二天の孤狼 ─落第騎士の英雄譚─ (嵐牛)
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流れ者の噂
謎の『彼』


 

 

 

「………暖かいな」

 

「暖かいですね」

 

北の大地北海道から九十分の空の旅を終え、鞄を背中に荷物は両手に、朝早くから東京の羽田空港に降り立った二人の第一声がそれだった。

一組の男女だ。

異様に目付きの悪い青年に、灰青の髪をした少女。

歳は十六才前後だろうか、この季節にしては若干厚着すぎではないかという服装をしている。

今は時間帯が早いのでそう気にはなっていないようだが、日が上ればちょっとしたサウナに早変わりという憂き目に遭うことは間違いない。

記録の上では人間が生きれないような数字を出したりもする北海道だが、実の所暮らしぶりはそう厳しいものではない。

気温ゆえに徒歩五分の距離でも車で移動する土地柄、寒さを感じるのは建物から車に移るまでの十数秒のみ。外で寒風に震えながら電車が来るのを待つこともなく、あっても大体が地下鉄。

外に身を晒して歩くことがほぼほぼ無いのだ。

さらに家そのものにも徹底的な防寒対策が為されているため、マイナス二十度の最中でも室内は適温。

言ってみれば、そんなえげつない寒暖差の環境に住みながら突然の大規模な南下だ。

現地の気温の感覚を掴めなかったのかもしれない。

 

「……そうか、何につけても車で移動するのは北海道だけか……。東京での移動が基本的に徒歩となると、これは服装を間違えたか……?」

 

「最悪、学校の制服で乗り切るしかありませんね。なんならどこかで服を買うのもありですが」

 

「それもいいが、目的が第一だ……。まずは早速、挨拶を済ませに行こうじゃないか……!」

 

「まずは旅館のチェックインに決まっているでしょう」

 

早々に気勢を折られた男がガクッとよろけた。

そんな青年を他所に、少女は予約していたタクシーに手を振って合図する。

 

「準備は大切ですよ。一つずつ順番通りに段階を踏まなくては、為せることも為せません。行動の方針はお任せしますが、まずはチェックインを済ませてご飯を食べましょう」

 

少女のその一言は、さぞかし運転手をギョッとさせた事だろう。

二人が慌てて身分(学生)証を見せなければ、多分こっそり通報されて凄まじく厄介な事態に陥っていたに違いない。

まるでこれからピクニックにでも行くような気軽さで、少女は青年にこう言った。

 

「これから破軍学園に殴り込むんです。まずは燃料を補給しておくのが最善ではないですか?」

 

 

 

 

「『学園破り』?」

 

日本に七つ存在する、異能を持って生まれた《伐刀者(ブレイザー)》と呼ばれる者たち集う『騎士学校』、その内の一つである破軍学園。

午前の授業を終えて学食で昼飯を食べていた黒鉄一輝(くろがねいっき)とステラ・ヴァーミリオンの頭にクエスチョンマークを浮かべさせたのは、破軍学園の新聞部である日下部加々美が発したそのワードだった。

 

「そう、『学園破り』。言ってみれば道場破りみたいなものですね。

何でもその男、禄存(ろくそん)巨門(こもん)とか、あちこちの騎士学校に出没してたらしいんです。

名前の通ってる生徒相手に『俺と戦え』って迫るそうです。

やっぱり強い人っていうのは挑まれた勝負を拒まない性質(たち)の人が多いみたいで、よっしゃこーい!って具合にそこそこ相手されてたみたいですけど……やっぱり厄介者扱いではあったみたいですね」

 

「……それ、一般人なの?伐刀者(ブレイザー)なら……仮にもどこかの騎士学校の生徒なら、そんな無法な事はどうやっても無理よね」

 

「いやー、それがよくわかってないのよ。ステラちゃん」

 

もぐもぐと口の中のハンバーグをペーストに変えながら加々美は首を捻る。

 

伐刀者(ブレイザー)であることは確実みたいなんだけどね。

これが聞く人によって話が全然違うんだよ。

ある人は『廉貞(れんてい)の制服を着てた』って言うし、別の人は『武曲(ぶきょく)学園の制服だった』、またある人は『文曲(ぶんきょく)だ』……どの学園に属してるかもバラバラで。

そのくせ新聞部つながりの友達に聞いたら、全員が口を揃えて言うんだよ。

 

『それウチの生徒だよ』……ってさ」

 

「その彼の学年を皆に聞いてみたらどうかな?そこで証言にバラつきが出れば矛盾は無くなるはずじゃないかな」

 

「それがわかんないんですよ。例の彼の学年を聞いたら、また口を揃えて『一年生だった』って言うんですから……同一人物が同時期に別の場所に存在することになっちゃうんですよねー」

 

「都市伝説みたいなヤツね。もしいるなら是非会ってみたいものだわ」

 

どうやら『川〇浩探検隊のDVDで日本語を覚えた』と公言する皇女の琴線に触れたようだ。宇宙の外に想いを馳せる男の子とおんなじ輝きを瞳に灯している。

また、一輝もその妖怪・学園破り(仮)になんとなくシンパシーを感じていた。

とにかくがむしゃらで、あちこちの道場の扉を叩いて破ろうとしていた己の中学生時代を思い出したのだ。

その節は各道場の皆様には多大なご迷惑をおかけしたと思う。

 

 

「その人の話は有名なのかい?僕は一度留年してるから二年ほどこの学園にいるけど、そんな人がいるっていうのは一度も聞いたことがないな」

 

「そうなんですよ。何でかその人、破軍(ウチ)貪狼(どんろう)には来たことないみたいで……だからこの話、私も知ったのはつい最近なんですが、『いる』ことは間違いないみたいです。

だからもう少し深く調べていかないと」

 

「……でも、何でまたそんな話を?カガミの口振りからして、そいつの噂が流れてたのは過去の話よね」

 

提供される情報量の多さに何かを感じたのはステラだ。

加々美が話した内容は、あちこちを当たり話を聞かねば判明しないものばかり。さらにここからも調べを進める気でいるようだ。

世間話の話題に上げるためとしては───彼女は少々、調査に腰を入れすぎている。

どうして過去の、それも自分達と関係のない噂をそこまで気にかけているのか………彼女の疑問を受けた加々美の表情が真剣なものに変わった。

 

「また動き出したって話なんだ。その『学園破り』が」

 

彼女はそう静かに語り出す。



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ある事をすれば影が立つ

「これが普通の道場破りみたいなものだったら、ただの問題児だって平和的な解釈で終われる。はた迷惑なやつもいるもんだね、って」

 

「………、」

 

「(ステラ。僕を見ないで)」

 

 

「でもさ。強い奴と戦わせろ──もしこれの目的が、何か行動を起こす上での威力偵察だったとしたらどうかな?

急に動きの無くなった空白期間中どこで何をしていたか、とか……こう勘繰ると、ちょっとよくない方向に話が進むよね」

 

 

一輝は思わず加々美の目を見返し、ステラは七杯目のどんぶりを空にしようとしていた手を止めた。

突飛な飛躍だと笑うには、加々美の表情はあまりにも真剣だった。

 

「……まさか、何かを企んでその人に偵察をさせている組織が存在するのかい?それにしてはやり方が少し強引な気がするんだけど」

 

「ええ、雑すぎるやり方ではありますけど……こうして『学園破り』程度の認識で落ち着いてる時点で成功ではありますから。

もちろんこの話は全部憶測でしかありません。

けど用心を重ねるに越したことはないでしょう。……この学園は一度、テロリストの襲撃を受けてますからね」

 

月影総理の主導により行われた《(あかつき)学園》の襲撃。

関わった全てを混乱に陥れたあの事件の中で、日下部加々美も実際に直接的な被害に遇っているのだ。

あの時彼女は常日頃から培ってきた情報の収集と分析の能力により、いち早く七星剣武祭に巣食う影の存在に気付いていた。

結果としてそれはある人物の妨害により皆に伝えるのが手遅れと言えるタイミングになってしまったが、そんな経験をしたからこそ彼女は情報の収集により先んじて手を打つことを重要視しているのだ。

 

「……騎士学校を総当たりしようとしてるなら、次にウチに来る可能性は高いわよね。生徒会には話したの?」

 

「外見や特徴も含めて一応ね。根拠のない話だけど、気に留めてはくれると思う」

 

「……僕たちにも、その人の外見を教えてもらっていいかな?」

 

「もちろんですとも。私も事前に知ってもらいたくて話した訳ですから」

 

水で喉と唇を潤し小休止。

言葉を区切ってから加々美は情報を口頭で羅列していく。

 

「まずですね……『学園破り』は特定の女の子を連れてるそうです。

友達か恋人か二人の関係性は不明ですが、どこへ行くにも何をするにも、常に二人一緒にいるんだとか」

 

「イッキ。負けてられないわ」

 

「ステラ、今はそういう話じゃないから……」

 

完全に別の所に反応した恋人を窘める一輝。

学食の自動ドアの入り口が開き、二人の男女が連れ立って入ってきた。

 

「『学園破り』の方は……話を聞くに長髪で、とにかく目付きが悪いそうで。連れてる女の子はその反対に清楚な感じだとか。灰色っぽい髪をしてるらしいので、そっちはわかりやすいと思います」

 

破軍とは違う制服を着た二人に奇異の視線を送る者も多かった。灰青(はいあお)の月を思わせる色の髪をした女に目を奪われる者もいるが、男の方を見た者は即座に目を逸らした。

激情によるものかそれとも()()が素なのかわからないその目付きは、無関係なはずの己の身の危険を感じるには充分だったからだ。

 

「身長は……流石に正確なところはわかりませんが、話を纏めるとちょうど先輩と珠雫(しずく)ちゃん位なんじゃないかなと。これといって目印になるような身長(サイズ)ではないので、遠目だとわからないかもしれません」

 

一輝とステラは静かに立ち上がった。

加々美の説明に合致する人物がいたから、というのもある。

しかし何よりも、隠す気のない闘争心を放ちながらその二人───正確には男の方が、明確に自分達を目指して歩み寄ってきているからだ。

 

「あと、当然ながら二人とも《伐刀者(ブレイザー)》ですね。ランクの方はわかりませんが、《固有霊装(デバイス)》は………、……」

 

異常を察した加々美が、冷や汗を流しながらゆっくりと後ろを振り向く。

目に写るのは獣のように獰悪な双眸(そうぼう)と、頭一つ低い位置にある灰青の髪。

(ことわざ)の通りに、それはいた。

 

「……見付けたぞ……。こういう時に……有名人というのは、助かるな……」

 

低く唸るような声。

『彼』が纏うただならぬ空気に神経を研ぎながら、静かに一輝は問いかけた。

 

「どちらに言っているのかわかりませんが。

……何の要件でしょうか、『学園破り』さん」



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汝は人狼なりや?

 

突然現れた他校の生徒を前に険しい顔で立ち上がった破軍学園の最高戦力とも言える二人を見て、流石にその場にいる全員が事の異常さに気付く。

しんと張り詰めた空気の中で、全員が固唾を飲んでいた。

『学園破り』。

一輝にそう呼ばれた男が不思議そうな顔をして首を傾げる。

 

「『学園破り』……というのは……?」

 

「あなたの事です。というかあなたしかいないでしょう。今までの行状を鑑みて、なぜ自分だと思い当たらないんですか」

 

慇懃な口調で辛辣な物言いをした少女に、男はきろりと目を向ける。

その尋常でない眼光に惨劇の予感を感じて身構える一輝とステラだが、少女の方はいつもの事のように平然としたものだった。実際、男に少女を害する意は欠片もない。ただ話し始めた少女に注目しただけだ。

 

「ああ……俺はそう呼ばれてるのか……。どうせなら、もっと格好いいのがよかったな………」

 

どこかガッカリしたように肩を落とす男。

外見に似合わず穏やかな口調で話す男だったが、それは性根とは何の関係もないのだろう。

続く言葉は、二人にこの食堂が戦場になる事を本気で覚悟させた。

 

 

「まあ、この二人を倒せば………それなりの名前が付くだろう」

 

 

───髪の隙間から覗く眼は、どこまでも(けだもの)のそれだった。

 

「「っっ!!」」

 

ステラの身体から燐光が舞い、一輝の()る景色から()()()()()()()()

ギリギリの均衡が臨界点に達しようとした時にも悲鳴や逃げ出す生徒がいなかったのは、その直前に駆け付けた『頼れるリーダー』がいたからだ。

 

 

「そこまでです」

 

 

凛とした声と金属が鳴る音がした。

そちらに振り向いた男は、既に刀を構えているその人物を見て肩を竦めながら両手を上げる(ホールドアップ)

誰が、というか正確にはどんな役職の者が来たのかを察した灰青の髪の少女は、それみたことかと言いたげに呆れたような溜め息を吐いた。

 

「タイムアップです、()()()()。免疫が動くのが予測よりも早い」

 

「待て……まだわからないぞ()()。追い出されずに交渉できる展開が………あるかもしれない」

 

「その交渉の段階をすっ飛ばして武力行使しようとしたアホとテーブルに座ろうって人が過去にいましたか?」

 

なおも粘ろうとする男と諦めるようキツめに諭す少女。

どこまでも対照的な二人だった。

 

 

「どなたかはご存知ありませんが、お二方ともひとまずご同行願います。───私も、手荒な真似はしたくありませんので」

 

破軍学園生徒会長───《雷切》東堂刀華の一声により、静寂に満ちた騒動は幕引きとなった。

また何か余計なことを口走ったのだろうか、少女に尻をつねられながら男は刀華の後ろについて歩いていく。

徐々に小さくなっていく背中を見詰める一輝とステラだが、気を緩めることは断じてできなかった。

遠ざかるあの男が『やっぱりこっち』と反転して、再びこちらに向かい襲いかかってくる………そんなイメージがどうしても頭から離れないのだ。

 

「……想像以上にマズい奴だったわね。何なのよ、あの眼」

 

「あそこまで目的までの過程をショートカットしようとする人はそうそう見ないな。固有霊装(デバイス)は出さないままだったのが逆に不思議に感じるよ」

 

食堂から出ていった三人の姿が見えなくなったところで、二人はようやく口を開く。

だんだんと落ち着きを取り戻してきた食堂には徐々に喧騒が蘇り始め、皆が口々に襲来してきたあの男女の話をしていた。

……もしあそこで刀華が介入してこなければどうなっていたか。

七つの騎士学校が合同で開催する最強の学生騎士を決める武の祭典───《七星剣武祭》でワン・ツーフィニッシュを決めた二人を、ここまで警戒させる人間が突然()る気マンマンで殴り込んでくるなど、悪いようにしかならないに決まっている。

まして素性が知れないとくれば、なおさら。

話しておいてよかった、と──行動を起こした自分自身を、日下部加々美は少しだけ誉めた。

 

 

 

「……意外。心の底から意外です。あそこから会話の席を用意されるなんて、ここの方々は広い心をお持ちなのですね」

 

「だから言っただろう?……まだわからないぞ、とな……諦めたら駄目なんだよ……」

 

「何を自分の功績みたいに言ってるんですか」

 

いわば敵地で敵に囲まれている状態にも関わらずマイペースな二人。

(ところ)変わってここは生徒会室。

東堂刀華並びにその他の役職を持った生徒会メンバーに囲まれながら、(くだん)の男女の対面に座った刀華の事情聴衆が始まった。

 

「その制服は禄存学園のものですよね。お二方ともそこに在籍されている生徒、ということでよろしいですか?」

 

二人は首を縦に振った。

 

「名前は?」

 

「……去原(いぬはら)仁狼(じろう)()()()()じゃないぞ……こいつのせいで、行く先々でそっちで定着しつつあるんだ……」

 

「言い得て妙と言ってください。詠塚(よみつか)琉奈(るな)です。飼い主です」

 

「……お前………」



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類が友を呼ぶ

何でやねんと言いたげな顔を向ける仁狼だが、琉奈は素知らぬ顔でツンとそっぽを向くばかり。

長髪を後頭部で適当に括った狼の尾のような髪の房が、仁狼が肩を落とす動きに合わせて揺れた。

飼い主を自称するならもう少しきつくリードを握っていてもらいたいと刀華は思う。踏ん張りも(むな)しくズルズルと引きずられているのではないか?

 

「彼がやらかしてから駆け付けるまでの速度、素晴らしいものでした。日々の鍛練の賜物でしょうか」

 

「事前に情報の提供がありまして。生徒手帳を見せて頂いてもよろしいですか?あと、この学園に来た目的も」

 

「……海外旅行に来た気分だ……」

 

「厳重なのは申し訳ありません。()()()()今、うちは突然の来客に神経質になっているので」

 

いらんことを言った仁狼に琉奈が肘鉄を入れ、二人は大人しく生徒手帳を差し出した。

禄存の校章が描かれたそれにきちんと二人の情報が記されているのを確認して返却し、改めてこの学園に来た目的を問う。

 

「……強いヤツと戦いに来た。……それだけだ」

 

「まあ。ス○リートファ○ターでいらっしゃるのですね。殺意の波動を感じます」

 

「一番知ってなさそうな人が知ってるんですね……」

 

口元に手を当てくすりと笑った白ドレスの麗人。

しかし笑みを形作ったのは口元だけだ。その目は、纏う空気は一切の遊びを含んでいない。

この室内にいる全員が臨戦態勢だった。

眼前の男の皮膚の下、薄皮一枚の理性で包まれたような獰猛な圧が──今にも枷を食い破らんと暴れているのを前にして。

 

「……あんたら()強いのか?」

 

食指が目の前の刀華から他のメンバーにも移ったらしい。

これ以上刺激するようなことは言いたくないが、実力相応の自負はある……己を必要以上に小さく語りたくはない。

どう答えるべきか適当とプライドを天秤にかけ少しだけ考える一同だが、その答えを発したのは生徒会の誰でもなかった。

 

「昨年の七星剣武祭ベスト4《雷切(らいきり)》東堂刀華。

校内序列2位《紅の淑女(シャルラッハフラウ)貴徳原(とうとくばら)カナタ。

序列3位《速度中毒(ランナーズハイ)兎丸(とまる)恋々(れんれん)

序列4位《城砕き(デストロイヤー)砕城(さいじょう)(いかづち)

戦いには出ませんが、《観測不能(フィフティ/フィフティ)(みそぎ)泡沫(うたかた)

最新の情報ではありませんが───ほぼ破軍学園最高戦力ですね」

 

詠塚琉奈の口からすらすらと並べられる情報に、刀華たちの顔が若干引きつった。

彼女はここに来る前に下調べを済ませていたようだ。

そこで得た情報を使って今、躊躇いもなく火に油を注いだ。

何が『飼い主です』だ───完全に()()()()じゃないか!

 

「そうか……。雰囲気で並みではないとわかってはいたが……最高戦力ときたか……」

 

仁狼がくつくつと肩を揺らす。

写るもの全てを噛み裂くような双眸が、煮えたぎるマグマを噴き出した。

 

 

「斬りがいがある……

……()()見取(みど)りじゃないか……!!」

 

 

───いよいよ限界だ。

刀華は己の能力の枷となる眼鏡を外す。

どちらかが武器を抜く。決定的な(せき)が切られるその時は今の直後に来るだろう。

仁狼と刀華。二人の手が今から()び出す()()を掴み取ろうと開かれ───

 

「流石にそれはアウトです」

 

「痛っっったぁ!?」

 

琉奈が仁狼の耳を掴んで引っ張るのと、刀華の生徒手帳が非常用の強制通話モードのアラームを鳴らすのは同時だった。

 

緊急事態の知らせだ、放置は出来ない。

ポケットから手帳を取り出して耳にあてる。

聞こえてきた声は、情報を貰う際に番号を交換した日下部加々美のものだった。

 

 

『会長、あの、また殴り込みです!

貪狼の《剣士殺し(ソードイーター)》が!

学園破りを出せって!今は先輩が抑えてるけど、ていうか下手したら先輩に食ってかかりそうです!』

 

───暁学園の襲撃といい南郷先生が連れてきた『あの人』といい、なぜこの学園には平和な来客がないんだろう……?

 

刀華は一瞬、菩薩のような穏やかな笑みを浮かべて──眼鏡を外した顔を、そっと両手で覆った。

 

 

 

きっかけは加々美の調査だった。

加々美は『学園破り』を素性の知れない厄介者として《貪狼学園》とも情報を共有していた。

しかし運の悪いことに、ある生徒の友人(とりまき)がその話を聞きかじってしまったのだ。

それを聞いたその生徒は《貪狼学園》新聞部の小宮山から情報を聞き出し、そしてここまで殴り込んできたのだ。

 

「退けクロガネぇ……テメェから先に刻んでもいいんだぞオレぁよぉ……!!」

 

「ま、待って!本当に待ってくれ!!今その人はここにいないんだって!!」

 

「いんだろうが学園(ここ)に……っ!」

 

怒りの余り全身に青筋を浮かべる様は、胸元の髑髏の刺青すらも憤怒を現しているかのように見える。

貪狼学園のエース、倉敷(くらしき)蔵人(くらうど)

今にも無差別に暴れだしそうな彼を、黒鉄一輝は必死に抑えていた。

 

「どうして『学園破り』を知ってるのかはともかく、今は本当に駄目!というか何だってそんなにキレてるの!?」

 

「あぁ?なンでキレてるかだぁ……?

……『学園破り』はあちこちで(つえ)えヤツと()り合おうとしてんだろ。だったらここに来たのはテメェが目当てに決まってんだろうが」

 

「だ、だとしてもそれがどう関係……」

 

「奴は『破軍と貪狼は来たこと無え』って話だろ……?そんで奴は次にここを選んだってワケだ……」

 

サングラスの下で蔵人の瞳孔が開く。

 

「………オレを後回したぁイイ度胸だよなぁオイ……!!」



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冷や水

「……止まってください」

 

全速力で駆けつけてきた刀華が、心無しかげんなり顔で蔵人を制止する。

 

「《雷切》ィ……!」

 

「あなたの探し人は解放されるまでまだ時間がかかります。大切な要件があるなら私に言伝(ことづ)てるか、学園の敷地外のどこかでお待ち下さい。

これ以上面倒事を増やすんじゃなかっ!!」

 

蔵人は唸り声をピタリと止めた。

立て続けに現れる問題児たちにキレて突然訛った刀華に驚いたわけではない。

その刀華の後ろに出現した男を見つけたのだ。

好戦的な眼差しで己を見詰めている、まさに己の探し人とわかる獣の目をしたその男を。

 

「っっっ!?」

 

蔵人の視線でやっと()()()()()()()と気付いた刀華が、固有霊装(デバイス)鳴神(なるかみ)》を顕現させ全力でそこから飛び退いた。

 

──いつから後ろにいた!?

いつの間に追い付いた!?

皆の見張りを、こうも容易く振り切って!

 

許可のない固有霊装(デバイス)の顕現は校則違反だが、防衛本能による反射だった。

仁狼と蔵人は刀華と一輝の横を強引に通り抜け、他の何も見えぬと言わんばかりに大股で互いの距離を詰めていく。

 

「『学園破り』だな?」

 

「そういうお前は……《剣士殺し(ソードイーター)》だな」

 

「目的は」

 

「目移りしてるよ……食いでがあるのが多すぎる」

 

「貪狼のオレは眼中に無ェと?」

 

「それに腹が立ってここまで来たと?……剣士冥利に尽きるなぁ」

 

抱き合うような距離になり、やっと二人は歩みを止める。

その顔はまるで、獲物を前に涎を垂らすような。

“笑顔は元々、牙を剥き出し威嚇する表情“。

そんな知識を想い起こさせる、原初の表情だった。

 

 

「「───ここで喰ってやろうか?」」

 

 

ゴン!!と二人の額が激突する。

ゴリゴリと額を押し付けながら至近距離で睨み合う二人を止めるのに、言葉はあまりにも無力だった。

逆に下手に話しかけたら邪魔者と見なされ、一気に矛先がそちらに向く恐れもある。

今の彼らを止めたいのなら、それこそ腕が確かな者が武器を抜いて斬りかかるか、あるいは……

 

「おい。その位にしておけ」

 

……隔絶した力を持つ者が仲裁に入るか、だ。

 

伐刀者(ブレイザー)》にはランクがある。

Fを最低としてアルファベットを遡り、Aを最上級とするその序列。

学園の新入生を基準に言えば、Cランクは250人中5人いれば多い方。

Bランクは一校に1人いれば幸運。

Aランクに至っては、それこそ10年に1人という稀少性。

現れたのは、そんな稀少性の中でもさらに上位に位置する者。

過去に世界で3番目に強いと認められた女性。

世界時計(ワールドクロック)》の名を持つAランク伐刀者(ブレイザー)である、この学園の主だった。

 

「理事長!」

 

「いい加減やかましくて敵わん。なぜ二度も同じ相手を仲裁せねばならんのだ」

 

仁狼と蔵人、流石の二人も争いを中断した。

破軍学園理事長、神宮寺黒乃。

生徒だけの問題に収めるには、彼らはあまりにも()()だった訳だ。

ここにいるのは強者に名を連ねる面々だ、流石に全員がその顔を知っている。

 

「理性ある種族(にんげん)なら力を振り回すな。あまり吠え立てるようなら相応の手段を取るぞ、()()

 

力の差は嫌というほどよくわかる。

向けられたのは聞き分けのない子供に対する程度の苛立ちだったが、二人が感じているそれは互いに引き下がるには充分な圧力だった。

冷や汗を流しながら互いに一歩距離をとる。

 

「……ああ、別に目障りだという訳じゃない。騒がずに他所でやるか、ルールに(のっと)ってやれという話だ。お前らが今どうしてもやりたいというのなら……」

 

黒乃が刀華に目線を送る。

 

「東堂。審判(ジャッジ)を務めてやれ」

 

「………えっ?」

 

ぱちくり、と。

頓狂な声を上げて、刀華は戸惑うように瞬きをした。

 

『学園破り』去原仁狼と《剣士殺し(ソードイーター)》倉敷蔵人。

禄存の生徒と貪狼の生徒が破軍学園で場外試合を行うという、ひどくこんがらがった決定がされた時。

生徒会のメンバーと共に詠塚琉奈が、乙女にあるまじき憤怒の相で全速力でこちらに駆けてきた。

 

 

 

「申し訳ありません、私の認識が甘かったです!

ある程度好きにさせる方針でいましたが、まさかここまで事が大きくなるとは……!

その、彼もちょっとはしゃいじゃっただけで悪気はないんです!

犬が雪を見てはしゃぐのと同じなんです!普段と違うものばかりで舞い上がっちゃってて!

私の躾が足りませんでした!

ほらっジンロウ、何を逃げようとしてるんです!

あなたも見てないで謝りなさい!」

 

「………すまない……」

 

「ま、まあ落ち着いたならそれで……」

 

歩きながらメタクソに言われつつ、頭を掴まれ強引に頭を下げさせられている仁狼。

日頃精神年齢をどれだけ引き下げられた扱いを受けているのだろうか、目元から漂う哀愁がハンパない。

なし崩しで巻き込まれた刀華にバッタのように頭を下げている様を見て、蔵人がいくらか気勢を削がれていた。



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二本の牙

戦いの前ならしゃんとしろと苛立ちを込めた目で仁狼を見る蔵人に、ステラがふと声をかけた。

 

「それにしても、意外に大人しく従ってるわね。アンタの事だから、真っ先にイッキに食い付くと思ってたけど」

 

「…………、」

 

彼は一瞬だけ鬱陶しそうな顔をした。

倉敷蔵人はかつて、学生騎士の頂点を決める《七星剣武祭》で黒鉄一輝ともう一度戦おうと約束したが───無念にも彼は敗退し、結局その約束は果たすことが出来なかった。

そして蔵人は3年生、もう学生の内に《七星剣武祭》という最高の舞台で一輝と戦う道は断たれているのだ。

そんなやりきれない過去を追想しているのだろう。あれからそう遠くない、思い浮かぶ感情もまだ鮮明なはずだ。

荒々しい形相に、少しだけ(うれ)いの陰が見える。

 

「……あん時、俺ァ全てを出し切って戦った。その結果切符を掴めなかった。それまでだ……未練がましく押しかけるような真似なんざしねえよ」

 

だがな、と。

続く言葉には、もう獰猛さが戻ってきていた。

 

「テッペン目指して戦ってりゃあ、いずれはどっかで鉢合わせるだろ。そん(とき)ゃあ、骨まで噛み砕いてやるよ……!」

 

「!……ああ。僕も楽しみにしてるよ」

 

自分を倒すために力を研き、いつか倒すと信念の切っ先を突き付けてくる。

仁狼の台詞ではないが、ここまで戦士冥利に尽きるものもないだろう。果たされるのがいつになるかわからないその約束が、今から堪らなく待ち遠しい。

込み上げてくる純粋な喜びに自然と頬が綻んだ。

 

「モテモテね。イッキ」

 

「そ、そういうつもりはないけどな」

 

くすりと笑ったステラに気恥ずかしそうに反論しつつ、一輝は逃げるように前を歩く仁狼と琉奈の背中に目を向ける。

……一輝やステラのレベルとまではいかずとも、ある程度の実力者ならば一目で相手の力量を(はか)ることが出来る。

故に二人が仁狼を見た時、彼が只者ではないことは既に見抜いていた……でなければ一輝はともかく、傲慢なステラが警戒して席から立ち上がるなんてことはするまい。

しかし前を歩く仁狼を見た一輝が今感じたのは……

 

(随分と()()()()()()()()だな……?)

 

「しかし急な決定でしたが、闘技場の使用許可は下りているんですか?難癖つける人はいないとは思うのですが……」

 

「理事長がその場で許可を下ろしてくれましたが、もう少し歩きます。少し前にその、一番近いところにある闘技場が()()()()()()()()()()()()ので……」

 

「「「……………!?」」」

 

「なんで全員アタシを見るのよっっ!!」

 

超弩級の風評被害がマッハの速度で飛んで来たステラが顔を赤らめて叫ぶ。

とはいえ一輝とステラを除き、事情を知らないものからすれば真っ先に候補に上がるのは仕方ないだろう。じゃあ誰だよ、という疑問には誰も答えないまま、一行は闘技場に到着した。

 

 

 

告知も何も無いため観客はいないに等しい。

いるとすれば観客席にいる一輝とステラ、スクープと情報目当てに着いてきた日下部加々美に審判を務める東堂刀華。

そしてもう一人の足音が、通路の階段からコツコツと響いてくる。

 

「お隣よろしいですか?」

 

「あ、はい。どうぞ」

 

灰青の髪の少女が、優雅な仕草で一輝の隣に腰を下ろした。

そこはかとなく眉が動いたステラを見てくすりと笑い、彼女は穏やかに口を開く。

 

「ずいぶんと挨拶が遅れてしまいました。私、詠塚琉奈と申します。……先の七星剣武祭では、お二方とも気高い戦いぶりでした。それこそ賛辞を言葉にするだけ無粋なほどに……うちのジンロウも、録画した映像を擦り切れるかという位に見ていましたよ」

 

ステラ・ヴァーミリオン───伐刀者(ブレイザー)ランクA。

黒鉄一輝───伐刀者(ブレイザー)ランクF。

最高の才能と最低の才能、相反すれど強者の群れを斬り登る力に偽り無し。

片や己の力の最大を出し尽くし、片や己の限界を突き破った者の決勝戦は、それを目撃した者全員の心に刻み込まれている。

どうやらそれはあの男も例外ではないようで、よほど夢中だったのだろう。

緩く首を振りながら琉奈はやれやれと溜め息をついた。

 

「ジンロウも、出場できていればとても大きな糧となったはずなのに……後先を考えないから肝心な機会を逃すんです。励ますのに本当に苦労しました」

 

「『できていれば』?何があったのよ……」

 

 

「……始まるようです」

 

 

実況も何もなく、ゲートから仁狼と蔵人が静かに入場してきた。

そう見ないレベルの強者との戦いを目前に、二人の血が沸き立っているのがわかる。

仁狼もさっきまで琉奈の尻に敷かれていた姿はどこにもない。

二人の闘気が高鳴る鼓動に合わさるように膨らんでいく。

観客席までヒリヒリした空気が伝わってきた。

 

「両者、固有霊装(デバイス)を幻想形態で展開して下さい」

 

かくて審判は号砲を構えた。

己を縛る(くつわ)を外された獣が、歓喜の叫びを上げて己の魂を顕現させる。

 

「出て来やがれ───《大蛇丸(おろちまる)》!!」

 

両側にノコギリ刃の付いた、大蛇の骨を継ぎ合わせて作ったような、形を持った『狂暴』そのものの白骨の剣が両手に二振り。

途端に膨れ上がる圧力(プレッシャー)に狂熱を滾らせながら、仁狼も静かに自分の権能の名前を()ぶ。

 

「───鎮まれ、《鏡月(きょうげつ)》」

 

 

「「…………!」」

 

主の喚び声に応え(あらわ)れた()()に、全員が思わず息を呑んだ。

 

仁狼の霊装は日本刀だった。

右手に刀、左手に脇差(わきざし)

剣士なら言われずとも察する組み合わせだろう。

左の腰には手に持った数と同じ数の鞘が提がっていた。

 

 

「面白え………テメェ、二刀流かぁ!!」



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双刀の幽霊

 

「……お互いに、な」

 

楽しみで仕方ないと歯を剥き出す蔵人に、口の端を歪めて仁狼が応じる。

二人を抑制の杭に繋ぎ止めている理性の紐は、今にも引き千切れそうなほどに張り詰めていた。

戦闘準備の可否は問うまでもないだろう。

そう判断した刀華は小さく頷き、息を吸い込んだ。

 

「……詠塚さん。見た感じだと、彼は学内の選考に落ちた、という訳ではなさそうだね」

 

「もちろん。あなたと同じように、色んなものを食べて大きくなってきた人間です。そこいらの木っ端と一緒にはされたくありませんね」

 

「じゃあ、ヨミツカさん。あなたは……イヌハラ、だったかしら?彼が《七星剣武祭》に出場できてたとして、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

ステラの言葉の意味を読み取った琉奈のこめかみが微かに震える。

しかし声を荒立てるような事はしない。

取るに足らない問いとばかりに視線は動かさないまま、静かに、はっきりと彼女は言い切った。

 

 

「─────優勝する、と断言します」

 

 

「では参りましょう。────試合開始(LET's GO AHEAD)!!」

 

 

掲げた手と共に放たれた開幕の宣言。

離された手綱を振り乱すように、まずは1匹が地面を蹴った。

 

「ハッハーーー!!」

 

まず先手を取る。主導権を掴む。

敵が行動する前に終わらせる、速攻は鉄板の戦術だ。こと攻撃と防御において異類のアドバンテージを持っている倉敷蔵人にとっては尚更。

一直線の踏み込みは速度の反面カウンターを貰いやすいが、彼にとってそれは懸念事項にはなり得ない。

両手に握った大蛇丸(おろちまる)を後ろに引き絞り、まずは挨拶代わりに対応してみろと仁狼の間合いに踏み込もうとして────

 

「っっっ!?」

 

───その最後の一歩を踏み出す前に、蔵人は全力で後ろに飛び退いた。

正確無比なカウンターが飛んできたから?

仁狼の放つ圧力(プレッシャー)を危険だと判断したから?

どれも違う。

むしろ、()()()()()()()()()()()()()

 

「こ、これは……」

 

「あら、見た目に反して意外と冷静なんですね。中途半端に強いと、調子づいて突っ込んだ直後に首を落とされるまでが一つのコントなんですが」

 

蔵人と同じものを感じた一輝とステラが困惑する。その顔を面白がるように琉奈が問うた。

 

「黒鉄一輝さん───現《七星剣王》さん。

あなたならどうしますか?

今の彼を相手に、あなたならどう攻めますか?」

 

「…………、」

 

一輝は答えることができない。

答えが多すぎるからだ───どうにでも攻められるからだ。

 

数秒前の戦意の塊のような様はどこへ失せたか。

だらりと垂らすように立っている仁狼からは、およそ戦いに臨む武人から放たれる一切を感じ取れなかった。

 

完全な脱力。

弛緩しきった筋肉は一輝をしてどう立っているかの分析を迷わせ、凶悪な双眸からも険しさが抜け落ちている。

それは肉体に限った話ではない。強者の気配も何もかも、それこそ背景の一部と思ってしまうほどに───斬りかかる蔵人を前にして仁狼は、己を武人として認めさせる全てを()()()、と消し去ってしまったのだ。

 

「……敵をわざわざ警戒させて……自分がつけ入るべき油断と隙を、自分から潰す………。馬鹿な事だと思わないか……?」

 

(何て野郎だ……自分(テメェ)の気配と()を、こうも完璧に殺しやがるか……!)

 

小さく笑う仁狼相手に、蔵人は動けない。

一輝が言った通り、隙だらけの今の仁狼を倒す手段などいくらでもある────()()()()()()()()()のが何よりも恐ろしいのだ。

並々ならぬ剣客とわかっている相手に対して、『ただの雑魚じゃないか』と心が楽な方向に振れそうになる異常。

その薄ら寒さすら感じる不気味さに彼は後ろに退いたのだ。

しかも。

 

()()()()()()()()()()()()……?)

 

一流の剣客ともなれば触れずとも、身体能力や間合いなど、見ただけで敵のおおよその情報を手に入れる。

しかし仁狼相手にはそれができない。

まだ能力も不明な上に放つ情報が無さすぎる。

読み取れるものが極端に少ないのだ。

不用意に踏み込んだら、何を貰うかわからない。

手数にモノを言わせ進撃する蔵人が攻めあぐねる様は非常に珍しいものだった。

 

「自分から動く気配がない。今の所は典型的な後の先(カウンター)型の剣士に見えるね」

 

「まるで擬態よね……あんな誘い方は初めて見るわ」

 

流石に易々と乗ってきてはくれないらしいが、仁狼とて後の先(カウンター)しか出来ないような小さな引き出しは持っていない。

油断まではしてもらえずとも、ああして攻めあぐねる相手の調理法もまた心得ている。

 

「来ないのか……?なら、こっちから───」

 

 

「じゃあ踏み込まなきゃイイ話だろうがよぉぉおおおっ!!」

 

 

ズバンッ!!と空気の割れる音。

瞬きも出来ない一瞬の内に、蔵人から仁狼に向けて石の床に斬痕が一直線に伸びていた。

身体を横にずらして回避した仁狼の肌に一筋の汗が伝う。

……やはり映像で見るのとは全然違う。

 

ぞろりと伸びた刀身が、間合いの概念を完全に無視して襲いかかってくる。

 

彼が《剣士殺し(ソードイーター)》と呼ばれる所以。

伸縮自在の刀身によって、剣術における間合いの概念を完全に崩壊させてしまうのだ。

 

「どうにかしてみろよ。それが出来なきゃあ、幽霊みてぇな気配の奴から───マジの幽霊になるだけだぞ」

 

無数の蛇が鎌首を打ち振るが如く、空を裂くように伸びた白骨の双剣が空間を乱舞した。



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瞬きの内に

「《蛇骨双刃(じゃこつそうじん)》ッッッッ!!!」

 

滅多打ちという言葉が相応しかった。

過去にマシンガンのフルオート射撃を()()()()()()()()()()()彼の『特性』から放たれる長く伸びた双剣の連撃は、反撃どころか動く隙も与えない。

いくつもの残像と石の床を削る硬質な音が見せるのは、まさに無数の刃が流れ落ちる滝壺だった。

仁狼の姿など完全にその嵐の喉に呑まれている。

 

(ひどいな。あれは相手にしたくない……)

 

あまりと言えばあまりな理不尽に一輝の顔が引きつる。

同じ剣なのに絶対に手の届かない場所から一方的に攻撃を喰らい続けるという間合いの絶対的不利。

さらにそれは途中から使い手の制御を離れる遠距離攻撃とは違い、一つ一つに剣士の確たる技量が込められている。

一輝のような純粋な剣士からすれば厄介極まりない。

さらに接近できても彼を切り崩すのは至難の技であることを身をもって知っている一輝にとって、この光景の難易度の高さには唸るしかない。

そしてそれに相対している、去原仁狼の技量にも。

 

(……手応えが一つもねえ)

 

様々な角度から幾度攻撃を叩き込んでも、刃が弾かれる感触すらない。

ゆらりゆらりとまるで蜃気楼に斬りつけているような感覚。

その足運びの(たえ)なるは蔵人をもってして避ける方向を気取らせない。猛り狂う蛇の群れを(ごく)最小限の動作で全て回避する仁狼はひたと蔵人を見据えている。

しかし彼はそこから動かない。

反撃できない?いや、違う。

まだ戦いは始まったばかり。仁狼からはやはり何の空気も感じ取れないが、体力や表情から見てもそんな窮状には立たされていないだろう。

ならば何だ。決まっている。

ビキ、と蔵人の顔に青筋が入った。

 

「イイ度胸じゃねえか……それでオレを(はか)ってるつもりかぁ!?」

 

ゾン!!と蔵人が腕を開く動きに合わせて両の剣が左右から仁狼を噛み裂こうと迫る。

仁狼がそれを身を屈めて回避した時には、蔵人は鞭のように伸びた双剣を振りかぶり──軌道の異なる複数の斬撃を、()()()()()()()()()()()()

 

異なる動きが同時に発生し、手元で大きなうねりを与えられた両の剣が滅茶苦茶にのたうつ。

空を埋めるように激しく踊る骨の剣は振り下ろされる動きに従い、眼下の獲物を目掛け刃の胴体全てで襲いかかってくる。

───連撃が当たらないのなら、(かわ)しきれない程の一撃を。

それは刀にあるまじき、()()()()()()()()()!!

 

「《蛇穴舞(さらぎのまい)》─────ッッッ!!!」

 

激突。耳を聾する硬い戟音。

大蛇丸が叩き付けられた石の床には、無数の蛇が住まう巣穴のような(おびただ)しい傷跡が這いずるように刻まれていた。

 

蔵人が大蛇丸を振り上げた瞬間の、ぱん、と手を叩くような乾いた音は、戟音に紛れて聞こえなかった。

振り上げた時には仁狼はもうすぐ目の前にいて。

振り下ろした時にはもう、仁狼の双刀は蔵人にひたと添えられていた。

 

 

「───《(なみ)(きり)》」

 

 

呟かれた技の名前が、いやにはっきりと聞こえた。

 

左の脇差による刺突と右の刀による左薙ぎを組み合わせた二点同時攻撃。

脇差は長さが短く、力の作用点が手元に近い故に高いパワーを持ち、リーチの短さを埋める為に最短距離で()く速く迫る。

その弾丸のような突きを凌いでも、より長いリーチと広い攻撃範囲を持つ刀による左薙ぎが絶妙な時間差で待ち構えている。

ただ二撃のみで構成された、絡まる波のように周到な攻撃の型。

攻撃の最中に割り込ませた距離を覆すカウンターは『安全圏』という意識の死角に滑り込み、普通の相手ならば攻撃されていることも認識できないまま斬り捨てられるだろう。

しかし───倉敷蔵人相手にはそうはいかない。

 

「っっっつぉお!?!?」

 

最初の刺突は身体を『く』の字に曲げて後ろに(かわ)し、続く左薙ぎは縮めて長さを戻した大蛇丸(おろちまる)で弾く。

同時にもう片方の大蛇丸(おろちまる)を振るって追撃をかけようとした仁狼に間合いを越えた反撃、仁狼を回避に回らせて蔵人は再び距離をとった。

あの絨毯爆撃の中の針も通らない間隙を突き通した仁狼と、意識の空隙を突かれてなお完璧な回避と反撃まで行った蔵人。

技と感覚の冴えは共に尋常ではない。

一輝が注目したのは、三十メートルは離れていた距離を(まばた)きも出来ない一瞬で詰めた仁狼の歩法だった。

 

「……《二歩一撃》?」

 

「イッキ、ニホイチゲキって?」

 

「日本の古武術にある歩法だよ。後ろの足で踏み込んで、その足が地面につく前に前の足で踏み込むんだ。

これをほぼ同時に行うことで、一つのリズムで移動距離が二倍になる、というものなんだけど……」

 

「ご名答です。さすがは武芸百般」

 

ステラの疑問に対しどこか歯切れの悪い答えを返した一輝を、どこか自慢気な琉奈が補足する。

 

「言い淀むのはわかります。やっている事は同じでも……ジンロウの二歩一撃は《無拍子(むびょうし)》と名付けられた、移動距離も速度ももはや別次元の代物ですので」

 

───合気の開祖である植芝盛平について弟子が記した書には、嘘か真か

『数十メートルの距離を一瞬で移動した』

『兵士に(まと)の位置に立った植芝を銃で撃たせ、弾が的のあたりに当たる時には撃った兵士が投げられていた』という記述がある。

その記述が真実であるとするなら、それはひょっとしてああいうものだったのではないだろうか。

 

虚を突かれたとは言え、第三者の視点から見ることに集中していた()()()()()()()()()()()()()()()()、仁狼の《無拍子(むびょうし)》のような。



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力と速度

───恐ろしく(はや)い。

目の前の男には技術以外にも、自分と同じように特別な『何か』があると蔵人は確信した。

誰にも真似のできない無二の牙を、あの男も持っている。

 

「ハハッ、面白え……面白えなぁオイ!!!」

 

獰猛に歯を剥き出し、蔵人は猛然と駆け出した。

一直線に突撃してくる獣を前に、仁狼はさらに神経を研ぎ澄ます。

───さらに脱力を。もっと速度を。

意を殺した精神の奥底から光る眼が、蔵人の動きのさらにその先を見抜こうと光る。

そして。

仁狼は、恐ろしいものを()の当たりにした。

 

脳が情報を知覚し、決断した行動を身体が出力することを『反射』という。

そのプロセスにかかる時間は明確な数値の上限があるパラメータであり、どんな人間がどんなに鍛えても0,1秒が限界値。

しかしただ一人、その上限をあっさりと踏み越えてくる男がいる。

その反射速度、実に0.05秒未満。

人が一回行動を起こす間に()()()()()()()()()()()()()デタラメのような特性は、守れば鉄壁、攻めれば何人(なんぴと)も抗えぬ嵐となる。

────《神速反射(マージナルカウンター)》。

神の住まう速度域を与えられた倉敷蔵人の、瞬間同時攻撃が立て続けに仁狼に喰いかかる。

 

「オラオラオラァァァアアアアアアッ!!」

 

「────────っっっ!!!」

 

一振りの間に二撃。三、四撃。

腕が増えたと見紛うその姿は阿修羅のようにも見えた。

映像で見て蔵人の同時攻撃、というか特性を解明していた仁狼ではあるが、何度も言うように見るのと体験するのとでは雲泥の差がある。

面食らって反撃の入り口をのっけから潰された仁狼はただ回避に回るしかなく、後ろに向けた《無拍子(むびょうし)》でまた大きく距離を取った。

 

「逃げてんじゃねえぞぉあ!!」

 

間合いを自在に操り、時に追尾してくる蔵人と大蛇丸(おろちまる)を相手にそれは無意味な悪足掻きだと思えるかもしれない。事実大蛇丸(おろちまる)はその刀身をくねらせ、遠間にいる仁狼に襲いかかったのだから。

しかし観衆の評価はまったく違った。

 

「上手い、近距離と遠距離で避けやすい方を選んだんだ。鞭のような構造で刃先と手元の動きが合わない伸展状態なら、同時攻撃はできないからね」

 

「一息にあの距離を動けるからこそ可能なのね。

けどどうするのかしら?また接近されて振り出しに戻るだけよ」

 

「そうですね。実際に見て驚いてしまったようですが……仕切り直しが出来た以上、もう好きにはできませんよ」

 

そして再び二人は接触。

突撃する蔵人を仁狼が迎え撃つ形となり、そこは蔵人の同時攻撃が再び猛威を振るう距離。咄嗟の仁狼が逃げの一手を選ぶしかなかった距離だ。

しかしもう動じない仁狼を見て、蔵人は口角を吊り上げた。

 

(クロガネは傷を負いながらも避けきった。テメェはどうすんだイヌハラぁ!!)

 

蔵人の右腕が振り下ろされ、四点同時攻撃が仁狼を襲う。

仁狼の刀は二本、しかも片方はそう長さのない脇差。どうあっても全て防ぐのは不可能だ。

そのはずだった。

 

鋼同士がぶつかる音。

特別太くもない彼の腕のどこにこんな力があるのか───木剣を握り砕く握力がありながらも、得物が手から吹き飛ばされそうになるような甚大な衝撃。

振り抜かれた鏡月(きょうげつ)の片割れが、大蛇丸(おろちまる)を大きく弾いたのだ。

 

「─────腕が増えた訳じゃないだろう」

 

目を見開いた蔵人に仁狼が静かに告げる。

間髪入れずに左で放たれた四点攻撃も同様に弾かれた。

 

小細工も何もなく、ただ純粋に防がれたのだ。

剣速が速すぎて、複数の攻撃がほぼ同時に振るわれたように見える蔵人の剣術。

その最初の太刀を見切り、叩き落とすことで。

 

「…………!?」

 

それに何よりも驚愕したのは、それをそうだと看破した一輝だった。

道場の床を割り砕く腕力と、何よりも同時攻撃を可能とするまでの速度を生み出す瞬発力。

神速反射(マージナルカウンター)》を活かしているのは、蔵人自身の暴力的なフィジカルだ───防御に回した刀を支える両腕ごと潰されそうな膂力を、一輝は身をもって知っている。

ただの腕力のみでそれだ。

剣の技術を修めた今の蔵人の斬撃は、受けることすら困難なはず。

 

(それを……あの速度と力に、片腕で対抗したのか───!?)

 

「ジンロウの剣の(かなめ)は『脱力』にあります」

 

思わず身を乗り出していた一輝を横目に、琉奈の解説が始まる。

 

「寝ている時に、急に全身がビクッとなって目を覚ますなんて経験をしたことはありませんか?

ジャーキングという現象なのですが、意識の覚醒と共に、身体の全ての筋肉が同時に収縮するあの感覚は思い出せるはずです」

 

「ああ、それはわかるけれど……?」

 

「その時の筋肉の収縮速度を、意識のある時に再現しようとしてもどうしても不可能なんです」

 

とんとん、と可能は人差し指で灰青の髪が流れる自分の頭を指し示した。

 

「睡眠時の脱力(リラックス)は、脳にある身体能力の抑制機構を緩ませる。そしてジャーキングは思考の介在しない反射運動なので、考えて行動するよりも格段に動きの出が早い。

あの筋肉が爆発するような瞬間的な痙攣には、そういうカラクリがあるんです。

そのジャーキングを覚醒状態で意図的に、望む形で発生させることは出来ないか、というのが発想の起源ですね。

……そしてジンロウは、それを見事に昇華させ剣術に落とし込んだ」

 

速度も力も、充分以上に持っている。

くすりと笑うその顔は、仁狼の勝利を欠片も疑っていなかった。

 

「脳のリミッターが外れた斬撃が、前兆も加速時間もゼロで飛んでくる。

……シンプルながら、厄介この上ないでしょう?」



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鍔迫り合い

「上等ォ───真っ向から喰ってやる!!!」

 

同時攻撃に割いていた思考領域を全て連撃に回した蔵人の凄絶なラッシュ。

今度は退かない。仁狼は正面から迎え撃った。

 

ギ────────ッッッ!!!と、速すぎて重なりあった戟音がもはや一続きの音に聞こえた。

刃が交わる度に咲き乱れる火花が刹那に瞬き散る様は、彼らの生き様と同じなのかもしれない。

その苛烈な交流の密なるは豪雨の如く、見ているだけで肌が切れそうな空気が二人分の熱を纏って観衆を撫でる。

 

人間の反射速度は最高記録でも0.1秒。

しかし上の次元にいる者同士の勝負では、その0.1秒では間に合わないという状況はザラにある。

だから一流の騎士は観察眼を養い、敵の行動を予見(よけん)(あらかじ)め動くことで対応するのだ。

 

だが仁狼相手には予見(それ)が出来ない。

筋肉の微細な動きどころか、注意も殺気も全て殺しきっている彼の剣には───前兆というものが一つもないのだから。

 

つまり敵は仁狼が動いたのを見て反応するしかなく、しかも彼の剣速は超一級。

防御されそうな攻撃を()()()()()()()()()()()()()という離れ業すらやってのける蔵人の反応速度でも、状況を拮抗状態から先に進めることができない。

そしてこれは蔵人にとって、かなり上手くない状況である。

 

(この野郎ッ……地で俺の剣速について来やがる!?)

 

蔵人の額から玉のような汗が散った。

一度に行動できる回数が多いということは、消費するスタミナもそれだけ激しいものになる。

それを自覚している蔵人は自身に厳しい体力トレーニングを課しているが、これは先延ばしには出来てもまず克服しようのない不可避の弱点。

……そしてこれは、かつて倉敷蔵人が黒鉄一輝に敗北した時のパターンだ。

 

(クッソがぁ……!打ち合いっつー絶好の土俵で拮抗されるなんざ初めてだぞ……!)

 

この状況が続くのは最悪に近い。

しかしここで別の行動を起こすために手を緩めたらその瞬間に細切れだ。

さりとてこのまま打ち合っている訳にもいかないが解決策が浮かばず、かなりのドン詰まりと言っていい。

 

しかし。

対する仁狼は、下手をすれば蔵人より追い詰められていた。

 

(《神速反射(マージナルカウンター)》……ここまでこっちの不都合を押し付けてくるとは……!!)

 

ゼロからマックスまでの瞬間加速。

最強と名高い《比翼(ひよく)》や黒鉄一輝と、コンセプトを同じくする仁狼の太刀筋。

『全身の筋肉を連動させる』という点においても共通点は多いが、しかし両者の根本となる原理には決定的な違いがある。

比翼(ひよく)》と一輝の場合は、一度に大量の運動命令を送り込める『特別な脳信号』によるもの。

しかしこの脳信号は通常で体得できるはずもなく、それをコピーしてのけた一輝が異常なのであって、まず他者には扱えない無二の特性だ。

仁狼が持っているはずもない。

 

対して仁狼の瞬間加速は、琉奈の言うようにジャーキングの応用だ。

手に入らない『特別な脳信号』という不可欠の要素を、脱力(リラックス)によるリミッターの解除、思考を介さない反射運動という二つの要素で補っている。

 

ここで曲者なのがこの『脱力』だ。

この仁狼独自の脱力こそが敵の行動選択を()()()()()()崩し、なおかつ瞬間加速を実現させるという最大のメリットを産み出す彼にとっての戦闘の鍵。

 

しかし、同時に大きなデメリットもある。

脳のリミッターを解除した行動は、当然ながら身体に相応の負担をかける。

しかも『特別な脳信号』がない以上、瞬間加速をしたいのなら、斬る前に脱力というプロセスを介さなくてはならない。

それを踏まえてこの状況だ。

機銃と同等の速度と頻度で迫る双剣。

脱力を挟む暇などあろうはずもなく、後ろに下がるだけジリ貧だ。こちらも無酸素運動による渾身のラッシュで応じるしかない。

だというのに───

 

(頼るしかない()()()()()、こんな条件じゃ自爆にしかならないな……!!

ただでさえ、俺はスタミナの総量が少ないというのに……!!)

 

技術の方向でも体質においても。

仁狼の剣は、()()()()()()()()()()()()()()!!

 

 

「「っっっあぁ!!!」」

 

 

一際大きな戟音を上げて、二人の身体が後ろに大きく弾かれる。

渾身の一振りで押し返し仕切り直そうという二人の思惑が偶然にも同期した結果だ。

仁狼が自分と同じ行動をとって肩で息をしているのは蔵人にとって意外なことであり、同時に彼の『天性』がいかなるものかを大雑把ながらも把握したきっかけでもあった。

 

「とんでも、ないなっ……、……ここまで、ゲホッ、自分の剣を貫かせて、貰えないのはっ、ハァ、……初めてだ………!!」

 

「ゼェ、っ……なら、そのまんま……ハハ……へし折れてやがれ……っ」

 

試合そのものは始まってからまだ数分も立っていない。

にも関わらずこの消耗は、それだけ時間の密度が濃かったという事。

焼け落ちていく展開を見据えていた一輝が、静かに分析を進めていく。

 

「速度も力も互角。こうなると去原くんが俄然不利だね。今のところは拮抗しているように見えるけれど、戦いの展開は手の内の読み合いから攻撃力勝負に移り始めてる。蔵人の得意分野だ」

 

「攻撃ならばジンロウも負けていません」

 

「単純に()()()()だよ。蔵人と違って、去原くんの固有霊装(デバイス)は得物のサイズが左右で違うからね。

近距離なら脇差、長距離なら刀と使い分けられる利点はあるけれど、逆に言えば距離に応じて片方しか使えないってことだ。

それに対して蔵人の大蛇丸(おろちまる)は、どんな距離にでも対応してくる。

去原くんと蔵人では、相手に届く攻撃の数が違いすぎるんだよ」



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一刀開眼

 

互いの技量が伯仲しているのなら、武器の相性は勝敗を左右する大きな要素になり得る。

そういう展開になると間合いを支配する蔵人の大蛇丸(おろちまる)がもたらすアドバンテージは凄まじい。

このままいけば、遠からず仁狼が削り切られて終わりだろうが……

 

(それを覆すものがあるとすれば───)

 

「そう、だな……同じ二刀では、どうも軍配はそっちに上がりそうだ………」

 

「ハッ……じゃあどうすんだ。武器でも変えるってか!?」

 

 

「ああ。そうしよう」

 

 

思いもよらない返答に蔵人が戸惑う。

言うや否や、仁狼は静かに刀と脇差を握る両手を合わせた。

二刀のシルエットが横に重なり、まるで一本の刀になったようにも見える。

そうして重ねた二刀を、仁狼はあたかもそれが一本の刀であるかのように青眼に構え───

 

 

「───(とざ)せ、《明月(めいげつ)》」

 

 

静かに唱えた召喚の言霊。

 

持っていたはずの二刀が消え。

腰に提げた鞘もその数を一つだけ減らし。

 

仁狼の両手が、一振りの大刀を握っていた。

 

「な……固有霊装(デバイス)がもう一個!?」

 

固有霊装(デバイス)というものは魂の具現。

己を(あらわ)す不変の結晶だ。

一輝の知っているもので言えば《アズール》や《黒き隠者(ダークネスハーミット)》など複数展開できるものや、それこそ蔵人の大蛇丸(おろちまる)のように変形するものも確かにあるが……それはあくまでも『そういうデバイス』なのであり、別物という訳ではない。

しかし()()は違う。

複数展開でも変形でもなく、まったく別物の固有霊装を喚び出したというのか───!?

 

「……こういう霊装なんだ。……武器(たましい)が2つも3つもある訳ないだろう」

 

「驚かせてくれんじゃねえか……だがなぁ。テメェ、いっこ思い違えてねえか?」

 

ギシ、と大蛇丸(おろちまる)を強く握り締める蔵人。

 

「テメェが俺と打ち合えたのはな。テメェ自身の天性と、二刀の手数があったからだ!それを捨てたら圧し潰されるだけだってんだよぉおお!!」

 

好機とばかりに蔵人が飛び出した。

その考えは半分正解で半分は間違っている。

正解なのは、仁狼が蔵人と打ち合えたのは手数の多さと天性があるからという点。

そして間違いなのは───

 

「圧し潰すために、俺は一刀にしたんだ……!」

 

蔵人に呼応して強く踏み出した一歩。

それはそこにいる全員の視界から仁狼の姿を消し───彼は蔵人の背後に、正々堂々と()()()()回り込んだ。

 

「なっっ!?」

 

予想外の速度にここまで対応できたのは神速反射(マージナルカウンター)の賜物だろう。

慌てて背面の仁狼に左右から噛みつくような二点同時攻撃《蛇咬(へびがみ)》を放つ。

その時にはもう首筋に仁狼の刃が迫っていた。

しかし仁狼も蔵人の反撃を無視できない。攻撃を中断し、受け止めるのではなく(かわ)した。

足運びはするすると滑らかに軽く、しかし火花が弾けるような速度で仁狼は再び距離を取る。

 

「スピードがはね上がった……!」

 

黒鉄一輝の全速力を知るステラから見ても、それは驚くべき速度だった。

鏡月(きょうげつ)から明月(めいげつ)───二刀から一刀への変化。

二刀の優位である手数の多さによる攻撃力と、対応できる範囲の広さによる防御力の高さは確かに失われた。

しかし二刀の優位を持つのは蔵人も同じで、そして一刀流には一刀流にしかない強みがある。

仁狼はその差違に勝負の命運を託したのだ。

 

脇差が無くなったことによる自身の軽量化。

長さの差により重心点が違う武器を両手に持っていることから来る、体重移動や身体動作のほんの僅かな制約。

一刀流になることでそれらの軛から解き放たれた仁狼の移動速度の向上は、タイムに換算すれば───精々が0.1秒に届くか否かという程度だろう。

されど0.1秒───

短距離走などの陸上競技ならハッキリと目に見える差を生み出すには充分な時間であり、仁狼の速度なら移動距離の差はさらに大きく広がるだろう。

刹那の間を奪い合う騎士の戦いにおいて、それだけのタイムの向上は勝負の天秤を大きく傾ける!

 

「チッ……!」

 

刀を両手で持っているため刀を振るう力もスピードもグンと上昇した仁狼の一撃は、蔵人といえど片手では到底抑え込めるものではなかった。

横合いから叩くように軌道を逸らし、返す刀で斬りつけようとした時にはもう離脱を済ませている。

同時攻撃で攻撃と防御を一回で行えば、ご丁寧に出始めの太刀を弾いて離れる。

嫌なピンポンダッシュだった。

 

───しかし、なぜ蔵人は刃を伸ばして追わないのか?

大蛇丸(おろちまる)の伸縮速度は機銃の弾丸をも凌ぐ。

小突くだけ小突いていちいち離れる相手など、的でしかないはずなのに……?

 

「……足運びの技術か。柔術と共通する部分も多いな……『脱力』と相まって、動きが読めないんだ」

 

伸ばした刃の操作は、当然だが蔵人によるマニュアル操作だ。

操縦者が敵を捉えきれなければ、伸ばしたところで隙にしかならない。

 

「あれは迂闊に刃を伸ばせないね。しかも僕が見てきた中でも、移動速度がトップクラスに(はや)い」

 

「『一太刀だけなら一刀の方が有利』……理屈はわかるしそれを遵守した戦い方だけど、随分チマチマとつついてるわね。まるでわざと引き伸ばしてるみたいに……あ。ん、あれ?」

 

「ええ、引き伸ばしてるんですよ。《剣士殺し(ソードイーター)》の体力を削るために」

 

それは過去に一輝と蔵人の戦いを見たステラも気が付いていたが、重大な矛盾を孕む故に確信には至らなかったことだ。

仁狼のスタミナの残量と消費量では、持久戦に持ち込めば敵の体力を削っても結果共倒(ともだお)れになることが明らかなのだから。

 

「決着に向けて動き出していますね。何をする気かはわかりませんが……お互いの体力が尽きかけているなら、残り一絞りのスタミナで仕留める自信があるみたいですよ。ジンロウには」



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双牙は奔る

(何が狙いだぁ………?)

 

蔵人もまた仁狼の狙いを測りかねていた。

向こうの体力も風前の灯火であるはずだ。

わざわざ状況を膠着させる意味がわからない。

───こっちが焦れるのを待ってんのか?

襲いかかってきた太刀を弾きながら蔵人は推察を進める。

だとすれば仁狼の狙いはカウンターだ。

序盤に放ってきた《濤切(なみきり)》の剣速と意識の間隙を突く長距離移動。向こうがどれだけヒットアンドアウェイを繰り返そうが、自分は常に仁狼の制空権の中に収められている。

様子を窺うような牽制の中、いつ刃が飛んできてもおかしくないだろう。

しかし、例え予測が外れていたとしても────

 

(それより前に俺が仕留めりゃ終いだ。藪を突つけば蛇が出るってなぁ!!)

 

人を超えた反応速度は伊達ではない。蔵人はもう仁狼の速度に目を慣らしていた。

横から間合いに踏み込もうとしてきた仁狼に向けて、蔵人は即座に反応。片手ではなく両手で二刀の大蛇丸(おろちまる)をけしかける。

右手で四回、左手で四回。合わせて実に八連斬。

これ以上ないタイミングで迫る鎌首を打ち振る八頭の蛇を前に、まさに攻撃すると思われた仁狼は……

………特に何もせず、蔵人から離れた。

 

「……、ん?」

 

一輝が眉根を怪訝そうに寄せる。

一見、仁狼が加撃を諦めて攻撃を回避しただけのように見えるが、違う。

下がるタイミングと、その時の蔵人との距離。

そして力の抜け具合から考えるに、本当にただ近付いただけ……何もする気が無かったことが明らかだった。

 

そして再び仁狼は動く。

動きの幅や力、その足捌きに一切の無駄はなく、空を滑る飛燕のように()く静かに仁狼は駆けた。

それを受けて蔵人は迎撃に移る。

今度は自ら踏み込んで回避に移れる間合いを潰しつつ、再びの八連斬。

二刀の軌道を複雑に絡ませたそれを一刀で受けるのは到底不可能()()()()()()

 

そのずっと手前で仁狼は急停止した。

 

何もない空間で空振った蔵人をからかうように舌を鳴らしながら、仁狼はまたも遠ざかる。

この辺りで様子がおかしいことに全員が気付く。

まるで駆け引きではなく、ただ相手をからかっているだけのようで。

そして。

 

「うわっ……」

 

それを見た一輝とステラが顔をしかめ、琉奈はこめかみを押さえて俯いた。

 

蔵人の腹の底から冷たいものが沸き上がる。

それはマグマすら生温い、凍りつくような憤怒。

 

昔の物語に出てくる悪役の狼はきっとあんな顔をしているのだろう。

蔵人を心底から馬鹿にした表情で、仁狼はべろべろと舌を出していた。

 

蔵人の顔から表情が消えた。

この突き上がる感情と衝動を表情として出力するには、人体のスペックは貧弱すぎた。

かつて宿敵を喜悦をもって迎え撃った。

執念をもって己を鍛えた。

憎悪によって限界を超えた。

そんな蔵人が初めて抱く───ただ明確な殺意だった。

 

 

(コロ)す」

 

 

「 乗 っ た な ? 」

 

 

歯を剥き出した仁狼が獰悪に笑う。

脳のリミッターが焼き切れた蔵人が、床を蹴り砕く勢いで迫る。

対する仁狼も、ただ真っ直ぐ全力で踏み込んだ。

『前へ』。揺るがない意思が二匹の獣を最短距離で結び付ける。

 

決着は直後だった。

 

 

 

互いが互いを間合いに収める一瞬前、蔵人は両手の大蛇丸(おろちまる)を限界まで背中に回して振りかぶり、自分の身体で仁狼の視界から武器を隠した。

その瞬間、蔵人は刃を伸ばして()()()()()

うねる鞭ではなく、剣の形を保ったままリーチだけを伸ばしたのだ。

そして放つのは、片手で同時に八回斬る彼の奥義《八岐大蛇(やまたのおろち)》──それを両手で行う()()()()()()

 

以前の彼は、大蛇丸(おろちまる)を片手剣サイズまで収縮させ回転を上げなければ《八岐大蛇(やまたのおろち)》は打てなかった。

七星剣武祭の時の彼は、刀を縮めずとも同レベルの回転を維持して《八岐大蛇(やまたのおろち)》を打つことが出来た。

そして今の彼は刀を伸ばしてリーチを拡大しても、同レベルの回転数を維持できる。

 

「《天羽々斬(あめのはばきり)》ィイッッッ!!!」

 

そしてそれは放たれた。

強靭な膂力を内包した防御不能の十六回同時攻撃が、死角で伸ばした刃で間合いを誤認させた上で牙を剥く。

その光景は、見ている者を完全に絶句させた。

人ならざる反応速度を持つ蔵人が。

必殺の名を冠すに相応しい技を。

 

───まだ誰もいない場所で、全力で空振ったのだから。

 

 

戦いとはただ武器をぶつけるだけのものではない。

視線や気配によるフェイント。

それによる制空権の奪い合い。

これらの駆け引きも総じて『戦い』と呼ぶ。

仁狼が行ったのもそんな『当たり前』の駆け引きだ。

だが仁狼が行うその駆け引きは、もはや一つの技として昇華されていた。

 

筋肉の震えも己の意思も、全てを殺し敵に情報を与えない幽霊の域にまで至る仁狼の脱力を、彼の()()では《無貌之相(むぼうのそう)》と呼ばれている。

何も感じ取れない()()()()()()を前に、必然相手は少しでも情報を得ようと仁狼に対する注意を深める。

敵の混乱効果や瞬間最大加速の鍵、その裏に隠されたそれこそが罠。

 

完全な無から放たれる駆け引きの気配は、暗闇で突如瞬く閃光のように突き刺さる。

そこいらの一流が行うそれよりも───遥か、遥かに鮮烈に。

 

仁狼は蔵人の刃圏のわずか手前で立ち止まっている。

倉敷蔵人が斬ったものは、「そこへ踏み込む」という仁狼の気配のみ!!

 

気配だけ(フェイント)を掴まされ我に帰った蔵人の背骨を寒気が駆け上がる。

そして仁狼はこの瞬間を待っていた。

常人を遥かに凌駕する容量の反応速度………蔵人がその全てを攻撃のみにつぎ込む、この瞬間を。

 

音が消えたような刹那の間。

仁狼は両手で高々と明月(めいげつ)を掲げた。

全身の関節の可動域を限界まで使った、大上段の構え。

その構えに一切の乱れはなく、踏み込みと共に振り下ろされ生まれる閃きにも一つの不純物も無く。

 

それは審判の刀華も。

黒鉄一輝とステラの二人も。

戦っているはずの蔵人でさえも。

 

思わず息を呑んで見蕩(みと)れるような───美しく、完成された一太刀だった。

 

 

「秘事の型一番─────《流星(ながれぼし)》」

 

 

その一閃は斬る過程が見えない。

構えた時には、コマの抜け落ちた映画のフィルムのように───微かな煌めきだけを残して刃は既に斬っている。

蔵人の頭頂から股下まで、血光の線が一直線に通り抜けた。

 

眼球が裏返り、蔵人の身体がぐらりと前に倒れていく。

しかし蔵人はその寸前で全力で足を踏ん張り、倒れまいと敗北を拒絶しようとした。

だが外傷もなく精神力で耐えられる幻想形態での攻撃とはいえ、とことん削られた体力で身体を左右に分割するダメージに耐えられるはずもなく────

 

「ちく、しょォ……………っ」

 

仁狼が残心をとる目の前で、蔵人の手から大蛇丸(おろちまる)が消え───猛き剣を支える身体がついに沈む。

胸に入れた髑髏の刺青が、石の床にキスをした。

 

「……こんな強くて、芯のある奴なら……もっと、大きな舞台で()りたかったな……」

 

とはいえ仁狼もガス欠寸前だった。

滝のような汗を流して荒い息を吐き、そうしたらもっと名前が売れたのに、と余計な一言を加えて独りごちる。

倒れ伏す蔵人に投げかけたその言葉は、どちらかと言えば今この場にいる全員に向けられたメッセージだろう。

明月(めいげつ)を納刀し───彼は己の剣を名乗った。

 

 

二天一流(にてんいちりゅう)───詠塚(よみつか)派。……名前だけでも覚えて帰れ」

 

 

「………っそれまで!勝者、去原仁狼!!」

 

 

刀華の審判によって、ついにこの戦いの幕は下ろされた。

少な過ぎる観衆からの歓声はない。

疎らな拍手の中、仁狼はきちんと流派の作法に則った礼をして蔵人に背中を向け、琉奈もそれについていくために観客席を立つ。

出口の向こうに消えていく彼の背中を、どこか哀しそうに見つめながら。

 



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ふたりのよる

 

 

「擬態に乱撃に速攻に……最後のはフェイントかしら。色々とやり口の手管が多い奴だったわよね。受けるにせよ攻めるにせよ、『相手から今自分がどう見えているか』を完璧に理解してる動きだったわ。まるで相手に自分の目玉がついてるみたいに」

 

「敵の性格を読んだ上での誘い方も形はどうあれ的確だったよ。ああいう挑発は発想になかったな……あそこまでの老獪さは相当な場数を踏まないと身に付かない」

 

仁狼と蔵人の模擬戦から数時間後、一輝とステラの部屋。

模擬戦は昼休憩の時間を潰して行われたため、あの後はすぐに授業があった。

当然ながらあの戦いについて語る時間などあったはずもない。一日の課程が終わった後の自室で、二人はようやく存分に意見を交わせていた。

 

「特に最後の技……《流星(ながれぼし)》。あれは凄まじかったな。

あの時蔵人は去原くんが構えた刀をはっきりと見ていた。

どんな攻撃が来るかもわかっていたはずだ……回避行動を見せなかったのは、《天衣無縫》でいなそうとしていたからだと思う」

 

「結果的に回避が間に合いそうな間じゃなかったものね。

その結果が真っ二つというということは、イヌハラの剣速がアイツの反射速度を追い越したからってこと?」

 

「伯仲していたね。それに剣速もそうだけど、何よりも特筆すべきは(かた)の正確さだ。

蔵人の《天衣無縫》を相手にああも真っ直ぐ刃を通すには、刀線刃筋に(ごう)の乱れもあっちゃならない。

重く、速く、正確に……あそこまで純粋な一太刀はそう見ないよ。

言動とは裏腹に、彼は外連味の無い真っ当な剣士だ」

 

称賛混じりの分析が続く。

しかし一輝はそれに続く言葉を、「だけど」と否定の形で接続した。

 

「あの戦いで去原くんが本領を発揮できていたとは言えないな。正確には発揮させてもらえなかった、だけど」

 

「どういうこと?」

 

「蔵人は終始激しく動いていたけど、去原くんは距離を取ったりして極限まで自分の動作を削っていた。にも関わらず、最終的に去原くんは蔵人と同じくらいに疲弊している。

前に出て戦う速攻型にしては体力が少な過ぎるんだ。

あのスピードと乱撃の激しさに惑わされそうになるけれど、彼は明確に後の先(カウンター)型だ」

 

「あの脱力は体力の消費を防ぐ役割もあったんだろうけど、それを許さなかったのがアイツの神速反射(マージナルカウンター)による猛攻って訳ね。

自分の剣を貫かせてもらえないってそういえば言ってたわ」

 

「それにステラ。あの戦いには一つ、僕たちが最後まで見ることが出来なかったものがあるよね」

 

見れなかったものがある、という指摘にステラは首を捻った。

出し惜しみの余裕があったとは思えない。あの形相を見れば(片方はあまり誉められたものではないが)、二人とも手を抜いているようには到底見えなかった。

あの戦いを脳内で反芻して───ハッと思い当たった。

 

 

「イヌハラの伐刀絶技(ノウブルアーツ)!」

 

 

「そう。彼は不利な土俵にもかかわらず、自分の能力は晒さないまま技術だけで押し勝ったんだ。

敵の能力を掻い潜り、立ち回りを駆使して使用を牽制さえしてね」

 

彼の伐刀者(ブレイザー)ランクは未だ不明。

もしかしたらランクが低すぎて能力が戦闘に応えうる代物ではないのかも知れないし、あるいは何かしらの事情で使えなかった……あるいは使わなかったのかも知れない。

それが理由なのかもわからないが、いずれにせよ彼は武術の有用性を理解していて───それをあの次元まで押し上げるだけの覚悟と努力が、彼にはあった。

 

「でもイッキ、イヌハラは本当に体力が無いの?あのラッシュに正面から打ち合ったら、多少の差はあっても同じくらい疲れるのは当然じゃないかしら」

 

「決着がつく直前の疲労は去原くんの方が上だったからね。その根拠は息の吐き方で────」

 

───自分が強いことを示す。

一輝やステラ。共に高き所に住まう怪物。

彼らのような人種に興味を抱かれたいのなら、戦えと迫るよりもそれが一番手っ取り早いのかもしれない。

二天一流詠塚派とは───それを最後の議題に、二人の夜はゆっくりと時計の針を回していく。

 

 

 

上半身裸で布団にうつ伏せになる男に、男よりも小柄な少女が跨がっている。

筋肉に沿って這う掌はほんの僅かな凝りを触知し、丹念にそこを揉みほぐしていく。

そこに無駄な力は入っておらず、患部以外の場所には一切の負担をかけていない。細い指先が固まった部分を優しく圧す度に、筋繊維の一本一本が絡まった紐がほどけるように………

なんて描写できれば格好がついたのだが。

 

「………ルナ。(いて)え」

 

「……うるさいです。練習中なんです」

 

まだ不馴れな手付きでぎゅむぎゅむと背中の筋肉を押し込む琉奈に、仁狼が小さく苦言を入れる。

小さく揺れる灰青の髪の毛先が背中をくすぐり、少しくすぐったい。

無くても特に困ったことはないが、いつからか始まったこの習慣。効果の程はともかくとして、こうして戦いの後の身体を労ってもらえるこの時間は仁狼は嫌いではなかった。

 

「……どうでしたか、倉敷蔵人は」

 

「………強かったし、それ以上に辛かった……。自分の特性と剣技と霊装(デバイス)が、ああも(あつら)えたように噛み合っている奴も……そういないだろうな……」

 

「なぜあんな戦い方を?あなたの能力を使えばもっと楽に勝てたでしょうに」

 

剣士殺し(ソードイーター)たる所以(ゆえん)を、実戦で受けるまたとない機会……剣技で破ってこそじゃないか……あれを能力で攻略するのは、余りにももったいなさすぎる……」

 

「……そうですか」

 

戦闘狂め、と小さく呟く琉奈。

生来のシルエットはそのままに、異様に深く刻まれた筋肉の海溝。

指に触れるそれが自分と彼との隔たりのように思えて、琉奈はわずかに爪を立てる。

 

「……そろそろ休んでもいいんじゃないですか?

一度立ち止まって、他のことに目を向けてみては?

あなたの立場から言えば、少しくらい私の言うことは聞くものじゃないんですか?」

 

「それは出来ない」

 

少しだけ琉奈の呼吸が止まる。

高慢な口調とは裏腹にどこか懇願するような琉奈の提案を、仁狼は静かに、ハッキリとそう切り捨てた。

仁狼が無意識に握り締めた布団のシーツがぎちぎちと音を立てて軋む。

 

「親父の期待を────俺はもう、裏切る訳にはいかない………っ!!」

 

絞り出した返答は、血を吐くように震えていた。

全身が強張り背中が丸まる。聞こえる音は歯軋りか。

大声で吠えたくなるような抗いがたい衝動を必死に抑えているかのようだ。

ただの一言で脳裏に浮上した傷の記憶。

深々と心に突き刺さった楔は、今も仁狼を幽鬼のように駆り立てていた。

 

(……ジンロウ。あなたは、いつになったら自分を許せるんですか)

 

今もはっきりと思い出せる。

伏して泣き崩れる彼とその前に立つ自分。

ただ衝動に任せて言い放った言葉は、彼と自分との関係を決定的に歪めてしまった。

塞がることのない後悔の傷は、今も生々しく血を流し続けている。

 

 

(いつになったら────何をすれば、私は許されるんですか)

 

 

知らぬまに噛み締めた唇は、いつもの鉄の味がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

むかしむかしというほどでもない、ほんのじゅうねんとそのはんぶんほどまえのあるところに、ひとりぼっちのおおかみの()がいました。

 

 

おおかみの()(からだ)はうんどうをするのがにが()で、ほかの()からはいつもからかわれてばかりでした。

 

 

ある()、いっぴきのおとなのおおかみがそのうんどうのにが()なおおかみの()をゆびさして、「このこはおれさまがひきとる。」といいました。

そのときからうんどうのにが()なおおかみの()は、そのおとなのおおかみのところでしゅぎょうをはじめることになりました。

 

 

しゅぎょうはとてもつらくきびしいものでしたが、そのおかげでおおかみの()はどんどんつよくなっていきました。

もう()()のだれも、おおかみの()をからかうことはできません。

 

 

やがてつよくなったおおかみの()は、もっともっとつよくなるために、うまれそだった()()をはなれることにきめました。

 

 

なかのいいおともをいっぴきだけつれて、おおかみの()のむしゃしゅぎょうのたびがはじまったのです。

 

 

これはいっぴきのおおかみのおはなし。

 

 

 

とどかないものにねがってほえる、あるいっぴきのおおかみのおはなし。



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漂泊の牙
人は過ちを繰り返す


破軍学園壁新聞
キャラクタートピックス 文責・日下部加々美

RUNA YOMITSUKA
詠塚琉奈

■PROFILE
所属:禄存学園一年三組

伐刀者ランク:D

伐刀絶技:NO DATA

二つ名:飼い主(ブリーダー)

人物概要:道場主


運:D

攻撃力:E

防御力:D

魔力量:D

魔力制御:B

身体能力:C


かがみんチェック!:
言うべきことはズバッと言う、NOと言える日本人。
道場主ということになってるけど公式戦に出た記録は一つもないし、話を聞いてみても直接戦うタイプではないみたいだね。
同じ流派を名乗る去原くんとの付き従うとも手綱を握るともつかない関係も気になるところだけど、それより気になるのは流派のことかな。
二天一流の詠塚派ってさ。
いくら調べても、名前すら出てこないんだよね。




『一閃!変幻自在の剣士の対決、禄存に軍配!』

 

───その模擬戦の結果と顛末は、日下部加々美が発行した壁新聞により破軍学園に報じられた。

それぞれ別の学園の生徒により予告なく行われたイベントがあったことに驚く者、見たかったと残念がる者、蔵人を侮る一部の馬鹿。掲載された写真を見て何人かは食堂にいた奴だと思い当たったりもした。

前触れもなく現れて前触れもなく掻き回していった嵐のような訪問者を皆が口々に噂している。

そんな中において、ある少女も例外なくその記事に釘付けになっていた。

デカデカと書かれた煽り文に縫い止められた視線は、計算されたレイアウトにより極自然に止めの太刀を振り抜いた瞬間を見事に収めた写真へと導かれる。

見事な型だ───斬り終えた姿勢を見ればそうとわかる位には、はえー、と間抜けな声を上げそうなほどにポカンと口を空けている彼女にも心得があった。

 

清楚な黒髪の、真面目そうな美少女だった。

 

 

違う制服はよく目立つのか、数歩歩けば誰かが気付く。気付いた誰かから波及して、また別の誰かが注目する。

その注目と注意の波が作り出す中心には、二人の男女が歩いている。

きょろきょろと回りを見回す男とすまし顔の少女、その両手には袋詰めの荷物。

掲示板に張り出されている今破軍で最もホットな男(と女)は、また破軍学園に顔を出していた。

 

「ルナ……あちこちから視線を感じるぞ……」

 

「多分あの眼鏡の人が新聞部だったんでしょう。昨日の戦いが記事になって貼り出されているようです」

 

また騒ぎが大きくなる前にとっとと済ませますよ、と促す琉奈と共に足を速める仁狼。

名前が売れているのが嬉しいのか時折向けられる視線に笑顔を返す仁狼だが、元々の凶悪な縁取りの三白眼のせいで凄まじい形相になっていた。

見た側の感覚的にはいきなりナイフを向けられるのに近いのだろう、仁狼に笑いかけられる度に恐ろしい勢いで視線を顔ごと逸らしている。

慣れているとはいえ若干メンタルに傷が入り始めた仁狼だが、ふとある事に気が付いて足を止めた。

 

「ジンロウ?」

 

「………、」

 

何かあったのかと振り返る琉奈だが、仁狼が注目するようなものは何もない。

少ししてまた歩き始めたが、またもやピタリと足を止める。

流石に訝しんだ琉奈が一体どうしたのか聞こうとした時、不意に仁狼がスッと目を細めた。

 

「………尾行されてるな……」

 

「えっ?」

 

琉奈にしか聞こえない大きさで呟いた仁狼に琉奈が頓狂な声を上げる。

尾行している本人は隠れているつもりで、そして実際にちゃんと隠れている。不穏な空気を感じてきょろきょろと周囲を見回す琉奈が下手人を発見できないのがその証左だ。

しかし熟練の強者にしてみれば、この程度隠密のおの字にも掠らない。

特に仁狼は他者の気配や注意といった()(たぐい)を、誰よりも鋭敏に感じ取る。

───気付いたか。

自分の追跡がバレたのを察した下手人がこそこそと遠ざかっていく気配を、仁狼はそちらを見ないまま感覚として感じ取る。

敵意は感じない。

八時の方向、茂みの向こう。木々に隠れて撤退しようとしているのだろう。

距離はおよそ十メートル弱といったところか。

仁狼は荷物を地面に置き、彼我の距離を脳内で測定。

そしてとても軽い動作で斜め後ろに地面を蹴り────

 

「何の用だ?」

 

「ひゃわわあぅ!?!!」

 

どんぴしゃり。

木々の隙間を縫い音も立てず独自の足捌きで高速移動した仁狼が、下手人のすぐ目の前に立ちはだかった。

姿勢を低くして逃げようとしていたそいつが、奇声を上げてバネ仕掛けのようにびょーん!と直立する。

必然顔の高さが仁狼に近付くが、その顔を見た仁狼はやや驚きを禁じ得なかった。

 

思ってたのと違う。

 

……いや、じゃあどんなイメージをしてたんだと聞かれたら困るが、ともかく何か(いわ)くがありそうな人相を想像していた。

ところがどうだ、目の前にいるのはいかにも日本の美人といった少女ではないか。

両手に木の枝を持っているベタさ加減は置いておくとして、少なくともこういう手合いに絡まれるような生活は送っていない。

若干戸惑ってしまった仁狼だが、逆に目の前の彼女のテンパり様は半端じゃなかった。

 

「あ、そ、そのっ……違……違っ……ぅぅぅ……っ!!」

 

わたわたと手を振り必死で何かを否定しようとする彼女。

敵意もなく目的もわからない、しかし何やら鬼気迫っているので落ち着くまでじっと行く末を見守ることにした仁狼だが、沸騰寸前の脳回路ではその視線に耐えられなかったのだろうか。

顔面の紅潮が臨界点に達すると同時に、彼女は踵を返して全力で逃げ出した。

 

「あう、あ、ううううううっ……、ごっ、ごめんなさぁ~~~~~ぎゃふっっ……!?!」

 

ひどく嫌な音がした。

彼女が全力で逃げ出した先にあった木に額から激突し、首がちょっとよろしくない角度でひん曲がる。

上半身から抱き着くような勢いで突っ込んだ彼女は、そのまま木に身体を預けるようにズルズルと倒れていき、ぐちゃっと地面に沈み込む。

尻を高く持ち上げる四つん這いのような姿勢で突っ伏したせいで彼女のスカートは思い切りめくれ上がり、純白の下着に覆われた形のいい尻が露になっていた。

 

「………ええ……?」

 

ひどい自爆芸を見せられた仁狼が辛うじてそれだけ絞り出す。

がさがさと草が擦れる音が近付き、灰青の髪が木陰から現れた。

置いてけぼりを食らった琉奈が、彼女の悲鳴の出どころを頼りにようやく琉奈がやってきた。

 

「ど、どうなりましたか?もうストーカーは退治してしまっ……た……」

 

言いかけた琉奈が硬直する。

何とも言い難い表情の仁狼。

彼が見つめる先には突っ伏したままピクリとも動かない女性、その高く持ち上げられた尻があった。

事情を説明しようとする仁狼を手のひらで制し、何も言うなとばかりに首を振る。

胸の中央を両手で握り締める様は祈りにも似ていた。

その表情は責めるようで哀しそうで。

それは決定的な過ちを犯した親しい者をそれでも見捨てられない、切実な訴えだった。

 

「……今ならまだ間に合います。ジンロウ。自首しましょう。あなたが性欲で身を滅ぼす、獣以下の畜生に成り下がる前に」

 

「待てコラ」



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されど道は続く

そこは狭く薄暗い個室だった。

明かりは机に置かれた小さな電気スタンドが一つ。

そして個室には椅子に座らされた少女と、彼女を囲むように四人の屈強な中年が立っている。

男たちはいずれもが眉間に皺を刻んだ険しい表情で、前回にもまして怒鳴りながら少女を詰問する。

 

『貴様ぁ!今度は被害者・去原仁狼氏をストーカーしていたな!またしても同じ罪を犯しやがって!!』

 

『そしてまたしても現行犯逮捕!言い逃れが通用しないのはもう理解しているな!?』

 

問い詰める声。

顔に向けられる眩しすぎる電気スタンドの光。

二度目でも慣れる気のしない威圧に潰されながらも、少女は必死に言葉を作る。

 

『ち、違う!確かに誤解されても仕方ないけれど、そんなつもりじゃ決して……っ』

 

『また言い訳かぁああ!』

 

『ひっ』

 

『つけ回す手口は前と同じ!逃げる知恵を付けただけ!学ぶという事を何故しない!?』

 

『反省の色すら見せんのか貴様ぁぁあ!』

 

『もういい拷問にかけろ!自分の立場を思い知らせてやれ!!』

 

『い、いや~~~~~~~~っ!』

 

 

 

 

 

「──────はうあああっ!?」

 

目を開き二度目の天井を見る間もなく、ガバッ!とシーツをはね除けて少女は飛び起きた。

鼻腔をくすぐる薬品の匂いで、ここが医務室だと察する。

どうやら自分は医務室のベッドに担ぎ込まれていたらしい。

脳が状況に追い付いた少女は深く安堵する。

よかった。さっきのはただの夢────

 

「目が覚めましたか?」

 

どこか冷ややかな声が耳に滑り込んできた。

夢から覚めれば待つのは現実。

少女の負傷を治した者の声だ───四肢や臓器の欠損すら元通りに戻してしまうIPS再生槽(カプセル)は、戦いの後でしか使用許可が降りない。

この治療の為だけに()()呼び出された黒鉄(くろがね)珠雫(しずく)が呆れ顔で少女を見つめていた。

その隣には今(?)しがた自分が追跡していた男女二人組が安堵の表情でこちらを見ている。

 

「……何を思ってかは知りませんが、怪我の理由がお兄様に教えを乞おうとした時と同じらしいというのは呆れます。追いかける尻を変えたんですか? 思っていたより軽薄ですね」

 

「し、辛辣……っ!それにその、決して恋愛感情でつけてた訳じゃないし、軽薄というのは心外だ!ボクはね、初めて好きになった人と」

 

「いやいいです聞きたくないです。……それだけ叫べるなら大丈夫そうですね。私はもう行きますので」

 

「あ、うん……治してくれてありがとう」

 

己の名誉を守る弁明に速攻で蓋をする珠雫。

ステラやアリスならいざ知らず、珠雫にとっては特に親しくもない人間の恋愛観など新聞に載っている株価と同じくらい興味のない事だ。

椅子から立ち上がりそのまま出ていこうとした珠雫だが、その前にふと足を止めた。

 

「ああそうだ。去原と言いましたか……あなたの話はお兄様から聞きました。随分と熱烈な挨拶だったと」

 

「………それで?」

 

「あなたの行動でこちらが迷惑を(こうむ)らない限り、特に何を言うこともありません。誰に喧嘩を吹っ掛けるのもご自由に」

 

ですが、と。

 

 

「お兄様に不合理に噛み付きたいのであるならば──まずは、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

それだけ言って彼女は医務室を出た。

しんと静かに底冷えのする、氷のような眼光だった。

若干の沈黙の後、仁狼が隣の琉奈に問う。

 

「……あの子は、確か…………」

 

「黒鉄珠雫。黒鉄一輝の妹ですね。

伐刀者(ブレイザー)ランクはB。

魔術師型のスタイルで、魔力制御ならステラ・ヴァーミリオンを上回るとか。

思い切り釘を刺されましたね……どうするんです?下手な挑み方したら彼女の横槍が入りますよ」

 

「……閃いた」

 

「やめてください本当に」

 

一石で二鳥を落とそうと画策し始めた仁狼を本気で止めた。

ここは彼を惹くものが多すぎる……ここまでは何とか制御してきたが、そろそろ独断で突っ走ってしまうかもしれない。

そもそも前回の模擬戦だって温情で棚から落とされたぼた餅なのだ。これ以上やらかして出入り禁止にでもされたら本末転倒にも程がある。

どこかで落ち着かせる時間を作らねばと琉奈は頭を悩ませ始める。

 

「そうだ……ボクは気絶してたんだよね。君たちがここまで運んでくれたのかな?ありがとう」

 

「ああ、いえ、当然の事ですよ。こちらとしても聞きたいことがありましたし」

 

「そうそう……あんたは結局、何で俺達をつけてたんだ……?顔見知りでは、ないよな……名前も知らないぞ俺は……」

 

「あぅ……ぼ、ボクは綾辻(あやつじ)絢瀬(あやせ)。3年生だよ。壁新聞で去原くんの名前を見て、話してみたいなって……そしたら見かけたから、それで……」

 

そんな事を言う割に絢瀬はさっきから仁狼と目を合わせようとしない。

というか首を限界まで捻って目線を顔ごと逸らしている。

それで何かを察した仁狼は、心持ちどんよりした顔で自分の両目を手で隠した。

 

「あっ、いや、そういう事じゃないんだ!ただボクがその、しらない男の子と目を合わせるのが恥ずかしいってだけで……!」

 

「……じゃあ、後ろをついて来てたのは?」

 

「お恥ずかしながら……どうやって話しかければいいのかわからず……」

 

その結果が尾行であるという。

流石に予想外の理由に二の句が継げなくなった。

控え目なんだかアグレッシブなんだか───しかもさっきの会話から察するに、どうやらこの流れは怪我をするところも含めて過去に一度あったらしい。

というか……

 

「待てよ。綾辻絢瀬……綾辻……《最後の侍(ラストサムライ)》の娘ってあんたか!?」

 

あっと声を上げる仁狼。

 

「えっ、ボクのこと知ってるの?」

 

「ルナから聞いてたんだよ……《最後の侍(ラストサムライ)》の愛弟子の娘が破軍にいるらしいって。

いや、びっくりだ。俺も話してみたいと思ってたが、まさかこんな形で話す事になろうとはな。

綾辻一刀流、ウチの道場にも文献や資料が置いてあるよ」

 

「いやあ、ボク自身はまだまだで……。そうだ、道場!記事で読んだよ、去原くんも剣を習ってるんだよね?二天一流ってすごく有名じゃないか!」

 

やや興奮しているのか穏やかに間を開ける仁狼の口調が素に戻り始めているが、『ウチの道場』という言葉に反応した絢瀬の反応も大きい。好奇心が羞恥に勝ったのか、逸らしていた顔がしっかりと仁狼の方を向いている。

名のある者に師事する者はいるが、どこかの流派の名を冠している者はこの学園にはいない(ステラの皇室剣技(インペリアルアーツ)を絢瀬は知らない)。

仲間意識というか同好の士というか、そんな連帯感のようなものを綾瀬が感じるのも無理なからぬこと。

しかもそれが────二天一流。

もはや『剣の代名詞』とすら言える宮本武蔵を開祖とする、剣術の世界の看板ときた。

ストーカー行為はともかく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を抜きにしても───話してみたいと思うのは剣客の端くれとして自然だろう。

 

しかし興奮に胸を弾ませる絢瀬とは逆に、仁狼は無言。

唯一返ってきたのは、琉奈の苦笑いだった。

 

「といっても……詠塚派(うちの流派)はもう、門下生なんてジンロウ一人しかいませんけどね。私の父は、(むかし)気質(かたぎ)の古い人間でしたから……」

 

「えっ……」

 

絢瀬の表情が強張る。

 

「与えるものが鞭ばかりで、およそ現代で教鞭を取れるタイプでは無かったんですよ。

それにウチは伝承のやり方が酷く曲者でして……。

しかも唯一受け継いだのがジンロウなので、事実上の流派の断絶────」

 

「そっ、そんなの駄目だよ!」

 

身を乗り出した絢瀬の大声に二人は目を丸くした。

さっきまでの控え目な顔や仲間を見つけて嬉しそうな顔からは想像もできないような、張り詰めた叫びだった。

 

「門下生がいないならまた探せばいいよ!

去原くんが駄目な理由も、その伝承のやり方がどういうものなのか知らないけど、考えればきっといい方法が見つかる!!

現に……現に去原くんはそんな厳しさを乗り越えて、その剣を追求して強くなったんでしょ!?

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

二人の事情を他人事と思っていないその必死な表情はまるで、何か忘れ難く重いものに背中を蹴られているような───まるで自分自身に訴えるように切実で。

僅かな沈黙の後、刺さるなぁ、と仁狼がこぼした。

 

「……ルナ、行こうか。無事も確認できたし……早くしないと、菓子が駄目になるかもしれない」

 

「………そうですね。では綾辻さん、私たちはこれで失礼します」

 

「あ……」

 

まだ何かを言いたげにしていた絢瀬に、長方形の箱が差し出される。

仁狼と琉奈が持っていた荷物、その中に入っていたものの一つだ。

箱の放送には北海道の銘菓の名前がデザインされている。

 

「え、これは……?」

 

「そういえば探す手間が省けました。

そもそも私たちがここに来た目的は、挨拶回りのようなものでして。

先の模擬戦でジンロウが面倒をかけた方や……これからかけるかもしれない方に贈って回ってるんですよ。

ですので、どうぞ召し上がってください」

 

……これからかけるかもしれない迷惑、というのはつまりそういう事だろう。

壁新聞の記事は加々美からの警告という意味合いで、仁狼が相当なバトルマニアであることも書かれている……最後の侍(ラストサムライ)の愛弟子に彼が挑もうとしない道理はないということは絢瀬も察するだろう。

美味しさが詰まっているはずの箱が有無を言わせない赤紙に思えて、絢瀬の顔が若干ひきつった。

それでは、と踵を返して医務室を出ようとした琉奈が、その出口でふと足を止めた。

 

「そうだ、少しだけ訂正させて頂きます。私たちは……いえ。ジンロウは、終わりが来るのを待っているのではありません」

 

何を背負えばあんな顔ができるのだろう。

過去から今に至るまで、彼女は何と向き合ってきたのだろう

絢瀬に振り向いた琉奈の笑みは、まるで(ひび)の入ったガラスにも見えた。

 

 

 

「───どうしたって()()()()()んですよ。彼は」

 



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おやすみなさい

その意味を語ることなく、琉奈は仁狼を追うように医務室を出る。

少しだけ追いかけようかどうか逡巡して、絢瀬は結局その背中に伸ばしかけた手をゆっくりと下ろした。

終われない、という言葉の意味はわからない。

ただそれが示す本当の意味は、他の誰もが触れられないような深い所にあるのだろう。

終われないのだと連れの男を語る彼女は、どこか逆に終わりを望んでいるようにも感じた。

去原仁狼はどこに向けて歩いているのだろう。

彼は何を果たす為に自分を研磨しているのだろう。

それは手の届くものなんだろうか?

強くなることで叶うものなんだろうか?

 

終われないという彼に───辿り着くべき場所はあるんだろうか?

 

「…………」

 

聞きたいことは多々あるが、それは会って間もない自分が踏み込んでいいことではない。

彼が歩いている道は、きっと自分が考えるよりももっとずっと辛く厳しいものだ。

立ちはだかる壁が強すぎて、どうやっても爪すら立てられない。

その先にある譲れないものに、どうやっても辿り着けない。

そんなものにただ一人で立ち向かわなければならなかった辛さならわかるつもりだけど。

その荒涼とした道程を、共に歩いてくれる人がいる仁狼のことを────絢瀬は、少しだけ羨ましく思うのだ。

 

 

 

ぺらり。

 

「………」

 

ぺらりぺらり。

 

「……………」

 

ぺらりぺらぺら。

 

「…………………」

 

「ねえイッキ。さっきから何読んでるの?」

 

寮の一室に流れる時間は静かだ。

時計の秒針が刻むリズムの中、黒鉄一輝は古びた紙のページを一枚一枚捲っていく。

古い書物だ。

筆で手書きしてある文章は達筆すぎて、古い文体や言葉遣いも相まって日本人でも内容の理解どころか判読すら難しそうだが一輝にとっては昔から読み慣れたもの。

文章を一つ一つ精査しながら読み進めていく。

一輝が書物に向き合ってから既に結構な時間が立っており、傍らにはここまで読破し直した同じくらい年代物の書物が積まれている。

同室のステラは集中している所を邪魔しては悪いとここまで話しかけずにいたようだが、最愛の人との時間がずっと無言なのにとうとう焦れたらしい。

 

「ああ、歴史書だよ。剣術の」

 

「随分と年代物ね。内容がさっぱり読めないわ……どこから持ってきたの?」

 

「いくつか資料室から借りたけど、だいたい僕のだよ。師匠なしで剣を学ぶには、歴史の知識は欠かせないからね」

 

積まれてある中の一冊を手に取り、その内容の(というか文字の)難解さにステラは唸る。

一輝はざっくり歴史書と言ったが、しかし見たところ剣術の流派の技術の変遷を記したもののようだ。

恐らくは一つの流派につき一冊位だろうか。

しかし、何でまた急に……

 

「……もしかして、イヌハラの『ヨミツカ派』ってやつ?」

 

「まあね。恥ずかしくない程度には知識を広めたつもりでいたから、聞いたことすらないっていうのがどうにも悔しくてさ。それでこうして調べてみてるんだけど……どれだけ遡っても、名前の一つも見付からなくて。

『いくら調べても出てこない』っていう日下部さんの言葉は間違いじゃなさそうだ」

 

高名な流派は時として有力な弟子によりいくつかの流れに分かれる場合があるが、二天一流もその例に漏れない。

病床の宮本武蔵の世話をしていた寺尾求馬助(てらおもとめのすけ)の四男が今日まで伝わる二天一流の稽古体系を完成させ、そこからさらに細かな枝葉に分かれていき、現在では主に野田家と山東家の流れと称するものが各地に伝わっている。

それら枝葉から探していては時間がいくらあっても足りない。

豊田景英が著した宮本武蔵の伝記『二天記』から始まるトップダウン方式で情報を探していた一輝だが、どうも成果は挙がらなかったようだ。

ぱたんと本を閉じた一輝が、身体を軋ませながら大きく伸びをした。

 

「お疲れ様。甘いものでも食べて一息いれましょ?ヨミツカさんがくれたやつあるわよ、ふ◯の牛乳プリン」

 

「ありがとう。これ北海道の銘菓なんだよね、確か」

 

今日の授業が終わってしばらくした後、二人は仁狼と琉奈に()()()挨拶をされていた───今日日(きょうび)白い◯人も定番過ぎますから、と渡された瓶詰めの白いプリンをステラから受け取る。

スプーンですくって口に入れれば、くどい棘のない深みのある甘い香りが鼻を通り抜けた。

脂肪分の多い層と少ない層、カラメルソースの三層が絡まって織り成す甘味とコクの調和は、適度な苦味をもって純粋な幸福感に纏められている。

これを貰えただけで彼らが破軍学園に来た価値がある、とステラは頬を蕩けさせながら言う。

………しかし、だ。

お世話になるかもしれない人に挨拶回りといえば聞こえはいいが、要するに意味する所は『喧嘩ふっかけるかもだけどこれで許してね』だ。

信頼の足掛かりというよりは手袋を叩き付ける行為に近い。

生徒会にも渡しに行ったようだが、どんな気持ちでこれを受け取ったのだろうか。

 

「でもそうよね。禄存学園って北海道だし、今は長期休暇中って訳でもないからヨミツカさん達もずっとここにいるわけじゃないし……結局誰に挑むのかしら」

 

「それに考えてみれば結構な距離をはるばる移動して来てる訳だからね。時間を無駄にはしたくないんだと思うよ。

そう考えれば最初のあの強引さもわからなくはないかな」

 

「……あ!それで思い出したわ!

アイツ、あっちこっちに同時期に出現してたって話だったじゃない!

アイツが北海道に帰る前に真相を突き止めなくちゃ!」

 

「ええー……」

 

全く違うところに燃え始めたステラに一輝が苦笑する。

しかし彼女はそれでこそなのだ。

確かにそいつは強いらしい。

だから何だ、自分の方がずっと強い。

()()()()()()()()()()()()()

平時でも見え隠れするその傲慢さに、一輝はステラへの愛情を強く自覚した。

その感情が叫ぶがままに彼は動いた。

海を裂き山を割る戦いぶりからは想像もつかないような柔らかく小さな彼女の肩を、黒鉄一輝はそっと抱く。

 

「そろそろいい時間になってきた。

()()()()()()()はこの位にして、今日は早めに休もうよ。明日は約束してた日だ」

 

「………ええ、そうね。お休み、イッキ」

 

二人は軽く口付けを交わし、最後に微笑み合ってからベッドに入る。

電気を消して暗闇を作り、睡魔を迎える用意は整った。

次の日の事を考えて、心を踊らせながら二人は目を閉じた。

 

それからおよそ三時間の間。

一輝は衝動的に口から出たこっ()ずかしいセリフに、ステラは首筋に噛みつかれたような独占欲の歯形に悶え苦しみ、まんじりとも出来ない時間を過ごすことになる。



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よるはこれから

 

細く長い呼吸音が夜風に紛れて流れていく。

灯りも疎らな夜の公園、ぽつりぽつりと疎らに(たたみ)が立てられた広場の中心に、去原仁狼が静かに佇んでいた。

誰かが見ればその幽霊のような気配の無さに目を見開いた事だろうが、そもそも見るべきものがそこにいるとも気付かないかもしれない。

それ程までに己の気という気を全て殺しきっている仁狼だが、彼は己を中心とした周囲の全てを把握していた。

まるで殺しきって空っぽになった自分の中に、代わりに世界の情報を詰め込むかのように………今の彼に目隠しをしてみても、その後の動きに一切の影響はないだろう。

意識の全てを外に漏らさず、しかし広く遠くに(けん)を広げる。

その矛盾を理論で体現してしまうからこそ彼は強者なのだ。

今の仁狼の目そのものには、無人の公園に不自然に立てられた数枚の畳以外の何も映っていない。

目だけに頼ればそれで終わり。

しかし仁狼の感覚の前では、全てが丸裸だ。

 

「────────っ」

 

精神の揺らぎが完全に凪ぐと同時、仁狼は地面を蹴った。

瞬きも許さない速度で前へと進み、まるでそこに何かがあるかのように、何も見えない空間に向けて鋭く一閃。

仁狼の斬擊が通過した虚空から、とん、と小さな軽い音がした。

その直後にはもう彼はそこにはいない。

右、左、そして後方。

公園の中を辛うじて残像の欠片が網膜に写るかどうかという豪速で、ほとんど音もなく縦横無尽に駆け回り両腕を振るう姿は、まるで見えざる軍団と一人戦っているかのようだ。

仁狼が虚空を薙ぐ毎に聞こえる、板を軽く叩くような音。

気配が一つ一つ消えていくのを感じている彼の眼が捉えたのは、最後にぽつんと一枚残っている立てられた畳だ。

直ぐさま仁狼はそれに向けて吶喊、右腕を後ろに引き絞り───

 

「おっと」

 

直前で方向転換。

立てられた畳の数メートル横の何もない虚空を、十の字に切った。

とん、と音がして、触れられていないはずの畳が綺麗に割れて地面に倒れた。

───それで最後だった。

 

「………ふぅ」

 

息をついた仁狼の身体から大量の汗が流れ落ちる。

最大速度による運動もそうだが、それ以上に膨大な集中力を発揮し続けていたからだ。

 

「お疲れ様です。終わりましたね」

 

詠塚琉奈の声が聞こえた。

しかし仁狼には彼女の姿が見えていない。

消されているのだ。

能力によって。

 

「手応えはどうですか?」

 

「自信ありだ……評価といこう」

 

「わかりました。それでは」

 

かちん、と鉄を鳴らす音。

 

 

「《(うつつ)()らし》解除───閉じなさい、《水鏡(みずかがみ)》」

 

 

───その途端、仁狼が視えている世界が激変した。

仁狼の傍らには黒塗りの鞘に納められた懐刀───固有霊装(デバイス)水鏡(みずかがみ)》を握った詠塚琉奈が姿を現し。

公園の地面は、さっきまで見えていた畳の、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(うつつ)()らし》。

任意の相手が目で見ている景色を操る、琉奈の伐刀絶技(ノウブルアーツ)だ。

仁狼の視界をジャックして網膜に写る像を改変、地面に立てられた無数の畳を消し、閑散とした公園の光景に見せていたのだ。

 

これは敵の気配をより鋭敏に感じ取るための、仁狼の訓練の一環だ。

気配とは相手の視線や筋肉の微細な振動、それらから生じる衣擦れなどの音───その他様々な要素から導き出される、相手の意思を読み取る説明書だ。

しかし、ただの『モノ』にはそれらが無い。

動きもしない音も立てない何をしようという意思もない、さらに姿も見えないとなると、それを知覚する難易度は格段に跳ね上がる。

人間相手の方が遥かにイージーだ。

しかしそのレベルまで気配を絶つことができる相手がこの世界にいない訳がない───少なくとも仁狼はそれを()()

そんな敵を相手取るには、自身の感度を限界まで高めるしかない。

空気の流れやぶつかって戻る音の反響。

肌で感じるそれらのみを頼りに見えない敵を斬る。

己を知るそれだけでは足りない。

身に付けた力は即ち『脅威』。

薬に(たずさ)わる者が毒とそれを消す薬を必ず(つがい)で用意しているのと同じ。己の力に対する知識と術も共に身に付けて、初めてその力を掌握したと言えるのだ。

 

「全ての畳を消すのではなく、いくつか虚像(フェイク)を混ぜてみましたがどうでしょう」

 

「引っ掛かりそうになった。やっぱ視覚的な情報は影響がデカいな……次からもそうしてくれ………」

 

「わかりました。それでは畳の回収に移りましょうか」

 

「……これ全部か……?」

 

「当然でしょう。後始末という条件を含めて譲ってもらったものですし、それ以前に公共の場にこれを散らかしっぱなしは有り得ませんよ」

 

げんなりし出した仁狼にゴミ袋の束を投げて渡す琉奈。

仁狼が切り刻んだこれらの畳は、二人が宿泊している旅館から譲ってもらったものだ。

畳というものは処分に困る代物だ。

サイズが大きくて燃えるゴミとして出せないので、業者か役所に頼んで有料で処分してもらうことになる───旅館ほどの規模になると、処分する量もかかる金もそれなりにうざったい。

……しかしこれ、実は抜け道がある。

切り刻んで小さくしてしまえば、金を払う必要もなく普通に燃えるゴミとして出せるのだ。

『処分する畳を使わせて欲しい』。

『その代わりに無料で処分できるようにしておく』。

そんな交換条件で、「伐刀者(ブレイザー)の方の修行に使って貰えるなら」と快く承諾してもらった公園の地面を埋めんばかりのその残骸を、二人は今ゴミ袋に投げ入れている。

 

「まあ、それが道理だな……汗をかいてもう(ひと)風呂(ぷろ)と考えれば悪いものでもないか………」

 

「そうですよ。私もそれを楽しみに付き合ってるんですから。それに明日の予定もありますし、さっさと拾ってしまいましょう。

……ところでジンロウ、この旅館の温泉はこの時間から混浴になっていましてね……?」

 

「待ってそれ聞いてねえぞ」

 

ギョッとして振り向く仁狼だが、琉奈は「教えてませんもの」と澄ました顔で畳を回収している。

どこまで本気なんだよとぼやきつつまたゴミ袋の中身を満たし始めた仁狼の背中をくすくす笑いながら、琉奈は手近に落ちていた畳の残骸を拾い上げ、

 

「痛っ」

 

それに触れた人差し指に痛みが走る。

見れば絹のように白くきめ細かな柔肌に赤い血が一筋。

断面の角の部分で切ってしまったのだ。

自分の指と畳を交互に見た琉奈は、若干の八つ当たりを込めてその畳を仁狼の背に投げつけようとして。

 

投げつけようとしたその手を、動かす前に抑えられた。

 

自分に向けられた()を読み、敵が動くより速く動いて行動を封じる。

その速度とタイミングは完全に完成されていた。

しっかり真後ろに回り込んだ仁狼は片手で琉奈の畳を持つ手を抑え、もう片方の手を琉奈の首筋にぴたりと添えていた。

 

「………何のテストだ?」

 

「……お見事です。暗殺者(アサシン)の方が向いてるんじゃないですか」

 

「俺は剣士だ……」

 

お見事とは言ってみても、もはや仁狼の住まう次元は完全に琉奈の知覚の外なのだが……抜き打ちテスト(と彼は思っている)を済ませた仁狼はやれやれと再びゴミ拾いに戻った。

無駄に緊張の汗をかいた琉奈は、自分の指を切った畳をもう一度見る。

 

(畳。作りが柔らかくも頑丈で、銃弾や刀を防ぐ壁としても有能だったと言いますが)

 

残骸の一つを持ち上げ、しげしげと断面を眺める。

斬られた断面は滑らかで、編まれた藺草(いぐさ)にも一切のささくれはない。

角で指を切る程に鋭い切り口。

そう。

()()()()()()()()()()()()()───

 

 

(……素手で斬れるものなんですね、これ)

 

 

仁狼に触れられた首筋を指でそっとなぞる。

自分の手でバラバラにしたものを拾い集める仁狼の手には、いくつもの傷が痛々しく刻み込まれていた。

 



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エンカウント

余談ですが『二歩一撃』は実在する技術です。


 

 

「……なあオイ、あれって」

 

「えっ、うわ本当だ」

 

「さ、サインとか貰うか?」

 

「馬鹿やめろって」

 

街行く人々が一様に振り返り、カップルも隣にいる存在を一時忘れて見入る。

雑多な会話の喧騒は二人が通り過ぎた側からただ一色の話題に塗り替えられていた。

注目と好奇心は絶えず、さりとてあの幸せそうな空気に割って入れる猛者がいるはずもなく。結果として二人の世界は守られている。

 

「……流石に視線を感じるな」

 

「気にしなきゃいいのよ。戸惑ってると逆に目立つわ」

 

落ち着かない様子の少年と慣れた風な少女。

徴収される有名税に対する反応の違いは双方の生まれによるものか。

少年が少女と同じレベルの平常心を保てるようになるのはどうやらまだ先になるようだ。

 

「それより行きましょ、イッキっ。デートはまだまだこれからなんだから」

 

弾む心を体で表し早く早くと急かす彼女が、少年にはまるでもう一つの太陽のように見えた。

その輝きに目を(すが)めるように少年は微笑み、伸ばされたその手を握り返した。

 

「そうだね。今日は目一杯遊ぼう」

 

その言葉に嬉しそうな顔をして、少女はその手を引っ張っていく。

ときめきを込めた目線や囁きも二人には届く余地も残ってはいまい。

しかし彼らに対する周囲の注目も無理なからぬ事だろう。

黒鉄一輝とステラ・ヴァーミリオン。

往来が目撃したのは、この世界に存在する恋人同士の中で、世界一有名な二人組なのだから。

 

 

彼等は学生騎士。

与えられた権利と、それ以上の義務を果たすため日夜研鑽を積まねばならない身の上。

ただ能力に任せ高給取りになるという平坦な安定を求めているならまだしも、二人は暇が無くとも自己の研鑽を怠らないタイプだ。

それ故にもともと二人で遊びに行くというイベントをあまり体験できておらず、その上この所大事件が重なったこともあり、今日のデートは久方ぶりの水入らずだ。

久方ぶりになるのはどこかへ出かけようとする度に珠雫の横槍が入るからでもあったが、《七星剣武祭》以降彼女の干渉は減っている。

それは珠雫なりの───肉親でありながら兄を異性として愛した彼女が引き始めた境界線なのかもしれない。

そんなこんなでやっと生まれたデートの時間が今日で、こうして街へと繰り出したのだ。

あちこちの店が家族連れなどでごったがえすお昼時、レストランで注文した食事が運ばれてくる間に二人が話しているのは、さっき見た映画の感想である。

 

「ゲームの中ってだけあってスケールの大きいバトルシーンも凄かったけど、世界観が緩やかに退廃してるだけにストーリーもかなりハラハラしたわよね。ミスリードが上手かったわ。あの男、明らかに主人公を狙う悪役だと思ったもの」

 

「物語の設定が現実の延長線上にあるだけに真に迫るものがあったよね。僕が印象的だったのは日本出身の仲間が初対面のヒロインに向けて会釈したシーンかな。国も人種もバラバラな登場人物の中で、『日本人』を端的にわかりやすく表現してると思ったよ」

 

二人が見たのは仮想現実のゲームを主題にした映画だった。

本来はラブストーリー系でもと思っていたが、生憎R-15+指定の『ほとんどポルノ』と噂の作品しか無かったのだ。

恋人との貴重なデートにそんな生々しいモノをチョイスする勇気は、流石の二人にもまだ無かった。

そんな時に恐竜やら近未来的な乗り物やら巨大ロボやらが所狭しと並んだポスターに釣られたのだからしょうがない。

こうして楽しく感想を話せれば成功だ。

 

「でも最後のワイヤーに吊られてキスするシーンは、いいシーンだったけど少し笑っちゃったわ。『飛んでみせる』って比喩と絡めたのはわかるけど、あそこは普通のキスでよかったと思うわね」

 

「ああ、そこは確かに……。でも何て言うのかな、外国の映画のキスシーンって過激だよね」

 

「お国柄というか、感覚の違いは確かにあるわよね。ああいうの情熱的で私は好きよ」

 

戦いの中で結ばれた主人公とヒロインを思ってか、出された水を飲むステラの頬は緩んでいる。

それを聞いた一輝はこれまで自分が起こしてきた行動を脳内で反芻して、

 

「………ステラも、ああいうのが良いの?」

 

「んぐっっ!?」

 

いきなり放り込まれた質問にむせなかっただけ頑張った方だろう。

気管に入り込もうとする水を必死で押し止めて飲み下し、いきなり何を言うのかと一輝を見て思わず言葉を飲み込んだ。

一輝の目があまりにも真剣だったからだ。

そこでステラはようやく気付く。

自分の返答如何(いかん)によっては、今後自分は完全に被捕食者の立場になってしまうかもしれない、と。

 

「い、イッキ()……あんな風に、したいの?」

 

「……そ、その返しはずるいな……」

 

持っている国語力を総動員したステラの反撃に一輝も怯んだ。

予想外に追い込まれてしまった一輝はどう答えればいいかの判断が咄嗟に思い付かず、いっそ誤魔化して終わらせるべきかとも考えて───

 

いや、待て。

考えてもみろ。

───自分が握っているのだ。目の前の愛しい(ひと)を、如何様(いかよう)にでもする主導権を。

 

そう思って見てみれば、頬を赤らめ上目遣いにこちらを見るステラの顔は、何かを期待しているようで。

一輝の本能が脳の内で大声で怒鳴る。

 

『手に入れるだけでは生温い!』

『心の根すらも支配せよ!!』

『自分以外の存在を認識すら出来なくなる程に!!』

 

ここまでの感情があったのかと自分自身に驚いた一輝だが、その時の彼は果たしてどんな顔をしていたのだろう。

びくりと身体を震わせたステラに、一輝はまさに己の支配欲を解き放とうとして───

 

「あの、お客様」

 

「「っっっ!?」」

 

ウェイトレスの声に座ったまま数センチ飛び上がった。

バネ仕掛けのオモチャみたいなリアクションをされて戸惑ったウェイトレスだが、今は昼のピーク時。すぐに己の職務を思い出した。

 

「申し訳ありません。現在席の空きがございませんので、差し支えなければ、二名様相席させていただいてよろしいですか?」

 

「は、はははははいっ!どうぞっ!」

 

思い切りテンパった返事をするステラと苦笑いして了承の意を示す一輝。

二人が座っているのは、混雑し始めると同時に滑り込むことができた四人用のテーブルだ。

少しばかりの抵抗はあるが、少ない人数で独占するのは気が引ける。それに見知らぬ人と同じ席で食事をせねばならないのは相手も同じ事なのだ。

ウェイトレスが去った後、少ししてその二人組らしい会話が一輝たちのテーブルに近付いてきた。

 

「運がよかったですね。都会の混雑がまさかここまでだとは」

 

「のんびりしたい所だったが、そうは出来そうにないな……」

 

「仕方ない事です。あとあなたは可能な限り目を隠すこと。相手がご飯どころじゃなくなりますから」

 

「無茶を言うなよ……」

 

ん?と二人がある予感を抱く。

それが確信に変わる前に、彼等は現れた。

他のテーブルと隔てる仕切りからひょこりと顔を出した少女は灰青の髪をしていた。

 

「こんにちは。相席失礼しま………」

 

そう言いかけた少女と、他の三人に流れる時間が僅かに止まった。

そして同時に口を開く。

 

「「「「 あ 」」」」

 

 

去原仁狼と詠塚琉奈。

休日の街中、レストランでまさかの遭遇であった。



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去原仁狼の受難

「ステラ」って打とうとしたら「ステラおばさん」が真っ先に予測変換の候補に上がるの何とかなりませんかね


 

 

 

「……あぁ、その、奇遇だな……」

 

「う、うん。そうだね」

 

「お二方も、その、ここへ遊びに?」

 

「そうね……」

 

……さてどうしよう。

素直に「偶然ですね」と会話の口火を切ろうとしても、そこから先の話題も、止まった空気を動かせるほどの親交もあるはずがない。

何よりもまず仁狼サイドが初会でやらかした挨拶が、意訳すれば『こんにちわ、死ね!』である。

ふ○の牛乳プリンが無ければ即死だった。

 

「……あの、すいません。確実にお邪魔ですね私達……」

 

「いやいや、お構い無く……」

 

二人きりで行動しているらしい一輝とステラを見て全てを察した琉奈は気まずさに縮こまっており、流石の仁狼も居心地悪そうにしていた。

実際に誰も悪くない話ではあるのだが、この状況と過去の経緯を踏まえてそうならない奴は多分、日本の社会には向いていない。

 

「私達もここからそう離れていない宿に泊まっていますので。この近辺で遊ぶのに一番良さそうな場所といえばここだろうと思って来たのですが……」

 

「殴り込みの為にここまで来たんだと思ってたけど、感覚的にはちょっとした旅行なのね」

 

「それはもう。もちろん目的はジンロウの遠征ですが、せっかくの遠出を犬の散歩で終わらせる気はありませんので」

 

キッパリと犬呼ばわりされた仁狼がそっと遠い目をした。

それでも何も言い返さない所を見ると、どうも常日頃というか昔からこんな扱いを受けているらしいことが伺い知れる。

最初に見た時は自由な仁狼に琉奈が引き摺られているようにも思えたが、こうなると振り回されているのは果たしてどちらなのだろうか。

……にしても、まさか街中で出くわすとは思ってもみなかった。

遊びに行こうという目的とその日にち、加えて活動の中心となる地域が被っていれば、まぁ、確かに起こり得る事態なのかもしれないが。

正面切って宣戦布告し、された相手同士が楽しかるべき時間のなかで遭遇してしまった心境はいかばかりだろうか。

 

「お待たせしました」

 

そうしてまごついている内に料理が運ばれてくる。

仁狼の前にはゴツいステーキ、琉奈の前には和風の定食。

一輝の前にはハンバーグが供され、ステラの周囲にはそれら全てを含む肉だ魚だご飯だのがズドンと置かれた。

仁狼に琉奈、双方ともに絶句である。

 

「ま、楽しい時間にお互いに気まずくてもしょうがないわ。せっかくだから皆で話ながら食べましょうよ。()()()()()()()()()()()()()()鹿()()()()()()()

 

「「 は、はい 」」

 

気圧されたように頷く二人。

それでいい、とばかりに頷くステラだが、多分二人が気圧されたのは言葉じゃないなあ……と、テーブルの上をパズルゲームみたいに埋め尽くしている料理料理を眺めながら一輝は思うのだった。

 

いただきますの唱和は全世界共通の文化である。

 

マナーは崩さずに、しかしばくばくと美味しそうに料理を平らげていくステラの幸せな顔を眺めるのは一輝の楽しみの一つだった。

きっとここまで豪快に食べてくれれば作ってくれた側も本望だろう。

しかしあまり横ばかり眺めてはいられない。

一輝も自分の料理を口にしようと前を向いて、そして目の前の光景に思わず固まる。

それに気付いたステラも同じように前を見て、同じように一時食事という行為を忘れた。

 

いただきますの唱和が全世界共通なら、食事の様式は世界において千差万別である。

がしかし、どの国の誰が見てもあの去原仁狼を見れば目を疑ったことだろう。

右手にはナイフとフォーク。そして左手には箸。

仁狼の両手は、和洋折衷の歪な二刀流と化していた。

 

隣の琉奈は箸も何も持っていない。

彼女が口を開ける度に仁狼は左手で持った箸で白米や漬物を、さらに綺麗に魚の皮を剥き、小骨を取り、適切な大きさに切り分けて彼女の口に運ぶ。

そして右手。

人差し指と中指の間にナイフ、薬指と小指の間にフォークを挟んでいた。

薬指と小指のフォークで肉を刺し、ナイフを人差し指と中指で前後運動。二本の指の間でフォークを半回転させ、切り出した肉を口に運ぶ。

食品を処理する工業機械でも見ている気分だった。

琉奈がちょいちょいと仁狼の服を引っ張り、それで仁狼も二人の視線に気付く。

 

「……ああ、気にするな。訓練の一環なんだよ……毎度の事だ」

 

「訓練?」

 

「俺の得物は左右でサイズが違うからな……。扱い方も当然だが別物なんだ……。

並列思考に加えて、両手を同じ水準で指の先まで自在に操れないと……話にならない」

 

言われて見てみれば仁狼が左手の箸で切ってつまんだ冷奴は全く型崩れしておらず、魚が乗った皿も一切身が散らばっていない綺麗なものだった。

ステーキもテーブルナイフで切ったとは思えない程に見事な断面。

何も知らない状態でこれは礼法の権威が食事をした跡だと言われたら信じるだろう。

それらの全く別々の要素が求められる精密動作を左右同時に、平行した目的をもって、右手に至っては実質指二本のみで行うのだ。

純粋な力は勿論のこと。腕から指の末端にかけてのコントロール、感触から得る感覚、情報の同時処理など………なるほど非常に高度な技能を要求される。

両利き(スイッチハンダー)の騎士は数多くいるだろうが、仁狼レベルに器用な者はそういないだろう。

食事時も訓練であるという彼のスタンスには、一輝とステラも成る程と感心せざるを得なかった。

……見た目が少々いただけないのは難点だが。

 

「それだけじゃないですよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

口内の白米を飲み込んで琉奈は語る。

 

「ジンロウの剣は『無』の剣です。

気配を消すには、まず気配というものが何なのかを熟知しなければなりません。目線や瞳孔の震えなど、微かな動きからでも相手の意図を推し量る……相手を知ることで己を知る。そのフィードバックこそが剣の根幹を作るのなら、常日頃から行わない理由は」

 

「あ」

 

唐突に仁狼が立ち上がった。

何があるんだと彼が見る方向を見てみれば、そこには両手に料理が乗ったトレーを持ったウェイトレスが歩いているだけだ。

しかし女性の筋力では厳しかったかそれとも繁忙ゆえの疲労か、彼女は唐突にバランスを崩し───そして転ぶかに思われた。

 

「きゃっ───」

 

彼女が料理を駄目にすることはなかった。

僅かに姿勢がぶれたと同時に、仁狼が傾いて落ちそうになるトレーを支えていたからだ。

ウェイトレスが転びそうになったのを見て一輝やステラも助けに入ろうとしていたが、それを脳が命令する前にもう仁狼はそこにいる───凄まじい早業だった。

 

「……大丈夫か?」

 

それは間違いなくウェイトレスの疲労などを案じてのものだった。

がしかし、それに対する彼女の返答は、

 

「ひっ……!?」

 

掠れるような悲鳴だった。

その反応に、仁狼はやや遅れて自分の尋常でない目付きの悪さを思い出した。

腰が引けている彼女の持つトレーからそっと手を離し、もう取り落とす心配はないと判断するとそのまま踵を返す。

そしてそのまま、無言でトイレへと引っ込んでいった。

 

 

「……あの、すいません。ちょっと励ましてきます」

 

「う、うん……」

 

……かける言葉も見付からない。

ひどくいたたまれない空気に、ステラも一時食器を置いた。



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常在戦場

それから数分。

去原仁狼は琉奈に連れられ、どんよりとした空気を纏って戻ってきた。

慰めの言葉も見付からないが流石に無言でいる訳にもいかず、ステラがおたおたと口を開く。

 

「えっえーと、その、気にする事ないわよ。その、ホラ、アレよ。私たちは、その、わかってるから」

 

「いやいい。いいんだ、皇女様……。昔からこうだから、慣れてるからな……」

 

そう言う割には全く覇気のない声だった。

 

「お察しだろうが……生まれつきの目付きのせいで、店に入ったら、大体あんな反応されるんだよ……。

昔っから人には第一印象でコミュニケーションすら放棄されるし……友達もまともにできねえし、声をかけたら逃げられるし、(ヤカラ)だと思われるし……確かに昔はそうだったけど……ていうか今はそんな奴らからすら避けられて……」

 

「(ああちょっと、嫌な扉が開いちゃったじゃないですか。迂闊に触れないでください)」

 

「(えええっ?ご、ごめん……!?)」

 

慰めがナイフに変わる程度には堪えたらしい。

堰を切ったように浮かんでくる過去にどんどん心のヒットポイントを削られているようだが、一輝たちの側ももはや聞いていてつらい。賑わう店内の中で、一輝たちの席だけが異様に静かだった。

何とか話題を変えねばと焦る面々だが、流れを変えたのは一輝だった。

 

「……随分と回りをよく()()るんだね」

 

固い芯を感じさせる語気。

どこか遠くを乾いた目で見ていた仁狼が、その一言に反応した。

淀んだ空気は消え去っていた。

きろりと目を向け、無言のままに続きを促す。

 

「君が観たのは、ウェイトレスさんの肉体的な負荷や筋肉の活動状況だけじゃない。外的な要因も全て頭に入っていないと、あのタイミングで立ち上がって助けに入るのは不可能だ」

 

常在戦場───周囲の状況を自然に把握しておくのは一流の騎士として当然のこと。

確かに仁狼の速度は目を見張るものだったが、一輝やステラもウェイトレスを最初から目視していれば、同じタイミングで助けに入ることは可能だっただろう。

しかし仁狼は助けに入る前に、一度立ち上がったのだ。

仁狼がウェイトレスを認識してから助けに入るまでに、その分だけタイムラグが生じている。

つまり向こうを歩くウェイトレスが、あと数秒の内に転ぶのを予見していた事になる───あちこちに意識を緊密に走らせねばならない訓練の最中にだ。

 

「並列思考の広さと深さが尋常じゃない。正直、君の感じている世界がどんな物なのか、想像すら難しいよ」

 

「……自分を空っぽにすることを第一にしてるからな……自分の中に感じるものが無い分、他人の情報に鋭敏になるんだよ。

けど、言ってみりゃ俺のは回りをよく見てる()()だ………。誰ぞの()()()()()()()()()()()()()()なんて神業と比べたら、とてもとても……」

 

謙譲の皮を被った静かな鞘当てに二人の目が(にわか)に蛮性を宿し始め、二人の会話を聞いていたステラの背に軽く戦慄が走る。

外的要因と相手の状態の完全な把握───それは《七星剣武祭》決勝で、一輝が自分との決戦に向け、一晩かけて持っていったベストコンディションに匹敵するのだから。

そのレベルの洞察力を、仁狼は訓練の片手間で発揮していたのだ。

去原仁狼と倉敷蔵人の決闘で、その最後、蔵人が大蛇丸(おろちまる)をどれだけ伸ばしてくるかを正確に予知してのけていたのを思い出す。

 

「それともうひとつ。助けに入ったあの動きで、君の『天性(さいのう)』というものがわかったよ」

 

「……へえ?」

 

「詠塚さんの話によれば、去原くんは『脱力によるリミッター解除』と『反射運動による全身の連動』、この二つの要素であの剣速を叩き出しているんだよね。

だけど、これだけだと蔵人の神速反射(マージナルカウンター)による全力のラッシュに正面から対抗できた説明がつかない。

加えて《濤切(なみきり)》や二歩一撃……《無拍子(むびょうし)》のように、走るんじゃなくて点から点へと跳ぶような動きを主体とした技。

僕が見たところ、これらは身体を動かすタイミングが厳密に定められたものだ。

一度にワンアクションしか起こせない反射運動は利用することができない。

つまり、()()()()()()()()()()()()()()

 

あの時の状況的には弱いけどスタミナの少なさも根拠に挙げられるかな、と。

獣が獲物を値踏みをするような目で仁狼は一輝の考察を聞き続けている。

 

「以上の理由から、君の天性は───『全身に占める白筋の割合の高さ』だと見たけど、どうかな?」

 

身体を動かす骨格筋には二つの種類がある。

力は少ないが持久力に優れる『赤筋』と、(ちから)や瞬発力はあるが持久力のない『白筋』。

身体についたこれらの割合は先天的なものであり、赤筋が多ければ持久走、白筋が多ければ短距離走が得意という風におおよその運動の向き不向きに関わってくる。

つまり仁狼の身体は『短距離走型』なのだ、というのが一輝の結論だった。

 

「……成る程、流石は《七星剣王》。照魔鏡の看板に、偽りは無しか……」

 

面白そうに肩を揺らし、仁狼は笑う。

 

「その通り、俺の特徴はそれだ……。ただな、ひとつ訂正しよう……『割合の高さ』っていうのは、ちょいと間違いだ。……俺のは、割合もクソもない」

 

「……。まさか」

 

 

「そのまさかだ。俺の骨格筋は全て………最上級の白筋のみで成り立ってる。

白色総身(ホワイトカラー)》……それが俺の天性だ」

 

 

明かされた答えに、一輝とステラは思わず息を呑む。

道理で速いはずだ───道理で疾いはずだ。

理想的な型で筋力を正しく相乗させることにより剣速は増す。その筋肉が全て速度と力に特化した特別製であるならば、振るう太刀筋は悉く最速のその先に至るだろう。

何と稀有な体質であるか───

いくら努力を積もうがどうにもならない領域を与えられた、まさに天からの贈り物(ギフト)

しかし、羨まれるべき才を持つ当の仁狼は言う。

 

───この体質には、あまりいい思い出はない、と。

 

「こんなピーキーな身体なもんだから……ガキの頃は、歩く事すら難しくてな……すぐバテる上に、()()()()()()。足を動かしたら。それを馬鹿にしてきた奴とケンカになろうものなら、殴った相手に大怪我をさせた事も何度かある……。

ハハ……友達がいねえのは、目付きのせいじゃねえかもな……?」

 

「…………、」

 

自らを嘲って嗤う仁狼の痛みにより共感できたのは、一輝ではなくステラだろう。

強大な己の力を制御するために、間違っても他者を傷付けないために───その訓練の過程で、彼女は何度も死に瀕するような大火傷を負った。

もし自分の未熟さが人を傷付けたら、なんて想像するだけで背筋が凍る。

ましてまだ幼かった当時の仁狼には、それがどれだけ深い傷として残っただろう。

 

「(……本当、親父に拾われてなきゃ俺は……)」

 

微かに聞こえた独り言を、一輝は聞かなかった事にした。

父親というワードに反応しかけた心に蓋をして、一輝は己の疑問の核心に迫る。

 

「……とはいえ、君は生まれ持った才能を今、完全に自分のものにしている。蔵人との戦いでも、君は多分、氷山の一角程度の実力も見せてはいないだろう」

 

仁狼がなぜ剣の道を極めようとしているのかはわからないが、彼には持って生まれた天性があった。

そしてそれを鍛えるのはもちろん、維持するだけでも彼は誰よりも繊細な訓練を行っているのだろう。

白筋はトレーニングによって赤筋に変えることができるが、赤筋はどんなトレーニングを行っても白筋には変わらないのだから。

彼の実力と天性を霞むような高みに押し上げているのは、紛れもなく彼が積み重ねた血と努力だ。

……だからこそ。

 

「だからこそ気になるんだ。《七星剣武祭》は、去原くんにとっても重要な舞台だったと、そう聞いた。

君ほどの剣客が、学園の選考に落ちたとは正直考えにくいんだよ。

去原くん。君はどうして、《七星剣武祭》出場しなかった……いや、()()()()()()の?」

 

踏み込んだ質問だったのかも知れない。

言葉に詰まった仁狼が少しだけ目を伏せた。

口にするのも躊躇うその様に、一輝は己の浅慮を悔まざるを得なかった。

……ごめん、無理に答えてくれなくても───

一輝がそう謝罪しようとした時、口を開いたのは仁狼ではなく詠塚琉奈だった。

まるで身内の恥を話すように、眉間に皺を寄せながら───

 

 

 

 

「 留 年 が 決 ま っ た か ら で す 」

 

 

 

 

……瞬間、空気が止まった。



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枯れ尾花

「失望の反動だったんでしょうね。《騎士学園》への入学は、強くなって名前を売ることしか頭にないジンロウにとって待ちに待ったイベントでしたが……入学した時点で、殆どの生徒が相手にならないという状況でしたから。

停滞を防ぐために知識と実績のある教師、あるいは既に頭角を現していた生徒に決闘を挑み続け、朝から晩まで修行に明け暮れていたんですよ。

………()()()()()()()()()()()

 

頭を抱えて突っ伏す仁狼。

小声でやめろやめろと呟いているのも聞こえているはずだが、よほど思うことがあるのだろう。琉奈の舌鋒は止まらない。

 

「目についた道場の看板に片っ端から喧嘩を売って、強い生徒の話を聞けば即座に殴り込んで……その相手から得るものがあると思えば転校までして決闘を挑み続け、経験値を吸収するだけしたら別の学園にまた転校。

《送り狼》なんて揶揄されてましたけど、相手からしたらちょっとしたホラーですよ。

───単位が出る訳ないでしょう、こんなバカみたいな脳筋生活で」

 

「け、けど、実力があればそういうのはあまり関係ないんじゃないかしら?ほら、《剣士殺し(ソードイーター)》だって同じような事してたじゃない」

 

「あのレベルまで礼儀を捨てさせてはいませんが、確かに、良くも悪くも実力第一の世界です。素行不良でも実力があれば出場が叶うのが唯一の救いだったはずなのですが……修行目的の放浪が(あだ)になりました。

仮にジンロウが出場したとして、そこで《七星剣王》になってもなれなくても、それでまたどこかに出ていかれたら(コト)なんですよ。

『《七星剣王》を擁する』というブランドが失われることになるか、 『有力な生徒が見限るほどに教育体制が悪い』と思われるか……いずれにせよ、学園の体面に大きく関わってくる。

学園側もそんな見えてる地雷に山を張る訳にはいかないという訳です」

 

全てに合点がいった。

同時期にあちこちに出没が確認された、というのはこういう事だった訳だ。一年もの間活動の話を聞かなくなったというのは、言った通りに一所で勉強にも注力していたからだろう。

確かにその説を考えないではなかったが、本当に短期間での転校を繰り返していたとは……本末転倒と言ってしまえばそれまでだが、それだけ直向(ひたむ)きに強さを求められる彼の動機とは何なのかが少しだけ気になる。

だがズルズルと椅子に沈み込み、今にも死にそうな呻き声を上げている仁狼を見るとちょっと質問とかできるカンジではなさそうだった。

 

「という事は、ヨミツカさんは普通に二年生なのね」

 

「いえ、同じ一年生ですよ」

 

「えっ?」

 

「私も同じく留年(ダブり)です。私もジンロウについて回っていたので、単位が足りてなかったんですよ。自主勉強はしていましたが」

 

あるいはこの反応にも慣れているのだろうか。

琉奈はやれやれと仕方無さげに笑う。

 

「ま、基本的な方針を全て任せているのは私ですからね。……()()()()()()()()。私が見ていなかったらこの男、色々と駄目なんですから」

 

───流石に耳を疑う台詞だった。

彼女は頭が冷静な側だ。学業を蔑ろにしていることに自覚がない訳ではなかったはず。

ここにきて二人は去原仁狼ではなく、詠塚琉奈に得体の知れない何かを感じつつあった。

それを共依存に陥った片割れの言葉だと字面通りに断じるのは簡単だ。

だが二人は形だけは笑みに見えるその瞳に、一瞬、気圧されるような重圧を感じた。

まるで波の隙間から、海中に揺らぐ巨大な影を垣間見たような──

 

「そんな訳で、今は禄存に腰を落ち着けて勉強中です。仁狼に修行と勉強を両立させるのは大変でしたが、なんとか成績の目処が立ったので、今回の殴り込みはそのご褒美といったところですかね」

 

「ルナの問題に口頭で答えながら訓練してるからな……並列思考はこれに鍛えられた節はある。

……おかげで、剣を振りながらじゃなきゃ勉強が頭に入らない身体になっちまったけど……」

 

「……+-ゼロでちょうどいいんじゃない?」

 

───母性かな……?

勉強の世話もしてもらっているようだし、仁狼の負い目はただごとではないはずだ。なるほどこれは粗雑な扱いにも文句は言えまい。

私が育てた的なそこはかとない琉奈のどや顔に若干の後光すら見えてきたが、それとは対称的に立つ瀬が無くなった仁狼が十字架を掲げられた悪魔みたいに縮こまっているのが少し笑えた。

蛮性の権化ともいうような当初の空気はどこへ行ってしまったのだろうか、完全に頭が上がらないらしいその姿に、一輝はステラの故郷で見た彼女の父親を思い浮かべた。

すると今のやりとりのどこかが何かの記憶に引っ掛かったのか、ああそうだ、と琉奈は思い出したようにぺちんと両手を合わせる。

 

「そうでした。ついて回るといえば、お二方は(かね)てよりお付き合いをなさっているという事で、この機会にステラさんにお伺いしたい事があるのですが」

 

「私に?何かしら?」

 

 

 

「その、黒鉄さんはどのくらいの性欲をお持ちになっているんでしょうか?」

 

 

 

淀みなく核弾頭を特攻(ブッコ)んできた。

仁狼が化け物を見る目で琉奈を見て、一輝の喉からゴギュッと変な音が鳴る。

 

「……へぇっ? せっ、せせ、性、性欲ぅ!? イ、イッキの!? 何で!? なんっ……何で!?」

 

「いえ、その……私たちはどこにいても二人暮らしなのですが、年頃の男の子にしてはジンロウは薄いというか。

わざと脱衣場に下着を放置してみても、お風呂上がりに裸で遭遇してみてもアクションがなく……。

私ジンロウ以外の男の子とあまり深く接したことが無いもので、ずっとそれが普通なのかなと思っていたのですが、やはりどうにも枯れていると人に言われまして。

実際どのくらいが『普通』かを知るには、やはり恋人がいる方に聞くのが一番だと」

 

「無防備過ぎると思っちゃいたが……お前あれもこれも全部ワナか……!!」

 

「こっちだって反応がしょっぱいと腹立つんですよ」

 

愕然とする仁狼に対して、つーん、と琉奈がそっぽを向く。

こうなると自分が取り付く島がないことをよく理解している彼は、ため息を吐きながらステラに助力を求めた。

 

「……皇女様。何とか言ってやってくれ……皇女というからには、お淑やかなんだろう……? その辺の嗜みというものをこいつにだな……」

 

仁狼の予想は正しいには正しい。

彼女は嫁ぐのが仕事と言ってもいい第二皇女。

皇室の名を貶めないよう、確かにステラは礼儀作法を高いレベルで身に付けている。

身に付けているが………

今までの自分の言動がお淑やかかと言われると……

そのー……

 

「…………、………」

 

自分を偽れないステラが目を泳がせて視線を逸らす。

 

「……。皇女様?」

 

「ふふ、アテが外れましたねジンロウ。破軍の生徒からの情報によれば、彼女は公衆の面前で自らを黒鉄さんの下僕であると公言して憚らない人。正真の(メス)といって良いでしょう」

 

「だ、だだっ、誰がメスですって!? ていうかそれを言うならあんたもやってる事は似たようなもんでしょうが!!」

 

「いや、私のは慎ましく待つタイプです。あなたみたいに肉欲全開のやつではないです」

 

「むぎぃぃぃいいいいいいいっ!!!」

 

ぎゃーぎゃーと一気に騒がしくなるテーブル。

つついた分が倍になって返ってくるステラが面白いのか、一輝の性欲云々を追及しないでいる所を見ると琉奈はどうやらイジる方向にシフトしたようだ。

ステラをからかって楽しそうにしている琉奈にちょっとだけ驚いた仁狼だが、元々厳格な父親がいない所ではこんな感じだったことを彼は少し久し振りに思い出した。

 

そういえば、彼女がこんなノリで人と話すのはいつぶりだろう。

仁狼はイジワルな笑みを浮かべている琉奈を横目で見つつそんな事を思った。

 

仁狼が見ている普段の彼女は、いつも彼の半歩後ろに付き従っている。

進む方向を整えて、やらかしをフォローして……そこまでしてくれた彼女を共に留年(ダブ)らせた時には、己の馬鹿さ加減を本気で呪った。

『もう俺に着いてこなくていい』───

幾度となく口にしてきた言葉だが、その時のそれは最早懇願に近かった。

しかしそれに対する返答はいつもと同じで、仁狼はその一言でいつものように黙らされる。

───『お断りします』。

 

ついぞ彼女は変わらなかった。

自分には欠片も得るものの無い従者のような役割を、今日に至るまでずっと果たし続けている。

そうする理由は、かつて聞いた。

だけど未だに納得できていない。

鉛のようにのしかかる負い目と何だかんだの有り難みに口を塞がれてこの状況に甘んじてしまっている。

 

ここまでしてもらう資格など無いのに。

 

 

全ては、(じぶん)のせいなのに。

 

 

「ふ、ふふふ……シズク以来よ、ここまでアタシに好き放題言ったおバカさんは……っ!」

 

「あっ、まずいやり過ぎました。黒鉄さん、止めて下さい。あなたの()(ひと)がご乱心です」

 

「どの口で言ってるのそれっ!?」

 

「あー、じゃあジンロウ、助けて下さい。《紅蓮の皇女》と戦えるチャンスですよ」

 

「オーケー乗った、じゃねえよ!!炎上させた後始末を俺に投げんな!!」

 

 

 

 

突如、危機感を煽る音の塊が鼓膜を叩いた。

 

 

道路を四輪の足で駆けるのは、白と黒に塗り分けられた車両の群れ。

大挙して押し寄せるサイレンが、レストランを通り過ぎドップラーを残して消えていく。

その数を見れば、今起こっている何かが尋常の事態でないことは容易に見て取れた。

その不穏さに会話を止め、パトカーが視界から消えた先をじっと見つめる四人。

───嫌な予感がする。

他人事ではいられない、何か大きな災いの予感が。

 

かくてその報せは来る。

一輝とステラの生徒手帳が、一斉に非常用の金切り声(アラート)を上げた。



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出陣

直ぐ様スピーカーモードで通話をオンにする。

 

『黒鉄。ヴァーミリオン。二人ともそこにいるな?』

 

「理事長。何が起きているんですか」

 

『手短に言おう。テロが発生した』

 

「「「 っ!! 」」」

 

自分達の居場所が知れていたことに驚きはない。

人間的に未成熟な若者が強い力を持っていることは非常に危険だ。故に学生騎士は学園により厳重に管理されている。

学園の長は任意の学生騎士の所在を、携行を義務付けられた生徒手帳内部のGPSによりいつでも知ることができる。

事件現場からの救援要請を受け周囲を検索した結果、近い所にいたのが一輝とステラだったのだ。

 

「ここまで早く私たち《伐刀者(ブレイザー)》に救援要請が来るっていう事は、そういう事なのよね?」

 

『その通り、また《解放軍(リベリオン)》の奴らだよ。

しかもテロ自体も尋常の沙汰ではないが、今回は前にお前達が処理したものより遥かに厄介だ』

 

「どういう事ですか」

 

 

()()()()()()()。ここまで大規模な襲撃はそうそう無いぞ』

 

 

「さっ……三ヶ所!?」

 

仰天して声を上げる二人。

 

『そこにいるのは二人だけか。クソ、一人一ヶ所でも一つ手が回らんな。こちらからも東堂か貴徳原あたりを向かわせるが、位置的に時間がかかる。可能な限り迅速に敵を処理してもらうしかないがいいな?』

 

「! いえ、そこは大丈夫です。去原くんと詠塚さんも一緒にいますから」

 

『? なぜそいつらが……いや分かった。その四人で事に当たってくれ。

今から現場までのマップを送信する。

───黒鉄一輝、ステラ・ヴァーミリオン。

両名に能力の敷地外使用を許可する。

死ぬな。そして一人として死なせるな』

 

「「 了解! 」」

 

返答と同時に通話を切る。

去原仁狼と詠塚琉奈、二人にも戦闘の許可を取ってもらわねばならない。生徒に能力の使用許可を出せるのは、その学園の長だけなのだから。

 

「去原くん。理事長に戦闘許可を」

 

「貰った」

 

「早っ!?」

 

「強制通話モードで呼び出して今の会話ダイレクトに聞かせたからな。いちいち説明するより早いだろ」

 

あの唐突さでよくぞそこまでの機転を。

少し状況を忘れて感心してしまった。

送信されたマップを開いてそれぞれが向かう場所を決め、琉奈を除く三人は席を立った。

 

「じゃあ行こうか。この後、水族館だの食べ歩きだの買い物だのが控えてるんだ。時間を無駄には出来ない」

 

「こっ、この状況でまだ遊ぶ気なのアンタ!?」

 

「当たり前だろ。何でボンクラ相手に俺らの都合を取り下げなきゃなんないんだ」

 

ぽんぽんと琉奈の頭を手のひらで軽く叩く。

 

「もちろん義務を蔑ろにする訳じゃないがな。

計画を立てる片手間でどこで遊べるか調べたり、昨日の夜から鼻歌歌ってたり……こいつ、今日の観光を随分と楽しみにしててたんだよ。

今俺が着てる服も、『お出かけが楽しくなるように』って手ずから選んで買ってくれた奴でな」

 

なんでそれ言っちゃうんですか!?と羞恥に顔を赤らめて遮ろうとする琉奈だが、仁狼は気にしてもいない。

ただ自分の主張に必要だから言ったまでである。

 

「さっさと片付けて終わらせる。

七星剣王に皇女様、言っとくが事後処理は全部あんたら二人に押し付けるからな。

日頃俺が気を使わせてばっかのルナが、ようやく羽伸ばせてんだ───テロリスト如きに邪魔される道理はねえよ」

 

静かに強く言い切った仁狼に、琉奈は何も言わずにそっぽを向いた。

表情は窺えないがその耳は赤い。

重い義務を預かる身分ではあまり好ましくない主張かもしれないが、さっさと片付けることに異存などあるはずもない。

それに、一輝とステラにもその気持ちは心底から理解できる。

いよいよ出撃しようとしたその時に、琉奈が一輝の背を叩いて呼び止める。

 

「黒鉄さん。これに触れてください」

 

「?」

 

そう言って差し出されたのは、黒塗りの鞘に納められた懐刀。

彼女の固有霊装(デバイス)水鏡(みずかがみ)》だ───一輝は言われるがままにそれに触れる。

 

「今、あなたに私の魔力をくっつけました。

私の能力は、すごくざっくり言えば『視界を操る』能力です。

戦闘向きではありませんが、こうすればあなたを中継地点(ハブ)にして、色々と回りに干渉できますので」

 

「それはつまり……」

 

「私は黒鉄さんの後方支援として参加します。

今回の状況。経験の方はわかりませんが、能力的に一番不向きなのはあなたですので。

あとこれ、私の生徒手帳の番号です。繋ぎっぱなしにしておいて下さい」

 

「わ、わかった!ありがとう!」

 

あれよあれよと琉奈が下準備を終えていく。

若干ステラがムッとしたのが気にかかるが、今はこれ以上話している時間はない。

投げつけるように財布から金をレジに出し、一輝は店を出た。

が、直後に地味に重大な問題にぶち当たる。

……現地までの足はどうしよう?

 

「じゃ、アタシも行きますか───!!」

 

続いて店から出てきたステラが、背中から紅蓮の翼を顕現させて唸りを上げて宙を舞う。

一度の羽擊(はばた)きで空高く躍り上がり、炎の矢と化して飛んでいった───あの速度なら数分とかかるまい。

少し一輝は焦る。走るのは流石にナシだ。

さてどうするか──?

 

(そうだ、同じ状況で珠雫は確か……!)

 

一輝は停車していたバイクに駆け寄り、破軍の学生手帳を見せながら騎乗している男に言う。

 

「すみません、破軍学園の学生騎士です!非常事態につきバイクをお借りしたいのですが───」

 

「はぁ? ふざけんな!何で俺が」

 

男の視界を横切る烏の濡れ羽色。

黒鉄一輝の固有霊装(デバイス)、日本刀《陰鉄(いんてつ)》が男の眼前に示された。

 

「どうかお願いします、非常事態なので!」

 

「はいよろこんで!」

 

男は引きつった笑みで何度も頷くと、バイクを乗り捨てて逃げていった。

手短に礼を言って一輝はバイクに跨がり、アクセルを全開。鉄の馬の心臓が爆音で吼えた。

………珠雫はもっとスマートに借りたんだろうな。

頭の中に浮かんだ『追い剥ぎ』の四文字を必死で打ち消しつつ、一輝は現場に向けて全速力で風を切り駆け抜けていった。

 

 

「……じゃ、俺も行くか。お前は残るんだろ?」

 

「ええ。しっかりと『視て』おきますのでご安心を」

 

おう、と短く返して仁狼もまた店を出ようとした。

その時だった。

 

「あ、あの………っ!」

 

躊躇いがちに呼び止める声。

振り返って見てみればそれはさっき仁狼が助け、そして仁狼に怯えたウェイトレスだった。

仁狼は一瞬目を隠そうか逡巡したが、しかしウェイトレスが目を逸らす気配は無かった。

 

「《伐刀者(ブレイザー)》の方、だったんですね……。お話、聞こえてました」

 

「……それが?」

 

意を決したような表情

本当は助けられたのだとわかっていたのだろう。

彼女は腰を直角に曲げ、深々と頭を下げた。

 

「その………先程は申し訳ありませんでした!!

頑張って下さい!……どうか、ご無事で!!」

 

彼女の言葉に、仁狼ははっきりと面食らった。

彼はこんな風に、見知らぬ他者にエールを貰った経験に乏しい。

ウェイトレスのつむじをしばし見つめていた仁狼は、少し嬉しそうに口角を曲げた。

 

「────おう。行ってくる」

 

心なし声が弾んでいたのは気のせいではあるまい。

いつもより少しだけ軽い足取りで歩き出そうとした仁狼だが、琉奈にちょいちょいと服の背中を引っ張って止められた。

少しだけ出鼻を挫かれた気がする。

 

「ジンロウ、屈んで下さい。あなたにも魔力をくっつけておきますので」

 

「うん?」

 

なぜ屈む必要があるんだと思ったが、この状況で彼女がそう言うのだ。よくわからないが、きっと必要な行程なのだろう。

何となくある予感を感じつつ、仁狼は言われるがままに腰を落として───

 

 

ちゅう、と唇を塞がれた。

 

 

「…………、お前さ。()()()()、キスでくっつける必要は?」

 

「無いです。気分的なものです」

 

予感が的中した。

まさか公衆の面前ではやらないだろうと思っていたのに───完全な不意討ちでキスをかました琉奈は未だ余韻の残る自分の唇に指先で触れ、クスクスとはにかむ。

 

「いってらっしゃい。早く終わらせて遊びましょう?」

 

「……言われなくても」

 

灰青色のつむじに軽いチョップを落とし、仁狼も店から出た。

手刀を落とされた所を押さえ、彼女は不服そうにその背中を見送る。

────さて。

ここからはいよいよ《伐刀者(ブレイザー)》の時間だ。

突然のラブシーン(?)に当惑している店員に、琉奈は数秒前とは打って変わったように真剣な顔と声を向けた。

 

「恐れ入りますが、一番静かな部屋を使わせて頂いてよろしいですか?バックルームでも何ならトイレでも、どこでも構いませんので……一番集中できそうな所を」

 

 

 

 

さて、仁狼もまた足がない。

走っていくべき距離ではないし、能力もそういう移動に使える代物ではない。

やはり誰かに車両を借りるのが一番か───

そう判断した仁狼は目ぼしいものを求めて周囲を見回す。

すると、道路の向こうからリッターバイクが走ってくるのが見えた。

カットしたマフラーから五月蝿い排気音を撒き散らし、乗っているのは一目で()()()()とわかる人種の男。

───色々カスタムされて速度が出そうだし、あれでいいか。

適当にそう判断した仁狼は、バイクが走る車線側に移動。

粋がったサウンドを鳴らすそれが横を通り過ぎる瞬間、仁狼は動いた。

 

すれ違い様に男の腕を掴み。

 

その身体を車体から引きずり下ろし。

 

体捌きで慣性の力を殺し、男を安全に路上に放り投げると同時。

 

「いいモン乗ってんな。貸せ」

 

席が空いたバイクに飛び乗り、アクセルを開いてそのまま走り去った。

 

走行中に乗り手が交代した───何が起きたのか相手は理解できてもいない。

気付けば路上に座り込んでいた男は、自分以外の誰かを乗せた自分のバイクが猛スピードで走り去っていくのをただ呆然と眺める外なかった。

 

後に警察経由でバイクを返還された男は、『ポル◯レフは多分あんな気持ちだった』と述懐したという。

 

 

三者三様、舞台は整った。

そして戦いが始まる。



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狼煙

 

 

 

『話は聞いている。そちらはどうなった?』

 

「破軍と禄存の学生騎士合わせて三名が現着しています。()()実績に申し分無し、遠からず鎮圧するでしょう」

 

色の入った眼鏡をかけたロマンスグレーが執務室で受話器を手に取っていた。

電話の相手は風祭晄三(こうぞう)───《風祭財閥》総帥にして《解放軍(リベリオン)》の《十二使徒(ナンバーズ)》、表と裏双方の世界に君臨するエコノミックモンスターである。

そんな世界の操舵手と会話しているこの男も無論並大抵の人物ではない。

そんな大物同士が話し合わなければならないほど、今回の事件は根が深いものだった。

 

「しかし三ヶ所で同時にテロ……ですか。規模だけで言えば、日本国内では前代未聞ですな」

 

『こちらの()()がどうにも荒れていてな。私としても全く意図していない動きだ。無視できない混乱の芽が急速に育ちつつある』

 

「混乱の芽、とは?」

 

そう問いはすれど、男にはそれが何であるか大体の見当が着いている。これはただの確認作業だ。

そして晄三の答えはやはり男が予想した通りのものだった。

 

『新たな《魔人(デスペラード)》だ。それが誰なのかはお前も把握しているだろう』

 

「……やはり、ですか」

 

溜まった憂いに押し出されるように、男は重く息を吐く。

 

『悪徳組織を制裁するかのような鏖殺の数々で度々話に上る男ではあったが、《覚醒》を境にさらに暴れるようになった。

解放軍(リベリオン)》本部の壊滅の後、残っていた各地の人員や使えそうな人材を持っている組織が次々と踏み潰されていてな。

無論彼らも全力で抵抗したし、何度か始末するために動いたが、その全てが返り討ちだ。

覚醒(めざ)めたばかりとはとても思えん。そこいらの強者では相手にもならんらしい。

今回のテロは、そうやって立ち行かなくなった組織が徒党を組んで博打に走ったものと思われる』

 

「つまりは金、ですか。その彼との交渉は可能ですか?」

 

『やるしかない、が損得では釣れんな。あれは思想犯の類いだ。奴の価値観や主観に合わせて落とし所を探すしかない。

近い内にこちらから出向くことになる。準備しておけ───他の《十二使徒(ナンバーズ)》が動き始める前にな』

 

「承知しました」

 

それで会話は終わった。

脳内でスケジュールを調整しながら、男は椅子を軋ませて顔に深く皺を刻む。

《連盟》と《同盟(ユニオン)》、そして《解放軍(リベリオン)》。

世界のパワーバランスを保つには、この三役のどれも欠けさせてはならない。

だが、《解放軍》の本部は既に悪逆の人形師の手により壊滅している。

速やかに組織を立て直さねばならない……そんな時に、このイレギュラーの出現だ。

もはやこの星の流れは既に破局へと決定付けられているではないか、そんな事すら男は思う。

───あの学生騎士たちの祭典で、新たな希望の可能性を見た。

しかし直後に混沌の芽は現れた。

さながら強い光の下により色濃い影が生まれるように。

ならば、一国の長として座視している訳にはいかない。

 

「……一にも二にも、まず情報だな」

 

若い未来に希望を託し、自分は一線を退(しりぞ)いた。

だが、自分の戦いはまだ終わっていない。

心と表情を締め直し、日本総理大臣・月影漠牙は椅子を立った。

奈落の淵に立つこの世界を、それでも元に正す為に。

 

 

 

 

「……やっぱうるせぇなコレ……」

 

かつてはイケていると思ったものだが、冷静になった今となってはただの公害でしかない。

明らかに過剰なエキゾーストノートを空気に叩き付けながら仁狼は全速力でバイクを駆る。

仁狼の向かう先は大型のショッピングモール。

法定速度を行動をもって無視している内に、数分でそれは見えてきた。

何台もの警察車両がバリケードを作るように並び、大勢の武装した警察官がその周囲を固めている。

特殊部隊の類いが到着するにはまだかかるだろう。

つまり自分が全て片付けねばならないという事だ───

排気音で仁狼の接近に気付いた警官たちが駆け足で近寄ってくる。

 

「学生騎士の方でよろしいですか?」

 

「連絡は来てるか? 禄存の(もん)だ。生徒手帳見るか?」

 

「いえ、お話は伺っておりますので!感謝します!こちらへ!」

 

敬礼して迎えた警官の後ろについて、仁狼は騒乱の中心へと近付いていく。

 

「状況は」

 

「人数は不明、利用客を人質に取って立て籠っています。要求の類いはまだありません。……そして、あちらを見てください」

 

警官の指し示す方向を見た仁狼は僅かに目を見開いた。

石やコンクリートの地面に、まるでアイスクリームディッシャーで抉られたように巨大な穴がいくつも開いていたのだ。

地表を埋める残骸から、この穴が爆発により開けられたものだということがわかる。

パッと見タコ焼き機みたいだな、と仁狼はやや呑気な感想を抱いた。

 

「一応聞くが……ありゃ発破(ハッパ)じゃないよな」

 

「目撃者の証言によると、『黒いフードの男が手を翳した瞬間に爆発が発生した』との事です。

───恐らくは《使徒》、かと」

 

そりゃいるよな、と仁狼は思う。

解放軍(リベリオン)》の構成員は《信奉者》と《使徒》の二つに分類される。

組織の大半を構成する《信奉者》は武装したタダの人間。

そして《使徒》───《伐刀者(ブレイザー)》だ。

相手にする上で一番厄介な要素である。

これのせいで警察はどこにでもいる訳ではない公的機関の伐刀者(ブレイザー)を呼ぶしかなく、その間に彼らは好き勝手やっていく。

幸いな事に今回は仁狼や一輝が近くにいたが、状況はまだ好転したとは言えない。

人質の人数も不明、敵の人数も不明。

《使徒》と《信奉者》の割合も不明。

こんなもの当たり前すぎてもはや前提条件ではあるが、面倒なことに変わりはないだろう。

 

「ん……」

 

賊の侵入経路を考えていた仁狼は、警官たちの頭の隙間からショッピングモールの入り口を見た。

透明なドアの向こうに武装した男が二人。

それぞれ人質を連れており、恐怖の涙を流す彼らに銃を突き付けこちらを睨んでいる。

───近寄るな、という事か?

 

「あの通り、全ての出入口にはああやって人質を連れた兵が張り込んでおり、突入は困難かと。今まで説得を試みてはいますが……」

 

 

「わかった。じゃあ行ってくる」

 

 

「えっ、ちょ……、っ!?」

 

ふらりと歩きだした仁狼を慌てて追おうとした警官だが、追おうしていた仁狼の背中がいきなり目の前から消えた。

()()()()()()()()()()()()()()

仁狼はそのままスルスルと警官たちの隙間を通り、人質を持ったテロリスト二人と警官隊が睨み合う狭間の空白地帯に抜けた。

ゆらり、ゆらりと彼は歩く。

メガホンを手に説得を試みる側も、人質を盾に動かない側も、誰もそれを見咎めない。

誰にも認識できていないのだ。

彼は今、この場にいる数十人全員の意識の狭間にいる。

───固有霊装(デバイス)鏡月(きょうげつ)》。

いつの間にか右手に刀、左手に脇差を顕現させた仁狼は、とうとうドア越しにテロリストの前に立った。

そこでようやく、テロリストは異変に気付く。

……いや、気付く暇はあったのだろうか。

 

脳がオーバーヒートを防ぐために不要と判断した感覚情報の中に自分の身を滑り込ませ、自分を認識できなくする技術。

《抜き足》。

周囲の気配を感じ読み続ける事を日常とした仁狼にとって、それは自力で発見し、しかし名前すら着けていない当たり前すぎる技術だった。

 

こん、と軽い音。

テロリスト二人が《幻想形態》の刃で額から上を斬り落とされた際、一緒に斬られた入り口のドアが立てた音だ。

 

「かぺっ?」

 

おかしな声と共に崩れ落ちるテロリスト。

取り落とした銃は地面に落ちる前に、適切な箇所をまた鏡月(きょうげつ)によってドア越しに切断され暴発を防がれた。

自由の身になった人質二人は、何が起きたのか理解できていない。

混乱する彼らを前に仁狼は刀二振りを鞘に収め、その場に屈んで(髪で目元を隠しながら)目線を合わせる。

 

「助けに来た。大丈夫か?」

 

「え、あ………、え?」

 

伐刀者(ブレイザー)だ。助けに来た。大丈夫か?」

 

「あ、ああ……ああ!ありがとう、本当にありがとう……!」

 

「怖かった……怖かったぁ……!」

 

一言ずつハッキリと繰り返すと、ようやく彼らの混乱は解けた。

恐怖の涙が安堵の涙に変わる。

励ましの言葉の一つくらいかけてやりたいが、残念ながら時間がない。聞かねばならないことがある。

 

「知っているなら教えてくれ。お前らの他にも人質はいるか? パッと見でどの位敵がいた?」

 

「ひ、人質? え、っと……俺達の他にも、三十人くらいいた、かな……。吹き抜けのある一階の真ん中……かな? に集められて……俺達はその中から適当に選ばれて、ここまで連れてこられたんだ……」

 

「向こうの人数は……ごめんなさい、わからないです……。けど一人、回りと違う黒いフードを被ってた人がいて……」

 

「! 他に回りと違いそうな奴はいたか?」

 

「いえ、他には、多分……いない、かな?って……ごめんなさい……」

 

「いや、二人ともありがとう。助かった。

……ほら、行って保護してもらえ。もう自由だ」

 

「「 は、はい! 」」

 

警官隊の待つ外へ駆け出していく二人。

思っていたよりもかなり有益な情報が聞けたことに、仁狼は内心でガッツポーズをした。

これでおおよその戦力の判断がつく。

転がっているテロリストも外に蹴り出し、ついでに片方から頭と胸に付いている通信機を奪って自分に装着。

既に仁狼の頭はフル回転を始めていた。

戦力差、敵の能力、懸念事項など全てを脳内でリストアップして考察、結論をまとめて仮想の全体像を組み上げていく。

 

「さぁて………始めようか」

 

一言己を鼓舞すると、仁狼はショッピングモールのさらに奥へと足を進めていく。

日常を乗っ取った悪意の巣窟に、一匹の狼がその爪牙を突き立てんとしていた。



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それぞれの戦い

テロリストに乗っ取られた三ヶ所の内の一つ、大企業の本社。

ステラはその屋上に立っていた。

静かに目を閉じ、徒手空拳のまま佇んでいる。

殴り込むなんて真似はしない。

彼女が今行っているのは、魔力による索敵だ。

己の意識を通した魔力を、気取られぬ程に薄く企業のビルの中全てに行き渡らせ、それを通じて彼女は全てを把握する。

それぞれの階にいるテロリスト達や、銃口を突き付けられ震える人達。

どこにどんな人間がどれだけいるか、武器や顔立ちに至るまでステラには全て見えていた。

そしてとうとう彼女が動く。

だが彼女は自分の固有霊装デバイスである大剣、《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》を顕現していない。

理由は単純。顕現するまでもないからだ。

準備を終えて、合図するようにステラはパチンと指を鳴らす。

 

 

「燃え尽きなさい───《赫灼の心臓(アンタレス)》」

 

 

それで、おしまい。

 

ビル内にいたテロリスト達()()が、摂氏三千度以上の爆炎に体内から呑み込まれた。

 

薄く広げた魔力を操り、口や鼻などの穴から敵の体内に潜り込ませる。

そして広げた魔力のラインを通じて、潜り込ませた魔力を一気に増幅───敵を体内から焼却する。

罠としての性能もさることながら、対象以外の一切に被害を出さず、魔力による索敵から苦もなく繋がるため、こういう複雑な条件が絡んだ戦いで真価を発揮する伐刀絶技(ノウブルアーツ)だった。

《幻想形態》による刃引きは行っているが、太陽の黒点に比肩する熱に体内を蹂躙されているのだ───無傷とはいえ、向こう数日はテロリスト達が目を覚ますことはないだろう。

現場に到着してからおよそ2分程度で制圧を完了したステラは、次にどこのカバーに入るべきかを考える。

 

(やっぱりイヌハラかしら?)

 

やはり真っ先に浮かぶのは一輝だが、彼には既に詠塚琉奈によるバックアップがある。

となれば単身で事にあたっている去原仁狼の元へ向かうのが最善に思えた。

が詠塚琉奈は一輝に『能力的に一番不向きなのはあなた』と言っており、それはステラも同意するところだ。

一輝の伐刀絶技(ノウブルアーツ)は強力だが甚大な代償を伴うため、敵側の情報が不透明なこういう状況ではほぼ自分の技量のみで対処せねばならない。

だが、一輝が伐刀絶技(ノウブルアーツ)を使わなければならない手練れと対峙している可能性はもちろんある。

そうなればいよいよ人質の命が危うい。

彼の能力は尖っているが故に、使用できる状況に条件があるのだ。

そういったことを踏まえ、能力的に不向きだと琉奈は一輝の支援に回った。

裏を返せばそれは、去原仁狼の能力はこういった状況に生かせるものだということではないか?

 

「……よし。イッキのカバーに入って、イヌハラはその次ね」

 

とりあえず自分の判断と仁狼の実力を信じることにして、下の警官隊に制圧完了の旨を伝えてステラは再び空に躍り上がる。

何にせよ迅速に終わらせなければならない。

紅蓮の翼が残す軌跡が、一直線に空を裂いていった。

 

 

 

「ふっ────!!」

 

鋭い呼気と共に黒刀が閃いた。

背後の物陰から音もなく現れた刺客に反応など出来るはずもなく、武装した男のツーマンセルの背中に一続きの赤い線が刻まれる。

纏めて一刀で斬り捨てられたテロリスト二人の意識が絶たれている事を確認し、不気味な沈黙を保つ中を再び歩き始めた。

 

「よし、二人片付けた」

 

『お見事です』

 

ポケットの生徒手帳から聞こえてくる詠塚琉奈のナビゲーションに沿って、黒鉄一輝は百貨店の中を《隕鉄(いんてつ)》を構えつつ慎重に進んでいく。

こういう複雑な状況に臨んだ経験は過去に一度しかなく、鎮圧はしたもののハッキリ言って満足な過程ではなかった。

無論あの時とは実力に天と地ほどの差はあるが、今回は自分単機。

自分を含めて四人も伐刀者(ブレイザー)がいながらああも自由に動けなかったという苦い経験が、尚更に一輝を緊迫させていた。

しかし、今。

そんな余分な緊迫は、完全に雲散霧消してしまっている。

 

『三階のフードコート前に三人。気が緩んでますね、お喋りしてます』

 

『あっ、気を付けて。曲がり角から二人歩いてきてます。鉢合わせますよ』

 

『引っかかる巡回が少ないですね。どこかに人質と一緒に固まっているようです』

 

(これは凄いな……すごく楽だ)

 

彼女のナビの正確さに一輝は驚嘆する。

与えられる情報は全てをリアルタイムで、敵の所在や人数、時に武装の種類まで押さえてくる。まるでゲームを攻略本を見ながらプレイしている気分だ。

一輝はただマッピングするように足を進め、位置が明らかになった敵を気付かれないように不意討ちで斬ればよかった。

不意討ちで、というのも「バレない内に数を減らしましょう」という琉奈の指示によるものだ。

 

「ありがとう、本当に助かってるよ。……でも、『視界を操る能力』でどうやってこんな事をしてるの?」

 

『あなたにくっつけた私の魔力を中継地点にして、あっちこっちに魔力を飛ばして索敵してるんです。

その範囲に引っ掛かった人間の視界にアクセスして、そこから視覚的に得られた情報を伝えています。そう難しいことではないですよ』

 

いや難しいからそれ!!

と叫びそうになるのを我慢するのに少し努力した。

インターネットのサイトで見取り図を見て内部構造を把握したらしいが、それを現実の、しかも第三者視点……断片的な視覚情報を脳内のマップと擦り合わせ『何階のどこか』まで正確に判断するには、かなり頭を使わねばならない。

しかもかなり遠くにいる一輝まで魔力のラインを繋げ、そこから伐刀絶技(ノウブルアーツ)を遠隔で使用するなど、並大抵のコントロールと集中力では不可能だ。

そしてその上で一輝やテロリストたちの位置を把握し、あまつさえ雑談に応じる。

自分は戦闘に向いていない、と彼女は言うが、ここまでの後方支援ができるなら立派な一つの戦力だろう。

 

「だけど大丈夫? 僕としてはこの上なくありがたいけど……ステラは問題ないとして、去原くんも詠塚さんの支援が欲しいところじゃないかな」

 

『ああ、確かにジンロウの能力もあまり応用が効かない一点特化なタイプではありますからね。

ただ私がついていなくても、ジンロウには経験という武器があるので』

 

「経験?」

 

『私の父……当時のうちの流派の当主に、幼い頃から「実地訓練だ」とか言って散々テロの現場とか紛争地帯に引きずり回されてましたからね。

その実績と父が遺したコネで《特例召集》でも常連ですし、こういうのに場馴れしてるんですよ。

どう動けばいいかは多分この中で一番熟知してるはずです。

私の支援はあれば良いでしょうが、無いなら無いでどうとでもするでしょう。

……まったく、こういう時の為に私も訓練を重ねてきたというのに。

一番心配する必要がないのが一番危ない状況というのもおかしな話です』

 

古くから積み重ねていないと成り立たない、いっそ無責任なまでの信頼。

彼女はその幼い頃から既に仁狼の背中を傍で見続けてきたのだろう。

どうやら釈然としない思いがあるようだが、だからこそ彼女は迷いなく一輝の支援に回ったのだ。

二人はここまで、どんな人生を歩んできたのだろう……この非常事態の最中に、一輝はそんな事が気になってしまった。

そしてまた琉奈が状況の変化を告げた。

トーンの低い、警戒を促す声色で。

 

『黒鉄さん、いよいよ正念場です。侵入した事に気付かれました』

 

「!」

 

『巡回の一人に死体が見つかりました。見付かってはいませんが、伐刀者(ブレイザー)の仕業という事も察しているでしょう』

 

(死体って)

 

刃引きはしたから気絶しているだけなのだが、まぁそう表現した方が手っ取り早くはある。

 

『適当に引っ掛かった敵の視界にアクセスしていますが、どうやら人質のいる所に集合しようとしているようです。自分たちに有利な条件で迎え撃ちたいのでしょう。そちらに何かプランはありますか?』

 

「そうだね……集合場所に着いたら、最初から()()()行くよ。即座に《使徒》を落として、後の敵は何かする前に片っ端から倒していく。

それが最善、というか僕はこうするしかないからね」

 

『同意見です。では初擊はやはり不意討ちに限りますね。

集合場所がわかったら視認されにくいポイントを探しておきます。

《使徒》らしき風体の輩もいるでしょうから、それも同時に見付かるでしょう』

 

「……う、うん。お願いするよ」

 

徹底した頼もしさに段々と二の句が継げなくなりつつある一輝。

ここにはいない彼を「私がいないと駄目」と評していた彼女だが、何となく彼を駄目にしているのは彼女自身なんじゃないかという疑念すら湧いてきた。

───幼い頃から、か。

一輝は少しだけ目を細め、己の幼少期を思い出す。

試練を与え導いてくれる人がいて、それをずっと傍で支えてくれる人がいる。

それはどんなに幸せな事だろうか。

 

(よし。行こうか)

 

琉奈の偵察は、すぐに終わった。

 

 

 

 

「なあ。この巡回意味あんのか? 誰もいねえ事なんて分かりきってんだろ? 門番役も異常ナシっつってたじゃねえか」

 

「さあな、一応の用心って事だろ。ユーゴさんの指示だ」

 

不気味な沈黙に包まれたショッピングモールの中、一本道の通路を武装した二人が歩いている。

ボスと(おぼ)しき男の指示にあまり意義を感じていないのか、その表情には不満が見える。

 

「ったく、損な役回りだよなぁ。ユーゴさんや人質どもといた方が明らかに安全だってのによ」

 

「逆らえば殺されるのは俺達だ。それにいざとなれば……っ?」

 

「どうした?」

 

「いや……一瞬、人が向こうの角から出てきたように見えてな。

……それにいざとなれば、真っ先に投降するという手もある。日本の司法は()()()からな。抵抗さえしなければ穏便な対応になる」

 

「ハハッ、なるほどなぁ。檻の中で『保護』してもらえりゃ、俺らが生き残る目もまだあるって事か。いいぜ、それ乗っt」

 

会話の結びを迎えることなく、二人の身体が糸の切れた人形のようにばたんと地面に倒れ伏す。

曲がり角から《抜き足》で正面から近付いた仁狼が、すれ違い様に斬り捨てたのだ。

 

(……余裕のない話してたな)

 

ザザッ、と耳元にノイズが走り、通信機に連絡が入る。

 

『おい、警察(サツ)共の動きはどうだ。伐刀者(ブレイザー)は来たか?』

 

「今のところ動きは無いな。相変わらずメガホンでガタガタ言ってるよ。騎士学校もここからじゃ遠いし、伐刀者(ブレイザー)が来るまではまだもう少し余裕がありそうだ」

 

『人質は殺すなよ。まだストックはいるが、下手に急がせると目的が果たせん』

 

奪った通信機に嘘八百を吹き込みながら、吹き抜けのあるフロアを目指して仁狼は進む。

流石に声でバレると思っていたが、どうやら寄せ集めの兵隊達らしく今のところ騙しおおせている。

いたって順調だ。

だが彼は、この事件の全容に違和感を感じ始めていた。

───普通、要求を通すには急がせるものではないか?

 

 




たびたびの誤字のご指摘ありがとうございます。


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剥き出す牙

それに今の二人の会話の内容は、自分が生きるか死ぬかという作戦の成功か失敗以前のもっと切羽詰まったものだった。

今回のテロはそれほど成功する見込みが低いという事か?

もしそうだとして、そこまで難易度が高いその目的とは……しかし、要求の類はまだされていないと警官隊の一人は言っていた。

他者に何かを要求する必要のない目的。

加えて敵に急がれてはならない。

となると───……

 

(……まさか)

 

仁狼が全力で地面を蹴る。

特級の短距離走(スプリント)型という身体の特性を遺憾なく発揮させたその速度は、公式とされる世界の記録を遥か彼方に置き去りにしていた。

身体を地を這うように前傾させて空気抵抗を極限まで減らした本気の疾走で、目的の場所へと仁狼は急ぐ。

 

そうして辿り着いたのは、吹き抜けのある一階……ではなく、その吹き抜けに面した三階。

仁狼は手摺のついた胸より少し下くらいの高さがある転落防止の壁に、呼吸を正しながら張り付くように身を寄せていた。

立ち上がって下を覗けば、一ヶ所に集められた人質たちとそれを囲むテロリストがいる一階が見えるだろう。

雑貨店から拝借した手鏡を壁の上からそっと差し入れ、仁狼は吹き抜けの下の様子を窺った。

やはり人員のほとんどが集められているようで、武装したテロリスト達が大勢いた。

人質たちは全員が地面に膝を着かされており、親子らしき数人が互いに抱き合って震えているのが見える。

そして人質達の中央に、黒いフードの男が佇んでいた。

あれがユーゴ、とやらだろうか。

 

(人質のど真ん中にいやがるのは厄介だな)

 

黒フードを囲む人質たちは、そのまま絶対に傷付ける訳にはいかない肉壁になる。

さらに証言によれば、黒フードの能力は『爆破』だ。

ここまで人質が密集した状態で暴れられたら、勝敗に関係なくまず大勢が死ぬ。

人質救出の絶対条件として、まずはアレを真っ先に始末せねばならない。

頭の中でプランを組み立て、改めて鏡月(きょうげつ)の二振りを握り直す。

 

「行くか」

 

とん、と軽い動きで彼は跳んだ。

転落防止の壁を跳び越え宙に身を踊らせた仁狼が、重力の鎖に引かれて一直線に吹き抜けの底へと落ちていく。

 

テロリストとて警戒をしていなかった訳ではない。

だが()()()()()()()()()()()()()()()()()彼ら二流・三流が、真上からの奇襲に対応できるはずがない。

敵を推し量り、裏を突く。

基本中の基本にして、去原仁狼の真髄である。

 

斬られた事すら意識できはしなかったろう。

魔力の放出により落下速度にブーストを掛けた仁狼の鏡月(きょうげつ)二振りが、黒フードの身体を縦に三分割した。

 

「あえっ?」

 

右と左の肩から真下に向けて垂直に通った血光。

黒フードが頓狂な声を上げて崩れ落ちるより早く仁狼はまた前へと疾駆。テロリストの群れの中に自ら飛び込んだ。

声に反応して振り返ろうとしたテロリスト達の、手近な所にいた数人が()()()斬り落とされた。

あちらで、こちらで、目で追えない速度で刃が閃き、その度に何人かがいっぺんに倒れていく。

 

刀と脇差の重量差による重心の偏りを利用。意図的にバランスを崩すことで身体を振り回して回転し、その勢いで全方位を同時に斬り刻む。

一対多におけるそれはまさに、盤上を暴れまわる鋼刃の独楽(こま)だ。

 

(そう)の型四番───《禍津風(まがつかぜ)》」

 

台風のような動きと軌道で刀を振るう仁狼の動きに付いてこれる者などいなかった。

鍛え抜いた感覚は狂いに狂う視界の中でも正確に周囲の状況、敵の位置と動きを把握。

体質のせいで歩行すら(まま)ならず、常に身体の使い方を意識せねばならなかった彼だからこそ体得できた足運びの技術は、いかなる姿勢や動きであっても運動エネルギーを殺さない。

 

「クソッ飛び込んできやがった!どっから来やがった!?」

 

「いや囲めてる今がチャンスだ! 蜂の巣にしちまえ!」

 

「バカ野郎、同士討ちになるだけだ!! 囲まされてんだよ俺達は!!」

 

速度を緩めることなく駆け巡り渦巻く斬擊の暴風は、状況についていけず棒立ちになっている敵の群れをあっという間に稲穂のように刈り取っていく。

──が、一瞬の内に全体のおよそ四分の二ほどを無力化した時、急に仁狼は回転を止めて跳び下がった。

 

その直後。

仁狼がいた場所が、何の前触れもなく爆破された。

 

「……勘がいいな。あと少し踏み込んだら弾き飛ばしてやったものを」

 

「妙な気配が混じってると思った………。ユーゴってのはテメェか。服を交換して雑兵とすり変わるたぁ味な真似を……」

 

「こちらの台詞だ。通信機を奪って報告を偽装するとはな……。お陰で完全に慮外の襲撃だったよ」

 

忌々しそうに仁狼を睨む男。

回りの兵隊と同じ格好をしてはいるが、その気配は明らかに違う。

だらりと剣尖を垂らして立つ仁狼に向けて、ゆらりと男は掌を翳した。

 

「もっとも───私とて、揺らがない程度には手練れているつもりではあるがね?」

 

ドゴガガガガッッッ!!!と連続で爆発が起こった。

事前に気配を察知して退避していた仁狼の後を追うように炸裂する衝撃と爆炎がショッピングモールの空間を揺るがせる。

任意の空間に爆発を発生させる───それが解放軍(リベリオン)《使徒》ユーゴの伐刀絶技(ノウブルアーツ)らしい。

放出するのではなく指定した座標に攻撃する特性上、偏差射撃のような敵の動きを見越す技術と経験が必要だが、そこは手練れと自称するだけある。

仁狼の動く先を正確に予測し、空間を発破。

際どい所で逃してはいるが、するすると地を滑るように逃れる仁狼の進路を常に捕らえていた。

 

「ほう、ここまで読みにくい相手は初めてだ。随分と()()()()()()()に長けているな」

 

(……まぁまぁ対応してくるな。ただ能力にかまけた奴ではないって事か)

 

自己評価は誇張ではないらしい。

だが、仁狼としてもあまり様子見はできない。

ややプランは狂ったが速攻で終わらせるという絶対条件は変わらないし、何より自分の推測が正しければ、この場は速攻で鎮圧せねばならない。

 

「───じゃあ、読んでみろ」

 

 

一言告げて、仁狼は一気にギアを()()()

虚脱の極地《無貌之相(むぼうのそう)》。

気配、意思、存在感───仁狼の全てが、抜け落ちた。

 

「な」

 

瞬きの内に敵を認識できなくなり驚愕に固まるユーゴ。

意味のない音が口から漏れた時には、仁狼の刃は既に首筋に添えられている。

あとは喉笛を動脈ごと掻き斬って終わり。

そのはずだった。

 

「─────っ!!」

 

またも仁狼は直前で飛び退く。

その瞬間、爆発。飛び退いていなければ、接近していた仁狼を確実に呑み込んでいたはずの位置と範囲だった。

仁狼の動きを捕らえていたのか?

否。ユーゴは反応すらできていない。

 

「驚いた……備えはしておくものだな」

 

背筋に冷たい汗をかきながらユーゴは言う。

 

「《機雷爆陣(ランドマイン)》。名前の通り()()()()()()()トラップだよ。

気取られたのもそうだが……まさか触れた後に回避されるとは思ってもみなかったがね。君の速度と気配を読むのは、どうやら私には不可能らしい」

 

ユーゴは決して(おご)らず、常に最短距離の最善を選ぶ。

再び周囲の空間に《機雷爆陣(ランドマイン)》を敷設しつつ、どうしていいかわからず狼狽えている生き残りの兵隊にユーゴは指示を飛ばした。

 

「しかし務めは果たさねばならん。──お前達、ぼんやりするな。()()()()()()()()

 

一瞬、仁狼の呼吸が止まった。

ユーゴは仁狼の動きを捕らえられない。だが人質を利用すれば話は違う。

ユーゴに向かえばテロリスト達の銃弾が人質を蹂躙し、テロリスト達に向かえばユーゴがやるだけだ。

人質から死人を出す訳にはいかない───仁狼が人質全員を守るしか選択肢がない。

こうなるともう動き回ることは不可能。

責務という首根っこを押さえる形で、ユーゴは仁狼を縛り付けたのだ!!

 

「「「……………っ!!」」」

 

自ら人質を殺す意図は全く理解できなかったが、逆らえば殺される強者の指示にテロリスト達は夢中で動いた。

機銃の銃口を一斉に人質に向けて引き金を落とす。

立ち塞がらんと人質達の前に出る仁狼。

悲鳴の絶叫を覆い隠すように無数の銃声が鳴り響き、連鎖する爆轟が全てを塗り潰す。

伐刀者(ブレイザー)は自身の魔力によるバリアのようなものを無意識下で常に身に纏っており、銃弾程度の危害なら打撲程度の傷で済む。

だが、それが無数に重なれば?

そこに破壊力の高い伐刀絶技(ノウブルアーツ)が重なればどうなる?

───回避という選択肢を、最初から奪われた状態で。

 

その結果は、目の前にある。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「………、は?」

 

ユーゴの喉から声が絞り出される。

見えない結界のようなもので、弾倉が空になるまで撃ち尽くされた銃弾は全て何かに阻まれ、ユーゴの爆発はまるで術式そのものが内側から外側に押し出されるように弾き出された。

───これは別に、仁狼の能力という訳ではない。

伐刀者(ブレイザー)が常に纏っている、魔力によるバリア。

仁狼はそのバリアの範囲を、意識的に拡張しただけだ。

脱力により脳のリミッターを緩め、限界を超えた範囲と密度で。

 

「……同じ手を使ってきた奴なら過去にいくつもいたが……何度体験しても肝が冷える」

 

そうぼやきつつ仁狼は、展開しているバリアの余剰分……強引に増幅させた分の魔力に、己自身の能力を混ぜ混んでいく。

さながら絵の具を混ぜて別の色を生み出すように、無色透明のエネルギーは伐刀絶技(ノウブルアーツ)に変化。

仁狼は空を裂くように二刀を振り抜き、周囲のユーゴやテロリストに向けて、生み出した能力の具現を叩き付けた。

 

「《風勢(ふうせい)烈霞(れっか)》─────ッ!!」

 

それは形容するならば『風』だった。

逃げる場所などない広範囲に、暴風のような魔力の圧がテロリスト達を襲う。

ユーゴは咄嗟に自分の前方に《機雷爆陣(ランドマイン)》を複数展開。《風勢(ふうせい)烈霞(れっか)》と激突して起爆し、爆発反応装甲のようにその威力を減衰───()()()()()()()()

翳したユーゴの手に血光が刻まれる。

それも一つや二つではない───まるで、自分の手がフードプロセッサーにでも掛けられているかのような勢いで!!

 

「ぐぅぅうおおおおおおっっっ!!??」

 

苦悶の絶叫が迸る。

《幻想形態》による攻撃は身体的なダメージこそ疲労に変換されて無傷で済むが、痛覚はそのままなのだ。

腕をミンチにされてのたうち回らなかっただけ見上げた精神力だろう。

脂汗を流しながら慌てて周囲を確認すると、もう二本の足で立っているのは自分だけだった。

バタバタと倒れている仲間達は、『風』を受けた身体の前半分が、血光が重なりすぎて染料に浸したかのように真っ赤になっている。

 

(何、だ、今の攻撃は……!?)

 

必死に分析しようとするユーゴだが、そんな隙を与える程仁狼も悠長ではない。

狼狽するユーゴに向けて一直線に吶喊。魔力で身体能力をブーストし、全身の白筋をフル稼働させたその速度はもはや視認できる領域を超えていた。

急激な最高速に着いていけず障子紙のように突き破られた周囲の空気が、パンッ、と手拍子のような音を立てる。

()()()()()()()()()()()()()()

音すら超えて迫り来る仁狼を、しかしユーゴは感覚で確かに見据えていた。

空気を破ったその音が慣れ親しんだ銃声と似ていたからだろうか。

ほぼ同時に迎撃に移ったユーゴの反応は、目を見張るものだった。

 

「《破山爆砕砲(ハウザーブラスター)》ァァァアアアアッッ!!!」

 

建物が倒壊しないように抑えていた威力を完全に解放した、いわばユーゴの切り札だった。

大量の魔力を注ぎ込んだ全力全開の爆破、そのエネルギーに一方向の指向性を持たせた、破壊力と突破力を十二分に兼ね備えた伐刀絶技(ノウブルアーツ)

どんな危機もこれで打ち払ってきた。

自ら絶対の信頼を寄せる札を切ったユーゴの見る景色は────なぜか、スローモーションで流れていた。

 

(──これは………?)

 

二刀を振るいながら()()()()()ユーゴに迫る仁狼。

彼の進路にある、まだ起爆せず残っていた《機雷爆陣(ランドマイン)》が次々と()()()()()()

なぜそこにあると分かるのか……魔力を纏った彼の二刀が何もない空間を斬る度に起動するはずだった爆破の式が爆ぜるような音を立てて消えていくのを、ユーゴは呆然と見ていた。

 

(なぜ……? これは、どういう……)

 

そしてとうとう仁狼の眼前に迫る、指向性を与えられた強大な爆発。

硬い岩盤に大穴を開け、前方100メートルという広範囲を殺傷する破壊力を前に仁狼が取った行動は───

────直進。

回避も防御もせず、迫り来る爆風と衝撃に向けてただ真っ直ぐに斬り込んだ。

 

 

それだけで、ユーゴの切り札は真っ二つにされた。

 

 

刃を立てる質量などないはずの『爆発』が、仁狼が刀を通した所からまるでチーズでも裂くかのように二つの支流に分かたれる。

背後の人質はもちろん無傷。

当然、仁狼にも火傷どころか服に焦げ跡一つ着いていない。

もはや絶句すらしない。ここにきてようやくこのスローモーションの意味がわかったからだ。

脳の処理速度が上がったところで切り札すらまともに切れなかったこの状況を切り抜ける策など思い浮かばないため、いっその事ユーゴはまさに自分を斬ろうとしている少年の顔を記憶するのに専念することにした。

人を並べて策を弄して、全力で挑んでなお歯が立たなかったその実力。

悪魔の如きその眼は罪人に憤怒する鬼にも似ていて。

そう例えると罪人というのは私の事になるな、と思ったところで、ユーゴは理解した。

その顔に恐怖はなく、どこか穏やかな笑みが浮かんでいた。

 

(ああ。そうか)

 

 

私の死神は───君だったのだな。

 

 

 

「────《祓魔之刀(ふつまのとう)》」

 

 

 

終局の声は静かなもので。

()()()()()を纏わせることで敵の伐刀絶技(ノウブルアーツ)に対しても絶対の攻撃力を得た仁狼の刃が、ユーゴの胴体を通り抜けた。

致命的な一撃を受けたユーゴは気絶。それをもって、この場に二本足で立っているのは仁狼のみとなる。

───急激な静寂。

目まぐるしく移り変わる状況に混乱している人質たちは、未だ状況に追い付けていない。

仁狼は剣を納め、しっかりとした声でそんな被害者たちに告げる。

 

「……安心しろ……もう、大丈夫だ。もう……敵は、いない」

 

その言葉から数秒。

───人質たちから、安堵の歓声と泣き声が一斉に溢れ出した。

事件発生から、およそ十三分。

数字にしてみれば意外と短い、されど苛烈な緊迫は終わりを告げる。

ショッピングモールのテロは今、鎮圧された。

 

 

 

奪った通信機に何度か話しかけたが、応答する者が一人もいなかったことでようやく敵組織の殲滅を断定。

警官隊に連絡を取り人質を保護してもらっている間、仁狼はただその時を待っていた。

その手に持っているのは、倒れたユーゴから奪ったまた別の種類の通信機だ。

予感に基づいてボディチェックをした結果発見した、明らかに毛色の違うそれに仁狼はさらに警戒を強めていた。

 

「おい。他の二件はどうなってる?」

 

「ステラ皇女は既に事態を収束させ、もう一件のカバーに入ったとの事です」

 

「ルナが付いてれば手こずる事もないだろうが……それならもうすぐ終わるな。他に異常は?」

 

「いえ、特に報告も来ておりません」

 

 

俺の考えすぎだったか?と仁狼が思おうとしたその時。

手にした通信機に着信が入った。

 

 

『おい、オイ! 聞こえるか!? 返事しやがれ!!こっちは手筈通りに済ませたぞ!!』

 

 

仁狼と周囲の警官たちに、二度目の緊迫が走った。

相手は十中八九解放軍(リベリオン)のメンバーだろう。

何か(コト)をしでかしたようだが、普通こうなればこちらにも報告が来ていないはずがない。

何らかの方法で警察への通報手段を()ったのだろう。相手は思っていたよりもずっと本気で、周到だったらしい。

 

やはりそうか、と仁狼は内心で唾を吐き捨てる。

───要求は無し。相手に急がれると困る。

この三ヶ所の同時多発テロ───それら全てが本命の目的を達成するための、時間稼ぎの陽動だったのだ。




やっと仁狼の戦闘シーンが書けました。


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幕引き

だが、それがわかったならまだ対処は出来る。

仁狼と同じ結論に至り思わず声を上げそうになった警官隊に、『静かにしてろ』と目とジェスチャーで合図した。

応答を求めてがなり続ける相手を前に頭を回転させること数秒。

声の調子を整えて、仁狼は通信機に向けて声を張る。

 

「あぁ……ああ、無事だったんですか? 成功したんですか!?」

 

『!? てめぇユーゴじゃねえな! どこのどいつだ!!』

 

「ユーゴさんならとっくにやられちまいましたよ!! 駆けつけてきた伐刀者(ブレイザー)に!! 俺は何とか逃げてますけど……あ、あの野郎ムチャクチャで……!」

 

『はぁ!? そっちもやられたってのか!?』

 

(───そっち()、ね)

 

どうやら既に他の二ヶ所も鎮圧されたらしい。

それにこの焦りよう、明らかに想定外の状況が起こっているのだろう……口振りからして可能性が高いのは、伐刀者(ブレイザー)の到着が早すぎてまともに時間稼ぎが出来なかったという事か?

──なら、そっちの方向から攻めてみようか。

言葉の内容や勢いから分析を進めつつ、平行して仁狼は演技を続けていく。

 

「お、俺も今ヤバいっすけど、何か、あの人が助けに来てくれるって……!

国道の132号線で合流する手筈だって! ユーゴさん俺に端末渡して、最後にあんたにそう伝えろって!!」

 

『あぁ!? あの人って誰だよ!!』

 

「俺だってわかんないですよそんなの!! そうとしか言われてねえんだから!!

お、俺も今なんとかそこに……ひぃっ!?」

 

『お、おい、どうした!?』

 

「きっ、来た、来たぁあ!! やめろ、来るな!

こっ降参、降参するから!!

だからやめろ、やめてくれ!! 嫌だ、嫌───」

 

『答えろコラ!! 何だ、何が起きてんだよぉっ!?』

 

「ぎゃあぁあああああぁぁああっっっ!!!」

 

───絶叫の直後に、通信機のフレームを握り潰しながら通信を切った。

逆探知などが出来なくならないよう中身の基盤などが壊れない程度に加減はしたが、『強い力を受けて破壊された』と向こうに思わせる位の勢いと音は出せただろう。

可能な限り演出までこだわってこその演技だ。

だが、演技の内容自体は目的こそあれ、そんなに緻密に考えられたものではない。冷静に考えればいくつも穴が見つかるはずだ。

だが相手は明らかに焦っており、冷静に物を考えられる状況ではなかった。

そこに今の状況がいかにまずいかを説明し、危機感と焦燥感を煽り立てる。

思考の幅が狭まったところで、現状を打開できる有益な情報を一つ渡す。

答えられない質問は怒鳴り返して有耶無耶に。

そして仕上げに、危機的状況だとさらに念を押す。

まるっきり詐欺の遣り口だ。

だが、仁狼はそれがいかに有効かを知っている。

もちろん、活かすべき所もだ。

 

「さて、と」

 

ここから先も時間との勝負になる。

いきなりの芝居に面食らっている警官隊の一人に向け、仁狼は問答の手間を省くため、有無を言わせないように強く指示を出す。

 

「おい、パトカーでも白バイでもすぐに一台貸せ。これから網に掛かった魚を獲りに行く。同行は好きにすればいいが、運転するのは俺だ。お前ら運転が丁寧なせいで遅いし」

 

「り、了解しました! どちらまで!?」

 

「うん?さっき言ったろ」

 

まるで狼のように計算高く。

同行するらしい警官隊の男を置き去りにしない程度に走りながら、仁狼は口の端を曲げながら答えた。

 

「国道132号線」

 

 

 

 

「クソッ、クソぉ………っ!」

 

大型のトラックが猛スピードで道路を走っていく。

法定速度無視はもちろん、逆走だろうがお構い無し。

直角のカーブにも速度を落とさずに突入し、慌てて脇に避ける車が巻き込み事故を起こしていた。

明らかに正気の沙汰とは思えない運転で、事実乗り手の精神は極限まで追い詰められている。

フロントガラス越しに見える顔色は蒼白だった。

『触れた物を命令通りに動かす』。

それが今トラックを操っている解放軍(リベリオン)《使徒》オスカーの能力だった。

ただし物を動かすと言っても念動力(テレキネシス)のように重たいものを浮遊させたりするものではなく、()()()()()()()()()()()()()沿()()()()()のだ。

例えば、車に触れれば燃料が無くとも思う通りに走らせる事ができ。

電話線やアンテナに触れれば任意で通信のオン・オフが可能で。

金庫に触れれば、どんなに厳重なロックでも自動的に解除させることができる。

決して強力な能力ではないが、しかしこの上なく悪用に向いた特性ゆえに(オスカー)はこの作戦の要に選ばれた。

 

まずは三ヶ所でテロを起こし、警官隊や伐刀者(ブレイザー)がそちらに向かい出払った瞬間、銀行に突入。

能力によって連絡手段の一切を絶ってから、現金その他の資産全てを強奪して大型トラックで逃走。

敵側の戦力を縫い止めて時間を稼ぐためにテロの現場には相応の手練れを用意してはいるが、彼らがどう脱出して逃げ延びるかは完全に彼ら次第。金を奪う以外の全てが考慮されていない作戦だった。

そんな馬鹿な作戦を実行せねばならないほど、オスカーがいる解放軍(リベリオン)の組織は追い詰められていた。

 

とある狂人の標的にされた。それだけだ。

それだけでオスカーの組織は、狂人にルートを辿られ見付かる事を恐れた全ての支援者(パトロン)を失った。

裏の社会でも金は力だ。

悪の道に堕ちた者は、つまりそうすることでしか食べていけない者………金と後ろ楯を失うことは、手足をもがれる事に等しかった。

だから、生きる為に行動を起こした。

騎士学園はもちろん、警察などの治安維持機関の場所と人員の質を時間の許す限り入念に調べ、すぐには応援が来ないと確信の上で実行した。

なのに。

 

「何でっ、何でこんなに早く伐刀者(ブレイザー)が来やがるんだよぉっ!!」

 

偶然遊びに来ていたから、なんて知ったら憤死するかもしれない。それほど切実な叫びだった。

二十分も掛からずに鎮圧されては時間など稼げているはずもない。その上でこんな逃走を続けていたら、遠からずロックオンされるのは目に見えている。

もはやこの組織は終わりだとオスカーは考えていた。

ならばせめて、自分だけは生き残りたい。

────国道132号線。

今のオスカーにとって、それが頼みの綱だった。

 

(誰だ、誰が来てくれてるってんだ……!?)

 

こういう時に頼れる『あの人』に該当しそうな人物をあまり知らない。

あるいはユーゴ……あの男ならばもっと顔は広かったはず。そちらのコネクションだろうか?

いや、そもそもそんな人が来てくれる手筈なら最初から周知しておくべきでは……?

 

(いや。とにかく、とにかく今は言われた場所に!それしか無え!)

 

戦いとなれば自分はどうにもできない。

通信が切れる間際の断末魔と破壊音がオスカーの背中を蹴り続けていた。

事前に調べておいた地図を脳内に広げて道を曲がること数回、やがて目的の道路に出た。

道幅の広い国道に侵入し、そのままスピードを上げて『あの人』と思わしき人を夢中で探す。

 

(畜生、国道132号線のどこだよ!? あの野郎伝えるなら正確に─────、??)

 

必死で視線を動かしていたオスカーは、対向車線を走っていた車両が急に道の真ん中で停車したのを見た。

その運転席から降りてきたのは、大小二本の刀を提げた少年。

それを『あの人』だと思うほどオスカーも馬鹿ではない。

なぜならその少年は、そのままオスカーのトラックの進路のど真ん中に立ったから。

そもそもその彼がパトカーから降りてきたから。

そして何より───見るもの全てに噛み付こうかというその眼光が、真っ直ぐに自分を射抜いていたから。

そこでオスカーは理解した。

───自分は、嵌められたのだと。

 

「クソッタレがぁぁぁあああああああっっ!!!」

 

絶叫を上げてオスカーは伐刀絶技(ノウブルアーツ)を発動。

操っているトラックを魔力で強化。さらに頑強さを増し、本来のスペックを凌駕した速度で鋼の箱が少年に向けて突っ込んだ。

 

 

 

「……想定より速いな」

 

パトカーから降りた仁狼は少しだけ驚く。

仁狼も全速力で移動したが、こうして出会したタイミングは間に合わずすれ違っていてもおかしくない位に際どかった。

普通の車を借りた方がギリギリまで騙しおおせて楽だったかと思っていたが、やはりサイレンの音などで他の車を脇に退かせてスピードを出せるパトカーは偉大だと仁狼は思う。

とその時、走行する()()()()()()()()()が膨れ上がった。

それを受けて仁狼は何かしらの伐刀絶技(ノウブルアーツ)が来ることを察知した。

一気にスピードを上昇させ突っ込んでくる所を見ると、どうやらそのまま轢き殺すつもりらしい。

バレたか、と仁狼は内心で唇を尖らせる。

あのスピードで迫る大質量を止めるのは、いかに伐刀者(ブレイザー)といえど一筋縄ではいかない。

下手なパワーではあっさり力負けするし、能力で止めようにも余程物体への干渉に優れた能力か魔力量が多いかでないと、受け止める以前に自分がタダでは済まなくなる。

 

ではどうするか。

結論から言えば、仁狼は受け止めたりはしなかった。

猛然と迫る大質量を相手に刀すら抜かないまま、爆進する車両に向けてゆらりと前に出る。

 

 

彼の能力の発現は、幼い頃、手に持ったコップが不意に二つに割れた所から始まった。

それ以前から体質のせいで物を壊し続けていた彼だが、その時を境に無意識の破壊はさらにエスカレートしていった。

触れた机が、踏んだ床が、時にはうっかりぶつかった人が。

訓練を受けて制御ができるようになるまで、彼の身体と能力は一昔前の歌のように触れるもの全てを傷付けた。

 

伐刀者(ブレイザー)ランクB。

その能力の本質は《切断》。

(あまね)く全ての物質を、彼はただ断ち斬る。

 

 

突き進む鋼鉄が無数の破片に変わる。

轢き殺そうとタイヤを回す大型トラックが、仁狼に触れたそばからバラバラに切り裂かれていった。

 

 

技の名は《断鎧(だんがい)》。

切断の概念を身に纏う、攻防一体の伐刀絶技(ノウブルアーツ)だ。

痛みも衝撃も抵抗もなく、相手の勢いのまま仁狼は霧の中を進むように不動のまま鋼を掻き分ける。

そして目の前に現れたのは、中に盗品が満載された、車両部分を失ったコンテナ部分。

変わらない速度で迫るそれに、仁狼は後ろに引いた右手で掌打を見舞う。

────《殻斬衝波(かくざんしょうは)》。

鞭で空を打ったような音と共に『切断』がコンテナの表面を駆け巡った。

切り分けられた鋼の箱がバラバラになり、中にあった紙に包まれたレンガ状のブロックの山が慣性で雪崩のように押し寄せる。

仁狼は大きく後ろに跳んでそれを回避。

着地と同時に、無数の屑鉄と化した元トラックがアスファルトに落下して大音量を奏でた。

 

あとに残ったのは、車両の残骸と紙に包まれた紙幣の束(ブロック)の山。

これだけでいくらになるのだろう、と仁狼は状況にそぐわないことを考えてしまった。

刃引きしてあった《断鎧(だんがい)》に巻き込まれ地面にのびている(オスカー)もいるが、完全に意識を失っているのでそれはスルーである。

 

ふと空を見れば、紅蓮の翼を生やしたステラ・ヴァーミリオンとそれに掴まりぶら下がっている黒鉄一輝が目を丸くしてこちらを見下ろしていた。

仁狼の能力を見るのはこれが初めてだったのだ。

援護に入ろうとしていた中途半端な姿勢で固まっている二人を見上げながら、仁狼はニタリと歯を見せて笑う。

 

「………よう。遅かったな」

 

サイレンの音が徐々に数を増しつつ接近してくる。

ここから先は自分達の役目ではない。

後はしかるべき機関がしかるべき結果に落とし込むだろう。

事前の宣言通りに、仁狼はさっさとその場から退散。

迎えに行った琉奈には、少しくらい頼る素振(そぶ)りを見せろと拗ねられた。

 

 

日本国内においては最大規模のテロ及び略奪事件は、四人の学生騎士の活躍によって幕を下ろしたのである。



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宣戦布告

まさか本当にさっさといなくなるとは思わなかった。

 

こうなるとやはりデートは中止かと落胆した一輝とステラだが、遅れてやってきた東堂刀華と貴徳原カナタが全てを察して事後処理の全てを引き受けてくれたため無事にデートは続行の運びとなった。

軽食をとったり本屋にも立ち寄ったり、ふと見かけたゲームセンターにも入ってみたりと、行き当たりばったり上等で思いつく限り色んな場所で遊んだと思う。

そして日が傾いた頃、ステラが一番楽しみにしていたショッピングのその途中。

 

「………何かと被るな、七星剣王」

 

「ははは………」

 

見事に仁狼の一行に()(くわ)した。

二人が並んで座っているのはランジェリーショップの近くにあるベンチだ。

一緒に選ぼうと言うステラと問答を繰り返した後何とか『()()()()()()()』という形に落ち着かせ、座って一息ついていた所にトイレから戻ってきたらしい仁狼に遭遇したのだ。

 

「その分だと、デートは続けられてるみたいだな……。ルナが若干気にしてたから、よかった」

 

「後から来た先輩たちに気遣ってもらえたからね。詠塚さんも店の中に?」

 

「ああ。……一緒に選ぶか、とか抜かすから断固拒否したよ。……その分だと、そっちも似たようなもんか」

 

「まあね。流石に身の置き所が無さすぎてさ……ステラはもちろんだけど、今は僕自身も思った以上に目立っちゃうみたいだし」

 

「全国的にツラ割れてるしな……。下世話な噂を立てられたくなきゃ、それが賢明だろ。

……とはいえ、その分だと『《紅蓮の皇女》と《七星剣王》は毎晩が七星(しちせい)(けん)()(さい)決勝戦』って噂は本当らしいな」

 

「言葉の前後が驚くほど噛み合ってないんだけど!?」

 

「有名になれば、そういう噂はいつか立つもんだ……。面白おかしく囃し立てる奴が出てくるのはしょうがない……。

だから、俺は悪くない……」

 

「しかも出所(でどころ)君なの!? なに居直ってるのさ、どこまで広めたのそれ!!」

 

「……股間の淫鉄(いんてつ)も絶技なのか?」

 

(とど)まる所を知らない……っ!?」

 

打楽器の達人を目指すゲームの譜面みたいな勢いで迫るツッコミ所に追いつけなくなってきた一輝。

それを見ている仁狼の顔───幼いころ絵本の中であんな顔を見た。

鋭い目を細めてニタニタと笑う顔は獲物を弄ぶ悪役のそれだ。

これ以上乗せられたらもっとボロが出る。

そう判断した一輝は、鼻を鳴らして乱暴に座り直す事で『これ以上とり合う気はない』と意思表示した。

そもそも自分と大切な人との関係をこんな風に弄られれば気分がいいはずもない。

 

「そう言うそっちはどうなのさ。詠塚さんとは、その……シてたりはしないのかい」

 

「慣れてないならその手の意趣返しはやめとけ」

 

芽生えた反抗心をサクッと殺された。

正面から事実を諭されると流石に返す言葉がない。さっきまでメチャクチャ言っていたのは向こうのはずなのに。この手の言い合いは仁狼の方がずっと手慣れているようだった。

しかし好き勝手に弄った分の責任でもあるのだろうか、仁狼はぼやくように一輝の仕返しに答えた。

 

「……まぁ、昼に聞いた通り、無防備な奴だ……。

そこで買ったやつも、今夜にも御披露目してくるだろうしな……。

そりゃ正直に言えば、思わないでもなかったが……けど、あいつとそういう関係になる気は、俺には無いよ」

 

「……どうして?」

 

 

 

「俺にその資格がない」

 

 

 

───そうキッパリと言い切った。

その目を見ればその言葉が偽りのない胸の内であることはわかる。

しかし一輝は、だからといって納得できはしなかった。

意趣返しの続きなどではない。義憤にも似た感情を抱きつつ、静かに仁狼に詰め寄る。

 

「……彼女は君の為にとても大きな役割を担っているし、それに君に対して随分と大胆だ。

君がどうして自分をそう評価しているのかも、資格が何を指しているのかもわからないけれど………少なくとも資格が無い人に、あそこまでの献身はしないんじゃないかな。

……彼女にもそう言ってはぐらかしてるの?」

 

詠塚琉奈が去原仁狼に大きな好意を抱いていることはレストランでのやり取りを見れば誰にでも察しがつく。

それこそベッタベタのハーレム物の主人公レベルの鈍感さでもなければ、仁狼とて気付いているはずだろう。

それを『資格がない』などという言葉で逃げるのは誠意の欠片もない行いだと一輝は思う。

逃げるな。応えろ、と。

最愛の人と共に歩めるようになるまで並々ならぬ苦難を味わった彼だからこそ、仁狼の態度を看過できなかったのかもしれない。

詰め寄られた仁狼は、暗い顔をして目を伏せた。

 

「はぐらかしちゃいない。言ってる事はわかるがな……。どうしてあいつがここまでするのか、俺も未だに納得できてないんだよ。

 

……だって、俺がした事を考えれば……そんな事絶対に有り得ないんだから」

 

思いもよらない告白だった。

彼は一体何をしたのか。そこまで言う程の事をしたのなら、何故彼女はああまで彼に尽くしているのか。そもそもこれは自分が踏み込んでいいものなのか?

あれこれと逡巡する一輝だが、彼が結論を出す前に仁狼が口を開いた。

 

「父親と、仲は良い方か?」

 

「っ?」

 

急な質問に戸惑う一輝。

踏み込んできたのは仁狼の方からだった。

何の脈絡もない問だ。だが、仁狼にとっては何かしらの関係があるのだろう。

……自分は今、彼の奥深い場所に指を届かせようとしているのかもしれない。

 

「……昔から色々あったから、正直、仲が良いとは言えないかな。……でも最近になって、ようやく折り合いを付けられたと思う」

 

幼少期から続く家との確執は流石にこの場所で話そうとは思わない。しかしこの思いに嘘偽りはない。

───そうか、何よりだ、と。

仁狼は静かに答え、少し間を開けてゆっくりと語る。

 

 

「俺にはな。肉親という意味での親がいないんだ」

 

彼の話は、そんな身の上から始まった。

 

「正確には、どこかにいるらしいが……どういう事情があったのかは、知らない。気付いた時には孤児院暮らしだった。

けど、この目付きとこの体質で、見た通りあんな能力だ………話した通りにやらかしまくって、色々とお察しの事情を抱えた奴らの中でも……俺はずっと独りぼっちだった。

いじめられなくなった代わりに、陰口は増えたがな……。

とはいえ、このまま順当にいけばどこかの《騎士学校》に入学するまで孤児院にいたはずだった」

 

「だった?」

 

()()()()()()()()()。どこかで聞き付けたのか、偶然かは判らないが……そんな俺を見つけて、引き取ったのが俺の親父───

 

────ルナの父親だ」

 

あっ、と一輝は思わず声を上げる。

二人が一緒に住んでいるらしい発言の根拠はこれだった。

去原仁狼は、詠塚の家の養子だったのだ。

 

「俺の体質が才能に思えたのかな。剣の修行は、俺が親父とルナの家に入って……そこが道場だとわかった、その日から始まった。

……ただ、最初の身体を動かす訓練ですら、何て言えばいいのか……全身骨折した人間に、リュック背負ってハイキングさせるレベルだったというか………。

日常生活を送れるようにしてもらった、今でこそ感謝しかないが……あの時は新しい地獄が始まったとしか……」

 

「へ、へえぇ……」

 

何やらトラウマが蘇ってきたらしい仁狼にかける言葉が見つからない一輝。

およそポジティブな目的を持った行動に使われる例えではない。

しかし彼の《白色総身(ホワイトカラー)》が、訓練なしではそのレベルで制御のきかないものだったとは思わなかった。

 

 

「それじゃあ、それからはずっとそこで修行を?」

 

「ああ。地獄みたいな訓練の日々だったけど………親父がいて、ルナがいて、会話があって、気にかけてくれる人がそばにいて……本当に幸せだったよ。

………幸せな事だって、わかってたはずなんだよ」

 

そう。彼は確かに、失っていたものを埋め合わせていた。

……なのに。

 

 

「────なのに、俺は、逃げた」

 

 

握り締めた仁狼の拳が、軋む。

潰れるように絞り出された声は、深い悔恨に染まっていた。

 

「毎日毎日辛くて、しんどくて、何で剣の修行してるのかわからなくなったんだよ。

それで終いに、逃げ出した。

『二度と帰らない』って、啖呵切ってな……。

そっからはもう、好き勝手やったよ。

能力を見せれば全員俺に従ったし、取り巻きからは誉めそやされて………下らねえ、馬鹿な事だ。

そこが自分の居場所だと思っちまった。

家にも帰らず、ずっとそこで腐り続けて……

 

 

───親父が死んだ、って知らせをそこで聞いた」

 

 

「───……亡くなった、んだ……」

 

「ルナが言うには、家出する大分前から不味い状態だったらしくてな……。

ほとんど気力で剣振ってたみたいで、俺がいなくなってから、一気に進行したとか……。

……一言も聞いてねえよ、親父がそんな重い病気だったとか」

 

後悔の傷はまだ塞がっていない。

彼の告白は、傷口から流れ出す血そのものだった。

 

「『父は最後まであなたが帰ってこない事を嘆いていた』『あなたは私たちの信頼の全てを裏切った』……ルナからはそう罵られた。

……な? わかんねえだろ。

どこにも無いぞ。俺を好きになる理由なんて」

 

琉奈の心情はわからないが、仁狼の話を聞く限りだと、確かにその通りだとは思う。

だが、それだとなおの事わからないことがある。

 

「……じゃあ、どうして君はまだ剣を続けているの?

続ける意義を見出だせないものをあそこまで極めるのは不可能だ」

 

「………償いだ。『強くなれ』と、親父は俺にいつもそう言っていた。

………親父の願いは、俺が剣で天下を獲る事だった」

 

伏せられていた双眸が言葉と共に起き上がっていく。その瞳が動いた先に写るのは、最も近くにある頂点。

狂獣の如き眼光をもって、仁狼は一輝を真っ直ぐに射抜く。

 

 

「………だから俺は、強くなった。名のある奴を全部斬り倒して、世界の頂点に立つ為に。

破軍という絶好の狩場……まずはお前だ、七星剣王。七星剣武祭を征したお前を倒して、俺はここから名を上げる。

 

俺が裏切った親父の無念に───俺は、必ず報いてやる」

 

込められた意思は雑じり気の無い殺意。

並み居る強者を獲物と言い切る不遜を受け止め、黒鉄一輝は獣の眼を正面から睨み返す。

 

 

「ああ、来るなら受けて立とう。僕もちょうど今───君が気に食わなくなった所だ」

 

 

そのニュースは瞬く間に学園を駆け巡る。

既に話題となっていた他校の生徒が、我らが王に挑戦する。その一大イベントに、生徒たちは大いに沸いた。

───その水面下で渦巻き絡む、彼らの意思と意地など知るよしも無く。

《七星剣王》VS《学園破り》。

己の生を剣に捧げた者同士が、今、紫電を散らす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……無様なものだ』

 

布団の上に、一人の壮年が上体を起こしていた。

薄い着物をはだけて晒したその身体は骨が浮き上がっており、怒鳴りながら剣を振っていた数週間前がまるで信じられない有様だった。

歳以上に老いさらばえてしまったその背中を濡れたタオルで拭いている少女は、ひどく沈痛な面持ちをしていた。

 

『全く……なぜこうも(おれ)は学ばない?

食らい付く姿勢を、熱意と思い込み……結果、全てを誤った。向き合う努力を怠った……否、誤ったのは方向か?

何度も門下生を失って、なぜ(おれ)は同じ事を繰り返すのだ……?』

 

これと同じ内容の独り言を、壮年はここしばらく毎日のように呟いている。

そんな彼の苛立ちは、ただひたすらに自分に向けたものだった。

それに対して少女は何も言うことができない。

何故なら、今自分に背中を拭かれている父と、去っていった()の心情を理解していたからで……理解していながら、自分も何も変えることが出来なかったからだ。

───やっぱり、探したりはしないのか。

少女は父に問う。

 

『否。あいつにも、一人で考える時間が必要なのだ。

娘であるお前には、わからんだろうが………男はああやって、親から巣立つ訓練をするのだ。

親しい者への不信を糧に、自分の力を磨こうとする……。

一人前になる上で………必要な過程だ』

 

───自立の為じゃない。ただ辛かっただけじゃないのか。流派の継承以外に何も求められない自分が、余りにも惨めだったからじゃないのか。

少女の言葉に、壮年は瞑目する。追想するのは、一家に決定的な亀裂を走らせたあの日の事だ。

 

『あの叫びほど、胸に突き刺さったものはないな……。

この現状は……我が子の悲鳴も聞き取れなかった、その報いだろう。

……紙と筆を……書くものを持ってきてくれ。

あいつが帰って来た時の用意をせねばならない。

……父親として出来る、恐らくは最期の思い遣りだ』

 

───最期だなんて言うな。それに、なぜ帰って来ると言い切れるのか。

 

『お前がいるからだ』

 

彼は、そうはっきりと言い切った。

口元に浮かんでいるのは、純粋な笑み。

不安も悲観も一切存在していないそれは、明るい未来を確信している者の顔だった。

 

『案ずるな、仁狼は必ず帰ってくる。

その頃には私はいないだろうが、その後に必要な全てを遺そう。

………二人で、強く生きるのだ。琉奈』



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月下咆哮
絡まる心


『黒鉄一輝が戦う』。

およそ現在の騎士学校の生徒で、そのワードに興味を示さない者はいまい。

がやがやと喧騒に包まれた闘技場は、当然のように満員御礼だった。

今か今かと待っている観衆の顔は、これから見られるに違いないスリルへの期待に満ちていた。

どちらが勝つか。やはり黒鉄だ。いやわからない。

ああだこうだと言い合っている群衆の中には、もちろんこの破軍学園のエース達もいる。

 

「そう……話には聞いていたけど、本当に急に決まったのね。デートから1日しか挟んでないじゃない。イッキも休まる暇がないわね」

 

「私もビックリしたわ。ヨミツカさんと店の中で偶然会って、出たら睨み合ってるんだもの。どうもその時に決まったらしいのよね」

 

デートの最中にテロに見舞われた話を気の毒そうに聞いていた有栖院(ありすいん)(なぎ)が、若干呆れたように言う。

その隣で若干眉間に皺が寄っているのは黒鉄珠雫だった。

兄に不合理に噛み付くならまず自分を通せと警告はした彼女だが、ちゃんと当人同士で話して決まった事のようなので特に言うことはない。

しかしデートの最中である。もう少し時を選べないのか。

せっかく()()()楽しんでいた所に───

ふと浮かんでしまった思いを慌てて振り払う。

 

「……しかしこの(ごろ)お兄様ばかりに挑戦者が現れますね。ステラさん、あなた若干スルーされてませんか?」

 

「そう? 確かにイヌハラも只者じゃないって事はわかるし、もちろん挑んでくるなら受けて立つけど……そういう事を特に思う事はないわね」

 

何でもなさそうな顔でステラは言う。

確かに彼も相当な強者なんだろう。戦って得られる物も多いだろうし、無駄な時間にはならないはずだ。

だが、自分から全身全霊で戦いたいという欲求はない。

頂点捕食者の対面にある席は一つのみであり、そしてその席は既に永久的に埋まっている。

傲慢、それこそ彼女が彼女たる根幹だった。

 

「ところで、そのヨミツカさんはどこにいるのかしら? せっかくだから技や流派の解説が聞きたかったんだけど」

 

「ああ、なんでも一緒に控え室にいるそうです。最後の調整でも手伝っているのでは?」

 

「そう……」

 

───『名を上げること』。

聞いた話の通りに仁狼の目的がそれであるならば、この戦いは彼らにとって大きな意味を持つ。

誤魔化しのきかない目を持つ手練れた強者も観ているのだ。勝敗はもちろん、内容の如何によっては彼の望みとは真逆の結果に陥る可能性すらある。

その大一番の直前に彼女がそばにいるのなら、それは仁狼の精神的なコンディションにも関わってくるだろう。

 

───もうずっと、「大丈夫」としか言ってくれないんです───

 

「……………」

 

どちらに勝ってほしいかと聞かれればもちろん一輝だ。

だけど、あの時そう言った彼女の表情がどうしても頭を過ってしまう。

今、彼女は仁狼と一緒にいるらしい。

もしも戦いの前に会話があるとするならば、それは前向きなものであればいいとステラは思った。

 

そしてもう一人、他校の生徒であるはずの倉敷蔵人(くらしきくらうど)も観客席にドカリと腰を下ろしていた。

自分を剣技のみで負かした男が、自分の最大の目標である男と戦うのだ。これを見ないなどという選択肢など有り得ない。

だが、それはつまり二人が自分が到達できていない領域にいるという事実を改めて確認する行為に他ならない。

攻撃的な外見と真顔ながら悔しさと憤懣を隠そうともしない気配に怯え、彼の周囲の席がぽっかりと空白になっている。

しかしその空白が今、一つ埋まった。

 

「邪魔するよ」

 

知っている声に蔵人が横目を向ける。

そこにいたのは、清楚な黒髪の真面目そうな少女だ。

訝しむような顔をする蔵人。

逆でこそあれ、およそ彼女が自分から近寄ってくるなど考え難かったからだ。

 

「……よお、絢瀬(あやせ)か」

 

「正直下の名前で呼ばれたくもないんだけど」

 

蔵人を中心に結界でも張ったかのように空いたスペースの中、綾辻(あやつじ)絢瀬(あやせ)は蔵人の隣に席を一つ開けて座る。

 

「何でわざわざここに座った?」

 

「観戦しながら、実際に彼と戦った君の見解でも聞ければと思ってね。詠塚さんがいたならその隣にしたさ」

 

「あん? 誰だそのヨミツカってのは」

 

「去原くんのそばにいた女の子だよ。去原くんに剣を教えた人の娘さん。道場主なんだって」

 

あいつか、と蔵人は連れだって歩く二人の姿を回想する。

戦士の気配を感じなかったので大して覚えていなかったが、確かに道場主ならばその流派の何たるかを知っているのが道理だろう。

それがいないとなれば、体験した者の話を聞くという選択は間違いではない──というか自分も聞きたい──が。

 

「ハッ、それで俺に講釈垂れろってか。お前アレか───()()()()()()()()()()()()

 

二人の因縁を知っている者からすればそれは、皮肉を通り越して薄皮で包んだ程度の鈍器で殴るような言葉だった。

しかし絢瀬は言葉に詰まることも怒気を露にすることも無かった。

 

「形振りなんて構っちゃいられないよ。何でも食べて大きくなる。例えそれが、君から得られた物だったとしても」

 

完全に己の腹を決めている者が、挑発に動じる筈もない。

ただ確固たる己の意思を表明する。

それだけでいい。

ただそれだけで、悪意などという有象無象は自分に道を譲る。

 

 

「───ボクから奪ったモノのけじめは、必ずつけさせるから」

 

 

身を切り裂くような寒気。

かつて二度覚えのあるものと同じ感覚が、蔵人の背を駆け上る。

この感覚は、そうだ。

滅茶苦茶になった道場で、黒鉄一輝が最後に放つ技を前にした時と。

滅茶苦茶になる前の道場で、満身創痍の彼女の父親が放とうとした奥義に感じたものと───同じ震えだ。

 

「ハッハァ……どうしたよ。ちょっと前とは()()()じゃねえか」

 

「さあね。とにかく君はボクの質問に答えてればいいんだよ」

 

話は終わりとばかりに絢瀬は蔵人から目線を切る。

弱々しく睨んで鳴くだけだった『少女』はどこにもいなかった。

じわじわと沸いてくる歓喜に、蔵人は荒れる心を一時忘れていた。

動機良し。覚悟良し。

頂点を目指す(みち)の中、自分を楽しませるだろう相手が一人増えたのだから。

 

娯楽として勝ち負けを楽しむか。

事の行く末を見守るか。

自分の糧にせんとするか。

三者三様の心情を前に、いつだって時間は平等だ。

 

『さて!いよいよ時間となりました!

2日前に発生した大規模なテロ事件、ここ破軍学園と禄存学園の生徒合わせて4人が鎮圧したニュースは皆さんご存じかと思います!

だがしかしっ!!

共に悪行を捩じ伏せたはずの双方が今日、互いに刃を交えようとしていますっっ!!

昨日の味方が今日は敵か!?

ルールはまたも実戦形式!

本日の実況は私、放送部の(つく)()()満月(まんげつ)が、解説は西京寧音先生が担当します!』

 

『おっすー。活きのイイ若いのがいるって聞いて来たぜぇ』

 

 

喧騒が、また盛り上がった。

 

 

 

 

ドームを満たす人の声も、控え室までは届かない。

届いていたとしても、彼には虫の羽音程度にも認識しないだろう。

椅子も使わず床の上。

去原仁狼は、両手を股の上に置いた跪座(きざ)の姿勢で目を閉じていた。

神道や弓道にも共通するこの座法は、二天一流の詠塚派において一番最初に教わる礼法の型だ。

稽古はこの型から始まり、この型で結んで終わる。

一流の戦士たるもの、常在戦場は当然のこと。

しかしこれは仁狼にとって特別な意味を持つルーティーンだ。

深く長い呼吸を繰り返し、己の深奥へと沈んでいく。

人工的に作られた部屋の中で、彼だけが森の奥の泉のような犯しがたい静謐さを持っていた。

 

『破軍学園・黒鉄一輝君。禄存学園・去原仁狼君。

試合の時間になりましたので入場してください』

 

───その時を告げるアナウンスに、仁狼は静かに目を開く。

凶悪の印象しか与えてこなかった双眸は今、湖面のように静かで、水底のように昏い。

戦いに赴く者の精神状態としてこれ以上はないだろう。

 

「万全ですか?」

 

「…………」

 

肯定の意味での答えて仁狼は立ち上がる。

その動作には淀みも隙もなく、まるで既に敵が目の前にいるかのようだった。

ドアを開けて部屋を出る。

そのまま真っ直ぐ進めば、そこは戦場だ。

どちらかが死ぬかもわからない、本物と本物が命を削り合う修羅の庭。

その只中に踏み込もうとする背中に、琉奈は思わず名前を呼んだ。

 

「ジンロウっ」

 

その呼び掛けに彼は足を止めた。

会話を挟んだ程度で途切れる集中ではないが、ことここにおいて会話は邪魔だ。

その相手が琉奈だから彼は応じたに過ぎない。

こちらを振り返らない彼に琉奈は何かを言いたそうに口を動かし、そして口から出た言葉は。

 

「………御武運を」

 

「………ああ」

 

短い応援に短く応じ、仁狼は歩き始めた。

だんだんと小さくなっていく彼の背中を、琉奈はじっと見つめていた。

まるで、彼がどこかでこちらを向いてくれはしないかと願いをかけるように。

幾度も破れてきたそんな想いを、彼女はまだ抱き続けている。

 

(違う)

 

やり場のない感情にスカートを握り締める。

(うつむ)く顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいた。

 

(……私は、そんな事を言いたかった訳じゃない)

 

滲み出るような痛みが胸を苛む。

ああ言えばよかった。こうすればよかった。

折れて積み重なり続けた後悔は、膿むような痛みを発し続けている。

 

音を立てて閉ざされたドアの前で、琉奈はぎゅっと唇を噛んだ。

 

 

 

『さあ、本日の選手の入場です!!

まずは何と言ってもこちら、やって来ました《七星剣王》!

大事件鎮圧の直後だろうと、投げられた手袋は必ず拾う!

己に挑む者を誰であろうと拒まない、その懐の広さはまさに頂点の貫禄と言えるでしょう!

伐刀者(ブレイザー)ランクF? 彼の前では序列など無意味!!

我らがキング黒鉄一輝、赤ゲートより登場ですっっ!!』



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試合開始

実況に引っ張られるように薄暗い通路を抜け、一輝は歓声の響く会場に出る。

だが全身を叩く割れんばかりの声は、彼の耳には全く聞こえてこない。

対戦相手がまだ入場してすらいない中、彼は極限まで集中力を発揮していた。

───この戦いの鍵は、自分が最初に彼をきちんと認識できるかどうかなのだから。

 

『続いて挑戦者の入場です!

血肉となり得る戦いを求め、あらゆる騎士学校に殴り込んだという戦闘狂!!

強者を求め放浪(さすら)う獣が、とうとうこの学園に目を着けた!!

素性は不明、しかし単独でテロを鎮圧するその実力に一切の偽り無し!

頂点という栄誉を狩るべく、禄存からの刺客が白銀の双牙を抜き放つ!

目にも見よ、音にも聞け、我が名を胸に刻み込め!《学園破り》去原()()、青ゲートより登場ですっ!!』

 

 

実況の口上と同時に再び歓声が上がるが、その声は次第に困惑へと変わっていく。

入場してくるはずの挑戦者が現れないからだ。

非常に気まずいのは実況の月夜見満月である。

もしやアナウンスが届いていないのかと控え室に繋げようとした時、西京寧音がマイクの前で面白そうに笑った。

 

『うーわ、すげーなコレ。初っぱなから魅せてくれるねぇ……その歳でここまで消えるのかい』

 

意味が分からず戸惑う観衆。

どうすればいいのか判断に迷っている月夜見を横目ににやにやと笑いながら、寧音は会場の中央を指差した。

 

『みんな、真ん中よーく見てみなって。……とっくにいるからさ』

 

観衆は促されるままに目を凝らし、そしてようやくその影を認識するに至る。

……一部の強者には見えていた。

案内の通りにちゃんと青のゲートから───ゆらりと姿を現して、一輝の前まで歩いてきた仁狼の姿が。

 

「え、いつの間に出てきたんだ? ……さっきまでいなかったよな!?」

 

「でもとっくにいるって言ってけど……?」

 

「ここにいる全員が気付かないなんて事あんのか? 影が薄いどころじゃねーだろ!」

 

やや騒然となる会場。

周囲の知らぬ間に位置についていた仁狼のコンディションを、一輝は一目で理解した。

───仕上げて来ている。

一部の強者を除く観衆が仁狼の姿を認識できたのは、仁狼が意識の隙間に潜り込む対象を一輝に絞っているからだろう。

こうして最大限に気を張っている一輝ですら、ふとした拍子に認識の範囲外へとこぼれ落ちてしまいそうなのだから。

静かに、しかし凛とした気迫を放つ一輝に対して、感じ取れるものを何も発しない仁狼という取り合わせはとても奇妙に映る。

自分の立ち位置から20メートル離れた開始線に立つ仁狼に、一輝は1つ問いを発した。

 

「………詠塚さんと、何か話はしたのかい?」

 

「……別に。……それがどうした」

 

いや、何でもない、と。

最後の対話の機会は二言で流れ去った。

ここから先、交わすものは言葉ではない。

磨き抜かれた、身体と技だ。

 

「……来てくれ。《陰鉄(いんてつ)》」

 

(しず)まれ、《鏡月(きょうげつ)》」

 

己の魂をその手に喚び出す。

その形は互いに日本刀。一輝の手には鴉の濡れ羽色、仁狼の両手には大小二振りの白銀が握られた。

手にした刀を正眼に構える一輝に対し、仁狼は両の刀を下段に置いた。

流れ落ちる水のような自然体で、直立させた(おもて)は真っ直ぐに一輝を射竦める。

かつて資料の画で見たそれと同じ構え。

名高き剣豪の技を継ぐ者と、今から自分は戦うのだ。

強者の背景に思いを巡らせるこの心境を、目の前の相手はきっと(いだ)きはしないのだろう。

一輝の眉間に僅かに皺が寄り、そしてその時は来る。

 

『これにて役者は出揃いました! いよいよ激突の時です!

一刀 VS 二刀流、軍配はどちらに上がるのか!!

それでは両者、構えて下さい────試合開始(LET's GO AHEAD)っ!!』

 

 

───幕は落とされた。

開始の合図と同時に一輝が取った行動は、敵への接近だった。

ただし、得意の速度による強襲・奇襲ではない。

刀は正眼に構えたまま両足を地面にべったりと着け、じりじりと摺り足で仁狼に近付いていく。

対する仁狼もまた動かない。

その場でじっと静止し、ゆっくりと迫る一輝を待っている。

 

『おっと、両者ともに静かな立ち上がりです。まずは様子見といった所でしょうか』

 

『それもあるだろーけど、黒坊は探るっつーか、全力で警戒してる動きだねぇ。

まぁ慎重にもなるだろうさ。イヌっちの気配の消し方が(うま)すぎさね……初動、マジで読めねーもん』

 

最大限に発揮している集中力を維持。

意識の網に1つの綻びもあってはならない。

それが刹那の空隙(くうげき)であろうとも、仁狼はそこに滑り込んでくる。

まだ10メートル以上も先にいる彼の刃は、今の直後には眼前に迫っているかもしれないのだ。

相手の動きが何一つ読めないというのは、無明の闇の中で戦うことに等しい。

加えて、触れるだけで鋼鉄をバラバラにするあの伐刀絶技(ノウブルアーツ)の存在だ。

久しく味わっていなかった種類の緊迫に背筋に冷たい汗を伝わせる一輝だが、向かい合っている仁狼が主導権を握っている訳でもなかった。

 

(……………、)

 

まるで入り込む隙がない。

戦場を広く捉え、敵の一挙手一投足を見逃さない───照魔鏡と謳われる《七星剣王》の観察眼、集中力を研ぎ澄ますとこれ程の代物だとは。

下手な動きは見抜かれるだろう。なかなか次の動きに移れない状況に、もはや物理的な閉塞感すら感じる。

成る程──黒鉄一輝、称号に違わず断トツだ。

 

(けど───)

 

自分が研ぎ上げてきたのは、あらゆる目を出し抜く技術。どちらかが相手を上回る。この世に矛盾は存在しない。

さあ、今こそ己の(わざ)を証明しよう。

───そして、仁狼は動いた。

 

 

 

(……あの実況、思いっきり()()()()って呼びましたね)

 

控え室から観客席へと移動する道すがら、実況の誤読に琉奈は若干半目になった。

字を見てそう読んでしまうのも分かるし、自分もずっとジンロウと呼んでいるので指摘しづらい。

だがわざわざ自己紹介でアピールしていたのだから、せめて忘れないでいてほしい。彼の名は仁狼(じろう)である。

客席に出た琉奈はキョロキョロと空いている席を探すが、あいにく席の空きはなさそうだ。

諦めて立って見るかと思った矢先、見覚えのある紅蓮の髪の少女が目に映った。

向こうも自分に気付いたらしく、手を振りながら笑顔で「ここ、ここ」と自分の隣の空席を指差してくれた。

まさか確保していてくれたのだろうか?

有り難くその好意を受け取ろうとした時、今度はおかしな事に気付いた。

 

「…………」

 

倉敷蔵人がいた。その隣には、なぜか仁狼をストーキングしていた綾辻絢瀬も座っている。

みんな蔵人に近寄りたくないのだろうか、彼の周囲の空席の数がすごい。

そんな時、絢瀬も琉奈の存在に気が付いた。

隣にいる蔵人と二言三言話したと思うと、蔵人は琉奈を睨みながら自分の近くの空席を指差した。

ここに来い、と言うのだろう。何故だ。

少し考えた後、

 

「あ……」

 

「んの野郎(ヤロ)っ」

 

琉奈はステラの隣に移動した。

妥当な判断だった。

 

「あら、あなたがヨミツカさん?可愛らしい()ね。あたしは有栖院凪よ。よろしく」

 

「ご丁寧にどうも。詠塚琉奈です」

 

「席を空けておいて良かったわ。よかったら試合を見ながら教えてくれないかしら? ヨミツカさん()の剣について」

 

「ええ。喜んで」

 

ともすれば機密の漏洩にも繋がるが、琉奈は二つ返事で快諾した。

それによって仁狼の実力、ひいては流派の名前が広まるなら断る理由はない。

そもそも、教えたところで彼の剣はまず真似など出来ないし。

自分の隣に腰かけた琉奈に、ステラはこそっと聞いた。

 

「……イヌハラとは話せた?」

 

「………」

 

無言でかぶりを振る琉奈。

やはりそうか、と思ったが口には出さない。

 

そして、いよいよその時は来た。

 

 

『───試合開始(LET's GO AHEAD)っ!!』

 

 

試合開始の号令を受け、一輝はゆっくりと仁狼に近付いていく。

初手から動いて流れを作るスタイルの一輝はこれまでになく静かな出足で、しかし片方に至っては動いてもいない。

音もなく張り詰めていく空気に、ステラ達もどんな見逃すまいと神経を尖らせる。

 

「《剣士殺し(ソードイーター)》の時以上に読めないわね……イッキも相当集中してるけど、どうなるか予想もつかないわ」

 

「諸星さんとのスパーリングの時と同じ戦法ですね。奇襲も実力で正面突破する気でしょうか」

 

(……ゾッとするわね。あそこまで消えたら、もはや人じゃないわよ)

 

それぞれが自分の考えを口にする中、アリスだけが内に留めていた。

仁狼の()の消し方の異常さを誰より理解しているのは、もしかしたら暗殺者という裏家業に身を浸し続けてきたアリスなのかもしれない。

 

「ヨミツカさんから見て、この立ち上がりはどう?」

 

「そうですね……考えうる限りでは、その後の戦いの流れに最も大きく影響する形だと思います。

観察眼と出し抜く技術、対極の性質を持っているお互いの最大の武器を最初から全力でぶつけていますからね。ここで上回れなかった側は一気に余裕が無くなるでしょう」

 

おお、と感嘆の声が漏れる。

ずっと側で一流を見続け、その技と戦いに触れてきた賜物だろうか。琉奈の見識は確かなものだった。

 

「しかし、どちらに分があるかと聞かれれば……やはりジンロウかと」

 

「どうして?」

 

一輝の観察眼の精度を誰よりも知るステラの純粋な疑問だった。

確かに一輝の目の凄まじさを実感として知らない琉奈ではあったが、彼女の言葉には確かな根拠がある。

少しずつ仁狼との距離を縮めていく一輝。

彼我の間はおよそ5メートルを切った時、

 

 

一輝の眼前に、何の前触れもなく仁狼がいた。

 

 

「動かない自分に神経を尖らせて慎重に近付く相手。この出だしは、ジンロウが最も多く体験してきたパターンですから」

 

 

恐ろしい大きさの戟音が鳴り響いた。

 

陰鉄(いんてつ)を頭上にかざし、振り下ろされた二刀をギリギリで受け止めた一輝が(ひしゃ)げるように地面に膝をつく。

そのまま縦に潰されそうなまでに凶悪な膂力。

慌てて一輝は屈んだ姿勢から海老のように後ろに跳んで離脱した。

しかし、仁狼はその意を読み取っていた。

仁狼も同時に前に跳んで距離を空けさせないまま、振り下ろした両刀を燕返しに斬り上げる。

それを防ごうと振るった陰鉄(いんてつ)は脇差しに弾かれ、一輝は身体を捻っての回避を余儀なくされた。

そこに仁狼は全力で踏み込み、またも両刀を振り下ろす。

防御してしまえば仁狼の思う壺だろう───ならば、その裏をかいて切り崩す。

一輝はまさに仁狼が描いているだろう理想の展開、防御の形で受け止めるように動き、

 

仁狼のそれもフェイントだった。

 

別々に軌道を変えて隕鉄(いんてつ)をすり抜けた刀と脇差しが、絶妙な時間差で()(たび)襲いかかる。

双の型一番────《濤切(なみきり)》だ。

 

「おおおおおおおおおっっ!!!?」

 

吼えたのは一輝だった。

全力()()で横に跳び、刃の範囲外に逃れつつ大きく回って仁狼の背中側に回る。

たっぷりと開いた距離はそのまま一輝が感じた危機感の大きさだ。

仁狼はそこで追撃を止める。

遠く離れた一輝を睨み、力を抜いてだらりと最初の構えに戻る。

そこでようやく、観衆の認識が追い付いた。

 

『きっ……強~~~烈なファーストコンタクト!

もはや何が起こっていたのか(わたくし)、恥ずかしながらまったく見えませんでした!!

しかし瞬く間の交錯、押しきったのは挑戦者!!

黒鉄選手、たまらず大きく距離を取りました!!』

 

『あっぶねぇー! あわや決まるトコだったぜ今の!

よく見切ったけど、ここで競り負けたのは黒坊にはちとキツい。仕切り直す為にも、距離をとるっつー選択は正解かね』



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無貌之相

(何、だ、今のは……!?)

 

───見えなかった。全く。

静寂から一転、爆ぜる火花のような衝突に沸く観衆とは逆に、一輝は動揺していた。

全身の筋肉を一斉稼働させて瞬間的に最高速度を叩き出す《比翼》の体捌きを、脳のリミッターを外した上で行使。

そこまでして一輝は仁狼を引き剥がしたのだ──それも、自分から退く形で。

今のやり取りを見ていたステラも、仁狼の技量を改めて認識した。

受けた時に姿勢が拉げたという事は、尋常ならざる洞察力と判断速度を持つ一輝が、敵の力を流すのが遅れたということなのだから。

それだけの速度。あるいは、力。

仁狼のそれが一輝の観察眼より上だとまだ決まった訳ではないが、最初の接触だけに与える印象は大きいはずだ。

 

「……最初の振り下ろしと斬り上げは技の1つなの?」

 

「いえ。あれは技というか胸背部を鍛えるための、二天一流における基礎的な素振り稽古の動きです。だからこそあの錬度の高さなのでしょうが」

 

「んで、ラストのが《濤切(なみきり)》かぁ。厭らしいタイミングで織り込んできやがる」

 

背後から聞こえた男の声にビックリして振り向く琉奈。

いつの間にかそこに蔵人が立っており、逆サイドには絢瀬も控えめながらしっかりと琉奈の近くに陣取っていた。何故だ。

ごめんね、詠塚さんの解説が聞きたくて、と絢瀬から耳打ちされた。

 

「イッキの反応が遅れる程の()()()()……《白色総身(ホワイトカラー)》、シンプルなだけに強力だわ。

けど、なんとか仕切り直せるかしら。イヌハラなら一息で飛び込んでくる距離ではあるけど、イッキならそのぶつかるまでの時間で」

 

「いや、これは失敗かもしれませんよ?」

 

目を慣らせる、と続けようとした時、琉奈が不穏なことを言った。

一輝の状況を前向きに分析するステラとは逆に仁狼が一物抱えているらしき物言いに、全員の注目が集まる。

 

「実際に戦った倉敷さんはもうお分かりかと思いますが、瞬間的な力や速度も立派な武器ですが、ジンロウの本当の怖さは()()()()()()()()()んです。……もし黒鉄さんが距離を取ればいいという認識でいるのなら、さっきと同じ展開がずっと続きますよ」

 

 

(落ち着け。やっている事は《抜き足》と同じだ)

 

吐き出す息で頭を冷やすように一輝は思考を切り替える。

脳が膨大な視覚情報でオーバーヒートを防ぐ為に不要な情報として切り捨てている、見ていながらにして認識していない『覚醒の無意識』───そこに潜り込み己の姿を認識させずに接近するのが《抜き足》だ。

2日前に垣間見たように、仁狼はその精度が異常に抜きん出ているのだ。

見破るのは難しい、だが方法は変わらない。

一輝は目に映る物の認識の幅をさらに広く、正確に拡げていき、

 

そして仁狼が消えた。

目の前にいた。

 

「~~~~~~~ッッ!?」

 

左手の脇差による喉を貫く刺突を一輝は辛うじて横に躱すが、直後に仁狼はその刃を引き戻す動きで動脈を斬りにきた。

立て続けに咄嗟の回避を強要されたところに、上から右の渾身の面打ち。

乱れのない軌道で飛んできたそれを陰鉄(いんてつ)で受け止めた一輝に伝わった衝撃は、片手だと言われても信じられないような大きさだった。

そこに腹部を(さば)こうと迫る脇差は柄尻で叩き落とすが、また仁狼の右が自由になる。

倉敷蔵人との戦いでは発揮できなかった二刀流の強みが、ここで火を噴いていた。

 

『っ、またも後手に回りました黒鉄選手! 二刀のコンビネーションが数の暴力で襲いかかる!

去原選手は()()()()()()()()()()近付いていたにも関わらず、一体なにが起こっているのでしょうか!?』

 

『《抜き足》……じゃねーな今の。目の前にいんのに黒坊が反応できねーって、パッと見で見破れる技じゃなさそうだ』

 

(っなるほど、向き合わないとわからないなこれは……!!)

 

脇差によるラッシュに応じながら歯軋りする一輝。彼は今、反撃に転じる余裕がないほど必死に防御していた。

読めないのだ。仁狼の動き、その『起こり』が。

僅かな動きや視線の揺れ、それらの前兆全てが死んでいるかのように起こらない。

それに加えて、短い刀身ゆえの回転数と全身の白筋による剣速がさらに高い制圧力を生み出していた。それを見てから受けねばならない難易度は想像を遥かに上回る。

そして反撃をより一層困難にしているのが、仁狼の構え。

一輝に対して、仁狼は身体を真横に向けていた。

 

『今度は小太刀による連撃! まさに烈風、振るう腕がもはや見えません!』

 

『小せえっつっても相応の重量があるはずだけど、それをああまで自在に操るのは流石さね。さらに注目すべきはあの構えだ』

 

『! あの身体を真横に向けた姿勢でしょうか?』

 

『そ。正中線の殆どを隠されちまうし的も小さくなるしで、やられた側はメチャクチャ攻めにくい。しかもイヌっちの場合、右の刀ががっつりドス利かせてっからねぇ。

手数で制圧するんじゃなく、片方を動かさない事でもう片方を活かす。

二天一流の要ここに在り、ってか』

 

仁狼は左手に脇差・右手に刀を握っている。

左肩を前に出すように身体を真横に向ければ必然的に右手は真後ろにいく訳で、この状態からは両の刀を使ったラッシュは不可能だ。

だが、構えの真横……腹部に添えるように置かれた刀の切っ先はピタリと一輝に向けられ、脇差の攻撃に集中することを許さない。

それは腹側の防御を固め、反撃の糸口を潰すことにも役立っていた。

───加えて、仁狼はここから技を出せる。

 

「───《()()(さし)》」

 

脇差による、顔面に向けた刺突。

この戦いで初めての赤色が宙を舞う。

躱しきれなかった刃が、一輝の頬を裂いていた。

 

「ぐっ……!?」

 

『ああっと!? 黒鉄選手の頬から流血!! 初撃を奪ったのは去原選手だぁっ!!』

 

「どうして……!? モーションも身体の使い方も、剣速にも変化のないただの突きだったのに!」

 

「軌道です。《峨嵋刺(あれ)》は刀身を相手の目線に重ねて突く技なので、相手からわかりづらいんですよ」

 

刀は細く平たい棒状の武器だ。

その形ゆえに切っ先の方向からまっすぐに見ると、正確な長さや距離感が分からなくなる。《()()(さし)》とはそれを利用した技だ。

相手の目線にぴったりと刀身を重ねることで、正確な間合いの感覚を混乱させる。

その状態から突きが来るのだ、相手からすれば厄介この上ない。

 

『なっ、なんという光景でしょう! あの《七星剣王》が、剣と剣の激突で何もさせてもらえません!!』

 

『黒坊もさっきから離れようとしてるんだけどねぇ。イヌっちの入り身がかなりの曲者(くせモン)だ。《滑り足》ってヤツさね』

 

『《滑り足》、ですか?』

 

『そ。原理は簡単だ。前に出した膝の力を抜いて、後ろの足と一緒に、文字通り足を滑らせて移動すんのさ。力を入れて動く訳じゃないから、動きの前兆が無いんだよ。

ま、ここで見るべきはその技術よりも()()()()()()()()()だぁね。

どういう理由(ワケ)だか、黒坊が次にどう動くかを完璧に読んでいやがる』

 

(『気配を消すには、まず気配の何たるかを知ること』か……それにしてもっ……!)

 

ここは刀ではなく脇差の間合い。

押し返せないなら退く他ないが、仁狼は一輝が退く気配を読んで前に踏み込んでくる。

自分の気配は読ませずに相手の気配は一方的に読み取るなどもはや理不尽の領域だ。

それを体現する為にどんな地獄が必要なのかを考えて、一輝の背筋に薄ら寒いものが走る。

だが、忘れてはならない。

黒鉄一輝とて地獄を潜り抜けてきた者であり───脳の電気信号を直接読み取る相手すらも欺いた実績があるを。

脇差のラッシュに圧され、一輝はたまらず後ろに下がる。仁狼もそれを追って前に出て、

 

一輝の姿を見失った。

 

「《蜃気狼》!!」

 

進行方向とは別の方向に残像によるフェイクを生み出し相手を撹乱する、一輝が開発した7つの秘技が1つ。

後ろに下がる方向に残像を生み出して仁狼を欺いたのだ。

では、本体はどこにいる?

───一輝は、仁狼の背後に回り込んでいた。

仁狼のあの構えの弱点だった───身体を真横に向けている故に、隙を見せれば容易く背後を取られる。

仁狼もそれを織り込んでいるだろうが、人体は背後に攻撃できる構造をしていない!

 

「よしっ! あれなら避けるか受けるか、どんな対策があろうと反撃までに必ず『体勢を戻す』行程を挟まなきゃならないわ!

それにイッキの剣速なら、イヌハラの白色総身(ホワイトカラー)でもワンアクションしか許されないはず。

主導権を取り返せる……っ!」

 

拳を握るステラに対して、琉奈は黙ったまま。

仁狼にとっては、そのワンアクションで充分なことを知っているからだ。

後ろにいることはバレているだろう──一輝は出し得るかぎり最大の速度で陰鉄(いんてつ)を振るった。

 

そして仁狼は持ち前の異常な瞬発力で左足を右足の後ろに下げ、後ろに下がる形で構えを左右逆に切り替え(スイッチ)

陰鉄(いんてつ)は一瞬前まで仁狼がいた虚空を流れ、身体の刀を構えている側はしっかりと一輝の方を向く。

後退による回避と反撃準備は、足を後ろに下げるそれだけで完遂された。

 

これ以上ないというタイミングの反撃を外され目を剥いた一輝は、心の片隅で合理的な構えだと感心していた。

そして仁狼は身を沈めつつ《滑り足》で接近。ゼロ距離まで間合いを潰し、そのまま脚部の筋力を爆発。全力でぶつかった。

下から上にカチ上げるようなショルダータックル。

 

「……ッ!!」

 

インパクトの瞬間に白色総身(ホワイトカラー)の最大の力を炸裂させたそれは、もはや交通事故に近い。

力を流して辛うじて宙に浮かされるのは防いだが、一輝は姿勢を大きく崩した。

いつか一輝が兄と戦った時と同じ流れだ。ならば後に続くものは決まっている。とっておきの大技だ。

いつの間にか脇差を腰の鞘に納めた仁狼。その両手が、残った刀を高々と大上段に構えている。

その脅威に一輝は総毛立つ。

蔵人を屠ったあの技だ。

あの剣速は、構えを見てから防御に移っては致命的に遅い!!

 

(間に合え!!)

 

一輝が辛うじて刀を頭上に構え、迎え撃つ体勢を取ると同時。

斬るという過程を無くしたような速度でそれは放たれた。

───大上段の構えから、()()()()()()()

 

「《流星(ながれぼし)》ッッッ!!!」

 

その戟音は音というより、もはや爆発。

予想外の軌道を前にそれでも防御を間に合わせたのは、ひとえに鍛え抜いた勝負勘と《比翼》の体捌きの賜物だろう。

それでもその研ぎ澄まされた一太刀の威力は恐ろしく、隕鉄(いんてつ)ごと割り断つように一点に収斂された衝撃を受けた一輝は大きく後ろに吹き飛ばされた。

転倒しないよう踏ん張る靴底が音を立て、陰鉄(いんてつ)を握る手首と腕が軋む。

その痛みが示すものこそ、この一閃の完成度だろう。

 

(受けちゃ駄目だとは、思っていたけど──!!)

 

己の至らずを悔いる一輝の認識から、また仁狼は消えた。

 

 

『おおっと!? 黒鉄選手、大きく吹き飛ばされました! そこに追撃する去原選手───足ぃいっ! 明確に足を落としにいった太刀を、黒鉄選手なんとか躱しました!!』

 

「何が起きているんですか……? 去原も強いとはいえ、お兄様がこうも後手後手に回るなんて……!」

 

「クロガネぇ! テメェなにやってんだコラ!!

……おいヨミツカ。あの野郎の《流星(ながれぼし)》ってのは唐竹に斬るモンじゃねえのか」

 

「……《流星(ながれぼし)》は 『理想的な姿勢と身体の使い方で振るう一太刀』 に付けられた名前です。フェイントだろうが何だろうが、その条件を満たしていればそれは《流星(ながれぼし)》なんですよ」

 

予想よりも一方的な展開に、観衆の声にも戸惑いが混じり始めていた。

困惑する珠雫に、罵声を飛ばしながらもしっかりと琉奈に解説を求めている蔵人。

一輝が追い込まれている原因を自分で解明しようとしていたステラも、とうとう観念して琉奈に聞いた。

 

「……ヨミツカさん。イヌハラは一体何をやってるの? イッキがここまで反応できないのは流石におかしい」

 

全員の注目がまたも琉奈に集まる。

この濃すぎる面子の中で解説をせねばならないのはかなりのプレッシャーだと彼女はいつにも増して肩がこる思いだった。

 

「そうですね……。簡単に言えば、《抜き足》にもう一手間、といった感じでしょうか」

 

「《抜き足》に?」

 

「はい。《抜き足》とは、簡単に言えば相手の『覚醒の無意識』の中に潜り込む技術……ここまでは皆さんご存知かと思います」

 

《七星剣武祭》予選の際、一輝と寧音からそれについてレクチャーを受けていたステラとアリス、また実際にやられた珠雫と《最後の侍(ラストサムライ)》に師事していた蔵人が頷く。

唯一わかっていない絢瀬に解説を挟み、琉奈は続ける。

 

「相手に自分を認識させない強力な歩法です。

相手の意識を読むことに長けたジンロウの常套手段ですが、それこそ黒鉄さんのような埒外の洞察力を持つ相手には通用しない事もあります。

いくら精度を上げても、潜り込む隙間がなければ《抜き足》は出せませんからね」

 

「その隙間を作るための『一手間』って訳ね?」

 

「その通りです」

 

ステラの予測を肯定する琉奈。

しかしそこから続く言葉は、聞いていた全員を絶句させた。

 

 

 

「具体的には、自身のバイタルを死の瀬戸際まで瞬間的に落とします」

 

 

 

「「「 …………!? 」」」

 

確かに、確かに一流の武芸者は周囲の環境に適応する為に体温や心拍数など自分のバイタルをある程度操ることができる。

しかしそれを使って自ら死に向かうなど、まったく理解の範疇外だった。

 

「ど、どうしてそんな事を?」

 

「意識の隙間を作るためですよ。

どれだけ全てを網羅し把握できる人でも、認識したものには無意識下で警戒するべきものの順位をつけるんです。

そして対象の順位が低いほど、その動きを気に留めなくなる。

……皆さんは今までの戦いの中で、相手の後ろに見える観客たちを気にしましたか?

極限の集中を求められる相手を前にして、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

……言いたい事がわかってきた面々が押し黙る。

つまる所、仁狼は化けているのだ───警戒する事など何もない、ただの()()に。

 

「相手にとって取るに足らないものに化ける、それこそが真髄。

優先順位の最下層と意識の死角に潜り込み、『覚醒の無意識』への扉を開く。

故に不認、故に不可視。

それが()()()()()奥義───《()(ぼう)()(そう)》です」

 



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暴く照魔鏡

敵を知り、己を知る。

気配の何たるかを知る事は、敵の動きを読むだけでなく己の気配を消す事にも通じる。

読めない気配や前兆は能楽のように無駄を削ぎ落とされた動きでより一層読みにくく。

そしてそこから飛んでくるのは、特級の剣速と力を内包した剣閃だ。

 

「くあぁ……っ!!」

 

仁狼と一輝の刀が、一つ目瞬(まばた)きする内に4つ5つと紫電を散らす。

全身の筋肉を一斉稼働する一輝と全身が白筋である仁狼の剣速は互角。故に一度後手に回るとそれを引っくり返すのは難しく、さらに仁狼の読みにくさも相まって主導権を握られたまま膠着状態に陥っていた。

同じ条件で蔵人は仁狼が最も嫌がる乱激戦に持っていっていたがあれは《神速反射(マージナルカウンター)》という天性が反則じみているのであって、純粋な剣技のみで敵の封殺に長けた仁狼の剣を正面突破するのは至難の技だ。

 

「《徹虎(てっこ)》ッッ!!」

 

「ぐぅっ!!??」

 

叫びと共に弧を描いた鏡月(きょうげつ)の片割れ。

凄まじい戟音が響き、一輝の膝が圧に負けてガクンと沈む。

今までとは比べ物にならない、まるで使い手の質量がそのまま込められているような重さ。

 

「《剛体術》か……!」

 

攻撃とは、四肢あるいはその延長である武器の末端を相手にぶつける行為だ。

だが、どんなに全力でぶつけたとしてもその威力は本来の威力ではない。

四肢にある関節のせいだ。

可動性を持つ複数のそれらが緩衝材になってしまい、どうしても相手に伝えるべき力が減衰してしまう。

そんな不可抗力な原則を否定するのが、衝突の瞬間四肢の筋肉を硬直させる《剛体術》だ。

 

二刀を使う《双の型》に並ぶ、一刀を使う《(ひとつ)の型》の内の一振りである《徹虎(てっこ)》。

全力の踏み込みにより生じた下半身と腰の力を全て一刀に乗せ、衝突の瞬間に《剛体術》により全身を一塊の鋼と化す───関節により分散されるはずの力や自身の質量の全てを刀に乗せ、威力を数倍に引き上げる剛の太刀。

さらにこの技は『前に出て斬る』という基本的な動きをベースにしているため、連打が利くのだ。

 

『一撃、二擊、三擊!!《紅蓮の皇女》の剛剣を正面から受け流せるはずの黒鉄選手が、どんどん力で押し込まれていきます!!』

 

『や、流せてねー訳じゃねーよ。黒坊はまだ相手の動きを見てから動くっきゃねーし、加えてイヌっちの剣速だ。対応が遅れて流しきれてねーのさ』

 

だが反撃の芽はある。

仁狼は今、刀を両手で持って戦っている。一輝と同じ一刀流の状態なのだ。

ならばその刀を弾き姿勢を崩してしまえば流れを引き戻せる。

そういう搦め手は《落第騎士》の十八番だ。

剛剣を陰鉄(いんてつ)に叩き付けた仁狼の腕に───その力がそのまま跳ね返る。

黒鉄一輝の七つの秘剣が一つ、第三秘剣《(まどか)》。

刀で受け腕から入った力を背中を通して循環させてそのまま相手に丸ごと返すカウンター技。

使い手の十数倍ではきかないレベルの膂力さえ弾き飛ばすその技は、同様に仁狼の剣も弾く……はずだった。

 

仁狼にとって、その技は初見ではない。

七星剣武祭(しちせいけんぶさい)決勝の映像を、彼は分析を繰り返しながら網膜に擦り切れるまで見返している。

 

返された力に押し返されるより早く、仁狼は両手で握っていた柄から片手を離した。

そして柄に残った片腕も完全に脱力し、刀の握りすら極限まで弛める。中指から小指はもはや柄から離れ、変わらずに柄を把持しているのは人差し指と親指だけだ。

脱力した腕に、人差し指と親指の一点のみで固定された刀。

そこに力をぶつけられればどうなるか。

 

陰鉄(いんてつ)を受けた鏡月(きょうげつ)が、水流を受けた鹿威(ししおど)しのようにガクンと傾く。

返すはずだった力をいなされた陰鉄(いんてつ)が、鏡月(きょうげつ)の刀身に沿って宙に流された。

 

「─────」

 

ぞわり、と最大の悪寒が這い上る。

一輝が返そうとした仁狼の力は、一輝が発揮しうる力を大きく上回っていた。

自分自身のスペックを上回る力が乗った刀をいなされれば、自分の力で制御がきかなくなり身体もそれに引っ張られて流れてしまう。

とはいえ力を技術で埋めるのが一輝のスタイル、決してリカバリーできない隙ではないが、二の太刀がそれを許さない。

姿勢を直そうとするその時を、鞘に納められた脇差が狙っている。

 

双の型三番、《(やなぎ)(おろ)し》。

相手の一撃を片手の脱力で流し、同時にもう片方で斬る。

最小限の動きで攻防を両立させる技。

逆手に握った脇差による居合い抜きが、一輝の上半身に垂直の線を引いた。

 

「ぐうっ……!」

 

『ああーっ! 黒鉄選手、今度こそ完全にもらってしまいました!!』

 

『いや、バックステップがギリで間に合ってる。内臓(モツ)にゃ届いちゃいねーけど、こいつはかなーり痛いねぇ……肉体だけじゃなく、精神的にも』

 

斬られた一輝の上体から赤黒い色が制服に滲み出ていく。

二度目の出血だ、しかも傷は頬のそれよりずっと深い。

ここからの展開に少なからず影響するだろう事は素人にも察しがつく。

対して未だに無傷の仁狼を見た観衆の間に、(にわか)にざわめきが生まれつつあった。

 

「お、おい……黒鉄の奴、もしかしてピンチなんじゃねえのか……?」

 

「けど、いつもボロボロな所から勝ってきたよね?」

 

「でも剣と剣でこうなってんだぞ? 黒鉄の得意分野で」

 

困惑は波及し、やがて1つへと収束していく。

見せ付けてきた実力と積み上げてきた実績が生みだし、そして疑われることの無かった信頼が、ここにきて揺らぎ始めている。

去原仁狼の実力よりも、それは大きな衝撃の予感となって会場を包んでいた。

 

「これ、もしかして………」

 

 

………黒鉄一輝が、剣で負けるのか?

 

「確かに、去原からも尋常ではない技の冴えを感じます……。だけど、伐刀絶技(ノウブルアーツ)も無しにここまでお兄様が何もできないのは……!」

 

「クロガネの野郎、なに受けに徹してやがる……!

力を技で引っくり返すにしたって、攻めるなりカウンターなりのきっかけを自分で作らなきゃ話にならねえ!

速度が互角で力じゃ負けてんのに、んな事してたらどっかでどん詰まるだけだろうが!!」

 

「イヌハラの能力よ。アイツには暴走する大型車両すら真っ向から、指一本動かさずバラバラに斬り刻む伐刀絶技(ノウブルアーツ)がある……それを知っていて、そして()()()()()()()()()

 

「あぁ? ……!!」

 

「そうか……!」

 

蔵人と同時に、絢瀬もステラと同じ所に思い至る。

 

「私達もだけど、イッキはアイツの能力を詳しく知らない。ただわかっているのは、近接戦闘における圧倒的な制圧力。

下手に近付いたら即座にブツ切り……それを半端に知っているからこそ踏み込めないのよ。さっきのカウンターも、使ってくる()()()()()()伐刀絶技(ノウブルアーツ)を探る以上に危険な賭けだったはず。

………イヌハラがこれを狙っているのだとしたら……」

 

一輝は踏み込めない。だが仁狼は踏み込める。手の内を知っていれば縮こまる事などない。

《七星剣武祭》に出た一輝の伐刀絶技(ノウブルアーツ)がどんなものなのかは、プロの解説付きで周知の事実になっているからだ。

 

「能力を()()()使()()()()事で、逆にイッキを縛り付けてる事になる。お互いの条件と力量を正確に把握できてたとしても、そう思い付かないわよ………アイツ、かなり戦術に長けてるわ」

 

戦うのが上手い、と言ってもいい───

それでもその戦術は仁狼に“自分の剣は黒鉄一輝に負けない“という絶対の自負と実力があるのが前提条件。彼の中には、冷静さと闘志が高いレベルで両立されている。

ステラの見解に息を呑む周囲とは別に琉奈が何かを言いたげに口を開きかけ、そして閉じた。

 

 

そして十数合の打ち合いを経た頃。

それは明確な変化となって現れた。

 

「せあっ!!」

 

「!」

 

右の刀を陰鉄(いんてつ)の柄尻で受け止め、左の脇差を刃で弾きながら一輝は自ら前に出る。

短めの刀身を乗り越えたそこはもう刀の間合いではない。

自分の攻撃手段も潰してしまったかに思われるが、 違う。

一輝の全身の筋肉がギシリと軋む音を立て、

 

「かァっ!!」

 

全力で退いた。

仁狼の一喝と共に鏡月(きょうげつ)の刃が、触れそうなほど近くにいた一輝と仁狼の間にギロチンのように()()()きた。

腕を限界まで折り畳んだ極限までコンパクトなスイングだ。

数メートルほど距離をとった一輝を睨む仁狼。

追撃を控えたのは、今感じた悪寒に従った為だ。

───今、奴の筋肉が不自然すぎる動きをした。

 

「……凄いな。この至近距離で斬ってくるなんて」

 

「………、」

 

お互い様だと仁狼は思う。

やはりあの()()は攻撃の予備動作だったのだ。

当然と言えば当然だが、《七星剣武祭》以降も研鑽を積んでいたようだ……自分の知っている領域から外れたデータがある。

それに今、さっきまで受けに回るしかなかった自分の二刀をこの上なく綺麗に攻略された。

理由? 考えずともわかる。

 

「うん。段々わかってきた」

 

呟くようなその言葉に、仁狼は内心で唾を吐き捨てた。

もはや一刻の猶予もないだろう。

完全に対応される前にカタを付けねばと仁狼はさらに攻勢に出ようとして、

 

 

「勿論、剣だけじゃなくて、君の事も。……君、伐刀絶技(ノウブルアーツ)を使う気無いだろ」

 

 

───ぴたりとその動きが止まった。

その言葉が聞こえていたステラ達も目を見開いていた。

琉奈を除いて。

 

「僕の《完全掌握(パーフェクトヴィジョン)》は知ってるよね。

相手の絶対的価値観(アイデンティティ)を暴くための要素は戦闘中に得られる情報に大きく依存してるんだけど、今回は戦う前に君の話が聞けたから、そこからも考えてみたんだ。

 

『父親が遺した剣のみで勝たなきゃ、父の剣が最強である証明にならない』。

 

………大方、こんな感じじゃないかな」

 

一輝も最初はステラと同じ予想をしており、そしてその通りの展開になっていた。

だが、何かしら伐刀絶技(ノウブルアーツ)を撃ち込めそうな隙を作ってみても見向きもしない───それだけならまだしも、伐刀者(ブレイザー)なら当たり前の魔力による身体強化もしてこないとなれば流石に不自然。そこで一輝が至った結論がそれだった。

肯定か否定か、どちらが自分に有利になるか少し考える仁狼だが、こうして動きを止めて黙った時点で肯定したのと同じだ。

 

「……だから何だ」

 

「ふざけるな、って話さ」

 

一輝は明確な苛立ちを込めて切っ先を向ける。

 

「確かに君は強い。だけど、僕も胸を張れる位には強い。全力を出そうともしない奴に遅れを取るほど、僕は甘くないぞ」

 

「受けてばっかの奴がどの口で?」

 

「そうだね。だから僕も全力でいくつもりだったけど」

 

すぅ、と一輝の姿勢が低くなる。

仁狼も全身の力を抜き、あらゆる攻撃とその応手を脳内で無数に導き出す。

 

 

「………今の君に勝つのなら、この程度で良さそうだ」

 

 

瞬間。

一輝の姿が霞んだ。

 

 

ガギャンッッッ!!!と鋼が悲鳴を上げる。

想定を大きく超える速度で吶喊(とっかん)してきた一輝の一太刀を、辛うじて仁狼が受け止めた音だった。

到底片腕では抑えきれない力に、仁狼は鏡月(きょうげつ)を交差させて抗う。

 

(使ってきた………っ!!)

 

想定外の展開に両の刃で挟み横に押し退けるように力を流す仁狼。

だが力を流された次の刹那には、一輝はもう斬りかかっている。

驟雨のような陰鉄(いんてつ)のつるべ打ちを打ち落とす両刀から伝わる速度と力は、数秒前の比ではない。

使われる前に倒すのが理想だったが、こうなっては仕方が───

 

(違う)

 

仁狼の思考が違和感の正体を弾き出す。

確かに、さっきまでよりも遥かに疾く、強い。

だがこれがあの伐刀絶技(ノウブルアーツ)なら───数十倍まで引き上げられた身体能力なら、この程度では済まないはずだ。

それに一輝はこう言っていたではないか。

“この程度で良さそうだ“、と。

 

(これは……《一刀修羅(いっとうしゅら)》じゃねえ!!)

 

『出たぁあああ!! 黒鉄選手、満を持して《一刀修羅(いっとうしゅら)》を発動!!

追い詰められてからが彼の本領、限界を超えて目の前の敵を斬り伏せる!!

七星剣王、反撃の狼煙だぁああっ!!』

 

『や、(ちげ)ーよ。ありゃ《一刀修羅(いっとうしゅら)》じゃない。』

 

『……えっ!?』

 

ヒートアップする実況に寧音が水を差した。

まさかの指摘に口が固まってしまった月夜見。

 

『黒坊の《一刀修羅(いっとうしゅら)》もすっかり有名になったけどさ。

「自分の全てを使いきって1分間だけ身体能力を数十倍まで引き上げる」って事は知ってても、()()()()()()()()()()()()()()()ってのは知らないってヤツ多いんじゃないかね?』

 

『し、知りませんでした……! も、元になった伐刀絶技(ノウブルアーツ)ですか?』

 

『そーそー。黒坊の元々の伐刀絶技(ノウブルアーツ)は、「自分の身体能力を倍にする」っつーハズレ能力でねぇ。

それをアタマの限界(リミッター)ブッ壊して使うことで、手を付けちゃダメな力を引き出すのが《一刀修羅(いっとうしゅら)》なんさ。

正しい使い方じゃあ無えのよ、アレ』

 

『! と、いう事はあれは……!!』

 

『ご想像通り。ありゃ自分の伐刀絶技(ノウブルアーツ)()()()使()()()()()()さね』

 

眼下の光景に、寧音は面白そうに口角を歪める。

 

 

『もっとも、今の黒坊の魔力コントロールは《七星剣武祭》の時を遥かに上回ってんだ……見たところ、普通よりもずっと少ない魔力で、4・5倍はパワーアップしてるみたいだけどねぇ』

 

正しく扱っているが故に使用後に動けなくなるという事もない。

本来の魔術の式に基づく故に魔力を律するのも容易。

自身のピーキーな戦いに大きな柔軟性をもたらす自分の原点となったその技を、

一輝は、《(まとい)薬叉(やくしゃ)》と名付けていた。

 

「はぁぁあああああっ!」

 

「~~~~~~~っっ!!」

 

攻守は完全に逆転した。

圧倒され後ろに下がる仁狼を、一輝は猛然と攻め立てる。



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解放

想定外の展開だが、流石に仁狼の応手の選択は早かった。

一輝の増強の効果を知るや、即座に己の霊装(デバイス)に命じる。

 

「《明月(めいげつ)》っっ!」

 

仁狼の二刀が一刀に収束。

現れた一振りの大刀が一輝の剣を受け止め、続く連擊を阻んでいく。

 

『いっ、去原選手の刀が一本に!? しかし黒鉄選手のあの手数を前に二刀を手放すのは悪手ではないのかぁっ!?』

 

『正しい判断さね。今の黒坊のパワーは両腕を使わなきゃ防げねー。二刀の味を活かせねえなら、一刀にした方が力のロスも無い。身体も軽くなるしねぇ』

 

蔵人との戦いが示す通り、剣と剣の戦いで仁狼に勝つには乱擊戦に持ち込むのが正道。

大幅に強化された身体能力によりそれを叶えているはずの一輝だが、その表情は固い。

腕に伝わる手応えが、軽すぎるのだ。

 

(綺麗にずらされてるな)

 

この怒濤の連擊を前に仁狼は一歩も退かず、全ての攻撃をいなしている。

武器というものはただ振って当てればいいのではない。

それが激突する瞬間、激突する場所に最大の力を発揮するように身体を運用してこそ、その一撃は敵を倒し得る威力を持つ。

仁狼は一輝のそれをズラして受けているのだ。

力の流れと最高点を見切り、そこを避け最小限の動作で受け、流す。

自分よりも強く速い者を相手に、完璧に。

特異体質のせいで幼い頃から力の制御を突き詰めていかねばならなかったせいか、彼は()()()()が抜群に巧い。

 

だが、関係ない。

 

(彼が防御に徹するしかないという現実は変わらない!!)

 

運動性能という基本面で勝るという有利はとても大きい。

その差は時に抵抗を許さないまま相手を圧殺する事を、一輝は身をもって知っている。

何ならここで勝負を決めてやろうと一輝はさらに追撃をかけようとして、

また仁狼が消えた。

 

「しゃ、(しゃが)んだ!?」

 

ステラたち観衆には正しくそう見えていたが、動きが唐突すぎて一輝の目にはまさに消えたように映っていた。

慌てて目線を下に落とすと、そこに仁狼はいた。

片膝すらついて身体を低くしているその体勢ではそれ以上の動きはできまい。いつか絢瀬を相手取った時の一輝のように、よほど技量に開きが無ければそれは致命的な隙になる。

それを逃さず上から陰鉄(いんてつ)を叩き付けるが、その刃は仁狼には当たらなかった。

 

「っ!?」

 

一輝の足元、変わらぬ体勢で仁狼は陰鉄(いんてつ)の刃の横にいる。

踞んだその姿勢のまま、足を擦って移動したのだ。

 

『うはっ、《居取(いど)り》かい! またシブいもん使うねぇ!』

 

『《居取(いど)り》、ですか!?』

 

『そ。不意打ちを迎え撃つ為に座ったまま・踞んだまま動く為の、古流柔術の足運びさね。

けどあそこまで自在に動くのは初めて見るねぇ。

イヌっちの流派がどんだけ色んなもんを吸収して発展させてきたのか知れるってもんさ』

 

「………《這猫(はいねこ)》、と言います」

 

仁狼の足運びをそう解説する琉奈の声は暗い。

仁狼が伐刀絶技(ノウブルアーツ)を使う気がないと判明してから、彼女は明らかに沈んでいた。

ステラにはその理由がわかっているが、当の仁狼はそれを知る(よし)もない。

鼠花火のように地を這う仁狼が、執拗に一輝の足を襲う。

 

「くぁあっ……!!」

 

ただ低い位置から斬るのではなく太刀筋を変えて、時に踏み込んで後ろの足を断ちにかかってくる。

防御しようにも位置的に刃先で受ける形になり力が伝わりきらず押し負けるため、下がりつつ足を上げて回避するしかない。

前の戦い以来下からの攻撃にも気を張っていたつもりだったが、僅かに攻勢に気が逸った所を突かれてしまった。

だが、こうなった時の対処法は一輝もとうに考えている。

同じ高さで戦えばよい。

座した状態での戦いを心得ているのは、一輝も同じだ。

 

「! イッキも(しゃが)んで───」

 

 

それと同時に仁狼は跳んでいた。

そんなものに付き合ってやる道理はないとばかりに、しゃがんだ一輝の頭上から重力を乗せた太刀が襲いかかる。

 

『と、跳んだぁ!! 去原選手、同じ土俵を拒否するかのように奇襲をかける!!』

 

(っとことん視界から消える人だ────!)

 

完璧に()を読まれた一輝が、歯噛みしながら全力で後ろに跳び下がる。

と同時に、一輝の爪先を掠めるように明月(めいげつ)が床に激突。その瞬間に足をついた仁狼は大きく身を沈め、そして全力で身体を前へと蹴り出す。

脱力からの反射運動によるクラウチングスタートは、まだギリギリ着地していない一輝に容易く追い付いた。

 

「………っ!!」

 

着地寸前の両足を狩りに来た刃を、一輝はまだ浮いた足で地面を踏みつける事で強引に回避。靴の先端が僅かに斬り飛ばされた。

 

(そうするしか無かったのはわかる。だがそれは悪手だ七星剣王!)

 

この上なく不安定な体勢で空中に浮く一輝。

それを追って低い姿勢から速度はそのまま流れるように淀みなく身体を持ち上げた仁狼が、明月(めいげつ)を上段に振りかぶる。

それを見たステラ達が思わず息を呑み、仁狼は内心で勝利を確信した。

空中にいては、一輝は回避のしようがないのだから!

 

「貰った────、っ!!」

 

貰えてはいなかった。

動きようのない一輝が空中で明月(めいげつ)の鍔を蹴り飛ばすことで、自分の身体に刃が届くのを阻んだのだ。

だが、地に足のついていない蹴りで止まるほど仁狼の剣は温くない。

斬られはしなかったものの、仁狼の力と衝撃の反動に負けて一輝はほとんど頭から地面へと落下していく。

その危機回避能力は流石だが、こうなってはもうどうしようもないだろう。

 

(悪足掻きを!)

 

そんな往生際の悪さに、仁狼は苛立ちを込め改めて斬りかかる。

空中で逆さまになり、どうしたって反撃などしようのないただ斬られるだけの木偶に向けて。

 

───これで決まりだ。

 

決定的な確信の元、仁狼は決着の刃を振り下ろす。

これで自分は、七星剣王を(くだ)した者として名を上げる事ができる。

 

ここがようやくのスタート地点。

ここから、やっと自分は償いを始める事ができる。

自分が壊してしまった未来を今からでも積み上げるのだ。

例えそれが、二度と還らない理想の中にあるものだったとしても─────

 

 

「ッごぉっっ!!?」

 

突如(とつじょ)鉄槌を振り抜かれたような衝撃が仁狼の横っ面をぶん殴った。

口内に血の味。歯が一本飛んだ。

全く予期していなかった反撃をモロに喰らい、肉体よりも意識が根底から揺さぶられる。

その一部始終を見ていた観衆は唖然とし、ステラ達も目を見開いた。

それはかつての一輝なら絶対にしないような動きで、そして()()()()()()()()()の動きだったからだ。

 

「こういうパターンもあるのか……なんでも覚えておくものだな、本当に」

 

頭と首、ついた手を支点にして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()一輝が呟く。

よろめく仁狼を前に悠然と立ち上がった彼は、吐き捨てるように言い放つ。

 

「まさか勝ったつもりでいたのかい。僕も何人もの人を見て、考えて強くなってきたんだ。何が“人の意に敏感“だ、何が“父親の剣を証明する“だ。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()にしてやられる訳ないだろ」

 

彼にしてはいつになく強く、非難するような語気。

込められているのは明確な怒りだった。

口内の血を吐いて捨てる仁狼に向け、一輝は改めて剣を構える。

いつからか、己の決意を表明する文句となった宣言と共に。

 

「彼女の言葉すら届かなかったんだ。僕の言葉なんて尚更だろう。

だから(こっち)でわからせる事にするよ。

 

───僕の最弱(さいきょう)を以て、君の妄執を引き剥がす」

 

 

 

 

『驚くべきものを見せてくれました黒鉄選手! あの体勢からまさかの反撃、引き出しの多さを知らしめてきます!!』

 

『いやーありゃ流石に決まったと思ったけどねぇ! うひゃひゃ、吸収すんのはえーよ黒坊!』

 

興奮する声も遠くに消えていくようだ。

視界が真っ赤になるのを自覚する。

なのに心が零度を越えて冷え込んでいく。

身近な人すら見ていないとか()()()()()()()()貶し方をした挙げ句。

妄執。妄執だと。

恩に報い、今度こそ正しく生きるための決意を。

生涯を懸けると誓った、自分が歩むべき道を。

 

───お前は、どの立場で否定している?

 

「────ブチ殺すぞ糞野郎」

 

ぞわり、と殺意が溢れ出す。

明月(めいげつ)鏡月(きょうげつ)に分け再び大小二振りを手にした仁狼が、猛然と一輝に飛びかかった。

二刀を受け止めた一輝に伝わる力は、さっきまでより数段重い。

脱力することで脳のリミッターを外していた仁狼だが、今は完全に怒りで振り切れていた。

左の脇差が電光の如く空間を跳ね回り、それにより生み出した意識の間隙に右の刀が疾風のように刺し込まれる。

相手からの見え方を完璧に把握した動き。

理性の糸が切れても、技の冴えは死んでいなかった。

 

だが、届かない。

放つ全ての剣擊が、それぞれ最適な角度に傾けただけの陰鉄(いんてつ)に防がれていく。

 

「…………ッッ!?」

 

「本当に凄い流派だ。さっきの《居取(いど)り》といい、技の一つを紐解くにも様々な武術の要素が含まれてる。

君自身の技術による読みにくさも相まって、こうまで情報量が膨大だと、流石にこの戦いの中で読み解くのは無理そうだけど……君の人間性の把握くらいなら、何とかなったよ」

 

どのタイミングでどの方向から攻撃が来るか、剣と剣の戦いならそれだけ分かれば相手を封殺するのは容易い。

脇差による猛攻の最中、右の刀を見もせずに防ぎながら一輝は宣告した。

それを振り払おうとするように更に苛烈に攻め立てる仁狼だが、その全てが徒労に終わっていた。

 

「だから、そろそろ終わらせる。()()()()()()()で本気も出さないようなら───ここが君の限界だ」

 

またも切り捨てられた仁狼の決意。

視界を血の色に染め上げた仁狼が、咆哮を上げて刀を振るう。

鬼気迫るその凶相は、まさに狂犬のようで。

 

「黒鉄さん……なんでそんな事を、今言うんですか……」

 

痛々しそうに視線を落とした琉奈が恨みがましくそう溢した。

 

「だいたい、ジンロウもジンロウです……。

相手の剣どころか人間性さえ掌握する相手に、迂闊に攻め込むのは悪手でしかないと……カウンターを中心に戦いを組み立てて、自分からは不意打ちか仕留める時だけだと……そう言ったのはあなたじゃないですか……」

 

「……アイツの体力の少なさを考えても、確かにそれがイヌハラにとって最良の攻略法だと思うわ。……でも、じゃあどうしてアイツはあんなに自分から攻め込んでるの?」

 

「……この大一番、最初になまじ攻め込めたから気が逸ったんでしょう。

でも、今は怒ってるからですよ。あんな事を言われてジンロウが冷静でいられる訳がないじゃないですか!

彼には痛みや辛さを訴えれる人がいないんです。

結果を出すことでしか自分を許せないんです!

だから、この戦いに勝たなければ彼は、本当に潰れてしまうかもしれないのに……。

なのに………いくら何でも、あんまりじゃないですか……!

どうして、どうして………っ!!」

 

まるで自分の身であるかのように声を震わせる琉奈。

こんなにも同じ痛みを抱えながら、仁狼は今もそれを知らない。

隣にいるのに、向かい合うことが出来なかった。

 

刀身を指で掴みデコピンの要領で力を蓄えた一輝の居合い抜きが仁狼に迫る。

身体能力を大幅に強化された状態でのそれは、到底見て回避できるような代物ではない。

呼吸の隙間を突かれ防御が間に合わない仁狼は、身を屈める事で斬擊を辛うじて上にやり過ごす。

だが、そこで気付いた。

今の居合い抜きは、腕に一切の力が入っていなかった。

そして。

 

「がっ───~~~~~~っっ!!」

 

ギリギリでその意図を読み取った仁狼が、全力で身体を後ろにぶち込み、同時に刃を通された仁狼の身体から鮮血が散る。

振り抜かれたはずの陰鉄(いんてつ)が、鞭のような軌道で ()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

《七星剣武祭》の時には見なかった技だ。

 

『あ、当たったぁぁああああ!! お返しのように浴びせた一閃が見事(みごと)去原選手にヒット!

少なくない量の血がリングを染め上げています!』

 

意識に火花が飛んでいる。

持ち前の洞察力で何とか致命傷は防いだが、あと少し下手を打っていればこれで終わっていただろう。

眉間に皺を寄せた一輝が追撃にかかる。

 

「大体、君は気に食わないんだよ。僕の積み重ねてきた全てを無視して、手に入れた結果だけ掠め取ろうとしたってそうはいかない。僕の事を称号でしか呼ばないのがいい証拠じゃないか。

肩書きしか見ないような浅い奴に負けるような鍛え方はしてないよ」

 

「浅い、だと……!?」

 

その言葉に、仁狼の精神は最大限に訴える痛覚を完全に超越した。

怯む身体に鞭打ち口や歯の隙間から血を噴き出しながら、二刀を強く握り締めた。

 

「わかったような口を利くなよ。手前(テメェ)にわかるってのか! 何よりも大切なものを、他ならねぇ自分の手で壊しちまった絶望がっ!!」

 

血の飛沫と共に追撃の刃を側面から叩いて打ち上げ、強引に活路を開く。

僅かに目を見開いた一輝に向けて、仁狼は尚も前に出る。

後ろに戻る道がないなら前に進むしかないのだ。

求めてやまないそれが二度と還らない理想の中にあるものだったとしても。

せめて。

せめて、大切な人の遺志に殉じる事が出来るように。

 

「だから俺は強くなった───親父も! ()()()!! 俺にそう望んだんだ!!」

 

烈迫の気合いで放つのは、両刀による唐竹割り。

稽古で何万回と繰り返してきた、父に初めて習った型。

最も血と汗を積み重ねてきた自分の始まりのその技に、仁狼は逆転を賭けたのだ。

そして、

 

「どこまで人を見ないんだ、君は」

 

一言。

受け止めた陰鉄(いんてつ)がカクンと傾き、風を受けた柳のように仁狼の鏡月(きょうげつ)を容易く横に流してしまった。

仁狼の思考が凍った。

握りを緩めることで鹿威しのように力を流すそれは、仁狼の剣技《柳卸(やなぎおろ)し》に他ならないのだから。

 

陰鉄(いんてつ)を弓のように後ろに引き絞る一輝。

仁狼もそれが見えていなかった訳ではない。

だが体質で無理に攻めた代償が疲労として跳ね返り、体勢を戻すのが僅かに遅れた。

 

それが致命的だった。

仁狼の胸の中央に照準を合わせた一輝が、突き刺すように技の名前を口にする。

 

 

番外(ばんがい)()(けん)───《鐵炮(てっぽう)》」

 

 

───鋼が爆ぜるような轟音。

激甚な音響を上げて、仁狼の身体が恐ろしい勢いで後ろに吹き飛ばされた。

観客席の壁に背中から激しく激突し、衝撃に叩かれた肺が内部の酸素を強引に吐き出して呼吸すらも停止する。

 

「がっ……はぁ…………」

 

呼吸すらままならなくなった仁狼だが、一輝と戦ったことのある者達は仁狼以上に驚いていた。

突き一発で相手を場外まで吹き飛ばすなんて───

黒鉄一輝は、あんな力業を持っている剣士ではないはずなのだから。

ただ一人、西京寧音だけがニヤニヤと面白そうに笑っていた。

 

『おーおー、確かに理論的にゃ黒坊()()可能だけどねぇ……。ホント手癖の悪い坊やだ』

 

───番外秘剣《鐵炮(てっぽう)》。

望む動作を行う『主動作筋』と、その動きを細かく制御する為にそれと反対の動きに作用する『拮抗筋』の関係を応用した技だ。

攻撃する為に動かす筋肉の力を()()()()()()()()()()()()()で抑え込む─────いわば全身にデコピンの理屈を適用し、居合い抜きのように攻撃力と瞬発力を爆発的に引き上げる体捌きを、一輝はそう名付けた。

あらゆる攻撃動作に適用する事ができ、鋭さこそ比類無いが力は然程(さほど)でもない一輝の剣に純粋な破壊力を付与できる技ではあるが。

 

()……っ」

 

一輝の全身に激痛が走る。

より正確な言えば、全身の筋肉の繋ぎ目に、だ。

全身の筋肉を独立させバラバラに動かすなどという摂理に反する動きをすれば、反動が来るのは当然。

元となった使い手と違い常識的な人間の枠を出ない一輝の身体では、軽々に使えない技でもあった。

僅かな静寂の後、実況の月夜見がマイクに向かって叫ぶ。

 

『きっ、決まったーーーーーっ!! 黒鉄選手、ここでまさかの力業!! まるで彼の恋人を彷彿とさせる一撃が、去原選手を場外まで吹き飛ばしましたぁぁああ!!』

 

ドオオオオオ!!!と、もう一輝の勝利を確信したような大歓声がスタジアムを揺らした。

 

「あ………じん、ろ…………」

 

氷雨の中に立ち尽くすようなか細い声を掻き消して、一輝を讃える観衆の声。

その対比は残酷なまでに明と暗を隔てていた。

同じように喜ぶべきステラは、隣に座る少女を知るが故に快哉を上げようとはしない。

ただ静かに、結末を飲み込むように瞑目するのみ。

 

『こりゃ立つのは相当厳しいねぇ。あの突き自体は自分の刀を間に挟んでギリギリ防いでっから、ダメージ的には立てなくもないかもしんねーけど……イヌっちは見たとこスタミナがかなり少ないっぽいんだよねぇ。

こうなるともう、カウントダウンに間に合うかどうかだ』

 

勝利のムードで満たされる敵陣。

だが、戦場に立つ戦士はまだ諦めていない。

その歓声は、称賛の声は、自分が浴びねばならないものだ。

そうでなくては始まらない。

そうでなくては、許せない。

叩き付けられた壁に凭れ、ズルズルと座り込もうとしていたその身体が、再び地面を踏み締める。

 

「ま、だ、だぁ………………っ!!!」

 

凭れた壁から身体を起こし、地の底から響くような呻きを上げて、一歩、一歩と仁狼はリングへと戻っていく。

荒い喘鳴(ぜんめい)を上げ、獰悪な双眸を剥き出した悪鬼の如きその凶相は、手負いの獣の様相を顕していた。

場外で進むカウントダウン、ゼロになる際どい所で仁狼はリングに帰還を果たす。

 

『っ! 去原選手、自分の足で場外から帰還を果たしました!! 斬られ打たれて、尚も闘志は消えていません……ですが、これは………』

 

───戦うには無理がある。

全員がそう思っていた。

足取りは頼りなく、斬られ地面に流れた血が赤い靴跡を残している。

爛々とした眼光に、消えない闘志を宿したまま。

 

「さあ来い、七星剣王………お前を倒して、俺はここから名を上げてやる………っ!!!」

 

……その言葉の重みを理解している者が、ここに何人いるだろう。

それを正面から受け止めて、一輝は陰鉄(いんてつ)を構え直す。

最後まで彼は本気にならなかった。

自分の想いは、届かなかった。

 

僅かに表出した痛恨を押し留め、一輝は強く地面を蹴る。

曲がりなりにも己の意志を曲げなかった、敬意を払うべき剣客をここに(くだ)すために。

 

 

ぼろぼろと泣いている琉奈が、観客席の一番下まで降りてきていた。

 

 

 

 

 

血を流しながら戦場に戻る仁狼を、琉奈はもう見ていられなかった。

俯いて唇を噛み、スカートを握り締める。

辛い。もう見ていたくない。聞いていたくもない。

彼が潰れてしまうその瞬間を見るのが、たまらなく怖い。

縮こまって震える彼女に、突然声が聞こえてきた。

 

「あなたが目を逸らしてどうするの」

 

静かに諭すような声。

それは琉奈の隣に座っているステラのものだった。

 

「あなたとアイツは同じ所を目指してるんでしょ?なら、あなたも逃げたら駄目よ。

アイツを支え続けているなら、アイツの戦いを見届ける義務があなたにはある」

 

「っ……!」

 

何か言い返そうとして、返す言葉が見付からず黙り込む。

その通りだ。今までそうしてきたのだから。

だけど自分は、本当は───

 

 

「イヌハラの話、イッキから聞いたわ。あの時、店の外で二人もおんなじ話をしてたみたいね」

 

 

「………!」

 

「聞いてて辛かったわ。意志は同じはずなのに、今の今までずっとすれ違ってきてるんだから」

 

琉奈は思わずステラを見た。

その横顔は、何より痛ましいものを思い出している顔をしていた。

 

「傷付きすぎた人ってね、本当に何にも見えなくなっちゃうのよ。

目の前の事でいっぱいいっぱいになって、自分の事さえ見失ってしまうの。

焦って空回って、何にも出来なかった自分に折れる。

勝負の負けはいつか取り返せるかもしれないわ。

だけどヨミツカさん。

あなたが折れてしまったら、イヌハラは本当に潰れてしまう」

 

まるで同じような人を見た事があるかのように語るステラが何を見ているのか、琉奈にはわからない。

ボロボロの仁狼の背中だろうか、あるいは恋人の姿に過去を見ているのか。

……彼女の言葉は、痛いほど理解できる。

その通りだと理性が頷いている。

だけど。

 

「行ってあげなさい」

 

躊躇う背中を押すようにステラが言う。

 

「あなたという支えの存在は、イヌハラだってわかってるわ。

アイツの戦う意志が消えていないなら、あなたは何よりもアイツに必要なのよ。

身も心もボロボロになった時、最後に支えてくれるのは───

 

────大切な人の愛なんだから」

 

 

 

ステラの隣の席が空いた。

傷付いた彼の隣に並ぶために、もう一度彼女は歩き出す。

 

 

 

 

「………う」

 

微かな声が聞こえた。

彼女の声だった。

 

「じ…………ろ……」

 

研ぎ澄ませてきた感覚器が彼女の声を聞き漏らすことはない。

 

「ジンロウ……」

 

自分が戦っている時、彼女はいつも静かに観ている。

応援を飛ばす事などない。

『お気をつけて』と『お見事です』、前と後の言葉はいつもこれだ。

そしてそれでいい。

自分が彼女から応援される事など有り得ないからだ。

……そんな彼女が声を挟むような(ザマ)なのだ、俺は。

 

───大丈夫だ。俺は負けない。

 

そう示すように剣を構える。

この時の為に強くなってきた。

全ては贖罪のため。壊したものに報いるため。

頑張れ、じゃなくていい。

勝て、でいい。

何なら罵声の一つでも飛ばしてくれと願う。

そうしてくれれば、俺は死んでも戦えると思うから────

 

 

 

 

「……もう、やめてください……」

 

 

 

───それは、思いもよらない言葉だった。

彼女の声は聞き漏らさないという絶対的な確信が、聞き間違いを否定する。

 

 

「強くならなくても、……有名に、ならなくてもっ………償いなんて、しなくても、いいからっ……」

 

 

不思議と音のない世界に微かに聞こえるその声は、震えと嗚咽にまみれていて。

それを止める(すべ)を自分は知らない。

それが聞こえてきても、すまない、すまないと謝る事しかしてこなかったから。

 

 

 

「もう、これ以上っ………傷付かないでください………っ!!!」

 

 

 

───振り返る。

そこにいたのは滂沱の涙を流し、ぐしゃぐしゃの泣き顔をした少女。

幼い頃から毎日見続けてきた彼女の顔を。

 

仁狼は、とても久し振りに見たような気がした。

 

 

 

 

戟音が鳴り響いた。

(とど)めを刺すための幕引きの太刀を、仁狼が確固とした力で受け止める。

死に体と思えた男の底力に会場がどよめいた。

そしてそれは、目の前の異常な光景に対しても。

 

「人を見ていない、か……確かに、そうかもな。

今までがむしゃらになって鍛えてきたけど、それは罪を償う為であって…………」

 

さっきまでの激情が嘘のような穏やかな声。

何か思いを巡らせているような彼は、やがて一つの答えを口にする。

 

「少なくとも……お前にそんな顔させる為じゃあ、絶対にねえんだよな………」

 

その言葉は申し訳なさそうな、自分の迂闊さに呆れるような。

息を吐いて目線を落とす仁狼に、一輝はにやりと笑った。

 

「……遅いよ。去原君」

 

「待ってもらった覚えもねえよ」

 

さっきから何様のつもりなんだ、と仁狼が一輝に()()()()()言う。

 

「で、続けるんだろう?」

 

「……まあな。だが一応宣言しとこうか。

俺はこれから、()()()()()()()()()()()()()

これ以上ケガしたら、ルナがもっと泣くんでな」

 

「言うじゃないか」

 

「望み通りに全開でやるっつってんだ。

舐めた(クチ)の料金は、嫌という程払ってやる」

 

憑き物が落ちたような空気。

だがその宣言が誇張でない事は痛いほど伝わる。

なぜならついさっきの(とど)めを刺すための本気の太刀を、彼は()()()()()()()()、片手だけで防いだのだから。

 

それも陰鉄(いんてつ)を受け止めているのは、刀ではない。

刀も鞘も、どこにいったのかわからない。

 

ただ、一輝の手に伝わった感触は鋼そのもので。

握られた刀身がびくともしない。

 

 

仁狼は彼の斬擊を、素手で受け止めていた。

 

 

「易々と終わるなよ()()()()去原仁狼(オレ)の全てを叩き込んでやる」

 

「……………っっ!!」

 

膨れ上がる威圧感(プレッシャー)

今の直後に上がる第二幕は、さっきまでとは比べ物にならないほど凄惨なものになるだろう。

背筋を駆け上がったものは武者震いなのかそれとも悪寒か、一輝はすぐには判別できなかった。

 

 

妄執の首輪は外された。

戒める全てから解き放たれた、月下の餓狼が吼え猛る。

 

 

 

 

()(とう)新月(しんげつ)────《()(りん)()(そう)》」



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不器用

 

 

 

 

“常に在り方を変え続ける『武』という教えが、なぜ不変である書物で伝える事が出来るだろうか“。

 

“剣は普遍なる生まれの者にこそ伝承させるべし。異能などという邪道を持つ者に伝承すれば、その剣の真髄は疎かとなりたちまちの内に霞み消えてしまうだろう“。

 

現代の言葉遣いに直せばそんな考えを持っていたらしいその剣の創始者は、相当な偏屈者であったに違いない。

そしてそんな偏屈者に師事した者たちもそんな人間だったのだろう。

『剣の伝承に書物は不要』。

『剣を継ぐ者は非伐刀者(ブレイザー)に限る』。

流派が始まって以来、数多の先人が研鑽を重ね、改良を加え、()()()()()()()で全てを吸収し伝えられる才覚ある者を執念深く探し続け、また歴史を繋いできた。

そうして、始まりから4世紀と少し。

固まった格式や修練の厳しさ、不親切な教え方。

それらが時代との齟齬を生み、やがて消滅していく。

 

今代の当主の名前は詠塚(よみつか)(えい)()

娘の名前は詠塚琉奈。

二天一流詠塚派は、そんな剣の世界ではありふれた結末を迎えようとしていた流派の一つだった。

 

 

 

 

 

心の傷でひねくれた子供に何度も会って、話をして、心の底まで割ってからお互いに心から望み合う。

書類などの手続き関係もそうだが、孤児院から子供を引き取るのは簡単なことではない。

そんなプロセスをすっ飛ばして引き取られたのは、仁狼にとって酷く現実味のない出来事だった。

 

『今日からお前は(おれ)の息子だ』、と。

 

詠塚叡二と名乗ったその男。

うまく歩けず不格好に跳ねる仁狼の手を引く彼は、そう言ったきり何も喋らない。

握られた手のひらから伝わるごつごつと固い皮膚の感触は、今も鮮明に覚えている。

 

 

 

引き取られた初日、自分の体質について教わった。

次の日から始まった訓練は地獄だった。

殴る蹴るがあったのではない。

歩く、走る、掴んで動かすなど日常的な動作の訓練を延々と続けさせられたのだ。

当然、うまく出来ない。

するとよくわからない専門的な事と共に激しい叱咤を浴びた。

普通なら出来ることがどれだけ頑張っても出来ないという事実は、身の回りの世話を院の先生に任せて麻痺しかけていた仁狼の心を容赦なく軋ませた。

難しい言葉を必死で解釈し、死に物狂いで身体を制御する。

叫び返したい言葉は片手の数では足りなかったけれど、思うように身体を動かせるようになっていく実感と、きちんと血の繋がっている“父親“の娘の皆で暮らす時間は嫌いではなかった。

……しかし、地獄は続いた。

何とか身体を動かせるようになってから始まった剣の訓練は、それまでの身体を動かす訓練が天国に思えるような責め苦と表現すべきもの。

全身が最大級の金切り声を上げ、父を相手にした稽古では容赦なく打たれ、骨を折り、時に血を吐いた。

実地訓練と称した実際の戦地への殴り込みでは、何度死神に触れたかわからない。

『お前は弱い』。『強くなれ』。

そう言われ続け、泣くことも許されず仁狼は剣を振り続けた。

───なぜ自分を引き取ったのか。

“父親“となったその(ひと)に、ずっと抱き続けてきた当たり前の疑問を口にした事はない。

幼い仁狼には、寡黙な彼の心がわからなかった。

だから黙った。言うことを聞いた。

必死で修練を積んできた。

 

“家族“と共に暮らす時間。

機嫌を損ねたら、自分はまた捨てられるかもしれないのだから。

 

 

 

 

詠塚琉奈は母親の顔を知らない。

父が言うには、母親は生まれついて身体が弱かったらしく、自分を産んで間もなく空へと昇ったらしい。

幼いながらに片親の寂しさも感じていたし、父は寡黙な人だった。

それ故にコミュニケーションが下手ではあったが、しかしそれ以上に自分は大切に育てられてきたと思う。

そんな中、突然家族が一人増えた。

難しいことはわからなかったが、当時の自分は話し相手が増える事を単純に喜んでいた。

去原(いぬはら)()(ろう)という、親のいない男の子だった。

 

父の話によれば、かつては門下生がいた事もあるらしい。

だが、訓練の厳しさに堪えかねてその全員が辞めていったそうだ。

そんな事を何度か繰り返して、最後に残った……というか連れてきたのが仁狼だった。

『どうにもならない自分の性質で一人きりになっている姿が自分と重なったから』。

伐刀者(ブレイザー)に剣は教えない“。

仁狼を引き取り流派の根底とも言える前提を覆した理由を、自分は父からそう聞いた。

あれほど食らいついてくる奴は初めてだ。

あいつには才がある。

本人に聞こえない所で何度も彼を褒める父に、何度苦笑いを浮かべたことか。

訓練は時折傍目から見ても恐ろしいものだったが、そんな不器用な父が好きで、それに必死で着いていく愚直な彼が好きだった。

息も絶え絶えな彼を励まして、そして皆で食卓を囲んで。

幸せな時間だった。

 

そう思っていたのは、父と自分だけだったのかもしれない。

それが起きたのは、自分たちが中学生に上がって一年が立とうとしていた時だった。

 

 

 

『─────────っっっ!!!』

 

階下にある道場から聞こえてきた衝動の全てを叩きつけるような叫びに、琉奈は慌てて階段を駆け降りた。

まず目に付いたのは、床に打ち付けられへし折られた木刀。

こちらからは背しか見えないため、父の表情は見えない。

仁狼の表情はボロボロだった。

顔をグシャグシャに歪ませている感情の正体は、来たばかりの琉奈にはわからない。

 

『……もう、限界だ』

 

わななく唇が、最初にそう溢した。

 

『俺ぁ何で剣を振り続けてんだ。身に付かねえ事をずっと続ける意味は何なんだよ。なぁ』

 

『何を言っている』

 

『あぁ!? もう出来もしねえ事をやりたくねえっつってんだよ!! どんだけやっても弱い弱いって俺に言い続けてきたのはアンタじゃねえか!!』

 

叡二の声を掻き消すような声量で仁狼は怒鳴る。

怒りも悲しみも悔しさも、澱のように溜まっていた全てを吐き出すような咆哮だった。

 

『なぁ、当てが外れてガッカリしてんだろ? 俺を引き取ったの後悔してんだろ?

いつまでたっても褒める所の一つも出来ねえもんなぁ……どう考えたって俺ぁ剣を継げる器じゃねえもんな!!

何の益も生まねえタダ飯喰らいだもんなぁ!!!』

 

『仁狼』

 

『アンタはただ後継者が欲しかっただけなんだろ!?

流派の鉄則を破ってまで伐刀者(ブレイザー)を引き込まなきゃならないくらい切羽詰まってただけなんだろ!?

もう俺なんか要らねえって、こんな落ちこぼれなんかよりもっと才能のある奴を選べば良かったって、そう思ってんだろ!?

───何とか言ってみろよ、なぁっっっ!!!』

 

静寂の帳が降りた。

荒く息を吐く音以外に、聞こえるものは何もない。

血液の代わりに悪心を巡らせているような心臓の音が耳に五月蝿かった。

2秒。5秒。10秒。

口を開かない叡二を睨む仁狼の目が、段々と力を失っていく。

やがて全てが抜け落ちたように虚脱した仁狼が、ふらりと叡二に背を向ける。

 

『どこへ行く』

 

『うるせぇ。もう何の関係もねえだろ』

 

投げ遣りに吐き捨てた言葉はひどく冷たい。

歩いていく足取りは力無く、支えを失ったかのように頼りなかった。

それでも、その言葉ははっきりと口にした。

あるいはそれは、父親に対する初めての反抗と言えたのかもしれない。

───血の繋がりという、水よりも濃い絆の鎖があれば、だが。

 

 

『……出ていく。…………二度と帰らねえ』

 

 

足元が崩れていく感覚がした。

追いかけて全力で引き止めなかったのを、琉奈は今でも後悔し続けている。

その時の父娘は、道場から出ていき消えていく背中をただ見ている事しか出来なかった。

 

何も持たずに出ていったのだ。帰ってこないなんて事はない。

また、いつもの日々が戻ってくる。

そう信じてから数ヶ月。

修練の妨げになるかもしれないから仁狼にはまだ言うなと言われていた病気の容態が一気に悪化し、あれだけ強かった父、詠塚叡二はあっけなくこの世を去り。

 

 

そして、仁狼は帰ってこなかった。



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遠吠え

仁狼はあてもなく街をさ迷い続けてきた。

もう行く場所も帰る場所もない。

何も考える事が出来ずにふらふらと歩いている内に、自分は街の中でもあまり治安のよろしくない所に流れ着いた。

心身から虚脱した様子の自分をカモとでも思ったのだろうか、数人の男が因縁をつけて絡んできた。

普段ならそうなっても相手にもしない輩。

だがやり場のない感情が渦巻き危うい均衡状態にあった自分の心は、

その男たちを容赦なく叩きのめす事を選んだ。

 

それ以来自分は目を付けられたようで、数日に一度は落とし前を付けさせる為に襲われるようになった。

その全てを父親から教わった技術で叩きのめした。

はっきり言って面倒でしかないはずだが、例え暴力という形であっても鬱屈とした感情を何とか吐き出したかった。

そんな事を繰り返す内に、段々と自分に取り入ろうとする輩が現れ始めるようになった。

そいつらは皆、自分の強さを褒めそやし、金やモノで自分を求めた。

 

今まで認められなかった自分の力が、認められた気がした。

 

 

もしあの時期に伐刀者(ブレイザー)である事を示していたらもっと厄介な事になっていただろうが、そうしなかったのは曲がりなりにも教わった技術に拘っていたお蔭かもしれない。

 

食事も寝床もその他の物も、あらゆるものを強さにものを言わせて回りに用意させた。

身の程を弁えない奴や自分を利用しようとした奴、闇討ちしてきた奴。

気に入らないあらゆる物を叩きのめし、周囲に自分の強さを理解(わから)せるのは気分が良かった。

 

だけど、気が晴れた事は一度もない。

 

髪を染めた。ピアスを開けた。肌も焼いた。それがイカしていると思っていた訳ではない。

ただ、あの家にいた自分から少しでも遠ざかりたかったからだ。

自分がいなくなって悲しんでくれているだろうか。

いや、とっくに新しい後継者を見つけて自分のことなど忘れているかもしれない。

いや。しかし。でも。

毎夜忍び寄ってくる懊悩に眠れぬ日は続いた。

隙あらば思い浮かべてしまう二人の顔から逃げたくて、益々暴力と享楽に溺れるようになった。

 

数ヶ月後のある時、自分を探している奴がいるらしい事を取り巻きの一人から聞いた。

 

心臓が締め上げられたような気がした。

 

絶対に手を出すなと周囲に厳命し、その上でそれが誰なのかを調べろと命令。

予想通り、それが琉奈であることは簡単に裏が取れた。

でも、どうして数ヶ月も経った今なのか。

今家がどうなっているのか、居ても立ってもいられず思い切って調査させた。

 

 

 

そして。

父親が死んでいた事を知った。

 

 

 

 

 

詠塚叡二は己の至らずを悔やみながらも、しかし未来への希望を確信してこの世を去った。

覚悟はしていた。だが、襲ってきた喪失感と悲しみは想像を遥かに超えていた。

遺影の前で、自分が涙を流した数は何度目とも知れない。

仁狼の捜索は葬儀には間に合わなかった。

彼が出ていってから、後悔しか無かった。

父が仁狼を語る時に惜しみ無く込めていた愛情は、彼に間違いなく伝わっているものと思ってしまっていた。

彼が日々の稽古に食らいつくのは、そのお蔭だと思っていた。

引き取られてから今まで、彼の心はずっとずっと悲鳴を上げ続けていたのだ。

それに気付くべきは、二人を傍で見続けていた自分だった。

 

寂しい。

帰ってきてほしい。

 

親戚の助けはあるが、自分はこれで天涯孤独だ。

父がいない。仁狼もいない。

この広い家は、自分一人では広すぎる。

……帰ってきたら、謝ろう。

ずっと側にいたのに、辛い気持ちに気付けなかったこと。

励ますだけで支えていた気になっていたこと。

 

突然、ドガン!!と大きな音が下から聞こえた。

一階部分の道場の木の扉が全力で開け放たれた音だ。

全速力で床を走り、階段を駆け上がる足音が近付いてくる。

一瞬仰天したが、自分にとってその音は救いと言っても過言ではなかった。

 

 

『親父ィィいっっ!!!』

 

 

彼は叫びながら転がり込むように入ってきた。

いつか帰ってくる日を心から待ち続けその家族が、

 

自分には一瞬、誰なのかがわからなかった。

 

髪は金髪で肌は浅黒く、耳にはピアス。

ただ一つ凶悪な目付きだけが、彼が彼だと示す唯一の記号。

今まで泣いていたのが、彼の帰りに喜んだのが嘘のように心が冷え込んでいく。

彼から見た自分の顔はきっと氷の仮面のように見えただろう。

自分でも驚く程に冷たい声で彼に言葉を突き刺した。

父が死に、自分が寂しさに暮れ泣いている間、随分と()()()()()()()()()()()彼に。

 

『……随分、羽目を外していたみたいですね』

 

仁狼がハッとした顔で自分の顔と髪に触れる。

 

『あなたが遊び呆けている間に、こちらは随分と滅茶苦茶になってしまいましたよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『……あ、ああぁ………』

 

『あなたは私達の期待すべてを裏切ったんです。それでも私は最後まで帰りを待っていましたが、下げてくるのがそんな(かお)とは恐れ入りました』

 

戦慄(わなな)く彼が心の奥底で望んでいただろうその言葉は、彼の心にどう響いたのだろうか。

求めてやまなかったはずの温もりに代わって彼を包み込んだのは、吹雪のような冷たさだった。

 

『────お帰りなさい。()()()

 

慟哭を上げて彼は泣き崩れた。

今まで流せないままついに決壊した涙が、如雨露のように床を濡らしていく。

涙声の謝罪が繰り返される度に心を満たす暗い愉悦に、自分は久し振りの笑みを浮かべていた。

 

 

 

仁狼が帰ってきた。

彼はその日の内にピアスを取って髪を黒く染め直し、浅黒い肌が代謝によりだんだんと元の色を取り戻していくそれなりの時間が流れた。

 

だけど、自分の暮らしは帰ってくる前の一人きりだった時と何も変わらなかった。

 

彼は帰ってきたその日から、一日中一人で剣の修練に没頭するようになった。

連日のようにどこかで実戦を積み、帰ってきてからもずっと剣を振り続けた。

そのまま道場で糸が切れたようにぶっ倒れた時がその日の修練の終わり。

気絶するように必要最低限の睡眠を取り、目を覚ましたらまた剣を振る。

食事も風呂も、どこで済ませているのかわからない。

 

話しかけられる事も、話しかける事もない。

父の最期をねじ曲げて伝える事で下した溜飲がそのまま後悔に変わるまで長い時間はかからなかった。

だけど、それを打ち明けることは出来なかった。

剣の訓練なんて何を今更、という憤りもある。

しかし何より、仮に真実を打ち明けた時、時折覗き見る彼の鬼気迫る様相がそのまま自分への憤激に変わるのではないかと思うと、それが堪らなく怖かったのだ。

 

きっとその躊躇が最後の分水嶺だったのだろう。

道場の畳が、彼が流した血と汗で黒く変色してきた頃。

出先で手酷い歓迎を受けたらしい彼が病院にも行かず、あちこちがへし折れた身体でなおも剣を振る姿を見たのが自分の限界だった。

 

強引に彼を病院に叩き込んで数日後、病室のベッドで横たわる彼にほとんど土下座するように頭を下げ、全てを告白した。

父の最期をねじ曲げて伝えたこと。

自分たちは仁狼を恨んでなどいないということ。

本当は帰ってきてくれて嬉しかったこと。

意味のある事を言えたのはそれだけ。それ以外は、何度も謝罪を繰り返すことしか出来なかった。

 

『やめてくれ』

 

返ってきたのは、予想を裏切る優しい声。そこに怒りの感情は欠片も見られない。思わず顔を上げた先にあった彼の顔を、どこかで自分は見たような気がした。

 

『気を遣わせてしまって、すまない。……だけどこれは、俺がやりたくてやってる事なんだ』

 

『っですが、あなたの最近の様子はあまりにも……!!』

 

『最低限このくらいでないと、償いにならない。決めたんだ。例え取り返しがつかなくても……今からでも俺は強くなる。()()()()()に、絶対に報いるって』

 

え、と掠れた声が喉から漏れた。

それは自分の嘘だと今言ったはずなのに。

それが示す意味に動揺し、そこでようやく気が付く。

両手をついた床から見上げたその顔は、己の死を見つめる父と同じ顔をしていた事に。

 

 

 

『だから、無かった事にしようとしてくれなくても、いいんだ』

 

 

 

言葉も届かない自責の淵。

 

どこまでも愚直な彼に自分が背負わせた十字架の重さを、愚かにも自分は、ここでようやく理解した。

 

 

 

 

『父は最期に“二人で強く生きろ“と言い遺しました。

その真意はまだ私にもわかりません。

しかしあなたが“強さ“をそう捉えそして求めるのであれば、私もそれに従います。

あなたの重荷の一端を私も背負いましょう。

あなたの歩こうとする道は私が整えてみせましょう。

───一蓮托生です。ジンロウ』

 

仁狼が退院したその日。

分厚い紙の束と共に差し出した、その表明が琉奈の贖罪。

仁狼が受け取ったそれは叡二が遺した遺言書と、編纂し直された詠塚の剣の体系が記された書物だった。

 

二人の歩みは、そこから始まった。

 

取り戻せない過去の為。

 

背負わせた己の(あやま)ちの為。

 

同じ痛みを引き摺り歩き続けて────

 

 

 

─────そして、今。

 

 

 

一輝の身体が蒼光を纏う。

(まとい)薬叉(やくしゃ)》のままでは、今の仁狼に太刀打ちできないと判断したのだ。

跳ね上がった身体能力で陰鉄(いんてつ)を振り刀身を掴む仁狼の手を振り払う。

が、刃に弾かれたにもかかわらず仁狼の手は無傷のままだ。

得体の知れないそれがまるで仁狼の言葉を裏打ちするようで、一輝の背筋に震えが走る。

 

(……私に、それを喜ぶ資格なんてありませんけど)

 

歓声が遠ざかっていく。

“とうとう挑戦者が本気を出した“。歓声を上げる観衆には、そうとしか映っていないだろう。

だけどそれは、交錯の瞬間に仁狼が口にしてくれたその意思は、琉奈にとってはいつまでも望んでやまなかったものだった。

 

 

(思い返せば、初めてですね。……私の痛みに、あなたが応えてくれたのは)



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我が身は刀

()(とう)新月(しんげつ)()(りん)()(そう)》。

それに対する《一刀(いっとう)修羅(しゅら)》。

己自身に使った何かをそう呼んだ仁狼が、自らの身体能力を百倍以上にまで高めた一輝へと一直線に突撃する。

そして霊装(デバイス)を失った徒手空拳で仕掛けるのは、目と腹に同時に迫る(ぬき)()

その一連の速度はつい十数秒前とは比べる事すら愚かしい程に跳ね上がっており、仁狼の()()が凄まじく大きな影響力を持っていることがわかる。

だがその速度は今の一輝に比べれば数枚見劣りする程度のもので、しかも一輝は既に仁狼の全てを掌握している。

故に落ち着き払っている一輝が冷静に繰り出すのは、頭部に延髄、胸に腹と上半身すべての急所に向けた斬撃四連。

一拍にも満たない間に放たれたそれらは仁狼の貫手が迫るよりも早く彼の身体に食らい付き、

 

そして金属音。

一輝の手首に、硬質な鋼の手応えが返ってくる。

 

「!!」

 

お返しのように迫る仁狼のラッシュ。

機関銃にも匹敵するその速度と回転数に土台となっている彼の上半身は幾重にも重なる残像で霞み、肩から先に至ってはその残像すら残さず完全に消えている。動体視力のみに限れば、その速度は一輝の認識を置き去りにしていた。

だがそれらの呼吸とタイミングを読み切り、さらにリーチと肝心の速度で勝っている一輝には届かない。

空間を埋め尽くすような密度の連撃をすり抜けながら、一輝はさらに陰鉄(いんてつ)を叩き込んでいく。

 

守るもののない眼球を狙った横薙ぎ。

金属音を上げて弾かれた。

筋肉の収縮力が弱く柔らかな鳩尾(みぞおち)を狙った刺突。

金属音を上げて弾かれた。

最も直接的な急所、股間。

金属音。

四肢の関節部。

金属音。

ついさっき自分が付けた刀傷の傷口。

金属音!

 

『どっ、どういう事だぁぁあ!? 防御の素振(そぶ)りもない去原選手に、黒鉄選手の刀が全く通らない!! まるで鎧に斬りつけたかのように、全ての攻撃がその身体で弾かれています!!』

 

「しぃイッ!!」

 

一輝の陰鉄(いんてつ)の力の乗りが弱い所を()()()()()仁狼が、そのまま刀を押し込みながら両腕を振るう。

重心移動の芯をズラしながらの強引な力押しに僅かに姿勢が傾いだ一輝は、押し込まれた陰鉄(いんてつ)を上にカチ上げ柄尻によるアッパーカットを繰り出した。

だがその瞬間に仁狼は全力で首を捻り()()のように陰鉄(いんてつ)を別の方向へと逸らしつつ、フックで一輝の首を狙う。

相手の得物を身体から遠ざけてガードされるのを防いだ状態での一撃だが、ここでも一輝の技量が光る。

流された力をさらに制御。陰鉄(いんてつ)を引き戻し、手首(リスト)を返して仁狼の手を刀身の腹で受けた。

仁狼は受けられた手を更に押し込み、陰鉄(いんてつ)の刀身ごと一輝の肩を掴む。

 

………危険を感じた一輝が即座に魔力を肩に集中させて防御力を上げていなければ、彼の右腕は根本から引き千切られていたかもしれない。

肉に食い込む五指の力に一輝が連想したものは、巨大な獣の(あぎと)だった。

 

「ぅらァ!!」

 

「ぐっ!?」

 

踏み込んだ足のポジションで脱出を封じつつ、仁狼はそのまま地面へと投げつけるように一輝を薙ぎ倒す。

身体が地面に接触しようとした時、仁狼は足を後ろに大きく振りかぶっていた。

明確な蹴りの構えだが、わかっていても防御は難しい。

受け身をとれば、そこでまともに喰らってしまう絶妙なタイミングだったからだ。

だから一輝は、防御も受け身もとらない。

視認すら不可能な蹴り足に、陰鉄(いんてつ)の刃を思い切り叩き付けた。

 

『ああーっと! 転ばされた所に迫った蹴りに黒鉄選手、攻撃で応じたぁ!!相手の力と反動を利用して距離をとる!

一方の去原選手、蹴り足を弾き飛ばされて追撃を断念!

そこへ黒鉄選手突っ掛けたぁ!!

し、しかしまたも金属音……!

どういう訳か霊装(デバイス)を失っているはずの去原選手の身に何が起きているのか、まったく想像がつきません!!』

 

一輝とステラ、そして珠雫は今目の前で起きている現象に目を剥いていた。

相手を完全に掌握し更に《一刀(いっとう)修羅(しゅら)》を発動した一輝が、その相手に捕まって倒されるなどまずありえないのだから。

にもかかわらず今、仁狼は一輝と渡り合っている。

速度だけではない。膂力も反応速度も、仁狼の全てのパラメーターが次元をいくつか超えている。

加えて《一刀(いっとう)修羅(しゅら)》による攻撃をものともしない身体の硬度。

三人はある恐るべき可能性に思い至っていた。

 

───彼が霊装(デバイス)を失ったのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『……まさか霊装(デバイス)との同化……? だとすりゃあ、あのぼーず……いや、それにしちゃあ……』

 

寧音も解説という立場を忘れ、鋭い目で仁狼を分析している。

飛躍した想像と思うかもしれない。

しかし四人はそれぞれ話に聞き、あるいは目の当たりにし、また自らの身を持ってその存在を知っている。

自らの身体を霊装(デバイス)と融合させ、心身共にヒトを逸脱し()(がい)へと堕ちる現象と、それを可能とする者が冠する名前を───

 

「『霊装(デバイス)との同化』。今解説された通り、それがジンロウの切り札である伐刀絶技(ノウブルアーツ)、《()(りん)()(そう)》です」

 

それを裏付けるような琉奈の言葉。

 

霊装(デバイス)とは己の魂の具現であり、また超高密度の魔力。伐刀者(ブレイザー)の身体に当たり前のように宿っているもの。

形状を変えたり、ああして体内に還元して運用したりすることも、ごく自然な用法というものでしょう」

 

「口にしてみれば簡単かもしれないけれど、並大抵のイメージじゃ不可能よ……!! 霊装(デバイス)の形を変えるだけじゃなく最初の状態まで巻き戻すなんて、それこそ自分の魂を自在に造り変えるくらいじゃないと……!」

 

「じゃあ何もおかしく()ェじゃねえか。難易度はともかく、魂の変質なんて手前(テメェ)()(よう)次第で十分に有り得る事だろうがよ」

 

動揺するステラにぶっきらぼうに断言する蔵人。

魂を造り変えるなど、確かに並大抵の試練で為し得る事ではない。

だが蔵人は、去原仁狼はその位の地獄を乗り越えていると確信しているのだ。

ステラと蔵人、二人の反応はどちらも正しい。

情報収集によって彼自身の経緯を知っている琉奈が小さな笑みを浮かべた。

 

「その通り、可能です。『一理に達すれば万法に通ず』───二天一流の思想を魂に刻み込んだジンロウならば」

 

 

───そも、二天一流とは何か。

“刀を二本使って戦う流派“というのが一般的な認識だろう。

しかし、実はそれは誤りだ。

確かに二天一流には二刀を使った構えも技も存在する。

しかしそれらの本質は、重い刀を片手で自由に扱うための訓練。

二刀で培ったそれを一刀に還元すること、それこそが()()()()()()()()()()二天一流の本義。

そして一刀に通じれば、それは当然無手への応用が効く。

“一理に達すれば万法に通ず“。

宮本武蔵が著した戦いの指南書である《五輪の書》に記された一文は、戦いにおいてはあらゆる状況であらゆる手段を用いよという思想を実現するための理論を表している。

 

「だからジンロウの霊装(デバイス)は形が変わるんです。

二刀に、一刀に───そして、無刀に。

あらゆる状況であらゆる手段を取れるように」

 

近代兵器(トマホーク)の弾幕ですら傷一つ付けられない程の超高密度の魔力結晶である霊装(デバイス)()()()、魔力の状態に戻す。

そうして得られた莫大な魔力を、仁狼はただ体内に納めているのではない。

骨や筋繊維、血管や神経に至るまで、一滴の無駄も無くあらゆる細胞や組織に流し込み強化しているのだ。

こうなればこれ程最悪なものはない。

身体は霊装(デバイス)に比肩する硬度を手に入れ、身体の持つあらゆる能力は爆発的に強化。神経を走る電気信号の速度も人の身の限界を易々と突破する。

加えてもう一つ。

唯一の弱点だった体力の少なさが、完全にカバーされてしまう。

 

あらゆる状況に対応し、あらゆる手段を用いる事ができる伐刀絶技(在り方)

これまでの生涯の大半を血と痛みで塗り上げた男の、到達点の一つだった。

 

『ラッシュ! ラッシュ! ラァァッシュ!! 両者共に激しい打ち合い!! 機動力を使い四方八方から攻め立てる黒鉄選手に対して去原選手、その場に陣取るように対抗しています!!』

 

『速度で言や黒坊のが数枚(うわ)()さね。ただイヌッちの方につけ入る隙がない。あの防御力を突破しなきゃ何にも始まんないけど、さて黒坊はどうすんのかね?』

 

激突する度に黒刃と腕が奏でる戟音は、攻防が速すぎて間隔の無い一続きの音に聞こえる。

仁狼は防御に徹していた。

自分より速度が上の一輝の連撃に、極めて最小限のガードを最小の動作で最速に行うことで対応している。

一見して攻めているのは一輝だが、追い詰められているのもまた一輝。

彼は今仁狼に、第二秘剣《裂甲(れっこう)》に第六秘剣《(どく)()太刀(たち)》───刀で放つ寸勁に内部を破壊する浸透勁を重ねるという、あらゆる防御を貫通すると言っても過言ではない組み合わせを常に打ち込んでいる。

にも関わらず、仁狼の表情は小揺るぎもしない。

防御力の強化が体内にまで及んでいる証査だった。

しかも一輝は《(まとい)(やく)(しゃ)》で魔力を消費している。《一刀(いっとう)修羅(しゅら)》を維持できる時間は、発動から五十秒が限界だろう。

まさかこの短期間でこのレベルの防御力を二度も相手取ることになるのは流石に想定外だ。

しかし焦りはしない。

一輝は冷静に思考を進めていく。

 

(……彼の本来の能力は攻撃向けだ。本当に全身がこの硬度なら、防御なんてせず強引に攻め込んできてもいいはず。そうしないのは、ここまでの硬度を発揮できる部分に限りがあるからかもしれない)

 

ならばその可能性を試すのみ。

打ち込む刀の速度が上がっていく。元より目で追えなかった身のこなしが更に()(がい)の領域へと昇っていく。

これを受けて仁狼は脚の幅(スタンス)を前後に広くとり、空手の三戦(さんちん)立ちの要領で全身を内側に向けて絞り上げ、低く低く腰を落とし亀のような完全防御の姿勢となって対抗。

そこに襲い来るのは、思考を排して肉体が発揮し得る最高速で手数を繰り出す制圧剣技。

 

「《(あま)()(らい)k………っっ!!!」

 

技の名前は途中で止まった。

身体全ての部位に打ち込んでも()()()()が無かったから、ではない。

動ける隙間などない斬撃の驟雨の最中に、仁狼が反撃を捩じ込んできたからだ。

 

仁狼は完全防御の姿勢で、気を抜けば即座に吹き飛ばされる剣戟の雪崩に全力で抗っていた。

ただ己が描く反撃のプランに当てはまる太刀筋を、極限の集中を以て永遠とも思える数秒の中で待ち望んでいた。

そして、第七十六回目に己が望む通りの斬撃は来た。

身体を傾け、全身を使って速度の乗った太刀を受け止め流す形を作る。陰鉄(いんてつ)は仁狼の身体を滑るように受け流され、一輝にほんの刹那の隙を生む。

そこを刺し貫くように仁狼は力を纏わせた右手を一輝に向けて突き出した。

……確かに、一輝と仁狼には決して少なくない速度の開きがある。

だが、それだけの隙があれば覆せる。

蚕糸を意味する『(こつ)』に稲光を意味する『雲輝(うんよう)』。

数字に換算して1/200秒と1/20,000秒。

そんな時間と呼べるのかも怪しい刹那を当然のように単位として用いている世界の住人が彼らなのだ。

 

 

 

「──────《(げっ)(こう)(けん)》!!!」

 

 

 

瞬間。

音が消し飛んだ。

 

 

 

……今のは、溜め無し(ノータイム)で撃っていい威力じゃないだろう。

間一髪で飛び退いた一輝が、心の内でストレートなクレームを入れる。

新宮寺黒乃が咄嗟に避難させていなかったら、一体何人が犠牲になっていたことか。

 

仁狼の前方から斜め上方。

外からの光がスポットライトのように射し込んできている。

───まるで、月すら穿たんとする巨大な槍。

その技は観客席を放射状に大きく抉り、そのままスタジアムに外まで通じる巨大な風穴を開けていた。

 

『ごっ………豪~~~~っ快な一撃!!

先程の冴え渡る剣技体術から一転、超攻撃力の伐刀絶技(ノウブルアーツ)!!

自分の強さは身体だけではないと、伐刀者(ブレイザー)としての真の強さを見せ付けるような鮮烈な一発だぁぁああああっっ!!』



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手繰る糸

『なるほどねぇ。「脱力で脳のリミッターを弛めて自分の最大以上の力を瞬発的に出力」すんのがイヌッち流みてーだけど、その理合いを魔力の使い方にも転用してるってぇ訳だ。

……だとしてもこの威力、元々の能力も相当に攻撃的っぽいねぇ』

 

仁狼が破壊したスタジアムには、砕けた瓦礫の一つも落ちていない。

彼が放った《月劫剣(げっこうけん)》が、射線上にあった全てを粉塵になるまでバラバラにしてしまったからだ。

 

「……ヨミツカさん、何なのよアイツの力? アタシが見た時とかなり様子が違うわよ」

 

「ああ、概念干渉系の《切断》です。ジンロウは『斬る』という概念を操るんですよ」

 

「せっ、切断!? あれで!?」

 

「《月劫剣(あれ)》は()()()()()()()()()()()を全力で撃ち放つ、言ってみればステラさんの《暴竜の咆哮(バハムートハウル)》に指向性を与えたような技なんです。

密度も威力も、範囲を絞った分グンと上昇しているようですが」

 

流石の一輝も顔を(しか)めた。

全身を滅多斬りにしてもどこにも刃が通らない。

こうなれば自分の攻撃を通すには切り札を切る他無いが、《一刀(いっとう)修羅(しゅら)》を使ってしまった現状それを使うことはもう出来ない。

そして向こうには一撃貰えば再起不能になりかねない火力がある。

……だがそれは、攻撃手段を刀に限ればの話だ。

一輝は自ら仁狼に吶喊。繰り出される貫手の弾幕、一発目を(かわ)し二発目を(くぐ)り、三発目の貫手を柄尻で弾いて仁狼の身体に隙を()じ開ける。

そこに一輝は組み付いた。

軟体生物を思わせる滑らかな動きで一輝は仁狼の腕を肘関節で挟み、そのまま捻るように巻き込んで地面に組伏せる。

 

『なんと、剣士と剣士の対決でまさかの寝技(グラウンド)です! 黒鉄選手、持ち前の引き出しの多さを見せつけてきました!!』

 

『どんだけ身体が硬くても関節の可動域が変わる訳じゃねえってか! イイとこに目ぇ付けんじゃんよ黒坊!』

 

攻撃が通じないならアプローチを変える。

それを見ていた者たちは、決まった、と確信していた。

あれは、抜け出す(すべ)がない。

何故なら一輝は自分で仁狼を抑え込むだけでなく、彼の身体に対して陰鉄(いんてつ)(かんぬき)のように使うことで仁狼の動きをさらに縛っているからだ。

まずは腕を一本破壊するべく一輝は力をかけ、

 

「《断鎧(だんがい)》」

 

大きく弾き飛ばされた。

斬撃を(よろ)伐刀絶技(ノウブルアーツ)、《断鎧(だんがい)》。大型トラックをジグソーパズルにした技である。

仁狼がこの技を出す前にへし折れるかと思ったのだが、やはり全身が準霊装(デバイス)化しているだけある。関節そのものも超硬化されており、そのせいで折るのが間に合わなかったのだ。

 

『ああっ、弾き飛ばされてしまいました! 去原選手が抑え込まれていた床がズタズタに切り裂かれている!! 黒鉄選手の負傷も大変なものか!?』

 

『や、予め知ってたって動きだねぇ。ギリ飛び退いてるし、体内に留めてた《一刀(いっとう)修羅(しゅら)》の魔力を瞬間的に外に放出して魔力で防御してっから傷は浅い。

有効ではあるっぽいけど、こうなるとまた関節を狙うのは難しい。リスキー過ぎるし、何より警戒されるからねぇ』

 

地に伏せる仁狼が、そのまま地を這うように一輝へと身体を蹴り出す。

三度襲い来る貫手、掌底、肘、拳。

素手の武においてもその業前(わざまえ)は超一級。

それを捌く一輝の様子はさっきまでと大きく違っていた。

さっきまでの薄皮を掠らせるような寸前の回避ではない。

身体を振って必要以上に大きく回避している。

 

『!? 黒鉄選手、急に反撃に移れなくなってしまった!』

 

『イヌッちが《断鎧(だんがい)》を纏ったままなんさ。反撃の為に寸前で回避なんてしたら、フードプロセッサーみたくそのまま巻き込まれてズタボロさね』

 

難敵も難敵だ、と一輝は思う。

向こうの攻撃が一発当たれば終わりなのは()()()()()()()()、こちらの攻撃は何一つ通らないのが何よりも厄介。防御を貫く為の技すら通用しないのだ。

だがそれを理不尽などとは思わない。

それが当然なのだから。

幼い頃から身を引き裂くような試練に身を落とし、血道の果てに手に入れた(わざ)に、付け入る隙などあろう筈がない。

そして徒手空拳の間合いの外で、仁狼は何も持っていない手を、まるで刀を持っているかのように振るう。

咄嗟にガードした陰鉄(いんてつ)に、刃のぶつかる感触を感じた。

 

まるで仁狼が、透明な刀を振るっているかのように。

 

「《()(くう)(きょう)(げつ)》」

 

それが仁狼の新たな二刀。

魔力で形作られた二振りの刀を手に、仁狼が一気に攻め立てる。

 

『見えざる刃が黒鉄選手に襲いかかる!! やはり《断鎧(だんがい)》は纏ったまま! 黒鉄選手、苦しい展開になってきました!』

 

「なんでアイツの伐刀絶技(ノウブルアーツ)は見えないの? まさか魔力を伐刀絶技(ノウブルアーツ)としてじゃなく、効率がガタ落ちする無色のエネルギー状態のまま扱ってるとでも……!?」

 

魔力には色がある。

一輝なら蒼、ステラなら赤といった具合に、それぞれ能力だの性格だのが反映されているのかは知らないが魔力には『その人物らしい』色彩があり───中には星空とでも表現するべき変わり種の魔力もあるが───その色は伐刀絶技(ノウブルアーツ)にも現れる。

だが、一方の仁狼。

月劫剣(げっこうけん)》や《断鎧(だんがい)》、《()(くう)(きょう)(げつ)》など、それらの技が全く視認ができない。

まるで透明。

地面が抉れた、一輝が受け止めたという二次的な事象を見て初めて技が発動されたとわかる。

 

(もしかしてボクの《(かぜ)爪痕(つめあと)》みたいに、あれは切断という能力の副産物だったりするのかな……?)

 

それに近い事ができる絢瀬が自分なりの考察を進めていたが、一輝は一足先にその真相に辿り着いていた。

 

(そうか。見えないようにしてるんじゃない───彼の魔力には、()()()()()()()()()()!!)

 

透明色の魔力による伐刀絶技(ノウブルアーツ)。故に不可視。

しかも魔力で出来た刃だ。『変形する可能性』がある以上、どこまでが間合いかわからない。距離を取ろうと離れても、刃を伸ばして追いかけてくる可能性すらある。

そう考えた側から仁狼は仕掛けてきた。

()(くう)(きょう)(げつ)》の刃が陰鉄(いんてつ)に触れた、その直後。

 

「──────《殻斬衝波(かくざんしょうは)》」

 

呟かれた技の名前。

布を思い切り叩くような音を上げて、一輝の全身から赤色が噴き出した。

 

「ぐぅ………っ!!?」

 

『あ、あああ!? これは大ダメージ───』

 

『いや、(あせ)ぇ! 今の黒坊の《一刀修羅(いっとうしゅら)》が発揮する魔力防御は並じゃねぇ。見た目は派手だが皮一枚でギリ抑えてる!』

 

「!あの技、トラックのコンテナだけをバラバラにした……!」

 

「斬撃を相手の体表に走らせる伐刀絶技(ノウブルアーツ)です。触れればそれでいいので、ガードしても刀を伝ってあの通り」

 

「……それよりもあの男、魔力の制御能力が凄まじいですね」

 

眉間に皺を寄せて珠雫が呟く。

 

霊装(デバイス)を純粋な魔力になるまで()()()

口にすれば容易いですが、それは自分の魂を分解してしまうのに等しい荒業(あらわざ)。僅かでも魔力の制御を誤れば元の形に戻った霊装(デバイス)に体内から貫かれてしまいかねない。これだけでも他の全てを意識から除外せねばならない程の魔力制御を要求されるはず。

そんな極限の集中力をあのレベルの戦いの中で維持し続け、更に複数の伐刀絶技(ノウブルアーツ)を並列に発動するなんて最早人に至れる深奥ではありません。

……あの男、脳が何個ついているんですか?」

 

珠雫をして唸らせた仁狼の魔力制御。

それの由来をステラと一輝は彼の口から既に聞いていた。

───並列思考。

剣を扱う為に身に付け鍛えてきたそれが魔術においても活かされるのもまた、達した一理が万法に通じた一例と言えるだろう。

 

「……斬れないのか。だが、有効みたいだな」

 

殻斬衝波(かくざんしょうは)》を宿した魔力の双刀が更に勢いを増して空を踊る。

もはや受け止める事すら出来なくなった攻撃を全力で動き回って回避する一輝だが、その表情はどこまでも怜悧。

ただ勝つ為に全てを尽くす。

仁狼という難攻不落の要塞に、思考のメスを入れていく。

 

……《断鎧(だんがい)》。

ステラの《妃竜の羽衣(エンプレスドレス)》や一輝の兄・黒鉄王馬の《天竜具足(てんりゅうぐそく)》などのように自分の能力を身に纏って防具にする、系統としてはポピュラーな伐刀絶技(ノウブルアーツ)だ。

物質に対して極めて強力に干渉する《切断》という能力の特性で考えれば、防御力とそれが転じた攻撃力はその二つよりも強力かもしれない。

だが仁狼の能力は、炎や風など、元々が不定形で流動的な現象とは根本的に違う。

《切断》とは強力な物理的接触をもって現れる現象。

素直に全身に纏っていては、関節を曲げる度に纏っている斬撃と斬撃が激突してお互いに弾かれ、まともに動くことすら出来なくなってしまう。

 

であれば。

実際の鎧のように、身体の構造上カバーできない部分が存在するはず。

つまり狙うべきは─────

 

「っ!!?」

 

一輝は陰鉄(いんてつ)を振るい、魔力の刃ではなく仁狼の腕を叩く。

その途端、一輝の攻撃は通らないはずの仁狼が両腕を振り回しながら後ろに退いた。

 

『何と!? 去原選手、ここで退いてしまった!! 終始優勢に見えていましたが、バランスを崩したのか大きく腕を振り回す!』

 

『力を逃がしたんさ。ああして腕を振り回さなかったら腕の関節がオシャカになってただろうねぇ。……しっかし黒坊もまぁ、よくそんな針穴みてーな突破口を思い付くもんだよ』

 

「……お前、()()()()()()

 

「その通り。期待通り、()()()()()()()

 

仁狼の剣は凄まじい。

最適化された反射運動による出の早さに、白筋のみで構成された身体による速度と力。

それらが脱力による脳のリミッターの解除でブーストされ、極限まで無駄を削ぎ落としたモーションによる動きの読みにくさまで兼ね備えている。

加えて、《()(りん)()(そう)》による身体の超強化まで施されているのだから。

 

だが、優れた結果を出すものは、相応に制御が困難なのが道理。

例えるなら超高速で空を引き裂く戦闘機、そのパイロットが一度でも思い切り操縦を誤ってしまえばどうなるか。

当然、墜落。悪ければ空中分解すら引き起こすだろう。

 

その剣は、相手の攻撃が強ければ強いほど威力を増す。

相手の攻撃に対してその攻撃の(かた)を崩すように加撃することで、力の流れを相手の体内で暴発させる技。

 

「番外秘剣───《(ねじ)(みず)》」

 

勝ち筋がないなら、勝てる手段を一から作る。

断鎧(だんがい)》に覆われていない関節部を適切な角度で叩き、仁狼の身体を自壊させんと烏の濡れ羽色が逆襲を開始した。



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神算鬼謀

一撃目を膝関節に入れる。

次いで股関節に一撃、膝への攻撃で仁狼の体内に生じた力の向きを歪めながら増幅させる。

そして首元に唐竹割り。上から加わった新たな力が、膝と股関節から入力した下からの力と衝突。

仁狼の体内、その中心で競合を起こし、爆発する。

そんな結末を、仁狼はハッキリと確信した。

 

(カウンター技かと思えば……!!)

 

一息に満たない間に打ち込まれた衝撃を、仁狼は全身を振り回して体外に逃がす。

無論その隙を逃がす一輝ではない。さらに追い討ちをかけるように《(ねじ)(みず)》を打ち込んでいく。それを逃がすために仁狼はまた身体を振り回しす。

それはまるで、一輝の剣に踊らされているように見えた。

 

『打ち込む!打ち込む!! 去原選手をまるで独楽のように振り回しています! しかし去原選手の硬度を前に刀がどこまで通用するのか!?』

 

『ガンマナイフみたいなもんさ。一個一個の力は弱くても、それらは重なり合えば一気に力を増す。しかも今イヌッちは力を逃がすために全身を使わざるを得ないから、その動きがまた次の《(ねじ)(みず)》の威力を累積させちまう。

一回でも対応をトチりゃタダじゃ───』

 

 

「ああ何だ、こうすればいいのか」

 

 

仁狼が全身の力を抜いた。

刃を受けた関節がその方向にぐにゃりと曲がり、体内を巡るはずだった力を丸ごと体外へと受け流す。

力に逆らわず身を委ね、曲げられた針金のような姿勢になった仁狼。

どう見ても体勢が死んでいる。このまま適切に攻撃を続ければ、折り畳まれ続けた紙のように脱力で受け流せる限界が来るだろう。

ただしそれは、仁狼が反撃をしなかったらの話で。

彼の脱力は、攻撃の合図だ。

 

「ぉおああァッッ!!」

 

仁狼の剣術において《(はつ)》と名の付けられた、脱力とシャウト効果の相乗による防衛本能(リミッター)の瞬間的な完全解除。

爆発的に巨大化し球体となった《断鎧(だんがい)》が、辛うじて陰鉄(いんてつ)を盾にした一輝を闘技場の端まで吹き飛ばした。

 

(流石に、対応が早いな……!)

 

「……うん、やっぱ付き合う道理はないな。相手の手が届かない所から攻めるのは、戦の鉄則ってものだ」

 

確認するようにぼやいた仁狼が不可視の速度で腕を振るう。

寒気となって背筋を駆け昇る経験則の警鐘に一輝は即座に従った。

一輝が駆け出した直後、一瞬前まで彼がいた場所に、まるで追いかけるように幾つもの深い斬痕が刻み込まれた。

 

「うおおっ、何だありゃ!? あんな所が斬れたぞ!!」

 

「一歩も動いてないのに……!? 何も見えなかった!」

 

「オイ。ありゃ《無空(むくう)鏡月(きょうげつ)》とやらを伸ばしてんのか?」

 

「《()(がん)》。斬撃を飛ばす技です。例によって色が無いので見えませんが」

 

隊列を組んで飛ぶ鳥の名を冠した斬撃の群れが、二刀を活かした圧倒的な手数で一輝へと飛来する。

一輝は再び距離を詰めるべく走りながら、これを一輝は仁狼の腕の動きを見て斬撃の角度と向きを予測して回避する。

髪や服、皮膚を削るほど最低限で躱す動きの精度からは、不利な状況に対する焦りなどは一切感じ取れない。

それを見た仁狼は、もう一つ別の伐刀絶技(ノウブルアーツ)を放つ。

 

「《紫電(しでん)(つぶて)》」

 

仁狼の周囲に()()()()()()がいくつも生成され、それらが一輝に向けて殺到する。

一輝が躱した後に残るのは線ではなく、ごく小さな傷。

それを見た訳ではないが、飛来する()()の風切り音でその正体を看破した。

 

(斬撃じゃない。もっと直接的に、魔力で作った剣を射出している)

 

無空(むくう)鏡月(きょうげつ)》も然り。水を操る珠雫がその応用で人体を掌握するように、切断から関連させて刀剣を生み出し操るのもまた当然の技なのだろう。

斬り払いによる面制圧の範囲攻撃から、刺突による点の攻撃へ。

一見すればただ回避しやすくなっただけだが、《()(がん)》とは違い腕の動きで軌道を読むことができないのだ。

自分の攻撃に相手が何を以て対応しているのかを一目で理解し、それを潰す応手を即座に実行する仁狼は確かに凄まじい。

が、それで一輝は止まらない。

 

(対応としては正しいけど、人間性を掌握していればどこを狙ってくるかを読むのは難しい事じゃない。むしろ攻撃範囲を狭めてくれるのならありがたい!!)

 

点の攻撃なら、回避は身体をずらすだけで事足りる。

ほとんど真っ直ぐに駆け抜けてくる一輝に、仁狼は《紫電(しでん)(つぶて)》の中に《()(がん)》も同時に織り混ぜて応戦。

見えざる刺突と斬撃がひっきりなしに襲い来るという殺意の洪水を、しかし一輝はするすると潜り抜けていく。

仁狼の分析はとうに終わっていた。

最早目を瞑っていても当たらないだろう。

 

(そしてある程度接近したら、また《断鎧(だんがい)》を拡張して弾き飛ばしにくる。さっきのから判断すれば、効果範囲は半径およそ十メートル)

 

持続的に発揮できるものではないとはいえ、《(はつ)》による瞬間的な速度と出力は今の一輝をしても充分すぎる脅威だ。

速度に物を言わせて出される前にこちらの攻撃を当てる選択は得策ではない。

しかし、間合いが分かっているのなら問題ない。

一輝は《蜃気狼(しんきろう)》の残像を前に生み出し、仁狼の視覚を誤認させる。

これに反応した仁狼が《断鎧(だんがい)》を拡張しても、巻き込むのは残像のみ。切断の結界が収束して元のサイズに戻ると同時に残像の後ろにいた一輝本人が吶喊、距離を刀の間合いまで詰める算段でいたのだが。

 

「《風勢(ふうせい)烈霞(れっか)》。……やっぱ残像か」

 

《切断》の概念をたっぷりと孕んだ魔力の風が、仁狼の周囲に吹き荒んだ。

威力も速度も射程距離も《月劫剣(げっこうけん)》には及ばないが、カバーできる広さは仁狼の技の中でも随一。生み出された残像を細切れにしながら、想定した効果範囲を大きく超えて一輝へと迫る。

……一輝の《完全掌握(パーフェクトビジョン)》は、戦闘中に得られる情報に大きく依存する。

そして仁狼はここまで、言ってみれば自身に縛りを課して戦っていた。

つまり一輝は剣客としての仁狼は掌握していても、現段階で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

相手が行動を起こすタイミングを完全に見切っていようとも、切ってくる手札は自分が知り得たものから考えるしかない。

刃の霞に一輝が巻き込まれずに済んだのは、そういった理由から自分の予測を大して信用していなかったが故だろう。

しかし動かしていた足を一瞬、完全に止められた。

 

「《()(くう)明月(めいげつ)》。……《(りゅう)()》」

 

その一瞬に剣を通すように、瞬間的に脱力。

仁狼は見えざる二刀を一刀に収束させて振り抜く。

同じように飛ぶ斬撃、しかし先程の《()(がん)》を機銃とするならばこれはまさに大砲。

巨人すら斬り捨てるかという刃の三日月が、足が使えず刀で受けるしかなかった一輝を再び遠くへ押し流す。

 

動きを縫い付けたそこへ再びの《月劫剣(げっこうけん)》。

月穿つ槍が、一人の人間に向けて撃ち放たれた。

 

『あっ………ぶなぁぁああい!! 黒鉄選手、受け止めた斬撃の下を潜るように横っ飛びして何とか躱す!

しかしまたもや距離を突き放されてしまった!

去原選手、全ての間合いであまりにも隙が無い!!』

 

『物質的に強く接触してくる能力ってのが厄介なんさ。それこそ火とかならムリヤリ突破したりもできたろうけど、ああやってぶつかれば思いっきり弾き飛ばされちまう。

それに大小問わず技の出がクソ早えーのもそうだけど、イヌッちの立ち回りがすっげー巧いのよ。接近戦しかできねー黒坊にとっちゃ最悪さね。

このまま型に嵌められたら文字通り何もできずに終わっちまうぜぇ?』

 

(立ち回り………その通りだわ)

 

それが意味している事を、ステラは深く肝に命じた。

フェイントをかけられてもカバーできる技で堅実に防御。足を止めた所に重たい技をぶつけ、確実に足を止めたところで本命の一撃を叩き込む───

強い能力で圧倒するのではない。

煉瓦を一つずつ積み上げるような、地道ともいえる手順の駆け引きだ。

恵まれた能力(さいのう)を持ちながら、仁狼はその地道さを徹頭徹尾(おこた)らない。

強力な能力、強力な技を持っているそれだけでは不足。

使()()()()()()使()()()()()()使()()

その時々で目まぐるしく変わる最適解を瞬時に導き出し、実行。

そうして積み重ねられた最適解が、今の仁狼の有利を作っている。

───観察眼に対する思考力。

それを支えているものの正体を、一輝はここで理解した。

 

(平静だ。いっそ平時と変わらないくらいに)

 

そう。この戦いの当初、仁狼は気負っていた。

己の剣のみで一輝を倒すという誓約によって彼は己の力を出し切れていなかったばかりか、その重圧にせっつかれて勝負を逸り、自分の体質を無視した無計画とも言える試合運びをしてしまっていた。

ところが、今。

詠塚琉奈の為に最優先事項を『無傷での勝利』に変更───それを達成するために己の全力を解禁した結果、仁狼はあらゆる制約から解き放たれている。

故に、不惑。泰然自若。

気負いの無さが、実力の全てを十全に引き出す。

 

(ああ、そうか。これが……そうか)

 

一輝の中で、見る間に仁狼が変質していく。

一粒の解を混沌の中から一瞬の内に弾き出し、それを積み上げていく『あたりまえ』の正確さ。

冷静と合理が生み出す必然は反抗を許さず、どんなに計算をずらしても即座に『制圧』という結果に帰納させる。

 

自分が戦っているのはもはや剣士ではない。

脳の代わりに搭載されているのは、冷徹な電子計算機。

両手に刃を握らされ、勝利に向けての最適を重ね続ける機械人形だ。

 

 

(これが────去原仁狼(きみ)か!!!)

 

 

一輝の口元が獰猛に歪む。

真っ当に戦っているだけでは勝てない。

今以上にリスクを背負わねば、遠く見える()()は倒せない。

またも襲い来る切断の群れの中に吶喊せんとする一輝の身体が、ギシリと音を立てる。

───番外(ばんがい)()(けん)鐵炮(てっぽう)》。

力と瞬発力を爆発的に発揮する体捌きを、一輝は前へと進む蹴り足に適用した。

 

『はっ、速い!! 黒鉄選手、まるで弾丸のように去原選手へと迫る! 地面を蹴る音がまるで銃弾を蹴り出す炸薬のようです! 大きく開いていたはずの距離があっという間に詰められていく!!』

 

「!」

 

流石に思いもしなかった速度で迫る一輝を見た仁狼は《(はつ)》が間に合わないとして、寄せ付けずに粘り勝つ今までのプランを即座に放棄。

『無傷で勝利する』という絶対条件の元に方程式(けいかく)を組み直す。

そして弾き出した解は正直どうかという物ではあったが、背に腹は代えられない。

無傷で勝つ為には仕方ない。

一輝の刀が自分に届くよりも一瞬早く、仁狼は後ろに向けて大きく跳び上がった。

 

「え……」

 

一輝が思わず足を止め、呆けた声を出したのは当然だろう。

一輝だけでなく、観客のステラ達やそれを見ていた解説の寧音、声を上げるべき実況の(つき)()()すらも声を失った。

 

跳び上がった仁狼が着地したのは、観客席の中だったのだから。

 

───何をしているんだ?

観客席の中は即ち場外である。

カウントダウンが進めばそのまま敗け……

 

(っまさか手出しの出来ない場所をあえて緊急避難として!?)

 

観客席という場所が含んでいる要素から、瞬時にそこまで考え付いた一輝も流石ではあった。

そしてその推測も、まぁ間違ってはいない。

……だが、仁狼の策謀はそんなものでは終わらない。

 

それはまるで、餌に群がる鳥の群れ。

一輝を360度ぐるりと囲んでいる観客席。

その全方位から、リングにいる一輝に向けて《()(がん)》が一斉に飛びかかってきた。

 

「なっ────~~~~っっ!!??」

 

観客席に侵入(はい)り込んだ仁狼が、縦横無尽に走り回りながら伐刀絶技(ノウブルアーツ)を連射しているのだ。

慌てて身体を低くして飛び退いて辛うじてそれらから逃れるが、当然ながらそれで終わるはずがない。

逃げ回る一輝を啄もうと、四方八方から殺意の鳥が襲いかかってくる。

 

「はっ、はぁぁ!? アイツ何やってんのよ!? ヨミツカさん、イヌハラの奴ここまで見境無しにやる奴なわけ!?」

 

「た、確かに『何でもやる』のはジンロウの遣り口ですっ! 流れ弾が当たるなんて事はしないでしょうが、ここまでやるようになっていたとは……っ!?」

 

───琉奈の横から、ぬう、と腕が伸びてきた。

 

一輝が躱した《()(がん)》の群れが、まるでシェフに刻まれるキャベツのような勢いで硬い地面を刻んでいく。

前後左右、どこにも逃げ場はない。

逃れる方向に正確に回り込むように、意識を割いた逆の方向から、リズムを崩す厭らしいタイミングで斬撃が飛んでくる。

仁狼の人間性を掌握していなければ回避も危うかっただろう。

 

「おっ、オイオイオイ!! 観客席にいんのかよ!?」

 

「待って待って怖い怖い怖い!!!」

 

「いっ今そこ通らなかっtうわぁっ!?」

 

『お、落ち着いて下さい! 危ないですから席を立たないで!!』

 

(本っ当にメチャクチャだ……!!)

 

完璧に気配が消されているのと、観衆がパニックになって右往左往するせいで仁狼がどこを移動しているかが全く掴めない。

……躱すことそれ自体は出来る。

だが、そこから先がどうしようもない。

追いかけて観客席に入る訳にはいかないし、そうしたとしても人が多過ぎてまともに刀が振れない。あそこは無手になれる向こうのフィールドだ───

 

「っっっ!!」

 

背筋を駆け上がった悪寒に、一輝は全力でそこから飛び退いた。

直後に、轟音。

観衆の間を縫って放たれた《月劫剣(げっこうけん)》が、スタジアムの床に大穴を開けた。

戦いではなく狩りとでも呼ぶべき、どうしようもなく一方的な構図。

これが死合(しあい)であったなら、仁狼はこのまま延々と攻め立てただろう。

しかしこれは試合。

リングアウトという、ルールに則った敗北が定められている。

 

『十! 九! 八! 七! 六! 五! 四………っ!?』

 

「────《(しょう)()》───!!」

 

「ぐうっ!!?」

 

カウントダウンの途中、『有利な状況ならなるべく引き伸ばすだろう』という読みの裏を突いて、観客席から仁狼が飛び出した。

両手に持つは《無空(むくう)鏡月(きょうげつ)》。

全力疾走のエネルギー全てを二刀に乗せて飛びかかるように叩き付ける強襲技、《双の型》が一振り《(しょう)()》にて一輝を背後から襲う。

一輝はその突進力を《(まどか)》で返そうとするが、それを察知した仁狼は途中で《(しょう)()》を引っ込めてそのまま一輝の横を通り抜ける。

そしてまた観客席に侵入(はい)ろうとした時、

 

『おいぼーず。次ィ同じ事やったらお(めー)失格にすっかんな』

 

トーンが低くなった寧音の声。

 

『全力全開で戦る余波なら、うちらが幾らでも受け止めてやっから存分にやりゃあいい。

けどお前の()()は、守る義務を負う伐刀者(ブレイザー)としちゃ完全にアウトだ。

そのスタイルを否定はしねーけど、ルールの上に立つ勝負なら倫理(ルール)に則りなよ』

 

「………まぁ、そうなるよな。流石に」

 

厳しい叱責を受けた仁狼は、特に異議を申し立てる事なくそのプランを棄却した。

反則敗けはいただけない。

形はどうあれ、仁狼はもう人の海を使えなくなってしまった。

残された時間は、多くない。

一輝は仁狼に向けて猛然と突撃し、

 

「じゃあ、しょうがない」

 

「っ?」

 

そう一言言ってから、仁狼はまた一輝がいるのとは違う方向に跳んだ。

二回ほど地面を蹴って着地したのは、仁狼がスタジアムの壁面に開けた、外へと開通した大穴の縁。

 

「場所を変えよう……黒鉄一輝。

俺にとっては………どうにもここは、狭すぎる。

 

 

───どうせ戦るなら、自由に戦るのが一番だろ?」

 

 

射し込む光すらも、まるで一輝を招くようで。

好戦的に口元を歪め、仁狼は穴の縁から飛び降りて外へと姿を消した。

困惑にざわめくスタジアム。

しかし一輝の心は、さらに沸々(ふつふつ)と沸き立っていた。

試合のルールで言うのなら、仁狼のこれは戦闘の放棄とも取られかねない行為だろう。

だが彼は、勝ち負けに関わるそれすら窮屈であると言ったのだ。

ルールを放棄してまで全力を出したいと言ってくれるのならば。

自分との戦いを、箱の中で収める訳にはいかないと思ってくれたのならば。

 

それに応えない道理など、無いではないか。

 

「いいね。────受けて立とう!!」

 

一輝もまた、地を蹴った。

スポットライトに消えるように、彼も穴を通って外へと消える。

二人の剣士はとうとう戦いの場所を制限のない外へと移してしまった。

 

『え、ええと……これは、どうすれば……?』

 

『うはははは、コイツぁ予想外さねぇ……。ったく、ガキんちょの暴走ってなぁいっそ羨ましいもんだねぇ。青さが目に沁みるってもんさ』

 

困惑の月夜見と面白がる寧音。

一転して戦いの気配が消えたスタジアムが、主役を無くした空白をどよめきで見たそうとしている。

 

「え……と、これで終わり? 引き分け?」

 

「いや、でもまだ二人は外で戦ってるんじゃないの?」

 

「イヌハラの遣り口はまだ想像すら追い付かないわね……。多くの条件が絡む屋外でどう戦うのか、気になる所だわ」

 

「チンタラしてんじゃねえよ。外行くぞ」

 

「躊躇わないなキミも!」

 

ここでやっと状況を飲み込めた者たちの話し声で、スタジアムが一気に騒がしさを増す

観衆が三者三様の反応を示す中、解説席の寧音は下駄を鳴らして楽しそうに席を立った。

 

『さってと、じゃあうちも行くかね。若さの滾りをきっちり見守るのも大人の責任ってもん───』

 

 

 

キンキン、と軽い音。

天井を小さく切り抜いて、その穴から去原仁狼が空からリングへと飛び降りてきた。

 

 

 

え? と大量の疑問符が全員の脳内を満たす。

戦いの舞台を外に移した張本人が、いきなり天井を抜いてリングへと帰還を果たしたのだ。

しかも、一輝を置いて一人でだ。

二十メートルもの高さから飛び降りた彼は衝撃を完璧に殺して猫のようにしなやかに着地し、リングの中央で呑気そうな顔で立っている。

 

『い、去原選手、戻ってきてしまいました………? でも、あれ? 黒鉄選手は……??』

 

事の流れが全くわからないままではあるが、とりあえず実況としての仕事を果たそうとする月夜見。

再び困惑のざわめきを取り戻したスタジアムの真ん中で、仁狼は苛立ったように審判を睨む。

 

『? ……、あっ!! じ、十! 九! 八! なな……』

 

 

ゴギィィィイイイン!!!

と、音すら怒っているような鋼の音。

寸での所で《月劫剣(げっこうけん)》で開けられた穴から帰って来た一輝が、全力で仁狼に打ちかかったのだ。

 

「君ねぇ………っ!!」

 

「おい審判……。カウントダウンが遅いぞ」

 

ひくひくと顔を引き攣らせ、額に青筋など浮かべつつ言葉と刀で詰め寄る一輝に対して仁狼は完全にどこ吹く風だった。

 

『ま、マジかよオメー………』

 

仁狼のスタイルを否定しないと言ったはずの寧音が、実情を理解して割と本気で引いた声を出す。

同じように理解して愕然とするステラ達の中で、琉奈がトルネードのような溜め息を吐いて頭を抱えていた。

 

『せ、先生? これは何がどういう……?』

 

『簡単じゃねーけど簡単な話さ。この試合のルールにおいて、定められたフィールドから出た選手はどうなる?』

 

『………、ああっ!!?』

 

『そ。うちもそれなりに色んな試合に立ち会ってきたけども、こんな事やらかすバカは初めてさね』

 

はぁぁああ、と形容しがたい息を吐く寧音。

呆れているのか感心しているのか、恐らく自分でも判別しかねているだろうよくわからない感情をそのまま吐き出すように、寧音は仁狼の遣り口を知らしめる。

 

『あんだけキメた事言っといて、よくまぁ()()()()()()()()と戻ってきたもんだよ……。

イヌッちの野郎────調子のいい事並べて黒坊を場外に釣り出して───しれーっとカウント勝ちを狙ってやがったんさ!!』

 

ドオオオオオオ!!!とスタジアムが張り上げられる声にビリビリと揺れた。

渾然一体となったその内訳は、罵る声が大多数。

しかし彼は欠片も動じない。

本気で戦う彼の心は、如何なる時でも平静だ。

 

「……仕方がないさ。俺が無傷で勝つ為だ」

 

悪びれもせずそう言って、仁狼は笑う。

凶悪な双眸を細めた顔は、それはそれは悪そうな。

絵本に出て来てもおかしくないような───模範的に悪役な笑みだった。



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翳る月

それが観衆に聞こえていなかっただけまだマシだったかもしれない。

ただそれだけ仁狼は今の行動指針に忠実だっただけという事だ。

 

『……あ、それと一応、カウント的にはギリセーフな。イヌッちは気配がゼロに等しいから、外に出たのに姿が見えなくても「隠れてるだけ」とでも思わされたかねぇ……。

案外、外に漏れ聞こえたアナウンスでやっと気付いたってのも有り得るかもしんねーな』

 

『とっ……ともあれ、戦いの舞台は再びここに戻ってきました!! 思いも寄らない奇策を何とか切り抜けた黒鉄選手、ここからの試合運びはより慎重になりそうで───』

 

爆ぜた。

 

もはや策を弄する暇など与えぬと殺到する黒刀に仁狼も呼応する。

最高潮の肉体に戦闘状態の脳が狂ったようにインパルスを飛ばし、生命活動の全ては戦う為だけの為に最適化。

その様はもう人間というよりは、闘争という概念をヒトガタにしたと言う方が相応しいかもしれない。

刀や腕はもちろんの事、最も動きの少ない胴体や下半身すら網膜が正常な輪郭を結んでくれなくなるほどに壮絶な打ち合いが始まった。

 

『始まったぁあ!! まるで謀られた憤りを叩き付けるような、罠を巡らす頭脳戦から一転、真っ向からの腕比べ!! そこから動いていないはずの二人の姿がもはや見えないっ! 耳を聾するような戟音が打ち合いの苛烈さを物語っています!!』

 

「本当にすごい音、耳が痛い……!」

 

「あれ本当に人間が出せるスピードなのかよ!? もうそこにいるのかもわかんねえぞ!」

 

「スッゲェ、離れた場所にいるのにここまで届いてくるみてえだ……!!」

 

「……見た限りはそうだけど、キツいのはイヌハラのはずよ」

 

罵ったかと思えば沸き上がり、忙しそうに感情を起伏させる観衆とは裏腹に、冷静に戦況を分析している者もいた。

知らずに身を乗り出し、一合すら見落とすまいと神経を尖らせるステラ。

 

「イヌハラはスタミナが少ない。《()(りん)()(そう)》による超ブーストでカバーしているみたいだけど、身体の強化はアイツの能力とは違う。

次元は違うけど、言ってみればあれは私たちが普通に行っている、魔力による肉体強化と変わらない………『体力が少ない』という根本的な問題が解決している訳ではないのよ。

それを発動した時点でアイツはかなり消耗していたし、そこから観客席の中を全力で走り回っていた。

普通なら強化された身体能力を頼ってある程度力を抜く所だろうけど……残っているだろう体力から考えても、あの乱撃戦はかなり無理しているはず」

 

「……カウント勝ちとかいう舐めた遣り口も、『休みたかった』って面がデカかったのかもしれねぇな。クロガネの方もそれがわかってるハズだ、もうあの距離からは逃がさねぇだろうよ」

 

さんざん搦め手を使ってきたのもいい証拠。仁狼は圧倒的不利となる乱撃戦からは何としても脱したい所だろう。

しかし一輝も仁狼の取りうる行動の選択幅を改めて折り込んでおり、こうなった彼の目を出し抜くのはほぼ不可能に近い。

壮絶な打ち合いの裏では複雑怪奇な化かし合いが発生しているはず───

 

『ん。いやコレ、黒坊がガッツリ不利だわ』

 

寧音のその一言に、思わず耳を疑った。

 

『そ、それはどういう事でしょうか? 体力が少ないという点で言えば、不利なのは去原選手なのでは!?』

 

『イヌッちの身体に力が全然入ってねえ。完全に黒坊の一人相撲なんさ、削り合いが成立してねえ。()()()()()()()()()()()()()

 

「攻撃を跳ね返す? ……まさか………!!」

 

「突き詰めていけば同じ発想に至るものなのでしょうか。《詠塚派》と黒鉄さんは、同系統の技を奥義の一つとして生み出したようです」

 

相手の攻撃をそのまま返す技、それに心当たりのあるステラがいち早く現状を察する。

一見して仁狼が不利なこの状況こそ、まさに彼の術中。

───あれが仁狼の剣の、第二の奥義だ。

筋肉を液体のレベルまで弛緩させ、片方の刀で受けた力を腕から背中を通してもう片方の腕に移動。そしてその力をそのまま打ち返す。

一刀を用いる攻撃の型《流星(ながれぼし)》に並ぶ、二刀を用いる()()()()───

 

 

「秘事の型二番・《(たまき)》」

 

 

二刀を用いる故に「受けて」「返す」際のタイムラグもほとんど生じず、さらに返す形は仁狼の思うがまま。

技の名前は奇しくも「輪」を意味する一文字。

しかし一輝がステラとの戦いの中で改良する前とした後の《(まどか)》の良いとこ取りと言っていい、完全な守りの型だ。

受け止められた攻撃がより強くなって別の方向から帰ってくる。それを叩き落とせば同じことの繰り返し。

攻めていたはずなのに、いつの間にか防御に腐心させられている。

攻撃すればするだけ悪循環。自分と相手の間で延々と巡り続ける力の円環の中に、一輝は完全に囚われていた。

 

(攻める隙がない───けど)

 

一秒が極限まで過密化した時間で、唐突に仁狼の剣が止まる。

陰鉄(いんてつ)と《無空(むくう)鏡月(きょうげつ)》が激突したその瞬間、絶妙に力を抜いた一輝の全身の関節が、まるでクッションで受け止めるように伝わってきた力を減衰・吸収したのだ。

返す力を失い途切れた《(たまき)》の隙間に、一輝は自身の身体を刀の間合いのさらに内側に捩じ込むように踏み込み───同時に全く同じ行動を取っていた仁狼と、肩と肩がぶつかった。

人間性の掌握などせずとも、行動の選択幅を削り切れば、相手の動きを読む事は容易い。

仁狼は次の一輝が起こすだろう行動に合わせて、迎撃の準備を整えていた。

放たれるのは重心移動と体捌きの妙により、相手に触れた場所が胴体だろうが刃先の末端だろうが間合いを問わず最大威力の発勁(はっけい)を叩き込む()()()()()()()

だが。

この形で放つ技の種類など、読み易いのは一輝も同じだ。

 

「《白鬩(はくげき)》ッッ───」

 

「───《爆心靠(ばくしんこう)》ッッッ!!!」

 

────全身を白筋で構成された仁狼の発勁は、()の状態でも爆弾じみた破壊力を持つ。

しかし技の相性が悪かった。

自身の力だけでなく攻撃を受け止める事で生じた床反力まで押し付けられた仁狼が、(ひしゃ)げるように吹き飛ばされた。

 

「………っっ!?」

 

『っとぉ、カウンターが綺麗に決まったぁ!! 去原選手、地面を削るように弾き飛ばされる!!』

 

『ただ吹き飛ばすんじゃなくて、地面に押し付けるように力を加えたのはイイ判断さね。イヌッちを空中なんて手の届かない所に飛ばしたら何をしでかすかわかんねーし』

 

(よしっ、完全に体勢を崩した! あそこまで身体が地面に接していたら、脱力で《(ねじ)(みず)》を流すこともできないはず!!)

 

ついに訪れた千載一遇の好機にステラも思わず拳を握る。

完全に転ばされる形で打ち飛ばされた仁狼は、攻撃も防御も、まして動ける体勢でもない。

仁狼がここから体勢を立て直すまでに一輝なら十数回は打ち込める。そしてそれは仁狼の《五輪(ごりん)()(そう)》を突き崩すには充分な手数!

これを逃す手はない。

一輝は一息に仁狼との距離を詰め───

 

「《関ヶ原(せきがはら)》」

 

それを阻むは超常の技。

両者の間の地面から突き出てきた透明な刃が、槍衾のように一輝に迫る。

 

『うお、このタイミングでそれはえげつねーな! 魔力の剣でバリケード作りやがった! ああいう()()()()()()は黒坊に対しては極めて有効さね……迂回するしか(すべ)がねえ!』

 

(こんな事まで───)

 

下腹部がヒュンと抜けるような感覚。

自分と彼の間に突然、向こう岸の見えない地割れが横たわったような錯覚に陥り、一輝の足が一瞬止まりかけた。

見上げるように強大な敵は今まで何人もいた。

潰されそうなくらい圧倒的な敵は何人もいた。

しかし、この男は何かが違う。

 

遠い。───そう、遠いのだ。

 

詰めたと思えば離され続け、気付いた時には瀬戸際に立たされている。

まるで煙を斬っているように、何度挑んでも手応えがない。

一息で飛び込んで斬れるはずのこの距離が、果てしなく遠い。

 

……なら、それでいい。

そうまで逃れるというのなら、その上で断ち斬ってみせよう。

胸ぐら掴んで引き寄せて、退く場所などないとわからせてやろう。

 

『お……』

 

それを見ていた寧音が、少し驚いたように声を漏らす。

地より沸き出ずる見えざる刃に強く踏み込んで。

己の刀に、一輝はただ一つ絶対の意思を乗せて振るう。

 

斬る、と。

 

ぞわり、と仁狼の心臓を悪魔が撫でる。

幾重もの金属が破断される壊滅的な音を上げて、見えざる刃の槍衾がただ一刀の元に全て破壊された。

 

「……………ッッッ?(何だ、今のは)」

 

その僅かな隙に立ち上がった仁狼は、迎撃ではなく距離を取る事を選んだ。

関ヶ原(せきがはら)》が容易く突破された事もそうだが、何よりもその時に黒鉄一輝が見せた気迫───威圧?

否、どれも違う。

とてもそんな“個人“の枠に収まらない、何かこう───“世界が意思を持ったような“抗えないモノを向けられた感覚に、彼の本能が最大級のアラートを上げたからだ。

 

(アレはヤバい。まともに相手取るのは得策じゃない)

 

冷たい金属が結露するように、仁狼は内心で滝のような冷や汗を流す。

《七星剣武祭》からおよそ半年、データに無い要素も考慮に入れていたつもりだが、いくら何でもイレギュラー過ぎる。明らかに一輝の能力とは()()()()の存在を、仁狼は『手に余る』と即断した。

当然それを逃がそうとする一輝ではない。

番外秘剣《鐵炮(てっぽう)》。

瞬間的に身体のスペックを超えた瞬発力を生み出す技を以て、即座に仁狼を詰めにかかる。

だが───

 

『つ、捕まらない!! 残像すら残らない速度で追いかける黒鉄選手から去原選手、するすると魚のように逃げ(おお)せています!!』

 

『黒坊の《鐵炮(てっぽう)》は技の性質上、筋肉が不自然な動き方をする。そこを見られてるんさ。

いっくら人間性を読まれてても、いつ・どこで詰めてくるかが事前に理解(わか)ってりゃあ逃げんのはそう(むずか)しかねえ。

けど現状、本気で逃げに回ったイヌッちを詰めに行く手段がそれっきゃねえのがしんどい所だねぇ』

 

『なるほど、お互いに行動を読み合っているから接触自体がそうそう起こらないと!

しかしここまで攻め込んでいる黒鉄選手に対して、去原選手が反撃する様子がないというか、その……去原選手に、交戦の意思があまり見られないような気もするのですが?』

 

『そりゃそーだ。()()()()()()()()()()()()

 

 

その言葉に、全員が息を呑んだ。

相手の得意な土俵には徹底的に上らない遣り口。

終いには相手に接しようともしない常識外れの戦略。

過程はどうあれ一輝はそれらを切り抜けてきたものの、とてもじゃないが満足に攻められる状況にはなかった。

 

さて。

一刀修羅(いっとうしゅら)》は、後どれだけ保つ?

 

「やられた………っ! 今までの策がどんな形で終わろうが、全部が時間を浪費させるその一点に繋がってたってこと……!?」

 

思わず呻くステラ。

確かに……確かに周知の弱点ではあった。

だがそれを突こうとした者はかつていない。誰もがそれを前に退くことを良しとしなかったのだ。

自分の騎士としての矜持や意地、自分にとって譲れないもののために。

……翻って、仁狼。

どんな手段も使う。最適とあらば躊躇わず逃げる。

勝つこと。

それだけが至上目的であり、それ以外を二の次にした合理の塊。

 

ただ一つを突き詰めたその()(よう)に、彼の姿に研ぎ澄まされた刃を重ねた。

 

『再び両者の距離が近付き、ああっ! 《断鎧(だんがい)》が爆発、黒鉄選手たまらず距離を取る! 一切距離を詰めさせない! 追い縋る黒鉄選手を嘲笑うように去原選手、悠々と距離を保ち続けている!!』

 

全開の一輝から逃げるのは困難。

しかし全力で逃げに回った仁狼を追い詰めるのもまた至難。

速度で勝っていようと、生身で戦わねばならない一輝にとっては能力の相性もかなり悪い。

それで動きを鈍らせはしないとはいえ、一輝の焦りは並大抵のものではないだろう。

 

しかし、内心で追い詰められているのは仁狼も同じだった。

 

(……そう都合よくはいきそうに無いな)

 

関ヶ原(せきがはら)》を破られた時に一輝から感じた正体不明の何かは、刻一刻と存在感を増してきていた。

躱す度、受ける度、弾き返す度。一輝の攻勢を押し退ける度に縄で首を絞められているような、まるで自分が知らぬ間に奈落の底に向けて歩いているような予感。

かつて体験したことのない現象だが、それが一輝により齎されていることは間違いないと確信していた。

 

ここで仁狼は逃げ勝つプランを放棄した。

 

(俺を絡め取るみたいに徐々に力を増していくようなこの“何事か“が、俺が確実に勝てる舞台を整えるまでに大人しくしている訳がない)

 

あの“何事か“の正体はわからないが、少なくとも確実に自分を倒しうるものだと見るべきだ。

ならば逃げて時間を与えるのは悪手。能動的かつ速やかに倒しきらねば、自分の身に何が起こるかがわからない。

 

それに。

 

 

「逃げんなコラーーーーッッ!!」

 

「戦えーーーーっ、卑怯者ーーーーーー!!!」

 

「チキン野郎ーーーーー!!」

 

 

観衆のヤジが、そろそろ鬱陶(うざ)い。

 

 

空を割る戟音。

ネズミ花火のように駆け巡っていた二人が、リングの中央で停止する。

漆黒と透明、相反する色が両者の間でチリチリと火花のように鍔迫り合う。

 

「……どういう風の吹き回しだい?」

 

「何を白々しい」

 

冗談めかして口角を曲げる一輝に仁狼が吐き捨てる。

お互いに分かりきった事を確認しただけだ。

ここで仁狼が迎撃に転じた理由など、一輝が一番わかっている。

こうなれば正面からの腕比べしかない。

二人の業前は互角。

ならば勝敗を分けるものとは───

 

「見せてくれよ。去原仁狼(きみ)の全てを」

 

「上等」

 

あらゆる物をぶつけても、行き着く先はただ一つ。

二人の死合い(ダンス)が始まった。



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二刀の極み

音は失せる。色は消える。

闘争に不要な一切は削ぎ落とされ、剥き出しにされた肉と刃が火花を上げて鎬を削る。

そんな中で黒鉄一輝は、戦火に負けない輝きを瞳に灯していた。

剣を通してみてわかる。

一太刀ごとに驚愕する。

鋼を介して伝わる力と重さ、全てが去原仁狼の何たるかをうるさいほどに物語る。

 

(本当に凄い剣技だ。……果たして僕は、ここまでの域に至っているんだろうか)

 

力の抜き方が極まっている。

緩急自在に所を得たそれが振るう剣に更なる速度と重さを生み出し、体力(エネルギー)の効率を最大まで高めているのだ。

それは何ら特別な事ではない、言ってみれば心得ていてしかるべき技術。だがそれをここまで研ぎ上げるのに、どれだけの鍛練を修めたのだろう。

霞むほど高く積み上げられた、剣士としての基礎。

奇策や妙策、しがらみを脱ぎ捨てて現れたのは、自分のように技術で出し抜く『弱者の剣』などではなく、技術と膂力の『豪傑の剣』。

 

───ああ、凄い。

学ぶべき事がたくさんある。

 

技術の体得が模倣から始まり、模倣の原動力が敬意であるとするならば。

黒鉄一輝という男はきっと、どこの誰よりも最強だ。

 

『!? もはや剣も姿も目に見えませんが、これは……音が、段々と速くなっているような……!?

まだ、まだまだ上昇していく!! ここに来て両者、さらにギアを上げてきたとでも言うのかぁっ!?』

 

『はっはぁ……黒坊のヤツ、イヌッちから盗みやがったね!

イヌッちの剣の要である脱力を我が物にしつつあるんさ!

まだ体力で勝るこの状況でこいつぁデケェ、立ち回り次第じゃ一気に圧しきれる線もある!!』

 

高揚する会場とは裏腹に、仁狼はくそったれと舌打ちでもしたい気分だった。

ここまで慎重に有利を積み重ね、不安要素の全てを遠ざけ、針の上に石を重ねるような駆け引きの果てに行き着いたのは結局ここ。

いや、それはまだいい。

苛つくのは今こうして自分の剣を盗みつつあるこいつだ。

 

(………《剣技模倣(ブレイドスティール)》。いざやられると本当にムカッ腹が立つ技だ。積み上げた結果を掠め取ってるのはどっちだよ)

 

そんな毒が出る位には圧され始めていた。

白色総身(ホワイトカラー)》と二刀のおかげで競り合ってはいるが、元よりスピードという土俵では《一刀修羅(いっとうしゅら)》の方が格上。上昇していく剣速に《(たまき)》のループが間に合わなくなりつつある。

断鎧(だんがい)》で押し返す常套手段も脱力が挟めなければ不可能だ。

なら他の伐刀絶技を使えばいいだと?

とうに試して失敗している。

完全掌握(パーフェクトビジョン)》相手に長引きすぎた。全てが躱されるか出鼻を潰されている。

ままならない状況に眉間に皺を寄せる仁狼だが、それとは別に浮かび上がってくる感情があった。

 

(いやしかし、これは……)

 

己に課した制約を離れていざ冷静に見てみると、この男の剣技がどれだけ人外の領域に踏み込んでいるのかがよくわかる。

決して自分が引けを取っているとは思わない。

だが太刀筋一つ取ってみても、ここまで不純物を削ぎ落とすのに自分はどれ程の時を要しただろうか?

一つの動きを完成させるのに要した時間に、どれだけ膨大な密度が詰まっているのだろうか?

いや、疑問に思うまでもない。

それは地獄で踊るように苛烈なものだったはず。

 

甘かった───今更ながらそう思う。

これほどの男を前に安全策がそのまま通るはずもなかった。

命を刃として臨む者に命を差し出さずして勝とうなど虫の良すぎる話だった。

しかしこちらも教えてやろう。

剣での戦いは自分の土俵だと。

自分を相手に『体力が少ないから乱激戦に持ち込めばいい』など、虫の良すぎる話であると。

 

───それがさっきまでの自分では有り得ない感情だとはまだ気付かないまま。

ふつふつと沸き上がりつつある未知の感覚に衝き動かされるように、仁狼は強く斬り込んだ。

 

「かぁッッ!!」

 

「……っ!」

 

技と体に相応しい心で振るわれた剣は今までよりもずっと重く、強い。

突然増した力を逃がすのが一瞬遅れた一輝の膝が沈み、そのコンマの空白に捩じ込まれた二の太刀を何とか弾く。

立て直す暇など与えぬとばかりにさらに苛烈に攻め立てる仁狼に一輝も呼応するが、ここで仁狼の動きが変わった。

 

切っ先を一輝にピタリと向けたまま刀を振って攻撃を防ぎ、それはそのまま連続の刺突へと繋がる。

攻撃の合間を縫う厭らしい攻撃だが、後ろに下がればそれは勝ちを争う土俵から降りるも同じ。

押し返そうと前に出した足に、脛がへし折れるような一撃が入った。

仁狼が自分の足をぶち当てたのだ。

予期せず出鼻を潰された一輝はその場での対処を余儀なくされ、状況は仁狼の攻勢で固められた。

 

「今の型、細剣のAの防御………!?」

 

(それに足運びと一体化した今の蹴りは八卦掌の(こう)()! どれだけ引き出しが多いんだこの人は!?)

 

細剣使いに師事していたステラと武芸百般の一輝がその正体を瞬時に看破する。

仁狼は自分の剣を構成している無数の、それぞれ全く系統の異なる武術の中から最も状況に適したものを抽出。それぞれの武術独自の秩序(リズム)が仁狼の行動パターンに変化をもたらし、一輝の読みから外れた攻撃を可能としたのだ。

元々ギリギリで釣り合ってた拮抗だ。たとえ小さな要素でも天秤は簡単に傾く。

そしてそれは、一輝の側も同じ。

()(くう)鏡月(きょうげつ)》を陰鉄(いんてつ)にぶつけた仁狼の両腕を、不自然な力の流れが駆け巡る。

 

(形を崩して受けられた……《(ねじ)(みず)》を受けに転用したか!!)

 

即座に両腕を脱力して力を逃がす。

力の流れを曲げて相手の身体を自壊させる事が本質の技、防御にも応用が利くようだ。

 

───ならばすり抜けよう。

 

見えざる刃を受けようとした一輝が、咄嗟に首を仰け反らせる。

刹那、喉笛の皮膚が浅く切り裂かれた。

 

「っ逆手……!」

 

()(くう)鏡月(きょうげつ)》は透明な魔力の刃。

仁狼は一輝に斬りかかる際、刃を出力する方向を逆にした………つまり「逆手に持ち変えた」のだ。

不可視の特性のまま形状を変えた斬撃は刀の防御をすり抜けて鎌のように一輝の首を狙う。

 

ならば技術で迎え撃ってみせよう。

 

ぐにゃり、と陰鉄(いんてつ)が曲がったとすら思った。

両の手首の柔軟性をフル稼働させ、順手と逆手を無秩序に切り替えて迫る変幻自在な仁狼の斬撃を、技術をもって正面から相手取る。

 

(よくもここまで巧みに刀を操る……!)

 

ならばこうしよう。

膝からも魔力の刃を伸ばし両手も合わせて四刀で襲う。

 

(器用な事を……! 足運びの技術と相俟って防御が間に合わない!)

 

ならばこうしよう。

膝の刀の攻撃は、被弾する箇所のみに範囲を絞った極小の魔力防御で対応する。

 

(攻撃する場所を完全に読んでいるな……!)

 

ならば。

 

(刃の形状を変えてきたっ!)

 

ならば。

 

(元を押さえれば関係ないってか……!?)

 

ならば。

 

(そんな手が!?)

 

だったら。

 

(クソッ、そう来るか!)

 

それなら!

 

(こんな事まで!)

 

 

これなら─────!!

 

 

「「───負けてたまるかァっ!!」」

 

 

二人が吼えたのは同時だった。

さらなる進歩と進化を求めて持ちうる全てを叩き付け、時についさっきまでには無かったものまで作り上げて引っ張り出し、勝利に向けてひた走る。

すぐそこに迫るゴールを目掛けて、爪先一つの距離を争うように。

いつしか仁狼の顔からは、鉄仮面のような冷徹さは剥がれ落ちていた。

 

 

「……少し、妬いてしまいますね」

 

観ていた琉奈が寂しそうに笑う。

 

「小さい頃の経験のせいか、心に高い壁のある(ひと)でした。

三言以上話してくれるまで仲良くなるのも大変でしたが、あの事件があってからは尚更で……せめて思った事を表情に出してくれるようになるまで、私は凄く努力したというのに」

 

「ヨミツカさん……」

 

何をしてみても表情をまともに動かさず、色仕掛けしても大した反応を示さない。

そんな彼が感情を剥き出しにしている。

戦いの中でさえロクに心を動かさない男が、()()()()()()()()()()()

 

「つい最近会ったばかりなのに、まるで、友達と遊んでいるみたいです」

 

 

何時間とも思える密度の一瞬がいくらか過ぎた頃、唐突にそれは起こった。

仁狼の剣の速度と威力が、何の前触れもなくいきなり跳ね上がったのだ。

予期せぬ現象に形を崩して受けようとした陰鉄(いんてつ)が大きく弾かれそうになり、一輝は慌てて体勢をリカバリーする。

 

(脳のリミッターを外してきたか……っ!?)

 

最も可能性の高い理由を推定する一輝。

仁狼はいくつかの手順を踏まねば脳のリミッターを外せなかった筈だが今は共に進化の最中、彼がこの域に進化しても不思議ではない………

 

いや、それにしてはおかしい。

何かが違う。

たった今、何か大きな存在感がこの戦いの中から消えた。

 

少しの戸惑いの後、一輝は恐ろしい答えを見つけた。

 

仁狼の剣や体捌き。

それら全てから、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……嘘でしょ?」

 

その事実に気付いたステラが愕然とする。

音の無い斬撃。

それは世界最強と称される女性───《比翼》の扱う剣の道の最果てに他ならず、それ故に目の前の現象をすぐに受け入れる事はできなかった。

 

「戦いの中でどんどん進化していってるのはわかるわ。 けど、この短時間でエーデルワイスさんの域にまで至ったっていうの!?

型の正確さだけじゃなくて微風程度の外的要素の変化にも気を配らないとならない、イッキですらまだ到達できてない極致なのに!!

どれだけ才能があったとしても流石におかしいわよ。一体イヌハラに何が起こってるっていうの……!?」

 

「ステラさん。《七星剣武祭》でも軽く解説されていましたが、……《比翼の剣》とは、具体的にどういったものなのでしょうか?」

 

「……簡単に言えば、自分の行動により生じるエネルギーを完全に制御し、一切の無駄なく行動のみに消費する体捌きよ。

音っていうのは空気の振動による衝撃の波、言い換えれば行動に使う力の分散(ロス)

それが聞こえなくなるって事は力が全く分散していない、つまり速度も攻撃力も限りなく百パーセントに近いポテンシャルを発揮できるってこと。

正直、人間業じゃないけれど───」

 

「………あっ……!!」

 

息を呑むような声が出た。

思わず口に手を当て驚愕に瞳を震わせる琉奈に、ステラ達は彼女が正解に思い当たったのだと知る。

 

「ヨミツカさん。何かわかったの?」

 

「ええ。あくまでも推測ですが……」

 

問いかけてきたステラの知識と一つづつ照らし合わせるように答えを紡いでいく琉奈。

 

「その話から考えるに、《比翼の剣》を扱う最大の壁は空気そのもの。

物体の速度が上がれば上がるほど強く干渉してくるそれを、毫の乱れもない体捌きですり抜ける技。

さらに無数の外的要素の変化にも注意せねばならない。

確かに私などでは想像すら出来ない武の極みですが、この認識で正しければ………ジンロウにとってそれらをクリアすることは、障子紙を破るように容易いかと」

 

「………ああ、なるほど。それで理解したわ」

 

同じく答えに行き着いたステラが苦い顔をする。

力の一片だけで有象無象を消し飛ばす彼女にすら苦味を覚えさせる程に、仁狼が行動に対して生み出した結果は釣り合いが取れていなかった。

 

 

()()()()()()()()()()()()()

空気の抵抗や外的要素、そういうの全部を能力で無視してる。やってる事は単純なのに、その結果が頂点だなんて笑えないわよ。

『斬る』事の完成形と《切断》の能力、考えてみれば相性は抜群………風を切るとはよく言ったものだわ」

 

 

全てを悟った時、一輝の心臓は一瞬、拍動を止めた。

それはまるでいつか味わった、圧倒的な力に対する誤魔化しようのない恐怖。

───《比翼(エーデルワイス)》の再現。

恵まれた才覚で磨き抜かれた仁狼の技術と能力が、最高の形で結晶化する。

 

 

 

「お前を()()学んでみたよ。………《風斬翼(かざきりばね)》、とでも名付けようか?」

 

 

 

 



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限界を超えて

『均衡が崩れたぁぁああ!! 急激にパワーアップした去原選手、黒鉄選手をどんどん押し込んでいく! 一体何が起こっているんだぁっ!?』

 

『能力で空気抵抗だ何だを斬って《比翼の剣》を完全に再現していやがる! いくら能力の相性良くてもコスパ見合ってねーだろ!

手札の多さが出せる役の強さとはいえ、ここに来てとんだ五光(ジョーカー)さね!!』

 

『ひ、《比翼》の再現ですか!? つ、つまり黒鉄選手にもう逆転の目は残されていないと……!?』

 

『………や、無い訳じゃねえ。確かに《比翼》の再現ってのはとんでもねぇ切り札さ。

けど黒坊は一度、本気物(マジもん)の《比翼》を身をもって体験してる。

だからアレを攻略すんのは不可能じゃあねえハズさ………攻略するだけなら』

 

『? それはどういう………』

 

 

 

『タイムリミットさね。《一刀修羅(いっとうしゅら)》が切れる』

 

 

 

一際大きな鋼の音が観衆が見下ろす戦場から鳴り響く。

今まで打ち合えていたはずの力に突如抗えなくなった一輝が、大きく吹き飛ばされていた。

 

(……倒しきれなかった。《一刀修羅(いっとうしゅら)》で)

 

待ち焦がれていた瞬間に、伏して期を見ていた狼がとうとう獲物を仕留めにかかる。

仁狼の心情を思えば何なら舌舐めずりをしてもおかしくなかっただろう。

仁狼の速度域に完全に置いていかれた一輝は何とか攻撃を弾くものの、防御を捨てて全ての意識を攻撃に費やした仁狼を止めることなど不可能だった。

少し前と比べて身体への反動は格段に軽くなっているにせよ、それでも疲弊しきった身体で戦っていい相手ではない。

一輝自身の技量と強化倍率のせいで忘れそうになるが、そもそも《一刀修羅(いっとうしゅら)》というのは自爆技。相手を完全に掌握して勝利に至るまでの道筋を確定させた上で、確実に勝つためにダメ押しとして用いるものだ。

ここまで互角に戦っていたものの、《五輪(ごりん)()(そう)》に対して「使わされた」時点でかなり追い込まれていたのが実情である。

そして今、シンデレラの魔法は解けた。

対する仁狼はまだまだフルスロットル。

己の全てを振り絞って手に入るのは、たった一分間の拮抗。

 

才能という絶対的な壁は、いつだって黒鉄一輝の行く手を阻む。

 

そしてその壁を切り開いてきたのが、黒鉄一輝の生涯だ。

 

「な………っ!?」

 

黒く瞬いた剣閃が《()(くう)鏡月(きょうげつ)》を弾き返す。

苦し紛れではない明確な反攻の意思を持ったその一太刀に仁狼は目を剥いた。

手首から身体に伝わるのは今の一輝からは有り得ざる力にして、ついさっきまで自分が相手取っていた力。

……捕食者にとっては濡れ紙に等しく思えたひ弱な獲物は、時として思いもよらぬ力を発揮する。

だが彼のそれを窮鼠猫を噛むと表現するには、その爪牙はあまりにも鋭すぎた。

 

どんな可能性を模索しようと有り得るはずがない。

何度頭で否定しても、眼前の事実がそれをまた否定する。

水を得た魚のように跳ね回り己の健在を叫ぶ黒刀を凌ぎ、仁狼は歯を強く軋らせる。

 

 

(《一刀修羅(いっとうしゅら)》が続いてやがるだと………!?)

 

 

……元より技術的な面で言えば一輝は《七星剣武祭》の時点でエーデルワイスの剣速と膂力を凌げるレベルの業を持っており、さらに寧音が言ったように()()()エーデルワイスの剣をその真髄を盗み出すほどに凝視しているのだ。

もちろんエーデルワイスと仁狼の剣は別物だが、刻み込まれたそれらの経験と《完全掌握(パーフェクトヴィジョン)》を合わせれば、一輝に限れば剣技で引っくり返す事も出来るだろう。

 

風斬翼(かざきりばね)》。凄まじい業だ。

初見の出鼻で使われたらこれだけで勝負を決められかねない、魔術と技術の融合の極致とも言えるだろう。

剣速は完全、膂力も完璧、剣筋は───及第点。

比翼(ほんもの)》に比べればまだ粗い。

それに経緯に違いはあれ、彼女と同じ剣を使う者としては───その業には、意地でも負けたくない。

 

「はぁぁぁああああああああああっっ!!」

 

『黒鉄選手息を吹き返した!! しかし何故《一刀修羅(いっとうしゅら)》が継続しているのか!?

この現象は《七星剣武祭》決勝で見せたものと同じ、魔力の増大では……!?

西京先生、これは一体!? 黒鉄選手にはまだ隠された能力があったという事なのでしょうか!?』

 

『……()()()()()()()()()()、黒坊はどうやらここぞって時にどっかからチカラを引っ張ってこれるらしい。ある種火事場の馬鹿力的な特性でもあんのかもしんねーなぁ……』

 

寧音が思い切り言葉を濁したその眼下で、言った通りの現象が起きていた。

湧き出る泉のように魔力を増大させる一輝が、瞬く間に戦況を引っくり返していく。

それに対して同じ速度で追い詰められていく仁狼。

当然だ。

自分の全てをぶちまけ、組み合わせ、攻略されて、そうして削られ削られて最後に残ったものが《風斬翼(かざきりばね)》。

それすらも攻略された彼の手札には、とうに通用しなくなった技しかないのだから。

 

(冗談じゃねえぞ……っ)

 

相手の手傷に有利と踏んで攻勢に出れば、まるでそれらが撒き餌であったかのように全てこちらの上手を行く。

それでも劣勢を凌ぎ拮抗を泳いで、土壇場で切り札まで編み出して完全に追い詰めたと思ったら、今度は有り得ない手段で一気に逆転してくる。

無茶苦茶だ。法則の無視も甚だしい。

これではまるで──

 

(まるで、『黒鉄一輝が勝つ』という筋書きで綴られる物語の中にいるような───)

 

となると、ストーリーはこうか?

ある日、黒鉄一輝はとある剣士から決闘を挑まれました。しかし卑劣な罠を駆使する挑戦者に万事休すの黒鉄一輝は秘めたる力を発揮して挑戦者を撃退、大きな歓声と称賛に包まれ闘技場を後にするのでした。

めでたし、めでたしと────

 

────フザけんな!!

 

ぎしり、と額に青筋が浮かぶ。

こんな理不尽に押し負けることを「仕方がない」と諦められる程、仁狼は往生際が良くなかった。

だがその怒りが何かを生み出してくれる訳ではない。

実際問題どうすればいい?

からっけつの素寒貧になった自分に何ができる?

───考えろ。考えろ!

その為に鍛え抜いてきた思考力だ!

思考力(これ)で勝利と生を掴んできた!

これ以上琉奈を泣かせる気か!?

そうなれば自分は何の為に(こだわ)りを捨てて

 

 

「あ。」

 

 

思わず間の抜けた声が出た。

まるで絵を見る向きを変えてみたら別の絵が出てきたような思いもよらぬ感覚だった。

それはそうだろう。

仁狼が行き着いたのは、更なる業や一発逆転の奇策を作り出すことでは無い。

 

 

 

己の最大の武器である思考力。

その全てを、捨て去ってしまう事だった。

 

 

 

 

 

音も無く前触れも無く。

殺しの太刀は弾かれて、相手の姿は霞のように掻き消えた。

何も見えなかった。

ただ確かなのは、自分は今、致命的な業を受けてしまったという事。

 

「はは……予想外だ。こんな事も出来たのか、俺は」

 

背後から聞こえる苦笑の声も、今の一輝には聞こえない。

引き伸ばされたようなこの時間は、覚悟の時間。

己の行く末を悟った一輝は、ただ一瞬後に意識を保っていられるように強く強く腹を括った。

 

見えざる二刀を血を払うように左右に振り、仁狼は静かに呟く。

 

 

 

「──────《天牢(てんろう)()(けい)(じん)》」

 

 

 

刃と化した世界の喉に、黒鉄一輝が呑まれて消えた。

 

 

全身を切り裂かれている。

観衆がそれを理解するのに少し時を要する程にその光景は突然だった。

天牢(てんろう)()(けい)(じん)》。二刀と能力の両方を用いて《(はつ)》による全力の《切断》を全方向から同時に叩き込む、仁狼の持つ伐刀絶技(ノウブルアーツ)の中では最も殺傷力と貫通力の高い技。

夥しい量の血の華で紅く染め上げられた闘技場に、どしゃりと肉の落ちる音がする。

 

「イッキ────ッッ!?」

 

「おにい、さま………!?」

 

「オイ何だ今の……何にも見えなかったぞ……!?」

 

突然壊滅的な傾き方をした天秤に驚愕するステラと、あまりにも凄惨な光景に青ざめて息を呑む珠雫たち。

人間を逸脱した反射神経を持つ蔵人でさえピクリとも出来なかったのだ、この会場に今の交錯を目視できた者はいるまい。

目まぐるしく移り変わる趨勢に置いていかれる中、実力者や見識ある者たちは動揺を押し殺して状況を分析していた。

 

「……イッキを出し抜いたのは、多分《無貌(むぼう)()(そう)》よね。

戦いはレベルが上がるにつれて、視覚ではなく経験からの直感や気配からの予見とか、ある種の感覚に頼る割合が大きくなっていく。第六感とも言えるそれらをいっぺんに、一瞬でも欺ければ、やられた側は本当に消えたと錯覚するでしょうね。

しかもそれを、さんざん真正面からの打ち合いを意識させたこのタイミングで………本当、厭らしい程に期を見てる奴だわ。

それにしても、あの速度はおかしいけれど……」

 

「ジンロウは元々、脱力からの魔力の爆発と体捌きで初速から音速を出せる人です。空気抵抗や諸々の影響で直進して一太刀程度しか動けませんが、それらを無視できるあの業(風斬翼)があるなら……さらに疾く、複雑な動きが可能となっているでしょう」

 

『い、今……何が起きたのでしょうか? 一気に押し返していたはずの黒鉄選手が、突如大出血を伴う反撃を受けてしまいました……! 去原選手の人間性を読み切っているはずの黒鉄選手が、なぜ……?』

 

『……あの瞬間、イヌッちは駆け引きに使う思考を放棄した。簡単に言やー()()()()()()()()んさ。

人間性から思考が生まれ、思考から行動が生まれる。思考が無きゃ人間性が反映される筈もねえ。

身体に刻み込まれた反射とインスピレーションのみで行動したんさ。

だから黒坊の読みから逸脱した。

けどこのタイミングで最適な行動を思考も無く実行できたのは、今まで厳しい鍛練を正しく積んできた証拠さね』

 

『な、なるほど。最後まで手札を隠し持っていた去原選手の方が上手だったと!』

 

『隠し持っていたっつーか、土壇場で閃いたんだろうねぇ』

 

そう寧音は推測した。命を賭した死合いの中で、今まで突き詰めてきた己の力を全て発揮しようとは思えど、それを手放すなどという発想は普通生まれない。

本当にどん詰まって、何かを捨てるしか出来る事がなくなったからこそそこに行き着いたのだろう。

それこそ生半な思考力では閃くはずもないが。

 

『と、とにかく土壇場の大攻勢を切り抜けられ、致命的な一発を喰らってしまった黒鉄選手! 血塗られた闘技場にテンカウントが始まりました! これまで絶体絶命の満身創痍から立ち上がり続けてきた黒鉄選手ですが、さすがに戦闘継続は絶望的でしょう……!!』

 

『だねぇ。立ち上がるどころか、最早テンカウントが要るのかもわかんねぇ有り様だ。

……うーん、立場上あんまこういう事言わねー方がいいんだけど────

 

 

 

───それでも期待しちまうね。

とんでもねぇ大番狂わせの瞬間を、見届けてきた一人としては』

 

 

 

びちゃり、と粘っこい水の音。

石と鉄が擦れる、明らかに意思を持った音。

背後から信じがたい気配を感じた仁狼が弾かれたように後ろを向く。

 

 

泥濘に刀を突き立てるが如く。

鮮血の沼に震える足を立て、黒鉄一輝は、尚も立つ。

 

 

鉄の臭い立つその闘志に声は上がらない。

驚愕か畏怖か……それとも恐怖か、根源的な感情が他の全てを圧倒している。

血を吐き肉を晒しそれでも瞳に熱を宿すその姿に、観衆は鬼の(さま)を見た。

 

(………ウソだろオイ……!!)

 

流石の仁狼でも平静ではいられなかった。

一輝に意識があるのはまぁわかる───接触の瞬間に捻り出した魔力を全力で放出してぶつけ、ちょうど弾き(パリング)のように防御したのだ。

曲がりなりにも《紅蓮の皇女》の切り札を耐えた魔力防御だ、(ながら)えているのは予想できたが、それでも自分が持つ中での全力……攻撃力に全振りしたような能力で放つ最大火力だ。

今までどんな防御でも喰い破り仕留めてきた実績と自負があるだけにショックは大きい。

意識あるばかりかまさか立つとは。

───立つとは!

 

「はは……攻撃が来るタイミングに合うかどうかは、博打だった、けどね………。なんとか、ギリギリ……一太刀ぶんは、残せたよ」

 

曲げた口許は果たして虚勢か。

呼気に合わせて歯の隙間から血の飛沫を散らし尚も強く笑う一輝に対して、

 

(……いや、残してどうするってんだ……?)

 

その表情は純粋な困惑。

平静に帰った仁狼は、至極真っ当な疑問を浮かべていた。



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それは極点、則ち終わり

「……だとしてもそれは、何の意味も無いのでは……?」

 

同じように琉奈も訝しむ。

ボロボロになりながらも反撃する力を確保した………だからなんだ?

それこそステラのレベルとまでは言わずとも、まともな才能があれば伐刀絶技(ノウブルアーツ)の一発で逆転を狙うなんて選択肢があっただろうが、一輝はそんなジョーカーなど持ち合わせていない。

どんなに妙策奇策を講じたくとも、使える手札が『一回だけ剣を振る』の一枚だけではどうしようもない。

気合いや根性では解決しない、それが厳然たる事実。

 

「……そうか。……じゃあ、そのまま、そこに突っ立っててくれ」

 

突き放すように言って仁狼は一輝から遠ざかる。

ここまで有り得ない現象を引き起こしてきた相手だ、「一太刀ぶんだけ」という言葉はブラフで、踏み込んでくる体力も確保している可能性も充分にあるからだ。

既に自分を掌握した一輝がいつ飛び込んでくるかわからない。全神経を尖らせ、ゆっくりと、油断なく距離を空けていく。

些細な可能性も念入りに潰す。

ここが最後の正念場。

手負いの獣が剥き出すだろう最後の牙に気を抜いていい道理などないのだから。

 

(……大丈夫。ジンロウの傷も浅いとは言えませんが、流石にここまで体力の差があれば勝負は決まったも同然のはず。どんな攻撃がこようとも、最大限に警戒しているジンロウには通らないはず。極端な話、全力で逃げてしまえばそれで終わりのはず)

 

祈るように両手をぎゅっと結ぶ琉奈。

仁狼が勝つに足る要素を頭の中で何度も並べる様子はまるで自己採点を繰り返す受験生のようだが、彼女の心にはむくむくとせり上がってくる高揚があった。

 

(勝てます……! 勝てますよジンロウ!!)

 

「……厳しいわね。イッキがここまで反撃の余地もなく追い詰められてるのは初めて見るわ」

 

隣のステラが重々しい声を出す。

ステラの目から見ても、この状況はまさしく『詰み』と言ってよかった。

小難しい理論を並べるまでもない。あまりにも傷を負い過ぎた側とまだ余力のある側という単純なパワーバランスだ。

 

「だけどヨミツカさん。一つ言うのなら、まだ勝負はわからないわ」

 

「?」

 

 

 

「苦境なんていつもの事よ。刀さえ振れれば、イッキは引っくり返すわよ」

 

 

 

圧倒的不利な状況でも、彼にそう言えば「いつもの事だ」と笑うだろう。

彼の歴史は反逆の歴史。起こり得ぬ結末を刻み込んできた下剋上の歴史だ。

才能で負けた。力で負けた。技で負けた。

 

………それでも、勝れるものがあるとするなら。

 

 

「───────ッッッ!?」

 

突然、仁狼が構えた。

さらなる用心の為なんて余裕のある動きではない。まるで変わらずそこに立っている一輝が、突然斬りかかってくるのを幻視したかのような危機感だ。

言ってしまえばあまりにも『状況にそぐわない』行動に、観衆の内に僅かながら困惑が流れる。

 

「……え、黒鉄いま何かした?」

 

「いや、多分何も。ただ用心しただけだろ?」

 

「でもスッゲェびっくりしてたような……」

 

 

「? ジンロウ、何を…………っっっ!?」

 

真っ先に気付いたのは琉奈だった。

それに続くように、他の者たちも仁狼に発生している異常を知る。

 

仁狼は手から顔から、全身から瀧のような冷や汗を流し、よくよく見れば垂れた剣先が僅かに震えている。

青くなった顔は決して刀傷の出血によるものだけではあるまい。

明確に血達磨の男に精神を圧迫されている。

 

………恐怖だ。

恐怖に震えているのだ。

戦いにおいては止水の如き平静を是とする彼が。

冷徹にして合理的な、刃を握った機械人形とでも言うべき彼が。

およそ尋常ではない様子に、全員がどよめいた。

 

『先生、これは去原選手に……いや、黒鉄選手に何が起きているのですか……!?』

 

『…………、』

 

その正体を知っているにも関わらず、寧音は()()()答えない。

彼女を含める数名を除いて、誰もこの状況を理解できる者はいなかった。

しかし、わからなくても敵は待ってくれはしない。

抗えない何かに怯える仁狼がそれでも距離を取ろうとした瞬間、

 

()()()()()

 

地獄の底から唸るような『命令』。

下がろうとした仁狼の足が縫い止められたように硬直する。

自分は今呼吸をしているのかどうか、それすらも仁狼にはあやふやだった。

 

「ここまできて、こんなにも胸が踊る戦いのその最後が………刀も交えず、ただ倒れるのを待つだけの()()()()()結末なんて───

 

 

 

────僕は、

        そんなの、

              ()()()()()()

 

 

───何を怯える必要がある?

もう状況は揺るがない。揺らぎようがない。

相手はもう極限まで、立っているのも必死なほどに消耗している。

何もしなくてもこのまま立っていればそれだけでいずれ勝てるのだ。

それが気に食わないなら、この距離から伐刀絶技(ノウブルアーツ)で畳み掛けてやってもいい。

何をしても勝ちなのだ。

何もせずとも勝ちなのだ。

大丈夫。だから大丈夫。

怖いことなど何もない!!

 

 

「…………っ、………」

 

………わかっている。根拠はないが、理解できる。

どんなに正しい理屈を並べた所で、目の前の()()には意味がない。

倒れるのを待つ?

遠距離から畳み掛ける?

そんな『逃げ』の手を打ったら、その瞬間に自分の首は落とされるだろう。

 

そう確信する根拠? そんなもの必要ない。

それが規定路線であると理解させられてしまっている。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「さあ、()()()

正真正銘、これが最後の一絞りだ。

全てを使って、使い果たしてでも、絶対君に打ち克ってみせる───……!!」

 

尽きたはずの力は湧き出て、潰えたはずの命運は強引に活路を作り出す。

理論や理屈、戦術でも何でもない、正体不明の強制力によって。

 

仁狼は悟る。

今、合点がいった。

『あれ』は最早ヒトではなく、修羅でもない。

ただこの世界に己の我を刻み込む、理を超えた化外の輩。

摂理の規範の外に位置するものだ。

 

(……ああ)

 

不意に沸き上がってきた感情に、仁狼は恐怖を忘れた。

それは己が及ばぬものに対する諦感ではない。

状況にしてはちぐはぐな、ある種の郷愁に近しいものだった。

 

(なつかしい、感覚だ)

 

幾度となく放り込まれた本物の戦場。

柔肌を引き裂くような殺意の刃。

昔の自分には戦いと殺しに手慣れた目の前の敵が、自分の理解の外にいる、本当の化物に見えたものだ。

身体は動かず、足は疎む。

実力では格下とさえ言える相手にすら何度不覚を取ったかわからないが───

 

 

───諦めた事は一度もない。

それを乗り越えて、自分は強くなってきた。

 

 

「…………!」

 

仁狼の(かお)が変わる。

得体の知れないものを恐れるヒトの様ではない、覚悟を腹に括った戦士の貌。

真っ向から打ち破るという決意の表明だった。

 

黒鉄一輝は、バケモノだ。

今まで自分が見てきた誰より何より怪物だ。

だが見よ。それを切り刻み、あそこまで追い詰めたのもまた自分なのだ。

ならば斬れる。

斬れるなら(たお)せる。

持てる全ては、あれに対する意思の貫徹に費やせばよい。

立ち向かう術なら知っている。

どこかにいるだろう顔も名も知らぬ両親が産み出してくれた、武器を宿したこの身体。

今はもう亡き育ての父親が刻み込んでくれた、戦うための技術と経験。

気付けば何より大切な存在となっていた彼女がくれる、戦いに向かう原動力────

 

 

───今まで自分を支え続けてきてくれた、それら全てが教えてくれるから。

 

 

魔力の二刀を一刀、《無空(むくう)明月(めいげつ)》に収束。

静かに腰を落とし、()()()()()()刀は顔の横に立てるように置く。

刀を右肩で担ぐような、剣術で言う八相の構えを更に高い位置に取ったようなその構えが、仁狼の全てが導き出した『正解』だった。

 

(……示現流の《蜻蛉》みたいだ)

 

『去原選手も構えました! しかし黒鉄選手のあの居合い抜きを前にしては、去原選手のあの構えは不利に思えてしまいますが……!?』

 

『別に居合い抜きこそが最速って決まってるワケじゃあねえさ。

特にイヌッちは身体の構造や剣の性質がだいぶ特殊だからねぇ、剣と身体を最速に至らせる方法も当然違ってくる。

あの構えに間違いはねえだろうさ。

───答え合わせは、今の直後さね』

 

決着はすぐそこにある。

その事実が仁狼の腹の底を改めて震わせる。

 

この手で、この業で打ち倒す。

自分は強いと証明する。

今まで鍛え抜いてきた全てを、存分に振るって。

 

 

眼前の怪物を、ここで超える。

 

 

「………なあ、黒鉄」

 

「……?」

 

不思議と静寂に感じる時間の中で、ふと仁狼は一輝に問うた。

 

「俺は今まで、償うために剣を振るってきた。

強敵と戦う楽しさも、強くなる喜びも、感じた事は一度もない。

ただ脇目も振らずに、随分と義務的に剣を振ってきたように思う。

……だから今感じているこれがどういった感情なのか、俺にはとんと見当がつかないんだ」

 

あるいは、自分自身もうその答えを自覚していたのかもしれない。

それでも何となく聞いてみたかったのだ。

戦いの最中にも笑い、人の為に怒ったこの男に。

 

 

「教えてくれよ。俺は今、どんな顔をしてる?」

 

 

その問いに一輝は少しだけ笑って、

 

「……ああ、好きな貌だよ。ものすごく」

 

そう答えた。

返ってきたその答えに仁狼もまた軽く笑い、

 

 

そこで馴れ合いは終わった。

殺意も敬意も、相手に向ける全ての思いは相手を倒す刃に変わる。

 

 

一輝の全身が、再び蒼光を纏う。

ズタズタの我が身を動かして、彼はもう一度構えをとった。

身体は斜に構え、背骨ごと腰を捻る。

刀を持つ手は右手一本。脇腹を通し背中に回すように持ち、その根元を左手で掴む。

 

「あの構えは………!!」

 

鋭く息を呑んだ琉奈が、ステラの言葉の意味を知る。

───見紛うはずもない。

龍の妃を撃ち破り、不屈の騎士を両断した()()()()()

七星剣武祭の最後で見せた、『斬る』という概念の究極系。

死の淵にあって尚もこれが放てるというのは、果たして彼の技量のみで説明がつく現象なのだろうか。

 

仁狼は一気に身体の力を抜いた。

全身の筋肉が緩んで顔からも険しさは抜け落ち、《無空(むくう)明月(めいげつ)》も《五輪(ごりん)()(そう)》も、維持するのに最低限ギリギリの()のみ。本能が肉体と精神に掛けた枷が次々と外れていく。

固体の身体を液体に、さらに気体のレベルに至るまで───それだけでは、まだ足りない。

肉体と精神を捨て空気に溶けた自分が、世界の隅々まで浸透していくような。

個に収まっていた我が解き放たれ、全てと繋がり、全てを知覚する。

精神統一などという生温い代物ではない。

───渾然一体。

自他の境界が消え失せる、極限の境地だった。

 

 

最後の激突に合図は要らない。

互いの呼吸がその時を告げる。

己の脱力が臨界に達した刹那、仁狼は一輝に向けて踏み込んだ。

音も、空気も、本能も。

心を蝕む妄執さえも────戒める全てを、遥か後ろに置き去りにして。

 

 

 

ふと思う。

琉奈のあの言葉がずっとずっと長い間心の中に押し込めてきたものだとしたら、彼女は今までどんな思いで自分の側にいたのだろうと。

自分が戦い傷付く度に彼女も傷付いていたのなら、自分は何度彼女に涙を呑み込ませたのだろうか、と。

 

 

彼女と面と向かって話をしたのはもうどれだけ前の話か。

彼女が自分に反対意見を言わなくなったのはいつからだったか。

今生きている今を捨て過去を向いて歩く男の後ろで、彼女はどんな未来を思い描いていたのだろう。

ただ三歩下がって付き従う彼女の本音を、自分は考えたこともありはしなかった。

………そう、黒鉄一輝の言う通り。

自分は過去しか見ていなかった。

『今』隣にいる彼女の孤独を、自分は何一つわかろうともしていなかった。

自分が血に塗れて戦う度に、彼女は再び失うかもしれない恐怖に苛まれていたというのに。

 

ならば今からでも前を見よう。

 

敬意あるこいつを撃ち破り、まずは証明してみせよう。

 

どんな死地に向かったとしても、自分は何も心配いらない───笑って待っていれば帰ってくる男なのだと。

 

 

二度とあんな顔はさせない。

もう二度と、あんな悲痛な涙を流させはしない。

()()()()()()()()()()()迫る一輝の刀を前に、仁狼の全霊が吼え猛る。

過去に向けて振るわれてきた、一人の少年の(たましい)が────今、ようやく未来を向いた。

 

 

 

極限に達した集中力。

己と敵以外を排した世界は白く消し飛んでいた。

正面から斬り込んでくる仁狼に対して、一輝の行動は変わらない。

絶対の意思を込めて、斬る。

ただそれだけ。

黒鉄一輝には微塵の油断もないものの、彼の剣をよく知る者からすればもう彼の逆転勝利は決まったようなものだった。

彼のあの業は、防ぐとか打ち勝つとか、たかが人間の力でどうこうできる次元にはないのだから。

剣に生き、剣を信じて辿り着いた極みの一太刀。

人に彼を剣の神と呼ばせる起源となったその業が、まさに仁狼の剣と斬り結び─────

 

 

────激突の寸前、一輝は奇妙なものを見た。

 

仁狼が振るう不可視の刃、その切っ先の軌道だと思われるラインに、黒い線が引かれていくのだ。

まるで空間にペンを走らせているようなその現象に、一輝は捩じ伏せているはずの生存本能が暴れ出すような胸騒ぎを覚え……そして理解した。

あの『線』は、ペンのように描かれたものではない。

 

あれは傷口。

仁狼の剣に斬り裂かれた、空間そのものの傷口だ。

 

振り抜かれた剣、その切っ先が描く世界の傷。

歪みなく引かれたその線を境界に、目に映る風景がずれていく。

───まるで一枚の写真に鋏を入れるが如く。

 

これを知覚した直後に、彼の意識は途絶えている。

世界を切り裂く刃の味を、その身に深々と刻み込みながら。

 

 

 

激震。

世界が傾いた。

 

 

 

 

空間、あるいは次元すら断つ力と、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

片方でも荒唐無稽な現象を二つ纏めて実現させてのけたその一太刀に、後の人々は畏怖を込めて呼び名を付けた。

強さへの渇望に衝き動かされ、業を極めた男の最果て。

完成を見たはずの『斬る』という概念、そのもう一つの極点として、いつしかその一撃はこう謳い表される事になる。

 

 

 

その一閃に断てぬもの無し。

 

世界を斬る太刀────《神薙(かんなぎ)》、と。

 

 

 

 

 

衝突の瞬間、大気が大きく震えた。

二つの影が交錯し、鋼が砕ける甲高い音が終幕を告げるように鳴り響く。

左肩から袈裟懸けに深々と斬り裂かれた一輝の身体が大量の鮮血を吐き散らし、石のリングに倒れて沈んだ。

二人の頭上で、鴉の濡れ羽色が軽い音で風を斬りながらクルクル回っているのが見える。

刀身半ばで圧し切られ上空に吹き飛ばされていた陰鉄(いんてつ)だ。

落下してきたそれは持ち主の傍らに墓標のように突き立ち、そして霧となって消失する。

固有霊装(デバイス)の消失、すなわち所有者の再起不能。

 

全員が言葉を失っていた。

《剣神》と呼ばれる黒鉄一輝が、正面からの斬り合いで敗北したという事実に。

 

そして、勝利したはずの去原仁狼の身体にも───同じような刀傷が、深々と刻まれていることに。

 

「………斬った、だろうがよ……っ」

 

歯の隙間から血を漏らし、仁狼はひどく納得のいかない様子で呟く。

魔力が溶け込み半霊体(エーテル)と化した体液が足元を大きく汚していく。

確かにへし折った敵の刀がどういう訳で自分を害するに至ったのか、まるで見当が付かない。

肉も骨も臓腑も分かたれ、思考どころか、もう立っていることもままならない。

それでも仁狼は己の身体に立ち続けることを命じた。

 

まだだ、まだ。

まだ倒れる訳にはいかない。

無傷の誓いが果たせなかったのなら、ここだけは絶対に譲れない。

 

数秒の後に倒れるとも、せめて自分の勝利が……認められるまでは………─────

 

 

 

 

どさり、と肉が倒れる音。

死の淵でなお燃える決意と精神力を前に、事実と現実は淡々と無情だった。

鬼気迫る形相を顔に刻み込んだまま、仁狼もまた地面に(くずお)れる。

 

猛る闘志に焼き尽くされた静寂の焦土に、二人の戦士が燃え尽きた。

 

『……ここまでのモン見せられて、「引き分け」なんて煮え切らねー判定はナシさね』

 

その決着に、歓声は上がらない。

壮絶な結末に気圧され誰も声すら出せない中で、寧音が静かに口を開いた。

 

『ハッキリ言って、何もかもうちの想定外の勝負だったよ。

本当なら覆しがたい絶対的な壁を……()()()()()()()()()を相手に互角に渡り合い、よくぞここまでの結果を残してくれたよ』

 

不穏な言葉を含む語りに全員が注意を向けた。

引き分けは無い。勝者と敗者が存在する、と寧音はそう言ったのだ。

彼女が上げんとする軍配がどちらを示すのか、観衆たちは……本来判定を下さねばならないはずの審判までもが、固唾を飲んで聞き入った。

 

『悪りーけど、これはうちが決めさせてもらう。

解説の越権だろうが横暴だろうが、誰にも口は挟まさせねえ。

誰が何と言おうとも、うちはこう断言するよ。

 

 

 

この試合の勝者は──────去原仁狼さ!!』

 

 

 

 

それは、仁狼が望んでやまなかったはずの宣告。

しかしその声も、上がったかもしれない歓声や喝采も、今の彼には聞こえていない。

この戦いで望んだものを何一つ手に入れられないまま、彼は血の海に没していた。

 

床に剥がれるほど立てた爪に、尚も消えない執念を宿したまま。



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寄り添う旅路
感想戦


破軍学園壁新聞
キャラクタートピックス 文責・日下部加々美

JIRO INUHARA
去原仁狼

■PROFILE
所属:禄存学園一年四組

伐刀者ランク:B

伐刀絶技:秘奥(ひおう)(つい)・《神薙(かんなぎ)

二つ名:(たばか)る狂剣 ← NEW!!

人物概要:《二天一流詠塚派》後継者


運 :D

攻 撃 力:A+

防 御 力:A

魔 力 量:B

魔力制御:A+

身体能力:A


かがみんチェック!:
本当に彼の動きは気配が小さくて読めなーい!!
《二天一流詠塚派》と《切断》にまつわる色んな魔術を修めた、《特例召集》でも常連の超実戦タイプ。
『力が強くて』『目に見えないほど速くて』『気配も動きも読めなくて』『能力は超攻撃的』。
こうして書いてみると本当につけ入る隙がまーったく存在しない恐ろしい騎士だね。
頭のリミッターを緩めた状態で少量の魔力を爆発させるみたいに戦うから、魔力的な持久力も実際の値よりかなり高いんだって。

いつも一緒にいて世話を焼いてくれる詠塚さんに頭が上がらないみたいだけど、ここでは不用意に触れちゃ駄目な過去が二人にはあるみたい。
でも先輩との戦いの中で、そのわだかまりはいい方向に向かったみたいだね。
何年もの間、苦しみながらも二人はずっと相手の事を想っていたんだ。
彼の能力で切れないものがあるとするなら、それはきっと二人の間にある絆そのものなんじゃないかな。(気恥ずかしくなって検閲済み)


 

 

戦いは終わった。

 

形だけは辛うじて人体の体裁を保っていた去原仁狼(アジの開き)黒鉄一輝(ぶつ切りの肉)は即座にIPS再生槽(カプセル)に叩き込まれて集中的な治療を受け、無事に身体や臓器の機能を完治させるに至った。

とはいえ失った体力まで戻る訳ではない。

気絶したそのままたっぷり丸一日ぶんは眠り続けて、先に目を覚ましたのは一輝の方。

眠りすぎてぼやける彼の頭を目覚めさせたのは、その知らせを受けすぐに駆けつけてきたステラたちだった。

 

「お兄様っ!」

 

ベッドの上で上体を起こす一輝にいの一番に駆け寄ったのは珠雫。

しかし一輝は不安そうな子犬みたいな顔をしている珠雫に対して、「静かに」、と人差し指を自分の唇に当てた。

口を閉じた彼女に指で示す先にあるものは、カーテンで区切られた部屋の一角。

 

「隣で去原君が寝てるんだ。ずっと側で見守ってた詠塚さんと一緒に」

 

同じように死闘を繰り広げたこちらの豪傑は、まだ眠りから覚めていないらしい。

まだ休息を必要とする者がいる病室であることを慮り、ステラはやや声をひそめて一輝を労う。

 

「お疲れ様。凄かったわね。正直予想だにしてなかった結末だったわ。とんでもない奴がいたものね……あんな戦い、そうそう見ないわよ」

 

「ああ、僕もそう思う。公式戦に出てこなかったとはいえ、よくも今まで無名でいれたものだ」

 

「それよりもまたあんなにボロボロになって……。この短期間で何度死にそうになっているんですか。まったく、本当に治しがいの無い人です」

 

「はは、ごめん……。返す言葉もないよ。……あとさ。一応聞くけど、勝ったのはどっちなのかな。気を失ってたから聞こえてなかったんだ」

 

一応、と前置きしたという事は、彼自身もう結末を半ば確信していたのだろう。

激突の瞬間で記憶が途切れているということはつまりそういう事だ。

嬉しくない結果を伝えるのは勇気がいるもので、少しの沈黙の後に答えたのはやはりステラだった。

 

 

「………、イヌハラの勝ちだ、とネネ先生が判定したわ」

 

 

「………そうか。………負けた、か」

 

ありのままだがどこか含みを持ったステラの答えを、一輝は何の疑問もなく受け入れる。

敗北という結末を差し引いても、彼にしては珍しく力の入っていない声。

珠雫の小言にも気が抜けていたというか、どこか心ここに在らずな様子の一輝をステラが訝しむ。

 

「……イッキ、どうしたの?」

 

「ああ、うん……。いまだにショックというか、余韻が抜けなくてね。去原くんの一撃も恐ろしい完成度だったものの、まさかああも派手に打ち負けるなんて流石に思っていなかったからさ……。

ましてそれは僕の切り札だったんだ、正直思うところは大量にあるよ」

 

「……とはいえ、『お兄様の負け』というあの判定には納得がいきません」

 

打ち負けた、という言葉に反応した珠雫が不満げに唇を尖らせる。

 

あんなにも静かな結末を見たのは全員が初めてだった。

西京寧音の越権じみたジャッジにより終結した一輝と仁狼の勝負に、喝采らしい喝采は上がらなかった。

皆がその判定に疑問を抱いていたからだ。

あの状態で黒鉄一輝の勝利を主張する声は流石に無かったものの、いくらなんでもアレを仁狼の勝ちとするには無理があるだろう、という声が多かったのは確かな事実。

世界ランキングの上位に名を連ねる彼女の言葉とはいえ、それに納得している者はほとんどいないと言ってもいい位だ。

 

「破れるはずのない切り札を破ったから相手の勝ち、というのは勝負の本質ではないでしょう。

そもそもお兄様の剣も去原を沈めていた事に変わりはないのですから、どちらかに軍配を上げるというのは的外れではないですか?」

 

「あたしも同感ね。その内情がどうあれきちんとしたルールに則った勝負で、両者が戦闘不能に陥ったのなら、それは引き分けとなるべきだと思うわ」

 

「その気持ちはよーくわかる。けども、このうちが大真面目に考えて判断した結果だぜぇ?」

 

珠雫の主張にアリスも頷いた瞬間、狙いすましたようなタイミングで西京寧音が現れた。

一本下駄を高らかに鳴らし、艶やかに着物を着崩した少女と見紛う小さな身体が、ひょこりと一輝のベッドの傍らに立つ。

 

「黒坊。うちの判定は不服かね?」

 

「いえ、異存はありません。むしろ引き分けと言われた方がわだかまりがありましたよ。

最初から最後まで好き放題にされっぱなし。経過はどうあれ、終わってみれば彼の(スタイル)に食い下がるので精一杯。

純粋な剣技はともかく、自分の能力も絡めた戦略や戦法、応用力……伐刀者(ブレイザー)としての完成度は、去原君の方が間違いなく上でしたね」

 

こうして話しながら思い返すだにゾッとする。

とにかく相手の土俵に付き合わない彼のやり方は、徹底して自分の剣を封殺しにかかってきていた。

だが()()()()()()()真正面からの打ち合いに持ち込んでも、彼の実力は何ら苦にしていなかったようにも思える。

なんなら《天牢(てんろう)()刑陣(けいじん)》を放つまでの応酬(プロセス)も全て計算の内でした、なんて言われても信じるかもしれない。

何故って、最初から順番に詳細に思い出してみても、自分がどこから型に嵌められたのかが全くわからないのだから。

 

「……で、でも、どうして最後にお兄様は打ち負けたのですか? あの技は本来、()()()()()()()()()()()()()()()はずですが」

 

「単純な話さね。あの《追影(おいかげ)》は不完全だったんさ」

 

当人に敗北を認められては流石にこれ以上食い下がるのは野暮というもの。

しかし納得できるかどうかはまた別、珠雫の()()()()()()()()()()()にも寧音は即答した。

 

「ありゃ一撃必殺だけあって条件がキッツい。

周囲の状況や敵の行動まで手前(てめー)でコントロールして、万全の状況を作ってからようやっと真価を発揮する剣なんだろ?

でもあの瞬間、()()()()()はどうしようもなく『イヌッちの勝利』に天秤を傾けてた。

もはや直接手を下す必要もない位に確定してたそれを直接対決という流れにねじ曲げるために、黒坊は《魔人(デスペラード)》としての器量の大半を使っちまったんさね。

身体もズタボロ、技に込められた運命の強制力は中途半端。

それでも『過程と結果を逆転させる』トンデモ技だ、(デバイス)を折られても(たた)っ斬りはしたが………イヌッちの真骨頂を止める事までは叶えられなかったって訳さ」

 

魔人(デスペラード)》としての器量───つまり運命に対する主体性。

それが仁狼をさんざん想定外の窮地に立たせてきたモノの正体、人間との間にある埋め難い格差とそう呼ばれるものだ。

物語の登場人物が、作者の望んだエピソード(運命)に抗える訳がない。口の悪い言い方をすれば、この戦いは仁狼の敗北が決定した演劇に過ぎないはずだったのだ。

その上でこの結果………一輝の敗北という判定に対してステラが何も言わないのは、同じ《魔人(デスペラード)》としてそれを理解しているからだ。

 

「黒坊は剣の腕は神憑(かみがか)ってっけど、《魔人(デスペラード)》としてはまだまだヒヨッ子って事さね。

けどいい相手が見つかったんでないかい?

剣技の性質もどことなく共通してるし、学び合うことも多いんじゃないかねぇ」

 

「はい、とても勉強になりました。……ただ、彼の剣は盗んだところで僕にはどうしようもないですけどね。

脱力に代表される彼の剣技の性質は、完全に《白色総身(ホワイトカラー)》を前提に成り立っている……二天一流の《詠塚派》というよりは、もはや《去原派》とでも呼ぶべき代物でしたよ」

 

「ストップ&ゴーのギャップがイッキよりも極端だったものね。

本当に体力が少ないのかしら……? あそこまで動き回らせてなお戦い抜ける位にカバーされてたら、もう弱点として機能してないわよ。

攻撃力も防御力も機動力も、どこを取っても強みしかないじゃないの」

 

「……魔力制御能力は私も認めざるを得ませんね。

去原自身は剣術に重きを置いていたようですが、あの男……あるいはあの男の師は魔術の有用性を理解していたのでしょう。

しかし誰かに師事していたにしても、あのレベルまで引っ張り上げられる人物とは一体……?」

 

「でもお互いに一歩も意地を引っ込めない、気持ちの入った凄い勝負だったわよね。

冷静沈着な(ひと)が好きな()の涙に熱くなる……ふふ、素敵じゃない。

やっぱり大切なものの為でこそ、人って強くなれるものなのね」

 

 

「オイこっ()ずかしいからソコ触れんな」

 

 

シャッ!と隣のベッドのカーテンが勢いよく開いた。

驚いて隣を見ると、そこには去原仁狼が目を覚ましていた。

その傍らには寝落ちしたであろう詠塚琉奈がベッドに突っ伏して寝息を立てている。

 

「……お、起きてたの」

 

「……皇女様らが見舞いに来たさっきから、ずっと起きてたよ……。

ルナも寝てるし、褒められて気分がいいから、黙ってたけど……いらん事口走りやがったから、止めたんだ。

ルナが起きて聞いてたらどうすんだよ……」

 

「「「 いいんじゃない? 別に 」」」

 

「良くねえ!」

 

珠雫と寧音以外の声が見事にシンクロした。

持ち前の瞬発力を存分に活かして言い返した仁狼の声に反応してか、琉奈がもぞもぞと身体を動かす。

寧音だけはそこに意識のある人間がいる気配に自分が気付けなかった事に静かに衝撃を受けていたが、陽口(ひなたぐち)を聞かれたむず痒さは一先ず払拭された。

しかし、続く仁狼の一言で病室の空気は再び変質した。

そう、今までの会話全てを聞いていたということは……

 

 

「……で、『デスペラード』ってのは何なんだ?

何かの例え、という訳ではないよな」

 

 

当然、そこに疑問を抱くに決まっていた。

やや厳しくなった寧音の表情を見て、仁狼はこの言葉が何かとても重大な意味を持っていることを確信する。

 

「……去原君」

 

「聞いたところ、黒鉄の()()に直接繋がっている『何か』のようだが……。 悪いが、これは何としても話してもらいたい。

意味不明ながらあれほどの効力を発揮する何かを、『わからない』と放置するなんて………有り得ない話なんだからな」

 

先生、と一輝が寧音を見る。

このテーマについてこの場では最高の決定権を持つ寧音は、今さら誤魔化しようがないか、とため息を吐く。

ここで秘密にしておいても、聞いてしまった以上彼はそれについて独自に探りを入れるだろう。

しかしこれは()()()()()()()()()()、その過程で何か厄介事に巻き込まれる可能性だってある……その事を考えれば、ここで詳しく説明して余計な事をしないように釘を刺しておくほうがずっといい。

 

「……しゃーねーな。こうなりゃキッチリ説明してやんよ。……ただし覚えときな。ここでうちから聞いた話、ぜってー他人に広めたりすんじゃねーぞ」

 

「肝に命じよう」

 

即答する仁狼。

その瞳に偽りは感じない。

その誠実さを担保にして、寧音は静かに語り始めた。

 

「《魔人(デスペラード)》ってのは────」

 

 

 

 

 

「……………、…………」

 

唖然という言葉を表現するのに、これ以上の表情は無いだろう。

予想以上の話のスケールに言葉を失っている仁狼が、まだ受け止め切れない様子で繰り返す。

 

「……因果の外側に至った………?

自分の意思で、世界の運命を塗り潰す………?

魔力の総量も増加……?

まさか、そんな無茶苦茶な話が……」

 

「あるんだよねぇ、これが。

イヌッちだって味わったろ? 勝つための方程式がよくわかんねー力でねじ曲げられるのをさ。

それは黒坊がその展開を否定したからなんさ。

()()()()()()()()()()()()()()()()()

イヌッちが戦ったのはそういう相手さね」

 

「…………そうか……俺はとんでもない奴と……」

 

「あ。黒坊の他に、うちとステラちゃんも《覚醒(ブルートソウル)》済みだかんね」

 

「割とありふれてるのか……!?」

 

「ネネ先生、これ以上情報を増やさないであげて。ありふれてる訳ないでしょうが」

 

だんだんと冷静のキャパシティを越えつつある仁狼にステラが助け船を出した。

確かに言われてみれば同じ学園に《魔人》が密集しているこの現状は異常ではあるが、《覚醒》を漢字検定3級みたいな扱いにされても困る。

 

「そうか、流石にそれはないか……しかしそれによれば、『誰でも到達できる』という話は……どうやら本当らしいな」

 

「『最悪死ぬレベルで鍛え続ける覚悟があれば』、が頭に付くがね。

自身を極め尽くすそれだけでも人生一度で足りるかどうかわかんねーのに、さらにその上を渇望するなんざ……ま、正気の沙汰の欲じゃねーって事さねぇ」

 

「そうか……」

 

何かを考えるように仁狼は口元に手を当てる。

混乱から落ち着いたにしてもいやに静かな表情。

誰に聞かせるでもない声量で、彼はぽつりと呟いた。

 

 

「……誰でも、か────」

 

「その一線超えるなら腹ぁ括れよ」

 

一瞬、仁狼の目に灯った危うい光を寧音は見逃さなかった。

見た目に反し低く凄んだ声に込められた威圧感に、仁狼は反射的にベッドから立ち上がる。

 

「《魔人》は運命に縛られねえ。

けどそいつぁつまり、魂が人間の枠から外れちまう事と同義なんさ。

人外のそれに至った魂に引っ張られ、その器の肉体も人外のそれに変貌するなんて事が場合によっちゃ普通に起こる。

ケダモノの心(ブルートソウル)》って呼ばれる所以さね。

戦いの愉悦に《覚醒》したロクデナシもいりゃあ、互いに相応しくあるために《覚醒》した奴らもいる。

けど人間で在り続けることも、誰に恥じる事のない立派な選択さ。

………そうやって咄嗟に守ろうと思える人がいるのなら、特にね」

 

言われて初めて気付いたように仁狼は自分の後ろを見る。そこには琉奈が相変わらずベッドの縁に突っ伏していた。

無意識の内に琉奈の盾になるように動いていたのだ。

自分ではなく、愛する家族を選んだ親友───かつて他の何も見えない位に募らせた想いが一方通行で終わってしまった寧音にとって、その光景はどう映ったのだろうか。

そして彼らはどうやら騒ぎ過ぎたらしい。

すやすやと眠りに落ちていた一人の意識が急速に水面に向けて浮上を始めた。

しばし身動ぎした後、彼女は寝ぼけ眼で頭を起こす。

 

「んむゅ……じんろう……?」

 

琉奈が目を覚ました。



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二人の(みち)

不安定な姿勢ながら熟睡していたらしい。

目をしばたたかせてのろのろと人口の増えた周囲を確認し、その全員が自分に注目していることに気付いた。

髪もめちゃくちゃな、洗っていない寝起きの顔に。

 

「えっ……あっ、や、やだみっともない……! し 少々お待ちを……!」

 

慌てて仁狼の陰に隠れ手櫛で髪をザシザシと整える琉奈。

しかも隠れ蓑にしている仁狼の服で顔を拭いているのだろうか、ぎゅんぎゅんと服を後ろに引っ張られている彼の目が若干半目がちになっていた。

必死の身繕いが始まって十数秒、何とか人に見せる体裁が整ったと判断したのか、仁狼の陰から姿を表してにこりと外向きのスマイルを浮かべる。

 

「見苦しいものをお見せしました、皆様も黒鉄さんのお見舞でしょうか? 何やら深刻な雰囲気を感じましたが……」

 

「いや……たった今それが台無しになったとこだ」

 

「わ、私は悪くないと思います……それよりも!」

 

キッと目に力を入れた琉奈が唐突に仁狼に殴りかかった。

思いの外訓練してきたであろう形跡のある小さな拳が、バシンと軽快な音を立てて仁狼の掌に受け止められた。

 

「この大馬鹿者!! 怪我するなって私言ったじゃないですか、聞こえてたんじゃないんですか!!

無傷で勝つって言ったじゃないですか!!

それなのにこのっ、あんな大傷をこさえてっ!

私まで気を失いかけたんですからねっ!?」

 

「ああ悪かった、俺が悪かったから殴るな!

でも俺がやられたアレ『ぼくのかんがえたさいきょうのひっさつわざ』レベルの一発だぞ!?

斬るより先に斬られた事が確定してるってどうしようもないだろうが!

相討ちにしただけ上出来だっつーの!」

 

「!? ………なーにが上出来ですか!! あなた今自分が怒られてる理由わかってるんですか!?

男の子なら自分で口にした約束をきっちり果たせって言ってるんですよ!!

それをあんな風になっておいてよくそんな口が聞けますね!!」

 

「それまでは完全に無傷だったろ!!

それに自分で言うのも何だが今までの戦いの中で一番死に物狂いだったんだぞ!?

それまでの頑張りを認めろよ誉めろよ!!

ホラ俺はまだお前の『お疲れ様でした』を聞いてねえんだがどういう事だアァン!?」

 

「あああああもうっ! 減らず口を叩かないっ!」

 

さっきまで会話していた一輝たちをそっちのけでぎゃーぎゃーケンカし始める二人。

普段の柔らかな態度を放り捨て肉体言語に訴え始めた琉奈とその攻撃を全て捌ききる仁狼、目付きの悪い男と怒る少女の図はどこかコミカルで、それを見物していた面々からクスクスと軽い笑いが起きていた。

 

「あらあら、ホントに仲がいいのね」

 

「……ま、この分なら心配はいらんかねぇ」

 

(……よかったわね、ヨミツカさん)

 

直前までのシリアスからの落差に寧音が気が抜けたように一人ごちる。

しかしこの二人の間に()()()()()()()()()()()()を理解しているのは、琉奈から話を聞いていたステラと可能からそれを又聞き聞いた一輝だけだろう。

しばし和やかな空気が流れた後、折れた話の腰を戻すように寧音が仁狼に言う。

 

「てなわけで、まぁ聞いてた通りさ。イヌッち、お(めー)は相手にしてたのはそういう人外で、それを相手にイヌッちは()()()んだ。胸ぇ張ってイバり散らせる大金星さね」

 

「…………。勝利、ねえ」

 

「うん? 不服かい」

 

「ひどく不服だ」

 

低い声でぼやいた仁狼が、じたばたと抵抗する琉奈の両頬をおもちみたいに引っ張っていた両手を放す。

微妙に赤くなった頬の肉を若干涙目で揉みほぐす琉奈を脇に置いて、彼は煮え切らぬ澱を口から垂れた。

 

「勝利ってのはな……。自分の足元にブッ倒れる相手を『見下ろして』、『喝采を浴びて』こそ、声高に叫べる言葉なんだよ。

どこの誰の判断だろうが、何の価値もありゃしない。

今の話を聞いた後じゃあ、敗けだと言われた方がまだ納得がいく。

斬られて倒れて歓声も無く、全員の胸につっかえるような勝利判定なんて………正に、羊頭狗肉ってやつじゃねえか」

 

相討ちの末の疑惑の判定。

例え仁狼でなくとも素直に喜ぶことはできまいが、思春期から続く承認欲求を拗らせてしまった彼が掲げる哲学にとっては尚のこと承服しがたい決定だったらしい。

判決を受け入れた敗者に、受け入れようとしない勝者。

色々と真逆な立ち位置だが、双方ともに首肯できるだけの理屈はあるようだ。

肉体言語で穏やかに言い負かされて若干むくれている琉奈に軽く謝り、仁狼はベッドから立つ。

 

「ルナ。行くぞ」

 

「あら。もう休まなくて大丈夫なの?」

 

「最大の目的は、一応果たしたからな………。

寝こけてたせいでスケジュールもキツくなったし、個人的に予定も出来た事だから……とっとと帰ることにする」

 

まだ何か言いたげな琉奈を連れて病室の出口に向かう仁狼だが、不意に彼は帰路に着こうとした足を止めた。

どうしたのかと注目する面々を振り返らずに、彼は静かに問いかける。

 

「黒鉄。次の《七星剣武祭》……当然、また出るんだろう?」

 

「もちろん」

 

「わかってると思うが、次の舞台には俺も絶対に上がる。

前回みたいな無様は、流石にもうやらねえ。

本当の決着は……そこで付ける事にする」

 

それは最早わかりきったこと。

面と向かって言う必要すらない、至極当然の宣戦布告。

仁狼の背中から噴き上がった獰暴なまでの寒気が、一輝の心臓を貫いた。

 

 

「半年後にまた会おう。

震えて眠れ─────()()()()

 

「……こっちの台詞だ。……次は、勝つ」

 

 

それを最後に会話は打ち切られた。

バタンと閉じられたドアの向こうから、二人分の足音が段々と遠ざかっていく。

そのやり取りを見ながらニヤニヤと笑っている寧音を見て、珠雫の目が鋭く尖る。

 

「……先生。お兄様の敗北を宣言した理由、まさかとは思いますが………去原に火を着けるためだとか言いませんよね?」

 

「んんー? さーねぇ?」

 

どこ吹く風ではぐらかす様を見て、珠雫はそれ以上の追求を諦めた。

流石に勝負に関しては誠実であるとは思うが、同時に彼女が型破りの奔放さを持っているのもまた事実。

予測が当たっていようがいまいが、真実が明らかになることはないだろう。

 

「あいつ、半年後には化けてくるわね」

 

「ああ。今よりももっと、ずっと恐ろしいものになってくるだろうね。

……決勝でステラと戦うまでに、またとんでもない壁が出てきちゃったなあ」

 

ベッドに座ったままの一輝の日和ったコメントに、ステラはくすりと笑いを溢す。

 

 

「その割には嬉しそうね? イッキ」

 

「バレたか」

 

 

そんな会話を聞いていた珠雫は、一人静かに小さな拳を握り締めた。

───自分は、去原仁狼に勝てるのか?

あの能力ならば物理的な攻撃を完璧に無力化できる自分は相性がいいように思えるが、あの兄の鬼札を正面から撃ち破るあの技……そんな単純な図式は当てはまるとは思えない。

 

(いや。それどころか……)

 

───そう、それどころか、自分はまだあの男にも勝てないだろう。

だって、兄とステラの今のやりとりの中に、()()()()()()()()()()()()()()()()()

自分はまだ、彼らの感覚で障害にすらなれていない。

特に強さを求めてはいないアリスを除き、この場にいる圧倒的な強者たちの交流の中で───自分一人がのけものだ。

 

でも、それでは絶対に終わらせない。

二人のいる頂へ、今度こそ。

水のような瞳の中に、珠雫は静かに決意の炎を燃やした。

 

 

そしてそれらの一方で、寧音はたった今ここを去った仁狼について………より正確に言えば、一輝との最後の激突について考えていた。

この場の誰も違和感を覚えてはいなかったが、実は彼女には、正確な判断がつかなかった為にこの場では言わなかったことがあったのだ。

一輝が放ったあの《追影(おいかげ)》は不完全で、そこを期せずして仁狼に突かれてやられてしまった───確かに、自分の話したこの内容に偽りはない。

 

しかし、それでも『運命を強制する力』だ。

運命に対して何の抵抗力も持たない彼には、例えその不完全な《追影(おいかげ)》でも何の手段も取れないはず───それこそ赤子に蜂蜜(ボツリヌス菌)を与えるように───勝負にすらならないはずだった。

その結果が、これ。

己も致命傷を負ったとはいえ、彼はまさしく運命を断ち斬ったと言える。

もう仁狼と運命を切り離して考える事は不可能だ。

 

ではあの瞬間、彼に何が起こっていたのか。

彼の強い意志が、一輝が世界に命じ得る権限の範囲から逸脱してしまったのか?

それとも彼の能力(チカラ)は、運命や因果すら《切断》できるような代物だったのか?

 

あるいは、まさか……───────

 

「…………、………」

 

 

獣の牙の真の鋭さは、今は静かに口の中。

供を連れた狼は、未知数の闇へと姿を消す。

猛者達の闘争心に己の名前と炎を灯し────いずれ来る再戦に備え、仁狼も心に火を着ける。

渇望の果てに己の手からすり抜けた獲物を、今度こそその舌で味わい尽くすために。

 

 

なお約束された激戦に今から血潮を滾らせている一輝とステラだが、これから彼らは()()()()()()()()()()()()()()というひどく根本的な問題にぶち当たる事になる。

 

───『《魔人(デスペラード)》という文字通りの規格外であるこの二人には特例で一足早く《(king)(of)(knights)》に登録してもらい、選手としての《七星剣武祭》出場は自粛してもらうべきだろうか?』───

 

そんな話が国の最高位の中で秘密裏に持ち上がりつつある事を……この時の彼らは、まだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………」

 

傾いた日が投げ掛ける幾ばくかの光が、いくつもの長方形の影を薄く地面に写している。

時折聞こえる門前を過ぎたカラスの急かすような鳴き声が、静寂の帳に区切られた異界のようなこの空間を辛うじて此岸であると認識させていた。

とはいえそこは何か超常的な場所という訳ではない。

───どこにでもある、何の変哲もない墓地だ。

整列立ち並ぶ墓石の中に、同じように動かないままそこにある形の違う影が一つ。

 

去原仁狼。

名前が刻まれた墓石の前に、彼はもう長いこと座り込んでいた。

するべき報告はとうに済んでいるが、それでもまだ墓石を見つめている彼の背中に砂利を踏む音が近付いてくる。

 

「ここにいたんですか」

 

石と石が擦れる音が仁狼の背後で止まる。

それが誰なのか声を聞くまでもなくわかっている彼は、それでもまだ振り向く事はなかった。

 

「フラッと出ていったきりずっと戻らないんだから。せめて携帯くらい持って出て下さいよ。何の報告もなくいなくなられたらいまだに不安になるんですから、私」

 

「……ああ、悪い。うっかりしてた」

 

「まあ、もしかしてと探しに来たかいはありました。正直、本当にここにいるとは思ってませんでしたが」

 

灰青の髪の少女が、仁狼の後ろで儚げに笑う。

 

「……やっと、墓参りする気になったんですね」

 

「……ここに来るのは、自分が最強の座に着いたと報告する時だと決めてたからな……。

けど、今回の戦いを……黒鉄との戦いを、話さない訳にはいかないだろう。

俺も色々と、思う事があったしな……」

 

「今までずっとその報告を?」

 

「いや、それはもう終わったんだ……。けど、色々と思い出してたら、つい長々と居座ってしまってな……。

他にも色々と言いたい事があるのに……どこから何を話せばいいかも、さっぱりわからないし……」

 

確かに彼の今までの心境はほんの数分程度で語り尽くせるものではないが、物言わぬ墓石に対してこれである。

この少年の昔から変わらぬ不器用ぶりに。少女は改めて苦笑いを浮かべた。

 

「とはいえ、戦いの報告だけでも相当長くなってそうですね。……《天眼通(てんがんつう)》と《祓魔之刀(ふつまのとう)》のコンボが通っていれば、あるいは……」

 

「身体強化系の伐刀絶技(ノウブルアーツ)は、魔力を斬っても意味がないし……強化の式そのものを斬ろうにも、《一刀修羅(いっとうしゅら)》は起点が脳にありやがったからな……。

魔力の流れを視認してたからこそ《一刀修羅(いっとうしゅら)》の持続を察知できた訳だから、《天眼通(てんがんつう)》は無駄じゃなかったが……」

 

ため息を吐いて髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。

そうして吐き出して残った欠片をぽつりとこぼすように、仁狼は己を省して言う。

 

 

「……やっぱ、一番の問題は……俺の考え方そのものだったよなぁ」

 

 

沈黙が降りた。

それはつまり、己に枷をかけていた事。

己の魂すら縛るような厳格さで拘り続けてきたものを否定することに他ならないその一言に、少女は静かに息を呑む。

 

「……それは……」

 

「……親父、いや、宮本武蔵いわく……『一つ事に囚われるべからず』、だったかな。

……間抜けな話だ。俺はずっとずっと昔から、自分の剣に諌められ続けてたって訳だ」

 

──その言葉をどれだけ待ち続けただろう。

このまま喋っていたらこみ上げてくるものが溢れ出してしまいそうで、少女はわざと茶化してみせた。

 

「父がちゃんとあなたへの想いを遺書に書いておけば、こんな事にはならずに済んだんですけど」

 

遺産に関わる手続き。

頼るべき人間。

そんな事務的な事のみが書かれた遺書は、最期まで言葉を交わしていた娘についてはともかく、息子についても何も触れられていなかった。

それに並んでもう1つ残されていた手書きの分厚い紙の束……《二天一流詠塚派》の全てが記された書物を、罪を償う唯一の手段として彼は今まで磨き上げてきた。

 

「……いや。俺が何も見えてなかっただけだ」

 

数百年受け継がれてきた技術体系が大規模に改造されていた事に、疑問を抱かなかった訳ではない。

だけど今日まで……黒鉄一輝と戦うまで、その理由を考える事は1度も無かった。

しかし今の仁狼には理解できていた。

あの土壇場で、どうしてあそこまで次々と新たな技術を生み出す事ができたのか。

どうしてああもスムーズに、まるで順番を踏むかのように綺麗な流れで奥義とも言える業に辿り着くことができたのか。

───当然だ。

体質から体格、掌の大きさ、今後成長が見込まれる部分の変化に至るまで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

それを信じて正しく積み重ねた時間が、極みに至らぬ道理がない。

 

 

その剣は、父が仁狼に遺した全てなのだから。

父親としての願いを込めた、息子への愛そのものなのだから。

 

 

喜びの笑顔に、(こら)えきれなかった涙が混じる。

……長かった。本当に長かった。

震える唇で精一杯絞り出した明るい声は、やっぱり泣くような声になってしまって。

 

 

「───あなたのそんな不器用なところ、本当に父にそっくりですよ」

 

 

口下手な(ひと)だった。

確かに抱いていた情愛を、教え受け継がせたものに込めるしか出来なかった男だ。

……そして自分は、そんな背中を見て育ってきた。

もう少し上手く立ち回れるように育ててくれ、なんて文句を垂れても、何のバチも当たるまい。

 

 

 

その位許してくれるだろう。

こんなにも、自分を愛してくれていたのなら。

 

 

 

 

「ルナ」

 

「はい」

 

「………話したい事があるんだ。今までの事と、これからの事と」

 

十字架を背負い歩いてきた傷だらけのその背中を、彼女はそっと抱き締めた。

流れ出てくる熱い雫が仁狼の服を濡らす。

ずっと隣にいたのに感じようともしてこなかったその重みが、今になって何よりも暖かくて。

 

 

 

「………私も、話したい事があるんです。

何年もずっと、言えなかった事が」

 

 

 

 

何も為さなかった自分に絶望し、全てを(なげう)ちひた走る内にいつしか置き去りにしていた想い。

泣き方を忘れた少年の眼から、いくつもの光が溢れ落ちた。

圧し殺してきた言葉と涙は、暖かな雨となって心の荒野に降りしきる。

痛み軋みを上げる身体を、渇き傷んだひび割れを、優しく潤し癒していくように───

 

 

いつまでも────────

 

 

 

いつまでも────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日を境に、仁狼は一気に表舞台へと名前を轟かせる。

名のある強者を歯牙にもかけず斬り捨てていくその様は、黒鉄一輝を倒したという噂が真実であると実力者たちに確信させるには充分だった。

公式試合、野良試合、地下闘技場、挙げ句の果てには剣の峰。

幾つもの戦いを経て、いつしか彼は最強と称される座の一角を埋める騎士となる。

人も要塞も山嶽も、全てを切り断つその様を、誰が呼んだか『神の武器』───

 

─────《霊剣(れいけん)》の二つ名を彼が冠するようになるのは、そう遠くない未来の話だ。



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終章:詠塚琉奈の述懐

 

 

 

 

 

 

 

え? あっ、ステラさん?

奇遇ですね。まさかまた用事が被るとは思っていませんでした。

その、事件の事後処理は……ああ、それはよかったです。ジンロウはああ言ってくれましたが、やはり気がかりで……厚かましいですが、心残りが無くなりました。

 

……ところで、『それ』は今夜黒鉄さんにお披露目の予定ですか?

あらあらまあ、随分と(きわ)ど、ゲフン、大人なチョイスですね。それって黒鉄さんの好みですか? それともあなたの気合いの表れ……ああごめんなさい、やめてください死んでしまいます、どうか火を引っ込めてください。

 

……まあ、確かに私のチョイスも大概かもしれませんが。

これで私も結構必死なんですよ?

ジンロウの気を向かせるのに。

 

ええ、大好きですよ。

私はずっと昔から、あの不器用の塊を何より愛しています。

……聞いておいて照れないでくださいよ。私だって結構恥ずかしいんですから。

とはいえ今までも色々とやっているんですけど、ジンロウが応えてくれた事は残念ながら1度もないんですが。

 

鈍感という訳ではないんです。

私の好意を理解不能と思ってるんでしょう。

ジンロウにとって私は、『そういう対象』ではありませんから。

 

……怒って下さる気持ちだけ受け取らせてください。

しょうがないんですよ。

私が彼にした事を考えれば、しょうがない事なんです。

私は彼に、とても酷い事をした。

 

 

私の家は剣術の道場なんですが、ジンロウは父が連れてきた子なんですよ。

思うところあって孤児院から連れてきて、そのまま養子にしちゃったんです。

そしたら、その次の日から見てるこっちが泣きそうになるくらい厳しい修行が始まって。

身体を好きに動かせるようになった後は、今度はずっと剣の修行でしたが……彼なりに恩義もあったんでしょう。

ジンロウは必死で修行に食い付いて、そんな彼が私も大好きでした。

 

でもね。

ある日ジンロウ、とうとう家出しちゃったんです。

修行の厳しさじゃなくて、身に付けた業を1つも認めてもらえない辛さで。

父は私の前ではジンロウをべた褒めしてたから、私も気付けなかったんです。

連絡もつかないまま、そのまま何ヵ月も帰って来なくて……

 

………その間に、父は病気を悪化させて天に昇りました。

 

そうしたら、ジンロウ、帰って来たんですよ。

大慌てで帰って来た彼の必死な声が、凄く嬉しかったんです。

捨てないでいてくれたんだ、って。

私達をずっと気にしていたんだ、って。

 

でもその時のジンロウ、凄い格好でして。

髪は金色だわ肌は黒いわピアス開いてるわ、一瞬誰だかわからない位でしたからね。

……それを見て私、カッとなっちゃったんです。

『随分羽目を外していたみたいですね』って。

楽しいはずなんてなかっただろうに、身も心も荒れた生活をしてるって予想できてたはずなのに。

ただジンロウを傷付けたくて、ありもしない事を並べて……父の最期まで悲劇的にねじ曲げて伝えました。

ええ、()()()()()()()()()()()()

 

 

その時から、ジンロウは変わりました。

意識のある間は剣、剣、剣。

比喩じゃないですよ。衣食住ぜんぶ投げ捨ててましたから。

あちこち折れた身体で修行してるのを見たときは本当に泣きましたよ。

謝りましたよ、もちろん。

人生であそこまで頭を下げる時はもう無いでしょう。言ってはなんですが、最悪斬られる覚悟もしてました。

 

……どうなったか?

許してくれましたよ。

怒られた方がずっとましでした。

 

『無かった事にしてくれなくていい』、ですって。穏やかな顔して。

それからもうずっと、『大丈夫』としか言ってくれないんです。

 

優しい子でした。

人も物も自分が触れたら壊してしまうんじゃないかといつも怯えていたくらい怖がりで、そのくせ父が趣味でやっていた和楽器も習いたがる人懐っこい子で。

そんなかけがえのない情緒や感性を、私がぜんぶ戦いの血と泥で塗り潰させてしまいました。

……信じる事なんて出来るはずないですよね。

こんな十字架を背負わせた女の愛なんて。

 

 

………だけど、ジンロウは勝ちます。勝たせます。

ジンロウの剣は、償いなんです。

()()()()に報いる為にこの世界で1番強くなる、と。黒鉄さんに挑むのはその足掛かりだと言っていました。

 

ジンロウの悲願を叶える為に、私も全力で支えてきたんです。

 

そうすればいつか、私の想いも届く日が来るかもしれないから。

 

いつか全ての強者を倒して、彼が世界で最強になる時が来れば───

 

 

────また、昔みたいに笑い合えた時に戻れるかもしれないから。

 

 

 

 

 

【終】



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