清香は接続可能なあらゆる通信回線に向けて、大声を放った。

 

「誰かーっ。助けてくださいっ!!」

 

 レーザーを放って行き先を阻むビット群。清香は駆け出した。

 

▽▲▽

 

 東西南北に存在するピット。付随する格納庫のシャッターが外を窺うようにゆっくりと開け放たれた。

 砂煙の中心。黒い巨躯に白い目をした謎のロボット。逃げる打鉄を追いかけている。

 フィールドに刺さっているラグビーボール状の物体。外殻はタングステンカーバイド製。天蓋のシールドを突破するためだけに生み出された工芸品だ。

 一時間前、中華人民共和国崇明航空基地から飛び立った爆撃機一〇機は、約一万メートルまで上昇したのち、腹に抱えていた無人航空機(UAV)を切り離した。

 無人航空機(UAV)は旧式のターボジェットエンジンを携え、成層圏めがけて自力飛行する。超音速に到達。日本の領空に進入を果たしたが、警告を終える前に自壊した。飛散した破片のなかに、ラグビーボール状の金属塊も含まれていた。

 

「要救助対象者。一年一組相川清香。ISに乗り始めたのは入学してから。試合でシールドエネルギーが底をついている。今は逃げ回っているけど、それも時間の問題」

 

 濃緑色に塗られた重装駆逐機が言った。ラファール・リヴァイヴ・クァッドファランクス。後ろに居並ぶ仲間たちに向けて発信。

 ラファール・リヴァイヴ・クァッドファランクスは、IS学園即応制圧部隊に所属しており、その内訳はIS学園の教員やOG、有力な生徒から成っている。

 試合では幕間にダンスを披露したり、フラッグを携えて飛行する。飛行するときは、クァッドファランクス形態ではなく、より軽装だ。

 ラファール・リヴァイヴ・クァッドファランクスのほかに、仲間が十一機いる。いずれも踊り子ISとして、観客は認識していただろう。

 

「他に仲間はいそう?」水色のISに向けて確かめる。

「今のところ、目視で一機。周囲を飛び交う非固定浮遊部位はアンノウンのものかどうか断定できない」

「目視で?」

「センサーに映らない。みんなもそう」

 

 目視戦闘になる。さらにISコアによる統合火器管制が難しくなる。手動ではどうしても集弾率が悪化するのだ。

 慎重な重装機とは対照的に機動力特化の軽装機の表情は明るい。早く出せ、と言わんばかりに拳をあげた。

 

「連携を密にして」

 

 シャッターが完全に開ききると同時に、六機の駆逐型ISが躍り出た。装甲を極限まで切り詰め、軽くした機体だ。いずれの機体も剣と盾を持つ。

 内訳は【(ヤン)二〇改】、【紫電改】、【打鉄高機動型】がそれぞれ二機ずつ。燕二〇改はオレンジ色の第二世代機、紫電改が紫色、第三世代機、打鉄・高機動型が第二世代機で淡い黄色の機体である。同色の二機を見分ける方法は、装甲に【壱】【弐】と大きく描かれた漢数字である。

 対IS戦に特化しており、操縦者はいずれも元代表候補生やそれに準ずる実力を持った者たちだった。

 

「こっちだ! 黒いの!」

 

 (ヤン)二〇改・壱の搭乗者が敵愾心(てきがいしん)を込め、祖国の言葉(武漢語)を放つ。声が届いたか確かめる前に巨躯と清香のあいだに割って入った。

 巨躯は白い目を向け、一度身体を強ばらせた。小刻みに振動しながら大きく振りかぶった拳を打ち下ろした。

 

「頭上にビット! 三基で狙ってる!」

 

 打鉄高機動型・弐が警告。彼女の背中では紫電改二機が清香の周りに壁を作っていた。大きな盾をかざして、ビットのレーザー攻撃を防いでいる。内蔵火器でビットに攻撃を仕掛けても俊敏に動き回られて当たらないのだ。もっとも近い格納庫に向けてゆっくり避退する。

 (ヤン)二〇改が二機がかりで巨躯を挟撃。回転しながら剣を横薙ぎにする。後ろから首を、前から脚の付け根。巨躯は頭を引っ込めて背後からの攻撃を避けたが、前からの剣撃を避けきれず横倒しになった。

 

「獲ったッ!!」

 

 剣を地面に向けて突き立てる。

 手応えを感じる前にPICでの姿勢変更を強いられる。

 巨躯はその身体が示すように鈍重だ。集団戦に慣れているような雰囲気はない。だが、八基のピットは違う。

 

「下!」

 

 踏み込まんとした脚に衝撃。地面すれすれに移動した飛行体から多数の光がほとばしったのだ。

 

「敵飛行体、左後方、距離一〇〇!」銃口を向けた飛行体(ビット)が弾き飛ばされる。

「重装隊出る! 待たせた!」

 

 重厚な金属塊が一斉に移動を始めた。

 限りなく装甲を重量化した部隊だ。

 ラファール・リヴァイヴ・クァッドファランクスが二機、水色に塗装された重装ラファール・リヴァイヴ・カスタム四機から成っている。

 砂煙を巻き上げながら、重装ラファール・リヴァイヴ・カスタムが清香や紫電改らの周囲を囲んだ。清香の救援を紫電改から引き継ぐ。

 

「あの飛行体(ビット)のほうがやっかいだぞ」

 

 盾をかざす必要がなくなった紫電改が上空へと翔けあがる。

 すぐさま重装ラファール・リヴァイヴ・カスタムが非固定浮遊部位(アンロックユニット)を展開。

 水色の機体の中央。頭に赤色のメッシュを入れた女性。部隊の皆から青島、と呼ばれている。指揮担当か。鋭く、叩きつけるように指示を飛ばした。

 

「青島より砲撃部隊。クァッドファランクス、ロック解除。目標、敵アンノウン。砲撃始め!」

 

 濃い緑色の機体が前に出る。左右からそれぞれ三〇度の位置。一機あたり四門を装備。合計八門もの多銃身機関砲(GAU-8/アヴェンジャー)の躯体が回転を始め、砲口に発射炎がほとばしる。

 オレンジ色の二機が砲弾が飛来するよりも早く退避。巨躯は激しい砲撃に怯みきっていた。頭を覆いながら後ずさっていく。

 行けるか!? そんな言葉が青島の頭に浮かんだとき、地面が激しく振動した。

 

「来る! 衝撃に備えよ!」

 

 直感を裏付けるように、フィールドの中央部が爆発し、吹き上がった大量の土砂がラファール・リヴァイヴ・クァッドファランクスに降りかかった。

 砲撃停止が遅れた一機が生き埋めになる。もう一機も半ば脚を取られて身動きが取れなくなってしまった。

 何者かによる第二射。清香がピットに到達したのとほぼ同時だ。砲弾の落着により衝撃波と爆炎がフィールドに生じる。淡い黄色の打鉄高機動型と紫色の紫電改が着地。ラファール・リヴァイヴ・クァッドファランクスにフックを掛けて引きずり出した。

 

「アンノウン2、IS反応検知」

「フィールド内に侵入確認――……何だ?」

 

 青島の僚機がハイパーセンサーから得た情報を伝える。

 再び敵の砲撃。閃光のさなか、土砂で身動きとれなくなっていた巨躯を何かが強引に引き抜く光景を目にした。

 人型ではない。

 四つ足の獣。豹、あるいは狼か。全長は約六、七メートル。鎧をまとい、背中には二門の長砲身一二〇ミリ滑腔戦車砲。

 目の前にいる十二機のISを正面に見据える。唸りながら牙を露わにし、強い敵意をぶつけてきた。

 

「こいつは……」

 

 先日限定的に閲覧許可が降りた機密情報。ビューヒェル空軍基地を襲い、壊滅的な被害をもたらした犯人だ。

 互いに警戒しながら対峙する。生唾を飲み込みながら、駆逐型IS六機に向けて静かに指示を送った。

 

「ランチャーの使用を許可する。殲滅せよ」

 

 

 



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焔雷戦嵐

 六機の駆逐型ISは剣を量子化し、入れ替わるように体躯よりもやや長い砲塔を実体化させた。

 ランチャーの機関部からバイパスケーブルを引き出し、腰部の接続口へとつなげる。

 

「統合火器管制リンク、アクティブ。チャンバー稼働状態、良好」

 

 指揮機へ向けて伝達。六機すべての状態を確かめ、続けざまに次の手順を読み上げた。

 

「ランチャーレール、ロック解除」

 

 六機の搭乗者が復唱する。

 留め具が外れ、砲身が延伸する。約八メートルほどの長さ。空中から機械獣を捉えたまま、チャンバー内部のエネルギーが砲撃可能な域へ達するのを待ち望む。

 機械獣は異常を察したか、長砲身一二〇ミリ滑腔戦車砲を空へと向けた。駆逐型ISが頻繁に互いの位置を入れ替えている。にも拘わらず、その砲口だけは常に機械獣を捉えていることを悟った。

 大気が鳴動。移動中の打鉄高機動型・弐が脚を止め、一息に逆進する。砲弾が左前方を飛翔した。防壁へと着弾。爆炎が空中に舞った。

 コンマ数秒後に別の火焔が出現。紫電改二機、打鉄高機動型二機が増速しながら位置を変える。至近弾による爆圧で破裂した弾片がシールドを激しく叩いた。

 動き回る機械獣。巨躯の防御にまでは手が回らないらしい。重装ラファール・リヴァイヴ・カスタムの群れが楯と戦槌(バトルアクス)を携え接近する。

 砲撃が繰り返される。着弾のたびにフィールド内に激震が走った。土砂が崩れ、生き埋めになっていたラファール・リヴァイヴ・クァッドファランクスの姿が露わになった。後退しながら非固定浮遊部位(アンロックユニット)である多層シールドを広げた。

 爆風と震動により、フィールド内で攪拌された塵芥(ちりあくた)が燃えだした。

 火の粉は、機械獣の砲撃だけが原因ではなかった。熱量が駆逐型ISの周囲で増大していたのである。砲撃の的を避けるために飛翔するたび、機体の周囲が発火する。外からは炎の帯をまとっているように見えただろう。

 機械獣の咆哮。反響が収まらぬうちに後ろ足を覆う鎧の留め金が外れた。巨大な推進ユニットが実体化する。左右に一基ずつ。前脚にも小型の推進ユニットが姿を表す。

 多層シールド展開中のラファール・リヴァイヴ・クァッドファランクスに向けて猛烈な突進を敢行。

 

「!!?」

 

 防御姿勢をとったISの頭を踏みつけ、空中へ大きく飛び上がった。推進ユニットを点火し、ランチャーを抱えた打鉄高機動型・弐めがけて驀進した。

 大きく口を開ける。地面から高角度で射撃を受けた。構わず打鉄高機動型・弐の腕に食らいつき、かみ砕かんと頭を激しく振る。

 ギギギ……と牙がシールドにめり込んでいく。

 が、機械獣の横合いから一陣の影が出現する。燕二〇改が【壱】と書かれた物理盾の先端を、機械獣の口に押しこんでいた。

 

「畜生が! 腹ァかっさばいて喰うぞ!!」

 

 猛りながら武漢語で言い放つ。盾ごと乱暴に押し出す。ランチャーを抱えたまま増速し、足蹴にした。

 

「圧縮完了。トリガー、アクティブ!」

 

 紫電改二機がいちはやく発射準備を終えた。「アクティブ。先に撃つが、よろしいか?」

 ほぼ同時に多数の閃光がほとばしった。機械獣が距離を置きながらの砲撃。砲弾の飛翔音で声がかき消される。

 指揮機(青島)の返答がない。再度お伺い。燕二〇改・壱も追って、同様の要求を日本語で伝えた。 

 

「撃たせろ」

「念のため熱遮断シールドを展開中だ。あと二〇秒で終わる」

 

 重装ラファール・リヴァイヴ・カスタムの非固定浮遊部位(アンロックユニット)が東西南北のピットや格納シャッターの正面を陣取っていた。

 緑色のランプが明滅する。

 青島が準備を終えた駆逐型ISらに砲撃許可を伝える。

 

「熱遮断シールド展開完了。砲撃、始め!」

 

 各機がトリガーを押し下げる。

 これまでのものよりも強烈な閃光がほとばしった。

 ISコアより供給された膨大なエネルギーをチャンバー内で圧縮。エネルギーを唯一の出口であるレールを伝って射出。高速で運動する電子によって衝撃波面が発生した。

 砲撃とは比較にならない衝撃が、フィールドに展開していたすべてのIS群を包み込む。

 爆風が塵芥を吹き飛ばした。膨大なエネルギーの奔流。重装ラファール・リヴァイヴ・カスタムはピットやシャッターへの影響を恐れて、非固定浮遊部位(アンロックユニット)が熱遮断シールドを展開していたのだ。

 

「今度こそやったか……?」

 

 青島が周囲を確かめる。

 巨躯は健在だが、外部装甲に無数の亀裂が走っていた。機械獣はフィールドの障壁に叩きつけられ、横たわっている。鎧と推進ユニットが無残に砕け散っていた。

 重装ラファール・リヴァイヴ・カスタム四機が戦槌を握り直す。

 

「アンノウン1は完全に破壊する」

 

 指示を伝える。全員がビューヒェル空軍基地の情報に触れていた。アンノウン1が無人機であることを承知しており、機体を構成する部品に至るまで、すべてを破壊し尽くして無に帰すつもりでいた。

 一斉に戦槌を振りかぶったとき、上空から機械で歪めた、人間の声が降り注いだ。

 

「それは困るな。こいつは、()()本調子ではない」

 

 新たなISが一機出現。膝をついた巨躯の頭上。小振りな濃い青紫色のISだ。あたかもシジミチョウが羽を広げたような鮮やかな姿形をしている。搭乗者は白いバイザーで顔を隠していた。

 ハイパーセンサーがIS反応を検知。青島は「友軍」を示す光景に困惑を覚えた。

 

 

 ――――なぜならセンサーが示す名は、()()()。メイルシュトローム・マークⅤ《サイレント・ゼフィルス》。

 

 

「……眺めているだけはうんざりだ……」

 

 挑発するかのように掌を天へ向け、指を折る。

 傲岸不遜な言葉を発した。

 

「……今しばらくは西風(ゼフィルス)が代わりに相手しよう。滅多にないことだ、光栄に思えよ」

 

 歓喜で歪んだ口元が、バイザーの端から垣間見えた。

 西風(ゼフィルス)が右手をかざす。持ち手のついた金属棒が実体化。

 電子が加速しながら金属棒の周囲にとどまり、その加速が激化するにつれ発光現象を伴う。エネルギーソードだ。片手で振るうと、火の粉が舞った。

 

 

 



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因子入魂

 清香は逃げ込んだ先の格納庫で除装した。

 ピットは多くの人でごった返していて、試合に赴いたときとはうって変わっている。

 女性に話しかけられて異常の有無を伝えた。女性が戻ってくる気配がなく、織斑先生たちを探して室内をさまよい歩く。

 天井に記された番号から元のピットへ繋がっているはず。一向にたどり着かない。人で挟まれて引くのも進むのも厄介だった。

 

(こんなに人が)

 

 例えば地震なら机にもぐって震動をやり過ごす。一旦収まったら係の者、例えば教員の指示にしたがって建物から避難しただろう。

 今回は違う。

 ロボットが天蓋をぶち抜いて襲いかかってきた。制圧部隊が即応して鎮圧に向けて力を尽くしている。

 

「セシリ――」

 

 遠目に見たセシリアの顔。モニターに向けて視線を注いでいる。光が明滅してから激高して感情を顕わにした。

 

「ゼフィルス! なんてこと……」

 

 席を立って踵を返した。人の群れのなかに消えてしまった。

 携帯端末を探して膝に手を伸ばす。ISスーツを身につけたままで、端末はロッカーのなかにあった。

 

(そうだ……制服)

 

 無性に着替えたくなってピットの出入り口へ向かう。

 人の列。誰もが携帯端末を触っているが、不安な面持ちだ。聞き耳を立てていると、通信障害が起こっているようだ。

 空から飛来した金属片がアンテナや通信施設を直撃していた。火災が生じていて煙が立ち上っているとのこと。外へ出ようと正面入口へ向かった者たちの言葉。彼女は警備員に外へ出ないよう言われ、ピットから地下通路へ向かうよう指示されたという。

 ぞくぞくと人が集まってくる。

 先生たちを探して室内へ引き返そうとした。

 

「……相川」

「織斑くんっ」

 

 誰かに手首をつかまれ、振り返った。一夏の声がしたように気がして、彼の名を呼ぶ。

 幻聴。誰かを頼りにしたかったのだ。

 

「あっ。悪い」

「……なんだ」

 

 びっくりして。スタジャンを見て、アヤカだとわかった。

 てっきり応援に行ったかと思っていた。ルームメイトは清香の表情の変化に不満げな様子。ばつが悪そうに視線をそらした。

 

「織斑じゃなくて悪かったな……」

 

 頬を赤らめる。なにげなく照明を受けて輝く指先を唇の近くに持ってきた。試合直前のスクラムを思い出して、清香も恥ずかしさを思い出す。

 

「ケガ、してない?」

「大丈夫だよー。脚を滑らせたときは、どうなるかと思ったけどね」

 

 建物が震えた。誰かがフィールドで壁に叩きつけられたか。足下をよろめかせる。アヤカが手首を引いて倒れずに済んだ。

 

「とりあえず着て。スーツだけっていうのも嫌でしょ」

 

 脱いだスタジャンを受け取る。タグにメイド・イン・アメリカ。大リーグのどこかのチームロゴが縫い付けてあった。

 「ありがとー」礼を言って羽織る。

 温もりが残っていた。見上げると、一瞬だけ申し訳なさそうな顔が映った。

 アヤカがつま先立つ。ピットのなかへ視線を向け、「ここはもういっぱい。別の出入り口を見つけたんだけど、アンタも来る?」

 顔を戻して手首を取る。強引だ。「待って待って! 先に!」

 荷物を――。

 

「荷物はあと! 避難が先っ!」

 

 言い終える前にアヤカが歩を早めた。

 途中まで隣のピットへ向かっていた。通路から人影がなくなって、アヤカが足を止める。左右を確認し、「関係者以外通行禁止」と書かれた扉を開けた。くぐって、使われていない格納庫を抜けた。地下へ入り、階段を上り下り。肩を寄せ合ってふたり通行できるかどうかの路を抜ける。壁の鉄ばしごを伝う。行き止まり。もう上れない。

 

「……確か」

「行けそう……?」

 

 黄色と黒の虎テープ。カチッと音がして樹脂のフタが開いた。現れたボタンを押す。

 明かりが漏れ、扉が開いた。

 先に上り終えたアヤカが手を差し出した。そのまま引き上げられ、地面に寝転ぶ。雑草のにおいがした。何かが灼けるようなにおいもうっすらと漂っている。

 アヤカが草むらをかきわけてボタンを押す。

 

「行こう」

 

 どこへ。清香は外の空気を吸いながらつぶやく。

 

▽▲▽

 

 第三アリーナに背を向けて遠ざかっていく。

 先を行くアヤカは無言だ。外に出るまでは時折気遣ってくれたが、今はない。背中を見つめたまま、土を踏み固めた通路をまっすぐ歩いて行く。

 五分ほど経過しただろうか。

 守衛小屋があった。見覚えがある。避難命令が出ているためか、今は無人だ。一人分の机にモニターとキーボード、マウスがあった。デスクライト周りに文房具立てと飲みかけのマグカップ。ボールペンがキャップを外したまま転がっていた。

 椅子に座って体重を背もたれへ預けた。足音に耳を澄ませて振り返る。

 窓と逆側にロッカーが並んでいて、アヤカはその一つを無言で開けた。

 

「は?」

 

 ゴトン。机におかれたのは一挺の銃。授業で触りだけ習って、少しだけ見たような気がする。戦車とか装甲車を相手取るときに使うもの。

 指さしながら、恐る恐る振り返った。

 

「対物ライフル。あんたはこっち」

 

 もうひとつゴトン。机がたわむ。……山型リモコン。

 

「昨日返すって言ったでしょ。だから、今返すの。……悪い?」

 

 少し苛ついた口調。手にはパワーグローブ。

 清香は対物ライフルと山型リモコンを交互に見た。

 

「繋がらないよ――っ」

 

 頭を抱える。極めて難問だ。ごめんなさい、答えがわかりません。

 ぺこんと頭を下げた。

 アヤカが腰に手を当てながら、清香を見下ろす。

 

「お仕事っ!」アヤカが鋭く、叩きつけるように言い放つ。

「誰の……?」清香が首をかしげる。

 

 指を突きつけられる。指先が陽光できらめく。爪に塗られたトップコートに気がついた。

 

「あんたの。何度かオータムに頼まれて()()()()でしょ? つい最近だって()()()でしょ」

 

 巻上礼子(アニキ)とキスしたあと。胸ポケットの紙片が入っていて、新しいVRのログインIDと初期パスワードが書かれていた。ふたりきりで秘密の練習。巻紙が家庭教師だったころ、一緒に遊んでもらった覚えがあったから。

 

「で、でもっ」

 

 ゲーム画面と同じだ。記号とパラメータを表示した計器類。敵を示す形に向かって意識を向ける。教えられたとおり、つまみを回し、リモコンを握って集中する。

 リモコンでVR上のIS(記号)を動かしていただけなのだ。大して上手くもなく、中ボスとおぼしき相手と戦ったら負けた。柔道の一本背負い。お見事。

 

「……銃なんか持ってっ。だったら何なの、アヤカだって意味わかんないっ」

 

 アヤカはパワーグローブをつけたまま対物ライフルを片手で持ち上げた。弾装を組み付け、トリガーを見つめてからグリップを握る。

 ロックがかかっていることを確認。壁に銃を立てかけ、予備弾装を並べた。作業を終えて振り返った。

 清香の前に立つ。

 

「相川清香」

 

 フルネーム。キョトンとして、次の言葉を待っていたら、「――……んぐっ」

 何度瞬きしても現象は同じ。混乱だ。彼女はそんなことをするキャラ(人柄)ではないはずだ。

 顔を離そうとしたら舌先を口腔にねじ込まれた。隙間から入り込んだ空気が混ざり合い、泡になった唾液を流し込まれる。

 唇同士が離れ、アヤカはせいせいしたといわんばかりの表情。

 

「私のお仕事は亡国機業(セイギノミカタ)。アンタのお仕事はすべてのIS()を倒すこと」

 

 未だ混乱する清香の手を取り、リモコンのつまみを握らせる。パワーグローブでがっちり掴まれて抵抗する術がなかった。

 1ch、2ch、3ch……。最後まで回しきる。

 

(なにっこれぇ――……)

 

 ナノマシンだ。

 清香の身体のなかで蠢く、無数のナノマシン。毎日欠かさず摂取し続けた、マズいパウチ入りゼリー飲料。

 

(うわーんっ。なになにっ。……すっごく! すっごくっ!)

 

 身体が熱い。どんどん熱が高まって素肌に汗が伝う。ヤバい。なんだかものすごくヤバい。

 トロンとした瞳。向けられたアヤカが一言を。

 

「ナノマシンはIS因子を記憶する。特定のタンパク質の形式・特徴を保存するの。IS因子を記憶するには、唾液腺から分泌されたタンパク質が必要。だから……」

 

 最後の言葉まで聞こえなかった。別の感覚に飲み込まれていたから。

 かつてないほど明晰な思考。清香のなかには何者かが発した情報が跳ね回る。

 

 ――――開発コード、青騎士。

 ――――初期コード、白騎士 バージョン2。

 ――――紅眼睛(レッド・アイ)、接続プロセス開始。

 ――――ISコア、親機搭載、オーケイ。

 ――――処理中……

 

 

 ――――処理完了。

 ――――ISコア、アクティベート(認証しました)遠隔操作(リモートコントロール)開始。

 

 

 



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鉄人起動

「……どれだけ通用するか……」

 

 何機撃墜できるか。

 マドカは難易度の高いゲームで遊んでいる気分だった。

 身体を傾かせ、ビットとともに急旋回に入った。鈍足のISがいたはずだ。

 ラファール・リヴァイヴ・クァッドファランクス。狙われていると知って、防楯である非固定浮遊部位(アンロックユニット)の傘を広げる。

 マドカは嗜虐的な笑みを浮かべる。

 

(……行けっ!)

 

 ビットからレーザー射撃。直後、ラファール・リヴァイヴ・クァッドファランクスが驚愕した。

 背部からレーザー直撃。四門ある多銃身機関砲(GAU-8/アヴェンジャー)のうち一門を支える架脚が半ば溶けていた。重量に耐えきれず折れて落下する。

 

「……なぜ、という顔だな……」

 

 直進するはずのレーザーを曲げた、かに見えた。

 実際のところ鎖交するよう二発同時に射出したにすぎない。

 西風(ゼフィルス)を開発した英国IS公社は偏向レーザー技術を実用化していた。しかし、中国IS工業集団公司は出遅れていた。西風(ゼフィルス)を解析してBTシステムのデッドコピーに着手していたが、実用の域に達していない。

 光の変調。ビットの位置を誤認させるまやかし。手品の(たぐ)い。

 

(……足りない)

 

 西風(ゼフィルス)は良い機体だ。第三世代機らしく応答速度に優れている。マドカの考えに追従する。

 

(……私を驚かせるほどの、(おぼ)れさせるほどの)

 

 圧。センサーに六つの輝点。

 背後から駆逐型六機の逆落とし。

 ランチャー・レールの先端からプラズマの刃が出現。西風(ゼフィルス)を囲み、長刀が襲いかかる。

 

(……力が欲しいッ!)

 

 六対一だ。

 織斑マドカは背中を倒し、大の字に四肢を広げながら回転した。刃と刃の隙間を縫い、さらに推力を加えて斬り上げる。淡い黄色の機体が【弐】と描かれた盾を取り落とした。

 さらに身体をひねりこむ。空中で踊るような舵取り。振り返ったとき、一条の黒煙が見えた。

 紫電改・弐が推進器を損傷。生じた火花が可燃性ガスに触れ、爆発したからだ。

 地面に降り、後退するかと思いきやラファールの群れに混ざった。

 空中で西風(ゼフィルス)が釘付けになっているあいだ、重装機があたかも土木工事を行うがごとく破壊を試みている。ラファールの群れが巨躯の周囲にたかった。戦槌(バトルアクス)を振り上げては叩きつけ、振り上げては叩きつけている。

 巨躯の外部装甲は損傷が進行していた。至る所に陥没と割れが生じている。脚部と腰部の装甲に巨大な杭が撃ち込まれ、地面から逃げられずにいるためだ。

 白い目を小刻みに揺らし、取り囲むIS群に対応できずにいる。

 

(……足らない……足らない)

 

 マドカは渇きを覚えていた。

 脆弱な輸送機を守る、盾扱いではないか。マドカのなかでフラストレーションが蓄積していく。

 紅眼睛(レッド・アイ)シュヴァルツェア・レーゲン(黒い雨)を相手取ったときのように、力と力の応酬を味わってみたかったのだ。

 マドカは直感にしたがって顔を上げた。カチ、という小さな音が聞こえ、確認せぬまま身体をひねりこんだ。

 燕二〇改がランチャーの砲口を向けていた。

 (まばゆ)い閃光。再び火災が発生した。

 あたりは爆炎と煙が立ちこめていた。地上の状態が(かす)かに見える。

 視界にちらつき。五条のプラズマ光に続いて、燕二〇改・壱、弐の敵意を露わに感じとったのだ。

 突き出された刃を避けるべく、マドカは高度を下げた。防御態勢のまま動けなくなった巨躯を見据える。

 崇明航空基地から出撃する直前、作戦指導部が直接マドカへ任務を説明した。ひとつは巨躯の監視。ふたつめは万が一巨躯が破壊されそうな事態が陥ったとき、介入して阻止することだ。

 

(指導部の連中、やけに無人機にこだわっていた……)

 

 亡国機業(ファントム・タスク)も一枚岩ではない。穏健派と積極派で大きく二つに分かれ、対立関係にあった。活動思想において、方向性が明確に異なるからだ。

 マドカの原隊は()()()である。スコール・ミューゼル率いるモノクローム・アバターは社会の裏側を暗躍する程度に留めている。スコール・ミューゼルが元米軍士官であったため、諜報部門の延長上という、ある意味常識的な路線を採っていた。

 現在の部隊は違う。()()()の呼び名が聞いて呆れるほどに狂っている。

 

狂信者(キチガイ)だらけだ……)

 

 なぜなら。

 ()()()()()()()()()()()()()。どのような手段を用いてでも、自らが信ずるところの悪を討ち滅ぼすことに全身全霊を賭けていた。

 スコール・ミューゼルがマドカに言い聞かせた言葉を正しいとするならば、転換期は三年前である。

 

(……同時期にシノノノ・タバネの名がIS以外で聞こえ始めた)

 

 篠ノ之束が独自のナノマシン技術を用いて医療・美容業界への華麗な転身を図ったのだ。医療用ナノマシンを題材にした論文を発表。博士号を取得する傍ら、数多のベンチャー企業、製薬、化粧品工場に至るまで、医療・美容に関連しそうな企業を次々と買収して傘下に収めた。

 ISコアを応用した、全世界通信インフラ整備事業で指折りの資産家となっていたが、買収額総額は保有資産を優に超えていた。さらに篠ノ之基金までも設立した。

 その資金はどこから。

 スコールは亡国機業(ファントム・タスク)内部にいながら、金の流れを細部にいたるまで調べあげていた。

 見えてきたもの、単純な答えだ。

 篠ノ之博士は研究者。同時に商売人でもある。

 

(……ISを、()()()

 

 そして亡国機業(ファントム・タスク)穏健派が買った。自らを正義のミカタだと信じ込ませてしまうほどの、とびきりの一機(IS)を。

 土煙のなか、マドカは反応しないはずのハイパー・センサーが励起する一瞬を見いだす。微細な糸。たぐり寄せた先に、何があるか。

 

(……私はコイツが欲しい。コイツは無人機としてではなく、()()()()()()使()()()()()()()()()()に違いない……)

 

 赤い光が浮かび上がる。巨躯の両眼が紅く染まった。

 

「遅かったな。紅眼睛(レッド・アイ)

 

▽▲▽

 

 戦槌(バトルアクス)が振り下ろされようとした。

 

「――ッ!!?」

 

 紅眼睛(レッド・アイ)が右腕を伸ばす。巨大な(てのひら)戦槌(バトルアクス)をつかみ取る。

 重装ラファール・リヴァイヴ・カスタムが力をこめる。

 だが、動かない。見かねた紫電改・弐が長刀を肘めがけて横合いに振るう。装甲を押し切らんとした。

 剥離し、ひしゃげ、破断し、落下する。内部が露わになってもなお、紅眼睛(レッド・アイ)が力を込め続ける。ギギギ……という音。形を保てなくなった。戦槌(バトルアクス)が粉々に砕け散る。

 上体を起こし、拳を造る。振りかぶって杭を叩いた。土に埋まるまでたたき続ける。貫通した杭が外部装甲を砕く。腰部と脚部の双方。

 

「こいつ!」

 

 重装ラファール・リヴァイヴ・カスタムの一機が叫んだ。心なしか、声がうわずっている。

 戦槌(バトルアクス)を鋭く打ち下ろす。紅眼睛(レッド・アイ)は避けすらせず、立ち上がった。

 カチカチ……という微弱な音がした。青色の小さな腕の姿。胴体ほどの巨大な腕を操っている。

 小刻みな振動が消えている。ゆっくりと周囲を睥睨(へいげい)し、仁王立ちとなる。

 重装ラファール・リヴァイヴ・カスタムらが後退。代わりにラファール・リヴァイヴ・クァッドファランクスが前進した。

 

「クァッドファランクス。砲撃、始め!」

「重装隊、(ツツ)構え。目標、アンノウン1。砲撃開始!!」

 

 指揮機が矢継ぎ早に叫んだとき、多数の発射炎が閃いた。

 多銃身機関砲(GAU-8/アヴェンジャー)七門による砲撃に加え、重装ラファール・リヴァイヴ・カスタムの三〇ミリ単砲身機関砲(リヴォルヴァーカノン)をも火を噴いた。

 無数の砲弾。装甲に激突するたび、火炎と爆発が生じた。

 胸部、腹部は筋肉を象った灰色の線は見る影もない。

 紅眼睛(レッド・アイ)は一歩を踏み出し、右拳をゆっくりと振りかぶる。

 土煙が静まっていき、逆に砲火が拡大する。

 大きな爆発。

 肩の装甲が崩落した。内側には青色の装甲。

 赤い瞳が明滅し、最も大きな目標を見定める。口を覆っていたマスクの留め金が砕け、おどろおどろしい咆哮がフィールドに響き渡った。

 砲弾が空を切る。

 今、いたはずの巨躯が消えている。一条の赤い残像が砲火のなかに残っていた。

 移動距離、わずか二〇〇メートル。

 紅眼睛(レッド・アイ)が熱の壁を超えた。

 遅れて雷のような鳴き声が聞こえ、多銃身機関砲(GAU-8/アヴェンジャー)四門が完全に沈黙した。

 視線が集中する。ラファール・リヴァイヴ・クァッドファランクスが膝をついた。黒いオイルが地面に流れ出している。

 紅眼睛(レッド・アイ)は勝ち誇るように右腕を天にかざした。ラファール・リヴァイヴ・クァッドファランクスの巨体が持ちあがる。銀色の金属杭(パイルバンカー)が、両足首を串刺しにしていたのだ。

 腕を振るい、もう一機のクァッドファランクスに向けて放り投げる。

 慣性のまま地面に横たわったIS。搭乗者が昏倒(こんとう)し沈黙している。

 装甲全体にパイルバンカーの衝撃が伝播した結果、無数のひび割れが生じ、戦闘不能に(おとしい)れていた。

 

 ――――()()()

 

 あたかも数えあげるように。

 紅眼睛(レッド・アイ)の瞳が一度だけ瞬く。

 掲げていた拳を引いて、腰を落とし、再び振りかぶった。

 

 

 



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暴風圏内

 ますます大きくなっていく銃撃音。

 相川清香は(かす)かにため息を漏らす。

 

「――どうしよう、かな」

 

 紅眼睛(レッド・アイ)の攻撃は、陸にいる即応制圧部隊に向けられていた。

 片や集団戦闘に慣れたIS群。片や協力のカケラも見せない襲撃者たち。数の論理からすれば、統制のとれた制圧部隊が勝つに決まっている。

 紅眼睛(レッド・アイ)の右腕から小さな爆発が起きる。破損部分の切除(パージ)だ。

 地面に転がった銀色の金属杭は、ねじ曲がり、能力を発揮できなくなっていた。

 攻撃の対価――使用不能となった多銃身機関砲(GAU-8/アヴェンジャー)二門が放棄されていた。

 

 ――――ふたつ。

 

 残存するラファール・リヴァイヴ・クァッドファランクスは、防楯を前面に突き出したまま身を強ばらせた。同時に、紅眼睛(レッド・アイ)の右腕、外部装甲が完全に砕けて剥離する。本来の腕。その腕が握る巨大なアタッチメント。拳そのものが武器だ。搭乗者の叫びがアリーナに伝播する。

 

「紫電改、急降下、行けぇッ!」

 

 ほぼ同時に紅眼睛(レッド・アイ)が地面を強く踏む。拳が防楯の中心へ吸い込まれた。

 コンマ数秒後、クァッドファランクスの装甲が波打つ。無数の皺とヒビが形成される。はっきり目で見えるほどの衝撃だった。

 さらに、もう一歩踏み出す。クァッドファランクスの装甲が破断し、内部骨格に致命的な損傷が発生する。

 吹き飛ばされながら、部品が散り散りに飛んでいく。その間、ISコアはただ、ただ、搭乗者の生命を守ることのみを優先した。

 轟音と閃光。攻撃が次の段階に転じた合図だ。

 打鉄高機動型、重装ラファール・リヴァイヴ・カスタムによる射撃が一斉に開始されたのだ。

 

 ――――次は、これとこれ、だよね。

 

 相川清香は、紅眼睛(レッド・アイ)の首を振り向けようとはさせなかった。

 ハイパー・センサーの位置情報。アリーナ内の全ISがどこで何をしているか、意識下への展開を終えている。紫電改の約七五度からなる急降下突撃をはっきり認知していた。何度目かの打撃戦で紅眼睛(レッド・アイ)が射撃武器を持たないことは明らかだった。加えて弾幕射撃への抵抗もない。その証拠に、装甲の性能に任せて防御行動すらとらなかった。

 ゆえに、急降下突撃は成功する。ランチャー・レールの先端。プラズマ光を発生する長刀が、紅眼睛(レッド・アイ)の背中を貫いた。

 腹部からランチャー・レールが突き出ている。有人機ならば即死ものである。生体保護を優先して外部骨格の稼働をやめるものだ。しかし、無人機は異常を是とした機体。

 清香にとって、紅眼睛(レッド・アイ)()()()()()()()()()()()だった。そして、何が致命傷で、何がそうでないか。体内で蠢くナノマシンが記憶している。武器はあるよんっ♪ ――原初の因子が囁く。

 頭部がクルリと一八〇度回転する。紫色の機体を視認し、紅い瞳を点滅させた。

 紅眼睛(レッド・アイ)が肩を軽くふるわせた。歯車が回転する。顎と鼻の部分が消え、奥から球形の金属がせり出す。

 カチカチという音。

 胴体を引き裂かんと長刀を握りしめていたはずの紫電改が、胴を折り曲げる。

 またしてもカチカチ、と明滅した。紫電改がランチャーから手を離差ざるを得なかった。搭乗者は理解できないという表情だ。強ばったまま身体が横回転し、脚をすくわれたように地面へと叩きつけられる。

 

「なぜ――」

 

 という顔だ。気圧の急激な変化。紅眼睛(レッド・アイ)はランチャー・レールが刺さったまま脚を踏み出す。理解不能という顔つきへの嘲笑――口だった場所から白い蒸気を吐いた。

 亡国機業(ファントム・タスク)は用心を怠らなかった。崇明航空基地には甲龍の整備経験を持つ者がいる。シュヴァルツェア・レーゲン戦で傷ついた外部装甲を修理する際、人民解放軍は新式装備を惜しげも無く提供した。

 すなわち、()()である。

 紅眼睛(レッド・アイ)が姿勢を変えると同時に、打鉄高機動型の一機が盾を構えて間に割り込んできた。第二の矢として急降下したが、不可視の攻撃を受ける仲間を助けようとしたのだ。

 しかし、その勇気ある行動は徒労に終わる。盾一枚では紅眼睛(レッド・アイ)の拳に耐えきれなかったのである。

 

 ――――みっつ、よっつ。

 

「ハハ……」

 

 頭上から哄笑。瞳を輝かせるのは、マドカ。面白い手品でも見たかのように唇を歪めている。燕二〇改の挟撃をいなしながら、二体が屠られる様を面白がっていたのだ。

 

(ああ――――ッ!!!)

 

 清香の意識がマドカへと逸れる。

 面識があった。実技試験の前日。確かに遭遇している。

 入試の映像。ありえない動きをしていた自分。あれ(激突)をキスと言って良いものか。とはいえ、つまり……清香は彼女の(かたち)を知っている。

 

(?)

 

 マドカは地面を見るよう指し示す。バイザーから垣間見える唇が、よそ見するな、と動いた。

 絶妙のタイミングで行われた、重装ラファール・リヴァイヴ・カスタム四機による投網(とあみ)。粘性を持った網目が外部装甲に絡みつく。もがけもがくほど吸着していった。

 燕二〇改二機も呼応して上空から同様の網を投下する。うち一機の投網は西風(ゼフィルス)が斬り払った。

 投網が派手に誘爆。無論、西風(ゼフィルス)に被害はない。

 網に爆薬が練り込まれていたのだろう。網を切り離すべく西風(ゼフィルス)が降下したとき、重装ラファール・リヴァイヴ・カスタムが蜘蛛の子を散らすように距離をとっていた。

 閃光、続く轟音。爆炎が立ち上る。煙のなか、なおも紅い瞳は点滅し続ける。

 投網の粘糸はすべて爆発に至らなかった。撚り合わせた糸がばらけて装甲の隙間へと浸透する。

 清香は、ロボットの大きな手では細かい作業はできない、と考えていた。土いじりを実際にやってみて、うまくいかなかった体験から来ている。とりあえず「殴る」「掴む」「蹴る」しかできない。山型リモコンが操る、超合金製のロボットと大差ない、という認識だ。

 カチカチ、と瞳を明滅させる。

 紅眼睛(レッド・アイ)は首を動かして周囲を見渡した。

 重装ラファール・リヴァイヴ・カスタムは顔面と正対しない。散開しながら次の手を打とうとしているに違いなかった。

 清香は、頭のなかに浮かぶいくつもの声に耳を傾けた。

 

 ――――落ち着いた、悪く言えばぼんやりとした言葉。自信たっぷりに剣呑とした声。慌てながらも必死に考えをまとめる声。べらんめえ調なのに理路整然と筋道だった声。つっけんどんな声。いろんな声。

 

「どうしよ~」と常に困惑していた自分とは、明らかに異なる意識に驚いてさえいた。ナノマシンの囁きは、それぞれの素体が持っていた人格的特性をも複写している。

 

(うんうん。そうだね)

 

 清香は言った。

 

「ネバネバは本体にはほとんどくっついていない。だから、大丈夫。何も気にせず、爆発しても構わず、気にせず行こう」

 

 今頃アヤカは独り言にギョッとしているだろう。彼女の姿を思い浮かべて笑みをこぼす。

 清香は周囲の状況を確認した。炎が立ちこめるなか、銃撃は続いている。

 西風(ゼフィルス)は、マドカはある一点を見つめている。

 

 清香は思った。マドカが視線が指し示す方角に違和感が……。

 

(あれれ、だいじょーぶだよね?)

 

 ピットの方角。闇のなか、ISの青い足先が露わになる。

 白煙が立ち上った。

 清香は、激しく憤る、怨讐に満ちた蒼い瞳に貫かれた――。

 

 

 



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烈風怒濤

長らくお待たせしました。
ゆっくりですが連載再開です。
一日で書けた分を投下します。


 視界が突如として揺さぶられた。

 紅眼睛(レッド・アイ)の体が浮き上がる。踏鞴(たたら)を踏んで、ようやく後方へ飛び退いたのだと知った。

 白煙が風に揺られている。根本に目を落とせば、地面に埋め込まれた硝子状の結晶が煌めいていた。

 同じ輝きが六点あった。先ほどまでいた場所から線を引けば、等距離になる。合計六条もの熱線が降り注いだ。地面に着弾するや土中の元素を硬化させたに違いなかった。

 清香は紅眼睛(レッド・アイ)に拳を構えさせた。一、二、三、……六。宙を漂う姿には、どこか見覚えがある。

 六基からなる熱源(ビット)は、いずれも三つの缶を接続していた。前を向く砲口を中心に後方へ等間隔に並ぶ。熱源は軸を一斉に一二〇度回転させた。黒焦げになった缶を除去《パージ》する。落下した缶は跳ねることなく地面奥深くにめり込んだ。

 先ほどの熱線を生じさせた代償なのだろう。

 残弾は六基×二発。

 清香は紅眼睛(レッド・アイ)の頭を持ち上げた。

 

(厄介かも……)

 

 そう考え、熱源(ビット)が再び飛び回る前に漸減するべく紅眼睛(レッド・アイ)を跳躍させた。

 が、二重の鎧を纏うがために地上戦限定の機体。どうしても人間の動きに似てしまう。紅眼睛(レッド・アイ)から見て右斜め上方、空を飛び交う駆逐型IS・燕二〇改の一機が突進した。

進路阻害(インターセプト)だ。サイレンのような音。あたかもJu-87(スツーカ)を彷彿とさせ、不安を煽り立てる。

 

「こっちを見ろ!!!」

 

 女は逆落としを仕掛け、猛るあまり、武漢語が口を突いて出ていた。

 超高速で距離を縮め、渾身の力で振るった刃と紅眼睛(レッド・アイ)の拳が交錯する。

 鋭く高い悲鳴。燕二〇改の両腕は無残に破壊され、断面からは黒い煙が生じている。飛行能力を失い、重力に引きよせられていく。

 

「してやったり!!!」

 

 女はまたしても武漢語を使った。これみよがしに中指を突き立てた。清香が眉根を潜めたとき、勝ち誇った表情の理由を悟った。

 熱源が腹の中にある。紫電改のランチャー・レールが突き刺さった場所に、熱源を押しこんだ犯人の腕が生えている。

 

(いけないっ)

 

 犯人――セシリア・オルコットの(くら)い瞳が大きく映し出された。

 清香の知る限り、学園生活ではついぞ見たことがない。憎しみやおぞましさといった感情があふれかえり、どう表情を造ってよいものか見当がつかない、といった表情だ。

 別人かのような雰囲気を漂わせている。密着し続ける危険を察知して、腹から生えた腕をつかみ取ろうとした。

 

「許しませんわ……」

 

 消し飛ぶような小さな呟きを拾った。清香の動揺が伝播したのか、紅眼睛(レッド・アイ)の動きが重くなる。セシリアが腕を引き抜き、同時に肩に背負った六七口径特殊レーザーライフル(スターライトmkⅢ)を顔面に押しつける。龍砲の射出口にライフルの砲口を押しこみ、零距離射撃を敢行した。

 

(……っう!)

 

 視界が真っ白だ。清香はすぐさま紅眼睛(レッド・アイ)と五感を繋いだ系を遮断する。遮断完了のメッセージが出現するのと前後して腹の中の熱源が爆ぜる。

 状態異常を知らせる警告文でいっぱいになった。事態を把握するべく視覚や聴覚を再接続する。

 自分も相手も惨憺たる状況である。

 紅眼睛(レッド・アイ)は下顎部を喪失し、龍砲が使用不能になっていた。腹部が避け、青色の骨格が露出している。拳を形成していたアタッチメントが竹が爆ぜたようになっている。黒い外部装甲は焼け爛れて原型を留めていない。内側にも損傷が及んでいるのは明らかだ。

 一方、セシリアのB3は肩に背負っていたはずの六七口径特殊レーザーライフル(スターライトmkⅢ)が架台ごと折れて、後ろへ垂れ下がっている。

 ロイヤルブルーに彩られた美しい機体は至近距離で膨大な熱量を浴びたためか、煤けて汚れただけでなく、ところどころ溶着していた。

 ゆっくりと立ち上がり、壊れた架台を切除した。近接ショートブレード(インターセプター)を顕現させ、大きく息を吸った。

 

「許しません! わたくしは! あなたを! 許しません!!」

 

 言葉が突き刺さる。だが、清香の心には困惑が広がった。憎しみを向けられる理由を認識できなかったからだ。

 

「あなたは! わたくしから! あの子を! 奪ったのです!!」

 

 セシリアの声が近づく。近接ショートブレード(インターセプター)を構えてにじり寄ってくる。

 誇りと優しさを讃えた、美しい少女が宿敵を討たんと大音声を張り上げる。

 

「愛する彼を! あなたは! わたくしの愛を! 踏みにじったのです!!」

 

 清香は紅眼睛(レッド・アイ)をなんとか立ち上がらせた。まだ左腕が健在である。とはいえ、腕に取り付けた音響兵器は非殺傷であるため用を為さない。

 紅眼睛(レッド・アイ)の瞳が明滅する。紅い光が徐々に弱まっていった。

 

「許しません! わたくしは! 決して! 許しませんわ!!」

 

 近接ショートブレード(インターセプター)を構え、身体ごと突貫する。

 セシリアが怒りと悲しみのあまり正気を失っているのは明らかである。瞬時加速を使ってきたが、単調な動きだ。足さばきで回避できる。

 どういうわけか紅眼睛(レッド・アイ)の動きが重い。

 カチカチカチ……。瞳の輝きがどんどん弱まっていく。

 

「どっ……どうっ……どうしよ……」

 

 セシリアは紅眼睛(レッド・アイ)を目の敵にしている。彼女はイギリス出身。本来の乗機はブルー・ティアーズ。そのブルー・ティアーズはお披露目中に破損して英国本国にドック入りしている。

 清香がずっと遠隔操作していた機体は紅眼睛(レッド・アイ)だ。紅眼睛(レッド・アイ)のミッションには敵国からISを奪取するというものがあった。よくあるゲームの序盤ステージ。二機とも奪えばSランク。どちらか一機を奪取すればAランク。一機を奪えずとも逃走に成功すればBランクだ。

 

「アヤカぁ……」

 

 傍にいる友人(ルームメイト)へ向けて弱々しい声をあげる。

 

「代わってぇ……」

 

 紅眼睛(レッド・アイ)はリモコンで動く。清香でなくとも動かせるはずだ。

 対物ライフルを構え、前を見据えている友人が口を開くのを辛抱強く待った。

 




毎日は厳しいので、週一か週二投稿でいきます。


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過誤再々

なんだか週末のほうが危なそうな気がしたので投稿。


 

「……は?」

 

 声音から察するに理解できないといった風情。

 

「ソレ、本気で言ってる?」

 

 何度も頷いた。アヤカは清香のほうを見向きもしなかったが、息づかいで意図を察したようだ。

 

「イ・ヤ・ダ。ソレ契約違反じゃん。操縦代わるってことの意味、きちんと理解してる?」

 

 今度は清香のほうが理解できずにいた。

 契約? 何それ……、と。

 

「契約を放棄するってことはつまり、私が、今、ここで、あんたを、処分する、ってことになるんだけど?」

 

 首を左右にぎこちなく、それでいて大げさに振るので精一杯だ。

 

「アイキルユーアンダスタン?」

 

 さらなる追撃。脅しの意味合いで用いられ、それでいて決して本気で使われることない文句だ。アヤカが面倒を嫌がる性分のためか、気が進まない様子ではあった。

 

「こ……コロ……何なのぉ……」

 

 彼女の眼球だけが清香を見据えた。瞳の輝きが普段と異なる冷淡さに彩られている。汗がどっと吹きこぼれた。

 

「契約が有効なあいだは、私たちが、あんたを守ったげる。私が死んでも代わりはいる。けれど、契約が破棄されたら、私は、私たち(亡国機業)の正義を貫く」

 

 正義のなかには、清香が死ぬことも含まれていた。

 

「いい? 大前提。ロボットがリモコンで操作できるってこと。知ってるのは、上と私ともう一人の護衛だけ。それ以外はみんな無人で動くと本気で信じこんでいる。リモコンだと知ってるなかで、遠隔操作できるのはあんただけ。篠ノ之束が()()()()()()()()()と思ってんの」

 

 とてもマズいゼリー飲料を毎日欠かさず飲んでいただけだ。手違いだらけだったが、恩義は感じている。

 

「私が言いたいのはね。少なくとも、立て替えてもらったことに恩を感じるなら、死ぬ気でガ・ン・バ・レ」

 

 立て替えたとはすなわち、清香の母がこさえた浪費の代償を指す。両親が離婚した直接の原因であり、清香が家出同然に上京した真の理由でもあった。

 

「もうひとつ。一番重要。ロボットは必ず持ち帰るの。失敗したら私もアンタも上も、みんなバッドエンドだから」

 

 聞き返すのをためらうほど悲しげな物言いである。

 引くに引けない状況に陥っていることだけは理解できた。気合いを入れ直そうと両頬をたたく。

 しかし、紅眼睛(レッド・アイ)は傷を負いすぎている。再生する怪物(シュヴァルツェア・レーゲン)と戦ったときと同じ過誤を犯しつつあった。

 

 

 

▽▲▽

 

 

 

 稚拙な太刀筋である。

 しかし、一度ならず二度、刃を届けていた。

 刃と身体を一体とし、推力で以て突き掛かる。届きさおすれば臓物を引き裂かん勢いで傷口を縦に広げる。

 優雅を是とするセシリア・オルコットの戦い方とは似ても似つかぬものだ。

 清香は投げ出したくなる気持ちをこらえ、悪鬼羅刹と化した彼女と正対した。同時に背景として映る制圧隊の様子をも捉える。弱気になっていた間、降下した西風(ゼフィルス)が屠っていた。動けるラファール・リヴァイヴ・カスタムが二機まで落ち込み、駆逐型も残り二機まで減っている。

 

(引き時だ……)

 

 アヤカが示した、正義は達せられたのではないか。

 

(だけどロボットは飛べない。壁をよじ登って、走って逃げなきゃなんないんだ)

 

 幸い両脚と左腕、PICは使える。

 だが、無事で済む気がしない。爆弾ビットが浮遊し、熱線を照射する機会を窺っているのだ。

 

(何かで気をそらさなくちゃ……)

 

 もしくは、死兵と化したB3を大破に追い込む。とてつもなく難しいことに思えた。今のセシリアは自爆すら厭わないだろう。

 

(考えなくっちゃ)

 

 セシリアが気勢をあげ、瞬時多段加速を仕掛けた。

 清香は反復横跳びの要領で小刻みに瞬時加速を繰り返させた。変化の徴候を捉えて壊れた右腕を持ち上げる。舌打ちが聞こえ、ガリガリガリ……という擦過音が響く。衝撃の理由を探る前に、蹴りを繰り出し、避けられたと悟った。

 

「仕留め損ないましたわ……」

 

 飛び退いたB3のつま先から刃が突き出ている。

 隠し武器だ。ここへ来て、セシリアの近接格闘技術が向上している。エースになり得る人材が実戦経験を積み上げる。強敵が戦闘中にレベルアップする姿に戦慄した。

 対して、清香がレベルアップするには道具が必要だ。経験値がなくとも道具を揃えさえすればよい。強そうな女子の唇を無理矢理奪う。……鉄火場では無理だ。

 

(詰んだぁ――)

 

 紅眼睛(レッド・アイ)が無双して、よしんば全機撃退できたとしてもその場で力尽きたらバッドエンドである。

 

(逃げる条件を満たせばいいんだ。可能性を増やすにはっ)

 

 清香は撤退の意志を知らせようと命令系を探る。だが、打鉄にはあった会話機能がどこにも見当たらなかった。

 

(なんでっ)

 

 紅眼睛(レッド・アイ)は無人機である、という信仰。受信のみでき、清香から発信するための通信機能がまるごと削られていた。

 爆弾ビットのひとつが熱線を放ってきた。地面へ拳を叩きつけ、衝撃で浮き上がった土埃で威力を減殺する。

 白い煙が真横に流れた。冥い眼光が一本の線となり、残像となった。

 清香は紅眼睛(レッド・アイ)を振り向かせる。腰を回したところで、嫌な響きが生じた。折れ曲がった装甲が内側の可動部に食い込んでいた。動ききらぬまま、爆弾ビットを抱えたセシリアの像が迫る。

 とっさに両腕で腹部の破孔を覆い隠す。視聴覚系の感覚接続を断ち切り、爆発に備えた。

 清香の元にまで大音響が伝わった。続いて足元が微震動でざわつく。即座に系統接続を再開し、目と耳、損害を確かめる。

 今度はわずかな損害にとどまった。装甲の外側が少し溶けただけだ。

 セシリアの機体は立ち上がろうとして、上手くいかず何度も膝をついている。爆弾ビットを脚で押し込もうとしたらしい。ISの右脛(みぎすね)から先が消失していた。

 センサーで周囲の状況を確かめる。そばにもう一機分のIS反応がある。

 四つ足の機械獣だ。彼女もまた後ろの両脚先が完全に消失していたのだが、懸命に立ち上がろうともがいている。

 再生する怪物(シュヴァルツェア・レーゲン)と対峙したときがそうであったように、機械獣には紅眼睛(レッド・アイ)を確実に撤退させるような役割が与えられているのではないか。

 清香は紅眼睛(レッド・アイ)を立ち上がらせ、機械獣の前脚を裏返す。紅い瞳で肉球を凝視したあと、確信めいた様子で担ぎ上げる。

 

(ノイズ……?)

 

 肌が粟立つような(さざなみ)が生じた。清香が瞬きし終わったとき、西風(ゼフィルス)が右手で機械獣の前脚をつかんで立っている。左手で浮遊していたはずの爆弾ビットを握っている。

 

「……足らない……」

 

 口の端をつり上げ、言い方に恣意的な傾向が現れている。清香が視線を追いかけると、機械獣の胸部に吸い込まれる。

 やがて、西風(ゼフィルス)がぐるりと辺りを見回す。フッとある方角で止まる。清香が意図を解したとき、西風(ゼフィルス)が爆弾ビットを無造作に放り捨てた。

 

 

 

 

 

 



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倒壊下敷

 とてつもなく長いあいだ、重い静寂(しじま)のなかにいるような気がした。

 クルリ、クルリ、と。回りながら爆弾ビットが落ちていく。

 漣がアリーナ外に及び、閃光と大音響に湧き立つ。アリーナの外壁は、楔状の凹凸がはっきりと現れた。

 清香は急に生じた浮遊感よりも、眼前から消失した西風(ゼフィルス)の行方を気にかける。

 

「まァっズ」

 

 突如アヤカが立ち上がる。ひどく慌てた様子で手を伸ばす。

 

「外に出て!!」「なぁにぃ……」

 

 疑問の答え。空に生じた白い雲環。中心を黒い点が駆け抜け、大気の壁を破った。

 まるで稲妻を彷彿とさせるような大喝だ。鼓膜を突き抜き、肌が粟立つ。

 突如として脳の処理速度が飛躍的に向上。走り寄る友人(ルームメイト)の声が間延びして聞こえ、自分に向けられていると認識するまでとてつもない時間を要してしまった。

 ボーナスタイムが終わる。避けた天井が瓦礫に変わり、黒い大きな姿が現れる。

 

「……見つけた……」

 

 西風(ゼフィルス)搭乗者(パイロット)――――マドカが笑った。

 

 

 

▽▲▽

 

 

(く、苦しいっ……!!)

 

 清香は土埃を真っ向から被って何度も咳き込んだ。

 そして、ひどく足が痛い。身体も上手く動かせない。なぜか意識だけが明晰で、ナノマシンたちが知恵を結集して紅眼睛(レッド・アイ)をアリーナの外へ出そうともがいている。

 広い空を遮る障害物。大きなコンクリート片、半ばで折れた鉄筋が飛び出していた。

 外には出られない。杭で穿たれてしまったのか。首を振った。

 

(血は出てない感じだっ。めちゃくちゃ痛いけどもっ!)

 

 しかし、清香は楽観していた。アヤカがパワーグローブを嵌めたままなのだ。ISコアを埋め込むことでどんな重量物も片手で運べる、という優れもの。コストパフォーマンス最悪ではあったが。

 

「助けてー」しまりのない声だ。

 

 命を賭して守ったげる、とついさっき豪語した。ならば、正当な権利を行使しようではないか。

 首を回す。アヤカはすぐそばに立っていて、膝から血を流している。

 

「見つけたぞ」

 

 だが、彼女はまるで決闘の場面を再現しているかのように、西風(ゼフィルス)と対峙している。

 

「よこせ」

 

 と、西風(ゼフィルス)搭乗者(マドカ)が告げた。「私が乗ってやる」

 アヤカの様子がおかしい。「助けてぇーアヤカさァーん」清香はそれとなく言ってみたが、反応が返ってこなかった。

 

「……何のこと?」

「ナンバーツー。しらばっくれるなよ」

 

(何のこと?)

 

 清香が少し顎を傾け疑問を呈した。マドカは埋もれている清香を見つけ出し、教えてやる、と言わんばかりにアイコンタクトを送ってきた。

 

亡国機業(ファントム・タスク)実働部隊のナンバーツー。主流派(メインストリーム)、正真正銘の狂信者(キチ○イ)。アングルシーで、雲海のなかでご一緒したろう?」

「知・ら・な・い」

 

 マドカが顎で清香を指し示す。

 

「……こうしても?」

 

 マドカは西風(ゼフィルス)の手をかざし、レーザー・ガトリング砲を実体化させた。

 

(弟が遊んでた、おもちゃの銃みたい)

 

 夏場、祖母の実家に置いてきた弟たちが遊んでいた、水鉄砲のような外見だ。なんとなく眺めていると、レーザー・ガトリング砲の砲身が回転を始め、砲口が赤熱し始める。

 

「止めてっ!」

 

 アヤカがグローブを嵌めたまま、両手を広げた。清香のほうをチラリと見る。一瞬だけ逡巡する様子を垣間見せる。

 嫌な予感がした。

 アヤカが先ほど一瞬見せた冷ややかな眼差しで言い返したのだ。

 

「M。一般生徒の殺傷は許可されていない」

 

 冷淡な口調だ。再び聞いてもぞっとする。

 

「また、アリーナ外での破壊行為は作戦上禁止されている。懲罰対象である。アリーナ外に出た場合は速やかに撤退せよ。撤退だ、速やかなる撤退だ」

「……知るか。私は貴様の部下ではない」

「M!」

 

 たちまち、アヤカが大喝した。

 当のマドカはまともに聞く様子もない。クックックッ……と喉を鳴らしながら笑い、レーザー・ガトリング砲を量子化させ、瞬時に実体剣へと切り替えた。

 

(手品……じゃないっ。教科書に書いてあった、確か、高速切替(ラピッドスイッチ)だ!)

 

 切っ先が清香に向く。

 

「ナンバーツーという者があろうことか、重大な情報漏洩を許容するというのか? 狂信者(キ○ガイ)どもの法律……亡国機業(ファントム・タスク)の守秘規定に則り、ただちに始末するのが筋というものではないか?」 

 

 それが合図となった。

 

 「フッハハハハハ!!!」

 

 マドカが実体剣を清香に向けて振り下ろす。本当に楽しそうに笑っている。殺人に対して何の痛痒も感じていない表情だった。清香は顔を強ばらせたまま、剣の行く先を見つめることしかできなかった。

 実体剣が加速する。

 目を(つむ)る。走馬灯が走るや真っ先におねーさんを思い浮かべてしまった。次に蘭や弾、その次に祖父母の家に残した、年の離れた弟と妹。母と離別して、いなくなってしまった父。最後に友人たち。

 

(……あ、あれれー!?)

 

 騒然とするなか、いつまで経っても死が訪れない。清香は片方だけ目を開ける。

 

「言ったでしょ。助けるって」

 

 実体剣の切っ先をパワーグローブで受け止める友人(アヤカ)の背中が映っていた。

 

 

 

 



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一矢報酬

「今に助けが来るから! あきらめずに祈ってなさいよっ!」

 

 アヤカの絶叫。巧みに剣先を裁きながら、足下の瓦礫を投射する。

 まだ、脱出の障害である引っかかりを取り除くことができていない。

 アヤカが【M】と呼称したパイロットが勝ち誇るように哄笑した。

 

紅眼睛(レッド・アイ)を呼び寄せてみろ! でなければ死んでしまうぞ!!」

 

 ……その通りだった。清香は吹き荒ぶ小石を避けるべく顔を伏せた。足を引っぱる……が抜けない。

 

(早く、早く、早くしなきゃ!)

 

 生身でISと戦う。極めつきの無謀。授業の最初に、織斑千冬自身がそう断じた。

 IS自体が巨大であるためか。アヤカはMの視線や声音、予備動作のひとつひとつを観察し、回避している。立ち位置が右へ、右へと少しずつずれていっていた。

 目的は地面に転がる対物ライフル。当然、有効打にはなり得ないが、一矢報いることができるかもしれない。

 清香にはなぜか、彼女の意図を理解することができた。ナノマシンが思考と認識を補佐しているためだ。

 

(早く、早く、早くしなきゃ! もっと、もっと、もっと速く!!)

 

 いずれ友人(アヤカ)は殺されてしまうだろう。護衛(アヤカ)としての目的を達成する。直後に清香自身も死ぬ。

 そんな未来は嫌だ。もっと楽しいことがあるはず。悲しいことも、辛いことも。

 

(速く、速く、限界を超えて――――)

 

 清香は深呼吸をする。

 一年以上もの長い時間をかけ、摂取し続けた無数のナノマシン。人知の(ことわり)を超え、認識を超えた世界で格闘させるための術でもあった。

 清香がやろうとしているのは、自らをISへ、演算装置の制御器へと近づける行為だ。

 ――適性が他人よりも低い?

 ――わたしを助ける?

 冗談じゃない。死んじゃったら何にも残らないじゃん。清香は独語する。

 

「痛みなんて構うもんか」

 

 認識のギアを上げる。

 より深淵に没入する。

 紅眼睛(レッド・アイ)のパラメータ。壊れているところをショートカット。

 一気にエネルギーを注ぎ込む。

 紅眼睛(レッド・アイ)基礎(ベース)を作ったのは篠ノ之博士だ。篠ノ之博士と寝食を共にしてきて、彼女の癖や嗜好を熟知している。

 お気に入りのルートパスワードですらも。

 鼻から紅い液体が滴り落ちた。

 ナノマシンを使って紅眼睛(レッド・アイ)を構成する組成(ロジック)を組み替える。卑怯だ、チートだと笑うだろうか。だが、力は使う時に使うものだ。少なくとも、清香はそれなりの代償を支払っている。

 

 ああ、血管が、また、切れた。

 

 ボタリ……。ボタリ……。ボタボタボタボタ。

 

 実体剣を受け損ねたアヤカが腕を押さえている。これまで一度も見せたことがない、苦悶の表情。

 いくら経験値があっても、人体はもろい。圧倒的な質量の差を埋めることはできない。

 西風(ゼフィルス)は投げつけられた瓦礫を容易く弾いた。

 残念そうに舌打ちするアヤカの姿があった。後ろ姿を見入っているうちに、心の奥底へと徐々に炎が燃えさかっていく。

 ――超えた。

 紅眼睛(レッド・アイ)がアリーナの天辺に手を掛けた。次の行動。足をかけ、チラリと地面を一瞥する。悔しげにうつむき唇を噛む姿(セシリア)

 彼女は紅眼睛(レッド・アイ)の操縦者を知らない。一生抱え込む秘密になるに違いない。

 前を向く。

 

 ――きた。

 

 清香は目を瞑った。イメージを形作る。

 無数の計器群。真っ黒な空間のなかで、そこに置かれたモニター。英数字が踊り、記号がひしめき合う。

 巻紙礼子によってたたき込まれた操縦の基礎だ。現実とは、電気信号によって生み出されたもの。

 まるで夢をみるように。

 遊戯(ゲーム)に興じるかのように。

 

「もう限界か? 情けない。ISが無ければただのヒト、か」

 

 アヤカが膝をつき、Mを睨みつけている。

 

「その両腕。使い物にならなくなったか。もろいな、人体とは」

 

 グローブを死守するように覆いかぶさる。

 これは芝居だ。マドカは決定的な思い違いをしている、という前提で成り立っている。

 

「ちょうどいい。……斬り落としてしまえ」

 

 ――――頭にキた。

 

「……ん?」

 

 マドカが、何かに気を取られて振り向いた。

 そして、凍りつくように動きを止めている。

 肌がヒリヒリと痛い。震動で小石が踊っている。

 一分、二分、ずっと続いている。

 ズシン、ズシン、と大きな音を立てて近づいてくる。

 ガニ股気味に歩く巨体。壊れた右腕を天にかざし、紅い眼鏡を明滅させる。

 

 いけ。

 

 そうだ。

 

 背負っていた機械獣が右腕に絡みつく。黒い装甲が溶けだした。

 融合し、機械獣の形を残したまま、合体。

 シールドエネルギーをバイパス。成功とともに耳を覆いたくなるほどの雄叫びを挙げる。

 マドカが実体剣を構え直した。紅眼睛(レッド・アイ)に向けて接近。残り五〇メートルほどの場所で動かなくなった。

 対峙し、互いににらみ合う。互いに円を描くように走り出した。

 

 五分?

 それ以上?

 

(もっと、もっと、もーっと!!)

 

 眼球では姿を捉えられなくなるほどに速く。

 流れ出る血の勢いも増していく。出血しすぎて少し肌寒い。

 

「行け、ロボ!!」

 

 独語とともに直線軌道へ切り替わる。ほんの一瞬、清香の瞳は拳が届く瞬間を捉える。脳内のイメージに過ぎないのかもしれなかったが、清香にはそれで十分だった。

 紅眼睛(レッド・アイ)は勢いづいたまま、超音速で西風(ゼフィルス)ごと海へと躍り出て、消えた。

 清香はふと血だまりに気づいて、何度も目を瞬かせる。

 とんでもなく大量に見えた。足を引き抜こうとしたが、まだ抜けない。

 

「あー、あー」

 

 友人(アヤカ)を呼んでみるが、彼女もまた両腕骨折の重傷だったような……。

 

(血が、足り、ない、や)

 

 今度こそ本当に、清香の目の前が真っ暗になった。

 

 

 

 




次回、エピローグ。


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是以終局

 手を伸ばした先に携帯端末はなかった。

 動画を観ようとしたのに。

 チェーと、ぼやいた。

 身体をひねらないよう気をつけながら、隣のベッドを見やる。

 両腕を包帯でぐるぐる巻きになった女子がひとり。身を起こし、足指でリモコンを操作しようと格闘している。

 視線に気づいた。両肩を怒らせて抗議。

 

「何にもできないんだけどー」

 

 清香はシーツを引き、両足を見せた。白いギブスで固定されている。

 

「……かゆいんだよぅ。でも掻けないんだよぅ」

 

 クスンクスン……と泣きマネ。

 倒壊した守衛所で救助されてから、すでに一週間がすぎている。

 相川清香は両足を骨折。アヤカ・ファン・デル・カンプは両腕骨折。ともに重傷だが、いまのところ命には別状はなかった。

 ……清香だけは、発見時多量の出血により輸血をせざるを得なかった。

 また、非常に特殊な事例ではあったが、体内のナノマシン保有率が急激に低下したため、一時的に重体に陥っている。量子ナノマシン研究の第一人者である篠ノ之博士の尽力により、一命をとりとめていた。

 ナノマシンを失いすぎるだけでも命の危険があるなんて……と、覚醒後に聞かされて驚いたものだ。

 鼻を触ってみた。出血はなかった。当たり前だ。清香そのものは健康体なのだから。

 ……運動不足ではあったが。

 不意に、旅客機のエンジン音のような。

 窓の外へと注意を向けた。

 ISが、三機編隊を組んで飛んでいた。

 中央のISが教導機である霧纒の淑女(ミステリアス・レイディ)。左が蒼雫Ⅱ(BLUE TEARS-Ⅱ)。セシリア・オルコットのために、と英国から急きょ空輸された、蒼雫(BLUE TEARS)の改修機だ。

 そして、右が……右が……。

 

(あれー、あれぇー!?)

 

 ゴシゴシと目をこする。

 

「円盤!?」

 

 未確認飛行物体である。写真を取ろうと端末をかざしたが、なぜかカメラには映らない。しかし、肉眼には映っている。

 アヤカに気づかせようと急いた声を出す。が、アヤカは意図的に無視しているようだ。

 そのとき、入口の引き戸が開いた。

 

「失礼するぞ」

 

 担任の声に、清香はわたわたとしてしまった。

 携帯端末を隠そうとしたら手が滑った。

 

(うわーーん!!)

 

 すごい音がした。黒い画面に蜘蛛の巣が走っている。保護ガラスが割れてしまった。

 なんとも言えない微妙な雰囲気が漂う。清香は涙目だった。

 担任である織斑千冬が床に横たわった携帯端末を拾い上げて、枕元に置く。

 

「思ったよりも元気そうでよかったぞ」

「……ありがとうございます」

「一時はどうなることかと思ったが、な」

 

 清香は気の抜けた返事をした。

 

(先生は……気づいているのかな……)

 

 織斑千冬の次の言葉を待った。

 彼女は篠ノ之博士の唯一の友人。相川清香は出願の際、おねーさんを推薦者に選んでいた。よって、織斑千冬は清香とのつながりを知っている。

 

(わたしって、すごく怪しいんじゃ?)

 

「束に礼を言っておけよ」

「ここでおねーさんの名を。どうしてですか」

「……ナノマシンの件だ。ナノマシン欠乏症。あいつ、知らせたらすぐ病院に飛んで来たんだぞ」

 

 初耳である。

 五反田家の敷地内か、日帰りでタクシーが使える範囲内でしか移動しない人が、わざわざ学園くんだりまで訪れるとは珍しい。

 

「……おねーさんは何を」

「パウチを無理矢理……」

 

 目元が強ばっている。担任の表情を見て、察した。「針で体内に入れたとか」

 

()()()()()

「あー……ぁー……」

 

 振り返ってアヤカを睨みつける。集中治療室にいた時以外は、同じ病室にいたはずだ。当然知っていたよ、みたいな表情だった。

 おねーさんは頑なだった。

 初めて会ったその日。初期の形容しがたい味だった頃のパウチを、自ら口に含んで強引に飲ませられた。そう、あれを数に入れるならば、悪夢のファーストキスだ。硬いゲル状のゼリー飲料を強引に嚥下させられたのだった。

 

(おねーさんとは初めてじゃないけど、ぜぇーたいっ、数えるもんか!!)

 

 心を強くあろうと誓ったのを見越してか、織斑千冬が持っていた封筒を手渡してきた。

 重たい。中を開けると、課題だった。

 再び涙目になる。

 

「学生の本分は勉学だ」

 

 と明るく告げられる。

 

「高校生にとって一週間は長い。幸い、相川は両手が使えるからな。若者よ、ペンを持て。……だ」

 

 正論だとは思う。アヤカは課題を免れたと安心したのか、ずっとニコニコしているのがわかった。

 

「もちろん、カンプにもあるぞ」

 

 ほら、とアヤカの枕元にもタブレット端末を置いた。眼球で操作ができる優れもの。説明が進むにつれ、みるみるうちに顔色が悪くなっていく。

 

「音声でも操作できる。……ふたりとも、そういう目で見るな」

 

 学生の本分は、と繰り返した。

 織斑千冬が病室をぐるりと見回す。乱れたシーツを見つけて、直してから背を向ける。

 

「また来る。それまでに課題を埋めておけ」

 

 引き戸を開け放したまま、廊下に消えた。

 またエンジン音がした。円盤を探すべく振り向いて、視線に気づいたアヤカがすっとぼけた顔をしている。

 そして、生真面目に端末を起動させる。自動で流れ出した音声は、彼女の担任のものだ。

 清香は求められなかったからか、清香から怪我を負ったときの状況を一度も口にしていなかった。すべてアヤカが説明した。

 西風(ゼフィルス)と生身でやりあったこと。清香を害そうとしたから、とも。対物ライフルの件はさすがに言い逃れできなかっただろう。銃砲刀剣類所持等取締法――銃刀法に抵触して、退院後逮捕されるのでは……と訝った。

 清香に求められたのは、パワーグローブ借りっぱなしの謝罪。又貸ししたあげく、その相手が実戦で使用してしまったのだ。

 

(ヤバいんじゃないの)

 

 足がつく。

 ……足がつくといえば、リモコンはどこにいったか。

 

「リモコン、どこ」

 

 言うと、アヤカが足指でテレビのリモコンをつまみ上げ、器用に投げて寄越した。

 

「一個しかないから使い終わったから返しなさいよ」

 

 ちょうど膝上に落下した。無限で拾い上げて適当にチャンネルを押していく。

 

「こっちじゃなくて」

「退院したら取りに行こうか。お父さんの形見なんでしょ」

「……父は死んでないけど」

 

 離婚後、失踪同然に姿を消してしまっているが。

 第一、重すぎてパワーグローブがないと移動させることもできない。

 せめて電池を抜いておかないと……。清香は思った。また、壊れたに違いない。修理しなければ。

 一つ問題があった。

 部品を発注しようにもドイツ語が読めないので、おねーさんの力を借りなければならない。しかも工業用3Dプリンタで部品を削り出すので、結構高価なのだった。

 チャンネルをケーブルテレビの映画チャンネルに決めた。音量を調整したあと、リモコンをアヤカに投げ返す。

 

「あー……ごめん」

 

 が、彼女の手に向けたばかりに受け取り損ね、リモコンが床に倒れ伏した。アヤカが恨みのこもった目を向ける。

 清香はナースコールのボタンに視線をやるも、さすがに躊躇してしまった。

 またしても微妙の雰囲気になる。映画音楽が淡々と流れ、一五分ほど過ぎた。

 

「勝手に入っちゃうね~。戸が開いてたから~」

 

 静寂を破ったのは布仏本音だった。悩みなんて何もない脳天気な表情で手足を大きく振っていた。

 

「失礼する」

 

 本音とは異なる二つの声。ひとつは知っている。もうひとつは知らないような、聞き覚えがあるような。

 

「篠ノ之さん! ……と、そちらは」

 

(……銀髪の女子なんて知らないよー!)

 

 箒が身体を壁際に寄せる。後ろを歩いていた少女に道を譲ったのだ。

 彼女の腕には鉄十字章。背筋を屹立させ、ベッド脇にたどり着いた。

 

「初めまして。私はラウラ・ボーデヴィッヒ。三日前、一年一組へ転入したばかりだ」

 

 握手を求められ、ようやく彼女が小柄だと知った。

 

「よ、よろしく。は、はじめまして。()()()()()()()()()()()()()です」

 

 自分で言っていて前後が分からなくなってしまった。

 

「気を遣おうとしてくれたことに感謝する。日本語の読み書きは得意だ。普通に話してくれて大丈夫だ」

 

 怖ず怖ずと握手すると、和やかに破顔する。

 明らかに日本人ではない外見。オッドアイの美少女に見つめられて、清香はなんとか間を持たせようと頭を働かせる。

 

「ど、どこから」

「前にいたのはドイツ。ドイツ連邦軍(Bundeswehr)<黒ウサギ隊>(シュヴァルツェ・ハーゼ)ならびに<魔女中隊>(hexe)を兼務、……することになった。現在の階級は()()

 

 軍? 大佐? 清香は聞き慣れぬ言葉に混乱する。

 

(中学生くらいの美少女が軍人で大佐! どーなってるのー!!)

 

 真っ先に中二病を疑ってしまう。

 ラウラ・ボーデヴィッヒの言うことは真実なのだろうか。

 清香は助けを求めて戸惑いの瞳を本音と箒に向ける。

 

「電話だぞ」

 

 箒は壁にもたれかかるのをやめて発した。

 蜘蛛の巣だらけになってしまった携帯端末に注意を向けると、画面にはなんと――五反田弾――という氏名があった。

 

(だ、弾くん!?)

 

 確かに弾には連絡先を伝えてはいたが、実際にかかってきたのは初めてだ。もしや、おねーさんが彼に伝えたか? いやいや、そんなこと気にも留めない人だ。

 清香はおそるおそる通話ボタンに触れる。頭を必死に巡らせ、ナノマシンを使い、弾との会話を何万通りもシミュレートしてしまった。

 

『あなたの目の前にふたりの女性がいます』

 

 だが、受話器の向こうの声は女のものだ。真面目な口調だが、何処の誰かはっきりとわかった。

 

「おねースァン」

『あなたの目の前にふたりの女性がいます』

 

 こちらの声を無視して繰り返してきた。もう一度呼びかけるとまたしても無視したあげく、同じ言葉を繰り返した。

 

「三人いるけど……」

『いいえ。ふたりです。モブキャラは勘定に入れません』

 

(モブ……?)

 

 ヘラヘラと締まりの無い笑みを浮かべる本音。おねーさんの反応はない。

 箒を見る――息づかいが荒くなった。

 続いて、ラウラ・ボーデヴィッヒを見る――息づかいが荒くなった。

 

(と、すれば。篠ノ之さんとラウラ、さん?)

『あなたの目の前に……ハァハァ……ふたりの女性がいます』

 

 正解らしい。おねーさんが荒い息づかいで繰り返す。

 

『あなたにチャンスをあげましょう。チャンスです』

『チャンス?』

 

 問い返すと、電話越しの相手が説明しようと焦って早口になった。

 

『海に落としたのはアレですか? それと、こっちですか? あのねえ、死にかけていた君にナノマシンを直入れしてあげたんだから、君はその対価を支払うべきなんだよ。支払うべきなんだよ。おねーさんの唇はタダじゃないんだから』

 

(忘れようとしていたのに――!)

 

 しかし、清香は怒りを心の中に留めた。 

 おねーさんは清香がどんなに怒っても、まったく、何も、みじんたりとも気にする人間ではなかった。ヒトとしてものすごく器が小さいのだ。

 しかも、大声を出すと傷に響く。

 

『じゃあ、仕切り直し。……あなたにチャンスをあげましょう。チャンスです』

「どんな?」

『ワンティッツです。君のはゼロティッツ(価値なし)

 

 おねーさんの口調に吹き出したくなるのを懸命にこらえた。

 本音が察してしまったのか、すかさず携帯端末をビデオカメラ代わりにして構えている。

 

『あなたが好きなのは、大きなおっ○いですか、それともささやかな……小さなお○ぱいですか。どちらでもないは認めません』

 

(え、今? 無理だよ――――)

 

 しかし、織斑千冬の提言を思い出してしまう。

 

(こんなのがお礼? うわぁ――ん!!)

 

 清香は心に滂沱の雨を降らせながら、一方の胸元へと恐る恐る手を伸ばした。

 

 

 

(終)




是を以て終局とす。

これまでご拝読していただいた皆様ありがとうございました。

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