貴方に課金させてください。 (イーベル)
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貴方に課金させてください。
今年もまた例年通りに四月になった。桜が咲き散りゆく様を酒に溺れる上司と共に眺める「お花見」という行事をこなしてから数日。俺はいつものように業務を終えて、電車で帰っていた。
世界でも随一の人口密度を誇るだろう我が国の電車には、なかなか慣れない。
押し付けられる体温。首筋にかかる、誰の物だかわからない吐息。原因を挙げればきりが無い。だけれど、この一日で、最もストレスがかかる瞬間を乗り越える方法を、俺は見つけていた。
それはソシャゲをプレイすることである。
学生の頃から初めたこの手のゲームに、社会人になった俺は更にのめり込んでいた。ちょっとした空き時間にプレイすることができるし、何よりお金をぶち込めば、快適にプレイできるところも個人的には素晴らしい。
適度に課金すれば、可愛らしい女の子やカッコイイ男が手に入ったり、強い装備を手に入れたり、仮想とは言え強い自分でいられるのだ。あの札束で他ユーザーを殴り倒す快感は、何事にも代えがたいものがある。
まあ実際、他の人は恋人や友達、更には結婚してできた家族らに使っていることは分かっている。だけれど、俺はそのどれも持ち合わせていない。こっちにつぎ込んだって誰も文句は言わないだろう。
最寄り駅に到着したところで電車を降りる。この後の予定は家に帰る……訳では無く、居酒屋に行くと決めていた。一人飲みだ。アルコールでテンションを上げながら、黙々とイベントを周回する。毎週金曜日になると俺がやっている儀式、というかストレス発散法だ。
好きなものを飲み食いして、好きなだけゲームして、嫌いな洗い物をせずに帰って寝られるとか、控えめに言って最高だろう。この時間があるからこそ、平日に仕事を頑張っていられていると言っても過言ではない。
駅の目の前にある居酒屋に引き戸を引いて入る。カウンター席に陣取ると、メニューを見て心赴くままに注文。スマホを取り出して、イベント周回を始める。
注文した品々をビールと共に摘まみつつ、心の洗濯を三〇分ほど続けたところで、普段とは違う出来事が起こった。カウンターの対極にいた人物がこちらに来て、肩を組んできたのだ。
そんな事をされたのは初めてで、驚いた俺の体がビクッと跳ねた。
「キミもそのゲームやってるの?」
耳元で囁かれる。自分の声よりも数段高いトーン。左を見ると紅色の口紅が目に入った。どうやら女性らしい。アブラマシマシなおっさんじゃなくて良かったと、心の底から安堵した。
でも、突然の事で戸惑っていることは変わりない。どうして女性がこんな隅でスマホを弄っている男に話しかけてくるのかさっぱりわからないからだ。
未だに言葉を発せていない俺に対して、隣の彼女は「あっ」と声を漏らしてから拘束を解く。そして隣の椅子に陣取った。
「いきなりごめんなさい。急にこんな事されたらびっくりするよね」
えへへ、と頭をかきながら彼女は笑う。
距離が取られて、その全体像がようやく把握できた。肩まで伸びる髪は夜空から切り取って来たかのような漆黒。シャープな吊り目、すらっと高い鼻、手足も細く長い。ナイフ、というよりも針状結晶。細く、鋭く、美しい。そんな印象を受けた。
そんな彼女に俺はハッキリ言って見惚れてしまって、口を聞くことができない。
「何か言って貰えない? 流石に無口なままだとコミュニケーションが取りづらいよ」
「ああ、すいません。想像していた相手とはあまりにかけ離れていたもので」
「あら? 今日は、待ち合わせとかしてたの?」
今日は、という部分を強調して言った。俺は首を振って否定する。
「いいえ。そんな事はありませんけど」
「ハハッ、だよね~。
「指差しながら笑わないでください」
目尻に涙がにじむ程に爆笑していた。全く、失礼な女だ。見とれていた俺がアホらしいじゃないか。というか、見られていたとは思わなかった。彼女もよくここに来るのかもしれない。
彼女は人差し指で涙を拭ってから再び話し始める。
「いやー、ゴメンゴメン。ツボに入っちゃって……」
「はぁ、それで? 一人の俺に何の用ですか。まさか、笑いに来ただけとは言いませんよね?」
「いやいや、流石に私もそこまで酷い人間じゃないよ。ほら、えっと……。これだよ。これ」
彼女はポケットに入っていたスマートフォンを取り出すと、画面を切り替えてから突き出してきた。
そこには俺がたった今やっていたゲーム『パズル&モンスターズ』、縮めてパズモンのタイトル画面が映し出されている。
「君、いつもここに来てからスマホでゲームしてるでしょ? 日によってタイトルは違うけど」
「やっぱり、見てたんですね」
「うん。私もよく来るから。結構な頻度で近くに居たんだけどなぁ……。気が付いてなかったんだ?」
彼女は再び頭をかいた。そうは言われても、気が付いていない物を気が付いているなんて、言える訳もない。嘘は、付くのも付かれるのも苦手だ。というか……
「俺のことをあれだけ酷く言っておきながら、貴方も一人だったんじゃないですか」
「まあね~。でもいいじゃない。一人、楽しいでしょ?」
「……まあ」
「私も同じよ」
彼女は元の席からジョッキを持って来て、半分以上残っていたビールを飲み干した。
「じゃあどうして、俺の楽しい一人の時間に水を差すような真似をしてきたんですか?」
「うーん。なんでだろう?」
「えぇ……分からないんですか」
首をひねる彼女に呆れる。まあ、酔っぱらいの言うことだ。いちいち正当性を求めるのはどうかと思う。だけれど、自分の時間が邪魔された理由ぐらいは知っておきたい。
彼女は頬杖をついて、俺をじっとを眺めていた。
「いや、理由がない訳じゃないんだよ。説明するのが難しいだけで。そうだねぇ、例え話をしようか」
「例え話?」
「うん。私が君に話しかけた理由を説明するには丁度いい」
ため息をつく。無理に追っ払った所で、まともに取り合ってくれるとは思えない。適当に、話半分に聞いて、彼女が満足してくれることを願うことにした。
「……分かりました」
「ありがとう」
例えば、と彼女は前置きをして、俺が食べていた唐揚げを指差す。
「ある人物は居酒屋で隣の人が食べている物を食べたくなったの。でも、名前が分からない。そういう時、君だったらどうするかな?」
「店主に聞くと思いますよ。『あれが食べたいんだけど、名前なんて言うの?』とか『あれと同じものを下さい』って」
「そうだね。それが普通。だけどその人は食べ物の名前が分かったの。それで注文して、運ばれてきた。でも、肝心な食べ方が分からなかった」
「食べ方が分からない? でも隣で食べているんですよね?」
「勿論。隣で、おいしそうに食べてる。でも分からないんだ。だから聞くことにした。その食べ方、その楽しみ方をね」
これで例え話は終わり。そう言って彼女は言葉を区切った。
俺は彼女の言っていることが分からない。
食べ物は見えた。名前は分かった。だから注文できた。ここまでは分かる。分からなかったのは、隣で食べているのにも関わらず、食べ方は分からない。という所だ。
考えられることは、実は別室だったとか、口元が見えなかったとか、とらえきれない程早く食べてしまったとか。それぐらい。だけれど、そのどれもが本題からそれている気がした。
「全然、全くもって貴方の意図が汲めませんでした。何が言いたいんですか?」
「その『訳が分からない』って感情、かな?」
「何が言いたい……んです」
崩れた口調を立て直す。勝手に話しかけてきて、頭の中をかき回すような話をしておいて、何のつもりだ。そう言いたい気持ちを抑えつつ、再び彼女の話に耳を向けた。
「君には私の追体験をしてもらった。ここ数日の私は、今の君みたいな気持ちの持ちようでね。モヤモヤと霧がかかったような気分を、解消したかった。だから話しかけたの」
俺は今一度例え話を整理する。つまり、客目線での追体験。客が彼女で、話しかけられた隣の客は――
「……俺が、貴方にとっての隣の客ですか」
「そういうこと」
「で、何が聞きたいんですか。こんな隅っこで飯食ってるサラリーマンから」
俺はため息をつく。その後、唐揚げを一つ口にした。アツアツとはいかないが、中身はほんのりと生暖かく、まだ美味しくいただける許容範囲。
俺がそんなに訳の分からない物を注文した覚えはない。そもそも、ここの居酒屋は大衆的な家庭料理が大半で、特殊な物は出てこないはずだ。
「それは最初から言ってるじゃない。ゲームよ。ゲーム。落としてみたのは良いけど、やり方がいまいちわからないの。横から見てても何しているのか分からないし。その癖に楽しそうで、なんか、気になったの」
そう言ってまた最初の時と同じようにスマホを突き出す。
料理はゲーム、食べ方はプレイ方法か。ようやく例え話が理解できた。でも、こんな話しなくても、最初からそう言えば良かったのに。この人、結構回りくどくて、面倒くさいな……」
「ねぇ、ブツブツ言っているの聞こえてるからね」
「おっと、失礼しました。これは聞かなかった事にしていただけませんか」
「いや、できないから! 君結構酷くない!? 懇切丁寧に説明したのに面倒だとか!」
彼女は白い八重歯を見せ、怒りを露わにする。でも、何というか怖くない。怒り慣れていないのだろう。家のオカンとは天と地の差。可愛らしいものだ。
でも、まあ……無意識とはいえ悪口を声に出してしまったのは良くない。俺に非がある。ここは素直に謝っておくべきだろう。
「申し訳ありません」
「むー……」
彼女は一丁前に頬を膨らませて見せる。小学生かよ。俺より年上っぽいのに、幼さを残したような感じは嫌いではなかった。
でもこのまま機嫌を損ねる続けるのは気が引ける。ただですら面倒な人なのだから、これ以上は何されるのか分かったものではない。
「はぁ……分かりました。俺は貴女にゲームのやり方をレクチャーすればいいんですか?」
「え、本当にしてくれるの?」
「ここで放って置くのも後味悪いでしょう。付き合いますよ、それぐらい」
ゲームをプレイするユーザーが増えるのはサービスが続く可能性を上げる。それに自分が楽しい事を他人に教えるのは嫌いじゃない。
「じゃあ、早速だけど――」
それから彼女とゲームをした。まずはチュートリアルからソロプレイ。基本『習うより慣れろ』の精神でやらせつつ、苦戦した所に解説を入れた。
想像していたよりもポンポンと先に進んで行く。さっきの説明からそこまで器用ではないと思いきや、そうでもないようだ。説明するのが下手なだけで、単体としてならば見た目通り『できる女』なのだろうか。まあ、これも予測であって事実ではないが。
ある程度慣れてきた所で、マルチプレイに切り替える。俺もスマホでゲームを立ち上げて、適当に最初のうちでもクリアできそうなステージを選択。彼女を『通信部屋』に呼び出した。
「このプレイヤーが君かな?」
「そうですね」
「随分とレベルが高いね。長くやっているんだ」
「それもありますが……まあ、課金してますからね」
成程、と彼女は頷く。お互いの準備が終わった所で俺はスタートボタンを押した。交互にパズルを解き、モンスターにダメージを与えていく。
俺が二回目のターンを終え、ボスに到達した所で彼女は口を開いた。
「なんというか、気持ち悪い動き方をするね。君の画面」
「いきなり、何ですか。その言い草は……」
「ああ、ごめんよ。悪気があった訳じゃ無いんだ。私にはできない動き方をしたものだから、つい、ね」
「まあ、そう慌てて取り繕わなくても大丈夫です。言われ慣れてます。実生活では何の役にも立たない特技ですからね」
否定されることはよくある。どんなゲームでもやればやるほど、友人が離れていったりする。親に「そんなことして何になる」と言われるのは日常茶飯事だ。思い出すと少しだけ気持ちが重くなる。
彼女はそんな俺の背中をいきなり強く叩いた。
「痛った! いきなり何すんですか!」
「そう悲観的にならないの。良いじゃない、特技が無い奴よりもマシよ。それよりも今の、どうやるのか教えてよ」
彼女は俺の手を握って、グイグイと引っ張った。とっさに引かれた手にじんわりと体温が伝わってくる。こんなことをされたのは初めてで、何だか気恥ずかしい。顔から火が出る思いだ。その気持ちを打ち消すために画面に集中する。
「分かりました。じゃあまず――」
自分の画面を見せつつ指の動きを見せる。彼女はじっと動きを観察すると、自分の画面でそれを実行してみせる。
たった一度見ただけで、ものの見事に決めて見せた。モンスターの攻撃がボスの体力を削り切る。彼女はぐっと拳を握った。
「いえーい。完全勝利っ!」
両手を上げて、はしゃぐ彼女。そして、手を俺に向けた。
その行為に意味を見いだせない。俺は呆然としていると彼女が急かす様に手を振る。
「ほら、ハイタッチ、ハイタッチ!」
「はぁ」
手を差し出す。
「いえーい」
「……イエーイ」
「棒読みだね。嬉しさが感じられないけど……ま、いっか」
彼女の手の平は俺の手をミートする。パチンと乾いた音がした。彼女は指を組んで、真上に伸びをする。「んー」と間伸びた声が唇から漏れた。
「あー楽しかった。今日はここまでかな。終電、無くなっちゃうからね」
時計を見ると、時間もそこそこ。明日は土曜日とはいえ、まともな生活リズムを維持するのなら、ここらが潮時だろう。
「そうですか。じゃあ俺も帰ります」
「ふーん。なら丁度いいや。すいませーん。会計、この人と一緒でお願いしまーす」
「なっ!?」
この女、俺の一人の時間を削った挙句、奢らせる気なのか? なんて女なんだ……。関わらずにとっとと逃げておけばよかった。でも、ここで変にいざこざを起こすと面倒事になりそうだ。ただでさえ相手は女性。それも美人だ。周りの人は俺の様な冴えない男の主張より、彼女の事を信じるだろう。知らない女性に関わるべきではないという経験に、高い授業料を払わなければならないのか……。
そんな思考を巡らせていると、肩に手を置かれた。
「ここは私が持つよ。いろいろと教えて貰ったお礼って事で」
「……本当ですか」
「勿論。嘘は付かないよ」
あれだけ無神経に話しかけてきた割に、常識的、という訳でも無いが、俺に不利になる条件ではない。何か、裏がある。世の中そんなに甘くないはずだ。
「でも、なんでですか?」
「だって、楽しかったからね。不躾なお願いにも係わらず、君は受け入れてくれた。この時間は私一人では味わえない素晴らしいものだった。良いものには、少なからず対価を払いたくなるのは人情だよ。違う?」
「それは、ありがたいですけど……」
予想外な展開すぎてついて行けない、というのが本音だ。戸惑う俺に対して彼女は堂々と続ける。
「だから、私は“君に課金した”って思ってくれればいいよ」
彼女は支払いを終えて、店の入り口である引き戸を開けた。ガラガラと音が立つ。
「じゃあ私はこれで。いつか、また会えるといいね」
柔らかな微笑をチラリと見せて、暖簾をくぐった。
一晩だけの出会い。一度きりの出会い。彼女と出会う事はもう無いと思っていた。
その思考に対する答えは否である。これは序章。彼女とはこの先何度も出会う事となる。それはもう
でも、この時の俺にはそれを知る術は無かった。
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ポテトとお姉さん。
所用のため会社から出ていた俺は本日、昼食を外で取ることにした。行先はバーガーショップ。国内発祥のチェーン店。多少お高い分、満足感、贅沢感の味わえる店だ。
ジャンクフードで満足感を味わえるなんてお安い男だなぁ。とは思うけれど、こんな事を言うとお店に失礼に当たるかもしれないので、そんな自虐は控えておく。
自動ドアをくぐって、レジの前でしばらく待つ。その間、メニューを見て何を頼むかを検討。今回は照り焼きバーガーとスパイシービーフバーガー、更にはポテト・ドリンクセットをくっつけることにした。
支払いを終えて、適当に空いている席に歩く。昼にしては案外あっさり空席を見つけることができた。
だけれど、にゅっと視界の外から細い腕が伸びてきた。先の手が、さながらイソギンチャクの様にひらひらと揺れている。
俺は伸びてきた方向に目線を向けた。この間のように黒色のスーツ。片手にハンバーガーの紙袋。口紅で赤く染められた唇が動き出す。
「やあ、また会ったね。思わぬ再開だったけれど、私は嬉しいよ」
「……正直な所もう会う事は無いと思っていたんですけどね」
「そんな寂しいこと言わないでよ。ここで会ったのもまた何かの縁。一緒にどう?」
ここで断るのもなんだか気が引けた。彼女には一飯の恩がある。彼女からすれば、ただの謝礼、課金とのことだが、何でもされっぱなしは気に食わない。時間が許す範囲であれば彼女と食事を共にするのも悪くない。そうした方が気分は良いだろう。そう判断した。
「構いませんよ」
「そう。良かった」
「では、失礼して」
着席番号札を机に置いてから腰をかけた。頬杖を付きながら彼女の食事風景を眺める。丁度長い人差し指と親指でポテトをケースから引き抜く所だった。先っぽからちまちまと、口に入れて食べ進める。それを二度三度と繰り返す。
何だかハムスターを彷彿とさせる食べっぷり。じっと見ていても飽きが来ない。俺はペットとかを飼ったことは無いけれど、もし餌を与えるたびにこんな気分が味わえるのなら、面倒な世話に耐えるだけの価値があるのだろう。
「ん? どうかしたのかな。私の顔をじっと見て。ひょっとして何か付いていた?」
「いや、そういう訳じゃ無いんですけど」
「じゃあ、何?」
「……」
解答にもたつく。正直に『貴女の食べる姿に見惚れていた』なんて言えなかった。晒してしまえば彼女に延々と弄り続けれるのが目に見える。とっさにそれらしい言い訳を思いつきたかったけれど、残念ながらそこまでの機転を俺は持ち合わせていない。それ故の沈黙である。
「もしかして、言えないようなことを考えてたの?」
「そ、そんな事はないでですよ」
「口が上手く回って無いねぇ~。図星かな、これは」
赤い唇が弧を描く。彼女の手の平で踊らされているような気分だった。彼女の目の前ではすべてが愚策になってしまう。そんな気がした。
「貴女があんまりにもおいしそうにポテトを食べるものだから、自分の物が来るのが待ち遠しくなっただけですよ。お腹が余計に空いただけです。それを口にするのは意地汚いと思ったから、話さなかっただけです」
持ち直す。ゆっくり、そして淡々と単語を連ねた。嘘と本当を織り交ぜた口撃。これを見抜くことは相当難しいはずだ。俺の言葉を聞いて、彼女はゆっくりと目を閉じた。
「そっか、じゃあ……食べる?」
「何を?」
「ポテトを」
彼女はケースから一本ポテトを引き抜いて俺に突き付ける。素早く流麗な動き。レイピアの切っ先を突きつけられたようだった。
「別に、要らないですよ。どうせ自分の分もそろそろくるでしょうから」
「今なら私専用のトッピングが付いてくるとしても?」
「専用のトッピング?」
「そう、私専用のトッピング」
気になった。聞き返した後で、チェーン店で個人専用のトッピングなんてあり得ない。そう思ったけれど、ここで話題を新しく振るのも不自然だ。俺はそのまま話の流れに身を任せた。
「……どんなものなんですか」
「どんなものだろうね? 君が要らないというのであれば、もう二度とそれを見ることはできないだろうけれど」
煙に巻く。彼女は酒に酔っても酔わなくても、面倒な話の回し方をする。今回は酔っていないとはいえ、このまま話をさせると、前回の二の舞になりそうだ。
でもまあ、所詮は暇つぶし。適度に時間を使っても問題はない。なんなら彼女の言う所の『専用のトッピング』の正体が分からなくても構わない。適当に会話を回す。
「専用トッピングというのは大いに気になる所ですが、俺にも好き嫌いがあります。知らないまま受けることはリスキー、違いますか?」
俺の言葉を聞いた彼女は、顎に手を添えて小さく「ふむ」と漏らした。
「じゃあ、ちょっとしたゲームをしようか」
「ゲーム?」
「ああ、君は好きでしょ?」
「ええ、まあ。でもどんなゲームですか?」
「私は君の質問に答える。それで君が正体を見極められたのなら、食べるかどうかの決定権は君に、見極められなければ、私が決定権を持つ。制限時間は、君の注文した物が届くまで。これでどうかな?」
「……直接は教えればいいのに」
「これは暇つぶしだよ。普通に教えるのはつまらないでしょ?」
ハンバーガーを食べ終えていた彼女は残った紙袋を三角に畳む。
問題はない。彼女の娯楽というか、楽しみに付き合ってもいい。元々、感謝の気持ちを示すための同席なのだから。俺は首を縦に小さく振る。
「……分かりました。じゃあ、最初の質問です」
「うん。なにかな?」
彼女は空いた両手の指を組んで、肘をテーブルに付いた。
質問の数は無制限というルールの為、思いつく限り、口任せに質問をしていくことにする。フッ、と一息吐いてから視線を彼女に向けた。
「貴女はよくそれを頼みますか?」
「いいや、頼まない。自前で持ってくる」
「成程、じゃあメニューには無いものなんですか?」
「ああ、無いね」
「じゃあ、どこでそれを買ってくるんですか」
「買ってこない。売ってないからね」
「へぇ、じゃあ自家栽培とかですか?」
「ある意味そうかもしれないね。毎日とまではいかないけれど、手入れも欠かせない」
「成程……」
情報を整理する。
そのトッピングはメニューには無いもの。だからこその専用で、特別メニュー。
どこかで買うものではない。売っていないから。
だから彼女は育てている。毎日、とまでは行かないけれど手入れをして。どうやら手間のかからない物らしい。
よし、時間も無いから続けよう。
「どんな手入れをするんですか?」
「よくやるのは水をあげる事かな。あとたまに温めたり、先端を切り取ったり、削ったりする」
「切り取る、削る……? 収穫って事ですか?」
「うーん、ちょっと違うかな。長い間やらないとねじれていったりするし、衛生的にも良くないの。そうなると見た目も悪くなるからね」
「なんか、盆栽みたいですね」
「ハハッ、やっぱり君は面白いね~。まあ似たような面白さがあるかもしれないね。私は盆栽をやったことが無いから分からないけれど」
そう答えると彼女は「さて」と言葉を区切った。チラリと視線が俺の後ろに行く。気になって後ろに向けて首を回すと、店員さんがトレーを持って近くに来ていた。俺たちの視線を受けて店員は俺の所に品々を置いて、頭を下げてこの場から撤退する。
「タイムオーバーだ。君の出す答えを聞こうか」
「…………」
視線を逸らした。まずい。正直全く分からない。
植物に水をやったりすることは一般的。温めることは、温度調整、つまりは室温管理だろう。だけど、切ったり、削ったり? サッパリだ。どんな野菜なのか見当がつかない。
というかまず、店にも売っていないと言っていたから、とんでもなく、マイナーな野菜なのだろう。そんな物、野菜ソムリエでもなんでもない俺が見極めることができるはずも無かった。
「ギブアップ、です」
「良いのかな。そんな簡単に諦めて」
「ええ。無い袖は振れないって言います。同じく無い知識は、出て来ませんよ」
というよりは、これ以上こんな訳の分からない情報に頭を使いたく無かった、というのが本音である。
「成程、それはそうだね。じゃあこの勝負は私の勝ち。でもまあ、ちょっと意地悪な問題定義、質疑応答だったかな」
「と、言うと?」
「まあ、私も負けたくなかったから意地を張っただけ」
彼女は適当に答えて、彼女のフライドポテトを親指と人差し指で掴むと俺へと差し出す。
「ほら、口を開けてよ」
「いいですよ、自分で食べますから」
「駄目だよ。決めたでしょ。君には断る権利は無いの。決定権は私にあるんだから」
「いや、それはトッピング付きのポテトを食べるかどうかの決定権でしょう。食べることは自分でします」
「うん。だから、これがトッピングだよ」
「……どういう事ですか?」
俺は聞き返す。彼女は何もしていない。何も乗せていない。何もかけていない。ただポテトを持っただけだ。
「なにもトッピングって言うのは食べ物だけを差す言葉じゃない。バースデイケー
キに乗る蝋燭だってトッピングの一種。食べ物を彩る物であればなんだっていいんだよ。つまり、今回のトッピングは『ポテトを運ぶ私の指』という訳さ」
得意気な顔だ。ちょっとイラッと来る。そんなもの盤外戦術じゃないか。将棋盤にリバーシの石を置かれたような気分だった。
訳の分からなかった追加情報を指であることを前提に考えて見る。(化粧)水をやる。(肌を)温める。先端(にある爪)を切る、削る。こういったことだろうか。恐らく、嘘は付いていない。
というか、それよりも――
「俺は貴女から『はい、あーん』ってポテトを食べさせられるって事ですか」
「うん。そうだね。まあ、拒否権は無いんだけれど」
グイっと踏み込んで、さらにポテトを俺の口元に突き出す。
こっぱずかしい。彼女の一つもできた事もない俺が、こんなことをやるかと思うと……頭が痛い。だが、拒否権は無いと念押しされている以上、腹を括るしかないのだが。
大きく口を開けた。代わりに目は閉じた。近づいてくる彼女の顔をまともに眺めていられる気がしなかったのだ。
「フフッ、素直な所は嫌いじゃないよ」
「……いいから、やるなら、やるで、早くしてくださいよ」
「おっと、ゴメン。焦らされるのは嫌いだった? じゃあ、ほら、あーんって口を開けてよ」
指示された通りに口を開ける。舌の上に何かが乗っかった。ザラッとした感覚に塩気が感じられた。
でも、それだけで終わりではない。
最後まで口に入れる為に彼女の指が動く。すべて俺の口に収まる様にポテトの端を押した。急な事だったので、俺は驚いて瞳を開けた。押し込み終わった所で彼女の指が少し口に入って、舌の先が彼女の指先を撫でた。それを気に彼女の手が離れていく。
「おっと、びっくりした~。私の指は美味しくないよ」
「んっ……ゲホッ、ゲホッ。それは、悪かったとは思いますけれど。元はと言えば、貴女が押し込んできたのが悪いんですよ」
「まあ、そうだね。私も悪かったな」
彼女は悪戯が成功した少年のような無邪気な笑顔を見せた。大人びた雰囲気の見た目なのに、俺が大人になるに連れて捨ててきた物をまだ持っている。そんな気がした。
そんな笑みを保ったまま彼女は話を続ける。
「ところで、私の指はどんな味だったのかな?」
「……知りませんよ」
そっぽを向いて、今度は自分の分のポテトを口にする。何の違いも無いはずなのに、さっきの物とは明らかに味が違う気がした。
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雨に打たれて
窓ガラスに吹き付ける雨の音を聞きながら、今日も俺はソーシャルゲームに興じていた。時間が早い事もあって、今日は珍しく居酒屋ではなく喫茶店に陣取っている。
昼食の調理するのが面倒だったのだ。家を出るとき雨が降っていたので悩んだけれど、この時間省略に勝るものは無い。故にこの外出を決行した。
先程頼んだカツサンドを片手で食べつつ、テーブルに置いたスマホとタブレットを交互に操作して、もう見るのが何回目になるか分からないイベントボスをタコ殴りにしていく。
操作が五往復に到達したあたりでボスは沈み、俺は一息つく。視線を画面から上げて窓の外を見た。長時間プレイするのもいいが、時々こうして遠くを見ないと目が疲れてくることもある。
眼球に休暇を与えていると、何やら挙動のおかしい人物が目に映った。
雨の中、走ってくるスカートにシャツの女性。一つにくくった髪が、コンクリートを蹴るたびに揺れている。
最初はどこかで見覚えがある程度の認識だったが、喫茶店のドアを開けて店内に入って来たところでその正体に気が付く。慌てて視線を逸らした。だけれど彼女はもう既に俺を捉えている。カウンターの店主に『ブレンド』と告げて、談笑を挟んで、笑ってタオルを受け取った。
どうやら気兼ねなくこういうことができるぐらいにはこの店に通っているようだ。ひらひらと手を振って店主との会話を打ち切って、歩き出す。僕に向けて鋭い目を向けて、それから対面の椅子を引いた。
「ねぇ、無視することは無いんじゃない?」
「席も結構空いているのに、相席することも無いでしょう」
「知り合いを見つけたとしたら案外普通だと思うけれど?」
彼女は首をかしげる。頬についた水滴が重力に従って下に伝う。瑞々しくて、艶っぽくて、思わず手を伸ばしたくなる。
自分にそんな度胸もないし、彼女にそこまで心を許されている訳もない。だからその欲求は胸の内に仕舞った。
「……ポニーテイルの知り合いなんていませんよ」
「じゃあ、解けばいいのね?」
「解けばいいってものじゃ……。はぁ、もういいです。確かにその感じは俺の知り合いだ」
「素直に認めればいいのに」と呟きながら、彼女はヘアゴムから手を離す。ポンポンとタオルを髪に当てた。
「こんなところで何してるの?」
「見ての通りゲームですよ。イベントが忙しいんです」
「ふーん、いつも通りだね。ちなみになんて言うタイトルなの?」
「『スクランブルー・ファンタジー』略してクスブル。ほら、たまにCMやってる」
「ああ、あれね。面白い?」
「面白いですよ。一緒にどうです?」
「遠慮しておく。団体戦のゲームやる君にはついて行けなそうだからね」
「そうですか」
カツサンドの最後の一口を食べ終えると、ウエットティッシュで手を拭いてからペースを上げるために両手で二つの端末を使い始めた。
「そういう貴女は何をしにきたんですか? さっきの様子からしてどこかに行った帰りだったとか」
「うん。今日は映画館に行ってたんだよ。朝の枠だとちょっと安かったりするじゃない? それで朝から一本見て、帰るつもりだったんだけど……まさか雨に降られるとは思わなかった」
「まあ、朝はからっと晴れていましたからね」
「そうそう」と彼女は相槌を打つ。
「それに今日の映画はなかなか仕事で見れなかったし、楽しみでさ。いろいろと抜けていたのかもしれない」
店主が机の上にソーサーに乗ったカップを差し出す。彼女は頭を少し下げて答えると、一口コーヒーを口にした。
「うん、やっぱり美味しい」
「やっぱり、ってことはここにはよく来るんですか?」
「まあね。家が近いのと、雰囲気が好きなんだ。」
俺は「そうなんですか」とだけ返事を返す。ここで俺の家も近いんだとか、余計な事を口走ったら面倒くさい事になりそうだった。話題を少し戻す。
「映画、好きなんですか?」
「うん、好きだよ。休日の過ごし方としては最上に近いかな。一日中映画館で過ごすこともある」
「へぇ、でも丸一日中、それも何作も見るとなると、頭がいっぱいになって苦しくなりませんか? 僕だったら耐えられそうにありませんけど」
「あるよ。でもそれが好きなんだ」
カップに当てていた指がもっと強くなったのが見えた。何となく気になって、スマホから目線を切った。彼女の表情は今日の天気と同じく少し曇って見えた。
「別世界の事で頭をいっぱいにするのがね。なんか自分を現実から切り離せたような気がする」
意外だった。これだけ美人で、苦労も何もして無さそうな癖に、『自分を現実から切り離す』なんて現実から逃げているような台詞が出てくるなんて。何だか、俺に近い部分を初めて見れた気がした。
「そう、ですね。現実逃避もたまにはいいんじゃないですか」
「君は常にしてるんじゃないかと思うけれどね」
「余計なお世話ですよ」
不貞腐れてそう言い捨てる。それを見て彼女は笑う。クスクスと上品に。一瞬見えた表情の曇りは元から無かったように感じられてしまう。
「君はゲームを良くしているけれど、他に好きなことはあったりするの? いくら好きな物でもいつまでやっていたら飽きが来るでしょ」
「俺はゲームに飽きたら別のゲームをやったり、同じゲームの中でも別の物をやったりしますけど、そう言う事を聞いている訳じゃないんですよね?」
「うん、勿論。そういうのはつまらないからさ」
彼女は頷く。
「なら、こうやってコーヒー飲んでいるのは好きですよ。銘柄とか種類とか、大まかにしか知らないですけど、喫茶店で香りを楽しみながら少しずつ飲むのはなんだか落ち着きます」
「へぇ、成程。意外だね。こういうものは作業的に流し込んでいると思っていたよ」
「心外ですね。まさか勝手に食料が出てくるから、なんて理由で通っている訳じゃないんですよ」
「そうだね。よく考えれば、好きじゃ無かったらここにはいないよね。君に食事に無関心なら、その分を課金に回しそうだ」
「……否定できないのが辛い所ですね」
自分がもし食に執着していなかったら確かにやりそうだ。安売りしている袋麺とか、カレーとかで食いつないで、少しでもゲームに回しそうだ。
そういう人間がいるのは知っているし、ここまでゲームをやり込んでいると知り合いにもいる。……なりたいとは思わないが。
「逆に貴方は他に好きなこととか無いんですか?」
「私? 私はお酒と、映画と、この喫茶店も好きだし……それと最近は、君のことも結構好きだったりする」
思いっきり咳き込んだ。唐突に火炎瓶を家にぶん投げられたかのような衝撃だった。飲み物を口に含んでなくて本当に良かったと思う。
出て来た涙を拭って、再び見た彼女の顔は悪戯の成功した子供みたいだった。
「結構びっくりした?」
「そりゃあ……まあ。びっくりするに決まっているでしょう」
「結構ウブなんだね」
「……女性とはあまり関わって来なかったもので」
「へぇ、結構かわいい顔してるのに。周りがほっとかないと思うんだけどなぁ」
「女性に向けて言うならともかく、男の俺に言われても嬉しくないですからね」
「おっと、それは申し訳ないね」
「ほんとですよ。冗談でも言って言いことと悪いことがある。好きだとか、嫌いだとか、そんな事を軽々しく言って許されるのは小学生まででしょう」
わざとらしくため息をついた。彼女はそれを聞いて、一度目を伏せる。窓を通して遠くを見た。その先に何を見ているのか。何を感じているのか。同じ方向を見ても気が付くことはできない。
それから小さく、赤ん坊に話しかけるような優しい声色で切り出した。
「かもね。でもさ、私は……大人になればなるほどちゃんと言っておいた方がいいって、思うこともあるよ」
今日の空気みたいにじっとりと重い空気を感じる言葉だった。いつもみたいにふらふらと揺れながら落ちる花びらみたいに交わされる言葉では無かった。
たぶん、彼女にとっての大事な部分根幹にあるモノなんだ。だから適当に扱うことは止めようと思った。
二台のスマホの電源を落として、それからもう一度彼女を見た。信じられない物を見たかのように、彼女の視線は僕の手元に固定されている。俺だっていつでもスマホでゲームをしてる訳じゃない。そう言ってやりたかったけれど、今はそんな空気でも無かった。
他にもっとやるべきことが、言うことがある。
「俺もっ……貴方との時間は嫌いじゃない。面倒では、あるけど」
一瞬、自分の周りだけ宇宙空間のように無音になった気がした。ぱちぱちと正面の彼女が瞬きをする。恥じらいが肌を撫でて、鳥肌が立った。上手い事口が回らなかった。彼女の様な美しさも、格好良さも持ち合わせていない自分はただひたすらに不格好だったと思う。
身体が熱を持って、ありとあらゆる毛穴からやかんみたいに湯気が出てるんじゃないかと思ってしまう。
それを見た彼女は無音から解放されて、声を必死に抑えながら笑った。人差し指で涙を拭った。そこまで笑わないで欲しかった。
「なにそれ。最後の一言が余計すぎるでしょ」
「でも面倒なのは事実でしょう」
「そんなこと言って照れ隠ししなくてもいいのに。へぇ~。そっか嫌いじゃないんだ。じゃあ好きってことだよね。面倒なコミュニケーションの取り方をするなぁ、君は」
「別にそうは言ってないでしょう」
「じゃあ、ったも同然だね」
「そう言う所が面倒だって言ってるんですよ!」
ちょっと強めに言ってみたけれど、彼女にはあまり堪えないようだった。いつもみたいにニヤニヤとかわしていくスタイルに戻っていた。
「ごめんごめん。ちょっと嬉しくなっちゃったんだよ。私の悪い癖だね」
「分かってるなら治して欲しいですね」
「直し方が分かっていないから悪癖なんだよ」
「ほんと、ああ言えばこう言うな……」
呆れつつ、コーヒーを口にした。熱かったはずがかなり
好きなゲームを放置して、面倒なはずの他人との会話を楽しんでいる。それは、これまでにない逆転現象だった。それこそ天変地異でも起きない限りはあり得ないと思っていた。
でも、そう言ったことは突然訪れるらしい。
「どうしたのかな? 急に黙り込んじゃって」
「ちょっと考え事をしていただけですよ」
自分が時間を忘れるぐらい必死で、他の何もかもが並行して考えられなくなるこの感覚。それを彼女に告げることは、たぶんないのだろう。
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