グランブルーファンタジー クロスオーバーFエピソード集 (第22SAS連隊隊員)
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カイムの剣、鉄塊

【カイムの剣】

 

意識を取り戻してはじめに感じたのは、土の感触と草の匂い。ゆっくりと目を開ければぼやけた視界に緑色の物体、生い茂る草木が見えてくる。

体の具合を確かめながらゆっくりと身を起こしてぐるりと辺りを見回すと、自分の直ぐ後ろに見慣れた赤い巨体が横たわっている。ハッと直前の出来事を思い出して赤い巨体のあちこちを確かめた。光沢を放つ赤い鱗にはかすり傷ひとつ見当たらず、それから更にくまなく調べたがやはり傷は一つもなかった。

 

「カイム?」

 

ちょうど調べ終えたところで巨体から声がかかる。数歩後退ると赤い巨体がのそりと動き、長い首の先にある顔がこちらを向いた。

 

「……何がおきたか分からぬが、お互い助かったようだな」

 

紅の翼竜アンヘルの言葉に男――カイムは首肯で応える。それから赤竜は長い首を伸ばしカイムよりも更に高い視点で辺りを見回す。やがて首を降ろして顔をカイムに近付けると、見えたものを伝えた。

 

「辺り一面は森になっている、しかもかなりの広さだ……いったいここはどこだ?」

 

自分たちは何故、森の中にいるのだろうか? 記憶が正しければ、封印の崩壊と共に現れた巨大な母天使と赤子達を止めるために立ち向かい。自分なら止められると名乗った幼子を母天使まで送り届けた。その後は空を漂う夥しい数の赤子に襲われながら、文字通り世界が止まってゆく様を見届け――。

ここで記憶は途切れている。どれだけ頭の中を探ってもそのあとの記憶は全く出てこない。

もしかするとここは死後の世界なのだろうか? カイムとアンヘルが本気でそんなことを考え始めた矢先のこと。

ガサリ、と背後の草むらがざわめく。

 

「……!」

 

迂闊だった。突然の出来事に現状の確認を優先するあまり周囲の警戒を怠っていた。カイムは素早く愛用の剣を引き抜くと振り返りながら構える。

振り返った先に居たのは宙に浮かぶ小さな赤いトカゲに軽装の少年、細身の剣を隙無く構える女騎士だ。一瞬にして空気が張り詰め、一触即発の状態となる。

カイムは剣を構えながら対峙する二人と一匹をつぶさに観察した。少年と女騎士が身に着けている鎧や剣は見たことがない、少なくとも連合軍や帝国の人間ではなさそうだ。二人の傍らに浮かんでいる小さなトカゲは幼生のドラゴンだろうか? だとすれば二人の内のどちらかが契約者である可能性は高い。

お互いが相手の出方を伺い、一歩も動こうとしない。不用意な行動は死につながると双方は理解しているからだ。このまま終わりの見えない我慢比べが続くと思われた矢先のことであった。

 

「うわ、すごーい! 大きなドラゴン!」

 

二人と一匹の後ろから、蒼い長髪の少女がひょっこり顔を出すなりそう声を上げた。緊張感とはまるで無縁なその声色に場の空気が掻き乱される。

 

「カイム、少し待て」

 

低く威厳のある声で契約者を制すると、この隙を逃さずにアンヘルは目の前に現れた集団に幾つかの質問を投げかける。

ここはどこだ? お前たちは帝国の人間か? 母天使はどうなった?

質問の答えは三つ目を除いて返ってきた。

ここは数ある島の一つである。女騎士は元帝国の軍人だが訳あって離れ、今は帝国から逃げながらとある島を目指している。母天使とはなんだ?

そのあとは向こうが質問をする番となり、喋れないカイムに代わってアンヘルが答えた。その中で星晶獣を始めとした聞いたこともない言葉がいくつも混じっていた。

 

「ふむ……」

 

お互いの質問を終えたところで、アンヘルは改めてここが何処なのかを考える。目の前の集団の女騎士は元帝国の軍人だそうだが、身に着けている装備の意匠は明らかに自分たちが戦っていた帝国のものと違う。更にこの世界は幾つもの浮遊島が国を形成しており、それぞれの島に星晶獣と呼ばれる強大な力をもった存在が居るらしい。

ここまでの情報が揃ったところで紅の竜の中では一つの答えが、普段の自分なら余りのバカバカしさに失笑すること間違いなしの解が導き出される。

 

「カイム、どうやらここは異世界のようだ我等は何らかの理由でこの世界に飛ばされたらしい」

 

アンヘルの口から出た余りにも突拍子のない言葉に、普段は殆ど表情を変えないカイムもさすがに眉を顰める。しかし、アンヘルがここが異世界であるという根拠を一つ一つ説明していくうちに、徐々にその顔は何時もの無表情へと戻って行った。

 

「何よりも、お主は帝国の鎧を見間違えるのか」

 

その言葉を聞いてカイムは女騎士を一瞥すると、表情は眉を顰める前に戻っていた。カイムがここが異世界であるという事実を受け入れたところで、アンヘルは改めて自分たちを見つめる集団に話しかける。

 

「先程はすまぬな、改めて名を名乗ろう。此奴の名はカイム、我はその契約者だ」

 

「騎空団の団長をしているグランです」

 

「カタリナだ。元帝国の人間だったが、今はわけあって帝国と戦っている身だ」

 

「おいらはビィ! お前すげぇなぁ、なに食ったらそんなにデカくなれるんだ?」

 

「ルリアです。私は帝国に囚われていましたが、カタリナに助けてもらいました!」

 

「一つ聞きたいのだが、お主達はなぜ帝国から逃げている。なにか理由があるのか?」

 

アンヘルの質問にカタリナは順を追って帝国から逃げ続けている理由を話し始めた。帝国はルリアが持つ力を狙っており、それを軍事利用しようとしている。その非道を許せなかったカタリナは隙を見てルリアを連れ出すが、既に見抜かれていたらしく追われる身となった。

その道中でグランも巻き込まれ、彼は空の果てにあると言われている島を目指すため、カタリナとルリアの二人は帝国の追っ手から逃げるため。目的が一致した双方は協力することとなり、現在は逃亡生活を送りながら空の果てを目指している。

 

「帝国と名の付く輩はどこにいても愚行しかおこさないのか。呆れ果てる」

 

ふん、とアンヘルは鼻息と共に呆れの言葉を吐いた。

 

「それにしても、二人はこれからどうするんだ? 別の世界から来たならやっぱり帰る方法を探すのか?」

 

ビィが尋ねる。

 

「さぁな、元の世界に未練は無い。これから此奴と共に旅でもするか……」

 

「カイムさん、良かったら僕達の騎空団に来ませんか? 生活には困りませんし、何よりも貴方達が居てくれればとても心強いです」

 

グランは優しげな、それでいて真剣な口調でカイムとドラゴンにそう言った。

ふむ、と赤い竜は声を漏らすと傍らの契約者に尋ねる。

 

「だ、そうだ。どうする、カイム?」

 

そういうとカイムとアンヘルはしばし無言で見つめ合い、やがてグランへと向き直る。カイムはゆっくりと首を縦に振った。

 

「もとより我等は行く宛もない身だ。その言葉に甘んじるとしよう」

 

一人と一匹の承諾にグラン率いる騎空団の面々は大はしゃぎで喜ぶ。「それじゃあ、まずは騎空挺に行きましょう」とグランは言い、他のメンバーを率いて来た道を戻って行った。その背中をカイムは追うようにして歩き始める。

幸いなことにカイムよりも先行したグラン達はカイムが浮かべた笑み、両口端が歪な角度で釣り上がり、人に決して見せてはならない表情を見ずに済んだ。

そしてアンヘルは口の利けない契約者が胸中でつぶやいた言葉をはっきりと聞き、それを決して口にはしなかった。

 

――また帝国のダニを殺すことができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【鉄塊】

 

夜の帳が降り、太陽の代わりに白い月が地上を柔らかく照らす。ここはとある島にある街だ。

普段なら仕事を終え家路に付いたり、酒を求めてやってきた人々でごった返している時間だが、この日は街に住む人の影も形も無かった。あちこちに立てられた篝火が静かに燃えており、時折パチパチと薪が爆ぜる音が石造りの街に響く。しかし。街の中央の広場だけは大勢の人間がとある集団を取り囲んでいた。

 

「抜かったな……」

 

「カタリナ……」

 

「ルリア、大丈夫だ。必ずここから抜け出すぞ」

 

「ちくしょう、卑怯だぞお前ら!」

 

男一人と女二人、空飛ぶ小さな竜が一匹。彼等はとある理由で帝国から逃げ続けている騎空団だ。そして現在、彼等は大勢の帝国兵に囲まれている。

少し前、彼等はこの街に自分たちが欲する情報を知る人物がいるという話を聞いて、この街にやってきた。だが、待っていたのは大勢の帝国軍であり彼等は何とかして逃げようとしたが、入念な下準備を整えた帝国によっていつの間にか街の中央に追い詰められていた。

円形の広場は外周を何十人もの帝国兵が埋め尽くしており、突破することは至難の業だ。だからといってここで諦めるつもりは毛ほどもない。

女騎士カタリナは少女ルリアを庇うように立ち、打開策は無いかと周囲を隙無く観察する。何か、何か方法はないか。カタリナは視線を右に左に動かすが見えるのは帝国兵の姿ばかり。カタリナは自分が囮になって他の仲間を逃がすという選択肢を取りそうになったとき、幾重もの帝国兵の壁の向こう側にいつの間にか男が立っていることに気が付いた。

薄汚れた外套を羽織った男、乱雑に伸ばされた前髪で目元は見えないが間違いなく「彼」だ。一筋の希望の光りが差し込む。

男の気配に気が付いた何人かの帝国兵が振り返る。それが彼等が見た最後の景色となった。

外套の男が右足を踏み込む。余りにも強烈な踏み込みで石畳が砕け、男の足が僅かにめり込んだ。左から右へと腕を振り、その動きに合わせて何かが猛烈な風切り音と共に振るわれる。腕が振り切られると同時に男の前にいた数人の帝国兵が血の花へと姿を変え、石畳から大量の砂埃が舞い上がる。男が振るったもの、それは余りにも大きく分厚く、そして無骨過ぎる代物であった。

男の身の丈程はあろう剣の形をした鉄の塊、まさしく鉄塊と呼ぶに相応しい得物で男は一振りで数人の帝国兵を屠ったのだ。

鎧を着たままの帝国兵の上半身が石畳に落ちて、金属と石がぶつかりあう耳障りな音を撒き散らす。

男が、カイムがゆっくりと顔を上げる。歯をむき出しにして――嗤っていた。一拍だけ静寂が当たりを支配する。

 

「こ、ここ」

 

突然の出来事に上ずった声で帝国兵の一人が何かを喋ろうとする。

 

「殺せえええええぇぇぇぇぇ!!」

 

それが彼の遺言となった。鉄塊が再び振るわれる。

 

 

 

 

 

「ああ、もう! なんだよアイツ! いきなり現れたと思ったら暴れだしてさ!」

 

虐殺が繰り広げられる広場を見下ろしながら、帝国軍の軍人であるフュリアスは腹立たし気にそう叫んだ。

先程まで自分の勝利を確信し、あとは嬲り殺しにされるであろう憎き騎空団の最期をゆっくりと眺めようと思った矢先に、奴が現れた。現れるや否や、バカでかい剣のようなものを振り回して次から次へと部下を肉塊に変えてゆく。

このままでは負けるのは確実だ。ただでさえあの騎空団には辛酸を舐めさせられている、今回も負けるなど、プライドが許さない。

 

「おい、アレを出せ!」

 

「あ、アレを? まだ細かい調整が……」

 

「いいから出せ! どうせテストついでにあいつらに使うつもりだったんだ! それともなに、そんなに処刑されたいの?」

 

「た、直ちに!」

 

メガネの奥でフュリアスの目が冷たく光る。睨まれた傍らの帝国兵は上ずった声でそう言うと、慌てて後方に走っていった。

苛立ちを吐き出すようにフュリアスは舌打ちすると、今度は嗜虐的な笑みを浮かべて広場を見下ろす。

 

「そうやって調子に乗っているのも今の内さ」

 

小さな口から忍び笑いが漏れる。

 

 

 

 

 

一体どれだけの花を咲かせたのだろうか、石畳の広場は真っ赤に染まっていた。鉄塊が風を切ると何輪もの赤い花が咲き乱れ、広場を更に艶やかに染めてゆく。何人かの帝国兵が花を咲かせている男に果敢に挑むが、次の瞬間には彼等も赤い花に変わる。

カイムが振るう鉄塊は既に真っ赤に染まっていた。黒ずんだ刀身は帝国兵の血で染め上げられており、振るわれる度にその上に新しい血が塗られる。

広場の石畳全てが血で塗り潰され、その場の帝国兵の数が半分を下回った時であった。篝火を震わせる程の咆哮が夜空に轟く。

これには流石のカイムも鉄塊を振るうことをやめ、辺りを見回した。彼だけでなくカタリナたち騎空団、それだけでなく帝国兵も音の発生源を探そうとあちこちに視線を彷徨わせていた。

 

「あれを見ろ!」

 

帝国兵の一人がある方向を指差した。彼が差した先に広場にいる全員が注目する。影が迫ってきた。時間と共に影は巨大化し徐々にその輪郭が見えてくる。再び篝火を震わせる咆哮が轟き、巨大な影が広場目がけて急降下してきた。風切り音がしたと思えば一瞬で影は地上に降り立ち、大地を震わせてその姿を露わにする。

それは黒い龍だった。まるで闇夜が竜の姿となったような漆黒の鱗を持つ黒い竜は、赤い瞳でカイムを見下ろしていた。

 

「は、はは……」

 

兵士の誰かが鎧の奥から笑い声を漏らす。

 

「フュリアス様のドラゴンだ! これで勝てるぞ!」

 

黒い竜の登場に帝国兵が確信を持って叫ぶ。それは周囲の兵士たちにも伝播し、広場の帝国兵達は歓喜の雄叫びを上げた。

 

「マジかよ……」

 

「フリュアスめ……こんなものを持っていたのか」

 

逆に騎空団の面々は苦虫を噛み潰したような渋面を作っていた。騎空挺の操舵士であるラカムは得物の銃を構えることすら忘れて呆然と黒い翼竜を見上げる。カタリナは歯ぎしりし、このドラゴンを創り出した小人を睨み付けたかった。

ブラックドラゴンは自身を見上げる人間たちを一瞥すると、足元に立つ人間、カイムに狙いを定めた。一噛みで食い殺そうと鋭い牙が並んだ口を開き、カイムに襲いかかる。

 

「カ――」

 

カイム避けろ!! とカタリナは叫ぼうとする。そして、叫ぶ前に結末は訪れた。

ブラックドラゴンの横面に鉄塊が叩き込まれる。速さと重さ、カイム自身の膂力が合わさった凄まじい一撃は硬い鱗を物ともせず叩き割り、ドラゴンの頭を横に殴り飛ばす。その先にあった石造りの民家に黒い竜は突っ込み、崩れた家の下敷きとなった。しかし、カイムの攻撃はこれで終わらない。

足元の石畳を砕きながらカイムは跳んだ。家々の屋根を越えるほどの高さまで跳び上がり、跳躍の限界の達したところで鉄塊を上段に構える。上昇から下降へと変わり始めたところで、瓦礫の下敷きになっていたブラックドラゴンが身を捩り顔を出す。自分に向かって落下する漢を見上げた。竜の眉間に分厚い鉄の刀身がめり込んだ。

ドラゴンは悲痛な叫び声を上げながら再び地に倒れ伏す。着地したカイムは間髪入れずに鉄塊を下から上に斬り上げ、石畳ごとドラゴンの頭を打ち上げた。

 

「こともあろうに黒い竜を出すとは」

 

遥か上空から広場を見下ろしているレッドドラゴン、カイムの契約者であるアンヘルは呆れたようにそう呟く。

 

「己の不幸を嘆くことだな。ああなったら誰にも止めることはできん」

 

赤い竜は傍観に徹することを決めた。黒い竜に四度鉄塊が打ち込まれる。

そこからは戦いとはとても呼べない一方的な暴力が続いた。カイムはブラックドラゴンの頭を何度も鉄塊で殴打し、殴られる度にドラゴンは体勢を崩し防御も回避もままならず血を吐き続けた。それだけでなく、鉄塊が振るわれる度にドラゴンの頭は徐々に抉られ、砕かれ、削げ落ちてゆく。

どれだけの時間が経過しただろうが、黒い竜は既に虫の息となり、その巨体は痙攣するように震えるばかりであった。雄々しかった角は圧し折られ、赤い瞳はとうに潰されて肉の破片と化している。もはやドラゴンの頭は血と肉と骨の混合物と殆ど変わりない状態であった。

カイムは鉄塊を上段で構えると右足を踏み込む。踏み込んだ箇所の石畳が粉々に砕け散り、カイムの足が大きくめり込んだ。そのまま勢いに乗せてブラックドラゴンの頭にとどめの一撃を叩き込む。硬い鱗と骨は安々と砕かれ肉と脳漿が一瞬で叩き潰される、鉄塊よってドラゴンの頭が真っ二つに割れ、辺りに血と肉を撒き散らした。

 

「……」

 

フュリアスは呆然としていた。まだ未調整とはいえ最新作の生物兵器、それも最強の生命体と名高いドラゴンが文字通り為す術もなく殺されたのだ。オマケに戦いの内容も、男が鉄塊でドラゴンを殴り続けるだけの余りにも一方的な虐殺だ。

ふと、肉塊を見下ろしていた男が嫌に滑らかな動きで頭を向け、フュリアスを見た。嗤っている。

狂気と狂喜が入り混じった、血と肉に濡れた笑みで男はゆっくりと口を動かし、声のない言葉を紡ぐ。

 

――次はお前だ。

 

「ヒッ……!」

 

本能的な恐怖がフュリアスの心臓を鷲掴みにする。そのまま握り潰そうとするが、フュリアスは逃れるように叫んだ。

 

「て、撤退! 撤退だ!!」

 

大声でそう叫ぶと帝国兵の誰よりも早くその場からフュリアスは逃げ出す。一歩遅れて広場の兵士たちも我先にと逃げ出し、やがて帝国兵は一人もいなくなった。

カイムは逃げた帝国軍を追いかけるために、上空で待機しているアンヘルを呼んだ。直ぐに真上から巨大な影が猛烈な風切り音と共に近付いてくる。その背中に飛び乗ろうと両足に力を込め、跳躍しようとした。

 

「カイム!」

 

すんでのところでカイムの背中へカタリナが叫んだ。

 

「深追いは危険だ、ここは一旦戻るべきだ!」

 

カイムは振り返る。カタリナの後ろでは傷を負った仲間たちが互いに応急処置をしており、身体のあちこちに包帯や布を巻いていた。一度だけ帝国軍が逃げた方を見やると、カイムは無言で頷き、鉄塊を担いで仲間の元へと歩み寄る。カタリナ達のもとへ辿り着くと同時に、アンヘルが翼を大きく羽ばたかせ広場に緩やかに着地した。

 

「あれだけのモノを見せつけられたのだ。帝国の奴らも当分は手を出してこまい」

 

「だろうな。これでもちょっかい出してくるなら、そうとうな自信家か救いようのないアホのどちらかだ」

 

アンヘルの言葉に包帯を押さえながらラカムが同意する。他の仲間達も応急処置を終え、本格的な治療をするために騎空挺グランサイファーに戻ることとなった。

傷の痛みに文句を言いながら帝国軍とは反対の方向へと騎空団は歩いてゆく。カイムはもう一度だけ振り返った、前髪に隠れたその目には激しすぎるほどの激情が燃え盛っていた。カイムは鉄塊を担ぎ直すと遅れて仲間たちの後を追う。最後にアンヘルが広場から飛び立ち、後には頭が潰されたブラックドラゴンの死体だけが残されていた。

 

 

 

 




当初の予定ではグランが団長を務めているはずでしたが、実際に書いてみるとキャラクター的に非常に扱いづらいことに気がついたため、以降の話ではカタリナが団長を務めています。


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カイネの剣

【カイネの剣】

 

 

 

眉間に深い皺を刻みながら髭面の男が唸り声をだす。

 

「うーん、ダメだな……」

 

「今はリスクを取ってでもリターンが欲しいからな……」

 

隣に立つ金髪の女騎士もそう言って唸り声をあげた。二人は騎空士であり現在は騎空団結成以来の最大の危機に面していた。その危機とは……。

 

「懐はとてもじゃないが余裕が無い。このままだと今晩は晩飯抜きを覚悟しないとな……最悪、そこらへんにいる食えそうな魔物でもとっ捕まえて……」

 

「その時は調理は私に任せてくれ、腕を振るうぞ」

 

「い、いや、大丈夫だ。俺が作るよ。その時はあんたに材料確保をお願いしたい」

 

「そうか、残念だ……」

 

女騎士は少しだけ残念そうな顔を浮かべて肩を落とした。彼等が瀕している危機、それは懐事情だ。

この騎空団はとある理由から空域最大の勢力を誇るエルステ帝国から追われており、現在は逃亡生活を送りながら空の果てにあるといわれる幻の島イスタルシアを目指していた。

しかし、どんな形であれ生きていく上で金は必要不可欠だ。常に逃げ続ける必要があるため、ただでさえ消耗が激しいこの騎空団なら尚の事である。

 

「腕っ節には自信があるから、こう魔物とか危険生物の駆除とか……」

 

「それでしたら皆さんにピッタリなお仕事がありますよ~」

 

「うおっ、出たな!」

 

いつのまにかひょっこりと顔を出したのは、小柄な体型が特徴的なハーヴィン族の行商人シェロカルテだ。彼女はカタリナたち騎空団が行く先々に突然現れては突然消えるを繰り返す謎の多い人物である。

一体どうやって現れているのか? という質問をされたときは「神出鬼没ですから~」と言ってそれ以上は答えようとしなかった。騎空団の面々も段々と彼女の出現に慣れてきたこともあって、いつのまにか気にも留めなくなっていた。

 

「実はですね~この町で盗賊の一団が略奪行為を繰り返しているんですよ~。町長さんもかなり頭を悩ませていまして~」

 

「なるほど、それを俺たちに解決してほしいと」

 

「話が早くて助かります~。詳しい話は役場にいる町長さんにお願いしますね~。それでは~」

 

言うやいなや、シェロカルテはいつの間にか騎空団の前から姿を消した。普通ならば驚くのが当然だが、彼女との付き合いも長いこの騎空団は特に気にすることもなく役場へと足を向けていた。

 

 

 

商店をあとにした二人は町の役場に向かい、受付に「盗賊の件で町長に話がしたい」と伝えると直ぐに町長へと連絡が回った。役場の奥から現れた年老いた男は二人に頭を下げると「詳しい話はこちらで」と応接室へと案内する。

テーブルを挟んで向かい合ったソファーにそれぞれラカムとカタリナ、反対側に町長が座ると件の盗賊について町長が話し始める。

 

「奴らは数ヶ月前に現れまして、定期的に町に降りてきては略奪行為を繰り返しているのです」

 

「警備隊になんとかしてもらないのか?」

 

「ここは小さな町ですので警備隊の人数が少ないんです。彼等も周辺の魔物の討伐で手一杯でして……」

 

町長はなんとも困った顔になって項垂れた。

 

「一つ訪ねたいのだが、なぜ騎空団の集会場に他と同じように仕事として募集をかけないのだ?」

 

「まず、この島は滅多に騎空団の方々が訪れませんでして……それでもなんとかしようと募集の貼り紙を出したのですが……」

 

「出したけど?」

 

「それを見た盗賊団が「騎空団に何とかしてもらおうなんてふざけた真似はやめろ」と略奪だけではなく商店や家屋を滅茶苦茶にしたのです。そのせいで騎空団の方々に協力を仰ぐこともできなくなってしましまして……」

 

「酷い……」

 

今にも泣き出しそうな町長の言葉にカタリナとラカムが義憤に燃える。ここまで話を聞いて正義感の強い二人はもはや報酬のことなど二の次に、悪逆非道の限りを尽くす盗賊を是が非でも討伐すると心に誓っていた。

 

「事情はわかった。だったら俺達がなんとかしてやるよ」

 

「困っている人は放っておけないからな」

 

「おお、本当ですか! ありがとうございます!」

 

一転して町長は明るい顔になり、二人に何度も頭を下げた。

 

「それでは早速ですが盗賊のアジトの場所について……」

 

 

 

それから一時間後、カタリナを先頭に騎空団の面々は山の中を進んでいた。既に山道は外れており文字通り道無き道を歩き続ける。

 

「んで、奴さんの規模はわかったのかい?」

 

「数は十数人ほどの集団でこの先の廃墟をアジトにしているらしい。そこ以外は雨風を凌げる場所は無いそうだ。定期的に略奪をしに町に降りてくるそうで、今日は一仕事終えたあとみたいだな」

 

「町に降りてくる頻度から考えて、帰った奴らはすぐに宴でも開いて略奪品を飲み食いしてんだろうさ。散々飲み食いしていい気になっているところを……」

 

「一網打尽ってわけね」

 

眼帯を付けた髭面の男の質問にカタリナとラカムが答え、締めの言葉を金髪の少女が代弁する。眼帯の男の名はオイゲン、金髪の少女の名はイオだ。

二人はラカムの騎空挺で待機していたところ、町から帰ってきたカタリナとラカムから実入りの良さそうな仕事を引き受けた旨を聞き、意気揚々と山賊討伐に加わった。

四人はアジトへの突入タイミング、戦闘時の立ち回りや役割分担を話しながら歩き続ける。しばらくしたところでカタリナが片手を上げて後ろの三人を制した。彼女の視線の先にはあちこちが苔むした石造りの廃墟がある。カタリナが振り返ると既に三人は戦う者の顔になっていた。

一行は背を低くし、岩陰や木の陰の隠れながら慎重にアジトに近付いてゆく。侵入者を知らせる鳴子や見張りがないか気を配りながら少しづつ目標に近付き、ついにアジトの壁に張り付いた。そのまま四人は壁と一体化するように張り付いたまま横歩きして、ついにアジトの出入り口である木製のドアに辿り着く。

先頭のカタリナが耳を傾けると、中から大勢の騒がしい声が聞こえる。恐らくは宴の真っ最中なのだろう、だとすれば絶好のチャンスだ。

カタリナは後ろの三人に向かって静かに頷く。意味を理解した三人はそれぞれの得物を握り締めると頷き返した。女騎士はドアノブに触れようと手を伸ばす。彼女の指先があと僅かでノブに触れるところで扉が吹き飛んだ。

一瞬なにが起きたのか理解できずカタリナ達は固まるが、頭の回転が戻ると同時に扉が吹き飛ばされた方を見る。そこにはもはや木片と化したドアを下にして、ドラフの男が気絶していた。

首を傾げたカタリナはドアのなくなった出入り口から顔を覗かせて中の様子を伺う。彼女の目には予想通り大勢の盗賊と、予想だにしない人物がいた。薄汚い格好をした盗賊の男たちが広間の中心で輪を作っており足元には略奪品の酒や食料が、その中央には両手に剣を持った一人の女性が、下着姿の女性が身構えている。

 

「この×××××どもが!! ×××××裏返して×××××にしてやろうか!!」

 

口にすることすら憚られるような罵詈雑言が立て続けに三つも彼女の口から吐き出される。吐き出す度に水色の下着が揺れた。

この時点でカタリナは何とも形容しがたい複雑な表情を浮かべ、何事かと中を覗いた続く三人も同じ表情になった。

 

「やっちまえ!」

 

盗賊の首領らしきドラフの男が怒鳴ると、彼の左右にいた二人の男が剣を構えて女に斬りかかる。対する女も両手のノコギリのような剣を構えて立ち向かった。

男二人が同時に剣を振り下ろす。女は両手の剣を交差させて受け止めると、それをあっさりと押し返した。盗賊の二人が大きく怯むと女はすかさず無防備な脇腹に一発ずつ蹴りを叩き込む。左右に蹴り飛ばされた男はその先にいた仲間を巻き込んで下敷きにし、動かなくなった。

その隙を突いて女の背後から斧を持った盗賊が襲い掛かり、無防備な彼女の背中目がけて振り下ろす。碌に手入れもされていないボロボロの刃が下着に包まれた柔肌に迫り、石畳の床にぶつかる。

盗賊の鳩尾には女の足がめり込んでいた。分厚い筋肉をものともせず、斧を躱した際に女が放った後ろ回し蹴りは見事に人体の急所を捉えていた。

女が足を引き抜くとドラフの男は両手で鳩尾を押さえ、呻き声を漏らしながら倒れる。倒れたあとはピクリとも動かない。

 

「その程度か!! ×××××のほうがまだマシだぞ!!」

 

再び罵倒が吐き出される。瞬く間に数人の仲間を倒された首領が怒りで顔を真赤にしながら怒鳴った。

 

「調子に乗るんじゃねぇ! ぶっ殺してやる!!」

 

遂に首領が腰から剣を引き抜いて雄叫びを上げながら女に襲いかかった。それに続けと言わんばかりに残った盗賊も一斉に襲いかかる。

――そこまでだ!!

出入り口で様子を伺っていたカタリナは、彼女のピンチに盗賊達の気をひこうと咄嗟に叫ぼうとした。喉まで上がってきた言葉は口から出るときには奇妙な吐息となって吐き出され、宙に虚しく消える。カタリナの見ている先では女が盗賊達を相手に大立ち回りを繰り広げていた。

次から次へと襲いかかる盗賊たちを蹴り飛ばし、殴り飛ばし、叩き潰す。まるで演劇の殺陣のように女は力強く、それでいてしなやかに四肢を振るい瞬く間に動く盗賊の数を減らしてゆく。

最後の一人の顔面に靴底を叩き込むと、盗賊はまぬけな声を上げて倒れた。大立ち回りを終えた女剣士の周りには酒や料理、それに加えて気絶した盗賊たちが散乱している。

と、女が振り返りながら剣を構えた。視線の先には出入り口に立つ鎧姿の女騎士カタリナが両手を上げて立っている。

 

「待ってくれ、私たちは盗賊の討伐に来た騎空団だ」

 

女はカタリナの頭からつま先まで視線を動かすと、彼女の整った身なりで盗賊ではないと判断したのか剣を下ろした。

一先ず落ち着いて会話ができる状態になったところでカタリナは両手を下ろして自分たちがここに訪れた詳しい理由を話し、盗賊たちの身柄を引き渡すために町まで護送しなくてはならないこと、盗賊は自分たちが倒した訳ではないので報酬をもらうべきはあなただと話した。

 

「報酬ならいらない。私はこいつらが連日大騒ぎしてうるさいから締めに来ただけだ」

 

「しかし……」

 

「気にするな」

 

「だが、私たちは何もしていない。それなのに報酬をもらうのは……」

 

「だからいらないと言っているだろ×××××が!!」

 

繰り返される押し問答に女の我慢が限界に達した。大声を上げて人前では決して口にしてはならない言葉を苛立ちと共に吐き出す。

罵声を浴びせられたカタリナは彼女の声量と言葉の内容に怯んでしまい「で、ではありがたく頂くとしよう」と思わず報酬の受け取りを了承してしまった。

それから騎空団と女は盗賊たちを縄で縛り上げ、逃げ出さないように全員を繋いでから気絶している盗賊を叩き起こし、彼等を連行してアジトを後にした。

 

 

 

「そういえばまだ名前を教えていなかったな。カイネだ」

 

「私の名はカタリナ、後ろを歩いているのがラカム、眼帯をしているのがオイゲンだ」

 

「イオだよ!」

 

お互いの自己紹介を忘れていた面々は、帰りの山道で歩きながら名前を教える。

数珠つなぎに連行されている盗賊たちは先頭を歩くカイネの存在がよほど恐ろしいらしく、誰ひとりとして妙な真似をせずに大人しく連行されている。

ふと、盗賊たちを監視するために最後尾を歩いているオイゲンが隣を歩くラカムに近付いて耳打ちした。

 

「なぁ、ラカム。あの姉ちゃんになんであんな格好しているのか聞いてくれよ」

 

「はぁ? 無茶言うなよ」

 

「こう、世間話しながらさりげなーくさ……」

 

オイゲンがラカムに無理難題を押し付けている最中に、イオがカイネに質問をした。

 

「ねぇねぇカイネさん。なんで下着みたいな格好しているの?」

 

どうやってさり気なく聞き出そうかと考えていたオイゲン、彼から無茶を言われたラカム、更にはカタリナ、オマケに盗賊たちも幼い魔道士の言葉に一斉に吹き出した。

文字通りの直球の質問、幼い子どもだからこそできる純粋な疑問から来る好奇心に成人たちは完敗した。

当のカイネは特に怒る様子も気を悪くした様子もなく、淡々とイオの質問に答える。

 

「ああ、これか。話すと長くなるが私の体は魔物取り憑かれていてな。これ以上の侵食を防ぐために出来る限り体を日光に晒したいんだ」

 

「大変だね……」

 

「なに、もう慣れたものだ」

 

カイネが激怒してイオに罵声を浴びせるのでは、と大人達は心配したがそれは杞憂に終わる。

これをキッカケにイオはカイネと町に辿り着くまで楽しげに世間話を続けるのであった。

 

 

 

町に辿り着いた一行は住民から盛大な歓声を浴びた。

もはや打つ手なしと半ば諦めていたところに現れた騎空団、その騎空団が人々を苦しめていた盗賊を遂に懲らしめてくれたのだ。

盗賊を引き渡すために憲兵団の駐屯地に向かう道中でカタリナ達に町民から感謝と賞賛の言葉が雨あられのように降り注ぐ。

 

「ありがとう!」「貴方達は英雄よ!」「いくら感謝しても足りないよ!」「神は我々を見放さなかった!」

 

まるで凱旋する英雄のような扱いに騎空団のメンバーは恥ずかしそうに町民たちに手を振る。盗賊たちは項垂れてトボトボと、先頭のカイネは感謝や賞賛に特に興味無さそうに歩き続けた。

やがて駐屯地に辿り着くと既に連絡が回っていたのか憲兵が敬礼でカタリナたちを迎える。

 

「今回の盗賊の討伐、誠にありがとうございます! 本来ならば我々がなすべきことでしたが、貴方達には本当に感謝しています!」

 

「事情は聞いた。報酬はあいつらに渡してくれ。私は必要ない」

 

「よろしいのですか?」

 

「構わん。私はこいつらがうるさいから締めただけだ」

 

わかりました。と出迎えの憲兵は言うと盗賊たちを駐屯地の中へと誘導し、カタリナに今回の報酬について話し始めた。憲兵の口から聞いた内容にカタリナは笑顔を浮かべる。

 

「申し訳ありません。我々としてもこれが出せる精一杯の額でして……」

 

「いや、構わない。それだけあれば次の島に向かうには十分だ」

 

町を救ってくれた英雄たちに十分な礼が出来ないことが心苦しい憲兵は何度も頭を下げる。それに対するカタリナは気にしないでくれ、と言わんばかりに手を振った。

その横でカイネはもう用事が済んだと判断したのか、無言で踵を返すと来た道を戻ろうとしていた。黙って去ろうとする彼女にイオが気が付き声をかける。

 

「カイネさん、待ってください!」

 

呼び止められたカイネは足を止めるとイオに向き直る。

 

「よかったら私達と一緒にイスタルシアを目指しませんか?」

 

「イスタルシア……空の果てにあるという幻の島か」

 

「もしかしたら、カイネさんに取り付いている魔物をなんとかできる方法があるかも」

 

帰りの道でカイネとの仲を深めたイオは、彼女の体に取り付いている魔物をなんとかできないかと事情を聞いてからずっと考えていた。

もしかしたらイスタルシアに何かあるかもしれない。確証など何処にもないが、このまま何もしないよりはマシだ。そう考えた幼い魔道士は女剣士を自分たちの騎空団に勧誘する。

 

「……いいのか、私などが一緒に行っても?」

 

「私は大歓迎です! 他の皆もカイネさんみたいな強い人ならきっと喜びますよ!」

 

「……それならお前たちに付いて行くとしよう」

 

それを聞いたイオは手を上げて喜び、何事かと近づいてきたカタリナたちにカイネが仲間になってくれることを嬉しそうに話した。カタリナ達もイオ程ではないにせよ新しい仲間が増えたことを喜び、カイネを歓迎する。

 

「早速ですまないが、俺達は出来る限り早く次の島に向かいたいんだ。明日の朝にはここを出発する予定だが、大丈夫か?」

 

「問題ない。荷物も殆ど無いからな」

 

「助かるよ、それじゃあ明日の朝……」

 

ラカムは明日の早朝に町の騎空挺発着場で待ち合わせることをカイネに伝えると、了解したカイネは今度こそ来た道を戻って行った。

 

 

 

カイネが寝床にしている山小屋に辿り着いた時には、既に夕方になっていた。

小屋に入るとカイネは剣を置いて直ぐに火を起こし、以前捕らえた猪の肉を包丁で適当に切り落とす。それを串に刺して火にかざし十分に加熱されたことを確認すると勢い良く齧り付いた。

数本の串焼き肉を食べ終える頃には太陽は完全に姿を隠し、代わって月が空に昇り始める。カイネは火を消すと大あくびを一つしてベッドに向かい、薄汚れた毛布を被って眠りに付き始めた。

 

――今日は面白いことがあったなぁ。

 

「前からうるさくて仕方なかったからな」

 

――それにしてもまさかお前さんがあいつらと一緒に行くなんてな。明日は雪が降るか?

 

「黙っていろ」

 

――ケケケ。で、どうするんだ? イスタルシアだっけか、そこに行って俺とお別れするつもりかい?

 

「さぁな、それはこれから考える」

 

――まぁ、当分は退屈はしなくてすみそうだ。これから何があるのか考えただけでもワクワクする。

 

「うるさいぞ。私はもう寝る」

 

――じゃあ俺も寝るか。おやすみ。

 

カイネは自分の体に取り憑いている魔物、テュランにそう言うと今度こそ眠り始めた。先程まで彼女の内でやかましく喋っていたテュランも彼女と同じく眠りにつく。

 

 

 

翌朝、カイネは夜明けと共に目覚めた。ベッドの上で伸びをしてから小屋を出ると、昇り始めたばかりの太陽の光を全身で浴びるために両腕を大きく広げた。山の間に顔を出した太陽から光が降り注ぎ、水色の下着に包まれた彼女の身体を照らしてゆく。

こうして日課である日光浴をしっかりと終えたカイネは小屋に戻り、扉を閉めると中央で腕組みして仁王立ちした。立ったまま部屋を見回す。視界に映るのは生活に必要な最低限の物しか置かれていない薄汚れた殺風景極まりない部屋だ。

 

「よし」

 

カイネは息を大きく吐くと壁に掛けてある麻袋を手に取り、荷造りを始めた。とは言っても持っていくものは無いに等しく、彼女は剣の手入れ道具や代えの下着と包帯を片っ端から乱暴に袋に詰めてゆく。

最後の包帯を袋に放り込んだところで麻袋の口を締め、念のために忘れ物がないかもう一度部屋を見回すと、ベッド脇の小さなテーブルで視線が止まる。木製のテーブルの上には押し花の栞が置かれていた。

ゆっくりとテーブルに近付き栞を手に取る。栞の白い押し花はまるで先ほど作られたかと思うほど瑞々しさを感じさせる。包帯に包まれた指先でそっと花を撫でると、この栞を作ったときの光景が脳裏に蘇り始める。

あれはこの世界に来て数週間が経ったころだろうか。ようやっとまともに寝泊まり出来そうな山小屋を見つけて一息ついたところで気が付いた。ふと頭に手をやると何かが落ち、落ちたものを拾ってみるとそれは白い花弁だった。

ハッと気が付いて髪に挿している花を慎重に外し、目の前に持ってくるとカイネは愕然とした。白い花が萎れ始めていたのだ。大切な人からもらった思い出の花、このままでは完全に枯れてしまう。だからといってカイネには花に関する知識は何も持っておらず、そもそも植物はいずれ枯れる運命にあるためどうすることも出来ない。

打つ手が無いことを悟ったカイネの気持ちはどこまでも落ち込んでゆく。その気持を紛らわせるために、そして何よりもこれからの生活に必要な物を買うため麻袋を持って町へと降りることにした。

カイネが町を訪れたが住民たちは特に気にすることもなく何時も通りの生活を送っている。まるで下着姿の女の存在が当たり前のように振る舞い、奇異や興味の視線を向ける者は殆どいなかった。

それは彼女がたびたび町を訪れては資金を稼ぐために魔物退治の仕事を引き受けているからだ。始めこそ下着姿の女に町の人々は面食らったが、圧倒的な強さで魔物を蹴散らし町の平和と治安を守ってくれる彼女を人々は受け入れ、いつの間にかカイネの存在が当然となっていたのだ。

カイネは店に入ると山のように積まれた商品の陰から小柄な影がひょっこりと顔を出す。

 

「おやおやカイネさん~今日はお買い物ですか~?」

 

「ああ、少し生活用品をな……」

 

突然現れたハーヴィンの商人、シェロカルテに特に驚くこともなくカイネは何を買いにきたのか伝える。シェロはカイネがこの世界に来てからもっとも世話になっている人物であり、仕事の斡旋や彼女が必要としているものの仕入れなど数を上げればキリがない。彼女の存在がなければ間違いなくカイネはこの世界での生活に困っていただろう。

シェロは商品の影に手を突っ込むとカイネが欲している物を次々と取り出して並べた。それに対してもカイネは突っ込むこと無く代金を聞くとシェロから言われた額の代金を払い、並べられた商品を片っ端から麻袋に突っ込んでゆく。

その様子を見ていたシェロは顔なじみの様子が何時もと違うことに気が付き、朗らかな声で尋ねた。

 

「カイネさん、どうかなさいましたか~?」

 

「……なんでもない」

 

「そうはいっても、顔は正直ですよ~」

 

「なんでもないと言っているだろこの×××××!!」

 

カイネの罵詈雑言もどこ吹く風。と言わんばかりにシェロはにこやかな笑みで彼女を宥める。カイネが落ち着きを取り戻したところでシェロは改めて何があったのかを聞くと、カイネはポツポツと落ち込んでいる理由を話した。

 

「なるほど~大切にしているお花が傷んでしまったのですね~」

 

「生花だからな……どうすることもできん……」

 

「だったら一つ提案が~」

 

言うやいなやシェロは懐から紙紐が付いた細長い厚紙を取り出し、それをカイネに渡した。

 

「その花をこの栞に押し花にするのはいかがでしょうか~。少なくともこれ以上傷むことはなくなりますよ~」

 

「……押し花か」

 

大切な人からもらった花を押し花にする。カイネは一瞬躊躇したが、これ以上傷ませてただのゴミにするよりは遥かにマシだと判断し、シェロの提案を受け入れることにする。

後日、月光草の花をシェロの元に持ってきたカイネは彼女に手伝ってもらいながら、なんとか押し花栞を完成させた。出来上がった栞をまじまじと見つめていると、シェロがいつもとは違う笑みを浮かべていることに気がつく。

 

「……何がおかしい?」

 

「いえ~カイネさんにも乙女チックな面があるんだな~と」

 

「黙れ×××××!!」

 

カイネの罵詈雑言もシェロには通用せず、彼女はいつもどおりのにこやかなを笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

過去の回想を終えるとカイネはふっと笑い、麻袋の口を開けて栞を丁寧に袋に仕舞う。

今度こそ荷造りを終えたことを確認すると袋をしっかりと締め、出入り口へと向かう。扉に手をかけると最後にもう一度だけ振り返り今まで過ごした部屋を眺めた。ひとしきり眺めると、未練を断ち切るように勢い良く扉を開けて勢い良く閉めた。

山小屋を出たカイネは町の騎空挺発着場にいた。交易品や様々な物が搬入される空の玄関では多くの騎空挺が離着陸している。

まるでカイネの旅立ちを見届けるかのように背後から一陣の風が吹き抜け、彼女の髪を揺らす。カイネは空を見上げた。

青い空を背景に太陽から光が降り注ぎ、その下を鳥の群れが鳴き声を上げながら通りすぎてゆく。これから自分はあの鳥の様に大空を飛ぶのだ。未知の体験に否が応でも胸が高鳴る。

 

――さぁて、この先には何があるのやら

 

「さぁな、それをこれから確かめるんだろ」

 

――それもそうだな

 

ケケケとテュランは彼女の内で楽しそうな笑い声を上げる。カイネはそれに呆れつつも微かに笑みを浮かべた。

さぁ、いよいよ旅立ちの時だ。カイネは大空への一歩を踏み出した。




という訳で、今回はニーアよりカイネが登場です。
ニーアの二週目以降の戦いは本当に心苦しかった……。特にロボット山のボスと砂漠の狼の戦いはやりきれない気持ちになりました。


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戦国刀

【戦国刀】

 

 

 

とある町中でのこと、青ざめた顔をしたラカムにカタリナが肩を貸しながら歩いていた。

 

「うぅ……」

 

「しっかりしろラカム、もう少しの辛抱だ」

 

そう言いながらカタリナはラカムを担ぎ直す。二人の先ではビィを連れたルリアが道行く人に必死に訪ねていた。

 

「あの、この近くにお医者さんはいませんか?」

 

「医者? それだったらそこの角を曲がった先の突き当りに腕の良い先生がいるよ」

 

「ありがとうございます!」

 

ルリアが頭を下げて礼を言っている間にビィがカタリナとラカムの元に飛んでいき、先ほど教えてもらった情報を伝える。

 

「そこの曲がり角を曲がった先に医者がいるって! 頑張れラカム、あとちょっとだ!」

 

「お、おう……」

 

ラカムは空いている手でサムズアップする。青ざめた顔を引き攣らせて辛うじて笑みを浮かべるが、それはすぐに苦痛に表情に変わる。

ビィはルリアの元に戻ると急いで教わった道を進む、角を曲がって走り続けるとやがてT字路に辿り着いた。その突き当りの建物に『ウヅキ診療所』と書かれた看板が一人と一匹の目に入った。診療所の出入り口の前までやってくると扉の脇に看板が掛けられており、直筆で文字が書かれている。

 

『ケガ、病気、よろず引き受けます。遠慮無く中へどうぞ! ただし、死人はお断り』

 

「ここで間違いないですね」

 

「急ごうぜルリア!」

 

ビィの言葉を聞いたルリアは頷くと診療所の扉を開け、中に入るなり大声で叫んだ。

 

「すみません、急患です! 誰かいませんか!?」

 

「おやおや、どうかなさいましたか?」

 

ルリアが叫ぶと衝立の向こうからメガネを掛けた男が出てきた。恐らくは医者なのだろうが白衣は着ておらず、紫色の帯を腰に巻き緑色の民族服のような物を着ている。

慌てながらルリアが事情を説明するが、焦燥のあまり言っていることが支離滅裂になっている。そんな彼女を穏やかな声で医者は宥め、ルリアは次第に落ち着きを取り戻していった。

やがて少女が完全に落ち着きを取り戻したところでカタリナとラカムの二人が診療所にやってきた。ラカムの顔を見た男は直ぐに事情を察し、奥の診察室に入るよう指示する。

 

「彼をそこのベッドに寝かせて下さい、上着を捲って上半身を見せて。直ぐに診察を始めます」

 

カタリナはラカムをベッドに寝かせて汗を吸って重くなった上着を捲ると、顕になった彼の上半身には幾つもの汗が浮かんでいた。カタリナがベッドから離れると入れ替わりで聴診器を付けた医者の男が診察を始めた。

胸や腹に聴診器を当てると、次に指先で触診しラカムの具合を確かめる。傍らではルリア達が心配そうにその様子を見守っていた。やがて診察が終わったのか男がラカムの上着を戻すと、後ろに立つ二人と一匹を安心させるように穏やかな笑みを浮かべながら診察結果を報告する。

 

「大丈夫、どうやらちょっとした食中りのようですね。薬を飲んで安静にしていればすぐに良くなりますよ」

 

「よかったぁ……」

 

先程まで張り詰めた顔をしていたビィはその言葉を聞いて安堵したのか、大きな息を吐いて近くの椅子にへたり込むように着席した。それに続いてカタリナとルリアの二人も診察室の長椅子に腰を下ろす。

医者の男は診察室の棚から瓶を出し、そばに置いてある箱から白い薬包紙を一枚取り出した。瓶を薬包紙の上で傾けると中から白い粉が流れ出て、紙の上で小さな山を作る。

薬の乗った薬包紙を一旦机の上に置くと、次に男は診察室の奥に向かうが、すぐに戻ってきた。手には水の入ったコップを持っている。医者は薬の乗った紙を再び持ち、コップと薬をラカムに差し出した。

 

「さぁ、これを飲んでください」

 

ラカムは上半身を起こしてその二つを受け取るとまず水を口に含み、次に薬包紙を傾けて薬を口の中に一気に流し込んだ。ごくん、と一飲で口の中のものを飲み込むとコップと紙を医者に返し、再びベッドに横になった。

 

「彼の具合が良くなるまでお茶でも飲みませんか? ちょうど入れていたところです」

 

「わぁ、いただきます!」

 

「何から何まで申し訳ない」

 

「いえいえ、お気になさらずに」

 

そう言うと男は診療所の奥に向かう。陶器の触れる音や何かを注ぐ音がして、再び姿を現した彼の手にはお盆に乗せられた四つの湯呑みが。お盆を机の上に置くと「熱いので気をつけてくださいね」と言ってカタリナ達に茶を勧めた。

 

「そういえば自己紹介がまだでしたな、私の名前はシタン・ウヅキ。見ての通り町医者です」

 

「カタリナだ。騎空団の団長を務めている」

 

「ルリアです」

 

「オイラはビィ!」

 

「ほほう、騎空団ですか」

 

茶をすすっていたシタンは感心の声を上げる。

 

「とすると、何か目標があるのでしょうか? 騎空団を結成した人は何らかの目指す物があると聞きますし」

 

「実は我々はイスタルシアを目指している」

 

「イスタルシア? ということは障流域を乗り越える手段を?」

 

「正確にはその手段を集めている最中だ。どうやら各地に空図の欠片が散らばっているようでな、それを集めている」

 

「なるほど……」

 

シタンは感心の唸り声を小さく漏らすと再び茶をすすった。

 

「星の島ですか……実は私、以前からイスタルシアに興味がありまして、生きている内にこの目で確かめるのが夢なんですよ」

 

「先生もイスタルシアに行ってみたいんですね」

 

「なぁ、先生。よかったらオイラ達と一緒にイスタルシアを目指さないか?」

 

ビィの言葉にシタンはどこか申し訳無さそうな顔をして、ゆっくりと顔を横に振る。

 

「いえ、その申し出はありがたい限りなのですが、私はこの島を離れるわけにはいかないのです。ここは医療だけでなく様々な面で設備や整備が行き届いていないので、私が医者をする傍らいろいろと指導しているのですよ」

 

「なるほど、貴方が島を離れるのは住民にとっては死活問題になるな」

 

「そのとおりです。私のわがままで人々を困らせるわけにはいきませんから」

 

そういってシタンは朗らかに笑い、カタリナ達も微笑んだ。全員が茶を飲み、湯呑みを受け皿に乗せたところで外から何かが派手に壊れる音と悲鳴が響く。

 

「表のようですね。ちょっと様子を見てきます」

 

「私も行こう」

 

「あ、待って!」

 

「置いてくなよぉ!」

 

椅子から立ち上がって診療所を後にしたシタンに続きカタリナが、更にその後をルリアとビィが続く。後にはベッドの上で少しだけ顔色が良くなったラカムが相変わらず呻き声をあげていた。

 

 

 

三人と一匹が表通りに出ると人集りが出来ていた。人々はざわざわと騒ぎ、あちこちから不安気な声がときおり聞こえる。何があったのですか、とシタンが声をかけると近くにいた男が困り果てた顔で答える。

 

「ああ、先生! 実は先ほど騎空挺がやってきたのですが、乗っていたのがとんでもない連中でして……」

 

男が言うやいなや再び破壊音が響く、それを聞いて顔を険しくしたシタンは「失礼します」と言って人混みの中に割って入っていった。慌ててカタリナ達も後を追い、緑色の服を来た男の背中を見失わないように何度も謝りながら人混みの中を進む。

群衆を抜けた先では如何にも柄の悪い男たちと、恐怖に怯え顔を青褪めさせた中年の男がいた。男たちは全員がニヤニヤと下品な笑みを浮かべており、ただならぬ雰囲気が辺りに漂っていた。

 

「おい、さっさと金をよこせ、ついでに店の商品もだ! 妙な真似をしたらこいつが火を吹くぜ!」

 

そういってモヒカン頭の目付きの悪い男は店主らしき男に銃を突き付け、脅すように左右に揺らす。店主は悲鳴を上げると大慌てでそばにあるレジを開け、中の金を両手で鷲掴みにするとモヒカン男の前に置かれた袋に放り込んだ。

店主の後ろでは数人の男たちが店の品物を片っ端から手に持つ袋に乱暴に突っ込んでいき、見る見るうちに店内は荒らされてゆく。

 

「おい、お前ら! 俺様は慈悲深い。大人しく金と物を差し出せば命と店は助けてやる。ただし、少しでも渋ったり変な考えを起こすなら……」

 

一団のリーダーであろう筋骨隆々のドラフの大男はそう言うと、手に持つ背丈ほどもある棍棒を真上に構え、勢い良く振り下ろした。その先には店主が先ほど開けたレジが。

金属がひしゃげる音と木製のレジ台がへし折れる音が表に響き渡る。棍棒が持ち上げられたあとに残っていたのは、鉄屑になったレジと木片になったレジ台だった、店主の口から悲鳴と嗚咽が混じった声が漏れる。何人かの住民が財産を壊されては堪らんとその場から離れようとした。

 

「皆さん! 彼等の言うことに従う必要はありません!」

 

それを引き止めたのはシタンの一声であった。よく通る声で叫ぶと自分の店に向かおうとしていた人々の足がピタリと止まる。ならず者たちは突如として現れた男に一瞬だけ訝しがるが、すぐに下卑た笑みを浮かべた。

 

「おうおう眼鏡のあんちゃん。いきなり出てきて随分舐めた口きいてくれるじゃねぇか?」

 

目付きの悪い男は挑発するような口調でシタンに銃を向ける。対するシタンは特に慌てる様子もなく、ゆっくりと歩きながらならず者たちへと近付いてゆく。

 

「申し訳ありませんがそこまでにしていただけないでしょうか? これ以上の略奪行為は町の人達の生活に関わります」

 

「はっ! そう言われて。はい、わかりました。とでも言うと思ってんのか?」

 

「言ってみなければわかりませんからね」

 

目付きの悪いならず者は心底バカにしたような様子でシタンに向かって中指を立てる。こうしている間にも一歩、また一歩とシタンは距離を詰めてゆく。ならず者たちは会話に気を取られて、眼鏡の男が自分たちに近付いていることに気がついていないようだ。

 

「眼鏡のあんちゃんよぉ、目が悪すぎてこれが見えねぇのか? 俺はこいつで今まで何十人も撃ってきたんだぜ!」

 

「ほう、それはそれは。でしたら今日限りでそれを使うのをやめては如何でしょうか?」

 

ここでシタンは足を止めた。ならず者たちとは二、三歩の距離まで近付き、相も変わらず涼しい顔で説得を続ける。目付きの悪い男はシタンのその言葉にニヤッと気味の悪い笑みを浮かべた。

 

「じゃあそうするか。てめぇを撃ってからな!」

 

目付きの悪い男は素早く銃を構えると躊躇いなく引き金を引いた、撃鉄が弾薬の尻を叩き、銃口から轟音と共に鉛弾が放たれる。群衆から幾つもの悲鳴が上がり中には手で顔を覆うものもいた。ルリアも思わず顔を背け目の前でおきた悲劇から目を逸らそうとする。

初めは群衆から悲鳴とざわめきが入り混じった声が聞こえていたが、次第にそれは困惑の色に変わってゆく。様子がおかしいことに気が付いたルリアはゆっくりと背けていた顔を前に戻す。視線が正面に戻り再びならず者たちを視界に収めた時には、信じられない光景がそこにあった。

 

「危ないですね。流れ弾で怪我人がどうするつもりですか?」

 

放たれた弾丸は眼鏡をかけた男に当たっていなかった。シタンは左手で銃把ごと男の右手を、右手で男の左腕を掴んでいた。銃は掲げられるように持ち上げられており、銃口から立ち昇る硝煙が青い空に消えてゆく。いつの間にかシタンが懐に潜り込んでいたことに気が付いた男は驚きで目が見開かれる。

 

「はっ!」

 

掛け声とともにシタンは男を掴んだまま体を百八十度回転させ、流れるように投げ技を決めた。目付きの悪い男は一瞬だけ宙を舞い、次の瞬間には石畳に背中と後頭部を強かに打ち付け白目を剥いて気絶する。

シタンは投げる際に男の手から抜き取った銃をくるくると回転させてよく冷まし、触れても問題ない熱さになったことを確認してその場で手早く分解を始めた。シタンが手を動かす度に部品が外され、あっという間に銃はバラバラに分解された。

 

「危ないので分解しました。返しますよ」

 

シタンは部品の山を気絶している男の胸に置くと改めてならず者たちと対峙する。

 

「て、てめぇ、よくも兄貴を!」

 

「もう一度言わせていただきます。これ以上の略奪をやめていただけないでしょうか?」

 

「ごちゃごちゃとうるせぇ!!」

 

赤いバンダナを巻いた男がいきり立ち、振り上げた剣をシタン目がけて振り下ろした。太陽光でギラつく刃は寸分違わず彼の脳天に迫り、町民の誰もが町医者の頭がかち割られる瞬間を予想し戦慄する。

 

「へ?」

 

ならず者は何が起きたのか理解できないらしく、間抜けな声が口から漏れる。目の前の男を叩っ斬ろうと振り下ろしたはずの剣はなぜか切っ先で石畳を叩いており、当の男はそのすぐ横で相変わらず涼し気な顔をしている。

 

「はい」

 

掛け声と共にシタンが右手で緩やかに手刀を下ろす。五指を揃えたその一撃はならず者の手首を叩き、剣が手からこぼれ落ちた。そのまま今度は右手で手首を掴む。シタンはならず者の手首を掴んだまま捻り上げ、男の背後に回る。

 

「いだだだだだ!!」

 

「ご安心を、私は医者です。人体については熟知していますからどれだけの力を加えれば腕が折れるのかちゃんと理解しています。ですから……」

 

シタンは僅かに男の腕を捻る。

 

「いだだだだだだだだだ折れる折れる折れる!!」

 

「折れる寸前の状態を維持する、なんてお手のものです。降参しますか?」

 

「こ、降参だ、降参する!! 放してくれ!!」

 

ならず者は泣き喚きながら懇願するとシタンはあっさりと男の手首から手を放した。男は通りに倒れると右腕を抱えながら苦しげに呻き声を上げる。

 

「これが最期の警告です。略奪をやめてください」

 

「てめぇら、やっちまえ!」

 

リーダーのドラフの男がシタンの言葉が終わらないうちに部下に命令を飛ばす。残っていたならず者達は各々の得物を手にシタンに襲いかかった。当のシタンは呆れた様に小さな溜め息を吐くと足を軽く開き、両腕を緩やかに構える。

先頭のナイフを持った小太りの男がシタンの胸目がけて刃を突き出した。切っ先はすんでのところで空を切り、男の横に回りこんだシタンは無防備な後ろ首に手刀を叩き込む。小太りの男は嫌な声を漏らして倒れた。

それを皮切りにシタンは襲いかかるならず者たちを踊るように次から次へといなす。人体の急所に的確に拳や蹴りを叩き込み、彼の手足が動いたかと思えばならず者が一人、また一人と倒れてゆく。

傍観していた町民たちはいつしかシタンに声援を送り、応援の声が最高潮に達した時は彼の周りに何人ものならず者たちが倒れていた。残されたリーダーの男は怒りで顔を真っ赤に染め、さながら闘牛の様に熱い鼻息を吹き出す。

 

「この野郎よくも俺の部下をやりやがったな!! ぶっ殺してやる!!」

 

ドラフの男は棍棒を担ぐと雄叫びを上げながらシタンに襲いかかった。間合いに入ったところで巨大な棍棒を横に振り被り、シタンを殴り飛ばそうとする。

対するシタンは臆することも慌てることもなく構え、ドラフの男が棍棒を最大まで振り被った瞬間を狙い、動いた。

 

「はっ!」

 

固く握った拳をシタンは男の右肩に叩き込む、するとあとは振り切るだけだったはずの棍棒がピタリと止まった。男の顔が驚愕に染まる。

 

「せいっ!」

 

続いて掌底で男の顎を打ち上げた。下から上に衝撃が駆け抜け頭蓋内の脳が激しく揺さぶられ、脳震盪を起こしたドラフの男は棍棒を手放してその場でフラフラと奇妙なステップを踏む。

 

「しょお!」

 

トドメにシタンは渾身の掌底を叩き込む。左足の踏み込みの勢いと体重を乗せ、腰を深く落とした一撃は寸分違わずがら空きの鳩尾に直撃した。男の体がくの字に曲がったかと思うと、ドラフ特有の巨体が面白いように吹き飛ばされる。人混みギリギリのところで巨体は石畳に落ちて派手に砂埃を巻き上げた。倒れた巨体はそのままピクリとも動かない。

シタンはしばらくのあいだ掌底を放ったままの構えを維持し、やがてゆっくりと構えを解くと大きく息を吸って緩やかに吐き出した。

 

「みなさん、もう大丈夫です。終わりましたよ」

 

町医者の言葉に群衆から歓喜の声が湧き上がる。誰も彼もがシタンに賞賛や感謝の言葉と拍手を送った。

それから町民たち総出で破壊された店の後片付けと修理、気絶したならず者達の引き渡しが行われあっという間に町に何時もの日常が戻ってくる。カタリナ達はこれからの旅に備えて必要な物資の購入をしていると、騎空士が珍しいのか店主から様々な質問を受けた。

 

「騎空団を結成してどれくらいになるんだい?」

 

「まだ結成したばかりなんです」

 

「ほうほう、新進気鋭って訳か。何か目標や目指している事でもあるのかい?」

 

「実は我々はイスタルシアを目指しているんだ」

 

「い、イスタルシア? あの星の島か?」

 

「おうよ、オイラ達はそこを目指して旅を続けているんだぜ!」

 

カタリナ達の話を聞いた店主は驚き、続いて感心したように唸り声を上げる。

 

「はぁー、若いのに大したもんだ。でも、あんたらの騎空団に他の騎空士はいるのかい?」

 

「それが今のところ三人と一匹だけでな。旅を共にしてくれる人物を探しているところだ」

 

「炊事や洗濯もそうだし騎空挺の整備、いざという時のためにお医者さんもいてくれたら嬉しいんですけど……」

 

「やっぱりそうそう見つからないよなぁ」

 

そう言ってカタリナとルリア、ビィは揃って溜め息を吐く。店主は何かを考えていた。

 

 

 

 

 

「それではお大事に」

 

「世話になったぜ先生」

 

次の日、顔色もすっかり良くなり何時もの調子が戻ったラカムは晴々とした顔でシタンに感謝した。必要な物資は昨日の内にカタリナ達が買い揃え、いよいよこの島を発つ時が訪れる。

カタリナ達の出発を見送ろうと騎空挺発着場までやってきたシタンは、騎空挺に乗り込んだ彼女たちに手を振る。あとは離陸するのみとなったところで大声がそれを止めた。

 

「待ってください!」

 

何事かとシタンは声のした背後に振り返る。そこには大勢の町民たちがいた。

 

「先生、騎空団の人たちから話を聞きました。私たちに構わず、先生はイスタルシアを目指してください!」

 

「み、みなさん?」

 

「先生はずっと星の島に行きたいんでしたよね? でしたらチャンスは今しかありません!」

 

突然ではあるがシタンにとってこの上無くありがたい申し出であった。しかし、自分の夢のためにこの町を離れるのは彼の責任感の強さが許さない。まだまだ整備の行き届いていない部分は山ほどあるし、途中でそれを投げ出すなどシタンには考えられないことであった。

だが、彼の迷いを断ち切るように、町民たちは決意に満ちた声で次々とその背中を押してゆく。

 

「先生、この町のことなら気にしないでください!」

 

「俺たちは今まで先生に何一つ恩返しが出来なかった、だから今こそ恩を返したいんだ!」

 

「診療所は私達が掃除します。いつでも清潔にしておきますよ」

 

「定期的に医者の勉強会を開いて、先生がいなくても大丈夫なようにもっともっと精進します」

 

「町の制度や自冶はこれから俺達だけでもやっていけるように知恵を出し合います」

 

「だから先生、先生の夢だった幻の島を是非とも確かめてきて下さい!」

 

「みなさん……」

 

シタンは感極まった声でそう言うと、町民たちに向かって深々と頭を下げた。

 

「ありがとうございます。感謝するばかりです。カタリナさん、必要な荷物を持ってきますので少しだけ待っていただけませんか」

 

「ええ、騎空挺で待っていますのでゆっくりと準備してきてください」

 

「すぐに戻ります」

 

言うやいなやシタンは急いで診療所に向かった。扉を勢い良く開けて二階の自室に駆け込むと、壁に掛けてある革製の長袋を手に取り旅支度を始める。

着替えや予備の医療器具などを手際よく袋に入れていき、必要な物を一通り入れ終えたところで袋の口を紐でしっかりと縛った。シタンはそれを一旦壁に立てかけると神妙な顔で振り返る。彼の視線の先には掛け台に置かれた一振りの刀があった。

シタンは刀に近付くと鞘を掴んでゆっくりと持ち上げ、目の前に持ってくる。親指で刀の鍔を少しだけ押し上げると、鯉口から銀色の刀身が顔を覗かせた。銀の鏡には眼鏡を掛けた男が何かを決意したような面持ちでシタンを見ている。

フッと息を吐くとシタンは親指を下げて刀身を鞘に戻した、刀を持ったまま踵を返して立て掛けてある袋に近付くと袋の紐を緩める。少しだけ開いた袋の口に刀を入れると、今度こそ紐を縛って口をしっかりと閉じた。

 

「ユイ、ミドリ。行ってきます」

 

ここにはいない家族に旅立ちの挨拶を小さく口にしてシタンを診療所を後にした。

 

 

 

「それではみなさん、行ってきます!」

 

『先生、行ってらっしゃい!』

 

住民達の壮大な見送りを受けながらグランサイファーは離陸を開始した。地面を離れた船体はゆっくりと上昇し、時間とともに青空へと昇ってゆく。それに合わせて住民の姿も徐々に小さくなり、グランサイファーが気流に乗った時には輪郭すらも見えなくなった。

最後の最後まで手を振り続けたシタンはここでようやっと手の動きを止め、背筋を伸ばして向き直る。

 

「それではみなさん。改めてよろしくおねがいします」

 

シタンが深々と頭を下げると騎空団の面々は笑顔で彼を迎えた。

 

「歓迎するぜ先生!」

 

「あなたがいれば心強い限りだ」

 

「シタン先生、よろしくお願いします!」

 

「よろしく頼むぜ先生!」

 

騎空団の面々から歓迎の言葉を受けシタンは微笑む。その空気を乱すように誰かの腹の虫が鳴った。

 

「たはは、そういや昼飯食うのすっかり忘れちまったな」

 

「ラカムの食中りにあんな騒ぎがあったからな。オイラも忘れてたぜ」

 

「……みなさん、実は缶詰を持ってきたのですがよろしかったら食べますか?」

 

シタンは背負っている袋からラベルの張られていないブリキの缶詰を取り出すとそう言った。それを聞いた騎空団の面々は渡りに船と言わんばかりに彼の提案に賛同する。

 

「おお、そりゃありがたい!」

 

「先生タイミングが良すぎるぜ!」

 

「ありがたくいただこう」

 

「私も食べます!」

 

三人と一匹はシタンの出した缶詰を一つずつ受け取ると、その場で開封した。

 

「あれ、シタンさんはいいんですか?」

 

「いえ、私は遠慮しておきます。昼食は済ませましたから」

 

そうですか、とルリアが言うとシタンは続いて袋からフォークを三本取り出してカタリナとラカム、ルリアに渡す。これで昼食の準備が整った

いただきますと食事前の挨拶をしてからカタリナ達は缶詰に入っている肉をフォークで刺して口に運ぶ。その光景を眼鏡を妖しく光らせた町医者の男が見ていたが、騎空団の面々は誰一人として気が付かなかった。



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欲動の拳

今回は前話と同じくゼノギアスよりあのキャラクターの物語です。


【欲動の拳】

 

 

 

目が覚めた時、彼は全てがわからなかった。

 

ここはどこだ?

 

いまはいつだ?

 

なぜ自分はここにいる?

 

考えても考えても分からない。ふと、彼は視線を降ろして自分の両手を見た。それが自分の手だと確かめるように、黒いグローブに包まれた一対の手を握っては開くを繰り返す。それを繰り返す内に、彼の胸の内である感情が湧き上がってきた。

心の奥底からまるで煮えたぎる熱湯の如くゴボゴボと湧き上がるモノ。破壊、殺戮、蹂躙、殲滅、虐殺……それは衝動であった。なんでもいい、破壊したい、殺したい、壊したい。

全身が震えるほどのその衝動を彼は抑える気にはならなかった。まるでそれに従うことこそが使命であるかのように彼は受け入れ、あっという間に胸の中を満たす。

不意に彼は足元を殴りつけた。ほんの少しでもこの感情を紛らわせようと振り上げた拳を躊躇うことなく地面に叩きつけ、拳を中心に大地が大きく陥没する。

地震と間違えるほどの凄まじい地鳴りが響き、辺りにいた鳥や動物たちが鳴き声を上げながら一斉に逃げ出した。

 

足りない――

 

拳を叩きつけた彼の胸中には虚しさが広がる。これは破壊ではない、殺戮でも、虐殺でもない、なんら意味のない行動だ。

自分の起こした行動が全く意味を成さないことに気が付き、一瞬だけ引いた衝動は先程よりも激しく沸き立つ。眼前で握った拳は衝動のあまり震えが止まらず、それは次第に全身へと伝播してゆく。

震えを誤魔化すように男は勢いよく立ち上がり、どこかへと歩き出した。目的などない、そもそもここが何処かもわからない。とにかく何処かへ辿り着ければそれでいい。そう思った男はゆっくりと歩き出した。

どうやらこの森は人の通りがあるらしく、樹木の間に道ができている。赤い男は道をひたすら歩き続けていた。進む先が森の奥なのか、それとも出口なのかはわからない。それでも何かがあるはずだと男は歩みを止めない。

どれだけ歩き続けただろうか、男の中で沸き立つ激情はすでに極限を迎えつつあった。ここでまた衝動のままに暴れても更に激情を募らせるだけだ。そう思ってなんとか抑えこんではいたがそれも限界がきている。

 

なんでもいい、この激情をぶつけられるものを――

 

せめて大型の動物でもいないのか。そう思って周囲を見渡したとき、彼の足元に矢が刺さった。同時に背後で茂みが動く。

 

「そこの男、動くな!」

 

ゆっくりと振り返る。声の方向にはボウガンを構えた男と、剣と槍を持つ三人の男がいた。

 

「ここは立入禁止だ。なぜここにいる!」

 

「先程の地鳴りについて貴様は何か知っているか? 正直に答えろ!」

 

三人の男はそれぞれの得物を構えながらジリジリと赤い男に近付いてゆく。

丁度いい。思わず男の口端が釣り上がった。

 

 

 

 

 

カタリナ達はこの島に眠るといわれる星晶獣を探していた。街で集めた情報によれば森を越えた先に星晶獣はいるらしい。

それを聞いた騎空団は迷うことなく森へと向かい、団長であるカタリナを先頭にひたすら歩き続けていた。

 

「まさかこんなに簡単に有力な情報が手に入るなんてな」

 

「有り難い限りだ。今後もこうだといいのだが」

 

カタリナの後ろを歩くラカムが上機嫌でそう言うと、彼女もまた機嫌良さそうに返答する。

 

「でも、帝国の連中も星晶獣を探しているみたいだし、やつらより早く見つけないと」

 

「また良からぬことを企んでいるんだろう。今回はことが起きる前になんとかしないとな」

 

そう言って二人は表情を引き締めた。街で星晶獣に関する情報を集めている際に帝国もまた星晶獣を探してこの島に来ている、という話を聞いたのだ。

帝国はこれまで幾度も星晶獣を使って島一つを滅ぼしかねない事件を起こしており、その度にカタリナたちがすんでのところでそれを食い止めてきた。今までは辛うじてなんとかなったが、そんな幸運が何度も続くわけがない。今回こそは帝国の野望を事が起きる前に阻止してみせる。そんな決意を胸に騎空団は森を進み続けた。

ふと、カタリナの鼻を澄み切った森には似付かわしくない臭いが刺激する。不快感を催す鉄錆の臭い、今まで何度も嗅いだことがある臭いだ。

 

「ルリア、ラカムから離れるな。ラカム、周囲に注意しろ」

 

「あいよ」

 

先程とは打って変わって緊張を孕んだ鋭い声でカタリナは言った。団長の変化の意味を即座に理解したラカムは、愛銃をいつでも撃てるように引き金に指を掛け、神経を尖らせて周りの状況を探る。

最後方のルリアとビィは黙って頷くとラカムのそばに近寄り、妙な音や気配がないか注意しながら彼の背中に付いた。しばらく歩くと生い茂る草木がなくなり、まるで広場のように開けた場所に出た。カタリナはそこにある物を見て顔をしかめる。

 

「ラカム、来てくれ。ルリアはどこかに隠れていてくれ」

 

後ろから二つの返事が聞こえると、ガサガサと草木をかき分けてラカムがやってきた。カタリナは顎で広場の方を指すと、その方向を見たらカムも同様に顔をしかめた。

ちょうど円形の形になっている広場には、惨殺された帝国兵の死体が転がっていた。草が生えた地面は血と肉で斑模様に染まっており、辺りには臭いを嗅ぎつけた虫たちの耳障りな羽音が聞こえる。

 

「随分と乱暴な殺され方だな……」

 

ラカムは死体の一つに近寄ると見える範囲でどのような状態になっているのか調べる。片足と片腕がそれぞれ一本づつ千切れており、着ている鎧は何かで殴られたかのようにへこんでいた。辺りの草木には赤い血や肉片が飛び散っており、殺害時の凄惨さを嫌でも想像させる。

 

「大型の魔物にでも襲われたか?」

 

「いや、それはないな。この森には大きくても人間大の魔物がせいぜいと聞いた」

 

「じゃあ、そいつが恐ろしく力が強かったとか?」

 

「いくらなんでも人間大でそれはおかしい……そんなヤツが居たらとっくに討伐隊が組まれているはずだ」

 

「だよなぁ……」

 

ラカムの疑問をカタリナは否定すると改めて死体を調べる。千切れた腕や足の断面をよく見ると、それは引き千切ったというよりは何かの拍子に千切れたという方が近い状態であった。あちこちが窪んだ鎧の方も調べると、へこみの中央にはいずれも奇妙な模様が付いていた。まるで横に並べた棒を押し当てたかのような、等間隔のへこみが付いている。

この模様になにか意味があるのかもしれないとカタリナは頭を捻る。さきほど彼女は「この森に大型の魔物はおらず、力も常識の範囲内だ」と言った。だとすればこの惨殺現場を作り出したのは自分たちと同じ人間と考えるのが自然ではないだろうか。

全てのへこみの中央についている奇妙な模様も、何か武器を使ったと考えれば納得がいく。しかし、今まで様々な武器を見てきた彼女もこのような痕がつく武器は思い浮かばない。少なくとも剣や斧のような斬る武器では無いことは確かだ。

腕を組んで眉間に皺を刻み、難しい声を上げながら唸っていると、彼女の隣でじっとへこみを見ていたラカムが何かに気が付いた。

 

「なぁ、カタリナ。このへこみだが……」

 

ラカムは握り拳を作るとそれを鎧のへこんだ箇所に当てる。すると、拳はへこみを中心にぴったりと収まった。難しい顔をしていたカタリナの表情が一転して驚愕に凍りつき、額から一筋の冷や汗を流す。

 

「まさか……腕力だけで?」

 

「中心の模様に指の一本一本がピッタリと嵌った。恐らくは手甲も付けてないだろう」

 

「……ありえない」

 

目の前の事実を拒絶するようにカタリナは首を振った。自らの拳を武器として戦う者は当然ながら存在する、鍛え抜かれたその一撃は下手に武器を持った人間よりも遥かに強い。しかし、幾らなんでもこれは異常だ。

帝国の最新技術で鍛造された鋼鉄の鎧を素手で殴って変形させ、それどころか人間の四肢を引き千切ることが出来る者が存在するというのか。そんな人間が実在するとしたら、それはもはや化物と呼ぶべきである。

 

「ともかく、この森にはそいつがまだいるはずだ。もし出くわしたら……」

 

「逃げるしかないな」

 

カタリナとラカムは向き合って無言で頷く。二人はルリアとビィが隠れている木陰に戻ると惨殺現場を避ける道を通り、先程よりも更に慎重に森の中を進む。

森の更に奥へと進んでいると先頭のカタリナが何かに気が付いた。一瞬遅れて後ろのラカムとルリアも気がつく。背の高い木々の向こうから煙が空へと昇っていた、それも一つや二つではなく幾つも。

 

「あの煙……」

 

「帝国の奴ら、だろうな」

 

「みんな、気をつけろ。恐らく帝国軍の野営地が近いはずだ」

 

小さな声でカタリナは注意を促すと、後ろの団員達は無言で頷く。出来る限り物音を立てないようにゆっくりと歩みを進め、やがて森が終わり広大な平原にでた。

緑色の草の絨毯が一面を覆う平原には幾つものテントが張られており、その中で一際大きなテントの上には帝国の国旗が描かれた旗が風に揺れていた。

 

「やはり……帝国の野営地か」

 

木に隠れながら平原に作られた野営地の様子を騎空団は伺う。予想が当たったカタリナは険しい表情を作った。

 

「どうする?」

 

「……もしかしたら星晶獣に関してなにか情報が掴めるかもしれない。どうやら今は人が出払っているようだ、潜り込んで情報を探そう」

 

「あいよ」

 

カタリナは少しだけ考えてそう言った。恐らくはここを星晶獣探索の拠点としているのだろう、よく見ればテントの脇にはシャベルを始めとした遺跡発掘にでも使うような道具の数々が置かれている。圧倒的な数を誇る帝国軍ならば自分たちよりも手広く探索を行っている、それは即ちそれだけ情報が集まりやすいということだ。

森から平原の野営地に移り、カタリナ達は物陰に隠れながらテントの間を移動する。どうやら人は殆どいないらしく、話し声や気配は全く感じられない。

 

「ついてるな、帝国軍のやつらが全くいない」

 

「本当に人っ子一人いないな……」

 

ルリアに抱きかかえられたビィが嬉しそうに小声で言うが、ラカムは逆に余りの無人状態に疑問を感じ始めていた。いくらなんでも見張りも立てずに星晶獣の調査を行うのはおかしい。カタリナも同じ疑問を抱き始めたとき、遠くから何かの叫び声が聞こえた。

カタリナ達は咄嗟に身を隠し、自分たちの存在が知れたか? と焦燥する。だが、帝国兵の気配や足音は一向に聞こえない。カタリナが顔を少しだけ出して辺りの様子を伺うが、やはり誰もいなかった。

 

「私達ではないのか?」

 

「みたいだな……」

 

「この奥に何かあるのでしょうか?」

 

大人二人が首を傾げているとルリアが疑問を口にする。彼女が向いている方向は確かに叫び声が聞こえた方向だ、もしかしたら何かあるのかもしれない。そう思ったカタリナはラカムたちを率いて再び前進を始めた。

野営地の奥に進むにつれて徐々に叫び声が大きくなってくる、次第にそれが大勢の人間が発する声だとわかった。カタリナ達は顔と気を引き締めると得物に手をかける。

テントの一つに隠れるとカタリナは出入り口の幕を少しだけ開け、進行方向の様子を確認した。そして自分が見た光景に絶句する。

 

 

 

帝国軍の野営地では大勢の兵士が一人の男に襲いかかっていた。兵士たちは剣や槍、斧や弓矢などありとあらゆる武器を構えて男に殺到する。一見すれば大勢が一人を嬲り殺しにしているようにしか見えないが、それはすぐに間違いだと気がつく。

兵士たちが殺気立って得物を構えるなか、その男だけは悠然と佇んでいた。手に武器は持っておらず両腕をゆるりと垂らしたままどこか退屈そうな顔をしている。

一人の帝国兵が剣を振りかぶって赤い男に斬りかかる。雄叫びを上げながら男に向かって突撃し、間合いに入ったところで剣を振り下ろした。太陽の光を受けて輝く銀の刃は放物線を描いて明後日の方に飛んでゆく。男はいつの間にか繰り出した裏拳で剣を圧し折っていた。

いきなり武器を破壊され呆然とする帝国兵の首を赤い男は掴んだ。帝国兵は真ん中から折れた剣を落とし、空いた両手をバタつかせてもがく。

 

「ふん」

 

男が帝国兵を掴んでいる右手を微かに捻った。ゴキリ、と嫌な音がして帝国兵はバタつくのをやめ、両手が力なく垂れ下がる。赤い男は息絶えた帝国兵をゴミでも投げ捨てるように乱暴に放り投げた。その隙を狙って男の背後から槍を持った帝国兵が突きを繰り出す。空気を切り裂きながら放たれた鋭い一撃は男の後ろ首を捉え、数本の赤毛を宙に散らした。

帝国兵が自分の槍が外れたことを認識する前に、その首筋に蹴りが叩き込まれる。明らかにおかしな角度に首が曲がり、回し蹴りの勢いに乗せて赤い男は一回転する。足首に帝国兵を引っ掛けたまま周囲の他の兵士を巻き添えにし、更に一回転する。

兵士数人を足首に引っ掛けているにも関わらず、赤い男は事も無げに兵士達をまとめて蹴り投げた。その先にいた他の帝国兵を巻き添えにし、何人もの兵が地面に倒れる。

 

「つまらん……この程度か」

 

赤い男は腹立たし気に拳を握り締め歯軋りする。先程からどれだけの殺戮と破壊を撒き散らしても一向に自分の中の衝動は収まらない、数ばかりの連中を相手にしても収まるどころかますます衝動は膨れ上がってゆく。

どこか、どこかに自分を満たしてくれる奴はいないのか。男がそう思いながら目の前の兵士の頭を叩き潰したとき、突如として地鳴りが響き渡る。

辺り一面が揺れ動き、男も帝国軍も何事かと動きを止めた。数十秒のあいだ揺れ続け、やがて平原の一部に亀裂が入った。しかし、亀裂は地割れや陥没を起こさず逆に隆起した。地層が一気にせり上がり天高く突き上げられる。地面から現れたのは全身が鋼鉄で造られた人型の星晶獣であった。

突如として現れた星晶獣に誰も彼もが唖然としていた。山の様に大きな鋼鉄の巨人はその手に巨剣を握り締め、赤い瞳を光らせながら自身の足元にいるアリにも等しい人間たちを見下ろす。

 

「これが探していた星晶獣……」

 

帝国兵の誰かがつぶやいた。静まり返った世界にそのつぶやきは水面に落ちた一滴が波紋を生むように、あっという間に伝播してゆく。やがてざわざわと静寂の代わりにざわめきが辺りを埋め始めた。

 

「お前は強いのか?」

 

赤い男が楽しげに尋ねる。返答は巨剣の一振りであった。騎空挺すら容易く両断できそうな刃が振り下ろされる。

轟音と共に大地が割れた。地割れに何人もの帝国兵が悲鳴を上げながら飲み込まれ、巨剣の一撃から逃れられた他の兵士たちは蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく。

そんな中で赤い男は鋼鉄の巨人を見上げていた。ようやっと自分が求める者に出会えたことが嬉しいのか、口端は笑みで釣り上がっていた。巨人が剣を持ち上げ今度は左腕を振りかぶる、鋼の拳が大地に突き刺さった。

大地に深々と黒鉄の腕が突き刺さり大量の砂埃が舞い上がる。あたりは靄がかかったように薄くボヤけ、空から降り注ぐ太陽の光が僅かに遮られる。巨人は先程放った一撃の手応えを確認しているのか、微動だにしない。

ふと、砂埃を突き破って巨腕の上を何かが駆けてゆく。腕の根本、すなわち巨人の本体へ近づくに連れてその姿が見えてきた。紅の髪を揺らしながら真っ直ぐに巨人へと向かう者、赤の男は獰猛な笑みを浮かべながら巨人に迫っていた。

肩の辺りで男は跳び、巨人の真上を取る。黒鉄の星晶獣は頭を動かして男を見上げた、鋼鉄の脳天に踵落としが叩き込まれ、巨体が大きくぐらついた。

赤い男は踵落としを決める際の反動を利用してもう一度跳躍し、今度は巨人の頭に踏み付けの連打を繰り出した。金属が叩かれる甲高い音が連続して響き渡る。

バランスを崩したところに更に追撃を受けて鋼鉄の星晶獣は大きくよろめくが、すんでのところで転倒を免れる。一通りの攻撃を終えて着地した男はその様子を見てフンと鼻を鳴らした。

 

「さすがに頑丈だな、では、これはどうだ?」

 

紅い男は両腕を顔の前で交差させると両拳に黒い光が集まり始めた。次第に光は拳を覆うほどに集まり、それに合わせて男の髪が逆立つ。両腕の交差を解いて男が跳んだ。

巨人の胸の高さまで跳躍した男は腕を振り被り、鋼鉄の胸板に拳を叩き込んだ。繰り出された拳から黒い輪が広がり、金属と金属がぶつかり合うような轟音が衝撃と共に平原に木霊する。男はそこから殴打の乱撃を星晶獣に容赦なく浴びせ、拳が叩き付けられる度に黒い波紋が広がりさながら演武の一幕のような光景であった。

何打目かの拳を叩き付け、赤い男はトドメに両腕を前に突き出す。二輪の黒い波紋が両手から放たれ巨体を叩き、波紋が収まると同時に男は再び大地に降り立った。

男の猛攻を受けた星晶獣は沈黙を守っている。しばらくのあいだその場に立ち尽くしていたが、やがて変化が現れた。瞳から赤い光が消え、持っていた巨剣が手から離れ地面へと落下してゆく。切っ先が剥き出しの大地に突き刺さった。

やがてゆっくりと巨体が傾き、鋼鉄の巨人は背中から倒れ始めた。鋼の巨体が耳障りな金属音を軋ませながら時間をかけて傾き、地面に倒れると同時に凄まじい衝撃と地響きが辺りを襲った。周囲の森から動物たちが鳴き声を上げながら駐屯地から離れてゆく。

 

 

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

一部始終を見ていたカタリナ達は言葉を失っていた。

なんだこの光景は? 自分たちは夢でも見ているのか?

今、目の前で起きた光景の余りの非常識さにこれは夢なのかと思い込む。鼻を刺激する血の臭いがそれを否定した。

カタリナの脳裏にはこの野営地を訪れる前に森で見た惨殺現場の光景が過ぎっていた、恐らくは素手で殴り殺されたであろう手足の千切れた帝国兵の死体。鎧に付いたあとから実行犯は人間の手によるもの。間違いない、それはアイツだ。

どうやらラカム、ルリアとビィも彼女と同じ答えに辿り着いたらしく、その目は驚愕と恐怖に染まっていた。

殺される――そう直感した彼女たちは物音を立てないようにゆっくりとテントの出入り口から離れようとする。こちらを見た赤い男と目が合った。

一行が逃げようとテントを出た瞬間、何かが弾ける音と共に彼女たちが隠れていたテントがいきなり崩れた。何事かと振り返った騎空団が見たものは、掌で石を弄ぶ男の姿が。

 

「どこへ行く」

 

次はお前たちの背中だ。男の目はそう言っていた。

カタリナとラカムは愛用の剣と銃を素早く引き抜くとルリアを庇うように前に出る。それを見た男は凶暴な笑みを浮かべ、石を投げ捨てた。そしてゆっくりとカタリナ達に近付く。

 

「それ以上近づくな」

 

ラカムは銃口を躊躇うことなく赤い男に向ける。すでに引き金に指はかかっており、後はほんの少し力を込めるだけで銃弾は男に向けて放たれる。だが、当の赤い男は自分に向けられた銃など特に気にも留めず一歩、また一歩と近付いてきた。

 

「もう一度言うぞ。それ以上、近づくんじゃねぇ」

 

今度はゆっくりと、よく聞こえるようにラカムは警告する。しかし、やはり男は歩みを止めない。後ろにいるカタリナは小声で「万が一の時は構わず逃げろ」とルリアとビィに言った。

 

「最後の警告だ。それ以上、来るな。そこで、止まれ!」

 

怒鳴るようにラカムが叫ぶ。男の顔にも動きにも変化は無かった。ラカムは舌打ちすると悪く思うなよ、と胸中で呟き、引き金を引いた。

発射された弾丸は真っ直ぐ赤い男の額に向かって飛翔する。現実では一秒にも満たない極めて短時間の出来事だが、極度の緊張と焦燥から体感時間が限りなく引き伸ばされたラカムにとっては、遥かに長い出来事のように感じられた。

あと僅かで鉛の弾が男の皮膚を貫き、頭蓋を砕いて中の脳漿をかき混ぜながら赤い男を死に至らしめる。突然、男は右腕を横に伸ばした。

 

「……?」

 

外れたか? と胸中でラカムは焦るが、即座にそれはありえないと否定した。この至近距離で外すことなど余程のアクシデントでもない限り考えられない。

ふと、男は伸ばしていた右腕をゆっくりと顔の前に持ってくる。手は拳握っており小指、薬指、中指を除いて拳を解いた。

 

「これのことか?」

 

男が人差し指と親指で摘んでいたもの、鉛を球体に固めた黒い物体、それはまさしくラカムは撃った弾丸だった。ラカムが驚きの余り目を見開き、口からタバコが零れ落ちる。

 

「返すぞ」

 

赤い男は再び拳を握ると、何故か親指をラカムの方に向けた。よく見れば拳は親指ごと握り込まれている。親指が弾かれた。

硬い音がした瞬間にラカムの手から銃が弾かれた。くるくると宙を回転しながら持ち主の手元から離れ、離れた場所に落ちる。思わずそれを目で追ってしまったラカムは、赤い男から目を離してしまったことを思い出し前を見る。殺意に満ちた双眸がそこにあった。

男は左手の裏拳をラカムの横腹に目がけて振るう。鉄製の胴鎧がひしゃげ、ラカムの長身が吹き飛ばされた。地面を数回転がってようやく止まるも、ラカムはうつ伏せに倒れたまま動かない。

カタリナは愛用の剣を迷うことなく赤い男の首目がけて突き出した。彼女の全身全霊を込めた神速の一突き、視認することすら困難なその一撃はあっさりと黒い手に掴まれる。カタリナの表情が固まった。

 

「素早いな、だが……」

 

男はゆっくりと首を前に戻し、カタリナを見据える。彼女のこめかみから一筋の冷や汗が流れる。頬を伝い、顎先に球体を作った汗はやがて重力に負け、カタリナの顎を離れて地面へと落ちてゆく。一粒の汗が大地に吸い込まれる前に、彼女の側頭部に蹴りが叩き込まれた。

すんでのところで彼女は首を捻って直撃を避けるが、それでも凄まじい衝撃が彼女の脳を激しく揺さぶる。一瞬だけ宙を舞った彼女は受け身も取れずに地面に倒れ、盛大に嘔吐する。

 

「カタリナ、ラカムさん!!」

 

「二人とも大丈夫か!?」

 

ルリアとビィは悲痛な声で呼びかけるがラカムは倒れたまま答えず、カタリナは全身を震わせながら嘔吐が続いている。ザッ、と土を踏みしめる音が聞こえた。ルリアはビィを抱きしめて小さな悲鳴を上げる。

 

「抵抗しないのか? つまらん」

 

ルリアとビィの前に立つ男は心底失望したように吐き捨てた。

 

「なら、一思いに殺してくれる」

 

男は黒いグローブに包まれた右手をゆっくりとルリアに向けて伸ばす。青い髪の少女と小さな竜は目を固く閉じ、無駄だと分かっていても自分に迫る死から目を背ける。

黒い指先があと少しで少女の首に触れる。次の瞬間には少女の命は小枝でも折るように容易く奪われるだろう。

助けて――少女が掠れるような声で祈った。

 

「う、うううううぅぅぅぅ!!」

 

男が手を引っ込め、両手で頭を抱えた。まるで激しい頭痛に襲われたかのように髪を振り乱して悶えている。男の様子がいきなり変わったことにルリアとビィは何が起こったのかわからず、呆けたように見ていた。

 

「覇空戦争……星晶獣……そうか、そういうことか……思い出したぞ……!」

 

赤い男は苦しげに呻きながら何かに気がついたようだ。先ほどとは打って変わって殺意に満ちた眼差しでルリアを睨んでいる。

 

「貴様……星の民だな?」

 

「……どうして、それを……」

 

「俺を、イスタルシアに……星の島に連れて行け……」

 

「え?」

 

男はルリアに命令した。自分たちを殺すために近付いてきたかと思えば突然苦しみだし、今度は自分の正体を当ててみせた。挙句の果てに自分たちが目指す場所であるイスタルシアへ連れて行けと命令し、訳のわからない事が立て続けに起きてルリアの頭は今にもパンクしそうだった。

 

「そこまでは……お前たちに……手は出さんと……約束しよう……」

 

「ふ、ふざけんじゃねぇ! 誰がお前の言葉なんか信じるか!」

 

男が地面を殴りつけた。拳が大地にめり込み、クレーターと地割れを作り出す。

 

「もう一度だけ言うぞ……俺を、イスタルシアに連れて行け。俺は、そこに行かなくてはならない」

 

「わ、わかりました!」

 

「る、ルリア!?」

 

この期を逃さんとばかりに少女が声を張り上げる。理由は分からないが、目の前の男は何が何でも星の島に行かなくてはならないらしい。そして、その手段はいまこの場にいる騎空団に頼るしか方法がない。

男は恐らく自分たちを殺してイスタルシアへ向かう手段を失うのは絶対に避けたいはずだ。だとすればカタリナとラカムの二人を救うチャンスは今しかない。

 

「あなたをイスタルシアまで連れて行きます。ただし、そこに付くまでの間、カタリナ達には絶対に手を出さないと約束してください!」

 

「ああ、約束しよう……俺も星の島へ向かう手段を失うのは御免こうむる……」

 

ルリアの予想通り、男はイスタルシアへ向かう方法が失われることを避けたがっていた。これで一先ずの安全は確保できた。

ちょうどその時、激しく咳き込む声が聞こえルリアとビィが声のした方を見れば、ラカムが脇腹を抑えながら何とか立ち上がろうとしていた。カタリナもようやく嘔吐が収まったらしく、脂汗を流しながらも命に別状は無さそうだ。

二人の無事を確かめる事ができ、ルリアは思わず盛大に息を吐き出す。幾分か落ち着いたところで自分を睨む男と改めて対峙した。

 

「あなた……名前は?」

 

「イド……それが俺の名だ」

 

赤い男は、イドは欲動を意味する自分の名を告げた。



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ノコギリ

今回は自分も大好きなゲームのあのキャラクターが登場します。3の発売が楽しみです。





【ノコギリ】

 

鬱蒼と生い茂る森の中を三人の男女が歩いていた。

一人は角を覗かせた黒い兜を被り、全身を同じく黒の鎧を隙なく着込んだドラフの男、もう一人は金髪で左右で結い、赤い軽装鎧を着た女、最後の一人は栗毛を後ろで結った青い服を着た女だ。三人は何やら話しながら森の中を進んでいる。

 

「これといった成果は無かったわね」

 

「仕方あるまい。次の島へ向かうぞ」

 

「ねぇ、ぶっ続けで探索ばっかだからさ、ここらへんでちょっと息抜きでも……」

 

栗毛の女が休憩を提案して金髪の女もそれに賛成した。鎧の男はそれもそうだな、と同調する。三人は街で何か食べることで意見が一致し栗毛の女は大喜びした。先程よりも軽い足取りで栗毛の女が先頭を進んでいると突然足が止まった。

 

「どうした、ベアトリクス」

 

「なに、もしかして忘れ物?」

 

「いや、あれ……」

 

ベアトリクスと呼ばれた栗毛の女は「それ」を指を差す。後ろの二人は彼女の両脇から「それ」を見た。ベアトリクスが差した先には地面に巨大なノコギリが突き刺さっていた。

三人はゆっくりとノコギリに近付き、手を伸ばせば触れる程度の距離でノコギリを囲む。先端が地面に突き刺さったノコギリは見える範囲だけでも人の背丈ほどはあり、幾重もの歯が凶悪さを滲ませている。ベアトリクスが上から下までしげしげと興味深そうに眺めた。

 

「ゼタ、来るときにこんなのなかったよね?」

 

「確かになかった……バザラガ、行きと帰りも同じ道だよね?」

 

「ああ、同じ道だ」

 

ゼタと呼ばれた金髪の女は確認のために聞くと、鎧の男バザラガは簡潔に答える。そうしている間にノコギリへの視線が何往復もしたベアトリクスが手を伸ばし――。

 

「触るな」

 

低く唸るような声がそれを制した。三人は咄嗟に得物に手をかけて構える。いつの間にか木陰に一人の男が立っていた、男はゆっくりと木陰から歩いてくる。森の木々によって幾分か遮られた太陽光に晒され姿が顕になった。

男は紺色のフード付きコートを目深に被っていた、鼻から上はフードに隠れており唯一見える鼻から下は色黒だ。袖を捲った右手首には大きな赤い腕輪を嵌めている。

 

「何を警戒している。同じ神機使いだろう」

 

男は警戒心を向ける三人に向かって疑問混じりにそう言った。「神機使い」という聞き慣れない言葉と、「同じ」というこの場では意味が分からない単語を聞いたベアトリクス達は得物を構えたまま頭上に疑問符を浮かべる。そうしている間にも男は近付いてくるが妙な動きは全く感じられない。

フードの男はベアトリクスとゼタの間に立ち、三人が囲んでいたノコギリに手を伸ばし、柄を片手で掴むと軽々とそれを引き抜いた。男は自身の身長を越える巨大なノコギリを片手で持ったまま表と裏を見て具合を確認している。その様子を見てベアトリクスとゼタは驚愕で固まっていた。

 

「他人の神機に触ろうとするなんて、なんのつもりだ。自分以外の神機には決して触れてはならないのは常識だぞ」

 

「……あんた、さっきからなに訳の分からないこと言ってんの?」

 

一方的に話をする男に少し腹が立っていたのか、ベアトリクスは僅かに棘のある口調で男にそう言った。男はそんなことを言われるのが予想外だったのか、微かに動きが止まる。

 

「……お前たち、神機使いじゃないのか?」

 

「だから、さっきから神機だとか神機使いだとか訳の分からないこと言うな!」

 

我慢の限界に達したのかベアトリクスが声を荒げる。続けて何かを叫ぼうとした彼女をバザラガが制して一歩前に出た。

 

「どうにも話が噛み合わない、すまないがお前の出身や所属している組織があったら詳しく教えてくれ」

 

フードの男は一瞬だけ沈黙したあと「わかった」といって話しを始める。曰く、男はフェンリルの極東支部なる組織に所属しているらしい。彼の居た場所ではアラガミというモンスターが世界の殆どを喰らい尽くし、人類は滅亡の危機に瀕しているという。そのアラガミに唯一対抗できるのが神機であり、それを扱える人間は神機使いと呼ばれている。そして彼は任務の最中に突如として気を失い、気がつけば森の中にいたという。

話を聞き終えたベアトリクス達は三者三様の反応を見せていた。ゼタは難しそうな顔で首を捻り、バザラガは腕を組んで沈黙、ベアトリクスは訳が分からないという顔をしていた。

 

「俺が話せるのはこれくらいだな」

 

「……にわかには信じられんな」

 

「同感」

 

「同じく」

 

バザラガの言葉にゼタとベアトリクスが同意する。

 

「それで、今度はそっちが話す番じゃないのか?」

 

「それもそうだな」

 

男に促され今度はバザラガがこの世界の話を始める。この世界は空に浮かぶ幾つもの島がそれぞれ国となっており、ここはその中の一つである。今から五百年前に覇空戦争と呼ばれる大きな戦いがあり、その戦争で星の民と呼ばれる種族は星晶獣という強大な力を持つ幻獣を使っていた。そして五百年後のいま、現在も星晶獣はあちこちの島に存在しており、自分たちはその調査を行っている。

バザラガは自分たちと組織に関することを伏せつつ歴史を語った。星晶獣の討伐こそが自分たちの本来の目的であるが、それを語ることは公には知られていない組織のことを話すことになる。そのためバザラガは「星晶獣の調査」という当り障りのない、尚且つ嘘でもない言葉でごまかした。

 

「……」

 

バザラガの口から語られたこの世界の成り立ちを聞いて、男は腕を組んで沈黙する。何かを考えているのか、それとも戸惑っているのか、フードを被っているためどのような表情をしているか分からない。

しばしの沈黙が場を流れたあと男は静かに口を開く。

 

「正直なことを言えばとても信じられないが……あんたらが神機使いでないことは確かだな」

 

「何か根拠があるの?」

 

ゼタがそう言うと男は右腕を上げた。

 

「この腕輪は神機を使うのに絶対に必要なものだ、逆を言えばこの腕輪をしているのは神機使いのみ。あんたらは武器を持っているのに腕輪をしていない、と言うことは神機使いではない」

 

「武器と腕輪になんの関係があるのさ」

 

「アラガミは神機以外の攻撃では傷一つ付けられない、その結果世界からは神機以外の殆どの武器が姿を消した。そして神機を制御するためにこの腕輪が必要でな。こいつがないのに神機に触ると……」

 

「触ると?」

 

「神機に喰われる」

 

真剣にフードの男は言い切った。ベアトリクスとゼタは言葉の意味が分かりかねるのか困惑の表情で男を見ている。

「喰われる」とはどういう意味なのか。何か比喩的な意味か、それとも文字通り武器に自分が食べられるのか。本当の意味がわからずとも、当事者である神機使いの男の様子からその言葉がただならぬ意味を持つのは確かであろう。

 

「武器に喰われる、という意味か?」

 

「見せた方が早いな、少し離れてろ」

 

バザラガの質問に男は寄りかかっていた大樹から背を離すと三人に離れるように言う。ベアトリクス達はフードの男から十分な距離を取ると、それを確認した男は傍らに立て掛けていたノコギリを手に取り、構えを取った。

腰を低く落とし左手を前に、ノコギリを握る右手は後ろに引いた。まるで突きを放つような構えを三人は固唾を飲んで見守る。

 

「あ!」

 

ベアトリクスが声を上げる。彼女達の見ている目の前でノコギリに変化が表れた。鍔の部分から何かが蠢く音と共に黒い顎が現れる。ベアトリクス達が驚いている間に顎に二つの黄色い目が現れ、牙が生えてくる。やがて顎は黒い獣の頭となり刀身を口内に収めるほどの大きさになった。

 

「見ていろ」

 

男は右手を、黒い獣を突き出す。一際大きく野獣の口が開かれ咆哮しながら目の前の大樹に喰らいついた。一噛みで極太の幹を食い千切り獣はあっという間に鍔に姿を消す。あとには大きく歯型に抉られた大樹が残される。文字通り目の前で大樹が喰われた。

 

「神機使い以外の人間が神機に触ると今のやつに喰われる。だから絶対に触るな」

 

「ベア……危なかったね。もう少しで死んでたよ」

 

ベアトリクスは黙って頷いた。

 

「それ以前に、不審な物にすぐに手を出すのはどうかと思うが」

 

「そ、それよりもあんた、いい加減にそれを脱いだら。顔も見せないなんてちょっと失礼じゃない? 名前だって聞いてないし」

 

「……それもそうだな」

 

その指摘を誤魔化すようにベアトリクスは慌てて男の非常識を糾弾する。男は特に反論もせずにここでようやく目深に被っていたフードを脱いだ。右手でフードを掴んで後ろに下ろすと、隠れていた銀色の髪が現れ太陽の光を照り返す。その下にある髪とは対照的な色黒の顔を見て三人は驚いた。

 

「ユーステス……!?」

 

銀色の髪に浅黒い顔、鋭い目付き。奇しくもその顔立ちは三人がよく知る人物にそっくりであった。

 

「誰かと間違えていないか? 俺の名前はソーマだ」

 

銀髪の男、ソーマ・シックザールはここで初めて名を名乗った。

 

「え? あ、ホントだ」

 

ソーマの頭を見たゼタが何かに気がついた。あとを追うようにベアトリクスとバザラガも彼の頭を見て気がつく。

 

「エルーン族特有の耳がない、確かに人違いだな」

 

あまりにも知り合いに似ていたもので驚いた、と言いながらゼタはまじまじとソーマの顔を観察する。ベアトリクスはソーマの顔をどこか複雑な表情で見ていた。

 

 

 

 

 

その後、ソーマは一先ずバザラガ達と行動を共にすることとなり、その流れで昼食を一緒に食べることとなった。町中のレストランに入った四人は店員に案内され空いているボックス席に座る。座るや否やベアトリクスが真っ先にメニュー表を開いた。

 

「んで、今日は何にする?私はパスタ!」

 

「私も同じので」

 

「俺も同じものを頼む」

 

「任せた」

 

最後のそっけないソーマの返事にベアトリクスは少しだけむくれるが、気を取り直して近くを通りかかった店員に注文を伝える。店員が店の奥に消えるとベアトリクスはゼタと他愛もない話を始めた。

仲の良い二人は今度の週末はどこに行くか、この前カワイイ服を見つけたなどと楽しげにお喋りをしている。友人の誕生日が近いという話題になったところでふと、ゼタがソーマに質問する。

 

「そういえばソーマって歳はいくつなの?」

 

「歳か、十八だ」

 

十八、その数字を聞いた途端にベアトリクスが何やら意味ありげな笑みを浮かべ、突然立ち上がった。左手を腰に当て、右手の人差し指でビシっとソーマを指差すと高らかに告げる。

 

「いいかソーマ、私は二十一歳だ。つまりアンタよりも三つ、三つも年上だ!」

 

勝ち誇ったような笑みを浮かべながらベアトリクスは三つという部分を強調して繰り返す。ゼタは呆れたようにそっぽを向き、バザラガは兜の口から大きな溜息を吐いて俯いた。当のソーマは興味がないのか腕を組んだまま無言を貫いている。

三人の様子には構わず、ベアトリクスは身振り手振りを交えながら更に言葉を続けた。

 

「そして何よりも組織では私が先輩だ! 先輩の言うことを聞く、これが社会の常識だ! だから新入りであるアンタは私の言うことに従うこと、わかった?」

 

フフン、と誇らしげに鼻を鳴らしベアトリクスの演説は終わった。沈黙を貫いていたソーマはゆっくりと目を開くと青い瞳をベアトリクスに向ける。

 

「なるほど、確かにアンタの言うことも確かだな」

 

「うむうむ、素直で大変よろしい」

 

「だが、その前にアンタは世間の常識に従うべきじゃないのか?」

 

ベアトリクスはソーマの言った意味が理解できなかったのか小さく首を傾げる。そんな彼女をゼタは小突くと、目配せして何かを訴える。ゼタの目が動いた方向にベアトリクス顔を向けると、いつの間にかレストラン中の客が自分を見ていた。

 

「あ、あの、お客様……」

 

後ろを振り返る。注文した料理を運んできたウェイターがどこか気まずそうにそう言った。

 

「~~~っ!!」

 

ベアトリクスは顔を真赤に染めると落下するような勢いで着席し、顔を真下に向ける。ソーマ達が一斉に溜息を吐いた。

 

◆◆◆

 

「まったく、ベアのせいで私達まで大恥をかいたわよ」

 

「ごめん……」

 

「少しは自制を覚えろ」

 

「はい……」

 

ベアトリクスが店内中の注目を集めてしまったため、四人は碌に料理を味わうこともなく大急ぎでかき込み、逃げるようにして店を後にした。通りに出たところでベアトリクスはゼタとバザラガから説教をくらうが、自分に非があることを認め素直に聞いている。

しかし、ベアトリクスに絡まれた当のソーマは特に何も言わずに黙っていた。その様子が気に入らないのかベアトリクスは僅かに棘のある口調でソーマに物言う。

 

「……あんたは特にないの?」

 

「何がだ?」

 

「一番文句を言いたいのは普通に考えて突っ掛かられたアンタでしょ」

 

「あんなことを一々気にするほど子どもじゃない」

 

「~ッ!!」

 

ベアトリクスの顔がむくれて何かを言いたそうにしているが、先程あのような出来事があったうえに今はゼタとバザラガの二人から説教をくらっている真っ最中だ。そして何よりもここで感情に任せて言葉を吐き出せば「自分は子どもだ」と主張するようなもの。ベアトリクスは自分たちの騎空挺に戻るまでずっとむくれていた。

その日の夜のこと、月明かりに照らされながらバザラガは騎空挺の舵を取っていた。次の島に向けて騎空挺は雲の海をひた走る。バザラガの後ろから小さな足音が聞こえると、振り返らずに背後の人物に声をかける。

 

「ゼタか、なんの用だ」

 

「ソーマのことでちょっとね」

 

「なぜ、無関係なソーマの同行を許したのか。だな?」

 

うん、とゼタは小さく答える。バザラガは舵を取りつつ前を向いたまま彼女の疑問に答えた。

 

「まず、ソーマの持つ神機は危険だ。あれを野放しにしておけば何が起こるかわからない。下手に放っておくよりも同行させて様子を見るのがいいだろう」

 

「確かにそうだね」

 

バザラガの言うことは最もであった。この世界では極めて異質である力を持ったソーマ、彼の存在がどのような影響を及ぼすかはまったく想像がつかない。もしかしたら何れは自分たちの手に負えないほど脅威となる可能性も有り得る。そのような事態を防ぐためにもまずは同行させて様子を見るべきだとバザラガは判断した。

 

「それに神機はもしかしたら星晶獣に対する新たな力になるかもしれん」

 

これも当然だ。この世界のヒエラルキーで頂点に君臨する星晶獣。バザラガ達が持つ武器も星晶獣に対抗するために作られたものだが、ソーマの持つ神機はもしかしたらそれ以上の力を秘めているか、はたまた対星晶獣の新たなヒントになるかもしれない。

自分たちの真意を知らないソーマのことを不憫に思ったゼタは俯いて下唇を噛んだ。同時に、これも組織のためだと言い聞かせる。私情を挟んでは集団は立ち行かない、これが当然だと彼女の中で冷徹な組織のゼタが人間のゼタに言い放った。

 

「それと、いきなり別の世界に放り出され、右も左もわからないような奴を見捨てるほど俺も無情ではない」

 

まさかそのような理由が出てくるとは思わなかったのか、ゼタは一瞬だけ面食らったような顔をして小さく笑う。

 

「……ちょっと意外」

 

「俺とて人の子だ。それなりに人情はある」

 

厳つい風体にはとても似合わない台詞を事も無げに口にするバザラガ。そんな彼の意外な一面が垣間見え、クスクスとゼタは笑う。

それじゃあおやすみ、とゼタは大きな背中に就寝の挨拶をして部屋に戻っていった。

 

 

 

 

 

「以上が現在の調査結果だ」

 

「全てハズレか」

 

とある一室で二人の男がテーブルの上に置かれた紙を見ながらそう言った。二人がいる部屋は床や家具にたっぷりと埃が積もっており、長い間人の出入りがなかったことが窺えた。

天窓から差し込む光が部屋の中を舞う埃を照らす。片方の男がテーブルの上に置かれた紙を畳んで懐にしまうと、それに合わせて埃たちが舞い踊る。

 

「一つ聞くが……あんた、何か隠してないか?」

 

「なんのことだ?」

 

報告を聞いていた男は灰色の瞳から鋭い視線を放ちながら男に尋ねる。尋ねられた男は特に変わった様子もなく、さも当然のようにそう返した。

 

「……すまない、なんとなくそう思っただけだ。気分を悪くしたのなら謝る」

 

「気にするな」

 

そう言って尋ねられた男は床の埃の上に足跡を残しながら部屋から出て行った。しばらくして、もう一人の男も腰のホルスターに収められた銃を揺らしながら部屋を後にした。

 

 

 

裏通りの古びた空き家を出たバザラガは表通りへと向かう。大勢の住民が通りを行き交うなか、バザラガは人混みを掻き分けながらとある喫茶店のテラスに入った。色とりどりのパラソルの花が咲き乱れる店先、パラソル下のテーブル席にベアトリクスがジュースを飲みながら楽しげにゼタとおしゃべりしている。

 

「終わったぞ」

 

「お帰り。思ったより早かったね」

 

「これと言って報告することはなかったからな。定時連絡だけだ」

 

バザラガは席に座ると、ゼタとベアトリクスの二人は会話を再開する。ソーマとバザラガは特に何かする訳でもなく二人揃って腕を組み、黙っていた。

女子二人が軽食や飲み物を口にしながらおしゃべりを続け、これでもう何回目となるか分からない話題の切り替えが行われる。ふと、通りを見たゼタが何かに気がついた。顔をしかめてそれを確かめるといきなり手を上げる。

 

「ルリアちゃん! 久しぶり!」

 

「あ、ゼタさん。お久しぶりです!」

 

ゼタが手を振る先には蒼い髪の少女が手を振り返していた。少女は前を歩く女騎士に話しかけると騎士もこちらを向き、驚いたような顔をしたあとに会釈する。

二人は通りから離れてバザラガ達のもとに近付いてくると、ルリアと呼ばれた少女はゼタに抱きついた。

 

「こんなところで会うなんて奇遇ですね! ベアトリクスさんもお久しぶりです!」

 

「ルリアちゃんも久しぶり。本当に偶然だね」

 

どうやらルリアはゼタ達と知り合いらしく、久しぶりの再会を喜んでいた。

 

「久しぶりだな、バザラガ殿」

 

「オダヅモッキーの件以来だな、カタリナ」

 

その隣ではバザラガが鎧を着た女騎士と挨拶を交わしていた。彼女の名はカタリナ、ルリアを守る騎士であり騎空団を率いる団長でもある。彼女達は以前バザラガ達と行動を共にしたことがあり、それ以来奇妙な縁があるのか事あるごとに出会っていた。

カタリナはゼタとベアトリクスのテーブルにもう一人座っていることに気がつくと、その顔を見て挨拶をしようと口を開きかけるが、何かに気がついて訝しげな表情になる。それを察したバザラガはカタリナにソーマを紹介した。

 

「そこにいるのはソーマだ、訳あって俺達と行動している」

 

「ソーマだ。バザラガ達と行動している」

 

小さく顔を上げ、簡潔かつ手短にソーマはそう言うと再び俯いた。カタリナはどこか困ったような顔を、ルリアは見知らぬ人物に興味津々といった表情でソーマを見ていた。

 

「うわー、ユーステスさんにそっくりですね!」

 

「でしょー。私達も初めて見た時は勘違いしちゃったよ」

 

「そのユーステスというやつは誰だ? 俺と初めて会った時もそいつと勘違いしていたが」

 

早速ソーマとの交流を深めるルリア。彼女の明るい性格と相まって場は更に和やかになってゆく。ベアトリクスがよくソーマに突っ掛かる、という話をゼタがすると当のベアトリクスは顔を真赤にして反論した。

そのすぐ隣ではバザラガがソーマの事情についてカタリナに話していた。異世界から来たこと、その世界の状況、彼の持つ神機やその危険性。聞けば聞くほどカタリナは困惑の表情を濃くするが、目の前の男が嘘や冗談を言う性格ではないことを知っているカタリナはその話を信じることにした。

 

「ソーマの事情についてはこんなところだ。"俺もこの件を上にはどう報告するべきか困っていて、色々と考えているところだ"」

 

「なるほど……」

 

バザラガのどこか含みのある言い方にカタリナは事情を察する。それ以上は言葉を交わさずとも、彼らの所属する組織や立場を考えればバザラガの言わんとしていることは分かっていた。

そこでだ、と言ってバザラガはカタリナに何か耳打ちすると彼女は驚く。いいのか? と目で確認すると兜の男は黙って頷いた。それを見て女騎士も頷き返す。

ふむ、とバザラガが唸るとソーマに顔を向ける。

 

「ソーマ、一つ提案だがこの騎空団に付いて行くのはどうだ?」

 

「ちょ、バザラガ。いきなり何言ってんの!?」

 

バザラガの突然の提案にルリアを交えてベアトリクスと楽しく会話していたゼタが慌てる。当のソーマは慌ててこそいないがどこか訝しげな顔をしていた。

 

「どういう意味だ?」

 

「俺たちは上からの指示が無ければ動くことはできないが、カタリナの騎空団なら自由に動くことが出来る。もしかしたらお前が元の世界に帰るための手がかりが掴めるかもしれない」

 

「なるほどな」

 

ソーマは納得し、隣で話を聞いていたゼタはバザラガの提案の意味を、本当の意味を理解して彼を見た。

 

「私は一向に構わないぞ。何よりも人手不足でな、新しい団員が来てくれるなら大歓迎だ」

 

「だったら、そうすることにしよう」

 

ソーマがカタリナの騎空団に入団すること了解すると、ルリアは両手を上げて大喜びする。

 

「ソーマ行っちゃうのかー。短い間だったけど寂しくなるね」

 

「お前なら大丈夫だと思うが、道中は気をつけろ」

 

ゼタはどこか寂しげな表情を浮かべ、バザラガは何時もの調子でソーマに見送りの言葉をかける。その後ろで最後まで黙って話を聞いていたベアトリクスの表情は俯いて見えなかった。

 

◆◆◆

 

「短い間だったが世話になったな」

 

次の日の朝、街の出入り口でソーマはバザラガ達に別れの挨拶をしていた。どこが名残惜しそうにゼタが手を差し出すとソーマは黙ってその手を握る。

 

「向こうでも元気でね」

 

握り合った手が上下に揺れて握手を交わす。手が離れた時にはゼタは優しげな笑みを浮かべていた。

 

「カタリナ達の騎空挺は隣町に停めてあるそうだ。さほど距離も離れていないし魔物も殆どいないが気をつけろ。それと、あの騎空団は俺達と違った意味で賑やかだ。初めは苦労するかもしれんが……じきに慣れるだろう」

 

「心配するな、元の世界でもあんな感じの奴らとは部隊を組んでいたからな。それと、俺があんたらと行動を共にしたことは上には知られない方がいいみたいだな」

 

ソーマの不意の言葉にゼタが固まる。バザラガは特に取り繕うような素振りも見せずに淡々と尋ねた。

 

「いつからだ?」

 

「あんた達と出会ってしばらくしてからだな。臭い、とでも言うべきか。俺のいた場所も似たようなものでな」

 

そう言ってソーマは肩を竦める。「そうか」とバザラガは短く言った。

ソーマはバザラガの隣に立つベアトリクスを見た。彼女は今朝から一度もソーマと会話どころか目も合わせようとせず、今もそっぽを向いている。ソーマは小さく息を吐くと神機を担ぎ直し最後の会話を交わす。

 

「俺はこれから元の世界に帰る方法を探す。次にあの騎空団と会ったら俺はいないかもしれんが……その時は伝言でも頼んでおこう」

 

それじゃあな。そう言ってソーマは後ろを振り返り歩き始めた。舗装された道は小高い丘へと続いており、紺色の背中は神機を揺らしながら丘の上に向かう。丘の中腹辺りになったところでゼタが小声でバザラガに話しかけた。

 

「組織にソーマのことは報告してないの?」

 

「俺も色々と考えたが、あいつにはこれが一番いいだろう。組織がソーマの存在を知ればその力を危険視するものや、よからぬことを企む輩が必ず出てくる」

 

「なるほどね」

 

「それに」

 

「それに?」

 

「あの騎空団なら大丈夫、そんな気がしてな。確証はないが」

 

「……私も」

 

ゼタとバザラガはそう言って離れてゆくソーマの姿を見送る。神機を担いだ背中は時間と共に小さくなり、まもなく丘の向こうに消えるだろう。ゼタは右を向くと未だにそっぽを向いている親友に声をかけた。

 

「ベア、ソーマ行っちゃうよ」

 

「……」

 

ベアトリクスは相変わらずそっぽを向いている。そんな彼女にゼタは呆れたように小さな溜め息を一つ吐き、肩を竦めた。

 

「次はいつ会えるかわからないんだから、今の内に一声かけたら。でないとあとで後悔するよ」

 

ベアトリクスの肩がピクリと震えた。次第に震えは肩から全身へと広がり、ベアトリクスは勢い良く走りだした。そんな親友の様子にゼタは苦笑する。

 

 

 

「ソーマーーーーー!!!」

 

丘の中腹まで登ったベアトリクスは口に両手を当てて大空に響き渡るような大声で叫ぶ。その先には巨大なノコギリを担いだ紺色の背中が。

 

「私みたいに無茶して、迷惑かけるんじゃないよーーーーー!!!」

 

ベアトリクスの叫びは青い空に幾重も木霊する。空の彼方へ木霊が消え去り一陣の風が彼女の栗色の髪を揺らした。

 

「……あ」

 

ノコギリを担いだ背中が左手を挙げた。その姿が丘の向こうへ消える直前に挙げられた手は降ろされる。ソーマの姿が見えなくなった。見送りの言葉を叫んだベアトリクスは快晴の青空の様に晴れ晴れとした笑顔を浮かべていた。あいつならきっと大丈夫、根拠は無いがそんな確信が彼女の胸の中にあった。

ベアトリクスは大きく息を吸いゆっくりと吐き出す。改めてソーマが消えた丘を見やると、踵を返してゼタの元へと歩いて行った。

 

 

 




というわけで、今回はゴッドイーターシリーズよりソーマを登場させました。
声優もそうですが顔つきや色黒なところと共通点が多いですね。GEはグラブルと是非ともコラボしてほしい作品の一つです。
次回もGEのキャラクターを登場させる話を投稿します。


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リベリオン 前編

【リベリオン】

 

よく晴れた日のこと、鎧を着た女騎士を先頭に山の中を数人の騎空士が歩いていた。彼女の後ろには男が二人、少女二人が縦一列になって続いている。二人の男は背中と両手に大荷物を持っており足取りに合わせて荷物が揺れていた。

女騎士は手に持つ地図と周囲の地形を見比べながら山道を歩き続ける。自分たちが進んでいる道が正しいか不安なのか、頻繁に地図を見ては周りの山の形や高さを確認していた。

 

「大丈夫だってカタリナ、目的の村までは一本道だから迷うなんてありえねぇよ」

 

その様子を見かねた、すぐ後ろを歩いている咥えタバコの男が笑いながらそう言った。しかし当の本人で女騎士カタリナは不安が拭えないのか、振り返らずにやはり地図と地形を確認している。

 

「いや、それは分かっているのだが万が一ということもある。それに私は地図の読み方がな……」

 

「団長でも後ろを歩いていいんだぞ、騎空団の長は常に先頭に立たねばならない。なんて決まりは無いんだからよ」

 

更に後ろを歩いている髭を蓄えた眼帯の男が茶化すようにそう言った。

 

「しかしだ、オイゲン。やはり長というものは皆の規範となって……」

 

「カタリナ、少しは楽にしようよ」

 

「そうよそうよ、いつもそんなんじゃ息が詰まっちゃうわ」

 

ねー、と蒼い髪の少女と褐色肌の金髪の少女は顔を見合わせてそう言った。

 

「ルリアとイオがそう言うなら……」

 

カタリナは地図を畳んで懐にしまうと歩く速さを緩め、相変わらず咥えタバコをしているラカムとオイゲンに先を譲った。カタリナは列の最後方を歩いている蒼い髪のルリアと金髪のイオと並んで歩く。

 

「それにしても、なんでこんな山奥に住んでいるんだ? 街から離れているし、こうやって物資を運ばなきゃならないほど人の行き来がないんだろ。なにか理由があるのか?」

 

「村人の先祖たちがその場所を開拓して住めるようにしたらしくてな。ご先祖様が必死に作ってくださった場所を離れるなんてとんでもない。という理由でずっと暮らし続けているそうなんだ。街の方はこっちに移り住まないかと何度も呼びかけているらしいがな」

 

なるほどな。カタリナから理由を聞いたラカムは呆れとも尊敬とも付かない苦笑を浮かべた。

騎空団は路銀を稼ぐために街で依頼を探していたところ、山奥にある村に物資を届けて欲しいという依頼を見つけた。運ぶ荷物はかなりの量であるものの、報酬は下手な魔物の討伐依頼より良いものであった。

カタリナ達は即座にこの依頼を引き受け、依頼主から目的地である村までの地図を受け取り、幾つかの注意事項を聞いて街を出発した。そして途中で何度かの小休止を挟みつつ現在に至る。

 

「あそこを曲がれば目的の村はすぐだ」

 

ラカムが顎で指した先には緩やかな坂道の果てに曲がり角がある。ラカムとオイゲンは荷物を持ち直すと、小さな掛け声を出しながら気合を入れて坂道を登る。その後ろをルリアとイオが鼻歌を歌いながら楽しげに続いた。

坂道を登り終え、角を曲がった先は斜面の上だった。騎空団が立つ場所から扇状になだらかな斜面が広がっており、その先に幾つもの家の集まり、目的地の村が見えた。村の中央には川が流れており、そこを通りとして左右に家が軒を連ねていた。あちこちには畑や家畜用の広場などが作られており、まさに絵に描いたような長閑な村である。

男二人は小さく息を吐くと、もうひと踏ん張りだ。と言わんばかりに荒い鼻息を吐く。少女二人は高い場所からの眺めを楽しんでいた。

オイゲンが村に向かうため、斜面を降りようと一歩を踏み出し、

 

「……ちょっと待て」

 

これから村へ行こうとした矢先にラカムが待ったをかける。どうした? とオイゲンが言うとラカムは目を凝らして村を見ていた。

 

「村の川、何か流れてる」

 

片方の荷物を地面に置き、空いた手で庇を作りながらラカムが言った。先程よりも顔をしかめ、眉間に更に深い皺を作りながら村を流れる川を観察している。

その様子を見てカタリナ達もラカムの見ている先に目を凝らした。確かに青い清流に混じって何かが流れている。ここからでは正確な大きさは分からないが、川幅から予測すればかなりの大きさだろう。やがて、ラカムが川を流れているものの正体に気が付き顔が驚愕に染まった。

ラカムよりも遅れて川を見始めたカタリナ達の視界はまだぼやけたままだった。出来る限り目を細め、額に手を当てて余計な光が入らないように庇を作る。徐々に目のピントが合い、霞がかかったような光景が鮮明になってゆく。太陽光を照り返す川の流れまで見えるようになったとき、遂に彼女たちも川を流れるものが何なのか悟った。

人が流れていた。顔を水中に沈めたまま背中を川面に浮かべピクリ共動かない。水の流れに合わせてゆったりと回っている。

どういうことだ。カタリナ達は全く同じことを考えていた。なぜ、人が川を流れているのか。もしや事故でもあったのか? 頼むからそうであってくれと、もう一つの可能性でないことを騎空団は祈る。そして村から聞こえた悲鳴でその祈りは脆くも打ち砕かれた。

川沿いの家の陰から一人の女性が飛び出してきた。かなり慌てており、足をもつれさせながら必死に何かから逃げている。遅れて家の影から何かが姿を現す、それは二足歩行するトカゲのような魔物だった。

魔物は前かがみになって逃げる女性を追いかけている。女性は後ろを何度も振り返りながら川沿いを走り続け、やがて何かに躓いて転んだ。すぐに立ち上がろうとするが、後ろから迫る魔物に腰を抜かしてしまったらしく、手を使って後ずさりしている。やがて手が川縁に触れた。それ以上後ずさり出来ないことを悟った女性の顔が絶望に歪む。

追いかけていた魔物は獲物がそれ以上逃げないことを悟ったのか、走ることをやめてゆっくりと女性に近付く。そして、とうとう女性の目の前までやってくると、鋭い鉤爪が並んだ右手を振り上げ――

 

「やめ――!」

 

カタリナの声は届かなかった、鉤爪が無慈悲に振るわれる。女性の体から何かが千切れ飛んだ。千切れたそれは川に落ちると、一滴のインクを落としたかのように一瞬だけ赤い色を見せ、すぐに清流の青に飲み込まれた。その傍で魔物が動かない女性を貪っている。

ラカムとオイゲンは持っていた荷物をその場に投げ捨て、代わりに愛銃を手に持つ。騎空団はカタリナを先頭に崖を駆け下りて村へと向かった。

村の様子はまさに地獄絵図と呼ぶに相応しい有り様であった。あちこちで村人が逃げ惑い、収穫間際だった畑は荒らされ、家畜は大地に赤い血を垂れ流して動かない。人々は魔物――全身が岩のような鱗に覆われた二足歩行するトカゲの魔物から必死に逃げていた。

 

「た、助けてくれええぇぇ!!」

 

一人の村人がカタリナ達に気が付き助けを求める。そのすぐ後ろには数匹の魔物が鋭い爪を振りかざして男に襲いかかろうとしている。カタリナ達は男を助けるべく得物を構え、彼を追いかけている魔物に向かおうとして、それは無駄となった。

村人の腹に丸太のような棒が叩き付けられる。同時に男から何かが折れる音と潰れる音が響き、男が口から血を吐き出した。丸太はそのまま男を後ろに吹き飛ばし、待っていたと言わんばかりに魔物が群がり貪り食らう。

カタリナは視線を動かして丸太の先を見た。その先には物陰に隠れていた魔物が姿を表し、先ほど尻尾で殴り飛ばした男の方を一瞥すると、新たな得物として騎空団に狙いを定めたようだ。カタリナが歯噛みする。

魔物が威嚇するように吼えると、次の瞬間には開かれた口に直剣が突き刺さっていた。柔らかい内部から突き立てられた剣の切っ先は貫通して魔物の後頭部から飛び出ている。愛剣を引き抜くとカタリナは振り返らずに怒りと共に言葉を吐き出した。

 

「散開だ! これ以上の犠牲を出すわけにはいかない!!」

 

それだけで彼女が何を言いたいのか団員達は理解していた。助けられるはずだった命を目の前で奪われ騎空団の心に正義と怒りの火が灯る。四人は一人でも多く救うべく四方へと散っていった。

 

 

 

ラカムは鱗の無い魔獣の胸を狙って引き金を引いた。轟音と共に鉛弾が撃ち出され、寸分違わず魔物の胸に命中する。胸から細い噴水のように血を吹き出す魔物は、やがてゆっくりと地面に倒れた。

周囲を警戒しながら銃に新しい弾を込める。辺りには血の臭いが漂っており、今の状況も相まって吐き気を催す。胸から込み上げてくる不快感を無理やり飲み込み、再装填が完了したところで新たな敵を探す。

 

「きゃああ!!」

 

子どもであろう甲高い悲鳴が響き渡る。ラカムは迷うことなく悲鳴がした方向へと駆け出した。

数軒の家の前を走り、恐らくはここであろう細い通りの前で立ち止まる。そこには仰向けに倒れた一人の少女が魔物に組み敷かれており、今まさに命を奪われようとしていた。

ラカムは咄嗟に銃を構え照星を少女に襲いかかる魔物に合わせるが、あと一手間に合わない。引き金を引いた時には、魔物は組み敷いた子どもに喰らいつき、一噛みでその命と肉を奪い去るだろう。

――間に合え。ラカムは今までの経験と本能から既に手遅れであることは悟っていた。それでも、ひょっとしたら偶然が、もしかしたら奇跡が起きてあの子は助かるかもしれない。そんなことを祈りながら人差し指に力を入れてトリガーを押し込む。魔物の牙が少女の髪に触れた。

蒼い影が横切り、体に大きな斬撃の傷を作りながら魔物が吹き飛んだ。撃鉄が倒れる直前でラカムの指が止まる。照星から目を離して視線を右に動かせば、そこには浅葱色の刀身を持つ大剣を構える青年の姿が。

 

「大丈夫か?」

 

「は、はい」

 

「早く外に逃げるんだ。他の人は既に避難している」

 

少女は何度も頷くと青年に礼を言って村の外へと走っていった。少女が無事に外へ逃げたことを確認すると、青年はラカムを見た。黒い髪にそれに似付かわしくない金色の瞳、刀身と同じ浅葱色の服に身を包んだ青年は、ラカムの顔を見ると何かを期待するような表情に変わる。

 

「もしかして騎空士の方ですか?」

 

「ああ、そうだ。そういうお前さんは?」

 

「この村で用心棒をしています。手伝ってください!」

 

「もちろんだ!」

 

会話する時間すら惜しい。最低限お互いの身分を確かめ合ったところでラカムは黒髪の青年と共に駆け出した。

二人は村の中を走り回りながらまだ逃げ遅れた村人が居ないか探す。道中で魔物に出くわせば容赦なく鉛弾を撃ち込み、斬り伏せた。

村人を探せど探せど見つかるのは既に物言わぬ死体ばかり。時間と共にラカムと青年の顔が険しくなっていき、魔物に対して振るわれる一撃が徐々に荒くなってゆく。これで何体目か、青年が魔物の腹に剣を深々と突き立て、引き抜いたところで遠くからラカムを呼ぶ声が響く。

 

「ラカム、村人の避難が終わった! 一旦退いて体勢を立て直すぞ!!」

 

「あいよ、すぐに行く! あんたも一緒に来い!」

 

オイゲンが避難が完了したことを告げる。ラカムはその知らせを聞いて返答すると短く息を吐き、張り詰めた緊張の糸を僅かに緩めた。

剣の血払いをしている青年に付いてくるようラカムは言うと、青年は黙って頷き、無残に貪られた村人の亡骸を一瞥してから二人で村の外へと向かった。

 

 

 

村の外、大きな岩影に逃げ延びた村人たちは集まっていた。誰も彼もが不安と恐怖で顔を歪めており、これからどうなるのか、村は元通りになるのかなど、あちこちから自分たちの行末を心配する声が聞こえる。

魔物が近付いてこないか片目を光らせるオイゲンは、村から何かが近付いてくることに気がつくと素早く愛銃を構える。目を細めて照準を覗き、引き金に指をかける。近付いてくる者の正体がわかるまでその状態を維持し、やがてトリガーからそっと指を放した。オイゲンが銃を降ろして直ぐにラカムと黒髪の青年がやって来る。

 

「おう、無事みたいだな。んで、そいつは一体……?」

 

「村の用心棒だ、さっき出会ってな。えっと、名前は……」

 

「空木レンカです」

 

ここで青年は初めて自分の名前を名乗った。と、最後の団員が戻ったことを確認したカタリナが集合をかけ、オイゲンとラカム、そしてレンカも団長である彼女の元へと向かう。

カタリナと会うなりレンカは簡単な自己紹介をし、カタリナも手短に挨拶を済ませる。団員全員が集結したところでカタリナは状況確認を始めた。

 

「村の長老と話し合ったが、ここまで大規模な魔物の襲撃は初めてらしい。村人の数を数えたが恐らく逃げ遅れはいないだろう。あとは魔物の群をどうするか……」

 

「街に救援を頼むか?」

 

ラカムの提案にカタリナは首を横に振る。

 

「そもそも街まで距離がありすぎる。仮に救援を要請したところで、討伐隊の編成や行軍でさらに時間がかかる。とてもじゃないがそんな余裕はない」

 

彼も試しに言ってみただけだろう。だろうな、と言わんばかりにラカムは顔をしかめる。

 

「だったら早く逃げましょ。急がないとあいつらがここに来るわ」

 

「ダメだ、このまま逃げても群が追ってくる。いくらなんでもこの大人数を守りながら逃げるのは無理だ」

 

一刻も早く魔物から逃げるべきだとイオは主張するが、カタリナはそれを制した。彼女の言うとおり、逃げたとしても魔物はすぐに追いかけてくるだろう。こちらは大勢の老若男女、さらには怪我人も混じっている上にそれを守るのはたったの五人だ。それを一人の犠牲も出さずに守り切るのはどう考えても不可能である。

 

「じゃあ、魔物を一匹残らず仕留めるか?」

 

「……それも無理だ、時間も人手も全く足りない」

 

オイゲンが魔物の殲滅を提案するが、カタリナは少し考えた後にこれを却下した。魔物は村中に散らばっており、それを一匹残らず仕留めるとなればいくら時間があっても足りない。仮に実行したとしてもその間にまた新手が村にやってくるだろう。そうなれば結果は言わずとも見えている。

何か、何かこの状況を覆せる手段は無いのか。カタリナは両目を閉じ、腕を組みながら眉間に皺を刻む。こうしている間にも魔物は村を破壊し、避難した村人に迫ってきているはずだ。時間の猶予も残されていない。

 

「……騎空士の方々、私に一つ考えが」

 

そしてその解決策は意外なところから出てきた。集まっている村人の中から皺だらけの手が挙げられている。誰が言うまでもなく村人たちは左右に割れてカタリナ達と挙手をした人物との間に道を作った。

村人たちの海の先に居た人物。それは胸に届くほどに髭を蓄えた一人の老人、この村の長老であった。騎空団とレンカは長老の元へと歩み寄り、彼の「考え」を聞く。

 

「長老、何か策が?」

 

「村に川が流れているのはわかりますな? 水源は上流にある湖からです。なんらかの方法でそれを決壊させれば……」

 

「待ってください、そんなことをしたら村が!」

 

村長が言わんとしていることを察したレンカは言い終える前に遮った。村長が下した決断、それは上流にある湖を決壊させ大量の水で魔物を一気に押し流すという方法だ。

確かにこの方法を使えば魔物は全て下流へと流される、今の危機的状況を打開するには間違いなく最善の方法だ。だが、それと同時に村の全てが共に流されるのは確実である。長年この土地に築いてきた営みの全てが失われるのだ。

 

「レンカさん、確かにあなたの言うとおり村の全ても流されてしまうでしょう。ですが、どう考えても今の状況を何とかするにはこれしかありません」

 

レンカ自身も今の状況に於いてこれ以外の策はないと胸中で確信しているのだろう。長老の言葉にそれ以上の反論はせず、悔やむような表情を浮かべ大剣を握りしめている。しかし、彼の言いたいことを村人の誰かが代弁した。

 

「長老! ご先祖様が汗水を流して開拓してくださった土地を捨てるというのですが!? それは先人への冒涜ですよ!!」

 

「……ああ、確かにそうだ。私はいま、先人へこれ以上無いほどの無礼を働こうとしている。祟り殺されても文句は言えないだろう。しかし、だ」

 

長老はゆっくりと辺りを見回し、自分を見つめる村人達の顔をしっかりと見た。そしてゆっくりと、諭すように、説き伏せるように言葉を紡ぐ。

 

「今回の襲撃で何人の命が失われた? このままこの場所に住み続けても、繰り返される襲撃でいずれ村人全員が殺されるのは間違いない。先祖はなんのためにこの場所を開拓した? 定住するためか? 違う」

 

次第に熱を帯びてくる長老の言葉に村人は聞き入り、騎空団やレンカもいつの間にか長老を真っ直ぐに見詰め、同じように聞き入っていた。

 

「先祖は我々に生きて欲しいから。生きて親から子へ、子から孫へと命を繋げてほしいからこの場所を作って下さったのだろう。それなのに土地を守るために全員が死んでしまっては本末転倒だ。我々はいかなる手段を用いても、それこそ長年住み続けた土地を捨てることになっても、生きてこの生命を次に繋がなくてはならない」

 

長老は両手を緩やかに広げ、まるで全てを受け入れるかのように穏やかな表情を浮かべていた。

 

「それでもなお、村を捨てることに反対するものはいるか? いるのであれば、いくらでも言い分を聞こう」

 

語り終えた長老は厳かに、そして堂々と反対意見を聞くと宣言した。辺りは水を打ったかのように静まり返っており、微かなざわめきも、ささやき声も聞こえない。村の総意は決定した。

 

「決まりですな……。騎空団の方々、あとはよろしくお願いします」

 

「わかりました。でも、どうやって湖を? 爆薬なんてどこにもない……」

 

作戦は決まったが、問題はどうやって湖を決壊させるか。濁流で魔物の群を押し流す以上一度に大量の水を流す必要がある。湖の河口を手作業で広げるという方法は時間も人手も全く足りず当然ながら却下だ。爆薬などで破壊できればいいのだが、生憎そのようなものは手元にない。

 

「あ、あの!」

 

周囲に再び重い空気が流れ始めた時、その空気を吹き飛ばすように一人の少女が声を上げる。村人たちやレンカは一斉に声を上げた少女、ルリアを見た。

 

「もしかしたら私なら何とかできるかもしれません!」

 

「何とか……もしかするとお嬢さんはなにか秘策がお有りで?」

 

「はい! 要するにどんな方法でもいいから湖の河口を壊せばいいんですよね? それだったら私ができるかもしれません!」

 

自分なら出来る、と言った少女に周囲は困惑する。果たしてあの少女に何ができるのか、場を和ませようとしたのか、それともこの状況でふざけているのか、様々な声が一気に溢れかえる。

しかし、彼女の持つ力を知る騎空団の面々は、任せたぞと言わんばかりに無言でその役割を了承した。

 

「では、私とルリアは湖に向かう。ラカム達は魔物が村から出ないように抑えておいてくれ」

 

「あいよ。それとカタリナ、こいつを持ってけ。湖に着いたら打ち上げろ。こっちも同じものを持っているから準備が出来たら打ち上げる。そしたら河口を破壊してくれ」

 

「わかった」

 

ラカムはカタリナに大口径の単発拳銃のようなもの、合図や自分の位置を知らせるために使う信号銃を渡した。念のためにと予備の信号弾も二つ渡し、カタリナはそれを懐にしまう。

 

「もしそっちが信号弾を打ち上げてから十分……いや、五分たっても応答がなかったら、その時は構わずに実行してくれ」

 

ラカムが言わんとしていることを察したカタリナとルリアは何も言わずに頷く。これで手筈は整った。あとは作戦を開始するのみ。騎空団とレンカは団長である彼女を見つめ、作戦開始の号令を今かと待っている。

 

「何が何でも成功させる。みんな、いく――」

 

「あの!」

 

役割が決まりカタリナが作戦開始の号令をかけようとするが、甲高い声がそれを遮った。騎空団や村人たちが声の主を探して見回すと、村人の中から細い手が挙げられている。

村人たちが再び割れてカタリナ達との間に道を作ると、挙手をした人物は一人の少女、ラカムとレンカが助けた少女であった。

 

「誰か私の弟を見ませんでしたか! さっきから探しているんですが、どこにも見当たらないんです!」

 

瞳を潤ませ悲痛と焦燥の入り混じった声で少女は叫ぶ。レンカは彼女のもとに近寄ると膝を折ってしゃがみ、少女と目線の高さを合わせた。そしてゆっくりと、少女の不安を和らげるように穏やかな声色で話しかける。

 

「最後に見たのは?」

 

「逃げているときです。途中ではぐれてしまって、探していたら魔物に襲われて……」

 

「弟さんが別の方へ逃げた可能性は?」

 

「それはありえません。以前から村で何かあったらこの岩陰に逃げること、というのが村の決まりでしたので……もしかしたら、もう……」

 

遂に我慢の限界を迎えた少女が嗚咽を漏らし始めた。両手で目を多い溢れ出る涙をせき止めようとするが、零れた涙は雫となって少女の足元に滴り落ちてゆく。

レンカは少女を宥めながら彼女の弟が今どこにいるのかを考えていた。被害を少しでも抑えるために村中を走り回り、同時に逃げ遅れた人がいないか捜索も行った。ラカム達も可能な限り村の中を確認してから撤退したため、見落としは無いはずだ。

だとすれば――

 

「まさか……」

 

レンカの頬を一筋の冷や汗が伝う。避難した村人は全員ここにいる、逃げ遅れたとすれば残されている可能性は二つ。魔物に喰われたか、村のどこかに隠れているか。前者の光景が一瞬頭を過ぎるが、レンカは頭を激しく振ってその光景を追い出す。こうしてはいられない、一刻も早く村に戻って探さなければ。

 

「お願いします、弟を探してください! 私の唯一の家族なんです!」

 

少女は泣きじゃくりながらレンカに縋り付く。レンカは少女を片手で優しく受け止め、強い決意を持って彼女に約束した。

 

「ああ、君の弟は必ず見つける。だからここで待っていてくれ」



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リベリオン 後編

【リベリオン】 後編

 

レンカは子どもが隠れそうな場所を探す。こういう時に隠れる場所といえばやはりどこかの家の中だろう。しかし、村中の家は扉が開け放たれており、試しに近くの家を覗いてみると中は見事に荒らされていた。

家具は噛み砕かれ木屑に、カーテンや衣服などは引き裂かれて布切れと化している。部屋の出入り口から誰かの片手が覗いていた。ピクリとも動かない。

眉間に皺を作って顔を引っ込めるとレンカは他に隠れるのに適した場所は無いかと考える。魔物は鼻も利くので家のどこかに隠れていてもすぐに見つかる。だとすればまだ扉が開けられていない家なら可能性はあるはずだ。

しかし、突然の魔物の襲撃にわざわざ扉を締め、鍵もしっかりとかけてから避難する人間がいるのだろうか。普通に考えればそんな律儀な真似をする人間はいない。

他に隠れられそうな場所は――レンカは走りながら他に可能性がありそうな場所はないか探すが、目につくのはどれもこれも荒らされた民家ばかり。レンカの中で焦りが積もってゆく。そして、レンカはある建物の前で足を止めた。

それは大きな二枚の扉が出入り口になっている村の倉庫だった。木製の扉には幾つもの引っかき傷や固いものをぶつけた傷が付いているが、開けられた様子はない。天井付近には通風用の小さな窓が左右に取り付けられており、何故か片方だけが開いていた。そしてその下には倒れた梯子が。レンカは迷わず倉庫の扉を叩く。

 

「誰かいるか? いたら返事をしてくれ!」

 

扉を激しく叩きながら中まではっきりと聞こえるようにレンカは大声で叫んだ。数回叩いてから反応を見るために扉に耳を当て、中に誰かいないか確かめる。微かな物音も逃さないように全神経を耳に集中させ中の様子を探る。

 

「その声……もしかして用心棒のお兄ちゃん?」

 

聞こえた。扉の向こうから声が確かに聞こえた。今まで積もっていたレンカの焦りが一気に吹き飛び、希望が生まれる。

 

「君に姉さんはいるか? 姉さんから君を探すように頼まれた! 他の人は既に避難している、あとは君だけだ!」

 

「お姉ちゃんが? うん! いま開けるね!」

 

扉のすぐ向こうで何かが取り外され、それが床に落ちる音が聞こえた。すぐに片方の扉が倉庫の方へ引かれ、太陽の光が暗い倉庫の内部を照らす。扉の向こうには泥だらけの少年が立っていた。

少年はレンカを見るなり目に涙を溢れさせ、抱きついた。レンカは少年を落ち着かせるように優しく頭を撫でる。

 

「怖かったよう……」

 

「もう大丈夫だ、君を必ず姉さんのもとに送り届ける」

 

あとはこの少年を避難させ、カタリナからの合図を待つだけだ。レンカは踵を返して少年と共に走りだした。

川沿いに走り続け、遂に村の出口が見えてくる。幸いにもここまで魔物とは出くわしていない、あとは脱出するだけだ。隣を走る息も絶え絶えな少年を励まし、レンカは最後のスパートをかける。出口まであと少しのところで舌打ちと共に神機を構えた。

どこからか嗅ぎつけたのか、物陰から数体の魔物が姿を現し、レンカと少年を取り囲んでいた。威嚇するように低い唸り声を上げ、一歩、また一歩と近付いてくる。どうやってこの状況を切り抜けるかレンカは全力で頭を回転させる。

優先すべきは少年を一刻も早く逃がすことだ、そのためには目の前の魔物の集団を何とかする必要がある。この程度の数ならレンカは問題なく片付けることができるが、恐らく魔物は少年を狙っているだろう。一体の相手している内に他の魔物が少年を襲うに違いない、それを何としてでも避けねば。

レンカは魔物の一匹、自分たちの進行方向に立ちはだかる魔物に狙いを定めた。なにも全て倒す必要はない、こいつだけを倒してあとは一直線に外へ向かえばいい。落ち着かせるように怯える少年の肩を叩き、静かに告げる。

 

「目の前の奴を倒したらまっすぐ出口へ向かうぞ。絶対に振り向くな」

 

少年は震えながらもなんとか頷き、何時でも走り出せるように身構える。少年の準備が出来たことを確認して、レンカは改めて自分たちを取り囲む魔物を睨んだ。相変わらずジリジリと詰め寄ってきているが、こちらの様子を伺っているのだろう、襲い掛かってくる気配はない。

三つ数えたらやるぞ――レンカの言葉に少年は再び頷く。魔物の輪がまた縮まった。

 

一つ――低い唸り声を出しながら魔物はこちらを威嚇している。レンカは瞬き一つせず、相手の動きを注視している。生唾を飲み込んだ。

 

二つ――魔物が足を踏み出した。レンカは神機を握り直し、足に力を込める。

 

三つ――鉤爪の生えた足が地に触れた。同時に青い影が疾走し一体の魔物の喉笛を深々と切り裂く。切り口から盛大に血が吹き出す。

 

「走れ!!」

 

倒した魔物が地面に倒れる前にレンカは叫んだ。少年は脱出に向けての一歩を踏み出し、眼前に叩き付けられた尻尾に驚いた。

レンカの行動を予想していたのか、脇に居た魔物がレンカと少年との間に尻尾を叩き付け、走ろうとしていた少年を阻んだ。それだけでなく、驚いた少年は尻餅をついてしまい、振り絞った勇気は粉々に打ち砕かれた。

 

「――ぁ」

 

少年の口から声なき声が漏れる。腰も抜けてしまったのだろう、目に涙を浮かべ、全身が震えていた。

レンカが少年を助け出すよりも一手早く魔物が彼に襲いかかる。次の瞬間には少年は鋭い爪で引き裂かれ、幾重にも並んだ牙で食い千切られるだろう。レンカはあらん限りの力で神機を振るうが、あと一手が間に合わない。少年に爪と牙が迫る。

一匹の魔物の背後から大きな氷塊が飛んできた。氷の塊はまっすぐ魔物に向かい、後頭部に命中し幾つもの破片となって砕け散る。氷塊の直撃を受けた魔物はそのまま地面に倒れ、何事だと他の魔物が振り返ると、轟音と共に胸に幾つもの穴が空いた。胸から血を吹き出して魔物が纏めて倒れる。

レンカと少年は何が起きたのかわからず、倒れた魔物たちを見て、次に氷塊が飛んできた方を見た。

 

「間に合った!」

 

「危ないところだったな……」

 

「二人とも、怪我はないか!?」

 

そこには杖を構えるイオと、膝立ちになって銃を構えるオイゲンとラカムがいた。レンカは大きく息を吐くと、自分と少年が無事であることを伝えるため大きく手を振る。その様子をみたラカム達は互いに顔を見合わせて頷くと、レンカの元へとやってきた。

 

「その子があの嬢ちゃんの弟か?」

 

「はい、今度こそ逃げ遅れはいません。あとは合図を待つだけです」

 

この少年を無事に脱出させれば今度こそ村人の避難は完了する。あとは湖に向かったカタリナからの合図があるまで、魔物を村に留めればいい。

腰が抜けた少年をなんとか立ち上がらせ、五人は出口へと向かおうとした。その足を阻むように地面が揺れる。

走りだそうとしたレンカ達は思わずよろめき、こんな時に地震か? と転ばないようにしゃがみ込む。しかし、揺れはその一瞬で収まり、誰も彼もが首を傾げて疑問の表情を浮かべる。

レンカが立ち上がろうとして再び揺れた、心なしか先程よりも揺れが大きい。やはり地震か? と確信を持ちかけたところでまたも揺れは収まった。

 

「もー、こんな時になんなのよ!」

 

たまらずイオが憤りの言葉を口にすると、まるでそれに応えるかのように三度大地が揺れる。今の揺れは間違いなく先程よりも大きい。

一拍の間を置いて規則的に地面が揺れる。その度に揺れは大きくなり、明らかに地震ではない。

 

「一体この揺れはなんだ……」

 

レンカが疑問をつぶやくと、急に辺りが暗くなった。曇ってきたか? とレンカは空を見上げるが、そこには薄い雲がまばらに浮かぶ快晴の青空が広がっている。頭上に疑問符を浮かべたのち、ハッとして後ろを振り返った。

そこには民家の屋根を越えるほどの巨体を持った魔獣が佇んでいた。威厳を感じさせる光沢を放つ岩のような鱗を全身に纏い、睨むことも唸ることもせずに、ただただ高みからレンカ達を見下ろしている。

 

「こいつぁ……」

 

「魔物たちのボスだな……」

 

オイゲンとラカムの言葉を肯定するように、村のあちこちから魔物が姿を現した。レンカ達には目もくれず魔獣の元へと集まり、まるで畏れと敬意を抱くように頭を垂れる。

魔獣はレンカ達を見据えると天を仰ぎ、蒼穹に響き渡る雄叫びを上げた。川の水面にさざ波が生まれ、木々の葉は揺れ、驚いた動物たちが我先にと逃げ出してゆく。魔獣の咆哮が幾重にも反響し、山々の向こう側まで木霊した。

すると、山の一つから赤い光が打ち上げられる。うねる尾を引きながら青い空をまっすぐ昇り、やがて上昇を止め、赤い光を発しながら宙を漂う。湖に向かったカタリナからの合図だ。

それが狼煙となったのか、長のもとに集まった魔物たちも続くように雄叫びを上げ、レンカ達に殺到する。

 

「この子を頼む!」

 

レンカは少年の背中を押してイオに任せ、当のイオは黙って頷くと、少年の手を引いて迷うことなく村の外へと向かった。二人の背中を見送り、気を引き締めて振り返る。複数の魔物が自分たちに向かってきた。

神機の柄を引いて、戻す。するとレンカの神機は鍔の部分から黒い筋肉のような物が飛び出し、大振りな刃は鍔の下へ、代わりに大口径の砲が装着され、一瞬にして大剣は砲へと姿を変えた。間近でそれを見ていたオイゲンは感心するように口笛を吹き、ラカムは一瞬驚いて、次に楽しげな笑みを浮かべた。

三つの銃口が迫り来る魔物に向けられ、火を噴く。二体の魔物は胸から血を吹き出し、一体の魔物は砲から放たれた火球が直撃し、上半身が黒焦げになって倒れた。

対処が間に合わなかった数体の魔物が、爪を振り乱しながら三人に襲いかかる。レンカは再び神機の柄を引くと砲は収められ、浅葱色の大剣が展開される。まるで巻き戻し映像のように一瞬にして神機は元の姿へと戻った。

剣を構えてレンカは戦列の前に出て、先頭を走る魔物に狙いを定めた。右足の踏み込みに合わせて腕を精一杯伸ばし、神機を振るう。爪がレンカに届く前に、鋭い切っ先が魔物の喉を横一文字に切り裂き、赤い噴水が盛大に吹き出す。

得物を振り切った直後の隙を狙ってレンカの左右から魔物が襲いかかるが、爪を振り下ろす前に顎の下に穴が空き、揃って地面に倒れる。半開きになった口から血が流れだした。

 

「若いの、あんまり無茶するなよ!」

 

「援護は任せろ!」

 

「助かりました!」

 

レンカは助けてくれた二人に礼を言い、間髪入れずに襲ってきた次の魔物に刃を突き立てる。

そこからはレンカが前衛を、ラカムとオイゲンの二人が後衛を担当し、迫り来る魔物を次から次へと返り討ちにしてゆく。やがて魔物の数が半分ほどに減り、とうとう痺れを切らしたのか、魔獣が再び雄叫びを上げた。

二度目の咆哮に大地と空が震え、レンカ達は思わず耳を塞ぐ。魔獣は荒く息を吐き出すとレンカ達に向かってきた。

 

「レンカ、お前はあのデカブツの相手を頼む! 周りの雑魚は俺達に任せろ!」

 

「アイツにとっちゃ俺達の銃は豆鉄砲みたいなもんだ! お前だけが頼りだ!」

 

言いながら二人がまたも一匹ずつ仕留めた。二体の魔物が地面に倒れる。

レンカは柄を引いて神機を銃形態に変形させ、魔獣の顔に狙う。やや上に向けて引き金を引くと銃口から火球が放たれ、放物線を描いて魔獣の顔に直撃した。魔獣は歩みを止めてその場に立ち尽くす。

 

「……」

 

やったか? などとは微塵も思わない。どれだけの効果があるのか? レンカは気になっているのはその点だった。

まさか今の一撃であの魔獣を倒せるとは露程にも思っていない、だから砲の一撃がどれだけ通用するのか調べる必要があった。魔獣の顔は火球が爆発した際に生じた煙で覆われており、どうなっているかわからない。レンカは息を飲んで相手の出方を伺う。

やがて、魔獣が顔を激しく振って煙を四散させると、眼下のレンカを睨みつけた。その顔に煤は付いているが、傷は全く見当たらない。

お返しと言わんばかりに魔獣が身を捻り、それに合わせて長大な尾がしなる。何が来るか悟ったレンカ達は咄嗟に地面に伏せ、次の瞬間には彼らの頭上を大木のような尾が掠めていった。

数匹の魔物を巻き添えにしながら、尾は建ち並ぶ家々を薙ぎ払い、一瞬にして数軒の家を木屑の山に変えた。一回転した魔獣は尾に付いた木屑や血肉を払うように振るい、まだ生きているレンカ達を見て忌々しげに唸る。

 

「ブラストがダメなら……!」

 

銃が通用しないならば後は大剣による斬撃しかない。神機を剣形態に戻し、魔獣へと一直線に向かう。助走の勢いを付けて大地を蹴り、レンカは跳んだ。魔獣の正面を取ると跳躍の流れに乗せて体を捻り、神機を振るう。痺れるような硬い手応えが返ってきた。

レンカの一撃は鱗に覆われた右腕に阻まれていた。助走と跳躍の勢い、捻りとレンカの膂力が合わさった渾身の一撃は、鱗を僅かに傷つけるだけに終わる。歯を食いしばり、レンカが悔しげな表情を浮かべた。

魔獣が下に腕を振るうと、神機で触れていたレンカは勢い良く地面に向けて落下する。空中でなんとか受け身を取って着地すると、その隙を狙って魔獣が鉤爪を振り上げる。

レンカは咄嗟に神機を構えると、鍔の左右に装着されていた板が正面で合わさり、小さな盾となる。足腰に力を入れて踏ん張るが、それも虚しく盾越しに襲いかかってきた衝撃に吹き飛ばされた。

一瞬宙を飛び、その次に地面を何度も転がる。視界が二転も三転も変わり脳が激しく揺さぶられた。もはや上下左右の間隔もわからなくなったところで、ようやく回転が終わった。

 

「レンカ!!」

 

「しっかりしろ、大丈夫か!?」

 

銃声と咆哮に混じって、ラカムとオイゲンの声がやけに遠くから聞こえた。未だに揺れる頭と視界を引きずりながら、レンカはなんとか立ち上がる。見れば魔獣はまだ生きている自分を狙って、再び歩き出している。

ここであの魔獣を止めなければ、自分の後ろにいる大勢の村人たちは一人残らず食い殺されるだろう。それだけは絶対にさせる訳にはいかない。あの土砂降りの日に目の前で起きた虐殺を、誰一人として救うことが出来なかった惨劇は二度と見たくない。

頭を振って無理やり意識を覚醒させる。たとえどんな絶望な状況であっても、諦めることは許されない。自分は人を喰らう荒ぶる神々を喰らうもの――ゴッドイーターなのだから。

 

「こんな状況……覆してやる!!」

 

強い意志をもってレンカが叫ぶ。まるでその叫びに応えるように魔獣が吼えた。

 

「逃げてたまるか!」

 

柄が折れてしまうのではと錯覚するほどに神機を両手で力強く握り締める。

 

「生きることから、逃げてたまるか!!」

 

振り被り、前を見据えた。

 

「そう……決めたんだあああああぁぁぁぁぁ!!!」

 

ポンチョに隠れていた首の痣が広がり、右頬を覆うほどになった。レンカは大地を蹴って魔獣へと再び疾走する。その行く手を阻まんと魔物が立ちはだかるが、二つの銃声のあとに揃って倒れ伏す。

 

「いけ、レンカ!」

 

「行ってこい!」

 

ラカムとオイゲンの間を走り抜け、魔獣を自分の間合いに捉えた。

魔獣が動く。鋭い鉤爪が生えた右手を繰り出し、向かってくるレンカを引き裂かんと薙ぎ払う。爪が触れる直前にレンカは跳んだ。右足を深く踏み込み、膝を畳んで力を溜め、それを一気に解き放つ。蒼いポンチョと黒髪が風に揺れ、その下を鋭い爪が風を引き裂きながら通り過ぎてゆく。レンカは魔獣の眼前を取った。

両手で握った神機を突き出す。速さと跳躍の勢いが乗った一突きは魔獣の上顎を口内から捉え、無防備な内側から貫いた。そしてその先にある物に深々と突き刺さる。

魔獣は神機を根本まで咥えたまましばし立ち尽くし、レンカがそれを捻って引き抜いた。浅葱色だった大剣は血に濡れて赤く染まっており、魔獣に与えた一撃の重さを物語っている。

それが切っ掛けとなったのか、直立していた魔獣の体が微かに揺れ、やがて大木が倒れるようにゆっくりと巨体が傾く。レンカは魔獣の鼻先を蹴って宙に飛び、難なく着地した。一拍遅れて魔獣の巨体が地面に叩き付けられ、地震と勘違いするほどの揺れが辺りを襲う。

 

「……終わったか」

 

オイゲンの呟きを肯定するように魔獣の口から夥しい量の血が流れ、あっという間に赤い水溜りを作った。受け皿となる大地から零れた赤い血は、川に混じって赤い筋を描く。

ラカムは懐から信号銃を取り出すと、空に向けて引き金を引く。銃口から赤い光が撃ち出され、ラカムの遥か頭上を漂うように青い空を背景に爛々と輝く。

しばしの間を置いて、カタリナ達が居るであろう山の中腹が光った。すると快晴だった空を厚い雲が覆い、まるで雷のような音が空から叩き付けられる。

レンカがいきなり空を隠した雲に驚いていると、ラカムがある一点を指差していた。革手袋に覆われた指の先を見ると、レンカは曇り空が映る金色の瞳を驚きで見開いた。

雲の中から黒い翼龍が姿を現した。顔と腕には拘束具の様に赤いベルトが幾重にも巻き付けられており、それを解こうともがいている。やがてベルトが龍の力に負け、顔の拘束が解かれた。黒い龍は雲を震わせるほどの雄叫びを上げる。

龍の口から青い光が漏れだし、それは見る見るうちに大きくなってゆく。龍の顔が光で見えなくなるほどに輝いた時、それは一本の光柱となって吐き出された。光の柱はまっすぐ山に降り、爆ぜた。一瞬遅れて爆音がレンカ達の元へと到達し、更に遅れて地面が揺れる。しばらくして揺れは収まると、今度は地面から微かな振動を感じる。

 

「急げ、洪水が来るぞ!」

 

ラカムの言葉にハッとしたレンカは急いで村の外へと向かう。村を出て避難場所の岩場に辿り着くと、村人たちが岩陰を出て同じ方向を見つめていた。その先は言うまでもない。

騎空団、村人、そしてレンカの見ている目の前で村は濁流に飲み込まれ、全てが押し流されていった。

 

 

 

それから村人達の大移動が始まり、山奥から街に辿り着く頃には夕方になっていた。

街に着いたカタリナは、突然やって来た大勢の村人に驚いている衛兵に村で何があったのか全てを伝えた。更に驚いた兵士は慌てて上司に報告に向かうと、しばらくして上官らしき衛兵と整った身なりの初老の男が現れる。

初老の男はカタリナから村での出来事を簡潔に聞くと、続いて長老に話を伺う。しばらくのやり取りの末、長老の口から、村人は街の集会場に一時避難することが告げられた。

 

「騎空団の方々、あの村を魔物の襲撃から救ってくださって本当にありがとうございます。本来なら長である私が直ぐにでも警備隊を派遣できるように動くべきでしたが……」

 

「お気になさらずに、山奥にいつまでも籠っていたのは私達の意志です。あなたの責任ではありませんよ」

 

長老に言葉に少しだけ心が晴れたのか、街長の顔に僅かな安堵の色が浮かんだ。街長は「今日中に片付けなければならない仕事がある」と言って、今後の詳しい話は明日に持ち越された。

村人たちが集会場へ向かう光景を、石段に座ってレンカは眺めていた。少なからず犠牲は出てしまったが、結果的に大勢の人々を助けることが出来た。これもあの騎空団のお陰だ、感謝してもしきれない。

レンカが胸中で騎空団に感謝をしていると、長老がやって来た。

 

「レンカさん、本当にありがとうございました。あなたが居てくれたお陰で大勢の村人が救われました」

 

「いえ、俺だけの力じゃありません。あの騎空団が助けてくれなかったら、今頃どうなっていたか……」

 

「はっはっは、謙遜なされるな。ところでこれからどうするおつもりで? やはり村人達と共にこの街に……」

 

「いえ、俺は旅に出ようと思います」

 

長老が言い終える前に、レンカはハッキリと自分の意志を伝えた。長老は少しだけ驚くと、次いで穏やかな口調で「そうですか」とだけ言った。

しばらく二人は集会場へ向かう人々を眺めると、やがて長老がレンカに深々と頭を下げ、村人たちの列に加わった。長老の姿は直ぐに見えなくなり、レンカは視線を人の列から街並みに向ける。

夕焼けで赤く染まった世界を見ると、一日の終わりが近付いていることを実感する。レンカは大きく息を吸い込み、ゆっくりと時間をかけて吐き出す。肺の中の空気を全て吐き出したところで、背後に人の気配を感じて振り返った。

 

「お疲れさん」

 

「お疲れ様です」

 

そこにはタバコを咥えたラカム、その後ろにはカタリナ達がいた。レンカが敬語で労いの言葉をラカムに送ると、彼はなんともむず痒そうな顔を浮かべた。

 

「よせよ、あんだけタメ口で会話したんだ。お互い堅苦しいのは無しにしようぜ」

 

「……そうだな」

 

「そうそう、それでいい。これからどうするんだ? この街に住むのか?」

 

「いや、旅に出ようと思っている」

 

「旅か。どこか目指す場所があるのか?」

 

「いや、特に考えていない。宛のない旅さ」

 

そう言ってレンカは自嘲気味に肩を竦める。ラカムは顎に手を当てながら何かを考えており、やがて意を決したように口を開く。

 

「なぁ、よかったら俺達の騎空団に来ないか?」

 

「……いいのか?」

 

「特に行き先があるわけじゃないんだろ? 旅は道連れとか、袖振り合うもとか言うし、ここで会ったのも何かの縁だ。あんたさえ良ければこっちは大歓迎だ」

 

見ればカタリナ達は何かを期待するような眼差しで自分を見ている。確かに特に目的もない旅だ、レンカはふっと顔を緩めると右手を差し出す。

 

「だったらそうさせてもらう。よろしく頼む」

 

「おう、そうこなくっちゃな!」

 

ラカムは差し出されたレンカの右手を勢い良く掴むと、そのまま上下に振って乱暴な握手をした。新たな騎空士の入団にカタリナ達は歓迎の言葉を投げかけた。

 

 

 

 

 

翌朝、レンカは夜明けとともに目覚めた。まだ寝ている村人たちを起こさないように静かに起き上がり、足音をたてないようゆっくりと出入り口に向かう。扉の脇に立て掛けてある何重にも布が巻かれた自分の神機を手に取ると、ドアノブに手をかけて静かに捻った。扉を開ける直前にレンカは振り返る。

先程まで自分が寝ていた場所、その隣には昨晩、遅くまで話していた姉弟が今もすやすやと寝息を立てて眠っている。レンカは小さく笑うと扉をゆっくりと開け、そっと集会場を出て行った。

外は顔を出したばかりの朝日が昇り始める時だった。半分だけ顔を出した太陽の光が、レンカの金色の瞳を刺激する。目を細めて顔を半分だけ手で覆い、目が光に慣れたところでそっと手を下ろす。

新たな一日の始まりを告げる朝日は、黒獅子のアラガミを激戦の末に討伐して迎えた朝を思い出す。彼らと彼女らは元気にしているだろうか? とレンカは心配するが、直ぐにそんな心配をする自分に笑ってしまう。

そんなことを考えなくても大丈夫、共に戦った仲間なのだから、どれだけ強いかはよく知っている。むしろ、そんな心配をしていると「余計なお世話だ」と銀髪の先輩神機使いから言われるだろう。

レンカは昇り始めた朝日をしばらく眺め、やがて騎空挺の発着場に向けて歩き出す。まるで彼の旅路を祈るように、風が吹いてさざ波が立つ集会場の傍の池で、一輪の蓮華が朝日の中で花開いた。



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外伝 歴史の陰で

外伝 歴史の陰で

 

「うわー随分と混んでいるな……」

 

とある島に到着しグランサイファーを降りたラカムは、発着場の様子を見てなんとも嫌そうな声を漏らす。

発着場内は人でごった返しており、これから町に向かう者や島を出るものがひっきりなしに出入り口を行き来している。視線を動かして受付カウンターを見れば、予想通りそこは人で過密状態になっていた。

 

「ここで待っていてもしかたない。はやく番号札を受け取って入島許可証を発行してもらわないと」

 

「へいへい」

 

騎空団の団長であるカタリナに言われ、ラカムはどこか気の抜けた返事を返す。人と人の間をなんとかすり抜けながら番号札を発行している場所までたどり着き、係員に発券をお願いする。

 

「こちらが番号札になります」

 

礼を言ってラカムは受け取った番号札を見た。白い紙には印刷された数字が書かれており、この番号を呼ばれた時がラカム達の番だ。

問題は現在、番号がどこまで進んでいるかであり、これによってラカム達がここでどれだけ待たなければならないかが決まる。

――番の番号札をお持ちの方は、三番カウンターまでお越しください。

ちょうどその時、場内のアナウンスで次の番号が呼ばれた。どうやらしばらく時間を潰さなければならないようだ。ラカムは番号札を丁寧に畳み、無くさないように懐へとしっかりしまう。

さて、時間を潰すと言っても出来ることは極めて限られている。入島許可証が無ければ当然ながら島に入ることは許されない、つまりはこの発着場内で出来ることで時間を潰さなければならないのだ。

真っ先に思いついたのは団長であるカタリナとの雑談であるが、ここまでの長旅で二人とも疲れ切っており、とてもそんなことをする気力は残っていない。

ならば読書でもしながらのんびりといきたいところだが、自室にある本は全て読み終えてしまった物ばかりだ。カタリナは読書をするタイプの人間ではないので彼女から本を借りるということもできない。

なにか、なにか暇を潰せるものはないか。キョロキョロとラカムは視線を彷徨わせると、ある物を見てで動きが止まる。ラカムはそれを指差すと、カタリナは彼が言わんとしていることを理解したのか黙って頷いた。

二人は人混みの間をすり抜けながらどうにかして壁に掛けられている『ソレ』に辿り着く。

それは騎空団用の公共掲示板だった。木製の掲示板にはあちこちに貼り紙がしてあり、様々なことが書かれている。

 

『新騎空団員募集! 詳しくは団長の――』

 

『要らなくなった装備引き取ります。傷物、破損、なんでもどうぞ!』

 

『――島にて大型魔物目撃情報あり。注意されたし』

 

ラカムは所狭しと貼り付けられた紙を何気なく流し読みし、何か時間を潰せそうな面白い貼り紙はないか探した。

右から左へと目を動かし、端に辿り着く度に視線を一段下げ反対へとまた動かす。そんな往復を繰り返している内に、とうとう掲示板の最下段まで視線が下がった。そして掲示板の左下、つまりはラカムにとって最後となる貼り紙が目に入る。

 

「……ん?」

 

そこには他の貼り紙と違って人相書きが添えられており、その下に人相書きの人物に関する情報が書かれている。

 

尋ね人:上記の人相書きの二人を探しています。

特徴:男 金髪 年齢は二十代中頃 背はやや低め 瞳の色は茶

   女 金髪 年齢は二十代前半 背は低め 瞳の色は茶

 

ラカムは特徴の記述を全て読み終え、視線を一つ上げる。

 

「えーと、名前が……」

 

「そこのお二方、もしや人相書きの人物をご存知で?」

 

急に声をかけられ、ラカムとカタリナは若干驚きつつ振り返った。そこには軽装の騎士鎧を隙なく着込んだ女騎士が立っていた。

 

「突然申し訳ありません。私の名はアグリアス、騎空団の団長を務めています」

 

アグリアスと名乗った女騎士はそう言って軽く頭を下げた。それに合わせて後ろに結われた彼女の金髪が揺れる。

 

「私はカタリナ、騎空団の団長をしている者だ」

 

「俺はラカム、騎空挺の操舵士をやっている」

 

お互いに自己紹介を済ませると、神妙な面持ちでアグリアスは再び二人に問う。

 

「改めてお聞きしますが、お二方は人相書きの二人をご存知なのでしょうか?」

 

「いや、単に掲示板を眺めていたら人探しの貼り紙があったから、珍しくてつい……」

 

「そうですか……」

 

そう言ってアグリアスは一瞬だけ気落ちするような表情を見せる。しかし、すぐに凛とした騎士の顔に変わると、真剣な口調でラカムとカタリナの二人にこんな頼みをしてきた。

 

「お願いがあるのですが、もし人相書きの二人を見つけたら掲示板の貼り紙にどこで見たのかを書き込んでいただけないでしょうか?」

 

「別に構わないが……その二人をそんなにさがしているのか?」

 

「ええ、私は……正確には私の騎空団はその二人を探すために結成されたようなものです」

 

聞くだけなら冗談とも思える結成理由だが、アグリアスのどこまでも真剣な眼差しと表情が冗談では無いことを物語っていた。彼女の様子にただならぬ物を感じ取ったラカムがゆっくりと口を開く。

 

「そこまでするってことは、相当な理由があるんだな」

 

「差し支えなければその二人を探すために騎空団を結成した理由聞かせてくれないか?」

 

カタリナが遠慮がちに尋ねるとアグリアスは静かに頷く。

 

「まず私が率いる騎空団についてですが、団員は私を含めて全員がイヴァリース出身です」

 

「い、イヴァリース!? あんたそんな遠くから来たのか!?」

 

ラカムの驚きの声も発着場のざわめきに飲み込まれ、気にするものは誰一人としていなかった。カタリナはラカムの様に声こそ上げなかったが、かなり驚いた様子である。

 

「どんなに速い騎空挺でも数週間、下手をすれば数ヶ月はかかるという空の果てにある世界……そこは島が空に浮かんでおらず、アウギュステのように海に幾つもの陸地が広がっていると聞いたことがあるが……」

 

「ええ、その通りです。私もファータグランデを初めて訪れた時は、本当に空に島が浮かんでいる光景を見て驚きました」

 

そう言ってアグリアスは小さく笑う。すぐにその表情は凛とした女騎士の顔に戻った。

 

「我々が探している二人……ラムザ・ベオルブとアルマ・ベオルブ。ラムザは世界の破滅を阻止するために我々と共に戦った男であり、アルマはその妹なのです」

 

世界の破滅、という大仰な言葉が出てきてラカムは思わず眉を曲げた。そのような出来事があればいくら遠く離れている場所とは言え、ファータグランデにも噂程度は伝わるはずだ。だが、ラカムは今日に至るまでそのような話は聞いたこともない。

カタリナも同じ疑問を感じたのか、アグリアスに言葉の意味を尋ねる。

 

「世界の破滅とは一体……イヴァリースで何があったんだ?」

 

カタリナの言葉にアグリアスは僅かに顔を強張らせる。聞いてはいけないことだったかとカタリナ後悔しかけたところで、アグリアスは小さく息を吐き、静かに言葉を紡ぐ。

 

「今から私が語ることは全て真実です。こんな遥か遠くの地では決して意味を持たない真実ではありますが……」

 

そしてアグリアスは語り始めた。彼女の出身であるイヴァリースで起きた、決して明るみに出ることはないであろう出来事を。

五十年にも渡る戦争に敗北し疲弊しきったイヴァリース、その隙を狙いかつての権威を取り戻そうとする国教グレバドス教会。しかし、権威を取り戻すために教会が使った聖石は人を悪魔へと変える呪われた力であった。

さらに聖石によって現れた悪魔たちはこの世に破壊と混乱をもたらすことを目的としており、それを阻止するためにラムザ達は孤独な戦いを続ける。

最終的にラムザ達は、妹のアルマを依代として現れた悪魔達の主である聖天使アルテマを倒すことが出来たのだが、一連の事実は教会によって隠蔽され、更にラムザは「グレバドス教の重要人物を何人も殺害した人物」として異端者の烙印を押されてしまう。

 

「彼とその妹は表向きは死んだことになっています。しかし、とある人物から二人を見たという確かな情報を得て、我々は二人を探すことに決めました」

 

「そしてファータグランデにたどり着いたって訳か……」

 

――その通りです。言いたいことが言えて胸のつっかえが取れたのか、アグリアスはどこか晴々とした顔になっていた。

彼女が率いる騎空団結成の理由を聞いて、ラカムとカタリナは件のラムザという男とアグリアス達との絆の強さに感嘆し、同時に自分たちの罪を擦り付けて権威を取り戻そうとするグレバドス教会に強い憤りを覚えた。

 

「なるほどな。あんたがそのラムザって奴をファータグランデに来てまで探す理由がよく分かったよ」

 

「その……こんなことを聞くのはなんだが、二人を見つけたらイヴァリースに戻るのか?」

 

カタリナの質問にアグリアスはゆっくりと首を横に振る。

 

「もうイヴァリースに未練はありません。騎空団を結成する際に『二度と故郷の土を踏まない』と全員で誓いました。それに今頃は新しい王と王女が国を平和に治めているでしょう」

 

最後の言葉を口にする時アグリアスはどこか寂しげな表情を浮かべた。新しい王と王女が国を平和に治める。聞く限りなんとも喜ばしいことだが、なぜ彼女が寂しげな顔をするのかラカムとカタリナにはわからなかった。

そのことについて聞くべきか否か迷っていると、発着場の天井に設置されたスピーカーから軽やかなアナウンス音が鳴り響く。

――番の番号札をお持ちの方は、二番カウンターまでお越しください。

 

「おっと、ようやくだ。それじゃあな、探している人、見つかるといいな」

 

「私も見つかることを祈ります」

 

ラカムは片手を上げて、カタリナは敬々しく礼をしてアグリアスに激励を送る。アグリアスは礼として二人に深々とお辞儀をし、ラカムとカタリナはカウンターへ向かうべく、人混みへと消えた。

 

 

 

呼ばれてから数十分後、ラカムはようやく発行してもらった入島許可証を無くさないよう懐にしまい、カタリナと共にくたびれた様子で発着場の出入り口に向かっていた。相も変わらず通路は人でごった返しており先程から何度もぶつかっている。

せめてぶつかる回数を少なくしようと身を捩りながら前に進み続けていると、向こう側の太陽の光が眩しい発着場の出入り口がようやく見えてきた。

もう少しだ、と言わんばかりに息を吐くと改めて出入り口に向かう。人と人の僅かな隙間を縫いながら少しづつ、しかし確実にゴールへと向かうラカムとカタリナ。はやる気持ちを押さえながら無駄に体力を使わないように最小限の動きで身を捩り続ける。

まるで金糸のような金髪をなびかせながら、ラカムの脇を一組の男女がすれ違った。すれ違いざまに一瞬だけ見えた顔は、掲示板に貼られていた人相書きの顔に似ていた。

 

「え?」

 

ラカムは思わず立ち止まり、自分の後ろを振り返る。そこには大勢の人が行き来しており、先程の金髪の男女は見当たらない。目を凝らしてどこかに先程自分の脇を通り過ぎた男女がいないか探す。やはり見当たらない

 

「ラカム、どうした?」

 

「……いや」

 

――人違い、だよな。

そう自分に言い聞かせて無理やり納得させる。息を一つ吐き出すと、怪訝な顔をしているカタリナの脇を通り過ぎて島に続く出入り口へとラカムは向かっていった。

 

 

 

 

 

「ここにもいなかったな」

 

「なに、いつものことだ。また次の島で貼り紙を貼って、聞きこみをして、それでいなかったらまた次へ向かえばいい」

 

アグリアスはラカム達と別れた後、自分たちの所有する騎空挺に戻っていた。船の周りには大量の荷物が積まれており、それを団員たちが次から次へと騎空挺に運び込んでいる。

 

「なぁ、アグリアス。二人を見つけて合流としたとして、それからどうするんだ?」

 

彼女の隣に立つ長めの金髪を後ろで一纏めにし、作業着を着た男はそんな質問をした。当の本人はどこか遠くをしばし見つめた後、つぶやくようにゆっくりと答えを口にする。

 

「みんなでファータグランデを旅でもしようか。誰かを救う旅でも、世界の危機を救う旅でもなく、行きたいところに行く自由気ままな旅をな」

 

「いいな、それ」

 

金髪の男は快活に笑う。それにつられるようにアグリアスも小さく笑った。

 

「おーい、ムスタディオ。手を貸してくれ!」

 

「おっと、ラッドのやつか。ちょっと行ってくる」

 

騎空挺から聞こえた声に、ムスタディオと呼ばれた金髪の男はアグリアスに手を上げて声の方へと向かっていった。その姿を見届けたアグリアスは、近くに置いてあったクリップボードとペンを手に取り、積み込む物資の確認を始める。

荷物を一つ一つ確認し、数や量が合っていればボードに挟んだ目録にチェックを入れる。それをひたすら繰り返してしばらくの時間が過ぎた。物資の確認も一通り終わり、一息つこうとしたアグリアスの背後に人影が近付く。

 

「立派な船だね」

 

穏やかな声で人影はアグリアスに話しかけた。

 

「なにせ大所帯だからな、船はこれくらいないと……」

 

後ろから聞こえた声に思わず返事をしながらアグリアスは振り返る。そして声の主を見た途端に、彼女の手からクリップボードとペンが落ちた。

 

「久し振りだね」

 

「お久しぶりです」

 

「……」

 

声が出なかった。最初に何と言うかずっと決めていたのに、いざその時になったら頭が真っ白になって、様々な思いが駆け巡って言葉が出てこなかった。

 

「みんな元気そうでなによりだよ。アグリアスはちゃんと寝てる? なんだか顔が疲れてるよ」

 

アグリアスは自分の前に現れた二人の男女を、ずっと探し続けていた二人を力強く抱きしめた。

 

 

 



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