サモンナイト4 カルマエンド クリアデータ (( ◇))
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最終話 誰もが願ったその場所は

  最初に居なくなったのは誰だっただろう。

 

 ふらり、ふらりと人の気配の消えたトレイユの町で、外れの宿の店長であるライは剣を片手に歩いていた。

 黒い雪が振る中でも何故か自分はこうして無事で居られる。ライはそう頭の中で思い自分の幼馴染の姿を思い浮かべた。

 

“ごめんね、ライ。もう無理みたい”

 

 高熱で途切れ途切れでありながら、リシェルはライへとそう言っていた。

 肉体から魂が乖離しかけただ息をするだけでも苦しい状態で、頬に涙を伝わせた彼女は、それっきり目を閉じて起きないらしい。死んではいないと聞いても、本当に身体に魂が有るのかライには分からなかった。

 その弟であるルシアン、蒼の派閥の召喚師であるミントも同様で、三人は既にポムニットに連れられてトレイユ外へと出ている。一礼して申し訳なさそうに去ったポムニットの後姿を、ライは見なかった。

 

“アタシはさ、店長達の仲間だと思ってる。だけどそれ以上に『家族』を見殺しにしたくない”

 

 時を同じくしてくのいちの女性はライへと言う。

アカネがどんな表情をしていたのかライは知らない。アルバを抱えて風の様に去ったアカネに、ライは何も伝えることができなかったのだから。

 ただアカネにとってこの町での繋がり以上に大切な絆があり、それを優先したのだとなんとなく分かった。咎めるつもりも非難するつもりもなく、『家族』は仲間以上に優先する者なのだとぼんやりと考えただけだった。

 

“すまんライ。もうこれ以上は帝国軍人として、隠し通すことはできないんだ”

 

 浄化の火種で辛うじて体力を回復したグラッドは、帝国からの援軍に合流し状況の報告を行っているだろう。

 効果が尽きれば彼の命はたちまち燃えてしまう。それでも世界を揺るがしかねない事件を止めるために、グラッドは動いた。助けられる住民を町の外へと送り、一人でも多くの人を助けるために。

 本当はミントと共に居たかっただろう。それでも使命のために命を投げた自分の兄貴分に、何の恨みが湧くと言うのか。

 

 ほんの少し前の話だと言うのにポツリポツリと情景は浮かび、最後に浮かんだのは一人の少女だった。

 嫌だ嫌だと、桃色の長い髪を揺らして少女は言う。目元からは決壊した大粒の涙が零れ、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。

 そんな顔をさせたくなかった。だから戦ってきた。だから切り捨ててきた。だから多くの人と別れてここまで来た。

 

「誰があの子を泣かせている?」

 

 決まっている。

 

「誰があの子から笑顔を奪った?」

 

 決まっている

 

 誰かの願いがあの子を多くの危険に晒している。誰かの憎悪があの子の笑顔を曇らせている。

 

「だったら、そんなものやっつけなくちゃな」

 

 たった一つライに残された意志が示すのは、別れと共に見てきた情景だった。

 『家族』を守るために去ったアカネやポムニットの決断。仲間と呼んだ人達を切り捨てても多くの人を、大切な人を救おうとしたグラッドの決意。

 そして、自分の娘と多くの人達を天秤にかけて、娘を守ると誓った自分の決断。

 

 そうしてライは歩き続ける。自分の決断は多くの人に何かを切り捨てて行かなければならない運命を作り出した。

 なら自分は全て切り捨てればいい。切り捨てる以外にしてはいけないと、ライはそう思う。

 

 彼女を守ると決めた。彼女を笑顔にすると決めた。なら、それ以外に何が要ると言うのだろうか。

 

「……そういえば」

 

 あの子は何と言っていたのだろう。大粒の涙を流しながら彼女は確か――

 

“………で! ………か………………………! パパぁ!”

 

 

「……なんだっけ」

 

 彼女が言っていたのはなんの事なのだろう。

 自分も覚えがある。父親が居なくなってしまったときぐずっていたことを覚えているのだから。

 きっと些細なことなのだろう。それよりもやらなければならないことが有る。

 

――

 

 黒い雪はまるで空気の様に質量を感じられず、寒いも暖かいも感じぬそれはこの町を死へ至らした原因だった。空は曇天に塗りつぶされ日の光さえまともに見れない有様である。

 そんな空の下に一人の男がいた。草色の和服に刀を携えた侍――シンゲンは、煙管から漏れる煙が空の色と同じで酷く忌々しく感じていた。

 忘れじの面影亭の庭でただ時間を潰すことしかできないその身を恨めしく思っている。だが今の自分では何も変えられない事を彼は良く理解していた。ライが人とは外れた存在――越凶者となってしまったとき、シンゲン以外の竜の子や御使いは気絶させられたが、彼だけはライから頼まれていたのだ。

 

「本当に、忌々しいったらありゃしない」

 

 その言葉は誰に言ったのかシンゲン自身も理解していなかった。だがその対象をあえて定義するなら彼を取り巻くこの世界に他ならなかった。

 子供たちの思いは容赦のない大人の現実に踏み潰された。自分たちはそれを守りたくて仕方がなかったはずなのに、こうして無力な様を見せることしかできなかった。

 たった一人残された子供は、大人になる以外の道は残されていなかったのだ。大切な人たちと別れ、大人が行ってきた割り切るという意味を理解してしまった少年は、その意志を示すために一人向かってしまった。

 

『……頼むよシンゲン』

 

 そう言ったライに表情は無かった。だが声色から酷く悲しいものを感じ取れていた。

 その声を聞いてシンゲンはライの味方で居ようと決めたのだ。無論この宿に居た者達は皆仲間だった。だからこそたった一人で敵の軍勢に向かったライにすべきことなど決まっているのだから。

 三味線を鳴らし煙管を落とす。宿の中から慌ただしく表れたのは、この宿に同じ目的を持っていた仲間だった。

 竜の子の御使い、アロエリとセイロンだった。昨日ライによって気絶させられていた彼らは、目が覚めて一人庭で煙管を吸っていたシンゲンに気が付いたのだ。

 

「シンゲン…っ! あのバカは何処に居る!」

 

 そう叫んだのは有翼の亜人であるアロエリだった。表情には明らかに怒りがある。それはたった一人で敵の軍勢に向かって行き置いて行かれたライや、それを知っていてなお暢気に三味線を叩いているシンゲンへ向かっていた。

 

「はてさて、馬鹿者と言われても自分の知り合いはどいつも馬鹿者ばかりでして、いったい誰の事やらわかりませんな」

 

「呆けている暇ではないことは、お主にもわかっているであろう?」

 

 龍人であるセイロンが殺気に近い視線をシンゲンへと送っている。それでもなおシンゲンは飄々とした態度を崩さず、てぇんと三味線を弾いた。

 

「自分はただの伝言役ですよ。『俺が何とかする。だからミルリーフを頼む』。……店主が望んでいるのはあんたらの手助けじゃない。さっさと旅支度をして、逃げる準備をすることです」

 

 帝国も動いている以上、至竜の存在は事件に絡められて確保に乗り込むだろう。そうなればその身がどうなるかは御使い達も良く知っていることだった。

 

「……成程な。お前が何処までも臆病者なのは分かった! だったらそこでずっと腐っていろ!」

 

 そうシンゲンに向かって叫んだのはアロエリだった。

 ギアン達と戦って一日たっただけでマナ枯らしは町を死に至らしめた。その事実に御使い達が何も思わないはずがない。自分たちの使命がこの結末を招いたのなら、責を感じるのは当然のことだった。

 だがそれを理由に留まることをアロエリは良しとしなかった。たとえ言えた義理ではないとしても、仲間を見捨てる様な理由にはならないと彼女は思う。

 背中の翼に力を入れ、地面を蹴り出そうとした時だった。ざん、とその足元が抉れ、同時にアロエリの羽がはらりと地面に落ちた。

 何が起きたのか、その原因へと自然に視線は向かう。そこには飄々とした男の姿は無く、静かな表情で腰の剣へと手を添えていた。

 

「……何の真似だ、シンゲン」

 

「言ったでしょう、店主は『助けを必要としていない』。余計なことをするなという事です」

 

「お前何をっ……」

 

「これ以上あの子に何を背負わせるつもりだと、そう言ってるんだ!」

 

 続けようとしたアロエリの言葉はシンゲンの剣幕に閉ざされる。シンゲンが何もせずにライを見捨てようとしている。結果だけ見ればこの言葉に集約され、アロエリには反論する言葉がいくらでもあった。

 同時にシンゲンがライの事を思いやっていることが嫌でもわかる。たとえ御使いを敵に回したとしてもトレイユの住民を、ライの周りの人達を助ける選択をしようとした彼が今どうして自分たちを止めるのか分からなかったのだ。

 

「町と娘と仲間をまだ子供と言っても差支えのない年齢の少年に掛けさせた。そして結果は……町も仲間も犠牲にしてたった一つを残すことしかできなかった。……自分で自分が嫌になりますよ。最早負担にしかなれないこの身がね」

 

 シンゲンの自嘲するような言葉にセイロンはライの状態にある程度察することができた。

 

「店主にとって我らの助力……いや存在すら重荷でしかないということか」

 

 目を瞑り静かに語るセイロンは、最後に見たライの姿を思い出していた。

 

 マナ枯らしが広がり仲間が苦しむ様ををただ見ていることしかできなかったライは、どんどん表情が欠落していった。自分が決断してしまったから、ミルリーフを守ろうと決めてしまったからだと自責し続けた。

 その箍が外れてしまったのは、マナ枯らしの影響を受けた仲間たちが居なくなってしまってからだろう。四方を駆け浄化の火種というマナ枯らしの影響を薄める薬を探し、結局自分たちには止められないという現実を突き詰めた彼は、仲間たちが集まる中でこう呟いた。

 

『……ああそうか、そうだったのか。初めからこうすれば良かったんだ』

 

 ぱき、と。ライの右腕にあった腕輪が壊れる音が響き渡る。

 

『何時までガキで居るつもりだったんだ。違うよな、一人で立つって決めたんだろ? なら俺が一番にやることなんて決まってた』

 

『パパ!!』

 

 その変化に一番初めに気が付いたのが竜の子であるミルリーフだった。ライの所持するマナがどす黒く変化していき、抑えられてきた響界種としての力が彼の思いと共鳴していくのが分かったのだ。

 古き妖精の血が憎悪によって染まっていく。人から人以外のモノへと至り、それでもライで在り続けたのは彼の目の前に居る少女のおかげだった。

 

『ゴメンなミルリーフ、俺がバカだったんだ。俺がお前を守るから。お前に辛い目を合わせる奴ら、全部やっつけるから』

 

『……違う、違うよパパ。私は』

 

 ライの表情は変わらない。笑いかけているはずのライの瞳は何の感情も宿さず、ただ決意だけがそこに在った。

 そんなライの姿にミルリーフは恐怖する。自分のせいで、そんな言葉は仲間がマナ枯らしで倒れたときから何度も自問してきた言葉だ。だけどそれ以上にライがライでなくなってしまう事、……自分の父親が変わってしまう事の方が恐ろしかった。

 止められない。それでもミルリーフは手を伸ばす。この世界でライという人間が認識しているのは自分だけしか居ないのだから。

 

『行かないで! そこから先に行っちゃダメ! パパぁ!』

 

 

 セイロンの記憶はそこで途切れている。

 目の前に居るシンゲン以外全員を気絶させたライは、一人敵の軍勢へと向かって行ったのだろう。自分の身もこれから先の事も何も目に入っていない、たった一つの目的のために。

 ライは越凶者として目覚めてしまった。それでもライという人格を形作っていたのはその目的を果たすためだった。

 セイロンは空を遠く見上げる。自分たちの使命を少年に背負わせ、大人にならざるを得なくしてしまった。だからライは(カルマ)を背負ったのだ。子供なら背負う必要のないそれを、彼自身が目的のために大人であると決めたのだから。

 

「シンゲン、店主の荷を我らでは背負う事はもうできなくなった。だが店主の行く先にあるのは、修羅へと至る道だけよ。……それでもお主は店主の行く先を止めぬと言うか?」

 

「満たせず生きていない餓鬼に堕とすよりマシだと、そう思う事しかできないんだよ。 既に犠牲は出て、たった一人背負おうとしている男に自分がやれることはこれだけだ!」

 

 だからシンゲンは仲間に対してこう言う事だけしかできなかった。これ以上ライの目の前で失わせる誰かを作るなと。失う前に失せろと、かつての仲間の斬ってでもライの前に行かせない事しかもうできないのだ。

 アロエリは動かない。自分の存在がライを追い詰めると理解して、どうして動くことができるだろうか。

 対してセイロンは違う。剣を構えるシンゲンに対し、手甲を付けた手を体の前で構えた。

 

「お主が言うのは道理なのだろうよ。不徳を成した我が身で店主に何かを言う資格は無いのは分かっている」

 

「分かっているなら、止まってくれはしませんかねぇ」

 

「だが、言わねばならない者が居る。その者の道さえ遮るのなら、通らねばならぬよ。お主とは道が違えてしまったとしてもな」

 

 この世界でライに認識されていない者が掛けられる言葉など無い。だがライが守ろうとしているその者だけが、声を届かせることができる。修羅へと至らせるのではなく、餓鬼へと堕とすのではなく、人のまま留められるかもしれないその人物が。

 何時だったか二人は言った。道が交わらぬのなら戦う以外に示すことはできないと。既に言葉は無く、二人の影は一瞬で交差した。

 

――

 

 ぐるりと辺りを見渡したライの視界に入ってきたのは、鋼の軍団の一部であっただろう、機械でできた兵士たちの残骸と、マナ枯らしによって衰弱した人間の手から離れたはぐれ召喚獣たちが倒れ伏す姿だった。

 この場所で決着をつけると、そう誰かが行っていたことをライは記憶している。だがライ自身が倒すべき敵は既に倒された後であり、その中で一人だけ立っている人影が見えていた。

 その姿に少しだけ驚き目を見開いても、すぐに無表情へと変わっていた。黒のライダースーツに蒼の魔剣を手にした男――ケンタロウの姿に対して、来ていたのか、という感想だけしか持たなかった。

 

「――ようライ。遅かったじゃねぇか」

 

「親父」

 

 言いたいことは多く在るはずだった。顔を見たら殴ってやろうと考えたこともあった。だが今の自分にとってそんなどうでもいいことをしようとは思えなかった。

 

「……今更何をしにきたんだ?」

 

「まあー、お前が思ってる事と同じだ」

 

 ケンタロウは軽く頭を掻きながら場違いなほど気楽な口調で言う。そして言葉に言い淀みやがて静かに口を開いた。

 

「……済まねぇ、遅くなった」

 

「別に、呼んでないから仕方ないだろ?頼んだつもりもないし」

 

 ライの言葉に感情の起伏は無く、ケンタロウのことを恨むことなどしていなかった。ミルリーフに言ったように、自身が甘く子供だったからこそ起こした事態に、どうしてケンタロウを責めることができるだろうか。

 

「テイラーのガキどもはどうだ?」

 

「……もう居ない」

 

それはこの世を指すのか、トレイユの街のことを指すのか口調からは分からない。

だがケンタロウはテイラーがある程度の対策は取るだろうというある種の信頼があった。

 

「……そうか。竜の御子は?」

 

「あの子は街に置いてきてる。回りには御使いの保護もある」

 

 だから何も憂いは無いと、そう言ったライが、何を成そうとしているかケンタロウは理解した。同時に自分が来たこの場は最早手遅れになっていることも。

 

「なぁライ。お前はオレに今更父親ヅラするなと言うだろうが、先に言っておく」

 

 ならば自分は言わねばならないとケンタロウは口を開く。ライの父親として、子供を支えなければならない。

 

「後はオレに任せろ。お前が全部背負う必要は無い。だからお前は帰れ」

 

「……あんたは、全部背負うのにか?」

 

「ああ。お前の親父だからな」

 

 ライに任せたのは自分自身だ。ならば責任は取らなければならない。ガキのような性格のままでかくなった自覚はあるが、それが大人になった者の義務であることは理解していた。

 

「多分俺がガキで居られたら、全部親父のせいにしていたと思う。責任を取れって、自分の無責任さを棚に上げて泣きついてただろうさ」

 

「でもな、俺は父親だ。一人前なんてのは口ばっかで、友人だって守れないようなクソガキだ。だけど、あの子の父親なんだよ……」

 

 表情は変わらない、だが淡々としていたその言葉の中には確かに熱が籠っていた。

 

「娘が攫われようとしてるのに、何もしないなんて出来るわけないだろう?」

 

 それはライ自身が親――大人としての責任を負おうとする意志だった。自身の選択が多くのモノを失わせた。ならば自分が守ろうとした娘を、何をしてでも守り抜かなければならないと決意した。

 

「ああ、同感だ。だがなライ、今のお前は俺と同じだ。息子に余計なものを背負わせて、置き去りにしてテメェの矜持貫いたせいで悲しませた。……ただのロクデナシだ。それで良いのか?世界一嫌ってる男と同じだぞ?」

 

 ケンタロウの言葉にライは少しだけ眉を落とした。そして応える。

 

「親父。俺はさ、もう背負えない。場所や街のみんな、仲間でさえもう無理なんだ。俺が背負え守れるのは、もうあの子しか居ないんだ」

 

「まっとうな大人になって、まっとうな人生を歩むっていう夢はどうすんだ」

 

「諦める。ガキのままじゃ何もできなかった。まっとうな奴じゃあの子を守ることなんてできやしなかったんだから」

 

「……ああ畜生、俺様の糞みたいなところまで似なくてもいいだろうが」

 

「親父の息子だからな」

 

 額に手を当てケンタロウは天を仰ぐ。曇天の空からは黒い雨のようなマナ枯らしが降り注いだ。

 

「もうそろそろ行くよ。親父、そこで突っ立ってる暇があったら、あの子のことを頼む」

 

「あそこまで行く当てはあるのか?」

 

「ああ、たぶん今の俺なら行けると思う」

 

 ライの腕に合った腕輪はすでに壊れ、妖精の響界種としての力は解放された。

 瞬間、ライの背に現れたのは黒く濁った妖精の羽だった。母であるメリア―ジュの持つ透き通ったものではなく、憎悪という悪意で濁り染まったその羽は、今のライの姿を現していた。

 ケンタロウ自身もラウスブルグへ行こうと思えば行ける。だが、すでに自分の手から離れた子供、男の行動を止めることも介入することもできなかった。

 只できることは一つ。

 

「じゃあな、ライ」

 

「後は頼んだ、親父」

 

 そうして親子はここで別れる。再会することはもうなかった。

 

――

 

 この後の結末を語ろう。

 古き妖精の血は憎悪に染まった。自身が娘と呼んだ竜の子のために、大人へとなる決意をした少年は(カルマ)を背負い生きていくだろう。

 娘を泣かせる原因となった半妖精の少女も、野心を持った半幽角獣の青年も地に伏し、二度と目を覚ますことは無い。『姫』と呼ばれた少女が死んだことで暴走した『軍団』達は、その時点で少年にとっては娘を脅かす害でしかないと判断された。『軍団』の長も、それに連なる者たちは例外なく、少年の手によって処分されている。

 

 竜の子は至竜へと到り空の『城』は下界の争乱を置いてただ漂うのみ。いずれ大きな戦いが起こる未来があっても、無関係を突き通して穏やかな時を過ごすことができるだろう。

 

「あの子が笑ってくれるのなら、俺はそれでいい」

 

 少年――否、壮年の男はもう笑わない。だがそれでも本人は良かったのだ。一番大事なものを守り通すことができたのだから。

 何を犠牲にしてでも貫き通す修羅へと変わってしまった。それでも満ち足りた何かがあったからこそ、餓鬼には堕ちず生きていられた。

 だから彼の終わりはそれで良かった。

 

「――良くない! 良いはずなんてない!」

 

 至竜の少女は叫ぶ。そして決意する。

 取り戻さないとならない。彼が失った全てを、彼が到ってしまうまでに捨ててきた全てを。

 

 そうじゃないと、きっとライ(パパ)は笑えない、だから!

 

 

 何を犠牲にしてでもみんなが一緒に居た『かつて』を取り戻してみせる。それがたとえ『自身』を捨てるものであったとしても。

 

 

 至竜は自身の役目を『終わらせ』次世代へと託した。そうして残された力を全て自身の父親のために使った。世界を歪め、世界を渡るその術は自身の命すら燃やさなければ発動させることはできなかっただろう。

 少女は思う。自分がであったあの時、みんなが生きていた『かつて』の世界であれば、きっとライ(パパ)は笑顔になれるのだと。

 男は叫ぶ。やめてくれ、と。男にとっては娘がただ笑ってくれるだけでよかった。それだけで自分は救われたはずだ。娘の犠牲の果ての先など求めてはいなかった。

 

 親の思いは子には届かない。ケンタロウがライへと伝えられなかったように、ライの思いはミルリーフに伝わることが無かったのだ。

 

 世界を歪めるほどの儀式は終了した。その場所に嘗て至竜であった少女も、修羅となった男も残されておらず、ただ魔力の残り香だけがそこに漂っていた。

 

 

――

 

 幼い少女にとって誰もいない夜の家は不気味なぐらい静かだった。妹と父親が居なくなってしまった以上、これからはずっとこの時間に耐えながら生活しなきゃならない。瞳から涙がこぼれ落ちそうになるけれども、これからそれを拭ってくれる人はいないのだ。

 二人が帰ってくるまでどれぐらいかかるのだろう。少女でもその時間が少ないものではないことは理解できた。

 我慢しなきゃ、と。自分に言い聞かせながら目をつぶる。

 

 どさりと、物音が聞こえた。

 

「……おとうさん?」

 

 もしかしたら、きっと、そんな言葉が少女の頭を過ぎり、自然にその足は外へと向けられていた。泥棒や強盗を恐れるよりも一人で居ることの寂しさが勝ったからか、玄関の入口の鍵を開けて外へと出た。

 

 そこにはどこか懐かしい雰囲気の男の人が倒れていた。

 

「……ミル、リーフ」

 

 誰かの名前がその男性――ライの口からこぼれた。

 

「おんなじ、髪の色?」

 

 少女――フェアは首を傾げた。



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一話上 (オレ)、拾っちゃいました

 目が覚めたときライがふと思ったのは、体がギシギシと軋む感覚と懐かしいという言葉だ。そこで過ごしたのは幾年も前なのに、すぐ思い出せたからそれほど自分の中に根付いていたのだろう。

 

「……忘れじの面影亭?」

 

 やはりそうだ。ただ起きたその場所は入り口の近くで、体にはバスタオルが掛けられている。随分杜撰な状態で寝たものだ、と。そうして周りの状態が鮮明に理解し始めた。

 ……俺の最後に見た記憶よりも新しく、生活している最中で出てしまった傷などもまだ無かった。どうしてここに居るんだ、そう頭を動かしたとき気が付いた。

 

「……ミルリーフ、どうして」

 

過去への転移、その事象を行うための儀式は生半可なものではないだろう。少なくともそんな現象も術式を俺は聞いたことが無かったし、ミルリーフから消費された大量の魔力を見るに大規模であったことは間違いない。

 

『パパをきっとあの頃へと送って見せるから。だから、パパは笑っていて欲しい』

 

 そういって成長したミルリーフは笑みを見せた。それを俺は見ているだけしかできなかった。儀式の規模は中断すれば自分もミルリーフも木っ端みじんになると確信できる程のものだ。

 だから俺はただ懇願することしかできなかった。無理にでも止めていたのなら、また別の結末があったのだろうか。

 ふと想像してみるけれど……どうしてと、ミルリーフが泣く未来が見えた。どちらにしても最悪だ、ソレを見たくなくて俺は走り続けてきたのに泣かせたら世話がない。

 

「……でも、やっぱり不完全だったのか」

 

 衣服はフード付きで裏地に金属の鎖を付けたローブと、動きやすい素材のズボン。おまけに数本の短剣が見つかった。……ここに来る前の装備そのままだ。外見は二十台半ばぐらいの頃を思い出すけれど、正直覚えていない。少なくとも俺が15歳だった時よりも老けて見えるのは確かだ。

 窓の外から見える風景、家の劣化具合、それらから俺がこの世界に来る前の(ライ)の年齢は、10歳も行かないだろう。たぶん急にこんなに成長した俺を見れば、周りの人たちは大騒ぎするに違いない。

 本来ならミルリーフは年齢も全て元に戻すつもりだったのだろう。俺が若干若返っているのがその証拠だ。失敗したのは……きっと元の力を失ったからだ。

 

「あの子は至竜を、守護竜としてをやりきって、次世代に託した。……だから、か」

 

 ミルリーフは至竜として最も早くその役目を終えた。そして子のリュームに力を英知を継承を行った。当時はなぜそうまで生き急ぐのか分からなかったが、この儀式のためだったのだろう。

 あの子は俺の子供だけれど、もう大人だった。だからやることに口を出すつもりもなかった。御使い達はミルリーフ自身のためだと俺に伝えており、本人からもその言葉を聞いている。きっといつかミルリーフが心の底から笑ってくれるなら、それでいいと。俺は本気で思っていた。

 

「ああそうか、あの子は笑えていたのか」

 

 この世界で俺が笑っていられること、それがきっとあの子にとって最も求めていたことなのだ。だから儀式を発動したとき、ミルリーフは笑顔を見せたのだ。莫大な魔力に押しつぶされる痛みも無視して、大丈夫だと言ったのだ。

 『これできっとパパはまた笑うことができる』……きっとあの子はそう思ったに違いない。

 

「笑って欲しい、笑う、笑え、か。……無茶言うなよ」

 

 娘を失って、笑える親が居るものか。ようやくミルリーフが心の底から笑ってくれたのに、いなくなったら意味がないだろう。

 

「……だったら、俺はどうすればいいんだ?」

 

 このまま俺が腐ったままなら、あの子の笑顔を、意志を、本当に意味を無くしてしまう。だから俺は笑わなければならない(・・・・・・・・・・)

 だけど、笑い方が分からない。何をすればいいかが分からない。仕事も知り合いも全部なくなって街の中に放り出されたようなものだ。手持ちの資金すらないのだから、何もしなければ路地裏で寝る羽目になるのは間違いないだろう。

 そんな死んでないだけの生をミルリーフは望んでいないはずだ。だから自分がこの世界で生きる意味を見つけなければならない。

 

 ……今更、生きられるのか?

 

 あの子のためだと言って、何人の人を、召喚獣を、殺してきたのかもう覚えていない。原初の記憶は堕竜に落ちた青年で、次に殺したのは無力な妖精の少女。そして次は紅き手袋の暗殺者、鋼、剣、獣の長達、それに連なる者たち。中には子供すらいたことも覚えている。

 何時だったかシルターンの住人が俺のことを、修羅だと呼んだ。そんな存在が――

 

ぐぅ

 

「……腹減った」

 

 腹から空腹を主張する音にその思考は中断された。

 そして体を起こすと記憶をたどりながら足をキッチンへと向けた。

 

「まぁ、それこそ今更か。世界が変わろうが腹は減るんだ、何か作るか」

 

 はっきりというのなら、俺はミルリーフのために自分が行ってきたことに一片の後悔もない。いや、後悔はしたけれどそれは前の世界で生きていく中でさんざん悩んで押しつぶされて、スクラップにされている。俺が散々消してきた命と自分の娘、どちらが重いか一目瞭然なのだから。

 

「誰か来ても良いように体ぐらいは拭いて、着替えて。味覚は……どうなってる? 嗅覚だけだと面倒なんだよな。適当に作るか」

 

 前はいつの間にか俺の味覚は無くなっていた。料理をするのに致命的だが、まだ匂いと感覚だけで何とかしていたから、なんとかなるだろう。

 ……作っても、食べてくれる相手はもう居ないのだけれど。

 

――

 

 味覚は戻っていた。

 ぴしり、と何かがひび割れたような音が聞こえた。

 

――

 

 私塾からの帰り道、フェアの足取りは重かった。

 講師であるセクターが午後から用事があり、授業は半日だったためまだ日は高い。普段なら自分とリシェルとルシアンの三人で遊びに行くか、悪ふざけをしながら帰り道を歩いていた。だがどうもはやり病にかかってしまったらしく、二人とも私塾を今日は休んでいたため、フェアは一人とぼとぼと歩いていた。

 

「(……家に帰っても、誰もいないもん)」

 

 父親も妹ももう旅に出てしまい、家に戻っても『ただいま』を返してくれる相手は居ない。それがどうしようもなく寂しかった。

 大丈夫だとお父さんは言っていて、エリカにも元気になって欲しいとフェアは思っている。だからあの二人をあの家で待つと決めたけれど、早くもその決心は揺らぎかけていた。

 昨晩はまだなんとかなった。一人で眠るのではなくてもう一人いたから――

 

「そういえば、あの人……!!」

 

 フェアが昨晩拾った男――ライのことを思い出して思わず足を速めた。

 昨晩は家の前で倒れているライを運ぼうとして、重くて家のすぐ中までしか動かせなかったのだ。それでも起きる様子の無いライを見て、このままだと風邪をひいてしまうと考えバスタオルを持ってきて掛けたところで、眠くなってフェアもその場で寝てしまった。

 見知らぬ男でも不思議と怖くはなかった。それどころかその体の温かさや匂いが懐かしく感じて寝入ってしまい、気が付けば朝起きて支度をする時間だったのだから。

 ライは目覚める様子が無かったので普段と同じように私塾に向かい、そこでの先生の気遣いや生徒たちの言葉にすっかりそれらを忘れてしまい今に至る。

 

 だがフェアにとっては見知らぬ人物であり、今更ながら泥棒なのかもしれない、自分の家を滅茶苦茶にされてしまうかもしれないという恐怖が出てきたのだった。

 家は街のはずれにあり、気が付いた地点はもう家まで一本道で他に人影は無い。とにかく急がなきゃと、そう思って足を動かしたフェアに料理の匂いが運ばれてきた。

 

「あれ、これって……」

 

 肉と赤い野菜、それをお父さんが炒めていた時の匂いであることを思い出す。香りはフェアの家から風に乗って運ばれてきており、ふとお父さんが帰ってきたのかと考え、否定するように首を振った。昨日の男の人が何かをしていると状況から理解できたのだ。

 家の入口まで来るとなぜか無性に緊張してきた。自分の家の中に入るだけなのに、不安がよぎりゆっくりと音を立てずに中へと入る。

 

「♪~♪~~♪」

 

 鼻歌交じりにフライパンを振るって料理をしているライがそこにいた。

 お父さん――ケンタロウの予備の宿の制服を着ており、小奇麗な格好になっている。見かけは全然はずなのに、フェアはなぜかその姿に自分のお父さんの姿を幻視した。

 家へと上がるとき歩く音が静かな空間に響き渡る。それに気が付いたのか、ライもフェアが居る方向へと視線を向けた。

 

「いらっしゃーい。まだ準備中だから少し待っていてく……」

 

 そして体に沁みついた癖というか、条件反射で口を開いたライはそのままの姿勢で固まった。手元のフライパンと菜箸は器用に動かしたままだ。

 フェアも客を招くような言葉に少しだけ腹が立った。此処は自分の家なのに、まるで自分の家のように言う(ライ)の言葉が嫌だったのだ。ずんずんと歩みを進めてライの目の前まで来たフェアは、びしっと指をライへと突き付けて言う。

 

「まだお店、やってない! それにその服、お父さんのだよ!」

 

「ああ、ちょっと借りて……わ、悪かったよ。そんなに怒らないでくれって」

 

 ぷんすか! という擬音が聞こえてきそうなフェアの様子にライも思わずたじろいだ。

 

「それに、勝手に台所をつかって! そこは……」

 

ぐうぅぅ

 

 まだ怒ってます、という様子のフェアが言葉を続けるよりも先に、腹の虫が先に返答した。

 フェアの耳どころか辺りにはっきりと聞こえてしまうようなその音は、ライにも当然届いており、気まずそうに眼を反らす。

 なんでこんなときに……と、フェアの内心と同じく顔が羞恥で赤く染まる。なにもかもその料理が悪い。そうフェアが視線を向けたことにライも気が付き一言呟く。

 

「あーー。……昼食作ったけれど、食べるか?」

 

「……食べる」

 

 



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一話下 (わたし)、拾っちゃいました

 久々に味覚がある状態で食べた食事は、自画自賛になるけれど美味しかった。味覚が戻ったばかりだったから刺激の多い辛味は使用しなかったけど、それは目の前の少女にぴったりだったようだ。

 

「……おいしい」

 

「それは何より。作り方とか教えようか? そうすればまた自分で作れると思うぞ」

 

「うん!」

 

「と、ほらソースついてるぞ。取ってやるから少し待ってな」

 

 少女――フェアと名乗ったその子は笑顔でこちらに返答する。頬にソースが付いていたので拭ってやると少し顔を赤らめた。その仕草に何となく昔を思い出す。

 ミルリーフではなく、妹のエリカの様だと感じた。フェアはエリカとは真逆の勝気な表情を見せるが、素直な所やたまに見せるしおらしげな表情は病気がちだったエリカを思い出す。

 そして記憶はもう朧気だがエリカが着ていた服や、腕にある腕輪も――

 

「(……って、この子にある腕輪もそうだし、この家の子って……()だよな、この子)」

 

 この家に居たであろう親父……ケンタロウの衣服については奥に仕舞われていた。だからもうこの家を出て行ったことは想像がついた。その上で一人この家に残った子供であること、魔力によって編まれた響界種の力を抑えるための腕輪があることからフェアについては想像がつく。

 もしも俺が女の子だったらこんな子供なのだろうか。

 

「(過去の改変なんて無茶だとは思っていたけど、その妥協点が別世界の転移って)」

 

 やっぱり儀式は失敗したようだ。

 フェアはライ、という名前にも聞き覚えは無かったらしく、俺という存在がこの世界の俺を塗りつぶしてしまっていないらしい。今更罪悪感程度で潰れるつもりもないけども。

 昼食も食べ終わり片づけをした後、改めてテーブルに座り向き直る。先に口を開いたのはフェアだった。

 

「それで……おじさん?」

 

「せめて名前呼びで頼む」

 

 フェアのおじさん呼びにショックを受けたわけではない。若くないことは理解しているしな。だけど前の世界を思い出してしまい、あまり良い気分じゃない。

 

「じゃあライさん。ライさんはどうしてここに? もしかしてお客さん?」

 

「……ああ。そうなる、のか?」

 

 自分の家に来てお客さん……いや此処は俺の家ではないのだけれど、微妙な気分だ。

 

「初めてのお客さん……えっと、一人さまですか? 何泊していくの? 食事は何処で……」

 

「まて、待てって。まだこの宿屋は休業中だろう? 仕事、まだ分からないんじゃないのか?」

 

「それは、そうだけど」

 

「それに俺は文無しだ」

 

「堂々と言わないでよ……」

 

 腕を組み胸を張りながら言うと、フェアは半目でこちらを見る。先ほどまであった年上への敬意が減っていくのが分かった。

 自分(フェア)が居ると分かった時点で、この場所に長居するつもりは無かったため、そこまで気にしてはいない。一人で旅をすることは慣れてもいるため、すぐにこの街を発つつもりだった。

 ……いや、それは言い訳だ。はっきりって見知った顔の者と『初めまして』と挨拶するのは、きつい。自分の家ですらそうなのだから、知人と会ったときは自我が揺れそうだ。

 

「それで、一文無しでお客さんじゃないなら、ライさん……ライはどうしてここに来たの?」

 

「ひでぇ。あれだ、ちょっとした事故が起きてここに来たんだよ。それでここの入口で力尽きた」

 

「目的なしのちゃらんぽらん……」

 

「ぐっ、否定はできないけどさ。たっく、ミルリーフめ」

 

 思わず自分の娘の名前をつぶやき、気が付いた。俺の精神がずいぶんとまともになっていると感じていた。ミルリーフが居なくなって、あれだけ落ち込んでいたのに、もう口に出せる程度まで回復している。

 ……いや、まともじゃない。精神状態はまともでも今の状態はまともじゃない。精神崩壊は数回は経験してきて、無理やり思考の鉄骨を組み立てて『直して』きた。経験から言えば、ミルリーフを失うなんて出来事は、そのままの俺なら精神がぶっ壊れているだろう。

 儀式にその辺りの式も組み込まれていたのだろう。それとも――

 

「ミルリーフ?」

 

「ああ、俺の娘みたいな子……っ!!」

 

 

 こてんと、首を傾げたフェアにミルリーフの影が重なり思わず言葉を失った。

 

 

「子供がいるの? それって私と同じぐらい?」

 

「い、いや……そこそこ成長していたよ。もうフェアぐらいお転婆な子じゃなかったな」

 

「むー」

 

「どちらかというとフェアは俺の妹の方に似ているよ。どのあたりが、って聞かれると困るけどな」

 

 もともと勝気な子に『しおらしげな所が似てる』と言われてもよい感情は無いだろう。

 ふざけたように言った言葉にフェアは口をとがらせて不満を見せる。その様子が年相応の子供らしく、思わず笑いが漏れた。

 

 ――笑った?

 

 ミルリーフが居なくて、失って、なのに、笑った?

 

 なぜ? この状況でなんで? フェアと話していただけなのに? なんで(ミルリーフ)と話している時と同じように笑えたんだ?

 

「(……フェアと、ミルリーフを重ねている?)」

 

 マズいと本能的に感じた。

 ミルリーフという存在が他の誰かに重ねられるほど軽いものじゃないはずだ。なのにそれが塗りつぶされる様な感覚があった。

 フェアに対して親近感を抱くのは当たり前だ。ある意味では俺自身なのだから、境遇も心境もある程度理解できるし、共感もする。そしてフェアをミルリーフの代わりとして依存してしまう要素はある。

 

 控えめに言って俺はロクデナシだ。俺にとって一番はミルリーフだが二番目は俺自身だったのだろう。そうじゃなければ娘以外どうでもいいなんて、狂った思考にはならないはずだ。

 第一前提が娘のため、その次が俺が嫌だから、なんて自己愛だけの行動については親父を思い出す。本当に嫌な所だけ似たものだ。

 

 結論を言うのなら、そんな自己愛に満ちた俺が、俺自身でもあるフェアのことを好かない理由がないと言うことだ。控えめに言わなくてもロクデナシだし、マズいと思うのは当然だった。

 

「ライにも妹が居るんだ。私にもエリカが居てね、今はちょっと病気になっちゃったんだけど……でもお父さんが直ぐに治すって言ってたから!」

 

「……そっか。すぐに治ってまた一緒に暮らせるといいな」

 

「うん! ライはその妹さんと一緒に暮らさないの?」

 

「いや、もうずっと会ってないよ。何処でどうしているかも知らないな」

 

 エリカとは俺が娘以外の全部を捨てて以降では、一度だけ会ったきりだ。『変わったね』と、そう言われたことは覚えているが、それ以上に『興味がなかった』。

 

「兄妹なのに?」

 

「兄妹だからだな。ミルリーフのことで手一杯だったから、そちらまで考える余裕が無かったんだろうな」

 

 どうせ悪いのは親父だと理解しているけれども、俺を抜いて家族団欒をしていたエリカに思う点はある。それ以上にミルリーフのことで精いっぱいだった俺は、エリカのことについて考える余裕は無かった。

 いや、この世界に来るまで余裕なんて無かった。成程、無理やり余裕を作り出している今の精神状態は確かにおかしいな。

 

「……そうなんだ」

 

 俺の言葉に対してフェアは少しだけ顔を俯かせて答えた。何かおかしいことがあるかと思ったが、俺に思い当たる点がない。

 暫し沈黙が辺りに流れる。この辺りで切り上げようとしたところで、フェアから声が掛けられた。

 

「その、ミルリーフって子は」

 

「……父親離れしたいってさ、俺は追い出されちゃったよ」

 

「……」

 

 間違いではないだろう。その追い出される場所が家ではなくて世界だとは思わなかった。

 

 外を見ればまだ日は高い。とはいえもう少しここで長居すれば、生活をする資金を得ることも難しくなりそうだった。

 貴金属類の最低限売るものぐらいは持っている。それを売る場所を見つけたり、新しく泊まる宿を探さなければならないだろう。

 

「さてと、そろそろ良い時間だし俺も出るよ。長居しちゃって悪か」

 

「だ、ダメ!」

 

 席を立とうとしたところでフェアがそれを止めるように立った。

 

「えっと、ええと、まだ宿代、もらってない!」

 

「え、いや金はちょっと手持ちが。そうだ、少し手持ちを街で作ってくるから、それで勘弁してくれないか?」

 

「街に……もしかして食い逃げ!?」

 

「いや作ったのは俺……」

 

「とにかく! ダメ!」

 

 ……なんでそんなに引き留めるのかが分からない。もしかしたら俺が何かこの店から盗んで、逃げ出すことを警戒しているのだろうか。

 再度言うなら俺がここに居るのはマズい。速く離れるべきだ。だけど自分(フェア)を振り切っていくのは俺の心理的に嫌な感覚がある。……なるしすとにも程があるだろ。親父から聞いた言葉だけど何となく意味は分かる。

 

「じゃあ、どうすればいいんだ?」

 

「えっと、えっと、それなら……からだで払ってもらう!」

 

「こら! 女の子がそんなこと言っちゃダメだろ!」

 

「ごめんなさい……」

 

 どうせ変な言葉を教えるのは親父……いや、この世界のアイツは俺の親父じゃない。だったらケンタロウと言った方がいいか。

 ともかく変な言葉は大体ケンタロウのせいだろう。ロクデナシで教育に悪い男であることは変わりないらしい。反面教師としては一流だけど。

 

「たっく。……どうすればいい? 店主さん?」

 

「! うん! まずはお掃除をして、片づけをして、夕食の準備と、お風呂掃除と!」

 

「おいおい、全部やらせるなよ? まぁ一晩、いや今日も泊っていくから二晩ぶんは手伝っていくよ」

 

 それでいいよな、と。そう声をかけるとフェアは勢いよく頷いた。此方まで来ると無理やり手を取って立たせられ、そのまま引かれていった。現金な奴め、そう思って苦笑する。ただ悪くは無いと感じていた。

 

 ……ああ、やっぱりマズい。

 

――

 

 結局掃除、洗濯、ついでに夕食と振り回されたが、ソレを懐かしめることが楽しいとは思った。

 ぴしりと、何かがひび割れる音が聞こえた。

 

――

 

 夜、真っ暗な自室のベッドでフェアはぼんやりと闇の中を眺めていた。何時もなら眠くなる時間帯のはずでも、目が冴えてしまったのだ。それはきっとこの宿で寝ている一人の男性――ライのせいだろう。

 フェアにとって突然現れたライという存在に抱く感情はよく分からないものだ。親近感、という意味では叔父に抱くものと同じだろう。フェア自身見知らぬ他人になぜそう思うかは分からないが、ライ自身は気が付いている。

 

「(……眠れない)」

 

 ゆっくりと体を起こす。月の光が目に入りそちらへと視線を向けた。水鏡に映った月が、なぜか脳裏に過ぎる。どこかで見た光景の中には、自分と妹、父親と誰かが居たような気がする。暖かい光景なのに、なぜか涙が出そうになった。

 

「おとうさん……」

 

 今まで一人で寝ていて慣れたはずだった。本当に寂しくなったときは父親の部屋に行ったこともある。ほんの数日前までいたその存在は、今は宿から居なくなってしまった。昨日と同じだ。我慢しなきゃ、そう思わないといけないのに眠りに落ちてくれなかった。

 そのとき物音が聞こえた。隣の部屋から聞こえてきたそれは、今宿に泊まっているライのものだ。明日の朝には旅立つと言っており、旅支度をしているようだ。誰かが居る、という安心感とそれが直ぐに居なくなってしまうという反対の感情が、やっぱり眠ることを邪魔した。

 

「……」

 

 部屋の明かりはつけずそのまま外に出る。廊下は暗くとも隣の部屋からは灯りが漏れていた。小さくドアをたたく。もしかしたら返答は帰ってこないかもしれない、そんな予想とは反対に『はいよー』という軽い声が返される。

 扉を開けて出てきたライはもう寝間着姿だった。奥にはバックに纏められた荷物が見え、なぜかフェアの胸を締め付けらえた。

 

「フェア? どうしたんだこんな時間に。もう子供は寝る時間だぞ」

 

「……うん」

 

 フェア自身、どうしてライの部屋を訪ねたのか分からなかった。自分が寂しいと思うのは本当でも、それをライに言うのはおかしいと分かっているのだ。自分と何の関係もない、ただこの宿に立ち寄っただけの人物なのだから。

 返答はするけれども俯いたままのフェアにライは困ったように頬を掻いた。枕まで持ってきてるのだ、何を言いたいのかは分かる。だけどそれを言うのが正しいとはライは思わなかった。それはフェアも同じだろう。

 

「(ライは……たまたまここに来ただけ。迷惑かけちゃ、ダメ。……だけど)」

 

「(分かっちゃいるんだよな。でもきっとソレを俺がするのは間違っているんだ)」

 

 単純な話だった。

 二人とも失った何かがあった、そして失った場所にぴったりとあてはまってしまう相手が居た。そうしてしまうことがどちらも間違いだと分かっている、ただそれだけのことだ。

 だって失ってしまった何かは二人とも大切なものだ。それを埋めてしまうのは、その大切なものを忘れてしまうような気がしたのだ。

 

「ごめん、なさい。眠れなくて、その」

 

「……そっか。分かった、眠くなるまで少し話すか?」

 

「! うん!」

 

 この一晩だけだ、と。二人ともそう思った。

 



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二話上 この子どこの子、ロクデナシの子

 ベッドに腰かけながら寝ていたせいか、身体がギシギシと軋んでいる。その違和感のせいで目が覚めた少し後、もぞりとベッドで動く感覚に俺は頭を押さえた。掛け布で表情は見えないが、自分と同じ色の白い髪が顔をのぞかせている。すぅ、と小さな寝息を立てて眠る少女――フェアの姿があった。ふと片手を見てみると、昨晩寝始めた時と同じ、フェアの手が俺の手を握ったままだった。

 結局昨晩はフェアが眠くなるまで話は続き、眠くなって自分の部屋に戻るかと思いきやこっちの部屋にとどまった。寝かしつけてから床で寝ようと思ったけれど、手を握っていてほしいと言われ、それに応えて少ししたらフェアだけではなく俺自身も寝てしまったようだ。

 

「……甘やかしすぎだよなぁ。いや、いいか」

 

 至竜になってからミルリーフが甘えてくれる頻度は少なくなった。だからその少ないタイミングで甘やかしてしまっていたから、その癖が出ていたのだろう。

 だけど今日でこの宿を出るため顔を合わせることも無くなる。俺自身が子供の頃、親父たちが出て行って一人になった時のことはもう覚えていない。一人前になると言って背伸びしていたことは覚えているから、せめて同じような境遇のフェアに少しぐらい甘くしてもいいと思った。

 

「ん……んん」

 

「と、起こしちゃ悪いか?」

 

 フェアから手を放し寝間着を着替えて軽く寝癖を直す。音を立てないように一階へと向かった。

 二晩、世話になったんだ。朝食の支度ぐらいはやってあげてもいいだろう。パンと野菜、ハムや卵などがあったため手軽にできる料理を作った。ハムエッグやサラダは手軽だけども奥が深い。

 随分と腕が錆びついているのが分かった。ただ少しずつ勘を取り戻していく感覚は悪くはない。

 そんなことを考えていると足音が聞こえてくるのがわかった。小さくあくびをしたフェアがまだ眠そうにしながら此方へ向かってくる。

 

「ふあ……おはよぅ、お父さん」

 

「ああ、おはよう。まだ朝食はできてないから顔洗ってきな」

 

「うん……」

 

 フェアが顔を洗ってきたぐらいで朝食も作り終わるだろう。料理の盛り付けは頼むとして、フェアはコーヒーと紅茶どっちか……紅茶でいいか。それなら今煎れ始めれば丁度いいな。スープを作る暇がなかったのが少し残念だけれど、まぁ及第点といったぐらいだ。

 

「……ん?」

 

 少しだけ違和感があった。いや、違和感が全くなかったことが違和感だというか。

 俺が首をかしげたのと、顔を真っ赤にしたフェアが勢いよく厨房に入ってきたのは同時だった。

 

「違う! ごめんなさいライ! お父さんじゃなくて! その!」

 

「あ。あー、気にしてないさ。ほら、先に身支度整えてきなって」

 

「本当に違うから!」

 

 そういってフェアはまた洗面所へと行ってしまった。微笑ましいものを見てしまったからか少し癒される。

 ただフェアの言葉に違和感を持たなかったことに、無意識に胸が締め付けられる。

 フェアの父親はケンタロウだ。俺の娘はミルリーフだ。だから俺にとってフェアは只の知り合いの子供でしかないし、フェアにとってもそれは同じだ。

 

「(……何も言わずに出ていった方がよかったのかもな)」

 

 たった二日だが深入りし過ぎたと思う。ただ俺が逆の立場だったら、そう思ったときに二の足を踏んでしまった。

 適当な言い訳を、理由を作って物事から離れることは、大人になった今は容易くなったのだからそうするべきだ。

 

 結局料理の盛り付けまで終わらせたため、テーブルに並べながらフェアを待つ。丁度並べ終えて紅茶を注いだところで、身支度を終えたフェアがほんのり顔を赤らめながらやってきた。

 

「お、おはようライ」

 

「おう。改めておはようさん。紅茶だけど砂糖は何個使う?」

 

「む、……なくていい」

 

「分かった、二個な」

 

 フェアの言葉を気にせずそのまま二個角砂糖を入れてかき混ぜる。子供扱いされたから少し大人びたかったのだろう。あー! とフェアは叫びつつ何か言いたげにしたが、本音では二個ぐらい欲しかったのだろと想像がついた。

 むくれるフェアに苦笑しながら手を合わせて食事を始める。一口食べてから表情を柔らかいものに変えてくれたから、味の心配はしなくてもよさそうだ。

 

 食事と軽い雑談を交えながら予定を立てる。この世界に来る前に着ていたローブの中に財布は入っており、直ぐに金銭に変換できる貴金属は常に備えとして持っていた。それを元手に旅支度を終わらせ、あとは旅人用の日雇いの仕事をしたり、格安で護衛などを引き受けて街を渡ればいいだろう。

 そんなことを考えていると、フェアから声をかけられる。

 

「ライはこれからどうするの? 昨日は文無しって言ってたけど」

 

「とりあえず日雇いの仕事で資金を作るところからだな。その後は商人に渡りをつけて護衛でもするさ」

 

「じゃあ! しばらくこの街に居るってこと!? それなら――」

 

「どうかな、すぐに街を発つっていう商人が居たらついていくつもりだし、日雇いの仕事もないことも多いからなぁ」

 

 幸いこの街は旅人が多く通う宿場町でもある。物資の行き来は盛んだし、人の出入りも激しい。長く居ても数日といったところだ。

 

「そうなんだ……」

 

「……ははーん、さてはフェア、俺が居なくなって寂しいんだろ」

 

「そんなことない! ただ……ちゃらんぽらんのライがまた道で倒れてたら大変だなって」

 

「前科があるから否定できねぇ。まぁ、そう言えるんだったら心配しなくてもいいな」

 

 茶化そうとしたら手厳しいカウンターが飛んできて思わず言葉に詰まった。逆にフェアが生意気な表情で口を開く。

 

「ライこそ、私が居なくて寂しくない?」

 

「おー寂しい寂しい。まぁ、また顔見せに寄るから、その時には一人前になった姿を見せてくれよ?」

 

「うん!」

 

 笑みを見せて頷くフェアに、これなら大丈夫だろうと納得できた。

 この子は()だ。十五歳になるまで一人でやってきて、一人前になるのだから。俺が俺のことを一人前と言うのは自画自賛が過ぎるとは思うけれどな。

 

 朝食も終わり片づけをした後、荷物を持って玄関までやってくる。今日は私塾は休みだったらしく、フェアが見送りに来てくれた。昔この宿で働いていた時は見送る立場だったから、少し感慨深い。

 靴を履き終え腰の短剣の位置を確かめる。無防備で旅をしている、と見せないようにするためだ。……まぁ、ローブに沁みついている臭いがあるから、少なくとも鼻が利く者たちは近づかないだろうし、近づく無用人な者ならなんとかできるだろう。

 

「こんなもんか。それじゃあそろそろ行くよ。元気でな、フェア」

 

「……うん。ライも」

 

「分かってる」

 

 軽く頷くフェアの表情はすぐれない。……まぁ、俺の自惚れじゃなければ親しくできていたと思う。そんな相手と別れるなら、少しだけ憂鬱にもなるだろう。表には出さないけれど、俺自身もそうなっているのだから。

 

「そんなしょぼくれた顔するなって。さっきも言っただろ? また顔見せに来るってさ」

 

「だけど……」

 

「一人前になって、立派になるんだろう?」

 

「……」

 

 こくんと頷いたフェアを見て、俺は笑みを作るとぐしゃぐしゃと頭を乱暴に撫でた。ミルリーフにやると、やめて、と言われてしまっていたけれど、フェアは反発する様子は無かった。

 

「約束だ、また必ず会おう。そのときは……俺はちょっとはちゃらんぽらんな所を直しておくよ。フェアは?」

 

「……一人前の立派な大人になる。お父さんや、ライみたいな、不真面目にならない!」

 

「おう! ……またな、フェア」

 

「また、ね。ライ」

 

 目じりに涙を溜めてフェアは笑みを見せてくれた。それが……俺にとっては凄く尊くて嬉しいものだと感じた。

 

 

 玄関を出て忘れじの面影亭を後にする。そしてこれからどうしようかと考えた。旅の支度の話じゃなくて、なんのための旅をするかについてだった。

 この世界でやりたいことなんて何もない。そもそもどこにも繋がりが無いのだから、始めなきゃならないのは俺がやりたいことを探すことだ。

 

 だったら、俺はあの子(フェア)のために何かをしてやりたい。

 俺のように竜の子を拾って、問題に巻き込まれたのなら助けてやりたい。いや、そもそも巻き込まれないようにしたっていい。立派な大人になったところを見てみたい。

 フェアは()だ。気に掛けてしまうのはたぶん、俺がそれだけ俺自身のことが好きだからだろう。

 

 ……いや、たぶんそれは言い訳で、たった二日程度だけれども俺はあの子のことを娘みたいに思った。ミルリーフと重ねるんじゃなくて、もう一人の娘みたいに。

 俺が勝手に思っていることなのだから、あの子の親なんて言う資格は無いし言うつもりもない。ただ俺がやりたいから勝手にやるだけのことだ。

 

「さて、それならまずは何をしようか」

 

 錆び落としをして、力をつけて、……『軍勢』ができる前なら頭を潰すことも容易いはずだ。

 

 ああそうだ、そもそもソレを救う存在が無ければ――

 

 

「ライ!」

 

 

 後ろから声が響く。

 驚いて後ろを振り向くより先に、その小さな体が俺とぶつかった。

 

「待って! 待ってよ!」

 

 見下ろして直ぐに白い髪が見えた。表情は見えず顔を俺の背中に押し付けたフェアは、靴も履かずにここまで走ってきたようだ。そしてローブを掴みながら荒い息を吐いた。

 

「なっ……どうしたんだよフェア、靴も履かないで」

 

「……で」

 

「え?」

 

 俺に押し付けていた顔を上げてフェアが口を開いた。

 

「いかないでよぉ、ライ!」

 

 叫ぶようにいったフェアの表情は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。そんな表情に自分がさせている、ということに胸が痛んだ。

 だけど、ダメだ。控えめに言っても俺は『まとも』じゃない。断言するけれど俺はフェアに依存しないはずがない。それがダメなことだと俺だって理解できる。

 しゃがんでフェアに視線を合わせる。しゃくりあげて泣くフェアはそれでも俺の服を放そうとしなかった。

 

「何言っているんだよ、フェア。さっき約束しただろう? 一人前になるってさ」

 

「したけど……だけどぉ!」

 

「それに、親父さんだって直ぐに帰ってくる。少しの辛抱じゃないか」

 

「やだ……」

 

「フェア……言うことを聞いてくれって」

 

「やだぁ!!」

 

 俺の言葉を首を振って否定するフェアに、俺は何を言えばいいのか分からなくなった。

 ケンタロウが直ぐ帰ってくるなんて嘘だ。帰ってこないことを俺は知っていて、耳障りの言い言葉で嘘を吐いた。だけどフェアは納得せず、行かせまいと小さな体を押し付けて抱き留めた。

 背に手を回してあやす様にたたく。出会って初めの頃、ミルリーフが泣いたときこんな風に慰めてやったなと、ふと思い出す。そして……ずっと泣かせてしまっていたことを改めて思い出した。

 少しずつしゃくり声が小さくなり、涙は止まっていなかったけれど、呼吸が落ち着いたところで改めて顔を合わせる。

 

「お前は一人じゃない、友達も、頼れる大人もちゃんと居るだろう? 俺みたいな奴が居付いたりしたら、お世話になってる人だって困るしさ」

 

「ライはみたいな奴なんかじゃないよ!」

 

「みたいな奴、さ。それに、俺に甘えてばっかりいたら帰ってきた親父さんに笑われちゃうぞ」

 

 それは嫌だろう? そう聞くけどもフェアは何も返さなかった。

 沈黙が続く。ぽつりと、零したようフェアが口を開いた。

 

「……お父さん、私のこと忘れちゃうかもしれないもん」

 

 フェアの言葉が一瞬何を言っているのか分からなかった。

 

「なっ、んなわけねぇって! 父親にとって娘は一番大事なんだ。直ぐに用事を片付けて戻ってくるに決まってるだろ!」

 

「でも、お父さん私は連れてってくれなかった」

 

「それは……」

 

 その言葉への否定を俺は言うことができなかった。

 ケンタロウがフェアを連れていけなかったのは、まだ幼い響界種であるエリカとフェアが近くにいれば、それぞれが共鳴し合って負荷を与えてしまう。エリカはそれに耐えきれないとケンタロウは分かっていたのだ。

 だけど、それを俺からフェアに言うことはできない。それを言えるのは父親であり、人間であるケンタロウだけだ。

 

「ライだって! 妹さんのこと忘れちゃってた! だから、ライも……私のこと……」

 

「……」

 

 ああ、そうか。この子が泣いているのは、俺のせいか。

 

 俺の妹であるエリカのことを話したとき、フェアは少しだけ表情を暗くしていた。それはきっと、兄妹ですら互いにどうでもいいと言えてしまう前例を見せてしまったからだ。

 それなら、フェアの妹だってフェアのことをどうでもいいと言うかもしれない、いや、父親ですらそう言うかもしれないと。そうフェアに思わせてしまったのは俺だ。

 

 中途半端に手を差し伸べて、心を揺るがせたのは俺だ。この子は()なのだから、同じように一人でやっていけたはずだった。それを俺は――

 

 

「ライも……私を置いて行っちゃうの?」

 

 

 ――違う。自惚れんな馬鹿野郎。

 

 違うよな、俺の最優先は()じゃない。いつだって俺は(ミルリーフ)を一番にしてきたんだ。()が一番で、俺は二番目だ。それだけは今更変えられない。

 

 好き勝手生きてきたロクデナシと、この子(フェア)を同一視して見てんじゃねぇよ。

 フェアは、フェアだ。俺にとってこの子は―ー

 

「……ったく、なんだってそんなに泣き虫になったんだ。見知らぬ男を信頼し過ぎたら将来えらい目にあうぞ」

 

「知らなくない。ライだもん」

 

 苦笑する俺にフェアは離すまいとまた体を押し付けてきた。俺の胸にうずくまるその頭をぐりぐりと撫で、再度視線を合わせる。

 

「分かった。フェアの所に居てもいいか、テイラーさんに聞いてくるよ」

 

「え……?」

 

 俺の言葉にフェアは呆けたような声を返した。

 

「本当!?」

 

「ただあまり期待はしないでくれ。傍から見れば俺は急に来た不審者なんだから」

 

「うん! 人の家の前で倒れるもんね!」

 

「普通はそんな不審者中に入れるもんじゃないんだぞ。ほら、靴を履いて……傷になってるじゃないか」

 

 さっきまで泣いていただろうに、表情を笑顔に変えたフェアに思わず苦笑した。そして治してから行かないとな、とその手を取って家へと向かう。

 

 これからオーナー……いや、テイラーさんの所に行くことに気分が沈んだ。

 今までやってきた交渉と呼べるものは大体が人質やら暴力交じりだった。それらを交えずに金の派閥のやり手と交渉するのは正直気が重い。此方は無職の不審者で傷持ちのおまけつきと来た。

 どうしたものかと、そう考えていたときフェアと視線が合った。それに気が付き笑みを返してくれたフェアを見て、少しだけ頑張ってみるかと手を握り返した。

 

 そのときフェアの手にある腕輪が鈍く光ったのが見えた。俺は、それを見ないふりをした。

 




一部変更


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二話下 この子どこの子、ウチん()

 テイラー・ブロングスという男について俺は前の世界でも深く理解はしていなかった。トレイユの街の顔役、幼馴染の父親、その程度だ。

 だけど一番初めに俺を『大人』として扱ってくれた人であり、厳しくも公正な人だったと思っている。ちくしょう、と反発したこともあったし、よくやったと褒められて嬉しく思ったこともある。ある意味では俺自身が一番甘えていた人なのかもしれない。

 

 だが俺は忘れていたことがあった。テイラーさんは『リシェルの父親』であり、『ケンタロウの友人』だったことを。

 

「あの、たぶん聞き逃したか聞き間違えたんでもう一回言ってもらっていいですか?」

 

「なんだ? お前自身が聞いたことだろう。あの宿を任せる、と言ったのだ。無論、此処である程度実績を積んでからの話になるがな」

 

 マジか。

 

 ――

 

 正直に言えば門前払いを覚悟していた。幾らフェアに連れられてきたとはいえ、テイラーさんにとって俺は急に預かった娘の元にやってきた行き倒れだ。変質者だと思われても何も言えないだろう。

 そんな人物と面会しようと思ったのは、フェアの戯言に巻き込まれたのだと考えたから、若しくは流行り病で寝ている娘たちに危害を加えさせないようにするためか。おそらくどちらの理由もあるのだと想像がついた。

 

 金の派閥の召喚士、その家の客間とあって豪奢なものであふれている。一見無駄に見えるそれは力の誇示、同盟者への利を示すものだろう。俺自身、圧倒されている。フェアはそんな屋敷を物怖じせずに歩き進み、館の当主への取次を頼んでいた。そして先に執務室へと入り、俺は客間で待つこととなった。

 武器もローブもサモナイト石も全て預け、やがてメイドの一人がテイラーさんが来たことを伝え、入室してきた。

 テイラーさんと客間で対面すると、じろりと視線を向けられた。間違っても好意的なものものではない。

 

「!? ……ケンタロウ?」

 

「え?」

 

 テイラーさんが最初に言った言葉は聞こえなかった。後で聞いてみると、この時点である程度考えはまとまっていたらしい。

 

「ああいや、なんでもない。今日はあの子の我儘につき合わせてしまって悪かった。彼女の保護者として謝罪を、そして礼を言おう」

 

 目を瞑ることを礼として謝罪の言葉を投げかける。軽々しく個人に頭を下げないのは、テイラーさんの立場もあるからだろう。

 そして俺の立場もある。此方は頼み込む方なのに頭を下げられたら言いづらかった。

 

「気にしないでください。俺は気にしていないので」

 

「そういってくれるなら助かる」

 

 そして俺の対面に座るとそれに合わせてメイドが紅茶を注いだ。ふわりと葉の香りが辺りに漂う。

 

「それと……あの子からは俺のことをどう聞いていますか?」

 

「ふむ? ……新しい従業員として雇って欲しい、と言っていたな。ただ所詮は子供の戯言だ」

 

 貴様にも予定があるのだろう、と。同意させるような言葉に、確かにそうですね、と。否定でも肯定でもない言葉を返した。

 その後も軽いやり取りをした。フェアとどんなやり取りをしたのか、なぜあの宿を訪ねたのか、当たり障りのない言葉を返す。

 一口紅茶を口に付ける。舌を湿らせ、切り込もうと両掌を組んでテイラーさんに尋ねた。

 

「実際宿屋としては、あの子一人で切り盛りするのは難しいんじゃないですか?」

 

「流石に初めから利益を上げられるとは考えてはおらん。ただマイナスのままでは遊ばせておくよりも質が悪いのは確かだ」

 

 幼いころは宿を切り盛りするどころか、俺自身の勉学や宿の回し方を覚えるので精いっぱいだった。結局まともに宿が機能し始めたのは親父たちが旅立ってから数年後だったのを覚えている。

 それだけの期間、宿を遊ばせておくのは金の派閥の召喚士としては痛いはずだ。

 

「だが、それをなぜ貴様が気にする? 所詮宿場町の宿の一つに過ぎないはずだが?」

 

「休業中なのに客として入ってあの子に迷惑かけたので。それに、もともと宿屋をやっていた身としては少し気になったんです」

 

「ほぉ?」

 

 ここだ、と。テイラーさんの声に少しだけ興味が含まれたのを感じ口を開く。

 

「だから本当に雇ってもらえるなら悪くは無い、という下心もあったんですよ。ただ流石にあの子に人事権は無いでしょう?」

 

「だから、あの子を利用してここまで来たと」

 

「身も蓋も無いことを言えばそうですね。だけど、あの子が心配だと思ったのも本心ですから」

 

 軽く笑みを浮かべて一度紅茶で舌を湿らせた。

 本心も何もフェアのことが心配だと言うのが全てだ。逆に宿の運営をしていたことを利用して取り入ろうとしているのだから。

 

「宿を運営していたというのならば何故こうして旅をおるのだ? 自身の宿があるのなら、態々定住を崩す意味もあるまい」

 

「……実は俺、召喚獣なんですよ。この世界の人たちからは『名もなき世界』って呼ばれている所の。そこで宿をやってました」

 

「……」

 

「俺を召喚した召喚師は事故で文字通り蒸発したらしいです。そこから一人旅の始まりですよ。神様もなんだってこんな場所に送り込んでくれたんだって言っちゃいましたね」

 

 苦笑する俺をじっとテイラーさんは視線を向けてきた。その頭の中で俺について考え続けて居るのだと思う。

 『名もなき世界』から生物が召喚される、というのは稀なことだ。一般人には知られていない程度には。だから只の一般人には裏付けを取らせないための言い訳に使えない、あるとすれば召喚師の関係者ぐらいだ。

 そして『かみさま』という単語はシルターン、若しくは親父が居た『名もなき世界』の言葉だ。ケンタロウと友人をやっていたテイラーさんなら、聞いたこともあるだろう。

 

「だから空いてる宿があるなら運営してみたいな、っていうのも本心です。無論この辺りの宿事情なんかを調査してからですけど」

 

「成程な、話の筋は通っておると」

 

 冷や汗が一滴頬を流れた。何とかここまでは話を持ってこれた。ここからだ。

 ここでテイラーさんに忘れじの面影亭で働く許可を貰えるとは思っていない、だから段階を踏むつもりだった。少なくとも、フェアとある程度交流が取れる立ち位置に居られるように。……ここだけ聞くと俺が変態みたいだな。

 

 テイラーさんから見て俺の立ち位置は、『名もなき世界』の元店主、若しくは他の派閥、それに連なる工作員と言ったところか。

 前者ならトレイユの街に居を構えることも違和感はなくなるはずだ。ある程度フェアと交流して、そして改めてテイラーさんに提案すればいい。信頼を作れば話を再度持っていくことも可能になるだろう。

 後者なら兄貴やねー……いや、帝国の駐在軍人や蒼の派閥の人員と同じように、街へと留めておくはずだ。下手に潜られるよりも手元に置いた方が監視しやすい、そう動くだろう。そうなったら徐々に敵対の意思がないことを示していけばいい。最悪金の派閥の尖兵になることもアリだろう。

 

「ふむ……分かった。貴様にあの宿の管理を任せよう。契約書は今から作る。少し時間を貰っても構わないな?」

 

「へ?」

 

 そして……どちらでもなく一気に要求を呑むのは流石に予想外で、呆けたような返事を返すことしかできなかった。

 そして、冒頭に戻ると。

 

――

 

「待った、待った! え? なんで?」

 

「……貴様は三度(みたび)に渡って私に説明させるつもりか?」

 

「いや内容じゃなくてだ! 簡単に決め過ぎだろう!?」

 

 テイラーさんの言っていることが飛び過ぎていて、思わず敬語も忘れて言葉が漏れた。それが少し不満だったのか、不機嫌そうな表情でテイラーさんはこちらを見返し口を開く。

 

「簡単も何も、先ほど私が言ったとおりだ。マイナスになるだけの宿をプラスにできるかもしれない、と言うのなら、支援する価値はある」

 

「その支援金を、奪って逃げるとは思わないんですか」

 

「してもいいが、逃げられると思うか?」

 

 じろりと向けられた視線に俺はひきつった笑いを返すことしかできなかった。金の派閥の召喚士が直接経営している宿の金を持っていく、成程組織と召喚師を敵に回すなんて自殺行為だ。

 それに、俺の質問は失敗だった。

 

「私にとっては貴様がどちら(・・・)でもいい。重要なのは益を出すか否か、その一点だけだ」

 

 俺はテイラーさんから見て俺が強請り集りの輩ではなく、名もなき世界の店主、若しくは工作員の二択に見えるよう誘導したはずだ。それ以外の選択肢を聞くなど愚問でしかない。

 そして丁寧に二択どちらでも構わないとのお達しと来た。俺の薄っぺらい誘導は最初から気が付かれていた、といことだ。

 

 成程、ブロングス家という視点で見ればテイラーさんの決断は一部の隙は無い。本当に名もなき世界の元店主ならそのまま経営を任せればいい。工作員だったのなら手元に置いておける。忘れじの面影亭はその場所にぴったりだろう。

 ただ、一つを除けば。

 

「……益のことだけですか? フェアがあの宿に住んでいるから、すぐ結論を出すとは思わなかったんですが」

 

「もともと私が貸していた場所に住んでいるだけの娘だ。必要なら別の場所に越すように言うつもりだ」

 

「なっ――」

 

 テイラーさんの言葉に、俺は思わず言葉を失った。

 だってあの場所はフェアにとって大切な場所だ。ソレを利さえ絡めば簡単に手放してしまうような言葉に衝撃を受けた。

 俺が恩義を受けていたオーナーは、厳しいけれどそれでも幾らかの情があった。簡単に大切なものを切り離してしまうような、金の亡者ではなかったはずだ。

 

「それに、もともと無理やり預けられた子だ。ある程度の我儘は聞こう、だがそれに関わるものが大きすぎるのなら話は別だ。まったく、あの男め」

 

 面倒なものを残しおって、と。その言葉がどこか遠く聞こえた。

 

 ぷつんと、何かが切れる音と同時に、俺は手のひらをテーブルへと叩きつけた。

 

「あんたは! フェアのことを何とも思ってないのか!?」

 

 衝撃でティーカップが音を立てた。テイラーさんは僅かに目をこちらに向けると、ふん、と鼻を鳴らして返答する。

 

「最低限の義理は果たしている。それに心配している貴様を送るのだ、悪い采配ではないだろう?」

 

「俺がガキを利用するような大人だったらどうする? あの子の希少性を理解している人さらいだったらどうするんだ!?」

 

 視界が真っ赤に染まったような気がした。事実、頭に血がのぼっているのは確かだ。フェアを蔑ろにしている、そのことがどうしようもなく許せなく感じた。

 すっと、テイラーさんは目を細める。そして動じることなく紅茶へと口を付けた。俺の言葉に対して何も思わない様子に腹が立った。

 

「ふざけんな! どうでもいいって言うなら無責任にガキを預かるんじゃねぇよ!」

 

 

 

「そうやって、あの子のために怒れる貴様だから、私はあの宿を預けると言ったのだ」

 

 そして、一瞬言っていることが理解できなくて思考が固まった。

 

「……え?」

 

 思わず返答に詰まる。そんな様子の俺に気にすることも無く、テイラーさんは話を続けた。

 

「……ふぅ。貴様、あのケンタロウ(ロクデナシ)の関係者なのではないか? 血縁、とまでは行かなくともな」

 

「な……」

 

 ケンタロウの関係者であることは確かだ。そしてそれを言ったのは、テイラーさんにその確信があるからだろう。

 

「あの宿はまだ一般にはあまり知られていない。改築したのは最近で只の一軒家だったのだから」

 

「宿であることを知っていること、フェアのことについて知っていること、ケンタロウのことを仄めかせたのは……わざとか。まぁ材料は幾らでもある」

 

 詰めが甘いな、と。テイラーさんはそのままティーカップをテーブルに置いて答えた。

 俺は思わず脱力したようにソファーへと体を預ける。ある程度此方の心情にも予想がついていて、フェアのことを雑に言ったのも此方を釣るためのものだ。

 本当に何もかも掌の上だったわけで、ここまで奇麗に言われると、負けたっていう気分にもならない。

 

「あとは、名もなき世界の生物は召喚師にとって絶好の研究材料だ。無暗に交渉の秤に掛けるべきではないぞ」

 

「ダメ出しまでされるかぁ……容赦ねぇ」

 

「私の部下になるのなら、その程度は軽く流して見せろ」

 

 下につくという意味では間違っていない。だけど宿屋の店主に求められる能力じゃないだろ。

 

「ここからは流石に想像だ。……貴様はケンタロウにフェアのことを伝えられ、任されたのではないか? 私が居るとはいえ、幾らあの男でもたった一人娘を残すとは思えなかったのでな」

 

「……それ、俺はハイとしかいえないでしょうに」

 

「だろうな」

 

 ……ごめんなさい、あのロクデナシはそこまで考えてないです。俺は男だから一人残されても我慢できる、っていうのはまだ理解できるけど、女の子(フェア)でもそれを容赦なくやるって、本当にあの男はロクデナシだ。

 だけど……ロクデナシなのは俺も同じだ。

 

「……テイラーさん」

 

「今から私が貴様を雇うのだ、公ではオーナーと呼べ。それで、なんだ?」

 

「例えば俺が数千人を殺した人間以外の化け物だとして、それでもテイラーさんは俺を雇うのか?」

 

「その手が私達に向けられるわけではないからな。仕事さえ果たせるのならそれでいい」

 

 それだけか、と。テイラーさんはつまらなそうに此方を訪ねた。俺が抱えている問題なんて些細なことだと、そう俺に言ってきているようだった。 

 

「……書類を作っておく。貴様も短い期間とはいえここで働くのだ。あの子に言うなり、身なりを整えるなりしておけ」

 

 そう言ってテイラーさんは席を立つとそのまま客間を後にした。その背中を見て俺は、大きいな、と。そう思った。

 たった一人だけしか背負えなかった俺とは違う、家族も、友人の娘も、部下も、家名も、すべて背負って立っている男の姿はどうしようもなく大きかった。もしも俺が同じ立場だったのなら、娘以外のものを切り捨ててしまっていたはずだ。

 そんなことを考えていると、客間の扉が開いた。そこには息を切らしたフェアが居て、此方を見ると、ぱぁ、と笑顔を見せて駆け寄った。

 

「ライ! オーナー、ライを雇っても良いって!」

 

「あー、そうみたいだな。たっく、説得するのに苦労したんだぞ」

 

 その苦労は殆ど徒労だった、とは言わないけれどな。

 はしゃぐフェアを抱き留めながら、俺は思わず口をこぼした。

 

「フェア、テイラーさんって、すごい人だぞ」

 

「? 当たり前でしょ? リシェルのお父さんなんだから!」

 



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三話 ドキドキ、はじめての同僚

 俺がこの世界に来て、テイラーさんの所で勉強を兼ねて仕事をし始めてから一年経った。……そう、一年も経っていた。

 宿の業務は再開できていない。研修期間は少しだけと言っていたのは何だったのか。

 

 ぴしり、ぴしりとひび割れる音が時折聞こえていた。無理やり組み上げた精神が崩れていくような、そんな音だ。

 前に『壊れた』のは相手の命を奪って、それがだんだん普通になってきて、敵を探し始めた頃だっただろう。止めてくれた御使いたちには感謝している。

 ふと見れば手に血が染まっているように見える。……だから何だと言う話だけど。娘とそれ以外を見たら後悔はあるはずがなく、今は血肉溢れるステーキだって食べられる。

 だけど、今の俺はどうなんだと考えてしまう。フェアのそばに居る資格はあるか、この場所に居てもよいのか、そんなことをひび割れていく音を聞きながら考えてしまったんだ。

 

 ソレを『彼女』に話したのは無意識の内だ。彼女の似たような後悔を知ってしまっていたから、もしかしたら俺は同意が欲しかったのかもしれない。

 

『以前の俺との落差が広すぎてさ、此処にいていいのかって思う時があるんだ。意味は無い仮定だけどな』

 

 過去に過ちがあった自分は此処に居ていいのか、ソレを遠回しで愚痴交じりに言ったとき、彼女はこう返答した。

 

『そうですか……自身の過去の暗い出来事に囚われてしまうのは、考える余裕があるからなのだと思います。旦那さまに言ってお仕事増やしていただきますね』

 

 俺の仕事量は二倍になった。

 ふざけんなあのメイド! って、思いながら俺は館を駆けまわった。

 

――

 

「ああもう! 終らないぞ!」

 

 ブロングス邸の客間は初めて来たときはその豪奢さから圧倒されただけだったけれど、掃除をする立場になってみれば厄介でしかない。置いてある家具一つでもいい値段がするんだから、宿の掃除をするようにはできなかったりする。

 そんな作業も彼女は鼻歌交じりに片付けてしまうから、今はもう自分の分を終わらせてこちらを眺めているだけだ。

 

「口より先に手を動かしましょう? ライさん。今日は徹底的に掃除するって決めたんですから」

 

「この量を一日で全部やるとは思わないだろ!? ……いや、いつもの作業量を考えたら思うべきだったんだ」

 

「帰れなかったらフェアちゃん泣いちゃうかもしれませんねー、大変ですねー」

 

「悪魔かお前は!?」

 

「半魔ですよー」

 

 クスクスと笑う彼女――ポムニットに俺は歯噛みすることしかできなかった。

 

 初めの頃は書類作成やトレイユについての情報管理、その辺りの手伝いをしていた。宿屋の店主としての仕事はできるか、その確認だけだったはずだ。ポムニットにその辺りをだと言うのに俺がポムニットに愚痴を言ってしまった結果、徹底的に教え込むと言わんばかりに仕事をさせられている。

 子供のときは分からなかったけど、ポムニットさんはほぼ一人であの館を管理していたのだ、仕事の出来も凄かったのだろう。

 忘れじの面影亭に住ませてもらってはいるけれど、このままだと管理だけしか行えず業務再開は遠そうだ。

 

「それに一端になってきたとはいえ、ライさんはブロングス家の使用人。そんな言葉使い、ダメですよ?」

 

「使用人じゃなくて宿屋の店主だっての、たっく。それに初めの頃ポムニットに敬語を使ったら気持ち悪いって言ったじゃないか」

 

「ですけど本当のことですし……」

 

「はははは……しまいにはブロングス姉弟にあること無いこと言ってやるぞ」

 

 ポムニットをジト目で見ながら口を開く。クロスカウンターでフェアにあること無いこと言われる可能性があるけれど、痛み分けには持っていけるだろう。

 

「そんなこと言って本当にいいのでしょうかライさん……? 貴方の給料は私の査定次第なんですよ?」

 

「本当に最悪だなこのメイド!?」

 

「まあ殆ど冗談なんですけどね」

 

「いったいどれが冗談じゃないんだ……?」

 

「それは……ライさんが気持ち悪いこと?」

 

「『の敬語』はどこ行った!?」

 

 小さくため息をつくもポムニットはクスクスとおかしそうに笑うだけだ。まぁどちらも軽口でしかないのは分かっているから、思わず俺も苦笑が漏れた。

 

 ポムニットとは軽口が叩ける程度には仲がいいとは思っている。少しと言うには長い時間同僚をやっているのだから。

 そしてお互いが面倒ごとを抱えている者同士であることを知っていた。ポムニットから見れば俺が常人から外れた行いをしていたことをテイラーさんから聞いている。そして俺は、ポムニットが半魔であることを知っていた。

 先に言うなら半魔であることを切り出してきたのはポムニットからだ。俺の愚痴を聞いて、散々に使い走らされた後、考える余裕も無くなったころにこう言ったんだ。

 

『ライさんも、私が半魔であり、過ちを起こしてしまったことはケンタロウさんや旦那様に聞いていると思います。私は、自分が納得できるまで時間を経つことしかできませんでした』

 

『……え?』

 

『意地悪で仕事を増やすわけじゃないんですよ? ただ、がむしゃらになって忘れて、時間が経つまで待つしかないんです。そうしたら少しだけ、此処に居てもいいって思えるかもしれませんよ?』

 

『……そういうもの、だったな』

 

『ええ、そういうものなのです』

 

 そう言って儚げに微笑むポムニットに、俺は上手く言うことはできなかった。言う余裕がなかった。突然出された衝撃の事実(カミングアウト)に必死に頭を動かした。

 後に落ち着いてから考えると、俺に対してポムニットが勘違いする要素はあった。ケンタロウの伝手で来て、過去にやらかしたことがあって、テイラーさんには半魔(ポムニット)を雇ったという実績がある。そんな俺が意味深なこと言ったのだから、俺が半魔であることを知っているのを前提で話していたと勘違いしてもおかしくは無かった。

 実際知っていたけど知っていたらおかしいだろ!? 今更ポムニットに、それ誰にも聞いていないんだけれど、なんて言えるほど俺の胆は強くは無かった。口裏を合わせてくれとテイラーさんの所へ頼みに行ったとき、貴様は何をやっているんだと言わんばかりの表情は忘れられない。

 

 ただまぁ、ポムニットの言っていることは正しくて、時間が少しだけ解決してたのは事実だ。寝て、起きて、フェアと話して、仕事をして、フェアと戯れて、寝て。余計なことを考えないぐらい我武者羅にやって、少しずつだけどマシにはなったんだ。

 

 仕事をすべて終えた頃になると日は傾き始めていた。帰りの道中で食材を買って、家で夕食を作っても十分な時間だ。

 

「時期が時期だから魚もいい、付け合わせはアレにして……フェアはもう帰ってるかな?」

 

「お嬢様が帰ってなさらないので、まだフェアちゃんも一緒にいるのではありませんか?」

 

 伸びをしながら言った俺の独り言じみた言葉にポムニットは返してくれた。

 

「まーた泥だらけの傷だらけで帰ってくるんだろうな」

 

「分かっているならライさんもフェアちゃんにお淑やかに過ごすように言ってくださいまし! ……いえ、お嬢様に巻き込まれているのはフェアちゃんでしたね……」

 

「巻き込まれていると断言していいのは弟の方だけな気がするけどな」

 

 はぁ、と。互いが面倒を見ている問題児たちを思い出して同時に溜息を吐いた。

 俺が見る限りだとフェアは良い子だと思った。俺との約束を守るって言って一日でも早く一人前になろうと頑張っている。だけど外で幼馴染と一緒になるといろいろ暴走してくるんだ。

 俺も子供の頃はこんな感じだったなぁ、と。具体的な内容を覚えていないけれど思うことがある。そしてポムニットと一緒に迷惑をかけた場所に謝りに行くのは日課みたいなものになっている。

 

「今はお嬢様達の教育係から少しだけ外れているので、私も強くは言えませんけれど」

 

 もともと俺がブロングス邸で働き、その面倒をポムニットが見るのは短期間の予定だった。それが俺の愚痴からポムニットの提案につながり、長期間拘束されたのだから、一因は俺にもある。

 

「あー。それなら迷惑をかけちゃったかもしれないな」

 

「気になさらないでくださいまし。旦那さまから任されたのが黄金から爆弾になろうとも、勤め上げるのがメイドというものですから」

 

「ああ、そう言ってくれると助かるけれど、自然に人を爆発物扱いしやがったなお前?」

 

 危険物である自覚はあるけどな。

 というより爆発物二つをまとめて管理するテイラーさんの胆の据わり具合も凄ぇ。

 

「それに、もうすぐ宿の管理の方へと辞令が来ると思いますよ? そうすれば私も教育係に専念できますから」

 

「あれ、そうなのか?」

 

「近いうちにファナンで会合がありまして、それを区切りにするとおっしゃっていました。確かライさんも連れていかれるそうです」

 

「へぇ…………え、俺を? どうしてまたそんな所へ?」

 

「さぁ? 武器にでもなさるのでしょうか?」

 

「爆弾扱いはそろそろやめろ。たっく、人を何だと思ってんだよ」

 

「危険人物ですよね?」

 

「間違っちゃいないけどさ。まぁその辺りは後日聞くとするよ」

 

 本格的に宿の業務の方に入れれば、こうして軽口を言い合う時間は減るだろう。清々するけれど悪くない時間だとは思っていた。

 じゃあな、と。軽く手をあげてブロングス邸を後にする。数歩踏み出そうとしたとき、ポムニットは後ろから言葉を投げかけた。

 

「私としてはライさんのことは信じたいとは思っています。ですが」

 

 足を止めて肩越しに振り返る。ポムニットの赤い瞳と視線が合った。

 

「旦那様とお嬢様達に害を為すと言うのなら、()が許しませんから」

 

 その言葉を聞いて、彼女がどうしようもなく俺に似ていると思った。なぜなら、

 

戻る(・・)なら、あの子(フェア)が居ないところでやってくれよ」

 

 きっとどんなに親しくなろうとも、互いの最優先は絶対に代わることが無いのだから。




ポムニットがケンタロウに救われたのは、エリカと旅に出る前か後か分からなかったので、この小説では前に設定してあります。
それに伴い設定改変のタグを入れさせていただきます。


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四話上 ヤンチャなあの子、暴走前

 朝日が僅かに部屋へと差し込んだのが分かり、フェアはがばりとベッドから体を起こした。気が付いてから直ぐに起きないと、また夢の中へと落ちてしまう。

 季節の変わり目は少しだけ寒い。まだ眠くぼんやりとしつつも、名残惜し気にベッドから離れた。そして小さく欠伸をして、寝間着から私服へと着替える。丈夫な布で作られた買い物袋を手に取ると、そのまま一階まで下りて行った。

 普段から早起きをするフェアだが、私塾が休みの日はそれよりも早く起きる。理由は朝市での買い出しに出るためだ。

 一階に降りて身だしなみを整え終わると、玄関にはフェアと同じような格好を取ったライの姿があった。靴を履こうとしているその後ろ姿に、ててて、と小走りで近づくとそれにライもフェアに気が付いたようだった。

 

「おはよう、ライ」

 

「おはよう、フェア。……まだ寝ててもよかったんだぞ?」

 

「ううん、今日はお休みだから一緒に行く」

 

「そっか。それなら頼んだ」

 

 近くに寄ったフェアの頭をポンと軽く触れてライは立ち上がる。慌ててフェアも同じように靴を履いて玄関を後にした。

 

 朝市でも魚河岸の方面は特に威勢のいい声があふれていた。ルトマ湖でとれた魚たちが所狭しと並んでおり、それを品定めしながら二人は歩いていた。時折ライが目利きを教えてくれるが、まだ幼いフェアにとって難しく、ぐるぐると頭の中を回転させながらそれを聞いていた。

 それが終われば今度は作物の市場へと向かい野菜や肉、調味料などを購入する。そのころにはフェアの買い物袋も膨らんでおり、両手で引きずらないようにライを追いかけていた。歩調をゆっくりと合わせながらもライは時折フェアへと視線を向けており、フェアもそれに気が付いた。じっとライへと視線を返すと、ライは困ったように頬を掻いて口を開く。

 

「フェア、持とうか? 重いだろ?」

 

「むっ、いいよ。ライの方が重いんだから、私が持ってあげようか?」

 

 強がっているだけで、今持っている荷物も重い。本当は持ってほしいけれど、そうはしたくないとフェアの意地が勝った。

 

「そんなことしたら、お前も食材もぺちゃんこになっちまうって。卵が入っているからそれこそ大惨事だぞ?」

 

「そうなったら今日もオムライス?」

 

「今度は卵の殻を入れないようにな?」

 

「入れない! バカにしないでよ!」

 

 子供扱いされているのが何となく嫌で、思わず声をあげる。笑ってごまかすライは、クシャクシャとフェアの頭を撫でた。頭を振ってその手を振り下ろすと、キッとライを睨みつける。

 

「もう! それやめてよライ! 髪がぐしゃぐしゃになっちゃうじゃない!」

 

「悪い悪い。丁度いいところに頭があったからつい。フェアも女の子だしな」

 

「もしかしてライ、私のこと女の子扱いしてなかった?」

 

 フェアがジト目で見ると、ライは肩をすくめて口を開く。

 

「ガキ大将を吊るしあげて自分が就任しちゃうような奴はちょっとな……」

 

「ち、違っ。あれはリシェルが暴走したからっ。私は止めようとしたの!」

 

「残念、弟の方からすごい連携だったって報告は上がってんだよ」

 

 この暴れん坊め、と。笑うライに言葉を返せなくて、むぅ、と頬を膨らませる。笑い話になっているけれど、ライに怒られてしまった事件のため、フェアとしては決まりが悪い話だった。

 

「(また子供扱いされた! 早く一人前になりたいな)」

 

 隣を機嫌よさげに歩くライを見上げながらフェアは思う。そうすればライと同じ景色を見られるのだろうか。

ただお父さんを待っているだけじゃなくて、一人でなんでもできるような、立派になったところを見せたい。そうしたらきっとまた家族みんなで暮らすことができる。お父さんが居て、エリカが居て、私が居て――――

 

 

 そこに、ライの姿はあるのだろうか。

 

 

「……フェア?」

 

 気が付けばフェアは足を止めていて、ライに声をかけられ、はっと顔を上げた。

 

「ライ、あのね」

 

「ん?」

 

「その」

 

 私が一人前になっても一緒に居てくれる? と。そう聞こうとして口を噤ませる。

 言ってしまえばきっとライは頷いてくれる。そして約束を守ってしまう(・・・)とフェアは分かってしまった。

 あの日、ライを追いかけていった自分を抱きとめてくれたあの時のように。

 

「……手、握ってもいい?」

 

「いいぜ、ほら」

 

 代わりに出たお願いにライは軽く答えて手を差し出した。

 その手を取ろうとして、フェアは自分の両手には買い物袋があったことを思い出す。どうしようかと思案しようとしたとき、ひょいとその荷物を受け取ったライは、軽々と片手でその荷物を持った。

 

「こうすれば手、握れるだろ? その代わりこっちの軽いのは頼んだぞ」

 

「うん! 任せて!」

 

 荷物の軽いものを差し出されたフェアはそれを手で受け取ると、ライの手を握る。そして先ほど少しだけ考えた不安を消してしまうように歩き出す。

 

 一人前になったら、ライが居る理由が無くなるのに、なんで自分は一人前になりたいのだろう。

 

 

 フェアにとってライという人物は不思議な位置に居る。テイラーからは母方の親戚だと紹介されたが、何となくそれは違うのだろうな、とフェアは思っていた。

 単なる宿の従業員、というほど離れてはおらず、家族というほど近づいていない。くっつきすぎるのは良くないな、と思う一方で一緒に居たいと言うのも本心で。山盛りの甘いお菓子を見て、たくさん食べていいか迷ってしまっているような状態だった。

 嫌いじゃないし一緒に居たい。だけど違うような気がする。、そんな違和感は一年も過ごしても変わらなかった。自分はライという人物にどうしたいんだろう、どうなりたいんだろう、それがフェアには分からなかった。

 

『それは、きっと、恋よ!』

 

『リシェルに聞いた私がばかだった』

 

 フェアの友達のリシェルはそんなことを言って指を突き上げた。なんでも【恋する乙女の意思は星をも貫く】という本で読んだらしい。相談相手を間違えたかな、と。幼いながらもフェアは察することができた。

 

『お二人がどんな関係か、ですか? 傍から見れば保護者と子供の関係、だと思いますけれど……フェアちゃんは違うって感じるのでしたよね?』

 

『うん。ライのことは嫌いじゃないのに、よくわかんない』

 

『成程。きっとそれはライさんに恋しちゃったのではないでしょうか!』

 

『……そうかな!』

 

『そうですよ!』

 

 フェアは気遣いを覚えた。また一つ成長できたけれど大人になっていく悲しさを感じた。

 リシェルで無理なら大人の女性はどうだろう、と。ポムニットさんに聞いてみたけれども返答はリシェルレベルだった。『歳の差XX歳なんてやっぱりライさんは危険人物ですね!』と、両手を頬に当てて悶えるポムニットをフェアは複雑な表情で見ていた。

 ポムニットさんはなぜか人の恋愛が絡むと残念なことになってしまう。そういえばリシェルに本を貸したり読ませたりしていたのはこの人だったことを思い出す。

 ポムニットさんはライが来てから楽しそうに仕事をしている、と。フェアはそう思うしリシェルもそう感じていたらしい。

……良く分からないけれどやっぱりもやもやした。

 二人とも大好きなはずなのになぜか曇り空を見ているようで、よく分からなかった。

 

 分からない、分からない、分からないと、そんなことばかり。早く一人前になれば、そんなことも減っていくのかな。

 

 

 家に戻ってきたころには日も登り、朝食には少し遅い時間帯だった。食材を冷凍室に仕舞い朝食を二人で作り始める。調理はもう慣れたもので、フェアも高さを補助する台があれば台所で一人で料理することもできるようになった。

 フライパンでソーセージを炒めて宙を舞わせている最中、隣で調理していたライが口を開く。

 

「ああ、そういえばなんだけどさ」

 

「ん? なーに?」

 

「俺、ファナンに出張が決まったから、しばらく宿を空けるぞ」

 

 フライパンのソーセージが飛んで行く。顔面を皿にして受け止めてしまったライが悲鳴を上げた。

 

――

 

「フェア、なんか今日元気ないけど、どうしたの? さてはライさんに怒られたとか!?」

 

「ね、姉さん」

 

「……別に、そういうのじゃないから。釣れないからって突っかかってこないでよ、リシェル」

 

 昼下がり、水道橋公園で竿を垂らす三人組の間でそんな会話が出された。

 ふふんと、どこか得意げに言うリシェルへとフェアは淡々と言葉を返す。同時に釣竿を引き絞り魚を陸へと引っ張り上げた。隣で猫の顔の魚がびちびちと動き、ルシアンが小さく悲鳴を上げた。

 

「なによ! そういうアンタだってニャン魚だかワン魚だかよくわかんないの釣ってるでしょっ!」

 

「リシェルには勝っているからいいかな」

 

「ヌシ以外は全部その他よ! そうでしょルシアン!?」

 

「えーと、そうなのかなぁ?」

 

「そうなの! というわけでニャン魚たちはサヨナラよ! ふーんだ!」

 

 リシェルは三人で入れていた魚入れをひっくり返すと、勝負は無効だといわんばかりに胸を張る。食用の魚も入っていたため、何時もならなんてことをするの、とフェアがリシェルに飛び掛かっていただろう。しかしフェアはなぜかそうする気が起きず、ぼんやりと浮き具を眺めていた。

 

「(……帰ってきてくれるのは分かってるのに)」

 

 嫌だな、とフェアは何となく思った。

 

 フェアに元気がない様子で調子が狂ったのはリシェル達だ。ぽすんとフェアの隣に座ったリシェルはフェアの顔を覗き込む。何処を見ているのか分からないようなぼうっとした表情がそこにあった。

 

「そういえば、ライさんとパパがもうすぐファナンに用事で行っちゃうけれど、フェアはその間どうするの?」

 

「うん……」

 

「あ、パパも居ないなら怒られないし、私たちでお泊り会とかいいわよね!」

 

「うん……」

 

「……」

 

 気の抜けた返事をするフェアに、リシェルは少しだけむかついた。おろおろとルシアンがそれを見る。そしてなにかを閃いたように口を開く。

 

「…………! フェアってやっぱりライさんのこと大好きよね」

 

「うん…………うんっ!?」

 

 リシェルの言葉を話半分に聞いていたフェアだが適当に返した言葉の意味に気が付き思わず顔を上げた。

 面白いものを見つけた、と言わんばかりのリシェルの笑みをつくる。

 

「へー、そーなんだー、ふーん、フェアちゃんは大好きなんだー。ほーん」

 

「リシェル!」

 

「照れなくても分かっているわよ。離れ離れになって寂しいから落ち込んでいたワケね」

 

 かぁ、と。フェアは顔を赤くする。それでは自分がまるで甘えん坊みたいだと思い、それが恥ずかしく感じたのだ。

 

「……リシェルだってポムニットさんのこと大好きなくせに」

 

 口をとがらせフェアが返す。リシェルの笑みが固まった。

 

「うぐっ。ポ、ポムニットは関係ないでしょーっ!! ポムニットも一緒に行くみたいだけど、別に私は寂しくないし!」

 

「教育係から外れたときに、泣きそうなぐらい落ち込んでいたのはどこの誰だっけ?」

 

「むぐー」

 

「むー」

 

「や、やめようよ二人とも」

 

 二人とも釣竿の浮き具が千切れていることも気が付かずにらみ合う。やがてどちらも不毛だと気が付き小さくため息を吐いた。手打ちにしましょうと、という暗黙の了解だった。

 沈黙が訪れる。気まずい雰囲気の中、何かを思いついたリシェルが手槌を打った。

 

「そうよ! ライさんが行っちゃうのが嫌なら、ついて行っちゃえばいいじゃない!」



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四話中 厳格な雷鳴、落下前

 きっとそれは過去の夢だ。見覚えがある光景が目の前に広がっていた。

 一人の女性と(オレ)が居る。泣きそうな表情な女性とは対照的に、俺の表情は相変わらずの無表情だった。

 

『もう、無理なのかな。みんなで一緒に居ることはできないのかな』

 

『……やる必要、無いだろそれ。俺も、お前も、もう大人だろ? いつまでガキみたいなこと言ってるんだよ』

 

 親父と、妹と、そして自分でまた一緒に暮らす。それは幼いころの俺が昔から見ていた夢で、もう曇りだらけになって光は無くなった。

 何の治療をしたのかは知らない。ただ病気が治り俺と話すことができるようになった妹は、その言葉にひどく傷ついたようだった。

 それを見たとき、俺は『何も思わなかった』。

 

『お兄ちゃんは、怒ってる?』

 

『……? どうして?』

 

『だって! 私ばっかりお父さんと一緒に居て、お兄ちゃんは……』

 

『ああ、そんなことか。仕方ないことだって分かっているよ。俺だって親父と同じ判断をするし、否定するつもりもないさ』

 

 単に優先順位の問題だ。放っておいても勝手に育つ俺と、確実に死んでいた妹。そのどちらを優先すると言えば後者だろう。

 それに昔の家族以上に守りたい娘が居る。だから、それ以外のことに目を向ける余裕も意義も存在していなかったのだろう。

 

「怒ってるとか、嫌いとか、そういうことを向けるつもりは無いんだ。家族とかどうとか、お前も俺に気にしないで勝手に生きてくれ」

 

 俺も勝手に生きるから、と。そう言うと妹はきっと視線を強くする。

 

『そんな風に言わないで! 私は、またみんなと家族になりたいよ!』

 

 妹の強い言葉に俺は少しだけ困っていた。自分はどうしようもないほど変質してしまった。かつての俺がイメージしていた家族、という区切りに当てはめることはできないと理解していたからだ。

 

『お前、なんて言わないでよ。名前で呼んでよ、お兄ちゃん!』

 

 ぽろぽろと涙を流す妹に、その時の俺は軽く頭を掻く。その言葉に対して何の響きもなく、無表情で淡々と。それこそ道でも聞くように妹へと聞いた。

 

『……なぁ、お前の『名前』、なんだったっけ?』

 

 だってそれすらも、その時の俺は擦り切ってしまい忘れていたのだから。

 

 

「――夢か」

 

 ファナンへと向かう当日、少しでも長く寝て体を休めるために少しだけ遅く起きた。服を着替え、保管していたサモナイト石を取り出した。緑が一つ、紫が二つの、宝石のような石は俺が手に取ると、ぼう、と淡く光ったような気がした。

 そのまま下へと向かおうとして、踏みとどまって再度戻る。サモナイト石が保管してあった場所にはまだ一つ、無色のものがありそれも取り出して懐に仕舞った。

 

 下に降りるとそこにはもう朝食が作られていた。起きたのが普段より遅い時間とはいえ、まだ朝と言える時間帯だ。フェアと一緒に作ってから行こうと思っていた身としては出鼻をくじかれた感覚だった。

 

「フェア、……居ないのか? って」

 

 厨房にいると思い呼ぼうとするけど、テーブルの上にメモ書きがあることに気が付いた。『リシェルの所に行ってくるので朝ごはん食べてください』とのことだ。

 

「……こんな朝早くから? 昨日は何も聞いていないし、また姉の方となんか仕掛けるのか?」

 

 と言っても町を出る時間は決まっている。何か問題が起きても行ってやることはできないだろう。……重大なことなら話は別だけど、この平和な街でそれが起きたり起こしたりするのは考えにくい。気にしても仕方ない、と。朝食を終わらせて朝の身支度を整えることにした。

 

顔を洗って歯を磨いて身だしなみを整える。どんなに櫛で梳かしても跳ねるくせ毛に辟易しつつも最低限直していく。鏡を見てみれば、半目で不機嫌そうな俺の顔があった。

 フェアが先に外へ行ってしまったため、見送りしてくれないのか、と少し残念な気持ちになっていたり、朝見た夢が見ていて気持ちのいいものではなかったなんかの理由はある。

 

「……エリカ、泣いてたな」

 

 客観的に見てあの時の俺は狂っていた。そんな状態で会ってしまったのだから、あの光景にもなる。結局あれから会うことは無くなったけれど、元気でやっているんだろうか?

 ()ももう少し言葉を選んでいたら、子供の頃あれだけ望んでいた家族っていうのにもう一度なったのだろうか。あの二人(・・)の光景を見る限りそれは――

 

「……二人?」

 

 自分で考えていたけれどソレはおかしい。

 だって、俺が見ていたのはエリカと()が居る光景だ。ならその光景を見る視点は何処から来た?

 

「どうして()がエリカの名前を憶えていたんだ?」

 

 だってそれは俺がすでに記憶から磨り潰して忘れてしまったことだ。ミルリーフが行った儀式がその辺りの補完をしてくれたと、俺は思いこんでいるだけなんじゃないのか?

 

 からん、と。懐からサモナイト石が落ちる。無色の、契約はされているのに名前は分からず、何も宿さないソレが光に反射して鈍く光った。

 

「……お前は()なんだ?」

 

 それは落ちたサモナイト石に言ったのか、鏡に映る俺に言ったのか分からなかった。

 

――

 

 数日前、テイラーさんとポムニット、俺の三人で打ち合わせを行った。旅の行程や役割、必要な費用や支給金などについてだった。

 俺に求められているのは護衛としての役割で、あとは付き人としてポムニットの補助。それらを一通り読み込んだ後顔を上げて一言呟いた。

 

「……これ、本当に俺要りますか?」

 

 その言葉に隣に居たポムニットは苦笑し、対面のテイラーさんは相変わらず憮然としたままだ。

 

「ポムニット、ライには一通り付き人としての作法は教えたはずだな?」

 

「はい、旦那様。ブロングス家の使用人として恥ずかしくない程度には、仕上げさせていただきました」

 

「いや、俺は雇われ店主であって使用人っていうわけじゃ」

 

「あの宿の店主はフェアで、貴様はあくまでも現管理者であり私の部下だ。そこを間違えるな」

 

 宿の管理だけでまともに運営を再開したのはつい最近だから確かにそうだ。一言で切り捨てるテイラーさんの言葉がどうも俺には腑に落ちない。護衛、という意味では召喚師には護衛獣が居るし、付き人としてはポムニットが居れば十分だ。旅の費用だって一人分出すのは安くは無いのだから。

 悩んでいると隣からポムニットが小声で耳打ちする。

 

「旦那様はライさんに気を使っていらっしゃるんですよ」

 

「俺に?」

 

 よく分からず内心で首をかしげる。テイラーさんは小さくため息を吐くと、掌を組んで口を開く。

 

「ライ、貴様は今あの子(フェア)の保護者替わりをしているが、その父親が帰ってきたら貴様はどうするつもりだ?」

 

「……あ」

 

「……その様子では考えていなかったな? 馬鹿者が」

 

 言われて気が付いた。俺はケンタロウがエリカの治療を終えるまで十数年かかることを知っている。しかし治療法が見つかれば直ぐにケンタロウも帰ってくるのだから、それが近日中だと他の人が考えるのが当たり前だ。

 俺だって家族団欒している中に居つくほど厚かましくない。フェアが一人前になったらすぐに出ていくつもりだった。その未来は数年後だから、行き先についてはまだ全く考えていなかった。

 

「貴様は所詮あの宿の雇われ管理者に過ぎない。本来管理していた者が帰ってきたのなら貴様は無用になる。あの場所で仕事をさせる理由も無いだろう?」

 

「そう、ですね」

 

 無用、と言われるのは流石にきついな。元々テイラーさんとはそういう契約で仕事をしているのだけれど。

 そんなことを考えていると、ポムニットが再び耳打ちをする。

 

「あの、ライさん? 旦那様はちょっと言葉が足りなかったのですけれど、『宿の業務が無くなれば暫くは使用人業務(こちら)に戻るのだから、その仕事も追加で覚えろ』ということだと思いますよ?」

 

「え、そうなのか?」

 

「ライさんの立場って旦那様の部下ですし……その、旦那様も少し素直じゃないと言いますか、」

 

「そろそろ話を戻す。………なんだライ、表情を引き締めんか」

 

「いえ、……ありがとうございます、オーナー」

 

 どうも俺の表情は緩んでいたらしい。子供の頃の記憶は掠れてしまったけれど、テイラーさんに認められるのは今も昔も同じように嬉しかった。

 

「ある程度の実績を積めば他の場所でもやっていけるだろう。半端者がブロングス家の部下であったなど言わせるものか」

 

「『ここ以外の場所でも働けるように、今回しっかり仕事をこなしたという実績を作るのだぞ』とのことですよ、ライさん」

 

「ポムニット! 余計なことを言わんでいい!」

 

「失礼いたしました、旦那様」

 

「ははは……」

 

 金の派閥の召喚師、その護衛を務めあげたことがある、というのは確かに実績としては大きい。後でポムニットに聞いた話だと、ファナンでは金の派閥の本部があり、そこで顔を売っておけば俺がこれから食いはぐれることは無いだろうとのことだ。本当にテイラーさんには頭が上がらない。

 ただし、俺を護衛として着けたのは、俺にかかっている疑いを晴らすためでもあるのだろう。数人での旅など暗殺や謀殺をするのには絶好の機会なのだから、それをこなしたのなら改めて信頼できる、ということだと思う。最悪手を出されてもポムニットと相打ちできるか、その辺りの計算も入れているのかもしれない。

……俺が気が付くことをポムニットが分からないわけがないから、本人もその役割を理解していてこの仕事をするわけだ。

 

「意図はわかりました。ただ護衛をするにしても、召喚獣の制限がかかるのは痛いですね」

 

「仕方あるまい。聖王国では召喚術を大々的に民衆に広めてはいないのだから」

 

 護衛が主になるなら戦力は確保するに越したことは無い。ただ俺は戦い方が召喚術と近接戦闘の半々だから、その半分が無くなるのは痛いな。

 

「……獣属性の高位召喚術が使用できるなら、知人(ナイア)の弟子として誤魔化すこともできなくはない。だが緊急時まで使用は控えろ。状況の見極めは任せる」

 

「分かりました。ただし安全を優先で」

 

 嘘は重ねれば重ねるほどボロが出やすくなる。テイラーさんの知人である召喚師も派閥に属していない人物であるらしく、嘘に使うのは俺もテイラーさんも避けたい。

 

「召喚獣の貸し出しは必要か?」

 

「いえ、以前見せた者たちが居るのでそれで大丈夫です」

 

「ならばあの『空』のものも持って行け。フェアが宿に居る以上、弄って事故が起こる可能性もある」

 

「了解です」

 

召喚獣の『コバ』、『プラム』、『ポット』、三人ともこの世界に来てから再契約することができた。前の世界で契約されたサモナイト石は縁はあるが、本人たちとは初対面だったから多少の混乱があった。今は快く力を貸してくれるとのことだ。

……前は、プラムには苦々しい表情をさせてしまっていたから、できれば正しく力を使いたい。

 そして……空になった無色のサモナイト石。あれは何が契約されていたのだろう。

 

「……あの、旦那様もライさんも荒事を前提に話していますけれど、平穏無事に旅が終わるなんてことは」

 

「いや、多分ないだろ。はぐれが出る可能性もあるんだから」

 

「私は聖王国の治安にそこまで期待はしておらん」

 

 ですよねぇ、と。ポムニットはがっくりと肩を落とした。ポムニットも護身術程度は収めていても、本職と渡り合えるほどではないのだろう。

 

「ライさん! 旦那様の安全が最優先ですけれども、是非とも私も守ってくださいまし!」

 

「あのなぁ、そんなこと当たり前だろ? それぐらいできなくて何が護衛だっての」

 

「……そ、そうですか? その、茶化すようにいって申し訳ありません」

 

 ポムニットとしては冗談交じりに言ったのだろうが、それは俺にとって当たり前のことだ。

 

「いや、お前になんかあったらフェアが悲しむしな」

 

 7割ほど本音の言葉をポムニットに返す。3割は恥ずかしくなったからその誤魔化しだった。

 言った瞬間ポムニットは笑みを作った。ただ目が笑ってない。

 

「…………そういうところは本当に無神経というか、アレですよね、ライさん。たぶん将来フェアちゃんから『大っ嫌い!』って言われる時が来ますよ?」

 

「うるせー。来ないし来させねーよ」

 

 そうなったら比喩表現では死ぬ。ミルリーフにはそう言われたことが無かったから、フェアに言われたら衝撃も大きいに違いない。

 

「そろそろ良いか二人とも?」

 

 小さく咳払いをしたテイラーさんに俺もポムニットも小競り合いをやめて向き直る。

 

「話は以上だ。仔細は書類に記した通り期限までに支度を済ませろ。では、業務に戻れ」

 

――

 

 当日になり旅路へと出ている最中、馬車での空気は悪かった。俺は勿論のこと、テイラーさんも表情には出さないが落ち込んでいる雰囲気がある。

 天気は快晴で障害物も無い、野盗などの問題も発生していない。旅の出はじめとしては好調だった。荷物が木箱三個分と邪魔なのは確かだが、十分に快適な部類だろう。なのにこうして気分が落ち込んでいるか、理由は一つ。

 

「……あの、ライさんも旦那様もそろそろ立ち直って頂いて宜しいですか? もちろんフェアちゃんやお嬢様が見送りに来てくれなくて、残念なのは分かりますけれど」

 

「残念なんかじゃない。単純に警戒しているだけだ」

 

「リシェルに次期当主としての自覚が足りていないのを嘆いているのだ。そんな俗な理由ではない」

 

 この時点で俺を含めて三人とも相手に対して嘘をつけ、と考えているだろう。ポムニットは「男の人って面倒くさいですね」とぼやいていた。

 

「ほら、ライさんは御者の仕事を教えますからこっちに来てください。この辺りは道も舗装されていますから」

 

「おいおい、オーナーが居るのに俺の練習をついでにやっていいのか?」

 

「ああ、構わんぞ。元々それもついでに教えさせるつもりだったのだからな」

 

 馬車の操車はポムニットに基礎程度は教わったけれど、まだまだ稚拙だ。というか宿の業務をするのに必要ないと考えていたから力を入れていない。

 御者の席まで来ると、ポムニットが隣によって手綱を俺に手渡した。ふわりと良い香りが漂い、その元へと視線を向けると、ポムニットと視線が合った。見過ぎたか、と視線を前の道に戻すと、ポムニットが再度此方へ寄せて座り直した。

 

「……なぁ、ポムニット。少し近いし暑くないか? そこ」

 

「そういうことはその危なっかしい操車を止めてからにしてくださいまし」

 

 そうポムニットが言うと同時に、俺の手ごと手綱を動かされる。見れば道に少し段差があり、馬に引く速度を少し下げさせたようだ。

 

「と、この通りです。貴人をお連れしているときは、特に揺れを感じさせないようにしてくださいませ」

 

「……すごいな」

 

 それこそ必要なことは何でもやってきたつもりだけれど、使用人として簡単にこなしているように見せるポムニットには素直に尊敬する。

 

「こう見えても敏腕メイドですから」

 

「自分で言うなよ……よし、やってやるか!」

 

 悪戯気に笑みを見せるポムニットに苦笑し、少しだけ気合を入れなおす。

 思ってみれば新しく何かに力を入れる、というのは久しぶりな気がする。勿論普段の仕事で手を抜いているわけではないけどな。好き好んで頑張ろうとするのなら……そうだ、これが『楽しい』だったか。

 

 ぴしり、ぴしりと音がする。ああ、本当に煩い。

 

 

 まぁ、楽しいと言っても集中をずっと続けることは不可能だ。日も高い位置にあり、俺が何度か段差で大きな揺れを出したところで休憩することになった。

 朝からずっと御者をしていたため、疲労の溜まり具合が思ったより大きい。ただこれは心地よい疲労という奴だ。悪くない。

 

「やっぱり筋は良いですよ? ただ他の来賓を迎える時にはもう少し腕を磨かないといけませんね」

 

 干し肉で作ったスープを配りながら、ポムニットは俺の操車についてそんな感想を返した。

 

「腕を磨く機会自体があまりないんだけどな。今回はありがとうございます、オーナー」

 

「ふん、礼を言う前に早く身に着けるのだな。日程には余裕があるのだから貴様の稚拙な操車でも十分間に合うだろう」

 

 相変わらず憮然とした表情でテイラーさんは、ポムニットから受け取ったスープに口を付けた。

 隣に居たポムニットが俺に耳打ちをしようとしたが、それを手で制して止める。多分テイラーさんが言いたいのは、『時間はある、私に気にせず学べ』ということだろう。

 

 ……ポムニットさん(・・)がテイラーさんの子供であるリシェル達に、あれだけ強い思いを持っていたのが分かるような気がする。厳しく言うが、此方の頑張りを認めてくれて背中を押してくれる、そんな人だ。子供の時は反発の方が大きかったけれど、直属の部下となってその有難さが良く分かる。

 そしてそんな人物から自分の宝とも言える子供の教育を任されていたんだ。頑張るし何を賭してでも守りたいと思うだろう。

 そう考えるとポムニットには悪いことをしたな。一時的とはいえ俺のせいで教育係から外れたんだし。本人は気にしなくてもいいと言っていたから、あえて言うつもりはないけれど。

 

「ただあまり揺れがひどいと、持ってきた荷物が崩れちゃいますね」

 

「気を付けるから勘弁してくれ。……荷物と言えば、どうしてあんなに持ってきたんだ? 木箱三個分って流石に旅支度としては多すぎないか?」

 

 ファナンまでの旅なら一人分ならバックパックに背負える程度の量にまとめられるだろう。俺の荷物は手元にあるから、ポムニットとテイラーさんで二人分だと考えても聊か荷物が多い。

 ポムニットは大きく目を開き、驚いたような表情をした。その間に質問に対してテイラーさんが応えた。

 

「あれは本部へと持っていく研究成果だ。量が多かったからポムニットがいくつかに分けたのだろう」

 

「ああ、そういうことですか」

 

 今回の旅は金の派閥の本部での会合や研究報告、そして他の召喚師との縁作りも兼ねている。そのための荷物であるのなら馬車で行くのも納得できた。

 

「……あの、ライさん? 木箱の数ですけど、二つ、の間違いですよね?」

 

「? いや、三つだ。流石の俺だって荷物の数まで間違えないぞ?」

 

「いえ、茶化しているわけではなくてですね。たしか、私荷物は木箱二つに纏めたのですが……」

 

「……なんだと?」

 

 沈黙が訪れる。ここで誰かが追加で木箱を置いた覚えがあるのなら違和感はない。だがそんなこと誰も心当たりがあるわけもなく。

 

「ライ、来い」

 

「はい」

 

 非常に嫌な予感がするけれど、一度木の食器を置いてテイラーさんと共に馬車へと向かう。そして後部にある木箱の前に来ると、視線でテイラーさんから指示が出された。空けろ、とのことだ。

 一つ一つ箱を開けていく。一個目は衣服類、二個目は書類などのテイラーさんの私物。そして……三つ目に来たとき、かた、と小さく箱が動いた。

 

 ……なんか、居る。

 

 もう一度テイラーさんへと視線を向ける。指示はまた空けろ、だった。

 止める理由も無い、木箱の蓋を開けた瞬間に青い瞳と視線が合った。

 

「「……あ」」

 

 少女たち(・・)の声が届く。片方がブロングスの姉、そしてもう片方の白い髪の少女がフェアであると分かった。どうしてここに、と。そう思うより先に俺の隣で雷が落ちた。

 

「貴様らはいったい何をやっているかぁああ!!!!」

 



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