外套の騎士 (ヘリオスα)
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0.楽園の塔にて

 星の内海。世界の裏側。誰一人訪れることなく、立ち去ることのない永遠の園。およそ人の手では永劫たどり着けぬ理想郷に、それはあった。

 楽園の果てに立つ白亜の塔。一人の魔術師が生涯……いいや、惑星(ほし)が終わるまで閉じこもっている、出入り口のない物見の(うてな)。一人の妖精がその魔術師を捕らえるために用意し、仕上げに魔術師本人が手を加えて築き上げた、理想郷に突き立つ牢獄だ。

 いずれ訪れたはずの自身の死さえ放り投げて、魔術師はこの塔に引きこもった。そうして、時折訪れる妖精たち以外誰も存在しないその場所で、塔の最上より虹に輝く瞳で世界を見渡して――虹という超常の輝きが示す通り、彼の瞳は特別なもので、同じ時代であれば隅々まで俯瞰して見届けることができた――世界の表に暮らす人々の暮らしを、祝福と共に見つめ続けた。

 そうやって、外界を見渡して無聊を慰めながら、彼は静かに終焉を待つ。惑星の鼓動が潰え、そこに生きる者たちの全てが消えて、自己を保つ理由も術もなくなった時、彼もようやく終わりを迎えるだろう。

 

 

 だが。決して常人にはたどり着けぬ、この理想郷の果てを訪れる奇特な人影が在った。

 

 

 虹の瞳をきらりと輝かせて、魔術師が徐に杖を振る。途端、数多の結界が塔の最上を覆った。塔のそびえる理想郷、その空気は星の始まりから変わることなく多分なエーテルを含む劇物の一種である。神秘の薄れたものが口にしたならば、内側から爆ぜて赤い花を咲かせることになる可能性すらある。そんな劇物を、エアコンにスイッチを入れて温度調整するように薄めて見せた魔術師は、ゆっくりと振り向いた。

 

 そこには、つい先ほどまで影も形もなかった一人の人間が茫然とした様子で佇んでいた。

 

 ここに唯一滞在していたこの魔術師は、良くも悪くも常人からかけ離れた存在だ。陽に透かした髪は瞳と同じように虹に輝き、流れるように足元まで伸びている。そしてゆったりとした白いローブを着込み、ねじくれた長い杖を突く姿はおとぎ話の魔法使いそのものだ。これでしわくちゃの老人であったなら完璧だっただろうが、生憎とその柔和な様子の美貌は青年としてのそれだった。

 見かけはその特徴的な瞳と髪以外に人と変わりない。しかし、その内面は間違っても人に近しいなどとは言えないものだ。言葉を選ばずに言えば、彼の価値観、ライフスタイルは一般人から見れば昆虫に等しい。なぜならば、この魔術師は夢魔と呼ばれる、人間の夢に寄生する高次元生命と、その宿主である人間との間に生まれた混血児であるからだ。

 彼は人と夢魔、相容れぬ双方の価値観を共有している。だから人々が遺す美しい物語(歴史)を好んだし、自分が見たい美しい結果(ハッピーエンド)が得られるように人間側へ肩入れすることだってあった。だがそこに至る過程、払われた犠牲、完成した物語がもつ価値そのものを理解することだけはしなかった。

 

『ああ、なんてこの絵は美しいんだ。けれど、内容にも、創られた過程にも、微塵も興味がわかないな』

 

 そんな風に世界を捉えながら、彼は美しい結果(ハッピーエンド)だけを求めて長年人界をさすらって、微笑みと共に人々に手を貸してきた。

 

 人はみな彼を賢者として敬い、感謝をささげていた。だが、当の魔術師の方はそれに何ら感じることはなかったのだ。夢魔の性質として〝感謝〟という思念は摂取するに足る養分であったが、それ以上の価値を見出せなかったし、見出そうともしなかった。

 

 加えて、彼はその出自から魔術師としても並外れていた。夢魔の父親から授かった魔力と世界を見渡す瞳が相まって、人類史上数えるほどしかいなかった最上位の魔術師(グランドキャスター)として人理に刻まれるほどだった。とはいえ、彼がある()()()の果てにこうやって楽園の果てに閉じこもってしまった以上、世界のほうから彼を感知することはできなくなってしまったのだが。

 

 対して、今ここを訪れた彼/彼女は凡庸そのものと言った人間だ。人並外れた容姿を持つわけでもないし、取り立てて優秀な魔術師というわけでもない。外観からして極々普通の人間といった様子からは、図らずも人畜無害という言葉が湧きあがるほど。

 彼/彼女は、ある世界にてこの魔術師と縁を繋いだ存在だった。もともと魔術師でもないし、一風変わった経歴を持つ()般人でもない。ただ、レイシフトという、時間及び世界跳躍に関する技術に対して抜群の適性を生まれ持っていただけの、そこらにいくらでもいるただの学生だった。この適性は魔術師であろうがなかろうが、普通に過ごしていれば全く必要とされないのだが、彼/彼女が居た世界では非常に重要な意味を持つ。それが為に、彼/彼女はこの魔術師と縁を繋ぐことができたといっていい。

 

 だが、それはまた別のお話だ。

 

 今重要なのは、世界の壁を跳び超える資質を備えているということ。この資質がずば抜けて高いために、彼/彼女はこのように縁を結んだ相手、あるいはこれより縁が結ばれる予定の相手の居る時空へうっかり転がり込むようなことを何度か体験していた。

 

 ああ、またか。なんて、慣れ切った様子で周囲を見渡して、彼/彼女は目の前で飽きもせずに世界を見渡していた魔術師に目をやった。

 マーリン。声が深閑とした楽園の塔に響く。いつも通り人好きのする笑みを浮かべていた魔術師は、その声により笑みを深くして応えた。

 

「驚いたな、まさか此処まで踏み込めるなんて。まあ、何はともあれ、歓迎するよマスター。ようこそ理想郷(アヴァロン)へ……と言っても、ここにはこの塔以外何にもないんだけれどね。それで、どうしたんだい? ササンの王妃ではないけれど、眠れないというなら、寝物語に何か語って聞かせようか」

 

 ああいや、彼女のお話を聞いていては結局夜が明けてしまうかな、なんて言って、魔術師――マーリンは、改めてにっこりと笑って見せた。己が縁を結び、力の一端を預ける主人として目をかけている存在が現れたことを、言葉の割には不思議に思っていないようだった。

 

「王の話……は、もういいかな。君だって、そろそろ違う話を聞きたいだろう? さて、どの物語にしたものか……」

 

 片手を顎にやって、マーリンは悩まし気に首をかしげて見せる。

 

 

 彼はこの塔に閉じこもる前に、数多くの仲間と共にとある王に仕えていた。誉れ高く、清廉で、その在り様はさながら地上にあって光を失わぬ星の如き輝ける王に、マーリンはいつものように助力して―――そして最後に、自分が犯した罪をまざまざと見せつけられた。

 以来彼は、この塔に閉じこもった。自らの犯した過ちの結果を、自らに刻みつけ、永遠に忘れないために。二度と容易く、人の営みにちょっかいを出せぬように。

 

 

 故に、彼が自信をもって語れる物語は、どうしてもその王と傍仕えの騎士たちの話が主となる。先に伝えたように、彼は世界を見渡す千里眼を保有しているため、その気になれば古今東西の英雄譚を語れるだろうが、元より彼は魔術師であって語り部ではない。王と騎士たちの話以外で現実を物語として語り聞かせるには、マーリンにとってほんの少しばかりハードルが高かった。

 

「そうだね――うん、アレにしよう」

 

 ぽん、と一つ手を打つと、彼は三度、満面の笑みを浮かべる。

 

「最近、こちらに紛れ込んだ妖精が、面白い話を持って来たんだ。それはどうやら、違う世界の僕と、ある騎士との物語らしい」

 

 さあ、座って。その言葉と共に、音もなく床がせりあがって椅子となる。さりげなく行使された神代の神秘に軽く目を開きながら、マーリンの主はゆったりと椅子に腰かけた。想像していたよりも柔らかな座り心地に驚くと、背中にはいつのまにかクッションまで用意されている。

 

「長話になってしまうからね。これくらいの気づかいはするさ」

 

 ありがとうと言いながら、マスターの目はこれから語られるであろうマーリンの物語に興味津々といった様子で輝いていた。無理もない。マーリンが語るのは何時だって王かその配下の騎士の話だけで、当のマーリン自身は端役程度にしか顔を出したことがないのだ。語り部である以上それも仕方がないのだが、だからこそ今回の物語はマスターの好奇心を強くくすぐった。

 

「期待してくれてるところ悪いんだけど、これはあくまで別の私と、そして()()を変えた一人の騎士の話だからね?」

 

 苦笑しながら、マーリン自身も石椅子をくみ上げて腰掛ける。

 

「では始めよう。これは此処からとても近く、そして遥かに遠い場所で紡がれた――――一人の魔術師と、騎士の物語だ」

 

 




初めまして。

年末にこたつに入ってうとうとしていた時に見た夢をきっかけに、衝動を抑えきれなくなって書き上げました。

クォリティーが低いのは重々承知ですが、頑張って完結させたいと思います。

後々質問コーナー等設けてみるつもりですので、ご指摘、疑問点は遠慮なくお寄せください。



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1.名無しの少年

 ぱちり、と。

 薄闇に包まれた部屋で目を覚ます。慣れ親しんだ目覚まし時計は過去の――いや、未来の彼方に飛び去って久しいが、そんな物が無くともこの体は毎朝この時間にきっかりと目を覚ましてくれた。

 同じ部屋に眠る父は、まだもごもご言いながら夢の中だ。彼を起こさぬよう、一つ小さく欠伸をしながら簡素なベッドより身を起こし、寝る前に用意した水で顔を洗った。続いてそろりそろりと、抜き足差し足で歩きながら建付けの悪い戸をできる限り静かに、でも結局ガタガタ言わせながら押し開く。

 途端、溢れんばかりの光輝が闇に慣れた瞳を容赦なく刺し貫く。思わず手をかざしたうえでぎゅっと目をつぶりながら二歩三歩と踏み出して、しきりに瞬きしながら光の出所へ視線をやった。

 水平線の果て、そこから世界を金色に染め上げながら昇りくる巨大な光源。半分ほどしかその姿を見せてはいないが、その輝きは十分以上に世界を照らしている。

 

「おはよう」

 

 毎朝の習慣となった届くわけもない挨拶を零して、もう一つ欠伸をかみ殺した。

 

 

 

 

 吾輩は少年である。名前はまだない。

 

 

 

 

 ……いや、伊達や酔狂で言っているのではなく、本当に名前がないのだ。そしておかしな話だが、過去名乗っていた名前ならある。その――前世、と呼ぶべきだろうか。或いは来世なのだろうか。そういった知識が、物心ついたころに理解できるようになった。正しい表現かはわからないが、他人の、それも未来人の魂が何の因果か過去にある別人の体に収まっているような状態だ。

 

 身も蓋もないストレートな言い方をするなら、俗にいう〝憑依・転生〟というやつである。

 

 今から三年ほど前の話だ。前世の名前・体での最後の記憶は、いつも通り友人たちとオンラインゲームを楽しんだ後、午前一時過ぎに自室のベッドにもぐりこんだところまでである。

 次に気がついたとき、俺はいつの間にやら十数歳ほど若返って、ついでに人種まで変わった状態で意識を取り戻した。それまでの……つまり、幼児期に関しての朧げな記憶は残っていたが、それらとは隔絶した文化、文明の記憶が容赦なく脳を蹂躙し、ひどい頭痛に苛まれたのをよく覚えている。

 

 もちろん混乱した。黒歴史確定レベルで泣いたしキレたし色んなものを色んな所から吐き出して取り乱した。傍にいた男――つまりは今生の父であるが、彼は突然暴れ始めた俺に目を白黒させて、宥めたり叱りつけながらも涙をぼろぼろとこぼして俺が正気に戻るよう神に祈り続けていた。

 

 正直言ってそれら一連の出来事はトラウマになっている、二度と思い出したくはない。

 

 結局最後には泣きつかれて眠りにつき、翌朝まで得体のしれないものに変身する悪夢にうなされ続けてその日は終わった。

 

 

 

 そして、さらに翌日。目覚めと共に直視した朝焼けがすべてを忘れさせてくれた。

 

 あれほど美しい夜明けを、俺は人生で初めて見た。

 

 原初黎明より続く、一日の、世界の、生命の始まりを告げる輝きの刻。由縁定かならぬ太陽からの加護。狂って壊れかけた精神を正す光輝の洗礼。

 

 歪な我が身にも平等に投げかけられたその光に、訳もわからず涙を流した。生きろ、と言われている気がした。生きねば、と決意が全身に染み渡った。

 

 

 

 そうして、一足遅く起きだした父と名乗った男に、開口一番こういったのだ。

 

「俺はあなたの子供ではない。けれど、あなたを父と呼び、共に生きることを許してほしい」

 

 言って、失敗したと思った。頭に上っていた血が、一息につま先めがけて逆流するような感覚が全身を包んで、今更ながら震えが走った。それは、出所のしれない高揚感に煽られて思わず口をついて出た、戯言というにはあまりにも悍ましい告白だった。

 どう考えても正常な言動ではない。昨日突如として息子に取り付いた狂気が、一日たった今でも蝕んでいると父は思い込むだろう。

 

 だが。

 

 徐に、父は俺を抱きしめた。痛いほど、苦しいほど、強く強く抱きしめてくれた。いいぞ、と。もとよりお前は私の子供だ。たとえ誰が否定しようとも、私を父と呼んでくれるなら、お前は永久に私の子だ、と。父はじっくりと抱きしめて、何度も何度も、『私の子だ』と囁きかけてくれた。消して手放すことなく、抱きしめ続けてくれた。

 

 ―――そこに、どんな思いがあったのは、俺にはまだわからないけれど。

 

 朝焼けの中、俺は父の胸の中で再三泣いた。

 この輝ける宣誓を、終生忘れることはない。

 

 

 

 そうして、始まりの日、俺が過去の名を失ってからはや数年が経つ。未だ名乗るべき名を持たぬというのは辛いものが在るが、父曰く『然るべき時に然るべき人物が名付ける』との神託を賜ったそうで、頑として父はわが身に名を与えようとはしなかった。

 

 そうやってただ〝息子〟とか〝少年〟とか呼ばれながら過ごした日々で、いろいろと分かったことがある。

 

 まず、今の年代。東西に分かれながらもローマ帝国が存在していること、しかしその栄光にも陰りが見え、激しい異民族の侵攻にさらされていることなどから推測するに、早めに見積もると紀元四、五世紀あたりになろうか。自分が生きていたのが二十一世紀だから、軽く千五百年強は遡っていることに今更ながら眩暈を覚えた。加えて言えばただのタイムスリップではなく、繰り返すが憑依ないし転生という類のモノだ、これは。ここまでくると変な笑いがこみあげてくる。

 だが――事実は小説よりも奇なり、という言葉があるように、現実は俺の想定をさらりと上回った。父の行商にくっついて村へ遊びに行った、ある日のこと。そこに滞在していた旅人がこう言っているのが耳に入ってきた。

 

『西の海でシレーヌが出たらしい、船が何艘か沈められたそうだ』

『珍しいな。シレーヌが出るなんていつぶりだ?』

『この辺りじゃ聞かなくなって久しいな。西ってことはブリタンニア方面か?』

『ああ。あの辺りはまだまだ不思議なことが起こりやすい』

 

 

 おわかりいただけただろうか。

 

 

 シレーヌ。

 つまり、セイレーンが船を沈めた、ときた。

 

 大雑把に説明すると、シレーヌ――セイレーンとは、さる神々の血を引いた海に住まう数人姉妹の怪物の名称だ。その姿は半人半鳥ないし半人半魚で、人間部分はいずれも見目麗しい女性の姿をしているという。そして楽器や歌声、自分の肢体を使って船乗りを誘惑し、船を座礁もしくは沈没させて乗員たちを喰らうそうだ。

 俺の前世においては伝説・伝承の中にしか存在しない架空の存在である。しかし、微妙な顔をしていた俺がセイレーンに興味があると判断した旅人は、訳知り顔で『この辺りにも昔はセイレーンが居たんだぞ、船が何艘も沈められたんだ』なんて言ってきた。しかもその場にいた歳より連中もしきりに頷いていたところを見るに、この世界ではどうもセイレーンは実在するれっきとした生物の一種であるようなのだ。

 

 つまりはファンタジー。これはただの憑依転生ではなく、その頭に〝平行世界〟とかなんとかつく方だった訳である。

 

 まあ、ファンタジー要素と言うなら俺自身もファンタジーというか、びっくりどっきり生物であることに間違いはない。何せ前世もちである。転生者っぽい何かである。吹聴すればさぞ面白いことになるだろう。そのつもりはかけらもないが。

 

 加えて、さらなるファンタジー要素が俺の体にはあった。

 

 どういうわけか、今の俺はアレ――つまり太陽に、人並み以上のつながりを持っているようで。例えば今のように、どれだけ深く眠っていようともこの時間、すなわち日の出に合わせて目が覚めてしまう。この体質のおかげで今世で寝坊したことは一度もない。といっても、この生活における寝坊の基準が定かではないのだが。

 ほかにも、太陽の光に照らされている限り、同い年の誰にも負けないほどの力……そう、普段の三倍程度の腕力を発揮できたり、あるいは普通なら大怪我する場面でも小さい怪我で済んだりと、恩恵あるいは加護のようなものを太陽から受け取っているようだった。

 

「おはよう、息子よ。今日も早いな」

 

 思索に耽りながら、じっと、その全容を表しつつある太陽を見据えること十数分。全身で吸収するように曙光を浴びていると、眠そうな声が背後から聞こえてきた。どうやら扉を開けた音とこの日差しで父の目が覚めたらしい。

 

「おはよう、父さん。今日もいつも通り、夜明けに目が覚めた。起こしちゃったか?」

「ははは、気にするな。早寝早起き、大いに結構! 偉大な人はみなそうだ。人より早く仕事を始め、光あるうちに成すべきを成し、太陽と共に眠りにつく。お前もいずれ、そうならねばならないのだからな」

 

 よく日焼けした顔で笑いながら、今生の父――ウィアムンドゥスは、同じように日に焼けた手で俺の頭を乱暴に撫でまわした。

 父は漁師だ。毎朝俺とほとんど同時刻に起きだしては、船を用意して一人で漁に出かけていく。そして体感で三時間ほどの漁を終えると、微塵も疲れを見せることなく魚を仕分けては周辺の村々へ行商に行くのだ。

 稼ぎはさほど多くはないが、その大半を俺のために費やしてくれていた。父は俺に惜しみなく愛情を、物を与え、自らの持てる知識の全てを俺に注いでくれた。

 そうそう、なんと父はもともとお貴族様だったらしい。それが何でこんな田舎で漁師なんかやっているのか謎なのだが……そのため、父はこの時代には珍しく読み書きを万全にこなすことができた。おかげで俺もなじみの薄い言語を容易く習得することができた。

 

 さて、今日も父はまず漁に行くはずだ。となれば、まずは網の準備をしなくてはならない。商売道具の網は盗まれたり壊されたりしないように、家の秘密の隠し場所に隠してあるので引っ張り出してこなくては――と、思っていたのだが。何やら父の様子がおかしい。俺がしていたように、目を細めて水平線を見つめて微動だにしない。

 

「息子よ」

「……なに?」

 

 知らず、圧倒されていた。特段厳しい表情をしていたとか、重苦しい声音で呼ばれたとか、そういうわけではなかったのだが。朝焼けの中で黙考していた父からは、何か大きな決断をしたような覇気がにじみ出ていた。

 

 

 

「お前も十分……人並み以上に立派に育った。明日より、旅に出る」

 

「―――ローマへ行くぞ」

 

 

 




とりあえずここまで。

次はできる限り早めにあげたいと思います……


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2.ローマへ

 ――――全ての道はローマに通ず

 この時代、それは比喩でも格言でもない。純然且つ厳然たる事実だった。

 

 ローマ帝国。イタリア半島にて興り、瞬く間に地中海沿岸の諸国を制した時代の覇者。同じ時期に他所では未だ石器を使った狩が行われていたような有様だったのに対し、既にローマでは厳格な法が敷かれ、派手な祭典が執り行われていたのだからその発展が桁違いであったことがよくわかる。分散して村に住むのではなく集合して整然とした街を創って住み、帝国滅亡後でも千年単位で残る街道、水道さえもが各地に施設されていた。罪を犯せば法の下に裁判で裁かれ、元老院と皇帝が君臨し政を取り仕切っていた。

 

 世界とはローマであり、ローマとは世界の中心である――ああ、まさしくその通り()()()だろう。

 

 今ではほとんどが過去形だ。『猛き者もついには滅びぬ』というが、隆盛を誇っていたローマ帝国にも衰退の影が忍び寄りつつある。度重なる異民族の侵攻――西ゴート人、ヴァンダル人、ゲルマン人、そしてフン族。世にいう『ゲルマン民族の大移動』のあおりをリアルタイムで受けているのが今の東西ローマ帝国だった。

 

 東はまだいい。侵入、移住、移動を繰り返す異民族ともうまく付き合い、経済の要所を抑えていたためにさほど打撃を受けてはいない。加えて、伝え聞くところによれば、東の皇帝はすさまじい実力を持つ戦士でもあるとのこと。戦ともなれば()()()を振りかざし、並ぶ者なき武勇にて異民族との衝突も危なげなくこなしているという。

 

 翻って西はどうかというと……まずい、の一言だろう。東から突っ切ってきたゴート人や、それを追うようにやってくるフン族、そしてそれらに触発されてガリア方面から迫るゲルマン系民族から絶えず侵攻を受け、ついには帝国アフリカ領をゲルマン系民族のヴァンダル族が完全に占領してしまった。食糧生産の要だった土地を奪われ、しかも半島の農地は戦乱で荒れに荒れている――どう見ても、西ローマ帝国の命は風前の灯だ。この国はあと百年も持たないだろう。

 

 だというのに、父はかつての帝都ローマへ向かうと言う。生来あまり考え事が得意ではないので、俺には父の考えがいまいち読めない。

 確かに、ローマは現在最も発展している都市の一つだ。腐っても鯛、廃れようともローマはローマ。世界の中心なんて呼ばれていたのだ。居住環境は段違いであったし、いずれ政情が落ち着けばかつての栄華を取り戻すことも不可能ではないだろう。

 

 この辺りもだいぶ危ないが、あちらも大概だ。むしろ、襲ってもうまみの少ない辺境の村より、ああいった大都市の方が危険度は高いのではなかろうか。いつ戦火が降りかかるかわからないような場所に、好き好んでいく必要はないと思うのだが……

 

 一人でうんうんと唸っているうちに、黙々と父は準備を整え始めた。と、思ったら、これまた様子がおかしい。自分が横になっていたベッドからマットの類を引っぺがしていくのだ。まあ、旅先で野営でもするときには必要かもしれない。地面にじかに横になるよりはましだろうし。

 それに、ローマへ行くというからにはここに戻ってくるつもりはない……と、思われるので、置き去りにしたところで家財は朽ちるか奪われるだけだろう。なら、売り払って少しでも路銀の足しにするなり、持ち去って使いつぶすなりしてしまった方が良いだろう。

 

「ふんっ」

「えっ」

 

 ……なんて、俺の底の浅い予測は軽い掛け声とともに父に粉砕された。

 

 べきんばきんと、父は木組みのベッドを容赦なく叩き壊していく。いくら何でも、ベッドの基礎をたたき割って薪にしようとしているわけでもないだろう。となれば……もしかして中に何か隠してある、のだろうか。

 

 そう思ってしばらく様子を見ていると、今度ばかりは俺の予測が当たったようで父はベッド下に隠していた重厚な木箱を苦労しながら引っ張り出してきた。

 見た目からしてすでに高価そうな箱だ。オークだとか、オリーブだとか、見ただけでわかるほど木に詳しくはないが、白木にはないシックな色合いと各部装飾からして、箱単体でも骨とう品としての価値は高そうだ。床下にある秘密倉庫は知っていたが、まさか父のベッドの下にこんなものが隠してあるとは知らなかった。

 

「それは?」

「……お前が生まれる少し前に、難破した船を見つけてな。残念なことに乗組員は全員死んでいたようで、骨とこの箱――そしてその中身だけが残っていた」

「……う、わ」

 

 ――朝日がわずかに差し込む中、そのかすかな光の下でさえきらきらと輝くそれは、目玉の飛び出るような財宝の数々だった。ぴかぴかの貨幣があった。貴金属で飾り付けられた短剣があった。見事な大粒の宝石がはめ込まれた指輪があった……金銀珊瑚綾錦、口に出せばもうキリがない。博物館や美術館でしかお目にかかれないような宝の山が、今、目の前にある。

 そこから父は無造作に銀貨を一掴み懐に入れると、再度蓋を閉めて立ち上がる。

 

「使えそうなものをまとめておいてくれ。私は村で保存食などを買い込んでくる」

 

 父はいつもと変わらぬ足取りで村を目指して出ていった。その足取りに迷いはない。

 

 ……しかし、うむ。難破船から。財宝を。あの父が。

 

 常識人というか、温厚な人というか。荒事には一切手を染めないようなイメージの父だったが、やるときはやる男だったらしい。まあ、やると言っても無人の難破船から財宝が詰まった箱を運び出しただけだが。この場合は窃盗に当たるのだろうか。

 

 今の時代なら、ありかもしれない。ありかもしれないが……いや、うん……ファンタジー、呪い、亡霊…………ローマにたどり着いたら、さっさと使い切るように言っておこう……

 

 

 

 そうこうしているうちに、父は俺を急かしてローマへと出立した。初めての旅、右も左もわからない中で、俺と父は死に物狂いでローマを目指した。……必死な父には申し訳なかったが、実のところ俺はこの旅路をひどく気に入っていた。

 

 野獣や野盗に遭遇して命からがら逃げだすのも、

 加護を齎してくれる太陽の下で汗みどろになりながら次の街を目指すのも、

 日々の糧を得るために息をひそめて狩を行うのも、

 親切な商人連中と和気藹々としながら夜営の火を囲んで歓談するのも、

 

 どれもこれも新鮮で、長い旅の日々は日毎に新たな刺激を鮮明に俺の脳裏に刻んでくれた。

 

 ()の俺が、インドア派の人間だったこともあるだろう。平日はやりがいを感じなくもない仕事に赴き、残業が終われば即座に帰宅してゲーム。休みともなれば家に閉じこもってまたゲーム、ゲーム、そしてネット……うん、当時は充実していたように思えていたが、こうして客観的に確認するとそれなりに酷い日々だったことがよくわかる。

 そして今までの生活も、こういうのは悪いが単調な毎日の繰り返しで、日々のルーチンワークが違えども前の人生とさほど変わり映えしない日常だった。

 

 そんな穏便な日々にはなかった波乱万丈な出来事を、この旅が教えてくれた。世界には無数の人、事情、出来事が絶え間なく存在していて、それらには自分で会いに、体験しに行けるのだ――そんな当然のことを、俺は事ここに至ってようやく悟ったのだ。幼い俺は、その事実に例えようのない感動を覚えた。

 

 もしローマに受け入れられずとも、このまま旅を続けてもいい。そう思えるほどに。

 

 

 

 そうして、数週間が過ぎたころ。途中に何度か危ない場面もあったが、何とか無事ローマまでたどり着くことができた。いや、最後の最後に異民族の一団に追いかけられたときは本気で死を覚悟したが。真昼だったので、持ち前の腕力にものを言わせて足元の石畳を引っぺがしてぶん投げてやったら何とか引きはがすことができた。昼間じゃなかったら死んでいたな、あれは。

 

 ローマ。かつて世界そのものであり、世界の中心だった都。これから先続いていく人類史を見渡しても、ここまで燦然と輝く栄華を示した都市は数えるほどもないだろう。そんな大都市に、今、俺たちはたどり着いたのだ。

 

 しかし――こうして目出度くローマにたどり着いた訳だが、村を出発した時と比べて大きく変わったことがいくつかある。

 ああもちろん、見識が広がったとか、心身の成長という意味ももちろんあるのだが……うむ、父が何かしでかす度に、俺は頭が良くないということを再三認識させられる。だが、一体どうしたらこんな事態を想像できるというのか。

 

 本当に上手くいくのだろうか、()()

 

「良いか。私の言うとおりに動くんだ。これもすべてお前のため。いずれ、すべての罪は私が償おう。その時まで、このことは黙っておくんだぞ。いいな」

 

 父は厳しい顔で何度も俺に言い含め、その度に俺はおとなしくコクコクとうなずくままにした。

 

 大丈夫です父よ。このポンコツ息子はそもそも状況の把握さえできていないので、何を話していいのかすらわかりません。

 

「さて――では行こうか、諸君。馬車を進めよ」

「は、旦那様のおっしゃる通りに」

 

 父の言葉と共に、周囲が一斉に動き出す。

 そう、今や俺たち親子には、周囲を取り囲んで侍る幾人もの従者や奴隷達がいた。更にそれらは大量の物資を積み込んだ豪奢な荷馬車を曳いて、ローマ市街の中央を堂々と進んでいるのだ。めぼしい娯楽も豊かな物資も途絶えて久しいローマ市民は、その車列に驚きと羨望の眼差しを無遠慮に突き立てているようだった。

 目指す先は皇帝の宮殿。この時代には珍しく、当代の皇帝は手ずからローマを復興させるため現地に居を構えていた。進むほどに周囲を囲む衛兵が増え、周囲を取り囲む建築物も格式高いものになっていく。

 

 そして俺たちは車列のど真ん中で堂々と歩を進めていた。華美な服装に身を包み、派手過ぎない程度に装飾品を身に着けた父の自信に満ち溢れた姿はまさしく貴族然としていて、以前父が口にした元貴族という言葉が嘘ではなかったことを証明している。そして俺も、貴族の子息に相応しい上等な衣服を着込んで、父に手を引かれながら歩いていた。……わざわざ数日間もローマ近郊の町に留まって、貴人のマナーを叩き込まれた後に、だ。

 

 宮殿に向かう理由はただ一つ。言うまでもなく、俺たちはこれから件の皇帝陛下に謁見しに行くのだ。ローマを復興し、定住する……つまり皇帝と志を共にする同志となる許可を得るために。

 

 

 ――ああ、それはいい。ローマ復興、まことに結構。荒れ放題の廃墟で暮らすより、かつての華を取り戻した都に住む方が何倍もいい。皇帝に会うために身なりを整える、それも当然だ。皇帝のみならず、他人と出会って歓談するなら、可能な限り身だしなみを整えるのは人としての責務だろう。

 

「皇帝陛下、この度は寛大な処置を執っていただき、誠に感謝いたします」

 

 俺が気づかないうちに、俺たち親子は謁見の間へと案内されていた。まずい、思考がうまく働かない。そのうえ緊張で吐きそうだ。感じたことのない圧迫感。生まれながらの天上人としての気品。一目としてみていなかったというのに、それが伏せた頭上より重石のようにのしかかっているのが煩わしくて仕方がない。

 

「面をあげよ。して、その方らが?」

 

 重々しい声音と共に、拝謁の許可を得た。

 俯せていた顔を上げると、驚くことに父のそれとさほど変わらない格好の男が玉座に腰かけているのが見えた。私財を擲って奴隷となった民衆の身請けやローマ復興に尽力していると聞いてはいたが、まさかそこらの貴族と変わらないような様相であるとは。皇帝としての象徴は頭に戴いた月桂冠くらいのものだ。

 皇帝はこちらの言葉を待っている。父はすかさず、今回ローマを訪れた理由を厳かに語り始めた。

 

「はい。我々は先々代の皇帝陛下のころよりガリアに赴任し、長らく蛮族よりローマの地を護ってきた一族です。ですがこの度、かつての帝都ローマの栄光が異民族に侵され、そして陛下がその事実を前に酷く心を痛めておられると伝え聞き、矢も楯もたまらず駆け戻った次第でございます。……ガリアを臣下に預け、自分勝手に舞い戻ったことの罪は、いずれ我が身を持って清算いたします。ですがどうか! どうか我らを迎え入れ、そのお力となることをお許しくださいませぬか、陛下!」

「……ふむ」

 

 皇帝は悩まし気に顎を撫でながらこちらを睥睨していた。それに父は覚悟を秘めた眼差しで応え、あらん限りの言の葉で信を得ようと躍起になっている。それを俺は、いつこの嘘がバレて衛兵に引っ立てられてしまうのかと、顔が引きつりそうになるのを必死にこらえながら成り行きを見守っていた。

 

 

 ――ああ、まったく。まったく! いったい! 何が! どう転べば!! 僻地の漁師一家でしかない()()が、ガリアのお貴族様になれるというですか、()()――!?

 

 

 



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3.上衣の騎士、あるいは――

 ――あの肝が冷えるような日から八年。今や俺は十五となり、見てくれだけは大人のそれになりつつあった。

 

 今生で一番の冷や汗をかいたあの日。一時はどうなることかと思ったが、父の話術……いや、決め手はやはり父の財力か。ともかく、皇帝との直談判の結果、俺達一族はローマに住まう権利を勝ち取ることに成功した。それも、皇帝が住む宮殿の目の前、ローマでも数えるほどしかない大豪邸を与えられて、だ。

 生まれ育った海沿いの我が家とは比べるべくもない。これを『家』の基準とするなら、あちらは小屋とかあばら家とさえも呼べないだろう。そのうえ聞くところによれば、この無駄に広い邸宅にはとある英雄がかつて住んでいたとのこと。そりゃあ豪勢にもなろうというものだ。

 

 おそらく皇帝としては、国民的英雄の邸宅を使わせることで間接的にこちらを拘束するのが目的だったのだろう。父の話が丸ごと真実なら万々歳、もろ手を挙げて歓迎すべきことなのは確かだが、必ずしもそうでないと皇帝は思っているだろうし、事実それがすべてではない。そこで、過去の英雄の再来のように扱って国民からの羨望と期待を集めさせることで、こちらの動きを制限しようというのだ。

 

 英雄らしからぬ行動をとればこれを咎め、民衆からの圧力も煽って弾劾する。大衆意識の暴走ほど恐ろしいものはない。英雄の名を汚し、ローマの民を欺いたなどと流言が興れば、良くて財産没収からの国外追放、下手をすれば極刑さえあるかもしれない。そんなのはまっぴらごめんだ。堅苦しいのは苦手だが、一挙手一投足には気を遣わねばなるまい。

 

 そんな懸念が父にもあったかどうかは不明だが、ローマで暮らし始めてからそれほど経っていないころ、父から相談を受けた。

 

 曰く、ローマ復興のためにあの資産をつぎ込みたいとのこと。印象操作の一環か、あるいは事あるごとに『お前のため』と口にしていた父に何か心変わりがあったのか。俺としては家長である父に意見などするつもりは毛頭なかったが、一個人として俺を立ててくれている以上、こちらからも率直な意見を言わねばなるまい。

 ということで、かねてから遭難死した連中の祟りが怖かった俺は、この資産ばら撒き計画への賛成を表明した。別に悪事で手に入れた財宝ではないのだが、いかんせん経緯が経緯である。この世界観的にファンタジックな現象がないとは言い切れないのが恐ろしいので、使えるときに使ってしまうのが吉だと俺は考えた。

 まあ、本当に祟りがあるのなら、ばら撒かれた先で祟られる連中が出ることになるのだが。さすがにそこまで面倒は見切れないので見逃してほしい。

 

 それに、俺としても当時のローマは無視しがたい状態だった。その中でただ一人優雅な生活を甘受するのは、さすがに居心地が悪すぎたのだ。

 

 そして父の試みは大成功した。まさしく大盤振る舞い、あのアンティーク調の大箱の底が見えるほどに散財して見せた俺達は、見事に皇帝と民衆からの信頼を勝ち取り、名実ともにローマ随一の貴族として認められたのだ。無論その陰には父の血のにじむ様な努力と綿密な計画があったのは言うまでもない。散財などと言ったが、無駄に財をばらまく程度ではローマ全てからの信頼を勝ち取るなど不可能なのだから。

 三年も経ったころには貴族ウィアムンドゥスの名を知らないローマ市民はいない程で、既に父の名声は揺るぎないものとなっている。父の努力が報われたので俺としてもうれしい限りだった。

 

 

 そして、今。

 『光陰矢の如し』とはよく言ったもので、ローマに流れ着いた折には七歳だった俺もついに十五歳だ。小姓としての修業期間を終え――いよいよ俺も、正式に騎士としてローマ軍に編成されることになる。

 ……正直に言えば気が重い。何度か訓練で人と打ち合ったことはあるが、結局いつまで経ってもその感覚に慣れることはなかった。加えて、これから先待っているのは正真正銘の殺し合いだ。木で作られた模造品ではなく、鍛えられた鋼によって作られた真剣を手に、ローマを襲う異民族と戦わねばならないのである。平和というぬるま湯に頭まで使っていた前世も併せて、待ち受ける未来に暗澹たる思いを馳せずにはいられなかった。

 

 そしてもう二つ。俺の心に重く影を落とす事実がある。

 一つは――

 

「若様、服飾屋が参りました。明後日の儀礼における正装が出来上がったとのことです」

「ああ、わかった。今行く」

 

 ――これだ。若様、青年様、青年殿、ウィアムンドゥスのご子息……まあ、いろいろあるがどれもさほど変わりない。子どもから若人といったニュアンスの言葉に変わっただけだ。

 八年。八年だ。この八年の間、ついぞ俺の名を呼んでくれる人物が現れることはなかった。未だに俺は名無しの少年……いや、もう青年になるのか。どっちだっていいが、とにかく俺は未だに名無しの権兵衛状態だった。

 西ローマ皇帝を始め、父のコネで俺が小姓として仕えていたローマ教皇でさえ俺に名付けるようなことはしなかった。他にも各方面のお偉方と何人も顔を合わせたが、誰一人として俺の名前を知る人間はいない。

 

 神託、という余計な一言が彼らの前に高くそびえたっているのだ。ファンタジー世界における神の絶対性を侮っていたと言うほかない。

 

 毎晩嫌な未来予想図が頭の端をかすめるのを抑えきれない。

 生涯無名などそれこそ御免被る。今でも友人関係の構築にさえ苦労しているのだ。このまま名無し状態が続けば人脈の維持にも致命的だろうし、そうなればいずれ孤立してローマを去らねばならなくなる日が来るかもしれない。お先真っ暗にもほどがある。

 

 ……そして、もう一つ。こちらはもっと深刻な案件だった。

 

「じゃあ父さん、行ってくる。戸の外にいつもの使用人を待たせておくから、何かあればすぐ呼んでくれよ」

「……ああ……」

 

 ――奴隷の解放に始まり、市街の修復、防壁の建築、軍人の養成、市民への手厚い保障。財宝を湯水のように使い、次々とローマ復興のための事業に手を貸した。三年も経てば、ローマでウィアムンドゥスの名を知らない人間はいないほど、その高名は高く響くようになっていた。

 誠実な人。寛大な人。ローマに続く街道の如く、広く遍くその愛と誠意を敷いた男。市民はおろか、元老院議員や皇帝、教皇からも友として敬われた男。父ほどローマを愛し、ローマに愛された男はそうは居なかっただろう。

 

 ……そんな父の末路が、これだった。

 

 かつて邸宅に、皇帝の宮殿に、ローマの広場に響いた、低く心地よい声音は聞くに堪えないほど枯れてひび割れたものになった。自身、そして将来のローマの栄光を見据えていた瞳は光を失って落ちくぼみ、うずくまる人々を力強く抱き上げた丸太のようだった両腕は、その肉を刃物でごっそりとそぎ落としたようやせ細っている。

 

 まごうことなき死病だった。唯一の救いは伝染性がないことか。父に疫病を持ち込んだなどという汚名が付くのは許せなかったが、その心配だけは杞憂に終わった。

 

「……」

 

 泣きそうになるのをこらえて、寝室を後にする。発症はおおよそ一年前か。方々手を尽くしたが、結局この時代の医学では治療できないという事実を浮き彫りにしただけだった。始めはふらつく程度だった父の病態は、今では寝台から起き上がれないまでに悪化した。

 

 じわじわと死んでいく父に何もしてやれない自分に腹が立つ。

 

 俺に名を与えようとしない……いや、俺から名を奪っただけでは飽き足らず、ローマに尽くした父にこんな仕打ちまでする神とやらを憎悪する。

 

 きっと未来は光あるものだと思っていた。父の人気が絶頂であった三年前には、こんなことになるとは思ってもみなかった。

 

 

 

 ああ、本当に、気が重い。

 

 

 

 

 

 

 

「…………で? これは?」

 

 思わず眉間を抑え、天を仰いだ。頭はずきずき、胃はキリキリ。唐突に痛み始めたようにさえ感じる。

 

 厄介ごとというのは、こうも重なって起きるものなのか。やはり神とかいうのはろくでもないやつに違いない。

 

「は、はいっ……その……」

 

 目の前には平身低頭する服飾屋。その周りを如何にも激怒していますというオーラを全身から吹き上げる使用人連中が取り囲んでいる。

 断言してもいい。こいつら、俺が居なかったらこの服飾屋を袋叩きにしていたな。

 

「ふざけたやつめ、こんな不格好なものを若様にお着せしようと?! これでローマ一の服飾屋など笑わせる!」

 

 そう怒鳴って、使用人の一人が茜色に染められた上衣(トゥニカ)を地面に投げ捨てた。

 

 ほんの少し前のことだ。正式に騎士位を授けられる騎士叙勲式典が明後日に迫り、俺は式典のために軍装一式を新しく発注していた。その一式が届いたとのことなので、試着して寸法直しを行うために使用人と共にそれを受け取ったのだが……

 まあ、うん。()()()。併せて発注していた新しい鎧の上から着れてしまうほどにぶかぶかだ。トゥニカというのは袖のついた貫頭衣のような普段着の一種で、それなりにゆったりとした服装なのだが、それを加味したとしても大きすぎる。

 

「何とか言えんのか!」

「いえ、その、あのっ……」

 

 服飾屋の頭はもうパンクしているようで、まともな単語一つとして出てこない。そのせいで周りの連中は余計にヒートアップして、さらなる罵詈雑言を浴びせるせいで服飾屋がまた委縮するという負のループが起きていた。

 

 さっき使用人の一人が口走ったが、この服飾屋はローマで一番の人気店だ。おそらく多数の注文に忙殺される中で、別の人間の寸法で作ってしまったか、他人の注文品を持ち込んでしまったかのどちらかだろう。

 

 いつもなら笑って流してしまうような些細なミスだ。しかし今はあまりに間が悪い。父が快復する兆しが見えないことに気を揉んでいるのはなにも俺ばかりではない。ローマの人々、父の友人達、なによりも傍に仕えている使用人のみんなだって心を痛めていた。そこへきてこれだ。俺も内心かっと来たが、周りでこれだけ騒がれると逆に冷静にもなる。

 とりあえずは火消し作業が必要だろう。悪評が広まるのが早いのは今も昔も同じ事、こんなくだらないことで名工をつぶしてはたまっては父に合わせる顔がない。

 

 しかし、どういったものか。この手の作業は得意じゃないんだが……

 

 思わずこみ上げるため息を飲み下して、俺はこの場を切り抜けるために無い知恵を振り絞るのだった――

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、どうしたのだ?」

 

 その日の夜。珍しく体調が落ち着いた父に今日一日のことを語って聞かせる。少なくとも今だけは、父の顔に苦悶の色は見えなかった。

 

「放っておいたらその服飾屋がつぶされると思ってさ、思わず言ったんだ。『私がそのように注文したのだ』って」

「ほう?」

 

 穏やかにほほ笑む父はこちらの言葉を心待ちにしている。久しく外に出ることもなかった父にとって、今日の一件はそれなりに刺激的なものに映ったらしい。であれば、さして上手くもないを口を回して悪戦苦闘した甲斐があったというものだ。

 

「みんな驚いてたよ、当たり前だけど。誰もそんなサイズを頼んでないことは知ってるから」

「だろうな。あの服飾屋を呼びつけて採寸したのはつい先週だ。その場には皆もいたことだろう」

「そうそう。でも、それ以外に上手く事を治める方法が思いつかなくて。……父さんなら、もっと上手にやれたろうけど」

「いいや、私でもその状況は切り抜け難い。誰の目にも明らかな失態を、そうでないと思わせるのは並大抵のことではないからな」

「そうかな……ああ、それでさ。続けていったんだよ。『そのトゥニカは鎧の上から着るために頼んだのだ』って」

「鎧の上から?」

「そう。そしたら服飾屋のおじさんまでヘンな顔してたよ」

 

 何とか場を丸く収めようと思った俺は、とりあえずそのトゥニカを俺が発注したものであることにしようとした。それ以外に方法が思いつかなかったのだ。

 俺だって自分で言ってることの無茶苦茶加減はよくわかっている。トゥニカは遠い現代で言うところのTシャツのようなものだ。それを鎧の上から着るということは、ジャケットの上からシャツを着ているようなもの、とでもいえばいいのか。

 とにかくかなり奇抜なことであり、そんなことをした人間は今までにいない。だが、事を丸く収め、かつ大きなサイズのトゥニカを無駄にしない方法などそれしかないように思われた。

 

 なので――

 

『新しい鎧が汚れないように、大きめのトゥニカを上から着ることにしたのだ』

 

「ふむ。外套代わりに用いることにしたのか」

「うん。おかげで明後日の騎士叙勲式はその格好で行かなきゃならなくなったよ。まあ、思っていた以上に普通に見えるからいいんだけど」

 

 普通に見えるのは当たり前だ。トゥニカはローマの普段着、それを着ているからといって周囲から浮くようなことはない。

 

 その上から兜やら剣やらを装備していなければ、だが。

 

「その件に関しては、私から聖下に話しておこう。しかし、うむ、うむ。そうか」

 

 何やら父は満足げな様子で顎を撫でていた。父の体調がよく機嫌がいいのは喜ばしいことだが、理由がわからないと少し居心地が悪い。

 

「……なに?」

「いやな。私がこんな様子で、皆に心の余裕がないのは薄々察していた。何か悪いことが起こらなければよいがと、寝台で横になりながら常々思っていたのだ」

 

 ……またこの人はそんなことを。今は自分のことだけを考えていればいいというのに。

 

「そこへきてこれだ。しかし、お前がうまく丸め込んでくれたと聞けてな。安心したよ。私が思っていた以上に、お前は賢く立派に成長したな」

「や、やめてくれよ、そんな。まだまだ父さんには及ばないし、うまく丸め込めたかどうかなんて……」

「内容ではない。うまくいったかどうかでもない。自分の窮地に相手を思いやれる、そんな人間に育ってくれたのが私は何よりもうれしいのだ。うむ、これでまた一つ、思い残すことも減ったというもの」

「…………やめて、くれよ。……俺の名前を呼ぶまで、絶対に死なせないからな」

「ああ、そうだな。それが一番の思い残しだ」

「じゃあ、しばらく俺は名無しのままだ」

「なんてこった。これは私も寝台に寝そべってばかりもいられないな。早くお前に名付けてくれる人を探さねば。お前もいい年なんだから、お嫁さんも、探してやらないと……」

「だからって無理したらダメだからな。さ、今日はもう寝よう」

「あ、ああ……まだまだ、死ねないさ。お前の名を、呼ぶまでは…………」

 

 ……虚勢、だったのだろうか。最後の最後、父は気絶するように意識を手放して眠りについた。

 それでも、眠りに入った父に苦悶の色はない。この笑い話にもならない日常の一幕が、少しでも父の癒しになったのならそれでいい。

 

 久々に見た、儚くもしっかりとした父の微笑みを思い浮かべながら、俺もすぐに床に就いた。

 

 その日はいつもより、ぐっすりと眠れたような気がした。

 

 

 

 

 

 後日、騎士叙勲式に現れた青年は、確かに鎧の上から茜色のトゥニカを羽織って現れた。その丈の長いトゥニカは動きやすいように腰あたりから幾つかスリットが入っており、青年のためだけに作られた特別なトゥニカであった。

 

 以来、彼はこう呼ばれることになる。

 

 『上衣(トゥニカ)の騎士』あるいは――『外套の騎士』、と。

 

 

 




遅ればせながら、評価、お気に入り登録の程感謝いたします。
皆様の期待に応え、少しでも面白い作品に仕上げられるよう努力いたします。



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4.その剣は誰が為に 上

 

 朝日が昇る。水平ではなく地平の果てから。ここから海は見えないが、その輝きだけは幼いころから見続けてきたそれと全く変わらない。目を細めて、ローマ市街ではご無沙汰だった朝一番の曙光を全身に浴び、大きく伸びをした。

 目を焼く朝陽をためらいなく受け入れ、頭の中に渦巻く雑念全てを溶かして流し去る。何も考えず、何も感じず。ひたすらに暁光を受け入れ、己の内に火を灯し、その日一日を生きる活力を燃え上がらせる。今まで生きてきた中で、この瞬間が俺にとって一番好きな時間だった。

 

「いい朝だ。今日も一日、気張っていこう」

 

 澄んだ空気を目いっぱい吸い込みながら、ぽつりとこぼした。早朝、小金色の閃光と共に抜けるような蒼を示す空は、今日も一日良く晴れることを教えてくれている。

 

 ここはローマから馬で二日ほど内陸側に進んだ地域。街道沿いに建設された簡単な砦の物見台の上だ。

 騎士叙任式典より、三か月ほど。新しい鎧にも、武装を身に着けたまま過ごすことにもようやく慣れてきたころ。俺たち新兵は遠征訓練として、こうやってローマを離れた砦に詰めて日々の鍛錬を行っていた。

 

 今のところ、一日の大まかな流れはこうだ。

 

 日の出数十分前に起床。朝の身支度を整えるとともに軽い朝食を食べ、日の出と共に訓練開始。まず十人一組の部隊をいくつか編成し、周辺地域を全組が五時間ほどで帰還するように巡回する。十人組は当番制になっており、残された者たちは基礎体力の向上訓練に励んだ。巡回部隊が帰還すると昼食の準備に入り、二時間ほどの昼休憩が行われる。午後に入ると午前とは別の十人組が巡回に向かい、残りはやはり基礎的な訓練を繰り返す。

 

 これらを二週間ほど一つの砦で行い、期間が過ぎると次の砦へと行軍する。そしてまた二週間ほど砦に滞在しながら訓練を行うのだ。

 また、時々ではあるが砦に駐留する軍団内でトーナメントが開かれることもあった。個人の技量を計るためと、隊員たちのストレス発散のためだという。優勝者にはいくばくかの賞金と休暇が与えられた。

 

「父さんも、元気だといいが」

 

 ここ一か月、父とは会っていない。ローマを発つときにはいくらか容体の改善が見られ、寝台から体を起こす姿をよく見せていたが、今ではどうなっているやら。新しい薬の効果だったのか、慣れない軍務に疲労困憊だった俺を気遣ったのか、それは定かではない。気がかりではあったが、父が強く言うので今回の遠征訓練に参加はしたものの、若干の後悔が心の奥底にこびりついていた。

 とはいえ、先週ローマから届いた物資の中に父からの手紙があり、力強い自筆の書で容体は安定していると伝えられたので、多少は心の荷が下りたのだが。それでも心配なのは変わらない。早くこの訓練も終わればいいと毎日のように思う。

 

「おーい、トゥニカの。朝飯はいいのかー? それともなんか見えるのかー?」

「ああ、今行く! 篝火も燃えてないから大丈夫だ! ……さて。今日も、平和に終わってくれよ」

 

 茫洋と物思いにふけっていたところ、階下から響いた同期の騎士の声に現実へ引き戻された。いかんな、と軽く頬を張って自戒する。どうにも、朝焼けの光に包まれていると時がたつのを忘れがちになる。自分がここに居るのは日の出を見るため以外に、ほかの砦からの緊急連絡が来ていないか確認するためでもあったのだ。それを忘れて時を無為に過ごすのは褒められたことではない。

 

 最後にもう一度、近辺の砦方面に目を凝らす。緊急事態を告げる篝火の赤光は確認できない。安堵の息をついて、見張り台を後にした。

 

 現状、おおむね平和な状態ではあると言えるだろう。わが父の偉業によって防衛線は再構築され、軍備も拡張された。おかげで異民族の侵攻も鳴りを潜め、大規模な戦闘行為もしばらく起こっていない。

 

 とは言え二度三度と、異民族や犯罪者集団との軽い小競り合いはあった。訓練団全体で見れば取り立てて騒ぐほどの被害は受けなかったが――個人的な戦績として、都合四回、敵と真正面から対峙した。内三人を斬り捨て、一人は片腕を切り落として捕虜とした。どれも記憶はしっかりとあり、思い出したところで気分が悪くなりはしない。さすがに殺した直後は恐怖やら興奮やらでいくらか荒れていたが――今ではこの通り、平常運転だ。

 

 ……その事実自体に思うことが無いわけではないが、今は置いておく。せっかく頭の中をまっさらにしたのだ。今だけは陰鬱な想像を切り離すことを許してほしい。

 

「また日の出をみてたのか」

「ホント、好きだよな。太陽」

「好きだとも。お前らも一緒に見に来いよ。世界が変わって見えるぞ」

 

 物見台から滑り降りると、既に武装が終わった同期の連中が取り囲むようにはしご下に集まっていた。皆がそれぞれ俺の装備を持っていて、身支度を手伝ってくれるつもりなのだと見て悟る。一つ感謝の言葉を零し、差し出される装備を受け取った。

 

 彼らとは、この数年間共に勉学に励み、厳しい訓練を潜り抜けてきた。明言するのは少し恥ずかしいが、親友といっていい連中だ。こんな名無しの権兵衛に良くしてくれる、気のいい連中ばかりだった。

 

 そういえば、今日は俺達の部隊が巡回の当番だった。皆がそわそわしているのものそのせいだろう。当然だが巡回は一番接敵の可能性が高いのだから。

 

「遠慮しとくよ。お前みたいに朝パッと目が覚めるわけでもないんだ」

「何も日の出を見にこいってわけじゃない。朝焼けだっていいもんさ、それに――」

「あー、また始まったぞ太陽賛歌が」

「悪いか」

「悪いな。さっさと鎧を着ろよ。上官殿の目線がだんだんすごいことになってきてるぞ」

「お、おう。すまん」

 

 ちらと視線を飛ばせば、ぎろりと凄みのある三白眼で睨む上官と目が合った。あと五分だ、遅刻は許さん――物理的圧さえ伴っていそうな視線と共に、上官の心の声まで叩きつけられるようだ。

 う、うむ。物見台の上で想像以上に時間を浪費したか。いよいよもってこれからは気をつけねばならない。

 

「ま、昼日中でお前に勝てる奴なんかいないんだから、ありがたがって拝むのも仕方ないんだけど」

「ずるいよな、ソレ。正午と日没前だけって言ってもさ」

「っても、その時間過ぎてようが俺達じゃトゥニカのには勝てないんだけどな!」

 

 俺が装備を身に着けていく間、たわいない会話で時間をつぶす友人たち。まずいと考えつつも漏れ聞こえるその会話から、自身の特異性に思考が飛ぶのを止められなかった。

 

 

 幼少の折には無尽蔵に供給されていると思っていた日輪からの加護だが、どうやらあれはタイムリミット付きのブースト能力だったらしい。ローマで時刻を気にするようになってから気づいた。

 正午までの三時間、日没までの三時間――その間、俺の身体能力は飛躍的に跳ね上がる。自慢じゃないが、この駐留部隊中に、単純な力勝負で俺に勝てる相手は存在しない。無論戦闘ともなれば技量や経験も入るのでその限りではないが、それでも戦力的には上から数えた方が早いだろう。

 

 無論、加護にばかり甘えているわけではない。自分の特異な能力は強力だが、それを過信していては何れしっぺ返しを食らうだろう。それに、強化能力自体はすでに知れ渡っているので、どうしてもその部分に目が行き、平時とは比較されやすいのだ。日の出からの数時間、正午からの数時間、その間は無力などと笑われるのは癪だし、無様にもほどがあるので、人一倍自分の体は鍛えた。おかげで同期の中ではトップの戦闘力で、それは周囲も認めてくれている。

 

 若干気分がいいのは秘密だ。

 

 といっても、それが人殺しの技術であると思えば冷水を浴びせられたような気分に早変わりするのだが――

 

 

 はっとした。さっきの今で、思考があらぬ方向へ流れている。呆れてしまうが、どうにも朝の時間帯は茫洋とした気分になりやすい。世界を黄金に染め上げる朝日に連れられて、俺の意識まで地平の果てまで流されていくようだ。

 

「いいや、今日の訓練では必ず勝つ! それで同じトゥニカを作るんだ!」

「作りたければ、好きにしていいと言ったはずだ。気にするようなことじゃないだろう」

 

 最後に例のトゥニカを着込み、身支度を終えたころ。友人の一人がびしっと指をさしながら興奮気味に宣言した。

 今俺が着ているこのトゥニカ……いや、正確にはもはや別物になっているこの『外套』は、今のところ俺専用の衣装であるとの認識がなされていた。個人的にはそんな特別な衣服ではないと思っているので気恥ずかしい限りであるが、どうにも周囲の認識は覆りそうにない。

 

 この外套、見た目としては丈の長いトゥニカに見えなくもないが、腰あたりからざっくりと大きくスリットが入っているのが一番の違いだ。このスリットを入れる提案はあの服飾屋がしてくれた。乗馬や戦闘など、動きが激しくなるのは当然のことだったのでどうするかと頭を悩ませていたところ、翌日彼がやってきて熱心に助言をくれたのだ。

 

 自分の落ち度を思わぬ形で救っていただいたお礼です……そういって彼は無償で丈やスリット長などを調整してくれたのだ。

 

「いやいや。あの『外套の騎士』殿と同じ格好なんて、そう簡単にはできないって」

「同格にもならない限りはな! いつか絶対追いついてやるから、待ってろよ!」

「そういうもんかな」

 

 鼻息荒く告げた友人の姿に、思わず苦笑を零す。純粋な憧憬の目を向けられて、何ともこそばゆい気分になった。

 

 外套の騎士――それは、三か月前の騎士叙任式より広まった、俺の新しい通り名だ。この全く新しい外套状のトゥニカを指して、人々は俺をそう呼んだ。加えて、前述の理由で体を鍛えに鍛えていたので、その強さの評判も相まって瞬く間にこの通り名はローマ中に広まっていった。

 

 悪くない、なんて独り言ちる。何かと暗い気分になりがちな昨今ではあるが、それ故にこうして暖かな気分を齎してくれる友人たちとの会話は俺にとって無くてはならないものだった。

 

「いつか俺達で、『外套の騎士団』を結成するのも悪くないかもな」

 

 唐突に、黙りこくっていた一人がぽつりと漏らした。その一言を火種に、わっと皆の意識が白熱する。

 

「いいじゃないか! その時はもちろん、よろしく頼みますよ、騎士団長殿?」

「え、俺が団長なのか」

「あったりまえだろ。初めて鎧の上に外套を身に纏った、始まりの騎士。俺達にとって、最高の友人で、最強の騎士。お前以外に相応しい奴なんていないさ」

「それに、あのウィアムンドゥスさんの息子なんだ。身分だって十分」

「個人の器量については俺たちが保証してやる。お前が一番だよ、大将」

「お前が居て、俺たちがいるなら、どこまでだっていける。な?」

「ああ」

「その通り!」

「…………」

「どうした?」

「いや、なんでもない。さ、行こうか。今日も今日とて、訓練の始まりだ」

 

 不意打ちだった。

 

 言葉にできないけれど、今、とても眩いものを見た気がした。

 

 転生、憑依、その一点を以て俺は皆を欺いているが、自己の質をひた隠しにしてきたわけではない。あの父の息子として恥ずかしい真似はできないと、若干気負っていた部分はあるが。それでも、彼らと勉学の合間に培った絆に嘘はない。一緒に呆れるほど馬鹿なこともやったし、訓練ではライバルとしてしのぎを削りあった。休みにはローマを散策し、露店を冷かしたり、盗人を追いかけて市街で大立ち回りを繰り広げたことだってあった。

 

 父とは別の意味で、彼らはかけがえのない存在だ。決して無くすことのできないつながりだ。

 

 彼らと一緒なら、近頃の悩みの種ともうまく付き合える。確信というにはほど遠い漠然とした思いだったが、あながち的外れな物では無いように思えた。

 

「さて……それじゃ、未来の『外套の騎士団』、出発!」

「「おう!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ああ、だけど。

 世界は都合よく回らない。特別だなんだといっても、俺はただの人間で、世界から見ればあまりにも小さい。

 俺一人の感傷に付き合ってくれるほど、現実は優しくない。父と、自分の名の一件で、そんなことは身に沁みていたはずなのに、愚かな俺はそれを忘れていた。

 

 剣を振るう理由。剣を振るえる理由。

 

 答えを出す瞬間は、知らぬ内に目前に迫っていた。

 

 




評価、お気に入り登録ありがとうございます。

今作中の『外套の騎士』の『外套』はサーコート、と呼ばれる衣類を参考にしています。主に金属鎧が日光にさらされて熱を持つことを避ける、防暑の意味合いで着られたそうです。



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5.その剣は誰が為に 中

 頭が痛い。

 

 吐き気がする。

 

 視界は揺動して、蜃気楼の中に叩き落されたよう。

 

「おいトゥニカの! どうした!?」

 

 うるさい。だまれ。

 反響する友人の声に反射的にそう言った気がしたが、果たして本当に言葉になっていたのかどうか。鼓膜さえぎしぎしと軋みを挙げて、まともに音を拾えない。

 

 

 この感覚を知っている。

 あの日。あの場所。この世界に生まれ落ちた、あの瞬間に。この身を苛んだあの苦痛。

 

 

「畜生、こんな時にどうしたってんだ!」

 

 ああ、だから、うるさいんだよ。だまっていられないのかこのぐずめ。

 普段なら口を突くはずもない暴言が次から次へと流れ出る。愚図はどっちだ無能め。目前に迫る軍勢が見えないのか。

 

 いいや、見えている。はっきりと見えているとも。砦を粉砕して押し寄せた異邦の軍勢も、その先頭に立つ王と思しき男も――その傍らに在る、異様な女戦士の姿も。

 見えているからこそ問題なんだ。あれが、あれが異民族、フン族。

 

 その先頭に立つ、あの女。

 

 三色に輝く、なんとも言い難い剣のようなものを構える、あの戦士。

 

 

 知っている。

 俺は、あの女戦士を知っている。

 フン族の王、破壊の使徒、神の災い、神の鞭。

 

 なぜ。どうして。あいつが、ここにいる。

 

「あ、る、て、ら」

「え? なんだって?」

 

 頭を抱えて蹲る。激しい動悸。不規則な呼吸。周囲がやいのやいのと騒がしいが、全く頭に入ってこない。

 浮かぶのははるか遠い過去(未来)の知識。ここではないどこかで見聞した情報が、記憶の奥底から引き上げられて脳裏に氾濫する。

 

 そうか、ああ、つまり、ここは――

 

「――――ああああああッ!!」

「あっ、えっ?」

「お、おい……ふざけんな、ふざけんなよトゥニカの! 狂ってんじゃねぇ! 戻ってこい!!」

 

 思いっきり、地面に額を打ち付けた。じくじくとした痛みが頭の内側から拍動する突き刺すような痛みと混ざって弾け、くらりと意識が飛びそうになる。

 そんな俺を見て、友人の一人が叫びながら俺の胸ぐらをつかんで締め上げた。次いで全力の平手打ち。目の覚めるような衝撃と痛みが霞んだ意識に活を入れる。

 

「……あー」

「ああっ?! もう一発行くか!?」

「おーけい、だいじょーぶ」

「シャキッとしろ、くそ野郎! どうしたってんだよお前は!」

「ああ、だから、もう大丈夫だ。迷惑をかけたな」

「本当だな?!」

「ああ」

 

 ――ああ。ようやく頭の中が落ち着いてきた。

 くそったれめ。ああ本当にくそったれだ。内臓はひっくり返って口から尻から飛び出してきそうだし、脳ミソは滅茶苦茶にかき混ぜられて耳から鼻からこぼれ落ちるんじゃないかって具合で目が回る。最悪のタイミングで余計なことを思い出させやがって。

 いや、余計なことなんかじゃないな。敵を知り己を知れば云々、付随して引き起こされた精神障害諸々はたまったもんじゃないが、引きずりだした知識を考えればおつりが出る計算だ。

 

 

 

 さあ確認を。ミキサーにかけたようにぐちゃぐちゃになった情報を再整理しろ。手に入れた知識を精査しろ。以て今何をすべきかを迅速に弾き出せ。

 

 

 

 時刻はおおよそ十時前。巡回から帰還直後の俺達を迎えたのは、北東方向の砦の一つが陥落したという最悪の情報だった。緊急連絡用の松明が赤々と燃え盛った次の瞬間に虹のような閃光に飲み込まれた、とは這う這うの体でここまでやってきた北東の砦兵の証言だ。突然の知らせに俺達が駐留する砦も張り詰めた空気に包まれ、周囲の砦とひっきりなしに伝令が行き交わせる中、取り残された俺たちは本格的な戦乱の気配に右往左往するばかりだった。

 敵の進行方向から察するに、目標はおそらくローマ。皇帝を討ち取って本格的に西ローマを潰す算段なのだろう。となれば、次に接敵するのは俺たちの駐留するこの砦になると思われた。ここが落ちた砦から一番近く、かつ最短でローマを目指すには避けては通れないポイントだからだ。

 

 その予想は正しく、伝令が入った一時間後の今、援軍もたどり着かないうちに向こうの軍勢がこちらの視認範囲に入った。

 

 平野を埋め尽くすような大軍を想像していたが、敵影は思った以上に少ない。また、全員が騎乗しており、その手には小ぶりな弓を携えた軽装の者が多かった。複合弓と軽装の弓騎兵が主体の軍勢、フン族か――上官が苦々し気に言う。

 

 その時からすでに、俺の眼は一点に釘付けになっていた。

 

 軍勢の先頭、露出の多い服装の女戦士がいる。その女が手に持つ、三原色の光の刃。

 

 まさか、と思う間もなく。脳の奥底から吹きあがった知識の濁流に意識を流された。

 

 

 フン族の王、戦闘王、破壊の尖兵――――軍神の、剣

 

 

 断片的な知識が鑢のように意識をこそぎ落としていく中、半狂乱の俺を友が正気に戻したのがついさっきのことだった。

 

「何を馬鹿やってる新兵どもっ! さっさと陣形を組めっ!!」

 

 鋭い声が耳朶を打つ。ハッとして顔を上げれば、醜態に業を煮やした上官が赫怒の眼差しでこちらを見据えていた。

 敵に動きがあったようだ。もはや残された時間はない。

 

「おい、行くぞ」

「…………」

「何やってんだトゥニカの。……ここまで来たら腹くくるしかないぜ。いくら俺たちが新人だからっつっても、向こうさんは容赦してくれないだろうしな」

「怖くてもやるしかない。やらなきゃ俺達も――ローマも、おしまいだ。俺達が守らなきゃ、みんな死ぬ」

「……ああ、そうだな」

 

 ――みんなの瞳には、覚悟の光がともっていた。

 

 

 俺にはなかった。そんな鋼のような想いは。

 

 

 俺が小姓として修業し軍にまで入ったのは、偏に父がそう望んだからだ。強く、誇り高く、立派な武人に。なみなみと注いでくれた愛情の中に、唯一込められた父の望み。受け取るばかりだった俺は、その意志に逆らおう等とは微塵も思えなかった。

 せめてその程度は、と。歪な我が身にできることなら、と。

 

 そのことに初めて後悔したのは、つい一週間ほど前のことだ。

 

「――今は、そんなことを考えている場合じゃないな。……なあ、悪いけど、お前らの剣を貸してくれないか」

「はぁ? 何言ってんだ……って、おいっ!」

「な、何するんだ、トゥニカっ!」

 

 前をいく二人から強引に剣を奪い取る。丁度いいところに綱が見えたのでそれも失敬。柄に結んで、背中でクロスするように背負う。

 

「貴様、何を考えているっ! 早く隊列に……おいっ!!」

 

 更に馬を一頭拝借――そして、追いすがる全員を振り切って、一人、前へ。

 

「戻ってこい、トゥニカぁー!」

 

 罵声。懇願。全てを振り切って、ひたすら前へ。

 

 ここが『あの世界』なら。あれが、本当に軍神の剣なら。かの女戦士を止められる可能性があるのは俺一人だろう。他の連中ではあの戦士と一合も打ち合えまい。

 まあ、それもすべて俺の推測が正しければ、だが。あちらはほとんど確定だが、この身が俺の思い描いた英雄であると断定するにはわずかばかり不確定要素が多すぎる。とはいえ、死ぬとわかっている連中を前に出すのは夢見が悪い。俺が前に出ないという選択は――

 

「……無いって、断言出来たら格好いいんだけど」

 

 怖い。怖い。精強を誇る東ローマ軍とさえしのぎを削ったであろうあの連中に、たった一人で突撃するなんて正気の沙汰じゃない。ましてや何の覚悟も持たず、僅かな神秘さえ秘めない鉄剣片手に神の鞭に挑むなど蛮勇にさえなりはしない。

 けど――

 

「あいつらの顔見たら、俺一人怖気づいてなんかいられないし」

 

 皆、覚悟を決めていた。ここでわが身朽ち果てようとも、ローマを護る。あるいは、もっと別の何かを護る。死ぬつもりなんてないと、死んでたまるかと奮起している奴だっているだろう。

 激発したみんなの感情にあてられて、うつろな俺も自然と動いていた。覚悟もないままに振るう剣はきっと軽い。あの戦闘王には届かない。それでも、もう、戦わないという選択肢だけは取れなかった。

 

 黙ったまま、死なせてたまるか。俺の最高の友人達を。俺の最愛の父親を。

 

 覚悟と呼ぶにはあまりに不確か、砂で築いた城が如き脆さ。

 今はこんな幼稚な意地しかないけれど。

 

「ぶっつけ本番、やれなきゃくたばるだけ――俺だけじゃなく、みんなも」

 

 撃鉄を起こせ。焔を灯せ。

 この体を、神秘の業を成す機構として再起動しろ。

 

 

 イメージするのは黎明の空。薄墨揺蕩う東雲。そのわずかな闇を裂いて、払暁の明かりがすべてを照らす――ッ!!

 

 

「……っぐ」

 

 せりあがる鉄臭い塊を嚥下する。体中で暴れまわる灼熱の手綱を握る。

 こんな処で血反吐を吐くのはまだ早い。こんな処で燃え尽きるのはまだ早い。

 

「っついなぁ、おい」

 

 上手くいった。まず一つ目の博打に勝って、階段を一つ上れたようだ。しかし相手はいまだ遥か高みにある。一つ二つ上ったところで追いつけるような相手じゃない。更にこの手に聖剣は無く、太陽の加護もあと数十分しかない。上るどころか転げ落ちそうな有様だ。

 だが

 

「それでもやるっきゃねぇよなぁ――!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駿馬を駆って疾駆する軍団。洗練された騎馬戦術を以て多数の異民族を打ち破ってきたフン族の軍勢を率いて、一人の王が先陣を駆け抜ける。騎乗してもいないのに、自らの得物片手に配下の軍勢を差し置いて走るその姿は異様の一言。加えてその姿。戦場には似つかわしくない、いっそあられもないとさえ言える軽装や、それが際立たせる華奢な体の輪郭――つまり、女であることもその異様さに拍車をかける一端となっていた。

 

「アッティラ」

 

 馬の腹をけり、加速してなんとか追いついた男が女に声を掛ける。女の兄、フン族の王国を共同統治するブレダだ。

 

「軍神の剣はどうだ」

「……あと一度。肉体の損傷を考えなければ、三度は解放できる」

「ならば一度とて撃たせられんな。ローマ攻略も控えている以上、お前を此処で失うわけにはいかん」

「そうだな」

 

 冷徹。簡素。そこに兄妹の情などない。

 当然か。彼らが共に玉座について以降、必要に駆られたとはいえ戦乱が途絶えることはなかった。その全てに勝利、あるいは有利に事を運んできたのがこの二人だ。戦場で情を交わすほど青くはなかった。

 

「――む」

 

 ブレダが離れる寸前、これまた異様な情景が二人の目に映った。

 敵方、整然と陣を組んだローマ軍の和を乱して、こちらへ突貫する影が在る。

 ローマ軍の象徴、茜色の各装飾はまだ鮮やかで色褪せはなく、戦いに赴いてから長くないことを容易く察させる。

 

「無謀……いやそれ以下か」

 

 ブレダが吐き捨てる。功に焦ったか、あるいは戦場の熱気にあてられたか。捨て身とさえ言えぬ愚行に彼は顔をしかめさせたが、応じるはずのアッティラは黙したままだった。

 

「どうした」

「下がれ、ブレダ」

「…………」

 

 しかめっ面をさらに歪ませて、ブレダは黙々と後退した。アッティラがこのような態度をとった相手は後にも先にもただ一人、東ローマの皇帝だけだった。世界に覇を唱えたローマ帝国、その片割れに君臨し、自ら魔剣を引っさげてブレダ達を迎撃したあの皇帝の姿は記憶に新しい。それと対峙した時と同じ反応をアッティラがとったのだ。あんな若造が、とは最早思うまいと彼は心に決めた。

 

「頼むぞ――アルテラ」

 

 妹の細腕に頼るしかない現状に内心忸怩たる思いを抱きながら、ブレダは前線から退いていった。

 対してアッティラ――アルテラは、突撃する相手を見据えながら得体のしれない感覚に困惑していた。

 

 コイツは何だ。若く、未熟で、あのローマ皇帝と比べれば覇気など微塵も感じられない。だというのに、なぜ立ち会っただけで私の心を乱す。なぜ――この体は、奴に怯えのような思いを抱く?

 

 戦場で初めて抱く情動。戦闘においては快感も恐怖も抱くことなく、破壊欲求のみで行動してきた彼女をして理解しえない感覚が彼女を包んだ。が、その程度で竦むほど初心ではない。その程度で揺らぐほど弱くはない。一層強く自らの得物――光の三原色を放つ軍神の剣を構え、割り砕くほど強く大地を蹴った。一足飛びに配下を引き離し、剣に力を、自らのうちに滾る魔力を注ぎ込む。一際強く輝く軍神の剣、横一文字に構えられたそれが不気味に蠢動し――

 

「――断ち切れ」

 

 左から右へ。一見間合いからはるか離れた相手へ向けて一閃されたそれは、最早剣の体を成さず。撓り、伸長したそれはまさしく鞭が如く無謀なローマ騎士へ襲い掛かる。

 対する騎士、馬を捨てた。飛び込む様に大地へ身を投げると、頭上を軍神の剣が唸りをあげて通り過ぎ、その背後で横薙ぎの一撃をまともに受けた騎馬が両断、爆散したのも意に介することなく跳ね起きてさらに前進を続ける。

 

 初見のはずにもかかわらず、常識外れの軍神の剣の挙動を見切ったかのような行動だった。そこに感じた僅かな違和感を押し込め、アルテラも前進を再開する。

 駆けながらアルテラは、再度軍神の剣を振るった。唐竹、大上段から大地を砕く一刀――と見せかけて、敢えて短く縮めた軍神の剣を素早く引き戻しながら殴りつけるように右から薙いだ。手は休めず、返す刀で斜めに切り上げる。

 

 驚くべきか、それともやはりというべきなのか。騎士はその軌道を読み切っていたように完璧に躱して見せた。間合いの変化する軍神の剣相手に紙一重などという博打は打たず、しかして冷静に確実に避けながら猛進する。あのローマ皇帝でさえ初めは翻弄して見せたアルテラの剣技が、戦士として未熟な目前の騎士相手に通用しない道理などないはずだったが、ローマ相手の戦役も長く続いている。東西に分かたれているとはいえ、どこかで情報のやり取りがされていないとも限らない。ある程度自身の技量に見切りをつけられていると踏んだアルテラは、至近距離で確実に騎士を討つことを選択した。

 

 全身に魔力を回す。脈動する星の紋章、アルテラの体の随所に刻まれた不可思議な刺青が、明滅しながら彼女の身体能力を押し上げる。一歩一歩で大地を踏み砕きながら、弾丸のように加速した彼女はたった四歩で通常の剣の間合いにローマ騎士の姿を捉えた。やはり若い。ようやく成人に足をかけた程度か。されどアルテラに油断はなかった。

 

 騎士の瞳ははっきりと、戦意を湛えてアルテラを射抜いていた。尋常ならざる機動力を見せたアルテラを、彼は完全に捉えていたのだ。

 踏み込みと同時に振り下ろされた軍神の剣を、半身を引いてかわす。カウンターで稲妻のように跳ね上がった鉄剣には、アルテラをして目を瞠るほどの魔力が込められていた。

 

 首を反らせ、薄皮一枚を斬らせながらアルテラは歯噛みした。初手で気づくべきだったのだ。アルテラに加減という概念はない。挙動を見切られていたとはいえ、全力で振るった初撃に反応してみせた時点で察してしかるべきだった。

 

 今や騎士からは、アルテラと同じく尋常ならざる魔力の奔流が吹きあがっていた。

 

「貴様」

 

 深紅の瞳が、騎士を貫く。剣を振り切った騎士はよけられたとみるや否や、脚力を強化して大きく間合いを取っていた。魔力操作を誤ったか、ぼろぼろと崩れ落ちる鉄剣を投げ捨てて、彼は背後からもう一本の鉄剣を引き抜いた。

 湧きあがる濃密な超常の気配。この神秘消えゆく今に在って、その残滓を色濃く宿す者。アルテラ、東ローマの皇帝と同じ、英雄の気質。

 

「流石、戦闘王。簡単にはいかないか」

 

 騎士はつぶやき、剣を撫でた。充填されていく魔力に、アルテラは鉄剣が一回り肥大化したような錯覚を覚える。

 

「んじゃ、ちょっくら俺と踊ってもらえますか。アルテラ殿?」

 

 さらりと爆弾発言を投げつけ、不敵に笑んだ騎士は荒々しい足取りでアルテラに踏み込んでいった。

 

 




評価、お気に入り登録ありがとうございます。

描写をまとめるのに時間かけ過ぎた……


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6.その剣は誰が為に 下

 砂塵舞う平野。未だ中天には届かぬ日輪が容赦ない光線を投げかける中、破壊の化身と対峙する。

 なんて華奢な肢体なのか。その細く、引き締まった肉体はいっそ芸術品のようだ。()()から思っていたのだが、こうして実際に見ると余計に強く思う。これで大気を引き裂き大地を砕く超常の業を容易く行使して見せるのだからたまったものではない。

 

 先の応酬でも心臓が止まる思いだった。直前になって引き出した知識がなければ、初撃で馬ごと両断され吹き飛んでいただろう。

 ……あいつには悪いことをした。俺に付き合わせて、まだまだ長かったであろう軍馬としての生を華々しく散らせてしまった。これでまた、負けられない理由が一つできたか。

 

 とは言えそれで恐怖を抑え込めるかといえば話は別だ。一歩間違えれば即座にああなっていたのは自分――その事実に腕や足が震えそうになるのを押し殺し、内心の怯懦を悟られまいと毅然として笑みを浮かべて見せる。

 

「んじゃ、ちょっくら俺と踊ってもらえますか。アルテラ殿?」

 

 呟いた途端、アッティラ――アルテラの顔色が微かに変わった、気がした。

 内心舌打ちする。普通、自分の秘密が初対面の人間に知られていれば多少なりとも動揺すると思ったのだが、アルテラに大きな変化は見られない。

 秘密、それはアルテラという名前そのもの。

 

 

 アルテラ――そんな名前の英雄は()()()()()

 

 

 アルテラという名は、『この世界』でアッティラという呼び名を嫌った彼女にフン族の長老たちが送ったもう一つの名だ。故に世界に響く彼女の勇名はアッティラのみであり、アルテラという呼び名はフン族の、それも彼女に近しい者たちだけが使う名前だった……はずだ。

 

 だからこそ、これまで顔も知らなかったローマ兵の俺がその呼び名を知っていることは彼女にとって計算外のことのはず。あわよくば精神的な揺さぶりを、なんて思ったが……流石は戦闘王、どこぞの未熟者と比べて年季が違う。この程度で揺らぐほど軟ではないか。

 

 

 ならば是非もない。あとは馬鹿正直に真正面からぶつかるのみだ。無謀だろうが何だろうがやってやる……!!

 

 

 魔力を熾す。燃料は好きな物を持っていけ。俺の中にある全てをくれてやる。もっともっと燃え上がれ。じゃなきゃ、あの破壊の化身には到底届かない。

 

「――おおっ!!」

 

 体中の血が焼けた鉄に変わったような感覚。毛細血管の一本一本にまで染み渡る灼熱が、体を焼いて駆け巡る。もしあの太陽を飲み込めたなら、こんな気分なのだろうか。

 

 ――いいや。いいや、まだ足りない。足りるわけがない。

 

 これが太陽の熱? この地表全てを照らし、灼き払う天上の焔がこの程度?

 

 舐めたこと言ってんじゃねぇよ。不足不全、貧弱貧相。たかだか体の内でくすぶる程度の熱で思い上がるな。

 

 もっとだ、もっと。俺自身を焼き尽くしたってかまわない。何度も言うが、本当なら今の俺ではアルテラに追いすがることさえ不可能なのだ。この拮抗状態だって奇跡のようなモノ。不意に俺の口から飛び出した『アルテラ』の名と、初見で軍神の剣の挙動を見切ったことが必要以上に彼女を警戒させているだけ。

 

 故に、勝機は今しかない。

 

「はっ――!!」

「っ!」

 

 踏み込む。限界まで強化した両足が、乾いた大地を踏みにじって砂埃を激しく巻き上げた。

 

 先の言で大きな変化は見られなかったが、多少の意識を戦闘以外に割かせることができたのか。ほんの僅かアルテラの気配に空隙が生まれ、俺の踏み込みに対する動きが一拍遅れる。それをついて俺の剣が彼女に迫った。両手で構え、大地を踏み抜きながら繰り出す刺突。体中に満たした魔力にものを言わせて行ったそれは、まさに疾風の如き勢いでアルテラの胸に突き立たんとする。

 

 俺の剣が風なら対するアルテラの軍神の剣はまさに光か。目の端に三色光が閃いたと思った瞬間には、跳ね上げられた軍神の剣が掬いあげるように俺の剣を弾いていた。鉄の塊でもぶん殴ったような、腕を痺れさせる衝撃。魔力と太陽の加護によるブーストがなければ確実に剣を取り落としていただろう。まったく、その細腕のどこにそれだけの腕力があるというのか。

 

 ちらと刀身に目をやる。先ほどは加減を間違えて自壊させてしまったが、今回はうまくいっているようだ。しかし、神造兵装の原典ともいえるあの軍神の剣とまともにぶつかった代償は大きかった。全霊の魔力で強化していたにもかかわらず、刀身にはそぎ落とされたような跡がついている。

 

 二度も三度も受けられない。初めからそのつもりだったが、これで確定だ。守りにおいては回避一択、攻めにあっては一撃必殺。狙うはただその一点しかない――!

 

「あああ!!」

「フッ!」

 

 至近の間合いだからか、あの鞭のような一撃は放たれない。見知った剣としての軌道を描き、空間を削り取る様な異音を響かせながら無造作に三原色の刃が俺に振り抜かれる。

 間合いを詰めたことで独特なあの撓る剣閃は封じることができたようだが、だからと言ってアルテラが弱体化したかといえばそんなことはない。打ち合ってみてわかったが、身体能力はギリギリ拮抗している。振りぬかれる剣閃に対応はできている。だが経験、技量、精神諸々含めてアルテラがはるかに上回っているのだ。一ミリたりとて油断も楽観もできはしなかった。

 

「ッ!」

 

 今だってそうだ。横一文字、と見せかけて急停止した軍神の剣が、唐竹に軌道を変えて襲い来た。慣性を無視できるだけの筋力があるのか、あるいは軍神の剣は見た目通り光の如く重さを感じさせないのか。どちらにしろこんなでたらめをすまし顔で見せつけてくるのだ。内心滝のように冷や汗を流しながら、この絶妙な拮抗状態を維持できるようあくまで余裕を保ったように見せかけつつ、身を捻って躱す――

 

「ぐっ!?」

 

 ――つもりだったのだが。

 背を過るぞくりとした予感にすかさず後転。身を捻って軍神の剣をかわそうとした刹那、風切り音を響かせて飛来する物があった。

 矢だ。フン族ご自慢の弓騎兵が、こちらを射程に収めたらしい。彼らは軍神の剣に巻き込まれるのを恐れてか、俺達を大きく迂回しながらも行きがけの駄賃とばかりにこちらめがけて射かけてきていた。

 

「こ、のっ」

 

 

 くそったれ、どんな撃ち方してやがる……ッ! アルテラと至近距離で切り結んでいたはずなのに、奴には掠りもしないでこちらにばかり矢玉が降り注ぐっ。

 

 

 見通しが甘かったというほかない。親玉と一騎打ちしていれば滅多なことで矢なんか飛んでこないだろうと思っていたが、予想以上に弓騎兵の練度が高い。

 いや、当然か。相手は百戦錬磨のフン族だ。この程度の芸当が出来なければ、ゲルマン諸民族を圧迫してローマ帝国にさえ牙をむくなんて真似をしながら生き残るなどできないのだろう。

 

「砕けろ」

「く、そっ」

 

 最後の一射。眉間を狙って飛来した矢を叩き落した、その直後。矢に対処する隙に距離を取られたアルテラから、あの鞭の如き剣閃が弧を描いて飛び出した。

 再びの胴を薙ぐ一撃。上か、下か。逡巡する暇などない。とっさに選択したのは下、あの初撃と同じようにくぐりぬけて躱した。

 視線を前に向けるとさらに数歩引き下がったアルテラの姿が見えた。まずい、この距離は奴の距離だ――戦慄がよぎると同時、ミドルレンジから繰り出されるのは縦横無尽に迫る斬光の嵐。どれ一つとしてブラフはない。目に映る全てが掠っただけで肉を抉り骨を砕く絶死の一撃……ッ!!

 

「チィ……ッ」

 

 撓り伸長するそれらは見掛け以上の間合いと不規則な剣筋を持つ。おそらくは籠める魔力を気持ち増やす程度で容易くあの刀身は伸長し、軽く手首をひねるだけで剣筋は脈打って周囲を巻き込むのだろう。紙一重なんてやっていたら瞬く間に寸断される――が、大きな回避行動をとっていてはこの距離は二度と詰められない。

 

 

 リスクは承知。そのうえで一歩踏み込まなければ勝機は永遠に訪れない。

 

 

 直上へ跳ね上がる切り上げに対し半身だけを退く。触れた物全てを焼き切る魔光がかすめ、頬が裂けた。噴き出すはずの血は蒸発し、痛みより先に彼の刀身が放つ熱量に思わず呻きがもれる。

 しかしこれまで大げさな回避を繰り返していたことが功を奏したか、アルテラからの瞬間的な追撃は放たれなかった。顔面を這うじりじりとした痛みを噛み潰し、脚力を強化して離れた彼女めがけて踏み込――

 

「がっ?!」

 

 迫る悪寒。先の矢などとは比べ物にならない圧迫感が右上から降り注ぐ。反射的に翳した鉄剣に右上からの斬り下ろしが炸裂し、痛烈な一撃を受けて鉄剣がぎゃりぎゃりと悲鳴を上げた。脚部を強化していたはずなのに、アルテラの一撃は耐えることを許さずに後ろへ向けてたたらを踏ませる。

 間髪入れず次の一撃。取って返した剣光が足を潰しにかかり、たまらず跳ねて躱せば翻った追撃によってさらに遠方へと弾き飛ばされた。

 この間、恐ろしくそして忌々しいことにアルテラはその場から一歩たりとて動いてはいなかった。

 

「あ、ああぁぁっ!!!」

 

 広がる距離はそのまま俺の焦りまで拡げていく。叫び声と共に気炎をあげようとも現実は覆らない。

 

 赤い瞳が冷たく輝く、剣で受ける回数が跳ね上がっていく、秒単位で追い込まれていく――ッ!!

 

 この僅かな応酬で俺の動きを解析したとでもいうのか、こいつは。一歩踏み出そうと力んだ瞬間、その出端を挫くように取り分け強烈な一撃が叩き込まれる。前に進むどころの話じゃない。その場に留まるのでさえ一苦労だ。刻一刻と速く、鋭くなっていく剣戟に喘ぎながら死に物狂いで活路を探す。剣は見る見るうちに摩耗し、あっという間に半分ほどの肉をそぎ落とされていた。ストックは残り一、だがそれを取り出す隙を奴が与えてくれるかどうか――何はともあれ今は耐えるよりほかにない。剣と共に赤熱していく脳を抑えつけ、死の舞踏を踊り続ける。

 

 

 一分か、十分か。それともたったの数秒だったのか。時間感覚が狂いきったような頃、不意に空白が訪れた。おかしい、手を緩める理由などどこにもないはず。

 まあなんだっていい。疲労しきった剣を取り変える絶好のチャン――?!

 

「え」

 

 無数に尾を引いていた斬光が消える――否、集束する。直下。轟々と爆音を響かせて、大地を割り砕きながら極大の切り上げが叩き込まれ、岩塊ごと天高く跳ね上げられた。間抜けな声をもらしながら、俺の体は瓦礫と一緒に宙を舞う。

 

 

 ――なんて、出鱈目な。

 

 

 切り上げなんて、どれだけ大げさに振るっても地表を擦って火花を散らせながら繰り出す程度だろう。それが軍神の剣と、アルテラというそれを十全に振えるだけの操者によって規格外の領域……冗談抜きに大地を引き裂く一撃にまで昇華されている。

 

 

 

 思い知らされた。階段を上がるとか降りるとか、そんな次元の話ではない。段数ではなく階層自体が違っていた。俺の前に横たわっていたのは、最早生物としての位階さえ違っているような気さえする圧倒的な実力差だったのだ。

 

 

 

 階段で足踏みしているような俺では、アルテラの立つステージに永劫たどり着けるはずもなかった。

 

 今までのは本当の本当に小手調べ。大見得を切って見せた俺の実力が如何ほどのものかを測るための試金石。

 

 故に。

 

 実力の程を測り終えたのなら、あとは応じた力配分で排除するだけ。

 

「多少、頑丈だったな。お前は」

 

 剣を突き立て、手ごろな岩塊にしがみつく。その岩塊ごと不規則に回転していたせいで上下の方向感覚さえあやふやにされたころ、頭上からぞっとする声が響いた。

 

「だが、その生存もここまでだ――目標、破壊する」

「ッ?!」

 

 俺よりはるか上、おそらくは自らが跳ね上げた無数の岩塊を足場に上り詰めた其処より、流星の如くアルテラが迫りくる。詰めの一手、確実にこちらを殺す一撃。吹き上がる魔力は少なく見積もっても先ほどまでの倍以上。だというのに足場は心もとなく、避けようにも余剰のスペースなどない。

 直撃は確定。ならば受け止めるしかない。

 

 受け止める、しか――

 

 

 

 

 ――――受け止める? アレを?

 

 想像できない。仮定さえままならない。生身で隕石を受け止めるようなものだ。木端微塵になってはいおしまい――

 

「――お」

 

 ――おしまいの、そのあとは?

 

「おお」

 

 ――粉砕された、そのあとは?

 

「おおお」

 

 ――俺が消し飛んだ、そのあとは。

 

 

 いったい誰が、こいつを止める?

 

 

「おおおおああああァァ――――!!!」

 

 腑抜けるな呆けるな臆するな慄くな――手前は何のためにここに居るッ!!

 

 背中から三本目の鉄剣を抜く。鉄原子が形作る格子一つ一つの隙間に全霊の魔力を満たす。この身のすべてに後先考えない強化を施す。

 

 来るなら来やがれ避けてたまるか逃げてたまるか諦めてなんかやるものか――――!!

 

「――――」

 

 

 

 

 

 

 

 ――拮抗は、一瞬。

 一秒さえ耐えることなく、両手の剣は砕け散った。

 

 




どうも、遅くなりました。

ここでお知らせ、というか本来もっと早く明確にすべきことだったのですが。

本作の世界観について。
とりあえず書きたいことを書きます、ええ。つまりプロト時空とステイナイト時空の両方を書くということだ(吐血)。


まず現行のストーリーはプロト世界で行きます。外套の彼は今後ブリテンに渡り、そこで星の光を担う青年と、彼を導く花の魔術師と出会うでしょう。

その次。

現行ストーリーから分岐する形で、彼は同じように星の光を担う少女と出会うでしょう。


いやぁ、この遅筆は何を血迷っているんでしょうね(白目)
ただでさえいつ終わるか分からないってのにこの様である。いや申し訳ない。

とりあえずプロトルートを完結できるよう頑張りたいと思います。
拙い作品ですが、最後までお付き合いいただけたなら幸いです。


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7.その剣は――

 暗い。真っ暗闇だ。茫漠とした暗黒が眼前に横たわっている。

 光源なんて何一つなく、一筋の光明も差し込まない。だっていうのに視界は広く、闇に潜んだモノは明瞭にこの目に映る。

 骸。折り重なって倒れこんだ死体の丘の上に、俺は立っていた。

 

 山とは言わない。まだそれほど()()()()()()()

 

 そうだ。ここにいる連中は、みんな俺が殺した奴らだ。ほんの一週間前、集落を襲っていたならず者ども。折よく滞在中の砦のすぐそばのことだったため、俺たちは急遽その集落の救援に向かい、こいつらと殺しあったのだ。

 中でも目立つ連中が三人――どいつもこいつもくたばってぶっ倒れている中、両の足でしっかりと足元の死体を踏みしめ、光を失った虚ろな目玉で俺をにらんでいる連中が三人いる。

 

 一人は頭から胸まで縦一直線にぱっくりと大口を開けて、紅い液体をだくだくと零し続けていた。

 一人は右肩口から腰までを斜めにさばかれて、かろうじて繋がっている右腕をプラプラと揺らしていた。

 一人は心臓のある場所に穴を穿たれて、そこを風が通り過ぎるたびに体の芯から凍える様に震えていた。

 

 一人目の男は、粗野でいかにも悪辣といった風情だ。

 二人目の男は、鍛え上げられた筋肉が目に付く。

 三人目の男は、一見弱々しい痩せ型だが一番目つきが鋭い。

 

 よく覚えているとも、よく――――ああ、だけど……俺は、何をしていたのだったか。

 

 意識がはっきりとしない。頭の中に朝もやが満ちたように、思考が空回りして確かなものを思い描けない。

 ただ、わかるのは。

 こんな場所で、こんな奴らを相手にしている暇はなかった気がする、ということだけ――

 

 

 いや、もう一つ。分かっていることがある。

 

 

 ()()が何か。夢、そう夢だ。夢……ならば俺は、今床に就いているのか。

 違う、きっと違うな。よくわからないけれど、そんな穏やかな状態では無いと思う。まあいい、こうして考えることはできているのだ。どんな経緯だろうと、そのうち目は覚めるだろうよ。

 

 

 さて――何度目だろうか、この夢を見るのは。

 一週間前。己がこの手で初めて人を斬り殺したあの日以来、心の底に澱のようにしてとどまる怨嗟の呼び声。

 眠るたびに、この手で殺めた彼らの姿を借りて繰り返される、身勝手で醜い自責自傷の儀式――

 

 

 

 

 

 

 

 

 望まれるがままに生き、命ぜられるがままに殺した。

 

 初めて相対した『人』という敵だった。

 彼らは罪人だった。いくつもの村を襲って悪逆の限りを尽くした凶悪犯だった。殺さねば殺されるのは自分たちの方で、逃がせばどこかで誰かが虐げられるのは明白だった。

 故に殺した。躊躇なく剣を振るった。誰一人の例外もなく葬った。

 

 

 今でも脳裏に焼き付いている。相手の顔も、声も、死に方も。

 

 

 一人目は唐竹。共に参陣した友人の右腕を弓で射貫いた男を、激情に駆られるまま一刀両断にした。差し込んでいた斜陽に押し出されるように加速した俺は、射手の男が腰に下げた剣に手を伸ばす暇も与えることなく脳天をかち割った。

 

 二人目は袈裟。仲間の死に狼狽えることなく、俺が一人目を斬り捨てた直後の硬直を狙って斬りつけてきた男だった。外套に惑わされたか、馬鹿正直に心臓を狙って突き込まれた相手の剣を手甲で弾き、がら空きになった胴を蹴り飛ばして剣を振るうだけのスペースを作って真正面から斬り捨てた。

 

 その二人を殺してすぐ乱戦状態になり、互いに援護しあいながらもまた何人か殺した。そうしてしばらく後に再び単独で相対した三人目の男は槍と盾を構えていた。気弱そうな面構えのくせして、目だけが爛々と光ってこちらの様子をうかがっている。やりにくいな、とは思ったが、所詮は地方の村を襲う程度のならず者。毎日を訓練に費やす騎士連中と比べればその練度は遥かに劣る。数合打ち合った末に槍の穂先を切り落として、構えた盾ごとタックルで押し倒したのち、盾を蹴り飛ばして心臓を潰してやった。

 

 

 それからもまた幾度か、同期の連中や上官たちと連携してならず者連中を殺害あるいは捕虜とした。

 

 ――――その果てに。手を、身体を、魂を朱く緋く染めたその果てに、何か得られたものがあったなら。ここまで囚われることもなかったのだろうか。

 

 なにもなかった。

 惰性で戦場に立ち、覚悟もなく剣を振るって命を奪った果てにあったのは、虚無だった。

 

 生死を懸けた狂騒の中、暴れまわった無数の情動……生存への渇望、仲間を傷つけられた憤怒、迫る凶刃に抱いた恐怖、敵を打倒した歓喜、戦い切ったことへの達成感、生き残ったことへの安堵、自身が人命を奪ったという事実に対する自失。

 

 全ては一瞬のことだった。

 

 最後には自己嫌悪の末に剣さえ取り落として――この手にはただ赤黒い染みだけが残った、心には仄暗い洞が空いた。

 

 分かっている。分かっているとも。奴らは死んで当然の連中だった。見逃せばまた誰かがどこかで殺されていただろう。俺が手を下さなくても他の連中があの世送りにしていただろう。

 だけど……結局最後まで、その戦いに俺の『意思』は介在しなかった。ただ命じられるがままに戦い、反射的に機械的に殺した。

 

 殺人に意義など見出したくはない。

 

 だが――意義のない殺人ほどおぞましい物はないとも痛感した。

 

 他人の望みで容易く人殺しを実行できる自分は、きっと人間ではない。しかして無感動に殺し続けられるような機械でもない。

 

 どっちつかずの酷く醜いイキモノだ。

 

 こんな奴は生かしてはおけない。生きていてはいけない。そも、前世だか何だか知らないが、そんなものを持って生まれてきた時点であってはならない存在だったのだ。

 

 俺みたいなイキモノは、遠の昔に――

 

 

 

『有難うな、坊主』

 

 

 

 ――声が、聞こえた。

 

 

 

『本当にありがとうございました』

『怪我はないかぇ。ああ、震えているねぇ。こっちにおいで、身を清めてあげようねぇ』

『あんたらのおかげで、誰一人死なずに済んだ。この恩は一生忘れないぜ』

『良かったら何か食べてってくれ。あんだけ動けば、腹が減ったろう?』

 

 

 

 ――涙を流して感謝する人がいた。

 ――真っ赤に濡れた体を拭いて清めてくれる人がいた。

 ――にかっと笑って乱暴に頭を撫でてくれる人がいた。

 ――こちらを労って出来立てのスープを差し出してくれた人がいた。

 

 

 

『いつかは俺達で、騎士団を結成するのも悪くないな』

『その時は頼みますよ、団長殿?』

『お前が居て、俺たちがいるならどこまでも行ける』

 

 

 

『よくここまで、立派に育ってくれた。お前は私の誇りだよ』

 

 

 

 ――素性を欺き続ける名無しを友人と言ってくれた人達がいた。

 

 

 

 ――――こんな歪な俺を、息子と呼んで抱きしめてくれた人がいた。

 

 

 

 ……ああ、そうだ。

 戦った理由ならあった。戦うための理由なら、確かにあった。

 

 護ろうとしたもの、護りきれたもの。

 それはあまりにも当たり前の衝動すぎて。それはあまりにも当たり前のモノすぎて。

 俺はそれが、剣を振るうに足る理由であると認識できなかった。認識しようともしなかった。

 

 けれど、そう――きっと、そんなささやかな当たり前を護るために、人は今を戦って(生きて)いる。

 

 

 そのことに、気づけたのなら。

 もう、立ち止まってなど居られない。

 

 

 思い出せ。

 俺は、今の今まで、何をしていた。

 

 

 一歩踏み出し、そらを見上げる。暗黒の天に、僅かに閃光が瞬いた。

 

 声なき声を上げて、骸どもががなり立てる。怨嗟と憎悪の合唱が響き、血まみれの手が足を、腕を、体を掴む。

 これから先、彼らが消えることはないのだろう。吹っ切れようがそうでなかろうが、彼らは心の奥底に居座り続け、俺が一人また一人と殺めるたびにその数を増やしていく。

 

 けれど――

 

「……悪いな。今は、お前らに付き合ってる暇はないんだ」

 

 

「――守らなきゃいけない奴らがいる。だから、もう、立ち止まってはいられない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――朧に開いた瞼。今にも中天に上りきろうとする太陽が、刺すような日差しを投げかけているのが見えた。

 

「…………ぁ」

 

 声が出ない。体が動かない。何故。

 かろうじて動いた首を傾げて、全身を確認してみた。成程。浮かんだ疑問は秒で氷解する。

 

 ずたぼろだった。襤褸雑巾だった。全身これ塵屑のようになっていた。

 

 道理で息をするだけで死にそうになるわけだ。指先を動かそうとするだけで激痛が体中を掻きむしるのに、酸欠気味な体は新鮮な空気を求めて喘ぎ、そうして更なる激痛が駆けまわる無限ループ。

 

 激痛と共に思い出す。流星のように振り下ろされた軍神の剣と、俺の構えた双剣がぶつかった後のこと。瞬間的に砕け散った鉄剣から噴き出した魔力の奔流でからくも直撃は避けられたが、ぶつかり合った魔力の余波で吹き飛ばされた俺は、足場にしていた岩塊ごと大地に叩きつけられたのだ。

 現状、瓦礫に半身を覆われ所々から四肢が飛び出している状態だ。何も知らなければ落盤で生き埋めになったと言われても信じてしまいそうな有様だった。

 

「……っぅ」

 

 帰ってきた。

 奈落の底から、この現実に。

 ならば、為すべきは一つだけ。

 

「……奴は、どこだ

 

 あの破壊の大王に見つかる前に、態勢を立て直さなければ。

 朦朧とする意識を繋ぎ留めながら、ぎくしゃくとした動きで瓦礫から四肢を引きずりだす。あの勢いで墜落しながら身体の欠損どころか骨折も無いようだった。あるいは気づいていないだけなのかもしれないが、歩く分には問題ない。

 

「ぬ、くぅ……」

 

 腕が動く、足が動く。今すぐバラバラになってしまいそうな激痛が体中を満たしているが、それさえ堪えれば戦えないことはない。

 あとは――

 

――――カぁッ!!

 

「――――――っ?」

 

 声が、聞こえる。

 あれは、誰の声だ。

 

「――二カのっ!! 何―だ?!」

「く―――くそっ!! 何――こっ―んだ畜――ッ!!」

「―事しろトゥ――ぁーッ!!」

 

 知っている。

 この、声を。この声の、持ち主たちを。

 

 何故だ。どうして此処に。

 何処だ。何処にいる。

 今更気づいたが、あたりにはもうもうと土ぼこりが立ち込めて、ひどく視界が悪い。そのうえ耳がダメになっているようで、声の出所がはっきりとしない。

 

「お前――は」

 

 冷たい声が響く。

 この声も知っている。

 

「な―――イツ、どっか―出――た」

「おい、――つだぞ。トゥ―カのがカチコミ――た異――のやつ」

「女じゃ――か。ふざけ――よ、アイツ―――な華奢な奴に――――ってのか」

「馬鹿か。()()やら―した相――ぞ。た―――戦士なわ――るかよ」

 

 ダメだダメだダメだダメだダメだ――ッ!!

 そいつに、そいつにだけはかかわるな!

 

「私は、破―――る」

「あぁ? 訳わ―――ぇ事いっ―ん――」

「俺達――チをどこへ―――がった」

「―問だ―。我が前―――ふさがるもの――者であろうとも破壊する。例――無い」

「……まさ、か」

「……――たのか。あい――、お前がッ!!」

「貴、様――アアァ!!」

 

 一瞬で脳が白熱する。俄かに拍動が加速する。

 僅かに漏れ聞こえる声だけでも痛いほどわかった。激昂する友人たちは、アルテラに俺が殺されたと思い込んでいるのだ。きっとすでに剣も抜いてしまっているに違いない。

 

 そして、あの大王は、敵対者には絶対に容赦などしない。

 

 それは、つまり――

 

「やめろ、待て」

 

 声は、届いているか。そも、発声できているのか。

 止めなければならない。護らなければならない。

 彼らでは束になってもアルテラは止められない。それこそ抗う真似さえできず消し飛ばされるのが関の山だ。

 

 ああ、だから、だから。

 

 例え血に塗れ、怨嗟に捲かれ、その果てにこの身が崩れ去る日が来ようとも。

 彼らを護る、そのためだけに我が身を費やす。費やしてみせる。

 

 だから、どうか――

 

「剣――」

 

 腰に手をやる。無い。背中に手をやる。無い。

 ぐるりとあたりを見渡す。

 

 

 

 無い。

 

 

 

 

「剣、剣、剣剣剣ッ!!」

 

 この際鈍だろうが折れてようが構わない! 木でも石でも鉄でもいい!

 なんだったら剣じゃなくたっていいさ! 今すぐこの手に取って、奴の気を引ければなんだって構うものか!

 

「ああ、だから……だからっ!!」

 

 どうか、俺に、あいつらを護れるだけの――――!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――それは、柄だった。唐突に、眼前に現れたそれは、どう見たって剣の柄だった。

 

 

 ――その先、本来刀身があるべき場所からは、太陽のような目を灼く光輝が溢れ出していた。

 

 

 ――刹那、心を奪われる。見誤るはずもない。誰よりも憧れ、敬愛してきた輝きだ。ならば、眼前の空間に突き立つこれは、正しく『陽光を束ねた剣』なのだろう。

 

 

 ――……幻覚か。狂おしいまでに力を求めたがゆえに、限界に達した脳が見せた都合の良い幻なのか。

 

 

 ――なんだっていい。仲間を、友を、父を、護るべき物すべてを護るため。

 

 

 ――――どんな手段も使う。その覚悟は疾うに決めた。故に――躊躇は、しない。

 

 

 柄に手を添える。途端に襲う灼熱。体中に流れ込む極大の火焔。されど恐怖はなく、全身を満たすそれに、何処か欠けていたピースが揃ったような気さえして。

 

 

 

『それを手に取る前に、よく考えた方がいい』

 

 

 何処か、遠くで、少女の声がした。

 

 

『それを手にしたが最後、君は人ではいられないよ』

 

 

「――そうか」

 

 きっとこれは、俺にあてられた言葉ではないだろう。ここにいるのは俺一人。見届け人などいない。

 けれども、この言葉が意味するところは同じだ。

 ここが分水嶺。この剣を引き抜けば、泣こうが喚こうが後戻りはできなくなる。

 

「――構わない」

 

 護るべきを、護るために

 

「――この身全てを費やすと決めた」

 

 そう、だから

 

「――護るべきを、護るために」

 

 力を、貸してくれ

 

「――――――ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一息に、光輝の具現を引き抜く。

 

 

 ――――――太陽が、落ちてきた。

 

 




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8.星の聖剣(上)





 蒼穹遥かなり。阻む白雲もないままに燦々と輝ける日輪は、地上の喧騒など知らぬと変わり映えしない日差しを投げかけながらじわりじわりと天頂へ昇り詰めていく。

 翻ってみるに、つい先ほどまで耳を聾する轟音や目にも鮮やかな閃光で騒々しかった地上は、今では打って変わってしんと静まり返っていた。

 

「……まさか、逃すとはな」

 

 容赦ない陽光に焼かれながら、一人立ち尽くす褐色肌の女戦士はぼそりとつぶやく。その言葉尻からは少なくない驚愕の色が見て取れる。

 アルテラ。世には戦闘王アッティラ、破壊の大王として知られる彼女は、つい先ほどまで相対していた一人の騎士を脳裏に思い描いていた。

 

 不思議――いいや、不可解な相手だった。アルテラをして明確な障害足りえる強者ではなかったが、こと戦において抱いたことのない衝動を彼女に覚えさせた男だった。

 

 アルテラは、自己を一種の機構であると認識している。立ちはだかるものを壊す、栄えるものを壊す――文明を、破壊する。この肉体はただそのためだけに在ると定義している。故、彼女が戦闘中に考えるのは相手の脅威度と規模、そしてその破壊に如何ほどの出力が必要となるか、だ。

 

 その、真人間というには少しばかり歪んだ精神性はアルテラがもつ特殊な事情に依る。彼女はヒトの姿形を持ってはいるが、その実、真正のヒトとは言い難い。母なる存在から産み落とされた一己の命ではないのだ。

 気が遠くなるような、記憶を記録も残っていない遥か古に築かれたと思しき遺跡にて、フン族の長に見出されたのが彼女だった。長は見出だした幼子を自身が治める村へ連れ帰り、幼子はすくすくと成長してアッティラ大王となった。

 だからか、著しく()()とは言えないのだが――彼女には、常人とは違った精神性が見られる。

 

 体の奥底、魂の深淵より湧き上がる漫然とした破壊衝動。自己を機構であると定義し、破壊の道具として扱う本能。それはさながら呪いのように、アルテラ自身にも詳細のわからない()と一緒になって彼女を蝕んでいた。

 

「嫌悪、あるいは恐怖。何時振りか、その手の感情を抱いたのは」

 

 今回の戦闘で生じたそれらの情動。人としては当たり前に感じるはずのそれらだが、今回ばかりは例の破壊衝動や夢と出所が同じものであると彼女は直感していた。すなわち今生にて生じた精神由来ではなく、その先。もっと深い……そう、()()()()()とでも呼ばばいいのか。彼、ローマの騎士を一目見た時から湧き上がるそれは、そんな本能的な忌避感だった。

 

 本当なら、そんなものを感じるはずはない。数度打ち合っただけでアルテラは実感として理解していた。あの騎士には伸び代こそ豊富に認められるものの、今はまだまだ粗削りな部分の方が目立つ。長ずれば優秀な戦士になるのは確実だろうが、まだまだ彼女の足元にも及ばない。

 それでも、幾度となく打ち寄せる言い知れない感情の波がためにアルテラはしばらく観察を続けたが、あの騎士のどこにそんな脅威を感じたというのか。結局は最後の最後まで把握できなかった。

 

 とはいえ、まだあの騎士が死んだと決まったわけではない。彼は上空から大地に叩き落とされはしたが、アルテラは止めを刺したわけではないし死体の確認もしていない。可能性はまだ残っている。……残ってはいるが、十中八九死亡していることだろう。その証拠に、あれほど吹き荒れていた灼け付くような魔力が燃え尽きたように消え失せている。

 

 しかし――もしも、あれでまだ生きているのなら。

 剣以外に交わせるものもあるだろうかと、ふとアルテラは思いを巡らせた。

 

「生き残っているならば、連れて帰るのも一興か。ブレダが何というかな」

 

 驚くべきことに――といっても、アルテラ自身も気づいていないのだが、それでも確かに、今の彼女は安堵からくる微笑を浮かべていた。自身を破壊そのものであると断言し、立ちふさがった相手を冷静冷酷になぎ倒してきた彼女が、だ。捕虜を捕ることより何より、その表情にこそブレダは驚愕することだろう。

 

 彼女の兄ブレダは、フン族の長の直系に当たる男児であった。彼は父が連れ帰ってきた幼子を妹と認め、できうる限りの世話をしてきた。そんなブレダにもどうしようもなかったのが彼女の破壊衝動だ。年を追うごとに強くなる彼女の欲求を満たし、かつ一族の繁栄を導くために彼はあらゆる手段をとってきた。今回の遠征もその一環だった。

 

 

 しかし、アルテラがこんな表情を見せたのはこれが初めてのことであった。

 

 それはつまり――あの騎士の撃破が、アルテラにとってそれだけ重要であったと。

 

 打倒したことで思わず気を緩めてしまうほどに、あの騎士に感じ入るものがあったと。

 

 そう言外に示していることに、果たして彼女は気づいているのか。

 

 

「さて……奴は、どこに墜ちたか」

 

 ほんの一瞬浮かべた微笑をかき消して、アルテラは常日頃の無機質な表情(仮面)を被りなおす。

 ぐるりとあたりを見渡すが、直前に彼女が引き起こした大破壊の余波で辺りにはもうもうと土ぼこりが立ち込めていた。生憎風はなく、今でも視界は数メートルもない。

 僅かに困ったような顔を見せ、ため息とともに軍神の剣を構えなおすと――

 

「――――ん」

 

 土煙の向こう。馬のかける音がしていた。

 アルテラの表情が変わる。五、六騎の騎兵がこの付近まで接近しつつある――超人的な感覚で瞬時にそれを看破してのけた彼女は、土ぼこりを払うために構えた軍神の剣をゆっくりと構えなおす。

 

 彼の騎士による妨害はフン族側にとっては慮外の出来事であった。本来ならアルテラと軍神の剣(フォトン・レイ)を前面に押し出した横綱相撲でローマの軍勢を蹂躙する予定だったのだ。故に速度重視の騎兵、それもローマ側に比べれば圧倒的少数による電撃作戦を決行してきたのだが……あの騎士がために計画は大きな遅延が発生していた。今頃ブレダたちはアルテラが復帰するまでの遅延戦闘に苦慮しているはずだが――

 

「…………」

 

 潰走してきた味方か、あるいはローマ側が放った追撃、追手の類か。

 前者はないだろう、とアルテラは考える。体感でそれほどの時間は経っていない。この程度で全滅ないし潰走するほどブレダは戦下手ではないはずだ。しかしそうなると後者の線も怪しくなってくる。

 そうやってアルテラが騎兵の正体を図りかねていると――

 

「トゥニカぁッ!!」

「トゥ二カのっ!! 何処だ?!」

「くそくそくそっ!! 何が起こってんだ畜生がッ!!」

「返事しろトゥニカぁーッ!!」

 

「……成程」

 

 聞き馴染みのない単語。声だけでもわかる必死に探し回る様子。察する。彼らはローマ側の戦士だ。それも先の騎士に近しい連中。

 ぐっ、と握りこんだ軍神の剣が、アルテラの戦意に反応して淡く瞬いた。

 

「お前達は、ローマ軍か」

 

 沸き立つ旋風。新緑の魔力光を伴って土ぼこりが吹き流され、隠されていたアルテラの姿がはっきりと浮かび上がる。

 

「なんだコイツ、どっから出てきた」

 

 異変を察して騎兵の一人が声を上げた。アルテラの推測通り、その姿はローマ兵のものだ。それも、あの騎士同様かなり若い。新兵といって差し支えないローマ兵ばかり五人もそこには集っている。

 紅い瞳を冷たく光らせ、アルテラは五人のローマ騎士をじろりと睨めつけた。

 

「おい、こいつだぞ。トゥニカのがカチコミかけた異民族のやつ」

「女じゃねぇか。ふざけんなよ、アイツがこんな華奢な奴にやられたってのか」

「馬鹿か。()()やらかした相手だぞ。ただの女戦士な訳あるかよ」

 

 刺々しい視線と荒々しい言葉遣い。初見のアルテラに対して敵意をむき出しにしながら、騎士たちは囀っている。

 ――囀り。そう、囀りだ。視線、表情、仕草。諸々から眼前の騎士たちが敵対の意思を示しているのをアルテラは理解している。だが彼らの言葉はアルテラに何の圧も与えない。真正面から相対しただけで異様な圧迫感を与えられた先の一人と比べればてんで話にならなかった。

 似通っているのは格好だけ――この五人に、アルテラは何の価値も見出せなかった。

 

「まあ一応聞いておく。億が一にも人違いだったら困るしな。……お前、誰だ?」

 

 アルテラとしては、このまま無為な会話を続ける必要性など毛頭感じてはいなかったのだが。

 喉の奥に小骨が刺さったような僅かな違和感。探り当てることのできなかった先の騎士の正体について何か彼らが知っていれば、という小指の先ほどの期待が、アルテラに言葉を続けさせた。

 

「私は、破壊である」

「あぁ? 訳わかんねぇ事いってんなよ」

「俺達のダチをどこへやりやがった」

「愚問だな。我が前に立ちふさがるものは、何者であろうとも破壊する。例外は無い」

 

 俄かに静寂が訪れた。青褪め、次いで俄かに赤らんでいく騎士たちの表情をつまらなさげにアルテラは眺める。

 違う、そうではない。自分(アルテラ)が求めているのはそれではない。

 

「……まさ、か」

「……殺したのか。あいつを、お前がッ!!」

「理解できなかったか? ならば改めて言いなおそう」

 

「お前らの言う通り――あの無謀な青二才は、つい先ほど私が殺したよ」

 

 爆発があった。

 

「貴、様アアアァ!!」

 

 吹きあがる赫怒の火柱。どろどろと流れ出す憎悪の溶岩。大地割砕き天空引き裂く眼前の白き異人を前に、かろうじて保たれていた騎士たちの慎重さは麻よりも容易く燃え尽きた。続々と腰に佩かれた鉄剣が引き抜かれ、怨敵を前に白刃がぎらりと光を反射する。

 対するアルテラは対極、絶対零度の殺意を紅い瞳に乗せ、軍神の剣を強く握りなおす。極寒の殺意は現実をも塗りつぶし、軍神の剣からはこの土地が初めて経験するであろう極低温の魔力が零れ落ちていた。

 

 もはや猶予はない。容赦もない。怒りに任せて振るわれた鉄剣は一矢報いることもなく白き破壊の前に砕かれ、血気に逸った青年たちは後悔も無念も抱けないまま無残な骸を荒野に晒すことだろう。

 

 

 

 

 

 

 ――――かの騎士の命が、本当に潰えていたのなら。

 

 

 

 

 

 

 

『ッ!?』

 

 刹那、全員の動きが止まる。莫大な神秘の発露。極光と極熱の顕現。アルテラの後方数十メートルを爆心地として、吹き荒れる超常の烈風が土ぼこりを消し飛ばす。誰もが、アルテラまでもが騎士たちに背を向けて呆然と背後を振り返った。

 

 

 ――そこに、星があった。

 

 

 この場の誰にとってもなじみ深い星だ。何せ今でも頭上であっけらかんと照り輝いている。 

 

 太陽。日輪。天空をめぐり地平を照らすもの。あの外套の騎士でなくともわかる。叩きつけられる灼熱、燦々とあふれだす光輝。これを太陽と表現する以外何をそう呼ぶというのか。

 

 だがあり得ない、あってはならないはずだ。太陽とは大空を征くもの。地上には決して降りぬもの。

 

 だというのに、彼らの前にはそれがある。

 

 雲の先。宙の彼方。漆黒の海を泳いだ果ての果てより、この星を生誕から見守り照らし続けてきた始まりの輝きが。

 

「……本体同調率、上昇。機体稼働率八十パーセント」

 

 初めの閃光で、馬のことごとくは騎手を振り落として逃げ出した。それでも誰もが言葉を失い、ただその輝きに魅せられてその場に縫い留められている中、アルテラの意味深な言葉だけが静寂を破る。

 

「軍神の剣、励起状態へ移行――真名解放、準備」

 

 アルテラの体中に巡らされた紋章が、欠けた部分を補うようにその姿を変え、彼女の肢体隅々を覆いつくすように侵食していく。軍神の剣は膨大な魔力をつぎ込まれ、より鋭角的で禍々しい形状へ姿を変え、漏れ出した魔力は紫電となって大気を灼く。

 先の戦闘の比ではない。相手が星であるならばそれさえ砕くといわんばかりの暴力。それはまさに破壊という言葉の具現とさえいえるだろう。

 

 その膨大な魔力に反応したように、地上の太陽が数度瞬いた。垂れ流されるばかりだった魔力、閃光、灼熱は渦を巻き、爆心地へと向けて収束していく。

 

「そうか。私が感じていた気配は、()()か」

 

 魔力が、光が、熱が。その場にあふれ出した神秘のすべてが、ただ一所へ向けて雪崩れ込む。

 

「識っている」

 

 そして示されるのは最強の一。

 

「憶えている」

 

 毀れはない。曇りもない。宿す神秘はまさしく窮極。

 それは――

 

 

「――星の聖剣

 

 

 




おかしい、UAとお気に入りが突然伸びてる……
とりあえず日課のランキングチェックを――ん?

日間二位:外套の騎士

……ヒェッ(卒倒)


割とガチ目に心臓止まるかと思いました。
期待が重い……けど頑張る……

感想、評価、誤字報告、お気に入り登録ありがとうございます。
これからも更新頑張ります。


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9.星の聖剣(下)

 そこは、およそ人の生存が許される領域ではなかった。

 吹き荒れる紅蓮の焔。溢れ出す純白の光輝。立ち上る濃密な魔力――十秒、いや一秒とて常人には耐えられまい。どれ一つをとっても人間が耐えられるレベルをはるかに超えている。

 

 だがいた。そこに。焔と光が一点へ収束し、ようやく只人の目にも見通せるようになったそこには、確かに一人の男が立っていた。

 

 ひどい有様だ。

 代名詞となった真紅の外套はずたずたに裂け、そこから垣間見える鎧や手甲はぼろぼろに砕けて素肌が見えている。その肌も裂傷や火傷、青あざまみれで見れたものではない。

 

 それでも――それでも、彼は立っていた。抱いた奇跡に押しつぶされることもなく両の足でしかと大地を踏みしめて、ぼろ雑巾のようにされながらも爛々と輝く瞳に宿す戦意は欠片も衰えている様子はない。

 

 その手には、剣があった。焔と光が象ったこの世界における究極の一。星の産み落とした神造兵装。

 

 星の聖剣。

 

「――軍神マルスの光をここに」

 

 対するは三条の輝きを示す異形の剣。星の聖剣よりさらに旧い、太古の神が振るった神造兵装の原典にあたる武装。アルテラが練り上げる魔力を吸い上げて輝きをいや増していくそれは、今にも力を解放せんと猛り狂う。

 

 刀身をはい回り、バチバチと大気を焼く紫電が一際大きく散った瞬間、空間に穴を穿つ勢いで軍神の剣が突き出される。かっと瞬いたそれは五条の光芒を放ち、目にも鮮やかな赤い光弾が満身創痍を絵にかいたような外套の騎士めがけてくらいついていく。

 その一つ一つが堅牢な城壁を粉々に破壊するだけの威力を持ち、まともに受ければたとえ万全の状態であっても即死を免れない。今の彼ならば言わずもがな、かすめただけでも致命傷だ。

 

「おおッ!!」

 

 傷だらけの体に鞭打って外套の騎士が動く。気合一閃。ローマ軍の標準的な装備である鉄剣(スパタ)の倍以上はあろうかというロングソードが軽々と振るわれ、陽炎揺蕩う周囲の大気を横薙ぎに引き裂いてうなる。同時、切っ先からほとばしった爆炎が魔弾と交錯し、騎士の遥か手前で爆ぜた。

 

「砕くッ!」

 

 アルテラは気にも留めず、軍神の剣を高々と振り上げた。彼女を焦がす衝動の出所は知れたのだ。もはや一切加減をする理由はない。虹の残像をまとってうねる刀身が、鎌首をもたげた蛇のように狙いを定めて振り下ろされようとしている。

 

「ぐっ?!」

 

 ――が、しかし。アルテラが追撃を放たんとした瞬間、燦然と輝く物体が彼女めがけて飛来する。絶妙なタイミング。アルテラは舌打ちしながら軍神の剣を無理やり引き戻して()()を弾き、内心で騎士の正気を疑った。

 

 投擲物は軍神の剣とぶつかり合い、火花を上げて空へ舞いあがった。日光を反射して白刃がギラリと光っている。

 

 そう。星の聖剣。外套の騎士が持つ唯一にして最後の武器。つい先ほどまで振るっていたそれを、彼は一切の躊躇なく投擲していた。

 

「――ッ!!」

 

 一歩、二歩三歩――呼吸の手間さえ惜しむように、稼いだ一拍の間を最大限に利用して外套の騎士は無手のままアルテラに打ち掛かる。構えは斬り下ろし。肩口へ引き絞られた両手の先に紅蓮を携えて、鬼の形相で振り下ろす。

 

「成程……っ!」

 

 一見すれば意味不明、ともすれば滑稽にも映るその姿を見て、瞬間的に悟ったアルテラは即座に軍神の剣を構え直した――直後、同時に振り下ろされた剣がぶつかり合って火花を散らす。

 

「出し入れ自在、というわけか。便利なものだな」

 

 鍔迫り合い。あり得ざる光景。瞬き一つ前まで確かに無手だった騎士の手には再び聖剣が握られ、紫電をまとう軍神の剣と真っ向からぶつかり合っている。

 弾かれた聖剣がタイミングよく落下してきて、それを外套の騎士が見事につかみ取った――などという、そんな都合のいい現象が起きたわけではない。

 これは必然、当然のこと。外套の騎士は、なにも考えなしに聖剣を投げつけたわけではなかったのだ。

 

 上空を舞った聖剣が陽炎のように揺らぎ、焔となって彼の掌中へ舞い戻る――その一部始終を、アルテラの瞳は確かにとらえていた。

 

「ッ!!」

 

 ぎりっ、と歯ぎしりが響く。至近で紅と碧の視線が交差した。

 

「なっ」

 

 ふっ、と。唐突に支えを失って、アルテラがつんのめるように体勢を崩す。外套の騎士が聖剣を消したのだ。再びの驚愕。鍔迫り合いからそんな真似をすれば、何かする前に即座に斬りこまれて致命傷を負うのが関の山。

 しかし、極限状態にある外套の騎士は、そんな常識を軽々と踏み越えてさらなる離れ業を実行してみせた。

 

「貴、様……っ?!」

 

 コンマ一秒でも遅れれば軍神の剣がその身を焼き切る……そんな状況にありながら、外套の騎士の行動には一切の怯えが見られない。いや、そんな状況だからこそ怯える余裕さえ持てないのか。直感的にそれを可能であると判断したのなら、躊躇なく実行に移すのが今の彼だ。

 

 半身になって一歩踏み込む。自身の腕をアルテラのそれに蛇のように絡みつかせる。そして、彼女に振りほどかれる前に

 

「おおおお!!」

 

 ハンマー投げの要領で、明後日の方向に向けてアルテラを投げ飛ばした。きりもみしながら飛ぶアルテラの姿は見る見るうちに小さくなっていく。

 が、そこまで。絶好のチャンスでありながら追撃は放たれない。当たり前だ。聖剣抜刀からここまで、怪我の影響など微塵も感じさせないで奮戦してみせた外套の騎士だったが、その体は今にも斃れそうなほどボロボロであることに変わりはないのだ。

 

「……トゥ、トゥニカ」

「…………」

「おい……おい、返事しろ」

 

 がくりと、騎士が膝をつく。ようやく事態を飲み込みつつあった友人たちの声が、外套の騎士の耳に遠く響いた。

 近くで見ればことさらに痛ましい。処々の傷からは今でも血が滲んで赤い外套をなお赤く染め、赤紫に変色した斑紋がそこかしこに浮かんで見た者のほうが呻き声をあげそうなほど。総じて、生きて動いていること自体が奇跡といった様相だ。

 

 はっとした様子で、へたり込んでいた一人が声を上げる。

 

「逃げ、逃げる、ぞ。このままじゃ、全滅だ!」

「あ、ああ。けど、馬が」

「……走るしか、ない」

「こいつを抱えて? 無理だ! あの化け物から逃げ切れるわけない!」

「やるしかない! どう見たってトゥニカのはもう限界だ!」

「た、たたあ……戦う、のは」

「馬鹿か! あんなぴかぴか光る剣だか鞭だか分からんもん扱う奴とどう戦えって?! 一秒経たないうちに輪切りにされ――お、おいトゥニカ?!」

 

 喧騒に反応して、外套の騎士がぼうっとした顔で振り返った。瞳の焦点があっていない。烈火の如き攻勢をかけた先ほどと打って変わって、今の彼はまるで消えかけの種火のようだ。そよ風でさえかき消されてしまいそうな儚さがある。先の雄姿は、燃え尽きる前の一瞬の輝きであったのか。

 

 彼の瞳に映っているのは、友か、はたまた手招きする死神の姿か。

 

「くそっ。肩貸せ、走るぞ!」

「…………」

「トゥニカ? トゥニカッ?!」

「……大丈夫」

「……は?」

「ああ、大丈夫、大丈夫だ」

 

 焦りを募らせる友人たちとは裏腹に、ひどく落ち着いた声音で、ふわりと、この場に似つかわしくない微笑みさえ浮かべて。

 彼は言う。

 

 

 

「皆は、俺が護るよ」

 

 

 

 ――焔、未だ消えず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やってくれる」

 

 他方、投げ飛ばされたアルテラは、二度三度と地面を転がってようやく起き上がった。火事場の馬鹿力、とでもいうべきか。思いのほか凄まじい勢いで放り出されたアルテラは、ぎょろりと刃のような視線を向ける。

 

「……」

 

 膝をつく騎士の姿が見える。何やら友人たちと呑気に言葉を交わしているようだが、そんなことはアルテラの知ったことではない。

 

 まだそこは、彼女の手の届く場所だ。

 

火神現象(マルスエフェクト)

 

 再び暴力的なまでの魔力が立ち上り、湧き上がる傍から軍神の剣がそれを飲み干していく。虹の煌めきを散らしながら、天まで届けとうねり伸長するそれは大蛇か、竜か。

 

「――砕け散れ」

 

 言葉は静かに。されど巻き起こされるは静寂の対極。それまでの大破壊が遊びに見える、空間そのものをたたき斬らんばかりの暴虐的一閃。

 対して外套の騎士は即座に反応して見せた。輝きを放つ聖剣が再度顕現。瞬間的に練り上げられた魔力を平らげて切っ先から豪炎をまとう。そのまま躊躇いなく唐竹に一閃。彼の命を糧に燃え上がる焔は弧を描いて空を駆け、空間さえ断ち切らんとした虹の斬撃と真っ向から衝突した。

 

 轟音。耳を聾する破裂音が弾けて大地をも振るわせ、爆発とともに巻き起こった黒煙が一時的に両者の視界を遮る。

 

 呆れるばかりの持久力だった。あれだけズタボロになった身体の、どこにそれだけの力を残していたというのか。とはいえ事実は事実、外套の騎士は見事に一閃を防ぎきる。

 

「これも耐えるか」

 

 ぽつりとこぼされたアルテラの言葉には、仕留めきれなかった落胆も凌がれた恐怖もない。もとよりここまで粘って見せたあの騎士が、あの程度の一撃で沈むとは考えていなかったようだ。

 

 次手、先に動いたのは外套の騎士。続けざまに放たれたと思しき焔の斬撃が、一つ二つと黒煙を割って飛来する。

 焦ることなく、アルテラは大地に軍神の剣を突き立てた。瞬間、度肝を抜く光景が現れる。豪、と音を立てて一瞬で山のような氷塊が立ち上がり、騎士とアルテラを隔てる防壁と化したのだ。傍にいるだけで凍えるような冷気を放つそれは、まるで極地にそびえる永久凍土。

 そこへ、焔の斬撃が続けざまに着弾した。爆炎の華が咲き、絶凍の障壁がぎしぎしと悲鳴を上げて融け落ちる。如何に永久凍土じみているとはいえ、太陽の灼熱を遮るにはあまりにも頼りない。

 

 しかしアルテラにとってはそれで十分。五秒もあればこの障壁ごと、そして叩きつけられる灼熱ごと突き崩す詰めの一手は撃てるのだ。

 

 即ち、軍神の剣の真名解放。破滅という言葉の具現化。かの聖剣使いを確実に打倒するには、それをおいてほかにない。彼女の肉体にも強い負荷がかかる手前乱発はできないが、それでも迷いはなかった。

 

 水平に構えられる軍神の剣。鍔が展開され、刀身とともにゆっくりと回転し始め――

 

「ぐっ?!」

 

 ――そうして生まれた、僅か一瞬の硬直。そこを狙って、白熱した斬光が氷塊を打ち抜いて地平を駆けた。分厚く展開された氷壁を容易く溶解させ、容赦なくアルテラの左肩をえぐったその白光からは、まぎれもなくかの聖剣の波動を感じ取れる。

 何度目かわからない驚愕と肩を打ち抜いた灼熱に顔を引きつらせながら、アルテラはその場でよろめいた。

 

「……太陽(アポロ)の、剣。日差しが地の果てに手を伸ばすように、その間合いは、この地平すべてというわけか」

 

 歯を食いしばりながらアルテラは言う。氷塊に穿たれた大穴の先に、長剣の姿に戻った聖剣を杖のように突く騎士の姿が見えた。苦し気に喘ぎ、肩で息をするさまはまさに半死人。されど放たれる威圧感は僅かたりとも揺らがず、それどころか刻一刻とその圧を増しているようにさえ感じられる。

 

 否、事実一秒ごとに、彼から感じられる圧は増していた。熾火に燃料を注ぎ込んだように、加速度的に勢いづき燃え上がる魔力の波動。それが距離を無視してびりびりとアルテラの意識を打ち据える。

 

 その傍に友の姿はない。巻き込むのを恐れて下がらせたようだ。

 

「――――」

 

 アルテラは無言で、見せつけるように軍神の剣を再度水平に構えた――がしゃりと、鍔が大きく開く。

 健在であることの誇示。たかだか傷一つで破壊の大王は止まらない。完全に息の根を止めない限り、この大王は戦い続けるのだ。

 

 それを悟って、外套の騎士も構えなおした。震える膝を殴りつけ、噛み砕かんばかりに歯を食いしばって、真正面からアルテラをにらみ返す。限界を超えて練り上げられた魔力は溢れ出し、彼の周囲に陽炎を生み始めていた。

 外套の騎士もようやく決意する。あの大王を打倒するには宝具の開帳以外にありえない。問題は今の自分にそれを御することができるのかどうかだったが……もとより、この戦が始まってから博打の連続であった。今更躊躇することもないと、いっそ開き直ったように騎士は薄く笑みを浮かべる。

 

 

 ぐっと、軍神の剣を握るアルテラの手に力がこもった。ゆっくりと鍔と刀身が回転し、莫大な魔力がアルテラを包みこんでいく。一秒ごとに加速する回転に周囲の大気は巻き上げられ、捩じ切られ――その中心で、すべてを打ち砕く虹の極光が螺旋を描く。

 

 

――この剣は、太陽の現身

 

 

 相対するは太陽の聖剣。

 祝詞のように。誓いのように。厳かに文言を唱えながら、彼は聖剣を天高く空へうち上げた。

 

 

もう一振りの、星の聖剣

 

 

 高く、さらに高く。あの太陽そのものに迫るように――聖剣は、空の果てを目指す。

 

 

災禍を祓う、守護の陽光ッ!!

 

 

 そして、蒼穹の果てに紅蓮が花開いた。果てに在りし原典を再現するような燃え盛る火球から、目を灼く光の奔流が溢れ出して大地に黄金の紋章を刻む。

 

 それは大地を満たす太陽の紋章。地平を照らす無限の光輝。

 

 

 降り注ぐ光とともに、星の聖剣が騎士の手中に帰還する。彼の手に収まったそれは、もはや剣の姿をした焔だ。万象を焼き尽くす原初の焔が、今この一時のみ一振りの刃として振るわれる。

 

「それが、お前の全力か」

 

 軍神の剣の威光が霞んで見える天変地異を前にしながら、なおもアルテラは揺らがない。負けじと魔力をつぎ込んで、いよいよそこにあるだけで全てを砕く破壊の具現と化した軍神の剣を片手一本で見事に抑え込んでいる。

 

「お前が、星の光を示すというのなら――――私は、その星さえ砕いてみせよう

 

 

 

 

 

 

 

転輪する勝利の剣(エクスカリバー・ガラティーン)

軍神の剣(フォトン・レイ)

 

 




遅刻、圧倒的遅刻。
大変申し訳ありませんでした……!


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10.決着

※本日は二話連続更新です。未読の方は前話よりご一読ください。


転輪する勝利の剣(エクスカリバー・ガラティーン)

 

 ――赤、朱、緋。視界の全てが焔に染まる。

 灼熱一閃、日輪の威光を以てあらゆる障害を灰燼に帰す。紅蓮と光輝を思うさま振るうこれこそは『ガラティーン』。太陽の熱線にて万物を焼き尽くす焔の聖剣。この星を生誕より見守り、時に恵みを、時に試練を与えてきた灼熱の星の力そのもの。

 

 不思議と熱さは感じなかった。聖剣を手にしたその瞬間から、この身は熱への耐性を得たらしい。当然といえば、そうなのだろう。

 

「……来る」

 

 熱風、火炎、閃光、それらすべてを併せ持ち、眼前で荒れ狂う灼熱の奔流。生物非生物問わず、あらゆる存在を焼尽せしめる紅蓮の波濤。

 会心の手ごたえだった。初めてにしてはこれ以上ないほどに。全力で放った至高の一撃だった。

 

 だというのに、この向こう――あらゆる存在を融かし、燃やし、蒸発させ、一切の抵抗を許さない地獄のような光景の先から、確かに迫りくるものがある。

 

 目を閉じたなら容易く思い描ける。虹の燐光をヴェールのようにまとったアルテラが、魔力光の尾を引きながら焔に呑まれた大地を駆けるその艶姿を。それはきっと、宇宙という暗黒の海を泳いでいく一条の彗星によく似ている。

 

 

 『転輪する勝利の剣』、『軍神の剣』、双方ともに破格の宝具だがその性能は正反対だ。かたや、日輪の灼熱を以て眼前に在る一切の障害を焼き払う、広域拡散型の『転輪する勝利の剣』。かたや、その刀身に破滅的な魔力を充填し、担い手とともに一直線に貫く一点集中型の『軍神の剣』。殺傷範囲は転輪する勝利の剣に軍配が上がるが、突破力に関しては比べるべくもないほどに軍神の剣が上をいく。たとえ同等の破壊力を持っていようとも、真正面からぶつかり合えば分が悪いのは圧倒的に転輪する勝利の剣のほうだ。

 

 

 加えて言えば、これが初めての真名解放である俺に対し、アルテラはこれまで十数年もの間軍神の剣を振るい続け、その扱い方を十二分に心得ている。馬鹿正直に宝具をぶつけ合うだけでは勝てないのは当然だ。

 

 

 ――だから、そう。勝ちにいくには、()()しかない。

 

「のっけから、無茶をさせて悪いな」

 

 わかっている。わかっていた。ただ真名解放しただけでは、あの破壊の大王を倒せはしないと。

 だから、だから――俺は、既知(未知)に手を伸ばす。

 

 脳裏をよぎるのは、未来、己と並び立つとされるある騎士と彼が至った絶技。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――言葉にすれば簡単だが、本来放出するはずのものを内部に蓄えるというのは、すなわち至近距離に爆弾を抱え込むようなものだ。そのうえ本来の用途ではない以上、聖剣にも担い手にも重大な過負荷がかかる。

 

 それに――あれは、人類最高峰の才を授かった男が、血のにじむような努力の果てに手に入れたであろう奥義だ。

 

 ぶつけ本番で成功させようなど烏滸がましいにもほどがある。

 

「っても、やらなきゃ、なぁ」

 

 死ぬのだ。出来なければ死ぬ。

 俺だけじゃない。大王の蹂躙はローマ全て飲み込む。

 

 みんなが死ぬのだ。

 

「――――」

 

 故に、躊躇はしない。

 

 

 彼の努力を弄ぶことになろうとも、

 

 九割九分九厘失敗するとしても、

 

 成功したところで聖剣か自分、あるいは双方が致命的な欠陥を受けようとも、

 

 

「護ると、決めたから」

 

 

 大上段にガラティーンを構える。……そういえば、これは『天の構え』とかいうのだったか。なんとも、この聖剣に似合いの名だ。

 魔力を練り上げる。熱く。激しく。真名解放時のそれと同じだけを聖剣に向けて流し込み、そして空になりつつある体内に再び魔力を熾す。それをさらに聖剣につぎ込んで、こらえきれず吹き出しそうになるのをすかさず体内へ引き込む。この循環の際生まれる僅かな余剰領域で再び魔力を熾し――あとは、それを無限に繰り返す。

 

「ぐ」

 

 燃えている。身体の内から。魂の内から。俺という存在全てが、火柱になって燃え盛る。

 滅茶苦茶だった。たとえるなら直結した二つのダムか。決壊寸前まで流し込んだ水を放水し、次のダムにため込み、その水をもう一度くみ上げて前のダムに注ぐ。無論その間も常に氾濫寸前の大河から水が流れ込み続けている。

 

 なんだそれは。まったくもって意味不明。こんなことを考えられるとは、俺もまだまだ余裕があるらしい。

 

「ぁあア゛……ぐぅぅう゛う゛ぅ……」

 

 傷口が鮮血を吹く。青あざが皮膚の下でさらに広がる。

 焼けている。燃えている。もう灰になろうとしている。

 

「ぎ、ぐ……あ、あぁあぁぁ……」

 

 漏れ出す声は人語を為してない。獣でさえもっとまともに哭くというもの。

 一秒ごとに、身体が末端から死んでいく。

 

「う゛ぅぅうう゛う゛ぅぅっ!」

 

 駄目だ。ああもう駄目だ。もう限界だ。これが限界、ここが…………限、界?

 

 

 

 否、否否。

 

 

 

 限界など……疾うに、疾うに踏み越えている――ッ!

 

 

 

「づぅ……」

 

 ガラティーンがぐずっていた。やめてくれ、もう無理だ、早く使ってくれ――そういうように、ぱちぱちと細かに火花を飛ばして抗議している。炎熱への耐性を得たはずの体にそれが当たる度、目の前が真っ白になるような激痛が意識を灼いた。

 だがやめない。まだやめない。

 自負がある。これならやれる、と。如何にあの大王といえ、これを受けてはタダでは済まない。絶対に倒せるはずだ。

 

 だから――確実に、当てる。その瞬間まで魔力の循環も精製も絶対にやめない。

 

 その瞬間は、あと何秒後か。

 発動直後と比べ、火勢は格段に弱まっていた。比例して、莫大な圧が勢いを増して迫りくるのをびりびりと感じる。

 来ている。すぐそこまで。

 

「が……あ、ああぁァアア゛ア゛あア゛――――!!」

 

 

 来い、来い、来い、来い来い来い来い来い――ッ!!

 

 

 

 

「――――!!!」

 

 

 

 

 紅蓮が裂ける。破滅の白が、虹の残照を撒き散らしながらすべてを塗りつぶして顕現する。

 

 届いたぞ、と。破壊のヴェールの向こう側で、真紅の瞳が確かにそう告げていた。

 

 

 ああ、よく届いてくれた。

 待っていたんだよ、お前を。

 

 

「燃え尽きる時だ――!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――無だ。何も無い。そういうほかない。

 いや違う。あるにはあるのだ。それだけが、天上の焔に炙られた大地に深々と残されている。

 

 見るがいい。縦一文字、大地に刻まれた斬撃を。一時間以上経ってなお煙を上げる黒々とした傷口を。外套の騎士の全力は、ローマの荒野に無間の闇を孕むクレバスを作り出した。

 

 日輪の聖剣、ガラティーン。それの、破損さえ厭わぬ、最大出力を踏み越えた限界出力による一撃――即ち太陽系()における()最大の爆発現象(フレア)を模した、正真正銘、いかなる存在であろうとも灼滅せしめる究極斬撃。

 外套の騎士がたどり着いた、彼だけの剣。たとえ、その始まりが模倣であったとしても――これは、彼にしかなしえない、彼だけしか扱えない一撃だった。

 

 

 だが。

 そんなものを放って、無事でいられるわけがない。

 

 太陽とは、己が身を削って輝きを放つ星の名だ。その星の力を宿す聖剣から限界以上の、原典たる星の力そのものを引き出そうとすればどうなるかなど言うまでもない。

 

 西ローマ、いやさ西欧諸国を脅かす神の鞭、破壊の大王を究極の一撃で退けた代償に、彼は己自身を燃やし尽くして焼滅した――

 

 

 

「…………ん、ぐ

 

 

 

 ――はず、だったが。

 

「――――生きてらぁ

 

 クレバスの起点から数十メートル。爆風に弾き飛ばされ無様に大の字になって転がる騎士の姿があった。

 

 

 二つの幸運が、彼の命を救った。

 

 

 一つは、時間。聖剣使いとしては未熟な彼がこれだけの大技を手繰れたのは、偏に時が彼の味方をしたからといってもいい。正午、太陽が中天に上りきる時間。外套の騎士に与えられた太陽の加護、その最後の一滴が降り注ぐ瞬間。ガラティーンの性能が最大限発揮されるごくわずかなそのタイミングだったからこそ、聖剣は許容限度以上の魔力を注ぎ込まれながら破損することなく、外套の騎士の期待に応えることができた。

 

 そしてもう一つは――これは幸運と呼ぶには、少々皮肉なものだが――彼が、まだ聖剣使いとして未熟であったことそのもの。ある意味、これも時間が齎した幸運であるともいえる。

 もしも本当に、聖剣から原典たる日輪の力を完全に引き出せていたのなら、彼は問答無用でその魂ごと燃え尽きてあとには灰さえ残ることはなかっただろう。しかしながら、彼は聖剣使いとしてはあまりにも未熟だった。無論、聖剣を手にしたこと自体これが初めてなのだから当然なのだが。結果として、彼は命が尽きる寸前まで魔力を注ぎ込んで自滅しかける程度の()()で済んだのだ。

 

 とは言え、その未熟さ故に彼は命を拾ったのだから、結果的には最良の結末を得られたといっていいだろう。

 

「……らっきー

 

 へにゃりと、脱力しきった顔で彼は笑った。何も思い残すことはないとでも言いたげだ。

 事実、彼は満足していた。アルテラを倒し、友を護り、仲間を護り、ローマを護り――父を、護った。その事実だけで、彼は満足だった。

 そのうえ、死を覚悟してはなったあの全霊の一撃の後に生きていて、その実感を得ることまでできたのだ。

 

 これ以上ない、至福の瞬間だった。

 

「…………」

 

 ようやく開いた瞼が、また落ちようとしている。全身から力みが抜けていく。焦点はずれ、呼吸は浅く、鼓動は間隔を空け、思考がぼやけていく。

 

 あれだけの激戦だったというのに、その終わりは、ひどく穏やかで――

 

 

 

 

トゥニカァー!!!

 

 

「ンあっ?!」

 

 

 

 ――そして同時に、ひどく騒がしかった。

 

 決着からはや一時間以上。フン族はとっくのとうに敗走し、勝鬨さえもう聞こえない。だというのに決戦の地は灼熱に包まれたままで、今になってようやく人が入ることができるようになったのだ。それでもまだ陽炎が立ち上り、足を踏み入れた人間に大粒の汗をだくだくと流させているのだが。

 そうやって、汗のしぶきを散らせながら、くたばった様に倒れ伏す外套の騎士を探し回る影があった。

 

「熱い! 暑い! 死ねるッ!」

「全部あの馬鹿のせいだ! 加減ってのを知らねぇのかアイツは!」

「どこ行った?! まさかあの裂け目に落っこちてねぇだろうな?!」

「燃え尽きたり……してないよ、ね……?」

「……このままだと、俺たちもアイツも蒸し焼きだな」

 

 命懸け、なんて言葉とは程遠い。とても日常的な喧騒。ほんの数時間前まで浸っていた現実。それが足音を立ててへ駆け戻ってくるのを外套の騎士は身に沁みるような思いで感じていた。

 

 

 

 

 震える腕に、最後の力を注いで。

 

 

 

 

「――勝ったぞおぉぉッ!

 

 

 

 

 高らかに、彼は勝鬨を上げた。

 




もう一度。

一週に一度の更新を怠ってしまい申し訳ありませんでした。

さて、次話にてとりあえずローマ編に一区切りをつけようと思います。
ローマ・アルテラ編を長々と引きずってしまった、反省。

最後に、誤字報告、評価、一言評価、感想、お気に入り登録、諸々ありがとうございます。
その一つ一つが私の励みになります。
これからも更新頑張ります。


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11.いざ、ブリタニアへ

 季節は秋。刺すような日差しは徐々に慈しむような柔らかいものへと変わり、からっと乾いて熱気を運んでいた風はしっとりとした湿気を含んで頬をなでつける。気温も徐々に冷え込み、夜間は凍えるような寒さに震えることもしばしば。一日ごとに、冬が駆け足で近寄って来るのを感じるような、そんな頃合い。

 

 

 ――アルテラとの決戦より、早くも三年と少しが過ぎていた。

 

 

「聖下、外套の騎士殿をお連れいたしました」

「うむ、入れ」

「は。では騎士殿、どうぞこちらへ」

「失礼いたします」

 

 かつかつと、靴音を響かせて入室する。今日はよく晴れていて、日当たりがよい窓からは眩しい日差しが差し込み、部屋を暑すぎない程度に温めていた。部屋の中は慎ましいながらも見事な調度品で揃えられ、美しい華まで活けてある。また、日光によって書物を傷ませないためだろう。部屋の奥、日が傾いても届かない辺りに大きな本棚が設えられ、そこには大量の資料がぎっしりと詰め込まれているのが見えた。

 そして、本棚の手前。大きな文机に向かってさらさらと文を書いている老年の男性がいる。

 

 彼こそは当代ローマ教皇、スルピキウス一世――俺たち一家がローマに流れ着いて以来、父の良き友人であり相談相手であった人物だ。

 

「これを、彼らに」

「承知いたしました」

 

 ちょうど書き終えたそれを従者に預け、教皇がこちらに向き直る。柔和な笑みを浮かべる顔は最後に見た時より幾分老けて見えるが、老いを感じさせるのはしわが増えたことぐらいか。その顔色はすこぶるよく、動作もきびきびとしていて年よりも若々しく見えた。

 

「久しいな、若君」

「お久しぶりです、聖下。ご健勝のようで、なにより」

「そういうお主は、一段と男前が上がったのではないか? 『北方の壁、烈日の将』として、ローマどころか、ラヴェンナでもお主の噂で持ち切りと聞く」

 

 うっ、と息が詰まった。正直勘弁してほしい類の話だ。

 

 現在、俺はローマ市ではなく北東方面の国境に詰めている。北東へ撤退したフン族、延いてはそれを率いるアルテラを警戒してのことだ。現状、アルテラと軍神の剣に対抗できるのは俺とガラティーンだけ。故に、俺は皇帝陛下の勅命の下、国境沿いの都市や砦を拠点としてこの三年間を活動していた。まあ、結局この三年間アルテラは姿を見せなかったのだが。どうも先の一件が相当にこたえているらしい。フン族の連中は斥候一人だって姿を見せなかった。

 

 今のところ、結果だけをみれば俺がフン族の大侵攻を止めたことになり、そのせいで今では護国の将としてローマ軍の顔扱いされる始末だ。街に戻れば騎士殿騎士殿と、あっちやこっちから声をかけられて気が休まる暇がない。聖剣なんて物騒なものを持っている以上引きこもっているわけにはいかないという理屈は理解しているが……それでも、ちょっとあれは、キツイ……

 

「軍人として当然のことをしているまでです。何よりも我が身は、護るべき者たちを守護する盾たらんと努めておりますれば」

「そうは言うがな。謙遜は美徳だが、それも過ぎれば毒になる。胸を張りたまえ。お主は十二分にその務めを果たしているのだから」

「……そう、ですね。以後、気を付けます」

「うむ。……ところで、だ。話は変わるがな、お主ももう十八になる。いい加減佳い人は見つかったかな?」

「なっ……いえ、その……」

「その様子ではまだのようだな。身を固めるつもりはないのかね? お主なら引く手数多だろうに」

「はぁ……いやその通りですが……」

 

 ……再度、息が詰まる。ここ最近における一番の悩みの種だった。

 偶の休日に声をかけられるのは、まだいい。

 

『騎士様! お勤めご苦労様です!』

『あ、かっこいい騎士様だ!』

『いつもありがとう!』

『騎士殿、よい魚が入りました。いつものお礼でございます。軍でお召し上がりください』

 

 この程度はかわいいものだ。煩わしいと思わなくもないが、悪い気分にはなりはしない。有名税と割り切ろう。

 だが――

 

『ああ騎士殿、街に戻っておられたか。ところで今日、我が家で宴を開くのだが』

『何時まで街におられるので? 実は明後日こちらでも宴の席が』

『うちの娘が一目お会いしたいと』

『ところで許婚はおありで?』

 

 最近はこちらの勢力が凄まじい。

 

 宴の席に誘われるのには目を瞑る。昼夜絶えず監視の目を光らせて、いざというときは命懸けで戦場に出る……あの疲労感は生半なものではない。そんなこちらを本気で労って、軍団一同をもてなしてくれることも間々あるからだ。

 だが下二つはない。絶対にない。いやまあ、年頃になってきたのは自覚してはいるのだが。中途半端に(未来)の価値観が残っているので、突然結婚とか許嫁とか言われても困る。

 

 それに――いずれこの身は、戦乱に荒れる某国へ赴かねばならない。愛する人を戦場へ連れていく訳にもいかないし、加えて生き残れる保証もない。()()()()があるとはいえ、俺にとってはここが現実なのだ。あり得ないなんてことはあり得ない、とはだれの言葉だったか。初戦であっけなく屍をさらして、娶った相手が一瞬で未亡人になるようなことがあっては目も当てられない。

 

「…………」

「ふむ……困らせるつもりは、なかったのだが」

「ああいえ、困るようなことなど――」

「そうやって、こちらを心配させまいとするのは昔から変わらんな。……思えば、こうして話すのもウィアムンドゥスの葬儀以来か」

「はい……あの時は、色々とお世話になりました」

 

 ウィアムンドゥス――荒廃したローマに現れ、数多の財と施策によって街にかつての隆盛を取り戻した英雄。ローマを愛し、ローマに愛された男。

 

 俺の、たった一人の家族。

 

 約二年の闘病生活の果て、父は天に旅立った。

 

 早すぎる、と嘆く人がいた。あるいは、苦しみが長引かなかったことに安堵した人もいた。種々様々な人々とその思いの下、父の葬儀は荘厳に執り行われた。

 

 ――俺としては、やはり早すぎると言わざるを得ない。父には何も恩返しができなかった。とは言え、父には『自分のような詐欺師まがいの男を父と呼んでくれたこと』自体がすでに恩返しだといわれたが……それを言うなら、そもそもこんな自分を実の子供として育ててくれたことでお相子だ。

 

 あの日のことを考えると今でも顔から火が出そうになる。もう少しまともなやり方があっただろうと思わずにはいられない。

 

 ……それでも、忘れることはできそうにない。

 俺たちは、確かに、あの日あの場所から始まったのだ。

 

「しかし、そうなると……二年ぶりだな」

「ええ」

「墓前には参ったのか」

「はい。こちらに戻ったその足で、父には挨拶を済ませました」

「そうか。……此度は、無理を言ってすまなかった」

「いえ。こちらこそ、昨年はお顔を合わせられず申し訳ありませんでした」

 

 先に述べたように、俺は今北東方面に詰めている。それがなぜこうしてローマに戻っているのかといえば、なんてこともない。教皇聖下より、直々に呼び出しがかかったからだ。

 ローマ教皇本人からの要請ともなれば帝国としても一蹴するわけにはいかない。急な呼び出しではあったが、俺は何とか準備を整えて駆け戻ってきた。まあ、かなりキツキツの日程を組んでようやく許可が下りたのだが。ローマに到着したのが今朝だが、明日昼にはもうローマを発たねばならない。

 万が一にも今フン族、いやさアルテラの襲撃があれば大惨事が引き起こされるのは確実だ。故に、俺が不在の期間は極力短くせねばならないのだ。

 

「気にするな。重ねて言うが、無理を言っているのはこちらなのだからな。……さて、そろそろ本題に入ろう」

 

 すっと、教皇の顔が引き締まる。つられて、俺も思わず居住まいをただした。

 

「手紙にも書いたが……今回はほかでもない、ウィアムンドゥスの遺言についてだ」

 

 ……覚悟はしていたが、やはり緊張する。

 父の遺した遺言。俺に隠されていたそれがあると手紙で知らされた時の動揺は言葉にしようがなかった。

 

 最期の時、俺は洗いざらい全て父に話した。自分がおそらくは未来人であろうということ、この体を乗っ取った外道であること、最初の告白を認めてもらったのをいいことに――それらすべてを黙って、ローマを、友を、父を欺いてきたこと。

 

 そのすべてを包み隠さず告白し、腕に縋りついて泣きながら謝った。

 俺の話のどこまでを父が信じてくれたのか、それはわからない。だが彼は、声を出すのもつらいだろうに、俺の頭をなでつけながらこう言ったのだ。

 

『例え、何者であったとしても。あの日の言葉を、私は忘れない。あの日の言葉を、嘘にはしない』

 

『何があろうとも、お前がそう望むなら……お前は、私の子だよ』

 

 その時の喜びと悲しみは、それこそ言葉にできないほどだった。全てを知ったうえで俺という存在を受け入れてくれたことへの感謝、そしてそんな父の命がもはや風前の灯火であることへの絶望。それらが複雑に入り混じって、筆舌に尽くしがたい感情の荒波が胸中にあふれかえったのを今でもよく覚えている。

 だからこそ――父が、他人に告げて俺には告げなかった言葉があるという事実には何とも言えない衝撃を受けた。

 

「遺言、といいますと」

「お主の素性と、これからについて」

「……それは」

 

 俺の、素性。それについて、ある程度の予測はついている。

 星の聖剣、ガラティーン。身体に宿る、太陽に縁深い能力。そんな特徴を持つ英雄に、一人だけ心当たりがあった。

 しかし、もしその予測が正しければ、俺と父の間には精神的どころか肉体的にも血の繋がりの無い赤の他人ということになってしまうのだが――まあ、今では些細なことだ。正直どうでもいい。

 

 俺にとっての家族は、『父』ウィアムンドゥス只一人だけなのだから。

 

「お主はすでに、自分がウィアムンドゥスの実子ではないことに気付いているのだったな。何時どうやって知ったのか、あれも訝しんではいたが……」

「その、自分がそれを悟ったのはひどく直感的なもので、これといった根拠があったわけではないのです」

「そうであったか。しかしまあ、お主の素性を考えれば、そのようなことがあってもおかしくはなかろうて」

「……それで、その素性というのは」

「ああ……すまぬ。もったいぶった言い回しをしたが、今はまだ、お主には教えられぬのだ」

「何故です?」

「それが、ウィアムンドゥスとの約束だからだ。お主には明後日より、旅に出てもらう。目的地はブリタニアだ」

「……ブリ、タニア」

「聡いお主ならもう気づいただろう。そう。ブリタニア、あの神秘の島こそがお主の故郷なのだよ」

 

 推測が、確信に変わった。

 未来においてイギリスと呼ばれることになる地域。ローマ帝国が隆盛を極めた時代、終身独裁官ユリウス・ガイウス・カエサルから始まり、最終的にネロ帝の遠征によってローマの属州とされた島――それがブリタニアだ。

 俺の推測のど真ん中だ。ここまでくれば、もう疑いようはあるまい。

 

「ウィアムンドゥスが私に残した遺言は三つ。一つ、お主の素性について。一つ、お主が成長した暁には、いずれブリタニアに送ること。一つ、これらは他言無用、来るべき時まではお主にも伏せておくこと」

「……では、聖下は今こそがその時だと」

「ブリタニアはこれまで荒れに荒れていた。内部分裂、異民族侵攻、暴君の君臨。とてもではないが時期が悪すぎて、これまではうかつな真似はできなんだ。しかし――」

 

 

 

「一人の青年が、暴君に反旗を翻したそうだ。名は、『アーサー・ペンドラゴン』。かつてかの島に君臨した王、『ウーサー・ペンドラゴン』の直系だ」

 

 

 

 ――アーサー王伝説、という物語群がある。いや、この場合これから生まれるといったほうがいいのだろうか。そのタイトル通り、伝説の中心となるのがこのアーサー、即ちついさっき教皇聖下の口に上った、『アーサー・ペンドラゴン』だ。後に九偉人の一人にも数えられ、世界的な知名度を誇ることになる大英雄。理想の騎士道の体現者。

 また、彼本人の勇名もさるものだが、彼の配下に集った騎士たちも高名なものばかりだ。一人一人が英雄譚の主人公を張れるだけの武威を誇り、時にはアーサー王を凌駕するように描かれることさえある騎士たちが、アーサー王に多数仕えている。

 

 そんな彼らの活躍が始まろうとしているのが、まさに今なのだ。

 

 そして――俺の、正体ともいえるその英雄が所属していたのも、このアーサー王が治める国、そして彼が率いる騎士団であった。

 

 ……だが

 

「……少し、無理があるのでは? いかに教皇聖下とは言え、ローマ軍人である私を勝手に動かすことはできないはず。それに、アッティラのみならず、異民族への侵攻にはどう対処するのです。自慢ではありませんが、私が防衛で担う役割は大きい。代わりになる相手などおりませんし、戦力の補充も一朝一夕には――」

「アッティラ大王には、私が話をつけた。貢納金を納める代わりに、今後一切西ローマに手を出さぬよう、とな」

「――――いつの間に」

「お主が来る直前だよ。皇帝陛下にも話は通した。建前上では、お主はローマからの援軍としてブリタニアに渡ることになる」

 

 至れり尽くせりだった。まさか、皇帝陛下のみならず、あのアッティラ(アルテラ)まで丸め込んでいようとは、想像だにしなかった。

 というか、あのアルテラが、金で侵攻をやめた? そんなもので止まるような相手じゃないと思っていたのだが、俺の思い違いだったのか。

 

 まあ、アルテラ側の事情なぞどうでもいい。万が一にもその和平協定を破るような真似をするなら、ガリアを突っ切ってでもアルテラを叩き斬りにいけばいいだけのことだ。

 

 そんなことより……

 

「……私が、自分の素性を知ること。つまり、自分の名と本来の身分を取り戻すこと。それが、父の最後の望みなのですか」

「少し違うな。お主を育てること、それ自体がウィアムンドゥスの生きる目標であった。あれはよく言っていたよ、『息子と出会ってから、私の人生は始まったのです』とな。ゆえに、これはな、お主への最後の贈り物なのだよ」

「…………」

「……どうした? やはり、戦乱に荒れる国に赴くのは気が向かぬか」

「いえ。戦禍があふれるかの島では、比例して虐げられる者たちも多いでしょう。私は守護を誓って聖剣を手にした身。虐げられる彼らの盾として、ブリタニアに渡ること自体に否やはありません。寧ろ、ようやくかの地へ向かうことができ、聖下には感謝してもし足りないというもの。ただ――」

「ただ?」

「――仮に尊い血筋であったとしても、そんな身分に興味はない。名前だって、それこそ『トゥニカ』で十分。……俺はただ、この街で父と一緒に過ごせれば、それでよかった」

「…………」

「……ですが、せっかく父が用意してくれたものを受け取らないという選択肢はありません」

 

 

「ブリタニアへ渡り、島を覆う災禍を跳ね除け、勝利の栄光とともに凱旋する。そして――父の墓前に、わが真名を捧ぐ。それこそが私にできる、父への最後の恩返しとなりましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――二日後、早朝。着実に冬の冷たさが染み渡っていく澄んだ朝の空気に、潮騒と男たちの声が響いていた。

 太陽は水平線を上り、その全貌をあらわしたばかり。船を出すまでは、まだ時間がある。

 

「荷の積み込みはこれで最後か?」

「だな。しかし……戦に助太刀しに行くってのに、こんなもんばっかりでいいのかねぇ?」

「まあうちの騎士殿だけで千人、いや万人力だからな。きっと大丈夫さ!」

「あ! お早うございます、騎士殿!」

「お早うございます。朝早くから、申し訳ありません」

「なんのなんの! この程度はそれこそ『朝飯前』ですよ!」

「違いない!」

 

 がははがははと威勢のいい笑いが巻き起こる。海の男たちは朝早くから活気に満ち溢れた気持ちのいい連中ばかりだった。

 そんな彼らにこちらも笑みを返し、時間つぶしがてら傍にある物見台に上った。ローマ全てとは言えないが、ここからは街並みのかなり先まで見通すことができる。

 

 友と朝から晩まで駆け回ったあの路地も、

 毎週通うほど行きつけだったあの料理屋も、

 『外套の騎士』という通り名の切っ掛けになった服飾屋も、

 ――父と暮らした、あの驚くほど広い豪邸も、

 

 ここから、よく見える。

 

 慣れ親しんだこの街とも、しばらくの間はお別れだ。

 

『トゥニカ―!』

「ん」

 

 ――ふと、懐かしい声がした。

 

「おりてこーい!」

「見送りにきてやったぜ」

「な……みんな、どうしたんだ?! 任務があるはずだろう?!」

 

 小姓時代から、いつもつるんでいた五人――俺のとって一番の親友たちが、いつの間にか港に集まっていた。

 彼らもすでに正規の軍人として、一人を除いて各地に出向き警備にあたっているはずだった。残る一人も、このローマ市警備隊の隊長として多忙の日々を送っていると聞いていた。

 それに、本当ならもう北方へ向けての帰路についていたはずだった。だから、今回の帰省ではだれにも声をかけていなかったのだ。皆で集まってちょっと話すことさえできないと、最初から思っていたから――

 

「しばらく、留守にするそうだな」

「……ああ。悪いな、みんながローマのために頑張っているのに」

「気にするなって。そも、ブリタニアだってもとを正せばローマだ。つまり君もローマのために戦っている同志のままってコト」

「あ、そうだ! 帰ってくるときは、お土産よろしくな!」

「もちろんだ……って、そうだ。なんでみんながここにいる? 俺は誰にも声をかけてなかったはずだが」

「スルピキウス聖下から手紙が届いてな」

「『外套の騎士殿が、ブリタニアへの遠征に出かける。私の名前を使っても構わないから、任務を休んで皆彼を見送りに来てほしい』とのことだった」

「いや、慌てたぜ。俺のところにそれが届いたのが昨日の夕方でなぁ。だから一番速い馬を借りて走りっぱなしで帰ってきた」

 

 ……そういえば、俺が教皇聖下と謁見したとき。あの方は手紙を書いておられた。

 

「…………まったく」

 

 何から何まで、あのお方は――――いや、スルピキウス聖下だけじゃないな。

 俺がローマを離れることに頷いてくださった皇帝陛下、まだ名無しの俺のためにこうして集まってくれた皆――あまりにもいびつな出会い方をしながら最後の最後まで俺を思ってくれていた父。

 

 そして、俺を受け入れ、十年間ちかく育んでくれたこのローマという国そのもの。

 

 

 俺が出会った全部が全部、俺にはもったいないくらいの、宝物だ。

 

 

「……必ず、帰る。名前と、勝利の栄光とともに」

「期待してるぜ」

「ずっと待ってるからな!」

「武勇伝を、楽しみにしている」

「お前がいない間は、俺たちに任せておけって!」

「何があっても、この国を、この街を護ってみせるよ」

「――ああ」

 

 

 

 

「さあ、出航だ」

 

 

いざ、ブリタニアへ!




遅刻ゥ!

あれだけ頑張るといっておいてこれである。
すまぬ、すまぬ……

気を取り直して、一章終了後のちょっと長め後書き。
ついにローマ編終了です。長引いたなぁ。もっとスマートに終わらせる予定だったんですけども、指が止まらなんだ。冗長になってたのなら申し訳ない。修業が足らぬ、ぐぬぬ。

そしていよいよブリタニア改めブリテン争乱編が始まります。書いてる自分が一番楽しみにしてるっていう末期。あの人とかあの人とか、あとあの人も出したいです。そんでもって争乱編の後は冒険編です。これまでちょいちょい原作で語られたエピソードに手をのばしたいと思います。


そして最後に。
毎度のことながら、誤字報告、評価、一言評価、感想、お気に入り登録などなどありがとうございます。皆様からの応援を糧として、少しでも上達した面白い文章をお見せできるよう精進する次第です。これからも完結まで、末永くよろしくお願いします!


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12.神秘の島

 荒波をかき分けて船が行く。空は生憎の曇天で、雨こそ降りそうにないものの、暗んだ視界は否応なくこちらの気分まで落ち込ませた。加えて、海上を吹き荒ぶ潮風は強い冷気を抱え、直に触れた素肌をこそぎ取っていくようだ。やはりというべきか、後世で言うイタリア半島より北方にあるブリタニア周辺は、すでに帝国北方以上の冬の気配に包まれていた。

 

 しかし、それよりもまずいのは――

 

「あー……」

「くそっ……船酔い、じゃねぇな、なんだこりゃ……」

 

 個人差こそあれど船員たちは一様に顔色が悪く、気分の悪さを訴えている。中には何でもないような顔をして船の操舵や荷の具合を調べている者もいるが、ひどいものでは著しい体調不良のために寝込んでいる者たちだって居た。航海が始まってから一週間半ほど。ようやくグレートブリテン島の影が見え隠れし始めたところで、俺たちは思わぬ危機に襲われていた。

 

「皆、無理をしないように。いざとなれば引き返すのも――」

「そこまでだ、騎士殿。俺たちにも意地がある。この程度で音を上げてなんかいられんよ」

「船長。ですがこれは精神論でどうにかなるものではありません」

 

 船員を蝕んでいるもの。それは病魔でもなければ長旅からくるストレスや栄養失調でもない。

 

 魔力だ。

 

 

 話は西暦以前に遡る。古代、この星を取り巻く環境は今のそれとは比べ物にならないほど異なっていた。星の息吹たる大気中に含まれる魔力、『マナ』は今の人間からして致死レベルなまでに濃く、これらを糧として存在を保つ魔性のモノども――妖精や精霊、幻獣などが我が物顔で闊歩していたという。加えて、そのような環境に適応していた人間たちも現在と比べればはるかに強壮で、今でこそ一騎当千などと称される自分でも、おそらくその時代では少し強い一般兵程度の扱いとなるだろう。そのうえでまだ一騎当千、天下無敵と謳われる大英雄がごろごろしているのだから、過去……『神代』というのは恐ろしい。

 

 しかしそれも、今から五百年程前までの話だ。つまりは西暦が始まろうとするころに、その『神代』は終わりを迎えてしまった。大陸のマナは枯渇しつつあり、山野や海洋に蔓延っていた魔性の存在は大半がその姿を消してしまった。

 

 だが、ブリテン島周辺は大陸とは事情が少々異なる。この島が神秘の地とされるのは、何も海峡を隔てて大陸と切り離された辺境の地であるということだけではない。大陸と切り離されている、というのは地理的な意味だけではない。時代の変遷、世界法則の変革。星全体に齎された世界秩序の変化による影響からも断絶しているのだ。

 故にこそ神秘の地、この星に唯一残された神代の残滓。それこそがブリテンであり、辺境に取り残された小世界である。

 

 

 ――とまあ、これらは()()()()()()と、この世界の文献や世を忍ぶ隠者達から伝え聞いたことの受け売りなのだが、重要なのは『古代の大気は現代人にとって毒となり得る』ということ。

 

 ブリテン周辺の海域へ入ったのが約半日前。その直後から、大気中の魔力が段違いに跳ね上がった。船員たちは一呼吸ごとに体内へ紛れ込む魔力にあてられ、中毒症状を起こしているのだ。

 

「このままでは皆の命が」

「そうは言うがね。話に聞いた限りじゃあ、あちらも相当参ってんだろう? だからこそこの――山盛りの食糧や武装を一刻も早く届けなけりゃならん。そして何より、あんたを届けなけりゃならん」

「船長……」

 

 積み荷の木箱をなでながら、強い意志を宿した声で船長が答えた。思わずほかの船員たちにも目を向けるが――全員、なけなしの気力を振り絞って強気に微笑んで見せている。

 

「……では、これ以上は何も言いません。焼け石に水でしょうが、私もあなた方の思いに応えましょう」

 

 鞘から聖剣を引き抜く。曇天に不服そうなガラティーンが薄明りの下で鈍く光を反射した。

 妙なものを引き寄せる可能性もあるが、背に腹は代えられない。今は船員たちの命のほうが大事だ。

 

「――午前の光よ、善き営みを守りたまえ」

 

 祈りをささげると、ガラティーンがそれまでとはまた異なる淡い輝きを放った。分厚い雲の向こうに隠された、太陽の如き暖かな輝きが船を包む。

 やっていることは単純だ。ガラティーンを介して、大気中に満ちるマナを吸い上げているのである。拙い我流の技であるが、これで多少は魔力中毒もましになることだろう。現に寒風と魔力中毒で顔色の悪かった皆の頬に、徐々に赤みがさしている。

 とは言え、これは例えるなら海の水をバケツでくみ上げているようなものだ。やらないよりはましなので、やらないという選択肢はないのだが。

 

 もう少し、神秘、魔術に関する知識が大陸で学べればよかったのだが、今はちょうど基督教が社会に浸透し始めた時期。奇跡は主の手によるもの、それ以外は異端、魔性の業であるとの見識が広まり、魔術師達にとって大陸は住みよい場所ではなくなった。そこに加えてマナの枯渇もある。魔術師たちは僅かに残された神秘を求めて、それこそブリテンのような辺境の地へと安住の地を見出すようになり、一朝一夕に出会える存在ではなくなってしまったのだ。

 そのせいで、こういった神秘への対抗措置は最低限かつ我流のものしか覚えられなかった。

 

「すまん、騎士殿。――野郎ども、気を張れよォ! 島はもう見えてんだ、ここまで来たら行くとこまで行ってやろうじゃねぇか!!」

『『おおおおー!!』』

 

 気炎を上げて船が行く。

 目指すはブリテン島、コーンウォールだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――アーサー王伝説には、次のような一節がある。

 

『白き竜と赤き竜は、それぞれ異民族とブリテン人を示します。これらの戦いは、コーンウォールの猪が現れ、白き竜を踏み潰すまで終わりません』

 

 これは島を陥れる暴君に対して、暴君に呼び出されたとある魔術師が言い放った預言だ。

 

 暴君はとある砦を建設する際にどうやっても上手くいかないので、この魔術師を呼びつけて生贄にしようとした。魔術師は砦の建設がうまくいかない理由――建設予定地の地下に巨大な水たまりがあることを見事に暴き、次いでさらなる予言の下この水をすっかり取り除かせた。この水たまりの底に眠っていたのが先の言に挙げた二匹の竜である。この竜は夜間にかけて争い続け、朝になると眠るということを繰り返し、恐怖にかられた暴君は魔術師にこれが何を示すのかを尋ねた。

 

 それに応えたのが先ほどの一節だ。

 

 さて、預言の中で白き竜と赤き竜はそれぞれ異民族とブリトン人を示すと明言されている。

 

 では――コーンウォールの猪とは、誰のことだろうか。

 

「……ここが、ブリタニアか」

 

 あれからさらに一日と少し。ついに俺たちローマ遠征部隊は、グレートブリテン島はコーンウォールの地に足を踏み入れた。

 先の予言の話に戻るが、竜がそれぞれ人種を示しているのだから、コーンウォールの猪も特定の人種ないしは人物を示すとみるのが自然だ。

 

 そしてこの時代、コーンウォールから起った英雄といえばたった一人。

 

「ここがアーサー王の生まれた地かぁ……の割には、殺風景な土地だ。人も見当たらん」

 

 そう。アーサー王伝説の主人公、アーサー王その人が身を起こしたのがこの土地。つまりコーンウォールの猪とは、アーサー王のことを示していたのである。伝説においてはその予言通り、アーサーが軍勢を率いて異民族――ゲルマン系民族、サクソン人を打ち破ることになっているのだが……

 

「戦乱が続いていますから、人気が無いのは致し方ないかと」

「うぅむ、それにしてもこれは……」

 

 今はまだその伝説の『で』の字もできていない時代だ。アーサーが王の資格を示したのが五年前。それから五年にわたって密かに彼は諸国をめぐり、部族単位で協力を取り付けながら暴君――卑王ヴォーティガーンへの反攻の機会を窺い続けていた。

 そして、今。ついにアーサーはその素性を明かし、前王ウーサーの後継者としてヴォーティガーンへ反旗を翻した。ブリテン人たちの手に、あるべきものを取り返すために。終わりの見えない戦乱の世を終わらせるために。

 

「……近くを探ってきます。聖剣をここに置いていきますので、皆はここを離れぬよう」

「なっ、それじゃああんたが危ねぇ! ここはブリタニアだ、向こうとはわけが違うのは分かってんだろ?!」

「逆もまたしかり。聖剣を置いていけば、邪なものもおいそれとは近づけないでしょう。なに、まだ日は高い。私は日輪の祝福を授かった身、聖剣がなかろうと容易く斃れることはありませんとも」

 

 浜に聖剣を突き立て、輸送してきた武器から手ごろな長剣を手に取る。淡い輝きは船の周囲一帯を取り囲み、島を満たす濃密なマナから船員たちを守っている。これを取り去るわけにもいかないが、かといってこのまま手をこまねいているわけにもいかない。アーサーに取り次いでもらえるよう、何とかこの島の人間と接触しなければならないのだ。

 

「では」

「……ああ。日暮れまでには戻るよう、頼むぜ」

 

 軽く手を振り、浜辺を後にする。とは言え、あてがあるわけでもない。現在、凡そ分かっているのは――

 

 一つ、件の卑王は城塞都市ロンディニウムを根城にして君臨していること。

 一つ、北方、特に古代ローマ軍が建設したハドリアヌスの長城という国境線以北には、サクソン人らともまた違う民族が自治する領域があること。

 一つ、アーサーはこれらに対抗し、ブリテン島西部、カンブリア(ウェールズ)などを拠点として活動していること。

 

 今回俺たちがコーンウォールを訪れたのは、ローマから最も近く、アーサーとのつながりも深い土地だからだ。それに、突然彼らの本拠地をローマ軍の人間が尋ねたところで、要らぬ混乱を招くだけだろうと考えたというのもある。

 しかし……若干、その考えが裏目に出た。まさかこれほどに地方が閑散としていようとは。

 

「とりあえず、人がいる場所を目指さないと」

 

 幸いにして、苦労なく道を見つけることができた。これをいけば、町か村にたどり着けるだろう。

 

 その村か何かが、ここから半日以内の場所にあれば、だが――

 

 

 

 

「…………参ったね、どうも」

 

 

 

 

 船を降りて早一時間か。ひたすら歩けど歩けど、それらしいものどころか人っ子一人は見えてこない。空を振り仰げば、中天に差し掛かりつつあった太陽はすでに過ぎさり、午後の日差しを投げかけていた。

 

「食事にするか」

 

 腹が減っては戦はできぬ。ここらでいったん小休止とし、道端に生えていた木の陰に腰を下ろして背嚢から干し肉と水筒を引っ張り出した。

 もそもそと干し肉をかじりながら、改めて周囲を見渡す。目立ったもののないなだらかな丘が続き、冷たい潮風がさえぎるもののないそこを縦横無尽に駆け回っていく。季節が冬であることも相まって緑も少なく、あまりにも物寂しい光景だ。しかし、だからと言って即座に戦乱の気配を嗅ぎ取れるほど荒れた様子も見受けられない。このまま春になれば、広い土地を活かした農作業に励む人々の姿がそこかしこにありそうなものだと思いをはせる。

 

 きっと、戦さえなければその通りになっていたはずだ。だから早く、こんな戦いを終わらせて次の時代を目指さなければ――

 

「……む」

 

 ……不意に、視界がゆがむ。瞼が、重い。腹が膨れたせいか、なんだか、眠くなってきたような。

 いかん、俺の帰りを待っている連中がいるのに。はやく、あーさーおうに、あわなければ――

 

「………………まず、ぃ」

 

 ……これは、さすがに、おかしい。

 

 なにか、みょうな――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ああ、お帰りなさい」

 

 




評価、一言評価、感想、誤字報告、お気に入り登録ありがとうございます。



※お願い
繰り返しになりますが、感想、本当にありがたく思っております。その一つ一つが私の創作活動の糧となっております。

無論、一言評価にも目を通しております。この場を借りて、再度お礼申し上げます。
今回はこの一言評価について。
皆様から頂く感想、ご指摘に関してはできる限り返信させていただいております。が、一言には現状その手段が見当たりません。この場で返信するというのも、晒しのようになって逆に不快感を与えてしまうかと思い、控えてまいりました。

ですので、今回以降何かご指摘点等ございましたら、ぜひ感想欄へお願いいたします。私としましても、せっかくのご意見に返信できないというのは心苦しいものがありますので、お手数とは思いますがよろしくお願いします。

また、今回から作者ページを解放いたしました。ここまでの一言による指摘について返信させていただきます。また、もし感想欄で扱いにくい話題があり、どうしてもという場合にはメッセージでお知らせください。


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13.再会

「――――――う、ん……」

 

 瞼を開く。寝起き特有のぼやけた視界を晴らすため、しょぼしょぼと二、三回瞬きを繰り返した。すりガラスを通したようだった景色がクリアになり、周りの様子が明らかになる。

 頭上に在るのは天井。自分が寝そべっているのは寝台。考えるまでもない。ここは屋内、寝室だ。

 

「んーあー……よく寝たぁ……」

 

 ぐぐっ、と大きく伸びをして一つあくびをかみ殺す。慣れない船上では揺れと波音で眠るどころの話ではなく、ここ数日ずっと寝不足だったのだ。おかげで今は随分と気分がいい。

 惜しむらくは今がまだ夜であることか。寝台のすぐ横には窓があり、そこからは薄い月光が差し込んでいる。月の光が嫌いというわけではないが、やはり目覚めは太陽と共にでなければどうにもきまりが――

 

 ――――う、ん?

 

「よく、寝た?」

 

 待て。

 待て待て待て。

 

 俺は、一週間余りの船旅を過ごしてからブリテン島にやってきた。それはいい。

 そしてやっとブリテン島に上陸した俺は、周囲の様子をうかがうために単身船を離れた。その通りだ。

 一時間以上歩き通して人っ子一人お目にかかれなかったので、小休止として木陰で食事をとった。これも間違いない。

 

 

 では――一体全体、俺はどういうわけでこんな場所にいる?

 

 

「……やられたな」

 

 記憶を洗いなおす。顎を鍛えるのが目的のような硬い干し肉を水で流し込んだすぐあと、何となしに辺りを見渡していたら強烈な眠気に襲われた、はずだ。そして当然だが、そこから今目覚めるまでの記憶がすっぽりと抜け落ちていた。

 如何に慣れぬ船上生活で疲弊していたとはいえ、たかだか一週間余りのそれで昼間に微睡んでしまうほど軟な鍛え方はしていない。加えて、あの強烈かつ突然の睡魔はどう考えても尋常なものではなかった。『眠った』のではなく『眠らされた』としか思えないほどに。

 

 となれば、答えは一つ――

 

「……拉致された、か」

 

 神秘の島、ブリテン。未だ神代の奇蹟が伝えられる魔境。人間の一人や二人、簡単に眠らせる魔法や魔術が存在していたとして何もおかしくないはずだ。

 仕方のないことだったとはいえ、早くも無知が仇となった。あるいは、知らず知らず自分の身体能力に驕りを抱いていたか。太陽の加護。聖剣の加護。それさえあればある程度対応できると踏んでいたが、それはあまりに迂闊な考えだったらしい。

 

 ここはこの星に残された最後の秘境――大陸の常識は通用しないと肝に銘じてはいたが、より一層気を引き締めなければなるまい。

 

「まずいな、残してきた皆は無事か?」

 

 そして今、何よりも気掛かりなのはここまでの航海で世話になった船長をはじめとする船員たちだ。彼らには聖剣の守りがあるが、相手は俺でさえ抵抗する間も与えず無力化するような魔術師……あんな我流の技が通じるとは思えない。

 また、俺はこうして生きたまま捕らえられたが、彼らもそうだとは限らないのだ。一刻も早くここを脱出して、皆の下へ帰らなければ――

 

 いや、待て。

 

「そもそも、ここまで連れてきた目的はなんだ?」

 

 現状、ローマとブリテンの間にはある程度の溝が存在する。

 

 四〇七年、本国への異民族侵攻に対処するため、ローマ帝国はそれまでブリテン島に駐留させていた防衛部隊を撤退させ始めた。そして四一〇年にはブリテン島の各氏族たちへ、ブリテンの支配権を放棄する旨の手紙が届き、ついにブリテン人たちは帝国による支配から解放された。が、それ自体は手放しで喜べるものではなかった。繰り返すが、今は民族移動時代の真っただ中だ。ローマ帝国諸領域はもちろんのこと、ブリテン島だって異民族たちの標的になっていたのである。

 

 つまり、ブリテン人たちは北方に住まう異民族に加えて海の向こうからやってくる連中とまで、自分たちの力だけで戦わねばならなくなったのだ。しかも、帝国の支配が突然打ち切られたせいで、それまで抑圧されていた諸氏族の族長たちが自分こそはこの島の支配者であると身勝手な主張を始め、内乱まで始めてしまった。まさに泥沼、血で血を洗う暗黒時代の始まりである。

 

 このように、一から十まで帝国が悪いとは言えないが、帝国の身勝手な振る舞いによってブリテン島が戦乱に呑まれ荒廃したのには間違いない。

 よって、ブリテン人がローマ人に対して好印象を持っているとは言い難い。直接アーサー王の下へ乗り込まなかったのはこの辺りも理由の一つだ。

 

 だからこそ現状が解せない。

 

 日の高さから言って、意識を失ったころは午後二時あたりだったか。今は日没だから、ざっと見積もって四ないし五時間も無防備に眠っていたことになる。その間に俺を連れ去り、しかも牢へ捕らえるでもなく、縛めることさえせずに客室と思われる部屋で休息をとらせる――これはいったいどういう目的があってのことなのか?

 

 敵意がない? まさか。ならばどうして眠らせて拉致するなんて面倒な真似をした。初めから正面切って顔を合わせれば済む話だ。

 他に考えられる可能性はなんだ。例えば――『ローマの人間』という括りではなく、『俺』個人に用があった、とか? いや、その場合でもここまで手間をかけた意味が分からない。

 

 くそっ、時間を無駄にできないってのに、面倒なことをしてくれる。

 

「……そういえば、最後に誰かの声を聴いたような」

 

 ふっと思い出す。意識が落ちる直前、幽かに響いたあれは確かに人の声だった。

 あの澄んだ高さからして女性の声だったと思うが……

 

「何だったかな。意識がもうろうとして、うまく聞き取れなかったが……」

 

 短く、一言。

 呪文のような特別な響きでもなかったはずだが――ああ、そうだ。

 

「……『お帰りなさい』、だったか?」

 

 そう。そうだ。

 お帰りなさい――確かに、そういっていた。

 

 …………『お帰りなさい』?

 

「…………ははは、まさかな。まさか……いくら何でも……いや、まさかぁ……」

 

 お帰りなさい。お帰りさない。

 

 何度口の中で転がしても、言葉の響きと意味は変わらない。

 

 外出していた相手へのあいさつ。帰宅、帰還を労う言葉。

 

 必然、それを向けられるのは()()()()()()()

 

「っ?!」

 

 コン、コン、コン。ノック。静寂を破る突然の音。何時の間に現れたのか、扉の向こうには人の気配がある。

 

 さっと、顔から血の気が引いた。

 居る。居るのだ。初めて訪れたこの地で、俺の帰還を労う、しかも魔術師として超一流の腕前を持つであろう人物が。

 

「ど、どうぞ」

「失礼します」

 

 ――幸か不幸か、俺の想定は裏切られた。部屋に入ってきたのは俺の考えていた人物ではなく、白を基調とする仕事着に身を包んだ妙齢の女性だった。月光を受けて澄んだ瞳がきらりと輝き、衣服のそれと比べても遜色ない白い肌がぼうっと浮かび上がる。

 そこはかとなく、作り物めいた雰囲気を持つ女性だ。整った顔立ちではあるが、感情の色がまるで見えない。月光を受けて輝く瞳は磨き上げられたガラス玉か宝石のようだ。染み一つない肌はお世辞にも血色がいいとは言えないが、かといって不健康なイメージを与えない程度には生気を纏っている。総じて、生物としての繊細さではなく、無機物としての脆弱さを感じさせる人物だった。

 

 ふと、頭の内をよぎるものがあった。

 特徴的な、人形の如き儚い美貌を持つ人型の人工生命――ホムンクルス。

 

「ご気分はいかがでしょうか」

「え、えぇ……お陰様で楽になりました」

「さようでございますか。つきましては、夕食の準備が整っております。主が是非ご一緒したいとのことですので、ぜひ」

「待って下さい。その、ご主人というのは」

「それに関しても、食事の席でお話しするとのことです。どうぞ、こちらへ」

 

 

 

 

 

 

 ――そして、出会う

 

「初めまして、旅の騎士様」

 

 この館の女主人。そして、おそらくは俺に魔術をかけた張本人。

 

「よくお眠りになっていたようですね」

 

 先のホムンクルスを容易く上回る美貌だった。

 サラサラと癖のない、指通りのよさそうなプラチナブロンドの髪。目鼻立ちはくっきりとしていて、ぱっちりとした瞳が、今は眩しい物でも見るように細められている。その顔立ちの中に既視感を覚えるのは、昔見たある女性に似ているからか。

 

 それとも、よく見る顔の面影をそこに見出せるからか。

 

「……この度は、お世話になりました。お陰様で長旅の疲れも癒え、楽になりました」

「それはよかった。さあ、食事の用意は済んでいます。どうぞ、席へ」

「その前に――お名前を窺ってもよろしいでしょうか。ここまで丁重にもてなしてもらっておいて、恩人の名も知らないままというのは信義にもとるというもの」

「ああ。そういえば、自己紹介がまだでしたね」

 

「帝国が去りし後、ブリテン島を統べた最も偉大なりし人。卑しくも策略を以て異民族を引き入れ、この島の団結に罅を入れたヴォーティガーンに討たれたウーサー・ペンドラゴンの娘――モルガンと、申します」

 

 モルガン。言葉通り、ウーサー・ペンドラゴンの娘。今島に名を響かせ始めたアーサーの姉に当たる人物。

 

 アーサー王伝説に曰く――妖姫、魔女、アーサーに仇為すもの。しかしながら、湖の乙女の一人として死に瀕した彼を理想郷へいざなう者。

 

 そして、俺の――

 

「さあ、せっかくの夕食が冷めてしまうわ。お話は、食べながらでも」

「は、はい」

 

 促されて席に着く。事ここに至ってようやく目を向けた卓上には、思わず唸ってしまうような御馳走が並べられていた。このご時世、ここまでの代物を用意するのは簡単なことではないだろう。貴重な食料を惜しみなく提供されたことに僅かな罪悪感を抱きながら、席について食事に手を付けた。

 

 

 

 ――無言。食べながら話す、と言いながら双方に会話はないまま、しばらく時間が過ぎた。

 

 

 

 いや、何度か言葉を振ろうとしたのだ。食事の手を止めて、様子を窺って、彼女が一口食べ終わる合間に声をかけようとした。

 しかし、そのたびに――こちらの視線に気づいた彼女の微笑みを見るたびに、口をつぐんでしまう。

 

 なにか、と小さく紡がれた言の葉に、いいえ、と狼狽えながらぼそりと返して。

 

 そうして黙々と食事を味わいながら、時間だけが過ぎていった。

 

「……その」

「はい」

 

 そして。

 殆どの饗膳を食べ終わった食後の余韻の中で、意を決して俺は口を開いた。

 

「この度の御歓待、誠に感謝したします。ですが、私にはここまで持て成していただく心当たりがありません。理由を、お聞かせ願えますか?」

「――あら。あらあら。本当に、分からないのですか?」

 

 

 その一言で、さっと、再び血の気が引いた。

 

 

 彼女の纏う雰囲気は何一つ変わらない。伝説であれほどまで貶められているのが想像もつかないほど、無垢で清楚、静謐な佇まいだった彼女は、その趣を残したまま言葉を零す。

 

 ナイフのように冷え切り、鋭利に研ぎ澄まされた言葉を。

 

「これは少し、戯れが過ぎたのかしら? 見るからに初心で純情そうだものね」

 

「それとも、ええ、私との距離感を測りかねているのかしら。ようやくの再会で、言葉のかけ方もわからない?」

 

「だとしたら、ええ、見かけによらず可愛らしいこと。まだまだお子様、ということなのかしら」

 

 くすくすと笑う。

 言い知れぬ感覚が体中を這い回る。

 

 なんだこれは。何がどうなっている。

 彼女は何ら特別なことをしていない。何も知らない外野から見れば、美しい貴婦人と言葉を交わす騎士といった様子にしか見えないだろう。そんな穏やかな光景なのに、彼女の言葉一つ一つが自分の見えない部分に突き立てられるような錯覚を感じる。

 

「でも、嘘はいけないわ。貴方、もうわかっているのでしょう? 心当たり、あるものね」

「な、にを……ッ!」

「違わないでしょう? だって、貴方が遠路遥々ここまでやってきたのは、そのためでもあるのだから」

 

「ねえ、そうでしょう――外套の騎士様?」

 

 




更新遅れ、失礼しました。
何分、先週は予期せぬ私事が次々と重なってしまい、PCを触れなくて……

加えて、今週は連日の猛暑で軽い熱中症に。
私が言うまでもないことですが、読者の皆様も、水分補給や休憩をしっかりと取ってくださいね。


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14.妖妃、魔女あるいは――

FGO三周年おめでとう!(遅刻)


「ねえ、そうでしょう――外套の騎士様?」

 

「――っ!」

 

 息をのむ。外套の騎士? 外套の騎士だと? ついさっきまで、情けなくも機を逸して名乗り上げられなかったというのに、俺の通り名を知っている……?!

 

 脳裏によぎる戦慄。どうやって。その疑問ばかりが沸いては消えていく。

 如何にアッティラ大王を単騎で退けたとはいえ、高々大陸の一軍人の名がブリテンにまで届いているとは考えにくい。よしんば俺の名や特徴がここまで届いていたとしても、ローマ軍の兵装になじみのないこの島の人間が初見で俺がそうだとわかるとは思えない。

 

 海岸ないし船上での会話を聞かれていた? 有り得る話だ。遠見の魔術などモルガンにしてみれば児戯にも等しいことだろう――

 

「それとも、トゥニカ君と呼んだほうがよかった?」

「――――」

 

 ――と、考えかけたところで飛び出した言葉に心臓が止まりそうになる。

 

 今モルガンはトゥニカと俺を呼んだ。『外套の騎士』は通り名として知れ渡っている一方、『トゥニカ』というのは俺の仮名として周囲の人間に浸透している。こちらを知っているのはローマ市か俺の詰めていた砦の連中ぐらいなものだ。加えて、そちらで呼ぶのはローマ市の親しい連中だけ。これまでの船旅では、俺は一貫して『騎士殿』と呼ばれていた。もし船上からここまでの会話を知られていたとしても、『トゥニカ』の名を知っている理由にまではならない。

 

 皮肉なものだ。いつぞやアルテラに仕掛けた策が、ここまで見事に自分に向けられるとは。これも因果応報というべきなのだろうか。

 

 そして。

 何故、どうやって――再三浮かぶ疑問に対し、一つの回答を見つけると同時に氷柱を背筋に突っ込まれたような感覚を覚える。

 

 

 相手は魔女、あるいは妖妃モルガン。この世界に在ってはアーサー王以上にブリテン島の加護を受ける、云わばブリテン島の女主人。魔法、魔術に長ける超常の人――なれば、記憶を覗く、なんてこともできるのでは?

 

 

「……自己紹介が省けたようで、何より」

 

 何とかそれだけ、言葉を絞り出す。

 

 もし、俺の推測が正しいのなら。彼女には、俺のすべてを知られてしまったことになる。

 俺が過ごした過去――()の、すべてを。

 

 その憶測を前に激しい動悸が胸を穿ち、胃が不気味に蠕動してたらふく食べた饗膳を喉元までせり上がらせる。が、顔には出さない。俺だってもうガキじゃないんだ。この程度のことで一々狼狽えてなるものか。

 

「意外ね。もう少し取り乱すと思ったのだけれど」

 

 なんてことないように、モルガンは可愛らしく小首を傾げて見せた。その挙措はいっそ忌々しいまでに清楚で愛らしい。神秘如何に関係なく、魔性の女、という意味でならこれほどまでに『魔女』という言葉が似合う少女はそうはいまい――

 

 待て、少女?

 

 目をむいて思わず見返す。応じてくすりとほほ笑む少女、否、美少女。モルガンが座っていた場所に、彼女をそのまま若くしたような、大人の階段を上りきる直前の、熟れきる前の初々しさを残す美少女が座っている。

 

 有り得ん。確実に俺と同い年か年下に見える。ついさっきまでは妖しい色香あふれる妙齢の女性だったはずなのに。

 

 ぶんぶんと頭を振ってもう一度見直す。こらえ切れないように笑い出したモルガンの姿は美女に戻っていた。ええい、その笑い方までいちいち上品なのが癪に障る……っ。

 

「熱い視線をありがとう。私みたいな女が好み?」

「な」

「だとしたら、ええ。貴方に許嫁の一人もいないのも頷けるわね。ここまで()()()娘、いなかったもの」

「余計なお世話だっ……です!」

「あら、ごめんなさい」

 

 先のひやりとした感覚はどこへやら。弛緩した空気が場に満ちる。ああ、くそ。畜生め。ひとのことで遊びやがって。これじゃあすっかりモルガン側の流れだ。

 深呼吸。兎にも角にもまずは深呼吸。戦いと一緒だ、相手のペースに呑まれるな。

 

「……記憶を読み取る程度は朝飯前、ということか? あるいは夜食前?」

「猫をかぶるのは止めるの?」

「俺は猫かぶりじゃない。今までのは目上の人間に対する当然の姿勢だ。とはいえここまで弄ばれれば、こちらも相応の態度をとらせてもらうまで。それで、これだけ好き勝手してるんだ。さっきの言葉の正解不正解ぐらいは教えてくれてもいいのでは?」

「あら、残念。さっきまでの貴方、如何にも坊やといった様子で可愛らしかったのに。ああ、それと。記憶を覗いたかどうか、だけれど……そうね。貴方が眠っている間に記憶を覗いたのかもしれないし、今この場で心を読んだのかもしれないわね」

「……成程」

 

 クスリとひとつ笑みを浮かべてモルガンがいった。

 つまりはどっちもありというわけだ。厄介なこと極まりない。どちらにしても、現状の俺では対抗策が一つもない。見られ放題の読まれ放題。……まずいな、勝ちの目が見えないぞ?

 

「若いうちからそんな顔をしないの。皺が増えるわよ」

「誰のせいだ、誰の」

「しいて言うなら貴方のせい? そういう癖は早めに直しておかないと」

「そもそも貴女が俺にしかめっ面させるのが原因でしょうが!」

 

 大げさなまでに深く大きなため息をついて天を仰ぐ。お手上げだった。いかんせん、俺は頭の出来が著しく良いというわけではない。多少の知恵を回すことはできるが、こんな風に言葉を弄して相手を煙に巻くような真似は大の苦手なのだ。卓について表面上を繕いながらどう相手を崩すか思考を巡らせるよりも、剣を握って戦場でどかんと一発ぶちかますほうが性に合っている。

 

 ……つまるところ、こうして聖剣も持たず言葉を交わしている時点で敗色濃厚だったわけで。

 真正面から本音をぶつけ合うならまだしも、こうなってしまっては思考を読まれる読まれないを無視しても俺に勝ち目はない。

 

 ええい、もういい。なるようになれ、だ。

 

「…………本題に入ろう」

「本題? ええと、貴方の女性の好みだったかしら」

「後生ですから話を進めてくださいお願いします」

「あら違った? ごめんなさいね」

 

 くすくす笑いながら話すモルガンは心底楽しそうで、嬉しそうだ。本当に、この絵面だけ眺めていれば彼女が妖妃よ魔女よと畏れられているのが信じられなくなってくる。

 ……ああ。まったく、まったく。こちらがどんな思いで、貴女に会うつもりだったか知りもしないで。

 

「……いや、知っているのか」

「なに?」

「何でもない」

「そう? ああでも――本当に良かった。無事に、帰ってきてくれたのね」

 

 ――その言葉には、万感の思いが込められていた。魔女でも妖妃でもない。一人の親……一人の母として、あらん限りの愛情を込めた言葉だった。

 それに応えるべき人間は、それに応えてよい人間は、ここにはいないというのに。

 

「…………」

「浮かない顔ね」

「……責めないのか」

「何を?」

「俺はっ……俺は……」

「……()()のことなら」

「っ」

「それは不要な心配というもの。ええ、何も責めることなどないのだから」

「それは、何故」

「だって身体ならまだしも、魂まで私が用意したわけではないのだし。そのうえで貴方が生れたというのなら、そのような運命だったのでしょう。真贋なんて論じられるはずもないわ」

「――――」

 

 ここにきて、言葉を失ったのは何度目か。

 彼女の澄んだ金の瞳に虚飾の色は見えない。ただひたすらに、二十年近い時を経て帰還した息子へ向けられた慈愛がたたえられていた。

 

「父の言いつけで貴方を旅の商人に任せた後、持たせた財宝と一緒に盗まれたと聞いた時には気が狂いそうになったけれど……ええ、貴方はこうして立派に育って戻ってきてくれた。記憶だけじゃない、こうして直に見たからこそわかる。本当に良い人に拾われたのね。ここまで真っすぐに育ったのだもの。私は、それを知ることができただけで満足よ」

「……その割には、ずいぶん強引に逢いに来たな」

「そうね。それについては謝るわ。でも、今後のことを考えるとそうするほかになかったの。『貴方が自分で私に会いに来る』のと、『無理やり魔女に連れ去られる』のでは、余人が受ける印象も変わってくるから」

「……っ」

 

 ……いわれてみれば、その通りではある。俺が自分から彼女を探し出して会いに行けば、下手をすればそれは『子が親を求めている』とも解釈されかねない。幼少期に親元から引き離されて育ったのだからなおさらだ。しかし、『そのつもりもなかったのに勝手に会いに来た』となれば、それは妖妃が自身の子供を利用しようと近づいてきたという風に解釈されるだろう。これに関しては、これまでの彼女自身の振る舞いがあるゆえに、余計に真実味が出てくる。

 

 そう。魔女。妖妃。そのはずなのだ。今だって、人の記憶や心の内を覗くなんてことを躊躇いなくしでかしている。アーサー王伝説を振り返っても、彼女が暗躍するエピソードはその初期から終盤まで多岐にわたる。挙句の果てにアーサー王の終焉そのものにまで関わっているのだ。その執念深さは他者の追随を許さない。

 

 であればこそ、俺は彼女を拒絶するつもりだった。如何に母といえど、彼女の望み――王位の簒奪には与することなどできない。この島に今必要なのは理想という希望だ。輝かしい幸福を未来に約束できる存在だ。

 

 それを為せる人間は、この島でアーサーを除いて他に居はしないだろう。……いや、至高の王、完全な王と謳われるアーサーでさえ、時間稼ぎにしかならない。

 だからこその俺だ。護るべきを護るために、全霊を尽くすと決めた。アーサーを支え、ともに未来を切り開く。アーサー一人でも、ましてや俺一人でも出来ないことでも、二人そろえば――いいや、彼の下に集う騎士全員の力が合わせれば、それはきっとかなうはずなのだ。

 

 故に、如何な罵詈雑言を浴びせられようと――万が一、刃を交えるようなことになろうとも、俺はモルガンと出会えたのなら、その場で彼女との縁を切ろうと思っていたのだ。

 

 

 ――そう、思っていた、のに。

 

 

 ここにいる貴女は、こんなにも『母』で。

 

 

「だから、貴方は貴方の思っていた通りにすればいい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――――」

 

 

 

 それ、は。

 

 

 

 その、言葉は。

 

 

 

「……卑怯、だろう」

 

 

「――――母さん」

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと、頬を風がなでるのを感じた。冷たく湿った空気が、急速に浮上する意識の端を入れ替わり立ち替わり擽っては立ち去っていく。それは起きろ起きろとはやし立てられているようでもあり、応じて、しかし焦らすようにゆっくりと瞼を持ち上げれば、水平線から顔を出したばかりの太陽から曙光が我先にと瞳の奥へ雪崩れ込んできた。

 

「――っ」

 

 たまらず片手を掲げ、顔を覆って日差しを遮る。思わぬ洗礼につきつきと痛みにも似た感覚を覚える眼をこすりあげると、そこでようやく本格的な覚醒に至った頭が状況を理解し始めた。

 底冷えする寒さでぐずついた鼻に潮の香りが潜り込む。強張った体をぐいと伸ばせば、ごつごつとした木肌が背筋を叩く。そうこうしながらせわしなく瞬きを繰り返し、日に眩んだ眼がようやく視界を取り戻せば、そこには見慣れぬ海岸線が待ち構えていた。

 徐に振り返ると、さほど茂っているわけでもない閑散とした木立が素知らぬ顔で立ちふさがっている。まばらな木々の奥を見通すように視線を投げるが、当然というべきか、そこには明け方の薄闇が蟠るばかりで、あの立派な屋敷の姿はもうどこにも見えなかった。

 

「……まったく、わが母上ときたら。出会いも別れも唐突なことだ」

 

 夢か、現か。

 

 そう問われても、自信をもって断言できない。ぐいっと伸ばした体の、その節々がぎしぎしと軋む様子からして丸一晩ここで過ごしていたとしても可笑しくない、気がする。しかし、妙に膨れた具合の腹や、長旅でくすんでいた鎧などが誰かに磨きあげられた、あるいは洗われたように小奇麗になっているのも事実だった。

 

 もちろんだが、俺には装備品の手入れをした記憶などない。眠ったまま身の回りの整備をするなどという器用なこともできない。

 

「……さて」

 

 一通り、身辺を検めてからもう一度木を背にして座り込む。真正面から曙光が差し込み、目どころか頭蓋の奥底にまで染み渡っていく。ここ数日お預けを食らっていた至福のひと時ではあるが、今の心境は爽快感とは程遠い。

 

 ――――今後のことを考えるならば、俺は、彼女と……モルガンとつながりを持つべきではない、と考えていた。魔女。妖妃。そのように呼ばれる人物と深い関係にあるなどと知れては、今後アーサー王のもとへ参陣した際なにがしかの確執を生みかねない。個人的にも、我欲を通さんとして種々様々な工作を行う者など相手にしたくない部類の存在だった。

 

 

 それがどうだ、昨夜の彼女の様子は。

 

 

 謀などとは無縁にも思える無垢な様子――は、多少の演技も含まれていたことだろう。が、その後。生まれてすぐに引き離され、二十年近く音沙汰なかった相手でありながら、こちらを見る彼女の瞳には、紛れもなく惜しみない愛情が湛えられていた。

 そして――

 

『貴方がそう望むのなら、私はそのように振舞いましょう』

 

 ――その言葉を否定する術を、俺は持たない。それを否定してしまえば、それはわが父の思いをも否定することになる。

 狙ってやったのだとすれば……いや、狙っていないはずもないか。そう思えば多少思うことがないわけでもないが、離れ離れになっていた子に受け入れられるための方便だと考えれば胸の内に澱むその想いも霧散する。

 ああ、まったく。我が事ながらなんと単純でおめでたい頭のつくりをしているのやら。

 

「…………」

 

 いつかのように、水平の果てから登りくる太陽を眺めながら思案を巡らす。

 

 当初の予定通り、余人を誑かす魔女と断じて彼女との関係を断つ――こちらを選んだ場合のメリットは何か。

 正直これといったものはない。強いて言えばこれから先の未来の展開が申し訳程度に予測可能となることぐらいか。それにしたって、彼女が行う工作のいくつかを予防できるという程度に過ぎない。

 

 では。

 

 こちらがそう望むのなら、そのように振舞う――その言葉を信じて、彼女を母として受け入れる場合は何があるか。

 こちらは余計にメリットを思いつかない。いや、予測がつかないという方が正しい。彼女が本当にその言葉通りに振舞うとは限らないのだ。伝承を鑑みれば、俺を利用するための甘言である確率の方がはるかに高い。

 だが……今後を、この戦乱の先さえも見据えて考えれば、味方は多ければ多い方がいいというのも事実。魔女と断じて切り捨てるのは、取れる手を振り払うのと同じだ。どうあがいても彼女の協力は得らられなくなり、伝承通り厄介極まりない魔女としてアーサーどころか俺に対しても牙をむくことだろう。ならば、向こうが感じているかもしれない親子の情を利用する手段は残しておくべき――――

 

「……はっ、やめだやめ」

 

 浮かんだ思考を鼻で笑って、土埃を払いながら立ち上がる。

 そも、こんな思索は必要なかった。必要なかったのだ。ただ、ここに至るまでの方針をガラっとひっくり返してしまうことに抵抗を抱いて、それをどうにか理屈づけたかっただけ。……何が『もうガキじゃない』だ。こんなものはガキの屁理屈にも劣る。この年にもなって無様極まりない。

 

 

 

 ああ、認めよう。答えなどとっくのとうに出てしまっている。

 

 

 

 でなければ――でなければ、「母さん」などと、口には出さない。

 

 

「気に掛ける相手が一人増えるだけさ」

 

 このブリテンの地はこれよりさらに混迷を極めた様相を呈する。アーサーもまた、その時代に荒波に呑まれ、藻屑と消える定めにある者の一人だ。

 

 しかし、ここにはその先を知る人間が一人いる。更には暗雲垂れ込める時代の荒波を乗り越えうる術がこの手にはある。我が手に担うは星の極光。果ての果てより万象を照らし、時に恵みを、時に試練を以て万人を導く守護の陽光。それを、俺はあの日託されて、そのおかげで今日まで至っている。であればこそ、その輝きに、そしてあの誓いに背くような真似ができるはずもない。只人の身であるからと、手を拱いたまま彼らを終わらせるつもりなど毛頭ないのだ。

 

 だから、彼女も救おう。息子として。先を知る者として。狂気に呑まれ、汚名を叫ばれたまま終わらせてなるものか。

 

 分を弁えていない、傲慢な望みかもしれない。今後、何と愚かなことをしたのかと後悔と絶望に苛まれることもあるだろう。

 

 それでも、口をつぐんで行動しなければ、そちらの方が何倍も後悔するはずだ。それだけは分かっている。

 

「そうと決まれば善は急げ、だ」

 

 そう呟いて踵を返す。急ぎ足で元来た道を戻ろうとして――

 

 

 

 ――ここよりさらに北、海峡の奥にあるカエルレオン城を目指しなさい。

   そこに、アーサーの本陣があります。

 

 

 

「っ!」

 

 瞬間、ばっと勢いよく振り向く。右へ左へと視線を投げるが、そこにあったのは先ほども見た疎らな雑木林だけだった。

 

 ふっと一つ苦笑を浮かべ、もう一度海に向き直りながら頭の中でこれからの予定を組みなおす。

 

 歳月は人を待たず。白駒の隙を過ぐるが如し。

 

 時間を無駄になどしてはいられない。俺の一挙手一投足に、彼らの、そしてこの島に生きるすべての民の運命がかかっているのだから。




遅刻申し訳ない。
仕事、仕事……てか暑いィ……それが一番堪える今日この頃……

あとLAのガラティーンの描写もね、あれもね、うん。いや格好いいし文句はないんだけれども。

これ以上は言い訳と愚痴の羅列になるのでここまでにしときます。
来週もちょっとてんやわんやするので、更新は出来そうにありませぬ。申し訳ない……。




最後に。
感想、評価、一言評価、お気に入り登録、諸々ありがとうございます。最近は更新が途切れがちになってしまっていますが、何があろうとも完結までは持っていく所存であります。
これからも宜しくお願い致します。


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15.アーサー・ペンドラゴン(上)

※前話後半部分、大幅に手直ししております。大変申し訳ございませんが、再読いただけると幸いです。
また、そのほかにもいくつか変更しました。詳細は活動報告にて。(2019.1.17)


 早朝。朝靄が黄金に染まり、一日の始まりが高らかに告げられる頃合い。

 普段であればそう騒がしくないはずの時間帯だが、そこは今朝に限ってやけに活気づいていた。

 

「おいっ、例の船が近づいてきているらしいが、どうするのだ!」

「本当に『奴ら』なのか?」

 

 ここはウェールズはカエルレオン城。現在アーサー王の拠点が置かれているこの城塞都市は、緊迫した空気に包まれていた。

 それもそのはず。突如現れた大型の不審船が、じわじわと北上しつつあるからだ。

 

 その数、たったの一艘。されどそこに掲げられた旗は、侮っていい相手ではないことを雄弁に物語っていた。

 

「間違いない。掲げられた旗は赤地に金の刺繍で鳥……おそらくは、鷲の紋章。昔話で聞いた通りだ」

「……くそっ、この大事な時期に、奴らが舞い戻ってくるなんて」

「ローマの連中、何を企んでいる……」

 

 ――ローマ帝国。かつてこの島を武力でもって数百年もの間支配していた、大陸の覇者。しかしながら、時代の変遷に伴う衰退を食い止めることができず、この島を捨てて大陸へ逃げ戻っていった落伍者でもある。

 その彼らが、今、帰ってこようとしているのだ。

 

「しかし、本当に奴らなのか? すでに奴らはここから手を引いたはずだ。それに、蛮族どもが雪崩れ込むこの時期に、わざわざ遠く離れた此処へ戻る理由もない。卑王による策略では?」

「前線の連中が下手を打ったと? 仮にそうだとして、連絡が来ていないのはおかしい。第一、たかが一隻で何ができるというのか」

「それはローマ側にも言えることでは――」

 

「伝令! 件の不審船が海峡に侵入したとのこと!」

 

 鋭い声がその場にいる全員の耳朶をうつ。いよいよローマの大型船が、カエルレオン城至近の港湾を目指して海峡に入り込んだのだ。

 

「来たか」

「ここまでくれば疑う余地はない。連中、このカエルレオンを目指しているに違いないぞ」

「うって出るほかあるまい、先手をとって沈めてしまえ」

「待て待て、聞けば船はありきたりな帆船で、軍用とは思えないそうだが」

「とはいえ備えないでどうする。そうやって油断を誘っているのやもしれんのだぞ?」

「しかしあからさまに敵意を示せば向こうに攻める口実を与える可能性も――」

 

 

「――静まれ」

 

 

 どすん、と。

 いよいよもって統率を失い、喧々諤々の様相を呈し始めた城内に重々しい響きが木霊した。鞘ごと叩きつけられた剣が石畳を震わせ、次いでしわがれながらも衰えの見えない気迫の籠った声音が浮足立った空気を力強く締め上げる。

 声に見合った皺だらけの顔を険しげに強張らせながら、このカエルレオン城を任された老騎士は、しわがれながらも凛とした声音で言葉を続ける。

 

「兵を港へ。しかし表立って動く様子を見せるな。本隊は街に隠れて展開し、一部は私とともに港へ」

 

「彼の者らを迎え撃つ。行くぞ!」

「――応!

 

 朝の清澄な空気をすぱりと断ち切るような声音で告げられた一言に、その場にいた全員が野太い声で了解の声を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その、約一時間後

 

 

「来たな」

 

 海峡の荒波をかき分けて、その船はやってきた。この場にいる誰もが見たこともないほど大きなその船は、巨体に見合うだけの大量の荷を積み込んでいるのが遠目にもはっきりと見て取れる。

 メインマストの最上に掲げられた旗は海風を受けてばたばたと激しくはためき、そこに刺繍された紋章は朝日に煌めいていた。目に染みるような鮮やかな赤と、そこに縫い取られた黄金の鷲――見間違うはずもない、時代の覇者大ローマ帝国の国旗である。

 

「……さて。鬼が出るか、蛇が出るか」

 

 沖合に停泊した船から小船が下ろされた。乗り込んだのは漕ぎ手を含めて僅か三名だ。

 しかしそのうちの一人、国旗と同様の、海の蒼に対抗するが如き目にも鮮やかな深紅を纏った人物を認めて、老騎士の視線は鋭さを増した。今のところ、ただ必要以上に目立つ紅にしか見えないというのに、老騎士の脳裏には何故か己が仕える主の姿が重なって見えたのだ。

 そんなはずはない。彼の王は二人といない至高の王だ。まして聖剣を授かり、異民族どころかこの島に蔓延る怪異をも容易く退けてみせる、紛れもない大英雄の一角でもある。それをどこの馬の骨とも知れぬ相手に重ねるなど、不敬を通り越して馬鹿げてさえいるというもの。

 

 だというのに、一度過った彼の王の姿は老騎士の脳裏から離れようとしなかった。それどころか、その小船が近づいて乗員の様相が詳らかになっていくにつれてその印象は強まっていく。

 

 そして、遂に小船が桟橋にたどり着いた。ここまでくれば誰の目にも三人の見てくれがはっきりと映り――誰もが、その男に視線を奪われた。

 

 三人のうち二人は、いかにも海の荒くれものといった様子で、彼の大型船の乗組員であることは明らかだ。問題は、もう一人。他二人を圧する存在感を放つその男に、誰もかれもが視線をくぎ付けにされた。

 見慣れぬ丈の長い上衣――外套の一種のように見えるそれの裾を優雅に潮風にたなびかせる様は高位の外交官のようにも思える。が、彼はその上から肩当や手甲を身に着け、剣を腰に佩いていた。加えて、とても文官とは思えない立派なその体躯。偉丈夫という言葉を体現するが如きその体躯は、上衣に隠されていながら、その下に鍛え上げられた筋肉が存在していることを雄弁に物語っていた。さらにさらに、完全武装の騎士集団と対峙していながらその顔には欠片の怯えも見えず、堂々たる佇まいには自信が満ち溢れている。

 

 

 そう。つまりこの人物は、少々奇抜な格好をしてはいるものの、誰もが一目で認めざるを得ない一流の戦士なのだ――

 

 

「―――」

 

 

 ……否。否である。

 確かに、この男はその道に生きるものにとって無視し得ない極上の存在であろう。その奇抜な格好は、さぞかし衆目を集めやすいことだろう。

 しかしながら、その場に居合わせた誰もの目を捉えて離さないのは、彼の――

 

 

「おはようございます、皆さん」

 

 

 沈黙を破って、戦士が口を開く。低く、大らかで、不思議と心地よい声音が皆の鼓膜を震わせた。

 

「早朝、先触れも出さぬ不躾な訪問、申し訳ありません。……そちらへ渡っても構いませんか?」

「……ええ、構いませんとも」

 

 己の直感は、何も間違ってはいなかった。

 その事実を前に、多分な驚愕と、これから引き起こされるやもしれない騒動への懸念――そして、僅かな歓喜を忍ばせながら、人知れず、ごくりと老騎士は唾を飲み込んだ。

 

「……失礼ながら……あなたは、一体」

 

 無意識に唇を舐めながら老騎士は言葉を吐き出した。本来なら老騎士から名乗るか、相手が名乗りを上げるまで待つのが筋だ。しかしながら、一刻も早くその正体を確かめなければならぬという焦りにも似た渇望が彼の口を滑らせた。

 ぱちりと、紅の戦士が一つ瞬きする。応じるようにして老騎士の顔が強張る。

 機嫌を損ねたか――自らの失態に思わず舌打ちをしそうになりながら、老騎士は恐る恐る戦士の顔色を窺った。

 

 すると――

 

「……これは失礼いたしました。突然の訪問、あなた方の不安や混乱は当然のもの。挨拶よりも、まずはこちらの所在を明らかにするべきでした。何分若輩ゆえ、未だ礼節を知らず。大変失礼をいたしました」

 

 そういって、戦士は軽く一礼して見せた。

 ぽかんと、老騎士は呆気に取られた。その場に居合わせた十人ばかりの騎士たちも、信じられないものを見たような顔をして、何を言ってよいのかわからず押し黙ってしまう。

 

「……おいおい騎士殿、そう簡単に頭を下げるんじゃあねぇ。あんたは帝国の旗を背負ってここにいるんだぜ?」

「とは言え、此度はただでさえ礼を失した突然の訪問です。こちらが率先して礼を尽くすのが当然でしょう」

 

 それが、駄目押しの一言となった。

 

「…………ふ、くく。ははははっ!」

 

 思わず、老騎士は大笑する。

 ローマ。今では二つに割れ、異民族の侵攻に晒される苦境に立たされているが、つい半世紀前まで、この島どころか大陸に覇を唱えていた大帝国。そこから遠路はるばるやってきた使者が、どんな無理難題、傲岸不遜な要求を垂れるのかと思えば、これだ。

 支配者としてでも、侵略者としてでもなく――目前のこの戦士は、対等な立場に立って会話しようとしている。

 

 あの、大ローマ帝国の使者が。

 

 王どころか貴族ですらない、このみすぼらしい老騎士を相手に。

 

「ふふふ……いや失礼、礼を欠き話を急いたのはこちらです。では改めて、お名前とご用向きを拝聴させていただきたく存じます」

「拝聴など――いえ、では改めて」

 

「我が身は、ローマを愛しローマに愛された男、ウィアムンドゥスが長子。ガリアに生まれ、ローマに育った者。此度は、栄えある西ローマ皇帝陛下より、未曽有の困難に直面する旧帝国領ブリタニアを異民族の侵攻より守護せよとの命を受け、アーサー・ペンドラゴン陛下の下へ援軍として参った次第。

 我が名に関しましては、なにとぞご容赦を。故あって未だ名を持たず、今はただ『外套の騎士』と名乗っております。いずれ真名を受けた暁には、改めて皆様に我が名を示しましょう」

 

「……外套の、騎士」

 

 ほうと、思わず息をつきながら老騎士が繰り返した。先ほどまでとはまた別の意味で、外套の騎士に見とれてしまう。

 名を持たぬにもかかわらず、その威風堂々とした名乗りたるや。名無しであることへの羞恥や嫌悪など微塵も見せず、逆に誇りと誠意を溢れさせる立ち居振る舞い――未だ剣を振る姿さえ見ていないというのに、思わず英雄と評してしまいたくなる気迫。

 

 それは、紛れもなく彼の王が持つ風格に通ずるものであった。

 

 しかしながら、惚けてばかりもいられない。

 確かめなければならないことはまだまだある。ここまでのやり取りでおおよその人柄は知れたようなものだが、それでもしかと言葉にして受け取らねば確信を得るには程遠い。

 

 ひとまず感嘆を胸の奥底にしまい込み、老騎士――サー・エクターはきりりと表情を引き結び、外套の騎士の顔をしかと見据えながら言った。

 

「丁寧なご紹介、誠に痛み入る。我が名はエクター。現在カエルレオン城及びその城下を任されているものです」

「サー・エクター……アーサー王の、養父の?」

「さすが帝国、耳が良い。つきましては外套の騎士殿、こちらから幾つか質問させていただきたいことがあります」

「どうぞ。私の裁量で答えられる範囲でありますが、隠し立てなく答えることを誓いましょう」

「……滅多に誓いなどと口にするものではありませぬ。そちらの方が仰られた様に、貴方は今帝国の名を背負ってこの場にいるのですよ」

 

 思わずエクターが小言を漏らすと、外套の騎士はバツの悪そうな顔をして視線を逸らした。

 

「さすが、音に聞こえしアーサー王を育て上げただけのことはある」

「……ご無礼のほど、ご容赦を」

「いえ、悪いのは考えの浅い私です。剣を振るしか能がない物で……それで、質問というのは」

「まず一つに――先ほどあなたは援軍とおっしゃいましたが、あの船には如何ほどの手勢が?」

「船に積み込んでいるのは多数の武具と保存食です。それ以外には船員しか乗り込んではいません」

「……つまり人員としての援軍は」

「ええ、私一人です」

 

 なるほど、と。エクターは独り言ちる。たったそれだけのやり取りで、この島の事情に精通する聡い老騎士はある程度の事情を察した。

 しかしながら、たったこれだけの言葉で全てを解する人間などそう多くない。いや、多くないどころか、エクターのような人間の方が数少ない例外というものだ。

 

「な……なんだそれは! 援軍がたった一人だと? ふざけているのか!?」

 

 ――ブリテンの騎士たちは、何も知らない。

 彼が、帝国軍内で最強と称されることも。

 本国北方の国境で押し寄せる異民族を退け続けてきたことも。

 アッティラ大王をも退けて帝国の窮地を救ったことも。

 今は、余計な騒動を起こすまいと秘匿してはいるが――――彼らの王と同じく、破格の武具を所有していることも。

 

 

 何も、知らないのだ。

 

 

 だから、そう反感を抱く者が出るのは当然のことだった。成程見てくれは立派であり、身に着けている装備はどれも一級品のものであろう。纏う雰囲気も熟達とした戦士としてのそれである。しかし、如何に一流の戦士であったとしてもその数はたったの一人なのだから、彼一人をして『援軍』などとはブリテン側を馬鹿にしているようにか思えまい。

 

 

「たった一人で、何ができるという!」

「どうせそうやって形ばかりの援軍を送って、後々この島の統治に口を出す算段なのだろう! 騙されぬぞ!」

「違いない。本国を守ることさえままならず逃げ出した腑抜け共め、都合よくことを動かせると思うなよ!」

「そうだ! 我らの国は我らが、そして我らの王が護る! 今更貴様らの手など借りぬわ!」

 

 轟々と非難の声が吹きあがった。騎士たちは口々に帝国を詰り、外套の騎士を罵倒する。

 これを静めて然るべきエクターは、どういうわけか口を閉じたまま開こうとはしなかった。彼はギラリとした光を瞳に乗せて、じっくりと外套の騎士の挙動を窺うだけにとどめていた。

 

「帰れ! 貴様らが踏み入ってよい土地など、もうこの島には一片も――

 

「ふざけてなど、いませんよ」

 

 ――っ!」

 

 エクターの様子など意に介さず、外套の騎士は言葉を紡ぐ。

 好き勝手な罵詈雑言に激したわけではない。僅かな信頼も得られず悲嘆の声を上げたわけでもない。

 

「確かに、たった一人の援軍など論外といえましょう。そもそも単独である時点で『軍』とはよべません。大体、一度は見限っておきながら今更何を、と思われるのも至極当然のことでしょう」

 

 ただ、静かに。

 

「そして、帝国にも帝国なりの思惑があり、私にも私自身の目的があってこの地へ参ったのも事実」

 

 その瞳に、燦々と降り注ぐ陽光のような輝きを宿して。

 その言の葉に、轟々と燃え上がる焔のような熱意を乗せて。

 

 静かに、力強く、しかして諭すように穏やかに。

 

 彼は、語る。

 

「ですが、ええ――その一切合切、後付けの理由でしかない」

 

「私は、ある戦いで誓いを立てました。『護るべきを護るため、我が全霊を尽くして見せる』と。……今のブリタニアは途方もない危機に直面しています。

 内にあっては強大凶悪なる暴君が君臨し圧政を敷く。外からは勇猛野蛮な異民族が土地と財を狙って押し寄せる」

 

 その言葉に幾人かの騎士が目を伏せ、また幾人かは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて苦悶の唸りを漏らした。

 彼らは、誰よりもよく知っていた。

 

 圧倒的武威でウーサーを弑し、その玉座を簒奪したヴォーティガーン。彼に挑み、惨たらしく散っていった友の姿を。

 

 荒波を渡って大陸から押し寄せ、他に類を見ない野蛮さを見せる異民族。彼らによって、命乞いも聞き入れられず殺戮される民と、焼き払われ跡形もなくなった村の姿を。

 

 外套の騎士が語って聞かせるまでもなく、知っていた。

 

「それら災厄の下で、いったい何人の騎士が絶望にあらがおうとして命を散らしたか。いったい何人の民が犠牲となって手にしたはずの幸福を踏み躙られたか。推し量ろうとすることさえはばかられる。

 もう一度言います。私は、護るべきを護る、そう誓って剣をとりました。そう誓いながら、今までは力及ばず、本国の民を護るので手一杯でした。ですが、この島ではアーサー王が起った。帝国は、異民族の侵攻を跳ね除け、かつての隆盛を取り戻した。そうして、私はようやくこの地に至った」

 

「この島に生きる誰もに、あるべき明日を取り戻すため。誰もが笑って過ごせる未来を、取り戻すため。私はここに馳せ参じたのです」

 

 そこで、外套の騎士は一度言葉を切ってその場にいる全員を見渡した。

 次いで

 

「どうかっ」

「なっ」

「き、騎士殿!?」

 

 

 深く、深く腰を折って頭を下げ、周囲のどよめきも無視して

 

 

「どうかっ、皆様と共にこの災厄に挑むことをお許しいただきたい!」

 

 

 そう、結んだ。

 

 

「……外套の騎士殿、顔をお上げください」

 

 よく晴れた日の湖面のように静かな声音で、エクターが声をかけた。

 

「その有様では帝国の威信も地に堕ちようというもの。皆も困っています。さあ」

「皆様の戦陣、その末席に加えていただけるまで、頭を上げるつもりはありません」

「……まったく、妙なところで頑固な様まで似ていようとは」

「……はい?」

「いえ、私事です。聞き流してください。それよりも、先の言葉で私が他に尋ねるべきことへの返答は十分に得られました。ですので――」

 

「ウィアムンドゥス殿の長子、外套の騎士殿。カエルレオン城及び周辺地域防衛隊統括、荒れた森のエクターが、貴公をアーサー王陛下の臣下として迎え入れることを宣言する」

 

 もはやどよめく声は絶え、辺りには耳に痛いほどの静寂が下りていた。

 その静寂を、ぱしゃりぱしゃりと打ち寄せる波が数度払った後、

 

「――寛大な処遇に、深い感謝を」

 

 

「これより我が剣はアーサー王陛下の剣、我が身はこの島に住まう民草の盾となる! 必ずや卑王ヴォーティガーンを打倒し、陛下とともに、この島に平穏を取り戻して御覧に入れましょう!!」

 

 

 

 ――こうして、外套の騎士は見事にカエルレオンの騎士たちから信用を勝ち取り、卑王ヴォーティガーンに抗する戦線への参入を許された。

 しかしながら、運命というものは実に複雑に絡まりあっているものであり、それはこの外套の騎士も例外ではない。寧ろ、常人よりも更に歪に絡まりあっていて――それがゆえに、彼とアーサーは今度も出会えなかった。

 

 何故ならば、アーサーはつい五日前に、ブリテン北方に向けての遠征に出発してしまっていたからである。

 




ただいま(震え声)
色々あってついに年をまたいでしまった、大変お待たせいたしました……


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