Eye of the Moon (微積分出来太)
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第1話 捻れた運命は絡み合う

長らく何も更新しなくてすみません。その理由(言い訳)や一話を書き直した理由(言い訳)は活動報告のところに書かせていただきましたので、宜しければご覧下さい。


さて、この小説は衛宮士郎の声優をなされている杉山紀彰さんが、NARUTOのうちはサスケの声優もなされているということなので、声優繋がりでクロスオーバーさせちゃおう、という安直な発想で作られたものですが、楽しんでいただけたら幸いです。


──10年前──

 

 俺のいる街、冬木で大火災が起こった。

 闇に飲まれた街は朱に染められ、炎はどこまでも広がり、どこまでも高く上っていた。

 行く宛もなく、目的地もなく、逃れる(すべ)もない。そんな地獄の中を俺は歩いた。

 死の臭いが充満し、助けを求める人々の声がする。手を伸ばしこちらを呼んでいる。

 俺はそれらに背を向け、歩き続けた。

 子供だったのだから助けられなくてもしょうがない、多くの大人はこう言うだろうが、それでも俺の心にはこの闇がいつまでもへばりついていた。

 どれくらい歩いたのかもわからず、どこまで来たのかも分からないまま、ついに俺は力尽きた。

 その場に倒れ込み、俺も彼らと同じように絶望の色に染まっていく。朦朧とする意識の中、丸い黒い何かから流れる、血のようなどす黒い液体を見た。それを視界に収めた瞬間に直感する。

 誰にも平等に訪れる死。

 家族は死に、友人も死に、今ここに息をしている者は俺一人だけなのではないか。そのような思いが一瞬かけたが、その俺ですら今は虫の息だ。俺が死にゆくまでは時間の問題、そう遠くない話。

 ここは地獄だ。

 

 

 ──ふと、前にもこのような出来事に出くわしたことがあるような気がした。

 

 

 電流がながれる。ザザッと壊れたビデオテープみたいに、ある光景が乱れを生じさせながらも俺の頭に浮かび、再生される。そしてそれと同時にパキリと何かが呆気なく壊れる音がした。俺は何かを失った。失った引き換えに、荒かった映像が鮮明になった。

 

 月が淡い。固まったような、貼り付けられたような夜の町中を、少年が一人、自身の家に向かって走っている。

 嫌に静かな町に不信感を覚えながらも進んでいくと、人が倒れているのを見た。

 側に寄り、声をかけても返事はなく、力なく横たわる彼らの身体から流れる真紅のものに、少年は彼らの死を悟った。

 一体誰がこんなことを、少年はそう思い、家族の身を案じ駆けていく。不安が少年の心を支配する中、少年は走る。

 

 

「父さん! 母さん!」

 

 

 家につき、引き戸を開けて、少年は父と母を呼ぶ。

 

 

「──! 来てはならん!」

 

 

 父の絶叫が廊下に響き渡る。今までに聞いたことのない父の声だった。怒声とは違う。生物の本能に訴えかけるような、そんな声だった。

 少年はその声が聞こえた部屋の方へ進む。膝は震え進むのを拒むが、それでも足を前に出す。脳からは緊急停止の信号が出ていたが、それらを無視して絶叫の聞こえた扉に触れる。やけにひんやりとし重々しい扉。普段の日常であったならその扉をここまで重厚感のあり冷たいものだとは思わないだろう。少年は震えながらも凍てつく重い扉を押す。

 ゆっくりと戸を開き、中の様子がかいま見える。少年の父と母は口から血を流しながら、父が母に被さるように倒れていた。衣服の背中側には血が滲んでいて、それにより二人がこうなっているのは明白だ。

 

 

「父さん! 母さん!」

 

 

 父と母を呼ぶも返事はない。

 そして、横たわる父と母のその側にいる者の眼が、闇の中に赤く鈍く光る。赤い瞳には黒い三つ巴がある。

 その人物が兄だと気付くまでに時間はかからなかったが、普段の様子とは違う兄に驚く。驚きながらも少年は彼に何があったのかを問うたが、返ってきたのは手裏剣だった。肩を掠めて服が裂ける。そしてそこから血が滲む。

 

 

「愚かなる弟よ………」

 

 

 月明かりの影の中でさえ、不気味に輝く赤い瞳が見開かれる。

 赤い瞳に浮かぶ黒い三つ巴が形態を変えて──

 

 

 ──万華鏡(まんげきょう)写輪眼(しゃりんがん)!!

 

 

 それは人に幻を見せる術。見せられた幻術により、少年は最愛の兄が父を、母を、一族の人々を殺したことを知る。

 そうして少年はその日に全てを失った。

 

 

 

 

 ──ああ、これだ。オレが以前経験した地獄はこれだった。

 

 その記憶にいる少年が誰かは分からない。分からないけれど、どうも他人事とは思えなかった。何かと繋がった気がした。

 その少年は決して俺ではない。俺ではないはずなのにどうしてかそれがまるで自分であるかのような錯覚を覚える。だがもうそんなことに思考を費す余力は俺にはなかった。死に瀕した今、辿り着いたその記憶すらも薄れゆく。

 

 ゴーッと荒い音を立てて燃え盛る炎。その地獄の業火とも思われるものに燃やされた建物が、軋む嫌な音を立てる。激しい炎に耐久値が脆くなったのであろう、バキバキと音を立てて、こちら側に倒れてくる。

 もう何をする気も起きない。逃げる気も、生き残る気も。視界の隅で、こちら側に倒れてくる赤い炎を纏った焦げて黒い建物、最期に俺はあれに押し潰されて死ぬのだ。そう思っていた。けれど──俺の視線の先に物体などそこら中に転がっている。

 意図などしていなかった。左眼が焼けたように熱い。

 

 

 ──天◼力(アメ◼◼ヂカ◼)

 

 

 何故かは分からないが、燃え盛る建物に潰されて消えるはずだった俺の命は未だに絶えていなかった。俺の後ろの方で何かが倒壊する音が聞こえたが、そちらを向くことはできない。命は助かった。だけれども、俺は既に疲労困憊の満身創痍の身。もう思考することも難しい。何も考えることができない。

 次第に息が出来なくなり、俺はぼやけた赤い視界を眠るようにそっと閉じる。音も聞こえなくなり、光も閉ざされた。最後に聞こえたのは燃え盛る炎の音と、どこから湧いたのか分からない、恐らく直ぐに死に直面するであろう蟲の声。このまま地の底に、俺の精神は吸い込まれていくのだろう。残った肉体は炎に飲まれて灰になるか黒く焼け焦げる。俺という存在がこの世界から消える。だと言うのに、不安などは感じなかった。そう、ここは地獄なのだから……

 

 なのに、俺の胸を灯すものがある。

 止まったはずの鼓動(じかん)を動かすものがある。

 それはとても眩しくて、暗澹とする地獄に黄金の光をもたらす。俺の肉体、そして精神にしつこくへばりついていた死は、その光により散り散りに消し飛ばされた。

 

 あまりの眩しさに俺は閉じていた目を開く。

 

 そして出会う。

 

 中肉中背の黒い服を纏った男、正義の味方に憧れた男に。

 いや、その男は俺にとっては正しく正義の味方だった。

 

 

「よかった。生きててくれた。一人でも生きててくれて……救われた……」

 

 

 男は心底安心したような、救われたような表情をした。涙を流す男の顔は満たされたようにも見えた。男は俺の伸びた手をしっかりと握りしめながら涙を流す。

 

 

「ありがとう。ありがとう」

 

 

 男は感謝の言葉を述べた。救われたのは俺のはずなのに。

 だが、その男の表情を、俺は忘れることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──夢を見る。

 

 また同じ夢だ。

 剣の夢。

 最近になってその夢をよく見る。けれどその夢は起きると同時に泡沫のように消えていく。その夢を見ていたことすらも曖昧になってしまう。

 でも俺は毎日変わらずその夢を見ている。

 夢に出てくる剣は、伝説の剣とか魔剣とか聖剣だとか、そんな高尚な物じゃなくて、極々一般的な平凡な剣。なんの特徴も無い、ありふれた剣。

 でも俺はそれを凝視していて、脳に焼き付けんばかりの勢いだ。その事も起きたら忘れてしまう意味の無い行為であるにもかかわらず、俺は剣から目を離す事は出来ない。

 そしてその剣はぼんやりとして消えていく。

 

 

 

 

 

 ああ、またか。

 

 

 

 

 

 その後俺は決まってそれとは違う夢を見る。

 その夢は剣とは全く関係の無い夢だ。

 俺とも全く関係の無い夢のはずだ。

 その夢は俺があの炎を生き延びてからずっと毎日のように見続けている。

 その夢も剣の夢と同じように、目が覚めてしまったら思い出せなくなる。でも、子供の頃はもっと綺麗に覚えていた気がする。そしてその夢は決していい夢なんかじゃない。寧ろ俺はその夢を、夢の人物を許すことは出来ない。

 復讐に侵されて、全てを消そうとした男。

 最初はそいつに同情した。

 誰だって家族を殺されたら憎しみだって懐くはずだ。それは仕方の無いことだ。でもそいつの復讐心は異常ともいえるものに思えた。

 歩み寄ってくる仲間を切り捨てようとし、自ら闇の中をひたすら進んで行った。

 そして殺した。復讐を果たした。そうかと思えば真実を知り、新たな復讐心が芽吹いた。

 どうしようもない、一族と里の因果。その狭間で葛藤を続け、多くのことを考えて、一人で背負い込んだ兄の下した判断。それは正しい。正しいけれど、悲しい。

 だからその男はその話を聞いて───故郷の里を滅ぼすことを決めた。

 悲しい男だ。だがここまで来ると許せなかった。

 その男はその後起きた戦争に関わる人物だ。

 多くの命を奪った男だ。悪だ。

 俺はその夢の男のことがどうしようもなく嫌いだ。

 

 だがその男の夢で、戦争の起こった先のことを見ることは無かったし、例えば声や顔のような、その男の夢に出てくる人物に関わることもいつもぼんやりしていて、俺は夢の登場人物を把握出来ないでいる。ここまで組み立てられた夢物語なのに、登場人物は分からない。しかもそれは年々薄れていっている気がする。唯一分かることは、この男が復讐鬼であったこと。もしかしたら俺はこの夢を将来綺麗さっぱり忘れるときが来るのかもしれない。それはきっと、いいことなんだと思う。夢に気を取られる時間が減るのだから。でもさみしさもある。

 不思議だった。けど、そんな男の、正義と対をなす悪のような男の人生なんて見たくもないという感情も事実だ。

 でも………。

 俺はその男のことを気になっているのもまた事実だ。

 その男の行動の一つ一つが俺の頭に焼き付いている。

 嫌いなはずなのに、認めたくないはずなのに、その男の技一つ一つに魅せられている自分がいる。

 

 

 

 ああ、俺は──

 

 

 

 

 

 どうしようもなくこの男のことが────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────嫌いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──先輩。起きてますか?」

 

 

 優しく温かみのある声に、俺は目を覚ます。

 寝惚けた俺の目に写ったのは、紫がかった髪、目をしている少女、間桐桜だ。桜は俺の後輩だ。最近何気ない仕草が妙に色っぽく感じて、俺は少なからず彼女を意識してしまう。

 俺は辺りを見回す。

 どうやら鍛錬のためにこもった蔵で寝てしまっていたらしい。俺の寝ていた付近には、色々な工具や道具が散らかっていた。鍛錬の途中で寝てしまったのだ。

 寝覚めは最悪。けれどそれはいつもの事。何か大切な夢を見ていたはずなのだが、起きてしまえばそれらは跡形もなく消え去っていく。本当は忘れてはいけない夢であるはずだけれども、目を覚ますと共に呆気なく消失してしまう。そして俺は毎朝喪失感だけを感じながら起床するのだ。

 俺は自分の左目に手を当てる。そこには布が宛てがわている。その理由はあの大災害にある。俺はあの大災害で左眼を失ってしまった。視力を失ったという訳ではなく、眼球ごと無くなってしまったのだ。薄らとした炎の記憶に残る、焼けたような左眼の痛み。俺はあれが原因だと考えている。あの時俺は自分の左眼が焼け落ちたのだと考えている。そしてこの左目が俺に喪失感を感じさせるもの一つでもある。

 桜に挨拶をすると、朝の支度を彼女に任せて、俺は散らかったものを片付け、蔵を出る。朝ご飯のために居間に向かった。

 

 居間で朝ご飯を食べてる時に、藤ねえこと藤村大河と一悶着あった後に、俺は桜と学校へむかった。テレビのニュースで新都で起こったガス漏れ事故を報道していた。最近は物騒だな。

 

 藤ねえは教師で、テストの採点をまだしていないらしく、俺たちより一足先に原付バイクで学校へ向かっている。

 

 桜は四年前俺が怪我をしてしまったときに桜の兄、間桐慎二に宛てがって貰って以来、ほぼ毎日俺の家にやって来ては俺の世話をしてくれる。正直これには非常に助かっている。最初は彼女に出来ることは少なかったのだが、教えているうちにだんだんと家事を覚えてきていて、料理もあと少しで負けてしまいそうだ。台所に立ちながら桜本人が俺に言ってきたのだ、射程圏内だと。全く弟子に負けてしまったら師匠の面目が丸潰れではないか。そう言うと桜は俺が桜より料理が上手いと困ると言っていたのだが、あれはどういう意味だったのだろうか。

 

 桜は弓道部の朝練のため、俺と校門で別れる。その際に弓道場に来てくれと言われたが、弓道部を退部した身としてはそう易易と弓道場に顔を出す訳には行かなく、また今日は生徒会の用事があったため断る。その代わりまたいつか行くことを約束する。

 

 生徒会の用事とは、備品を直すことなのだが、これには魔術を使うため、生徒会長を務める柳洞一成には外に出てもらう。

 

 

「──同調、開始(トレース・オン)

 

 

 内部を把握し、どこに異常があるのかを突き止める。それを見つけたら、俺は分解して部品を交換したり、はんだ付けしたりする。

 この世界では魔術を人前で使うことは許されていない。だから、一般人はこの世界に魔術があることを知らないだろう。実際魔術は神秘とされているものであるし、人前で魔術を行使するのは魔術師業界ではタブーとされている行為の一つだ。もし人前で魔術を使ったら捕まるとか捕まらないとか。

 

 修理が終わったので、一成を中に入れるために生徒会室の扉を開けると、そこには一成と学園一の美女、遠坂凛がいた。

 

 艶やかな黒髪を二つ結びし、制服の上に真っ赤なのコートを羽織っている。彼女は学園の男女ともに認める美女で、そして才女だ。俺自身もやはり遠坂に憧れている節はある。一成は彼女に何か警戒をしているようだが、彼女はそんな一成を面白がっているように見える。

 彼女はそのまま俺たちをすっと抜け、去っていく。何となく声かけた方がいいかなと思い、かけた言葉は「遠坂、今日は早いんだな」という自分でもなんでそんな言葉を選択したのか分からないもの。

 

 俺たちはその後視聴覚室へ行き、教室に戻り、ワカ……慎二と会話して、朝礼が始まる。藤ねえ、学校では藤村先生と呼んでいる、が最近物騒だから早く帰宅することを勧告し、そんな感じで時間が過ぎていく。

 

 下校中に不思議な少女と出会った。彼女の髪や肌は処女雪のように白く透き通っていて、赤い瞳が印象的だった。そんな少女と通り過ぎる際に可憐な声で「早く呼びださないと死んじゃうよ。お兄ちゃん」と言われたが、振り返ると少女の姿はなかった。あの少女は一体何だったのだろう。

 

 

 そして夜。

 俺はいつものように土蔵にこもり、日課となっている鍛錬を始める。俺がやるのは強化の魔術。これは初歩の魔術なのだが、魔術師として未熟な俺はそれくらいしか(・・・・・・・)満足にできない。

 鉄パイプに手をかざして、唱える。

 

 ──同調、開始(トレース・オン)

 

 

 ──基本骨子、解明

 ──構成材質、解明

 ──基本骨子、変更

 ──構成材質、補強

 

 

 結果は成功。

 

 嘆息をつく。この初歩的な魔術しかできない。本当はもっと凄い魔術を使って俺の夢に向かっていきたいのだがな。やはり俺はいつまで経っても未熟者らしい。切嗣曰く、俺の魔術は五大元素───【火】、【地】、【水】、【風】、【空】の属性と相性がいい、つまりは【アベレージ・ワン】とか言うやつらしいのだが、俺の魔力量が少ないらしく、宝の持ち腐れというやつらしい。それに切嗣があまり魔術を俺に教えるのに前向きではなかった、そして切嗣は俺がすぐにやめると思っていたため、強化くらいしかまともに教わっていないのだ。

 俺はそのまま後ろに倒れる。

 一体何をすれば正義の味方になれるのか。そんな思いが渦巻く。

 目を閉じて追想に耽る。

 思い出すのは俺の親父。

 俺も親父のような正義の味方になりたい。悲しむ人々、救いを求める人々がいるのなら、この手を差し伸べ救ってみせたい。俺は無意識のうちに手を伸ばす。土蔵の窓から月が顔を覗かせていた。

 俺は月を見つめる。月に目を奪われた、という訳ではなく、なんというか……月を見ていると、たまにここが自分の居場所ではないような、そういう感覚に陥ることがある。

 不思議なことだ。今確かにここに居るのは俺自身なはずなのに、月を見上げていると懐かしさや郷愁を感じるのだ。それらは帰巣本能に似た感情を呼び起こすのだ。でもただただ帰りたいという思いでははなくて、やり残したことがあるから帰らなければならない、というような義務感に馳せられる、帰還せよという命令のようである。それが結果として、俺の居場所がここではないようというように感じさせられるのだ。

 何を馬鹿な。俺は俺だ。他の誰でもない衛宮士郎だ。

 

 

 そうして今日も夜は更けていく。

 

 

 

 翌朝、台所で食器を洗い、桜が料理を作っていると、俺は桜の手首の痣に気がつく。慎二にやられたのか問うたが、桜が兄と痣に関係はないと悲鳴に似た声を上げて言うため、とりあえずその場はそういうことにした。

 

 学校の昼休み、食堂で弓道部員の美綴綾子から慎二が遠坂に振られ、その鬱憤晴らしに一年をいびっていることを聞き、俺は驚く。慎二が一年をこき使ってることに驚いたのではなく、遠坂の件でだが。

 

 そして俺は慎二が暴走しないよう弓道場に向かう。弓道場の窓から中を除いていると、三人の女生徒に慎二と勘違いされ絡まれるが、誤解がとけると謝罪を受けた。その際俺のことを穂群原の海賊ブラウニーだかなんだか言っていたが、俺はそんな風に呼ばれていたことを知らなかった。

 海賊ってこの左目に宛てがわれた眼帯からそう呼んでいるのだろうか、いやそれしかあるまい。この眼帯のせいで幼い頃からやたらと色んな人から弄られる。中学校では中二病だとよく馬鹿にされた、悲しい過去だ。

 そうしてそこで俺は一人の女生徒から学校付近の交差点で殺害事件があったことを聞く。

 本当に最近物騒になったな。

 

 バイト先に行く前に時間があったから、10年前の大災害の跡地に向かった。そこで切嗣に命を救われたことのことを思い出す。あの時の切嗣の顔を俺は今でも覚えている。

 

 切嗣は言った。誰かを救うということは、誰かを助けないということだと。

 

 その事は知っている。切嗣が言わんとしていることもよく分かる。誰かの味方になるということは、同時に敵をつくるということでもある。そうやって歴史は繰り返されてきたし、そういった衝突を繰り返して歴史を作り出してきたのだから。誰かが死に、誰かが勝利することでここまで人類は生き長らえてきたのだ。

 俺は救ったのに救われない事案があることも知っている。

 勝った方が振りかざした正義が世の正義となることも。負けた側の正義は正義とみなされない。そして俺の抱く理想は、苦しむ人々誰もを救うこと。

 それが難しいことを俺は知っている。でも、初めから定員が決まっている救いなんて御免だ。あの時のように、周りで見知らぬ誰かが死んでいくのには耐えられない。

 

 バイトが終わり、夜の街を一人で歩いていると、ビルの屋上に遠坂が立っているのが見えた。もう一度その方を見ると、遠坂はそこにはいなくなっていた。昨日出会った少女といい、遠坂といい、不思議なことが多いな。

 

 家に帰り今日も俺は土蔵で鍛錬をし、その後眠りにつく。

 

 

 

 

 朝、家のドアの鍵を閉める際桜に言われて手の甲の痣に気がつく。昨日何かしらで切ったりしたのだろう。俺は一度家に戻り、とりあえず湿布を貼っておいた。桜は酷く俺の手の甲にある、赤い蚯蚓脹れのような傷を気にしているようだったが、俺は気にするなと言って学校へ向かう。だが登校中、彼女の気分は誰が見ても分かるくらいに悪そうであった。

 

 校舎に西陽が指し、校内を温かな朱色に染めているとき、慎二と会う。慎二と桜のことで少し言い合いになったが、俺は慎二に弓道場の整理を任されて、慎二は女子を連れてどこかへ行ってしまった。

 

 俺は弓道場に赴き、弓道場の掃除を始める。

 

 

「全く……変わらないな、ここも」

 

 

 そんな郷愁じみた思いを抱きつつ、俺は雑巾がけをし、弓の手入れをする。

 

 思えば俺の放つ矢は的の真ん中に百発百中であった。皆それによく驚いた。片目がないというのはものを立体的に感じることが難しい。だから射撃なんていうものはどう考えたって俺には向いていないものなはずなのに、俺の狙う的は俺が射る前からハズレを予期していない限り、必ず的のド真ん中に中った。別に俺としては驚くことではないのだが、皆からしたら驚くことだったらしい。俺は他にもやはりと言った感じで、ダーツも必中だ。

 

 陽は傾いていき、影は長く伸びる。外の景色は朱から紫に、そして紺色に色を変えていく。それと並行して長く伸びていた影は徐々に夜の闇に溶けていった。

 

 よし、一通り掃除、整理を終わらせた。

 

 俺はバケツを置く。

 

 外の方から何か金属がぶつかり合うような音がする。

 

 ん? なんだ? 俺は弓道場の戸を開けて、外に出る。

 

 土煙が舞い、赤の線、そして白と黒の斬撃が見える。赤い槍を持つ青いタイツの男と、二刀使いの赤い外套に黒い甲冑を着た男が睨み合っている。そいつらは正しく異質と思われるものであった。

 

 赤い槍を構えた、青い男。

 それに対するのは中華風の双剣をもつ、赤い男。

 立ち振る舞いから彼らが相当な実力者であることが分かる。そこらにいる人間では手も足も出ない程だろう。赤子のように捻り潰されて終わりだ。

 青い男が姿勢を低くする。それに呼応して、赤い槍の穂先が魔力を帯び始める。解き放たれた魔力は一気に凝縮していき、禍々しく揺らめく。遠くにいる俺にもその脅威が伝わり、額から汗が一雫流れ落ちた。

 獰猛な獣のような目で青い男は赤い男を睨み付けている。まるで殺意の塊である。だが、赤い男はそんなものに恐れを抱いてる風には見えず、むしろ立ち向かう気でいるようだ。俺は生唾を飲み込む。

 恐らく次の瞬間には彼らは衝突するだろう。その結末を見てみたい、そう思うのと、恐れがあった。巻き込まれたら死ぬことは必須。彼らがぶつかったら訪れる衝撃に身が持つかも分からない。

 俺はここを離脱することを決定する。今にも己が力を誇示せんとばかりに睨み合う二人。幸いにも彼らは彼ら同士に注意が向いている。俺がここにいることすら気付いていない。ならばここから離れることは可能だろう。気配を殺し、ゆっくりゆっくりと俺は彼らを視界におさめながら後退していく。まだ彼らは俺に気付いていない。俺は冷や汗を垂らしながら、後ずさるようにその場から退こうとする。

 

 

 ──逃げ切れるか?

 

 

 そう思ったのが失敗だったのか、彼らに気を取られすぎたのがいけなかったのか、俺は自身の背後に小枝があることに気付かずにそれを踏んでしまう。

 小枝が折れてパキリと音が鳴る。その瞬間俺は自身の体温がぐっと下がるのを感じた。額を伝い、頬を流れた汗の雫が地面に落ちる。それは地面に小さなシミを作るが、夜の闇に吸い込まれるように直ぐに消えていった。

 

 

「誰だ!?」

 

 

 青い男がこちらを睨む。獣の殺意の視線が俺に刺さる。

 

 

 ──まずい!!

 

 

 俺はすぐ様奴らに背を向け走り出す。恐らく青い男が俺を追ってくるだろう。いや追ってきているに違いない。青い男が俺を追う道理なんて無いように思えるが、俺の直感が追ってきていると伝える。後ろを振り向いたら殺される。前を向いていても追いつかれてしまったら命は無いだろう。

 あの男達は魔力を用いて戦っていた。ならば魔力を使って俺を追っているだろう。常人の脚では逃げ切ることは不可能。

 ヤツらが魔術師関連の人物であることは一目瞭然。しかしあの距離、そしてこの暗闇なら顔はしっかり見られていないはずだ。抵抗して魔術師に目をつけられるよりは逃げた方がいいように思えた。だが逃げるにしても速さが足りない。ならばできるだけ障害物の多い校舎内に逃げ込もう。

校舎の中へ駆ける。

 昇降口を抜け、階段を駆け上がる。廊下を走るが、走っている最中強烈な風を感じ、ヤツが来たと思うと腕で防ぐような体制を取り、そのまま転んでしまう。

 急いで起き上がり、周囲を確認するが、ヤツの姿は見えない。

 ちょっとした安心感を覚え、立ち上がる。嫌な汗が流れる。

 

 

「よう」

 

 

 どこからとなく聞こえた声に、俺は勢いよく後ろを振り返る。

 赤い槍の穂先が俺の胸に向けて一直線迫ってきていて、俺はそれを体を反らして回避する。しかし、大きく体を反らした結果、バランスを崩した俺は背中から転倒するが、なんとか手が出て尻餅を着く程度で済んだ。その拍子に俺の左目を覆っていた眼帯がするりと落ちる。

 

 

「ほう、避けるか」

 

 

 この声とともに青いタイツの男が、淡い光とともに現れた。

 

 

「運がなかったな、坊主。ま、見られたからには死んでくれや」

 

 

 そう言うと男はまた槍を構え、それを俺の胸にめがけて突き出した。

 

 

 

 

 男は俺に死ねと言った。

 見られたから死ねと言った。

 

 

 ───理不尽な死。

 

 

 俺が最も嫌がったもの。

 

 

 それを今まさに俺が体験している最中だ。

 あの赤い槍が真っ直ぐ突っ込んできて、俺の胸に刺さりそこで俺は絶命する。

 だというのに───

 

 

 

 ────動かない手足。回避不可能な状況。ただ槍が迫ってくるのを見詰める俺の目。

 

 

 それはさながら俺自ら青い男に命を差し出しているように思えた。

 

 

 

 

 ────呆気ない。

 

 

 

 

 衛宮士郎の人生はここで潰える。

 正義の味方を目指した人間は、苦しむ人々全てを救おうという理想を抱いた人間は、理不尽な死の前に屈する。

 戦場では生き抜くことを誓ったものが先に死ぬという、これもそれに類似したもののひとつだろうか。

 

 なんともまあ───呆気ないことだ。

 

 俺は迫り来る赤い死を受け入れるように、逃れるように目を閉じる───。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───代われ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




楽しんでもらえたならいいな。


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第2話 赤

2話目です。
多分三賀日過ぎたら春まで更新が滞るかと思われます。よってこの三賀日の間に可能な限り、上げさせて頂きますのでご了承ください。


さて、突然ですが皆さん、中二病にかかったことがありますでしょうか?

思えば僕が中二病になったきっかけは、小学校の頃にテレビで見たNARUTOが原因ですね。サスケが初めて千鳥を使ったシーンで、そのあまりのかっこよさに痺れてしまいました。小学校で友達とやたら千鳥、千鳥叫んでいたのが記憶に懐かしいです。きっとあの時から始まってたんだろうなぁ………。

皆さんもそんな中二病のきっかけになった出来事や作品があったら、是非とも感想欄やら何やらでそのエピソードを書いてみてください(笑)


 赤い槍の青い男、ランサーの槍が士郎の胸に突き刺さるその瞬間、槍は何かにより防がれた。ガキンという金属同士が衝突したような音を立てたあと、ランサーの槍は弾かれたのだ。

 ランサーは目を見開き後退する。ランサー自身何が起きたのか理解していないからだ。何も出来ない人間かと思いきや、ランサーの槍は弾かれたのだ。ランサーはその鋭い目付きで目の前の無力なはずの少年、士郎を見る。そしてランサーは士郎の胸のあたりを覆っている、紫色のものを発見した。

 

 

「なんだありゃ……」

 

 

 よくよく注視すると、それはあばら骨のようであることにランサーは気付いた。紫色のあばら骨が士郎の体を覆っていた。

 ランサーは警戒心を強めて、槍を構える。

 その紫色のあばら骨は消えていき、代わりにゆっくりと士郎が立ち上がった。ランサーの険しい表情はとれない。未だにそれが何であるか、理解が出来ないからだ。

 

 

「お前さん──ありゃなんだ?あばら骨みてぇなの出しやがって」

 

 

 ランサーは士郎に軽口を叩くように士郎に問いかけるが、勿論警戒を怠ってはいない。寧ろより一層士郎に注意を向けている。未知な現象が起きた今、ランサーに油断という言葉は一切ない。だが彼のマスターの命令で、彼は本気を出せない状況にあるため、少しばかりか彼は焦りを見せている。知らないものほど脅威なものは無い。ランサーのマスターからもこんな特殊なものを使う人物の情報は聞いていないし、聖杯からの知識としてもこの魔術のようなものに関することは与えられていない。

 士郎はランサーの問いに対し下を向き黙ったままだ。夜闇のせいで俯いた彼の表情を、ランサーは確認することは出来ない。

 

 

「ケッ、無視かよ」

 

 

 ランサーは士郎の態度に舌打ちをつく。だが同時にランサーは今をチャンスだと思った。士郎は動かないし、紫色のあばら骨は消えている。殺るなら今か、とランサーは考える。

 先程の速度では槍が防がれてしまった。なら坊主が反応できない速度で心臓を貫ければそれは俺の勝ちだろう。ランサーはそう考えて、槍に力を込める。単純かとも思われるが、ランサーの槍は神速。それを躱すことができる人間は少ないだろう。

 そして力強く踏み込み、槍を士郎に目掛けて突き出した。

 そのスピードはやはり先程の一撃とは打って変わって、相当大きなものだ。だが───

 

 

「その攻め方──失敗だったな」

 

 

 士郎はランサーの槍を紙一重で躱すと、躱した槍の胴を右手で掴んだ。槍の勢いは相殺され、さらに士郎に握られ槍は全く動かない。

 ランサーは驚き、声も出ない。そもそも今の槍のスピードに生身の人間がついてくることは不可能なはずだった。そして今サーヴァントであるランサーの力でさえ、槍はビクともしない。ランサーは士郎を鋭く睨みつける。

 

 

「てめぇ……」

 

 

 士郎は何も言わない。先程攻め方は失敗だったと口にしてから何も言わない。ランサーは苛立ちと困惑を心中に懐きつつも、この状況をどうするかを考える。

 未だに顔を上げずに俯く士郎に、ランサーは不気味さを感じた。

 

 ランサーは蹴りを放とうとする───

 

 ───が、ランサーは何かを感じ、すぐ様自分の武器であり、信頼出来る相棒である槍を手放す。そして後ろに下がる。

 

 後ろに下がったランサーは、今は手元になく敵の元にある、自分の槍を見つめる。

 赤い槍からは青白い稲妻が走っていた。それはその槍の特性でも、ランサー自身の能力でも無い。ということはつまり、その雷を起こした人物は今ランサーと敵対している赤銅の少年である。

 ランサーは士郎との戦いで何度目かの驚きを得る。

 全く持って魔術とは無関係だと思っていた人間が、雷を放ったのだ。よくよく注意すると微弱ながら赤銅の少年から魔力を感じた。ランサーはそこで自分が相対している人物が魔術師であったことに気付く。もう少し気付くのが遅かったらあっさりと殺されていたかも知れないなとランサーは少しばかりの安心を覚えるが、そこまで安堵に浸っていられない。

 目の前の人物が魔術師だとするならば、聖杯戦争に関わりのある人物である可能性が高い。特に今はまだ確認されていない剣士(セイバー)のサーヴァントのマスターである可能性が極めて高い。

 サーヴァントの気配は先程のアーチャー以外無い。ならばやはり今ここでこの少年を仕留めるべきだ、とランサーは決心した。

 

 

「悪いな坊主。やっぱりどうしても殺さなきゃなんねぇみたいだ」

 

 

 ランサーは今は手にない相棒に物足りなさを感じながらも、構えをとる。

 士郎は俯いたままだが、どうもランサーの槍を見ているようだった。ランサーはそんな士郎にやはり気味の悪さを感じた。

 

 

「じゃあ行くぜ……」

 

 

 ランサーが一瞬で距離をつめ、拳を放つ。空気を引き裂く音がしそれが士郎の顔に目掛け飛んでいく。

 士郎は顔を傾けてそれを回避し、続いて放たれたもう一撃を右手で防ぐ。その際に持っていた赤い槍を手放す。

 ランサーはそれを逃すことなく、槍を手にすると、勢いよく突っ込んできた。

 それを士郎は体を捻ったり、槍の胴体に右腕をうち当てたりして軌道を逸らしたりして、躱す。

 ランサーは学校の廊下の狭さが槍のリーチをいかしきていない要因であることを考え、槍を振り回し、学校の廊下の教室側の壁やら窓を破壊し、広くした。

 

 

「正気か? 学生の学び舎を破壊するなんて」

 

 

 士郎はランサーに問いかける。

 

 

「はっ、聖杯戦争だ。んなこと気にすんなよ。それよりも自分の命を気にした方がいいんじゃないんかね!!」

「……聖杯戦争?」

 

 

 ランサーの槍の突進。士郎はそれをまたしても回避する。そこへすかさずランサーが右脚の横蹴りを入れた。士郎の光る赤い目はその蹴りを見逃すことなく、後ろに飛んでランサーの蹴りを避ける。

 だがランサーもそれを読んでいたようで、士郎が後ろに着地した瞬間に、接近し、槍を突き出す。

 そしてまたしても士郎はその槍を躱す。

 ランサーはそのまま槍で横に薙ぎ払うが士郎は大きく体を反って、紙一重で躱す。士郎の眼はずっとランサーの動きを追っていて、ランサーは益々気味の悪さを感じた。

 直ぐに体制を立て直した士郎。そこへすぐ様ランサーの赤い棘の猛攻が襲う。そのどれもが必殺であり、神速のものだ。

 士郎の眼はそれを全て捉えていて、正確に対処するが刹那、ランサーの止むことの無い激しい攻撃に士郎のバランスが崩れた。

 すかさずランサーは士郎に渾身の蹴りを放つ。今度はそれが士郎の脇腹に命中した。

 士郎は堪らずランサーによって破壊された、廊下とを仕切るための壁のない教室内へ吹き飛ばされた。吹き飛ばされた士郎の体は机や椅子を巻き込みながら、ようやく窓際の壁にあたり静止した。

 そして士郎は何事も無かったかのように立ち上がる。それは士郎を覆うあばら骨のようなものがランサーの蹴りの威力や、ものや壁との衝突の衝撃を和らげたからだとランサーは直ぐに気がつく。

 

 

「また、それかよ。本当にお前さん、何なんだよその骨みてぇなものは」

「お前に説明する必要は無い」

「そうかよ───あぁん?」

 

 

 そこでランサーは気が付く。

 窓から月明かりの差し込む教室。

 そこは生徒の学び舎としては場違いなほど机や椅子やらが散らかっていた。

 外は暗闇で、こことは違い酷く静かだ。

 そして今、戦闘が一時的に中断されているこの校舎も、人がいないような静けさ。

 しかし、その教室の中に立つ一人の赤銅色の頭をした少年。

 

 その片目が───

 

 

 

 

 ────鈍く赤く光っていた。

 

 

 

 

 流石は英雄。ランサーは直感的にその目がとてつもない力を秘めているのが分かった。

 しかし何故片目しか光っていない?

 ランサーは士郎のもう片方の目の方へ視線を向ける。

 赤く光っていないもう片側は閉じられていた。

 戦闘中に片目を閉じる人間など奇妙である。ランサーはやはり目の前の少年が特別異質なものに感じられた。そして此度の聖杯戦争、生き残るのはこの少年では無いかと意識せずとも感じてしまう。そしてランサーは違和感に気付く。

 目の前の少年、魔力量が少ないと思っていた少年だが、それは違った。少年の魔力量が増えている。正確には魔力ではない、ランサーにしてみれば未知のエネルギーであり、ランサーはそのエネルギーの実体を知らず、魔力と似ているという点で、魔力としている。それはどういう理屈でそうなっているのかはランサーにとっては全く理解のできないことだ。しかし、少年には当たり前のこと。

 そのエネルギーの名前はチャクラと言われるもの。チャクラとは、人体の膨大な数の細胞一つ一つからかき集めて生み出すエネルギーである【身体エネルギー】と、多くの修業や経験によって積み上げられる【精神エネルギー】、これらを体内から絞り出し、練り上げることで生まれるエネルギーである。最初ランサーがチャクラを感知できなかったのは、衛宮士郎がただチャクラを練ていなかっただけで、少年がチャクラを練って、やっと今ランサーがチャクラの存在を認識できるようになるほどのチャクラ量になっただけのこと。

 ランサーは槍に力を込める。

 

 士郎は静かにランサーを見ていた。そして誰かがこちらに近付いてきていることも理解していた。その人物に見られるのはまずいと考えた少年。紫色のあばら骨や背骨から今度は腕、手の骨格が現れて、それは握り拳を作り背後の窓ガラスを学校の壁ごと破壊する。そしてその破壊した穴から外へ抜ける。

 ランサーは士郎を「逃がすか!」と言って、士郎が作った穴を出て追いかける。

 

 

 赤い弓兵が物音の聞こえた方へ向かい、悲惨な有様となった教室に着いた頃には既に誰もいなかった。だが崩壊した教室を見れば、そこで戦闘が行われていた事実はすぐに分かる。そして教室の窓際に開けられた大きな穴。そこから逃げ出したというのも直ぐにわかった。

 わかったからこそ赤い弓兵は困惑する(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「アーチャー!」

 

 

 赤い弓兵の主人(マスター)である一人の少女、遠坂凛が彼の名を呼び、赤い弓兵のもとへ長い黒い二つに結ばれた髪を揺らしながら学校の階段から駆けつける。

 そして赤い弓兵のもとへたどり着く前に見え始めた荒れ果てた廊下を見て、驚嘆する。青い瞳は大きく見開かれて、教室の惨状を目の当たりにすると、教室がこうまで破壊された原因を考える。

 

 

「アーチャー、どういうことかしら? これあなたとランサーでやったの?」

 

 

 凛はアーチャーに訊ね、睨みつける。しかし、そこでアーチャーがその教室内を見て驚いている表情を見て、これを起こしたのがこの男ではないということが分かった。だとしたらこの惨状を引き起こした人物はランサーとなるが、そうだとすると不可解な点が浮上する。

 凛は考える。

 ランサーにかかれば目撃者(一般人)などすぐに殺害可能なはずである。それこそ殺される人物は自分の死を呆気なく感じてしまうほど、あっさりと。だがここには戦闘をした痕跡がある。となると、先程見かけたここの学校の制服を着た人物がランサーを手こずらせたこととなる。冗談ではない。一介の高校生にはそんなことは出来ない。例え武道を習っていても、ランサーの動きについてこれるとは思えない。それは先程ランサーとアーチャーの戦闘を見た凛だからこそ断言ができることだ。

 そうして考えていると、一つの仮説にたどり着く。

 あの少年は魔術師である、その可能性が高い。

 その仮説にかけるにはもう一人の意見も聞いてみよう。そう思った凛はアーチャーの方を見る。

 

 

「ねえ、アーチャー」

「ああ。君の考えていることについて私は賛成をするよ」と凛の呼びかけに、赤い弓兵はすぐに答える。その口振りからは、凛の至った結論を見透かし、そして彼自身も同じ結論に至ったようだ。

「そ、ありがと。それでアーチャー、この後どうしようかしら」

「それはあの穴から逃げたであろう人物を追うか、追わないかという話でいいかね?」

 

 

 そう言ってアーチャーは教室の窓側に空けられた大きな穴を指さした。大きな穴からは冬木の街が見渡せる。夜闇の中の家々はまだ眠りについておらず、明かりが家々の窓から零れている。冬の夜の寒々しい風が教室内に吹き込んでいて、窓の両端にあるカーテンをゆっくりと揺らしている。月明かりがカーテンを透かしていて、薄らとうつるカーテンの影が怪しく揺らめく(・・・・・・・・・)

 

 

「ええ、それで間違いないわ。あの生徒が魔術師だとするならば、マスターである可能性が高いわ」

「それには私も同感だ」

 

 

 凛はアーチャーの同意を得られ、暫く黙り込む。顎に手を当てて、色々なことを考える。

 凛は学校生活において魔力を感じることは無かったし、魔術師が校内にいるとは思わなかった。だがこの有様を目にした今、その認識を改めざるを得ない。学校にはいないと思われた魔術師は、現実にはいた。しかもランサーとの戦闘であっさり殺されるどころか、この状況からその生徒がランサーとの戦いを耐え抜き、逃げたこともわかる。だとしたらサーヴァントを使った可能性も大いにある。今まで学校生活でマスターだと思われる人とは出会わなかった。けれどいた、ということはその生徒は隠蔽が余程上手いとも考えることもできる。ここでその生徒を見逃せば、後々厄介になる気がしてならない。何せ隠れるのが得意な人物だ。凛の知らぬ間にことが運び、いつの間にか取り返しのつかない事態が引き起こされるかもしれない。

 凛は深呼吸する。冬の夜の冷たい空気が肺を満たす。それは思考でモヤついた脳をスッキリとさせた。そして覚悟を決める。深追いすればこちらがやられる可能性もあるが、それでも今"『学校の生徒であり』かつ『マスターの可能性が高い人物』の尻尾を掴んでいる"この状況、これを逃せばきっと、その生徒の正体に気づけないまま学校生活を送らなければならなくなる。ランサーの気を追えば、そのマスターに辿り着ける。ならば答えは決まった。

 

 

「アーチャー、追うわよ」

「了解した」

 

 

 アーチャーはマスターの決断に了承する。凛を横に抱き、アーチャーはランサーやマスターと疑わしき生徒が出ていったと思われる窓のある壁の穴から外に出た。

 家々の屋根の上をアーチャーが凛を抱えたまま駆けて、ランサーを追っていく。過ぎていく風景からその速度が人の足を遥かに超えたものだというのは、言うまでもない。だがランサーとの距離が一向に縮まらないことから、ランサーも件の人物を追い続けていることが分かる。サーヴァントでも追いつけない脚を持っているだなんて、なんて人間だ、凛は驚きを隠せずにいた。それはアーチャーも同様なようであるが、アーチャーは驚きというよりも疑問の方が強いようだった。ランサーを追いながらも思考を重ねているようで、暗い中でも分かるほど、アーチャーの眉間には皺がよっている。

 

 

「一体どこまで追いかけなきゃ行けないのかしら」

 

 

 凛がそう言うのも尤もだ。もう学校から離れてからかなりの距離、ランサーを追っている。そのマスターと思わしき生徒は余程戦闘をしたくないのか、それとも自分らの有利になる場所を探しているのか、それは今の状況だけでは分からない。だがここで一つの不可解な出来事が生じた。

 まずそれにはアーチャーが気付いた。アーチャーは急に地面に下り、足を止める。凛は何故アーチャーがそんな行動を取ったのか分かっておらず、思わずアーチャーの顔を見た。

 夜闇の住宅街。街灯に道が仄かに照らされている。その中の一つの街灯の明かりがきれかかっているようで、点滅を繰り返している。蛾が二頭その街灯の付近を飛んでいる。

 月明かりの中でもアーチャーの顔が険しいのが分かった。凛は何かあるなと思い、感覚を研ぎ澄ましていく───

 

 するとどうだろう。ランサーの気が消えているではないか。つまりランサーがそのマスターを追うのを止めたという事だ。ランサーのマスターに命令されたのか、ランサー自身の判断で追うのを止めたのかは分からないが、兎に角ランサーの気配が消えた。

 凛はどういうことかと考える。

 これだけランサーから逃げようとする相手であるのだから、ランサーやランサーのマスターが、彼を脅威と見なさなかったという可能性はある。だがそれなら最初の一合で分かったはずだ。もしくは学校内であの生徒がランサーに殺されたはずだ。だがその生徒は殺されずに、ランサーはその生徒を追ったのだ。なのに、何故急に追うのをやめたのだろうか。ランサーがその生徒に追いつき殺したのだろうか。しかしそれにしてはあまりにも突然に消えた。不可解なことはさらに謎を生む。

 薄暗い住宅街で考えても答えは出るはずもなく、一先ず凛はそのマスターが死んでいないと仮定し、そのマスターを危険視することにした。アーチャーの表情は相変わらず険しいものだった。

 そのあと彼らは学校に戻り、魔術で校舎を治してから、家に戻った。

 点滅していた街灯は遂に切れて、その近くを飛んでいた二頭の蛾は知らず知らずのうちにどこかは飛び去ってしまった。しかし、そのうちの一頭が、ふらりふらりと消えたはずの街灯に近付き、そこにとまった。

 

 

 




読んでいただきありがとうございます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。


もう中学も高校も卒業してるのに、まだ色んなアニメを見ては、中二心が擽られる。中二病ってどうやったら治るんですかね?笑

きっとこの小説を書こうと思ったきっかけも、僕が中二病であるからに他ならない。


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第3話 構想

皆さん新年どうお過ごしでしょうか?
僕はまあ、帰省して、正月料理を食べて、駅伝見ながらのんびり過ごしています。こんな感じで正月が終わっても、毎日のほほんと過ごせたらいいのになぁ……。


 

 

 凛とアーチャーが士郎の開けた穴から出た後、学校は本当に誰も居なくなり静まり返っているように思われた。学校の何処からも物音は聞こえず、やっと校舎は眠りにつけるようだった。

 荒れた教室に月の光が差し込んでいる。戦闘のあったせいでその教室には埃が舞っていて、それらが月の光を反射して、キラキラと光っていた。カーテンが夜風に揺れてふわりと舞う。靡くカーテンから一人の男が夜の影よりぬるりと現れた。夜ゆえにその人物の持つ赤い瞳が嫌に光っていた。その人物は凛とアーチャーが完全に離れたことを確認してから、出てきたのだ。赤銅色の髪が夜風に揺れる。

 

 

「あの青い男にも幻術は効くようだな」

 

 

 独り言のように呟いた声は、衛宮士郎の声ではあったけれど、衛宮士郎の声よりも低めであり、少し冷たさのある声質であった。単に言ってしまえば、それは別人のようであったのだ。

 ランサーに幻術をかけ、凛とアーチャーがランサーを追うのを見送った少年は、窓の外、ランサーと赤い二人が消えていった方を見詰めながら呟いた。

 

 

「拍子抜けだ。あの程度の幻術に気付かないなんてな」

 

 

 ランサーが見ている幻術は士郎の幻影。ランサーは逃げ続ける幻である士郎を今追いかけ続けているのだ。そしてそのランサーを追う凛とアーチャーもまた同様である。ランサーが士郎の幻術に気付かなかったのは、単純に士郎が幻術を使えることを知らなかったというのと、最も大きな要因は、この少年の幻術の才能が桁外れだったという事だ。恐らく少年の幻術にすぐ様気が付く人間は、この世界にそうはいないだろう。

 しかし厄介なことになった。少年は凛とアーチャーの会話を聞いていた。凛とアーチャーが士郎を少なからず警戒しているのが会話から、分かった。だが幸いなことに、彼らはまだ士郎の正体には気付いていないと思われる。でも気がかりなこともある。それはアーチャーの様子だ。少年はアーチャーの表情やその様子から、アーチャーが何かを知っているということに検討が着いた。あいつは何を知っている、少年は彼らの消えた方を見ながらそう思う。

 

 

「しかし……聖杯戦争か……」

 

 

 青い男が口にしたその言葉。少年はそんな戦いのことは全く知らないし、聞いたこともない。だがあの青い男はその関係者であることは確かで、彼の話しぶりを察するに、士郎がこれから巻き込まれるものであることも容易に想像がついた。

 

 

「これからどうなるかは分からない。だがオレの出番は一先ずここまでだ」

 

 

 士郎はランサーや凛とアーチャーと同様に、自らが開けた教室の穴から外に出る。士郎がその穴から出てから幾分か経って、凛とアーチャーは戻ってきて、その穴と荒れた教室を魔術で戻した。

 夜の街を素早く駆ける。士郎が屋根の上を飛び、走っていることを他の人々は認識することは無い。それ程までに速く、また足音も気配もないのだ。すぐに士郎は自身の住む武家屋敷に辿り着く。今この武家屋敷には誰もいないようで、明かりは一切ついておらず真っ暗だ。

 玄関に入り、靴を脱ぐ。廊下の電気をつけないまま、士郎は居間の襖を開けて、中に入る。人気のない広い大きな武家屋敷は酷く寂しいものに思われるが、桜や大河が居ない時は基本この家は士郎しかおらず、静まり返っているのだ。

 少年は居間に着くなり、すぐに腰を下ろした。壁に寄りかかると、士郎の赤かった眼は本来の琥珀色にスっと変化する。そして少年はそっと目を閉じる───

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───ッ!!

 

 俺は死に直面したときの恐怖を思い出し、閉じていた右目を思わず開く。

 大きく息を吸い込み、そして大きく吐き出す。

 俺の命を奪うだろうと思っていた赤い槍は目の前にはない。

 

 どういうことだ?

 

 俺の肩は激しく上下していて、息がつまりそうである。そして冷や汗も止まらない。

 何度か呼吸をすることで、次第に落ち着いてきて状況を確認できるくらいにはなったが、ここはどこだ?

 俺はついさっきまで学校にいたはずだ。そして青い男に殺されかけていたはずだ。

 辺りを見回すと、見覚えのある家具が一杯あり、この部屋自体に馴染みがあった。

 ここは俺の家なのか?

 頬をつねってみると痛みを感じた。夢ではないらしい。どういうことだろうか。学校から家に転移でもしたというのだろうか。それとも今日実は学校に行ってなくて、ずっとこの部屋で寝こけていたのか?だがもし俺がここでずっと寝ていたのなら、藤ねえや桜が起こしてくれたに違いない。いや、桜は今朝、今日の夜から来れなくなると言っていたか。

 時間はもうすぐ零時になろうとしているところだ。俺はこの状況を理解できないまま、明日を迎えるのだろうか。

 

 だがそうはならなかった。

 気配がした。この屋敷に張り巡らされている結界に何かが触れたのだ。それも丁度今俺のいる真上の位置からだ。

 俺はすぐに天井を見上げる。すると上から赤い槍が俺目がけて落ちてきた。俺は咄嗟に前に飛び込み、それを躱す。青い男が着地する。その姿を見て、俺は学校にいて起きた出来事が現実だったことを理解する。けれど、そうなると俺がこうして生きていて、そして学校から家に移っていることがどうにも証明することが出来ない。

 俺は躱した先にあった丸めてあるポスターを手に取る。そしてそれをすぐに強化の魔術を使って強化し、青い男に立ち向かう構えを取る。青い男は俺の方を一瞥すると不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「ったく、さっきはやってくれたな?」

 

 

 青い男はそう言った。その言葉が意味することは、俺が何かしらをしてこの男の目を欺いたということであろうが、俺自身には全く心当たりがない。俺は気が付いたらここにいたのだ。俺のキョトンとした表情を見てか、青い男の表情が険しくなる。

 

 

「行くぞ坊主。今度はさっきみたいな幻術には引っかからねぇからな?」

「さっきって言ったって───!」

「問答無用!!」

 

 

 青い男の赤い槍が俺の心臓に向けて突き出される。

 その槍は速すぎた。速すぎて目では追えない筈なのに、俺の右目は目の前の赤い槍に当然のように食らいついていた。

 だが体はどうか。俺の体はこの速度に対応する速度を持ち合わせていない。けれど、俺の体は青い男の動きをまるで知っているかのように自然と動き出す。それは的確に、己の急所を外すように。

 俺は強化したポスターを当て軌道をずらすが、その際に槍が腕を掠め、服を裂き、そこから血が出る。肉が裂かれて痛みを感じるが、今脳が興奮状態にあるせいか、そこまでの程ではなかった。

 

 

「ほう。やはり躱すか。手加減しているとはいえ、サーヴァントじゃなきゃ着いてこれない筈だぜ? 坊主、お前何者だ?」

 

 

 これで手加減しているのか。なら本気を出されたら俺は確実に死ぬ。今はこの男に俺は遊ばれているというのか。だが一つ分かったことがある。

 俺の体は、俺の右目は、脳は、やつの動きを知っている。俺自身は知らないはずなのに、体の全ての細胞の一つ一つが、やつの動きを熟知している。その証拠に今、俺の脳内に一つのビジョンが浮かび上がる。目の前の男から生き延びるために必要なことが。

 

 荒い息を整えて、青い男を睨む。

 ヤツもこちらを警戒しているようで、肉食獣を思わせる力強い赤い瞳でこちらをうかがっている。

 

 長い物が欲しい。

 

 周囲を確認しても、それらしいものは何一つ見当たらない。

 それにさっきから異様に体が軽い。今までこんなことはなかった。その理由は生命の危機に瀕しているからだろうか。それなら学校でこの男に刺されそうになったときにも、そうなっていなければおかしな話だ。

 

 考えるのは後にしよう。

 今はこの状況を打破できるよう動かなければ。

 

 

「おい、隙だらけだぜ?」

 

 

 その言葉が鼓膜を揺らす。それに気付いた時にはもう遅く、ヤツの接近を許していた。赤い穂先を強化したポスターで受け流すが、青い男の蹴りが俺の腹に命中した。鈍い音が鳴り、肺に溜まっていた空気が勢いよく吐き出される。そのまま俺は廊下まで吹き飛ばされる。

 

 冬のひんやりとした廊下の床に落ちるが、その冷たさを感じないまま俺はすぐ様起き上がり、窓ガラスに体当たりして、窓を突き破って外に出る。

 

 外に出た俺は軽やかに着地をするが、着地する瞬間を狙ったかのように背後から気配を感じ、すぐに横に跳ぶ。その直後に割れた窓ガラスの散乱した、俺が窓を破って着地したところに赤い槍が刺さった。

 

 

「ちょこまかと逃げやがって。男なら立ち向かえ。そう言えばさっきも逃げたんだったな。この腰抜けが」

 

 

 青い男がそう悪態をつき挑発をすると、地面に突き刺さった赤い槍を抜き、それを振って土埃を払う。そして青い男は相変わらず獰猛な赤い瞳で、警戒し殺意を込めて睨みつける。

 今の、一分にも満たないであろうやり取りを思い出して鳥肌が立つ。あの状況、もしかしたら俺は殺されていたかもしれない、それ程までにギリギリの戦い、というよりは一方的な痛ぶりであった。まさに奇跡の連続が募った結果といえるだろう。それにあの男がこちらを何故かは分からないがやたらと警戒してくれているお陰で、ここまで逃げ切れたのかもしれない。だがそれもここまでだ。もう逃げ道はない。俺はあの青い男から逃れる(すべ)はない。どうにかここまでやって来たが、俺に出来るのは精々今手に持っているポスターで急所に当たるのを防ぐだけ。それではやつからは逃げられない。いたぶられて俺は死ぬ。正義の味方になれないまま。

 それはダメだ。ここで死ぬ訳にはいかない。理想を果たすまでは朽ち果ててたまるものか。

 何かないのか。あの男を打ち負かし、この脅威から退くための何かはないのか。

 その時、俺の脳裏に先程と同じように、あるビジョンが浮かんだ。何故かは分からないが、俺はそれの通りに動けるような気がした。

 脳は冴え、体は澄み渡っている。

 辺りを見回す。

 

 

 ──あった。

 

 

 今青い男がいるところから、俺は赤い槍を避けるために跳んだ。そして丁度跳んだところの近くにあった。普段なら戦うための用途としては絶対に使わないものであろう。しかし、今俺の欲しいものの条件を満たしているのはこれくらいしか無さそうだ。

 あれ(・・)を使おう。俺の脳に浮かぶ構想があれ(・・)の存在を認知してからより鮮明になった。だがここからだとまだ距離がある。今も尚向かい合っているあの男は、俺の些細な動きすら見逃すつもりはないだろう。俺が少しでも動けば、あの男はその手に持つ赤い魔の死棘で、こちらを突き刺すであろう。かと言って待ち続けていても埒が明かない。

 ならば、俺から仕掛けよう。幸いにもあの青い男はこちらを十分に警戒してくれている。そして俺の脳と肉体は、知るはずもないヤツの動きを知っている。だから敢えて俺がヤツに突っ込み、ヤツと戦闘を行い、その流れであれ(・・)に接近する。それしか方法はあるまい。

 

 大きく息を吸い込む。そして吐き出す。

 しっかりと目の前の敵を見据えて、覚悟を決める。

 これから行うのは博打ともいえる行為。

 かけるのは俺の命。成功した暁に手に入るものは、敵の命ではなく俺自身の命。

 全く等価ではないこのギャンブルであるが、何もせずに死ぬよりかはマシだ。

 俺は静かに強化したポスターを構える。

 

 

「───行くぞ」

 

 

 小さく呟いたそれは、ヤツに言っているようで、本当は自分自身に言っていた。この賭けに勝てなければ俺の命はない。正義の味方を目指す者は、その理想を果たす前に死を遂げる。それは絶対に回避しなければならない。

 

 

 ───駆け出す。

 

 

 体は軽く、心做しかいつもより走るスピードは速い気がする。

 青い男に接近し、強化したポスターを剣のように振り上げて、そして振り下ろす。

 青い男はそんな俺の拙い攻撃になんの反応も示さない。代わりに槍が振るわれて、難なく俺の一撃は防がれてしまう。

 

 ガキンと金属同士がぶつかるような音がする。

 

 目が合った。男の思考は読めないが、どうにもその赤い目は俺に対して"そんなものか"と落胆しているようにも見えた。けれどもその瞳に警戒の色は一切消えておらず、明確な殺意が宿っていた。

 次第に俺の方が押され始める。これは分かっていたことだ。俺ではこの男の腕力には適わない。だからすぐに押し切られるだろう。だがそれで構わないのだ、と俺のビジョンが告げている。俺はそれに従って動いているに過ぎない。

 

 故に────

 

 

「はっ。甘いな、坊主」

 

 

 青い男は赤い槍で俺を完全に押し切り、俺の持っていたポスターを上へ跳ね除けた。押し切られた俺は、今両手が上げられた状態で、まさにがら空きという状況だ。

 

 

「間抜けめ」

 

 

 そこへ青い男は、赤い槍を俺の胸に目がけて突き刺しに来る。

 ───故にその攻撃が来るのが予測できていた俺は、既に回避の体制を取っており、体を捻り、紙一重でその一撃を躱す。しかしやはり俺自身が体に着いていけていないためか、槍が脇腹を僅かに掠めてそこから血が滲む。青い男はここで仕留めきれると思っていたのだろう。俺が躱したことで仕留め損ない青い男は舌打ちをする。

 

 そして今度は俺の二激目。

 

 振り上げられたまま、強化されたポスターを握っている俺の手。それを伸び切っているヤツの腕───その先の槍の先端に近い方へ、横から垂直に叩き込む。勢いよく振り下ろされたそれは、しっかりと槍をとらえ、槍の先は地面に向かっていき、そのまま地面に突き刺さり、土埃を上げた。

 これでこの一瞬、この男の槍の攻撃を封印した。そして片手も今槍を握っている。ならば次にヤツが繰り出す攻撃は───蹴りだ。

 蹴りが当たったときに飛ばされる方向を調整するために、態とヤツの方に接近する。そしてこの接近は同時に俺を警戒しているこの男に、焦りを与える。そうなれば近付かれまいと、こいつは確実に蹴りを放つ。

 青い男の右脚が曲げられ宙に浮く。そしてそれは真っ直ぐ俺の方に伸びてくる。俺はすぐに持っていたポスターを盾にし、ヤツの蹴りに備える。

 蹴りがポスターに当たる。メキャっと強化されたポスターが完全に折れ曲がる。そしてそれは威力を和らげはするものの、完璧に相殺することは無く、ヤツの蹴りがポスター越しに俺の腹部に命中した。

 またしても先程と同じように、肺の空気が全て無理やり吐き出され、一瞬息ができなくなるが、これでいい。

 ヤツの蹴りの勢いは凄まじく、俺の体は軽々と飛ばされた。そして飛ばされた先でしっかりと受身をとり、すぐにポスターを投げ捨てて、側にある物(・・・・・)に触れる。青い男は蹴りを放ったものの、まだ槍を地面から抜いている動作中なので、ここまで来ることはないだろう。それ(・・)に触れた瞬間にすぐに強化の魔術をかける。

 今日に限っていえば、洗濯物を出さなくてよかった。もし洗濯を干していたままだったなら、今邪魔になっていた。もしくは二度洗いする羽目になっていた。

 

 

「───同調(トレース)開始(オン)

 

 

 それ───物干し竿を手に取り、長さを調節してから振り回してみる。

 なるほど、しっくり来る。

 長さは丁度あの赤い槍と同じくらいだろう。

 青い男はもう地面から赤い槍を抜いていて、こちらを観察していた。

 

 

「やるじゃねぇか。だがもうここまでだ。変わった芸風だが、俺の前では二度は通用しないぞ?」

「ああ、そうだろうな。同じような攻撃ならな」

「………なに?」

 

 

 俺はぐっと姿勢を低くする。その様子を見て、青い男は訝しむようにこちらを見た。

 

 

「第二ラウンド、開始だ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




読んでいただきありがとうございます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
それと、誤字報告ありがとうございます。


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第4話 変えられる運命と、変わらぬ運命

今年の駅伝の主題歌、BUMPのロストマンなんですね。BUMPの曲の中でも僕はこの歌が結構好きなので、なんか嬉しいです。ああ、BUMPを聴きまくっていたあの頃を思い出しますねー。


 

 時刻は零時をとっくに過ぎた。月は雲に顔を隠していて、月明かりが零れていることは無い。深夜の色が街に下りている。街灯は怪しく照っていて、その周囲のみを夜の支配から淡く解放している。街にこれ以外の明かりはない。皆が寝静まるこの頃、街は静寂に置かれ、冬の寒々しさに棘が増す。そして夜の静かなその街の一角に、相応しくない程の轟音が鳴り響いている。

 

 

「───っ!!」

 

 

 ランサーは有り得ない光景に理解が追いついていない。今戦っている赤銅の頭に琥珀色の瞳を持つ少年が、手にもつ物干し竿を槍のように扱っている。いや、それはまさに槍であった。熟練の槍さばきでランサーを追い詰めているのは少年の方だった。故にランサーには物干し竿は槍にしか見えない。そんな有り得ない状況にランサーは追いつけないのだ。

 ランサーが攻撃をしようとすると、それはあっさりと防がれてしまい、反対に少年の攻撃にランサーは対処するのがやっとである。数分前まではランサーの方が明らかに少年を圧倒していたはずなのに、それの立場が変わっている。ランサーは少年に、今まで戦った相手の中でもかなり上位に食い込むほどのやりにくさを感じている。それは少年がまるで、ランサーの動きを知っているようで、ランサーの弱点や癖を突いてくるのだ。さらに少年の動きそのものがランサーと酷似していた。ランサーは戸惑いの中、この少年と渡り合っていた。

 ランサーが攻めあぐねている理由はその戸惑いによるものでもあるが、それよりも少年に対する警戒心である。ランサーはこの少年に警戒を怠ったことはなかった。それは目の前の少年が魔術師であるとランサーは考えているからだ。学校で少年を襲撃した時、その少年は雷系統の術を使ったり、紫のあばら骨や腕を作る、奇妙な術を使った。しかし今はどうだろうか。目の前の少年はそれを使う素振りを全くと言っていいほど見せない。少年が家にいるときを襲った時、この少年はランサーの攻撃を尽く防いだあの紫色のあばら骨を出現させたりはしなかった。ランサーは疑問を感じている。この打ち合いにおいても、少年は強化以外の魔術を使用していない。それに不可解な点はまだある。少年の眼が赤くないのだ(・・・・・・)。学校で見た時、少年の瞳はゾッとするように赤い光を放っていたのだが、今少年の眼は琥珀色である。

 

 

「おい、坊主。お前それ以外の魔術はどうした?」

 

 

 ランサーが問いかける。それは純粋な疑問であった。まさか少年が、ランサーを他の魔術を使わずして倒せるだろう、等と思っているはずもあるまい。だとしたら何故か。ランサーは今、目の前の人物が自分よりも格上の存在なのではないか、とさえ思っているのだが、この少年は本来の実力であろう魔術を使わずに、槍術のみでランサーと戦闘している。手加減でもしているのだろうか。だとしたらランサーとしても屈辱である。故にランサーは問うたのだ。返ってくる返答次第では、ランサーの逆鱗に触れるであろう。

 少年はランサーの問いに首を傾げる。少年の顔色から窺えるのは、こいつは何を言っているだ、という感情であろう。その通りである。

 少年自身、自分が使える魔術のことは熟知している。その中でも最も生存の可能性の高い強化の魔術を使っているのだ。それに先程からの戦いで、少年が他の魔術を使えたのなら使っていただろう。だが使っていないということは少年が使えないということだけである。だから少年はランサーの問いかけの意味が分からなかった。

 だが、ここで自分がこれ以外の(すべ)がないことを、目の前の青い男に伝えてしまったのなら、それが敗北に繋がる可能性もある、と考えた少年は、ランサーの問に対して黙るという選択を取った。

 ランサーは沈黙を続ける少年に、「まただんまりかよ」と言って、悪態をつく。しかしランサーは少年のこの反応や、先程から続く状況から、一つの仮定に辿り着く。それは、"もしや目の前の少年は、何かしらの要因により、今他の魔術を使えないのではないか"、という仮定だ。

 この仮定に従って動くのなら、ランサーが警戒しているものに注意を払う必要はなくなり、決め手に欠ける、などという事案も発生しない。この警戒心を解けば、ランサーは強気に攻めることができる。けれど、もしその仮定が誤りであったのなら、ランサーの敗北は免れないだろう。

 

 

「チッ……やりずれぇ相手だぜ」

 

 

 ランサーは手に握る赤い死棘に力を込める。ランサーはその仮定に賭けるつもりだ。

 ランサーが少年に向けて槍を突き出す。赤い槍は真っ直ぐに少年の心臓に向かっていくが、少年はそれをあっさりと防いでしまう。幾度となく繰り返された光景だ。

 少年が棒を振るう。それをランサーは腕に当てて防ぐ。それは今までになかった光景だ。

 少年の攻撃自体はランサーにとってはそれほど脅威にならない。サーヴァント──過去に英雄として名を馳せた者として、少年程度の腕力では決定打になりはしない。しかし、そうは言っても人間誰しも急所と呼ばれるものは存在する。

 少年は腕力はないにしても、槍術のテクニックはある。万が一でも、ランサーの急所になり得る位置に当たってしまったのなら、英雄であるランサーとてただでは済まない。そして少年は、執拗にランサーのそういった弱い所を突いてくるのだ。さらに少年には雷系統の魔術らしきものがあった。接触をすれば、それを受けてしまうと思っていたランサーは、なるべく少年と、少年の持つ金属の棒には接しないように、回避していた。しかしランサーは賭けに出た。だから難なく腕で受け止めてみせたのだ。

 どうだろうか。痺れはあるか?痛みはあるか?電撃が襲ってきたか?

 その全ての問に対する答えは否定である。

 だがまだその仮定を証明するには情報が不十分すぎる。故にもっと目の前の敵と打ち合い、情報を集めなければならない。もっと速度を上げて。あの少年が英雄クラスの速さに対応し切れないのは、先程からの戦いで分かっている。それは少年の体の至る所にある生傷が教えてくれている。

 ランサーは槍術だけではなく、体術をも駆使し、少年に攻撃を入れる。

 

 士郎は青い男の攻撃パターンが変わったことに気付く。さっきまでは慎重であったのだが、今は激しさが一段と増している。青い男からの降り注ぐ猛攻に、士郎は何とか耐え忍ぶ。青い男の姿は士郎にとってまさに獣であった。

 一手、また一手と、青い男の攻撃が追加されていく。先程までは何故かやたらとこちらを警戒していたはずなのに、それを感じることは出来ない。それに士郎には、青い男の表情からは覗かれる決然の意思が見えている。

 それは士郎に戸惑いを与える。数分前までは、生存の可能性が微かでも見えていたのだが、どうも先程からその微かな光明が閉ざされてきている。脳に浮かぶビジョンはハッキリとしているのに、士郎自身がそのビジョンに着いてこれていない。

 かすり傷が増えていく。

 士郎がビジョンに着いていけないのは、ビジョンが多岐に別れ始めたからに他ならない。それはどういうことかと言うと、ランサーの行動の選択肢が増えたという事だ。つまり士郎の脳内には、次にランサーがする動作が幾つも重なって見えているのだ。それを士郎は見分けることが出来ない、対応することが出来ない。なぜならば、士郎は圧倒的に経験が足らないからだ。

 

 苦戦を強いられる士郎に対して、ランサーは味をしめたようである。これほどまで接触を繰り返しているのに、電撃を浴びるどころか、使う気配すらない。士郎の傷が増えるばかりで、紫の骨格は現れない。ランサーの仮定は演繹的に証明され始めている。だが警戒を怠っている訳では無い。ここぞという時に、それらを使いランサーを仕留めようとしてくる可能性は捨てきれない。だから、必要最低限の警戒はしつつも、余計な注意は払わない。

 ランサーの手数はみるみる増えていき、士郎は最早その猛襲に着いていけていない。士郎の持つ物干し竿も、側面が凸凹し始める。そしてここでランサーの強烈な蹴りが士郎の体にヒットする。激しい痛みが襲うが、何とか士郎はその場に踏みとどまり、お返しと言わんばかりの渾身の突きを放つが、それはあっさりとランサーに躱される。

 ランサーは赤い槍を横に薙ぐ。咄嗟に士郎は物干し竿を縦に構えて、横薙を防ごうとしたが、物干し竿からイヤな音が鳴り、ぐにゃりと曲がった。幾ら強化したとはいえ、それは武器ではない。故に耐久値が遂に限界を迎えたのだ。士郎はその横薙を受け、そして吹き飛ばされた。

 士郎の体には疲労が蓄積されていたためか、士郎は受身をとることが出来ず、地面に背中から落下する。士郎はその一瞬息が出来なかった。

 急いで起き上がるが、ランサーの追撃はもうそこまで来ていた。槍が迫る。何とかそれを避けることには成功したが、次の蹴りには回避の行動は間に合わなかった。またもや士郎は吹き飛ばされ、土蔵の扉の付近で落下する。

 しかしこれは運が良かったと言えるのだろうか。土蔵の中には何かしらがある、と士郎は考えた。手に持っている物干し竿はもう使い物にはならない。士郎はランサーに向かってそれを投擲する。ランサーはそれを赤い槍でいとも簡単に弾き飛ばした。士郎はその隙に土蔵に入る。

 土蔵の中は酷く静かであった。外での戦闘がまるで嘘であったかのように、冷たく静かであった。深夜の色に染まり、埃が待っている。月明かりが閉ざされている今、土蔵に光はない。

 

 

 ──何かないのか。

 

 

 急いで何かを探そうとするものの、あの青い男に対抗出来そうなものが見当たらない。それでも血眼になって探す。それは醜い生への執着にも見えるだろう。だが士郎には死に切れない理由がある。

 

 

 ──何かないのか。

 

 

 しかし残酷なことに、それらしいものは見当たらない。士郎の脳裏に"死"という言葉がべっとりとへばりつき始める。その感覚は懐かしい。確実に今、死は士郎に手招きをしている。それを認めたくない士郎は必死になるが、死が士郎に迫ってきていることは確かであった。

 背後から聞こえる、こちらへ向かってくる足音が大きくなるに連れて、士郎の額の汗の粒が増える。恐怖に打ち震え、固まりそうになる体になんとか鞭を打ち、考えを張り巡らす。何かはないのかと。

 先程まで見えていたビジョンが徐々に霞んでいくのを感じながらも、諦めてたまるものか、と心の火を灯す。けれど冬の深夜の冷たい風がそれを鎮火させようと、"死"を連れてきた。

 

 足音が止んだ。

 

 士郎の動きも止まる。

 

 外の世界は静止してしまったように、全ての音を失った。

 

 ゆっくりと振り返る。

 ランサーは静かに立っていて、士郎を見下ろしている。

 それは当然の結果で必然の運命だと言わんばかりに。

 

 内の世界、士郎の鼓動は自ら生きていることを主張するように、激しく士郎の胸を打つ。

 

 唯一見えるビジョンは、赤い槍がこのまま士郎の胸を刺し貫き、士郎の内の世界の時間をも停止させる運命。

 

 

「詰めだな、坊主」

 

 

 ランサーはここまで手こずらせた少年、士郎に少なからず敬意を抱く。本来ならここまでやってのけた少年を、ここで殺すというのはしたくないことであるが、これは聖杯戦争だ。目撃者は殺さなければならない。しかも聖杯戦争と関わっている可能性のある、"魔術師"であるならば尚更。

 ランサーは士郎に赤い槍の穂先を向ける。それは死の宣告である。士郎はその穂先を黙ったまま見つめ、そして俯く。

 手は固く握られていて、歯を食いしばる。

 学校での出来事のように死を受け入れたわけじゃない。そんな運命に従う訳でもない。でもそれ以外に道がない。

 諦めきれる訳があるものか。

 衛宮士郎はまだ正義の味方になれていない。

 

 

「……ふざけるな」

 

 

 士郎が静かに呟き、左手を胸に、心臓のある位置に持っていく。そしてそこで服を巻き込み、手をぎゅっと握る。

 ランサーはこれで最後だと、赤い槍に確かな殺意を込めて、士郎の心臓に向けて真っ直ぐ突き出した。

 

 

 ──夢見た未来がある。叶えたい理想がある。

 

 

 先程まで雲隠れをしていた月が、ようやく顔を出し、柔らかな月明かりを、暗く静まった士郎とランサーのいる土蔵の中に運んだ。

 

 

 ──それを果たすことなく、否定し続ける理不尽な死を前にして、死んでたまるものか。

 

 こんなところで意味もなく───

 

 

「───平気で人を殺す、お前みたいなヤツに!」

 

 

 その瞬間───なにかと繋がるような感覚を得た。

 突如として目の前に突風が起こる。

 そしてあの炎の夜のように、しつこくへばりついていた死が、黄金の光によって散らされた。死の運命が、黄金の極光によって、あっさりとその路線を変更した。

 

 

「七人目のサーヴァントだと!?」

 

 

 青い男は驚きとともに攻撃のために放った槍を、防御のために使用する。

 金属のぶつかる音がして、青い男は後方に吹き飛ばされた。

 士郎の目の前に、一人の少女が立つ。

 奇妙な風が吹く。その風も、そしてあの突風も、目の前の少女のものだと士郎は自然と理解した。

 青い衣装に銀の鎧。金の髪がその風に揺れる。そこには星があった。月明かりに照らされて、彼女の髪が星のように輝いたのだ。

 彼女の聖緑の瞳が士郎を見つめる。月夜に映る彼女は、それはとても美しかった。この美しさを士郎は生涯忘れることはないだろう。それほど士郎の目の前にいる少女は異質で綺麗だったのだ。この瞬間だけが切り取られた、一枚の悠久の絵画であるようにさえ思われる。

 そんな月明かりの静寂の中、先に口を開いたのは少女の方であった。小さな口が開かれて、凛とした声で言葉が発せられる。

 

 

「問おう、貴方が私のマスターか?」

 

 

 

 

 




読んでいただきありがとうございます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
お気に入りとか評価をしてくれた方々、本当にありがとうございます。


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第5話 少女の騎士

待ってくだっさていた方々、更新が凄まじく遅いことをどうかお許しください。中々執筆する時間が取れず、また話を考える時間も取れなかったため、遅くなってしまいました。きっとこれからも遅くなってしまうと思いますが、応援して下さると幸いです。

さて、今回の話は長いです。切りのいいところまでと執筆を続けていたら、とても長くなってしまいました。申し訳ないです。


「──問おう、貴方が私のマスターか?」

 

 

 闇を弾く声で、少女は告げた。こちらまで手を伸ばしていたはずの死は、とうの昔に霧散していたかのように、ここには光があった。その光は彼女という存在そのものである、と理解するのに時間はかからなかった。

 

 

「え……マス……ター……?」

 

 

 問われた言葉を口にした。頭の処理が追いつけていない。青い男との交戦において脳が疲労したためだろうか。例えそうでなかったとしても、きっと俺はこの言葉の意味を、目の前の少女に訊ねただろう。それほどまでに唐突で、意味の理解できないものであった。

 少女の形をした騎士はどこまで可憐で美しかった。見る者全ての視線を集めるであろう美しさ、それ以外に彼女について分かることはない。

 ただ一つ分かる事としては、目の前の少女は先程の青い男と同様の存在であるということ。

 

 

「……………」

 

 

 少女は静かにこちらを見つめている。噤まれた小さな口、真っ直ぐにこちらを射抜く翡翠の瞳、そして月光に輝く金砂の髪。

 俺はこの瞬間が永遠のような気さえした。

 この瞬間だけが凍結されている。それはさながら一枚の切り取られた絵画のようである。

 先程までの騒音が嘘であったかのように、土蔵の中は元の静謐さを秘める。

 少女の穏やかな緑の瞳は神秘を思わせ、金の髪が目をひく。穏やかな風が吹き、彼女の青い衣装を揺らす。

 土蔵の埃が舞い、月明かりにきらきら反射するが、その時俺はこれらが埃であったことなど忘れていた。彼女から零れる星の欠片のように思えた。埃すらもこの絵画の中で芸術の一部となった。

 月の光に彼女の金の髪が濡れている。

 それはとても幻想的で、俺は目を奪われていた。

 

 

 ──ああ。俺はこの光景を忘れない。

 それはたとえ、地獄に落ちたとしても。たとえ先の見えない闇の中にいたとしても。

 

 

「サーヴァント・セイバー、召喚に従い参上した。マスター、指示を」

 

 

 あまりの美しさに見とれてしまっていたが、左手の痛みが俺を現実へ引き戻す。青い男との戦いで怪我でもしたのだろうか。

 左手の痛みに同調するかのように、少女は青い男の方へ向き直り、手に持った透明な何かを強く握る。しっかりと握られたそれが何であるかは分からないが、彼女の持ち方や姿勢でそれなりの重量を持つ物であることは分かる。

 

 

「これより我が剣は貴方とともにあり、貴方の運命は私とともにある。ここに契約は完了した」

「おい、待て! 契約って──」

 

 

 俺の静止の声に耳を傾けることなく、少女は土蔵を出て、青い男の方へすごい速さで駆けて行った。土蔵に暗い陰が差す。月はまたしても雲の中に隠れてしまったようだ。

 土蔵の中にもう一度訪れた嵐は埃を舞わせる。それは先程まであの芸術の一部だとでも思われたのだが、彼女がいなくなった今、それらは忽ち神秘性を失い、ただの埃となった。

 あまりにも突然であり、急に進んでいく展開。俺はそれに呆然としていたのだが、直ぐに立て直し、土蔵の外に出る。

 俺は契約という言葉がひっかかったが、それを聞こうとしたときにはもう彼らの戦闘は始まっていた。

 咄嗟に思った。あの少女が適う筈がないと。あの可憐で俺よりも小さな少女が勝てるわけが無いと。俺自身が青い男と戦ったゆえ、ヤツの強さを知っている。だからこそ彼女は勝てないと思った。しかし、俺の予想は土蔵の外へ出た際に覆されるものとなった。

 金属のぶつかる音が甲高く冬の乾いた夜空に響き、踏み込んだ足が地面を抉る。目にも止まらぬ速さで打ち合う彼らの凄さは、肌に伝わる武器のぶつかった衝撃を以て理解される。

 火花を散らしながら鋼と鋼がぶつかる。

 あの小さな少女は青い男を圧倒していた。

 今はもう月は雲に隠れてしまっていて、辺りには闇が広がるにも関わらず、青い男の苦い表情がここからでもよく見えるようだった。

 青い男が苦戦しているのは、少女の武器に込められた魔力が原因だろう。半人前の俺にでも分かるほどの魔力は、少女の何気ない一撃に込められていて、その絶大な威力を持った一撃一撃が赤い槍とぶつかり閃光を放ち、赤い槍に浸透していく。だが青い男が劣勢であるのはそれだけが理由ではない。

 

 

「卑怯者め、自らの武器を隠すとは何事か!」

 

 

 そう、少女の武器は見えない(・・・・)のだ。

 青い男は少女の武器が見えない以上、その武器がどのくらいの長さか、どんな形状か、それが分からないまま戦わざるを得ない。間合いも分からないまま突っ込むのは迂闊だ。よって青い男の攻撃には先程のような切れ味が無くなっているし、手数も必然的に減少していく。

 俺は青い男に感嘆する。なぜなら、そんな見えない武器を相手に、男は劣勢ではあるものの全ての攻撃を防ぎきっているのだ。

 そうして激しい戦いの中、お互いの距離が開く。

 

 

「どうしたランサー。止まっていては槍兵の名が泣こう。そちらが来ないのなら私が行くが」

「ひとつ聞かせろ。貴様の宝具、それは剣か?」

「さあ、どうかな。斧かもしれぬし槍かもしれぬ。いや、もしや弓ということもあるかも知れんぞ、ランサー」と、少女は挑発染みたような言い方で、青い男に言う。

「く、ぬかせ剣使い(セイバー)!」と苦い顔を見せながらも、男の口角が上がっているのがわかる。少女といい、この男といい、この戦いを楽しんでいるようだ。

 

 

 青い男が槍を構える。その構えは先程学校で赤い男と戦っていたときに見せたものだ。あの男、少女を殺すつもりか!

 

 

「なあ、ここいらで分けって気はないか?」と、青い男はその提案に対する少女の答えを知っていながらも、敢えて訊ねた。

「断る。あなたはここで倒れろ」と、少女はキッパリと青い男の提案を断る。

「そうかよ。こっちはもともと様子見のつもりだったんだがな」

 

 

 少女が見えない何かを持ち直す。青い男ははっと鼻で笑う。そして彼の赤い瞳がギラりと光った。刹那───赤い槍の穂先から魔力が溢れ出し、それが凝縮していく。なんて高密度な魔力だろうか。今、赤い槍が死に昇華した瞬間を垣間見た。あの赤い槍自体が死の概念そのものであるかのような禍々しさがあった。

 すぅーっと青い男が目を開くと、男の纏う雰囲気が変わる。鋭く少女を睨みつけ、槍の穂先は赤く揺らめく光を放つ。槍を中心に魔力が渦のように鳴動している。偏に言ってしまえば、それは殺意の塊だった。

 周囲の空気は凍り、夜の闇がどっと押し寄せてくるような感覚。それが俺の体を撫で、背筋がぞわりとした。

 青い男が姿勢を低くする。それはまさしく獲物を捕らえようとする獣のようだ。肉食獣の鋭く尖った視線が少女を射抜く。

 

 

「その心臓───貰い受ける!」

 

 

 青い男の腕の筋肉が遠くからでも分かるほど隆起する。青い男は少女の方へ駆け出し、赤い魔の棘を少女に向けて突き出す。その槍がどれほどの危険を孕んでいるか、俺は槍が突き出された今再認識する。

 

 

「───刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルク)!!」

 

 

 突き出された赤い槍は、少女の剣とぶつかる。それはわずか一瞬の出来事であった。

 普通の人間ならばそれは認識出来ない速度。赤い線のようにそれは神速を持って少女に突き出された。それを少女は不可視の剣で対抗する。衝突し、激しい魔力の濁流が、俺の位置まで押し寄せてくる。

 少女の剣と赤い槍は拮抗していたかのように見えたが、瞬間、赤い槍は少女の剣と衝突していた場所から突然軌道を変えるように、奇妙な動きを見せた。

 少女はそれを天性の感からか、軌道の変わった槍に気付き、剣の角度を変えて、その槍が心臓に当たることを防いだ。

 だが槍は少女の銀の鎧を砕き、肩口に刺さる。少女は飛ばされて、放物線を描いて着地した。傷口から夥しい量の血が流れている。

 少女はうめき声を上げ、苦悶の表情をする。

 

 

「躱したな、セイバー。我が必殺の一撃(ゲイボルク)を!」

「呪詛……いや、今のは因果の逆転! ゲイボルク……御身はアイルランドの光の御子か!」

 

 

 少女は驚きを含んだ声でそう言うと、青い男の持つ赤い槍、そして青い男についての分析を始める。俺も今の槍の奇怪な動きに驚愕せざるを得なかったが、それ以上にあの槍を、死の概念そのものである魔の棘を紙一重で躱した少女の感の良さや、反射神経の方が驚きであった。

 槍によって抉られた、少女の肩口に出来た傷はみるみる塞がっていく。それがこの少女も異常であることを物語っていた。

 そしてすでに青い男からは殺気は消えていた。

 

 

「ドジったぜ。こいつを出すからには必殺でなければやばいってのに。全く……有名すぎるのも考えものだ」

 

 

 青い男は自嘲するように笑うと、俺と少女に背を向け歩き始める。あれほどまでに執着していたのが嘘であったかのようにあっさりと、青い男からの殺気は霧散していた。

 

 

「生憎、うちの雇い主は臆病でな。槍が躱されたのなら帰ってこいと抜かしやがる」と青い男は呆れたような口調で言う。

「逃げるのか、ランサー!」

「ああ、追ってくるのは勝手だぞ。ただしその時は、決死の覚悟を抱いて来い!」

 

 

 青い男は凄んだ顔で言う。その表情には先程と同じような、獣の獰猛さを孕んだものがあった。そしてこちらに背を向けると、凄まじい跳躍力を以てして、夜の闇に消えていった。

 

 

「待て、ランサー!」

 

 

 少女は青い男に静止を呼びかけ、彼を追いかけようとする。

 俺は彼女を止めるべく動くが、俺が止める必要もなく彼女は地面に片膝をつけた。そうして少女が青い男の去った方を見つめている隙に俺は彼女に近付く。彼女の鎧の砕けたところはもう治っていたが、どうにも痛みがあるようで、胸に手を当てて、今も痛みに耐える表情を浮かべている。

 そんな時に非謹慎かもしれないが、改めて見て彼女を美しいと思ってしまった。それと同じく、こんな少女が傷を負ってしまったことに、俺は無性に腹が立った。俺にもっと力があれば、彼女をこんな目に合わせることは無かったのではないかと。しかし青い男と少女の戦闘は、とても一介の人間が介入できるレベルではなかった。あれがあの青い男の全力かと、改めて自分の実力との差を実感した。もしあの青い男が、俺との戦いの中で、その一端でも現していたのなら、俺はもうこの世界にはいなかっただろう。苛立ちと悔しさが俺の胸の中に入り乱れる。

 少女は胸から手を離して、おもむろに立ち上がる。その表情に痛みに耐えている色はない。もう治ったのだろうか。

 少女は翡翠の瞳でこちらを正視する。

 

 

「お前、一体なんなんだ」

「見た通り、セイバーのサーヴァントです。ですから私のことはセイバーとお呼び下さい」

 

 

 その表情は柔らかく、先程の戦闘の凛々しかった表情とはギャップを感じた。それに胸が跳ねた俺だった。

 

 

「俺は衛宮士郎だ。この家に住んでいて──」

「衛宮?」

 

 

 彼女は何かを気にするように首を傾げる。

 

 

「じゃなくて、聞きたいのはそういうのじゃなく……」

「分かっています。貴方は正規のマスターではないのですね。しかしそれでも、貴方は私のマスターです」当然だと言わんばかりに少女の騎士、セイバーは言い切った。

「そのマスターってのなんだが、俺はマスターと呼ばれるほど大層な魔術師じゃないからな。セイバーの好きな呼び方で呼んでくれて構わない」

「それではシロウと……ええ。私としてはこの発音の方が好ましい」セイバーは微笑む。俺はその美しさにまたもや目を奪われる。

 

 

 見とれていた俺だが、左手にズキリと痛みを感じ、再びその痛みによって俺は現実に引き戻される。左手の甲に視線を落とすと、そこには赤く刻まれた刺青のような、刻印のようなものが入っていた。

 

 

「なんだこれ?」

「それは令呪と呼ばれるものです。無闇な使用は避けるように」またこれもさも知っていて当たり前であると言うように、セイバーは言い切った。「それとシロウ、傷の治療を」

「すまないセイバー。俺にはそんな高等な魔術は使えない。それにもう治っているようにも見えるけど」

 

 

 俺には初歩である強化以外の魔術は使えない。魔術師だった親父に教わったのも、唯一この魔術だけだった。だから治療の魔術なんていう高難易度な魔術は使えない。それに今言ったように彼女の傷は治っているようにも見えるため、治療の必要はないと思われるが。

 

 

「いえ、私のでは無く、シロウの傷の話なのですが」

「えっ!?」

 

 

 セイバーにそう言われてから、体のあちこちに傷があることを自覚した。自覚してから突然体中が痛み出す。外傷以外にも、体の内側からの痛みもある。あの青い男──ランサーとの戦いでの傷が、今痛み出したのか。俺はそれらの痛みにたまらず苦々しい表情をうかべ、地面に膝をつく。

 セイバーは「大丈夫ですか、シロウ」と膝を着いた俺の元にすぐに駆け寄ってきた。セイバーの表情からは心配という感情が読み取れた。セイバーは俺の胸と背中に手を持っていき、俺の体を支えてくれた。

 俺は荒い息を整えて、大丈夫だと伝えるが、セイバーはそんな俺の強がりをすぐに看破した。

 

 

「外は冷えます。とりあえず中に入りましょう」

「ああ、そうだな」

 

 

 セイバーに支えられながら、俺はゆっくりと立ち上がる。そのまま俺達は縁側の方まで歩いていき、窓を開けて、家の中に入る。

 家の中は冷え込んでいた。それは冬である、そして深夜であるという理由も勿論あるが、それ以外にも、この家が外気に密閉されていない状態にある、という理由も含まれるだろう。俺がランサーとの戦闘で割った窓ガラス、そこから外の冷たい空気が家の中に侵入しているのだ。それは廊下を冷やし、居間を冷やし、そして家中を冷やしている。とりあえず俺はセイバーに支えられたまま、居間の座布団の上に腰を下ろす。

 

 

「困りました。損壊した窓ガラスからの冷気がこの家を冷やしている。これでは怪我人の体に障ってしまう」と考え込んでいるセイバー、そして彼女は座布団の上で痛みに耐える俺に呼びかける。

「シロウ、怪我している身で悪いのですが、魔術でどうにかできませんか?」

「セイバー、すまない。俺に窓を直す魔術は使えない」

「そうですか……」

 

 

 こういうとき、本当に自分の無力さに悔しさを通り越して呆れてしまう。強化以外できない自分の魔力の才能の無さに、どうしようもないやり切れない思いを抱える。案の定セイバーは困り顔だ。

 

 

「けど大丈夫だ。これくらいの傷、放っておけばすぐに治る」

 

 

 せめてセイバーの心配要素を減らそうとしたのだが、それは逆効果だった。俺のその言葉の後、セイバーはこちらをキッと睨む。余りの鋭さに俺は萎縮してしまう。どうやらまたしても強がりが見破られたみたいだ。そんな俺の様子を見て、セイバーはため息をつく。

 

 

「何か塞げるものを探してきます。そこまで外の空気を遮断できないと思いますが、無いよりはマシでしょう」

「それなら確かダンボールがあったはずだ。一先ずそれで塞ごう」

 

 

 そう言って俺は立ち上がろうとするが、力が入らず上手く立てない。俺は畳の上に転んでしまう。セイバーは転んでしまった俺の元にすぐに駆けつけて、俺の体を起こすのに手を貸してくれた。「すまない」といい、俺はセイバーの手を借りて、体を起こす。

 

 

「シロウはそこで大人しくしていてください。私が塞いでおきますので。ですので場所を教えてください。あとガムテープを使いますね」

「あ、ああ。分かった」

 

 

 俺はセイバーにダンボールとガムテープのある場所を教える。セイバーはそれを聞くと立ち上がり、作業に取り掛かった。本来であれば、こういうのは家に住んでいる俺がやるべきことのはずなのに、セイバーに任せっきりになってしまっていることに、不甲斐なさを感じる。

 セイバーがいない間、俺は今置かれている状況について考える。青い男に命を狙われ、死にかけたところにセイバーが現れた。セイバーは契約が完了したと言った。そして俺の事をマスターと、彼女自身のことをサーヴァントと言っていた。このことからセイバーの言う契約っていうのが、主従の契約だということは何となく検討がつく。そして青い男、ランサーもあの話しぶりを考えるとそのサーヴァントであるらしい。つまり、ランサーにもマスターが存在して、その命令によって俺を殺そうとした、ということだろうか? それは一体なぜなのだろうか。それにランサーはセイバーが現れた時、セイバーを七人目のサーヴァントだと言った。ということはセイバーとランサーの他にもあと五人のサーヴァントがいると考えられる。学校でランサーが戦っていたあの赤い男も、ランサーと比肩する戦闘力からサーヴァントだと考えられるだろう。そして一人のサーヴァントにつき、一人のマスターがいると仮定すると、これらが意味することは、俺以外にもマスターが最大六人存在するということだ。

 何となくここまでは分かった。だが決定的なことが分からない。学校での出来事でもそうだった。赤い男とランサーは戦っていたし、セイバーとランサーも出会って直後から戦闘を開始した。何故彼らは戦う必要があるのだ。この辺はきっとセイバーなら知っているのだろう。"マスター"や"令呪"などという単語を当然のように語っていたのだから、彼女が知らないという可能性は低いだろう。セイバーが戻ってきたら聞こう。そう思っていたタイミングで、丁度セイバーが居間に戻ってきた。

 

 

「シロウ、とりあえず塞いではおきましたが……」セイバーは心配そうに破損した窓のある方へ視線を向ける。

「ああ、ありがとうセイバー」俺はセイバーに感謝する。とりあえずこれで多少はマシになっただろう。あとはストーブが頑張ってくれればこの居間だけでも暖かくなるはずだ。

 

 

 セイバーは机を挟んで俺と反対側に座る。今気付いたが、彼女の銀の鎧が消えていた。流石に室内にいるときは付けないよな、と俺は一人勝手に解釈した。銀の鎧が消えた彼女の姿からは、彼女元来の少女らしさを感じた。青いドレスを着た異国の少女の姿は、俺の鼓動を早まらせるのに十分であった。

 困ったな。最近桜が妙に色っぽくなって、それにも毎日どきどきしているのに、セイバーでもこんなに動揺してしまうなんて。前まではこんなのなかった。一体俺はどうしてしまったんだろう。俺の顔が火照るのを感じる。きっとセイバーが破れた窓を塞いでくれて、かつストーブのスイッチを入れて、少し室内の気温が上がったからに違いない。

 俺が俺の顔の温度が上がる理由をそう結論付けている最中、向かい側に座るセイバーの顔が、真剣なものに変化する。恐らくこの状況について、彼女が俺に話してくれるのだろう。俺はセイバーの表情からそう読み取り、セイバーの言葉を待つ。数秒すると彼女の小さな口は開かれて、凛とした声で言葉が発せられた。

 

 

「シロウ、あなたは正規のマスターではないから、この聖杯戦争については何も知らないのですね?」

 

 

 セイバーは確認を取るように言ったが、その実彼女自身確信めいたものがあり、俺に訊ねたに違いなかった。勿論俺は態々知ったか振りをしたり、知らないことを隠すつもりも必要もないので、躊躇いもなく彼女の問いに首を縦に振る。

 

 

「そうだな。そんな戦争一回も聞いたことは無い」俺がそう言うとセイバーはやはりといった顔つきをする。続けて「でも俺でも理解できていることはある」とセイバーに伝える。

 

 

 俺はセイバーが居間にいない間に考えたことについて、セイバーに確認をとりながら話した。俺の考えにセイバーは肯定した。そして俺はセイバーの言った聖杯戦争というものが、今俺の巻き込まれているものであることも、そして"戦争"という言葉から、それがセイバー達サーヴァントの戦う理由であることも理解した。

 セイバーは俺の考えを聞いた後、それに付け足すように、聖杯戦争がどういったものなのかを説明してくれた。

 

 

「聖杯戦争。七人のサーヴァントと七人のマスターによる、万能の願望機をかけた戦い。マスターとサーヴァントは、その願望機、聖杯を手に入れるため生き残りをかけて戦う。そして最後に残った一組が聖杯を手にすることができる」

「なるほど、そういうことか。しかし万能の願望機だって?」

「はい。あらゆる願いを叶えることの出来る聖杯。この地の聖杯は霊体であるが故に、聖杯に触れられるのはサーヴァントのみ。マスターもサーヴァントも聖杯にかける願いがあるからこそ、この戦いに参加するのです」

 

 

 この戦いの大筋は理解出来た。付け加えるなら、サーヴァントと呼ばれる存在は過去や未来等時代を超えた英霊、英雄と呼ばれる存在の中から選ばれるらしい。

 選ばれた七人のサーヴァントは、それぞれ七つのクラスに分けられる。セイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、キャスター、バーサーカー、アサシン。それぞれがそれぞれに選ばれる基準もあり、また適した武器、戦法を持っている。要はセイバーなら剣、ランサーなら槍、アーチャーなら弓、といった具合に。

 なるほど、聖杯戦争については理解できた。しかし解せないところがある。セイバーは言った、マスターもサーヴァントも聖杯にかける願いがあるからこそ、聖杯戦争に参加をすると。生憎俺にはそんな願いはない。だというのに俺は参加をさせられている。これはどういうことだろうか。恐らくこれはセイバーに聞いても、答えの得られない問いだろう。だから俺はこの問を胸の中にしまった。

 代わりに、新たに生まれた疑問の一つを彼女に問掛ける。

 

 

「セイバー、生き残りをかけた戦いをするって言ったな?」

「はい。言いました」

「それはつまり、人を殺すってことか?」

 

 

 このことを聞いた時点で、セイバーは俺が何を思い、何を考えているのかを察してしまうだろう。セイバーは真っ直ぐに俺の目を見詰める。翡翠の瞳はぶれることなく、しっかりと俺の目を見ている。

 

 

「はい、その通りです」と、セイバーは何も隠すことなく真実を伝える。曖昧にせずに、はっきりと物事を伝える彼女はやはり騎士なのだなと俺は改めて思った。

 

 

 戦争という物騒な名前から分かっていたことだ。それにランサーだって俺の事を確実に殺そうとしていた。寒気がする。俺は今、人殺しの競技に参加させられている。魔術師として半人前であるにも関わらず、そんな物騒なものに参加させられている。自分の知らぬ間に、強制的に。

 しかし、そんな俺の様子を見て、セイバーは付け足すように言った。

 

 

「その通りなのですが、それはあくまそうするのが正攻法であると言うだけの話です」

「それはどういうことだ?」と、いまいち的を得ない俺は彼女に訊ねる。

「聖杯を手に入れらるのは最後に残った一組のみ。そして、聖杯に触れられるのはサーヴァントのみ」

 

 

 セイバーが先程の説明と同じことをもう一度言う。それはさっきも聞いたし、だからどうしたと言う話なのだが、今敢えてこの部分を言ったことに意味があると思った。俺はセイバーの言葉にしっかり耳を傾ける。

 

 

「つまり、マスターを殺さずとも、他の六人のサーヴァントを倒せば──」

「聖杯に触れられるサーヴァントがいないから、そのマスター達は聖杯を得る権利を失う。そして最後の一人のサーヴァントとそのマスターが勝利者となる、ということか」と、漸く得心した俺にセイバーは、

「はい、そうです」と、まるで問題に正解した生徒を褒めるような先生の顔つきで言った。

 

 

 確かに他の六人のサーヴァントを倒せば、マスターを殺さずに聖杯を手に入れることができる。けれどセイバーは言った。先にマスターを殺すことが正攻法であると。マスターを殺せばサーヴァントはその主従の契約を切られ、現界できなくなる。それを正攻法だと言った。俺はランサーとの戦闘や、ランサーとセイバーの戦いを思い出す。

 俺よりも数段も格上の相手。どう足掻いても、未熟な魔術師である俺が、サーヴァントを倒すことはかなわないだろう。おそらくそれは、俺だけに当てはまる訳じゃなく、俺以外の魔術師、つまり成熟した魔術師であっても厳しいものなのだろう。過去の英雄であるサーヴァントを倒すことは難しい。だから正攻法はマスターを先に倒すことだということか。

 特に俺のような未熟な魔術師は不利であろう。未熟者の俺では他の魔術師を倒すことはできない。それはセイバーを勝利に導くことが難しいという事だ。それに、俺に人を殺すなんてことができるのか分からない。聖杯戦争において、そんな甘い考えは俺自身の死を誘うだろうし、セイバーにとっても俺はお荷物になってしまうだろう。だとしたら、やはり俺はこの戦いを辞退するべきなのではないだろうか。戦う理由も、聖杯に叶えて欲しい願望もないのだから。

 

 

「なあ、セイバー。マスターの権利は、マスターの死亡以外にどうなったら無くなるんだ?」

「それは簡単です」と彼女ははっきりと言う。そしてセイバーは続けて、

「今シロウの手の甲にある三つの令呪、その全てを使い切れば、マスターはサーヴァントへの命令権を失うと同時に、サーヴァントもマスターを失う。ですからも士郎も令呪を使用する際には注意をして下さい」と俺にマスターの辞退方法というよりも、マスターの権利喪失の危惧を伝える。

「なるほどな」と俺は自身の左手の甲に視線を落とす。

 

 

 血のように赤い刻印は、刺青のようでもある。この令呪が俺とセイバーの契約の証なのだろう。この令呪を全て使い切れば、俺はマスターを辞退することができるのか。セイバーには悪いが俺はこの聖杯戦争を辞退させてもらおう。きっとその方がセイバーにとってもいいはずだ。俺のような中途半端な魔術師よりも、もっとちゃんとした魔術師と組んだ方が、セイバーの勝率も上がる。

 じっと令呪を眺めていると、セイバーは俺の様子に何か気付いたようで、目を大きく開ける。そして大きな声で「それはダメだ、シロウ!」と言った。急にセイバーが大きな声を上げたので、俺はビックリして思わずセイバーの顔を見た。今のセイバーの表情から感情を読み取るのが難しいが、怒りや悲痛さを含んでいるのは確かだった。

 その表情を見て、今度は俺の胸が痛んだ。まだ会って数時間も経っていないというのに、彼女のそんな表情が俺の胸を締め付けるのだ。でもこれはセイバー自身のためでもあるはずだ、そう自分に言い聞かせて、令呪を使おうとするが、ふとある事が気になった。

 

 

「なあ、セイバー。俺には聖杯に叶えて欲しいなんていう願いはない。けど、他のマスターたちは何を願うんだ?」

 

 

 ただの好奇心であった。こんなことをセイバーに聞いたところで、セイバーが答えられるとも限らない。というか、セイバーはマスターじゃない。だから知らなくても当然だ。けれど、気になったのだ。セイバーは俺を正規のマスターじゃないと言った。ならば、正規のマスターである魔術師は、何を望んでこの戦いに参加したのか。彼らが命をかけてまで聖杯に欲するものは何なのか、それが気になった。

 セイバーは難しそうな顔をする。セイバー自身にも願いがある。けれどその願いはきっと、現在を生きる魔術師たちとは違うもの。俺はセイバーの願いも気になった。過去の英霊が、死んでも尚望み続けるものは何なのか。それは今訊いても教えてはくれないだろう。何せ俺と彼女の付き合いは浅い。出会ってまだ一日も経っていない、そんな奴に、自分の大切な願いを語ろうだなんて思わない。だから俺はセイバーの願いを今訊くことはない。

 セイバーの言葉を待つ。考え込んでいるセイバー、一体何をそんなに考える必要があるのだろうか。俺も明確な答えを求めている訳では無い。はっきりとした騎士の性格をしたセイバーだから、ちゃんと答えようとしているのか。でもセイバーの考え込みっぷりは、少しばかりか違和感を感じた。

 

 

「……分かりません」とセイバーは気落ちする。「人の欲はそれぞれですので。ですが、人によって違うと思いますが、一般的な魔術師であれば、根源への到達、などではないでしょうか?」

「セイバーの言う一般的な魔術師っていうのは、純粋に魔術を研究している奴らのことだよな」

 

 

 セイバーはこくりと頷く。しかしセイバーの表情は暗い。何をそんなに考えているのか、俺には分からない。

 一般的な魔術師は根源への達することを望むのか。それは本当に不可能を可能にする、万能の願望機にかける願いとしては相応しいのかもしれない。しかしそれはもしセイバーの言う聖杯があの(・・)聖杯であるならばだ。そして、彼らがそんな高尚な願いを持つのに対して俺の聖杯にかける望みはない。やはり俺はこの戦いを辞退するべきだ。そう考えているところで、セイバーが突然に話し始める。

 

 

「しかし士郎、話は変わりますが、傷だらけとはいえよくランサーの猛攻を凌ぎましたね」セイバーは本当に感心しているように言う。きっとこの言葉はランサーと剣を交えたセイバーだからこそ言えるのだろう。俺としてはランサーには一方的にやられただけなので、褒められるものとは思えず、セイバーの純粋な賛辞と自分の内心とのギャップにたまらず気恥しさを覚える。

「そんな褒められることじゃないだろ。俺はランサーに手も足も出なかったんだから」

「いえ、それは違います。ランサーという英雄、サーヴァントとの戦いに、未熟な魔術師であり、一般人でもあった(・・・・・・・・)士郎が生き残った、これは凄いことなのですよ」セイバーは何故かどこか誇らし気だ。

 

 

 彼女の"一般人でもあった(・・・)"という発言は、聖杯戦争の存在を知らなかった俺を指すものであり、過去形であることから、その存在を認知した俺はもう"一般人"という括りからは外れたことを意味していた。その事については別段何を思ってる訳ではないが、ただまだ聖杯戦争への参入を渋っている俺としては、もうこの戦いからは下りられないぞと言外に言われてる気がして、恐れを懐くのだ。セイバーにその気はないとしても、俺自身が勝手に脅迫されてると思い込んでいる。この団欒の居間を遠くに感じるが、時計のカチカチと定期的に刻まれるリズムある音が俺を逃しはしない。そして室内に響く時計のその秒針を刻む音さえも、俺に迫ってきているように錯覚し、今まで部屋が暖かくなってきたために意識していなかったはずの、廊下から流れる夜の冷え込みを認識し、それが背中を撫でる。そうして漸く俺は自身の置かれている状況を理解し始めるのだった。

 俺は聖杯戦争から下りられると一人解釈していたが、それは此方の思い違いかもしれない。冷静に考えれば分かることの一つだった。ランサーはマスターとなる前の"一般人"であった俺を一度とならず二度も殺害しようと試みたのだ。見られたから(・・・・・・)というあまりにも理不尽な理由で俺に死を提供してきた。だがここから類推できることは、"聖杯戦争は魔術師同士で人目を避けて行われること"、そして"目撃者には死を用いて聖杯戦争の秘匿を保つこと"だ。そして俺はランサーにマスターであることも知られている以上、ランサーは確実に俺を殺しに来るだろう。例え俺が聖杯戦争を拒否したとしても向こうの都合でそれを許してはくれない。酷く身勝手に押し付けられているが、それは俺にも言えることで、俺も聖杯戦争を下りようなどと我儘を通そうとしている。これでは決してお互いの意見が合致しない平行線であり、そして俺が我儘を主張したとしても結局俺はランサーや他のサーヴァントやマスターによって殺されてしまうのだろう。そこまで分かっている。分かっているのだが、俺にはやはり聖杯戦争に参加するだけの目的が見当たらず、依然として参戦を拒みたいことには変わりはない。

 セイバーは今も明るい表情で俺に話をしてくれているが、俺の顔は浮かない。

 

 

「どのようにして私を召喚するまでの間、ランサーの攻撃から耐え凌いだのです?」セイバーは単純に気になって聞いたのか、それとも自身を召喚した者の力量を測るために聞いたのか。この話の流れを考慮すると、前者の方が正解な気もするが、恐らくは後者の思いも少なからずその問には含有されているのだろう。

「どのようにって───普通に肉弾戦だ。薄々セイバーも勘づいていると思うけど、俺は魔術を初歩である強化以外録に使えないからな」

 

 

 俺が魔術師として未熟であることは隠すことではない。セイバーが俺を見限る可能性もあるが、セイバーに伝える義務を有する真実の一つであることに変わりはないのだから。魔術をあまり使えないことを教えれば、この話題からセイバーが興味を失うと踏んでいたのだが、その予想は外れる。何故ならば、

 

 

「肉弾戦って、ランサーと強化の魔術のみを用いて体を張って渡り合ったというのですか!」

 

 

とセイバーが想像以上に魔術に関することよりも、ランサーと拳を交えたことに食いついたからだ。その勢いは凄まじく、セイバーの体はやや前のめりになっている。俺はその勢いに微妙に気圧された。

 

 

「いや、だから渡り合ってはない。一方的にやられただけだ」

 

 

 俺はセイバーの言葉に訂正を入れると、間髪を入れずにセイバーが「当たり前です!」と目尻を吊り上げて叫ぶように声を上げる。

 

 

「そもそもサーヴァントとは英霊。その時代でその力を振るい名を馳せ、未来まで語り継がれた者達。そんな人物に魔術無しに挑むなど愚策にも程があります!」セイバーの声量が段々と上がってくる。どうやら俺はセイバーのスイッチをオンにしてしまったらしい。

 

 

 セイバーがヒートアップしていくにつれ、俺は身を縮こまらせる。あれ、俺は何で怒られているのだ? ついさっきまで照れ臭いが彼女に褒められていたのでは無かっただろうか。どうやらサーヴァントと接近戦をしたということが地雷源だったらしい。等と余計な思考を回しているのがセイバーにバレてしまったのかセイバーは「聞いていますか!?」と昂ったまま、俺がセイバーの説教に集中していないのを注意する。俺は「はいっ!」とそれはそれはいい返事をした。

 それからセイバーは俺が如何に危険な真似をしたかを俺に説明した。俺はしっかり彼女の言葉に耳を傾けていた。

 

 

「全く───次からは気を付けてください」

「ああ」セイバーの説教は長く、俺の覇気は消えた。

 

 

 セイバーはそんな俺に嘆息をついてから俺に質問をする。

 

 

「ところでシロウ。あなたは魔術を強化しか使えないと言いましたが、魔術師には師が存在するはずです。そういった者達から教えて貰ったりしなかったのですか?」

 

 

 セイバーの質問は当然で、大抵の魔術師は親や家族など一族の人間や、師匠から魔術を教えて貰うだろう。俺に魔術師の切嗣(本人が言うには魔術使い)が養父であったが、切嗣自身が魔術を俺に教えることに関して消極的であったために俺は結局強化の魔術しかまともに使えないのだ。

 

 

「一応俺の親父、切嗣から魔術を教わったんだけど、切嗣が俺に魔術を教えることを渋ってたんだ。だから結局教わったのは強化くらい」

 

 

 俺が切嗣の名を出すと、セイバーは「切嗣……」とこちらがギリギリ聞き取れる声で呟く。

 

 

「切嗣曰く俺は魔術の適正があって、俗に言う【アベレージ・ワン】っていうやつで、特に【火】の適正が秀でてるらしい。あと五大元素じゃないけど、【雷】属性の適正も高いらしい」

 

 

 俺はセイバーに説明する。

 

 

「まあ、使える魔術は強化くらいだからさ、宝の持ち腐れだよな」俺は嘲るように苦笑いを浮かべる。

「どうしてそれほどの素質を有しているのに、切嗣はシロウに魔術を教えたがらなかったのでしょう?」セイバーは真面目な面持ちで俺に訊ねる。セイバーのその表情は何か本当に考えているようである。そして彼女が言った切嗣の名はどこか言い慣れているようでもあった。

「さあ、それは分からない。最初何度も教えてくれって頼んでも、切嗣はダメだの一変張りだったんだ。でも何度も頼み込んでると、ある日切嗣が折れてくれて、それで俺に魔術を教えてくれるようになったんだ」

 

 

 俺は話しているうちに、自分の養父である切嗣のことを思い出していく。その思い出はどこから湧いてくるのか、自然に音になって口から出ていき、切嗣はこんなことをした、あの時切嗣はああ言った、とか本当に取るに足らないそれらをセイバーに話していた。切り取られた日常の断片はそこから枝分かれ、次々と別の記憶に繋がっていった。セイバーは俺の他愛もない話を静かに聞いていた。こんな風にセイバーに切嗣との幾つもの思い出を話しているけれど、俺も本当に彼が何を考えているのかは分からなかった。急に世界旅行と称して海外に行ったり、またふらりと戻ってはどこかへ行ってしまう人であった。彼が亡くなったのは五年前であるが、亡くなる直前の彼はよく縁側に腰をかけて外の景色を眺めていた。彼が何を思ってそんな風にしていたのか勿論定かではない。そしてそんな年寄り臭く一日を過ごしている彼を、俺はいつしか爺さんと呼ぶようになっていた。

 切嗣は俺にとっては間違いなく正義の味方だった。だから俺も切嗣に憧れた。俺自身が救われたからこそ憧れた。俺も切嗣のような正義の味方になりたい。

「士郎は本当に切嗣のことを敬愛しているようですね」俺のつまらない話を真面目に聞いていたセイバーは最後にそう称した。一瞬難しそうな顔を浮かべて、でも直ぐににこやかになった。

 それに対して俺は「ああ、そうだな」と彼女に即答する。

 そうすると、セイバーはまた小難しい表情をして、今度は優し気なものではなく、騎士染みた決然の意志を感じられる覚悟のものに変化した。

 

 

「シロウ、これはあなたに伝えなければならないことかもしれない」

 

 

 セイバーがあまりにも鬼気迫るように言うものだから、俺も聞き逃さないように身構える。

 

 

「私はこれでこの地に召喚されるのは二度目です」

「え、それって───」

 

 

 セイバーの言葉が意味することはすなわち、セイバーは以前にもここに、この街、冬木に召喚されたことがある、ということを意味する。それはどういうことか。セイバーが召喚されたということは、前にもここで聖杯戦争があったという事だ。

 その答えまで行き着いたところで俺はセイバーに目を合わせる。セイバーへの確認のためだ。セイバーは俺の考えを読み取ったようで、俺に応えるように首を縦に振る。

 驚いた。そのときのサーヴァントと今のサーヴァントが、全員一致しているかは分からない。しかしこれで分かったことがある。聖杯戦争っていうものは、何も新しいものじゃない。少なくとも一回、この聖杯を巡った争いは、この街で行われていた。

 

 

「そして、此度の戦い以前に参加したのは十年前(・・・)の、前回の第四次聖杯戦争」

「前回のが第四次ってことは、今回の聖杯戦争で五回目ってことか!?」

 

 

 それに対してもセイバーは静かに首肯する。こんな巫山戯た戦いを、魔術師達はこれで五回も繰り返したことになる。それ程まで未熟な俺とは違うちゃんとした魔術師が聖杯を求めるのならば、やはりこの地に現れる聖杯というものは、あの聖杯なのだろう。

 聖杯とは聖者の血を受けたとされる杯。数ある聖遺物の中でも最高位とされるそれは、様々な奇蹟を成し得るものとして、伝説とされている。そう、この聖杯の存在自体が非常に疑わしいものなのだ。多くの伝承や伝説に聖杯は記載されているが、それだけであり、実物を見たものはいないのではないのだろうか。けれど、魔術師達が五度も聖杯戦争を行っているのだから、あながちこの聖杯が偽物だとは言い切れない。しかし、信じられない話であることもまた確かだ。

 と、俺はここまで聖杯戦争について、聖杯そのものについて考えを巡らしていたが、ふとセイバーの言ったことに気になる点があることに気が付く。

 

 

「なあ、セイバー。さっき前回の聖杯戦争が起こったのって───」

「十年前です」

「十年前……」

 

 

 それはただの偶然なのか、それともやはり関係があるのか。前回の聖杯戦争が起こったのは十年前、そして俺の炎の記憶も十年前に起こった災害のもの。ここで関係ないとして切り捨てるのは早計だが、関係ありと判断するには情報が不足している。故にもう少し情報を集めなければならない。

 

 

「なあセイバー、戦いの間季節は冬だったか?」

「ええ、そうですね。今回も冬に行われるみたいですね」

 

 

 季節は一致した。あとは他の情報を引き出そう。俺はもっと直接的な話をセイバーに振る。

 

 

「セイバー、その戦いで街一つが燃え上がるほどの火災って起こったか?」俺は生唾を飲み込み、セイバーの回答を待つ。セイバーは黙考して、

「いえ、私の知る限り無かったと思われます」

 と答えた。

 

 

 俺は「そうか」と一息付き、取り敢えず聖杯戦争中にあの火災は発生した可能性は低いと結論付けた。かと言って可能性はゼロではない。セイバーが早期退場した場合もある。だからまだ関係を切り離すことは出来ない。でも今はこの話題は置いておこう。俺はそう決めたが、結果としてこの話題は捨て切れぬものであった。

 

 

「セイバー、前回聖杯を手にしたマスターはいたのか?」

 

 

 俺はその問を口にした。その時、セイバーの表情が曇り俺から目を逸らした。俺はその表情からセイバーが前回聖杯を手に出来なかったことを察した。察するも何も、今回の戦いに参入したのだから、その答えに辿り着くのは当たり前ではあるが。けれど妙にセイバーが思い詰めたような表情をするものだから、俺は気になって仕方が無かった。

 そしてセイバーは伏し目がちに話し始める。

 

 

「前回の聖杯は………破壊されました」

「─────えっ?」

 

 

 言葉が出ず、絞り出た言葉は辛うじてその音のみ。すぐ様部屋は静けさに満ち、ゴーッというストーブの炎の音と時計の針の音しか聞こえない。兎に角到底理解できないし、訳が分からない。魔術師は万能の願望機である聖杯を求めて聖杯戦争に身を投じる、そのはずなのに前回魔術師たちが求めていた聖杯は破壊された。何故その魔術師がそのような行為に及んだのか、俺には見当もつかない。

 

 

「その事実を知ってるってことは、セイバーはその場にいたのか?」

「はい」セイバーは答える。つまりセイバーは前回の戦いで最後まで残ったサーヴァントなのだろう。セイバーは先程、聖杯に触れられるのはサーヴァントのみだと言った。故にセイバーが聖杯を破壊した可能性もあるのだろう。俺がその考えに行き着くと同時にセイバーが、

 

 

「そして聖杯を破壊したのも私です」

 

 

と吐露する。聖杯を破壊した犯人が自分であると自供するセイバーだが、それはセイバーの意思で行われたことではないことは分かる。それはセイバーが再度この戦いに参加したことから、セイバーは未だに聖杯を欲していることが容易に想像がつくからだ。即ちセイバーはサーヴァントに対する絶対命令権である令呪により、聖杯の破壊を命じられたのだろう。そのマスターにとって、聖杯が望んだものではなかったのか、それとも聖杯には興味がなくただ猟奇的に殺人をするためだけに戦いに参加したのか、他の理由があるのか。

 

 

「なあ、セイバー。当時のセイバーのマスターって───」"誰なんだ"と言葉を続けようとしたところでセイバーの口が動く。

「衛宮切嗣」セイバーは伏し目がちのまま、親父の名を口にする。

「ん?親父がどうかしたのか?」

 

 

 セイバーが改めて俺の方に向き直る。

 

 

「士郎、私が今し方あなたに伝えなければならないことがあると言いましたね?」

「ああ。セイバーが聖杯戦争に参加するのが二回目って話だろ?」

「それも確かに伝えたいことの一つでしたが、それよりももっと大切なことです」セイバーの視線はぶれること無く、真っ直ぐに俺の目を射抜いている。俺もセイバーの言葉をしっかりと逃さないために、彼女の視線に合わせる。

「前回の第四次聖杯戦争、そのときの私のマスターが───切嗣でした」

「────なっ!?」息を呑む。

 

 

 セイバーから告げられたことは、あまりにも衝撃すぎて、俺の頭に強い衝撃を与える。俗に言う鈍器で頭を殴られたような、そんな衝撃を受けた。ストーブが効き暖かくなったはずの部屋に、冷気を感じた。

 衛宮切嗣──俺の養父が聖杯戦争という命をかけた戦いに参加していた。切嗣がそこに参入した理由は何となく想像が着く。正義の味方に憧れた切嗣、彼が聖杯に託してまで叶えようとした願いは恐らく……。

 俺は縁側に腰をかけ、月を眺める切嗣の姿を思い出す。その背中は寂れていて、頼りなさがあった。切嗣が何を考えていたのかは分からないけれど、あの時確かに交わした約束が答えなのだろう。

 では何故切嗣はその可能性を有する聖杯を破壊することを選んだのだろう。万能の願いを叶える聖杯、それがあれば正義を成すことだって出来たはずだ。人間ではなし得ない大きな願いを果たすことが出来たはずだ。切嗣が聖杯の破壊を選んだ理由が不明瞭である。でもその事実がこうして当事者により語られた。切嗣にとって、破壊せざるを得ない理由があったということなのだろうか。

 

 

「セイバーは切嗣が破壊を命じた理由については知ってるのか?」

「いえ、分かりません。聖杯がもうすぐ手に入るところで切嗣は令呪を使い破壊を私に命じました。それまで切嗣は他の魔術師達と同じように聖杯を求めていました」

「そうか」

 

 

 切嗣は破壊の直前まで聖杯を欲していた。しかし何があったのか、切嗣は聖杯を拒んだ。その理由についてもサーヴァントであったセイバーも知り得ないものであるならば、思考を繰り返そうが俺には答えは見つからないのだろう。ひょっとしたら切嗣と同じように、俺も聖杯を前にした時に切嗣の行いを理解するのかも知れない。

 

 

「切嗣はどんなマスターだったんだ?」

「それは───」とセイバー少し悩んだ後、「これは言うべきですね」と言う。

「シロウ、あなたにとって切嗣はどんな人物ですか?」

「切嗣はそうだな、優しくもあり、厳しくもあり──って、なって言ったらいいか分からないけど、俺にとってやっぱり切嗣は正義の味方ってのが一番しっくりくるかな」

 セイバーは「そうですか」と言い瞠若する。

「前回の聖杯戦争時の切嗣は恐らく、士郎の知る切嗣とは正反対でした」

「正反対って、親父がか?」

「はい。衛宮切嗣は魔術師としては卑劣な手を使い、目的のためには少数の犠牲を厭わない、そんな人間でした」

 

 

 セイバーの言ったことに俺は息を呑むが、どこか納得している自分がいた。正直信じられないと思うところもあるが、切嗣のサーヴァントであったセイバーが言ったのだから本当なのだろう。それに確かに切嗣は正義の味方だったけれど、切嗣は俺に全ての人間を救うことは難しいと言っていた。それはきっと切嗣自身が経験をして、その上で下した答えであったことは、子供であった俺でも何となく察していた。そこに目を瞑っていた訳では無いけど、認めたくなかったのは事実だ。俺にとってはやっぱり切嗣には全てを救う正義の味方だったから。

「ああ、何となく分かってた」今セイバーに真実を突き付けられて出た言葉は、俺が切嗣のことで目を逸らしていた事を受け入れたものであった。大を救うために小を切り捨てた切嗣の生き方を認識するものであった。それも正義の味方の姿には違いなかったが、全ての人を救うことを理想とした俺の正義の像とは離れたものだ。親子正義の味方という同じ理想を抱いたが、そこにも差異が存在した。まあ、もっとも晩年の切嗣は正義の味方になることを諦めていたが。

 今一度、直面している問題に立ち返る。俺は今聖杯戦争という、嘘か真か判別のつかぬ万能の願望器、聖杯をかけた魔術師による命の奪い合いに参加させられている。そして俺がいくらそれを否定しようがそれは俺の一方的な意見の押し付けであり、例えどんなに主張しようと殺される可能性の方が高い。また過去に行われたこの戦いには切嗣が参加していた。理由は不明であるが切嗣は聖杯を目前にして、それを破壊することを自身のサーヴァントに命じた。切嗣が万能の願望器を前にして思ったことを、俺はその理由を知りたい。だがそれだけの理由で命まで懸けるというのは憚られる。避けることのできない戦いだとしても、強制的に参加させられたものである故に納得もいっていない。それに聖杯に叶えて欲しい願いなど俺には……

 

 

「シロウ一先ず監督役の所に行きましょう」

 

 

 俺が自分の思考に沈んでいると、セイバーが突然にそんなことを言った。

 

 

「監督役?」俺はセイバーに聞き返す。

「はい。この聖杯戦争を監督する者がいます。その者に聞けば、聖杯戦争についてもよくわかるでしょう。それに今シロウの悩んでいることも一度その人物に話してみてはいかがでしょう」

 

 

 セイバーの提案は確かにいいものであると思うのだが、

 

 

「とは言っても、俺は監督役のいるところなんて知らないぞ」そう俺は聖杯戦争については何も知らない身、監督役の人物の居場所など知らないし、見当もつかない。しかしその心配は無意味なものであった。それは、

「それは私が知っています」セイバーが答えたからだ。

 

 

 俺は勿論セイバーの言葉に驚いたが、よく考えてみたらこれ程までに聖杯戦争について詳しいし、それに彼女はこの地に召喚されたのは二度目であるようなので、知っていて当然とも思える。

 

 

「分かった。セイバー、その監督者のもとに案内してくれ。……と言っても今日は無理そうだけど。それにもうこんな時間だ。女の子をこの時間に外に歩かせるっていうのは気が引ける。」

 

 

 考え込んでいて忘れていたが、いざ足を動かそうとしたら、体が全く動かなかった。そして今は深夜だ。こんな時間に女の子であるセイバーを外に連れ出すのは危ないのでよくない。

 俺の言葉にセイバーは一瞬機嫌が悪くなったが、俺の体の状態が分かっていたセイバーは「ええ、今は休息を」と言って頷いた。

 俺は自らが知らぬ間に、無意識のうちに、着実に聖杯戦争に足を漬けていっていた。

 夜の冷え込みが障子の隙間からスっと居間に入り込んできて、俺の肌を撫でる。ゾクリとして、一瞬心臓をつかまれたような錯覚を覚える。俺の命は今、死とすぐ隣り合わせだ。廊下から覗く夜闇が、こちらをじっと見つめている気がした。月は今も雲に隠れているようだ。俺は今日はこのストーブで暖まった居間から出ることはせず、明かりを消さないまま、そこで横になり眠りに就くことにした。

 




読んでいただきありがとうございます。
待ってくださっていた方々、評価やお気に入り登録してくださった方々、本当にありがとうございます。


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第6話 陽差しの中

久しぶりの投稿です。第6話です。
待っててくださった方々ありがとうございます!
これからも応援していただけるとありがたいです!

突然ですが、私はイタチ好きですね。
皆さんはどうですか?


 ───夢を見た。

 

 

 俺が(・・)、一人の男の背中を追いかけていた。

 

 その男は俺にとって紛れまない憧れだった。

 

 同じ家に住んでいて、同じご飯を食べて、偶には同じ部屋で寝る。そんなありふれた日常が、どこまでも愛おしかった。彼から受けた刺激が俺を更に最長させたと思う。

 

 そして、こんな日々が毎日続くと思っていた。けれどそんな普通だった筈の日常は、ある月夜を経て一夜のうちに瓦解するのだ───。

 

 まるでそれまでの幸せな現実が幻であったかのように───。

 

 俺はその男をきっと誰よりも尊敬していた。

 けれど、その尊敬と同時にその男を羨ましく、妬ましくも思っていたりもした。

 でもその嫉妬は些細なもので、俺のその男への思いはやはり、憧れが占めていたのだ。

 

 

 幼い俺は男と一緒にいたくて、遊びに誘ったり、修行に誘ったりした。まだ俺が小さかったときは、男はそれに付き合ってくれたのだが、いつからだっただろうか………

 

 

 ───男が俺の額を小突き、許せと言って構ってくれなくなったのは………

 

 子供ながらに、俺は男との距離を感じた。男が俺を遠ざけているように思えた。

 

 俺は誰かに認めてもらいたかった。それはきっと、その男の影響だと思う。その男はとにかく凄かったのだ。とても優秀で、皆から認められていて、期待されていた。幼かった俺には、男が輝いて見えた。だから俺もきっと、そんな男と同じように、皆から期待されたり尊敬されたりされるような人になりたかった。そして父が男に言う、「さすがオレの子だ」という言葉が羨ましかった。俺もそんな風に父に褒めて貰いたかった。俺も俺なりに頑張ってみたけど、父はそうは言ってくれなかった。そのことが子供心を揺さぶり、俺の無意識のうちに、尊敬していた男に対しての、暗く黒い感情を芽生えさせたのだ。その感情の萌芽は育ってはいったものの、それでもやはり男に対しての俺の感情は憧れや尊敬の方が占めていたのは確かだ。だから俺は自身の黒い感情に気付かなかったのかもしれない。

 

 しかしある日、夕焼けの暖かい橙色の中、家の縁側で俺は思わずポロリと男に愚痴を零してしまう。父はその男の話ばかりしかしないと。不満そうに言う俺に男は苦笑すると、

 

 

「オレがうとましいか?」

 

 

と言った。それは俺の意識外の感情の核心を突いた言葉だった。俺は今まで認識していなかった、男に対する負の感情を自覚した。俺は今まで慕っていた男に対してそんな感情を懐いていたことを知り、同時にその男自身により当てられてしまい、何も言えなかった。言い当てられてしまったことへの焦り、恥、そして申し訳なさが生まれるだけだった。

 

 そんな俺を男は許した。

 人に憎まれて生きていくのが道理だからと言って───。

 そんなふうには思っていない、そう言いたかったのだが、俺のその男に対する負の感情を自覚した今、その言葉は尻窄んでいった。俺の無意識の負の感情を見破った本人は、俺を貶したり、罵ったりする訳でもなく、ただただ微笑んだ。いつもの優しい男の姿がそこにあった。

 

 続けて男は言った、自分たちは唯一無二の兄弟であると。

 そして──

 

 

「お前の越えるべき壁としてオレは───

 

 

 

 

 ───お前と共に在り続けるさ」

 

 

 例え憎まれようともそれは変わらないと、男は言って、笑った。

 焼けた空の向こうには、烏が二羽並んで飛行していた、そういう風に見えた。片方は大きくて、もう片方は少し小さく感じるが、それは目の錯覚かどうか。

 あの二羽は、穏やかな夕陽に抱かれていた。遠くに見えるその光景が、俺の胸に染み込んできた。俺の胸が夕焼け色に染まった。それはどこか不安を孕んでいながらも、温かいものであった。

 橙色の抱擁を受けて、俺はその男の表情を改めて見る。あの言葉は紛れもない彼の本心であったのだろう。この夕焼けの中の男の微笑が、その事実を物語っていた。例えこの笑顔の中に薄く陰が差していたとしても、この瞬間はきっと、この男のこの思いはきっと、本当だ。

 なぜならこの男は───

 

 

 ────オレの(・・・)

 

 

 ────たった一人の(・・・・・・)

 

 

 ────()なのだから。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ゆっくりと閉じていた瞼が開く。ぼやけた視界に、置き去りになった意識の見ていたものを、微かに思い出す。俺の胸には懐かしさが秘めていた。あの夕焼けの縁側を俺は一体いつ経験したというのだろうか。俺の、衛宮士郎の記憶にはない出来事なはずだ。けれど衛宮士郎の中にないあの景色はそれでも本物で、決して創作されたものでは無く、確かに俺の中に存在していた。何より胸に秘める懐かしさが、あの夕焼けの縁側は本当であったと物語っている。だが、いつもと同じでその夢も起きてから時間が経っていく程に泡沫のように消えていく。

 虚ろな眼で、俺の額の真ん中を指でなぞる。そこには大切な何かがあるような気がした。夕焼けの感傷が確かにここにあるはずがした。けれどそれは音もなくスーッと消えていく。俺は失っていくことに、喪失感を覚えた。消えてしまったら最後、虚しさだけが俺の心中に湧いていた。あの胸の奥まで染み込んで来た夕焼けはどこへ行ったのか、額をなぞった指を離す。

 

 

「シロウ、起きたのですか?」

 

 

 その声が俺を現実に引き戻した。声の聞こえた方へ視線を向けると、金と青の少女がいた。少女は俺の側で正座をして座っていて、少女の可憐さと姿勢の美しさから人形のように思えた。彼女の金の糸が星のように瞬いていた。

 

 

「………セイ……バー………?」と俺は寝起きのぼんやりした記憶を辿り、彼女の名前を口にした。

「はい、シロウ。どうされました?」

 

 

 少女、セイバーは俺の問いかけに頷く。そして俺は昨日からの出来事を思い出した。学校で見た、ランサーと赤い男の戦い。ランサーとの戦闘。セイバーとの出会い。そして、それら全ての原因となる聖杯戦争。この数時間で俺は様々なことと出くわした。眠りから目覚めたばかりだが、それらのことを思い出しただけですっかり頭は醒めた。

 俺は体を起こす。起こしてからもう一つ思い出す。俺はランサーとの戦いで、体を動かせなかったはずではないか? なのにこんなに簡単に体を起こせるなんて……。

 俺は服を捲り体を確認するが、どこにも傷や痣らしきものら見当たらなかった。セイバーが治療してくれたのだろうか?

 

 

「セイバーが治してくれたのか?」俺は服を捲ったままセイバーに訊ねる。

「いいえ、それはシロウが自分で治したのです。驚きました。まさか自分自身を回復する手段を持っているとは」

 

 

 セイバーは大変感心しているようだった。俺はセイバーの言うことに首を傾げる。俺はそんな方法は持ち合わせていないが、まあ、寝て治ったというのならそれに越したことはない。あまり気にしないようにした。

 居間の明かりは付けっぱなしだったが、もうその明かりは必要は無いみたいだ。夜の闇はどこかへ行き室内には陽の光が感じられた。俺は立ち上がり、居間と縁側の方を仕切る襖を開けると、朝陽が差し込んでいるのが分かった。セイバーの髪が朝陽を浴びて、星のようにキラキラと輝く。その光景に俺は夜の彼女との出会いを思い出した。冬の冷気が、開けた襖の下方から流れ込んだ。それはぬるりと俺の足を撫でる。冬の冷気に触れた肌は一瞬でピリッとして張り詰めた。俺は寒さに耐えきれず、すぐ様襖を閉めた。やはり廊下に比べ、一晩中ストーブのついていた居間は暖かかった。

 襖を閉めた俺は再び座布団に腰を下ろした。その一連の動作をセイバーは、綺麗な姿勢なまま、目で追っていた。

 

 

「シロウ、痛みはありませんか?」セイバーは確認するように聞く。

 

 

 セイバーが俺を目で追っていたのは、俺の状態を心配してのことだろう。確かに傷が治ったと言えど、体のどこかに痛みがあったのなら、まだ安静にしておくべきであろうが、今の何気ないちょっとした動作の中で痛みは感じられなかった。このことから日常生活に支障はないと判断できるだろう。

 

 

「ああ。痛みはない。けどまだ激しい運動ができるかは分からないな」

「ええ、今は避けた方がよろしいでしょうね」

 

 

 セイバーは落ち着いた声でそう言った。

 俺は時計を見る。時刻は7時を迎えていた。今日は休日で、学校は休みだから、学校へ行く支度をする必要は無い。とは言ったものの、俺は着替えずに寝たため、制服自体は着ているのだが。それにしても制服の汚れに目がつく。所々破れているし……。この制服の修復を思うと、自然とため息が出た。

 さて、もう7時を回ったということで、そろそろ朝ご飯の用意をしよう。俺は腰を上げて、台所に向かう。向かいながらセイバーの食に関する苦手なものを聞いたが、特にないとセイバーは答えた。

 俺は台所に立ち、黒いエプロンの紐をキュッと結ぶ。時間も時間だし、そんな豪勢なものは作れないけど、残り物とかも合わせれば、それなりの量になるか。俺は冷蔵庫の中を漁り、食材を取り出す。コンロに火をつけて、

 

 

「さあ、始めるか」

 

 

 料理に取り掛かった。

 時間にして数十分。一時間はかかっていない。それくらいで、朝ご飯は出来上がった。俺はそれらを机に並べる。彩りもいいし、栄養のバランスも考えて作った。やはり朝は華やかに始めたい。セイバーの分のご飯も装って、完成だ。

 

 

「セイバー、朝ご飯が出来たぞ。食べよう」

 

 

 机から離れたところで正座をするセイバーに呼びかける。セイバーは「よいのでしょうか?」と遠慮気味に返事をする。そうは言いつつも、俺はセイバーの目が机に並ぶ料理に目が釘付けなのを知ってるし、元からセイバーの分も作るつもりだったから、そう畏まる必要は無いのだ。

 

 

「もちろん。セイバーの分も作ったんだ。是非食べてくれ」

 

 

 俺の応えにセイバーはおずおずとこちらにやって来て、腰を落ち着かせた。座ったセイバーはやはり変わらず綺麗な姿勢だった。改めて見る机の上を彩る料理達に、セイバーの瞳がキラリと光った。この様子では、実は調理中に出る物音、例えば包丁で食材を切る時に鳴るリズミカルな音とか、に聞き耳を立てていたとしても不思議ではない。今度ご飯を作る時に、それとなくセイバーの方を見てみよう。そう思うが、それはきっと叶わない。なぜなら俺は今のところ、マスターを辞退するつもりなのだから。耳の奥で、本当にそれでいいのかと俺に問いかける声がするが、俺は首を横に振り、その問いかけをかき消す。

 セイバーの方を見る。今も目を輝かせて食卓に咲いた料理の花々を見つめている彼女を、俺は微笑ましく思った。まだ出会って一日も経ってない彼女に、俺が何かしらの感情を抱いているのは確かだ。

 

 

「さあ、食べよう。いただきます」

 

 

 俺は手を合わせて食の感謝の言葉を唱えてから、箸を手に取って食べ始めた。セイバーもそれを真似るようにして、ご飯を食べ始める。そう言えば、セイバーは箸を使えるのだろうかと思って、セイバーの手元に注目する。セイバーは箸をちゃんと使っていた。見た目が完璧な異邦人なのに、箸はちゃんと使えるんだなと感心する。セイバーは俺の視線を気にすることなく、箸を進めている。その表情が綻んでいるので、きっとお気に召したのだろう。それなら良かった。食べ進めるセイバーの、もきゅもきゅと動く口に愛らしさを感じた。

 俺もセイバーを見ているだけではなく、箸を動かす。食べ物を箸にとり、口に運ぶ。うん、今日も悪くない出来だ。自分の料理の味に満足感を覚えながらも、俺とセイバーはご飯を食べ進めた。その間一言も発することは無かったが、それはお互いに気不味さを感じているからではない。セイバーは食べることに夢中になっていて、俺は嬉しそうに食べるセイバーに夢中になっていたからだ。

 ご飯を食べ終わって「ご馳走様」を終えた。食器をシンクへ運び、食後の清掃作業。洗剤を付けたスポンジで、お皿を一枚一枚丁寧に洗っていく。後ろを振り返ると、セイバーは食後のお茶をしている。落ち着いた騎士然としている。流水で食器を流し、洗い物は終わる。水を止めて、俺もキッチンから居間に戻って、腰を下ろした。

 セイバーがお茶をすする。俺も急須を手に取り、湯のみにお茶を注いだ。若草の緑が湯のみを満たし、茶葉の芳醇な香りが俺の体を休ませる。温かいお茶をすすると、一気に香りが鼻の奥まで広がって、洗われたようだった。それを飲み込むことで、胃の中から自然の洗浄の効果を感じた。堪らず俺は、リラックスした声の含んだ息が漏れた。

 

 

「シロウ。朝ご飯感謝します。とても美味でした」

 

 

 セイバーが俺に朝ご飯の感想を言い話しかける。セイバーの舌を満足させられたようで俺も安心した。俺はセイバーに「それならよかった」と応えた。俺はお茶を飲む。セイバーもそれに合わせるようにお茶をすすると、湯のみを机の上に置いた。

 

 

「これからどうしましょうか。監督役の人物のもとへ行きますか?」とセイバーが徐に訊ねる。

「そうだな。でもこんなに早い時間から行くのは迷惑じゃないか?」

 

 

 時計を見るとまだ昼にもなっていない。確かに太陽はもう空高くに昇っているが、まだ朝と言える時間帯に伺うというのは考えものだ。恐らく対応はして貰えると思うが、向こうの気分を損ねる可能性もある。

 

 

「そうですね。ではどうしましょう」

 

 

 セイバーがそう言ったタイミングで、廊下にある家の電話が鳴った。廊下に響き渡り、居間にまでその音はハッキリと聞こえた。俺は立ち上がり、襖を開けて廊下に出て、電話に出る。電話のディスプレイに、発信先がカタカナで記載されていて、『ホムラバラガクエン キュウドウジョウ』と出ている。このことから電話の相手は藤ねえの可能性が高い。

「はいもしもし、衛宮ですけど」と俺が電話に出ると、やはりと言った感じで陽気な声で藤ねえの声が聞こえてきた。俺は暇じゃないぞと伝えると、大きな声で自分も暇ではないと返ってきた。曰く藤ねえは今日の休日を返上して、弓道部員の面倒を見ているらしい。そして最後に弁当の催促をして、藤ねえは電話を切った。一方的に切られた電話になんだかなぁ、と思いつつも俺は藤ねえのために弁当作りを始めるのだった。

 セイバーには悪いが、監督役のもとへ行くのは後回しになりそうだ。その事をセイバーに伝えると、構わないと了承してくれた。その代わりに俺の学び舎に着いていくと言い出した。断ろうとするのだが、セイバーは危険だと言って一歩も引かず、結局セイバーは俺に着いてくることになった。なんだかなぁ、と思いつつも俺は支度するのだった。俺の周りにはこういった割かし強引気質の女性が多い気がするのは何故だろう。そういう手合いの女性がこれから増えるような気がしてならないのは、何かの間違いだと思いたい。

 俺は制服を脱ぎ着替える。セイバーの服も現代ではとても目立つ格好であるため、着替えてもらうことにした。と言っても我が家には女性物の服はないため、俺が昔着ていた服を着てもらった。それは冴えない俺のような男が着れば地味な格好に見えるかもしれないが、彼女のような美人が着れば何故かどことなく華があった。ただのジーンズにシャツその上に寒くないよう上着を着てもらってるだけなのに! 雑誌や服屋のCMでも美形の人を採用する理由に触れたような気がする。

 学校への道を行く最中セイバーは周囲をしきりに警戒していて、人によっては彼女のことが不審者に見えてしまうだろう。マスターっていうのは人目につくのは避けるものだとセイバーは言っていたのだが、その事についてセイバーに問うと、万が一ということがあると言って、俺一人で外を歩かせるのは危険だと言った。俺は思わずため息が零した。彼女が俺を守ろうとしてくれるのは素直になれ嬉しいけど、こうも過保護だとこちらも気疲れというものが起こる。それに俺はまだ聖杯戦争に参加する意志を持っていない。それななのに俺を守ろうとしてくれるセイバーに、申し訳なさをおぼえた。彼女はどこまでいっても騎士であったのだ。

 学校に着いてからもセイバーの警戒する素振りを変わらず、あちこちに目を光らせていた。俺はそんなセイバーに、誰かに話しかけられてもここでは素知らぬ顔をし、日本語が分からない雰囲気を作ってやり過ごせと言っているのだが、聞いているのかどうか。俺は少しばかりの呆れを覚えたのだが、それはセイバーの次の言葉で掻き消えることなった。

 

 

「魔力の残滓が感じられます」

 

 

 つまりはこの学校で魔術が行使された痕跡があるということ。更に言い換えれば、この学校に魔術師がいる可能性が高いという事だ。その事は想定内だ。なにせ昨日俺はランサーと赤い男の戦いをこの目で見たのだから。だがそうとは言ったものの、赤い男かランサーのマスターが学生であるかは分からないし、この学校にいる魔術師が聖杯戦争に関わるマスターだと言うことも断定はできないだろう。だからといって気を抜いてはいけない。聖杯戦争が行われているこのときに、この場所で魔術を使ったのならその人物がマスターである可能性が極めて高い。要するに、この学校にマスターがいる。

 その事実に直面して俺の体にじっとりとした汗が出た。こんな身近なところにも命の危険はあったのだ。昨日の夜闇が思い出される。それは凍てつく空気とともに俺の肌を、心臓を撫でて、そして俺の命は………。

「シロウ!」セイバーが俺の名を呼ぶ。俺の闇に囚われた意識はセイバーの呼び声によって、現実に引き返した。冬だというのに汗が止まらない。こんなにも自分が弱いだなんて思わなかった。

 

 

「シロウ、大丈夫ですか?」

 

 

 セイバーが俺の顔を心配そうに覗き込む。俺は自身を落ち着かせるために深呼吸をしてから、セイバーに大丈夫だと伝える。セイバーの気掛かりな様子は変化しなかった。

 

 

「本当に大丈夫だ。心配するな」

 

 

 俺はそうセイバーに言う。実際もう平気だ。深呼吸をしたら落ち着いた。だから俺は無理なく彼女に微笑みかける。セイバーは「だとよいのですが」と渋々納得したものの、その瞳にはやはり不安そうな色が滲んでいた。

 

 

「それで、魔力の残滓が感じられるって言ってたけど」俺は話題を変えるように彼女の言ったことについて訊ねる。

「はい。気になる違和感はありますが、とりあえず危険はないようです」

 

 

 俺はそれを聞いてほっとしたけど、この学校にマスターと思われる存在がいるのならば、これからは気を引き締めて行かなければならない。変に目をつけられてしまったのなら、今度こそ俺はそのマスターとサーヴァントのペアに殺されかねない。

 学校の弓道場の戸を開けて俺だけ中に入ると、弓道着を着た桜が出迎えてくれた。挨拶をするのだが桜はポカンとしていて、その視線は俺の後ろ、外で待機しているセイバーに注がれていた。藤ねえに弁当を届けに来たことを伝えると、桜は藤ねえを呼びに行ってくれた。それと入れ替わるように、弓道部の部長である美綴がやってきた。美綴曰く、藤ねえのテンションが空腹のせいで高くて、部員はそれに困っていたらしい。なんとも藤ねえらしい……。そんな藤ねえの扱いにも慣れている美綴なら、藤ねえの弁当のことに朝のうちに気付いてもらいたかったのだが、美綴は疲れているそうだ。それはきっと慎二のことであろう。美綴に慎二がいるか訊ねるが、どうやらいないらしい。美綴は新しい女でもできたのではないかと予想している。

 

 

「それより衛宮。外にいた人誰? えらく美人さんだったけど、知り合い?」

 

 

 美綴にセイバーのことを聞かれる。説明すると長くなるし、もしかしたらこれから関わらなくなる可能性だってある少女を態々話す気が起きず、説明のしように悩んでいるが、美綴の言葉に引っかかる点を覚えた。美綴は外にいた(・・)と言った。いた?

 俺は戸の外を見る。するとそこにはセイバーの姿は消えていた。俺はああ! と間抜けな声を上げて、美綴に弁当を藤ねえに渡すように頼み預けてから、急いで戸から弓道場の外に出た。

 外に出てセイバーを探すと意外とすぐに見つかった。セイバーの金の髪がとても目立つからだ。セイバーは校舎に向けて歩いていた。俺はセイバーのもとへ駆けていった。

「セイバー!」と小さなセイバーの背中に呼びかける。セイバーはそれに気付いていて敢えて無視しているのか、または本当に気付いていないのか、止まる気配はなく、校舎に向けて直進を続けている。急げ、と自分の脚を奮い立たせる。すると何故だが脚が軽くなった気がした。そして先程よりも、セイバーの背中が大きくなるのがはやくなった気がする。なんとかセイバーが校舎に入る前に追いつき、後ろからセイバーの肩を掴み歩行を止めた。

「シロウ?」と首を傾げるセイバーは、弓道場を出てすぐの俺の呼びかけに本当に気付いていないようだった。俺は結構全力で走ったため、少しばかりの息切れを起こしている。セイバーは俺を見たあと、俺の走ってきた道を見ていた。

 

 

「シロウ、貴方はあそこからここまで走ってきたのですか?」と言ってセイバーは俺の後ろの、弓道場の方を指さす。

「ああ。セイバーが先に行っちゃうから追いかけてきたんだ」

 

 

 俺はセイバーの指さす方向に目を向けず、真っ直ぐにセイバーを見て言った。セイバーは「そうですか」と言って、少し悩む素振りを見せてから俺に向き直る。

 

 

「シロウは凄いですね。走ってくるシロウの足音に全く気付きませんでした。それはある種の才能ですよ」

 

 

 セイバーは嬉しそうにそう言った。足音がしなかった? それはセイバーが気付いてなかっただけじゃないのか? 俺のセイバーの呼ぶ声にも気付いていなかったようだし。なんとも言えない賛辞を受けて、俺は勿論なんとも言えない思いになる。

 

 

「セイバー、藤ねえの弁当は美綴に託したし、その監督役のところに行こう」これ以上勝手に生徒ではなく職員でもないセイバーにウロウロされると学校にも迷惑がかかるし、その説明をする俺も困る。

「いえ、私としてはまだシロウの学び舎が危険かどうか見定めなくては」とまだ学校に残ろうとするセイバー。こうなったセイバーをこっちが説得させるのは骨が折れるというのは今朝方に分かったことなので、俺は強引に、

「いいから。はやく行こう」とセイバーの手を掴み、セイバーを引っ張って校門に向けて歩いていく。

 

 

 セイバーに付き合っていたら、学校を出る前に日が暮れちゃいそうだ。なるべく俺はセイバーの身に何かあったら嫌だから、監督役の用事を済ませ、夜になる前に家に戻りたい。

 セイバーは俺が手を引き始めたら「シロウ」と俺の名を呼び、何やら抗議したそうであったか、俺が引っ張ってるうちにセイバーも黙って俺に手を引かれた。

 後になって俺はこのときを後悔する。俺がセイバーの手を掴んで歩いているところを、弓道場にいる人物はしっかりと見ていた。俺がその人物に問い詰められる運命はすぐそこにある。

 

 




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