無職転生の幕間 (綴りの違うウサギ)
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嫁と酒

 人は酔っぱらうとたがが外れる。

 もちろんウチの嫁も例外ではない。

 

 シルフィは普段よりも甘えん坊になり、エリスは普段とうってかわって静かになる。ただ血走って興奮した目は、間違いなく肉食獣のそれだ。

 油断をすれば一瞬で身ぐるみを剥がされる。

 

 ロキシーは……。なんだろう。不思議ちゃんになる、って感じだろうか。

 エリスの胸をペチペチと叩いたり、シルフィ腰にしがみついたり、俺の足にストン、と座って静かになったりする。

 ちょっとララを足した感じになる、と言ってもいいかもしれない。

 

 「ルディはボクが男の子でも愛してくれたもんね?」

 「もちろんだよ」

 「いくらルディにアスラ貴族の血が入っているとはいえそれは……」

 

 これこれロキシーさんや、いくら酔っているからといって服の上からそんな所を触ってはいけませんよ。砲撃準備が始まってしまいますからね。

 

 ほらみなさいあのエリスの顔!

 ギアはニュートラルだけどアクセルペダルはベタ踏みって感じ!

 これ以上酒を飲ませておくとタイヤがバーストしちゃうわ!

 

 「だってルディがボクの事を男の子だと思ってた時期、二回もあったんだよ?」

 「確かに男娼という存在は知っていますが……」

 

 シルフィはアスラで貴族の乱れぶりを目の当たりにしてきちゃったもんなあ。

 とはいえ俺の前世の知識でほとんどの事はカバー出来るだろう。

 魔法を使ったプレイまでは想像力の問題になってしまうが……。

 

 「だったらわたしはどうでしょうか」

 

 えっ?

 

 「わたしが男の子だったらどうでしょうか」

 

 もちろん愛せますよ──そう言おうとしたのだが。

 涙が一粒。つつ、と頬を伝っていた。

 

 「……ロキシーは女の子がいいです」

 「冗談! 冗談ですから! ね、ルディ!」

 

 横をチラリと見ればシルフィもうんうんと頷きながら俺の肩に頭を擦り付けていた。

 別に二人を差別したつもりはないし、ロキシーにおにんにんがあって『しゃぶりなさい』と言われたら喜んで跪くが、それはなんだか嫌だと、無意識で思ってしまったようだ。

 

 「じゃあえっと……エリスはどうでしょうか?」

 

 ロキシーが鋼の精神で話の矛先をエリスにぶん投げてしまった。

 酔ってもしっかり聞こえていたらしく、エリス肩がピクリと跳ねる。

 

 あの反応はマズい。

 俺の答えを本気で待っている時のヤツだ。

 

 「エリスも女の子がいいかな」

 

 だって普段の俺が押し倒される状況考えたら掘られそうだし。

 アタシ、お尻から血が出て治癒魔術で治すのはもう嫌よ!

 

 「……そう」

 

 エリスが発したとは思えない、虫の羽音のような声が、かろうじて聞こえた。

 声に固さはなく、ホッとした安堵のような物が含まれていたが、体の距離は明らかに近付いていた。

 ていうか、さっきまで体触れてなかったですよね?

 

 「え~? ルディ、ボクだけ男の子なの?」

 「もちろん、シルフィだって女の子がいいさ」

 「んふふ。だよね、だよね!」

 

 まったく可愛すぎだなウチの嫁達は!

 

 ……ただもう、おにんにんの話で盛り上がるのは止めてほしい、かな。



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空中散歩

 魔法都市シャリーアには文字通りの空中庭園があるという噂がある。

 

 そこへ至るには、朝早く、虹のようにうっすらと伸びる宙に浮かぶ階段を昇る必要があるとか。

 

 宙に浮く階段などあり得ないと思うだろうが、地元の人に聞けば、空を歩いている人を見た事がある、という話は簡単に聞ける。

 

 ──ああ、それならグレイラットさん家の亭主でしょうね。

 

 ●

 

 やあ、皆! 人気投票を行ったら一位から五位まで独占するほど大人気な皆のヒーロー、ルーデウスおじさんだよ!

 

 いや、一位は無いな。

 一位は間違いなくロキシーだ。

 シルフィやエリスもいるし。いいさ、俺よりも美人の嫁さん達が人気なのは分かってる。

 

 おじさんは最近息子や妹が仕事を引き継いだからトレーニングと研究ばっかりの日々なのサ!

 

 という訳で寄る年波に負けないように魔術を絡めたハードなトレーニングを自らに化している。

 名付けて空中散歩。

 

 土魔術で作った板を重力魔術で吹っ飛ばないように空中でバランスを取りながら浮かばせる。

 それを階段状にしてひたすらのぼっていくのだ。

 

 宙に浮いた階段をのぼるなんてRPGのラストダンジョンみたいでカッコいいが、慣れるまでは結構制御が大変だった。

 

 とはいえ、慣れれば有り余る魔力を使いながらしっかりと走り込む事が出来る。

 

 何もない空間に足を踏み出して、瞬間的に足場を作り宙に固定する。

 通りすぎた場所は魔力を抜いてしまったら上空から岩の板を降り注がせてしまうので、消しておく。

 

 こうする事で誰かが追っかけてくるのを防ぐ事も出来るのだ。

 やっぱり安全第一じゃないとね。

 

 ●

 

 「私も連れていきなさい!」

 

 どこに?

 空にだろう。

 

 「ルーデウス一人で行くなんてずるいわ!」

 「いや、エリスは重力魔術なんて使えないし……何かあったら危ないだろ?」

 「私なら足に力を入れれば、あのくらいの高さなら何とかなると思うわ!」

 

 ホントかよ……。

 

 いや、俺は闘気にご縁のない体なんで分かりませんけどね?

 

 ●

 

 「……上まで来ると結構高いのね」

 

 俺の手を握るエリスの手に普段より強めの力がこもっている。

 最近はこんな風に何かを怖がるエリスなんて見ることはなかったから懐かしい気分だ。

 

 何かを怖がるエリス……あれ、どうだろう。誘拐事件の時くらいしか思い出せんぞ?

 まあエリスはアタシのヒーローだもの。

 こういう時くらいカッコいい旦那様になってあげないとね。

 

 「ほらエリス。手より腕を組もう」

 「そ、そうね」

 

 差し出した腕におずおずとエリスが手をまわしてくる。

 ウホッ……いいおっぱい……。

 

 「いつもこんな高さまで来てるの?」

 「いや、今日はちょっと調子に乗って普段より高めに来た」

 

 シャリーアの街の全景が見渡せる高さだ。

 空から世界を見てみよう、なんて事を自分で出来るようになるとは。

 

 「他の皆は連れてこないの?」

 「そんな事考えた事もなかったよ」

 「シルフィもロキシーも絶対よろこぶわ! だってこんなに綺麗な景色なんだもの!」

 

 ニシシ、と明るく笑うエリスがそういい放つ。

 ちょっと強めの風に長い髪を気にせずはためかせている様は幾つになっても相変わらずカッコいい。

 

 ……どうもエリスと二人っきりになると、男女が逆転してしまいがちだ。

 これ以上横顔を見つめていると俺の中の乙女な部分がキスをねだり出してしまうだろう。

 

 「……そろそろ帰ろうか」

 「そうね」

 

 帰りは照れ隠しの意味も込めて、足場を作らずに重力魔術だけでゆっくりと降りていった。

 エリスをお姫様抱っこしたのなんていつ以来だろうか。

 

 今度は皆を連れてきたり、夜景を見るのもいいかもしれない。

 もちろん他の街を見てみるのもいいだろう。

 

 もしかしたらシルフィは高い所が苦手だったりするかもしれないけれど、その時は後ろから抱き締めてあげればいいかな。



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男の子

 男の子ならかめ◯め波が撃ちたいという、ファンタジックな夢のひとつやふたつ持っているだろう。

 

 残念ながらウチの息子二人は小さい内から化物みたいな強さの人間に囲まれて育ったせいで、夢見る男の子にはならなかった。

 

 という訳で俺が夢を叶える男の子になるのだ。

 夢を叶える女の子はクリスが担当。

 

 ……ウチの嫁達も夢を叶えた事になるのかな。

 自分で言ってて恥ずかしくなってきたしとっとと街の外に試し撃ちに行こう。

 

 ●

 

 ぴょんこぴょんこと街を跳ねて駆け抜ける。

 月面を跳ねる宇宙飛行士の気分だ。

 そういえばこの世界の月にもウサギさんがいるのだろうか。

 星座について調べたこともなかったし。

 

 ……人神座とかあったらムカつくしやめとくか。

 

 しかし実に良いなこのストライド。

 バレエダンサーのような華麗なフォームで建物を飛び越える。

 年齢を感じさせないとはこういう事だな。

 

 しかしあまりバカな真似はし過ぎてはいけない。

 俺が笑われるのはいいが、家族が笑われるような事が起きてはダメだ。

 近所の面白いおっちゃん程度に納めておかないとな。

 

 ●

 

 という訳で街の外。

 近隣住民の皆様に迷惑がかからないように、こっそりもうけた俺専用の特訓スペース。

 まあ昔焼き払っちゃった森の再利用なんだけどね。

 

 スペースは確保出来ている。

 ポーズも思い出せる。

 原理が思い出せんのだ。

 

 感覚的に考えて闘気が関係していたら俺には土台無理な話だが、魔術という最大の武器で誤魔化してしまえばいい。

 

 おそらくだが閃光炎の応用で真似が出来るだろう。

 

 俺の中での閃光炎のイメージは手を振り払うと不可視のレーザーが走り、一拍空いた後爆発が起きるといった感じだ。

 

 オルステッドには少し違うと言われたが、お互い感覚派な上に俺がイメージしているのはロボットアニメにありそうな光景だ。

 イメージの違いがあるのも当然だろう。

 

 この魔法から実用性を奪い去り、炎っぽさも消す。

 ガスバーナーの巨大版……。

 

 いや、成功したら小型化すれば実用性が出てきそうだ。

 手からガスバーナーが出せれば何でもぶった切れるようになるかもしれない。

 盗みの新たな手口だな。

 俺は家族の心が盗めればいいんだけど。

 

 ●

 

 撃つ。

 撃つったら撃つ。

 

 ただ、試作段階では魔力をライン状にして点火、維持が以外と難しい事に気づいたので亀仙流の技から野菜王子の方の技に変更した。

 

 ぶっぱなす前に千里眼で周囲の安全確認。

 万が一ドラゴンの群れやケイオスブレイカーにかすりでもしたら大惨事だからな。

 そんな間抜けな死因は作りたくない。

 

 深呼吸、集中。

 両手を斜めに空に掲げて直線と炎の範囲を意識する。

 千里眼を展開して観測しながら第一射。

 

 「いっけぇ……!」

 

 手元から細い線が走る感覚があり、周囲の空気がそれに吸い込まれるように収縮。そして一気に爆発。

 爆発が無駄に広範囲にならないように、威力を絞れるように調整する。

 目標物を消し炭にしてターンエンド。

 

 「おお……」

 

 闘気がないからそれっぽさはないし、光線が出せないから見た目も記憶からはかけ離れているが、そこそこカッコいい感じはする。

 

 ただあれだけの火となると、やはり酸素をバカ食いしたらしく、少し息が切れる。

 

 こんな所で酸欠なんて間抜けな事にならないよう、少し風の回りを良くして──。

 

 「おい」

 「うわっ!?」

 

 振り向けばアルマンフィ。

 君ホントどこにでも来るね。

 どこでもアルマンフィだな。

 

 「さっきの爆発は俺ですけど、いくらなんでも来るのが早すぎませんか?」

 「普段通りだ」

 

 おー怖い。

 

 「貴様なら恐らく問題は無いだろう、とペルギウス様は仰っていたが……」

 

 へえ、しがない魔術師の新作実験でございまさあ。

 

 「……ならば良い」

 

 いいんかーい。

 

 ●

 

 実用的ではないが非常に楽しい試みであったな。

 しかし、炎の形状を意識して圧縮するという形式は応用が効きそうだ。

 

 溶接……機械に頼っている訳じゃないのだから自分の調整次第で溶断……。

 ビームサーベルだ!!

 

 そうなってくると完全燃焼している青い炎を精製する所から始まって、ガワ以外の相手を切る部分を大きくする事も考えないといけない。

 

 うーん、先は長い。

 まあいいさ。今日のところは帰ろう。

 

 ●

 

 帰宅後、爆発音が街まで届いていたらしく、危ない事はしないようにと、釘を刺されてしまいましたとさ。



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耳掃除

 目の前でピコピコと、彼女が奏でる鼻歌に合わせて長い耳が嬉しそうに上下しているのを、俺はただ、何をするのでもなく見つめていた。

 

 世間様は『ロバのような耳』とか『悪魔のような耳』だと表現する事もあるらしいが、俺にとっては『愛しい嫁の耳』であり、これ以上の表現は存在しない。

 

 そも、獣の尾のごとく彼女の豊かな感情表現に一役買っている美しい耳に悪い印象などあるわけがないのだ。

 

 「あの……ルディ?」

 「んー?」

 「さっきからずっとボクを見てるけど、どうかした?」

 「いやいや。今日もシルフィは綺麗だなって、思ってただけだよ」

 

 ぴょこん、と耳を跳ねさせた後いつものようにえへへ、と笑って「ありがとう」なんて言う。

 ただそれだけの事が愛しくて、俺は生涯彼女にときめき続けるんだろうな、と再確認した。

 

 そうだ。

 

 「シルフィ、耳掃除ってしたことある?」

 

 ●

 

 この世界に来てから耳掃除という文化に出会ったことはない。

 そもそも耳掃除がアジア特有の文化であり、欧米には存在しないという事は何かの拍子に見た記憶がある。

 1へえ。

 100円だな。

 

 「えっとじゃあ……失礼します」

 

 耳掃除の作法として、膝枕を勧めさせてもらった。

 ただ、シルフィの耳は長いので、痛めないように股の間に耳が入るようにする必要がある。

 

 ……非常にこそばゆい。

 この鳥の羽でくすぐられるような感覚が、俺のよろしくない所に届かない事を祈ろう。

 

 当のシルフィは赤い顔でモジモジとしている。

 そういえば膝枕なんてしたことなかったかもしれない。

 俺達はもっとこういう付き合いたてのカップルみたいな事もするべきだな。

 あんなことやこんなことばっかりじゃなくて。

 

 「……ホントにそんな棒を耳に入れるの?」

 「ホントホント」

 「……痛くしないでね?」

 「俺がシルフィにそんな事するはずないだろ」

 「もちろんルディの事は信じてるけどさ……」

 

 流石のフィッツ様も初めての耳掃除には緊張するらしい。

 気持ちは分かるとも。

 変な所に力が入るのも分かる。

 

 「じゃあいくぞ?」

 「うん……」

 

 こちょこちょかりかりと、耳の中を引っ掻いてまわる。

 耳の中は思ったより綺麗だった。

 そりゃ耳掃除が必要ないわけだ。

 

 「よし、じゃあこっちは終わったから反対側もやろうか」

 

 へ? とすっかり気の抜けた声を返すシルフィ。

 最初こそ俺の太腿を強く掴み、足をぴんと伸ばしていたが、段々と力が抜けて寝起きもかくやというほどに蕩けていた。

 

 「や、やっぱり反対側もやるの?」

 「そりゃあ片側だけだったら変な感じするだろ」

 

 う~……と唸っていたが、観念したらしく頭をひっくり返した。

 早くしないとエリスやロキシーが帰ってきちゃって大変な事になるかもしれないだろ!

 

 ●

 

 「如何でしたでしょうか私めの耳掃除は」

 「くすぐったいっていうか恥ずかしいっていうか……なんだか不思議な感じだったよ」

 「そうでしょうそうでしょう」

 

 俺もこのもどかしい感覚を『気持ちいい』の一言で片付けるのは難しいと思っている。

 普段人に見せないような所を見られているわけでもあるしな。

 

 「それじゃあ次はボクがルディにしてあげる番だね」

 

 えっ。

 

 「お、俺は自分でやるからいいよ……」

 「ダーメ。ちゃんとルディの恥ずかしい所も見せてもらわないとね」

 「うぐ……」

 

 この後、シルフィには今まで聞かせたことのないような情けない声をたっぷりと聞かれてしまった。

 

 「……しばらく次の耳掃除は無しで」

 「ふふ。はーい」

 

 ロキシーやエリスにもやってみようと思ったけど、ちょっと二の足を踏みそうだ。

 特にエリスはこういう事苦手だし。

 鼓膜なんて破られたくないぞ俺は。



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決めポーズ

 「では、第一回デッドエンドの決めポーズを決める会議を始めます。拍手」

 

 目の前の二人が乗ってこないのでパチパチパチと、口にしながら一人寂しく拍手をする。

 

 いいじゃないか、決めポーズ。

 トドメの一撃を決めた相手が体中から電撃を漏らして、ゆっくりと倒れ大爆発。

 それを背景にビシッとポーズをとる。

 RとXって感じで。

 爆風に巻き込まれそうになったらご愛嬌だ。

 

 「……あの、パパ」

 「はい、ジーク君。ちゃんと挙手が出来て偉いぞ」

 「デッドエンド、っていうのはパパと、赤ママと、ノルン姉の旦那さんのルイジェルドさんが組んでたパーティーの名前だよね?」

 「元は違うけどそうだ」

 「じゃあなんで僕とアル兄が?」

 

 そうだそうだと、アルスが頷く。

 

 「……エリスとルイジェルドが俺の話を聞いて乗ってくれるとは思えん」

 

 それは必要があるの(か)? と一蹴されて終わりだろう。

 旅をしてた頃のエリスなら言いくるめれたかもしれないが、今のエリスにそれは無理だ。

 

 カチンカチンと剣を鳴らされればまだマシで、馬鹿な事をいう口はこうよ! なんて言って強引に黙らせにくるかもしれない。

 ああ、ダメよアナタ。昼間のこんな明るい内から……息子達も見てるのに……。

 

 『パパ』

 「すまんすまん」

 

 息子二人の前でエア嫁とイチャついてしまった。

 イカンイカンせっかくの尊敬される父親像が崩れてしまう。

 

 「二人を代役に選んだのはちゃんと理由ある」

 

 前衛二人に後衛一人の当時と同じ編成。

 チェダーマンを履修したグレイラット家の男の子二人。

 ジークはムーンナイトの事もあるしこういうカッコよさは分かってくれると思っている。

 そして何より。

 

 「髪の色が揃ってるだろ」

 

 赤、茶に緑。

 男女比の厳しいグレイラット家の男組でデッドエンドパート2が組めるなんてな。

 

 「どう?」

 「どう、って言われても……」

 

 アルスはイマイチ乗り気じゃないようだ。

 まあ、成人する前に夢見る少年は卒業しちゃったしな。

 嫌なら無理にやらせるような事でもないし……。

 

 「僕はやります」

 「ジーク!?」

 「考えてみなよ、アル兄。これは僕達がパパの期待に応えるチャンスじゃないか」

 

 ちらりと、伺う様にアルスが俺を見る。

 いや、二人とも俺の期待に応えてくれてる自慢の息子だから無理しなくていいんだよ?

 

 「──そうだな。俺、やるよ。父さん」

 

 いや、二人とも覚悟完了って顔してるけど、そんな重い話じゃないからね?

 

 ●

 

 「前口上とかはどうします?」

 「んー……それは新人時代に散々見栄を切ってきたからいいかな」

 

 三人の少年の話し合いは滞りなく進んだ。

 剣神流のアルスが飛び込み、北神流のジークがカバーし、俺が援護する。

 トドメを刺された敵はしめやかに爆発四散し、ポーズを決めて『デッド・エンド!!』で締め。

 相手はバッチリデッドエンドだ。

 

 適当な魔物に数回挑んで全て成功。

 誕生日でもないのに息子からプレゼントを貰う結果となった。

 

 「……ありがとな。今日は俺のワガママに付き合ってもらって」

 「僕も楽しかったよ。パパと一緒に戦ったのなんて久しぶりだし」

 

 少し照れたように返すジークにシルフィが被って見えた。やっぱり親子なんだな。

 

 「……父さんとこうして遊ぶのは、俺も嫌いじゃないです、よ」

 

 アルスも嬉しくなるような事を言ってくれるが、微妙に不器用だ。

 昔はエリスもこんな風だったっけか。

 

 「それじゃあまた家族が揃う時にコッソリやるとして、今日はそろそろ帰るか」

 

 二人の返事を聞いて、俺は空へ飛び上がった。

 何故かって?

 男の子が家に帰る時にやる事なんて『誰が一番早く帰れるか競争』に決まってんだろ?

 

 ●

 

 因みに帰宅した後、男三人で魔物を狩りに行っていたと思われていたらしく、エリスに「私も誘いなさいよ!」なんて言われた。

 決めポーズのカッコよさについて説明はしてみたけれど、イマイチ分かってもらえなかった。

 ……次回も男三人かなあ。



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三つ編み

 こつこつ、と音がする。

 頭の上から。

 

 俺の知る限りではこの世界にガムのような物は無いので、彼女は俺の頭に顎を乗せて、空気を咀嚼している事になる。

 構ってほしいのだろうか。

 

 しかしガムか。

 懐かしくはあるが久々に食べたいと思うほどでもないな。

 ガムの樹液を取る木なんてのは熱帯とかのジャングル的な場所に生えてるなんて説明を、小学生の時に漫画で読んだような気がする。

 さすがに昔の事過ぎて自信はないけれど。

 

 この世界にあるとしたらやっぱり専用のトゥレントがいるんだろうな。

 チューインガムトゥレント。

 大森林にならいそうだ。

 

 ガラの悪い冒険者がクッチャクッチャやってそうだけど、ウチの次女は冒険者じゃない。

 

 「……ララ」

 「……ん?」

 「パパはそろそろ頭が痛いので顎をガコガコするのを止めなさい」

 「やだ」

 

 ええー。

 

 そりゃ自分の娘に抱きつかれたら嬉しいけどさ。

 朝の稽古を終えて汗を流してソファーでウトウトしてた所に脳天コツコツだよ?

 パパが微妙に不機嫌になって、脇腹くすぐっておもいっきり笑わせてあげても許されるよね?

 レオは足元で俺の代わりに寝てやがるし。

 お前もモフモフしてやろうか。

 

 「はいはい。髪結んであげるからバカな事考えないの」

 

 オカンかよ。

 まあララどころか子供達に髪結んでもらった事なんかないし、いい経験かもな。

 俺の髪なんか纏めてくくるだけなんだけど。

 

 ●

 

 「……あの、ララさん?」

 「なに?」

 「なんで三つ編みなんでしょうか」

 「ママとお揃いでしょ?」

 

 ……なるほど。そう考えると悪くはない。

 ロキシーと同じとは俺にはおこがましいくらいだ。

 ただ髪の長さが多少短いとはいえ、髪の色的に牧師の服を着たら陽気な死神に見えなくもない。

 魔導鎧にデスサイスを持たせて盾をバスターシールドに換装してやろうか。

 

 「……パパの髪を結んでる紐って何か特別な紐?」

 「別にそんな事はないけど……赤竜の髭だよ。持ちがいいんだ」

 「赤竜!?」

 

 おお、ララが珍しく驚いておられる。

 

 「昔はぐれの赤竜を上手いこと倒せた時に貰ったんだ。これで髪を結んでおくと髪が無駄に伸びなくなって超便利」

 「へー」

 

 興味薄れるの早すぎじゃありません?

 

 「パパのお陰で早起きした分の暇も潰れたし、いいじゃん」

 

 めずらしく引っ付いてきたと思ったら甘えてた訳じゃなくて暇潰しかよぉ!

 

 よいせっとララが降りる先には当然のようにレオが待ち構えている。

 お前は働き者だなあ。

 

 ララは普段のように眠そうな目とイタズラを思い付いたような薄い笑顔に戻り、のそのそと俺から離れていき、入れ替わるようにエリスが近づいてきて俺の三つ編みを弄びだした。

 俺と同じく汗を流した後なので、普段よりちょっといい匂いがする。

 

 「今日は三つ編みなの?」

 「ララがやってくれたんだ」

 

 暇潰しだけどな!

 

 「エリスもやるか?」

 「……ルーデウスが結んでくれるならやってもいいわ!」

 

 ●

 

 その日の朝食の席で、今日は皆三つ編みの日なんだと気付いたシルフィが「後でボクのも結んでね」と言ってきたのは、予想通りだったけど、やっぱり可愛かった。



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性癖

 「ルディはお尻での経験はありますか?」

 

 ロキシーの恐らく好奇心から産まれたであろう言葉を聞いて、一瞬で下半身が引き締まる。

 野郎に襲われた経験はないし、シルフィはもちろんエリスにも知識がないお陰で指を入れられた事もない。

 

 「無いですけど……もしかして興味があるんですか?」

 

 もしロキシーに求められるのならば、俺も覚悟を決めざるを得ないだろう。

 馬車の旅で穴をいわした事はあるが、治癒魔術でどうとでもなる。

 イチジクの代わりにウォーターボールで尻の準備をして……。

 

 「あ、いえ。昔エリナリーゼさんの行為をうっかり覗いてしまった時にお尻でも相手をしていたのを思い出しまして……」

 

 おばあ様ったらウチのロキシーに悪い影響を残しやがって……。

 龍の道を往き、スケベを司る女。

 それがエリナリーゼ・ドラゴンロード。

 我が妻シルフィのおばあ様。

 あんまりロキシーにいかがわしい事を教えないでほしいわね。

 

 「知識としては覚えていますが、危ないのでやらない方が良いと言われました」

 「俺もその方が良いと思います」

 

 普通の行為ですら少々大変なのに無茶はしない方が良いだろう。

 中に無理に押し入った所で痛いばかりで誰も幸せにはならない。

 

 「それでですね。挑戦するかは別として、他にもどういった方法があるのか知りたい思ったのです」

 「そういった話はそれこそエリナリーゼに聞けば良いのでは?」

 「彼女は別に特殊な事ばかりしている訳ではないようですし……ルディなら貴族の方面にも詳しいでしょう?」

 

 それならエリス……は話にならないからシルフィやリーリャにも聞いて……と思ったけどダメだろうな。

 二人ともあまりいい思い出があるわけではないだろうし、そもそもそういった行為はしてないだろうし。

 

 俺なら貴族と付き合って行く上で正面切ってそういう会話をした事もある。

 下ネタは世界を繋ぐのだ。貴族の連中相手には特に。

 

 「ロキシーが望むのなら話すのは構いませんが……俺の話がトラウマになったからって恨まないでくださいね?」

 「もちろんです。とは言いますが、ルディがそこまで言うとなれば、かなりの覚悟を決める必要がありそうですね……」

 

 ●

 

 普通こういった話は酒が入っている時に勢いでするか、行為の前に気分を高める為にすると思うのだが、ロキシーが会話の舞台に選んだのは、プロレスごっこをひとしきり行った後のベッドの中だ。

 

 いつもだったら髪を解いたロキシーを抱きしめながら夢の中に沈んでいくのだが、今日は少々興奮がぶり返してしまった。

 

 俺の解説を聞いているロキシーの目が、少女のように輝いていたので二回戦を堪えたのも原因だろうが、なんとか話に集中する。

 

 足で踏みつける電気あんまの様な話や同性の話。

 普段と違う服装や役になりきっておこなうプレイはロキシーと行ったことがあるので割愛。

 治癒魔術があるお陰で大胆に行われる被虐嗜虐趣味のお話や、排泄物が関係している話もしたが、聞いているロキシーの表情が段々と辛そうになってきたので、話を切り上げる事にした。

 

 「……わたしはルディに抱きしめてもらいながら愛を囁いてもらえばそれで十分だと分かりました」

 「俺も普段通りにしているだけで幸せ過ぎるくらいです」

 「そういう事はちゃんとシルフィとエリスにも言ってあげるんですよ?」

 「もちろんです」

 

 会話はいつもの様にロキシーが俺を導くようにして終わった。

 薄れ行く意識の中で、ロキシーがこうして時折見せてくれる年上のお姉さんらしさに俺が感じている感情は、もしかしたらバブみと呼ぶんじゃないだろうかと思いつつ眠りについた。



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エアコン男

 最近のエアコンという物は実に便利になった。

 家に居る間は24時間365日。暑い寒いとご要望があれば即座に稼働を開始する。

 おまけに光熱費はゼロ。

 

 ……いやまあ、俺が魔術で空調管理してるんだけどね。

 つまりお買い得品ではなく、展示のみの非売品だ。

 うっかり手を出そうものなら美人の嫁と子供達に袋にされる事でしょう。

 俺が。

 

 ●

 

 冬の日の朝は当然グレイラットさんちの新型エアコンがフル稼働だ。

 

 朝、トイレに起きた子供達は、パパの部屋を覗いて、裸の人がいなかったらベッドへ潜り込む。

 ここが一番暖かい事を分かっているのだ。

 出遅れて足元に入るのは危険だ。

 寝ぼけたパパに蹴られてしまう可能性がある。

 

 湯たんぽ代わりにされた旦那様は「なんかあっついぞ……?」となって目が覚める。

 冬なのに汗を拭い、布団の中で自分の体にしがみつく子供達を見て軽く笑みをこぼし、少し暖かさを緩めながらまた眠りにつく。

 

 夏ではこれが逆になるかと思えばそうでもない。

 

 「パパあっつい~」

 「だったら俺の膝から離れなさい」

 「それは無理~」

 

 ルーデウスの大旦那の膝には綺麗な赤と青。

 同じ年に産まれた末っ子コンビのリリとクリスティーナ。

 

 大きなソファーを大胆に使って二人でパパの膝枕を独占している。

 

 ソファーの後ろにはパパに引っ付くのはもう恥ずかしいけどここが涼しいと分かっている3人。

 ルーシー、アルス、ジークがアイシャ特性の氷菓子をパクついていた。

 

 ルーデウスの足元はレオに抑えられ、その上にはララがいる。

 ちゃっかり良いポジションをとるのが彼女らしい。

 

 ママ達は夜にパパを一人占めするんだから昼は私達にちょーだい、というのが子供達の言い分である。

 

 お陰で白ママと青ママは隣のソファーで寄り添うようにのびている。

 ルーデウスには二人がハンカチを噛み締めているように見えるかもしれない。

 全然そんな事はないのだけれど。

 

 ゼニスとリーリャ、ノルンとアイシャもそれぞれ別のソファーでうたた寝をしている。

 夏の暑さを忘れるような穏やかな時間だ。

 

 ただし、ここには暴風かくあれかしとでも表現するべき彼女の姿がない。

 もうすぐ水浴びを終えて戻ってくるはずだけれど。

 

 「ルー! デウス……」

 

 昔のようにドタドタと大きな音で部屋に入ってはきたが、今の彼女のには家族を思いやる心が備わっている。

 

 「……髪を乾かして欲しいんだけど」

 

 いつの間にか寝ていた子供達に阻まれてエリスはルーデウスに近づけない。

 ルーデウスも二人の娘を膝枕している以上立ち上がる事ができない。レオとララはそれが分かっている上で足元で寝たのだ。

 

 ん、と伸ばされたエリスの手をルーデウスが握るがそこから動く事はない。

 家族はここにいるけれど、意識が無いからか、普段よりも少々甘え気味だ。

 

 繋いだ手を通してエリスの正確な位置にルーデウスから魔力が送られ、髪を乾かす為の風が、部屋を涼しくする風とは別に吹き出す。

 

 下から風を受けて、そこに大きな花が咲いたかの様にエリスの髪が広がる。

 花の中心にいるエリスの顔も少々赤いようだ。

 それを見つめるルーデウスは子供の頃のようにニコニコとしている。

 二人にしては珍しく、文字通りの夫婦をしていた。

 

 いつの間にかそれを見つめる視線が一つ。

 「──ふひっ」

 

 エリスの髪が風以外の要因で、大きく跳ね上がる。

 驚いても大きな声を出したりしないあたり、彼女も大人と言うべきか、流石剣王と言うべきか。

 

 「──ララ、アンタいつから見てたの」

 「待って欲しい。パパと赤ママが突然目の前でイチャつきだしただけで、私はパパの足元で涼んでいただけ。むしろ被害者とも言うべき」

 

 ララの両頬がエリスの片手にムギュっと潰されて、突き出てきた口からぶへっ、と息が漏れる。

 しばらくララの柔らかな頬を堪能すると、エリスの手はララを解放した。

 

 髪が乾いたのか、エリスは手を放すとどこからか椅子を持ってきて、ルーデウスの前に座った。何故かララを自分の膝に抱えて。

 ララは何故だ、と抗議し手足を動かしたが体格と筋力の差の前にはなすすべもなく、助け船を出してくれなかったレオとパパを恨めしそうに見つめた。

 

 手──足慰みとでもいうのか、レオが退いたルーデウスの足に二度三度自分の足を絡ませたあと、抱えたララの頭が顎を乗せるのに丁度いい高さだったので、エリスも微睡みに身を委ねた。

 ララは抵抗したが意味がなかった。

 

 夏なのにセミの声があまり聞こえない事で、ここは昔自分が居たところとは違う。

 なによりここには家族がいると、ルーデウスは再確認した。

 

 「……こりゃ皆夜眠れなくなるな」

 

 花火でも打ち上げてやったら皆はしゃいで疲れて寝やすくなるだろうか。

 そんな事を考えながら、夏の日の午後は過ぎていく。



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ジンジンビリビリパラダイス

 あ、ヤバい。

 

 家族との夕食を終えて、普段通り自分の分の食器を片付けようと立ち上がろうとして瞬間的にそう思った。

 

 動かない。

 いや、動かせないのだ、体が。

 感覚的に表現すれば『ス◯ンド攻撃を受けているッ!』って感じだ。

 受けた事ないんだけどね!

 

 「ルディ……?」

 

 立ち上がろうとして止まっている俺の様子がおかしい事に気付いたのか、シルフィが様子を伺いに近付いてきた。

 

 そりゃあそうだ。

 骨折した直後に体がおかしいのにまだ痛みが届いていない時の様に、今の俺の額には脂汗が滲み出ている。

 旦那が突然そんな風になったら誰だって心配してくれるはずだ。

 

 「どうしたの? お腹でも痛い?」

 「いや……なんでもないよ。大丈夫」

 

 実に説得力のない言葉が俺の口から出た。

 体が動かない理由は分かっているし、こんな事で家族に心配はかけたくないのだけれど、シルフィの心配そうな様子に気付いたらしく、食器を片付けた皆が俺の所に戻ってきていた。

 

 「ルディ、一体どうしたのですか」

 「ルーデウス……?」

 

 イカン。

 食器を洗っていたアイシャ達まで戻ってきたせいで、家族大集合オールキャスト総出演だ。

 相変わらず俺の体は動かせないままだが、全く大騒ぎするような事ではないんだ。

 誰か助けてくれ。

 

 トテトテトテ、とレオが近付いてきた。

 スンスンと、二度三度鼻を鳴らした後、俺の未だ中に浮いた太ももに顎を乗せ──。

 

 「あふんっ!?」

 

 俺は変な声を噴き出した。

 皆が目を白黒させているのが最高に辛い。

 でも皆だって同じ事をされたら 俺みたいになると思うのよ。

 

 「…………パパ」

 

 レオに続くようにしてララが近付いてくる。

 その顔には「全部分かってるから大丈夫だよ」という優しそうな──悪意に満ちた笑顔が浮かんでいた。

 

 「ラ、ララ……?」

 「パパはさあ……」

 

 わざとらしく、それでいて絶妙な力加減で俺の太ももをつついてきた。

 

 「足が痺れてるだけだよね?」

 

 フフン、と勝ち誇ったように嫌らしく笑う。

 ウチの次女は、人の弱みを教えてはいけないタイプだと、改めて確認した。

 

 ●

 

 「もう、ルディったら心配させるような事せずにちゃんと説明してよ」

 「いやあの、シルフィエットさんや、太ももをつつくのを止めてもらえませんか……」

 「えー? 足の痺れなんてすぐ治るから大丈夫だよ」

 

 何も大丈夫ではないんですがそれは。

 

 「そうですよルディ。皆を心配させたんですから」

 「ロキシーまで……」

 

 太ももをつつきつつもロキシーの力加減は優しい。

 流石先生愛してるぜ。

 

 「ルーデウスはバカね!」と言いつつも、エリスは俺をいぢめて来ない。

 今日のエリスは女神だ。

 

 代わりと言わんばかりに子供達が俺の太ももを遠慮無しにひっぱたいてくる。

 パパこんな事で子供に囲まれても嬉しくないよ……。

 

 終いには遠慮してたノルンを差し置いて母さんが一つつきしてきた。

 もう勘弁してくれ……。



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お土産

 「ルーデウスパパのお土産タ~イム」

 

 どう考えても3分で作る事が出来ないクッキングの軽快な音楽を自分で歌ってノリノリでブツが乗った皿を机の上に置く。

 皿には俺の作ったクロッシュが被せてあるため、中身の分からないビックリ箱状態だ。

 

 そのせいか、家族の俺を見る目は戦々恐々としている。

 

 「……俺ちゃんと食べれる物持ってきたよ?」

 「絶対そういう問題じゃないよね……」

 

 シルフィの言葉に皆がそうだそうだ、と頷く。

 何さ何さ皆して!

 絶対ギャフンと言わせてやるんだからね!

 

 「はい御開帳~」

 

 ロキシーとエリスは予想通り大丈夫。

 シルフィも口元に手を当てているが何とかこらえた。

 子供達は悲鳴を上げてしまった。

 

 ●

 

 「何ですか、何ですか、何なんですか!!」

 

 アイシャに抱きついたノルンがちょっと涙目になりながら怒ってくる。

 二人とも大きくなったせいか、母さん達が抱きしめあってる様にも見える。

 ブエナ村での日々を思い出しちゃうじゃないか。

 

 「お前ら今日は仲良いじゃないか」

 「そんな事どうでもいいんですっ!」

 

 そんな事とか言うなよ……。

 可愛い妹達が仲良くしてくれないとお兄ちゃん悲しいぞ?

 

 「お兄ちゃんそれって……」

 「見ての通り芋虫です」

 

 アイシャがうえーと舌をだす。

 悲鳴をあげなかったのは流石と言うべきだけど、見た目の不快感は当然あるらしい。

 

 まあそうだろうな。

 俺だってカブトムシの幼虫にしか見えないもん。

 

 「ルディそれ……食べられるの……?」

 「調理済みでございます」

 

 うわあ、と言って覗きこんでくるが、手をつける勇気はまだシルフィにもないようだ。

 わざわざこんな物を食べなきゃならないサバイバルな生活はして来なかっただろうし。

 

 ならば、とロキシー様子を伺った瞬間、もの凄い勢いで顔をそらされた。

 こらこら先生、好き嫌いはいけませんよ。

 なんて言って涙目で嫌がるロキシーに食べさせてもいいが、機嫌が悪くなるのは間違いない。

 

 ロキシーに嫌われるなど、俺にとっては死にも等しい事だ。

 耐える事など出来ないだろう。

 

 子供達はどうだろうか。

 ルーシーは勿論、ララまで怯えた表情を見せている。

 リリとクリスも当然だとは思っていたけれど、ララまでとは……。

 こりゃよっぽどだぞ。

 

 アルスとジークは「パパが食べろと言うなら食べます!」って表情だが、いきなり息子達をいじめる訳にもいきますまいて。

 

 何故か母さんはリーリャに目を覆われていた。

 そこまでかね?

 

 「……じゃあエリス」

 

 俺に呼ばれてエリスがビクンと体を跳ねさせた。

 呼んでくれるな、という雰囲気は出ていたが、それでも表情を見れば、覚悟は出来ているのが分かる。

 やっぱりエリスは格好いいな。

 

 「一番乗り、してみるか?」

 「……ルーデウスが食べるならやるわ」

 

 死地に赴くなら共に、というわけか。

 もちろん応えよう。

 ここで応えられないようじゃ、エリスの女房は務まらない。

 

 「それじゃ、先に頂くぞ」

 

 指で摘まんで一口で食べきる。

 見た目も食感も最悪だが、味は以前食べたとおり、ほぼアーモンドだ。

 グッバイキャタピラー。

 

 「エリス」

 

 食べやすいように、あーんをしてやる。

 食べさせる物も相まって餌付けにしか見えなくなってきた。

 そう思うとなんだか興奮してきたぞう!

 

 大きく開けた口に芋虫を放り込む。

 ワニでもあるまいし、噛まないだろうが、芋虫を放り込むついでにエリスの唇をなぶるつもりはない。

 それこそ噛まれる元だ。

 

 そういう時に噛まれたとか、歯が当たったとかいう記憶もない。

 歯形を残すような癖もない。

 キスマークくらいはお互い残すけどな。

 見える位置にあざが残っても、治癒魔術で消してしまえるし。

 

 食事中に思い出すような事ではないな。

 

 エリスは一口目で口内に存在するものが確かに芋虫であると認識したのか、動きを止めていた。

 口の端から、芋虫の体液であろう琥珀色がにじみ出したので、すわ吐き出すかと思ったが、ゆっくり食べても不快感が続くだけという事に気付いたらしく、早めに飲み込んで水を要求する事を選んだ。

 

 「……不味くはないわね!」

 

 ●

 

 その後も「食わず嫌いはいけませんね」とロキシーが続き、涙目で咀嚼する彼女を見届けた後「じゃあボクも」とシルフィが続いた。

 

 母親達が「味は悪くない」と後押ししたのが効いたのか子供達が挑戦し、ゼニス、リーリャ、アイシャと続き、ノルンが最後だった。

 ルイジェルドが虫を食べるように勧めてきたらどうする気だよお前。

 

 「兄さん」

 

 これ以上はないというほど顔をしかめたノルンが俺を呼ぶ。

 

 「今後一切虫のお土産は無しでお願いします」

 

 えー?

 随分つまんない事言うじゃないのよさ。

 

 「それならもっと凄いもの買ってきちゃおうかな」

 

 うええ、と皆がどよめく。

 

 「えっと……ルディ」

 

 反対派代表のノルンにシルフィが助け船を漕いできた。

 

 「食べ物で遊ぶのはやめよう?」

 「失礼な。ちゃんと綺麗に完食してるだろ?」

 「言い方が少し違いますよシルフィ。この場合、食べ物を使って家族で遊ぶのを止めると言うべきです」

 

 残念ながらロキシーまで敵に回ってしまった。

 エリスもそっぽを向いてしまった。

 皆つれないのね。

 

 当然子供達とアイシャも反対する。

 リーリャは何も言わなかったが、どうみても俺に勝ち目はない。

 

 「……分かった。もう変なお土産はやめるよ」

 

 家族の安堵のため息が家中に響き渡った瞬間であった。

 

 ●

 

 後日、子供達の反対票を避ける為、蛇の漬け込まれた酒を持って帰ってきて、ロキシーに脇腹をグリグリされた。

 

 なお蛇酒には強壮効果があったらしく、三日三晩こってり搾り取られた。 

 

 二度と食べ物で遊ぶことはしないと誓った。



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冷やし泥沼

 「ただいま戻りました……?」

 「あっ、ロキシーお帰りなさい」

 「これは……?」

 

 ロキシーが驚くのも無理はない。

 仕事を終えて家に帰って来てみれば、家族が庭で泥沼に足を突っ込んでいたのだから。

 

 「冷やし泥沼を始めてみました」

 「沈んでいったりしないのですか?」

 「深さが浅くなるように調整してありますので」

 

 そもそも皆泥沼の縁に座っているので沈む事はないだろう。

 皆泥沼に足を浸けるだけでなく、腕や顔に泥を塗ったりもしている。

 

 「それほど冷たくて気持ちがいいのですか?」

 「もちろんです。ついでですが、美肌効果があるかもしれないので試しているのです」

 

 美肌の部分にロキシーがピクリと反応したのを、俺は見逃さなかった。

 先生も女の子なのだ。

 旦那の目の前で綺麗になろうとする嫁をいとおしく思わないはずがない。

 

 「ささ、ロキシーも早く荷物を置いてきてください。そうしないと泥まみれの手で抱きしめてしまいそうです」

 「え? は、はい!」

 

 ●

 

 「これはなんとも、気持ちいいですね……」

 「でしょう?」

 

 ロキシーにも気に入ってもらえたようでよかった。

 まあ、リリどころかララが気に入ってる時点でロキシーが気に入らないはずはないと思ってはいた。

 

 女性陣は泥が髪に付かないように結い上げている。

 エリスは久々だけど、シルフィが髪を結んでるのなんて初めて見たかもしれない。

 拝んでおかねば。

 

 「もう、ルディったら何してるの?」

 「今年の夏も家族皆で乗り切れますように、って思ってたんだ」

 「そっか……そうだね」

 

 期間は短いし日本のように鬱陶しくはないけれど、シャリーアにも夏はある。

 庭に水でも撒いたりしていれば乗り切れる程度ではあるけれど、あくまで俺の主観だ。

 皆にとっては十分面倒な季節だろう。

 雨が少ないと困る人も多いだろうし。

 

 しかし作った自分で言うのもなんだが、実にさわり心地の良い泥だ。

 魔術を使わずに綺麗な泥団子を作りたくなってくるな。

 子供と泥の組み合わせと来たら泥団子。

 ……シルフィが嫌がったりするかな。

 

 「……パパ見て」

 「んー?」

 

 ララの手には綺麗な球体を描いた泥団子が乗っていた。

 清々しい程のドヤ顔で、フフンと鼻を鳴らしている。

 

 「ララが作ったのか?」

 「リリが作った」

 

 まあリリが泥団子作りに夢中になっているのは見えてたけどな。

 そんな事は関係ないから褒めろと、ララの顔に書いてある。

 

 「ララが自分で作ったらよかったんだけどなあ」

 「むう」

 

 手にもった泥団子を沼の中にポチャンと捨てると、それを見ていたリリが「あー」と悲しそうな声を上げていた。

 どう見ても力作だったもんな。

 

 ララを叱るべきかと思ったが、ララもリリも自分の新しい泥団子を作り始めていた。

 それどころか、ルーシー、ジーク。アルスにクリスも泥団子を作り出していた。

 俺なんかにそんな褒められたいかね。

 

 この後きっと我先に自分を褒めろと、子供達が俺の元に飛び込んでくるのか。

 ……かなり嬉しいな。

 

 「よーし。一番綺麗な泥団子が出来た子はパパが空の旅に連れていってあげよう」

 『ホント!?』

 「お、おう」

 

 声がハモった。

 よく見たら大人げない人が三人ほど泥団子作りに参加してませんかね。

 ご飯の準備に取りかかったりした方がいいんじゃないんですかねシルフィさんや。

 

 ●

 

 元は子供の勝負だもの、一度妨害工作が起きれば止まらない。

 気がつけば泥団子が宙を飛び交っていた。

 結局一人づつ抱えながら土槍ジャンプで空を飛び、重力を弱めてゆっくり降りてくる空の小旅行で妥協してもらった。

 抱き締めかたの一番人気はもちろんお姫様抱っこ。

 カッコいいパパを演じるのも大変だぜ。

 

 ちなみに泥団子は庭に飾り台を作って全員分並べておいた。

 図工の作品発表みたいで、なんだか懐かしい。

 こういう時間はもっと増やしていこう。



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舞踏会

 庭先で。

 舞う二人は茶色と赤色。

 ふわりふわりと泳ぎ、時折キリリと止まる。

 

 夫婦────ではなく、父と末娘。

 「ダンスの練習がしたい」というお願いを「パパが踊れたのなんて子供の頃だよ?」といなす事はなく「勿論いいよ」と了承はしたものの。

 父を元気に振り回す姿は母親譲りのようで。

 

 「……やっぱ俺、あんまり覚えてないな。こんなんじゃ練習にならないだろ?」

 「ううん、大丈夫。パパと踊るのとっても楽しいもん!」

 「……そっか」

 

 末娘の言葉は嬉しいけれど、ダンスの練習をするって事は舞踏会で勿論お相手がいるわけで。

 本番では例の王子様と手を繋いで踊っちゃうんだよなあ、分かってるんだけどなんか嫌だなあ、と父親の顔にはしっかり書いてある。

 アンタだって子供の頃に将来の嫁さんとダンスを踊ったでしょーに。

 

 「でもパパってママのダンスの先生もやってたんだよね? 私のダンス大丈夫?」

 「俺は手伝いをしただけだよ…………。クリスのダンスはパパから見ても完璧だと思う」

 「ホント!?」

 「ああ、本当だとも」

 

 お姫様をおだてるための言葉でも、子を褒めちぎる言葉でもなく、王国の要人として実はダンスを踊る機会があったりする男性として、評価をした。

 ここでベタ褒めしても次女に言われた「パパの褒め方、嘘っぽいよ」という言葉を思い出して涙が出てくるからだろう。

 父親とは報われない生き物である。

 

 ●

 

 選手交代が行われていた。

 反抗期をとうに通りすぎた長女が二人を見つけて「せっかくだからボクもパパと踊ってみようかな」と言い「お前には旦那様がいるでしょーが」と切り返すも「僕も是非叔父様に教えてもらいたいのですが」と言われ、娘夫婦と代わる代わる踊る大旦那。

 

 そしていつの間にか連行されてきたおとぼけ青髪姉妹まで踊る始末。

 

 「ララはこういうのやらないと思ってたわ」

 「……最近のルー姉は白ママが怒った時みたいな雰囲気を出してくる」

 「…………アイツも母親になってる、って事か」

 

 気がつけば赤い息子も自分の嫁と踊っている────割には、視線が父親の方へ向いたりもしている。

 年をとってからこそ、父親と話したくなるもんさ。

 

 緑の息子は「パパ、僕と踊ってください!」と実に男らしい。

 俺に男踊る趣味はないぞ、といいつつも親父の顔はすっかり緩んでいた。

 ついでに下半身の筋肉も緩んでいたので、怪力息子に文字通り振り回された。

 

 気分はジャイアントスイング。

 フィニッシュと共に父親の体は間違いなく宙を舞い、お星さまになるだろう。

 重力を操り羽根の様に華麗に着地するだろうが。

 

 かくしてその時はきた。

 フィニッシュの急制動に耐えきれず、親父の体が宙を舞う────事はなく、息子に抱き付く形になった。

 

 それは一瞬で剥ぎ取られる。

 たった今、散歩から帰って来た視界を埋め尽くす赤い色に、誰も見えない速度で。

 

 「何よ、皆してルーデウスをイジめてるの?」

 

 ●

 

 「ジークったら酷いんだ。俺はもう足腰立たないって言ってるのにやめてくれなくて」

 「パパ絶対そんな事言ってなかったよね!?」

 

 ルーシーとクライブ君はまだ悪ノリの範疇さ。

 ララとリリは折角の機会だからと一緒におもちゃにされただけ……だと思う。

 違ったらパパは嬉しいけど!

 アルスはチャンスを逃して逆に正解だ。ジークみたいにこの後いい年こいて尻を叩かれなくて済むだろうから。

 ……いや。久々に腕を見てあげる、とかエリスが言い出して二人まとめてメッタメタのギッタギタにされるかもしれない。

 助けてくれなかったし、仕方ないね!

 

 「……パパ本当はママと踊りたいって言ってたよ」

 「……本当に?」

 「本当に」

 

 クリスったら悪い笑顔で余計な事を言うようになってしまったのだわ。

 フィリップ様は草葉の陰で微笑んでるかもしれないけれど、パパとしては悲しい限りなのだわ。

 アスラで生きてくって大変な事なの……。

 

 ルーシーがいつの間にか足に触れている。

 治癒魔術でなんとかなる疲労じゃねーぞ。

 

 ●

 

 速度が違い過ぎる、事もなく。

 リズムがズレ過ぎる事もなく。

 子供達をお客に据えて二人だけの舞踏会が始まった。

 

 演奏はない。

 曲は二人の思い出の中にだけある。

 

 相変わらずの適当なステップに剣術の稽古を合わせた感覚。

 子供達が首を傾げるのも仕方ない。

 これはとあるお嬢様とその家庭教師のダンスなのだ。

 パーティーの主役は俺達なのだ。

 

 ●

 

 フィニッシュを決める。

 サウロス爺さんの豪快な笑い声が聞こえたような気がした。

 この後俺達を担いでシャリーアの街を走り回るに違いない。

 俺もまだまだ若いけれど爺さんになってしまったんですよ?

 恥ずかしいので勘弁してくださいな。

 ……言って聞くような人じゃないか。

 

 「へ?」

 

 ふわりと体が浮き上がる。

 エリスが俺を持ち上げたのだ。

 旦那を気楽にお姫様抱っこするんじゃないよ、全く。

 エリスの顔には「分かってるでしょ?」って書いてある。

 

 勿論分かってるさ。

 同じ事を考えてたんだからな。

 

 「走ってくるわ」とも告げずにエリスは駆け出した。

 代わりに俺が「すぐに戻るから!」と子供達に叫ぶ。

 全く意味を理解してない表情で了承した声が聞こえた。

 エリスには当然聞こえてない。

 今俺達二人は、街の誰よりも確かに子供だった。



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趣向

 「ほらルディ。ボクがこうやって足を出したらどうするんだっけ?」

 

 ベッドに腰かけて足を組んだシルフィの前に俺は無言でひざまづき、足を手に取ろうとして────引っ込められた。

 

 「……ホントに舐めるの?」

 「勿論だ」

 「……汚いよ?」

 「シルフィの体に汚い所なんてありません」

 

 シルフィの顔は真っ赤になっているけれど、俺は本心でそう思っている。

 提案した時にも抵抗されたので風呂に入ってからやろう、という事で決めたのにこの後に及んでまだ恥ずかしいらしい。

 

 「……ボクがルディの足を舐めるのはダメ?」

 「俺の足は汚いからダメ」

 「無茶苦茶だよ!」

 

 そうかなあ。

 

 「シルフィが俺の足を舐めたいなら後で好きなだけのったら舐めさせてあげるから、まずは俺の番ということで」

 「別にボクは足が舐めたいわけじゃ……」

 

 本当に嫌ならやめようと思う。

 でも奴隷と御主人様ごっこの提案をうっかり口にしたのはシルフィなのだ。

 明らかに奴隷が御主人様を押しているが、些細な問題なのだ。

 

 「それじゃあ改めて、いただきます」

 「うう…………」

 

 恥ずかしさを捨てきれないシルフィを可愛いと思いつつも、俺の舌はもう足へ伸びている。

 肌が白いせいか、酒で酔った時のように全身が赤くなっているのがよく分かる。

 

 舌を着地させるのは小指。

 親指よりも気が楽だろうと思ったから。

 

 足の指を広げると痛いかもしれないから、指の表面に舌の先だけを這わせる。

 舐めまわすだなんて無作法な真似はしない。

 蛞蝓は寄り道する事なく、足の甲、脛、膝、太腿を真っ直ぐ通過し、腰で休憩を取ることもせず、大好きな胸すらサッと通り抜け、勿論空を飛べないのでキッチリ首と顎をへて唇に収まった。

 

 「……もういいの?」

 「別に俺はシルフィが嫌がる事をしたい訳じゃないし」

 「……そっか」

 

 シルフィはもっとベロベロに舐め回されると思っていたらしい。

 まるで悪い貴族が少女にやってそうなプレイだ。

 俺ってそんなイメージあるのかな……。

 ともあれ、これで俺の紳士っぷりがシルフィに伝わったと思う。

 

 ●

 

 「……みたいな感じだね」

 

 シルフィエットの話を聞いて、ふんふむとロキシーは頷き、エリスはフンスフンスと鼻息を荒くしている。

 

 こういう話を聞いて、ロキシーは参考にしたり、わたしの時はこういった事もありましたよ、と切磋琢磨する様が見える。

 彼女の探求心は魔術だけでなく、旦那の方にも振りきれているのだ。

 

 ではエリスもそうかというと、彼女はそうではない。

 むしろルーデウスとの話を積極的にはしない。

 営みの種類を増やす事など考えた事が無かったのもあるが、単純にエリスはこういう話を恥ずかしがる傾向がある。

 聞く分には問題がないのだろうが。

 

 「やはり若さは偉大ですね……」

 

 三人の中で一番少女でありながら一番年長のロキシーが言うと、難しい言葉だ。

 さっきの話────ルーデウスとシルフィが新婚時代に色々やってみた時の話ではあるのだが。

 

 「最近はロキシーの方が色々やってるじゃない」

 

 ボクは精々体位を変えるくらいだよ、と言う。

 けれどそれでいいのだ。

 肌を重ねて、存在を確かめあって、それだけで十分幸せだとお互いに思っている。

 不満はない。

 

 「わたしは……体が小さいので工夫が必要ですし」

 

 単純に色々な事を知るのが楽しいとも言う。

 体が小さくとも無事に子供を産むことは出来たのだし。

 

 この後に及んで少し不安がくすぶっているのはエリスだ。

 ルーデウスとの普段の流れを思い出す。

 ベッドに押し倒す──抑え込むようにして、まず一度。

 自分が少し落ち着いた後ルーデウスの反撃が始まるが、結局は持久力の差でこちらに流れが戻ってくる。

 毎回そんな感じだ。

 

 もう子供はいいと思うけれど、それとこれとは話が別。

 ベッドの中まで剣神流かくあるべしとは誰も言うまい。

 なんなら北神流も修めてはいるのだし。

 

 「……二人ともちょっといい?」

 

 ●

 

 今日のエリスは普段と違った。

 ベッドに引きずりこまれた後、壁に背を預けるように座らせられたのだ。

 それからスンスンと匂いを確かめるようにしてそのまま……といった感じで。

 

 いつもより、肌の触れかたも、距離も近かった。

 何となく、十歳の誕生日の時のような、恥ずかしがっている感じもあった。

 

 ……エリスの行動が普段と違うとあの時を思い出して不安になる。

 流石に子供を放り出してどこかに行くことは無いだろうけど、朝目を覚ましたら姿がないという事だけを考えれば十分にあり得るかもしれない。

 

 エリスが腕枕をしてくれる事だし、今日は抱きついて眠ろうか。

 

 ●

 

 完全に杞憂でした。

 

 朝には気を良くしたエリスに思い切り抱き締め返されており、体が別の意味で悲鳴をあげていた。

 

 力加減というものを覚えたらしく、俺の骨が軋む程ではなく、押し付けられた母性の象徴に興奮する余裕があったくらいだ。

 

 ここで調子に乗ると二度目の蹂躙が始まってしまう。

 子供達が学校へ行くのを見送る為にそれは出来ない。

 

 だがしかし脱出も出来ない。

 天国と地獄は紙一重。

 クソッ。おっぱい仙人でも誰でもいい!

 誰か俺を導いてくれ!

 

 ●

 

 今日は何時ごろ起きたかって?

 昼前サ! HAHAHA!

 もちろん、家に子供達はもういなかったよ。

 …………泣きそう。



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大好き

 最近のリリお嬢様のお気に入りはどうやら俺の髪のようだ。

 

 俺がソファーに座っていると、静かに肩に乗り延々と髪をいじっている。

 結んだ髪を解くことはせず、延々と触り、痛くない程度に時々引っ張る。

 飽きて疲れたら俺の頭にしがみつくようにして寝る。

 フェイスハガー後頭部verだ。

 なんとも可愛い不思議生物である。

 

 リリはパパの頭にヨダレを垂らさない良い子だが、そんな彼女を気に入らないとばかりに不満の表情を隠さない子がいる。

 同い年の妹クリスだ。

 

 リリがオレの髪を引っ張っていると「パパをいじめないで!」と飛び込んでくる。

 するとリリは「いじめてないです」と言いつつ肩から降りる。

 そして俺を挟んでクリスから距離をとるのだ。

 

 ここで有無を言わさず飛び掛からないのが、エリスとクリスの違いかな、なんて思ったりする。

 

 娘が俺を取り合って争うなんて!

 とバカな事も考えたが、リリは毎回あっさりと引き下がる。

 聞き分けが良いのか、そこまで執着がないのか分からないが、ちょっと寂しい。

 

 まあリリは取っ組み合いをするような子じゃないしな。

 ララとは違う意味でのほほんとしている。

 

 残ったクリスは「パパを助けてあげたわ!」と得意気な表情だ。

 そして誰も教えてないのにボレアスポーズ。

 見たまんま小エリスだ。

 家庭教師やってた頃を思い出しちゃうね。

 

 そして勝利の報酬に俺の膝を要求する。

 悪い気はしないけど、リリが可哀想だな、とも思ったり。

 

 「パパは別にいじめられてないから、今度からはリリに怒らなくていいからな」

 「……はぁい」

 

 ●

 

 そういう事があったからか、膝の上でクリスが寝たのを確認した後、リリが頭に登頂するというパターンが出来上がった。

 

 娘によって動きを封じられる「パパ殺し」

 スタン持続時間は娘が起きるまで。

 

 ここに機嫌のいいルーシーと、状況を分かっていて俺をおもちゃにしようとするララが揃ったら、完全試合になり、俺は死ぬ。

 フッ、娘に囲まれてくたばるなら本望だぜ……。

 

 「パパヤバい助けて!」

 「パパはヤバくないから助けれません」

 

 焦った顔で珍しくレオに乗らず全力疾走してきたのはララだ。

 どうせまた誰かにイタズラを仕掛けて逃げてきたんだろう。

 こういう時に救いの手を差しのべると、飛び火するのだ。

 

 相手がシルフィかロキシーならちょっとスネた姿が見れて『ウフフ可愛いんだから』で終わる。

 エリスだったら俺はベッドの中で灰になるだろう。

 蘇生のチャンスを一度奪われた状態になってしまうのだ。

 そしてそれは翌朝もう一度奪われて俺はロストする。

 

 しかし俺にはロキシー神のご加護がある。

 ロストからの復活が可能なのだ!

 貢ぎ物は甘いもの。

 

 「パパ今回は本当にヤバい。大好きだから助けて」

 「しょうがねえなあ」

 

 うーん自分がチョロい。

 しょうがないじゃない。自分の娘って可愛いんだもの。るでを。

 

 「ちなみに今日は何したんだ?」

 「せつめいしてる時間はない。はよ」

 

 ハイハイ、っとこたえてララをふわりと宙に浮かべる。

 天井の隅に張り付けるようにして、逃がしてやるのだ。

 上から家族を見守っている様な体制だが、ララの目からビームは出ない。

 そもそも自力で張り付いてないし。

 

 「ルーデウス!」

 

 ドキリとしたのはやましい事があるからだ。

 べ、別にエリスの大声にビビった訳じゃないんだからねっ!

 

 「あんまり大きな声だすなよ……リリとクリスが起きちゃうだろ」

 「あ…………悪かったわね」

 「いや、大丈夫」

 

 普段から家がにぎやかなお陰か、二人ともこの程度で目を覚ましたりはしないようだ。

 問題はエリスのこの怒りっぷりだ。

 マジギレまでは行かないが、ララは結構なイタズラをしてしまったらしい。

 

 「そんなに大声を出す理由があったんだろ?」

 「…………見たら分かるでしょ」

 

 ええ分かりますとも。

 だって顔に書いてあるんですもの。

 『ルーデウス大好き』ってララの文字で。

 

 「とりあえず消してきたらどうだ? 俺は嬉しいけど恥ずかしいんだろ?」

 「イヤよ!」

 

 嫌なのかよ。

 

 「別に嘘が書いてある訳じゃないもの! ララには顔に落書きした事を怒るだけよ!」

 

 ……ウチの嫁カッコよすぎかよ。

 エリスに堂々とされるとなんだか俺の方が恥ずかしくなってきちゃうんですけど。

 

 「ちなみに、何で犯人がララって分かったんだ?」

 「あの子が書きおわる瞬間に目が覚めたのよ」

 

 そして寝ぼけた頭で段々と状況を理解し、鏡を見て気づいた、と。

 

 「今回は捕まえても尻叩きじゃなくていいんじゃないか?」

 「…………そうね」

 

 よそ様に迷惑をかけた訳でもないしね。

 エリスも昔と違って物分かりが良くなった。

 ちゃんとお母さんをしてる証だろう。

 

 という訳で大丈夫じゃないでしょうか、と天井に張り付けたララに首を動かさず、視線でお伺いをたてる。

 静かに、けれど素早くララは首を横に振る。

 

 だが、俺の目の前にいるのはエリスだ。

 俺の視線の動きには当然気付いていた。

 ゆっくりと振り返り、獲物がそこにいるのを確認する。

 ララの喉がごくりと鳴るのが聞こえた。

 

 「ルーデウス」

 「はい」

 「下ろしなさい」

 「仰せのままに」

 

 裏切り者だとか聞こえた気がするけど気にしなーい。

 天井から一気に下ろすと危ないだろうしゆっくり下ろしてやろう。

 決してララがエリスに捕まるのを楽しんで見ている訳ではないぞ。

 

 おお。ララったら空中でバタバタしているだけかと思ったらよく見ると平泳ぎをしている。

 年中喧嘩しているネコとネズミのコンビとか怪盗三世がよくやるやつだ。

 俺が重力を軽くしてやってるせいで華麗に宙を舞っているが、浮き上がる事は出来ないようだ。

 

 手足をバタつかせるだけでは、エリスにとって抵抗ですらなく、さっくりと御用になった。

 

 「……パパ助けて」

 「無理」

 

 ●

 

 食事の時間になれば、家族は自然と集まる。

 つまり『二人』の顔は皆に見られる事になる。

 エリスは当然堂々しており、それどころか周りの皆と同じ様にニマニマとしている。

 ララは見たことがないほど顔を真っ赤にしていた。

 

 「今日のララはエリスとお揃いなのですね」

 「その通りですロキシー。実に可愛らしいでしょう?」

 「ええ、とてもよく似合っています」

 

 小さい声で、ママうっさい……とか聞こえた気がする。

 姉妹に見えるんだから仲良くしなさいっての。

 

 「いいじゃんララ。お尻叩かれた訳じゃないんだし」

 

 いいクスリだよね、パパ。と言うルーシーの耳は楽しげに揺れている。

 口に出すことはないけど、シルフィとジークも耳が揺れているあたり、やっぱり親子だ。

 俺が耳を動かそうとすると顔の筋肉だけが動く。

 仲間外れは寂しいぜ。

 

 ララの顔にはエリスの顔にしてある様に文字が書いてあった。

 せっかくなのでエリスに書いてもらってある。

 やられたらやり返すとは、エリスにしてはなかなか洒落た事をする。

 

 「ねえねえパパ」

 「お、どうしたクリス」

 「私、ララ姉の顔に書いてある文字読めるよ!」

 「そうかそうか、クリスは偉いな。なんて書いてあるんだ?」

 「えっとね……」

 

 ────パパ大好き!



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雪の日

 雪が降った日の朝は空気が張りつめた音が聞こえるような気がする。

 個人的に気を張るような事といえば、あのモザイク野郎事くらいだが、もう何年も何かをされた気配はない。

 今は目の前の雪と戦うべきだ。

 

 防寒着で寒さ対策はバッチリ。

 雪を溶かす事に魔術を使うために、体温調節はアナログな方法で済ませておいたほうがいいだろうし。

 だけど朝から着こんでいるのは俺とエリスだけで。

 

 「…………あれ、ロキシー学校は?」

 「…………流石に今日は自宅学習だと思いますよルディ」

 「マジなのですか?」

 「マジなのですよ。お陰で母子三人川の字になってのんびり眠れるというものです」

 

 覚悟も準備も完了していたのにトイレに起きてきたロキシーに全て打ち砕かれてしまった。

 こうなっては早起きしたただの間抜けである。

 

 しかしロキシー親子が並んで寝ても三姉妹にか見えないよなあ…………

 たまにララがロキシーをババア呼ばわりして追いかけまわされてるけど。

 そして俺に捕まり余計に怒られる、と。

 俺はジジイだろうがおじさんだろうが呼ばれても気にしないけど、ロキシーにそれはダメだ。

 将来ララのほっぺが無駄にもちもちになったらロキシーに引っ張られたせいだろう。

 

 しかしどうされようか。

 家の周りの雪を片付けてもいいけれど、一緒に起きたエリスもいる。

 朝の特別ラウンドがなかったせいでおかしな所で襲われたりしなければいいけれど。

 

 「ルーデウス」

 「はい!」

 「なに驚いてるのよ……」

 「…………いやその、この後どうしようかなーって考えてたもんですから」

 「雪を片付けに行くんじゃないの?」

 「学校が休みなのに?」

 「どうせ子供達が外で遊ぶでしょ」

 

 それもそうか。

 

 「よし」

 

 ●

 

 エリスが一歩踏み込むと足元の雪が吹き飛ぶ。

 そして俺の顔にかかる。

 エリスが力を込めて雪の上を滑るように走り、急制動をかけて庭の雪を吹き飛ばして俺がレジストする…………手はずなのだがエリスの速度が速すぎて俺が間に合っていないのだ。

 

 雪上で速度を維持しつつ転倒もしない上に、宙を翻る赤い髪のせいで「通常の3倍どころじゃねえぞ」なんて驚く余裕もない。

 普段なら雪を溶かして出る水蒸気を消しているのだがそんな余裕はない。

 遠くから見れば温泉でも沸いたかのように見えるだろう。

 俺は家の庭で雪崩に巻き込まれてる気分だけど。

 

 いっそのことこういうビジネスにしようか。

 大学にエリスを連れていって、これで貴方も雪崩の疑似体験ができますよ! と売り込むのだ。

 速度のない剣士と詠唱の遅い魔術師は無事死亡。

 皆どうやったら生き残れるか頑張って考えてみよう!

 

 …………不謹慎すぎる。

 

 「エリス、もういいから! やり過ぎだから!」

 

 どれだけ高速で動いていても俺の声は届くらしく、最後の一撃が届いて、視界が晴れる。

 我々は無事生き残る事が出来たのだ!

 

 「もういいの?」

 

 いいですとも。

 

 庭がまるで爆撃でも受けたように凹凸に溢れかえっているが、雪合戦でもするなら丁度良いくらいだろう。

 せっかくだから雪に頭から飛び込むぜ! って考え実行するのは難しいかもしれないが、大体俺しかやらないから大丈夫だろう。

 皆せいぜい大の字になって雪に倒れこむくらいだ。

 風情が足りないぜ。

 

 ●

 

 エリスとの爆撃音で迷惑をかけたご近所ご近所さんに謝り「今日も元気ですね」なんて言われたりしつつも、街の雪を片付ける手伝いをザックリとしつつ形だけの出社をする。

 どうせ冬季休業なのだ。

 オルステッドも龍の人だからね。仕方ないね。

 

 帰りも人通りが多くなるだろう大通りをなるべく蛇行していく。

 ハリウッドのセレブが積極的に寄付をしたりボランティア活動に勤しむような気分だ。

 なりたくてなった金持ちではないけれど、結果的に心の余裕に繋がり、かつての俺の中では存在などしなかったであろう助け合いの精神が出力されている。

 困った時はお互いさま、なんて日本人らしい発想で、嫌いじゃない。

 子供達もそんな風に育ってくれると嬉しい。

 

 「情けは人の為ならず、自分の為なり…………なんてね」

 

 ●

 

 「おかえりなさい、ルディ」

 「ただいま、シルフィ」

 

 体を動かす事も兼ねて歩き続けていたら、すっかり日が高く昇るような時間になっていたようで、とっくに朝食を済ませた家族が庭で元気に俺を出迎えてくれた。

 凶器のようなレベルまで圧縮された雪玉が飛び交い、元気にそれを打ち落としたりしている。

 エリスも一緒にはしゃいでいるので、あらぬ方向へとんだ雪玉をシルフィがわざわざレジストしているようなのだ。

 エリスは混ざっちゃだめでしょーが。

 

 「大丈夫だよ。ちゃんとエリスも加減出来てるみたいだし」

 「そうかなあ」

 

 子供達の顔が必死過ぎると思うんだけど……。

 クリスがちょっと涙目なのは寒いせいだけなのかしら。

 カレったら自分の娘に本当に容赦がないんだから。

 …………まあその方がいい時もあるかもしれんが。

 

 さておきシルフィの可愛さよ。

 服装が白一色のせいで、真っ赤なおめめがよく目立つ。

 肌は昔から薄い色だったけど、目が赤いのは昔からだし別にアルビノではないだろうけど。

 俺があげた初心者用の杖を振る姿が間違いを正して導く指揮者のようで実に様になっている。

 

 「今日のシルフィは雪の妖精みたいだね」

 「よ、妖精!?」

 

 シルフィの集中が乱れる。

 つまりあらぬ方向へ飛んだ雪玉を防ぐ術が無いわけで。

 

 「へぶっ!?」

 

 俺は顔にいい一撃をもらって、気絶した。

 

 今シーズンの雪合戦は、当分中止になるだろう。



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眠気

 昼下がり。

 夜と同じか、それ以上に人が眠たくなる時間帯。

 俺も例に漏れず、開けた窓から入り込んでくるそよ風と鳥の鳴き声に身を委ねて、意識を簡単に手放そうとしていた。

 

 一番油断している状況。

 驚かすには最適だ。

 

 そこに驚かしてやろう、という意思は無かったかもしれないけれど、肩口から手を回されおぶさる様に身を預けられて、思わず体をビクリと跳ねさせてしまった。

 

 「……何そんなに驚いてるのよ」

 「もう少しで眠る所だったんだよ。そこで急にエリスが後ろから抱きついてきたらビックリするだろ?」

 「……ルーデウスがそう言うのなら、そうかもね」

 

 俺がエリスに同じ事をやったら、寝ぼけているせいで殴られたりするだろうか。

 子供の頃でもあるまいし、思い切り抱き締め返されるかもしれない。

 

 「どうかしたの?」

 「別になんでもないわ」

 

 今のは本当になんでもない時の『なんでもないわ』だと思う。

 ただ単純に甘えにきているのだろうか。

 エリスが。

 

 頭が引っ付いているせいで、お互いの髪が擦れあう音がする。

 エリスがスンスンと、俺の匂いを嗅いでいる音も。

 

 甘えかたがなんというか、大きい犬のようだ。

 ベロベロと無遠慮に舐められたりはしないけれど。

 そういえばギレーヌは猫だった。

 エリスも大型の猫…………狂犬なのに?

 

 どっちでもいいけど、相手は大型の獣。

 この後アタシは美味しくいただかれちゃうのかしら。

 

 どうどう、となだめるように頭でも撫でてみようか。

 

 ……だがしかしそれは無防備な片手をエリスに差し出すということだ。

 俺の右手はエリスの頭にたどり着く前に首根っこを掴まれるだろう。

 そしてずい、と腕を引っ張られて強引に唇を奪われるのだ。

 

 エリスが一度流れにのったら、乙女デウスが泣いて嫌がりでもしない限り止まる事はない。

 今日はもう息子が立たないのなら全身をねぶればいいじゃない。骨までしゃぶりつくせばいいじゃない。

 

 …………なんだか俺が期待してしまっているみたいだ。

 

 寝ぼけて薄まった意識がエリスのいい匂いに釣られておかしくなっているだけさ。

 平常心。平常心。

 

 「…………?」

 

 エリスの動きが止まっている。

 俺にもたれながら器用に寝た訳ではないようだ。おめめはパッチリ開いている。

 視線は下に向いている。

 そこには元気な息子デウスが。

 

 「待てエリス。男の体ってのは不思議なもんで、眠くなるだけで血が勝手にそこに集まったりする訳で──」

 

 目と目が合う。

 にへら、と口元が緩み、イタズラを仕掛けたララがよくするようなしたり顔。

 

 「今、家には誰も居なかったわよね」

 

 こりゃ逃げられないな。 



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告白

 「シルフィって告白された事ある?」

 「なくはないけど……女の子からだったよ」

 

 流石ですフィッツ先輩。

 モテモテですね!

 

 「でも、あの頃はアリエル様や自分の事で忙しかったからそれどころじゃ無かったよ」

 

 わりとどうでもいいと思ってたし、と。

 それにさ、と続ける。

 

 「あの時も言ったけど、ボクはずっとルディの事が好きだったからね」

 

 視線が真っ直ぐに俺を貫く。

 話を聞きだした癖に、文字通り顔が燃えそうなほどに熱い。

 

 そっか、と何とか口にしたけれど、これ以上は無理だ。

 顔の筋肉が緩むのを耐えられる自信がない。

 

 「ボクが『好きです』って告白したのはルディだけだから、安心してよ」

 「……うん」

 「でもなんでこんな話を?」

 

 俺はそんな事なかったけれど、やたらとモテるのだ。俺の子供達が。

 皆成績もいいし、嫁のお陰で顔もいいし、そうなるのは当然だとも思う。

 

 ただ、パパもそうだったでしょ? そういう時にどうしてたの? と言われても力になれない。

 

 エリスは全てを拳で打ち払ってきた。

 俺の知る限りルークはノックアウトしてしまったし、何より彼女の青春時代は帰還の旅と修行に捧げられている。

 流石のエリスも子供達に「殴ってどうにかなさい!」なんて事はもう言わない……と思う。

 

 ロキシーもそういった経験は当然ない。

 強い結婚願望がありつつも、俺以外と結ばれることはなかったようだし、神は俺と結ばれる運命にあったのだ。

 モテてもらっては困る。

 

 「という訳で学園でも人気者だったフィッツ先輩のお力を借りようと思いまして」

 「なるほどね」

 

 でもさ、と言葉を跳ね返す。

 

 「ルディだって自分が気付いてなかっただけでモテてたじゃない」

 

 泥沼の冒険者時代や世界を飛び回ったり貴族とも付き合いがある今だってどうなのさ、と聞かれる。

 

 「今はシルフィ達がいてくれるし……冒険者の頃は……ホラ」

 「あっ! そうだったね……」

 

 ゴメンね、と謝られるけれど何も気にする事はない。

 俺がスタンダップしてビクトリー出来ないのを治してくれたのはシルフィではないか。

 傷をほじくり返された程度で怒るような男ではない。

 

 「じゃあボクがモテ男の先輩として皆にアドバイスしてあげないとね」

 

 そうなるな。

 自分の預かり知らぬ所でモテてもなんの意味もないし。

 あしらい方の実践経験を話してもらおう。

 

 ●

 

 「他に好きな人がいるんだ、なんて言っておけばいいよ」

 

 相手は誰なんだ、って問題が次に出てくるかもしれないけどね。と注意するのも忘れずにシルフィが話す。

 

 クリスは「パパよりカッコよくないとダメ」とか言っているらしい。

 嬉しいこって。

 

 「ルーデウスは告白とかされた事ないの?」

 「なくはないけど……」

 

 チラリとシルフィの方を見て目が合う。

 頭の中が真っ白に痺れるような告白だった。

 エリスの時は家族になろうとして、色々あって、俺がプロポーズした形になる。

 ロキシーの時は傷心の俺が先生に慰められる形になって、エリナリーゼに上手いこと誘導された。

 甘い告白って感じじゃない。

 人生そんなもんだ。

 

 ふうん、と鼻を鳴らしエリスが立ち上がる。

 夕食後のまったりとした今の時間は皆が1つの部屋に集まっているせいで、視線が彼女に集中するのだが。

 

 「好きよルーデウス。愛してるわ」

 

 家族の前で堂々と。

 恥ずかしがる理由などないと言わんばかりにエリスが言い放つ。

 そうなれば今度は視線が俺に向く訳で。

 

 「────俺もだよ。エリス」

 

 オルステッドコーポレーションで鍛え上げた胆力が役にたった。

 一家の長がいつまでもノミの心臓ではいられない。

 

 白ママと青ママはいいのか、という空気になっているような気がする。

 

 「…………ボクは結婚する前に告白したもん」

 

 あの時はお互い『好き』だった。

 

 「愛してるよ、シルフィ」

 「ボクもだよ、ルディ」

 

 真っ赤な顔でもしっかり返事をしてくれるあたりがシルフィである。

 さて。

 

 「……そういうのは二人っきりでいい雰囲気の時に言うものです。いくら家族の前だからってわたしは嫌ですよ」

 

 えー、と非難の声が子供達からあがる。

 一番声が大きかったのはクリスだ。

 王子様とお姫様に憧れている所といい、どうにもロマンチストな部分が末娘にはある。

 

 「何故ですかロキシー! 俺はこんなにも貴女を愛しているというのに!」

 

 娘達の期待に応える為にわざとらしい演技を足す。

 なっ……!? とロキシーが慌てているので成功だ。

 

 「全くもう……しょうがないですね」

 

 めんどくさいという雰囲気を隠すこともなく、椅子から降りて俺の方へロキシーが歩いてくる。

 俺が座っているせいで身長差を気にする事なく、耳元に顔を近づけ。

 

 「わたしも愛してますよ」

 

 と、俺にだけ聞こえる様に囁いた。

 

 ●

 

 「っていう事があったんだって!」

 「全く兄さんは……」

 

 子供達の前で何をやってるんですか、と娘の前で私は言わない。

 ちょっとふざけて、でも本気で、普段みたいに何気なく兄さんと姉さん達は告白大会を始めたんだと思う。

 多分深い意味があった訳じゃない。

 

 「ノルン」

 「あっ、お帰りなさいルイジェルドさ──」

 「愛してるぞ」

 「ふぇっ!?」



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話しにくい事

 「兄さん、変な事を聞いてもいいですか」

 「俺が答えられることならな」

 

 変な事……なんだろう。

 ノルンはちょっとドジだけど基本的に真面目な子だ。

 敬虔なミリス教徒でお祈りも欠かさない。

 努力が全て報われなくても妥協したりしない。

 自慢の妹だ。

 お兄ちゃんは嬉しい。

 

 そのノルンが言う変な事。

 想像もつかないが、アレがコレでソレみたいな事だろうか。

 俺が答えられる事ならいいんだけど。

 

 「その……長命な種族の方って性欲が薄いっていうのは本当なんでしょうか」

 「うーん?」

 「いえその、深い意味はないんです。でもこの街は学校のお陰もあって色んな種族の人がいるじゃないですか。姉さん達も種族がバラバラですし。学校でそんな事聞いて回るのも変ですし、兄さんは世界中を旅してきたからそういう事も詳しいかな、と思ったんです!」

 「お、おう……」

 

 ちょっと恥ずかしいのか、息もつかずにまくし立ててくる。

 言いづらいならロキシーとかに聞けばいいのに。

 先生なんだし。

 

 保険の授業でちょっとエッチな事を聞かれて赤面しつつも真面目に答えるロキシー先生……。

 実に見たい。

 

 ロキシーとは実践授業でたまに先生と生徒になったり、立場が入れ替わったりとかしてるけども、それとは別でね!

 

 「兄さん?」

 「……ああ、ごめん。なんでもないよ」

 

 種族の違いから生まれる寿命の差と性欲が反比例するかみたいな話だったか。

 

 「ウチの場合エリスが一番なのは間違いない」

 「分かりました。ウチで一番スケベなのは兄さんなんですね」

 「……人の話聞いてた?」

 「だってエリス姉さんが兄さんの事が大好きなのは分かりますけど、そんなイメージないですもん」

 

 ノルンは野獣と化したエリスを知らないからそんな事が言えるのだ。

 しゃぶられ、搾られ、枯れ果てる。

 後には骨も残らない。

 そんな経験はノルンにはないのだ。

 経験しなくていいけれども。

 

 「じゃあ俺が一番でエリスが二番でいいよ」

 「二人は人族なので基準という事でお願いします」

 「スケベな基準だなあ」

 

 シルフィは…………長耳族の括りでいいかな。

 ロキシーはもちろんミグルド族。寿命は200歳くらいだっけか。

 混血とはいえシルフィの方が長生きしそうな気はするけど……。

 

 「シルフィとロキシーはどっちが上とか考えた事ないからなあ」

 「年齢……見た目相応って事でしょうか」

 「そんな感じ」

 

 結婚してすぐの休みの日なんかは朝も昼も関係ない爛れた大学生のような生活を過ごしたけど、あのくらいの年でそういう相手がいればそんな皆そんなもんじゃないかな。

 俺高校中退してるから爛れた大学生の生活なんて知らんけど。

 

 …………いや爛れた大学生活してたわ。

 年齢で換算したら高校生だし、大学生なんて呼び方しないけど、『魔法大学』だもんな。

 うへへ、皆さんすいやせんね。

 

 「他の長命な知り合いの方とかはどうでしょうか」

 「エリナリーゼは……長生きしてるけどアイツがスケベなのは呪いのせいもあるしなあ」

 「エリナリーゼさんは嫌々そういう事をしてる訳ではないんですよね……?」

 「そうだな、アイツは呪いと上手く付き合ってる」

 

 魔道具で呪いを抑えられるようになってきたとはいえ、クリフ先輩が腹上死する可能性は消えないと俺は思っている。

 

 「あとは不死魔族の面々……ノルンは面識なかったよな?」

 「あ、はい」

 

 バーディ陛下はあの性格もあるだろうけど、やることはやってたみたいだ。

 キシリカ様は体が育ったらやることやるだろうし、アトーフェはバカだけど息子も孫もいる。武人気質だからそっちの方面がどうなのかは知らんけど人並みなんじゃなかろうか。

 

 「やっぱり見た目相応というか……あんまり歳は関係ないんじゃないかな」

 「なるほど……」

 

 シャンドルだって息子も孫もいる。

 アレクは少々アレだが、あいつもアトーフェみたいにそういう相手が出来たらやる事やるだろう。

 多分。

 

 オルステッドとペルギウスはどうなんだう。

 そういう話なんか聞いてみようと思ったことないしなあ。

 他に龍族なんか知らんし。

 アホな事聞いて怒らせたくないし。

 最近のオルステッドなら聞いたら教えてくれるかもしれないけど。

 

 後は……。

 

 「ルイジェルドさんはそういうのと無縁な気がするな」

 「えっ」

 「一緒に旅してた時は俺とエリスが子供だったから気を使ってくれてたっていうのもあると思うけど、あの人は一番そういうのとは無縁な気がする」

 

 俺の知る最高の戦士。

 確かもうすぐ600歳とか言ってたか。

 10年以上先の事はもうすぐって言わないのよ普通。

 

 「おじいちゃんみたいなイメージだな。いつも見守ってくれてるというか」

 「それは……分かります」

 

 まあこんなところか。

 獣族の発情期はノルンだって分かってるだろうし。

 他の種族なんて天人族のシルヴァリルくらいしか知らんけど当然そういう事なんて聞くような間柄ではない。

 鬼族にもわざわざそんな事聞きにいけないし。

 

 「なんか参考になった?」

 「はい……ひとまずは」

 

 ありがとう御座いましたと言って、ノルンが去ってしまう。

 なんだったのだろうか。

 

 ●

 

 「あの時の質問はそういう事だったんだなあ」

 

 遊びに来たウチの庭で元気にはしゃぐノルンとルイジェルドの娘──ルイシェリアを見てそう思う。

 

 「何の話だ?」

 「ノルンがルイジェルドさんの所に嫁ぐ前の話なんですけどね」

 

 ルイジェルドさんは結構なお年ですが今でも男性として現役なのでしょうかと、遠回しに聞いてきた事があったんですよ。

 

 結果はご覧の通りだ。

 

 二人の愛の結晶が今日のように遊びに来てはウチの6人兄弟姉妹の、さらに妹のように迎え入れられている。

 善哉、善哉。

 

 「……なるほどな」

 

 何に理解がいったのかは分からないけれど、ルイジェルドが頷く。

 

 お若いのが嫁だけでは勢いで乗り切るような事にもならないだろうから、きっと見ているだけでこっちが恥ずかしくなるような挙動不審のノルンをルイジェルドが優しく見守るような一幕があったに違いない。

 

 ノルンは結婚するまでそういう相手もいなかったし、若さを武器にしてきた俺とはタイプが違う。

 正しく母さんの娘らしいと言えるね。

 

 「……そういう事なら俺もお前に聞いてみたい事がある」

 「なんなりと」

 「ノルンがその……そういった技術に明るいのはお前か誰かが教えてやったのか?」

 

 あのルイジェルドが少し顔を赤くしてまで聞くことだろうか。

 そういう顔はノルンに見せてやって下さいよ。

 ノルンに見つかって変な誤解をされたら困るでしょうが。

 

 「いくら俺でも妹とそんな話しませんよ」

 「さすがにそうなるか」

 「学校に行ってた時なんかは友達とそういう話をしてたかもしれないですし、後は……」

 「エリス達か」

 

 エリスがソッチの技術を教える程気にしているだろうか。

 どちらかと言うとロキシーとシルフィだと思う。

 

 「そういう事なら間接的に俺が教えているのかもしれませんね」

 「であれば俺も納得がいく」

 「ウチの妹が何か粗相を……?」

 「いや、俺も別にそういう事に詳しい訳ではないが、俺も知らないような事を試してみようと提案してくるものでな」

 

 俺はルイジェルドにスケベだと思われてるのだろうか。

 ……まあ旅の道中でエリスと思春期の応酬をしてたし、嫁の人数も子供の数も俺の方が多い。

 毎晩やることやってるのはノルンも知ってるし、仕方ないか。

 

 「あんまり変な事は教えないように言っておきますよ」

 「…………そうだな。俺も尻を舐められた時は思わず変な声が出てしまった」

 

 ノルン……恐ろしい子!



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涼をとる

 温泉回はあっても水着回はない。

 皆さんご不満でしょうか。

 俺は不満じゃないです。

 だって皆下着姿どころか裸体を見たことあるんですもの。

 

 もちろん服を着ているからこそのエロさは分かる。経験もさせてもらった。

 でも別に水着はいいかなって。

 水遊びは危ない事も多いし。

 泳ぐ練習なら家でも出来るし。

 そもそも泳ぐ必要ないかもしれないし。

 

 なのでルーデウスは一人寂しく川の中。

 ここまで走ってきて水に飛び込み汗を流し、誰も俺の裸なんて見たくないだろうから、今は服を着て足だけ川に突っ込んで涼をとっております。

 

 「……お前が家から追い出されるとはな」

 「自主的な外出です。まるで俺が喧嘩でもしてきたかのような言い方はやめてください」

 「む……」

 

 相変わらずウチの社長は口下手である。

 部下が気にしている事をいきなりほじくったら泣いちゃいますよ。

 

 「これはウチの子供達のためなんです」

 「ほう」

 「今日は俺が家中を涼しくせずに、各自で氷を作ったりして魔術の練習を兼ねつつ暑さ対策をしましょうね、という事になったのです」

 

 それからどうしたと、オルステッドは俺の言葉を待つ。

 この人俺が家族の話をしてる時結構楽しそうなんだよな……。

 今までのループで産まれて来なかった人間の話だから興味があるのだろうか。

 

 「そしたらクリスがこっそり俺のところに来て『パパの涼しいのがいい』なんて言うんですよ」

 

 末っ子だからという訳じゃないけれど、素直に甘えられるとどうにも甘やかしたくなってしまう。

 

 「次に氷を出すのをめんどくさがってたエリスが来て、ララが来て、アイシャが『あたしもー』なんて言う頃にはシルフィとロキシーにバレる訳でして」

 「逃げ出してきたと」

 「まあ、その、はい」

 

 やれやれ、といった感じにオルステッドが深く鼻を鳴らす。

 最近のオルステッドは相変わらず顔は怖いものの、感情表現が豊かになった気がする。

 ノルンの娘が産まれた時も悪そうな顔で笑ってたし。

 もうちょっと眉間の皺を減らさないと悪役にしか見えませんぜシャチョサン。

 

 「……こういう時は早く戻ってさっさと謝らないと相手の怒りが増すのではないか?」

 「……時間が解決してくれる場合もありますし」

 「……お前がそれで良いのなら止めはせん」

 

 オルステッドさんたら怖いこと言いなさる。

 怖いのは顔だけにしといてくださいよって。

 

 不安を煽られたせいで頭の中に嫌な予感が膨れ上がっていく。

 こうしてここに逃げている時間が伸びるほど、シルフィに正座させられる時間も伸びていくような気がするのだ。

 お家に帰りたいのに帰るのが怖い。

 浮気みたいなやましい事をしたわけでもあるまいに。

 

 帰ろう。

 俺は一家の長だ。

 胸を張って家に帰る権利があるはずだ。

 横暴には屈する訳にはいかんのだ。

 

 「やっぱりもう帰ります」

 「それがいいだろう」

 「俺が川から上がったら水温調整が無くなりますので、滅茶苦茶冷たくなるか、生ぬるくなるかするのでオルステッド様も適当にお上がりくださいね」

 「この季節の水温程度なら気にもならん」

 

 ●

 

 街の外の川にいた俺の所にわざわざオルステッドが来たのは気を使われていたという事だろうか。

 社長も意外と部下のメンタルケアをしようとしてくれていたのかもしれない。

 アレクは悩みなんてなさそうだけど。

 

 「……さて」

 

 それはそれとして、だ。

 どうかシルフィエット様がお怒りになっておられませんように。

 

 大丈夫だ、気にするなとビートはいつも通りに俺を出迎えようとして門を開けてくれる。

 それはつまり俺が帰って来たという事を庭にいる人に気付かせるという意味もあるわけで。

 

 「おかえり、ルディ」

 「……はい、ただいま戻りました」

 

 心臓が口から飛び出さなかった事をほめてほしい。

 だって門のすぐ横にシルフィが隠れてたんですもの。

 

 「……ボク、別に怒ってないよ?」

 「……本当に?」

 「ルディが皆に甘いのも、甘えられて嬉しいのも分かってるよ」

 

 確かにロキシーとシルフィにちょっと『コラ!』とお咎めを受けただけだった。

 俺が勝手にスネて家を飛び出しただけだったかもしれない。

 

 「あの後クリスもちゃんと氷の玉を自分で作ってたからほめてあげてね」

 「そりゃもちろん」

 

 あ、あとね、とシルフィが追加の報告を伝える。

 

 「エリスがこっそりルディに着いていったんだけど、オルステッドがいたせいで合流出来なかったってむくれてたから、きちんとフォローしてあげてね?」

 「了解」

 

 怒っていないのならなんとかなる。

 昔と違ってエリスも簡単に怒ったりしないけれど、巴板額エリス様だ。

 フォローも早いうちに限る。

 

 ●

 

 結局その日は一日中エリスが引っ付いていて、俺が風を送るもんだから髪がなびいていて、それを見てカッコいいとか思ったのはナイショだ。

 エリスはいつでもカッコよくて綺麗だしね。



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ごまかす

 「……ルーデウスもごまかしてキスしたりするの?」

 「しない。俺はそんなに軟派な野郎じゃないからな」

 

 空中城塞ケイオスブレイカー。

 そこにあるナナホシに割り当てられた私室で、俺が暑さにやられて作り出したそうめんをさらりと食べながら、お前は昔のドラマに出てくる男のような事をするのかと聞かれた。

 

 「そういう事をするのは俺じゃなくてルーク先輩とかだろ」

 「ああ、アリエルの所にいた……」

 

 そもそも俺はごまかすような事がない清廉潔白な男なのだ。

 仮に後ろめたい事が見つかったとしても、素直に話し合う。

 家族に対してごまかすという選択肢は俺の中に存在していないのだ。

 だいたい、キスなんてしたらスイッチが入ってしまいそうなのがいるではないか。

 

 弱味を突かれて、抵抗したら力で押さえ込まれる……。

 あれ、なんかエリスが悪役みたいだ。

 実際は全然そんな事ないけど。

 

 むしろエリスには少々マゾの気を開発されている節がある。

 別にいじめられてるとかじゃないけどね!

 

 「でもルーデウスはアイツと従兄弟なわけでしょ?」

 「中身を考えろ中身を」

 「心が体に逆らえるの?」

 「ビンビン逆らっております」

 

 あんな数多くの女を泣かせて金で解決してきたようなヤツと一緒にするんじゃないよ。

 まあ、若気の至りで今はどうだか知らんけど。

 ルークよりアリエルの方が爛れた生活、性活をおくってるみたいだし。

 

 お腹の子の父親が分からないと、ルークが青ざめる様が目に浮かぶよ。

 

 「およそアスラ貴族の直系とは思えん発言だな」

 

 相も変わらず、自然に、優雅に、音も立てずにペルギウスが席につく。脇にシルヴァリルを添えて。

 

 「私めにはもったいない程美人の嫁が三人もおりますゆえ」

 「……何その話し方」

 「別にいいだろ」

 

 フン、とペルギウスが鼻を鳴らす。

 これは機嫌が良いときのやつだろう。

 

 「欲に溺れてなすべき事から離れなければそれも良いのだろうよ」

 

 さて。

 

 ペルギウスの分はナナホシとは別に用意してある。

 別にナナホシの食い意地を疑った訳じゃない。

 

 「随分口触りの軽い麺なのだな」

 「夏の暑い時期に食べる物ですからね。体の負担が少ないようにしてあるのです」

 

 箸を器用に使いこなし、音もたてず麺を啜る。

 使い魔じゃなくても絵になると思ってしまうね。

 

 ●

 

 薬味まで綺麗に片付けてもらい、返礼の茶を味わう。

 違いの分かる男ではないけれど、美味いという事くらいは俺にでも分かるのだ。

 

 「さっきの話じゃないけど」

 

 ナナホシが話を振りかけてくる。

 

 「ルーデウスって家族と喧嘩したりしないの?」

 「……家で問題起きたらだいたい俺が悪いから、俺が謝って終わりかな」

 「ふうん」

 

 後はエリスが力加減を誤ってしまうとかさ。

 そういう所は昔から変わらない。

 それも含めてお互い好きなんだけど。

 

 「隠し事がバレた時なんかは大変だよ……シルフィの機嫌が悪くなって皆が批難の視線を向けてくるんだ『早く謝れ』ってね」

 「ルーデウスでもシルフィに隠し事なんかしたりするんだ」

 「隠し事っていうか、わざわざ言わなくてもいいかなーって思ってたら大変な事になったりとかさ」

 

 ザノバと作った自動人形のアン然り、だ。

 

 「どうせ後ろめたい事があったんでしょ……」

 「まあ……その……はい」

 「えっ、マジ?」

 

 ナナホシそっくりのお人形におっぱいと女性器付けちゃいましたってね。

 男だけで事を進めるのは危険かという事かもしれない。

 魔導鎧はシルフィやロキシーにも手を貸してもらったのに、籠手の時は酔っぱらい三人だった。

 結果的に丸く収まったからいいものの、アクシデントが起きていたら間違いなく二次災害に発展していただろう。

 

 「浮気もしないのに隠すような事って……?」

 「えーっと……ほら、アンの時みたいな……」

 「ああ……」

 

 ナナホシの視線があっという間に冷たくなっていく。

 おかしい。今回は別に何かした訳でもないのに……。

 

 「男子ってサイテーってやつ?」

 「仰る通りでございます」

 

 ペルギウスは当然助け船を出してくれるはずもなく、見世物になった俺をみて笑っている。

 ちくせう。

 

 「……次来る時は流しそうめんでもやるか」

 「竹でコースでも作るの?」

 「いや、氷で机に収まるくらいのちっこいのでも作ろうかなって」

 

 子供用の電池動く流れるプールみたいなのでいいだろ。

 

 「ルーデウスよ」

 

 おっと。

 サプライズペルギウスだ。

 

 「我が城塞内で氷の道を作るのならば趣向をこらせよ」

 

 俺はまた余計な事を言ってしまったらしい。



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三女

 「見てくださいパパ」

 

 そう言ってウチの三女──リリ・グレイラットが俺にシャワーヘッドのような見た目の魔導具を差し出す。

 

 「リリが作ったのか?」

 「そうです。暑さにやられているパパへのプレゼントです」

 

 グリップの部分をもって魔力を流して下さい、という指示に従い握った手に集中する。

 何が出てくるか分からないので、当然口先は外へと向ける。

 

 ちょぼちょぼと水が染みでるように出てきたので、もう少し流す魔力を増やすと、見た目に違わずシャワーとして水を吐き出し始めた。

 

 「雪解け水みたいに綺麗な水だな」

 「触ってみても大丈夫ですよ。ちょっとビックリするかもですけど」

 

 言葉に導かれるままにそろそろと空いた手の指先を伸ばす。

 水の見た目からして熱湯ではないだろうけども、ビックリするかもと言われたら警戒せざるを得ない。

 リリは姉のララのようにイタズラっ子ではないけども、もしかしたら寿司屋のお湯だしボタンで手を洗わせようとしているような事を俺に仕掛けて……ないか。

 

 リリはちょっと魔導具にお熱なだけの良い子だ。

 火傷したって治癒魔術でどうにかなるからいいじゃん、みたいな考えをする子じゃない。

 流石のララもそんな事しないけど。

 

 「つめたっ!?」

 

 俺の飛び上がる程の反攻を見ても「おー」と静かに佇むリリの泰然ぶりはロキシーの娘といった所か。

 

 …………いや。

 ロキシーだったらこういう時「大丈夫ですか!?」とか言って想像以上の結果に大慌てするだろう。

 リリのはボーッとしているだけかもしれない。

 

 「気持ちいいくらい冷たかったですよね? ほら、見てください地面に落ちた水を」

 

 一瞬で熱を奪われた左手を振りながら、言われた通りに足元を見る。

 

 「凍りついてる……?」

 「そうなんです! ただ冷たい水が出るだけじゃなくて、ちょっとすると凍る水なんです!」

 

 暑い季節にピッタリじゃないですか? というリリの目は夏の太陽もかくやと輝いている。

 

 「そうだな。料理とかにも応用出来るだろうし、単純に涼むのにも使えそうだ。ありがとな、リリ」

 

 ロキシーに習って丁度いい位置に頭があるので、わしわしと撫でてやる。

 力が強いですよーと目をつぶりながら言いつつも受け入れているのが可愛い

 やっぱりウチの娘は最高だぜ!

 

 ●

 

 魔導具は面白い。

 私はザノバ店長みたいに饒舌じゃないから、上手く説明できないけど、とにかく面白いのだ。

 

 パパの義手や鎧を見せてもらったり、なんだかよく分からないけれど欲しいと思って買ってもらった魔導具を自分でどうにかこうにかしている内に好きになったんだと思う。

 

 好きなことを仕事に出来た私は幸せなんだと思う。

 

 それともう一つ。

 

 姉さん達は魔術で。

 兄さん達は剣術で。

 クリスはどうしてるのか興味ないけれど、私は魔導具でパパに褒めてもらうのだ。

 

 パパと話す時はちょっと緊張するけれど、手に持った魔導具が勇気をくれる。

 

 ララ姉が救世主なら、私は妹らしく魔導具でそれを手助けしようと思う。

 

 そしたらきっと、パパは今までにないくらいに私を褒めてくれると思うのだ。



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髪型

 「今回はこのような程度でいかがでしょうか」

 「ん、いい感じかな。ありがとね、アイシャちゃん」

 

 庭にアイシャが切ったシルフィの髪がパラパラと落ちているのだから、散髪をしたのだろう、という事は分かる。

 問題なのは、俺が髪を切る前との違いがさっぱり分からんということだ。

 

 今俺が出ていけば、シルフィはきっと上機嫌で「どうかな?」とか聞いてくるんだ。

 彼女は聡いから言葉に詰まって視線をさまよわせる俺を見てちょっと残念そうに微笑むんだ。

 そしてアイシャに怒られる。

 …………イヤだなあ。

 

 朝ちょっと出掛けている内にこんな一大イベントがおきてるなんて聞いてないぜヒトガミさんよ。

 まあ龍神純正の腕輪のお陰でアイツの面なんて拝める訳がないし、仮に腕輪が外れちゃってて夢にアイツが現れたとしても「とっとと失せろクソハゲ野郎、ブチころがすぞ!」って言って終わりだ。

 平和的解決。ラブアンドピース。

 

 しかしどうしようか。

 街に出掛けなおして時間を稼ぎつつ、もしシルフィに聞かれてもいいように謝罪の言葉を考えておいてお詫びの品物を用意しておく。

 こんな感じだろう。

 

 なるべく今後の夫婦生活に支障が出ないように────

 

 「お兄ちゃん何してんの?」

 「どひゃあ!?」

 

 アイシャに気付かれてしまった!

 コマンド!

 

 「えーっと……今帰ったところだよ」

 「……門の脇でしゃがんで隠れてたのに?」

 

 ルーデウスの『いいわけ』はしっぱいした!

 

 俺の切り札が通用しないとは流石アイシャ。

 ここで余計な事をしても心証が悪くなるだけだしさっさとゲロってしまおうか。

 

 「……庭でシルフィの髪を切ってるのが見えてさ、気を散らしたら危ないなーとおもってさ」

 「ふーん?」

 

 分かってくれたような事を言ってはいるが、ジト目の顔に『ホントにそれだけ?』と書いてある。

 嫁に怯える哀れな兄を見逃してはくれまいか。

 

 「アイシャちゃんどうしたの──っと、お帰り、ルディ」

 「あっ」

 「ん?」

 「た、ただいま、シルフィ」

 「うん、お帰りなさい」

 

 こっちのお顔には『どうかしたの?』って書いてある。

 そりゃ自分の旦那が家の前でおかしな行動とってたらどうかしてると思いますよね。

 俺もどうかしてると思う。

 

 ここで注意しなければいけないのは、俺の挙動不審イコールヒトガミ関連の図式が我が家で成り立っているという事だ。

 これを利用した言い訳を考えるのは容易い。

 だがそんな事はしたくない。

 

 「あーっと……シルフィ髪切ったんだ?」

 「うん、最近暑くなってきたからちょっとだけね。分かる?」

 「そりゃ分かるさ。今日もバッチリ可愛いよ」

 「えへへ。ありがとね」

 

 ●

 

 乗り切れてしまった。

 俺もパウロのダメな所をしっかり受け継いでしまっているという事だろうか。

 そりゃそうだよ息子だもの。

 血は争えないという事で、ここはひとつ穏便に……。

 

 「…………」

 

 感じた視線の先にはゼニス。

 息子から旦那と同じダメ男の波動でも感じてしまったのだろうか。

 パウロだって晩年はしっかりお父さんしてましたよ。もちろん俺にも。

 

 「…………ハァ」

 

 深く深く心に突き刺さるようなため息だった。

 今のため息はやっぱり母親としてのものだろうか。

 直前まで俺の事を見てたし。

 

 「母さん。俺は決して言い訳をしたかった訳ではなくてですね」

 

 重ねた言い訳に反応してゼニスが立ち上がる。

 俺の事を見つめたまま。

 

 「髪は女の命とも言いますし、俺が余計な事を言って傷付いたりしないように──」

 

 ムニュっと。

 頬を指で押された。

 

 それ以上喋るなという事だろうか。

 そうだよな。パウロはなんだかんだ言って正直な男だった。

 浮気がバレたときだって言い訳することはなかった。

 俺も男らしくいこう。

 

 「分かりました母さん。ちょっと行ってきます」

 

 頬を押し続けていた指が、そっと背中を押してくれた。

 

 ●

 

 「シルフィ姉正直気付いてたよ」

 「……マジで?」

 

 聞かれたシルフィはちょっと申し訳なさそうに、笑った。

 

 「ホントにちょこっと切ってもらっただけだもん。流石にルディでも気付かないよね、ってアイシャちゃんと話してたんだ」

 

 なんという事だ。

 やっぱり俺の頭で余計な事を考えるだけ無駄だったということだ。

 

 「それはその、なんというか……ゴメン」

 「いいよ気にしなくても。ルディが気にしてくれてるのはちゃんと分かってるからね」

 「シルフィ……」

 

 なんと出来た嫁であろうか。

 眩しすぎて目が潰れてしまいそうである。

 

 「はいはい、お兄ちゃん。台所で見つめあってたら邪魔だから用が済んだらさっさと出てってねー」

 「へいへい」

 

 イカンイカン。

 アイシャが止めてくれなければキスでもしている所だった。

 新婚の頃でもあるまいし、昼間からそんな事してちゃいけませんね。

 

 ●

 

 食事の際にロキシーどころかエリスまでもがシルフィの髪に気が付いた。

 まあエリスだって女の子だしね!

 

 「暑くなってきましたし、わたしも思いきって短くしてみましょうか」

 「いいですね。ロキシーならどんな髪型でも似合うでしょうから」

 

 誉めたはずなのにロキシーの視線がいつもより冷たいような気がする。

 何故だろうか。

 

 「……丸刈りでもですか?」

 「無論です。どんなロキシーでも愛してみせますよ」

 「本気ですか?」

 「俺はいつでも本気です」

 

 深く、ロキシーがため息をつく。

 

 「わたしに髪型を変えてほしくないのなら素直にそう言ってもらってもいいんですよ?」

 「俺はロキシーが髪を解いた時も結び方を変えた時も喜んでいたんですが……伝わってなかったでしょうか……」

 

 だとすればとても悲しい。

 俺はいつでも世界の中心でロキシーに愛を叫び続けていたというのに。

 

 「だからルディはどこまで本気か分かりづらいんですよ……」

 「全てが本気です。キチンと態度で示しているでしょう?」

 

 俺の言ったことが伝わったらしく、ロキシーの顔が段々と赤くなる。

 実に可愛らしい。

 

 「お兄ちゃん皆聞いてるよー」

 

 アイシャが隣のアルスの耳を塞いでいる。

 両親の仲が良いのはいい事だが、あんまり子供に聞かせる話でもなかったな。

 

 「まあその……そういう事ならルディ気持ちはしっかり伝わっていますよ」

 

 シルフィとエリスがウンウンと頷くのが見える。

 こういう事で嫁の意見が重なるのは……良いこととしておこう。

 エリスには愛をぶつけられてばっかりな気もするけども。

 呼吸がおっつかなくなるくらいのキスってのはちょっと怖いんだよ。

 

 「まあ今の髪型は気に入ってますし、時々アレンジを加えたりする程度にします」

 

 お下げやツインテールのロキシーをお目にかかれるという訳だ。

 新たな神の祝福である。

 

 「ルディは髪型を変えないのですか?」

 「俺は……」

 

 別に意識した訳じゃない。

 男が最初にカッコいいと思うのが父親ってだけさ。

 

 「まあ、ちょっと思い入れもありますし、このままでいいかなって」

 「……そうですね」

 

 ロキシーも思い出したらしい。

 俺もこの髪型はなんだかんだ気に入っているのだ。子供達が掴んでくれるし、シルフィも時々触りにくる。

 エリスは匂いを嗅ぎに来る。

 

 「私は切らないわよ!」

 

 髪の話ですよねエリスさん。

 なます切りにするのは日常茶飯事ですものね。

 

 「昔シルフィくらいの長さまで切ったことなかったっけ?」

 「覚えてないわ!」

 

 覚えとらんのかい。

 あんまりいい思い出じゃないしな。

 

 目が覚めたら床に飛び散る血──ではなくエリスの髪。

 残されたのは舞い上がってるだけの間抜けな男が一人。

 荒んでた頃のルーデウス君に突入さ。

 

 「エリスは今の髪型が昔と同じで、一番エリスらしいと思うよ」

 「だったら大丈夫ね!」

 

 大丈夫ですとも。

 ていうかエリスだってどんな髪型にしても愛してみせるぜ?

 愛されると言った方が正しいけれども。

 

 まあなんだ。

 皆今のままが一番って事で。



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分からぬ事

 「脳に負荷がかかりすぎたから記憶を失ったり喋れなくなってしまったんでしょうかね」

 

 ルーデウスが突然ゼニスとエリナリーゼの話を始めた。

 いわく、二人について考えていた事があるのだと言う。

 

 「二人が入っていた巨大な魔力結晶は普通の人間に後天的に能力を与える装置だったんじゃないでしょうか」

 「……何のためにそんな事をする?」

 「ヒトガミ……は考えすぎかもしれないですけど、何か強大な相手と戦おうとした時の一助にしようとしたのかもしれません」

 

 考え方しては悪くない。

 だとすれば。

 

 「……何故構造に欠陥を残したままだと思う?」

 「研究の途中、志半ばで命を落としてしまったか──」

 

 闘神に引き裂かれたか。

 

 「強化された人間が俺の子孫の位置に納まって、オルステッド様を助ける予定だったのかもしれません」

 

 救世主となるララの位置に、今までは別の人間が居たように。

 そうなった事が無い以上、ヤツの手出しがループの前にあったのかもしれないが。

 

 「……今となっては分からん事だ」

 

 ●

 

 誰かを助けようと思って紡がれた想いが遥か未来で別の誰かに呪いになって降り注ぐなんて辛すぎるじゃないか。

 

 …………いくら自分の母親と妻の祖母のことだからっておセンチになりすぎだろうか。

 まあ俺も精神年齢だけなら還暦越えてる訳だしな。

 若いのは息子だけ……。

 

 いや、合計年数はロキシーと同じなのだ。

 俺が老人気分では我が神まで腰が曲がってしまう。

 いつも心は虹色に輝かせておかねば。

 

 「母さんがエリナリーゼみたいに長生きだったらな……」

 

 関係ないか。

 エリナリーゼは長い年月を生きても記憶を取り戻した訳じゃない。

 それでも生きていかなきゃしょうがないんだ。

 例え体に呪いを受けていても。

 

 母さんだってララや神子様とはよろしくやってる訳だし、他に優先するべき事の方が多いのも事実だ。

 

 ……でも自分の母親だし、考えるのは自由だよな?

 

 ●

 

 ミグルド族の念話能力とゼニスが噛み合ったのなら、スペルド族のレーダー能力を後天的に手に入れる人間もいつか存在するのか。

 固有の能力を持つ魔族は先祖をたどるとゼニスみたいな存在にたどり着くんじゃないか。

 つまり、人工的に作られた種族なのではないか。

 みたいにして答えの分からない思考がどつぼにハマっている内に時刻は夜。

 今晩のルーデウス担当大臣はエリスです。

 

 「そういう時は思いっきり泣いたり笑ったりすればいいんでしょ?」

 

 疑問系ではあるが、エリスらしく単純で爽やかな答えだ。

 

 「ルーデウスがそうすればいい、って言ったんじゃない」

 「俺が?」

 「ギレーヌと三人で街に出掛けてたりしてた頃だと思うわ」

 

 つまり家庭教師をやっていた頃か。

 言ったかな…………?

 

 多分、休みの日はは思いっきり羽を伸ばすものです。みたいなニュアンスで言ったんだと思う。

 それを噛み砕いて自分の言葉にしたのだろう。

 エリスのそういう所もちゃんと成長しているのだ。

 剣の腕と胸ばっかりじゃない。

 

 昔ほど顔を赤らめずに俺の髪の匂いを堪能しているあたり、俺達の仲も成長しておられる。

 けれど恥じらいは失ってはならぬ物なのだ。

 デレデレに甘えられるのも好きだけど。

 

 伸ばす前から俺の髪はエリスに好評絶賛だった訳で、尻尾のような俺の髪はもちろんエリスに受けがいい。

 俺がエリスの髪に顔を埋めるよりも、エリスが俺の髪に頭を擦り付けた回数の方が多いだろう。

 

 エリスにとってこの行動は、セルモーターを回す為の鍵の回転のような意味合いがある。

 会話の時間はさっさと終われということだ。

 

 「ルーデウス」

 

 蛇に睨まれた蛙だ。

 抵抗は許されているから、大型犬と小型犬か。

 俺は噛みつかないけど。

 エリスだって噛みついて血を出してしまったのに気がついたら舐めてくれるくらいの事はする。

 喧嘩じゃないしね。

 

 「しっかり鳴いて忘れなさい」

 

 いや、完全には忘れなくていいんだけど。

 

 「だったら、今夜だけ忘れればいいわ」

 

 相変わらず男女が逆だ。

 俺が女々しいのがイカンのだけど。

 

 …………エリスは意味を知らないからやらないけど、もしも尻に指突っ込まれたらその時は本気で泣こう。

 ひーん。



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指輪

 魔界大帝キシリカ・キシリスに貰った魔眼には模様が浮かび上がる。

 いわゆるルーン文字や魔法陣のような物なのではないかと思うのだけれど、実際どうなのかは知らない。

 

 ちなみに俺の予見眼はよく見るとグルグルおめめになっている。

 混乱してるみたいでちょっぴりダサいとか言うなよ?

 千里眼はどうなってるか見たことがない。

 クリフ先輩の識別眼は絶賛使用中。

 

 「……ダメだな。僕の識別眼で見ても指輪であるという事以上の情報は無いし、魔法陣の痕跡は見つけられなかった」

 

 という事は。

 

 「自動人形のように内側に魔法陣を刻む方式なんだろうが……解体出来ないんだったか?」

 「エリスにザノバ、オルステッドが壊せないと断言した代物ですね」

 「龍神ですら無理な物か……」

 

 一応アレクにも頼んだけれど「そういうのは得意じゃないですよ?」との宣言通り、指輪に傷が付く事は無かった。

 

 俺が魔術をぶつけてみてもダメ。

 熱して冷やしたり、濡らして電気を流してもみた。

 弾丸状に練り上げた岩砲弾を打ち付けても意味無し。

 

 誰かに壊されないように水神流の奥義を指輪が発動してるのではないかと疑ってもみたが、指輪はエリスの光の太刀を正面から受け止めた上で堂々の無傷。

 ロストテクノロジーに完敗という訳である。

 

 「君が僕の所へわざわざ足を運んだという事は相当特別な魔道具という認識でいいんだろうな?」

 「バッチリです」

 

 装着して魔力を流し込めば効果を発揮し、ある程度の期間が経つとその役目を終えて砕けて砂になってしまうという指輪。

 人によって害があったり無かったりするのだが、オルステッドにしてみれば少々よろしくない効果を発動するので、俺に使用と破壊の依頼が来たのだ。

 

 「子供の姿になってしまうらしいですよ」

 「幾つ頃……かは分かるのか?」

 「そこまで詳しくは……。子供と言うくらいですし、成人する前でしょうけど」

 

 つまり15歳より前の年齢ということだ。

 個人的にはユニフォーム交換をした13歳くらいの頃が臭い。

 

 子供の頃のオルステッドを是非見てみたかったが、モザイク野郎にそこを狙われた過去があるからNGとの事。

 

 使い捨ての魔道具とはいえ、一時的な若返りを可能とする技術はなんとしてでも研究したかったのだが、クリフ先輩の協力で不可能という事がハッキリとしてしまった。

 

 古代龍族が投げ出した研究の副産物だったりするかもしれないが、調べようがないし、ペルギウスも知らぬ物という事はオルステッドが過去に確認済みであるとの事。

 

 「良かったらクリフ先輩着けてみます?」

 「リーゼは喜ぶかもしれないが、職務に支障がでるだろ?」

 

 あっさりとフラれてしまった 。

 まあ当然よな。

 

 「そもそも君が依頼された物なんだろう? たまには家族に守られる父親になってみたらどうだ」

 「なんだか気恥ずかしいっていうか……」

 

 写真が存在する訳でもないし、小さい頃のパパが見たいという子供達の要望には応えられるだろうけど、威厳のある父親でいたい俺は気乗りしないというか。

 

 「子供の頃にあまり一緒にいられなかった君の母上も喜ぶんじゃないか?」

 

 そう言われればそうかもしれない。

 ゼニスとはボレアスの家に行くときに別れて、転移迷宮で再会するまで10年以上会わなかったのだ。

 母親として子供の成長を見守れなかったのは辛い事だろうというのは、父親になった今だからこそよく分かる。

 …………まあ俺は子供の成長見逃し気味なんですけど。

 

 「そうですね。母さんに子供の頃の俺を……」

 

 指輪の使用者を誰にするか、迷う理由が増えてしまった。

 

 ●

 

 「それでも俺は子供の頃のロキシーが見たいんです!!」

 

 冷たい視線が俺に突き刺さる。

 神の歴史を紐解いて目に焼き付けたいというだけなのに、戦況は圧倒的に不利だ。

 我が軍の兵士は俺一人。

 孤軍奮闘である。

 同意の声も御馳走様も聞こえない。

 

 「……わたしが子供の頃の姿に戻っても今と対して変わりませんよ」

 「でも今より更にララとリリを合わせて三姉妹っぽくなるでしょう!?」

 「なりません。わたしが指輪を着ける案は却下ですね」

 

 神はどうあっても若き姿をお見せにはなられないらしい。

 シルフィは髪の色が戻ると怖いからと拒否。

 エリスは自分が着ける分には興味が無いと拒否。

 お母様ズと子供達は満場一致で俺をご指名。

 逃げ場がない。

 

 「そうだ! アレクかザノバにでも着けて貰って──」

 「ルーデウス」

 「はい」

 「座りなさい」

 「……はい」

 

 俺別に悪いことした訳じゃないんだけどなあ。

 なんでこんなに追い詰められているんだろう。

 責任者であるオルステッドが指輪の装着期間中は仕事の事は気にしなくていいとか言ったからだよな。

 エリスの目がいつもよりギラギラしているのもそのせいだと思う。

 子供になったアタシに何をするつもりなのかしら。

 ……ナニでしょうね。

 

 「…………ルイジェルドで妥協するのはどうだ?」

 「ルイジェルドで?」

 「ここにいる皆も、もちろんノルンだって子供の頃のルイジェルドは見たことないだろ? 多分ノルンも喜ぶんじゃないかな」

 

 我ながら改心の逃げ道を見つけたと思った。

 これならデッドエンドの片翼を担ったエリスもちょっと気になるだろう。

 よし、後は適当に逃げてさっさとスペルド族の村に────

 

 「…………」

 「……母さん?」

 

 ゼニスが俺の横に立っていた。

 ララと違って念話が使えない俺からすれば、自分の母親が無言で横に立っているのはちょっとばかし驚いてしまうと言いますか。

 ……なんかムスっとしてません?

 

 「……パパ」

 

 どうやらララがお母様のありがたいお言葉を届けてくれるようだ。

 ゼニスの右手には指輪。左手には俺の左手が握られている。

 嫌な予感しかしない。

 

 「何でもいいから早く指輪を着けてちょうだい、って」

 

 メチャクチャ楽しみにしてるじゃありませんかお母様。

 

 ●

 

 「えー……何が起こるか分からないので、オレの部屋でシルフィに付き添ってもらいながら動作の確認をしてきます」

 

 俺は一週間家族の愛玩動物になる覚悟を決めさせられてしまった。

 シルフィに一緒にいてもらうのは何かにつけてあった時のために治癒と解毒をスタンバイしておいてもらう為だ。

 若返るって事は縮むだろうし、なんか怖いし。

 

 「あの、ルディ。ここまで来ておいて言うのもなんですが、本当に大丈夫なんでしょうか」

 「効果自体はオルステッドが確認済みですし大丈夫でしょう。可愛い子供の姿になって戻ってきますよ」

 「絶対ですからね」

 「もちろんです」

 

 自分の部屋に嫁と一緒に来たのに驚くほどエロい気分にならない。

 それほど緊張しているのだろうか。

 

 「それじゃあ、シルフィ。左手の薬指に頼む」

 

 コクリと頷くシルフィの顔にも少々緊張が見られる。

 魔道具を使用するとはいえ、未知の魔術に触れようとしているんだから当然か。

 

 「……指の指定まであるなんて、かなり複雑な魔方陣が刻んであるんだろうね」

 

 指は俺が勝手に指定しただけで、ただの趣味である。

 結婚指輪の文化をこの世界で見たことはないけれど、せっかくだから、ね?

 

 指の太さを測ってあったかのように、綺麗に俺の指に指輪が馴染む。

 装着しただけで魔力を吸われるような感覚はない。

 

 「それじゃあ魔力を流してみる。気絶しそうだったら頼むな」

 

 任せて、というシルフィの声を聞いて指輪に集中しなおす。

 意識が途切れたのは、瞬間的だった。

 

 ●

 

 「これで俺もアルスとジークと並んで三兄弟とか言える訳ですね」

 「口調まで若い頃に直しちゃうの?」

 「嫌ですか?」

 「なんか再会した頃を思い出しちゃうから……」

 「心配かけてゴメン。ちゃんと普段通りにするよ」

 「うん。やっぱりルディはそうでなくちゃ」

 

 気絶した俺の体が縮んだのを見て不安がったのに更に不安にさせてしまった。

 シルフィをからかってやろう、と思った訳ではなく、寝起きで少し冷静さを欠いてしまった。

 縮んだ体で普段通り話すのが照れ臭かった訳じゃない。

 

 「体の調子はどう? 普通に動かせる?」

 

 体を起こして肩と腕を回し、手を握って開いて、指を動かす。

 体の無事を確かめる為慎重にベッドから立ち上がり、屈伸したりちょっと跳ねてみたりしたが、痛みは無い。

 逆成長痛はないようだ。

 

 「バッチリみたいだ。多分このまま街に走りに行っても大丈夫だと思う」

 「じゃあ夜も普段通り?」

 

 えへへ、と笑うシルフィの顔はちょっと赤い。

 ……そうだな、と応えた俺の顔もちょっと赤くなってたと思う。

 なんだよ、二人して新婚みたいな反応しちゃってさ。

 もう子供も結構大きいんだぜ?

 

 「ロキシーもエリスも喜ぶね」

 

 二人ともこの体をお気に召してくれる事でしょう。

 ロキシーはサイズ的な意味で。

 エリスは昔を思い出して。

 シルフィは自分が知らない頃の俺と会えたという意味で。

 ……果たしてわたくしめはこの一週間を無事に生き延びる事が出来るのでしょうか。

 

 ●

 

 「……ルー姉はもういいの?」

 

 うん、と頷く姉の顔には微妙に元気が無い。

 

 「ちっちゃくなっても中身はいつものパパのまんまだもん」

 

 背丈が近づいた分、余計に自分と比べてしまうのだと言う。

 ちょっとめんどくさい性格がパパにそっくりだね、なんて言ったら怒るだろうから言わない。

 

 「難しい事考えずに今くらい素直に甘えておけばいいのに」

 「それはクリスの役目だもん、お姉ちゃんのボクがそんな事してガッカリされたらどうするのさ」

 

 姉が末妹のクリスのようにパパに抱きついても嬉しそうに抱きしめ返すだけだろうけど、姉には悪い未来の方が見えているらしい。

 赤髪の母のように「やってみなきゃ分からないじゃない」と言えないのは産みの親である白髪の母の影響だったりするのだろうか。

 

 そのクリスはと言うと、今まさに赤髪母とパパを取り合っている最中である。

 ママは夜になったらパパを一人占めできるじゃない、とかそういう問題じゃないでしょ、とか聞こえてくる。

 自分の娘に口論で負けそうになって、パパを盾にしている赤髪の母はちょっと可愛らしいなんて思ってしまった。

 

 弟二人は男の子だし流石にそういう甘えかたはしない。

 パパが今の見た目の頃はどんな風だったかとか、小さいパパがどういう戦い方をするのかとか、そういう事の方が興味があるらしい。

 ま、男の子はそういうの好きだもんね。

 特にジークはさ。

 

 リリはちょっとパパに構ってあげたら平常運転。

 指輪の研究が出来なかったので、今日も町で見つけた魔道具にご執心である。

 なんだかよく分からない煙を吐き出す魔道具らしく、何かあってはいけませんと、青髪の母と外にいる。

 パパはちょっと寂しそうだったけど、あの子もわりとパパの事は分かってるし大丈夫だと思う。

 少なくとも姉みたいに拗らせはしないだろう。

 

 お婆ちゃん達と白髪の母は、最初にパパを堪能したあと、さっさと退散してご飯の準備に行ってしまった。

 饒舌──わたしにとっては──な祖母がパパを抱きしめているのを見て、メイドの祖母が代わりと言わんばかりに静かに泣いていた。

 そしてそれを饒舌な祖母が静かに慰める。

 あの二人の祖母の関係は複雑だけれど、孫のわたしには分からない程、固く結ばれている。

 

 「レオもあんまり気にしないね?」

 「わふん」

 

 姉の前で可愛く鳴いてみせるけれど、コイツは『我輩』なんてカッコつけてわたしと喋る。

 同じような喋り方のザノバさんはそう思わないけどなんでだろうね?

 

 『ルーシー様は重く考えすぎなのです』

 『そう言ってあげなよ』

 『我輩には伝える手段がありませぬ……』

 

 クゥーン、と悲しそうに鳴くレオを撫でて、ありがとうねと姉が言い、優しくその体を撫でる。

 わたしと祖母以外にも念話が使えれば皆レオと話せるのに、それが出来ないせいでただの大きい犬になってしまうのは残念だ。

 

 「ルー姉は腐らずに頑張ってるんだから、どんな風になってもパパは喜んでくれると思う」

 「ララは簡単に言うもんなあ」

 「これでも救世主らしいからね」

 

 フフンと鼻を鳴らすわたしの頬を姉がつついてくる。

 

 「ボクよりいっぱいお昼寝してるのにね」

 「ルー姉みたいに素直に努力できないだけだよ」

 

 よく分からないといった風に姉が首を傾げる。

 髪の色こそ違えど、その様は彼女を産んだ白髪の母そのものだ。

 

 どうもわたしは皆の気付かない所で努力をする方が性に合っているらしい。

 そっちの方がカッコいいと思うし。

 ……こういう所はやっぱりパパの娘だからなのかな。

 

 「ま、ルー姉の分はわたしがパパに甘えておくからさ、ルー姉はわたしの分も悩んどいてよ」

 

 じゃあね、と手を振ると、え、とかちょ、とか言っている姉を置いてパパの方へ向かう。

 レオもわたしの方へついて行きたそうにしていたが、姉がもたれ掛かっていたので諦めたらしい。

 

 たまに甘えてあげればパパなんて簡単に喜ぶんだから、素直になれるうちに甘えておいた方がいいよ、と思って姉を見るとまだモニョモニョしている。

 

 さて、赤髪親子に振り回されてるパパを助けてあげるとしますか。

 これでわたしが困ってる感じになれば、姉も入ってきやすいでしょ?

 我ながら、いい妹だね。

 

 レオ、性格が悪いとか言ったら後で自分で取れないとこにハナクソくっ付けるからね。



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集中

 「ルーデウスは自分の心を隠すのが得意そうよね」

 

 別にやましい事があるわけでも無いのに、何か追及されているような言い方のせいでエリスに無駄にドキドキさせられてしまう。

 エリスには普段からドキドキさせれているのだけれど。

 昔ほどじゃないけれど危なっかしい所は子供達と同じくらいあるし、鍛えた肉体からあふれ出るパワーを上手く制御出来ないなんていう漫画みたいな事をする所もある。

 おそらく一番の被害者は俺。

 

 子供達の事を抱き締めて「痛い」と言われる事が少ないのも俺が体をはったお陰なのだ。

 レオやリニアにプルセナなんかにも感謝しておいた方がいいと思う

 ウチの子達の為にどうもありがとう!

 

 「俺は別に顔に出ない訳じゃないし、腹の探りあいが得意だとか思ってないけど」

 

 話を逸らしたり逃げるのは得意かもしれない。

 実に三下っぽいね。

 泥沼の泥は実はこそ泥の泥でもあるんですよグヘヘ。

 …………んな訳あるかい。

 

 でもそれで家族が守れて生き延びられるなら上等ってもんだろ?

 

 「そういう時じゃなくて……剣を持ったときの話よ」

 

 イマイチ話が見えない。

 そもそも俺は剣士ではなくて魔術師である。

 少し離れた所から相手の嫌がる事をトコトンぶつけて近付かれる前に処理したり、前衛が動きやすくするのが仕事だ。

 そういう意味でなら格ゲーで鍛えた読み合いが唸っているのかもしれないが。

 

 「ジークはそうでもないけど、アルスが結構分かりやすい所があるのよ」

 

 そりゃあ、俺と貴女の子供ですもの。

 自分の血の流れを感じますでしょうエリスさんや。

 

 貴女時々アホ毛で感情表現するでしょう。

 それがアルスにも移ったんじゃなくて!?

 ……シルフィもロキシーもやるし、俺もやってるらしいからウチの子供も皆やってるだろ。

 流石に自分の髪がひょこひょこ動くのなんて見たことないけど。

 

 ジークは弱気な自分に打ち勝った精神力と北神流がある。

 対するアルスも植え付けられた弱さを乗り越えて、精神的な成長を果たしたものの、ここ一番の勝負で熱くなりすぎてしまうらしい。

 剣神流らしい直情さを抑えきるにはまだ至らぬというのだ。

 

 おまけにジークは力が強い。

 真剣を使用した勝負を見た事はないが、アイツと俺が与えた剣が合わさればアルスの光の太刀を止めてしまう可能性は大いにある。

 

 たとえ力が無くとも、北神流を修めているジークならいくらでもやりようはある。

 実戦になったら家族の中で一番強いだろうし。

 

 「だから自分の感情を上手く抑える方法がないか相談に来たの」

 

 アルスは直接俺に聞きに来てくれなさそうだろうし。

 「こんな事情けなくてパパに聞けない……」

 とか言ってそうだ。

 そして周りから「気にしすぎ」と総スカンを食らう。

 

 しかし、そう言われてもなあ。

 俺はいつまでたっても小心者だし。

 魔術師じゃなくて剣士だったら相手を切った感触にきっと震えてたと思うし。

 魔術で相手を始末して、何の感触も無いのにビビるような男ですよ?

 近距離の相対なんて専門外だって。

 

 「エリスはどうやって殺気とかを抑えてるんだよ。俺なんかよりそっちの方が参考になるだろ」

 「私は……」

 

 視線がぶつかる。

 エリスの顔が髪の色と同じくらい綺麗に真っ赤なっていく。

 真っ赤にならなくともエリスは綺麗だけど。

 そんな事を考えていたら、思わぬ一閃。

 力を抑えたいいストレートが俺の肩に入る。

 

 「いきなりなんで!?」

 「ルーデウスが変な事聞くからよ!!」

 

 なんちゅう理不尽。

 剣王様がどのようにして心を無にしているのか、剣士の先輩として教えてあげれば解決するのではありませぬかと、遠回しに言っただけなのに。

 

 もしかしてあれか。

 こういうのは秘中の秘というやつであって、たとえ実の息子であろうとも簡単に教えることはまかり成らんという事か。

 だから顔を真っ赤にして怒ったのか。

 いくら夫婦だからといっても聞いてはいけない事もあるという事だ。

 

 「悪かったよ、そんな聞いちゃいけない事だとは思わなかったんだ」

 「……別にそういう訳じゃないわ」

 

 だったら俺殴られ損では。

 

 そう思っても言わぬが花。

 余計な事を言ったら次は足が出てくるかもしれない。

 エリスの蹴りは子供の時から大人を吹っ飛ばしてたくらいだし、今もらったら俺の骨が無事では済まないかもしれない。

 

 「ルーデウスがどうしても聞きたいっていうなら、言うわ」

 「言わなくていいよ。言いたく無いことを無理に聞いてもお互い嬉しくないだろうし」

 

 そう、と小さく言ったエリスの声音に含まれているのが安堵なのか落胆なのか俺には分からなかった。

 ただ、エリスの視線がさっきより明らかに熱っぽいのは分かる。

 私、きっと今夜も泣かされるんだわ。

 

 ●

 

 「という訳でパパがアドバイスに来ました」

 「僕の為にわざわざそんな……」

 「たまには父親らしい事させてくれって」

 「……はい。分かりました」

 

 うーん、敬語。

 まあこれくらい仕方ないさ。

 アルスとは色々あった訳だし。

 ルーシーとは違う形だけれど、俺の事を分かってくれたんだし。

 これくらい許容範囲ってもんよ。

 俺もパウロやゼニスとは敬語で喋る事の方が多かったしな。

 

 「心を沈めて、相手に動きを読まれない方法で悩んでいるんだろ?」

 「ジークが相手の時、だけなんですけどね……」

 

 エリスやアレクが相手ではそもそも実力不足でその域まで届いていないという。

 今息子が求めているものは心を落ち着かせつつも、気を散らさない程度に集中を持続出来る何かなのだ。

 

 エリスにとってのそれが何かは教えて貰えなかったけれど、俺にとっては恐らく我が神が身に付けていた『アレ』の存在が該当するのかもしれない。

 でもアルスにロキシーのパンツを渡しても意味が無いだろうし、まさか勝負の最中にパンツを取り出して匂いを嗅げとは言えますまい。

 

 「──パパは赤ママが構えているときに笑ってるのを見たことありますか?」

 「エリスが?」

 

 何だろう。

 記憶に無い。

 俺の中で剣を持ったエリスなんてのはカッコいい姿しか思い出せないし、それ以外を想像する事も出来ない。

 

 「最初は、ちょっとバカにされてるのかな、なんて思ったんだ。パパが時々する悪そうな笑いかたに似てたから」

 

 シルフィ風に言うとニチャっとした笑いかたってヤツだ。

 このルーデウススマイルをすると何だか皆に引かれているような気がしている。

 ザノバなんかも切り替えの激しいヤツだから人形が絡んでいるときはそういう顔をしたりしそうなもんだけどもいまいちピンと来ない。

 

 「でも赤ママのアレはそんな油断を誘うような物じゃない」

 

 余計な感覚を削ぎ落として相手に動きを悟られず切るためにニマニマとだらしなく笑っているのだと。

 …………全然意味が分からん。

 

 でも俺にとっての御神体みたいなものがエリスにもあるって事なんだろうな。

 ちょっとジェラシー。

 殴られるの覚悟で聞いてみたくなってきたぞう。

 

 「エリスにそこまで引き出せたってだけでも十分成長してると思うけどな」

 「僕もそうは思うんですが……」

 

 それを越えたら、後は命を奪い合う所に届いてしまうのかもしれない。

 そこまで来ていると分かっているからこそ悔しいのだ。

 

 「お前にとって一番心を落ち着かせる事が出来る物が鍵になってくるかもしれない」

 

 パンツの話はすまい。

 アイシャもきっと黙っててくれるだろうし。

 

 「アルスならホラ、女の子の胸とかどうだ?」

 「それは……」

 「俺だってシルフィの胸を揉んでいる時は落ち着くって言うか……すごく自然な状態になれるぞ」

 

 結婚する前も後も揉みに揉んできた胸である。

 結婚したての頃、家に二人しかいない時なんてのはその状態こそが自然であるという感覚すらあった。

 

 彼女の胸には我等が故郷であるブエナ村のような暖かみがあり、たくましく広がる平原には赤い屋根の小さいお家もある。

 赤くないか、ピンクか。

 赤くなったりもするけど。

 

 「アイシャ姉の胸……」

 

 エリス似の凛々しい顔が次第にだらしない笑みに変わっていく。

 

 「その感覚を興奮ではなく集中に使う。相手に気取らせないためでもいい」

 

 言うのは簡単だ。

 実践するのは難しいだろう。

 そもそも俺はそんな事出来ないし。

 

 「しかしお前、結婚して子供もいるのにまだ『アイシャ姉』って呼んでるの?」

 「まあ、言い慣れてるっていうのもあるけど……この呼び方の方がアイシャ姉喜ぶんですよね」

 

 わーお、妹の性癖を覗いてしまった気分。

 

 「あ、でもカッコつけて『アイシャ』って呼ぶ時もちゃんとありますよ」

 「……その調子でこれからもしっかりアイツを守ってやってくれよ」

 「────はい!」



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臭い

 「ルーデウス君って男の子なのに髪の毛伸ばしてるんだね」

 

 自分が短髪だから気になったのか、フィッツ先輩が突然そんな事を言った。

 図書室が静けさを求める場所とはいえ、どうせ二人きりなのだから、これくらいの雑談は許されるだろう。

 

 「もしかして似合ってませんかね?」

 

 フィッツ先輩くらい顔立ちの整った人から見れば『冒険者風情が何を生意気に髪の毛なんぞ伸ばしてやがる』くらいに見えるかもしれない。

 この人は間違ってもそんな事思わないだろうけど。

 

 「ううん、そんな事ない。凄く似合ってるし、格好いいと思うよ」

 「……そんなに誉めても何も出ませんよ?」

 「分かってるよ」

 

 困ったように微笑んでも絵になる人だ。

 長耳族の血の影響なのか知らないけれど、元日本人の俺には刺激が強い笑顔だぜ。

 

 「ほら、ボク髪型こんなだし伸ばした事無くってさ」

 

 そう言って透き通るような白髪の端を指先で弄ぶ。

 ガラス繊維とは違う天然物はやっぱり綺麗だ。

 この容姿で若白髪がどうこうなどと思う不躾な輩はおるまい。

 

 「俺のなんかで良ければ触ってみますか? どうせ減るもんじゃないですし」

 

 何も考えずに言った一言だった。

 彼とのこういう何気ない会話にあまり打算は持ち込みたくない。

 

 「いいの!?」

 

 想像以上に乗り気でちょっとビビる。

 長髪なら俺なんかよりアリエル王女のを触る機会があったりするんじゃないでしょうかね。

 俺なんかホラ、冒険者上がりですし、対してお手入れとかしてないですし、トリートメントが足りてないと言いますか。

 ……なんだか女々しいな。

 

 「どうぞ、気の済むまでお触り下さい」

 

 引っ張るのだけはやめて下さいねと言えば、分かってるよと帰ってくる。

 俺なんかより他人の髪の扱いには慣れてそうですしね。

 

 ●

 

 なんだか時の流れが早くなったのか遅くなったのか訳が分からなくなってきた。

 フィッツ先輩は飽きもせずに俺の髪を触り続けているし。

 お陰でなんだかドキドキしちゃってイマイチ集中できない。

 

 「ルーデウス君はなんで髪を伸ばしてるの?」

 

 俺だけがおかしな空気になっているのに気付いてくれたのか、フィッツ先輩が話しかけてきてくれた。

 息子はおかしな空気に反応しないままだったのだけれど。

 

 「別に深い意味がある訳じゃないんですけどね」

 

 数人で旅をしていると、誰かが自分の気が付かない事に気付いてくれる。

 少し髪が伸びてきたかな、と思う度に「私が切ってあげるわ!」なんて言う女の子がいた。

 勢い余って耳まで切ったりしないだろうかとおののいていたけれど、彼女は力の加減が苦手なだけで刃物の扱い自体は得意なのだ。

 仮にも女の子であるのだし。

 

 一人で旅をするようになってからは……色々あって髪の長さなんて気にしてなかった。

 伸ばし過ぎたかなと、思う頃に世話になったパーティーの誰かのお節介で切ってもらったりしていた。

 

 「お揃いなんです。父と」

 

 ああ、とまるで俺の父親を思い出すかのような反応をフィッツ先輩はしてみせた。

 王女様の護衛ともなれば、出奔前のパウロを見たことくらい…………。

 

 あれ?

 年齢的に会う機会はあるのだろうか?

 アリエル王女とパウロの年の差っていうと……。

 

 いや、違うな。

 フィッツ先輩は長耳族の血が流れているのだから、見た目に騙されてはいけない。

 こう見えて実は気が遠くなるくらい年が離れているのかもしれない。

 エリナリーゼだってそうじゃないか。

 そういう事にしておこう。

 

 「そろそろいいですかね」

 「あっ! ごめんね、長々と」

 

 あれだけ触ったのに実に名残惜しそうな表情をしてくれる。

 そんなに気に入っていただけたのかしら。

 

 「フィッツ先輩でしたらまた好きなだけ触ってもらってもかまいませんよ」

 

 これだけ隣に居てくれるのが心地よい人なのだ。

 俺の髪なんかで喜んでもらえるならいくらでも差し出そう。

 

 「じゃあその…………今日最後のひと撫でをしていってもいいかな」

 

 どうぞと、髪を差し出しながら思わず苦笑が漏れた。

 何がそんなにお気に召したのだろう。

 貴族に近い所にいると、やっぱりちょっと変な所がうつるのだろうか。

 

 「────」

 

 慈しむように俺の髪を手に取ったフィッツ先輩は、自然な仕草で顔を手に近づけて──

 

 「…………」

 

 匂いを嗅いでいた。

 

 「────フィッツ先輩?」

 

 髪と同じような透き通るほどの白い肌が瞬く間に紅潮していく。

 髪の色は当然変わるわけがないのでよく目立つ。

 

 「あっ、いや、コレは!!」

 

 そんな全身を使って飛び退かなくてもいいじゃないですか。

 俺は別に不愉快だった訳じゃないんですよ?

 

 「えっと、えっと、えっと! ま、また明日!」

 

 行ってしまった。

 なんで俺は無駄にドキドキしているんだろう。

 あの人は男なのに。

 

 ●

 

 「…………それでシルフィはさっきから手を握ったり開いたりしてるのですか」

 「ええ。どうやら意識が彼方へ飛んで行ってしまったようです」

 

 想い人の髪に触れて心をときめかすのなら、男女が逆ではないかとルークもアリエルも思うのだが、恋に恋している少女にそんな事は関係ない。

 

 「シルフィ」

 「は、はい! なんでしょうか、アリエル様!」

 「いい加減に手の匂いを嗅ごうとするのはお止めなさい」

 

 ●

 

 「……今からちょっとおかしな事を聞くけど、嘘偽りない答えを聞かせて欲しい」

 

 目の前の二人、ザノバとクリフ先輩が揃って怪訝そうな顔をする。

 

 「僕は君に対して嘘や偽りを含んだ話をした覚えはないんだがな」

 「余もです、師匠。このザノバ・シーローン、例え相手が師匠であったとしても意見具申を躊躇ってはならぬことは理解しております」

 「二人とも……」

 

 感動した。

 友人を疑った事を謝らなければなるまい。

 ちょっと気分が上がったせいで調子がおかしくなってしまったのだと。

 少女ともとれるような容姿の少年に心を揺さぶられて舞い上がっていたのだと。

 

 「別に気にしてはいないさ。君の様子がおかしいのは気付いていたしな」

 「そう言ってもらえると助かります」

 

 では。

 

 「お聞きしましょう。師匠がそれほどまでに気にしている事を」

 「うむ、それなんだが────」

 

 「俺って最近臭かったりする?」

 『は?』



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昼寝

 今からわたしがやろうとしているのは、断じてふしだらな事ではありません。

 わたし達は夫婦なのですから、これくらいは普通の事であるはずなのです。

 

 落ち着きのある母親として、皆を纏めているシルフィだって、結婚してすぐの頃は凄かったと聞きますし、エリスは言わずもがな。

 別にエリナリーゼさんみたいな凄い事をしでかそうという訳じゃありません。

 こんな事は、夫婦どころか恋人のうちにやるような事だというのも分かっています。

 余分に勇気がいるのです。

 こういう抜け駆けをコッソリやろうとする時は。

 

 ●

 

 雨に濡れた子供達をエリスがお風呂に引き連れて行くのを見送り、後回しにした自分も風邪をひかないように濡れた服を着替えに向かう。

 

 ルディがたまに使用する服を乾かす魔術を使うと、服の生地が傷むらしいので当然使わない。

 冒険者の考え方としてはその程度気になりませんが、今のわたしは先生で母親で妻なのです。

 家の事を任せている事が多いとはいえ、家族の為にも物を大切に扱うという考えくらいは協力惜しみません。

 早く着替えて、濡れた服は洗濯籠に放り込んでしまいましょう。

 

 ●

 

 パチパチと暖炉の木が破裂する音が聞こえたので、そちらへ向かう。

 わたしの予想が間違っていなければ、彼がいるはずだ。

 

 「ただいま戻りました」

 

 離れて見た様子が寝ているようだったので、小さく声をかける。

 膝の上に娘のララが。

 足元で二人を守るようにしてペットのレオが。

 そしてソファーで二人を受け止めるようにしてルディが────わたしの夫が眠っていた。

 

 ララはわたしと同じ──ルディ風に言うと透き通るような青色──髪の色をしていけれど、同じ寝顔をしているお陰で「ああ、やっぱり親子なんですね」と分かる。

 ご丁寧に涎の垂らし方まで一緒だ。

 

 「全く、二人とも仕方がないですね」

 

 幸い、服にまで垂れてはいないようなので、拭き取ってしまいましょう。

 わたしだって、ちゃんとお母さんが出来ているのですよ!

 フフン、と鼻を鳴らしつつ取り出したハンカチでララの口元を拭う。

 ではルディも、と口元を見て、体が止まった。

 

 暖炉の強くない灯りが彼の口元の線を銀色に煌めかせる。

 

 別にご無沙汰だった訳ではない。

 彼が仕事で不在でなければ三日に一度。

 でも。

 でも、だ。

 

 シルフィは結婚したての頃、二人きりの家で凄かったと言うし、エリスもルディの仕事に付いていけば、出先で押し倒している様は容易に想像できる。

 無論、自分とてそういう記憶が無くもないが、シーローンへ行った時の一度だけだ。

 普段のわたしは教師なのだ。

 だったら。

 

 「こういう時くらい、茶目っ気を見せても……いいですよね?」

 

 ●

 

 ロキシーが小さな声で独り言を言っているのが聞こえる。

 「まったくわたしは何をしているんでしょうかね!」なんて言っているけれど、その顔は暖炉の灯りに照らされている以外の理由で赤くなっているように見えた。

 

 少し早足で、照れを誤魔化すように大きめの音をたてて部屋から出ていく。

 俺の先生は幾つになっても可愛いままだ。

 

 「……パパいつまで寝たふりしてんの?」

 「……ララがいつから起きてたか教えてくれるまで」

 

 ビックリして心臓が口から飛び出るのを抑え込めた!

 俺エライ!

 

 「青ママに口拭かれた時からぼんやり起きかけてた」

 

 ということは。

 

 「どえらい物みちゃった」

 

 Oh……。

 

 「娘の前でイチャつくってどうなのさ」

 「……仲が悪いよりいいだろ?」

 

 俺はロキシーの寵愛を授かっただけだからいいものの、ララにはまだ刺激が強すぎるだろう。

 

 クソッ! ロキシーの舌が顎を這って俺の口の中に侵入してくる時の感触を反芻したいのに、娘の前で迂闊な事は出来ん!

 

 「パパとママ達が仲悪い時はだいたいパパのせいじゃん」

 「……ハッキリと言うな」

 

 俺がいつまでも大人になりきれずにワガママな事を言うとそういう空気になってしまう事がある。

 結婚生活ってのは大変なんだコレが。

 

 「ま、わたしはもっと凄いもの見たことあるからいいけどね」

 「へ?」

 

 捨て台詞を吐いたララは、俺の膝からぴょんこと飛び降りてレオに跨がると「逃げるよ」と言ってレオを叩き起こした。

 レオも寝起きで不満そうではあるが、クゥンと一鳴きすると、悪そうな笑みを張り付けたララに従い部屋を出ていった。

 

 もっと凄いものを見たことがある……?

 ロキシーの覗き癖がララに遺伝していたとしたら……。

 

 「寝室の鍵はちゃんとかけておいた方がいいかもな……」



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マジで倒れるかなり前

 「今日のルーデウス君はその…………随分薄着だね?」

 

 そうは言ったけれど、ルディはそこまで薄着って訳じゃない。

 いつものローブを着ずにシャツ姿で居るだけだ。

 パンツだって昔履いていたような短いやつじゃない。

 

 「北国でも暑い日は流石にローブを脱いでいたくなりますからね。すいません、見苦しい体を見せてしまって」

 「そんな事無いよ!」

 

 思ったより大きな声が出てしまった。

 ちょっとビックリした顔を見る限り、ルディもそこまで本気で言ったわけじゃないみたいだし。

 どうにもルディの前だと普段より心臓が跳ねてしまう。

 とにかく早く何か言い訳をしないと!

 

 「ええと、ルーデウス君ってば普段はローブを着てるせいで分からなかったけど、魔術師とは思えないほど体つきがしっかりしてるんだね、と思って」

 

 ボクなんか女の子みたいに、腕も足も細いからさ、ちょっとドキっとしちゃって。

 

 ……早口でまくし立ててしまっただろうか。

 顔はちょっと熱いけど真っ赤になってる程じゃない……と思う。

 ルディは相変わらずキョトンとしたままだったけれど、少しずつ緊張が抜けてきたみたいで、自嘲するように鼻を鳴らした。

 

 「筋肉は裏切りませんからね」

 

 怒っている感じではなかったと思う。

 けれど、何か嫌なものでも思い出してしまったかのように、理由を細かく話してくれた。

 

 魔術が使えるからといってその事を過信してはいけない、とか。

 出来る事の選択肢を増やせるから筋肉は素晴らしいんですよ、とか。

 体を鍛えている時は全てを忘れられるんですよ、とか。

 

 「ゴメン。ボク、変な所に首突っ込んじゃったよね?」

 「気にしないで下さい。俺が勝手に喋りだしたんです」

 

 距離を縮めようとして、完全に失敗してしまった。

 ルディだってボクと離れていた間に触れてほしく無いことの1つや2つくらい出来ていたっておかしくないのだ。

 ボクだってぶり返していたおねしょの事とかあるし。

 

 「フィッツ先輩もトレーニングとかどうです? 朝走るだけで大分違いますよ?」

 「えっ、と……」

 

 実は朝早く起きて走っていたりする。

 勿論変装して。

 ルディが朝早くに街を走ってるのも知ってる。

 ルディはボクに気付いていないみたいだけど……。

 

 「ボクはその……アリエル様の護衛の兼ね合いがあるから……」

 「……なるほど、せっかくの自由な時間、もとい休息時間ですからね。体はイジメ続けるだけではなく労ってあげる事も大事ですし」

 

 ルディは閉じている門を飛び越えて街の外まで走りに行ってるみたいだけど、ボクがそんな事したら目立ちすぎてしまうし。

 

 1度覗きに行ってみた事があるけれど、ただ走るだけじゃなく、魔術を使いながら走ったり、足場を作りながら飛んだり跳ねたりしていて、目で追っかけるのも大変だった。

 

 あれくらいやらないと魔大陸から帰ってくるなんて無理な話だよね、と納得してしまうほどに。

 

 「もし良かったら腕とか触らせてもらえないかな?」

 「どうぞどうぞ、俺のなんかでよければ」

 

 ずい、と差し出された腕は子供の頃に散々見た腕とは当然比較にならないほど逞しい。

 どうせならこの腕で抱き締めてくれたりすると最高に嬉しいんだろうけど、そんな事を言ったら怪しまれてしまうので言えない。

 ゆっくりでも、着実に、距離を取り戻して行こう。

 こういうのは焦っちゃダメだ。

 

 アリエル様やルークに言ったら『言い訳がましい』なんて言われそうだなあ。

 

 「うわ、すっごく硬いね……」

 「動かしたりも出来ますよ」

 

 ルディがそう言うと、ボクの触れている腕の筋肉がまるで別の生き物のようにピョコピョコと跳ねる。

 同じ人間の腕とは思えないや。

 

 「こんなにガッシリした腕初めてだよ……ボクのお父さんでもこんな風じゃなかったと思うな」

 「護衛仲間の……ええと、ルーク先輩なんかはどうです?」

 「ルークなんか全然だよ。一応剣士だけど、ルーデウス君と力比べしても敵わないと思うな」

 

 ルークは女を抱くのに余分な筋肉なんか要らないとか言いそうだし。

 ……そういえば、ジュリちゃんを買いに行った時、ルディは経験があるって言ってたっけ。

 

 ルークほどじゃ無いみたいだけど……ルディが色んな女の子とそういう事をしてるっていうのは……なんかイヤだな。

 別に今のボクはそういう事を口出し出来る立場にいないんだけど。

 

 「別にルーク先輩とどうこうするつもりはありませんよ」

 「分かってるよ。何か起きちゃった時はボクなんかが言わなくてもルーデウス君は遠慮しないでしょ?」

 「そりゃ俺だって我が身は可愛いですけどね…………アリエル王女に刃向かうつもりはありませんから」

 「ん、それも分かってる」

 

 ●

 

 最近のシルフィは感情がコロコロと移り変わり、実に可愛らしい。

 これが本来の彼女の姿なのだろうな、と思うのだけれど。

 

 「……何故さっきから自分の腕を触っているの?」

 「だって……ルディの腕が凄かったんですよアリエル様。肩まで触らせてもらうのは近付き過ぎかなあ、と思って」

 

 思わず二人同時にため息が出た。

 

 一方は思い出しの恋煩い。

 一方は進展の遅すぎる恋愛を端から応援していて出てしまったものです。

 

 「ルークに腕だけ貸してもらってはどうです?」

 「ルークの腕じゃ全然ダメです。あと、男の子である分余計むなしくなっちゃいそうで」

 

 腕まで触れたのなら肩も胸も大して変わらないだろうと思うのはやはり経験の有無なのでしょうか。

 

 さりげなく扱き下ろされているルークは哀れではあるが、シルフィにはルーデウスしか見えていないので仕方の無いこと。

 

 「こんな事ではいつになったら抱き締めてもらえるのでしょうね」

 「……そんな事になったら」

 「なったら?」

 「爆発するとおもいます」

 「感情が?」

 「体がです」

 

 何故。

 

 「彼の目の前で転ぶフリでもしてみてはどうでしょう。手を引かれてあわよくば──」

 「もし見捨てられたら?」

 「……彼がそんな事すると思うのですか?」

 「大丈夫、だと、思いますけど」

 

 だったら頑張りなさい、と言ってもシルフィはやれないでしょうね。

 

 「案の1つ──程度に考えておけばいいでしょう」

 「はい……」



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郷愁

 お風呂から上がった俺の最初の仕事はクリスの髪を乾かす事だ。

 別にクリスに限った事じゃないけれど、髪を濡らしたままでは風邪を引いてしまうかもしれないしな。

 

 クリスは一緒にお風呂に入ってくれる事が多いから俺が髪を乾かす事が多い。

 ルーシーやララは魔術の練習も兼ねて自分で髪を乾かしているからルーデウス式ハンドドライヤーの出番は少ない。

 ルーシーは完璧にやろうとしているみたいだけど、人間そうはいかないもんで、端から見ててもうちょっと乾かした方がいいかな、なんて時はこっそり手伝ってあげたりもする。

 

 ただ、最近のルーシーはもう俺とお風呂に入ってくれないし、俺が髪を乾かしてるのを手伝っている事に気がつくと、ちょっと悲しそうに「ありがとう」と言うのだ。

 

 なんでだろう。

 思春期の延長線で考えればいいのだろうか。

 子供ってのは難しいな。

 

 ララは……多分めんどくさがってるだけだと思う。

 ある程度やってから、パパやってと近付いてきたり、シルフィやロキシーがいない時は最初から俺に頼んできたりする。

 そして俺は娘の髪を乾かしてしまう。

 ちょろいとでも何とでも言え。

 父親なんてそんなもんなんだよ。

 自分がそうなるとは思わなかったけど。

 

 ●

 

 今日は普段と順番が逆となり、子供達を始めとしてお風呂に入ってから夕飯の席につく人が多い。

 お陰で部屋の空気が全体的にしっとりしている。

 いまだに雨が降り続いている外に比べれば光源を兼ねた暖炉の火で多少乾いているが、なんていうか『いい雰囲気』の時のような空気感がある。

 これくらいでソワソワするような年でもないけどな。

 子供達もいるし。

 

 「今日は皆帰ってくるのが早かったね」

 

 子供達を引き連れていたエリスに、学校組の三人と一匹、大した仕事が無かったので研究の方に勤しんでいた俺。

 皆、普段より少し早めの日暮れ前には家に辿り着いていた。

 

 「雨の匂いがしたのよ」

 

 雨が降りそうな時に感じるアレだ。

 確かシュプレヒコールみたいなみたいな名前が付いていて科学的に解明されていたような気がするが……。

 パソコンや携帯は当然手元にないので調べようがない。

 この世界に来て雨の日にあの匂いを嗅いだ時、こういうのはこの世界でも同じなんだ、ってちょっと安心したっけか。

 

 雨の匂いに気付けたのはいいけど、結局皆濡れ鼠って訳だ。

 自分を乾かすのが苦手な人から風呂へ放り込まれる。

 だから俺は最後。

 旦那様だから一番に入れてくれ、なんてワガママは言わない。

 

 でも、エリスが一番最初にお風呂に入ったんだから旦那様が一番風呂を頂いた事になるのかしら。

 旦那様に従えられてお風呂に入るなんて……一緒に寝た翌日の朝くらいかしら。

 

 「エリスも雨の匂いとか分かるんだね」

 「ルーデウスに教えてもらったんだから当然よ!」

 

 旅の途中で「気付ける様になると便利なハズですよ」と言った気がするが、ルイジェルドにもレクチャーを受けていたような気がする。

 やはり亀の甲より年の功よな。

 見た目じゃ分からんけど。

 

 ……グレートトータスってどれくらい長生きなんだろう。

 

 「その、アリエル様やルークみたいにイマイチ理解してくれない人もいたからさ」

 

 エリスは凄いね、とシルフィが誉めてエリスが胸を張る。

 相変わらず年齢のひっくり返った姉妹のようだ。

 

 まあ王族である本物のお嬢様と貴族なのに山猿呼ばわりされてた名ばかりお嬢様の違いよな。

 もちろん俺は出会えたお嬢様がエリスだった事に感謝してるけど。

 

 「お、クリス寝ちゃったか」

 

 俺の膝を専用席にしたお嬢様は、風呂上がりに髪を乾かしている時から温風にやられて少し眠そうであったが、ご飯を食べてとうとうノックアウトと言うわけだ。

 ちょっと涎も垂れている所を見ると、パパのお膝は大変快適であったと思われる。

 

 「寝室に運んでくるよ」

 「手伝うわ!」

 

 誉められて気分の良いエリスが協力を申し出る。

 自分が産んだ子だから、という意味はないだろう。

 エリスはそういう事なんか気にしない。

 もちろん、シルフィとロキシーもだけど。

 

 ●

 

 俺は俺と会う以前の──9歳より前のエリスと会った事はないけれど、クリスの寝顔を見ていれば、きっとこんな顔でサウロス様に抱かれていたんだろうな、と想像がつく。

 フィリップ様やヒルダ様も思い出すと懐かしさが溢れてくる。

 アルスはすっかりやんちゃな男の子になって、俺やパウロに似て少々スケベ気味だが、案外この子がボレアス寄りに成長したりしないだろうか。

 

 「なるべく山猿にはなってくれるなよ……」

 

 ちょろりと伸びてきた母親譲りの赤い髪を顔にかからないように払ってやる。

 親の贔屓目を除いても、将来は間違いなく美人になると思う。

 

 「……ルーデウス」

 「はい」

 

 イントネーションが重いせいで、声が少し裏返った。

 まあ寝てるとはいえ娘の目の前でね、昔の嫌な話をしたのはまずかったよね。

 

 「この子は大丈夫よ」

 

 怒った訳ではないらしい。

 確かに、娘を優しく見つめる母親の顔をしている。

 

 「私とルーデウスの子だもの」

 

 エリスの言葉は迷いが無く自信に満ちていて、妙に説得力がある。

 彼女はいつもそうだった。

 

 「……そうだな」

 

 道を違えそうになったなら正してあげればいい。

 妻の家庭教師が務まったならその娘の先生もきっと出来るはずだ。

 だからもしエリスがあんまり聞かれたくない昔の話が有ったとしても「赤ママの小さい頃ってどんな風だったの?」と聞かれたら俺は素直に話してしまうだろう。

 そして誰かがエリスと喧嘩した時にでも山猿という言葉がポロッとこぼれてしまうのだ。

 その時は俺も一緒に謝るから、どうかパンチ一発で許して下さいお願いします何でもしますから!



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長女

 雪国に住んでるからといって、雪に慣れはしても寒さに耐性が付くわけではない。

 よその地域に比べて暖房施設が充実しているくらいだ。

 

 朝のランニングも準備を怠る訳にはいかない。

 魔術でぬるめの空気を作り出しつつ、走っても大丈夫な程度に準備運動をして、筋肉を暖める。

 ケガくらい簡単に治せるからといって、こういう所で手を抜いてはいけない。

 恐らく年をとったら体に響いてくる事もあるだろう。

 

 そう思うと腕辺りが心配である。

 何度切られて義手にポジションを奪われても、腐る事なく蜥蜴の尻尾のように蘇るハルクとヘラクレス。

 別名右腕と左腕。

 二人がいなければ嫁のお山を登頂するのにも難儀したものだ。

 

 もちろん義手に罪はない。

 ザリフの義手──籠手になってしまったが──とアトーフェハンドはよくやってくれた。

 それでもルーデウス成分百パーセントのおててには敵わないのだ。

 

 そんな事を考えながら今日も元気に野を越え山を越え。

 普段通りに街の周りを、少しキツいと思うくらいの所まで走ってきた。

 自分の体をいじめるのにもすっかり慣れたもんだ。

 さあ後は家の庭で筋トレ、素振りに型稽古……と。

 

 誰かが玄関の前にいる。

 俺を待っていたのだろうか。

 ……考えすぎか。

 

 「おはよう、ルーシー」

 「おはよう…………ございます」

 

 ございますて。

 

 わざわざ玄関の横で膝抱えて顔伏せて寒さに耐えながらパパの事待ってましたみたいな態度とっておいてそういう事言っちゃうのかい?

 それなら俺だって何にもなかったように筋トレ始めちゃうもんね!

 

 ●

 

 結局全部終わるまでルーシーは話しかけて来なかった。

 途中、視線はかなり感じたけれど、振り向くのがなんか悔しかったので気にせずに体を動かし続けた。

 

 空気は二つの意味で冷えている。

 体から湯気が出て、まるで巨人みたいだな、なんて冗談を抜かす余裕もない。

 

 「ねえパパ」

 「なんだよ」

 「久しぶりに家に帰って来た娘に何か言うことはないの……ですか」

 「距離を感じるから敬語はやめて欲しい」

 「これくらいいいでしょ!」

 

 よくない。

 

 反抗期を乗り越えて、花嫁姿を見届けて、可愛い孫まで見せてくれたのに長女がそんな他人行儀だなんてパパ許しませんよ。

 

 「こういう話し方のほうがパパは凄い人なんだって周りの人も分かるでしょ」

 「パパはすごくなくていいからルーシーと昔みたいに近くで喋りたい」

 「じゃあこっちに座ってもいいからちゃんと汗拭いて」

 

 風邪なんかひいてママ達を心配させちゃダメだからね、といって俺の事を気遣ってくれるあたり、やっぱりシルフィの子だ。

 

 「そういえばクライブ君達は?」

 「まだ寝てる。ボクが早く起きちゃっただけ」

 「そっか」

 

 イマイチ会話が弾まない。

 父親と娘の会話なんてそんなものだろうか。

 でも他の皆はがっつり甘えてくるし……打算も込みだろうけど。

 

 「パパさ」

 「んー?」

 「あんまり頑張り過ぎちゃダメだよ?」

 「そりゃまた難しいな……」

 

 娘が心配してくれるのは素直に嬉しい。

 俺もそれだけ年を取ったって事か。

 爺デウスになるのもきっとあっというまだ。

 …………孫がいるんだからもうお爺ちゃんだったな。

 

 「俺はさ、ルーシー。あの時もっと頑張っておけば良かった、って後悔するのが怖いんだよ」

 「……でも人間生きてれば後悔する事なんていくらでもあるでしょ?」

 

 ルーシーにとっては反抗期の形がそれにあたるのだろうか。

 今なら言えるけど、父親と娘なんてそういうもんじゃねえかな。

 

 「そりゃあ、俺だって心が折れそうになった事はいくらでもあるよ」

 

 自分が人を傷付けた事実に耐えきれなくなって首を掻き切ろうとした事もある。

 止めてくれる人がいたお陰で今の俺がいるわけだけど。

 元気かなアイツ……。

 俺に孫まで出来たなんて聞いたら驚くだろうし、出来れば死んでてほしくないんだけど。

 

 「そういう時には……俺、誰かに助けてもらってばっかなんだけど、そしたらまた『頑張らなきゃ』って思っちゃうんだよ」

 

 それでも後悔する事は増え続けるんだけど。

 憂鬱だぜ。

 

 「だからルーシーも、とりあえず色んな人と仲良くしときなさい。敵なんか作っても良いことないからね」

 「……うん」

 

 ●

 

 「ルー姉は甘えるのが下手っぴだね」

 

 パパが汗を流しに行って、さあ朝食の準備をしましょうかって時にララが突然そんな事を言ってきた。

 

 「せっかく皆が気を使って二人きりにしてあげのにさ」

 

 ウンウンと皆が頷く。

 そういえば今日に限って誰も寝坊していない。

 

 「だいたい、パパが一人で走りに行ってる時点で何か変だと思わなかった?」

 

 言われてみれば、朝のランニングにアルスもジークもレオも、赤ママすらいなかった。

 朝目覚めたばかりの頭では気にしてなかったけれど、我が家でそんな事があるわけがないのだ。

 

 「どうせルー姉の事だから家族で集まった初日とかにパパに甘えとかないと踏ん切りがつかなくて、最後まで何もせずにミリスに戻っちゃってハイ来年、ってなるだろうから皆で気を回したのに……」

 

 やれやれといった感じのジェスチャーがムカつくけれど、ララの言った通りになる可能性はあったと思う。

 別にパパの事が嫌いとか苦手とか、そういう感情はないけれど…………なんというか、遠慮してしまう。

 

 「クリスやララみたいにガバッと抱きついちゃえばよかったのに」

 「ねー」

 

 白ママとリリがそんな事を言い合って、クライブ君まで横で頷いている。

 ウチの旦那様の最も尊敬する魔術師は昔からボクのパパ……ルーデウス叔父様なんだけど、ここはちょっと嫉妬とかしてもいいところなんじゃないのかな。

 

 「そんな事恥ずかしくて出来ないよ……」

 「なんでよ」

 

 赤ママの顔には本気で分からないわ、って書いてある。

 パパは「エリスの照れた顔ってのは最高に可愛いんだぜ」っていうけど、赤ママが照れた所なんて、ボクは見たことがない。

 

 「はいはい、ママはこっち手伝ってねー」

 「ちょ、なんでよクリス!」

 

 ありがとう助け船クリス。

 クリスも最近パパに抱きつくの恥ずかしくなってきたって言ってたもんね。

 

 「まあその、なんです」

 

 青ママは相変わらず小さいまんまだ。

 小さいまんまだけれど、ちゃんと先生らしくボク達を導いてくれる。

 

 「どんなに年を重ねても親にとって子供はいつまでも子供なのです」

 

 つまり。

 

 「たまには甘えてあげるとルディも喜ぶと思いますよ?」

 

 ●

 

 熱めのお湯で体をサッパリさせていざ朝食へ向かう。

 やはり風呂は最高の文化だ。

 

 風邪を引かないように髪を乾かして……括るのは後でいいか。

 ロングヘアーなルーデウスも悪くない。

 あんまりいい匂いを撒き散らかしているとエリスがソワソワしだすかもしれんが。

 

 「……と、ルーシーか。どした?」

 

 脱衣場を出てすぐ。

 どうやら今日はルーシーが俺を待ち構えている日らしい。

 

 「……パパ今日時間ありますか」

 「暇……のはずだけど」

 

 仕事が無いのは確認してある。

 家族と過ごす時間を確保してくれるあたり、オルステッド・コーポレーションはホワイトだと思う。

 まあ俺他に企業勤めなんかしたことないけどな!

 

 「お買い物とか……行きませんか」

 「おう……いいけど」

 「じゃあその……ご飯食べたら準備しといてね」

 「おうよ」

 

 ルーシーとお買い物。

 初めてじゃないのに何だか気恥ずかしいな。

 これも父親の特権というやつだろうか。

 

 ●

 

 朝食の席についたら、ルーシーの顔は少しだけ赤くなっていて、皆がニコニコしていた。

 こういう所はまだまだ世話のかかるお姉ちゃんってトコかな。



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言葉遣い

 我が家──グレイラット家──が子供達に課した教育方針として、7歳でラノア魔法大学へ一般生徒として入学させ、卒業と成人を迎えた後、アスラ王立学校へ3年通うというものがある。

 

 つまり何事もなく大学を7年で卒業出来れば1年ほどの長期休暇を手に入れる事が出来るのだ。

 

 それが末っ子コンビの番に回ってきたのだが。

 

 ●

 

 「もうやだルー姉がいじめる!!」

 「なっ……!? いじめてなんかないよ!」

 

 パパクリス捕まえて! と怒号ぎみの声がルーシーから飛び出す。

 パパとしてはご近所さんに心配されないか心配だけれども。

 

 「ほらクリス、ルーシーもお姉ちゃんとして心配だから、クリスがアスラで失敗しても大丈夫なように付き合ってくれてるんだから──」

 「……パパは私の事捕まえるの?」

 「どうぞお逃げください」

 

 末っ子の愛嬌に勝てなかった俺に娘達の叱責と感謝の声が同時に飛び込む。

 

 ごめんルーシー、クリスもお前と同じ愛娘である以上両方に助けを求められたらパパは逃げの選択を選ぶしかないのだ。

 庭先で追いかけっこでもしておくれ。

 

 「すまんな、クライブ君。せっかくの休暇に嫁を取り上げるような真似をして」

 

 長女と末っ子のやり取りを見ていたであろう、彼に謝罪をしておく。

 父と同じくミリス教団の神父となったとはいえ、未だに毎年家に顔を出してくれる程にフットワークが軽い。

 

 「気にしないでくださいおじさん。クリスティーナは僕にとっても妹のようなものですし、彼女の為に協力は惜しみませんよ」

 

 実際義妹だしな。

 クライブ君は小さい頃からウチの家族と一緒にいたせいで少々7人兄弟みたいな所もあるし。

 

 「ところでリリちゃんは一緒に勉強しておかなくてよいのですか? 彼女はクリスティーナと同い年でしたよね」

 「あー……」

 

 説明すればクライブ君はすぐに理解してくれた。

 リリの集中力が一点に向きすぎているせいで、周りに対する認識が疎かになる事が多々あるということを。

 

 ようやく憧れの地に行っても、周りの見えないリリが側にいればクリスは彼女を守る為に動くだろう。

 それはおそらく二人の為にならない。

 

 なのでリリだけは進路が違う。

 関心がある魔道具について触れて学び創ってもらう為にザノバに預かってもらう事にした。

 リリ本人にもそっちの方がいい、というちゃんとした意志があったし。

 ザノバもリリのように感覚の尖った子は好きらしく、お互い知った顔でもある故に重宝されているようだ。

 ジュリも付き合いの長い妹分と一緒に働けて嬉しそうだし。

 

 「こういう柔軟な対応が出来るようになったのも経験の力なのかね」

 「おじさんは昔から変わらず凄いままだと思いますよ」

 「俺なんかよりクリフ先輩の方がよっぽど凄いと思うけどね」

 「父が聞いたらきっと喜びますよ」

 

 よせよルーデウス、とか言うんだろうな。

 酒が入ってたらお互いのヨイショ止まらなくなるだろう。

 ところでウチの娘達はいつまで追いかけっこしているのだろうか。

 とか思った矢先。

 

 「クリスを捕まえたわ!」

 

 やはり母は強しと言うことか。

 

 ●

 

 「クリスが嫌がって逃げ出すような勉強って何なんだ?」

 「礼儀作法」

 

 ルーシーの言葉を聞いて、やはり血は争えないかと思いながらエリスの方を見たが、どうかしたかと言わんばかりの表情だったので、子供の頃の勉強の日々は忘れたんだろうなと諦める事にした。

 

 とはいえエリスも礼儀作法は体に染み付くまでに覚えさせられたのだ。

 少し思い出させてやれば、困ることはなかった。

 ズボンを履いているのに、無いはずのスカートを摘まんで挨拶してた事もあったし。

 

 「最低限パパの娘として恥ずかしくないようにはしないとダメでしょ!」

 

 そういうルーシーの雰囲気は怒っている時のシルフィそっくりである。

 当然逆らえるはずもなくクリスは俺にタ・ス・ケ・テのサインを送ってくるのだが。

 

 「パパの事なんか別に気にしなくてもいいけどなあ」

 

 そういう事の必要性が分かるのは、自分自身が挑戦して失敗でもしてみないと分からないだろうし。

 その為の学校なんだし。

 

 「いい訳ないでしょ! パパは静かにしてて!!」

 「はい」

 

 妻に逆らえるハズもなく、その次は娘に逆らえなくなっていく。

 夫であり父であるという事はこういう事なのだ。

 救出作戦は失敗。

 諦めてくれクリス。

 

 「言葉ひとつで馬鹿にされる事だってあるんだから……」

 

 それはシルフィからルーシーへと受け継がれた教え。

 正確にはフィッツ先輩か。

 

 フィッツ先輩は俺と話す時に、自分の事を『ボク』と言っていた。

 それはシルフィが俺の事を──あの時点では一方的ではあるが──分かっていたからだ。

 

 アリエル王女達の前でも『ボク』と言っていた。

 でもそれは彼女たちが親しかったからだ。

 

 公的な場──貴族のパーティー等では『わたし』を使っていたらしい。

 

 ボクっ子になんという仕打ちを!

 と、当時の俺が知れば憤慨しただろうが、これはシルフィが選んだ処世術である。

 外野だった俺は黙ってろってこった。

 

 そして娘は母を真似る。

 とはいえボクっ子は希少な存在だ。

 とやかく言うやつもいただろう。

 それで母を倣って使い分けをした。

 

 親しい人の前では『ボク』

 そうでない人の前では『わたし』と。

 

 こんなに綺麗な親子に揃って気を使わせるなんて嫌な世の中だ。

 これも全てヒトガミって奴の仕業に違いない。

 

 ルーシーに何があったかなんて掘り起こそうとは思わない。

 そんな事聞かれたくないだろうし、嫌な思い出ほど簡単に甦るのは俺自身がよく分かっている。

 思い出すのなんて綺麗な思い出だけで充分だ。

 

 「まあ、その、向こうに行ったら本物の王子様とかが居るのは本当だ。そういう人とも仲良くなるつもりならルーシーの話は聞いといた方がいいと思う」

 

 出来るだけネガティブな言い方はしないようにした。

 エリスは「私達の子なんだから大丈夫よ」とか言って手伝ってくれないだろうし、悪い印象を与えたくはないし。

 

 というか、クリスにアスラは結構大変な所なんだぞ、と説明したけれど笑い飛ばされちゃうし。

 

 だったらもう自身の目で確かめてもらうしかないじゃない。

 それでも身を守る術は必要じゃない。

 心配性と言われてもいいじゃない。

 愛と言う名の親心じゃない。

 

 「そっか、それもそうだよね」

 

 じゃあいっちょ頑張りますか! と、切り替えの調子の良さは母親譲りである。

 俺みたいにウジウジと悩まないのは良いことだ。

 

 ルーシーも「ありがと」と口だけを動かして伝えてくるので気にするな、と手を振っておく。

 

 ウチの最後のお姫様の先行きが明るいといいんだけれどな。



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四女と黒狼

 「ママの稽古は厳しすぎるもん!」

 

 もん! とか言っちゃう娘の可愛い声が聞こえたお陰で昼寝から意識が戻ってきた。

 

 ドタドタと走りまわる二人分の音が庭先から家の中へ入ってくる。

 こうなったら状況は一方的になる可能性が高い。

 逃げる側──多分声の感じからしてクリスだろう──が有利になる。

 

 何故か。

 エリスが室内で全力で走れないからである。

 

 つい全力で走って、家を壊す訳はない。

 そういう制御は当然出来る。

 でも誰がどこから飛び出してくるか分からない。

 子供はどんな動きをするか想像もつかない。

 

 ただ捕まえるだけでいいなら、エリスは壁でも抜けばいい。

 怒られる人数が増えるのが分かっているからやらないけれど。

 

 「あ! パパ助けて!!」

 

 案の定逃走犯だったクリスは、俺の顔を見た途端にこわばっていた表情を綻ばせて飛び付いてきた。

 よしよしいい子だ。

 でもパパは家族の味方なんだ。

 つまりエリスの味方でもある。

 

 「クリスティーナを渡しなさい」

 

 追い付いてきたエリスは汗ひとつかくことなく、髪を払ってそう言う。

 なんでもない仕草が一々カッコいいんだから。

 

 「まあまあ、待てよエリス」

 

 とりあえずお互いの言い分を聞こうではないか。

 

 「別に……皆と同じように剣を教えていただけよ」

 

 外ではルーシーが皆をまとめており『ちょっと休憩にしよっか』なんて声が聞こえてくる。

 お姉ちゃんしてて偉いぞう。

 

 「絶対私だけ厳しかった!」

 「そんな事ないわよ!」

 

 そっくりな二人の顔が、互いに『私を信じてよ!』と俺の顔を見つめてくる。

 ここでどちらか片方の味方をする訳にはいかない。

 どちらの信頼も裏切りたくないから。

 

 「じゃあこうしよう」

 

 ●

 

 クリスはサボり癖がある訳じゃない。

 サボり癖があるのはどちらかと言えばララの方だと思う。

 上手いこと、怒られないギリギリの線を攻めつつ、だ。

 

 クリスは剣と母が嫌いな訳ではない。

 疲れた、と主張する声が大きくなっただけだったのだろう。

 なのでご機嫌とりも兼ねて、俺が家に居るときは一緒に剣を教えてやる事にしました。

 エリスに比べたらへっぽこ剣士だけど、これで少しは父親らしい事が出来るってもんよ。

 

 後もう一押し。

 

 ●

 

 『赤ママのお師匠様!?』

 

 エリスにも使った昔話戦法である。

 

 「まあ、あたしもこんな年だからな。今じゃすっかりエリスの方が強いぞ」

 

 アリエルにお願いしてギレーヌをお借りしました。

 エリスに昔の事をギレーヌのように語らせようとしても、多分「覚えてないわ!」と言われると思ったのでこういう手段をとらせてもらった。

 

 まあ、ギレーヌもゼニスやエリスに会えるし丁度いいかなあと思ったし、だんだんエリスに似てきたクリスをギレーヌに見せてやりたいとも思ったのだ。

 実際、目に見えて分かるほど尻尾が嬉しそうに動いていた。

 子供の頃のエリスを思い出したのだろう。

 中身は全然違うけど。

 

 他の子達の剣を見てもらうのもいい。

 ジークなんかは北神流でもあるし。

 

 俺とエリスは昔の恥ずかしい話をほじくり返されるかもしれないが、これも必要な事さ。

 エリスは俺がなだめればいい。

 

 それで母と娘の距離が縮まるならお釣りが来る。

 

 ●

 

 ギレーヌはいつの間にか子供達だけじゃなくて、シルフィやロキシーからも質問を受けていた。

 

 俺がエリスの昔話をしようとすると、怒られる事もあるが、ギレーヌではそうならない。

 

 顔色が真っ赤な髪の色に近付いていってもエリスが動かないのを見ていると、こういう所もちゃんと大人になったんだなあ、と思う。

 反動でガッツリ搾られる気がするが。

 

 もういいでしょ! とエリスが言っても皆からブーイングが帰ってくるので、ギレーヌの話は終わらない。

 

 結局ギレーヌの昔話は、俺がエリスを抑えきれなくなるまで続いた。

 

 ●

 

 「私もママみたいに誰かを守るために剣をとるのかな」

 

 もうパパと一緒にお風呂に入りたくない、とか言われそうなもんだと思うけれど、クリスは何だかそうでもないようで、今日の事を振り返るのに夢中のようだ。

 

 自分の知らない事を聞いて、成長しようという娘の意志が見れてパパは嬉しいよ。

 

 「どうかな、パパは強制しないけど」

 

 うん、と応えるクリスの声はまだ答えを求めているようだ。

 

 「少なくとも友達や家族を守ってあげる事は出来ると思うよ」

 「友達……」

 「そう、友達」

 

 俺が学校や街でクリスを見かけると、大概大勢の友人と一緒に居るのをみかけた。

 

 気に入らない物を全て力でねじ伏せてきた母とは逆に、この子は人を引き寄せる自分の魅力を素直に使いこなしているらしい。

 

 エリスも子供の頃、魔大陸とかでモテモテではあったし。

 そう思うとエリスに選んでもらった俺は実に幸運であると言える。

 

 「そしたらいつかクリスにも本当に守りたい人が見つかると思う」

 「……そうかな」

 「そうだよ」

 

 そうなったら一発くらい相手の男を殴らせてほしいね。

 娘をやるんだからそれくらいはさ。

 

 「じゃあ、ルー姉じゃないけど、パパが恥ずかしくないと思うくらい、とりあえず頑張ってみる」

 「無理はするなよ?」

 「私、パパの娘だよ? だいじょーぶだって!」



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鼻呼吸

 「……何をやっているんですか」

 

 普段よりジト目成分マシマシのロキシーが、仕事を終えて帰宅した直後のまだ帽子も被ったままの状態で俺を見つけて発した第一声がこれです。

 冷たくないですか?

 

 いつもならただいまの挨拶の後、静かに俺の胸に飛び込んできて「今日も疲れました」と言って、子供の様に頭を撫でられるのだ。

 

 そのロキシーが少し冷たい様子を見せるのは何故か。

 

 「餌付けの練習です」

 「自分の娘にですか?」

 

 正確には作業中の娘の口に甘いものを放り込む練習である。

 

 ロキシーとの会話に気を取られてしまったせいで、糖分の供給が途切れた事に気が付いたリリが、口を開けたまま唸って抗議をしてくる。

 

 「ほいほい、ごめんなさいね」

 

 今回のお土産はリリお嬢様のお気に召したらしい。

 食べさせ過ぎて夕食に支障が出たら俺が怒られるんだろうなあ。

 

 「リリ。あなた、全て一人で食べてしまうつもりですか?」

 「ダメですか?」

 「ダメです! ルディのお土産は家族皆の為に買ってきてくれた物なんですからね!」

 「ちぇー」

 

 相変わらず会話の見た目が親子ではなく姉妹だ。

 二人の様子を見ているだけで俺は幸せになれる。

 

 「では次はわたしの番ですね」

 

 なんと。

 

 ●

 

 「これは……花ですか?」

 

 真っ白になってしまった花びらをロキシーが摘まむ。

 

 「食用花の砂糖漬けですね。溶けてドロドロになってしまわないよう、冷やして持って帰って来ました」

 

 鼻を数回、スンスンと鳴らして匂いを採集しようと試みたロキシーであったが、花の残り香とは遭遇出来なかったようである。

 デザートらしいハッキリとした甘い匂いもしないので、花を口へ運ぶ表情には未だに疑いの様子が残っている。

 ちゃんと甘いのに。

 

 「これは……なんといいますか……思っていたより控えめな甘さですね……」

 「アイシャみたいに甘いものが苦手な人でも食べれる程度の甘さらしいですからね」

 

 控え目な和菓子のような味わいだ。

 緑茶が恋しい。

 

 「わたしとしてはもう少し甘くてもいいのですが……」

 

 神が求めていたのは洋菓子であった。

 しかし、抜かりはない。

 

 「そう言うと思って別の物も用意してあります」

 

 ママばっかりずるーい、リリの分もちゃんと用意してあるはずですよ、との事。

 神と天使の戯れである。

 俺が貴族であったのなら、間違いなくこの風景を絵にして残そうと画家を呼びつけていただろう。

 

 「こちらも花なのですが……」

 「今回は花ばかりなのですね」

 「出先が花の名産地だったものですから」

 

 取り出したるは根も葉も、茎すら無く綺麗なままの合弁花。

 それを一人一つづつ手渡す。

 

 「これは飲み物です」

 

 二人揃って目を見開き、俺の顔を見て、もう一度花を見た。

 うーん親子。

 

 「この……えっと、花をそのまま飲むのですか?」

 「もちろん違います。だからリリも丸ごと口に含もうとしちゃダメだぞ」

 

 リリは幾つになっても何をしでかすか分からないから目が離せない。

 一体誰に似たんだか。

 親の顔が見たいものだ。

 

 「……何でわたしの顔を見つめているのかは知りませんが、説明の続きをお願いします」

 「これは失礼。ロキシーに見とれていました」

 「わたしの顔なんか普段から見ているじゃないですか」

 「普段から見ているからといって、絶対に飽きたりしないですからね」

 「それは嬉しいですが……」

 

 ロキシーが顔を赤らめてモニョモニョしている横でリリが呆れて膨れている。

 両親のイチャつきなんか子供は見たくないだろうし、さっさと次に進もう。

 

 「これは花の下から蜜を飲むのです」

 「蜜を」

 「はい。飲みだしてから口を離すとそこで終わりなのでしっかり息を吐いてから口をつけるようにしてくださいね」

 

 三人同時に口をつけて、リリだけが早く口を離してしまった。

 俺とロキシーは鼻での呼吸に慣れているので、蜜を最後まで綺麗に吸い取る事が出来る。

 

 「蜜を吸い終わると花が萎れるように出来ているのですね」

 「花弁の中にも蜜が貯まる様に出来ているからこうなるそうです。見た目が肉厚でないのでなんとも不思議ですが……」

 

 見た目は悪いが、甘いものが欲しい時に花一輪で満足出来るという訳だ。

 

 庭先にこの花があったらロキシーは間違いなく喜ぶだろう。

 蜜の無いハズレ花も無いらしいし。

 

 ただし、リリのように最後まで飲み干せないとめんどくさい事になる。

 

 「この花ベトベトしてきました……」

 

 行き場をなくした蜜が花から噴き出してくるという訳だ。

 

 「空気に触れた蜜は甘くなくなっちゃうから、舐めずに洗ってきなさい」

 「はーい……」

 

 ところがそれを上手く利用した物が存在する。

 勿体ない精神とはどこにでもあるもんだ。

 こちらは夕食の後にでも出そう。

 

 ●

 

 「こちらが先程の花を漬け込んで作られたお酒でございます」

 

 食後のデザートに花蜜を配った後に酒……。

 少々水分が多めになってしまった。

 夕食に入っていたあぶり肉で味のバランスはとれるかもしれないが、栄養のバランスが片寄ってしまいそうだ。

 明日は皆体を動かさなければならないだろう。

 

 「この花蜜酒も甘いのですか?」

 「どうでしょうかね……飲みやすいとは聞きましたが」

 

 酒の方は花と違って注意する事もないらしいので試飲していない。

 何かあれば解毒すればいいだけさ。

 

 「お兄ちゃん今日のお土産分かりやすすぎだよね」

 「へ?」

 「ロキシー先生の好きなものって事です。そういう事だよね?」

 「ノルン姉せいかーい」

 

 あと、甘いものとお酒で交互に妹をイジメるのは良くないと思いまーす、と。

 

 「さっきも言ったけど、出先の名産品だっただけで深い意味は無いからな……!」

 

 今日がロキシーの日というのも全くの偶然である。

 ノルンとアイシャが変な事言うからロキシーは真っ赤になっちゃうし、ララは渋い顔してるし。

 

 でもララのやつこんな渋い顔しといてロキシーからバッチリ覗き癖を引き継いでるんだよな……。

 本人はバレてないと思ってやがるし、困ったもんだ。

 

 「それにお前達は俺が帰って来た時家に居るかどうか分からないんだからそうなっちゃうだろ!」

 「あー開き直った!」

 

 珍しく家族皆でお酒飲むんだから余計な事言わないの!

 

 そういえばルイシェリアちゃんも少々顔が赤くなっていた。

 ルイジェルドハウスは素朴な作りであるが、夫婦のプライバシーはしっかり守られているらしい。

 我が家も防御力を上げるべきか。

 

 ●

 

 「だーかーらー! 私はちゃんとアイシャの事好きですからー!」

 「ノルン姉……!」

 

 酒を飲んだノルンはゼニスになる。

 ゼニスも失いさえしなければ今もあんな感じだったのだろうが。

 

 アイシャはリーリャに似るのか、わざとそれっぽくしているのか分からない。

 そしてそのやり取りをすっかりおばあちゃんになったお母様達が微笑ましく見守るのだ。

 

 おまけにお胸が凄い。

 パウロの──ノトス・グレイラットの好みがしっかり反映されている。

 エリスの胸に慣れているとはいえ実に暴力的な光景だ。

 アルスが少々興奮気味なのも仕方あるまい。

 俺は妹に興奮しないけど。

 

 ゼニスとリーリャは流石に酒を飲みこなしている。

 女性に年の功とは言うまい。

 

 「こっちを見てください、ルディ」

 「俺はいつでもロキシーの事を見ていますよ」

 

 ロキシーの顔は赤いし、表情にしまりがない。

 彼女は間違いなくこの中で一番酔っぱらっている。

 

 「ルディはあまり酔いが回っていないようなのでわたしが直々に飲ませてあげようと思いまして」

 「皆酔っぱらっているからって、家族の前で出来ないような飲ませ方はやめてくださいよ?」

 

 とりあえず服さえ脱ぎださなければ大丈夫だと思う。

 ロキシーとわかめがどうこうするお酒の飲み方なんて話した事はないけれど、彼女のバックにはドスケベクイーンことエリナリーゼおばあちゃんがついている。

 何を仕込まれているか分かったもんじゃない。

 

 「では───いきます」

 

 ロキシーは腰に手をあてて、さながら風呂上がりに牛乳を飲むときの正しいスタイルで酒を自分の口に含んだ。

 もう何をしようとしているのか想像出来る。

 

 「ん!」

 

 酒がこぼれると面倒だな、と思ったのでロキシーのちっちゃいお口を覆うように口付ける。

 皆の視線が痛いぜ。

 

 「ふふ……満足……です……」

 

 ロキシーノックアウト。

 ゲロを吐いたりしなくて良かった。

 

 アイシャがアルスに「私たちもアレやろう!」と息巻いていたり、ノルンがここにいない旦那の代わりに娘を抱き寄せる音が聞こえるが、俺にとっては既に遠い世界の出来事だ。

 

 しかしロキシーがやったのならシルフィとエリスも当然続いてくる訳で。

 俺が一番酒に強いけど、今のうちに自分に解毒かけといた方がいいかな……。



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そういうお店

 結婚は人生の墓場と誰かが言う。

 

 かつての俺ならば『そうなんだろうな』と思い込んで、既婚者をバカにしていただろう。

 結婚なんてしたこともない癖に。

 

 今の俺なら鼻で笑ってやれる。

 バカ野郎テメエ、結婚ってのは最高なんだぞ、と。

 

 美人の嫁が三人もいて、子宝にも恵まれて。

 仕事はちょっと忙しいかもだけど、このくらいビヘイリル王国での列強ラッシュを思い出せば屁でもない。

 こんなに幸せだと、あの時みたいに後ろから突然切られたりしそうで怖い。

 

 「ルディ、また怖い顔になってるよ?」

 「あー、ゴメン。ちょっと考え事を……」

 

 社長似と言うよりは、ちょっと真面目な時のパウロみたいな雰囲気で考え事をしていますね、とはリーリャさん談。

 

 久しぶりにシルフィと二人で買い物に出てきたのに俺が変な事を考えるのに夢中になって心配させてはいけない。

 

 買い物と言っても、食料の買い込みだ。

 冬の雪国はラッセルデウスをもってしても外出に難儀する。

 おまけに一族郎党が集まるのだから、普段暮らしの食料では不足してしまう。

 赤髪親子の食べっぷりをナメてはいけないのだ。

 

 「保存食はいつも通り多目に買うとして……今日は卵はどうする?」

 

 この場合の卵とは、俺のソウルフードであるTKGに使われる鶏卵の事を指す。

 例え卵の具合が悪くてお腹を壊しても、解毒さえしてしまえばなんとかなると考えていた頃が俺にもありました。

 

 しかし。

 しかし、だ。

 

 卵に血が混ざったりしているのを見て、俺の世界の卵は恵まれていたのだと知り。

 卵を割ったら黄身と一緒に虫が出てきた瞬間に、そりゃ皆生卵なんか食べないわ、と思ってしまった。

 

 でも俺は選別して食べる。

 だっておいしいもん、卵かけご飯。

 とはいえ。

 

 「今日はいいかな。せっかく皆が家に居るのに、俺だけ違うもの食べてたら寂しいし」

 「ロキシーみたいに夜中にこっそり食べたら?」

 「いや太っちゃうから……」

 

 というかロキシーまたつまみ食いしたのか。

 命に関わる可能性があったというのに……。

 これはお腹を摘まむというお仕置きが必要ですな。

 決して俺がロキシーのお腹を摘まみたい訳ではない。

 

 ●

 

 「あれ?」

 

 両手に食料を抱え込んだ帰り道。

 長くて可愛らしい耳を跳ねさせたシルフィの声色から察するに何かを見つけたらしい。

 

 「今のってジークだよね?」

 

 母から受け継いだ明るい緑色の髪に、姉と同じく少しだけ長く尖った耳。

 二人ともシルフィほどではないが時折耳を跳ねさせているのをみて姉弟だなあと思ったり。

 

 「間違いないだろうね」

 「あんな方に何しに行くんだろう……」

 

 シャリーアが魔術の街と言っても、流石に歓楽街というものが少なからずある。

 治安の良し悪しも、ルード傭兵団が存在するとはいえ当然あるし、少なからず冒険者も出入りする訳で、そういう施設が必用にもなる。

 

 「まあ、ジークもちゃんと男の子だった、って事じゃないかな」

 「え?」

 「ほら、アッチの方ってそういうお店もあるだろ?」

 「…………そういうお店ね」

 

 お金を支払って女性とそういう事をするお店。

 おかしいな、シルフィの様子は怒ってる感じではないんだけど、なんだかちょっと冷えてきた気がする。

 

 「ルディもそういうお店に行った事があるの?」

 「ああいうお店は仲良くなっておくと、普通の人が知らないような情報があったりするから、そういう目的で訪ねた事はある」

 「ふーん」

 

 疑いの視線を感じる。

 シルフィだって『無言のフィッツ』としてアリエルの護衛をしていた時の経験があるから言ってる事がわかるでしょうに……。

 こういう事は担当じゃなかったのかな。

 

 「安心してくれシルフィ! 俺はそういう目的でそういうお店に行った事は──」

 

 あったわ。

 一度だけだけど。

 

 「行った事は、何?」

 「いや、早く家に帰ろうか!」

 「ちょ、ルディ!」

 

 ●

 

 「ただいま帰り──何してるんですかパパ」

 

 久々に実家に顔を出してみれば隅に追いやられ正座で野菜を握りしめる父親の姿。

 この人の事だからまた母さん達とバカな事で喧嘩したんだろうな、と容易に想像が出来てしまうのが悲しい。

 

 「やあ、おかえり、ジーク君。僕はね、今野菜に針を刺しているんだよ」

 「……どうしてそんな事を?」

 「これをすると野菜の持ちがよくなるんだよ。まだ、話した事はなかったかな」

 

 そう話す父の目に輝きはない。

 

 「……パパ」

 「なんだい?」

 「見てて痛々しいのでさっさとママに謝ってきてください」

 

 あと、その喋り方は気持ち悪いのでやめてください、と付け足す。

 

 「……でも俺今回はそんなに悪くないと思うんだよ」

 

 よく見ると父は半泣きになっていた。

 息子にちょっと情けない所を見られても構わないと思うほどの事なのだろうか。

 

 「……ボクも別に怒ってるつもりはないんだけどな。あ、ジークおかえり」

 

 ついでですが、ただいま帰りました。

 

 「ジークさ、今日の昼間どこに行ってたか聞いてもいい?」

 「はあ。今日の昼は昔の知り合いとご飯を食べて、ゆっくりしてたらこんな時間になっちゃったから、晩御飯は家族といっしょに食べる、って言って別れて来たけど」

 

 それが今のパパと関係あるのだろうか。

 

 「……変なお店とか行ってない?」

 「……変なお店とは?」

 「……お金を払って女の人とお風呂に入るお店みたいな」

 「行かないですよそんな所……。行ったこともないです」

 

 なんでパパはそんな事を聞くんだろう。

 

 「もしかしてパパがそういうお店に行った事があるかないかで揉めてるんですか?」

 

 白髪の母が静かに笑顔を作るのを見て、僕の中の緊張感はすっ飛んでいった。

 

 ●

 

 「という訳でバカな事でシルフィ姉を怒らせてるお兄ちゃんの公開処刑をしながら晩御飯になりまーす」

 「おい、バカな事とか言うなアイシャ。俺は本気で気にしてるんだぞ」

 

 どうしてこうなった。

 それは俺がさっさとシルフィにゲロってしまわなかったからだよ。

 

 ここまで来たらもはや逃れられる事は出来ない。

 二十年以上も前の恥ずかしい話を、家族に聞かせなければならないのだ。

 説明の過程でここにはいない元カノの話をする必要もあるだろう。

 ……死にたい。

 

 「……とりあえず隠してた理由から自白すれば良いでしょうか」

 「ボクはそれよりもなんで隠してたのかを聞かせてほしい」

 「……というと?」

 「別にそういうお店に行った事自体はどうでもいいんだよ。仕事で必用だったのならそれでもいいし。でもそれを教えてもらえなかったのはボクがまだまだ信頼されてないからなのかな、と思っちゃってさ……」

 

 俺のしょうもないプライドがシルフィにそこまで考えさせてしまっていたとは。

 あの場でさらりと白状しておくべきだった。

 

 「その……そういうお店に行ったのはシルフィと再会するよりも前の冒険者の頃でさ」

 「……もしかして一人で旅してた頃?」

 

 察したであろうシルフィに、静かに頷く。

 あの頃の俺が戦闘不能であった事を思い出してくれたようだ。

 

 「ボクはもう分かったけど……皆には言わない方がいいね?」

 

 ロキシーとエリスも何となく分かったようではあるが、子供達は訳が分からず微妙に不満そうだ。

 

 「ルディはそういうお店に行ったけれどそういう事はしてないって事」

 

 だよね? と言われれば俺は首肯するしかない。

 正確にはしようと努力したけれど、その道のプロにもどうしようもなかったという事だ。

 

 それに打ち勝ったのは幼馴染の努力と酒の力。

 思い出したらなんか恥ずかしくなってきたぞう。

 

 「それじゃ改めて、食事にしよっか」

 

 シルフィはこんな俺なんかについてきてくれて、本当にいいお嫁さんだと思う。

 もちろんロキシーとエリスもそうなんだけれど。

 今度ちゃんとお礼を言おう。



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はいてない

 誰かを頼る事は悪いことではない。

 俺には一人で突っ張って生きていける強さなんてない。

 きっとオルステッドさえも。

 

 ●

 

 という訳で今日はエリナリーゼお祖母ちゃんの知恵袋を頼ろうと思う。

 

 知識の量なら我らが社長でも良さそうでだが、今回は質問の内容が内容なので、社長にはそんな事聞けない。

 

 『……何故そんな事を聞く?』

 くらいで済ませてくれそうな気はするが、単純に今回の事はオルステッドも知らないと思う。

 

 いやでも、何回も同じような人生を繰り返している訳だから長耳族の生体調査くらいしているかもしれない。

 

 だとしても、オルステッドには聞けない。

 だって恥ずかしいもん。

 

 ●

 

 「という訳で今日はお願い致します」

 

 親しき仲にも礼儀ありと、頭を下げる。

 顔を上げると、実に穏やかな表情のエリナリーゼと目があった。

 

 「可愛い孫の為ですもの、知恵を貸すくらいやぶさかではありませんわよ」

 

 ただし、と人差し指を立てて続ける。

 

 「クリフが恥ずかしがるような事はダメですわよ」

 「聞きませんよそんな事……」

 

 なんで尊敬するクリフ先輩を辱しめるような事を聞かにゃならんのだ。

 ロキシーからちょっとエッチな相談をよく受けているせいで夫婦揃ってシモの話しかしないんじゃないかとか思われてるんだろうか。

 

 ロキシーがエッチになるのは大変よろしい。

 だが今日のはただの知識欲だ。

 

 「俺が聞きたいのは長耳族の、それも大森林からあまり出てこないような人達の事を聞きたくてですね」

 「分かっていると思いますけど、あまり詳しくはありませんわよ」

 「もちろん分かってます」

 

 何も難しい事を聞こうってんじゃない。

 エリナリーゼが体質のせいでひと悶着あったのだって分かってるさ。

 質問の内容は至ってシンプル。

 

 「純粋な長耳族の人達って下着着けてるんですか?」

 

 ●

 

 答えは出た。

 知識欲が満たされる事のなんと気持ちいい事か。

 

 もしも俺が知らない秘密を知っていて見事俺を唸らせる事が出来たらお小遣いをあげよう、なんて勝負を子供達とした事がある。

 

 ララは真っ先にその日ロキシーがどんな下着を着けているかゲロった。

 俺の答えは「知ってる」だった。

 

 夫が嫁の下着について知ってると答えただけなのにドン引かれたのは今でも納得がいかない。

 

 結局その日お小遣いを手にしたのは台所から晩御飯の情報を仕入れて来たルーシーだった。

 姉は強し。

 

 「あ、お帰り、ルディ」

 「ん、ただいま」

 

 記憶の反芻をしているウチに愛しの我が家でシルフィが出迎えてくれる。

 せっかくだからさっき手に入れたばかりの知識を活用してみようか。

 

 「シルフィってさ」

 「うん」

 「ちゃんと下着着けてるよな」

 「……うん」

 

 言うべきだろうか。

 俺が悪い訳じゃないのになんだかちょっと恥ずかしい。

 

 「大森林の長耳族の皆様方は下着を着けないそうですヨ?」

 「……ルディはそっちの方がいい?」

 

 パンツ履いてない。

 スカートにあからさまなローアングル。

 無駄に視界に飛び込んでくる尻肉。

 

 「ノーパンダメ、ゼッタイ。そのままのシルフィでいてくれ」

 「ん、分かったよ」

 

 アホな会話でシルフィの照れ笑いを手にいれてしまった。

 子供の頃はそんなに拝めなかったけれど、フィッツ先輩の頃から実にシルフィによく似合う可愛らしい表情。

 眼福、眼福。

 

 「あ、でもロキシーがルディの部屋に行くときに着けてない時あるよね?」

 「それはそれ、という事で」

 

 男というのは脱がしたい生き物なのだ。

 きっとルークあたりなら分かってくれる。

 従兄弟なんだし。



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支えあう

 特別生にだけ許された、授業を受けない事を選べるお陰で出来る空き時間を、有効活用すると言っても人間限界がある。

 

 そんな時はどうするのか。

 

 嫁が頑張っている姿を見に行くのだ。

 

 ●

 

 「それでこんな所から授業を覗いていたのですか」

 

 あきれたようにロキシーが言う。

 

 「いいじゃないですか。夫婦なんですから」

 「夫婦ならもっと堂々とするべきでしょう。隠れて覗き見るような必要は無いのでは?」

 

 流石ロキシー痛いところを突く。

 

 「シルフィ……ではなくフィッツとしてのイメージもありますからね。あまり学校で近付いていいものかと思いまして」

 

 沈黙の魔術師が夫とイチャイチャしていたらアリエルの評判にも響くだろうとの配慮。

 

 ロキシーをも嫁に迎え入れてからにどうにも浮かれ気分の俺としてはそこまで気が回せないのだが、シルフィが嫌がるので仕方ない。

 家に帰れば娘共々好きなだけイチャつけるのだ。

 我慢しようではないか。

 

 「授業の内容も剣術ですし問題ないと思うのですが」

 「僕がしゃしゃり出ても教師が授業をしづらくなるだけですよ」

 

 遠目に見ても教師役の人物がエリスやギレーヌには遠く及ばない剣士であろう事は見てとれる。

 

 それにアリエル御一行も剣を握っているのはルークだけで、アリエルやシルフィは体こそ動かしているものの、全く別の事をしている。

 体育の授業で運動不足解消みたいなものか。

 

 ああいう住み分けの融通がきく教師は中々いないだろう。 

 なので俺は邪魔をしないように遠くから『見』にまわっているのだ。

 

 「そして授業が終わった後にさりげなく冷たいお茶とタオルを差し出して夫婦仲の良さをアピールするのです」

 

 シルフィに悪い虫が寄ってきては困るからな。

 

 しかし依然としてフィッツ先輩は女生徒人気の方が高い。

 一児の母でありながらスレンダーな体型を維持しつつ王女の護衛もこなすのだから当然か。

 あんな女性として眩しすぎる存在が俺の妻なのだ。

 見捨てられないかビクビクである。

 

 「だとしたらわたしはお邪魔虫ですね」

 「ロキシーがお邪魔虫であるわけがございません!」

 「ですが……」

 「周りの目が気になるのでしたら俺が大きな声で公言しましょう。俺が夫であり、二人は妻であり、家族なのだと」

 

 そうすれば非難されたとしても俺だけのハズだ。

 ロキシーやシルフィにいちゃもんをつけるような輩は地平の彼方まですっ飛ばしてやる。

 

 「……分かりました。そこまで言うのなら私も家族として一緒にシルフィを労いましょう」

 

 ●

 

 第二夫人と一緒に来るとはどういう事だとルーク先輩にこっそり言われたが、俺とシルフィはロキシーをそのように扱うつもりはないと説明しておいた。

 

 リニアとプルセナもそういう風にとっていたし、世間の目というのは難しいものだ。

 俺だけはなんと言われても構わないがロキシーにそういう思いはさせたくない。

 もっと頑張らないとな。

 

 ところでシルフィなのだが。

 

 「つーん」

 

 微妙にむくれていた。

 

 「だってルディとロキシーってば僕が真面目に授業をうけている間にデートしてたんだもん」

 「ホントに偶然会っただけだって……」

 

 俺もロキシーも授業の合間が重なっただけで、他意はない。

 不真面目な生徒と教師が空き教室で何かをしていたという事もない。

 機会があればやってみたくはあるが。

 

 「大丈夫、ちゃんと分かってるよ」

 

 冗談であることをアピールするかのように、少し恥ずかしげではあるが、シルフィがペロリと舌を出す。

 かつての少女からは想像できないような茶目っ気のある表情で。

 

 「本気で怒ってるのかと思ったよ……」

 「そりゃ前も言った通りボクも不安はあったけどさ」

 

 でもね、とシルフィは振り返りながら続ける。

 

 「ルディがちゃんとボクとロキシーを愛してくれてるのは分かるし、ロキシーも遠慮がちだけどボクとルディにしっかりと向き合ってくれてるのは分かるんだ」

 

 だから、と言うその表情はまるで弟を安心させようとする姉のようで。

 

 「ボク達はこうやってゆっくり進んでいけばいいんだよ」

 「……うん」

 

 本当に、俺には過ぎたお嫁さんだ。

 

 「俺、心配し過ぎなのかなあ」

 「ロキシーもね」

 

 我が家への帰り道で、毎度毎度シルフィには慰めてもらってるというか安心させてもらってるというか。

 

 「シルフィ」

 「うん」

 「俺、シルフィに見捨てられないように頑張るから」

 「それはボクもじゃない?」

 「俺がシルフィを見捨てるなんてあり得ない」

 「それもボクもだね」

 

 強いな、と。

 泣き虫だったいじめられっ子の少女はもういないんだな、と思った。

 

 「それならお互い頑張っていこうか」

 「ロキシーやルーシーも一緒に、ね」

 

 ロキシーが帰ってきたら今日が何かの祝い事かと錯覚するくらい盛大に出迎えてあげよう。

 そして明日からもまた頑張ろう。



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ボレアス流

 にゃーんにゃん、と声がする。

 

 ウチには犬は居ても猫はいないはずだ。

 もしかしたらレオが近所の野良猫を呼びつけて話でもしているのかもしれないけど。

 

 レオは時々自分以外の犬なり猫なりと話しているのを見かけるのだ。

 ララいわく、グレイラット家を中心としたレオの縄張りにいる犬なり猫なりの統率をとっている……らしいのだがよく分からん。

 まあ、あまり買い物に行かない俺でも市場で盗みを働く犬猫が減ったような気がするんだし上手くいっているんだろう。

 犬や猫にもそれぞれの世界があるというわけだ。

 

 他に思い当たる猫というと……リニアとプルセナがエリスにオモチャにされているとかだ。

 でもエリスも子供を産んでからリニプルコンビを抱き枕として呼びつけたりしなくなったしなあ……。

 借金はアイシャにしっかり管理させているからわざわざ家に来る理由もないし。

 

 そんな事を考えつつ、声の元が中にいると思われるリビングのドアを開いた。

 

 「パパ!」

 

 振り向きざまに一閃。

 母であるエリスに負けず劣らずの速度で振り向いて、まぶしい笑顔で末っ子のクリスが俺を出迎えてくれる。

 

 そのクリスを膝に乗せていたエリスは普段と違い、非常にゆっくりと振り向いた。

 顔を真っ赤にして。

 

 「……ルーデウス」

 「あいさ」

 「…………聞こえてた?」

 「我が家にはずいぶんと可愛らしい猫がいたようで」

 

 エリスの顔の赤みは最高潮だろう。

 ゆらゆらと髪が揺れだしたが、膝の上のクリスを放り投げる訳にもいかず、手を握っては開いて、開いては握って。

 

 「ママがね、にゃーんにゃーんって言いながら猫さんの事を教えてくれたの!」

 「そりゃあよかった」

 

 えへへ、と笑うクリスの頭を撫でつつエリスの横へ腰かける。

 

 小難しい文章しか書かれていないとはいえ、猫の図鑑も写真の無いこの世界では読み手しだいで立派に絵本になりうるという事だ。

 

 クリスもエリス程ではないようだが猫は好きらしい。

 親子揃って好きなものを下地にして文字が勉強出来るのは良い事だ。

 エリスの場合は新たに学習するというよりは思い出すという感じだけど。

 

 「パパも一緒に読んで?」

 「ああ、もちろん」

 

 せっかくだから髪を解いてボレアス流のお願い術を実演してクリスにも伝授するべきだろうか。

 クリスならきっとノリノリでにゃんにゃん言ってくれるだろう。

 エリスはいい顔をしないかもしれないけれど、もうこのふざけたお願いの仕方を覚えているのも俺とエリスくらいだし。

 ギレーヌがそんな事をする機会はないだろうし。

 

 うん。

 やろう。

 

 ●

 

 親子三人でにゃんにゃん言ってたらいつのまにか人が集まり、大勢でにゃんにゃん言っていた。

 エリスは、アレはとっておきだから嫌よ、と言って再演してくれなかったので、俺が代わりにツインテールを作りにゃんにゃん言っておいた。

 クリスが大きくなったらどこかの誰かに使う時がくるのだろうか。

 ……今は想像したくないな。

 

 その日の晩?

 エリスににゃんにゃん鳴かされましたとも。

 昔と違って彼も乱暴じゃ無くなってきたから、単純に体力負けしちゃってなんだか悔しいわ、アタシ。

 

 ●

 

 「という訳で今パパにおねだりするならこの方法がアツイ……と思う」

 「……いやボクパパにそんな事しないし……出来ないし」

 

 ララがやれやれといった感じの仕草で首を振る。

 別にパパにお願いしないと手に入らないような物を欲しいとも思わないし、パパを頼るのは我が家では本当に最後の手段なのだ。

 それを選んで……がっかりされたらと思うと怖い。

 

 だからもっと方法があるハズだと思ってしまう。

 そもそもそんな状況になった事無いけど。

 

 「……ルー姉がどう思ってるかは知らないけど溜め込んで爆発させてもパパが傷つくだけだと思うよ」

 「……何それ。意味分かんない」



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不意をつかれる

 「ルーデウス」

 

 突然後ろから声をかけられたせいで心臓が口から飛び出した。

 可哀想なルーデウスハート。

 この後エリスはちゃんと元に戻してくれるのかしら。

 

 「なんだよエリ──」

 

 エリスが部屋に入ってきた時の気配には気が付かなかった。

 俺自身がソファーに座って気を抜いていたとはいえ、エリスみたいに背やら何やらが大きい人が部屋に入ってきて気付かないという事はまずない。

 恐らく俺が気付けないような速さで近付いてきたのだ。

 

 どうしてそんな事を。

 勢いよく押し倒されたりするのだろうか。

 こんな明るいうちから?

 

 そんな事を考えながら振り向いて、思わず声が出た。

 

 「ふぉわ!?」

 

 エリスの顔がすぐそこにあった。

 鼻が触れ合い、髪がかかるほど近いところに。

 シルフィの買ってきたカラフルで甘い匂いの石鹸の香りが漂ってくる。

 俺も同じ物を使っているはずなのにエリスからいい匂いがすると思うのはなんでだろう。

 

 「……何突然大きい声出してるのよ」

 「……振り向いたらすぐそこにエリスの顔があったから?」

 

 何故の疑問形なのか。

 視線が泳ぎ、顔が熱くなる。

 クソッ。ウブなネンネじゃあるまいし、今更何を動揺してるんだ俺は。

 

 「ふうん」

 

 分かったわ、とは言わない。

 目付きも狩る側のものへと変わっている。

 このまま押さえつけられるようになってズルズルと行為に至ってしまうのだろうか。

 誰が部屋に来るかも分からないのに。

 

 「んっ……」

 

 頬に手を伸ばされて息を吐いただけのような声が漏れる。

 シルフィやロキシーも俺に突然キスされそうになったらこんな風に微妙に緊張したりしてたっけか。

 

 「……あれ?」

 

 エリスの口は俺の口の横を通り抜けて頬へ向かい、軽く触れて離れていった。

 

 「お風呂。空いたから、ララとかと一緒に入ってちょうだい」

 「……あ、ああ、うん」

 

 拍子抜けとでもいうように体から熱が覚めていく。

 盛り上げるだけ盛り上げておいての、らしくない対応。

 

 「弄ばれた……?」

 

 ●

 

 「わたしが赤ママにやってみせてって言った」

 

 見せて貸して触らせてってか。

 

 「パパが恋する乙女みたいに赤面するところが見たかったのか?」

 「それは違う」

 

 ですよねー。

 

 「赤ママがパパに気付かれないように近付く事が出来るっていうから、見せてって言った」

 

 私ならそれくらい出来るんだから、って言ったんだろうか。

 言ったんだろうな。

 

 子供達にヨイショされて素直に言うことを聞いてしまうエリス。

 将来言いくるめられたりしないといいけど。

 

 「ララはどうしてそんなの見せてもらおうと思ったんだ?」

 「イタズラに活用出来ると思った」

 

 愛しの我が子はちっちゃな頃から悪ガキです。

 

 「真似出来そうかい?」

 「無理。レオでもあんなに早く動けない」

 

 そりゃそうだ。

 

 「エリスは剣王だからな。誰でも出来る事じゃないよ」

 「むぅ」

 

 遥かな実力差に対して諦めではなく悔しさを滲ませるララ。

 よしよし、その悔しさは次への原動力にしたまへ。

 

 「多分パパに気付かれずに近付くやつが出来ないと赤ママから合格が貰えないと思うから頑張る」

 

 ルーシーはそんな事しなかったけどなあ……。

 下の子達が真似すると俺は最低五人に驚かされる事になるんだけど。

 

 「俺じゃなくてエリスにやればいいじゃないか」

 「赤ママは切られそうになると思う」

 

 綺麗に寸止めを決められるか、素手であしらわれるだろうな。

 

 「シルフィやロキシーは?」

 「白ママはご飯に関わるから無理。青ママは普段どんくさいけどそういう時はしっかりしてるから無理」

 「……なんでパパはいいんだ」

 「パパは私達相手だと油断してると思う」

 

 なんと複雑な理由なんだ。

 

 「子供達の方から来てくれると嬉しいでしょ?」

 「……おう」

 

 俺の答えに対してララは小悪魔っぽく鼻を鳴らして応える。

 ……チョロいとか思われてんのかな。

 

 「パパからしてみれば子供達との触れ合いが増えるし、返り討ちにしてパパ凄いアピールも出来るじゃん?」

 「……お気遣いドーモ」

 

 ●

 

 「これでルー姉も騒ぎに便乗してクリスみたいに思いっきりパパに抱き付けるって訳」

 「そんな事しないし……」

 「ララ姉私はー?」

 「ん、クリスは今まで通りパパに引っ付いてあげな」

 「やった! ララ姉大好き!」

 「ほめても何も出ないよ」

 「別にいいもーん」

 

 そう言ってクリスは部屋から出ていく。

 きっとまたパパの所へ行くのだろう。

 

 パパいわく、赤ママの子供の頃とゼニスおばあちゃんを足したのがクリスの性格だという。

 でも赤ママの方は否定していたし、常にクリスみたいな感じゃ無かったとか、パパからはそう見えただけ、とかそんな感じだと思う。

 パパがママ達を好き過ぎるのは娘の私から見ても分かるし。

 そういう補正がかかって見えてても仕方ないよね。

 

 ゼニスおばあちゃんの方は「そうだったかしら」なんて言いながらニコニコしていた。

 私とレオ以外と上手く喋れないのは大変そうだけど孫が六人もいるお陰か毎日楽しそうで何よりだと思う。

 

 「ボクもうそういう事するような年でもないしね」

 「まーたそういう言い訳を……」

 「ララにはお姉ちゃんの悩みなんか分かんないよ」

 

 レオみたいな唯一無二の相談相手だっているし。

 たとえ事実でもそこまで言われるとちょっとカチンときた。

 

 「でもルー姉だって未来の救世主扱いされてる妹の悩みなんか分かんないよね?」

 「……ララに悩みとかあるの?」

 「なっ……あるし!」

 「たとえば?」

 

 たとえば……なんだろう。

 

 「効率的に授業をサボる方法……とか」

 「救世主関係ないじゃん。青ママに言っとくからね」

 「ちょ!? お姉様お慈悲を!」



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頑張る

 「パパはどうして魔術を覚えようと思ったの?」

 

 膝の上のクリスが全体重を俺に預けながら肩越しに振り返る。

 始めて会った頃のエリスよりもまだ数年程幼いが、その顔つきは間違いなく将来美人になることを約束されたものだ。

 エリスの娘なんだから当然ね。

 アタシも彼との激しい夜に頑張って励んだ甲斐があるってものだわ。

 

 「そうだなあ」

 

 クリスの頬を指で軽く撫でながら思い出す。

 後はどうやったらまだ学校にも行っていない末っ子に上手く伝えられるかだ。

 

 素直に言っちゃおうか。

 

 父親の弱いところを見せるようでなんとなく嫌だけれど、あの頃の俺が三十数年生きてきた経験を活かせた事といえば、心構えを持てた事くらいだ。

 ロキシーがいなければ家からまともに出ることも出来なかったんだから。

 

 「パパが魔術を初めて使ったのは今のクリスよりももうちょっと小さい頃だったな」

 「リリよりも?」

 「パパからしたらリリもクリスもそんなに変わらないけどなあ」

 「私のが絶対大きいもん!」

 

 母親であるロキシーとエリスの種族の違いがあるとはいえ、五歳かそこらのうちから体格差が出たりはしない。

 

 性格的にクリスはリリの事を意識しているけども、リリはおもちゃの代わりに握りしめた魔道具に夢中で、どこ吹く風。

 

 お互い嫌いではないのだけれど、興味のベクトルが違いすぎる。

 リリは普段からロキシーよりも眠そうな目付きだが大丈夫だろうか。

 寝る子は育つというが。

 うーむ。

 

 「じゃなくて、パパ! 魔術の話!」

 「ああ、そうだったね」

 

 あの頃は言葉と文字を覚えるのに必死だった。

 普通の子なら目に入った物に素直に興味を示すと思うのだけれど、俺には三十数年生きてきた経験が既にあった。

 あんまり子供らしく出来なくてパウロやゼニスに心配させただろうな。

 

 「じゃあリリが魔道具に夢中になってるみたいにパパも魔術に夢中になってたって事なの?」

 「パパはリリみたいに夢中になってたってほどじゃないけどな」

 

 案外そういう風に見えてたかもしれないけど、もうリーリャしか手軽に聞ける人がいないし分からない事だ。

 ララにゼニスの通訳を頼むのもなんだか悪いような気もするし。

 

 「パパが子供の頃はあんまり深く考えずにひたすら魔術の練習して、剣の練習してって感じだったかな」

 「疲れたー、ってならなかったの?」

 「もちろんなったさ。だから疲れたー、ってなるまで毎日色んな事を教えてもらって、出来るようにやってみた」

 「それじゃあ嫌いになっちゃわない?」

 

 クリスの言葉には『私はもう、そういう所まで来ています』という意味が含まれている気がする。

 この後の言葉は慎重に選ばないと、自分はダメな子なんて思わせてしまうかもしれない。

 それは絶対にダメだ。

 

 「もちろん嫌になるような時もあったよ」

 「それでもパパは続けたの?」

 「うん。お陰で家族皆を守ることが出来てる……と思う」

 

 結果的に、だけど。

 最初は自分が手を抜いたせいで後悔しない人生をおくれるように頑張ろうと思った。

 それがロキシーの考え方を動かして、シルフィの人生を救って、エリスと二人で飛ばされても生きていけた事に繋がった。

 

 「もちろん頑張っても失敗する事はいくらでもある。ロキシーだってしょっちゅううっかりしてるだろ?」

 「うん。青ママいっつも何もない所で転びそうになったりしてるもんね」

 

 マジかよロキシー。

 お腹に子供がいなくて良かったぜ。

 いや……俺がその場にいれば抱き止めてあげる事が出来るから今の状態であれば悪くはないのか。

 転んだ勢いで胸に飛び込んで来てくれてもいいし。

 そんな都合よくいくことなんてないか。

 

 「でも少しでも後悔を減らせるならこれくらい頑張れると思って、パパは剣や魔術の訓練を頑張ってるんだ」

 「……じゃあ私も頑張った方がいい?」

 「それはクリスが決める事さ。頑張ってもいいし、頑張らなくてもいい」

 

 どっちを選んでも俺は君の父親として、君を愛する。

 そこまでハッキリとは言わないけれど。

 

 そこまで悩む時間はかからなかった。

 流石エリスの娘。

 勢いよく俺の膝からクリスが飛び降りていく。

 

 「決めたよパパ、私頑張る」

 「頑張って私がパパを守ってあげられるようになるからね!」

 

 そこはパパみたいな人を見付けてその人を守ってあげてほしい……と思ったけれども、まだ学校へも行っていないクリスにそこまで言わせる事もないか。

 

 早速外へ駆け出して行って、エリスに何やら言っている声が聞こえる。

 ケガに気を付けて頑張ってくれたまへ。

 

 ●

 

 「お元気ですね、クリス様は」

 「リーリャさん」

 

 クリス入れ違いになるように、お茶が入りましたと、リーリャがやってきて、クリスの分を想定していたカップが余ってしまったようなので折角だから一緒に頂きませんか? ということになった。

 

 「本人がどうしても嫌だというならそれも受け入れるつもりだったんですが」

 「クリス様はエリス様の子ですし、そんな事は言わないと思いますが……」

 

 目標さえできればそれに向かって突き進むのがエリスだしね。

 

 「俺やエリスが普段こんな風だから忘れちゃいますけど、クリスって一応貴族の血統に真っ直ぐ当てはまるでしょう? だからそっち方面が伸びたりするかな、とも思ったりしまして」

 「そうなったら……エリス様のご両親もきっとお喜びになりますね」

 「ええ、それにお爺様も大声を上げて走り回ったと思いますよ」

 

 サウロス爺さんなら大きい体で思いっきり感情表現してくれるだろう。

 あの世で「うちのひ孫は天才だ」と叫びまくるに違いない。

 それをヒルダ様がなだめて、フィリップ様が俺に近付いて「上手くやったじゃないかルーデウス君」なんて言いながら悪い顔をして笑うんだ。

 

 「ルーデウス様……」

 「え……?」

 

 一筋だけ、あくびをした時にでも流れるような涙がこぼれていた。

 まともに墓参りに行くことも出来ないが、あの短い期間俺が確かにあの家族の一員であったという証なのかもしれない。

 

 「……なんだか眠くなってしまったみたいですね。顔を洗ってきます」

 「ではカップは下げておきましょう。夕食まではまだ時間が御座いますので、仮眠をとるのもよいかと」

 「ん、ありがとうございます」

 

 ベッドか、最悪暖炉の近くでもいいか。

 起きて夕食の時間になったら頑張ってきた子供達を思いっきり誉めてやろう。

 そして、ここにいない人達に胸を張って生きていけるように、元気を分けてもらうんだ。



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地面が揺れたら

 「ルーデウス!」

 

 ドアが勢いよく開く音と、エリスが俺を呼ぶ声に驚いて、思わずソファから飛び起きた。

 エリスの雰囲気からして怒っている感じではないと思うのだけれど。

 

 「ど、どうしたの……?」

 

 どちらかといえば珍しくうろたえているような……何かあったのだろうか。

 

 「無事みたいね」

 「うん」

 

 さっきまでソファに体を預けて意識を手放そうとしてた所だ。

 エリスも子供達と庭で素振りをしていたはず。

 剣を振る音が聞こえてたし間違いないと思う。

 お互い心配し合うような事は無かったと思うけど。

 

 「さっき地震があったからシルフィ達が家の外に出てきたんだけど、ルーデウスだけ来ないから何かあったのかと思ったのよ」

 「地震?」

 

 寝ぼけた頭で『なんかカタカタ揺れてるけど地震かなあ』くらいには思ってたけど、皆がそんなに大騒ぎしてたとは気付かなかった。

 日本人は地震慣れしてるけど外国人は小さな揺れでも大騒ぎするってのを、俺は今体感しているのかもしれない。

 

 「また揺れるかもしれないし、早く外に出るわよ!」

 「いやあれくらい大丈夫だって……うわ!」

 

 出ましたよ伝家の宝刀お姫様抱っこ。

 今のところ我が家で俺をこうやって持ち上げられるのはエリスだけだからなんだか新鮮……でもないか。

 時々こうやってベッドに連れてかれるし。

 

 多分アルスやジークが大きくなったら俺くらい簡単に持ち上がっちゃうんだろうな、とか考えているうちに庭に到着した。

 

 「ルディ!」

 

 シルフィをはじめとして家族全員が庭に集合していた。

 グレイラット家は避難訓練の様相を呈している。

 本気になってないのは俺だけかもしれないが。

 

 「二階のソファで寝てたわ」

 「ええ……?」

 

 皆の視線が痛い。

 俺に地震耐性が刷り込まれている事をどう説明したもんか。

 

 「あれくらいなら大丈夫かと思いまして」

 

 子供達からの視線に若干称賛が含まれたような気がしたが、大人組はそうはいかない。

 

 「いいですかルディ。地震というのはですね……」

 

 ロキシー先生の授業が始まってしまった。

 

 もちろん地震についての知識はありますとも。

 生まれと育ちは地震大国でしたので、義務教育でも学ばさせられましたとも。

 

 でもそれがロキシーの言葉を適当に聞き流す理由になろうはずがない。

 一言一句逃さず拝聴させていただきます。

 

 「ルディなら仮に寝ぼけている状態で家が崩れて来ても無事かもしれませんが、それとこれとは別なのです」

 

 要はいらぬ心配をさせるなという事だ。

 一家の長なら尚更。

 

 父親として守るべきは家よりも家族と自分自身でしょう、とロキシーは言う。

 

 「そうですね。少し油断しすぎていたかもしれません」

 「いえ、ルディが家族の為に普段から頑張ってくれている事は分かっていますし、わたしも言い過ぎました」

 

 家でくらい気を抜いていたいでしょうしね、と続ける。

 やはりロキシーはいつだって俺を導いてくれるのだ。

 

 「エリスもありがとうな。わざわざ様子を見に来てくれて」

 「ルーデウスが無事だったんだから気にしなくていいわ!」

 

 そりゃどうも。

 

 「もしかしたら細かい地震が続くかもしれないので、数日の間は皆気を付けるようにしましょう」

 

 とはいうものの、俺の反応も間違っちゃいないと思うので聞きにいってみようと思う。

 

 ●

 

 「日本人なら普通の反応だよなあ?」

 「まあ……そうね」

 

 ナナホシは共感してくれたが、後でペルギウスには「貴様らがおかしい」と言われた。

 そもそもケイオスブレイカーが飛んでるんだから地震なんか関係ないくせによ。

 

 ……小さい地震にビビるペルギウスか。

 死ぬまでに一度くらいは拝んでおきたいね。



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親子喧嘩

 エスパーじゃあるまいし、他人が何を考えているかなんて分からない。

 自分自身の子供でさえも。

 

 大体子供が何を考えてるか分かるなんて傲慢にも程がある。

 血の繋がりはあれど、文字通りの他人であるのだ。

 

 思考は好きか嫌い、イエスかノーに始まりそこから複雑な感情を覚えていく。

 はいかイエスで答えてください?

 子供にそんな事言ったら嫌われますよ。

 

 大人は増えた感情をどう表現するか悩むだけで済む。

 子供は悩む前に混乱する。

 だから暴力的になったりするのだ。

 エリスなんかも多分そうね。

 

 では娘のクリスはどうか。

 彼女はソファの隅で赤い毛玉になった。

 

 ●

 

 いつもお仕事から帰って来たパパを誰よりも早く出迎えて飛び付いてくる娘が静かだと思っていたらこんな事になっているとは。

 一体全体何があったっていうんでい。

 

 「えっと、今回ルディとエリスは朝早くに出発したよね?」

 

 確かに一週間前のお日様がのぼり出した一日の内に一番冷える時間帯に仕事へ出発した。

 

 不規則な睡眠は美容の大敵なのだが、オルステッドからの時間指定なので仕方がない。

 遠出するなら即出発の方が良いのではないかと進言したが、あえてこの時間に合わせる方が事が上手く進むという。

 

 実際楽なもんだった。

 死なれたくない対象を遠巻きに魔物から護衛する凄腕のスナイパーになるだけだったからな。

 

 体を伏せて両目の魔眼を展開し、岩砲弾で狙撃する。

 エリスは当然スポッターではなく護衛。

 俺が射撃を終えたあと「何もなかった?」って聞いたら、満足そうに「何もなかったわ!」って言ったけど、血の匂いがしたので多分何か切ってる。

 ちゃんと燃やしておいてよね。

 

 「そういう依頼だったからね」

 「そのせいで誰も見送れなかったでしょ?」

 

 ビートも普段より静かに門を開けてくれた。

 家族や近隣住民への気遣いが出来るいい子だ。

 

 ……そういう事か。

 

 「パパにいってらっしゃいのチューが出来なかったから……!」

 「チューは重要じゃないと思うけど……」

 

 でもまあそんな感じかな、とシルフィは言う。

 シルフィったら末っ子と俺がほっぺたを引っ付けるだけの事に嫉妬してるの?

 可愛いんだから。

 

 「もしかして一週間ずっとあんな感じなのか?」

 「おまけに日に日に悪化してるよ」

 

 なんてこった。

 娘に愛される父親は辛いぜ。

 

 ●

 

 「私がママの代わりにパパに付いてく!」

 「ダメよ!」

 「どうして!」

 「どうしてもよ!」

 

 争いは同じレベルの者同士でしか──そんな訳ないだろ流石に。

 自分の娘だぞ。

 

 「これこれエリスさんや。否定するのならちゃんとした理由を言わないといけませんよ」

 

 そっくりな顔でコッチを振り向いたが、頷くのは当然エリスだけ。

 

 「ルーデウスに付いていきたいならもっと強くならないとダメよ!」

 「もっと強く、ってどのくらい?」

 「私くらいね!」

 

 どんだけかかるねん。

 案の定クリスも「そんなのむり!」とか言っちゃったし。

 

 「時間はかかるかもしれない。けど貴女なら絶対に強くなれるわ。私とルーデウスの娘なんだもの」

 

 やだ素敵。

 エリスがすっごいお母さんしてる。

 

 「そうやって強くなる頃には、私にとってのルーデウスがクリスにもいると思うから、その人と一緒に冒険に行けばいいわ」

 

 えっ。

 

 「でも今はパパと一緒に出掛けたいんだもん!」

 

 ですよねー!

 危ない危ない。

 エリスが突然しっかりした事言い出すから俺の方が子供になるところだった。

 

 でもこう、早熟させようというのはボレアスの家でもそうだったし、我が家も教育熱心だし間違っちゃいないんだよな。

 

 「それなら私を倒してみせなさい!」

 「パパ助けて!」

 

 状況不利に気がついたクリスがコッチへ飛び込んできた。

 猪突猛進よりよっぽどいい。

 アイシャから習ったのかな?

 

 「パパが助けてあげてもいいけど多分二人がかりでもエリスには勝てないぞ?」

 「じゃあ痛くされちゃう?」

 「されちゃうねえ」

 「ヤダーっ!」

 

 しないわよ……と、エリスが小さい声で言ってるが、姉兄達が木刀一本で布切れのように吹っ飛ばされるのを散々見てきたクリスにその言葉は届かないだろう。

 

 「ねえパパ、白ママか青ママに勝てたらじゃダメ?」

 「……二人だって俺より強いぞ?」

 

 魔術師としてどうとか、純粋に力でどうこうするって話ではない。

 二人の強さに俺は普段から助けられている。

 

 「でもパパは白ママと青ママを泣かせてるんでしょ?」

 「えっ」

 

 なんのこっちゃ。

 三人の妻に対して後ろめたい事をした記憶は俺には一切無い。

 ましてやクリスの耳に入るような事なんて……。

 

 「……ルーデウス?」

 「待ってくれ。心当たりが無い」

 

 エリスにとってもシルフィとロキシーは大切な家族だ。

 俺が粗相をしたとなれば前が見えなくなるまでぶん殴られるだろう。

 

 「赤ママには泣かされてる、ってララ姉が言ってたから」

 

 ……ははん。

 そういう事か。

 

 「エリス」

 「ええ」

 「ララを捕まえよう」

 

 ●

 

 「誰かララがどこにいるか知らないか?」

 

 一階では夕食の用意が始まっており、皆集まっていたがララとお付きのレオだけがいない。

 

 「ララならさっき慌てた様子で出掛けて行きました。お腹がすいたと言っていたのですぐに帰ってくると思いますが……」

 

 ……逃げたな。

 

 救世主パワーなのか知らないがこういう時ララはやたらと勘がいい。

 嫌な気配を感じるとおでこの前辺りに白い光が走って人の心を感じとったりしてるのだろうか。

 

 「何か急ぎの用が?」

 「ええ。ララがロキシーから覗き癖を受け継いでるかどうか確認しようと思いまして」

 「……何故わたしに覗き癖があると?」

 

 ウップス!

 失言だった。

 

 「えー、それはアレですよホラ、俺達がまだブエナ村で過ごしていた頃です」

 「ブエナ村……懐かしいですね」

 「あれは俺が夜にちょっとトイレに行きたいな、と思った夜の事です」

 

 俺が全てを語る前にロキシーの顔が真っ赤になっていたので話を止める。

 妻の尊厳を守るデウス。

 

 「……もしかしてルディはその時のわたしの姿を見ていたのですか?」

 「はて。子供の頃の記憶なのであまり正確には思い出せませんが……」

 

 すっとぼけながら顔をそらすとゼニスが頬に手を当てて照れているような仕草をしていた。

 横ではリーリャが微妙にオロオロしているが特に問題ないだろう。

 二人はそのまま可愛いおばあちゃんになっていってくれ。

 

 「パパ達は何のおはなしをしてるの?」

 「ルーデウスは夜でも一人でトイレに行ける、って話をしてるのよ」

 「私も夜に一人でおトイレ行けるよ! 偉い?」

 「そうね。クリスは偉いわ」

 「えへへー」

 

 母子の可愛い会話内容が気になるがここはひとまずガマンだ。

 ララは後で問い詰めるとしよう。

 

 「あまり思い出せないなら出来れば忘れてほしいのですが……」

 「それは無理ですね。一生忘れることはないです」

 「やっぱり覚えてるんじゃないですか……」

 

 イカン、ロキシーが涙目になってきた。

 

 「この話は一旦置いておいて本題に移りましょう。クリス、こっちにおいで」

 

 エリスの横からとてとてとクリスが歩いてくる。

 まだまだチビッ子だ。

 

 「ロキシーはクリスがロキシーに勝てると思いますか?」

 

 ●

 

 まず事の経緯を説明した。

 

 クリスがここの所グズグズと拗ねていたのはロキシーも承知でしょうが、そこからエリスと言い合いになりまして。

 

 パパと一緒に冒険したいならママ達を倒してみせなさい! と。

 

 赤ママエリスは絶対無理。

 白ママシルフィは、冷静に考えたら怒るととっても怖いので無理。

 じゃあ青ママロキシーはどうか。

 

 怒った所なんてめったにみないし、普段は学校にいるから魔術を使うところもあんまり見ない。

 もしかしてワンチャンあるのではないかと思ってしまったいうわけだ。

 

 「もしかしてわたしはちょっとナメられているのでしょうか」

 「その通りです! ロキシーをナメるのは俺だけで十分だというのに!」

 「馬鹿な事を言っているルディはほっといて、夕飯前にわたしの実力をちょっと見せて来ましょう」

 

 ●

 

 結果はまあ予想通りでした。

 

 未だに無音の太刀すら放てないクリスは剣をロキシーに杖で受け流される──事すらなく、踏み込んだ足を勢いよく泥沼に突っ込んでずっこけた。

 

 可愛い悲鳴と綺麗な受け身だった。

 これでクリスが前に勢いよく転んでも肩を痛めたりしないのが分かったので大きな収穫である。

 

 しかし、ロキシーが泥沼を使うとは。

 旦那の得意技だからってコッソリ練習してたのかな?

 

 それはさておき、クリスの擦り傷を治していざ夕飯。

 

 「そんなに気にする事ないさクリス。パパだって七歳の頃に父さん──クリスのお爺ちゃんと勝負してコテンパンにされたもんさ」

 「パパはなんでお爺ちゃんと戦ったの?」

 「学校に行くお金が欲しい、みたいな感じだったかな」

 「お姉ちゃん達が行ってる学校?」

 「そう。パパが子供の頃はここじゃなくてもっと遠いところに住んでいたんだよ」

 

 ふうん、とクリスの返事がすり抜けていく。

 

 「パパに勝っちゃうなんて、お爺ちゃんはとっても凄い人だったんだね」

 「そりゃそうさ、なんせパパのパパだからな」

 

 人間だしダメになる時もある。

 それでもパウロは最期までルーデウスの父親だった。

 俺はその意味を決して忘れることはない。

 

 「あ、でもパパが十一歳の頃にはお爺ちゃんと喧嘩して勝ったぞ」

 「ホントに!?」

 

 クリスだけじゃなく皆が聞き耳を立てている気配を感じる。

 

 あの頃のパウロは色々あって弱ってしまっていた上に、酒が抜けてなかったからあまり自慢するような話でもないんだが……まあ詳しく話す必要はないし。

 

 「じゃあ私が十一歳になる頃にママ達に勝てたら!」

 「その時は一緒にパパのお仕事に行こうか」

 「やった!」

 

 もう決まった事のようにクリスが喜ぶのを見てシルフィとロキシーは苦笑いで済ますが、エリスは本気の表情をしていた。

 

 「じゃあもちろん私も倒すって事よね?」

 「も、もちろん!」

 「言ったわね!」

 

 それでこそ私の娘と、エリスは息巻いているが、単純に強くなった自分の娘と早く戦いたいだけなんだろうな、と思う。

 

 クリスの方は興奮の勢いで言ってしまっただけだから、今晩寝る頃には後悔し始めて、明日の朝には『どうしようパパ……』とか言い出すだろう。

 

 まあ俺に出来るのはクリスの意思を尊重して、勝つために頑張る方法とどうにか逃げ切る方法の望む方を一緒に考えてやる事だけさ。

 

 ●

 

 「ねえママ」

 「なあにルーシー」

 「ボクもう十一歳過ぎてるしパパやママ達に挑戦した方がいいと思う?」

 

 どうやらさっきの一幕を本気にしていたのはエリスだけじゃないみたいだ。

 

 「しなくてもいいよ。そもそもなんでルディとパウロさんが喧嘩したのかなんてボク知らないし」

 

 パウロさんの事は子供の頃にブエナ村で会ったっきりだけど、ルディとはなんていうか親子っていうより男友達みたいな感じだった覚えがある。

 そんな仲の良かった二人が喧嘩してしまったのも多分、転移事件のせいなんだろうな、と思う。

 

 「ルーシーもルディに何かお願いがあるの?」

 「そうじゃないけど……パパやママみたいに強くないと残念がられないかなって」

 「ルディはそんな事思わないよ」

 

 ルーシーに限らずウチの子達はルディの事をちょっと気にしすぎている所がある。

 ……ボク達がルディの事を褒めっぱなしだからかなあ?

 

 「ルーシーが冒険者になるって言ったら『俺を倒せるようになるまでダメ!』とか言い出しそうではあるけどね?」

 

 自分の子供に対してすっごく甘くて心配性な所はどこにでもいるお父さんって感じだ。

 

 「ルーシーが今のままでもルディはちゃんと褒めてくれるから大丈夫だよ」

 「……うん」

 

 イマイチ伝わったようなそうでないような曖昧な返事。

 子育てって、楽しいけど大変だなあ。



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そんな物食べようとは思わない

 海産資源をそりに乗せてえっちらおっちら運ぶ自分のことをふと考えて、こういう食への執念は元日本人らしい所なのかな、と思ったりした。

 

 大して海に近くもない我が町に珍しく冷やされた魚が売られていたとしても、立地の都合上それはたいてい淡水魚で、制覇するのに対して時間はかからなかった。

 

 我が家の調理人達は、魚を刺身にして鬼水こと醤油に付けて食べるジャパニーズスタイルを『冒険者生活で産まれた雑な調理方法』と切り捨てた。

 

 俺に魚を綺麗に切って盛り付ける技術があればそんな事を言われることはなかっただろうが、日頃の包丁さばきですら敵わないのに俺にそんな事が出来る訳もなく。

 解毒に合わせて寄生虫対策の冷凍期間をしっかり挟んだ物ですら微妙な顔をされてしまう始末。

 

 元冒険者であり魔大陸飯を食してきたエリスとロキシーは、中々悪くないとの評価をしてくれたが、この二人は大抵の物は平らげてくれるから評価の基準にしづらい。

 

 レオなんかもうまそうに食べてくれたが、子供達はそうでもなくて。

 小さいうちからメイド親子とシルフィの手料理を食べていれば俺の用意する食事がハードモードに見えるのは仕方ない。

 

 だったら喜んでくれるヤツの所に持っていこう。

 

 ●

 

 「すっごい綺麗に切ってあったけどもしかしてスーパーのパックのお刺身でも買ってきたの?」

 「そんな訳ないだろ……」

 

 そんなもん売ってたら買い占めるわ。

 

 「アイシャがやってくれたんだよ。『お兄ちゃんがやるとグチャグチャになっちゃうから』って言ってさ」

 「アイシャちゃんならまあ、当然ってところね」

 

 刺身に食べなれていて、俺と同じくそれに飢えているだろうナナホシ。

 おまけにここには食にうるさいヤツもいる。

 「貴様は相変わらず戦の最中のような粗雑な食事を好むのだな」と嫌味を残しつつもきっちり完食して去っていったが。

 

 「刺身から刺身こんにゃくとか思い出しちゃったけど流石にアイシャちゃんでも無理よね……」

 「インターネットにさえ触れられれば出来そうだけどな」

 

 元引きこもりと女子高生がこんにゃくの複雑な製造方法を知っている訳もなく。

 

 いくらなんでもこれを食べるのはどうなんだとか、何をどうしたらコレを作って食べようと思ったんだろうなんて物は日本に限らず多くある。

 恐らく生活環境のいざこざが背景にあるんだろうが今の俺には知りようもなし。

 

 「美味しい物が食べられればなんでもいいわよ。私も、ペルギウスもね」

 

 ちゃっかり私もとか言ってんじゃねえ。

 

 最近のナナホシはウチの家族、主に子供達から見て遠い親戚のおばちゃんみたいというか、家族とは違う視点を仰ぐ相談窓口のようになっている。

 その分俺やシルフィに甘え気味というか。

 別に悪い気はしないし、いいんだけれど。

 

 「でも魚って言ったらやっぱりアレよね」

 「アレ?」

 「どら猫」

 

 ●

 

 流石にお魚咥えて逃げてみろとは言わない。

 

 少々おバカではあるが傭兵団を上手くまとめてくれてはいるし、ウチのレオのお世話係だし。

 お世話してるの見たことねえけど。

 

 「どうなんだデドルディア」

 「こういう魚の食べ方は悪くないとはおもうけどそれまでニャ」

 

 種族が猫っぽいからって好みが近いとは限らないか。

 というかこれ言い出したら人間なんて猿に近いんだから皆バナナ好き、みたいな暴論を振りかざしているのと同じ様な気がしてきた。

 

 「ボスは世界中飛び回ってるんだからそういう他種族への偏見は無くした方がいいと思うニャ」

 「言ってることは正しいけどお前に言われるなんかムカつく」

 「ニャ!?」

 

 ……こういうのもよくないか。

 

 「いや、すまん。勉強になったわ」

 「あちしがボスに何かを教えるなんて変な気分だけど素直に感謝されておくニャ」

 

 一言余計なヤツめ。

 

 「ウチの子に変な事教えたりすんなよ」

 「…………」

 

 目を反らしやがった。

 グレイラット家に悪巧みを仕掛けてもコイツに益は無いだろうし……。

 エリスの抱き締め方がだいぶ改善されてきたとはいえ怖いことには変わりないだろうし。

 

 「……ララあたりか」

 

 聞こえやすいように探りを入れてやると、実に分かりやすくリニアの目が泳ぐ。

 

 「言いたくないならしょうがない。エリスに来てもらおう」

 「後生ニャ、ボス。あちしはララ様の相談に乗っただけで直接悪い事はしてないニャ……」

 「言い訳はエリスが聞く」

 「話だけでも聞いてニャー!!」

 

 あまりにも嫌がるのでとりあえず話だけ聞いてやるとこうだ。

 正確にはリニアだけでなくプルセナも一緒に相談にのったと。

 二人の普段の素行と昔の話を聞いて、何かいいイタズラのアイデアは無いかと聞きに来たのだと言う。

 

 「それでどんなアイデアをくれてやったんだ?」

 「その……ボスが吠魔術の真似みたいな事が出来るからララ様も出来るんじゃないかニャ? って言ったのニャ」

 「実際問題ララは吠魔術を使えそうなのか?」

 「いやー、アレ慣れれば簡単ニャんだけど、慣れるまでけっこうかかるからそんニャ簡単には出来ないと思うニャ」

 

 口笛みたいなもんか。

 

 「レオからも教わったりしてると思うか?」

 「聖獣様も使えると思うけど……正直使ってるとこ見たことないから分からんニャ」

 

 それもそうか。

 

 「それなら今回はみのがしてやるが、もしも大きな被害が出たら一晩中エリスに抱き締めさせるからな」

 「そこらへんはあちしもプルセナもララ様もわきまえてるニャ。あちしだってボスに怒られるのは怖いからニャ」

 「それならいいけどよ」

 

 ●

 

 後日、ララが突然大きな声を出して家族がビックリするという事があった。

 

 ゼニスはちゃっかり自分だけ耳を塞いでいたので何をするのか事前にこっそり聞いていたんだと思う。

 

 吠魔術特有のふらつく感じがなかった事と、皆の視線を浴びて顔を赤くしながらなんでもないと言っていたララを見て失敗した事に気がついた。

 

 実はちゃっかりマスターしているのでもし相談されたらコツを教えてやろう。

 …………ミグルド族の声帯って人族とたいして変わらないよな?



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親愛

 本屋に行くとウン──大きい花を摘みに行きたくなるというのは、青木なんとかとかいう女性の名前から取った現象だっただろうか。

 

 もちろんこの世界に彼女は居ないだろうけれど、図書館の入口近くにトイレがあった事からそういう生理的な感覚は世界共通なんだと思われる。この世界でも誰かの名前を拝借して現象名にしているのだろうか。俺は絶対にそんな事で歴史に名を残したくないが。

 

 「フィッツ先輩もトイレに行かれたりするんですか?」

 「えっ!?」

 

 どうやら行かないらしい。

 やはり学園規模とはいえアイドルというのは生物として違うようだ。

 

 「いやトイレくらい行くから! ルーデウス君はボクをなんだと思ってるのさ……」

 「王子様ですかね」

 

 女生徒がフィッツ先輩に向ける眼差しはルークに対するそれとはまるで違う。

 ルークは会いに行けるしお眼鏡にかなえば一晩を共にする事が出来るという距離感のバグったアイドル。

 逆にフィッツ先輩は神々しさに溢れており、触れる事は愚か近付くことも許されない高貴な存在。

 

 では今隣にいる俺はというと、関わったら殺されかねない冒険者上がりのバケモノ……とは言われなくなったが、友達百人作らなければいけない時であっても絶対にカウントしたくないヤツらしい。

 俺だってお前らなんかに頼まれても富士山の上で一緒におにぎり食べてあげないんだからね!

 

 「王子様って……ボクはそんなんじゃないよ」

 「もうオーラからして神々しい。僕のような田舎の村生まれで冒険者上がりの下賤な輩とは違いますからね」

 「そんな事ないと思うけどな……」

 

 フィッツ先輩には珍しく、口を尖らせながら拗ねたように耳に触れる。持ち上げ過ぎて照れてしまったのだろうか。もしくは俺が卑屈過ぎて気に触ったか。

 そうならここは謝らないのが正解。

 俺という友人を貶されて怒ったのなら何か言った方がいいかもしれないが。

 

 「ちゃんとルーデウス君の事を好きな人は、居ると思うよ」

 「そうですかね」

 

 童貞とお別れした以上前世よりも進歩はしているが、どうにも異性が絡むと今のところ失敗続きだ。この体で四半世紀も生きていないのにそっち方面のトラウマは増えるばかり。息子が再びリングに立つ日は来るのだろうか。

 

 「…………例えばボクとか」

 「…………フィッツ先輩は同性相手でもイケる口ですか」

 「そういう意味じゃないよ!」

 

 つまり親愛という事だ。

 そういう意味なら特別生クラスのやつらもそんな感じかもしれない。

 

 「でしたら僕もフィッツ先輩が好きですよ。同じですね」

 「うえっ!?」

 「驚くくらいなら自分で言わないでくださいよ……」

 「あっ、ご、ごめん……?」

 「謝らなくても大丈夫です」

 

 要は元気付けてくれた訳だ。

 キミは一人じゃないよ、と。

 

 「処世術とはいえ卑屈過ぎてもいけませんね。次からはフィッツ先輩に気を使わせないよう頑張ります」

 「ああ、うん。そうしてくれると助かるかな……」

 

 ●

 

 「好きって言って、好きって言われたのにまた勘違いされた……」

 「つまりどういう事ですか?」

 「シルフィはまた失敗した、という事です」



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一本

 迷いは足手まといであるから捨てろ、だけどそれは考えることを止める事ではないとエリスは言う。

 剣神流を体現した良い言葉だ。

 これが水神流ならば慌てず乱れずとなり、北神流なら死をも恐れず唯勝つのみとなるのだろうか。極めた人に師事したことないから知らんけど。

 

 やられる前にやる事を目指す剣神流は実にエリスにピッタリだ。だが全てその通りに出来るほど人生甘くはない。

 そこでゴリアーデ……ではなく合理である。

 合理主義の果てにたどり着く、一切の無駄を省いた必殺の一刀、光の太刀。

 ……これですら凌がれる事もあるんだから世界は広く恐ろしい。

 

 ひとまずウチの夫は必殺の一撃を放つ事が出来る。俺は無理。だから状況の打開にまごつく。

 

 だって名は体を表す代表作が泥沼だぜ? おまけに剣での実戦なんてほとんど無いといってもいい。

 何故人が刃物より銃を使うようになったのか。自分が目の前の相手を殺したという罪の意識から逃れたいからだ。

 だから俺も遠距離から攻撃できる魔術を覚えた……訳では当然無いが。

 体質的にも性格的にも遠距離戦の方が向いてるのだ。北神三世相手に格闘戦を挑んだ俺が言うことじゃないかもしれないが。

 そんな事が出来たのも魔道鎧のお陰だし。剥き身の俺が剣を振るう事態なんてのは最悪の状況なのだがそれはそれ。鍛えた体は裏切らないしね。

 

 それでもルーシーに剣が吹っ飛ばされた時は驚いた。単純に力負けしてしまうアルスやジークではなく、ルーシーにだ。

 

 「ボクだってちゃんと鍛えてるんだよ?」

 

 自信満々に言った後、小さな声で「あっ」と漏らして少し気まずそうに頬を掻いた。

 

 「別にパパの鍛え方が足りないとか思った訳じゃなくてさ……」

 「分かってる。俺に無い物をルーシーが持ってる証じゃないか。よくやったな」

 

 褒められ、照れて耳に触れる仕草はシルフィに瓜二つだ。髪の色は違えど、二人が親子である何よりの証だろう。

 

 「家事の合間を縫って剣の稽古を?」

 「もちろん、魔術もね。」

 

 家族のために頑張ろうとするパパの気持ちがちょっと分かってきたよ、なんて言われると気恥ずかしい。後悔しないために全力で物事に取り組む事を信条にしたとはいえ、体を鍛える事を現実逃避の手段にしていた時もあったから。

 

 ルーシーにとっては子供の頃からの習慣だったとはいえ、父や母のように肩書に直結するほどの成果を上げられなかったのは気にする所であったのかもしれない。

 学校では何かしらの呼び名があったのかも知れないけれどそれは俺の知るところではないし、ルーシーも恥ずかしがって教えてくれないだろう。……シルフィ達は知ってそうだし、こういうのも父娘のコミュニケーション不足っていうのかな。

 

 結果や成功の見つからない稽古ほどつまらない物は無いと思うが、理由が見つかればやる気を落とさずにいられる。

 ルーシーとってそれは俺と同じで家族の為だったという事なのだろう。やはり母になった女性は強い。

 

 「危ない事があったら無理せずパパを呼ぶんだぞ? 魔道鎧を着こんで街の一つくらいならブッ飛ばしてやるからな」

 「パパはホントにやりそうだからやめてよね……」

 

 本当にそんな事態になったら俺よりもエリスが憤慨するだろうから、俺はちょっと落ち着きを取り戻したりするんだろうけど。

 

 「そんじゃ剣も作り直したし、もう一本やるか」

 「木刀じゃなくて手製の石剣って事はもしかしなくても剣飛ばされたの気にしてるよね……?」

 「……こんどは魔術アリでやるか」

 「パパ卑怯! またアイシャ姉に怒られるよ!」

 

 うるせえ、俺にも筋肉のプライドがあるんじゃ!

 泥まみれになった庭の一つや二つ、俺が魔術でパパッと片付け……てもアイシャにはバレるんだよな。しかもしまいにはシルフィにチクるし。

 まあ大丈夫だろ! アイシャがタイミングよく帰ってくる事なんてないだろうし!

 

 「どろぬ──」

 「たっだいまー! 皆元気にしてたー!? アイシャお姉ちゃんですよー!」

 

 門の辺りから響く声。

 さらば俺のプライド。



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性徴

 体の成長速度に個人差があるというのは、家族を見ているだけで言葉以上に実感できる。

 父親が一人でも母親が三人もいれば当然その子供達も多種多様。体つきから髪の色に至るまで皆バラバラだ。

 そうなってくるとこう、とある部位の大きさを下から数えた方が早いわたしとしては少し思うところもあるわけで。

 キャラじゃないとか言われるかもしれないし、救世主呼ばわりされたって乙女の端くれだもの。

 

 「ルー姉は希望の星だから」

 「ママよりちょっとお肉付いただけでそこまで言う……?」

 「だってどう考えてもパパの血の力じゃん」

 

 お婆ちゃんも叔母さ……お姉ちゃん達も非常にメリハリのある体型をしている。赤ママほど下地となる筋肉はないけれど、ただ脂肪を集めただけの体とは全く違うのが分かる。何より柔らかい。

 

 「わたしも柔らかさを求めてはいかんのか?」

 「ボク、ララがここまで追い詰められてるの初めて見たかな……」

 

 ママと妹とすっかり横並びになってしまったフラットボディ、通称スットン共和国はあまりにもミグルド族の血の影響が出ている。

 パパのほめ殺しに満足したママと魔道具に心を奪われた妹。そして残されたわたしと言う最後の希望。

 

 「救世主とはこういう意味だった……?」

 「オルステッド様が聞いたら泣くんじゃないかな……」

 「いいじゃん。あの人が泣いた所なんてパパでも見たことないかもよ」

 「ええ……?」

 

 パパとレオには少し悪い気がするけれど、乙女の意思をたまには優先させたっていいじゃない。

 

 ●

 

 「という訳で助言を求めに来ました」

 「……そう」

 

 つまらなそうに見えて、真剣に話を聞いてくれてるのは分かる。でもこう、赤ママと一対一で話していると稽古を思い出してあらぬ緊張がわいてくるというか。

 

 「こんな物あっても邪魔なだけよ」

 「パパは喜んでるのに?」

 「ルーデウスは無くても喜ぶわ」

 

 そういう割には色々思い出してしまったのか普段より顔が赤いし満更でもなさそうだ。パパ相手の時は押して押して押し倒すのに、娘やら他のママに押されるのは弱いらしい。パパはこういう事も分かっていて赤ママが好きなんだろうな。

 

 「そもそもアンタの相手がどういう体型が好きかとか分からないんでしょ?」

 「うん、全く」

 「だったらいいじゃないの」

 「いや、どうせなら個人的には欲しいといいますか……」

 

 すくすく育った末っ子と従姉妹がお姉ちゃんちっちゃくて可愛いとかなんとか言いながらわたしの事を膝に抱えた時はやるせない気持ちになったのだ。だからといって寿命の差から来る成長期の違いだけを信じて生きていては、努力を怠るという我が家の思想からは大きく外れた人間になってしまう。

 

 「という訳で何か……」

 「そうねえ……」

 

 ●

 

 「それで剣を?」

 「私は剣に打ち込んで来た結果こうなったからアンタも試してみたら、って」

 「効きそう?」

 「無理でしょ」

 

 日課以上に剣を振るったらただでさえ数少ない胸の肉が全て筋肉になりかねない。わたしが目指しているのはパパみたいな何もかもを削ぎ落とした体ではない。

 

 「リーリャさんは元剣士なんだから結果になってるじゃん」

 「前例が赤ママと合わせてまだ二つしかないけど」

 「ボクもいるよ。はい三つ」

 

 白ママよりほんのり大きく育った胸を自慢気に誇りやがって……。しかしルー姉を勘定に入れない場合、自らの希望も否定する事になってしまう。

 

 「元冒険者と元王女の護衛の場合は……?」

 「青ママは純粋なミグルド族なんだから仕方ないでしょ。白ママは長耳族の血が濃く出た結果だね」

 

 ならばと自分を振り返れば、母には使えぬ種族特有の念話能力。更にこれまた種族特有の特徴的な髪色。

 あれ、これ……。

 

 「じゃあわたしもう詰んでない……?」

 「……やってみなきゃ分かんない事もあるよ」

 「おい、目を見て話してくれ姉上よ」

 

 ノルン姉さんは剣を振る。アイシャ姉さんは剣を振らない。でも二人とも大きい。恐らく秘密はお爺ちゃんにある。でもそれを知る術はない。パパがどんなにお墓に話しかけても答えが帰ってきた試しはない。

 

 「お婆ちゃんにも聞いてみたらいいじゃん。ララじゃなきゃ聞けないんだし」

 「……姉上はわたしがお婆様にお伺いをたててないと?」

 「あ、もう聞いたの?」

 「普段通りのお婆ちゃんというか『ララちゃんもそういう事考えるようになったのねえ』って」

 「有益な情報は得られなかった、と」

 「お婆ちゃんもひいお婆ちゃんから順当に受け継いで来た人だからね……」

 

 知識を得ることは出来なかった。後は自分の中にも受け継がれているパパの血を信じてみるくらいしかない。

 

 「他にやることが無いから剣に打ち込んでみる、くらいの考えでもいいんじゃない? 体に悪い事をしてる訳じゃないんだしさ」

 「……ダルいけど、まあそうだね」

 「ちょっとはお腹のお肉減らさないとね?」

 「そんなのついてないし」

 「はいはい」

 「摘まむなし!」



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制服

 大量生産大量消費がこの世界では是とされていない──出来ていない以上、兄弟姉妹の服はどうしても上の子のお下がりが多くなってしまう。

 もちろんこれは大学の制服も例に漏れず。

 

 「結構な数になったもんだな」

 

 六人の子供達が成長期を無事に通り抜けてきた証なのだから当然か。

 

 「捨てちゃうのもなんだかもったいない気がするねえ」

 

 周りに新しく大学に入学する子が居れば譲ったり出来るのだが、あいにくそういう知り合いには心当たりがない。

 アルスの制服なんかは悪い意味で欲しがるヤツが出てきそうではあるが、ウチはそういう事をしてまで懐を温めたいというような事情もない。

 アイシャあたりが居ればただ端切れにする以外に上手いアレンジ方法を打ち出してくれるだろうが、現在不在である。

 さてどうしたもんか。

 

 「せっかくだからさ、ルディ久々に制服着てみない?」

 「うぇ、俺?」

 「久しぶりに制服着たルディが見たいな、と思って」

 

 ダメ? と上目遣いをするシルフィみたいに見た目がほとんど変わってなければいいけれど、俺は相応にオッサンになっている気がしてならない。

 

 「じゃあ俺も一つお願いしていい?」

 

 ●

 

 俺も昔着ていたハズの制服だけれど、肩周りやら腕の辺りがキツい気がするのは、どうか体を鍛え続けている結果であってほしい。

 筋肉は脂肪より重いというのは覚えているけど体積はどうだっただろうか。相変わらず摘まめるお肉は無いと思うが、体格的に大差ない息子達の制服がキツく感じるということはトレーニング不足なのかもしれない。この体をまだまだ可愛がってやる必要があるという事か……。

 

 「シルフィ、一応着てみたけど……?」

 

 シルフィの姿が見えない。

 二人して制服姿になった後は周囲の目なんか気にせず街へ繰り出して制服デートだ! と一人で勝手に意気込んでいたのだが。

 女性の支度が長いのはよくある事だし、腰を据えて待とう。この程度の事でせっつくような男ではないよぼかぁ。

 

 「ル、ルディ……」

 

 自信の無さそうな声と共にシルフィが顔だけを扉の隙間から覗かせた。

 

 「もしかしてサイズが合わなかったりした?」

 「そういう訳じゃないんだけど……」

 

 シルフィの華奢な体型ではあり得ないだろうが、一応聞いてみる。

 三日に一度のボディチェックに抜けがあったかもしれないし。俺だって当然完璧な人間では無いわけだし。

 

 「ボクって学校行ってた頃は男物の制服着てた訳じゃない?」

 「そうだね」

 

 サングラスで目元を隠し、マントで体の線を隠していた頃。男装故にズボンをはき、肌を出すことすら控えていた。

 フィッツが偽りの姿であると見抜くように誘導され、思いを告げあった後も髪を伸ばしたくらいで劇的な変化はしなかった。

 今でこそ昔のように短いパンツをはいたり、柔らかな雰囲気の服を好んで着るようになったが……。

 

 「もしかして久々にスカートはくんだっけ」

 「…………そうだよ」

 

 思い出してみればシルフィがスカート姿になるなんて、パーティー用のドレスを着た時くらいしかすぐに浮かんでこない。

 日頃から綺麗なおみ足を見せてくれているがスカートは本人的に何か違うのだろうか。

 

 「気にするなシルフィ。どんな服でも君が着ればそれはその日世界最高の装いさ」

 「まーたルディは調子のいいこと言って……」

 

 赤面はしているけれど、昔ほどシルフィに照れた様子はない。いいのさ、これがお互い年を取るって事だし。

 

 「緊張は取れた?」

 「すっかりね」

 

 そうは言いつつもまだ躊躇いがちに姿を表すシルフィ。臭いセリフに耐性が出来てしまったせいで、勢いに乗り切れないようだ。これは付き合いの長さの弊害か。

 

 「……どう?」

 「もちろん最高」

 「……ありがと」

 

 ●

 

 制服デートはご近所さんの目があるし恥ずかし過ぎるからと、NGを食らってしまった。

 だが制服姿の俺達を見かけたロキシーとエリスの興味を引き、二人にも制服を着せる事に成功した。夜の運動会に制服で集合するという新たな道が開けたというわけだ。

 これで青春時代の夢がまた一つ叶う。

 子供達よ、自分に素直なパパを許しておくれ。

 

 ●

 

 「……だからもう誰も着てないハズの制服が干してあったんですか」

 「ルーシーとかには言っちゃダメだぞ」

 「いやあ、女性はそういうトコ鋭いですから気付いてるかもしれませんよ」

 「……かなあ」

 「少なくともララ姉は既に一回は覗いてると思います」

 「遺伝した覗き癖は治らないな……」



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見てみたい?

 目は口ほどに物を言う、と聞く。

 心を映す、とも。

 

 これは俺の世界の言葉であるが、考え方としてはこの世界でも変わらないと思う。

 エリスの様に感情表現のハッキリした人でなくとも、現在の目付きでどんな気分かある程度分か――いや、俺はエリスの事を分かっていると思っていただけで結局分かってなかった。

 

 だからってこのことわざが間違っていると断じる事が出来るほど俺は自分の主張を持っている訳じゃないけれど。

 

 目が釣り上がっている人がいれば不機嫌なのかもしれないと距離を置いたりするし。

 

 

 「ルーデウス君はこの下、気になる?」

 

 だからフィッツ先輩にこう言われた時はちょっと困ってしまった。

 

 気になると言えば気になる。

 

 人前で言葉を発する事が無いとまで言われているこの人が、俺の前では感情をあけっぴろげにしてくれている上に、やたらと距離感が近い。

 長い付き合いでもないのにやたらと信用を得ていて、恐らく秘密にしているような事を打ち明けるような素振りのこの提案。

 ……怪しい。

 

 王女の護衛という立場の人間が俺みたいな木っ端冒険者にわざわざ近付いてくるだろうか、という疑問もある。

 入学試験のアレがやっぱり尾を引いているのだろうか。

 戦力として利用できそうだ、みたいな。

 

 今は自分の事で手一杯だし、我が息子の問題が解決したら今度は母を探して三千里という問題がある。悪いが王女様に構っている場合ではない。

 

 「フィッツ先輩、これは僕の持論なのですが」

 「普段眼鏡をかけている人の眼鏡をとるということは、その人の魅力を一つ欠くという事だと思うのです」

 

 男同士なのになにやら緊張していたのか、身構えていたフィッツ先輩から気の抜けるような声が聞こえた。

 

 「何か事情があってそのサングラスをかけているんでしょう?」

 「えっと……まあ、そうだね」

 「だったら無理に外すことはありませんよ」

 

 視線を隠せるのは大きなアドバンテージになる。

 どうせなら仮面でも付けて口元も隠しちゃえば? とか思うけど何か理由があるんだろう。

 俺に貴族の思考は分からん。

 

 「無理……じゃないんだけどさ」

 「そうなんですか?」

 

 わざわざ外して見せたがる理由が思いつかない。

 もしかしてサングラスの向こうには相手の言うことをきかせる様に操る事が出来る魔眼があったりして俺相手に使うには後ろめたい気持ちがあるからこんな事を……無いよな。

 

 王女の護衛なんだからそれくらい持っていても不思議じゃないが、だったら俺にこんなに入れ込まないハズだ。

 自分が苦しくなるだけだし。

 

 ただ、今まで俺に見せていた姿が全て演技で「君との友達ごっこは楽しかったよ」とか言われちゃったら泣く。

 相棒どころか心が完全に再起不能ノックダウンだ。

 

 「だからもしルーデウス君がサングラスを外して欲しくなったらいつでも言って」

 「――――覚悟はしておくから」

 「は、はい……」

 

 覚悟が必要な事に深入りする心構えが俺にあるだろうか、と思いながらフィッツ先輩を見送る。

 気にはなるけど、一周回って怖くなってきた。

 もしかしてあのサングラスを外すことは俺にとってパンドラの箱を開ける事になるのだろうか。

 ブルっちまうぜ。

 

 ●

 

 「なんでそこまでいってサングラスを外さないんだ」

 「そんなの無理だよ!」

 「ちょっと手でズラすだけでいいだろうが……」

 「ルークには分かんないよ!」

 「……シルフィがルーデウスと再会できるのはまだまだ先のようですね」



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君に夢中

 洋風建築であるグレイラット邸には床に座るという文化が基本的にはなく、基本的には父親が正座をして嫁のお叱りを頂く時に見られる光景である。

 

 もしくは子供達が怒られる時。

 

 ●

 

 「リリはどうやってあそこまでシルフィ怒らせたんだ……?」

 

 怒耳、天をつくといった感じで耳が角のように上を向いている。

 

 「お皿を割っちゃったんだよ」

 「怪我がなくて良かったじゃないか」

 「一枚や二枚じゃなくて家のお皿ほとんどね」

 「え」

 

 説明してくれたアイシャもちょっぴり怒っているようだ。

 

 我が家の食器はルーデウス印の魔力原産となっているお陰で金銭的負担は無いものの、割るにしろ片付けるにしろ相当めんどくさい事は想像がつく。

 

 「しかしなんでまたそんな事を」

 

 早めの反抗期か。家の皿を壊しまわって卒業するつもりだったのか。

 成人もまだなのにパパは許さないぞ!

 

 「この前お兄ちゃんがお皿治してるのリリが見てたでしょ」

 

 どんなに気をつけていても形あるものはいつか壊れる。

 皆が怪我をしないようにそこらの皿よりは頑丈にしてあるつもりだが、限度があるのだ。

 頑丈にしすぎるとメチャクチャ重くなって筋トレ用とかになっちゃうし。

 

 「確かに遠巻きに見てたな」

 

 危ないから膝の上での見学を禁止し、肩から覗いたり脇から顔を出すのもNGとした。

 可愛いおめめに破片でも入ったら親御さんに合わせる顔がない、と言ったらようやく安全な距離とってくれた。

 その内保護メガネでも用意してあげようかね。

 

 「その作業がパズルみたいに見えたんだってさ」

 

 金継ぎ職人になったルーデウスを見て娘は弟子入りすることなく自分でやってみようとした訳だ。

 

 結果どうなるかまで想像してないうかつな感じがロキシーと俺の娘っぽい。

 

 新しい事に挑戦しようとして失敗したのとはちょっと違う。

 やり方が悪いという事はきちんと理解してもらわないといけない。

 

 「伝わるかな、ちゃんと」

 「伝わるよ」

 

 俺よりリリを見てきたアイシャの言葉には自信を感じる。

 

 「お兄ちゃんとロキシー先生の子だもん」

 

 ●

 

 リリが危なっかしいのは産まれてからずっとだ。

 

 興味を示した物はなんでも触り掴み、口に含んで吐き出す。

 ハイハイで縦横無尽に駆け回り、恐れず頭から飛び込む。

 剣の訓練をしない内から治癒と解毒のお世話になりっぱなし。

 傍から見ててハラハラするのは母親譲りか。

 落ち着きは全て姉のララに吸い取られてしまったのか。

 ララは落ち着き過ぎて尻を蹴られたりしてるが。

 

 「どうにかしないとな」

 「何をですか?」

 

 くりくりおめめが俺を見上げる。

 澄んだ瞳には悩みなんてなさそうだ。

 

 「怪我の防止」

 「白ママのお得意ですか?」

 「そうでもないさ」

 

 興味をうまく安全な方に誘導してやりたい。

 そういうモノが揃っていそうな所に協力を仰ぐ。

 

 「たのもーう!」

 

 ●

 

 「壊すことが本意でないのならそちらに注力できるようにしましょう」

 

 皿割り娘の悩みを相談に来たのはザノバ人形商店。

 壊しの先輩の話を聞こうと思ったのだ。

 

 割れた皿を治してほめられようとした訳ではなく、欠片の形状分析と再結合の達成感。

 突飛な行動に見えるが実に子供らしくて可愛いではありませぬかとザノバは笑い飛ばす。

 

 「こちらを」

 

 ザノバが差し出したの寄木のからくり箱……に見えるが木から作られたようには見えない。

 

 「余が強く握りしめても壊れぬ程の剛性です」

 「そんな材料があったのか?」

 「内側に魔法陣が掘られているのです。オルステッド殿が何かの助けになればと」

 

 リリの手に収まるサイズなのでたいした物は入れられないし、中の物を取り出そうにも時間がかかる。手慰みには丁度いいくらいか。

 

 「いくつか種類がありますので、まずはこれを分解し元通りに組み立てさせるのはどうでしょう」

 「魔術を使うのはダメですか?」

 「おそらく効果がないでしょうな」

 

 失礼、と言ってリリから箱を受け取ったザノバはリリから見えぬように箱を解きほぐしていった。

 

 「魔術なしでここまで分解できます」

 「わぁ……」

 

 かつてのザノバからは想像できないほど器用な分解っぷり。ここまで出来るには眠れない夜もあっただろう。

 

 「すごいな」

 「師匠とジュリのおかげです」

 

 褒められて悪い気はしない。

 余生と呼ぶには早すぎるが、ザノバも日々を楽しんでいるようだ。

 

 ●

 

 リリはそれから生返事がさらに増えた……ような気がするが、元からそんな感じだったかもしれない。

 

 パパも手伝おうか、なんて言っても箱に触れる事すら許してもらえなかった。

 

 休みの父親を構ってくれるのなんて一番下の子とペットだけって事さ。

 

 ●

 

 新しい仕事は来る。その間にも子供は成長する。

 

 リリが借りていたからくり箱はいつの間にか別の箱へと変わっていた。

 

 「ご覧ください、師匠」

 「これは……この前リリが借りてたやつか?」

 「ええ、面白い発見をいたしましたのでぜひ師匠に報告しようと」

 

 ザノバはあの時と変わらず昔の不器用さを感じさせる事なく滑らかな動きで箱を分解していく。

 

 「お分かりですか?」

 

 ……なんだろう。

 ザノバの分解速度が上がったとかだろうか。

 ルービックキューブみたいに大会があったりして、リリと一緒に出場しようとしてるとかそんな話だろうか。

 

 「仕掛けが増えているのです」

 「……マジ?」



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一役かいたい

 音もなく切られた大王陸亀の首が落ちていく。

 

 苦痛を感じる暇もなかっただろう。

 もしかしたらアイツはまだ自分が死んだことに気づいていないかもしれない。

 その証拠に切り落とされた首も残された四肢も何事もなかったように動こうとしている。

 

 何度も食べた相手ではあるが相変わらずいい気分ではない。

 でもこの気持ちは忘れなくていい。

 グレイラット家の血肉となってくれ。

 

 ●

 

 亀の処理方法はアイシャ先生に師事してきた。

 

 エリスなら甲羅を紙切れのようにスパスパ切ってしまえるだろうが、うっかり内臓までぶった切ってしまうと大惨事になってしまう。

 アイシャ先生も「お兄ちゃん人の話聞いてた?」とお怒りになるだろう。

 

 「ルーデウスに切れるの?」

 「フッ、男の子の腕力を舐めちゃイカンよエリス君」

 

 亀の甲羅は裏側の繋ぎが薄いところを金切りハサミでサクッと…………切れねえ。

 

 「エリスさんや」

 

 剣が収まる音と共に甲羅の裏側がペロリとめくれていた。後で頭を撫でてやろう。

 

 首を落とされ甲羅も剥がされてしまったのに変わらずしぶとく手足を動かす大王陸亀君だったが、足を取り外し内臓を処理していく内に静かになっていった。

 

 静かになっただけでいつまでたっても動き続けている部位はある。

 心臓とか。

 

 ●

 

 煮ても焼いてもゴム長靴の底だった大王陸亀をおいしくいただこうリベンジ。

 今宵は私ルーデウスが台所で頭を下げるシーンから始まります。

 

 現地で寝食を忘れて熱湯での下処理を行いつつエリスに味見を手伝ってもらい、巨大な亀を持って帰れる大きさにまで減らしてきた。

 

 なぜ持って帰ってきたかって?

 皆にもこの味を味わってほしいと思ったからです。

 エリスは優しいですね。

 

 アイシャから「まだまだ下処理が甘い」とのお叱りを受け反省。

 大王陸亀の大きさ的に処理が甘くなってしまった事を説明すると分かってもらえた。

 妹の優しさが染みるぜ。

 

 煮込まれた亀の肉からゴム臭さが抜けて肉らしく食欲を誘う香りがしてきた。

 これが本当にあの大王陸亀なのだろうか。

 

 荒廃した魔大陸から飛び出した大王陸亀君は初めて来る異国の地でかわいいメイドさんに調理され、色鮮やかな野菜に囲まれながら煮込まれてご満悦である。

 首のない亀がご満悦なわけあるかってんだ。

 

 素材は相変わらず悪いが、かつて俺が作った焼いた大王陸亀に香辛料をひたすらまぶした物に比べればはるかに食べられる味だ。

 ロキシーもビックリ仰天大騒ぎ。

 

 「これがあの大王陸亀とは想像できませんね」

 

 魔大陸を飛び出してすっかり舌の肥えてしまったロキシーに褒められて大王陸亀も幸せだろう。

 

 思い出の味とは違うけどこれでいいだろう。

 思い出の味マズイもん。

 

 家族からもおおむね好評であった。

 マズい大王陸亀、ウマい大王陸亀。

 どちらを食べさせても俺としては美味しい結果になったので、今回は良き父親の話としてよしとしよう。



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合図

 「パパ、そろそろ街の外に出ない?」

 

 この言葉はジークからの合図。

 庭先での準備運動は終わったから、近隣住民に迷惑がかからないよう郊外で盛大におっ始めようというもの。

 

 次男坊の遠慮が減った。

 良い意味でも悪い意味でも。

 

 街の外に出る前から勝負は始まる。

 どちらが先に街の外にたどり着けるか。

 

 男は何でも勝負したがるもんだ――アルスには否定されてしまったが。

 でもエリスは理解してくれた。流石アタシの自慢の旦那サマ。話がわかるぅ。

 

 ……アルス最近どんどん王子様みたいになってんだよな。

 ルークと違って一途だから少女漫画のキャラみたいでお父さんは眩しいぞ息子よ。

 

 ●

 

 子供の成長を喜んでいる内に俺の体はシャリーア郊外に降り立った。

 毎度庭先に人間砲弾専用簡易カタパルトを作り出していては苦情が殺到していたので、重力をひっくり返す練習を兼ねてすっ飛んで来たのだ。

 

 風を操り姿勢を制御するのはさほど難しくなく、音速の壁を破るのも時間の問題かと思っていたが、魔導鎧必須な上に高速で目にゴミが入ると超痛い事に気付いて断念した。

 成層圏からダイブする勇気は俺にはない。

 

 ジークの到着が俺より遅いのには理由がある。

 障害物の少ない街の屋根上を駆け抜けてはいるが、踏み込みすぎて踏み抜かないよう慎重なのだ。

 訓練で街に迷惑はかけない。

 優しいね。

 

 「人玉が飛んできたな」

 

 緑色の残像が玉のあちこちに見える事から分かるようにあの玉はジークだ。

 四肢を振り回してどこから岩砲弾を撃たれても迎撃する。

 岩の柱でどついても粉砕する。

 バケモンですぜありゃ。

 

 だから俺は岩砲弾で玉の端の方を擦るように連射する。

 相手が嫌がる事を積極的に行うのは勝負の基本だよ明智君。

 

 この程度では平衡感覚を失ってはくれず、岩の剣山もほぼ意味がない。

 無事に家へ帰りたいね、今日も。

 

 ●

 

 「門番さん、ありゃなんだい」

 

 シャリーアの門番はこの街を初めて訪れた商人のよくある質問にいつも通りの返事を返す。

 

 ありゃグレイラットさん家の大旦那だよ。

 今日は緑色が見えるから相手は次男坊だね。

 見に行ってもいいけど自己責任だぜ。

 

 「いや、遠慮しとくよ。命は惜しいからね」

 

 あれが魔導王か……と言いながら去っていくのもお決まりの流れ。

 

 勇気があるやつは龍神様の度胸試しの話も聞いていく。

 大の大人でも白昼堂々失禁できる人気コースだ。

 あの区画じゃ野良の犬猫より人間の漏らした小便の方が多いだろう。

 

 ……向こうが静かになった。

 今日の分は終わったようだ。

 

 ●

 

 「今日も俺の勝ちのようだな、ジーク」

 「……素っ裸で恥ずかしくないんですか」

 「俺の息子はどこに出しても恥ずかしくないからな!」

 

 死闘だった。

 いくら治癒魔術で身体を治しても、燃えたり切り裂かれた服は治らない。

 失った物は元には戻らない。

 

 「家まで隠れながら帰るしかありませんね……」

 いや。

 「吹っ飛んでいこう」

 

 ●

 

 「……なんで家の主が裏口から帰るんですか?」

 「服を二人分オシャカにしちまった上に、明日から空飛ぶ二人の筋肉ダルマの噂が街に流れるかもしれないからな」

 

 自然と一つになるんだジーク。

 さっきビートに枝葉を強めに揺らして俺達の帰宅音が目立たないようにしておいてくれと頼んだ。

 俺達が素っ裸だったせいで慌てて門を開けてくれた上に葉っぱを分けてくれたビート。

 助かったけど俺達は葉っぱ一枚あれば良いわけじゃない。

 

 「ジーク、マズそうだったら俺の部屋に直接――」

 「直接、何?」

 「シルフィ!?」

 

 一番見つかってはいけない人に見つかった!

 

 「待ってくれシルフィ! お叱りは聞くからせめてジークだけは……」

 「ジーク? どこにもいないけど?」

 「あれぇ?」

 

 俺が頼むまでもなくジークはどこかへ逃げていた。

 ウチの子なら隠れ家の一つや二つ持っているのだろう。

 俺も馬鹿正直に家にまっすぐ帰るんじゃなかった。

 

 「じゃ、正座ね」

 「先に服を着させてもらったりとかは……」

 「葉っぱで隠したら?」



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