ランス(9.5 IF) (ぐろり)
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TURN 0
LP8年4月前半


 

 

 第二次魔人戦争。

 

 それはLP7年9月。

 突如大勢の魔物兵が人間世界への侵攻を始めた事により、この戦争は始まった。

 

 そしてLP8年4月。

 人類圏を統べる世界総統、ランスという男を中心とした魔人討伐隊の活躍により、魔軍の総大将である魔人ケイブリスが討たれた事でこの戦争は集結を迎えた。

 

 人類は勝利した。

 魔の脅威から平和を勝ち取ったのである。

 

 敵の本拠地で最後の戦いを終えると、ランス達はその後すぐに人間界へと凱旋した。 

 そして今日、ランスの居城たるランス城では人類の勝利と恒久な平和を大いに祝し、共に戦った仲間達や各国の要人を集めた大規模な祝勝会が開かれる事となっていた。

 

 

 

 しかし祝勝会開始から数時間後、その城内は未曾有の混乱に包まれていた。

 

 ランスの奴隷として所持している女性、シィル・プライン。

 常に主人のそばに居る彼女の身に悲劇が襲った。突如パーティ会場にやって来たバード・リスフィという名の男の手により、シィルは殺害されてしまったのである。

 人類の勝利を祝う祝宴の中、誰もが予期し得なかった事態。呼ばれていない筈の、ここにいる筈の無い男の手によって彼女は殺されてしまった。

 

 皆が衝撃を受ける中、事態はそれだけに収まらず、畳み掛けるようにもう一つの事件が起こる。

 

 今まで魔王への覚醒を拒み続けてきた未覚醒の魔王、来水美樹。

 しかし魔王の力を抑える事に限界が来てしまったのか、彼女はこの日遂に世界を支配する魔王へと覚醒しようとしていた。

 

 人類は勝利を祝うはずの夜。それはこの二つの騒動が起きた事で台無しとなってしまった。

 今の城内はシィルの死に嘆き悲しむ者、襲撃犯を追走する者、美樹の魔王への覚醒の対処に追われる者や、今起きている事態が理解出来ずに喚き騒ぐ者など、とても収拾が付かぬ程の混乱が起きていて。

 

 そんな中、誰かが呟く。

 

「……あれ、そういえば総統は……?」

 

 この城の城主たる男、ランスはいつの間にかパーティ会場から姿を消していた。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 混乱状態にあるランス城のとある一室。

 城内で起きている騒動なとつゆ知らず、静かな室内ですやすやと寝入っている者が居た。

 

 クリーム色の長髪をリボンで二つに纏めた髪型の幼女、聖女の子モンスター、セラクロラス。 

 極めてマイペースな性格をしている彼女は祝宴にも然程興味が無いのか、先程からずっと部屋のベッドで安らかに眠っている最中で。

 

 そして、そんな彼女の目の前にランスは居た。

 

「おい」

「すぴー、すぴー」

「おいセラクロラス、起きろ」

「んー……」

 

 肩を乱暴に揺さぶられる感覚に覚醒を促され、セラクロラスは目を擦りながら片目を開く。

 

「むにゅ……あ、ランスだ、どしたの?」

「お前、確か時を司る聖女の子モンスターだよな。少し事情があって過去に戻る必要がある。今すぐ俺様を過去に送れ」

 

 その突然の要求。それはのんびり屋さんの彼女といえどもさすがに驚く話だったのか、セラクロラスは普段通りの眠そうな目を少し広げてその顔をじっと見つめる。

 

「……ん~。ランス、なんか感じ、違う?」

「んな事は聞いとらん。出来るか出来ないか、どっちか答えろ」

「できなくはない。けど、一旦過去にいったらたぶん帰ってはこれないよ?」

「それで構わん、出来るならやれ」

 

 一旦過去に戻った場合、もう二度とここには戻れない。

 それは相当なリスクを伴う事である筈なのだが、しかしその男はなんら躊躇を挟まない。

 

「……本当に良いの?」

「いいから早くしろ」

「……わかった」

 

 セラクロラスは少し躊躇していたものの、ランスの有無を云わせぬ迫力に圧され、やがて右手を上げて掛け声一つ、時を司る聖女の子モンスターとして与えられているその力を行使した。

 

「てやぷー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてランスがふと気付いた時には、目の前にはぼんやりとした光だけがあった。

 

(……おお?)

 

 思わず周りを見渡そうとしてみるが、しかし首が動かない。

 というか首だけではなく目も動かせず、そもそも体の感覚が何も無い。ただ視界の先が薄く光っているような感覚だけがあった。

 

(……なんだこれ)

(これはなんでもないよ。今ランスを過去に戻している途中だから)

 

 ただ頭の中で思った事に対して、何処か遠くから響くようにセラクロラスの返事が聞こえる。

 

(おぉ、セラクロラスか。何か変な感じがするぞ)

(今ランスは意識だけだから。もうすこし待って)

(意識だけ?)

(うん。ランスが過去に戻るのは意識だけ。だってその方が楽だし)

(そか、まぁなんでもいいや)

 

 ランスにとってはよく分からない話だったが、どうやらセラクロラスにとってはその方が楽であるらしい。

 今の彼にとっては過去に戻る事だけが大事で、戻れるのならその他の事はどうでもよかった。

 

(そういえばランス、過去のどの地点に戻るの?)

(ん? ……そういやぁその事は何も考えて無かったな。ちょっと待て、今考える)

(ん~……この辺かな?)

(あ、おい)

 

 ランスが考えるよりも先に彼女はとっとと決めてしまったらしく、目の前で光っていた薄い光がどんどんと強い色を帯びてくる。それに伴って徐々に身体の感覚も戻り始める。

 

(そうだランス。過去に戻ってもその後の時の流れが同じかどうかは分からないから。ランスが知っている時の流れと同じようになるとは限らないからそれだけは気を付けてね)

(……そりゃそうだ。同じようになっては困る)

(……そっか。……じゃ、がんばってね)

 

 そして、意識が覚醒した。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 ゆっくりと目を開ける。まず目に入ったのは見慣れた天井だった。

 

「……ぬ」

 

 どうやらここはランス城の自分の部屋。普段使いのベッドの上でランスは仰向けになっていた。

 それは何事も無い普通の日の朝、普段通りに目が覚めたかのようで、

 

(……ううむ。ここは過去……なのか?)

 

 ランスは身体を起こして周囲を見渡す。視界に入るのは過去に戻ってきたらしき自分の部屋。

 記憶にある自室の姿と細部が微妙に異なるような、しかし同じと言えば同じようにも見えて。

 

(……分からん。何も変わっていないような気もするぞ)

 

 未だぼんやりとする頭をぽりぽり掻きながら、ランスは難しい顔で首を傾げる。

 女の子に関わる事なら滅多に忘れる事の無い彼の脳だが、それ以外の事についてはあまり記憶力が良い方では無い為、部屋の様子を眺めただけでは時間の流れを遡った実感が湧いてこなかった。

 

(……そもそもセラクロラスのやつ、結局いつの時に俺様の事を送ったのだ? まさかまだあいつが氷の中なんて事はねーだろうな。……て、そうだ、シィルは)

 

 ここが過去ならば、まだ彼女は生きているはず。

 そう思い出して慌てて探しに行こうとしたまさにその時、そのドアがすっと開かれた。

 

「おはようございます、ランス様……て、もう起きていましたか、今日は早起きですね」

「………………」

 

 それは先程死んだばかりの相手、その様をランスが眼前で目撃する事になってしまった相手。

 シィル・プラインがその部屋に入ってくる。彼女はいつも通りに朝の挨拶をしたが、ランスはそれに応じる言葉が中々喉から出てこなかった。

 

「……ランス様?」

「……が、う。お前、シィルだよな?」

「はい、シィルですけど……。ランス様、どうかしましたか?」

 

 その姿に動揺するランスをよそに、シィルは何事も無かったかの様に平然としている。

 事実、ここにいる彼女の認識では何も起こっていない為、それは当然の事で。

 

「………………」

「……ランス様?」

 

 そんなシィルのきょとんとした顔を、しばらく呆けた様に眺めていたランスだったが。

 

(……この)

 

 次第に胸の内には怒りが湧き上がってきて。

 ランスはがばっとベッドから跳ね起きると、そのふわふわとした髪の中に両手を突っ込んだ。

 

「……この、このアホ奴隷がーーー!!!」

「ひゃあ! な、なんですかランス様ー!」

「うるさーい!! 奴隷の分際で、何度も何度もご主人様に面倒を掛けさせやがってー!!!」

「うわーん、よく分からないけどごめんなさいー!」

 

 苛立ちのままに吠え、ランスは何度も何度もピンク色のもこもこ髪をもみくちゃにした。

 

 

 

 

 

 



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LP7年2月1日

 

 

 

 

 聖女の子モンスターの一人、『時』を司るセラクロラス。

 彼女の力により、どうやらランスは間違いなく過去に戻ってきたようだった。

 

 今はLP7年の2月1日。シィルに現在の日付を聞くとそう答えた。

 ランスは脳内の記憶を遡り、自らの感覚からすると一年以上も前の事をどうにか思い出す。

 

(ええっと確か~……LP7年の9月ぐらいに戦争が始まって……んで俺がそれを知ったのは巨大戦艦の中で5ヶ月近く過ごした後だから……今は巨大戦艦に向かった日の2ヶ月前くらいって所か)

 

 LP7年2月。前年の年末頃が忙しかった反動か、ランスが時の流れを遡って戻ってきたこの時期は特に何をしていた訳でも無い、言うならば彼にとっての充電期間。

 その前年の年末頃。LP6年9月頃からランスは知り合いであるパットン・ミスナルジに頼まれ、ヘルマン国へ赴き『無法者』と呼ばれる革命の徒を率いて革命活動を行っていた。

 

(ヘルマンの革命を3ヶ月近くでぱぱっと終わらせて……んでヘルマンから帰って来てすぐにシィルを氷から出して……そうだ、思い出してきたぞ)

 

 一つ思い出すとその次に繋がり、次第にランスはこの時期あった出来事を思い出し始める。

 

(たしかヘルマンから帰って来てしばらくはぐーたらしていたはずだ。けどその内になんか暇になってきたから、シィルとかなみを連れて冒険に出掛けたんだったな)

 

 実際の所、その冒険には荷物持ち兼ガードとしてロッキー・バンクも加わっていたのだが、その記憶はもはや忘却の彼方に飛んでいるらしい。

 それはともかくとして、そうしてランスが冒険している途中、とある代物を発見した。

 

(んであれだ。『全魔物大百科 LP版』を見つけたのだ。でそれに書かれていた聖女の子モンスターの全員制覇を次の目標に決めた。したらその内にサテラやベゼルアイと出会って、んでセラクロラスが居るっつー巨大戦艦に向かう事になった訳だ)

 

 ヘルマン国北部にある巨大戦艦。その内部を探索してセラクロラスを発見した。

 その後、ランス達はちょっとした不注意によりコールドスリープ装置で眠ってしまい、目が覚めると5ヶ月という月日が経っていた。

 そして巨大戦艦から外に出ると、すでに世界では第二次魔人戦争が始まっていたのだった。

 

「うむ。そんな感じだったはずだ。……よし、だいたい現状は把握出来たな」

「……どうしました、ランス様?」

 

 思考を整理していたランスの独り言に、隣にいたシィルが訳も分からず言葉を返す。

 今は過去に帰ってきたその日の夜。ランスは挨拶代わりのようにシィルと一戦交え、今はこうしてベッドの中で考え事をしている最中。

 

(……しかし、どうすっかな)

 

 現状を把握した以上、次に考えるべき事。

 それは今後自分がどのように動くべきか、という何よりも一番大事な事。

 

(過去に帰ってきただけで同じ結果になったら意味が無い。なんとかしねーと……)

 

 今朝方、気が晴れるまでシィルをいじめ倒したランスはその後、自分が戻ってきたLP7年2月1日とはどのような空気だっただろうかと、1日を掛けてランス城の中を見て回った。

 この城にはここを住処にする者や働く者、事情があって一時的に滞在をしている者など、理由は様々だが多くの人が生活している。ランスはその全員の顔を見るようにして城の端から端までを歩いた。

 

(戦争が始まる前はこんな平和だったかって程に、全員何事も無く普段通りだったな。だーれも数ヶ月後にあんな戦争が起こるとは思っていない違いないぞ。のんきな奴らだ全く)

 

 そのように呆れ返るランス自身、当時は露程もそんな事になるとは思っていなかったのだから、他の皆の平穏とした様子も当然といえば当然の事。

 だがこの先に起きる事を経験してきたランスだけにはそれが分かる。このまま同じように時を過ごせば、きっと同じように第二次魔人戦争が起こり、その勝利の宴でシィルは死んでしまう事になる。

 

(……けど、セラクロラスは過去に戻っても同じようになるとは限らんと言っていた。ならシィルが死んじまうのだって変えられるって事だ)

 

 ランスは少しだけ横を向き、すぐ隣で眠りに就こうとしているシィルをちらっと眺める。

 この奴隷がそこに居るのは彼にとって当たり前の事。居なくなってしまう事など到底認められる事では無かった。

 

(シィルが死ぬのは変えなきゃならん。大体こいつにはまだ奴隷としての仕事が山程あるんだ。死なれるとめんどくさいからな)

 

 あくまでそれは面倒事を増やしたくないだけ。少なくとも自己認識上はそんな思考なのだが。

 とにかくランスはあの祝勝会の時に起きた出来事を未然に防ぐべく、その為には今後自分がどう動けばいいかと考えていたのだが。

 

(……けどなぁ)

 

 途端に口を大きく開き、くあーっと大欠伸。

 そろそろ1日も終わる頃合い、ランスの脳内にはまったりとした眠気が訪れていた。

 

(そもそもあの戦争が終わったのって来年の4月とかだよな。今からだとまだ1年以上も先の話じゃねーか。さすがに長い、長過ぎるぞ)

 

 それは絶対にどうにかしなければならない問題。なのだが1年以上も猶予がある話で。

 ならば具体的な対処法や行動を考えるのはまだ先でも問題は無いだろう。だからとりあえず今日はもう眠いので眠ろう。

 そう決めたランスは毛布を掛け直そうと軽く持ち上げる。

 

「……あ」

 

 とその時、すでに目を閉じて眠っていたシィルの白いお腹が目に入った。

 

「………………」

 

 すると眼前にあの光景が。

 この腹部が白い閃光によって貫かれた、あの忌まわしき光景が鮮明に蘇る。

 

「……ぐぬぬぬ」

 

 思わず唸りを上げるランス。その脳裏からはすぐさま眠気が吹っ飛んで。

 そして胸の内に湧き上がってきた怒りと共に、彼は時間を弁えずに大音量で吠えた。

 

「……シィーール!!! 何をのんきに寝てんじゃーー!!!」

「ひゃあっ! ……え、でももう夜ですし、眠る時間ですよね?」

「黙れ! 奴隷のくせに余計な口答えするな!!」

 

 ランスはがばっと毛布を剥ぎ取り、右手でシィルのお腹をぐわっと鷲掴みにする。

 

「シィル!! お前は今日から24時間、ここに電話帳を仕込んで生活しろ、いいな!!」

「え、えぇー! そんな、電話帳なんて絶対に邪魔になっちゃいますよ!?」

「やかましい!! 全てお前がへぼへぼでよわよわなのが悪いんじゃー!!」

「うぅ……ひんひん……」

 

 シィルからしたら突然ランスが意味不明な事を言い出した訳だが、しかし彼女にとって主人の理不尽に振り回されるのはいつもの事。

 しょんぼりとした顔のまま身体を起こし、主人の言付け通りに電話帳を探し始める。

 

(……ふむ、これでいつバードの襲撃があっても大丈夫……か?)

 

 果たしてこの程度の対処法で大丈夫なのか。

 それは甚だ不明であるが、けれどもとりあえずの対処をした気分になれた。故にランスは今度こそ眠ろうと思い、再度毛布を掛け直す。

 

(……ん? まてよ)

 

 だが眠りに落ちる直前、ふとある事を思った。

 

(別に一年以上も待つ必要は無いか? その前にあいつを殺しちまえばいい話じゃねーのか?)

 

 いずれ襲撃があると分かっているのなら、その前に襲撃者を殺してしまえばいい。

 そうすれば襲撃は絶対に起こらない。とてもシンプルな話である。

 

(そうだな、なにもあいつが襲ってくるのを待っている理由など無い。よし、バードを殺そう。あんな奴生かしておく必要は無いしな)

 

 

 

 

 次の日。思い立ったランスの行動は迅速だった。

 

 自身が持つ絶大なコネを使用して、主要各国の首脳部に対してバード・リスフィの捜索を要求。

 そして数日後、コパ帝国の総帥から自由都市のとある町にその人物が居る事が知らされた。

 

 ランスはすぐさま城を出発、一人うし車に乗ってその町へと急行した。

 

 

「お、いたいた」

 

 そこは小さな町だったので、少し探すだけで目的の人物はすぐに見つかった。

 

「よう」

「あれ、ランスさ……ぎゃー!」

 

 ランスは出会い頭に一閃。バードは斬り殺された。

 

「きゃー! 人殺しよー!」

 

 その凶行に彼の周囲で悲鳴が上がる。

 まだ日も落ちきっていない町中、辺りには住民も多数居たのだが、ランスはそんな事も気にせず地面に倒れた死体を冷めた目で見下ろす。

 

「これでよし。……いや待てよ、一応もう少し斬っとくか?」

 

 心臓を一突き、顔を一突き、特に左腕に装着されている謎の装置は何度も斬り刻み、バラバラにする程の念の入れ具合で。

 ちなみに魔剣カオスを持ってくるととやかく言われそうだったので、今彼が手にしているのは城にあった適当な剣。とにかくその剣を好き勝手振るい、大事な奴隷を一度殺された恨みを晴らすと、

 

「ふぅ、こんなもんか。……つかれた、帰ろ」

 

 さしたる感慨もなく、ランスは何事も無かったかの様に城に帰宅した

 

 

 その後。この一件は目撃者が居た事もあり、数日後にはその町や近隣の町一帯でランスは人相書きと共に指名手配を受ける事となる。

 しかしランスが指名手配を受けている事をリーザス王国リア王女が知ると、「愛するダーリンが指名手配だなんて何かの間違いだわ」と、手配書の取り下げるようその町に対して圧力を掛けた。

 

 大国リーザスの圧力は強大であり、その町にとっても殺害されたバードは住民という訳では無く、流れの冒険者であったという事もあり、すぐに圧力に屈したその町は割とあっさり指名手配を解いた。

 

 そして数月後にはそんな事件が起きた事も忘れられた。その程度の出来事だった。

 

 

 



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TURN 1
出発


 

 

 

 

 

 ランスが過去に戻ってから一週間が経過した。

 

 数日前、自由都市のある町でバードの殺害に成功した後、すぐにランス城へと帰還した。

 その後は特に何をすることも無く、シィルを抱いたり、城内の別の女を抱いたりと、ランスはいつも通りの日常を過ごしていた。

 

 そんな日の昼下がり、場所は城の食堂。

 

「どうぞランス様。ほうじ茶です」

「ん」

 

 ランスが座るテーブルの前にシィルが入れたての湯呑を置く。

 二人は先程昼食を食べ終わり、そして今は食後のブレイクタイム中。

 

(バードも殺してきたし、まぁこれで一安心だな)

 

 満腹感と共にランスは脳裏で大いに頷く。

 彼がこうしてわざわざ過去に戻る羽目になってしまったあの一件、祝勝会の中で起きたあの事件を回避する為の対処は済んだ。

 襲撃犯がこの世から居なくなった以上、あの事件が起こる事は無くなったはずである。

 

(うむ。そのはず、そのはずだ)

 

 事が済んでホッと一安心といった様子で、ランスはほうじ茶をぐいっと一口。

 だがその自分好みの甘みを味わっていると、ふいにあの時のシィルの言葉が脳裏に甦った。

 

『実は……ランス様のいつも飲んでいるお茶……。あれ、ほんとは……ちょっと安いのなんです……』

 

(……む)

 

 ランスは無言で右手を振り上げ、隣に座る奴隷の頭に拳骨を落とす。

 ぽこん、とその頭からいい音が響いた。

 

「いたっ! え? あれ? 私、叩かれるような事をしましたか?」

「した。俺様が気付かんと思ったら大間違いだ」

 

 訳も分からずオタオタするシィルを尻目に、ランスはふんと鼻を鳴らす。

 

(まったく、奴隷の分際でご主人様に安い茶を飲ませやがって。……まぁ別にまずくは無いからこのぐらいで許してやるが)

 

 そしてほうじ茶をもう一口。普段から飲んでいる食後のお茶、これが安物だと知ったのはシィルの今際の際の言葉の切っ掛けで。

 ランスの脳裏にはまだ、その時の光景が一向に消えずに焼き付いていた。

 

「……っ」

 

 未だその一件から一週間足らず。考えたくなくてもつい考えてしまうのか。

 ランス思わずといった感じで頭を乱暴に振るい、何となくもう一発その頭をぽこりと叩いた。

 

「ひん! うぅ……ひどいです……」

「うるさい、色々とお前が悪い」

 

(大体あの時だって、こいつが油断さえしなきゃ何も問題は無かったのだ。そうすりゃ俺様がこんな面倒な事をする必要も無かったってのに)

 

 あの時の事を思うとどうにも苛立ちが収まらない。

 涙目になって頭を押さえるシィルの姿を、ランスはぶすっとした顔で眺める。

 

(……ううむ。けれど考えてみたらこいつにそんな事を期待するだけ無駄か。なにせこいつは世界最強の俺様の奴隷としては不釣り合いなほどに弱っちいからな)

 

 仮にあの場で標的となったのが自分であったなら。だとしたらバードなどに殺される事などあり得ないと断言出来る話なのだが、しかし貧弱な奴隷にとっては不可能な話で。

 自分は強いがシィルは弱い。そんな分かりきっていた事を考えていると、先程考えた事だって間違っているようにも思えてきてしまう。

 

(でもそうだな、これで一安心って事はないような気がしてきたぞ。なんせコイツは弱っちい。むしろこんな弱っちいのによくあの戦争の中で生き残れたもんだ。……最後に死にやがったが)

 

 この先の未来に起こる事。それは人類と魔物との全面戦争。

 ランスが世界総統となり、世界中の精鋭を率いて戦った第二次魔人戦争の事。

 

(今回も起こるんだろうなぁ。また俺が世界を救わないとイカンのか、めんどくさい話だ。……めんどくさいが、まぁこれも英雄の宿命と思えば仕方が無い。……けど、俺様は世界最強だから問題無いとしてもこいつはどうなんだ?)

 

 むむっと眉を顰めたランスの脳裏に、ふとセラクロラスの最後の言葉が思い浮かぶ。

 その力によって過去に送られている最中、セラクロラスは過去に戻ったとしても同じように時が進むとは限らないと言っていた。

 であるならば。前回の戦いでは最後の最後にシィルは殺された。だからとその原因たるバードを排除したとしても、それでもって彼女が今回の戦いの中で死なないとは言えない、という事ではなかろうか。

 

 何せあの戦争は全世界を巻き込む規模。最終的に人類の30%以上が犠牲となった程の戦争で。

 ランスの指揮の下、魔軍の総大将ケイブリスを撃破して人類の勝利とはなったが、しかしその犠牲も大きかった。前回と同じように時が進む訳じゃないのなら、今回その30%の中にシィルが入らないという保障はどこにも無い。

 

(……ぬぅ。全く面倒な……鈍臭い奴隷を持つと本当に苦労するな)

 

 ランスは不満そうに唇を曲げると、未だ記憶に新しいあの戦いの事を思い出す。

 相手は大量の魔物、そして魔人。単独で国を滅ぼせるような力を持つ魔人は皆強敵揃いであり、二桁にも及ぶ魔人の数を前にしてどの国も次第に追い詰められていった。

 最終的に十年に一度の満ち潮を利用した決死の作戦『20海里作戦』の決行により、人類は辛くも勝利を収めたのだが、どこかで何かが違えば敗北していてもおかしくはない薄氷の勝利であった。

 

(……ただまぁそうは言っても、今回は一度体験した事だからな。奴らの弱点も丸分かりだし、前回よりは楽に勝てるだろう。そう考えりゃ別に大した問題では無いのだが……)

 

 ランスは第二次魔人戦争を一度経験した。

 人類の勝利と敗北、それに伴う死も。

 

(……戦争か。そういやぁあの戦争ではあいつも死んだのだったか)

 

 最初にランスが思い出したのはゼス国の王、ラグナロックアーク・スーパー・ガンジーの死。

 魔法ビジョンで目撃した光景、首だけになったガンジーの苦痛と無念の表情が脳裏に甦る。

 

(……まぁ俺としてはあんな暑苦しい奴がくたばった所でどうでもいい事なのだが。けどカオルやウィチタまで殺しやがって。……それとリズナもか。死んでは無かったが同じ事だ。あの蛇女)

 

 ゼス王はともかくとして、同じく犠牲となったその従者達は女性、ランスにとって大事な命。

 あの戦争で死ぬ事になった女性を考えると、次いでその頭の中にはある魔人の姿が浮かぶ。

 

(……それにシルキィちゃんもか)

 

 それは魔人四天王、シルキィ・リトルレーズン。

 リーザス王国への侵攻を行い、ランス達と刃を交えた後に人類の味方となった彼女は、魔人ホーネットの救出後に突如行方知れずとなった。

 

(確か勇者に殺されたんだよな。クリンちゃんがその瞬間を目撃していたみたいだが、サテラは信じようとしなかったっけな。……ムカつく。ムカつくぞクソ勇者め。シルキィちゃんとはまだたったの一回しかセックスしてなかったのに)

 

 ランスにとって、魔人シルキィとは一度セックスをしたきりだった。彼女は中々ガードが固く、かといって魔人は素の能力が人間とは桁違いである為、強引にベッドに連れ込む事も出来やしない。

 なのでどうにか理由を付けて二度目に持ち込めないかと手をこまねいていたら、その前に勇者の襲撃を受けてシルキィは殺されてしまった。

 

(もう一人のハウゼルちゃんはリーザスでは会えなかったし……ってそうだ、ホーネット!! ホーネットとも結局セックスしてねーじゃねーか!! あいつとはケイブリスを倒したらセックスすると約束してたのにー!!!)

 

 戦争の最中に救出した魔人ホーネット。ランスは彼女との約束を見事に達成したので、事が落ち着き次第、それこそあの祝勝会が終わったらすぐにでも味わおうと思っていた。その矢先にあの出来事である。

 

(ぐぬぬぬ……せめてホーネットの事は過去に戻る前に抱いておくべきだった……。あんな美人とはそうそう出来るチャンスなど無いのに。もう一回ケイブリスを倒すにしたって最低でもあと一年後……)

 

 最低でも一年。そんなもの短気なランスが到底辛抱出来るような時間では無い。

 とそこでピーンときたのか、ランスはぽんと手を打った。

 

(……て、まてよ。これもバードの事と同じか。何もわざわざ待っている必要はねーよな)

 

 一年など待てない。待てないから会いに行く。

 魔人ホーネットが居るはずの魔物界、そこにこちらから乗り込んでしまえばどうか。

 

(前にサテラが言っとったが、ケイブリスの野郎が人間世界に攻めてくる前は魔物界で派閥に分かれて戦ってたっつー話だ。シルキィちゃんやハウゼルちゃんはホーネット派に属していたはず。ならそれに協力してやればいいじゃねーか)

 

 我ながら素晴らしいアイディアだなと、ランスは自画自賛するように何度も頷く。

 

 第二次魔人戦争の契機となったのはそれ以前に魔物界で起きていた戦争、派閥戦争に起因する。

 ケイブリス派とホーネット派、魔物界を二分した派閥の争いの結果、ケイブリス派が勝利した事により、魔物界全土を掌握したケイブリスが人間界に進出しようとした為に第二次魔人戦争は起こった。

 だとしたら第二次魔人戦争が起きていないLP7年2月今現在、魔物界ではまだ派閥戦争の真っ最中のはず。その戦いに参加して、魔人ケイブリス及びケイブリス一派を先んじて倒してしまえば良いのではないか。

 

(そうだそうだ、そうすりゃガンジーやシルキィちゃんが死ぬことも無い。ハウゼルちゃんとも会えるし、本来なら負けるはずのホーネット派を俺様の力で勝利に導いたとなれば、あのお堅いホーネットだって俺にメロメロになるに違いない!!)

 

 ホーネット派に協力して派閥戦争を勝ち抜く。これが今後の行動として最適な答えに違いない。

 そう決断したランスはすでに冷めかけていたほうじ茶をぐっと飲み干し、膝を叩いて勢いよく立ち上がった。

 

「シィール!! すぐに出掛けるぞ、ちゃっちゃと旅支度をしろ!!」

「え、あ、はい! 冒険に行くんですね!?」

 

 ランスの声に慌ててシィルも立ち上がる。

 前振りの何も無い唐突な話だが、振り回させるのに慣れている彼女は特に気にせず、冒険の準備をする為に食堂からぱたぱたと去っていく。

 その後姿を見ていると、ランスは途端に考え直す事が一つあった。

 

(……あ、いや待てよ。こいつは城に置いて行ったほうがいいか?)

 

 派閥戦争は魔物界で起きている戦争、つまり魔物と魔物、魔人と魔人による戦争であり、その危険さなどはあえて言うまでもない。

 世界最強の自分が参戦するのは問題無い。とはいえそこにシィルを連れて行くのはどうなのか。そんな事をランスはちょっとだけ悩んだのだが、

 

(……ま、問題無いか、最強の俺様が居る事だし。それに主の世話をするのが奴隷の仕事だしな)

 

 しかしすぐに考え直す。彼は何も離れる為に戻ってきた訳では無かった。

 

 

「ビスケッタさーん」

「こちらに」

 

 今まで何処に隠れていたのか、ランスがその名を呼んだ瞬間、すぐにメイド長ビスケッタが背後に出現する。

 

「ちょっと出てくる」

「かしこまりました。行ってらっしゃませ。御主人様」

 

 そうしてランスは留守をビスケッタに任せると、いつも通りに奴隷を連れて城を出発。

 魔物界北部の魔王城に居るはずのホーネット派と接触する為、まずはヘルマン共和国、その西の端にある番裏の砦へと向かう事にした。

 

 

 

 

 



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番裏の砦

 

 

 

 

「行け」

「むり」

 

 ランス城を出発してから数日後。

 ランス達はヘルマン共和国にある番裏の砦に到着していた。

 

 番裏の砦。それはヘルマン西端、人間と魔物の世界を縦に区切るとても長大な砦。

 そしてその砦にある一室にて、現在ランスは同行者の一人と言い争いをしていた。

 

「あのなぁかなみよ、お前は俺様専用の忍者だろう。ちゃんと言うことを聞かんか」

「そんなこと言われても、無理!」

 

 彼女は見当かなみ。元はリーザス国王女お抱え、そして現在はランス専属となった忍者。

 ランスがシィルを連れて城を出発しようとした直前、かなみは自らも同行すると宣言した。

 

『ランス専属の忍者になったんだから、冒険についてくのは当然でしょ』

 

 との事である。そういえば前回もこんな感じで付いて来たんだっけなぁと、ランスは遠い昔を懐かしく思いつつも、特に断る理由も無いのでかなみも一緒に連れて行く事にした。

 しかし今、その専属の忍者は主人に対して大いに反発している。その理由は先程ランスから告げられたとある命令にあった。

 

 ランスの目的はホーネット派に協力して派閥戦争に勝利する事。

 その為にはまずホーネット派と接触し、協力を取り付ける必要がある。

 

 だが派閥戦争とは魔人同士の戦争、そこに人間が参加するなど果たして可能なのか。そもそもホーネット派は自分達の協力を必要とするのか、受け入れてくれるのか。

 などの問題はランスの頭にも浮かんだが、恐らく問題無いだろうと判断した。

 

(まぁあれだ。ぶっちゃけホーネットは人間の手を借りるなど絶対に認めなさそうだし、会った事の無いハウゼルちゃんはどんな子か知らんが、サテラとシルキィちゃんに会えれば大丈夫だろ)

 

 魔人サテラ。そして魔人シルキィ・リトルレーズン。

 前回の第二次魔人戦争で共に戦った二人の魔人、これからホーネット派と接触するに当たって会うべきなのはこの二人。

 

(サテラはもう俺様にメロメロだし、シルキィちゃんは魔人だけど人間を守りたくてしょうがないような子だ。俺が人類を守る為にホーネット派に協力してやるとでも言えば、あの子ならノーとは言わんだろう)

 

 とそんな腹積もりの元、二人の魔人と接触するべくこの番裏の砦までやってきた。

 しかしここで問題があった。如何にしてその二人の魔人と接触すれば良いのか。

 

 ランス達が今居るこの番裏の砦から西側、そちら側は全てが魔物の領域。当然ながら人間が大手を振って歩けるような場所では無い。

 サテラ、シルキィ両魔人が居ると思われる場所、ホーネット派の本拠地である魔王城。その城までの道程には途中にあるなげきの谷と呼ばれる渓谷を越える必要があり、そこには当然ながら大勢の魔物が棲息しているはずである。

 

 魔物界とは人類にとって暗黒の世界。現在のランスは前回のような人類の精鋭を集結した魔人討伐隊を率いている訳では無い為、魔物界へ強行突入が出来るような状態では無い。

 

 そこでどうするか。

 

(うむ、簡単な事だ。会いに行けないなら向こうから来てもらえばいいだけだ)

 

 という事で、二人の魔人をこの番裏の砦に呼び出すべく手紙を届ける事にした。

 

『サテラ、シルキィへ。世界総統たるランス様がお前達に会いに来てやったぞ、喜べ。番裏の砦にいるから、とっとと来い。今なら一発抱いてやる』

 

 そんな内容の手紙をかなみに持たせて、魔王城まで配達させる事にした。

 それが先程からの言い争いになった理由である。

 

「むりむり、絶対無理よそんなの! 魔物界になんて行ける訳がないでしょー!! どれだけ魔物がいると思っているのよー!」

 

 かなみは両腕で大きなバツ印を作り、ランスの命令に対して徹底抗戦。

 魔王城までの手紙の配達任務。それは彼女にとって殆ど死んでこいと言われているようにしか聞こえなかった。

 

「えーいうるさい。何もその魔物と戦えと言ってる訳じゃないんだ。お前は忍者だろうが、抜き足忍び足ーでパパっと行ってくるだけだろ」

 

 だがランスも折れない。他にあの二人と接触する方法が思い付かないのでここは譲れなかった。

 

 

 

 そして問答する事、小一時間。

 

 かなみは最後の最後まで抵抗していたが、命令を聞かない生意気な忍者に対してランスが解任をちらつかせると、

 

「ちょっとでも無理だと思ったらすぐに諦めて帰るからね!!」

 

 との情けない捨てゼリフを残して、泣く泣く魔王城に向けて出発していった。

 

「ふぅ。やっと行ったか。全く最後まで駄々をこねやがって……」

 

 呆れたように呟くランスだが、そんな彼にとってかなみも当然ながら自分の女。

 以前のヘルマン革命の際には遂にその恋心を認めさせた相手であり、古くから馴染みのある大事な女の一人。なのでかなみ単独でならさすがに危険過ぎるのでそんな命令は出さない。

 

 しかし今、かなみの下には凄腕の忍、フレイア・イズンが付いている。

 フレイアとはこの番裏の砦に来る前、ランス達がヘルマン国の首都ラング・バウに立ち寄った際に再会し、そのまま同行する運びとなった。

 ちなみにランスが首都に立ち寄ったのは「番裏の砦に向かうならヘルマンの上層部に話を通しておいた方が良い」とシィルとかなみに言われたからで、もう一つの理由はヘルマン現大統領と一戦交える為なのだが、それはともかく。

 フレイアは不思議とかなみの事を慕っており、出発前かなみがひたすら駄々をこねていた時、

 

「ほら隊長。忍が主の命に逆らうのは良くないわ。私も付いて行ってあげるから泣かないの」

 

 そんな言葉で頼りない元上司を慰めて、その結果共に任務に就く事となった。

 

(かなみはともかくフレイアが付いている事だし、まぁ魔物界でも大丈夫だろ)

 

 ランスの考えはもっぱらフレイアの能力に期待しての事で、かなみは殆どおまけだった。

 

 

 

 

 そして、それから数日後。

 ランスの下に二人の忍が帰ってきた。

 

「やっと帰ってきたか、遅いぞまったく」

 

 二人の帰還を待ちくたびれていたランスは、寝っ転がっていた部屋のベッドから身体を起こす。

 

「帰ってきていきなりそれ!? これでも相当急いだのよ! 先に労ってよね!」

「……ふむ、それもそうかもしれんな。よーしよし、えらいぞーかなみー」

「え、えへへ……」

 

 ランスは手を伸ばしてかなみの頭を撫でる。するとその表情が幸せそうにとろける。

 任務中は文句たらたらだった彼女だが、それだけで色々な事がどうでも良くなったらしい。

 

「うーりゃうーりゃ、良くやったぞー」

「えへへ、えへへ……ランスの為に頑張ったんだから……」

「うむ、お前は相変わらずだな。んでフレイア、任務はどーだったのだ?」

 

 自分の手の中にいるへっぽこ忍者から視線を外して、ランスはその隣にいた凄腕忍者の方に首尾を報告させた。

 

「魔物界への潜入なんてどうなる事かと思ったけど、意外と何とかなったわね。想像していたより魔物の数が少なかったのが幸いだったわ」

「数が少ない?」

「えぇ。以前はもっと大勢の魔物の姿が遠目からでも見えていたんだけど……魔物の世界でも色々あるのかしらね」

 

 フレイアのそんな疑問にランスは「……ほーん」と適当な相槌を返す。 

 そんな二人には知る由も無いが、この時魔物界では戦争の機運が高まっており、ホーネット派とケイブリス派の数度目となる衝突が迫っていた。

 その為、ホーネット派の本拠地周辺にいた魔物達はあらかた招集されて、戦いの前線となる魔物界の大拠点、魔界都市キトゥイツリーとサイサイツリーの方へ送られていたのである。

 

「ただそれでも進めたのはなげきの谷を越えるまでだけど。魔王城の周辺にはもの凄い数の魔物が居たわ。とても近づけない程」

「お前でも無理か」

「さすがにあれは無理ね。あれを見た時の隊長の慌てっぷりと言ったら……」

「だ、だってあそこに居たの、10万や20万なんていう数じゃなかったし……!」

 

 その時の光景と自分の振る舞いを思い出し、羞恥に顔を赤らめながらかなみが答える。

 小高い丘から魔王城周辺の偵察を行った際、かなみは眼下に広がる大量の魔物の圧に押され、半泣きになって「もう帰るー!」と連呼していた。

 

「で? 結局あの手紙はどうしたんだ」

「一応届けたわ。魔王城の一室に大きな窓が開けっ放しになっている部屋が見えたから、その部屋内に投げ込んでおいた。それが限界ね、大将の言う二人の魔人の手に渡るかまでは責任持てないわ」

「そか。まぁしょうがないな。なんとかなるだろ、駄目だったら別の手を考える」

 

 二人の任務の成果を聞き終えたちょうどその時、部屋のドアが開かれる気配が。

 

「お疲れ様でした。かなみさん、フレイアさん」

「わ、ありがとシィルちゃん」

 

 帰還した二人を労る為、先程まで食堂で軽食を作っていたシィルが部屋に入ってくる。

 運んできたおにぎりとピンクウニューンを二人に手渡し、ついでにランスにも渡しながら、彼女は心配そうな表情で口を開いた。

 

「ランス様。もしあの手紙がちゃんと届いたら……その、本当に来るのでしょうか。魔人なんですよね、相手は……」

「まーだ言うとんのかお前は。問題無いと言っとるだろーに」

 

 手渡されたおにぎりに齧り付きながら、ランスは心底呆れた声を出す。

 彼にとってこの話題はもう数度目。シィルはこの番裏の砦にやって来た理由を知って以降、ずっと不安な表情でいた。魔人に会う為に来た、など言われたら当然の反応ではある。

 魔人シルキィが人間びいきな事など彼女は知らないし、魔人サテラには以前殺されかけた事もあり、その時の恐怖が心に残っているらしい。

 

「それに……魔人と協力して敵対する派閥と戦うなんて……」

「ランス、シィルちゃんの言う通りよ。ランスがむちゃくちゃするのはいつもの事だけど、さすがにこれは危険過ぎると思うけど」

「ええい、うるさい。俺様のすることに間違いは無いのだ」

 

 無茶は承知の上。というかランスに言わせれば、派閥戦争をどうにかしないと世界が更にむちゃくちゃな事になってしまう。

 だからこそこんな事をしている訳だが、色々と面倒くさそうなのでそこら辺の事情をシィルやかなみに説明するつもりは無かった。

 

(手紙は一応届けた訳だし、後は待つだけだな。よーし、なら今日は4Pといくか!)

 

 冷えたピンクウニューンを一口で飲み干し、今夜の獲物に目を向ける。

 任務成功のご褒美と称して、ランスは二人の忍者に奴隷を交えて楽しんだ。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 魔物界の北部に存在している魔王城。そのとある一室。

 部屋にある開けっ放しの大きな窓から、もの凄い速度で何かが室内へと飛び込んできた。

 

「………………」

 

 それはその部屋の主、ホーネット派に所属する魔人の一人、メガラスである。

 メガラスは高速で空を飛行する能力を有している。その特技を使用する際に邪魔になる為、自分の部屋の窓は常に全開にしていた。

 

「………………」

 

 メガラスはつい先程まで敵の拠点の偵察任務を行っており、今こうしてその任務を終えた。

 なので偵察結果の報告をしようと、派閥の主の部屋に向かおうとしたその時。

 

「…………?」

 

 床のカーペットの上、出発した時には無かったはずの見慣れない手紙がある事に気付く。

 

「………………」

 

 それを拾い上げて調べてみると、差出人の欄には『世界総統ランス』と記載されている。

 その名はメガラスにとって全く知らない相手だったが、しかし宛名には心当たりがあった。

 

「………………」

 

 部屋から出て、宛名の人物の元へと歩く。

 すると廊下の角を曲がった所で、偶然にもその相手と遭遇した。

 

「………………」

「……おぉ、メガラスじゃないか。もう城に帰ってたのか。……ん? サテラに? なんだこの手紙は……って、これは……!!」

 

 

 

 

 



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番裏の砦②

 

 

 

 

 

 魔物界の北部に存在する魔王城、そしてヘルマンの西の果てにある番裏の砦。

 その2つを結ぶ道の間にあるのが『なげきの谷』と呼ばれる渓谷である。

 

 天気は薄暗く空気は澱み、辺りには枯れた木々が生えるのみ。人間が住むにはまるで適さない環境となるが、そんな場所にでも魔物は棲む。

 本来なら多くの魔物が犇めくなげきの谷だが、しかし今は派閥戦争の影響によりこの付近に棲む魔物はホーネット派が粗方招集を掛けた為、そこは普段よりも不気味に静まり返っている。

 

 そんな寂れた谷の谷底に出来た一本道。

 2mを越える一体の巨大な装甲と、肩に魔人を乗せた一体のガーディアンが歩いていた。

 

 

「……決戦はもうすぐだ。準備は出来ているな、シーザー」

「ハイ。サテラ様」

 

 戦いを前に意気込むのは魔人サテラ、そしてその使徒であるガーディアンのシーザー。

 

「……ねぇサテラ。盛り上がっている所あれなんだけど……」

 

 そんな血気盛んな二人の隣を歩く重装甲、それが魔人四天王シルキィ・リトルレーズン。

 

「シルキィ、止めるな。これはサテラにとって大事な戦いなんだ。……そう、絶対に勝たなきゃならない。そうだな、シーザー」

「ソノトオリデス。サテラ様」

 

 旧知の仲の魔人四天王の言葉を振り切り、サテラはその拳をぐっと握り締める。

 彼女はすでにやる気満々だった。その理由はつい先日の事、彼女の下にとある人間からの果たし状が届いたからである。

 

 その相手の名はランス。サテラにとってその男はとても因縁深い宿敵。いつかは決着を付けなければならないと考えていたのだが、今回遂に雌雄を決する時が来たのだ。

 とそんな感じで盛り上がっているサテラの一方、シルキィは先日魔人メガラスから手渡された手紙を再度読み直す。

 

「でもこれ、本当に果し合いの呼び出しなの? なんか一発抱いてやるとか書いてあるけど……」

「それは奴のいつもの手だ!! あいつはいっつも、サテラをあの手この手で惑わせてくる。そういう卑劣な奴なんだ、あいつは」

 

 そんな事を語るサテラは過去に数度、その男と対決している。

 自分は魔人であり、魔人とは魔王を除けば最強の生物。故にまともに戦えばあんなすけべな人間にこの自分が負けるはずが無い。

 しかし相手はとても卑劣な男。あれこれ卑怯な手段を使われ、それにより何度か苦渋を味わう羽目になった。ちなみにその味わった苦渋を具体的に言うと、すけべな人間が好むあんな事やこんな事で。

 

(……もしランスに負けたら、また……っ、違う、今度こそは勝つ! ……でも、負けたら……)

 

「……サテラ、顔が赤いけどどうしたの?」

「わぁ!? なな、なんでもない!! そ、それより、シルキィも付いて来てよかったのか?」

 

 シルキィからの指摘に慌てて首を振ると、とっさにサテラは話題を変える。

 今こうして二人一緒に番裏の砦に向かっている訳だが、その事がサテラには少し意外だった。

 魔人シルキィは魔人四天王の一人であり、立場的にはホーネット派のNO.2, ホーネット派にとって防御の要のような存在で、滅多な事が無い限りは派閥を離れたりなどしないからである。

 

「そうね。ちょっとは悩んだんだけど、その手紙には私も指名されている事だしね。それにメガラスの話ではケイブリス派が仕掛けてくるにはもう少し時間が掛かるみたいだし」

「……そうか。ならシルキィはサテラとランスの決闘の見届人になってくれ」

「はいはい」

 

 呆れたように返事をするシルキィ。彼女がこうしてサテラに同行している理由は概ね3つ。

 1つは先程言った通り、手紙の差出人が自分の事を指名していたから。

 もう1つはサテラの事ががどうにも放っておけなかったから。

 

 そしてもう1つ。

 

(それにしても……人間と会うなんてほんといつ以来だろう。……世界総統ランス、か。サテラがこんなに気に掛けるなんてどんな人物なんだか。……ふふっ、会うのが楽しみね)

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 その世界総統ランスはそろそろ我慢の限界に近づいていた。

 

「……来ない。来ないぞシィル」

「来ませんねぇ、ランス様」

 

 そこは相変わらず番裏の砦の一室。部屋に備え付けの安物のベッドの上で、シィルに膝枕をさせながらランスはぐったりしていた。

 この番裏の砦に到着してからすでに一週間程が経過しており、ただ待っているだけの日々にもう飽き飽きしていたのである。

 

「遅い、遅すぎる。あいつら、一体俺様をどれだけ待たせる気だ」

「もしかしたらですけど、手紙が届いていないっていう可能性もありますね」

「ふ~ん、ふ~ん。あはんあは~ん」

 

 たらたらと文句を口にしていると何か奇妙な声が聞こえた気がしたが、しかし無視。

 

「大体どうしてこの俺がこんな色気のない場所に何日も居なければならんのだ」

「けどここに来たのはランス様が決めた事だし、それに手紙を出したのも全部ランス様が……」

「あん? なんだシィル、奴隷のくせになにか文句でもあんのか」

「い、いえ。そんなつもりじゃ……」

「うっふふ~ん。へろへろ~ん」

「……いらっ」

 

 さすがのランスも二度目は無視出来なかった。

 シィルの膝から頭を起こすと、机の上に置いてあったそれにキッと鋭い視線を向ける。

 

「おいっ! さっきからうるせぇぞ馬鹿剣が! 剣なら剣らしく大人しくしてろ!」

「えーでも~儂様そこらの剣と違って~喋れるのがアイデンティティの一つだし~」

 

 先程から奇妙な歌を歌っていたのはランスが所持する剣、意思持つ魔剣であるカオス。

 カオスはこの砦に到着してからずっと、こうして歌い出す程にテンションが上がっていた。

 

「まっさか心の友が自分から魔人退治に向かってくれるなんてさー。儂、嬉しくて涙ちょちょぎれちゃう」

 

 カオスは自らの存在理由を魔人を斬る事だと考えているのだが、しかし如何せん剣の身体。扱ってくれる人が居ないと存在理由も何も無い。

 特にカオスはただの剣ではなく魔剣であり、所持した者を狂わせる力を持つ。その為カオスをまともに扱える存在は希少であり、ランスはその意味でも性格的な意味でも心の友と呼べる存在。

 ただ基本的にランスは面倒くさがりなので、中々こちらの存在理由を発揮させてくれない。なので今回久々にその機会が訪れたとカオスは気分が上がっていた。

 

「言っておくけどサテラやシルキィちゃんは斬らんからな。倒す魔人は別の奴らだ」

「相変わらず心の友は……儂、魔人は全員皆殺しにしたいんだけど」

「うっさい。ヘルマンの永久凍土に捨てるぞ」

「ひど! てか、儂が居ないと心の友、魔人に勝てんじゃーん」

 

 あらゆる魔人はその身に無敵結界というバリアを有する。故に無敵結界を斬り裂く事の可能な魔剣カオスか聖刀日光が無い限り、魔人には傷一つ付ける事が出来ない。

 前回の戦争では話の流れで聖刀日光を扱える状態にもなったのだが、今は日光を有する小川健太郎の所在も知れない為、ランスが魔人と戦うにはカオスが必要不可欠である。

 そんな理由からランスは仕方無くカオスを持って来たのだが、何かと煩わしいので出来れば城に置いてきたかった。

 

「バカ剣の相手をしてもつまらん。シィル、セックスするぞ」

「あ、……はい」

 

 頭をシィルの膝に戻していたランスは手を上に伸ばす。

 そうして奴隷の胸の膨らみに触れようとした時、その指先に固い何かに触れた。

 

「うん? なんだこれ。ごそごそっと…………あん、電話帳?」

「あ、それはランス様が…」

「なんでこんなもんを服の中に入れてんだ。アホかお前」

「えー……」

 

 

 

 

 

 そして、その日の夜。

 

 ドゴォォン! と突然砦の中に鳴り響いた轟音。

 途轍も無い規模の衝撃音にランスは眠りから叩き起こされた。

 

「な、なんだぁ?」

「わ、分かりません! 外で何があったんでしょうか!?」

 

 隣で眠っていたシィル共々、大層驚いた様子で身体を起こす。

 原因不明のその衝撃音はその後も何度も繰り返される。部屋の外では砦に詰めるヘルマン兵士達が慌ただしく走る音が聞こえていた。

 

「ううむ、誰が事情を……。あそうだ。おーい、かなみー」

「え、あ、何? この音何!?」

「……お前忍者だろ、見張りの仕事はどーした」

 

 ランスが指摘した通り、天井裏から下りてきたかなみの目は見るからに寝ぼけ眼。どうやらつい先程までしっかりと熟睡していたらしい。

 

「大将。どうやら魔物界側の大門を何者かが破ろうとしているみたいよ」

「門を破る? こんな夜中にはた迷惑な、どこのどいつだ全く」

 

 何処から現れたのか、かなみの代わりに見張りの仕事についていたフレイアが答える。

 こんな夜中に叩き起こしやがってと、苛立つランスは何処ぞの何者かに一発文句でも言いにいこうとしたのだが、その時。

 

「心の友よ、来とるぞ」

 

 やかましいからと荷物袋の中に突っ込まれていたカオスが、至極真面目な声でそう告げた。

 

「なに? 来てるってまさか……」

「ああ、魔人だ。二体居る」

 

 カオスは魔剣としての力により、魔人の存在を正確に感知する事が出来る。

 つまりその言葉は真実。二人の魔人が来たと言う事はつまり、おそらくはランスが待ちに待っていたあの二人が来たという事。

 

「やぁーと来たか! 全く、随分と待たせやがって! シィル、ヘルマン兵共に邪魔だから出てこないよう言っておけ!!」

「は、はい! 気を付けてください、ランス様!」

 

 ランスはカオスを手に取り、部屋からダッシュで飛び出した。

 

 

 

 

 

 



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魔人達との再会

 

 

 

 

 ヘルマン国西端、番裏の砦。

 夜の闇に包まれる中、外壁に取り付けられているランプがその姿を照らし出す。

 

 砦の内部に響き渡る衝撃音の正体、それは魔人サテラが制作したガーディアンのシーザー。

 彼は目の前に聳える堅牢な大門に対して、先程から何度もぶちかましを繰り返していた。

 

「シーザー! お前の力を見せてみろ! そんな門、ぶち壊せ!」

「ハイ、サテラ様!」

 

 彼にとって主人の命令は絶対的なもの。シーザーは粘土で作られたその身体に気合を入れる。

 

「ねぇ、サテラ」

「シルキィ。大丈夫だ、ここはサテラとシーザーに任せろ。シーザーのパワーならすぐに終わる」

「いや、あのね……」

 

 ──ぶち壊されるとちょっと困るんだけど。

 熱くなっているサテラとシーザーを眺めながら、シルキィは着込んでいる装甲の中でふぅ、と息を吐き出した。

 

 

 呼び出しを受けて人間世界まで出向いてきた魔人サテラと魔人シルキィ。

 二人は先程目的地であるこの番裏の砦に到着したのだが、そこで少し問題が生じた。

 

 到着したのは良かったのだが、しかしこの番裏の砦とは魔物界とヘルマンを縦に区切る障壁、つまりとても長大な建造物である。

 手紙には番裏の砦に来いとしか書かれていなかった為、呼出人が何処に居るのかが分からない。最北の詰め所に居るならばここから更に歩かねばならないし、最南であっても同様である。

 するとサテラが「中に居る人間を脅して聞き出せばいい」と言い、それにシルキィが「けれど門が閉じているわよ」と返したら、再度サテラが「なら破壊すればいい」と答え、後はこの通りである。

 

(サテラは全く……。もうこんな遅い時間だし、中には寝ている人も居るでしょうに)

 

 魔人であるが何かと人間思い、そんなシルキィはこんな時でも砦内の兵士達の事を心配しながら、さてどうしたものかと眉根を寄せる。

 このままでは本当にシーザーが大門を破壊してしまいそうだし、そうなるとここの兵士達はみんな困るし、それだけで無くこの国で生活している全ての人々も困ってしまう。

 なのでそろそろサテラ達を止めようかと、そんな事を考えていた時。

 

 

「止めんかーーー!!!」

 

 その頭上から男の大声が聞こえた。

 シルキィには勿論その声に聞き覚えなど無かったのだが。

 

「むっ、この声は……!」

 

 一方でサテラには聞き覚えがあったのか、その声に応じてすぐに上を見上げる。

 声の主は大門の上、砦の縁に堂々たる姿で立ち、二人の魔人とガーディアンを見下ろしていた。

 

「……ランスっ! 遂に会えたな!! お前の希望通りに来てやったぞ!!」

「おう、遅かったじゃねーか、サテラ」

 

 すでに血気盛んな様子のサテラの言葉に、その相手は軽く返事を返す。

 

(……あれが世界総統ランス。か)

 

 月明かりが映し出すその姿を目にして、シルキィは装甲内でふむ、と頷く。

 魔人とは古来より人間にとっての恐怖の象徴、そんな魔人をわざわざ二人も呼び出すなど一体どんな人間の仕業なのだかろうかと、ここに来るまでそれがずっと気になっていた。

 こうして相対してみると、その男の表情からは内に秘めた自信と強い意志が見て取れる。そしてついでに言うと口が大きい。

 

(こうして見ると戦士のような出で立ちね。世界総統っていうからもっと……あっ)

 

 すると「とーーう!!」という威勢の良い掛け声と共に、その男は砦の縁から跳躍する。

 まさかそのまま飛び下りるつもりか、しかし地面までは結構な高さだが大丈夫だろうか。とシルキィがつい心配してしまった一瞬で、その男は大地にバシッと着地した。

 

「ぐ、ぬ、いつつ……」

 

 するとすぐにしゃがみ込んで足を押さえる。やはり痛かったらしい。

 どうにも格好が付かないその男を指差しながら、赤髪の魔人が気合と共に告げた。

 

「 遂に決着をつける時が来たな、ランス! さぁ勝負だ、サテラが勝ったらお前はサテラの使徒になってもらうぞ!!」

「使徒になれって……お前は相変わらずな事を言う奴だな……って勝負? なぜ勝負?」

「お前がサテラと決闘する為にここに呼び出したんだろう! ほら、この手紙!」

 

 サテラは右手に持っていた手紙を相手に向けてむんずと突き出す。

 それを目にしたランスは眉を顰め、こいつ何を言ってるんじゃと言わんばかりの表情になった。

 

「その手紙は確かに俺様が出したけど、決闘なんて書いとらんだろうに」

 

 その言葉に「あぁ、やっぱり……」とシルキィは内心で嘆息する。

 サテラはずっと戦う気満々だったが、しかしあの手紙にはそんな事は一言も書いていない。

 事は全てサテラの早とちり、なにかとおっちょこちょいな彼女がやらかしたミスであり、そんな所が気になって仕方無いというのがシルキィがここまで同行してきた理由となる。

 

(……けど。だとすると一体何の用事なのかしら)

 

 サテラが勘違いした理由として、あの手紙には会いに来いとだけ書いてあり、その肝心な要件が何処にも書かれていない。

 自分達二人を呼び出した理由は何なのだろうかと、シルキィがそんな事を考えていると、ちょうどランスの視線がそちらに向いた。

 

「シルキィちゃんも、久しぶりだな」

「………………」

 

 その言葉に思わずシルキィは硬直する。

 

(『ちゃん』? ……私が魔人四天王って知って呼び出したのよね? それとも知らない? それに久しぶりって……)

 

 魔物界で長い年月を過ごしているシルキィにとって、人間に出会ったのはもう随分振りの事。

 もし何処かで会っていたとしたら、こんな記憶に残りそうな男の事を忘れるはずが無かった。

 

「……ごめんなさい。私、以前に貴方と会った記憶が無いのだけれど」

「ぬ、それもそうだな。まぁそんな事はどうでもいい。それよりシルキィちゃん、せっかくこうして会えたのだからそのデカブツは脱いでくれんか」

 

 そう言ってランスが指差したのはシルキィがその身に纏うずんぐりとした丸っこい鎧。

 彼女は自衛の為、自身にのみ扱える魔法具の装甲を全身に装備している。この数百年以上、外に出る時と言えば基本的にはこの格好である。

 今回は人間の地に赴くとはいえ、争い事が無いとも限らない。現にサテラはとてもやる気満々だったため、当たり前のようにこの装甲を装備してきたのだが。

 

(……でもそうね。この人は戦うつもりじゃないようだし、初対面の人に武装状態は失礼かしら)

 

 基本的に常識人のシルキィは当たり前にそんな事を考え、装備していた装甲を一斉に解除する。

 どういう仕組みなのか、魔法具の装甲はシルキィの合図一つで何処かへと消えて、結果彼女の非常に際どい姿がランスの前に晒された。

 

「うむ、君は相変わらずエロい格好でグッドだ」

「………………」

 

 色々言いたい事気になる事はあったが、シルキィは無視して話を進める事にした。

 

「……貴方が世界総統ランスさん、よね。初めまして。私は魔人シルキィ・リトルレーズン。早速だけど、私達をここに呼び出した理由を聞かせてもらっていい?」

「そうだぞランス! サテラと決着をつけるためじゃないなら一体何の用なんだ! サテラ達は人間と違って暇じゃないんだぞ!」

「呼び出した目的か。そんな事は決まっとる!!」

 

 するとランスは人差し指と中指の間に親指を挟んで、下品な形の拳を二人の前に突き出した。

 

「……セックスだ!!」

「いや心の友、目的変わっとるて」

 

 何処かからツッコミの声が聞こえたが、それは二人の魔人の耳までは届かず。

 

(……え?)

 

 その衝撃的な返答に、シルキィはぽかんとした表情になった。

 セックスと聞こえたが聞き間違えたのだろうか。というかそうであってほしい。

 でなければまさかあの手紙の目的はそういうお誘いなのか。会ったことも無い自分とサテラに対し逆夜這い的な事を頼むものだったのか……とそんな事を考えるシルキィの一方。

 

「……ランス。お前は、お前は……」

 

 サテラの怒りのボルテージはぐんぐん急上昇していき、そしてすぐに爆発した。

 

「ランス、お前はやっぱり殺すーー!!」

「ぎゃー!! おい止めろ、危ねぇだろうが!!」

「ちょ、ちょっとサテラ……!」

 

 顔を赤く染めたサテラが振り回す得物、その手に握る鞭がひゅんひゅんと高速でしなる。

 ランスは跳ねたり低くしゃがんだりして、どうにかこうにか鞭の乱撃を回避する。

 

「心の友よ。さっさと本当の目的を話して話を進めた方が良くない? 相手は魔人二体だし、あんまり変に挑発するのは危なくね?」

「ぬう、俺様にとっては大事な目的の一つなのだが……しゃあない、よく聞け二人共!!」

「……む」

 

 ランスは気を引くように声を張り上げ、それに伴いサテラの攻撃も一旦収まる。

 

「いいか二人共、世界最強の英雄たるこの俺がお前達に協力してやろう。どうだ、嬉しいだろ?」

「……協力? 協力って?」

「つまりだな……」

 

 首を傾げるサテラに向けて、ランスはここに来た理由、二人を呼び出した理由などを説明した。

 それは派閥戦争に参加する為。彼女達ホーネット派が魔物界において戦っている敵、ケイブリス派打倒の為に自分が協力してやろうじゃないか。

 とそんな上から目線の説明を耳にしたサテラは、当然のように激昂した。

 

「協力だと!? 馬鹿な事を言うな、サテラ達にランスの協力なんて必要無い!! 誇り高き魔人が人間の協力なんて受けられるか!!」

 

 魔人サテラ。彼女は魔人としての自らに、人間を超える存在である事に誇りを抱いている為、自分達の戦いに人間であるランスの手を借りるなどプライドが許さない。

 だからこその拒絶の言葉であったのだが、しかしランスもそんな反応は予想していたのか、特に気にした様子もなくさらりと言葉を返す。

 

「んな事言ってぇ、今にも負けそうなのだろう? この俺様が手を貸してやると言っとるのだ、意地張ってないで素直になれ」

「んなっ! さ、サテラ達は負けない!! ランス、お前の協力なんて無くても勝てる!!」

 

 その軽い調子が余計に癇に障るのか、サテラは更にぷんすかと怒る。

 なんだか今日のサテラは怒ってばかりだなと、その傍らでそんな事を思いながらも、シルキィはランスの先程の言葉について思案する。

 

 彼女はここに来るまでの道中、この後会う事になるランスという人物について、同行していたサテラからいくつか話を聞いていた。

 すけべな奴だとか、卑怯な奴だとか、口がデカい奴だとか色々な事を聞いたのだが、その中でも一番興味を抱いたのはその男が所持する武器の事で。

 シルキィはランスの腰に備えてある剣、その黒き魔剣をじっと見つめる。

 

(あれが魔剣カオス……魔人の無敵結界を斬る事が出来る剣……)

 

 

 

 

 

 



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シルキィとの約束

 

 

 

 

 

 シルキィにとって今日が初顔合わせとなった相手、ランス。

 その男が有している特別な武器、魔剣カオスに視線を向けながら彼女は思考を巡らせる。

 

 現在魔物界で起こっている戦争、派閥戦争。それは魔物や魔人同士が争う戦いとなるが、魔人は魔物の攻撃で傷付く事は無い。

 魔人はその身にあらゆる攻撃を防ぐ無敵結界を纏っており、それを通過するのは同じ魔人や、魔人より上位存在である魔王の攻撃などに限られる。

 よって双方の派閥に属する魔人にとって、魔物兵は何体いようが障害物程度にしかならない、魔人たる自分は相手方の魔人にさえ警戒しておけばいい、というのが共通認識となる。

 実際シルキィ自身も何度も戦場に立ったが、魔物からの攻撃で負傷した経験は一度も無く、そんな理由から魔物兵の相手は同じ魔物兵に任せている。

 

(……けれど魔剣カオス、あれがあれば……)

 

 しかし魔剣カオスの存在はその認識を破壊する事が出来る。

 何故ならカオスは無敵結界を破壊する事が可能、この世に二振りしかない特別な武器。

 

 魔人以外でも魔人を殺せる存在がある。それはこれまでの派閥戦争の中には無かった要素。それはもしかしたら現在劣勢となるこの戦局を打破する一つのきっかけになるかもしれない。

 ランス個人の戦闘能力などは知らないが、魔剣カオスを所持しているという点だけでも、彼からの協力を受ける事を一考する余地は十分にあるとシルキィは考えていた。

 

 しかし。

 

(でも私達に協力するって……どうして人間が……何が目的なの? 財宝とか、権力とか? 人間が私達に求めるものなんて……まさか、代わりに自分を魔人にしろ……とか?)

 

 さすがにそれは無いかな、とまで考えたシルキィはそこで悩むのを止めた。

 あれこれ考えるより、目の前の相手に直接尋ねるのが一番手っ取り早いと気付いたからだ。

 

「ランス、さん。貴方の目的は分かったけど、その理由は何故? どうして人間の貴方が私達ホーネット派に協力しようというの?」

「ふむ、理由か。それは勿論セッ……じゃなくて、……それはそう、人類の為なのだ!!」

「……人類?」

 

 ランスが告げたその理由、壮大かつ漠然とした理由にシルキィは小首を傾げる。その隣に居たサテラもぽかんとした表情をしていた。

 

「……あの、それってどういう意味かしら?」

「うむ。お前たちホーネット派がやられた場合、次にケイブリスは人間世界を攻め込むだろう。すると大勢の人間が死ぬ事になる。平和を愛する俺様にはそれが耐え難いのだ。よって人間の平和な世界を守る為、お前達ホーネット派に協力する事にしたという訳だ」

 

 ランスはここ一番のキメ顔をつくって、それはもう大真面目な態度でその言葉を口にする。

 その言葉はシルキィの胸に刺さるよう以前から考えていた言葉、言わば渾身の殺し文句だった。

 

(……人間の平和な世界の為って、この人……)

 

 しかしてその効果は覿面だったようで、平和を愛する魔人四天王の両目が大きく見開かれる。

 今しがたランスが口にした予測は妥当なもの。確かに自分達ホーネット派が敗れた場合、ケイブリス派は魔物界を掌握する事になり、そしてそれに留まる事は無い。

 何故ならケイブリスの野望は魔王になる事。現在逃亡中の魔王を捜索する為にも、世界の全領土を我が物にしようと考えるだろう。その際に人間がどう扱われるかなどシルキィには考えたくない。

 どうやら彼はそうなるのを避けたいが為、人類の平和の為、一人で魔物と戦う事を決めて魔物界に乗り込もうとしているらしい。

 

(それってまるで……どこかの魔人みたい、ね。この世界にこんな人がいたなんて……)

 

 思わずシルキィは胸元を押さえる。トクトクと鼓動が早まっているのが感じられる。

 人間の世界を守りたいと、自分と似たような気持ちを抱いてくれた人がいた、その事が彼女にとっては嬉しくてたまらない。

 ランスの言葉に自らの過去を重ね、魔人シルキィはとても心を打たれてしまった。その殺し文句の効果は絶大だった。

 

「……ランスさん。私達に協力する事になったら、人間とは比べ物にならないほど強い魔物や、時には魔人と戦う事もあるかもしれないわ。命の保証は出来ないけど覚悟はいいの?」

「ふん、当たり前だ。誰に言っとる」

「……そう」

 

 悩むまでも無い、そう言わんばかりの即答を受け、シルキィも小さく顎を引く。

 彼女は人間を守る為に魔人となったのであり、その守りたい人間にはランス自身も含まれる。なので派閥戦争になど参加せず、ランスは平和な世界の中で笑顔で暮らして欲しいという気持ちもある。

 けれども彼は自分と同じ戦士。戦士の目付きをしているし覚悟も出来ていると言う。ならばその覚悟に水を差す事も無いだろうと、シルキィはそう決意した。

 

「分かった。ランスさん、貴方の協力を受けるわ」

「なっ、シルキィ、本気か!? だいたいそんな事、ホーネット様がなんて言うか……」

「全ての責任は私が持つわ。平和を守りたいという彼の気持ちを汲んであげたいのよ」

 

 サテラの言う通り、自分達の主であるあの魔人にこの事をどのように説明するか。

 その事については少し悩む所であるが、それでももう決めた事。自分と同じ気持ちでいる人間の言葉を無下にする事など出来ない。

 シルキィは優しく微笑むと、ランスに向けて右手を差し出した。

 

「宜しくね、ランスさん」

「うむ、宜しく……とその前に」

 

 お互いの手が触れ合う寸前、ランスの手がくいっと下がり、結果二人の握手は空を切る。

 

「あれ?」

「協力はするぞ、うむ。それは構わないのだが……しかし一つだけ条件があるのだ」

「条件?」

「おう。それは二人が俺様の女になることだっ!」

 

 ランスは腰に手を当て胸を張り、何ら気後れせずに堂々と宣言する。

 先程サテラの鞭攻撃を受けてもまるで懲りる気配の無いその態度に、シルキィは眉間を痛そうに押さえた。

 

「貴方って……一応聞いておくけど、私が魔人四天王だって事は知っているのよね?」

「もちろん知っているぞ。だがそれがどうした、俺はそんな事ちっとも気にしないぞ。可愛ければ誰だってオーケーなのだ、がーっはっはっはっは!」

 

 その高笑いを聞いて、ようやくシルキィはこの男が無類の女好きだという事を理解した。

 自分と同じ平和を愛する心を持つ人だと思っていたが、どうやら違う部分もあるらしかった。

 

「この俺が協力すれば勝利は確実、ならその見返りとしては安いくらいだろう。なぁサテラよ」

「な、だ、誰がお前の女になんかなるかっ! シルキィ、やっぱりこんな馬鹿は今すぐ殺そう……て、シルキィ?」

「………………」

 

 サテラは隣を振り向くが、しかしそこにいた魔人は自らの思考に夢中の様子で。

 

(……自分の女になれって……あれよね? 恋人になれとかじゃなくて……その……言ってしまうと身体だけの関係になれって事よね?)

 

 先程の条件は自分とサテラ両方に対して向けられている。

 その点から鑑みても、ランスが要求しているのは親愛では無く性欲である事は明白で。

 

(つまり、そういう事をする関係……。普通そういう事は好き合ってる男女がする事で……)

 

 シルキィはぐっと眉間に皺を寄せる。

 彼女は長寿を生きる魔人であるが、極めて正常な貞操観念を持っている魔人。恋人でも無いのにそんなふしだらな関係、とてもいけない事である。

 しかしそんな彼女にとって、いけない事というならばそれ以上の事がもう一つあって。

 

(……けれど、私達は勝たないといけない。……絶対に負けるわけにはいかない)

 

 シルキィがホーネット派に与する理由、それはホーネット派の主義主張こそが最も争いの少なくなる選択だと信じているからである。

 だから負けられない。負けてしまったら数百年前から守り続けてきたものが失われてしまう。

 

 身体だけの関係になどなってはいけないのだが、しかし負ける訳にもいかない。

 ただこの二つは決して等価という訳では無く、天秤に乗せたならどちらに比重が掛かるか、そんな事は一秒も考えるまでも無い話で。

 

(平和な世界を守る為、ケイブリス派に勝利する。……その為だったらこんな私の貞操ぐらい、別に犠牲になったって構わない)

 

 自分をそういう対象として、そういう目で見る者が居るというのがにわかに信じられないのだが、しかしこの男はどうやらそういう稀な嗜好の持ち主らしい。

 

 ならば。

 

「……分かった。いいわよ、貴方の女になっても」

「な、なぁっ!? し、シルキィ!?」

「やったーー!! シルキィちゃんならきっとそう言ってくれると思ったぜ」

「ただしっ!!」

 

 大喜びするランスをよそに、シルキィは大声と共に人差し指をピンと立てる。

 彼女は自らの貞操を特別貴重に守り続けてきたという訳では無いのだが、それでも一人の女性として無条件で差し出す気にはならないので、ここで一つ釘を刺しておく事にした。

 

「そうは言っても私ね、まだ貴方の事を何も知らないし、貴方の協力に価値があるのかどうか、貴方の実力を何も知らないのよ」

「ほうほう。んで?」

「だからね、もし貴方がケイブリス派の魔人を一体でも倒す事が出来たら、その時は貴方の実力を認めて、さっき言っていた条件を飲んであげる」

「なるほどな。良いだろう、楽勝だそんな事! がーはっはっはっは!!」

 

 ──楽勝なんて言える事じゃないと思うけど。

 シルキィはそう口にしようかとも思ったが、しかしとても楽しそうに笑うランスを目にして、まぁいいかと考え直して口を噤んだ。

 

 互いの派閥にとって魔人とは非常に重要な戦力。故に魔人を一体でも落とす事が出来れば戦局は間違いなく変化する。

 だがそれは勿論容易い事では無い。派閥戦争が始まって以降、互いの派閥で抜けた六体の魔人、アイゼル、ノス、サイゼル、ジーク、カミーラ、カイトは全員が派閥戦争外の影響で消えている。

 ホーネット派とケイブリス派は今まで幾度と無く衝突をしているが、その衝突の中で互いが相手側の魔人を撃破した例は一度も無いのである。

 

 つまり魔人の撃破とは魔人にも困難な事であり、もしそれをランスが実現したのならば。それなら自分の身体の代償として妥当な所だろうと、そんな考えから付けた条件で。

 正直人間にはほぼ不可能だろうとシルキィは考えていたのだが、この時の彼女はランスという男の規格外さをまだ何も知らなかった。

 

「シルキィちゃん。本当にそれで良いんだな? 後からやっぱ無しーとかは駄目だぞ?」

「言わないわよそんな事。それじゃ宜しくね、ランスさん」

 

 そして二人は改めて握手を交わす。

 

 こうしてランスはホーネット派に接触して、協力を取り付ける事に成功した。

 

 

 

 

 



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魔王城到着

 

 

 

 

 

 

 谷底の道には時折生温かい突風が吹く。その風は不規則に曲がりくねる谷間を擦り、その結果聞こえる風の音が人の嘆く声に似ているとか。

 あるいはそれとも。その昔この地の近くには人間を飼育する牧場があり、そこで飼われていた人達の嘆きがこの地まで聞こえていたからとか。

 

 そう呼ばれるに至った理由はもはや定かでは無いが、ともかくこの場所はなげきの谷。

 番裏の砦の魔王城の間にある谷道であり、そして一行の現在地である。

 

「ふんふんふふ~ん……♪」

 

 鼻歌を歌いながら軽快に歩く男、ランス。彼はサテラとシルキィの道案内の下、シィルとかなみを連れてなげきの谷を進んでいた。

 ホーネット派に協力する事となった為、その本拠地である魔王城へと向かっているのだ。ちなみにフレイアはヘルマン国内での任務がある為、番裏の砦にて別れている。

 遂に人間世界を離れ、魔の領域である魔物界に足を踏み入れたランスだが、そうとは思えない程に足取りは軽く、とても上機嫌で。

 

(くっくっく……上手くいったぞ、実に上手くいったぜ。やっぱシルキィちゃんみたいな真面目な子は最初に条件を付けちまうに限るな)

 

 内心での笑いが抑えられず、思わずランスの口元がニヤける。

 

 前回の時、ランスはセックスさせてくれないなら総統を辞めるぞーという駄々をこね、結果シルキィとのセックスを取り付ける事に成功した。

 しかし前回はその一度きり。一度はシルキィの身体を味わう事が出来たのだが、その後二度目の機会を持つ事が出来なかった。

 ランスはその時の反省を大いに生かして、今回は何度でも抱けるように『俺様の女になれ』との条件を飲ませたのである。

 

(それにしてもあんな条件で良いとはな。ケイブリス派の魔人なんぞ元から全員叩き潰すつもりなのだから、俺様にとってはあんな条件あって無いようなもんだ。これでシルキィちゃんはオーケー、サテラはすでに俺様にメロメロだから、残るはハウゼルちゃんとホーネットだな)

 

「……うむ。くくく、がーはっはっはっは!!」

 

 ランスが突然高笑いをすると「いきなり変な笑い声あげないでよっ!」と、その後ろを歩くかなみが大袈裟な程に反応する。

 ランス専属の忍者たる彼女の表情は暗く、それは隣を歩くシィルも似た表情。どうやら彼女達は今歩いているこの地への怯えがある様子だった。

 

「それにしても……魔物界ってなんだか不思議な場所ですね……」

「……うん。手紙を届けた時にも思ったけど、私達の住む世界とはまるで別世界っていうか……」

 

 不安そうにきょろきょろと、辺りを見渡しながら二人が呟く。

 空は不気味な赤紫色、時折激しい雷鳴が鳴り響き、辺りには見慣れない形の奇妙な植物。

 ここ魔物界は普段ランス達が生活する人類圏とは何から何まで違う所。今の天気も魔人達に言わせれば普通の空模様なのだそうだ。

 

「まぁ確かにな。ここは相変わらず奇妙な場所だ。おいサテラ、魔王城へはまだ着かんのか」

「まだブルトンツリーも見えていない。魔王城はその先だからまだまだ掛かる」

 

 ガーディアンの肩に乗るサテラが答えながら、ふと先頭を歩くシルキィの様子をじっと眺める。

 

「どうしたシルキィ。さっきからずっと静かじゃないか」

「ん、ちょっと考え事をね」

 

 そう答えながらもシルキィは顎に手を当て難しい顔をしたままで。

 先程から、というか番裏の砦を出発した時から彼女の頭を悩ませていた事、それは。

 

「……ランスさん達の事、ホーネット様にどうやって説明しようかなーと思って」

「あぁ……」

「あぁ……」

 

 サテラの困ったような相槌に、思わずランスも同じ言葉を被せてしまう。

 ランスは前回の第二次魔人戦争の最中にて、魔王城に囚われていたその魔人を救出した際、初めてホーネットと顔を合わせる事となった。

 その時に交わしたのは短い会話だったが、彼女がどんな性格、どんな思想の持ち主かはその時の短い会話だけでも容易に知る事が出来た。

 

(人間をわんわんのようにしか思っとらん奴だからなぁ、あいつは。さてどう口説いたもんか)

 

 ランスがホーネット派に協力する一番の理由。

 それは前回味わう事の出来なかった彼女、魔人ホーネットを今回こそ抱く事である。

 そしてゆくゆくはホーネット派魔人達全員でのハーレムプレイ。そこまでの夢を膨らませるランスにとって、かの魔人筆頭は必ず落とさなければならない強敵である。

 ただそうは言ってもあのホーネットを口説く云々の前に、そもそもまずは協力する事への許しを得なければ何も始まらない訳で。

 

「……それでね、少し考えたんだけど……」

 

 そしてそれはランスが考える事では無くて彼女の役目。

 自分が全部の責任を持つと宣言した手前、その事をずっと考えていたシルキィは足を止めてランス達の方へと向き直った。

 

「人間のままだと色々難しいと思うのよ。だから皆は私の使徒になるって事でどうかしら」

「えっ!!」

「君の使徒に?」

「うん。と言っても形だけで実際に使徒にする訳じゃないけれど。多分その方がホーネット様にも説明しやすいし、それに魔物が大勢棲む魔物界で動く場合、人間の協力者よりも私の使徒って事にした方が貴方達も動きやすいと思うの」

「……ふむ、なるほど。確かにそうかもしれんな。分かった、んじゃそういう事にしよう」

「えぇええっ!!」

「……さっきからどうしたの、サテラ」

 

 途中途中で大声を挟んだサテラは、驚愕の表情で口をパクパクさせていた。

 

「だ、だ、だって、ランス、お前、前にサテラが使徒に誘った時は、ぜんぜん……!! それなのにシルキィの使徒ならいいのか!?」

「いやいや、俺だって別に本気で使徒になるつもりなどは無いぞ」

「そうよサテラ、使徒になったっていうフリをするだけよ。……二人もそれでいいかしら?」

 

 シルキィは首を傾け、ランスの少し後ろを歩くシィルとかなみに話を振る。

 

「は、はいっ! あ、ありがとうございます……」

「お、お構いなく……」

 

 すると二人は硬い表情でこくこくと頷く。どうやらまだこの状況に、魔人が二人もすぐそばに居る状況に慣れていないらしい。

 ともあれ。そんな理由でランス達は便宜上、シルキィの使徒と名乗る事になった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そしてそれから数時間後。

 ランスが疲れたーと騒ぎ出したので、一行は休憩を入れる事となった。

 

「シィル、昼飯」

「はいランス様、お弁当作ってきましたよ。かなみさんも良かったらどうぞ」

「うん。ありがとシィルちゃん」

 

 地面に敷いたシートの上、ランスとシィルとかなみの三人はランチタイム中で。

 

「……ふぅ」

 

 そしてその頃、シルキィは食事をとる人間達から少し離れた場所にいた。

 この辺りに棲息している魔物達が近づいてこないよう警戒をしていのだが、するとそんな彼女の下にサテラが近づいてきた。

 

「な、なぁシルキィ」

「ん? どうしたのサテラ」

「……その」

 

 言い淀むサテラは何やら思い悩んでいる表情をしている。

 何かと素直な彼女には珍しい表情、あまり似合わない表情だなとシルキィは思った。

 

「……その、本当にシルキィはその……ランスの女になるのか?」

「あぁ、その話? まぁ……ね。約束した以上は……そうなる事もあるかもね」

 

 すでにその覚悟はしている。決してそうなりたい訳では無いのだが、しかし一度約束をしたからにはどんな事であろうと違えるつもりは無い。真面目なシルキィにとっては至極当たり前の事である。

 

「……けれど、それは彼が魔人を倒せたらの話よ? いくら魔剣カオスがあるからと言っても容易く出来るような事じゃないわ。サテラだってそれは分かるでしょう?」

「それはそうだが……うぅ、シルキィが、ランスの女。さ、サテラは、サテラは……」

 

 どうやら自分の言葉もあまり届いていないのか、サテラは真っ赤になってまごまごしている。

 どうにも様子が変だ、一体どうしたのだろうと思った所、一つだけ思い当たる節があった。

 

(……あぁ、そう言えば)

 

 ランスはあの条件を告げた際、自らの女になれという話にサテラも含めてはいなかったか。

 もしかしたらその事を気にしているのだろうか。それならば心配無用な事だと、シルキィは努めて優しい声色でその口を開く。

 

「大丈夫よサテラ。これは全部私が責任を持つって言ったでしょ? 仮にランスさんが魔人を倒せたとしても、私だけで我慢するよう必ず言って聞かせるから、サテラが彼の女になる必要は無いわ」

「えっ! あ、いや違……く、はないぞ? けど、うぅ……」

「……うん?」

 

 続く言葉が出てこないのか、サテラは更に言葉を濁して更にもじもじと。

 そんな様子を見ていたシルキィはふいにピーンと来てしまった。

 

(あれ、もしかしてサテラって……あぁ、そういう事か)

 

 どうやら自分が考えていた事とは逆みたいだ、と小さく笑みを零す。

 

「安心してサテラ。サテラのお気に入りを奪ったりはしないから」

 

 おそらくそんな言葉が欲しかったのだろうと、シルキィはそう思って口にしたのだが。

 

「な、いや、サテラはべ、別にそんなんじゃ!?」

 

 しかしその相手は決して自分の気持ちを認めず、ぶんぶんと騒がしい程にその首を振る。

 

(そんなに慌てて否定したらむしろ、ねぇ? 本当に分かりやすいなぁサテラは。……ん、そうだ。それなら……)

 

「ねぇサテラ。さっきの使徒の話、ランスさんだけはサテラの使徒って事にする?」

「え、いいの?」

「えぇ。……けど分かってるとは思うけど、本当に使徒にしては駄目だからね?」

「わ、分かってる!!」

 

 自分のちょっとした思い付きを受け、サテラは「ランスが、サテラの仮の使徒、仮の使徒……」とぶつぶつ呟いていたが、しかし頬が緩むのを全く隠せていない。

 本当に分かりやすい子だなぁと、旧知の間柄となるその魔人の可愛らしい様子にシルキィはもう一度微笑を浮かべるのだった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして休憩を終えたランス達は歩みを再開。

 

 魔王城に近づくにつれ、魔物の姿を目にする機会も増える。出会った魔物は皆ランス達に不可解な目を向け、中には襲い掛かってくる者も居たが、サテラとシルキィが「彼らは自分達の使徒だ」と告げるとすぐに散っていく。

 そんな事を何度か繰り返しながら、その後一行はなげきの谷を越え、そして魔界都市ブルトンツリーも通過して、遂に目的地である魔王城へ辿り着こうとしていた。

 

 

「しっかし、確かにあれはすげぇ魔物の数だったな。かなみがちびるのも分かる気がするぞ」

「ち、ちびって無い! ちびってはないから!」

 

 ランスの言う「あれ」とは、先程彼等が通過した場所で目撃した壮観な眺め。

 魔物界においての大拠点となる魔界都市、魔王城のすぐ近くにあるブルトンツリーに棲む莫大な数の魔物がひしめく光景の事。

 

「なぁサテラ。あそこに居たあれって全部がホーネット派の魔物なのか?」

「そうだな。ブルトンツリーに居る魔物達だったらほぼ全員がホーネット派だろうな」

「私達ホーネット派に所属する魔物は約150万。現在魔王城とブルトンツリー周辺にはその内の50万程が居て、残る100万は前線近くにある別の都市に集められているの」

 

 シルキィは付け加えた話、ホーネット派に属する魔物兵の数が約150万。

 それに加えてサテラ、シルキィ、ハウゼル、メガラス、ホーネットの5体の魔人。それが現在のホーネット派の総戦力となる。

 

「150万って……すごい数ですね、ランス様」

「ただまぁそれでも、ケイブリス派には300万程居るんだけどね」

「さ、300万!? ランス、本当に大丈夫なの?」

「なーに、俺様に掛かれば全く問題無いわ」

 

 魔物兵約300万に加え、レイ、パイアール、レッドアイ、ガルティア、メディウサ、バボラ、ケッセルリンク、ケイブリス。

 以上八体の魔人が現在のケイブリス派の総戦力となる。

 

「ふん、ランスが居なくってもサテラ達は勝つがな。……まぁ仕方無いから協力はさせてやる。サテラの使徒としてしっかり働けよ。ランス」

「あれ、いつの間にお前の使徒に……まぁ誰の使徒でも構わんが俺様がするのはフリだからな?」

「む。ふりでも、いやふりだからこそ、バレないようにしっかり使徒らしくするんだ。いいな!」

「へいへい。……と、着いたみたいだな。おぉ、これが……」

 

 足を止めたランスは首を上に傾ける。

 だがそれでも全てが視界には入り切らない程に、とても巨大な城がそこにあった。

 

(ううむ、相変わらずデカい。もしかしたら俺様の城より大きいかも……でもまぁセンスは俺様の圧勝だがな)

 

 思わずランスも気後れしてしまう程、荘厳な佇まいのその巨城が目的地である魔王城。

 魔物界の北部に建てられている城であり、前魔王ガイが亡くなってから主不在となる城である。

 

 前魔王ガイ。彼は異界より連れてきた来水美樹を新たな魔王として指名した。

 しかし来水美樹は魔王になる事を拒み、この城の主とはならずに逃げ出してしまった。

 すると残された魔人達の意見は割れ、ガイの遺言に従う者、来水美樹を魔王として戴き統治してもらうことを目的とする派閥と、ガイの遺言に逆らう者、魔物による力の支配を目的とする派閥とに分かれた。

 

 前者がホーネット派。後者がケイブリス派であり、この魔王城はホーネット派の本拠地となる。

 

 

 魔人二人の帰還に気付いたのか、内開きの魔王城の城門がすぐに開かれる。

 サテラとシルキィ当たり前のように、ランスも何も気にせず堂々と、シィルとかなみは恐る恐るといった様子で城門を越え、そして城の入口をくぐる。

 前回ランスが訪れた際は無残に荒らされていたこの魔王城だが、しかし今回はそんな事も無く、城内はこの世界の支配者たる魔王の居城に相応しい豪華な内装に整えられていた。

 

「……さて。まずはホーネット様に貴方達の事を紹介しないとね」

 

 先頭を歩くシルキィが少し緊張した声色でそう告げた。

 

 

 

 

 



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ホーネット派の主

 

 

 

 

 

「ランス! 相手はホーネット様、サテラ達にとって主となる方だ。サテラの使徒として絶対に失礼の無いようにしろよ!」

「そうね。貴方達の事をホーネット様にちゃんと説明しないといけないし、初対面の私に言ったような変な言葉は口にしないでね」

 

 階段を上がっている途中、サテラとシルキィから重ね重ね忠告の言葉が飛ぶ。

 

「分かっとるっての。……うむ、最初が肝心だからな」

 

 それに真面目な表情で答えながらも、ランスには先程からずっと悩んでいる事があった。

 

(……うーむ、あのホーネットを一体どう口説いたもんか。ずーっと考えていたのだが結局良い方法がまるで思い付かんな)

 

 思わず腕を組んでむむむと眉を寄せる。

 脳裏に浮かぶのは息を飲む程に美しく、しかし一切の親しみが感じられないあの冷徹な表情。

 

 ホーネット派の主、魔人筆頭、ホーネット。

 父親である魔王ガイにより『魔王、魔人は支配階級であり、それ以外の生き物は非支配階級。魔王による秩序ある世界の支配が世界のあるべき姿』との教育を受けて育った魔物界の箱入りお姫様。

 

 その魔人にとって、人間とは支配する対象であり性行為に及ぶべき対象では無い。その為前回のランスは彼女に手を出すのにとても難儀した。

 最終的には条件付きでの約束を取り付ける事に成功し、そしてその条件も達成したのだが、しかし約束通りホーネットを抱く前にこうして過去に戻ってきてしまった。

 その後悔は胸中に重く残っており、なので今回こそはとランスは燃えていたのだが。

 

(今度は絶対に、ぜーったいにホーネットの事を抱いてやるぞ。……だがなぁ、そうは言ってもグッドな方法が思い付かねぇんだよなぁ……)

 

 そもそもあの魔人と性交に及ぶグッドな方法が簡単に思い付くのならば、前回の時にすんなりと事が済んでいたはずであって。

 ランスは色々頭を捻って考えてみたのだが、しかし結局思い付いたのは一つだけだった。

 

(……はぁ、仕方無い。ちと面倒くさいが前回と同じ手で行くか)

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「ホーネット様、入ります」

 

 最上階まで階段を上がり、そして一行はホーネットの部屋の前に辿り着いた。

 シルキィが丁寧な呼び掛けと共にノックをして、その部屋のドアを静かに開く。

 

 部屋に居たのはこの魔王城の仮の主、派閥の名を冠する魔人。

 艶のある緑の髪に、ランスでなくとも目を引くような美貌を持つ、その女性が魔人ホーネット。 

 彼女は私服の上から戦闘用の巨大な肩当てを身に付け、その腰には剣まで装備している。これから戦いに赴く格好だと人目で分かる姿をしていた。

 

「サテラ、シルキィ、待っていました。……後ろの方々は?」

「はい、彼等は私の使徒です。このたび使徒に任命しました」

「お、男の方はサテラの使徒です。ホーネット様」

「使徒……?」

 

 冷たさを感じさせる金色の瞳が二人の魔人の後ろ側、ランス達に向けられる。

 ただ見つめられただけ、それだけで、シィルとかなみは身体が締め付けられる心地を覚えた。

 

「……見た所、彼等は人間のようですが」

「こ、今後、使徒にするつもりなのです。彼等は人間ですが類稀な能力を持っており必ずこの戦いの役に立つかと。……と、紹介します。向かって右の女性がシィル・プライン。左が見当かなみで……」

 

 そのタイミングでランスはずいっと一歩前に進み出て、シルキィの言葉を遮って口を開いた。

 

「うむ。そして俺様が世界総統ランス様だ!!」

 

 その堂々たる態度の自己紹介を受けて。

 

「……世界総統?」

 

 ホーネットが反応したのは名前の方では無く、その前に付けられた名称に対して。

 そしてその事が気になったのは何もその魔人だけでは無かった。

 

「ランス様、前から気になっていたのですけど、いつランス様が世界総統になったのですか?」

「あ、それ実は私も気になってた」

「サテラも」

「……て、え? ランスさん、世界総統ってまさか冗談なの?」

 

 その場の皆の視線がその男に向けられる。

 世界総統とは前回の時に与えられた役職であり、今のランスを総統と呼ぶ者など世界に一人も存在しないのだが、しかし彼はそんな些末な事はまるで気にしていなかった。

 

「えーいうるさい、実質的に見れば俺は今でも世界の支配者みたいなもんだ。それはともかく、人間世界で最強の俺様がこのホーネットに協力をしてやる。どーだ嬉しいだろう、がははははっ!!」

「人間世界最強……貴方が?」

 

 ホーネットの目が訝しげな視線となって、その男の上から下までを軽く一瞥する。

 一流の戦士ではある、しかし世界最強と言えるかは疑問符が付く。それが魔人筆頭の観察眼で推し測ったランスへの率直な評価だった。

 

「そう、俺様は世界最強、だからこの俺がいればホーネット派も勝利間違い無しだ。お前が勝てなかったケイブリスだって俺がまたすぐに退治してやる。だがその代わり!!」

 

 そこで一度言葉を区切ると、ランスは対峙する魔人に向けてビシっと人差し指を突き付けた。

 

「俺様がケイブリスを倒した暁には、お前は俺様の女になるのだ!! いいな!!!」

 

 それは前回の時に出した条件と全く同じもの。

 サテラやシルキィに止めるよう忠告されていたにもかかわらず、ランスのとても偉そうな、そして実に失礼な宣告だった。

 

「………………」

 

 他の皆は全員似たような驚愕の表情。シィルとかなみは言うに及ばず、サテラとシルキィも無礼千万なその言葉と派閥の主の怒りを思い、喉から言葉が出ずに固まってしまう。

 不気味なほど静まりかえる室内で、しかし当のランスは平然としたままで、そしてホーネットもその表情を変える事は無かったのだが。

 

「……サテラ、これは貴女の使徒と言いましたね」

 

 しかしその声色は若干冷たくなっており、サテラはビクリと肩を揺らす。

 

「え!? あ、いや、これは……そう、こいつはシルキィの使徒で!」

「あ、ちょっとサテラ、それはズルい!」

「二人共、使徒にする者はよく考えねばなりませんよ」

 

 派閥の主の最もな言葉が刺さり、二人の魔人は思わず視線を横に逸らす。

 だがそんな二人を尻目に、ランスは実にやりきったような表情で、

 

(ふん、ともあれ言ってやったぜ。これでケイブリスを倒せばホーネットは俺様のものだ)

 

 などと悠長に考えていたのだが、するとホーネットの鋭い視線が向けられた。

 

「……ランス、と言いましたね。……貴方の申し出、拒否します」

「な、なにぃ!?」

「ケイブリスは私が倒すべき宿敵であり、貴方の手を借りる必要などありません。……そして私が倒すのだから、貴方が倒したらという仮定もまた必要ありません」

「な、な……」

 

 断られるとは微塵も考えていなかったのか、ランスは口を大きく開いたままの姿で硬直する。

 前回のホーネットはこの条件を確かに受諾した。だからこそランスは今回もこれでいけるだろうと考えていたのだが、 しかし前回その約束が成立したのは彼女が一度ケイブリスに敗れた故の事であって。

 今ここに居るホーネットは自分が敗れるとは考えていない。彼女にとって魔王の遺命に従わないケイブリス一派を倒すのは魔王の娘たる自分の使命であり、自らが代償を払って他人に任せるようなものでは無かった。

 

「か、仮にだ。仮に俺様が奴を倒したらの話だ。仮なのだから約束したって問題ないだろ?」

「必要ありません」

「ぐ、ぬぬ……んだとぉ……!」

「ランス! いい加減にしろ!! ホーネット様の前で何度も何度も失礼な事を!!」

「いだだ、ちょ、殴るなっての!!」

 

 怒り心頭のサテラが掴み掛かり、ランスの腹やら背中やらをぽこぽこと叩く。じゃれているだけのようにも見えるが、とはいえ彼女も魔人なので見た目以上に結構な膂力があった。 

 とそんな二人の一方、シルキィはホーネットのそばに寄って頭を下げる。

 

「ホーネット様。使徒の失礼な態度は私の責任です。申し訳ありません」

「シルキィ、彼等を使徒とするのは貴女の判断ですね」

「はい。……その、性格には問題有りと言わざるを得ないのですが、しかしサテラによると実力はあるそうです。それにあの者が所持している剣。あれは魔剣カオスです」

「……魔剣、カオス……」

 

 その言葉には少なからず驚いたのか、ホーネットはサテラに叩かれている男の腰にある剣に視線を向ける。

 その剣こそ魔剣カオス。無敵結界を斬る事が可能な剣であり、そして。

 

(……あれが父上が使っていたという剣……)

 

「魔剣の存在は必ず役に立ちます。彼らの行いに関しては私が全て責任を持つので、ホーネット様、どうか……」

「……貴女の考えは分かりました。いいでしょう、元より二人がどのような者を使徒としようとそれは二人の自由ですから」

 

 彼女にとって人間とは特別気にかけるような存在では無い。そんな事もあってか然程反対する様子も無く、ホーネット派はランス達の協力を受け入れる事となった。

 主の許しに安堵の表情となるシルキィの一方、ホーネットは予定外だった今の話よりも別にもっと大事な話があった事を思い出す。

 

「それよりシルキィ。先程帰還したメガラスが持ち帰った情報なのですが、集結中のケイブリス派の軍の一つが先行して動こうとしているそうです」

「……集結前に先走って出てくるような奴というと、おそらくは……」

「えぇ、間違い無くレッドアイでしょう」

 

 魔人レッドアイ。ケイブリス派の中では最も好戦的な性格をしている魔人であり、ホーネットとは何度も激闘を繰り広げた相手。

 その魔人の出撃の報を受けて、彼女も応戦に赴く事をすでに決断していた。

 

「私は前線に出るので城の管理は任せます。何かあれば伝令を送るので準備を怠らないように」

「了解です」

 

 それだけシルキィに言い残し、一度ちらっとランスに視線を向けた後、そのままホーネットは足早に部屋を退出して行った。

 

 

 

 

「なんか急いでいたな、ホーネットのやつ」

 

 部屋の主が去った室内にて、入口のドアを眺めながらランスが口を開く。

 

「そうね。レッドアイを野放しにすると被害が大きくなってしまうし、それにあれはホーネット様にしか対処出来ないからね」

「む、サテラはともかくとしてシルキィちゃんでも無理なのか?」

「ともかくとはどーいう意味だ!」

「……やれって言われたら出来なくは無いけどね。でも私は魔法に関してはさっぱりだからレッドアイとは相性が良くないのよ」

 

 さすがの魔人四天王でも魔法は門外漢、シルキィはお手上げだといった様子で片手を開く。

 現在侵攻してきているらしき相手、魔人レッドアイは強大な魔法力を持ち、それに対抗出来るのはホーネット派の中ではホーネットだけとなる。

 

「ホーネット様も大変なのよ。色々あってレッドアイとは全力で戦えないし」

「色々?」

「ええ……と、ここに居ても仕方無いし、皆の部屋を用意させるわね。幸い今の魔王城には空き部屋は沢山あるから、一角を貴方達の専用にして魔物達には近づかないよう言っておくから」

 

 この城は古き時代、魔王とその配下である24体の魔人の居城として作られた城。魔王や魔人は勿論の事、魔人の使徒達や腹心の魔物なども居住可能なようにとても巨大に作られてある。

 そんな元々の広さに加え、現在その城を利用するのは5体の魔人とその配下だけ。故に殆どが空室であり、結果として現在誰も使用していない階の東側を丸々ランス達が使用する事となった。

 

 

 

「ほーう、悪くないじゃねーか」

「わぁ、きれいにされてありますね」

「えぇ、空室もメイドさん達がいつも掃除してくれているからね」

 

 ランス達は与えられた部屋内に入り、そして感心したように室内の様子を眺める。

 城内に住む女の子モンスター、メイドさん。彼女達の働きによって魔王城はどの部屋もきちんと掃除が行き届き、そして室内の装飾もランスのお眼鏡に適うとても住心地の良さそうな空間だった。

 

「それじゃあしばらくはここでゆっくりしてて。まだ魔物界に来たばかりだし、こっちに馴染んでも無いのにいきなり戦いってのもあれだしね。食事は食堂に行ってメイドさんにこの城の客だって言えば何か作ってもらえるから」

「ランス、サテラの使徒として節度ある行動をしろよ」

 

 そう言い残して二人の魔人は部屋を出ていく。そして魔王城の一室には人間達三人が残された。

 

「……はぁ、ちくしょう。まさかあの条件で断られるとは……なにか別の手を考えんとなぁ」

「まったく、止めてよねあんな場所であんな事を言うの! 心臓止まるかと思ったじゃない!」

 

 魔人が居なくなって気が抜けたのか、かなみはそばにあるソファに座って身体を伸ばす。

 

「はぁ……緊張したぁ。魔物界に入ってからそこら中魔物だらけで生きた心地がしないんだもん」

「私もです……。この城で他の魔物とばったり会ったらどうすればいいんでしょうか、ランス様」

「……まぁ、その辺はシルキィちゃん達が上手い事やってくれるだろう。俺達は使徒だと言い張っておけば大丈夫なはずだ、多分」

 

 ランスは部屋の椅子に腰を下ろす事もせず、そのまま隣にある寝室へと向かう。

 そして備え付けられているベッドに座り、毛布の触り心地やベッドマットの柔らかさなど、なにやらじっくり丹念に調べ始める。

 

「……ランス様、どうしました?」

「うむ、中々質のいいベッドじゃないか。番裏の砦にあったのとは大違いだな、よし」

 

(とりあえず今日の所はいいだろう。ホーネットを口説く機会はまだあるはずだしな)

 

 そう結論付けると、ランスはシィルとかなみの方に振り返る。

 その男が次に何を言うのか、付き合いの長い二人には聞かなくても分かった。

 

 

 

 

 

 



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魔人討伐開始

 

 

 

 

 

 ホーネット派の本拠地となる魔王城。

 魔物界に突入したランス達がその城に到着してから4日程が経過していた。

 

 この数日間を城内で平和に過ごした事もあって、当初からへっちゃらだったランスは元より、シィルとかなみもこの状況にようやく慣れてきた様子。

 最初は自室の外に出るにもおっかなびっくりだった二人も、今ではそれ程気を張らずにこの城の中で過ごす事が出来るようになっていた。

 

 その理由の多くはシルキィやサテラ達のおかげ。二人の魔人が城内の魔物達に『新たに人間の使徒を増やした』と周知させた事による。

 使徒という立場はこの魔物界ではとても強い。ランス達が廊下でばったり魔物と遭遇しても、上司たる魔人の機嫌を損ねないよう向こうから離れていく程のもので。

 そしてランス達は知らない事だが、この城の現在の主である魔人ホーネット、彼女はすでに人間の使徒を数人有している。そんな事もあって人間の使徒が増えた事への反発も特に起こらなかった。

 

(……ふーむ)

 

 ランスはこの数日間、特に何をするでも無く。

 シィルを抱いたりかなみを抱いたり、時には城内の女の子モンスターをつまみ食いしたり。

 そんな日々を送っていた訳なのだが、しかしそろそろ退屈が生じていて。

 

(うむ。まぁあれだな、毎度同じ物を食ってるとどんなに美味いもんでも味に慣れるというしな。そろそろシルキィちゃんとセックスする為にもサクっと魔人をぶっ殺すか)

 

 と、言う事で。

 

 

 

「よし、そんな訳で気は熟した。いよいよ作戦行動開始だ、早速魔人退治に出かけるぞ」

「うほーい、待ってましたー!」

 

 ランスは部屋にシィルとかなみと呼び出し、開口一番そう宣言した。

 するとすぐに歓喜の声を上げたのは魔剣カオス。しかしそのように喜んだのは部屋の隅に立て掛けてあるその剣だけで、残る二人は嫌々ながらといった感じの表情だった。

 

「……はぁ、やっぱりそうなるのよね……うぅ、生きて帰ってこれるかなぁ……」

「情けない事を言うな、かなみ。俺様がいれば楽勝だ。シィル、とっとと支度をしろ」

「はい、ランス様。……けれど魔人退治とは言っても一体どちらに向かうのですか?」

 

 首を傾げながらのシィルの言葉に、ランスは大層呆れた様子で嘆息する。

 

「何処に向かうかだと? んなのケイブリス派の魔人が居る所に決まっとるだろ、このアホ」

「えっと……ケイブリス派の魔人が居る所とはどちらなのですか?」

「どちらってそりゃあ……あれ、どちらだ?」

 

 シィルの言葉の意図する所が分かったのか、ランスは「そういや奴らは何処に居るんだっけ?」と、しばし腕を組んで思考する。

 

(えっと、前回は確か……ナンダモンダツリーだか言う場所がケイブリス派の本拠地で……んでそれは何処にあるんだ? うーむ、知らん)

 

 だが数秒も掛からずに思考を放棄する。

 残念ながらランスには魔物界についての知識が全く足りなかった。およそ千年程前、この世界が魔物の世界と人間の世界に分けられて以降、魔物界は人間にとって暗黒の世界。

 交流など全くと言っていい程無い為、魔物界に関してはあらゆる情報が入ってこないのが現状。

 

 それでもランスは前回の時、魔人討伐隊を率いて魔物界に乗り込んだ経験があった為、タンザモンザツリーがケイブリス派の本拠地だという事はうろ覚えながら記憶していた。

 しかしそのタンザモンザツリーへ辿り着くにはどちらに向かえばいいのか、この城からどれだけ離れているのかなど、戦いに赴く上では重要となるそれらの情報はさっぱりだった。

 

 なのだが。

 

「まぁ、前に進めばどっかには着くだろう。とりあえず出発ー」

「そ、そんな適当でいいのー!?」

 

 ランスはそれでも出発する事にした。城内でぶらぶらしているのにもそろそろ飽きたのである。

 

 

 

 

 

 そしてそれから数時間後。

 やっぱりというか何と言うべきか、ランス達は見事に道に迷っていた。

 

「うーむ、何か似たような景色ばっかだな……」

 

 ランスは辺りを眺めながらぽりぽりと頭を掻く。

 確かケイブリスの居場所は地図の下の方だったっけなぁと、そんな適当な方針で南に向かって進んでみた所、いつの間にか奇妙な木々が乱立する森の中に迷い込んでいた。

 

「ランス様、この道は前も通ったような気が……」

「……ぬ、そうか?」

 

 思わず周囲をきょろきょろと見渡す。だが視界に入るのは毒々しい色の花や光を放つ蕾など、人間世界では目にしない植物だらけ、目を引くものが多すぎて逆に目印になりにくい。

 すでに頭上は木々や葉に埋もれてしまっている為、巨大な魔王城の姿も見えず。何とかして空の見える場所に出ないと下手したら遭難もあり得る状況となっていた。

 

「おいかなみよ。こんな時の為にお前がいるんじゃないのか」

「わ、分かってるんだけど……この辺の地形ってどうにも覚えにくいっていうか……」

 

 かなみは忍者であり、偵察任務などを行う為に知らぬ土地でも迷わない訓練を積んでいる。だがそんな彼女が居てもこの有様で。

 これは彼女がへっぽこだからという理由もあるのだが、そもそもここらに棲息する魔界植物とは獲物を襲う為に好き勝手動き回るので、あまり目印にしてはいけないという事を知らないからであった。

 

「つーかお前、そんなんでよく手紙の配達が出来たな」

「あの時はフレイアさんが居たんだもん。……うぅ、あの人どうやってこんな場所の道程を覚えてたんだろ……」

「……役立たずめ」

「うわーん!」

 

 

 結局ランス達はそのまま迷い続けた後、仕方無いのでそこら辺にいたハニーに道を尋ねた。

 戦闘になるかとも思ったが、幸いにしてそのハニーは自分達が魔人の使徒である事をすでに聞いていたらしく、争い事にはならずに魔王城までの道案内をしてくれた。

 

「親切な魔物で良かったですね、ランス様」

「……まぁな。しかしこれではいかん、かなみよ、次までにはせめて道案内ぐらいは出来るようなんとかせい」

「うぅ……分かってるわよぉ……」

 

 

 

 

 

 そんなこんなでランス達は城に帰ってきた。

 夕食後、部屋のソファでまったりしていたランスはふと一日を振り返ってみる事にした。

 

「よし、ではシィル君。本日の活動について報告したまえ」

「え、報告ですか? ええーと、今日はみんなで城の外に出て迷子になりました」

「………………」

 

 そう言われると全くもってその通りなのだが、しかしどうにもムカついたランスはそのもこもこ頭をぽこりと叩く。

 

「いたっ! うぅ、痛いです、ランス様……」

「うるさい。ではかなみ、敵の魔人の居場所について報告しろ」

「え。知らないわよそんな事」

「なにぃ? そういうのを調べとくのもお前の仕事だろう」

 

 気が利かない奴だなぁと、ランスは正面に座るかなみをじとりと睨む。

 しかしその忍者も怯む事無く、無茶言わないでよねと言わんばかりに首を振る。

 

 本日から魔人退治に動き出したランス達。しかし今日は大した戦果無し。そして大した報告も無し。

 やはり魔物界の事について知らなすぎるのがネックなのか、このままのノリで動くのはさすがに徒労過ぎる気がしてきたので、ランスは今後の行動を少し見直そうかと考えてみたのだが。

 

(……考えるのは俺様の仕事じゃないな)

 

 しかし考えるのは止める事にした。

 

「シィルよ、今後俺達がどう動くべきか、答えろ」

「えっと……危ない事は止めてお城に帰る。とか」

「………………」

 

 イラっときたランスはもう一発ぽこり。毎度の事ながらとても良い音が鳴った。

 

「痛いです、くすん……」

「だーー!! まったくお前らは役に立たん。これでは全然話が進まんでは無いか!!」

「そんな事を言われても……」

 

 涙目で頭を押さえるシィル、そして困ったように視線を横に逃がすかなみ。

 そんな二人をそばに置いて、どうにも勝手が違うとランスは違和感を覚える。そもそも世界総統たる自分はこのようにあれこれ指示を出したりはしないもので。

 

(うむ、そういうのは全部部下がするもんだ。んでもって……)

 

 自分が知りたい情報を聞けば、途端にぱっと答えが返ってくるような。

 取りたい作戦の概要を大まかに伝えれば、すぐにそれを形にしてくれるような。

 自分はただ椅子に座っているだけで、面倒な事は全部済ませておいてくれるような。

 

 とそこまで考えて、このどうにもしっくりこない状況の違和感にランスはようやく気付いた。

 

(あそっか。ここには俺様の軍師達が居ないのか。通りで動きにくいと思ったぜ)

 

 ランスの思い至った軍師達。それは前回の戦争で彼の指揮下にあった三人の女性軍師。

 リーザス王国のアールコート・マリウス。

 ゼス王国のウルザ・プラナアイス。

 ヘルマン共和国のクリーム・ガノブレード。以上3名の軍師達の事である。

 

 前回ランスは世界総統として人類を率いて戦い、最終的に魔人ケイブリスを打ち破った。

 しかし彼が十二分に活躍する事が出来たのは自身の力だけでは無く、膨大な情報を精査してランスの求めに応え、ランスの無茶な行動を作戦として成立させ、事務処理等の雑務を的確に済ませてきた軍師達の力があったからこそでもある。

 

(よし。そうと分かれば早速全員呼びだそう、そうしよう)

 

 

 

 

 

 という事で、ランスはあの軍師達三人を手紙で呼び出す事にした。

 この魔王城に呼び出すのはさすがに無茶振りが過ぎるので、番裏の砦に来るよう指定する。

 そうして書き上がった手紙をかなみに配達するよう命じた所、彼女は全力で首を横に振った。

 

「無理ー!! もう真っ暗だし、フレイアさんも居ないし、迷子になるー!!」

 

 自分の能力を見事に把握している彼女の、それはもう悲痛な叫びであった。

 

 無理やり行かせようかとも思ったが、しかし彼女の能力を考慮すると強制する事も出来ない。

 使徒だと言い張れば問題無いとは言え、まだその事を知らない魔物が居る可能性だってある。そんな魔物に出会った場合かなみ一人では危ない。

 そして当然ながら自分が付き添うという選択肢は無い。とても面倒くさいからである。

 

(けれどかなみが駄目だとすると……うーむ、なんかいい方法は無いもんか)

 

 さてどうしようか、そこらにいる適当な魔物にでも命じてみるか。

 とそんな事を考えながら城内をぶらぶらしていると、偶然にも魔人シルキィの姿を発見した。

 

「あら、ランスさん」

「シルキィちゃん、ちょうど良い所に。実はこの手紙を人間世界にいる部下に届けたいのだが、なにかいい方法はねーかな」

 

 これだこれ、とランスは手に持つ3枚の手紙をぴらぴら揺する。

 

「手紙か……この魔王城から人間の世界に届けるのは確かに大変だものね」

「うむ。だがこの手紙はホーネット派の勝利の為には欠かせないものなのだ。何とかならんか」

「……そんなに大事な手紙なの?」

「うむ。これはマジで重要な手紙なのだ」

「……うーん」

 

 ホーネット派の勝利の為。

 そう言われると無下には扱えず、シルキィは思い悩むように顎に手を当てる。

 

(……確か、少し前に帰ってきてたっけ……)

 

 思い浮かんだのは異形の姿、ホーネットに所属しているホルスの魔人。

 連絡や輸送など、長い距離を高速で移動するような任務に関しては、ホーネット派の中でもその魔人の独壇場である。

 

「……直接届けるのは無理だと思うけど、人間世界の郵便ポストに入れれば大丈夫よね? ……彼に頼んでみるかな」

「彼!? 彼ってまさか君の恋人か!?」

 

 驚愕に目を見開いたランスの早合点に、まさかそこに食いつくのかとシルキィは思わず吹き出してしまった。

 

「違うわよ。そうじゃ無くって、私達の心強い仲間。そうだ、何ならランスさんも挨拶してく?」

「いや違うならいいや。彼ってことは男だろう、野郎に興味は無いからな。……それよりシルキィちゃん、今晩はどうだ、俺様の部屋に来ないか? ぐふふふ……!」

 

 にやにや顔でシルキィの事を口説くランス。

 だがこれは何も今日に限った話では無く、魔王城に到着してからもう毎日のように迫っていた。

 魔人を倒したら自分の女になるとは約束したものの、その前に口説かないとは言ってない。それより早く事が進むならそれに越した事は無いのである。

 

「またそれ? ほんと相変わらずね、貴方は」

 

 初日こそ戸惑い、次の日にはあまりの節操の無さに呆れていたシルキィも、ランスという男はこういう人間なのかと今ではもう慣れてきていた。

 

「ならランスさん、頑張ってケイブリス派の魔人を倒してちょうだい。楽しみにしてるから」

 

 

 

 

「……あ。それ切手貼ってねーや。シルキィちゃん、切手代貸してくれ」

「……私に言われても」

 

 切手はシィルに出させた。

 

 

 

 

 

 それから一週間程が経過したある日。再びメガラスの部屋に手紙が投げ込まれていた。

 それはヘルマンにいるフレイアからの連絡、番裏の砦に客人が訪れた事を知らせる内容だった。

 

 時はLP7年3月。

 ランスが過去に戻ってきてからそろそろ一ヶ月が経とうとしていた。

 

 

 

 

 



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軍師加入

 

 

 

 

 

 客人到着の報を耳にしたランスは番裏の砦まで戻ってきた。

 ちなみに同行したのはシィルだけでかなみは魔王城でお留守番中。彼女はこの先魔物界で迷子にならないよう特訓中である。ここに来るまでの道案内は城に居た親切なイカマンに頼んだ。

 

 それはともかくとして、数日振りにこの砦に戻ってきたランスはすぐさま客人が待つという部屋に向かった。

 するとそこに居たのはお馴染みの軍服をしっかり着こなす女性、ベージュ色の髪を髪紐で括り、頭には緑の帽子を被るランス待望の軍師の一人。

 

 

「おぉ、ウルザちゃん!」

 

 ゼス王国所属、ウルザ・プラナアイス。

 数年前にゼスで出会い、その際の騒動やそれ以降の場所でも度々共に戦ってきた間柄である。

 

「お久しぶりです、ランスさん。シィルさんも、無事氷の中から出られたようで何よりです」

「ありがとうございます、ウルザさん!」

 

 シィルとウルザが久しぶりの再開を喜び合う。

 二人が顔を合わせるのはJAPANで共に戦った時以来なので、およそ一年以上ぶりとなる。

 

「思ってたより到着が早かったな、ウルザちゃん。くくく、よほど俺様に会いたかったと見える」

「……ランスさん。こんな手紙が届いたら急がない訳にはいきませんよ」

 

 ニヤリと笑うランスの一方、ウルザは文句の一つでも言いたそうな表情で。

 先日彼女の下に届いたランスからの手紙。そこには「戦いの準備をして番裏の砦に来い。早く来ないとガンジーが死ぬぞ。絶対死ぬぞ」とそんな一文が書かれていた。

 

 それはゼス王の命の危機を示唆する内容であり、国の要職に就く立場のウルザにとってはさすがに無視出来るものではない。

 それこそが手紙の送り主の狙いであると半ば理解しつつも、それでも彼女は急ぎ支度を整えて国を出発し、待ち合わせ場所であるこの番裏の砦にやって来たのだった。

 

「それでランスさん、ちゃんと説明してくれるんですよね? ガンジー王が死ぬとは一体どういう事ですか?」

「うむ、いいだろう。実はな……」

 

 そしてランスは今から自分達がしようとしている事、ウルザを呼び出した理由などを説明した。

 

 

 

「……と、言う事だ」

「……魔物界の派閥争い、ですか……。噂程度に聞いた事はありましたが……」

 

 ランスから一通りの話を聞き終わり、ウルザは悩みの表情で小さく顎を引く。

 

「うむ。その戦争でケイブリス派が勝った場合、それはもう人類の危機ってやつなのだ。だからホーネット派を勝たせないといけない。その為に君の力を貸して貰おうと思ってな」

「人類の危機、ですか……」

 

 事は魔物界に来て一緒に戦って欲しいという話、割と無茶苦茶な要求で。

 ウルザは普段どおりの冷静な目を向け、事の真偽を探るかのようにランスの顔を見つめる。

 

「私はランスさんの言うその両派閥には詳しくないのですが……ケイブリス派が勝利した場合、魔物兵を率いて人間世界に攻めてくるというのは確かな事なのですか?」

「あぁ、それは間違いないな。絶対そうなる」

「……では、その戦いの中でガンジー王が死ぬと?」

「うむ、そういう事だ」

「………………」

 

 先程よりも疑念を強めたのか、ウルザはその目を少し細める。

 この先起こり得る事態についての話なのに何故ランスは断定口調なのか。彼女にはそれがとても気になっていた。

 

「魔軍の侵攻は言うまでもなく脅威ですが、私にはあの御方が死ぬとは中々思えないのですが」

「いや、死ぬ死ぬ。ガンジーでも死ぬ時はあっさり死ぬもんだぞ、マジで」

「……そうですか。確かにそれが本当なら手を打たないといけない事態ではありますが……」

 

 ゼス国は数年前に魔軍の侵攻を受けており、その恐ろしさは国民の誰もが理解している。

 まだその時の被害も完全には癒えておらず、再びの魔軍侵攻はウルザとしても絶対に食い止めねばならない事態。

 

「……けれどもランスさん、ケイブリス派ではなくもう一方のホーネット派が勝利した場合に、先程言っていたような危機が訪れないという保証はあるのですか?」

「……む?」

 

 ランスは不意を突かれた様子で眉を顰める。仮にホーネット派が勝利したらどうなるのか、こうして指摘されるまで一度も考えた事が無かった。

 ウルザからするとホーネット派もケイブリス派も未知の存在である為、どちらかを勝たせても同じ結果になるのでは意味が無いのだ。

 

(……ホーネット派の目的は確かあれだ、美樹ちゃんに魔王になってもらう事だよな。けどホーネットは美樹ちゃんの言葉には絶対服従という感じだったし、美樹ちゃんは戦争とか魔王とかには興味ないような子だ。ヒラミレモンさえ食っときゃ大丈夫だろ、たぶん)

 

「うむ。ウルザちゃん、それは俺様が保証してやる。ホーネット派が勝てばそんな事にはならん」

「……やけに自信がありますね。そもそもランスさんは魔物界の内情についてどうしてそんなに詳しいのですか?」

「……それはその……あれだ。……つーかウルザちゃん、つべこべ言うな! 人類の危機なのだから四の五の言わずに協力せい!」

 

 とても答え辛い質問を受け、困ったランスは声を張り上げて有耶無耶にする。

 しかしウルザにとって、先程から一番疑問に感じていたのがまさにその点だったらしく。

 

「ランスさん。正直に答えてください。ランスさんの本当の目的は何ですか?」

「……ぬ」

 

 ホーネット派に協力する本当の目的。それは言わずに隠しておこうとランスは考えていた。

 その方がこの軍師を説得する上では良さそうだと思っていたのだが、しかしどうにも逆効果みたいだったので正直に言ってしまう事にした。

 

「……本当の目的か。そんなん決まってんだろ、勿論セックスだ!! 実はホーネット派には魔物界の可愛い子が勢揃いでな、全員俺様の女にする事が目的なのだ。その為に協力してくれウルザちゃん」

 

 世界平和はあくまで二の次、本当はエロが目的だとランスは何一つ憚る事無くそう告げた。

 

「……もう、相変わらずですねランスさんは」

 

 あまりに堂々とした顔でそんな事を言うので、思わずウルザはくすりと笑みを零してしまった。その表情は疑念の色が少し薄くなっていた。

 

「ランスさんが人類の危機の為なんて言うから、まさか人が変わったのかと思いましたが……相変わらずな様子で安心しました。……分かりました。少し気になる事もあるのですが、それを調べる為にも協力させて貰います。宜しくお願いしますね、ランスさん、シィルさん」

「はい。宜しくお願いしますね、ウルザさん」

「うむ。俺の魔物界ハーレムの実現の為に大いに働いてくれ。勿論君もその一員だからな。がーはっはっはっは!」

 

 馬鹿笑いを響かせるランスをよそに、ウルザは「私が働くのは世界平和の為です」と呆れたように呟いた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 その後、ランス達は魔王城にとんぼ返りする前に小休止。

 互いの近況など、積もる話を交わしながらの昼食を食べていた。

 

「……けれどもウルザさん、お仕事の方は大丈夫なのですか?」

「えぇ。ちゃんと休暇届は出してきましたから。何となくこんな事になるんじゃないかって予測はしてたんです。JAPANの時と状況が似ていましたし」

 

 ウルザはゼス王国にて『ゼス四天王兼警察長官』という役職に就いている。

 普段からとても多忙な身であり、本来なら簡単に国を開けられるような立場ではない。

 しかし救国の恩人であるランスの呼び出しを無視は出来ないし、なにより国王が親ランス派。そんな事もあって長期休暇の許可も殆ど二つ返事だったらしい。

 

「そういやウルザちゃんは来たけど、クリームちゃんとアールコートちゃんはまだなのかな」

「あぁ、それなら私が伺っています。どうやら二人共こちらに来るのは難しいそうです」

「な、何だとぉ!?」

 

 突然の話にびっくり仰天、ランスはその手に掴んでいたスプーンをぽろりと落とす。

 

「何故!? 一体何故こないのだ!?」

「実はここに来る前にラング・バウに立ち寄ったのですが、その際にヘルマン軍クリーム参謀とお会いしました。彼女からは革命の後処理が忙しく、とても国を離れられないとの言付けを頼まれまして」

「ぬ、ぬぬぬ……ならアールコートちゃんは?」

「その方からはですね、ヘルマン首脳部宛てに信書が届けられたそうです。アールコートさんからというよりはリーザスからと呼ぶべき内容ですが……これです」

 

 それはヘルマン首脳部から頼まれた重要な要件。ウルザは鞄からその信書の写しを取り出し、ランスに手渡して事の経緯を説明した。

 

 数日前、ランスから手紙で呼び出し命令を受けたアールコート・マリウス。だが彼女はリーザス軍に属している為、軍を離れる為には上官の許可が必要となる。

 故に所属する黒の軍の将軍バレス・プロヴァンスに話した所、「ランス殿の事ならばリア女王に通すべきだ」と言われたので、アールコートはその言葉通り女王にその報告をして判断を仰いだ。

 すると手紙の内容が救援要請に近いものだった為、「これはダーリンのピンチ! 妻である私がなんとかしなければ!」と女王は大層意気込み、アールコートはおろか黒の軍全軍を動かす事に決定。

 そして「これはヘルマンへの侵略じゃないから、黙って道を開けなさい」と言わんばかりに、ヘルマン国内のリーザス軍の通行許可を求める信書が届けられた、との事だった。

 

 

「……あのアホめ。黒の軍ってバレスの軍じゃねーか。あんなじじい寄越されてもいらんぞ」

「さすがに国内をリーザス軍に自由に動かれる訳にはいかないので、現在リーザス黒の軍とヘルマン軍はバラオ山脈を挟んで睨み合っているそうです。ヘルマン政府によるとランスさんに早急に対処してほしいとの事でした」

「……救援はいらねーから軍を引き上げるようリアに伝えろ」

 

 ランスのそんな言葉ははその後リア女王までしっかり伝えられ、結果バラオ山脈の緊張状態は無事解かれる事となったのだが、それはともかく。

 

「ふん、まぁいい。ウルザちゃん一人で十分だ。その分君には働いてもらうからな」

「……期待には応えたい所ですけどね。けれど魔物界の情報はゼスにも多くはありませんので、どこまで出来るか不安もあります。それに魔人に協力するというのも……必要だからと言われればそれまでですが、切り替えるのは少し難儀しそうです」

 

 ふぅと息を吐いたウルザは、水の入ったコップに手を伸ばす。

 彼女もシィルやかなみと同じように、魔人に協力するという事に少し抵抗感がある様子。ゼスは近年魔人によって大きな被害を受け、それにウルザも直接関わっているのだから当然といえば当然ではある。

 

「なーに、魔人にだって良い子はいるもんだ。シルキィちゃんなんかそんじょそこらの人間よりも遥かに良い子だぞ。サテラも口では人間を見下すような事言っとったが、なんやかんや仲良くやってたしな」

「……そうなのですか? シィルさん」

「えぇと……どう、なのでしょうね、ランス様」

「アホ、俺様の奴隷なら頷いておけっての」

 

 

 

 そして食後の休憩を終え、ランス達は出発することにした。

 

「よし、それじゃ魔王城に向かうぞ二人共。今度こそ作戦行動開始だ」

「はい」

「えぇ。行きましょう、ランスさん」

 

 

 

 

 

 



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TURN 2
改めて魔人討伐開始


 

 

 

 

 呼び出した軍師、ウルザ・プラナアイス。

 番裏の砦で彼女を仲間に加えたランスは、その後すぐに魔王城へと戻ってきた。

 

 そしてウルザは城に到着するなり行動開始。城内では使徒と名乗ればある程度の融通が利く事が分かったので、その立場を上手に利用してあれこれ情報収集を行った。

 なにせ魔物界は未知の土地。地形や生物分布、両派閥の影響地域など、今後彼女が軍師としてランスの求めに応じるならば頭に入れておくべき知識は大量にある。

 

 その一方でかなみは特訓に特訓を重ねた結果、魔物界の地形にもようやく慣れたらしい。これでもう迷子にはなりませんからと、ランスに対して胸を張っていた。

 

 そしてその間ランスはと言うと、女の子モンスターを味見したり、サテラにセクハラしたり、シルキィを口説いてみたりと通常運転だった。勿論ウルザにもアプローチは掛けたのだが、しかし忙しさを理由に全て回避されてしまった。

 

 

 

 

 そして数日が経過したある日の事。

 コンコンとノックが聞こえ、ランスの部屋にウルザが訪ねてきた。

 

「ランスさん、お待たせしました。なんとか身動きが取れるまでの情報は集まりました」

「お、遂に準備出来たかウルザちゃん。待ちくたびれたぞ」

 

 これでようやく魔人退治が出来るぜ、とランスは寝転んでいたソファから身体を起こす。

 

「ふむ、どうやらウルザちゃんもこっちでの生活には慣れたみたいだな」

「そうですね、初日に比べれば大分慣れました。色々話してみると魔物も私達人間と大差無い存在だと分かりますね。勿論、シルキィさんの使徒という立場あってのものではありますが」

 

 さすがに到着早々は緊張がその表情に出ていたウルザだが、しかし彼女はシィルやかなみなどよりも胆力があり、この状況に慣れるのも早かった。

 ちなみにウルザもその方が都合が良いとの事で、城内ではシルキィの使徒という扱いである。

 

「シルキィちゃんにはもう会ったのか」

「えぇ。確かにランスさんの言う通り、人間思いの優しい方でしたね。一口に魔人と言ってもああいった方が居るとは知りませんでした」

「だろう? まぁあの子はあの子で相当珍しいタイプだとは思うが、とにかくホーネット派を勝たせないといけない理由が分かっただろ?」

 

 そんなランスの言葉に、ウルザは微笑を浮かべながら「そうですね」としっかり頷く。

 彼女はこの数日で様々な情報収拾を行った結果、とりあえずはランスの言葉を信じる事にした。

 人類の平和の為にはホーネット派を勝利に導く必要がある。そう判断して出来得る限りの協力をしようと決めたのだった。

 

「ではウルザちゃん。早速だが行動開始だ。君には軍師としてたっぷり働いてもらうぞ」

「了解です、ランスさん。でもその前にシィルさんとかなみさんも呼びましょうか」

 

 

 

 

 そんな訳で、外で軽く偵察任務を行っていたかなみ、そしてランスからの命令で城内にいる女の子モンスターの種類調査を行っていたシィル、彼女達も加えての作戦会議を開始。

 ランス達四人はテーブルを囲み、ウルザがその上にシルキィから貰った魔物界の地図を広げる。

 

「この魔物界には私達が暮らすような都市と同じく、魔界都市と呼ばれる場所がいくつか存在しているそうです。そしてケイブリス派は魔界都市の内の一つ、タンザモンザツリーを本拠地としているそうです、……と、ここですね」

 

 この数日で魔物界の地理を調べ上げたウルザが、広げた地図の最南端にある都市を指差す。

 

「ここにケイブリス派の本隊が置かれており、全て合わせると約300万の魔物兵と8体の魔人から構成されているそうです。この大軍団の撃破がホーネット派、及び私達の目的なのですが……ランスさん、何か作戦の方針はありますか?」

「うむ。雑魚モンスター共をちまちま倒しても埒が明かんからな。パパっと魔人を倒してとっとと戦いを終わらせる。そんな感じでいく」

 

 ランスが挙げた方針、それは前回の第二次魔人戦争でも採った方針。

 魔物兵は人間と比べて戦闘能力が高い、しかし個性が強くて集団としてはまとまりが無い。その為指揮官が指揮している内は問題ないが、しかし指揮官が倒されてしまった場合、残る魔物兵達は意思を統率出来ずに瓦解してしまうという欠点を持つ。

 ランスは前回の戦争の中、指揮官たる魔人を討伐した結果、まだ有利な状況にあっても敗走し始める魔物兵達の姿を何度も見てきた。

 

「それに敵の大軍団とぶつかるのはこっちの魔物兵共の仕事だしな。俺様はそんなめんどい事はしないで美味しい所だけを頂くのだ」

「確かにそれが合理的ですね。現状ランスさんの戦力と言えるのはこの4人しか居ませんし」

「……ねぇランス。改めて考えてみてもこの4人で魔人を倒すって無茶苦茶じゃない?」

「……私もそう思います。ランス様」

 

 何十万もの魔物兵を相手にするのは困難、さりとて魔人を相手にするのも同様に困難な話で。

 この場に居る者達は全員が過去に魔人と戦った経験がある。その時の経験から、魔人とは人間界の精鋭中の精鋭を数十人集め、それでようやく戦える存在だと認識していた。

 よってとても4人で戦う事など出来ない。そのようにかなみやシィルは考えていたのだが、しかしランスはそう思ってはいないようで。

 

「なーに、安心しろお前達。俺様だってなにも正面から奴らをぶっ潰そうとは考えちゃいない。こういう時は策を巡らせるのだ、うむ」

「策、ねぇ……」

「何らかの策を検討するのは私も賛成です。仮に人手が必要になる作戦を実行する場合、ホーネット派の魔物兵にも協力して貰えるよう既にシルキィさんには話を通してあります」

「さっすがウルザちゃん、仕事が早いな。やっぱり呼び出して正解だったぜ」

 

 そんな称賛の言葉に小さく顎を引くウルザ。彼女はもう度々ランスと共に戦ってきているので、この男が正々堂々とまともに戦うとは最初から考えていなかった。

 必ず何かしらの方法で有利な立場を取り、あるいは敵を不利な状況に陥れる。それがランスの優れた点であるとそう理解していた。

 その為ランスがどんな無茶を言ってきても実現出来るよう、この数日間準備をしてきたのである。

 

「ではランスさん。作戦の当面の目標を決めて下さい。どの魔人を相手にするのですか?」

「ううむ、そうだな……」

 

 

 そして本題。まず一番に狙う魔人は誰か。

 ランスは腕を組むとしばし目を瞑って考える。

 

(……ふむ、どの魔人からか)

 

 魔人を倒してしまえば戦争はすぐに終了する。魔物兵がどれだけ残っていようと、彼等には無敵結界を破る術が無いので、ホーネット派魔人を敵に回してでも戦争を続行しようとは決して考えない。

 とはいえ魔人とは魔王不在の今の魔物界では最強の戦力、当然ながら容易く倒せる相手ではないのだが、それでもランスにはケイブリス派魔人達を討伐する確かな自信があった。

 

(俺には前回戦った時の記憶があるからな。ヤツらの弱点など最初からぜーんぶバレバレなのだ。がははははーー!!)

 

 前回の第二次魔人戦争、ランスは世界総統として最後まで戦い抜いた。その際に対峙した魔人達を一通り討伐した経験を持つ。

 そのおかげというべきか、今のランスは敵の魔人について誰も知らないような弱点を幾つも知っている。その知識を活用すれば誰が相手でも楽勝だろうと想定していた。

 

(そうだな……えーと、まずヘルマンに居た魔人からいくか。なら……ケッセルリンクだな。あいつは確か昼に弱くて、後は……そう、可哀想な女の子。可哀想な女の子に弱かったはずだ)

 

 いの一番に脳裏に浮かんだ相手、それは紳士然とした貴族のような魔人四天王の姿。

 前回のランスは数度に渡るケッセルリンクとの交戦から、その魔人が助けを求める女性を無視出来ない性格をしている事を突き止めた。

 そして国中から掻き集めた数千を越える可哀想な女の子の中に間者を忍ばせ、まとめて保護させるという形で内部からの切り崩しに掛かり、結果としてケッセルリンクに勝利した。

 

(だがヘルマンでは可哀想な女の子の調達も楽だったけど、魔物界だとな……かなみでイケるか? よし、ならかなみを送りこんで……て、そーいやケッセルリンクは今どこに居るんだ?)

 

「なぁウルザちゃん、ケッセルリンクの居場所は分かるか?」

「……魔人四天王ケッセルリンク、ですか……」

 

 静かにその名を呟いたウルザは、この数日でまとめ上げた手元の資料をめくる。

 

「……ホーネット派のこれまでの調査によると、基本的には自身の居城で過ごしているそうです。しかしケッセルリンクの城はケイブリス派の影響圏内に有りますから、接触するのは難しそうですね」

 

 ここです、とウルザが地図を指差す。魔物界中部のやや南となるその場所は、北部にあるこの魔王城から遠く離れている事がひと目で分かる。

 

「ここか。……かなみ、行けるか?」

「行けると思う?」

「……思わん」

 

 半ば無理だと分かりつつ聞いてみた所、聞き返されてしまったランスは正直な思いを口にした。

 その城まで辿り着くには敵の魔物兵を避けては通れないだろうし、その時シルキィの使徒などと名乗ったらあっという間に殺されそうである。

 ケッセルリンクの討伐は一旦後回しにして、ランスは別の魔人を討伐する事に決めた。

 

(次は……そう、バボラだな。あれは確かデカいだけのうすのろの馬鹿だった。だからまぁ……放っといていいや)

 

 魔人バボラは大きい。その特徴的な巨体以外は然程怖くない相手なのだが、なにせ大きい。

 前回のランスはバボラをなんとかして気絶させた後、その魔人の巨体を数時間掛けて抉り、肉を掻き分け、そして巨大な心臓をグサグサ刺してようやく討伐した。

 今思い出しただけでも吐き気がする程に気持ちの悪い作業で、とてもではないがもう一度やりたいとは思わない。バボラの討伐は一旦後回しにして、ランスは別の魔人を討伐する事に決めた。

 

(もっと分かりやすい弱点のある魔人がいいな。自由都市は確か……あ、そうだビリビリ野郎! あいつはブス専のロリコンだったから、あのブスガキを人質に取っちまえば……て、そーいやあのガキは魔物界に居るのか?)

 

 魔人レイは人間の少女メアリーと親しかった。その事はランスも覚えているのだが、しかし二人がいつ出会ったかまではさすがに聞いていない。

 実際には第二次魔人戦争が勃発して以降、レイが自由都市へ侵攻した際に出会ったのであり、まだ出会ってもいないこの時期にメアリーを人質に取る作戦は無意味であった。

 

(うーむ、分からん。分からんから保留にしよう。パイアールはあれだ、姉のルートを人質に……と、ルートは確か肉塊になってたんだっけか。最悪あのグロテスクなのを人質に取ればなんとかなりそうだが、ルートはいいおっぱいだったのでまた味わいたい。よって保留)

 

 段々と後回しとなる魔人が増えていき、次にランスの脳裏に浮かんだのは魔人レッドアイ。

 他者に寄生するあの宝石の魔人は、後腐れなく倒せるという意味ではとても手頃な相手である。

 

(あのキチガイ魔人は確か……ポットン? いやパットン? だか言う魔物に取り付いていて……いや、その前はアニスか? ん、今はアニスに取り付く前? ……えーい、分からん。保留)

 

 ならばと次にランスの脳裏に浮かんだのは、ゼス王国に侵攻してきた魔人。

 

(たしかゼスは……ムシ野郎だな。あいつは大食い勝負に勝てば言う事を聞きそうだが、しかしあの量を喰うのは……魔物兵の中に大食いチャンピオンでも居ないもんかな。結局カロの毒も効き目無かったし……うーむ、保りゅ……うむ、毒?)

 

 そこで唐突に思い出した。

 ゼスを食糧難に陥れた大食い魔人ガルティア。ランスはその魔人との大食い対決に敗れ、異界に飛ばされ、その後なんとか異界から帰還して毒殺を思い付き、それも結局効果が無くて。

 

(そーだ、んであいつは確か……だから、あれをこうすれば……)

 

「……なんだ、丁度いい魔人が居るじゃねーか」

 

 ランスは口を弓なりに曲げてニタリと笑う。

 その頭の中ではすでに、とても素晴らしい作戦が一つ組み上がっていた。

 

「ウルザちゃん、とってもいい事を思いついた。……シィル! 手紙の準備だ!」

「は、はい!」

「ランスさん。何方宛ての手紙を書くのですか?」

「くっくっく、JAPANにいる香ちゃんだ。魔人を一匹あの子に片付けて貰おうと思ってな」

 

 

 

 



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お団子作戦

 

 

 

 

「かきかきっと……ランス様、出来ました」

「うむ」

 

 奴隷のペン持つ右手が止まった事にランスは満足そうに頷く。

 そうして書き上がった手紙、それは遠く離れた地JAPANに居る香姫を呼び出す為のもの。

 

「ウルザちゃん。この手紙が香ちゃんの所まで届くにはどれくらいかかるかな」

「そうですね……ここから番裏の砦まで一日掛けて歩いた後、それからポストに投函してJAPANに届くまで……大体一週間という所ですかね」

「……つー事は往復だから、香ちゃんが来るには2週間以上掛かるって事か。……長いな」

 

 魔物界は大陸の西側一帯であり、対してJAPANがあるのは東の果て。双方の距離はこの大陸上で最も離れていると言える。

 ただ待っているだけなど退屈なランスは嫌そうに顔を顰めるが、香姫の協力がない限り先程思い付いた作戦は実行出来ない。こればかりはどうしようも無い事である。

 

「けれど香姫様ってお忙しいんじゃないの? こんな所まで来てくれるとは思えないけど」

「大丈夫だろ、ウルザちゃんだって来たんだし」

「私はガンジー王が許可してくれましたから……けれど香姫様はJAPANの国主ですし、確かにここに呼ぶのは考え直した方がいいかもしれませんね」

 

 香姫は織田家の当主であり、統一されたJAPANの現国主に当たる存在。

 立場としては一国の王に等しく、手紙一つで簡単に呼び出すのは難しい相手である。

 

「つってもJAPANは俺が統一してやったんだぞ。それにJAPANの国主が忙しいなら世界総統の俺様はもっと忙しいはずだ。だから問題無い」

「……ランス様。それ、あんまり意味が繋がっていないような……」

「忙しいというのもそうなのですが、一般的に魔物界はとても危険な場所です。そんな場所に香姫様が向かう事を周囲の者が許すかと考えると……」

「……ぬ」

 

 ウルザからそう言われて考えてみると、確かに香姫の周りには頭が3つある妖怪や幼女趣味の武将など、過保護な者がとても多かった。

 これはちょっと難しいかもしれんな、とランスも内心では思い始めていたのだが、しかしここにきて考えを変えるのも癪なので気にしない事にした。

 

「せっかく書いたんだしとりあえず送ってみる。まぁなんとかなるだろ」

 

 

 

 

 

 そんな訳で、香姫に手紙を送る運びとなった。

 ランスは早速かなみに使いぱしりをさせようと、口を開こうとした寸前で考え直す。

 

(そういやぁこの前はシルキィちゃんに配達を頼んだんだっけ。なら今回もそうするか。かなみを行かせちまうとその間セックスが出来ないしな)

 

 最近のランスにはちょっとした悩みがある。それはランス城に居た頃と違ってこの魔王城では夜のお相手の選択肢が乏しい。そんな彼にとってはとても切実な悩み事。

 早くホーネット派の女魔人達を自分のものにしたい。その思いはランスの中で強く、まずは魔人シルキィ、その為に必要なのが香姫の協力となる。

 

 

「……と、いう訳なのだ。て事でシルキィちゃん、この前みたいにこれを頼む」

 

 その部屋に入るなり開口一番、ランスは事情を説明して手紙の配達を依頼する。

 しかしその話を聞いたシルキィは困ったように眉根を寄せた。

 

「……ちょっとタイミングが悪かったわね。彼、ほんのついさっき出発しちゃったのよ」

「なに? では無理という事か?」

「……うーん。数日後には魔王城に戻ってくるとは思うけど……。どうしようかしら、私もそろそろ前線に向かわないといけないし……」

 

 以前にも手紙の配達を請け負ってくれた相手、魔人メガラスはその役割上ホーネット派の拠点を飛び回っているので、城で待っていればその内に接触出来るはずではある。

 しかし自分はもうすぐ城を離れる予定。自分抜きであの無口な魔人と意思疎通が出来るだろうか、何か書き置きを残した方がいいだろうか。

 そんな事を考えていたシルキィの耳に、ランスの驚き声が飛び込んできた。

 

「なんだと!? シルキィちゃん、君は戦いに行くのか?」

「えぇ、そりゃまぁ。そろそろケイブリス派の魔物兵達も集結する頃合いだし、ホーネット様お一人に前線を任せる訳にはいかないからね」

 

 もう何度目か分からない両派閥の戦い、その開戦の機運が少し前より高まっている。

 そこでホーネット派の主は一足先に前線に向かい、すでに小競り合いも始まっている状態で。

 

 今ホーネットが相手にしているのは、勝手に先行して暴れ回っている魔人レッドアイのみ。

 故に彼女だけで抑えられているのだが、しかしこの後二体三体と敵魔人の数が増えれば、魔人筆頭としての力を持つホーネットといえども無理が生じてくる。

 ホーネットが敗れる事は派閥そのものの敗北と同義なので、シルキィとしては当然そうなる前に戦線に加わるつもりだった。

 

「……ちなみにシルキィちゃん。それっていつぐらいまで掛かる予定?」

「いつぐらいって言われてもね、相手次第な所もあるし……長く掛かったとしたら数ヶ月とか?」

「なッ!?」

 

(な、な、数ヶ月だと!? 冗談じゃないぞ、もうシルキィちゃんを抱く一歩手前まで来てるんだ。ここに来てお預けなんかされてたまるか!!)

 

 シルキィとは以前交わした約束があるので、その約束さえ達成出来ればセックス可能となる。

 そしてその約束を達成する為の作戦はすでに完成している。残るはいちばん重要な「アレ」を受け取る事、その為の時間だけが問題だった。

 

「シルキィちゃん、せめて後一週間だけ出発を待ってくれ」

「……それくらいならぎりぎり待てない事もないけど、待って何かがあるの?」

「そりゃ勿論、君が俺様のものになるのだ」

「あ、あのねぇ。……毎回毎回、貴方ってそれしか頭にないの?」

 

 それはもう聞き飽きたような話。この城内で顔を合わせる度、毎度のように口説かれていたシルキィはいい加減に呆れてしまったのだが、しかし今日のランスは少し違った。

 

「甘いぞシルキィちゃん。すでに魔人を一体片付ける手はずは整ったのだ!!」

「え!? ……て、冗談でしょう?」

 

 魔人を一体倒せという条件、それはそうしてくれたらいいなという願望のようなもので。

 魔人の自分達でも苦労している事なのに、それを人間のランスが容易く出来るはずが無い。

 そう思うシルキィなのだが、しかし見ているとそんな考えが揺らぎそうになる程、その男の表情は自信に溢れていた。

 

「いいな、後一週間は待ってろよ!! ……ついでに俺様の女になる準備をしておけよ!!」

 

 ランスはシルキィの部屋を飛び出した。

 

 

 

 

 

 そして大急ぎで自室まで戻ってきた。

 

「ウルザちゃん、作戦変更!! 手紙じゃ遅すぎて駄目!!」

「遅いとは? 何かあったのですか?」

「うむ、ちょっと予定が変わってな、数日以内に何とかせにゃならん」

「数日って……ランス、さすがにそれは無理よ。ここからJAPANまではどうやったって……」

 

 片道一週間近く掛かる距離を往復数日で済ませるなど、かなみでなくても不可能だと分かる。

 しかしそんな無茶でもやらせるのがランスという男であって。

 

「そこをどうにかするのがお前らの仕事じゃ!! おいシィル、お前って瞬間移動の魔法とか使えないのか?」

「そんな高度な魔法、とても私には……」

「がー! 使えない奴隷めーー!!」

 

 ランスは苛立ちを奴隷のもこもこ頭にぶつける。

 そうして暫くもみくちゃにしていると、ふいにウルザが呟いた。

 

「魔法……」

「ん?」

「……そういえば、あれを持ってきていました。もしかしたら何とかなるかもしれません」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そしてその後。

 ランス達一行は魔王城を出発、北に向かって数時間進んだ場所に到着していた。

 

「ねぇランス。……あれよね?」

「……あぁ、あれだろうなぁ」

「……すごい光景ですね、ランス様」

「シルキィさんの言う通り、見ればすぐに分かりますね」

 

 四人は思い思いの言葉を口にする。そんな彼らの眼前では轟音と共に幾条もの落雷が止めどなく発生していた。

 聞けばこの場所一帯は魔物界でも少し変わった場所で、日夜ずっと止むこと無く雷の雨が降りそそいでいるらしい。

 

 ここは魔王城から北に進んだ場所にある魔物界の名所、『光原』と呼ばれる一帯。

 先程再びシルキィに「魔物界で魔力の高まっている土地は無いか」と尋ねたら「だったら光原はどう?」と言われてやって来たのである。

 

「なんだかあんまし長居したくない場所だな。……ウルザちゃん、とっとと頼む」

「了解です。……前回よりも距離が開いていますからね、ちゃんと繋がればいいのですが……」

 

 ウルザは背中に背負っていた機械を下ろし、あれこれ操作を開始する。

 

 ランス達がこの光原までやって来た理由。それはウルザが持参したアイテム、遠距離用魔法電話の使用を試みる為である。

 魔法電話とは遠くにいる相手との会話を可能にする道具だが、原則として国を越えるような長距離間の使用は出来ない。だがウルザが所持するそれは魔法大国ゼスの叡智によって、遠距離でも使用できるように作られた試作機である。

 

 以前ウルザがJAPANに赴いた時、それを使って遠く離れたゼスとの通信に成功した。これはその時のものをさらに改良したものとなる。

 ただこの魔法電話を使用するには魔力の高い土地である必要がある。そんな理由でこの光原までやって来たという訳だった。

 

 そして準備が整ったのか、ウルザが通話のスイッチをオンにした。

 

『ザザザッ…… ピー…………』

 

「……何も聞こえんぞ」

「ノイズが聞こえるという事は繋がってはいるはずです。……もしもし、ゼス王国所属、ウルザ・プラナアイスです。香姫様、3G殿、聞こえますか?」

 

 受話器に向けて呼び掛けを何度も行い、それからしばらく経って。

 

『……し、もしもーし。ううむ、よく聞こえんのう……』

「む、その声は妖怪ジジイか?」

『ぬお、そ、その声はランス殿? い、一体何事……』

「おいジジイ、つべこべ言わずそこに香ちゃんを呼んでこい、大至急だ!!」

 

 ランスの有無を言わさぬ口調に押され、3Gは部下に香姫を呼ぶよう命じる。

 そして数分の後、連絡を受けて来た織田香が電話の前の畳に座り、そして受話器を手に取った。

 

『……もしもし、ランス兄様?』

「おお、香ちゃん! 久しぶりだな!」

『……兄様っ! お久しぶりです!』

 

 受話器越しとは言え、兄と慕うランスとの久しぶりの会話に香の声色が弾む。

 

『けど一体どうされたのですか? ランス兄様?』

「香ちゃん、緊急の用事だ。今すぐ番裏の砦に来てくれ。具体的には3日か4日以内」

『え、えぇ!? そんなにすぐにですか? それは……さすがに……』

 

 驚くあまりに上擦った声を上げてしまった香は、隣に居る3Gの顔色をちらりと伺う。するとその妖怪は3つの首全てを横に振っていた。

 そして香自身も内心難しい事だと理解していた。彼女は国主として日々忙しく過ごしており、ランスの役に立ちたい気持ちはあれど、しかし立場上出来ない事も多くある。

 

『兄様。せめて……せめて一ヶ月ぐらい待ってくれませんか?』

「それじゃあ全然間に合わん。俺様は今すぐにでも君の団子が、あの団子が欲しいのだ」

『……えっ?』

 

 電話の向こうから聞こえたその言葉に、思わず香はドキっと高鳴る胸を押さえる。

 

『ランス兄様、けれど私のお団子は……』

「分かってる。だが、君の団子で無くては駄目なのだ。どうしても今すぐに君の団子が欲しい」

『兄様……! 私のお団子を、兄様がそんなにも欲しがってくれるなんて……!』

 

 織田香。彼女は織田家の姫であるが、掃除や料理など家事一般も人並み以上にはこなせる。

 しかし、何故かは分からないのだがが団子だけは作れない。いや、作ると団子とは別の何かになってしまうと言った方が正しいかもしれない。

 自分の団子だけは絶対人に差し出してはいけない、そう亡き兄からも言われていた。それを敬愛するもう一人の兄がこんなにも熱望してくれるとは。

 香は興奮を隠せない様子で、耳に当てていた受話器を強く握り締める。

 

『分かりました、兄様! そちらに行くのは難しいですが、お団子だけでも届けさせます!』

「いや、でもそれ……途中で腐らないか?」

『大丈夫です、腐りません! 私のお団子は腐った事ありませんから!!』

「……そ、そうか」

 

 それはそれで妙な話なのではとも思ったが、しかしランスは聞き流す事にした。

 

「じゃあまぁ仕方無い、超特急で番裏の砦まで届けてくれ。いいな、超特急だぞ」

『超特急で番裏の砦、ですねっ!! 任せて下さい、ランス兄様!!』

 

 

 その後。ランスの言葉に意気盛んとなった香は、丹精込めて会心の出来となる団子を作り上げた。

 それはすぐさまてばさき隊によってポルトガルまで運ばれ、そしてポルトガルで最高級早うし車に載せ替えられ、番裏の砦まで運ばれる事となる。

 

 その到着を待っている間、ウルザは番裏の砦から魔王城までの道程で使ううし車を用意し、魔物達がそれを襲わないようシルキィに通達してもらった。

 今後もこのルートは自分達が利用する事が考えられるので、連絡と移動の為にうし車くらい使えるようにしておいた方が良いと判断したからである。

 

 その結果、なんとかシルキィの出立前に、香姫特製団子がランスの手元に届けられた。

 

 

 

 

 

 



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VS 魔人ガルティア

 

 

 

 

 

 

 

 魔物界は魔物の領域。彼等は洞窟の中を棲家としたり、あるいは人間のように屋根のある場所で暮らしたりと、それぞれの生態に応じて魔物界の各所に棲息していて。

 そんな中、ありとあらゆる種族の魔物達が暮らしている場所がある。

 

 それが魔界都市。魔物界における大拠点。

 そしてその内の一つ、ビューティツリー。そしてもう一方がサイサイツリー。

 魔物界の中部に並んで存在するその2つの魔界都市が、現在のケイブリス派とホーネット派の最前線となっている。

 

 両都市間を挟んで両派閥は対立しており、現在は続々と魔物兵達が集められている状況、いずれ戦端の幕が切って落とされる事は誰にとっても明白な状況で。

 そんな中、ビューティーツリーとサイサイツリーを結ぶ道、そこから少しばかり外れた地点にある開けた荒野、そこで二体の魔人が衝突していた。

 

 

 

 

 

 

「けけけけけけけけけけ!!!! 」

 

 意思持つ宝石である狂気の魔人レッドアイ。

 奇怪な笑い声を上げるその魔人が有する才能、世界中でも類を見ない程の魔法の才能が迸る。寄生している闘神の指先全てからファイヤーレーザーが乱射される。

 

「………………」

 

 歪な曲線を描く10本の熱線が狙う先、それは派閥の主である魔人ホーネット。

 彼女はふぅ、と息を吸って精神を集中する。するとその周囲に展開してある6つの魔法球の内、青色の魔法球が輝き始めて。

 そこから放たれた青色破壊光線が迫りくる赤い光線と空中で衝突し、眩い光と衝撃波がその周囲を駆け抜けた。

 

「おーうノォー、ホーネットォ~。イイ加減しつこいネ~」

「……それは私の台詞です。レッドアイ」

 

 苛立ちを混ぜたような声で呟くレッドアイ。

 一方のホーネットも同じ気持ちなのか、突き刺すような視線を相手に向ける。

 

 数日前からホーネットは、前線に出現した魔人レッドアイと対峙していた。

 この両魔人は今回に限らず過去に何度か交戦してきており、そして未だ決着は付かず。レッドアイの方が魔法の才能は上なのだが、魔人としてのレベルではホーネットの方が上となる事が影響してか、お互いの力は互角と呼べる程に拮抗していた。

 

(そう、互角……以前までは)

 

 この両魔人は数年前、魔物界南西部のとある場所で数日を跨ぐ程の大激戦を繰り広げた。

 その時には互いの力は確かに互角で、長らく戦ったが決着は付かず戦いは持ち越しとなった。

 

 しかし今はそれから数年が経過している。

 すでにその時魔人としての才能限界にあり、それ以上成長する事の出来ないレッドアイとは違い、ホーネットは未だ才能限界には到達しておらず、そしてその上限も魔人随一の高さを誇る。

 それ以降も休む暇なく鍛錬を重ね、前線で戦い続けてきた自分の力はあの時よりも間違い無く強化されている。ホーネットにはその確信があった。

 

(もしも今、渾身の六色破壊光線を撃てば、あるいは……しかし)

 

 未だに残る苦い記憶を思い返し、ホーネットはその仮定をすぐに選択肢から投げ捨てる。

 

 数年前の大激戦が行われた地、その場所は戦いの影響で死の灰が降るようになり、その周辺一帯は魔物はおろか魔人も棲めない地となってしまった。

 彼女にとってこの魔物界の地は魔王の所有物であり、魔人の自分が汚していいものではない。

 

 もし再び、あのような事態を引き起こしてしまったら。

 その事がホーネットの枷となっていた。

 

「メイクドラ~マ~!!」

 

 すると再びの攻撃、闘神の指から色とりどりのレーザーが放たれる。

 

「……ッ!」

 

 ホーネットは地を蹴って飛翔し、そして魔法球には再度輝きが宿り始める。

 

 その後魔人レッドアイが飽きて撤退するまで、両魔人の戦闘は続いた。

 

 

 

 

 

 

 そしてその戦闘終了後。

 魔人ホーネットは自派閥の前線拠点、魔界都市サイサイツリーまで帰還していた。

 その帰り道の途中、ふと何かの気配を感じて空を見上げる。

 

「あれは……」

 

 すると魔物界の赤黒い色の空に何かがあった。

 少し目を凝らして眺めると、それは自派閥に属する飛行魔物兵達の集団だとすぐに分かった。

 

 彼等は何か箱のような物をぶら下げており、こうして眺めている間にもサイサイツリーの巨大な世界樹を越え、そして敵の前線拠点であるビューティツリーの方へと向かって飛んでいく。

 何より一番不可解に感じたのは、空を飛ぶ魔物兵達から吊り下げられている大きな垂れ幕。そしてそこに書かれていた文字列。

 

『献上品 魔人ガルティア様へ 早めにお召し上がり下さい』

 

 その垂れ幕にはそう書かれていた。

 

「献上……ガルティアに? ……あの人間達の仕業ですね、一体何を……」

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 魔人ガルティアへの献上品。それはホーネットが予測した通りにランス達が計画した作戦。

 尾張から届いた香姫の団子を魔人ガルティアに食わせる方法は無いか。そうランスから尋ねられたウルザが考えた手段である。

 

 敵派閥に属しているその魔人の居場所について、ランス達には知る方法が無い。

 しかし、ならば献上という形を取る事で、向こうの魔物兵達に魔人ガルティアの下まで届けてもらえばいい。魔人への献上品ならば途中で手を付ける事も無いだろうと考えての事だった。

 

 

「とりあえず団子の方は終わったな」

「そうですね。事前に話を通していたおかげで魔物兵達の協力がスムーズで助かりました」

 

 魔王城の廊下を歩くランスとウルザ。

 彼等は先程計画の下拵えを済ませ、そして今はとある魔人の部屋に向かっていた。

 

「ウルザちゃん。あの団子、ちゃんとムシ野郎の所に届いたと思うか?」

「えぇ、おそらくは。私はどちらかと言うと効果の方に半信半疑です。あの毒は確かに強烈ですが、果たして魔人に効くのでしょうか?」

「まぁ、効くというかなんと言うか……。だがこれで準備はオーケーだ。後は仕上げだな」

 

 仕上げには魔人の協力が必要となる。

 ランス達は魔人シルキィの部屋の前でその足を止めた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「ねぇサテラ、本当に来ると思う?」

「こない。どーせランスのでまかせだ。そうに決まってる」

 

 隣にいるシルキィからの問い掛けに、サテラはわかりきった事を言うかのように答える。

 彼女達は今、城から程近い場所にある森の中に身を潜めていた。その理由はつい先程、部屋を訪ねてきたランスにある事を頼まれたからである。

 

 その男によると、近々この魔王城に魔人ガルティアの襲撃があると言うのだ。

 最初それを聞いた二人はありえない話だと思い、その気持ちは今でも変わっていなかった。

 

「いくら何でも単独での襲撃なんて自殺行為だ。ガルティアはそこまで馬鹿な魔人じゃない」

 

 魔人ガルティア。数代前の魔王スラルの代から存在しているムシ使いの魔人。

 長い年月を生きている魔人だけあり、決して戦闘能力は低く無いのだが、しかしホーネット派に属する魔人を何体も相手取って戦える程では無い。

 

 そんな事をすれば程なく魔血魂の身に戻るだろう事は容易に想像が付くし、かような勝ち目の薄すぎる博打に出るような理由も無い。

 そのように考えたサテラの言葉は至極妥当であり、勿論シルキィも同感であった。

 

「えぇ、それは私もそう思うわ。カルティアに限らず単独で魔王城に侵攻してきた魔人なんて今まで一人も居ないしね。……けれどあの人、妙に自信満々なのが気になっちゃって……」

「シルキィ、ランスは大体いつもそんな感じだ」

「……うん。まぁ、それは何となく分かってはきたんだけどね」

 

 困ったように頬を掻くシルキィ。

 彼女が引っ掛かっているのはあの時目にしたランスの顔、自信に満ち溢れていたその表情。

 

 ランスからガルティア襲撃の話を聞いた時、先程挙げた理由からシルキィは「さすがにそれは有り得ないと思うわ」と口にした。

 理由まで添えてきちんと説明したのだが、しかしそれでもその男は強気な表情を揺らがせず、絶対に襲撃はあるからと、シルキィにある事を頼んだ。

 

 魔人ガルティアの襲撃に備え、予め周囲の何処かに潜んでおく。

 そしてその魔人が来たらすぐさま囲い、決して逃亡出来ないようにする。

 

 それがランスに頼まれた事。有り得ないと思う気持ちは強くあれど、どうしても気になってしまったシルキィは言われた通りにこの森に潜み、更には念の為とサテラまで誘う始末だった。

 

「……はぁ、全くあの人は。そもそも私は前線に出ないといけないって言ってるのに。まだホーネット様からの呼び出しは無いけど、いつ連絡が来たっておかしく無いのに……」

「シルキィは心配しすぎだ。ホーネット様がそこらの魔人に負けるもんか」

「それは……そうかも知れないけど」

 

 とその時、風を切り裂く高音と共に、空を高速で飛び回っていた魔人が二人のそばに降り立つ。

 シルキィからガルティア襲撃の話を聞き、律儀にも周囲の偵察をしていた魔人メガラスだった。

 

「あ、おかえりメガラス。貴方にまでこんな事頼んじゃって悪かったわね」

「………………」

「メガラス、どうしたの?」

 

 いつも通りの沈黙、しかしいつもとは少し違うその雰囲気に、シルキィは小首を傾げる。

 滅多に自分の感情を外に出さないメガラスにしては珍しく、少し焦っているように見えた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そしてランスの予測通り、魔人ガルティアは魔王城までやって来た。

 

 拠点としていた魔界都市ビューティツリーを出発し、魔王城まで道なき道を一直線。

 魔人最速を誇るメガラスも驚きの速度で、深い森の中を猛然と駆け抜けてきた。

 

 そうして目的の魔王城へと到着した途端、すぐさまホーネット派魔人三体に周囲を囲まれた。

 その内の一体は魔人四天王であり、ガルティアといえども絶体絶命の状況。しかしその魔人は一向に平然としたままで、むしろこの状況にサテラやシルキィの方が戸惑ってしまっていた。

 

 

「……ガルティア。まさか本当に来るとは……」

 

 魔法具の装甲を全て展開した、完全武装の状態でシルキィが話し掛ける。一瞬の油断もないよう構えていたのだが、しかしどうにも相手に戦意が無いようにも見えて。

 さもそれが真実だと示すかのように、魔人ガルティアは片手を上げて気さくに口を開いた。

 

「ようシルキィ、それにサテラとメガラスも。久しぶりだな」

 

 その顔には僅かに笑みすら浮かんでいて。

 そして勿論武器も構えていない。愛用の蛮刀『ハワイアンソード』も腰に掛かったまま、敵派閥の魔人三体に囲まれているこの状況も何処吹く風といった様子であった。

 

「……ガルティア。お前に自殺願望があったとは知らなかったぞ」

「いやぁ、そういう訳じゃねぇんだがな。……それよりサテラ、いやシルキィでもメガラスでも誰でもいいから教えて欲しいんだけどさ」

 

 周囲を囲む魔人達を見渡しながら、その魔人は此度の魔王城襲撃の目的を告げた。

「世界総統ランス、ってのはどいつだ? 献上品の中に名前があったぜ」

「それは、俺様だーーー!!!」

 

 その言葉を待っていたかのように、ランスが潜んでいた物陰から姿を現した。

 

「がーっはっはっは!! この俺様の読み通り、まんまと釣られてやって来たようだな!!」

 

 会心の心地で高笑いを上げるランス。

 その脳裏にはこの作戦への絶対の自信、前回の戦いで身を以て経験したが故の理由があった。

 

(なにせこいつはあの団子に対しては殺し合いの最中にも気を取られる位だからな。一度食ったら間違い無くすっ飛んでくると思ったぜ)

 

 前回の戦いで知った魔人ガルティアの弱点。それは香姫特製のお団子。

 魔性の団子に魅了され、ガルティアは戦いの中で全力を出す事が出来なくなった。そこを突いて前回のランスはこの魔人を撃破した。

 今回はその弱点を利用して、この大食い魔人を食い物で釣り出す作戦を立てたのだった。

 

「……そうか、あんたが……あんたがランスか! 会いたかったぜ!!」

 

 ランスの姿を視認するや否や高まる感情を抑えられなくなったのか、ガルティアはもう我を忘れた様子でそばに駆け寄ってくる。

 

「くっくっく。その様子だとあの団子を美味しく頂いたみたいだな」

「あぁ食った!! 全部食ったよ!! 衝撃的な味だった!!!」

 

 部下から献上品の話を聞いたガルティアは、ランスの狙い通りにぺろりと平らげてしまった。

 自分の為に作られた料理は如何なる物であっても食べる。それが彼の信念であり、敵から届いたあやしい代物であっても曲げる事は出来ないのだ。

 

「……ガルティア、お前なんかテンションがおかしくないか?」

「……うん。ガルティアって、前からこんな感じだったっけ?」

 

 落ち着いた雰囲気のある普段の様子からはあまりに違う今の姿に、サテラとシルキィは思わずそんな声を掛けてしまったのだが、それすらも無視してガルティアはランスに詰め寄る。

 あの団子を食べてしまった以上、どんな無茶をしてでも聞かなければならない事があった。

 

「ランス! あの団子を作ったのはあんたか!?」

「いんや、俺様ではない。……が、あれを作った人物を知ってはいるぞ」

「誰が作ったんだ、教えてくれ!! 頼む!!」

 

 もはやここが敵の本拠地である事も、三体の魔人に囲まれている事も見えていないのか、ガルティアはなりふり構わずと言った様相で頭を下げる。

 全て自分の思い通りに進んでいる現状に、ランスは内心の笑みが浮かぶ勝ち誇った表情のまま、すぐにその首を左右に振る。

 

「そう簡単に教える訳にはいかんなぁ~。なにせあの団子はとっても貴重、世界で一人しか作れない代物だからな」

「なに、そうなのか!? けど確かにあれ程の団子だ、そう言われても納得出来る!!」

「……うむ、そうだろうそうだろう」

 

(……むしろあんな恐ろしいもん、誰にでも作れたら困るがな)

 

 当の本人が聞いたら泣き出しそうな事を考えてしまったランスだが、それはともかく。

 ガルティアがこの魔王城に来るまでは想定通り。もしその時に襲い掛かって来た場合、潜ませておいた魔人達でボコボコにしてやろうと考えていたのだが、しかし相手に戦うつもりが無いならもっと有効な活用方法を用意していた。

 

「今後もあの団子が食えるかどうか、それは全て俺様のご機嫌次第だという事だ、ムシ野郎。よって今後もあれを食いたいなら今すぐケイブリス派を裏切ってホーネット派につけ、分かったか?」

「よし、分かった!!」

 

 いっそ気持ち良い程の即答だった。

 

(ふふん、完全に読み通りだ。いやぁ全く、自分の天才っぷりが恐ろしくなっちまうぜ)

 

 脳内で自画自賛の言葉を並べるランス。

 彼は前回での経験から、ケイブリス派は決して一枚岩では無く、事によっては人間に味方するような魔人だって存在している事を知っていた。

 言うまでも無く魔人とは強大な戦力、倒すよりも味方に出来るならそれに越した事は無い。だからこその勧誘であったのだが、悩む素振りさえ見せないガルティアの姿に、驚愕したのは今まで敵として戦ってきた彼女達。

 

「ちょ、ちょっと、嘘でしょガルティア!? そんな簡単に派閥を……!」

「な、が、ガルティア、お前、前にサテラが勧誘した時は全然……!」

「あぁ、あん時はもうケイブリスから誘われていたからな。……けども、んな事あの団子の前ではもうどうでもいい」

 

 大食い魔人ガルティア。彼が派閥戦争においてケイブリス派に属していた理由、それは『先に声を掛けられたから』ただそれだけ。

 それだけの理由だが、しかし一度派閥に属した以上は不義理を働くつもりは無い。現にここまではケイブリスの命令に一度も歯向かう事無く戦ってきた。

 

 しかし。

 

(悪ぃなケイブリス。だがあの団子は……あの団子は宇宙なんだ。あんなもんを食べされられちゃ、俺にはどうする事も出来ねぇよ)

 

 一口食べるだけで全身が痺れ、すぐに呼吸が苦しくなる。そしてその先には無限の広がりがあって、更にはどこか懐かしい味がする。

 そんな香姫の団子を前にしては、さしもの魔人ガルティアと言えども逆らう事は出来なかった。

 

「ランス。ホーネット派に味方すればまたあの団子をくれるんだよな?」

「そうだな。お前の働き次第だ」

「任せろ、あの団子を食う為だったらなんでもするぜ。……つーわけで俺、今日からホーネット派に付く事になった。よろしく頼むよ」

 

 ガルティアは再び軽く片手を上げて、堂々と寝返る事を宣言した。

 

「……ガルティア、お前……いや、もういい。一つだけ聞くけど、本気なんだな?」

「勿論本気さ。これからはホーネットの命令に従ってやるよ」

「……なんて言うか、展開についていけないわ。……そうだメガラス、悪いけどホーネット様に事の顛末を伝えてきて貰える?」

「………………」

 

 メガラスは頷き、すぐに空へと飛び立つ。

 

 こうして魔人ガルティアがケイブリス派から離脱し、そしてホーネット派に加わった。

 

 

 

 

 



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シルキィとの約束②

 

 

 

 

 

 

 魔王城に一人の魔人が帰還した。ホーネット派の主、魔人ホーネットである。

 

 彼女は自派閥の前線拠点、魔界都市サイサイツリーで休憩していた所、緊急の用事で文字通りすっ飛んできた魔人メガラスからその話を聞いた。

 これまでケイブリス派に属していた魔人ガルティア、それが派閥を離脱してホーネットに参加を希望している。メガラスからそんな話を聞いたホーネットは、ガルティアから事情を聞く為に本拠地たる魔王城に一旦戻る事にした。

 

(前線をメガラスだけに任せるのは不安が無い事もないのですが……しかし今のケイブリス派の様子を見る限り、散発的な戦闘はあっても大規模な作戦行動は取れないはず)

 

 ガルティアの事はホーネットも驚いたが、ケイブリス派の者達にとっても寝耳に水な話。

 前線指揮官としてビューティーツリーにいたガルティア、彼はホーネット派から届いた献上品を食べるや否や、突然に用事が出来たと言って拠点を飛び出していってしまった。

 急な指揮官の離脱を受けて、現在ビューティツリーにいるケイブリス派魔物兵達の足並みは乱れてしまっている。

 

(ガルティアから事情を聞く位の時間的余裕はあるでしょう。……さて)

 

 廊下を歩いていたホーネットの足が一旦止まり、そして目的の場所のドアを開く。

 彼女がやって来たのは城の食堂。そこは城内で暮らす魔物達が使用する大食堂であり、その一角のテーブルの上にとても一人分とは思えない大量の皿が並んでいた。

 その席で今まさに食事を取っている相手、それが渦中の魔人たるガルティアである。

 

「もぐもぐ……悪くはないけど、料理の味は向こうの拠点で出てくるのとそう変わらねぇな」

「ガルティア、お前はそんなに沢山食べておいて、味に文句をつける気か」

「いいや、文句があるわけじゃねぇさ。……まぐまぐ」

「まったく……。あ、ホーネット様っ!」

 

 我が物顔で飯を食らう、まだ立場の定まりきらない大食い魔人。

 その見張りをしていたサテラが、城に戻ってきた派閥の主の存在に気付いた。

 

「サテラ、変わりないようですね。……そして、ガルティア」

「よう、ホーネット。事情あってこっちに付く事になった。よろしく頼むな」

「………………」

 

 気さくに挨拶をするガルティアの一方、ホーネットは警戒心を宿した目を向ける。

 こっちに付く事になったとは言うが、しかしガルティアの真意が分からぬ現状、そう簡単に信じられる話ではない。

 本当はケイブリス派を離脱するつもりなど無く、こちらの内部に入り込んで寝首を掻く間諜を命じられている。そんな可能性だって無いとは言えない。

「……そんな睨むなよ。まぁ信用出来ないのは分かるけど、これでも本気だからさ」

「……そうですか。ではガルティア、少し聞きたい事があります」

「おう、なんでも聞いてくれ」

 

 ホーネットが同じテーブルの席に付くと、ガルティアも食事の手をストップする。

 魔性の味覚の虜になってしまった彼としては、今後もあれを食べる為に何が何でもホーネット派に入らなければならない。その為には当然派閥の主たるホーネットに認めてもらう必要があった。

 

「貴方が先程言っていた事情とはなんですか? ケイブリスを裏切ってまで、こちらに味方する理由はどのようなものなのですか?」

「あぁ、その理由は団子だ」

「……団子?」

「そう! あの団子はスゴいんだ、あの天にも昇りそうな衝撃的な味がもう本当にさ……!」

 

 未知なる言葉を耳にした気分で、眉根を寄せるホーネットに対し、ガルティアはあの団子がいかに素晴らしい団子なのか、それはもうあらん限りの言葉を尽くして語った。

 しかし残念ながら理解はされなかったのか、それを無視してホーネットは自分より事情を知るはずの配下の魔人に目を向ける。

 

「サテラ、貴女は本当の理由を知っていますか?」

「……ホーネット様。どうやらさっきの理由が本当に本当みたいなんです、こいつ」

 

 問われたサテラも、困惑した顔でそう返す事しか出来なかった。

 彼女は事の仕掛け人に詳しく説明しろと迫ったのだが、その男は「団子がある限りあいつは裏切らんから心配するな」としか教えてくれなかった。

 

「……ではガルティア。貴方は本当にそのような理由で寝返る事を決めたのですか?」

「まぁな。そのような理由つっても、俺にとっては何より大事な事なんだよ」

「………………」

 

 曇りの無いガルティアの表情を見て、沈黙したホーネットは少し視線を下げる。

 

 この魔人は特に食に偏重を置いている、その事は勿論知っている。

 先程語っていた団子の魅力についてはともかく、それ程までに盲愛する食べ物を見つけたのだとしたら、この魔人であればもしやと思わないでも無い。

 しかし食べ物一つで派閥を変えてしまえる、それがホーネットにはどうしても受け入れられない。そしてそれがケイブリス派離脱の理由だとすると、気になる事がもう一つある。

 

「……では貴方は、ガイ様の遺命に従う気になった訳では無いと?」

「まぁ、そうだな」

「……ガルティア」

 

 その名を呼ぶ声には刺すような冷たさと共に、静かな怒気が宿っていた。

 ホーネット派とは、前魔王ガイの遺命に従う事を目的とする派閥。その派閥に入りたいと言うのに、前魔王に従うつもりは無いという態度。

 それは斟酌出来るものでは無いのか、ホーネットの視線が鋭さを強める。

 

「貴方は魔王の命令に逆らうというのですか?」

「俺は魔人だぜ? 魔王に逆らうつもりなんてないさ。……ただな、今の魔王はリトルプリンセスであって、ガイはもう魔王じゃないだろ」

「……それは」

 

 それは当然、ホーネットも理解している事。

 今の魔王はリトルプリンセスであって、父親である前魔王ガイの治世はとうに終わっている。

 特にホーネットはホーネット派の主であると共に魔人筆頭という立場でもある。故にリトルプリンセスを魔王として軽んじた事など一度も無い。

 それどころか、未だ魔王として覚醒していない美樹のどんな命令にだって従うつもりでいる。

 

(……だって、それが父上の命令。だから……)

 

「………………」

「リトルプリンセスの命令なら従うが、ガイの遺言に従う気分にはならねぇな。あんただってジルやナイチサが過去に何を言っていようが、今更従う気分になんてならないだろう? それと同じさ」

 

 ホーネットやガルティアに限らず、魔人にとって魔王とは絶対の存在。

 だが絶対の存在である魔王にも1000年という任期が定められている。一方で魔人には任期が無く、特にガルティアは3000年近くに及ぶ長い時を生きてきた為、魔王が代替わりする意味を理解していた。

 

 今代の魔王こそが今の世界の在り方を決めるのであり、代替わりしてしまえば過去の魔王の言葉など何ら意味を持たなくなる。

 人間を家畜のように支配した魔王ジル。しかしその次代の魔王ガイにより、人間と魔物の住む世界が分けられた事からもそれは明らかな事で。

 

「ガイの遺言とはいえ、リトルプリンセスは結局魔王になる事を拒んで逃げただろ? なら、それが今の魔王様が選んだ事だろう」

 

 魔王として覚醒する事を拒み、リトルプリンセスは逃げ出した。

 そんな魔王にはとても従えないとする集団、それがケイブリス派と言われているが、つい先日まで属していたガルティアにはそのつもりは無い。

 ただ従わせるつもりが無い魔王に従っていても仕方が無いので、魔王が魔王として覚醒するまでは好きにしようと決めていただけ。

 

「……つまりガルティア。貴方はガイ様の遺命に従うつもりは無いけれど、美樹様を尊重する気持ちはあると言いたいのですね」

「あぁ、簡単に言やぁそういう事だな」

「しかし、ならば何故貴方はケイブリス派に? ケイブリスの目的は知っているでしょう」

 

 魔人ケイブリスの目的。それは美樹を殺して自分が魔王になる事。

 その為の派閥に与するという事は、先程言っていた台詞と乖離しているのでは。とそのように感じていたホーネットの一方で。

 

「ん~~……正直な所、ケイブリスから声を掛けられたってのが大きな理由なんだけど」

 

 特に間違った事をしているつもりが無いガルティアは困惑した表情を浮かべる。

 

「けど仮にケイブリスがリトルプリンセスを殺せたとしたら、リトルプリンセスは魔王には覚醒しなかったって事だろ? なんせ魔王になりゃ魔人なんて相手になる訳が無いんだし」

「……まぁ、それはそうですね」

「だろ? ならそうなった時にはそれも含めて魔王様の選んだ事だと思わないか? 魔人の俺達がとやかく言う事じゃないさ」

 

 自分を殺そうとする魔人がいるこの現状で、魔王に覚醒しないのならばそれこそが魔王の選択。ならばその選択を尊重する。ガルティアはガルティアなりに美樹を魔王として敬っているつもりだった。

 

「……貴方の考えは分かりました。とはいえこの派閥に属する以上、美樹様の身の安全は何より大事な事です。魔王様の選んだ事だからでは済まさず、美樹様を守る事には命を掛けて貰います」

「そりゃ分かってるって。……けど今はあの子、魔王城には居ないって話じゃなかったか?」

「……今はこの城より、人間の世界の方が美樹様にとっては安全ですから。……それとガルティア。派閥への参加は許しますが、私はまだ貴方を信用した訳ではありません。宜しいですね」

「ああ。協力させてくれるならそれでいいさ」

 

 ガルティアはしっかりと頷き、それにホーネットも小さく頷きを返す。こうしてホーネット派の主は、魔人ガルティアの派閥入りを認めた。

 前魔王ガイへの畏敬の念の無さについては内心思う所があったが、美樹を魔王として認める気持ちがあると分かったので、そこには目を瞑る事にした。

 何より現在劣勢となるこの状況下において、魔人ガルティアという重要な戦力は到底無視出来るようなものでは無かった。

 

「……こうなると今後について、少々話し会う必要がありそうですね。サテラ、シルキィは何処にいますか?」

「……え、シルキィですか?」

「えぇ。魔王城に居る筈ですが。それとももう前線に出発してしまいましたか?」

「あ、いえその、居るには居るのですが……」

 

 ここまで話の成り行きをひっそりと見守っていたサテラは、とても複雑そうな表情で口を開く。

 

「シルキィはその、ランスが持っていったというか、何と言うか……」

「…………?」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「がーっはっはっは! 魔人を倒す所か、こっちの味方にしてしまうとは。さっすが俺様!!」

「……う」

 

 魔王城にあるランスの部屋。そこにランスとシルキィは居た。

 

「いやー、にしても華麗な活躍だった。俺様はまさしくホーネット派の救世主だな、うむうむ」

「……うぅ」

 

 先程突然にその男は彼女の身柄を押さえ、瞬く間に自分の部屋へと攫ってきた。

 そして寝室に、より正確に言えば寝室にあるベッドの上に二人がいる理由。

 

「おーっと、そういやシルキィちゃんとは何か約束してた気がするなー? 何だっけかなー!?」

「……あーもう! 分かってる、分かってるわよ! 貴方に抱かれればいいんでしょう!?」

「そのとーりっ! 抱かれればいいのだー!!」

 

 勿論それは番裏の砦で交わしたあの約束通り、魔人シルキィとセックスする為。

 待ちに待ったご馳走を前にして、ランスはとても上機嫌。一方のシルキィはやはり恥ずかしいのか、顔を朱に染めて深く俯く。その表情がまた唆るのか、ランスのテンションは留まる事なく高まっていた。

 

「くっくっく。君は俺様の女になると約束した訳だからな。この一回きりとかじゃないぞ、俺様の気が向いた時には何度でも相手してもらうからな、ぐ~ふふふふ~~……!!」

「……だから、分かってるってば……うぅ……」

 

 蚊の鳴くような声で呻くシルキィとて、何も軽い気持ちでその約束をした訳では無い。

 なにせ魔人を倒すというのは大変に困難な事。人間の身でそれが達成しようとするなら生死を賭ける必要がある。つまりそれほどの約束、自分の貞操はその見返りのはずだった。

 

 そのはずだったのだが。

 

(……まさか、あんな方法で……こんなにあっさりと……)

 

 シルキィの想像を越えて実にあっさりと、とてもお手軽な方法で約束は達成された。

 彼女はてっきり、ランスが戦士として魔人と激闘を繰り広げるような想像をしていた為、現在の状況には多少の煩悶もあったのだが。

 

「……約束は『魔人を倒す』じゃ無かった?」

「別にあそこでムシ野郎をぶっ殺しても構わなかったのだがな。俺様はホーネット派にとってより良い選択をしてやったのだ。違うか?」

「……それは……うん。そうね、ありがとう……って、言って良いのかよく分からないけど」

 

 そう言われてしまうと、ホーネット派の重鎮たる魔人四天王にはもう返す言葉が無かった。

 

(……でもこれで、前より大分形勢が良くなるのは事実、か。……うん。約束した事だもんね)

 

 敵方の魔人を引き抜き、こちら派閥に迎え入れる事に成功した。その価値は極めて大きい。

 そして根が真面目な彼女にとって、自分がした約束を破るという選択肢は最初から無い。

 ふぅ、と息を吐いて、魔人四天王シルキィ・リトルレーズンは覚悟を決めた。

 

「ぐふふふふ、もう我慢出来ん! とー!!」

 

 着ていた服を一瞬で脱ぐと、ランスは勢いを付けて飛び掛かる。

 

「ちょ、と、待って……ッ!」

 

 先程覚悟を決めたはずのシルキィ。

 しかしこらちに飛んでくるランスの圧に怯み、思わずその両腕をガシっと取り押さえる。

 

「ぐ、ぬぬぬ……シルキィちゃん、ここまで来て抵抗しようと言うのか……!!」

「そ、そうじゃない、そうじゃないけどっ!」

 

 もはや抵抗するつもりなどあろうはずも無い。

 それは無いのだが、しかし彼女には一つだけ懸念材料があった。

 

「……抱かれるのは、いいんだけど。その、なんというか、あの……」

「なんだ、何かあるのか」

「何かっていうか、その。私……こういう事の、経験がね? その、無いっていうか……」

 

 シルキィは自然と顔を背ける。それは照れと恥じ入る気持ちがごちゃ混ぜになった、ランスの興奮を掻き立てるようなとても悩ましい表情。

 彼女には性交の経験が無かった。人間だった頃はのんきに恋人を作って愛を育むような情勢では無かったし、魔人となってからはもはや自分の性別について気に掛ける機会すら殆ど無かった。

 

「あれ、そうなのか? 確か前は……」

「前?」

「ん、まぁいいか。……なーに、大丈夫だシルキィちゃん。俺様は処女の扱いも慣れてるからな、安心して身を任せたまえ。がはははははっ!!」

「お、お手柔らかに……ね?」

 

 もう我慢出来ないとばかりに、ランスはシルキィの小柄な身体を押し倒す。

 

 やがてシルキィの声が枯れ、その喉から掠れた嬌声が上がるまで、ランスは思う存分楽しんだ。

 

 

 

 

 

 

 



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ガルティアの話

 

 

 

「ぐがー、ぐがー」

「……ランスさん」

 

 朝の寝室に聞こえる、男のいびきと女性の声。

 

「ぐがー、ぐがー」

「ちょっと、ねぇランスさん」

「ぐがー、ぐがー」

「ねぇってば。もう朝よ、そろそろ起きて」

「……んあ?」

 

 自分の部屋ののベッドの上。優しい声と共に身体を揺すられ、ランスの意識が覚醒する。

 大あくびをしながら右を向くと、そこには裸の女性が身体を起こしていた。

 

「……うむ、シルキィちゃん? あれ、どうしてそんな格好で俺様のベッドに?」

「んな、あ、貴方ねぇ! 昨日、あれだけ私を抱いておいて……!」

「……おぁ、そーだったそーだった。そういや昨日は遂に君とセックスしたんだったな」

 

 相槌を打ちながら身体をぐっと上に伸ばすと、寝起きの頭がようやく冴えてきた。

 

(昨日、シルキィちゃんの処女を頂いたんだったな。初めてという事あって最初はガチガチだったが、途中からは自分で動いていた。前回の時も思ったが、シルキィちゃんはやはりエロの素質がある)

 

 ランスは右手でシルキィの背中に触れてみる。ぴくっと動いたが避けはしなかった。だが、代わりにじとっとした非難がましい目線を向けられる。

 そんな彼女の無言の抗議を無視して、ランスはその背中を撫でつつ下世話な質問をしてみた。

 

「どうだシルキィちゃん。晴れて大人の女になった感想は」

「……身体がだるいし、腰も痛いわね。ついでに、喉も痛い」

「まぁ、あれだけすればなぁ」

 

 他人事のように言う張本人の言葉に、大きな溜息を吐いたシルキィはがっくりと頭を落とす。

 

「……経験無くても任せろって言ったのに。貴方の言葉を信じた私が馬鹿だったわ」

 

 彼女の身体中に今も残る赤い痣の数々が、昨晩の一戦の激しさを物語っていた。

 

 シルキィとしてはなにせ初体験だったので、どうにか穏便に済ませてほしかった。

 ランスも最初はそのつもりだったのだが、途中からエンジンが掛かってしまい、気付けばフルスロットルで何戦も繰り返していた。

 彼女にとっての不幸は、そんな男の性欲に最後まで付き合うだけの体力があった事。そして秘めたる素質を有していた事か。

 

「まぁそう言うなって。それに、途中から君も楽しんでたではないか」

「っ……! もう! 最低よ、貴方!!」

 

 シルキィは朝、目が覚めてからずっと昨晩の事を後悔していた。ランスに抱かれた事は構わない。それは自分が約束した事だからだ。

 だが、その交わりの途中で、彼女自身も知らなかった本性と言うべきものが内から顔を出し、初めてとは思えぬ程の痴態を演じてしまった。

 端的に言えば、ノリノリになってしまった。あの時の自分はおかしかった。あれは断じて本当の自分では無い。シルキィはそう思いたかった。

 

「……昨日の事は、もう忘れて。お願いだから」

「つってもなぁ。君とはこれから何度もする予定だし、あんなエロいシルキィちゃんの姿を忘れる事なんて……」

「……次からはあんな事にはならないから。そう、強い気持ちを持てば、きっと大丈夫な筈……」

「……うーむ。あの乱れっぷりは、そんな事で抑えられるようなもんじゃ無いと思うが……」

 

 二人して昨晩の激闘に思いを巡らせていたその時、部屋のドアがコンコンとノックされた。

 

「ランス様、おはようございます。もう起きていますか?」

「おう、シィルか。入れ」

 

 普段通りに主人の事を起こしに来た、シィルが寝室に入ってくる。

 ランスの部屋に女性が同衾するのはいつもの事、シィルはもはや気にしないし、シルキィも然程気にするタイプでは無いのか、身体にブランケットを掛けただけだった。

 

「おはようございます、シルキィさん」

「……おはよう、シィルさん」

「あ。シルキィさん、その、お声が……」

 

 一言会話しただけで簡単に気付ける程、シルキィの声は掠れていた。

 彼女は昨夜休む間もなく声を上げすぎた為、喉がガラガラだった。

 

「……うん。その、シィルさん。貴女にこんな事頼むのはあれなんだけど、お水を汲んできてくれない? もう喉が痛くて……」

「分かりました。あ、そうだランス様、ウルザさんが話があるって言ってましたよ」

 

 それだけ伝えると、シィルは水を汲みにぱたぱたと部屋を出ていく。

 

「ふむ、ウルザちゃんの話とはなんだろう。うし、そろそろ起きるか。シルキィちゃんは身体がキツいなら寝ててもいいぞ」

「私も起きるわ、気楽に眠ってられる状況でも無いしね。……あと、私、大人の女性になったから、いい加減『ちゃん』は止めて貰える? 結構恥ずかしいのよ、それ」

 

 

 

 

 

 

 身支度を整え部屋を出たランスは、シィルとシルキィを連れてウルザの部屋へと向かう。

 そして話を聞いた所、先日味方に引き込んだ魔人から情報収集を行うらしく、その時に同席しないかとの事だった。

 

 ちょうど腹が減っていたランスは、その申出を了承した。どうせあの魔人も食事中だろうと言う事で、三人を連れて食堂へと向かう。

 その途中の廊下でサテラとも遭遇した。彼女も朝食を食べに食堂に向かっていたらしく、そのままの流れで一緒に行く事となった。

 サテラは普段より少し大人しく、道すがらシルキィに向けてちらちらと視線を送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 食堂に入るとやっぱりその魔人は居た。大食漢の魔人は、相変わらずの勢いで食事中だった。

 

「おう、ムシ野郎」

「おぉ!! ランス!!」

 

 ランスが軽く挨拶をすると、ガルティアは食事より気が惹かれるものが現れたとばかりに、食事の手を止めて身体ごと向きを変える。

 その魔人にとって朝飯よりも興味を惹くものといったら、勿論一つだけ。

 

「なぁランス、団子、もう無いのか?」

「団子は取り寄せ中だと言っただろ。届いたら教えるから一々急かすな」

「本当か? 絶対だからな?」

 

 香姫の団子は今後もガルティアを動かす為必要になると思われるので、あの後に追加注文をしておいた。ちなみに、今度は超特急で急かしてはいない。

 

「お前に用があるのはウルザちゃんだ。俺様は飯を喰うのだ。シィル、へんでろぱ」

「シィル、サテラも」

「はい、ランス様、サテラさん。シルキィさんも食べますか?」

「ありがとう。じゃあ頼んでも良いかしら」

 

 ランス達が食堂の席に着き、シィルは三人分の食事の用意の為に厨房へと向かう。

 当初ここに来た時は魔物界の見知らぬ食材しか無く、シィルは料理をする事が出来なかった。

 だがそれを嫌がったランスが必要な食材をヘルマンから送らせた。ウルザの用意したうし車によりそんな事も可能になり、今では好みの食事が食べられるようになっていた。 

 

「魔人ガルティアさん、少しよろしいですか?」

「おう、何の用だい人間の嬢ちゃん」

「ケイブリス派の情報を貴方から聞きたいと思いまして。話してくれますか?」

 

 ウルザがここに来たのは情報収集の為。ガルティアはつい昨日まで敵の派閥に属していた魔人であり、敵方の情報を得るにはこれ以上無い相手。

 

「俺はもうこっち側の魔人だからな。なんでも聞いてくれ」

「では、他の魔人達について、現在の居場所など知っている事を教えて下さい」

「……居場所かぁ。つってもなぁ、魔人ってのは俺も含めて自分勝手な奴ばっかだからなぁ」

 

 ウルザに尋ねられたガルティアは、少し困惑した様子で天井を見上げる。

 ケイブリス派は一応ケイブリスが総大将として命令権を持つのだが、所属する魔人の結束は固いとは言えず、好き勝手する者も多い。それは団子一つで派閥を離脱したその魔人が何より証明していた。

 

「……そーだな、居場所は……ケッセルリンクなら、大体城にいる、はず」

「はい。それはその、知っています」

「そっか。じゃあ後は……うーん」

「……居場所が分からなければ、相手の特筆すべき点などはどうですか? この際、こちらにとって有益な情報ならなんでも構いません」

 

 現在地以外でも何でもかんでも。それならばと考えてみたガルティアだったが、そもそも彼は自分以外の魔人を気に掛けた経験が殆ど無かった。

 

「そーだな。バボラはあれだ。デカい」

「……そのようですね。その、知っています」

「……だよなぁ」

 

 ウルザの肯定に、そりゃそうだよなと言いたげな様子でガルティアは腕を組む。

 その後一体一体魔人の名前を挙げ、知っている情報を話すよう促したウルザだったが、しかしホーネット派がすでに知り得ている以上の情報は出る事は無かった。

 

 

「役に立たなくてすまねぇな、嬢ちゃん」

「……いえ。敵方の魔人達はお互いに無関心、それが分かっただけでも参考になりました」

 

 とは言ってみたものの、若干、というか結構期待外れだった。しかしウルザはその気持ちを表に出さないよう、どうにか取り繕った。

 

「……ガルティア。貴方、もしかして向こうを庇ってない?」

「違うって! 本当に知らないんだって!!」

 

 その役立たなさ加減故に、シルキィから疑いの目を向けられたガルティアは慌てて否定する。

 当然彼にそんなつもりは無い。もはやあの団子が無いケイブリス派などどうでもいい事、こうしてホーネット派に加わった以上、敵であって庇う必要のある相手などでは無かった。

 

「基本俺達なんてバラバラに動くもんだろ? 他の奴らの事なんて知らないんだよ。……って、あぁ、そういやぁ……」

「どうしたの?」

「いやな、結構前の話なんだけど、メディウサに会った。その時、自分は特別な任務があるから戦争から少し抜けるとか言ってた気がする」

「……特別な任務だと?」

 

 へんでろぱを食べ終わり、サテラをからかって遊んでいたランスの耳が、魔人メディウサの話題が出た途端とても過敏に反応した。

 

「おいムシ野郎。特別な任務ってのはなんだ」

 

 思わずガルティアを睨み、強い口調で詰問する。

 

「さぁな。そこまでは知らねぇよ」

「……本当だろうな。隠すと団子が遠ざかる羽目になるぞ」

「本当だって!!」

 

 自分にとっての死活問題に狼狽するガルティアの一方、同じくランスも自らにとっての死活問題がその脳裏に浮かんでいた。 

 

(まさかあの蛇女……また俺様の女を襲ってるんじゃねーだろうな)

 

 彼の懸念はそれだった。その魔人の残虐性は、前回で嫌という程味わったのである。

 

「ランスさん。メディウサの事が気になるの?」

「……シルキィ、ランスが気にしてるのはあれだ。メディウサはほら、外見が……」

「あぁ……そういう事。あのねランスさん、確かにあれは見た目は良いかも知れないけど、とても危険な魔人で……」

「分かっとるっての。ぶっ殺す為に少し居場所が気になっただけだ」

 

 当たり前の事を言って話を終わらせようとしたランスだったが、その時それを聞いたウルザが、とても不思議そうな目を向けた。

 

「え……ぶっ殺すのですか?」

「おう。なにか問題あるかウルザちゃん、敵の魔人なのだから当然だろう」

「あ、いえ。外見の良い、敵の女魔人なのですよね? ランスさんの事であれば『やっつけてお仕置きセックスだーがはは』とでも言いそうなものだったので……」

 

(……おぉ。ウルザちゃんの口からお仕置きセックスという言葉が出るとは……)

 

 自分の口真似とはいえ、普段の彼女であればまず言わないその台詞に、思わず面食らってしまったランスだったが、それはともかく。

 

(お仕置きセックスだと……あの蛇女に?)

 

 その可能性を考え、頭に浮かぶのは何度か目にしたその魔人の姿。

 サテラやシルキィの言う通り、確かに外見は良かった。ついでにスタイルも良かった。それはもう顔を埋めたくなるような豊かな胸があった。

 

 しかしその魔人の事を思い出すと、どうしても犠牲となった者の凄惨な姿が一緒に浮かぶ。

 するとそんな気分にはとてもならない、率直に言って勃つ気がしなかった。

 

「……いや、それはない。あの蛇女は殺す。これは決定事項だ」

「……そうですか。了解です」

「あぁ、その通りだランス。あいつは危険な魔人だからな」

 

 以前、そのメディウサに狙われた経験があるサテラが、他人事で無いとばかりに同意した。

 

 

 

 

 

 やがて、食堂のテーブルに並んでいた料理は、魔人ガルティアにとって全て平らげられた。

 全部食べて満腹になったその魔人は、食後のデザートとして是非あれが食べたくなった。しかしそれは今はもう無く、彼がそれを手に入れるには働くしかなかった。

 

「ふぅ、食った食った。んじゃまぁ、飯も食った事だし俺は行くかな」

「ガルティア、何処に行く気だ?」

「何処って、そりゃ勿論戦いにだよ」

 

 そう宣言したガルティアは、すぐに席から立ち上がる。

 

「もう行くの?」

「あぁ。ホーネットから信用されるには、前線で戦ってやるのが一番手っ取り早そうだしな。それに何より、働き次第で団子をくれるって話だったしな。だよなランス」

 

 言われてランスはふと考える。ガルティアが戦ってくれればその分楽が出来るし、なにより他の魔人の手が空く。

 シルキィもそうだが、全てのホーネット派魔人をハーレムにする事が目的のランスにとって、彼女等が戦いに駆り出されるのは好ましくない。ガルティアが戦いに積極的なのは実に好都合だった。

 

「そうだな、男の魔人はここには要らん。団子は気が向いたらそっちに送ってやるからムシ野郎は戦ってこい。なんなら死んでも構わんぞ」

「はっはは。ランス、あんたは正直な奴だな」

 

 

 そしてガルティアは団子の為、ホーネット派最前線の魔界都市、サイサイツリーへと向かった。

  

 

 

 

 

 

 



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ガルティアの話②

 

 

「シィル、お茶」

「はい、ランス様」

 

 ガルティアが食堂から立ち去った後、ランスはまったりと食後の休憩中。

 奴隷が入れたお茶を飲んでふぅと一息ついていると、そばに居た軍師が冴えない表情をしている事に気付いた。

 

「おう、どーしたウルザちゃん」

「……いえ、もう少し有益な情報が欲しかったなと思いまして」

「あぁ、その事か」

 

 あまり実りの無かった先程の会話を思い出し、ランスもつまらなそうに眉を寄せる。

 ついさっき食堂を出ていった魔人ガルティア、元ケイブリス派のその魔人から情報を得る為ウルザは色々聞き出そうとしたのだが、残念な事に大した話は出てこなかった。

 

「まぁ、食べる事しか頭に無い奴だからな、あれは。……ふむ、どれどれ」

 

 そしてランスは何の気なしに、ウルザがテーブルに置いている資料の束に手を伸ばす。

 ペラペラと捲って中を覗いてみると、そこにはケイブリス派の属している魔人についての情報が事細かに纏めてあった。

 

(さすがウルザちゃん、マメだなぁ。……あん?)

 

 知られている敵魔人の数は8体。全員の魔人の情報がそこには載っていた。

 前回ヘルマン地方を襲った魔人バボラ。魔人ケッセルリンク。

 前回自由都市地方を襲った魔人レイ。魔人パイアール。

 前回ゼス地方を襲った魔人ガルティア。魔人メディウサ。

 前回ランス城に進軍してきた魔人レッドアイ。

 そして、魔軍の総大将たる魔人ケイブリス。

 

 しかし、ランスはその資料の情報にふと違和感を覚えた。

 

(あれ? なんか足りないような気がするぞ? あ、そうか。リーザスを襲ったのは確か……)

 

 ウルザの纏めた資料の中には、前回リーザス地方を襲った魔人の情報が抜けていた。

 その内の二人はホーネット派に所属している為、そこに記載されていない事に不思議は無いのだが、残る一人の存在がランスの脳裏を掠めた。

 

「あ、そうだ思い出した。ニミッツだ。なぁウルザちゃん、ここにはニミッツの情報が無いぞ」

「……誰ですか? そのニミッツというのは」

「……あー、そっかそっか。えーと、なんつったかなぁあれは……」

 

 ニミッツの名では通じないと気付いたランスは、記憶を巡るかのように額をコツコツと叩く。

 

「……こう、ほら、筋肉で、んでおっぱいがデカくて……そう、レキシントン!」

 

 魔人レキシントン。ランスが前回の戦争で魔人ハウゼルに会う為、リーザス王国に出撃した際に戦う事になった魔人である。

 頭から絞り出せたその名にスッキリした表情で頷くランスの一方、その名を聞いたホーネット派魔人二人は不可解な表情になった。

 

「レキシントン……て、何だっけ?」

「レキシントンって……あの鬼の魔人の事? ランスさん、あれはもう随分前に死んだ筈よ。……確か、聖魔教団の時だっけ?」

「そりゃまぁそうなのだろうが、その後に復活してケイブリス派に居るのだろう?」

 

 前回の戦争でリーザスへ侵攻してきた事もあり、ランスは当然に魔人レキシントンがケイブリス派に属していると思っていた。

 しかしその魔人の事を知るシルキィに詳しく聞いてみると、この派閥戦争の戦局の中でレキシントンとは対峙した事など無く、そもそも復活したという話を聞いた事すら無いとの事だった。

 

「んな馬鹿な。確かにケイブリス派に居た筈……」

「あれは戦う事が何より好きな魔人だったから、復活して向こうに居るなら戦場に出てこない筈が無いわ。何かの勘違いじゃない?」

 

 シルキィの説明に、ランスは納得のいかない表情で首を傾げる。

 レキシントンとは確かに戦った記憶があるし。何よりその魔人の容れ物となった少女を抱いた記憶がある。彼は倒した相手の事ならともかくとして、一度抱いた女の事は滅多に忘れる事は無い。

 

(……て事はまだケイブリス派には属してないって事か? それともまだ復活してないって事か? ……うーむ、よく分からんな)

 

「ランスさん。魔人レキシントンについて、何か心当たりが?」

「……いんや、居ないならいい。ちょっと気になっただけだ」

「……そうですか。ところでランスさん。今後の作戦はどうしますか?」

「……今後なぁ」

 

 レキシントンについては多少気になったが、しかし分からない事を考えていても仕方が無い。

 ランスは頭を切り替えて、ウルザに言われた今後の活動について考えてみる。

 

 前回の第二次魔人戦争、その時は開戦してすぐに人類は滅亡の危機に晒された。

 ランスが巨大戦艦内のコールドスリープ装置から目覚めた時には、すでに絶体絶命の状況にまで追い込まれており、その結果ランスはランスらしからぬ勤勉さでもって戦い続けなくては到底生き残れなかった。

 

 しかしこの派閥戦争でのホーネット派の現状は、当時の人類の状況に比べるとまだまだ余裕があると感じていた。それに加えて先日ガルティアを引き抜いた事で、さらに両派閥の戦力格差は縮まった。

 そう急いで次の作戦に移らなくてはならない状態だとは、今のランスは到底思えなかった。

 

(すでに一つ活躍したしな、あんまり働きっぱってのも体に良くない。何より俺様の真の目的は、ケイブリス派よりもむしろホーネット派にあるからな)

 

 ランスはお茶をぐいっと一口で飲み干して、今後の活動について発表した。

 

「決めたぞ。しばらくゆっくりする」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして数日後。

 ホーネット派の最前線の魔界都市サイサイツリーに、魔人ガルティアが到着した。

 

 到着早々彼は、この都市にいる兵達の指揮を執っている魔人の下に挨拶に向かった。

 あちこちに張られているテントの内、指揮官用に誂えられた他より豪華なテントの入り口をくぐる。

 

「よう、ハウゼル」

 

 中にいたのはホーネット派魔人の一人、火炎を操る魔人ハウゼルだった。

 ホーネットはこの場を離れる際、魔人メガラスに魔物兵の指揮を頼んだ。だがその魔人は口下手であってそのような事は不慣れな為、サイサイツリーと魔王城の中間にある都市を拠点としていたハウゼルと役目を交代していた。

 

「こんにちは、ガルティア。すでに各所で噂にはなっていましたが、貴方がホーネット派に入ったというのは本当だったのですね」

「あぁ、これからこっちで戦う事になった。ま、今までの事は水に流して仲良くやろーぜ」

「えぇ、そうですね。貴方がこちらに味方してくれてとても助かります」

 

 元敵となるその魔人の気さくな態度に、しかしハウゼルは気にした様子も無くにこりと笑う。

 彼女はガルティアの離反について、驚きはしたが特に警戒はしていない。生真面目で優しい性格のハウゼルは、相手を疑う事に慣れていなかった。

 

「んじゃあ挨拶も済ませたし、ちょっくら行ってくるな」

「行くって、まさか戦いにですか?」

「あぁ。俺は一刻も早くあの団子を味わいたいんだ」

「団子?」

 

 不思議そうなハウゼルをそのままテントに残し、ガルティアはすぐさま都市を出発する。

 

 ホーネット派、ひいては特製団子の為。その魔人は早速ケイブリス派と戦うつもりであり、敵派閥の最前線であり彼自身が数日前まで拠点としていたビューティツリーの方へ向かう。

 大軍が移動出来るよう大きく切り開かれた道を進む事二時間弱、ビューティーツリーへと続く道の半分辺りにまで来た所で、彼はケイブリス派の偵察部隊に見つかった。

 

「お、敵発見」

「が、ガルティア様ッ!? まさか、ホーネット派へ寝返ったというのは本当に……!?」

 

 偵察部隊を率いていた魔物隊長が、自分達に対して戦意を見せるガルティアの姿に驚愕する。

 今彼等が拠点としているビューティツリー内では、ガルティアがケイブリス派を裏切ってホーネット派に参加したという噂でもちきりである。

 その魔物隊長は浮足立つ自らの部隊を、噂を否定することでなんとか統制していた。

 

「ああ、そういう事だ。んじゃ、戦うか」

 

 軽く肩を回した後、ガルティアがその腰から引き抜いた蛮刀が鈍く光を反射する。

 

 それを目にした魔物隊長は瞬時に退却を決断した。無敵結界を有する魔人と戦う術など無い為、極めて妥当な判断ではあったのだが、しかし戦意を向けたその魔人の前に立つと、逃げる事はおろかそのように指示を出そうと口を開く事すら困難だった。

 

「まぁ、昨日の友は今日の敵ってね。恨みっこなしでいこうぜ」

 

 

 

 そしてガルティアはひと暴れして、ケイブリス派の偵察部隊の一つを片付けた。

 その最中に彼はふと考える。

 

(……つっても、勿論恨んでるんだろうなぁ。ケイブリスの奴は)

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 それは見事にガルティアの想像通りだった。

 

 魔物界南西部に存在しているとある城。それがその魔人の居城であり、その城にある玉座の間。

 部屋内はその魔人の躰から流れ出る恐瘴気が充満しており、胆力の弱い生物は立っている事も許されない、とても重苦しい異様な空間。

 

 ケイブリス派の主、最古にして最強、異形の躰を持つリスの魔人ケイブリスはそこに居た。

 玉座の上に堂々と君臨して、配下からの報告を受けている途中だった。

 

 

「……どうも俺様とした事が、つい聞き逃しちまった。……もう一度言ってみろ、ストロガノフ」

 

 努めて平然を装いながら、眼下に居るその相手をぎろりを睨む。

 すると恐瘴気の量はさらに増し、その魔人の身の内から溢れ出そうな怒りを如実に表していた。

 

「は。……調べてみた所、やはりあの噂は全て真実でした。魔人ガルティア様は我々の派閥を離反し、ホーネット派についたようです」

「……ふざけやがって」

 

 獅子の顏を持つ大元帥、ストロガノフが一音一句同じ報告を繰り返す。

 自分の聞き間違いでは無い事が分かった途端、派閥の主は憤激した。

 

「ふっざけやがってぇあのクソ野郎ッ!! この俺様を裏切っていいと思ってんのかぁ!! おいストロガノフ、あいつを俺様の前に連れてこい!! ギッタギタのぐちゃぐちゃにしてやる!!!」

 

 まるで地を揺るがさんばかりの怒号が響く。そのあまりの衝撃に側に控えていたその魔人の使徒、ケイブニャンとケイブワンは部屋の隅っこに逃げて縮こまる。

 

 ケイブリスは味方の裏切りを極端に嫌う。それはストロガノフの直属の部下として派閥戦争でも活躍していた精鋭部隊マエリータ隊を、反乱の可能性があるからと解体してしまう程である。

 そんな猜疑心の強いその魔人にとって、今回のガルティア離反は到底許せるものでは無かった。

 

 

 そして数分後、喉が枯れんばかりに散々吠え、形状を保ったままの物が見当たらなくなる程に周囲に当たり散らし、なんとかその怒りを多少発散させたケイブリスは、乱暴に玉座に座り直した。

 

「ぜー、ぜー……ぶっ殺してやる、ガルティア…………けど、魔人が一体抜けたとなると……」

「はい。ホーネット派との戦力差が縮まった事は誰が見ても明らかです」

 

 主の怒りが収まるのをひたすら耐えていたストロガノフが、神妙な表情で頷く。

 

 ガルティアがケイブリス派から離反した影響、それは非常に大きいものだった。

 派閥戦争の開戦当初からケイブリス派はホーネット派より優勢だった。何故なら所属する魔人の数が多かったからである。

 しかしその後、お互いの派閥から魔人の離脱を繰り返して、そしてここに来てガルティアが寝返った事で、ケイブリス派の魔人の数的優位は一体だけになってしまった。

 

 その事実に加えて、開戦当初から積極的に前線で戦っているホーネット派の主とは違い、ケイブリスは今まで一度も戦場に出た事が無い。

 ケイブリスを戦力として計算しない場合、すでに魔人の数は互角と言える。ケイブリス派の魔物兵の間ではそんな話が不安材料として広がっていた。

 

「ちっ……、このままホーネットを調子付かせる訳にはいかねぇ。何かいい方法は……」

 

 魔人ケイブリス。彼の目的はホーネット派を倒す事では無く、魔王になる事である。

 本当なら派閥戦争などすぐに終わらせて、今も逃げ回る魔王の捜索に力を入れたい。彼にとってホーネットなど大いなる野望の前の障害の一つに過ぎず、ガルティアの離脱程度で躓いてはいられない。

 

 当然自分が戦場に出るなどという危険な真似はしないが、自分は決して危険を侵さず、今よりホーネット派の優位に立つ方法は無いか。

 

 しばらく考えていたケイブリスは、一つ良いアイディアを思い付いた。

 

 

「……そーだ。いーこと考えたぜ、ストロガノフ」

「ケイブリス様。良い事とは何でしょう」

「なに、簡単な事だ。魔人が減ったんなら増やせばいいじゃねーか」

 

 ケイブリスは邪悪な形相を嘲笑うかのように歪ませる。

 事によってはホーネット派に致命的な打撃を与えられるかも知れない、素晴らしくナイスなアイデアを閃いたと確信していた。

 

(増やすとは、ホーネット派から引き抜きを……?いや、そうではないな。まさか……)

 

 今の魔物界には一人だけ、どちらの派閥にも属していない魔人が居る。

 その者の事を言っているのだと、ストロガノフは派閥の主の言葉の意図を察した。

 

「では、ケイブリス様……」

「あぁ、俺様は動きたくねぇからあいつの勧誘はケイブワンとケイブニャンに任せておきたかったが、こうなった以上は仕方ねぇ。あいつの天敵である俺様が直々に派閥に引き込む。……従わなかったらぶっ殺してやる」

 

 

 

 その後、ケイブリスはある小さな家に赴き、そこに住んでいた魔人を強引に派閥に加えた。

 

 その魔人の名はワーグ。

 

 過去に戻ってきたランスの知らない魔人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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魔人筆頭の部屋(初対談)

 

 

 

 ある日の魔王城。

 

 

「私、これで上がり」

「げ。一位はシルキィか」

「うーん……これだ。あ、サテラも上がり!」

「わ、ランス様。残るは私達だけですよ」

 

 先日宣言した通りに、ランスはしばらく魔王城でまったりとした日々を過ごしていた。

 本日はシィル、サテラと共にシルキィの部屋を訪れて、4人でトランプをして遊んでいた。

 

「ぬぅ……シィル、これはお前にやる。替わりにこっちを寄越せ」

「えー、ランス様、それはルール違反では……」

「やかましい。奴隷が主人に文句を言うな。……よし、あーがりーっと! やーい、シィルがびりっけつー!」

「うぅ……」

 

 手渡されたジョーカーを握ったまま俯くシィルの一方、ランスは子供のようにはしゃぐ。

 とても卑怯な手を使ってまで最下位を免れようとする、その男の姿になんとも言えない呆れを感じながら、シルキィが口を開いた。

 

「……なんか、戦争中なのにこんなのんびりしてていいのかしら」

「君は真面目な奴だな。だが戦争中とは言えずっとピリピリしてちゃ、肩凝るだろうに」

「そうだぞシルキィ。シルキィはもう少しゆとりを持った方が良い」

 

 前線ではおそらく今もガルティアを筆頭にして、派閥の仲間達が敵と戦っている。

 そう考えるとどうにも落ち着いてられないシルキィなのだが、ランスはそんな事知ったこっちゃ無いとばかりに、連日遊びに付き合わさせていた。

 

「大体ムシ野郎が戦ってんだろ? あいつはシルキィちゃんの為に引っこ抜いたようなもんなのだから、存分に働かせりゃいいんだ」

「私の為?」

 

 ガルティアを仲間にしたのはホーネット派の為では無いのか。そうシルキィは思わず小首を傾げたのだが、続くランスの言葉を聞くと、それは呆れてしまうような理由だった。

 

「前、戦いに参加したらどれ位掛かるか分からんと言ってただろ? 何日も君とセックス出来なくなったら困るからな」

「……あぁ、そういう事。それ、あんまり嬉しくない理由ね。ていうかそれじゃ私の為じゃなくて貴方の為じゃないの」

「何を言うか、君の為だとも。戦いなんぞに行くより、俺様に抱かれている方が楽しくて嬉しいに決まってるからな」

 

 そう決めつけて、ランスはがはははーっといつもの大笑い。

 するとその話を聞いていたサテラが、珍しく神妙な面持ちで言葉を零した。

 

「……なぁ、ランス。その事なんだけど……」

「あん?」

「どうしたの?」

「あ、いや……何でも、無い」

 

 自然とその場の皆の視線がサテラに集まる。すると二の句を継げなくなってしまった。

 彼女は前々からランスとシルキィの関係について、どうにも気になる事があったのだが、しかし皆に見つめられながらその話を切り出す勇気は持てず。

 

 サテラは気分を変えようと、テーブルの上にある皿に並ぶ、シィルが焼いたクッキーを一つ摘もうとしたその時。

 

「……あ」

 

 ノックと共に部屋のドアが開かれて、室内に魔人が入ってきた。

 ホーネット派に属しているホルスの魔人、メガラスであった。

 

 サテラは軽く手を上げて挨拶を交わす。するとその正面に座っていたランスも背後の気配に気づき、後ろを振り向いた。

 

「ん? て、うおっ! なんじゃあこいつ!!」

「………………」

 

 自分の背後に立っていた、そこらの魔物を遥かに上回るその者の威圧感に、ランスはとっさに剣を構えそうになってしまった。だが魔剣カオスは部屋に置いて来ていた為、腰に当てようとした手は虚しく空を切る。

 

「あ、メガラスさん、こんにちは。どうしたんですか?」

 

 慌てふためくランスとは対象的に、シィルは平然と挨拶をする。

 その姿にランスは思わず奴隷の方を向き、聞き覚えの無いその名前を聞き返した。

 

「……メガラス?」

「はい。魔人メガラスさんです。ホーネット派に所属している魔人さんですよ」

「魔人だぁ?」

 

(……こんな奴、居たっけ?)

 

 ランスは腕を組んでうんうんと唸りながら記憶を辿ってみるが、前回も含め何一つ魔人メガラスの存在について覚えがなかった。

 すでに魔王城に来て一月近く経過している上に、ガルティアの襲撃の際などでその姿を視界の端に捉えてはいたのだが、しかし全く興味が無いので記憶には何も残らなかったらしい。

 

「……シィルは知ってたのか、こいつの事」

「はい。ここに来たばっかりの時、城内で迷っていた時に部屋を教えてくれて……。無口だけれど、親切な魔人さんですよ」

「ふーん……。なぁサテラ、一応聞けどこいつ、女じゃないよな?」

「ああ。メガラスは男だ」

 

 メガラスは全身を薄紫色の金属で覆ったような、知らぬ者が見ると性別はおろか生物かどうかさえ分かりづらい外見をしているが、れっきとした男の魔人である。

 

 そして、それを知ったランスは衝撃を受けた。

 

「……ホーネット派って、可愛い女の子魔人だけの集団じゃ無かったのか。ちょっとショックだぞ俺様」

 

 ランスはずっと、ホーネット派魔人全員をハーレムにするつもりだった。

 後から加えたガルティアは除くとしても、こんなのが居るとは聞いてなかった。当然、ランスが思い描くハーレムにこんな魔人は必要無い。

 

「そんなランスさん、貴方に合わせた訳じゃ無いんだから……。彼はホルスの魔人よ……って、ホルスって知ってるかしら?」

「ホルスぅ?」

 

 シルキィの言葉に眉を顰めたランスは、その魔人の姿を遠慮も無くじろじろと眺める。

 ホルスとはランス達が住む世界の外から来た異星人であるが、魔人メガラスの外見はランスが知るホルス達とは大きく異なっていた。

 

「……なんかムシっぽくないぞ。ホルスのパチモンじゃ無いのか、こいつ」

「………………」

「……私はメガラス以外のホルスを見た事が無いから分からないけど……ランスさんは他のホルスを見た事があるの?」

「あぁ、テラとかはもっとこう……」

 

 ──全体的にもっとムシっぽかった。

 そのようにランスが言おうとした時、今まで一言も発しようとしなかったその魔人が反応した。

 

「……テラ?」

 

 その言葉に興味を惹かれたのか、メガラスが表情の分からない顔をランスに向ける。

 

「うお、喋ったぞ」

「そりゃ喋るわよ。でも、確かに珍しい。どうしたの、メガラス」

 

 自分を気に掛けるシルキィの言葉を無視して、その魔人はランスに一歩詰め寄った。

 

「……テラを知っているのか」

「あ、あぁ。前に会った事があるが……それがどうした」

「………………」

 

 メガラスは視線を少し上げる。何処を見て、何を思っているのかランスには全く分からなかったが、しばらくじっとしていた後。

 

「……テラ様」

 

 それだけ呟き、そのまま部屋を出ていった。

 

 

「……行っちゃいましたね」

「なんだあいつ。わけ分からんぞ」

「……メガラスの考えは、サテラにもよく分からない。謎の多い奴だから」

 

 シィルとランスがその顔にはてなを浮かべると、サテラもその思いに肯定する。

 メガラスは遙か昔から存在している魔人だが、めったに口を開かず自分の事情などは決して話そうとしない為、派閥の仲間となるサテラやシルキィにも知らない事が多い魔人だった。

 

「つーか、何しに来たんだあいつは」

「前線の指揮を交代した事をホーネット様に伝えに戻ったんだって。それと、またその内に出発するから、何か自分に用があるなら今のうちに言うようにだって」

「……え? んな事いつ言ってた?」

「言っては無いけど、慣れれば彼の言いたい事はなんとなく分かるようになるのよ」

 

 シルキィにも最初は分からなかったが、同じ派閥同士で協力し合っている内に、自分と同じ様にメガラスも自らの種族の平穏を望み、だからこそホーネット派に属していると理解する事が出来た。

 それに共感を覚えた彼女は、それから徐々にだがメガラスの言いたい事が察せるようになった。

 

「ん? ちょっと待て。つー事は、今はホーネットが帰ってきてるのか?」

「えぇ、ガルティアに会いに少し前に戻られたのよ。多分、すぐまた前線に出られるでしょうけど」

 

 その言葉を耳にした結果、一瞬でランスの頭からメガラスへの興味が消えた。

 男の魔人なんかよりも遥かに重要である。あの派閥の主が今魔王城に居る。

 ランスは直ぐに立ち上がった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「……そこで思った訳だ。最強の俺様にとって、このままムシ野郎を殺す事など簡単だ。しかしもっとホーネット派の為になる方法は無いだろうか、とな」

「………………」

「んで、ただ殺すのでは無くこっちに引き込んだという訳だ。おかげで向こうの戦力は減って、こっちの戦力は増強。良い事ずくめだな、がははははっ!」

「………………」

「しかし、協力する事になって早々に魔人を一体を処理してしまうとは、さっすが俺様。まさしくホーネット派の救世主……て、おい。聞いてんのか、ホーネット」

 

 魔人ホーネットの部屋。

 ランスはその魔人が城に帰還している事を知り、早速口説く為に彼女の部屋を訪れた。

 

 その相手は今休憩をしていたようで、ソファに座って優雅に紅茶を楽しんでいた。

 そこでランスは彼女の座るソファの対面に座り、先程から恩に着せようと思い自分の功績を自慢していたのだが、どうにも反応が薄かった。

 

「えぇ、聞いています」

「……なら、俺様の方を向け」

 

 ホーネットの視線はランスでは無く紅茶の方に向いている。その男の言葉はとりあえず耳には入れていると言いたげな態度だった。

 

(……うーむ)

 

 ホーネットの使徒に入れされた自分用の紅茶を飲みながら、ランスはその魔人の様子を横目で観察する。彼女は今お馴染みの私服を着ていた。

 

(しっかし、相変わらず凄い格好してやがるなこいつは。シルキィちゃんもそうだが、ホーネット派って実は痴女が多いのか?)

 

 両魔人に聞かれたら恐ろしい目に合わされそうな事を考えながら、ランスはホーネットの豊かな胸の辺りをじっと見つめる。

 

 シルキィは装甲を着用していない時はほぼ全裸で、大事な所だけ隠れていれば問題無いだろうと言わんばかりの格好をしている。だがホーネットはそのシルキィの主だからという訳では無いだろうが、シルキィよりもさらに攻撃的な格好をしていた。

 彼女の私服は一見高貴な存在に相応しい気品ある拵えであるが、服の生地が極めて薄くて殆ど透けて見えてしまう。その魔人は大事な所すら隠していなかった。

 

(うむ。間違いなくエロい。エロい、のだが……)

 

 とても興奮を掻き立てるその魔人の姿を前に、しかしランスは不満げに腕を組む。

 

 シルキィの場合、女性としての魅力に欠けた自分を性的対象に見る者など居ないだろう。という自己評価に基づき、魔人としての長い生の中で羞恥心が薄れていった結果、機能性を重視してそんな格好をするようになった。

 しかしホーネットはそもそも周囲の相手を同格と見ておらず、羞恥心を抱く対象では無いからどんな格好でも問題無い、という考えから成り立つ服装をしている。

 

 つまり、現状ランスは男として見られていない。

 その事を理解している彼は、ホーネットの際どい私服姿を前にしても素直に喜べなかった。

 

「……何ですか?」

 

 ホーネットがランスの無遠慮な視線に気付き、ふと顔を上げる。

 

「いや、何でもない。つーかお前、さっきの話は聞いてたんだよな? なら俺様は大活躍をした訳だし、なんか褒美をくれ、褒美」

 

 貢献にはそれに応じる報酬が必要となる。魔人を寝返らせた事の褒美をホーネットから貰い、あわよくばそのままベッドへ。

 ランスはそんな事をしめしめと考えていたのだが、相手にその気は無いようで、ほんの少し首を傾げただけだった。

 

「何故? 貴方が私達に協力する事を決めたのなら、その為に努力するのは当たり前の事。それに、貴方はサテラの使徒なのですから、褒美は主たるサテラに要求すべきでは?」

「……ぬ、それはそうかも知れんが…」

 

 しかしそれでは意味が無い。ランスの認識ではすでにサテラは自分の女で、口説き落とさなくてはならないのは前回味わえなかった、今目の前に居るホーネットなのである。

 

「……けれど、そうですね。貴方の働きで戦局がこちらの優位に傾いたのは事実。シルキィの見立ては正しかったようです」

「おい、シルキィじゃなくて俺様に感謝しないか。それはもう大いに感謝して、一晩俺様に抱かれる位したって良いはずだ。違うか?」

「………………」

 

 ランスの身の程を弁えない言動に、ホーネットの金色の瞳が徐々に鋭くなる。

 筆頭魔人たる彼女の視線にはえも言われぬ圧力があり、どうにも怯んでしまいがちだが、その男にも野望があってここで引く訳にはいかない。

 しばらく二人は視線を交わした後、ホーネットが口を開いた。

 

「……良い機会だから聞いておきます。貴方は私達に協力する意味を理解していますか?」

「意味だと?」

「ええ。私達が何の為にケイブリス派と戦っているのか、貴方は知っているのですか?」

 

 ホーネット派が戦う理由は、前魔王ガイの遺言が発端となって魔人達が割れた事から発している。

 その辺の事情を前回サテラから聞いているランスだが、すでに詳しい事は頭から抜けており、覚えているのは一つだけだった。

 

「そりゃ確か……美樹ちゃんだ。美樹ちゃんに魔王になって欲しいから、美樹ちゃんを殺そうとしてるケイブリスと戦ってるんだろう?」

「貴方は美樹様を知っているのですね。その通り、私達は美樹様に魔王として覚醒してもらう為に戦っています。では、貴方もそうなのですか?」

「いんや、俺様にはそんなつもりは無いが」

「しかし、私達に協力するというのはそういう事です」

 

 ホーネット派に協力するという事は、ホーネット派の目的に協力すると言う事と同義である。

 そう言われるとその通りだとランスも思ったが、彼はその魔王である来水美樹とは以前JAPANで出会った経験がある。

 その時に彼女が魔王への覚醒を恐怖し、拒んでいるという事を知ったので、美樹の覚醒の為に協力するつもりは無かった。

 

「俺様は美樹ちゃんを魔王にしたい訳じゃない。それにお前達がそう望んでも、あの子は魔王になろうとはしないだろう。なんせ良い子だからな、あの子は」

「確かに、美樹様は魔王に覚醒しようとはしません。……しかし、今後もそうだとは限りません」

「……ぬ」

「もし美樹様が魔王として覚醒したら、この世界がどうなるかは全て美樹様が決める事。場合によっては貴方達人間にとって、ケイブリスが支配する世界より酷いものとなる可能性だってあります。貴方はその事を理解しているのですか?」

 

 ホーネットは美樹に魔王になってほしいが、それは勿論人間の為などでは無い。魔王だった父親が指名した相手だからである。

 秩序ある世界の統治をした父親が選んだ相手だから、美樹にもそのように統治して欲しい。そう思う気持ちは彼女の中にもあるにはある。

 

 しかし、それも全ては美樹次第。魔人は魔王に逆らえない以上、美樹がどのように世界の支配をしようと全てを受け入れなければならない。

 ホーネットには当然その覚悟が出来ているが、自分達に協力すると言った人間がそれを理解して協力しているのか、その事が気になっていた。

 

 ホーネットの問うような視線を向けられたランスは、彼女の言う、美樹が魔王として覚醒した後の世界の事を考えようとして、止めた。

 

「……んな事は知らん。美樹ちゃんが魔王になるか、ならんかも知らんし、なった所でどうなるかも知らん。何か問題が起きたらそん時にどうにかすりゃいい」

 

 ランスにとって大事なのは今だった。先の事は先の自分がなんとかする筈なので、今は自分がしたい事をしたいようにするのである。

 

「……想像以上に何も考えて無いのですね、貴方は。では、何故私達に協力を?」

「それは初めて会った時に言った筈だぞ。お前を抱く為に協力しているのだ、がはははは!!」

 

 前回抱けなかったホーネットを抱いて、ホーネット派の魔人達を自分のハーレムにする。ランスの今の目標はそれだけである。

 先の事を考えようとせず、ただ自分の欲求の為に行動するその男の姿に、ホーネットは表情には出さないが内心で呆れてしまった。

 

「……ならば、貴方は無益な事をしています。私は貴方に抱かれるつもりはありません」

「いーや、抱く。お前は俺様にメロメロになって、いずれ自分から抱いてくれと言うようになる筈だ。というか、そうする」

「………………」

 

 今のホーネットには、そのような自分は欠片も想像出来なかった。

 

「……まぁ、貴方が何を考えようが、それは貴方の自由。身の程を超えた願いを捨てろとまでは言いません」

 

 紅茶も飲み終わり、休憩を終えたその魔人は立ち上がる。

 

「私はそろそろ前線に行かなければならないので、これで」

「なんだ、もう戦いに行くのか」

「ええ、私はこの派閥の主。先頭に立つ義務がありますから。……それでは」

 

 そう言って、ホーネットは部屋を出ていってしまい、ランスは一人残される。

 

「……ぬぅ。中々ホーネットを口説くのは難しい。だが俺様は諦めんぞ。絶対にいつか抱いてやる」

 

 ランスは決意を新たにした。

 

 

 

 

 




魔人メガラスの外見は鬼畜王遵守です。


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『前回』の時の話

 ある日の魔王城。

 

 

「ウルザちゃん! 抱かせろ!!」

「……いきなりですね、ランスさん」

 

 その日の夜、ウルザの部屋に突然ランスがやって来て、部屋に入るなり言い放った。

 

 ランスはウルザが魔王城に到着して以降、今までにも何度かアタックを掛けていたのだが、しかし全て空振りに終わっていた。

 ウルザ・プラナアイス、その女性のガードは非常に固い。その事はランスも十分理解していたが、いつまでも手をこまねいてはいられないとばかりに、本日は正面突破を図る事にした。

 

「今まで忙しいだ仕事があるだと何かと理由を付けては逃げられていたが、今日はもう寝るだけだろう。さぁウルザちゃん、俺様と一緒に寝ようではないか。ぐふふふ……!!」

 

 ランスは両手をにぎにぎさせながら、机で資料の整理をしている獲物に迫る。

 だが彼女にはさしたる動揺も無いのか、椅子から立ち上がる事もなく言葉を返した。

 

「……女性と一緒に寝たいのなら、シィルさんやかなみさんに言えば寝てくれると思いますよ」

「今日はウルザちゃんの気分だ! 大体、こっちに来てからもう大分経つのに一度もしておらんではないか、もう俺様は限界じゃ!」

 

 セックスさせろセックスさせろと、繰り返し呟きながらにじり寄ってくるその男から何と言って逃れるか。あるいは一度拳骨でもって理解させる必要があるのか。そんな事を考えていたウルザだったが。

 

「俺とウルザちゃんの仲では無いか、さぁ!!」

 

 自分とランスの仲。そう言われた時、彼女はある事を思いついた。

 

「……私とランスさんの仲ですか。確かに、悪い仲ではありませんね」

「うむうむ、そうだろうそうだろう」

「けれどランスさん。それなら、私とランスさんの仲に隠し事はいけませんよね?」

「うむうむ、……ん?」

「ランスさん。私に隠している事、ありますよね?」

 

 ウルザは殊更優しい態度でランスに問いかける。しかしその目は笑っておらず、必ず相手の隠し事を明らかにするという強い意思が込められていた。

 彼女はここ最近ランスへの違和感を何度も覚え、そろそろ看過出来なくなっていた。その為、いい機会があれば問い質そうとずっと考えていたのだ。

 

(隠してる事? この前着替えを覗いた事か? それとも……心当たりが多すぎて分からんぞ)

 

「そりゃ、いい男には秘密の1つや2つあるだろ」

「そういう事では無くて。番裏の砦で再会してからのランスさんには妙な点が幾つもあります」

「……妙な点って、例えば?」

 

 未だしらばっくれるその男に対して、ウルザは一つ一つその妙な点を指摘する事にした。こほんと咳払いをし、人差し指をぴんと立てる。

 

「そうですね。例えば、ゼス王国でも把握していないような魔物界の情報について詳しい所とか。シルキィさんの性格やガルティアさんの好物をどうしてランスさんが知っていたんですか? シィルさんとかなみさんは初めて会ったと言っていましたよ」

 

 ウルザは情報収集の一環として、シィルとかなみにも色々と話を聞いていた。

 自分の知らない間にランス達は魔人と接触していたのかと尋ねたのだが、二人共そんな事は無いと言っていた。二人にはホーネット派やケイブリス派についての知識は殆ど無く、魔人について不思議と詳しいのはランスだけだった。

 

「メディウサやレキシントンへの態度にしてもそうです。そもそも派閥戦争への参加自体、ランスさんが突然言い出した事だとお二人は言っていました。ホーネット派やケイブリス派についてどのような事情で知ったのですか? 魔物界の内情なんて、各国の諜報機関でもそうそう入手できる情報ではありませんよ」

 

 それは番裏の砦で再会した時から気になっていた事。近年魔軍による被害を受けた事から、その動向には他国よりも人一倍過敏だったゼス王国でも知られていなかった事を、なぜランス一人が知っているのか。

 

「その辺りの事情について、何か隠し事がありませんか?」

「それは、だな……」

 

 ランスが魔物界の事を色々知っている理由。

 

(そりゃまぁ、俺様が過去に戻ってきたからな訳だが……)

 

 ううむ。と、ランスは腕を組んで唸る。

 ランスは過去に戻ってきた事をまだ誰にも言っていない、わざわざ言う必要も無い事だと考えていたからだ。

 目の前のウルザがその事を知りたがってるのは理解出来たが、何となく話す気にはならなかったのではぐらかす事にした。

 

「まぁ、そこら辺はその~、あれだ。確か、誰かに聞いたような」

「誰かって、誰です?」

「……いや、違うな。聞いたんじゃなくて……そう、予知夢っ! 予知夢で見たのだ!!」

「……ランスさん、いくらなんでも露骨に誤魔化し過ぎです。やはり、何か事情があるのですね」

 

 相手の様子からは話したくないのだという気持ちが十分に伝わってきたが、しかしウルザも最近ずっと気になっていた事で、追求を止める訳にもいかなかった。

 

「……はぁ。この手は使いたく無かったのですが、他にランスさんの口を割らせる方法も思い付きませんし、仕方ありませんね。……話してくれるなら、一晩ならご一緒します」

「なんとっ!?」

 

(ま、いっか。話しても)

 

 ランスはあっという間に気が変わった。

 今まで何となく誰にも話さなかったが、何が何でも秘密にしなければならないという訳でも無い。そんな事より今自分はウルザを抱きたい。そう思ったランスは全てを話す事にした。

 

「よし、良いだろう。話してやろうじゃないか。……ただし!!」

「なんです?」

「勿論、セックスが先だ。……じゃないと、話だけ聞いてウルザちゃん逃げそうだし」

 

 そこは絶対に譲れないラインだった。

 

「……ランスさんこそ、することだけして話さないなんて事、許しませんからね」

 

 仕事途中だった書類を片付けたウルザは、椅子から立ち上がって隣の寝室へと向かう。

 皺にならない様、上着から一枚一枚丁寧に脱いでいると、待ってられなくなったランスに押し倒され、ベッドの上に仰向けにされた。

 

「くくく。もう少し粘るかと思ったが、意外とすんなりだったな。ウルザちゃん」

「ランスさんを信用してるんです。終わったらちゃんと話してくださいよ。……それに、こうして同じ場所で生活をしてる以上、いつまでもランスさんから逃げられるとは思えませんしね」

 

 いずれはこうなるのだろうと、ウルザは自分とランスの関係についてなんだかんだ理解していた。

 身体の上に乗る相手の首の後ろにそっと手を回して、そして二人の影が重なる。

 

 ランスはウルザを余す所無く堪能した。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 小一時間程が経過した後、ランスは心地よい疲労を感じながらベッドに横になっていた。

 

 久々のウルザとの一戦は相応に盛り上がった。

 彼女は芯の強い所のある女性であり、そんな相手が次第に自分との性交の快楽を受け入れていく姿は、とても優越感をそそり立てる。

 お陰で何発も出してしまったので、もうくたくたである。なのでそろそろ眠ろうかと思ったのだが、その時ふと横を見ると右腕の中にいたウルザと目が合う。すると彼女はにこりと笑った。

 

「ではランスさん。約束通り先程の理由を教えてもらいます」

「え。今から?」

「勿論。でないとランスさん、明日には忘れていそうですし」

 

 さすがに優秀な軍師だけあって、その男がやらかしそうな行動は全て読まれていた。

 ランスはこのまま気持ちよく眠りたかったのだが、ウルザとしては話を聞く為に身を委ねたのであり、まだ寝かせる訳にはいかなかった。

 

「ランスさん、早く話してください」

「ウルザちゃんが仕事モードに戻ってる……。先程までもっと甘い雰囲気だったような……」

「……さぁ、どうでしょうね。それよりランスさん、約束しましたよね?」

「……ぬぅ、仕方無い」

 

 目を擦って眠気を払ったランスは約束通りに、自分は未来から戻ってきた事、本来ならホーネット派が敗北し、その結果第二次魔人戦争が勃発するという事などをウルザに話した。

 

 

 

 

 

「……と、いう訳だ」

「……荒唐無稽な話ですが、それなら私の疑問の大部分に説明が付きますね。納得です」

「なんだ、意外とあっさり信じるんだな。冗談だとは思わんのか?」

「他の方ならともかく、ランスさんの事だと、それ位は有り得るんじゃ無いかと思えてしまうんですよ。慣れって怖いですね」

 

 粗方の話を受け入れたウルザは「……けれど」と呟き、疲れたように嘆息する。

 

「それならもう少し早く話してください。そういう事情があるのなら、城内で情報収集するよりランスさんから情報を得るのが最優先じゃないですか」

「まぁそう言うな。それを調べる事も含めて、全て君の仕事なのだ、がはははは!!」

 

 都合の良い事を言って大笑いしながら、ランスは右手をウルザの胸の方に回す。するとその山に触れる寸前で手の甲を思い切り抓られた。

 

「ウルザちゃん、痛い」

「真面目な話をしている時は止めてください。……それにしても、人類の30%以上が死亡する戦争が今後起こり得ると考えると、さすがに恐ろしく感じますね」

 

 一国の範囲では収まらず、世界規模で多数の死者が出る戦争。

 それはウルザも経験した事が無い事で、怖れからかその表情には強張りが見て取れた。

 

「あぁ、ゼスなんかも二体の魔人に国中荒らされて大変だったんだぞ」

「ランスさん、もしかして……その時にガンジー王も?」

「……まぁ、そんな感じだ」

「……ゼスはまだカミーラダークから立ち直っている最中なのに……。そういえば、魔軍の侵攻の際にマジノラインは機能しなかったのですか? カミーラダークの時は……」

 

 マジノライン。ゼスの西の端にあって魔物界との境界線を引く、巨大な魔法要塞である。

 LP4年に起きたカミーラダークはマジノラインの機能停止と共に魔軍の侵攻を許し、ランス一行が魔人を撃退してマジノラインを再起動させる事によって、国内に残る魔軍を撤退させることに成功した。それ程にゼスの対魔軍防衛という意味ではマジノラインの存在は大きい。

 

「まぁ、あの時とは魔軍の数が違ったしなぁ。……て、あぁそうだ思い出した。魔軍はマジノライン側からだけじゃなくて、キナニ砂漠からも侵攻してきたんだ」

「キナニ砂漠、ですか? ……あんな所から魔軍が侵攻を?」

「……ははーん、さては知らないようだなウルザちゃん。実はあそこにはシャングリラという場所があってだな……」

 

 この世界の中心にあるキナニ砂漠。そこに隠された都市、シャングリラ。

 その存在を優秀な軍師が知らないと見たランスは、知る事を自慢するかのようにシャングリラについてあれこれ話した。

 その結果、ウルザに再度のため息と共に呆れられた。

 

「ランスさん……。ですから、そういう事は早く教えてください。……ゼスに連絡をいれて、キナニ砂漠の調査を依頼しておきます。もしランスさんの言葉が本当なら早急に手を打たないと。また同じ様に使われてしまったら大変ですからね」

「おお、そう言われりゃそうかもな。まぁ適当に頼む」

 

 ウルザの言葉にランスは気の無い相槌を打つ。彼の中では自分の活躍により派閥戦争の勝者が変わる事が確定しているので、その先の戦争は起きない。

 なので第二次魔人戦争が起きた際には重要な意味を持つ、シャングリラについては今まで全く意識していなかった。

 

 

「……けど、おかげでランスさんの目的は分かりました。魔人ケイブリス率いる魔軍が人類圏に侵攻し、大規模な戦争が起きる。その戦争に勝利する為ランスさんは過去に戻ってきたという事ですね?」

「ん? いや違うぞ。その戦争には勝った」

「……そうなのですか? しかし、300万以上の魔物兵と魔人が攻めてきたのですよね?」

 

 莫大な規模の敵軍に加えて、キナニ砂漠という現在まったく警戒していない場所からの奇襲を受けたという話を聞いて、ウルザは人類の敗北を想像してしまった。

 しかし真実はそうじゃないと言わんばかりに、ランスはにぃと笑った。

 

「それでも勝ったのだ。まぁ、俺様が居なければ敗北待ったなしだったがな。俺様の大活躍により世界は救われたのだ、がはははは!!」

「……しかし」

「なんだ、信じてないのか、ウルザちゃん」

「いえ、そうではなくて……。戦争に勝利したというのなら、何故過去に戻ってきたのですか?」

 

 ぎくり。とそんな音が聞こえそうな位、ランスは全身が一気に硬直した。

 

 自分が何故この話を誰にもする気が起きなかったのか、それをようやく理解した。この事を聞かれたら困るからだった。考えてみたら何が何でも秘密にしなければいけない事だった。

 何より、もうあの時の事は思い出したく無い。

 

「戦争に敗北する事実を変える為に過去に戻るなら理解出来るのですが、勝利したのなら一体何の為にランスさんは過去に戻ってきたのですか?」

「何の為にって……そ、それは、その、あれだ」

 

 シィルが殺されたからなりふり構わず過去に戻ったなどと、到底言える筈が無い。ランスはどうにかして誤魔化す事にした。

 

「その~、過去に戻ってきたのは、事故みたいなものでな、うむ。俺様の本意では無いのだ、うむうむ。偶然というか、運悪くと言うか。まぁそんな感じだな」

「はぁ、なるほど……」

 

 ウルザは若干気にはなったが、本能的にランスの触れられたく無い部分であると理解して、それ以上の追求を避けた。

 

 

 

 

 

「んじゃ、約束通り話す事は話したし、俺様はもう寝る」

「あ、ランスさん。もう一つだけ。ある意味一番大事な事です」

「一番大事な事?」

「ええ。ランスさんはホーネット派がどうして敗れたかはご存知なのですか?」

 

 ホーネット派が敗れた理由。派閥戦争を勝利に導く上では確かに一番重要な事である。

 

(ホーネット派が負けた理由か……。確か、俺様が巨大戦艦から出てきた時にはもう勝敗は付いてたからな。て事はまぁ、あれしか無いよな)

 

 眠い頭を巡らせて考えてみた所、ランスが思い当たるのは一つだった。

 

「それは、サテラだな。サテラがうっかり五ヶ月近く寝坊してしまったからだ」

「ご、五ヶ月も寝坊したのですか?」

「あぁ、サテラはあれで結構うっかりやさんだからな。しょうがない奴だあいつは」

 

 実の所、サテラが五ヶ月も巨大戦艦内のコールドスリープ装置によって眠る事になったのは、ランスにも一因があると言えるのだが、そのような事は勿論すでに忘れていた。

 

「そんな訳で、今回はさすがにあんな眠る事も無いだろうし、何より今回のホーネット派には俺様が居るからな。勝利は確実だ」

 

 ランスはもう寝るとばかりに目を閉じる。

 だが、大事な事を言うのを思い出して目を開けた。

 

「……後、この話はやっぱ秘密だ。俺様が過去に戻ってきた事は内緒。特にシィルには内緒だ、いいな?」

「……そういう事ですか。……了解です、ランスさん」

 

 ウルザは何となく察した。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 所変わって、ケイブリス城の玉座の間。

 

 

「ケイブリス様。宜しいですか」

 

 玉座にどっしりと座る魔人ケイブリスの下に、魔物大元帥ストロガノフが歩み出る。

 

「あん、なんだストロガノフ。ホーネットをぶっ殺す方法でも思いついたか」

「……はい。その事で、少々お話が御座います」

 

 大元帥が提案した話、それは彼が数ヶ月前より考えていたとある作戦。

 派閥に属する大半の兵を動かす事になる、大規模攻勢の計画について。

 

 

 

「……ほうほう、なるほど。その作戦、結構面白いじゃねえか。ここを通るんだな?」

「はい。ここを通ります」

 

 両者の指は、ストロガノフが持つ魔物界の地図の南西に位置する、とある道を指していた。

 

「この場所を通るなんて、お前。結構悪どい事考えるのな」

 

 ストロガノフが提案した作戦は、奇襲という点では素晴らしい効果がありそうだが、その分自軍への被害も相当なものになると、ケイブリスが少し考えただけでも理解出来た。

 ケイブリスは勝つ事さえ出来れば派閥内の魔人や魔物などどうなっても構わなかったが、しかしこの大元帥がそんな作戦を立てるとは思っておらず、思わず歪んだ笑いを見せた。

 

「……向こうは恐らく予期していないでしょう。彼女の性格を考えれば成功する可能性は高いと思われます。……ただ、この作戦には一つ問題があります」

「問題だ?」

 

 実はこの作戦には当初想定される問題が多く、その為実現性が低いと判断し、今までストロガノフは自分の胸中に留めていた。

 しかし先日魔人ワーグが派閥に参加した事により、幾つかの問題が片付いた。残る一つの問題は目の前にいる魔人が解決出来る筈だった。

 

 

「……と、いう事なのです。そこで、その役をケイブリス様にお願いしたく……」

「バァーカ。んなの、危険じゃねぇか。なんで俺様がそんな危ない事をしなきゃなんねぇんだよ」

 

 当然の事を言わせるなとばかりに、その魔人は大元帥を睨みつける。

 ケイブリスは危険を極端に嫌う。少しでも敗北する可能性があるからと、今まで一度も戦場に出ていない事からもそれは明らかだった。

 

(……やはり、ケイブリス様は動いてくれないか。しかしこの慎重さこそが、この方をここまでの高みに上げた理由であるのも事実)

 

 ストロガノフとしてはこの作戦で勝負が決するのなら、そこは派閥の主自らの手で決着を付けて欲しかったのだが、それはどうやら不可能な様子。

 仕方なくこの話は聞かなかった事にして欲しいと告げると、すぐにケイブリスが異を唱えた。

 

「いやまて、なにも止める必要はねぇ。この作戦が決まればホーネットに勝てるんだろ?」

「……はい。高い確率で、そうなると思われます」

「なら俺様じゃなくて、別の奴にやらせりゃいい。……そうだな、あいつだ」

 

 ケイブリスは凶悪な笑みを浮かべ、ケイブリスなりに作戦をアレンジした。

 

「ケイブリス様、それは……」

「なに、これで勝ちが決まるってんなら構わねぇ。この方法で行くぜ」

「……しかし、そのような事。どの様にして説明すれば……」

「説明なんていらねぇよ。それも、あいつにさせりゃいいじゃねぇか」

 

 その魔人は再び嗤う。

 

 

 ケイブリス派が動こうとしていた。

 

 

 

 

 



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TURN 3
ホーネット派の魔人達


 ある日の魔王城。

 

 

 その日、ランスが気ままに廊下をぶらついていると、今まで目にした事の無い、とても見目麗しい女の子モンスターを発見した。

 

(うお、なんだあの子、すっごい可愛いぞ)

 

 思わず立ち止まってその子を観察する。清楚そうな外見とは裏腹に、上着の裾の切れ目から脚部の際どいレオタード姿が僅かに見え、アンバランスな色気を出している。実にグッドだとランスは思った。

 

 可愛い女の子であれば、モンスターであれ基本的には忘れないランスの脳内に彼女の姿は無かった。似たような姿の女の子を見たことあるような、そんな小さな違和感は覚えたが些末な事だった。

 

(こんな可愛い女の子モンスターが城に居たとは。シィルの奴、ちゃんと調査出来てないじゃねーか、あいつは後でお仕置きだな)

 

 奴隷へのお仕置きはともかくとして、ランスは早速その子を口説く事にした。

 

 

 

 

 

 

「やぁ、そこの君」

 

 背後から静かに近づいて、そしてランスは普段の三割増しで格好付けて挨拶をした。

 

「……私ですか?」

「あぁ、君だ。これから時間はあるか、俺様といい事をしないか?」

 

 振り返ったその相手に近づき、馴れ馴れしくも早速肩を抱く。相手は多少反応したものの、振りほどくような事は無かった。

 

「あの、私これからちょっと、行く所がありまして……」

「そんなのは後で大丈夫だ。さぁ、俺様の部屋に行こう」

「ええと、その……」

 

 相手は非常に困った様子を見せるが、あくまで様子を見せるだけで何故か抵抗したりはしない。

 ランスの手が肩に掛かる彼女の髪を撫でるが、僅かに頬を逸らすだけだった。

 

(この子……さては押しに弱いと見た。これはいけそうだな)

 

「すみません。私、本当に急ぎの用事が……」

「まぁまぁ良いではないか。それに君も女の子モンスターだったら、あまり俺様に逆らわないほうが良いぞ。なんせ、俺様は魔人の使徒だからな」

「……え、貴方は使徒なのですか?」

「ああそうだ。俺様の機嫌を損ねるとサテラが怖いぞー、がはははは!!」

 

 これは城内の女の子モンスターを口説く際の、ランスのお決まりの文句。

 魔物にとって魔人や使徒は上位の存在。使徒に逆らおうとする魔物など城内には滅多におらず、自分が使徒だと知らせれせしまえばナンパの成功率が非常に高まるのだ。

 

「では、貴方がホーネット様の仰っていた……」

「む、俺様を知っているのか」

「はい。一度貴方に挨拶しておこうと思っていたんです。……初めまして、私は魔人ハウゼルです」

 

 その女性はぺこりと小さくお辞儀をする。

 彼女は女の子モンスターでは無く、ホーネット派に所属する魔人ラ・ハウゼルだった。

 

「魔人ハウゼル? ……て、君がハウゼル!?」

「はい」

 

 その事実を知った時、ランスは言葉を失う程の衝撃を受けて瞠目した。

 

(俺様とした事が、今まですっかりハウゼルの事を忘れていた!!)

 

 前回会えなかった魔人ハウゼルを抱く事、それはランスが魔王城に来た目的の一つ。

 だがホーネットを口説く方法を考えたり、シルキィを抱く為魔人を倒す方法を考えたりと、色々忙しくしている間にランスの頭からハウゼルの事が抜けてしまっていた。

 前回彼女には会えず、その容姿を見る事が出来なかったのが原因かもしれないが、いずれにせよこんな大事な事を忘れていたなどランスにとっては痛恨の極みだった。

 

 自分の失態に気付き、呆然自失となっているランスの様子に、不審な思いを受けたハウゼルはそっと声を掛けた。

 

「……あの、大丈夫ですか?」

「はっ! ……うむ、大丈夫だ。そうか、君がハウゼルか……。しかし、君は今まで魔王城の何処に居た? 見掛けた事が無い気がするのだが……」

「そうですね。私は魔王城じゃなくて、キトゥイツリーに居る事が多いんです」

「キトゥイツリー?」

 

 キトゥイツリー。それはホーネット派の本拠地たる魔王城と、前線の拠点サイサイツリー、その中間にある魔界都市の名である。

 

 ハウゼルの話によると、キトゥイツリーは拠点の間にあるとはいえ、敵の前線拠点ビューティツリーから大きく迂回する道を通る事で、最前線サイサイツリーを通らずともたどり着く事が出来るらしい。

 そんな理由である程度の防衛戦力を置く必要がある為、メガラスと同じ様に飛行能力を持ち、機動性に優れた自分は拠点間にあるキトゥイツリーの指揮を任されているとの事だった。

 

「……なるほど、だから城の中で見た事が無かったのか」

「はい。キトゥイツリーでも、サテラやシルキィが使徒を増やしたという話は話題になっていて、一度会ってみたかったんです」

「そうか、俺も君に逢いたかったぞ。俺様はランス様だ。ぜひ仲良くしようじゃないか」

「ええ、そうですね。同じ派閥に属する味方同士、仲良くしましょうね」

 

 ハウゼルは屈託の無い様子でにこりと笑う。それはランス好みの可憐な笑顔だった。

 

「おお、可愛い。君はとても可愛いぞ。それに、魔人とは思えん位とても良い子だな」

「え、ええと、そうでしょうか……」

 

 その褒め言葉にハウゼルは頬を染め、恥ずかしそうに目を伏せる。

 

(……この子、こんなに可愛いのに男慣れしてないな。さっきの感じだと、押しに弱そうだし……なんか、魔人だけどこのままいける気がするぞ)

 

 ハウゼルは今まで長く生きてきた中で男性というものを意識したことが無い。ランスの読みは当たっていた。

 

「ハウゼルちゃん、君の言う通り、味方同士は仲良くしないとな。という事で、俺様の部屋でもっと親睦を深めようじゃないか」

 

 ランスはそのまま彼女の手を引き、自室に連れ込もうとぐいぐい進んでいく。

 ハウゼルは手を引かれるまま、されるがままだったが、彼女には大事な用事があり、ランスに付き合っている場合では無かった。

 

「あ、あの! ランスさん、私、サテラやシルキィに伝えなきゃいけない事が……!」

「なーに、そんなの俺様といい事した後だ、後」

「本当に、大事な事で……! そろそろ、ケイブリス派が仕掛けてくるんです!」

「……なんだと?」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 その後あまりにハウゼルが必死だったので、仕方無くランスは相手の用事を先に済ませる事にした。

 まずはサテラの部屋に寄り、そこでサテラを拾ってからシルキィの部屋へと向かう。四人はそれぞれソファに座り、そこでハウゼルから一通りの報告を受けた。

 

 

 

「……そう、ケイブリス派が……」

「えぇ、どうやらそろそろ動きがあるみたい。それでシルキィにも前線に来るようにって、ホーネット様からの指示があったわ」

 

 ガルティアが離脱して以降静かにしていたケイブリス派だったが、元々開戦の機運が高まっていた事もあり、この度メガラスの偵察によると仕掛けてくる予兆があった。

 その為ホーネットは重要な戦力である魔人四天王に出撃するよう、ハウゼルに伝言を頼んでいた。

 

「私はまたキトゥイツリーに戻るよう言われているから、シルキィはホーネット様を助けてあげて」

「分かった。すぐに向かうわ」

 

 力強く返事をするシルキィの表情は、すでに気合の入った戦士の顔付きになっている。

 一方でそんな様子を眺めていたランスは、つまらなそうな表情で口を開いた。

 

「シルキィ、戦いに行くのか」

「えぇ。これはホーネット様直々の命令だし、今度は止めても駄目だからね」

「ぬぅ、どうしても駄目か」

「さすがに駄目。今前線にある戦力だけでは足りないってホーネット様が判断したからこそ、こうして直々の命令が来た訳だし。ここで私が戦わないで、ホーネット様の身に何かあったら大変だもの」

 

 シルキィの至極真っ当な正論に押され、ランスはぐぬぬ、と眉を寄せる。

 件の約束により自分のものにしたシルキィをもっと味わいたい、その思いは依然として強かったのだが、同じく自分の女にする予定のホーネットが危険だからと言われると、さすがに我儘を通せなくなってしまった。

 

「……しょうがない。しばらくシルキィを抱くのはお預けか」

「……あまり人前でそう言う事言わないで。でも、まぁそう言う事ね。……そうだ、なんなら貴方も一緒に行く?」

「一緒にって……デートのお誘いとかじゃないよな。俺様にも戦えって事か?」

「うん、そういう事」

 

 そんなに自分の身体を惜しむなら、共に来ればいいのではとシルキィはランスを誘ってみた。

 ついでに彼女は優れた戦士だというその男の実力を見せて貰いたかったのだが、一方で誘われたランスは腕を組んで少し考えていたものの、その表情はとても乗り気とは言えないものだった。

 

「……うーむ。世界最強の英雄である俺様の力を借りたいという、君の気持ちは分からんでも無いが……めんどいからパス」

「めんどいって貴方ね、そもそもその為に私達に協力したんじゃなかったの?」

「そのつもりではあったのだがな。けど魔物界に来てみて気付いたのだが、この戦いって味方も魔物、敵も魔物になる訳だろ? 魔物同士が戦っていたら、どっちを斬ったらいいのか俺様にはよく分からんのだ」

「……あー」

 

 ランスの人間ならではの視点に、魔人であるシルキィの目から鱗が落ちる。

 しかし隣に座るサテラはあまりピンとこなかったようで、不思議そうにランスに視線を向けた。

 

「ランス。お前、魔物の区別が付かないのか?」

「あぁ。城内に居る女の子モンスターを全員制覇しようと思ったのだが、同じ種族の子は見分けが付かんから諦めた。俺様に言わせりゃ、似たような魔物共をお前達がどう見分けてるのか不思議でならん」

「そう言われると難しいですね。感覚的に分かる、としか言いようが……」

「うん。そんな感じね。けど確かに、私も人間だった頃は魔物の区別なんて付かなかったから、ランスさんの言う事は分かる」

 

 ハウゼルの言葉にシルキィは同意を重ねる。現在侵攻してきているケイブリス派の軍勢は数十万に及び、こちらも数十万の魔物兵達で迎え撃つ予定である。そんな戦場に敵味方の区別が付かないランスを連れて行っても、十分に力を振るえないだろうと彼女は思った。

 

「まぁさすがに魔人の見分けは簡単に付くから、魔人をぶっ殺せる良いチャンスがあったらその時はちゃんと戦ってやる」

「確かに、貴方は魔人との戦いに集中した方がよさそうね。……けど、分かっているとは思うけど、魔物兵より魔人の方が何十倍も厄介なんだからね」

 

 魔物との戦いは面倒くさがる一方、魔人となら戦ってやると気楽に言うその様子は、シルキィの目に奇妙に写った。だがランスはもうすでに十体以上の魔人を倒した経験があるので、あまり魔人を驚異には感じていなかった。

 

「それじゃ、ランスさんはしばらくゆっくりしてて。私が貴方の分も戦ってくるから」

「うむ。しっかり戦ってこい。それと、君はもう俺様の女だからな。勝手に死んだりするなよ」

「……そうね。ありがと」

 

 自分を心配しているその言葉に、シルキィは少しくすぐったそうに笑う。

 ただランスからすると決して軽口では無く、前回シルキィは突然に勇者の手に掛かり殺されてしまったので、その言葉は割と本気で言っていた。

 

「つーか、戦いが終わったら即帰ってこいよ。寄り道禁止っ!!」

「それは……ちょっと約束出来ないわ。けど、何かあったらメガラスにお願いして連絡は入れるから」

 

 戦いが終わったとしても、場合によってはそのまま拠点の防衛に付かなければならない。

 自分の役割としてそれをする事が今まで多かったので、シルキィは内心結構な期間魔王城には帰れないだろうと思っていたのだが、それを言ったらランスがうるさそうなので黙っている事にした。

 

 

 

「……で、シルキィちゃんは戦いに行って、ハウゼルちゃんは元居た場所に帰っちゃうのか」

「はい。キトゥイツリーも警戒が必要ですし、あそこは前線に近いので、空を飛べる私なら緊急の際に急行する事も出来ますから」

「ぬぅ……ハウゼル、ここに来たばっかで疲れてるだろ。もう少し魔王城に留まってだな、俺様とゆっくりしっぽりせんか?」

「ランスさん。変な事考えないの」

 

 ランスがハウゼルにした提案は、下心を見抜いたシルキィに釘を刺されてしまう。

 そもそもハウゼルにもホーネットの命令が下っており、それを無視することなど彼女には到底出来なかった。

 

「……ん、つかちょっと待て。確かホーネットとムシ野郎が今前線に出てて、これからそこにシルキィが向かうと。あのメガラスとか言う魔人は…」

「メガラスは基本的に敵の偵察をしてるわ。高速で空を飛べる彼に最適なのよ」

「……ほーん、ならまぁいいや。んで、ハウゼルは前線近くの拠点で待機する訳だよな。んじゃあ、サテラは一体何をするんだ?」

 

 ランスはここまで話の話題に上がらない魔人の顔を覗き込む。話を振られたサテラはきょとんとした顔をしていた。

 

「サテラよ、お前はシルキィと一緒に戦いに行ったりしないのか?」

 

 サテラまで戦いに行くというのなら、魔王城には知り合いが殆ど居なくなる。なのでいっそシィル達を連れて近くまで同行するかとも考えたランスだったのだが、

 

「勿論、サテラは行かないぞ。サテラには魔王城を守るという重要な役目があるからな!」

 

 そう宣言して、その魔人はえっへんと胸を張る。

 しかし彼女のその役目があまり重要だとは思えなかったランスは、思わず首を傾げた。

 

「……魔王城を守るったって、こんな所にそうそう敵なんてこないだろ。本当は戦力に数えられて無いだけじゃ無いだろうな」

「な、なっ! そんな事は無い! サテラは魔人だ、大事な戦力だぞ!!」

「本当かー? なーんか怪しいな」

 

 魔王城は前線からはかなり離れている。大事な戦力というなら、ハウゼルのようにもっと戦場に近い場所にいた方がいいのでは。

 そんな考えのランスに懐疑的な眼差しを向けられたサテラは、あたふたと動転して、思わず隣にいたシルキィの手を取った。

 

「シルキィ! サテラは大事な戦力だよな!?」

「ええ、勿論。それにランスさん、魔王城を守る必要があるというのは本当。確かにここに敵が来る事はそう無いけど、魔物兵達はどうしても魔人が居ないと纏まらないものだから、なるべく誰か一人は魔人が居た方がいいのよ」

「あぁなるほどな。それで、派閥の中で一番どうでもいいサテラをここに残しとくと言う事か。サテラの役割は留守番係だな」

 

 自らの使徒たるランスの度重なる失礼な言葉を耳にしたサテラは、怒りの許容量を超えた。

 

「ランスーー!!」

「あんぎゃーー!!」

 

 ソファから立ち上がったサテラは、憤りをたっぷりと込めた飛び蹴りを放った。

 それをまともに食らったランスは壁まで吹っ飛び気絶した。

 

 ぐったりするランスの様子に、心配そうにおろおろするハウゼル。

 一方やりきった様子のサテラに、呆れ顔を見せるシルキィ。

 

「やり過ぎよ、サテラ。ランスさんは人間なんだから……」

「いいんだシルキィ! こいつは主に対しての忠誠が足りなすぎるから、躾にはこれくらい必要だ!」

 

 サテラのランスへの好意を何となく理解しているシルキィは、これはある種の照れ隠しなのかどうか、実に判断に迷って思わず溜息を零した。

 

「……私とハウゼルはこれからしばらく魔王城を離れるんだから、ランスさんとは仲良くしてよ。喧嘩は良くないわ」

「む……わ、分かってる。それよりシルキィ。シルキィの事だから大丈夫だとは思うけど、その……」

 

 サテラはシルキィからそっと目をそらし、その先を言葉が口から出ずにもごもごしている。

 シルキィには勿論その様子が何を意味するかすぐに分かった。自分を心配してくれているが、照れ屋なサテラにはそれを口に出来ないのだ。

 思わずくすりと笑った魔人四天王は、信頼する仲間を見つめた。

 

「大丈夫よサテラ、心配しないで。何かあったら連絡するから、準備だけはしておいて」

 

 

 

 そしてその後、ランスがシルキィの部屋の壁際で気絶している間に、魔人ハウゼルはキトゥイツリーに向け出発し、魔人シルキィは前線拠点サイサイツリーに向け出発した。

 

 

 

 

 

 



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魔人サテラと彼女の使徒

 

 

 魔物界の中部にあって、ホーネット派の前線拠点となっているサイサイツリーとほぼ横並びの位置にある魔界都市、ビューティツリー。

 

 ケイブリス派の前線拠点となっているその都市内は現在、大勢の魔物兵達が出撃の準備に追われて慌ただしくしている。

 その魔界都市からある程度離れた場所に、まるで人間の少女のような魔人が居た。

 

 魔人ワーグである。

 

 先日ケイブリス派に所属する事となったその魔人は、早速戦いに駆り出される事になった。

 だが彼女は周囲の者を無差別に眠らせてしまうという厄介な体質を有している。その為魔界都市内には立ち入る事を許されず、周りに誰も居ない場所で寂しく待機していた。

 

「……ふぅ」

 

 この先の事を思い、ワーグの口から自然と溜息が漏れる。それを聞いていたのはただ一匹、彼女の隣にはペットとして飼っている夢イルカのラッシーが寄り添っていた。

 退屈しのぎの手慰みにと、ワーグはラッシーのもこもことした白い毛並みを撫でてみる。するとそのペットが口を開いた。

 

「戦いなんてやだよー! 怖い! 逃げたいー!」

「……ラッシー、黙りなさい」

 

 触れた時、そのような弱気な言葉がラッシーの口から出てくるとワーグは気付いていた。けれどその手を止めようとはしなかった。どうせ周囲にそれを聞く者など居ないからだ。

 

「だってー、ワーグは戦いなんて嫌だろー。なら、いっそ逃げちまおうぜー。……でも、逃げるのも怖いよー!」

「ラッシー。……黙って、お願い」

 

 ラッシーのもこもこの身体に額を当て、彼女が深く目を瞑る。

 ワーグは自分の能力を戦いに利用される事を心底嫌っていた。そのような事をしてしまえば、今より更に周りの者は自分を怖れ、今より更に孤独になる事が分かりきっているからだ。

 

(……ラッシーの言う通り、本当は逃げたい。けど……)

 

 あの事の恐怖を思い出し、ワーグは思わず自分の身体を抱き締める。

 彼女は先日、ケイブリス派の主から派閥への勧誘を受けた。だがそれは勧誘と呼ぶより、殆ど脅迫と呼ぶべきものであった。

 

 ワーグは周囲を遠ざける自分の体質を嫌悪していたが、同時にそれによって自分は無敵なのだとも思っていた。

 しかし魔人ケイブリスはその体質が効かない、彼女にとっての天敵と呼べる存在だった。その巨大な拳で殴られ、壁に強く叩きつけられた時、数百年振りに死の恐怖を感じた。

 

 ワーグは極めて強烈な体質と、相手の思想すら変えてしまえる凶悪な能力を有しているが、それ以外の部分では見た目通り普通の少女と何一つ変わりない。普通の少女と同じように、死ぬのはとても怖かった。

 

 そしてケイブリスの暴力に屈服したワーグは、その派閥へ参加する事となって今ここに居る。

 ここで逃げたら間違いなく自分は殺される事になる。儘ならぬ現状を憂い、ワーグの口からはぁ、と再度の溜息が漏れた。

 

 とその時、彼女のそばに一本の矢が刺さった。

 その魔人の周囲に誰一人近づく事が出来ない為、連絡用として使用されている矢文である。そこに書かれていた自分への命令を見たワーグは、首を傾げて呟いた。

 

「……何、この命令。どういう意味?」

「何々? 何だってー?」

 

 

 

 

 

 その日の夜。ワーグは立ち入りを禁止されている魔界都市、ビューティツリーの内部にいた。

 都市内にいる兵達は全員、ワーグの身体から出る特殊なフェロモンにより眠りについている。

 彼女とってはありふれた光景、自分以外動く者のない静かな都市内を歩くことしばらくして。

 

「あそこね」

 

 矢文で指示されていた目的のテントを発見した。

 そっと入り口に手を差し込み、その中の様子を覗いてみる。中ではとある軍を取り仕切る魔物将軍の一人が、すやすやと心地よさそうに眠っていた。

 

(こんな事、本当はしたくないけど……)

 

 責め苦を受けているような辛い表情を浮かべて、ワーグは俯く。

 

 魔人ワーグの有する能力、夢操作。そう聞くと可愛げがあるが、実際は夢を操作する事により、その者の思想や記憶まで操作する事が出来てしまうとても凶悪な能力である。

 彼女が自身の体質以上に嫌悪するその能力を、この魔物将軍に使用する。それが昼間届いた矢文に書かれた命令だった。

 

 同じ派閥内に属している、味方の筈の魔物将軍に対してこの能力を使う意味も、記憶を弄るよう指定された内容にもワーグは理解出来なかったのだが、とはいえやっぱり命令に逆らう事は出来なかった。

 

 ごめんなさい。と、声なき声で謝って、彼女は能力を使用した。

 

 

 

 そして、次の日。

 ケイブリス派の大軍勢は、ホーネット派の前線拠点サイサイツリーに向けて出発した。戦いはもう間近に迫っていた。

 

 魔人ワーグはその軍には同行していなかった。彼女にはすでに別の命令が下されていた。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 一方で、所変わって魔王城。

 

 前線に迫る開戦の前兆などどこ吹く風、今日もランスは魔王城で気ままな日々を過ごしていた。

 そして本日の目的は魔人サテラである。廊下を歩くランスはサテラの部屋に向かいながら、つい先日起きた出来事を思い出す。

 

 

(まったくサテラの奴。俺様が気絶している間に、シルキィちゃんもハウゼルちゃんも居なくなってしまったではないか)

 

 魔人ハウゼルに初めて遭遇した先日、サテラの飛び蹴りを食らってランスは気絶した。

 そして彼がノビている間に、二人の魔人は早々に魔王城を出発してしまっていた。

 

 シルキィとは出発前にもう一度抱いておこうと思っていたし、ハウゼルとはようやく会えた事だしベッドの中でもっと親交を深めようと思っていた。

 しかしそんなランスの計画は、サテラの飛び蹴りのせいで全て台無しになってしまった。

 

(この責任はサテラにとってもらう必要があるよな、うむ)

 

 という事で、今日はサテラを抱く事にした。

 

 

 

 

 

「つー訳だサテラ。俺様とセックスをしようじゃないか」

「する訳無いだろう、馬鹿」

 

 魔人サテラの部屋。テーブルの上で粘土をこねこねしていたサテラに対して、部屋を訪れたランスは早速とばかりに要件を切り出した。

 しかし返ってきたのは罵倒一つ、彼女はまるで意に介さなかった。

 

「いい機会だから教えてやる。サテラは魔人。ランス、お前は人間。人間が魔人を抱こうだなんて、恐れ多い事なんだぞ」

「そうは言うがお前、すでに俺様に何度かセックスしているじゃないか」

「う、うるさいっ! あれはその、事故みたいなものだ!!」

 

 以前ハイパービルにて処女を失った時の事を思い出し、サテラの顔が羞恥に染まる。

 初回はともかく二度目の時は半分合意の上のようなものであったが、彼女の中では全て事故扱いだった。

 

 魔人サテラ。彼女は魔人ホーネットの遊び相手として、魔王ガイに連れてこられた少女である。

 その際にホーネットと似た教育を受けた為か、魔人と他の生物間の絶対的な格差を重視している。誇り高き魔人の自分が人間に身体を委ねるなど、彼女にとってあってはならない事。

 

 粘土をこねる手は止めぬまま、ついっとそっぽを向いたサテラはきっぱりと宣言した。

 

「サテラはエッチな事なんてしないぞ。そんなにしたければ一人ですればいい」

「……セックスが一人で出来るか。ぬぅ……あ、そうだ」

 

 どうにかしてサテラを抱く良い方法は無いか。

 そう考えた時、ランスは前にホーネットに言われた事を思い出した。

 

「おいサテラ、俺様はガルティアをホーネット派に引き抜いた功労者だ、そうだな?」

「……みたいだな。それがどうした」

「うむ。俺様はそれはもう多大な働きをした。だから褒美をくれ。お前は俺様の主なんだろう?」

「む」

 

 俺様の主。その台詞にサテラがぴくんと反応する。彼女はランスの主である事に結構なこだわりがあった。

 

「確かにサテラはランスの主だが……、一応聞いてやる、褒美とは何が欲しいんだ?」

「俺様の欲しがる褒美など決まっているだろう。もちろんサテラ自身だ」

 

 サテラはその返答は予測済みであったのか、特に動転する事なくランスを軽く睨みつける。

 

「やっぱりそれか。さっきから言ってるだろう。サテラはそんな事しない」

「ケチくさいぞサテラ。褒美ぐらいくれたっていいだろ」

「ふんだ。だいたい、ランスはサテラの使徒なんだから、サテラの為、ひいてはホーネット様の為に働くのは当たり前だ。当たり前の事をしただけで偉そうにするな」

「こ、こいつ……、ホーネットと似たような事言いやがって……」

 

 派閥の主従として考えも似るのだろうか、ランスとしては全く面白くない。

 何かサテラを抱く良い手段は無いだろうか、そんな事をじっと悩んでいた時、ふいにサテラの表情が真剣なものに変わった。

 

「……ランス。そんな事よりだな、お前に一つ聞きたいことがある」

「聞きたい事?」

「あぁ……その、シルキィの事だ」

 

 前々から内心とても気になっていた事について、サテラは意を決してランスに尋ねる事にした。思わずその手には力が籠もり、形取っていた粘土が拉げる。

 

「その、だな。ランスはシルキィとの約束を果たしたんだよな? という事は、やっぱりもう、シルキィとはその、え、エッチな、こ……!」

 

 声が上擦り、そこから先は言葉に出せず。

 ガルティアがホーネット派に属する事になってから、サテラはそれがずっと気になっていた。

 番裏の砦でランスとシルキィはある約束をしていた。それが達成されたという事は……。

 

「なんだ、そんな事か。勿論セックスしたぞ。もうシルキィは俺様の女だ。がはははははっ!!」

 

 高笑いと共に告げられたランスの返答に、サテラはハッと顔を上げる。その心には稲妻に撃ち抜かれたような衝撃が走っていた。

 

 これまでの二人の様子から、彼女も内心では薄々分かってはいたのだが、遂にランスから断言されてしまった。

 魔人四天王のシルキィが、同じ派閥同士で何かと自分を気にしてくれていたあのシルキィが、自分の使徒であるその男のものになってしまった。

 言葉には言い表しようの無い、複雑な感情がサテラの頭の中をぐるぐると回り、思考が定まらないまま彼女は何とか口を開く。

 

「……ラ、ランス。お前はその、シルキィの事をどう思ってるんだ?」

「ふむ。そうだな、シルキィは真面目だが実は凄いエロい子だと思っている。いつも最初は乗り気では無いのだが、気が高ぶってくるとそのうち自分から動いてきて……」

「わぁ! な、何の話だっ! そういう事じゃなくって、そ、その……もういい!」

 

 思わず二人の官能的なシーンを思い浮かべてしまい、、慌ててぶんぶんと頭を振る。

 そもそもランスがシルキィをどう思っていようが、それが一体何だと言うのか。サテラには自分が何を聞きたいのかがよく分からなかった。

 彼女は一つ深呼吸を置いてどうにか気を落ち着け、そしてランスに向き直る。

 

「と、ともかくだな。ランスはサテラの使徒なのだから、あんまりシルキィに迷惑掛けちゃ駄目だ。そう、それが言いたかったんだ!」

「……けど、サテラはサービス悪いしなぁ」

「使徒と変な事する訳無いだろう! 普通の事だ!!」

 

 魔人と使徒の関係をこの男は勘違いしてるんじゃなかろうか。そんな事を思ったサテラだが、続くランスの言葉に再度雷に打たれたような衝撃を受けた。

 

「でも、シルキィならしてくれそうだし……いっその事、シルキィの使徒の方がいいかもしれん」

「え!!」

 

 サテラは驚愕に目を見開く。それはとてもショックな言葉だった。ランスが自分よりシルキィの使徒である事を望むなど考えたくもなかった。

 

 一方で、先程からサテラとセックスする良い方法はないかと考えていたランスは、そんな彼女の様子を見て思い付いてしまった。

 

(この反応は……。うむ、これだな)

 

 ランスはにやりと笑った。

 

「そーだそーだ、そうしよう。今日からシルキィの使徒になった事にしよーっと!」

「な、そんなの駄目だっ! お前はサテラの……」

「いーやもう決めた。サテラは俺様がホーネット派の為に頑張ったのにまるで褒美をくれんからな。ケチくさい主はもうり懲り懲りだ、シルキィならあーんな事もこーんな事もしてくれるからなぁ!」

 

 もはや話す事など無いとばかりに、ランスはサテラに背を向けた。

 

「あ、ま、待て!!」

「待たーん! シィール、今からシルキィの所に行くぞー!!」

 

 そう言って男はさっさと部屋を出ようとする。このままでは本当にランスがシルキィの使徒になってしまうと思ったサテラは、もはや覚悟を決めるしか無かった。

 

「待ってランス! 分かった、分かったからっ!」

 

 その言葉に、ドアノブに手をかけていたランスの身体がぴたりと止まった。

 

「ほう? 何が分かったって?」

「だ、だからその……、う、うぐぐ~……」

「うぐぐ、じゃ分からん」

 

 羞恥に顔を伏せるサテラはすでに耳まで真っ赤、その大きな瞳も涙目になっていた。

 とても恥ずかしくて言葉にしたくない。けれど言わないとランスが自分の使徒で無くなってしまう。ランスを使徒にするのは彼女の以前からの野望であり、やっと叶ったのに手放したくはなかった。

 

「……し、していい」

「何をだ?」

「サテラにも……その、シルキィにした事と、同じ事、していい」

 

 サテラはなんとかそれだけを口にした。

 聞いたランスはようやくこの魔人を丸め込む事が出来たと、心の中でガッツポーズ。

 

「ほほーう。言ったなサテラ。後からやっぱ無しは駄目だぞ」

「……分かってる。それより、ちゃんと褒美をやるから、ランスはサテラの使徒で構わないよな!?」

「オーケーだとも。がはははは!! いやー、使徒思いの主を持って俺様は幸せ者だなぁ! ……よっと!」

「きゃ!」

 

 サテラの了承を得た途端、ランスは逃さぬとばかりにその華奢な身体を抱き上げると、そのままベッドにぽーいと投げる。

 そして一瞬で服を脱いで素っ裸になると、ベッド上の獲物に覆い被さった。

 

「さーて、敏感肌のサテラちゃんっ! 俺様がシルキィとするセックスは結構ハードだからな。ちゃんと付いて来いよ!」

「ラ、ランス。サテラはその、あれだから、せめてゆっくり……んっ!」

 

 唇がサテラのそれに触れる。それだけで、彼女はどうにかなってしまいそうだった。

 

 

 シルキィにした事と同じ事をしていい。そのようにサテラが言ったので、普段シルキィとするようなフルコースでいこう思ったランスだったが、しかしサテラにはちょっと刺激が強すぎたのか、途中で果てるように気を失ってしまった。

 

 だが、それでもランスは十分満足した。

 

 

 

 

 

 



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サイサイツリー西の戦い

 

 

 高さは数百メートル、幅は数千メートルに及ぶ、世界樹と呼ばれる樹が魔物界に存在する。

 大地を貫く壁の如きその大樹の周囲からは、不思議と食料や資源が豊富に取れる。その為古い時代から魔物達は自然とそこに集落を作り、やがてそれが魔界都市と呼ばれるようになった。

 

 その魔界都市の一つ、サイサイツリー。

 ホーネット派の最前線の拠点となるその都市に向かって、ケイブリス派の大軍が近づいていた。

 

 ケイブリス派がホーネット派の本拠地である魔王城に辿り着く為には、サイサイツリーを落とすか、迂回する道を通ってキトゥイツリーを落とす必要がある。

 キトゥイツリーには魔人ハウゼルを中心とした飛行部隊が警戒態勢にある為、ホーネット派は目下敵の軍が迫るサイサイツリーに戦力を集め、現在そこでは出撃の準備が行われていた。

 

 魔界都市は都市と名は付くものの人間世界にあるようなそれとは違い、一本の巨大な世界樹の周りに沢山の住居用のテントが張ってあるような場所。あまり引き籠もって守るのには適さない上、食料の供給源となるこの場所を荒らされる訳にはいかない。

 その為ホーネット派は敵を拠点まで近づけさせないよう、サイサイツリーへの道の途中でケイブリス派を迎え撃つ予定でいた。

 

 

 

 そのサイサイツリーの一角、骨組みに屋根を張っただけの簡易なテントの中に、魔人ホーネット、魔人シルキィ、魔人ガルティアが揃っていた。

 もう間近に迫る戦いへの談義をする為、三人の魔人はこの場に集まっていたのだが、今はもう一人の魔人の帰還を皆で待っている状態だった。

 

「メガラスも、そろそろ戻るとは思うんだけど」

 

 テントの端から見える魔物界の空を見上げて、シルキィが独りごちる。

 魔人メガラスは一人拠点を離れて、進軍中のケイブリス派の偵察を行っている。作戦会議を行うのはその魔人が情報を持ち帰ってきてからである。

 

「あいつって、こういう時便利だよなぁ」

「えぇ。メガラスやハウゼルの存在は、こっちが向こうに勝っている少ない点だもの」

 

 しみじみと呟くガルティアの言葉に、シルキィも頷きながら同意する。

 

 メガラスやハウゼルは飛行能力を有する魔人である。空を飛べる魔人は少なく、以前はケイブリス派にハウゼルの姉である魔人サイゼルが属していたが、現在彼女は派閥を離脱している為、ケイブリス派には空を飛ぶ魔人に対する有効な手段が少ない。

 飛行魔物兵の攻撃は無敵結界に阻まれる為、地上にいる魔人の魔法攻撃などしか効果が無い。あまり確実性の高い対処法とは言えず、おかげで両魔人は悠々と移動や偵察が可能だった。

 

 

 

 その後、メガラスは偵察から帰還した。

 

「おかえりメガラス。それで、誰がいた?」

「………………」

 

 敵軍の中にどの魔人がどれだけいるか。それがこの場に居る魔人達が番知りたい情報。

 

 勿論戦いに動員した魔物兵の数はケイブリス派の方が多いのだが、やはり重要となるのは魔物兵の存在より魔人の存在である。

 敵にどの魔人がいるかは戦いの方針を決める上で重要な情報で、あまりにその数が多い場合はハウゼルやサテラに救援を要請する必要も生じる。

 その為メガラスは可能な限りまで飛行して、迫り来る敵軍の中から魔人の存在を探っていた。

 

 そしてその魔人は表情を変えぬまま、一体の魔人の名を告げた。

 

「あぁ、そりゃまぁあいつはいるよな。というか、ここからでも一目瞭然だし」

 

 ガルティアの言葉は他2名も頷く所で、皆は少し前からそれが見え隠れしている西の空の方を向く。

 メガラスの報告を待つまでも無く、それが来ている事は三人の魔人にも分かっていた。まだケイブリス派の軍団は遠くにあって、それでも良く見えるあの巨大な姿。

 

「分かりやすい奴だよなぁ、バボラは」

 

 魔人バボラ。あらゆる生物の中でも随一の巨体を持つ鬼の魔人が、一歩一歩と地響きを立てながらサイサイツリーに接近していた。

 

「本当に、分かりやすくて助かるわ。……ホーネット様、あれの対処は私が」

「えぇ、お願いします。シルキィ」

 

 誰よりも信を置く魔人四天王の言葉に、派閥の主は二つ返事で首肯する。

 魔人バボラが厄介と言えるのはその巨体だけであり、それ以外は特筆すべき点の無い魔人。そしてその巨体もシルキィの手に掛かれば大した問題では無く、彼女にとっては相性の良い相手と言えた。

 

「………………」

 

 メガラスは偵察中に発見していたもう一人の魔人、電撃を操る魔人の名を告げた。

 

「レイか。んじゃあ俺はそっちをやろうかな」

「ガルティア……」

「信用しろって、ホーネット。しっかり相手するさ。それに、もう前払いで沢山貰ってるからな」

 

 魔人レイと対峙する事を名乗り出たガルティアは、先程も食べたあの団子の味を思い出すように腹の縁を撫でる。

 

 ランスはあの後、香姫から何度か届いた団子をすぐさまガルティアの下に送っていた。特にまだ彼が働いたという訳では無かったのだが、あの団子は不気味な存在感を放つので、大量の団子を城内に保管しておくのが怖くなったのである。

 

「……分かりました、貴方に任せましょう。それよりメガラス、他に確認出来た魔人は?」

 

 ホーネットの問い掛けに、メガラスは否定の意思を示す様にその首を横に振る。

 彼が偵察中に確認出来たのはその2体の魔人だけだったのだが、その話にシルキィが首を傾げた。

 

「……うーん。バボラとレイだけってのは、ちょっと考えにくいような……」

「確かに。少なくともホーネットが出てくる事は、向こうも分かってるだろうからなぁ」

 

 派閥の主として先頭で戦う事を自らの義務としているホーネットは、開戦当時から前線で戦い続けている。

 勢力的に劣るホーネット派がここまで均衡を保つ事が出来たのも、派閥最強の戦力である彼女が出し惜しみ無く力を振るい続けてきたからである。

 その為ケイブリス派が進軍する際には、まずホーネットの対処を考えなければならない筈だった。

 

「バボラとレイだけで私を抑えられるとは思っていない筈。他にも潜んでいるかもしれません」

「ですね。さすがのメガラスも、何十万っていう魔物兵の中から魔人一体を見つけるのは大変ですし」

「そうだな。メガラスが見落としたって可能性は十分ありえるな」

 

 現段階の情報を整理して、ホーネット達は敵が何処かに伏せている他の魔人の存在を疑った。

 話を聞いていたメガラスは、自分はそんな杜撰な仕事はしないと言いたげに少し首を引いたが、魔物界は森に囲まれている場所も多く、空からでは完全に見張る事が出来ないのも事実ではあった。

 

「まぁ、何処に誰が潜んでいようと問題はありません。隠れているなら誘き出すまでです」

「誘き出すって、どーやって?」

「簡単です。私が戦えばいいだけの事」

 

 ホーネットのとてもシンプルだが有効な作戦に、ガルティアは納得したように手を打った。

 

「なるほど。俺がレイの相手をして、シルキィがバボラの相手をする以上、余ったホーネットが大暴れすりゃあ隠れてる訳にはいかなくなるか」

「そういう事ね。相手は誰かがホーネット様を止めなきゃ、あっという間に戦いに決着が付くわ」

 

 無敵結果を有する魔人を魔物兵だけで抑える事は非常に困難となり、だからこそ魔人の相手は魔人がするのが通例となる。

 何十万という魔物兵と対峙しても、単騎で戦局を動かす事が出来る。それが魔人、その中でも魔人筆頭と言われるホーネットの実力だった。

 

「私は一番前に出るので、シルキィとガルティアはそれぞれの魔人の対処を頼みます。メガラスは偵察を続けて他の魔人を発見したらすぐに知らせてください。本陣はケイコに任せます、いいですね?」

 

 その場に居た魔人達と、ホーネットの後ろに控えていた彼女の筆頭使徒、ケイコが頷く。

 

 程なくして、両派閥の何度目とも分からない戦いが始まった。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 戦場になったのはサイサイツリーから西の地点、ビューティーツリーへと繋がる道の中間辺り、見晴らしの良い荒野のような場所だった。

 

 魔物将軍、あるいは魔物隊長による号令の下、ケイブリス派の魔物兵とホーネット派の魔物兵が衝突する。大軍が大地を踏み付ける止む事の無い地響きと共に、辺り一帯で怒声と悲鳴が上がり始める。

 

 魔物界には多種多様の魔物が数多存在している。そしてその魔物が魔物兵スーツを着る事によって、両派閥が戦力とする魔物兵となる。

 魔物は種族により攻撃方法や活動時間などそれぞれだが、魔物兵スーツによって統一される事によって指揮官が統率可能な兵隊になる。

 魔物兵スーツを着た魔物は、能力が統一される代わりに個性を失う。敵も味方も完全に同一の規格となるので、魔物兵同士が戦えば基本的には数の多い方が勝利する事になる。

 

 そこで重要となるのが魔人の活躍だった。

 

 

 

 

 

 戦場の北。常の変わらず泰然とした表情のまま、しかし機敏な動きでもって、波のように連なる魔物兵の陣中を魔人ガルティアが駆け抜けていた。

 

 その行く手を遮ろうとする勇敢な魔物兵は、しかしその魔人が手に持つ愛用の蛮刀によって裂かれ、あっという間に命を失う。

 この戦いの前に愛しの団子を沢山平らげ、とても気合が滾っていたガルティアは、対峙する魔人の下へと一直線に進んでいた。

 かの魔人がその力を奮っていると思わしき場所からは、時折辺りを激しく照らす稲妻が生じる為、遠目からでもすぐに分かった。

 

 やがてガルティアは目的の魔人を発見した。

 強烈な電撃に貫かれたと思わしき、大勢の魔物兵の亡骸の中心にその魔人は立っていた。

 口にタハコを咥えたその姿は、一見すると人間の不良のような外見だが、その身体の周囲で時折起こる放電が、人間を超えた存在であると雄弁に主張していた。

 

「お、いたいたっと。……よう、レイ」

 

 魔人レイ。電撃を操る元人間の魔人である。

 ガルティアはレイに対し、戦場にあっても緊張感を感じさせない普段通りの様子で挨拶をした。

 そんな元同派閥の同僚の気安い態度に、レイは髪の下に隠れている鋭い目付きで睨んだ。

 

「ガルティア……。てめぇ、そっちに付いたってのは本当だったのかよ」

「ああ、まぁ色々あってさ。けれど、お前はそんな事気にするような奴じゃないだろ?」

「まーな。ただよ……」

 

 レイは他人と距離を置き、派閥内の魔人等とは関わりを持たない孤高の魔人。

 そんな彼にとって、ガルティアがケイブリス派を抜けた事はどうでもよかったが、ホーネット派に所属したという事が少し癇に障っていた。

 

「ホーネット派の仲良しごっこに、てめぇが興味あったとはな」

「はは、仲良しごっこか。けど、悪いもんでもないぜ。お前も来たらどうだ?」

「ふざけんな。あの女のくだらねェ考えに付き合ってられるか」

 

 魔人レイ。その魔人は人間だった頃より力を持て余し、ずっと退屈な日々を嫌っていた。

 その心の乾きを潤す為には、戦う事しか無いとレイは考えている。その為魔人が魔人らしく生きられなかった魔王ガイの治世の時は、長きに渡り鬱屈とした日々を過ごしてきた。

 当然、そんな父親の意思を受け継ぐホーネットに従う事など、彼には死んでも御免だった。

 

「まぁ、んな事はどうだっていい。てめぇならちったぁ楽しめそうだ」

「それもそうだな。んじゃやるか」

 

 さすがにガルティアも、この相手がそんな話に乗るとは思っていなかった。

 特に気を落とした風も無く、ゆったりとした動きで蛮刀を構えると共に、いざという時いつでも外に出て自分を援護出来るよう、腹の内に隠している使徒達にそっと合図を送る。

 

 対するレイがタハコを口から捨てると、バックルの中から櫛を抜く。

 そして前髪を逆立てると同時に、その体中から激しい雷が迸った。

 

「叩き潰す!」

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「あー……つぶ、す。つぶす……」

 

 戦場の南。遠くにあってもひと目で分かる、近くにあっては空を覆う程の、超巨体の魔人がホーネット派の拠点に向けて前進していた。

 

 魔人バボラ。全長50mを超す図体を有する鬼の魔人である。

 バボラはただ歩いているだけだが、その巨体を止める術など持たない足元の魔物兵達は逃げ惑うばかり。仮に味方が居てもお構いなしだった。

 

 このままバボラが前進し続ければ、貴重な食料源となるサイサイツリーに辿りつき、その価値が理解出来ないバボラにめちゃくちゃにされてしまう。

 魔人と対峙した時、魔物兵に唯一出来るのが時間稼ぎである。無敵結界に阻まれて攻撃は効かないものの、物量で押し込めば暫くその場に抑えつける事ぐらいは出来るのだが、しかしバボラ相手では少しの足止めをする事も出来ない。

 

 その点においては厄介な魔人で、バボラの歩みを止めるのは同じ魔人にしか出来ない事だった。

 

 

「シルキィ様、お願いします!」

「ああ、分かっている。兵達を一旦下がらせろ」

 

 バボラの前までたどり着いた魔人シルキィが、戦場において意図的に変えている固い口調で、その場を指揮していた魔物隊長にそう告げる。

 

 バボラは自分の足元付近にいる、とても小さなシルキィの存在には全く気付いていない。

 魔人となった影響で徐々に身体が巨大化するようになった際、脳が比例して大きくならなかったその魔人は、今では図体の割に極小の脳しか持たない。

 殆どまともな思考は出来ず、敵を認識する事も無くただただ前に進むだけだった。

 

 一歩、また一歩と踏み出して、その度に大地が揺れる。壁と見紛うようなバボラの巨大な足が、次第にその魔人の眼前に迫る。

 

「……全部使うのは、久しぶりか」

 

 小さな呟きと共にシルキィは目を閉じて、その精神を静かに集中させる。

 

 その魔人は人間だった頃から優秀な戦士だった。ただ戦士としての才能以上に、鉱物に魔法による処理を施して魔法具とする、付与の力に優れていた。

 付与の力により作られた攻防一体の鎧、リトルと呼ばれる魔法具を普段装着しているシルキィだが、その装甲はあくまで一部分であって、彼女が有する魔法具の全てはそれだけには留まらない。

 

 目を開けると共に、シルキィは自分が操れる全ての魔法具を展開する。

 するとその場所には、総重量20トンを超える、まるで巨人と見紛うような装甲が聳え立った。

 

「お、お……?」

 

 さすがに鈍重なバボラでも、眼前に突然現れた自身と比肩する大きさの存在には気づいた。

 それが何なのかは理解出来なかったが、自分の前にあるのは全部敵だと部下から聞いていたその魔人は、ならばこれも敵だと考え、ゆっくりとその右腕を振りかぶる。

 

「バボラ、行くぞ」

 

 緩慢な敵の動きなど待つ事はせず、シルキィは装甲で出来た巨大な腕を振り下ろした。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「ぎゃあー!! に、逃げろー!!」

 

 戦場の中央。弾けるような魔法の奔流が度々発生し、その度にケイブリス派の魔物兵達は泡を食って逃げ出していく。

 その魔法を操るのは、魔物兵の彼らには絶対に勝てない存在、どうあがいても敵う筈の無い絶対的な存在がそこに居た。

 

 魔人筆頭、派閥の主である魔人ホーネット。

 

 その魔人の周囲には燃え盛る炎に焼かれ、あるいは凍てつく氷に呑まれたりと、あらゆる属性を駆使する彼女の魔法によって撃たれ、すでに事切れた魔物兵達の山が出来上がっている。

 

 魔物兵が魔人に勝てる道理は無い。ホーネットは戦場において、勝ち目の無い弱者に対して殊更に力を振るうのは好む所では無かったが、自分の相手をするべき敵の魔人がまだ現れていない。

 その為自身の存在を誇示するべく、強大な魔法でもって魔物兵達を蹴散らしていた。

 

(……今回、わざわざビューティツリーから出撃してきた以上、これだけとは考えにくい。必ず何処かに別の魔人が潜んでいる筈。問題は、それが誰かという事ですが……)

 

 逃げ惑う魔物兵に向けて白色破壊光線を放ちながら、ふとホーネットは思案する。自分は一体誰と対峙する事になるだろうか。

 

 これまでに何度も引き分けた、因縁深いあの宝石の魔人か。 

 それとも滅多に戦場に出ては来ないが、魔人四天王最強と言えるあの魔人か。

 あるいは派閥の主であるあの魔人か。と考えた所で、それは無いかと彼女は考え直した。

 

(……さすがにケイブリスが出てくるとは思えませんが、まぁ、誰が来ようと同じ事)

 

 誰が相手だろうと自分は必ず勝たなければならない。魔王ガイの遺言を忠実に守るのが、彼女が自らに課した使命だからである。

 ホーネットは剣を握る力を強め、新たな魔法を行使する為呪文を紡ぐ。

 

 その後も魔人筆頭たるその魔人の魔法は、止むこと無く魔物兵達に降りそそぐ。

 ホーネットを止める者は、未だ現れなかった。

 

 

 

 

 

 



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サイサイツリー西の戦い②

 

 

 

 

 

 魔界都市サイサイツリーから西の地点にて。

 ホーネット派とケイブリス派、敵対する両派閥の戦いが勃発した。

 

 そして衝突から数時間が経過した今、両派閥の戦いは未だ継続中である。

 だがその戦場の一角にて、ある魔人同士の戦いに決着が付こうとしていた。

 

 

 

 

 

「ぐ、ぐ……」

 

 その唸り声すらも遠くに響く程に巨大、全魔人中最大の巨躯を持つ魔人バボラ。

 その眼前には知らぬ敵がいる。ならばその敵を倒そうと、毎度のようにその腕を振りかぶっては殴り掛かる。

 

 足元に生えた木々が吹き飛びそうな程の風圧を伴う、まともに当たったらどんなモノでも破壊しそうなその一撃。

 だがその魔人の敵対者、巨大な装甲を身に纏う魔人四天王シルキィは、少し身体を逸らすだけでその巨拳の一撃をひらりと回避する。

 

 殴り掛かった勢いを殺す事が出来ずに、バボラはそのまま地表に転倒する。

 その図体が大地に墜ち、振動と共に途轍も無い規模の地鳴りが響くが、その相手は一切気を取られる事も無く、槍の形状に変化させた魔法具でバボラの足を突き刺した。

 

 「あ、ぐぐ。い、いだい~……」

 

 鈍臭い悲鳴を上げるバボラだったが、それでも何とか立ち上がる。しかしそんな鬼の魔人の表情からは、すでに戦う意欲を消え去っていた。

 

 両者の戦いのあらましを示すように、バボラの巨体のあちこちからは大量の血が流れている。

 だが一方で対峙する魔人の装甲には大した変化は無い。精々、防御に使用した両腕の装甲が多少凹んだかといった程度である。

 

 魔人バボラの巨体、そして魔人シルキィが完全に展開した大装甲。その大きさは殆ど互角であったのだが、バボラとシルキィでは戦闘の才能に歴然とした差が存在している。

 ただ闇雲に殴り掛かるだけのバボラでは、剣や槍、斧の才能まで有する屈指の戦士であるシルキィには、どう足掻いてもまるで歯が立たなかった。

 

 バボラはシルキィの形状を変える魔法具により、時に斬られ、時に突かれ、時には装甲でそのまま殴られ蹴られと、散々な目にあっていた。

 そもそもその魔人は図体の割に然程強い魔人とは言えず、とても小柄ではあるが正真正銘魔人四天王である彼女に敵う理由が無かった。

 

「いだ……いだい……」

 

 苦痛に呻き、眉を落とした情けない表情で目の前の敵を睨む。

 この装甲で出来た得体の知れない相手に、自分はとても敵わない。その事をやっと理解出来たバボラの脳が、次に選ぶ選択肢は一つ。

 突然その巨体がぐるっと反転し、普段より機敏な動き、かつ大股でどんどんと来た道を戻っていく。

 

 つまり、魔人バボラは逃げ出した。

 

「ば、バボラ様ーー!?」

 

 驚愕の声を挙げたのは、バボラを主とするケイブリス派の魔物兵達。

 離れた場所からその戦いを見守っていた彼等は、逃亡する主の後を慌てて追い掛けていく。

 

 バボラは思考力がとても弱く、そして強い意思も持たない。なのでただ突っ込んで来ては痛くなったら逃げ出す。

 ホーネット派にとって、この魔人との戦闘は毎回こんな感じだった。

 

 

「……ふぅ。やっと退いたか」

 

 バボラの逃走を見届けたシルキィは、装甲内部で小さく息を吐き出す。そして指先で合図を出し、全身を覆っていた魔法具を解除する。

 

 このままバボラを追撃する事も考えたが、止めた。あの魔人は巨体ゆえ歩幅が広いので意外と逃げ足が速く、追うのにも結構手間が掛かる。

 それに何より、あまりバボラには構ってはいられない。すでに戦意を無くした魔人よりも、敵にはもっと危険な魔人が居るからである。

 

(他の魔人の事も気になるし、一旦戻るかな)

 

 シルキィは逃げる敵の掃討を部下に任せて、自分は本陣に戻る事に決めた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 戦いは終始ホーネット派の優勢だった。

 

 魔物兵の数は多かったケイブリス派だが、しかし参戦した魔人の数が少なかった。レイとガルティアは互角の戦いを繰り広げ、バボラはシルキィによって撤退させられた。

 

 そして魔人ホーネット。ただ一人相手をする魔人の居なかった彼女を止める術を、ケイブリス派は持ち合わせていなかった。

 戦場で最も強者たる魔人筆頭の手により、多数の魔物隊長や魔物将軍が討ち取られてしまった為、魔物兵達の意思を統率出来なくなってしまった。

 

 やがて勝敗は決した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場の一角で稲妻が光っていた。

 

「オラァ!」

 

 掛け声と共に、魔人レイが電撃を纏った右拳を繰り出す。狙いは勿論ムシ使いの魔人の左頬。

 

「ふっ!」

 

 対峙するガルティアもさすがの反応、即座に身体を捻って拳を躱すものの、しかし迸る電撃までは躱せない。身体を灼かれて全身に痺れが走るが、それはどうにか我慢して、突き出された右腕を切り落とそうと蛮刀を振るう。

 

 だが僅かにその腕を切り裂いたものの、完全に切り落とすまでには至らず、傷一つ負った魔人レイはすでに距離を取っていた。

 怒髪天を衝く、とでも言うかのようにその魔人の前髪は逆立ち、それにより顕になった鋭い眼光で眼前の敵を睨んだ。

 

「……強ぇな、ガルティア。戦いに来て正解だった」

 

 普段のやる気の無い姿から一転、戦いに高揚するその魔人は牙を立てるように笑う。

 レイは今しがた斬られた右腕の他に、体中に敵の蛮刀による切り傷があった。しかしそれらは致命傷にはなりえず、むしろその痛みは戦意の炎に焼べる薪となっていた。

 

「お前もな。やっぱ雷は怖いね、サメザンが逃げちゃったよ」

 

 こちらはあくまで普段通り、緊張感無く構えるガルティアもゆったりと笑う。

 敵の電撃より彼も体の様々な箇所を焼け焦がしていたが、それよりも困った事があると言うように、右手の奥の方に見える木の上に目線を送った。

 

 先程彼が口にしたサメザンとは、ガルティアが有する使徒の内の一人である。

 鳥のような外見を持ち、主人を掴んで短時間なら飛行可能な為、ガルティアはサメザンを戦闘中の短距離移動、あるいは緊急脱出等に用いている。

 だがバチバチと鳴り響く魔人の雷を怖がり、その使徒は先程飛んで行ってしまった。多分あの辺の木の上に居るとガルティアは睨んでいた。

 

「ケッ。使徒なんて使おうとする方が悪ぃんだよ。男なら一対一だ。使徒なんざ必要ねぇ」

「つっても、こいつらとは俺が魔人になる前からの付き合いだしなぁ」

 

 使徒を持たない一匹狼の魔人の言葉に相槌を打ちながら、ガルティアはその魔人の体中から生じる電撃を眺めて、思わず頭を掻いた。

 

(うーん、やっぱあれが厄介だよなぁ)

 

 魔人レイは素手での戦闘を好む。その戦い方は乱暴の一言で、まるで喧嘩の延長線上にあるようなものだが、ただ闇雲に暴れるだけでは無く、その強さには喧嘩の才能による確かな裏付けがある。

 

 しかし一方で魔人ガルティアも、剣を扱う事の高い才能を有している。加えて使徒三体に、体内に宿る多数のムシを扱う事も可能としている。

 そう考えるとガルティアの方が優位にあるように見えるが、しかし魔人レイの特徴とも言える雷撃への対応に彼は手を焼いていた。

 攻撃するだけで我が身を襲う電撃の存在に、ガルティアは中々深くまで踏み込む事が出来なかった。

 

(俺はともかく、俺の中のムシ達が痺れんのを嫌がってるんだよなぁ。さーて、どうすっかな)

 

 このまま闇雲に戦い続けてみるか。それともいっその事、あまり気は進まないが腹部にある秘策を使ってみるか。魔人にこれを試した事は未だ無いが、果たしてこの腹の中に入るのだろうか。

 

 そんな事を考えていたガルティアは、鋭く踏み込んでくるレイへの対処に一瞬遅れた。

 

「おっとッ!」

 

 踏み込みと同時に突き出してくる相手の拳に対し、とっさに蛮刀を合わせて振るう。

 

「余所見すんな!」

 

 溢れ出す戦意をそのまま映したような、猛々しい雷を纏いながら殴り掛かる。その口調とは裏腹に、彼はとても楽しそうな表情をしていた。

 

 ガルティアとの戦闘は、レイにとっての久々に心躍るものだった。

 人間だったレイが生まれた頃、戦いがもっと身近にあった魔王ジルの時代。彼は久々にその頃に戻ったような気がしていた。

 

 しかし、その気持ちは途端に終りを迎えた。

 

 

 

 

「伝令-! 伝令です、レイ様!!」

 

 横槍を入れた声の主は、伝令役となる魔物兵の一人。本部からの指示を持ってきた彼は、大声でレイに対して呼び掛ける。

 

「うるせェ! 今いいとこなんだ、邪魔すんな!」

 

 ガルティアとの打ち合いを止めぬまま、レイは怒声でもって応答する。

 部下の言葉になど全く耳を貸さない所か、その身体から溢れる電撃の量が増す。近づいたら殺すと言外に示しているようだった。

 しかしその魔物兵も大事な役目を受けており、魔人達の戦闘をただ眺めてる訳にはいかなかった。

 

「レイ様、大元帥からの命令で、撤退するようにと!!」

「撤退だ!?」

「そうです!! 本陣もかなりの被害を受け、もう魔物兵達は逃げ出しているそうです!!」

 

 こんな楽しい戦いを中断して、尻尾を巻いて逃げろというのか。

 ふざけんなと思ったレイだが、しかし同時にこの戦いに熱中していた余りに、そういえば自分は味方の魔物兵達の事など全く気にしていなかった事を思い出した。

 それに加えてもう一体居た魔人はバボラ、自分以上にそんな事を考えている筈が無い。

 

 どうやら自軍は相当な被害を受けたらしい。勿論そんなどうでもいい事など全て無視して、このまま戦い続けても構わない。

 しかし戦いが終わろうとしているなら、その内に他のホーネット派魔人もここにやって来る。すると一対一では無くなってしまう。

 楽しい戦いは一対一に限る。しかしその楽しみには終わりが来たのだと、レイはしぶしぶながら理解した。

 

 

「……つまらねェ」

 

 興が冷めてしまったレイの戦意が萎み、同時に周囲の雷が静まる。

 そして、それと同時に前髪の逆立ちも収まった。

 

「……帰る。じゃーな、ガルティア」

 

 それだけ言って踵を返し、レイは退いていった。

 

「おう、またな。……ふい~、腹減った。俺も帰るかな。……おーい、サメザーン、帰るよー」

 

 ガルティアも戦意の失せた相手とは戦う気にはならなかったのか、雷に怯えた使徒を回収して、さっさと本陣に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 帰り道の途中、魔人レイは部下の魔物兵が持ってきた、大元帥からの指令書に目を通していた。

 

「ん? ……おいおい、ビューティツリーに戻るんじゃねェのかよ」

「え? 違うのですか、レイ様」

 

 魔人が口にした疑問に、隣を歩く伝令役の魔物兵が思わず聞き返す。

 大元帥からの指示を運んだその魔物も撤退だと言う事は聞いていたので、自分達の拠点であるビューティツリーに戻るのだと当然に思っていたのだが、しかし指示書を読んだレイによると違うらしい。

 

「ビューティツリーは捨てて、更に撤退しろって書いてある」

「……しかしレイ様。それだとみすみす拠点をホーネット派に明け渡すようなものです。一体何故そのような……」

「俺が知るか。何か考えがあんだろ」

 

 苛立たしげにレイはタハコを吐き捨てる。久々に楽しかった戦闘を中断させられた彼は、もはや派閥の戦いも大元帥の思惑もどうでもよかった。

 ひと目で不機嫌だと分かるその魔人に、あまり話し掛けたくなかった魔物兵だっただ、それでも聞かなくてはならない事が一つあった。

 

「ではレイ様。ビューティツリーに戻らないのだとすると、我々は何処に向かうのですか?」

「ビューティツリーのひとつ先だ。カスケード・バウを通って、本拠地のタンザモンザツリーまで下がれ、だとよ」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 魔人レイが撤退し始めた一方。

 撤退の号令の前にすでに逃げ出していた、魔人バボラはと言うと。

 

 先程戦場で魔人四天王に叩きのめされたその魔人は、すでにケイブリス派の拠点であるビューティツリーに戻って休んでいた。

 体中を襲う痛みに呻いていると、バボラの世話係であり、部隊の指揮など出来ない主の代わりに、実質的な指揮を取っている魔物将軍が走ってきた。

 

「バボラ様ー! 撤退、撤退でーす!!」

 

 信を置く魔物将軍の大声に、バボラが反応して顔を上げる。

 

「……て、たい?」

「そうです!! バボラ様―、おうちに帰りますよーー!!」

「お、……かえ、る」

 

 どうやら戦闘は終わったらしい。それだけ理解したバボラはゆっくりと立ち上がって、帰路に就く為の大きな一歩を踏み出す。

 すると即座に、魔物将軍が慌てた声を出した。

 

「バボラ様ー! そっちじゃないですーー!! こっち、こっちでーすっ!!!」

「……ん」

 

 バボラが足元を見ると、魔物兵数十体が大きな矢印の形に整列し、進行方向を示していた。

 

「……そっ、ちか」

 

 そして、魔人バボラはビューティツリーから退いていった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 戦場の中心。

 そこには魔人ホーネットが、戦いが始まった頃とまるで変わらない姿で立っていた。

 

(兵達が退いていく……。どうやら、相手は撤退を決めたようですね)

 

 ホーネットは強大な魔法力でもって、敵陣を一人で真一文字に裂く獅子奮迅の働きをした。

 あらゆる属性の魔法を存分に振るう魔人筆頭を前にして、魔物兵達は近づく事も出来ずにただただ逃げ惑うだけだった。そして撤退の号令を受けると、我先にとばかりにすごい勢いで逃げ出していった。

 

 今も背中を向けて走っていく魔物兵達を眺めながら、ホーネットはふと考える。

 

(……結局、どの魔人も出てはこなかった。ですが、やはり気になります)

 

 魔人レイと魔人バボラだけで攻め落とせると考えていたのか。あるいは元々は他にも魔人が居たが、何かの理由で途中離脱したのか。

 そこら辺の事情は分からないが、久々に攻めてきたにしては手応えが無いと感じていた

 

(……ともあれ、ケイブリス派はビューティツリーに退いた。今後私達は、どう動くべきか)

 

 敵を押し返した以上、これで一旦は勝利である。

 けれどもまだ自軍、特に魔人と戦う事の無かった自分にはかなりの余力が残っている。このまま相手の拠点であるビューティツリーまで、相手を追撃するのも一つの手だと彼女は思った。

 

(……いずれにせよ、シルキィ達と相談する必要がありそうですね。一旦、本陣に戻りましょう)

 

 このままサイサイツリーに帰還するか。

 それともビューティツリーまで進み、さらに戦闘を継続するか。

 

 進むにも戻るにも、味方の状態なども確認しないと判断出来ないと考えた派閥の主は、結局一度も使う事の無かった剣を鞘に収め、本陣に戻った。

 

 

 しかし、ホーネットが自軍の本陣に到着する頃には、ケイブリス派の大軍はビューティツリーを放棄して、本拠地であるタンザモンザツリーに向け移動を始めていた。

 

 

 

 

 



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戦い終わって

 

 サイサイツリーの西にある地点で勃発した此度の戦争は、ホーネット派の勝利で終わった。

 

 辺りでは喝采が聞こえる、生き残った魔物兵達は大声を上げて喜び合う。

 そんな周囲の歓喜の声を聞きながら、本陣に帰ってきたホーネット、シルキィ、ガルティアの三人の魔人は、指揮官用のテントの内部でそれぞれ難しい表情をしていた。

 

 先程偵察から帰還したメガラスより、新たな事実が判明したからだった。

 

 

 

 

 

「……まさか、ケイブリスがビューティツリーを放棄する決断をするとは……」

 

 不可解だという心情が混じる声色で呟きながら、ホーネットは側に居たシルキィの方を向く。するとその魔人四天王も、同じく理解不能だと言いたげな表情をしていた。

 

 敵の撤退を空から見届けていたメガラスによると、ケイブリス派の大軍はビューティツリーまで下がって守備を固めるのかと思いきや、そのまま拠点を放棄してさらに南の道を進んでいるとの事。

 ビューティツリーから南に続く道、そこを通って辿り着くのは敵の本拠地であるタンザモンザツリーであるので、どうやら相手は本拠地に戻るつもりらしい。

 

 しかし、そもそも攻め込んできた戦力の中に魔人が少なく、それでもって負けたら拠点を放棄して撤退するというのは、あまりに不自然だこの場の面々は皆一様に感じていた。

 

「わざわざビューティツリーを放棄する理由が見当たりません。ただの撤退では無く、なにか思惑があるのかも知れません」

「思惑ねぇ……。都市から撤退したように見せかけて、実はこっそりと誰か隠れてるとか?」

 

 戦い終わりの褒美とばかりに、香姫の団子をまぐまぐと食べていたガルティアが呟く。

 

「撤退は罠で、待ち伏せがあるって事? けれどもレイとバボラが退いていくのはメガラスが確認したって話だから、もし居るとしたら……」

「……パイアール、レッドアイ、それにケッセルリンク。といった所ですか」

 

 シルキィの言葉を継いで、ホーネットが思い付く3名の魔人の名を挙げる。

 残る敵の魔人の内、魔人メディウサはガルティアの言葉が正しければ現在離脱中。そしてあの派閥の主がこんな所に出てくるとは思えないので、そう考えると可能性として挙がるのはその3名となる。

 

「あの3人が共に行動するのは想像し辛いですけど、仮にそうだとしたら厄介ですね」

 シルキィの言葉通り、上記3名の魔人達が結託しているとなったら脅威は倍増する。このままビューティツリーを制圧しに向かったら、手痛い奇襲を受ける可能性がある。

 しかし一方で、ケイブリス派の大軍がすでにビューティーツリーを出発して、タンザモンザツリーに向けて移動をしている以上、今がその拠点を奪う絶好の機会であるのも事実だった。

 

 魔人筆頭と魔人四天王がしばらく額を寄せ合って悩んでいると、考え事があまり好きではないガルティアが結論を促そうと声を上げた。

 

「悩んだってしょうがないだろ、ホーネット。行くか行かないか、ぱっと決めちまえよ」

「……そうですね。考えて分かる事でもありませんし、私達はホーネット様の決断に従います」

 

 このままサイサイツリーにて待機するか、それともビューティツリーまで歩を進めるか。

 ホーネット派はホーネットを中心とする派閥。今までどんな時でも派閥の主たる彼女の判断が、その派閥の進む道を決めてきた。

 

 両魔人の視線を受けたホーネットは、少し思案げに下を向いていたが、すぐにその顔を上げた。

 

「ビューティツリーに向かいます。相手にどのような考えがあるにせよ、前に進まない限りは何も勝ち取る事は出来ません」

 

 ホーネットの決断に、その場に居た三人の魔人は強く頷いた。

 

「それにもし魔人が居たとしても、レッドアイなら私が必ず抑えます。そしてケッセルリンクであれば、向こうに昼頃に到着するよう調整すれば然程問題は無いでしょう」

「あぁ、確かに昼のあいつはあんま怖くねぇな。残るはパイアールだけど、あいつは俺たちならそこまで警戒する必要は無いしな」

 

 魔人パイアールはこの世界の基準とはかけ離れたような頭脳を持ち、衛星兵器や赤外線センサーなど、ホーネット達にはまるで理解出来ない機械を作り出す事が出来るのだが、それらでは魔人の無敵結界を突破する事は出来ない。

 そしてパイアール自身は大した強さを持たない為、魔物兵にとっては非常に脅威だが、魔人達にとってはそれほど怖れられていなかった。

 

「今、ケイコが軍の再編をしています。傷の深い兵はサイサイツリーで休ませて、まだ動ける者は共に連れて行きます。終わり次第すぐに出るので、三人とも用意をしておいて下さい」

 

 

 そして準備を終えたホーネット達は、敵の拠点ビューティツリーに向けて出発した。

 しかし魔人達の先の予想に反して、到着したビューティツリーには魔人はおろか、魔物兵の姿すら何一つ見当たらなかった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 魔物界の中部にある魔界都市ビューティツリー。

 

 ホーネット派の者達にとって、この都市に足を踏み入れるのは随分振りであった。

 今より大分前にこの都市を自派閥の拠点としていた時期もあったのだが、その後の戦争でケイブリス派に奪われて以来となる。

 

 ホーネット達にとっては久しぶりに辿り着いたビューティツリー、その都市の全域を隈なく捜索するよう魔物兵達に指示を出した。

 都市内には片付けていかなかったテントや焚き火の跡など、ここで大勢の魔物兵達が生活していたと分かる痕跡があちらこちらに残ってはいたが、言い換えると痕跡だけしか残ってはいなかった。

 

 

 

 

 ビューティツリー内に急遽作らせた、指揮官用のテント内にて。

 部下の魔物兵の口から、都市内の全捜索を終了したとの報告を受けた魔人四天王は、思案げに眉根を寄せた。

 

「ホーネット様。どうやら本当にケイブリス派はこの都市を放棄したようです」

「そのようですね。シルキィ、貴女はこれにどのような意図があると思いますか?」

「……そうですね。ビューティツリーは向こうからすると守り辛い拠点ですから、あるいはそれで、という事も無くは無いとは思いますが……」

 

 向こうからすると守り辛い拠点。シルキィがそう評したのは、その距離が理由となる。

 ケイブリス派の本拠地タンザモンザツリー、その都市からビューティツリーまでは相当な距離が開いている為、移動に大変な手間が掛かってしまう。

 

「逆に言うと、こちらからもタンザモンザツリーへは遠くて攻め込みにくい。前にこの都市を拠点としていた時も、結局タンザモンザツリーまでは攻め込む事が出来ませんでしたからね」

 

 その言葉でシルキィは数年前を思い出したのか、僅かに苦い表情となる。

 距離の問題に加え、ビューティツリーからタンザモンザツリーへの道の途中の近くには、魔人四天王ケッセルリンクの城が存在している。

 派閥の主に次いで戦場に出てくる事の少ないその魔人も、こちらが本拠地に攻め入ろうすると反撃はするらしく、夜毎に起こる奇襲のせいで、以前のホーネット派は敵の本拠地に進む事が出来なかった。

 

「……そうですね。そう考えると、守備だけを考えるならここを捨てるのは選択肢の一つです。ですが……」

 

 しかしその理由でこの拠点を放棄するのは、少々弱気すぎではないのか。そもそもそれだと、またいずれはこの拠点を取り返さなくてはならず、それにかなりの労力が必要となる。

 

 どうにもケイブリス派の意図が読めず、ホーネット達が考え込んでいると、再び偵察から帰ってきたメガラスが、さらに不可解な情報を持ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

「バボラがペンゲラツリーの方に向かってる?」

 

 シルキィの疑問と驚きを含む声色に、メガラスは無言で頷き首肯する。

 彼は再度の偵察中、南に進んで行くケイブリス派の大軍とは別に、バボラの隊だけ全く別方向に進んでいく様子を捉えていた。

 メガラスがバボラの巨体を見つけたのは南では無く南西の方角であり、ビューティツリーから南西にあるのは一つである。

 

 それがペンゲラツリー。以前は魔界都市であり、今は廃墟となった都市の名だった。

 

 その都市の名をメガラスが口にした時、派閥の主たるその魔人の表情が僅かに曇った。

 ガルティアは気付かなかったが、旧知の仲である魔人四天王はその変化に気付いた。

 

「……ホーネット様」

「シルキィ、大丈夫です。……ガルティア、ペンゲラツリーには何かあるのですか?」

 

 ペンゲラツリーはもう随分の間、ケイブリス派の影響圏内に存在している都市となる。

 以前所属していた者の方が詳しいと考え、ホーネットは元ケイブリス派のガルティアに聞いてみたが、しかし彼は首を傾げただけだった。

 

「さぁ、知らねぇな。というか、あそこって随分前から廃墟だろ? もう食いもんがなんも取れないから、誰も居なくなったって聞くけど」

「では何故そのような場所に、バボラは向かっているのでしょう」

 

 魔人バボラはその巨体故に、ガルティアと並んで相当な大飯食らいである。食料が何一つ取れない、荒廃した都市に向かう理由に見当が付かなかった。

 

「んー、道を間違えたんじゃねぇか? あいつってほら、頭がちょっとあれだしさ」

「……分からなくも無いけど、バボラだけならともかく、他の魔物兵達が気付かないかしら、それ」

 

 もはや何度目か、相手の不可解な行動の数々に、魔人達はそれぞれ更に思案に暮れる。

 ガルティアが言った事もあり得るとは感じたが、一方でシルキィの疑問もその通りだと感じたホーネットは、バボラの行動の理由を考えるのは止め、先程と同様に敵の罠の可能性を考慮してみた。

 

「……あるいはペンゲラツリーに、他の魔人が待ち構えているのでしょうか」

「……無い、とは言えません。けれど、ホーネット様……」

 

 その可能性は少ないのではないか。と、ホーネットの事をまるで気遣う様に見つめている、シルキィの表情が告げていた。 

 彼女自身も内心では、あの荒廃した都市で敵が待ち構えているとはあまり想像出来なかった。

 

「でもよ、これってチャンスじゃないか? あそこって行き止まりみたいなもんだろ?」

「バボラを倒すチャンスって事? まぁ、確かに逃げ場は無いけど……でも……」

 

 ガルティアは名案が浮かんだかのような表情だったが、対比するようにシルキィは内心の懊悩が見て取れるような顔つきだった。

 

「………………」

 

 ふいにホーネットの視界が、ずっと無言で話の成り行きを見守っていたメガラスの姿を捉える。その魔人は相変わらず無表情だったが、自分の決断を待っている表情だと読み取れた。

 そしてメガラスから視線を外し、残りの二人の方を向く。ガルティアの目はペンゲラツリーまで行く価値があると主張し、シルキィの目はある事情から、止めた方がいいのではないかと主張していた。

 

 当然、決断を下すのは派閥の主たるホーネットである。彼女はすでに決心していた。

 

「ペンゲラツリーまで追撃します。ガルティアの言う通りこれは好機、上手くいけばバボラを落とせるかもしれません」

「……分かりました、ホーネット様。では、私とガルティアで向かいます」

「いえ。シルキィ、私一人で構いません」

「ホーネット様、それは」

 

 ──危険では。

 そう告げようとしたシルキィを、ホーネットは右の掌をすっと前に出して抑えた。

 

「撤退して行った敵軍が引き返してくる可能性も十分有ります。貴女はガルティアと共にビューティツリーの守りを固めて下さい」

「けれど」

「それに、ペンゲラツリーまでは大した距離ではありません。いざとなったらすぐに退くので、問題はありません」

「ホーネット様っ!」

 

 派閥の主の頑なな様子に、シルキィは思わず声を荒げる。彼女がこのように派閥の主に対して食い下がるのは、とても珍しい事である。

 主に忠実な魔人四天王はその命令が聞けないのでは無く、主の事を心配している。その身を案じるというのもそうだが、それ以上にその心情を憂慮していた。

 

「……シルキィ」

 

 その事を理解していたホーネットは、このような場所では滅多にする事の無い、親しい者達だけにしか見せない柔らかな微笑を向けた。

 

「貴女の心配は分かっています。けれど、やはりあの場所とは私が向き合いたいのです。あまり多くを巻き込みたくありません」

「……ホーネット様」

 

 シルキィは返事に窮して俯く。命令されるならともかく、そう柔らかい口調で言われると何も言えなくなってしまう。そしてそれ以上に彼女は、相手のその気持ちが理解出来てしまった。

 

 そんな二人の様子を見ていたガルティアは、ようやくある事実を思い出してぽんと手を打った。

 

「あー、そっかそっか。あそこがああなったのってホーネットの……あ、いや、何でもねぇ」

 

 発言の途中で、隣にいた魔人四天王からもの凄い目付きで睨まれたガルティアは、慌てて口を閉ざした。

 

 魔界都市ペンゲラツリーが廃墟になってしまった原因、それはホーネットに理由があった。

 ホーネットがその事で密かに気に病んでいたのを知っていたシルキィは、彼女をその都市に向かわせたく無かったのである。

 しかしその魔人筆頭は自分が原因だからこそ、自分一人で向かう事を決断した。

 

「ホーネット様が行く必要はありません。私が行きます……と言いたい所ですが、聞き入れてくれそうには無いですね」

 

 ホーネットは無言で頷く。その顔から決意は固い事を察知したシルキィは、小さく溜息をついて派閥の主たる魔人を見上げた。

 

「分かりましたホーネット様。私達はここで守備を固めます。……ただ、それでも最低限の魔物兵は連れて行って下さい。それと、万が一ペンゲラツリーにバボラ以外の魔人がいた場合は、必ず退いてください。いいですね?」

「えぇ、分かっています。私は派閥の主として、決して敗れる訳にはいきません。何かあったら撤退するので心配しないで下さい」

 

 そしてその後、ホーネットは数百人の僅かな魔物兵達を連れ、ペンゲラツリーに向け出発した。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「行っちゃった。……やっぱり、私が代わりに行った方が良かったような……」

 

 魔人ホーネットが発った後のビューティツリーのテント内。

 未だにシルキィは悩み、憂わしげな表情でいた。そんな様子を見たガルティアは思わず口を開く。

 

「……なんかさ、シルキィ。お前ってホーネットの部下っていうより……」

 

 先程の二人の問答とその様子。

 あれは忠実な配下というより、まるで保護者かなにかのような。ガルティアの表情はそう言外に告げていた。

 

「……そう見えた?」

「ああ」

 

 はぁ、とシルキィは大きく息を吐き出して、自らの失態を隠すかのように両手で顔を覆った。

 

「……性分なのよ、これ」

 

 深く俯いてしまったその魔人の面倒見の良さ。それは彼女自らが言うように生来の気質で、特にホーネットの事は生まれた時から知っているという事もあり、シルキィにとってその魔人は単なる派閥の主というだけの間柄では無い。

 

 ホーネットは普段の振る舞いから堅物な魔人だと思われがちだが、親しい身内だけには穏やかで優しい本当の姿を見せてくれる。

 そんな時、シルキィはつい主従関係を忘れてしまいがちになるのだが、魔王城に居る時ならともかく、こんな場所でするべき態度では無い。

 そう心の中で反省した魔人四天王は、頭を振って感情を切り替えた。

 

「……さて、私達はホーネット様に言われた事をしないと。ここの防御を固めましょうか」

「はいよ。……こうなるとしばらく魔王城には帰れないなぁ。団子がそろそろ無くなりそうだし、ランスの奴、もっと送ってくれねぇかなぁ」

「貴方って本当にあの団子が好きね。……メガラス、貴方はいつも通り……」

 

 ──偵察をお願い。

 と口にしようとした時、シルキィはふとある事を思い出した。

 

(そう言えば、ランスさんに戦いが終わったら連絡するって約束してたっけ……)

 

 出発前、戦闘が終わったらすぐに帰れと言うランスに、シルキィはそのように約束していた。

 あの時に思った通り、やはり暫くの間魔王城には戻れそうにない。連絡位はしておいた方がいいと思った彼女は、メガラスに頼む事にした。

 

「メガラス。お願いがあるんだけど、一度魔王城に戻ってサテラやランスさんに戦いの顛末を伝えてきてほしいの。頼んでいいかしら?」

「………………」

 

 その魔人は事も無げに頷き、空に飛び立った。

 

 

 

 

 

 

 



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魔界都市ペンゲラツリー

 

 

 魔物界の中部、魔界都市サイサイツリーとビューティーツリーの両都市間にて勃発した、ホーネット派とケイブリス派の衝突に区切りが付いた頃。 

 

 所変わって魔物界北部にある魔王城では、ランスが相変わらずな日々を送っていた。

 シルキィが前線に出撃した事により、日々のお相手の選択肢が減って少々ご機嫌斜めだったランスだったが、一転してここ最近は上機嫌だった。

 その理由はつい先日、魔人サテラを上手く丸め込む事に成功したからである。という事で、ランスは今日もサテラで楽しむ事にした。

 

 

 

 

「うりゃーー!! サテラ、いるかーー!!」

「わぁ! なんだランス、いきなり大声で……って、わ、ちょ、何をっ!」

「決まってんだろ、セックスじゃーー!!

 

 ばたんっとドアを蹴飛ばし、まるで暴徒のような勢いで部屋に乱入してきた男、ランス。

 その魔人にとっての使徒であるその男は、そのままのノリで主の事を軽く抱え上げ、有無を言わせる事無くベッドの上に押し倒した。

 

「ら、ランスっ! ちょっと待て!! いきなりこんな……!!」

「おやぁ? サテラちゃん、君ってば約束を忘れたのかね? 俺様がシルキィちゃんにした事を全部していいって言ったよな?」

「ぐ、た、確かに言った……けどっ! 本当に、本当にこんなに何回もしたのか!?」

 

 幾ら何でも多すぎやしないかと、突然の展開にドギマギしながらサテラが反論する。

 先日彼女はランスの口車に乗せられ、シルキィにした事と同じ事を自分にして構わないと宣言してしまい、その結果ランスとの性交を受け入れざるを得なくなってしまった。

 しかしその日からもう数日、両手の指では足りない程度に回数を重ねた。当初は一回二回で済むだろうと思っていた彼女にとって、こんなに繰り返し抱かれる事になるとは全く想定外だった。

 

「本当にシルキィとこんなに何度もしたのか? まさか嘘吐いてるんじゃないだろうなっ!」

「嘘など吐くか、本当にしたとも。シルキィはああ見えてエッチな子だからな。むしろ、あの子の方から何度も何度も俺様を誘ってきてだな……」

「……そ、そんな。シルキィがそんな……、信じられない……」

 

 旧知の仲である魔人四天王、あの強くて真面目で優しい魔人の知りたくなかった裏の姿に、サテラは大いにショックを受ける。

 

 とはいえ勿論シルキィがランスを自ら誘った事実は無く、完全に出鱈目な話であったが、しかし混乱するその魔人には判断が付かず。

 ランスはシルキィとした事という建前で、一切していない事までサテラにさせていた。彼女はランスにさせられたあれやこれやを、シルキィが自分から求めたなんて想像したく無かった。

 

「そーだ、いっそ今日はサテラの方から誘ってもらおうかな。ほれサテラよ、ランス様とセックスがしたいですーって言ってみ」

「い、言えるか馬鹿!! そんな事っ!!」

「あん? なんだ言えないのか? シルキィちゃんなら言えるのになー。こうなるとやっぱりシルキィちゃんの使徒の方が……うむむむむ」

「く、く、くぅ~~~~!!」

 

 相手の対抗心を巧みに揺さぶる、ランスお得意の実に卑怯な弁論術の前に、悔しげな表情で呻きを漏らすサテラ。

 自ら男を求める言葉などとても恥ずかしくて口に出来ない。だが元々は自らが約束してしまった事で、口は災いの元であって覆水盆に返らず。

 

「………いい」

「あん? 何だって?」

「だから、その、……えっち、していい」

「……サテラ、お前それで男を誘ってるつもりか」

 

 色気の無い片言のような誘い文句に、ランスはつい呆れてしまう。だが「これで限界だっ!!」と叫ぶサテラの恥じらい顔は中々に掻き立てられるものがあった為、及第点を付けてあげる事にした。

 

「ま、今後の成長に期待って事で。んじゃまぁサテラちゃんも乗り気なようだし、遠慮なくいっただっきまーすっと!!」

「う、うー……!」

 

 獲物の同意を得たランスはきちんと一礼をした後、その服を脱がしに掛かる。涙目の魔人は唸るのが精一杯、抵抗など出来よう筈も無い。

 そして上着が完全にはだけられ、いよいよその身体に手が掛かろうとしたその時、ふと何かの気配を感じ、サテラはちらりと入り口のドアの方を見る。するとそこに誰かが居た。

 

「ん? ……て、わーー!!」

「なんだ……ぐはッ!!」

 

 サテラは大慌てて自分の上に乗っかっていたランスの顎をぶん殴り、その図体を蹴飛ばして横に退けると、すぐさま起き上がって衣服の乱れを直した。

 

「………………」

「はぁ……、はぁ……。ど、どうした、何かあったのか……メガラス」

 

 そこにはちゃんとノックをして、しかし返答が無かったので仕方無くドアを開いた、魔人メガラスが立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 突然サテラの部屋にやってきたその魔人の用事。

 それは前線で起きたケイブリス派との戦いについて、その経過を報告しに来たとの事だった。

 

 シルキィに頼まれて、占領下に置いたビューティーツリーから飛んできたメガラスは、戦いは終始ホーネット派が優勢に事を進め、ケイブリス派に拠点を放棄させて本拠地まで撤退させた事を告げた。

 

 

 

「ほー、やるじゃないか。あいつら」

「だから言っただろう。ランスの協力が無くってもサテラ達は勝てるって」

 

 寝室のベッドの上から、居間にあるソファの上に場所を移した二人。

 先程殴られた顎を擦りながら呟くランスの一方、味方の奮戦にふふん、と自慢げなサテラ。

 

「サテラ達はとっても強いんだ。ケイブリス派なんかに負けるもんか」

「つってもサテラよ、お前は戦ってないだろ。俺様とセックスしていただけじゃないか」

「う、うるさいぞランス! サテラは魔王城を守ってたの!!」

 

 サテラは声を荒げて言い返す。派閥の仲間達が必死に戦っている間、自分はただランスと性交を重ねていただけとはちょっと考えたくなかった。

 

「そうだ、戦いが終わったって事はシルキィが戻ってくるって事か。今度は3Pってのもありだな、なぁサテラよ」

「そ、それはしないぞ!! そこまでするとは約束してないからな!!」

「何だとぅ?」

 

 ここまで来てまだ往生際の悪いサテラを、さて何と言い包めて3Pに持ち込むか。

 そんな事を考え始めたランスだったが、しかし続くメガラスの報告によると、それにはもう少し時間が掛かりそうだった。

 

 

 

 

 

「……つまり、シルキィちゃんは奪った拠点の防衛をするから、まだ帰ってはこないって事か。ぬぅ、つまらん」

「シルキィはホーネット派にとっての防御の要だからな。守備を固めたシルキィは凄いんだぞ」

「あぁ、確かにそれは凄そうだな」

 

 能力的にも性格的にも、あの魔人四天王には守る事が似合っている。それはランスも同意する所であったのだが、それで魔界都市の防衛任務に就かれるのは少し困りものである。

 

「しかし、さすがにそろそろ魔王城に居るのも暇になってきたな。いっそハウゼルちゃんにでも会いに行くってのもありだな。何だっけ、キ、キト……」

「……キトゥイツリーだ。言っておくけど、ハウゼルだって暇じゃ無いんだからな」

 

 サテラはじぃ、とランスを睨む。このまま抱かれ続けるのも困るが、別の魔人に興味を向けられるのもそれはそれで複雑な心境だった。

 

「けどなぁ……そうだ、ならホーネットはいつ帰ってくるんだ? あいつも何とかせんと……」

「そう言えばそうだな。メガラス、ホーネット様はいつお帰りになるんだ?」

「………………」

 

 二人から派閥の主に関してを質問されたメガラスは、ホーネットは魔人バボラを追撃する為、ペンゲラツリーに向かった事を告げた。

 

「ペンゲラツリー? ……それって確か、魔王城のすぐ隣にある魔界都市じゃなかったか?」

「ランス、それはブルトンツリーだ」

「あれ? んじゃあホーネット派が今回奪った都市が……」

「それはビューティツリー」

「……ぬぅ」

 

 サテラに度々訂正され、思わずランスはぽりぽりと頭を掻く。自分にとってどうでもいい事を記憶するのがとても苦手なその男は、魔物界の地理が中々把握出来なかった。

 

「なんか魔物界って似たような地名ばっかで、俺様よく分からん」

「ランス、お前……はぁ、全くしょうがない奴だ」

 

 その記憶力の弱さ加減に呆れ、溜息を吐いたサテラがソファから立ち上がる。

 そして収納棚に置いてあった魔物界の地図を取ってくると、それをテーブルの上に広げた。

 

 

 

「いいかランス、まずここ。魔物界の一番北にある魔界都市、それがアワッサツリー」

 

 サテラはその指で、地図の一番上方にある拠点を指差す。

 

「この都市は一応魔王城から道が通っているけど、間にある光原を通る必要があるから行く事は滅多に無い。まぁここは覚える必要は無い」

「光原って雷が降っているあそこか。確かにあそこは通りたくねぇな」

 

 うん、と頷いて、そのままサテラの指が少しだけ下方に下がる。

 

「で、ここが魔王城。その隣にある都市がブルトンツリー」

「ほぉ。こうやって見ると、魔王城って魔物界の中心じゃなくて大分北寄りにあるんだな」

 

 再度頷き、そしてさらにサテラの指が地図の半分辺りまで下りてくる。

 

「ここがキトゥイツリー。ハウゼルがよく居る場所。で、その下がサイサイツリー、その隣がビューティツリーだ」

「確か、サイサイツリーとビューティツリーで対立してたんだっけか?」

「今まではな。今回サテラ達がビューティツリーを奪った訳だ。それで……」

 

 サテラの指がそのまま地図を一気に下り、魔物界の南の端ぎりぎりにある拠点を指差す。

 

「ここがケイブリス派の本拠地、タンザモンザツリーだ」

「……なんか、ビューティツリーから結構な距離があるな」

「あぁ。だから、ケイブリス派は攻めて来るのに時間が掛かるが、こっちからタンザモンザツリーに攻めるのも難しい」

 

 困った話だ、とサテラは息を吐いた。

 

「……ほーん。で、ホーネットが向かったペンゲラツリーってのは?」

「ペンゲラツリーはここだ」

 

 中部にあるビューティツリー、そこから南西に伸びる道を通った先にある拠点をサテラが指差す。

 

「なるほど、ここか。……うん?」

「どうした?」

「……ぬぅ? う~~む……」

 

 

 魔界都市ペンゲラツリーを地図上で発見したランスは、突然腕を組んで唸り始める。妙な違和感が彼の脳裏を掠めていた。

 その男は普段の言動からするととてもそうは見えないが、以前JAPANで天下統一をした際には軍を率いた経験もあったりと、軍略について全くの素人では無い。そして何より、ランスには妙な所での勘の冴えがあった。

 

 魔物界南西部にあるペンゲラツリー、その都市からは南北にそれぞれ二つ道が開いている。

 北の道はビューティーツリーへと続いており、そして反対方向となる南の道が続くその場所。

 

「ここって、敵の本拠地のタンザモンザツリーから一本道で行けるじゃねーか。ホーネット一人が向かうのはちょっと危険じゃないか? 俺様なら……」

 

 こういう所まで敵を誘い込んで、そして大勢で囲んでぼっこぼこにする。

 そんな作戦を思い付いたランスだったが、すぐにサテラは首を横に振った。

 

「あぁ、それなら大丈夫。タンザモンザツリーからペンゲラツリーへの道は繋がってないからな」

「繋がってない?」

「うん。地図には書いて無いけど、ここ」

 

 サテラの指が、両都市間の道の途中を指差す。

 

「ここに『死の大地』と呼ばれる場所がある。そこはあらゆる生物が死んでしまう場所で、その所為でこの道は誰も通れないんだ」

「怖っ。何だそりゃ」

「魔人でも身体を蝕まれる場所だ。それこそ人間のランスなんて多分あっという間に死ぬ。絶対に近づいちゃ駄目だからな」

 

 興味本位で死の大地に行かれたら本当に危険な為、サテラは強めに釘を刺した。

 

「死の大地から風に乗って流れる死の灰の影響で、ペンゲラツリーの世界樹は枯れてしまったから、あそこはもう都市として機能してない。棲んでいる魔物も居ない筈だし、ホーネット様お一人で向かっても問題は無いだろう。なにより、ホーネット様は最強の魔人だからな」

「ほーん、なるほどなぁ……」

 

 ランスはふむふむと頷き、サテラが説明したペンゲラツリーの詳細を吟味する。

 

 そして。

 

 

「そか。なら問題ねーな」

 

 ランスはきっぱりそう結論付ける。

 そして久々に頭を働かせて疲れたのか、ぐぐっと腕を天井に伸ばした。

 

「しっかしあれだな。そうなるとシルキィもホーネットも戻ってくるのはまだまだ先って事か。……となると」

「……な、何だランス……まさか」

 

 くるっと自分の方を向いたその男の目に、とても嫌な予感がしたサテラは距離を取ろうとする。

 しかし、ランスの方が一歩早かった。

 

「サテラよ! お前にはまだまだ、俺様の相手をしてもらう必要があるみたいだなぁ!!」

「わぁ! ちょ、ちょっと!!」

 

 元々今日はサテラを抱く予定。その事を思い出したランスは、獲物にがばっと飛び付いてそのまま高く抱え上げる。

 そして先程のようにベッドに向かおうとすると、腕の中のサテラは真っ赤な顔でどたばたと暴れた。

 

「ランス!! メガラスが、メガラスが見てるからっ!!」

「……そういやお前、居たのか。もう帰っていいぞ」

 

 ここに第三者が居たのを忘れていたランスは、虫を払うかのようなジェスチャーを見せる。

 

「………………」

 

 相変わらずその魔人は無表情だったが、シルキィなどが見たら呆れた様子を察知したかも知れない。

 ここまで散々魔物界を飛び回っていたメガラスは、自分もそろそろ休もうと、サテラの部屋を退出して自室に戻っていった。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 一方で、先程ランス達の話題となった、魔界都市ペンゲラツリー。

 

 一歩一歩と大地を揺らし、地響きを鳴らしながらその都市への道を進んでいた魔人バボラ。

 部下の魔物兵達の先導の下、その魔人はやっとペンゲラツリーへ到着した。

 

 

「バボラ様ー! ここが目的地です! ここで待機ですーー!!」

「お……」

 

 足元から聞こえる部下の魔物将軍の大声。ようやく落ち着いて休める場所に着いたのだと知り、巨大な腰を大地に下ろす。

 その巨体には裂傷や打撲痕の数々、魔人シルキィとの戦闘で負傷した全身はじんじんと痛みを訴えていたし、なによりバボラはここまで休み無しで歩いてきた為、そろそろ空腹が限界だった。

 

「まも、しょ……ご、はん……」

「食事ですねー! ちょっと待っててくださいーー!!」

 

 世話役の魔物将軍が再度大声を上げる。主の要望に答える為、部下に食事の準備をさせようと思った所でふと気づいた。

 魔界都市は常なら食料が豊富に溢れる場所ではあるのだが、ペンゲラツリーは木が枯れてしまっている為、この都市では食料を得る事が出来ない。

 

「……おい。ビューティツリーから食料は運んできたか」

「いえ、急いでいましたから……」

 

 近くに居た魔物兵に尋ねてはみたが、半ば答えは予想していた。隊の実質的な指揮をとる自分がそのような指示を出すのを忘れていたのだ、魔物兵達が自発的にそんな気を利かせるとは思えない。

 主の食事をどうしようかと悩んでいた時、一体の魔物兵が声を掛けてきた。

 

「……将軍。ずっと気になっていたのですが、何故我々はペンゲラツリーに来たのですか?」

「そんな事、ここが安全な場所だからに決まっているだろう」

「安全……? いえ、しかし……」

 

 指揮官の言葉に耳を疑った魔物兵は、思わず都市の中心に生えている枯れ木に視線を向ける。

 本来なら食料が豊富に取れるこの世界樹を枯死させたのは、ペンゲラツリーの南に発生した死の大地が原因。そしてその影響は、何もこの大樹だけに及ぶものでは無い。

 

「死の大地の灰はこの都市にも流れて来ます。ここに長く居ると、我々の身体にも障ると思うのですが……」

 

 不安そうな声の魔物兵の心配は当然の事、魔人の身体にすら悪影響を与えるという死の灰を、魔物が長く浴びたらどうなるかは想像に難くない。

 このペンゲラツリーに棲む魔物が居なくなったのは、食料が取れない以上にそれが理由だった。

 

「将軍、なるべく早めにここから移動した方が良いと思うのですが……」

「それは出来ん、我々はここで待機だ。大体移動と言ってもここから進めるのはビューティツリーに繋がる道だけだ。貴様は先程居た場所に戻る気か」

 

 ペンゲラツリーから南北に伸びる道。それはすでにホーネット派の占領下にあるだろうビューティーツリーへの道と、もう一つは本拠地たるタンザモンザツリーへ繋がる道だが、その途中に件の死の大地が存在する。

 

 あそこを直接通るなど、魔人ならまだともかくとして魔物の身では絶対に不可能。

 そう考えて部下の言葉を撥ね付けた魔物将軍だったが、考えてみると自分でも疑問が浮かんだ。

 何故自分達はペンゲラツリーにやって来たのか。他の隊と一緒にカスケード・バウに向かって、本拠地に戻るべきでは無かったのか。

 

(……だが、ここは絶対に安全の筈だし、ここで待機するのが我々への命令だ。……ん? そういえば、この命令は……)

 

 いつ、誰に下された命令だったか。それがどうしても思い出せない。

 そもそも部下の言う通り、死の灰が降りとても安全とは言い難いこの場所を、何故自分は絶対に安全だと確信を持つのか。

 その辺りの事を悩むと、途端に頭の中に霞が掛かり、まるで頭が働かなくなってしまう。

 

 これはまさか、すでに自分に死の灰の影響が出ているのだろうか。

 そんな事を考えたその時、彼方より放たれた白色破壊光線によって、その魔物将軍は周囲の部下もろとも消滅した。

 

 

 その魔法が放たれた地点には、魔人ホーネットが立っていた。

 

 

 

 

 

 



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VS 魔人バボラ

 

 

 

 死の大地の影響で廃墟となった魔界都市、ペンゲラツリー。

 その都市へ逃走した魔人バボラを追って、ホーネットの主も程なくして到着した。

 

 彼女はまず手始めにと、周囲にいたバボラの隊の残存兵達を片付けた。敵もこの場所には先程到着したばかりであって、未だ警戒心に欠けていた。

 先手を打って放った白色破壊光線により、その隊を指揮する魔物将軍が一番に討たれた事で、他の魔物兵達は錯乱状態に陥り、一掃するのに然程の時間は要しなかった。

 

 

 汗粒一つ流す事無く敵を葬った魔人筆頭は、顔を上に向けて遙か頭上となる相手の様子を見極める。

 バボラは地面に腰を下ろして膝を抱えて、何をするでもなく中空を眺めてぼーっとしていた。相手はまだホーネットが襲来してきた事も、部下の魔物将軍達が消滅した事も気付いていなかった。

 

 ならばとバボラから視線を外して、ホーネットは周囲の様子を一望する。沢山のテントなどにより雑多ではあるが賑わっている印象を受ける他の魔界都市とは違い、ペンゲラツリーは乾燥した大地に荒廃した景色が広がっていた。

 そしてその中心には枯れた世界樹がある。自分が原因で枯らしてしまった世界樹を見た時、ホーネットの心に刺さるものがあったが、とはいえ今は感傷に浸っている場合では無い。

 

(やはり、他の魔人は居ないようですね)

 

 見晴らす限り、バボラの他に敵の姿は無い。この都市は食料が取れないので滞在するには不向きで、何よりここには死の灰が及ぶ。

 死の大地から多少は距離があるとは言え、灰の効果はそれでも世界樹を枯らしてしまう程で、どんな悪影響があるか分かったものではない。

 故にこの都市での待ち伏せは無いだろうと思って来たのだが、やはり想像通りであった。

 

(しかし、となるとバボラは何故この都市に来たのでしょうか)

 

 あるいは自分達を誘い出す為かとも思ったが、違うのならバボラは何故この場所に来たのか。

 やはりガルティアの言った通り、ただ道を間違えただけなのか。この魔人の事だと決してあり得ないとは言い切れない為、その点は判断出来なかった。

 

(……今はその事は置いておきましょう。……それよりも)

 

 魔人筆頭が見上げるは、地面に腰掛けるバボラの壁のように巨大な足。その右脛の部分には刺傷があり、足だけでは無くその身体のあちこちには、魔人シルキィとの戦闘で受けた深い傷が残っている。

 

 魔人バボラは決して強い魔人ではない、それは他の魔人達皆にとっても周知たる事実。

 そして思考能力が弱くどんな命令にも歯向かわない。その為使い勝手の良い駒として、派閥間の戦いにおいては何度も前線に出現していた。

 

 つまりホーネット派にとってバボラは、決して強くは無いのに何度も戦った相手となる

 にも拘らず今までその魔人を討伐出来ていなかったのは、その巨体ゆえの高い耐久力と、臆面もなく逃亡するその逃げ足の速さが理由だった。

 

 しかし現在、バボラはシルキィとの戦闘によって負傷している。加えてここは死の大地とビューティツリーに挟まれたペンゲラツリー。およそ逃げ場となる場所は無く、今がこの魔人を討伐する絶好の機会に違い無かった。

 

(……あるいはバボラの判断力なら、死の大地の方に向かって逃げてしまう事も考えられますが……ならば、そうなる前に決着を付けるまで)

 

 ホーネットは連れてきていた魔物兵達に指示を出し、自分の魔法の影響範囲から下がらせる。

 そして鞘から剣を抜き、発動した魔法の効果を増幅する効果を持つ6つの魔法球を展開し、戦う時の格好となった彼女は敵の姿を正視した。

 

 

「……バボラ」

 

 自然とその名を呼び、派閥の主である魔人筆頭は数年前の事を思い出す。

 

 魔人バボラは派閥戦争が始まった当初、ホーネット派に所属していた。派閥へ勧誘した際、二つ返事で頷いてくれたのがその魔人だった。

 しかしその後、バボラはいつの間にかケイブリス派に寝返っていた。こちらの派閥の付く事となった時もそうだったが、この魔人の事だから深い考えがある訳では無く、恐らく敵の裏工作を受けて騙されるか何かして寝返る事になったのだろうと、ホーネット達は予想していた。

 

 ホーネットにとってその魔人は、一度は同じ派閥に属していた、自分達に味方してくれた魔人。

 

(……けれども、父上の遺命を果たす。それが私の使命)

 

 魔人筆頭たる自らの役目を全うする為には、魔王ガイの遺志に背くケイブリス派に属する者達は、誰であろうと討ち果たす必要がある。

 ホーネットは僅かに逡巡したが、覚悟を決めた。

 

 

 

「行きます」

 

 相手の耳に届く事の無い、その小さな呟きが開戦の合図。

 その声と共に、ホーネットの周囲に浮かぶ6つの魔法球全てが眩く発光し始め、その白の魔法球から白色破壊光線が放たれる。

 

 白い閃光は正面に聳えるその足を鋭く抉ったが、バボラはそれでも反応を見せない。その魔人はそれ程に鈍重であって、生じた痛みが極小の脳に届くのにも時間を要するのだ。

 結局バボラが異常事態に気付いたのは、その後放たれた赤色と青色の破壊光線によって、再度その足を貫かれてからようやくだった。

 

「ぐ、い、いでー……」

 

 地鳴りのように響く悲鳴を上げ、急激に痛み出した右足を両手で押さえたバボラは、一体何事かとその顔を足元に向ける。

 

 するとそこには、彼にとっては豆粒のように小さな何かが見えた。

 最初は何をしているんだろうと気になった。そうしてじっと見ていると、その小さな生物は溢れんばかりの輝きと共に魔法を放ち、自分の足を攻撃している事に気付いた。

 

「……あ、敵……だ」

 

 その豆粒は敵、右足に生じる激痛の原因。

 その事を理解したバボラは、建造物のように巨大なその腕を高く振り上げ、そして拳を握る。

 

「ん、……ぬぉ」

 

 そうして振り下ろされた拳骨は、まさに大地を打ち付ける巨大な金槌。都市全域に響こうかという轟音と共に、その勢いにより突風が吹き荒ぶ。

 そうして舞い上がった土煙が晴れた頃には、大地には大きな窪みが出来ていた。だが、

 

「……あたら、ない……」

 

 その超一撃は残念ながら目標を逸れていたのか、敵は変わらない姿でそこに居た。そして変わらず呪文を唱え、バボラの身体を的確に射抜いていく。

 

「ぐ、ぬ……ぬ」

 

 一度で駄目ならもう一度と、バボラは右の拳を固く握り締め、再度地面に叩き付ける。

 そして二撃三撃と、繰り返される度に大地は大きく揺れて、その都度小型のクレーターが出来上がるが、しかしホーネットには当たらない。

 さらにその魔人は回避するだけでは無く、振り下ろされる度にその巨拳を剣で斬り付け、バボラのからすると浅目ではあるが確かな傷が増えていく。

 

「ぬ、ぐぐ……、あたらない……」

 

 苛立ちと困惑が混ざったような呻きを漏らし、ならばと今度は両手を駆使して何とか小さな人影を潰そうと躍起になるが、それでも当たらない。

 

 ホーネットは魔法での戦いを主とするが、達人並の剣の技量を有する剣士でもある。身体能力も高く動作も俊敏、バボラの緩慢な動きから振り下ろされる、破壊力だけの拳など彼女にとって避けるのは容易であった。

 そして魔法の才をまるで持たないバボラは、魔法への耐性も弱い。地表にいる豆粒のようなそれを潰そうと悪戦苦闘する間も、ホーネットの強大な魔力によってその身体は削られていく。

 

「ぐ、ぬぅ~……」

 

 あまりに攻撃が当たらないので、困り果てたバボラはどうにか一撃当てようと考えたらしい。

 目標に対して今より正確な狙いを付けようと、その顔をぐっと地表に近づけて、そして目にした。

 

 

「……あ」

 

 ここでバボラはようやく、今自分が戦っている相手を正しく認識した。

 緑の長い髪、周囲の魔法球から強大な魔法を繰り出す魔人。そんな相手はこの魔物界に唯一人。

 

「ぐが……ほ、ホーネット……」

 

 その豆粒は敵派閥の主、魔人筆頭のホーネット。

 その事を理解したバボラは、考え事の苦手なその脳からすると奇跡的な速さである事に思い至った。

 

 これは勝てない。これは自分が到底敵うような相手では無い。決して戦っていい相手では無い。

 

「う、うぎ……に、にげ……」

 

 とても勝機など無いと悟ったバボラは、この都市で待機するという部下の魔物将軍の命令も忘れ、とにかくこの場から離れようと立ち上がる。

 

「やはり逃げますか」

 

 その足元、今まで口を開く事無く戦っていたホーネットがふと呟く。

 立ち上がる動作から敵の逃亡の気配を察知した彼女は、その足に狙いを集中して色とりどりの破壊光線を連発した。

 

「う、うぐ……」

 

 何条もの強烈な光に貫かれながらも、バボラはもう相手への対処をするのは完全に諦め、いつものように大股で逃げ始める。

 

 

 しかし一歩二歩と進んだ所で、

 

「ぐ、……がぁ……」

 

 遂にバボラの巨大な膝が折れる。逃げ足を止める為の魔人筆頭の集中攻撃が功を奏した形だ。

 シルキィとの戦闘の傷も癒えないまま、幾度もホーネットの魔法に穿たれたその右足には、もう力が入らなくなってしまっていた。

 

 それでも何とか逃げようと、痛む足に力を込めてどうにか立ち上がろうとした。しかし途中で力が抜けてしまい、バランスを崩したバボラはそのまま後ろに倒れ、それはもう豪快な尻もちを付いた。

 その衝撃により途轍もない地響きが起こるが、ホーネットは気にする様子も無く、地面に倒れたその魔人に魔法を放ち続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後。

 

 バボラはろくな抵抗も出来ないまま、魔人筆頭の苛烈な攻撃に晒され瀕死となっていた。

 

 一見すると巨人と小人の戦い。その結果は火を見るよりも明らかでありそうだが、しかしその体躯の差を容易に覆すのがレベルと才能の差。

 バボラの身体は斬り刻まれていたり、炭化していたりや凍てついていたりと、ホーネットの突出した剣と魔法の才能を端的に表現していた。

 

「……い、だい……」

 

 その巨体を支えてきた両足は力なく伸ばされ、今なんとか動かせるのは両腕だけ。

 体中を襲う痛みで頭は朦朧とし、いつも以上に考える事が出来ない。困った時に自分に進む道を教えてくれる魔物将軍も、何処かに行ってしまったらしくその大声は聞こえてこない。

 

「ぐ、ぐ……」

 

 バボラの霞む両目に、絶対の上位者である魔人筆頭が徐々に近づいてくる様子と、その周囲の魔法球が光を放出し始める様子が映る。

 

 何とかこの場から逃げようと、魔人バボラは両腕を使って必死に這いずり、のそのそと動き出す。

 だがホーネットが意を決して放った必殺の魔法、六色破壊光線の光から逃れる事は出来なかった。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 ペンゲラツリーでの戦いは終わった。

 

 魔人ホーネットにより魔人バボラは討伐された。つい先程までこの場において途方もない存在感を放っていた、その魔人の巨体はもう煙のように消えて無くなっていた。

 そしてその代わりに、彼女の足元には小さい赤い珠、魔人の核となる魔血魂が転がっていた。

 

「………………」

 

 無言でそれを拾い上げたホーネットは、その金の瞳でじっと見つめる。

 

 リトルプリンセスが魔王への就任を拒んで始まった派閥戦争。その戦局の中では初となる快挙、遂に敵の魔人を討伐する事に成功した。派閥の率いてきた彼女の胸中に、少なくは無い感慨が溢れた。

 

 

「やりましたね、ホーネット様!」

 

 興奮した様子で近づいて来たのは、ベンゲラツリーまで連れてきていた配下の魔物隊長の一人。

 敵派閥の魔人を倒す事は、まだお互いの派閥で一度も成した事が無い。それを敵に先んじて達成したのだ、先の戦いでの勝利や、魔人ガルティアの恭順に加えて、これでさらに自派閥の勢いが増すだろう事は彼にも簡単に想像が付いた。

 

「えぇ、そうですね。これで……。しかし、まだ戦いが終わった訳ではありません」

 

 ホーネットは小さく息をついて内心の感情を静める。頭を切り替えて今後の行動を思案した。

 すでに時刻は夕暮れ。先の戦いが終わった後ビューティツリーに移動して、その後バボラを追撃する為急ぎベンゲラツリーまで移動した。そしてその後休み無く戦闘を行った為、自分は元より部下の魔物兵達の疲労の色も濃い。

 

(……この都市であまり長居はしたくありませんが、一泊位なら影響は少ないでしょうか)

 

 ペンゲラツリーには死の灰が流れてくるので、本音を言えば留まりたくは無い。

 しかし部下にここまで強行軍を付き合わせた以上、すぐに帰還するとはさすがに言えなかったホーネットは、今日だけここで休む事に決めた。

 

「明日にはここを出発するので、貴方達は身体を休めてください。私は……」

 

 辺りの偵察と何よりも自戒を込めて、自分の手により枯らしてしまった魔界都市、その内部を見て回ろうかと思ったホーネットだったが、

 

「いえ、ホーネット様もお疲れでしょう。周囲の警戒は我々に任せて貴女は休んで下さい」

 

 部下の魔物隊長にそう言われた。確かに自分の身体にも疲労が残っているし、それにバボラとの戦闘では結構な量の魔力を消費した。

 次の戦いがいつ訪れるかは分からない。その時存分に戦う為にも、彼女は部下の心遣いを受ける事にした。

 

「……そうですね。分かりました、私は休ませて貰います。貴方達も隊を分け、偵察と休憩を交代で行って下さい。いいですね」

 

 命令を受けた魔物隊長は、笑顔で頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後ホーネットは、部下が用意したテントの中に入った。

 

 設置されていた簡易机の上に、普段戦闘の時には欠かさず装備している巨大な肩当てと剣を置く。そしてその傍に遂に勝ち取った一つの成果、バボラの魔血魂を並べた。

 装備を外すと気が抜けたのか、一段と疲労感が押し寄せてきた。仮の寝床は急拵えで、魔王城の自室のベッドとはその質も段違いであったが、横になるとすぐに眠気が訪れた。

 

 眠りに落ちるその最中。ホーネットは一度目を開き、そばにあった魔血魂、その赤い輝きを眺める。

 

(……これで一つ、前に進めました。必ず、使命を果たしてみせます。父上……)

 

 ホーネットの脳裏に敬愛する父の姿が浮かぶ。

 久々に思い出したその姿を僅かの間懐かしむと、そのまま目を閉じて彼女は眠りに付いた。

 

 

 

 ペンゲラツリーでの異変は、その時すでに始まっていた。

 

 

 

 

 

 



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ペンゲラツリーでの激闘

 

 

 

 

 魔界都市ペンゲラツリーにて、魔人バボラとの激闘を終えたその翌日。

 ホーネット派の主たるその魔人は、昼過ぎにテントの中で目を覚ました。

 

 簡易な作りのベッドから身体を起こしてすぐに、今がすでに昼を越えている事に驚き、そしてまだ眠気が残っているという事にまた驚いた。

 彼女は規則正しい生活を心掛けている為、普段ならこのような時間に目が覚めるという事は無い。腕を伸ばして自分の身体の調子を確かめてみるが、あまり良好なものだとは言えなかった。

 

(どうやら、バボラとの戦闘の疲労が予想以上に残っているようですね。それに……)

 

 ホーネットは自分の右手の指先を見る。するとそこに僅かに痺れる感覚があった。そして喉にも刺すような痛みがあり、自然と咳が出た。

 これらは疲労からくるものでは無く、恐らく死の大地から運ばれてくる死の灰による効果。まだ影響は微々たるものだが、魔人の自分でこれなら魔物にとってここは良い環境では無く、ここに棲む魔物が存在しなくなったのも頷ける話。

 

 やはり、この都市の現状を自分は知っておく必要がある。そう決めたホーネットは、身支度を整えテントを出て、少し辺りを散策する事にした。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 枯れた都市ペンゲラツリー。その内部はとても寂しい景色が広がっていた。

 

 魔界都市とは魔物界における大拠点であり、数十万から多い所では百万以上の魔物が棲んでいる場所である。

 本来ならこの場所にも所狭しとテントが並び、様々な種族の魔物が生活を営んでいる筈なのだが、この都市ではそのような姿は見えず、テントの残骸がぼろ布のように転がっているだけだった。

 

 ふとホーネットは真上を見上げる。すると魔物界特有の暗く不気味な色の空が視界に映る。

 魔界都市は中心に生えた巨大な世界樹が空を覆うようにドーム状の枝葉を作り出すため、普通なら内部から空を見る事は出来ない。上を向くと空が目に入るこの光景も、枯れてしまったこの都市ならではのものだった。

 

(これが、私が作り出した景色なのですね)

 

 数年前にこの近くで起こった戦闘、かの魔人との数日掛かりとなった大激戦。

 その際に発生した死の大地、あれは両者の強大な魔力が衝突した結果だと言われているが、詳しい発生原因は解明されていない。

 あの戦いの影響で死の大地が出来てしまうなど当然予想はしておらず、その意味では不可抗力とも言えるのだが、それでもホーネットにとって自分が原因である事実は変わらなかった。

 

 今まで幾度も思い、そしてまだ完全には薄れない自責の念を胸に、ホーネットはそのまま都市の中を当てもなく進む。

 そうしてしばらく歩いていると、ふいに開けた場所が遠目に映り、そこではペンゲラツリーまで同行させてきた配下の魔物兵達の姿があった。

 彼等は強行軍の疲れが出たのか、皆一様に眠っている。その場に居るのは連れてきた兵の半数。残りの半数は昨日指示しておいた通り、交代で周囲の警戒をしているのだろう。

 

(……皆の疲労はかなりのようですね。今日にはここを立つ予定ですが……)

 

 灰の影響を考えるとあまり長居したい場所でも無いので、未だ寝入る彼等を起こして出発するべきかとも考えたが、結局声は掛けなかった。

 もう少し休ませるべきだろうと思ったし、なによりもまだこの都市を見て回りたい気分だった。

 

 魔界都市は数十万の魔物達が住処に出来る程に広大であり、とても一日で全域を回れるような場所では無い。しかしせめて枯れた世界樹だけでも目に焼き付けて帰ろうと、ホーネットはペンゲラツリーの中央に向けて歩き始めた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 それから数時間後。

 

 枯れた世界樹にその手で触れ、そして都市の中心部から帰ってきたホーネットは、そろそろ自派閥の拠点に帰還する事に決めた。

 そこで先程部下達が居た地点まで戻り、未だに眠っている彼等を起こそうと声を掛けた時、その異変に気付いた。

 

(眠っている……? 違う、これは……)

 

 そばによって見てもまるで違和感は無く、眠る姿には何一つとしておかしな点は無し。

 しかし彼等には起きる気配が無い。どれだけ声を掛けても、どれだけその身体を揺すっても全く起きようとしないその様子に、ホーネットは部下の魔物兵達の身に起きている事態を把握した。

 

 恐らくこれは眠っているのでは無くて、何らかの原因によって眠らされている。

 

「……まさか」

 

 あの魔人がこの近くに居るのか。そんな考えがホーネットの脳裏を掠める。

 考えてみれば自身にも少し妙な眠気がある。連日続いた戦闘による疲労の影響だと思っていたが、あの魔人の能力の所為だというなら納得出来る。

 あの能力は受ける者の強さによって効果に違いがある為、自分のような魔人であればある程度抵抗出来るものの魔物兵にはどうしようも無い。一度眠らされてしまうと、彼女の意思によってしか目覚める事は出来なくなってしまう。

 

(しかし、彼女は確か……)

 

 この魔物兵達を眠らせたと思わしきあの魔人は、どちらの派閥にも属していない筈。そして周囲の者を眠らせてしまう彼女の体質は、彼女自身にも制御出来ない力だと聞いている。

 だからまだこの事が、あの魔人の意図したものなのかどうかは分からない。偶然にこの近辺に居て、偶然にその効果が発揮されてしまっただけだという可能性も大いに有り得る。

 

 しかしホーネットには何故か、これが自分達を害する目的であるという強い予感があった。

 

(……いずれにせよ、この都市の近くに居るのなら会う必要がありそうですね)

 

 敵であるのならば尚の事、そうで無くとも部下達に掛けられた永遠の眠りを起こしてもらう為、その魔人とは一度接触する必要がある。

 

 そう考えて、歩みだそうとしたその時。

 

 

「────ッ」

 

 突如途轍もない閃光。弾かれたように振り返ったホーネットの瞳に紅い光が映る。

 遠方より放たれたそれは都市の中心に生えた枯れ木に衝突し、ゴオン、と重い鐘を突いたような音を鳴らした。

 その光線、その魔法の熱量は凄まじく、枯れて尚巨木の様に聳える世界樹はあっという間に燃え広がり、松明のように辺りを照らし始める。

 

(今の光には……見覚えがある)

 

 その身を走る戦慄と共に、自然と拳を握る。彼女にとっては忘れる筈も無い、その記憶に深く刻まれた以前の激闘の記憶。

 先程の光の正体は死の大地を作り出す原因となったもう一体の魔人の必殺の魔法、ミラクルストレートフラッシュの輝きだった。

 

 この都市の近くにもう一体、部下を眠らせた魔人とは別の魔人が居る。その事実を冷静に認識しながらも、ホーネットにはある疑問が生じていた。

 

(一体何時からペンゲラツリーに? 昨日の時点で居たのなら私とバボラの戦闘に加わらないのは不自然ですし、それに先程光が放たれた方向は……)

 

 光の発射地点。つまりその魔人が居ると思わしき方角には件の場所がある。そこまで考えた時、ホーネットは一つの可能性に思い至った。

 

(まさかあの場所を、死の大地を越えてきた……? そんな事が……)

 

 可能なのか。そう思いもするが、しかし目この現状を説明するにはそれが一番妥当に思える。なにせあの魔人は普段から言動や思想が理解不能な相手、自殺行為とも思える無茶な事だってやりかねない。

 この都市繋がる道は南北にしかないし、仮に北の道であるビューティツリー方面から来たのなら、昨日同じ道を通った自分が近くに居たその相手に気付いていた筈。ホーネットには死の大地を踏破するという道以外に、この魔人がこの都市に来る方法が思い付かなかった。

 

(……しかし、それでも部下達には周囲の警戒を命じていた筈)

 

 万が一に備えて連れてきた魔物兵達に昨日、交代で見回りをするよう指示を出した。

 何故この距離まであの魔人が接近する事を許したのか。そう考えたホーネットだがその疑問にはすぐに答えが出た。都市内部で眠る魔物兵達と同じように、警戒任務を行っていた魔物兵達もすでに眠らされているのだろう。

 

(……恐らくはそちらが本命なのでしょう。だとしたら……)

 

 ホーネットは一度その瞳を閉じ、小さく息を吐いて気を落ち着ける。

 二体の魔人の動きが連動している所から、これは偶然や気紛れは無く周到に準備された奇襲に違いない。という事は、あの魔人はケイブリス派に参加したのか。あるいはバボラがこの都市に来たのもこの事が関係しているのかも知れない。

 

(……いいでしょう。向かってくるというのなら、相手になります)

 

 策に嵌った実感はあれど、しかし魔人筆頭たる彼女に動揺は無い。

 片方の魔人は直接の戦闘力は持たない。そして片方の魔人とは今まで何度も引き分けている、ならば今回も同じように対処すればいい事である。。

 多少の疲労と魔力の減り具合、そして頭の中に若干の眠気はあれど、戦闘に支障など無い。

 

 ホーネットはしっかりと目を開き、剣を構えると共に魔法球を展開して臨戦態勢に入る。

 まだその視界に敵の姿は映らず、その耳には枯れ木がバチバチと燃え続ける音だけが響いていたが、それでも次第に微かな足音が聞こえてきた。

 その音は徐々に大きくなって彼女に敵の接近を知らせるが、近づくにつれ違和感を覚えた。

 

(足音が、多い……?)

 

 その音の量は明らかに一体のものでは無く、少なく見積もっても数十体分の音が混じっていた。

 向こうも魔物兵を連れて来たのかとも一瞬考えたが、しかし魔人の身ならまだともかく、魔物兵が死の大地を踏破する事が現実に可能なのだろうか。

 

 彼女が抱いたそんな疑問はすぐに解消した。近づいてきていたのは魔物兵ではなく、青い髪の女性の外見を持つ機械の一団であった。

 

(あれは確か……)

 

 あの魔人が作り出した機械の兵士達だと、ホーネットの思考が及ぶまでも無かった。

 何故ならその集団の中心に、その魔人は隠れる事なく姿を晒していた。

 

 

「やぁホーネット。久しぶり」

 

 白い髪で片目を隠し、背格好は人間の少年の様に見えるが、病的な印象を受けるその外見。

 

「……えぇ。久しぶりですね、パイアール」

 

 魔人パイアール。

 奇知の科学力を駆使する魔人が、自らが作り出したPシリーズと呼ばれる機械人形の集団と共に、ホーネットの眼前に現れた。

 

 

「パイアール。貴方は死の大地を越えてここまで来たのですか?」

 

 敵派閥の魔人を前にして、ホーネットはその事だけは尋ねずには居られなかった。

 この魔人は今まで戦争に積極的では無かった。死の大地を踏破するなどという無謀な真似をしてまで、自分の前に立ちはだかるとは想像が出来なかったのだ。

 そんな彼女の心情は、先程の問い掛けで相手にもしっかり伝わっていたらしく。

 

「……まぁ、ね」

 

 戦いなどよりも研究だけをしていたかった彼は、とても嫌そうな表情で呟く。

 

「だって、ケイブリスの奴が戦え戦えってうるさいんだもん。全く、この前衛星兵器を作ってやったっていうのにさ。……そうそう、急ぎで作ってみたけど、意外と役立ったのかな、これ」

 

 そう言ってパイアールは、その手に持っていたマスク状の物を放り捨てる。

 ホーネットにそれの詳しい仕組みは想像出来なかったが、恐らくそれの何かしらの効果によって、死の灰の影響を軽減したのだろうという事だけは理解出来た。

 

 その魔人の周囲には彼がある女性を模して作ったロボット、PG軍団がずらりと並んでいる。

 魔人パイアールは直接の戦闘能力を殆ど持たないが、代わりに機械や兵器を造り出す能力に長けている。しかし、そうした機械達に魔人の無敵結界を破る事は出来ない。

 にも拘らずその姿を晒している以上、必ず何か勝算がある筈。ホーネットはそう考え、その勝算の最たるものだろうかの魔人について尋ねた。

 

「パイアール。ここに来たのは貴方だけでは無い筈です」

「ああ、あいつの事? あいつなら……」

 

 パイアールは少し離れた場所を指差す。

 まさにそのタイミングで、焼け落ちていた巨木の枝の陰から巨大な機械が出現した。

 

 それは古き時に魔を討つ為に作り出された、魔人にも匹敵する強さを誇る闘神と呼ばれる兵器。

 その内の一体に寄生しているその魔人は、本体となる紅い目玉をぎょろぎょろと左右に動かし、そしてホーネットの姿を捉えた。

 

「……おォー、ホーネットぉー」

「……レッドアイ」

 

 寄生能力を持つ宝石の魔人、レッドアイ。

 魔人筆頭にとって因縁深いその魔人は、探していた獲物を発見した歓喜を示すように、その名の通りの赤い瞳を歪に歪ませた。

 

「けけ、けけけケケケ!!! ついにユーの最後ね!! ダイ・オア・ダーイッ!!」

「………………」

 

 レッドアイの特徴的な口調には、溢れんばかりの喜悦が混じっていた。ホーネットはそれに沈黙で答えながら、頭の中では現状を冷静に判断していた。

 

 今、ペンゲラツリー内には恐らく三体の魔人が存在し、自分の事をとり囲んでいる。

 一体の魔人が魔物兵達の警戒網を無力化し、その間に別の二体が死の大地を踏破する荒業を駆使して奇襲を仕掛ける。非常に強引な手であり、配下の身を案じないケイブリスらしい手だとホーネットは思った。

 

 しかし闘神に寄生してその力を自在に操れる上に、自身も強大な魔法力を持つレッドアイはともかくとして、残りの二人は戦闘には向かない魔人。三対一だからと言って、必ずしも敗北すると決まった訳では無い。

 

 

(けれど、これはもしかしたら……)

 

 まだ戦える。

 そう思う気持ちがある一方で、ホーネットの脳裏にある嫌な予感があるのも確かだった。

 

 元よりこの都市に来る前、配下たる魔人四天王に危機が迫ったら撤退する事を約束した。派閥の主たる自分が敗北したらこの戦争は終わってしまうし、ひいては父の命令を果たす事は出来なくなる。

 勝算は無い訳では無く、戦ってみなければとも思いはしたが、しかしここは意地を通す場面では無いとすぐに判断した。

 

(兵達を置いて行くのは、気が引けますが……)

 

 未だ目覚めていない魔物兵達、彼らはこのままなら間違いなく殺される事になるだろう。

 しかしあれは通常の睡眠ではない。敵意を持ったあの魔人に眠らされたのなら二度と目覚める事は無く、それはすでに死んでいるのと半ば同じ事。

 ホーネットは感傷を振り切って、派閥の主としてこの場から撤退する事を決断した。

 

 そうと決めた魔人筆頭の動きは迅速で、即座にパイアールとレッドアイに背を向けて駆け出す。

 だがそうして少し進んだ所で、彼女その違和感に気付いた。

 

 目の前には何も無い。松明のように燃える枯れ木に照らされる。ペンゲラツリー内の景色だけが広がっている。

 だが何故か息を飲み込む事すら難しいような、途方も無い圧迫感がある。

 彼女はこの感覚に覚えがあった。

 

(あぁ、これは……)

 

 逃げようとしていたその足が止まる。

 そして先程の予感通りに、この現状が絶望的だという事を理解した。

 

 時刻はすでに夜。元から暗い魔物界の空は完全なる暗黒となり、辺りは深い闇に包まれている。

 そしてその闇こそ何よりの強敵だった。

 

 ホーネットは深い息を吐き出すと共に、撤退するという考えを頭から捨てた。この時間帯にこの魔人から逃げ切る事はおよそ不可能に近いからだ。

 

 そして目の前の暗闇に対して、その名を呼んだ。

 

 

「……居るのですね、ケッセルリンク」

「気付いたかね」

 

 何処からか声が聞こえ、魔人筆頭の眼前に周囲の闇が集まり徐々に輪郭を作っていく。

 紳士然とした態度に、額にはカラーと呼ばれる種族である事を示す宝石。

 魔人四天王、ケッセルリンクがそこにいた。

 

 派閥内のNO,2である魔人四天王。彼を含む四体の魔人による死の大地を踏破してのペンゲラツリーへの強襲作戦。

 それが魔人筆頭であるホーネットの事を確実に打ち取る為に、ストロガノフとケイブリスが考えた作戦だった。

 

 

「……ケッセルリンク。貴方がこのような手段に出るとは、率直に言って驚きました」

「ああ。この作戦で戦いが決着するからと、大元帥から直々に懇願されてね。仕方無く付き合う事にしたよ。このような不毛な身内争い、長く続けるべきでは無いからね」

 

 戦場にあっても優雅な所作で、ケッセルリンクは一歩一歩近づいてくる。

 そしてその真紅の瞳を向けて、彼がここに来た本当の理由となるその言葉を発した。

 

「以前にも言ったが改めて言おう。……降伏したまえ、ホーネット。その方が貴女の為だ」

「ケッセルリンク。以前に言った通り、それは出来ません。ガイ様の遺言を守る事。それが私の全てですから」

 

 ホーネットは魔法球を輝かせ、剣の切っ先を相手に向ける。

 その姿に、ケッセルリンクは僅かに目を伏せた。

 

「まぁ、そう言うとは思っていたよ。……では、少し手荒になる。覚悟はいいかね」

 

 ケッセルリンクがゆっくりと手刀を構える。

 ホーネットの背後に、パイアールとレッドアイが迫る。

 

 戦闘が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「研究の邪魔だしさ、さっさとやられてよ。ホーネット」

 

 パイアールの合図により、彼の作り出したPG軍団の左肩が銃器の形に変形し、一斉に射撃攻撃を開始する。

 その弾丸は無敵結界に阻まれホーネットには効かないものの、彼女の周囲に浮かぶ6つの魔法球が貫かれる。魔法増幅器の約割を持つ魔法球を失い、その身に纏う魔法力が低下する。

 

「け! け! け! メイクドラーマー!!!」

 

 大袈裟な掛け声と共に放たれたのは黒き閃光。

 レッドアイがその身に秘める凶悪な魔力を練り上げ、闘神の指先から黒色破壊光線を発射する。

 

「ッ……!」

 

 合わせるように放たれたのは白き閃光。

 ホーネットも負けじと白色破壊光線を放ったが、その白い光は黒い光に飲み込まれていく。

 

 以前まで互角に打ち合えていた相手。しかし魔法球を欠いた上に昨日の戦闘の影響が尾を引き、魔人筆頭は万全とは言い難い状態であった。

 ホーネットの放つ魔法は普段よりも頼りなく、徐々にレッドアイの強大な魔法に押されていく。

 

 そしてレッドアイの魔力が一気に収縮した次の瞬間、その魔人の必殺の魔法ミラクルストレートフラッシュが放たれる。

 この魔法にはホーネットも自身の必殺の魔法で応じなければならないが、魔法球が無いと六色破壊光線を撃つ事は出来ない。

 

「く、うぅ……ッ!」

 

 それでも瞬間的に魔法バリアを張り、驚異的な反射で身を躱したが、至近距離で放たれた光を完全に避ける事は叶わず、魔法バリアを貫いた赤い閃光がその身を焼く。

 

「もう諦めなさい。敵わない相手であると、貴女なら理解出来るだろう」

 

 畳み掛けるようにケッセルリンクが迫る。

 周囲の闇と同化し、何時何処から現れるかも読めない、魔人四天王の爪による目にも留まらぬ斬撃が、その躰を幾度と無く切り裂く。

 

(負けられない……!)

 

 敵の魔人四天王に言われるまでも無く、頭の冷静な部分で勝ち目は薄いと理解はしていた。しかしホーネットはそれでも抵抗を止めなかった。

 ケッセルリンクの攻撃を必死に躱し、パイアールに向けてどうにか魔法を放ち、レッドアイの本体に一か八か斬り掛かる。

 

(わたしは、負けられない……! 父上……!)

 

 彼女は派閥の主として、一人の魔人として、限界まで魔力を振り絞り、最後まで剣を振るった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてペンゲラツリーでの戦いは終わり、一人の魔人が地に伏していた。

 すでにその意識は無く、その身体のあらゆる箇所には酷い火傷の後や深い切り傷など見え、その美しい様相は見るも無残なものとなっていた。

 

 

 魔人ホーネットは敗北した。

 

 

 

 

 



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敗戦

 

 

 

 次の日も、その次の日も、そしてその次の日も。

 彼女達がどれだけ待てども、派閥の主はビューティツリーに帰還する事は無かった。

 

 その時から嫌な予感が脳裏を掠めていたものの、まだ信じたい気持ちが強くあった。

 その後一旦魔王城に帰還していた魔人メガラスが拠点に戻り、話を聞いてすぐさまペンゲラツリーまで向かったが、その都市には誰の姿も無かった。

 真っ黒に炭化して焼け落ちた世界樹の残骸など、都市内で激しい戦闘があった事を思わせる痕跡が残っており、その報告がさらに憂心を強めた。

 

 そしてある日。彼女達が拠点としているビューティツリーから南、つまり敵の本拠地があるタンザモンザツリー方面から、ケイブリス派の軍使を名乗る飛行魔物兵がやって来た。

 その魔物は大元帥からの命令を受けており、その任務は一通の書状と一枚の写真をホーネット派の魔人達に届ける事であった。

 

 そうして彼女達の下に届いたその書状には、無条件での降伏を要求する文章が書きなぐったような字で書かれており。

 そしてその写真には、ぼろぼろの姿で拘束されたホーネットが写っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔界都市ビューティツリー内に設置された、指揮官用の他より豪華なテントの中。

 三人の魔人が居るそのテント内の空気は暗鬱たるものであり、周囲の喧噪とは比べ物にならない痛々しい程の静寂に包まれていた。

 

「……参ったな、こりゃ」

 

 その場の空気に耐え切れず、魔人ガルティアが口を開く。だが常に悠然としているその魔人の表情も、さすがにこの時ばかりは強張っていた。

 

 三人の魔人の前にある簡易机、その上にはつい先程敵の軍師を名乗る魔物から届けられた書状と写真が置いてある。

 書状に書かれている内容と、なによりその写真に写る派閥の主の見るも無残な姿が、そこに居た3人の魔人達に敗北の事実を明確に突き付けていた。

 

「……私が、私があの時……」

 

 血の気が引いた、酷く蒼白した顔をシルキィがその両手で覆う。

 あの時、ホーネットの命令に逆らってでも自分がペンゲラツリーに向かっていれば。

 そうすれば代わりに自分は魔血魂になっていたかも知れないが、この場にはホーネットが居る筈である。その方が彼女にとっては何倍も気が楽であったが、今更後悔してどうにかなる話では無かった。

 

「別にお前のせいじゃないだろ。俺もメガラスもこうなるなんて思わなかったし、それに最終的な決断したのはホーネットだ」

「……それは」

 

 それぞれ意見を出し合い、その中で派閥の進む道を決めるのは常にホーネットの決断一つ。

 確かにそれは事実であったが、それはシルキィにとって慰めになるような事でも無いし、そもそも何が悪かったかを考える事にも、もはや意味など無かった。

 

「シルキィ。一応聞くけどさ、この後って俺達どーすんだ?」

「……そんなの考えるまでもないわ、降伏しましょう。……ホーネット派が、ホーネット様を欠いて戦える訳が無い」

 

 まだその顔を上げられない魔人四天王は、深く俯きながら答える。

 ホーネット派とは、前魔王の娘であり魔人筆頭たるホーネットを中心とした派閥。よってホーネットだけは替えが利く存在ではない。

 シルキィ含む他の魔人ならまだしも、ホーネットだけは欠いてはいけない。それが行方不明ならばまだともかく、敵に身柄を拘束されたと知った今、降伏する他に何一つ取れる選択肢など無かった。

 

(……この後、か)

 

 派閥戦争には決着が付き、ホーネット派が敗北した。その後の事に目を向けた時、シルキィの脳裏にいつかのランスの言葉が浮ぶ。

 ケイブリスが魔物界を掌握して、人間の世界に侵攻する。それを番裏の砦で耳にした時、絶対に阻止しなければならない事だと思った。

 だが敗北した今となっては、その平和を脅かすのは自分のこの手によってなのかもしれない。

 

 これからの事を考え、そんな悲惨な未来予想に思考を囚われていたシルキィを横目に、ガルティアは机に置いてあったケイブリスからの書状をひょいと摘み上げた。

 

「降伏か。まぁ、そりゃそうだな。けどこれさ、投降すれば命だけは助けてやる、なんて書いてあるけども、多分俺の事は例外だよな」

「……そっか。ガルティア、貴方は……」

 

 その言葉の意図に気付き、思わずシルキィは俯いていたその顔を上げる。

 ガルティアは元々ケイブリス派であり、その後寝返ってホーネット派となった魔人である。敵派閥の主の性格から考えて、そんな裏切り者の再度となる恭順を許すとは到底思えない。

 つまりガルティアにはもうこの後は無い。その事を思いシルキィは沈痛な表情となるが、対して彼の表情は悲壮感などない普段通りのものだった。

 

「別にこっちに来たのは俺が自分で決めた事だ。何も後悔しちゃいねーし、シルキィが気に病む事じゃないって」

「ガルティア……」

「それにさ、俺は魔血魂に戻るだけだから、場合によっちゃお前達の方がキツいんじゃないか?」

 

 命だけは助けてやる。その言葉の意味を少し考えればすぐ分かる事だが、投降した先での扱いに関しては推して知るべしというものである。

 それがまさに先程考えていた事で、ガルティアの言いたい事はシルキィにもすぐ分かった。

 

「……それはそうかもね。けど仕方無いわ。……私達は、負けたんだもの」

「……そうだな」

 

 そして再びその場を沈黙が支配する。

 シルキィは未だ後悔の渦の中にある頭を何とか切り替え、そして先程から一言も発していないが、自分と同じように強く悔いている事が分かるその魔人に声を掛けた。

 

「メガラス、悪いけど私を魔王城まで運んでくれる? ……サテラやランスさん達にも、ちゃんと説明しなくちゃね」

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして魔王城。

 城内で普段通りの日々を過ごしていたランス達は、すぐさまシルキィの部屋に集められた。

 そして魔人四天王が事の経緯を伝えると、その場は先程と似たような沈黙に包まれる。今度それを破ったのはサテラだった。

 

「……負けた?」

 

 力が抜けたようなその声に、シルキィは頷く事でしか返事が出来ない。

 ちゃんと説明しなくちゃいけない。そう思ってはいたのだが、しかし当人達を前にするとどうしても多くを言葉に出来ず、ホーネットが敵に捕らえられて、ホーネット派は派閥戦争に負けたという単なる事実だけを口にした。

 

 するとそれだけでは到底納得が出来なかったサテラは、声を荒げてシルキィに詰め寄った。

 

「どういう事だシルキィ!! ホーネット様が負けるなんて、そんなの絶対あり得ない!!!」

「……サテラ」

 

 その言葉に、シルキィは泣きたい気持ちになった。

 自分もそう信じているし、そう信じたい。だがその思いを打ち砕く有無を言わせない現実がある。

 

「……これ」

 

 シルキィがその手に持っていた写真をサテラに手渡す。それを目撃した途端に彼女の大きな瞳が驚愕に見開かれ、すぐにじわりと涙が浮かんだ。

 

「そ、そんな……。嘘だ、ホーネット様……!」

「おい、俺様にも見せろ!」

 

 傍で話を聞いていたランスが、呆然と立ち尽くすサテラの手から写真を奪う。

 

「こ、れは……!」

 

 それは単に偶然なのか。それともある種の運命のようなものなのか。

 そこに写っていた姿にランスはとても見覚えがあった。それは前回の戦いの時に魔王城へと乗り込み、ホーネットを救出した時に目にした姿とまるで変わらないものだった。

 

「……おい、ホーネットの身に何があった!?」

「……私にも、詳しくは分からない」

 

 シルキィは痛ましげに首を横に振る。派閥内で最強の力を有するホーネットがどうして敗北する事になったのか。それはこの場の誰にも知らぬ事。

 

 シルキィも自分なりに推測はしている。ペンゲラツリーで何かが起きたのは間違いない。ケイブリス派の待ち伏せを受けたのかも知れないが、出立の前にホーネットは危険が迫ったら必ず退くと自分と約束してくれた。

 ならばその判断を誤ったのか、あるいは撤退する暇も無かったのか。もしかしたらだが向こうの派閥の主が動いた可能性もある。

 だがいずれも想像の域を超えず、今更言っても全て詮無い事であった。

 

 

「私に分かるのは、ホーネット様が敵に捕らえられたって事。……そして、私達が負けたって事」

「……負けたのかどうか、そりゃあまだ分かんねーだろ」

 

 鬱々とした場の空気をかき消す為、あえてランスは腕を組んでふんぞり返る。

 その男ははまだ何も諦めてはなかった。傍ですんすんと泣き始めたサテラの声を聞きながら、何か良いアイディアはないかとその頭を巡らせる。

 

「なぁシルキィ、今からホーネットの救出に向かう事は出来ないのか?」

「無理よ。今ホーネット様が何処に居るかも分からないのに……」

「ぬぅ……。け、けど、全くなんも手がかりが無いって事は無いだろ?」

「……可能性で言えば、多分ホーネット様の身柄はすでにケイブリス派の本拠地、タンザモンザツリーに送られていると思う。けれど……」

 

 現在の最前線拠点となる魔界都市ビューティツリーからでも遠く、その道程の途中にケッセルリンクの居城があるタンザモンザツリーまでは、今まで一度たりともホーネット派は侵攻出来た試しが無い。

 ホーネットが居た時でさえそうなのに、絶大な戦力であるその魔人を欠いた今、とてもそんな事を実行出来るとはシルキィには思えなかった。

 

「……それに何より、向こうにホーネット様の命が握られてる以上、私達に選択肢なんて無いわ」

「……ぐ、ぬ」

 

 送り付けられた書状には、とっとと降伏しないとホーネットの命は無いと書かれている。どうにか救出しようにも下手に動いてそれを察知されたら、彼女の身にどのような危険が及ぶか分からない。

 ランスもどうにか出来ないものかと考えてみたものの、名案は浮かばず唸り声しか出なかった。

 

「私達はこれからケイブリス派に降伏する。けれどランスさん、貴方達まで付き合う事は無いわ。貴方達はすぐにでも元居た世界に戻って。それで、この後起こり得る魔軍の侵攻に備えて欲しい」

「……しかしだな」

「いいの、貴方達は人間なんだから。……それと、こんな事になってしまって本当にごめんなさい」

 

 シルキィは目を瞑り、深く頭を下げる。

 ランスはそんな彼女の姿を見ていられず、隣に居るサテラに視線を移す。

 

「サテラ、お前も降伏すんのか?」

「……当たり前だ。ホーネット様の命が掛かってるんだから」

 

 目元を拭いながら、とても悔しそうな表情でサテラは答える。

 両魔人の悲痛な様子を目にしたランスの心中では、納得のいかない思いを通り越して苛立ちがふつふつと湧き始めた。

 

(……おかしい。最強の英雄である俺様が味方したホーネット派が負けるなんて、ぜーったいにおかしい。これは何かの間違いだ)

 

 前回の時、ホーネット派は敗北した。だからと今回はこの自分がわざわざ魔物界に乗り込んでまでホーネット派に協力したのに、同じ結果になってしまうなどと彼は想像すらしていなかった。

 しかしランスは魔人ガルティアの引き抜きという功績は上げたものの、その後は特に何もせず城内でだらけた日々を送っていた。

 そしてそもそもホーネット派は負ける運命にあった。それはそうなるだけの戦力差があったという事であり、先を知る筈のランスが何も手を打とうとしないのなら結果が変わる筈は無かった。

 

 

「ランス様……」

 

 熟考していたランスの服の裾を、彼の奴隷がちょんと引っ張る。

 その場に居たシィル、かなみ、ウルザの三人は皆一様に、不安そうな顔で彼を見つめていた。

 

「……なんだ、シィル」

「その、シルキィさんの言う通り、早くランス城に帰った方が……あいたっ!」

 

 言い終わる前に、ランスはその頭を叩いて黙らせる。

 

「ランス。ここに居ても、私達に出来る事なんて無いような……」

「やかましいぞ、かなみ。それを今こうして考えてんだろうが」

 

 かなみの言葉にもランスは全く取り合わない。

 

「ランスさん。気持ちは分かりますが……」

「ウルザちゃん。軍師として何か良い作戦は思い付かんのか」

「……軍師として私がランスさんに提案するなら、やはりシルキィさんの言う通りに私達の世界に戻り、各国と今後起こるであろう戦争について協議すべきだという事です」

 

 この先起こる事をすでに知らされているウルザは、一刻も早い対処を取る事を促す。

 しかし信頼する軍師にそう言われても、ランスは首を縦には振らなかった。

 

「まだだ、まだ出来る事はある筈だ。この俺様がここにいるのに、敗北するなんてありえん」

「しかし、派閥の主の命が敵に握られている現状では……」

「……えぇ。ランスさん、どうにかしようとしてくれている貴方の気持ちは本当に嬉しいわ。けれど、今はホーネット様の身の安全が最重要なのよ」

 

 ホーネットの生殺与奪を相手に握られている以上、どんな有効な策が思いついたとしても実行は出来ない。

 ウルザとシルキィから同じように諭されても、それでもランスは納得しなかった。

 

「……つーかお前等はそれでいいのか? ここでケイブリスに下ったら、ホーネットを人質に取られて何でもかんでも言いなりになるって事だぞ」

「それは……仕方ない。サテラ達に残された手段は、ケイブリスに従う事だけだ」

「……シルキィちゃんもいいのか。君は人間を守りたいんだろ? このままじゃ奴の命令で人間の世界に侵攻する事になるんだぞ」

「……覚悟の上よ」

 

 二人共その表情には苦渋の色があったが、それでも決意は固い。彼女達にとって、派閥の主であるホーネットはそれ程の存在だった。

 

「……ぬ、ぬ、ぬ」

 

 静まり返った部屋の中で、その呻き声も虚しく響くのみ。

 ランス以外の皆はすでに、ホーネット派が敗北したという事実を受け入れていた。この場において、まだ抗う方法を考えているのは彼だけだった。

 何だか自分だけが聞き分けの無い奴であるかのような気がしてきたランスは、他の面々の諦めの良さに苛つき、自分に向けられるその視線が嫌になって思わず天を仰いた。

 

 

(これだと前回となんも変わらねーじゃねーか。これだと……)

 

 ランスは派閥戦争の結果を変える為にこの魔王城までやってきた。同じ結末になってしまうのなら自分がここに来た意味が無い。

 

(……とはいえ、こうなった以上はさすがに……。大体ケイブリスの奴が攻めてこようが何だろうが、また俺様が世界総統になっちまえば楽勝でけちょんけちょんに出来る筈だ)

 

 今後ケイブリスが魔軍を率いて人間世界に侵攻を行い、その結果第二次魔人戦争が勃発する。それは前回の通りだろうが、そもそもランスは一度それを経験し、それに見事打ち勝ってきた。

 各魔人の弱点やキナニ砂漠の問題など、今からなら採れる対策は幾つもあり、前回よりも遥かに有利な条件で戦える。一度経験したランスにとって、今回の第二次魔人戦争は驚異には感じなかった。

 

(……だが)

 

 ランスの前には魔王城に来てから何度もその肌に触れた二人の魔人、サテラとシルキィがいる。

 

 ランスが未だに諦め切れない、この現実を受け入れられない理由。それは自分が居たのに負けたという悔しさ以上に、彼の最大の行動原理であり、時に自分の命よりも優先する程に大事な自分の女達の事。

 ホーネットという人質を取られた彼女達は、ケイブリス派の中でどのように扱われるだろうか。

 

(……間違い無くめちゃくちゃにされるな。つーか俺様だったらそうする。サテラもシルキィも、ついでにハウゼルもホーネットもみーんな俺様の女だぞ。ケイブリスなんぞにやる訳には……ッ!!)

 

 このまま自分が引き下がったら、ホーネット派の面々は投降した先で陵辱されるだろう。ほんの一瞬そんな光景を思い浮かべただけで、煮えたぎるような怒りが込み上げきつく噛み締めた奥歯が軋む。

 この場に居る皆からもう打てる手は無いと言われても、大切自分の女をケイブリスに捧げる事などランスに我慢出来る筈が無かった。

 

(ぐぬぬぬ、何か良い方法はねーのか!! このままじゃ俺様の女が奴の言いなりに……! 人質を使って言いなりになんて、俺様の得意分野なのに……! なにか手は……て、ん?)

 

 人質を取るなどという卑怯な手段は、自分がされる事では無くて、自分がする事な筈である。

 そんな益体も無い事を考えた時、ランスはふと思い付いた。思い付いてしまう辺り、確かに得意分野と言えた。

 

 

「そうだ、人質だ。こっちにも人質が居るじゃねーか。……サテラ、シルキィ! 諦めるのはまだ早いぞ、ホーネットを助ける方法はある!!」

 

 その言葉に、二人の魔人が目を見開く。

 もうなにも手の打ちようが無い。そう分かっている筈なのに、何故だかその声には希望を湧かせる不思議な響きがあった。

 

「ランス、本当に? 本当にホーネット様を助けられるの?」

 

 サテラの涙に濡れる紅い瞳に、その男の自信に溢れる表情が映る。

 ランスの脳裏にあるのは、絶世の美貌を持つドラゴンの魔人。その閃きが間違い無くこの現状を打開出来ると確信があった彼は、サテラに向けて力強く頷いた。

 

「心配すんなサテラ、全部俺様に任せろ。……ホーネット救出作戦開始だ、ゼスに向かうぞ!」

 

 

 

 

 



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TURN 4
ホーネット救出作戦


 

 

 

 ホーネット派の主、魔人ホーネットは敗れた。

 そして派閥の主を人質に取られた事で、残された者達にはもはや降伏するしか術が無かった。

 

 しかしそんな状況に置かれてもランスは決して諦めず、どうにか出来ないかと考えに考え抜いた所、一つだけ思い付く事があった。

 

 その一発逆転とも言える閃きに賭けて、ランス達はすぐに魔王城を出発した。

 そして数日後、一行は人間世界にあるゼス王国、その首都であるラグナロックアークの王宮に到着していた。

 

 ランスの着想を元にして完成した、魔人ホーネット救出作戦。

 その内容を大まかに言ってしまえば、それはとても簡単な話。

 

 敵に人質を取られて身動きとれないのなら、こっちも敵の人質を取ってしまえばいい。

 そんな訳で、ランスがこのラグナロックアークにやって来た目的は一つ、ケイブリス派に対しての人質となり得るあの魔人、魔人四天王カミーラの開放が目的だった。

 

 

 

 

 

 

 

「あれがどれだけ危険な魔人か忘れたの!?」

 

 眦を吊り上げながら怒鳴るのは、この国の王女であるマジック・ザ・ガンジー。

 ゼス王宮にランスが訪ねてきたという知らせを受けて、すぐさま彼女はすっ飛んできた。

 

 今回のランスの訪問目的、それはきっと自分やランス、ひいてはゼス王国の未来にも大きく関わる、あの件の事が理由なのだろう。

 そう考えたマジックは内心に歓喜を秘めていたのだが、到着して早々にランスからその目的を聞いて以降、二人の間で激しい口論が起きていた。

 

 ランスの目的は魔人カミーラの封印を解く事。数年前この国に甚大な被害を与え、国家の総戦力を動員してようやく退治する事に成功した。

 そんな危険な存在を有ろう事か魔人を救出する為に開放するなど、マジックにとっては正気の沙汰とは思えなかった。

 

「別に、忘れちゃいない」

「だったら……!」

「けど、それでも必要な事だ。そもそもあいつを退治したのは俺様だ、ならそれを俺様がどうしようと勝手だろ。分かったらとっとと道案内をしろ」

 

 ランスの声色は普段のそれより固く、その接し方も何処か淡白なもの。

 敵から届いた書状には、とっとと降伏しないと人質の命は無いと書かれており、あとどれだけ時間的な猶予が有るか分からない。

 その事への切迫感が影響していたのだが、そんなランスの態度が余計にマジックの気を尖らせ、二人の口論は平行線を辿っていた。

 

「大体、魔人を助ける為って何!? 何でそんな必要があるのよ!」

「だーから、それもさっき説明したろ。必要な事なんだよ」

 

 何度も同じ事を言わせるなとばかりに、ランスは口をへの字に曲げる。

 彼はちゃんと説明した気分でいたのだが、実際には「俺様の女の危機だから」としか伝えておらず、それで相手が納得する筈が無かった。

 

「ちょっと、親父もなんとか言ってよ!」

 

 幾ら言っても聞かない相手に苛立ち、マジックは父親にもランスを説得するよう促す。

 

「……ふむ」

 

 皆から少し離れた場所で事の成り行きを見守っていた巨漢、マジックの父親であり現在形式上のゼス国王、ラグナロックアーク・スーパー・ガンジー。

 彼は普段のような友好的なものとは違う、国王としての厳格な眼差しをランスに向けたが、ランスはそんなガンジーを思いっきり睨み返した。

 

「おいガンジーよ、なんだその目は。ゼスは俺様に大きな借りがあるはずだろう。俺様の言う事が聞けないってのか」

「……ウルザよ、お前はどう思うのだ?」

 

 ランスから視線を外したガンジーは、その背後に居たウルザに目を向ける。

 話を振られた彼女は一度だけ瞼を瞑り、強く悩む素振りを一瞬だけ見せたが、ここに来るまでにすでに決意は済ませていた。

 

「……ランスさんの言う通りにすべきだと思います」

「ウルザ!?」

 

 ランスの無茶な行動を止める所か、その味方をするウルザの姿にマジックが驚愕する。

 

 ウルザとてマジック同様、あの魔人を開放する事については強い抵抗感が有る。何も知らなかったら間違い無く反対していただろうが、しかし彼女はランスからこの先起こり得る未来の話を聞いている。

 世界規模で起こる悲惨な戦争。それが今ならまだ瀬戸際で食い止める事が出来るかもしれない。それには非常に不本意ではあるものの、ランスの考えた手段しかないだろうと聡明な彼女は理解していた。

 

「……マジック様。詳しく事情を話すと長くなるのですが、私達が救出しようとしている魔人は……」

「いや、それは後でいい。今は急ぎなのだろう。誰か、ランス達を永久地下牢に案内しなさい」

「ガンジー王……宜しいのですか?」

「ああ。ウルザよ、私はお前にランスに協力するよう命じた。そのお前がそう判断したのなら構わん」

 

 ガンジーは諸々の事情から、ランスが人類を救う英雄であると信じている。そしてなにより、ウルザがゼス国の益にならないような選択をする筈が無いと理解していた。

 

「ふん、最初からそーすりゃいいんだ。よし、とっとと行くぞお前ら」

 

 ランスは魔王城から同行させた仲間達を連れ、永久地下牢へと向かった。

 

 

 

 

 

「……ていうかランス。せっかく来たなら、スシヌにも会っていってよね」

「スシヌ?」

 

 誰だっけそれ? と馴染みの無いその名前に、ランスは顔に疑問符を浮かべる。

 それはゼス王国にとってここ最近一番の慶事であり、ランスがゼスを訪れた目的だろうとマジックが勘違いしていた内容。

 彼女は若干の照れを隠すように、そっぽを向きながら答えた。

 

「……私が産んだ、ランスの子供」

 

 ぴきり、とランスの身体が硬直した。

 マジックに子供が出来た事は前回の経験もあるので当然知ってはいたのだが、それでも色々な意味でランスは子供というキーワードに弱かった。

 

「そ、そうだな。……まぁ、あれだ。今は急いでるから、また今度な!」

「あ、ちょっと! ……もうっ!」

 

 ランスは逃げ出した。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 首都ラグナロックアークの地下に作られた巨大な迷宮、永久地下牢。

 この迷宮は魔法大国ゼスの叡智によって、建物全体が封印の役割を果たす様に設計されている。その力はとても強大であり、人間の身ではまるで歯が立たない魔人をも封じる事が可能となっていた。

 

 

「……まだ着かんのか。前々から思ってたがこの迷宮は長すぎるぞ」

「……あ、居ましたよ。ランス様」

 

 長大な地下迷宮を抜けて辿り着いた最奥の間、そこにその魔人は封印されていた。

 

 魔人四天王カミーラ。LP4年に発生した魔軍によるゼス王国侵攻。その際にランス一行に討伐されて以降、その魔人は永久地下牢に封印されていた。

 元プラチナドラゴンの魔人であり、世にも稀な女性体のドラゴンという特殊性を有しているが、それよりも重要なのは敵派閥の主、魔人ケイブリスが彼女を恋い慕っているという点である。

 

 前回の時にランスはサテラからそんな話を聞いており、その事を土壇場で思い出した。そしてこれから行うケイブリスとの交渉の重要なカードにする為、カミーラに会いに来たという訳だった。

 

 

 

「ようカミーラ。久しぶりに会いに来てやったぞ、元気にしていたか?」

「……ランス、誰かと思えばまた貴様か。……再び、私を辱めに来たのか?」

 

 地下牢に張り巡らされた結界の力により、カミーラは満足に身体を起こす事も出来ないのか、床に寝そべったままの格好でランスの事を睨む。

 

「ふむ、そんなとこだな。一応言っておくぞカミーラちゃん、俺様の女になれ」

「……………」

 

 彼女は何も答えず、唯一動かせるその首を背ける事で否定の意思を示す。

 

 自分の手で退治した魔人カミーラとセックスする為、ランスはこの迷宮を何度か訪れている。そしてその度に自分の女になれと迫ってはいるのだが、しかし返答は決まって同じだった。

 彼女にとってランスは自分を打ち破った相手であり、その後何度も屈辱的に性交渉を受けた相手である。そんな相手に靡く理由など無く、その事はランスもいい加減理解していた。

 

「ちっ。まぁ予想はしてたけどな。……んじゃあ遠慮無く、びりびりーっと!」

 

 ランスは当初の計画通り、手に持っていたハサミでカミーラの衣服を容赦なく切り刻む。

 胸や太腿などその魔人の白い素肌が晒され、しかし大事な部分はぎりぎりで見えない、なんとも絶妙な裂き方であった。

 

「うむ、エロいな。これでよしっと。んで次は……」

 

 そして魔剣カオスを腰から引き抜くと、その剣先をカミーラの喉に突き付ける。

 その身に纏う無敵結界が切り裂かれ、魔剣の刃が微かに肌に触れて薄く血が流れた。

 

「う、うぐぐ、刺したい刺したい。心の友よ、もうちょっと腕を前に……!」

「貴様……私を殺すつもりか」

「俺様は可愛い子は殺さんっての。……よしおーけーだ。かなみ、撮れ」

「う、うん」

 

 二人のそんな光景を、傍に居たかなみがその手に持っていたカメラで撮影した。事前の打ち合わせ通りランスの姿は映らないよう慎重に。そのカメラはインスタントなのかすぐに写真が完成した。

 そこに写るのはぼろぼろの姿で横たわり、喉元に魔剣カオスを突き付けられた魔人カミーラ。現像された写真を見たランスは、これを敵に送り付ければさぞ愉快な事になるだろうと満足気に頷いた。

 

「ほうほう、良く撮れてるな。んじゃウルザちゃん、後は頼む」

「えぇ、こちらの準備はすでに出来ています。メガラスさんに渡して来ますね」

 

 写真をランスから受け取ると、ウルザは足早に永久地下牢から出て行く。

 彼女が挙げたその名前、魔人メガラスは外見上の問題から人混みの多い首都に入らず、ラグナロックアークの外れで待機をしている。

 ランスの閃きにウルザ達が概要を肉付けしたこの作戦では、ある機械と共に今撮られた写真を、敵の本拠地タンザモンザツリーまでメガラスに運んで貰う計画になっていた。

 

 

 

「さて、それじゃあこっちも準備しないと。やるぞシーザー、手伝え」

「ハイ、サテラサマ」

 

 永久地下牢の奥まで同行していた唯一の魔人、サテラがカミーラの前に立つ。

 そしてシーザーがその手に抱えていた荷物を下ろし、二人である準備をし始める。

 

「……サテラ? 何故お前がここに……」

「ふん。うるさいぞカミーラ、黙ってろ。……えーと、これをこうして、こっちは……」

 

 カミーラの言葉を無視して、サテラはいそいそと作業を続ける。彼女の手によりカミーラの身体中には、生物の触手のような気色の悪いケーブルがあちらこちらに繋がれていく。

 

 サテラがカミーラに対して施しているもの。それは、魔人を拘束する為の特殊な結界。永久地下牢と同程度の封印の効力があり、かつ拘束したまま対象を動かす事が出来る程にコンパクトな物である。

 

 カミーラを開放する為にはこの地下牢の外に出す必要があるのだが、そうすると当然彼女の拘束も解けてしまう為、人質として利用する事が出来なくなってしまう。

 魔王城にてホーネット救出作戦を早急に計画していた際、この問題をどうしようかとランス達が悩んでいた所、ならば宝物庫にあるあれを使えばどうかとシルキィが提案したもので、現在ホーネットを拘束しているものと同じ代物であった。

 

 

「……うん、こんなものかな。出来たぞランス」

「おう、ご苦労。なぁサテラ、一応聞くけどこれって気合で外せたりとかしないよな?」

「……ランス。これはホーネット様でさえ拘束するものだぞ。気合でどうにか出来るなら、とっくにホーネット様は逃げ出している筈だ」

 

 これは魔人筆頭でさえ拘束する魔物界屈指の封印アイテムであり、魔人四天王に対抗出来るようなものではない。

 サテラのそんな言葉にそれもそうかと頷くランスだったが、その話を聞いていたカミーラは事の経緯を察した。

 

「そうか、ホーネットはケイブリスに捕まったのか」

「……ああ。だからカミーラ、ホーネット様を取り戻す為に、お前にはケイブリスに対しての人質になって貰う」

「成程……。それで、これか」

 

 封印の為に自分の身体に繋がれたケーブルに、カミーラはちらりと目線を向ける。

 

「それはさすがのお前にもどうにも出来ないだろう。抵抗しても無駄だ」

「……抵抗などしない。好きにしろ」

「……カミーラ、何かお前……」

 

 サテラは思わず首を傾げる、どうにもカミーラに覇気が無い。この魔人はもっと尊大でプライドが高い印象を持っていたサテラは、今の変わり様に引っ掛かりを感じていた。

 

 その一方でランスは全く別の事を考えていた。

 

(うーむ。やっぱこいつ美人だな。それに今の格好はとてもエロい)

 

 地面に横たわったまま、先程の写真撮影により衣服が切り刻まれ、身体のあちこちに封印の為の触手のようなものが繋がれている今のカミーラの姿は、非常に扇情的でランスの興奮を誘うものだった。

 今実行しているホーネット救出作戦の内容は人質交換である為、全てが予定通りに話が進めばカミーラはケイブリス派に開放される事になっている。

 しかしその魔人をじっくりと眺めていたランスの脳裏に、じわじわと葛藤が生じてきた。

 

(……ホーネットを救出する為とはいえ、ちょっと勿体無いような……)

 

 魔人カミーラは現状自分の女になる気配など欠片も見えないが、それでもランスに諦めるつもりは無い。いずれは自分のものにする予定であって、彼女に対して何も執着が無い訳では無かった。

 

(だがなぁ、こいつ俺様の言う事聞きやしねーしな……)

 

 ランスはしかめっ面を作り、どうしたもんかと腕を組む。

 以前よりその姿に覇気は無くなったものの、魔人四天王としての力は健在であり、さすがのランスも封印が無い状態ではカミーラにちょっかいを出す気にはならない。

 この魔人が危険な魔人だという事は、マジックに言われるまでもなくランスも当然理解しており、自分の女に出来ない現状どうにも扱いに困る相手であった。

 

「なぁカミーラ。お前、いっそ俺様に協力するつもりはないか? そうすりゃもっと楽に話が進むのだが……」

「………………」

「……駄目だこりゃ」

 

 カミーラは一言も発しない。それどころか、ランスと目を合わそうともしなかった。

 

(……まぁいい。後でケイブリス派をぶっ潰した時に、またゲットすりゃいいだけの話だしな)

 

 この魔人もいずれは必ず自分のものにする。

 だが今はそれよりも、火急の危機が迫るホーネットの救出を優先する事にした。

 

「なぁシィル。この後ってしばらく待機だよな?」

「はい、そうです。メガラスさんがあれを敵の所に届けるまで、私達に出来る事はありませんからね」

 

 奴隷の言葉にふむ、と頷いて、ランスはカミーラに視線を送る。

 

(……そうだな。次いつ出来るか分からんしな)

 

 この地下牢を出たら、今後しばらくカミーラとはセックス出来なくなってしまう。

 先程からその姿を眺めてむらむらしていたランスは、しばしの別れの挨拶代わりにと、ここで一発スッキリしておく事にした。

 

 

 こんな時にそんな事をしている場合かっ! とがなり立てるサテラを無視して、ランスは未だ床に横たわるカミーラに襲い掛かった。

 もはや抵抗は無駄だと悟りきっているのか、ランスが身体に触れてきても彼女は気怠げな態度を変えず、されるがままであった。

 

 次の機会が何時になるか分からないので、折角だから心行くまで存分に楽しんでおこう。

 ランスはそんな事を思ったのか、彼女の身体に吸い付く触手のケーブルを引っ張ってみたり、かなみが持っていたカメラで色々撮影したりと、あれこれ遊んでいる内にウルザが戻ってきた。

 その場の様子を見た彼女は呆れたように額を押さえながらも、メガラスが無事任務を済ませて帰還した事を報告した。

 

「お、そっちは終わったか。て事は……」

「ええ、いよいよ敵派閥の主、ケイブリスとの交渉を行います」

 

 ウルザは緊張を含んだ声で告げた。

 

 

 

 

 

 



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影の支配者カオスマスター

 

 

 

 魔物界南西部、魔人ケイブリスの居城にて。

 

「げぇはぁはぁはぁはぁ!!!」

 

 その城の地下にある牢屋内、薄暗い個室の中で城の主たる魔人の馬鹿笑いが響いていた。

 

「良い格好だなぁ!! ホーネット!!」

 

 ケイブリス派の主、魔人ケイブリス。その魔人の眼前には今まで対立してきたホーネット派の主、魔人ホーネットが拘束されていた。

 

 派閥に属する人員の大半を動かして決行した、死の大地踏破による奇襲作戦。その作戦の甲斐あって、長年に渡って手間掛けさせられたホーネット派の主を、先日遂に捕縛する事に成功したのである。

 

 ペンゲラツリーでの激戦により、その身体中には深い傷跡が多く残る。そして特殊な結界によりその身を縛られ、身動き一つ出来ない相手の姿は、勝者と敗者のコントラストを際立たせ、ケイブリスの嗜虐性を大いに満たすものとなっていた。

 

「この俺様に逆らい続けた愚か者に相応しい姿だ。なぁ、そう思うだろ?」

 

 口の端を釣り上げて笑うケイブリスは、拘束されているホーネットの緑の髪を鷲掴み、下げられていた顔を強引に持ち上げる。

 

「………………」

 

 互いの視線が交錯するが、ホーネットは何も答えない。今自分が何を言っても、どんな表情をしても眼前の魔人を喜ばせるだけだと理解していた彼女にとって、無反応を貫く事だけが今出来る唯一の抵抗だった。

 

「すぐにでも俺様に殺されると思ってたか? 安心しろよ、まだ殺しはしねぇ。お前はホーネット派の魔人共を言いなりにするのに必要だからな」

 

 ホーネットが未だに生かされているのは、人質としての役割があるからという事ともう一つ。

 

(こいつはカミーラさんへの贈り物だからな。カミーラさん、喜んでくれるかな、えへへ……)

 

 ケイブリスの脳裏に、数千年以上前から恋い焦がれているドラゴンの魔人の姿が浮かぶ。すると途端に表情が緩みそうになりはっと気を正す。

 

 カミーラはホーネットの事を嫌っている。それを知っていたケイブリスは、その身柄をカミーラに捧げる事で好感度稼ぎをするつもりだった。

 肝心のカミーラは今もまだ行方不明でその所在は掴めていないが、ホーネット派を打ち破った今、魔物界全土を掌握したら次は人間世界の番。

 大元の目的である魔王捜索も兼ねて、人間世界の全てを制圧して捜索すれば、カミーラを発見するのも時間の問題だと言えた。

 

「ホーネット派の残党共も、リトルプリンセスも、お前が大事にしてたものは全部俺様の手でめちゃくちゃにしてやる。どうだ悔しいか、悔しいだろ?」

「……ケイブリス」

 

 リトルプリンセスの名を出した時、初めてホーネットが言葉を漏らす。その表情こそ変わらないものの、その瞳の奥には憎悪と悔恨の色があった。

 それを見て捉えたケイブリスは気分を満たしたのか、相手の髪を掴み上げていた手を開いた。

 

「まぁ、ここで大人しくしてるんだな。すぐにお前の使徒共でも連れてきて、お前の隣で死ぬまで可愛がってやるからよ。ぐぁはぁはぁはぁはぁ!!」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 地下牢で捕縛したホーネットの事を嘲笑い、自尊心や優越感といったもの満たしてきたケイブリスは、その後玉座の間に戻ってきた。

 

「ストロガノフ。前から宣言してたけどな、次はいよいよ人間共の世界に攻め込む」

 

 そこに控えていた魔物大元帥ストロガノフに、早速次の目標と行動の指示を出す。

 

「承知しております」

 

 大元帥は折り目正しく返事をする。ホーネット派を破った今、この魔物界はケイブリスが手中に収めたも同然であり、ならば次の目標は魔物界から東への進出以外に有り得ない。

 ケイブリスの野望を叶える為にと、ストロガノフは人間世界への侵攻準備も推し進めていたのだが、一つだけ障害が残っていた。

 

「ケイブリス様。ホーネット派の残党の処理が終わり次第、人間世界への侵攻が可能です」

 

 その障害とは、主を失ったホーネット派残党達。

 

「……ホーネット派の残りは、まだ投降してこねぇのかよ」

「はい。まだ何も動きが無いようです」

 

 未だ降伏してこないホーネット派残党達の事は、ストロガノフにとっての大きな誤算であった。

 ホーネット派の強い結束力、勢力的には劣りながらも高い士気によって今まで戦ってこられた理由は、その中心となるホーネットに拠る所が大きい。

 大元帥はそう考えていたので、ならば派閥の主を生け捕りにした事を知らせれば、残る者達はすぐ降伏してくるとだろうと想定していたのだが、予想に反して未だに向こうからの反応は何も無い。

 

「あいつら、まさかホーネットがやられてもまだ戦う気でいるのか? それともこの俺様が人質には手を出さないと高を括ってやがんのか?」

 

 すでに派閥戦争を終えた気分で、残るホーネット派残党との戦いなど面倒でしたくないケイブリスは、苛立たしげに口元を歪ませる。

 

「……そうだなぁ、なら次はホーネットの片目でも抉ってみるか。その姿でも見せりゃあ……て、つーかストロガノフ、それは何だ?」

 

 そこでケイブリスはようやく気づく。ストロガノフはその腕に一抱え程の小包を抱えていた。

 

「これは今から少し前に、タンザモンザツリーの方に届けられたそうです」

 

 受け取った魔物兵達の話によると、なんと敵派閥の魔人メガラスが直々に届けに来たらしい。

 小包の宛先にはケイブリスの名が書かれており、魔物兵達では処理が出来なかった為、大元帥の下に送られたという経緯だった。

 

「メガラスだと? 何であいつが俺様にこんなもんを?」

「さて、中を確認してみない事には何とも……」

「……なーんか、怪しい。それ危険物とかじゃねーだろうな。おいストロガノフ、ちょっとお前が開けてみろ」

 

 命じられたストロガノフは小さく頷き、そして躊躇なく小包の封を開く。

 その中には見慣れない機械と共に、一枚の写真が同封されていた。

 

「……これは」

 

 決して小さくは無い驚きに、大元帥の眉が動く。その写真を目にしてとっさに考えたのは、これを派閥の主に見せて良いのだろうかという事だった。

 どうにも先の展開に嫌な予感したので、出来ればこの写真はこのまま自分の所に留めて置きたかったのだが。

 

「何だそれ、俺様にも見せやがれ」

「……は」

 

 本人に命じられてはどうしようも無く、ストロガノフはそれを手渡した。

 

 

「…………な」

 

 その写真を見た途端、ケイブリスは驚愕の表情で硬直する。

 

「……な、な、なななな……!!」

 

 やがて写真を摘む手、そしてその大きな身体中全てがくがくと震え出す。

 

 その写真には、ケイブリスが愛する魔人カミーラの見た事も無いような姿が写っていた。

 気高きその魔人は無様に床に横たわり、その衣服は無残に切り裂かれて白い素肌を覗かせている。数千年もの間恋慕し続けた、魔人カミーラの際どい格好がケイブリスの興奮を掻き立てる。

 だがそれ以上に衝撃的なのは、彼女の喉元に突きつけられた剣。それは魔人であるカミーラの喉を薄く裂き、そこから血を流させていた。

 

(魔人の身体を傷つけられる武器……これはまさか、魔剣カオスか!?)

 

 魔剣カオス、魔人にとっての天敵のような剣である。この写真に写る、どこか見覚えのあるその剣が魔剣であるというなら、これは単なる想い人のセクシーな写真という訳では無くて、彼女の命の危機を伝えるものだという事だった。

 

「な、な、こ、ここ……!!」

 

 そのあまりの衝撃に「この写真は一体何なんだ」と、そんな短い台詞すら今のケイブリスは上手く喋る事が出来ず。

 

 とその時、写真と一緒に小包の中に入っていた見慣れない機械が、玉座の部屋のスミまで届くような騒々しい音を鳴らした。

 だがケイブリスにはそれが如何なる機械なのか、どう扱えばいいのかがよく分からなかった。

 

「おいうるせぇぞッ! ストロガノフ、それをどうにかしろ!!」

「は。これは恐らく、ここを……」

 

 そしてストロガノフがその機械、遠距離用魔法電話のスイッチを押した。

 

 

 

『……お。ウルザちゃん、繋がったぞこれ。……おい、そこにいるのはケイブリスか?』

 

 電話機のスピーカーから、ケイブリスにとって全く聞き覚えのない男の声が聞こえた。

 だがそんな相手の事など今はどうでもよく、頭の中はカミーラの事だけで一杯だった。

 

「お、お前! お前がこの写真を送ったのか!? こ、この、この写真はどういう事だ! 何故、か、かかカ……」

『……ほーう。その様子じゃあ、俺様からのプレゼントをしっかり受け取ってくれたようだな。この前そっちから中々ナイスな写真を頂いたからな、これはそのお返しって訳だ』

 

 男の言葉が指すのは、ホーネットを拘束した姿を写した写真の事。

 あれは派閥の主が敗北したという決定的な姿を了知させる事で、ホーネット派残党に降伏を促す為に大元帥が考えた策であり、それと同じ手を使ったのは一種の意趣返しであった。

 

『その写真の意味は分かるよな? ケイブリス、お前の大事な女は今俺様の手物にある。んでもって抱くも殺すも俺様の思いのままだ。がはははは!!』

 

 自分が数千年にも渡って恋焦がれ続けた女性は今、どこぞの誰とも知れない男の手の中にある。

 スピーカーから聞こえる男の言葉と馬鹿笑いが、ケイブリスの感情を一気に怒りの色に染めた。

 

(ぐぐぐ……!! なんでカミーラさんがこんな事に……!! 大体メディウサの奴は何をしてやがんだ、役に立たねぇクソ女めッ!!)

 

 数年前に行方不明となったカミーラ、そして逃げ回る魔王の事も含めて、ケイブリスは魔人メディウサにその捜索を命じていた。

 戦争に意欲を見せない怠惰なその魔人に、人間の世界に向かうならやる気が出るからと言われて、ならばと命じたのだがこれでは何の意味も無い。

 

 メディウサ相手に強い怒りを覚えたのも束の間、今はそんな事に苛ついている場合じゃないとケイブリスはハッと気づいた。

 今はともかくカミーラの事を、何としてもこの男の手から取り戻さなければならない。そんな思いを胸に、魔法電話の受話器を乱暴に掴んだ。

 

「テメェは一体誰だ!? 何処に居やがる!!」

『俺様か? 俺様は、そうだな……カオスマスター、とでも名乗っておくか。俺様はホーネット派の影の支配者だ』

「影の支配者だと!?」

『あぁ。ホーネットは表向きのリーダーだけどな、実際のところホーネット派を指揮しているのはこの俺様だって訳だ』

 

 その話を聞いたケイブリスは慌ててストロガノフの方を見るが、大元帥は無言で首を横に振る。

 両者共に今電話の男が語った話、ホーネット派にカオスマスターなる影の支配者が存在していたとは知らず、ホーネットが表向きのリーダーであるなど考えた事も無かった。

 

(……つーか、て事はカミーラさんは今まで、ホーネット派に捕まってたって事なのか!?)

 

 カミーラは数年前のゼス侵攻の際に行方不明になった。だからメディウサを人間世界への捜索に出したのに、ホーネット派に捕らえられていたのだとしたら見当違いも甚だしい。電話の男が語る内容に、ケイブリスの頭の中には幾つもの混乱が生じた。

 

『つー事で、この俺様が居る限りはホーネット派が負けた事にはならんのだ。けれど表向きのリーダーも大事だからな、ホーネットの事は返して貰おうか。さもないとお前の大事なカミーラがどうなっても知らんぞ』

「……テメェ、それが目的か……!」

 

 相手は暗にカミーラとホーネットを交換しろと言っているのだと、ケイブリスはすぐに理解した。そして当然、そんな要求を飲む気にはならなかった。

 その内容どうこうと言うよりも、この地上で最強の魔人である自分が、得体の知れぬ男の思い通りに動かされる事が我慢ならなかったのである。

 

「おいカオスマスター、カミーラさんを返しやがれ。じゃないとホーネットをぐちゃぐちゃに犯してぶっ殺すぞ」

『それはこっちの台詞だボケ。とっととホーネットを返さないと、カミーラを犯す。散々に犯して、部下の魔物兵達の性処理係にしてやる』

 

 ある意味似たような精神構造を持つ二人は、似たような脅し文句を相手に突きつける。

 だが先手を打って仕掛けてきた電話の男には余裕があり、突然にカミーラの危機を知らされたケイブリスにはまるで余裕が無かった。

 

「な、なんだとぉ……!! か、か、カ、カミーラさんが……ッ!!」

 

 あのカミーラが。

 数千年以上前から、魔物界はおろか世界で一番高貴な存在と言えるあの女性が、このままでは下等な魔物共に犯される。

 

(そ、そんなの、そんなの羨ましい……じゃねぇや、そんな事は絶対駄目だっ!! けれど、けれどもホーネットは……!!)

 

 ホーネットはこの度ようやくとっ捕まえた憎き相手。開放するなんてとんでもない話である。だが、そうしないとカミーラが汚されてしまう。

 

(ぐ、ぬ、ぬ、ぬ、ぬ!!!)

 

 恋慕の相手か。それとも憎悪の対象か。

 どちらを優先するか簡単には答えは出せず、ケイブリスは脳の血管が切れるのではないかという程に懊悩した。

 

 

『……その様子だと悩んでるみたいだな。可哀想に、カミーラの奴。カオスを突き付けられて、何度もお前に助けを求めてるってのに』

「な、何だと!? か、か、カ、カミーラさんが、俺様に助けを!?」

 

 がばっとケイブリスは伏せていた顔を上げる。思わず聞き返してしまう程に、彼にとっては信じられないような話が電話の男から聞こえた。

 

『おーそうだ。なにせ今カミーラの事を助けられるのは、この世でお前だけなんだからな』

 

 男の言葉はするりとその耳を通り、まるで魔法のようにケイブリスの脳を揺らがせる。

 

(今、カミーラさんを助けられるのは、この世にこの俺様だけ……)

 

 今までずっとカミーラに憧れてきたのだが、しかし当の本人からは見向きもされなかった。

 だがそんなカミーラがこの自分を、自分だけに助けを求めていると言う。ケイブリスの胸中に怒りとは大きく性質が異なる、何か熱いものがぐつぐつと湧き上がってきた。

 

(……ここでカミーラさんを救わなきゃ、それはもう男じゃねぇ。それにこの俺様の手に掛かりゃ、ホーネット派をもう一回潰すのなんざどうってことねぇ。そうだ、そう考えりゃ悩むまでもねぇ話じゃねぇか)

 

 行方不明だったカミーラの事は自分にとっての唯一の心配事。なので彼女さえ戻ってくれば、もう一切の後顧の憂いは無くなる。

 そしてカミーラが戻るという事は戦力も増す。ホーネットを捕らえる為に結果として魔人バボラを失ったが、それも魔人四天王の彼女が戻ってくるなら戦力的にはお釣りが出る話。

 

「……分かった。カオスマスターとか言ったな。ホーネットとカミーラさんを交換だ」

 

 色々な事を考えた結果、ケイブリスは相手の要求を受け入れる事を決めた。

 ほんの少しだけ大元帥の視線は気になったが、それでも派閥の主である自分の決断が絶対であり、文句を言わせるつもりは毛頭無かった。

 

『よっしゃ、いいだろう。分かっていると思うが妙な事は考えるなよ。ホーネットは俺様の女だから絶対に手出しするな。もし手ぇ出したらこの話は無しにするからな』

「テメェこそ、カミーラさんに指一本でも触れるんじゃねぇぞッ!!」

 

 そこはお互いにとって大事な事なのか、二人共その語気を強める。

 ケイブリスはホーネットをカミーラへ献上しようと考えていたので、戦闘での怪我こそ負っているもののまだその貞操は無事である。

 一方でカミーラはすでに指一本はおろか、その体の隅々まで味わい尽くされているのだが、それはケイブリスが知る事では無かった。

 

『んじゃあ詳しい話は部下がするから、部下に代わるぞ』

「待て!!」

 

 電話の男が受話器を別の相手に渡そうした瞬間、ケイブリスには声を荒げて待ったを掛ける。

 派閥の主たるその魔人は、この電話の男に対してどうしても言っておきたい事があった。

 

「……カオスマスター。テメェの声、覚えたからな。絶対に探し出してぶっ殺してやる。そん時に泣き喚いても容赦しねぇ。地獄を見せてやるよ」

『……言ってろ』

 

 それきりスピーカーから聞こえる声は、利発そうな女性のものに代わった為、ケイブリスも受話器を大元帥に投げた。

 

 

 

 

 

 

 



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人質交換

 

 

 

「……とりあえず、問題無く終わったか?」

「そうですね、今の内容なら大丈夫だと思います」

 

 ゼス王国首都の地下、永久地下牢の最奥部。

 通話が切れた遠距離用魔法電話の前に座るランスの言葉に、隣に居たウルザは満足気に頷いた。

 

 彼等が実行中となるホーネット救出作戦、その一番重要とも言える部分。つい先程電話越しに行われた、ケイブリス派との人質交換の交渉は概ねランス達の想定通りに進んだ。

 

 ウルザはこの交渉において「人間がホーネット派に協力しているという事を、絶対に相手に知られないよう注意してください」と、事前にランスにそんな注文を付けていた。

 仮にそれが知られてしまい、もし相手の目がホーネット派から人間世界の方に向いてしまったら、自分達がホーネット派に協力している意味が薄れてしまうし、その場合最初に標的となるのは位置関係から見てゼスしか無い。

 それを避ける為に付けた注文であり、ランスがわざわざカオスマスターという偽名を用いたのもその事が関係していた。

 

「人質交換は今から一週間後、魔物界中部にあるカスケード・バウと呼ばれる荒野で行われます。あまり悠長にはしてられませんね」

「よし、んじゃあとっとと魔物界に戻るか」

 

 ランスは一息に立ち上がる。すでにここでやるべき事は終えているので、この後はうし車に乗って魔物界に戻り、そしてカスケード・バウに一番近い魔界都市、ビューティツリーまで一直線に進むだけである。

 

「……しっかし、久々に聞いたが相変わらず耳障りな声だった」

 

 脳内に残るそれを消すかのように、ランスはとても嫌そうな表情で耳を掻く。

 彼が魔人ケイブリスと対峙したのは前回での最終決戦の時、その記憶の中ではすでに二ヶ月以上も前の出来事である。

 宿敵の声を耳にした影響からか、久々にランスがその時の事を思い返していると、ふとある事が気になった。

 

(そういやぁ、前回は確か……)

 

 ランスがちらっと横目で伺ったのは、その身を封印する結界ごと魔物界まで移送する為に、大きな台車に乗せられているカミーラの姿。

 

 前回の戦争の際、彼女は永久地下牢を強襲したケイブリスにより連れ去られた。ランスはその時の報告を聞き流していたので詳細は知らないが、その後20海里作戦により魔物界に乗り込み、ケイブリスとの最終決戦の際にカミーラとは再会した。

 最後に会った時、彼女は見るも無残な程に全身を痛めつけられており、更にその身体のあちこちに白濁した液体が掛かり、如何なる行為が行われたかを如実に物語っていた。そして魔人四天王のカミーラに対してそんな事が出来るのは、あの場であの魔人をおいて他には居る筈も無く。

 

「……ぬぅ」

 

 ランスは思わず腕を組んで唸る。前回と今は状況が違うのは承知だが、このままカミーラをケイブリス派に開放しても、彼女にとってはあまり良い展開にはならないような気がした。

 その魔人もいずれは自分のものにする女。酷い目に合うかもと分かっていて開放するのはさすがに目覚めが悪く、どうしたものかなと悩んでいた時、カミーラが自分を凝視するランスの視線に気付いた。

 

「……何だ、ランス」

「……カミーラ、お前ってケイブリスに狙われているんだろ? 俺様の言う事を何でも聞くってんなら、ホーネットを取り返した後、なんとかしてお前をホーネット派で匿ってやっても良いぞ。これがその最後のチャンスだ」

「必要無い。……ホーネットは好かぬ」

 

 ランスからの提案を受けても、カミーラは相変わらず無愛想な態度のまま。

 美しい男を使徒にして偏愛する一方で、美しい女性を敵視するドラゴンの魔人四天王は魔人筆頭を毛嫌いしており、いくらケイブリスから身を隠す為とは言え、ホーネット派の手を借りる事など耐え難い事であった。

 

「……あっそう。ならお前、ケイブリス派に開放されてもケイブリスには近づくなよ。あいつは危険だからな」

「言われずとも、あれに好き好んで近づこうなどと思う奴は居ない」

 

 それもそうだな、とランスが真面目に頷いていると、全ての準備を終えたシィル達が声を掛けた。ランスはすぐに出発するぞと返事をした後、もう一度カミーラに振り向いた。

 

「まぁあれだな。もしピンチになったら俺様に連絡しろ。そしたらばひゅーんと助けに行ってやろうじゃないか。勿論、その時はカミーラが俺様の女になる事が条件だがな!! がーはっはっは!!!」

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 魔人ケイブリスの居城、その地下牢の一室。

 満足に光の差し込まない暗闇に包まれ、強力な封印により身動き一つ取れない魔人ホーネットは、後悔と失意の中に沈んでいた。

 

 戦いに敗れ、今こうして虜囚の身となっているのは全てが自分の責任、自分が決断を誤った為に自派閥は敗北してしまった。

 あの時、シルキィの忠告通りにペンゲラツリーに向かうのを止めるか、別の魔人達に向かわせるべきだった。あるいはバボラとの戦闘を終えた直後に帰還するべきだったのか。

 なにより四対一のあの状況をも乗り越えられる力が自分にあれば、この敗北は無かった。戦いで負傷した身体中は今も痛み、ずきずきと傷が疼く度に後悔の念が深くなる。

 

 残された派閥の皆や、ケイブリスにその身を狙われている魔王、来水美樹の事が気に掛かる。

 だが今の自分に出来る事は何も無い。魔人を拘束する為に作られたこの結界は、恐らく自分が万全の状態でも外す事は出来ないだろう。

 救いの手など望むべくもないこの状況、この闇の中で人質としての価値があるまでは封印され続け、そして役割を終えたら魔血魂に戻される。そんな見通ししかホーネットには立たなかった。

 

 

 

 それからどれだけ経っただろうか、ふいに暗い地下牢の扉が開かれ、内部に光が差し込む。

 また以前のようにケイブリスが自分を嘲笑しに来たのか、とっさにそう思ったのだが、牢屋内に入ってきたのは数体の魔物兵達だった。

 

 大事な人質を捕らえているこの地下牢には、派閥の主の許可の無い者は絶対に立ち入れないよう厳重に管理されている様子で、ケイブリス以外の者が入ってきたのはこれが初めてとなる。

 一体何事だろうかと魔物兵達の目的が気になったホーネットだが、彼女の視界が利いたのはそこまでで、突如目隠しを付けられた。

 

 完全に視界を闇に包まれたホーネットは、他の五感で周囲の様子を慎重に伺う。すると若干の振動と共に、結界ごと自分の身体が何かに乗せられ、そして動かされている事をすぐに把握した。

 

(……これは、私を何処かに運んでいるのですね)

 

 ホーネットはペンゲラツリーでの戦いによって意識を失い、目が覚めた時にはこの地下牢だったので、この場所が何処かは定かではない。

 素直に考えれば敵の本拠地であるタンザモンザツリーだが、ケイブリスが有している隠れ家の何処かかもしれない。恐らくこの目隠しは、情報漏洩対策の一種なのだろう。

 

 相変わらず慎重な性格だと思いながら、ホーネットはしばし闇の中で揺れる感覚に身を委ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして幾分か時間が経過した後、彼女に付けられていた目隠しが外された。

 

(この場所は……カスケード・バウ?)

 

 小さく揺れ動く感覚と共に、少し前から肌に風が触れる感覚が生じたので、ここが外だという事は認識していたが、目を開けたらすぐに分かった。

 水気の無い乾燥した大地、遠くまで見晴らしが良く、所々地面から巨大な角のようなものが隆起している、この場所は魔物界の中部に位置する大荒野、カスケード・バウに間違い無い。

 

 二つの魔界都市、ビューティツリーとタンザモンザツリーを結ぶ道の間に存在するこの荒原は、以前自派閥の者達を率いて敵本拠地への制圧へ挑んだ際に、何度も足を踏み入れた場所である。

 その時の記憶を思い返しながら荒野の景色を眺めていたホーネットだが、すぐに疑問が生じた。

 

(……私の事を何処かに移しているにしては、これは……)

 

 付近には大量の魔物兵達が揃っている、それは見るまでも無く伝わってくる気配で掴んでいた。

 しかしその大軍はホーネットの身柄の移送とは直接には関係が無いのか、彼女は魔物兵の大軍の下から徐々に離れていく。

 すでに周囲に残るのは自分を乗せた台車を押す数体の魔物兵と、空に数体の飛行魔物兵のみ。自分を何処かに移送するケイブリスの命令にしては、少し警戒が足りないような気がした。

 

 

 

 そしてそのままホーネットは魔物兵達に運ばれて、カスケード・バウの大地を進んでいく。

 進行方向は方角的に考えてビューティツリーの方向、先日の戦いによってホーネット派が奪い拠点とした魔界都市の方向である。

 

(……ですがこの状況ですし、恐らくは……)

 

 これがケイブリスの命令で行われている以上、わざわざ自分の事をホーネット派の拠点に移送する意味は無い。なのでビューティツリーは再度、ケイブリス派が奪い返したのだろうか。

 ホーネットはそんな事を考えながら、カスケード・バウの代わり映えのしない景色をただ眺めていたが、それから一時間程が経過した時、ふいにそれが目に入ってきた。

 

(……あれは)

 

 プラチナのような銀白色の長髪、同性から見ても目を引くような美貌、その背には黒い翼が生え、何よりも伝わってくる威圧感は遠目でも見間違えようが無く、それが誰なのかはすぐに判別が付いた。

 

 

「……カミーラ」

 

 内心の驚きを漏らすかのように、自然とホーネットはその名を呼ぶ。

 そこに居たのは魔人カミーラ。見れば彼女は自分と同様の封印を施されており、自分と同じように数体の魔物兵によってその身柄を運ばれている。

 

 数年前に行方不明となったこの魔人四天王が、何故今この場で自分と全く同じ境遇にあるのか。

 ホーネットには訳も分からぬまま、次第に両者の距離は近づき、そして互いの視線が交錯した。

 

「……ホーネット、無様な姿だな」

 

 相手の姿を一瞥したカミーラは、それだけを口にしてすぐに視線を外した。

 だがその言葉尻に「互いに」と声なき声で付け加えた事を、ホーネットは相手の表情から察知した。

 

 気位が高いこの魔人は、今の姿を自分に見られた事に忸怩たる思いがあるのだろう。

 ホーネットはそんな事を思い、そしてカミーラが会話を拒むようにその顔を背けていた事もあって、久し振りに顔を合わせたその魔人に語り掛ける言葉が出なかった。

 

 二人の魔人が無言を貫く居心地の悪い空気の中、両者をここまで運んできた魔物兵達は何かを話し、手に持っていた槍でホーネットとカミーラ双方に何度か攻撃を仕掛ける。

 その攻撃に反応する無敵結界の有無から本人確認を済ませると、魔物兵達は移送する魔人を交換して、それきりホーネットとカミーラの距離は遠ざかっていく。

 

 カミーラは魔界都市タンザモンザツリーがある方向へ。そしてホーネットは魔界都市ビューティツリーへの方向に向かって動き出す。

 

 

 この時からホーネットの脳裏にはある予感、もしかしたらという思いがあった。

 ただそれはあまりに自分に都合が良すぎると思い、考えないように努めていた。

 

 だがその後更に荒野の道を進むと、先程とは異なる魔物兵達の大軍が見え始める。

 その中に見慣れた相手の姿を発見した時、その予感が紛れもない事実なのだと理解した。

 

 

「ホーネット様っ!!」

 

 親友と呼べる相手の姿を視界に捉えた瞬間、サテラはついに我慢出来なくなって走り出す。

 その手に握っていた鞭を振るい、ホーネットの身を縛っていた結界の一部を器用に破壊すると、そのまま脇目も振らず相手の胸元に飛び込んだ。

 

「ホーネット様、良かった……。本当に良かった……」

「……サテラ」

 

 サテラの眦にはすでに大粒の涙が溢れている。それを目にすると、このような振る舞いはあまり相応しく無いので控えるようにと、普段なら言っていたであろうその言葉を言う気分にはならなかった。

 ふと近くを見れば、そこに居たシルキィやハウゼルも似た表情。封印が解かれて自由になった右手でサテラの真っ赤な髪を撫でていたホーネットだったが、頭の中ではまだ分からない事があった。

 

 何が起きたかはもう理解している。先程のカミーラの存在はケイブリスの唯一とも言える泣き所で、それと引き換えになら、何らかの要求を通す事は可能かもしれない。

 だが、何故そんな事が出来たのかが分からない。行方不明であったカミーラの所在を誰が知っていたのか。どのようにしてあの魔人四天王を捕らえて、人質としてその身柄を利用したのか。

 

 そんな疑問をホーネットは誰かに尋ねようとした。けれどその時、以前にシルキィが魔王城に連れて来た、人間の男の姿が目に入った。

 その男の、それは勝ち誇ったようなその顔を目にした途端、ホーネットは事の顛末を大体把握した。恐らくこの男の手により自分は救い出されたのだろう。男の表情がホーネットにそう告げていた。

 

 さすがに何か言うべきかと思い、口を開こうとした彼女に先んじて、その男が口を開いた。

 

「ホーネット!! お前を助けてやったのは誰だか教えてやろう!! それは」

「あーーー!!!」

 

 その声を、ホーネットの胸元から顔を上げたサテラの大声がかき消した。

 

「ホーネット様、酷い怪我……!!」

 

 一目散に相手に飛びついたサテラは、ホーネットが負傷している事に今更気付いたらしい。彼女はすぐに一歩離れると、近くに居たメガラスの方に勢いよく振り向いた。

 

「メガラス!! ホーネット様の事をすぐに魔王城にお送りするんだ!!」

「あ、おいちょっとっ」

 

 話がまだ終わっていないぞ、と手を伸ばしたその男を無視してメガラスは頷き、派閥の主を丁寧に抱えると空に飛び立った。

 

 こんなにも速く飛ぶ事が出来るのかと、ホーネットがメガラスの全力を体験したのはほんの一時の間で、すぐに魔王城にある自分の部屋のバルコニーに辿り着き、そこから室内に足を踏み入れる。

 出発した時と何も変わらない、自分の部屋に帰ってこれたのだと分かった時、ようやく彼女は助け出された事への実感が湧いてきた。

 まだ自分は使命の為に、派閥の皆と共に戦う事が出来る。そんな想いがその胸を満たした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カスケード・バウの北側、メガラスが飛び立ったホーネット派の陣内では、ようやく再会を果たしたホーネットに逃げられたランスが、空を見上げて手を上げたまま姿で固まっていた。

 

「……行っちゃいましたね、ランス様」

「……サテラー!!」

 

 シィルの声で我に返ると、湧き上がる怒りの矛先をその魔人の柔らかそうな頬に向けた。

 

「んわぁっ! だ、だってしょうが無いだろう! ホーネット様、怪我してたんだもん!!」

 

 ランスの指に両頬を摘み上げられたサテラが、じたばたともがいて抗議する。彼女としても別にランスの事を遮る意図は無く、本当はもっと仲間達と再会を喜び合いたかったのだが、ホーネットの身の安全には換えられなかった。

 

「……ちっ」

 

 先程目にしたホーネットの怪我の様子は確かに痛々しく、サテラの気持ちも多少理解出来たランスは、仕方無く頬を摘む手を下ろした。

 

「まぁいい、急がなくても魔王城に戻れば時間はたーっぷりとあるからな。これ以上ここに居ても仕方無いし、俺達も魔王城に戻るぞ」

「ランス様、けれどウルザさんがまだ……あ、来ましたね」

 

 少し前からランス達の下を離れて、周囲の魔物兵から情報を集めていたウルザが戻ってきた。

 彼女はランスと目が合うと小さく頷く。その表情には、全てが当初の予定通り進んだ事への安堵が浮かべていた。

 

「ランスさん。偵察を行っていた飛行魔物兵によると、魔人カミーラも向こうの陣に到着したそうです。無事、何事も無く作戦を終えられましたね」

 

 人質交換の詳細についてはウルザが敵の大元帥と交渉を行い、見晴らしの良い開けた荒野であるカスケード・バウを取引の場所に指定したり、移送役には最低限の魔物兵だけを指定したりと、平穏に交換が行われるよう幾つか手を打っていた。

 ただそれでも敵が何か仕掛けてくる事は考えられたので、メガラスを筆頭に警戒を万全にして臨んでいたのだが、幸いにも彼達が活躍するような事態にはならず、何一つとして問題は起こらなかった。

 

「そーだな。つーか正直なところ、拍子抜けするほどあっさり終わった」

「そうですね、向こうも人質の救出を最優先にしたのかも知れません」

 

 ウルザの言葉は正にその通りで、大元帥は人質交換の際にそのまま全軍で攻撃を仕掛けたり、あるいはホーネットの身代わりを使う事などを提案してみたが、カミーラを救出する事だけを重視したケイブリスに全て却下されていた。

 

 ちなみに彼女が向こうもと言ったのは、ホーネット派内でも似たような展開があった。ランスは馬鹿正直に人質交換などせず、メガラスを使ってホーネットだけとっとと回収してくる事や、自身が魔物兵スーツを着込んで人質交換の移送役をやると言い出したりしたのだが、サテラやシルキィの猛反対を受けて諦めた、という経緯があった。

 

 結果両者の思惑が一致し、カスケード・バウでの人質交換は平和的に終了した。

 

 

「うーむ……」

 

 ランスは荒野の遥か遠く、カミーラを取り返して撤退していくケイブリス派の大軍を眺める。

 そこにいるだろうカミーラの行く末が少しだけ気にはなったが。

 

「ランス様、どうかしましたか?」

「……なんでもない。まぁなんとかなんだろ。それより今はホーネットだな。早く城に帰って今回の俺様の功績をあいつに突き付けてやる。それで、今度こそセックスっ!!」

 

 頭を切り替えたランスの目が野望に燃える。

 敵の魔人一体をどうこうなんて話ではない、派閥の絶体絶命の危機を救ったからには、必ずや相応の褒美がある筈。ついに前回逃したホーネットを味わう時が来たのである。

 

 ランスは意気揚々と、魔王城へ向かううし車の荷台に乗り込んだ。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「カミーラ様! 無事の御帰還、何よりです!」

 

 カスケード・バウの南側。

 ケイブリス派の陣に辿り着いた魔人カミーラも、すぐに魔物兵達によってその封印を解かれた。

 

 長い期間に渡って拘束され、数年ぶりに身体が自由に動かせるようになったカミーラは、その開放感に思わず大きく息を吸う。

 そして今一番会いたくない存在を探すように、そこにいた魔物兵の大軍の中を見渡していると、そばに控えていた魔物将軍が声を掛けてきた。

 

「カミーラ様。戻られて早々にはなりますが、ケイブリス様がお待ちしております」

「……あれは、ここに来ているのか?」

「あ、いえ。カミーラ様がお戻り次第、城の方にお連れするようにと命じられています」

 

 極度に慎重な性格であるその魔人は、愛しきカミーラをようやく取り戻す事が出来る場となったカスケード・バウにも、その姿を見せることはなかった。

 

 人質交換に最中において、相手が何かしてくるのではと考えたのはランス達だけでは無い。

 それ自体が自分を誘き出す為の罠であるかもと考えたケイブリスは、至極当然のように「俺様は行かないから戻って来たカミーラさんを連れてこい」とそのように配下に命じていた。

 先程の魔物将軍の言葉にはそんな経緯があるのだが、それを聞いた途端にカミーラの緊張が解けたのか、彼女はすっと肩を下ろした。

 

「……そうだな。では私は城に、ミダラナツリーに戻る」

「カミーラ様、それは……」

 

 その意味を理解した魔物将軍は困惑の表情を浮かべる。カミーラはケイブリスの城では無く、タンザモンザツリーから少し離れた場所にある拠点、魔界都市ミダラナツリーに存在する自分の居城に戻ると言っているのだ。

 

「しかしカミーラ様、ケイブリス様がすぐに自分の所に……と」

 

 魔物将軍はそこまでしか声を発せなかった。その魔人四天王の冷徹な眼差しに一睨みされ、それだけで彼は身体が氷の様に固まってしまった。

 

 そして周囲の魔物兵達の動揺など一切気にも掛けず、この場にケイブリスが来なかった事をいい事に、カミーラは悠々と自分の城に帰っていった。

 

 

 

 

 



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魔人筆頭の部屋(二度目)

「しかしあれだ。お前がやられたと聞いた時は、さすがびっくりしたぞ」

「………………」

「ただ普通の奴ならあそこで諦めるのだろうが、英雄たる俺様はものが違う。すぐにお前を救出する作戦を思い付き、ぱぱっと実行したという訳だ」

「………………」

「お前を救出する事が出来たのは、俺様が以前カミーラを退治してたからであり、それも俺様が英雄だから出来た事だ。うむうむ、やっぱ俺様って凄い……て、おい。聞いてんのか、ホーネット」

 

 

 魔王城の一室、ホーネットの部屋。

 ランスはホーネットを口説く為にと、彼女の部屋を訪れていた。

 

 魔人カミーラとの人質交換により、ホーネット派の主である魔人ホーネットは救出された。

 そして魔王城に帰ってきたその魔人は今、怪我の治療の為に静養中であった。

 

 ホーネットが救出されたという事は、派閥戦争の決着は持ち越されたと言う事であって、当然ながら戦争は今もまだ継続中。

 ホーネット派最強の戦力である魔人筆頭がそう休んでいられる情勢では無い上に、予てから最前線で戦い続けてきた彼女は、その性格的にも休むのがあまり得意ではない。

 

 だがカスケード・バウを越えた先に撤退していったケイブリス派は、また次攻めてくるにはまだ少し時間が掛かる。再度攻めてきた時万全の状態で戦えるよう、今は体調を整える事に専念した方が良い。

 サテラ達のそんな説得を受けて、最前線の魔界都市ビューティツリーの守備をガルティアに、周囲の警戒をメガラスに任せ、ホーネットは暫くの間その身を休める事に決めた。

 

 そしてそんな魔人筆頭の下に、この度ランスは早速とばかりに突撃を敢行した。

 今回こそはと意気込む彼は、前と同じように部屋で紅茶を嗜んでいたホーネットの対面に座り、先程から恩に着せる為自分の功績を自慢していた。

 

 

「……えぇ。聞いています」

 

 ふぅ、と静かに息を吐いたホーネットは、紅茶をテーブルに置いて視線を相手に合わせる。

 その金の瞳は特に睨んでいるという訳では無かったのだが、そこには相変わらず魔人筆頭としての得も言われぬプレッシャーがあった。

 その視線を受けながらランスは思う、この魔人との会話は中々自分の思い通りには進まない。その事はもう前回の時からずっとそうなのだが、しかし今回に限っては今までには無い勝算があった。

 

(なんせ俺様はまたしても大活躍をした。ホーネットの事をケイブリスの魔の手から救ってやったんだからな。当然、相応の褒美はある筈だ)

 

 心の中で、ランスはうんうんと頷く。間違い無く自分はホーネット派にとって、そしてホーネットにとっての救世主。この大手柄の前には、さすがにこの魔人も観念してその身を委ねるだろう。

 とそのように、ホーネットを救出した直後は考えていた。だがその後、魔王城に帰る為のうし車に乗っている間に頭が冷えたのか、色々と考えた所一つ気に掛かる事があった。

 

(……ただなぁ、前回救出してやった時は、まーるで相手にされなかったんだよな……)

 

 ランスの感覚の上では、ホーネットの事を救出するのは二度目である。その一度目、前回の第二次魔人戦争の最中にホーネットを救出した際には、彼女の視界にランスは全く入らなかった。

 さすがに初対面だったあの時と、派閥の協力者としてここに居る今とでは状況が違う為、あの時程に無碍には扱われないだろうとは思うのだが、果たしてベッドインまで持ち込めるかどうか、楽観視する事は出来なかった。

 

 

「なぁホーネット。俺はお前の命と派閥の危機を救った、いわば大恩人だよな? な!?」

「えぇ。そうですね」

「そう、その通り!! なら、何かあってもいいだろう。それともまたこれも当然の事だとか、褒美はサテラに貰えだとか言うつもりか?」

 

 ランスはホーネットを睨みながら、以前彼女が口にした言葉を繰り返す。当然ながら、今回はそんな言葉で引き下がるつもりは毛頭無かった。

 

「……いえ。今回の事については、貴方に感謝しています」

 

 ホーネットは掛けていたソファから立ち上がると、丁寧にもランスの隣まで歩いてくる。

 そして深く腰を折り、素直にその頭を下げた。

 

 

「有難うございます。貴方のお陰で、私はまだ戦う事が出来ます」

「お、おお……」

 

 その眼前に身体を屈めたホーネットの胸の谷間が迫ったが、ランスが動揺したのはその事では無く、その魔人の今の姿に対してである。

 魔王に命じられて謝罪を受けた事は以前にあったが、このように自分の意思で謝られるのは初めてである。ある時には自分の事をわんわんなどに例えたホーネットが、こんな低姿勢な態度を見せるとは想像していなかった。

 

(……まてよ。今ならいけるか!?)

 

 攻めるならここしか無い。そう脳裏にピンと来たランスは、立ち上がってホーネットと視線を合わせ、強い眼差しを向けながら要望を口にした。

 

「ホーネットよ、俺様に感謝しているというのはよく分かった。なら、頭など下げんでいいから一発抱かせろ。それだけで俺様はオールオーケーだ」

 

 その言葉に、ホーネットの眉が僅かに動く。

 

「………………」

 

 そして沈黙。自分を見つめたまま口を閉ざすホーネットが今何を考えているのか、ランスには想像が及ばない。

 そのまま時間が経過し、ランスがそろそろこの状態に苛立ちを感じ始めた頃、その魔人の視線がすっと真横に逸れた。

 

「……いえ。それとこれとは、話が別です」

「……ぬぅ」

 

 返答はいつも通りだった。

 

 

(……だが、ちょっとは悩んだよな? うむ、以前とは少し違う気がするぞ)

 

 見ればホーネットはその目を真っ直ぐに向けていない。彼女は普段真正面から物事を話す性格であり、このように相手から目線を背ける姿は珍しい。

 やはり自分に助けられた事を受けて、何かしらの心境の変化はあったのだろうと、半ば強引に決めつけたランスはもう少し攻めてみる事にした。

 

「俺はお前とセックスする為に助けたんだぞ。一回位いいじゃねーか、減るもんじゃないんだし」

「……そもそも、貴方は人間です。魔人と性的関係を結ぶなど……」

「あー、それか」

 

 前回の時も耳にした、とても面倒くさい話を聞いたランスは途端に不機嫌になる。

 自分が人間で、ホーネットが魔人である事は代えがたい事実なので、彼女にそこに拘泥されると話が進められなくなってしまう。

 

「それな、サテラもよくそれ言うが、人間だ魔人だとかはセックスするのになんも関係無いだろ。そんなに大事な事かそれ?」

 

 ランスという男は魔人はおろか、前魔王とさえ経験を持った男なので、相手の種族だとか立場だとかは一切気に掛けない。抱くに値する美女であれば誰でもノープロブレムな男である。

 しかしホーネットにとって、尊敬する父魔王ガイから受けた教育は何より大事で、彼女の中の絶対的な価値観となっている。魔人と人間は支配者と支配対象であり、性行為に及ぶ関係では無いという考えは簡単には変わらなかった。

 

「……つーかホーネット、あれだ。考えてみりゃ今俺様は使徒って事になってる訳で、人間ではない。つー事で問題無いだろ?」

「魔人と使徒には明確な上下関係があります。同格な筈がありません」

「……まぁ、そりゃそうだな。……なら、俺が魔人になったらどうだ!?」

 

 それは深く考えていない、完全に勢いだけの言葉であったが、耳にしたホーネットは一瞬思考が止まり、探るような視線となった。

 

「……貴方が、魔人に?」

「あぁそうだ。格がどーだこーだ言うなら、この俺が魔人になりさえすりゃあ、お前は俺とセックスするって事だな!?」

 

 いっその事、目の前の堅物を抱く為、本当に魔血魂を食って魔人になってやろうか。

 ランスはそこまで考えたが、ホーネットは顎に手を当て少し考えた後、納得したように頷いた。

 

「……確かに、そう言われると関係無いのかもしれませんね。貴方が魔人になった所で、抱かれたいとは思えません」

「だろう!? ……いや、そうじゃなくてだな」

 

 ランスはげんなりとした顔になる。どうにもホーネットとは話が噛み合わなかった。

 

 

 そして気が抜けたランスはソファに座り直す。ホーネットも元の席に戻ったの見て、彼女の背後に居た使徒達に紅茶のおかわりを頼むと、再度魔人筆頭と顔を合わせた。

 

「……ただまぁ、それはその通りだホーネット。セックスするのに人間とか魔人はなんも関係無い。大体、俺様はすでに魔人のサテラやシルキィとも、何度もセックスしてる訳だしな」

 

 ──え?

 と、その一言がホーネットの口から自然に漏れた時、彼女は完全に素の表情をしていた。

 

「……それは、本当に?」

「うむ、あの二人の事は魔王城に来てから何度も抱いたな。もうやりまくりだ、やりまくり」

 

 やりまくり。ランスが口にしたその五文字が、ホーネットの脳内で何度も反芻される。

 彼女にとって、サテラやシルキィとは長くを共に過ごしたとても親しい間柄である。その二人がすでに目の前の人間と、何度も情交を重ねている。一切表情には出さないよう努めたが、その事実は結構な衝撃だった。

 

「……………」

「……なんだよホーネット、押し黙って。何か問題でもあったか?」

「……いえ。あの二人が誰と夜を共にしようと、それは彼女達の自由ですから……」

 

 小さく呟き、ホーネットは冷めかけの紅茶を一口含む。内心の動揺を表に出さないよう振る舞いながら、ふいに目の前に居る相手の事を見つめた。

 

「……それにしても、貴方はその事ばかりですね」

「その事って、セックスか?」

「えぇ」

 

 思えばこの男は、自分と顔を合わせる度にその事を口にしている。魔物界にも低俗で下品な魔物が多くいるが、ここまで極まった存在は中々見ないのではと、思わずホーネットも考えてしまう程だった。

 

「そりゃあ良い女と出会ったら、考える事なんてセックスしか無いだろう。俺様は俺様の思うままに行動してるだけじゃ」

「………………」

 

 一切の恥じらいなど無い、実に堂々とした顔でそんな事を口にするその男を見ていると、ホーネットにも少し思う所があった。

 ここまで自分の欲望の為だけに行動出来るのは、それはそれで凄い事なのかも知れない。少なくとも使命の為に生きる自分には、とても真似出来ない生き方だと感じた。

 

 

「貴方は……」

 

 そう問い掛けたホーネットの言葉を遮るように、部屋のドアがコンコンとノックされる。そして返事も待たぬまま、すぐにドアが開かれた。

 

「ホーネット様、これを……て、ランス。お前も来ていたのか」

 

 室内に入ってきたのはサテラだった。

 

「おぉ、サテラか。……ん? お前が手に持ってるそれ、世色癌か?」

 

 世色癌。ハピネス製薬特製の定番の体力回復薬。サテラはそれを幾つかその手に抱えていた。どうやらホーネットの見舞いがてら、派閥の主に一刻も早く体調を戻してもらう為、回復アイテムを届けに来たらしい。

 

「サテラは回復魔法とか使えないから、ホーネット様の為に出来るのはこれくらいしか無いからな」

「ふーん……つーかお前、魔人なのに世色癌なんかよく持ってたな」

「あぁ、さっきシィルから貰ったんだ」

「……て事は、俺様用のじゃねーか、それ」

 

 奴隷の持ち物は全て主人である自分の物。勝手に人の物を他人に譲る奴隷に、果たしてどのようななお仕置きが相応しいかと悩み始めたランスの事を、サテラがじーっと睨んでいた。

 

「……所で、ランスは何でホーネット様の部屋に居るんだ?」

「ホーネットの事を口説いてた」

 

 んぐ、っと、サテラの口から謎の呻き声がした。そして彼女はランスとホーネットの顔を何度か交互に見比べた後、一体この胸のもやもやは何なのだろうかと、なにやら難しい顔で悩み始める。

 

 その答えはすぐに分かった。何の事は無い、ランスがホーネットに対して失礼な事をしていないかが気に掛かったのだ。もしホーネットの機嫌を損ねるような事があれば、ランスの命などホーネットの指一つで消えてしまう。

 そんな事が無いようにと、しっかりと手綱を握るのは主である自分の役目。一つ咳払いをしたサテラは、真剣な表情で口を開いた。

 

「ランス。サテラはそんな事、許可した覚えは無いぞ」

「んあ? ホーネットを口説くのになんでサテラの許可が要るんじゃ」

「なんでって、ランスはサテラの使徒だろう!!」

 

 ああ、そんな設定だったなぁ。と、さも適当に頷くランスの姿は余計にサテラの感情を逆撫でし、ついに彼女は実力行使に出る事にした。

 

「とにかくっ! ホーネット様はまだ体調が優れないから、本日の面会は終了だ!!」

 

 サテラはランスの腕を掴むと強引にソファから立ち上がらせ、そして部屋の入口までずいずいと背中を押していく。

 

「ちょ、おいサテラ。俺様はホーネット派の救世主であってだな……!」

「分かった。それは今度聞くから」

 

 これが派閥の恩人に対する態度か、とそんな言葉を口にする間も無く、そのままランスはホーネットの部屋を追い出されてしまった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「……サテラの奴、なんか過保護になってないか?」

 

 部屋の外の廊下、閉じられたドアを睨みながらランスが呟く。 

 どちらかというと、サテラは世話を焼かれる方のタイプである。やはりこの前のような事があると、心境や接し方も変わるのだろうか。

 ホーネットにも多少の変化が確かにあり、以前よりは好感触ではあったものの、それでも今回も魔人筆頭を抱くまでには至らなかった。

 

(……ただまぁ、あのまま押していてもちょっと厳しかったな。俺様の歴戦の勘がそう言っている。……正攻法じゃちょっと難しいか? いっそ襲っちまうってのも……けどなぁ、魔人筆頭なんだよなぁ、あいつは……)

 

 実に儘ならない、如何ともし難い現実を前にランスはがしがしと頭を掻く。今自分の女にしようと奮闘しているホーネットは魔人筆頭であり、寝込みを襲ったりなどの強引な手段が通じる相手では無い。

 

 そういえば、先日使用した魔人を拘束する結界、あれは使えるのではないだろうか。いやでもしかし、よしんばそれでセックス出来たとしても、終わった後がちょっと怖い。

 と、ランスはそんな事をあれこれ悩みながら廊下を進んでいると、角を曲がった所でかなみと鉢合わせた。

 

「あ、ランス」

「お、かなみだ。……うーむ」

 

 かなみを見つめたまま、ランスはなにやら難しそうに唸っている。

 

「……どしたの?」

 

 首を傾げた彼女の胸を、何の前触れもなくランスの手が鷲掴みにした。

 

「ちょ、ちょっとランスっ」

「ふむ。相変わらず、大きさは並だが悪くないおっぱいだ」

 

 そのまま彼女の胸をふにふにと揉みしだく。

 

「駄目だって、こんな場所じゃ……!」

 

 羞恥で頬が朱に染まり始めてきたかなみは、胸を自由にされたまま辺りをきょろきょろを見渡す。先程の言葉は、ここじゃ無ければ問題無いという意味の裏返しであった。

 

「んじゃあ、俺様の部屋に行くか?」

「……うん」

 

 小さく頷いたかなみの肩を抱き、ランスは自室に向かって歩いていく。

 だがその途中でぴたりと足が止まり、がっくりと項垂れた。

 

「……はぁ。これ位簡単にセックス出来ればなぁ」

「ちょっと、それどういう意味!?」

 

 

 

 

 

 



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シルキィとの約束③

 

「ホーネット様。お身体の調子はどうですか?」

「大分、良くなってきています。サテラ、貴女には心配を掛けましたね」

 

 サテラの言葉に、ホーネットは僅かに微笑を乗せて返した。

 

 

 ある日の魔王城。

 彼女達は、ホーネットの部屋でティータイムを楽しんでいた。

 

「ホーネット様とこうしてお茶会をするの、結構久しぶりですね」

「そうですね。戦いが始まってからは、あまりこういった時間を取る事は出来なくなりましたからね」

 

 朗らかに会話を楽しんでいる、二人の表情は普段よりも柔らかい。特にホーネットがそうした様子を見せるのは、このような身内の前だけである。

 

 まだ前魔王ガイが健在であった頃、魔物界は今より穏やかで、ホーネットは親友のサテラや気心の知れた者達と、時折こうした時間を楽しんでいた。

 しかし派閥戦争が始まってしまうと、派閥内で最強の戦力である彼女は前線に出る事が多く、中々こうして集まる事は出来なかった。

 今回のお茶会は怪我の功名とはいえ、静養中のホーネットの気晴らしにはあつらえ向きだった。

 

 

「このビスケット、美味しいですね」

「どうやらケイコが焼いたそうですよ」

 

 テーブルの皿に置かれたホーネットの使徒手製のお菓子を、サテラの手がひょいと摘む。それをもぐもぐと食べながら、彼女はすぐ隣に目を向ける。

 

「それにしても……」

 

 自分の隣の席に座っている、一緒にティータイムを楽しんでいる筈なのに一言も発していない、その魔人の様子がサテラの気を引いていた。

 

「おーい」

「………………」

 

 聞こえているのかいないのか。全く微動だにしないその魔人の様子に、サテラは正面に座るホーネットと顔を見合わせる。

 そしてこほん、と一つ咳払いをして、彼女は再度より強めに声を掛けた。

 

 

「……シルキィ、一体どうしたんだ?」

「……あ、うん。何?」

 

 お茶会のもう一人の参加者、魔人シルキィ。

 テーブルクロスに突き刺さっていた視線を、はっとしたようにサテラに向けた彼女の声は、誰がどう聞いても生返事だった。

 

「何って言うか……珍しいな、シルキィがそんなふうにぼーっとしてるなんて」

「そ、そうね。ちょっと色々あって……」

 

 シルキィは慌てて取り繕い、ビスケットを一つ摘む。ぱくりと齧るがその味も分からないと言いたげな程に、彼女の表情は冴えないものだった。

 

(……うーん。どうしたものかしら……)

 

 ある事が原因で思い悩むその魔人の眉間には、久々の身内とのお茶会という場所には似合わない、小さなしわが出来ていた。

 

 ホーネットとサテラの何気ない会話を半ば聞き流しながら、シルキィは昨夜の事を思い出す。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 昨夜。

 

 ばたーん。と、シルキィの部屋のドアが乱暴に開かれる。

 就寝時間となり、ベッドに入って眠っていた部屋の主は、その音で微睡みから叩き起こされた。

 

「感謝が足りん」

 

 勝手に部屋の明かりまで付けた訪問客のランスは、開口一番そう言い放った。

 

「……こんな時間に、いきなりどうしたの」

 

 シルキィがベッドからのそのそと身体を起こし、しぱしぱする目を擦って眠気を払う。すると彼女の瞳に映ったその男の表情は、見るからに不機嫌といったものであった。

 

「ここの奴らは、恩人に対する感謝の念が足りんと言っているのだ。シルキィちゃん、俺様はホーネット派の救世主の筈だ、そうだよな?」

「え、えぇ。そうね」

 

 ランスの言葉にシルキィは間髪入れずに頷く。その男の閃きによって立てられた作戦のお陰で、派閥の主たるホーネットを救出する事が出来た。

 その事に何一つ間違いは無く、ランスがホーネット派の救世主だと自負しても、シルキィはそれを否定する気分にはならなかった。

 

「だろう? だったらもっとこう、相応の態度ってもんがあるだろう。ホーネットなんざ折角助けてやったのに、殆ど対応が変わってなかったぞ。普通、助けて貰ったら恩を感じて、相手にメロメロになる筈だろうに」

「……それは、ちょっと短絡的過ぎるような気がするけど……」

「いーや、そういうもんだ。助けられたら、相手に惚れる! これは法律で決まっている事なんだぞ」

 

 そんな法律どこの国の話だと思ったが、その一方でシルキィは、相手の言葉にも一理ある気がした。勿論惚れる云々の事では無くて、その少し前の言葉についてである。

 

「でも、そうね。……うん。貴方の言いたい事は分かった。……ランスさん、ちょっとこっちに来て」

 

 小さく微笑んだシルキィは、右手を軽く動かしてちょいちょいと手招きする。

 

「あん、何だ……む」

 

 ベッドの脇まで近寄って来たランスの頭に手を伸ばし、両手で優しく包み込む。

 そしてそのまま自分の胸元に寄せて、まるで愛おしむかのようにぎゅっと抱き抱えた。

 

「……感謝してる、本当に感謝してるわ。貴方が居なかったら、私はこの先ずっと後悔する所だった。ありがとう、ランスさん」

 

 ランスが初めて聞いたのでは無いかと思う程に、穏やかな声色で伝えられたそれは、シルキィにとっての偽りの無い本心そのもの。

 

 派閥の主が捕らえられるという絶体絶命の危機、その窮地を軽々と打開してくれたランスに対して、シルキィは感謝していた。それはもう一言では表せない位に、とても感謝していた。

 大切な主を救ってくれた事に彼女が感謝していない筈が無く、相応の態度で示せと言うのなら、その想いをきちんと伝えるのは彼女にとって当たり前の事だった。

 

「おお、そうかそうか。うむ、君は素直で宜しい。俺様を部屋から追い出すサテラとは大違いだ」

「サテラだって、きっと貴方に感謝してるのよ? ただほら、あの子はちょっと照れ屋だから……」

 

 サテラはあの性格なので、気持ちとは裏腹の態度を取ってしまう事もあるが、内心は自分と同じだろうとシルキィは思っている。むしろ親友と呼ぶ程にホーネットと近しい分、その想いは自分以上かも知れない。

 

「サテラだけじゃないわ。皆も同じ気持ちだと思う。ハウゼルは勿論、メガラスやガルティアもきっとね」

「最後の二匹はどーでもいいが、だがまぁ当然だな。俺様はホーネット派の救世主だからな」

 

 シルキィの言葉に気分を良くしたランスは、その胸元に抱き抱えられているのを良い事に、頰をすりすりと上下に動かし、彼女の慎ましやかな胸の感触を心地よさそうに味わう。

 そのセクハラにも文句を言う気分にはならなかったのか、シルキィはそんなランスの頭をよしよしと優しく撫でながら、ふとこの先の展開を想像した。

 

(……こんな時間に、この人が私の部屋に来たって事は……)

 

 十中八九、と言うかまず間違い無く、この後すぐ彼と体を重ねる事になるのだろう。それは今までの経験からして確信が持てる。

 

(……まぁ、いいんだけどね。私が約束した事でもあるし)

 

 ランスの女になってもいい、そう約束したのは他ならぬ自分である。

 それに加えて、これはあまり自覚したく無い事ではあるのだが、何度か経験を持った事で、性交に対する心理的抵抗も徐々に薄れてきていた。

 たださすがに時間も時間なので、あまり明日に響かないよう抑えめにしてくれると嬉しい。

 

 そんな事をシルキィはぼんやりと考えていたのだが、ランスはまだ事に及ぶような素振りを見せず、彼女の胸元に顔を置いたまま口を開いた。

 

「俺様は凄いだろう、シルキィちゃん。ガルティアの引き抜きに加え、ホーネットの救出までしちまうなんてな」

「そうね。ガルティアの時から思っていたけど、本当に貴方が味方になってくれて良かったわ」

「そうだろう、そうだろう。なら、もっと感謝していいぞ」

「もっと? そうね……」

 

 少々子供じみた要望であったが、シルキィは言われた通りに更なる感謝の言葉を口にする。

 

「感謝してる、すっごく感謝してます。ありがとう、ランスさん」

「いーや、もっとだ。まだ足りん」

「もー……感謝してるってば。これ以上は言葉に出来ないくらい、本当に感謝してるから」

 

 シルキィはどこまでも優しく、胸元に抱えた相手の頭をより丁寧になでなでする。

 妙に感謝の気持ちを要求してくるランスに対しても、彼女はちゃんと付き合ってあげていたのだが、一つ思う事があった。

 

(なんか、前置きが長いような……)

 

 この男の事、普段であれば「感謝しているならヤラせろっ!」と、すぐにでも襲い掛かって来そうなものなのだが、未だその気配が無い事に、彼女は引っ掛かりを感じていた。

 

「……でな。シルキィちゃん、君は俺様に凄く感謝している訳だ」

「えぇ、もちろん」

「うむ。んで俺様はホーネットを助けた、つまり俺様は頑張った。俺様は以前君とした約束以上に、更に頑張ったのだ……と、言う事はだ」

 

 そこでようやくランスはその胸元から顔を上げる。するとその目には企みの色があった。

 

「俺様に対してとても感謝している君は、もはや俺様の女を通り越して、俺様の言う事なら何でも聞いちゃう気になったという事だな?」

「……なるほど。そういう事ね」

 

 ここにきてシルキィはランスの魂胆を理解した。以前番裏の砦で交わしたあの約束、それ以上の働きをした事を理由に、さらにもっとすごい事をさせろと要求しているのだ。

 そもそも以前の約束により、彼に抱かれる事に関しては了承している。にもかかわらず、わざわざここまで恩着せがましく言ってくるという事は、何か余程キツい行為でも要求されるのだろうか。率直に言って少し怖い気がした。

 

(……けれど、いいわ。覚悟は出来た)

 

 押しも押されもせぬ魔人四天王、そんな彼女の瞳に気合が宿る。

 自分がランスに対して抱く感謝の気持ちは、紛うことなき本物である。元より抱かれる事は約束していた事であるし、多少その内容が激し目になるからといって、逃げるつもりなど無かった。

 

「……分かった。何をしたいの? 言っても無駄かもしれないけど、あんまり変な事はしないでよね」

「おぉ、シルキィちゃんは話が早くて助かるな。んじゃあ、一つ君に協力して欲しい事があるのだ」

「……え、協力?」

 

 協力して欲しい事とは何だろう。この男が先程のような大袈裟な前振りをしてきたからには、間違いなく性交渉についての要求だと思っていたのだが、もしや違うのだろうかと、シルキィは思わず小首を傾げる。

 

 そんな彼女の耳元に口を寄せ、ランスはごにょごにょと呟いた。

 

「実はな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほ、ホーネット様を口説くのに協力しろ!?」

 

 それは、シルキィに素っ頓狂な声を出させてしまう程の、驚きの内容だった。

 

「うむ。あの堅物はちょっと俺様一人の手に余る。このままでは可能性が感じられないので、ここは一つ、攻め方を変えてみようと思う」

「いや、知らないけど……」

「だがそれには協力者が必要なのだ。まぁ別に君じゃなくて、サテラでも良かったのだが……」

「な、ちょ、駄目よっ! サテラにそんな事頼んじゃ……!」

 

 ランスに特別な想いを抱いているだろうサテラに対して、親友であるホーネットを口説き落とすのに協力させる。いくら何でもそれは可哀想だと思ったシルキィは、慌てた様子で口を挟んだ。

 

「ぶっちゃけ俺様もサテラはあんま協力してくれるか自信無い。そこで君の出番だ、君はホーネットと付き合いも長いだろうから適任だろう」

「そりゃまぁ、ホーネット様の事は生まれた時から知っているけど、適任かどうかは……」

「いや、君しかいない。俺様の良い所をホーネットに吹き込んで、あいつが俺様にメロメロになるよう仕向けてくれ」

 

 ランスはシルキィの小さな肩をがっちりと両手で掴んで、彼女が頭痛を覚えてしまうようなむちゃくちゃな話を、平然とした顔で言い放つ。

  驚きの展開に混乱するシルキィは、それでも何とか話を呑み込む。彼女には協力どうこうの前にランスに聞きたい事があった。

 

「ちょ、ちょっと待ってランスさん。その以前にその、ホーネット様を口説くって、本気なの?」

「当たり前だ、俺様はこんな事で冗談は言わん。ホーネットは絶対に俺様の女にする」

「……貴方って、見境無いの?」

「無い」

 

 見境など、ランスは生まれてこの方一度も持った事が無かった。

 

 シルキィにとっては、あのホーネットを口説こうと考える事自体驚くべき話。自分が仮に男性だったとしても、とてもそんな事は恐れ多くて出来るとは思えない。

 

(……でもそっか。ランスさんって、魔人四天王の私にも、自分の女になれって言うような人なんだっけ)

 

 ホーネットは同性の目から見ても美しい魔人である。色々規格外なこの男であれば、手を出そうと考えても不思議ではない。

 彼女はランスとの初対面の時の事を思い出して、割とすんなりと納得した。

 

「けれど、協力しろって言われても……」

「先に言っとくが、協力出来ないってのは無しだぞ。俺様に感謝してるんだろ? なら、それを行動で示して貰わないとな」

「そ、そりゃ感謝はしてるけど、……う、うーん」

 

 それを言われると弱いシルキィはたじろぎ、とても悩ましげに眉根を寄せる。

 彼女は本当にランスに感謝をしていた為、自身がランスの為に何かをすると言うのなら、余程の事で無い限りは応えようと思っていた。

 しかし、そこに他人が絡むとなると即答は出来ない、特に派閥の主に関する事なら尚更である。

 

 

(ホーネット様が、ランスさんの女に、かぁ……)

 

 シルキィは思う。自分は別に、ホーネットにそういう相手が出来る事を否定している訳では無い。そもそもそんな事、自分が関わる事では無いからだ。

 男女間のお付き合いというのは、一対一の清く正しいものであるべきだとは思うが、それはあくまで自分がそう思うだけであり、その考えを相手に押し付けるつもりなども無い。

 

 あの魔人筆頭が自ら選んだ相手であったら、ランスだろうがその辺の誰であろうが、別に誰だって構わないと思っている。

 と、言うのが建前であり、本音を言えばちょっとだけ口出ししたい気持ちがあった。

 

「私、ホーネット様にはもっと、誠実な人が合っていると思うのだけど」

「ならば俺様で構わないだろう。俺様以上に誠実な男など、この世界には存在しないからな」

「……それ、本気で言ってる?」

「おう」

 

 シルキィはぐぐっとランスの顔を覗き込むが、驚く事にその男の表情は至極真面目で、デタラメを言っているつもりは無いというのが伝わってきた。

 あぁ、この人は恐らく、誠実という言葉の意味を知らないのだろう。そんな事を思った魔人四天王は、深い溜息を吐き出した。

 

「という事で、いっちょ協力を頼むな。よし、んじゃあ話は終わりだ。さてっと……」

「わ、ちょっと、何?」

 

 ランスはシルキィの小柄な身体を押し倒す。

 二人が今まで会話をしていたのはベッドの上であって、次に何が始まるかは明白だった。

 

「あ……やっぱり、するの?」

「そりゃ、するだろ」

 

 当たり前の事を言わせるなとばかりに、その男は彼女の上に覆い被さってきた。

 

「ぐふふふふ、シルキィとするのは久しぶりだからな。今夜は眠れないと思えよ!!」

 

 ランスにとって、シルキィとのセックスは彼女が戦いに行って以降ご無沙汰である。そんな事もあってか、早速普段よりも激し目に唇を重ねた。

 有無を言わせず口内に侵入してくる舌の感触を味わいながら、やっぱり誠実という言葉とは程遠い人だなとシルキィは思った。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして宣言通りに寝不足にされてしまったシルキィの頭の中が、そんな昨夜の出来事から、目の前のお茶会へと戻ってきた。

 サテラと会話をしている、ホーネットの透き通るような金の瞳を一度眺め、彼女は内心で嘆息する。

 

(口説くのに協力しろ、って言われてもねぇ……)

 

 ランスの良い所を伝えて、ホーネットの事をメロメロにする。そんな事を頼まれた訳だが、あの男の良い所を挙げるというのはかなりの難題である。

 そしてなにより自分がそんな事を伝えた所で、あの魔人筆頭がメロメロになってしまうなどと、とても彼女には考えられなかった。

 

 ランスに対しては感謝の想いがあるから、出来る事なら協力してあげたい気持ちはある。

 だがそうは言ってもこの事は、自分の力でどうにか出来る範疇を大幅に超えているのでは無いだろうか。更に言うと、サテラにもなんか悪い気がする。

 

 そのような事を、お茶会が始まる前からあれこれずっと考えていたシルキィ。

 そんな悩める魔人四天王の事を、いつの間にかホーネットの瞳が見つめていた。

 

 

 

「……そういえば、シルキィ。それにサテラもですが……」

 

 そんな言葉から、ホーネットがいつもと変わらない声色で先を続けた。

 

「二人は、あの男と性行為を行ったそうですね」

 

 その言葉に、シルキィは心臓が飛び上がるような感覚がした。それと同時に、けふっと、隣から声が聞こえた。

 紅茶を飲んでいなくて良かった。とっさに彼女はそんな益体も無い事を思った。もし紅茶を含んでいたら、サテラのように自分も吹き出してしまっていたかもしれない。それ位に衝撃的な言葉だった。

 

「ほ、ホーネット様……! そ、そ、それ、どうして……!!」

「本人から聞きました。曰く、貴女達二人は自分とすでに、やりまくりだと」

 

 魔人四天王のしどろもどろな問いに、魔人筆頭はなんでもなさそうな様子で答える。

 すでに茹で上がっている隣のサテラは元より、自分の顔も熱くなっているだろう気がしたシルキィは、その元凶の姿を思い浮かべた。

 

(ちょっと、もうっ! 何であの人はそういう事を、よりにもよってホーネット様に言うの!!)

 

 脳裏でがははーと笑う、あの口の大きい顔を一度引っ叩いてやりたい。思わずそんな事を考えてしまったシルキィは頭を抱える。

 何と言ってホーネットに弁明するべきだろうか、適切な言葉が思い付かなかったが、言い訳をしない訳にもいかなかった。

 

「あ、あのですねホーネット様。これは、その、えーと……」

「シルキィ、勘違いしないでください。私は苦言を呈している訳ではありません。貴女達が誰に肌を許そうと、それは貴女達の自由で問題は無い筈です」

「そう、です……ね」

 

 魔人二人が一人の男とやりまくりというのは、魔王城内の風紀や一般的な秩序の面から考えると、問題があるのではなかろうか。

 シルキィはそう思ったが、ホーネットが納得しているならと、とりあえず同意しておく事にした。

 

(……けれど、じゃあ一体さっきの話は……)

 

 てっきり叱られるのかと思ったが、違うというなら先の話はどのような意図なのだろうか。

 シルキィは動揺を落ち着ける為、テーブルにあった紅茶を一口飲む。だがその選択は間違いだった。

 

 

「……私も、あの男に抱かれた方が良いのでしょうか」

 

 今度こそ紅茶が喉の変な所に入り、シルキィは咽返ってしまった。

 

(ええー! ちょ、ちょっと待ってよ!! ランスさんは可能性が無いって言ってたけど……!)

 

 これは本人が思っているよりも、脈有りなのではないだろうか。

 咳き込みながらそんな事を思うシルキィの一方で、隣に居たサテラは誰が見ても分かる程に狼狽しており、彼女の動揺は相当なものだった。

 

「な、ななな、ほ、ほ、ホーネット様っ! なんで、そんな……!」

「サテラ、落ち着きなさい。単なる褒美です。先日一度断ったのですが、私が派閥の主であり、あの男が派閥の協力者である以上、その働きにそろそろ何か示す必要があるかと思ったのです」

 

 あぁそういう事かと、得心がいったシルキィはホッと胸を撫で下ろす。

 よもやランスの妄言通りに、助けて貰ったからとホーネットはメロメロになってしまったのかと一瞬考えたが、どうやらそういう話では無いらしい。

 

「ホーネット様、そんな必要は無いです! 褒美というならその、さ、サテラが与えときますから!」

「……しかし、あの男は私を抱く為に私を助けたと言っていました。以前にカミーラを退治したのもあの男という話ですが、封印していた魔人を解き放つなど、人間にとっては相当な決断の筈。それなのにこのままでいいのかと、少し悩んでいるのです」

 

 そう言ってホーネットは、視線をティーカップに落として沈黙する。

 

 

(ホーネット様……)

 

 その横顔をシルキィは複雑な思いで見つめる。恐らくホーネットは、派閥を敗北の危機に晒した事への悔恨の念と、その窮地を救ってくれたランスに対して、自分と同等かそれ以上の想いを抱いているのだろう。

 派閥の主としての立場や、今までの人間に対しての接し方、そしてランス個人への心情など、色々なものが複雑に絡みあって、その褒美を与えるかどうか悩んでいるのだろうとシルキィは思った。

 

(……どうしよう。ランスさんの事を考えたら、ホーネット様の背中を押すべきなんだろうけど……)

 

 ホーネットの考えが揺れている今、ここで自分が声を上げて説得すれば、ランスが歓喜しそうな展開にもなりそうな気がする。

 派閥に対し計り知れない貢献をした事は事実であるし、そんな褒美があってもいいのかもしれないと、思う気持ちも少しはある。

 

(……けど、それがホーネット様の為になるかと言うと……)

 

 シルキィにとってホーネットは、派閥の主である前に、自分の大事な人が大事にしていた娘である。褒美なんていう扱いで貞操を捧げさせていいのかと、そんなふうに悩む気持ちもあった。

 

(……だめだ、とても私には決められない。というか、やっぱりこういう話は本人の気持ちが一番大事よね、うん)

 

 決断は当人に委ねるのが自然な形だろうと、ランスとホーネットのどちらを選ぶ事も出来なかったシルキィは、若干責任逃れの思考が混じりつつも、そういう方向でホーネットに助言する事にした。

 

 

「……ホーネット様。どうするべきか、私には分かりません。ですがその事については、ホーネット様のお気持ちが一番大事なのではと思います」

 

 その言葉に、ホーネットが顔を上げる。

 

「私の、気持ち……」

「はい。ホーネット様のお立場を考えると、難しいかも知れませんが……」

 

 ホーネットは普段から物事を考える時、自分の使命を最優先にしている事をシルキィは知っている。しかしこういう事に関しては、使命よりも自分の気持ちを優先して決めるべき事だと、そんな思いから出た言葉だった。

 

「……そうですね。少し、私の気持ちを考えてみます」

 

 そう言って、ホーネットは感謝の気持ちを表すように嫋やかに微笑む。

 その表情はとても魅力的で、ランスが惹かれるのも無理無い話だとシルキィは思った。

 

 

 それと同時に、この事がもしランスに知られたら「俺様に協力しろと言ったのに!」と、そんな言葉で責められるだろう気がした。

 そしてその後の展開も何となく分かる。お仕置きだ、などと言って、自分を抱え上げてベッドに向かおうとするのだろう。

 

 その時はもう素直に従おう。少なくとも、ホーネットの事を想うかランスの希望に沿うのか。そんな決断を自分がするよりは、はるかにその方が気が楽だとシルキィは考えざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 



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サテラとシルキィ

 

 

 

 

 本日昼日中、ホーネットの部屋ではお茶会が行われた。

 

 サテラとシルキィの肝を冷やすようなホーネットの発言や、彼女のある悩みを打ち明けられたりなどしたお茶会は、その後恙無く終了した。

 久しぶりに穏やかな、それでいて有意義な時間を過ごしたサテラとシルキィは、派閥の主の部屋を退出して廊下を歩いていた。

 

 

 

 

 

 

「それにしても、あの人は全く……。あんな事、ホーネット様には言わなくていいでしょうに」

 

 はぁ、と大きな溜息を吐いたシルキィ、彼女の脳裏にあるのは先程のお茶会での一幕。

 

 自分はランスと関係を持った、その事を派閥の主に知られてしまっていた。それはホーネットの言う通り自主性に関する事であって、他人にどうこう言われる問題では無いのかもしれない。

 しかしそれにしたって言い方というものがあるだろうと、シルキィは考えずにはいられなかった。

 

「やりまくり、だなんて……。ホーネット様に変な誤解されたらどうするのよ」

 

 先程ホーネットの口からその言葉が出た時、シルキィは背筋が凍る思いがした。

 

 確かに客観的に見たら、そう言われる位には回数を重ねたかもしれない。しかしその全ては自分から求めた訳では無くて、好色家のランスが求めてきたから仕方無く応じた事。自分もその同類のように思われたらたまったものでは無い。

 それでも見識あるホーネットなら、個人の嗜好だからと気に掛けないかもしれないが、決してそういう問題では無いのである。

 

「ねぇサテラ、貴女もそう思……て、あれ。サテラ、どうしたの?」

 

 恐らくは自分と同じ境遇であろう、サテラに話を振ろうとした所で気付く、

 隣を歩いていたその魔人は、いつの間にか立ち止まっていた。そして真下に俯きその目を閉じて拳を震わせている。その姿を一見した所、何かに怒っているように見えた。

 

「……そういえば、シルキィに言わなきゃいけない事があった」

 

 サテラは今の話で思い出した。ここ最近、ホーネットが捕らえられたり救出したりと、色々忙しくてすっかり忘れていたのだが、シルキィと再会したら必ず言ってやろうと決めていた事があった。

 がばっと勢いよくその顔を上げ、その目で仲良しの魔人四天王の事を強く睨みつける。

 

「……サテラ?」

 

 このような強い敵意を向けられるような覚えが無く、気後れするシルキィをよそに、サテラは一度大きく呼吸をした後に大声で叫んだ。

 

 

「……シルキィのエッチッ!! すけべー!!!」

 

 壁まで震わすようなその大声には、その魔人の内心の気恥ずかしさ、それに怒りと言ったものが目一杯に込められていた。

 一方、魔王城の廊下で突然そんな事を叫ばれたシルキィは、寝耳に水の驚きに打たれた。

 

「ちょ、ちょっと待って、それどういう事!?」

「どうもこうもない、サテラは見損なったぞ! シルキィがそんな魔人だったなんて知らなかった!」

 

 気色ばむサテラの怒りの理由は、先程のシルキィの悩みの理由と元は同じもの。

 自分がランスと何度も性行為を重ねていると、ホーネットに知られてしまった事。だがサテラに言わせれば、それは全部シルキィが原因なのである。

 

 彼女は少し前にランスの口車に乗せられた結果、「シルキィにした事と同じ事を自分にしていい」と宣言してしまった。それが根本の原因なのだが、それでも一回二回で済むだろうと考えていた。

 しかしその見通しは大きく外れ、今も続く程に何度も関係を持つ事になってしまい、思い出すと顔から火が出そうな事まで色々させられてしまった。

 

 ホーネットからやりまくりとまで言われる程に、ランスに散々抱かれる羽目になったのは、全部シルキィが悪い。シルキィがランスとやりまくっていたから、自分もそんな事になってしまった。と、サテラはそう考えていた。

 

 

「ちょ、ちょっと、ちょっと待ってねサテラ」

 

 その一方、そんな事の顛末など知る由も無いシルキィは、顎に手を当て思い悩む。

 自分にはサテラからエッチだと言われる理由など無い、無いはずである。なぜなら、自分は断じてそんな魔人では無いからだ。ランスと肌を重ねている時、途中からなんか変な気分になる事もあるが、あれは自分の本性ではないので関係は無い。

 

 きっとサテラが変な思い違いをしているだけなのだろう。シルキィは動揺を押し隠し、冷静に対処しようと口を開いた。

 

「えっとねサテラ、落ち着いて聞いて。多分、貴女は何か勘違いをしているんだと思うの」

「勘違いな訳あるか! シルキィが男をエッチな事に誘うような魔人だって事、サテラはもう知ってるんだからな!!」

「待って!! それ本当に何の話!?」

 

 顔を真っ赤にした相手の言葉に、全く見に覚えの無いシルキィは戸惑う。

 それもその筈、今のはランスの吐いた嘘の話で、シルキィが男を誘った事実など無い。だがサテラはそれを信じ込んでしまい、シルキィもしたんだからと唆されて、自らランスの事をベッドに誘ったりなどもしてしまった。

 

「シルキィはエッチだ! 大体、普段着がその格好は絶対おかしいってずっと思ってたんだ!!」

「な!? 今更それを言うの!?」

 

 装甲を装着していない時のその魔人の格好は、胸と下腹部以外はほぼ素っ裸のようなもの。

 確かにサテラの言葉は尤もと言えば尤もなのだが、そこはそれ。長い付き合いの中で、理解をしてくれていたのでは無かったのか。シルキィはとても悲しい気持ちになってしまった。

 

「シルキィの、シルキィのエロ魔人ーー!!」

「ちょっとーー!!」

 

 そしてサテラは言いたい事だけ言うと、ぴゅーっと走り去ってしまった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「……と、言う事があったのよ」

「ほー」

 

 その日の夜。シルキィはランスの部屋を訪れた。

 

「自分から部屋に来るなんて、俺様の女としての心構えが備わってきたようだな」などと言いながらベッドに向かおうとするランスを一旦椅子に座らせて、先程の事について尋ねてみた。

 

「……サテラは何か誤解をしているわ。私が魔王城を離れる前にはあんな様子じゃ無かった。ランスさん、私の居ない間にあの子に何かしたでしょう」

 

 サテラの急な変わり様、いきなり自分の事をエッチだなんだ言い出す理由など、目の前に居る魔王城で一番エッチな男が原因に決まってる。そうシルキィは見抜いていた。

 

「……ふーむ」

 

 相手にじっと睨まれたランスは、机に肘を立てて思案する。するとすぐその理由には見当が付いた。

 

(そりゃまぁ、シルキィとしたから、っていう理由で、サテラと何度もしたからだろうなぁ)

 

 彼女が魔王城を離れていた時に、自分がサテラにした事などそれ位しか思い浮かばない。

 どうにも怒られそうだったので、その事を打ち明けるべきかどうか少し悩んだのだが。

 

「ま、話してもいいか。それはだな……」

 

 よくよく考えれば、別に自分が悪い訳ではないなと思ったランスは、経緯を話す事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あっきれた! ほんっとーに貴方には呆れた!!」

 

 ー通りの事情を聞いたシルキィは、完全にご立腹だった。

 

「貴方ね、いくらサテラとエッチな事をしたいからって、そんな事言う!?」

 

 まさか自分の事を口実にしてサテラを抱いていたとは。それではサテラが変な誤解をしてしまうのも当然である。

 シルキィは怒りの丈を相手にぶつけるが、ぶつけられたランスは涼しい顔をしていた。

 

「いやいやシルキィ、あれは俺様じゃなくてサテラが言い出したんだぞ。サテラの方から、シルキィと同じ事をしていいぞって言うから、俺様はその宣言通りにして貰っただけで、何も悪くないだろ」

「……百歩譲って、それは良いの」

 

 サテラから言ったと言うのが真実なら、確かにサテラにも原因の一端はあるのだろう。

 だが自分の怒りはそこにあるのでは無いと、シルキィはその男の耳を掴んだ。

 

「私がっ! 貴方を誘った事なんて無いでしょう! いっつも貴方から無理やりじゃないの!!」

「いだ、いだだ! ちょ、ちぎれるちぎれる!!」

 

 いっそ千切れてしまえと、ぐいーっとランスの耳を引っ張るシルキィは怒り心頭だった。

 

 性行為をしているのは事実であるが、それを単に受け入れているだけなのか、自らそれを誘っているのかは大きな差があり、女性としての沽券に関わる重要な事である。

 自分はランスとの行為を受け入れはしたが、それを求めた事は一度も無いのである。ちょっと行為の最中で頭がくらくらしてくると、ついそのような事を口走る事が無いでも無いが、あの自分は正気では無いので一切関係無い。

 

 

「どうしてサテラに、私が貴方を誘ったなんて嘘を吐いた訳?」

「それはな、その方が丸め込み易かったのだ。それとあいつの事を好きに出来るのにいつもと同じじゃつまらんから、少し趣向を凝らしたかったってのもある。真っ赤な顔で照れながら、俺様を誘ってくるサテラは中々可愛かったぞ。がははははっ!」

「そ、そんな理由で……」

 

 そんな理由で、この自分の事をまるで好きもののように勘違いさせてしまったとは。

 シルキィは呆れて物も言えず、大きな溜息を吐き出して額を押さえた。

 

「……とにかく、一刻も早くサテラの誤解を解かないと。このままじゃ、顔を合わせる度にエッチな魔人だとか言われそうだわ」

「……ていうか、さっきから思っていたのだがそれは誤解じゃないぞ。シルキィちゃん、君はとてもエッチな魔人で──」

 

 言い終わる前に、シルキィはランスの事をぎりっと睨む。

 

「誤解だから」

「……お、おう」

 

 その視線には、魔人四天王たる迫力があった。

 

「ともかくランスさん。私がサテラの誤解を解くまで、あの子に変な事言わないでよね」

「分かった分かった。……けども誤解を解く、か。……あ、そうだ。いい事思い付いた」

 

 指を鳴らしたランスはシルキィの顔を覗き込む。

 

「……何?」

 

 すると彼女は思わず首を引いて身構える。何となくだが、自分にとってのいい事な気はしなかった。

 

「シルキィ、君は誤解を解きたい。つまり、サテラに本当の自分を知って欲しいという事だな?」

「ええと、まぁ……そう、なるのかしら」

「だよな。なら、いい方法があるぞ」

 

 ランスはにぃと口角を吊り上げた。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 翌日の夜。

 

「んな所に立ってないで、こっち来い」

 

 ベッドに腰掛けているランスが自分の隣をぽんぽんと叩いて、そこに座るよう指示を出す。

 

「……ん」

 

 部屋のドアを背に立っていたサテラが、ぎこちない挙動で近づきランスの隣に座る。すでに若干その頬は染まりつつあるが、素知らぬ顔で口を開く。

 

「それで、サテラに何のようだ」

「あのな。この時間に呼び出す理由、さすがにもう分かってんだろ」

 

 その言葉に一層サテラの身が強ばる。こんな夜遅くにこの男の部屋に呼び出される理由など一つしか無く、彼女もそれはもう理解していた。

 

「俺様、ホーネットを救出した訳で。当然だが褒美はあるよな、サテラ」

「……そういえば、まだちゃんとその事を言ってなかったな」

 

 サテラは一つ深呼吸して火照りつつある顔を冷ますと、すぐ隣に居るランスに向き直る。

 

「ランス。ホーネット様の事に関しては……その、良くやった。うん、良くやったぞ」

「まぁな。俺様はとってはあの程度、大した事じゃないが、サテラも主として鼻が高いだろう」

「そ、そうだな! サテラの使徒ならそれ位は出来ないとな!! ……褒美、褒美か……よし」

 

 サテラは小さく頷くと、相手の二の腕の辺りにぽすんと額を当てる。ランスの顔近くで、彼女の真紅のポニーテールがふわりと揺れた。

 

「どした?」

「褒美だ。サテラの頭を撫でさせてやる」

「……いや、俺様そんな褒美は別にいらん。そんなんよりもっと……」

「い、いいから撫でるのっ、主に口答えするな!」

「……まぁ、いいけどよ……」

 

 ランスはサテラの頭の上に手を乗せると、少々雑な感じでわしゃわしゃと撫で回す。

 

「……う、んぅ……っ」

 

 それだけで身体がぴりぴりとしてきたのか、サテラは耐えるように目をぎゅっと閉じる。

 サテラは人よりも過敏な体質を持つ為、他人に触れられる事を忌避している。故に他人に頭を触れされるのは貴重な事であり、彼女にとってはれっきとした褒美なのだった。

 

「……でも、ホーネット様の事に関しては本当に良くやった。偉いぞ、ランス」

「お前が俺様の事を褒めるとは。なんかサテラ、妙にしおらしいな。変なもんでも食ったか?」

「ぐっ、……あのなぁ! ……はぁ、全く……」

 

 空気の読めない奴だと、サテラは少し気落ちしながらも、寄り添うようにしてランスに撫でられている、その頭を動かす事は無く。

 

(……なんだか、どきどきする)

 

 徐々に熱を持つ顔と、妙にうるさい心音。ランスのそばに寄ると、なぜだか自分はいつもこうなってしまう。

 しかし今日は、いつも以上に落ち着かない気がする。それは多分、先程の会話であの時のランスの事を思い出したからだとサテラは思った。

 

(……あの時)

 

 あの時。戦いに出ていたシルキィが急に魔王城に戻ってきたかと思ったら、ホーネットの敗北を伝えられたあの時。サテラは眼の前の全てが絶望の色に染まった心地がした。

 親友であるホーネットの生死や、自分達のこれからの事など、とても考えたくないような事が嫌でも頭に浮かんでしまい、泣き出したくなる気持ちを止められなかった。

 だがそんな時でも、今自分の頭を撫でる男の目は前を向いていた。そしてその目で見つめながら、心配するなと、全部任せろと言ってくれた。

 

(あの時のランスは、なんていうか……)

 

 トクンと音がなり、思わず胸元を押さえる。普段よく見る鼻の下を伸ばした顔じゃない、真剣で、それでいて自信に溢れたあの時の表情を思い出すと、彼女には胸の早鐘を抑えられなくなってしまう。

 訳も無く涙が滲み、息が詰まる。とても苦しい気分なのだが不思議と嫌な感じでは無かった。

 

「……あの、ランス。サテラ、その……」

 

 自分が言おうとしているのか、よく分からない。

 けれども分からない事を考える前に、自然と言葉が口から溢れてくる。ならその流れに身を任せても構わないのでは、サテラにはそんな気がした。

 

「その、サテラ、ランスの事が……!」

「お、来た来た」

「うん?」

 

 来たとはなんだ? そう首を傾げる彼女を無視して、ランスがベッドから立ち上がる。

 頭が一杯一杯だったサテラはようやく、部屋のドアがコンコンとノックされている事に気付いた。

 

 

「こんばんは、ランスさん」

「おうシルキィちゃん、よく来たな」

 

 ドアを開けた先に居たのは魔人シルキィだった。

 

 

「……もう、これで3日連続……って、あれ、サテラ? どうしてサテラが……」

「よいしょっと」

「きゃっ!」

 

 怪訝そうなシルキィが何か言い出す前に、ランスは小柄な彼女をひょいと持ち上げる。そのまますぐにベッドまで運び、サテラの隣に座らせた。

 

「……あれ」

「………………」

 

 二人の魔人は互いに顔を見合わせる。何とも言えぬ表情のまま硬直するサテラも、はっと目を見開いたシルキィも、二人共がランスの狙いには気付いたようだった。

 

 サテラは何故だか固まったまま動かないので、その様子を見たシルキィが代表して口を開く。

 

「……ランスさん。これって、まさか……サテラと一緒に、って事?」

「うむ。俗に言う3Pだな。シルキィが戻ってきたらしようと決めていたのだ。すでに二人はこの俺様のもの、なら同時にしてみようと考えるのは男の性ってもんだ」

「………………」

 

 ──この男の一緒に居ると頭の痛い事ばかりだ。

 沈黙の中でそんな事を考えながら、シルキィは自分の正面に立つランスの事を見上げる。

 

「……私、貴方に抱かれるとは言ったけど、そこまでするとは約束してないわよね?」

「んなケチ臭い言うな、一人も二人もそう変わらんだろう。それに君が言ったんじゃないか、サテラの誤解を解きたいと。なら二人共一緒にすれば、シルキィの本当の姿がサテラにもすぐに分かるだろう」

「昨日言ってた、いい事って……」

 

 シルキィは疲れたように肩を落とす。やはり自分の懸念通りいい事などでは無い、ランスが得をするだけのろくでも無い事だった。

 

「大丈夫だシルキィちゃん、君は決してエロい魔人などでは無い!! だからそれをサテラにも証明してやろう、俺様も協力してやるから、な?」

「あ、貴方ねぇ……!」

 

 どの口が言うかと、シルキィは非難がましい視線をランスに向ける。

 彼女にとって複数人で性行為をするなど、道義的に考えてちょっと受け入れがたいし、サテラと共に抱かれるとなると憂慮すべき事が一つある。

 普段ランスに抱かれている際、時折見せてしまうような恥ずべき自分の姿。あんな姿をサテラに見られてしまったら大変である。

 

 あれは決して自分の真実の姿では無いのだが、隠し通す事が出来るだろうか。

 確かにあれさえ隠し通せれば、全てはランスに無理やりされていた事なのだと、サテラに伝えて誤解を解く事も出来るかもしれない。

 だが隠し通せるかどうか、正直言ってあまり自信無い。やはり3Pなど断った方が無難だとシルキィは思った。

 

「ランスさん、やっぱりそういうのは良くないわ。せめて別々に……」

「おーっと、俺様に心の底から感謝しているはずのシルキィが、何か言いたいようだな?」

「……それ、ずるい」

 

 何も悪い事などしていないのに、何故だか弱みを握られてしまった気分である。

 人の善意に付け込む性格のランスに、根が実直かつ素直なシルキィはいいように翻弄されていた。

 

「……分かった。けど私はいいけど、サテラが何て言うかは知らないわよ」

 

 感謝の心を突かれると弱く、仕方なしと容認してしまったシルキィには、頼むから断ってくれとサテラに願いを託すしか無かった。

 

 

 

 シルキィの承諾を得たランスはその隣、未だに固まっているサテラを見る。

 

「サテラ、お前も構わないよな?」

「……サテラの」

「あん?」

 

 首を傾げるランスに向けて、その魔人は吠えた。

 

「サテラのドキドキを返せーーー!!!」

「ぎゃー! なんのこっちゃーーー!!!」

 

 がーっと、牙を立てて襲い掛かってくる魔人に対し抵抗する術など無く、あえなくランスの肩に小さな歯型が付いた。

 

 

「い、いてて……、くそ、凶暴な魔人め……」

「ふんだっ! ランスが悪い!!」

 

 サテラはぷいっとそっぽを向く。先程感じていた微熱、高鳴る心音、そして甘い空気はいつの間にか何処へやら消えていた。

 

「何だよサテラ、いいだろ3Pくらい。ほれ、褒美褒美」

「褒美って言えば、何でもかんでもすると思ったら大間違いだ!!」

 

 羞恥と怒りに顔を染めてサテラは声を荒げる。自分とランスは魔人と使徒。幾ら褒美と言ってもその分別は持つべきである。何よりついさっき大いに気分を害されたので、この男の要望など叶えてやりたくない。

 

 彼女は断固として断ろうと思ったのだが、その時ふと考えてしまった。

 

(けど、サテラが断ったら、ランスは多分……)

 

 ここで自分が引き下がると、ランスの今夜の興味はシルキィだけに向く事になるだろう。そう考えた時、複雑な感情と対抗心が彼女の胸に湧き上がる。

 シルキィと共にランスに抱かれるなど、恥ずかしくて死んでしまうかも知れない。しかし自分が引き下がるのはそれはそれでなんだか嫌だ。

 そしてシルキィはすでに覚悟を決めている様子。ならばもう、どうしようも無いのではないか。

 

「う、うぐぐぐ……!」

「な、サテラ。一回、一回だけ、一回だけだから」

「……あーもう! ランス! これは褒美だ!! 本当に一回だけだからな!!」

「よっしゃ!!」

 

 ランスはグッとガッツポーズ。その一方でシルキィはがっくりと項垂れた。

 

「……サテラ、本当にいいの?」

「いい! もうどうなってもいい! サテラ知らない!!」

「そんな、投げやりにならないでよ……」

 

 自分はランスからいいように扱われている。その自覚はあるが、この様子だとサテラも似たようなものだなと、シルキィはもはや癖になりつつある溜息を漏らした。

 

「さーて、どーれどれ……」

 

 ランスは両腕を伸ばし、サテラとシルキィを脇の下から抱え込む。

 ぎゅっと抱き寄せると吐息が首に掛かる距離になり、服越しに二人の柔らかい身体が密着する。

 

「……うむ。よーしよし、良い子だ二人共!! がーはっはっはっはっは!!!」

 

 ぐっと腕に力を入れて抱き締めても、二人は顔を染めるだけしか抵抗しない。

 その事に気分を良くしたランスは、そのままベッドに飛び込んだ。

 

 

 

 

 シルキィには負けたくない。そう意気込むサテラと、サテラの前で醜態は晒さない。そう心に固く誓うシルキィ。そんな二人の魔人をランスは心行くまで堪能した。

 

 しかし両魔人の決意は叶う事は無く、サテラはランスの攻めの前に早々にダウンしてしまう。

 一方でシルキィは気分が昂ぶってしまい、途中からベッドの脇で目を回すサテラそっちのけで、ランスの事を求めてしまった。

 

 そんなこんなで魔王城の夜は更け。

 結果としてサテラの誤解、シルキィはエッチな魔人だという疑惑は晴れず、むしろ彼女の中でそれは確信となってしまった。

 

 

 

 

 

 



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混浴とハウゼル

 

 

 ある日の魔王城。

 

 ランスは風呂場に来ていた。

 

 

 魔王城には風呂場が存在する。ランス城にあったような天然の露天温泉という程の物ではないが、城内の魔物達が身だしなみを整えて、公衆衛生を維持出来るように、巨大な浴場が備え付けられていた。

 

 そして風呂場があるならばと、予てよりランスはその女湯に突撃する事を企てていた。だがここは城主たる自分が好き勝手出来るランス城では無く、魔の総本山である魔王城。その女湯は、人間のランスが簡単に侵入出来るような場所では無かった。

 

 風呂場の入口には侵入者を排除する為、神風やバルキリーなどの強力な女の子モンスターが常に警備をしていた。強行突破は難しく、自分はとても偉い使徒だ、このホーネット派の影の支配者だとどれだけ言い張っても、ここだけは通してくれなかったのである。

 

 

 

 

 

 

「……で、私を使ったという訳ね」

 

 女湯の脱衣所。

 服を脱ぎ終え裸になったランスの隣には、同じく裸のシルキィが居た。

 

「うむ、そういう事だ。さすがに魔人四天王の命令には逆らわなかったな、あの番人達」

 

 使徒の権力では足りないと考えたランスは、今回ついに魔人四天王の権力を利用した。

 例によって例の如く、シルキィの感謝の気持ちを利用して彼女を引っ張り出し、その権力に引き下がった番人達を尻目に、堂々とランスは女湯に侵入したのだった。

 

「城内の風紀を守るために、ホーネット様が直々にあの子達に命じているのに……。私にそれを破らせないでよ。貴方は男湯に入ればいいじゃないの」

「いーやーだ。大体、男の魔物が入ってくる風呂なんぞ、いつまでも利用出来るか!!」

 

 溜息混じりのシルキィに対し、ランスは拳を握り大声で吠える。それは魔王城に来てからの、ランスにとっての結構なストレスの元となっていた。

 

 城に備え付けの風呂は個人用では無く大衆浴場であり、当然ながら他の魔物も入ってくる。男の子モンスターが闊歩する男湯にシィルを連れて入る訳にもいかず、ランスは普段なら奴隷にさせるような洗髪なども、全て自分の手でしなければならない。

 更にはハニーやイカマンなど、まだ可愛げのある魔物ならばともかくとして、運が悪い時は素っ裸のヤンキーやぶたバンバラなどと共に入らねばならない男湯は、とてもでは無いがランスが落ち着けるような場所では無かった。

 

 

「うひょー! 久しぶりの混浴、誰か可愛い子は居ないかなーっと!」

 

 ランスはノリノリで浴場に駆けていく。

 そんな相手から視線を外し、シルキィは後ろに振り向く。

 

「……サテラ、無理しないでいいのよ」

「無理なんてしてない!!」

 

 そこにはタオルで一生懸命に裸体を隠す、真っ赤な顔のサテラが居た。

 ランスは風呂に向かう際に、事はついでにとサテラにも声を掛けていた。誘われた時には当然断ろうとした彼女だったが、シルキィも一緒に風呂に入ると聞いた途端、思わず自分も一緒に入ると宣言してしまっていた。

 

「サテラ。思うんだけどね、私に対抗しようとするのは、あまり貴女の為にならない気がするのよ」

「う、うるさいっ! そんなんじゃないぞ! サテラも丁度、風呂に入りたい気分だったんだ!!」

「まったく、意地っ張りなんだから……」

 

 やれやれといった様子で首を振り、シルキィはタオル片手に身を隠す事も無く浴場に向かう。

 未だ決心が付かず、脱衣所に取り残されたサテラは閉められた引き戸を睨みつけた。

 

「……大体、どうしてシルキィは恥ずかしくないんだ……て、あぁ、そうか」

 

 エロ魔人だからか。と、諦観するように目を閉ざすサテラはぽつりと漏らした。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 一面がタイル張りの魔王城の風呂場は、ランス城のそれと比べれば質素だがとにかく広い。城自体の大きさに加えて、人間と違って魔物は種族によって体格の差が大きく、デカントのような巨大な魔物でも利用出来るように、共用の風呂場となるとどうしても広めにする必要があった。

 

 そんな広大な女湯を我が物顔で歩くランス。彼にとって女の子モンスター達の奇異や非難の視線、そして時折上がる悲鳴などもどこ吹く風。

 さっと湯を浴びると熱々の湯船に浸かり、そしてぐっと身体を上に伸ばした。

 

「ふいー……。はー、やっぱ女湯は良い。男を見ずに済むってのが良い。……けど、女の子モンスターって服着たまま風呂入るんだな。なんか、あんま女湯に入った気分にならんな」

 

 女の子モンスターにとって衣服は体の一部であるらしく、服を着たままびしょびしょとなっている彼女達の姿が、目の保養になるかは微妙な所。

 だがそれでも男湯よりはましだなと、縁に肘を掛けながらのんびりとリフレッシュしていたランスだったが、次第に周囲から人気が無くなっている事に気付いた。

 

「……なんか、女の子モンスター達が続々と風呂を出ていくな」

「……当たり前でしょう、それ」

「お」

 

 ランスが声の方を向くと、そこに居たシルキィは一糸まとわぬ裸体を真っ向から晒している。

 そんな堂々たる魔人四天王の背後には、縮こまるようにして身を隠すサテラも居た。

 

「女湯に不審者が入ってきたらね、普通の人は逃げるものなの。それは女の子モンスターでも一緒。ていうか、攻撃されたっておかしく無いのよ」

「ぬぅ……。ま、いいや。二人共こっちに来い」

 

 すでに自分しか居なくなってしまった湯の中に、ランスは手招きして彼女達を招き入れる。

 

「よいしょ」

「………………」

「うむ」

 

 シルキィは平然とした様子で、サテラは渋々ながらといった様子で、ちゃぽんと湯に入った両魔人の肩にランスは両腕を回した。

 

「いやぁ、極楽極楽! やっぱ、俺様が入る風呂というのはこうじゃないとな!! 何が楽しくて男の魔物と同じ湯に浸からにゃならんのじゃ」

 

 今まで魔王城のお風呂問題に散々苦しめられてきたランスは、一転して極上の両手の花にご満悦。

 そんな気分上々のランスの左腕の中、シルキィは同じく心地よさそうに湯船の中で身体を伸ばす。

 一方、ランスの右腕の中に居るサテラは「使徒と混浴くらい普通の事、普通の事……!」と、ぶつぶつと自己暗示を繰り返していた。

 

 

 そうして暫くの間、二人の肌を手触りを感じながら、時折鼻歌を歌ったりなどしてまったりと魔人との混浴を楽しんでいたランスだったが、その内にちらちらと風呂場の入り口に視線を送り始めた。

 

「どうしたの?」

「ん、いやな。ホーネットとか入ってこないかなーっと思ってな」

「……ホーネット様はここは利用しないぞ。あの方には個人用の風呂があるからな」

「なに?」

 

 湯立つ顔を背けながらのサテラの言葉は、ランスには聞き捨てならなかった。

 

「個人用の風呂だと? んなもんがあったのか。なら、俺様も使いたいのだが」

「あれはホーネット様、というか魔王様専用のものだ。人間のランスが使ったら怒られるぞ」

「そうね。今は魔王様が城に居ないからって事で、特別にホーネット様が使ってるの。最初はホーネット様も、魔王様のものを使うのに抵抗があったみたいなんだけど、ホーネット様がここに来ちゃうと、他の女の子モンスター達が萎縮しちゃうから……」

「……ああ。それはなんか分かる」

 

 ランスも身に覚えがあったのか、しみじみと頷いてシルキィの言葉を肯定する。

 お風呂というのは身を癒す場所。それなのに魔人筆頭のあのプレッシャーを前にしてお湯に浸かっても、緊張して疲れがとれない。そんな悩みが女の子モンスター達から頻発した為、仕方無くホーネットは使用する風呂場を変えたという経緯があった。

 

「まぁ考えてみりゃ、ホーネットの裸は見ようと思えばいつでも見れるしな。そういや、ホーネットの怪我の状態はどうなんだ?」

「順調よ。もう殆ど怪我は治ってるみたい。けどね……」

 

 順調と言う言葉とは裏腹に、シルキィは浮かない表情をしていた。

 

「なんか問題があったのか?」

「ううん。何も問題はないの。けど、ホーネット様が万全の状態に戻るって事は、また戦いの場に出るって事なのよ」

「あー、て事はそろそろ魔王城を離れるって事か。そりゃ確かにまずいな。口説くチャンスが無くなっちまう」

 

 ──それはどうでもいいんだけど。

 そんな言葉が浮かんだが、藪を突く事もなかろうとシルキィは心に留め置く事にした。一方その懸念にはサテラにも思う所があったのか、どこか寂しそうに口を開く。

 

「ホーネット様は真面目なお方だからな。まだケイブリス派に動きは見られないから、暫く魔王城に居ればどうかって、サテラは言ってるんだけど……」

「この前みたいな事もあるし、出来ればホーネット様には前線に出ないで欲しいと思ってるんだけど、とはいえそう言ってられる情勢でも無いし……」

 

 風呂場というのは愚痴や悩みが漏れやすい場所なのか、二人の魔人は揃って似たように「はぁ」と息を漏らした。

 

「まぁ、なんかあったらまた俺様が解決してやっから、んな悩むなって」

「……そう言ってくれると少し気が楽になったかも。この前ホーネット様がバボラを倒したんだけど、代わりにカミーラが戻ったから、戦力差が開いちゃったのよ。勿論、仕方無い事なんだけどね」

「ほぉ、あのデカブツは死んだのか。それはグッドだ。ありゃ強くはねーけど、めんどくさい奴だからな。……けど、カミーラ、カミーラなぁ……」

 

 ランスは風呂場の天井を見上げ、ドラゴンの魔人四天王に思いを馳せる。

 

「確かに戦うとなると強敵だが、あいつやる気が全然無かったし、戦ったりはしないと思うけどな」

「サテラもそれは思った。前々からカミーラはそんな感じだったけど、より一層酷くなってたな」

 

 サテラの言葉はあくまで印象であったが、ランスの言葉は実体験に基づくものである。

 前回の最終決戦の折。カミーラと再会した時にランスは戦闘になるかと思ったのだが、彼女はケイブリスの居場所を教えると、そのまま自分達を見逃してくれた。そんな経験もあってか、ランスの脳裏に自分とカミーラが戦う図は浮かばなかった。

 

「……それなら良いんだけどね。けど、問題はまだあるの。まだ未確認ではあるんだけど、ホーネット様によると……」

 

 

 その時、風呂場の入り口の引き戸が開かれる。

 その音に言葉を途切れさせられたシルキィは振り向く。すると立ち上る湯気の奥にすらりと均整のとれた身体、背に羽を生やしたシルエットが見えた。

 

 

「あら、ハウゼルだわ」

 

 風呂場に入ってきたのは、どうやら魔人ハウゼルのようである。

 シルキィのその声に「何?」とランスも釣られて顔を向けた。

 

「おお、本当だ! そういやハウゼルが居たな。うむ、結構おっぱい大きいな。肌も白くてエロい。ぐふふふ……」

 

 鼻の下を伸ばした締まりのない顔で、ランスはその魔人のしみ一つ無い裸体を無遠慮に視姦する。

 そうとは知らないハウゼルは湯船に近づき、やがて湯の中に居る先客に気付いた。

 

「……あ、サテラ。それにシルキィ、も……」

 

 その二人の間に、およそこの場に居てはいけない者が居るのを目にした途端、ハウゼルは息を呑む。そして、不安げに辺りを見渡した。

 

「え、ランス、さん? え、え? あれ? ここ、女湯……ですよ、ね?」

「そうだな。だが、俺様は男湯だとか女湯だとか、そんな細かい事は気にしない男なのだ」

「……はぁ、そうですか…………っ!!」

 

 旧知の魔人二人がランスと一緒にお風呂に入っている光景を、何処か現実離れしたもののように見ていたハウゼルは、自分の裸体が男性の前に晒されている事実を遅ればせながら理解した。

 

「や、あっ……、だ、駄目……!」

 

 すぐにぺたりとその場に尻餅をつき、ハウゼルは何とか身体を折りたたんで、ランスの視線から身を隠そうとする。

 羞恥から徐々に肌が紅潮していく、そんな彼女の様子を気の毒に思ったのか、シルキィが助け舟を出した。

 

「湯船に浸かったら? その方が、ランスさんからは見えないと思うけど」

「湯船に、って、けど……!」

 

 シルキィは善意で言ったつもりだったが、それは彼女にとって簡単な選択では無かった。男の人と一緒にお風呂に入るなど、碌に男に触れた事も無い彼女にとっては、全く未知の領域の話である。

 というか、そんな提案がシルキィからされる事自体、にわかにハウゼルには信じられなかった。

 

「シルキィは、ランスさんと一緒にお風呂に入っても、その……平気なの?」

「……えっと、まぁその、うん」

 

 若干きまりが悪そうに、シルキィは視線を外す。

 本当なら平気ではいけないのだろうが、シルキィは自分の裸に関しては価値を見出だせない性格をしており、恥ずかしくないものは恥ずかしくないのだから、それはどうしようも無かった。

 

「……サテラも?」

「こ、こいつはサテラの使徒だからなっ! 使徒と風呂ぐらい、普通だ、普通!!」

 

 普通と言い張るサテラの真っ赤な顔が、羞恥からなのかそれとも湯にのぼせたのか、ハウゼルには判断する事が出来なかった。

 

 外見上は平然を装うサテラ。そして内心としても動揺が見られないシルキィ。そんな二人を見ていると、女湯に男が居るという異常事態が、さほど問題の無い事かのようにハウゼルは錯覚してしまう。

 

「で、では……す、こしだけ……」

 

 混乱した頭では正常な判断が出来ず、ハウゼルは湯に入る事を決めてしまった。

 それでも一応、皆から大分距離を開けた位置に腰を下ろしたのだが、そんな形だけの抵抗は全く無意味であり、すぐにランスが近づいてきた。

 

「ハウゼルちゃん、久しぶりに会ったな。俺は前々から君と仲良くなりたかったのだ」

「そ、そう、ですね……。仲良くなるのは、大事な事……」

「そう、大事なのだ。つーか、君はいつ魔王城に戻ったんだ?」

「ええと、少し前に……。その、前線の拠点が変わった事で、キトゥイツリーで待機する意味が薄くなったので……」

 

 ハウゼルはパンク寸前の頭を、ランスから背けたまま答える。

 

「城に戻っていたのなら、派閥の大恩人である俺様の下に、何故挨拶に来ないのだ? んん?」

「ご、ごめんなさい。その、気が付かなかったというか……」

「いーや、許さん。そういう奴はこうだ。うりゃ、うりゃ」

「あっ、駄目っ、駄目です、ランスさん……!」

 

 ハウゼルの珠のような肌のあちこちを、ランスの人差し指が容赦なく突く。ハウゼルは悲鳴とも嬌声ともとれる声を上げたが、声を出す事しか抵抗はしなかった。

 

 そんな姿を遠巻きに眺めていた二人の魔人、特にサテラにはそろそろ我慢の限界だった。

 

「お、おいランス! ……シルキィ、止めなくていいのか!?」

「……ねぇサテラ。気付かない?」

「ん? ……あ。これもしかして、ハウゼルが?」

「たぶん」

 

 二人は湯船の中を見つめる。その湯の温度がなにやらおかしい事になっていた。見れば、いつの間にか立ち上る湯煙の量も物凄い事になっている。

 ランスに散々いじられたハウゼルは炎を司る魔人としての力が暴走してしまい、その魔力が身体から漏れ出してしまっていた。

 

 

 その結果。

 

「……ん? なんか、熱い? ……あんぎゃー!」

 

 ランスはやけどをした。

 

 

 

 

 

 

 

「ぐ、ぐぐ……」

「いたいのいたいの、とんでけー」

 

 その後自室に運び込まれたランスは、ベッドの上で苦しそうに呻いている。

 そばではシィルが何度も回復魔法を唱えていた。

 

「自業自得よ、ランスさん。ハウゼルはお淑やかな子だけれど、仮にも魔人なんだから、あんまりからかっちゃ駄目」

「そうだぞランス、お前が悪い」

「ぐ、ぐぬぬぬ……」

 

 風呂から上がってさっぱりした様子のシルキィとサテラを、ランスは恨みがましい目で睨む。

 

「……つーか、どうしてお前らはピンピンしてるんじゃ」

「サテラ達は魔人だからな。軟弱な人間とは違う」

「うん。熱かったけど、火傷する程ではないかな」

「ず、ずるい……」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 だが、ランスはそれ位で折れる男では無かった。

 次の日。シィルの夜通しの献身的なヒーリングで回復したランスは、ハウゼルの部屋を訪れた。

 

 

 

「あ、その……昨日は、申し訳ありません!」

 

 読書をしていたハウゼルは、ノックもせずに部屋に入ってきたランスの姿を確認すると同時に、勢いよく立ち上がって頭を下げる。

 魔人としての力で人間を傷つけてしまった、昨夜の一件を深く反省していた。殆ど原因はランスにあるようなものなのだが、控え目で優しい性格の彼女はそのように考える事は出来ないのである。

 

「私、その、ああいう事に慣れてなくって。それで、少し力が抑えきれなくなってしまって……」

「そかそか。まぁ、済んだ事はいい。俺様はそんな小さい事を、ネチネチと責めるような男では無いからな」

「ランスさん……、ありがとうございます」

 

 相手の予想外だった優しい対応に、心底ほっとした様子のハウゼル。

 しかしそんな彼女を見つめるランスの目は、いやらしく光っていた。

 

「だが慣れてないってのはあまりよろしく無いな。今後またこういう事を起こさない為にも、慣れておいた方がいいと思うぞ」

「慣れる、ですか? けれど、男の人とお風呂に入るのを慣れるというのは……」

「風呂っつーか、要はセックスだな」

「せっ……!!」

 

 その言葉を口にすることすら恥ずかしいのか、頬を染めたハウゼルは視線を伏せる。

 

「うむ、セックスだ。ハウゼルちゃん、俺様とセックスをしようじゃないか」

 

 ランスがハウゼルの部屋に来た理由は、当然ながら彼女を抱く為であった。

 この魔人に関しては初対面の時から、何となくいけるのではという予感があったのだが、その時は色々あってベッドインする事は出来なかった。

 なので今度こそはと意気込むランス。当初は風呂の一件をひたすら責めて、それにより目的を達成しようと思って来たのだが、ハウゼルを落とす事が出来るならこの際理由など何でも構わなかった。

 

「け、けれどランスさん。その、そういう事は愛し合う夫婦がする事です。ですので……」

「俺様は君の事を愛している。何も問題は無い」

「えぇ!?」

 

 吹けば飛びそうな程に軽い、ランスの愛の言葉。だがそんなものでもその魔人には効果があったのか、落ち着かない様子で視線を左右に振る。

 目に見えて狼狽えるハウゼルは、恋愛感情はともかく性行為に関しては密かに興味を持っていたのだが、同時にそれを求める事への罪悪感と恐怖も持ち合わせていた。

 

「……でも、駄目ですランスさん。そんなはしたない事、私……」

「はしたなくなど無い。セックスなど、人間でもそこらの魔物でも誰でもする事だろ」

「……それはそうですが、私は魔人ですし……」

 

 魔人とは魔王に使役される忠実なる配下。子を成す為の存在では無く、であるならば性的快楽を求める為だけの性行為など、とてもはしたなくてふしだらな事である。

 ハウゼルのそんな考えは、続くランスの言葉にて砕かれた。

 

「魔人だって、みーんなセックスしとるぞ」

「……え?」

「サテラだって、シルキィだって皆してる。してない奴など、むしろ君ぐらいだと思うぞ」

 

 うんうんと、したり顔で頷くランスの姿を、ハウゼルは呆然とした表情で見つめる。

 

「……そんな、本当ですか?」

「ほんとほんと。なんたって二人の処女を頂いたのは俺様だからな。サテラはな、ほんのちょっと触っただけであへあへ言っちゃうような奴なんだ。知ってたか?」

 

 当然ながら、そんな事は知る筈が無い。驚きの余りに、つい大きく開いてしまった口元を手を覆いながら、ハウゼルは首を横に振る。

 彼女にとって、サテラは素直な所もあるが、基本的にはプライドの高い魔人。ランスの言うあへあへになった姿などまるで想像が付かなかった。

 

「シルキィもだ。あの子、普段は真面目な顔してるだろ?」

「え、ええ。そうです。シルキィはいつも真面目で冷静な魔人で……」

「だが、ベッドの上では違う。一皮めくると、それはもうウットリとした顔で俺様に体を合わせてくる、そんなエッチな魔人なのだ。どーだ驚いたか」

 

 目を見開くハウゼルは、驚きを越して信じられないと言わんばかりの顔。

 二人の痴態を開けっぴろげにするランスは、つい先日似たような話をホーネットにした事で一悶着あったばかりなのに、まるで懲りてはいなかった。

 

「そういや俺様はカミーラともしたな。んで、今度ホーネットともする予定だ。……な? 魔人だって皆、セックスしてるだろ? だから、君も俺様とするべきだ、さぁ!」

「カミーラ……、ホーネット様……。そんな、けど、でも……」

 

 唯でさえ性的な事柄に耐性が無いにも関わらず、畳み掛けるように飛んでくる衝撃的な話の数々。

 彼女の健全な頭では受け止めきれず、平衡感覚を無くしたようにふらふらと揺れていたハウゼルだったが、やがてハッとしたように顔を上げた。

 

「それじゃ、もしかして姉さんも……?」

「姉さん……って、君の姉さんか?」

「はい。私には、サイゼルっていう魔人の姉がいて……」

 

 魔人の姉、サイゼル。

 そのキーワードで、ようやくランスは以前から感じていた、ハウゼルの姿を目にした時に受ける違和感の正体に気付いた。

 

「あー! サイゼル、サイゼルちゃんな! 居たなぁそんなの。確かに、よく見ると君はサイゼルにそっくりだ」

 

 ぽんと手を打ったランスは、謎が解けてすっきりした顔で満足気に頷く。

 ハウゼルと瓜二つの外見を持つ彼女の姉、魔人ラ・サイゼルとは、ランスは以前にゼスの地下迷宮で遭遇していた。

 局部を失いかけたりなどした、地下迷宮での出来事を懐かしむようにランスが思い出していると、ふいに「あ」と、間の抜けた声を出した。

 

(そういや、サイゼルとは未遂だった気がする)

 

 ランスはサイゼルとは互いの性器を舐め合った事まではあるのだが、その時にしていたある勝負に負けた事で、本番まで行き着く事は出来なかった。

 

(どうせなら魔物界に来たついでに味わっとくか。……あれ? カミーラと一緒にゼスに攻めてきたって事は、あいつはケイブリス派だよな。でも、そういや前回は見なかったような……)

 

「なぁハウゼル。サイゼルって今どこに居るんだ? 俺様、あいつに用事があったのを忘れていた」

「それが、以前はケイブリス派に居たのですが、今は行方が掴めなくて……」

「あれま。行方不明か、そりゃ困ったな……」

 

 ランスはぽりぽりと頭を掻く。魔人サイゼルは、ゼスでの一件がきっかけでその後雲隠れをしている。専ら派閥の主ケイブリスの怒りから逃れる為であり、現状その行方は誰にも知られていなかった。

 

「それよりも、姉さんの事を知っているって事は、ランスさんはその、姉さんとも、そういう事を?」

「おう、勿論抱いた。サイゼルの事は隅から隅まで味わい尽くしたな」

 

 いっそ清々しいほどに、堂々とランスは嘘を付いた。

 

「……そんな……。サイゼルが、そんなふしだらな事……」

「こらこら、自分の姉さんをそう悪く言うもんじゃない。つかサイゼルは何も間違っちゃないぞ。ハウゼル、魔人というのは俺様に抱かれる運命にあるのだ。まだ抱かれてない君の方が間違っている」

 

 この世の終わりを見たような表情のハウゼル。そんな彼女を慰めるように、ランスはその肩をぽんぽんと叩く。

 

 淑女然とした普段の佇まいはホーネットと似ているが、常に動じない派閥の主とは違って、官能的な話に弱いハウゼルは見事に平静さを失っている。

 彼女のその有様をランスは面白く感じて、その後も何事も経験しとくべきだとか、自分はホーネット派の影の支配者だから従った方がいいだとか、あれこれハウゼルの耳元で囁き、その度ハウゼルは目を白黒させる。

 

 

 

 そして口説き文句を重ねる事数分、いつの間にか二人はベッドの前に居た。

 

「さぁ、ハウゼルちゃん。俺様と一緒にめくるめく大人の世界へゴーだ。いいな?」

「……はい」

 

 すでに憔悴しきっているハウゼルは、震える声で呟き、そして静かに頷いた。

 

「おお……、いけた」

「え?」

「あ、いや。何でもない」

 

 ランスが彼女の部屋のドアを叩いてから、ここまでほんの十分程。

 そんな短時間で目的が達成出来てしまったランスは、その事を喜ぶのと同時にふと考えてしまった。

 

(……なんかこの子、本当に押しに弱いな。俺様が言うのも何だが、ちょっと心配になってきたぞ)

 

 仮にハウゼルが単なる人間の美女だったとしたら、そこらの男に酷い目に合わされているのではないだろうか。ランスがそんな考えをしてしまうのも仕方無い位に、ハウゼルは押しに弱かった。

 

 幸い彼女は生まれた時から魔人であったので、その立場もあって手を出す男など居なかったのだが、その結果、ハウゼルは男に対する免疫というものを、全く持ち合わせない魔人になってしまった。

 実の所、身近な魔人達や姉がランスに抱かれていたという話は単なる要素でしか無くて、ハウゼルがランスに身を委ねる事を決めた大きな理由は、単に彼女が押しに弱いからというだけであった。

 

(こういう子は、間違い無く男に騙されるタイプだ。そうならないように、俺様が丁重に保護してやらんとな、うむうむ)

 

 我が身を振り返る事など無いランスは、ハウゼルの身体をそっとベッドに横たえ馬乗りになる。

 

「がはは! たーっぷり、優しくしてやるぞー!」

「……は、い」

 

 

 ランスの熱烈な視線を受けたハウゼルは、熱い吐息をごくりと飲み込む。

 その様は、ランスの言葉に押されて仕方無くではあるけれど、心の何処かには期待があった事を端的に示していた。

 

 そうしてその夜、沢山気持ち良くされてしまったハウゼルは、サイゼルより何歩か先に進んだ。

 

 

 

 

 



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魔人筆頭の部屋(三度目の変化)

 

 

 

「……つー流れでな。この前、俺様はハウゼルを抱いた訳だ」

「…………」

「ハウゼルはほっかほかで気持ち良かったぞ。ハウゼルがああだという事は、サイゼルはひんやりしてるかもな。ううむ、興味あるな」

「…………」

「あの子は慣れてない様子で、終始ガチガチだった。けど、そういう子もたまには悪くないな……て、おい。聞いてんのか、ホーネット」

「……それを、私に報告する必要はありません」

 

 得意げな様子で語られるランスの自慢話に、ホーネットは静かに目をつぶって答えた。

 

 

 

 ある日の魔王城。

 ランスはホーネットの部屋に来ていた。

 

 これまで怪我の治療の為に療養していた派閥の主だが、そろそろ復調して戦いの場に出る事になりそう。先日の風呂場でそんな話を耳にした。

 ホーネットが一度魔王城を離れると、次またいつ会えるか分からない。なのでこれはいかんと、ランスは急ぎ彼女の部屋を訪れた。

 

 室内に居たホーネットはいつもの様子、落ち着いた雰囲気の中でソファに腰掛け紅茶を嗜んでいたのだが、以前はその身にしていた包帯も取れ、前より顔色も良くなり、確かに万全の時と変わらないように見えた。

 ランスは毎度の様に彼女の正面に座り、毎度の様に口説いていたのだが、今回に限っては特に自慢する話が無かったので、とりあえず先日のハウゼルとの情事を話してみた。

 

 とても女性に聞かせるべきで無いような事を、ぺらぺらとランスが話して居る間、ホーネットは終始無言で紅茶の味を楽しむ事に集中していたが、ランスの話が途切れたのを見て彼女は口を開いた。

 

「……その話は、まだ続くのですか?」

「もっちろん、ここからが大事な所だ。それとも別の子の話にするか? そうだな、サテラとか」

「いえ、どちらも結構です。それより……」

 

 ティーカップをテーブルに置き、ホーネットは姿勢を正すとその目をランスに合わせる。

 

「貴方は結局、何が言いたいのですか?」

「何を言いたいのか、分からないというなら教えてやろうか。俺様は魔王城に来てから、シルキィ、サテラ、ハウゼルを抱いた訳だ」

「……残るは私、という事ですか」

 

 ホーネットの呟きに「その通りだ!!」と、ランスは気合の入った大声で返事をする。

 特別順序立てて動いていたつもりでは無いが、やはり最後に残るのは目の前のこいつだろうと、当初からランスには確信めいた予感があった。

 

「ホーネットよ、ぜーったい気持ち良くしてやる。絶対に後悔はさせないから、一回、一回だけでもどうだ」

「………………」

「なら先っちょ、先っちょだけでも」

「………………」

 

 果たして、それならばと答える女性が世に居るのかどうか。

 ランスの効き目の無さそうな口説き文句を前に、ホーネットはふぅ、と小さな吐息をついた。

 

「……相変わらずの弁えない態度、……変わらないですね、貴方は」

「あん? そりゃまぁ、変わる理由が無いしな」

「……そうですか」

 

 問い掛けの意図がよく分からず、顔に疑問符を浮かべるランス。

 その一方でホーネットは静かに瞼を閉じる。彼女が今の言葉を口にしたのは、眼前の男には変化が無い事に対して、自分には変化が生じているのだという自覚があるからだった。

 

 

 

 今から少し前の事。今と同じようにランスはこの部屋を訪れ、そして相変わらずな要求をした。

 派閥の主を助けた事への褒美を寄越せ、要はセックスさせろとねだるランスに、ホーネットはその時返答に窮して結局は拒絶をした。

 だがその後、果たしてそれで良かったのだろうかと少し思う所があった彼女は、旧知の仲の魔人に対してその悩みを打ち明けた。

 

 彼女よりも長く時を生き、人生経験が豊富であろうシルキィは、そういう事に関しては自分の気持ちが大事だと言っていた。そこでホーネットはそれから少し、静養中の特にする事が無い日々の中で、自身の心の内を確かめていた。

 

(私の気持ち……。私は、この男とそういう事をしたいとは思っていないはず)

 

 そのはずだとホーネットは思う。どうにも断定する事が出来ないのは、今までちっとも省みる事の無かった自身の心情について、自分の事ながら判断するのが難しい事と、その判断基準となる価値観が少し揺らいでしまった事にある。

 

 予てより、自分と人間は格が違うので交わる事は無いだろうと考えていた。しかし前にランスと話した時、あまりその事は関係が無いと言われて、その言葉に一理あると納得してしまった。

 だがそうなると、一体何でもって判断すればいいのだろうか。そもそも彼女には性交の経験が無い。それがどのようなものか知識でしか知らず、特別な思い入れなど何も無い。

 結局の所、拒む気持ちも求める気持ちもどちらとも、自分の中には無いような気がしていた。

 

 

(けれど……)

 

「………………」

「……何だよ、睨むなよ」

「睨んではいません。見ているだけです」

 

 怪訝そうな様子のランスの顔を、ホーネットはじっと見つめる。

 そうしていると、何かしらの想いが自分の内にあるのだと、彼女は確かに感じていた。

 

 以前、シルキィとサテラが城にランス達を連れて来た時。初めて顔を合わせたあの時。

 初対面の時にホーネットがランスから受けた印象は、魔剣カオスを所持する礼節を知らない者。その程度であって、専らその興味は魔剣の方にあり、ランスはその付属品のようにしか見ていなかった。

 

 だがその時から二ヶ月と少し、その中で色々な事があった。特にここまで七年の月日の中で、割と緩やかに経過してきた派閥間の争いに関しては激変があったと言える。

 そんな中で自分の心境にも変化があったのか、以前はランスを前にしても何も思う事は無かったのだが、今こうして目の間にした時、今までには感じる事の無かった想いがある。

 それがどのようなものなのか、自分の気持ちを率直に考えたホーネットは一つ答えを出した。

 

(私は、この男の事を……知りたい。と、そう思っているのかもしれない)

 

 自分は目の前の男に興味を抱いている。その事は確かだろうと感じていた。

 

 魔王城という特殊な環境で育ったホーネットは、人間の男というものを数える程度しか目にした事が無い。しかしそんな彼女でも、ランスという男が一般人の基準からかけ離れている事は理解出来る。

 普通の人間であれば、魔人筆頭を抱く為にと魔物界に乗り込んだりなどするはずが無いし、その為に捕獲していた魔人四天王を解放する事もしないし、そもそも出来ないからである。

 

 そのような事を易々と行い、派閥の現状を変化させていくランスに対して、自分が興味を持つ事はある種当然かもしれないとホーネットは感じていた。

 

「………………」

「……だから、睨むなっての」

「ですから、睨んではいません」

 

 どこか間が抜けたやり取りを二人が繰り返したその時、部屋のドアがコンコンと叩かれた。

 

 

「失礼します。ここにランスさんが居ると聞きまして。少し宜しいですか?」

「お、ウルザちゃんだ。ホーネット、開けていいか?」

「えぇ、構いませんよ」

 

 部屋の主の許可を得たランスは、ソファから立ち上がって部屋のドアを開く。

 廊下に居たその女性は普段から真面目な表情を、少し強張らせているように見えた。

 

「おう、どーしたウルザちゃん。中に入れよ」

「いえ。ランスさん、こちらに来てくれますか」

 

 ウルサは室内に入るより廊下での立ち話を望んでいる様子だったので、彼女の言葉に促されたランスは一度ホーネットの部屋を出た。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 魔人筆頭の部屋から少し離れた廊下の隅に、二人の人間の影が並ぶ。

 

「なんだ、ホーネットには聞かせられない話か?」

「そうでは無いのですが、最初にランスさんが判断した方がいいと思ったので。……ランスさん、私が以前、キナニ砂漠の調査をゼスに依頼しておくと言ったのは覚えてますか?」

「あー、そういやそんな事言ってたなぁ。て事は、シャングリラが見つかったか?」

「……実は」

 

 緊張に満ちた声で、ウルザが重要な要件を話す。

 話し終わった時には彼女だけではなく、ランスの表情も真剣な顔付きに変わっていた。

 

「……なんだと、それはマジか」

「はい。ゼスは過去あった事件の影響から、この魔人についての情報は多く揃っています。調査隊が確認した様々な特徴から判断して、まず間違いないとの事です」

 

 以前ウルザはランスから聞いた情報を元に、キナニ砂漠とそこに隠された都市、シャングリラの調査をゼス王国に依頼していた。そしてつい先程、その結果報告が遠距離用魔法電話によって伝えられた。

 その報告によると、確かにシャングリラなる都市が存在しており、その都市の内部で、何とケイブリス派に属する魔人の一体を発見したとの事だった。

 

 加えてその魔人は大軍を率いてはおらず、都市内部には最低限の魔物兵しか居ないという話。

 さらに言うとその魔人は、以前にランスが念押しして討伐する事を宣言していた魔人であった。そこでウルザはその報告を聞いてすぐ、ランスにその事を伝えに来たのだった。

 

 

「……どうしますか、ランスさん」

 

 張り詰めた空気の中、彼女はあくまで軍師として決断はランスに委ねたが、その瞳の奥では一刻も早い対処を取る事を望んでいた。

 その魔人は今より百年以上も前の話になるが、ゼス王国内で大暴れした魔人である。ゼス生まれのウルザはその脅威を十分に理解しており、それが人間世界の中央部に位置するシャングリラに居るという現状は、とても看過出来るものでは無かった。

 

「……そりゃあ、こんな絶好の機会、利用するに決まってるよな」

 

 ランスにとっても当初から討伐したかった魔人であるし、それが僅かな手勢だけで人間世界に居るなら、退治しに行かない理由が見つからない。ではあるのだが、

 

「……けど、どうすっかな」

 

 しかし難しい表情で腕を組む。今すぐにでも倒しに行きたいのだが、その一方で懸念もあった。

 

 敵は魔人。当然ながら楽に勝てる相手では無く、前回戦った時も相応に苦労させられた。そして何よりあの魔人には弱点らしい弱点が見当たらず、得意の人質作戦なども通用しそうな相手では無い為、ランスでも力押ししか選択肢が思い付かない。

 それでも前回の時は、人類の総戦力を結集した魔人討伐隊を率いていた事もあって、その魔人を討伐する事が出来た。だがそれはあくまで前回の話、今そのような戦力はランスの下には無い。

 

「なぁウルザちゃん。俺とシィルとかなみと君だけで、何とか出来ると思うか?」

「……一度戦った経験のあるランスさんの方が詳しいのではと思いますが、さすがに魔人相手にそれでは厳しいかと」

「だよなぁ。……て事はあれか、また各国から戦力を集めにゃならんのか」

 

 足りないのなら何処かから引っ張ってくるしか無い。そんなつもりで言ったランスの言葉に、ウルザは予想外の事を耳にしたような表情となった。

 

「各国から、ですか? しかし、現状は戦争など起きていない段階です。どこの国にも属していないシャングリラまで、どのような理由で各国に兵を出させるつもりですか?」

「知らん!! ……けどまぁ、無理ではないだろ。俺様は全ての国に大きな貸しがある訳だし」

 

 リーザスにも、自由都市にも、ゼスにも、ヘルマンにもJAPANにも。

 各国に顔が利く自分の呼び掛けならば、多少のいざこざはあるかも知れないが、それでも可能な事だろうとランスは考えていた。だが、それでもウルザは納得した様子を見せなかった。

 

「仮に各国が兵を出したとして、それを各国がどのようにしてシャングリラに送るかという問題もあります」

「んなの、現地まで歩いてきゃいいじゃねーか。シャングリラは大陸の真ん中にあるんだし」

「それが、キナニ砂漠を通りシャングリラに辿り着くには、特殊なルートを知る砂漠案内人の協力が必要になります。協力を取り付ける事が出来た砂漠案内人は現状一人しか居ないので、各国がそれぞれの道のりでシャングリラに辿り着くのは不可能です」

「……そういやぁ、そんなんだったっけ?」

 

 一度経験したもののそんな細かい事はもはや覚えておらず、ランスはぽりぽりと頭を掻く。

 だがウルザの言葉は事実であって、キナニ砂漠に隠された都市、シャングリラに辿り着くには正しいルートを通る必要があり、砂漠を適当に彷徨っているだけではたどり着く事は出来ない。

 

「なら一度ランス城に集合して、それから……なんか面倒だな。てか別に各国である必要はねーか。ウルザちゃん、ゼスに協力を頼むのはどうだ?」

「ゼスにですか? まぁ確かに、一国であれば揉め事も少なくスムーズに話は進みますが……。しかし、ゼスの戦力で平気なのですか?」

「四将軍とかマジックとか呼べば大丈夫だろ。それとも、自国の戦力に自信が無いのかね君は」

 

 愛国心が強いウルザが自国の戦力を不安視するような発言をした事に、ランスは妙に感じたが、付き合いの長いその軍師が危惧していたのは戦力の強さなどでは無く、もっと別の部分だった。

 

「いえ、そういう事では無くてですね。四将軍やマジック様、そして私やかなみさんやシィルさんだと、後衛ばかりで前衛が居ません。すると一人前で戦うランスさんの負担が相当な事に……」

「パス。確かにそりゃ駄目だ」

 

 ランスは即座に斬って捨てる。ゼスは魔法使いの国であり、その中での強者となると必然的に後衛職になってしまうのは仕方無い事ではある。

 だがさすがに戦力のバランスが悪く、自分が一番しんどい役目などランスにはまっぴら御免だった。

 

 ならばゼスに居る前衛はと考えた所で、ランスの脳裏にはガード職の男の不細工な顔が浮かんだ。

 だがその男の名前が思い出せず、うーむと唸り声を上げて悩むランスの一方、そんな姿を眺めていたウルザは当初から想定していた話を切り出した。

 

「……と言うよりランスさん、魔人の皆さんに協力を頼んでは? そもそも私達はホーネット派に協力する名目でここに居る訳ですし、その方が自然だと思いますが」

「……ウルザちゃん。君は実に冴えてるな」

 

 不細工な男の名を思い出す事をすっぱり諦めて、ランスは軍師の言葉に感心したように頷く。

 ランスは前回の経験から、戦力と考えた時につい人間世界を意識してしまったが、彼女の言葉通り、わざわざ人間世界に戦力を求めなくても、魔王城には強力な魔人が多く居る。

 

「言われてみりゃその通りだ、すぐそこに魔人筆頭が居るじゃねーか。あいつを使わん手は無いな。なんならあいつ一人で全部片付きそうだ」

 

 相手が魔人一体であるなら、より強い魔人を当てるのが一番手っ取り早い。

 

 ランスは再度派閥の主の部屋に入った。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 先程と至って変わらない姿、ソファに掛ける魔人筆頭の前にランスが立つ。

 

「どうかしましたか?」

「ホーネット。お前、怪我は治ったんだよな?」

「えぇ。そう言えば、サテラが持って来たあれはシィルさんがくれたものだそうですね。彼女にもお礼を言わなければなりませんね」

「いや、あれは俺様のだ、その礼は俺様にしろ。つーか、んな事はどうでもよくてだな」

 

 サテラの差し入れの世色癌や、使徒達や自身によるヒーリングによって、すでにホーネットの傷は癒えている。戦闘に支障は無いだろうと思ったランスは、彼女を連れ出す事にした。

 

「俺はこれから魔人退治に行く。お前も来るか?」

「魔人退治?」

「ああ。さっき、ウルザちゃんによるとな……」

 

 唐突な話に眉根を寄せたホーネットに対して、ランスは先程ウルザから聞いた話を説明する。

 話を聞くにつれ、徐々に彼女の表情は硬くなり、ランスに目線を合わせる為に少し見上げていたその顔は、話が終わる頃には下に俯かせていた。

 

「………………」

「……おい、黙るなよ。もしかしてあれか? 人間の話なんか信用出来ないってのか? あのなぁホーネット、俺様そういう考えは良くないと思うぞ」

「……いえ、そうではありません。そうでは無くて……」

 

 ホーネットは首を振る。ランスの言う通り俄には信じられない話で、事実なのかと思う気持ちもあったが、そんな事よりももっと不可解な事があった。

 

 彼女はゆっくりと顔を上げて、戸惑いの色を帯びた目をランスに向けた。

 

 

「貴方は人間なのに、どうして……」

 

 魔人を怖れず、魔人退治に行くなどと気軽に言えるのか。

 

 魔剣を所持しているからなのか。無敵結界を無力化出来る、ただそれだけで、脆弱な筈の人間が圧倒的な強さを持つ魔人と戦う気になるのだろうか。ホーネットには、その男の事が理解出来なかった。

 

 そんな彼女の疑問を、揺れる目の色から感じ取ったランスは、さも当然の事を言うかのように口を開いた。

 

「んなの、俺様が無敵の英雄だからに決まってんだろ。それより、行くのか行かんのかどっちだ」

「……私も行きます。人間の貴方が戦うのに、魔人筆頭の私が戦わない訳にはいきませんから」

 

 元よりケイブリス派の魔人を倒す事は自分の使命で、ランスだけに任せるつもりなど無い。

 立ち上がり、視線を合わせた魔人筆頭の瞳に、その男の不敵な笑みが映った。

 

「よし、じゃあすぐに出発するぞ。俺様についてこい」

 

 

 

 

 

 



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おまけ
おまけの食券 ウルザ




これは元々ボツにした話ですが、リクエストがあったので書く事にしました。
話数的には33~36話辺りに入る予定だったものです。


 

 

 

 それはLP7年、5月の初め頃に起きた出来事。

 

 死の大地を踏破するという荒業によってケイブリス派が捕縛した魔人、ホーネット。

 その対抗策としてランスが人質として利用する事を考えた魔人、カミーラ。

 

 両魔人の人質交換、カスケード・バウにて行われたその作戦を無事完遂して。

 そうして一行が魔王城へと戻ってきた、そんなある日の出来事。

 

 

 

「──という事で、先程ゼスの方にも無事作戦が成功したとの連絡を入れておきました」

 

 そこはランスの部屋。

 ソファに掛ける部屋主の前には、今回の作戦でも沢山役立ってくれた軍師の姿が。

 

「ガンジー王やマジック様も作戦の成功を喜んでくれていましたよ。また何かあれば協力は惜しまないと言っていました」

 

 ランスが考えた人質交換作戦、それには魔人カミーラの存在が不可欠。つまり魔人カミーラを捕縛し封印していたゼス国の協力が不可欠となる。

 今回快くその協力をしてくれた本国の方にも作戦の結末を伝えて、その事を一応ランスに報告しにきたウルザだったのだが。

 

 

「……おぉー、そうか」

 

 しかし返ってきたその声、ランスからの返事には力が無く。

 

「……ランスさん?」

「……んー」

「あの、聞いていましたか?」

「……あー」

 

 その口から聞こえてくるのは緊張感の無い間延びした声ばかり。

 ウルザがふと見てみればその表情は暗く、そしてその雰囲気までもが暗いように見える。

 

「……はぁ~~~」

 

 遂にはこれ見よがしに、大きな溜め息まで吐いてみせる始末で。

 ソファにぐてーっと身体を預けるその男、ランスはどうやら今元気が無い様子だった。

 

「どうしました? 体調が優れないのですか?」

「……あー、そういう訳じゃねーんだけど……」

「でしたら何か……今回の作戦で納得のいかない事でもありましたか?」

 

 今回ランスが考えた作戦、魔人カミーラとの人質交換によるホーネット救出作戦。

 それにより無事ホーネットを助け出す事に成功した今、ランスがこのように元気を無くしてしまう理由が分からない。そんな疑問にウルザが内心首を傾げていると、

 

「……んー、そういう訳でもねーんだけど……」

 

 ランスはぼそりと呟いて。

 そして遠くを眺めるような儚げな視線を明後日の方角へと向けて。

 

 

「……俺様ってさぁ。一体なんの為に生きてるんだろうなー、って思ってさぁ……」

 

 なにやら急におかしな事を言い出した。

 

 

「……本当にどうしたんですか? そんな、ランスさんらしくない事を……」

 

 自らの生きる理由に迷うなど、常に過剰な程の自信に溢れているこの男が悩む事とは思えない。

 そんな事など知るか下らん、と言わんばかりの傲岸不遜さで、これまで好き勝手に生きてきたのがランスという男ではないのか。

 ただの無気力では無い、その突然な変わり様にウルザは本気で心配になってきた。

 

「それにランスさんの生きる目的というのは、その……女性に関する事なのではないのですか?」

「……そーだな。確かにその通りだ」

 

 そこで大きく頷いてみせたランスは、ソファから立ち上がってウルザと目線を合わせる。

 

「俺様が生きる目的、そりゃ勿論セックスの為だ」

「……ですよね?」

「うむ。だからウルザちゃん、セックスをしよう」

「………………」

 

 それは本当に相変わらずな要求で。

 思わずウルザは額を下げて少し沈黙してしまう。

 

 普段と様子が違ったので何事かと思ったが、どうやら根っこは普段と変わっていなかった。

 その事に呆れもしたがほんの少しだけ安堵もした彼女は、そっと口を開いて、そして。

 

「……ランスさん、私は──」

「いや言わなくていいっ! 聞かんでも分かる! どーせ駄目だって言うんだろう!?」

 

 だがその返答を遮るようにして、ランスは両手をバッと前に突き出しながら叫ぶ。

 そして「……はぁ」と嘆息した後、力無くその肩を落とした。

 

「……俺様だってもう分かっているのだ。ウルザちゃんはそう簡単にセックスさせてくれない。君は本当にガードが固いからな」

「……どうでしょう。普通、だと思いますけどね」

「いーや、君はまさに鉄壁、鉄の女だ」

「言い過ぎですよ、そんな……」

 

 自分は別にガードが固い訳では無く、あくまで普通の対応をしているだけのはず。

 それでもこれまで何度か身体を重ねている訳で、鉄壁という評価など全く当て嵌まらないはず……とそんな事を考えていたウルザをよそに。

 

「……しかしだな」

 

 ランスは横目にちらっと彼女の様子を伺って。

 そしてこの時の為に温めておいた、今この場でしか話せない重要な案件を語り始めた。

 

 

「ウルザちゃんよ、君は覚えとるか? この俺様のとっておきの秘密と言うべきものを」

「秘密?」

「そう、実は俺様は未来から過去に戻ってきた。これは本来なら秘密にしておく事なのだが、君にだけは話してやったよな?」

「あぁ、その話ですか。勿論覚えていますよ」

 

 それは確かにとっておきの秘密、忘れようが無い話だとウルザはすぐに首肯する。

 ここに居るランスは少し先の未来を知っている。今回実行したホーネット救出作戦が無事に成功したのだって、その頭の中に未来の知識があったからこそである。

 

「……でな、これはそんな俺様にとって前の世界、そこで実際にあった出来事なのだが……」

 

 そしてそのとっておきの秘密を知っている者、それはここに居るウルザただ一人だけ。

 それはつまり、ランスがこの秘密を武器とする事が出来るのもウルザだけという事になる。

 

「……ただなぁ、こんな話をしたところで多分君は信じてくれねーと思うけど。なんたって君にとっては知らん世界の話になる訳だしな」

「……知らない世界の話というのは確かにその通りですね。それを私が信じるかと言われると、それはもう内容によるとしか……」

「……そうか」

 

 内容次第では信じる事もある。

 その言質を取ったランスは一度おほんと咳払いをした後、急に真剣な顔付きになって。

 

 

「……実はなウルザちゃん。前の世界で君は俺様に対してメロメロになっていたのだよ」

 

 そんな与太話を口にした。

 

 

「………………」

 

 今しがた聞こえたとても興味深い話。

 ランスにとっての前の世界、そこで自分はランスの事を心の底から愛していたらしい。

 そんな情報を一先ず頭の中に入れたウルザは、その目を閉じて3秒程思考を巡らせた後。

 

「……ランスさん、その手には掛かりませんよ。どうせ作り話なのでしょう?」

「いーやホントだ! これはマジ!! 本当に本当の事なのだ!!」

 

 自分には知り得ぬ世界の事とはいえ、それは他でもない自分自身に関しての話。

 故に虚言だと切って捨てるウルザの一方、ランスは必死に言葉を重ねて食らいつく。

 

「確かに嘘っぽく聞こえるだろうがな、けど俺達は本当にラブラブだった!! もう毎晩のようにぬっぽりぐちゃぐちゃと、深く愛し合うような関係になっていたのだ!! マジで!!」

 

 その表情といいその声色といい、ランスの態度はとても虚実とは思えない真実味を帯びたもの。

 だったのだが、けれどもその話は嘘っぱち。前の世界で二人は何度か夜を共にした事はあれど、ラブラブと呼ぶような関係になった事実は無い。

 その程度の嘘ではこの軍師の優秀な頭脳には通じない模様で、すぐ見破られてしまったのだが。

 

「……いいか? 考えてもみろウルザちゃん」

「……何をですか?」

 

 しかしここまでは想定内。

 この軍師はそんな甘い相手じゃない、この程度の嘘をすんなり信じるような女性ではない。そんな事はランスの方も当然に理解していた。

 

「これも前にこっそり教えてやったと思うがな、本来なら今俺様達が協力しているこのホーネット派は負けてしまうのだ」

「……えぇ、そのようですね」

「んでホーネット派を下したケイブリスが人間世界に侵攻してくる訳だ。するとどーなる?」

「それは……魔物と人間の戦争になりますね。前にランスさんから聞いた話だと、キナニ砂漠からの奇襲を受けて人類は一気に劣勢に立たされたとか」

 

 大陸の中央にあるキナニ砂漠、そこから何十万もの魔物が出現し、それと時を同じくして魔物界の方からも大勢の魔軍の侵攻が開始。

 そうして勃発した第二次魔人戦争。ウルザにとっては想像を及ばせる事しか出来ない話だが、ランスは過去にそれを実際に体験してきた訳で、だからこそ語れる話というものがある。

 

「そう、魔軍の侵攻によって世界中はどこもかしこも大パニック、もうめちゃくちゃな事になってしまうのだ。分かるか?」

「えぇ、まぁ……。私の想像を越えるような状況にあったのだとは思います」

「んでそれは勿論君の愛するゼスだって同じだ。ゼスにも二体の魔人が侵攻してきてな、国中がもうしっちゃかめっちゃかにされてしまうのだ」

「………………」

「もしそうなったとしたらだ。そんな時に君が頼りにする相手と言ったら誰だ?」

「……もし、そうなったとしたら……」

 

 100万にも及ぶ魔軍の侵攻、それにより対魔軍用魔法要塞マジノラインも突破され、そしてゼス国の首都であるラグナロックアークも陥落した。

 そんな国家の危機に立たされた時、ゼス四天王の一人でもある彼女が頼る相手と言えば。

 

「ん? 誰に頼る? ん? 言ってみ?」

「……それは、ランスさんしか居ませんね」

 

 それは今目の前に居るこの男以外にあり得ない。

 何故なら相手は魔人。無敵結界と言う名の絶対防御手段を有する以上、それを打ち破れる魔剣を扱える唯一の人間、ランスの協力無くしては魔軍と戦う事など出来ないからだ。

 

「そうだ! この俺様しか居ない!! だから前回の時、君はこの俺様を頼ったのだ!! ……とまぁ、ここまでは納得出来るよな?」

「……はい。もし状況がそうなったとしたら、きっと私はそのように動くと思います」

 

 自らを客観視して同意する軍師の言葉に、ランスも「よろしい」と満足そうに頷く。

 実際にはウルザ本人から直接頼られたという訳でも無いのだが、ゼス国そのものから救援を受けたと考えれば似たような意味合いである。

 ともあれそうしてウルザから助けを求められ、ランスという男は動いた。

 

「んで俺様は頑張った。なんせウルザちゃんの頼みだからな、そりゃもうバリバリに戦い続けて遂には魔人共を見事ぶっ殺した。……分かるか? 俺様は君の為にゼスを救ったのだ」

「そんな、私の為だなんて……、それはいくら何でも大げさでは……」

「いーや大げさじゃない。だって俺様はゼスの奴らがどうなろうと知ったこっちゃねーからな。ゼス国民が何人死のうが俺様には関係無い、俺がそういうヤツだって事はウルザちゃんならとっくに理解しているだろ?」

「……それは」

 

 そこでウルザは言葉に窮したのか、二の句が告げずに口ごもる。

 ランスは英雄と呼ばれる類の人間ではあるが、しかし決して正義のヒーローなどでは無い。

 何の見返りも求めず無償の人助けをするような、そんな気高い精神性は持ち合わせていない。

 

「けどな、君の為だったら話は別だ」

 

 ただその一方で好みの女性の為ならばどんな敵とも戦える。それがランスという男でもあって。

 前回の第二次魔人戦争、その中でランスが人類の先頭に立って戦い抜いたのだって、言ってしまえばそれが理由のようなものである。

 

「ウルザちゃんの為だったら魔人退治なんぞお安い御用ってなもんだ。だからあの時の俺様は君の為に戦った、君の為にゼスを救ったのだ」

「……けど」

「その俺様の熱意が伝わったのだ! あん時の君はゼスを救ったこの俺様に惚れた!! 遂にメロメロになったのだ!! そっからはもう毎日のようにセックスする仲になったのだ!!」

 

 相手が知り得ぬ話なのを良い事に、ここぞとばかりに内容を盛りに盛りまくるランス。

 今の話の半分以上はデタラメであったのだが、しかしその中には多少の真実が確かに混ざっていたのが厄介だったらしく。

 

「………………」

 

 ウルザは沈黙のまま熟考する。

 先程ランスが話した内容、それにある程度の真実味があると感じてしまい、虚言だとバッサリ切って捨てる事が出来なくなってしまったのだ。

 

(……きっと全てが本当では無いのでしょう。特に私がランスさんに、というのは……)

 

 生まれ育ったゼスという国を救ってくれた事がきっかけで、自分がランスに対して愛情を抱く。

 それは大いに怪しいなとウルザは思う。何故ならランスがゼスを救うのは初めてでは無い。それが理由で自分の心が大きく動くのならば一度目の時にそうなっているような気がする。

 

(……けれどもランスさんの事です。この人が言いそうな事、しそうな事と考えると……)

 

 先程ランスは自分の為にゼスを救ったと豪語していたが、実際の所はどうなのだろうか。

 確かにランスはゼス国民を救う目的で戦ってくれたりはしないだろう。動くとしたら女性の為であって、その目的が自分だという可能性はあり得る。

 しかし女性の為とはいえ自発的に動いてくれるというよりもむしろ、何かしらの条件を付けてくる方がランスらしいと言えるのではないだろうか。

 

 例えば『ゼスの魔人は退治してやる。だから退治した暁には俺様の女になってくれ』とか。

 あるいは『俺様の女になると約束するのなら、ゼスの魔人は退治してやろう』とか。

 

(……何と言うか、どちらもランスさんが言いそうなセリフではありますね)

 

 そんな事を言ってくるランスの表情、その声色までもが鮮明に頭に浮かんできて。

 

(……もしそうだったとしたら、私は……)

 

 仮にランスにそんな要求をされたとしたら、その時の自分は如何なる選択をしただろうか。

 そんな事をふと考えてみたウルザは、やがてその口から小さく吐息を吐き出して、

 

(……もし、もしそうなったとしたら、その時は受け入れてしまうかもしれませんね)

 

 率直にそう思ってしまった。

 なにせ事が国家の非常事態、抜き差しならない絶体絶命の状況まで追い込まれての事である。

 全国民の命が掛かっている状況下において、何を優先すべきかの判断を誤りはしない。というよりも判断を誤るような自分では無いと思いたい。

 別に初めて抱かれるという訳でも無し、心に思う別の相手が居る訳でも無し。それこそ出会った頃は無条件に身体を重ねていたような関係なのだし、その程度の事と言えばその程度の事である。

 

 

「……毎日のように愛し合う仲。ですか」

「そうだウルザちゃん。前回の君がこの俺様にメロメロだったって事、納得出来たか?」

「……正直な所、今のランスさんの話を額面通りに受け取る事は出来ませんが……」

 

 恐らく全てが彼の言う通りでは無いだろう。

 特に自分の心境がどうだったか、彼の言う通りの想いがあったのかはかなり疑わしい。

 

「……ただ、事の成り行きによっては、そういう関係になる事もあるのかな、とは思いました」

 

 だがあくまで客観的に見た時、ラブラブのように見えていた可能性はあり得るかもしれない。

 人類の生存権を賭けた戦争という極限状態の中、何らかの要求を飲んだかあるいは行きがかり上と呼ぶべきものなのか、とにかく彼が言う通り毎日愛し合うような関係にあった可能性は否定出来ない。それはウルザも認めざるを得なかった。

 

「おぉそうか! 納得してくれたか!!」

「……えぇ、まぁ」

「そーかそーか、分かってくれたならいいのだ。そう、あの時は本当に俺様達ラブラブでな、何度もベッドの上で作戦会議をしたものだ、うむうむ」

 

 在りし日を懐かしむように呟くランス。

 ただそれはあくまで虚偽の記憶。更に言ってしまうと、それはあくまで前回の時の話であって。

 

「……ですがランスさん、それは今ここに居るこの私とは関係が無い話です」

「……む」

「先程も言いましたが、それは私の知らない世界の話ですからね。自分の事ですからその時の私の気持ちを想像する事なら出来ますが、今の私がその時と同じ気持ちになる事は出来ません」

 

 ランスが一度体験してきたらしき出来事、前回の世界での前回の自分との深い関係性。

 それは今の自分とは何ら関係の無い事だと、ウルザははっきりとそう告げた。

 

 先程からランスが前回の世界の話をする理由、自分と愛情深い仲だった事を強調してくる理由。

 それは前回の関係性を口実にして性交を要求したいのだろうと、そう考えていたウルザは今の言葉でもってそれを断ったつもりだったのだが。

 

「んな事分かっているとも!!」

「……そ、そうですか?」

「あぁそうだとも!! 前回の話はあくまで前回の話、そんなんは今ここに居るウルザちゃんにとってはなんも関係が無い! そんな事は俺様だって分かっているとも!!」

 

 急にランスは声を張り上げ、芝居がかったような大げさな態度で訴える。

 実はここまではまだ想定内。このガードの固い軍師がこの程度の攻撃でコロッといくような相手では無い事は重々承知しており、この男にとっての真の目論見はここからにあった。

 

「……けどなウルザちゃん。考えてもみろ。前回の俺様は君の為に戦って、んでその結果ゼスは救われたと言ったろ?」

「えぇ、そう言っていましたね」

「ただな、それでもさすがに全くの被害無しとはいかなかった。俺様は他の国の手助けもせにゃならんかったし、そもそも俺様が気付いた時には戦争は始まっていて、かなりヤバい所まできていたからな」

「……それはそうでしょうね。事は魔軍と人類の全面戦争ですから」

 

 前回のゼスにも死者は大勢居た。それは言われるまでも無くウルザも理解している話。

 前回の第二次魔人戦争でランス率いる魔人討伐隊は果敢に戦い、そして人類は勝利を掴んだ。とはいえそれは無傷の勝利という訳では無く、最終的には人類全体の30%以上が死滅する事となった。

 世界規模の戦争が起きた以上、どう頑張っても一定の被害が生じるのは仕方の無い事。そもそも相手は数でも個の力でも人類を上回る魔軍、それに勝利しただけでも御の字というものである。

 

「……確か戦争の中ではガンジー王も亡くなられたのですよね?」

「うむ、そうだな。……んじゃそれを踏まえて聞くがな、今はどうだ?」

「……どう、とは?」

「だからガンジーの事だ。ヤツは今死んどるか?」

「……いえ、そんな事はありませんが」

「そーだな、ヤツは残念ながらまだ生きとる。んじゃそれは誰のおかげだ?」

「それは……」

 

 何となくランスの言わんとする事が読めてきたのか、ウルザは答え辛そうに眉根を寄せる。

 ランスが一度体験してきた前回、その中では魔人メディウサに殺される事となったゼス国王。彼が今も健在でいる理由と言えば。

 

「……それはランスさんのおかげ。……と、言えるのかもしれませんね」

 

 それはランスが過去に戻ってきたから。過去に戻ってきたランスのおかげで、ホーネット派は派閥の主の捕縛という絶体絶命の危機を脱した。

 それがなければ全ては同じように進み、やがて魔人ケイブリスは人間世界に侵攻を行い、その戦火の中でガンジー王は命を落とす事となっていたはずなのだから。

 

「……ただその件に関しては、このまま戦争が起きなければという話にはなりますが」

「そーだな。このまま俺様がホーネット派を勝利に導けば戦争など起こらんな。となりゃ前回の時には山程死んだ人間も死ななくて済むって事だ」

「……そうなりますね」

「という事はだ。前回の俺様よりも今回の俺様の方がスゴい事をしてるって言えるよな?」

「……はい。そう思います」

 

 これはランスの意図する展開に乗ってしまう。

 そうだと分かりつつも、しかしウルザはしっかりと頷いて同意してみせる。

 

 人類の平和を守る上で大事な事。それは争いが起きた時に対処する力もそうだが、それよりも重要なのは争いを未然に防ぐ事。

 治安維持においてまず考えるべきは事件の抑止。それはゼス国の警察長官の立場にあるウルザも同意する所であるし、だからこそランスの要請に応えてこのホーネット派に協力しているのである。

 

「そう! そうなのだ! 分かってくれるかウルザちゃん!!」

「……えぇ、分かりますよ。今ランスさんがしている事は人類の平和にとって重要な事です」

「その通りだ!! だから今の俺様は前回よりスゴい事を、偉大な事をしているはずなのだ!!」

 

 再び声を大きく張り上げて、自分の行いの素晴らしさを高らかに主張するランス。

 だがそうしていたかと思えば、

 

「……なのにだ」

 

 すぐに元気を無くして、しゅんと肩を落とす。

 

「……それなのに、それなのにここに居るウルザちゃんはそっけない」

「……ランスさん、それは……」

「今の俺様は前回の時以上にゼス国民を救っているはずなのに。それなのにあの時のメロメロだったウルザちゃんはもうどこにも居ない」

「………………」

「……俺様は今回の方が頑張ってるのに。それなのにウルザちゃんとは前みたいにラブラブセックスが出来ないだなんて……つらい、つらすぎる」

 

 その声のトーンはどんどん下がっていき、それと共にその男もどんどん萎れていき、やがてすとんとしゃがみ込んで両手で膝を抱える。

 

「……そんな事を考えてたらな。俺様って一体なんの為に過去に戻ったんだろう、一体何の為に生きてるんだろう、って思えてきてしまってな……」

 

 ここでようやく冒頭の話に繋がる。

 つまりランスは前回の時と今を比較した結果、今自分がしている事の報われなさを痛感して虚無感に襲われてしまったらしい。

 

「……はぁ。俺様のお陰で平和な世界があるのに、んな事だーっれも知りもしない。こんなスゴい事してるんだから少しぐらい見返りがあったって良いはずなのに、なーんも無い。俺様の頑張りなんざだーれも見てないんだろうなぁ、はぁぁ~……」

 

 大きな大きな溜め息を吐き出して、あからさまにいじけて見せるランス。

 それは勿論打算込みの演技でもあるのだが、ただ半分ぐらいは本音混じりでもある。

 

 何故なら前回の第二次魔人戦争。ランスは人類の先頭に立って過酷な戦いに身を投じた。

 ただその見返りとしてその活躍に相応しい立場、世界総統という地位を得ている。つまり前回の時、ランスは世界一の権力者と呼べる存在だった。

 だが仮に今回このままホーネット派が勝利し、第二次魔人戦争が起こらなかったとしたら、その時ランスを総統と呼ぶ者は何処にもいない。

 今この世界において、ランスが世界一の権力者になった事実など何処にも存在しないのである。

 

 今回の方が人類の平和に貢献している。にもかかわらず今回の方が得られる利得が少ない。

 であれば確かに報われない。何かと現金なランスのやる気も失せてしまうというもので。

 

「……ランスさん……」

 

 そんな思いを汲み取ってあげられる存在がいるとしたら、それは現状この世界で唯一人だけ。

 ランスが過去に一度人類を救い、そして今もまた別の方法により救おうとしている、その双方の事実を知っている彼女ただ一人だけとなる。

 

「……はぁ。虚しい、虚しすぎる。もう駄目だ、もう俺様何をする気にもならん」

「………………」

「……なんかもう色々どうでもよくなってきたな。もうランス城に帰ろっかなぁ……」

「………………」

「……せめてウルザちゃんには分かって欲しかったのになぁ。ウルザちゃんならきっと理解してくれると思ったのになぁ……はぁぁぁ~……」

 

 三角座りで丸まったまま、ランスはその指先でいじいじと床に文字をかき始める。

 その小さくなった背中を、寂しげなその背中を眺めていたウルザは、

 

「………………」

 

 口元に手を当てたまま数秒悩んで。

 

「………………」

 

 額を痛そうに押さえながら数秒悩んで。

 

「………………」

 

 遂には瞼をぎゅっと閉じたまま数秒悩んで。

 

 

「……はぁ」

 

 と諦めたように嘆息して。

 そしてそのいじけた背中へと近づいていくと、

 

「……分かりました。分かりましたよ、もう……」

「……お」

 

 その背中を後ろから優しく抱き寄せた。

 

「……分かった?」

「……えぇ、分かりました」

 

 渋々ながらといった感じの声、それはランスの耳元すぐ近くで聞こえる。

 

「分かったって? 分かったって何が?」

「ですから……ランスさんは今自分がしている事への見返りの少なさに不満なのですよね? ……それと、前回と今とで違いすぎる私の態度にも」

「そうそう、そうなのだ」

「だから……その……」

 

 少しだけ言いよどんだ後、その頬をうっすらと赤く染めた表情で口にする。

 

「……それが見返りになるのでしたら……時々で良ければ、その……ランスさんのしたい事に……付き合ってあげます」

 

 こうして遂にウルザは折れた。

 ランスがこの時の為に温めておいた秘策、やさぐれ作戦が見事にハマった瞬間であった。

 

「いやったー!! ウルザちゃんからOKが出たぞーー!!!!」

 

 常にガードの固い軍師、ウルザ・プラナアイスからの了承の言葉をようやく勝ち取った。

 その事にランスは急激にテンションが復活、嬉しさのあまりぴょーんと跳ね起きる。

 

「ならばしよう! すぐしよう!! さぁウルザちゃん、いざベッドへレッツらゴー!!」

「ちょ、ちょっとランスさん……!」

 

 そしてその気持ちが変わらぬ内にと、即座にランスはウルザをひょいと肩に抱えて走り出す。

 居室から寝室までという短い移動の間に、自分の衣服はおろか相手の衣服までも全て剥ぎ取る神業を披露してみせると、そのままベッドへとダイブ。

 

「ぐふふふ……! さぁーてウルザちゃん、お楽しみの時間だぞぉ~……!」

「っ、……えぇ」

 

 全裸となったランスはにぃと笑って、その華奢な身体に上から覆い被さる。

 まだ昼過ぎという時間の中、服を脱がされ組み敷かれたウルザは羞恥のせいか、その首の向きを限界まで真横に逸らす。

 

「ではいっただっきまーすっとっ!!」

 

 そして早々とその右手が伸びて、彼女の露わになった双丘に触れる、その直前。

 

 

「あそうだ、どうせなら前回の時みたいにするか」

 

 突然ランスはそんな事を言い出した。

 

 

「え、それってまさか……」

「うむ。せっかくウルザちゃんから許可が出た事だしな。前回の時みたいに恋人同士のラブラブセックスといこうではないか」

「……いえ、それは──」

「おっと、拒否はいかんぞ。俺様のしたい事に付き合ってくれるって言ってたもんな?」

「……確かにそう言いましたが……」

 

 口車に乗せられている自覚はあった。ただランスが先程言っていた内容、貢献のわりに見返りが少ないのは事実だとも思ってしまった。

 それでやる気を削がれるだけならまだしも、途中で投げ出されては困りものである。そこでせめてもの慰みになればとあんな言葉を口にしてしまった訳だが、ウルザはさっそくその判断を後悔したい気分になってきた。

 

「……けれど先程も言いましたが、私はその時の事を知りませんから……」

「でも自分の事だから想像する事なら出来るって、そうも言ってたよな?」

「……そうですね、そう言ってしまいましたね」

「だよな? さぁ想像してみるのだウルザちゃん。あの時俺様にメロメロだった自分の気持ちを。何度も何度も愛し合っていたあの時の気持ちを」

「………………」

 

 何もこんな時にそんな事を、と文句を付けたい気持ちはあれど、自ら口にした以上は仕方無い。

 赤く染まった恥じらいの表情のまま、ウルザはその時の自分の気持ちを想像してみる。

 

(私の、気持ち……)

 

 ランスが言う前回の世界、そこで自分はランスの事を深く愛していたらしい。

 正直とても嘘っぽい話ではあるが、仮にそれが事実だったとして、その時の自分はどのような心境で、どのような気持ちでいたのだろうか。

 

(……もしも、もしも本当に、私がランスさんを愛していたのだとしたら……)

 

 例えばこうしてランスと身体を重ねる度、これまでとは違う喜びを感じていたのだろうか。

 例えばランスが他の誰かと夜を共にする度、これまでとは違う寂しさを感じていたのだろうか。

 そんな事を思う自分が、そんな感情を抱く自分が何処かの世界には居たのだろうか。

 

(……けれど)

 

 だが仮にそんな自分が何処かに居たとしても。

 先程ランスに告げた通り、それは自分には知り得ぬ世界での話であって。

 これまた先程ランスに告げた通りだが、今ここに居る自分がその時の自分と同じような気持ちになる事は出来ない、出来ないのだ。

 

 ──けれど。

 

 

「………………」

「……どうだウルザちゃん、俺様を愛していた自分の気持ちを想像してみたか?」

「……えぇ、少しだけ」

 

 そう答えた彼女の瞳。その目に映るは相変わらずの楽しそうで嬉しそうな顔。

 いつもいつもズルい事ばっかり言って、性懲りも無く自分の事を求めてくる困った人。

 その顔を眺めながら、ウルザは苦笑するかのように小さく笑うと、

 

(……どうでしょう、意外と今と似たようなものなのではとも思いますけれどね)

 

 なんて事を考えて。

 そしてその首の後ろに両手を回すと、その口元に自分のそれをそっと重ねた。

 

 

 

 

 



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TURN 5
オアシス都市シャングリラ


「暑っづぅ……。シィル、水だ。水を寄越せ」

「………………」

「……あー、そうだ。シィルは居ないんだった。……んじゃホーネット、水を寄越せ」

「私は、貴方の小間使いではありません」

 

 だらしなく舌を出して歩くランスに向け、ホーネットは素っ気なく言葉を返した。

 

 

 

 頭上を痛いほど照らす太陽、肌を焼く熱風に、辺り一面の砂。

 ここは大陸の中央、人間世界の3大国に囲まれた場所、キナニ砂漠である。

 

 先日ウルザから重要な報告を受けたランスは、その後すぐにうし車に乗って魔王城を出発した。

 そしてなげきの谷、番裏の砦、ヘルマンを通過してこのキナニ砂漠へ到着していた。

 さらには熱気押し寄せるこの砂漠を越えて、砂漠に隠されたオアシス都市シャングリラに向かう為、ランスは数時間前から暑さに耐えながらひたすらに歩いていた。

 

 ランスの前方には、ローブで全身を覆った格好の砂漠案内人の姿。これは現地で落ち合って道案内を受けるようにと、ウルザが手配したものである。

 そして隣にはホーネット派の主である魔人筆頭が居て、その他には誰も居ない。ランスはホーネットと二人だけでこの砂漠に来ていた。

 

『未だ魔物界では派閥戦争が継続中であり、そちらの戦力を低下させる訳にはいかない。だから連れて行くのはホーネット一人でいい』

 

 それが、出発前にウルザやシルキィに対して告げたランスの弁であったのだが、実の所、ランスがホーネットと二人だけでここに来たのには、もう一つ別の理由があった。

 

(くっくっく……。そろそろここらで、この俺様のちょーカッコいい所をずばーんと見せつけて、ホーネットのハートをぐっと掴まないとな!!)

 

 つまりはそのような理由、自分の活躍をこれでもかとアピールして、その魔人の気を惹く為。

 ホーネットの態度は確実に軟化している。このまま押し続ければ必ずものに出来ると確信を持つランスは、自分の活躍の場を奪う程の戦力は必要無いと考え、他の魔人達は連れて来なかった。

 

 けれどかなみやウルザ、そして普段雑用係として何処にでも連れ歩く、シィルまで連れて来なかった理由はそんな建前とは別。

 本音は単に、これから戦う魔人の所に彼女達を連れて行きたくないだけだった。

 

(カッコいい所を見せつける。うむ、そのつもりなのだ。……そのつもり、なの、だが……)

 

 そんな事を企むランスにとっての大きな想定外、いや想定してはいたつもりなのだが、それでもやっぱりキナニ砂漠は暑かった。

 

 燦々と降り注ぐ日差しはいっそ憎たらしい程に強く、地獄の釜のようなこの暑さに、頭は朦朧として視界はぐにゃりと歪む。

 とてもでは無いが、カッコいい姿を見せるなどと意気込んでいられる環境では無かった。

 

「……がー! もう無理だ! やってられるか!」

 

 先程の決意はどこへやら。すぐにランスに我慢の限界が来た様子で、どてーんと熱砂の上に大の字になり、とてもカッコ悪い姿を晒す。

 見かねて立ち止まったホーネットの、その瞳には若干白い色が含まれていたが、今のランスにそんな事を気にする余裕は無かった。

 

「あつい。あっつい。あーっづい!!」

「………………」

「……暑い。果てしなく暑いぞホーネット。なんでここはこんなに暑いんじゃ」

「砂漠ですからね。そのように寝転んでいる方が、むしろ暑いと思いますよ」

 

 魔人とはいえ同じように暑さを感じているはずなのだが、ホーネットは澄ました表情で口を開く。

 透けた服越しに覗けるその絹の様な肌には、汗の粒一つ流れていないようにランスには見えた。

 

「……お前、あんま暑くなさそうだな」

「いえ、暑いですよ」

「いーや、きっと暑くない。そうだと言え。んで、お前の分の水を寄越せ、ホーネット」

「自分の分があるでしょう。それを飲みなさい」

 

 ホーネットはランスの首元を指差す。その首には自分用の水筒が掛かっていたのだが、その中身はとっくに空になっていた。

 

「暑い……、水……」

 

 常ならばそばに居る奴隷から、あるいはそこらに居る誰からでも水を奪って喉を潤したであろうが、ホーネットと二人きりだと我儘が通用しない。

 そんな事もあってか、暑さにやられたランスの目は次第に虚ろになっていった。

 

「……もう駄目だ。水が無いと死ぬ。あぁ、俺様はこんな所で死ぬのか。俺様が死んだら、世界中の女達が嘆き悲しむだろうなぁ」

「………………」

「俺様はホーネットの事を助けてやったのに。ホーネットはそんな俺様の事を見捨てるってのか。信じられん、なんて薄情な奴……」

 

 ちらりとその魔人の方を横目に見ながら、ランスはとてもわざとらしく絶望した表情を作る。

 ホーネットは眉間に微かな皺を寄せながらも、寝転ぶランスの首から水筒を取る。そして高い魔法の才を駆使して、その中に冷えた水を作り出した。

 

「どうぞ」

「おお、サンキュー! つーか、んな事出来んなら最初からそうしろっての」

 

 ランスはがばっと起き上がり、ホーネットの手から水筒を受け取ってごくごくと飲み下す。砂地にあぐらを掻く男の身体に奪われた水分が戻っていき、そしてあっという間に水筒は空になった。

 

「ふぅ、生き返る……。ホーネット、もう一杯」

「……全く、貴方には忍耐が足りません」

 

 はぁ、と嘆息しながら再び水筒の中に水を作り出す。それを受け取り、またすぐに飲み干してしまいそうな勢いのランスを眺めながら、ホーネットが口を開く。

 

「それに、緊張感も欠けています。貴方は、この旅の目的を理解しているのですか?」

「んなの分かっとるわ。蛇女をぶっ殺しに来たんだっての」

 

 ランスのその声色には、先程までには無かった鋭さがある。

 『蛇女』彼がそう呼ぶあだ名は、ケイブリス派のある魔人の事を指していた。

 

 

 魔人メディウサ。それが、今シャングリラの地に居る魔人である。

 へびさん、という種族の女の子モンスターが魔人になった存在であり、その性格は残忍の一言。女性を虐めるのが大の趣味で、相手が死ぬまで徹底的に陵辱を繰り返す、極め付きのサディスト。

 

 前回の第二次魔人戦争、メディウサはゼスの侵攻の中で何人もの女性を弄び、犠牲者の中にはランスが自分の女と呼ぶような相手も含まれていた。

 彼にとって、それは今思い出しても腸が煮えくり返るような痛恨事。だからこそ今回は是が非でもそんな展開を防ぐ為、ランスは手早くメディウサを討伐するつもりでいた。

 

 

「……それにしても、少し意外でした」

「何がじゃ」

「貴方は女性に目が無い様子ですから、メディウサにも興味を示すのかと。知らないのかもしれませんが、あれは相当な美女ですよ」

 

 少なくとも外見だけを見て判断するのなら、この男の好みに合致するのでは無いか。

 そう思って口にしたホーネットの言葉に、ランスはむっと不満げな表情になった。

 

「……あのな、俺様だって相手は選ぶ。あれは駄目だ。確かに美女だが他の美女を殺しやがるからな。この世の美女は全て俺様のものだ。俺様のものに手を出すあいつは生かしておけん」

 

 実の所彼女の言葉はその通りで、ランスも最初はメディウサの外見に大いに興味を惹かれた。

 メディウサの性格を知ってからも、彼女を自分の女にしようとした時期もあった。女を虐める女というのは、ランスにとっては別に初めての事では無かったからである。

 

 どんな敵であっても、それが美女ならば退治した後お仕置きセックス。今まではそうだったのだが、しかしメディウサとは結局そうはならなかった。

 その残忍な性格の度合いがランスの許容を超えていたのか、それとも身近な女に手を出したからなのか。いずれにせよ、彼はもうメディウサに容赦をする気は無かった。

 

「……あれの性格の事まで知っているのですね。ならば、自分の大事なものの為というなら尚の事、もう少し緊張感を持ちなさい。ほら、行きますよ」

「おい、待てっての」

 

 ホーネットが先を歩き始めたのを見て、ランスは慌てて立ち上がり後を追った。

 

 

 

 

 

 

 一行は、キナニ砂漠を進んでいく。

 

 前回はシャングリラが魔軍に占領された影響で、キナニ砂漠にも多くの魔物兵が居た。

 だが現在は魔人メディウサが居るとはいえ、大量の魔物兵が占拠する状態にはなっていない。その事が影響しているのか、キナニ砂漠を進む一行の前には原生の魔物が僅かに出現する程度。

 

 ランスが魔剣カオスを手に取るまでもなく、出てきたそばからホーネットの高出力の魔法によりそれらは容赦無く瞬殺され、その意味では前回よりも遥かに楽な道のりだった。

 

 だが、前回同様の暑さだけはどうにもならない。体中から汗が流れ、ベタつく服の不快感に耐えながら砂漠を歩いていると、やがてランスの視界にその光景が映った。

 

「……あ。なぁおい、ホーネット」

 

 何かに気付いたランスの手が、隣を歩くホーネットの身に着けた巨大な肩当てを叩く。

 

「どうしました?」

「あれをみろ、あそこにオアシスがあるぞ。暑いしちょっと水浴びしていこう。俺様がお前の身体を流してやろうじゃないか」

 

 下心満載のそんな言葉を口にしながら、ランスが差した指の先には、ただ砂漠だけがあった。

 

「そのようなものはありません。蜃気楼でしょう」

「蜃気楼、だと? いや、確かにあるような……」

 

 ランスはじっと目を凝らす。その瞳には、確かにはっきりと幻のオアシスが映っていた。

 明後日の方向を睨みつけたまま立ち尽くす男を無視して、ホーネットはすたすた進んでいく。

 

「おいホーネット、あそこをちゃんと見ろ。あれは確かに……て、ありゃ?」

 

 ふと気づくと砂漠に取り残されていたランスは、再度慌てて彼女の後を追った。

 

 

 

 

 

 一行は、さらにキナニ砂漠を進んでいく。

 

 収まる気配の無い暑さに加えて、どれだけ歩いてもまるで代わり映えの無い、地平線の先まで砂ばかりの景色では気分も滅入る。

 しんどいだとか、帰りたいだとか、そんな愚痴を漏らしながら歩く事またしばらくして、ランスがびくっと大袈裟な程に反応した。

 

「お、おお!? おい、ホーネット!!」

 

 ランスの手が隣りを歩くホーネットの肩当てを掴み、乱暴にがしがしと揺らす。

 

「……どうしました?」

「あれを見ろあれを! 裸の女が居るぞ!! しかもすげー美人!!!」

 

 ランスが慌てて指差したその先には、やっぱりただの砂漠だけだった。

 

「……裸の女?」

 

 内心の呆れを外に出さないよう繕いながら、ホーネットは至って普通の声で口を開く。

 

「そのようなものが居るはずが無いでしょう、暑さで頭をやられてしまったのですね。後で回復してあげますから、今は進みます」

「いや、居るっ! 間違いなくあそこに居る!!」

 

 幻覚をみるランスが、突如出現した裸の美女の下にぴゃぴゃーっと走り出そうとしたその時、ホーネットの手がランスの腕をしっかりと掴んだ。

 

 そのまま彼女に引きずられるようにして、ランスはキナニ砂漠を進んで行った。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そしてその後、なんとかランスは砂漠に隠された都市、シャングリラに辿り着いた。

 

 魔物がうろつくシャングリラ内に入る事を拒んだ砂漠案内人とは、到着直前ですでに別れており、ランスはホーネットと二人きり。

 宮殿への正門前で昼寝をしていた、見張り役と思われる魔物兵をぱぱっとやっつけて砂中に埋めると、宮殿の内部に足を踏み入れる。

 

 前回のシャングリラは人間界へ侵攻する為の魔軍の中継基地となっており、その内部には大量の魔物兵が存在していた。

 しかし今はその魔人が人間界への行楽の旅に同行させた、ほんの少数の魔物兵しか存在しておらず、風の音しか聞こえない位に都市内は静かであった。

 

 

「……外から見た時も思いましたが、このような砂漠にあるとは思えない位、整った場所ですね」

 

 周囲を見渡しながら、ホーネットは感心して目を見張る。彼女からするとあまり馴染みの無い建築様式だったが、美しい都市だという印象を受けた。

 

「そうだな。相変わらず、俺様の城より豪華な所がムカつく。……てかあれだな、かなみ位連れて来るべきだったかもな。こう広いと蛇女を探すのが面倒だ。……あ、そうだ」

 

 特殊な力によって生み出されたオアシス都市シャングリラは、贅沢を極めたと言っても差し支えない程豪華な有様であり、かつ、都市と呼ばれる程には広い。前回の時には、何万体もの魔物兵が寝床にしていた位である。

 この広大な都市の中から、魔人メディウサを探すのは骨が折れそうだなと、思わず顔を顰めたランスはすぐに魔人捜索の裏技を思い出した。

 

「おいカオスよ、蛇女の居場所はどっちだ」

「……んーと、確かに一体魔人がおるね。……あっちじゃな」

 

 魔剣としての特性で魔人の居場所を感じ取ったカオスが、その目の向きでランスに指示をする。しかしカオスの視線の先には、それはもう沢山の建物があった。

 

「あっちじゃ広すぎる。もっと細かく教えろ」

「……あっち」

「……分からんなら分からんと言え。クソ役立たずめ」

 

 酷な言葉にしょぼくれるカオスを無視して、ランスはカオスが指示した方向を見やる。

 とても面倒ではあるが、とは言え他に方法も思い付かない。仕方無く目に付く建物を片っ端から探索していこうと、無造作に歩き始めたランスをホーネットの手が止めた。

 

「待ちなさい。そのように警戒もせずに進むのは危険です」

「警戒って言っても、魔物兵なんざ殆ど居ねーじゃねーか」

 

 ランスが周囲を見渡す限り、魔物兵は居ない。そもそもの数が少ない上に、まだ人間世界に侵攻していない現状、ここに人間が乗り込んで来るとは考えておらず、相手は何も用心していないのだろう。先程の見張りの魔物兵が昼寝をしていた事からも、それは見て取れた。

 

「確かに魔物兵は問題無いでしょう。しかし、メディウサに遭遇したらどうするのです」

「どうって、その為に来たんじゃねーか、サクっと退治してくれるわ。がーはっはっはっは!」

 

 軽くけちょんけちょんにしてやるぜと、そんな気分で高笑いをするランス。その姿を、

 

「………………」

 

 じっと見つめていたホーネットは、出発の時からずっと気になっていた事を尋ねる事にした。

 

「……やはり、貴方は戦うのですか? こう言っては何ですが、貴方より私の方が遥かに強いのですから、戦う事は私に任せて、貴方は隠れていても構いませんよ」

「んなカッコ悪い事が出来るか! ……まぁ確かに、さすがの俺様も魔人が相手となると、ちょっと、ほんのちょーっとだけキツいかもしれんが」

 

 あくまでちょっとだけな。と、ランスはしつこい位に念押しするのを忘れなかった。

 

「けどまぁ、蛇女と戦うのは初めてじゃねーし、なんとかなんだろ。それに加えてお前が居りゃ、楽勝だ楽勝」

 

 メディウサの残忍な性質はともかく、その強さに関してはランスは然程脅威に感じていなかった。そもそもここにホーネットしか連れてこなかったのは、それで十分だと確信があったからでもある。

 

 メディウサとホーネットの強さを比較すると、ホーネットに分がある。それも少しでは無くかなりの差があると、ランスは歴戦の戦士としての感覚で感じ取っていた。そして事前の調査により、シャングリラに魔人はメディウサ一人しか居ないと判明している。

 その為、さすがに自分がメディウサと一対一で戦うのは荷が重いが、そこにメディウサより強いホーネットを加えた二対一なら、間違い無く勝てるとランスは想定していたのである。

 

「そうですね。貴方の言葉は間違っては無いと思います。……しかし、一つ懸念があります」

「懸念だと? まさかお前、蛇女には勝てないとか言うつもりか?」

「いえ、そんな事は。メディウサよりも私の方が確実に強い。……ただ、問題は彼女の使徒です」

「使徒?」

 

 蛇女の使徒って何だっけ? と、もはや薄れつつある記憶を探るべく首を傾げるランスに対して、ホーネットは至って真剣な表情だった。

 

「メディウサの使徒、アレフガルド。あれは、事によってはメディウサよりも厄介な存在です」

 

 

 

 

 

 



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使徒アレフガルド

 

 

 

 魔人メディウサは使徒を持つ。

 

 猫の様な可愛げのある容貌に、芋虫の様な胴体を紳士の礼服で折り目正しく着飾った、それが魔人メディウサの使徒、アレフガルド。

 ネコムシという生物が使徒になったそれは、本人としては特段の戦闘能力は有してはいない。決して弱くは無いが、決して強くも無く、戦闘能力に限ってみれば一般的な使徒と何も変わりは無い。

 

 しかし、アレフガルドは魔人メディウサを主として仕える執事である。それも並の執事では無く、とんでもなく優秀な執事である。

 その執事としての才能は、他に並ぶ者の無い伝説の域に達している。執事として、主の望みを叶える時には常識外れの実力を発揮する、極めて異常な性質を有している使徒であった。

 

 なのだが。

 

 

 

 

「ホーネット、お前な。魔人筆頭のくせに、なーにを使徒なんざ怖がってんじゃ」

 

 目前の魔人筆頭に対して、人間の男は呆れてしまった様子で肩を竦める。

 ホーネットが口にした名前、アレフガルド。その名を聞いたランスは相手が使徒だと言う事あって、それはもう完全に舐めきっていた。

 

 自分は過去、魔人を何体も討伐した英雄である。その自分が、魔人より戦闘能力が劣る使徒なんぞを今更恐れるものか。

 ついでに言うと隣にはホーネットが居る。魔人筆頭と魔人でも差があるのに、更に使徒ともなればその差は歴然としたもの。自分とホーネットの二人相手に、たかが使徒一匹が相手になる筈が無い。

 

 とそのような考えから、ランスはアレフガルドの事を見くびっていたのだが、

 

「……これは、貴方の為に言っているのですよ」

 

 その様子を見たホーネットは、咎めるような鋭い視線で睨んだ。

 

「俺様の為だと?」

「えぇ。アレフガルドは、主の望みならそれがどのような事でも忠実に叶える存在。……ですが貴方が侮る通りに、そうは言っても所詮は使徒で、魔人の私には無敵結界があります」

 

 使徒に魔人の無敵結界を破る事は出来ない。それは伝説級の才能があろうが関係無く、例えば伝説級の剣の才能があろうとも、無敵結界は斬り裂けるようなものでは無い。

 勿論例外もあるにはあるが、基本的に無敵結界は才能の有無でなんとかなる代物では無い。その為少なくとも直接戦う限りにおいては、アレフガルドは驚異にはならないとホーネットは感じていたが、それは魔人にとっての話である。

 

「しかし、無敵結界を持たない人間の貴方にとっては別です。アレフガルドがメディウサから貴方を殺すよう命じられれば、次の瞬間にはその首が落ちる事になりますよ」

「え……マジ?」

 

 小さく頷くホーネットの姿を見たランスは、ひやりとした首元を思わず片手で押さえる。

 次の瞬間に自分の首が落ちるなど想像が付かなかったが、この魔人筆頭が冗談を言うタイプにはとても見えないので、彼女がそう言うなら本当なのだろうと、彼も考えざるを得なかった。

 

「ぬぅ……。それは、ちょっと困るな」

「ですから、何の対策もせずに進むのは危険だと言っているのです」

「だが、対策って言っても何かあるのか? 先に言っとくが俺様には無いぞ。なんせ、そのアレフガルドとか言うのを俺様はよく知らんからな」

 

 実に堂々とした表情で、ランスは自分が無策だという事を憚る事無く宣言する。

 前回の時にメディウサが行った陵辱の数々、その原因の根本にはアレフガルドの存在がある。その使徒がわがままな主の補佐を十全に行っていたという点が大きく、メディウサの凶行を防ぐつもりなら、警戒しないといけないのはむしろ使徒の方になる。

 

 しかし、そうは言ってもランスにとって、女性でも無い使徒の事など最初から全く興味が無い。

 加えてアレフガルドについては前回、彼の知らぬ間に奴隷が機転を効かせる事によって無力化に成功した為、ランスの頭には有効な対策などの情報は何も存在しなかった。

 

「………………」

 

 ランスの早々のお手上げ宣言を受けたホーネットは、顎に手を当て思案する。

 彼女の知る限り、アレフガルドが執事として全力を出している時は本当に常軌を逸している為、対策として考え付くのは一つだった。

 

「アレフガルドはメディウサの為に動く時、メディウサから命じられた時などには、いわば無敵の存在になり得ます。ですが、逆に言えば……」

「蛇女が絡まない時は雑魚と変わらんって事か。じゃあこの辺に隠れて、そいつが散歩でもしにこっちまで来たら、ザクっと殺すってのはどうだ?」

「……あれがメディウサのそばを離れて散歩をすると言うのは、あまり想像出来ませんが……。そうですね、いずれにせよ、少し様子を見ましょう」

 

 という事で、ランス達は捜索の足を止める。

 ホーネットの懸念を受けて、メディウサよりも先にアレフガルドの対処をする事に決めた二人は、近くの建物の陰に身を隠す。

 暫くこの場所で待機して、無防備なアレフガルドが近づいて来るのを待ち伏せる事にした。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そうして建物の影に身を隠す事10分程、ふいにランスが口を開く。

 

「しっかしあれだな、お前が俺様の身を案じるとは少し意外だったな。ホーネット、結構可愛いとこあるじゃねーか」

「……それは理由の一つに過ぎません。私の一番の懸念は、アレフガルドを逃げ足に使われる事です」

 

 隣の相手に顔を向けないまま、ホーネットは在りし日の事を思い出す。

 

 長く続く派閥戦争の中、前線で戦い続ける魔人筆頭はメディウサと対峙した事があった。

 その戦いは当然の様にホーネットが優位に立って進んでいたのだが、劣勢だったメディウサは突然に「……もう飽きた。つまーんないから帰る」などと呟き、そして高らかに使徒の名を呼んだ。

 

 すると、何処からか恐ろしい速さでアレフガルドが飛んできた。彼は主を丁寧な所作で抱えると、ホーネットの放った六色破壊光線を掻い潜りながら一目散に戦場を離脱して、結果彼女はメディウサを逃す事となった経験があった。

 

 

「アレフガルドにとっては、あの砂漠を越えるのも容易い事でしょう。折角敵の増援が見込めないこの場所にいるメディウサを、アレフガルドによって討ち損じる事を私は案じているのです」

「ほーん、なるほどねぇ……」

 

 ホーネットの横顔を眺めながら、まだアレフガルドの脅威にいまいちピンと来ていないのか、ランスは気の抜けた声を出した。

 

 

 

 

 そして、少し時間が経過する。

 建物の陰から動かずじっと待っていたのだが、稀に魔物兵が近くを通るだけで、目的のアレフガルドの姿はまだ見えない。

 

「ホーネット、水」

「……どうぞ」

「うむ、ぐびぐびっと……。……にしても暇だな。ホーネットよ、何か面白い話でもねーのか」

「私達は敵地で隠れているのですよ。周囲に魔物兵が少ないとはいえ、静かにするべきです」

 

 

 

 

 さらに時間が経過する。

 日陰に居るとはいえ、風があまり吹かないので相変わらず暑く、ランスの頬を汗が伝う。

 

「……来ねぇな。そのアレフガルドとかいう奴」

「ですね。あれは基本的に、メディウサのそばを離れませんから」

「うーん、暇だ。……そういや俺様な、おっぱいとお尻、どっちが素晴らしいか時々無性に悩やむ事があるのだが、ホーネットはどう思う?」

「知りません」

 

 

 

 

 さらにさらに時間が経過する。

 太陽の位置が変化した事が、目に見えて分かる位には時が経ったと思われたが、まだまだ周囲に変化は無い。

 

「あー暇だ。ひま、ひま、ひまー」

「………………」

「……そうだ。実は前から思っていたのだが、お前のあの私服はどうかと思うぞ。いや、俺様は構わんのだ、エロエロで実にグッドだと思う。しかし他の魔物も居る訳だし、あの透け具合はさすがに……」

「っ! 今……!」

 

 突然ホーネットが鋭い声を上げ、暇を持て余していたランスの言葉を遮る。

 隣に居た男の無礼な話を聞き流し、何気なく空を眺めていた彼女は、咄嗟に現れたそれをその目でしっかり捉えていた。

 

「今の、見ましたか?」

「見たって、何をだよ」

「アレフガルドです。あれは間違いありません。この都市を出て行く所が見えました。……という事は、すぐに戻ってくるはず。いいですか、あの辺りを見ていなさい」

 

 シャングリラの空の一点、雲しか無い場所をホーネットが指差す。

 

「見るっつっても、一体何をだ……んん!?」

 

 一瞬、空を何かが通過する。

 

「……今、なんか通った……か?」

 

 言われた通りにホーネットが指し示す所を眺めていたランスにも、今度は目にする事が出来た。

 だがその目に映ったのはアレフガルドの姿というより、高速で動く何かの存在を示す残像。予め言われていなければ見間違いだと思ってしまうようなそれを、瞬間的に捉える事が出来ただけだった。

 

「……今のが、そのアレフガルドってのか?」

「えぇ。今の様子はメディウサの命令を受けていたのでしょう。メディウサの為に動くアレフガルドは、常にあのような感じです」

 

 ランスの視界に焼き付いているのは、一瞬の残光のような定かではないもので、それがアレフガルドだと言われてもいまいち実感がわかない。

 だが、とにかく凄まじい事だけは理解出来た。あの姿を見た後ならば、次の瞬間に首が落ちるというホーネットの言葉にもいくらか納得出来る。

 本人としては決して飛行能力がある訳では無いにもかかわらず、主の望みを叶える為ならばと空を超速度でひた走るアレフガルドは、まさしく規格外の執事であり、規格外の使徒だった。

 

「……確かにありゃあ、どうにもなんねぇな。あれと戦うってのはさすがの俺様も想像が付かん」

「えぇ。聞く所によると、あれはメガラスの本気とそう変わらないそうです。あの状態のアレフガルドには、私の魔法も当たる気がしません」

「となるとやっぱ、命令を受けてない時にしか……ん?」

 

 その執事の性能に内心で舌を巻いていたランスの脳裏に、ふいに引っ掛かる事があった。それはアレフガルドをどうにかする為の素敵なアイデアとかでは無く、底冷えのするような嫌な予感だった。

 

 

「……ちょっと待てホーネット。今、メディウサの命令を受けてたって言ったよな。つー事は……」

 

 ランスの頭に浮かぶのは、前回のゼス国内を恐怖で震撼させた魔法ビジョンによる放送。その放送中で魔人メディウサが使徒に対して要求していたものは、概ね一つしかない。

 

「………………」

 

 ランスの声のトーンが下がったのを受けて、それを言うべきかホーネットは一瞬悩んだ。だが隠した所でいずれすぐに判明する事だと思い、見たものをそのまま伝える事にした。

 

「……えぇ、そうです。先程、アレフガルドはその腕に女性を抱えていました」

 

 ホーネットは魔人であり、魔人とは肉体の全ての面で人間よりも優れている。それにより、ランスが見逃した事実も彼女の目は的確に捉えていた。

 あれはメディウサの欲求を満足させる為の、アレフガルドにとって一番よくあるおつかいの一つ。その内にこの都市の何処かから、女性の悲鳴が聞こえてくるのだろうと彼女は予想していた。

 

「チッ、あの蛇女……!!」

 

 半ばその答えは予想していたのか、舌打ちしたランスは隠れていた建物の陰から飛び出す。一刻も早く止めないと大変な事になると考え、闇雲に走り出そうとした彼の肩をホーネットが掴んだ。

 

「待ちなさい。どうするつもりですか」

「どうもこうも、今すぐあの蛇女を……!!」

 

 ランスが後先考えずに戦おうとしたその時。

 

「あ、ぎッ…………ぁぁぁあああああああッ!!」

 

 ホーネットの予想通りに、耳を覆いたくなるような絶叫が遠くの方から上がった。

 

「……これは」

 

 僅かに顔を顰めながらも、声の通りから対象は室内では無く外に居るのだと考えた魔人筆頭の一方。

 

「………………ッ」

 

 ランスはまるで心を奪われたかのように、その体を硬直させる。

 その脳裏に蘇るのは前回のゼスでの経験。声の主が受けている責め苦を想起させるような叫声を聞いていると、どうしてもその事を思い出してしまう。

 とっさにランスは今の犠牲者の事が気になり、その叫び声が聞き覚えの無い声だと考えてしまい、即座にそういう問題では無いだろうと思い直す。

 

 そうこうしている内にいつしか悲鳴は止み、都市内には元の静けさが戻っていた。

 

 

「……もう待ってられん。蛇女をぶっ殺しにいく」

 

 先程の悲鳴の主はすでに事切れたのだと理解し、静かに怒るランスを前にして、しかしホーネットは動じなかった。

 

「貴方は先程の話を忘れたのですか? メディウサよりも、アレフガルドを倒すのが先です」

「だがここで待ってたって埒が明かねーだろ。ふらっとこっちに来るかと思ったけど、いつまで待ってもちっとも来ねーじゃねーか」

「ですが、それでも先にアレフガルドの対処をしない限り、貴方が危険です」

「……ぐぬぬ」

 

 制止の言葉が自分を心配しているからだと分かると、さすがのランスも少し気が揺れてしまう。だがこれ以上メディウサを放置する事は出来ない。放置すればそれだけ犠牲者が増えるだけである。

 

「来ないんだったら、もう呼ぶしかねーよな。大声で歌でも歌ってみるか」

「止めなさい。そのような方法、メディウサが不審な歌を調べるよう命じるだけです。何か、警戒されずにアレフガルドを呼び寄せる方法があれば良いのですが……」

「警戒されずにっつっても……あ」

 

 警戒されずにアレフガルドを呼び寄せる方法。

 ホーネットの問題提起を受けて、ふいにランスの脳裏に警戒などとてもされそうに無い、人畜無害な踊り子の姿が浮かんだ。

 

「……そうだ。ここってシャングリラだな。て事は、どっかにあいつが居るはずだ」

「あいつ?」

「あぁ、いい事考えたぞ。ちょっとあいつに頼んでみるか」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 その後二人はアレフガルドの待ち伏せ作戦を一旦終了して、都市内の捜索に戻っていた。

 

「それで、貴方は何を探しているのですか?」

「シャングリラに居る踊り子だ。……うーむ、確かこっちの方だったと思ったんだがなぁ……」

 

 ホーネットに返事をしながら、ランスは曖昧な記憶を思い出すように頭を掻く。

 シャングリラにはこの都市の王であった男を喜ばせる為、多くの踊り子が存在している。その踊り子の一人に用があったランスは、前回の時に踊り子の集まる部屋だと紹介された劇場を探していた。

 しかし都市内は広く、似たような建物も多い。もはや自分の記憶は頼りにならず、あっちこっちにふらふらと、手当たり次第に建物のドアを開いていたランスだったが、やがてふと足を止めた。

 

「……いや待てよ。あいつは別に、踊り子の集まる部屋に居た訳じゃ無かったな。つーかそもそも、あいつが俺様をあの劇場に連れてったんだし」

 

 あの踊り子はどうにも掴み所の無い性格で、初遭遇の時は突然背後から声を掛けられた。

 そういやそんな出会い方だったなぁと、ランスが懐かしむように当時を思い直したその時。

 

「所で、後ろの女性に見覚えはあるのですか?」

「あん? ……おいホーネット、居るじゃねーかよ。だったら早く教えろっての」

「ですから今、教えたではありませんか」

 

 ランスが振り向いた背後。

 どうしたの? と言わんばかりの様子で、ちょこんと小首を傾げる可愛らしい少女が居た。

 

 年頃の少女のような容姿とは本来合わない筈の、色気を醸し出す踊り子の服装が妙に似合っている、彼女がランスの探していた踊り子、シャリエラ・アリエスであった。

 

 

 

 

 

 



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シャリエラの主

 

 

 

 とある人間、ルチェ・デスココ387世。

 彼は悪魔と契約を行い、死後に自分の魂を差し出す代わりに願いを3つ叶えてもらった。

 

 1つ目の願いにより、彼は絢爛豪華なシャングリラの地を手に入れる。

 2つ目の願いにより、自らに忠実な人形、33体の踊り子を手に入れる。

 そして3つ目の願いにより生み出されたのが、今ランスの前にいるシェリエラ・アリエスだった。

 

 

 

 

「よう。久しぶりだなシャリエラ」

「うん、久しぶり。……ううん、やっぱり久しぶりじゃない。シャリエラ、あなたの事知らないよ?」

 

 ルビーのような瞳でランスを見ながら、シャリエラはふるふると首を横に振る。

 先の通り、他の踊り子とは別の願いによって生み出された彼女には、他と踊り子と一線を画す特徴である『心』が備わっている。

 だが当人は自らの事を人形だと思っており、その顔には一切の感情が浮かんではいなかった。

 

「シャリエラよ、俺様はランス様だ。……うーむ、この無表情も何だか懐かしいな。……うりゃ」

 

 過去に一度、その踊り子が微笑んだ表情を見た記憶があるランスは、相手の頬を指で摘んでぐいぐいと引っ張り、無理やり変化を付けてみる。

 出会い頭の失礼なその行為に、シャリエラの目がじとりと半眼になった。

 

「む。……ランス、貴方は人間?」

「んなの、見りゃ分かんだろ。俺様は人間様だ」

「ん、なら許す。シャリエラは人間の役に立つのが役目だから」

「そーかそーか。ほれほれ、ぐーいぐーい」

「むー……」

 

 シャリエラが抵抗を見せないので、ランスはそのまま彼女の頬で遊び続ける。なんとかその表情を変えてやろうと、彼は躍起になっていたのだが、

 

「…………ふぅ」

 

 その様子を隣で見ていたホーネットは、話の進まなさに焦れた様子で仕方無く口を開いた。

 

「彼女が、貴方の探していた人物なのですか?」

 

 魔人筆頭である彼女の視線は鋭く、まるで見定めるようにシャリエラを眺めている。

 その踊り子は悪魔の力によって作られたホムンクルスであり、外見上は人間であるのに、感じる気配が人間と違う事に彼女は妙に感じていた。

 

「ああ、こいつはシャリエラっつってな。このシャングリラに住んでる踊り子の一人だ。こいつを使って、アレフガルドを誘き出す」

「そういう事ですか。確かにこの都市の住人なら、然程警戒はされないでしょうが……」

 

 ランスが考えた作戦。それはメディウサのそばから離れないアレフガルドを、このシャリエラに呼び出して貰うというシンプルなものである。

 彼女はそのぼんやりとした雰囲気から、敵意を全く感じさせない少女であり、前回の時は魔軍の総大将ケイブリスに仕えていた経験も有る程である。

 故にメディウサやアレフガルドにも、きっと警戒されないだろうとランスは考えたのだ。

 

「シャリエラ、蛇女……じゃなくて、魔人メディウサってのは分かるよな?」

「メディウサ様? メディウサ様がどうしたの?」

「……メディウサ様、だと?」

 

 シャリエラがその魔人に付けた敬称が気に食わなかったランスは、彼女に疑惑の視線を向ける。

 

「おいシャリエラ、お前の主人は……て、そっか。一応聞いておくが、今のお前の主人は誰だ?」

「私はデスココ様に仕える踊り子の一人。でも、デスココ様は殺されたから、今の私のご主人様はメディウサ様」

 

 彼女にとって、主に絶対服従するのが人形の掟。今から数年前、シャングリラを訪れたメディウサが都市の王だった男を殺して以降、彼女はその魔人を主として仕えていた。

 

「………………」

 

 シャリエラの先の言葉を耳にして、ホーネットの身に纏う空気が重く冷然としたものへと変化する。

 彼女のすぐ隣に居たランスにも、その刺さるような寒気がひしひしと伝わってきた。

 

「この少女は、メディウサの配下のようですよ」

「待てホーネット、そう怖い顔すんなっての。こう言う時はな、こうするのだ」

 

 前回の時も似たような経験があったランスは、こんな時どうすればいいかをすでに知っている。

 おほんと一つ咳払いすると、シャリエラのどこを見ているのか分からない瞳と目を合わせた。

 

「シャリエラよ、ならばお前のご主人様は変更だ。今からこの俺、ランス様がお前のご主人様だ、分かったな?」

「うん、分かった」

 

 シャリエラはとても素直にこくりと頷く。その踊り子は実にあっさりと従う相手を切り替えた。

 

「これでよしっと」

「待ちなさい。なんですかそれは」

「いやな、こいつはこれで問題無い奴なんだよ」

「……シャリエラと言いましたね。貴女はそれでいいのですか?」

「うん、いいよ」

 

 現在の主の事など一切気に掛けない様子に、つい見かね口を挟んでしまったホーネットの事を、シャリエラは何か問題があるの? と言わんばかりのきょとんとした表情で見つめる。

 今の彼女は主人に忠誠を尽くすつもりはあるのだが、主人以外の者の言葉でも主人を変えてしまえるという、従者としてはとても大きな欠陥があった。

 

「そう簡単に主を変えては、主従の意味がありません。この少女は信用出来ないと思いますが」

「……それを言われるとちょっとあれなのだがな。こいつは変な奴だが信用は出来る筈だ。……多分」

「しかし……」

 

 どうにも納得していない様子のホーネット。

 その姿を見たランスは、その時脳裏にピーンと、彼女を納得させて自分も得をする、とても素晴らしい考えを思い付いた。

 

「そうだ、ならばシャリエラにご主人様への忠誠を示して貰おう。おいシャリエラよ。お前はご主人様の命令には絶対服従だよな?」

「はい、もちろんです。どんな事でもお申し付けください。シャリエラは人形。人間の役に立ちます」

 

 紫の髪を揺らして頷くシャリエラを、ランスはとても満足気に眺める。

 どんな事でもと言われたら、その男の頭に浮かぶのは当然あんな事やこんな事であった。

 

「よーし、どれどれ」

 

 ランスは遠慮無く、布一枚だけで覆われたシャリエラの胸の上に手を当てる。

 

「んっ」

 

 ぴくりと反応を見せたが、自分が感情の無い人形である事に拘りがあるシャリエラは、全く何も気にしていませんよ? といった様子で、自分の胸を揉むランスの手をじーっと見つめていた。

 

「ほーうほう、良いおっぱいだ。もみもみ、もみもみ……」

「ん、う……」

「もみもみ、もみもみ……うーむ、なんかムラムラしてきたな。よし、んじゃあちょっと……」

 

 このまま何処かで一発スッキリするか。

 そしてランスは胸を揉んでいた手を彼女の肩に回すと、近場の建物にしけ込もうと歩き出す。

 

 だが一歩二歩と進んだ所で、ホーネットの視線が刺さっているのに気付き、思わず足を止めた。

 

 

「………………」

「……な、何だよホーネット。その目は……」

 

 その魔人は無言で見ている。決して睨む訳では無く、ただ表情を変えずに見ているだけなのだが、その金の瞳から覗く凍てつくような冷たさが、ランスの身体を硬直させていた。

 

「……あ! さてはホーネット、お前シャリエラに妬いてんだな? ならそんな羨ましそうな目をせんでも、お前の事もちゃんと可愛がってやっから心配すんな! がーはっはっはっは!!」

「………………」

「はっはっは……」

「………………」

「…………ふぅ」

 

 小さく息を吐き出すと、シャリエラの肩からそっと手を下ろす。

 ホーネットの瞳は「その様な事をしている場合ではないでしょう」と雄弁に語っており、彼女の物言わぬ圧力を前にして、ランスは屈してしまった。

 

 

「……とにかくだ。こいつは俺様に絶対服従だから、信用しても問題無いと分かっただろ?」

「彼女の素質については未だ思う所ありますが……しかし、そうですね。他に方法も思い付きませんし、貴方に任せます」

「よし。そいじゃシャリエラよ、主としてお前に命令をする」

 

 ホーネットの合意を得たランスは、軽く咳払いしてシャリエラに目を向ける。その顔は相変わらず無表情であったが、主としての命令という言葉に、彼女は少しやる気を見せているようだった。

 

「シャリエラ、蛇女を知ってるって事は、そばにいるアレフガルドってのも知ってるよな?」

「うん、知ってる。メディウサ様のそばにいるアレフガルド、ムシみたいなあれでしょ」

「……ムシだっけか? ……まぁいい。とにかくそいつを、一緒に遊んでーとか、向こうにへんなもの見つけたーとか、何でもいいから適当な事言って、俺達の下まで連れ出してこい。んで、のこのことやって来たアレフガルドをボッコボコ。どうだホーネット、この作戦」

 

 ナイスなアイディアだろうと、同意を求めるようにランスはホーネットの方を見たが、彼女は顎に手を当てて思い悩む表情のままだった。

 

「……しかし、それでもメディウサに何かしら命じられたら、意味が無いと思いますよ」

「……そうだな。じゃあ蛇女が寝ている時にってのはどうだ? それなら使徒に命令は出来んだろう」

「それは悪くないかもしれません。あれは怠惰な魔人で、普段から眠る事は多かった筈。……ですが」

 

 ホーネットは言葉を一度区切って、シャリエラの方に視線を向ける。

 

「彼女はそもそも、メディウサに近づいても平気なのですか? 寝ている時に近づくとは言え、もしもの事が無いとは限りませんよ」

「……言われてみると確かに、……だが、不思議な事に前も生きてたんだよなぁ。なぁシャリエラ、お前は蛇女に狙われたりしないのか?」

「ねらわれる? よくわからないけど、メディウサ様は人形には興味ないって言ってた」

 

 シャリエラの言葉に、ランスとホーネットの二人は納得したように頷く。

 その魔人は相手を虐めるのが大の趣味で、それは基本的に獲物が反応してくれないと楽しめない。そんな理由からメディウサは、シャリエラを含むシャングリラに居た人形に関しては無関心だった。

 

「なら、お前は蛇女に近づいても大丈夫だな?」

「うん。メディウサ様は会った事もあるから大丈夫。アレフガルドを呼んでくればいいんでしょ?」

「そうだ。だがさっきも言った通り、くれぐれもあの蛇女が寝ている時にだ。いいな?」

「うん、分かった。まかせて、ご主人様」

 

 そう返事をして、シャリエラはメディウサが居るだろう方向へ、とてててっと走っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「後は、彼女が首尾良く働いてくれる事に期待するだけですね」

 

 遠ざかる踊り子の背中を眺めながら、ホーネットが口にする。

 

「これでアレフガルドを倒せたら、残るは蛇女との決戦だけだな」

「そうなりますね。そちらに関しては、油断無く戦えば問題は無いでしょう」

「まーな。俺様とお前のタッグなら、蛇女の一匹位楽勝だ」

 

 うむうむと、ランスは大仰に頷く。前回のメディウサとの戦闘の感触から、その脳裏には絶対の勝算があったのだが、さらにダメ押しとばかりに彼はある作戦を立てていた。

 

「……ただ、万が一ってのがあるかもしれん。そこでホーネット、俺はメディウサとの戦いに関して三つ作戦を考えたのだ」

 

 にやりと笑うランスは、ホーネットに向けて右手の指を三本立てる。しかし

 

「……あ。いや、二つだな。二つにしとくか」

 

 横目でちらりと、シャリエラが走り去った方を見たランスは、少し考える素振りを見せた後、すぐにその指を一本下げた。

 

「どのような作戦ですか?」

「うむ、一つ目がこれだ。ごにょごにょ……」

 

 それはランスにとって得意の戦法。何より好む戦い方である。

 だが耳にしたホーネットは正々堂々を好む性格故に、僅かに憮然とした表情になった。

 

「貴方は卑怯な事を考えるのが好きですね」

「賢い戦術と言いたまえ。とにかくそんな感じでいくぞ。何事も楽に勝つに越した事はねーからな」

「……それで、もう一つの作戦というのは?」

「そっちはその時になってのお楽しみってやつだ」

 

 ふふんと笑う、ランスが立てた二つ目の作戦。

 シャングリラに来る前から考えていたその悪巧みに、ホーネットは若干興味を示す目を向けたが、しかし聞き出そうとする事は無かった。

 

「それにしても、意外と貴方は周到なのですね。もう少し大雑把な性格だと思っていました」

「……まぁ、な。なんせ俺様は英雄だからな」

 

 ランスは少し視線を逸らすと、あまり答えになっていない答えを返す。

 彼がここまで色々と手を尽くすのは、ここで確実にメディウサを討ちたいという思いが根底にあるからだった。それ程ランスにとって、メディウサは相容れない存在なのである。

 

 普段の雑な性格からは珍しく、念には念をと前回の時の戦闘を脳裏で回想していたランスは、ぎりぎりでその事を思い出す事が出来た。

 

「……あ」

「どうしました?」

「……そういやホーネット。お前、あれは知ってんのか?」

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 キナニ砂漠にあるオアシス都市、シャングリラ。

 悪魔の力によって作り出されたこの都市には、少し特殊な面がある。

 日が落ちれば勝手に照明が灯り、砂漠の真ん中にあるにもかかわらず、尽きる事無く水が湧き出る。

 

 そんなシャングリラには300人以上が入れる劇場など、贅沢の限りを尽くすかのように様々な施設が置かれている。

 そしてある一画に、砂漠にある都市にはとても相応しくないような、豪華なプールがあった。

 

 

 

 

 

「……ん、……ねむ……」

 

 そのプールサイド。

 大きなパラソルの下にあるビーチチェアの上で、魔人メディウサは重い瞼を開く。

 

 顔立ちだけ見れば人間の美女と間違えそうなものだが、その舌やその腕など、所々に人間とは異なる部分がある。特にその股間から生えた白い大蛇が、人間以外の存在だと明らかに示していた。

 

「んーん……、ふぁ~……」

 

 寝起きの弱い、目覚めたばかりのその魔人の顔には、とろんとした眠気が残っている。

 その眠気に導かれて大きく欠伸をした彼女は、口元を隠すように歪な形をした手を当てる。するとその爪先には乾いた血がこびり付いていた。

 

 メディウサの周囲には、人間だったものの残骸が散らばっている。

 水の張ったプールは赤く染まり、その中に浮かんでいたりと、あるいはプールサイドに無造作に転がっていたりと、とにかく彼女の周りは女性の死体と死臭で溢れていた。

 

 

「……はー、よく寝た。けど、やっぱ寝心地良くないな、これ」

 

 首を左右に揺らし、メディウサは気怠げな様子でビーチチェアから身体を起こす。

 

 どうにも肩が凝った気がする。寝る前に使徒からうるさく言われた通りに、ビーチチェアの上などで寝るのではなく、寝室に戻ってベッドの上で寝るべきだったかもしれない。

 

 だが、これは気分転換の一種である。何年も同じ場所で同じ事をしていると飽きが来てしまう。

 本日のデザートを、いつもの寝室では無くプールで食い散らかす事にしたのもそれが理由だった。

 

 

 

 

 

 魔人メディウサがシャングリラに辿り着いたのは、今からもう二年も前の事。

 

 LP4年にゼスで起きた騒動により、派閥の重鎮である魔人四天王カミーラが消息不明となった。

 その事に大層取り乱した派閥の主ケイブリスは、同じく消息不明である魔王の捜索も兼ねて、カミーラの捜索を行う事を決定した。

 

 そしてメディウサはその役目を受けた。ケイブリスとの付き合いから派閥には参加したが、怠惰な性格の彼女は戦争には然程興味が無く、それより女の子をいじめる方が好みである。

 魔物界で戦うより、捜索の為に人間世界へ向かう方が、何倍も楽しめるだろうと考えたのだ。

 

 だが捜索の役目を受けたとはいえ、真面目に捜索を行うつもりは殆ど無かった。

 なぜなら彼女は怠惰だからであり、更に言えば下手に魔王やカミーラなど見つけてしまうと、せっかくの楽しみな旅行が終わってしまうからである。

 

 使徒の手引きによりゼスに入ったメディウサは、捜索そっちのけで国内の女性を食べ歩いた。

 騒ぎになると面倒なので、一箇所に長期滞在はしない方針で、ふらふらと国内を旅していたら、いつの間にかゼスから出てキナニ砂漠の前に居た。

 当然、砂漠越えなどとても面倒だった彼女は、近くの休める場所に自分を連れていくようアレフガルドに命じて、その結果シャングリラに辿り着いた、そんな経緯であった。

 

 そして都市を支配していた男を始末した後、メディウサは暫くシャングリラに留まっていたが、この場所の居心地は悪く無いと感じていた。

 

 都市内に居た人形達は少し遊んではみたが、美女ではあるが反応が皆同じなので、いじめ甲斐が無いのですぐに飽きた。

 しかしここは人間世界の中央に位置しており、好みの女性の調達が容易である。時にヘルマン美人、時にリーザス美人といったように、その日の気分に応じて好きな獲物を味わえる上に、周囲に人気が全く無いので騒ぎになる事も無い。

 

 どの道魔物界に帰った所で、待っているのは面倒な戦争だけ。そんな事もあってか、メディウサはこのシャングリラに滞在し続けている。

 長い時を生きる魔人は時間の感覚に大雑把で、気付いた時には二年以上も経過していた。

 

 

 

(……なんだけど。そろそろ、そうも言ってられなくなっちゃったのよねー)

 

 憂い顔のメディウサは、そばにあるテーブルの上に置かれている、一通の手紙を爪の先で摘む。

 

 その手紙は、自分の命令により世界中を飛び回る使徒が何処からか受け取ってきたものであり、そこには「遂にホーネットを捕まえた、戦争が終わったからとりあえず一度戻ってこい」と、ケイブリスの汚い字で書かれていた。

 

 どうやら自分が戦列を離れていた間に、魔物界の主権争いに決着が着いたようである。という事は、この二年に及ぶバカンスの日々は残念ながらそろそろ終了という事。

 メディウサは数週間前にその手紙を呼んだ時、ショックを隠せなかった。辛い気持ちは今でも尾を引き、それ以降彼女の周りの死体の量が増えた。

 つい先日使徒が持ってきた二枚目の手紙、帰還の催促と思われるそれにはもはや目も通していない。

 

(めんどいなぁ、もう……。ていうかケーちゃん、私が真面目に捜索して無かったって知ったらブチギレそう。……まぁでも、換わりにここを発見したからチャラって事で)

 

 シャングリラの事を知ったメディウサは、この場所は何かに使えると直感した。

 具体的に言えば人間世界への侵攻。前々からケイブリスが宣言していたそれはもう間近に迫っており、人間の世界の中央に位置するこのシャングリラという都市は、その際にとても有用に扱える。

 

 使徒の話だと、どうやらこの都市は人間達も知る事の無い、隠された場所のようである。

 そんな珍しいものを発見した訳で、カミーラの捜索に全く手を付けていなかったと仮にバレたとしても、まぁ見逃してくれるだろうと、メディウサはそんな心積もりでいた。

 

 

(にしても……)

 

 メディウサは爬虫類を思わせる鋭い瞳で、爪先で摘んだ手紙のある一文をじーっと凝視する。

 

(ホーネットの奴、捕まったんだ。……いいなぁ。ケーちゃん、私にも貸してくれないかな。……て、ダメか。あれはカミーラにあげるって前から言ってたし)

 

 はぅ。と、まるで恋する乙女の様に、メディウサは切ない吐息を漏らす。

 

 ホーネットはカミーラへのプレゼント。それは知っている。知っているが、それでも惜しい。自分にも貸してくれないものかと、どうしてもメディウサは考えてしまう。

 

 魔人筆頭、ホーネット。あの澄ました顔の女を虐めるのは、この上なく楽しい一時になるだろうとメディウサには確信が持てる。

 

 彼女はふと自分の爪先を睨む。この爪で、あの女の腹を十字に引き裂いてみたい。

 あるいはと、股間に生えた巨大な蛇に睨む。この大蛇で、あの女の穴という穴を貫いてみたい。

 

 そうすればきっといい声で鳴いてくれるだろう。

 いや、鳴いてくれなくても構わない。歯を食いしばって陵辱に耐える表情も、間違い無く唆るものだろうとメディウサは思った。

 

 

(……んー。なんか、ホーネットを虐める想像したら興奮してきちゃった。早起きした自分へのご褒美といこっか。さっきはゼスの子を食べたから……今度はJAPANの和服美人かな。黒髪のロングで……)

 

 長い舌先をちろちろと揺らして、獲物の事を考えていたメディウサだったが、

 

(……ん、あれ?)

 

 その時、何かが妙だと感じた。

 

(……なんだろ、いつもと違うような……あ)

 

 しばし首を傾げながら考えてようやく分かった。

 アレフガルドだ。使徒のアレフガルドが来ない。

 

 あの使徒はとても優秀な執事。自分が眠りから目を覚ました時には必ずそばに居て、寝起きの喉を潤す水と、乾いた返り血を拭う濡れタオルと、新しい着替えなどなどを準備している筈である。

 これまで数百年以上そうであったはずなのだが、今日に限って何故だかその姿が見えなかった。

 

 

「ちょっとアレフガルドー。何サボってんよー」

 

 これはお仕置きが必要だなと、不満顔のメディウサは何処ぞに居るだろうアレフガルドに向けて、緊張感の無い声を上げる。

 

 だが、それでもアレフガルドは現れない。

 自分が呼んだらすぐに来る筈の、自分に仕える事を生き甲斐としている使徒の不明に、メディウサはその時ようやく、妙な胸のざわめきを覚えた。

 

 そしてその胸騒ぎは、すぐにもっと具体的なものに変わった。

 息が詰まるような、重く、それでいて身を切るような鋭い圧迫感が彼女を全身を襲った。

 

 

「アレフガルドなら、もういませんよ」

 

 プールを挟んだ向こう側。

 建物の影から、メディウサに全く見劣りをしない美しい容姿の魔人が、静かに歩いてくる。

 

「…………っ」

 

 その視界に映るのは、ほんのつい先程、頭の中で都合の良い妄想をしていた魔人の姿。

 その姿に、その威圧感に、顔を石のように硬直させたメディウサは、口だけを何とか動かした。

 

「……あ、んた、なんでここに……」

 

 乾いた声を出しながら、信じ難い目の前の現実を何とか受け入れる。するとすぐに、あまりに無防備な自分の状態に途轍もない危機を感じた。

 

「……あんたさ、何で、シャングリラに居んのよ。ケイブリスに捕まったんじゃなかったの? ていうか、アレフガルドはもういないって、どういう意味な訳?」

 

 とっさに頭に浮かんだ数々の疑問を口にしながら、メディウサはそばにあるテーブルに置かれていた、二本の愛剣に手を伸ばす。

 バカンスの最中にあっても、周到な使徒が武器を用意しておいてくれて助かった。なにより仕掛けられる前に昼寝から目を覚ます事が出来て良かった。それこそ九死に一生を得た気分である。

 

 だがそんな彼女の思惑とは裏腹に、その魔人には不意を突くつもりなどは毛頭無く、先の問い掛けに対して一つだけ答えを返した。

 

「私がここに居る理由など、貴女と戦う以外にありません。……行きますよメディウサ、構えなさい」

 

 その魔人、ホーネットが自身の周囲に展開していた魔法球に、徐々に魔力が満ちて眩しく光り輝く。

 有無を言わせぬその様相に、メディウサは慌ててビーチチェアから立ち上がる。

 

 

 ホーネットとメディウサの戦闘が始まった。

 

 

 

 

 



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VS 魔人メディウサ

 

 

 

 その魔人が自らの周囲に展開させている、六色の魔法球が強烈な光を放ち始める。

 それが彼女にとっての戦闘開始の合図。そっと手を前に突き出すと共に、その頭上に輝く光球から赤と白の光が走る。

 

「ッ……!」

 

  直線上に発射される、風を裂く音と共に襲い来る二本の光線に対し、声を上げる余裕も無くメディウサは横っ飛びで回避する。

 

 ホーネットの得意魔法、六属性の破壊光線。

 それは彼女の魔法の才能と、魔人としての強さも相まって強力無比な代物。光線の通り道にあったテーブルやパラソル、ビーチチェアは瞬時に消滅して塵すら残らない。

 

 そしてそんな強烈な魔法を、その魔人は六つの起点から発射する事が出来る。

 まだ赤と白の光線の残滓も消えぬまま、今度は青色の光がメディウサを狙って放たれる。

 

「この……っ!」

 

 相手の魔法は折り紙付きだが、しかし受け続けてばかりでは戦いにならない。

 メディウサは掌に魔力を溜めると、歪な曲線を描くファイアーレーザーを放出する。

 

 だがメディウサの魔力によって放たれたファイアレーザーは、ホーネットの強大な魔力によって放たれた破壊光線の圧力に押されて行き場を失い、全くの見当違いの方向に飛んでいく。

 

「ぐぅッ!」

 

 自分の放った魔法を押し退けて迫り来る青の光線を、メディウサは自分の身体の中で一番硬く、一番魔法耐性も備わる歪な形の両手で受け止める。

 衝撃と共に凍てつくような冷気が腕中に伝わり、口から思わず苦悶の声を漏らす。 

 

「ちぃッ……!!」

 

 メディウサは憎々しげに舌打ちする。彼女は魔法の才能を有しているが、その才能でもって扱えるのはファイアーレーザーが限界である。

 一方でそれより高い魔法の才能を持つホーネットは、より高い威力の破壊光線を撃てる上に、それを周囲に浮かぶ魔法増幅器によって強化している。 

 更には魔人としての強さでも上回るホーネットの魔法の前では、メディウサの放つ魔法は酷く頼りないものにしか映らなかった。

 

(……ダメだ、やっぱこの距離だと……!!)

 

 ホーネットは直線状を貫く破壊光線を放ち続け、その全てを躱す事は出来ない。回避しきれなかったものは両手で受け止め、その都度鋭い痛みが走る。

 

(私の魔法じゃ、こいつには……!!)

 

 金属とも生物の鱗とも見える、白い異形の手が焼け爛れ始めたのを目にして、メディウサは現状魔法の撃ち合いとなっている、この距離では自分に勝機が無いと認めた。

 何度ファイアーレーザーを放ってもまるで手応えが無く、このままでは相手の魔法で串刺しにされ続けるだけだと感じた彼女は、敵の魔法の打ち終わりの僅かな隙間を狙う。

 

「ジャッッッ──!」

 

 普段の怠惰な姿からは想像し難い、蛇が獲物を喰らうが如き俊敏さで彼我の距離を詰めると、勢いそのままにメディウサは凶悪な形の手を振るう。

 しかしホーネットの顔を引き裂こうと狙ったその爪は、彼女が瞬時に構えた剣によって防がれ、爪と刃での鍔迫り合いとなった。

 

「メディウサ、貴女と戦うのも久しぶりですね」

「ホーネット、むかつく、顔して…!!」

 

 ホーネットの常に冷静な態度、常に冷静な表情が気に食わない。メディウサは苛立たしげに腕を振るって相手の剣を弾くと、自身も両手に一本ずつ、二本の剣を構える。

 

 メディウサのその手に生えた鋭い爪自体が強力な武器で、その理由からあまり剣を抜く機会が無い。

 しかし剣の扱いに関しては才能があり、剣での戦闘は特別才能のある訳では無い素手の戦闘よりも強い、いわば彼女にとっての本気の現れであった。

 

「ぁぁああッ!!」

 

 吠える魔人は、両手に握る剣で叩きつけるような勢いの猛攻を仕掛ける。

 だがその双剣に対峙する魔人筆頭は、それを一本の剣でもって器用に弾く。全く無駄の無い、丁寧であってかつ素早い剣の扱いで、傍から見るとどちらにより才能があるか一目瞭然だった。

 

「近づければ勝てる相手では無いと、貴方なら分かっている筈でしょう」

「ッ……うる、さいよ!!」

 

 相変わらずの平然とした態度に、顔を怒りの色に染めた魔人メディウサ。彼女の脳裏に甦るのは、数年前の戦いの時の事。

 

 

 以前に派閥戦争の最中で両者が対峙した時。

 その時も今と似た展開で、遠距離での戦闘を嫌ったメディウサはホーネットと剣での勝負を挑んだ。

 

 しかし彼女の剣は相手の剣の前に敗れ、接近戦においても為す術が無かった。魔法の才能でメディウサを上回っていたホーネットは、さらに剣の才能でも上回っていたのである。

 その戦闘は結局、使徒を呼ぶ事により逃げる事が出来たのだが、まともな方法でホーネットと戦ってもまず勝ち目が無いと、その時にメディウサは強く実感させられる事になった。

 

 

 時折ホーネットが至近距離で放つ魔法を挟みながらも、二人の剣戟は続く。

 

 実力で劣るメディウサの身には細々とした切傷が増えていくが、魔人にとってそれは然程の有効打にはなり得ない。

 特に彼女にとってそれは顕著で、戦いの合間にもその傷は徐々に治っているように見えた。

 

「さすがに生命力には目を見張るものがありますね。貴女の元の種族の特徴でしょうか」

 

 ホーネットは油断無く剣を構えながら、常と変わらない金の瞳で敵の状態を観察する。

 その視線を受けたメディウサは、より一層の憤りを感じて思わず奥歯を軋ませた。

 

(……ムカつく、ムカつくッ!!)

 

 その冷静な顔も。魔人としては新参もいい所なのに、常に偉そうな態度も。

 そしてそれを際立たせるような豊富な才能も、自分より確実に高いと分かるレベルも、その魔人の何もかもがメディウサには気に食わなかった。

 

 才能はともかく魔人としてのレベルに関しては、長く生きているとはいえ怠惰に過ごすだけだったメディウサと、魔人になってからも鍛錬を欠かさず、戦争になってからは戦い続きだったホーネットとは差があって当然なのだが、そんな理由など関係無く、気に食わないものは気に食わないのである。

 

「このっ、このッ!!」

「──ッ」

 

 怒りに猛るメディウサを前に、僅かに息を呑んだだけでホーネットは冷静さを崩さない。

 冷徹で、かつ苛烈な魔人筆頭の剣は次第に相手を圧倒し、そして遂に彼女が下段から上に振り抜いた剣が、メディウサの無防備に晒されている胸元を縦に深く斬り裂いた。

 

「つ、う……!」

 

 その痛みに、咄嗟にメディウサは相手から距離を取ろうとしてしまい、すぐにそれでは魔法で勝る敵の思う壺だと考え直す。

 その躊躇の隙に、ホーネットが真横に振るった剣が今度は右腕を襲った。

 

 

(くそ、こいつやっぱ強い……!! アレフガルドはやられちゃったみたいだし、こうなったら……)

 

 胸と右腕の深い痛みを感じながら、メディウサは思考する。

 ホーネットは小癪にも、自分と戦う前にアレフガルドを先に倒した様子。もし、使徒が居たなら軽く命じるだけで、すぐにでもこんな所からは離脱出来るのだが、もうその手段を使う事は出来ない。

 

(こうなったらもう……)

 

 逃げる事は叶わず、遠距離でも近距離でも相手にする事は難しい。そんな強敵を前にして、

 

(こうなったらもう、眼を使うしか無いのかも? ……でも眼を使っちゃうと、せっかくのホーネットが……あー!)

 

 戦闘中だと言うのに頭を抱えたい気持ちを抑えきれず、メディウサは内心で悲鳴を上げる。

 

 逃げ場の無い場所での、魔人筆頭との一対一。

 そんな絶体絶命の状況にあっても、メディウサには余裕がある。その理由が彼女に眼にあった。

 

 

 メディウサには石化の眼光という力があり、敵をひと睨みするだけで固めてしまう事が出来る。

 決して比喩では無く、相手を本物の石の彫像に変化させる、そんな特殊能力がその魔人の両目には宿っていた。

 

 この能力に関しては、ホーネットも知らない筈である。誰かに話した覚えは無いし、自分でも嫌っている能力なので戦場でもまず使用しない。知るとしたらすでに倒されてしまった使徒ぐらいなもの。

 

(試した事は無いけど、多分これは魔人相手にも効く。ちょっと睨んじゃえば、こんな戦いすぐに終わるけど、でもそしたらホーネットで楽しめなくなっちゃう……あーどうしようどうしよう!!)

 

 メディウサは今まで、ホーネットとの息つく暇もない緊迫した攻防を、そんなジレンマを抱えながら行っていた。

 つまり、石化の眼光を使えばこの戦いには勝つ事が出来るのだが、すると勝利後のお楽しみタイムが無くなってしまうのである。

 

 何故このシャングリラの地に突然ホーネットがやって来たのか、メディウサにはまるで分からない。

 だがこの際理由などどうでも良く、これはまたと無い大きなチャンスだと考えていた。

 

(なんたって、ホーネットは極上の獲物……。これ以上は無いって相手だし……)

 

 偉そうでいてムカつく、それでいてすぐには折れないだろう鋼の胆力。 

 その美貌も相まって、何を捨ててでも楽しみたい格別な相手。そんなホーネットであるが、魔物界での戦争の最中でやられたのでは、彼女はカミーラのものになってしまう。

 

 しかしここはシャングリラ。

 ここには自分に逆らう者などおらず、ここでなら心ゆくまでホーネットを蹂躙する事が出来る。

 延々と苦痛を与え続けて、最後終わった後に残る魔血魂。それをケイブリスに渡して、戦いの中で手加減が出来なかったとでも言えば十分だろう。

 

 だがそんな夢の様な時間は、眼の力で片付けてしまうと味わう事は出来ない。顔色も分からない物言わぬ彫像となったホーネットでは、何も楽しむ事は出来ないのだ。

 

(この石化は私じゃ……、くぅぅ、アレフガルドさえいればぁ……!)

 

 彼女の瞳による石化、一応それは魔法でもって解除は出来る。だがメディウサにはその魔法を扱う才能が無い為、自分では解除する事が出来ない。それが彼女がこの能力を嫌う一番の理由。

 同じく才能は無いが、色々と何でも有りなアレフガルドに頼めば何とか出来たかもしれないが、しかしアレフガルドはもう倒されてしまった。

 

 

(……ホーネットで遊びたい。絶対遊びたい。……でも、ちょっと勝てる気しなーい。もう、眼を使っちゃおっかな。……でも、遊びたいぃ……)

 

 答えの出せない問題を、メディウサは頭の中で延々と繰り返す。

 

 あまり泥臭く戦うのは面倒なので好みではないが、もう少しホーネットとの戦闘を続行して、何とか勝機を見出してみるか。

 だが、それは当然に危険も伴う。どんな楽しみも自分の命には代えられないし、もう眼を使ってしまって戦闘を終わらせるか。

 

 そんなメディウサの逡巡を、

 

 

 

 

 

「ランス、アターーーック!!!!」

 

 彼女の背後、建物の影から飛び出してきた、ランスの必殺技が鋭く斬り裂いた。

 

「うっひょおーー!!」

 

 嬉々とした声を上げる魔剣カオス。その刃は衝撃波を伴いながら振り下ろされ、魔人メディウサの左腕をいとも容易く切断した。

 

「なっ、に……ぐ、ぅ……!!」

 

 突然背後から放たれた衝撃波に身を叩かれ、驚愕するメディウサを遅れて焼けるような痛みが襲う。

 地に落ちた左腕を目にして、自分のそれが斬り落とされた事をようやく理解した。

 

 

「遅かったですね。すぐに加勢すると言っていたではありませんか」

「ホーネット!! お前のぶっ放す魔法が危なっかしくて、中々近づけなかったんじゃい!! 俺様が近くに居る事を考えて戦わんか!!」

 

 敵を挟んだ向こう側、作戦通りに動いたつもりのホーネットに向け、ランスは大声で怒鳴る。

 

 彼はホーネットが戦っている間に、周囲の建物の外周を回ってメディウサの背後に周り、タイミング良くその隙を狙う事を計画していた。

 しかしその魔人が連発する破壊光線は、建物の壁など問答無用で破壊する為、その後ろにいたランスはひーひー言いながらホーネットの魔法から逃げ惑うという、先程まで割とピンチを味わっていた。

 

 ともあれ、戦闘前にランスが計画した得意の奇襲作戦。それが見事にメディウサ相手に決まった。

 

 

「何、何よあんた……、一体誰……!」

 

 左腕の切断面を右手で庇うメディウサの頭の中は、戦闘後の獲物を思う余裕と悩みが消えた代わりに、焦りと混乱で占められていた。

 

 突如戦闘に乱入した、この男は誰なのか。

 男が手に持つ武器、無敵結界を断ち切る事が出来る、あれは恐らく魔剣だろう。

 何故魔剣を持つ男がホーネットと協力をして、今自分に刃を向けているのか。

 

「俺様の事が知りたいか。そーかそーか、いいだろう。ならば教えてやる、俺様は──」

 

 狼狽するメディウサの疑問に大声で答えてやろうと、大きく息を吸ったランスだったが、

 

「……っ」

 

 そこで言葉に詰まり、そのまま息を飲み込む。

 

 彼は今まで建物の裏側でこそこそしていて、そのプールの惨状を目にしていなかった。

 以前の記憶を呼び起こす、美しい女性達の鮮血と骸の山を目の当たりにしたランスは、不快感を吐き出す様に小さく息をついた。

 

「……蛇女。ここで死ぬお前が知る必要はねーな。さっさとくたばりやがれ!!」

 

 もはや話す気も失せたランスは、魔剣を振りかぶりながら猛然と突進する。そして、同じタイミングでホーネットも動き出す。

 魔剣を握る男と魔人筆頭。二人に挟まれたメディウサにはとても攻撃など考えられず、股間に生えた蛇と残された右手の剣で、両者の剣を払いながら回避するのがやっとだった。

 

(まずい……まずいまずい!! これもう、悩んでる場合じゃない!!)

 

 戦闘後ホーネットで楽しみたいとか、後の事を考える余裕はもう何処にも無い。

 生命力に優れている魔人メディウサだが、魔剣は魔人にとって天敵とも言える存在。ホーネットの剣でも傷付けるだけだったその腕を、先程一撃で両断したのが良い例である。

 このままではいつ致命傷を受けるか分からず、逃げようと離れたら魔人筆頭の魔法で焼かれるだけ。

 

 もはやこの窮地を凌ぐには、眼の力を使う以外にはあり得ないと、メディウサは即座に決断した。

 

 

(──よし)

 

 そして彼女は両の瞳に力を込める。

 

 まずは当然ホーネット。

 自分より強い魔人筆頭を無力化出来れば、魔剣を持つだけの人間の男などどうとでも処理出来る。

 

「ふッ!!」

 

 メディウサは牽制の為、魔剣を持つ男に対して股間の蛇を走らせる。

 

「チィ、邪魔くせぇ!!」

 

 意思持つムチの如き、縦横無尽に振るわれるその蛇を、ランスは魔剣でもって弾き返す。

 そうして片方をその場に足止めしながら、メディウサは逆側にいる相手をその眼で睨んだ。

 

 

(これで──!)

 

 ──決まった。

 この瞳の力により、その魔人の全身はすぐに石塊に変化する。そう確信していたのだが。

 

(……え、あれ、なんで)

 

 メディウサは理解出来ないものを見たかのように、その思考を一瞬放棄する。

 石化の眼光がホーネットの事を睨むが、しかし見計らったように視線を外されて目が合わない。この能力はただ睨むだけでは意味が無く、相手と自分の目が合わないと発動しないのだ。

 その魔人は近距離で自分の右手と剣を交えているのにもかかわらず、目を合わせようとするとその瞳だけが逃げてしまう。

 

(何これ、偶然……? っ、なら……)

 

 ホーネットの剣が、男の魔剣が徐々に彼女の身体を刻んでいくが、片手で両者と打ち合う事など出来ず、転がるようにしてどうにか一度距離を取る。

 

 そして今度はホーネットより隙の大きい謎の男。

 魔剣カオスを持っているこの男を排除しようと、メディウサは石化の眼光をランスに向けた。

 

 だが。

 

 

「ひょいっと」

「っな、あ、あんた……!!」

 

 ランスは小馬鹿にするような声と共に大きく首を振り、メディウサから顔を背ける。その大袈裟な態度を目にして、彼女はようやく理解した。

 

(こいつらまさか、私の能力の事知ってるの!? なんで!?)

 

 誰にも教えた事の無い自分の特殊能力を、一体何故知っているのか。メディウサには想像が及ばなかったが、だが知っているとしか思えない。

 何度も視線を合わせようとしても、ホーネットは器用に瞳を逃がすし、ランスに至っては戦闘の最中だと言うのに、身体の向きごと反らす始末だった。

 

 

(……え。ちょっと、ねぇちょっと待ってよ。これじゃ、どうやっても私には……)

 

 自分より剣も魔力も何もかも格上のホーネットと、魔人を造作も無く切り裂く魔剣を持つ男。

 そんな二人を前にして、万能の使徒も倒されて、自分の切り札も封じられている。

 

 これではどうやっても自分には勝ち目が無い。

 

 

 メディウサが自身の敗北を悟ってしまったのと、

 

「とどめ、だッ!!」

 

 ランスの振り下ろした魔剣がその魔人の背後、肩口から胸まで深々と斬り裂いたのは、期せずして同じタイミングだった。

 

 

「が、っは……! ……っ、ぁ、ぁ」

 

 メディウサの口から鮮血が溢れ出し、力の抜けた右手から剣が落ちる。

 一目で致命傷だと分かる、胸元までを抉る魔剣の刃から何とか逃れようと、よろめく足で前に進む。

 

 しかし二歩三歩と進んだ所で、今度は正面からホーネットの剣が襲う。

 力無く振るわれたメディウサの右の爪を躱すと、その剣が胸の中心を貫いた。

 

「ごは、ぁっ……」

「終わりです、メディウサ」

「ホー、ネット……」

 

 その剣が引き抜かれると同時に、その身体から急激に力と痛みが抜けていく。

 

「く……そ、」

 

 自分の死期を悟ったメディウサは、悔しげな表情で眼前の魔人を睨む。

 何から何までとても気に食わない、だからこその極上の獲物であったホーネットには、結局まともな傷一つ与える事が出来なかった。それが心残りがあったのか、最後にもう一度だけ瞳に力を込める。

 

「…………だめ、か」

 

 けれどもすでに目が霞み、視界がぼやけて前が見えない。

 

 もはや石化の眼光を使う力も無いのだと知ったメディウサは、荒い息を吐きながら口を開いた。

 

「……不思議、なんだけど、さ。あんた、何で眼の事、知ってたの? ……誰かに言った覚え、無いん、だけど……」

「……何故でしょうね。本当に、不思議な男……」

 

 ホーネットは息も絶え絶えに言葉を発したメディウサでは無く、少し離れた別の方を向いていた。

 

「何、それ……」

 

 ──全然答えになってない。

 メディウサが物言わぬ魔血魂となる直前、最後に考えたのはそんな事だった。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「死んだか」

 

 魔剣を収めて近づいて来たランスが、プールサイドに転がる魔血魂を軽く拾い上げる。

 僅かな間、手に取ったそれをじっと眺めていたが、しかしすぐに興味を無くしたのか、何も言わずにポケットの中にしまい込んだ。

 

 魔人メディウサは、ランスとホーネットの手により討伐された。

 常ならばこんな時、大声で勝ち名乗りを上げていたであろうランスだったが、周囲に女性の死体が散らばるこの状況下では、あまりそのような気分にはならなかった。

 

「……だがまぁ、うむ、俺の大勝利だな。また一つ、俺を彩る輝かしい功績が増えてしまったぜ」

「半分以上、働いたのは私ですが」

「ホーネット君。こういうのはだな、誰がどれだけ働いたとかはどーでも良くて、英雄たる俺様主導の下、蛇女を倒したという事実が大事なのだよ」

 

 調子の良い言葉と共に、何度も大きく頷くランスの姿を視界の端に捉えながら、ホーネットはメディウサを貫いた剣を鞘に収めながら少し考える。

 

 メディウサの逃げ場の無かったこの状況下においてなら、恐らく自分一人でも勝てたとは思う。

 

 けれどもメディウサの瞳に秘された特殊能力。それを事前に聞いてなかったら自分とてどうなっていたかは分からないし、生命力に優れた敵をこれだけ早く倒せたのは、魔剣の力に寄る所が大きい。

 ならば正面から戦える自分が囮になり、魔剣を扱えるランスが隙を突くという彼の提案した奇襲作戦も、役割分担としては理に適っているのだろう。

 

 先の戦いをそのように冷静に分析したホーネットは、周囲に展開していた魔法球を解除して、装着していた巨大な肩当てを一度地面に下ろす。

 重い鎧を下ろして、一度大きく肩で息をすると、達成感と共に少し緊張から解き放たれた気がした。

 

(……ふむ)

 

 そして、そんなホーネットの様子を、今まさにランスは冷静に分析していた。

 彼女が防具を外して、その身に透けた薄布一枚しか着ていない見慣れた状態になったのを見て、考えていた二つ目の作戦を実行する事にした。

 

 

「……っ、ぐっぅ……!」

 

 突然ランスは呻き声を漏らしたかと思うと、腹部を押さえてその場にうずくまる。

 

「どうしました?」

「……どーやら腹を、あいつが振り回す大蛇に噛まれてたみたいだ、っ……!」

 

 そして激痛を堪えるかのように唇を噛む。その額には脂汗まで浮かんでいるように見えた。

 

「見せてください。私は神魔法が使えますから、すぐに回復して……」

 

 そんなランスの様子に、慌てて近づいて来たホーネットの、メディウサとの戦闘が終わった事による、僅かに弛緩した彼女の隙。

 

 

 

 

「すきありーーー!!!」

 

 その隙を突いて、ランスはホーネットに正面から飛び付いた。

 

「っ、」

「ほへー、おっぱいおっぱい。やーらけー」

 

 息を呑むその女性の豊かな胸の谷間に、ランスはすりすりと頬ずりしながら顔を埋める。

 逃げる事も抵抗もさせないとばかりに、地面に片膝を立てたランスは自らの腕を彼女の背中までがっちりと回し、その両腕をしっかり抑え込んだ。

 

 ランスの二つ目の作戦。メディウサとの戦闘とは特に関係が無い、ホーネットへのセクハラ作戦。

 そんな事を計画したのはつい先程の話では無く、魔王城を出発した時からであった。

 

 移動中などで一緒にうし車に乗っている時から、ランスはずっとセクハラする機会を伺っていたのだが、そもそも隙が無い相手な上に、敵地に乗り込む覚悟でいたホーネットには、今までごく小さな気の緩みすら無かった。

 これはメディウサとの戦闘が終わるまでは、ホーネットの警戒は解けそうに無いなと感じていたランスは、この隙を逃さぬとばかりに奇襲を仕掛けたのだった。

 

(ホーネットに触れるのはこれが初めて、ぐふふふ、やっぱエェ身体よのう……!)

 

 魔人筆頭との初接触。前回の時に逃してしまったそれを、ランスは存分に楽しむ。

 

「すーりすり、すーりすーり」

「………………」

 

 胸の谷間に顔を埋めていると、今の彼女の様子が何も分からない。少し身体を強張らせているように思えるが、振りほどくような気配は無い。

 抵抗しないのならばと、その極上のシルクのような肌、更にはそのたわわな胸の柔らかさを顔面で味わっていたランスだったが、彼女の反応があまりに無い事が次第に気になってきた。

 

(……うーむ。もしかしてこれ、怒ってる?)

 

 怒られて当然の事をしながら、ランスは悠長にもそんな事を考える。

 今までホーネットの視線による威圧を受けた事は何度もあったが、直接怒られた事は無いような気がしたランスは、仮に彼女が怒ったらどうなるのだろうかと、遅まきながら少々怖くなってきた。

 

(……でもさすがに、いきなり俺に魔法を撃ったりはしないよな? ……いや、するかもしれんぞ)

 

 ランスの首筋にスッと冷たいものが走る。この距離でホーネットの魔法を食らったら、さすがの自分でも耐えきれる自信が無い。

 もし相手が実力行使に出ようとしたら、即座に逃げ出そうと決めた彼は、ホーネットの背中に回していた腕を僅かに緩める。

 

「………………」

 

 腕が動かせるようになったホーネットは、右手を片膝立ちの相手の肩にそっと置く。

 びくりと大袈裟に肩を揺らすランスに向けて、静かに口を開いた。

 

「……腹の傷は、大丈夫なのですか?」

「傷? ……あ、そうだったな。うむ、お前の胸の感触を味わったら、すっかり痛みが引いたようだ」

「……そうですか」

 

 途端にホーネットは一歩下がり、ランスから身体を離す。

 

「痛みが引いたならば、しっかりと立ちなさい」

「お、おう」

「では、メディウサの討伐も終えた事ですし、魔王城に帰りましょう。……そういえば、シャリエラにも一言お礼を言うべきかも知れませんね」

 

 言いながらその魔人はランスに背を向け、シャリエラを残してきた方へとすたすたと歩き出す。

 先程のセクハラをまるで気にしていない様子に、ランスは安堵するよりも奇妙に思う気持ちの方が強くなり、思わずその背中に向けて声を掛けた。

 

「なぁホーネット、さっきの怒ってないのか?」

「……怒って欲しいのですか?」

「いや、全然」

 

 振り向かないままのその言葉に、ランスは慌てて首を横に振る。

 

「……ランス。貴方が弁えない人間だと言う事は重々理解していたにも拘らず、先程は私に油断がありました。……だからという訳ではありませんが、大目に見ます」

「……おお、マジか。大目に見るのか」

 

 ランスの頭にあるホーネット像からは、少し考えられないような寛大な対応。

 そういう事ならばもう一度と、後ろから抱き締めるように彼女の胸に手を伸ばす。

 

「ぐっ、」

 

 だがその途中で、背後からでも分かる彼女の威圧を受けたランスは、慌てて手を引っ込めた。

 

「ですが、次があるとは思わないように」

「……ぬぅ。だがなホーネット、俺様がそんなんで諦めるとは、お前も思わんほうがいいぞ」

 

 二人は言葉を交わすが、相変わらずホーネットはランスに背を向けたまま。

 以前、自分から視線を逸らすこの魔人の姿は珍しいなと感じたランスだったが、その顔すら向けないというのは更に珍しい。

 

 何となく、今のホーネットの表情が気になったランスは、彼女の横側からそーっと覗き込む。

 だがその顔が見えるまさにその直前、先程よりさらに強烈で、寒気すら覚える程の威圧を受けたランスは、びくっと身体ごと仰け反った。

 

「遊んでいないで、行きますよ」

「いや、遊んでねーっつの。……てかホーネット、こっち向けよ」

 

 ホーネットはそれに答えようとはせず、代わりに小さく吐息を漏らした。

 

 

 ランスは彼女の溜息の音を耳にしながら、

 

(……そういえば、こいつに名前を呼ばれたのっていつ以来だ?)

 

 そんな事を、何気無く考えた。

 

 

 

 

 

 



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オアシス都市シャングリラ②

 

 

 キナニ砂漠にあるオアシス都市、シャングリラ。

 そのプールサイドでの、魔人メディウサとの戦闘終了後。

 

「お、いたいた」

 

 プールから程近い距離にあった建物の屋上、そこに居たシャリエラの下までランス達は戻ってきた。

 

 

 メディウサとの戦闘が始まる前。戦いになったら危険だからと、ランス達は彼女の事を安全な場所に避難させていた。

 

 実はそのシャリエラはある特別な能力を有しており、ランスはそれを前回の経験から知っていた。

 その力を使えば戦闘が楽になる為、メディウサとの戦いに関しての作戦を考えた時に、彼女の力を使う事を少しだけ考えた。

 

 だがシャリエラには特別な能力はあれど、敵と戦う戦闘能力などは全く無い。なので自分とホーネットの二人しか居ない現状で、自分の身を護る術の無い彼女を戦闘に出してしまうと、いざと言う時にその身を守れるかどうかの保証が無い。

 基本的に後衛を守るのは盾を持った屈強なガードの仕事であり、そのような存在を一切連れて来なかったランスは、メディウサとの戦いではシャリエラの力を使うのを止めたのだった。

 

 

「シャリエラよ。この俺の大活躍、ちゃんと見てたろうな?」

「……うん、見てた」

 

 しかし戦いには参加させずとも、せっかくだから自分が活躍している姿を見せようと思ったランスは、シャリエラに「どこか眺めの良い場所で俺様の戦いを見ているように」と命じていた。

 彼女はその命令通り、見晴らしの良いこの建物の屋上に上がって、この場所からランス達とメディウサの戦闘をずっと眺めていた。

 

「どーだシャリエラ。俺様は凄かっただろ」

「……うん」

「がははは! そーだろうそーだろう。蛇女を退治出来たのは、あの使徒を連れ出してきたお前の活躍もあるからな、褒めてやろうじゃないか」

「……うん」

 

 

 シャリエラはランスが考えた作戦通りに、アレフガルドの事を連れ出してきた。

 

 主であるメディウサが昼寝についた後、さて掃除でもしようかと考えたアレフガルド。しかしそんな彼の下に、シャリエラがとことこと近づいてきた。

 暇だから遊んで遊んでと、棒読みの声で要求するシャリエラに、ほとほと困り果てていたアレフガルドだったが、引っ張られるようにして彼は、ランス達が待ち伏せていた場所まで来てしまった。

 

 そして桁外れの執事たるその使徒は、ランスの魔剣の一振りによりあっけなく斬り殺された。

 

 

 そんな事の顛末を思い出し、褒美にその頭でも撫でてやろうかと手を伸ばしたランスだったが、

 

「……む」

 

 しかし途中でその手を止める。

 普段通りの無表情のシャリエラは、プールを眺めたままの姿でぼんやりとしている。先程から声を掛けてもこちらに顔を向けないその様子に、ランスは何やら妙に感じた。

 

「おい、どしたシャリエラ」

「……私は以前、デスココ様に仕えてた」

「あぁ、そりゃ知ってるが」

「……私はデスココ様に仕える為に生まれた人形。今までデスココ様からは何も命じられた事は無かったけど、いつデスココ様に呼ばれてもいいように、お料理やお掃除、踊りの練習を沢山した」

 

 いきなり何の話だと、首を傾げるランスを無視して、シャリエラはどこかを眺めたまま、ぽつぽつと自らの過去を語る。

 

「……でも、デスココ様にそれを披露する事は一度も無くて、デスココ様は私の目の前でメディウサ様に殺された。だから、……それだけ」

 

 シャリエラの目の前で主の命を奪ったメディウサは、同じように彼女の前でランス達に倒された。

 

「………………」

 

 その踊り子は相変わらず、心の内を覗かせない人形のような無表情。だが儚く佇むその姿に、何となく声を掛けるのを躊躇ったランスは、代わりに自分の横にいた魔人に声を掛けた。

 

「なぁホーネット、こいつの事どうすっかな。ここに置いて帰るってのもちょっとあれだし」

「……私に聞くより先に、貴方は答えを出しているのではありませんか?」

「お、よく分かったな。まぁそんな訳でだ、こいつは魔王城に連れて帰るぞ」

 

 広大で、人の気配の全く無いこのシャングリラの地に、シャリエラ一人を残していくのはさすがに気が引けたランスは、彼女をお持ち帰りする事をすでに決めていた。

 ついでに言ってしまうと、せっかく主人になったのにもかかわらず、ランスはまだシャリエラを味わっていなかったのである。

 

「別に問題ないだろ?」

「……まぁ、今更の話ではありますね」

 

 ホーネットは不承不承と言った様子で答える。本来は魔王を筆頭として、魔人や魔物達の住処である魔王城には、すでにランスを含めて外から来た客が何人か居る。それが一人増えた所で確かに今更の話ではあった。

 

「ですが、あの城はあくまで美樹様の物。私の許可を得た所で、美樹様が何と言うかは知りませんよ」

「美樹ちゃんはシャリエラ一人でどうこう言う子じゃ無いっての。よし、おいシャリエラ」

 

 変わらない様子で遠い目をしている踊り子の頬を、ランスの右手がつまむ。

 むにんとほっぺが伸び、それにようやく反応を見せたシャリエラがその顔を向けた。

 

「なに?」

「俺様はこれから魔王城に戻る。お前もご主人様に着いてくるんだ、いいな?」

「……うん、分かった」

 

 何処と無く元気が無さそうなシャリエラは、それでもこくりと、しっかり頷いた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「うし、じゃあ魔王城に戻るとするか。……あぁ、戻るのか。戻らにゃあならんのか……」

 

 さて帰るぞと、シャングリラの正門前からキナニ砂漠を眺めた瞬間、ランスの出したげんなりとした声に、ホーネットの眉が僅かに動いた。

 

「ランス、何ですかその言いようは。貴方にとって、魔王城は居心地が悪いのですか?」

「そうじゃない。そっちじゃ無くてな、まーたこの砂漠を越えにゃならんのかと思うと、今からやる気が無くなるっつーかなんつーか……」

 

 眼前に広がる灼熱の砂漠、その地獄の道のりを思い出したランスはがっくりを肩を落とす。

 キナニ砂漠を進むのは来た時にも散々愚痴を漏らしたが、帰るとなってもやはり憂鬱だった。

 

「……つーかあれだな。蛇女との戦闘もあって結構疲れたし……」

 

 いっそ今日はここに泊まっていくのも良いか。

 そんな事をやや逃避気味に考えたランスの脳裏に、ふいにピンと来るものがあった。

 

「……あー。そういやぁ確か……、いやけど、ありゃ何処だったかなー……」

 

 ランスはぽりぽりと頭を掻く。実はキナニ砂漠には簡単に移動出来る手段が一つ存在しており、彼は前回の経験からその事を知っていた。

 しかし毎度の如く、その時の記憶がもう曖昧である。自分の脳に頼る事を早々に諦めたランスは、ちらりとその魔人の顔色を伺った。

 

「なぁホーネット。お前、まだ魔法は使えるか?」

「えぇ、勿論。メディウサとの戦闘は然程長引きませんでしたから」

「よし、んじゃあちょっとお前に働いてもらうか」

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 私は以前から思っていたのだが、彼はとても無口だと思う。

 私がどれだけ話しかけても、彼は言葉を返してくれない。恋人の私に、褒め言葉の一つぐらいくれてもいいのにと、口を尖らせてしまう事もある。

 

 けれど、無口でも構わない。私は彼のそんな硬派な所も好きだし、それにきっと照れているのだ。

 彼のすらっとした細長い身体に向けて、くすぐるように息を吹きかけると、彼は恥じらうようにその身を揺らす。

 その様子が、なんとも愛らしくてたまらない。

 

 私は思わず緩む口を結ぶと、そんな彼に唇をそっと寄せて──

 

 

 

 

「ホーネット、次はここ。この辺の壁をぶち壊せ」

「……白色破壊光線」

 

 魔法球から放たれた白い光線が、外側から反対側の壁までを遠慮無く貫通していく。

 

「ぎゃあーーー!!!」

 

 すると部屋の中に居た少女の口から、少々聞こえの悪い悲鳴が上がった。

 

「お、ハウセスナース発見。やーっと見つけたぜ」

 

 そこに居たのは『地』の二つ名を持つ聖女の子モンスター、ハウセスナース。

 大地に関する事なら大概の事を行える力を持つ、とても恋多き神様である。

 

 

 前回の時、シャングリラでハウセスナースを発見していたランスは、今回もきっと何処かに居るだろうと当然のように考えた。

 しかしその居場所が分からない。前回は同じく聖女の子モンスターであるベゼルアイ、彼女がハウセスナースの気配を察知してくれたが、今自分のそばにその神様は居ない。

 

 そこでランスは仕方無く地道に探す事にした。まだ都市内に僅かに残る魔物兵達の掃討も兼ねて、ホーネットを連れ歩きながらその高火力の魔法に物を言わせ、塀やら壁やらの一切を手っ取り早く片付けて、手早くシャングリラ内の捜索を行った。

 

 そしてようやく、とある小さな建物の中にハウセスナースを発見して、ご満悦な様子のランス。

 その隣には散々魔法を撃たさせて、疲れとも呆れとれる小さな息を漏らしたホーネット。

 そんな彼女の肩を、シャリエラが労うようにぽんぽんと叩いていた。

 

 

「見ろ二人共。こいつは世にも珍しいイカマンに恋する女……て、あれ? イカが居ないぞ。もしや、さっきので死んじまったか」

 

 白色破壊光線によって円状に空いた壁の穴から覗ける、部屋の中をランスはきょろきょろと眺める。

 彼の朧げな記憶では、シャングリラに居たハウセスナースの恋人はイカマンであった。だが前回の時に499782回目の恋となった、イカマンの杉本君とは彼女はまだ出会ってはいなかった。

 

「いきなりやって来て、イカって何のことよ!! ていうか、あんた誰!!」

 

 二つに結んだ水色の髪先を怒りに揺らしながら、恋人との逢瀬の時間への突然の乱入者に対して、ハウセスナースはがなり立てる。

 

「俺様はランス様だ。ハウセスナースよ、お前にちょっくら頼みがある。お前の力でキナニ砂漠に道を作ってくれ」

 

 それは前回の時も彼女に要求した内容。ハウセスナースは地を操る力によって、キナニ砂漠に整地された道を作り出す事が出来る。

 その道なら砂漠に掛けられた迷いの力を無効化出来る為、迂回した道を通らず一直線に進めるし、整地された道ならば砂に足を取られる事も無い。

 そこを通った方が遥かに楽に帰れるので、そんな理由でランスは彼女の事を探していたのだった。

 

「はぁ? なんでこの私が、そんな事しないといけないのよ」

「なんでって、んなの俺様が帰りの道に使うからに決まってんだろ」

「なら駄目。私の力はね、そんな勝手な事の為に使う訳にはいかないの」

「あんだと? 勝手ってお前、イカの為に力を使うような奴が何を言うか」

 

 しっしと、邪魔者を蹴散らすかの様にハウセスナースは手を払い、一方のランスはこめかみに青筋を浮かべて相手を睨む。

 この二人は前回の時からあまり相性が良い関係では無く。ランスの決して下手に出ない偉そうな態度もあってか、ハウセスナースは願いを叶えてあげる気には全くならなかった。

 

「ハウセスナース、この俺様がこうして頭を下げて頼んでるんだ。つべこべ言わずに力を使え」

「あんたの頭、下がってるようには見えないけど」

「……いーから俺様の言う通りにしろ。さもないと、お前のあそこに俺様のをぶち込むぞ」

 

 苛立つランスは傲然と彼女を見下ろしながら、従わなければ乱暴するぞと宣言する。

 ただ、それはあくまで脅し文句。なぜならハウセスナースは現在、ランスのストライクゾーンの外側となる容姿をしているからである。

 

 聖女の子モンスターは大人と子供の形態を交互に繰り返す神様で、今のハウセスナースは子供形態。

 性豪のランスだが幼女趣味は全く無いので、今の彼女を襲うつもりはさらさら無かった。

 

 だが、ランスのそんな事情などは、彼のそばに居た二人は当然知る由も無く。

 

「………………」

「……な、何だよホーネット」

 

 もしかしたらだが、この魔人と出会ってから今まで見た中で、一番冷たい視線かもしれない。

 ホーネットの金の瞳に見つめられ、思わず表情を引き攣らせたランスはそんな事を思った。

 

「……貴方は、このような幼い少女にまで性欲を向けるのですか」

「ランスは小さい女の子が好きなの?」

「ちゃうわ!! こいつは聖女の子モンスターっつって、今はこんなちんちくりんだが、すぐに大きくなる奴なんだっての!!」

 

 ランスは自らの言動でもって招いてしまった、ロリコン疑惑を慌てて否定する。

 意味がよく分かっていないのか、シャリエラの表情は普段通りであったが、同じく普段通りに見えるホーネットの視線に、軽蔑の色が混じっているように見えたのがとても辛かった。

 

「……つーか、んなこたどうだっていい。とにかくハウセスナース、砂漠に道を開け。減るもんじゃ無いし、一回位構わねーだろ」

「駄ー目」

「ぐぬぬ……んだとぉ……」

 

 ──クソ生意気な、自分のハイパー兵器はこれ相手では立たないから無理だが、そこらの木の棒でも本当に突っ込んでやろうか。

 とそんな危ない考えを、怒りのあまりについ頭に浮かべてしまったランスだったが。

 

「……いい事思い付いた。なぁ、お前恋人が居るんじゃねーか? 居るなら俺様に紹介してくれよ」

「えっ」

 

 その言葉に、ぱっとハウセスナースの顔が明るくなる。

 

「何、あんた私の彼に興味あるの!? いいわよ、そこの彼が私の恋人。どう、可愛いでしょう!?」

 

 喜色満面の聖女の子モンスターが指差したのは、窓際に置かれた植木鉢に咲いた小さなお花

 彼女は神様だからかどうなのか、恋人の選択に関しての守備範囲が莫大に広く、人間や魔物は勿論の事、はてはムシや無生物でも何でも構わないといった有様だった。

 

「……それか」

「うん! スリムな身体と、ひらひら揺れる花びらがとても素敵でしょう!!」

「……なんつーか、イカの方がまだマシな気がするな。まぁいい、んじゃハウセスナースよ、俺様の言う事を聞かないなら、その花をちょん切るぞ」

「な!! そんな事したら、あんたの事地面に埋めてやるからね!!」

 

 指をちょきちょき動かすランスの事を、目を吊り上げたハウセスナースがぎりっと睨む。

 大事な恋人を人質に取られてしまった彼女は、そのまま少しの間ランスと睨み合っていたが、

 

「……もういい、分かったわ」

 

 やがて考えを改めたのか、大きな溜息を吐き出した。何となく目の前の男が気に食わないので断っていたが、砂漠に道を作るくらい大した手間では無いし、何より恋人の命には代えられなかった。

 

「……あんたの言う通り、キナニ砂漠に道を開いてあげる。……けれど条件があるわ」

「条件だと?」

「道は開くから、あんた達はとっととこの部屋から出てって。私、彼との時間を邪魔されたく無いの」

 

 ハウセスナースはちらりと窓辺に置いた植木鉢を見る。そろそろ彼にお水をあげる時間だった。

 

「彼って、花じゃねーかよそれ。まぁがきんちょのお前に興味は無いから、言う通りにしてやろう。その代わり、大きくなったらちゃんと俺様に抱かれに来いよ」

「何がその代わりなのよ!!」

 

 

 

 

 そして。

 

 窓を開けたハウセスナースは、そこから見える砂漠に向けて手をひょいひょいと動かす。

 それだけで「もう終わったから」と告げたハウセスナースは、邪魔者のランス達を部屋から追い出し、物言わぬ恋人を愛で続ける作業に戻った。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「わぁ、すごい」

 

 口を小さく開けたシャリエラが、あまり驚いているようには聞こえない驚きの声を、目の前のキナニ砂漠の光景に対して上げる。

 

 本来なら波打っているはずの砂漠は見晴らす限り平らに整えられ、砂地は歩きやすいようにしっかりと固められている。

 そして来た時のように目的地まで迂回する必要の無い、真っ直ぐに伸びた砂の道が、ハウセスナースの力によりキナニ砂漠に出現していた。

 

「これでよし。まぁくそ暑いのはどうしようも無いが、こっちの方が何倍も楽だよな」

 

 安全に整備された砂漠の道を眺めながら、ランスは満足気に頷く。

 

「そうですね。これで時間を掛けずに魔王城に戻る事が出来ます。では、行きましょうか」

「うむ。シャリエラ、お前も着いてこいよ」

「うん、分かってる」

 

 一向は魔王城に一番近づける、ヘルマンの方角に向けて砂漠の道を歩き出す。

 ランスの隣にホーネット。そのすぐ後ろを、ちょこちょことシャリエラが続いていた。

 

「ランス、魔王城ってどんなところ?」

「ふむ、そうだな。世にも恐ろしい魔物共がいーっぱい居る所だ。油断してるとシャリエラなんかぱくーっと頭から食われちまうから、十分注意しろよ」

「そのような粗野な魔物は城には入れていません。間違った印象を与えないでください」

 

 魔王城には礼儀正しい魔物しか居ません。と、睨むホーネットの視線を受け流して、ランスはふと魔王城に思いを馳せる。

 

 ここまでのホーネットとの二人旅。それは関係性を深めるという点では有意義なものであったのだが、なにせ現状手が出せないので、ランスの性欲は溜まる一方である。

 当然彼はは我慢など出来ないので、途中ヘルマンの町に立ち寄った際などで羽目を外していたのだが、そろそろ自分の女達で思う存分発散したい。

 ついでに言うと、ランスはそろそろあのピンクの頭を、もしゃもしゃしたい気分だった。

 

「……魔王城に残して来たあいつら、俺様が居ない寂しさのあまりに、ぴーぴー泣いてるに違いない。帰ったら全員可愛がってやらんとな、うむうむ」

「………………」

「……ホーネット、その目はなんだっつの。お前だって、魔王城の事は気になるだろ?」

 

 彼女は現在の魔王城の実質的な主であるし、何より真面目な性格であるので、戦列を離れている戦争の事なども気になるだろう。

 そのようにランスは思っていたのだが、しかしホーネットは平然とした様子。

 

「当然気にはなります。ですが、然程心配はしていません。何かあったら使いを出すよう予め指示をしていますし、城にはシルキィが居ますから」

 

 魔王城を出発して数日。人間世界の事情に疎いホーネットは、ともすれば一ヶ月近く掛かる旅程になるかもと想定していた。

 そこから考えると大分早く目的を達成出来た為、戦争が始まってから魔物界を離れた事が無かったホーネットにも、さしたる焦りの色は無かった。

 

「確かに、サテラならともかくシルキィちゃんが居ればな。まぁ蛇女も殺した事だし、これで世界中の美女が犠牲になる事も無い。人間大好きのシルキィちゃんも大喜びってなもんだ」

「……そうですね。この派閥戦争は魔物界の主権争いです。人間世界にまで無用な戦火を広げるのは、私も本意ではありません」

 

 そんな話をしながら、キナニ砂漠を進んでいたランス達だったが。

 

 

「……人間世界、か」

 

 ぴたりと、ランスがその足を止める。

 ホーネットの言葉に引っ掛かるものを感じたのか、彼は腕を組んで唸り始めた。

 

「……うーむ」

「どうかしましたか?」

「ぬぅ。……いや、だがなぁ。けど、しかし……うぬぬぬ」

「ランスがおかしくなった」

 

 頭を揺らしながらあーでもないこーでもないと、ぶつぶつと唸るランスの事を、ホーネットとシャリエラの二人は奇妙な生き物を見る目で眺める。

 そんな視線になど全く気付かず、ランスはその後暫く悩んでいたが、やがて何かしら決断したのか、足元に向けていたその顔を上げた。

 

「……やっぱそうだよな。ホーネット、予定変更。魔王城に帰る前にちょっと寄り道してく」

 

 

 

 

 

 



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魔人レキシントン

 

 

『人間世界に、無用な戦火を広げるべきでは無い』

 

 シャングリラから、魔王城への帰りの道。

 ホーネットのその言葉を聞いた時、ランスはある考えを頭に巡らせた。

 

 目的は不明だが人間世界に来ていて、美女を食い散らかしていた魔人メディウサは討伐した。

 だがメディウサだけでは無いかもしれない。すでに人間世界にはもう一体、別のケイブリス派魔人が居るのではないか。

 

 現状はあくまで可能性の話であって、もしかしたら杞憂に終わるかもしれない。

 だが前回経験した第二次魔人戦争の中で、ランスは一通りのケイブリス派魔人を討伐した。

 だからこそ、未だケイブリス派に現れていない、とある魔人の事が頭の隅に引っ掛かっていた。

 

 

 その魔人の名は、レキシントン。

 性格は豪快で奔放、戦う事が大好きな、屈強な肉体を持つ鬼の魔人。

 

 レキシントンは今から数百年前、第一次魔人戦争の際に死亡し、魔血魂の身となっていた。

 だがその魔人は使徒を有していた。ジュノー、アトランタという名の二体の使徒達は、主の事を復活させようと密かに行動していた。

 

 そして遂に、主を復活させる為の宿主として、とある少女に目星を付けた。

 それがリーザス王国にいる、ニミッツ・リークという名の少女である。

 

 

 

「……ふーむ、リッチは広くて綺麗だな。さすが、リーザスの金持ちの住む町と言ったところか」

「すごい。シャリエラ、こんなにたくさんの人間、初めて見た」

「ニミッツ、と言いましたね。この町にその少女が居るのですか?」

「いや、それは知らん」

 

 

 

 

 ある時ニミッツの前に、レキシントンの使徒アトランタが現れた。その使徒は彼女に主の魔血魂を手渡すと、それを飲み込むよう唆した。

 

 通常、初期化されていない魔血魂を飲み込んでしまうと、魔血魂に宿る魔人の意識が勝った場合は、その魔人が復活を遂げる。

 一方で、飲み込んだ者の意識が勝った場合は、その者が新たな魔人となる。

 

 アトランタの思惑としては、当然にレキシントンが復活すると思っていた。歴戦の魔人である彼女の主が、単なる人間の少女であるニミッツの精神力に劣るなど考えられなかったからである。

 しかしニミッツという少女は少々特殊な一面を有しており、少女が魔血魂を飲み込んだ結果、肉体的には魔人レキシントンではあるが、その意識は少女のものという、妙な形の魔人がそこに誕生した。

 

 それが、ランスにとっての前回の時の話である。

 

 

 

「ランス、ここは?」

「ここはマウネスの町だな。実はこのリーザスっつー国はな、俺様に大きな恩がある。以前、ヘルマンの馬鹿共と魔人に支配されたこの国を、英雄である俺様が大活躍して見事救ってやったのだ。どーだ凄いだろ、はい拍手」

「ぱちぱちぱち。すごいすごい」

「……その魔人はアイゼルとノス、それにサテラですね。前に、サテラから少し事情を聞きました。……そうですか、それも貴方が……」

 

 

 

 

 ランスは魔人レキシントンの力を振るうニミッツと、前回の第二次魔人戦争にて対峙した。

 そして紆余曲折を経て彼女は人類の味方となり、ついでに何度か一夜を共にした。

 その為今のランスには、ニミッツを討伐しようという考えは毛頭無かった。

 

 とりあえず敵対したくは無いので、彼女がケイブリス派に加わるのを防げればそれでいい。

 あるいはホーネット派に勧誘して、その力を振るって貰うのもいいかもしれない。

 

 そんな事を考えていた時、ランスはある問題に気付いた。

 それが、そもそもニミッツが魔人となるのを傍観していていいのか。という問題である。

 

 

 

「ランス、ここは?」

「ここはガマックの町だな。……なんだかさっきからずっと、通行人共の視線を感じるな。俺様思ったのだが、これはお前のその服装が原因なんじゃねーのか?」

「そーかな?」

「確かにシャリエラ、貴女のその踊り子の服装は、町を歩くには適さないかもしれませんね」

「……いや。ホーネット、お前の事を言ってんだ」

 

 

 

 

 以前シルキィ達にも確認したが、現状ケイブリス派の中に魔人レキシントンの姿は見えない。

 ならばニミッツはまだ魔人になっていないはずで、阻止するチャンスもあるはずだと考えた。

 

 しかし前回の時、ランスはニミッツの魔人化に関する事情をぼんやりと聞いており、彼女は魔人になる事によって救われた一面もある。故にそれを阻止する事が正解なのかと少し頭を悩ませた。

 

 ただ、とはいえあれは前回の話で、今回が前回と同じように事が進む保証は無し。

 今度はニミッツがあっさり魔血魂内の意識に負けて、本物の魔人レキシントンが復活してしまう可能性だって十分考えられる。

 そんな理由から、ランスはニミッツの魔人化を事前に阻止する為、彼女を捜索する事に決めたのであった。

 

 

 

「ランス、ここは?」

「ここはノースの街だな。……お、見ろシャリエラ。わたあめの出店があるぞ、買ってやろうか」

「ありがとご主人様。……はむはむ、美味ちい」

「………………」

「なんだホーネット、お前も欲しいのか。ならちゃんと口で言いなさい。ほら、やるよ」

「そうではありません。私達は少女を捜索している筈だったのでは?」

 

 

 リーザス王国にある、ノースの町。

 大勢の人々が行き交う広い大通りの中、ランスが差し出したわたあめの受け取りを拒み、魔人ホーネットはその足を止める。

 

「………………」

「……な、何だよホーネット、睨むなっつの」

 

 その魔人は人間の男に向けていたやや険のある視線を、無表情だがどこか美味しそうにわたあめを頬張っていた、ホムンクルスの踊り子の方に向ける。

 そして近くにあった公園の方を指差しながら、静かに口を開いた。

 

「シャリエラ。そこにある公園で遊んでいなさい。私は少しこの男と大事な話があります」

「ん、わかった。とててて……」

「……よし、俺もシャリエラと遊びに……ぐえっ」

 

 ホーネットのその身に纏う不穏な雰囲気に、これは叱られるなと予感したランスはとっさに逃げ出そうとしたが、すぐにその首根っこを掴まれる。

 

「ちょ、おい引っ張んなって!」

 

 大通りの裏手、人通りの少ない場所までランスの事を引き摺ってきたホーネットは、一つ二つ前の町から感じていた疑念を突き付けた。

 

 

「魔人レキシントンが復活をして、ケイブリス派に加わる可能性がある。シャングリラからの帰り道で貴方は私にそう言いました。覚えていますか」

「……そりゃまぁ、覚えてはいるが」

「正直信憑性に欠ける話ですが、貴方が何度もそのように主張するから、私はそれを信じてここまで来ました。しかし今の貴方の姿は、魔人の復活を阻止しようとしている様には見えません」

 

 片手にわたあめを持つランスの姿を、ホーネットは冷たい目で眺める。

 

「ランス。貴方には本当にその少女を探すつもりがあるのですか?」

「勿論ある!! ……だがホーネット、リーザスは広すぎる上に人が多すぎる。こんな中からどーやって一人の人間を探せと言うんじゃ、無茶言うな」

 

 不満げな顔で相手を睨み返したランスは、ぱくりとわたあめを齧る。

 彼も当初はニミッツを探し出す為、魔王城に帰る予定を繰り下げてまでリーザスにやって来た。

 だがリーザス王国の人口はおよそ5000万。このノースの町だけでも100万人以上が生活している。

 

 そんなリーザスの圧倒的な国土と人口の前に当初の思いは早々に消滅し、マウネスの町に差し掛かった辺りから、ランスは捜索など放っぽり出してリーザス漫遊を楽しんでいた。

 

「私は無茶など言っていません。これは貴方が言い始めた事です。……名前以外に何か、その少女を探す当ては無いのですか?」

「当てっつってもなぁ……」

 

 ランスは「うーむ」と唸って地面を睨む。魔人となる前のニミッツは単なる一般人の少女であり、特別有名人という訳では無い。

 他に特徴はと考えても、彼女の若干未発達なその身体と、本人が言う程には悪くないその顔ぐらいしか、今鮮明に思い出せる事は無かった。

 

「……確か、住んでた町だか、村だかの名を聞いたかもしれん。だが聞いたのはもう何ヶ月も前の話だ。俺様がそんな昔の事を覚えていると思うか?」

「……物事を覚えていないという事を、そのように堂々と言うものではありません」

 

 キナニ砂漠を越えてリーザス王国に入り、リッチ、マウネス、ガマック、ノースと、ランス達がここまで通過してきた町は全て大都市と呼べる町。

 しかし、その他にもリーザス国内には小さな町や集落などが数多く存在する。その名前すら分からない現状では、とても一人の人間を探し出す事など不可能だった。

 

 ニミッツの住むアペムンタ村。

 人口2000人程の小さなその村はガマックの町の北東に存在し、ノースの町に来ているランス達はすでに通り過ぎてしまっている。

 勿論そんな事にも気付かず、村の名を思い出せずに悩み続けるランスだったが、一方でホーネットの追求はまだ終わった訳では無かった。

 

 

「それと少し考えていたのですが、仮にその少女を発見して、貴方はどうするつもりなのですか?」

「そりゃあ、レキシントンの使徒共に狙われているんだから、リーザス軍に保護を頼んでだな」

「それで、その少女を宿主に出来なくなったら、使徒達は標的を変えるだけではありませんか? 貴方の言う方法ではその少女の魔人化は防げても、レキシントンの復活を防ぐ事にはなりません」

「……む」

 

 ホーネットの鋭い指摘に、ランスは返事に窮して視線を逸らす。そこまで考えていなかったが、言われてみると確かにその通りだなと思った。

 

 ただ実際の所、魔血魂の宿主となるのは誰でも構わない訳では無く、魔血魂に宿る魔人に応じた適正が必要になる為、簡単に代わりが見つかるかどうかは不明である。

 だがランスと違ってニミッツに関心の無いホーネットにとっては、ケイブリス派の戦力が増すのを防ぐ為に、レキシントンの復活を阻止する事だけがここに来た目的であり、その意味では彼女の言葉も事実ではあった。

 

「て事はあれか、ニミッツをどうこうするよりも、あの使徒共を先に押さえなきゃ駄目って事か」

「そうなりますね。何か方法は思い付きますか?」

「……あいつら、いつかはニミッツの所に来るはずだから、こう、待ち伏せをだな……」

「貴方は、いつ来るか知れない使徒達を、その少女の下で延々と待っているつもりですか」

 

 とても付き合いきれません。と、ホーネットのその目はありありと語っていた。

 ランスもさすがにそれは無理がある話だと内心で分かっていたのか、その言葉に力は無かった。

 レキシントンの使徒がニミッツの下を訪れる時期に見通しが立つならともかく、事によれば一ヶ月、二ヶ月先かも知れぬものを待つなど、短気な自分に出来る気がしなかったのだ。

 

「うーむ、となると……」

 

 現状では何処にいるかも分からない、レキシントンの使徒達を退治する方法。

 あれこれ考えていたランスは、やがてぽんと手を打った。

 

 

 

「よし。リーザスの奴らに任せる」

 

 ランスは人任せにする事に決めた。

 

「大体考えてみりゃ、リーザスで魔人が復活するかどうかはリーザスの問題で、なんで俺様が動いてやらんとならんのじゃ。つー訳で、シィール……じゃなくて、ホーネット。お前手紙持ってないか」

「ありません。ですが、何処かで購入すればいいでしょう。それより、何方に宛てるのですか?」

「この国の王女。あいつに事情を説明すりゃ十分だ。使徒相手なら俺やお前じゃなくても、リックがいれば問題無いだろうしな」

 

 相手が魔人レキシントンならともかく、無敵結界を有しない使徒相手であれば、リーザス軍だけでも対処の方法は幾らでもある。

 広いリーザス国内でレキシントンの使徒達を発見するのは、自分が探すよりも人海戦術に頼った方が効率は良いに決まっている。

 

 めんどい事は全てリーザス軍任せに決めたランスは、ホーネットを連れて近くにあった雑貨屋に立ち寄り、そこで便箋と切手を購入する。

 

『国内の何処かに居る、ニミッツ・リークという名の少女を宿主にして主を復活させようと、魔人レキシントンの使徒が計画しているから、退治して魔血魂を取り上げておけ。ついでにニミッツは自分の女だから、少し気に掛けてやってくれ』

 

 上記旨の手紙をランスは書き、宛名に自分の名前を書いてポストに投函した。

 

「これでよし。後はリア達が上手くやるだろ」

「ならばこの町まで来ずとも、最初からそれで良かったではありませんか」

「確かにそうだな。だがなホーネット、こういう事は、一度来てみないと思い付かんものなのだ。がーっはっはっはっは!」

 

 完全に開き直ったランスの豪快な大笑いを、ホーネットは処置無しと言った様子で眺めていた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 ランス達がリーザスまで来た目的、魔人レキシントンに関しての対処は一応終了した。

 

「……いねぇな」

「いませんね」

 

 そして現在、二人は迷子の捜索中だった。

 

 その迷子の名はシャリエラ・アリエス。シャングリラ出身の踊り子である。

 先程用事を済ませた二人はシャリエラの事を待たせていた公園まで戻って来たのだが、そこに居るはずの姿が何処にも見当たらなかった。

 

「あいつはふらっと居なくなる奴だって事、すっかり忘れてた。どーこ行きやがったんだ全く」

「離れていた時間から考えても、然程遠くには行っていない筈ですが……」

 

 周囲を見渡しながら、ランスとホーネットは肩を並べてノースの町を歩く。

 この町は首都リーザスを囲む衛星都市、とても活気があって人の往来も多い。そんな賑わう街中にある、店先に品物を並べる八百屋や、香ばしい香りを漂わせるイカ焼きの露天商の店など、シャリエラの興味を引きそうな場所をあちらこちらと探していた二人だったが。

 

「……何ですか?」

 

 突然その手に触れた感触に、思わずホーネットは立ち止まる。見れば彼女の左手を、ランスの右手がしっかりと握っていた。

 

「何って、手を繋いだだけだろ。お前がこの人混みの中に紛れて、これ以上迷子が増えたら困るしな」

「……私が、迷子になるような魔人に見えますか」

「まぁ、人は見かけによらんと言うしな。それにお前もシャリエラと同じで、こんな人間の多い場所に来るのは初めてなんじゃねーのか?」

「それはそうですが……」

 

 単に手を繋ぎたいだけのランスの適当な言い訳に、ホーネットは言葉に詰まる。

 同じ魔人であってもホーネット派に関係する用事などで、ちょくちょく人間世界に来ていたサテラ等とは違い、魔物界にて生粋の箱入りの姫として生まれ育った彼女は、この旅が人間世界の地を踏む初めての経験であった。

 

 そうしてホーネットの手を引きながら、ノースの町中を歩いていたランスだったが、ふいに普段の三割増カッコつけてその顔を向けた。

 

「なぁホーネットよ。俺とお前は今、デートをしてると言えるよな」

「デート? これは迷子の捜索ですよ」

「……まぁ、そう言うとそうなのだが。けれどホーネット、周りを見ろ」

 

 二人の周囲、ノースの街の通りには、二人と同じ様に男女で寄り添って歩く人達が何組かある。

 ホーネットの絶世の美貌と際どすぎる格好を除けば、二人の姿はそれらと同じどこにでもある街の光景として、辺りの人々の目に映っていた。

 

「端から見たら俺達は、それはもうラブラブなカップルに見えているに違いないぞ。うむうむ」

「……そうですか」

「いや、そうですかじゃなくて……あ、おい」

 

 もうちょっと何か感想は無いのか、とランスが呆れたのも束の間、ホーネットは握られていた手を外すと、その顔を背けてすたすたと先に歩いていく。

 

(……ぬぅ。相変わらず素っ気ない奴め。だーが見てろよ、俺様にだってちゃーんと考えがあるんだからな)

 

 少し前を歩くその背中を眺めながら、ランスは心の中でほくそ笑む。実は彼がこうしてリーザスまでやって来たのは、ただニミッツを探し出す事だけが目的では無かった。

 折角の旅行の機会を生かして、魔王城に戻ってしまったら中々出来ないような事を、ホーネットに対して仕掛けてみようと考えていたのである。

 

 そして、あわよくばセックス。ランスはもういい加減、ホーネットとセックスがしたかった。

 

 

 

 

「あ、いましたよ。あそこです」

「お、ホントだ。なーにやってんだあいつは」

 

 ホーネットが指差したその先に、ようやくシャリエラの姿を発見した。

 彼女は何故か街路樹の根元で、地面に膝をついて座っていた。

 

「おい」

「あ、ランス」

「シャリエラ、公園にいろと言っただろ」

「この子が逃げた。文句はこの子に言って」

 

 振り向いたシャリエラは、その腕に小さなわんわんを抱えていた。

 どうやら彼女は公園でわんわんと遊んでいて、逃げ出したそれを追っている内にこんな所に来てしまったらしい。

 

「わんわんか。そういやお前、わんわんとかにゃんにゃんの事、好きだったなぁ」

 

 ランスはシャリエラの頭をぽふぽふと叩きながら、脳裏に前回の時、わんわんとにゃんにゃんの様な使徒達を自分のペットにして、意外と嬉しそうにしていたシャリエラの姿を思い出した。

 

「……じぃ」

「シャリエラ、なんだその目は。もしかしてそいつを飼いたいのか? 言っとくが駄目だぞ。魔王城はペット禁止だからな」

 

 大家に叱られるだろ、と呟きながら、ランスはホーネットの顔を見る。

 魔王城にそんな決まり事は無い、と魔人筆頭は言おうかとも思ったが、シャリエラが抱えているわんわんには首輪が付いている様に見えたので、そのまま沈黙する事にした。

 

「……別に、何も言ってない。ぷいーだ」

 

 拗ねる様にそっぽを向いたシャリエラだったが、主に仕える人形は我儘など言わないもの。

 名残惜しそうに腕に抱えたわんわんを逃がすと、その姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。

 

 

 

 そしてシャリエラの事も無事回収して、ランス達がノースの町に留まる理由も無くなった。

 

「さて、それでは……」

 

 ──魔王城に帰りましょうか。

 そうホーネットが口を開こうとしたその時。

 

「そうだな。今日は泊まってくか。もうこんな時間だしな」

 

 相手の機先を制して、空を見上げながらランスが告げる。

 彼の見上げたノースの空は夕暮れ、その色はすでに茜色に染まっていた。

 

 ランスは今夜、ホーネットとお泊りをする事を計画していた。

 

 

 

 

 



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旅宿での一幕

 

 

 

「泊まり、ですか」

 

 リーザス王国、ノースの町。夕焼け色の空の下。

 魔人ホーネットは、ランスの言葉を繰り返すようにそう呟いた。

 

「そうだ、泊まりだ。もう夕方だし、今からこの町を出発すると、パラオ山脈を越える頃には真っ暗になっちまうからな。それにほれ」

 

 ランスはその顎でくいっと、先程迷子になっていた踊り子の方を指し示す。

 

「シャリエラの事を見ろ。こいつ昼間はしゃいだせいで、もうこっくりしてるじゃないか」

「……ん。シャリエラ、まだ眠くない」

 

 そう答える彼女の瞼は半開きで、その頭はゆらゆらと前後に揺れている。

 今までシャングリラの外には出た事が無く、このような旅は初めての経験。色々なものに興味を惹かれ、普段よりテンションの高かったシャリエラには、疲労から徐々に眠気が訪れていた。

 

「シャリエラよ、眠たい奴は皆そう言うのだ。とりあえず今日の所は宿を取るぞ。ホーネット、魔王城に帰るのは明日でいいだろ」

「……そうですね」

 

 目をぐりぐりと擦るシャリエラの姿を横目で見たホーネットは、ランスの言葉を肯定した。

 

 魔王城を出発してからここまでの道中、夜を越す時には何度かキャンプを行っており、それは同じ宿に泊まる事とそれほど大差が無い。

 その為すでにホーネットにも宿泊に関して抵抗感は無く、この時点では然程警戒していなかった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「おうおやじ、三人で一部屋、一泊だ」

「あいよ、60Gね」

 

 町の大通りからやや外れた場所にあった、あまり料金の高く無さそうな旅宿。

 その宿の主人と宿泊のやり取りを行い、ランスはカウンターの上に小銭を置く。

 

「………………」

 

 その様子を、眠たげなシャリエラに寄り掛かられたホーネットが、遠巻きから不審な目で見ていた。

 少々疑問を抱いた彼女は、手続きを終えたランスが戻ってくるなり声を掛けた。

 

「ランス。どうして一部屋なのですか? 普通このような場合は、三部屋取るべきでは?」

「んなぜーたく言うな。一部屋あれば十分だろ」

 

 基本的にケチな性格をしているその男は、あたかも当然の事を言うような表情でそう告げた。

 だが、勿論その狙いは節約などでは無かった。

 

「つー訳で。今日は一つ屋根の下、同じ部屋で一緒に仲良く眠ろうじゃないか、なぁホーネットよ」

 

 したり顔のランスはホーネットの隣にサッと寄ると、彼女の肩に遠慮無く腕を回す。

 若干眉を動かしたものの、あえてその腕は避けなかったホーネットだったが、その思惑を理解して先の自分の見通しの甘さを少々後悔した。

 

 同じ宿に泊まる事と、同じ部屋に泊まる事は当然ながら全くの別物。何度かキャンプを行った際も、使用したテントはそれぞれ別であり、同衾を許した事は無い。

 ランスに肩を抱かれているホーネットは、少し考える仕草をした後、首を左右に振った。

 

「……私は外でも構いません。こう見えても戦争の中で、野宿の経験はありますから」

「おーっとぉ、そうはいかんぞホーネット。財布を握っているのは俺様だと言う事を忘れるなよ」

 

 ランスは小銭の入った巾着袋をポケットから取り出すと、その魔人に見せつけるかのように指先でくるくると回す。

 魔物界で箱入りの姫として生まれ育ったホーネットや、人形として主に仕えていたシャリエラは人間世界の通貨を所持しておらず、ランスが出発前にシィルからぶん取ってきた、その巾着袋の中身が彼らの全財産である。

 

「一文無しのホーネットちゃんは、つべこべ言わずに俺様に従った方が懸命だと思うがな?」

「野宿なら、お金は必要ありませんよ」

「違う、違うぞホーネット。お前さては分かってないだろ」

 

 ちっちっち、と指を振るランスには、ホーネットと同じ部屋でお泊りをする絶対の勝算があった。

 

「お前。明日どーやって、ここから魔王城まで帰るつもりなんだ?」

「………………」

「まさか歩くのか? そりゃあすっごい時間が掛かるな、その間に派閥が負けてしまうかもしれんぞ。その点うし車を使えばすぐに着くだろうが、それを雇う金はだーれが出すのかなぁ?」

 

 勝ち誇った顔のランスはホーネットの肩をゆっくり叩きながら、ぺらぺらと滑らかな口調でお金の重要性を説明する。

 このリーザス王国に入ってから、町と町を移動するのにもうし車を雇っており、広いこの大陸を移動するにはうし車を欠かす事は出来ない。

 

 沈黙してランスの言葉を耳にしていたホーネットだったが、人間世界での行動の決定権は現金を持つその男に握られているのだと理解すると、諦めたように瞼を閉ざした。

 

「……一晩だけです」

「宜しい。……大体お前な、俺様に裸を見られても何も気にしない癖に、一晩一緒に寝る位であーだこーだ言うなっての」

「……私がいつ、貴方に裸を見せたのですか」

 

 その言葉と共に、思いの外ホーネットに鋭く睨まれたので、ランスはうん? と眉を顰める。

 彼の頭の中には、その傷一つ無い見事な裸体を見た記憶が確かにある。あれはいつの事だっけと少し考えて、すぐにそれは前回の時の話だったなと思い出した。

 

「あぁ、そういやまだ見て無かったか。いやでも、気にしないだろお前。そもそも普段から、殆ど透けてる服着てるんだし」

「………………」

 

 ホーネットは何も答えず、肩に触れるランスの手をそっと払った。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして案内された部屋。

 そこは注文通り一部屋であって、ランス達が魔王城で使用している一室よりも狭い部屋。

 その上三台もベッドが置かれている為、少々部屋の中は窮屈だった。

 

「狭いなこの部屋。ちょっとぼろっちいし、英雄の俺様が泊まるような部屋じゃないぞまったく」

「………………」

「一部屋にする事を選んだのは貴方でしょう。とでも言いたい様な顔をしてるな、ホーネット」

「……分かっているならば、私は何も言いません」

 

 言ってるじゃねーか、と思いながらも、ランスは出発前奴隷に用意させた冒険に必要な荷物一式を、その肩からベッドの脇に下ろす。

 

 同じくホーネットも自身の荷物である装備一式、街を歩く際には外していた巨大な肩当てや剣を下ろすが、特に持ち物の無かったシャリエラは、即座にその頭をベッドに向けて突っ込んだ。

 

「おいシャリエラ、まだ寝るな。風呂と夕飯食ってからにしろ」

「んー……」

 

 ランスの右手が、毛布に潜り込むシャリエラをむんず、と引っ張り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、風呂場。

 

「シャリエラ、お前はこっち」

「ん、分かった」

 

 シャリエラは、とててっとランスの側に寄る。

 

「シャリエラ、貴女はこちらです」

「ん、分かった」

 

 シャリエラは、そそっとホーネットの側に寄る。

 

「おいシャリエラ。お前のご主人様は俺様だろ」

「ランス、この宿には他の客も居ます。貴方は彼女の肌を他の大勢の前に晒すつもりですか」

「いやけど、ご主人様の世話をするのは……」

 

 従者として、主人の世話のするのは当然の事。そう考えるランスを無視して、

 

「シャリエラ、行きますよ」

「うん」

 

 ホーネットはそれだけ言うと、シャリエラの手を引きながらさっさと女湯へと入っていく。

 そしてランスは一人男湯の入口の前に、ぽつんと残されてしまった。

 

「……ぬぅ。つーかホーネットの奴、意外と面倒見がいいな。あれは恐らく、近くにサテラが居たからだな、多分」

 

 ランスは二人を追いかけて女湯に突撃しようかとも思ったが、すぐに考え直した。

 あの二人は、裸を見るだけならば幾らでも方法はある。自分はその程度の事を目標にしている訳では無いし、大事な作戦は後に控えている。

 

 今はあまりホーネットに警戒されない方が良い。そう考えたランスは一人男湯に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、夕食時。

 

 宿に備え付けの食堂、三人用の丸い木製テーブルの上に様々な料理が並ぶ。

 

「ふむ。安宿だが、意外と飯は美味いな」

 

 ランスはテーブルマナーなどお構い無しに、がつがつと夕食を食らう。

 

「うん、美味ちい。シャリエラね、これ作れるよ」

 

 シャリエラはもぐもぐと咀嚼しながら、テーブルの上に置かれている本日の夕食、うし肉を使ったハンバーグを指差した。

 

「へぇ。シャリエラお前、料理出来るのか」

「前に言った。シャリエラ、ご主人様に命じられた時の為に、お料理の練習いっぱいしたから」

「ほーん……。ホーネット、お前は出来んのか?」

 

 ランスは優雅な所作で食事を取っていた、ホーネットに視線を向ける。

 彼女は肉を切るナイフを動かす手を止めて僅かに目を閉じた後、しっかりとランスを見て答えた。

 

「私は魔人筆頭です。魔人筆頭として、相応しくあるよう心掛けています」

「……で?」

「魔王様から命じられたら、そういう事もあるでしょう。そうでないならば、殊更そうはしません」

「………………」

 

 妙に回りくどい事を言うので、ランスは少し眉根を寄せて首を傾げたが。

 

「……つまり、出来ないって事だよな?」

「出来ないとは言いません。必要があるなら習得するべき技能の内の一つで、今の私には必要が無いというだけです」

 

 ──それを出来ないというのでは。

 ランスはそう思ったが、どうもホーネットは認めない気がしたので、そこら辺は突かない事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、就寝の時間。

 

 部屋に戻って身支度を済ませるとすぐに、シャリエラは三台並んだ内の窓側のベッドに潜り込む。すると程なくして小さな寝息が聞こえてきた。

 

「……こいつ、ご主人様より先に寝やがった。従者としてどうなんだろうな、こういうのは」

「従者として問題があると思うのなら、躾けるのは主である貴方の役目ですよ」

「……まぁいいや、起こすのもあれだし。それに、俺様ももう眠いしな」

 

 くわー、と大きく欠伸をしたランスは、そそくさと中央のベッドに潜り込んだ。

 

「さてと、それでは俺様も寝るとしよう」

「………………」

「ホーネットよ、俺は寝るからな」

「……そうですか」

「ああ、そうなのだ」

 

 ランスは表情を変えないホーネットの顔をじっと見つめながら、くどくどと確認を繰り返す。

 

「うむ、俺様は間違い無く寝るからな。ホーネット、お前もちゃんと寝るように」

「………………」

「いいなホーネット、絶対にちゃんと寝るんだぞ。絶対だからな、分かったか?」

「……分かりました」

「よし」

 

 言質を取った事に満足した様子のランスは、枕に頭を置いて目を瞑る。

 そして身体をホーネットの逆側に向けると、すぐにいびきが聞こえてきた。

 

 

 妙に作為を感じる言葉、あるいはその様子に、ホーネットは何らかの意図を感じていたが。

 

「…………ふぅ」

 

 小さく息を吐き、部屋の照明のスイッチを切る。

 闇に包まれた部屋の中、彼女は入口側のベッドに入って身を横にした。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そして、深夜。

 

 

 窓からの月明かりだけが差す、暗い部屋の中。

 横に三台並んだベッドからは、眠りに付いている者達の静かな息づかいだけが聞こえていた。

 

 だが。

 

「……くくく」

 

 抑えてはいるが、それでも隠せていない忍び笑いが、突然中央のベッドから聞こえた。

 

「……さぁーて、さてさて」

 

 突然ランスの瞼がぱちりと開かれる。他の二人が寝静まるまで、ずっと狸寝入りしていたその男の顔は、眠気など全く感じさせないものであった。

 

「もう良い子は眠る時間だ。……つまり、悪い子の俺様はまだ起きているのだ」

 

 しめしめと笑うランスは、両隣から聞こえてくる寝息の主を起こさないよう、ゆっくりとベッドからその身体を起こす。

 

 左右のベッドで無防備に眠っているのは、未だ手を付けていないシャリエラとホーネット。

 当然こんな絶好の機会を逃すランスでは無く、宿を取る事を考えた時から襲う気満々だった。

 

 

 

「よーし、こっちの良い子はどうかなぁ?」

 

 ランスは抜き足差し足忍び足で、月明かりが差し込む窓側のベッドに近づく。

 

「……すぅ、すぴー」

 

 そこに眠るのはシャリエラ・アリエス。

 何度か寝返りを打ったのか、彼女は毛布を横に抱いて、小さく口を開いて眠っていた。

 

「つんつんつん……、うむ、ちゃんと寝てるな」

 

 ランスの人差し指が、頬や胸など、シャリエラの身体のあちこちを突く。

 だがその口から小さく漏れる、可愛らしい寝息が乱れる事は無かった。

 

「こっちの良い子はいつでも味わえるから、今日はこのまま寝かせてやろうじゃないか。……問題は、あっちの良い子だな」

 

 元々そちらが今夜の目的。ランスは覚悟を決めた目付きで部屋の入口側のベッドを睨む。

 

「そーっと、そぉーっと……」

 

 ひっそりと静かな部屋の中、出来る限り足音を殺してそのそばへと近づいていく。

 

「………………」

 

 そこに眠るのは、誰あろう魔人筆頭。

 いかなる時でも行儀の良い彼女は、仰向けのまま姿勢を全く崩さずに眠っていた。

 

「……うし、まずは……」

 

 先程の様につんつんしようと、ランスは人差し指を近づける。しかし、

 

「……なんか、こいつ……」

 

 その身体に触れる直前、手を伸ばし掛けたままの姿でしばし固まってしまう。

 魔人筆頭たるその女性は、寝ている時だと言うのに隙が感じられず、少しでも触れようものならすぐに目を覚ましてしまうような気がした。

 

「……つーか、こいつ本当に寝てるか? 俺と同じで寝たフリしてるんじゃねーだろうな」

 

 閉じられた瞼や規則正しく聞こえる呼吸音など、見た限りでは寝ているように見える。

 けれども少し不安になってきたランスは、彼女の寝顔をじっくりと観察してみる。

 

「……うーむ」

 

 だが閉じられた瞼の長い睫毛や引き結ばれた唇など、思わず息を呑んでしまうようなその美貌を眺めていると、寝ているかどうかなど些末な問題のように思えてきた。

 

「相変わらず美人だなこいつ。こんな美人と一緒に寝てるのに、襲わないなんて失礼な話だよな」

 

 ランスは自らの言葉を肯定する様にコクコクと頷くが、その内心では結構ドキドキだった。

 なにせこの美しい魔人は、その身に信じられないような力を秘めている。軽くあしらわれるならまだ良い方で、返り討ちにあったら死ぬ可能性もある。

 

 城から砂漠までの道中、キャンプを行った際にも襲おうと思えば襲う事は出来たのだが、どうしても自分がホーネットの魔法で瞬殺されるイメージしか湧かず、決心する事が出来なかった。

 しかしこの前その胸に触れた時の感触からして、失敗してもそこまで酷い事にはならないだろうと思い直したランスは、今夜寝込みを襲う事に決めたのだった。

 

 

「大体このランス様ともあろう者が、まだものにしていない美女を前にして、いつまでも手をこまねいている訳にはいかんのだ。と、言う事で……」

 

 ふぅー、と大きく深呼吸すると、覚悟を決めたランスはサッと一瞬で素っ裸になる。

 

 そして。

 

 

「ぴょーーーんっ!!」

 

 眠るホーネットが被る毛布をバッと剥ぎ取ったランスは、無防備なその身体に向けて、掛け声と共に勢い良く飛び込んだ。

 

 

 

 だが。

 

「………………」

「……ぐ、ぬぬ……! こいつ、やっぱ起きてやがったなぁ……!」

 

 馬乗りになり、彼女の両胸を鷲掴みにする寸前、その両手首を彼女の両手が掴んでいた。

 押しても引いてもびくともせず、腕の自由の奪われてしまったランスは、気が付けば目を開けていたホーネットと近距離で睨み合った。

 

「……先程からの貴方の声で、目が覚めたのです」

「いーや違う! 俺様を警戒してずっと起きていたに違いない! ホーネット、卑怯な奴め!!」

「……どちらがですか」

 

 自分の行いを棚に上げるランスの言葉に、ホーネットは疲れたように嘆息する。

 寝込みを襲われて、自らの身体の上を相手に跨がられながらも、彼女はまるで余裕の体を崩していなかった。

 

「……ランス。次があるとは思わないようにと、私は言いませんでしたか?」

 

 その言葉と共に、その金の瞳から徐々に威圧感が強まっていく。

 

「あぁ、確かにそんな事言ってたな。だがそんなんで諦めるとは思うなと、俺様も言ったはずだぞ」

 

 ランスは気圧されないようにと、ホーネットの胸を掴みかからんとする両腕にぐっと体重を乗せる。

 重心が前に掛かるとその頭の位置が下がり、二人の鼻先が当たりそうな距離まで近づく。

 

「…………っ」

 

 ホーネットは僅かに瞼を閉じたものの、すぐに開いたその瞳から、ランスの全身を硬直させるような強烈な威圧を放った。

 

「ぐっ、」

「……私の上から、退く気はありませんか」

「……この、毎度の事だがおっそろしい目をしやがって。……だがな」

 

 その視線からひやりと身の危険を感じたが、それでもランスは不敵に笑う。

 寝込みを襲うと決めた時からこうなる事も一応承知済みであって、彼も全くの無策で魔人筆頭に挑もうとした訳では無かった。

 

 

「ホーネットよ、窓側を見ろ。そこですやすや眠ってるのは誰だ?」

「……シャリエラですね」

「ああそうだ。この部屋にはシャリエラも寝ている。お前がここで魔法なんか使ったら、あいつの事を巻き込む事になるぞ、いいのか?」

 

 にぃと口角を釣り上げたランスの狙いは、シャリエラを盾にする事でホーネットの抵抗を封じる事。

 わざわざその為に三人で一部屋にしたのだが、しかしそれは彼女からすると、あまりに考えの足りない作戦と言わざるを得なかった。

 

「……別に、魔法など使いません」

「うおっ」

 

 ホーネットがランスの肩を掴んだ。とその瞬間、彼女はするりとその下から抜け出すと、流れるように互いの体制を入れ替える。

 ランスがハッと気付いた時には、押し倒していた筈の相手に見事に押し倒されていた。

 

「ちょ、おい、離せっ!」

 

 つい先程までホーネットが眠っていた、ベッドマットに残る温もりを味わう余裕も無く、身動きが取れないランスはじたばたともがく。

 だがその背中を押さえつけるホーネットの腕は、どれだけ暴れても微動だにしない。なにせ彼女は魔人筆頭、すらりとしたその細腕でも人間のランスより当然膂力は上だった。

 

 そしてランスは毛布やベッドマットで身体中を巻かれると、更にその上から荷物袋の中にあった捕獲ロープによって、厳重に縛られてしまった。

 

「ぐぬー! ホーネット、解きやがれー!!」

「静かになさい。シャリエラが起きますよ」

 

 毛布の簀巻きにされてしまったランスは、じったんばったんと身をよじって大暴れ。

 だがそれでも埃が舞い上がるだけで、捕獲ロープの結び目はまるで緩まる気配が無かった。

 

「がー!! 良いじゃねーかよセックスの一回ぐらい!! この俺様がこーんなに何度も頼んでるのに!! ホーネットのいじわる!! ケーチ!! バーカ!!」

 

 手も足も出せないランスは、唯一使えるその口でもって、ホーネットに対して悪口攻撃。

 基本的に大した効果の無いそれだが、あまりに嘆かわしいその姿に気が抜けてしまったのか、相手の威圧感を消す事だけには成功した様子だった。

 

「頼んでいる様には思えませんが。……いずれにせよ、貴方はそろそろ弁える事を覚えなさい」

「わきまえろだぁ!? まーたそれか!! 何度も何度も同じ事を言いやがって!!」

 

 いい加減、その事を言われるのにも苛ついたのか、ランスは首を起こしてギッと睨み上げる。

 

「魔人の格だなんだを、俺様が弁えるような奴じゃないって事、お前もそろそろ覚えろっつーの!!」

 

 がなり立てるその男の、強い眼差しと目が合った魔人筆頭は、

 

「………………」

 

 何を思ったのか、すぐにその顔を下に逸らした。

 

「………………」

「…………おい」

「………………」

「……おい、何とか言えよホーネット。つーか、この縄を解け」

「…………ふぅ」

 

 長く顔を伏せていたその魔人は、一度小さく吐息を洩らす。

 

「……そうではありません」

 

 それは普段の彼女からするととてもか細い、実に弱々しい声での呟きだった。

 

 

「そうではなく……場を弁えなさいと、そう言っているのです」

「……あん?」

 

 どうにもその意味が分からず、眉根を寄せたランスの目に映ったその表情。

 窓から差す月明かりだけでは顔色は分からなかったが、その表情は、今まで目にした記憶が無いような表情をしていた。

 

「……もう眠ります。明日には魔王城に出発しますよ。早く起きるように」

 

 ホーネットは一瞬ちらりと窓際に視線を送ると、そのまま真ん中のベッドに横になって瞼を閉じた。

 

 

 

 煩かった部屋の中に静寂が戻る。

 

「……つーか、俺様はこのままか」

 

 身動きの取れないランスは、芋虫のような姿で夜を越した。

 

 

 

 

 



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魔王城への帰還

 

 

 次の日。

 

 早朝、起床したホーネットから捕獲ロープの拘束を解いて貰えたランスは、ようやく毛布の簀巻き状態から解放された。

 

 夜はもっと静かにして欲しい。そんな文句をシャリエラから言われながらの朝食を終え、身支度を済ませたランス達は早々に宿を出た。

 

 

「よし、んじゃあ魔王城に戻るとするか。シャリエラよ、忘れ物は無いだろうな?」

「わたし、何も持ち物持ってないよ」

「……そうだったな。ホーネット、お前はどうだ」

「問題ありません。むしろ、貴方が一番注意するべき事だと思いますが」

 

 ホーネットにも荷物はあるが、それは装備などを除けば替えの衣装など最低限のもの。

 この旅で使用したキャンプ用品など諸々の道具は、冒険慣れしているランスが奴隷に命じて準備させた物で、一番荷物が多いのはランスであった。

 

「この俺様が忘れ物などする訳無いだろ、ガキじゃねーんだから。つーかシャリエラ、この荷物は従者のお前が持ちなさい」

「うん、いいよ」

 

 ランスはその肩に掛けていたぱんぱんに膨らんだ荷物袋を、シャリエラへと手渡す。

 

「……あ」

 

 とその時、ふいに何かを思い出した様子で間の抜けた声を出した。

 

「どうしたの? 忘れ物? 宿に戻る?」

「いやそうじゃない。忘れ物じゃないが、忘れていた事を思い出したんだ」

「忘れてた事? ……あ、分かった。お土産買う事でしょ」

「違う。けど土産か。サテラ達に何か買ってくのもいいかもな。……と、忘れてたのはこれだ」

 

 ランスは地面に下ろした荷物袋の中から、昨日リア王女へと手紙を書く為にと購入した、便箋と切手の残りを取り出した。

 

「魔王城に戻ると手紙を出しにくくなるからな、今の内に出しておこうと思ってたんだ。……えーと、ゼスでいいんだよな。……いや、そうとも限らねーか? となると……」

 

 ぶつぶつ言いながらペンを走らせるランスは、最終的にリーザス、自由都市、ゼス、ヘルマン、JAPANのそれぞれの国の権力者へと、5通分の手紙を書き上げ、ポストへと投函した。

 

「これでよしっと。……ホーネットよ、さてはその顔、手紙の内容に気になってるな?」

「……えぇ、まぁ。聞き出すつもりはありませんが、気になるかと言われれば気にはなります」

「ふふん。この俺様はな、美女を抱く為なら手間を惜しまない男だ、とだけ言っておこう。……よし、んじゃあ今度こそ魔王城へと出発するぞ」

 

 

 ランス達は町の入口近くにあった、うし車屋にてうし車を雇い、それに乗ってノースの町を出発。

 

 一路目指すは魔王城。バラオ山脈を越えて、途中立ち寄ったヘルマンの町で休憩を挟み、番裏の砦を通過して、更になげきの谷を抜ける。

 

 そうしてランスとホーネットは、約二週間近くの旅路を終える事となった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして、ランス達は魔王城へと帰ってきた。

 

「どうだシャリエラ、これが魔王城だ」

「すごい、おおきいお城」

 

 巨大なその城の貫禄に圧倒され、初めて目にしたシャリエラが丸く口を開ける。

 

 ここまでの道中でも、時折目にする魔物や魔物界特有の魔界植物などに関心を示していたシャリエラだったが、これから自分が住む事になる魔王城にはよほど興味があるのか、きょろきょろと忙しなく辺りを見渡していた。

 

 城のそばに停めたうし車から降りると、開かれた城門を進み、一行は城の入口をくぐる。

 そして豪華なカーペットが敷かれた城の廊下を歩いている途中、先頭を歩くホーネットが振り向かないまま口を開いた。

 

「ランス。後で私の部屋に来てください」

「な、何!? ホーネット、まさか遂に……!!」

 

 ──俺様に抱かれる気になったのか。

 そんな思いでランスの目が期待に輝いたが、相手は小さく首を横に振る仕草を見せた。

 

「私達が魔王城を離れていた間に関して、シルキィ達からの報告を受けるだけです。メディウサとの戦いの顛末を彼女達に話す必要もありますから、貴方も居た方が良いでしょう」

「……あぁ、そういう事。単なる業務連絡ね」

 

 色っぽい展開を想像していたランスの頭から、途端にやる気が消滅する。

 ホーネットは「必要な事ですよ」とだけ残して、自分の部屋がある、魔王城の最上階へと階段を上がっていった。

 

 

 

 

 ランスはシャリエラを連れ、自分達が貸し切りにしている階まで階段を上がる。

 

「すー、はー」

 

 廊下の真ん中に立つと、一度深呼吸をしてぐっと大きく息を吸い込む。そしてランスは腹の底から、それぞれの部屋の中まで響かせるような大声を発した。

 

「お前らー!! ランス様のお帰りじゃー!!!」

 

 はた迷惑なその大音量への反応はとても顕著で、即座にある部屋のドアが開かれた。

 

「お帰りなさい、ランス様!!」

 

 待ちきれなかったといった様子で、シィルがぱたぱたとランスの下に走ってくる。

 

「うむ。奴隷として、真っ先に来るのは当然だな。……相変わらず、のんきな顔しおって」

 

 出発した時と変わらない様子に、何となく気分が良くなったランスは彼女の髪をぽふぽふと撫でる。その手触りが無いと、何故だかストレスが溜まってしまうのだった。

 

 それからすこし遅れて、かなみとウルザの部屋のドアも開かれる。二人もランスの無事の帰りを喜び、その顔に笑みを浮かべていた。

 

「ランス、おかえり。魔人討伐お疲れ様」

「おう。ま、俺様に掛かりゃ楽勝だったがな」

「どうやら見た所、大きな怪我が無くて何よりです。……それでランスさん、その子は?」

 

 ウルザの視線はランスの背後、所在なげに立っているその踊り子の方へと向いていた。

 

「ああ、こいつはシャリエラっつってな。シャングリラで拾ってきた」

「拾ってきたってそんな、わんわんやにゃんにゃんじゃ無いんだから……」

 

 それって人攫いって言うんじゃないの? と、事情を知らないかなみは不審な目を向けたが、他に説明のしようも無かったので、ランスはそのまま押し通す事にした。

 

「まぁぶっちゃけこいつはペットみたいなもんだ。色々あって今日からここに住む事になった。……ほれシャリエラ、挨拶しろ」

「うん」

 

 ランスに促されたシャリエラは、一歩前へ歩み出ると、シィル達に向けてぺこりとお辞儀をした。

 

「私はシャリエラ。主に仕える人形で、今のご主人様はランスです。人間のお役に立つのが私の役目なので、皆さんのお役にも立ちます」

「……シャリエラよ。今気付いんだが何でお前は俺の事を呼び捨てなんだ。メディウサとかデスココには『様』と付けてただろ」

「……んー。なんとなく」

「なんとなくだぁ?」

 

 ああん? とチンピラのような表情のランスに凄まれても、シャリエラは何か文句があるのかと言わんばかりの無表情。

 その様子に、随分堂々とした従者だなぁと思いつつも、少々気になる事があったシィルがランスの腕を叩いた。

 

「あの、ランス様」

「シィル。お前もご主人様に仕える奴隷として、主を敬わないシャリエラに対して一言言ってやれ」

「あ、えーと……それは置いといて。この子が言っていた人形って、どういう意味なんですか?」

「ん? まぁ、それはだな……あんま気にすんな。こいつはちょっと変な所がある奴なんだ」

 

 見た目人間のシャリエラが自らを人形と呼ぶ、そこら辺の諸々の事情について、ランスは前回の時にフェリスやミラクルなどから耳にしている。

 だがその事情を説明するとなると色々ややこしい話だし、説明した所で何が変わる訳でも無いので、ランスは一切合切を煙に巻く事にした。

 

「とにかくシィル、こいつがここで暮らせるよう、とりあえず部屋を用意してやれ」

「はい、分かりました。じゃあシャリエラちゃん、ついて来て」

「うん」

 

 シャリエラはシィルに手を引かれて、廊下に数多くある空き部屋の一つに入っていった。

 

 

 

 

 その後ランスは、久しぶりに戻ってきた魔王城の自分の部屋で一息ついた。

 

 そしてシャングリラでの戦いの武勇伝を、かなみやウルザに自慢げに語っていた時、先程ホーネットに呼ばれていた事をふと思い出した。

 単なる報告会など、面倒臭いと言えば面倒臭かったが、久しぶりに魔人達の顔も見ておこうかなと思い。ランスはホーネットの部屋へと向かった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 派閥の主の部屋にはすでに、サテラ、シルキィ、ハウゼルが揃っていた。

 

 三人の魔人が座るソファに腰掛け、お土産として買ってきたはにわ饅頭を食べていたランスだったが、食べ終わると同時にポケットから、今回の旅の成果を取り出した。

 

「じゃじゃーん!! これなーんだ!!」

 

 妖しい光を放つ真っ赤な玉を頭上にかざす。すると皆の視線がそこに集まり、それぞれ感心した様に顔を綻ばせた。

 

「おぉ。ランス、それはまさか……」

「うむ。察しの通り、蛇女の魔血魂だ。ほらよ」

 

 ランスは対面に座るサテラに向けて、その魔血魂をぽいっと投げる。両手をそれをキャッチした彼女は、嬉しそうにその顔に花を咲かせた。

 

「良くやったぞランス。まぁ、さすがはこのサテラの使徒と言った所だな」

「そうね、大したものだわ。魔人の私達でも苦労している事なのに」

「えぇ、本当に。聞いてはいましたけれど、ランスさんって凄い人だったのですね」

「その通り、俺様は凄いのだ。さぁ、もっともっと崇めていいぞ」

 

 魔人達からの称賛に気を良くしたランスは、腕を組んで自慢げに胸を張る。

 

「……けど。考えてみたら、ランスが偉そうにするような事じゃないよな」

「なんだとぉ?」

「だって、サテラは見た訳じゃ無いけれど、殆どはホーネット様のおかげだろうし……」

「いーや、そんな事は無いぞサテラ。あの蛇女退治は、この俺様の大活躍無しには語る事は出来ん。だよな、ホーネット」

 

 ランスはソファから少し離れた部屋の中央、大きな執務机に掛けていたホーネットの方を向く。

 目があった彼女は特に考える素振りも見せず、すぐに頷いて肯定の意思を示した。

 

「そうですね。メディウサを討伐する上では、貴方の働きはとても重要でした」

「だろだろ? 比率で言うと俺様の働きが8、ホーネットが2ぐらいだよな」

「……ランス。誰がどれだけ働いたのかはどうでもいい事だと、貴方は言っていませんでしたか?」

「……ぬ」

 

 以前の自分の発言を指摘され、ランスは二の句が告げずに口ごもる。

 ホーネットは「それより……」と会話を切って、ソファに座る別の相手へと目を向けた。

 

「ハウゼル。私達が不在の間、ケイブリス派の動きは無かったのですか?」

「はい、ホーネット様」

 

 話を振られたハウゼルは真面目な顔付きになり、すぐにソファから立ち上がる。

 

「主に私とメガラスの飛行部隊で、ビューティーツリー周辺を警戒していましたが、その限りでは目立った動きは見られませんでした。現在もメガラスが警戒中です」

「……そうですか。そろそろ、何か仕掛けてくるかと考えていたのですが……」

 

 ケイブリス派が動きを見せたのは、カスケード・バウでの人質交換が最後。その後ホーネットの療養期間、そしてメディウサ討伐の旅を終えて、今は人質交換から一月以上が経過している。

 派閥の主は顎に手を当てて少しの間思案していたが、やがてその金の瞳が、二つ目のはにわ饅頭に手を伸ばそうとするその男の姿を映した。

 

「ランス。貴方はどう思いますか」

「え、俺?」

「えぇ」

 

 呆けたように自らを指差すランスへと、ホーネットやその場の魔人達の視線が向けられる。

 

 話を振られると思っていなかった彼は当然何も考えてはおらず、「そうだなぁ……」と腕を組んで考えるフリはしてみたものの、現在のケイブリス派の動きなど考えた所で分かる筈が無かった。

 

「……昼寝でもしてんじゃねーのか?」

「私は真面目に聞いています」

「……えーと、影の支配者であるこの俺の事を恐れて、戦う気を無くしちまったって可能性はどうだ」

 

 意外とあり得るかも知れんぞ、と至極真面目に頷くランスの姿に、ホーネットは静かに瞼を伏せて、サテラはがっかりしたように大きな溜息を吐いた。

 

 

「……うーん」

 

 そしてそんなランス達の様子を、シルキィはじーっと観察していた。

 彼女はそっとソファから立ち上がり、こっそりとランスのそばまで近寄ってくると、内緒話をするように耳の近くに顔を寄せた。

 

「……ねぇ、ランスさん」

「ん? どしたシルキィちゃん」

「もしかしてだけど、旅の間にホーネット様と何かあった? ホーネット様の貴方への接し方が、柔らかくなったように見えるというか……」

 

 あまり周囲に聞かせたくない内容なのか、シルキィは口元に手を当ててひそひそと話しながら、その視線は派閥の主の方へと向いている。

 彼女の知る限り、その魔人のランスへの対応はもう少し厳しかった気がしていた。ランスに意見を求めるホーネットの姿など、シルキィはとても珍しいものを目にした気分だった。

 

 これはまさか旅の間に何かが起こり、ランスが以前の宣言通りにホーネットをメロメロにしてしまったのだろうかと、つい気になってしまったシルキィは尋ねずにはいられなかった。

 

「……何か、か。ふむ、あったと言えばあったな」

「え、ほんとに?」

「あぁ。あいつがちょっと油断してた時にな、あいつのおっぱいにこう、顔を突っ込んでやった」

「……わぁ」

 

 その光景を頭に思い浮かべたシルキィの口から、とてもシンプルな驚きの声が漏れる。

 同時に、今ここにその姿があるのが奇跡のように思えた彼女は、してやったりみたいな顔をしているランスをまじまじと見つめた。

 

「……ランスさん。今更だけれど貴方って、本当に命知らずなのね」

「確かにちょっと危険な賭けだったかもしれん。だが俺様はこの通り生きている。そんな訳で、もうホーネットのおっぱいは俺様のものだ」

 

 一体なにがどうなってそんな訳でなのか、彼女にはいまいちよく分からなかったが、ランスが嬉しそうに頷いている姿を目にすると、口を挟む気が失せてしまった。

 

「それとあいつの寝込みも襲ってやったのが、残念ながらそっちは失敗だった。なぁシルキィ、ホーネットを押し倒すグッドな方法はないもんかな」

「……ホーネット様は魔人筆頭よ。それを押し倒すなんて……、貴方も魔人になるとか?」

「あー、やっぱそれか。俺も前にそれを少し考えたのだがなぁ……」

「ちょっと、冗談だから。本気にしないでね?」

 

 それも最後の選択肢としては有りかもなと呟くランスの姿に、シルキィはこの男なら本当にそんな理由で魔人になりかねないと思ってしまった。

 

 

 

 その後、魔人達の話の内容はより真面目な方向へと進んでいく。

 

 魔界都市間の魔物兵の移動に関してだとか、魔界都市に生えた世界樹から採れる食料の供給量に関してだとか、とても眠たくなってしまう話題に変わったので、ランスはお役御免とばかりにホーネットの部屋を退出した。

 

 

 自室に戻ってきたランスは、シャリエラの部屋の案内を終えたシィルの手を引いて、部屋のベッドへと潜り込む。

 久しぶりに奴隷と一戦交え、そのままベッドで昼寝をして、目が覚めたら夕飯の時間になっていた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「シィル、へんでろぱ」

「はい」

 

 魔王城の食堂へとやってきたランスは、隣にいた奴隷に開口一番そう告げる。

 久しぶりにそれを作るのが嬉しいのか、シィルは軽快な足取りで厨房に向かっていく。そんな彼女の背後には、手伝いをするつもりなのかシャリエラの姿も見えていた。

 

「ふぅ、腹減った」

 

 席について料理が運ばれてくるのを待つランスは、何気無く周囲を眺める。今、食堂内には丁度時間帯が合ったのか、見知った顔が多く居た。

 特に先程会った魔人達、サテラ、シルキィ、ハウゼルの姿を近くのテーブルで発見したのだが、

 

「……て、あれ、ホーネットは?」

 

 しかし先程は居たホーネットの姿だけが、どこの席にも見当たらない事に気付く。

 まさか派閥の主は食堂まで別なのかと、脳裏にそんな事を考えたランスだったが、その言葉を耳にしたサテラはとても複雑な表情を作った。

 

「……ホーネット様はな、その……。先程、前線の魔界都市へと向かわれた」

「……え。いやだが、さっきまで部屋で話を……」

「うん。だから、ランスが部屋を出て、サテラ達の話が終わった後すぐにだ」

 

 どうやらホーネットは魔王城に帰還して休む間も無く、またすぐに出発したらしい。

 自分がシィルを抱いて昼寝をしていた僅かな間の話であり、その事を聞いたランスは感心を通り越して少々呆れてしまった。

 

「あいつ、バカ真面目にも程があるだろ。その内にぶっ倒れるんじゃねーのか?」

「……バカは付けないで。あの後少し話したんだけどね、メディウサとの戦いが想定以上に楽に済んだから、全然疲労が無いんだって。その意味じゃ、ランスさんのおかげなのかもね」

 

 そう答えるシルキィの顔にも若干困った色が浮かんでいる。彼女はその身を案じて、せめて一晩くらい休んでいったらどうかと、出発の準備をしているホーネットへと伝えてみた。

 だがその魔人は小さく首を横に振ると、いつも通りシルキィに魔王城の守りを任せて足早に城を発ってしまった。

 

「くそ、また何か仕掛けてやろうと思ってたのに。つーかあいつ、もしかして俺様から逃げたんじゃねーだろうな」

「……ランス。あんまりホーネット様に変な事をしちゃ駄目だ。ホーネット様の気分を害して、何かあってからでは遅いんだぞ」

「だいじょーぶだって。裸で襲い掛かってもちょっと怒られるだけだったし」

「お前は一体何をしてるんだっ!!」

 

 

 その後シィルが出来上がったへんでろぱを持って来て、シャリエラと共に席に着く。

 そしてランスは、久しぶりのシィルのへんでろぱの味を大いに楽しんだ。

 

 

 

 

 

 食後。奴隷の淹れたお茶で一服しているランスを余所に、食事を終えた魔人達は席を立った。

 

「それじゃあランスさん。長旅で疲れているだろうし、せめて貴方はゆっくり休んでね」

 

 代表してシルキィがそんな挨拶を残して、彼女達は食堂から去っていく。

 

 と、その時。

 

 

「ちょーっとまったー!!」

 

 どん、と湯呑をテーブルに叩きつけたランスが、突然大声を上げる。

 そしてすぐに席から立ち上がると、サッと彼女達の前に立ちふさがった。

 

「どうしたのですか、ランスさん」

「ハウゼルちゃん。何か忘れてないか?」

「……ええと」

 

 忘れ物があったでしょうか? と、ハウゼルは先程自らが座っていた席の方を振り返る。

 

「そうじゃない。この俺様が蛇女を退治して魔王城へと凱旋した。つー事は、どういう事だ?」

「どういう事……ですか?」

 

 まだランスの考えを推し量るのに慣れておらず、顔に疑問符を浮かべるハウゼルに対して、サテラとシルキィの二人はすでに嫌な予感を覚えていたのか、どこか苦い表情を向けた。

 

「……ランス。お前は何が言いたいんだ」

「決まってんだろそんなん。大活躍した俺様への、ご褒美ターイムを忘れちゃいかんよなぁ?」

「……まぁ、そんな事だろうと思ったけどね」

 

 今夜のお相手。彼女達を引き止めた理由はただそれだけだが、しかしとても大事な事。

 英雄である自分の大活躍の後には、その英気を養う必要がある。それはランスにとって至極当たり前の話であった。

 

「ぐふふふ……今夜俺様に抱かれる事になる、幸運な女の子はだーれかなぁーっと」

 

 ランスは焦らすように魔人達の周囲をぐるっと一周した後、サテラの隣で立ち止まった。

 

 

「俺様の今晩の相手。それは、超ー敏感肌でエッチな、サーテラちゃんかなぁー?」

「うぐ……」

 

 にやりと笑うランスは、サテラの頭の上にぽんと手を乗せる。

 思わず唇を噛んだその魔人は、照れ隠しの体でランスをキッと睨み上げる。

 

 

「それとも、隠しているが実はノリノリでエッチな、シルキィちゃんかなぁー?」

「……はぁ」

 

 サテラから離れたランスは、今度はシルキィの隣に来てその肩を抱き寄せる。

 小さく溜息を漏らしたその魔人は、全て受け入れる様子で静かに目を瞑る。

 

 

「いやいやそれとも、とっても押しに弱くてエッチな、ハウゼルちゃんかなぁー?」

「うぅ……」

 

 シルキィから離れたランスは、今度はハウゼルの隣に来てその腰に手を回す。

 脳裏に以前抱かれた時の記憶が蘇ったのか、その魔人は頬を染めて顔を背ける。

 

 

「て、ちょっと待て。ハウゼル、お前まさか……」

「そ、そんな目で見ないで、サテラ……」

 

 今の話の流れから、とある事に気付いてしまったサテラ。そんな彼女の視線から逃げるように、ハウゼルは自らの顔を両手で覆った。

 

「あぁ、やっぱりそうなんだ」

「やっぱりって、シルキィ知ってたのか!?」

「……んー、そういう訳じゃないんだけどね。ハウゼルの事だからその、遅かれ早かれというか……」

 

 人の頼みを断れない性格のハウゼルにとっては、魔人だと言う事に恐れを持たず、ぐいぐい攻めてくるその男は天敵に近い相手。

 信頼している仲間の事ながら、ランスの魔の手に落ちるのは残念だが時間の問題だろうと、シルキィは内心で考えていた。

 

「ハウゼル。貴女がそうなった経緯は聞かなくても何となく分かるけれど、それでも、ちゃんと断れる性格にならないと駄目だと思うわ」

「……シルキィ。えぇ、これでも分かってはいるんだけど……」

 

 自分の事を心配してくれているシルキィの言葉を受けて、ハウゼルは切ない表情で顔を伏せる。

 

「……とはいえ、私も貴女に対して、偉そうに言える立場じゃないんだけどね」

「……そうなの?」

「うん。そうなの」

 

 俺様に感謝しているんだろ? と言われてしまうと色々と断れなくなっている現状を憂い、ハウゼルと顔を合わせたシルキィは似たような表情で、二人同時に似たような溜息を吐いた。

 

 

 

 

 そんな思い悩む魔人達をよそに。

 

「今晩の俺様の相手。それは、お前だー!!!」

 

 ランスは未だ食堂のテーブルにて夕食を食べている途中の、その少女に向かって人差し指を勢いよく突き出した。

 

「……わたし?」

 

 ご指名を受けたシャリエラは、スプーンを口にくわえながらちょこんと小首を傾げる。

 

「うむ。旅の間はちょうど良いタイミングが無かったからな。ご主人様として、そろそろお前とセックスしておかないと。シャリエラ、覚悟はいいか」

「うん、もちろん。ご主人様とエロい事するのも人形である私の役目だから」

 

 テーブルに食器を置いたシャリエラは、かかってこいと言わんばかりの無表情で胸を張る。

 全くの未経験ではあるが、主人から命令された時の為にと何度もイメージトレーニングをしていたらしく、感情の色が浮かばないその目の奥には自信が溢れていた。

 

 

「よーし、いい度胸だシャリエラ。んじゃ、俺様の部屋へとレッツらゴー!!」

「あーれー」

 

 本日のお相手軽く抱え上げ、ランスはそのまま自室へと走っていく。

 

「ぽーいっ!」

「きゃー」

 

 棒読みの悲鳴を上げるシャリエラを、寝室のベッドの上へと放り投げる。

 

「それじゃ、いただきまーっす!」

 

 その華奢な身体の上に覆い被さり、しっかり一礼した後手を伸ばす。そして彼女の胸を掴んだ所でその無表情の顔が横に振られた。

 

「待ってランス。これはやり方が違う。作法なら覚えているから、シャリエラにまかせて」

 

 そう言ってシャリエラはランスの下から脱出すると、逆にランスの体の上にその身を乗せる。

 

「あー、そういやそんな感じだったな。んで、結局全然まともに出来ないんだよな、シャリエラは」

「……む」

 

 前回と似た展開を懐かしむランスの様子に、事情は分からないが侮られた事は理解したシャリエラの眉が、ぴくんと動いた。

 

「出来なくない。シャリエラは夜伽の練習も沢山した。する前から決めつけられると不愉快」

「んな無理すんなって、初めてだろお前。俺様が優しくしてやるからよ」

「そんなの必要無い。シャリエラに任せて、ご主人様はそのまま寝てればいい」

 

 シャリエラは全く譲らず、ランスの身体の上から下りようとはしない。

 主の為に働く人形である事に拘るあまり、殆どその感情を見せてしまっていたのだが、その様子を見たランスはそれでもいいかと思い、両手を頭の後ろに組んで身体の力を抜いた。

 

「分かった分かった。んじゃあまた、シャリエラちゃんに任せてみるかね。その無表情の顔がどこまで保つか、愉しませてもらおうじゃねーか」

「ん。シャリエラ、がんばる」

 

 

 

 

 その無表情が崩れるまで、時間にして約一分も掛からなかった。

 

 ランスのハイパー兵器を見ただけで、彼女は驚きに目を丸くし、その後はとっても感情豊かになってしまう。

 それでもがんばると決意したシャリエラは、逃げ出したくなる気持ちを必死に抑えて、ぎこちない様子でランスの性欲に精一杯応えた。

 

 そして終わった後には、彼女は自らご褒美を要求して、ランスに沢山褒めて貰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方。

 

 ホーネットが救出されて以降、動きの無かったケイブリス派。

 だが、当然の事ながら寝ていた訳では無い。

 

 今現在、ホーネット派の最前線となる魔界都市、ビューティーツリー。

 

 その都市が、為す術も無くケイブリス派によって奪われた。

 そんな知らせがランスの下に届いたのは、次の日の事であった。

 

 

 

 

 



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TURN 6
新たなる敵


 

 

 魔物界北部に存在している魔王城。

 荘厳かつ巨大なその城はホーネット派が本拠地としており、その城の周囲には外敵を拒むように城壁と城門が設置されている。

 

 そして、その城門のすぐ裏手。

 内開きの門が開かれた際にちょうど影となる場所に、ランスが立っていた。

 

「どーだかなみ、見えたか?」

 

 ランスは首を目一杯上に向け、その先に居る自分専属の忍者に向かって声を掛ける。

 

「ええと……まだ、かな」

 

 かなみは答えながら首を横に振る。彼女はランスから下された命令で、先程から背高い城壁の上に登って城の外を監視し続けていた。

 

「……まだか。ぬぅ、焦らしおって」

 

 苛立たしげに振るわれた魔剣の切っ先が、ランスの足元の土を抉る。

 彼はすでに魔剣をその手に握っており、普段使いの愛用の鎧も装着している。間近に迫る、魔人との決戦の準備は万全だった。

 

「かなみ、奴が来たらすぐに教えろよ」

「うん、分かってる」

「いいか、絶対見逃すなよ。もし見逃したらキツいお仕置きだからな」

「見逃さないわよ! これでも私、忍者なんですからね」

 

 偵察や監視任務はお手の物なんですから、とやる気を見せるかなみだったが、すぐに躊躇うような表情になってランスに振り向いた。

 

「……けどランス。大丈夫なの?」

「大丈夫だ、安心しろかなみ。俺様は無敵だ、奴などには負けん」

「あ、うん。と言うか、そっちじゃなくて」

 

 彼女は別にランスの心配をした訳では無く、気になっているのはもっと別の事。

 

「私が言ってるのは、こんな事しちゃって大丈夫なのかなって言う事なんだけど……」

「何だ、そんな事か。それなら平気だ、俺様はこのホーネット派の影の支配者だからな。ホーネットより偉い俺が何をしても問題は無いはずだ」

「……そうなの? けど、それでもこういう事は止めといた方がいいような……」

「うるさい。俺様がやると言ったらやるのだ」

「……はぁ。分かったわよ、どうなっても知らないからね」

 

 己の意見を曲げない頑ななランスの様子に、渋々かなみは監視作業に戻る。すると今度は、そばにいた奴隷が不安そうな面持ちで口を開いた。

 

「……ランス様。私もかなみさんと同意見で、あまりこういう事は良くないと思うのですが……」

「良くないもクソもあるか。シィル、こういうのは落とし前ってヤツが大事なんだ」

「けど……」

 

 これはケジメなんじゃ、と意気込むランスを前にして、強くは言えないが考え直して欲しいと思っているかなみとシィルの二人。 

 そしてその気持ちは、ランスがその手に持っている意思持つ剣も同感であった。

 

「心の友よ、嬢ちゃん達の言う通りだって。こんな事止めといた方がいいと違う?」

「カオス、お前まで何を言うか。大体、魔人を斬るのはお前の大好物だろーが」

「……いや。儂ね、あいつの事は別に……」

 

 そのままカオスは何故だか、目を反らしてもごもごと口籠る。

 普段なら魔人を斬ると言ってやれば、思わず捨てたくなる程にうるさくテンションを上げるカオスのその様子に、ランスは少しだけ妙に感じたが、即座に駄剣の事などどうでもいいなと考え直す。

 

 それより今は、魔人の戦いに集中すべし。

 ランスが身体をほぐすように、入念に魔剣で素振りをし始めたその時。

 

 

「あ、見えた。ランス、来たみたい」

 

 かなみが声を上げると共に城壁から飛び下りる。

 どうやらランスの獲物が、遂に魔王城へと到着したようであった。

 

「よっしゃ。二人共、邪魔だから下がってろ」

 

 シィルとかなみを後方に下げると、ランスはカオスを上段に構えて精神を集中させる。

 戦闘が長引くと不利になるのはこちらなので、ランスは最初の一撃で決めるつもりだった。

 

 

「……ふぅ」

 

 少しの間、緊迫した空気が流れる。

 

 その魔人の帰還を受けて、城門が鈍い音を鳴らしながら内開きに開かれる。

 

 一歩一歩、その魔人の歩く音が聞こえてくる。

 

「──よし」

 

 

 そして。

 

 

 

「……着いた着いた。ふぅ、腹減ったなーっと」

「死ねーーー!!!」

 

 魔王城に帰還した魔人ガルティアに対して、ランスはその背後から一切の躊躇なく斬り掛かった。

 

「うおっと!」

 

 完全に死角からの一撃であったが、ガルティアは瞬時に身体を斜め前に転がす事によって、ランスアタックの斬撃と衝撃波をギリギリで回避する。

 当たれば致命傷間違い無しの会心の一撃を躱され、舌打ちする男とその魔人が正対した。

 

「……ランス。あんた、無茶苦茶するなぁ……」

 

 ガルティアは呆然とした顔のまま立ち上がる。彼はその体内に、常時センサーの役割を果たすムシ達を何体も有している。

 それにより実の所、城門の影となる場所に隠れているつもりのランス達の存在は、城に一歩踏み入れた時から感知していた。

 

 だがそんなガルティアでも、まさかランスが突然に斬り掛かってくるとまでは予想しておらず、その魔剣による必殺技の威力の相まって、少々冷や汗を掻くような出来事であった。

 

「いきなり他人の事を背後から斬っちゃ駄目って、子供の頃に教わらなかったのか?」

「やっかましい!!」

 

 相手の言葉を封じるように、ランスはカオスの切っ先をビシっと突き付ける。

 傲然と敵を睨み付けるその男の顔は、まさしく怒りの形相と呼ぶに相応しい。彼が突然こんな暴挙に打って出たのには、一応の理由があるといえば理由があった。

 

「ムシ野郎。お前、守備を任されていた前線の魔界都市を、ケイブリス派に奪われたそうじゃねーか」

「あ、あぁ……。その話か……」

 

 その怒りに心当たりがあったのか、ガルティアは少々バツが悪そうな表情で顔を逸らす。

 

 魔界都市ビューティツリー。ホーネット派の前線拠点であり、当時魔人ガルディアが指揮していたその都市が、ケイブリス派によって奪回された。

 

 つい先日、メディウサ討伐の旅から帰ってきたばかりのランスの下に、その知らせは届いた。

 聞いた時は然程の興味が湧かず、「そりゃ大変だな」と他人事にように済ませたのだが、その都市を指揮していたのがガルティアだと言う事を知ると考えが180度変化した。

 失態を犯したその魔人へ落とし前をつける為、ランスは待ち伏せからの奇襲を敢行したのだった。

 

「都市を落とされ、おめおめと逃げ帰ってきた役立たずの貴様には死刑が相応しい。何か言い残す事はあるか、よし無いな。では死ねー!!」

「ちょ、ちょっと待てって!! これには理由があんだよ!!」

「知ったことかー!!」

 

 再び乱暴に振るわれる魔剣を、ガルティアは自身の蛮刀で受け止める。

 ランスの言葉は確かに事実ではあったのだが、とはいえ彼にも反論の材料が存在した。

 

「ワーグだ、ワーグが出たんだって!!」

「……ワーグ?」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 魔王城にあるシルキィの部屋。

 

 ガルティアの帰還を受けて、城に残る魔人達は急遽作戦会議を行う事を決定した。

 派閥の主はすでに城を発ってしまっているので、立場的に派閥のNO,2となるその魔人四天王の部屋で、一同は大きな机を囲んでいた。

 

 

「……そう。遂に、ワーグが現れたのね」

「あぁ、ありゃ間違いなくワーグの仕業だ。やっぱホーネットが言っていた通り、ケイブリスの派閥に加わったみたいだな」

 

 自分の言葉を肯定して頷くガルティアの姿に、シルキィは悄然としたように頭を下げる。

 派閥の主からそれを聞いた時からいずれはこうなるのだろうと分かってはいたが、それでも彼女はやるせない思いを抑えられなかった。

 

 

 魔人ワーグ。周囲の者を眠らせて、そして眠らせた者を操る力を持つ魔人。魔物界で一番恐れられているとも言えるその魔人は、現在どちらの派閥にも属していない筈だった。

 だがホーネットはペンゲラツリーでの経験から、その魔人がケイブリス派に参加した事を察知しており、その事は最重要懸念事項として、前もって派閥の魔人達全員には伝えていた。

 

 もしワーグが本格的に攻めてきた場合、魔人ならある程度その能力に抗する事も可能なのだが、魔物兵達にとってはとても抵抗出来るものでは無く、すぐに眠らされて死を待つだけの状態になる。

 自分達の味方となる兵達をみすみす死なせるのは忍びないので、もしワーグが出現したと判明したら兵達を守る為に撤退して構わないと、事前にホーネットはガルティアに指示を出していた。

 

 なのでその事を知らなかったランスはともかく、ここに集まった魔人達にとってガルティアが拠点を放棄した事は、想定通りと言えば想定通りだった。

 

 

 

「いきなり周りの魔物兵達がバッタバタ倒れ出してさ、始めは何事かと思ったよ」

 

 魔界都市にワーグが徐々に接近して来ると、最初に影響を受けるのは能力の弱い魔物兵達。

 突然の出来事に最初慌てたガルティアだったが、次第に自分にも強烈な眠気が襲い掛かり、これはあの魔人の仕業だと確信を持った。

 

「ワーグの能力、ありゃ凄ぇなホント。この俺でもちょっとくらっと来てさ、あの団子が無けりゃ危なかったかもな」

 

 脳髄まで強烈に痺れさせるような香姫の団子。それをぱくりと食べて彼は目を覚ますと、まだ意識があった魔物達を纏め上げて、ビューティツリーから即座に撤退したという経緯であった。

 

「ガルティア。ワーグが攻めてくる事に、もっと早く気付けなかったのか?」

「……まぁ、俺もメガラスも一応警戒はしてたんだけどさ、さすがにワーグだとな」

「……そうね。あの子は、いつも一人だから……」

 

 サテラの疑問に対するガルティアの返答に、シルキィはどこか切なそうに視線を伏せる。

 

 魔人ワーグの能力は本人にも制御が利かない。彼女のそばには現状ペットしか寄る事が出来ず、魔物兵の大軍を率いたりする事は出来ない。

 結果彼女は常に単独で動く事になる為、その存在を事前に察知するのは非常に困難であった。

 

 空からの警戒網を敷く魔人メガラス指揮下の飛行魔物兵の偵察部隊も、一日中すべての場所をつぶさに監視するなど到底不可能である。

 加えて空からの監視がどうしても難しくなる、魔物界の森をひっそりと抜けてきたワーグに都市への接近を許してしまい、その凶悪な能力によって拠点は無力化されてしまった。

 

 

「ワーグの事は早く何とかしねぇと、このままじゃろくに抵抗出来ないまま兵達が死ぬだけだ」

「ガルティア、死ぬだけならまだマシだ。ワーグの能力は……」

「……あまり考えたくないけど、すでに大多数は操られてしまっているでしょうね」

 

 目覚めぬ眠りだけでも恐ろしいのに、ワーグは眠った者が見る夢を操作する事により、その記憶を改竄する事が出来る。

 仲間だったはずの兵達は敵側に加わり、今後戦場で相まみえる事になるかもしれない。そう考える魔人達の顔にはすでに憂鬱の色が浮かんでいた。

 

 

 

(……うーむ)

 

 と、そんな魔人達の話し合いを、ランスは少し離れた席で聞きながら、

 

(……まーた俺様の知らん魔人が増えやがった。どうなっとるんだ全く)

 

 非常に納得のいっていない、憮然とした顔で腕を組んでいた。

 

 魔人ワーグ。

 その名前に関しては、ランスが頭の中を隅から隅まで探っても出てくる事は無かった。

 前回の第二次魔人戦争を最後まで戦い抜いた経験を持つ彼が、存在すら知らなかった魔人はメガラスに次いでこれで二人目である。

 

 メガラスはそれでもホーネット派の魔人であるので、特に知らずとも別段問題は起こらなかったし、なので今後も知ろうとは思っていない。

 だがワーグは敵の魔人であり、目下すぐに対処しないといけない相手。しかしその魔人について何も知らないのに、何か名案が浮かぶ筈も無い。

 そんな理由から、シルキィ達の作戦会議を半ば聞き流していたランスだったのだが、

 

「サテラよ、ちょっとちょっと」

 

 それでもやはり気になってしまったのか、近くの席にいたサテラを手招きして呼び寄せた。

 

「なんだランス、どうした?」

「なぁ、ワーグって何だ? シルキィ達は相当警戒しているが、そんなに強い魔人なのか?」

「……うーん、強いっていうか……」

 

 サテラは難しい顔をして首を傾げる。彼女の知る限り魔人ワーグは強くはない。その腕力も魔力も魔人の中では最弱と言える。ただその能力故にあらゆる存在から恐れられていた。 

 

「魔人ワーグはな、あいつのそばに近づくと眠くなってしまう。それが危険なんだ」

「眠くなる?」

「うん、眠くなる」

「……それ、強いのか?」

 

 サテラの極めて簡単な説明を聞いたランスには、いまいちピンとこない様子だった。

 

「眠気ぐらい、気合いでどうにかしろよ」

「……正直、サテラもそう思うけど、どうやらそうもいかないらしい。それに加えて、あれに眠らされると二度と起きられなくなってしまうそうだ」

「ありゃ、起きる事も出来んのか。そりゃあ確かにちょっと怖いな」

 

 どんなに強い力を持つ者も、眠ってしまえば雑魚同然になってしまうし、目覚めぬ眠りと言うのはもはや死と大差が無い。ワーグの能力を知り、さすがのランスも少し真面目な表情になった。

 

「そのワーグの能力、何か対処法は無いのか?」

「一応ワーグの能力は、サテラ達のような魔人や、能力が強ければある程度は抵抗出来るんだが……」

「ほーん、強けりゃいいのか。なら……」

 

 ランスの頭に思い浮かぶ、このホーネット派の中で一番強い存在。

 それは誰がどう考えても、あの魔人しかあり得なかった。

 

「ならホーネットだな。ホーネットに言ってぱぱっと片付けちまえよ」

 

 同じ魔人であるメディウサをも圧倒する魔人筆頭、それは間違いなくホーネット派最強の魔人。

 強ければ良いという条件で、彼女に頼らない選択肢などランスには思い付かなかった。

 

「って、あれ。そういや、この部屋に何でホーネットは居ないんだ?」

「ランス。ホーネット様はもう出発されたと前に言っただろう」

「あー、そうだったな。つーか、ホーネット抜きで作戦会議してていいのか?」

「ホーネット様には、ちょっと前にハウゼルが伝言に出たから問題は無い。けど……」

 

 サテラは言葉を区切り、ちらりとシルキィの方に視線を向ける。目が合ったその魔人は神妙な面持ちで小さく首を横に振ると、テーブルを挟んだ先のランスの方を向いた。

 

「ランスさん、ホーネット様は駄目。ワーグに関しては私達に任せて欲しいって言ってあるの」

「んあ? 何でだよ、強けりゃ強い程良いんじゃないのか?」

「……それは、そうだけど。けれど、ワーグの能力はそれでも未知数なのよ」

 

 魔人ワーグの眠気には強ければ抵抗が出来る。そう知られてはいるが、それは魔人達が身を以て感じている体感での話であって、どれだけ強ければ良いという確かな指標があるものでは無い。そもそもが、眠気などというとても曖昧なものである。

 

「ホーネット様なら大丈夫だと思いたいけど、もし万が一の事があったら大変でしょ? この前みたいな事になるのはもう嫌なの」

 

 派閥の主が捕らえられた時の気持ちを思い出したのか、シルキィははぁ、と静かに息を吐く。

 もしホーネットが眠らされてしまったら、それでもう派閥戦争は終幕となってしまう。ワーグに関してはとてもじゃないが派閥の主には頼れないと、彼女がそう考えるのも当然だった。

 

 

 シルキィがその話を当の本人に提案した時、最初は同意を得られなかった。一番能力が強く、一番眠りに対抗出来るであろう自分が戦うと、ホーネットは当初譲らなかった。

 しかしシルキィの再三の説得を受けて「……分かりました。ワーグに関しては貴女達に任せます」と、最終的には考えを曲げて仲間達に託した。

 

 ふと脳裏に、派閥の主の口からその言葉を引き出す為の苦労を思い出したのか、シルキィは慌てて首を横に振ると、その場に居る者達に言い聞かせるように少し声を張った。

 

「……とにかく。ワーグに関してはホーネット様抜きにして、私達でなんとかするの」

「うーむ。しかしホーネットが駄目なら、次に強い奴がやるしかないよな」

 

 ランスは顎を擦りながら考える。魔人筆頭であるホーネットの次に強い魔人、そう考えた時に思い浮かぶのは、すぐそこに居る小柄な彼女。

 

「となると、魔人四天王の……」

 

 ──シルキィちゃん、君だな。

 と、ランスはそう口にしようとして、

 

 

「……違うな。ムシ野郎、お前の出番だ」

 

 とっさに考え方を急転換して、ガルティアに対して人差し指を突き付けた。

 

「え、俺? いや構わねぇけど、多分シルキィのが強いぜ? なんたって魔人四天王だし」

「いやでも、お前の方がいらんし」

「……あー、なるほどね」

 

 強さなどはこの際どうでもよくて、捨て駒にするならまずは男の魔人。

 ランスの分かり易すぎるその意図に気付いたガルティアは、なんとも微妙な顔で頷いた。

 

「……でもそうだな。都市を奪われたのは俺の責任もあるし、いっちょ戦うか」

 

 そう言いながら、彼はは太腿をぱんと叩いて椅子から立ち上がる。

 

 しかし。

 

 

「……いいえ、ワーグとは私が戦うわ」

 

 ガルティアを片手で制したシルキィが、そう宣言した。

 

「シルキィ、別に俺で構わねぇよ」

「そーだそーだシルキィちゃん。ムシ野郎に戦わせときゃ十分だろ」

「ううん、私が戦う。と言うかね、最初から私はそのつもりだったのよ。ホーネット様に控えてもらう事を提案したのは私だしね」

 

 魔人四天王の紅色の瞳には、すでに静かな覚悟が宿っている。

 彼女はホーネットを説得した時から、もしもワーグが攻めてきた場合は、責任持って自分が戦うのが筋だと決断していたのである。

 

「皆はワーグ以外の魔人の事を警戒をしていて。ワーグは眠気さえ何とかなれば本人は全然強く無いから、私だけで問題無いわ」

「けどよシルキィ、その眠気は何とかなんのかよ。もしお前が眠らされて操られたら、すごく面倒な事になるぞ」

「……その時はもう、さすがにホーネット様にお願いするしか無いわね」

 

 魔人シルキィが眠らされて操られて、ケイブリス派の為に力を振るうようになったとしたら、ホーネット派にとってはまさに悪夢のような話。

 決してそうはならないとは誰も否定出来ず、それはシルキィ自身も考えたく無い事である。

 ただ、もし自分が操られてしまったとしても、ホーネットさえ居れば、必ずや自分とワーグをまとめて魔血魂に変えてくれるだろうと、彼女は派閥の主の力を信じていた。

 

 しかし、そんなシルキィの我が身を省みない覚悟に気付いたサテラが、目を吊り上げて声を荒げた。

 

「シルキィっ! お前な、そんなつもりならサテラは許さないぞ!! それなら、最初からホーネット様にお願いした方がましだ!!」

「サテラ……分かってる、私だって簡単にやられるつもりは無いわ。それにね、そもそもホーネット様より私の方がワーグと戦うには向いているのよ」

 

 自分の身を案じて怒るサテラの様子に、困ったように微笑むシルキィだったが、彼女がワーグと戦う事を当初から決めていたのは、相応の勝算があるからであった。

 

「ワーグの能力って、あの子から出るフェロモンでしょ? わたしにはほら、リトルがあるから」

「あー、そっかそっか。確かにそう考えると、一番ワーグと戦うのに向いてるのはシルキィだな」

 

 シルキィの特殊能力の事を思い出したガルティアが、納得するように頷く。

 

 魔人ワーグの能力は、彼女の身から無造作に放たれるフェロモンを媒介にしている。

 よってそれに触れる事の無い様に、堅牢な魔法具にて全身を覆い隠したまま戦えるシルキィは、対ワーグと言う意味では確かに最適な存在と言えた。

 

「それに、あの子とは少し話をしてみたいから」

 

 誰に聞かせるでも無く、静かにシルキィは呟く。彼女にとって、本当の目的はそちらにあった。

 

 

 

 一方、そんなシルキィ達の様子を眺めていたランスの脳裏には、何かが引っ掛かっていた。

 

(……なーんか、忘れてるような気がするぞ)

 

 はて何だろうと、彼は自然に首を傾げる。

 戦いに行ってしまうシルキィと、暫くセックスが出来なくなる事だろうか。確かにそれは重要な事なので、今晩は忘れずに抱いておこうと思う。だが、引っ掛かっているのはそれでは無い気がする。

 

 しばし悩みに悩んで、ようやく閃いたランスはその顔を上げた。

 

「あ、分かった。なぁシルキィ、そのワーグってのは男か? それとも女か?」

 

 見知らぬ存在である魔人ワーグの性別。それを聞くのをランスはすっかり忘れていた。

 強さや能力も確かに大事な事であるが、何よりもその性別というのが一番大事な事であった。

 

「……えっと」

 

 ランスのその問いに、言葉を濁したシルキィは思わずサテラと顔を見合わせる。

 二人の魔人は似たように顔を悩ませている。それは二人共この先の展開に予測が付いてしまうが故の、苦悩の表情だった。

 

「……ねぇサテラ。どうしたらいいと思う?」

「……多分、面倒な事になるのはシルキィだから、シルキィが決めればいいと思う」

「えぇー……」

 

 サテラの半ば突き放しに近い言葉に、シルキィの口から少々情けない声が漏れる。

 自分で決めればいいと言われても、彼女は嘘を吐くのが苦手な性格であるので、それは正直に答えろと言われているのと同じ事。

 仕方なくシルキィは事実をありのままに伝えようと、ランスに顔を向けた瞬間に、つい漏れそうになってしまった溜息を押し殺しながら口を開いた。

 

「……ワーグはその、女性だけど」

「よし。俺様も行く」

 

 

 

 

 

 



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魔人ワーグに近づきたい

 

 

 

 魔人ワーグの出現。

 

 それによって最前線の拠点であった魔界都市、ビューティーツリーを奪われてしまったホーネット派は、そこから一つ戻った場所にある魔界都市、サイサイツリーを現在の最前線としていた。

 

 そして、そのサイサイツリーの都市内にて。

 

 

「……しっかしまぁ、でっけぇ木だなこりゃ」

 

 魔界都市の象徴とも言える、都市の中心に生えた巨大な世界樹。

 首を目一杯上に傾けても視界に収まりきらないそれを眺めながら、ランスが感嘆の声を上げる。

 

「あの木から採れる豊富な食物が、魔物界の主な食料源になっているそうですよ、ランス様」

「へー。普段魔王城で食ってた見慣れない食材は、ここから採ってたのか」

「数十万っていう数の魔物の食料を、あの木一本だけで補えるそうです。すごいですよね」

「ほーん、そりゃあすごい。……すごい、が」

 

 ランスは言葉を区切ると、視線を世界樹から外して周囲をぐるっと一望する。

 

「数十万の魔物っつっても、この都市にはほっとんど居ないけどな」

 

 魔王城を出発して、ランス達が到着した魔界都市サイサイツリー。

 常ならば人間世界の大都市のように賑わっている筈のこの場所は、今現在死んだように寂れていた。

 

 

「……ワーグが迫って来ているからね。魔物達はみんな怯えて後ろの都市に下がっちゃったのよ」

 

 彼等の少し後方、うし車の整備をしている魔人シルキィが答える。

 彼女の言葉通り、最前線の魔界都市ビューティーツリーが魔人ワーグによって落とされた事で、次はきっとこの場所だと、当時この都市に居た魔物兵達は大パニックに陥った。

 

 そして我先にとばかりに、ここよりも内側にあって安全なキトゥイツリーや魔王城へと逃げ出そうとする魔物兵が続出し、どの道対ワーグという意味では魔物兵は役に立たないので、派閥の主であるホーネットもその事は許容していた。

 よって現在このサイサイツリーには、ハウゼルを中心とした飛行魔物兵の偵察部隊しかおらず、都市内の静けさは枯れてしまった都市であるペンゲラツリーと並ぶような有様であった。

 

「まったく、眠気なんぞを恐れるとは。魔物のくせにだらしない奴らめ」

「仕方ないわ。魔物界においてワーグの存在はそれだけ恐れられているのよ。それより……」

 

 うし車を整備している手を止めたシルキィは振り返り、ランスに対してじろっとした目を向けた。

 

「……ランスさん。貴方、本当に私に付いてくるつもりなの?」

「もっちろん。ここまで一緒に来たのに、この先には行かないなんて事あるか」

「……私、ワーグとの戦いに貴方達が加わるのは、ちょっと賛成出来ないんだけど……」

「まーたそれか、君もしつこい奴だな」

 

 道中で何度もシルキィにその事を言われていたランスは、うんざりだという表情で肩を竦める。

 

 魔王城での対ワーグ作戦会議終了後、シルキィはすぐに準備を終えて城を発つ事にした。そして相手が女性だという事を知ったランスは、当然のようにシルキィに同行すると主張した。

 

 しかしシルキィにとって、もし自分がワーグによって眠らされてしまったら、その時はもう自分より強いホーネットの出番である。

 一方で眠りに耐えられたのなら、戦闘能力を持たないワーグを退治するのは容易い事である為、他の者の協力は特に必要としていなかった。

 それになにより、魔人四天王の自分でもワーグの眠りに耐えられないようなら、人間であるランス達では尚更不可能な事であろう。

 

 そんな考えから彼女はランスに対して、ワーグの事は自分に任せて城に残っていて欲しいと何度も主張したのだが、まだ見ぬ女魔人を抱く事に好奇心を燃やすランスが頷く筈が無く、ここ最近色々とランスに押され気味なシルキィは最終的に押し切られてしまった。

 

「あのね。何度も言ったけど、ワーグは本当に危険な魔人なのよ。人間の貴方達じゃ……」

「何度も言ったが、問題無いっての。この俺様に、眠気なんぞは通用しないのだ」

「その自信、何処から来るのよ……」

「大体、見知らぬ魔人の美女を前にして、この俺様が城でじっとしている訳が無いだろ。……むふふ、ワーグちゃんか。どんな子かな、ぐへへへ……」

 

 自分の忠告になど全く耳を貸さず、あれこれ妄想を膨らませるランスの様子に、シルキィは困り果てた様子で肩を落とす。

 

 ランスのそばに居る、どちらかと言うとシルキィの意見に賛成寄りのシィルは、ランスを止められない自分の事を詫びるように、申し訳無さそうな表情で小さく頭を下げる。

 ランスとシィルの力関係を概ね把握していたシルキィは、分かっているから、と伝えるように優しく手を振ってそれに応えた。

 

 と、その時。

 

「シルキィ、ワーグとの戦いに向かうのですか」

「あ、ホーネット様」

 

 こちらに近付いてくる足音と、聞き慣れた声にシルキィが振り返った先。そこには数日前にこのサイサイツリーに到着していた、派閥の主の姿。

 

「昨日も聞いた事ですが、やはりワーグとは貴女が戦うのですね」

「はい。……もしかしてホーネット様、最初から気付いていましたか?」

「ええ、おそらくはと思っていました。私を説得している時の貴女は、覚悟を決めた戦士の眼差しをしていましたから。それにしても……」

「……はい。私には止められませんでした」

 

 ホーネットは一度そちらに向けて、ちらっと視線を送る。派閥の主のその仕草に、大体言いたい事を察したシルキィは頭の痛そうな表情で頷いた。

 

「……ランス。その様子だと、貴方もシルキィと共にワーグと戦おうと言うのですね」

「おうホーネット、そうだとも。この俺がさくっとワーグちゃんをやっつけてやる。感謝しろよ?」

 

 身支度を万全に済ませて、自信満々に返事をするランスの顔を、魔人筆頭の感情を読ませない瞳がじっと見つめる。

 

「……人間の貴方では、ワーグには近づけないと思います。シルキィの戦いの邪魔になるだけだから、貴方は城に戻るべきです」

 

 その言葉に、もっと言ってやってください、と言いたげな様子で、シルキィはこくこくと頷く。

 だがホーネットの忠告であっても、ワーグとセックスする事しか頭に無いランスを止める事は出来なかった。

 

「確かに普通の人間ならそうかもな。だがそれは、英雄である俺様には当て嵌まらん話だ」

「……そうですか。……あるいは、そうかもしれませんね。……しかし、それだと……」

「何だよ」

「……いえ」

 

 その時頭に浮かんだ色々な事を、ホーネットは言おうかとも一瞬考えた。だが元よりワーグに関しては派閥の魔人達に任せると宣言した事を思い出し、一度首を横に振ってシルキィの方を見た。

 

「シルキィ、諸々の事は貴女に任せます。私はこれからキトゥイツリーの様子を見て来ます」

「はい、分かりました。そう言えば、ここから下がった魔物達がキトゥイツリーや魔王城に大勢押し掛けた事で、どちらの場所も混乱状態になっているそうですね」

「ええ。キトゥイツリーにはメガラスが居るはずですが、彼はそういう事には不慣れですからね。何かあったらすぐにこちらに戻ってくるので、使いを出してください。では」

 

 それだけ言うとホーネットは踵を返して北の方角、ワーグと戦う為にビューティーツリーに出発するランス達とは逆の方角へと去っていく。

 その後姿を眺めながら、ランスは勝ち誇ったように大きく頷いた。 

 

「よーし。これでホーネットの許可も得た事だし、もう文句は無いよな。シルキィちゃん」

「……そうね。それに、私が何を言ったって貴方は聞かないしね」

「その通りだ。この俺様を邪魔者扱いしようったってそうはいかんぞ」

「あのねぇ、私は別に……まぁいいわ」

 

 人間を守る為に戦い続けてきた魔人シルキィ。彼女はランスの事を邪魔に思っている訳では無く、人間である彼等の事を純粋に心配して城に戻って欲しいと言っていたのだが、どうやらそれは無理そうなので決意を固める事にした。

 

 諸々の事は任せる。と言うホーネットの先程の言葉は、ランス達の事を指しているのだろうと理解したシルキィは、二人の事は何があっても自分が守らねばと確たる決意を胸に秘めながら、うし車を引くうし達に手綱を繋ぐ。

 魔王城からここに来るまでの道程でうし車を操縦してくれた魔物兵も、ワーグには絶対に近づきたくないと必死に首を横に振った為、仕方無くシルキィが御者の真似事をする事になっていた。

 

「……よし、準備は出来たわ。それじゃあワーグとの戦いに向かうけど、その前に一つ。ランスさん、シィルさん、私が絶対に守ってねって言った事は覚えてるかしら?」

「ええと、少しでも眠気を感じたら、すぐにその事をシルキィさんに知らせる。ですよね?」

「そう、正解」

 

 シィルの模範的な回答に、シルキィは満足そうに頷く。それは二人の身を守る上で何より大事な事だった。

 

「きっと私より先に、貴方達に眠気が襲ってくる筈だから。貴方達が眠くなっても私は気付かないかもしれないから、すぐに知らせる事。いいわね?」

「はーい」

「へーい」

 

 二人の何とも呑気に返事に、本当にワーグの驚異を理解しているのかと、どうにも不安になってしまうシルキィだったが、

 

「さてと……」

 

 一つ呼吸をして意識を集中すると、魔法具を操作する為の特殊な魔法を使用する。

 

 生体強化外部骨格リトル。武器にも鎧にも姿を変える、魔人シルキィの象徴とも言える魔法具。

 その魔法具の防御特化型鎧形態『ファット』を展開すると、小柄な彼女の体は2メートルを超える大きさの頑強な甲冑に包まれた。

 

「それじゃ、行きましょうか」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「いでっ」

「きゃっ」

 

 車輪が道の段差に乗り上げたのか、荷台が跳ね上がり、ランスとシィルの二人は尻を打つ。

 

「シルキィちゃん、もっと安全運転出来ないのか」

「これでも頑張ってるんだけど……。私、うし車を運転するのなんて初めてだから……」

 

 勝手がよく分からず、悪戦苦闘しながらシルキィが運転するうし車は、サイサイツリーを出発してビューティーツリー方面へと向かって現在爆走中。

 魔法具の装甲を着込んだシルキィが二匹のうしの手綱を引き、そのうしに繋がれた荷台に、ランスとシィルの二人が座っていた。

 

 

「……けど、行きましょうか。なんてさっきは言ったけど、果たして何処に行けばいいのかしらね。ワーグが今何処にいるかなんて分からないし」

「んあ? 何処って、あそこじゃねーのか?」

 

 ランスは荷台からシルキィの装甲の上に身を乗り出すと、進行方向の先の方を真っ直ぐ指差す。

 指の先にはまだ遥か遠くにある奪われた拠点、ビューティーツリーの巨大な世界樹が僅かに見えていたが、それを見たシルキィは首を横に振った。

 

「ううん、あそこには居ないと思う。ワーグはね、周りの者を無差別に眠らせてしまうから、魔物が沢山居る魔界都市には居られないのよ」

「ほう、なるほど。じゃあ……何処に居るんだ?」

「だから、それが分からないんだって」

 

 シルキィの知る限り、魔人ワーグはその能力故に常に孤独で、昔から魔王城でも生活が出来ず、周囲に生き物の気配が無い魔物界の森の奥で、ひっそりと暮らしていた魔人である。

 そんな理由で、ビューティーツリー内には恐らく居ないだろうと予想は出来たが、ならば何処に居るのかと考えた時に、彼女には特に当てが無かった。

 

「てかシルキィちゃん。ならば君は、目的地も決めずに車を走らせてたのか」

「……うん。……けど、だから言ったじゃないの。ハウゼルの飛行部隊がワーグの事を発見するまでは、出発せずにサイサイツリーで待機していた方が良いって。それなのに貴方が、どうしても行くって聞かないから……」

 

 今朝、朝食を食べている時に起きたそのいざこざを思い出し、シルキィ口から溜息が漏れる。

 

 現在魔人ワーグの居場所に関しては、ホーネット派の総力を上げて鋭意捜索中。一向は一昨日サイサイツリーに到着して、その時にシルキィは「ワーグの居場所が判明するまではここで待機ね」と告げたのだが、しかしランスの我慢は一日が限界だった。

 

「あそこに居るのはもう飽きたからやだ。魔界都市はオモロイもんが無くてつまらん。それとも何か、君はまだ俺とセックスし足りないのか。そういう事ならもっと居てやっても良いのだが」

「っ、そういう訳じゃ、無いけど!!」

 

 魔王城を出発してからここ数日、毎夜のようにランスに迫られていたシルキィは、魔道具の装甲の中で密かに頬を朱に染める。

 特に昨日は一日中暇だった事もあって散々付き合わされ、それはもう火が点いたような盛り上がりを見せてしまった。

 

「……と、とにかく」

 

 昨日の痴態を思い出した魔人四天王は、意識を強引に切り替えるように頭を振る。頭部を覆っている甲冑からガチャガチャと乱暴な音が鳴った。

 

「今の所、私達にワーグの居場所は分からないから、発見する方法は一つしか無いわ」

「どんな方法ですか?」

「……その、つまりね。眠たくなってきたら、きっと近くに居るはずだと思うのよ」

 

 シィルの問いに対するシルキィの返答は、何とも自信なさげと言うか、本人もそれでいいのかと自問自答するような声色であった。

 

「……何だか、すごい行き当たりばったりな方法だな、それ」

「……仕方無いでしょ、他に方法が無いんだから。とにかくあの子を発見するのは骨が折れるのよ。そういう事だから、さっきも言ったけど眠くなったらすぐに教えてね」

「はい。……けれど、今の所は眠くないですよね、ランス様」

「そーだな。今の所は特にどうとも無いな」

 

 ランスとシィルは顔を見合わせるが、互いの顔に眠気の色はまるで見えない。

 爆走中のうし車の荷台はがたがたと揺れるし、びゅんびゅんと風を切る音は耳に煩わしく、今の二人は眠気などむしろすっ飛ぶような状況にあった。

 

「シルキィちゃんはどうだ、眠くないか」

「私は多分、眠気を感じるとしても一番最後だと思う。なにせこれを着てるもの」

「あぁ、これか。確かにこれは凄かったからな」

 

 言いながらランスは、体を乗せているその装甲をごんごんと拳で叩く。シルキィの着込むその魔法具の堅牢さは、ランスも身を以て体験していた。

 

 前回の第二次魔人戦争。ホーネットを人質に取られた魔人シルキィは人類の敵となり、そしてリーザス王国の戦局にてランスは彼女と対峙した。

 しかしその装甲を前にして、ランス率いる魔人討伐隊の攻撃は全く歯が立たず、内部に居た彼女にはかすり傷一つ付ける事が出来なかった。

 

 更に恐ろしい事にその時のシルキィは全力では無い。前回の時は最低限の装甲しか装備しておらず、それ以外の装甲の大部分をケイブリスによって奪われている状態であった。

 しかし今は完全な状態のリトルがある。今のシルキィは紛うことなき魔人四天王の強さを有し、ランスも味わった事の無い全力を出せる状態にあった。

 

 

「ワーグと戦う時は、この甲冑をもっと大きく展開して隙間無く装着するつもりなの。そうすれば、ワーグの能力を多少なりとも防げると思うのよ」

「ふーむ……あ、そうだ、いい事考えたぞ。なぁシルキィ、この甲冑を俺にも着させてくれよ。そしたら最強の俺がさらに強くなってもはや敵無しだ。どうだ、悪くない考えだろ?」

「出来たら良いんだけどね、それ。残念だけど、このリトルは私にしか扱えないものなのよ」

「ぬぅ……」

 

 生体強化外部骨格リトルは、製作者であるシルキィの命令だけを聞き、シルキィが特殊な力によって操る事により動いている。なのでランスが着込んでも只の重い甲冑でしか無く、一歩前に進む事すら出来やしない。

 とそのような説明を受けたのだが、ランスはそれでも諦めきれないのか、装甲の上から一度降りるとその背中部分をじっと睨んだ。

 

「時にシルキィよ。この装甲って形が変えられるんだよな?」

「えぇ、そうよ」

「なら、ここを開いてみてくれ」

「え、……まぁ、いいけど……」

 

 話が見えないシルキィは言われるがまま、ランスの拳がノックする背中の装甲の一部を解放する。

 

 魔人シルキィにしか魔法具の操作が出来ないのなら、一緒に入ればどうだろうか。

 という事で、ランスは開かれた装甲の隙間に、自らの頭をむんずと突っ込んだ。

 

「ちょ、ちょっとランスさんっ!! 中には私以外入れないって!!」

 

 その慌てた声は装甲越しで無く、装甲の内部からランスの耳に届く。

 

「やってみなきゃ分からんだろ。それとも、試した事でもあるのか?」

「そ、そりゃ試した事は無いけど……!! だけど無理よ、これ、見た目以上に中は狭いから!!」

「ぐ、確かに、結構窮屈だな。けど、頑張れば、いけそうな……」

 

 装甲の内側は生物の肉のようにぶよぶよとしており、妙な心地に包まれながらランスは体をぐりぐりと奥に押し込んでいく。

 すると本体たるシルキィの姿が見えたので、抱き着くようにして手を彼女の前に回した。

 

「さわさわ……お、おっぱい発見。シルキィちゃんの弱点は先っちょだよな。くりくりっと」

「んっ、もう!! 運転中に変な事しないで!!」

「ぐはっ!!」

 

 シルキィの肘が、ランスの顎にヒットした。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 一向が車を走らせる事、約二時間後。

 

「……ぬぅ。居ねぇなぁ、ワーグちゃんは」

「そうですねぇ……」

 

 未だランス達は、魔人ワーグを捜索中。ランスとシィルの二人は荷台の中から注意深く外を眺めるが、流れ行く景色は魔物界の空や森ばかりで、特別変わったものは何も映らなかった。

 

「困ったわね……。あんまりビューティーツリーの方に近づいちゃうと、ワーグじゃなくて敵の魔物兵達が出て来ちゃうだろうし……」

「戦闘は面倒だからパス。シルキィちゃん、少し進路を変えろ」

「そうね、そうする。どの道ビューティーツリーにはワーグは居ないはずだし」

 

 シルキィは手綱を引き、うし達の進む方向を少し左に曲げる。道の左手側は背の高い木々が延々と立ち並び、その奥は深い森へと続いている。

 

「やっぱり、森の奥に潜んでいるのかしらね。そうなると、うし車だとちょっと進めないかも」

「だが森と言っても、ここらに森はあちこちにあるし、せめて何か当てが無いとな」

「そうなのよねぇ……」

「うーむ……。ワーグちゃんやーい!! 隠れてないで出て来ーい!! 今ならこの俺様が優しくお仕置きセックスしてやるからー!!」

 

 ランスの放った大声は、魔物界の空へと虚しく消えていく。当然そんなものに釣られてワーグが出て来る事は無かったのだが。

 

「………………」

 

 それを耳にしたシルキィは、ランス達には見えぬ装甲の内部で、思慮に耽るように顔を伏せる。

 今回のワーグの件も含めて、派閥の主に負けず劣らず責任感が強く、色々と抱え込む性質のシルキィの頭の中には、ワーグの居場所以外にもまだ悩み事があった。

 

「ランスさん。今更だけど貴方の目的って、やっぱりそれなのよね」

「それって?」

「……その、お仕置きなんたらってやつ」

「あぁ、まぁそりゃそうだろ。敵の魔人ちゃんにはお仕置きが必要だからな。ぐふふふふ……」

 

 鼻の下を伸ばした、締まりのない表情でランスは答える。

 彼の行動原理は専ら女性とセックスする事であるが、敵対する女性ならば口説いたりや何か約束したりと面倒な段階を踏まずとも、問答無用でお仕置きセックスという手が使えるので、勝つ事さえ出来れば楽な部類に入る方であった。

 

「……そっか。なら、結果的には貴方が一緒に来てくれて良かったのかもね」

「だろう? ……けども、なんの話?」

「ん、つまりね……」

 

 顔に疑問符を浮かべるランスに対して、装甲の中でシルキィは僅かに微笑みを浮かべていた。

 そんな目的がある相手ならばきっと、自分の目的にも協力してくれると彼女は考えたのだ。

 

「私と一緒にホーネット様に叱られて欲しいなって事。貴方なら私に付き合ってくれると思って」

「え。よく分からんけど、怖いからやだ」

「えぇー、そこは頷いてよ……」

 

 

 と、そんな二人の会話の間にもうし車はどんどんと道を進み、いよいよその能力の端に触れる。

 

「……ん」

 

 最初に影響が及んだのは、荷台の上からワーグの事を探していたシィルだった。

 

「……あれ?」

 

 突然頭がふらっと後ろに倒れそうになり、慌てて身体を起こす。ほんの数秒前から彼女の身に異変が起き始め、その脳内に抗い難い眠気が訪れていた。

 

「……ランス様。なんだか私、いきなり眠くなってきました」

「なに? それってまさか……」

「間違いない、ワーグの仕業だわ!! シィルさん、大丈夫!?」

「……はい、まだ我慢出来ます。……けど、うぅ、眠い……」

 

 我慢出来ると返事をしたシィルであったが、それでも彼女を襲う眠気はとても強烈なもの。

 両手で強く瞼を擦ったり、自らの太腿を抓ったりして何とか眠気に抵抗しようとするが、うし車が先に進むにつれ眠気は更に増していく。

 

 すると奴隷が必死に眠気に耐える様子を目撃したランスが、拳をグーに握って近付いてきた。

 

「眠いだとぉ? 俺様の奴隷の癖に情けない事を言うな、起きろこいつっ!! このっ!!」

「いた、いた、痛いです、ランス様……」

 

 ランスは目覚まし代わりとばかりに、彼女のもこもこ頭をぽかすかと叩く。

 

 だが。

 

 

「……あ、だめだ。なんか俺様もねむい」

 

 遂にランスの身にも、その強烈な眠気が襲い掛かってきた。

 頭がぐらついてとても立っていられなくなったのか、奴隷の膝の上にその頭を下ろす。

 

「うあー、ねみー」

「ランスさん!! シィルさんも、気を強く持って!!」

 

 まだ眠気を感じていないシルキィは緊迫した大声を上げながら、急いでその周囲を見渡す。

 

 二人にワーグの能力の影響が出ていると言う事は、必ずこの近くにワーグが居るはずなのだが、しかしワーグの能力は都市一つ覆う程の広範に及ぶ。

 今はまだその端に触れただけであり、シルキィの目の届く範囲にその姿は見えなかった。

 

「うおーい、シィール、寝るなー。寝たらおっぱい揉むぞー……」

「もう揉んでますよー、ランス様ぁー……むにゃむにゃ」

 

 すでに二人の瞼は殆ど落ちかけており、いつ眠ってしまっても不思議では無い。

 二人がこのまま眠りに落ちてしまったら、ワーグの意思によってしか目覚める事の出来ない、死と同じ様な状態になってしまう。

 

「ちょっと二人共!! ……て、あれ。もしかしてこれ、車も……!!」

 

 二人に気を取られていたシルキィはようやく気付く。いつの間にかうし車も動きを止めている。

 慌てて前を見ると、今まで無心で車を引いていた二匹のうし達も、眠たそうに身体を丸めていた。

 

「あぁ、もう!!」

 

 まだワーグの姿も確認出来ていない状態だと言うのに、ランスとシィルがこの有様ではとても戦う事など出来やしない。

 出発前に心に誓った通り、二人の安全が何よりも最優先だと判断したシルキィは、立ち上がって魔法具の全てを瞬時に展開する。

 

 するとその場には、魔人バボラと匹敵する程の背丈を持つ、装甲の巨人が出現する。

 

 全ての装甲を纏ったシルキィは、巨大なその手でランスとシィルの居る荷台ごと軽く持ち上げる。

 そしてついでに二匹のうし達も丁寧に拾い上げると、ワーグの能力の影響圏内から逃れる為、装甲の巨人は一目散にその場から逃げていった。

 

 

 

 

 



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魔人ワーグに近づけない

 

 

「うーむ……いでっ!! って、ありゃ?」

「目が覚めた?」

 

 ぱちん!! と頬を張られた衝撃と痛みによって、ランスの意識が一気に覚醒する。

 クリアになったその視界には、魔人四天王の心配そうな表情が映った。

 

「おお、シルキィちゃん」

「良かった……。貴方、今殆ど眠ってたわよ。心配したんだからね」

「ランス様、大丈夫ですか?」

 

 ホッとしたように笑顔を見せるシルキィのすぐ隣には、一足先に叩き起こされていたシィルの姿。

 

「……ぬぅ」

 

 今しがた永久の眠りに落ちかけていたランスは、奴隷に支えられるようにして体を起こす。そして微かに残る眠気を払うように頭を乱暴に掻いた。

 

「……さっきはびっくりする位にクソ眠かったぞ。……けど、今はもう眠くないな」

「それはきっと、ワーグの能力の影響が及ぶ範囲を離れたからね。二人をここまで運んでくるの、結構大変だったのよ?」

 

 ランス達の乗るうし車は現在、両魔界都市のちょうど中間辺りの道の脇に停車していた。

 先程、一向はここより少し先で魔人ワーグの能力に触れた。突如急激に湧いたその眠気に耐えきれず、眠りの淵に沈みかけた二人を守る為、シルキィは安全な場所まで全力で逃げてきたのだった。

 

「どう、二人共。さっきの眠気がワーグの能力よ。あのまま二人が眠ってしまったら、そのまま二度と目覚める事は無い。魔物界でワーグが恐れられている理由が分かるでしょ?」

「二度と、目覚めない……」

「ぬぅ……」

 

 その言葉にシィルは表情を凍らせ、さすがのランスも苦虫を噛んだような表情を見せる。

 ワーグの意思によってなら目覚める事は可能であるが、敵対している現状ではそれは望めない。魔人すらも恐れると言われるワーグの能力、その文句に何一つ偽りは無かった。

 

「……でも、どうしようかしら。さすがにこうなった以上は……」

 

 顔に困惑の色を浮かべるシルキィが考えるのは、ランスとシィルの二人の事。

 このまま二人を自分に同行させるのは、やはりとても危険な事だと彼女は再認識した。

 

 ここまで連れて来ておいて追い返すのは心苦しい事であるし、ランスには個人的に協力して貰いたい事もあったのだが、それでも二人は城に戻った方が良いだろう。

 しかしどうやって二人を、特にランスを説得するか、シルキィが頭を悩ませていたその時。

 

「そうだな。こうなった以上、もう一回行くか」

「えっ!」

 

 先程のあの散々な結果を受けて、そんな言葉が出てくるとは微塵も思っていなかったシルキィは、驚きの余りに少し声が裏返ってしまった。

 

「どした?」

「……え。ランスさん、また行くの?」

「そりゃそーだ。だって、行かなきゃワーグちゃんには会えんだろ?」

 

 当然の事を言うかの様な表情のランスに、シルキィはその胸に得も言えぬ不安を覚える。

 一応、先程逃げてきた時に回収した二匹のうし達もぎりぎり起きていたので、まだうし車を動かす事は出来る。なので、行こうと思えばもう一度行く事も可能ではあるのだが。

 

「……けどランスさん。あの眠気はどうするのよ。今行ってもまたさっきみたいに……」

「さっきのあれは、いきなりだったから少し油断してしまっただけだ。今度は大丈夫」

「……本当に?」

「ほんとほんと。なぁシィル」

「え、ええと……どうでしょうかね……」

 

 シィルは何とも曖昧な表情で首を傾げる。あの強烈な眠気に打ち勝てるか、彼女には正直言って自信が全く無かったのだが、ランスは一切の有無を言わせない勢いで立ち上がった。

 

「とにかくもう一回挑戦だ。すぐに出発するぞ」

「………………」

「シルキィ、そんな顔をするな。俺様は無敵の英雄だ、油断さえしなければ眠気などには負けん」

「……そう、そうね。分かったわ」

 

 ランスのとても強気な言葉に感化されたのか、シルキィも大きく頷いて立ち上がる。

 止めておいた方がいいのでは。と心の内では何度も何度も警鐘が鳴っていたのだが、あえて彼女はそれを無視する事にした。

 

 何故ならランスと言う人間は、自分の想像を遥かに超える規格外の人間だからである。

 ガルティアを引き抜き、ホーネットの命を救い、メディウサを倒した彼の言葉をシルキィは信じる事にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、二度目の挑戦。

 シルキィが運転するうし車は、先程その歩みを止めてしまった地点まで戻ってきた。

 

 ここからは車で進む事は不可能なので、この先に居るらしきワーグと戦うには徒歩で進むしか無い。

 そのように声を掛けようと、荷台を振り返ったシルキィの瞳に映ったのは。

 

「ううーん……」

「むにゃむにゃ……」

「て、ちょっとっ!! 二人共!! 大丈夫なんじゃなかったの!?」

 

 その光景は数時間前に見たそれと何も変わらず、二人は安らかな死に瀕していた。

 

「ランスさんの言葉を信じた、私が馬鹿だった……!!」

 

 シルキィは再び全ての魔法具を展開、装甲の巨人は同じ道をのっしのっしと戻っていった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「うーむ……痛ってえ!! って、ありゃ?」

「……目が覚めた?」

 

 ぱしーんっ!! と、先程よりも心なしか強めに頬を張られ、ランスの意識が一気に覚醒する。

 クリアになったその視界には、魔人四天王のちょっと疲れた表情が映った。

 

「おお、シルキィちゃん」

「……ランスさん。貴方、また殆ど眠ってたわよ。本当に心配したんだからね……」

「ランス様。その、大丈夫ですか?」

 

 はぁ、と息を吐くシルキィの隣、先に起きていたシィルは不安そうにランスの顔を覗き込む。

 

「……ぬぅ」

 

 今しがた、再びの永久の眠りに落ちかけていたランスは体を起こすと、まだ微かに残る眠気を払うように頭を乱暴に掻いた。

 

「……うーん」

 

 とそんなランスの様子を眺めながら、シルキィは密かに考える。

 

 やはりと言うかなんと言うか、薄々分かっていた事だが二人がワーグに接近するのは無理そうだ。

 とはいえここで二人を追い返す事もあれなので、今日はもうサイサイツリーに戻ろう。

 そして明日出発する時、ランスから何を言われても同行を断る。断固として絶対に断る。

 

 シルキィはそう決心して、本日は引き返す事にした。何より彼女はもう結構疲れていた。

 

「とりあえずランスさん、今日の所は……」

「よし、もう一回行くぞ」

「えー!!」

 

 それはシルキィだけでは無く、シィルの驚く声も綺麗に重なっていた。

 

「ら、ランス様。また行くんですか!?」

「おう。だって、進まない限りはワーグちゃんとセックス出来んからな」

「……ランスさん。でも貴方、眠気は……」

「大丈夫大丈夫。三度目ともなれば流石にもう慣れるだろ」

「……いや、けど……それに、私もちょっと疲れたって言うか……」

「それも大丈夫。俺は全然疲れてないから」

 

 胸を張るランスの様子に、顔を引き攣らせたシルキィは似た表情のシィルと顔を見合わせる。

 二人の目はお互いに対して「ランスを何とかしてくれ」と語っており、そしてお互いに「自分には無理だ」と語っていた。

 

 

 

 

 

 

 そして。結局ランス達は三度目の挑戦をしたが、分かっていた事だが結果は同じであった。

 

 魔人ワーグの姿が見える距離に近づく前に、ランスとシィルの身に強烈な眠気が襲い掛かる。

 どうしても二人はそれに抗う事が出来ず、眠りに落ちる前にシルキィによって助けられる。

 

 そして三度叩き起こされたランスは「よしもう一回」と宣言しようとしたその時、その腹から空腹を訴える音が聞こえた。

 

 ふと見れば常に暗い魔物界の空は更に暗く、そろそろ晩ご飯の時間が近い。

 その事に気付いたランスは今日の所はワーグに会うのを諦めて、サイサイツリーに戻る事にした。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 サイサイツリーに帰って来たランス達を待っていたのは、ハウゼルの優しい笑顔と夕食だった。

 

「ほー。これ、ハウゼルちゃんが作ったのか」

「えぇ。きっとお腹が空いてると思って。具を出汁で煮込んだだけの簡単なものですけれどね」

 

 ハウゼルはにこりと笑って、ランスに炊き出しをよそった食器を手渡す。ふわりと漂う出汁の香りが食欲を大いに刺激した。

 

「はい、シルキィも。今日はお疲れ様」

「ありがとハウゼル。本当に今日は疲れた……」

 

 うし車が走った道程をランス達を抱えて何度も逆走する羽目になったシルキィの顔には、深い疲労の色が浮かんでいた。

 

 夜の闇と静寂に包まれたサイサイツリーの中、ランス達は焚き火の周りにそれぞれ腰を下ろし、ハウゼルが用意してくれていた夕食を味わう。

 ハウゼルは戦地にあっても魔物達に混じって料理の手伝いをする程に、他者を思いやる気持ちに溢れている優しい魔人であった。

 

「はぁ、美味しい。ハウゼルの作った炊き出しを食べるのって、すごく久しぶりな気がする」

「単なる炊き出しでも、ハウゼルちゃんが作ったのだと思うと格別に感じるな。うむ、うまいうまい」

「はい、美味しいです。それに夜はちょっと肌寒いので、これなら暖まりますね」

「ふふっ、皆にそう言って貰えると作った甲斐がありますね」

 

 それぞれの賞賛の言葉にハウゼルは柔らかく微笑む。そんな彼女の作った美味しい夕食を食べながら、しかしシルキィは少し疑問を抱いていた。

 

「けれどハウゼル、夕食を作っている暇なんてあったの? 貴女は捜索隊を指揮していたのよね?」

「それはシルキィ達のお陰。ワーグの居場所に当たりを付けてくれた事で、捜索も大分楽になったわ」

「ああ、そういう事か。それなら、今日の頑張りも無駄じゃなかったって事ね」

 

 殆ど無駄足と思えた本日の一連の行動に、僅かなりとも意味があったのだと知ったシルキィは、安心したように眼を閉じる。

 

 ハウゼルの言葉通り、シルキィ達がワーグの能力が及ぶ範囲に接触した事で、そこから相手の居場所をある程度予測する事が可能となった。

 あまり接近すると偵察部隊も眠ってしまう為、捜索には細心の注意を払う必要があるが、恐らく数日もあればワーグの居場所の詳細が判明する。それが捜索隊を指揮しているハウゼルの見解であった。

 

 そんな会話を交わしながら、まったりと夕食を食べていたランス達だったが。

 

 

「……うーむ」

 

 ふいにランスの顔が訝しげなものになり、焚き火の向こう側、対面の位置に座わっているその魔人の少し後ろをじっと睨む。

 

「……なぁハウゼルちゃん。それなに?」

「それ?」

 

 首を傾げるハウゼルに対して「そこに居るそれだ」と、ランスはその手に持っていたスプーンで彼女の背後を指し示す。

 ハウゼルにくっついて行動し、今はその後ろで食事を取っている、赤いローブを頭からすっぽりと被った化物のような容貌の謎の生物の存在が、先程からずっとランスの気を引いていた。

 

 そして後ろを振り向いたハウゼルは、あぁ、と納得した様に頷いた。

 

「火炎の事ですか。そういえば、会うのは初めてでしたね。火炎、挨拶を」

「はい」

 

 ランスの興味を引いていたのは、魔人ハウゼルの使徒、火炎書士の存在。

 自己紹介をするよう主に言われたその使徒は、食器を置いて立ち上がると小さく礼をした。

 

「私はハウゼル様の使徒、火炎書士と申します。私達ホーネット派に協力してくれている、人間のランスさんというのは貴方ですね。色々と噂は耳にしていますです」

「ほぅ、ハウゼルちゃんには使徒が居たのか。……つーか、火炎書士? 変な名前だな」

「わ、いきなり言ってくれますね。ハウゼル様から聞いていた通り、使徒や魔人に対してこんなに物怖じしない人は珍しいです」

 

 火炎書士の仮面の下の瞳が、興味深そうにランスの事を映す。初対面ではあるものの、彼女は独自に情報を調べたり主たるハウゼルから聞いたりなどして、ある程度ランスについての知識を得ていた。

 

「火炎は戦闘などは不得意ですが、頭脳労働が得意で機転が利く優秀な子なんです。基本的に魔界都市に居て魔物兵達の指揮をしているので、魔王城に居たランスさんとは会う機会が無かったのですね」

「ふむ、そうか。……火炎書士ねぇ。……声の感じからすると、君は女だな?」

「はい、火炎ちゃんは正真正銘の女の子です」

「うーむ、女か……。女……」

 

 右手で顎の下を擦るランスは、それはもう複雑な表情をしていた。

 女と聞いた途端、火炎書士に手を出してみたい気持ちもふつふつと芽生えたのだが、そのグロテスクな形相と交わっている時の事を想像すると、さすがにちょっと腰が引けてしまう。

 この時のランスはまだ火炎書士がそういう生物だと思っており、暗がりから遠目で見るその顔が仮面だと言う事に気付いていなかった。

 

 

「……まぁいいや。とりあえず今はワーグの事だ」

 

 頭を切り替えるように、ランスは食べ途中だった夕食の残りを勢い良く腹の中に流し込む。

 

 魔人ワーグ。見知らぬその女魔人に興味津々で、出発前は期待にテンションを上げていたランスだが、帰って来た今はとてもご機嫌斜めであった。

 

「ワーグちゃんにお仕置きセックスする為にここまで来たのに、セックスどころか姿を見る事すら出来んかったぞ。一体どうなっているんじゃこれは」

 

 本日ランス達は何度も魔人ワーグに挑んだのだが、結果は戦いになるどころか、相手の姿を一目見る事すら出来ない有様。

 その事が大層不満であるランスは、その原因となる人物に顔を向けた。

 

「シィル、お前がすぐに眠りそうになるからだぞ。そのせいで何度も引き返す羽目になったのだ」

「うぅ、ごめんなさい……。けれど、眠りそうになるのはランス様も同じじゃ……」

「ああん?」

「あ、いえ……」

 

 ランスはヤンキーのような表情で凄み、生意気を言う奴隷を黙らせる。

 確かに自分も眠りかけたと言えばそうなのだが、それでも最初に眠くなるのはシィルなので、彼の中では全ての原因はシィルなのであった。

 

「はぁ、全く駄目駄目な奴隷を持つと苦労するぜ。とりあえず明日だ、明日もまたワーグちゃんに挑戦するぞ。シィル、明日は絶対に起きてろよ。明日眠りやがったら寝てるお前をそのまま森の奥に捨てて帰るからな」

「そ、そんなぁ……」

 

 主の無慈悲な宣言に、奴隷の少女はくすん、と泣いて眉を下げる。

 と、そんな様子をじっと見ていたシルキィは、

 

「…………ふぅ」

 

 一度小さく息を吐いた後、何かを堪えるかのようにぎゅっと目を瞑る。やがて覚悟を決めたのか、大きくその目を見開いた。

 

「……あのねランスさん。少し聞いて欲しい事があるんだけど」

「あん?」

「今日、二人は何回挑んでもワーグには近づけなかったでしょ? その事なんだけどね……」

 

 シルキィは痛ましそうに顔を伏せる。出来ればこの様な事は言いたくない。

 だが、誰かが言わなければならない。ならばその誰かと言うのは、ホーネットに諸々を任された自分の役目だろうと、彼女は出来るだけ相手を傷つけないよう言葉を選びながら先を続ける。

 

「この前、城でサテラが言っていたでしょ? ワーグの眠気は強力だけれども、それでも高い能力があればある程度は抵抗出来るものなのよ」

「……シルキィ、何が言いたい」

 

 この時ランスはすでに何となく察してしまったのだが、それでもその先は言わせまいとして、シルキィの事を鋭く睨む。

 ランスのその目付きに押されて、思わず顔を背けてしまった魔人四天王であったが、それでも言わない訳にはいかなかった。

 

「……だから、その、ね? つまり、ワーグに全然近づけないのは、貴方達のレベルが、その……」

 

 

 ――足りていないのではないか。

 

 言葉をとても濁しながら、顔を明後日の方向に逸すシルキィのその様子が、ランスにその事実を雄弁に、かつ無情に告げていた。

 

「……な、なんだと。がーーーん……、がーーん……、がーん……」

 

 英雄である自分が、レベルが足りないなんて言うしょうもない理由で門前払いを受けている。

 その衝撃の事実に、自らの口でエコーを掛ける程にランスはショックを受けてしまった。

 

「………………」

「………………」

 

 石の様に固まるランスを前に誰も彼も声を掛ける事が出来ず、しばしその場を静寂が支配する。

 

(……やっぱり、こんな事を言われたらショックよね。気持ちは分かるけど、でも……)

 

 日々英雄だと自称して、そしてそれに見合う活躍も十分に見せている。そんなランスのプライドをへし折るかのような事実を突き付けてしまった事に、シルキィも内心で強く胸を痛める。

 

 だがそうでもしない限り、ランスはまた何度もワーグに挑戦して、恐らく全ては無駄骨に終わる。いや、無駄骨に終わるだけならまだしも、何かの間違いで永遠の眠りに落ちてしまうかもしれない。

 それだけは防がねばならぬと、そんな想いから彼女は心を鬼にして再度口を開いた。

 

「……だからねランスさん。やっぱりワーグの事は私に任せて、貴方達は魔王城に……」

「……シルキィ。つまり君は、この俺はクソ雑魚の役立たずのクズだから、そんな奴は邪魔になるから帰れと言いたい訳だな?」

「そ、そんな、そこまで言うつもりはないのっ!! ただ、もし万が一にも貴方が眠らされちゃったら大変だから……!」

 

 シルキィの心にあるのは、ハウゼルのそれと同じような他者を思いやる優しい気持ち。純粋にランスとシィルの事を心配して、だからこそこの場は自分に任せて欲しいと考えている。

 だが、そんな情の深い彼女の真摯な想いは、戦力外通告を受けて視野狭窄となっていたランスにはまるで届かなかった。

 

「……ぐ、ぬ、ににぎぎ……!!」

 

「お前は弱いから引っ込んでいろ」先のシルキィの言動をランスの脳が翻訳するとそんな表現になり、何とも屈辱的なその言葉に対し、怒りに身を震わせるランスは歯を食いしばりながら低く唸る。

 

 ばきり、と木製のスプーンが砕ける程に拳を握り締めるランスだったが、未だその怒りを爆発させて反論しないのは、シルキィの言葉が事実であろう事を心の奥では気付いていたからであった。

 

 現状、シィルは元より自分もワーグにはどうやっても近づけない。

 しかしあの時、自分と同じように相手の能力を受けているはずのシルキィにはまだ余裕があった。それがつまり、レベルの差という事なのだろう。

 

 このまま明日明後日と何度挑もうとも、あの強烈な眠気にはちょっと勝てる気がせず、ワーグに近づく為にはもっと根本的に何かを変える必要がある。そして当然の事であるが、ワーグを抱くのを諦めるという選択肢は無い。

 怒っているだけでは何も変わらない。屈辱的なこの現状を打開する事を決心したランスは、自分の隣に座っている奴隷の方にバッと振り向いた。

 

「シィーーール!!! 何をのんきに飯なんざ食っとんじゃー!!!」

「は、はい! ランス様!! えっ、でも……」

 

 夕食の時間ですよ? と小首を傾げるシィルの手から食べかけの皿を取り上げて、彼女の襟首を掴み上げながらランスは立ち上がった。

 

「レベル上げじゃーー!!!」

 

 片手で奴隷の事を抱え上げたランスは、そのまま猛然と何処かへ走り去っていった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 ランスが走り去った後。静かになったその場には二人の魔人と一人の使徒の姿。

 

「……何というか、嵐のような人でしたね」

「……はっ!」

 

 呆然としている火炎書士のその言葉で、同じく呆然としていた魔人四天王は我に戻った。

 

「いけない、これじゃランスさん達が危険だわ。こんな時間に外に出たら……!」

 

 慌てて立ち上がったシルキィの切迫した表情が、事態の重さを物語っている。ついランスの勢いを止められずに見送ってしまったのだが、あのノリは大変危険なのではと彼女は思った。

 

 すでに夜。外は真っ暗な上に、ここは普段ランス達が生活している人間界ではなく魔物界であり、さらに戦争の真っ最中であり、ここはその最前線の魔界都市である。

 レベル上げをすると言っても、ここらに魔物と言えばケイブリス派の魔物兵しか居ない。まさか敵の拠点ビューティーツリーに突っ込むつもりなのだろうか。さすがにそれは無いだろうと思いたいが、ランスのあの暴走具合だと楽観視は出来ない。

 

 あるいはビューティーツリーには向かわずとも、魔物を探して森へと入ってしまったら尚危険だ。

 魔物界の森は単なる森では無く、生物を養分とする魔界アロエなどの危険な魔界植物が所狭しと生い茂り、魔物でも避けて通るような場所である。ランスはその事を知っているだろうか、知らないと見た方が良いだろう。

 

 瞬時にそう考え、そんな危険から二人を守る為に急いで後を追おうとしたシルキィだったが、遅れてハウゼルが立ち上がった。

 

「待ってシルキィ、私が行くわ」

「ハウゼル……、頼んでいいの?」

「ええ。シルキィは元々ワーグと戦う為にここに来たんだから、ワーグの対処に専念していて。私の仕事はもう目処が付いたから。火炎、貴女は捜索隊の指揮とシルキィの補佐をお願い」

「分かりましたハウゼル様、お気を付けて。こっちは火炎ちゃんに任せてください」

 

 そしてハウゼルは食べ終わった食器を丁寧に片付けると、その背に生えた翼を大きく広げて、ランスが走り去った方向へと飛び立っていった。

 

 

 

 

 

 ハウゼルが去った後の焚き火の前で、シルキィはとても大きな溜息を吐いてしまった。

 

「……はぁ。やっぱり、城を出発する前に私がしっかりと同行を断っておけば……。これじゃもう、ハウゼルの事を人の頼みを断れない魔人だなんて口が裂けても言えないわね」

「あ、あはは……」

「火炎もごめんね? 私がランスさんを連れて来ちゃったばっかりにこんな事になって。貴方はハウゼルの使徒なのに……」

 

 火炎書士は一般的な使徒の例に漏れず、主となる魔人の事が大好きな使徒である。

 その事を当然知っているシルキィは、ハウゼルのそばに居たかったでしょ? と、詫びるような視線でそう問い掛けたが、火炎書士は特に気にした様子を見せずに首を横に振った。

 

「いえいえ。火炎は問題無いですよ。火炎ちゃんはへっぽこですから、ハウゼル様に付いて行ってもランスさんのレベル上げのお役には立てませんし」

「……ありがと。そう言ってくれると助かるわ」

「けれどシルキィ様、ワーグの事はどうします? 恐らく数日中にワーグの居場所は判明するので、見つかり次第すぐにでもシルキィ様が戦う事も出来るのですが、それだと……」

 

 言葉を区切った火炎書士は、ちらりとランスが走り去っていった方向に視線を送る。

 その仕草でシルキィは言いたい事を察する。それは彼女も考えていた事だった。

 

「……そうね。レベル上げだーなんて意気込んで、終わって戻ってきたら戦いが終わってた、なんて事になったら……きっと拗ねるわね、あの人」

 

「何故俺様の事を待たなかったのだ」と、今後延々とグチグチ言われ続けるような、そんな未来が容易に想像出来てしまったシルキィは、何度目か分からない溜息を吐き出した。

 

「……とりあえず、少しの間はランスさんが戻ってくるのを待ってみる」

「分かりました。では私は捜索隊を動かして、現状はワーグの居場所の発見と観測に努めます。ただそれでも向こうから来てしまった場合、シルキィ様にお願いするしかありませんが……」

「うん、それは分かってる。さすがにその時はもう、私一人でワーグと決着を付けるしかないわね」

 

 いくらここでランスの帰りも待っていようとも、ワーグの方から攻めて来たら戦わない訳にはいかない。ランスの帰還のタイムリミットはワーグが動き出すまで、そうシルキィは心に決めた。

 

「それまでに、ランスさんが帰って来てくれればいいんだけど……」

「きっと大丈夫ですよ。ハウゼル様も付いている事ですし」

「……そうね」

 

 ランスに強い態度を取れないハウゼル頼みというのも若干不安なシルキィであったが、先程その事はもう言えないと宣言したばかりなので、その思いは胸の中にそっとしまい込む。

 そして何か話題を変えようと、シルキィは至って取り留めのない話を選択した。

 

「最近のハウゼルの様子はどう?」

「あ、そうなのです。最近のハウゼル様、ちょっとした変化があって。多分あの変化ってランスさんに出会ったからですよね? 火炎はハウゼル様のその変化を結構気に入っているのです」

「へぇ、そうなんだ。私は気付かなかったけれど、ハウゼルの何が変わったの?」

 

 長くを生きる魔人は精神的に成熟して、そう簡単に何かが変わったりはしないもの。けれど共に過ごす時間が長い使徒にだけ気付ける何かがあるのだろうかと、シルキィはその話に興味を抱いた。

 

「ハウゼル様、部屋で読書をしている時とか、急に何かを思い出した様子で顔が真っ赤になって、胸を押さえたり首をぶんぶん振ったりするのです。何を考えているか丸分かりなので、最近のハウゼル様は見ていて楽しいです」

「……あぁ。変化ってその、そういうあれ?」

「はい。そういうあれです」

 

 言われて思い出してみると、確かにハウゼルのそんな様子を見た覚えがある。恐らくその変化はランスに抱かれた事による変化だろう。そう悟ったシルキィは深く追求しない事にした。

 

「……けど確かに、ランスさんが城に来てから皆も変わったわね。サテラなんてすごく分かり易くなっちゃったし、それにホーネット様も……」

 

 ハウゼルやサテラのように外面にはあまり見えないが、内面の変化というものがある。ある意味で一番変わったのはホーネットでは無いかとシルキィは思っている。

 メディウサを討伐する為とは言え、責任感の塊のような派閥の主が戦争中に城を遠く離れて人間世界に向かうなど、以前の彼女だったら考えられないような事である。

 

「そう言うシルキィ様も、以前と変わりましたよ」

「私も? そうかな、どこか変わったかしら」

 

 自分で言うのも何だが、自分はそう変わっていない筈だとシルキィは思う。ランスと出会って、自分の知らなかった恥ずかしい一面を知る事になってしまったが、火炎書士にそれを明かした事は無い。知っているのはサテラだけの筈だ。

 シルキィはそう思っていたのだが、火炎書士はそんな魔人四天王の口元をぴしっと指差した。

 

「シルキィ様は、溜息の量が増えましたです」

「えぇー、変わったってそこ? ……でもそうね、最近は振り回されてばっかりだから……」

 

 何だか嫌な変化だなぁと思わずにはいられなかったが、ランスに振り回されているのは、それだけランスと深い仲になったからである。

 自分がどうもランスの我儘を聞いてしまうのも、それだけランスを大切に想っているからだろう。自分がこの世界で何よりも守りたい、自分の戦う理由がまた一つ増えたのだと、シルキィはどうにか最大限好意的に解釈する事にした。

 

「シルキィ様、あんまり溜息吐くと幸運が逃げちゃいますよ? 何か悩み事があるのなら、火炎で良ければ相談に乗りますよ」

「……相談か。そうね、そうしようかしら。ランスさんはあの様子だし」

 

 シルキィは片手で頬を軽く撫でる。本当はランスと一緒にじっくり考えようと思っていた事があったのだが、とても相談など出来る状態では無くなってしまった。

 なのでここはハウゼルお墨付き、火炎書士のその優秀な頭脳の力を借りる事にした。

 

「ねぇ火炎。ワーグの事なんだけど……」

 

 

 

 

 



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モスの迷宮

 

「ワーグと戦うには、貴方はレベルが足りない」

 

 シルキィから遂に突き付けられてしまった、その衝撃の事実。

 

 その事に声も出ない程のショックを受けたランスだったが、しかし落ち込んでいる暇など無い。

 屈辱的なそんな言葉を言われっぱなしでいる訳にはいかないし、何より魔人ワーグを抱きたい。

 どうしても見知らぬその魔人とのセックスを諦め切れないランスは、ワーグと戦うに足りるまで、今すぐレベル上げを行う事を即断即決した。

 

 サイサイツリーでの夕食の団欒の中、逃げるように何処かへと走り去っていったランスはその後、シルキィが危惧したような敵派閥の拠点や危険な森に突っ込むような事態にはならず、幸運にも岩肌にぽっかりと口を開けた洞窟を発見した。

 

 モスの迷宮。その洞窟は、魔物界に棲む者達からはそう呼ばれている。

 

 迷宮内に足を踏み入れてシィルに魔法によって辺りを照らすと、狭かった入口とは対照的に迷宮と呼ばれるだけの事はあり、内部は入り組んでいて横幅も天井にも広がりがあった。

 そして、迷宮の奥からは獲物の気配が感じられた為、ランスはしばらくこの場所にてレベル上げを行う事に決めたのだった。

 

 

 

 

 

 土と岩で固められた、自然をそのままくり抜いた様なモスの迷宮内を進むランス達は、曲がり角を曲がった所で三体の魔物と出くわした。

 その先頭、豚人間とでも呼ぶべき容姿のぶたばんばらが、先が鋭く尖った槍をその手に構えて、ランスに向かって遮二無二突進する。

 

「ランス、アターック!!」

 

 対峙するランスは初っ端から全力全開、すでに力を溜め終わっていた必殺技でもって迎え撃つ。

 振り下ろされた魔剣は迫り来る槍の穂先を粉砕し、数瞬遅れて発生した衝撃波によって体をずたずたに引き裂かれ、ぶたばんばらは絶命した。

 

 一体目の魔物を倒したランスだったが、その必殺技の撃ち終わりの隙を狙って、空中に浮かぶ手の生えた目玉、マグボールが襲い掛かる。

 その手に生えた鋭い爪で、地面に剣を叩きつけた格好のランスを引っ掻こうと勢い良く迫るが、

 

「炎の矢!」

 

 その動作よりも先にシィルの魔法が完成する。ランスの攻撃後の隙を的確にフォローする、合図せずとも通じる熟練の連携で放たれた炎の矢は、マグボールの巨大な目玉に突き刺さる。

 その熱とその痛みに狼狽えている間に、体勢を整えたランスによってマグボールは両断された。

 

 二体の魔物が倒され、そして最後に残った魔物。

 

「ていっ」

「あいやー」

 

 ランスはハニーフラッシュを放とうとするグリーンハニーに対し、げしーっとランスキックを一撃。憐れ瀬戸物は粉々になってしまった。

 

「ふぅ。こんな雑魚共、俺様の相手にならんわ」

 

 出現した魔物達を軽く倒したランスは、肩慣らしにもならないと言った様子で腕を回す。

 

 超一流の冒険者と言えるランス達にとって、この程度の相手は苦戦する様なものでは無い。シィルにヒーリングを命ずる必要も無い戦闘を終えたランスは、油断無い目付きで迷宮の奥を睨んだ。

 

「よしシィル、次だ次。次の魔物をしばくぞ」

「はい!」

 

 シィルは元気よく返事をする。次なる獲物を求め、ランス達は再び迷宮内を歩き出した。

 

 

 

 今のはレベル上げに勤しむランス達の一部始終。

 

 だが、そんな感じでランスが真面目にレベル上げを行っていたのは、洞窟に入ってからほんの一時の間、今より少し前までの話であった。

 

 

 

 

 

 そして現在。

 

「あっ……」

 

 モスの迷宮内。ごつごつした岩肌の壁に湿り気のある女性の声が反響する。

 

 自らの口から漏れてしまったその声に、その女性は恥じるように口元を押さえる。

 彼女のほっそりとした腰には、いやらしい笑みを浮かべた男の左手が抱え込む様に回されており、その撫でるような手付きが先の声の原因だった。

 

「あ、あ……、だめ、駄目です、ランスさん……」

「くっくっく……駄目か。ならば、もっとちゃんと抵抗しないとな。さもないと、また俺様の言いなりになってしまうぞ?」

 

 耳元で囁かれるその言葉に、反射的に肩を揺らしたその魔人は紅潮している頬を背ける。

 彼女の身体に背後から隙間無く密着しているランスは、その柔らかい身体の感触を味わいながら、自分の右手を彼女の右手の上に重ねた。

 

「……お願いです、もう、これ以上は……」

「まだまだ足りん。ハウゼルちゃん、君は何も考えず、全て俺様の言う通りにすればよいのだ」

 

 ランスに背後から抱きしめられ、体の自由を奪われているのは魔人ハウゼルであった。

 彼女は抵抗の意思を示すように首を小さく横に振るが、そのようなもの大した効果は無い。むしろその嫌がる姿はランスのサディズムを刺激したのか、にやりと口角を釣り上げる。

 

「さぁ、もう一回だ」

「……ランスさん、」

 

 ──ダメです、止めてください。

 その言葉がどうしても喉から出ないハウゼルは、辛そうに表情を歪める。

 しかしランスはそこにいる哀れな獲物に対して、一切の躊躇をしなかった。

 

 

「そーれポチっとな」

「あぁっ!」

 

 ハウゼルの手に重ねられたランスの手が、彼女の持つ巨銃『タワーオブファイアー』の引き金を彼女の指ごと押し込んだ。

 するとその銃口の先から、魔人としての力の顕現たる巨大な火柱が放射され、ランス達の眼前に並ぶ魔物の集団はあっという間に消し炭になった。

 

「おおー。さっすが魔人、こりゃやっぱ楽でいいな。……ちと熱いが」

 

 炎の残滓を払うように顔の前で手を振るランスだったが、その口からは何度目かになるその光景に対しての、素直な賞賛の言葉が出る。

 見れば彼のそばに居るシィルも、その炎の破壊力と迫力にぱちぱちと拍手をしていた。

 

 

 モスの迷宮内にて真面目にレベル上げをしていたランス達だったのだが、二人の事を探しに来たハウゼルと合流して以降、ランスは戦闘の全てを彼女に任せっぱにしていた。

 なにせハウゼルは魔人である。その手に持つ巨銃、タワーオブファイアーから放たれる力はそれはもう目を見張る威力があり、彼女が一度その引き金を引けば、わざわざ自分が剣を抜かなくてもあっという間に戦闘は終わる。

 

 加えて魔人である彼女には無敵結界があり、襲い掛かってくる魔物達の攻撃は一切通じない。

 少々可哀想だが盾にするにも持ってこいであり、そんな理由でハウゼルを先頭にしたランス達は迷宮内の魔物達を片っ端から蹴散らしていた。

 

「うぅ、このような事……。私は魔人なのに……」

 

 しかし無敵結界により守れるのは肉体だけであり、その心には傷を負う。モスの迷宮内に突如出現した殺戮者となったハウゼルは、沈痛そうな面持ちで頭を下げていた。

 

「別に魔人だからって、魔物を退治しちゃいけないなんて決まりは無いだろ。それにだ、そもそも何年も前から魔物同士で戦争してるんだろ?」

「それは確かにそうです。けれど、ここに居る魔物達は恐らくケイブリス派ではありませんし……」

 

 現在、派閥戦争真っ只中の魔物界であるが、魔物界に存在している全ての魔物がどちらかの派閥に属している訳では無く、無所属の魔物や戦いに興味の無い魔物もある程度存在している。

 ここに居るのはそんな魔物達、あるいは戦争から逃げて隠れている臆病な魔物達かもしれない。

 

 そのように考えてしまうと、戦争と無関係の魔物達を魔人の自分が退治している現状に、優しい性格のハウゼルは胸を痛めてしまうのだが、当たり前だがランスは何も気にしていなかった。

 

「なーに、安心しろハウゼル。ここの奴らは今日この時、俺様の経験値になる運命だったのだ。奴らの死因は寿命であって、君が殺した訳じゃない」

「ランス様、さすがにそれはちょっと無理があるような……」

 

 シィルの真っ当なツッコミを一切無視して、ランスはハウゼルに近づくとその体を抱き寄せる。

 辛そうな彼女を慰めるように帽子の上から頭を優しく撫でると、ハウゼルの瞳が僅かに潤んだ。

 

「ランスさん……それともう一つ思ったのですが、こうして私の力だけで魔物を倒す事が、ランスさんの成長に繋がるのでしょうか?」

「あぁ、それは大丈夫。俺達はパーティだからな、君が戦えば俺にもちゃんと経験値が入るから」

「そうなのですか?」

「そう。そういうものなのだ」

 

 ランスにも詳しい仕組みはさっぱり謎だが、とりあえずそういう事になっているので、そういうものなのだとしか言い様が無かった。

 

「つー事で。よーしハウゼルちゃん、次行くぞー」

「え、まだ戦うのですか……?」

「とーぜん。俺の事を役立たずの無能扱いするシルキィちゃんを見返す為には、こんなもんじゃまだまだ全然足りんからな」

「ランスさん、シルキィはそういうつもりで言った訳じゃ……」

 

 ハウゼルがここにいるのは、元はと言えばシルキィがランス達の身を案じたからである。

 そんな優しいシルキィの為にもランスの思い違いを訂正しておきたいハウゼルだったが、聞く耳を持たないランスは迷宮の先へと進んでいく。

 

 諦念するように一度瞼を伏せたハウゼルは、シィルと共にランスの背中を追う事にした。

 

 

 

 

 その日、ランス一行は一日中モスの迷宮内を探索した。

 

 時折出現する魔物にはハウゼルのタワーオブファイアーの銃口が無慈悲に向けられ、放たれる豪炎によってその身を無残に散らしていく。

 

 ダンジョンのお約束、幾つか発見した宝箱からはろくな物が出なかったが、それでもランス達はモスの迷宮をどんどんと下り、地下5階に下る道を発見した所で本日の冒険は終了。

 

 そろそろ腹が減ってきたので、ランス達は安全そうな場所でキャンプをする事にした。

 

 

 

 

 

 

 そして食後。

 

「いやー。にしても今日は良く戦ったぜ」

 

 シィルが作った簡単な夕食で腹を満たしたランスは、体をぐぐっと上に伸ばす。

 その顔には久々に身体を動かした事の少しの疲労と、本日の結果に対する充実感が見て取れた。

 

「ですね、ランス様。……ハウゼルさんも、今日は本当にお疲れ様でした。どうぞ」

「有難うございます、シィルさん」

 

 冒険中のキャンプというこの状況下においても、丁寧に食後のお茶を淹れたシィルが、それをランスと本当の功労者であるハウゼルへと手渡す。

 ハウゼルは小さく頭でお辞儀をして受け取り、熱々のお茶で喉を潤した。

 

「ふぅ……」

「ハウゼル、今日の君はとても良く頑張った、偉いぞ。おかげで経験値はがっぽがぽだ」

「……お役に立てたのなら良かったです。レベルは上がりましたか?」

「おう、さっき飯食う前にウィリスを呼んだが、結構レベルが上がった。思えばあいつを呼ぶのも久しぶりだったから、大分経験値が溜まっていたみたいだな」

 

 人間はレベル屋かレベル神を利用しない限りレベルは上がらない。前回最後に呼んだ時から蓄積されていた分の経験値、特に魔人であるメディウサを討伐した分を含めて相当な量があったのか、元々40あったランスのレベルはすでに4つ程上昇していた。

 

「これで昨日までの俺様とは違うぞ。このままレベルをもっと上げ続ければ、今度はきっとワーグちゃんに近づけるはずだ。ワーグちゃんは魔人の中では最弱って話だから、近づく事さえ出来ればこっちのもんだな。がーっはっはっは!!」

 

 いよいよお仕置きセックスの時間が近いぜ。と、満足そうに高笑いをするランスの一方で、ハウゼルはどこか晴れない表情していた。

 

「……けれどもランスさん、本当にこれでワーグに近づけるのでしょうか?」

「近づける。……それとも何か、君もシルキィちゃんと同じで、クソ雑魚の俺にはいくらレベルを上げた所でワーグに近づくのは無理だと言いたいのか」

「そ、そんな事を言うつもりはありません! ……ですが、ワーグの能力は本当に強力なものです」

 

 ランスにぎろっと睨まれ、慌てて首を横に振るハウゼルであったが、彼女がそのように思い悩む理由は、この場にいる誰よりもワーグの能力について詳しいからである。

 

 ワーグは今でこそ魔物界の森の奥深くで暮らしているが、最初からそうだった訳では無い。魔王ガイの手によって魔人となったばかりの頃、一時期は魔王城で生活をしていた。

 ワーグよりも先に魔人となっているハウゼルはその時に何度も接触をしており、その能力の凶悪さをその身で以て体験していたのである。

 

「ワーグの能力は、気を付けていないと魔人の私でも眠ってしまう程のものです。ランスさんの強さを否定する気は無いのですが、少し強くなったからといってあれを完全に防げるかというと……」

「……ぬぅ。まぁ確かに、あの眠気は結構……、いや、かなり強烈だったからな……」

 

 ハウゼルの言葉を受けて、ランスは昨日襲われたワーグの眠気の恐ろしさを思い出す。

 100近いレベルを有する魔人でも恐れるようなワーグの能力に対して、人間のランスが多少レベルを上げただけでそれに耐えられるのかと言われてしまうと、確かに大いに疑問符が付く話ではある。

 ならばもっと別の手段は無いかと、腕を組んだランスは少し考えを巡らせてみる事にした。

 

「……眠気かー。なんか良い方法は無いもんかな。シィル、お前の魔法でどうにか出来ないか?」

「……眠らせる魔法なら聞いた事がありますけど、眠らない魔法となると……。あ、そうだランス様。私、洗濯バサミを持っているので、これでほっぺたをこう……あいた!」

「それのどこが魔法じゃ、アホ」

 

 ぽこり、とランスの握り拳が残念な事を言うシィルのもこもこを襲う。

 ちょっとした痛みを与える程度の簡単な方法では、ワーグの眠気の前には些細な効果しか無い事は昨日の時点で実証済みである。

 

 涙目で頭を押さえるシィルを無視して、気を取り直したランスは魔法が駄目ならばと考えてみる。

 

「なら、アイテムはどうだ。なぁハウゼルちゃん、この前カミーラの結界に使ったあれみたいに、何かお役立ちアイテムとか魔王城に無いのか?」

「……私には覚えがありませんし、もしもワーグの能力に効く何かが魔王城にあったとしたら、ホーネット様やシルキィが思い付いていると思います」

「……それもそうだな」

 

 ううむ、と腕を組んだランスは眉を顰める。

 眠気に耐える、と言う非常にピンポイントな状況に効く魔法やアイテムは、少なくともランス達にはその存在に覚えが無い。

 すると残る選択肢と言えば、本日ランス達が行った様に、ワーグの能力に抗える位まで自分を徹底的に鍛え上げるか、それかもう一つ。

 

「じゃあもう、気合で頑張るしかないな」

「き、気合ですか、ランス様……」

 

 ランスの口から出たとてもシンプルな手段に、シィルは若干顔を引き攣らせる。

 そんな奴隷の生意気な表情を目にしたランスは、すぐにその眉間に青筋を立てた。

 

「何だシィル、その顔は。俺様のグレートな作戦に何か文句あんのか。それとも他に手があるっつーのか、ああん?」

「い、いいえ!! そうですよね、気合を入れていればきっと、起きていられますよね!!」

「そう、その通り!! 大体、どんだけ強かろうが所詮は眠気だぞ。問答無用で強制的に眠らせる訳じゃ無いんだし、絶対に起きてられんなんて事は無いはずだ。……たぶん」

 

 ランスの言葉の裏には、そうあって欲しいなぁと言う期待が目一杯に込められていたが、その言葉に心当たりがあったのか、ハウゼルが再度遠い昔の事を思い出す。

 

「……そうですね。私は以前何度もワーグの能力を受けましたが、油断していると本当にすぐ眠ってしまうものの、意識を集中していれば多少は違った覚えがあります」

 

 気合を入れる事や、あるいは集中する事など、それらは結局の所は精神論であったが、戦っているものが脳に影響を及ぼす眠気である以上、最終的には自己の意志力がモノを言うのも真理ではあった。

 

「集中ねぇ。……俺様が一番集中する時と言えば、これからセックスする女の前だろうな。……つーかあれなんだよなぁ、ワーグちゃんの姿が見える所まで近づけないってのがなぁ……」

 

 苛立たしげにランスは頭を掻く。今回、ランスにとって一番の厄介な点はそこにあった。

 落ちたら死にそうな断崖絶壁にぶら下がっている時でも女を抱く事を優先する程に、ランスのセックスに対する集中と言うか、その執念には凄まじいものがある。

 

 今回お仕置きセックスの対象である、魔人ワーグの姿さえその目に見る事が出来れば、一気にテンションが高まってあの眠気にも耐えられる自信がランスにはある。

 しかし昨日の段階では、ワーグの能力を受けた時にランスの視界に映るのは代わり映えのない魔物界の空と木々の景色であり、そんなものでは到底ランスは興奮出来ず、起きていろと言うのも難しい話であった。

 

「……なら、裸のシィルでも立たせておくか」

「え」

「いやまてよ。いっその事セックスしたままってのはどうだ。うし車の荷台の上でセックスしてりゃ、眠気なぞ気にならん筈だ。なぁシィルよ」

「……あ、いえ。でもですね、ランス様」

 

 この話の流れに乗っかってしまうと、なんだか嫌な予感がしたシィルは慌てて否定の材料を探す。

 確かにランスにとっては、セックスしている最中で眠る事などそう無いのかもしれない。そう考えれば一つの手段とは言えるものの、やはり現実的では無いと彼女には思えた。

 

「うし車で近づける距離には限界がありますよ。それに魔人ワーグと戦う時にはどうするのですか? いくらなんでも、さすがに戦っている時までしたままというのは……」

「ぬ……。いやでも分からんぞ。確かに難しいかもしれんが、やってみれば意外と出来るかも」

「……ええと」

 

 このままでは、ランスと繋がったまま魔人ワーグと戦う羽目になってしまう。どう考えても無謀な挑戦であるが、ランスならばやりかねない。

 そう思ったシィルはどうにか必死に頭を回転させた結果、とあるアイディアが浮かんだ。

 

「……あ! ランス様、一つ良さそうな方法を思い付いたのですが」

「ほう。言ってみなさいシィル君」

 

 隣に座るランスの視線を受けて、シィルは一度こほんと咳払いをする。

 ワーグの眠気に対抗する為にセックスしたままでいる。そんなランスの考えの逆転の発想とも言うべき閃きをした彼女は、至極真面目な表情で人差し指をピンと立てた。

 

「あのですね、今からランス様が禁欲をするというのはどうでしょうか」

 

 すると瞬時にランスの左手が伸び、シィルの頬をぐりりっと摘み上げた。

 

「俺様に禁欲しろだと? おいシィル、お前は俺に死ねと言いたいのか。奴隷の分際でいい度胸してるじゃねーかよ」

「いひゃ、いひゃい……、そんなつもりじゃ無いれす……」

 

 ランスに頬を抓られながら、シィルはふるふると首を横に振る。

 禁欲。つまりセックスを我慢する事とは、性欲に衝き動かされて日々を生きるランスにとっては死にも等しい所業であるが、そんな提案をしたのには彼女なりの理由があった。

 

「さっきも言っていた通り、ランス様が一番集中するのは女性の前だと思うんですよ」

「………………」

「だからですね。そんなランス様が禁欲をして更に我慢すれば、更に集中力が増すんじゃないかと思って……」

「……ふむ」

 

 付き合いの長いシィルはさすがにランスの生態をよく理解しており、一考の価値はあると判断したランスは彼女の頬を摘んでいた左手を下ろす。

 

 昨日うし車に乗ってワーグに会いに行こうとした時、途中で途轍も無い眠気に襲われた。

 あれは確かに簡単には耐えられない。もしかしたらレベルを上げたとしてもそう大差無いかも知れないが、仮にあの時、自分が何日もセックスを我慢している状態だったとしたらどうだろう。

 

 そして、その眠気を耐えた先には極上の美女が待っているとしたらどうだろう。何日間も溜め込んだ性欲が爆発しそうな状態にある自分の脳が、セックスするよりも眠る事を優先するなどあり得ないのでは無いだろうか。

 

「……禁欲か。何ふざけた事言ってんだと思ったが、考えてみるとありっちゃありかもな」

「はい。以前にランス様が思い付きで禁欲をした事があったじゃないですか。あの時のランス様、それはもうずっと興奮していて、眠り薬が無いと夜も越せなさそうな状態になっていたので、もしかしたらと思って……」

「あぁ、あったなぁそんな事」

 

 ランスが懐かしむように思い出したのは、数年前ランスがJAPANに居た頃の話。

 一週間我慢した後のセックスの快楽はもの凄い。そんな話を耳にしたランスが興味本位で禁欲に挑戦した時の事である。

 

「……だが禁欲、禁欲はなぁ……」

 

 ランスはとても嫌そうにその顔を顰める。基本的に我慢弱い人間である上に、その性欲は常人の何倍もあるランスにとって、禁欲すると言うのは先の言葉通りに生死に関わる話である。

 

 以前、とある呪いによって強制的に不能にされた時などを除けば、基本的にランスは一日だって我慢したりはしない。

 JAPANに居た頃に禁欲に挑戦した時は4日が限界であり、その時はパンツが擦れただけで射精してしまいそうになる有様であった。

 

 当然、ランスは今晩もシィルかハウゼルで楽しむ予定で、それを我慢するというのはとても辛い。

 だが何か手を打たない限り、このままでは一生ワーグに近づく事は出来ないかもしれない。

 

「……ハウゼルちゃん。ワーグちゃんってのは美人なんだろうな。これでもしも目も当てられないようなドブスとかだったら承知しねーぞ」

「そ、そうですね……。可愛らしい子だとは思いますよ?」

「そうか、可愛い系か。……ワーグちゃん、抱きたい、抱きたいぞ……」

 

 恐らく、気が狂いそうになるほどしんどい日々になる。以前の経験からしてそれは確信が持てる。

 だが、全てはあの強烈な眠気によって近づく事が出来ない、魔人ワーグとセックスする為。

 

「……よし」

 

 ランスは覚悟を決めた。

 

「禁欲ね。いいだろう、やったろーじゃねーか」

 

 

 

 

 



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禁欲作戦

 

 モスの迷宮。地下28階。

 

 地下へと下るにつれて気温も低下し、迷宮内は肌寒さが増してくる。魔物の気配も随分と減り、今では足音以外に聞こえる音の無くなったその場所に。

 

 

「ぐるるるる……」

 

 突如、獣のそれのような低い唸り声が響く。

 

「は、ハウゼルさん……」

「えぇ、分かっています……」

 

 迷宮を進む、シィルと魔人ハウゼルの二人。

 

 彼女達は危険な夜道を歩く旅人の様に、その身を寄せ合いながら不安そうに何度も辺りを見渡す。

 二人の表情はもうずっと前から、焦りと緊張によって固く強張っていた。

 

 

「がるるるる……」

 

 再度、肉食獣を思わせる嘶きが鳴り響き、二人は恐怖に身を竦ませる。

 

 声の主は彼女達のやや後方、一歩一歩とゆっくり歩きながら何処までも背中を追ってくる。

 前を歩く二人の女性の腰や太腿、そして臀部など色気を醸し出す箇所にギラつく眼光を放ちながら、その獣は獲物を前に舌舐めずりを繰り返す。

 

「じゅるり……」

「うぅ……」

「……はぁ」

 

 背後から放たれる強烈なプレッシャーに押され、怯えるシィルは両腕で自らを抱きしめ、魔人のハウゼルであっても少し呼吸が荒くなる。

 

 今、二人の背後に迫る腹を空かせた獰猛な肉食獣は、とある理由により食事を禁止されている。

 飢えた獣はとても凶暴で、飼い慣らすには食事に代わる何か憂さ晴らしになるものが必要であり、彼女達はそれをずっと探し続けていた。

 

 

 

 緊迫した空気の中を進む二人と一匹の獣は、歩いていた細長い道を抜けて広々とした場所に出る。

 すると階全体を揺らすような振動と共に、洞窟内に轟音が鳴り響いた。

 

「これは……」

 

 冷静な表情に戻ったハウゼルの見つめる先、彼女達の進行方向の右手側、何の変哲も無い石の壁に見えていたそれが突如として動き出す。

 自らの縄張りへの侵入者の気配を感じ取り、その魔物は擬態していた壁から身体を起こした。

 

「ゴオオオォォォ……」

 

 重低音で唸るそのモンスターはストーン・ガーディアン。岩石で出来た巨人とも言うべきその魔物は、重量を活かした高い攻撃力と岩の身体による堅硬な防御力を合わせ持つ強敵である。

 

 だが。

 

 

「あ、いましたよ! ランス様!!」

 

 シィルが迷宮内にて久しぶりに発見した魔物、という名の生贄をその指で指し示す。

 

「がーーーー!!!!」

 

 二人の背後にいたランスはまさしく獣の様な速さで飛び出すと、その身に渦巻く衝動の丈を解放するかの如くいきなりランスアタック。

 八つ当たり気味に放たれたその衝撃波は天井にまで届きそうな程に巨大であり、通常の数倍ともなる理不尽な威力を帯びていて、まともに受けたストーン・ガーディアンは一撃で石の残骸となった。

 

「す、すごい……」

 

 魔人のハウゼルといえども思わず眼を見張ってしまう程の、性欲を溜めに溜め込んだランスの出鱈目なパワーだった。

 

「ふー、ふー……!!」

 

 だが敵を倒したランスの顔に満足は無く、苦痛を堪えるかの様に鼻息を荒げる。

 禁欲によりランスは大きな力を得たが、その代償もまた、とても大きなものであった。

 

 

 

 強烈な眠気によって近づく事の出来ない魔人ワーグと対峙する為に、ランスが禁欲をすると宣言してから今日で6日目。

 前回記録である4日を既に越えたランスの状態は、普段のそれから大きく変貌を遂げていた。

 

 常人の数倍のペースで湧き上がってくる性欲を発散せずに溜め込む事は、もはや辛いなどという言葉では表現出来るものではない。

 地獄の日々に脳の言語中枢をやられてしまったランスは、すでに会話が出来なくなってしまった。

 

 局部の猛りも収める事は出来ず、常に下腹部に力を込めていないとすぐに暴発してしまいそうで、今のランスの動きはどこかぎこちない。

 血走ったその目は鬼のように釣り上がり、迷宮内の魔物にその苛立ちを幾度となくぶつけようとも、一向にその衝動は止む気配が無かった。

 

「ぐー、がうー……!!」

「……けれど、魔物の数もさすがに減ってきちゃいましたね……」

 

 次なる標的を求めて、周囲をぎょろぎょろと忙しなく探るランスの事を遠巻きに眺めながら、シィルは困り顔を浮かべる。

 

「えぇ、そうですね……あぁ、こんな事をしていいのかしら……」

 

 シィルの言葉に頷きつつも、ハウゼルの表情はどこか晴れない。

 

 この数日間、飢えたランスの餌を求めて迷宮内をさ迷い歩き、山程の魔物の命を散らした。自分の手でするよりは幾分かマシだとは言え、それでもやっぱり彼女にとっては胸が痛む事である。

 そして、ハウゼルが心苦しく思っている事は魔物の事ともう一つ。

 

「……シィルさん。ランスさんは大丈夫なのでしょうか。その、とても辛そうです」

「……はい、もう夜も全然眠れていないみたいです。さすがに心配になってきましたね……」

 

 この数日で、ランスは別の生物の様に豹変した。

 性欲を発散せずに溜め込んだ結果、今のランスは四六時中極度の興奮状態にあり、その意味ではワーグの眠気に対して有利な状態になったとも言える。

 

 しかし、眠気に対抗する為に禁欲しているとは言え、先に体を壊してしまっては元も子もない。

 ランスの様態が気掛かりで仕方ないハウゼルは、心配するようにその顔をランスに向ける。

 

 とその時、二人の視線が交わってしまった。

 

 

「…………ぎらり」

「え?」

「ハウゼルさん、」

 

 危ない!! と、シィルが声を上げるより早く。

 

「ぴゃーーーー!!!!」

「っ、ランスさん!?」

 

 魔人のハウゼルであっても反応出来ない程の俊敏さで、飢えた獣は獲物に向かって襲い掛かる。

 あっという間にハウゼルの事を押し倒したランスは、その豊満な胸に齧り付きながら、もう何日も前から立ったままのハイパー兵器を前戯も無しに突っ込もうとする。しかし、

 

「ランス様! 魔人ワーグまで我慢しないと!!」

「……ぐ、ぐぐぎぎぎ……!!!」

 

 ご馳走を前にしておあずけを食らうランスは、折れてしまいそうな程に歯を食い縛る。

 その性欲の衝動をぎりぎりで押し止めたのはシィルの声。というか、その言葉によって喚起された魔人ワーグの存在である。

 

 自分がこんなにもしんどい状況を延々と耐え忍んでいるのは、あの強烈な眠気によって守られている魔人ワーグを抱く為。

 ここで性欲を解放してしまうと、今までの日々の全てが台無しになってしまう。魔人ワーグを抱く為には、辛くてもここは我慢するしかない。

 

 そんな思いが、飢えに飢えて暴発寸前のランスを瀬戸際で踏み留まらせていた。

 

 

「大丈夫ですか、ハウゼルさん」

「……はい、びっくりしました……」

 

 シィルに手を引っ張られ、ハウゼルはランスの体の下から何とか脱出する。

 

「ふー、ふひー……!!」

「ランスさん……」

 

 ハウゼルの前には、血涙を流しそうな顔で唇を噛む、一匹の哀れな獣の姿。

 

 欲望と自制の狭間でもだえ苦しむランスの姿を見ていると、優しいハウゼルはいっそ応えてあげたいという気持ちもついつい湧いてしまうのだが、しかしそれでは意味が無い。

 ランスが何の為に苦しんでいるかを理解している彼女が、今ランスの為に出来る事と言えば一つ。

 

「ハウゼルさん。ランス様が落ち着いている内に、次の魔物を探しに行きましょう」

「……そうですね」

 

 シィルのその提案に、若干の後ろめたさを感じながらも頷く事だけであった。

 

 

 

 

 

 そして、ランスの餌を追い求めて彼女達はモスの迷宮内を突き進む。

 

 ここを根城とする魔物達の縄張り争いの結果なのか、この迷宮は階を下れば下る程に強い魔物が出現し、そろそろ普段のランスなら多少は手を焼くような魔物の姿も見えてきたが、タガが外れている今のランスに敵を選ぶ理性もその必要も無い。

 

 性欲を発散する事が出来ないランスは鬱憤晴らしにと、日夜ひたすら魔物達との戦闘を繰り返す。

 敵の強さと比例して経験値の実入りも良くなり、禁欲開始時から更にランスのレベルは上昇して、すでに50の大台を越えた。

 

 徐々に最盛期の頃の力を取り戻しつつあるランスであったが、しかしどれだけレベルを高めれば良いのか、あるいはどれだけ性欲を我慢すればワーグの眠気を克服する事が出来るのか、その明確な指数というものは一切存在しない。

 

 結果、先の見えない拷問の様な日々をここまで耐えに耐えてきたランスだったが、ようやくその終わりが訪れようとしていた。

 

 

 

 

 

「……ぎらり」

 

 禁欲の影響なのか、五感が異常に冴え渡っているランスは遥か遠方からこちらに向かって来ている、一体の魔物を目ざとく発見した。

 

「がーーーー!!!!」

 

 ランスは一目散に走り出すと、その魔物を一撃で両断してやろうと魔剣を振り被る。だが、

 

「ま、待ってくださいランスさん!!」

 

 振り下ろされる魔剣の刃を、慌てて後を追いかけて来たハウゼルがその手に持つ、巨銃タワーオブファイアーの銃身でもって受け止める。

 とっさにランスの攻撃を制止した彼女にはすぐに分かった。その魔物はモスの迷宮内に生息している魔物では無く、自身の指揮下にあるホーネット派の飛行魔物兵の一体であった。

 

「ぐ、ぐがーーー!!!!」

「シィルさん、ランスさんを抑えて!! この魔物を倒しては駄目です!!」

「はい! ランス様、どうどう、どうどう……!」

 

 敵を斬らせろ殺させろと暴れるランスの制御をシィルに任せて、ハウゼルはその魔物兵に近づく。

 わざわざモスの迷宮内の自分の下まで来るという事はと、ハウゼルには既にある予感があったが、話を聞いてみるとやはりその通りであった。

 

 

「ワーグが……そうですか、分かりました」

 

 サイサイツリーに居る火炎書士からの命令を受けて、飛行魔物兵がハウゼルに伝えに来た連絡。

 それは、魔人ワーグが遂に動き出し、迎え撃つ為にすでにシルキィが出撃したと言う事であった。

 

 ランス達は迷宮内でレベル上げと禁欲に力を注ぐあまりに、シルキィが設けていたタイムリミットを過ぎてしまった。

 何時までに戻ると約束していた訳では無いので、仕方無いと言えば仕方無くもあるが、いずれにせよワーグはサイサイツリーに接近し、これ以上ランスの帰りを待っていられないと判断したシルキィは、ワーグとの戦いに向かってしまったようである。

 

 シルキィなら大丈夫、という思いはあるものの、だがワーグが危険な事には変わりないし、せっかくワーグと戦う為に一週間近くも努力したのに、披露する場所が無いのではランスが報われない。

 

 随分と迷宮を奥深くまで進んでしまったので、今から戻っても間に合うかどうかは微妙な所だが、それでも急ぎここから出てシルキィの後を追わなければと、ハウゼルはそう声を掛けようとした。

 

 だが。

 

 

「ランスさん、ワーグが現れたそうで……あれ? シィルさん、ランスさんは?」

「え? あ、あれ?」

 

 隣に居たシィルにも気付かせない程の速さでもって、ランスの姿はすでに消えていた。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 魔物界中部、魔界都市サイサイツリーの南にある森の中。 

 

「……ふぅ」

 

 口をついて出た吐息と共に、彼女は額に浮かんだ汗を拭った。

 

 

 魔人ワーグ。150cm程度の小柄な身体にクリーム色の長い髪、赤いコートの上下に首にはマフラーと、少々季節外れの格好をしたその魔人は、端から見たら只の少女にしか見えない。

 だが、その少女からはどこか甘い匂いがする。それがワーグの特殊体質『夢匂』と呼ばれるフェロモンの香りであり、全てを眠らせる香りである。

 

 凶悪な能力を有する、魔物界のあらゆる存在が恐れる魔人ワーグは今、ホーネット派の前線拠点サイサイツリーに接近する為、妖しげな木々や植物が花咲き乱れる森の中をゆっくりと移動していた。

 

 魔物界の森には危険な魔界植物が多く生い茂り、魔物ですら足を踏み入れない様な場所である。

 だが、植物すらも眠らせてしまうワーグにとって森は危険な場所では無く、むしろ森の奥に住んでいる彼女にとっては慣れた場所である。

 とは言え普段からあまり運動をせず、体力の無い彼女にとっては森を越えるのは一苦労であった。

 

 

「……結構遠いわね、半分ぐらいは進んだかしら」

「つっかれたー!! なぁワーグ、ちょっと休憩しようぜー」

「ラッシー、もう休憩は4回目でしょう。いい加減に我慢しなさい」

 

 彼女のそばにはいつもの通り、ペットとして飼っている夢イルカのラッシーの姿。

 寂しさを紛らわせる為に連れている、ラッシーのふわふわした身体に触れながら彼女は森を進む。

 

 現在の時刻はそろそろ昼過ぎ。この森を越えれば敵の拠点であるサイサイツリーの近くに出る。

 これから行う事を考えると、夜の帳が下りてより暗くなった後の方が良いのだろうが、しかし夜の森を歩くのは迷いやすくて進行方向を誤るおそれがある為、ワーグはまだ視界が利くこの時間帯を選び、ラッシーと共に敵の拠点へと向かっていた。

 

「なぁなぁワーグ、休憩休憩ー」

「駄目よ。大体、あなたはふよふよ浮かんでいるだけじゃないの。疲れてはいないでしょう」

 

 ラッシーはねだる様に頭をすりすりと寄せるが、その鼻先を押さえてワーグは首を横に振る。

 その光景を見ると、散歩に疲れたペットが駄々をこねて、それを主人が躾けているようにも見える。

 

 だがラッシーは触れた者が思う事をそのまま口にする生き物であり、ラッシーの要求というのは実際はワーグが心で望んでいる事である。

 つまり、休憩したいと真に思っているのはワーグの方であり、その理由は疲れたからというのも事実なのだが、それ以上に大きな理由が一つ。

 

「だってよっ、俺知ってるぜ。ワーグが何度も休憩をしたのって、本当は行きたくないだろー?」

「っ、……ラッシー、黙りなさい」

 

 ペットに図星を突かれたしまったワーグは、お決まりの文句を口にする。

 

 心を読むラッシーの前では嘘を思うのは難しい。

 本当に黙らせたければ触れているその手を離せば良いだけなのだが、孤独な心を埋める為にラッシーをそばに置いているワーグにとって、それも難しい事であった。

 

 

 

 ケイブリス派に所属する魔人ワーグが、ホーネット派の前線拠点サイサイツリーを目指して進んでいるのは、当然ながらその拠点を奪う為。だが休憩の名目で何度も足を止めたのは、疲労の影響以上にこの先に待ち受ける事を思うと、どうしても足が重たくなってしまうからであった。

 

 魔人ワーグにとって、魔界都市を一つ二つ落とすなど容易な事、朝飯前である。

 なぜならワーグの能力の前に全ては無力であり、現に先日、ビューティーツリーを奪った時も大した手間は掛からなかった。だから今回も問題無い。

 と、そのような考えの下、派閥の主からの指令書が届いたのは、今から約一週間前の事である。

 

「……お前なら楽勝だろう、とっととサイサイツリーを奪ってこい……ね」

 

 指令書の乱暴な文面を思い出しながら、無茶な話だとワーグは深く息を漏らす。

 

 今より少し前、ビューティーツリーを攻撃した際は確かに想定以上に楽に済んだ。

 しかしそれは相手が警戒していない状態での奇襲が成功して、その後抵抗せずにすぐ下がってくれたからである。少なくともワーグはそのように思っている。

 

 そして今、ビューティーツリーを奪われた事で現在のサイサイツリーの警戒はより一層厳しいものになり、空には日夜引っ切り無しに飛行魔物兵達が飛び交っている。

 

 自分の居場所を探っているのであろうその魔物達は、直接的には脅威では無い。あくまで監視しているだけで、どうせ近づく事は出来ないからだ。

 だがそれは、ホーネット派が魔人ワーグを警戒している何よりの表れであり、彼女が一番恐れているのは、かの魔人の存在であった。

 

 

「……うぅ、怖いよぉ……。きっとサイサイツリーには、ホーネットが居るはずだよぉ……」

「………………」

 

 つい考えてしまった、言われたくない事をペットに言われてしまい、ワーグは視線を地に下ろす。

 

 魔人ホーネット。こちらの主とは対照的に常に前線で戦い続けてきたあの魔人の事、きっとサイサイツリーで自分の事を待ち構えているに違いない。むしろ、ビューティーツリーに居なかった事の方が不思議な程である。

 

 ワーグは戦争初期にはホーネット派に属していた事もあり、その魔人をある程度は知っている。

 自分の事を魔人にした魔王ガイの一人娘。言うまでも無くホーネット派最強の魔人であるが、それでも以前の彼女だったら、ホーネットの事をこんなにも恐れてはいなかった。

 

 何故なら自分の能力は最強だから。今までのワーグだったらそう思っていた。

 

 

(……けど)

 

 未だにあの時の事を脳裏に思い出すと、恐怖で身が竦むワーグはその手をぎゅっと握り締める。

 

 魔人ケイブリス。ケイブリス派の主であり、最強最古の魔人四天王。その魔人には全てを眠らせるはずのワーグの能力は通用せず、その暴力の前に彼女は屈服してしまった。

 その時からワーグは、自分の能力に対する絶対の自信が少し揺らいでしまったのである。

 

(私の能力はあのケイブリスには通じなかった。……だとしたら)

 

 ケイブリスに通じないなら、ホーネットには? 

 魔人筆頭であり、ケイブリスに比肩する程に強いあの魔人に、自分の能力は通じるのだろうか。

 

 彼女には困った事に、眠りの能力以外に頼れるものが何も無い。魔人であるにもかかわらず、腕力も魔力も一般的な人間と同程度で、そんなものがあの魔人筆頭に通用する筈が無い。

 無差別に眠らせる力により派閥の魔物兵を率いる事も出来ず、ラッシーには多少の戦闘能力があるが、それは無敵結界に守られる魔人の前では無力。

 

 よって、もしホーネットに眠りの力が通じなかったら、そのまま自分は魔血魂になるだけである。

 そう考えるととても楽勝などと気軽に思う事は出来ず、指令書が届いてから一週間近く決心が付かずに今日まで先送りにしてきたのだが、これ以上ケイブリスの命令を無視し続ける事も、彼女にとってはホーネット同様に怖かった。

 

 

「……はぁ」

 

 待ち構える魔人筆頭と、背後から重圧を掛けてくる派閥の主。その事を考えてしまい、吐き出す息が重苦しいものとなる。

 

 板挟みの儘ならぬ現状を思うと辛くなるが、孤独な彼女には思いを吐露する相手も居ない。

 唯一自分のそばに居てくれるペット、ラッシーの綿菓子のような胴体にワーグは額を寄せる。

 

(……怖い、帰りたい)

 

「怖いー、帰りたいー!!」

「ラッシー……」

 

 考えてしまうと喋ってしまうと分かってはいるのだが、弱気にならないというのも中々難しい。

 どうせ他に聞く者も居ないのだからと、ワーグはあえて黙らせる事はしなかった。

 

 

 両派閥の主への恐怖もあるが、それ以前にワーグは根本的に争い事が嫌いな魔人である。

 世界中の人達と仲良くしたいと密かに願う彼女は、自分の能力を争いに利用したくない。今より恐れられ、更に孤独にはなりたくないのである。

 許されるならすぐにでもここから逃げ出して、元の孤独だが平穏な生活に戻りたいと思うワーグだったが、それはもう叶わない事だと理解していた。

 

 すでに賽は投げられている。ビューティーツリーに攻撃を仕掛け、その際に眠らせた十万近くのホーネット派魔物兵達は、すでに全員記憶を操作してケイブリス派に寝返らせてしまった。

 争い事など大嫌いなワーグであるが、積極的に戦争に介入してしまった以上今更引き返す事など出来ないし、なによりケイブリスに逆らったらどうなるか知れたものではない。

 

 毛嫌いするこの能力を使い続けてホーネット派を滅ぼすか、あるいは自分が負けて魔血魂となるか。

 その二択しか先が見えない現状が、ワーグの心に暗い影を落としていた。

 

 

 

「……なぁワーグ、まだ着かないのかなー」

「……そうね、もうちょっとだと思うけど……」

 

 鬱々たる思考を強引に切り替えた結果、ラッシーが口にした言葉にワーグは相槌を打つ。

 

 木々の間から見え隠れする、サイサイツリーの巨大な世界樹までの距離は確実に近づいている。

 あの都市に居るであろう魔人ホーネットとの決戦も間近に迫り、つい及び腰になる心にどうにか活を入れて、ワーグが歩を進めていたその時。

 

 何かが、聞こえた。

 

 

「なぁワーグ、今聞こえたのって何の音?」

「……さぁ。分からない、何かしらね……」

 

 その会話は実際には一人芝居のようなもので、ラッシーが知らぬものをワーグが知るはずも無い。彼女は首を横に振るが、確かに何かが聞こえた。

 バキバキッ!! と、硬いものを破壊するような衝撃音が遠くの方で響き、それは一度では無く何度か連続して聞こえ、そして今もなお続いていた。

 

「な、なぁワーグ、これって……」

「……えぇ。これ、何だか……」

 

(……何かが、近づいて来ている……!!)

 

 その破壊音は、徐々に音量が大きくなってワーグに耳に届いた。

 

「これ、これって、サイサイツリーの方向からだよな!? てことはまさか、まさか……!!」

 

 ペットの言葉通り、音の発生源は正面に聳える巨大な世界樹、サイサイツリーの方角から聞こえており、音量の変化から察するにかなりの速度。

 どう考えても、自分にとって害のある存在が近づいて来ている。そう理解したワーグの脳裏には、緑の長い髪を持つ魔人の姿が浮かんだ。

 

(……ホーネット……!!)

 

 敵派閥の中で最強の力を持つ、魔人筆頭が自分と戦う為に接近している。その事実に怖気づくワーグは思わず胸元を強く押さえる。

 ホーネットの程の強者ならば、ある程度自分のそばに寄る事は出来る。それはワーグも理解しており、問題は能力が効いているのかどうか。

 

「ラッシー、来て……!」

 

 彼女はとっさにペットの後ろにその身を隠す。

 敵が眠りに落ちるまでの間、あらゆる手段を使って時間を稼ぐ。それがワーグの戦い方である。

 

 

 そして、いよいよそれが接近して、遂にワーグはその魔人を視界に捉えた。

 だが彼女の目に映ったのは、頭に思い浮かべたのとは違う、別の魔人の特徴的なその姿。

 

(ホーネットじゃない……、あれは確か、シルキィの……!!)

 

 魔人シルキィ・リトルレーズン。ホーネット派に所属する魔人四天王。

 その魔人の頑強な装甲が、道を塞ぐ木々を蹴散らしながら飛ぶような速度でワーグに迫っていた。

 

「──っ」

 

 見覚えのあるその形よりも幾らか巨大に膨らみ、6メートルを超す金属の塊が猛スピードで迫り来る様は、あのケイブリスの拳と同じく強烈な死のイメージと直結し、反射的に彼女は上着に手を伸ばす。

 

 眠りの力の元となるフェロモンは、彼女自身の身体から発せられる。その為ワーグは服を脱げば脱ぐ程に、周囲への眠気の効力は増す事になる。

 普段はそれを抑えようと厚着をしているワーグだが、どうやら言葉を交わす気も無さそうな敵を前にして、手加減する必要など感じられず、なによりそんな余裕など全く無かった。

 

「くっ……」

 

 彼女はまず一番上に着ている、赤いコートの上着から片腕を引き抜く。

 だがワーグが上着を脱ぐ動作より、相手の方が迅速だった。その球体状の巨大な装甲から、同じく巨大な装甲の腕が突如として出現する。

 

 自在に形状を変える、総計20トンを超す魔法具の装甲を操る、魔人シルキィ・リトルレーズン。

 もうワーグの眼前に来襲したそれは、巨大なその腕を天高く振り上げて、そして。

 

「え、」

 

 ワーグに服を脱ぐ暇など一切与えず。

 

 巨大な装甲の拳が、ワーグを叩き潰さんと振り下ろされた。

 

 

 

 

 



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VS 魔人ワーグ

 魔人ワーグの眠りの能力の元となるのは、彼女の身体から無造作に放たれるフェロモンである。

 

 ワーグはそのフェロモンを、衣服を着る事によってある程度の調整をしている。服を着れば着るほどに放たれる眠りの力は弱まるし、服を脱げば脱ぐ程にそれは強くなる。

 

 ならばその能力を受ける側も、フェロモンに触れないように防具を身に纏う事には効果がある筈。

 魔人シルキィはそのように考えたのだろうか。

 

 自身の能力である魔法具の装甲。全て展開したら巨人の如き大きさを持つその装甲で守備を万全に固め、甘い香りと共に漂うそのフェロモンを限界まで遮断したシルキィは、全速力で突撃を敢行。

 眠気が伝わってくる前に勝負を決しようと、会話をする事や相手に服を脱ぐ時間さえ与えず、シルキィは巨大な装甲の拳でワーグを叩き潰した。

 

 魔人ワーグはその能力こそとても凶悪だが、それと反比例するように腕力や魔力、魔人としての肉体的な強さや生命力なども全魔人中で最弱である。

 結果的にはその事が明暗を分けたのか、ワーグはシルキィの一撃でもって敗れ、彼女はその身を魔血魂に戻す事となった。

 

 

 以上がワーグとシルキィの戦いの顛末。

 

 凶悪な眠りの能力をその身に宿し、魔物界のあらゆる存在が恐れた魔人ワーグだったが、その最後は実に呆気ないものであった。

 

 

 と、一連のその光景は、間違い無く客観的にはそのように見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 最初にワーグが疑問を抱いたのは、今こうして声を発しているという事。つまり、自分がまだ生きているという事であった。

 

 彼女の瞼の裏に焼き付いているのは、自分に向けて振り下ろされる巨大な装甲の拳。

 以前その身で味わう事となった、あのケイブリスの拳と比する程の凄まじい迫力に、ワーグは瞬間的に死を感じた。

 

 けれども不思議な事に痛みが全く無い。往々にして死とはそういうものなのかとも思ったが、一方で身体の感覚はちゃんとある。手は動くし頭もしっかり考えられている。つまりまだ自分は生きている。

 

「……んっ」

 

 まだ身体に震えと強張りがあったが、このままでいても埒が明かない。

 先程の魔人シルキィ渾身の一撃。その時恐怖のあまりに目をぎゅっと瞑ってしまい、今までずっとそのままの状態でいたワーグだったが、ようやくその目を開いた。

 

 

「これは……」

 

 開いた視界の先は、目を閉じていた時と変わらぬような真っ暗な世界。

 今の時刻は昼頃だったから夜の闇では無いはずで、僅かに差し込む光から完全な闇の中でも無い事は分かったが、いずれにせよ自分がどのような状況にあるのか、さっぱり判然としなかった。

 

「何がどうなってるのー!? 怖いよー!!」

「ラッシー……。あなたも生きていたのね」

 

 自分の内心の不安を叫ぶラッシーの声に、ワーグはホッと胸を撫で下ろす。

 今更のように気付いたが、自分に巻き付いてぴったりと密着しているふわふわの感触は、いつもそばに居てくれる自分のペットに他ならなかった。

 

 触れている箇所から感じるラッシーの体温から、少し落ち着きを取り戻す事が出来たワーグは、ここから動いてみようと足を前に出してみる。

 

「……んっ、なにこれ」

 

 だが、動けない。動こうとするとすぐにぶよぶよとした何かに触れ、それは上下左右全てが同じ。

 なにやら窮屈な場所に閉じ込められている感覚に、それでもどうにか動く事は出来ないかと、ぶよぶよを叩いたりなどして悪戦苦闘していると。

 

 

「……そう、分かった。ちゃんと逃げていったのね。なら、ここまでは作戦通りか」

 

 何かに遮られて薄く聞こえる、遠い昔に聞き覚えのあるその声に、ワーグはきゅっと心臓を握られたような嫌な心地を覚える。

 それは先程自分の事を殺そうとした、魔人四天王シルキィ・リトルレーズンの声だった。

 

「後は私一人でどうにかするから、貴方もすぐにここを離れて。こうして抑えているから多少はマシだけど、って……あぁ、眠っちゃった。ワーグが起こしてくれなかったらどうしようかしら……」

 

 聞こえる言葉から察するに、どうやらシルキィは何らかの報告をしに来た部下の魔物兵と話をしていて、今しがたその魔物兵は眠ってしまったらしい。

 

「もう平気だって話だけど、念には念を入れて、もう少し見えない所に移動した方がいいわね」

 

 ワーグにはさっぱり状況が飲み込めない中、一人そのように結論付けたシルキィは。

 

「ワーグ。悪いけどちょっと揺れるわよ」

「え、……きゃ」

「わぁー、なになにー!?」

 

 ふわりと身体が宙に浮く感覚に、とっさにペットを抱く腕に力を込めるワーグだったが、彼女が一番気になったのは先のシルキィの声。

 自分の事を殺そうと襲い掛かってきたにしては、その言葉から敵意があまり感じられず、むしろ僅かに気安さを感じる声色である。いや、そもそも殺すつもりならとっくに自分は死んでいるはずなので、相手の目的は恐らく別にあるのだろう。

 

 そんな事を闇の中で揺れる感覚と共に考えていたワーグは、その後ずしん、ずしんと、大きな音が聞こえ、それは巨大な装甲が大地を歩く足音だと気付くと、今の状況を少しだけ推測する事が出来た。

 

「ここってまさか、シルキィの装甲の内部……?」

「少し違うわね。完全な内部では無くて、手で握っているような形って言ったら分かりやすいかな」

 

 思わず口をついただけのその疑問に、この状況を作った張本人たるシルキィからの返答があった。

 

 

 ワーグは今、シルキィの拳の中に居た。

 もちろん本物の拳では無く、その魔人が操る装甲が形作った巨大な拳の中である。

 

 魔人シルキィの魔法具は彼女の意思により、ある程度その形状を自在に変える事が出来る。

 先程ワーグに対して振り下ろされた巨大な拳は、見た目は拳だがその内側がくり抜かれており、そうして出来た拳の空洞の中に、ワーグとラッシーはすっぽりと収まっていた。

 

 つまり、シルキィがワーグを殺そうとした先程の攻撃は、実際には見せかけという事だった。

 

 

 

 

「……うん。ここら辺が良さそうね」

 

 手頃な場所を発見したのか、巨大な装甲はその歩みを止める。そして装甲の拳が開かれ、ようやくワーグは身動きの取れない状況から開放された。

 彼女の周囲は背の高い木々や巨大な岩に囲まれており、表現するならば逃げ場の無い場所と言えた。あるいは遠くから覗かれない場所と言うべきか。

 

「……シルキィ」

 

 ようやく視界の晴れたその目に映ったのは、頑強な装甲を用心の為にと何重にも着込み、見上げる程に巨大となった魔人シルキィの姿。

 武器を構えてはいないものの、表情が分からないその甲冑姿はワーグに強い警戒心を抱かせるに十分であり、緊張で身動きの取れない彼女に向けて、その装甲内部からの声が届いた。

 

 

「最後に会ったのはいつかしら? 貴女が魔王城に居た頃だとしたら、こうして会うのはとても久しぶりになるわね。ワーグ、元気にしていた?」

「………………」

 

 状況に合わない、世間話の始まりのようなその挨拶に、何と返したものかとワーグは悩む。

 それは相手も感じた事だったのか、自ら言っておきながらその装甲の頭部が左右に動いた。

 

「……違うわね、こんな事を言っている場合じゃないわ。ねぇワーグ。少し貴女と話がしたいのよ」

「……別に構わないけど、一体なんの話?」

「うん。まぁ話というか、お願いになるんだけど」

「……あぁ、それなら聞かなくても分かるわ。またホーネット派に協力しろって話でしょう?」

 

 ワーグは言外に否定の意思を示す為にと、殊更に冷たい声でもって返答する。

 

 未だに攻撃の意思を見せないシルキィの目的。それはきっと自分の力を利用する事だろう。

 ホーネット派とは以前に一度協力関係にあった。そんな事もあってか、この期に及んでも話が出来るとシルキィは思ったのだろう。

 

 と、ワーグはそのように考えた。と言うかこの状況に対する説明が彼女にはそれしか思い付かなかったのだが、眼前の魔人はそれに肯定も否定もせずに問いを返した。

 

「……協力か。そうね、もしそうだって言ったら、貴女はどうする?」

「別にどうもしない。私はもうケイブリス派の魔人よ。今更シルキィ達に協力なんて出来ない」

「そーだそーだ!! ワーグはお前達をやっつけに来たんだぜー!!」

 

 置かれている状況が状況だけに、どうしても弱気になってしまうワーグは、心を奮わせる為あえてラッシーに強気な台詞を喋らせる。

 だが、嘘は言っていないし思っていない。自分がホーネット派をやっつけに来たのは本当だし、一度ケイブリスの味方をした以上、裏切る事など臆病な自分に出来る筈が無かった。

 

「……なら、貴女はあくまでケイブリス派の一員として、私達ホーネット派と戦うつもりなのね?」

「……そうだって、言ったら?」

 

 その通りだ、と強く口にする事が出来なかったワーグは、先のシルキィの言葉を繰り返す。

 

「それなら、ここで貴女を……いいえ」

 

 シルキィは言い間違えを正すかのように、一度言葉を区切り、そして。

 

「それなら、ここでお前を倒す。ホーネット派の障害となるお前を、生かしておく訳にはいかない」

 

 戦場においての堅い口調で、シルキィは迷いなく宣言した。

 

 

 

「……っ」

 

 途端にその装甲から放たれる、刺すようなプレッシャーを受けたワーグは生唾を飲み込む。

 それでも乾いた喉は一向に潤う事は無く、再びの死の恐怖を感じた彼女は、瞬きをする事も忘れて彫像のように立ち尽くす。

 

「……けれど」

 

 するとすぐにシルキィから戦意が止み、発せられていたプレッシャーもかき消える。その口調も元の彼女のものに戻っていた。

 

「それ、貴女の本音じゃないでしょう。貴女はどう見ても戦いなんて好まない魔人だものね」

「……どうして、そんな事が分かるのよ」

「そりゃ分かるわよ。なんたって私も貴女と同じ元人間だもの。私も戦うのなんて大嫌いだから」

 

 付与の力という稀な才能と、数々の武器を振るう才能を有する屈指の戦士たる魔人シルキィ。

 だが彼女は好き好んで戦っている訳では無い。戦わねばならない理由があるから戦っているだけで、戦わずに済むのならそれが一番だと、そう考える事が出来る魔人であった。

 そんな彼女はワーグに再度の提案をする。元よりワーグが協力してくれるとは考えておらず、こうして会話の機会を設けたのはそっちが本命だった。

 

 

「ならワーグ。私達に協力をする必要は無いから、この戦争から抜けてくれないかしら。そうでないと、私はここで貴女を倒さなくてはならないの」

「……戦争から抜ける? そんな事……」

「無理に決まってんだろー! シルキィのバーカ、アーホ、おたんこなーす!! ワーグはお前なんて全然怖くないんだからなー!!」

 

 ついラッシーに汚い言葉を言わせてしまったが、それは紛れもないワーグの本音。そうしたいと思う気持ちは確かにあるが、今更自分がこの戦争から抜けられる筈が無い。

 何よりここでシルキィから見逃される為にと戦争から抜けたら、間違い無くケイブリスに殺される事になる為、それではどの道結果は同じである。

 

 やはり戦わずに済む道など無い。あのケイブリスに比べれば、まだ眼前のシルキィの方が与しやすい筈だと考えたワーグは、鋭い目付きで装甲を睨み上げながら上着に手を掛ける。

 しかし一方で装甲内部のシルキィの視線は、ワーグの隣に居るふわふわした生き物に向いていた。

 

「……ちょっとそこのペット。口が悪いわよ」

 

 ひょいっと、シルキィの巨大な装甲の手がラッシーを軽く摘み上げる。

 

「ラッシー!!」

「そんな声出さなくても、別に取って食べたりはしないわ。けどねワーグ、ペットの躾はちゃんとした方が良いと思う。私と貴女はこうして対峙している訳で、相手を挑発するような事をペットが言ったら跳ね返ってくるのは貴女の下なんだから」

 

 ラッシーの言葉がワーグの言葉だとは知る由も無いシルキィは、わざわざ相手にそんな忠告をした後、装甲内部で小さく息を吐いた。

 

「これね、実は私の独断専行なの」

「え?」

「だから、貴女にまたホーネット派に入れとまでは言わないわ。私がそう言った所で、ホーネット様が許可してくれるか分からないし」

 

 シルキィは内心、五分五分だと思っている。以前協力関係にあった時とはすでに状況が異なり、今はワーグによってすでに十万以上の魔物兵が失われ、ホーネット派は大きな被害を受けた。

 そう考えるとちょっと難しいかもしれないが、一方で味方にすれば頼れる戦力である事も事実。

 

 よって半々だと思うのだが、いずれにせよ派閥の主からの許可が得られるか不明な現状で、空手形になるかもしれぬ口約束する事は出来ない。

 ホーネットに聞いてみる機会もあったのだが、ワーグを倒す事は任せて欲しいと宣言した手前、派閥に引き入れても良いかと言い出す事が、シルキィはどうにも出来なかったのである。

 

「それにそもそもね、戦う事が嫌いな貴女に戦いを強要したくないのよ。けど、だからこそ貴女にはここで戦争から下りて欲しい。私も戦う事が嫌いだから、貴女と戦いたくないの」

「……でも、そんなの無理よ。ここで私が逃げたら……」

「分かってる。ケイブリスに殺される、でしょ?」

「………………」

 

 あまり言葉にしたい事でも無かったのか、ワーグは無言を貫く事によってそれを肯定する。

 

 残虐で、かつ執念深い性格のケイブリスは、裏切り者の存在を絶対に許す事は無い。

 それはケイブリス派のみならず、ホーネット派内でも誰しもが知っている事であり、知っている事である以上、対策を取る事も可能であった。

 

「安心してワーグ、私に考えがあるから。……と言っても、考えてくれたのは火炎書士なんだけどね」

「火炎書士って……ハウゼルの使徒の?」

「うん」

 

 装甲内部でシルキィはその顔に笑みを見せる。今回の彼女の一連の行動は、全て火炎書士が考えた作戦に基づいている。

 その使徒は軍師としての才能がある上に、彼女自身が臆病な性格だからこそ、同じく臆病な性格の敵派閥の主の思考を読むのを得意としていた。

 

 

「火炎が言っていたの。ケイブリスはワーグの事を絶対に信用したりはしないだろうって。いつ自分の事を裏切るか分からないから、ワーグを常に監視している筈だって」

 

 火炎書士のその読みは実に的確であり、ケイブリスはワーグの背信を大いに警戒していた。

 

 ケイブリスにとって、ワーグの能力は極度の不眠症である自分には通じないとは言え、それ以外の派閥の魔物兵や魔人達には当然通用してしまう。

 ワーグ自身と敵対するのも脅威だが、ワーグは他人の思考を操作する事が出来る為、自派閥の戦力をホーネット派に寝返らせでもしたら大事である。

 仮に魔人をも操り裏切ったとしたら、戦力バランスが一気にホーネット派の方に傾いてしまう。

 

 その事を危惧したケイブリスは、ワーグが自分を裏切るような怪しい動きを見せないかどうか、部下に命じて逐一見張らせていたのである。

 

「火炎が捜索隊に探させたらすぐに見つかったそうよ。貴女の遥か後方を、監視役の飛行魔物兵がずっと付いていたみたいだけど、気付いてた?」

「……気付かなかったわ。私がケイブリスに信用されない事は分かっていたけど」

「……そう。……でね、それを逆手に取れば貴女が死んだ様に思わせる事も出来るって。で、その為の方法も火炎が考えてくれて、後は知っての通り」

 

 シルキィは魔人ワーグを強襲して一撃で倒した。と、そのように監視役に見せる事で、ケイブリスにワーグはすでに死んだものと誤認させる。

 そしてワーグは戦争から離れて、後は何処かに身を隠す。それが火炎書士の考えた計画であった。

 

「さっき、敵の監視役が逃げていった事は確認しているから、貴女は倒されてしまったと報告してくれる筈。後は何処か……そうね、アワッサツリーの近くにでも避難すれば、ケイブリス派には見つからないと思う」

 

 アワッサツリー。それは、魔物界の最北に存在する魔界都市の名であり、魔物界南部を支配圏とするケイブリス派にとっては対極に位置する。

 魔王城を北に進み、雷が止む事無く降り注ぐ光原と呼ばれる危険な地帯を越えねばならず、ケイブリス派はおろかホーネット派の者も滅多に寄り付かないので、身を隠すには打って付けな場所だった。

 

 

「どう? 悪くない考えだと思わない?」

「………………」

 

 ワーグは揺れてしまう心を抑えるかのように、その手をぎゅっと握り締める。

 元々脅される形で強制的に戦争に参加している彼女にとって、その提案はとても魅力的に映った。

 

 ワーグは争い事が嫌いである。なにより自分の能力を戦いに利用したくないのである。

 今まで逃げなかったのはケイブリスが怖かったからであり、もしケイブリスの目から逃れる方法があるならすぐにでもそうしたい。

 そう思うワーグだったが、しかしそれでも、彼女はその提案に飛び付く事は出来なかった。

 

 

「……どうしてそんな提案するの? そんな面倒な事をしないで、ここで私を倒せばいいのに」

「だから、私は貴女と戦いたくないんだって」

「嘘ね。そんなの絶対嘘、だってさっき……」

 

 先程の恐怖を思い出したワーグは、粟立つ二の腕を何度も撫でる。つい数分前、自分を倒すと宣言した時、あの時にシルキィが放ったプレッシャーは間違い無く本物だった。

 

 戦いたくないとの言葉は単にしたくないという気持ちの表れで、しないと言っている訳では無い。

 きっとシルキィは覚悟を決めれば迷いはしない。この魔人四天王が土壇場で躊躇いを見せるような、そんな甘い魔人だとはとても思えなかった。

 

「……私に手を出さないのは、私に協力させたいからだと思っていたわ。けど、私が戦争から下りるだけでいいなら、あなた達ホーネット派にメリットが無いじゃない」

 

 単に自分の事が邪魔なだけであれば、このような面倒な提案をせずとも自分を殺すだけで済む話。

 ワーグがそう考えたのも当然であり、あるいは何らかの別の狙いがあるのではと裏を読んだ結果、彼女は二の足を踏んでしまったのである。

 

「どうして私の事を倒さないのよ。答えて」

「……それは」

 

 ワーグの言葉に、先程とは変わって今度はシルキィが返答に窮する。 その理由はどうにも言葉にし難く、なにより伝えるべきかどうかが分からない。

 

 巨大な装甲は微動だにしない為、ワーグにはその変化を認識する事が出来なかったが、装甲内部でシルキィはひとしきり思い悩んだ後、切ない表情で目の前の小さな魔人を見つめた。

 

 

「……貴女の事はね、前から気になっていたのよ。と言っても信じては貰えないと思うけど」

「前って、一体いつの事よ」

「そうね……、貴女が魔王城を去った頃、かな」

 

 耳に入ったその言葉に、ワーグはとっさに返す言葉が浮かばなかった。

 シルキィが口にしたのはもう遠き昔の事、今から100年以上も前の話である。

 

「……随分と、昔の話を持ち出すわね」

「うん。……貴女は人間だったからね、どうしても私は気になっちゃうのよ」

 

 人間を守る為に魔人となり、今もなお人間を守る為に戦い続けている魔人シルキィ。そんな彼女にとっては、元人間の魔人ワーグはそれなりに気を引く存在と言えた。

 

「……もっとも、ガイ様に仕えていた頃の私は視野が狭くなっていたから、その意味じゃここ最近の話になるのだけれど」

 

 魔人ワーグ。その魔人は、シルキィの敬愛する主である魔王ガイが、いつの日か魔王城に連れ帰ってきた少女である。

 話を聞けば、ワーグは魔物の森に入り自殺しようとした所、魔王ガイによって助けられたと言う。

 

「私を魔人にした時もそうだけど、結構変な理由で魔人を作るわよね、ガイ様は。人助けが好きなのかと思えば、そういう訳でも無いみたいだし」

「……そう、ね」

 

 シルキィの言葉に記憶が喚起されたのか、曖昧に頷いたワーグは遠き過去の事を思い出す。

 魔王ガイに救われた事や、一時期魔王城に居た頃の事など、色々とその頭を過ぎったが、基本的にそれらはあまり良い思い出では無い。

 それ以前の話として、その体質を持って生まれた時から良い思い出など殆ど無いのだが、その時彼女はふとある事を考えた。

 

「……そういえば、私とシルキィは共通点が多いかもね、色々と」

 

 シルキィとワーグは共に元人間であり、そして共に、魔王ガイの手によって魔人となった。

 性別や外見なども含めて、似通った所の多い二人であるが、しかし大きく異なる点が一つ。

 

「確かにね。……けど、魔人になって願いが叶った私とは違って、貴女は……」

「………………」

 

 ワーグは魔人となっても救われる事はなかった。

 

 人間だった頃から体質の制御が出来ず、それは魔人となった今でも変わらず。孤独な日々に絶望して自殺しようとした所を助けられたものの、結局ワーグは今も孤独なまま。

 

 なにも変わらないのならば、魔王ガイの意図はどのようなものだったのか。何故ワーグの事を救い、何故彼女を魔人としたのか。

 そして何故魔王ガイはその後、自らの手で救ったワーグから距離を置いたのか。全ては本人無き今となっては知る由も無いのだが、シルキィには一つ思う事があった。

 

「……ガイ様の考えは私にはよく分からない。……でも、あの人の近くに居た私が、もっと貴女の事を考えるべきだったのかもね」

 

 シルキィが魔王ガイに仕える事だけに腐心している間に、魔人になっても変わる事の無かったワーグはいつしか魔王城を離れ、深い森の中に住処を移して孤独を更に深めていった。

 もしワーグが魔王城に居た頃にシルキィが何かしていたら、ワーグの今は変わっていただろうか。

 

「そんなの、……」

 

 ワーグはとっさに感情的になりかけて、だが直前でその言葉を飲み込んだ。

 今更そんな事を言われたく無かったし、今更誰かに何かを言っても、全て詮無い話である。

 

「……別にそんな事、あなたが思い悩む事じゃ無いわ。私の事情はシルキィには何も関係無いもの」

「……えぇ、分かってる」

 

 ワーグが魔王城を去ったのは100年以上も前の話であり、全てはもう今更の話。それはシルキィも同感であり、今更こんな事を言っても意味が無い事は理解していた。

 だからこの事は、シルキィにとっての本当の理由では無かった。

 

 

 もしそれだけが理由だったとしたら、シルキィはワーグに対して容赦せず、すでに彼女は魔血魂となっていたかもしれない。

 

 孤独なワーグの事を可哀想だと思う気持ちはあるが、可哀想な存在などこの世界には幾らでもあり、なにもワーグに限った話では無い。

 その全てを守りたいと思うシルキィにとっては、平和を乱すケイブリス派に与した以上は敵である。

 今の辛うじて守られている平和が失われてしまったら、そんな存在が無限に増えてしまうのだから。

 

 

 だが、それでもこのような面倒を抱えて、敵対するワーグの事を助けようとする一番の理由。それはワーグには分からない話なので、シルキィはそれを言うつもりは無かった。

 だったのだが、彼女はつい頭にそれを思い浮かべてしまい、装甲内でぽつりと小さな声で呟いた。

 

「貴女の事を倒そうものなら、ランスさんがなんて言うか……」

 

 その理由とは、つまりはランスの存在。

 

 自分は変化していない。以前そう思ったものの、やっぱりあの人と出会って自分も色々と変わったのだなと、シルキィは少し困ったように嘆息した。

 

 

 

 

 



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VS 魔人ワーグ②

 今より一ヶ月程前、派閥の主が絶体絶命の窮地から救出された。その結果、ホーネット派はワーグが敵派閥に参加した事を知る事となった。

 その後、何度も挑んだ説得の甲斐あって派閥の主からワーグへの対処を一任された後、ふとシルキィはランスの事を思った。

 

 ワーグはなにせ美少女である。女性に目が無いランスがワーグの事を知ったらどうするだろうか。

 そして薄々予想していた事ではあったが、やはりランスはワーグに対して大いに興味を抱いた。

 

 あれ程会いたいと、セックスしたいと言っていたランスがワーグを殺す事に納得する筈が無い。

 ワーグの境遇も気にはなっていた。だがシルキィはそれ以上に、派閥に何度も協力してくれたランスの信頼を裏切りたくなかったのである。

 

 とは言えワーグの事を放置は出来ない。だからと言って先の理由でワーグを倒す事も出来ないし、かといって味方に引き込めるかも分からない。

 同じ目的の為に協力してくれる筈だと、実は密かに頼りにしていたランスは残念ながらワーグに近づけず、レベル上げにと去ってしまい帰りが間に合うかどうかも分からない。

 

 無い無い尽くしの現状に悩んだ末に、シルキィは火炎書士の知恵を借りる事にした。

 火炎書士は全ての事情を加味した上で、それならば魔人ワーグには穏便に戦争から退場してもらうのが良いのではないか。という話になり、そしてこのような経緯となったのだった。

 

 

 事は全て火炎書士の作戦通りに進み、残る問題といえばワーグの心を動かす事のみ。

 ふぅ、と小さく息を吐いたシルキィは、眼前に居る小さな少女のような魔人をじっと見つめた。

 

「ワーグ。ここで下りてくれるなら貴女の命は私が保証する。もし万が一、貴女の存在がケイブリスに知られたとしても、その時は魔人四天王シルキィ・リトルレーズンの全てを賭けて貴女を守るわ」

「…………シルキィ」

 

 その真っ直ぐな言葉を受けたワーグは、瞼をゆっくりと伏せて長く思考する。

 

 彼女は臆病な魔人であり死ぬのが怖い。けれども戦争中のこの魔物界においては、何処に身を置いても危険である事はそう変わらない。

 ホーネット派と敵対しようがケイブリス派を裏切ろうが、実の所そう大差ない話なのである。

 

 ならば戦わずに済む方が良い。ワーグは世界中の人と仲良くしたいと願う程の優しい魔人である。

 そして先の言葉。目の前の優しい魔人四天王が、いざとなったら自分の事を守ってくれる。

 

 それが最後の後押しとなったのか、目を開いたワーグは大きく息を吸って肩の力を下ろした。

 

 

「……分かったわ。シルキィの言う通りにする」

 

 

 魔人ワーグは、戦争から抜ける事を決断した。

 

 元より心の底から望んでいた事であって、素直になった方が利口だと彼女は思った。なのだが、

 

「ワーグ……!!」

 

 その声に、装甲越しでもシルキィの喜ぶ顔が見えた気がしたワーグは、何故だか少々癪だなと感じてしまい、拗ねるかのようにその顔を背ける。

 

「……て、言うしか無いわよね。この状況じゃ」

 

 そう言ってワーグは、わざと大袈裟に溜息を吐く仕草を見せた。

 

 シルキィは最初から、ここで戦争から下りないのならば戦う事も辞さないと宣言している。

 その提案がワーグにとって魅力的なものだという違いはあるものの、その方法は結局の所彼女の命を人質としたものであり、その意味ではケイブリスがした事と然程の違いは無かった。

 

「それは……まぁ、確かにそうよね」

 

 先のワーグの答えは、選んでくれたと言うより、選ばせてしまったと表現した方が的確と言える。

 その事はシルキィも内心で感じていた事だったのか、若干彼女の声のトーンが低下した。

 

「とりあえずシルキィ、私はもう敵じゃなくなったのだから、いい加減にラッシーを返して」

「あ、そう言えばそうね」

 

 ラッシーを摘み上げていた事を忘れていたのか、シルキィはハッとした様子で装甲の手を開く。

 ようやく魔人四天王から解放されたそのペットは、ふわふわと宙を漂い主人の元へと戻っていき、再会して一番に大きな泣き声を上げた。

 

「うわーん! 怖かったよー!!」

「……ワーグ、ごめんね」

「ごめんで済むかー! もっと謝れよなー!!」

「ううん、そっちじゃ無くて。まぁそっちもそうなんだけどね」

 

 吠えるペットとワーグに向け、巨大な装甲の角度がやや深くなる。大きすぎていまいち分かりづらいが、恐らくは頭を下げる仕草なのだろう。

 ワーグには見えない装甲内部で、浮かない顔をするシルキィが謝りたかったのは、ペットの事では無くて先の話についてであった。 

 

「……ごめんね。結果的に、貴女を脅すような形になっちゃって」

「……別に、もう気にしていないわ」

「私、頭が固くて融通が利かないから、こういう事は苦手なのよ。基本的にこういう交渉事はサテラの仕事だし。ほら、貴女の下に派閥への参加交渉に来たのもあの子だったでしょ?」

「……そういえばそうだったわね。けど……」

 

 シルキィはそう言うものの、自分が思っている事と他人が思っている事は往々にして別である。

 

 ワーグはシルキィの事をそこまで融通の利かない性格だとは思わなかったし、なによりサテラのあの短気な性格を考慮すると、その役割分担は果たして適切と言えるのだろうか。

 ふとそんな事を思うワーグの一方、シルキィはさらに言葉を続ける。

 

「……本当はね、貴女に会わせたい人が居たの」

「会わせたい人?」

「うん。彼なら私なんかよりももっと上手に、貴女の悩みを解決してくれたと思うんだけどね。けど、ちょっと予定が狂っちゃって…………うん?」

 

 かの男の事を話題に上げてしまった、もしかしたらそれが原因なのかどうなのか。

 まさに今、シルキィがその存在の事に触れたのと同じタイミングで。

 

 

 森に、獣の遠吠えのような奇妙な声が響いた。

 

 

「……シルキィ。今、何か聞こえなかった?」

「……えぇ、何か聞こえたわね。というか、今のはもしかして……」

 

 その声は、ワーグの耳には聞き覚えの無い男の声に聞こえた。

 その声は、シルキィの耳には聞き覚えのよくあるあの男の声に聞こえた。

 

「何かが、近付いてくる……!!」

「……なんだか、嫌な予感が」

 

 その叫び声は急速に近づいてきて。

 

 そして、魔人四天王のシルキィ・リトルレーズンよりも更に恐ろしい、一人の人間が来襲した。

 

 

 

「おんなーーーーー!!!!!」

 

 その第一声は、それはもう酷いものだった。

 

 

「な、ランスさん!? ランスさん……なの!?」

 

 シルキィが瞬時に判断出来ずに悩んでしまったのは、その目に映ったものが記憶にあるそれと、あまりにかけ離れていたからである。

 真っ赤に充血した瞳はまるで焦点が定まっておらず、唾液を撒き散らしながら走るその姿は、気の触れてしまった人間そのものであり、それがランスだとシルキィは認めたくなかった。そしておまけに、

 

「ランスさん、い、一体貴方の身に何が……それに、なんで裸なの!?」

 

 迫り来るランスはすでに素っ裸。その局部も天を向いており、戦闘準備は万全であった。

 

 

 ワーグと戦う為にレベル上げをすると走り去ったランスが、何故このような状態になっているのか。シルキィにはさっぱり理解不能である。

 生き物には才能限界があり、それを超えてレベルを上げる事は出来ない。もしやランスは元から限界にあり、それでもどうにかしてその限界を超えようと不断の努力をした結果、心をやられてしまったのだろうか。

 

 と、そんな事をやや逃避気味に考えるシルキィであったが、彼女は装甲内部に居た為、女性しか視認出来ない今のランスの視界には、幸か不幸か映る事は無かった。

 よって代わりに犠牲となったのは、巨大な装甲のそばに居たランスにとっての見知らぬ少女。

 

 

「わーーーぐ!!! せーーーっくす!!!!」

「ひぃ!!」

 

 一目見ただけでトラウマになりそうな、世にも恐ろしい生物の目的が自分だと知ったワーグは、命とか貞操とか色々なものの危機を感じて、とっさにさらなるフェロモンを放って身を守るべく、慌てて服を脱ぎ始める。

 

 だが性欲に猛り狂うランスを前にして、その行動は完全に逆効果だった。

 

「うきょーーーー!!!!」

「きゃああああ!!!!!」

 

 ランスのギラつく瞳がワーグをロックオン。

 そして、ワーグとランスの戦闘が始まった。

 

「あぁもう、せっかく話が纏まった所なのに!! ランスさんのバカーーー!!!!」

 

 シルキィの叫びは、森中に響き渡った。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そして。

 

 ワーグとランスの手に汗握るような激しい戦闘。と言う名のストリップショー。

 服を脱ぐ演者と演者を守る警備員、そして演者に飛び掛ろうとするマナー違反の観客の攻防は、今をもって一応終了した。

 

「……はぁ、はぁ……」

「ぐがー、すぴー」

 

 息を荒げる魔人ワーグは一糸まとわぬ素っ裸。疲労困憊の体で地面に尻もちを付いている。

 そんな彼女の目の前には、同じく素っ裸のランスが心地良さそうに鼻提灯を膨らませていた。

 

 

 二人の戦闘の結果はランスの判定勝ち。あるいは最後まで立っていたものを勝ちとするなら、ワーグの勝利かという所であった。

 

 暴走したランスは獲物に向かって襲い掛かる。一方ワーグはラッシーを盾にして敵の猛攻を防ぎ、その間に急いで服を脱ぐ。

 どこか奇怪に映るそんな激戦を繰り広げた二人だが、ランスはその強烈な眠気を物ともせず、ワーグがもう脱げないぎりぎりの所まで追い詰めた。

 そして彼女に敗北を認めさせるに至ったのだが、最終的には限界を超えて眠りに落ちてしまった。

 

 心神喪失状態にあったランスだが、それでもランスのランスたる部分は失われていなかったのか、ワーグの事を一切傷つけはせず、彼女が降参したのはその圧力に押されての事である。

 代わりと言っては何だが盾となったラッシーは、散々ランスにどつかれた結果気絶してしまった。

 

 

 そして、もう一人の魔人はと言うと。

 

「……ワーグ。その、お疲れ様」

 

 何と声を掛けたら良いかよく分からなかったが、とりあえずシルキィは労いの言葉を掛ける。

 二人の戦いを前にして、ランスに加勢するのもワーグに加勢するのも何だかなぁといった感じだったので、今まで我関せずと傍観していたのだが、ようやく立ち上がったワーグの詰問から逃れる事は当然出来なかった。

 

「……シルキィ。こいつ、一体なんなの?」

「……難しい事を聞くわね……」

 

 地に倒れたランスを指差すワーグを前にして、この男の事をどのように説明すればいいのか。その未曾有の難問を前にシルキィは眉間に皺を寄せる。

 素っ裸、かつ局部をおっ立たせた状態ですやすやと眠るランスを前に、彼は派閥の救世主なのだと口にするのはとても躊躇いがあった。

 

「この人はその、魔王城に来たお客さんというか……ううん、違うわね。私達の大事な仲間なの」

「シルキィの仲間……こいつ、何で私に襲い掛かってきたの? それにセックスがどうとか……」

「えっと……ちょっと錯乱していたのかもね。ほら、どう見ても様子がおかしかったでしょう?」

「こいつ、何で裸なの?」

「えっと……暑かったのかな?」

「………………」

 

 訝しげな様子の、ワーグのじとーっとした視線がシルキィに刺さる。

 

「ま、待ってワーグ。この人なんか変な事になっているみたいで、普段はこうじゃないって言うか、もうちょっとは常識がある人って言うか……」

 

 自分は何を言っているんだろう。ついそんな気分になってしまうシルキィであったが、このままじゃワーグのランスへの印象が最悪なものになってしまう気がしたので、何とかランスの名誉を回復しようと彼女は言葉を探す。

 

「その、あのね。こんな人だけどね、良い所も一杯あるのよ? その、ほら、直情的で分かりやすい所か、あとはその……元気な所とか」

 

 我ながら虚しいフォローだなぁと思いながらも、ワーグの好感度が上がりそうな要素を探すシルキィは、先のランスの最後の言葉をふと思い出した。

 

 

「……それに彼、言っていたでしょ? 貴女と仲良くなりたいって。その気持ちに嘘は無いと思う」

 

 先程、ランスは全裸になったワーグの渾身の眠気を至近距離で浴び、辛抱できずに眠ってしまう最後の最後で理性を取り戻した。

 そして何を思ったかは知らないが、ワーグに向けて「君と仲良くなりたい」と一方的に宣言して、そのままランスは安らかな眠りについた。

 

 ワーグもそれは聞いており、それがランスの事をただの凶暴で狂った生き物だと思えず、シルキィに対してこいつは何なのと尋ねてみた理由だった。

 

「仲良くなりたい……。こいつ、私と友達になりたいって事?」

「そう、そうなの!! この人はね、貴女と友達になりたいのよ!! ……その、うん」

 

 シルキィは内心、この男の仲良くなると言う言葉は、友達以上のもっと深い仲の事を指すのだと理解していたが、これ以上この場をややこしくする事も無いだろうと口を引き結んだ。

 

「……そんなの信じられない。どうせこの男は、私の力を利用したくて嘘を吐いただけよ」

「ワーグ、そう穿った見方をするのは良くないわ。あれは本心から出た言葉だと私は思う」

「……どうかしらね」

「それにほら、さっきのランスさんは嘘を吐けるような精神状態じゃ無かったと言うか……」

「それは……」

 

 確かに一理あると内心で感じたワーグは、ランスの寝顔をじっと見つめる。

 

 荒れ狂う獣の如く襲ってきたこの男は、眠りに落ちる直前にころっと人が変わったように平然とした様子に戻った。恐らくはあれが素なのだろう。

 あの瞬間にすぐ嘘を吐こうとは普通しないだろうし、なによりあの言葉を告げた時の表情は、嘘を吐いていたとは思いたくない真摯な表情だった。

 

 そう思うワーグなのだが、それでもまだランスの事を信じられない理由があった。

 

 

「……別に、こいつが初めてじゃない」

「………………」

「私と友達になりたいなんて、そんな事を言う人間は過去にも沢山居たわ。けど、最終的には私を恐れてみんな離れていった。こいつもきっと同じよ」

「……貴方の過去はそうかもしれないけど、でもねワーグ。ランスさんが貴女を恐れる事は絶対に無いわ。それは私が約束する」

 

 魔人四天王や魔人筆頭にさえ恐れず立ち向かうランスが、ワーグを怖がって離れる事だけはあり得ない話だと、シルキィは大いに太鼓判を押す。

 

 過去を思い出したのか、辛そうに顔を伏せるワーグの気持ちも分からないでも無かったが、それでもランスの事は信じて欲しいとシルキィは思った。

 ワーグの孤独を埋める、彼女が一番求めているものがそこにあると思ったからだ。

 

「この人ね。ここに来る前、ずっと貴女に会いたい会いたいって言っていたのよ?」

「……ずっと?」

「えぇ、ずっと。もう本当しつこいぐらいに、貴女に会いたがっていたんだから」

 

 散々うし車を運搬する事になった、あの時の苦労を思い出したシルキィは苦笑を浮かべながら思う。

 

 魔物界のあらゆる存在が恐れる魔人ワーグに対して、あんなにも会いたいと熱望する者など今まで居ただろうか。

 動機は少々不純ではあるものの、その熱意は認めてあげるべきだと思う。

 

「それでも貴女に会えないと分かると、今度は貴女に会う為に何日もレベル上げをする程なのよ? 彼は私達と違って人間なのに、それでも諦めないで貴女の前に立ったんだもの。凄いと思わない?」

「……私に、会う為……」

「うん。この人は貴女に会う為ならどんな努力でも出来る人だから、貴女を怖がったり、貴女から離れたりはしない。ランスさんならきっと、貴女を孤独なままにしたりはしないわ」

 

 自分が次々と言葉にする度、徐々にワーグの心が惹かれていく。その事が表情から見て取れる。

 伝えたい事は大体伝えたので、後はワーグ次第。それはすでに寝ているランスにも、第三者の自分にも出来ない、ワーグが自ら決める事だとシルキィは思った。

 

「ねぇワーグ。貴女さえ一歩踏み出せば、きっとランスさんと仲良くなれるわ。だから……彼を起こしてあげて?」

 

 ワーグの能力によって眠らされてしまったランスは、このままでは二度と目覚める事は無い。

 唯一目覚められる方法である、ワーグ自身の意思によって能力を解いてあげてほしいと、シルキィはそう訴えていた。

 

「………………」

 

 だがそう言われても、ワーグにはこの男の事が良く分からない。つい先程会ったばかりだし、正気に戻ったランスの声を聞いたのは一度だけ。

 シルキィはそのように言うものの、果たして自分はこの奇妙な男と仲良くなれるのだろうか、友達になれるのだろうか。

 

 そう悩む気持ちはあったものの、これもやはり先程の選択と同じで、結局の所はそうしたいと思う心で決めるべきだと彼女は思った。

 

「………………」

 

 そして、ワーグは先のシルキィの頼みに対して、自分なりの返事をしようと思ったのだが。

 

「……っ」

「……ワーグ?」

 

 口をもごもごさせてしまうワーグを前に、シルキィが不思議なものを見る表情になる。

 

 基本的にワーグは照れ屋な性格であって、自分の思いを素直に口にする事は苦手としている。

 言えないその言葉を代わりに喋って貰おうと、彼女はラッシーの様子を伺ってみたものの、未だそのペットは気絶したまま。

 

 仕方無くもう一度どうにか伝えようとしてみたものの、やっぱり気恥ずかしさが邪魔をしたのか。

 

「……うん」

 

 ほんの一言だけ呟き、そして小さく頷いた。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「ワーグ。その、そろそろ服を着たら?」

「……そ、そうね」

 

 今更気付いて恥ずかしくなったのか、頬を朱に染めたワーグはそそくさと服を着始める。

 その時、ふと彼女はある事を思い、そばに居た魔人四天王に対して声を掛けた。

 

 

「……それにしてもシルキィ。あなた、私の眠りをこんなにも長い時間、よく我慢出来るわね」

 

 それは、実の所ずっと疑問に感じていた事。最初にワーグがシルキィとの会話に応じたのは、時間さえ稼げば眠りの効果が現れ、相手の事を操れると考えたからでもある。

 狂ったように襲い掛かってきたランスでさえ最終的には眠りに落ちたのに、魔人四天王シルキィ・リトルレーズンは未だに眠らない。

 その事が、ワーグはとても気になっていた。

 

「まさかあなたにも、私の能力は効かないの? それとも、それを着ているから?」

「そうね、装甲で全身を覆っているからというのは間違い無くあるわね。貴女のフェロモンの甘い匂いは、この中に居たら殆ど感じないもの」

「……じゃあ、それを脱いだら?」

 

 ワーグはほんの興味本位でそれを聞いてみた。

 するとシルキィは少し考える素振りを見せた後。

 

「……貴女はもう敵じゃない訳だし、試してみてもいいかもね」

 

 そう言うと彼女は精神を集中させて、その身に纏う魔法具の形を変化させる。

 巨人の如き装甲は斧のような形状へと切り替わり、その場には小柄なワーグと同じくくらいに背の低い、そして似たような格好の魔人が現れる。

 そしてすぐにシルキィは片目を瞑り、苦痛に耐えるかのように表情を歪めた。

 

「……くっ、流石にこの距離で裸の貴女を前にすると、すっごく眠いわね……。というか、なんだかもう眠いというより、頭が痛い……」

「……そう」

 

 能力の効果が現れているという事は、その内にシルキィも眠ってしまうという事。ここからどれだけ耐えられるかは個人の精神力次第だが、いずれにせよ自分のそばには居られないという事である。

 

「待ってて、すぐに服を着るから」

 

 少し寂しげな表情のワーグは、先程脱いだ服を下着からコートの上下まで、急いで身に着け直した。

 

 

 

 元の格好へと戻ったワーグはその後、気絶しているラッシーの身体を揺すってみる。するとすぐにそのペットは意識を回復し、ワーグの身体にゆったりと巻き付き始める。

 その様子を見ていたシルキィは、安心したように顔を綻ばせた。

 

「あぁ、ペットちゃんは起きたのね、良かった。けどワーグ、こっちがまだ起きないんだけど」

 

 その魔人の前には、気分良さそうに眠る裸の男。

 まだ能力を解いてくれないの? そう問うような視線を送るシルキィだったが、受けたワーグは小さく首を横に振った。

 

「私の能力はすでに解除してあるから、今寝ているのは自然に寝ているだけよ。どうやら彼、ここ何日もずっと眠っていなかったみたいね。恐らくあと2、3日は眠ったままだと思う」

「え、じゃあ夜も眠らずにレベル上げをしていたって事? ランスさんってば、凄い執念ね……」

 

 それで頭のネジが外れてしまったのかしら。と、あらぬ勘違いをするシルキィの一方。

 

「……それって、私に会う為……なのよね」

 

 視線を逸し、ぽっと頬を染めるワーグ。

 

「……えぇ、そうよ」

 

 そんなうぶな反応をする少女を前にシルキィは、セックスする為だとはとても言えなかった。

 

 

 

 

「よいしょっと……さて、じゃあ戻りましょうか」

 

 その小さな肩にランスの事を担ぎ上げたシルキィの言葉に、ワーグはこくりと頷く。

 シルキィとワーグ、そして急な飛び入りでランスも参加したこの一件はこれにて無事終了となったので、帰路に就く為二人は森を歩き出す。

 

「……とは言っても、貴女をサイサイツリーに連れて行く事は出来ないんだけどね」

 

 そう言って、ごめんねと謝るシルキィだったが、魔界都市に入れない事などワーグにとっては当然の事であり、特に気分を害した様子は無かった。

 

「分かってる。私はこのまま森の中を通ってアワッサツリーに行くわ。ケイブリス派に見つかりたくないし」

「そうね。色々な事を考えると、私達ホーネット派の者にも出来るだけ会わない方が良いと思う。あ、けどワーグ。アワッサツリーに行く前にランスさんとは会ってみてね」

 

 シルキィは何となくだが、ワーグがアワッサツリーに行く事にはならない気がしている。

 アワッサツリーは魔王城からかなり離れているので、ランスがそれを知ったら必ず待ったを掛けるのでは無いかと考えていた。

 

「……しばらく魔王城の外れに留まっているから、彼が起きたら会いに来るよう伝えて」

「うん、分かった」

 

 そんな話をしながら、森の中を進む二人の魔人と一体の夢イルカであったが。

 

 

「……ねぇ、シルキィ」

 

 ふいにワーグが立ち止まる。

 

「何?」

 

 小首を傾げるシルキィの事を、不思議そうな表情のワーグが大きな瞳でじっと見つめる。

 

「あなた、本当に私の能力が効いているの? 効いていると言った割には全然……」

 

 先程、すっごく眠いと言っていたシルキィだが、しかし彼女は今もまだぴんぴんしている。

 

 すでに服をちゃんと着込んだとは言え、それでも発せられるフェロモンの量は相当のもの。

 それに今のシルキィはフェロモンを遮断する装甲を纏っておらず、それでこれだけの時間起きていられるのは、とても稀な事であった。

 

「実は眠気が効いていないんじゃねーの? なぁなぁシルキィ、どうなんだよ、答えろよー」

「ちゃんと効いてるわよ。ペットちゃん」

「本当に? 別に嘘を吐く必要は無いのよ」

「本当だってば。今も気を抜いたら眠ってしまいそうで、こうして立っているのも辛いんだから」

「けれど……」

 

 立っているのも辛いとは言うものの、ワーグが見る限りシルキィの顔は平然としていて、辛さなどはまるで見えない。

 

「……でもね、ワーグ」

 

 それは魔法具の頑強な装甲よりも、あるいは魔人としての高いレベルよりも。

 彼女にとってなによりも一番自信がある、ワーグと対峙するのは自分が一番適任であると、以前そのように宣言した本当の理由。

 

 シルキィはワーグの事を安心させるかのように、柔らかく微笑んで見せた。

 

「私ね、我慢するのは得意なのよ」

 

 前回、数多の魔物達に何日も休み無く陵辱されようとも、決してその心が折れる事は無かった。

 そんな彼女の台詞には、忘れられた英雄としての矜持が宿っていた。

 

 

 

 



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戦い終わって②

 テントの中は、さながら死屍累々であった。

 

 普段ならきちんと整えられている筈の机や椅子など、邪魔なものは全て乱雑に薙ぎ倒されて、まるで暴風雨が去った後の如き荒れ模様。

 その嵐に巻き込まれた不幸な者は、人間も魔人も皆等しく、事切れたように地に伏していた。

 

「…………くっ」

 

 呻き声を発したのは、凄惨たるテント内で倒れている一人、魔人シルキィ。

 まだどうにか意識を保てていた彼女は、ゆっくりと身体を起こしてテント内の状況を確認する。

 

 巻き込まれてしまった二人の事が心配だ。特に自分やもう一人とは違って強靭な肉体を有しない、ただの人間である彼女の事が。

 

「……シィルさん、大丈夫? 生きてる?」

「……は、い」

 

 シルキィのすぐ隣、横さまに倒れて無残な姿を晒していたシィルにも、まだ僅かに意識があった。

 だが奴隷の少女は痛む身体を起こせないのか、首だけを動かして顔の向きを変える。

 

 シィルの視線の先には、二人と同じく死んだように横たわる魔人ハウゼルの姿と。

 

 そして。

 

 

「ほへー……。ほくほく……」

 

 つやつや顔のランスが居た。

 

 

 

 

 

 現在地はホーネット派の前線拠点、魔界都市サイサイツリー。

 数日前、ここより南にある森の中にて、魔人ワーグとの戦いが繰り広げられた。

 

 ワーグと対峙したランスとシルキィ。一方モスの迷宮に残されたシィルとハウゼル。

 それぞれはそれぞれの歩みにてその後サイサイツリーへと戻って来たのだが、その中で唯一ランスだけは自らの足で歩けず、シルキィの肩に担がれたままの帰還となった。

 

 ランスはワーグの能力により眠ってしまい、更にここ何日間も不眠不休で自分を限界まで追い込んだ事が影響して、その後4日間にも渡って眠り続ける事となり。

 

 

 そして今朝、ようやくランスは目を覚まして。

 

 そして。一週間以上にも及ぶ期間溜めに溜めたその性欲が、遂に大爆発を起こしたのだった。

 

 

 

 

 最初の犠牲者となったのは、ランスの有する奴隷シィル・プラインであった。

 何日もぐーすか寝たままの主人の事を心配して、「朝ですよ、起きないのですか、ランス様ー?」と、そんな言葉を耳元で掛けてしまった結果、それが事件の引き金となった。

 

 ぱちりと開眼したランスは、おはようの挨拶もなく即座に襲い掛かる。いきなりの凶行に慌てふためく相手に抵抗などろくに許さず、性の衝動の赴くままにと彼女の事をめちゃくちゃにした。

 だが溜めに溜め込んだその性欲は、とてもシィル一人で対処出来るような代物では無かった。

 

 テント内から上がる、叫びにも似た嬌声。

 それを聞き、何事かと駆けつけて来たシルキィ、ハウゼルの不運な魔人二人をも巻き込んでの、壮絶な4Pへと突入した。

 

 

 ランスは我を忘れたように、3人の女性達を貪る事に只々没頭して。

 そして数時間後、溜め込んだ性欲を全て発散し、つい先程ようやく小康状態となったのだった。

 

 

 

 

 

「はぅ、か、身体が痛いです……」

 

 シィルは自身に対してヒーリングを使用し、ようやく動かせるようになったその身体を起こす。

 打ち付けられた腰や変な体位に付き合わされた結果、身体中の節々がじんじんと熱を帯びていた。

 

「……私も。あぁもう、全身がべとべと……」

 

 シィルの言葉に深く同意をしながら、シルキィはどんよりとした表情で俯く。

 彼女の華奢な身体は形容するのが憚られる液体にてびちゃびちゃとなり、それは程度の差こそあれ他の二人も同じような有様だった。

 

「……よいしょ。ちょっと待っててねシィルさん、濡れタオルを持ってくるから」

「あ、シルキィさん、私が行きますから……」

「ううん、いいから貴女は休んでいて」

 

 数日前、我慢が得意だと宣言したその魔人は、ここにきて流石に脅威のタフネスを見せる。

 三人の中で、その耐久力が災いして最後までランスに付き合う事となったシルキィだったが、それでも一番に立ち上がると、痛む身体を引きずりながらテントの外へと出て行く。

 

「……ハウゼルさん、大丈夫ですか? ……どうやら、もうちょっと掛かりそうですね」

 

 一方、同じ魔人であってもシルキィ程に体力が無く、なによりもまだ性行為に慣れていなかったハウゼルは、すっかり意識を飛ばしてしまっていた。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「き、禁欲!?」

「そ、禁欲」

 

 シルキィが持ってきた濡れタオルと水を汲んだバケツにて、身体をきちんと清潔にして身なりを整えた彼女達は、心地良い陶酔感の中で二度寝をかましていたランスの事を叩き起こした。

 

 そしてシルキィはこの悲惨な事件の原因を聞いてみた所、ランスの口から先の返答があった。

 眠気に対抗する良い方法はないかと考え、そして禁欲を思い付いて実行した事で、今まで我慢していた性欲が一気に弾け飛んだ結果がこれである。

 

「……そう。それでこんな事に……けど、眠らない為に禁欲をするって……あまり言いたくないけどランスさん、貴方って馬鹿なの?」

 

 呆れ顔のシルキィに溜息と共に暴言を吐かれたランスであったが、彼は怒る所か口を大きく開けて大笑いしながら、奴隷の顔を指差した。

 

「がははは!! やーいやーいシィール、言われてやーんのー!!」

「え。じゃあもしかして、シィルさんが……?」

「うぅ、すみません……。馬鹿な私にはそんな事しか思い付かなくて……」

 

 如何にもランスの考えそうな事であったが、それはあくまでランスの奴隷が考えた事である。

 くすん、と眉尾を下げるシィルの様子に、失言に気付いたシルキィは慌ててフォローの言葉を探す。

 

「あ、でもその、効果はあったのだから良いアイディアなのかもね、うん。結果としてはそのお陰で、ランスさんはワーグに会う事が出来た訳だし?」

「……んあ? ちょっと待てシルキィ。俺様、いつワーグちゃんに会ったのだ?」

「……え?」

「ん?」

 

 あれだけ散々場を荒らした張本人のその言葉に、一体貴方は何を言っているの? と、シルキィは疑惑の視線を向ける。

 だがランスの顔はぽかんとしており、どうも嘘を吐いているつもりではなさそうだった。

 

「……ちょっと待ってランスさん。貴方まさか、この前自分がした事を覚えてないの?」

「この前と言うのがいつを指すのか知らんが、少なくともワーグちゃんに会った覚えは無いな」

「えぇー……」

「ランス様、まさか禁欲が辛すぎて記憶が……」

 

 シィルの言葉はどうやら当たっていたようで、ひたすら耐え忍んだ禁欲の日々が脳に強い負荷を掛けた結果、ランスはここ数日の記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっていた。

 詳しく聞いてみると、禁欲を始めて4日を越えた辺りから、何も覚えていないとの事らしい。

 

「4日目と言うと……ランス様が人間ではなくなってしまった頃からですね」

「おい、シィルよ。人間じゃなくなったって、んな大袈裟な……」

「ううん、ランスさん、あの時の貴方は本当に酷い状態だった。あの姿は人間じゃないと言われても、私は納得する事が出来るわ」

「ぬ。……俺様、そんな事になってたのか?」

 

 何も言わずにこくりと頷く、二人の表情には強い実感が籠もっている。それを目の当たりにしたランスは思わずぽりぽりと頬を掻いた。

 

「……うーむ。前に聞いた通り、一週間以上我慢してのセックスは最高に気持ちよかった。けど、デメリットがキツすぎるなこれは……て、そーだシルキィ、結局ワーグちゃんはどうなったのだ?」

「……あんなに大暴れしたのに、何も覚えていないだなんて。はぁ……」

 

 小さな溜息一つ、シルキィは記憶障害に陥ったランスとその場に居なかったシィルの為にもと、ワーグに関しての大体のあらましを説明する事にした。

 

 

 

 ランス達がレベル上げにとサイサイツリーを去った後、シルキィは火炎書士の手を借りて作戦を立てた。そしてその作戦通りに事を運び、魔人ワーグと森の中で対峙した。

 見せかけの強襲によりワーグの退路を確保して、その後シルキィが誠心誠意相手を説得した結果、その想いが伝わりワーグは派閥戦争から離脱する運びとなった。

 

 以上が数日前に起きたシルキィとワーグの対決、その簡単な経緯となる。

 

 

「……ほうほう、なるほど。つまり、ワーグちゃんは味方になったと言う事か?」

「味方っていうか……とりあえずは、ホーネット派に敵対するのを止めてくれたって感じかしら」

 

 ワーグは今の所ケイブリス派を離脱しただけで、ホーネット派に加わってくれた訳では無い。

 今後の成り行き次第では協力してくれる可能性も無いとは言えないが、戦争を離れる事となった経緯を考えると、殊更に目立つような真似はしないだろうとシルキィは思っていた。

 

「そもそもあの子は争い事が嫌いだしね。戦いには巻き込まないでそっとしてあげた方が良いと思う」

「……あの眠りの能力はめちゃくちゃ強烈だから、戦いに使えりゃ便利なんだかな……。……だがまぁ今はそんな事どーでもいいや。で、肝心のワーグちゃんは何処だ、ここに居るのか?」

「ううん、あの子は直接魔王城へと向かったわ。魔界都市に入ると色々問題が起きちゃうからね」

 

 ワーグと森で別れてからすでに4日近く経過しているので、そろそろ城に到着した頃だろうか。

 そんな事を考えたシルキィは、最後にワーグに頼まれた事を思い出し「あ、そうそうランスさん」と、ぱちんと両手を合わせた。

 

「そういえば、ワーグから貴方への伝言があるの。魔王城の外れに居るから会いに来て、だって」

「……ほう?」

 

 するとランスは一瞬固まったように瞠目した後、満更でもない様子で顎の下を撫でる。

 

「……ほほーう。会いに来てとは。中々積極的な子ではないか、ワーグちゃんは」

「あれ、確かにこう言うとそうなっちゃうわね。けど、積極的だったのは貴方の方だからね?」

「ふ、どっちからでも良いわ。とにかく、そうまで言われては会いに行くしかないな」

 

 どの道サイサイツリーにもう用事は無いので、これ以上ここに留まっていても意味は無い。

 ランスは太腿をぱんと叩いて立ち上がった。

 

「よっしゃ、じゃあすぐに魔王城に戻るぞ。……おーい、ハウゼルちゃーん、そろそろ起きろーい」

 

 あられもない姿にて未だ気絶中のハウゼルに近づくと、ランスは彼女のぽっぺをぷにぷにと突く。

 するとその喉の奥から「んっ……」と小さな呟きが漏れ、ハウゼルの瞼がようやく動いた。

 

「お、起きた」

「……あ、ランスさん…………あっ! も、もう無理、もう無理です!!」

「大丈夫よハウゼル、安心して。惨劇はついさっき終わったから」

 

 今朝の出来事は貞淑な彼女にとって、相当な刺激があったらしい。

 目覚めて早々真っ赤な顔で首を振るハウゼルは、仲間の言葉にほっと胸を撫で下ろした。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 その後、ランス達は殆ど昼飯の時間となってしまった遅めの朝食をとり、帰り支度を整える。

 そして帰路にて使用するうし車の前まで来た時、シルキィが思い出したように顔を上げた。

 

「あ、いけない。そう言えばホーネット様と話をしてこないと。ちょっとここで待ってて」

 

 ランスが目覚めた事も報告せねばならないし、派閥の主に何も伝えずにこの都市から移動してしまうと、何か問題が起こり得ないとも限らない。

 シルキィは一旦その場を離れて、奥に見える一番豪華な指揮官用のテントの方へと歩いていく。

 

「ホーネットの奴、ここに戻って来てたのか」

「はい。昨日の事です」

 

 遠ざかる背中を眺めながらのランスの呟きに、普段通りの様子に戻ったハウゼルが答えを返す。

 先日、大量の魔物の流入によって混乱の生じたキトゥイツリーへ向かったホーネットは、つい昨日このサイサイツリーへと戻って来た。

 

 ハウゼルは昨日ホーネットと直に会い、ワーグに関して知る限りの首尾を報告している。

 だからその事は間違いないはずなのだが、しかし数分後に彼等の下に戻って来たシルキィは、その顔に困惑の色を浮かべていた。話を聞いてみると、ホーネットとは会う事が出来なかったらしい。

 

「どうやらホーネット様、すでに魔王城に帰っちゃったみたいなの。今朝早くに出発したんだって」

「あれま。つーか、忙しい奴だなぁあいつは」

「うん。まぁさすがにホーネット様も、ワーグの事は気になるのでしょうね」

 

 現在ワーグはアワッサツリーへと向かう為に、魔王城近辺へと移動をしている。それはつまり、派閥の本拠地たる魔王城に、あのワーグが接近する事を意味している。

 色々ワーグと言葉を交わした自分はもう問題無いと思うのだが、やはり派閥の主たるホーネットはどうしても警戒してしまうのだろう。

 

 シルキィはそう考え、だからホーネットが居なかった事については疑問を持たなかったのだが、それとは別に一つ不思議に思う事があった。

 

「……けど珍しいな。ホーネット様が私達に何も言わずに戻るなんて」

 

 戦争の中にあっては何かと連絡は必要になるし、それ以前にホーネットは几帳面な性格であるので、出立する前に一言ぐらいは声を掛ける。少なくとも今まではそうだった。

 

「ホーネット様、そんなに急いでいたのかしら」

「ま、そういう事もあるんじゃねーの?」

「……そうかな。まぁ、そうかもね」

 

 今回に限って何の連絡が無かった事が少々腑に落ちないものの、ランスの言う通りそういう事もあるのかなと、やや強引に納得する事にしたシルキィ。そんな彼女は今朝自分達の身に何が起き、一言声を掛けられるような状態では無かった事を、この時すっかり失念していた。

 

 

「さて、じゃあシルキィよ、帰りは安全運転で頼むな。この前みたいな荒い運転は止めろよ?」

「ううん、私はここに残るから。悪いけど誰か代わりに運転をお願い」

「あれ? シルキィさんは私達と一緒に帰らないのですか?」

「うん。私にはここでやる事があるからね」

 

 連絡、あるいは命令が無くともその意図を察して動く事は出来る。シルキィはそれ位には頭が回るし、それ位にはホーネットと長い付き合いである。

 今現在最前線となるこのサイサイツリーを誰かが防衛せねばならず、ホーネットが魔王城に移動したと言う事は、それは彼女の役割という事だった。

 

「ここは今、ただでさえ魔物兵の数が少ないから。魔人の私が残ってしっかり守らないとね」

「ほう、なるほどなるほど」

「うん、だから……て、わ、ちょっと何?」

 

 なるほどなるほど、と呟きながら、ランスは小柄なシルキィをひょいと持ち上げて小脇に抱える。

 そのコミカルな姿は、どこからどう見ても彼女をお持ち帰りするポーズだった。

 

「ランスさん、下ろしてってば」

「駄目。一緒に魔王城に帰るぞ」

「だからね、私にはここでやる事があるんだって」

「違う、違うぞシルキィ。君のやるべき事はこんな所で油を売る事では無く、城に帰って俺様の相手をする事だ。そういう約束だったろう」

 

 身体を揺すって抗議するシルキィだが、しかしランスはまったく取り合わない。

 彼にとってシルキィはすでにものにした自分の女の一人。魔王城はランス城と比べると女性が少なく、日々のお相手の選択肢に乏しい現状、ここで彼女を失う事は避けたかった。

 

「大体、その為にムシ野郎を引っこ抜いたようなものなのだから、面倒事は全部あいつにやらしとけ。あいつは別に城に居る必要は無いからな」

「あ、あのねぇ。……それに、さっきあんなに何度も……。いい加減に少しは飽きないの?」

 

 自分の正常な感覚に言わせると、先程少なく見積もっても一週間分は味わったような気がする。あんなに発散してからまだ二時間も経っていないのに、よくもまぁそういう話が出来るものだ。

 シルキィはそんな思いから、半ば答えは分かりつつも飽きないのかと聞いたのだが、対するランスの返答は彼女の意図とは少し異なるものだった。

 

「飽きない。君は俺の性欲に付き合えるだけの体力があるし、なによりセックスの途中からとても情熱的になってくる所がグッドだ」

「……いや、あのね、そうじゃなくて……」

「うむ。エロエロなシルキィちゃんの事を、俺様が飽きる筈など無いだろう。君はもっと自分に自信を持ちたまえ」

「……う」

「まぁ確かに、君はちっこいから少々サイズが合わないってのはあるが、俺はそんな事は全く気にしないし、無理やり突っ込むってのもそれはそれで中々……て、どした?」

 

 ふとランスが見てみると、シルキィは顔を俯けたまま「うー……」と、彼女の口からはあまり聞き覚えのない声で唸っていた。

 シルキィは性行為に対してという意味で問い、しかしランスは彼女自身に対してという意味で受け取った結果、返ってきた言葉がどうやら色々予想外に刺さったようである。

 

 シルキィは自身を戦士だと思っている。なので戦いで活躍する自信はあるものの、そういった面においての自信は全く持ち合わせていない。

 起伏の乏しい自分の身体に惹かれる者など居ない筈で、それが証拠に約1000年近くもの長い年月に渡って未経験を貫いた。その結果彼女は羞恥心すら薄れてしまった始末である。

 

 そんな女性的な魅力が皆無な自分の事を、飽きもせずに熱烈に求めるランスの言葉に、不覚にも心を揺らしてしまったシルキィは、色付く頬を背けながら小さく呟いた。

 

「……ガルティアが来たら交代で戻るから、それまでは我慢して」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして適当な魔物兵に運転させたうし車は、その後すぐにサイサイツリーを出発して、途中でキトゥイツリーを経由し、およそ一日近くを掛けて魔王城へと辿り着いた。

 

 車を下りて、城門を越え、城の入り口をくぐって城内へ足を踏み入れる。

 早速ワーグに会いに行こうと思ったランスは、そこらに居た適当な女の子モンスターにワーグについて聞いてみた。しかし誰一人として知る者はおらず、皆その質問には首を傾げる。

 

 どうやらその魔人についての詳しい話は、魔物達には伏せられているらしい。

 その事に気付いたランスは、先に城に戻ったホーネットならば知るだろうと思い、最上階にある彼女の部屋に向かう途中で、真っ赤なポニーテールを揺らす魔人と出くわした。

 

「おぉ、サテラ」

「む、ランスじゃないか。帰ってきたのか」

 

 魔王城にてお留守番をしていた魔人サテラ。

 久しぶりに会った彼女との再会の挨拶もそこそこに、ランスはワーグの事について尋ねてみる。

 

「……あぁ、ホーネット様から聞いたぞ。ワーグの事を倒さなかったんだって?」

「みたいだな。俺様知らんけど」

「知らん? 知らんって、ランスが戦ったんじゃないのか? なら、お前は何をしてきたんだ」

「……ぬ?」

 

 果たして今回、自分は何をしたのだろう。

 ランスは首を傾げて考えてみたものの、重要な部分には記憶に霞がかかって思い出せず、今回自分が活躍した一番の事柄を挙げるとするならば。

 

「何をしてきたと言われると……セックス?」

「……いつも通りか」

 

 今朝の出来事しか印象に残らず、どうにも歯切れの悪いランスの言葉に対して、サテラの呆れ顔もいつも通りだった。

 

「どうやらその様子だと、案の定お前はシルキィに沢山面倒を掛けたみたいだな」

「それは俺様が悪いのではない、面倒見の良いあの子が悪いのだ。……で、サテラよ。お前はワーグちゃんには会ったのか?」

「ううん、サテラは会ってない。ホーネット様は会いに行ったみたいだけどな」

 

 派閥の主たるホーネットは、昨日魔王城に帰還したそのままの足でワーグに会いに行った。

 サテラが聞いた話では、専らその姿を一目確認するのが目的であって、少し会話をしただけですぐにその場を後にしたらしい。

 

「そういえばホーネット様が言ってたけど、ワーグの奴、なんでもアワッサツリーに行く予定だとか」

「……何ツリーだって?」

「アワッサツリーだ。ランス、前にサテラが説明してやっただろう。もしや覚えてないのか?」

「おう、覚えとらん」

 

 どうでもいい事はぽんぽんと頭から忘却していく、そんなランスの堂々とした言葉に「全く……」と、再びの呆れ顔で呟きながら、サテラは魔物界の最北にある魔界都市についての説明をする。

 

 その都市は城から距離があるという地理的な問題もあるが、間に挟む光原を越えるのが困難を要し、簡単に行き来が出来るような場所では無い。

 そんなアワッサツリーに関しての説明を受けたランスは、納得のいかない様子で眉を顰めた。

 

「んあ? それでは会えなくなってしまうではないか。何故そんな場所に行くつもりなんじゃ」

「さぁ? そこまではサテラは知らない。本人に直接聞いてみたらどうだ」

「……それもそうだな。で、肝心のワーグちゃんの居場所は何処だ」

「あぁ、それなら……」

 

 その事も派閥の主から聞いていたのか、サテラは近くにあった窓を開けて北の方角を指差す。

 

「あの辺にあるテントの中に居るって」

「よし」

 

 ランスはワーグの下へと向かう事にした。

 

 

 

 

 



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ワーグとの初顔合わせ

 

 

 魔王城に帰還したランスは、部屋に戻って一休みを挟む事すらせず即座に城を出発した。

 

 魔物界に乗り込んでから早三ヶ月。魔王城近辺の歩き方を覚えるには十分な時間である。

 さらにはここらに居る魔物達は全てホーネット派に属しており、彼らがランスの存在をその立場も含めて正確に認識するのにも十分な時間であり、魔物界とはいえ道に迷ったり魔物との戦いになったりする事は無く。

 

 魔王城から北の方角へと向かって、えっちらおっちらと歩く事、およそ一時間弱。

 

 

「……あれか?」

 

 進むにつれ次第に空に止むこと無く雷鳴が響き、そろそろ雷が降りそそぐ危険なエリア、光原に差し掛かろうかと言った所で、ランスの視界に捉えたのはぽつんとあった一つのテント。

 

「……あー、あれだ。間違いねぇ」

 

 元からそこにあったのか、あるいは当人の持ち物なのか。いずれにせよそのテントに目的の相手が居る事は、誰に何を聞かなくてもすぐに分かった。

 何故ならそれに近づくにつれ、頭を揺らすような眠気と甘い香りが漂ってきたからである。

 

「……よっしゃ」

 

 入り口の前で一度両頬を強く叩き、全身に残る眠気を吹っ飛ばしたランスは、いざ行かんと足を踏み入れる。

 

 

「お? ……おぉ!!」

 

 一部屋程の大きさのテントの中に居たのは、

 

「………………」

「あ、ワーグ!! 遂に待ちわびていた人が来たみたいだぜー!!」

 

 一見すると魔人とは思えないような可憐な少女と、ふわふわしたイルカのような謎の生き物。

 ランスはようやく、二週間以上も前から会いたいと望んでいた、魔人ワーグと顔を合わせた。

 

「君が魔人ワーグちゃんか! 確かにハウゼルの言う通り、可愛らしい子ではないか!!」

 

 雪のような白い肌やクリーム色の髪、独特の光沢の瞳など何処か浮世離れした印象を与えるその魔人は、若干背丈は小さいものの、それでもランスのストライクゾーンに何一つ問題無く突き刺さった。

 

「ランス、……私に会いたかったそうね?」

 

 私は別にそうでも無いけど? と、そんな事を言いたげな様子でワーグは少しそっぽを向く。

 先の可愛いという言葉が効いたのか、地肌が白い彼女の頬はとても分かり易く紅潮していた。

 

「うむ、会いたかったとも。ひじょーに会いたかったとも」

「ふーん……」

「君に会う為に、俺様がどれだけ苦労した事か。あれはまさしく地獄だったぞ」

 

 どこかそわそわした様子で、自分の髪を指先でくりくりと弄るワーグの一方、ランスは脳裏にモスの迷宮内での辛かったあの日々を思い出す。

 

 ただひたすらに、記憶が飛んでしまう程にセックスを我慢した、それも今では良い思い出。

 と言える程にまだ消化出来た訳では無いが、とはいえ無駄な日々では無かったなぁと、ランスはこうしてワーグに会った事で実感が湧いていた。

 

「ま、あの地獄を耐えた事で、君を前にしても眠くならずに起きていられるようになったのだがな」

 

 以前はワーグと会う所か、その姿が見える距離にまで近付く事すら出来なかったランスだったが、今ではこうして彼女と顔を合わせ、お喋りが出来る程に近づく事が可能になった。

 

  どうだ凄いだろう、と胸を張るランスの姿に、しかしワーグはそっけない視線を送る。

 

「……でも、そうは言っても本当は眠いでしょう」

「いや、眠くない」

「嘘言わないで。ランスも本当は眠くなってるはずよ。なんせこの距離だし」

「いーや、眠くない。俺様が眠くないと言ったら眠くないのだ」

 

 ランスはこっそり自らの太腿を思いっきり抓り、結果そこには内出血の跡が出来上がっていたが、そこは男の意地、表面上は全く眠気など感じていない体で振る舞う。

 

 ランスがワーグにある程度の距離まで寄れるようになった理由としては、レベルが上昇した事により最低限の抵抗力が身についたという点が一つ。

 だが一番大きな理由として、ランスはあの地獄の禁欲期間を耐え抜いた事で、ちょっとの事では動じないような強い忍耐力が身に付いたのだった。

 

 

「改めてワーグよ、俺様はランス様だ。是非仲良くしようではないか。ほれ」

「……なに?」

 

 少し遅れた初対面の挨拶と共に、ランスは左手をぐっと前に差し出す。

 だが長い年月孤独な日々を過ごしたその魔人には、どうやらその意図が伝わらない様子だった。

 

「何じゃない、手だ。手を出さんか」

「え、あ……うん」

「うむ、握手握手っと。よし、これで俺と君は友達だな」

 

 おずおずと言った様子で差し出された、ワーグの小さな手をランスの大きな手がぎゅっと握る。

 

 ランスはサイサイツリーを出発する際に、あまり考えたくは無いが出会っていきなり襲い掛かる可能性もあるのでは。と、そんな事を危惧したシルキィから「ワーグと友達になってあげてね」と、念押しされていたのである。

 なのでこうして握手一つ、ランスとワーグは友達になった。

 

「……て、友達ってこんな簡単で良いの?」

「あっさり友達になれちゃった! ワーグが色々考えていた事、全部無駄になったなー」

「……そういやワーグよ、この奇妙な生き物は一体何じゃ」

「この子はラッシー。私のペットよ」

 

 主人に巻き付く綿菓子のようなふわふわの身体に、ギザギザの牙が生えた大きな口。

 ワーグのペット、夢イルカのラッシー。彼、あるいは彼女とは、ランスの記憶には残っていないものの、二人は数日前に死闘を繰り広げた仲である。

 

「ケケケ、ランス。仲良くしろよなー」

「イルカと仲良くしてもなぁ。俺様はワーグと仲良くなりに来たのじゃ」

「んなつれない事言うなよー」

「ええい、寄るんじゃない、暑苦しいだろ。……あ、そうだそうだ」

 

 イルカの事など心底どうでもよかったランスは、ふと思い出した様子で声を上げる。

 ランスはワーグに会ったら絶対に問い詰めねばならぬと、そう決めていた事があった。それは城でサテラから聞いた、ランスが納得いかなかったあの件に関してである。

 

「そういやワーグ、俺様聞いたぞ。お前、何たらツリーだか言う場所に行ってしまうんだって?」

 

 その言葉に、ワーグの眉がぴくんと動く。その表情も先程よりもやや固くなる。

 正直な所、彼女にとってそれはあまり話題にしたい事ではなかったのだが、聞かれた以上は仕方無いと、小さく息を吐いてから口を開く。

 

「……あぁ、その話。……まぁね。ここから北に進んだ所にある、アワッサツリーに行く予定よ」

「一体何故に。せっかく仲良くなったのにそれでは寂しいではないか」

「え……」

「なんだよ」

「あ、ううん。そ、その……」

 

 寂しい。自分が100年以上も胸に秘めていたその言葉を、よもや相手に言われるとは微塵も思っていなかった彼女は言葉に詰まる。

 

 ワーグは今ケイブリス派において死んだものとされている筈なので、身を隠す為にとアワッサツリーに行くつもりなのだが、それは言わば敵から逃げたい、隠れたいという臆病な心の表れであり、あまり声を大にして言えるような理由では無かった。

 

「私はケイブリス派を抜けたから、その。あまりこういう所に居ると、あの……」

「あん? こういう所に居ると何なんじゃ」

「……ラッシー」

 

 ワーグはぽふりとペットのふわふわの身体に触り、説明役をバトンタッチ。

 

 

「しゃーねぇなぁ。ランス、よく聞けよ?」

 

 自分の口で話すのを諦めてしまった主人に代わり、饒舌なペットが事を説明する。

 ワーグがアワッサツリーに行こうとする理由、その経緯を知ったランスは「くだらん」と一言、大層呆れてしまった様子で肩を竦めた。

 

「何かと思えばそんな事か。ワーグよ、そんな理由で遠くに行くなどアホらしいと思わんのか」

「アホって何だー!! ワーグだって結構悩んだ末に、渋々ながら決めたんだぞー!!」

「……と、イルカは言っとるようだが」

「……けど、もう決めた事よ」

 

 ペットに余計な心情まで語られてしまったワーグは、ランスの視線から少しだけ顔を背ける。

 彼女だって殊更にアワッサツリーに行きたいと思う訳では無い。だが、アワッサツリーに行った方が色々と安全なのは事実であるし、加えて言うと理由がもう一つ。

 

「……もし私がケイブリスに見つかったら、シルキィも困るだろうしね」

 

 自分を守ると宣言してくれた、自分に対して優しく接してくれた、あの魔人四天王に迷惑を掛けたくない、彼女はそんな思いを抱いていた。

 

 普段から厚着をして能力を抑制したりと、ワーグは自身が周囲へ与える影響をとても考慮する。

 彼女は孤独故に、相手に嫌われたくないと思う気持ちが人一倍強かったのだが、そんなワーグに対してランスは鼻で笑うような仕草を見せた。

 

「あのな、シルキィちゃんはそんな事気にしないっつーの。あの子は守る事が大好きなんだから」

「でも……」

「でもじゃない。あの子がそう言うなら甘えときゃ良いのだ。それにだ、俺様にはもっと引っ掛かっている事がある」

 

 思い悩み、顔を床に伏せてしまったワーグに向けて、ランスはピシっと人差し指を突きつける。

 彼が一番不快に感じたのは、自分とワーグの距離を遠ざけようとする元凶、あの魔人の存在。

 

「ワーグよ。さっきから聞いてりゃ、そもそもお前はケイブリスを怖がり過ぎじゃ。あんなんを怖がって遠くに逃げる必要など一切無いわ」

「……ランス。あなたはケイブリスの事を知らないからそう言えるのよ。あの男は……」

 

 魔王が不在である今の魔物界において、恐らくは魔人筆頭をも超える最強の存在。

 それがケイブリスに対するワーグの認識であったが、一方で彼女以上にその魔人の強さを知るランスは、不満げな様子で口元をへの字に曲げた。

 

「別に知っとるっつーの。だがあんなもん俺様にとっては恐れるに足らんわ。大体、俺様はすでに一度あいつをぶっ殺してる訳だしな」

「……どういう事よ、意味が分からないわ」

「とにかく!!」

 

 その辺は説明しようが無い部分なので、ランスは声を張り上げて強引に話を紛らわせる。

 シルキィが予想した通りに、ランスはワーグをアワッサツリーに逃がすつもりなど毛頭無かった。

 

「いいかワーグ、あんなリス如きを恐れる必要は無い。よって遠くに行く必要も無い」

「……けど」

「けどじゃねぇっつの。ま、それでももし何かあったら仕方無い、そん時は俺様が守ってやっから」

「……ランスが?」

 

 その言葉に、ようやくワーグは伏せていた頭を上げ、ランスと真正面から向き合う。

 その顔は、前に仲良くなりたいと宣言された時と同じで、至極真面目な表情だった。

 

「おう、最強無敵の俺様がお前を守ってやる。てかそう考えりゃ、遠くより俺様のそばにいた方が安全じゃねぇか。だから俺様のそばに居ろ、いいな?」

「………………」

 

 ごくりと、思わず生唾を飲み込むワーグの頬が、分かり易く紅潮していく。

 彼女はとっさに言うべき言葉が浮かばず、この場はだんまりを決め込もうとしたものの、一方で傍らに居るペットの口は実に雄弁であった。

 

「て、て、照れるー!! 恥ずかしいよー!!」

「イルカにゃ言っとらんっつーの」

「……ラッシー、黙りなさい」

 

 ペットに黙秘を命じたワーグは、少々熱を帯びてしまった頭で考える。

 

 魔人四天王のシルキィならともかく、人間であるランスにあのケイブリスから守ってやると言われた所で、一体どれ程の意味があると言うのか。

 そう思う気持ちはある。なのだが、自身の強さに一片の疑念も持たない、自分の言う事は絶対だと信じきっているランスの表情。

 強い自信に溢れたその顔を見ていると、問題無いのかもと、それが正解なのかとも思えてくる。

 更に言ってしまうと、そもそもワーグは久々に出来たランスという名の友達のお願いを、無下に出来る程に冷たい性格はしていなかった。

 

「……分かったわ」

「お」

「ランスがそこまで言うなら仕方無いわね、アワッサツリーに行くのは止めにする」

 

 元より別に行きたかった訳では無い。この魔王城近郊に比べたらより安全という程度の話で、危険が全く無いという訳でも無い。

 自分に会う事を熱望していたらしいランスに会って、引き止めて欲しいと思う気持ちが全く無かったかと言えば嘘になる。

 それが、ワーグの素直な思いだった。

 

 

「その代わり……」

 

 ワーグは一度言葉を区切って、勿体振るように一度こほんと咳払いをする。

 

「……あの」

 

 だが、喉の奥から言葉が出てこない。

 今言おうとしたのは、彼女にとってはそれを言うのに、相当な勇気が必要になる台詞だった。

 

「………………」

 

 ワーグは何故かぱちぱちと瞬きを繰り返したり、にぎにぎと手を握ったり開いたり。

 不自然な仕草を何度か繰り返した後、結局勇気が湧かずに諦めたのか、ペットにそっと触れた。

 

「ラッシー、喋りなさい」

「えー!? これはワーグの口から言えよー!」

「……ラッシー」

 

 彼女は言う事を聞かないペットを睨み付けるが、一方ラッシーは普段通りの飄々とした顔。

 そのペットは主人が思う事を口にしているだけなので、先の言葉はつまり、ワーグ自身が自分で言うべきだと思っているという事になる。

 

「……はぁ」

 

 心の奥では分かっていたその事を指摘されたワーグは、一度深呼吸して心を落ち着けた後、ランスの顔を見れないまま小さく呟いた。

 

「……アワッサツリーに行くのは止めにする。だからその代わりに、ちゃんとランスがあの、私の事をその、まも……」

「ぐがー、ぐがー」

 

 その時、対面の男の口からいびきが聞こえた。

 

 今まで辛抱していたランスだったが、ここにきて遂に甘い香りに敗北を喫し、額を落として夢の世界へと旅立ってしまっていた。

 

「あー!!! 今せっかく恥ずかしい事を言おうとしたのに! こいつ寝てやがるー!!」

「……恥ずかしい事なんて言おうとしてないっ、ラッシー、黙りなさい!!」

 

 

 

 

 

 

 

 小一時間程眠った後に、ランスは目を覚ました。

 

 目を覚ましてみると、何故だかワーグがご機嫌斜めだった事に少々疑問を抱きつつ。

 ランスはその後しばらく、友達になったワーグと何気ない会話を交わした。

 

 

「……だからね、ずっとテント暮らしは嫌なの。前の家にはもう戻れないから、新しい家を立てるのに協力してよね」

「分かった分かった、どうにかしてやる。魔王城には暇な魔物共が大勢居るから、あいつらに働かせりゃ家の一つ位すぐに建つだろ」

「……そういえばランス、あなたってホーネット派の中でどういう立ち位置なの? シルキィは大事な仲間だって言っていたけど……」

「俺様はホーネット派の影の支配者だ。ホーネットより俺様の方が偉いんだぞ?」

 

 それは殆ど実のない、単なる世間話の延長線上のようなものだったが、それでもワーグは長年振りに出来た友人との会話が楽しいのか、その顔は普段より柔和な表情で。

 

「あ、そういやワーグ。お前、ホーネットに会ったんだって?」

「……えぇ、まぁ」

「む。その元気無さそうな様子……、さては怒られたのだな? 叱られたのだな?」

「別に、叱られてはいないわ。……その、ちょっと睨まれただけよ」

「あぁ、あいつの睨みはおっかないからな……。俺様もその気持ちは分かるぞ、ワーグよ」

 

 そんな事を話しながら、楽しい時間はゆったりと過ぎていき。

 

 

 

「……あ」

 

 何かに気付いた様子で、ワーグはランスから視線を外してテントの入り口の方に目をやる。

 そして一度目を瞑り、胸に湧いた寂しさを押し殺しながら口を開いた。

 

「ランス、そろそろ帰った方がいいかも。外が暗くなってきたわ」

「お? おぉ、ほんとだ」

 

 ランプで灯しているテント中では外の状況が分かりにくいが、すでに差し込む光も消え失せ、夕食の時間が近くなっていた。

 

「んじゃあそろそろ……」

「帰っちゃうのー? 寂しいなー、また来いよなー!」

「いんや、帰る前に一つやる事がある」

「やる事?」

 

 別れを惜しむラッシーと、首を傾げるワーグ。

 そんな一匹と一人を前にして、ランスはいよいよ事の本題を切り出す事にした。

 

 ランスがここに来た本当の目的。それはワーグと仲良くなる事でも、会話を楽しむ事でも無い。それらはあくまでおまけである。

 ランスにとっての一番大事な目的、それは、ワーグと会えたら絶対にするのだと決めていた事。

 

 ランスはおもむろに両手を大きく広げて、そのままワーグに一歩二歩と近づくと、

 

「がばーっと」

「きゃ!」

「わぁー、わぁー!!」

 

 小柄なワーグの全身を覆い隠すように、ランスは彼女を力強く抱き締める。

 柔らかい身体とふわふわの髪の感触を味わいながら、勢いそのまま流れるように彼女の事を押し倒し、いざセックスとその服に手を掛けた所で。

 

「……ぐぅ」

 

 頭を埋めたワーグの首元、あるいはその髪から漂ってくる強烈な甘い匂いに耐え切れず、ランスは眠りに落ちてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再び小一時間程眠って、ランスは目を覚ました。

 

「……んあ。俺様、また寝ちまったのか?」

 

 くあー、と大きくあくびをしながら、ぼんやり頭のランスは身体を起こす。

 

「……ランス、起きたのね。ねぇ、その、さっきのは何?」

「まったく、スキンシップが大胆な奴だなー! ワーグは照れ屋さんなんだぞー!」

「……あれ?」

 

 落ち着かない様子のワーグと、ぷりぷりと怒る夢イルカの声は、ランスの両耳をすっと通過する。

 この時すでに、ランスの頭にはとある嫌な考えが浮かんでいたのだが、眠気と共にその疑念をふり払うかの如く、乱暴に首を横に振って。

 

「ちょっと、聞いてるの?」

「ワーグよ、かもんかもん」

「……何なの?」

 

 おいでおいでと手招きするランスの姿に、訝しむワーグは一瞬悩んだものの、それでも彼女はちょこちょことランスのそばに近づいていく。

 

 そして。

 

「ぎゅーっと」

「ちょ、ちょっと!」

 

 ランスは再びワーグにハグ。

 

「……すやぁ」

 

 そして、再び眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本日3度目、またまた小一時間程眠ったランスは目を覚まし、そして思った。

 

(……あれれ? 俺様、これどーやってワーグの事を抱けばいいんだ?)

 

 ランスは以前より成長した。

 魔人ワーグと会話が出来る、あるいは戦える程の距離にまで寄る事が出来るようになった。

 

 しかし性交を行うには今より更に近づかねばならず、加えて言えばそれ相応に時間も要する。

 つまりワーグとセックスをする事は、彼女とお話をしたり、戦う事よりも遥かに困難となる。

 

 その事実に、ランスは遂に気付いてしまった。

 

 

 

 

 



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難敵への挑戦

 

 

 ある日の魔王城。

 では無くて、城の近辺にある新築の小屋。

 

 ぴんぽーん、と軽快な音のチャイムが鳴らされ、来客に気付いたその魔人は玄関まで走る。

 

「よう、ワーグ」

「いらっしゃい、ランス」

 

 そこに居た訪問客の口の大きい顔を見て、その小屋の家主たるワーグの口元が微かに綻んだ。

 

 

 

 

 ここは魔王城郊外、城から一時間程の距離にある小規模な森の中。

 危険な魔界植物を伐採して切り開かれた場所に建てられたこの小屋は、魔人ワーグの新居である。

 

 ケイブリス派から離脱した事により、ワーグは住処を移す必要に迫られた。

 そんな彼女の為にと、ランスが自らの有する使徒の権力により号令を掛けて、城に居た力自慢の魔物兵達を不眠不休で働かせた結果、一週間も掛からずにその小屋は完成したのだった。

 

 

「何か飲む?」

「あぁ、何か冷えたヤツをくれ」

 

 ワーグは備え付けの魔法冷蔵庫から新鮮な牛乳のパックを取り出し、2つのコップに注ぐ。

 小屋の中の家具や備品、食料などの消耗品はウルザの手配によって人間世界から運ばれており、結果彼女は何不自由無くこの小屋内で暮らしていた。

 

「にしてもランス。あなた、最近本当に良くここに来るわね。もしかして暇なの?」

「ワーグよ、俺様はホーネット派の影番だぞ。影番ってのはいざとなったら大活躍するものの、そうでない時はゆったりまったりしているもんだ」

 

 せせこましく働くのは部下の仕事だからな、とそんな事を言ってがははと笑った後、ランスは牛乳をぐいっと飲み干す。

 初対面の日以降、ここ最近のランスはワーグの下に何度も足しげく通っていた。その理由は当然、未だに達成出来ていない当初の目的を完遂する為。

 

「……でな、ワーグよ」

「なに?」

 

 食卓の椅子に掛けるワーグ、そして彼女の身体に巻き付く夢イルカ。そんな二人の対面に座るランスは本題を切り出す事にした。

 

「最近の俺様はここに通い詰めだろう。だから、ワーグとは随分仲良くなった筈だ」

「うんっ! そう思うー!!」

「……さぁ、どうかしらね」

「イルカの言う事が正しい。もう俺達はとっても仲良しこよし、いや、大親友と言ってもいいな」

 

 うむうむ。と、そういう事にしたいランスは大袈裟な仕草で頷く。

 ワーグとはもう十分に仲良くなった。ならば次にするべき事と言えば。

 

 

「という事でワーグよ。俺様とセックスをしよう」

「………………」

 

 唐突なその言葉の意味が理解出来なかったのか、ワーグは2、3秒の間ぽかんとして。

 

 

「ごめん、もう一回言ってくれる?」

「だから、俺様とセックスをしようっての」

「………………」

 

 聞き間違いじゃない事を知ったワーグは、ランスの言う事の意味を正しく認識して。

 

 

「な、ななな……!!」

 

 その顔全体が、一瞬で綺麗な赤色に染まる。彼女は地肌が真っ白な為その変化がとても分かり易く、思わずランスも「おぉ」と呟いた。

 

「な、なんで、何で急にそんな話に……!?」

「だって、俺達はとても仲良くなった訳だし、なら次にする事と言えばセックスしかあるまいて」

「そ、そうとは限らないんじゃ……」

 

 ランスお得意の飛躍した発想に、とても付いていけないワーグは首を横に振るものの、しかし相手はまったく止まらない。

 

「いいや、そうと限る。俺とワーグがこれ以上仲良くなる為には、もうセックスしかないのだ」

「そ、そうなの!? ど、どうする、どうするワーグ!?」

「ら、ラッシー! 黙りなさい!! 別にどうもしないわ!!」

 

 うるさく騒ぎ立てる自分の心、それを代弁するペットを黙らせて、ワーグは一度大きく深呼吸。

 確かにランスの言う通り、最初は不安だったけどとても仲良くなれた、それはとても喜ばしい。そのように思う心は確かにあるが、しかし性行為をしたいと思った事は一度も無い。

 彼女は長きに渡る孤独故に性交の経験が無く、そういう事を意識する感覚が無かったという事もあるが、それ以前に大事な理由が一つ。

 

「……しないわよ、セックスなんて。私とランスはその、友達でしょう。なのにそんな……」

 

 自分とランスはあくまで友達、友人関係である。よって性行為をするような間柄では無い。

 当然のようにそう思うワーグに対し、しかし当然のようにそう思わないランスは「ちっちっち」と、前につき出した人差し指を左右に振った。

 

「ワーグよ、その認識は100年古いぞ。昨今のナウなCITYボーイやガール達にとって、友達だったらセックスの一回位は普通にするもんだ」

「……え」

「えぇー!? そ、そうなのー!? そんな事知らないよー!!」

「そうだとも。考えてもみろ、セックスとはお互いが気持ち良くなれる素晴らしい事だ。なら、友達同士でする事に何の問題がある?」

「け、けど……!」

 

 本来、性行為とは子を成す為に行う事であり、ならば友達同士で行うには色々問題があるのでは。

 ワーグは絶対にそうだと思うのだが、確かに自分が人間だったのはもう100年以上も前の話、以後は魔物の森の中でひっそり暮らしていた為、今の人間世界の常識には疎い所がある。

 

 友達同士でなんて有り得ない。そういう事はちゃんと恋人になって、何度かデートを挟んだ後で。そのように思う自分の感覚はもしやもう古いのだろうかと、内心で狼狽するワーグ。

 一方で先程適当に思い付いたデタラメをぶっこいたランス。彼にとって女性との関係とはどのようなものでも構わないのだが、とにかくセックスだけは欠かせない要素であった。

 

 

「なぁワーグ、ものは試しだ。とりあえず一度、俺とセックスをしてみようではないか」

 

 椅子から立ち上がったランスはワーグの隣まで歩いてくると、彼女の退路を断つかのように、その小さな両肩にぽんと手を置く。

 

「な? 良いだろ? な! な!!」

「……う、その……」

 

 ぐいぐいと顔を近づけてくるランスから、どうにか顔を背けるワーグの頭は一杯一杯。

 彼女にとっては突然に降って湧いた話であり、今日ここでいきなりランスと性行為に及ぶかどうか、悩んだ所で答えなど出そうも無かった。

 

 いきなり過ぎて覚悟が全く決まっていないので、受け入れる事はちょっと無理そう。

 しかし一方で明確に拒絶するとなると、それを相手がどう思うか、自分と距離を置いてしまわないかがどうしても怖い。

 なのでワーグはもっと根本的な話をして、ひとまず今日の所はご遠慮願う事にした。

 

 

「……けど、そもそも無理でしょう」

「無理だと?」

「ランス。あなたがこうして私の前で起きているのは凄い事だけど、もう限界のはず。……その、そういう事をしようと思ったら、今より更に近づく必要がある。その意味、分かるでしょ?」

「……むぐっ」

 

 思わず口篭るランスも内心では気付いていた事であり、かつ未だに解決策が見つかっていない事。

 

 ワーグの能力の元となる眠りのフェロモンは、彼女自身の身体から発せられる。性行為に及ぼうと思ったら今より身体を密着せねばならず、今より何倍もの眠気がランスを襲う。

 数日前に何度か試してみたものの、結局どうやってもランスは耐え切れずに眠ってしまい、その後どうにか出来ないかと色々考えてはみたが、まだ有効な方法を閃いてはいない。

 

 しかし、とはいえ諦める事も出来ないので。

 

 

「……よーし。なら、無理かどうか、もう一度試してみようじゃねーか。よっと」

「わっ」

「きゃあー、何するのー!?」

「こら、イルカは邪魔だ、離れてろって」

 

 ワーグの事を片腕でひょいっと抱え上げたランスは、しっしとペットを手で払い除け、そのまま彼女を部屋の隅にあるベッドの上まで運ぶ。

 

「ちょ、ちょっと!?」

 

 これから何をされるかを考えたのか、真っ赤な顔になってしまったワーグの事を、背後から抱き締めるような格好でベッドに腰掛けたランスは、まずは彼女が首に巻くマフラーに手を伸ばす。

 

「さーてぇ、いっちまーい、にまーい、と!!」

 

 軽快な音頭を口ずさみながら、最初にマフラー、そして次はコートの上着と、ランスはぽいぽーいとワーグの事を次々に脱がしていく。

 

「ら、ランスっ! や、止め……!!」

「知らーん、聞こえーん!!」

 

 ワーグの文句や抵抗などなんのその。彼女が身に付けていた肌着も放り捨て、いよいよ柄付きの下着にランスの手が掛かった所で。

 

「……ぐ、ぬぉ……」

 

 彼女の露出した白い肌から放たれる、強烈な甘い匂いに脳を揺さぶられ、ランスの頭が糸を切ったように、がくっと落ちる。

 

「……ぐがー、ぐがー」

 

 そしてすぐにその口からいびきが聞こえてくる。今回も以前と同じく、ワーグとベッドインする前に眠りの誘惑に屈してしまった。

 

 

「……ほら見なさいな」

 

 自分の肩にずっしりとのし掛かる、ランスの頭の重みと穏やかな寝息を感じながら。

 

「……はぁ」

 

 未遂で済んで安心したのか、あるいはそれとも別の理由か、ワーグは大きく嘆息する。

 するとそんな彼女のそばに、先程除け者にされたラッシーがふよふよと近づいてきた。

 

「……ラッシー、どうしたの?」

 

 受動的、受け身体質のラッシーが、名前を呼んだ訳でも無いのにそばに寄ってくるのは珍しい。

 

 何事だろうかとワーグが疑問に思っていると、ラッシーは自らその綿菓子のような身体を飼い主の手に触れさせるように、近くまで寄ってきて。

 

「ケケケ、ワーグ、残念だったな!! ランスに嫌われた訳じゃないからあんま落ち込むなよー」

「ラッシー!! 私、そんな事思ってない!!」

 

 

 

 

 

 その日は結局、目的だったワーグとのセックスは出来ずにランスは退散する運びとなった。

 

 やはりワーグには手が出せない。彼女の内心の気持ちの部分、自分に対する好感度的には多分問題無いなと思うランスなのだが、しかし物理的に近づけないと言うのは如何ともし難い。

 

 だがそれでも先にも述べた通り、諦めるという選択肢はその男の中には無い。

 ランスは普段はあまり役に立たない、しかし土壇場では並外れた閃きをする事もある、自らの頭脳を捻りに捻って、幾つか作戦を絞り出し。

 

 

 

 

 

 そして、またある日。

 

 ぴんぽんぴんぽーん。と、軽快な音のチャイムが今日も鳴る。

 

「よう、ワーグ」

「いらっしゃい、ランス」

 

 玄関扉を開いたワーグの目に映ったのは、やはりランスの姿であった。

 

 

「何か飲む?」

「いや、今日はいい」

 

 小屋の中に入ったランスは、いつものように椅子に腰掛けて、いつものようにまったりとくつろぐ事はせずに、早速とばかりに要件を告げた。

 

「それよりワーグよ、セックスするぞ」

「………………」

「こ、こいつー! 会っていきなり言う事がそれかよー!!」

 

 思わず閉口してしまう自分に代わって、雄弁に語ってくれるふわふわのペットをぎゅっと抱き締めながら、頬を赤らめたワーグは小さな溜め息一つ。

 

「……だから、無理だって言っているでしょう。この前試してみたじゃないの」

 

 こうして会話が可能な程に、ランスはワーグのそばに近づく事が出来る。本来はそれすら普通の人間には出来ない凄い事ではある。

 だがそんなランスでも、彼女の肌に触れる程に距離を詰める事は出来ない。その事はすでに検証実験によって証明済み。

 

 よってランスとはあくまで友達。性交渉などは抜きにして、友達としてこれからも仲良くしたいと思うワーグの一方、それでは我慢出来ないランスはその顔に不敵な笑みを浮かべていた。

 

「いーや。ワーグよ、無理じゃないのだ。なんたって今日は秘密兵器を連れて来たからな」

「秘密兵器?」

「うむ」

 

 大仰に頷くランスの背後。そこに見覚えの無い、どこか不思議な雰囲気を持つ少女が居る事に、ワーグはようやく気付いた。

 

「ランス、その子は?」

「そうだ、紹介してやろう、こいつは……」

「私はシャリエラ。ランスに仕える人形です。ぺこり」

 

 主たるランスの紹介してやろうという言葉をガン無視して、その少女シャリエラ・アリエスは、自己紹介と共に小さくお辞儀をする。

 

「あ、どうも」

 

 釣られるようにお辞儀を返すワーグだったが、その顔には先の言葉への疑問符が浮かんでいた。

 

「……それで、秘密兵器って? この子が一体どうかしたの?」

「どうかするのだ。こいつはな、ただの妙ちくりんなだけの踊り子では無いのだよ」

 

 くっくっく、と笑うランスの脳が弾き出した、ワーグを抱く為の作戦その1。

 シャリエラの秘める特殊な力を使って、ワーグの眠気に対抗しよう。というものである。

 

 ランスの言葉通り、シャングリラから連れ帰ってきたこのシャリエラは、単なる踊り子では無い。

 達人級ともなる踊りの才能を有しており、彼女の奇跡の踊りには対象を絶好調にする力がある。

 

 例えばそれを戦闘時に使用すれば、活力が湧きに湧いて必殺技を連発出来たりなど、その踊りの効果が凄まじい事をランスは前回の経験で学習済み。

 よってそのサポートを受けられれば、ワーグを抱く事もきっと可能だろう。そう考えたランスは、シャリエラの事を魔王城から連れて来たのである。

 

 だが。

 

 

「さぁシャリエラよ、お前の真の力を解き放つ時が来たぞ!!!」

「くぅ、すぴー」

「て、いきなり寝てんじゃねー!!」

 

 作戦その1は失敗に終わった。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そして、またまたある日。

 

 ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん。と、軽快な音のチャイムが連打される。

 

「いらっしゃい、ランス」

「よう、ワーグ。セックスするぞ」

 

 ワーグの小屋を訪れたランスは、ついに開口一番そう告げた。

 

「うわぁ、しつこい! こいつ全然諦めてねぇ!」

「……本当に懲りないわね。と言うか、せめて家の中に入ってからにしなさいよ。まったく……」

 

 玄関で言う事では無いでしょう。と、溜息を押し殺したワーグは友達を家の中へと招き入れる。

 この展開にもそろそろ慣れたのか、今日のワーグはその顔にどこか強気な笑みを浮かべていた。

 

「それで、今度は何を考えてきたの? どうせ無駄だとは思うけど、聞くだけは聞いてあげる」

「いいや、ワーグよ。今日こそはお前を抱く。今回の作戦はとっても自信があるぞ」

「……へぇ」

 

 興味深そうに見つめるワーグを前にして、ランスはズボンのポケットに手を突っ込む。

 

「今日はお前とセックスする為の、秘策中の秘策を持ってきた。それがこいつだ!!」

 

 そこから取り出したのは、見た目は何の変哲もないただのお団子。

 だが微かに発せられるどす黒い邪気といい、不思議とそれは異様な存在感を放っており、思わず魔人たるワーグも一歩引いて身構えてしまった。

 

「……なにそれ?」

「くっくっく。こいつは香ちゃん特製団子だ。前にムシ野郎が言っていた事を思い出してな。こいつを食えば眠気などイチコロよ……!!」

 

 ぱくり、とランスはその団子を一口齧り。

 

「あんぎゃーーー!!」

 

 そして、泡を吹いて倒れた。

 

 

 ワーグを抱く為の作戦その2。香姫特製団子を食べてみるのはどうだろう。

 その奇抜過ぎるアイディアを実践してみた所、ただの服毒自殺と何も変わらないものだった。

 

「ちょ、ちょっとランス!? 大丈夫なの!?」

「あわわ、救急箱はどこどこー!?」

 

 白目を剥き出し、がくがくと全身が痙攣し始めるランスの様子に、パニックに陥るワーグ。

 

 その後、彼女の必死の介抱の甲斐あって、ランスは何とか一命を取り留めた。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そしてまたある日。

 舞台はやはりワーグの家。

 

「……んっ、ぁ……」

 

 木造の小屋の中で、女性の呻き声が聞こえた。

 

「っ、くぅ……ん、」

 

 色気を感じさせる、熱の籠もった声を喉の奥から漏らすのは、少女にしか見えない小柄な魔人。

 肉を抉じ開けながら、異物が中へと割り込んで来る圧力と感触に、彼女は苦悶の表情になる。

 

「ぬぐっ、キツい、な……」

 

 その魔人の背中から覆い被さるような体勢になっているランスは、狭く閉じられた内部へと、自らを強引に押し込んでいく。

 

「ぐ、ぬぬぬ……!」

「うぅ……んっ」

 

 中はじんわりと熱を帯びており、それでいて身動きが出来なくなりそうな程に締め付けが強い。

 それでもランスが力任せに突っ込んだ結果、互いの距離が触れそうな程に近づき、興奮するランスの荒い息が彼女の首筋に掛かる。

 

「もう無理、入らない……」

 

 苦悶の表情は変わらず、その魔人は小さな子供のように何度も首を横に振る。

 彼女は先程から、これ以上は入らない、もう限界だと何度も訴えているのだが、

 

「まだだ。もうちょっと我慢しろ」

 

 しかしランスはそんな要求など聞き入れてはくれず、それどころか更に力を強めて中へとねじ込む。

 

「……もうだめ」

 

 とても強引で、乱暴なランスの行為に対し、遂に彼女は悲鳴を上げた。

 

 

 

「ランスさん、もう無理だってば!! これ以上は入らないから!!」

「シルキィ、もうちょっとだ!! もうちょっとで全部入る!!」

「ちょっとって、さっきからずっとじゃない!!」

「本当にもうちょっと、後は片足だけだから!!」

 

 ごちゃごちゃと言い争うランスとシルキィ。

 そんな二人を、家主は白けた目で見つめていた。

 

「……一体何やっているの、あなたたちは」

「うわーん!! 人の家でイチャつくなよー!!」

「べ、別にイチャついてる訳じゃ……!」

 

 ラッシーの声、と言う名のワーグの心の悲鳴に対して、シルキィは大いに反論したい気分である。

 これは決してイチャついている訳では無く、ランスが自分勝手な事をしているだけだと、彼女は声を大にして言いたかった。

 

「ぐ、ぐぐぐ、ぬぬぬぬ……!」

 

 そうしている間にも、ランスはこれでもかと言うほどに力を込めて、唯一外に残っていた左足も無理やり突っ込み、遂に全てが装甲の中に収まった。

 

「よっしゃ、全部入ったぞ!! シルキィ、すぐに装甲を閉めろ!!」

「……んっ」

 

 装甲の内部にて、外殻と侵入者に挟まれて潰れかけているシルキィは、指を動かして魔法具を操作する合図を出し、ランスの侵入経路として開いていた背中部分の装甲を塞ぐ。

 その結果、装甲内は外部と遮断され、リトルの中にはランスとシルキィの二人が収納された。

 

「ほーれ見ろシルキィ、やってみれば意外と出来るもんではないか。……まぁ、かなりキツい、が」

「……そうね、出来たわね。この中に二人で入れるとは、私も今日初めて知ったわ。……その、もの凄くキツい、けど」

 

 製作者たるシルキィはこの装甲を一人用のものとしてデザインしており、そんな装甲の中に力ずくで二人が入った結果、内部はろくに身動きが取れない程に狭苦しく、かつ息苦しくて暑苦しい。

 これではとても戦闘などは出来そうも無いが、だがそれでもやってやれない事はないのねと、妙な感心をさせられてしまったシルキィの一方。

 

「……お?」

 

 閉じられた装甲内で、ランスはすぐにその変化に気付いた。

 

「おぉ、眠くない!! 確かに眠くないぞ!! さっきより全然違う!!」

 

 完全にと言う訳では無いのだが、それでも隙間無く閉められた装甲によって外気が遮断された為、先程小屋内に漂っていた甘い匂いを、ランスは今殆ど感じなかった。

 

 この効果を見越して、今回ランスは割と多忙な魔人四天王を無理言って連れてきた。

 つまりワーグ抱く為の作戦その3。魔人シルキィの装甲を利用してみよう。という事である。

 

 だが。

 

 

「……そう、それは良かったわね。……ところでランスさん」

「あん?」

「その、ワーグとエッチな事をするのが、ランスさんの目的なのよね?」

「うむ」

「なら、ランスさんはこの中に居る状態で、どうやってワーグとエッチな事をするつもりなの?」

「……あ」

 

 眠気に耐える事が目的では無く、眠気に耐えたままセックスする必要がある。

 その根本的な問題を、いつの間にかランスは履き違えてしまっていた。

 

「………………」

 

 ランスは窮屈な装甲内でどうにか左手を動かし、何となくシルキィの胸をもみもみ。

 

「て、ちょっと」

「シルキィちゃん」

「なに?」

「……帰るか」

 

 ランスは魔王城に帰る事にした。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「がーーー!!! 一体どうやったらワーグとセックス出来るんじゃーーー!!!!」

 

 魔王城への帰り道。

 ランスの魂の叫びは、紫紺色に染まった魔物界の空へと消えていく。

 

「シルキィ、ワーグを抱く方法を教えろ」

「無茶言わないでよ……。あの子を抱くなんて、あの子を倒すよりも難しい事じゃないの」

 

 隣を歩く魔人四天王、自前の装甲と持ち前の根性によりワーグの眠気を克服しているシルキィにも、それに関しての良いアイディアは浮かばない。

 いやシルキィはおろか、恐らくは派閥の主に聞いた所で有効な解決策は無い。そう思える位に、魔人ワーグとセックスするというのは難題であった。

 

「だがシルキィよ。これでは俺様が何のためにレベルを上げたのか、何の為に禁欲なんぞをしたのか、さっぱり分からんではないか」

「私に言われてもねぇ。あの子と仲良くなる事は出来たんだから、意味はあったと思うけれど」

「確かに仲良くなるのは良い事だ。可愛い女の子と仲良くなるのは俺だって大歓迎だとも。けどな、それだけで俺様が満足出来るような奴では無いと、シルキィちゃんなら分かっているだろう」

「……まぁね」

 

 シルキィは実の所、ランスがお仕置きセックスするぞと息巻いていた頃から、こんな事になるのでは無いかと半ば予想していた。

 だがそれを伝えた所で諦める筈が無いし、色々と規格外なランスであれば一縷の可能性が無いとも言えないので、あえて口にはしなかったのだが。

 

「……ぐぬぬ。これでは、俺様がセックス出来ない女が増えてしまったではないか。ただでさえ、まだセックスが出来ないホーネットっつー女が居るってのに」

 

 ホーネット派の主、魔人ホーネットを落とす術も未だ見つかっていないというのに、ここに来てランスの前に、ワーグという名の難敵がもう一人。

 

「……はぁ。レベル上げに禁欲と、色々頑張ったのにセックスが出来ないとは。……俺様がっくし」

 

 今回ランスはシルキィと共にワーグと対峙し、結果ワーグを敵派閥から離脱させる成果を上げた。

 役に立ったかどうかは記憶が無いのでなんとも言えないのだが、それでも自分は働いた訳で、ならば次に待つのはご褒美タイムの筈。

 

 にもかかわらず、ワーグとはセックス出来ない。

 そのショッキングな事実に、肩を落としてずーんと暗く落ち込むランス。

 

「その、なんて言うか……元気だして、ね?」

 

 そんな姿を憐れに思い、せめて慰めてはあげようと思ったのか、シルキィが優しく声を掛けた。

 

 

「ランスさん、頑張って。……その、あんまりこういう事を言うのはどうかと思うけども、諦めなければきっとチャンスがあると思うわ。ワーグもそうだし、ホーネット様とも仲良くなれたじゃないの」

「仲良くなるだけじゃ意味無い……。それにホーネットか、ホーネットもなぁ……」

 

 ひとまずワーグの事は置くとして、果たして自分はシルキィが言うように、あのホーネットと仲良くなったのだろうかと、ランスは気力の足りない表情で考える。

 

 おっぱいにタッチ出来る程に距離が近づいた、きっと後もうひと押しだぜぐふふのふ。

 と、シャングリラへの旅から帰ってきた直後などはそう思っていたのだが、しかし性交が出来ないという現実に打ちのめされた今のランスの思考は、どこまでも後ろ向きになっていた。

 

「……今思うと、あいつの態度もあんま変わってない気がする。ホーネットの奴、俺様がちょっと夜這いを仕掛けただけですぐ怒るし、すぐ睨むし」

「それは貴方の問題だと思うけど……、ホーネット様は理由も無く怒ったりはしないわ。あの方は立場もあってとても厳格な性格に見えるけど、本当は優しい人なんだから」

「そーかぁ?」

 

 ランスはあのホーネットに対して、怖い印象ならあれど優しい印象など全く持ち合わせていない。だがシルキィに言われて少し考えてみると、思い当たる節が無い訳でも無かった。

 

「……まぁ確かに、あいつのドスの利いた目で睨まれた事は何度もあるけど、直接攻撃された事は無いかもしれん。そう考えるとまぁ優しい、のかも? いや、けどなぁ……」

「優しいの。それに、ホーネット様だって結構変わったのよ。ほら、前に私が、一緒にホーネット様に叱られて欲しいなって言ったのを覚えてる?」

「んー?」

 

 一緒にホーネット様に叱られて欲しい、以前シルキィは確かにそんな事を言っていた。

 あれはワーグを探す為にうし車を走らせていたの事で、その言葉の意図がよく分からなかったランスは率直に嫌だと返答した。

 

「あぁ、そういやぁ……。つーかあれ、結局どういう意味だったのだ?」

「あれはワーグの事よ。ホーネット様には内緒で事を進めていたからね。全部任せるとは言ってくれたものの、私は勝手にワーグを倒さない事を決めた訳で、さすがにこれは叱られるかなと思ったのよ」

「なるへそ、そういう事か。んで、一人で叱られるのは怖いから俺様を巻き込もうと」

「……怖い訳じゃないんだけど、ちょっと緊張しちゃうじゃない? ……けどまぁ、結果的にはそれも必要無かったんだけどね」

 

 シルキィはくすりと笑って、その時の派閥の主とのやり取りを脳裏に思い出す。

 

 ワーグとは戦わずに、火炎書士の考えた作戦により派閥戦争から離脱させた。その事に関してはホーネットがサイサイツリーに戻ってきてすぐに、シルキィは全てを詳細に報告した。

 そしてお叱りの言葉を覚悟したが、話を聞き終えたホーネットは「そうですか」と呟き、微かな微笑と共に労いの言葉をかけてくれた。

 

 

「ホーネット様、最初から分かっていたんだって。貴方が私に同行する事になったと知った時から、ワーグを倒す事にはならないだろうって予想していたみたい」

 

 その魔人を倒したらランスがどのように思うか。シルキィが悩んで戦う選択肢が取れなかった一番の理由であるその事を、どうやらホーネットも同じように考えていた。

 それ位にはホーネットもランスの事を理解していたという事であり、派閥に大きな被害を与えたワーグを許す程の理由になったという事でもある。

 

「それに、ワーグがあそこに住む事にも関しても、ホーネットなら思うところがある筈なのに」

 

 今、元ケイブリス派のワーグは魔王城近辺に滞在しており、ワーグがホーネット派に加わった訳で無い現状、危険なのではという見方も出来る。

 倒してしまった方が後腐れ無いのは事実であり、それでもホーネットがその手段を取らないのは、きっとランスの事が気になるのだろう。と、そうシルキィは考えていた。

 

「ホーネット様がそんなに貴方の事を気に掛けるなんて、私とっても驚いたんだから」

「……ほーん、そんなもんかねぇ。じゃあシルキィよ、そんなホーネットを抱く方法を教えろ」

「だからそれはもう、貴方の頑張り次第だって」

「なら、ワーグを抱く方法を教えろ」

「それは……その」

 

 気落ちしてしまった今のランスには、シルキィの慰めの言葉もあまり効果が無かったらしい。堂々巡りにて話が最初の地点へと戻ってきてしまった。

 

「大体ホーネットはともかく、ワーグは頑張ればどうにかなるようなものじゃ無い気がするぞ」

 

 まだ身体を許す程に靡かないホーネットの一方、物理的に接触する事が出来ないワーグに対して、これ以上自分が何を頑張れば良いのか。

 ランスは少々八つ当たり気味に魔人四天王を睨み、そのじとっとした視線を受けたシルキィは顔を明後日の方向に逃した。

 

「そ、そうかな? ……そうかもね」

「だろう? ……はぁ、何か方法はねーかなぁ。シルキィ、ほんのちょっびっとでも可能性があればいいから、何か思い付く手はないか」

「……うーん」

 

 ランスがワーグを抱く為の方法、そんな事をこの自分が考えるというのは正直どうなのか。

 そう思わないでも無いシルキィだったが、ランスの悲痛な訴えを受けて仕方無く頭を悩ませる。

 

 魔人をも眠らせてしまう程のワーグの事を、人間であるランスがどうのこうのする。

 それはもう小手先の策や精神力などで解決出来る問題では無く、もっと根本的に、ワーグの能力が一切通用しないような存在になるしかないのでは。

 そんな考えに至ったシルキィには、そのような存在について一つだけ心当たりがあった。

 

 

「あの子を抱くなんて、それこそ魔王様とかじゃないと……」

「魔王つーと、美樹ちゃんか」

「うん。私が覚えている限りだけど、流石に魔王様にはワーグの能力も効果が無かったはず」

 

 彼女の脳裏にある魔王の姿は、ランスが口にしたリトルプリンセスでは無く前魔王ガイの姿。

 ガイはワーグの事を魔人にした張本人であり、ワーグが人間だった頃、及び魔人となってからも何度も接触している。

 だがその時に眠りの能力の影響を受けた様子は無い。少なくともシルキィの目にはそう映った。

 

「……んじゃあ、俺様が美樹ちゃんに代わって魔王になれば、ワーグとセックス出来るって事か?」

「……かもしれないけど。でも、私が言っといて何だけど、滅多な事を言うもんじゃないわ。一応ホーネット派の魔人なのよ、私」

 

 ホーネット派とは、魔王として覚醒した来栖美樹に、世界を治めて貰う事を目的としている。

 その自分の隣で言うべき事では無いと、シルキィは軽く咎めるような視線を向けようとした時。

 

 

「……って、あれ」

 

 ふと気付くと、彼女の数歩分程の後方で、ランスはいつの間にか立ち止まっていた。

 

「ランスさん、どうしたの?」

 

 振り返ったシルキィの事など目に入らないのか、我を忘れた様子でしばし呆然としていたランスは。

 

 

「……魔王か。ありだな、それ」

 

 

 そう、ぽつりと呟いた。

 

 

「……え?」

「うむ、ありだ。どう考えてもありだ。つか、なんでもっと早くそれに気付かなかったのだ俺様は」

 

 天啓を授かってしまったランスは、そのアイディアの素晴らしさを噛みしめるように何度も頷く。

 

「ちょ、ちょっと待ってランスさん。貴方まさか、本気で魔王になるなんて言うつもりじゃ……」

 

 そんな事は有り得ない。とは言い切れないのがランスの恐ろしい所で、もしかしたら自分はとんでもない失言をしてしまったのでは無いだろうか。

 と、背筋に嫌な寒気を覚えるシルキィだったが、彼女の心配は幸いにも杞憂だったのか、すぐにランスは首を横に振った。

 

「うんにゃ、そうじゃない。そうじゃないが、魔王を利用するってのはありだなと思ってな」

「……魔王を利用する? て、それもちょっとどうかと思うけど……」

 

 世界の支配者たる魔王に対して、利用という言葉を使うのはいかがなものか。

 魔人としての一般的な感覚でそう思うシルキィには、その事以上に気になった事が。

 

「美樹様を利用してワーグの事を抱くって、一体ランスさんは何をするつもりなの?」

 

 魔王になる訳では無いのなら、如何なる方法で魔王を利用すると言うのか。まさか眠りそうになったら、魔王に叩き起こしてもらうつもりなのか。

 

 シルキィにはいまいち真意が読めなかったが、ランスは再度大きな仕草で首を横に振り。

 

「いーや、そっちじゃない」

 

 そして、にやりと笑った。

 

「そっちじゃなくて、別の抱けない魔人の話だ」

 

 

 

 

 

 



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魔王専用の浴室

 

 

 

 

 ある日の魔王城。

 

 ホーネット派の主、魔人ホーネット。

 

 魔王不在の魔王城において事実上の支配者である彼女は、刺繍の施された豪華な絨毯が敷かれた廊下を歩きながら、先日の一件に思考を巡らせる。

 

 

 魔人ワーグ。現在のケイブリス派の中で最も警戒が必要だったあの魔人に関しては、概ね問題無く、当初想定していた範囲内にて決着がついた。

 ワーグがケイブリス派に加わったのだと知った時、当初は魔人としての能力が一番高く、一番その眠りに抗う事が出来るであろう自分がワーグと戦うつもりでいた。

 しかしその後、信頼を置く腹心たるシルキィから説得を受けた事もあり、ホーネットはワーグの対処に関しては仲間達に一任する事にした。

 

 その時から薄々予想はしていたのだが、やはりシルキィはワーグの事を倒しはしなかった。

 あるいは再びワーグを派閥に入れても良いかと、そんな相談をされるかとも思っていたのだが、どうやらあの魔人四天王はそうしたくは無いらしい。おそらくはワーグの心情を考慮したのだろう。

 

(……シルキィは、優しい人ですからね)

 

 自分の知る限り、あれ程に優しい魔人はいない。平和な世界の為に千年近くも前から戦い続けている彼女は、こうして同じ戦いの場に身を置いているとはいえ、単に遺言に従っているだけの自分とは大違いだとホーネットは思う。

 

 ともかくシルキィはそんな魔人なので、彼女にワーグの対処を任せた時からこんな結末になるのではと想定しており、なので特に問題は無かった。ホーネットはそれも込みで、シルキィに全てを任せたのだから。

 

(……いずれにせよ、これで現状一番の不安要素であった、ワーグの件は片が付きました)

 

 ケイブリス派からワーグは離脱したので、今後あの眠りの能力がこちらに牙を向ける事は無い。ワーグの事を倒さずとも、あるいは味方に出来ずとも、ホーネットにとってはそれで十分だった。

 

 ワーグの能力は単に眠らせるだけでなく、他人の思考を操作する事が可能であり、その脅威は筆舌し難いものがある。

 何時何処でその力が猛威を振るうか、それが不明な状況では中々思うように身動きが取れず、前線で戦っていたガルティア達に撤退を認める位しか対応策を取れなかった。

 結局最初の段階で魔物兵達に相当な被害が出てしまったが、それは必要な犠牲と割り切る他ない。

 

 ともかくワーグとの戦いは終わり、味方が操られてしまう危険に悩まされる事も無くなった。

 

 となれば次は。

 

 と、ホーネットの思考が次なる一手に及んだ時、ちょうど彼女は目的の部屋に辿り着いた。

 

 

「…………ふぅ」

 

 扉の前で、一度小さく深呼吸。

 しっかりと気を落ち着けてから、ドアノブに手を掛けて室内へと入る。

 

 ホーネットが足を踏み入れたその部屋は、特別に変わった何かがある訳では無い、単なる脱衣室。

 だが彼女はこの部屋に入る度に背筋が引き締まるような、あるいは居心地の悪さを感じるような、身の置き所が無いような気分になってしまう。

 何故かと言うとこの部屋は、魔人筆頭の彼女には使用を許されていない場所だからである。

 

 この魔王城の本当の主。世界の支配者たる魔王。ここはその魔王の為に設置された特別な部屋。

 よって本来なら魔人筆頭と言えども立入禁止ではあるのだが、ちょっとした諸事情あってやむを得ず、彼女はこの部屋を使用していた。

 

 当然ながら、無許可で使用している訳では無い。

 数年前、護衛の為にと仲間の魔人達を魔王の下へ向かわせた事があり、その際に事の理由を話して、魔王から直々に使用の許しを受けてはいる。

 

 サテラ達から聞く所によると、魔王は「私の事なんて気にしないで、好きに使っていいよー」と、そんな言葉と共に快諾してくれたそうだ。

 かの魔王らしい寛容な言葉であるが、これは懐が深いからと言うよりは、どちらかと言うと、

 

(……美樹様には、この城が自分の所有物だという自覚が持てないのでしょうね)

 

 おそらくはそういう事なのだろうと、ホーネットは思っている。

 美樹は異世界から来た少女であり、この城に居たのはほんの少しの間だけ。そんな理由もあってこの城に対して特段思い入れは無いのだろうが、それでもこの城が魔王城である以上、この城の全ては魔王たる美樹のものである。

 

 ともあれ、そのような経緯あってホーネットはこの脱衣室を使用しているのだが、しかし魔王城に魔王が不在で、魔人筆頭が魔王の専用物を使用している現状は、やはり正しい在り方では無いと彼女は常々思っている。

 

 魔王に魔王たる自覚が無い。その問題はさておくとして、魔物界で戦争が起きているこの状況では、美樹を城に呼ぶ事など出来やしない。

 ならば魔人筆頭たるホーネットがするべき事は、この派閥戦争を一刻も早く終わらせる事。 

 

 そして、その為の次なる一手。

 

 脱衣所の壁際に設置された、洗面台の大鏡に写る自分の姿を意識せずに眺めていたホーネットの思考が、先程中断した部分にようやく戻ってきた。

 

 

(……今度はこちらから、攻勢に出る)

 

 先日、魔人ワーグに奪われたばかりの魔界都市、ビューティーツリーの再奪還作戦。

 ホーネットは魔王城に戻ってきてすぐに、仲間の魔人達とその計画を推し進めていた。

 

 勝機は十分にある。ホーネット派の面々は皆そう考えている。長らく劣勢にあったホーネット派だが、ここに来て遂にケイブリス派との戦力差が均衡してきた事がその大きな理由であった。

 

 ホーネット派とケイブリス派の戦力を比較してみると、魔物兵の総数では二倍近くの差がある。

 だが魔人の頭数を見ると、ホーネット派は6体。敵派閥の残りも6体であり、共に同数となる。

 

(ですが同数とは言え、その実情は違う)

 

 ホーネット派の魔人達は皆それぞれ目的の為に士気が高く、全員がいつでも戦闘に参加させられる状態にあるが、しかしケイブリス派の魔人達もそうかと言えばそれは異なる。

 

 今まで一度も戦場に出た事が無いケイブリス。

 そして、滅多に戦場には出ないカミーラ。

 そして、カスケード・バウに攻め込まない限りは基本的に戦場には出ない、ケッセルリンク。

 

 この魔人四天王達はそれぞれ強敵であるものの、しかし魔界都市の防衛任務などには就かない。

 温存と呼べば聞こえは良いが、実際の所は動かしたくても動かせないと言うのが本音だろうと、ホーネット達は思っている。

 

 この3体の魔人を除けば、ケイブリス派がビューティーツリーの防衛に割ける魔人の戦力はレイ、パイアール、レッドアイの3体が限界となる。

 そしてその3体であれば、今のホーネット派の現総力を挙げれば十分に攻略可能だと言えた。

 

(レイとパイアールであれば、私が後れを取る事はまずありませんし、シルキィやガルティアにも十分対処は可能でしょう。レッドアイだけは簡単にはいかない相手ですが、しかし……)

 

 魔人レッドアイ。ホーネットを超える程の魔法レベルを有する、3体の内では一番の難敵。

 だが、しかしあの狂気の魔人にはそもそも都市の防衛という概念が無い。

 

 その桁外れの魔力で、味方の被害など何一つ考慮せず好き勝手暴れるのがレッドアイの戦い方。

 どう考えても守りに使う戦力では無いので、レッドアイにビューティーツリーの防衛をさせるような事は無いだろう。

 それがホーネット達の共通見解であり、仮にレッドアイが出てきたとしても、その時は唯一魔力で対抗可能な彼女自らが相手をすると決めている。

 

 更には先行して偵察を行なっているメガラスによると、現在のビューティーツリー内では無敵と思われていた魔人ワーグがシルキィによって倒されてしまった事で、魔物兵達は勿論の事、魔物隊長や魔物将軍の士気すら大いに低下しているとの事。

 

 以上を踏まえて考えると、今がビューティーツリーを奪い返す絶好の機会。

 ホーネット派は近々大攻勢を掛ける予定で、派閥の皆は今その準備に取り掛かっている。

 

 そしてホーネットの思考が、次なる作戦の事から、そんな自派閥の仲間達の事にまで及んだ時、

 

 

(……あ)

 

 ふと、彼女はある事を思って、

 

「……そういえば、ランスはどうするでしょうか」

 

 そして、自然と呟いていた。

 最初は慣れなかったものの、今では呼ぶ事にもようやく慣れた、その名前を。

 

 

 

 ワーグの一件にも協力してくれた、あの男は此度の作戦に参加するだろうか。

 自然と顎に軽く手を当てて、ホーネットは顔を少し下向きに傾けて思いを巡らせる。

 

(実力的には、問題は無いと思うのですが……)

 

 その強さに関して最初は半信半疑だったものの、ホーネットも今では考えが変わった。理由は一月程前に共に旅をした中で、彼女自身の眼で直に目の当たりにしたからである。

 魔人メディウサと戦った時のランスの戦いぶりを思い出す限りでは、魔界都市攻略作戦に参加したとしても十二分に活躍する事は出来る筈。

 

(……しかし、ランスの性格を考えると……)

 

 彼にはどうにも物ぐさな部分と言うか、怠け癖があるように見える。

 そして、付け加えて言うとあの女好きの性格。

 

 聞く所によると強引に参加を押し切ったらしいワーグの一件に対して、魔界都市攻略作戦に関してはランスの興味を惹くものはおそらく何も無い。そう考えると、今回の作戦に彼は参加しないような気がする。

 

 

(……あるいは)

 

 自分が一言頼めば、共に戦ってくれるだろうか。

 

 

 ホーネットはそんな事を思い、

 

「……いえ」

 

 呟きと共に、小さく首を横に振って、その考えを自分の頭から捨て去った。

 

 ランスが派閥の協力者である以上、戦いに加わって貰う事には何一つ問題は無い。

 ではあるのだが、これまで何度も協力して貰った手前、これ以上ランスに頼る事にホーネットには少々抵抗があった。

 

(シルキィからの報告では、ランスはワーグの一件で相当苦労したとの事ですし、しばらくは魔王城で身体を休めて貰った方が良いでしょう)

 

 ランスが居なければホーネット派は何も出来ない訳では無い。そんな事ではあまりに情けなさ過ぎると、派閥の主としてホーネットに当然に思う。

 それに彼は優秀な戦士ではあるものの、あくまで人間であり、魔人の自分達と同じ基準で物事を考えてはいけない。

 何やらワーグの一件では日夜戦い漬けだったようなので、その肉体には魔人の自分では計り知れない疲労や怪我が蓄積しているかもしれない。

 

 などと、ここ最近は顔を合わせていないランスについて、あれこれ考えていたホーネットは、

 

 

(……それにしても、この私が)

 

 ふぅ、と、肩を揺らして呼吸をしながら、彼女は何となしに自分の手のひらを眺める。

 

 ランスが共に戦ってくれるかと考えたり、一方で協力して貰う事に抵抗を感じたり。

 こんなにも一人の人間について思うなど、ほんの数ヶ月前の自分であればとても考えられない事だと、ホーネットは自らの変化を強く実感していた。

 

 その変化は、共に過ごす時間の長かった仲間の魔人達にもすぐに分かる事らしい。

 ホーネットがそう気づいたのはつい先日、シルキィと二人で作戦の話し合いを行って、その終わりに少し雑談に興じた時の事。

 

 かの魔人四天王とは付き合いも長く、時に派閥の主従の関係から離れて様々な事を話すのだが、その日はワーグに関しての話題となった。

 ワーグが魔王城近辺に住む事になったが構わないのか。そうシルキィから問われて、構わない訳では無いが城にはランスも居るので仕方無いのでは。そう返答をしたら「やっぱりホーネット様は変わりましたよね」と、しみじみと頷かれてしまった。

 ホーネットも自分の変化には自覚があるので、その言葉に気を立てる事は無かったが、とはいえ自分の変化に対して何も思わない訳では無い。

 

(……良い傾向の変化だと思いますよと、シルキィは言っていましたが……)

 

 果たして本当にそうなのかと思う所があるにはある。特にここ最近はその変化が自身の行動決定にも影響を及ぼし、その結果少々筋が通らないような事をしてしまう場合があり、その意味では確実に悪影響であるように思える。

 

 直近で言えばつい先日、サイサイツリーから帰還する際、派閥の仲間達に一言もなく移動した事。

 あの時、聞こえる嬌声から中で何が起きているかの想像が付いてしまい、シルキィ達が居ると思わしきテントにはとても近づけず、結局そのまま彼女達には何も伝えずサイサイツリーを出発したのだが、振り返って考えるとあれは良くない。

 

 あのテントの中に入るのはさすがに躊躇われるものの、事が済むまで待つ位の時間の余裕はあったはずだし、せめて伝言を残すべきであった。

 何故だかすぐにここから離れたいと思い、まるで逃げるかのようにサイサイツリーを発ったあの時の思考が、ホーネットには今でもよく分からない。

 

 この件に関しては先程の雑談の時にシルキィにはしっかりと謝罪したのだが、その悩みを打ち明ける気分にはならなかった。

 

(……そういえば)

 

 あの雑談終わり、ワーグと密着する程に近づいても眠らない方法は無いかと聞かれたので、それについては心当たりが無いと答えたのだが、あれは一体どういう意図の質問だったのだろうか。

 数日前にシルキィと交わした雑談の一幕、そんな他愛も無い事を考えながら、ホーネットは私服の肩布に手を掛ける。

 

 普段着として着用している、極薄のドレス。この格好に初めて疑問を抱かされたのも、思えばあの男の失礼な言葉がきっかけだった。

 それも一つの変化ではある。とはいえ、これはれっきとした魔人筆頭たる自分の礼装であり、何を言われた所で別の衣装を着るつもりは無いのだが。

 

 ホーネットにとっては何一つおかしな点の無い、布一枚のドレスを身体から下ろして、それを脱衣籠の中に丁寧に畳む。

 一枚服を脱いだだけで裸になったその魔人は、収納棚の中から清潔なタオルを取り出す。それだけを片手に持って浴室のドアを開き、風呂場の中へと足を踏み入れる。すると──

 

 

 

「よう、ホーネット」

 

──先客が居た。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 魔王城の一画にある、魔王専用の浴室。

 

 およそ30分程前から、この風呂場の中にてランスは目的の魔人の待ち伏せを開始した。

 そして今、素っ裸で仁王立ちする彼の前には、同じく一糸纏わぬ姿のホーネットが、思考をどこかに放棄してしまった素の表情にて硬直していた。

 

「おぉ、久しぶりのホーネットのヌードだ」

 

 艶のある白い肌、丸みを帯び、それでいて引き締まった身体のラインに、柔らかに膨らんだ胸。

 ランスの瞳に映るのは、絶世の美女たるホーネットの、非の打ち所がないような見事な裸体だった。

 

「前に見た時も思ったが、やはりいい乳……。きゅっと細い腰と尻も、ぐへへ、たまらん……」

 

 それらは普段からあまり隠されていないものであるが、全てが惜しみなく晒されているこの機会が、とても貴重な事には変わりない。

 ランスは鼻の下が伸びた締まりのない顔で、じろじろと彼女の全身をくまなく視姦していたのだが。

 

「……ん? どしたホーネット」

 

 風呂場のドアを開けて、そろそろ20秒程。

 

 自分の事を目の当たりにしてから、一向に微動だにしないホーネットの様子に、さすがに不審に思ったランスは声を掛けた。

 

「……あ」

 

 ランスの声がきっかけとなって思考を取り戻したのか、ホーネットははっと目を見開き、そしてすぐにその瞼を深く閉じる。

 今その魔人の脳内には、この状況に対しての言いたい事が一瞬にして山のように浮かんだのだが、まず一番に言うべき事を慎重に選択した結果。

 

 

「……ランス、すぐにここから立ち去りなさい」

 

 低くトーンの下がった凄みのある声色と共に、ホーネットの周囲に6つの魔法球が出現する。

 使用者の魔法の効果を増幅するそれは、言うまでも無く強力な魔法の行使の合図であり、宣言に従わなければ攻撃も辞さないという姿勢の証だった。

 

「げげっ!! ほ、ホーネット、ちょい待て!!」

 

 唐突なホーネットの好戦的な態度に、危険を感じたランスは左手を前に出して待ったのポーズ。

 だがそんなランスの様子など意に介さず、彼女は一切の有無を言わせない鋭い目付きで睨む。

 

「待ちません。もう一度言いますが、すぐにここから立ち去りなさい。ランス、ここは貴方の使用が許される場所では無いのです」

 

 出会った当初から比べると大分態度も軟化して、ここ最近はランスの不躾な行動にもある程度の許容を見せるホーネットではあるが、とはいえ当然ながら何でもかんでも許す訳では無い。

 

 ここは魔王専用の浴室であり、本来は魔人筆頭の自分でさえ使用してはいけない場所。人間のランスが使用するなど持っての他である。

 魔人筆頭として相応しくある事を日々心掛けている彼女にとって、魔王に関連する事に対しては一向に容赦が無く、それは自身の裸体を隠す事などよりも遥かに優先されるべき事であった。

 

 しかし。

 

 

「許可ならあるぞ!!」

 

 予想だにしなかったその言葉に、

 

「……許可?」

 

 ホーネットは気勢が削がれた様子で呟いた後、言葉の意味する所を思案するように眉根を寄せた。

 

「……私は、許可などした覚えはありませんが」

「ちっちっち。お前の許可じゃないっつの」

 

 ここに来てやっと得意げな表情に切り替わったランスは、振り子のように左右に振った人差し指を、そのまま上向きにぴんと立てる。

 

「お前の上の者の許可があるのだ、ホーネットよ」

「……上、と言うと……」

 

 現在、この魔王城の実質的な主、魔人筆頭たるホーネットよりも上位の者。それはつまり。

 

「……まさか」

「どーやら気付いたようだな。これを見ろ!!」

 

 ビシっと効果音の鳴るような勢いで、ランスは背中の後ろに隠していた右手に持つ一枚の紙切れを、ホーネットに対して堂々と突き付ける。

 

 風呂場の湯気で若干湿ってしまったその紙には、

 

 

『ランスさんへ。お風呂使っていいよ。美樹より』

 

 

 少女特有の丸っこい字で、そう書かれていた。

 

 

「……な? ちゃんと許可があるだろ?」

 

 瞠目する魔人筆頭の眼前で、ランスはその紙切れの存在を自慢するかのようにぴらぴらと振る。

 

 これが先日、ワーグの家からの帰り道でランスが思い付いた事。

 ホーネットをものにする為に、魔王の存在を利用してみよう。という事である。

 

 ホーネットは魔人筆頭という立場故か、あるいは父親の遺言の影響かそれともその両方か。

 いずれにせよ彼女にとって美樹は絶対の上位者であり、魔王が未覚醒な現状であっても、ホーネットは美樹に対して忠実な態度を取る。

 

 美樹が謝れと言えば素直に謝罪したりなど、その魔人の従順な姿をランスは前回の時に何度も目撃しており、ならば美樹の命令という事なら、きっとホーネットも言う事を聞くだろうと考えた。

 そこでまずは手始めにと、ランスは以前サテラ達から耳にした、ホーネットだけが使用している専用の風呂に一緒に入る事を試してみたのである。

 

 

「ほーれほれ、その目でしっかりと見ろ。美樹ちゃんの名前が間違いなく書いてあるだろう」

「………………」

 

 得意げなランスの顔など視界に入らない様子で、ホーネットはその紙切れをまじまじと眺めていたが、やがて小さく呟いた。

 

「これは、本当に美樹様が書いたものですか?」

 

 その言葉に、ぎくりとランスの肩が跳ね上がる。

 

 ホーネットの指摘は実に的確であり、これは魔王たる少女、来水美樹が書いたものでは無い。

 ランスがシィルに命じて書かせただけのものであり、言ってみれば単なるでっちあげ品である。

 

 なのだが。

 

 

「もっちろん。これは正真正銘、あの美樹ちゃんが書いてくれたものだとも」

「………………」

「なんだホーネット、その目は。お前まさか疑ってんのか? なら、本人に確認してみりゃいいさ」

 

 そう言って、勝ち誇ったようにニヤけるランスの顔は「確認など出来やしねーだろうがな」と、如実に物語っていた。

 

 前回の第二次魔物戦争時において、ランスは行方不明だった魔王美樹を捜索した経験がある。

 その時の美樹の捜索はそれなりに困難を極め、盗み聞きの魔女の異名を持つ、情報収集力に長けたクレインの手を借りねば発見する事が出来なかった。

 

 当時と今では多少状況が異なるとはいえ、少なくともあの時はホーネット派の一員たるサテラにも、魔王の所在は分からない様子だった。

 だからきっと現在のホーネットも美樹の行方は知らないだろう、そうランスは予想したのである。

 

「………………」

 

 そして、ランスのその読みも的確であり、ホーネットは二の句が告げずに口を噤む。

 

 現状、美樹の居場所はホーネットにも不明であり、その紙切れの真偽を確かめる術は無い。

 それが紛い物だと断ずるのは簡単ではある。だが万が一にも本物であった場合、魔王が書いた手紙を勝手に偽物だと決め付けるなどこの上無く不敬であるし、魔王が許可した事に異議を唱えるなど当然ながらあってはならない。

 そして厄介な事に、美樹の性格上そのような許可を出す可能性も十分に考えられる。何故ならホーネット自身も、美樹の許可を受けてこの場所を使用しているのだから。

 

「どーした? 美樹ちゃんに確認しねーのか? しねーなら、これが本物だと信じたって事だな?」

「……貴方はこの手紙を、どのようにして手に入れたのですか? 美樹様と連絡が取れるのですか?」

「……あ~、まぁな。俺様と美樹ちゃんはそのー、あれだ。仲良しだからな、うむ」

「ならば、貴方は美樹様の居場所を知っているという事ですか? あの方は今何処に?」

「……えっと。……と、とにかーく!!」

 

 これ以上話をするとボロが出そうなので、ランスは声を張り上げて強引に会話を打ち切った。

 

「俺様はここを使用する許可をちゃーんと受けているのだ。魔王の許可さえありゃ、魔人筆頭のお前の許可なんていらねぇよな?」

「……それは」

 

 今の魔王城は本来の城主たる魔王が不在な為、魔人筆頭の立場たるホーネットがやむを得ず城の管理を代行しているだけで、この城の全ては魔王の物。

 施設の使用は勿論、宝物庫に眠る財宝の処分なども全て魔王のお言葉一つであり、それを魔人筆頭のホーネットに覆せる筈が無い。

 

「ホーネットよ、お前の許しが必要なのか?」

「……必要は、ありません。……ですが」

「何だよ?」

「……いえ」

 

 ホーネットは視線をすっと横に逃がす。

 彼女のその様は、自身の敗北を受け入れるかのような姿にランスの眼には映った。

 

 99%、あの紙切れは偽物だと思う。

 しかしホーネットは、1%の可能性を捨てる事がどうしても出来なかった。

 

「よーし、分かってくれたようで何よりだ。んじゃあ、一緒に仲良く風呂に入ろうではないか」

「……いえ、そういう事なら先に貴方が使用してください。私は一旦出直します」

 

 そう言うとすぐに、その魔人は反転して浴室の出入り口のドアノブに手を掛ける。

 

「おっと。お前まさか逃げるつもりか?」

 

 その動きに目ざとく反応したランスは、彼女の退出に先んじて待ったを掛けた。

 

「……逃げる訳ではありません。今は貴方が使用をしていると知ったので、時間をずらすだけです」

「いやいや、俺様は別に構わんぞ。風呂に入る時間が重なるなんて良くある事だし、気にせず一緒に入ればいいじゃないか、なぁ?」

 

 ランスは恩着せがましい言葉と胡散臭い笑顔でもって、彼女に同意を求める。

 

 ホーネットの言葉は一般的に考えれば妥当な理由ではあるのだが、その正論はあまりランスには効き目が無かった。

 何故かと言うと、その発言をしたホーネットは決して一般人では無いからである。

 

「それとも、俺様との混浴なんて恥ずかしくて出来ない。なーんて事を言うつもりはねぇよな?」

「………………」

「まっさかー!! 俺様に裸を見られても一切動じない魔人筆頭サマが、たかがちっぽけな人間一人との混浴を恥ずかしがるなんて、それはさすがに有り得ないよな!! うむうむ、それは無いな、それは無い」

 

 一人で勝手に盛り上がり、勝手に納得するランスの言葉を、ドアノブを握ったままの姿勢で聞いていたホーネットは、

 

「貴方はそんな、……」

 

 口を衝いたように何かを言い掛けて、

 

「あん?」

「……いえ」

 

 結局口にするのを止めたのか、はぁ、と大きく息を吐き出し、そして。

 

「……そうですね。この私が、気にするような事では無い、……筈ですね」

 

 静かにそう呟いて、ドアノブから手を離した。

 

 

 

 

 



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魔王専用の浴室②

 

 

 魔王。それは魔物界だけでなく、人間世界も含めたこの大陸全ての支配者。

 

 かくの如き絶対的な存在が、共用の風呂で魔物達と湯を共にする訳にはいかない。

 そんな理由で城に設置された、魔王専用の浴室。

 

 共用のものに比べれば小規模であるが、それでも一人で使用するのには過分な程に広々としている、そんな浴室の洗い場の椅子に腰掛ける影が一つ。

 

 

「………………」

 

 誰あろう、魔人筆頭その人である。

 

 普段と変わらず平然とした表情の彼女は、きめ細かい上質な生地のタオルに、これまた質の良い香りを漂わせるボディーソープを泡立てて、まずは左腕から一日の汚れを洗い落としていく。

 

 そして、そんな姿を見つめる視線が一つ。

 

 

「ぐへへへ……」

 

 それは勿論、ランスであった。

 

 次第に泡を纏って水滴が流れ落ちるその肢体を、洗い場から少し離れた湯船の中、ランスはにやにや顔で眺める。

 

「うひょひょひょ……」

「………………」

 

 聞こえてくる薄気味の悪い声に耳を貸さないようにと、体を洗うホーネットは精神を集中させる。

 

 彼女は魔人筆頭という立場故に世話役が存在しており、基本的にこういった事はその者達に行わせる為、自らの身体を自らで洗う経験は滅多に無い。

 思えば、先に脱衣所に来ている筈の世話役が居なかった時点でおかしく思うべきであった。

 おそらくはランスが何か手を打ったのだとは思うが、色々と思案していた所為でその違和感を見逃すとは、言い逃れのしようのない失態である。

 

 と、そんな反省を頭に巡らせながらも身体を洗う手は止めず、両腕の後は起伏の大きい胸元、そして腹から腰へと通過して、その次は太腿から足先へ。

 その扇情的な動きは、湯船に浸かっている男を当然のように興奮させた。

 

「むふふふ、ええ体しとるのぉ。あ、そーだホーネット、背中を洗うの手伝ってやろっか?」

「……必要ありません」

 

 恐らくは相手に届いていないと思われる、小さな音量でホーネットは返事をする。

 

 先程、魔王の言葉を持ち出された時点で、もはやこれ以上自分が何を言っても分が悪い。

 彼女はその事を重々承知していたので、今自分が選択出来る一番有効な手段と言えば、ランスの一挙一動には付き合わず、出来るだけ速やかに用事を済ませてこの場を離れる事。

 

 それが一番だと感じていたホーネットは、てきぱきと身体を洗って。

 そして、シャワーで身体から泡を流し落とすと、すぐに彼女は立ち上がった。

 

 

「では、私はこれで」

 

 湯船の中でまったりしながら、獲物が来るのを今か今かと待ち望む男にそれだけ伝えて、浴室の出入り口へと向かう。

 

「て、おい。ホーネット、風呂に入らねーのかよ」

「えぇ、今日はそういう気分ではありませんから」

 

 それはあくまで気分の問題であって、一緒に入る存在の問題では無い。

 そして勿論逃げる訳でも無い。用事を終えた以上は、風呂場を出るのは当然なのだから。

 

 そういう事にしておきたいホーネットは、つんと澄ました表情で先の言葉を口にしながら、出口へと向かうその歩調を早める。

 

 だが。

 

 

「けどお前、髪も洗ってないじゃねーかよ」

「え、……あ」

 

 ランスの言葉に虚を突かれたのか、はっと目を開いたホーネットは足を止める。

 

 先程洗い終えた身体もそうなのだが、それ以上にこの緑の長髪を清潔に保ちたい。

 その為にこうして風呂に入ったにもかかわらず、この状況にそれなりに動転していた彼女は、本来の目的を忘れている事にすら気付いておらず。

 

 勿論洗髪なども普段は世話役にさせている事である為、自分で行う事という意識が無かったという点を差し引いたとしても、今のホーネットは少々常の冷静さを失っていた。

 

「……後で、入り直します」

 

 完全に二度手間となってしまうが、しかしここからUターンして洗い場に戻るのは格好が付かないと感じたのか、それとも単に一刻も早く風呂から出たかったのか。

 いずれにせよ再度歩き出し、遂に彼女は出入り口のドアノブにその手を掛けたのだが、

 

「んじゃ、俺様も後で入り直そーっと」

 

 そう言ってランスは湯船から立ち上がると、ホーネットに続くようにすたすたと後をついてきた。

 

 

「……ランス」

 

 振り向いた彼女は普段よりも威圧的な声色で名前を呼び、さも煩わしげに相手を睨みつけるが、

 

「何だよ、俺がいつ風呂を出ようと、んでまたいつ入ろうと俺の勝手だろ? 何と言っても、ここを自由に使う許可は得ている訳だしな」

 

 しかし睨まれたランスは強気な態度を一向に崩さず、魔人筆頭をも上回る魔王の権力を振りかざす。

 

「俺も一度風呂を上がって、お前が入り直す頃合いを見計らってまた一緒に入る。もうそう決めた」

「………………」

 

 美樹の手紙まででっち上げてようやく漕ぎ着けたホーネットとの混浴を、こんなにあっさりと終わらせるつもりはランスにはさらさら無い。

 反論する言葉が見つからずに沈黙する魔人筆頭を前にして、彼はきっぱりと宣言した。

 

「ホーネットよ、俺様から逃げられると思うなよ。今ここで逃げようとも、明日だって明後日だって、これから毎日だって俺様はこの風呂に入るからな」

 

 その言葉に何を思い、如何なる事を考えたのか。

 ホーネットの金の瞳孔が大きく拡大し、その口元で「毎日……」と、声無き声での呟きが漏れる。

 

 そして、僅かに頭の向きを下げた後、

 

「……分かりました」

 

 言葉と共に、諦念の籠もった吐息を吐き出す。

 

 今ここで引き下がっても何も意味が無い。

 その事を悟った魔人筆頭は、髪を洗う為に洗い場へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、先程と同じようにランスに視姦されたまま、ホーネットはその緑の長髪も洗い終わり。

 艶めく髪をタオルで纏め、洗い場の椅子からゆっくりと立ち上がると、いよいよその男が待ち構える広い湯船へと向かって歩き出す。

 

「お、よーやく来やがったか。さぁさぁホーネットちゃん、こっちおいで」

 

 待ちに待った、混浴タイムの到来。

 上機嫌のランスは自分の隣に座れと命ずるように、ちょいちょいと手招きする。

 

 その姿をホーネットは一瞥したものの、

 

「………………」

 

 全く興味が無い、一切感心が無いと言わんばかりに顔を逆方向に背けると、ランスから十分に距離をあけた場所に腰を下ろす。

 

「ふぅ……」

 

 そして、熱々の湯に胸の上まで浸かったホーネットは、肩を揺らして大きく息をついた。

 

「……おい」

「………………」

 

 呼べどもてんで返事は無く、誰かの事など完全に無視するかのように、一人で勝手にリラックスする魔人筆頭の姿を目の当たりにして、

 

「まったく、無駄な抵抗すんなっての。よっと」

 

 この風呂場の中に逃げ場など無し、当然逃がすつもりなど無い。離れるならばこちらから近寄るだけだと、ランスはすぐさま立ち上がる。

 そしてばちゃばちゃと湯を掻き分けながら近づいていたその途中、ホーネットがこちらに顔を向けたかと思うと、その金の瞳を僅かに細めた。

 

「む」

 

 そのままじっと自分を見つめるその目付きから、あるいはその表情から、言わんとしている事を何となく察したランスだったが、

 

「……ふむ。ま、知ったこっちゃないがな」

 

 しかしそんな事は意にも介さず、ずいずいと進んでその魔人の隣にどしっと腰を下ろした。

 

「……ランス」

 

 いつも以上に状況が悪く、いつも通りに自分勝手なその男の態度に若干の苛立ちを胸に秘めながら、魔人筆頭はあくまで普段通りの冷静な表情を保ってその名を呼ぶ。

 

「どした?」

「……近づかないでください。と、口で言わなければ貴方には伝わりませんか?」

「いやいやホーネット君、それは十分に伝わってきたとも。けど、俺がそれを聞き入れるかどうかは別問題ってヤツだな」

 

 相手が近寄るなオーラを目一杯に発していた事はランスもすぐに察知したのだが、しかしそんな事で引き下がるような男では無かった。

 

「……そうですね、貴方は口で言って聞くような者でもありませんでした。ならば……」

 

 今まで何回が忠告したが、それでも一向に弁えない男である事を再認識させられたホーネットは、やむを得ない思いでそっと瞼を閉じる。そして、

 

「──っ」

 

 開いたその瞳の眼光が一気に鋭さを増し、その魔人の身に纏う空気が変容を遂げた。

 

「……ぐっ」

 

 その迫力たるや、湯船の水面が波打ったのではないかと幻視してしまう程。

 

 いつも以上、あるいは今までで一番強烈かもしれぬ、魔人筆頭たるホーネットが放つ強烈な威圧。

 それを至近距離で受けたランスは反射的に身体を怯ませ、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 

 だが。

 

 

「……ふいー。しかし、やっぱ混浴は良い。風呂ってのは美人と一緒に入ってこそだな。うむうむ」

 

 すぐに一切動じていない体裁を取り繕うと、すぐ隣で睨みを利かせるホーネットの肩に手を回す。そして自分の方に抱き寄せると、セクハラまがいの手付きでその滑らかな肩を撫で回した。

 

「……な」

 

 その不躾な行いよりも、自分の放った威圧が通用せず、自分の事を全く怖れていない様子にホーネットは内心で驚愕する。

 口を小さく開けた、その魔人には珍しい驚きの表情を視界に捉えたランスは、対照的な程にふてぶてしい表情を作った。

 

「ホーネットよ。俺だってバカじゃねーんだから、何度も同じ事をすりゃあ学習位するっての」

「……どういう意味ですか?」

「そのままの意味だ。お前、そーやっておっかない目で俺様の事を何度も脅すが、そりゃあくまで脅すだけで、実際に手を出すつもりは無いんだろ?」

 

 その柔らかな胸元に顔を突っ込んだ時も、寝込みを襲った時も、そしてつい先程の時も。

 ホーネットはその鋭い目付きでもって何度も威嚇するものの、しかし彼女が実際にランスの身を脅かした事は一度も無い。

 

 先日、ランスはシルキィとの会話でその事に気付き、結果ホーネットに対して強気になった。

 彼が今までに出会った女性の中には、眼や口だけでなく腕っぷしや魔法で実力行使に及んでくる者も存在し、そこから考えればこの魔人筆頭も幾分か良心的と言えなくもなかった。

 

「そうと分かりゃ、お前のプレッシャーなど怖くない。流石にもう慣れたな、うむ、慣れた慣れた」

 

 得意げな顔でそう言うものの、しかし実の所はその威圧に慣れた訳では無い。自分よりも遥かに強者たる魔人筆頭の凄みに、熱い湯に浸かっているにもかかわらず薄ら寒いものを感じた。

 

 しかし、だからと言ってここで引いてはいつまで経っても変わりがない。

 いい加減にホーネットを抱きたいランスは、今日はいつも以上に強引に攻めると決心していた。

 

 

 

 そして一方、遂にその事を指摘されてしまったホーネットは、

 

「……当たり前です」

 

 観念するかのように深く目を瞑り、少しだけその心情を吐露した。

 

「……ランス。貴方に自覚があるのかは分かりませんが、私にとって貴方は、派閥に何度も貢献をしてくれた恩人です」

 

 ガルティアにメディウサ、そしてワーグ。

 およそ7年に渡って長らく劣勢であったホーネット派が、ここ最近の短期間の間に立て続けに成果を出す事が出来た裏には、全てランスが絡んでいる。

 その事は当然に派閥の主たるホーネットは評価しており、そしてそれ以上に。

 

「……なにより。私は、貴方に命を救われた身でもあります」

 

 ホーネットは以前に一度敗北を喫している。

 あの時ランスによって助けられていなければ、彼女は勿論、ホーネット派としても今の姿は無い。

 

「その私が、貴方に危害を加えるなど……、そのような恩知らずな事、出来る筈がありません」

「……マジか」

 

 ホーネットから見た自分、彼女がそんな思いを抱いていたとは露程も考えていなかったランスは、驚きのあまりぽかんと口を開ける。

 あくまで脅しであって攻撃するつもりは無いだろう、そう口にした先程のあれは半分願望込みであったのだが、どうやら見事に正解だったらしい。

 

「……ほーう、ほほーう」

「……何ですか?」

「いやなに、初めて会った時は高慢ちきでいけ好かない女だと思ったもんだが、こうして見ると、お前も結構可愛い所があるじゃねーか」

 

 それは以前にシャングリラでも思った事。おそらく当時からその思いがあったのだろうが、彼女は意外とランスの安全に気を払う事がある。

 厳格な性格の魔人筆頭と言えども、探してみれば好意的な部分もあるもんだなぁと、したり顔で頷くランスの表情が癇に障るのか、ホーネットは眉間に僅かな皺を寄せた。

 

「……ですが、先程は結構本気でした」

「先程? 先程っつーと……」

「貴方が勝手に、この浴室を使用していたと知った時です」

「あぁ、あれか。あの時は……」

 

 ランスは問題のシーンを脳裏に思い出す。

 確かに先程のホーネットは、言葉や目付きだけで無く魔人筆頭特有の能力たる魔法球まで展開しており、その本気度が今までとは一味違う事が伺えた。

 

「……またまたー。それもどーせ口だけだろ?」

 

 あえてランスは冗談のように軽く流してみるが、

 

「………………」

 

 しかしホーネットは、そんなランスをじっと見つめるのみ。

 

 どうやらその魔人にとって、魔王に関連する事に対しては冗談では済まない部分がある様子。

 その事を深く理解したランスは、美樹関係の事柄はもうちょっと慎重に扱おうと内心で思いながら、再度軽い調子で口を開く。

 

「……と、とにかくだ、そうピリピリすんなって。俺とお前は今仲間なのだから、仲良くいこうじゃないか。んな喧嘩腰にならんでもいいだろう」

「……それは私と言うより、どちらかと言えば貴方の問題では……」

「お前もシルキィと似たような事を言いやがって。俺様はいつもどーり、普通にしているだけだ。お前が短気でキレやすいのが悪い」

「………………」

 

 ──貴方にとっての、その普通が問題なのです。

 ホーネットはそう言うべきかとも一瞬思ったが、ランスにとってはそれが普通な事である以上、おそらくは言っても聞かないだろうと思い直し、

 

 

「……それにしても、慣れましたか」

 

 今の話の脈絡からは少し外れた、しかし彼女にとってはとても衝撃的だった先の事に触れた。

 

「んあ? いきなりなんの話じゃ」

「これの事です」

 

 返事と共にホーネットはすぐ隣、顔に疑問符を浮かべるランスの方に少しだけ顔を向けると、その金の瞳がきゅっと鋭く細まり、先程と同じように魔人筆頭お得意のプレッシャーが放たれる。

 

「……む。あぁ、そーだな。それにはもう慣れた」

 

 ランスは肌がひりひりと粟立つのを感じてはいたものの、これまた先程と同じように何食わぬ顔で彼女の威圧を軽く受け流す。

 その虚勢を見抜いたかどうかは定かでは無いが、いずれにせよもう通じないのだと悟ったホーネットは「……そうですか」と、嘆息するように呟きながら元の雰囲気へと戻り、そして。

 

 

「凄いですね。……私は未だに、全く慣れません」

「慣れないって、何にだよ」

「……色々です」

 

 間近にあるランスの目から逃れるように、顔の向きを戻したホーネットは瞼を閉じる。

 

 何にだ、と聞かれても一言では返せない程に、ホーネットにとっては数ヶ月前から本当に慣れない事ばかりで、色々という台詞は彼女の心模様を大まかだが的確に表現していた。

 

「ああん?」

 

 ただ、言葉の含意を読み取るのが苦手なランスには、その想いはいまいち伝わらなかったらしい。

 

「色々じゃ分からん、ちゃんと言いなさい」

「………………」

「おい、ホーネット。聞いてんのかい」

「………………」

「おいっつーの」

 

 ランスは彼女の肩を揺らして何度か問い掛けてみたものの、一向に返事は無い。ホーネットはまるで湯加減を楽しんでいるかのように、先程からずっと目を閉じたまま。

 

「……ぬぅ」

 

 その姿に、どうにもこれは話題を変えないと口を開いて貰えないような気がしたランスは、

 

 

「……しかしまぁあれだな。この風呂は中々悪くない風呂だな」

 

 ぐるっと周囲から天井までを見渡しながら、そんな話を振ってみた。なんとなく思い付いただけの話題ではあるが、ホーネットに先んじて入浴していた時から感じていた事でもある。

 

 白い石材を主として造られたこの風呂は、ランスには何を表しているのかよく分からない精緻な彫りの意匠や、これまたランスには何を模しているのかよく分からない彫刻物などが並び、この城が出来た当時の魔王の意向を思わせる、荘厳な内装に拵えられている。

 

 ランスの居城であるランス城のお風呂、自然石などを活かした落ち着いた雰囲気の天然温泉とは趣が大分異なるものの、さすがに世の支配者たる魔王専用の風呂と言うだけの事はあった。

 

「まったく、こんな良い風呂を一人で独占していたとは。ホーネットよ、卑怯な奴だなお前は」

「………………」

 

 その言葉に、澄ました表情で沈黙していたホーネットの眉がぴくんと動く。

 さすがにその謗言には反論したい気分になったらしく、閉じていた瞼と共に口を開いた。

 

「……別に、独占していた訳ではありません。そもそもここは魔王様専用の浴室。本来なら私も貴方も使用してはいけない場所なのですよ」

 

 この風呂は確かにランスの言う通り、魔王に相応しいような素晴らしい仕上がりで、それはホーネットも同感である。 

 しかし、魔王専用の浴室などとても畏れ多くて立ち入れない、それが魔王城で暮らす魔物達の一般的な感覚であり、勿論ホーネットにとっても同じ事。

 

 彼女にここを専有している意図は無く、濡れ衣だと言いたげな視線でランスを一瞥した後、

 

 

「……そう言えば、貴方は本当に、これから毎日ここを使用するつもりなのですか?」

 

 先程ランスが言っていた、ホーネットにとって衝撃的だった二番目の話に触れた。

 

「あぁ、そりゃもちろん」

 

 魔王の事など知ったこっちゃないランスにとっては、特段引っ掛かる話では無い。相手の内心の動揺など知る由もなく、あっさりと返事を返す。

 

「なんせ、共用の風呂は魔物だらけで落ち着かんからな。女湯なら良いけど、あそこはシルキィちゃんが居ないと入れてくれねーし」

 

 その点この風呂なら、魔王の許可を得た以上は何も気にする事もなく、心ゆくまでゆったりと風呂を楽しむ事が可能である上に、

 

「それに何より、お前が居るしな」

 

 口角をにぃと釣り上げたランスは、今までホーネットの肩の上に置きっぱなしの右手でもって、彼女を更に自分の側に抱き寄せた。

 

「………………」

「これからは毎日混浴になっちまうなぁホーネットよ。けどまぁ、許可があるんだから仕方無いよな。うむ、仕方無い仕方無い」

 

 さも自分の意思とは別であり、やむを得ない事だと主張しながら、ランスはこれ見よがしに頷く。

 その腕の中、肌が密着する距離で居心地が悪そうに身を竦ませていたホーネットは、やがて疲れたように小さく息を吐き出した。

 

「……私は今夜にでも魔王城を発ちますので、後は貴方が好きに使ってください。当然ですが、備品は丁寧に扱うように」

「あ、おい。今夜にでも城を発つって、お前さては俺様との混浴から逃げる気だな?」

 

 似たような問答はこれで3度目。先程から、どうやら逃げるという言葉が気に触るのか、

 

「ですが毎日がこれでは、……」

 

 口を衝いたように何かを言い返そうとしたホーネットだが、言うべき事では無いとぎりぎりで思い直したのか、話途中で一旦口を閉じる。

 そして数秒を使用して気を落ち着けた後、ゆっくりと口を開いた彼女は、

 

「……とにかく、今は魔王城よりも魔界都市に居たい気分なのです」

 

 本当の理由などとても明かせず、先程と同じように気分の問題にする事にした。

 

 そもそも予定しているビューティーツリー侵攻作戦の為に、当初からホーネットは数日後には城を離れるつもりでいた為、少しその予定を繰り上げるだけであって大した話では無い。

 しかし一方、ランスにとってはそうではない。せっかくホーネットを落とす取っ掛かりを見つけたばかりだと言うのに、ここでホーネットに魔界都市に行かれてしまうのは望ましくなかった。

 

「まぁまぁホーネット、そう逃げんなって」

 

 逃亡を図る野生動物の警戒を解くかのように、ランスは柔和な笑みでもって相手の肩をぽんぽんと優しく叩く。

 とその時、脳裏にある直感が走り「あ」と気の抜けた声を上げた。

 

 

「つーかホーネット、お前やっぱ逃げてやがったんだな?」

「……何の事ですか」

「とぼけるんじゃない、ここ最近の話だ」

 

 最初にランスが気になったのは、メディウサ討伐の旅から帰って来た直後の事。少し昼寝をしている間にホーネットは城を出発しており、気付いた時には居なくなっていた。

 その次はワーグと戦う為に向かったサイサイツリーで再会した時、その魔人は別の魔界都市に行くと言ってとっとと姿を消し。

 そして更にワーグとの戦いを終えて再度サイサイツリーに戻った時、ランスが目を覚ました日の朝にその魔人は魔王城に帰還していた。

 

「どーもおっかしいなと思っていたんだ。会えたと思ったらすーぐどっかに行きやがるし」

 

 ここ数週間の間にランスは何度かホーネットとニアミスを繰り返しており、その事を少々不審に感じていた。

 とはいえ派閥の主たる彼女には色々と仕事がある様子なので、まぁ偶然だなとも思っていたのだが、今のホーネットの態度を見て、決して偶然では無く作為的なものだと確信に至ったらしい。

 

「ホーネット君。怒らないから正直に白状しなさい。俺から逃げていたのだろう?」

「………………」

 

 その言葉に何を思ったのか、喜怒哀楽を滅多に出さないホーネットの表情に変化が生じる。

 一見変わったようには見えないが、見る人が見ればすぐに分かる位には機嫌が悪いような、あるいは拗ねるような顔つきになった。

 

「逃げていた訳ではありません。……その、少々思うところがあったので、避けていただけです」

「……何がどー違うんじゃ、それは」

 

 ランスの至極真っ当な指摘については、さすがの魔人筆頭でも返答に窮したらしい。

 ホーネットはすぐに「用事があったのも事実ですから」と付け加える。それは確かに本当の事で、何も無駄な移動を繰り返していた訳では無いのだが、しかしその男はまだ納得しなかった。

 

「大体、思うところって何じゃい」

「………………」

「おい、黙ってないで何とか言えよ」

「……ですから、言葉の通りです」

「だーから、そこを詳しく聞いてんだっつの」

 

 常ならばきっぱりと自分の意見を発言する筈の、ホーネットとても煮え切らない今の態度に、軽く苛立ちつつも怪訝な思いを受けるランスの一方。

 ここ最近の自身の変化について、彼女自身もまだ整理がついた訳では無いので、何とか言えと言われても言葉を濁してしまうのも致し方無く。

 

 これ以上この話に触れられたくないのか、ホーネットは少し強引に別の話題へと切り替えた。

 

「……そんな事よりも、今日の貴方は意外と大人しいですね」

 

 

 

 

 事が終わってから振り返ってみると、話題を変えるという選択より、ここら辺でホーネットは風呂から上がっておけば良かったのだろうか。

 平然としているように見える彼女だが、すでにこの時から徐々に変調を来しており、その事は自身でも微かには気付いていたのだから。

 

 そして同じく平然としており、未だそんな素振りなど全く見せないランスだが、その頭の内には今日ここでホーネットとの決着を付けるべく、これ以上は無い程の必殺の一撃を用意していた。

 

 故にこの時点でさっさと風呂から出ていたなら、お風呂場でのランスとの邂逅という突然の出来事も無難にやり過ごす事が出来た筈だが、そうはせずに会話を続けてしまった事で、結果的にホーネットは更なる窮地に立たされる事となる。

 

 二人の混浴はまだ続く。

 

 

 

 

 



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接触

 

 魔王城の一角、魔王専用の浴室にて。

 魔人筆頭と人間の男の入浴タイムはまだまだ続いていた。

 

 

「……そんな事よりも、今日の貴方は意外と大人しいですね」

 

 ホーネットが話を逸らそうとやや強引に振った話題を受けて、特段そんなつもりは無かったランスは首を傾げる。

 

「そうか?」

「えぇ、なにせこのような状況ですから……」

 

 現在二人は混浴中。お風呂の中では当然裸で、今もランスの手はホーネットの肩に回され、ほんの少し手を伸ばせば何処にでも触る事が出来る距離。

 好色なその男にとって、垂涎ものの状況である事は誰の目にも明らかである。

 

 一瞬の隙を突かれて胸元に顔を埋めるのを許してしまった経験や、目を閉じていただけの自分を寝ているものだと勘違いして夜襲を仕掛けてきた経験などから鑑みて、今も少し気を抜けば即座に襲い掛かってくるのではないか。

 そんな予測をしていたホーネットは、いつ襲ってきても対処出来るようにと内心大いに警戒していたのだが、しかしランスは未だそんな素振りなど見せず、少々肩透かしを食らったような気分だった。

 

「普段の貴方であれば、すぐにでも不埒な事を仕出かすと思ったのですが」

「おいホーネット。お前は俺の事を、盛りのついたわんわんか何かだと思ってんのかいな」

「……違うのですか?」

 

 ホーネットの表情には疑念よりもむしろ驚きが表れており、今の台詞は心の底から純粋に思った事を聞いたような口ぶりだった。

 

「……あのな。この俺様が、年がら年中エロい事を考えていると思ったら大間違いだぞ。今日こうしてお前と一緒に風呂に入ったのだって、なにもお前を襲おうと思ったからでは無い」

「……では、何の為に?」

「おぉ、よくぞ聞いてくれた。今回の混浴の目的はな、お前と仲良くなる為なのだ」

 

 わざわざ待ち伏せをしてまで、一緒にお風呂に入ろうとした目的。

 それは間違いなくもっと直接的な事だと見越していたホーネットは、ランスの用意していたその建前に意表を突かれた様子で呟く。

 

「仲良く……」

「うむ。俺はなホーネット、君ともっと親睦を深めたいなぁと常々思っていたのだよ。うむうむ」

「……それで、このような事を? 親睦を深めると言うのなら、他にもやり方が……」

 

 そういう事には、追うべき順序というものがあるのではないだろうか。

 いきなり混浴というのは些か性急すぎて、段階を一つ二つ飛ばしてはいないかと思うホーネットの一方、そうは思わないのがランスだった。

 

「やり方なんざどーだっていいんだっつの。それとも何か? お前には俺様と仲良くなるつもりなどカケラも無いっつーのか?」

「そういう訳では……。親睦を深めるという事に関しては、私も吝かではありません」

 

 襲うつもりなど無く、こうして一緒に風呂に入ったのは、あくまでより親しくなりたいが為。

 その言葉を一応は信じたのか、ホーネットの警戒心が少し薄れる。彼女の肩を抱くランスには、その事が触れる肌から確かに伝わってきた。

 

 裸の付き合いという言葉もあるように、混浴というのは相手との関係性を深めるのに一定の効果はあるかもしれない。

 だが、とはいえそれはあくまで建前。名目上の理由であって、ランスの本当の目的では無い。

 

 これでもう少し場を弁えてくれれば申し分ないのですが。と、火照り始めてきた頭でそんな事を思うホーネットの一方。

 

 

(……ぐぬぬ。小癪な事を言いやがって。つーか、襲えるもんならとっくに襲っとるっつーの)

 

 その男は心中穏やかで無く、その内心では唇を噛みしめていた。

 

 ランスの目的は、当然ながら魔人筆頭とセックスする事にある。

 今も自分のすぐ隣にある、露わになった彼女の胸の膨らみに手を伸ばしたい気持ちで一杯だが、しかし行動には移さない。そんな露骨な方法では無駄だと分かりきっているからだ。

 

 先程のホーネットの言葉。危害を加える事など出来る筈が無いという発言からして、どうやら羽目を外し過ぎても攻撃される事は無いらしい。

 それを知れたのは進歩ではあるが、だからといってセックスが出来る訳では無い。

 

 依然としてランスとホーネットの間には人間と魔人という種族の壁、超える事の出来ない性能差があり、反撃されないからといっても力づくで押し倒す事は難しい。

 それではノースの町の宿での一件のように、簡単に逃げられてしまうのがオチである。

 

 強大な力を持つ魔人筆頭を抱く為には、サテラやシルキィなど他の魔人達と同様、あくまで彼女自身にそれを受け入れさせなければならない。

 その事はランスも理解していたので、絶世の美女たる魔人筆頭が自分のすぐそばで裸体を晒しているこの状況下においても、襲い掛かりたい気持ちをどうにか自制していた。

 

 

(ぶっちゃけ、手が無い訳でも無いのだが……)

 

 先に述べた通り、実はランスの頭の中にはホーネットを抱く為の必殺の一撃が存在する。

 この作戦に頼れば、労せずして彼女とセックスする事が出来る。おそらくは高い確率でそうなるだろうと思ってはいるのだが。

 

(ただなぁ、ちょーっとこの方法はなぁ……。出来れば使いたくないっつーかなんつーか……)

 

 この作戦には使用を躊躇ってしまう理由が幾つか見当たる為、ランスはホーネットと共に湯に浸かって色々と話をしていた当初から、頭の中では使うか否かについてずっと悩んでいた。

 

 そして結局。

 

(……とりあえず、もうちょっと様子を見るか)

 

 先程から相手の警戒心は徐々に薄れてきている。

 これは悪くない傾向だと思ったランスは、もう少し機を伺ってみる事にした。

 

 

 

 

 

 

 その後二人は、魔王専用の湯の心地を身体で染み入るように堪能しながら、

 

「……でな。そんな訳で、いつの間にかワーグとの戦いは終わっていたのだ。何がどうなってああなったのか、正直なところ俺様もよく分からん」

「どうやらそのようですね。私が報告を聞いた限りでは、貴方も十分に役立っていたそうですが」

 

 先日のワーグの一件について話をしたり、

 

 

「あ、そうだそうだ。なぁホーネット、ワーグとセックスする良いアイディアを知らんか? ワーグはお前と同じ位に強敵でな、今苦戦中なのだ」

「……あぁ、あれはそういう事ですか。シルキィは少し、貴方に優しすぎるような気がしますね」

 

 ワーグを抱く為の作戦について聞いてみたり、

 

 

「そういやシルキィと言えば、あの3人の中で一番エロいのはやっぱシルキィだと思うのだが、ホーネットよ、お前はどう思う?」

「…………さぁ、どうでしょうか」

「ってお前、全く考えてないだろ」

 

 そんなどうでもいい事なども話してみたり、

 

 

「俺様思うのだが、やっぱりお前の私服はおかしいと思うぞ。あれ、一枚着るのを忘れている訳じゃねーんだよな?」

「………………」

「おい、聞いてんのかよ。……ん?」

 

 そうこうしている内に、ランスはその変化にやっと気付いた。

 

 

「なぁ、ホーネット」

 

 ランスは少し体勢を動かして、隣に居る魔人の顔を真正面からじーっと見つめる。

 

「……何ですか?」

「お前、顔真っ赤」

「………………」

 

 ランスの目に映る今のホーネット、予想外の指摘をされて黙り込んでしまった彼女の顔は、額から頬まで綺麗な朱色に染まっていた。

 比喩表現としてもそうなのだが、物理的にも滅多に顔色を変えない魔人筆頭のその有様に、ランスはとても珍しいものを見た気分である。

 

「……そうですか」

 

 彼女はその事を自覚してはいなかったが、しかし自身の体調の変化、滅多に流す事の無い汗が肌から落ちる感覚や、頭には普段以上の熱が籠もっている実感があった。

 

「……どうやら少し、湯に当たったのかもしれません。……では、私はそろそろ上がります」

 

 まじまじと自分の顔を覗き込んでくる、相手の視線を嫌がったホーネットはすぐに立ち上がろうとしたが、その途中で、

 

「待てっつーの」

「あっ」

 

 ランスに軽く手を捕まれて、それだけでぐらっと体勢を崩し、湯の中に逆戻りして座り込む。

 どうやら体中に力が入っていないのか、普段の彼女からしたら考えられない有様であった。

 

「……何ですか?」

 

 その言葉は先程よりも刺々しく、ホーネットが苛立っているのはランスもすぐに分かったが、しかしそんな事は全く気にせず、再びその顔を眺めながら単刀直入に気になった点を聞いた。

 

「なぁホーネット。お前さ、もしかしてこの状況に照れているんじゃねーのか?」

「……そんな事はありません。湯に当たっただけだと言ったはずです」

「けどお前、これと同じくらい暑かったキナニ砂漠ではぴんぴんしてたじゃねーか。大体、人間の俺様がまだ全然平気なのに、先に魔人筆頭が湯にのぼせるって事はねぇだろう」

 

 ホーネットの紅潮した顔は湯当たりした結果と言われればそう見えるが、一方で照れている表情だと見る事も出来る。そして、ランスの指摘は概ね真っ当に聞こえた。

 

 基本的に感情を見せない魔人ホーネット。

 その恥じらう姿など、ランスは勿論、彼女に親しい者達でも目にする機会があったかどうか。

 

 なにせ普段着があれである。彼女の私服は露出度が極めて高く、それ自体はランスも気に入っているのだが、あの服は周囲を同格と見ていないが故の格好であり、それを着て自分の前で平気な顔をされると、男として見られていないような気がしてランスはどうにも面白くない。

 

 そしてそれは、こうして共に湯に浸かっている時でも同じ事。裸で密着しているにも関わらず、一向にホーネットは平然としたままで、それがランスには少々気に食わなかった。

 

 だが今の彼女の顔色を見ると、先程までの澄ました表情はもしや痩せ我慢だったのか。

 いや、そうに違いないと、ランスはそう決め付ける事にした。

 

「何だかんだ言ってぇ、俺との混浴に照れていたんだろ? なぁ、どうなんだホーネットちゃんよ」

 

 羞恥心を抱いていた事を本人に認めさせるのが楽しいのか、あるいは単に劣勢の魔人筆頭を追い詰めるのが楽しいのか。

 ランスは口角を上げたニヤニヤ笑いを隠そうともせず、その表情がまた癇に障るのか、ホーネットは不快げに眉を顰めて、そして。

 

 

「ですから、そんな事は……」

 

 無い。

 

 そう言うべきだと頭の大部分では思っており、おそらく普段の彼女であればそう断言していた筈。

 だが今のホーネットはどこか様子が違っており、暫し悩むように目線を横に背けた後。

 

 

「……いえ。あるいは、そうかもしれませんね」

 

 ゆっくりと瞼を伏せ、熱を帯びた吐息を漏らすと共に、シャングリラの時にも、ノースの町の宿での時にも上手く隠し通した事実を告白した。

 

「え、そうなの?」

「……えぇ」

「……マジか。認めやがったよこいつ」

 

 先程までからかい気分だったランスがつい呆気に取られてしまう程に、今の彼女は実にあっさりと心の内を語る。

 如何なる心境の変化なのかは不明だが、ともあれホーネットもようやく少しは自分を意識するようになったのか。ここまで長かったなぁとしみじみ思うランスの一方。

 

「それにしても、貴方は……」

「何だよ」

「……いえ。そうですね、貴方は普通にしているだけ……。ですから、これは全て私の問題……」

「うん?」

 

 首を傾げるランスを無視して、その魔人は力の籠もらないような眼で宙を見つめたまま、相手に話しているのか、それとも自分に言い聞かせているのか定かでない、囁くような独り言を続ける。

 

「おいホーネット、お前なんか……」

「私が、これでは…………」

「……ん~?」

 

(何だかホーネットのやつ、ぼーっとしてるっつーか、しゃきっとしてないっつーか……)

 

 ランスはようやく気付く。どうにもホーネットの様子がおかしい。

 普段彼女がその身に纏っている厳かな雰囲気、言葉にするならば緊張感や警戒心と言ったものを全く感じないし、頭も平常に回っていないのか、話す言葉も何やら要領を得ない。

 

「おーい。ホーネットちゃんやーい」

「………………」

「むぅ、反応が薄い。……そら、ぷにぷにーっと」

「………………」

 

 ランスはその頬を遠慮無く突いたり、つねったり引っ張ったりして遊んでみるが、しかし彼女からの制止の言葉は無く。

 止めなさいと言うかのように、常の怜悧さが抜け落ちた気怠げな目を向けるが、ただそれだけ。

 

「……うーむ」

 

(……どーやらこの様子だと、ホーネットのやつ、マジでのぼせちまったっぽいな)

 

 二人が熱い湯に浸かってから、そろそろ20分から30分が経ったが、湯当たりする程の時間が経過したと言えるかは微妙な所。

 それが証拠にランスは依然として問題なく、せいぜい額から汗が流れ落ちるのを感じたり、僅かに喉の渇きを覚える程度。

 

 しかしホーネットは今日、滅多に明かさない心情を特に明かしたくない相手に色々と吐露した事や、肩を抱くその手の感触など慣れない状況にずっと耐えてきた事が影響したのか、どうやら先程の言葉通り本当に湯当たりしていたらしい。

 

 

(つーか、こいつ……)

 

 ランスが普段目にする魔人ホーネット。その冷然とした表情は今はものの見事に崩れており、改めて彼女の顔を眺めたランスは思わず息を呑む。

 

 時に身震いさせられる程に鋭い眼光を放つ金の瞳は、今はとろんとしていて。

 

 聡明さと凛々しさを併せ持つその顔は、今はしっかりと赤みがさして熟れたように柔らかくなり。

 

 自然の小さく開いた口からは、熱にうなされるように荒い呼吸を繰り返す。

 

 そして放心したように自分を見つめる、その魔人の湯当たりした表情を目にしたランスは、

 

(色気があるっつーか、なんつーか……今のこいつ、むちゃくちゃエロいぞ。ヤバい、襲いたい)

 

 普段の威厳ある様子とのギャップにやられ、股間のハイパー兵器は一気に臨戦態勢。

 今すぐにでもホーネットを抱きたくなったランスは、様子見はもういいだろうと、当初から頭に浮かんでいた例の作戦を使用してみる事にした。

 

 

「なぁ、ホーネット」

「………………」

「おい、聞けっての」

「……何ですか?」

「さっきの事だがな、俺様は美樹ちゃんの手紙を持っていただろう?」

 

 口を開くのも億劫なのか、小さく頷く事で返事を返した彼女に対して。

 ランスは用意していた必殺の一撃、ホーネットという女性の一番の弱点、魔人筆頭であるが故の急所に深く刺さる指摘を真っ向から突き付けた。

 

 

「あの手紙にだな。仮に『ランスさん、ホーネットとセックスしていいよ』って書いてあったら、お前はどうするつもりなんだ?」

「……そ、れは」

 

 ホーネットの口からは次なる言葉が出ず、しばしその場を静寂が支配する。

 魔王に従順な魔人筆頭なら、魔王が性交の許可を出してしまえば、ホーネットは言われるがままに自分に抱かれるのではないか。それが、ランスの考えていたとっておきの作戦。

 

 ランスが今日、ホーネットとの混浴に挑んだのは襲う為でも仲良くなる為でも無い。

 その本当の理由は、捏造した美樹の手紙に効き目があるかどうかを確かめる為であり、その意味ではすでに目的は達成されている。

 

 適当にでっち上げただけの手紙でも、その真偽を確認する術の無いホーネットは従わざるを得ないと分かった以上、手紙の文面を少し弄るだけで彼女を抱けるという事になる。

 ただ先程の会話で、彼女にとって魔王という存在は軽々に扱っていいものでは無いと分かった為、そこが少し怖い点ではあったものの、今の色香に溢れるホーネットを前にしてしまったら、ランスのそんな躊躇いは彼方に飛んでいった。

 

「なぁ、どーなんだホーネット。答えろよ」

「………………」

 

 今すぐにそんな内容の魔王の手紙を用意すれば、お前は俺に抱かれるのか。

 

 その問いへの返答を迫られたホーネットは、本人には全くそのつもりは無いのだが、しかし情欲を掻き立てるような悩ましげな表情で、そのまましばらく沈黙していた後。

 

 

「……さぁ。答えが欲しいのなら私に尋ねず、試してみればいかがですか?」

 

 そんな言葉で、直接の解答を避ける。

 ただそれは、魔王の存在を利用する事を暗に認めるかの如き言葉で、普段の彼女であれば間違いなく言わない筈の、湯熱の影響で思考がおかしくなっている事が良く分かる台詞だった。

 

 

 そして、必殺の一撃をホーネットに躱されたランスはと言うと。

 

「……む。まぁ、それもありっちゃありだな。確かにお前の言う通り、試してみりゃあ済む話だ」

 

 口ではそう言うが、しかしその心中ではまだこの作戦を実行する気分にはなっていなかった。

 それは何故かと言うと、この作戦にはもう一つの問題点、ホーネットに対して魔王の存在を利用する事への恐怖とは別の、使用を躊躇わせる他の理由があったからである。

 

「……しかしだな」

 

 ランスは肩に回していた手を動かし、力が抜けたようにその腕に寄り掛かっていた彼女の体勢を整えた後、その顔を真っ向から凝視する。

 

「俺様、んな事を試す必要があんのかなーとも思うのだ。なぁホーネット、お前もそう思わんか?」

「……なにがですか?」

「いやな、もーちょっとだと思うんだよなぁ。もうちょっとで、何も美樹ちゃんの手紙になどわざわざ頼らんでも、お前とセックス出来るような気がしてならんのだ」

 

 この作戦の使用を躊躇わせる、もう一つの理由。

 それは、魔人筆頭という世界で一、ニを争う程の高い頂きに、他人の力を借りずに自力のみで到達したいと思う、ランスという男の性。

 

 魔王城にやって来てから、そろそろ4ヶ月程。

 今のランスの頭には、これだけ時間が掛かったからとっとと抱きたいという思いと、これだけ時間が掛かった以上は自分の手で落としたいという思いが、困った事に相反して両方存在していた。

 

 今すぐホーネットを抱きたい。その思いはランスの中に強くあり、それはすぐにでも可能な事。

 先の問い掛けには頷かなかったが、しかし真っ向から否定しなかった以上、今からほんの数分で美樹の手紙を用意してくれば、おそらく彼女は観念してその身を委ねる筈。

 

 しかし魔王の権力を笠に着た狡っ辛い手段では無く、魔人筆頭を自力で抱く。今まで数多くの女性をものにしてきたランスには、そんな偉業に挑みたいという思いも確かにあり。

 そしてそれは何も非現実的な話では無くて、あと一歩か二歩で達成出来る事なのではないかと、ついさっきからランスはそう感じていた。

 

 普段の真面目で厳格な魔人筆頭なら不可能だろうが、そのような存在はすでにここには居ない。

 今この場に居る魔人ホーネット。熱に苛み、脱力して微睡むかのように身体を預けてくる彼女は、何の力も無いただの美しい女性のようにしかランスの眼には映らない。

 

 先の話から、ホーネットは以前よりも遥かに自分の事を意識している様子だし、今ならこのまま流れで押し倒す事も可能なのではないか。

 

 それこそ例えば、今ここで自分が少し顔を動かして口付けをしたとしても、今の状態のホーネットならばきっと抵抗しない。

 ランスがこれまで歩んできた激動の人生、その日々で培った歴戦の女性遍歴がそう告げていた。

 

 

 

「今ならお前とセックス出来るような気がする。なぁホーネット、そう思わんか?」

 

 あえてランスは相手に問い掛けてみる。

 彼女が否定しなかったり、曖昧に言葉を濁したりしたら、その時はもう手を出そうと決めていた。

 

「………………」

 

 自分の返答次第では、その男は躊躇無く仕掛けてくる。

 思考が明晰でない今のホーネットにも、その事は何とか理解する事が出来た。

 

 熱にやられて朦朧とする頭で魔人筆頭は思う。

 何と言って断るべきか。いや、そもそも断りたいと心の底から本気で思っているのかどうか。

 

 ここ最近、特に二人での旅をした後頃から、何故だかあまり顔を合わせたくないと感じたり。

 一方で居心地の悪さを感じていたにも関わらず、のぼせるまでにこうして隣に座っていたり。

 世話役の異性に対しては何も問題無いのに、何故か肌を見せる事に僅かな羞恥を感じたり。

 

 我が事ながら自分の不審点は幾つも挙がり、いい加減このままにしておくのは色々と良くない。

 ぼやけた視界に映る、目の前の男と自分はどうなりたいと思っているのか。

 

 それらを色々と考えたが故になのか、あるいは色々考えるのが面倒になったが故になのか。

 

 とにかくホーネットはそっと口を開くと、

 

 

「……ですから、試してみればいかがですか」

 

 先程と同じように直接の答えは避けたが、聞きようによっては決定的とも取れる言葉を発した。

 

 

「……言ったな。ホーネット、後悔すんなよ」

 

 ここまで挑発的な言葉を女性から言われて、このまま何もしないのでは男が廃る。

 意を決したランスは左手で彼女の顎を持ち上げ、焦らすかのようにゆっくりと顔を近づけて。

 

 

 そして、ホーネットと唇を重ねた。

 

 

「ん……」

 

 生まれて初めての接触。その感触に微かに喉を鳴らしたホーネットは、自然と瞼を閉じる。

 その様子からは、もはや抗う意思など何一つ見当たらない。自分との行為を受け入れた姿だとランスが思ったのも無理はなく。

 

(……なら、こっちはどうだ)

 

 それならばと、ランスは口付けしたままホーネットの顎を支える左手を離し、次は水面に見え隠れする胸の膨らみに手を伸ばす。

 

「──ん、」

 

 ホーネットは小さく喉を鳴らしたが、しかしそれだけ。

 ランスは何度もその柔らかな形を変えてみるものの、やっぱり彼女は抵抗を見せない。

 

(あれ? もしかしてこれ、本当にいける!?)

 

 全て自分の思うがまま、されるがままのホーネットの姿に確かな手応えを掴む。

 そして一段と湧き上がる興奮そのままに、ランスはその胸の先端を軽く引っ掻く。

 

「あっ、……」

 

 聞こえたのはホーネットの嬌声。ランスが初めて耳にした、魔人筆頭の甘く響く声色。

 これまで沢山の女性を抱いたランスといえども、その艶めく声に性的興奮はピークに達して、ドクンと心臓が高鳴った。

 

 

 一方、自分の口から出た初めて耳にする声を、どこか他人事のように聞いていたホーネット。

 ランスの指使いにより胸の先から何度も生じる、感じた事の無かった痺れが切っ掛けとなり、一瞬意識がクリアになった彼女は大きく目を見開く。

 

 その瞳の色は、潤んだように揺らいでいた先程までとは異なっており、今自分がとても致命的な事をしていると遅れに遅れて認識した結果。

 

「おわっ!」

 

 急に立ち上がった事に驚く相手を無視して、

 

「………………」

 

 未だ熱い感触の残る唇を右手で押さえると、

 

 

「……もう出ます」

 

 指の隙間から、肩を大きく上下させた荒い息遣いを幾度と無く漏らしながら、そのまま逃げるように風呂場から出ていった。

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 そして湯船に取り残された男は、突然の出来事を前に彫像のように固まってしまったのだが、

 

「……し」

 

 やがて今の状況を嫌でも認識した結果、脱衣所はおろかその先の廊下まで響く程の絶叫を上げた。

 

 

「しまったぁーー!! 俺様とした事が、百戦錬磨のランス様とした事がァァーーー!!!!」

 

 あともう一歩だった。間違い無くほんの紙一重の所まで迫ったのにも関わらず、結局今回もホーネットを抱く事は出来なかった。

 まるで釣り竿を引き上げて、獲物が水面に姿を見せた寸前で逃げられてしまったような、千載一遇の好機を逸したランスは頭を抱えてうずくまる。

 

 率直に言って興奮していた。それは認めざるを得ないが、この自分が女性を前にして興奮のあまりに攻め手を焦ってしまうとは。

 ホーネットはおそらく初めてなのだから、もっとじっくりと攻めるべきだったのに。そうしていればきっと今頃すでに……。

 

 などと、そんな思いがぐーるぐーると頭の中で渦を巻き、あーしておけばこーしておけばと、およそ30分にも渡ってランスの反省と後悔の時間は続き。

 

 

 

 その後、ようやく気を取り直したランスは風呂から上がり、いざ再戦とばかりにホーネットの部屋を訪れたのだが、そこはすでにもぬけの殻。

 

 彼女は宣言通り、風呂を出た後すぐに魔王城を出発して、サイサイツリーへと向かったらしい。

 

 その事を知ったランスはさらに後悔を深め、がっくりと肩を落としたまま自分の部屋に戻ると、ベッドで団子のように丸まってその日を終えた。

 

 

 

 

 



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夢のハーレム

 

 

 ある日の魔王城。

 

 

「ぐぅぐぅ……ぐぅぐぅ…………んが?」

 

 朝。

 自室のベッドの上で、ランスは目を覚ました。

 

 

「ぬぅ……。あー、よく寝た」

 

 まだ半覚醒のぼんやり頭のまま、のそのそとベッドから体を起こし。

 くあー、と大あくびと共に腕を伸ばすと、軽い倦怠感の残る全身に徐々に力が巡っていく。

 

「……お?」

 

 ふとランスは横を見てみる。するとすぐ隣に魔人サテラが居る事に気付く。

 同じ毛布に包まれて、ランスに引っ付くようにして寝入っている彼女は一糸纏わぬ格好であり、意外とあるその胸の双丘から、大事な箇所さえも全て無防備に晒していた。

 

「……あー。そういやぁ、昨日はサテラを抱いたんだっけか?」

 

 まだ頭がしゃんとせず、どうにも記憶が定かでは無いが、この魔人が裸で自分の隣に居て、ついでに自分も素っ裸だと言う事はそういう事だろう。

 朝起きた時に誰かしらの女性が隣に居る事は、その男にとっては当たり前の日常であって、一々気にするような事では無かった。

 

「……ふーむ」

 

 すやすやと眠るサテラの裸体を見ていたら、朝っぱらだと言うのに何だかむらむらしてきたランスは、何となしに彼女の胸の先を弄ってみる。

 

「ん、ふぁ……」

「……おぉ、反応した。やっぱ寝ている時でも敏感なんだなぁ、こいつは」

「……んゅ、やめ……あ、らんす……」

 

 身体に強く走る甘い痺れに、どうやらサテラの意識も覚醒したらしい。

 胸を無遠慮に触る手を払いのけ、ゆっくりと身体を起こした彼女は寝ぼけ眼で相手を睨んだ。

 

「……ランス。お前というやつは、朝から何をしているんだ」

「がははは。軽いジョークだ、そう怒るなって」

「まったく……」

 

 魔王城にやって来たランスの口車に乗せられ、その身を委ねる事になってから早3ヶ月近く。

 何かと怒りっぽいサテラといえども、この程度のセクハラにはさすがに慣れてしまったのか、怒るというよりは呆れたように嘆息した後。

 

「ランス、ちょっとこっち向け」

「あん?」

「……んっ」

 

 サテラはそっと目を瞑り、くいっとその首を少し上向きに傾けて、僅かに突き出したその口元をランスの顔の前に寄せる。

 それはまるで、恋人が相手にキスを求める仕草。いや、まるでと言うかまさにそのものだった。

 

「……どした?」

 

 柄に合わない、とても柄に合わないその魔人の起き抜けの奇怪な行動に、つい面食らってしまったランスはそう尋ねてみたものの。

 

「……んっ!」

「いやあの、ん、じゃなくて……」

「……んー!」

 

 サテラは一向に答えようとはしない。閉じた瞳も開く事は無く、そのままの姿で更に首を伸ばし、更に口元をアピールする。

 早くキスをしろ。さもそう言わんばかりの態度に、ランスの頭の中に沢山のはてなが浮かんだ。

 

(……なんだこいつ、頭でも打ったか? もしかして、寝返りをした時に肘が入っちゃったか?)

 

 そんな事を考えてしまうのも致し方無く、サテラが自分に対してキスをねだる姿など、ランスは一度たりとも目にした記憶が無い。

 

 この魔人はプライドが高く尊大な性格をしており、基本的に自分に対してはつんけんしている。それでも言葉や行動の端々から好意が滲み出る事があり、自分にメロメロなのは間違い無い筈。

 言ってしまえば、普段の尖った態度は全て照れ隠しであって、そういう所が中々可愛い奴じゃないかと思うランスなのだが、とにかくこんな真っ直ぐに自分を求めてくる姿は見た事が無かった。

 

 

 魔人サテラの急な変化、その妙な変わり様に、ランスは内心大いに疑問を抱いたものの、

 

「ま、いっか」

 

 よくよく考えてみれば、別に何か自分にとって不都合があるような変化では無い。

 ランスは相手の要望通りにキスをしてあげた。

 

「んー……」

 

 待ちわびていた柔らかな接触に、その魔人の喉から嬉しそうな声が聞こえて。

 そして数秒後に互いの顔が離れる。だがサテラはまだ物足りなさを感じたのか、そのまま自分の頭をランスの引き締まった胸板に寄せた。

 

「……ん~♪」

 

 すりすりと頭を動かして真紅の髪を揺らしながら、心地良さそうに寄り付くその仕草は、まるでわんわんかにゃんにゃんかと言った所か。

 加えて言えば未だにサテラは裸であり、そんな格好で幼子のように甘える姿には得も言われぬ色気を醸し出していたのだが、いずれにせよこの魔人にはさっぱり似合わない姿であった。

 

「……おいサテラよ、お前どうした? さっきから全体的に何だかおかしいぞ」

「べ、別におかしくは無いだろう。えっと、あれだ。たまにはその~、使徒に褒美をと思ってな」

「……ほーん、褒美ねぇ」

 

 サテラがそんなサービス精神に溢れる魔人だった覚えは無いのだが、考え方でも変わったのだろうか。というか、ご褒美というならもっと性的な内容の方が嬉しいのだが。

 などと思うランスであったが、滅多に褒美など与えないこの魔人がその気になったと言うのなら、ここは深く考えず受け取っておこうと思い、小動物の真似を続ける彼女の頭の上に手を乗せる。

 

「よーしよーし、なーでなーで」

「あ、ランスぅ……」

 

 大きな手のひらで頭を雑に撫でられ、人より敏感な彼女はきゅっと目を瞑り、そのくすぐったい感覚を頑張って耐え忍ぶ。

 

「ほーれほーれ、わーしゃわーしゃ」

「うぅ……」

 

 そうして少しの間、ランスはサテラの頭をなでなでしていると、

 

「さーわさーわ……お?」

 

 コンコンと、部屋のドアを叩く音が聞こえて。

 ノックをしたその人物は、部屋の中に居るランス達はまだ眠っているだろうと思ったらしく、返事を待たずしてすぐに戸を開いた。

 

 

「あ、やっと起きたのね。もう、寝坊よ二人共」

「ありゃ? シルキィちゃんだったか」

 

 部屋に入ってきたのは、魔人四天王シルキィ・リトルレーズン。

 ノックの音が聞こえた時、ランスが想像したのはシィルの姿だった。毎朝自分の事を起こしに来るのは、奴隷の仕事だからである。

 

 そんな想像とは異なり、部屋に入って来たのがシルキィだった事にランスは少々不思議に思ったものの、そんな些細な疑問などどうでもよくなる程に、とても気になった事が一つあった。

 

「……てかシルキィちゃん。君、何で裸なの?」

 

 その魔人は上も下も一切服を着ておらず、健康的な色の肌、起伏の少ないなだらかなボディラインの全てを余す所無く露出していた。

 

 彼女の普段着は布面積がとても少なく、着ていても着ていなくても然程違いの無い服ではある。

 しかし、とはいえシルキィには露出癖があるという訳では無いし、寝起きのサテラとは違って、自分達を起こしに来たらしいシルキィには服を着る暇があった筈なのに、一体何故に全裸なのか。

 

 ランスのそんな疑問に、あたかも当然の事を言うかのような口ぶりで、その魔人はあっさりと答えを返した。

 

「だってランスさん、こっちの方が好きでしょ?」

「……え?」

「え? って……違うの?」

「あ、いや、違くは無いのだが……」

 

 しかしそんな理由で全裸なの? と、その発言の真意がよく分からず、思わず首を傾げてしまうランスに対して。

 一方のシルキィには特に気にした様子もない。それどころか、彼女はランスのすぐそばにまで歩いてくると、自然に顔と顔を近づけて、

 

「おはよ、ランスさん」

 

 ちゅっ、と音が鳴る。

 シルキィは朝の挨拶と共に、ランスの頬に触れるような口付けをした。

 

「……お? おぉ……!」

 

 魔人四天王のまさかの行動を受けて、ランスは胸中に湧き上がるものがあったのか、呆然とした様子で唇の感触の残る頬をその手で触れる。

 そして以前からちょくちょく考えていた、実はそうなのではないかと薄々気付いていたその事に、ここに来て遂に確信を持った。

 

「……ははーん。そーかそーか、そういう事か」

「んー、なんの事?」

「シルキィちゃん。さては君、俺様に惚れたな?」

 

 きっとそういう事だろう。であれば先程の行動にも納得がいくと、ランスは脳内で大いに頷く。

 

 元々シルキィとは魔人を一体倒すという約束を交わし、その結果ランスは彼女を抱けるようになっただけで、そこに恋愛感情があった訳では無い。

 シルキィはとても義理堅い性格であり、自らの口で約束した以上は仕方無い事だと、今までランスのあれやこれやに付き合ってきた。

 

 だがその後、共に日々を過ごす内に惹かれるものがあったのか、もしくは何度も肌を重ねる内に情が湧いてしまったのか。いずれにせよ遂にこの魔人四天王も陥落して、心の底からメロメロになったのだろう。

 

 そう考えたが故の、自分に惚れたのだろうというランスの問いに対して。

 

「もう、何言ってるの」

 

 くすりと、からかうように小さな笑みを零したシルキィは、その両腕をランスの首に抱きつくようにぐるっと回し。そして。

 

 

「そんなの当たり前でしょう? 愛しているわ。ランスさん」

 

 熱の籠もった視線でランスの瞳を覗き込みながら、身体を預けるようにしな垂れ掛かってきた。

 

「な、なななっ!! シルキィちゃん、君、なんと積極的と言うか、情熱的と言うか……」

「そう? 普通だと思うけど」

 

 シルキィは平然とした様子でそう言うが、決して普通では無いとランスは思う。このような彼女の姿など、先のサテラ同様に今まで見た記憶が無い。

 

 シルキィ・リトルレーズン。彼女はとても真面目な魔人である。

 性行為の最中などは人が変わったように激しく求めてくる彼女ではあるが、しかし日常ではそのような夜の顔を見せる事など決して無い。

 朝の挨拶のようにキスをされた事など初めての経験であるし、愛の言葉を囁くなどもっての他。

 

 これは自分の気持ちを自覚したが故なのか。

 恋愛とは、こんなにも人を変えるのだなぁと、しみじみと思うランスの一方。

 

「……うぐぐぐ」

 

 そんな光景を見せ付けられていた別の魔人、今まで一応気を利かせて黙っていた彼女にとっては、そろそろ我慢の限界だった。

 

「……あのなぁシルキィ!! 言っておくが、ランスはサテラのものなんだからな!!」

 

 彼女は所有権を主張するかのように、ランスの右腕を自分の胸元に抱き寄せながら吠える。

 ランスは現状サテラの使徒という扱いであり、それはシルキィとも相談して決めた事。そして、当然だが使徒というのは主たる魔人のものである。

 

「分かってるって。サテラのものを取るつもりは無いわ」

 

 ムキになるサテラに対して、シルキィは実に呆気なくランスの首から両腕を外す。

 その態度は決してサテラと争うつもりなど無く、早々に身を引く事を表明した姿のようにも見えたのだが。

 

「でも……」

 

 小さく呟きながら、シルキィはサテラと同じようにランスの腕を持ち上げる。

 そして、それを抱き寄せた逆側の魔人に対して、彼女はまるで二人の関係を示すかのように、ランスの左腕を自らの首に回し、その懐に潜り込んだ。

 

「ランスさんは私のものじゃないけれど、私がランスさんのものなのよ」

 

 ランスとシルキィが交わした約束、それは自分の女になれという内容であり、そこから考えれば彼女の発言は間違ってはいない。

 しかし、わりととんでもない事を平気な顔で口にするシルキィの姿は、先の言葉とは裏腹にランスの事を譲る気など全く無いように見えた。

 

「なぁっ!? シルキィ、それは屁理屈だぞ!!」

「別に屁理屈じゃないわよ。私がランスさんのものだというのは事実だもん。ねーランスさん?」

「そのとーり!!!」

 

 魔人サテラと魔人シルキィ。

 共に見目麗しく、魅力的な二人が自分を取り合う男冥利に尽きる状況に、ランスは辛抱堪らず両者をぐいっと両腕で抱き込む。

 朝っぱらから妙に積極的な両魔人のアピールに、この際理由など気にしない事にしたランスは大層気を良くして、ついでとばかりにハイパー兵器は元気一杯になっていた。

 

「全く二人共、俺様を取り合って喧嘩などするんじゃない。そんなに俺様が欲しいなら、すぐにでも二人共にくれてやろうじゃないか」

「……む。今からか? サテラはその、ランスがどうしてもと言うなら、まぁ……」

「私も構わないけど……。けどランスさん、朝ごはんを食べてからにしたら? お腹空かないの?」

「……言われてみると」

 

 確かに目が覚めてから多少時間が経った事で、腹部に強い空腹感を覚えてはいるが、しかし自分にとって性欲は食欲に勝る。

 今は朝飯などよりもセックスだ。そう思うランスの耳に、ふと気になる言葉が飛び込んできた。

 

「朝ごはんの準備ならもう出来ているし、それに、向こうで二人も待っているわよ」

「……二人?」

 

 シルキィの言う二人とは、一体どの二人の事を指しているのか。それが何だが無性に気になったランスは、自然と眉を顰める。

 この状況において幾つか可能性は挙げられるが、この時ランスの直感がびびっと働き、恐らくシルキィの言う二人とは魔人なのではないかと思った。

 

 つまり、あの魔人とあの魔人。

 その答えを確かめたくなったランスは、両腕に抱えた二人の魔人の事は一旦置いておき、すぐにベッドから下りる。

 

 

 そして、寝室と居室を隔てる戸を開くと、一人の女性の姿が目に映った。

 

「あ、起きたのですね」

「ふむ、やっぱりハウゼルちゃんか」

 

 先の直感通り、そこにいたのは魔人ハウゼル。

 彼女は座っていた食卓の椅子から立ち上がると、ランスに向けて嫋やかに微笑んだ。

 

「ふふっ、ランスさん、寝癖が立っています」

「む、後で直すか」

「昨日は良く眠れましたか? 朝ごはんならもう出来ていますよ」

 

 彼女の言葉通り、食卓の上には朝に食べるにしては少々豪華過ぎる食事の数々が並んでいる。

 果たして誰が作ったのだろうか、もしやハウゼルが作ったのか。なんて事を思う余地など無く、ランスの意識は眼前の魔人の素晴らしい格好に釘付けになっていた。

 

「あぁ、それは良いのだが……君も裸なんだな」

 

 普段着用している赤色で揃えられた上下の装いは何処へやったのか、ハウゼルの姿もサテラやシルキィと同じく何一つ隠さない素っ裸。

 今この部屋には服を着ている者など誰も居らず、とても明け透けな空間となっていた。

 

「もしや君も、俺様が喜ぶからと裸なのか?」

「えぇ。……その、少し照れますけどね」

 

 恥じ入るように頬を染めるハウゼルだが、しかし一向にその身体を隠そうとはしない。

 先のシルキィ同様、冷静になって考えればさっぱり意図が理解出来ない行動であり、どう考えても妙な事になっているのだが、すでに脳内の八割方がピンク色に侵食されたランスにとって、そんな不自然さなど些細な事だった。

 

「少し待っていてください。ごはんが冷めてしまったので、温め直してきますね」

「いや、飯などどうでもいい。俺様は朝飯よりもハウゼルちゃんを食べたい」

 

 ランスのそんなどストレートな要求に、性的な事に耐性の無いハウゼルはすぐに平常心を失う。

 駄目ですランスさん。と口だけの抵抗をするものの、決して嫌だと言えない彼女は、ぐいぐいと押しに押していくランスの前に、最終的にはベッドインにまで持ち込まれてしまう。

 

 以上がランスにとっての、ハウゼルとセックスする時のいつもの流れなのだが、しかし今日の彼女は何かが違っていた。

 

 

「……はい。私も、朝ごはんよりも私の事を食べて欲しいです」

「なんと!?」

 

 さすがに平常心で言える言葉では無いのか、照れ笑いを浮かべているハウゼルではあるが、その顔はともすれば妖艶に微笑んでいるようにも見えて。

 思わずランスが仰天してしまう程に、今日のハウゼルは何故だかとても積極的であった。

 

「……そうかそうか。君もシルキィと同じように、自分の心に素直になったという事か」

「そういう訳では無いのですが……」

「なぁに、照れる必要など無い。そういう事なら、君の事も美味しくいただいてやろうじゃないか。……だが」

 

 言葉を一度区切ったランスは、逸る気持ちを抑えるようにこほんと咳払いをして。

 

「ハウゼル、なんでも聞く所によるともう一人居るそうじゃないか。そいつは何処だ?」

「あ、はい。ランスさんが寝ている間に所用を済ませてくると、今少し外されていまして。多分そろそろ……」

 

 ここに居ない最後相手について尋ねたちょうどその時、ランスの背後にあった出入り口のドアが開かれて、一人の女性が部屋の中に足を踏み入れる。

 

「あ、戻られましたね」

「……お」

 

 振り返ったランスの眼に映ったのは、先の直感通りのあの魔人。予想通りだったのにも関わらず、ランスは言葉を失ってしまった。

 その理由はつい先日、彼女を抱くのにあと一歩と迫ったが最終的に取り逃がしてしまい、その後悔はあれから数日経った今でも尾を引いている程の、ランスにとっての因縁の相手だったからである。

 

 

「ほ、ホーネット……」

「あぁ、ランス。起きましたか」

 

 最後の一人、それは魔人ホーネット。

 

「……ごくり」

 

 彼女の姿を目にしたランスは思わず息を呑む。

 やっぱりと言うか何と言うべきか、ホーネットも先の三人同様に一糸纏わぬ全裸であり、均整のとれたその抜群のプロポーションを、ランスの眼前に堂々を突き付けていた。

 

 先日の混浴の後、彼女はすぐに前線の魔界都市に出発した筈なのに、何故今ここに居るのか。

 ついでに言ってしまえば、この部屋の中ならともかくとして、そんな格好で部屋の外の廊下を歩いて大丈夫なのだろうか。

 などと言う疑問など欠片も持たず、ランスはふらふらとホーネットに近づいてゆく。

 

 今すぐあの日のリベンジを。それしか頭に無いランスは、自然と彼女の胸に両手を伸ばす。

 

「……くっ」

 

 しかしその手がその膨らみに触れる寸前、誰に止められる訳でも無く、ランスは自らの意思で両手に待ったを掛ける。

 

 先日の混浴の際には、その溢れる色気の前に興奮して攻め手を焦り過ぎてしまい、結果大魚を逸する事となった。

 その時の反省が生きた結果、ランスは欲望に釣られてしまう我が腕を寸前で食い止める事に成功したらしい。

 

 だが、とはいえその胸、その身体に触りたいという気持ちも抑えられるようなものでは無く、暫し煩悶したランスは結局。

 

「……なぁホーネット」

「何ですか?」

「おっぱい触っていいか?」

 

 一番無難な方法、本人から許可を取る事にした。

 普通に考えれば頷く筈など無い話だが、何故だか今のランスにはいける予感があった。

 

「………………」

 

 その予感は果たして、当たっていたのかどうか。

 セクハラそのものな質問を受けたホーネットは、少し悩む様子を見せた後、僅かに首を傾げる。 

 

「何故ですか?」

「……いや、何故って言われてもな……そこに触りたいおっぱいがあるから?」

 

 一体何故おっぱいに触りたがるのか。ランスにとってはまるで哲学のように聞こえるその疑問に、山を前にした山男のような答えを返す。

 

 だがランスのその返答は、ホーネットが質問した意図とは大きく違っていたらしく。

 

「……そうではありません」

 

 魔人筆頭は小さく首を横に振ると、その豊かな胸の谷間をそっと押さえて。

 決してランスからは眼を逸らさないが、その瞳は熱を持ったように艷やかに潤み。

 そして、とどめとばかりにその頬を赤く染めて。

 

 

「……この身体も、この心も、私の全てはもうランスのものです。何故今更、私に触れる事を躊躇うのですか?」

「…………ぁ」

 

 ホーネットのその台詞でもって、ランスの自制心はめでたくノックアウト。

 彼女の全てを手に入れた覚えなど無いような気もしたが、そんな事はもうどうでも良かった。

 

「……っがーー!!! どいつもこいつも、俺様を興奮させる事ばっか言いやがってーー!!!」

「あっ」

「きゃ、ランスさん!?」

 

 猛るランスは右腕にホーネット、左腕にハウゼルを抱えると、部屋の中をダッシュで猛然と駆け抜けてそのまま寝室の戸を蹴飛ばす。

 

「あ、帰ってきた」

「やっぱり二人も一緒ね。ランスさんの事だからそうなると思ったけど」

 

 未だベッドの上には二人の魔人の姿。どうやら寝起きのサテラの髪を、シルキィがポニーテールにセットしてあげていたらしい。

 

 そんな二人のそばに、ランスは両腕に抱えた二人の魔人を放り投げた結果、遂にランスの寝室にホーネット派の魔人達が勢揃いした。

 

「お前ら全員、ランス様が可愛がっちゃるわーー!! 明日の朝、いや、明後日の朝まで一人たりとも寝かさん!! 覚悟はいいかーー!!!」

 

 ベッドの上で待ち構える四人の下へ、宣言と共にランスはぴょーんと大ジャンプ。

 

 宙を飛んでくる人間の男を、四人の魔人はそれぞれの笑みで迎え入れた。

 

 

 

 突然降って湧いた、ホーネット派魔人達とのハーレムプレイ。その最中にふとランスは思う。

 

 もしかしてこれは一時の夢なのではなかろうか。そんな事を思い、そしてまたすぐに思う。いいや、これは決して夢などでは無い。

 それが証拠に彼女達に触れた感触、その熱、その息遣い、そして聞こえる嬌声までもが全てが生々しく、ランスには彼女達を貫いている確かな実感、確かな悦びがそこにあった。

 

 一体何故こんな事になったのか。彼女達の身にどのような心境の変化があったのか。

 もしかして日々をいい子に過ごしていた自分へのご褒美、神様の粋な計らい、天からの素敵なプレゼントなのだろうか。

 

 そんな事を思ったのは寸刻の事、すぐに自分を欲しがる彼女達の声が聞こえたので、もはや思考など捨てて極上の快楽を味わう事だけに只々没頭し。

 先の宣言通りに次の日、そしてまた次の日が訪れても尚、四人の魔人を隅々まで堪能し尽くさんと、猛るランスが止まる事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 そして、ランスは目を覚ます。

 

 時刻は朝ではなく昼、場所も魔王城では無い。

 ここはワーグの小屋。そこにあるベッドの上にランスは居た。

 

 

 

 

 



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ハーレムの夢

 

 

 

 

 

 魔人サテラ。魔人ハウゼル。魔人四天王シルキィ・リトルレーズンに、魔人筆頭、ホーネット。

 

 彼女達との性行為を、ランスは思いの限りに楽しんだ。間違いなく楽しんだ。

 サテラの胸を、ハウゼルのお尻を、シルキィの中を、ホーネットの全てを存分に味わった。

 

 そのはずだったのだが。

 

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 ホーネット派魔人達との、数日間にも及ぶ極上のハーレムプレイ。

 その至極の時間から突然意識を切り離され、ランスベッドからすぐさま身体を起こす。

 

「……あれれ? サテラ? ハウゼルちゃん?」

 

 ランスは彼女達の名を呼ぶが、しかし何処からも答えは無く。

 ほんのつい先程まで自分の腕の中に居た、確かな熱を持った魔人達の柔らかな感触は、今はもう煙のように忽然と消え去っていた。

 

「あれれれ? 俺様のシルキィちゃんは? 俺様のホーネットはどこいったのだ?」

 

 辺りをきょろきょろと見渡すが、四人の魔人達の姿はどこにも見当たらず。

 その代わりに、ベッドのそばにあった小さな椅子にちょこんと座っていたのは。

 

 

「ランス、おはよう」

 

 この家の家主、魔人ワーグだった。

 

「……おぉ、誰かと思えばワーグじゃないか。……うむ? ワーグ、ワーグだと?」

 

 瞬間、ランスの脳裏にある嫌な予感が走り、さっと表情を凍らせる。

 

 まるで眠りから目が覚めたような感覚と共に、四人の魔人は唐突に姿を消し、そして現れたのが魔人ワーグ。これは一体どういう事なのか。

 そしてふと鼻を嗅いでみると、感じるのは小屋内に漂うこの魔人独特の甘い匂い。この香りがもたらす効果は果たして何だったか。

 

「……まさか」

「そう、あなたがさっき見たのは……」

「嫌だ!! 言うなワーグ!! 俺様は何も聞きたくない!!」

 

 真実を、あるいは世界を拒絶するかの如く、毛布を頭から被ったランスは両手で耳を塞ぐ。

 実に情けない格好で逃避するその男に対し、ワーグという名の現実は何処までも非情であった。

 

「さっきのは全部夢よ。本当はもう分かっているのでしょう?」

「……だから、言うなってのに」

 

 返事と共にのそのそと毛布から頭を出したランスも、心の底では薄々気が付いていた事。

 先程のハーレム、あの夢のような出来事は、まさしく文字通り全て夢の中の出来事だった。

 

 

「……まぁ、正直なところを言うと、途中からなんかおかしいなぁとは思っていたがな」

 

 ランスは負け惜しみのように口にした後、それでもショックは隠せないのか、意気消沈と言った様子で肩を落とす。

 

 とても素直で好意を隠さないサテラも、普段よりも実に積極的なハウゼルも、当然のように愛の告白をしてくるシルキィも、そして既に自分のものになったかのようなホーネットも。

 考えてみれば全部有り得ない、全てはランスにとって何処までも都合の良い虚構の存在だった。

 

「……はぁ。夢か、そりゃまぁ夢だよな」

「ただの夢じゃないわ。私の能力による夢よ。ランス、もしかして覚えてないの?」

「お前の能力? ……あー、そういやぁ。なーんか思い出してきたぞ」

 

 ランスはぽりぽりと頭を掻く。現実と向き合う事をしぶしぶながら認めた彼の脳が、ようやく色々な事を再認識し始めた。

 

 

 

 ここは魔王城では無くその近隣にあるワーグの家。ランスが眠っていたのは小屋内に備え付けられたベッドの上。

 

 先日、ランスは魔王専用の浴室にて魔人ホーネットに挑み、色々あった末に玉砕した。

 その日はふて寝をして一日を終わらせたランスだったが、次の日にある出来事があった。魔王城内、そして近隣の魔界都市ブルトンツリーから、大量の魔物兵達が移動を開始したのである。

 

 これは何事かとシルキィに尋ねてみた所、間近に迫ったビューティーツリー再奪還作戦の為に、前線の拠点に兵力を集結させているとの事である。

 ランスはその時、シルキィから一緒に戦わないかとお誘いを受けたのだが、とても戦闘などする気分にならなかったので丁重に申し出を断り。

 その結果、彼はしばらく魔王城の防衛役、という名のお留守番係を引き受ける事となった。

 

 そして今現在、ホーネット派はその総力を挙げて、ビューティーツリーへと絶賛侵攻中である。

 

 総力を挙げてと言うだけあって、此度のホーネット派は相当な大規模攻勢を掛ける事を選択した。

 魔物兵の大群に加えて重要な戦力である魔人達の投入も惜しまず、主たるホーネットを筆頭に皆作戦に参加する事となり、ホーネット派の人員殆どが城を発つ事となった。

 

 今の魔王城はすっかり人気が無くなり、連絡役の飛行魔物兵がたまに帰ってくる程度。

 その結果、遊び相手を失って暇を持て余したランスは、ホーネット派では無いが故に残っていたワーグの所へと遊びに来て。

 そして会話の流れで、ワーグが他人の見る夢を操作する事が出来ると知ったのだった。

 

 

「私はこの能力、あまり好きじゃないんだけどね。ランスがどうしても私の能力を体験したいって言うから、特別にしてあげたのよ?」

 

 魔人ワーグは他人を眠らせる能力に加えて、他人が見る夢を操作する事が出来る。

 その夢の内容次第では、相手の記憶や思考すらも変えてしまえる力を持つが、今回ランスにしたのは単に作為的な夢を見せただけで、当然ながら人格などの操作は行なっていない。

 大切な友達の記憶や思考を操作するつもりなど、ワーグにはさらさら無いのである。

 

「そうそう、そうだったな。んで、ならばとハーレムの夢を注文したんだっけか」

 

 ランスが先程見ていた夢。あれは、ホーネット達がランスに対してメロメロとなり、それが当たり前となった日常の一コマ。という設定らしい。

 

「あの夢はお前が見せてくれた……て事はもしや、お前もあの夢を一緒に見てたって事か?」

「……私は最初に夢の設定を変更しただけで、後は何一つ干渉してはいないわ」

 

 不機嫌そうな声で「別に見たいものでもないし」と呟いた後、ワーグはついっとそっぽを向く。

 ランスからその注文を受けた時から内心色々と思う所があり、その結果すっかり拗ねてしまった主人の代わりに、そばに居たペットが口を開いた。

 

「ふーんだ!! ランス、良い夢見れたかー!?」

「……うむ、あれは素晴らしい夢だった。やはりハーレムは最高だな。……けど」

「けど?」

「夢の中でってのは、何だかこう……虚しい」

 

 あんなにも楽しかった、天にも昇る心地を味わえたホーネット達とのハーレムプレイ。

 だがそんな夢から目が覚めてしまった今、ランスの心にはぽっかりと大きな穴が空いたような、とても空虚で物寂しい気分だった。

 

「それはそうよ。ランス、あなたが見たのは夢。夢はどこまでいっても所詮夢でしかないわ」

「……そうだな。やっぱハーレムっつーのは、実際に作ってこそだな」

 

 いつかはあの夢を現実のものとしてやろう。

 ランスはそう強く決心して、心地良い夢を見せてくれたベッドから出る事にした。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「ワーグ。腹減った、飯くれ」

 

 時刻はそろそろお昼時。

 空腹感を覚えたランスは食卓の席につき、いつものようにワーグに食事を要求する。

 

 ワーグの小屋が完成し、その内部にキッチンが設置されてからというもの、彼はは遊びに来る度に彼女手製の料理をご馳走になっていた。

 彼女は長年一人暮らしをしているからか、見かけによらない料理の腕前を持っており、また自分が作った料理を誰かが食べてくれるのが嬉しいのか、口ではあれこれ言いながらも楽しそうにキッチンの前に立つ。

 

 そんなワーグではあるのだが、しかし今日はどうにも様子が違う。ランスの食事の要求に対し、少し残念そうな表情で首を左右に振った。

 

「その事なんだけどね。ランス、今日はもう帰った方が良いと思うのよ」

「帰る? なんでじゃ、まだ昼過ぎだろうに」

「それがね、そろそろ天気が崩れそうなのよ」

「天気ぃ?」

 

 ワーグによると、どうやら今日は魔物界の空の色が良くないらしい。

 彼女の予想だと、恐らく数時間後には大嵐になってしまうそうで、今すぐに帰宅しないと明日の夜頃まで帰れなくなってしまうとの事だった。

 

「天気か、天気ねぇ……」

 

 ランスは窓から空を眺めてみるが、その色はどんよりとした紫色、そして時々雷。

 太陽の恵みが差し込まない魔物界の空は、人間にとって馴染みが無い色をしているのが常であり、今の天気が良いのか悪いのか、ランスにはいまいち判断が付かない。

 

「ランス、年長者の言葉は聞いておくものよ。ご飯はまた今度来た時に作ってあげるから」

「……ふむ、分かった。なら、今日はもう帰るか」

 

 言葉と共にランスは椅子から立ち上がる。未だ手出しが出来ないワーグの家に、明日の夜まで居るというのは生殺しに近い。

 今日も誰かしらと楽しむ予定の彼は、相手の言葉に従って本日はこの辺でお暇する事にした。

 

 

 そしてランスが玄関へと歩いていたその時。

 

「よっしゃ、何とか気付か……」

「わぁっ!」

「あん?」

 

 妙な喚き声が聞こえ、何事かと背後を振り返る。すると何かを喋ろうとしたラッシーの隣から、ワーグが大層慌てた様子で飛び退き、その結果すてんと転んでしまったらしき姿が目に映った。

 

「……何やってんだお前」

「べ、別に?」

 

 地べたに寝そべりながら、ワーグは平然を繕う。

 

「つーか、今イルカが何か言わなかったか?」

「そ、そう? 私には何も聞こえなかったけど。ランスの気のせいじゃない?」

「気のせい……か?」

 

 よいしょと立ち上がるワーグの一方、確かに何かが聞こえた気がしたランスは、納得のいかない様子で首を傾げる。

 

 そして、やはりワーグの様子もどこかおかしい。理由は不明だが、普段いつも一緒に居るペットから必死に距離を取ろうとしている。

 今もラッシーは主人の下にふよふよと寄っていくのだが、一方のワーグはそそっと離れていく。まるで鬼ごっこをしているような謎の光景が、ランスの眼前で繰り広げられていた。

 

「ワーグよ、それ楽しいのか?」

「まぁ、ね。それよりランス、早く帰らないと。ほら、天気が悪くなってしまうわ」

「お、おぅ……」

 

 やけに急かしてくるワーグの様子にどこか違和感を覚えつつも、彼女の手に背中を押されるがまま、ランスは玄関扉のドアノブに手を掛ける。

 

「またな、ワーグ」

「うん、またね」

 

 別れの挨拶と共に、ランスはワーグの家から出たのだが、しかしその玄関扉が閉まりきる寸前、

 

(……ん?)

 

 扉の隙間からほんの一瞬見えた、ワーグの表情がランスには無性に引っ掛かった。

 

 

 

 

 

 魔王城へ続く道のりを歩き出しながら、ランスは腕組みして首を傾げていた。

 

「……あいつ、ホッとしてたって言うか……なんか、安心してた?」

 

 魔人ワーグ。自分では認めないものの、誰がどう見ても寂しがり屋な彼女は、お客さんが帰ってしまう時はいつも切ない表情を浮かべて見送る。

 特にランスに対してはその傾向が顕著で、寂しげな表情でいるのがランスにとっての帰り際のワーグの姿であり、何度も目にした姿である。

 

 だが、今日のワーグはそんな素振りを全く見せず、むしろ先程の顔は、ランスがとっとと帰ってくれた事にホッと一安心といった表情で。

 

「……ぬ~?」

 

 どうにもその事が腑に落ちず、立ち止まったランスは眉を顰める。

 

 いつも自分との別れを惜しむワーグが、今日に限って安堵の表情を浮かべていた理由は何だろう。

 今日彼女の家でした事と言えば、ハーレムの夢を見せてもらった事くらいだが……。

 

 と、そこまで考えたランスは、

 

「あ」

 

 ようやく、すっかり忘れていた事を思い出した。

 

 

「……ワーグ!!」

 

 あの魔人に嵌められた事に気が付いたランスは、大声でその名を叫ぶ。

 そして全力疾走で来た道を戻り、チャイムも鳴らさずに玄関扉を乱暴に開くと、彼女が居る室内へと怒鳴り込んだ。

 

「ワーグ!! お前、騙しやがったな!?」

「ら、ランス!? どうしたの、何か忘れ物?」

「ちゃうわ!! 俺様思い出したぞ!!」

 

 その怒声に、内心とても心当たりがあったワーグは顔を引き攣らせる。

 

「……な、何を思い出したの?」

 

 ランスが思い出した事。ワーグが触れて欲しくなかった事。それは。

 

 

「さっきの夢の事だ!! あのハーレムの中には、お前が居なかったじゃねぇか!!!」

 

 ランスが今日の昼間、ワーグに見せてほしいと望んだ夢の内容。それは、()()()()()()ホーネット派魔人達とのハーレムプレイ。

 先程見た夢は、注文した内容とほんの一部分だけが違っていた。つまり、そのハーレムの中にワーグの存在が含まれていなかったのである。

 

「……そ、そうだった? えっと……夢の設定を、少し間違えてしまったかしら?」

 

 途端に視線を明後日の方向に逃し、実に白々しい様子でとぼけるワーグ。

 彼女が嘘を吐いているのはとても明白であり、ランスは追求の手を休めなかった。

 

「違う!! 絶対にわざとだ!!」

「べ、別にわざとって訳じゃ……」

「大体おっかしいと思ったんだ!! お前が今日に限って俺様をさっさと帰らせたのは、この事に気付かれたくなかったからだな!?」

「ぅぐっ……!」

 

 ランスの指摘は見事に図星を突き、返す言葉を失ったワーグの顔が徐々に紅潮していく。

 今まで必死にしらを切り通そうとしてきた彼女だが、遂に溢れる感情を抑えきれなくなったのか、真っ白な顔を真っ赤に染めて反論した。

 

「だ、だってっ!! 私の、そんな、そんな夢を、あなたに見せられる訳がないでしょう!?」

 

 それはとっても照れ屋なワーグの、複雑な乙女心故なのか。彼女にとって、ランスはスケベだが自分と仲良くしてくれる大切な友達なのである。

 そんな相手に、未だ経験が無い自分とエッチな事をする夢を、あろう事か自分の能力で見せるなど、とてもワーグに出来る事では無かった。

 

 実は昼間その注文を受けた時にも二人は軽く揉めたのだが、その時は最終的にランスの強引さに押し切られてしまった。とはいえやっぱりそんな事は出来ず、ワーグは悩んだ末に注文を受けた内容を一部変更してしまった。

 

 しかしそれでは騙された注文主、ランスの怒りのクレームは収まらなかった。

 

「だってもへちまもあるかー!! お前とは現実でセックス出来ないんだから、せめて夢の中でぐらいセックスさせろー!!」

「け、けど……!!」

「ワーグ、もう一度ハーレムの夢を見せろ!! んで、今度はちゃんとお前ともさせろーー!!」

 

 先程、夢の中での行為は虚しいだけだと思い知ったばかりなのに、しかし未だ手を付けていないワーグを抱きたいという要求には逆らえないのか。

 

 いきり立つランスはワーグの肩を両手で掴み、がくがくと前後左右に揺さぶる。その勢いの前にワーグは押され、やがて彼女は観念したかのように一度ぎゅっと目を瞑ると、

 

「くぅ……!!」

 

 苦悶の声を挙げながら、右手で服の裾を掴むとそのまま一息に胸元まで捲り上げる。

 

「お?」

 

 ランスの眼前に、ワーグの真っ白なお腹と水玉模様のブラジャーが露わになって、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありゃ?」

 

 そして気付いた時には、彼は魔王城の廊下の真ん中で突っ立っていた。

 

「……えーと」

 

 ランスは自分の周囲をぐるっと一周見渡した後、こてんと首を傾げる。

 

「……俺様、何でこんな所に居るんだっけ?」

 

 自分は何故このような場所に居るのか。つい先程まで一体何をしていたのか。

 それらを思い出そうとランスは頑張ってみたが、しかし頭の中には深い霞が掛かっているかのように、一向に記憶は定まらない。

 

「うーむ、分からん。……ま、いっか」

 

 分からない事を悩んでも意味が無いし、こうして廊下に立ち尽くしていても仕方が無い。

 とても切り替えの早いランスはとりあえず自分の部屋に戻ろうと、どこかぼーっとする頭のまま城の廊下を歩き出す。

 

 

 そしてしばらく進むと、

 

「ランス、ここに居たか」

「おぉ、ムシ野郎」

 

 鉢合わせたのは魔人ガルディア。ホーネット派に所属する、とても大食らいな魔人である。

 声を掛けられたので一応挨拶は返したものの、しかし男の魔人には何も興味が湧かないランスは、すぐにその横を通り過ぎようとしたのだが、

 

「って、あれ? よく考えたらお前、何でこんな所に居るんじゃ。まだ戦ってる最中だろうに」

 

 唐突に思い出したランスは立ち止まる。今現在、ホーネット派の魔人達は全員、ビューティーツリー攻略作戦に掛かりきりの筈である。

 ホーネット達はまだ帰ってきていないので、まだ戦いは終わっていない筈。主要戦力と言えるこの魔人が、何故今魔王城に居るのだろうか。

 

「まさかお前……さぼりか? さぼりならば許さんぞ。ホーネット派の影の支配者である、この俺様が直々に貴様を処罰してやろう」

「違うって。ランス、あんたに会いに来たんだ」

「あぁ?」

 

 そう言われても、ランスにはガルティアに会う用事など無いし、おそらくこの先も永遠に無い。

 一体何いってんだコイツは。と、懐疑的な視線を向けるランスの一方、ガルティアは何かを思い悩む様子で俯いていたが、やがて意を決したのかその顔を上げる。

 

 そして目の前の男をじっと見つめるその視線は、とても真剣な眼差しだった。

 

「なぁランス。そのさ……欲しいんだよ」

「欲しい? ……あぁ、団子を取りに来たのか。ならば倉庫にあるから自分で取ってこい。言っとくが冷蔵庫には無いからな」

 

 ガルティアの好物である、香姫特製団子。あれは冷蔵庫で保管してしまうと、一晩もしない内に他の食材を全てダメにしてしまう為、魔王城の地下倉庫にて厳重に管理されている。

 この魔人の欲しがるものといえばそれしか無いと、ランスは当然のようにそう思っていた。

 

 しかし、団子など今はどうでもよかったガルティアは首を左右に振って。

 

 そして、本当の要求を大声で叫んだ。

 

 

「ランス、俺はあんたが欲しいんだ!!!」

「死ねーーー!!!」

 

 ざくーっ! と一撃。

 魔人ガルティアはランスに斬り殺された。

 

 

「……あーびっくりした」

 

 驚き顔のランスの左手には、いつの間にか引き抜いていた魔剣カオスが握られており、そして目の前にはカーペットの上に転がる小さな魔血魂。

 

 突然のランスの凶行により、魔王スラルの代から存在している歴戦の魔人であり元伝説のムシ使い、今はホーネット派として戦っていた魔人ガルティアは討伐されてしまった。

 

「……この野郎。前からどうにも女っ気の無い奴だとは思っていたが、まさかホモだったとは。まったくふざけやがって」

 

 しかし下手人たるランスは、味方を殺したばかりだと言うのにまるで悪びれてはいなかった。

 

 

 

 そしてガルティアの魔血魂をひょいと拾い上げたランスは、それをじーっと睨んだ後。

 

「……とりあえず、トイレにでも捨てるか」

 

 ぼそりと呟き、ガルティア殺害の証拠を隠滅するべく男子トイレへと向かって歩きだす。

 

 下水に流してしまえば、さすがにバレる事は無いだろう。突然ガルティアが居なくなった事でホーネット達は不審に思うだろうが、その時は何を聞かれても知らんぷりを決め込もう。

 そんな決意をしながら廊下を進んでいたランスは、曲がり角を曲がった所で、

 

「……お?」

 

 その視界に捉えたのは、金属のような光沢を持つ身体に、表情も分からぬ異形の姿。

 

「………………」

「あれ、君は確か……メガワス君だっけ? ……いや、メガデス君だっけか?」

 

 ランスが遭遇したのは魔人メガラス。ホーネット派の魔人の一人で、とても無口な魔人である。

 

「………………」

「……何だよ、何か用か」

 

 自分の目の前で急に立ち止まったので、何か用事があるのかと思いきや、一向に黙ったままのその魔人に訝しげな目を向けるランスの一方。

 

「………………」

 

 沈黙の中で覚悟を決めたメガラスは、背中に隠すようにして持っていた大輪の花束を、思い焦がれていた相手に向けてさっと差し出した。

 

 

「……結婚してくれ」

「死ねーーー!!!」

 

 ざくーっ! と一撃。

 魔人メガラスはランスに斬り殺された。

 

 

「……あ、いけね。つい身体が動いちまった」

 

 世にも恐ろしい言葉を耳にしたランスは、先程と同じように反射的に魔剣カオスを腰から引き抜き、魔人メガラスを両断してしまった。

 遥か昔、魔王アベルの代より存在していたホルスの魔人は、こうして長き人生を終えた。

 

「……うーむ、魔人を二体も殺してしまった。さすがにこれはバレるかもしれんな。……もしバレたら、ホーネットに叱られるかな?」

 

 果たして叱られるだけで済むのかどうか、ランスはわりと悠長な事を考えながら、床に転がる2つ目の魔血魂を回収する。

 

 ほんの数分間にホーネット派は、貴重な戦力である魔人を二体も失ってしまった。ようやくケイブリス派との戦力が均衡してきた最中だと言うのに、ここに来てとても痛恨の戦力ダウンである。

 

「……けど、これ別に俺が悪い訳じゃないよな? ホモが俺に近づくのが悪いよな。うむうむ」

 

 だが、やっぱりランスはちっとも悪びれてはいなかった。

 

 

 

 2つの魔血魂をポケットに忍ばせたランスは、再度男子トイレへと向かって歩き出す。

 だが不思議な事に、進めど進めど一向に着く気配が無い。確かに魔王城はとても巨大な建造物ではあるが、しかしこんなに長い廊下があったっけ? と、ランスがそんな疑問を持ち始めたその時。

 

 

「……よォ、ランス」

 

 今まで一本道の廊下を歩いてきた筈なのに、何故か背後から自分を呼ぶ声が聞こえ、振り返ったランスの眼に映ったのは。

 

「ん? おぉ、ビリビリ野郎じゃねーか。久しぶりに見たなぁお前のしけたツラ」

 

 そこに居たのはビリビリ野郎こと、魔人レイ。

 不良っぽい外見をしたその魔人とは、ランスは前回の時に自由都市の戦局にて戦う事となった。

 

 そして紆余曲折を経て、彼は人類側に付いた。

 どうやらその時の味方だったイメージが強く脳裏にあったのか、ランスは結構気さくに挨拶を返してしまったのだが、

 

「……あぁ!? ちょっと待て、何でお前がここにいる!? ここは魔王城だぞ!!」

 

 ランスはようやく気付く。その魔人は今ケイブリス派に属している筈で、ホーネット派の本拠地たるこの魔王城には居てはいけない魔人である。

 

 何故この魔人がここに居るのか。もしや、ホーネット達主要戦力が城を離れたこの隙を狙って、単騎で強襲を仕掛けてきたのだろうか。

 瞬間的にそう考え、たじろぐように一歩引いたランスに対して、ふっとタハコを吐き捨てたレイは、前髪で隠れた鋭い眼光で想い人を見つめた。

 

「何故ここにいる、か。んなの、お前に会いに来たからに決まってんだろ」

「……は?」

「ランス。お前が好きだ」

「ぐはっ!!」

 

 その直接的な言葉はダメージも大きかったのか、ランスは心臓の辺りを強く押さえ、喀血したかのような声を上げる。

 

「ま、まさか貴様もホモか!! つーか、こいつはブス専のロリコンだった筈じゃ……!」

 

 前回は確かに、容姿がそんなでも無い幼い少女と仲良くしていた筈。いつの間に性的指向が変化してしまったのだろうか。

 ともあれ前の二人同様、こんな奴は生かしておく訳にはいかない。どの道今は敵方の魔人であるし、いきなり好きだとほざいてくる男を生かしておくのは自分の命に関わる。

 

 ランスは必殺技の一撃で目前の魔人を片付けてやろうと、引き抜いた魔剣を握る手に力を込めたのだが、しかし彼の悪夢はまだ終わりではなかった。

 

 

「……ふむ。レイよ、抜け駆けは感心せんな」

「同感だね」

 

 廊下の奥、魔人レイが立つ更に向こう側に、いつの間にか二人の魔人が出現していた。

 

「……な。こ、こいつらは……!!」

「チッ、お前らも来やがったのかよ。ケッセルリンク、パイアール」

 

 そこに居たのはやっぱり男の魔人。魔人四天王ケッセルリンクと、魔人パイアール。

 紳士然とした貴族のような男と、不健康そうに見える少年が、驚きの余りに口を大きく開けたままのランスに向けて、それぞれ熱い視線を送っていた。

 

「二人共、彼は私の伴侶となるべき男だ。邪魔するというのなら、レイ、パイアール、君達と言えども容赦はしない」

「それは僕の台詞。ランスは僕のパートナーだ。レイは勿論の事、いくら魔人四天王と言えども譲るつもりは無いよ」

「……は、考える事は一緒って訳か。いいぜ、邪魔者は誰であろうと叩き潰す」

 

 彼らは皆、現在ケイブリス派に属しており、その意味では仲間の筈である。

 しかしそんな話は恋事には関係無いのか、それぞれの魔人は鋭い目付きで恋敵を睨み、一転してその場は一触即発の剣呑な雰囲気に。

 

 男の魔人三人が自分を取り合って争う、ランスにとっては身の毛もよだつおぞましい光景。

 しかし幸か不幸か、そんな三つ巴の状況はとても呆気なく幕切れを迎えた。

 

 

「……ぅおらあああああああ!!!!」

 

 三人の魔人の更に背後。

 猛々しい咆哮と共に現れたその魔人が、現魔物界において最強とも称させる暴虐を振るう。

 

 乱暴に振るわれたその巨拳は瞬時に敵を地に叩き伏せ、魔人レイ、魔人パイアール、魔人ケッセルリンクの三体は魔血魂に戻った。

 

「な、な、ななな……!!!」

 

 前回、死闘の末に討伐した宿敵の出現に、驚愕の表情で硬直するランスに対して。

 

「へ、へへへへ……。これだけは誰にも譲れねェ。俺様、気付いちまったんだよ。派閥戦争だとか魔王だとか、んな事はもうどうでもいい。俺様が本当に欲しいのは一つだけだったんだ」

 

 大切な戦力である味方の魔人を一瞬で蹴散らしたその魔人は、ようやく会う事が出来た、心の底から待ち望んでいた最愛の相手に手を伸ばす。

 

「お前は俺様のものだ……ランス!!」

 

 そして、魔人ケイブリスの巨大な手が、その全てを我が物にしようとランスに迫り──

 

 

 

 

 

 

「どわぁ!!」

 

 がばっと、ランスはベッドから跳ね起きた。

 

「はぁ、はぁっ……!! ……あ? あれ?」

 

 決死の如き形相で辺りを見渡すランスだが、先程まで眼の前にいたあの魔人の姿はもう無く。

 

「……あ。なんだ、夢か……」

 

 先程の悪夢のような状況は、まさしく文字通りの悪夢だったと知ったランスは、がくっと頭を下ろしてずーんと俯いた。

 

「あ゛ー、ひっでー夢見た……」

 

 今しがた、ランスは人生の中でワースト3に入りそうな程の酷い夢を見てしまった。

 暑い訳でも無いのに全身は寝汗でびっしょり。ベタつく服の不快感が凄まじく、加えて何人もの男に迫られるという恐怖と嫌悪感で、鳥肌が立ったまま収まらない。

 

 疲労困憊の体で、ランスがベッドの上でぐったりしていると、すたすたと近づいて来たのはその家の家主たる魔人。

 

「ランス、起きたの?」

「……あ、ワーグ? あぁそっか。俺様、お前のあれで眠っちまったのか……?」

 

 先程見た光景があまりにショッキングな内容過ぎて、前後の記憶が上手く繋がらない。

 頭を乱暴にぐしゃぐしゃと掻き回す、そんなランスの顔を覗き込みながら、何食わぬ表情のワーグがそっと呟いた。

 

「ランス。あなた、顔色がひどく悪いわよ。今日はもう城に帰って、ゆっくり休んだ方がいいわ」

「……そーだな、そーする。おえ、思い出すと吐きそう……」

 

 思わず口元を抑えたランスは、額に浮かぶ脂汗もそのままにベッドから下りる。

 

 休むならここでも問題無いが、しかし今は一刻も早く城に帰りたい。早く城に帰って誰でも良いからすぐに美女を抱いて、未だ脳裏に残る嫌なビジョンを上書きしなければ。

 ランスはまるで誰かに導かれているかのように、すぐに玄関へと向かい、

 

「またな、ワーグ」

「うん、またね」

 

 そして、玄関扉が閉まる。

 

 

 未だ大嵐など無い快晴の空の下、ランスは魔王城へ帰る道を歩きながら、

 

「……ん?」

 

 さっきもこんな事無かったっけ? と、そんな既視感を強く覚え、

 

「あ」

 

 そして、思い出した。

 

「……わーーーぐっ!!!」

 

 

 

 

 



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魔人筆頭の部屋(本人不在)

 

 

 ある日の魔王城。

 

「……暇だな」

 

 ランスは暇を持て余していた。

 

 

 ここ最近のランスはとかく暇である。その大きな理由としては彼が協力しているホーネット派、その今現在の動勢に関連している。

 今、ホーネット派は魔界都市ビューティーツリーを再度奪い返す為に、派閥の総力を挙げて攻勢を仕掛けている真っ最中であるが、その作戦にランスは不参加を決めた事にあった。

 

 話を聞いた当時、色々あって戦闘などする気分に無かったランスは参加を断り、結果魔王城の防衛役という名のお留守番係を引き受けたのだが、無為に日々を過ごすだけというのは思いの外退屈である。

 ホーネット派の面々が魔界都市侵攻に掛かりきりである為、閑散とした今の魔王城内の空気もその事に拍車を掛けていた。

 

 ランスの主な暇つぶし相手、兼、夜のお相手であるサテラ、シルキィ、ハウゼル達も勿論作戦に参加しており、彼女達ともセックス出来ない日々がすでに一週間以上経過して。

 ならばとつい先日はワーグの家に遊びに行ったり、ランスは今退屈を紛らわせる方法を見つけるのに少し難儀していた。

 

 

「シィルをいじめて遊ぶのも、かなみをからかって遊ぶのもさすがに飽きてきたしなぁ。ウルザちゃんは仕事があるからって構ってくんねーし」

 

 働き者と言うべきか、少々ワーカーホリック気味のウルザは、どこでも使用が出来るよう改造された遠距離用魔法電話を駆使して、魔王城内に居ながらにしてゼス王国の警察長官としての仕事を行なっているらしい。

 そんな多忙な彼女はランスのお誘いにも滅多に乗らない。滅多にという点が、二人の関係性を大まかに示していた。

 

「なにも魔物界に来てまでゼスでの仕事をせんでもいいだろうに。……はぁ、暇じゃ暇じゃ」

 

 面倒事を嫌い、忙しければ忙しいと文句を言う癖に、暇なら暇でも文句を言う。

 とても困った性格をしているランスは、この際何でもいいから暇を潰せる事はないかなぁと、普段よりも活気のない魔王城内を適当にぶらついていた。すると、

 

「……お」

 

 城の最上階、たまたま通り掛かったある部屋の前で足を止めた。

 

「ここって確か、ホーネットの部屋だったよな」

 

 その部屋は魔王城の実質的な主、今は戦いに赴いていて不在中である魔人ホーネットの私室。

 主に彼女を口説こうとした時などに、ランスも何度か立ち入った事のある部屋である。

 

「……ふーむ。よし、いっちょ入ってみるか」

 

 特に深い理由など無い。退屈でする事が無かったランスは暇つぶしにと、何となしにホーネットの部屋に入ってみる事にした。

 

 

 

 

 

 

 パチっと照明のスイッチが押され、真っ暗だった室内に明かりが灯る。

 

「……しっかしまぁ、前に来た時から思った事だが、味気ない部屋っつーか……」

 

 部屋主が不在の部屋に勝手に入り込んだランスは、その周囲をぐるっと見渡しながら率直な感想を口にする。

 

 大きな執務机に客用のソファとテーブル、そして沢山の本が並ぶ本棚と、目立ったものと言えばそれ位。私室というよりは執務室に近く、ランスはこの部屋でまったりリラックス出来る自信が無い。

 無駄なものを置かない、部屋主の性格が顕著に表れているこの部屋は、用途不明な細々しい雑貨で溢れる彼の部屋とはとても対照的であった。

 

「……けどまぁ、何かおもろいもんの一つぐらいはあるはずだ。あそーだ、エロ本とかねーのかな。魔人つったって性欲はあるはずだし」

 

 あの堅物のホーネットがエロ本など。そう思いもするが、しかし可能性は皆無とは言えない。もしそんな物を発見出来たら、それをダシにしてあの魔人筆頭を大いにからかってやろう。

 

 なんて事を考えながら、ランスは本棚に並ぶ本のタイトルに一通り目を通してみる。

 しかし、残念ながら目当てだった成人向け書物はそこに一つも見当たらず、その棚に並んでいた殆どは同じカテゴリのとある書物。

 

「これって……詩集ってやつだよな」

 

 適当に手に取った本のページをパラパラと捲ってみると、そこに書かれているのはある程度短い文章で叙情を表現した詩の数々。

 中には年季が入った本もあるので、文化的あるいは文学的な価値はあるのかも知れないが、しかし読書と言えばエロ本か貝図鑑ぐらいしか読まないランスにとってはあまり興味の湧かない代物だった。

 

「ふむふむ……春はどんより、秋はげんなり、冬はげっそり、夏がいいのに夏は無し……駄目だ、さっぱり意味分からん。あいつ、こんなもん読んでおもろいのか?」

 

 残念ながら繊細な情感を楽しむ感性を持ち合わせてはいないのか、いまいちあの魔人筆頭の趣味嗜好が理解出来なかったランスは、首を傾げながら詩集を本棚に戻す。

 

「なら、こっちはどうかなっと……」

 

 本棚が駄目ならお次はと、ランスは執務机の引き出しの中を探ってみるが、そこにあったのは万年筆などのありふれた文具類。ならばと飾り棚の上を見てみるが、そこには室内装飾としてはありふれた花瓶などなど。

 見た通りというべきか、当たり前の場所に当たり前の物があるこの部屋内には、これと言ってランスの興味を強く惹くものは見当たらなかった。

 

「……無いな。どこにもおもろいもんが無い。……つー事で」

 

 ランスは廊下に続く出入り口とは別、部屋の中にあるもう一つのドアの方に顔を向ける。元々この部屋内にはあまり期待しておらず、彼の本命は最初からそちらにあった。

 

 

「よーし、次はあっちだな」

 

 魔王城に設置されている居住用の部屋は基本的な間取りが共通しており、だからこそランスもそこがどういう部屋なのかは知っていた。

 その部屋は、魔人ホーネットの寝室。彼女の部屋自体には何度か来た事があるランスも、寝室までは立ち入った経験が無かった。

 

「ぐふふふ、鍵も掛けんとは不用心な奴め。そんなだから俺様のような者の侵入を許すのだ。て事で遠慮無く、お邪魔しま~すっと」

 

 ここに居ない相手に届く事の無い挨拶をちゃんとしてから、寝室のドアをゆっくりと開く。

 あの魔人筆頭のよりプライベートなその部屋に、ワクワクしながら入室したランスだったが、

 

「……なんつーか、ただの寝室だな」

 

 自然と口から出た言葉通りの部屋の様子に、肩透かしを食らった気分で思わず頬を掻く。

 

 目を引いたのは天蓋付きの大きなベッド位で、他はクローゼットや姿見など、寝室にはありふれた調度品などが設置されている。

 魔物界の姫君という立場のホーネットだが、過度な装飾を好む性格では無いのか、特別変わったものは何も無い、至って普通の寝室だった。

 

 

「ふむ、どれどれ」

 

 とりあえずランスは近くにあったクローゼット、その一番大きな収納部分を開いてみる。

 

「うおっ」

 

 すると予想外のものを発見してしまったのか、ランスは一歩身体を引く。

 

 魔人ホーネットが使用していると思わしきクローゼット。その中には、

 

「お、同じ服がいっぱい……」

 

 彼女が普段その身に着ている、胸元の大きく開いた薄布のドレス。それの替えが大量にハンガーに掛かっていた。

 

「……いっつもあの格好だとは思ってたが、まさかこれしか持ってねぇのかあいつは」

 

 自分のイメージを合わせる為、ランスも同じデザインの服を幾つか揃えてはいるが、ここまで強い拘りを持ってはいない、

 大事な部分が透けて見える、この際どすぎるドレスにホーネットは余程の思い入れがあるのだろうか。そんな事を考えていたランスは、

 

「……ん? つーかちょっと待てよ、ごそごそっと……」

 

 ふいに、ある疑念を抱いた。そこでクローゼットにある全ての引き出しは勿論、ローチェストの中まで見落としが無いようにと、隅から隅までしっかり確認してみたのだが。

 

「……やっぱりだ。ブラもパンツも一枚も無い」

 

 他の棚に入っていたのは、彼女が普段着用している黄金色の髪留めや腕飾りなどで、誰しもが当たり前に使用している肌着や下着類といったものは一枚も存在しておらず。

 確かにあのホーネットがそれらの物を身に着けている所は見た記憶が無いが、しかし所持すらしていないとはランスも予想外だった。

 

 平時は当然、下着を必要としないこれを一枚着るだけ。そして戦いの時にはこの上から巨大な肩当ての付いた鎧を着込む。だからこの普段着のドレスさえあれば全て事足りる。

 さもそう言わんばかりの強気な姿勢が、そのクローゼットからはひしひしと伝わってきた。

 

「……うーむ、恐ろしい。ホーネットの奴、これで自分がまともだと思ってる所が恐ろしい」

 

 誉れ高き魔人筆頭、その底知れなさを垣間見たランスは、これ以上その闇を覗くのが怖くなったのか、クローゼットの引き出しをそっと閉じる。

 

 

「よっこいせっと」

 

 ホーネットの私服チェックを終えたので、次は天蓋付きのベッドの上に座ってみる。

 するとゆったりと身体が沈み込むその感覚に、ランスはある事に気付いた。

 

「あん? なんだかこのベッド、俺様の部屋のベッドよりも質が良くないか?」

 

 何度か腰を落として跳ねてみると、確かにスプリングの効き具合が一味違う。

 一応こういう所は城内でも飛び抜けて偉い立場故なのか、ホーネットが普段使いしているそのベッドは、ランスが案内された客室のベッドよりも高品質な代物のようだ。

 

「ぬぅ、魔人筆頭だからってか? 何かホーネットだけズルいぞ」

 

 他人が自分よりも良い物を使用しているのが見過ごせないのか、ズルいズルいと呟くランスはベッドの上に横になって、何となく魔人筆頭愛用の枕に頭を乗せてみる。

 すると普段自分が使っているものより何やら良い匂いがしたので、ついでに魔人筆頭愛用のブランケットにも包まってみる。

 

「ふむ。やっぱこのベッドの方が寝心地が良いな。……いっその事、交換して貰うか?」

 

 などと考えながら、ふかふかな肌触りの羽毛のブランケットの温もりに包まれていると、次第にその瞼がゆっくりと落ちてきて。

 

「……ふぁー、ねむ……」

 

 そして、ランスは寝た。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「ぐがー、ぐがー」

「………………」

 

 いびきをかく男の横に、佇む影が一つ。

 

 その人物は無言で目を瞑っている。一見するとなんて事の無い沈黙の表情であるがその実、真相は頭痛を堪えている表情であった。

 

「ぐがー、ぐがー」

「…………はぁ」

 

 彼女の口から溜息にも似た吐息が漏れるが、よく聞くとそれは普段の呼吸よりも荒く。

 その人物は今少し息を切らしており、微かに肩も上下していた。

 

 彼女は一週間以上前から城を離れていたのだが、とある事情あって急ぎ遠征先から帰還する必要に迫られ、息が上がる程の速度で城へと戻り、そして自分の部屋に入ってすぐに妙な違和感を受けた。

 本棚の並びから、何者かが自分の不在中に忍び込んだ痕跡を発見し、どうにも嫌な予感がしたので寝室を確認するべくドアを開き。

 

 そして、あろう事か自分のベッドを勝手に使用している不届き者を発見したのだった。

 

「ぐがー、ぐがー」

「………………」

 

 立ち尽くす彼女の心中などお構いなしに、とても心地良さそうに眠り続けるその男とは、つい先日ちょっとした一悶着があったばかり。

 そんな理由あって少々顔を合わせづらく、声を掛けて起こすのを躊躇っていたのだが、しかし何時までもこうしていても仕方が無い。

 

 半ば無意識の内に自らの指で自らの唇に触りながら、緩みきった男の寝顔をしばらく眺めていた彼女は、やがて、ふぅ、と大きく深呼吸をした後。

 

 

「ぐがー、ぐがー」

「……ランス」

「ぐがー、ぐがー」

「……ランス。起きなさい」

 

 静かにその名を呼びながら、魔人ホーネットはランスの肩をそっと揺らす。

 

「……ん、んあ……?」

 

 脳が優しく揺れ動く感覚に、昼寝をしていた彼の意識が徐々に覚醒していく。

 大あくびと共に瞼がゆっくりと持ち上がり、寝惚け眼がその魔人の姿を捉えた。

 

「……お? ……おぉ、ホーネットじゃねぇか。……あれ、お前なんでここに?」

「……それは、私が言うべき言葉です。一体何故、貴方が私の部屋で寝ているのですか」

 

 眉根を寄せたホーネットの言葉に「ありゃ?」と首を傾げたランスは、身体を起こしながら周囲を見渡す。

 そしてここが自分の部屋では無く、他人の部屋だった事をようやく思い出したのか、納得したようにぽんと手を打った。

 

「あそっか。ここはホーネットの部屋だったな」

「……えぇ、そうです。それで、貴方は私が居ない間に、私の部屋で何をしていたのですか?」

「いやそれがな。俺様、城で留守番するのに飽きてきてしまってな。んで暇だったからお前の部屋を物色する事にして、そしたら寝心地が良さそうなベッドがあったから眠ってみたという訳だ」

「………………」

 

 無断で部屋に入り、勝手に室内をあれこれ弄っておいて、しかしランスは謝るどころか本人を前にしても全く悪びれる気配など無く。挙句の果てには、

 

「なぁホーネット。さっきクローゼットの中を見たのだが、お前もっと別の服とか下着を買った方が良いと思うぞ。買う金がねーなら俺様が貸してやろうか?」

「………………」

 

 事もなげな顔であれこれ失礼な事を言うランスの姿に、ホーネットもはや叱る気も失せてしまったのか、難しい顔をしたまま黙り込む。

 

「まぁお前は確かにナイスバディーだし、エロい服を着て見せたいって気持ちも理解出来んでも無いが……て、あれ?」

 

 相手の無反応も気にせず、べらべらと話していたランスはふと、この魔人が今この部屋に居る事について再度新たな疑問が浮かんだ。

 

「やっぱりお前はなんでここに居るんだ? 確か、何たらツリーを奪い返す為に戦うって話だったが、そっちはもう終わったのか?」

「……えぇ、戦いは終わりました。ですから私は城に戻ってきたのです」

「んで、結果は?」

「勿論、私達の勝利です」

「ほー」

 

 彼女は結果を誇るような振る舞いをせず、あくまで当然の事のように口にする。

 今回、ホーネット派がその総力を挙げて挑んだ、魔界都市ビューティーツリーの再奪還作戦。その戦局はつい昨日決着が付き、ホーネット派の勝利で作戦を終えたらしい。

 

 自分の参加しなかったその戦いに関して、城でお留守番していたランスは然程気になっていた訳では無いのだが、それでもその戦勝報告を受けて、素直に称賛の言葉を掛けてあげる事にした。

 

「ホーネットよ。このランス様という超最強戦力抜きで勝つとは、お前にしては頑張ったじゃないか。影の支配者たる俺様が褒めてやろう。あそーだ、頭撫でてやろうか?」

「……いえ、必要ありません」

「んな照れんなって。ほれ、よーしよーし」

「………………」

 

 相手の遠慮の言葉など意に介さず、ベッドの上に膝立ちになったランスは彼女の頭に手を伸ばし、緑の髪をわしゃわしゃと撫で回す。

 

 滅多に表情を変えないその魔人にしては珍しく、とても嫌そうな顔でじっとしていたホーネットは、やがて「……はぁ」と、多様な想いの詰まった吐息を吐き出した。

 

「……貴方は、本当にいつも通りですね」

「うむ? まぁ、そりゃあな」

 

 問い掛けの意図がよく分からず、漠然とした言葉で返事をするランスの一方。

 

「……そうですか」

 

 先日の混浴の一件が未だ尾を引き、再び顔を合わせた時にどうなるものかと内心身構えていたホーネットは、いつも通りのランスの様子に何とも表現し難い複雑な心境だった。

 

 実の所、先日の一件が尾を引いていたのはランスも同様で、何事も切り替えの早い彼にしては珍しく、混浴の日からしばらくはその後悔をしっかり引き摺っていた。

 しかし、その後ランスはワーグの能力によりハーレムの夢を見せて貰い、夢の中とはいえ初めてホーネットの事をその腕に抱き、思う存分楽しんでとてもスッキリした事があってか、今ではもうケロリとしていた。

 

「……つーかホーネット。お前、戦いに勝ったわりにはあんまし嬉しそうじゃねぇな」

 

 未だ相手の頭の上に手を置くランスは、彼女のどうにも不機嫌そうな雰囲気をそのように解釈したらしく、そしてそれは全くの的外れでも無かった。

 その言葉に思う所があったホーネットは思考を切り替え、どこか神妙な顔付きで口を開く。

 

「……えぇ。実はその事に関しても、少し気になる点があるのです」

「気になる点?」

 

 彼女が憂慮していたのは先日の混浴、ひいてはランスと自身に関しての様々な事もそうなのだが、決してそれだけでは無く、つい昨日勝利で終えたばかりの戦に関しても、未だ腑に落ちない事が胸の内に燻っていた。

 

「……そうですね。ビューティーツリーでの戦いについて、貴方にも話しておいた方が良いのかもしれません。聞いておきますか?」

「うむ、そうだな。お前が話したいというのなら聞いてやってもいいぞ」

「………………」

 

 現魔王城に君臨する最強の存在、魔人筆頭を前にして、どこまでも偉そうなランスの態度。

 しかしその程度はもう許容範囲内、一々目くじらを立てるような事でも無いのか、ホーネットはその事に関しては特に指摘したりはしなかった。

 

「……では、話しますから聞いてください。……ですがその前に。ランス、そろそろ髪に触れるのを止めて貰ってもいいですか? ……それと、いい加減に私のベッドの上から下りなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、すぐに寝室から居室に場所を移して、ランスはそこにあったソファに腰掛けていた。

 

「どうぞ」

 

 部屋の外にある給湯室から戻って来たホーネットが、紅茶を注いたカップとソーサーを二人分、ソファの前にあるテーブルに並べる。

 

「うむ、ご苦労」

 

 これまた偉そうに労いの言葉を掛けたランスは、すぐに紅茶を手に取りぐいっと一口。

 二人がこの部屋で会話をする際に、それはおなじみとなった光景の一つなのだが、その時ランスは今までとのちょっとした違いに気付いた。

 

「そういやホーネット、前は下っ端みたいなのが何人か居たけど、あいつらはどうしたんだ?」

 

 ランスの言う下っ端みたいなのとは、実際には魔人ホーネットの使徒の事。彼女は使徒を複数人有しており、身の回りの世話や雑用など、その使徒達は戦力以外にも側仕えのような働きも兼ねる。

 以前この部屋で会話をした時などは、主の背後に無言で控えていたその使徒達だが、しかし今は誰一人としてその姿が見当たらない。

 

 先程、魔人筆頭御自らの手により紅茶を差し出されたのは、ランスにとっては初めての経験。本来なら使徒達がすべき事であり、当然ながら城内で一番偉い立場の魔人筆頭がするような事では無い。

 当の本人たるホーネットには、自らがお茶汲みをした事に然程気にした様子は無いが、もしサテラなどが見ていたら卒倒しそうな光景であった。

 

「私の使徒達は全員、まだ前線に残っています。シルキィ達と協力して、サイサイツリーの維持とビューティーツリーの支配に努めている筈です」

「ふーん。じゃあ、シルキィちゃん達もまだ帰ってきてはいないって事か」

「そうですね。サテラやハウゼル、ガルティアやメガラス達もまだ戻ってはいないでしょう」

「……ん? て事はもしかして、帰ってきたのはお前だけって事か?」

 

 ランスの疑問に、正面に座るホーネットは「えぇ」と頷き肯定する。

 聞けば彼女は、ビューティーツリーで起きた戦闘の終局的な趨勢、自派閥の勝利を確信してすぐ、シルキィ達にその場を任せて急ぎ魔王城へと戻ってきたらしい。

 

「私が先程言った気になる点というのは、その事にも関連しているのですが……」

 

 彼女が急遽魔王城に帰還する事になった理由。

 それは、此度の戦いでホーネット派の魔人達全員が不審に感じた、ケイブリス派の妙な動き。

 

「実は、今回の戦いでは、ケイブリス派の魔人達が一人も現れなかったのです」

 

 

 

 

 



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派閥の主との話し合い

 

 

 

 

 今回ホーネット派がその総力を挙げて挑んだ、魔界都市ビューティーツリー再奪還作戦。

 その戦いを終えて魔王城に帰還したホーネットから、ランスは詳しい顛末を聞く事となった。

 

 そして伝えられたのは、ホーネット達が戦いの最中で強く抱いていた一番の疑念。それは此度の戦いにおいての、ケイブリス派の不審な動向に関しての事だった。

 

 

 

「魔人が現れなかった?」

「えぇ、そうです」

 

 魔王城の最上階、魔人ホーネットの部屋。

 ソファに腰掛けるランスの言葉に、向かい合わせに座るホーネットが落ち着いた声で返答する。

 

 今回、魔物兵の大軍に加え、他を圧倒する一騎当千の力を持つ魔人、派閥に所属する全ての魔人達を戦力として使い、魔界都市を奪わんと大攻勢を仕掛けたホーネット派。

 それに対して、ホーネット派の侵攻を待ち構える形勢となったケイブリス派は、その防衛に際して魔人を戦力として一人も使用する事は無かった。

 

「魔人が出てこなかったって事は……お前らは雑魚モンスター共と戦ってきたって事か?」

「……結果から言うと、そうなりますね」

 

 ホーネットの表情からは、彼女にとっても甚だ不本意だという胸中が垣間見えていた。

 それもその筈、今回ホーネット派は大半の人員を戦力として動かしたが、それはケイブリス派に残る魔人達を警戒したが故の事。

 だからこそ派閥の主であるホーネットを筆頭として、配下の魔人達も作戦に参加したのであり、それは敵の魔物兵だけを相手にするならば余りにも過剰な戦力と言えた。

 

「私達が侵攻を開始した当初、ビューティーツリーを守っていたケイブリス派の戦力は魔物兵がおよそ80万程。その魔物兵達を指揮する魔物隊長に魔物将軍、そしてそれらを束ねる魔物大将軍が二体という構成でした」

 

 それは侵攻に先んじてハウゼルやメガラスら飛行部隊が、ビューティーツリー周辺を空から偵察する事により得ていた情報通り。

 しかしそれだけでは終わらないだろうと、ホーネット達は当然のように想定していた。

 

 魔物界を南北に分けて争う派閥戦争において、その都市は両派閥の勢力域の中間点にあり、そこを押さえる意味合いは大きい。

 特にケイブリス派にとっては、ビューティーツリーからは本拠地たるタンザモンザツリーへの道が続いている為、そこを奪われると本陣への王手が掛かる状態となってしまう。

 

「ケイブリス達もあの場所の重要性は理解している筈。ですので……」

「ホーネットよ、ちょいタンマ」

 

 話を先に進めようとした彼女の言葉を遮るかのように、ランスは開いた片手を前に突き出す。

 どうやら途中から話の流れに乗り切れていなかったのか、その表情にはくっきりと疑問符が浮かんでいた。

 

「どうしました?」

「ちょっと気になったのだが、お前がさっき言ってた魔物大将軍って何だっけ?」

 

 前回の時、確かにその名を聞いている筈のランスなのだが、しかしすでに過去に戻って4ヶ月以上も経過しているという事もあってか。

 加えて言うと、魔物隊長や魔物将軍であれば今まで何度も屠ってきたランスだが、魔物大将軍と言うのはあまり馴染みの無い相手である事も影響したのか、その記憶は脳の奥底に沈んでいた。

 

「……そうですね。考えてみると、あまり人間には知られていないのかも知れませんね。魔物大将軍と言うのは……」

 

 魔物大将軍、それは魔軍においての上級司令官。魔物将軍を超える指揮能力を有するが、同個体が何体でも存在出来る魔物将軍とは違い、一度に存在出来る個体数に制限があるという特異性を持つ。

 

 全7体の魔物大将軍の内、2体は元々ホーネット派に所属していたが、数年にも及ぶ派閥戦争の戦局の中で両者ともに戦死している。

 そして残りの5体がケイブリス派に属しており、その内の1体は派閥の大元帥の地位にある。

 他の4体はそれぞれ前回の第二次魔人戦争において、リーザス、自由都市、ゼス、ヘルマン等各国への侵攻の総指揮を執った者達となる。

 

 

「……あぁ。なんかそんなん、居たよーな居なかったよーな……」

「……とにかく、ビューティーツリーを防衛していたのはピサロ、ヨシフという名の2体の魔物大将軍でした。魔物大将軍は魔物兵達の指揮能力に加えて単体としての戦闘能力も高く、中には下級魔人に類する程の者も存在します。……ですが」

 

 ホーネットは数秒目を閉じて、その瞼の裏に渦中の魔物大将軍達と対峙した数日前の光景、恐怖と絶望が織り交った必死の形相で、自分の前から逃げ出すだけだったその姿を思い出す。

 

 魔人並みの力を有していたとしても、魔物大将軍はどこまでいってもあくまで魔物大将軍。魔人が有する絶対無比の力、無敵結界をその身に纏っている訳では無いし、それを打ち破る力も持ち合わせてはいない。

 仮に同等の力を持つ両者が戦ったとして、一方の攻撃だけ相手には一切効果が及ばないとしたら、結果は火を見るより明らかである。

 

「無敵結界がある限り、ピサロとヨシフがどれ程強かろうとも、私達魔人の相手にはなりません」

「……無敵結界どうこうが無くとも、お前の相手になる奴なんざそうは居ないと思うが」

 

 眼前に居る派閥最強の魔人筆頭、ソファに行儀良く座るその姿を呆れ混じりの顔で眺めるランスだったが、彼女が言いたい事は理解していた。

 

「ただまぁ、それはそーだわな。お前らの無敵結界は強い、つーかズルい。だからこの俺様だって、本当はすぐにでも放り捨てたい気持ちをぐぐっと我慢して、あの馬鹿剣を持ち歩いてる訳だし」

「そうですね。貴方のような特別な力を持つ者がいれば話も変わってきますが、基本的に魔人の相手は魔人にしか出来ない事です」

 

 無敵結界を切り裂ける魔剣カオスと聖刀日光。この世に二つだけのその武器が無い限り、魔人と戦った所で掠り傷一つ付ける事は出来ない。

 魔剣や聖刀の存在はともかく、魔人が無敵結界を有する事はこの世界の誰しもが知っている事。ランスは勿論、一般人でも基礎学校に入れば習う事であり、ケイブリス派がそれを理解していないというのは有り得ない話。

 

「ピサロとヨシフだけでは、私達の攻勢からビューティーツリーを防衛する事など到底不可能な事。だからこそ、必ず誰かしらの魔人の増援があると考えていたのですが……」

 

 ホーネット達があり得るだろうと想定していた3体の魔人。レイ、パイアール、レッドアイ。

 そして、おそらくは有り得ないだろうと想定していた、3体の魔人四天王達。

 現在ケイブリス派に属している6体の魔人の内、そのいずれも、結局最後の最後までその姿を見せる事は無かった。

 

「こちらに勝る敵の大軍を前に存外に時間が掛かりましたが……。最終的に私がヨシフを討ち取った事が契機となって、ケイブリス派はカスケード・バウの向こう側に撤退していきました」

 

 数多の魔物兵により壁の如く固められた防陣を前にして、魔人を先鋒としたホーネット派戦力は幾度となく衝突を繰り返す。

 休む間もない怒涛の攻撃に晒され、次第にケイブリス派魔物兵達の守りにも綻びが生じ、その間隙を突いてホーネットは強襲を仕掛けた。

 

 敵陣奥深くまで切り込んだ彼女はようやく、防衛戦力の指揮官たる魔物大将軍の一人、配下を盾にしながら狼狽して逃げ出すその姿を捉えた。

 遠ざかる敵の背中目掛けて放った、魔人筆頭必殺の六色破壊光線は的確に標的を射抜き、魔物大将軍ヨシフは六色の輝きに貫かれて絶命した。

 

 ヨシフの死亡を受けて、大勢が決したものと判断したのか、魔物大将軍ピサロと残る魔物兵達は散り散りに逃亡を開始し、結果ケイブリス派は魔界都市ビューティーツリーを失う事となった。

 

 

 以上が、ホーネット派によるビューティーツリー再奪還作戦、その大まかな経緯。

 そこまで話し終えたホーネットは、一度テーブルにあるティーカップに手を伸ばす。優雅な所作でソーサーごと持ち上げ、紅茶を一口含んでその喉を潤した後、小さく息を吐いた。

 

「……ですが、やはり腑に落ちません」

「ふーむ。まぁでも、勝ったんだからいいんじゃねーの?」

「しかし……」

 

 一通り話を聞いても尚まるで気にした様子の無いランスの一方、ホーネットはそのように楽観的に考える事は性格的に難しいのか。

 静かにティーカップをテーブルに戻す彼女の瞳には、懐疑の色が顕著に浮かんでいた。

 

「……当初ビューティーツリーにあった戦力だけでは、こちらの攻勢に対処出来ない事は最初から向こうも分かっていた筈です。にも関わらず、その後の動きが不可解でなりません」

 

 いつまで経っても増援は無く、まるでビューティーツリーを守るつもりが無いかのような対応。

 あまりにも敵の魔人が現れなかったので、あるいは何か他の狙いあるのではと思案した彼女は、魔物大将軍ヨシフを打ち取って戦いが終局に向かい始めた時点で、その場をシルキィ達に任せて一人戦場を離れた。

 

 仮に他の狙いがあるとしたら、それは今一番手薄となっている本拠地の魔王城だろう。

 とはいえ魔王城までの道程には二つの魔界都市を挟む為、そこを飛び越えて直接魔王城が狙われる事は基本的には無い筈である。

 

 しかし、敵には奇智なる科学力を駆使する魔人パイアールや、魔人の中でも最高の魔法レベルを有する魔人レッドアイがいる。両者の力を駆使すれば、こちらの想像が及ばないような手段で魔王城に攻撃を仕掛ける事も可能なのかもしれない。

 

 もしそうだった場合、今魔王城の留守を任せている人物の命が危ない。

 そんな思いから、ホーネットは胸中に湧く焦燥感を抑えながら急ぎ魔王城へと帰還して。

 

 そして、自分の寝室のベッドを勝手に使用して、ぐーすか寝ているランスを発見したのだった。

 

「………………」

「……何だよ、急に睨んで」

「……いえ。決して睨んではいません」

 

 あの時抱いた焦りと呆れを思い出し、知らずの内に眼前の相手を見つめる視線が険のあるものになっていたらしい。その事を指摘されたホーネットは、もう一度紅茶を飲んで思考を元の話へと戻す。

 

「……どうやら魔王城が目的という訳でも無さそうですし、ビューティーツリーを易々と手放したケイブリス派の意図が読めないのです。ランス、何か思う事はありませんか?」

「俺様に聞かれてもなぁ、ビューティーツリーとかさっぱり知らんし。案外、奴らにとっては要らない場所だったりするんじゃねーの?」

「そんな筈は……。そもそも、私達はあの都市を巡っては過去に何度も争っています」

 

 およそ7年にも及ぶ派閥戦争は、その時々において一進一退の攻防を繰り広げている。その為両派閥の中間地点にある魔界都市、ビューティーツリーとサイサイツリーは何度互いに奪い奪われ、旗色を変えてきた場所となる。

 

「以前は向こうも魔人達を動かし、有り余る程の戦力でもって激しく抵抗してきたにも関わらず、今回に限って……」

「……ふむ、以前は、か。……あ、俺様分かった」

「え?」

 

 耳に入ったその言葉が俄に信じられず、思わず小さな呟きを漏らしたホーネットは、謎を解いてすっきりした表情のランスをまじまじと見つめる。

 

「……分かったのですか?」

「おう。以前は必死こいて守っていた場所を、今回に限って奴らが守らなかったって事だろ? なら、答えは一つしかねーじゃねーか」

 

 作戦に参加した魔人達皆が抱いたその疑問、しかしランスはすぐに解を見つけたらしく、にぃと口角を釣り上げる。そして親指だけ立てた握り拳を作ると、その指で自らの顔面をぐっと指し示した。

 

「答えはつまり、俺様だ」

「………………」

 

 とても自信ありげなその顔を、ホーネットは無言で数秒眺めた後。

 

「……ランス、意味がよく分からないのですが」

「だーから、以前との違いなんて俺様が現れた事ぐらいだろ? つまりあれだ、奴らは俺様の存在にビビったのだ。んで、ロクに守る事もせずに逃げ出しちまったという訳だ」

「……まさか。大体、貴方は戦いに参加すらしていなかったではありませんか」

「そーだな。魔王城に居ながらにして敵を退散させてしまうとは、さっすが俺様」

 

 圧倒的な強者とは、戦わずともそこに在るだけで相手に強い影響を及ぼす。例えば戦場に居るだけで敵の戦意を挫く、かのJAPANの軍神のように。

 自分は軍神をも超える英雄である訳だし、きっとそういう事もあるだろう。おそらくそうに違いないと、ランスはしたり顔でこくこくと頷く。正面に座る魔人筆頭が向けるとても胡乱げな視線は、この際気にしない事にした。

 

「まぁそういう訳だ。それにだな、ぶっちゃけ俺様は終わった戦いの事などどうでもいいのじゃ。大事なのは次だ、次」

「次、ですか?」

「そうだとも。ホーネットよ、お前が次にするべき事と言えば何だ?」

「………………」

 

 その言葉に、ホーネットは自然と顎に手を当て、視線を少し下向きに下げる。

 

 先の戦いにおいてのケイブリス派の動向、その不自然さは未だ腑に落ちないものの、だが確かにランスの言う通り、過去の事を振り返るより先の事を考えるべきというのも一理ある話。

 理由はどうあれ、当初の目的であったビューティーツリーを奪い返す事には成功した。ならばその次にするべき事とは。

 

「……そうですね。差し当たってはビューティーツリーの防衛の強化。それと、メガラス達にカスケード・バウの偵察をするよう指示を……」

「いや違う。お前が次にするのは風呂だ」

「……風呂?」

 

 派閥の今後では無く、彼女自身が今日この後するべき事。それは思考の死角にあったのか、鸚鵡返しに呟いたホーネットは顔を上げる。

 すると彼女の瞳に映ったのは、邪な考えを隠そうともしない、ランスのとてもいい笑顔。

 

「そうだ、風呂だ。戦いから帰ってきたばっかでお前も疲れているだろう。今日は風呂に入ってゆっくり休むと良い。うむ、それが良いな」

「……あぁ」

 

 ──そういう事ですか。

 と、ホーネットがその魂胆を理解するのと同じタイミングで、ランスは「勿論、俺様も一緒に入るがな」などと付け足し、膝を叩いてソファから立ち上がった。

 

「さ、ひとっ風呂浴びに行くぞホーネット。残りの話は湯船の中で聞いてやろう」

「………………」

 

 これからは毎日混浴になる。前回共湯をした時にランスが言っていたそんな戯言が、魔人筆頭の脳内で嫌でも思い起こされる。

 

 拒む事は出来る。何ならその身を案じて急いで魔王城に戻る必要など無かった訳だし、いっそこのままの足で魔界都市に戻ったって良い。

 しかし、この期に及んでそれも弱腰な話。そもそも魔王城の仮の主である自分が、この城を長く不在にする事など許されない以上、この先永遠にこれを回避し続けるのは恐らく不可能な事。

 

 眉根を寄せた表情で沈黙したまま、そんな事をつらつらと考えたホーネットは、

 

「……ふぅ」

 

 ケイブリス派と戦う事などよりも遥かに勝る、自分にとっての一番の心労の原因である、その男の耳に届く程に大きく息をついた。

 

「……次はあのような失態は犯しません。湯に当たる前に私は風呂を出ますから、そのつもりで」

 

 

 

 その後、ランスとホーネットの二人は魔王専用の浴室へと向かった為、その疑念に関しては結果として有耶無耶なままとなった。

 此度の戦いでの、ケイブリス派の不審な動向。それはランスが言ったような、魔王城でお留守番していただけの彼を怖れた訳では決して無く。

 

 だが、全くの的外れという訳でも無かった。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 話は何日か前に遡る。

 

 魔物界の南側。そこら一帯はケイブリス派の支配圏となり、その南端にあるのがケイブリス派の本拠地である、魔界都市タンザモンザツリー。

 

 その拠点から西へと進んだ所に、太古より存在している嶮しい山がある。火口からは数十年周期で様々なものが噴き出し、今の時期は高熱の炎で溢れる天然の要塞が如きその山の名は、ベズドグ山。

 

 そのベズドグ山の中腹辺り、峻厳たる山の内部に潜むようにして建てられた建造物。

 それが、魔人四天王ケイブリスの居城である。

 

 

 そしてその城の一室、玉座の間。

 咽返るような饐えた匂いの恐瘴気が部屋中に充満し、その場に居るだけでも胆力を削られそうな重苦しい雰囲気の中。

 

「……ぐぐぐ、ぬぅ~………」

 

 巨体を玉座に預けながら、地の底を這うような低い唸り声を上げているのが、ケイブリス派の主である魔人ケイブリス。

 

「………………」

 

 そしてその魔人の前に立つ、胸から剣を生やした獅子の容貌の持ち主が、ケイブリス派内で大元帥の立場にあるストロガノフである。

 

「……ケイブリス様。さすがにそろそろ……」

「わぁーてら、今考えてんだろーが!!」

 

 大元帥の何度目かになる催促の言葉に、未だ決断の出来ぬ派閥の主は乱暴な返事で答える。

 

 魔人四天王ケイブリス。派閥の名を冠するその魔人は今、深い悩みの中にいた。

 今より少し前に、伝令役の飛行魔物兵から届いた重要報告、自軍の拠点である魔界都市ビューティーツリーに対して、莫大な規模のホーネット派勢力が侵攻を開始したのがその理由である。

 

 その拠点には現在2体の魔物大将軍を中心とした防衛部隊があるが、しかし魔人を中心とするホーネット派の攻撃に晒され苦戦中。

 報告によると防衛部隊は保って数日だとの事で、今すぐにでも誰かしらの魔人を増援として送らねばならぬ事態なのだが、その際問題となるのが果たして誰を選ぶべきか、という事である。

 

 基本的にこういった事は、ケイブリス本人が決断する。大元帥の立場にあるストロガノフは、何かを提案したり意見したりはするものの、最終的な方針は派閥の主が決める事。

 

 それがケイブリス派の今までの在り方であり、当然今回も同じ事。

 長く悩んでいたその魔人は、ようやくゆっくりとその口を開いた。

 

「…………よし決めたぞ。じゃあレイだ。レイの奴に何とかさせろ」

 

 

 

 

 



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派閥の主との話し合い②

 

 

 

 現在ケイブリス派が直面している深刻な問題、ホーネット派による大規模侵攻。

 

 その対策を講じる為の緊急の作戦会議にて、派閥の主たる魔人の口からまず挙がったのは、自派閥に属するとある魔人の名前。

 

 

「……レイ様、ですか」

 

 聞こえたその名に、大元帥ストロガノフは軽く顎を引く。

 

 魔人レイ。苛立ちを戦う事により発散しているその魔人は、戦争にも協力的な立場でいる。よってレイを動かす事自体には賛成ではあったのだが、しかし大元帥の表情にはまだ陰りがあった。

 

「しかしケイブリス様。向こうの戦力を考えると、とてもレイ様だけでは……」

「……ぐ」

 

 分かり切っている問題点を指摘され、ケイブリスの喉から小さな呻きが漏れる。

 

 ホーネット派戦力の中には魔人が何体も含まれている。中には魔人四天王のシルキィはおろか、魔人筆頭であるホーネットの姿も確認している。

 如何な魔人レイでも一人では荷が重いのは明白、ホーネット派が総力を挙げている以上、もはやケイブリス派としても戦力を出し惜しみせずに対処せねばならない局面と言えた。

 

「……なら、パイアールの奴も行かせろ」

「……レイ様とパイアール様、ですか。確かに今動かし易いのはそのお二方になりますが……」

 

 主の手前、直接的な言葉で否定はしないが、しかしストロガノフの声に賛成の色は無い。

 雷撃を操るレイはともかくとして、パイアールは魔人との戦いには向かない魔人。彼の駆使する科学兵器は魔物兵等には有効だが、しかし無敵結界の前には無力となってしまう。

 その2体の魔人を動かしたとしてもまだまだ旗色は悪く、加えてより深刻な別の問題もあった。

 

「ですが、あのお二方にもしもの事があった場合、これ以上魔人が欠けてしまうのは……」

「……ぐ、ぐぬぬぬ」

 

 それはケイブリスが一番痛感している悩みの種、先程よりも更に大きな呻きが響いた。

 

 

 二人の最大の懸念。それは、自派閥の残りの魔人達がホーネット派に倒されてしまう事。

 ここ数ヶ月の内に、ケイブリス派は何体もの魔人を失ってしまい、その結果、遂にホーネット派との戦力差が均衡してきてしまった。その事は特に派閥の主であるその魔人の心中に、じわじわと忍び寄るような恐怖と焦燥を与えていた。

 

 これ以上は絶対に魔人の数を減らす訳にはいかず、そう考えると此度のホーネット派の侵攻に対して、先の2名の魔人だけでは危険が大きい。

 あの魔人筆頭は並の魔人では中々抑える事が出来ない厄介な相手。その上更に魔人四天王や他の魔人達も敵に回すとなれば、レイとパイアールと言えども魔血魂に戻らぬ保証は無い。

 

(せめてもう一人、もう一人誰かを動かせればよいのだが……)

 

 獅子の顔を沈黙させたまま、大元帥が考えていたのは更なる追加戦力の事。もう一人魔人を加える事が出来れば、互角とまでは言わずともある程度盛り返す事は出来る。

 だがその後一人を動かすのが今の自分達にとっては難しい事、ストロガノフは思わず漏れそうになった溜息を押し殺した。

 

 

 現在ケイブリス派に残る魔人の内、例えば魔人レッドアイ。殺戮を趣味とする程の好戦的な性格をしているあの魔人なら、命じれば二つ返事ですぐにでも動いてくれる筈ではある。

 しかし、レッドアイは味方を巻き込むのを一切厭わないので、魔界都市の防衛などさせようものなら逆に被害が広がってしまう。

 その上、時として勝手に戦場を離脱したりなど、命令違反も怖れない程の気まぐれな性格である為、あまり防衛の際に動かす戦力では無いとの認識が、この場に居る両者の共通見解だった。

 

(……出来る事なら、ケッセルリンク様に動いて貰えれば。……しかし、それも難しい)

 

 残る魔人の内、魔人四天王ケッセルリンク。派閥の主に次ぐ戦力の持ち主で、特に夜間は無敵と言える程のあの魔人であれば、敵の魔人を数体相手取って戦う事も可能に思える。

 しかし一方でケッセルリンクは昼に弱く、昼間は光差し込まぬ暗い地下に置かれた棺の中で、その身を眠らせないといけないという欠点がある。

 一日に一度は自身の居城に戻らねばならない都合上、ケッセルリンクは城から離れた場所での戦いには基本的に参加しない。

 

 以前、魔界都市ペンゲラツリーにホーネットを誘き寄せた際、あの時にケッセルリンクが動いてくれたのは、大元帥たるストロガノフ自らが足を運び、何度も頭を下げて頼んだが故の事。

 あの時は城から遠く離れた場所での戦いであり、ケッセルリンクとしても昼間は行動停止となってしまうリスクを抱えての戦闘であった。

 

 そしてその条件はビューティーツリーでも同様となり、それがケッセルリンクに頼むのが難しい理由の一つ。だが最大の理由としては前回頼んだ時、ストロガノフは「これで派閥戦争が終わるから何卒」と、そんな理由で説得に当たってしまったのが致命的であった。

 

 

 等々の理由により、魔人レッドアイも魔人ケッセルリンクも今動かすのは難しい。

 ならば次の選択肢としてストロガノフの頭に浮かんだのは、あの魔人四天王の姿。

 

「……ケイブリス様。カミーラ様に動いて貰うのは不可能なのでしょうか」

 

 その言葉にビクッと、玉座に座るケイブリスはその巨体を揺らす程の大袈裟な反応を見せる。

 

 魔人カミーラ。敵派閥の主との交換でケイブリス派に戻ってきたあの魔人四天王ならば、戦力的には申し分無い選択肢と言えるのだが。

 

「か、カミーラさんは駄目だ。あの方はホーネット派に囚われていた影響で、まだお体の調子が宜しくないとの事だ。つー訳でカミーラさんは駄目」

 

 途端にケイブリスの口から、すっかり威厳の抜け落ちた声での却下がされる。

 半ば予想出来ていたその答えに、大元帥はつい肩を落としかけてしまったのだが、その時ふと、先の言葉のある点に興味を抱いた。

 

「……という事は、もしやケイブリス様、カミーラ様からのお返事をいただいたのですか?」

 

 乱暴、かつ苛烈な性格のケイブリスだが、想い人の前ではとても口下手になってしまう。

 そんなケイブリスは手紙を好み、自派閥に戻ってきたカミーラに向けて何度も恋文の如き手紙を出していた。しかしまだ一通も返事が来ない事に対し、ここ最近愚痴りっぱなしであった。

 

 だが先のケイブリスの言葉は、カミーラから直接に近況を聞いたかのような台詞である。もしや遂に返事を貰えたのかと、ストロガノフはそんな事を思ったのだが。

 

「……あ~。いや、まーその、なんつーか……」

 

(……あぁ、そういう事か)

 

 視線を左右に彷徨わせ、曖昧に言葉を濁すその姿に、大元帥は答えを聞かずとも理解した。

 間違いなくケイブリスの下には、未だカミーラからの返事は届いていない。おそらくは彼の使徒達が手紙を届けた際、そのように言い包められただけなのだろう。

 

 魔人カミーラ。あのドラゴンの魔人四天王はとても怠惰な性格で、何かと理由を付けて戦争に不参加を決め込む上、派閥の主たるケイブリスが恋い慕っている為、あまり強い態度を取れないというのがとても厄介な点であった。

 

 

 レッドアイもケッセルリンクも、そしてカミーラも動かせないのなら、残るは最後の選択肢。

 ストロガノフは目の前の玉座に君臨する、魔物界最強の魔人に対してちらりと視線を送った後。

 

(……有り得ない、か)

 

 その魔人を派閥の主と仰ぐ者として、決して実際の声には出さず心の中での呟きに留めた。

 

 魔人ケイブリス。この魔人が動いてくれるのが一番手っ取り早い事で、一番確実である事は言うまでも無い。

 だが、それが一番難しい事であるのもストロガノフは重々理解していた。何せ7年もの間、この魔人は一度も戦場に出ては居ないのだから。

 

(……やはり、後一人が難しい。さて、どうしたものか)

 

 今のケイブリス派に残るのは、強力な力を持つが一癖も二癖もある扱い難い魔人ばかり。

 戦力として扱い易かったガルティアやバボラなど、全軍の実権を担う立場にいるストロガノフにとってはとても重宝したその魔人達は、残念ながら自派閥から姿を消してしまった。

 

(……うむ。振り返れば、今の苦境はその時から原因があるのかも知れぬ。献上品などと言うホーネット派らしくも無い方法で、ガルティア様が引き抜かれた時から……)

 

 魔人ガルティアの離脱。ホーネット派によって初めて味方魔人の頭数を減らされたあの時から、派閥戦争の潮目が僅かに変わってしまったような、不穏な予感をストロガノフは抱いた。

 その後、自派閥の魔人の大半を動かして決行した大規模作戦の甲斐あって、敵派閥の主ホーネットを捕らえる事に成功した。

 よってそれは杞憂に終わるかと思いきや、全く予想だにしていなかった手段により、掴みかけた勝利を手放す事となった。

 

 あの交渉の時に唐突に出現した、ホーネット派の影の支配者の名乗る謎の存在、カオスマスター。

 ケイブリスが必ず殺すと息巻いていたし、ストロガノフとしても関心を引く相手であった為、部下の魔物兵に調査はさせているのだが、未だその詳細も満足に掴めてはいないのが現状であった。

 

 

(……幾つか気に掛かる事はあれど、しかし今はビューティーツリーの事を考えるのが先決か。とはいえこれはもう、味方への被害も覚悟でレッドアイ様に動いて貰うしかないか。だが、しかし……)

 

 簡単には答えを出せない問題を前に、大元帥と派閥の主は口を閉ざし、しばし玉座の間は息の詰まるような静寂に包まれる。

 

 この時はまだ、如何にしてビューティーツリーを守るのか、そこに焦点を置いていた。

 少なくともストロガノフの方は、そこを出発点として思考を巡らせていたのだが。

 

「ぐぅぅ……、ぬぅぅ~……」

 

 これ以上魔人を減らせない。これ以上ホーネット派に戦力で拮抗される訳にはいかない。

 この魔人の性格故か、彼我の戦力差を減らさぬ事に拘泥するあまりに、次第にその思考は如何にしてビューティーツリーを守るのか、という点から徐々に外れていく。そして遂に、

 

「……そうだ。良い事思い付いた」

 

 はっと顔を上げた魔人ケイブリスは、そのアイディアに辿り着いてしまった。

 

「ケイブリス様、良い事とは?」

「俺様思ったんだがよ。別にビューティーツリーを守る必要は無いんじゃねぇか?」

「………………」

 

 その事自体は一応考えた事もあった為、そこに驚きは無かったのだが、しかしストロガノフはその言葉を聞いた瞬間、どうにも嫌な予感を覚えた。

 取り越し苦労であって欲しいと強く思いながらも、努めて冷静に大元帥は口を開く。 

 

「……ケイブリス様。それはビューティーツリーを放棄するという事でしょうか? しかし……」

「ストロガノフ。お前もよく言ってたじゃねぇか。ビューティーツリーはタンザモンザツリーから遠すぎる、あそこは守るのが難しいって」

「それは……はい。確かに何度か言いました」

 

 ケイブリス派の本拠地たるタンザモンザツリー。そこからビューティーツリーまでの間には、大荒野カスケード・バウを越える必要があったりと相当な距離が開いているのは事実。

 移動にはとても時間が掛かる為、実の所今すぐに前線に兵を送ったとしても、救援に間に合うかどうかは微妙な所にある。

 そんな理由で守るのが難しいとのケイブリスの言葉は正しく、それはストロガノフ自身も今まで苦慮してきた難点であった。

 

「……ビューティーツリーが守り難いのは事実。ですがケイブリス様、だからと言ってここで手放してしまうと、我々の侵攻の際に再び奪い返す必要が生じます。ならば……」

 

 しかし一方で、ビューティーツリーを失ってしまう事は侵攻の際の足掛かりを失う事でもある。

 再度奪い返す手間を鑑みれば、ここは正念場となるが耐え抜いた方が良いと判断した大元帥は、何とか再考してもらう為にと説得の言葉を続けようとしたのだが。

 

「いや、つーかな。何も無理してこっちから攻める必要は無いだろ」

「………………」

 

 それを遮るようにして告げられた、派閥の主のそんな言葉を受けて、

 

(……あぁ、やはりこれは)

 

 獅子の顔付きを歪ませた大元帥は、先程その身に受けた嫌な予感、残念ながらそれが的中していたのだと強く理解した。

 彼が不安視した事。それはケイブリスが口にしたその内容、その発想自体では無く、そこに辿り着いた思考や理由、あるいは精神状態といったもの。

 

「うん、そうだそうだ。考えてみりゃ、こっちから攻めなきゃいけないって決まりは無い。守るのが難しいビューティーツリーなんざ捨てて、その先で待ち構えてりゃ良いんだよ」

 

 本人なりに筋が通った理由を付けているのだろうが、しかしケイブリスは相手の方を見ていない。視線をそわそわと宙に浮かして、その巨体から伝わる迫力もすっかり影を潜めている。

 

 それはその魔人にとっての大きな特徴、あるいは性根、そして言ってしまえば悪癖か。

 これ以上自軍の戦力を失って、ホーネット派と拮抗してしまうのを恐れるあまり、ケイブリスは今、完全に弱気となってしまっていた。

 

 

(ケイブリス様がこうなった時は、大体……)

 

 ストロガノフは眉間に深い皺を寄せる。その前に立っている今でなければ、自分の口から大きな溜息が出ていたとすら彼は思う。

 この派閥の主が臆病風に吹かれてしまった場合、大抵が良い結果とはならない。特に全軍を預かる自分にとっては尚更の事だと、大元帥は過去の例からその事を痛感していた。

 

 この派閥戦争は、戦力で言えばケイブリス派が常に優勢の状態にある。特にアイゼル、ノスという2名の魔人がホーネット派の中から姿を消したLP2年頃から、それは決定的な差となった。

 にもかかわらず、それから5年の月日が経過した今でも決着は付いておらず、時に拠点を失ったりなど一進一退の攻防を繰り広げてしまっている。

 その理由は敵が派閥の主を中心に纏まり、劣勢ながらも士気高く戦ってきた事などもあるが、時折こちらの主が弱気となる事にも一因があるとストロガノフは確信している。

 

 弱気になったケイブリスが考える事、それは守る事。何をおいてもまずは守る事を考えてしまうその思考は、その魔人が弱小だった時には我が身を護る為の大切な思考であったが、立場が優勢となった今では足を引っ張る事も多い思考であった。

 

 

「なぁストロガノフ、その方が良いだろう。どうせホーネット派共がこれ以上先に進める可能性は万に一つもねぇ。奴らはタンザモンザツリーに着いた事はおろか、カスケード・バウを越えられた試しすらねぇんだからよ」

 

 それはケイブリス派にとっての強み。侵攻の際に障害となるその距離、そしてカスケード・バウは、逆に攻め込まれた際には最大の防壁となってホーネット派の前に立ちはだかる。

 

 それに加えて、最大の難所が一つ。

 

「なんせあの近くには、奴の城があるからな」

 

 その点はケイブリスにとっても絶対の自信があるのか、ようやくその顔に残忍な笑みが戻る。

 

 カスケード・バウから程近い場所には、魔人四天王ケッセルリンクの居城が存在している。

 さしものケッセルリンクと言えども、ホーネット派がカスケード・バウまで侵攻して来た際には、重い腰を上げてその猛威を存分に振るう。おそらくはそれでもって、派閥への義理立ては十分だと考えているのだろう。

 

「以前はもう一つ別の道もあったが、今ではもうそっちは死の大地によって通行止めだ。自軍に大量の犠牲を出すあの道を、甘ちゃんのホーネットが使おうなんて思わねぇだろうしな」

 

 ケイブリスは勿論、仮にホーネット派が死の大地を通ったとしても一応の備えはしてある。誰よりも慎重な性格故に、そういう所に関しては決して抜け目が無いのである。

 

「な? ビューティーツリーを奪われたからって、別に問題がある訳じゃねぇだろ」

「……ケイブリス様の仰っている事は分かります。ホーネット派が進めるのもここまででありましょう。……しかし」

 

 相変わらず大元帥の表情は険しい。ケイブリスが言うように、ビューティーツリーを捨てて本拠地で待ち構えて戦うというのは有効な手ではある。

 しかし未だ勢力としては優勢の立場にあるにもかかわらず、こちらから攻める手段を放棄するというのは些か消極的に過ぎるとも言える。

 その上ホーネット派としても過去に何度もタンザモンザツリーへの侵攻には失敗している為、それが難関だという事は向こうも当然承知している事。

 

「ホーネット派も易々と誘いには乗ってこないでしょう。このままだと、この戦いがより膠着状態に陥ってしまうのでは……」

「おう。だから、それでいーんだよ」

「……む?」

 

 相手を誘い込み、待ち構えた上で戦って勝つ事。それが目的だと考えた大元帥の一方、そもそもそんなつもりなど無かったその魔人は、我が意を得たりとばかりに大きく頷く。

 

 弱気となったケイブリスは守る事だけを考え、その果てに辿り着いた発想。

 それは、この派閥戦争をとにかく停滞させる事。そして、その上で自身が勝利を掴む事だった。

 

「ケイブリス様。それで良いとはどういう事でありましょう?」

「おいおい、お前ともあろう者が分かんねぇか?」

 

 大元帥の率直な疑問に対し、ケイブリスが勿体付けるようにして答えたのは、

 

 

「メディウサだよ、メディウサ」

 

 この時、すでに亡き者となっている魔人の名。

 

「メディウサ様、ですか?」

「そうだ。あいつが今、人間世界でリトルプリンセスを探している。俺様の目的は魔王になる事だ。ホーネット派なんて潰そうが潰すまいが、俺様が魔王になっちまえばそれで終わりだ」

 

 魔王は魔人に対しての絶対命令権を持ち、魔人は決して魔王に逆らう事は出来ない。

 いや魔人はおろか、あらゆる生物がその前では頭を垂れる。それが魔王という絶対的な存在。

 

「いつかはメディウサの奴が逃げ回ってる魔王を見つけて、必ず連れ帰ってくる。なら、ここで焦って攻め込む必要はねぇ。ホーネット派にタンザモンザツリーを攻め落とす手立てが無い以上、じっくりと待っていれば俺様の勝利は確実だ」

 

 決して焦らずに時勢を待つ事。それは魔人ケイブリスが誇る一番の特技。

 待つと決めたケイブリスにとっては、停滞した戦況など痛くも痒くもない。この先100年でも200年でも、いくらでも待てる自信が彼にはあった。

 

「ですがケイブリス様。2年前に人間世界に向かってからというもの、メディウサ様とはまともな連絡が取れた試しがありません」

「なーに、便りが無いのは何とかって言うだろ。きっと元気に魔王を探してるだろーよ。それに、こっちからの指示は届いてんだろ?」

「えぇ、まぁ……。おそらくは、ですが」

 

 ストロガノフは苦い表情で曖昧に俯く。

 人間世界に向かった魔人メディウサとは、基本的に連絡を取る手段が無い。何度か飛行魔物兵を送ってはいるのだが、魔法大国ゼスが誇る魔法要塞、マジノラインに備わる迎撃システムによって全て撃ち落とされてしまう。

 

 唯一連絡が取れる方法と言えば、メディウサの使徒であるアレフガルドに頼る事。

 主の命令により、マジノラインを物ともせずに世界中を飛び回るあの使徒と運良く遭遇する事が出来れば、こちらの指示を伝える事が出来る。

 

 ここ2年の間に、アレフガルドと遭遇してケイブリスの手紙を届ける事が出来たとの報告が、ストロガノフの下に何件かは上がっている。

 よって現在の魔物界の戦況などはメディウサにも伝わってはいる筈である。但し、それに対する向こうからの応答は一度も無いのだが。

 

「……それに、こう言っては何ですが、メディウサ様には少し怠慢な部分があります。我々の目から遠く離れた人間世界の地で、真面目に魔王捜索を行なっているかと言うと……」

「心配すんなストロガノフ。あいつは確かにふざけた奴だが、それでも俺様の恐ろしさはちゃんと理解してる筈だ。俺様の命令に手を抜いて、俺様に逆らおうとはしねぇだろうよ」

「……そう、ですね」

 

 共に酷悪な事を好む性格など、ケイブリスは何かとメディウサとは馬が合うらしく、他の魔人との関係よりもずっと気安い間柄でいる。

 そんなケイブリスが言うのであればそうなのだろうと、ストロガノフとしても頷く他無かった。

 

「な? メディウサの帰りをただ待てば良い。それだけで勝てるなんて一番簡単な方法だろう?」

「……しかし、ケイブリス様」

「……おいストロガノフ、俺様の考えた素晴らしいアイディアに、お前はまだケチ付けんのか?」

 

 ケイブリスはもはや意見など求めておらず、途端に息詰まるような威圧感が強まる。

 派閥の主たるその魔人の、不機嫌さを隠そうともしない怒気を含んだ声の前にして、

 

「……いえ、何でもありません」

 

 大元帥ストロガノフは、言わんとした言葉をそのまま喉の奥に飲み込んだ。

 

 

 この時彼はケイブリスが言う素晴らしいアイディアに関して、しかしケイブリスが見逃している、あるいは意図して目を背けている大きな欠点に気が付いていた。

 

 ただ待てば良い。ケイブリスはそう言ったものの、しかし永遠に待つ事などは出来ない。

 この派閥戦争は、魔王が不在だからこそ起こっている戦争。よって魔王が覚醒するまで、という明確なタイムリミットが存在している。

 

 魔王が覚醒した時点で自分達の勝利は無くなる。故にこそ、大元帥はその問題点を指摘しようと思ったのだが、しかし結局そうはしなかった。

 これ以上ケイブリスの言葉に逆らって、その癇癪を恐れたから。では無く、言っても詮無い事だと思い直したからである。

 

 魔王がいつ覚醒してしまうかなど、誰に分かる事では無い。メディウサが魔王を発見するより早い可能性もあれば、100年200年先まで覚醒しない可能性だってある。

 

 言ってしまえば、明日にでも覚醒する可能性だって無いとは言えない。仮に明日、魔王が覚醒したとなればその時点で派閥戦争は終幕となる。

 ケイブリス派としての今までの努力など全て水泡に帰すだろうし、そしてそれは唯々諾々と受け入れる他無い。覚醒した魔王に逆らえる存在など、この世に存在しないのだから。

 

 そんな事を考えたら「魔王が覚醒する前に動かねばならないのでは」などと自分が告げた所で、それはあまりにも無為な指摘、すでに7年近くもの時間を掛けている上では今更の話だと思い、ストロガノフは口を噤んでしまったのだった。

 

 

 

 この時ケイブリスは当然として、大元帥たるストロガノフも、すでに魔人メディウサが死亡しているとは考えてはおらず、ある程度自堕落に過ごしつつも魔王を探しているものと想定していた。

 ホーネット派と戦っていたならばともかく、戦争から離れて安全な人間世界に向かった以上、そう考えても仕方の無い事ではあった。

 

 しかし現実問題、ランスとホーネットの手によりすでに魔人メディウサは討伐されている。 

 その重大な見落としと、魔王の覚醒という不確かな要素を包含したまま、とにかくこうしてケイブリス派の当面の方針は決定した。

 

 その事はすぐに、飛行魔物兵達によって前線の魔界都市ビューティーツリーにまで伝えられた。

 ホーネット派の侵攻が一手早く、結果として魔物大将軍ヨシフは討ち取られてしまったが、残っていた兵達は派閥の主直々の撤退許可を受けて、すぐさま本拠地へと帰還した。

 そしてその後、タンザモンザツリー周辺、及び大荒野カスケード・バウには、それ以上の敵の侵攻を封じる為、ケイブリス派の総力を挙げた防衛線が敷かれる事となった。

 

 

 それは長い年月、強者に媚びへつらう人生を歩んだ結果、形成された臆病な性格故か。あるいは彼の元の種族である、リスの生態故なのか。

 

 魔人ケイブリス、そしてケイブリス派は、身を守る為のとても強固な巣穴を造り上げ、その中に閉じ籠ってしまったのだった。

 

 

 

 

 



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ホーネット派の魔人達②

 

 

 

 

 ある日の魔王城。

 

「……暇だな」

 

 ランスは暇を持て余していた。

 

 

 ここ最近のランスはとかく暇であった。だったのだが、しかしそれはもう以前までの事。

 ランスがここ最近を退屈に過ごす事となった一番の原因、ホーネット派の総力を挙げた魔界都市ビューティーツリー再奪還作戦は、つい先日勝利という結果で幕を下ろした。

 

 直後に派閥の主である魔人ホーネットは魔王城に帰還しているし、その日から数日が経過した今では他の魔人達も城に帰還している。

 城内は普段通りの様子に戻り、なので今現在のランスには暇を潰す手立ては幾らでもある。先程の言葉は「さて今日は何して遊ぶかな」と、そんな意味合いを含んでいた。

 

 

「ふーむ、そうだなぁ……。昼間っからセックスってのも、それはそれで悪くないが……」

 

 しかし質の良いセックスとは、退屈しのぎの妥協の産物では中々味わえない。自分の下半身が反応するような、素晴らしいエロイベントがどこかに落ちていればいいのだが。

 などと、余人に話したら不審な目で見られそうな事を考えながら、ランスは活気の戻った魔王城内を気ままにぶらついていた。すると、

 

「……お」

 

 城のとある階層、たまたま通り掛かったある部屋の前で立ち止まった。

 

「……そーだな。この前ホーネットの部屋で遊んだ事だし、次はここにするか」

 

 勝手知ったるその相手の事だしと、ランスはノックもせずに部屋のドアを開いた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 室内に居たのは、真紅の髪をポニーテールに結んだお馴染みの魔人。

 

「よう、サテラ」

 

 そこは魔人サテラの部屋。主に彼女を抱く為などで、ランスも何度か入った事のある部屋。

 

「おぉ、ランスか。どうした、サテラに用事か?」

「うんにゃ、ただ暇を潰しに来ただけだ。……しかし、お前は相変わらずそれか」

 

 呆れたように呟くランスの視線が刺さる先、それは座卓の前に女の子座りで座るその魔人、より正確に言えばその手元。

 サテラは今、粘土をこねこねしていた。ランスがこの魔王城に来てから、そしてそれ以前に前回の時から何度も目にした姿である。

 

「お前って、本当に粘土遊びが好きだな」

「む。ランス、サテラは遊んでいる訳じゃない。これは戦力増強の為に必要な事なんだ」

 

 子供っぽい奴だと言われているようで癇に障ったのか、彼女は不機嫌な声で言い返す。

 

 魔人サテラの粘土遊び。それは幼児が行うような単なる遊びでは無く、彼女にとっての趣味と実益を兼ねたガーディアンメイクが本当の姿。

 サテラはガーディアンを作製する高い才能を有している。今も壁際で控えている彼女の使徒、魔人と同程度の力を有するシーザーは、彼女がその才能によって造り上げた最高傑作となる。

 

「こうやって粘土でガーディアンを作る事で、サテラはホーネット派の戦力を増やしているんだ。決して遊んでいる訳じゃない」

「……けど、お前が普段こねこねしてる粘土が完成した所など、俺様見た記憶が無いのだが」

「うっ、……うるさいっ」

 

 返答に窮したサテラのその様は、ランスの指摘が見事に図星を突いた事を示している。

 暇さえあれば粘土をこね出す程、普段からガーディアン作りに精を出すサテラなのだが、しかし彼女はその事においてはとても職人気質。小さな妥協も決して許さず、一つミスがあればすぐに作り直しをしてしまう為、中々新規のガーディアンが完成しないという難点があった。

 

「サテラだってな、完成させたいとは思ってる。……けど、シーザーみたいな強いガーディアンを作るのはとても難しい事なんだ」

「難しいって、粘土をこねて形にするだけだろ?」

「ふんっ、ランスのような素人から見ればそう見えるのかもしれないがな。これはすごく繊細な技術が必要で、簡単に出来る事じゃないんだぞ」

 

 つんとした態度のサテラの言葉に対し、「ほーん、そんなもんかねぇ……」と適当な返事をしたランスだったが、それでも次第にふつふつと興味が湧いて来たのか、あるいは単なる気まぐれか。

 

「……うし、じゃあ俺様もやってみるか」

 

 腕まくりをしながらそう宣言すると、サテラの対面の位置に腰を下ろした。

 

「……え、ランスがガーディアン作りを?」

「おう。この俺がそのデカブツに勝るような素晴らしいガーディアンを作ってやろうじゃないか。サテラよ、粘土をよこせ」

「……いや、けれど、これはサテラの特別な能力が必要だから、多分ランスが作った所でガーディアンにはならないぞ?」

 

 ガーディアンメイクは特殊な才能が必要となる。サテラ自身も魔人となってから開花した程の希少な才能であり、その才能を持たないランスにとっては完全なる粘土遊び、何かを作ったとしても単なる粘土の人形にしかならないのだが。

 

「そか。まぁとりあえず粘土を貸せ、暇だからなんか作る」

 

 特に気にした様子も無いランスは、相変わらずの様子で粘土を要求する。どうやら、暇潰しになるのならこの際何でも良かったらしい。

 

「……そういう事なら。ほら」

 

 粘土遊びとは、ガーディアンが完成せずとも十分に楽しい事。その気持ちはランスにとっても、どうやら同じなのだろう。

 と、サテラは少々ズレた事を考えながら、手元でこねこねしていた山盛りの粘土を半分に分けて、その片方を相手に手渡す。

 

「いいかランス、愛情だ。愛情を込めるようにしっかりと粘土をこねるんだ」

「よっしゃ……って、それ関係あんのか?」

 

 粘土遊びの先達として彼女には一家言あるのか、ランスの疑問に対して「とても重要な事だぞ」と大きく頷く。サテラによると、愛情を込めなければガーディアンとしての魂は宿らないらしい。

 

「こねこね、こねこね……」

「こねこね、こねこね……」

 

 二人は座卓に向かいあったまま、同じように仲良く粘土をこねこね。

 

「……うーむ、しかしあれだな。粘土をこねる感触ってのは、おっぱいを揉む時の感触に通じるものがあるな。サテラよ、お前もそう思わんか?」

「……さぁな」

「この感触はあれだな、ハウゼルちゃんのような柔らかいふわふわおっぱいっつーより、シルキィちゃんのようなハリのあるぷにぷにおっぱいに近いな。サテラよ、お前もそう思わんか?」

「知るかっ!」

 

 などと他愛の無い会話を交わしながらも、二人の手元は休む事は無く。熟練の手付きで念入りに粘土をこねこねするサテラとは違い、ランスはとっとと先のステップへと進んでいく。

 

「よし、ここをこうして、んでこっちをこう……」

 

 脳内に浮かんだインスピレーション、それを元にして手を動かし、次第に粘土は何らかの姿を形成していく。

 

「……ちらっ」

 

 ランスが粘土で何を作るのか。自分の事よりもそっちがどうしても気になってしまうのか、サテラはちらちらとその様子を伺う。

 

 ランスの手元で形造られていく粘土、それは真っ直ぐ伸びる二の腕程の太さの棒のような姿をしており、そしてその根元に握り拳大の球体が2つ。

 どこか見た事があるようなその形状に、彼女は思わず声を掛けた。

 

「……ランス。それ、一体何を作ってるんだ?」

「ちんこ」

 

 ランスが作っていたのは男性器だった。

 

「ら、ランス!! お前、サテラの粘土で下らないものを作るな!!」

「下らんとはなんだ、失礼な。これは俺のハイパー兵器を忠実に模した逸品だぞ」

「なっ、あ、て、ていうか、そこまで大きくは無いだろう!!」

「いーや、俺が本気を出したらこんくらいはある」

 

 眼前の相手のそれを脳裏に思い出したのか、瞬く間に頬を染めたサテラの言葉に、ランスは真っ向から反論する。

 完成途中のそれは太さも長さも尋常では無く、ランス自慢のハイパー兵器をもってしても忠実に模したというのは少々誇張表現に見えるのだが、あくまで彼にとってはそういう事らしい。

 

「あそーだ。サテラよ、これ出来上がったらお前にプレゼントしてやろうか。んで、俺様がそばに居なくて身体が寂しい時、これで自分のあそこを……」

「ぐ、……シーザー」

 

 その男が聞くに堪えない事をぺらぺらと口にするのはいつもの事だが、対するその魔人が結構短気であるのもいつもの事であって。

 こめかみに怒りマークを浮かべたサテラは、怨嗟が籠もるような低い声で使徒の名を呼んだ。

 

「ハイ、サテラサマ」

「お?」

 

 今まで無言で控えていたシーザーが、主の言葉をきっかけとして動き出す。そして鋼鉄のようなその腕で、失礼な人間の首根っこをひょいっと持ち上げてそのまま出口へと向かい。

 

「出てけー!!」

 

 ランスはサテラの部屋を追い出された。

 

 

 

 

 

 シーザーにぽいっと部屋から投げ捨てられてしまったランスは、廊下に尻もちを付いていた。

 

「……全くサテラめ、あの程度でぷりぷりと怒りやがって……」

 

 ジョークの分からん奴だなぁと、溜息を吐きながらよっこいせと身体を起こす。

 

 先日ワーグに見せて貰ったハーレムの夢。あの夢の中ではとても甘えん坊で可愛らしかったサテラだが、しかし往々にして現実とはこんなものか。 

 自身の非を決して顧みる事は無いランスはそんな事を思いながら、先程と同じように当てもなく適当に廊下を歩いていた。

 

 すると、やがて辿り着いたのはある魔人の部屋。

 

「……よし、なら次はここにするか」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 室内に居たのは、水色の髪を自然体に下ろしたお馴染みの魔人。

 

「よう、シルキィちゃん……おぉっ」

 

 そこは魔人シルキィの部屋。主に彼女を抱く為などで、ランスも何度か入った事のある部屋。

 

「あら、こんにちはランスさん。どうしたの? 私に何か用事?」

「うんにゃ、ただ暇を潰しに来ただけだ。……しかし、なんか凄い事なってるなこれ」

 

 部屋に入った直後にたじろぐように一歩引いたランスは、その室内を一望する。

 先程のサテラの部屋と間取りは共通しているが、しかしの内部の様子は大きく違っており、そこにはとても異様な光景が広がっていた。

 

「シルキィちゃん、これどったの?」

「あぁ、散らかっててごめんね。今、リトルを直していたのよ」

 

 部屋の中央には彼女がリトルと呼ぶ巨大な装甲の一部が鎮座しており、その周囲はありとあらゆる物で埋め尽くされていた。

 例えば剣や槍などの武器、盾や鎧などの防具にその原材料となる数多の金属。そして多種多様な種族のものが入り交じっていると思わしき、骨や爪など生物の身体の一部。

 更には植物、終いにはランスにはよく分からない謎の物体などなど、とにかく色々な物が机の上は勿論の事、部屋の床や壁にも立掛けるようにして所狭しと並んでいた。

 

「私がいつも使っているこの装甲、リトルって言うんだけどね。これはこういう色んな物を混ぜたりくっつけたりして、そうやってどんどんと強化して出来上がったものなの」

 

 魔人シルキィ。彼女は付与の能力により、彼女専用の強力な魔法具を作り出す事が出来る。

 元々有する高い戦闘能力、特に剣、槍、斧という複数の武器を振るう才能を持つ彼女にとって、その才能を十二分に発揮する為に造り上げた、形状を変えるその魔法具こそが魔人シルキィの真骨頂。

 どうやら彼女は今、先日のケイブリス派との戦闘を受けて、装甲の傷んだり凹んだりしてしまった箇所を修理していた途中のようだ。

 

「……なんかあれだな。君もサテラと似たような事しとるんだな」

「そうね、あの子のガーディアン作りと似通った所があるかもね。私のこれはあくまで武器だから、シーザーみたいに喋ったりはしないんだけど」

「ふーん……」

 

 ランスは空いている適当な場所に腰を下ろして、そばにあった角の生えた生物の白骨化した頭蓋骨らしき物体を、何となく手に取って眺める。

 

「なるほど、例えばこれと別の素材をくっつけて、んで大きくしていった結果それが出来上がったという訳か。なんか工作みたいだな」

「えぇ、そういう事。ちゃんとした魔法具にするのには付与の力が必要になるから、誰にでも出来る訳じゃ無いんだけどね」

 

 魔人シルキィの魔法具作製、それは魔人サテラのガーディアンメイクと同様に、特別な才能を持つ者にしか出来ない事である。

 よってこれまたランスが何か作った所で魔法具にはならないのだが、しかしそれでも暇潰しにはなるかと思ったらしく。

 

「……とりあえず、またちんこでも作るか」

「え、何を作るって……ていうか、また?」

「うむ。さっきサテラの部屋に居たのだがな、あいつの粘土でちんこを作ったら追い出された」

「……何ていうか。ランスさん、貴方子供じゃないんだから……」

 

 まるで幼児がするようなしょうもない行いに、何とも言えない表情で呆れるシルキィ。

 その一方、何故そんなにもそれを作りたがるのかは謎だが、ランスはすでに男性器製作に取り掛かっていた。白骨の角の部分をへし折って、そこによく分からない植物の蔦をぐるぐると巻き付けていく。どうやら竿の部分を作っているらしい。

 

「しかしあれだな。サテラの粘土遊びはともかく、相変わらず君は真面目なやつだな」

「そう?」

「そうだとも。これだって要は戦いの為の準備な訳だろ? ついこの前戦争を終えて帰ってきたばっかな訳だし、しばらくは戦いから離れて遊ぶぞーとか思わんの?」

「うーん……。て言っても、ケイブリス派との戦いが終わった訳では無いしね。戦いの役に立つ事をしていないとなんか落ち着かなくて、中々遊ぶって言っても……」

 

 シルキィはとても真面目な魔人であり、それこそランスのように日々を自堕落に過ごす事は性格的に出来ない。彼女の日常と言えば自らを鍛えるか、リトルを鍛えるかの基本的にその二択。

 元人間である彼女が、魔人としては決して長くは無い1000年程の期間で魔人四天王の地位にあり、そう認められる程の力を持つに至ったのは、ひとえにその実直さあっての事である。

 

「そういや俺様も最近思ったのだが、魔物界っつーのは遊ぶもんが少ないってのはあるな。てか、君らって普段何して遊んでんの?」

「あ、それなら今度、皆で野球でもする? そういえばここ最近はしてなかったかもね」

「あぁ、そういや君は野球が好きだったっけな。好きっつー割には大した腕でも無かったけど」

「……私が実は野球下手っぴだって事、よく知ってるわね……誰かから聞いたの?」

 

 などと他愛の無い話を交わしながらも、二人の手元は休む事は無く。シルキィは戦いの際に重要となる装甲の修理と強化、そしてランスは特に意味の無い男性器製作を続けていく。

 

 二人がお互いの作業に没頭していたその時、ランスのすぐ背後にあった部屋の入口のドアから、コンコンとノックされる音が響いた。

 

 

「お、シルキィちゃん、来客だぞ」

「本当だ、誰かしらね」

 

 動かしていた手を一旦止めて立ち上がったシルキィは、来客を迎え入れようとドアを開く。すると、

 

「うおっ!」

 

 その相手の姿を視界に捉えたランスは、ビクッと大袈裟な程に反応した。そしてすぐに四つん這いになってそそくさと移動を開始する。

 

「あら、こんにちはメガラス。……て、ちょっとランスさん、何してるの?」

 

 背後から抱き締められる感覚に、シルキィは思わず首だけで背中を振り返る。

 すると背丈が145cmのとても小柄な彼女を盾にするように、その背後にいい大人のランスが縮こまるようにして隠れていた。

 

「ぬ、ぬうぅぅ……」

「ランスさん、貴方一体……て、あ、メガラス、これを? ……うん。分かった、ありがとう」

 

 謎の呻きを口から漏らし、何故か忌避感を剥き出しにしているランスの意味不明な行動。

 それに困惑するシルキィの一方、来客のメガラスは気にした様子も無く、自分の用事を済ませるとすぐに部屋を退出していく。

 

「……ほっ」

 

 シルキィの肩口からこっそりとその様子を窺っていたランスは、来客が帰って部屋のドアがぱたんと閉まった事に、一安心といった様子で肩を撫で下ろした。

 

「……どうしたのランスさん、そんなに警戒して。もしかしてメガラスと何かあったの?」

「何かあったっつーか、なんつーか……」

 

 決して何かがあった訳では無いのだが、しかしランスは深刻そうに顔を顰める。

 

「……なぁシルキィちゃん、さっきのアイツ、女は居るのか?」

「女……って、恋人って事で良いのよね? メガラスに恋人かぁ……今は居ないんじゃない?」

「ならば、居たのを見た事はあるか?」

「……そう言えば、見た事無いような気も……私もそれ程詳しい訳じゃ無いからあれだけど……」

 

 シルキィは1000年にも及ぶ自身の記憶を振り返ってみるが、あの無口な魔人が誰かしらの相手とそういう関係だった様子は見た覚えが無い。

 その事実を深く突き詰めると、そこにはランスが恐れている一つの疑惑が浮かび上がる。

 

「女と居た所を見た事が無い……て事は、アイツはホモだっつー可能性も十分あるよな?」

「え、えぇ!?」

「可能性は、あるよな!?」

「……そ、そりゃまぁ、可能性で言えば無いとは言えないけど……」

 

 あのメガラスが実は同性愛者、そんな可能性など今まで考えた事も無く、「どうかなぁ……」と呟きながら首を傾げるシルキィの一方。

 先日見たとある夢。あれは夢だと理解してはいるのだが、しかし一度生じてしまった疑惑は中々消えないのか、「うーむ、恐ろしい……」と呟くランスの表情は真剣そのものだった。

 

「……なぁシルキィちゃん、さっきのアイツ、ホーネットにバレないようにしてこっそりとぶっ殺しちゃ駄目?」

「……あのねぇランスさん。その答え、私に聞かなくても分かるわよね?」

 

 さすがにそこまでランスがぶっ飛んだ人間だとは思いたくないシルキィは、駄目に決まっているでしょう、とまでは言わず。

 

「はいこれ、ランスさんにだって」

 

 その代わりに、先程の来客から頼まれた要件を差し出した。

 

「俺様に?」

「うん。なんでもいつかの時みたいに、メガラスの部屋に投げ込まれていたらしいの」

 

 シルキィから手渡されたのは、五通分の手紙。それは以前ランスがとある理由により、ノースの町で送った手紙の返信に当たるもの。

 一旦はランス城の方に届いたのだが本人不在だった為、城内の者達がランスの手元にどうやって送るか色々考えた結果、最終的にフレイヤの手によりメガラスの部屋に投じられたという経緯らしい。

 

「あぁ、そういやこんなん出したっけか。もうすっかり忘れてたな」

 

 ランスは五通の手紙の内、とりあえず一枚目の手紙の封を切ってその内容に目を通す。

 

「……ぬ」

「どうしたの?」

「どうやらハズレみたいだ。次」

 

 くしゃくしゃに丸めた手紙をぽいっとゴミ箱に放り捨て、二枚目の手紙の封を切る。

 

「……ぬぅ、これも外れか、次」

 

 そして三枚目、

 

「……ぐぬぬ。次」

 

 更に四枚目と、

 

「……次」

 

 次第に不機嫌になっていくランスだったが、

 

「……お」

 

 最後に封を切った五枚目の手紙の中に、待望していたある情報が書かれていた。

 

「なんだ、ちゃんと当たりがあるじゃねぇか。……なるへそ、リーザスね」

 

 手紙の送り主はリーザス王国のリア王女。以前より行方が気になっていたとあるもの、それがどうやらリーザス国近辺に存在しているらしい。

 ならばこうしてはいられないと、彼は勢いよく立ち上がった。

 

「シルキィちゃん、俺様用事が出来たから帰る。これは完成途中だが君にあげよう」

「いや、いらないから……。ちょっと、机の上に飾らないでってば」

 

 ランスは作りかけの男性器のオブジェをシルキィにプレゼントすると、彼女の部屋を退出した。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「えーと、確かここだったよな」

 

 そしてランスが辿り着いたのは、これまたとある魔人の部屋。

 勝手知ったるその相手の事だしと、ノックもせずにドアを開いて室内に足を踏み入れる。

 

「よう、ハウゼルちゃん……ってあれ、居ねぇな」

 

 そこは魔人ハウゼルの部屋。主に彼女を抱く為などでランスも何度か入った事のある部屋なのだが、しかし部屋主の姿が見当たらない。

 先日魔王城には帰ってきた筈なので、単に留守にしているだけだろうと、そのまま引き返して城内を探しに行こうとしたのだが。

 

「……いや、なんか物音がするな。おーい、ハウゼルちゃーん、いるかー?」

「……あ、ランスさんですか?」

 

 壁を隔てた向こう側からの気配を感じて、大声でその名を呼んでみる。すると、隣の寝室に居るらしきハウゼルからの返事が聞こえた。

 

「お、居た居た。ハウゼルちゃん、君に少し用事があるのだ。て事でそっち入るぞ」

「えっ、あ、あのっ! 少し待ってください!! 今は……!!」

 

 途端に上がるその魔人の慌てた様子の声。それを耳にしたランスはしかし待つ事はせずに、

 

「待ってくださいって言われちまうと、余計に入りたくなっちゃうよなぁ」

 

 などと適当な理由を付けて、制止の言葉などお構いなしに寝室のドアを開く。特にそういう方面での勘は冴えるので、今のハウゼルの格好に彼は何となく予想が付いていた。

 

「っ、ランスさん……っ!!」

「おぉ、やっぱり着替え中か」

 

 予想通り彼女は服を着替えていたらしく、そこに居たのは下着姿の魔人ハウゼル。

 肌を晒す事に未だ慣れないのか、その頬は見る見る内に赤く色づき、今まさに着ようとしていた上着で身体を隠しながら、身勝手な人間への文句を彼女なりに精一杯突き付けた。

 

「ら、ランスさん、あの、その、出来ればこの部屋から、出て行って貰えると……」

「それはちょっと無理な相談だな。なんせハイパー兵器が反応してしまった」

「え?」

 

 自分の下半身が反応するようなエロイベント。それに遭遇してしまった以上は仕方が無い。

 ランスはその魔人の腕を掴むと、流れるような動きですぐそばにあったベッドの上に押し倒す。

 

「あ、あの、」

「それじゃ、いただきまーす」

 

 急な展開に戸惑うハウゼルに対しきちんと一礼した後、その身体に手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして小一時間程が経過して、一戦を終えた二人はベッドで横になっていた。

 

「ほへー、えがった……」

「……はぅ」

 

 一発出したランスはとてもスッキリ、心地良い充実感と共にまったりしている。

 一方のハウゼルは荒い呼吸を繰り返しながら、未だ身体に残る予熱を落ち着かせていた。

 

「……はぁ、ランスさん……。もう、いきなりこんな事……駄目ですよ……」

「ハウゼルちゃん。君な、駄目と言うのがちょっと遅すぎるぞ。そういう事はセックスが終わる前に言いなさい」

「……そうですね、返す言葉も無いです……」

 

 事が最後まで済んでからの制止の言葉に、ランスの至極真っ当なツッコミが刺さる。

 ただ一応状況からすると彼は加害者であり、立場を弁えていないようなその台詞だが、しかし被害者たるハウゼルは、まるで自分が悪い事をしたかのようにしゅんとしていた。

 

「大体な、部屋で着替えなんぞをしてるのも良くない。君はただでさえ押しに弱いっつーのに、そんな無防備な事では襲われても文句は言えんぞ」

「け、けど、それじゃ私は何処で着替えれば……」

 

 無茶な話に困惑するハウゼルを尻目に、ランスはちらりと壁掛け時計に視線を送る。

 まだ夕飯までは少し時間がある事だし、もう一回戦行くとするか。などと考えた時、ふと思う事があった。

 

「あれ? そういや俺様、何でハウゼルちゃんの部屋に来たんだっけ?」

「……そういえばランスさん、何か私に用事があると言っていたような……」

「ハウゼルちゃんに用事……あ、そうそう」

 

 ランスはベッドから身体を起こすと、隣りにいるハウゼルの肩を叩く。

 

「何してんだハウゼルちゃん、とっとと服を着ろ。すぐに出掛けるぞ」

「……もう、着ていた所を脱がせたのはランスさんです……て、出掛ける? これからですか?」

 

 ランスがハウゼルの部屋を訪ねた用事。

 それは先程リーザスから届いた手紙に書かれていた、とある魔人に関しての重要な情報。

 

「おう。サイゼルの行方が分かったのだ。つー訳で今から取っ捕まえに行くぞ」

 

 

 

 

 



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TURN 7
バラオ山


 

 

 

 

「おい、後どんくらいで着くんだ」

「そうですね……ええと、さっきポーンの町を通り過ぎたので、あと3つ程町を通れば到着するかと……」

「長い。飽きた。シィル、どうにかしろ」

「……さすがにこればっかしは、私にはどうしようも……あいたっ!」

 

 足から脱いでぽいっと蹴飛ばした靴が、役に立たない奴隷の頭にヒットする。

 涙目で被弾箇所を押さえるシィルを尻目に、ランスは荷台の床にごろんと横になった。

 

「まーだ着かねぇのか、バラオ山脈にゃあ……」

「ランスさん、退屈でしたらまたお昼寝をされては? 到着したら起こしますよ」

「……そーだな、そーすっかぁ……」

 

 頭の後ろで組んだ両腕を枕にして、すぐにランスは深く瞼を閉じる。

 だが、そのままの格好で10秒程が経過した後。

 

「駄目だ、寒い!!」

 

 悲鳴と共にすぐさま身体を起こす。そして、すぐ近くに座っている女性のそばへと這いずり、

 

「きゃ、ら、ランスさん……」

「ほへー。ハウゼルちゃん、ぬくいー」

 

 その身体から暖を奪う為、ランスは魔人ハウゼルにがばっと抱きついた。

 

 

 

 

 現在ランス達が居るのは、遠方へと移動する際には欠かせない乗り物、うし車の荷台の中。

 数日前に魔王城を出発したそのうし車は現在、凍てつくような風が吹く北の大地、ヘルマン国を横断していた。

 

「まったく、相変わらずヘルマンはクソ寒い。こんなとこ、用事も無いのに来る場所じゃねぇな」

「んっ、あ……!」

 

 かたかたと揺れる車内にて、この国の気温に対して悪態を吐くランスは、かじかむ指先を炎の力を操る魔人の服の中へと滑らせる。

 その言葉通り、ランス達はこのヘルマンに用事があって来ている訳では無い。今は単に通過しているだけであって、うし車の到着予定地はその先の場所にあった。

 

「はー、あったか。ハウゼルちゃんを連れてきて本当に正解だったな、これは」

「あ、あの、ランスさんっ、私で暖まるのは構わないのですが、変な所を揉むのはその、止めて貰えると……」

 

 胸元でいやらしく動く指使いに、恥じらうハウゼルは顔を伏せたまま抗議の言葉を口にする。

 周囲には他に人もいる事だしと、彼女なりに頑張って抵抗したつもりだったのだが、しかし相手は全く聞く耳を持たなかった。

 

「だーめ。俺様、ハウゼルちゃんには貸しがある筈だろう。あいつの居場所についての情報料をまだ頂いてないからな、これはその分なのだ」

「あ、う。……それは、確かにそうですね……姉さんの行方を探してくれた事に関しては、本当にランスさんには感謝しています」

 

 ランスの弁に納得させられてしまったハウゼルはセクハラに抗するのを諦め、伏せていた顔を更に深く下げてお辞儀をした。

 

 

 今回ランスが魔物界を離れて、久々に人間世界までやってきた理由。それは今抱きついている魔人ハウゼル、彼女の姉を捕獲する為である。

 

 魔人ハウゼルの姉、魔人サイゼル。炎の力を操る妹とは正反対の、氷の力を操る有翼魔人。

 この二人は基本的には仲睦まじい姉妹ではあるのだが、姉のサイゼルは時折、優秀な妹に対して反発心を抱いてしまう事があり、結果大した事の無い理由で姉妹喧嘩が勃発してしまう事がある。

 そして魔物界が派閥戦争によって南北に二分されると、ホーネット派に所属したハウゼルに対抗するかのように、サイゼルはケイブリス派に身を置く事となった。

 

 その後LP4年に起きた、ケイブリス派の一部魔人達による魔法大国ゼスへの侵攻。サイゼルはそれに参加して以降、消息不明となっていた。

 

 敵派閥に属する事になった喧嘩中の姉の事を、ハウゼルは心の奥底ではずっと心配していた。サイゼルがゼス侵攻の最中に死亡したとの噂を耳にしても決して信じる事無く、今まで彼女なりに捜索の手を尽くしていたのだが、しかし一向に姉の足取りが掴める事は無かった。

 

 なのだが。

 

 

「ま、この俺様の手に掛かりゃ、サイゼル一匹探し出すのなんざ軽い事だ。……これを見ろ」

 

 ランスはズボンのポケットから一枚の手紙を取り出す。それは以前、ノースの町からの帰り際に出した手紙の返信に当たるもの。

 

 魔人サイゼルの行方。その事はランスも気になっていた。サイゼルとは未だセックスしていない事を少し前に思い出したからである。

 そして彼が今までの活躍により得た人間世界では随一とも言える人脈、そのコネを使って、各国の指導者に魔人サイゼルの捜索を依頼した所、リーザス王国のリア王女から吉報が届いた。

 

「リアが国中から集めた情報によるとだな。へんてこな銃を持ってる背中に羽が生えた青髪の女を、バラオ山で目撃したっつー話があるみてぇだ」

 

 その情報の出処は、主にリーザス国内にあるスケールの町の住人。スケールはバラオ山脈中部の麓にある町であり、住民が山狩りや炭焼きなどでバラオ山に赴いた際に、その魔人らしき姿を見た者が何人か居るらしい。とはいえ麓ではその姿を見かける事は無いので、恐らく山の中に潜んでいるのではないか、との事である。

 

「……銃を持っていて、背中に羽まで生えているって事は、間違いなく姉さんだと思います」

「だろう? サイゼルの奴は必ずバラオ山の何処かに居る、とっとと捕まえてセックスするぞ。つー訳でシィル、準備してきただろーな?」

「はい、もちろんです。ランス様に言われた通り、ちゃんと捕獲ロープは持ってきました。……けど、これで魔人って捕まえられるんですかね?」

「ど、どうでしょうか……?」

 

 女の子モンスター用のアイテムの効果の程に、首を傾げるシィルと曖昧に相槌を打つハウゼル。

 ランスは今回、旅のお供としてこの二人を連れてきた。荷物持ち役の奴隷と捜索対象の関係者という事で、至って普通の人選ではあったのだが、しかしそこに何故かオマケが付いてきていた。

 

「大丈夫ですよ。わざわざ捕獲なんてしなくても、サイゼル様とハウゼル様を仲直りさせれば良いんです。お二人共、本当はとても仲良しなんですから」

「……うーむ。なぁハウゼルちゃん」

「どうしました?」

「今更気になったのだが、それ何で居んの?」

 

 あまり馴染みの無いその声に、腑に落ちない様子のランスがそれと指さした先。

 そこに居たのは、真っ赤なローブを頭からすっぽりと被った、怪物の如き形相の持ち主。

 

「それ、じゃなくて、私は火炎ちゃんなのです。ちゃんと火炎ちゃんと呼んでください」

 

 魔人ハウゼルが有する使徒、火炎書士。

 不気味な外見を持つこの使徒の事を、ランスは特に連れてきた覚えは無い。なのだが、いつの間にかひょっこり荷台の中に姿を見せていた。

 

「つーかこいつ、魔王城に居なかったよな?」

「えぇ。火炎は魔界都市に居たのですが、私達が出発する直前に城の方に戻ってきまして。それで話をしたら、一緒に行きたいとの事だったので……」

「ハウゼル様が行く場所なら火炎も一緒に行きますよ、使徒として当然の事なのです。それに、私も久々にユキちゃんに会いたいですし」

「……ユキちゃん? 誰だそれ?」

「あ、私覚えてますよ。確か、魔人サイゼルの使徒ですよね?」

 

 魔人サイゼルが有する使徒、ユキ。

 火炎書士が挙げた名前にシィルが情報を付け加えても尚、ランスはピンと来ない様子だった。どうやら頭の中から、その相手の事を綺麗さっぱり忘却していたらしい。

 

「サイゼルの使徒? そんなん居たっけ?」

「ほら、以前ゼスの地下水路で遭遇して、ランス様がその、あれを氷漬けにされた事が……」

「…………あっ」

 

 だがその人物の事は忘れていても、自分の分身とも言える下半身の大事なものを失いかけた、あの痛ましい事件の事はさすがに忘れられないのか。

 シィルの言葉により過去の記憶が喚起されたランスは、とても嫌そうな顔で遠くを見つめた。

 

「……あー。あれはいいや、うん。俺様、あれを探すつもりは無いから」

「えぇー、そんなぁー。サイゼル様のついでで良いですから、ユキちゃんも探してくださいよー」

「やだ。あれとは会いたくない。会った所で面倒な事になるだけなのが目に見えてるし」

「あ、あはは……」

 

 火炎書士のお願いも虚しく、ランスは確たる決意を胸にきっぱりと宣言する。過去にその使徒との間で何があったのか、それを知っているシィルは困ったように笑った。

 

「あ、そうだ。気になる事と言えば火炎にもあるのです。そもそもこうして人間世界へ旅に出るのは、問題があったりしないのですか?」

「あん? どういうこっちゃ」

「いえその、ハウゼル様の事です。なんせハウゼル様にはお仕事が一杯ありますから」

 

 ホーネット派の影の支配者を自称して、その実する事と言えば基本的に魔王城でだらけているだけのランスとは違い、ハウゼルには派閥の幹部としての役目がある。

 特に魔人メガラス同様、空を飛ぶ事が出来る有翼魔人として彼女の任務は多岐にわたり、未だ戦いの続く魔物界からそう簡単に旅する事が許される立場では無い。

 火炎書士はそう考えていたので、最初ハウゼルから姉を探しに人間世界へ向かうと聞いた時、その内心では結構な驚きがあった。

 

「ハウゼル様、魔物界を離れて平気なのですか? 確か、メガラス様と一緒にカスケード・バウの偵察を行うよう頼まれていましたですよね?」

「……実は私もその事では悩んでいて、それで最初は諦めようと思ったのです」

 

 使徒の言葉に、今でも少し尾を引く思いが残っているハウゼルは、僅かに顎を引いて俯く。

 

 つい先日、ハウゼルは部屋で着替えをしている途中に、寝室に乱入してきたランスに襲われた。

 そして一戦を終えた直後に、サイゼルの行方を掴んだので探しに行くぞと告げられた。

 その時彼女はまず、姉の行方を探してくれた事に対しての感謝の言葉を口にして、しかしその後、自分にはホーネット派としての任務があるから行く事は出来ません、と口にした。

 

「……けれどそうしたら、人間世界に行ってきても良いと、ホーネット様が快く許可を下さったとの事で……」

「あ、ちゃんとホーネット様の許可があるのですね、それなら安心なのです」

 

 主の言葉にその使徒は一瞬納得しかけたのだが、しかし気になるワードを聞き逃さなかった。

 

「……んん? との事で……という事はもしや、ハウゼル様が直接聞いた訳では無くて……」

「えぇ。私では無く、ランスさんがホーネット様に頼んでくれたそうなのです」

「……ランスさん、本当ですか?」

「うむ」

 

 しれっとした顔で頷くランスの姿に、

 

「……はぁ、なるほど」

 

 頭の回る火炎書士は、本当は許可など無く適当な事を言っているだけなのだと何となく察した。

 しかし、肝心のハウゼルが気付いてない様子だったので、あえて指摘する必要も事も無いかと口を噤んだ。彼女はあくまでハウゼルの使徒として、主と主の姉の姉妹仲を元に戻す事の方が大事だと考えたのだった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そしてその後、ランス達が乗るうし車はコサック、ログB、ログAの町を順に通過して、遂に目的の場所へと到着し、早速登山を開始した。

 

 バラオ山脈。ヘルマンとリーザスの境界線、両国を隔てるように幾つもの山々が連なり、大陸一となる翔竜山には及ばずながらも、相応に高い標高を誇る山岳地帯の総称である。

 

 

 

「でりゃっ!!」

 

 勢いよく突進してくる三つ目トカゲ、その攻撃を横にステップして回避したランスは、すれ違いざま魔剣を横薙ぎに振り抜く。

 剣閃は見事に魔物の頸部を断ち切り、身体から分かたれた頭は変な方向に飛んでいき、胴体はそのままずしんと横に倒れた。

 

「ふぅ。こんな場所でも雑魚モンスター共は出るもんだなぁ」

 

 出現した魔物を軽く蹴散らしたランスは、一息つきながら魔剣を収める。

 バラオ山脈では毎年多くの行方不明者が発生している。それだけ険しい峠道という事もあるが、魔物が生息しているのもその一因であり、これもすでに数度目の戦闘であった。

 

「さてと。んで問題はだ、この山ん中の何処にサイゼルが居るかってんだが……」

「一口にバラオ山脈と言っても、とっても広いですからねぇ……」

 

 ランスとシィルは辺りを見渡すが、目に飛び込んでくるのは乱立する木々や岩。登山開始から数時間ですでに見飽きた自然の光景のみ。

 

 ヘルマンとリーザスを分かつこの山脈地帯は、両国の自然的国境となる程に広大な範囲に渡る。魔人サイゼルを探すと言っても、何の当てもなく探し回ったのでは只々時間を浪費するだけである。

 一応スケールの町の住人の目撃例を参考に、バラオ山脈でも中部辺りを中心に捜索しているのだが、この山の中から一人の魔人を探すとなると、それでもまだ困難と言わざるを得ない状況だった。

 

「……こりゃあれだな。今何処に居るかじゃなくて、ねぐらを探した方が手っ取り早ぇな」

「こんな山の中で寝泊まりしているんだとすると、テントか何かを張っているんですかね?」

「サイゼル様って結構きかん坊な性格ですから、居るとしたらテントでは無く、もっと快適で過ごしやすい山小屋とかだと思いますですよ」

 

 ランスの提案にシィルが言葉を返し、さらにその魔人に詳しい火炎書士が補足を入れる。この三人は今、パラオ山の山道を歩いている。

 そして残りの一人は空の上。魔人ハウゼルは空を飛べる利点を生かして、空中からより効率的な捜索に当たっていた。彼女はホーネット派として飛行魔物兵達を指揮して偵察任務を行う事も多く、こういった事に関してはお手の物であった。

 

「山小屋か……。おーい、ハウゼルちゃーん、山小屋を探せってよー」

 

 ランスは天を見上げ、遠くに見えるハウゼルに向かって声を張る。すると彼女は小さく頷きを返し、背中の翼を羽ばたかせて樹林を挟んだ向こう側へと飛んでいく。

 

「わぁ、ハウゼルさん、もうあんなに遠くに……。やっぱり空を飛べると便利ですねぇ」

「そうだな。……つーか、なんか俺達がこうして探すよりも、ハウゼルちゃんに任せた方が手っ取り早い気がしてきた」

 

 山道は殆ど舗装されておらず、足場の悪い砂利道に加えて傾斜路も多い。そんな悪路をえっちらおっちらと歩いていたランスは、空をすいーっと快適そうに飛んでいくハウゼルを見て、これ以上地べたを歩いて探し回るのがバカらしくなってしまった。

 

「よし決めた、捜索はハウゼルちゃんに任せる事にしよう。て事でしばらく休憩だ」

「え、もう休憩ですか? 火炎ちゃんは使徒として、ハウゼル様だけに捜索をさせる訳には……」

「なら火炎書士よ、君は好きに探しに行っても構わんぞ。シィル、腹減ったから飯」

「はい、ランス様。……よいしょっと」

 

 足を止めたシィルは、荷物を詰め込んでぱんぱんになっているリュックを背中から下ろし、その中から今朝出発した宿で作ったおにぎりを取り出す。

 

 それをランスに手渡そうとしたその時、彼女は視線の遠くにあるものを発見した。

 

「あ、あそこを見てくださいランス様」

「お、まさかサイゼルが居たのか?」

「いえ、あの、モンスターです」

 

 シィルが指差した先にある岩陰からは、竜のような外見をした鳥の魔物、こかとりすがその頭を覗かせていた。

 

「なんだ、モンスターかよ。シィル、変なもんを見つけるな」

「けれどランス様、あの魔物こっちに近づいてきてますし、戦闘の準備をしないと……」

「めんどい。だるい。変なもんを見つけた罰としてお前が何とかしろ」

「えぇー!」

 

 魔法使いのシィルが戦えるのは前衛あってこそなのだが、しかしランスは奴隷の嘆きなどに耳を貸す男では無い。近くにあった手頃な大きさの岩に腰を下ろすと、彼女の手から奪ったおにぎりの包みを剥がしてぱくりと一口。

 

「うむ、うまいうまい」

 

 塩味の効いた、自分好みの具入りのおにぎりをもぐもぐと味わいながら、泣く泣くこかとりすと戦う奴隷の様子をランスはぼへーっと眺める。

 結局その戦いは火炎書士が手助けをし、彼女の杖の先から放たれた火爆破によって、こんがりとした鳥の丸焼きが出来上がった。

 

「火炎書士さん、ありがとうございます」

「いえいえ、火炎ちゃんは戦闘に関してはへっぽこですが、それでも一応使徒ですからね。これくらいの相手ならへっちゃらなのです」

 

 彼女の担当は専ら頭脳労働だが、それでも魔人の血を分けて作られた使徒として、そこらの魔物を倒せる程度の魔法の心得は有している。シィルの謝意を受けて、火炎書士はえっへんと薄い胸を張った。

 

「というかランスさん。戦いを女性に任せて一人で休憩するのはどうかと思いますですよ」

「やかましい、雑用は立派な奴隷の仕事だ。俺様は山歩きに疲れたのだ。つーか、なんでサイゼルの奴はこんな山の中に居るのじゃ」

 

 山登りにはとうに飽きがきていたランスは、不満たらたらの体で口をへの字に曲げる。

 バラオ山は単なる山であって、ヘルマンとリーザスを移動する為でも無ければそうそう立ち入るような場所では無い。娯楽も無いこんな山の中を住処としているサイゼルの思考が、ランスにはどうしても理解出来なかった。

 

「そういえばそうですね。それに、魔物界では無く人間世界に居るっていうのも、考えてみればちょっと不思議です」

「火炎ちゃんの独自の調べによるとですね、サイゼル様はどうやらケイブリス派としての任務を大失敗したらしいのです。それで怒られるのが怖いから姿を隠したそうなので、そんな理由で人間世界の山の中なのではないでしょうかね?」

「ほーん、任務を大失敗ねぇ。まぁ確かに、あいつ結構ドジな魔人だったからな。けど怒られるのが怖いからって、んなガキじゃねぇんだから……」

 

 実の所、サイゼルの任務の失敗にはランスが大いに関わっており、そしてサイゼルが恐れているのは怒られるだけでは無く生命の危険故なのだが、そんな事までは知る由も無い。 

 ハウゼルちゃんの姉とは思えないしょーもない奴だなぁと、ランスは呆れたように口にした。

 

 その時。

 

 

「あっ、ランス様!! あれを見てください!!」

 

 シィルが急に鋭い声を上げ、先程と同じように遠くを指差す。

 

「なんだ、まさかサイゼルが居たのか!?」

 

 彼女が見せた反応の大きさに、これはもしやと期待値を上げたランスは、即座に振り返ってその相手の姿を目に捉える。

 すると彼は間髪入れずに握り拳を作り、奴隷のもこもこ頭の上に振り落とした。 

 

「痛いっ!」

「このアホ!! 変なもん見つけんなっつってんだろうが!!」

 

 何故同じ過ちを繰り返すのかと、シィルを拳骨で叱りつけるランスだったが時すでに遅し。

 

 その場に居たもう一人、火炎書士もすでにシィルが指差した方向にその顔を向けていて。

 ふわふわと宙を漂っていた、会いたかったその相手を発見した彼女は思わず声を上げた。

 

 

「……あー!! ユキちゃーん!!」

 

 遠くから聞こえたその大声に、

 

「おう? ……おー! 火炎ちゃんじゃーん!!」

 

 相手も友人の存在に気付き、驚きと嬉しさが混じったような声を返す。

 久々の再会となったその使徒達は、その顔に喜色を表しながら互いに駆け寄っていく。

 

「あーあー、見つかっちまったよ……」

 

 一方で、ランスはとてもげんなりとした顔。奴隷が見つけてしまった変なもん、その相手は、今まで出会った人物の中でも群を抜いてアレな性格。

 捜索対象の重要参考人である事は重々承知しつつも、出来うる事なら遭遇したくなかったとの思いがその表情に表れていた。

 

「おいシィル。お前が見つけたんだからお前が責任持てよな」

「そ、そんなぁ……。使徒ならサイゼルさんの居場所も知っているだろうと思って、それで……」

「知らん、聞こえん」

 

 その相手を発見した事で褒めて貰えると思っていたらしく、シィルはくすんと眉を下げる。

 

 こうなってしまった以上は仕方無いと、腹を決めたランスはその使徒の所へと近づいていく。

 とその間にも、親しい間柄の使徒二人は、笑顔で再会の挨拶を交わしていた。

 

「ユキちゃん、久しぶりー!!」

「火炎ちゃんも久しぶりー。つーか、しばらく見ねぇ間にデッカくなったなぁおい」

「ううん、全く変わってないよ、私使徒だもん。ユキちゃんもほんと変わらないね」

「そーかいそーかい、そりゃ何よりで……って、おや? おやおや? そこの口のデカい人間と、ぴんくのもこもこには見覚えが……」

 

 火炎書士の背後に目を向けたその使徒は、もう二人ほど見知った顔がある事に気付いた。

 

「よう、キチガイ使徒」

「あ、あ、あなたは……!!」

 

 ランスに酷い呼び方での挨拶を受けた途端、彼女はエメラルド色の瞳を驚愕に見開き、口をあんぐりと開けて全身をわなわなと震わせる。

 

「あなたは……ユキちゃんの運命の相手っ!!」

「違う!! 断じて違う!!」

 

 ランスは今日一番の大声で否定した。

 

「ケケケケケ!! 違った? 違った? ならえーと、あ、思い出した。ユキちゃんの初めてを捧げた相手だ」

「だーから、違うっつってんだろ」

「いやいや、これは本当。マジマジっすよ?」

「……うむ?」

 

 とっさに違うと口にしたランスだったが、しかしふと考えてみると、真っ向から否定出来る材料は何も無かった。

 

「……いや、でもまさか……え、そうなの?」

「ちげーよバーカ!! こんのどサンピンが!!」

「……あっそ。なんかよく分からんけど、少しだけホッとした」

 

 けれどお前から言ってきたんじゃねーか。と、けったいなノリで突っ掛かってくるその相手に、堪らずランスは大きく息を吐き出した。

 

 魔人サイゼルの使徒、ユキ。

 元女の子モンスターのフローズン、元々の性格からそうなのかは不明だが、ともかくユキはとてもとんちきな性格をしている。

 その性格さえ無視すれば一応は女の使徒、その服装も際どい切れ込みが入ったレオタードであったりと、性的な対象として見えない事も無いかもしれないとても微妙な所にある。

 

 しかしランスは過去の一件もあって、もはやこの使徒に手を出そうとは欠片も思わない。その為単なる面倒な相手、出来ればお近づきになりたくない奴だという認識しか無かった。

 

「……ん~? というかダンナ、何で火炎ちゃんと一緒に居るので?」

「まぁ色々あってな。つーか、んな事どうだっていい。俺様が会いたいのはお前じゃねぇんだ」

「ユキちゃん。私達ね、サイゼル様の事を探しにきたんだよ」

「サイゼル様を? ……ははーん、はーん。ユキちゃん読めましたですよ?」

 

 ユキは得心がいった様子でにやりと笑う。

 基本的にIQ4、だが時にIQ130を越えるかもしれない疑惑に塗れた彼女の頭脳。それをフル回転させた結果、ランス達がこの場に居る目的を正確に掴んだらしく、身体とは不釣り合いな程に大きいその手でランスの顔をビシッと指差した。

 

「そこな口でかエロ人間がサイゼル様を探している理由。それは身体だけはちょべりぐーなあのへっぽこと、ぬっぽぬっぽぐっちゃぐっちゃしてあへあへ言わせたいからですね?」

「おう。てか誰が口でかエロ人間じゃ」

「んで、そんなサイゼル様の下までこの私に案内させたいと。そういう事だな、火炎ちゃん!?」

「うん。ユキちゃんならサイゼル様の居場所、間違い無く知っているだろうし。それ、サイゼル様に頼まれたものでしょ?」

 

 火炎書士がそれと指摘したユキの両手、そこには食料の入った買い物袋がぶら下がっている。どうやら彼女は主たるサイゼルを養う為、食料の買い出しに出掛けていた帰りのようだ。

 

「サイゼル様に会いたい、と。なーるほどなるほど。ケけケケケ卦ケケケケケ!!」

「……なーにがそんなにおかしいってんだ」

「いーえいえ、そーいう事ならもーまんたいね。んじゃあユキちゃんに付いてきてくださいな」

 

 狂ったように笑っていたかと思いきや、一転して明るい笑顔で了承の言葉を発したその使徒は、すいっーと宙に浮かんで東の方向へと進んでいく。

 

「ありがとう、ユキちゃん」

「なんか上手くいきましたね、ランス様」

「……どーだか」

 

 道案内するユキの後ろに続く三人、友人に向けて感謝の言葉を口にする火炎書士、狙い通り事が進んだ事に喜ぶシィルの一方、その存在の全てが疑わしいランスは未だしかめっ面のまま。

 

 しかしてその疑念は見事に正解だったのか、急に立ち止まったユキはくるっと振り返ると、

 

「って、このスカポンタンがーー!!」

「きゃー!!」

 

 友人の火炎書士に向けて、両手に持っていた買い物袋を思いっきりぶん投げた。

 

「い、いたた……。いきなりヒドいよユキちゃん。あ、中にあった卵割れちゃってるよ?」

「シャラップ!! サイゼル様の居場所を簡単に教えるとでも思うたか!! あんなぼんくら魔人と言えどもユキちゃんにとっては一応上司!!」

 

 主に忠実な使徒として、雲隠れしているサイゼルの居場所をバラす訳にはいかないのか、ユキは普段通りの怪奇な振る舞いの影に忍ばせていた、戦意と言う名の牙を立てる。

 

「サイゼル様と、セックスしたいと言うのなら!」

 

 言葉を区切ると共に、何故かユキの身体も首からすぽーんと二つに区切られる。

 

「頭が取れた!?」

「わぁ、可愛くなったぁ」

 

 ぎょっとするシィルとほんわかする火炎書士。

 そんな二人に対してユキの表情には闘志が宿り、その大きな両手には冷気が宿る。

 

 戦闘態勢に入った胴体部分の一方、宙に浮いている頭部が勇ましく開戦の文句を口にした。

 

「サイゼル様の使徒であるこのユキちゃんを!! 倒してからにしてもらおうかーー!!!」

 

 魔人サイゼルの使徒、ユキと戦闘になった。

 

 

 

「いや、そーいうのいいから。マジで」

 

 ……が、ランスは全く取り合わなかった。

 

「うへー、ノリ悪ー」

「知るか。さっきも言ったけどな、俺様はお前と遊びに来た訳じゃねぇんだっつの」

「こっちも遊びじゃないんですがね……むむむ」

 

 唇を尖らせたユキは、先程とは打って変わって落ち着いた様子で何事かを考え始める。

 しばらくそうしていた後、旧知の友人の方にその顔を向けた。

 

「てか火炎ちゃんさ、火炎ちゃんがここに居るって事はもしや……」

「うん。今は別々に捜索しているけど、勿論ハウゼル様も一緒だよ。いい加減にあのお二人を仲直りさせようと思って」

 

 地面に散らばった食べ物を拾いながらの火炎書士の言葉に、ユキは「ほうほう」と納得したように頷きを返す。そして。

 

「……良い頃合いかもですし、ま、そーいう事ならいっか。んじゃ、付いてきてくだせぇ」

 

 基本的にキチガイだが、それでもユキはサイゼルの使徒。あくまで主に忠実であり、主にとって何が一番かを考えるのが使徒の役目。

 再び了承の言葉を発したユキは、先程とは別の方向、登山道から外れた脇道に生えた山林の方へと進んでいく。

 

「おい、今度は本当だろうな?」

「……どうですかね?」

「大丈夫ですよ。さぁ、ユキちゃんに付いていきましょう」

 

 訝しむランスとシィルの一方、あの魔人姉妹を共に主とする使徒同士、その気持ちは自分と同じだという事を火炎書士は理解していた。

 そんな彼女のお墨付きもあって、ランスは渋々ながらユキの案内に続く事にした。

 

 

「……つーか、あれは放置したままでいいのか?」

 

 気になったランスが振り返った先。

 そこには先程分離したユキの胴体部分が、まるで首無し死体のように転がっていた。

 

 

 

 



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バラオ山②

 バラオ山の空を、一人の天使が飛ぶ。

 

 太陽の強い日差しを背に受けながら、山脈の大空を飛行するのは魔人ハウゼル。

 青々とした緑の彩りに溢れる山の隅々までを、忙しなくその顔を左右に振って見回しながら、自然とその口から言葉が漏れる。

 

「……サイゼル」

 

 それはこの山脈地帯の何処かに居る筈の、こうして今上空から探し回っている相手の名前。

 彼女にとって、生まれた時から共にあった存在の名前。何よりも、誰よりも大切な最愛の姉。

 

 数年前から喧嘩中となる魔人姉妹であるが、優しい性格のハウゼルは姉と喧嘩したいなどと思った事は一度も無く、いつまでも仲良くありたいと常日頃から思っている。

 だがそんな思いとは裏腹に、彼女は姉と度々喧嘩をしてしまう。双子の姉妹故なのか、他人に対しては滅多に反抗する性格では無いのだが、何故か姉の言葉だけにはムキになって言い返してしまったり、それで口喧嘩が起こる事など何度もあった。

 

 姉妹仲はとても良い。しかしよく喧嘩をする。

 そんなハウゼルとサイゼルの二人は、ある時いつものように喧嘩をして、そしていつの間にか派閥を別にする事となった。

 おそらくは些細なすれ違いがあったのだろうが、もはやその時の喧嘩の理由など思い出せず。

 ともかくそうして姉妹が派閥によって分けられてから、すでに7年。いい加減に姉との関係を戻したいと、妹が思うのに十分な月日が経過していた。

 

 

(……サイゼルはすでに亡くなったって、そんな話を聞いた事もあったけど……)

 

 山林で隠れている所まで万遍なく目を届かせながら、頭に浮かぶのは数年前に聞いたある噂。

 事の詳細を知る訳では無いが、しかしサイゼルとて魔人の一人。簡単に倒される存在では無い為、あくまで単なる噂だろうと考えている。

 だが、全く気にならないかと言われてしまうとそうでも無く、そんな噂の流れ始めたLP4年頃から、ハウゼルは独自に姉の行方を探してきた。

 

(けれど私の力では……。本当に、ランスさんには感謝しないと……)

 

 しかし今も続く派閥戦争、その最中においてはハウゼルも多忙な身、派閥内での務めを全うしながら十分な捜索など出来る筈も無く。

 だからこそ今回、ランスがその人脈を使ってサイゼルの行方を探してくれた事に、彼女はいくら謝意を表しても足りない気分であった。

 

(……身勝手な行動だって事は分かっている。けれど、それでもここまで来たからには、なんとしても今回の旅でサイゼルを……)

 

 必ず見つけて、必ず関係を元通りにする。

 

 今魔物界を離れるという事は、ホーネット派としての任務を放り出すという事で、共に戦う仲間達に迷惑を掛ける事になる行為。

 その事は当然理解しつつも、それでも自分の感情を優先してこうして人間世界までやってきた以上、必ず今回の旅で姉との喧嘩を終わらせるのだと、ハウゼルは固く決意していた。

 

 

 そんな彼女の、長年の思いが報われたのか。

 

(……あれは)

 

 パラオ山の上空を飛び回っていたハウゼルは、その視線の先に、先程ランスから探すように指示されていた建物を発見する。

 山道からは大きく外れた地点に、年季の入った小さな山小屋がぽつんと建てられていた。

 

 これはもしかしたらと、そんな期待を抱いた丁度そのタイミングで、山小屋のドアが開かれる。

 小屋の中で生活をしているらしき人物がその姿を現し、降り注ぐ日光をその身に浴びると共にぐっと大きく伸びをする。

 

 数年振りとなるその姿に、

 

 

「……サイゼルっ!!!」

 

 感極まったハウゼルは、思わずその名を叫んだ。

 

 

「ん? ……て、え、嘘!? は、ハウゼル!?」

 

 遠くから聞こえる懐かしき妹の大声。それに反応して、数年前からこのバラオ山に隠れ潜んでいたその魔人も、思わず空に顔を向ける。

 

 驚愕に目を見開いた、懐かしき姉の表情。それを万感の思いで眺めながら、ハウゼルはすぐに姉のそばへと降り立った。

 

「……姉さん、良かった……。生きてたのね」

 

 魔物界でのいつかの戦いを最後に目にしていなかった、しかしその時と何一つ変わらない姉の様子に、自然とその眦には涙が浮かぶ。

 

「え、あ……そ、そう、生きてたのよ」

 

 感動に打ち震える妹の一方、サイゼルはどこか呆けたまま言葉を返す。

 突然の再会に喜ぶよりも混乱しているというのもあるのだが、すでに時刻は昼過ぎにもかかわらず今さっき起床したばかりの彼女は、未だ脳の回転がこの展開に追いついていなかった。

 

「それにしても、本当に久しぶりね姉さん。元気そうで何よりだわ」

「う、うん。……あれ? けどハウゼル、どうしてこんな所に?」

 

 頭が働き出したサイゼルがすぐさま不思議に思ったのは、今自分の目の前に居る妹の存在。

 彼女達が居るこのパラオ山は、魔物界を遠く離れた人間世界にある名所。ホーネット派として真面目に戦っている妹が、おいそれとやって来れるような場所では無い筈である。

 

「……あ、まさか、ようやく戦争が終わったの?」

「ううん、まだ派閥戦争は終わっていない。今でも私達は戦っているわ」

「けど、ならどうしてあんたがここに……」

「それは……」

 

 サイゼルの当然とも言えるその疑問に、ハウゼルは一瞬返答に戸惑う。

 一応は喧嘩中の立場として、その答えを口にするのは彼女にも少し抵抗がある。

 しかし派閥の皆に迷惑を掛けて、ランスの協力を得てまでしてここに来た以上、もはや躊躇っている場合では無い。

 先程の固い決意を胸に、ハウゼルはこの7年間ずっと言えなかった思いを口にした。

 

 

「……それは、姉さんに会いに来たの。…………その、仲直りを、しようと思って」

 

 頬を赤く染めた、恥じらいの表情の妹が口にしたその言葉。

 それを聞いた姉は最初「え」と、口から短い一音だけを漏らして。

 

「……えぇ!!?」

 

 つい先程妹と再会した時を上回る衝撃に、サイゼルは数センチ地面から飛び上がった。

 

「え、え、う、うそ、嘘でしょ!?」

「……嘘じゃないわ、本当よ」

「本当? 本当にホント!? てかあんた本当にハウゼル? そっくりさんとかじゃなくて!?」

 

 先の言葉に余程びっくり仰天したのか、サイゼルは完全にパニック状態、目の前に居る妹の真偽すら疑ってしまう始末。

 

「そっくりさんって……姉さん、そんな訳無いでしょう」

「いやでもだって、こんな突然……な、ならハウゼル! もっかい、もっかい言ってみて!? あんたは私と、何がしたいって!?」

「……だから、姉さんと、仲直りを……」

 

 二度目となるその気恥ずかしさに口ごもり、遂にハウゼルは顔を真下に伏せてしまう。

 

「……へ、へぇ~。そーなんだー、ふ~~ん」

 

 一方のサイゼルはようやくそれが現実だと認識したのか、内心の歓喜が隠せていないにんまりとした表情で大袈裟に頷いた。

 

 姉妹同士、仲直りありたいと思う気持ちは姉にとっても同じ事。

 現在彼女は逃亡中の身の上である為、ハウゼルが居る魔物界に近づく事は出来なかったが、それでもいつかは最愛の妹との抉れた関係を修復したいと願っていた。

 

 そんな折に、まさか妹の方から自分の下を訪ねてきて、そして仲直りしたいと口にするとは。

 寝起きのサイゼルにとっては、まさしく夢の続きを見ているかのような出来事であった。

 

「そっかぁ~。そっかそっか~~。ハウゼルは私と仲直りしたいんだ~~」

 

 仲直りの言葉を、妹の口から聞けた事が嬉しくて嬉しくて仕方が無い。

 しかしそれでも真っ直ぐに受け止めるのは照れくさいのか、サイゼルはとてもわざとらしい調子で振る舞う。

 

「なるほどねぇ~、へぇー」

「……な、何ですか?」

「ううんー、べっつにー? ただ、しばらく顔を合わせなかった内に、あんたってば随分と素直になったなーと思ってさー」

 

 こういう余計な台詞を口にしてしまうと、えてしてハウゼルの方も反発してしまいがちで、その結果折角の仲直りのチャンスを逃してしまう。

 千年以上の時を生きるこの魔人姉妹には、そんな事が過去にもう何回もあったのだが。

 

「……うん」

 

 しかし今回に限ってはハウゼルもあえて文句を付ける事も無く、サイゼルの言葉を小さく頷くだけで受け止める。

 それだけ彼女の決意、この旅でなんとしても姉と仲直りするという思いは固く、今この場においては自分の方がひたすら折れてでも、姉との関係が修復出来ればそれでいいだろうと考えていた。

 

 妹のそんな健気な思いは、幸いにして姉の心にも届いたらしく。

 

「……そっか。まぁハウゼルがそこまで言うんだったら、私だって……」

「姉さん……」

 

 サイゼルは少しぎこちない笑みを作り、その表情を見たハウゼルも穏やかに微笑む。

 

 妹の方から譲歩して歩み寄ったのが功を奏したのか、二人は特に喧嘩になる事も無く、数年間抉れっぱなしだった魔人姉妹の関係は、遂に修復されようとしていた。

 

 

 

 だが、まさにその時。

 

 

「着いたぜいぇーい! えー皆様右手に見えますのはーサイゼル様のアホ面でございますー」

「あ、見てください、ハウゼル様も居ますです」

「本当だ。どうやらハウゼルさん、私達より先にサイゼルさんを見つけていたみたいですね」

「なら、ユキの案内など必要無かったじゃねーか。全く、道中うるせーのなんのって……」

 

 山小屋の後方にあった山林地帯を抜けて、ランス達が二人の下へと合流を果たした。

 

「あぁ、皆も来たみたいですね」

「ひっ、あ、あの男はッ!?」

 

 笑顔のままの妹に対して、同じく笑顔だった姉はその表情をサッと凍てつかせる。

 

 その場にやって来た四人の内の一人、黒き魔剣を持った口の大きな男の姿に、魔人サイゼルはとても見覚えがあった。

 それは以前味わった羞恥と恐怖の体験、金輪際思い出したくもない、しかし決して忘れる事など出来ないあの忌まわしき記憶。

 

「ハウゼル様、良かったです。無事サイゼル様と会えたのですね」

「えぇ。火炎達がここに着くほんの少し前に」

「サイゼル様、ちーっす」

「ちーっすじゃない!! あんたね、なんて奴をここに連れてきてんのよ!!」

 

 再会の言葉を交わす火炎書士とハウゼルの一方、同じく再会の言葉を軽い口調で発したユキに、サイゼルは怒りを露わにする。

 自らの使徒が連れてきてしまったその人物は、彼女が人間世界でひっそりと暮らす羽目になった元々の原因でもあり、今後二度と会いたくないと心の底から思っていた相手だった。

 

 

「ようサイゼル、久しぶりだな。俺様の事を覚えてるか?」

「……忘れる訳無いでしょ、ランス!!」

 

 軽い調子で挨拶してくる恩敵の名を、噛み付くような勢いで叫んだサイゼルは、密かに背に生えた翼を立てる。

 いつ目の前のケダモノが襲い掛かってきてもいいようにと、空を飛んで逃げ出す準備までしていたのだが、しかしそんな彼女の耳に信じ難い言葉が飛び込んできた。

 

「ランスさん、ランスさんのおかげでこうして姉さんと再会する事が出来ました。本当に何とお礼を言ったらいいか……」

「おう、そーかそーか。けどまぁ礼などいらん、俺様とハウゼルちゃんの仲だからな」

「……ッ!?」

 

 とても気さくな、実に気安いハウゼルとランスの態度に、サイゼルは喉から言葉が出ない。

 自分にとっての最愛の存在である妹と、恐怖の存在であるその男が和気藹々としている様子に、姉は自らの目で見たものを疑いたい気分だった。

 

「あ、あんた達……まさか知り合いなの!?」

「知り合いというか、ランスさんは私の大事な仲間です。今回、姉さんの居場所を探すのにも沢山協力して貰ったんですよ」

「大事な仲間ってあんたねぇ、そいつがどういう奴だか知って、…………はッ!?」

「……姉さん?」

 

 言葉の途中で、サイゼルは稲妻に身を打たれたかのように瞠目する。到底信じたくない嫌な予感が、唐突に彼女の脳裏を掠めた。

 

 心優しき妹ハウゼル。

 ランスという男の本性。

 そして先程の親しい関係性。

 

 それらの要素を加味して色々考えると、その疑惑は当然のように浮かび上がる。

 出来る事なら目を逸らしたいのだが、しかし彼女は肉親として、妹に掛かる疑惑と向き合わない訳にもいかなかった。

 

「ね、ねぇハウゼル。あんたさ、その男とその、どういう関係な訳?」

「どういう……? 先程も言いましたが、私達は同じ派閥で戦う仲間で……」

「そうじゃなくって!! なんて言うかその、もっとこう、深い意味でというか……」

 

 サイゼルはあれこれ身体を動かし、奇妙なジェスチャーを用いて伝えようとするものの、

 

「……深い意味、ですか?」

 

 しかし、そういった事に関しては鈍ちんのハウゼルは首を傾げるのみ。けれどもその一方で、

 

「……ほほう?」

 

 そんな姉妹の様子を眺めていたランスは、すぐにサイゼルの意図する事に気付く。そして何を思ったのか、口の端をにやりと釣り上げて笑った。

 

「俺様とハウゼルちゃんの関係だと? サイゼルよ、そんなのはもちろん……」

 

 勿体付けるようにして言葉を区切り、そしてハウゼルの隣に立ったランスは、彼女の肩にぐるっとその腕を回す。そして。

 

「こーいう関係に決まってんだろうが。がーっはっはっはっは!!」

 

 高笑いと共にそのまま手を下に伸ばし、その大きな胸の膨らみをがしっと鷲掴みにした。

 

「なぁハウゼルちゃん? ほーれほれ」

「あっ、ん、そこは……!」

 

 まるでサイゼルに見せつけるかのように、ランスはハウゼルの胸を揉みしだく。

 単なる仲間などでは無く、男と女の深い関係性を如実に表わすその光景を前に「……がっ」と、声にならない叫びだけを残して姉は硬直し、一方の妹と言えば、

 

「だ、駄目です、姉さんの前では……!」

 

 掻き回すように胸を捏ねくるその手を押さえて、彼女的にはとても頑張って抗議の言葉を口にした。

 しかし妙に色っぽい雰囲気といい、その台詞は裏返すと姉の前で無ければという話にもなったりと、サイゼルが感じた疑惑をむしろ後押しする要素にしかなっていなかった。

 

「俺様とハウゼルちゃんはあれだ、ホクロの位置まで知る関係ってヤツだな。けどサイゼルよ、決して寂しがる必要は無いぞ。お前ともすぐにそんな関係になってやるからよ」

 

 やはり姉妹は仲良く平等じゃないとな。と、そんな台詞を付け加えてランスは再び大笑い。

 

「………………」

 

 だがそのような舐め切った言葉を吐かれても、サイゼルは未だぴくりとも動かなかった。

 

「これアカンくね? どーよ火炎ちゃん」

「確かに、雲行きが良くないような……」

「ら、ランス様。相手は魔人さんですし、あんまり変に挑発しない方が……」

 

 そんな主達のやり取りを端から見ていた、それぞれの従者はその場の不穏な空気を感じ取るものの、しかし時すでに遅し。

 

 

「…………見損なったわ」

 

 今まで死んだように固まっていたその魔人が遂に動き出し、その口から地の底から聞こえるような暗い呟きが漏れる。

 そしてキッと妹を睨むその片目には、凛然とした青い炎が宿っていた。

 

「……見損なったわよ、ハウゼル!!!」

 

 サイゼルは喉が枯れんばかりの勢いで叫ぶ。

 その事実を知った姉の怒りの矛先は、どうやらランスでは無く妹の方へと向いたらしい。

 

「ハウゼル!! あんたがそんな、そんな卑猥な事をする妹だとは思わなかったわ!!」

「ち、違うんです姉さんっ、私は、」

「何が違うってのよ!! あんたってば、普段から真面目振ったフリしてる癖に……!!!」

 

 昔から何かと優秀な妹と比較されて、低い評価で見られる事が多かった姉のサイゼル。

 そんな扱いにむかっ腹を立てる事など何度もあったが、しかしそれでも真面目で優秀な妹の事は、姉としては密かに自慢の存在であった。

 

 しかしそんな真面目で優秀な自慢の妹は、事もあろうにあの人間の男と、自分の知らぬ間に男女の関係となっていて。

 自分ですら未だ経験が無いのに、優等生な筈のハウゼルはとっくに汚れていた。サイゼルとしてはそれはもう、心底裏切られたような気分だった。

 

「ハウゼルがそんなふしだらな魔人だとは知らなかったわ!! このエロ!! エロ魔人!!」

「……く、うぅ……、わ、私は……」

 

 姉からのとても低レベルな悪口に、しかし妹は大ダメージを受けた様子でよろめき、思わずその豊かな胸元を抑える。

 

 自分はふしだらな魔人。その事はハウゼルにとって、覆しようがない厳然たる事実。

 性交とは夫婦が行う愛情表現であり、そうでは無い自分とランスが性行為をするのは、とてもみだらでいけない事である。だがそうとは知りつつも、すでにランスには何度も身を委ねてしまっている。

 その上心理的な面はともかくとして、肉体的な面では性交の快楽をとっくに受け入れてしまっている事を、さすがのハウゼルも理解していた。

 

 故に、自分がふしだらでエロい魔人と言う事に、一切の反論の余地は無い。

 しかしそんな妹にも、姉に対して言ってやりたい事ならあった。

 

「け、けど……けどっ、それを言うならサイゼルだって、私よりも先にランスさんとそういう関係になった筈です!!」

「なっ、何言ってるのよ!! 私はあんた達みたいな関係になった事なんて無いっての!!」

「嘘です!! 姉さんとも経験した事があると、私は以前にランスさんから聞きました。そうですよね、ランスさん!?」

 

 姉の感情の昂ぶりに釣られたのか、こちらも気勢が上がり始めてきたハウゼル。

 そんな彼女から話を振られたランスは、そういやそんな事ハウゼルちゃんに話したっけなぁと、さも他人事のように考えながら。

 

「うむ、そうそう。ほらサイゼル、前にゼスの地下水路で会った時、やる事やったではないか」

「な……、た、確かにしたけど、けどあれは、あれは私の意思じゃないでしょ!?」

 

 ランスの指摘に、思い当たる節のあったサイゼルは一瞬たじろぐ。確かに彼女には、ランスと互いの性器を舐め合った経験がある。

 しかしあれは脅迫された故の痴態であって、決して同意あっての事では無いと、サイゼルは真っ赤な顔で反論した。

 

「私は無理やりされただけ!! 今のハウゼルのように受け入れてた訳じゃない!!」

「んなの、受け入れよーがなんだろうが、同じようなもんだろうに。なぁハウゼルちゃん」

「全然違う!! ていうかランス、あんたは黙ってなさい!! 私はねぇハウゼル、あんたが隠れてエロい事をしていたのもそうだけど、よりにもよってその最低なエロ男とっていうのが──」

 

 その瞬間、ハウゼルはハッと目を見開いた。

 

 するとその片目には、番の魔人とは対照的な赤い炎が煌々と宿っていて。

 その表情も、先程のように言い訳を繰り返していた弱腰なものでは無く、真剣味を帯びた真顔に怒りの色が混じっており。

 

 そして、姉の言葉を遮る勢いで食って掛かった。

 

 

「サイゼルッ! 今のは聞き捨てなりません!! ランスさんはそんな人ではありません!!」

 

 その逆鱗に触れたのは、姉が勢い余って口にしたランスへの暴言。

 ホーネット派の一員としても個人としても、ランスに対しては沢山の恩がある。自分の事を言われる分には構わなかったが、しかし心優しきハウゼルは他人への悪口を見過ごす事は出来なかった。

 

「サイゼル、先程のランスさんへの言葉はすぐに訂正してください」

「な……何よハウゼル、何を訂正しろっての!? 最低のエロ男で合ってるでしょう!!」

「違いますっ!! 全く違います!!」

「合ってるわよ!! 絶対合ってる!!」

 

 妹の迫力に思わず一歩下がったサイゼルも、しかし負けじと声を大にして言い返し、姉妹の口喧嘩は止まる事なくヒートアップしていく。

 

 その口論をそばで聞いていた者達などは、

 

「てかサイゼル様の言ってる事間違ってなくね? そこんとこどうなのさ、もこもこちゃん」

「え、私ですか!? えぇーと、間違ってないよーな、けどちょっと違うよーな……」

「ううーん、微妙な所ですね。エロ男の部分はともかく、最低の部分は一考の余地ありというか、少なくともハウゼル様にとっては違うというか……」

 

 そのように冷静なコメントをするが、その言葉ももはや魔人姉妹の耳に届く事は無く。

 

 そして。

 

 

「……あーもう!! あったまきた!!」

 

 一向にランスの事を庇い続ける妹の姿に、いよいよ姉の忍耐には限界が訪れた。

 

「ハウゼル、昔から何度も思ったけど、あんたってほんっとーに分からず屋だわ!! その馬鹿頭、私が引っ叩いて直してあげる!!」

 

 頭に血が上りっぱなしの姉は、もはや口論では収まりが付かないと感じたのか、遂に魔人としての力の行使を宣言する。

 

「なっ、分からず屋はサイゼルの方でしょう!? いいでしょう、そういう事なら相手になります!! 言っておきますが手加減しませんよ!!」

 

 そして、やはり姉妹だからなのか、その思いは妹の方も同感であった。

 

「……おや?」

 

 何か危険な展開になってないか? 

 などとランスが悠長に考えた時には、もはや両魔人の頂点に達したボルテージを抑える術など無く。

 

「ユキ!!」

「あいあいさー、へいパース」

 

 サイゼルは高らかに使徒の名を呼ぶ。

 するとそれだけで言いたい事は伝わるのか、いつの間にか山小屋の中に移動していたユキが、小屋内に残してあった主の武器を投げて渡す。

 

 魔人サイゼル愛用の魔銃、全てを凍らせる氷の女神、クールゴーデス。

 片手にその銃を装着したサイゼルは、人間に誘惑されてしまった愚かな妹の頭を冷ましてやろうと、その鋭い銃口の先を向ける。

 

「あわわわ、ハウゼル様、姉妹喧嘩なら空でやってください!! 二人の喧嘩に巻き込まれたら、火炎達が死んじゃいます!!」

「分かっています、火炎、貴女達は下がっていてください!!」

 

 使徒の言葉に頷く魔人ハウゼル。その片手には愛用の巨銃、全てを燃やし尽くす炎の塔、タワーオブファイヤーの姿。

 言っても聞かない困った姉に対して、その銃口の先を牽制するかのように向けながら、ハウゼルはすぐさま空高くへと飛翔していく。

 

 そして結局、姉妹喧嘩は勃発してしまった。

 

 

 

 

 

 



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姉妹喧嘩

 

 

 

 バラオ山の空を、二人の天使が交錯する。

 両者が飛び交うその周囲は今、冷気と高熱に溢れるこの世の地獄となっていた。

 

 

「こっ、のぉぉぉおおお!!!」

 

 張り上げた怒声と共に、青の天使が幾つもの冷気の弾を放つ。それは耳障りな高音を伴いながら、高速で直線状に駆け抜けていく。

 

 魔人サイゼル。氷の力を操る彼女がその手に持つのは、愛用の魔銃クールゴーデス。

 その銃口から発射されるは周囲を瞬時に凍らせる冷気、極限まで収縮した極細のレーザー。

 最大9連射が可能なその氷結砲を、サイゼルは肉親目掛けて惜しむ事無く連発していく。

 

 

「はぁぁあああっ!!」

 

 対するは赤の天使、こちらも張り合うように大声で吠えながら熱量の塊を放つ。轟音と共に発射された火炎放射は、またたく間に広がり空を覆う。

 

 魔人ハウゼル。炎の力を操る彼女がその手に持つのは、愛用の巨銃タワーオブファイヤー。

 その銃口から放たれるは周囲を瞬時に燃やし尽くす炎、膨張して拡散する大砲の如き一撃。

 放射状に広がる火炎砲は壁の如く広がり、迫りくる冷気の弾丸を一つ残らず飲み込んでいく。

 

 元は一つの存在から分けられ、その破壊の力を二分した結果正反対の属性を操る魔人姉妹。

 全てを凍らせる姉の氷と全てを燃やし尽くす妹の炎は、現在全くの互角で張り合っていた。

 そして姉妹同士で互角となっているのは、何も互いの力量だけには留まらず。

 

「姉さん!! 先程のランスさんへの悪口を訂正してくださいっ!!」

「訂正なんてしないわよ!! 最低のエロ男を最低のエロ男って呼んで何が悪いっての!!」

「なっ、また言いましたね!? いい加減にしないと私だって怒りますよ!!」

「あんたもうしっかり怒ってるじゃない!! この馬鹿ハウゼル!!」

 

 高レベルな射撃戦と並行して行われている、低レベルな口喧嘩も同様であった。

 本来であればとっても仲良し、先程もあとちょっとで仲直り出来た筈だった姉妹の仲を引き裂いているのは、妹と親しくしていたあの人間の存在。

 

「ていうかハウゼル、あのエロ男といつからそういう関係になったのよ!!」

 

 清純だった筈の妹が隠していた淫行の事実、ランスとのみだらな性的関係。

 未だに受け入れがたい、決して知りたくはないその事を、しかし聞かない訳にもいかないのか。

 

「全部っ! きちんとっ! 姉さんにっ! 説明しなさいってのッ!!」

 

 言葉を区切ると共に引き金を引き、計四発。

 まるで浮気を問い詰める恋人のような台詞を口にしながら、サイゼルは氷結砲を連射する。

 

「せ、説明!? そんな事……っ!」

 

 視界に映るは迫り来る冷気の弾丸、だがその脳裏に浮かぶのは初めて事に及んだ初夜の一幕。

 ふと如何わしい映像を思い返してしまったハウゼルは、慌ててその首を左右に振り、

 

「そんな事、姉さんには絶対教えられません!!」

 

 ぎゅっと引き金を引き絞ると同時に、巨銃の砲身を右から左へと振り抜く。

 銃口からは分厚い炎の一撃が薙ぎ払うように放たれ、それは飛来する冷気の弾丸を阻み、さらにはサイゼルの元へと肉薄していく。

 

「教えなさいよ! 私はあんたの姉なのよ!!」

 

 サイゼルは叫びながら、大きな弧を描くように飛翔して火炎の奔流を回避する。

 魔人としての長い生の中、このように本気の姉妹喧嘩をした事も数知れず。そんなサイゼルにとって妹の手の内など全てお見通し。

 その火炎砲は破壊力こそあるものの小回りが効かず、自分が空を駆ける速度には付いてこられない。ぐるっと回避軌道をとって妹の攻撃を躱した後、お返しとばかりに氷の弾丸を連発する。だが、

 

「嫌ですっ! 大体姉さんだからって、なんでもかんでも報告する義務なんて無いはずです!!」

 

 ハウゼルも負けじと引き金を引き、炎の塔と見紛うような火炎を放射して盾とする。

 相手の手の内を知り尽くしているのは、勿論ハウゼルにとっても同じ事。姉の氷結砲は連射こそ効くものの一撃の威力に難があり、自分が作り出す業火の壁を貫く事は出来ない。

 

 魔人姉妹が有する武器、クールゴーデスとタワーオブファイヤーの性能は共に一長一短。

 どちらかがより優れている訳では無く、だからこその双子の姉妹。今までその喧嘩に勝者があった事は無く、常に引き分けとなっていた。

 

「そもそもハウゼル、あんたああいうのがタイプなわけ!? あんなエロ男のどこが良いの!?」

「……タイプかと言われると難しいですが、けどランスさんにだって良い所はあります!!」

「良い所ってどこよ、言ってみなさいよ!! てかもしかして顔? 顔なの!? 顔だとしたらあんたの目ぇ完全に腐ってるわよ、ハウゼル!!」

「べ、別にランスさんのお顔は悪くありませんっ、ちょっと口が大きいだけです!!」

 

 互いにぎゃーぎゃー言い争いながらも、互いの指は愛銃の引き金を休む事なく弾き続け。

 その都度銃口から放たれる互いの魔力、全てを燃やし尽くす炎と全てを凍らせる氷は衝突し、空には青と赤の光の残滓が舞い散る。

 

 二人の天使の外見も相まって、その光景は誰もが思わず息を呑む程に美しく。

 番の魔人の空を飛び交いながらの銃撃戦は、見る者の心を奪う派手やかな激戦となっていた。

 

 

 そんな姉妹喧嘩が繰り広げられている、バラオ山の上空の一方。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ハウゼルさん達、どちらも本気ですねぇ」

「つーかサイゼルはともかく、ハウゼルちゃんまであんなにキレるとはな」

「おや、知りません? ハウゼル様ってあれ、キレさしたらマジ怖いんすよ」

「実はそうなのです。ハウゼル様、普段は滅多に怒らないお優しい方なのですが……」

 

 バラオ山の大地に留まるランス達四人。

 彼等は皆大空を仰ぎながら、二人の戦いを文字通り遠くの出来事のように傍観していた。

 

「しかし間一髪でしたね。ハウゼル様が空を飛んでくれたお陰で火炎達に被害は無さそうです」

「確かにあんな喧嘩を地上でされたら、人間の私達ではひとたまりも無さそうですね」

「……まぁな。しかしハウゼルちゃん、あれだけ姉さんと仲直りしたいって言ってたのに、一体どうして喧嘩なんかする流れになっちまったのだ?」

「……え?」

 

 口をついて出たランスの純粋な疑問に対して、他3人の呟きがきれいに重なる。

 程度の差こそはあれど、皆一様にして「こいつ何いってんだ」と言いたげな表情をしていた。

 

「あのですねランスさん。二人の喧嘩の原因は火を見るより明らかだと思うのですが」

「火炎ちゃん、これきっと若年性痴呆とかいうあれっしょ。今若者の間で増加してんだってよ?」

「おうユキ、そりゃどーいう意味じゃコラ」

「だってー。最初にサイゼル様を挑発したの何処のどいつだオラー!! っていうか。駄目ですよサイゼル様をからかっちゃ、あれは見たまんまのおバカでキレやすい魔人なんすから」

「ホントですよ。せっかくあのお二人を仲直りさせようと思ってここまで来たのに、台無しになっちゃったじゃないですか」

 

 姉妹の喧嘩を誘発した張本人に向けて、ユキと火炎書士は異口同音で文句を言うが、しかしその程度で動じるような男では無く。

 ふんと鼻を鳴らしたランスは、相変わらずのいけしゃあしゃあとした表情で腕を組んだ。

 

「別に挑発などしとらんぞ。あいつが俺様とハウゼルちゃんの関係性を聞いてくるから、ただ事実をありのままに伝えて、んでちょっとハウゼルちゃんのおっぱいを揉んだだけだろうに」

「いやそれー、それそれー」

「……まぁでも、こんな事になっちゃうような予感もしてましたですけどね。あの二人の仲を元通りにするのはとっても大変な事ですから。今まで火炎達がどれだけ失敗してきたか……」

 

 過去の苦労の日々を思い出したのか、火炎書士は仮面の奥で深い溜め息を漏らす。するとその隣にいた彼女の友人、その大変さを知るユキも「同感だぜ火炎ちゃん」と大きく頷く。

 どうやら二人は共に使徒となってからの長い日々の中で、繰り返される姉妹喧嘩の事後処理に何度も奔走してきた経験があるらしい。

 

「実は派閥戦争が始まってからもどうにかして二人を仲直りさせようと、ユキちゃんと協力して色々頑張った事があるのです。けれども結果はご存知の通り、てんで駄目だったのですよ」

「そーそー。あいつら一度喧嘩すると頑固でさー、ユキちゃん達はもーたまりませんわ」

「へー。けどあれだな、戦争してるのにそんな事出来るもんなんだな。お前達って別々の派閥で戦っていたのではないのか?」

 

 火炎書士の所属はホーネット派であって、そしてユキの所属はケイブリス派。

 敵派閥で対立していた者同士、一体どのようにして協力していたのか。ランスがふと思っただけの何気ない疑問を受けて、

 

「あ。そ、それはですねぇ、なんと言うか……」

 

 自らの失言に気付いた火炎書士は、どうにか誤魔化そうとして言葉に迷う。そしてその一方で、

 

「……キラーン☆彡」

 

 事の詳細を知る友人、自らの口で擬音を発し、それと同時にその目を妖しく光らせたユキは、悪戯を思い付いたような表情でにぃと笑った。

 

「へいへいダンナ、ここで超特ダネを一つ。実はこの火炎ちゃん、ケイブリス派がホーネット派に送り込んだスパイなんすよ。裏ではユキちゃんと繋がってて、だから敵派閥に居ても協力し合えるって訳」

「なんだと?」

「わぁっ! ゆ、ゆゆユキちゃん、いきなりなんて事をいうのですかこの子は!!」

 

 友人からの突然の暴露を受けて、火炎書士は驚きのあまりに肩を跳ね上げる。

 

「おい火炎書士、お前はスパイなのか?」

「ち、違います、違いますですよ? 火炎はスパイなんかではありませんからね?」

 

 ランスから疑惑の眼差しを向けられ、その使徒はお面の顔を必死に振りかぶって否定する。

 だが見事に狼狽したその姿は、全くの事実無根な話では無い事を如実に物語っていた。

 

「ホントか? そう必死になって否定されると怪しく見えてくるな」

「あ、怪しくなどありません! もうっ、ユキちゃん!! 駄目でしょ変な事いっちゃあ!!」

「えーだってー火炎ちゃんってばー、ホーネット派の大事な情報を今まで何度もケイブリス派に流してくれたじゃーん」

「わぁー! それ言っちゃ駄目ー!!」

 

 いけない事をペラペラと喋る友人を叱ろうとした所に、カウンターで更なる暴露を受ける。そしてそれは見方によっては正しく、火炎書士にとっては決して否定する事の出来ない事実。

 

「おい火炎書士よ、そりゃどういう事だ」

「あ、あれはそういうのでは無いのです!! 単にちょっと必要そうに見えて、けど実は全然価値の無い情報を与えていただけで……!!」

「……って言う建前で、実はホントに大事な情報を渡していた火炎ちゃんなのでした☆」

「渡してないです!! ていうかユキちゃんだって本当の事は知ってるじゃん!!」

「ここだけの話、これまでのホーネット派の負けは全部、火炎ちゃんが仕組んだ事なんですぜ?」

「うわーんっ!! ユキちゃんのバカバカー!!」

 

 いくら何でもそれはヒドいよぉと、悲鳴を上げる火炎書士は友人の肩をぽこぽこと叩くが、叩かれたユキはケタケタと笑っていた。

 

 

「……で。結局の所はどーいう事なんじゃ。火炎書士よ、ちゃんと説明しろ」

「……そのですね、これには訳があるのです……」

 

 そして火炎書士がした弁明によると、どうやら彼女がケイブリス派にあれこれ情報を流していたというのは本当の事。だがそれらは全て価値の無い情報だけというのも本当の事。

 必要の無い情報を流して協力するフリをし、ケイブリス派の者達の信用を得る事で逆に相手の情報を得る。それが知恵の回る彼女が企んだ事で、つまりは二重スパイという事にある。

 加えて万が一にもホーネット派が敗れた場合、ケイブリス派に協力していた事で立場を示し、その後のハウゼルの扱いを守る考えもあったらしい。

 

 そんな火炎書士の事情を一通り聞いたランスは、呆れたように息を吐いた。

 

「……なんつーかあれだな。火炎書士よ、君は結構みみっちくてセコい事を考えるんだな」

「……うぅ、火炎がみみっちくてセコい事しか出来ない使徒だって事は、火炎が一番良く分かっているのです」

 

 ランスの言葉に自ら同意して深く俯く。不気味な仮面の表情は一切変化が無いが、しかし寂しげに額を下げるその姿には哀愁が漂っていた。

 

 火炎書士の担当は頭脳労働。魔物兵達を指揮したり、時には先程暴露したような裏工作も行う。

 彼女とて出来る事ならハウゼルと同じ戦場に立って戦い、直接に主の手助けをしたい。しかし残念ながら、生身での戦いの場ではこれと言って活躍する事は出来ず。

 

「火炎はとてもへっぽこで、戦闘には向きません。けど、それでもハウゼル様の役に立ちたいのです。へっぽこな火炎がハウゼル様の為に出来る事と言ったら、そんなセコい事くらいしか……くすん」

「おうおう火炎ちゃん!! 泣きたいなら泣いていいよ!! いやむしろ泣け!! わめけ!!」

 

 大切な友人の泣き出す寸前の上擦った声を耳にしたユキは、さぁこい! と言わんばかりにその両腕を広げる。

 

「……うえぇぇーん、ユキちゃーん!!」

 

 友人の優しい素振りに感極まった火炎書士は、その胸元に飛び付いておいおいと涙を流した。

 

「よしよし、良い子良い子。ユキちゃんはさ、セコくて裏切り者な火炎ちゃんでも大好きだから」

「うぅ、ユキちゃぁん……、だから裏切り者じゃないってばぁ……」

 

 泣きじゃくる友人をその胸に抱くユキは、相手の震える背中をぽんぽんと優しく叩く。

 時に自らの事をキチガイとも称するその使徒の表情には、溢れんばかりの慈愛があった。

 

「……いや。なんか良い感じな雰囲気だけど、これ殆どユキのマッチポンプじゃねーかよ」

「……あの、それよりランス様」

「おう、どしたシィル」

 

 極めて冷静なツッコミを入れるランスの腕を、ここまで蚊帳の外にいた奴隷がぽんぽんと叩く。

 先程から彼女はずっと、上空で行われている争いを食い入るように注視していた。

 

「ハウゼルさん達の戦い、このまま放っておくのですか? 止めなくていいんですか?」

「……うーむ。まぁ、いいんじゃねーの?」

「けれど、何か凄い戦いになってきてますし、ハウゼルさんがゲガでもされたり、倒されてしまったりでもしたら……」

「つってもなぁ……」

 

 ハウゼルの事を心配するシィルの気持ちは理解出来たが、しかしランスはぽりぽりと頭を掻き、困惑を浮かべた表情で空を見上げる。

 

 今もまだ続く魔人姉妹の激闘。まるで天使かと見紛うような二人の女性が華麗に飛び交い、火炎砲から放たれる赤と氷結砲から放たれる青が咲き乱れる幻想的な戦い。それが繰り広げられているのは彼らの遥か上空となる。

 

「あの二人の戦いを止めるっつっても、とても手が届くような距離じゃないぞ。シィル君、君には何か良い方法があると言うのかね」

「う、うーんと……。あ、捕獲ロープ投げてみますか?」

「……貸してみ」

 

 ランスはシィルから捕獲ロープを受け取ると、片側を輪っかにくくって手元で回し、投げ縄のように遠心力を利用して上空に放り投げてみる。

 狙いは悪くなかったが、しかし空中に乱射されている氷のレーザーに触れては凍結し、火炎の奔流に飲み込まれて捕獲ロープは燃えカスとなった。 

 

「無理」

「……ですね」

 

 結果を冷静に確認しあった後、二人は再度その空の光景を眺める。

 時に急降下、時に急速旋回を挟んだりなど、両魔人の体力にはまだまだ陰りは見られない。しかし決して無尽蔵という訳では無いだろうし、その火炎砲と氷結砲も元は両者の魔力である以上、弾数にも尽きる事はあるはずである。

 

「こりゃもうあの二人の好きに戦わせて、ほとぼりが冷めるのを待つしかないだろ」

 

 このまましばらく上空の戦いは放置しておいて、ハウゼルとサイゼルがバテるのを待つ。

 それがあの姉妹喧嘩を終わらせる一番楽な選択肢だろうと、ランスはそう考えたのだが。

 

「それが、そうもいかないかもしれませんですよ、ランスさん。ほら、後ろを見てください」

「あん? ……げっ!!」

 

 ようやく泣き止んだらしい火炎書士の言葉に、ランスは背後を振り返る。すると目に飛び込んできた光景に仰天して頓狂な声を上げた。

 

 後方には彼等がついさっき通ってきた山林地帯が広がっていたのだが、そこは今、二人の魔人の戦闘の余波を受けて悲惨な事になっていた。

 上空から狙いが逸れて降ってきた氷結砲、サイゼルの冷気を受けて氷結している木々もあるが、それよりもハウゼルの火炎は自然に対して優しくない。

 すでに所々炎が燃え移り、このまま放置しておいたら山火事もかくやといった有様だった。

 

「……あれま。これ自分がやってる事に、ハウゼルちゃんは気付いてないのか?」

「はい、恐らくは……。ハウゼル様、普段はとってもお淑やかな方なのですが、サイゼル様の事となると周りが見えなくなってしまう事があって……」

 

 魔人ハウゼル。彼女は滅多に怒ったりはしないのだが、しかし怒ったらとても怖く、そして怒った時にはどうしても視野狭窄に陥りがちで。

 本人にその気は決して無いのだが、このまま二人の戦闘が更にヒートアップしたら、彼女が山林火災の実行犯となってしまう事は明白だった。

 

「ぬぅ、これは確かに何とかしないとマズいかも。おいシィル、お前がどうにかしろ」

「え、私がですか!? ええと……あ、なら私は炎を消してきますね、魔法が使えるので!!」

「あ、おいっ」

 

 そっちじゃ無くて上の二人をどうにかしろ、とランスが言うより一足早く、シィルは燃焼し始めている山林に向かって駆け出していく。

 

「……なら火炎書士よ、主の不始末は使徒のお前が何とかせい」

「無理ですよ。ハウゼル様とサイゼル様の喧嘩を止めるなんてそんな事、このへっぽこぴーな火炎ちゃんに出来る訳が無いのです」

 

 ランスは火炎書士に話を振ってみるが、彼女はお手上げといった様子で首を振る。

 

「ならユキ、お前が……」

「あぁ!? やんのかテメー!!」

 

 ランスはユキに話を振ってみるが、何故か分からないが中指を立ててブチギレられた。

 

「……どいつもこいつも役立たずめ。しゃーない、結局俺様がやるしかないという訳か」

「けれどもランスさん、何か手があるのですか? さっきは無理とか……」

「さっきの捕獲ロープはただの遊びじゃ。本当は一つだけ秘策があるのだ、俺様は英雄だからな」

 

 不安げな様子の火炎書士の言葉にランスは力強く頷く。手出しが出来ない空での戦いに対して、彼には一つだけ対抗策が浮かんでいた。

 

「……さてと」

 

 そしてランスは腰から魔剣を引き抜いた。

 

 

 

 

 

 

 



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VS 魔人サイゼル

 遥か上空では今もなお続く激戦、魔人ハウゼルと魔人サイゼルによる姉妹喧嘩。

 その戦闘の余波を受けて山林は燃え、徐々に山肌を焼いていく。

 

 そんなバラオ山にあって、仕方無いのでその諍いを何とかする事に決めたランスは、腰から引き抜いた魔剣に対して口を開いた。

 

 

「つー訳でカオスよ、覚悟は出来てるな」

「あぁ、やっぱあれをやるのねー。まぁ、ぶっちゃけ何となく分かってはおったともさ」

 

 自分の心構えを問う持ち主の台詞に、その魔剣は全てを諦めきったような声色で答える。

 

 これから行うのは喧嘩の仲裁、あのはた迷惑な争いを止める事。一刻も早く止めなければ山林は全焼して、山は丸裸になってしまうかもしれない。

 しかし相手は魔人。それも単なる魔人では無く、空を飛ぶ事が出来る有翼魔人。翼持たぬランスにとって対抗する手段と言えば一つしか無く、今までの経験上カオスもとっくに理解していた。

 

「……はぁ、分かった、儂も腹をくくったよ。けどもさ、後でちゃんと回収してよね?」

「覚えてたらな」

「そんなぁ……」

 

 心の友絶対に忘れるじゃん、とカオスは悲痛な声を上げるが、爺の泣き言になど欠片も興味の無いランスは、それきり会話を打ち切って空を見上げる。

 

「……ふぅ」

 

 深呼吸一つ、息を吐き出すと共に集中力を高めて正確に狙いを定める。

 目標は遥か上、中空を軽やかに飛び交いながら争い続ける魔人姉妹、勿論ながらその姉の方。

 

「……よし、そろそろか」

 

 ちょこまかと動き回るその相手が、出来る限り高度を落とすタイミングを慎重に見極めて。

 そして魔剣の柄を握る左腕を、背中に届こうかというくらいに思いっきり振りかぶり、

 

 

「サイゼルーー!!!」

 

 あえて大声でその名を叫びながら、ランスは魔剣カオスを全力で投げ放った。

 

 

 

「何よ、うるさいわ──」

 

 無粋な大声に喧嘩の横槍を入れられ、魔人サイゼルは苛立ちを隠さない表情で声の方を向き、

 

「──あ」

 

 そして、それを目撃する。

 

 魔剣カオスの大投擲。それは近接攻撃が主となるランスにとっての数少ない遠距離攻撃。ただし自ら武器を手放してしまう事になる為、基本的には一発限りとなる大技である。

 びゅんと風を切り裂くような勢いで、自分目掛けて真っ直線に飛んでくる黒き魔剣、その白刃の切っ先を視界に捉えたその魔人は、

 

「ひっ、ぎゃあああああ!!!!」

 

 瞬く間にその表情を凍てつかせ、口からけたたましい叫声を上げてパニックに陥る。その光景は、サイゼルにとって大きなトラウマとなっていた。

 

 以前ランスと遭遇した際、その投擲攻撃によって彼女は魔剣に腹部を深々と貫かれた。

 生まれた時から無敵結界をその身に有し、あらゆる攻撃から守られてきたサイゼルにとって、それは天地がひっくり返ったような信じがたい激痛。

 生命力に溢れる魔人で無ければ間違い無く死んでいた一撃であり、それが原因で彼女はその時ランスの言いなりになるしかなく、結果互いの性器を舐め合うあの辱めを受けてしまった。

 

 あの時と同じ攻撃に、その時の記憶を痛みと共にフラッシュバックしたのか、錯乱したサイゼルはそれでもどうにか身体を真横に捻る。

 

「ひぃっ!!」

「あー外したー、そいじゃーさよならー」

 

 死に物狂いで行った回避行動の甲斐あって、間一髪のところで魔剣の直撃を免れる。

 無敵結界をいとも簡単に切り裂いて、その右肩を軽く掠り上げたが、それきりカオスは標的を通り過ぎて空の彼方へと消えていく。

 

 サイゼルは何とかランスの投擲攻撃を回避した。けれど無理やりな回避軌道を取った為に、宙に浮かぶバランスと姿勢の制御を失ってしまい、飛翔していた高度を一気に落としてしまう。

 

「そこだーーー!!!」

 

 そしてそれがランスの狙いだった。投擲を終えた彼はすぐ近くに立っていた背高い木の頂上まで、まるでムシと見紛うような速さでだだだだーっと駆け上がると、

 

 

「とーーー!!!」

 

 頂上に登った勢いそのままに、サイゼル目掛けてぴょーんと大ジャンプ。

 

「捕まえたーーー!!!」

「ぎゃーーー!?」

 

 その作戦は見事に功を奏し、空を飛ぶ魔人の片足にぎりぎりでランスの手が届いた。

 

「ちょ、重、お、落ちるーーー!!」

 

 バランスを崩していた状態で足首を捕らえられてしまったサイゼルは、邪魔な重りの所為で体勢を整え直して上手く飛ぶ事が出来ずに、

 

「サイゼル!? ランスさん!?」

 

 その光景に驚き、少しだけ冷静さを取り戻したハウゼルを空に残して、

 

「ぐっ!」

「ぐえっ」

 

 二人はそのまま、バラオ山の砂利混じりの土壌にべちゃっと墜落した。

 

 

「痛ったぁ……」 

「痛でで……着地を考えてなかった……」

 

 人間であるランスは勿論の事、無敵結界を破られてしまったサイゼルも落下のダメージを負う。

 両者共すぐには動けず、しばらくそのまま地面の上で苦しそうに身をよじっていたが、やがて魔人の方が怒りの表情で顔を上げた。

 

「……あんたねぇ!! ハウゼルと戦っている時に邪魔しないでよ!!」

「あのな、俺様は邪魔をしたんじゃなくて、物騒な姉妹喧嘩を止めてやったんだぞ。むしろ感謝して欲しいくらいだ」

「ていうか、またあんなもん私に投げつけて、もし当たったらどうするつもりなのよ!! あれすっごい痛いんだからね!!」

「だから当たらんように投げてやっただろう。さすがに土手っ腹にカオスの刺さる女とするのは萎えるからな。……つー訳で」

 

 落下の際に捕らえた片足を未だに掴んだままだったランスは、その足を引っ張って彼女の身体を引き寄せ、その上から覆い被さる。

 

「いよっと」

「っ!?」

 

 自分の両足の間に身体をねじ込もうとしてくるその行為に、サイゼルはぞわりとした悪寒と共に相手の下衆な狙いを察知する。そして、

 

「このっ!!」

 

 魔人を組み敷こうとする愚か者を氷漬けにしてやろうと、彼女は武器持つ左手を振るう。

 その手に有していた魔銃クールゴーデス、その尖った銃口を相手の顔面に突き付け、すぐに引き金を引こうとしたのだが。

 

「ちょーっぷ!!」

「いたっ!!」

 

 しかしその寸前、相手の抵抗を読んでいたランスの攻撃が先に決まる。

 水平に払われた手刀が、サイゼルの武器を握る左手を強く打ち付ける。結果彼女はその手から大事な武器を落とし、クールゴーデスは彼らの位置から数メートル離れた場所に転がった。

 

「がーっはっはっは!! 抵抗しても無駄じゃ、こうなっちまえばこっちのもんよ!!」

 

 高笑いと共に、ランスは勝利を確信する。

 相手は空を飛ぶ有翼魔人。こちらの手が届かない上空から、クールゴーデスから放たれる氷結レーザーの遠距離攻撃で戦うのが十八番の戦法。

 ならばこうして地に落としてしまい、そしてその武器も奪ってしまえば。もはや敵に抵抗する術など何一つ無し、この戦いは自分の勝利である。

 

 ……とそのように、ランスは相手の実力を読み違えていた。

 

 

「さぁーてサイゼルちゃん、ゼスでの続きといこうじゃねーか!!」

「……舐めないでよね」

 

 低い声で呟いたその魔人は、今まさに自分の服に手を掛けて脱がそうとしてくる人間の眼前に、開いた右手を突き出した。

 

 魔人サイゼル。少しドジな部分がある彼女もれっきとした魔人であり、魔人とは基本的に人間が一人で戦って勝てるような相手では無い。

 優秀な妹と比較して何かと下に見られがちだが、しかし彼女がその身に秘める力は妹と比べても何一つ遜色は無く。

 そしてその冷気を操る力は、何もクールゴーデスを介さなければ使えないという訳では無い。彼女愛用のその魔銃は、あくまで効率の良い攻撃が出来るからと用いているだけである。

 

 よって。

 

 

「……フリーズ!!」

 

 ──あ。

 と、ランスが間抜けな声を出す暇も無く。

 

 熱々の温泉でさえ一瞬で凍らせる程の、魔人サイゼルが駆使する強力な氷結魔法。

 それによって周囲の気温が一気に低下し、空気中の水分までもが瞬時に凍結する。

 

「………………」

 

 もはや声など出せず。それどころか口を動かす事すらも出来ず。

 サイゼルの無慈悲な氷結魔法によって、ランスは分厚い氷の中に生き埋めとなった。

 

 

「ふんっ、いい気味だわ」

 

 完成したのは憐れな人間を閉じ込めた大氷塊。

 身体を起こしてそれを眺め、思い通り氷漬けにしてやった事に会心の心地を味わう姉の一方。

 

「ランスさん!? サイゼル、なんて事を!!」

 

 空中を漂い、そこからランスが氷漬けにされる衝撃シーンを目撃していたハウゼルは、その表情を歪ませて叫ぶ。

 そしてすぐに駆け下りてくると、姉に対して先程の喧嘩の時とは異なる怒りをぶつけた。

 

「サイゼルッ!! いくら何でも酷すぎます!!」

「ハウゼル、あんたはまた良い子ちゃんぶって……この程度、ちっとも酷くなんて無いっての」

 

 これは愚かな人間への天罰なのよと、サイゼルは妹の抗議を意にも介さない。

 そうしていなければ襲われていたという事実を加味すると、姉の方も然程間違った事を言っている訳でも無いのだが、だからと言って妹が納得するかと言うとそうでもなかった。

 

「待っていてくださいランスさん、今すぐに溶かしてあげますからね」

 

 ハウゼルはひんやりとする氷に両手で触れると、炎を操る魔人としての力を開放する。

 するとその手のひらから生じる高熱によって、ランスを閉じ込める氷の牢獄の封が解けていく。

 

「なっ、ちょっと!」

 

 瞬く間に小さくなっていく氷塊。その様に驚き、何よりもついさっき自分の事を襲いかけた男を助け出そうとする妹の姿に、何とも言い難い苛立ちを感じたサイゼルは唇を噛み締める。

 

「……ハウゼル、あんたってその男の事、そんなに大事なわけ?」

「当たり前でしょう、そんな事」

「えっ、あ、当たり前なの!? そうなの!?」

 

 ──これはもしや、自分が思うより二人はずっと深い関係にあるのでは。

 即座に返ってきたその断定口調に度肝を抜かれ、そんな事を考えてしまうサイゼルの一方、ハウゼルは決しておかしな事を言ったつもりなど無い。

 

 何故ならランスは同じ派閥で戦う大切な仲間。

 今回の件でも姉の行方を探して貰ったりと、今まで沢山手助けして貰っている。そんな相手が氷漬けになっていたら、助け出すのは彼女にとって当たり前の事だった。

 

 

 そしてかかったのは数十秒足らず。氷の力を操る姉が作り出したその氷塊は、炎の力を操る妹の手によって完全に溶かされて。

 

「……はっ!」

 

 急激な凍結によって、氷の中で以前体験したコールドスリープのような状態になっていたランスも、すぐに意識を取り戻した。

 

「……あれ、俺様はいったい……」

「ランスさん、良かった……」

 

 魔人の力を人間がその身に受けたら、命を落としたとしても何一つ不思議では無い。

 自分の姉の所為でそんな事になったらと、今の今まで気が気でなかったハウゼルは、変わりのないランスの様子にほっと胸を撫で下ろした。

 

「……おぉ、ハウゼルちゃん……あん? てか何か寒いぞ!! クソ寒いッ!!!」

 

 全身を襲う只ならぬ冷感を受けて、ランスは反射的に身を竦ませる。

 

「まだ身体に熱が戻ってないのですね。ランスさん、しばらくは安静にしていた方が良いです」

「……あぁ、そうか。そういやぁ、サイゼルの魔法を食らっちまったんだったな。……もしやこれ、君が助けてくれたのか?」

「はい。命に別状が無くて良かったです」

「……そうか、君はなんて良い子なんだ……ハウゼルちゃんっ!!」

 

 助け出された事に大層感激した様子のランスは、炎の力を操る魔人の事を力強く抱き締める。

 人肌恋しくなったとかこのタイミングで欲情したとかそういう訳では無く、只々暖まりたい、今はともかく熱が欲しかった。

 

「きゃっ、ランスさ──」

 

 突然の抱擁に驚くハウゼルだったが、

 

「──あ、冷たい……」

 

 自分を抱き締めるランスの体温を感じ取った途端、身体の力を抜いてそっと瞼を落とす。

 そして両腕を相手の背中まで回して、優しく抱擁を返した。

 

「はふぅ、ぬくいぬくい……」

「……ふふっ、私の身体、温かいですか?」

 

 くすりと微笑を零すその声は、ランスのすぐ耳元で聞こえる。

 

「うむ。とても温かいぞハウゼルちゃん。君は本当に全身がぽっかぽかだな」

「……なら、もう少しこうしていましょう。このまま私が温めてあげますね」

 

 互いの体温を分け合う為にと、互いを抱き締める腕の力がより強まる。二人の距離は更に狭まり、二つの影は一つに重なる。

 そうして愛おしげに抱きしめ合う姿は、その魔人が危惧した関係そのもののように見えて。

 

 

「ぎゃーーー!!! あ、あんた達、こんな所で何抱き合ってんのよーー!!」

 

 妹のラブシーンを目撃してしまった気分の姉は、泣き出しそうな表情で叫んだ。

 

「サイゼル、お前居たのか」

「居たに決まってんでしょう!? ていうか、とっととハウゼルから離れなさいよ!!」

 

 最愛の妹を奪われてしまったような思いに、嫉妬心に駆られたサイゼルはがなり立てる。

 しかし今更ながらにその存在に気付いたランスは、さっぱり聞く耳持たなかった。

 

「やだ、俺様まだ寒い」

「このっ……ならもう一度、今度はもっと寒くしてあげる!!」

「げっ!! ハウゼルちゃん、姉を止めろ!!」

「あ、こらっ、ハウゼルを盾にするな!!」

「姉さん、もういい加減にして!!」

 

 クールゴーデスの先を向けられ、ランスは慌ててハウゼルの後ろに隠れる。そんな男の姿にサイゼルは更に怒り、そんな姉の姿にハウゼルも怒鳴る。

 妹を中心として、その周囲をぐるぐると駆け回る男と姉の姿は、まるで一人の女性を巡って争う三角関係の諍いのように見えて。

 

 三人はしばらくごちゃごちゃと揉めていたが、その後ようやく身体の温まったランスがハウゼルから離れた事で、その場は一旦の落ち着きを見せた。

 

 

「……ったく、たかがハグぐらいであーだこーだ言いやがって。なぁハウゼルちゃん?」

「え、えぇと……」

「ハウゼル、あんたもあんたよ。男と簡単に抱き合って、そんな無防備な事だと姉として心配だわ」

「けれど、そもそもの原因は姉さんが……」

 

 先程まで上空で魔人としての力を存分に振るい、派手な争いを繰り広げていた魔人姉妹。

 だがその時両者の中にあった激情は、今では大分落ち着いていた。どうやら一連のいざこざで気が抜けてしまったのか、結果的には二人の喧嘩を止める事に成功したようだった。

 

 

「……ふむ」

 

 そんな時、何事かを考えたランスは一人頷く。

 

「時にハウゼルちゃんや、ちょっとその銃を俺様に貸してみておくれ」

「……え、このタワーオブファイヤーをですか?」

「おう」

「……はぁ、どうぞ」

 

 唐突なその要求の意図はよく分からなかったが、しかしそれでもハウゼルは貸せと言われるがまま、その手に持っていた巨銃をランスに手渡す。

 

「おぉう、結構重いなこれ。いよっと……」

 

 彼女の細腕で振り回していたとは思えない程の重量に、ランスは面食らいながらも肩の上にその巨銃を担ぎ上げる。

 

 そして。

 

 

「……あー!! あんな所に空飛ぶきゃんきゃんがーー!!」

 

 唐突に上がったその大声に、魔人姉妹は「え?」とランスが指差した方に顔を向ける。

 そうして出来上がった大きな隙。自分から目を離した迂闊な魔人に向けて。

 

「ていっ!!」

「ぐっ!?」

 

 ゴツッ!! と鈍い音を鳴らし、ランスの振り下ろした巨銃がサイゼルの後頭部にヒット。

 

「きゅう……」

 

 先程氷漬けにされた怒りをたっぷりと込めたその一撃に、彼女は堪らずノックダウンとなった。

 

「ね、姉さん!?」

「ふぅ、よーやく倒したぜ。全く、サイゼルの癖に手間掛けさせやがって……はいこれ返す」

 

 地べたでノビる姉の惨状に目を剥くハウゼルをよそに、ランスは二の腕で額を拭う仕草を見せる。

 

 バラオ山に住み着いていた悪い魔人は、こうして見事に退治された。

 決め手となったのは彼女が晒してしまった隙、あるいは油断。やはりちょっと間の抜けた所があるのがサイゼルという魔人だった。

 

「さーて、て事でお次はっと……よっこいせ」

 

 そして魔人を倒したならば、次に待つのは勿論ご褒美タイム。

 都合良く気を失っている獲物を抱え上げたランスは、このままの流れで食べてしまう事にした。

 

「ここじゃあ寒いし場所は……そうだな、さっきの山小屋にするか」

「あ、あの、ランスさん、姉さんをどうするつもりですか? 姉さんの頭、たんこぶが……」

「……ふむ」

 

 一粒でも美味しいが、二粒ならより美味しい。

 ハウゼルに声を掛けられた途端、その男の脳裏にはそんなフレーズが浮かんだ。

 

「……そうだな。いっそ姉妹丼にしよう。よし、ハウゼルちゃんも付いてこい」

「え、あ……」

 

 ランスはハウゼルの手を掴む。そして戦利品である彼女の姉を自分の肩に置いたまま、山小屋がある方へと向かって歩き出す。

 姉妹丼とは何でしょう? と、性知識に乏しいその魔人は尋ねてみるものの、しかしその男が答えを返してくれる事は無く。

 

 やがて一人の人間と二人の魔人が小屋の中に入ると、入り口のドアがぱたんと閉じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後ランスは当初の目的通り、以前未遂に終わっていた魔人サイゼルと初エッチ、それもハウゼルとの姉妹丼という贅沢な一品を堪能した。

 

 これから行う事の意味をやっと理解し、顔を真っ赤にするハウゼル。その一方、気絶したままのサイゼルを裸にひん剥いたランスは、前回味わえなかったその身体の柔らかさを味わう。

 そうしてあれこれ弄っている内に、その魔人は意識を取り戻す。目覚めたサイゼルは当然のようにうるさく騒ぎ立て、力一杯暴れたのだが、そんな彼女を止めたのは誰あろうハウゼルだった。

 

 ランスに犯されている姉を見ている内に、自分がその男に抱かれる時とは少し毛色の違う劣情を催してしまった妹は、思わず喧嘩中の姉に対して口付けをしてしまった。

 それはもうなりふり構わずといった様子の、とても熱いベーゼであった。

 

 それが仲直りのキスとなったのか、二人はお互いに今までの全てを許し合い、念願だった妹との関係修復をようやく成し遂げたサイゼルは、なんかもう色々どうでもよくなってしまった。

 そして魔人姉妹には、お互いの距離が近くなり過ぎると感覚を共有してしまう妙な特徴がある。

 どうやら先程のキスがそのきっかけとなったのか、双方の快楽を共有する事となった二人はすぐに腰砕けとなってしまい、その後は押し寄せる二人分の快感に抗う事が出来なくなってしまった。

 

 魔人姉妹の姉妹丼。それは途中からどっちを抱いているんだかよく分からなくなるような、未知の感覚に溢れるセックスであり、ランスとしても初めての不思議体験だった。

 

 それにはとても満足したのだが、しかし唯一気になったのは彼女達の事。

 二人も自分とのセックスに満足していたように見えるが、それ以上にお互いはお互いを求め、姉妹同士での愛撫に身を委ねていたように思える。

 

 終わってから振り返ると、姉妹のレズセックスを盛り上げるダシに使われただけのような気分。

 十分に気持ち良かったので文句を付けるつもりは無いのだが、しかしやっぱり同性愛は良くない、非生産的だなと思うランスだった。

 

 

 

 

 



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シルキィとホーネット

 

 

 

 

 バラオ山脈の中腹辺りにある山小屋にて。

 魔人サイゼルを見事討伐したランスはご褒美タイムと称し、ついでにハウゼルも含めた魔人姉妹の姉妹丼を美味しく召し上がった。

 

 その日はそのまま小屋内に一泊し、その翌日。

 ランス達一行は山小屋を出発し、途中で昨日放り投げた魔剣を回収して、そして早々に下山を済ませて麓まで戻ってきた。

 

 

 

「さてと。んじゃあ魔王城に帰るとするか」

「そうですね、ランス様。今から出発すれば暗くなる前には何処かの町で休めると思います」

 

 麓に停留しておいたうし車、それを前にしての主人の言葉に奴隷が頷く。

 今回ランスがバラオ山脈までやってきた目的、魔人サイゼルとの初セックスは無事達成出来た。よって後は帰路に着くだけである。

 

「……よいしょ、んしょっと……」

 

 帰り支度を行う為、シィルがうし車の荷台に荷物を詰め込み始める。

 するとその間手持ち無沙汰となっていたランスのそばに、悩みの表情の魔人が近づいてくる。

 昨日の一戦、姉も交えて乱れに乱れた3Pの件が尾を引き、今朝からずっと恥じ入るように身を縮こまらせていたハウゼルだったが、ここに来てようやくその顔を上げて口を開いた。

 

「……あの、ランスさん。その、姉さんの事で相談があるのですが……」

「サイゼルの?」

「はい」

 

 自然と二人は視線を後方に向ける。

 そこにいたのは魔人サイゼルとその使徒ユキ。彼女達二人はランス達が山小屋を出発するとそのままの流れで付いてきていた。

 ハウゼルが気にしていたのは自分の姉であるその魔人の処遇、これからの事について。

 

「姉さんの事、どうすればいいと思いますか? ……私は、その……姉さんとはようやく仲直りする事が出来た事ですし、出来れば一緒に魔王城に来て貰いたいのですが……」

「あぁ、いいんじゃねーのそれで」

「……けれど、姉さんはケイブリス派に属していた魔人です」

 

 魔人ラ・サイゼル。彼女はケイブリス派に属している魔人である。

 ホーネット派に所属した妹に反発するかのように、姉はケイブリス派に所属する事を選んだ。

 昨日とても濃密な触れ合いを経て二人は長年続いた姉妹喧嘩を終わらせた為、サイゼルがホーネット派に敵対する理由はもう無いのだが、それですんなりと事が収まるとは限らないもので。

 

「どうやら姉さん、今はもうケイブリス派に協力してはいないそうなのですが、それでもホーネット派の本拠地である魔王城に元ケイブリス派の姉さんを連れ帰っても良いのでしょうか?」

「別に問題無いだろ、そんな事」

「でも、ホーネット様がなんて言うか……」

 

 ハウゼルが不安に思っていたのは派閥の主であるあの魔人、ランスにとってはつい先日ようやく一緒に風呂に入れるまでになったホーネットの事。

 魔王不在となる現魔王城、その管理に関しては全ての決定を魔人筆頭が下している為、サイゼルが魔王城に入る為にはホーネットの許可が必要となる。

 果たしてあの魔人は元ケイブリス派であるサイゼルが魔王城に身を置く事を良しとするのか。先行きの見えない姉の今後を憂いてハウゼルはその表情を曇らせていたのだが。

 

「あぁ、それならだいじょーぶ。ホーネットの許可ならちゃんとあるから」

 

 とても知恵の回るランスは予め手を打っていた。

 ……という訳では無いのだが、そういう体にした方が有能でカッコよく見えるだろうと考え、何食わぬ顔で堂々と嘘を吐いた。

 

「え、ランスさん……それは本当ですか?」

「うむ」

 

 ランスは大仰に頷く。しかし先の通りそれは嘘っぱち、勿論ホーネットからの許可など取ってはおらず、全ては事後承諾という形になる。

 しかし敵派閥から寝返った魔人ならすでにガルティアが居る為、今更そこに文句を言ったりはしないだろうと予想しており、なんなら文句を言わせるつもりなど毛頭無かった。

 

「……そうですか、良かった……。そういう事なら安心です。姉さんに話してきますね」

 

 その嘘は素直なハウゼルには効果覿面、すでに許可があると知った彼女は表情を明るく戻す。

 そして離れた場所に居る姉の下へと歩いていき、そこで二三何事かを会話した後、サイゼルを連れて戻ってきた。

 

「ランス。……その、ハウゼルの言っている話は本当なの? ホーネットの許可があるって話」

「おう、もちろん」

「本当に本当? ……ほら、私って一応今まで敵だった訳だし、魔王城に着いた途端にホーネットから六色破壊光線ぶち込まれたりしない?」

「ね、姉さん、そんな……ホーネット様はそんな乱暴な事をするお方では無いわ」

 

 ホーネットと親しい妹は否定するものの、これまでホーネット派と対峙する立場にあった姉の表情には怯えの色が如実に表れている。

 サイゼルはゼス侵攻任務に失敗し、派閥の主であるケイブリスの怒りを恐れて身を隠していた。そんな彼女にとっては同じく派閥の主であり、実力は自分より遥かに上となるホーネットの怒りも恐怖の程度には然程違いが無いようだ。

 

「ハウゼルちゃんの言う通りだ。あいつは確かにおっかない所はあるが、いくら何でも問答無用で攻撃してきたりはしないだろ。……たぶん」

「多分!? 多分じゃ困るんだけど!! もし違ってたら私死んじゃうじゃない!!」

「だいじょーぶだって。……きっとな」

「きっとじゃ困るー!!」

 

 サイゼルは大声で喚くが、しかしいざそんな事になった場合に責任を負いたくないランスは決して断言してあげる事は無く。

 その後もぎゃーぎゃー言う姉をハウゼルがどうにか落ち着かせて、その件に関してはランス達もホーネットの説得には一役買うが、結局のところは出たとこ勝負という事で落ち着いた。

 

「……まぁいいわ。いざとなったらすぐ逃げるから。それともう一つ言っておきたいんだけど」

「何じゃ」

「私はハウゼルが心配だから仕方無く魔王城に行くだけで、ホーネット派に協力するつもりなんて一切無いから。そこを勘違いしないよーに」

「……すみません、ランスさん。姉さん、さっきからこの調子で……」

 

 申し訳無さそうに額を下げる妹とは対照的に、姉はつんとそっぽを向く。

 サイゼルは戦争は全く興味が無い。ケイブリス派に属したのは妹に反発しただけ、そして妹のように平和な世界を求めて戦いたいとも思わないので、ホーネット派に参加する気など欠片も無かった。

 

 実の所、先程からハウゼルが心配していたのも姉のこの態度が大きな理由。

 ホーネット派に協力しないというなら立場としてはガルティアよりもワーグに近く、そしてワーグは能力の事もあって魔王城では暮らしていない。

 そんな事も含めてホーネット派に協力する気の無い姉が魔王城に居てもいいのか、ハウゼルはずっと悩んでいたのだった。

 

「ハウゼルと一緒に居たいから魔王城には行くけど、でも私はあんた達に力を貸したりなんて絶対しないから、その辺の所を勘違いしないでよ。分かったわね?」

 

 魔王城には来るがホーネット派には参加しない。

 予めその立場をしっかりと宣言しておかないと、後々どうにも面倒事を押し付けられかねない気がしたので、ここでサイゼルはビシッと言ってやったつもりだったのだが。

 

「……あー、うん。ま、いいや別に」

 

 しかし言われたランスはちっとも堪えておらず。

 サイゼルがホーネット派に加わるか否かなど一切興味無いのか、ぽりぽりと耳を掻いていた。

 

「……え、いいの? ……言っておくけど本当に何も協力しないからね?」

「おう、いいぞ。俺様、お前にそっち方面の期待はしてないから」

「……む」

 

 今回ランスがこのバラオ山までやってきた目的はセックスする為であり、何も戦力としてサイゼルを求めてきた訳では無い。

 だからこその言葉であったのだが、しかし期待はしていないと言われるのはそれはそれで釈然としないのか、その魔人は不快げに眉間を寄せる。

 

「……そ、そう。なら、まあ良いんだけど? 後々困った時に『サイゼル様の力を借りたいんですー』とか言ってもぜーったいに手を貸してはあげないから。ホーネットにもそう言っておいてよね」

 

 念押しに念押しを重ねる、魔人サイゼルの断固とした拒絶の意思表示。

 それを受けてランスは「……うーむ」と唸り、珍しく難しい表情で何かを考えた後。

 

「……サイゼル様の力を借りたい、か。つーかよ、サイゼル」

「何よ」

「本音を言っちまうとだな。お前が味方に居てもあんまし役立つ気がしねぇんだよ」

 

 ランスは胸の内をぶっちゃけた。

 

「な、何ですってぇ!? 役に立たないってどーいう事よ!!」

「いやだってほら、お前ってぽんこつだし……」

 

 一口に魔人と言ってもその中身は千差万別。ホーネットやシルキィのように優秀で頼りになる魔人もいれば、一方でサテラのようにおっちょこちょいな魔人も存在していて。

 そして残念な事にランスの中でサイゼルの評価は決して高くは無い。なのでサイゼルがホーネット派には協力しないと口酸っぱく言っていようが、そもそも協力して欲しいとも思ってはいなかった。

 

「そりゃあ一応お前は魔人なのだし、味方に居りゃそれなりに戦力にはなるだろうが、どーにも余計な事をやらかすような気がしてならんのだ。つー訳でお前の力を借りたいとは思わん」

「あ、あんたねぇ! また昨日みたいに氷漬けにされたいの!?」

「姉さん。ランスさんは多分、すぐムキになる姉さんのそういう所を言っているんだと思うの」

「ハウゼルにまで言われたー!?」

 

 ランスから下に見られるだけならともかく、最愛の妹からも割と容赦の無い言葉を受け、サイゼルは悲鳴にも似た声を上げた。

 

 

 

 そんな一悶着がありつつも、ともかくサイゼルはホーネット派に加わる訳では無いが、仲直りした妹のそばに居たいが為魔王城に向かう事となった。

 その後シィルが行っていた帰り支度が完了し、一同は次々にうし車の荷台へと乗り込んでいく。

 

「……うぅ、なんかまた怖くなってきた……。ホーネットとか、それにシルキィとかも……」

「おいサイゼル、早く乗れよ」

「だってっ、乗ったらもう引き返せないじゃない。もしホーネットが魔法球を出してきたり、シルキィが装甲の巨人を出してきたりしたら私そっこーで逃げるからね? その時はあんたも協力してよね?」

「分かったっつーの。いいからはよ乗れ」

 

 魔人筆頭ホーネット。そして魔人四天王シルキィ・リトルレーズン。

 その両者は単なる一魔人のサイゼルにとって脅威たる存在なのか、彼女は荷台に乗り込む直前まで四の五の言い、そしてうし車が出発してからも終ぞ不安な表情で妹に縋り付いていた。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そして。

 ちょうどその頃、サイゼルがそのように警戒していたあの両魔人はといえば。

 

 所変わって、魔物界の北部にある魔王城。

 その城の最上階にある派閥の主の部屋にて。

 

 今その部屋の中では魔人筆頭と魔人四天王による話し合い、これまでも不定期ではあるが度々実施している小会議のようなものが行われていた。

 

 

 

 部屋内にある大きな執務机。その上に広げられているのは彼女達の世界となる魔物界の地図。

 地図上には青色の重石と赤色の重石が所々に置かれている。派閥の勢力分布を簡単に表したもので、魔物界の北側、つまりホーネット派の勢力圏に置かれているのは青色の重石。

 

 最北部にあるアワッサツリー。そして本拠地たる魔王城。そのすぐ隣にブルトンツリー。魔王城から南に進んでキトゥイツリー。そこから更に進んでサイサイツリーと続く。

 そして先日の戦いによって、魔物界の中部に存在する魔界都市ビューティーツリー、そこの上に青色の重石が乗せられる事となった。

 

 それが現在の魔物界の勢力図。二人の魔人が睨むように見つめている、その地図が示す内容。

 

 

「……問題は、ここからですね……」

「……えぇ」

 

 机の前に立つ魔人四天王が呟けば、椅子に掛けている魔人筆頭が小さく頷く。

 魔人シルキィと魔人ホーネット。派閥の二大巨頭とも言える両者の話し合いの議題、それは派閥戦争のこれから、今後のホーネットの方針に関して。

 

 先日の戦いで魔界都市ビューティーツリーを奪い返した結果、魔物界の支配範囲で言うならホーネット派はケイブリス派を上回る事となった。

 しかしこの派閥戦争において両派閥は何も支配する面積を競っている訳では無い為、その点に関しては然程の意味を持たない。

 

 ホーネット派の目的、それはリトルプリンセスに世界を治めて貰う事。そしてその邪魔をするケイブリス派を打ち倒す事。

 よってビューティーツリーはあくまでその通過点にある魔界都市に過ぎず、目的達成の為には更に前へと進まねばならない。

 つまりその先にある魔界都市。敵対するケイブリス派の本拠地となるタンザモンザツリーへと。

 

 

「タンザモンザツリーさえ押さえる事が出来れば、私達が勝利したも同然。……ですが、それには問題が幾つもあります」

「まず第一に遠いですからね、あの都市までは」

 

 シルキィが指摘した点、それは地図を一目見ただけですぐに分かる問題。

 魔界都市タンザモンザツリーは魔物界の最南端に位置しており、中部にあるビューティーツリーからでも相当な距離が開いている。

 距離が開けば開く程、その分移動に手間や面倒事が増えるもの。そしてそれ以上に厄介なのがその際に通過しなくてはならない場所。

 

「……そしてなにより、タンザモンザツリーに進む為にはカスケード・バウを越える必要がある。……この話、ホーネット様とは何回したのかもう分かりませんね」

「……そうですね。シルキィとは今更確認するまでも無い話ですが、やはり障害となるのはカスケード・バウ。……そしてその近辺に存在する──」

 

 ホーネットの視線が、それに釣られるようにシルキィの視線も、カスケード・バウの程近い所に置かれた赤色の重石に刺さる。

 

「──ケッセルリンクの城。あの魔人四天王を抑えない限り、この先に進む事は難しい」

「……ですね」

 

 本当に何度目か分からない話だなと、シルキィは思わず漏れそうになった溜息を飲み込んだ。

 

 

 過去数回、ホーネット派はタンザモンザツリーへの侵攻に乗り出した事があるが、その全てが失敗に終わっている。そしてその原因の殆どが魔人四天王ケッセルリンクにあった。

 

 所々大地から角のようなものが隆起する、見渡す限りの荒野が広がるカスケード・バウ。

 そこまで歩を進めてしまったが最後、夜が訪れる度にケッセルリンクは自身の居城から出撃し、朝方近くまで休む間も無くその猛威が振るわれる。

 それにより夜毎にホーネット派勢力、中でも魔物兵達は甚大な被害を受けてしまい、結果撤退を余儀なくされてしまっていた。

 

「あのケッセルリンクを抑える。普通に考えた場合、それはシルキィか私の役目となります」

 

 相手は上級魔人の上をいく魔人四天王。であるならば対峙する方も相応の強さが必要となり、ホーネット派で言うならばこの場に居る両者が適任。

 

「……ですが」

 

 ホーネットは重々しい声で呟き、自らの至らなさを悔いるかのようにその瞼を伏せる。

 

「同格のシルキィはともかく、私は魔人筆頭であるにも拘らず、情けない事に有効な手立てが見当たらないのが現状です」

「……仕方無いですよ、ホーネット様。夜のあれはちょっと尋常じゃないですから」

 

 精一杯のフォローの言葉を口にするシルキィ。だが彼女も内心では忸怩たる思いを抱えているのか、その表情には影が差していた。

 

 魔人四天王ケッセルリンク。剣と魔法そのどちらにも精通し、元々折り紙付きの強さに加えて特に夜間は無敵と呼べる程。身体を霧状に変化させ、夜闇と同化した時の脅威は筆舌に尽くし難い。

 前後左右どこから襲ってくるか分からないその攻撃も厄介だが、なにより防御面、霧状と化した相手にはこちらの攻撃がまともに当たらない。

 物理攻撃が主体のシルキィは勿論、ホーネットの魔法でさえも正確に標的を捉える事が出来なくなってしまう為、かの魔人四天王と夜間に対峙するとこの二人をもってしても受け身に回らざるを得ないのが実情であった。

 

 

「でも夜に強い分、ケッセルリンクには昼間っていう明確な弱点があるから、そこを突く事が出来れば良いんですけどね」

「……ですが、それは向こうも承知している事」

 

 比類なき力を誇る夜間に対し、日中は身体が固まってしまうという弱点をケッセルリンクは有しており、無防備となる昼間は自身の居城にある棺の中にて眠っている。

 そこを狙えば遥かに優位な状態で戦う事も可能なのだが、その際に障害となるのがやはりその城までの距離、そして間に挟む大荒野。

 

「偵察を行ったメガラスによると、すでにカスケード・バウには大量の魔物兵達が陣地を形成しているとの事。その規模は先の戦いを上回る程で私達を迎え撃つ準備は万全だそうです」

「……ビューティーツリーから出発したとして、何十万の魔物兵の壁を越えながら、一日でケッセルリンクの城まで到達するっていうのは……少し難しいですよね」

「……えぇ。そして夜が訪れると必ずケッセルリンクは出てきます。今までの時も全てそうでしたから、そこに気紛れなどは無いでしょう」

「………………」

 

 今までの時。その言葉で過去の苦い失敗の記憶を思い出したのか、二人の声がそこで制止する。

 ケイブリス派にはまだ6体の魔人が残る為、他の魔人達も勿論障害にはなるのだが、いずれによせタンザモンザツリーに進む為には過去の失敗をどうにかして乗り越える必要がある。

 

 しばし両者は沈黙の中で考えを巡らせるが、しかしこの事は以前からホーネット派が直面していた大きな問題。今まで何度も二人が頭を捻らせてきた悩みである為、

 

(……うーん)

 

 シルキィは脳内で唸るものの、しかしそう簡単に解決策など浮かぶはずも無く。

 その代わりという訳では無いのだが、何気なく思った事と言えば、

 

(……ランスさんだったらどうにか出来たりするのかな。……なんて、良い方法が浮かばないからってちょっと考えがズレてきてるわね、私)

 

 先日ハウゼルを連れて人間世界へと向かい、今現在魔王城を留守にしているあの男の事。

 

 以前にガルティアを食い物で釣ったりなど、何かと予想外な方法でホーネット派に大きな貢献をしてきた彼なら、自分達には出せない答えを見つける事が出来たりするのだろうか。

 と、そのような事を考えたのと殆ど同じタイミングで、ホーネットは閉じていた口を開いて。

 

「……ランスなら、何か思い付く事があるのでしょうか」

 

 などと発言した為、思わずシルキィは今の場には相応しく無い小さな笑みを零してしまった。

 

「それ、今私も同じ事を考えました」

「……そうですか、シルキィも……」

「はい。なんせ私は頭が固いですから、あの人のような柔軟な発想力は羨ましいです」

「あれは柔軟というより、奇抜と呼ぶべきだと思いますが……」

 

 その奇抜さに現在進行系で苦慮させられているホーネットは、嘆息混じりの言葉を発する。

 とはいえ頭が固いとの自己評価をするシルキィ同様、自分も強いて言うなら頑固だと言う事には彼女自身も自覚的であった。

 故に奇抜な事を仕出かすランスの事を二人は同じように思い浮かべて、そして同じような期待を抱いてしまったようだ。

 

「……ですが、そうですね。ランスが戻ってきたら一度話をしてみても良いかも知れません」

「ですね。……ただランスさんの事だと『カスケード・バウを越えるのが難しいなら、こっちから行けばいいだろう』って言いそうではありますが」

 

 言いながらシルキィが指差した先。

 その道は魔界都市ビューティーツリーから敵の本拠地に繋がるもう一つの道。

 

「……あぁ、その可能性は十分にありますね」

 

 確かに難攻不落な大荒野カスケード・バウを通過せずとも、その道を通るという選択肢はある。

 ただそれが可能だったのは数年前までの事で、今ではカスケード・バウと同じか、それ以上に通過するのが困難となってしまった道。

 

「………………」

 

 地図上で赤色と青色どちらの重石も置かれていない場所。

 そこに書いてある『魔界都市ペンゲラツリー』そしてその付近にある『死の大地』という文字。それを二人の魔人はじっと睨んだ後。

 

「……シルキィ、言うまでも無い事ですが」

「分かっています。その時は必ず止めます」

 

 真剣な表情の魔人筆頭の言葉に、同じく真剣な表情の魔人四天王はしっかりと頷く。

 

 死の大地には生物を殺す死の灰が降りそそぐ。

 無敵結界を有する魔人ですらも影響を受ける灰、それを人間のランスがその身に浴びたらどうなるかは想像に難くない。

 恐らくそう無いとは思うが、もし死の大地にランスが関わるような事があったとしたら、その時は何が何でも止めなければならない。

 それはホーネットに言われるまでもなく、シルキィも承知していた事ではあるのだが。

 

(……けれど)

 

 ──あの人私が言っても聞かないからなぁ。

 と、つい言いたくなってしまう気持ちをシルキィはぐっと胸の内に抑え込んだ。

 

 

 

 

 

 

 その後小一時間程やり取りを交え、本日の話し合いは終了した。

 

 派閥の今後に関しては、当面の間は敵の出方を伺いながらの現状維持。

 と言う少々積極性を欠いたものとなり、今回の作戦会議は両者共すでに把握している問題点を確認し合っただけのあまり実りの無い結果となった。

 

 そして、その終わり際。

 

 

「シルキィ、あちらでもう少し話をしませんか?」

「はい、分かりました」

 

 部屋の角にあるソファの方を向きながらのホーネットの提案に、シルキィは二つ返事で頷く。

 

 このやり取りは二人が単なる雑談に興じる際のお決まりの合図となっていた。

 ホーネット派として、あるいは派閥戦争に関しての話では無い、もっとプライベートな話をする為の言うなればティータイムのようなもの。

 

 二人は古くから親密な関係で互いに気心の知れた間柄であるが、しかし派閥の主従という関係にあっては口に出来ない事も多い。

 時にそのような話をするべく、執務机より寛げるソファに場所を移すのを切っ掛けにして、両者はホーネット派と呼ばれる派閥が出来る以前の関係性に戻る事にしていた。

 

 

 

 先程の作戦会議の時よりも弛緩した空気の中、二人の魔人はソファに深く腰を下ろす。

 するとすぐに二人の前にあるテーブル、そこに紅茶を注いだカップを2つ並べられる。

 

「……ふぅ」

 

 ホーネットの使徒達が淹れた紅茶を一口味わい、シルキィは小さく息をつく。

 

「……うん、おいしい」

 

 そして同じく使徒達が焼いたクッキーを齧り、その口元を綻ばせる。

 

 このような雑談の機会はシルキィにとって時たまある事で、基本的にホーネットが何か言いたい事がある際に設けられる場合が多い。

 彼女は経験上それを理解していたので、今までの時と同じようにティータイムを楽しみながら、目の前に居る相手が話を切り出すのを待っていた。

 

 しかし。

 

 

「………………」

 

(……あれ?)

 

 今までの時とは少し変わったその様子に、シルキィは脳内で小首を傾げる。

 その魔人はいつもと違って中々口を開こうとしない。かといって紅茶やクッキーの味を楽しんでいるのかと言えばそう言う訳でも無く。

 

「………………」

 

 魔人ホーネットは、ただじっと。

 気兼ねない雑談の場には合わない憂わしげな表情で、右手の人差し指で何故か唇を押さえたまま、その視線をじっとティーカップに落としている。

 

(……ホーネット様、どうしたんだろ)

 

 俯きっぱなしの魔人筆頭、その様子を魔人四天王はちらりと流し目で伺う。

 この雑談の機会は先程相手の方から誘ってきた。という事は何か自分に対して話したい事があるはずなのだと思うのだが、しかし相手は一向に沈黙したままで。

 

(……私から何か話題を振った方がいいのかな?)

 

 そう考えてシルキィは一度口を開こうとした。

 しかしホーネットは見るからに何かを悩んでいる表情で、ならばその思考を邪魔するのも良くないかなと考え直す。

 

(……今のホーネット様の姿をみると、今日の目的ってもしかして……)

 

 本日自分がこの部屋に呼ばれた理由。

 それは先程のあまり進展の無かった作戦会議よりもむしろ、こちらがメインなのかもしれない。

 魔人四天王はそんな事を思いながら、思い悩む魔人筆頭が口を開く気分になるまで、紅茶の味を楽しみながらじっと待つ事にした。

 

 

 

 そして、シルキィがおかわりした紅茶が半分くらいまで減った後。

 

「……ふぅ」

 

 小さく息を吐くと共に、遂にホーネットはその顔を上げる。

 だがその第一声は正面に座る相手に向けたものでは無かった。

 

「……今から少し、シルキィと二人で大事な話をします。貴方達は外れていなさい」

「え」

 

 全く予期していなかったその台詞に、シルキィは驚きの一言を口から零す。

 ホーネットの言葉は自分では無く、相手の背後に並んで立つ使徒達に向けられたものであった。

 

(……あの子達を部屋の外に出した事なんて、これまでには無かったはず……)

 

 魔人筆頭の使徒達は主からの退出命令に無言で一礼し、続々と部屋から出ていく。その様子を呆然とした表情で眺めながら魔人四天王は思う。

 これは未だかつて無い初めての展開。使徒達に退出を命じると言う事は、使徒達の耳には入れられないような話をするという事になる。

 

 そうまでする程の大事な話。それは一体どのような内容の話なのか。

 

 気兼ねない雑談の時間であるはずなのに、先程の作戦会議の時を上回る妙な緊張に包まれ、ごくりと喉を鳴らしたシルキィの一方。

 

 未だその表情には陰りの見えるホーネット。ここ最近悩み多きその魔人が抱えていた大事な話。

 

 それは確かに、本当に大事な話だった。

 

 

 

 

 

 



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大事な話

 

 

 主の命令を受けて退出していく使徒達を横目に眺めながら、魔人シルキィは考える。

 

 魔人と使徒の関係性、それはとても特別なもの。

 自分は使徒を有していないが使徒を有するハウゼルなどを見ていればそれは伝わってくる。

 血の契約を交わし、力の一部を分け与えて創る使徒との繋がりは決して軽いものでは無い。故に使徒に対して隠さなくてはいけない事、使徒に聞かせられない話などそうは無いはず。

 

(……けれど)

 

 しかしその一方、自分とホーネットの関係性も特別なもの。

 特にホーネットにとっては生まれた時から自分は近くに居た存在となる為、関わりの長さで言えば使徒達を遥かに上回る。

 なにせ使徒というのは魔人にならないと作る事は出来ないが、自分は魔人になる前のホーネットの事も沢山知っているのだから。

 

(あの子達を部屋から出したって事は……これからするのは使徒よりも付き合いの長い私にしか聞かせられない話……ていう事よね?)

 

 今日の雑談のテーマ、ホーネットの大事な話。

 一体それはどのようなものなのか。わざわざ信頼の置ける使徒達を部屋の外に出してまで、我らが派閥の主は如何なる話をしようと言うのか。

 今までの雑談の時とは異なる空気、妙な緊張感に包まれるシルキィは自然と姿勢を整える。

 

 そうして使徒達全員が室内から退出し、ぱたんと入り口のドアが閉まり切るのを確認した後。

 

「……さて」

 

 ゆっくりとその口が開かれる。

 

「………………」

 

 口を固く引き結んで身構えるシルキィ。その一方でホーネットは未だ逡巡の中にあって。

 やがて「……そういえば」と、何かを思い出したかのような会話の滑り出しから。

 

 

「シルキィ」

「は、はい。何でしょう」

「私のこの服装について何か思いますか?」

「……はい?」

 

 全く予想外の言葉を耳にしたシルキィは思わず気の抜けた返事をしてしまった。

 

「……えっと。この服装って言うと、ホーネット様が着ているその服の事……ですよね?」

「えぇ、私が普段から着ているこれの事です。これについて何かおかしな点は無いか、率直に思う事を聞かせてください」

「……はぁ」

 

 自分の服装についてどう思うか。その質問の意味は分かるのだが、しかしそれを尋ねる意図がよく分からず、シルキィはどこか困惑したような表情を浮かべる。

 

(ホーネット様の服装か……)

 

 その魔人の普段着。肌が透ける程に薄い生地、そして胸元の大きく開いた紫紺色のドレス。

 それを見事に着こなしてソファに座る女性、その上から下までを軽く眺める。

 

 そして。

 

「……いいえ。特に問題は無いと思いますが」

「……本当にそう思いますか?」

「はい、勿論です」

 

 自分が見た所、問題点など何一つ見当たらない。

 魔人筆頭というホーネットの立場に相応しい姿、気品溢れる素晴らしい服装だ。

 などと心の底から大真面目に思うシルキィは大きく頷いて太鼓判を押す。

 

「……そうですか、……そうですよね」

 

 一欠片も裏などあるようには見えない魔人四天王の普段通りの純真な表情。

 それを目の当たりにして心に燻っていたほんの小さな疑念が晴れたのか、魔人筆頭は微かに安堵の表情となった。

 

「ホーネット様はその服装の事、おかしいと思っていたのですか?」

「いえ、決してそういう訳ではありません。けれども最近妙にこの事を指摘されるのでいっそ誰かに聞いてみようと思ったのです」

 

 その言葉に「成る程、そういう事でしたか」と答えるシルキィ。そんな彼女の服装といえば、女性としての最低限の慎みを残しただけのような上下ともに下着よりも際どい普段着。

 お世辞にも彼女に服飾のセンスがあるとは言えず、ランスなどに言わせれば「どっちもどっちだ」といった評価のこの二人、どう考えてもホーネットは質問する相手を間違えていた。

 しかし魔王城という狭い世界で長年生きてきた弊害、少し外れたまま構築された常識がそうさせるのか、あるいは客観的視点が欠如しているのか、両者共その点に疑問を抱いている様子は無かった。

 

「ホーネット様の服装は何も問題ありません。この私が保証します」

「……シルキィ」

 

 感謝の意を示すかのように魔人筆頭は嫋やかに微笑む。そんな相手の表情に釣られて、魔人四天王の口元にも小さな笑みが浮かぶ。

 恐らくはほんの些細な、だが確かにホーネットが抱えていた悩み事。その解消に貢献出来た事にシルキィは嬉しく思うのだが、しかし一方で先程からずっと思い悩んでいたあの姿に少し違和感を覚えた。

 

「……というかホーネット様。使徒達を部屋の外に出したのはこの話をする為なのですか?」

「いえ、そういう訳ではありません」

「あ、ですよね」

 

 その答えは予想通り、服装どうこうと言った程度なら使徒に聞かせられないような話では無い。

 これはホーネットの言う大事な話では無く、ふと思い出しただけの話題なのだろう。

 

(……けど、ならさっき言ってた大事な話って何なんだろう。そんなに話しにくい事なのかしら)

 

 シルキィの知る限り、基本的にホーネットという魔人は言いたい事があれば真っ直ぐ口にする性格をしている。

 今のように思い掛けず別の話題を挟んだりなど、ここまで言葉を躊躇う姿はとても珍しいのではないかと思う。

 

「………………」

 

 またしても沈黙。一度話が途切れるとすぐホーネットの表情には迷いの色が見え始める。

 そしてふいに視線を下に傾けると、右手の人差し指で自然と自分の唇に触れた。

 

(……あ。まただ)

 

 またこの仕草だなと、シルキィの目を引いたのは派閥の主の何気無い所作。

 ここ最近、より正確に言えば先日のビューティーツリーでの戦いの頃から、ホーネットは唇に触れるこの仕草をするようになった。

 休憩している時や食事終わりなど、恐らく戦いから意識が離れている時なのだろう。そんな時に時折その人差し指で自分の唇に触れている、ホーネットのそんな姿をシルキィは度々目撃していた。

 

(……近頃のホーネット様、よく唇を気にしている様子だけど……)

 

 その仕草は単なる癖なのか、それとも何か理由があっての事なのか。

 気になるシルキィは本人に直接聞こうとも思ったのだが、しかしその仕草をする時は何かを考えているらしく、決まって憂いを帯びた妙に悩ましげな表情と言うか、言ってしまうとちょっと色っぽい表情なので正直声を掛け辛いものがある。

 

 今もそんな表情でじっと悩むホーネットを前に、自分はただ待っているべきなのか。

 しかしてこの沈黙の中に居るのもそれはそれでそろそろ気まずいものがある。

 いい加減こちらから何か話題を振るべきだろうかと、そんな事を思い掛けたその時。

 

 

「……そういえば、シルキィ」

「はい、何でしょう」

「以前貴女が私に聞いた質問ですが……あれはランスの為だったのですね」

「……ええっと」

 

 以前自分が目の前の相手に聞いた質問。さすがにそれでは範囲は広すぎるのか、中々答えが浮かばずに言い淀むシルキィの姿を目にしたホーネットが言葉を付け足す。

 

「ワーグの事です。あのワーグと密着出来る程に近づける方法は無いか。そんな質問を私に聞いた事があったはずです」

「あ、あぁ。ありましたね、はい」

 

 確かにそんな質問をしたなぁと、シルキィは脳内でぽんと手を叩く。

 あれは確か三週間程前の事、ランスからワーグを抱く方法について聞かれたのだが自分には思い付く事が無かったので、その後ホーネットと今のような雑談の機会があった際に尋ねてみたのだ。

 

「……あ。まさかホーネット様、何か良い方法を思い付いたのですか?」

「いえ、そういう訳ではありません。……ですが」

 

 ホーネットは一度言葉を区切る。この事は彼女にとって本命の質問では無いのだが、それと同程度に関心のある事柄ではあった。

 

「その件に関して、シルキィがそこまでランスに肩入れをしている事が少し気になっています」

「そう……です、ね」

 

 その指摘を受けたシルキィは大きく目を見開き、そして徐々にその語気を弱める。

 これは単なる雑談では無く、自分の事を遠回しに叱責しているのでは。その事に思い至った彼女は表情を凍らせ、すぐにその頭を真下に下げた。

 

「申し訳ありません。考えてみればそのような事、ホーネット様に質問するべきものではありませんでした。お許しください」

 

 ランスがワーグを抱く為の方法。そんな下世話でしょうもない話はどう考えても派閥の主に尋ねるような事では無い。

 頭を垂れるシルキィはぎゅっと目を瞑りながら、脳内で過去の過ちを悔いる。

 

 あの時。ワーグの家からの帰り道、気落ちしていたランスが可哀想だった。がっくりと肩を落としたその姿があまりにも可哀想だった。

 それでどうにか力になってあげたいと思ったが故の行動なのだが、今から考えるとよりにもよって眼前に居るこの魔人に尋ねるなど、当時の自分は完全に頭がどうかしていたと思う。

 

「シルキィ、顔を上げてください。許すも何も私は苦言を呈している訳ではありません」

「……はい」

 

 ホーネットには叱責しているつもりなど無く、どうやらそれは自分の早合点だったらしい。

 シルキィはホッと胸を撫で下ろしてその顔を起こす。そしてすぐに、あれ? と眉根を寄せた。

 

「けれどもそうなると、ホーネット様が先程言っていた気になっている事と言うのは?」

「私が気になっているのはシルキィの事です」

 

 ホーネットが腑に落ちなかった事、それは質問内容では無く質問相手たるその魔人の事。

 首を小さく傾げて「私の事ですか?」と呟く相手の顔を、その金の瞳が興味深そうに覗き込む。

 

「……何と言うべきか。シルキィらしくない、とでも言えばいいのでしょうか」

「……私らしくない、ように見えましたか?」

「えぇ。私が思うシルキィの気質からすると貴女はあまりランスとは波長が合わないような気がしていました。なのでそんな貴女が彼にそこまで便宜を図る事が私には少し不思議に思えたのです」

「……それは」

 

 付き合いの長さ故だろうか、さすがに自分をよく知っているこの魔人は鋭い事を言うなぁと、シルキィは思わず感嘆の息を吐く。

 先程ホーネットがした指摘、それは当の本人も少し悩んだ事のある指摘であった。

 

「そうなんですよね……。実は私も、自分でその事が結構不思議なのです」

 

 自分とランスは波長が合わない。それはホーネットの言う通りだとシルキィは思う。

 何故ならば自分は自他ともに認める真面目で固い性格。なので不真面目で自堕落、遵法精神など殆ど持ち合わせていないようなあの男とは基本的には反りが合わないはずである。

 

(……それにランスさんってとっても、と言うかとんでもなくスケベな人だし……)

 

 あの男はとても性豪であるが、一方の自分はといえば性的な一面に関してはてんで駄目。

 ランスはセックス大好きだが自分はそんな事は決して無いので、これまた反りが合わない。

 

(それになにより……)

 

 ランスの女性に対する見境の無さ。あの点に関しては本当にどうかと思う。

 そんな相手にあれこれされている現状あまり声を大にして言えた事では無いが、男女というのはお互いに愛し合う者同士、その相手だけを愛するべきだと今でも思う。

 

(そう考えると、ホーネット様の言う通り……)

 

 自分とランスの相性は決して良くない。いやむしろ悪いさえ言ってもいい。

 

(……なんだけど)

 

 しかしこれが不思議なもので、どうしてかランスのそばに居ても悪感情は持たないし、どうにもランスの我儘に付き合ってしまう自分がいる。

 その事は誰かに指摘されるまでも無く、シルキィも内心おかしいなぁと感じていた事だった。

 

 

「……やっぱりあれでしょうか。ランスさんには色々と感謝している事があるから、それで仕方無くというか……」

「感謝の念故に、という事ですか。シルキィらしいと言えばシルキィらしいですが……」

 

 ──しかし、仕方無くと言うわりには……。

 と、そのように続く台詞をホーネットは脳裏で思い浮かべたのだが、しかし如何なる心理かそれを口にする事は無く、別の言葉を探して話を続ける。

 

「……貴女の心情は私にも理解出来ます。けれどもランスがした貢献は派閥全体へのものであって、決してシルキィ一人が大きな恩義を感じる必要は無いとも思いますが」

「それはまぁ、そうなんですけどね……」

 

 シルキィは困ったように人指し指で頬を擦り、ならばと自分がどうにもランスに好意的な理由に関して他の可能性にも目を向けてみる。

 先に述べた通りランスに対して感謝の念は未だ尽きないが、そもそも自分には世話焼きの気があるのでその影響は大いにあると思う。

 更に言うならば彼との初対面の時、世界の平和を守る為に戦いたいという言葉に共感を覚え、好印象を持ってしまった所為もあるかもしれない。

 

「……あるいはそれとも、私も以前とは変わったという事なのでしょうか」

「変わった……シルキィがですか?」

「はい。私はあまりそう感じてはいなかったのですが、前に火炎書士からも指摘されました。シルキィ様は前より変わりましたよって」

 

 それは今から少し前、ワーグと戦う為に向かったサイサイツリーにて、火炎書士と夕食を共にした時の話題の一つ。

 

(……ただ火炎書士に指摘されたのは、溜息の量が増えたっていうだけの事なのだけど)

 

 なのであまりこの話とは関係の無い変化のように思えるが、しかし溜息の量が増えた理由を考えれば全くの無関係とも言えないかもしれない。

 なによりあの時、ワーグの件ではランスの心情を考慮してワーグを倒すべきかと悩んだ事など、色々と自分の変化を自覚させられる事になった。

 と、そんな事をつらつらと思うシルキィの一方、

 

「……シルキィが変わった……」

 

 ホーネットは思い掛けない言葉を耳にしたのか。

 その表情、そしてその声色には普段と違って分かりやすい程の驚きの感情が表れていた。

 

「……シルキィ程の魔人でも変わる事はあるのですか?」

「……それは、まぁ。私はホーネット様に『程』と付けられるような大した魔人ではありませんが、けどやっぱり変わる事はあるのだと思いますよ」

 

 寿命が無い魔人には悠久の生があり、長く生きれば当然その分精神的には成熟する。

 長年生きた魔人の内面がそう簡単に変わる事は無いが、しかし一方で生きている限りは周囲からの影響を受け、その結果何かしらの変化が訪れるというのも当然あり得る話。

 

 サテラ然り。ハウゼル然り。シルキィ然り。

 そして。 

 

 

「……そうですか。……そうですね、そうかもしれません」

 

 自分よりも遥かに長くを生きる相手の言葉を受けて、その魔人は何を思ったのか。

 深々と頷き、そして顔を上げたその表情からは、少しだけ憂いの色が消えていた。

 

「ありがとう、シルキィ。今の話はとても参考になりました」

「そ、そうですか? よく分かりませんが、ホーネット様の為になったのならば何よりです」

 

 お礼を言われる程の話をした実感が無く、シルキィは曖昧な表情で相槌を打つ。

 そんな彼女には知らぬ事だが、その魔人はここ最近自らの変化に対してとても敏感であった。先程の言葉はその変化を肯定してくれるもので期せずしてホーネットにとっては金言となったらしい。

 

「ところでホーネット様、今の話が今日の目的なのですか?」

「……いえ、そういう訳でもありません」

 

(……うん、やっぱりそうよね)

 

 その答えもシルキィには半ば予想通り。

 あまり人に聞かせるような話では無いと言えばそうかもしれないが、しかし使徒達を部屋から退出させる程の話かと言うとまだ弱い。

 

「……そうですね」

 

 未だに本題には触れようとせず、話を逸らし続ける自分の有様をみっともなく感じたのか、ホーネットは深く息を吐き出す。

 

 彼女にとっての大事な話、魔人筆頭が旧知の魔人四天王に尋ねてみたかった本当の事。

 それは今も躊躇いの中にあったのだが、それでも先程の話で気持ちがある程度固まったのか、遂にその事を切り出した。

 

 

「……シルキィ」

「はい、何でしょう」

「………………」

「……ホーネット様?」

「………………」

 

 その魔人は一度瞼を閉じて、そして。

 

 

「…………性交、」

 

(……せいこう?)

 

 相手の口から聞こえたその四文字を、シルキィの脳内ですぐには正しく変換出来なかった。

 

「の、際の」

「……はぁ」

「留意点について、聞きたいのですが」

「………………」

 

 シルキィは紅色の瞳をぱちくりとさせた後、脳内でその文字を繋ぎ合わせてみる。

 

 性交の際の留意点について。

 表現を変えるなら『エッチな事をする時、どんな事に気を付けたらいいの?』そんな質問である。

 

 

「え」

 

 

 その一言を最後にしばし会話が止まる。部屋の中はなんとも言えない空気に包まれる。

 

「………………」

 

 口を閉ざして答えを待つ魔人筆頭。

 外見上は平然としたままに見える彼女が口にした爆弾発言を受けて、

 

(……ちょ、ちょっと待って、ちょっと待ってちょっと待って、ちょっと待ってね、ええと……)

 

 さしもの魔人四天王といえども頭の中は大混乱、その表情に困惑と動転を浮かべてしまったのも無理の無い話か。

 それ程にその質問は驚きの内容で、なおかつこの魔人から聞かれた事がとても衝撃的だった。

 

「……シルキィ、どうしました?」

「あ、いえ、はい、あの、性交の際の、留意点ですよね、その、ええっと……」

 

 それはまるで思春期にある少女が友人や母親にするかのような、とてもあどけない無垢な質問。

 そんな事を今しがた尋ねたホーネットだが、しかし彼女は持ち前の鋼の胆力により、内心に秘めた感情を決して表情に出す事は無く。

 

(え、待って待って。だってそんな、それを今ここで私に尋ねるって事は、それはつまり……)

 

 一方でシルキィは未だ混乱中。平気な顔のままでいる相手を目にして逆に彼女からは落ち着きが失われ、その表情には気恥ずかしさから徐々に赤みが刺していく。

 

「あ、あのですね、ホーネット様。質問に答える前に、その、私も聞きたい事があるのですが」

「えぇ、構いませんよ」

 

 このような事を尋ねても良いのだろうか。

 そう思う気持ちは胸の中に強くあれど、しかしこの事だけは尋ねずにはいられなかった。

 

「……その、ご予定が?」

 

 一体自分は誰になんて事を聞いているのか。そんな事を思いシルキィは更に顔が熱くなる。

 

「それは……」

 

 さすがにその質問は平気で受け止められるものでは無いのか、ホーネットは顔色こそ変えないものの顔の向きを横に逸らす。

 

「……いえ。そういう訳ではありません。……ですが、その……」

 

 そして否定の言葉を口にして、しかし次なる言葉に迷って再度の沈黙が訪れる。

 

 魔人ホーネット。彼女にとってそのような事を行う予定などあろうはずが無い。

 この魔王城に魔人筆頭と同格の存在など居らず、またそうしたいと思う相手も居ないのだから。

 

 しかし生物としての格の差。幼い頃よりの教育によってその身に植え付けた価値観に関しては、そういう行為をする上では然程意味を持たない事を彼女は以前知る事になった。

 

 そして。そうしたいと思う相手。

 それも今は存在しない。そのはずだとホーネットは思っている。

 そう思ってはいるのだが、しかしそんな魔人筆頭には最近大きな悩み事がある。

 

 彼女の頭を悩ませているもの、それは何を隠そうお風呂。日々の習慣として毎日入る魔王専用の浴室、その入浴の際の困った出来事。

 とある男の奸計と口車に乗せられた結果、ホーネットはつい先日よりその男と共に入浴しないといけない事になってしまった。

 

 それ自体はもう受け入れた。相手に魔王の許可がある以上自分にはどうしようも無い。

 しかし問題はその頻度。毎日混浴になるぞと言っていたその言葉通り、戦いを終えて魔王城に帰ってきたその日以後毎日、本当に一日も欠かす事無くあの男は混浴を要求してきた。

 

 そして男の狙いは混浴では無くその先にあり、当然ながらその要求もしてくる。共に湯船に浸かっている時に手を伸ばしてこない時など無く、一々避けるのも煩わしい。

 その上そんな事が続くとある種の慣れのようなものが生じてしまい、もはや何処までが許しても良い接触か、何処までが許してはいけない接触なのかも曖昧な始末。

 それでも何とか回避し続けてきたが、そんな日々が連日続いて、そしてこれからも続くのかと思うとさすがの魔人筆頭でも考えてしまう事がある。

 

 それを端的に言ってしまうならば、ホーネットといえどもそろそろ一杯一杯。

 戦に敗れて囚われの身となり、あのケイブリスを前にしたって顔色を変えない鋼鉄の精神力を持つ彼女にだって限界はあるというもの。

 

 もしかしたらだが、もしかしたらという事もあり得るのでは。

 自らの体たらくを客観的に振り返り、そのように思い至ったが故の先程の質問。

 あの男が魔王城を離れている今のタイミングを利用して、いざという時の備えだけはしておくべきだと考えたのだった。

 

 

「……ですから、そうですね。決して予定がある訳では無く、言うなれば後学の為です」

「な、成る程、後学の為ですか」

 

 さすがはホーネット。魔人筆頭だけあってどんな事にも勉強熱心である。……などと思う程にシルキィも幼稚な思考はしておらず。

 衝撃は未だ脳内に強く残り、色々と考ねばならない事はあるのだが、何を置いてもまずはその質問に答えなくてはならない。

 そう思うシルキィなのだが、しかし彼女にはもう一つだけ尋ねたい事があった。

 

「……あの、ホーネット様。もう一つ聞いても宜しいですか?」

「えぇ、構いませんよ」

「この質問を、何故私に? あ、その、別に問題がある訳では無いのですが、けれどもその、それこそケイコとかであれば私などよりも的確な答えを返してくれると思いますが」

 

 ケイコというのはホーネットが有している使徒の内の一人。使徒達を束ねる立場にある筆頭使徒とも言える女性。

 彼女は元人間であり、シルキィの眼から見れば自分よりも容姿端麗である為、尋ねた事は無いが恐らくそういった経験もあるはずである。

 

 先程の質問、あれはとても答え辛い事この上ない。確かにあれを尋ねるのが目的ならば使徒達を部屋の外に出したくなる気持ちも理解出来る。

 しかしそれならばいっその事、自分では無く使徒の方に尋ねて貰いたかったなぁと、シルキィが思ってしまったのも当然の事ではあった。

 

「それはラ、」

「……ら?」

「……いえ。その、とある人物から、性的な一面に関してはシルキィが一番凄いと以前に伺ったので、それで貴女が適任かと考えたのです」

「……ぐっ」

 

 何故なのか。何故その人物はこの魔人に対してそういう話をぺらぺらと口にしてしまうのか。

 ぎざぎざの歯が生えた口を大きく開き、がははーと笑う憎たらしい表情が脳裏に浮かび、シルキィの口から怨嗟の呻きが漏れる。

 

(……と言うかホーネット様、それ名前伏せる意味無いです)

 

 率直にそんな事を思ってしまったが、さすがにそんなツッコミは声には出さない。

 ただ今の流れでその名前を出してしまうと質問の意図があまりにも明け透けとなってしまう。それを嫌がったが故にとっさにその人物の名を隠してしまったのだろうか。

 

 ホーネットのそのような心理を想像してみた所、シルキィにも少し思う事があった。

 

(……でも凄い、凄いわランスさん。他ならぬホーネット様をこんな……)

 

 この魔人にそんな小さな事を躊躇わせるとは。

 この魔人にあんな質問をさせるとは。それ程までにこの魔人を変えてしまうとは。

 

 そもそもホーネットは父親からの教育の影響を強く受けた結果、人間とは格下であって取るに足らない存在としか見ていなかった。

 その事を理解しているシルキィにとって、今のホーネットの姿は見かけこそ変わらないがその中身は殆ど別物。

 そこまでの影響を与えたあの男の事はもう凄いとしか表現しようが無かった。

 

 思えば以前、この魔人を口説く為に協力しろと言われた事があった。

 いやそれより更に以前、振り返って考えればあの男は初対面の時から変わらず、この派閥の主に対して自分の女になれと要求していた。

 

 それは幾ら何でも非現実的、さすがに無謀な話だと当時は思った。

 だがそれでも諦めずにここまで攻め続けた結果が先程の質問なのかと思うと、これまでも何度か実感させられたあの男の規格外さに改めてシルキィは驚嘆されられたのだった。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「失礼します」

 

 一礼をして、シルキィはホーネットの部屋から退出した。

 

「…………はぁ」

 

 廊下に出た途端に空気の味が変わった。

 そんな感覚に包まれた彼女は思わず部屋のドアを背にして寄り掛かり、大きく息を吐き出した。

 

 

 間違い無く過去最大の驚きがあった雑談の時間。それは先程、ようやく終了を迎えた。

 

 ホーネットから尋ねられたあの質問、性交の際の留意点に関して。

 その返答には自分の初体験を振り返って「行為の最中に声を上げすぎて、次の日喉を枯らさないように留意してください」と答えた。

 いまいち合っているんだかよく分からないアドバイスになってしまったが、そんな話にもホーネットは興味深そうに頷いていた。正直言ってとても恥ずかしかった。

 

(……でも、あの質問は……)

 

 シルキィは改めて振り返ってみるが、先の質問にはとても重要な意味合いがある。

 ホーネットは予定など無いと言っていたが、本当に無いのならそんな質問をするはずが無い。

 そうなるかもと思っている相手が必ず居るはずで、それはまぁ間違いなくランスだろう。

 

(じゃあホーネット様って、ランスさんの事が……って事なの? ……それとも、その事はあんまり関係無いのかな? ……ううーん、どうだろ)

 

 一般的に言うならば、性交に及ぼうと思う相手にはそれ相応の好意という感情を持つ。ただ勿論例外もありそういう感情抜きにして行う場合もある。

 それこそ例えば自分のように、約束があって仕方無くという事もあるだろうし、ハウゼルのように押しに負けてという可能性だってある。

 

 だから先程の質問だけではまだ分からない。

 ホーネットの一番大事な気持ちの部分、言ってしまうと恋愛感情を判断する事は出来ない。

 しかしいずれにせよ、その行為に及ぶかどうかと考える段階にはあるという事になる。

 

(……ホーネット様、悩んでるんだろうな。さっきの様子から見てもそれは分かる)

 

 あの魔人が未だ悩みの中にあるのは間違いない。

 まだ性交の際の留意点は気にしている段階でありそれをすると決めた訳では無いので、予定が無いというもの事実ではあるのだろう。

 

(……けれどホーネット様の事だから……)

 

 シルキィは思う。ホーネットは派閥の主、あらゆる決断を下す立場にいる。

 今までも悩む事は沢山あっただろうが、最終的には決断を下し、そして決めたらもう迷わない。

 それがシルキィの知るホーネットという魔人で、ならばランスに関しての悩みにも決断を下す時は必ず訪れるはず。

 

(あの様子だとこうして私に相談する前から大分悩んでいるようだし、多分そろそろ……)

 

 近々ホーネットは悩みの中から一つの答えを出し、そして決意を固めるのではないか。

 となると気になるのは事に及ぶか及ばないのか、その決断がどちらに転ぶのかという所。

 だが先程のあんな恥ずかしい質問をこの自分にする事から考えても、それは推して知るべしというものだろう。

 

(それこそもしかしたら、ランスさんが魔王城に戻り次第……てのは微妙かもだけど)

 

 けれどもおそらくは近日内に、あの男の念願は叶う事になるのではないか。

 ホーネットの事を良く理解しているが故に、シルキィはそのような予測を立てた。

 

(ランスさん、きっと喜ぶだろうな。おめでとう……って、言う事じゃないかしら?)

 

 果たしてめでたい事なのか、その言葉が適しているかはとても微妙な所であったが、

 

(けど、やっぱりおめでとうで良いのかな? ……良いのよね? うん、おめでとう、ランスさん)

 

 それでもずっと前から宣言していた念願である訳だし、未曾有の偉業である事にも違いない。

 シルキィは近々目的を達成するだろうランスに向けて、脳内にて祝いの言葉を送るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなシルキィが立てた先程の予測。

 

 近日中にランスの念願は叶う事になるとの見立ては、だが結果としては見事に外れる事となる。

 

 その切っ掛けはやはりというべきか何と言うべきか、ランスと言う男の言動にあった。

 

 

 

 

 

 



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魔王専用の浴室、再び

 

 

 

 

 見上げる程に巨大な魔王城、その周囲をぐるりと囲む城壁に設置された城門のすぐ近く。

 手綱がきゅっと引かれた事により、爆走していた二匹のうし達がその歩みを止める。

 

「やっと着いたか、いよっと」

 

 停車したうし車の荷台の中からランスが我先にと飛び出してくる。

 一行を乗せたその車はバラオ山の麓を出発し、町を順々に通ってヘルマン国を横断。

 そして番裏の砦となげきの谷を越え、たった今この魔王城へと戻ってきた。

 

「ふぅ。あー、肩が凝っちまったぜ」

 

 荷台の中はカタカタと揺れる上、出発時には居なかった二名を加えている為かなり狭苦しい。

 そんな車内からようやく開放され、固まった身体をほぐすようにランスが両腕を伸ばしていると、すぐにシィル達も下車に続く。

 

「お疲れ様でした、ランス様。……見た所魔王城の様子も変わってないですね」

「どうやらそのようですね。私がホーネット派の任務から離れている間、大きな問題は起こってなさそうで安心しました」

「ハウゼル様ってば、旅の間中ずっとその事を気にしてましたですからね」

「ま、旅っつっても一週間程だしな。んなすぐに何かが変わったりはせんだろ」

 

 ランス達の前に聳える姿、それは出発した時と何ら変わりのない荘厳な城の姿。

 以前のシャングリラへの旅の時とは違い、寄り道を挟まなかった今回の旅は短期間なもの。

 魔物界の情勢に変化は無く、魔王城内で起こった特筆すべき出来事と言えば魔人筆頭と魔人四天王による作戦会議が行われた事ぐらいである。

 

 

 ランスとシィル、ハウゼルと火炎書士、そしてバラオ山から連れてきたサイゼルとユキ。

 一同は荷台の中から旅の荷物を下ろし、ランス以外の皆は自分の荷物を抱えて城門をくぐり、そして城内へと足を踏み入れる。

 

「さーてと、城に帰ってきた事だし俺様は久しぶりにふわふわベッドで昼寝といくかな」

 

 ほんとヘルマンの宿はろくなもんじゃ無かったからなと、ランスはうんざり顔で悪態を吐く。

 国全体としてヘルマンは豊かではない為、自ずと旅宿の質もリーザスなどと比べると低くなる。寒い部屋と固いマットレスに対して終始ぶーぶー言っていたその男は、自室にある高品質のベッドでしばし居眠りしようかなと思っていたのだが。

 

「ちょっとランス。昼寝もいいけどその前に私の事を何とかしちゃってよ」

「お前の事? ……あぁ、お前の事ね」

 

 私の事。そう口にしたのはどこか落ち着かない様子でいる魔人サイゼル。

 彼女は元ケイブリス派、故にホーネット派の本拠地となるこの魔王城は殆ど敵地に近い。

 派閥に協力するつもりは無いサイゼルが今後この城で妹と仲良く生活を送る為には、何を置いてもまずあの魔人に話を通す必要がある。

 

「サイゼル様、うし車に乗っていた時からずーっとビビってましたからね。正直うっとーしいんで早く何とかしてやってください」

「ユキ、あんたね……もうちょっと言い方ってもんがあるでしょう」

「まぁ、ぐちぐち言い続けるサイゼルが鬱陶しかったのは同感だ。しゃーない、昼寝の前にそっちを片付けるとするか」

 

 という事でランスは方向転換、自室に向かうより先にホーネットに挨拶を済ませる事にした。

 彼女の部屋がある城の最上階へと向かう為、一同は廊下を通って階段へと進む。

 

「ホーネット様、お部屋にいると良いのですが。城を空ける事も多い方ですからね」

「そーだな。……ホーネット、ホーネットか、ホーネットなぁ……」

 

 ランスは難しい顔でうーむと唸り、頭の中にその魔人の姿を思い浮かべる。

 今回の旅では以前逃していた魔人サイゼルとのセックスを見事達成し、ランスの経験人数にも新たな1ページが加わった。

 魔人という人間ではまず歯が立たないような相手だって、気が付けばその殆どを制覇した。

 

 なのでそろそろ、と言うかいい加減にあの魔人。

 目下最大の難敵、女性の魔人としては最強であろう魔人筆頭の事をどうにかして抱きたいなぁと、そんな事を考えながら階段を上がっていると。 

 

「あ」

「お、シルキィちゃん」

 

 途中の階にある踊り場にて、上の階から下りてきた魔人シルキィと鉢合わせた。

 

「ランスさん、それに皆もおかえり。もう帰ってきていたのね」

「おう、ほんのついさっき着いた所だ」

「……そっか」

「……ん? どした?」

 

 ランスがふと気になったもの、それは自分を見上げるその魔人の初めて目にするような表情。

 それはなんだか眩しいものを見るような、あるいは弟の成長をしみじみと噛みしめる姉のような、得も言われぬ感動を内に秘めた笑顔だった。

 

「その顔、なんか良い事でもあったのか?」

「……んー、良い事って訳じゃないんだけどね」

 

 シルキィの脳裏に去来するのはほんの二日前、派閥の主と雑談を交わした時に耳にした衝撃発言。

 自分に関係する事では無いが、おそらくはランスが大喜びするであろうその事を、彼女はここで言おうか言うまいかほんのちょっとだけ悩んだ。

 だがやはりそういう事は当人の口から直に聞くべき、それに知らずにいた方がその喜びもひとしおかと思ってここで話すのは止めにした。

 

「なんて言うかその……頑張ったんだなぁーって思って。ランスさん、本当に貴方って凄い人だわ」

「お、そうか? ふふん、そーだろうそーだろう、俺様は凄いのだ。がははははっ!」

 

 途端に上機嫌となって豪快に笑う。シルキィの言葉が何を指しているのかはさっぱり分からなかったが、それでも称賛を受けた事だけは分かったランスはえっへんと胸を張った。

 

「ま、今回の旅でも俺は大活躍だったしな。殆ど俺一人で解決したようなもんだ」

「へぇ、そうなんだ。なら……ってあれ」

 

 そこでシルキィはランスから視線を外し、片足立ちになって背伸びをする。

 小柄な彼女には見えにくい位置であったが、ランス達一行の一番後ろ、皆の背後でこっそりと身を潜めている人物の姿に気付いた。

 

「そこに居るのって……サイゼル?」

「し、シルキィ。その、久しぶり……ね」

 

 相手は魔人四天王であってホーネット派のNO,2.

 ケイブリス派の一員として戦場で遭遇していたらまず逃げ出しているだろうその姿を前に、サイゼルはやや固い表情のまま挨拶を返す。

 

「……成る程。その様子だとハウゼル、サイゼルとは無事仲直りが出来たみたいね」

「えぇ。皆が協力してくれたおかげです」

「んで、その流れのままサイゼルの事を連れ帰ってきちゃったと」

「そーいう事だな。どうやらこいつはもうケイブリス派じゃないっつー話だし、このデカい城にサイゼル一匹ぐらい増えたって問題ねーだろ?」

「……うーん」

 

 ランスの言葉にシルキィは頬に手を当てて、少しだけ考える素振りを見せる。

 

「……そうね、まぁ良いんじゃないの……って言いたい所だけど、そういう事は私が決める事じゃないからね。ホーネット様に聞いてみないと……」

 

 サイゼルは極端に暴力的であったり危険な思想を持つ魔人という訳ではなく、元々姉妹喧嘩の延長線上のようなノリでケイブリス派に属した魔人。

 なので仲直りさえ出来たのならば問題無し、サイゼルの態度次第な部分もあるにはあるが、ホーネットも特に異議を唱えたりはしないだろうとシルキィは予想していた。

 派閥の主としてその内心はどうあれ、最終的には受け入れざるを得ない話。その理由の大半は先日のワーグの事と同様の理由である。

 

「ホーネット様は今お部屋に居るはずだから、その事も含めて挨拶してきたら?」

「良かった、お部屋に居るのですね。ではランスさん、行きましょうか」

「うむ、じゃまたなシルキィちゃん」

 

 シルキィとはそこで別れ、ランス達一行は更に階段を上がっていく。

 だが目的の最上階に着く寸前、先頭を歩くその男はぴたりとその足を止める。

 

「……いや待てよ、やっぱ後にする」

 

 そしてすぐさまくるっと向きを反転した。

 

「え、ちょっとランス、なんで後にするのよ。このままだと私リラックス出来ないんだけど」

「ランス様、何か用事でもあるのですか?」

「いんや、特に用事は無い。用事は無いのだがどうせならと思ってな」

 

 数日振りに戻ってきた魔王城。つまりその相手に会うのも数日振り。

 その事もあってか一計を案じる事にしたのか、ランスはにやりを笑って階段を下り始める。

 

「どうせなら、ですか?」

「そ。どーせならだハウゼルちゃん。どーせなら、どーせならあっちの方が良いだろう」

 

 どうせならという事で、その魔人との再会はあっちで行う事にした。

 

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 きゅっ、と締められた蛇口の先。その縁からぴちゃんと水滴が零れる。

 

「……でな。まぁそんな流れで俺様はようやくサイゼルの事を抱いた訳だ」

「………………」

 

 ボディソープを落としたタオルをぐしゃぐしゃと掻き混ぜ、泡をどんどんと膨らませていく。

 

「やっぱ予想してた通りにサイゼルの中はちょっとひんやりしていたな。ありゃあ暑い日とかにすると気持ち良いだろうなぁ。寒い日にするのはシンドいだろうけども」

「………………」

 

 十分に泡立ったタオルを目の前にあるその背中、透き通るような白い肌に当てる。

 

「しっかしあの姉妹と3Pをした時のあれ、結局なんだったんだろうなぁ。サイゼルに突っ込んでたと思ったらハウゼルちゃんで、ハウゼルちゃんに突っ込んでたと思ったらサイゼルで……本当に不思議なセックスだったぜ……て、おい。聞いてんのか、ホーネット」

 

 そして上へ下へとタオルを動かし、華奢なその背中を洗っていく。

 

「……えぇ、まぁ。聞いてはいます」

「あのな、聞いてんだったら少しは反応をせんか、反応を」

「……今の話を聞かせて、私にどのような反応をして欲しいのですか、貴方は」

 

 魔人姉妹との摩訶不思議なセックス。

 その時の体験談への感想をせびるランスに、ホーネットは呆れたように瞼を落とした。 

 

 

 二人が居るのは魔王専用の浴室。ランスは数日振りに魔人筆頭との混浴を楽しんでいた。

 先程部屋を訪れるのを止めたランスはその後、ホーネットが風呂に向かうタイミングに合わせて脱衣所に先回りを決行。

 そして毎度のように魔王の権力をひけらかし、もはや文句を言う事も無くなった彼女の肩を抱いたまま堂々と風呂場のドアを開いた。

 

「こーしてお前の背中を洗っていると、なんかこの城に帰って来たって気分になるなぁ」

「……そうですか」

 

 そして今、二人は洗い場の前にある椅子に腰を下ろし、ランスの手にはボディソープが泡立ったタオルが握られている。

 

「ごしごしー」

「………………」

「ごしごしー、ごしごしー」

「………………」

 

 軽快な口調で呟きながら、目の前にあるその背中を洗う手を休める事は無く。

 

 二人が一緒にお風呂に入り始めてからもう数回目、この光景はもう毎度の事となっている。

「俺様がお前の身体を洗ってやろうじゃないか」とそんな提案に対して、最初はホーネットの方も「いえ、結構です」と固辞した。

 だがその男は一度言った程度では到底聞かず、延々と繰り返される押し問答を面倒に感じたのか「……では、背中だけなら」と最終的にはホーネットの方が折れる事となった。

 

(くくくっ、こいつともようやくここまで来たぜ。後もうちょっとなはずだ、もうちょっと)

 

 こうしてその背中を流したりなど、最近は殆ど反発する事も無くなったホーネット。その態度の変化にランスは脳内でしめしめと笑う。

 相手の視界にも入らなかった初対面の時から比較すると、こうして一緒に風呂に入る事が当たり前となった今は大いなる進歩、確実にゴールは迫っているはずである。

 

 基本的にランスは風呂に入る際、自分の奴隷と一緒に入る。わざわざその習慣を変えてまでホーネットと二人きりで入浴しているのは勿論ながら今より更に距離を詰める為。

 彼がこの城に来た最大の目的とも言える偉業、魔人筆頭との初セックスを達成する為。

 

「ごしごしー。どうだ、かゆい所は無いかー?」

「……いえ、特には」

 

 入浴中である以上当然の事だが両者共に裸であって、時折ランスの手がその背中を撫で回すが、そんな状況に置かれてもホーネットはいつも通り平然とした様子のままでいる。

 

 だがそれはあくまで振る舞いだけ、見せかけだけであってその内心は異なっていて。

 それが証拠に彼女の目の前にある鏡、そこにはほんのりと赤く色づいた顔が映っていた。

 

「ごしごしーと……。さーて、流すぞー」

「………………」

「ざっぱーん」

 

 水が一杯に溜まった風呂桶をひっくり返す。

 泡が全て流し落とされた後には、濡れて光を弾く程に透き通った白い背中が表れる。

 

「うしおっけー。ホーネット、終わったぞ」

「……ありがとうございます」

「うむ、苦しゅうないぞ。んじゃあ次は前だな。ホーネットよ、こっちを向け」

「ですから前は結構です。ランス、貴方は何度言ったら覚えるのですか」

 

 はぁ、とホーネットの口から呆れを込めた吐息が漏れる。

 その男が背中だけじゃなく前も洗わせろと言うのはもう毎回の事、それに対して彼女が結構ですと断るのも毎回の事だった。

 

「ちっ、なら交代。今度はお前の番じゃ」

「……分かりました」

 

 互いの背中を洗いっこするのももう毎回の事、ホーネットは不承不承といった感じで頷く。

 

 とその時。

 

 

「おーっと身体が滑ったーー!!」

 

 至って素知らぬ顔でいようとも、その男の内心では常に獲物の事を狙っていて。

 ホーネットの背後に座っていたランスはあたかも不注意を装って身体を大きく前に倒す。

 後ろから抱え込むような格好になり、その両手が向かう先は大きく実った二つの山。

 

 だが。

 

 

「………………」

「……ぐ、ぐぬぬぬ……!」

 

 同じく素知らぬ顔でいるその魔人の方にも一切の油断など無し。

 いつかの時と同じく、その両胸に触れる寸前でランスは両手首を掴まれる。振り解こうともがいてみるが、しかし魔人筆頭の万力のような握力はびくともしなかった。

 

「くぅ、相変わらず隙が無い奴……さすがだな、ホーネットよ」

「……貴方こそ、相変わらず懲りませんね。さすがとは言いませんが」

 

 実の所、今の一連の流れももう毎回の事。

 その全てが失敗に終わっているにもかかわらず、彼女の言う通りランスはてんで懲りなかった。

 

 

 

 その後ホーネットはタオルを受け取り、ランスの視姦に耐えながら洗い残しの箇所を自ら洗って。

 そして両者は座る位置と役割を交換。今度はホーネットが目の前にある背中を丁寧な所作で洗っていると、ふいにランスが鏡越しに視線を合わせる。

 

「そういやぁ聞いたか、サイゼルの事」

「あぁ、ハウゼルから事情は聞きました。今回の件で姉妹仲を戻す事が出来たそうですね」

 

 彼女がその事を聞いたのは昼間の事。ランスは引き返したがハウゼルはしっかりと派閥の主の部屋を訪れ、帰還の挨拶と共に事の経緯の報告を済ませている。

 その時聞いた限りだと今回の件は概ね問題無しと思われたものの、唯一引っ掛かった事を思い出したホーネットは「……そういえば」と口を開く。

 

「サイゼルについては私がすでに許可していると、そのような旨の事をハウゼルが言っていました。ですが私にはそんな許可を出した覚えはありません。ランス、貴方に思い当たる事はありませんか?」

「……あー。そういやぁそんな事、ハウゼルちゃんに言ったよーな言ってないよーな……」

「言ったそうです。ランス、有りもしない私の許可を捏造するのは感心しません」

「んな固い事言うなっての。それにだ、別にサイゼル一匹増えたって何も問題無いだろ?」

「……そうですね」

 

 するとホーネットはその手を少し止めて、殆ど無意識のまま視線をすっと横に流す。

 

「……まぁ、問題無いのではないですか?」

 

 そう呟いた派閥の主の顔は殆ど諦めの表情、その声色には「やむを得ない事ですからね」と言いたそうな気持ちが如実に表れていた。

 

「おいホーネット。何かお前、随分と投げやりになってねーか?」

「……この城は本来なら美樹様のもの。であれば美樹様を魔王として奉戴するホーネット派に協力する気の無い者が魔王城に居着くなど言語道断、サイゼルが城に足を踏み入れる事など許しません。……と、仮に私が認めなかったとしたらハウゼルはどうすると思いますか?」

「ぬ、ハウゼルちゃん? そうだなぁ……」

 

 ハウゼルは今回の件で念願だった姉との仲直りを果たした。

 だがこの魔王城で姉妹一緒に暮らす事は出来ないとなった時、彼女はどうするだろうか。

 

「……あの子は真面目な子だからなぁ。お前に逆らうとはとても思えんし、それならそれで仕方無いって諦めそうな気もするな」

「そうですね。この城は私達の本拠地である以上派閥に協力しない者を住まわせる事には危険もあります。それを理解出来るハウゼルならきっと受け入れるでしょう。では貴方ならどうしますか?」

「ぬ、俺様? そうだなぁ……」

 

 言われてランスは再度考える。

 もうそうなった時、自分ならどうするだろうか。

 

「そりゃまあ……どうにかしてお前を頷かせるんじゃねーの? 俺様はまだサイゼルの事を味わい尽くしてないし、ハウゼルちゃんとの姉妹丼もまた食べたいしな」

「ですね。つまりそういう事です」

「おぉ、そういう事か。……うむ?」

 

 つまりどういうこっちゃ? と理解が届かず首を傾げるランス。

 その一方でもしそうなった場合、最終的に折れるのはきっと自分の方だろうと予想していたその魔人は、そんな思いを口にする事は無かった。

 

「……とにかく、先程言ったようにサイゼルに関しては問題ありません。魔王城への滞在は構いませんが、派閥に仇なすような妙な動きを見せた時は知りませんよと釘を刺しておきましたから、それで十分でしょう」 

「なるへそ、すでにサイゼルの事は脅し済みって訳か。お前の脅しはおっかねーからなぁ、前にワーグも言ってたぞ。ホーネットに睨まれたら体調が悪くなった、どーしてくれるんだ責任とれって」

「……私はそれ程強く睨んでいるつもりは……」

 

 そんな会話を交わしながらも、その魔人はタオルを握っている手を休める事は無く。

 自分よりも広い、それでいて引き締まった筋肉質の背中。その隅々までを洗う動きは殊の外優しく、あたかも労るような手つきで。

 

 自分の時よりも幾分か長い時間そうしていたが、やがて満足したのか、

 

「……さて、これくらいで良いでしょう」

 

 そして風呂桶でお湯を流し、魔人筆頭によるほんの一時の奉仕行為は完了した。

 

「終わりましたよ」

「うむ、ご苦労。しかしホーネットよ、俺様はお前と違ってケチくさい事は言わんからな。前も洗いたいと言うのなら洗っても構わんぞ」

「そのような事は言いませんから、いつも通り自分で洗いなさい」

 

 これまた毎回となるその要求をひらりを躱して、彼女はタオルを返した。

 

 

 

 そうして身体を洗い終えた後、そのままついでにお互いの髪も洗い合い。

 全身綺麗さっぱりになった二人は、洗い場の椅子から腰を上げた。

 

「さてと、んじゃあ風呂に入るか」

 

 ランスはすぐさまホーネットの隣に立って、その肩にぐるっと腕を回す。

 それは単なる接触以上に、絶対に逃さないからなと言う明確なアピールである。

 

「俺様気付いたんだが、どうやら旅の疲れが身体に残ってるみたいでな。てな訳で今日はいつもよりゆっくりと浸かろうと思うのだ」

「ゆっくりと、ですか」

「そうだ、ゆっくりとだ。それこそ何処かの魔人がのぼせちまうくらいにゆ~っくりとな」

「………………」

 

 初めて混浴した際の失態を暗に指摘され、わずかに目を細めるホーネットに対してランスはにやりと口角を釣り上げる。

 

 湯当たりしたホーネットにキスをしたり胸を揉んだりしたあの時が今までで一番惜しかった。

 ランスはそんな自己分析をしており、次はもうあの時のように焦ってチャンスを逃しはしない。

 今一度彼女をあの状態にまで持ち込めれば、次こそは確実にものに出来る自信があった。

 

「さぁーてホーネットちゃん、今日はとことんまで行くからな。ぐふふふふ……!」

「……ランス。貴方が何を期待しているのかは知りませんが、私はもう──」

 

 ──あのような姿は決して見せません。

 その先に続く言葉。それを口にする直前、ふと異なる思いが彼女の胸の内に湧いたのか、

 

「……いえ」

 

 小さな声で、しかし確かに聞こえる声で何かを否定した後。

 

「……ランス」

「何じゃ」

「少しこちらを向いてください」

「あん?」

 

 隣に居る男の向きを変えさせて、二人は正面から顔と顔を合わせる。

 

「………………」

 

 心の内を読ませない金の瞳がランスの顔をじっと見つめる。

 

「……おい、何だよ一体」

「………………」

「……ぐへへ」

 

 意図の分からぬその行為に訝しんでいたのもつかの間、すぐにランスの視線は真っ向から晒されている相手の双丘に落ちる。

 

「うーむ、いつ見ても美味そうなおっぱいだ」

「………………」

「こう、顔ごとだーって突っ込んで、そのままむしゃぶりつきたくなるな」

「………………」

 

 鼻の下が伸びたランスの顔を、ホーネットはしばらく変わらない様子で眺めていたが、

 

「……ふぅ」

 

 そうして吐き出した息は普段の時よりも幾分か熱を帯びていて。

 ここ最近色々と悩み多きホーネット、そんな彼女の言わばその最たるものとも言える悩み。

 

 こうしてその前に立ってみると良く分かる。

 ただ肌を晒して立っているだけの事なのに、何故だか無性に耐え忍んでいるような気分になる。

 他の相手ではそうなる事など無い、この居心地の悪さの大元となる理由。

 

 自分自身の中にある、到底理解の及ばぬ何か。

 それを未だ理解が及ばぬものだと再確認した後、ホーネットはその顔を湯船の方へと向けた。

 

「……何でもありません。では、入りましょうか」

 

 

 

 

 

 結局この時はまだ理解していなかった。

 だが理解が及ばずながらも、その魔人は昨日一日を費やして色々と考え、悩み。

 

 そして二日程前にシルキィが予測していた通り。

 ホーネットはこの時すでに、とある決意を胸に秘めていた。

 

 

 

 

 



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自覚

 

 

 

 

 ちゃぽんと小さな音を立てて、片足から水面に触れる。

 

「……ふぅ」

 

 そして肩まで浸かり、ホーネットは小さく息を吐く。

 

 その一方でざばーんと雑に腰を下ろし、水面に波が跳ね上がる。

 

「ぽへー……」

 

 そして肩まで浸かり、ランスは喉の奥から魂が抜けていくかのような声を発した。

 

 

 ランスとホーネット。二人は魔王専用の浴室にて只今絶賛混浴中。

 先程身体を洗い終わった両人は湯気立ちのぼる熱い湯船にその身を下ろした。

 

「……いい湯だなぁ」

「……ですね」

 

 足先から心地よい痺れが伝わり、そのまま全身へと巡っていく。

 思わず口をついて出たランスの率直な感想を受けて、ホーネットも自然と頷く。

 

 ここはこの世界の支配者、魔王だけが使用する為にと設置された専用の浴室。

 その荘重な造形などに始まり、魔王城の他を知らないホーネットはあまり気にしてこなかった事になるが、これまで世界各地を巡ってきたランスに言わせれば湯質も一味違うらしい。

 

「あー、温まるー」

「………………」

 

 軽く20人以上は入れそうな程に広々とした湯船。その縁に肩を並ばせてランスはのびのびと羽をのばしてリラックス。

 その一方でホーネットも僅かな警戒心こそ残していたものの、もう何度目かになる混浴にさすがに慣れていた。というか慣れようとしていた。

 

「……うむ、やっぱ風呂は良い」

「……えぇ」

「特にここの風呂は素晴らしい。ホーネット、それが何故だか分かるか?」

「それは……ここは魔王様の為に作られた浴室ですからね、素晴らしいのは当たり前の事で……」

「ちゃうちゃう、そーいうこっちゃない」

 

 分かってねぇなぁと言うかのように、したり顔のランスは首を横に振る。

 

「この風呂が素晴らしい理由、それは隣に裸のお前が居るからなのだ。がはははは!」

 

 高笑いと共にホーネットの背中から手を回して、その細い腰をぐいっと自分の方に抱き寄せる。

 互いの肩が当たる距離まで近づき、そのままランスの手が彼女の肌を撫でる。

 

「さわさわ……おぉ、すべすべだ」

「……ランス。本当に貴方は一切の躊躇いなく人の肌を触りますね」

「まぁな。これはさっき俺様が洗ってやった身体だからな、俺様には触る権利があるのだ」

 

 ランスの無茶苦茶とも言える主張にしかしホーネットは「……全く」と呟くだけで文句は言わず、微かに上気した顔を少し横に背ける。

 

「さーわさーわ、さーわさーわ……」

「………………」

 

 その手がさわさわと撫で回すのは、彼女の腰から背中に掛けて。

 このまま指先をその魅力的な胸の膨らみの方へと進めてみたり、あるいは未だ触れた事の無い下腹部の方へ進めてみると立ちどころに手首を捻り上げられてしまう。

 これまでの経験上でそれを理解しているランスはまだ攻めず、ホーネットの方も身じろぎせずにじっとしていた。

 

「わーさわーさ、わーさわーさっと……」

「……ランス、そろそろしつこいですよ」

「んな気にすんなって、いつもの事じゃねぇか。……やっぱ美人と入る風呂は良い、この城に戻ってきた甲斐があるっつーもんだ。そういやぁ俺様が城を離れている間お前は何してたのだ?」

「私はずっとこの城に居ましたよ。今は敵の方にも動きがありませんからね」

「ほーん、そか。のんびりしてたって訳か」

 

 戦争中の状況にあっては相応しくないようなその言葉に、ホーネットは「のんびり……」とどこか納得いかなそうに呟いた後。

 

「……ですが、のんびりと言えばそうですね。特別行った事と言えばシルキィとの、っ」

「うむ?」

 

 ホーネットが妙な所で口籠ったので、思わずランスもその顔に疑問符を浮かべる。

 

「どした?」

「…………いえ」

 

 シルキィから聞いたとても大事なあの話。

 今の流れでその事を思い出してしまったのか、ホーネットは一呼吸置いて気を落ち着ける。

 

「……その、シルキィと少し、派閥の今後に関して話し合いを行った程度ですね」

「ほう、派閥の今後とな。次の戦いの作戦でも決まったのか?」

「今はまだ……ですね。ここから先は色々と慎重にならざるを得ない局面ですから」

 

 ここから先。カスケード・バウの踏破と敵本拠地タンザモンザツリーへの侵攻。それは今までホーネット派が数度失敗している事もあって易々と決行に踏み切る訳にはいかない。

 そんな彼女の思いを知ってか知らずか、ランスはふふんと鼻を鳴らした。

 

「ホーネットよ。どーにも困ってるっつーならまた俺様の力を貸してやっても構わんぞ」

 

 何処までも自信満々であって、それでいて偉そうなその言葉。

 それを耳にしたホーネットは、

 

「………………」

 

 ほんの少しだけ。

 それこそ隣にいた男には到底気付けない程度の変化だが、ほんの少しだけ口の端を曲げる。

 

 先程の言葉。その台詞を至って当たり前のように言ってくれる事。

 それが殊の外嬉しく思い、またそれを嬉しいと感じた自分の事をおかしく思ったのだ。

 

「……そうですね、また貴方の力を借りるかもしれません。これまで私達も何度か挑んだのですが中々思うようにいかないのです」

「お前がそう言うとなると結構な事だな。一体何が問題なのだ?」

「現状私達の前に立ち塞がっているのは魔人ケッセルリンクです」

 

 大荒野カスケード・バウを越える為に倒さなければならない相手、魔人四天王ケッセルリンク。

 その名を耳にしたランスは「……うむ?」と眉を顰める。どうやら記憶が薄れているらしく、すぐにはその相手の事を思い出せなかったのだが。

 

「ケッセルリンク……あぁ、あのホモ野郎か」

「……ホモ?」

「うむ。……ぬ? あ、いや、あれは違ったか」

 

 以前ワーグに見せられたとある悪夢。その内容とごっちゃになってしまっているが、ケッセルリンクは決してホモと言う訳では無い。

 それどころか何人もの美女のメイド達を侍らかすいけ好かない相手だった事を思い出した。

 

「確かにあれはちょっと……ほんのちょこっとではあるが、手強かったような覚えがあるな」

「ランス、貴方はケッセルリンクと戦った事があるのですか?」

「ま、色々あってな。けどまぁ俺様の手に掛かりゃあんなオヤジ一匹相手にゃならんがな」

「……大した自信ですね」

「まーな」

 

 得意げに頷くランスであるが、その自信は決して無根拠という訳では無い。何故ならランスは過去に一度ケッセルリンクを討伐した経験がある。

 それどころかケイブリス派に属する全魔人を前回の時には討伐しており、そんなランスにはもはや脅威に感じる魔人など存在せず。

 仮にいるとするならばそれは、どうにも出来ない相手という意味で、今隣に居る魔人筆頭か眠りの力を操るあの魔人くらいなもの。

 

「俺様は世界を救った英雄だからな。ケッセルリンク程度恐れるに足らん」

「……そうですか。けれども確かに、貴方にとってはそうなのかもしれませんね。何せこの私を恐れないのですから」

「うむ、そーいう事だ。俺様に不可能は無い。そう、俺様に不可能など決して無いのだ。特に……」

 

 次に口にする言葉を強調する為、あえてランスはそこで一度区切る。

 そしてホーネットの肩をがっしりと掴んで、きっぱりと宣言した。

 

 

「特にセックスっ!!!」

 

 その大声が浴室の壁に反響する。

 

「セックスの事に関してはな、俺様に不可能はぜ~ったいに無い。これまで狙った獲物はどんな相手だろうと必ず抱いてきた、それがこの俺様、ランス様なのだ」

「………………」

 

 沈黙の中でホーネットは気の緩みを締め直す。

 相手の声が一際大きくなった事を受けて、ここからが本題なのかという事を理解した。

 

「時にホーネットよ。俺達は今こうしてお風呂に入っているだろう」

「そうですね」

「んで風呂に入っているとな、身体がぽかぽかになってくるだろう」

「そうですね」

「んで身体がぽかぽかになってくるとな、セックスがしたくなってくるだろう」

「……いえ、特には」

 

 早速とばかりにランスが仕掛けたトラップ、セックスへの誘導尋問。

 だがそれはいまいち繋がりが感じられない下手なもので、ホーネットが「そうですね」と墓穴を掘ってくれる事は無く。

 

「普通はセックスがしたくなるものなのだ。はーセックスがしたい。セックスがしたいなぁ」

 

 しかしランスはちっともめげずに会話を続ける。

 何とか話をエロい方面に持っていき、彼女の意識をそちらに傾けたいらしい。

 

「……貴方は普段から毎日のようにしているのではありませんか?」

「そりゃまぁそうなのだが。けどなぁ、最近はセックスの相手も変わり映えしなくてなぁ」

 

 腕を組んだランスはうーむと唸り、さも深刻そうに悩んで見せる。

 これまで回数を重ねてきたのはシィル、かなみ、サテラ、シルキィ、ハウゼルの五名。たまに女の子モンスターをつまみ食い、そして時々ウルザ。この城でのランスのお相手は大体そんな感じとなる。

 

「別に飽きたとは言わんのだがな。なんつーかこう、新しい出会いが欲しい気分なのだ」

「……そうですか」

「そうなのだ。あぁ、何処かに良い女は居ないもんか。なぁホーネット、この俺様が思わず抱きたくなってしまうようなハイパーグッドな女に心当たりは無いか?」

「……さぁ」

 

 ──今日は随分と遠回りに来ますね。

 とそんな事を頭の片隅で考えながら、ホーネットは適当に相槌を打つ。

 

「あ~、良い女。どっかにイイ女いねぇかなぁ」

「………………」

「特にちょー美人でー、おっぱいがぽいんぽいんでー、尻もきゅっとしててー」

 

 今一番セックスしたいなぁと思うイイ女。

 ランスは一つ一つ指を折って条件を挙げていく。と言うよりかは候補を絞っていく。

 

「すらっとしたナイスバディでー、緑色の長髪でー、目が金色でー、んで魔人筆頭でー」

「……魔人筆頭とまで言ってしまっては、該当するのが一人しか居ないと思いますが」

「ほう? ホーネット君、もしかしてそんな相手に心当たりがあるのかね?」

「………………」

 

 とても白々しい、いっそ馬鹿にしているのかと思えてくるようなその演技に、ホーネットは頭痛を堪えるかのように瞼を伏せる。

 

「……貴方のすぐ隣です」

「うむ? ……おぉ!! なんとこんな所に、俺が今挙げた条件全てに該当する女が!!」

 

 マジかビックリだー! とランスは目を輝かせ、心底驚いた様子で隣を向く。

 

「まさかこんなすぐそばに理想の相手が居るとは、これはもう運命に違いない! なぁホーネット、お前もそう思わないか? そう思うだろ!?」

 

 その眼力はとても強く、少しでも頷けばすぐにでも飛び掛かってきそうな勢いで。

 そんな男の熱い口説き文句に、しかしホーネットは心底呆れた様子で呟く。

 

「……茶番ですね」

「やかましい。そーいうツッコミはいらんのじゃ」

 

 ランスは不満を露わにするが、今しがた当の本人からも指摘された通り、こんなふざけ半分のようなノリで彼女が頷くはずが無い。

 その事は内心理解していたのか、

 

「……なぁホーネットよ、ちょっと真面目な話をしてもいいか?」

 

 ふいに今までとは異なる、とても真剣な顔付きに変わった。

 

「……構いませんが、なんの話です?」

「うむ。ものは試しにって言うだろ? だから試しに一回、一回だけセックスしてみないか?」

 

 相手の顔の前で人差し指をぴんと真っ直ぐ上に立て、一回だけと言う部分を強調する。

 

「……真面目な話なのですか、それが」

「真面目な話じゃい!! ホーネット、お前処女だろ? 今まで一回も経験ねーんだろ?」

「……まぁ、そうですね」

「だろう? だったら一度くらいは経験してみるべきだ。した事も無いセックスをそう毛嫌いするのはおかしいと思わんのか」

 

 何事に関しても食わず嫌いは良くない。嫌うにしてもせめて一度味わってからにするべきだ。

 そんな方向から攻めてみる事にしたランスの言葉に、ホーネットはすぐに否定の言葉を返す。

 

「……ランス。私は別に性交に関して毛嫌いをしている訳ではありません」

 

 彼女は魔人として100年以上の時を生き、現在まで未経験。だがそれは単に性交を行う必要が無かったからであり殊更避けてきたという訳では無い。

 彼女のそのような反論はしかしランスにとっては完全に狙い通りだったのか、男は我が意を得たりとばかりに笑みを浮かべた。

 

「だったら尚更だ、嫌いじゃねーんだったらしたっていいだろう。俺達はもうこんなに親しくなった訳だしそろそろ次の段階に進むべきだ」

「……親しく、なったのでしょうかね」

「なった。だってお前、一緒に風呂なんてよっぽど親密でないとしないぞ。それとも何か、お前は親しくもない奴と、例えばそこらに居る魔物と一緒に風呂に入ったりするのか? しねーだろ?」

「それは……その通りですが」

 

 そこらに居る魔物、彼女にとっては裸を見られたとて恥ずかしくもない存在。

 しかしだからと言って一緒に入浴などはせず、むしろそんな歯牙にも掛けぬ相手と共に湯に浸かろうなどとは微塵も思わない。

 

 これまでホーネットは魔人筆頭として、生物間にある格の違いというものを重視してきた。

 故に自らの使徒にも身体を洗うのは役目として認めているが、湯船に入るのを許した事は無い。

 そんな彼女にとって、ランスと当然のように風呂に入る今は確かによっぽどの事ではあった。

 

「……しかしランス、そもそもこうして今貴方と共に入浴しているのは私が認めた訳では無く、美樹様の命令あっての事なのですが」

「……それはまぁ、置いといてだな。とにかくこれだけ親しくなったのだから一回、一回だけでもしてみないか? もし一回セックスしてみて、それでもう嫌だっつーならそん時は俺様も諦めるから」

 

 勿論一回きりで諦めるつもりなど毛頭無いのだが、そこはそれ。今はどんな方法であれ一回セックスまで持ち込む事がとても大事。

 一度関係を持ってしまえば後はどうにでもなるだろう、とランスはそんな楽観視をしていた。

 

「……一回だけ、ですか」

「そーそー、一回一回。ほんのちょこっとだけだから、さわりだけ、さきっちょだけだから」

「……そういえば、以前にも貴方はそのような事を言っていましたね」

「んあ? そーだっけ? ……確かにそんな事を言ったような気がしないでもないでも……」

 

 けどいつの事だっけ? と朧げな記憶を頭の奥から手繰り寄せるランスの一方、

 

「えぇ、思えばあの時は……」

 

 ホーネットの記憶にはしっかりと残っているらしく、ふいにその瞳が遠くを見るものに変わる。

 

 それは魔人メディウサ討伐の為シャングリラへと出発する直前、ランスが彼女の事を口説き落とす為にとその部屋を訪れた何度目かの時の話。

 ホーネットはその時の事を良く覚えている。何故ならその頃に彼女は自分の変化、ランスと出会った事による変化を初めて実感したから。

 

 ランスという人間の男に対し、自分が興味を抱いている事をはっきりと自覚した。

 その時胸の内にあったのは相手の事をもっと知りたいと思う心。それだけだったはずで。

 

「……ですが」

 

 そう呟いて、少しだけ身体の向きを変える。

 隣に座る男の顔が良く見えるようになり、自然と視線を合わせる。

 

 あの時からまた時間が経った事で、自分の内には更なる変化が生じたように思える。

 こうして視線を重ねていると自分の胸の内には何か別種類のもの、ただ知りたいと思う気持ちとは異なる何かが確かにある。

 

 それがどのようなものなのか、ホーネットは未だ自覚していない。

 しかしそれを自覚はせずとも、それとは別にしてその事への覚悟を固める事は出来る。

 現に彼女はシルキィとの相談を終えてから一日掛けて悩み、そしてすでにある決意をしていた。

 

「おい。ですが、何だよ」

「……いえ。あの時から貴方は変わらないなと思ったのです。貴方のその変わらない態度、諦めの悪さと言ったものは美徳なのかもしれませんね」

「なんだ、んな事か。そりゃお前の事をまだ抱いてもないのに俺様が諦める訳ねーだろ」

「……そうですね。私がどのように拒もうとも、それでも貴方はきっと諦めないのでしょうね」

 

 それは聞きようによってはある種の降参宣言のようにも聞こえて。

 そんな彼女の言葉と様子に、少し驚いたランスは「お?」と目を丸くする。

 

「ホーネット、お前も分かってきたようだな。そう、俺様は絶対に諦めないのだ。だから無駄な抵抗はもう止めて楽になっちまえ。な? な?」

「……そう、ですね」

「……おぉ?」

 

 何か知らないがいけそうなのでは? とランスは率直にそう思った。

 ホーネットの気持ちが揺れている、そして自分が望む方向へと大きく傾いている。そんな気配がひしひしと伝わってきていた。

 

 彼女がその心境に至った理由、それは何か自棄になった訳でも投げやりになった訳でも無い。

 ただ自分の変化やランスの相変わらずな態度、出会ってから今までを色々と見つめ直して冷静に判断した結果、そうなるのも時間の問題なのではないかと思えてきてしまったから。

 

 最初は特に興味も湧かなかった相手。だがふと気付けばこうして湯を共にしている。

 ならばまた何時かふと気付いた時、その時にはもうそんな関係になっていてもおかしくない。

 

 初体験となるその事に対して、今の彼女自身がそれを積極的に望んでいると言う訳では無い。

 ただそれが自分にとって遅いか早いかの違いだけならば、これ以上相手の要求を断って引き伸ばす事に意味合いを感じられなくなってしまった。

 

 そしてなにより──自分の内に理解の及ばぬ何かがあるのなら。

 いっその事そんな衝撃でも与えてみれば、見えてくるものもあるのではと思えてきて。

 主にそのような思考の流れで、自身の心の奥底にあるものには自覚する事無く、この日のホーネットはその決意を胸に秘めていた。

 

 なので後はもうひと押し、ほんのちょっとその手を引いてあげるだけで良かった。

 それでシルキィが予測した通り、ランスの念願はこの日に叶うはずだった。

 

 だが。

 

 

「お前を抱く事は絶対に諦めないぞ。なんせ俺様はお前を抱く為にわざわざこんな所まで来て、お前達に協力している訳なのだからな」

 

 その言葉が。

 ランスが更に念押ししようと、本当に何気無く口にしたその一言が。

 

 

「………………」

 

 不意にホーネットの思考を止めた。

 

 何故今の言葉が引っ掛かるのか、彼女自身にもすぐにはよく分からなかった。

 けれども湯船に浸かって熱を帯び始めた頭が、冷水を浴びせられて急激に冷めていくような、何かとても嫌な感覚を受けた。

 

「………………」

「……おいホーネット、お前急に黙るなよ」

「……あ、いえ。……なんと言うか、今の言葉が気になって……」

「今の言葉?」

 

 何か特別な一言を言ったつもりは無く、ランスは不思議そうに首を傾げる。

 

「だから、俺様は絶対に諦めないって」

「いえ、その部分では無く……」

「あん? なら俺はお前を抱く為にこんなとこまで来て、お前の派閥に協力してるのじゃ……てこれ、前にもこんな話をしたような気がするのだが」

「……そう言えば、確かにそのような事を言っていましたね」

 

 ランスがこの魔王城に来た目的、ホーネット派に協力している目的。

 それは自分を抱く為であると、ホーネットも以前ランスの口から直接に聞いている。

 だからそれは今ここで初めて知った訳では無く、とっくの昔に知っていたはずの事。

 

 だがその言葉を今再び聞いてみると、それは以前に聞いた時と全く別の意味にも受け取れて。

 それこそ全く異なる言葉のように、今のホーネットにはそう聞こえていた。

 

「……貴方は、私を抱く為に、ホーネット派に協力している……」

「おぉそうだ。お前っつーかまぁ、ホーネット派の女魔人全員だけどな」

 

 その普段通りの冷然としていた表情が、次第に別のものへと変わっていく。

 だが隣にいた男はそんな様子に目を向ける事は無く、更に言葉を続けてしまう。

 

「けど俺様はもう、サテラもハウゼルちゃんもシルキィちゃんもみーんな抱いた訳で。だから残るはお前だけなのじゃ」

「……なら、貴方は……」

「あ。いや待てよ、まだワーグが居たな。あいつも何とかしねぇと、どーしたもんかなぁ……」

「……ワーグ」

 

 その名前を呟いたホーネットの表情に一瞬だけ別の色が差し込む。

 だがすぐにそれはかき消え、彼女の脳内はとある一つの思考だけに囚われる。

 

「……けれど、ワーグはホーネット派では、ありません。……この城には、いません」

「ん? まぁそーだな。けどんなの別に……て、ホーネット……お前どうかしたか?」

「……え?」

 

 その魔人の様子がどこかおかしい事に、ランスもようやく気付く。

 

「いや、なんつーかお前……」

 

 その表情は今まで見た記憶が無く、思わずランスも口にするのを躊躇ってしまう。

 だがそう感じてしまう程にそれは切実で、ひと目見ただけで分かる程に顕著で。

 

 その真っ青な顔は、時間が止まったように凍りついていて。

 その表情に浮かぶ感情、それは恐怖。

 

 今のホーネットは何かを恐れていて、それを心の内に隠す事さえも出来ずにいた。

 強大な力を持つ魔人筆頭が、今は何故かとてもか弱い存在のようにランスの目には映っていた。

 

「……あ、もしかして寒いのか? ならお湯沸かし直すか」

「……いえ」

 

 見当違いの提案をするランスの一方、ホーネットはゆっくりと首を下ろして。

 

 そして。

 

 

「──考えが、変わりました」

 

 

 深く項垂れたまま、消え入りそうな程にか細い声でそう呟いた。

 

「変わった?」

「えぇ。……ランス」

 

 その言葉を告げる前に、せめて顔を上げて視線を合わせようとした。

 けれども結局その顔は上げられず、その目を見る事は出来なかった。

 

「貴方とは……駄目です。貴方と、性交を行う事は……出来ません」

「な、なにぃ!?」

 

 ここにきてまさかの拒否にランスは仰天する。

 出会った当初ならともかく、ここ最近はこれほど明確に駄目だと言われた覚えは無く。

 何よりもついさっきまでなんかいけそうだった。そんな感じがしていたにもかかわらず、それが一転して突然のお断りであった。

 

「き、急にどーしたホーネット。あれだぞ、別に一回、一回だけで良いんだぞ?」

「……いえ。たとえ一回だけであろうと駄目なものは駄目です」

「い、いや待て待て、つーかお前、考えが変わったって事は……」

「……それは忘れてください。とにかく、やはり私は貴方とそういった事は出来ません。……では、私はそろそろ上がります」

 

 それだけを言い残して、ホーネットはすぐに湯船の中から立ち上がる。

 今はもう、一刻も早くここから立ち去りたい気分だった。

 

「ま、待てホーネットっ!」

 

 少し遅れてランスも慌てて立ち上がり、すぐにその後ろ姿を追う。

 そして洗い場の手前付近で追い付き、逃さぬようその二の腕を掴んだ。

 

「……何ですか?」

「……セックス、駄目なのか」

「……駄目です」

「どーしても駄目か?」

「……えぇ」

 

 何度確かめても、返ってくる答えは同じ。

 

「……そうか」

 

 その思いが変わらない事を知ったランスは、力が抜けたように掴んでいた腕を放す。

 だがそれは当然ながらホーネットの事を抱くのを諦めた訳では無くて。

 

「……そうか、そうかよ」

 

 いつの間にかその拳はぎゅっと握られていて。

 次第にその声には怒気が混じり始め、そして。

 

 

「あーそうかいそうかい!! ホーネット、お前の考えは分かった、よ~っく分かった!!」

 

 ランスは声を張り上げてがなり立てる。

 その表情は怒り心頭といったもので、こめかみには血管まで浮かんでいた。

 

「こっちが下手にでてりゃあいい気になりやがって……! お前がそういう態度に出るのならな、俺様にだって考えがあるぞ!!」

「考え……ですか?」

「そうだ!!」

 

 ここまで何度も口説いてきた。あれこれ頑張ってどうにか距離を詰めてきた。

 それなのに突然断られた。それにとてもショックを受けたランスが選んだ選択肢。

 それはもう口説くなどと言う面倒くさい事は止めて、圧倒的な力によって有無を言わさずセックスまで持ち込む事。

 

「こうなったらもう美樹ちゃんだ!! 美樹ちゃんの手紙を使ってやる!!」

 

 圧倒的な力。即ち魔王リトルプリンセスの権力を借りてしまえば良い。

 仮に捏造した手紙での命令だとしても、魔人筆頭であるホーネットは従わざるを得ない。それはこうして混浴をしている事が何よりの証。

 ランスにはこの絶対的な切り札があり、これを使えば何時でもホーネットを抱ける状態にあった。

 

「……出来ればこれは使いたくなかった。お前の事は自力で落としたかったのだ。けどな、お前がそんな頑なな態度に出るならもー知らん!!」

 

 これまでランスがホーネットと一緒にお風呂に入ったりなど、彼女との駆け引きを楽しんでいられた理由、それは最終的にはこれを使ってしまえば良いという余裕があった故の事。

 そしてどうやら今日この時、その最終的な局面が訪れたようだった。

 

「つー訳でホーネットよ、セックスするぞ。まさか断りはしねぇよなぁ? これは美樹ちゃんの、魔王様の命令だもんなぁ!!」

「……っ」

 

 勝ち誇った表情のランスに対し、ホーネットはとても苦しそうな表情で。

 滅多に表情を変えない彼女が本当に苦しそうに、辛そうにその顔を歪ませて。

 

 

「……いえ。だとしても、駄目です」

 

 だが、それでもきっぱりと宣言した。

 

「な、何だとぉ!? み、美樹ちゃんだぞ、魔王の命令なんだぞ、分かってんのかホーネット!!」

「……そもそも、あれは偽物でしょう。本物の美樹様が書いたものでは無いはずです」

「ぐっ、い、いーや偽物じゃない、あれはマジの本物だ! お前が命令に従わなかったって後で美樹ちゃん本人にチクるぞ! いいのか!?」

 

 ランスはとてつもなくセコい事を言いながら、それでもどうにかして食らいつく。

 その攻撃は狙い通りホーネットという魔人の急所に何度も刺さってはいたのだが。

 

「……仮にあの手紙が、本当に美樹様が書いたものだったとしても」

 

 しかしそれでも、彼女が先程抱いてしまった恐怖を拭う事は出来なかった。

 

「……その命令だけは、頷く訳にはいきません」

「……な、な、なななな……っ!」

 

 あんぐりと顎を落とした表情のランスは、ふらっとたじろいたように一歩下がる。

 

 ホーネットは今まで美樹には絶対服従だった。それは前回の時からも確かなはずである。

 しかし今の彼女は魔王の命令に従わない。これはランスにとって大誤算もいいところ、この切り札に効果が無いとは微塵も考えていなかった。

 

「……では、私はこれで」

 

 そしてホーネットは背を向けて、出口の方へと歩き始める。

 

「ぐ、ぐ、ぐ……」

 

 これまで徐々にではあるものの、それでも確実に関係性を深めてきたつもりだった。

 だがそんな折にこの態度。初対面の時に戻ったかのような明確な拒絶、セックス駄目宣言。

 そして絶対的な切り札だと思っていた秘策、魔王の命令にもさっぱり効果が無い。

 

 実の所、それは関係性を深め過ぎたが故の失敗。

 もっと早くに使っていたなら確かな効果があったのだが、そんな事にランスが気付けるはずも無く、そして気付いたとて今更な事で。

 

「ぐ、ぬ、ぬぬぬぬ……!!」

 

 もはやどうすればいいのか。ホーネットとセックスする方法に皆目見当が付かない。

 そんなランスに残されている手、それはもう一つだけしか無かった。

 

 

「っがーーー!!!」

 

 荒れ狂う感情そのままに叫び、男は獣となってその背中に襲い掛かる。

 

「ホーネットーーーッ!!!」

 

 それは言わば破れかぶれの特攻。

 常に隙の無い魔人筆頭に対して到底通用するはずが無い、無謀な突撃のように思えたのだが。

 

 

「っ、」

「あれ?」

 

 その背後から抱きついた途端、逆上していたランスは思わず素の様子に戻ってしまう。

 彼の両手はその魔人の前方に回され、あっけなくその両胸を鷲掴みにしていた。

 

「……あれ? これおっぱい? でも柔らかいし……おっぱいだよな?」

 

 自らの手に掴んでいるものが信じられず、ふにふにとその形を変えてみる。

 

「ん、……」

 

 身体を走る感覚に喉を鳴らし、ホーネットは艶めく声が漏れそうになる口元を押さえる。

 

「あれ? あれれ?」

 

 その豊かな双丘を思う存分揉みしだき、しかし今のランスは興奮より混乱が勝っていた。

 今まで何度か混浴した際、肌に触れる事は許しても胸は許してくれないらしく、その胸元に手を伸ばすとすぐに手首を捻り上げられる。

 これまではそうだったはずなのだが、しかし何故か今においてはそんな事も無く。

 

「………………」

 

 そのまま数秒程が経った後、ホーネットは自分の胸を掴むその手を除けて。

 そして普段通りの表情、と言うよりも普段通りを取り繕っているような表情で口を開く。

 

「……気が済みましたか?」

「ぐ、ま、まだじゃーー!!」

 

 この程度ではまだまだ満ち足りず、再度ランスは気勢を上げる。

 そして彼女の正面に回り、また無謀なはずの突撃をかましたのだが。

 

 

「──っ」

 

(……あれ?)

 

 思わずその脳内でこてんと首を傾げたくなってしまう程に。

 とてもあっさりと、ランスはホーネットとキスをしていた。

 

(……あれれ? 駄目っつーわりになんかこいつ、むしろ普段よりいけそうな……)

 

 これまでの彼女の場合、勿論ながら口付けなどさせてはくれない。

 先の拒絶の言葉とは反するような彼女の態度に、ランスは何が何だかよく分からない。

 

 しかしそれもそのはずで。

 何故ならホーネットは今日、その身を委ねる決意をしていたのだから。

 

 

「……ん」

 

 そしてまた数秒程が経った後、その魔人は自分に巻き付くランスの手を払って静かに唇を離す。

 

「……もう、いいですか?」

 

 互いの息が掛かるような距離で、さすがにもうホーネットはその表情を隠す事も無く。

 と言うよりかはもはや隠せるようなものでは無い程に、その顔は鮮やかな朱色に染まっていた。

 

「……え。あの、ホーネットさん」

「……何ですか?」

「セックス、駄目なの?」

「……駄目です」

 

 それがその日二人が交わした最後の会話。

 それきりホーネットはランスの腕の中から離れ、出入り口のドアの奥へと消えていった。

 

 

 

「………………」

 

 魔王専用の浴室にはいつかの時と同じ、ランスただ一人だけが残される。

 

「だ、駄目だ」

 

 しばし呆然とした様子で立ち尽くしていたが、やがて倒れ込むように膝を折って尻もちを付く。

 

「……わ、分からん」

 

 そのままごろんと後ろに倒れ込み、浴室の天井を呆然と眺める。

 

 本日の混浴の中で起きた怒涛の展開。

 頭の中はもうちんぷんかんぷん、何もかもがサッパリ理解出来ない。

 しかしそんなランスにもただ一つだけ理解出来た事がある。

 

 先程触れた時に確信した。

 ホーネットは自分の事を拒んではいない。間違い無く受け入れている。

 

 それはもう聞かなくても分かる事、何故なら自分はセックスに関しては百戦錬磨。

 あの胸を揉んだ時の身体の強張り、あるいは口付けした後のあの表情。

 そういった所から相手が嫌がっているのかいないか、拒んでいるか受け入れているかなどは伝わってくるもの。

 

 ホーネットは自分の事を絶対に拒んでいない。

 仮にあのまま押し倒せていたならば、その行為には強姦では無く和姦という名が付くはず。

 少なくとも身体の反応だけみればそれは確かなはずなのだが、しかし彼女の意思は認めず、魔王の命令に逆らってまでもセックスは駄目だと言う。

 

「駄目だ、分からん!!」

 

 魔人ホーネット。彼女の思考、その行動原理、何もかもがランスにはまるで分からない。

 これまで培ってきた常識が通用しない、全く未知の生物を相手にしているかのようであって。

 

「分からーーん!! ホーネットの事は分からーーーんっ!!!!」

 

 それは心からの叫びであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後ろ手に浴室のドアを閉じる。

 そしてニ、三歩進んだ所でその足を止めた。

 

「……はっ」

 

 すぐ近くにあった大きな脱衣棚、思わずそれを背にして寄り掛かる。

 だがそれもつかの間、すぐにへたり込むように身体を落とし、膝を抱えて深々とうずくまる。

 

「……はぁっ、はぁ」

 

 息が荒い。

 ここまでどうにか抑え込んできた、その留め具が壊れてしまったかのように一呼吸吐き出す度に肩が大きく上下する。

 

「はぁ、はぁ……っ」

 

 早鐘を打ち続ける胸元に手を置く。その激しい鼓動は収まる気配が無い。

 命の奪い合う戦場の最中においても、これ程までに息を荒げた経験は無い。

 平時の自分が見たらいっそ滑稽に思える程に、その口からは喘ぐような息遣いが止まらない。

 

 

(……私は)

 

 何故これ程に呼吸が苦しいのか。

 何故これ程に取り乱しているのか。

 

 たかが胸に触れられた程度で。

 たかが唇を合わせた程度で。

 

 その感覚が身体に焼き付いて離れず、無性に熱い頬を撫で、微かににじむ目元を拭う。

 するとその時、扉一枚隔てた向こう側にある浴室から「ホーネットの事は分からん」と、彼のそんな大声が飛んできた。

 

 それはそうだろう、とホーネットは心底思う。

 何せ当の本人にですら全く分からない、到底理解に苦しむ事を今の自分はしているのだから。

 

 

(……私は、なんて事を)

 

 つい先程、自分は過ちを犯した。

 絶対にしてはいけない事をしてしまった。

 

 自分は魔人であるのに。

 それもただの魔人ではない、全魔人の模範となるべき魔人筆頭であるのに。

 そして来水美樹を魔王として敬服している、ホーネット派の主であるはずなのに。

 

 魔王の言葉を無視した。

 魔王の命令に逆らってしまった。

 

 その真偽など言い訳にする事は出来ない。

 少しでも可能性があるならば従うべきであるし、何よりも以前の自分ならば従っていたはずだ。

 

「…………はぁ、……はっ」

 

 自分が犯した取り返しの付かない事を思い、ホーネットは今になって身体が震える。

 そしてつい先程までこの胸の内にあった決意。それが見るも無残に崩れ去っている事に、その程度の覚悟だったのかと自らを嗤いたくなった。

 

 

(……私は、知っていたはずなのに)

 

 あの言葉を。

 以前にも一度聞いているはずの言葉、それを今になって再び彼の口から聞いた時。

 彼がこの城に居る理由。自分達に協力している目的、それがこの身を抱く為だと思い出した時。

 

 その望み通りにこの身を委ねたとして、そうして目的を達成した彼が次にどうするか。

 その考えに頭を巡らせた途端、何かに呪われたかのように身体が動かなくなってしまった。

 

 何故なら彼は人間であり、魔人である自分とは元々住む世界を別にしている存在。

 この城に来た目的を果たしたならばと、元の世界に帰ってしまってもなんら不思議では無い。

 だがそうして彼が居なくなった時の事を思うと、どうしてか急に寂しさが押し寄せてきて。

 

 そしてなにより、怖かった。

 もう会えなくなってしまうかと思うと、怖くて堪らなくなってしまった。

 

 

(……私は)

 

 そんな事を恐れてしまった。

 そんな事を恐れ、固めたはずの覚悟は揺らぎ、挙げ句魔王の命令にすら逆らってしまった。

 

 そんな事、ただ一言聞いてみればいい、それだけで良かった事なのに。

 目的を果たした後もこの城に残り、私と共に戦ってくれますかと、そう聞くだけで済んだ事。

 恐らくは頷いてくれる。そう分かっていたのに、だがもしかしたら、あるいは、なんて事を考えてしまうとその答えを聞く事すらも怖かった。

 

 言ってしまえば彼がこの城から居なくなったとして、それがなんだと言うのか。

 もうそうなったとしてもその程度の事と、少し前までの自分ならきっとそう思っていたはずだ。

 彼がこの城に来る以前、ほんの数ヶ月前と同じ状況に戻るだけの事なのだから。

 

 そしてなにより──そもそもが人間と魔人。どの道いつかは別れる事になる。

 それこそ遅いか早いかの違い、その程度の事でしかないというのに。

 そんな事を恐れて魔王の命令に逆らうなど魔人筆頭失格もいいところだ。

 

 

(……私は)

 

 いつからこれ程までに臆病になったのだろう。

 これも自分の変化の一つなのかと思い、そしてすぐにホーネットは考え直す。

 

 あるいは変化などでは無く、元から自分はこんなだったのかもしれない。

 何故なら自分は長い年月を生きてきたけれど、この感情はまだ一度も体験した事が無い。

 

 前魔王であるガイ。尊敬する父親に向けていたものと近しい、だが確かに異なる感情。

 初めての事だからこそ戸惑い、そして恐怖してしまうのだろうか。

 

 

「……私、は」

 

 震える手をゆっくりと動かし、ホーネットは震える自分の身体を抱き締める。

 俯いたままの顔、顎の先から水滴が落ち、それと一緒に言葉が流れ落ちる。

 

 自分の内にある理解の及ばなかった思い、今も激しく鳴り続ける胸の奥底にある気持ち。

 彼が居なくなる事を寂しく思い、彼と会えなくなる事に恐怖する感情。

 今まで気付こうとしなかったその想いに、この期に及んでもう目を逸らす事は出来ない。

 

 

「……私は、ランスの事が」

 

 変化というのなら、おそらくそれはとっくのとうにそうなっていて。

 その変化の名前を今、彼女は確かに自覚した。

 

 

 

 

 



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ランスの苦悩と酒宴の開始

 

 

 

「あ゛~~~~」

 

 地の底を這うような低い声。

 一ミリも覇気など籠もっていない、肺の内から漏れ出したような声が聞こえる。

 

「う゛~~~~」

「……ランス様、大丈夫ですか?」

 

 時刻は朝。声を掛けたのはランスの事を起こしに来たシィル。

 ゾンビのように呻く主人の様子に、彼女も心配そうな表情を向ける。

 

 ランスは今、とてもげっそりしていた。

 その目に光は無く、食欲も湧かないのかその頬も少し痩けてしまっている。

 彼がそんな有様になってしまった理由は今から二日前、魔王専用の浴室で起きたあの一件。

 

 ここまで色々頑張ってきた。最初は遠かった距離をどうにかして詰めてきた。

 その結果ようやく念願だった最大の目標、あの魔人を抱く一歩手前まで来た。

 そのゴールテープを切る直前、訳も分からず落とし穴に落ちてしまったかのような、そんな失意を引きずっている為。

 

 

 

「お゛~~~~」

「うわっ、ランス……なんか顔色が酷いわよ?」

 

 時刻は昼。声を掛けたのは昼食がランスと一緒になったかなみ。

 その男のまるで艶のない土気色となった表情に、彼女もびっくりして声を掛ける。

 

「どうしたの? 何か悪いものでも食べたの?」

「……分からん」

「分からん? ……って、何が?」

「……全てがだ。もう俺様には何も分からん、何もかもがサッパリ分からん……」

 

 力なくテーブルに突っ伏したランスは、分からん分からんと繰り返し呟き続ける。

 それ程までに何が分からないのかと言えば、それは勿論あの魔人の事。もはやランスにとって因縁の相手とも言えるホーネットの事。

 

 魔王城に戻ってきたあの日、あの浴室でホーネットとなんだかとっても良い感じになった。

 これはもうこのままセックス出来るのでは? とそんな期待をしてしまうのも仕方無いくらいに、彼女の心が傾いている気配が伝わってきていた。

 

 それにもかかわらず突如として一転、とても明確な拒絶の言葉が突き付けられた。

 どれ程食い下がってもその答えは変わらず、挙句にはあれほど従順であった魔王の命令に逆らってまでも、セックスは出来ないと宣言する始末で。

 

「……でも違う、違うのだ。……あいつは、あいつは……」

 

 その突然なお断り宣言、急に駄目だと言い出した理由もランスにはさっぱりなのだが、それ以上になによりも不可解な事。

 それは彼女の言葉とは裏腹なあの反応。ホーネットは絶対に自分の事を拒んでいない、その事が触れた肌から確かに伝わってきた事。

 

 実はあの日の翌日、つまり昨日、ランスは再度ホーネットとの混浴に挑戦した。

 魔王の命令に逆らった以上、この先は混浴の件も断られるかとも思ったが、彼女には特にそんな様子は無く、いつも通り二人は一緒に浴室に入った。

 

 そして再度確信に至ったのだが、やはり彼女に自分の事を嫌っているような気配は一切無い。

 それどころかより近づけたようにも思える。それが証拠にいつものようにその背中を洗っていた時、いつものノリでその胸に手を回した所、いつもとは違い見事おっぱいを味わう事に成功した。

 その手はすぐに除けられてしまったものの、少し警戒心が薄くなったような気がする。と言うよりも何やら全体的に様子が変で、言ってしまうと少し挙動不審のように見えた。

 

「……あいつの事はもうなんかよく分からんが、しかしこれだけは言える。ぜーったいに俺様とのセックスを拒んではいないはずなのだ。なのに……あぁ、分からん……」

 

 ランスはぶつぶつと独り言のように呟き、そしてその身体を起こす事も出来ないまま、苦悩するようにぐしゃぐしゃと髪を掻き乱す。

 

 間違いなく自分との性交を覚悟し、そして受け入れているはずのホーネットが、ああまでして頑なに駄目だと拒む理由とは何なのか。

 そもそも他人の気持ちを推し量るのが得意でない彼にとって、その事はどれだけ悩んでも一向に理解出来ず、そんな悩みに頭を使い続けた結果、ランスは今くったりしてしまっていた。

 

 

 

 時刻は昼過ぎ。いつもより少なめの昼食を終えた後も、ランスは特に何をする訳でも無く。

 

 これ以上自分が何をすれば良いのか。どうやったらホーネットとセックス出来るのか。

 自分の頭ではどうやっても見つからない答え、それを探し求めるかのように、その後しばらく魔王城内を幽鬼のような足取りで、あっちこっちへふらふら徘徊していると。

 

 

「……っ」

 

 ハッと息を飲み込むような、そんな声が近くから聞こえて。

 

「う゛~~~~……う?」

 

 廊下の奥の方に立ち尽くす姿、顔を上げたランスの目に映ったのは、

 

「……ほ、ホーネット……」

 

 それはまさしく渦中の相手、魔人ホーネット。

 

「………………」

 

 唐突な遭遇、その姿を前に言葉が出ないのか。

 口を真一文字に引き結んだ、固い表情のまま沈黙する魔人筆頭の一方で、

 

「ぬ、ぬぅ……」

 

 こちらも咄嗟に口に出す言葉が出ないのか、ランスも難しい表情のまま口籠る。

 彼我の距離はおよそ7~8メートル。何とも微妙な距離を挟んで、どこか気まずい雰囲気のまま互いに沈黙し合っていると。

 

「………………」

 

 突然ホーネットはくるっと反転してみせる。

 

「おい、何故逃げる」

 

 そのあからさま過ぎる態度に、ランスは思わず待ったを掛けた。

 

「………………」

「ホーネット、聞いとんのかい」

「……別に、逃げようとした訳ではありません。その、用事を思い出したので、部屋に戻ろうとしただけです」

「なら尚更、お前が進むのはこっちじゃねーか」

 

 取って付けたようにしか聞こえない言い訳に反論して、ランスは自分の背後を親指で指差す。

 その方向には階段がある為、彼女が自分の部屋へ戻るなら進むべきは確かにそちらとなる。

 

「……そうですね」

 

 その指摘にはさすがに返す言葉が無かったのか、ホーネットは観念した様子で近づいてくる。

 

「………………」

 

 そしてそのまま特に口を開く事も無く、至って自然にその横を通り過ぎようとしたのだが、

 

「……あ」

 

 手が届く位の至近距離まで近づいた途端、なにかに気が付いてその足を止めた。

 

「どした?」

「……その顔、体調が優れないのですか?」

「ん? あー、誰かさんのお陰でな」

「………………」

 

 彼女の目を引いたのはランスの酷い顔色、窪んだ目付きにげっそりとした頬。

 見るからに不健康そうなその顔を、何か言いたそうな複雑な表情で見つめていたホーネットは、

 

「お、おい、何だよ」

 

 何も言わずにランスの背後に回ると、その背中の中心辺りに右手をそっと当てる。

 そして囁くような、本当に小さな声で「……ヒーリング」と呟いた。

 

「お?」

 

 神魔法LV2。その高い才能によって行使された回復魔法により、ランスの胸の内に温かいような感覚が灯り、その身体に少し活力が戻る。

 

「……養生してください」

「お、おぉ、こりゃご丁寧にどうも」

 

 予想だにしていなかったヒーリングに、少し面食らいながらもランスは背後を振り返る。

 

「っ、」

「あん?」

 

 すると彼女は大きく目を見開き、反射的に上半身ごと後ろに仰け反って距離を取る。

 妙にオーバーなアクションで、常に冷静沈着な魔人筆頭には似合わない仕草であった。

 

「何だ?」

「……いえ。それでは、私はこれで」

 

 そう言ってホーネットはくるりと背を向ける。

 そしてその姿はどんどん遠ざかっていき、やがて近くにあった階段を下りていった。

 

「……うーむ」

 

 廊下の先、見えなくなったその姿を眺めながら、ランスは納得いかない様子で腕を組む。

 急に逃げ出そうとしたり、妙に親切であったり、反応が大げさであったりと、やはりどうにも様子がおかしく、挙動不審と言わざるを得ない。

 あいつの考える事は本当によく分からんなと、そんな事を考えていると。

 

「……おや?」

 

 つい先程階段を下っていったはずのホーネットが、何故かすたすたと戻ってきた。

 そして、そのまま上の階へと消えていった。

 

「……もしかしてあいつ、自分の部屋がある場所を間違えたのか?」

 

 彼女の部屋は最上階にあるというのに、一体どうやったら階段の上下を間違えられるのか。

 その点がランスにはよく分からないのだが、今の謎の行動に説明が付くとしたらそれしか無い。

 

「……駄目だ、やっぱり分からん。ホーネットの事はマジで分からん」

 

 もしや急激にドジになったのかと、ランスの頭ではそんな事くらいしか思い付かない。

 そんな男に彼女の気持ち、その心境の繊細な変化、そして自分との性交を拒む理由を理解するのはとても難易度が高い事であった。

 

 

 

 

 

 そんな魔人筆頭との遭遇の一幕を挟んで。 

 その後ランスは先程と同じように魔王城徘徊を再開して、それから十分程が経過した後の事。

 

 

「あ、ここに居ましたか」

「……お~、ウルザちゃん」

 

 背後から声を掛けられて振り向くと、そこにはウルザが立っていた。

 

「……ランスさん、何だか表情が冴えないですね。目の下に隈ができていますよ?」

「……まぁな。それより、俺様に何か用か?」

「はい。実は先程香姫様から、ランスさん宛にと届け物を受け取りまして」

「……んあ、香ちゃんから?」

 

 魔王城から遠く離れた地、JAPAN。その地を治める国主である織田家の姫、香。

 香には以前特製のお団子をこの魔王城まで輸送してもらった。それは魔人ガルティアの大好物で、ガルティアに言う事を聞かせて都合良く利用する為、その後も定期的に届けて貰っている。

 

 聞けば先程その荷を積んだうし車が城に到着したらしく、ウルザがその荷物を受け取った。

 するとその中にお団子とは別の品物、香姫からの差し入れがあったとの事である。

 

「ふむふむ……。んで、香ちゃんからは何が送られてきたのだ?」

「お酒です」

「酒?」

「えぇ、いわゆるJAPAN酒ですね」

 

 独特の文化を持つJAPAN。その地で作られるお酒は大陸産のビールや果実酒とは異なる風味を持ち、JAPANの他では見られない特産品。

 ランスが以前JAPANで天下統一に明け暮れていた頃、好んで何度も口にした嗜好品である。

 

「どうやら尾張で造られた出来たての新酒のようで、ランスさん好みの味に仕上がっているので良かったらどうぞ、とのお手紙が添えられていました」

「ほー、JAPAN酒ねぇ。……そういやぁ、こっちに来てからはあんまし酒飲んでなかったなぁ」

「ランスさん、こっちのお酒は口に合わないって言っていましたね」

 

 ランスは一般的な大人として、当然ながらお酒を飲める。ただそこまで酒に強い訳では無く、その点に関しては一般人と然程変わりが無い。

 だからか酒との付き合いはそこそこであり、それこそ浴びる程に飲む事もあるが、だからといって酒が無いと生きていけないなどと言う事は無い。ランスにとって、人生の妙薬となるのは酒では無く女性とのセックスなのである。

 

 そしてここは魔王城。城内にあるのは魔物界での一般的なお酒であり、人間のランスにはあまり馴染みの無い代物。それを一度飲んでみた所、どうやら好みの味では無かったらしい。

 そんな事もあってかここ最近のランスはお酒を飲んでおらず、意図せずして酒断ちをしているような状況にあったのだが。

 

「……けどそうだな、久々にぐでんぐでんになるまで飲むってのもアリか。せっかく香ちゃんから貰った事だし、特にする事もねーし」

 

 どれだけ悩んでもホーネットとセックスする方法は分からず、今は何をする気分にもならない。

 がっかりとイライラがごちゃ混ぜになったどんよりとした気分、こんな時はひたすらお酒を飲んで、アルコールの海に溺れるのも一興である。

 

「よし決めた。ウルザちゃん、香ちゃんから届いた酒を全部くれ。俺様が全部飲む」

「ランスさん宛に届いたものですから、全てランスさんがお飲みになられても勿論構いませんが……けれど今は控えておいた方が宜しいのでは? 見た所とても体調が良さそうには……」

「いーや。むしろ今だからこそってなもんだ」

 

 胸のもやもやをパーッと吹き飛ばす為、久々にお酒の力に頼ろうではないか。

 そのように決めたすぐ直後、

 

「……いや待てよ。考えてみりゃ俺様一人で飲んでもしょうがねーな」

 

 元々ランスには一人酒を楽しむ趣味など無い。

 ほんの数秒で考えを切り替えた彼の頭の中には、馴染みとなったあの三人の姿が浮かんだ。

 

「……そうだな。どーせならあいつらと一緒に飲むか。……と言うよりもいっその事……」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「……ところで、これから何をするの? 私、何も聞いていなくて……」

「サテラも聞いてない。シルキィは?」

「ううん、私も特には……。二人の事を集めておけって言われただけで……」

 

 ハウゼルの疑問にサテラが知らぬと首を振り、そしてシルキィも小首を傾げる。

 

 時刻はそろそろ夕方。場所はシルキィの部屋。

 部屋の中央に置かれた座卓を囲んでいるのは、三名のホーネット派魔人達。

 理由も聞かされずに集められた彼女達の表情には、一様に疑問符が浮かんでいた。

 

「……というか、ランスはどうしたんだ?」

「さぁ……?」

 

 彼女達に集まるよう指示した張本人の名を口にしたその時、部屋のドアが廊下側から蹴飛ばされ、ばたんと乱暴に開かれる。

 

「おーおー、ちゃんと揃っているな、よしよし」

「あ、来た来た。ねぇランスさん、今日は一体何の用事なの?」

「おう、その前にちょっとテーブル開けろ……よっこいせっと」

 

 ランスはのっしのっしと近づいてくると、その両手で抱えていた荷物、十本近くの酒瓶をどしんとテーブルに下ろした。

 

「ふぅ、ちかれた」

「ランスさん、それ……お酒ですか?」

「そ、酒だ。君達を集めたのは他でもない、今日は少しばかし酒宴を開こうと思ってな」

 

 本日の目的は酒宴。お酒を飲んで楽しむ事。

 それに加えてもう一つ、ちょっとしたイイ事を思い付いたランスの気分は先程より回復しており、その表情にはいつもの笑みが浮かんでいた。

 

「俺様思ったのだがな、この魔王城に来てから宴会をした覚えが無いのだ」

「宴会か……確かにそういうのはしないかもな」

「だろう? けどそれではイカンぞサテラよ。いくら戦争中とはいえ、いやむしろ戦争中だからこそ、勝った時などにはパーッとどんちゃん騒ぎをするもんだろう」

「……まぁ、それはそうかもね。けどほら、ホーネット様がああいう性格だからね……」

 

 ホーネット派の主はとても厳格な魔人、戦いに勝利した時などもすぐに兜の緒を締め直してしまうような性格である為、基本的にホーネット派内では勝利の宴のようなものが開かれる事は無い。

 しかしそれではストレスも溜まるというもの。シルキィはたまに野球大会を開く事でそれを発散しており、ランスの言いたい事も多少は理解出来たのか、少し気まずそうな表情で頬を掻く。

 

「それでも一応、魔物兵達にはお酒を許す時もあるんだけどね」

「まぁ魔物共と酒を飲みたいとは思わんからそれはどうでもいい。とにかくそんな訳で、今日は好きなだけお酒を飲んでパーッといこうではないか」

 

(……そんでもって、酔い潰れたこいつらと4Pを楽しむ訳だ、ぐふぐふぐふふ……!)

 

 本日の真の目的、4P。

 酒宴の裏に隠されているその企みに、ランスは脳内で厭らしく笑う。

 

 サテラ、ハウゼル、シルキィ。この三人はすでにランスにとって自分の女であり、もはやセックスのお誘いを断られる事は無い。

 しかし複数人でとなると事情は異なる。以前に一度サテラとシルキィ、そしてこの前ハウゼルとサイゼルとの姉妹丼は楽しんだものの、複数人での体験と言えばその程度。

 一対一ならばともかく、他の者が入り混じっての性交にはやはり抵抗感や気恥ずかしさがあるらしく、三人共中々誘いに乗ってくれない。

 

 そこで今回酒宴という目的でしこたまお酒を飲ませ、酔わせてその頭をくらくらにする。

 そして彼女達の判断能力を低下させて、なし崩し的に4Pに持ち込んでしまおう。

 そんなイイ事を思い付いたランスは途端にテンションが回復し、いつも通りの様子となってこの部屋に乗り込んできたのだった。 

 

「ところで君達お酒はどうなのだ? 先に言っとくけど酔うのはOKだが吐くのは禁止だからな」

「お酒、は……その……」

「む、どうしたハウゼルちゃん、酒はダメか?」

 

 ランスのその問いに、ハウゼルは少し困ったように眉根を寄せる。

 

「……いえ。駄目というよりも私、実は一度もお酒を飲んだ事が無くて……」

「えっ、そうなのか?」

 

 けど魔人って何百年も生きているんじゃないの? それで今まで一度も酒飲んだ事無いの?

 とそんな感じで、彼女の言葉にランスが内心びっくりしたのもつかの間。

 

「ランス、サテラも飲んだ事無いぞ」

「なんと!? シルキィちゃん、君はどうだ」

「私は大昔に何度か……けどそれ以来は飲んでないかな。あんまり美味しいと思えなくて……」

「……マジか。魔人って意外と酒飲まねぇのか?」

 

 どうやらこの三名の魔人は皆お酒を嗜む習慣が無いらしく、内一名はおよそ数百年振り、他二名に至っては初めての事になるらしい。

 酒には判断力が低下する以外にも色々な影響がある為、あまり慣れていない相手にお酒を飲ませすぎるというのは、宜しくない結果にも繋がりかねない危険な事ではあるのだが。

 

(……けど問題ねーっちゃ問題ねーか。むしろ酒に慣れてない方が好都合かもしれんな、うむ)

 

 真の目的である4Pの事を考えれば酒に弱い方が手っ取り早いし、なにより相手は魔人。

 飲み過ぎでぶっ倒れたとしても死ぬ事は無いはずなので、そこら辺は気にしない事にした。

 

「それなら尚更だ、何事にも慣れておいた方が良いぞ君達。特に今日の酒はJAPANから直送の超高級品でな、滅多に飲めるもんじゃないぞ」

「へぇ、JAPANのお酒なんだ。確かJAPANのお酒って有名なのよね?」

「その通り。どうだシルキィちゃん、飲みたくなってきただろう?」

「……そうね。せっかく用意してくれた事だし、別に飲むのは構わないんだけど……」

 

 シルキィには気掛かりな事があるのか、その視線をすぐ隣、真っ赤なポニーテールが似合う魔人の方へと向ける。

 

「……その、サテラは止めておいたら?」

「む、どうしてだシルキィ。皆が飲むのならサテラだって飲んでみたいぞ」

「けどハウゼルはともかく、貴女はお酒を飲んじゃ駄目な年齢じゃないの?」

 

 お酒を飲むのは大人になってから。真面目なシルキィはそういうルールは守りたいらしい。

 しかしそのように言われたサテラも頷きはせず、むっとした様子で言い返した。

 

「あのなシルキィ、サテラはもう100年以上生きてるんだぞ。駄目な年齢な訳が無いだろう」

「そりゃあ魔人になってからはそうでしょうけど、貴女の元の年齢は確か……」

「べ、別に元は関係ないだろう、元は」

「けど……」

 

 シルキィが気にしていたのは元の年齢、つまり魔人になる前の生物として生きていた年齢。

 魔人とは不老の存在。故に生物が魔人化するとその時点で体の成長などが止まるケースが多い。勿論例外となる魔人もいるのだが、サテラはその一般的な例に該当している。

 すると肉体的には魔人化した時点での年齢であり続ける事になるので、そういった意味ではシルキィの主張も正しいように思える。 

 

 ただそうは言ってもサテラは魔人として、もう既に100年以上もの時を生きている。

 だから問題無いのと主張にも一理はあり、どちらの言い分がより筋が通っているかはとても微妙な所にあった。

 

「それにだな。そもそも元の年齢の事を言うなら、シルキィだって駄目じゃないか」

「え、いや、私は別に……」

「え?」

 

 その「え?」と言う声はサテラ一人のものだけでは無くて。

 ランスやハウゼルの声も重なり、一同の視線がこの中で一番ちっこいその魔人に刺さっていた。

 

「ちょ、ちょっとなんなの、みんなして……」

「……え、シルキィちゃん、君が魔人になる前って……そ、そうなの?」

 

 ──その外見で? 

 とそんな失礼な台詞を言わんばかりに、ランスの目は見るからに疑惑の視線。

 だがそれも仕方無いと言える程に、その魔人はとても小柄であった。

 

「……いや、あのね、私はこれでも元々……」

「………………」

「……え、ていうかちょっと待って。ランスさんはまだいいとして、サテラとハウゼルは今まで私の事をどういう目で見ていたの? まさか……」

「……えっと」

「……その」

 

 見かけ上は少女のようにしか見えない魔人の問いに、サテラとハウゼルは思わず口籠る。

 

「………………」

 

 誰も彼もが口を開けず、その場は沈黙に沈黙が重なる何とも微妙な雰囲気に。

 そして結局質問者の方が折れた、というか融通を利かせる一面を見せた。

 

「……けれどまぁ、でもそうね! 元とか年齢とか、そういう事はあんまり気にしない方がいいのかもね、うんっ!」

「……そ、そうだな! その通りだシルキィ!」

「え、えぇ、せっかくの機会ですしね」

「よ、よっしゃ! じゃ早速始めるか!」

 

 疑惑は疑惑のままにした方が良い事もある。その事を悟ったシルキィは、年齢問題とか自分がどう見られているとかには目を瞑る事にしたらしい。 

 他の三人もしっかり空気を読んだのか、シルキィの言葉に頷きテキパキと動き始める。

 

 そしてすぐに酒宴の準備が完了。4人分のグラスにはたっぷりとJAPAN酒が注がれて、テーブルの上にはメイドさんに作ってもらったおつまみを乗せた皿が並んだ。

 

 

「そいじゃまぁ、諸君等の日々の頑張りと今後の活躍を祝ってぇ、かんぱーいっ!」

 

 ランスの乾杯の挨拶を受けて、三人の魔人もそれぞれ「かんぱーい!」と声を揃える。

 それぞれが手に持つグラスの縁が当たり、カチャンと小気味良い音を鳴らす。

 

「では早速っと……ほう、確かに美味い酒だな」

 

 ランスはくいっと一口、この城に来てからは味わう機会の無かったJAPAN酒を味わう。

 先程ウルザが言っていた通り、それはランス好みの甘口のお酒。彼のお眼鏡に十分敵う美酒であったが、しかし今日の目的は自分が酔う事では無く、この3人を酔わせる事にある。

 その為ランスはその一口だけで飲むのを止め、すぐにグラスをテーブルに置く。

 

 

「……ん、なんだかお酒って、意外と飲みやすいものなのですね。もっときつい味がするのかと思っていました」

 

 ハウゼルは恐る恐る一口味わい、初めて味わったお酒の口触りの良さに驚く。

 上質なJAPAN酒は水みたいな味がする。そんな何処かの売り文句そのままに、初体験となったハウゼルにもなんら抵抗無く、そのまますっとその喉を抜けていく。

 

 

「……あ、これ美味しい。昔に飲んだ時のものよりも全然美味しいかも」

 

 シルキィはそっと一口味わい、その味に満足したのか更にグラスを傾ける。

 大昔に飲んだ酒よりも上等な代物で、上品な甘みが口一杯に広がる。これは人類の研鑽の成果、お酒一つとっても人間の積み重ねというものは凄いなぁと、人間大好きな彼女らしい思いを抱く。

 

 

「……む。これ、美味いか? ……まぁでも美味いと言えば、美味いのかもな……うん」

 

 サテラは舐めるように一口味わい、そして何やら難しそうにその首を傾げる。

 彼女の舌では甘みよりも独特なアルコールの苦味しか感じず、正直美味しいとは思えなかった。

 だが他の面々が美味しそうに飲んでいるのを見て、ここでこの酒を不味いと言うのは自分が子供っぽいと認めるようで癪だったのか、その後もコクコクと飲み続ける。

 

 ランスが用意したJAPAN酒を飲み、三人の魔人はそれぞれ三者三様の感想を口にする。

 そして、その酔い方もまたそれぞれであった。

 

 

 

 

 



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酒に酔う

 

 

 

 

 香姫から届けられた贈り物、JAPAN酒。

 ランスはそれを受け取って、そしてある計画を思い付いた。

 

 女性に大量のお酒を飲ませる。そうして泥酔させてしまえば頭はくらくら、前後不覚となって判断力が低下した相手を美味しく食べてしまおう。

 悪い男の考える古典的な手法であるが、それだけにその有効性も実証されているというもの。

 

 今回のランスの獲物は三人、狙うは未だ経験出来ていない彼女達との4P。

 そこでサテラとハウゼルとシルキィに招集を掛け、酒宴を開催する運びとなった。

 

 ランスによる乾杯の音頭を皮切りに、一同はJAPAN酒の芳醇な甘みを味わって。

 

 そして最初にその反応が起きたのは、誰あろう魔人ハウゼル。

 それは乾杯をしてから一分も経たない内の事。

 

 

「……う」

 

 その一言を口から零した、そのすぐ直後。

 

「うおっ」

 

 ゴトンッ、と痛そうな音が聞こえる。

 驚いたランスがそちらを向くと、見えたのはハウゼルの頭頂部だけであった。

 

「おい、ハウゼルちゃんが死んでるぞ」

「ハウゼル、大丈夫か?」

「……大丈夫、じゃ、ないかもしれません」

 

 見ればハウゼルはテーブルに額をぶつけて、そのままの格好で突っ伏し微動だにせず。

 隣に居たサテラがその肩を叩くものの、返ってくる声は病人のように弱々しいものだった。

 

「ハウゼル、ハウゼルってば」

「う、ゆ、揺らさないで……」

「ふむ、ハウゼルちゃんはお酒に弱いタイプか」

「……この様子を見ると、どうやらそうみたいね」

 

 ランスの言葉にシルキィは頷き、そして手に持っていたグラスを置いて立ち上がる。

 

「……というかこれはもう弱いって言うより……」

「……一切ダメって感じだな」

 

 ハウゼルの飲酒量はまだほんの一口二口程度だが、それでも見事に目を回している。

 もはや強い弱いで言い表せるものでは無く、アルコールへの耐性はゼロ、一欠片も無いと呼ぶようなレベルにあった。

 

「けど、こうなっちまえば触り放題だ、むふふ。ほーれハウゼルちゃん、抵抗しないならおっぱい触っちゃうぞー」

「ちょっとランスさん、酔って苦しんでいる人相手にそういう事しないの。ほらハウゼル、辛いならベッドで横になった方が良いわ」

「…………は、い」

 

 ササッとその隣に周り、早速とばかりにセクハラしようとするランスを咎め、シルキィは息も絶え絶えなハウゼルを優しく抱え上げる。

 

「……けどあれだな」

 

 そうして面倒見の良い魔人四天王に介助され、要救助者となった魔人は寝室へと運ばれていく。

 その後ろ姿をじっと眺めながら、ランスはしみじみとした様子で呟く。

 

「ハウゼルちゃんって、そうでなくとも押しに弱いくせに、お酒にもあんなに弱いのか」

 

 ただでさえ器量良し性格良し、淑女を絵に書いたような女性である魔人ハウゼル。

 だがその内面にはどうにも隙が多く、悪い事を考える男にとっては格好の餌食になりそうなもの。押しに負けて男に弄ばれ、あるいはお酒を飲まされて男に弄ばれ……とそんな絵面が容易に頭に浮かんでしまう。

 

「……なんつーか、あの子は魔人で良かったな。いやホントに」

 

 ハウゼルが自分と会うまで処女でいられたのは、間違いなく魔人だったおかげだなと、ランスはそんな事を思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 早速離脱者を出してしまったが、しかしランスの開催したこの酒宴に中止などは無い。

 やがて寝室の方からシルキィが戻ってきて、一同は酒盛りを再開。

 

「さぁさぁ飲め飲め。たんと飲め。ハウゼルちゃんが倒れてしまった分、君達は沢山飲みたまえ」

 

 ランスは作ったような胡散臭い笑顔で、残る二人の魔人に対してお酒を勧める。

 

「さぁシルキィちゃん、どんどん飲め。ほらほら」

「ありがとランスさん」

「うむ。ほれサテラも」

「お、おぉ……」

 

 今日の真の目的は4Pにあり、それには残る二人をくらくらになるまで酔わせる必要がある。

 ランスは自らお酌を引き受け、二人のグラスが空になったそばからおかわりを注いでいく。

 

「……うん、美味しい」

「……うん、まぁ……美味しいな」

 

 シルキィは柔らかな笑みを浮かべて、一方のサテラは複雑そうに唇を歪めて。

 この二人は少なくとも、先程のハウゼルのように数秒で倒れてしまうような事は無かった。

 テーブルにある皿に沢山用意されている、メイドさんが作ったおつまみなども口にしながら、お酒を飲み続ける事20分程が経過した頃。

 

 

「……うーむ」

「どうしたの?」

 

 ふいに聞こえた何かに悩むような声に、シルキィが反応する。

 

「……なんつーか、君は全然変わらんな」

「そう?」

「うむ。酔っているようにはまるで見えん」

 

 ランスの目に映るのはシルキィの顔。いつも通りにしか見えないごく自然な表情。

 すでにグラスで四杯程飲んでいるが、未だ彼女には全く変化が無い。JAPAN酒はビールなどよりもアルコール度数が高く、飲み慣れていない者ならばそろそろ反応が出てくる頃合いである。

 

「なんかこう頭がぼんやりしたり、ほわほわ~って感じになったりはせんか」

「んー、今のところは無いかな」

「……ぬぅ。つーかちゃんと飲んでるか? ほれほれ、もっと沢山飲め」

 

 ランスは再度シルキィのグラスにお酒を注ぎ、

 

「もう結構飲んでるけど……」

 

 彼女はそれをくいっと一口で飲み干すものの、

 

「……どうだ、酔っ払ってこない?」

「……うーん、どうなのかしら」

 

 これまでの人生で酒に酔った経験が無い為、それがどのようなものか分からないのか、シルキィはきょとんとした様子で小首を傾げる。

 だがその姿を見ている限りでは、彼女が酔っているようにはとても見えなかった。

 

「もしや君はあれか。うわばみというヤツか」

「そうなのかな。これまでお酒は全然飲んでこなかったから、何とも言えないけど……」

 

 魔人四天王シルキィ・リトルレーズン。どうやら彼女は先程のハウゼルとは対称的、お酒を飲んでも中々酔わない体質らしい。

 元々シルキィは人間の中では破格の強者、忘れられた英雄と呼ばれる程の存在であり、そういった者はえてして酒にも強いという事なのだろうか。

 

(……この分だと、シルキィちゃんを酔わせるのは大変そうだな。とりあえず……)

 

 全然酔っ払う気配の無いシルキィは後回し。いざとなったらあの約束を盾にして何とか頷かせようと考え、ランスは残る魔人の方に目を向ける。

 

「んで、こっちのこいつはっと……」

「……う~」

 

 すると奇妙な呻き声が聞こえた。

 

「……うむ。こいつはもう大丈夫そうだな」

「……む~! なぁ~にが大丈夫だ~?」

 

 ランスの目に映るのはサテラの顔。まるで恥じ入っているかのような赤ら顔に、何処を見ているのか分からない据わった目付き、そして締まりのないその喋り方。

 

「……ぬ~!」

「ぬーじゃねぇっつの」

 

 魔人サテラ。彼女は完全に出来上がっていた。

 およそグラス四杯程、初めて酒を飲む者にとっては少し多めと言える程度で、お酒に強くも無く、しかし弱くも無くといった感じであった。

 

「サテラ、貴女もう顔が真っ赤よ。飲むのはそろそろ止めておいたら?」

「……まだ飲む」

「けどほら、今も頭が左右に揺れているわよ、本当に大丈夫なの?」

 

 平衡感覚を失ったのか、サテラは振り子のようにふらふらと危なっかしく揺れており、何処からどう見ても挙動がおかしい。

 シルキィが心配して止めるのも当然と言えたが、

 

「まだのむ~!!」

 

 しかし酔っ払い魔人はてんで意に介さない。

 空になったグラスに自らお酒を注ぐと、ごくごくと飲み下していく。

 

「……だいたいー、ランスもシルキィも、なんでこんなおいしくないものを飲んでるんだぁ~?」

「いや、あのねサテラ。別に美味しくないのなら無理して飲まなくてもいいのよ?」

「……うぅ~」

「ちょっと、聞いてる?」

「うぅ~、うるさぁーいっ!」

「えぇ……」

 

 ぼけーっとした様子でいたかと思えば、突然がーっと吠え上がる。

 その酔っ払い特有のテンションの変わり様に、素面のシルキィはとても付いていけない。

 

「シルキィ! おまえな~、さっきからランスとイチャイチャして~!」

「別にイチャイチャしてない、してませんから」

「してた! サテラをのけものにしてた!!」

 

 シルキィはランスとただ普通に会話をしていたつもりなのだが、どうやらそれがイチャついていたように見えて気に食わなかったのか、

 

「ランスはサテラの使徒なんだぞぉ~! サテラの使徒を返せ~!!」

「うお、何じゃいきなり」

 

 酔っ払い魔人はぴょーんと跳ねてテーブルを飛び越えると、自分の使徒であるランスの首にひしーっと抱き付いた。そしてその肩辺りに自分の頭をぐりぐりと擦り付ける。

 

「うぅ~、ランス~、ランスぅ~……」

「こいつ……絡み酒か。面倒くせぇ酔い方するな。サテラっぽいと言えばサテラっぽいが」

 

 そんな酔っ払いを首に巻いたまま、ランスは気にした様子も無くつまみのイカゲソを齧る。こうして酒を飲ませると決めた以上、こんな事にもなるかもとは一応予想していたらしい。

 

「面倒くさいってなんだー! サテラはランスの主なんだぞぉ、もうちょっとこう~……」

「はいはい、分かった分かった」

「……むぅ~!!」

 

 ランスはとても適当な調子で、その頭をぺしぺしと叩く。

 そのおざなりな対応に苛立ったのか、むっとした表情のサテラは眉を釣り上げる。

 

「そーじゃないっ、もっとこう、大事にというか、優しくというか……」

「はいはい、いい子いい子」

「むむぅ~!!」

 

 ランスの適当さ加減は変わらず、今度はその頭をわしゃわしゃと撫で回す。

 それでも満足しなかったのか、サテラは真っ赤なほっぺをぷくーっと膨らませる。

 

「……そうだっ! ランス、お前に言いたいことがあったんだ!」

「言いたい事?」

「そう、この前の事だ! この前、ランスはどこに行っていた!!」

 

 元々そうなのだが、今日は酒が入って普段よりも更に怒りっぽくなっているのか。

 通常よりも3割増ぐらい目付きの悪いサテラに睨まれ、ランスは「この前?」と首を傾げる。

 

「この前って……バラオ山の事か? もしかして知らなかったのか?」

「知ってたぁ! いや知らなかったの!」

「どっちだよ」

「じゃなくてっ、なんで急にそんな所に行ったんだ! かってに~!」

 

 抑えられない怒りの発露に、サテラは「このっ、このっ!」と掛け声を合わせて、自分の頭を何度もランスの肩にぶつける。

 まるで子供が戯れているような光景だが、それでも魔人の彼女にされると中々に痛いもので。

 

「いでっ、いでぇっつの! なぁシルキィちゃん、こいつ何が言いたいのだ?」

「……そう言えばサテラ、ランスさん達が城に帰ってくるまで寂しそうにしてたっけ」

「寂しい?」

「うん。ほら、急だったから」

 

 どうやらシルキィによると、ランスが何も告げずに突然バラオ山に出発してしまった為、魔王城に残されたサテラはしょんぼりしていたらしい。

 その時に溜め込んだおよそ一週間分の鬱憤が今、お酒の力を借りて爆発しているようだ。

 

「……なるへそ、要はスネてんのかこいつ」

「スネてなぁ~いっ!」

「スネてんだよな、これ」

「うん、多分そういう事だと思うけど」

「だからスネてるんじゃないの~! サテラはランスの主として、使徒の勝手な行動にだな~!」

 

 使徒として、出掛けるならば主に一言ぐらい残すべき。と言うか一緒に連れて行くべき。

 それが彼女の怒りの火種。結局の所は置いてけぼりを食らってスネていたのである。

 

「分かった分かった、今度どっかに出掛ける時はお前も連れてってやっから」

「……ほんと?」

 

 そう呟き、ランスの身体に引っ付いていたサテラは顔を上げる。

 その目は期待に輝き、すでに先程のイライラはすっかり消えていたのだが。

 

「うむ。まぁ覚えていたらだが」

「……むむぅ~!!」

 

 その余計な一言が癇に障ったのか、再度プンスカ怒ったサテラはランスにぎゅっと抱き付いた。それはもう、思いっきりぎゅぎゅーっと抱き付いた。 

 

「ちょ、おいサテラ、苦しいって」

「むむむぅ~!」

 

 それは怒り故なのか、それともその相手を求める気持ち故なのか。

 とにかくその魔人は思いの丈の込めるかのように、目一杯ランスの身体に抱き付く。

 

「むむむむぅ~~!!」

「むむむじゃない、いいから離せっつー……ちょ、いだだ! いだだだだだッ!!」

 

 その酔っ払いを引き剥がそうとしていたランスは、突如叫びと共に表情を苦痛に歪める。

 どうやら酒に酔ったサテラは手加減を忘れているのか、その力はわりと容赦の無いレベルに突入し、彼の肋骨はみしみしと悲鳴を上げていた。

 

「し、シルキィちゃん、ヘループ!!」

「あぁもう、何やってるのよ全く……」

 

 ランスから助けを求められ、しょうがないなぁといった感じで立ち上がったシルキィも、

 

「ほらサテラ、あんまり締めるとランスさん死んじゃうから……」

「むあ~!!」

「ぎ、ギブギブギブキブ!!!」

「わ、ほんとに凄い力!?」

 

 その酔っ払いの尋常ではないパワーを見てすぐに血相を変える。

 

「ちょっとサテラ、いしょっと……!」

「む、むうぅ~!」

「もう、暴れないの……ランスさん、大丈夫?」

「げほげほ、死ぬかと思った……」

 

 それでもさすがに魔人四天王、格上となるそのパワーを発揮して、強烈なハグで自らの使徒を絞めるサテラをどうにか引き剥がす。

 やっとこさその拘束から開放され、ランスは痛む脇腹を押さえながら叫んだ。

 

「駄目だ!! 酔っ払った魔人は面倒くさい!! つーか手に負えん!!」

 

 酒を飲むと理性が崩壊し、その結果タガが外れてしまうというのは良くある話。

 ただそれが人間ならどんなに暴れたとしても、ランスならば黙らせるのに苦労は要しない。一発ぶん殴ればそれだけである。

 しかしサテラは人間では無くれっきとした魔人。悪酔いして暴れる魔人というのは、さすがの彼にも手に余る面倒な存在で。

 

「かくなる上は……」

 

 無敵結界によって攻撃が弾かれる以上、この酔っ払いを黙らせる方法は一つしか無い。

 ランスは中身がたっぷりと残る酒瓶を手に取り、それをそのままサテラの口へと突っ込んだ。

 

「そーだなサテラ、全部お前の言う通りだ。だからもっと酒を飲もうな、ほれほれ」

「む、むむぐ、ランス、自分でのみゅから……」

 

 顎を無理やり開かされ、サテラは子供のようにいやいやと首を振る。

 だがランスはその頭をしっかりと押さえ、彼女の胃袋にどんどんアルコールを追加していく。

 

「さーさー遠慮はいらんぞー、ほーらほら」

「むぐきゅ……」

「飲め飲めー」

「んあが……」

「ちょ、ちょっとランスさん、そんな無理やりに飲ませるのは……」

 

 その光景に見かねたシルキィが口を挟むものの、これ以上酔っ払いの相手をしたくないランスは一向に手を止めない。

 

 そして。

 

 

「……うぅ」

 

 限界までお酒を飲んだ、と言うか飲まされたサテラは完全に目を回してしまい、

 

「……いじゅは~~……」

 

 最後に意味不明の言葉だけを残して、そのままこてーんと背後に倒れた。

 

「……くー……」

 

 そしてすぐに可愛いらしい寝息が聞こえてくる。

 こうして酔っ払い魔人サテラは、ランスの手によって見事に退治された。

 

「ふぅ、よーやく潰れたか。……今考えてみると、魔人を酔わせてセックスするってのは少し無謀だったかもしれんな」

 

 眠りに沈んだサテラを脇に退けながら、疲れ果てた表情のランスは己の過ちを振り返る。

 彼女達は皆一見すると普通の女性であるが、その身には強大な力を秘める魔人という存在。

 その力は人間の比では無く、そんな相手を酔わせて判断力を低下させるのはリスクが大きく、今のように一歩間違えれば大怪我に繋がりかねない。

 

 4Pはまた別の方法で挑戦するべきか。けれどもそんなリスクに挑んでこその自分だろうか。

 と言うかサテラとハウゼルはもう眠ってしまったので、これは4Pというよりも眠姦になってしまわないか。それはそれでありなのだろうか。 

 とそのような事を、うーむと唸って悩んでいたランスの一方で。

 

「……呆れた。そんな事を考えていたのね」

 

 この酒宴の本当の目的、それが下心から来る実に相変わらずな理由であった事を知り、シルキィは言葉通りに大層呆れた様子で嘆息する。

 そしてその視線をテーブルの上、先程ランスが乾杯の際に一度口に付けたグラス、それきり中身が減っていないグラスへと向けた。

 

「通りでランスさん、さっきからちっともお酒を飲んでいないと思ったわ。せっかくの機会なんだし、エッチな事なんか忘れてもう少し飲んだら?」

「……そーだな、そうすっか」

 

 エッチな事を忘れるなど出来ない。しかし浴びる程にひたすら酒を飲んで、ぐでんぐでんに酔っ払って胸のもやもやを吹き飛ばす。

 それが当初の目的であった事を思い出したのか、ランスは自分のグラスを手に取った。

 

 

「んじゃシルキィちゃん、改めて乾杯といこう」

「うん、乾杯」

 

 そして再度の乾杯。二人のグラスが合わさり、再びかちゃりと綺麗な音を鳴らす。

 

「ぐびぐびっと……うむ美味い。どうだ、この酒は美味いだろう?」

「えぇ、ほんのり甘口でとても美味しいわ。大昔に飲んだのは何だか苦味が凄くってね……」

「そーだろうそーだろう。これは香ちゃんがJAPANからわざわざ届けてくれた逸品だからな、そんじょそこらの酒とは違うぞ」

 

 酔っ払い魔人サテラが討伐された影響で、騒がしかった部屋内には静けさが戻っていて。

 

「つーかこの城にある酒はちっとも美味しくない。あれはなんとかした方がいいと思うぞ」

「そうなの? この城にあるお酒はすぐそばのブルトンツリーで造られているらしいけど、私はあんまり詳しくないから……」

「この城の酒はなんつーか……そう、ヘルマンの酒に近い。考えてみりゃすぐ隣だし、どっちかが真似したのかもしれんな。ヘルマンの酒はアルコールが強すぎるだけで美味くないのだ」

「へぇ、お酒って言っても色々あるのね……とランスさん、もう一杯貰えるかしら?」

「おうおう、飲め飲め」

 

 シルキィは空のグラスを差し出し、そこにランスがお酒を注ぐ。

 そんな感じで二人は何気ない会話を交わし、しばし美酒の味を楽しんでいたのだが。

 

「……そういやぁ」

「どうかした?」

 

 ふいにランスは何かを思い出したのか、目の前に座るシルキィの顔をじっと見つめる。 

 

(……シルキィちゃんって確か、ホーネットの事は生まれた時から知っているとか言ってたよな)

 

 ランスの脳裏に去来するのは、以前シルキィの口から聞いたそんな言葉。

 そしてそれともう一つ、二日前からずっと悩んでいるあの魔人に関しての事。

 

 どれだけ悩んでも自分にはさっぱり分からなかったが、しかしシルキィならどうだろうか。

 彼女はホーネットとは古くからの付き合い、生まれた時から知る関係であるならば、ホーネットについては自分よりも遥かに詳しいはずである。

 ホーネットが自分とのセックスを拒む理由、それもシルキィに相談してみれば見えてくるものがあるかもしれない。

 

「……ふむ、なぁシルキィちゃん」

「んくんく……はぁ、美味しい。あ、ランスさん、もう一杯貰っていい?」

「おぉ、どんどん飲め飲め」

 

 だが。

 

 

「……ふぅ。お酒も美味しいけれど、おつまみも美味しいわね」

「確かにこのイカ焼きはウマい。こっちのチーズもいけるな」

「そうね、メイドさんに感謝しなくちゃね……と、ランスさん、もう一杯酌んで貰える?」

「お、おぉ、早いなシルキィちゃん」

 

 そんなホーネットについての事を相談しようと思った矢先。

 

 

「こくこく……はー、やっぱ美味しいな。ランスさん、もう一杯ちょうだい」

「え、もうおかわり?」

「うん、このお酒ホントに美味しくて」

「そ、そうか……というかシルキィちゃん、君なんか酔っ払ってきた?」

「ううん、私はまだ全然酔ってないから大丈夫」

 

 次第にランスもその違和感に気付き始めて。

 

 

「これかまぼこ? かまぼこかな?」

「お、おぉ。それはかまぼこだな」

「ね、かまぼこ美味しいねー。あ、ランスさん、もう一杯ちょうだい」

「……あの、なんか君、ペース早くないか?」

「大丈夫よ、まだ私は全然酔ってないから。ほら、酌んで酌んで」

「う、うむ……」

 

 うわばみと言えども酔う事はあるのでは?

 と言うかそもそもこの魔人は本当にうわばみなのだろうか? その評価は大きな間違いで、他の二人よりほんの少しお酒に強かっただけなのでは?

 

 とそんな疑惑がふつふつと湧いてきて。

 

 

「……おいしー。お酒もおいしいし、おつまみもおいしいな。て事でランスさん、もう一杯」

「……そういやぁシルキィちゃん。これは誰かに聞いた話なのだが、私は酔ってない、っつーセリフは酔っ払いの常套句らしいぞ」

「へぇ、そーなんだ、けど私は酔ってないから」

「………………」

 

 ──これはもしかしてヤバくないか?

 そう思った時にはすでに引き返す術など無く。

 

 そして。

 

 

「ん」

 

 もはやその一言。

 酌んでと頼む事も無く、その魔人は空になったグラスを前に突き出す。

 

「……きみ、まだ飲むの?」

「ん」

「いやあの」

「んっ」

「………………」

 

 早く早く、とグラスを揺する。そんな彼女の無言のプレッシャーに押されてしまったのか。

 その後もランスは言われるがまま、いや言われぬがままにお酌を繰り返し。

 

 そうしていつしか魔人シルキィの姿は、その場から見事に消えてなくなっていて。

 

 

「……ぷはーっ!」

 

 そこには新たな酔っ払い魔人が出現していた。

 

 

 

 

 



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酒に酔う 酒豪魔人の場合

 

 

 

 

 酒宴が開かれてから一時間程が経過した頃。

 

 最初に撃沈したのは魔人ハウゼル。

 彼女はお酒に対して弱すぎた。飲み会開始から数十秒、一口飲んだだけで倒れてしまった。

 

 次に轟沈したのは魔人サテラ。

 彼女はお酒に対して普通だった。ただ酒を飲むのが初めてだったのが災いしたのか。

 自身の適量を知らなかった彼女は勢い余って飲みすぎてしまい、その結果酔っ払い魔人となって暴れ、あえなくランスに討伐された。

 

 そうして生き残ったのは魔人シルキィ。

 彼女はお酒に対して強かった。少なくとも前の二名よりは強かった。

 ただ彼女は初めて飲んだ美酒の味をいたく気に入ってしまい、ぐびぐびと飲んではランスにおかわりを頼み、またぐびぐびとグラスを傾けて。

 

 そして。

 

 

 

「……ぷはーっ!」

 

 快活な声と共に、その魔人は空になったグラスをテーブルにごとんと落とす。

 その顔色は赤く、その表情からは常の真面目さなどは見事に吹き飛んでいる。

 魔人シルキィはもうすでに、何処からどう見ても完全なる酔っ払い魔人と化していた。

 

「……らんすさんっ!」

 

 シルキィはその名を呼んでにっこりと、それはもう満開の笑顔を咲かせる。

 

「……なに?」

 

 その表情はとても可愛らしかったのだが、何故かランスにはあまり良いものには思えなかった。

 

「らんすさん、らんすさんっ!!」

「お、おう、なんだなんだ」

「へへーっ、呼んでみただけー」

「………………」

 

 シルキィはきゃっきゃと笑い、伸ばしていた両足をぱたぱたと上下に動かす。

 ランスの沈黙などはどこ吹く風、なにやらとても楽しそうである。

 

「……呼んでみただけって……シルキィちゃん、完璧に酔っ払ったな」

「酔ってませーん」

「いや酔ってるって、もう声が酔ってる。君そんな間延びした喋り方せんだろうに」

「酔ってませーん、酔ってないもーん」

 

 何故酔っ払いは自らが酔っている事を認めたがらないのか。その理由は不明だが、この酔っ払い魔人が酔っている事は疑いようが無い事実。

 その表情といいその口調といい、今のシルキィはまるで外見相応の少女そのもの。どうも精神年齢が退行してしまったのか、1000年以上の時を生きている存在にはとても見えなかった。

 

「……んー。なんかぽかぽかするね」

「だからそれは酔ってるからだっつの」

「違うんだってばー。……でも、こーなるとなんていうか……うーん」

 

 彼女にとっては初めて味わうお酒の酩酊感。頭の中がふわふわするような感覚が気になるのか、シルキィはくすぐったそうに身体を揺すったり、難しそうに首を傾げたりしていたのだが。

 

「あそーだ。ねぇらんすさん、らんすさん」

 

 やがて何かを思い付き、相変わらず楽しそうな表情でランスに声を掛けた。

 

「どした?」

「らんすさんってさー、わんわんとにゃんにゃん、どっちが好きなの?」

「……あん? なんじゃその質問は」

 

 何も脈絡も無い、そしてあまりにもどうでもいい質問にランスは面食らう。

 彼は小動物というものには興味が湧かない。故にわんわんだろうがにゃんにゃんだろうが、どちらも別段好きという訳では無い。だが、

 

「いーから答えて。ほら、ほら。わんわんが好きなの? それともにゃんにゃんなの??」

 

 そのように急かしてくるシルキィ、もとい酔っ払い魔人を前にしては、どちらか選ばないと話が進まないような気がしたので。

 

「んじゃあ……にゃんにゃんかなぁ」

「にゃんにゃん? にゃんにゃんなの?」

「うむ、まぁ」

「へー、そーなんだー、いがーい」

 

 一体何がそんなにも気になるのか、シルキィはふーん、なるほどねー、と何度も頷いている。

 

「別に以外も何も無いだろうに……」

 

 酔っ払いの考える事はよく分からんなと、ランスはそんな事を思いながら、テーブルの上にあるつまみの皿に手を伸ばそうとした。

 

 とその時。

 

 

「にゃあー」

「は?」

 

 突如聞こえたにゃんにゃんの鳴き声に、ランスはぽかんと口を開く。

 

「うにゃーお」

「シルキィちゃん?」

「ふにゃーお、ふにゃーん」

 

 シルキィはまるでにゃんにゃんのように鳴きながら、にゃんにゃんのように四つん這いになって、ランスの方によちよちと近づいてくる。

 

「ふーにゃ、ふーにゃ」

 

 そしてにゃんにゃんが戯れ付くように、ランスの胸元にすりすりとその頭を寄せる。

 その姿はまさににゃんにゃんそのもの。今ここに居る彼女は魔人四天王などでは無く、ちょっと身体が大きめな一匹のにゃんにゃんであった。

 

「にゃー、ごろごろ」

「……マジか。シルキィちゃん、酔っ払うとこんな事になっちまうのか」

 

 ランスは呆然とした様子で呟き、飲みの席に突如現れたにゃんにゃんの顎の下を撫でてみる。

 

「ふにゃー♪」

 

 するとそのにゃんにゃんは心地よさそうに頬を緩ませ、にゃーにゃーと甘えた鳴き声をあげる。

 

「……マジかー」

 

 とても可愛らしい、しかしある種の狂気の沙汰とも言えるその姿。

 これ以上見ていられなくなったのか、ランスはとても辛そうに自分の目元をその手で覆う。

 

 魔人シルキィは泥酔した挙げ句に、何とにゃんにゃんになってしまった。

 先程のサテラのように絡まれるのも面倒くさいが、これはこれで相手にするのが憚られる、出来れば目を逸していたい姿である。

 普段はあんなに真面目な彼女がこんな事になってしまうとは、お酒というのは本当に恐ろしいものだなぁと、ランスがしみじみ実感していると。

 

「って、そんな訳無いでしょ!」

「うおっ」

 

 突然シルキィはその顔をバッと上げて叫ぶ。

 先程までにゃんにゃんを完璧にトレースしていたその酔っ払いは、いつのまにか元の様子へと戻っていた。

 

「……君、なんか忙しないな。さすがの俺様もついていけんのだが」

「らんすさん。いまあなた、わたしがなんか変な事してるなって思ったでしょ。でも違うから」

「いや違くないだろ、ばっちり変な事していたぞ」

 

 今のが変な事では無くて、一体何が変な事だと言うのか。

 ランスは至極真面目にそう伝えるものの、彼女はんーん、と首を横に振る。

 

「そーじゃないの。理由があるの」

「理由だ?」

「そーなの。さっき、わたしがにゃんにゃんになった理由ね、ちゃんとあるの」

「……あ、そうなの?」

 

 今しがたのシルキィの奇怪な行動。

 あれは決してとち狂った訳では無く、一応本人なりに何かしらの理由あっての事らしい。

 

「じゃあらんすさん、当ててみて」

「は?」

「クイズよクイズ。わたしがにゃんにゃんになってみた理由、当ててみて」

「………………」

 

 魔人四天王シルキィ・リトルレーズン。

 常日頃からとても真面目な彼女が、いきなりにゃんにゃんの真似をし始めた理由と言えば。

 

「……そりゃあ、酔っぱらったからだろ?」

「ぶー。違いまーす」

「いや、正解だろこれ」

 

 シルキィは両手で大きなバツマークを作るが、しかしランスにはその答えしか思い付かない。

 もし今の彼女が酔っておらず、完全なる素面であんな事をしたのなら、少し付き合い方を考えなければならないとまで思えてくる。

 

「わたしは酔ってないし、それにそういう事じゃないの。もっとね、ちゃんとした理由があるの」

「ちゃんとした理由って言われてもなぁ。にゃんにゃんの事が好きだからとか?」

「ぶぶー。違いまーす」

 

 再度、酔っ払い魔人は両手で大きなバツマークを作る。

 

「なら……本当は魔人じゃなくて、にゃんにゃんになりたかったとか」

「ぶぶぶー、違いまーす」

「んじゃあ~~……あーもう、やめだやめ! 分かるかそんなもん!!」

 

 酔っ払いの奇行の理由など分かる訳が無い、考えた所で時間の無駄になるだけにしか思えない。

 ランスはクイズに答えるのを止め、そのまま背後にごろんと倒れ込む。どうやらシルキィに付き合うようにお酒を飲んだ結果、彼の方にも酔いが回ってきているようだ。

 

「は~……どいつもこいつも酔わせるとロクな事にならん。酔わせて4P作戦は失敗だなこりゃ」

 

 数秒で倒れてしまったハウゼルはまだ良い。抱くのにはなんら問題無いからだ。

 けれど悪酔いして普段より乱暴になったサテラを抱くのは危険だし、にゃんにゃんになったりクイズを出してきたりするシルキィに至ってはもうよく分からない。これとセックスしたらどうなるのか、ランスには全く想像が付かない。

 

 酒に酔わせて女を抱くというのは古典的な手であるが、ちゃんと相手を選ぶ必要がある。

 そんな事を教訓に得て、ランスはよっこいせとその身体を起こす。どうせ4Pは無理そうだしなと、再びお酒を飲もうとしたのだが。

 

 

「ぎょ!?」

 

 と突然叫びを上げ、ランスはその目に見たものが信じられずに驚きを露わにする。

 彼の目に映る相手、酒に酔った魔人四天王が何をしていたかと思えば。

 

「……ぅ、……ふぇ……く」

 

 なんとシルキィは泣いていた。 

 か細い声ですすり泣き、その瞳からぽたぽたと透明な水滴を零していた。

 

「……っく、……ぐす、ぅ……」

「……え、あ、し、シルキィちゃん。君、何で泣いてんの?」

 

 まさかこの魔人が泣くとは露程も思わず、ランスは狼狽を隠せない。

 

「……うっ、ひっく……」

 

 すると嗚咽を漏らしていたシルキィは、震える声で「……だって」と呟き、

 

「……らんすさん。わたしの考えたクイズ、全然真面目に答えてくれない……」

「そんな理由で泣くの!?」

 

 あまりにもちっぽけ過ぎる理由に、ランスはほんの数秒前にその涙を見た以上の衝撃を受ける。

 お酒の影響で涙腺まで緩くなってしまったのか、とそんな事を思ったのもつかの間、泣いていたシルキィは目元を拭い、ふるふると首を横に振る。

 

「……違うの」

「違う?」

「……そうじゃないの。そうじゃなくて、らんすさん、わたしに全然興味無いんだもん……」

「……え?」

「わたしの事なんてどうでもいいんだなって、何とも思ってないんだって、それが凄く伝わってきて、なんか悲しくなっちゃって……」

 

 その上擦った涙声はとても切実で、聞く者の胸を打つような悲哀に満ちていた。

 どうやらあのクイズをすぐに投げ出したランスのそっけない対応、その冷たさが、アルコールによって脆くなった彼女の心にグサリと刺さり、それで泣き出してしまったようだ。

 

「……う、い、いやシルキィちゃん、別に興味無いなんてそんな、そんな事は無いぞ。うむ」

「……ほんと?」

 

 涙に濡れたその紅い瞳が、ランスの事をじっと見つめる。

 

「おう、ホントホント」

「ほんとに? わたしに興味あるの?」

「あるある。たっぷりあるとも」

「じゃ、クイズに答えてくれるよね?」

「………………」

 

 何故シルキィはにゃんにゃんになったのか。

 結局そのクイズから逃れる事は出来ないのか、ランスは嫌そうに表情を歪めて、

 

「…………ヒントくれ」

「ヒントかぁ~、そうだなぁ~……」

 

 するとシルキィは難しい顔でうーんと唸る。

 先程まで泣いていたのは誰だったのか、その目元はきれいさっぱり乾いていた。

 

「別に特別な理由じゃないの。人がにゃんにゃんになりたい時は誰でもそんな感じっていうかね?」

「つってもな、俺様にゃんにゃんになりたい時などこれまでの人生で一度も無いのだが」

「なら~……さっきみたいにこう、誰かにすりすり~とかしたくなる時ってあるでしょ? それはどういう時かな?」

「だからそれも無いっつーの。……あ~」

 

 人がにゃんにゃんになりたい時、誰かにすりすりしたくなる時。

 ランスはそのヒントを元に十秒程考えて、

 

「……あれか? 甘えたくなったって事か?」

「そうっ! せ~かーい!! ぱちぱちー!!」

 

 出題者のシルキィはにっこり満点の笑顔、正解者のランスに祝福の拍手を送る。

 どうやら彼女は酔っ払った結果、無性に誰かに甘えたい気分になったらしい。

 それでランスが好きだと言うにゃんにゃんの真似をして、甘えてみたというのが真相のようだ。

 

「なんだ、甘えたかったのか。ならにゃんにゃんの真似などせずにそう言えばいいものを」

「甘えたかったっていうか~、らんすさんとこうして話すのも久しぶりだしさ~」

 

 シルキィはその口元を尖らせて、少し照れた様子でそっぽを向く。

 

「要はあれだろ? 君もさっきのサテラと一緒で、俺様に会えなくて寂しかったって事だろ?」

「寂しかったっていうか~。ちょっとこう、くっ付きたいなって気分になったっていうか~?」

「わあったわあった、みなまで言うなって」

 

 にゃんにゃんの真似はどうかと思うが、女性にくっ付きたいと言われて悪い気はしないのか。 

 ランスは「全くモテる男はツラいぜ」と自慢げに呟き、そしてくいっと一口グラスを呷る。

 

「しっかしあれだなぁ。結局のところ、シルキィちゃんもこの俺様にメロメロって訳だ」

「む。そーいう事じゃないわ。別に好きだから甘えたいってわけじゃないの」

「あんだとぉ?」

 

 にゃんにゃんの真似をしてまで甘えてきたり、構ってくれないと泣き出してしまったり。

 今の一連の流れを踏まえて、自分に惚れていないというのは無理がある。そう思うランスはシルキィの事をじっと睨むが、睨まれたシルキィはぷいっとその顔を背けてしまう。

 

「だってらんすさん、エッチなんだもん。わたし、エッチな人は好きじゃないの」

「何を言うか。大体シルキィちゃん、君の相手なんぞこの俺様ぐらいにしか務まらんぞ。なんせ君ってばものスゴいエッチだし」

「わたしはエッチじゃありませんー。言いがかりは止めてくださいー」

「言いがかりちゃうわ。つーか酔っててもそれは認めないのか、筋金入りだなホントに」

「違いますー、でたらめですー」

 

 それは決して真実などでは無い。その件に関しては何処までも争う所存である。

 あたかもそう宣言するかのように、その魔人は赤ら顔をつーんと背けていたのだが、やがて、

 

「……ていうかね」

 

 横目でランスの顔をちらりと伺いながら、ぽつりと呟いた。

 

「……別にエッチなのは構わないのよ、うん。けどもね、いろんな人に手を出すのは駄目だわ。そーゆー不誠実な人の事は好きにはなれません」

「あー。そういやシルキィちゃんはそういうタイプだっけか」

 

 もうすっかり自分の女、セックスに誘っても断られる事が無いのでランスは忘れていたのだが、元々彼女は貞操観念がとてもしっかりしている魔人。

 男と女は互いに愛し合う相手だけを愛するべき。その価値観を持ち続けるシルキィにとって、美女とあれば手を出しまくるランスの事はNG、好きになる対象には思えないらしい。

 

「しかしシルキィちゃん、不誠実ってのは違うぞ。俺様は女性に対してとても誠実だろうに」

「不誠実ですー。好きでもない女の子に、ただエッチな事がしたいからって……」

「そこだ、そこが違う。俺様は確かに沢山の女の子に手を出すがな、それは全員の事が好きだから手を出しているのだ。……えーと、あれだ、何だっけ、あの~……そう、カレーうどん」

「……カレーうどん?」

 

 シルキィのオウム返しの質問に、ランスは「その通り!」と大きく頷いた後。

 

「……いや違うな、うどんとカレーだ。ほれ、うどんとカレーがどっちも好きな場合、どっちかしか食わないなんて選択はないだろ? どっちも美味しく食べるだろ? つまりはそーいう事なのだ」

「あのねぇ、それが不誠実っていう事なのよ」

「いーや。俺様は全員に対して真面目なのだ。だから不誠実じゃない」

「違いますー! 誠実だったら、男女は互いに一人だけを愛するべきなの! 絶対そうなの! わたしはまちがってなーいっ!」

 

 食って掛かるような勢いで主張した後、シルキィは酒瓶を手に取ってグラスに注ぐ……のが面倒くさくなったのか、そのままラッパ飲みでごくごくと喉を鳴らす。

 

 シルキィが有しているその価値観。それは彼女が生きてきた年月、約1000年にも及ぶ長い期間によって構築されたもの。

 故にうどんとカレー理論をぶつけてみても、そう簡単に揺らぎはしないものであって。

 

「……ふーむ」

 

 その事を理解したランスは、ならばと少々攻め方を変えてみる事にした。

 

 

「男女は互いに一人だけを愛すべき……か。ふん、なるほど。確かにシルキィちゃん、君の言っている事は間違ってはいないな」

「でしょ~?」

「だがな、それは一般人にとっての話なのだ」

「……いっぱんじん~?」

「そ、一般人。そりゃそこらの凡人には一人が限度だろうさ、けども俺様は英雄だぞ? 一般人じゃない英雄に、一般人の理論は当てはまらんのだよ」

 

 シルキィの価値観は正しい、ただそれは立場によって異なるものだとランスは主張する。

 

 この世界にある国々、リーザスやゼスなどでは重婚は禁止であり、浮気や不倫は不貞とされる。それはシルキィの価値観を肯定するなによりの証。

 だから間違っている訳では無いのだが、しかし国のルールとはその国の王が決めるもの。一国の王が後宮にハーレムを持つ事など、この世界では特に珍しくも無い話で。

 

「イイ男がイイ女と沢山セックスするのは自然の摂理なのだ。俺様が抱きたい女、俺様に抱かれたい女が山程居るのに、それを一人だけに縛る事の方が不自然、不誠実だと言うものじゃ」

「……ううーん」

 

 英雄色を好むを地で行くランスの価値観。

 それでも頭の固い普段の彼女のままであれば、そう簡単に認めはしなかっただろうが、

 

「……そっかぁ~。そう言われてみると、そうなのかもねー」

「だろー?」

「ねー。他の人ならうーんだけど、なんせらんすさんだしねー」

「だろだろー?」

 

 しかし今のシルキィは普段通りでは無く、その頭はアルコールによってふにゃふにゃだった。

 こくこくと何度も頷き、価値観が異なる相手の言葉に同意する柔軟性を見せると、

 

「……でも、じゃあ……」

 

 ふいにその表情が切なげなものへと変わり、ランスの顔をじっと覗き込んだ。

 

「どした?」

「……らんすさん、わたしもそうなの? わたしの事もカレーうどんなの?」

「は?」

 

 何言ってんだこの酔っ払いは。とランスは一瞬その意味がよく分からなかったのだが、

 

「……あー、好きかって事か? そりゃ勿論、好きでもない相手を何度も抱いたりせんだろ」

「……ほんとに? けどわたし、こんななのよ?」

「こんな? こんなって何が?」

「だから、わたしってほら……こんなじゃない?」

 

 シルキィは座ったまま、ランスに対して自分を見せるかのように両手を広げる。その様子にはどこか物寂しさが伝わってくる。

 彼女がこんなと評する彼女自身、それは女性的な魅力が見当たらない、平坦で小さな身体。

 

「さてらとかね、はうぜるとかね、それこそほーねっと様とかだったらね、好きになるのも分かるの。みんな綺麗で魅力的だもの。けどわたしは……」

 

 異性からどう見られているか。そういった事に関して、シルキィはとことん自己評価が低い。

 彼女にとって彼女自身とは、他の女性達よりも遥かに魅力に欠ける存在なのである。

 

「……わたしは、こんなだし……」

 

 ただそういった事に関して、これまでのシルキィは特に気にしていなかった。

 なぜなら彼女は戦士であり、戦士である自分には必要の無い要素だからである。

 

 しかしそんなシルキィはランスと出会い、初めて性交を行う事になった。

 そしてその後も何度も求められると、そういった事を否が応でも気にせざるを得なくなって。

 そうして気にし始めたら周囲に居る女性達と比較して、なにやら色々思う所があったようだ。

 

「こんなわたしの事……ほんとに好きなの?」

「もっちろん! イイ女はみーんな好き、んで君は十分にイイ女だからな」

「けど……胸だってこんなに小さいのよ? こんなに小さい胸がほんとに好きなの?」

 

 子供のようなその胸元を両手で押さえて、シルキィは不安そうな表情で問い掛ける。

 だがそのような質問、その男にとっては悩むまでも無いようなものだった。

 

「ほんとほんと! 俺様シルキィちゃんのちっぱいだ~い好きっ!! がははははーっ!!」

 

 とそんな事を大声で叫んでしまう辺り、どうやらランスもかなり酔っ払っている模様で。

 

「……うぅぅ~! らんすさぁーんっ!!」

 

 一方のシルキィはその言葉に感極まったのか、脇目も振らずにランスに飛び付く。

 そして勢い余ったのか、そのまま二人はこてーんと後ろに倒れ込んだ。

 

「らんすさん、らんすさぁん……!」

「おうおうシルキィちゃん、よしよし」

 

 びゃーと泣きじゃくる彼女の頭をなでなでしながら、ランスはもう片方の手でそのちっぱいをふにふにと揉みしだく。

 

「うむ、確かに小さいな。けどなぁ、ちっぱいにはちっぱいの良さがあるのだぞ。俺様はデカいおっぱいは大好きだがな、小さいおっぱいだって同じくらいに好きなのだ」

「……うん、ありがとう、嬉しい……」

 

 万感の思いで頷いて、酔っ払い魔人は酔っ払い男と熱い抱擁を交わす。

 よくよく聞くとただのエロ男の発言でしか無いのだが、アルコールにやられた今のシルキィには、そんな言葉でも胸にジーンときたらしい。

 

「そっかそっか。きみも悩んでいたんだなぁ。……しかしシルキィちゃんや」

「……ぐすん、なぁに?」

「これできみも俺様にメロメロになったろう、いやなったはずだ、なったと言え。うりゃうりゃ」

 

 先程シルキィが言っていた、好きにはなれませんとの言葉。

 どうやらそれが引っ掛かっていたのか、是が非でもこの魔人にメロメロになったと言わせたいランスは、その言葉を催促するかのようにほっぺたをつんつんと突く。

 

「……めろめろー?」

「そ、メロメロ。ちっぱいもデカぱいも平等に愛する、この俺様の誠実さに惹かれただろ?」

「……んー」

 

 今の一連の流れを踏まえて、その心境に何か変化はあったのか、果たしてその心は揺れたのか。

 シルキィは考える素振りを見せた後、身体を起こして寝そべるランスと顔を合わせる。そして、

 

「……じぃー」

 

 と食い入るように見つめた後、

 

「……めろめろー? どうかなー?」

 

 こてりとその首を傾げた。

 

「何だとぉ?」

「だってー、めろめろになったかなんて、よく分かんないしー」

「よく分かんないダメー。俺様シルキィちゃんだーい好き、それなのにシルキィちゃんが俺様にメロメロじゃないなんてヒドい、ズルい、不公平じゃ」

「そんな事言われてもぉ~……」

 

 ランスの無茶苦茶な要望を受けて、シルキィは困ったような顔でうーんと唸る。

 彼女は別にランスの事が嫌いという訳では無い。好きか嫌いかで種類分けをするとしたら、ちゃんと好きの方に入ってはいる。

 しかしメロメロと呼ぶ程に強い感情があるのか、その事はいまいちはっきりしないらしく、しばらくの間むむむーと悩んていたのだが。

 

「……メロメロかぁ。それはなんか、よく分かんないんだけど……でもね」

 

 再度ころんと横になり、ランスの隣にひっしりと寄り付く。そして、

 

「こーしてくっ付くのは、らんすさんだけかな」

 

 酒に酔った間延びした声であるが、それでも先程までより優しい声でそう呟いた。

 

「くっ付くぅ?」

「うん、くっつく。ほら、今こうして、ぴったりとくっついているでしょ?」

 

 ランスは先程から寝転がったまま、シルキィはその腕の中に収まるようにして、今の二人は確かにぴったりと表現するくらいに密着している。

 

「そりゃそうだけども、けどこれに何か意味でもあんのか?」

「大ありだもん。さっきも言ったでしょ? くっ付きたいなーて気分になったって。そういう気分になるのはー、らんすさんだけよーってこと」

 

 そんな言葉を口にして、シルキィははにかむような笑顔でくすりと笑う。

 それは彼女にとってはとても大事な事になるのだが、しかしその意味を知らないランスにとってはあまり響かない言葉で。

 

「けどくっ付きたい気分ってなぁ。これまで何回もセックスしたのにもう今更な話じゃ……」

「あーあー! すぐそーいう事言うー! そーじゃないの、らんすさんにとってはそうかもしれないけどね、わたしにとってはスゴい事なの」

 

 これはエッチな話では無いのだと、シルキィは拗ねたようにランスの胸をぺちぺちと叩く。

 自分が今この人間に対して抱いている感情の量。彼女自身にもはっきりとしていない、その想いを表現する方法。

 それには今こうしたいと思った気持ちが一番的確だと感じたのか、シルキィは赤ら顔だがそれでも真面目な表情になって言葉を続ける。

 

「このわたしがね、誰かにくっ付きたいなーって思ったの。これってスゴい事だと思わない? この1000年で一度も思わなかったのよ?」

「……ほぉ、1000年か。確かにそう聞くと、結構スゴい事のように聞こえるかもしれん」

「でしょ~? 特にわたしってほら、リトルの中に入っている事が多かったから……」

「リトルって……あの装甲か。そういやぁ、初めて会った時もあれを着てたっけか」

 

 生体強化外部骨格リトル。全身に着込むその装甲は、彼女にとっての代名詞と言えるもの。

 この魔物界において、魔人シルキィの名を聞けばその装甲姿を思い浮かべる者が大多数となる。

 そのように知れ渡るようになった程に、彼女は装甲を装着したまま長い年月を過ごしてきた。

 

「……リトルを装備しているとね、誰かと触れ合おうって気分にはならなくなるの。触ってもその感触が何も分からないからね。わたしはそんなふうに、この1000年を過ごしてきたの」

「……ふむ」

「だからね、これはスゴい事なの。さてらやはうぜるだって、勿論ほーねっと様にだってこんな事しようとは思わないもん。……こーやって……」

 

 するとシルキィはよじよじと体勢を動かし、ランスの胸の位置から頭の位置へと移動する。

 

「……お」

 

 そしてその両手で、ランスの頭をとても愛おしそうに抱え込んだ。

 

「わたしがこうして、ぎゅーってするのはね、この世界でらんすさんただ一人だけ。……ね? これが今のわたしの気持ち」

「……シルキィちゃん」

 

 ──それはもう、メロメロと呼べるのでは。今のは愛の告白と同じようなものなのでは。

 

 シルキィの小さな胸の感触をその頬で味わいながら、ランスがそんな事を考えた、その時。

 

 

「お?」

「あれ?」

 

 コンコンとドアをノックする音が聞こえて、ランスとシルキィの視線がそちらに向く。

 誰か来たのかなと二人が思ったのと同時、入り口のドアががちゃりと開かれる。

 

「ハウゼルー、ここに居るって聞いたけど……て、うわっ、何かこの部屋、酒臭くない?」

 

 そこに居たのは魔人サイゼル。

 どうやら妹の事を探しに来たのか、彼女はそのまま室内へと足を踏み入れる。

 

「あーっ!! さいぜるだー!!」

 

 すると何故かシルキィは超高いテンションとなり、すぐさまランスの元から跳ね起きると、ててててーっと走っていく。

 

「さいぜるー!!」

「わぁ、なに!?」

 

 そしてサイゼル目掛けてぴょーんと抱き付いた。

 

「さいぜるぅー、さいぜるぅー!」

「うえぇ!? なにこのシルキィ、馴れ馴れしくて怖いんだけど!?」

 

 自分よりも遥かに強者たる魔人四天王、何故かとても楽しそうなシルキィに引っ付かれ、訳も分からずサイゼルは目を白黒させる。

 

「おい、俺様以外にもぎゅーってしとるやんけ」

 

 先程の言葉は一体何だったのか、ランスのツッコミが虚しく響く。

 シルキィはサイゼルの身体にくっ付き、それはもうぎゅーっと抱きしめていた。

 

「……駄目だな。あれは酔っ払いだ、酔っ払いだって事を忘れてた」

 

 酔っ払いの言う事を真に受けてはいけない。

 何故ならどこまでが本気なのか、どこからが適当なのかが分からないからである。

 

「……うーむ。いいところだったような気もするが、けど酔っ払いを口説いてもしゃあねぇな」

 

 よっこいせと身体を起こしたランスは、サイゼルにくっついて楽しそうなシルキィの様子を眺めながら、ぽりぽりと頭を掻く。

 

 元々シルキィとは魔人を一体倒すという条件、それを達成した事により繋がった関係となる。

 故にその当時は仕方無く抱かれただけで、特別な想いなど有りはしなかっただろう。

 

 しかし今では違うはず。そのはずだとランスはこの一連の流れで確かな感触を得ていた。

 先程好きにはなれないと言っていたが、しかしこの様子を見る限りではとてもそうとは思えない。

 シルキィの内に芽生えている想い、当人もはっきりとは認識していないそれを、ぽろっと吐露させるのに惜しい所まで迫れたように思える。

 

 しかしそうは言ってもあれは酔っ払いで。

 果たしてシルキィは酒が抜けた時、今日の事をその頭に記憶しているのだろうか。

 次口説くのなら彼女が素面の時にしようと、ランスはそんな決意を強く抱いた。

 

 

「……ふあぁぁ~、ねむ……そろそろ寝っかな」

 

 そして大あくびをしながら立ち上がる。

 アルコール特有の酩酊感に包まれて、ランスの脳内には眠気が訪れてきたようだ。

 見ればテーブルの周囲に転がるは一足先に眠るサテラ、そして空になった酒瓶が五本程。

 

「けっこー飲んだなぁ。つーかぁ、シルキィちゃん一人で三本ぐらい空けてなかったかぁ?」

 

 やはりあの子は酒豪魔人。酔っ払い方はちょっとアレだがその評価に間違いは無い。

 そんな事を思いながら、赤ら顔のランスはふらふらとした足取りで寝室へと向かう。もう自分の部屋に戻るのは面倒くさいので、このままシルキィの部屋のベッドで寝てしまう事にした。

 

「ちょ、ちょっとランスっ! 待って待って!」

「あん、なんじゃいな」

「シルキィよ、シルキィをどうにかして!」

 

 諸々を放置して去っていこうとするランスの様子に、サイゼルは慌てて声を掛ける。

 その腰には「さいぜるぅ~♪」と、相変わらずな様子で抱き付く酔っ払いが一名。

 

「……あ~。サイゼル、それお前にあげるわ」

「あげるってなに!?」

「何か甘えたいらしいからよ、いっぱい可愛がってあげてくれ」

「可愛がってあげてってなに!?」

 

 事情を知らない彼女には理解不能な言葉だが、ランスはそれだけ伝えて酔っ払いの世話を押し付けると、寝室のドアを開く。

 するとそのベッドの上には、先に酔い潰れて寝ているハウゼルの姿があった。

 

「お、ハウゼルちゃんだ。そっか、こっちで寝てたんだっけ。よーしハウゼルちゃん、俺様と一緒に寝ようなー」

 

 ランスは眠るハウゼルの隣に潜り込み、その胸元を枕代わりにして目を瞑る。

 

「あ、ちょ、こらランスっ! あんた何ハウゼルと一緒に寝ようとしてんの! ……てちょっとシルキィ、邪魔だから!!」

「さいぜるぅ~!」

 

 最愛の妹の危機的状況に、サイゼルは慌てて横槍を入れようとしたものの、しかし動けない。その腰に纏わり付いた酔っ払いが邪魔であった。

 

「シルキィ、離してってば!!」

「あそーださいぜる、クイズ出してあげよっかー。どうしてわたしは、にゃんにゃんになりたいんでしょーかっ!」

「はぁ!? 知らないわよそんな事! ていうかちょっともう、離してよー!!」

 

 謎のクイズを出題してくるシルキィの一方、サイゼルは寝室の方に向けて届かぬ手を伸ばす。 

 

 そんな二人の声を遠くに聞きながら、眠りに落ちる間際のランスはふと考える。

 本日お酒を飲ませてみた事で、酔っ払って心の堰が切れたのか、シルキィからは思いもよらぬ言葉を沢山聞く事となった。

 普通に接している分には見えてこないが、彼女にだって思う事や悩やむ事は色々あるのだろう。

 

 そしてそれは何もシルキィだけで無く、あの魔人だってそうなのかもしれない。

 自分とはセックス出来ないと宣言したあの魔人。もしかしたらホーネットも、思いもよらぬ事で悩んでいるのかもしれない。

 それが理解する事が出来たなら、ホーネットをこの手に抱く事も出来るのだろうか。

 

 

 と、そんないかにもそれっぽい話で、本日の酒宴に関してを纏めながら。

 ハウゼルの柔らかなおっぱいに包まれ、ランスはぐっすりと眠り込んだ。

 

 

 

 

 



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酒に酔う その後の話

 

 

「ちょっとシルキィ、離して、離してってばっ!」

「さいぜるぅ~♪」

 

 べったりとくっ付く酔っ払い魔人、その腕を引き剥がそうとするのは氷の力を操る魔人。

 

 時刻は夜。場所は魔人シルキィの部屋。

 この部屋で本日、ランスとホーネット派魔人達による酒宴が開催された。

 

 最初にハウゼルが倒れて、次にサテラが倒れて、遂にはランスまでもが倒れて。

 そして最後まで生き残った酒豪、魔人四天王シルキィ・リトルレーズン。

 その酔っ払いは今、不運にもその部屋を訪れてしまった魔人サイゼルに絡んでいた。

 

「シルキィっ! ハウゼルが、ハウゼルがランスに食べられちゃうってー!」

「だいじょーぶだってばー。ほら、らんすさんももう眠っちゃったみたいだしさ」

 

 そう言ってシルキィが指差した方向、開けっ放しの寝室のドアから覗けるベッドの上。

 そこでは酔い潰れて寝ているハウゼルを抱きしめるような格好で、同じく酔い潰れたランスが「ぐがー、ぐがー」と大いびきをかいていた。

 

「……それはまぁ、そうみたいだけど……。ていうかあんた達、これお酒を飲んだって事よね? サテラとかそこに倒れてるし……」

 

 室内に漂うは強いアルコールの匂い、テーブルの上には食いかけのつまみ皿、辺りには空になった酒瓶が無造作に転がり、ついでとばかりに酔い潰れたサテラも転がっていて。

 その部屋の目を覆いたくなるような有様に、サイゼルは呆れたような表情で呟く。

 

「シルキィ。あんたって酒飲んで酔っ払うと、こんなぐだぐだになっちゃうわけ?」

「んー? 私は酔ってないわよー。まだまだぜーんぜん元気だもーん」

「いや酔ってるから。だもーん、とか普段絶対言わないでしょうに」

 

 そもそもが自分の腰にしがみ付いたままの状態、普段通りであればこんな事をする訳が無く、この魔人が酔っ払っていないはずが無い。

 約千年前から知った相手であるが、真面目で実直な姿しか見た記憶が無い。そんなシルキィのこんなあっぱらぱーな姿を見る事になるとは。

 

 と、あくまで第三者の立場として、サイゼルがそんな事を考えていると。

 

 

「よし。じゃあさいぜるも飲もっか」

 

 ふいにその酔っ払いは、そんな言葉を口にした。

 

「え。飲むって……お酒を?」

「うん」

「……ううん、別にいい。何か怖いし……」

 

 サイゼルは引き気味でその首を横に振る。

 この酔っ払いに関わると面倒な事になる、絶対にろくな目には合わない気がする。

 故にすぐにでもここから退散したかったのだが、けれども相手はそれを許さなかった。

 

「だいじょーぶだいじょーぶ。さいぜる、別にお酒はこわいものじゃないのよ?」

「いやお酒じゃなくてね、私が怖いのはあんたの方だから」

「もー、なに言ってるの。わたしが怖いわけないでしょ? ほら、おいでおいでー」

 

 シルキィはすくっと立ち上がると、サイゼルの腕を掴んですたすたと歩き出す。

 

「ちょ、ちょっと、おいでっていうか引っ張ってるしっ! ねぇシルキィってば!!」

 

 問答無用で自分を連れていく酔っ払いに対し、サイゼルも必死に抵抗を試みるのだが、しかし彼女は魔法に長けた魔人であり、その身に秘める膂力などは然程でも無い。

 人間の頃から屈指の戦士、更には格上の存在である魔人四天王、その酔っぱらったパワーに抗えるはずも無く。

 

「さーさいぜる、飲みましょーねー。このお酒ね、すっごくおいしいんだから!」

「あぁもう、ハウゼルと一緒にお風呂入ろうと思って来ただけなのに、なんでこんな事に……」

 

 テーブルまで連行されたサイゼルは、シルキィの隣で酒宴の席に付かされる。

 やはり面倒な事になりそうだ、こういう言っても聞かない所が酔っ払いは怖いのだと、彼女は後悔と諦めを混ぜたような溜息を吐き出した。

 

「メイドさーんっ、おつまみ追加ー! おいしいのいっぱい持ってきてー!」

「うわ、なんか今のシルキィ、居酒屋に居るおっさんみたい」

「えへーっ!」

「いや、えへーって……」

 

 何がそんなにも楽しいのか、底抜けに明るいシルキィはにこにこと笑う。

 そんな様子にサイゼルが困惑していると、やがてメイドさんが部屋のドアを開く。注文通りに新たな酒のつまみを持ってきて、テーブルに残っていた食いかけの皿が下げられる。

 

「ほらほら、グラスを持ってー」

「……ん」

「でー、こーして酌んでー」

 

 二人の魔人が手に持つグラス、その中にJAPAN酒がなみなみと注がれる。そして、

 

「はいさいぜるー、かんぱーいっ!」

「か、かんぱーい……」

 

 高テンションと低テンションで対象的な乾杯の声と共に、2つのグラスが合わさった。

 

「んくんく……おいしーっ!」

 

 シルキィは気持ちよく喉を鳴らし、見る見る内にグラスを空にしていく。

 もしランスが起きていたなら、「まーだ飲むのかこの子は」と驚き顔をしていたに違いない。

 

「……ん、この酒、確かに美味しい事には美味しいけど……けっこうキツい味なのね」

 

 一方のサイゼルは恐る恐る一口味わい、偶然にも妹とは真逆の感想を口にする。

 

「ねー? この酒おいしーでしょー? さぁさぁ、どんどん飲んでねー」

「わかったって、飲むからそう急かさないでよ」

「ほらほら、飲んで飲んでー」

 

 シルキィはサイゼルのグラスが少し減る度、即座におかわりを注いでいく。

 どうやら自分が気に入った美酒を是非とも飲ませたいのか、相手の急かすなという言葉もお構いなしである。

 

「ほらぐいーって。さいぜる、ぐいーって」

「あのねぇシルキィ。それアルハラよ、アルハラ。そうやって無理やりお酒を飲ませようとするの、今人間世界で問題になってるらしいわよ?」

「えへへーっ!!」

「いやだからえへへーじゃなくて……」

 

 何を言っても屈託なく笑うシルキィ、ランスでさえも手を焼いたその様子に、これはいわば無敵の状態なのだなとサイゼルも何となく悟る。

 

「……はぁ、まったく。まぁ美味しいから飲むけどさぁ……」

 

 魔人四天王にこう催促されては堪らない。かと言ってこの場から逃げ出す事も出来ず、仕方無くサイゼルもせっつかれようにしてグラスを呷る。

 そうして暫く二人がお酒を味わっていると、やがて「あー、そういえばさー」とシルキィがゆるい調子で口を開いた。

 

「お酒、さいぜるはどうなんだろう。はうぜるはね、お酒飲んですぐに寝ちゃったんだよー」

「え、あの子ってお酒に弱いの?」

「うん。もーねー、一口飲んだだけでへにゃへにゃーってなっちゃったんだから」

「……へぇ。ハウゼルってそうなんだ……」

 

 言われて彼女も今更のように気付いたが、妹がお酒を飲んでいる所は見た記憶が無い。

 故にハウゼルがお酒に弱いという話は、姉であるサイゼルも今初めて知った事で。

 

「………………」

 

 お酒を一口くいっと飲んで、それだけでくたーっとなって倒れてしまう。

 そんなハウゼルの情けない姿を、ふと頭に思い浮かべてみたサイゼルは。

 

「……かわいい」

 

 ぽつりと呟いたその顔は、まさしく恋する乙女のような表情であった。

 

 

 

 

 

 魔人シルキィと魔人サイゼル。

 約千年前からの付き合いであるが、これまで二人がこのように杯を交わした機会は無い。

 そんな事もあってサイゼルには少し緊張があったのだが、勿論酔っ払いにとってはお構い無し。

 

 その後もお酒を飲んだり飲まされたり、おつまみを食べたりしていると、次第にサイゼルの脳内にもほんわかとした酩酊感が押し寄せてきて。

 

 そして二人だけの酒宴が開催してから、およそ一時間程が経過した頃。

 

 

 

「……シルキぃ~」

 

 そう言って、でろーんとしなだれかかってくる酔っ払い、またの名を魔人ラ・サイゼル。

 

「なぁにー?」

 

 そう答えるのは同じく酔っ払い、魔人シルキィ・リトルレーズン。

 体重を預けてくる相手の事を受け止めながら、その翼の生えている背中をぽんぽんと叩く。

 

「……シルキぃ~、聞いてよぉ~」

「聞いてますよー、なんですかー?」

「聞いてよぉシルキぃ~、聞いてよぉ~!」

 

 聞いているとの言葉が届いていないのか、その酔っ払いは聞いてよ聞いてよと連呼する。

 お酌をしてくる魔人四天王に促されるまま、サイゼルもぐびぐびと酒を飲み続けて。

 そうして今はもうしっかりと酔っ払った様子で、ものの見事に管を巻いていた。

 

「聞いてるってばー。どうしたのーさいぜる、何かあったの?」

「……うん」

「……その様子だと、つらいことなの?」

「……うん」

「……そっか。わたしで良ければ相談に乗ってあげるから、なんでも話してみて? ね?」

「……うん」

 

 酔っ払っていてもその気質は変わらないのか、持ち前の包容力を見せるシルキィ。

 その言葉にサイゼルはこくりと頷き、自然と相手の華奢な二の腕にぎゅっと抱き付いて、

 

「……わたしね、嫌われてるの」

 

 泣き出す寸前のような声でそう呟いた。

 

「……きらわれてる? 誰に?」

「この城に居るみんなぁ! ……ハウゼル以外の」

「……はうぜる以外のみんなから嫌われてる? ……まっさかー。そんな事ないでしょ~」

 

 大げさなんだからー、とシルキィは軽い調子で否定して、おつまみのイカ燻製に手を伸ばしてはむはむと味わう。

 

「あるっ! あるもん!!」

 

 しかしそれはサイゼルにとって大真面目な悩み、その表情はとても深刻なものだった。

 本来なら妹にだって打ち明けないような話だが、今の彼女は酔っ払い。脳がアルコールに侵されて歯止めが利かなくなっているのか、語り始めたその口の滑りは一向に止まらない。

 

「みんなみんな、私の事嫌ってるんだわ。だってそーいう目で見てくるもん!」

「そーいう目?」

「そうなの! なんて言うかなー、こうー、不審者を見る目ってゆーかさぁ、嫌な相手を見る目っていうかさぁ~!」

 

 溜め込んでいたものを吐き出すように喋り、そしてグラスをぐいっと呷る。

 自分へと向けられる穏やかならぬ視線。聞けばそれはサイゼルの被害妄想とかそういう話では無いらしい。

 

「この城に来た時からなんだけどね……」

 

 ランス達と一緒にバラオ山から戻ってきて、この魔王城で過ごす事になってから早三日。数年振りに戻ってきた場所であるが、以前とはその雰囲気が少し違っていた。

 城内の魔物達から時折ちらちらと視線を向けられたり、自分を見てはヒソヒソと話していたり。そんな姿をサイゼルは度々目撃しており、ずっと居心地の悪い空気を感じていたらしい。

 

「あ~、そーいうことかぁ、なるほど。さいぜる、それは多分しかたない事だと思うの」

 

 話を聞いてシルキィは納得したように頷き、その赤ら顔を少し残念そうな表情へ変える。

 

「あなたはこれまで敵の派閥に居たわけだし、どーしてもこの城の魔物たちは意識しちゃうのよ。少し経てばみんなも慣れるだろうから、それまでのがまんだって」

 

 その悩みの原因、それは2つに分かれて戦争をしている今の魔物界の現状が大元の原因。

 サイゼルは元ケイブリス派だが、しかしこの魔王城はホーネット派の本拠地であって。これまで敵として命の奪い合いをしてきた以上、すんなりと受け入れられなくてもそれは仕方の無い事。

 きっと時間が解決してくれる問題だろうと、シルキィはそう思っていたのだが。

 

「違うもんっ、嫌ってるんだもん! 魔人サイゼルなんて魔王城から出てけーって、きっとみんなそう思ってるんだわ、ぐすん……」

 

 しかしサイゼルは聞く耳持たない。

 彼女はどうやら酒が入ると心が弱くなるタイプなのか、普段ならそうは思わないであろう悲観的な考えを口にした後、

 

「うぅ……いくら私が元ケイブリス派だからって、こんなのヒドい……」

 

 遂にはテーブルに突っ伏して、しくしくと泣き出してしまった。

 

「……ふぇぇ、はうぜるぅ……、私の味方ははうぜるだけ~……」

「ほらさいぜる、いい子だから泣かないの」

 

 シルキィはまるで子供をあやすかのように、サイゼルの頭をなでなでしていたのだが、

 

「………………」

「……さいぜる、だいじょうぶ?」

「……考えてみれば、シルキィだってそうよ」

 

 しかしその魔人の涙は止まらず、それどころかその悲しみは更になる猜疑心を呼び寄せたのか。

 サイゼルはテーブルに頭を乗せたまま振り向き、殆ど八つ当たりのようにその瞳を鋭く尖らせると、数年前までは敵として戦っていた魔人四天王の事をぎっと睨んだ。

 

「わたし?」

「そう! シルキィだってほんとは私の事、そーいう嫌な目で見てるんでしょう!」

「そんなことありませんー。わたしはもうね、さいぜるの事を敵だなんて思ってませんから」

「うそっ! 絶対うそ!! シルキィだってホントは──」

 

 ──私の事を嫌ってるんでしょ!

 と、サイゼルがそう叫ぼうとしたその刹那。

 

 

「そんな事ありませんっ!!」

「ひぃ!!」

 

 突如飛んできた否定の言葉、ボリュームの調整を間違えたようなその大声に、サイゼルはびくりと肩を揺らして飛び起きた。

 

「……し、シルキィ。いきなりびっくりさせるのは止めてよ……」

「さいぜる。私はそんな事思ってないわ。あなたにこの城からでてけーなんて思ってませんから」

「……ほんとぉ~?」

 

 本当は欲しかったその言葉だが、しかしすぐには受け入れられない。

 今の彼女は酔っ払ってマイナス思考が全開であり、最初は疑いの眼差しを崩さなかったのだが、

 

「ホントですー。私はね、さいぜるの事だってずっと心配だったんだから。あなたがケイブリス派に居た時だって、戦いたくないなーってずっと思っていたのよ?」

「……ほんとに?」

 

 それでも次第に心が揺れ動かされ、シルキィの言う事を信じたいな、信じていいの? と言わんばかりの素直な表情へと変わる。

 

「ホントですー、ほんとですー」

 

 今のシルキィは酔っ払ってはいるものの、それは嘘偽りのない彼女の本音。

 基本的に優しい性格をしている彼女は、古くから知る関係のサイゼルの事も気にしていた。そもそも平和を心から愛する彼女にとって、真に争いたい相手などこの世には存在しない訳で。

 

「さいぜる、あなたはこの城に居ていいのよ。魔物たちにはわたしからも言っておくから」

「……シルキィ」

「だから元気だして、ね? わたし達は同じ魔人同士なんだから、仲良くしましょ?」

 

 そう言ってシルキィはふにゃりと笑う。

 それは見る者全てに安心を抱かせる、花の咲いたような優しい笑顔。

 

「……うぅぅ~! しるぎぃぃ~~!!」

 

 その温かさに、サイゼルの凍りついていた……と言う程でも無いその心が溶かされる。

 そして感極まったあまりに、自分よりも小さな年下の魔人四天王の胸へ勢いよく飛び込んだ。

 

「よしよし。さいぜるが本当はすごくいい子だって事、私にはちゃんと伝わってるから」

「うえぇぇ~ん、しるぎぃ~……」

 

 慈愛に満ち溢れたその言葉に、サイゼルはおいおいと滂沱の涙を流す。

 シルキィは先程ランスが自分にそうしてくれたように、泣きじゃくる相手を優しく受けとめる。

 そうして暫くの間、想いが通じ合った二人はぎゅっと寄り添い合っていたのだが。

 

「……しるきぃ。その言葉さぁ、ホーネットのやつにも言ってあげてよぉ」

 

 やがてサイゼルは顔を上げ、目元をごしごしと擦りながらそんな言葉を呟いた。

 

「うん? ほーねっと様? ほーねっと様がどうかしたの?」

「どうかするもん。私の事を一番嫌ってるのはホーネットなんだから」

「……えぇ~?」

 

 あのホーネットがサイゼルの事を嫌っている。

 そんなまさかとシルキィは思うのだが、これまたサイゼルにとっては冗談などではないようで、至って真剣な様子で語り始める。

 

「だってだって、この前さぁ……」

 

 この前。この魔王城に帰還した当日。サイゼルはハウゼルと一緒にその部屋を訪れ、魔人筆頭と数年ぶりとなる挨拶を交わした。

 そしてバラオ山で起きた事や、今後のサイゼルの身の振り方など、ハウゼルは旅の中で起きたあらゆる事を報告した。

 

 一切合切の事情を聞いたホーネットは、サイゼルと視線を合わせて「魔王城への滞在は構いませんが、派閥に仇なすような妙な動きをみせた時は知りませんよ」と、そんな言葉でもって脅してきた。

 その時に見たあの魔人筆頭の表情、それは思わずサイゼルに死の覚悟をさせてしまうくらい、それはもう恐ろしく鋭い目付きをしていたそうだ。

 

「ホーネットはきっと、ケイブリス派に居た私の事を嫌ってる、いや恨んでいるのよ!」

「……うーん、そんなことないと思うけど……」

「あるっ、あるの!! あの人を殺しそうな目付きが語ってるわ、絶対そういう事なの!!」

 

 この城において最強の存在たる魔人筆頭。そんな相手から自分は恨まれている、標的としてロックオンされている。そんな思い込みにサイゼルの表情が恐怖に歪む。

 

「……ほーねっと様がねぇ……」

 

 一方のシルキィは懐疑的。ホーネットの言葉は派閥の主として当然の忠告で、そこに嫌ったり恨んだりといった感情は混じっていないはずである。

 むしろそれはサイゼル側の問題ではないか。その時サイゼルには敵派閥に属していた負い目があったので、おそらくそれでホーネットの言葉を強烈に受け取り過ぎてしまったのだろう。

 

 シルキィはそのように今の話を解釈したのだが、それをここで自分が説明したとしても、きっとサイゼルは納得しないような気がしたので。

 

 

「……よし。じゃあ言いに行こっか」

 

 そんな言葉と共にすくっと立ち上がった。

 

「……え? 言うって何を? てか誰に?」

「だからほーねっと様に。さいぜるの事を嫌わないでくださいーって。そんな怖い目で睨まないでくださいーって、そう言いにいきましょ?」

 

 その方があなたも安心出来るでしょ? 

 と、にっこり笑顔のシルキィは100%の親切心からそんな提案をしてくる。

 

「いやいやいやいや、いいからいいから。そんな事言ったら殺されるから」

「だいじょーぶだいじょーぶ」

「大丈夫じゃない! 大丈夫じゃないから!!」

 

 突然となるまさかの話に、サイゼルは酔いが冷めた様子でその首をぶるぶると横に振る。

 ほんのつい一昨日、ホーネットからは妙な真似はしないようにと釘を刺されたばかりである。

 それなのに「その目付きが怖いから止めろ」などと口にしようものなら、お返しに飛んでくるのが六色破壊光線でもおかしくない。

 

「だいじょーぶだってば。ほら、行こ?」

「ちょちょちょちょっとまって待って!! ほんとに行く気なの!? 今から!?」

「もっちろん。こーいう事はね、早く本人に伝えた方が良いんだって」

「やだやだ、無理無理絶対無理!! わたしはホーネットとはなるべく関わらないように生きていくって誓ったの!!」

 

 余程ホーネットがトラウマになっているのか、サイゼルは大声で叫びながら必死の抵抗、テーブルの足にしがみ付き亀のように身を丸める。だが、

 

「さ、行きましょーねー。……よっこいしょー」

「ぎゃー!! 助けてハウゼルー!!」

 

 しかしシルキィにはさっぱり通じない。その首根っこを片手でひょいっと掴み上げると、そのままテーブルごと引き摺ってとことこと歩き出す。

 

「シルキィ、ほんとに無理だって!! 大体あんただってさ、そんな酔っ払った状態でホーネットと顔を合わせても良いわけ!?」

「だからー、何度も言うけどー、わたしは酔ってないんだってばー」

「酔ってるに決まってんでしょー!!」

 

 この酔っ払いー!! と大声で叫びながら、同時にサイゼルは嫌な事を思い出した。

 この酔っ払った魔人四天王はもはや無敵の状態、自分には決して抗う事など出来ず、関わってしまったら絶対に面倒な事になる相手だという事を。

 

 そして。

 

 

「……分かったシルキィ!! 行くから、行くからちょっとだけ待ってっ!!!」

「うん? どーしたの??」

 

 恐らくはどうやっても抵抗は出来ない。

 このシルキィからは逃げられず、これからあのホーネットと会わなければならない。

 

 嫌々ながらもそれを受け入れたサイゼルが、せめてもの抵抗と選んだ選択肢。それは。 

 

「……その、もうちょっとここでお酒を飲んでからにしたいなー。なんて……」

 

 

 

 

 



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酒に酔う その後の話②

 

 

 時刻は夜。

 そろそろ真夜中に近い頃合い、多くの者はベッドに入る時間である。

 

 部屋の壁面に設置されている大窓、そこから望める外も真っ暗な夜闇に包まれている。

 普段彼女の身の回りの世話をしている使徒達も、役目を終えて自らの部屋へと戻る時間で。

 

「……………………」

 

 故にその室内にはただ一人だけ。

 その窓辺に佇む姿、一人きりになった室内で何をする訳でも無く、そしてこれといった理由も無く、ただ漫然と外を眺めていたその魔人は、

 

「……ふぅ」

 

 それはもうすでに本日何度目か。まるで途方に暮れたように溜息を吐き出す。

 抑えようとしても収まってくれないそれは、彼女の頭の内に巡る懊悩の数、あるいは胸の内に渦巻く想いの丈の表しているかのようだった。

 

 

 

 魔人ホーネット。

 栄えある魔人筆頭であり、この魔王城を本拠地とするホーネット派を率いる派閥の主。

 

 そんな彼女はここ最近、主にある男の所為で沢山の悩みを抱えていた。

 胸の内が重くて中々気の晴れない、すっきりしないような日々が続いていて。

 

 そしてあの日。そんな彼女の身に起きた一大事。

 それはまさしく衝撃的、あるいは驚天動地と呼ぶような信じ難い出来事。

 

 一昨日の夜。入浴の際のあの出来事。

 いつの間にか自分の内に芽生えていたもの。今まで理解の及ばなかったもの。

 浴室から逃げ出した先の脱衣所で、遂にホーネットはその想いを自覚するに至った。

 

 

「………………」

 

 夜の闇を無言で眺めていると、その頭には自然とあの日の事が浮かび上がってくる。

 まるで脳裏に焼き付いてしまったかのように、一向に頭の中から消えてくれない。

 あれから二日で何回も思い返した、それを今また再び思い返してしまい、ホーネットは思考を断ち切るかのように一度瞼を閉じる。

 

 そうして目を開けると、見えたのは目の前にあった窓ガラスに映ったもの。

 使徒達によって指紋一つ残らぬ程に磨かれたそのガラスには、外の暗闇ではなく自らの顔が反射して映っていた。

 

(……これは一体、誰なのでしょうか)

 

 そこに映っているのは、果たして誰の顔なのか。

 そんな事を思ってしまう程に、そこに映る表情はこれまでの自分とは何かが異なる。

 意識してこれまでと同じを取り繕ってみても、それでも何かが違う。具体的にどう違うのかは分からないが、どうしてか違って見えてしまう。

 

 あの日より以前、あの事を自覚する以前、ほんの三日前の自分と今の自分が違って見える。

 その不可解さに、あるいはあの日から私は別人になってしまったのでしょうかと、ホーネットはそんな与太話を考えずにはいられなかった。

 

 

(……まさか。……と、呼ぶべきなのか)

 

 自分の胸中にあった想い。

 それは到底信じ難い、彼女自らでも思わず疑ってしまいたくなるようなもので。

 まさかあり得ない、何かの間違いなのではと、そう思いたくなる気持ちはあるのだが。

 

(……けれど)

 

 同時にその一方で、なるほど、と納得してしまうような気持ちも存在していて。

 

 どうしてか分からないが、あまり顔を合わせたくないと感じる時があったり。

 どうしてか分からないが、その隣に居たいと思ってしまう事があったり。

 どうしてか分からないが、肌を見せる事に恥じらいを感じてしまったりと。

 

 ここ最近の自分に起きていた妙な変化、不審に思って悩んでいた様々な事。

 だがこうして自分の気持ちを自覚した今ならば、それら全てに説明が付けられるというもの。

 

 

(……つまり、私は……)

 

 その理由は単に、自分がその相手に対して特別な想いを抱いているからで。

 

 

(……私は、ランスの事、が……いえ、ランスの事、を? ……と言うべきか、あるいは……)

 

 その特別な想いを如何に表現するべきか。

 誰かに打ち明けようとしている訳でも無いのに、何故だか無性に気恥ずかしくて堪らない。

 そんなホーネットがあれこれ悩んだ末に、やがて選んだのは自身の率直な感情の名前。

 

 

(……そう。つまり、私は……)

 

 その名前が、あの脱衣所で自覚した事。

 

 

(……私は、ランスに対して……、情愛、を、抱いてしまっているのでしょう)

 

 

「………………」

 

 打てば響くと表現するべきか、そんな事を考えた途端すぐに顔が熱くなり始めて、額や鼻先の辺りにむず痒い感覚が広がっていく。

 

「……はぁ」

 

 思わずその熱を吐き出すかのように、再度ホーネットは深々と息を吐き出す。

 とはいえあれから二日経った事もあり、ある程度は冷静を保てる。冷静かつ客観的に、自らを振り返る事ぐらいは出来るようになった。

 

 

(……しかし、今こうして思い返してみると本当に簡単な事ですね。このような事にずっと悩んでいたとは、我が事ながらなんと愚かしい。……いえ、というよりも──)

 

 ──自分は少々、鈍すぎではないだろうか。

 ホーネットは心の底から大真面目にそう思う。客観的に自分を見直してみると、その兆候は少し前から顕著に表れているではないか。

 何故こんな簡単な事に早く気付けなかったのか。これまで己の使命を優先し過ぎるあまり、自らの気持ちを顧みる事が無かった故なのだろうか。

 

(自分の気持ち……そういえば、以前にシルキィがそんな事を言っていましたね。一応は理解したつもりでしたが、結局は分かっていなかったという事なのでしょう)

 

 褒美という扱いで彼との性交を受け入れるか。前にそんな事を悩んでいた時、そういった事は自分の気持ちが大事だとシルキィは言っていた。あの言葉が今になってホーネットの身に染みる。

 

(さすがはシルキィ、私より遥かに物事を良く知っていますね。……とはいえこれはもう今更な事、今更考えた所で意味の無い話ではあります)

 

 遅まきながらも自分の想いを自覚する事は出来たし、それで多くの悩みを解消する事も出来た。

 故にそれらはもう過去の話。今更振り返った所で何か得るものがある訳でも無い。

 何せこうして自覚してしまった以上、もう自覚する前に戻る事は出来ないのだから。

 

 

(……そう、もはや以前の私には戻れません。だからこそ、今の私が考えるべき事は……)

 

 多くの悩みが解消したとはいえ、今のホーネットは相変わらず浮かない表情。

 自分の気持ちを自覚した事により、新たに生まれた悩みが多々あるからである。

 

 その悩みとは例えば──どうしてその気持ちを抱いたのか。

 そんな根本的とも言える疑問、どうしようも無い感情の問題であったり。

 

 あるいは──どうして彼なのか。

 というホーネットにとっては一番の疑問、本当に不思議だと思う事であったり。

 

 他にも──今後彼と会う際、自分は如何なる態度を、如何なる対応を取ればいいのだろうか。

 などと言った、わりと早急に考えなければならない事であったりと。

 

 更に挙げれば、そもそもそのような事で悩んでいる場合なのか。という切実な問題もある。

 何せ今は戦争中。この派閥を率いる主として、カスケード・バウを越える方法を考えるべき、そちらに思考を巡らせるべきではないのか。

 

 などなど、悩みは以前よりも多く浮かぶ。

 今の魔人筆頭には考えるべき事、悩むべき事が沢山あるのである。

 

 

(……沢山ある。……はず、なのに)

 

 そこでホーネットは向きを変えて、窓に背を向けると部屋の入口の方に振り返る。

 そしてその先に想いを馳せるかのように、入り口のドアをじっと見つめる。

 

 今の自分には考えるべき事が沢山ある。

 そのはずなのに、しかしそれら全てに勝ってしまう、今のホーネットが自然と考えてしまう事。

 

 それは。

 

 

(……ランス、は──)

 

 ──今、何をしているだろうか。

 この時間ならもう眠りに就いているだろうか。

 それともまだ起きているだろうか。

 

 などと、今のホーネットはそんな事が気になってしまう。

 

 そんな事を考えている場合では無い。

 それは分かっているのに、けれどもどうしてか、あるいはどうしてもと言うべきなのか。

 今ランスは何をしているだろうかと、そんな事をホーネットは昨日今日と一日中、何度も何度もしきりに考えてしまっていた。

 

(……そのような事、ただ考えるだけでも十分に愚かしい行いだと言えるのに。私は……)

 

 本日の昼過ぎ。そんな愚かしい事を自然と考えていたホーネットは、遂には考えるだけに留まらず、特に用も無いのに自ら足を運んでその様子を確かめに行ってしまった。

 だがそうしてランスの部屋の前まで行ったにもかかわらず、如何なる気持ちが邪魔をしてか結局そのドアをノックする事は出来ず、そのまま引き返してしまったのだからもう始末に負えない。

 その帰り道の途中で偶然ランスと遭遇し、とっさの出会いに動揺して階段の上下を間違えてしまった事といい、自分の何とも無様な姿にホーネットは目を覆いたい気分であった。

 

(……自覚した事は、この際まぁ良しとしましょう。……しかしこれは、何と言うか……)

 

 自分は今、相当な重症なのかもしれない。

 そんな事を考え、ホーネットが再三となる溜息を吐き出しそうになった、その時。

 

 

 

「……?」

 

 入り口のドアの向こう、廊下の奥の方が何やら騒がしく、妙な気配が伝わってくる。

 ひとまず廊下を確認しようと、ホーネットがドア近くまで歩いた所で。

 

「これは……」

 

 どたどたどたどたーっと、あまり品の無い足音が凄い勢いで近づいてきて。

 

 そして。

 

 

 

「ほーねっとさまーっ!!」

「ホーネットぉ~~!!!」

 

 ばたーんっ! とドアが乱暴に開かれ、二名の酔っ払い魔人が室内に飛び込んできた。

 

 

「な、シルキィに、サイゼル? 一体、」

 

 その言葉は途中までしか発せなかった。

 すぐにその酔っ払い二名にタックルを食らい、魔人筆頭は言葉を止めてしまった。

 

「ほーねっとさまー! ほーねっとさまーっ!!」

「ホーネットぉ~、ホーネットぉ~~!!」

 

 普段はとても真面目なシルキィが、なにやら実に楽しそうな様子で。

 その一方で普段はつんとしているサイゼルは、すぐにでも泣き出してしまいそうな様子で。

 

「……一体、どうしたのですか、二人共」

 

 その奇妙としか言い表せない変容に、ホーネットは最初こそ戸惑いを感じていたのだが、すぐにその理由には察しがついた。

 

「……この匂いはお酒ですね。成る程、貴女達は酔っているのですか」

「違いまーすよー、ほーねっとさまー。わたしはまだまだぜーんぜん酔ってませーんっ!」

「……いえ。シルキィ、貴女は酔っています。私にはそうとしか思えません」

 

 ホーネットが至極真面目にそう伝えてみても、

 

「にゃーおっ!」

「………………」

 

 返ってきたのはにゃんにゃんの鳴き声。

 それはこの魔人筆頭を以てしても、思わず沈黙してしまうのに十分な奇行であって。

 二人の酔っ払い魔人はあれから更に酔っ払い、今は完全なるへべれけ状態と化していた。

 

 それはサイゼルが選んだ手段、言うなればせめてもの抵抗の証。

 酔っ払った魔人四天王には抵抗出来ず、このままでは魔人筆頭の元へと連行されてしまう。

 それならばいっその事と、サイゼルはホーネットへの恐怖心が無くなってしまうくらいまで、べろんべろんに酔っ払ってしまう事にしたのである。

 

 そうしてシルキィとサイゼルは酒宴を続け、ランスが用意したJAPAN酒を全て飲み干して。

 もはや昏倒間近、頭の中は完全にアルコールによって支配され、色々どうでもよくなったサイゼルは立ち上がると、シルキィを引っ張る勢いで自らこの部屋へと来たのだった。

 

 

「ホーネットぉ~、許してよぉ~!」

「……サイゼル」

 

 果たして何を許せと言うのか。ホーネットにはよく分からない。

 

「ほーねっとさまぁー。わたしがにゃんにゃんになったのはなんでだと思いますー?」

「……シルキィ」

 

 こちらに至っては意味不明、何を言っているのか全く理解出来ない。

 ホーネットはとりあえず、まだ会話の通じそうなサイゼルから対応する事にした。

 

「サイゼル、とりあえず一度水を飲みなさい。……サイゼル、聞いていますか?」

「ホーネットぉ、いい子にするからさぁ、命だけはゆるしてぇ、殺さないで~……」

 

 それはまるで救いを求める罪人か。

 サイゼルはホーネットの腰にすがりつき、懺悔するかのようにうわ言を繰り返す。

 

「……ですから、私に何を許せと言うのです」

「その目付きがぁ~、怖いのぉー! ……うぅぅ、助けてぇ……」

「……何が言いたいのか分かりません」

「だぁ~からぁ~……」

 

 サイゼルの言葉は何やら要領を得ないが、それでもしきりに何かを訴えていたので、仕方無くホーネットはその言葉に耳を傾ける。

 怖いから、とか睨まないで、とか、そんな酔っ払いの訴えを辛抱強く聞いてあげた結果。

 

「……サイゼル。つまり貴女は私に脅迫された事に恐怖し、いつか私に殺されるのではないかと怯え、それで許して欲しいと言っているのですね」

「そぉ~!! わたしが悪かったからさぁ……死にたくないよぅ……」

「………………」

 

 その腰に二名の魔人を巻いたまま、ホーネットは痛む頭に眉を顰める。

 サイゼルが言っているのは一昨日の事、派閥に協力しないと宣言する彼女に対して、少し釘を刺す必要があるかと思い一言忠告したのだが、どうやらそれを大げさに受け取ってしまったらしい。

 

(……酒を飲むと自制心が利かなくなり、日頃溜め込んでいた思いが溢れ出すと聞きます。恐らくこれはそういう事なのでしょう)

 

 主にそれが理由で、そうなりたくないが為にホーネット自身は酒を飲まないのだが、とにかく先程の話は紛れもなくサイゼルが抱えていた、彼女にとっては深刻な悩み。

 ならばこのまま放置しておくのも不憫ではある。ホーネットは出来るだけ優しい体を繕って、サイゼルの肩にそっと手を置いた。

 

「……サイゼル。あの時は少々、厳しく言い過ぎてしまったかもしれませんね。私に貴女を害するつもりなどありませんよ」

「……ほんと?」

「本当です。貴女がすでにケイブリス派と関わりを断ったというのなら、ここに来て殊更何かをしようとは思っていません」

 

 ──このまま城内で大人しくしている限りは。

 と本当ならそんな言葉が続くのだが、それを言うと更に拗れてしまう事は分かりきっているので、ホーネットは心の中で思うだけに留める。

 

「ほんとにほんと? 私の事嫌ってないの?」

「えぇ。私が個人的に貴女を嫌っているような事はありません」

「なら、その怖い目付きを止めてくれる?」

「これは……生来のものです、変えられません」

「……そっかぁ~」

 

 それまで泣きそうな表情だったサイゼルだが、ようやく納得したのか柔和な表情へと戻る。

 

「……ありがと。なんか私、あんたのこと誤解してたみたい。ほんとはいい人だったんだね」

 

 ホーネットは怖くない。ちょっと眼光が尖すぎるだけの良い人だ。

 アルコールまみれの脳みそでそんな事を考えたサイゼルは、しがみ付いていたその腰から離れて立ち上がった。

 

「……はーよかったぁ~。これで安心してこの城で暮らせそうです」

「……そうですか」

「うん。じゃーわたし帰るね。夜分おそくにどーもおじゃましましたぁ~」

 

 そして、てこてこと歩き出したのだが、

 

「待ちなさい、サイゼル」

「ふえ?」

 

 背後からの言葉に足を止めて、サイゼルは後ろを振り返る。

 すると魔人筆頭は視線を横に逸し、見るからに気まずそうな表情をしていた。

 

「……その、シルキィを持って帰ってください」

 

 その腰には依然としてもう一人の酔っ払い。

 どうやらシルキィは再びにゃんにゃんの血が騒ぎ出したのか、ホーネットにぎゅっと抱きついたまま「にゃー、にゃー♪」と楽しそうに鳴いていた。

 

「……ん~、それホーネットにあげる」

「……いえ、結構です」

「けどなんか懐いてるし。最初は面倒くさいなーって思ったけど、話してみたらほんとーに良い子だったからさ、ホーネットも可愛がってあげて?」

「……ですから、そういう事では無くて……サイゼル、」

 

 待ちなさい。と声を掛けたのだが、残念ながらそれが酔っ払いに届く事は無く。

 元はランスから押し付けられた酔っ払いの世話、それを今度はホーネットへと押し付けると、

 

「はうぜるぅ~~」

 

 とそんなユルい声を上げながら、サイゼルはとっとと帰って行ってしまった。

 

 

「………………」

 

 そしてぱたんとドアが閉じた後には、二名の魔人だけ残される。

 

「にゃぁ~……」

 

 先程からシルキィはにゃんにゃんになっている。

 アルコールがどう影響を及ぼすとこうなってしまうのか、ホーネットには全く理解出来ないのだが、とにかくこれをこのままにはしておけない。

 

「……シルキィ、とりあえず水を飲みなさい」

「ほーねっとさま、ほーねっとさまっ!!」

「……どうしました?」

「ほーねっとさま! わたし魔人四天王を辞めて、にゃんにゃんになりますっ!」

 

 にぱーと笑ったとても可愛らしい笑顔で、とんでもない事を言い出すシルキィ。

 

「……唐突、ですね」

 

 その強烈な一言に、ホーネットは先程自らが思った事を否定したくなった。

 今のがシルキィの日頃溜め込んでいて溢れ出した思いだとは、恐ろしくて考えたくない。

 

「……魔人四天王を辞めてにゃんにゃんになる、ですか。……そうですね、シルキィがどのような選択をしようとも、それはシルキィの自由。……と、言ってあげたい所ですが……」

 

 今まで自分と志を共にし、自分の下で懸命に戦ってくれたシルキィ。

 恐らくは酔っ払った末の戯言であると99%理解しつつも、それでもその思いには真摯に向き合うべきだと感じたのか。

 ホーネットは姿勢を正すと、自分に抱き付く相手の肩を両手でしっかりと掴んだ。

 

「今、シルキィににゃんにゃんになられるのは困ります。せめてこの戦争を終えるまでは、この派閥で共に戦ってください。……お願いできますか?」

「……ほーねっとさま」

 

 見下ろす魔人筆頭の真剣な表情を、魔人四天王は呆然とした様子で見上げる。

 ホーネットが伝えた真摯な思いは、酔っ払ったその脳にもしっかりと届いたのか、

 

「うにゃんっ!!」

「………………」

 

 シルキィはとても元気よく、にゃんにゃん語で返事をする。

 そんな姿に、もしかしたら駄目かもしれませんねと、ホーネットは胸に一抹の不安を抱いた。

 

「……ところで、いい加減に私を離してはくれませんか?」

「ほーねっとさまぁー、ほーねっとさまもお酒飲みましょー」

「飲みません。……シルキィ、酔い覚まし薬を探してきてあげますから、一度私から……」

「……ほーねっとさまぁー、……むにゃむにゃ」

「……シルキィ?」

 

 その様子の変化にホーネットが目を向けると、シルキィの表情はぼんやりとしていて、その瞼は今にも落ちようとしていた。

 どうやら彼女の頭の中にあった深い酩酊感、それが遂に眠気へと切り替わったようだ。

 

「シルキィ、眠るのならば自分の部屋で……」

 

 自分の腰にぐるりと回された腕、ホーネットはそれを外そうとしてみるのだが、

 

「……ふにゃぁ~……」

「……これでも、離れようとはしないのですね」

 

 何やらシルキィは無性にくっ付きたいのか、どうあっても一向に離れようとしない。

 半ば眠っている相手であるが、しかしそれは他ならぬ魔人四天王。その拘束力は尋常では無く、魔人筆頭であっても容易に解く事は出来ず。

 

「……仕方ありません」 

 

 ホーネットはシルキィの事を抱え上げ、不格好な状態のまま歩いて寝室のドアを開く。

 

 もうすでに就寝の時間、自分もそろそろ眠るつもりだった。

 ならばもうこの際一緒に寝てしまおう。ホーネットはそう考えた。決して酔っ払いの介抱をするのが面倒になった訳では無い。

 

「シルキィ、足を上げてください」

「ん~……」

 

 夢うつつのシルキィをベッドに横たわらせ、その隣に自分も並んで横になる。

 そして、ベッドサイドの明かりを落とした。

 

 

 

「…………ふぅ」

 

 真っ暗になった室内、愛用のベッドの上でホーネットは自然と息をつく。

 いつもと同じ時間に眠る、彼女にとってはいつも通りの夜。

 しかしいつもと違うのは、今もその体に纏わり付いている確かな感触。

 

「……ん~……まだのむ……よってないの……」

 

 今のは寝言だろうか。もしかしたら夢の中でもお酒を飲んでいるのだろうか。

 そんな事を思いながら、ホーネットは何となしにシルキィの手のひらに触れてみる。

 

(……小さい、ですね)

 

 それはまるで子供のように小さい手。

 だが決して子供の手そのものでは無く、そこには武器を握って戦う戦士特有の固さがある。

 

(……この感触、何だか懐かしい)

 

 小さな身体の魔人四天王。その小さな手に触れながら眠る夜。

 こうしてシルキィと一緒に眠るのは、ホーネットにとって初めてという訳では無い。

 

 それは遠い昔。今はもうこの腕で抱えられる程に小柄なシルキィ、だがそんなシルキィの腰辺りまでしか自分の頭が届かなかった頃、まだ魔人にもなっていなかった頃の記憶。

 魔物界は日常的に天気が悪く、特にその日は落雷が止まなかった。夜中しきりに鳴り響く雷鳴に小さかった自分は怯え、その時近くに居たシルキィに一晩中付き添ってもらった覚えがある。

 

 その時にもぎゅっと握っていた、この小さな手。

 今からもう数百年前、そんな遠い昔の事をホーネットがふと思い出していると、

 

 

「……懐かしいですね、ほーねっとさま」

 

 ふいにそんな声が隣から聞こえる。

 

「……シルキィ」

 

 まだ起きていたのか、と思うよりも先に、まさか自分と同じ記憶を思い返していたのかと、少し驚いたホーネットはその目を見開く。

 

「……そうですね、懐かしい。私が小さい頃……」

「えぇ。……小さい頃のほーねっとさま、将来は絶対にゃんにゃんになるって言ってましたよね」

「……断じて言っていません」

 

 それだけはホーネットもはっきり否定しておく。

 記憶の捏造、あるいは混濁か。いずれにせよ自分とは異なる記憶を思い返していたらしい。

 それを悟った彼女はもう眠ろうと深く瞼を閉じたのだが、しかし酔っ払い魔人の最後の抵抗はまだ終わらない。

 

「あそうだ。ねぇほーねっとさまー」

「……どうしました?」

「さっきらんすさんがねー、ちっちゃなおっぱいが好きだって言ってましたよー」

「な──」

 

 唐突に何の脈絡も無く、シルキィは今のホーネットに一番刺さりそうな言葉を発する。

 

「……………」

 

 ランスは小さい胸が好き。

 ホーネットは殆ど無意識の内にその手を動かし、自分の豊かな胸元を、とても小さいとは言えないその胸の大きさを確認するように触れた所で。

 

「……っ、」

 

 その程度の言葉に心を揺らしてしまう、今の自分にほとほと嫌気のようなものを感じながら。

 ホーネットはぎゅっと瞼を瞑り、そんな無駄でしかない思考をどうにか断ち切った。

 

「……シルキィ、もう眠りましょう。……お願いですから眠ってください」

 

 その切なる思いが通じたのか、

 

「はーいっ。…………くぅ」

 

 元気よく返事したかと思えば、五秒程ですぐに寝息が聞こえてきて。

 

「……くぅ、くぅ……」

 

 至って何事も無かったかのように、その酔っ払いは安らかな寝顔ですやすやと眠りに落ちる。

 

 こうして酒宴の場に降臨した最強の酒豪、ランスでもサイゼルでも止める事は出来ず、好き放題暴れた酔っ払い魔人シルキィは、魔人筆頭の手によってようやく討伐されるに至った。

 

 

 

 ちなみにそんなシルキィは次の日の朝方、ホーネットの使徒達によって自室へと運ばれた。

 しかしその部屋のベッドはランスとハウゼル、そしてサイゼルまで追加して一杯一杯だった為、仕方無く空き室のベッドへと運ばれた。

 

 そして昼頃、シルキィは目を覚ました。

 彼女の記憶は酒宴の途中辺りから薄れており、何故自分がここで寝ているのか、昨夜の終わり頃に何があったのかは思い出す事が出来なかった。

 

 故にこの一件。泥酔した挙げ句に魔人筆頭の部屋へと突撃し、散々迷惑を掛けてしまった事。

 シルキィがその事を知り、猛烈に死にたくなるのはもう少し先の事になる。

 

 

 

 

 



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次なる戦いの行方

 

 

 

 ランスが4P目的にと開催した酒宴。

 主に一人の魔人が大暴れしたその宴会は、一応は恙無く終了して。

 

 そしてそれから数日が経過した、そんなある日の魔王城の事。

 その二人にとってはもはやお馴染みの場所ともなった、魔王専用の浴室内にて。

 

 

 

 

「……では、私はこれで」

 

 お決まりともなったそんな言葉。

 それだけを言い残して、彼女はそこから立ち上がろうとした。だが、

 

「待て」

 

 そう呟いた男の左手が、彼女の右手をしっかりと掴んでいた。

 

「……なんですか?」

「まだ話がある。座れ」

「………………」

 

 互いの視線が絡む中、魔人ホーネットは複雑そうな表情で沈黙する。

 

 なるべく早くこの場から立ち去りたい。今はここには、その隣にはあまり居たくない。

 彼女のそんな心中はしかし儚く、自分の手を掴むその強さ、放す意思を微塵も感じさせない力強さに負け、やむなく湯船の中に腰を戻す。

 

「何の話ですか?」

「うむ、これはとっても大事な話だ」

「大事な話?」

「おう」

 

 その男は会話を交わしながらも、内心では神経を尖らせてその隙を窺っていた。

 相手は常に隙の無い魔人筆頭ではあるが、しかし完全無欠かと言えばそうでは無い。例えば彼女が瞬きをする瞬間、ほんの一瞬あるか無いかの空白。

 

「──ホーネットっ!」

「っ、」

 

 決して油断をしていた訳では無い。気の緩みなどは無かったのだが、しかし今の彼女はもうこの状況においては平常心を保つ事が難しく、その所為で反応が遅れてしまった。

 

 その男、ランスは機を見るに敏と驚くべき敏捷性を発揮する。

 水飛沫を立てながら瞬時にその距離を詰めて、両手を相手の頭と背中へと回し、その身体を正面からぎゅっと抱きしめていた。

 

「……な」

 

 ぴたりと密着し、身体で相手の身体を感じる。その柔らかな双丘が、相手の硬い胸板に押しつぶされて形を変える。

 それだけで、こうして力強く抱きしめられているだけで、顔や頭がじわじわと熱を帯びてくる。その感覚が嫌でも分かってしまい、ホーネットは堪えるように唇を噛む。

 身体が密着する程に近付いた事で、今の表情が相手に見られない事がせめてもの幸いであった。

 

「……な、んの、つもりですか? このような事をしても、私は……」

「ホーネット、聞いてくれ。……俺様な、最近ずっと考えていたんだ……お前の気持ちを」

「え──」

 

 その言葉に、トクンと心音が高鳴る。

 

「私、の……気持ち?」

「あぁ」

 

 途切れ途切れとなるホーネットの言葉に、ランスは真剣な表情で頷きを返す。

 

 彼は酒宴が終わってから、いや振り返れば酒宴を始める前からもずっとその事を考えていた。

 この魔人が自分とのセックスを断る理由。その一方で自分の事を受け入れている理由。

 そんな相反するような態度を見せる理由。そんなホーネットの気持ちそのものについて。

 

 

「……それでな、ようやく分かったんだ。俺様とのセックスを拒むお前の気持ちが」

 

 そうしてひたすら悩み抜いた結果、遂にランスは一つの答えに辿り着いた。

 

 

「……私の気持ち……が、分かったのですか?」

 

 そう呟くホーネットの声は、少し掠れていた。

 自分の心音が、胸の鼓動が徐々に激しくなってくるのを感じる。そこにある自分の気持ち、この相手に対して抱いてしまった情愛。それが当の本人に知られてしまったというのだろうか。

 

 それは果たして良い事なのか、あるいは良くない事なのか。

 相手に知られると何かが前進するのか、もしくは後退するのか。

 それら全てが初めての事で、今のホーネットには全てが何も分からない。

 

「ホーネット、お前……」

「……あ」

 

 自分の気持ち。言わないで欲しい。けれども。

 自らが何を望んでいるのかすらも分からぬまま、ホーネットはごくんとその喉を鳴らす。

 

 そして。

 

 

 

「まんこが嫌なんだな?」

「………………」

「なら、尻でするのはどーだ!? ぶっちゃけ俺様後ろよりは前派なのだが、お前と出来るのなら後ろでだっていい! いやむしろしたいっ!! なぁホーネット、それならいいだろ!?」

 

 それは心底大真面目な表情で。

 セックスが駄目ならアナルセックスさせろと要求するランス。そんな男の勢いとは対照的に、

 

「………………」

 

 ホーネットは耳元から聞こえてくる雑音に、心底疲れ果てたように瞼を落とす。

 その男の聞くに堪えない言い分、百年の恋も冷めてしまいそうなその言い分を受けても、幸いにして彼女のそれがそうなる事は無かったのだが。

 

「……私の気持ちについて、貴方がずっと考えて分かった答えというのはそれですか」

「おう」

「……一応、念の為に聞いておきますが、何か他に思った事は?」

「ほか? いや、他はなーんも」

「……そうですか」

 

 自分の気持ち、秘めている情愛については察知されてはいなかった。そうと知った時、どうやらホーネットは最終的に安堵の方が勝ったらしい。

 その口から、はぁ、と深い嘆息一つ、そして自分と相手の身体の間に右手を差し込むと、

 

「あ、おい」

 

 そのままランスをぐいっと押し退けて、その腕の中から逃れた。

 

「おいホーネットよ、だから尻で……」

「……そういえば、私も最近ずっと考えていた事があるのですが……」

「ぬ、お前も?」

「えぇ」

 

 小さく頷いたその魔人は、その鋭く光る金色の瞳でランスの顔をちらりと一瞥すると。

 

「……何故、貴方なのでしょうかね」

「……あん? なんのこっちゃ」

 

 はてなと首を傾げるランスの一方、ホーネットは色々な事に呆れた表情で呟く。

 

「……えぇ、本当に。一体何故貴方なのか、我が事ながらそれが不思議でなりません」

「だーから、なんのこっちゃい!」

 

 

 

 

 

 

 

 と、そのような一悶着があった風呂上がり。

 魔人筆頭が自らの情愛について大いに疑問を抱いてしまった、そんな一件の後。

 

 

「……くそー、違ったか。アナルでならイケるような気がしたのだが……」

 

 ランスは部屋のソファで難しい顔をしていた。

 

「ホーネットがセックスさせてくれない理由、セルさんみたいな理由だと思ったのだがなぁ」

 

 セル・カーチゴルフ。AL教の女神官であり、その教義上の理由……という訳では無いのだが、それでも彼女は神官として貞淑を貫いており、ランスが何度口説いてもセックスさせてくれない。

 しかしそんなセルとは後ろで、つまりアナルセックスを楽しんだ経験がある。もしやホーネットもそういう事なのではとランスは読んだのだが、どうやらその読みは外れていたようである。

 

「……ぬぅ。前でするのがイヤって訳じゃねーとなると……うーむむむ……」

 

 自分を受け入れているはずのホーネットが、しかし頑なにセックスはさせてくれない理由。

 ここ数日ずっと悩んでいるその事について、改めてその頭を捻らせてはみるものの。

 

「……だーめだ、分っからん。ちっとも分からん」

 

 残念ながら解答は思い浮かばず、ランスはソファの背もたれに力なくその身体を投げ出す。

 

 仮に嫌われているというのならば、態度や接し方を改めれば良い。けれどもそうでは無い、これまで抱いてきた女性と比較してみても、十分にセックスOKな距離まで近づけている。

 しかし相変わらず頷きはしない。そして相手は魔人筆頭、さすがのランスでも無理やりに押し倒す事は出来ない相手であって。

 

「……はぁ~。もうどーしたらいいのじゃ。完全に手詰まりだぞこれは」

 

 果たして何処をどのように攻めればいいのか、次なる一手が何も思い浮かばない。

 長きに渡るホーネットとの攻防戦において、ここにきてランスは遂に打つ手のない状態、出口の見えない袋小路に迷い込んでしまった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そして、その次の日。

 

 

「……ふむ。では右からいくか」

 

 ランスは視線を少し右に向ける。

 そこにあるのは彼の大好きな魅力的な膨らみ。まず目に付くのがその大きさだろうか。

 

「見かけに寄らずあるんだよなぁ」

 

 意外と言っては失礼かもしれないが、とにかくそれはしっかりとした丸みを誇っている。

 これは加点要素と言えるだろう。ランスは頭の中のチェックシートに採点を加えながら、その膨らみの中心にある突起に触れてみる。

 

「ひゃん!?」

 

 何か甲高い声が聞こえたが無視。

 慎重に、ゆっくりと人差し指を動かして、その先端を上下左右にくりくりと動かしてみる。

 

「あ、ううっ……! んんんっ! ランス、やあっ、やめ……!」

 

 特筆すべき点と言えば、やはりこの感度の良さ。

 ここは確かに女性にとっての弱点、性感帯の一つではあるのだが、このように少し弄っただけでこれ程声を上げる相手は滅多に居ない。

 これはやはり大きな加点要素、右の膨らみの先端を語る上での最大の特徴であろう。ランスは頭の中のチェックシート、その備考欄にしっかりとその旨を書き加えた。

 

 

「……よし、なら次は左だな」

 

 左にある膨らみ。その大きさを見るより前に、まず目を引くのがその肌の色か。

 右にあるそれよりも幾分か濃い、とても健康的な淡褐色の肌。

 

「うむ、こーいうのもエロチックだよなぁ」

 

 他とは違うという点ではこれも重要な加点要素。残念ながらその大きさ自体は右よりも小ぶりであるものの、それでもちゃんと自己主張をしている膨らみ、その先端に指を伸ばす。

 

「あっ、ん……」

 

 何か聞こえたがこれまた無視。その肌の色によく映える、綺麗なピンク色の蕾を弄る。

 特にそれを押し込んでみた時、右との違いが顕著に分かる。その大きさという事では無く、その奥の方にしなやかな筋肉がある事が伝わってくる。

 右と比較すると明らかにその身体は引き締まっており、それが柔らかな感触とのコントラストを生み出している。これはやはり加点要素と言えよう。

 

「や、あっ……、ちょっと、ランスさん……」

 

 勿論感度も十分。右と比べればさすがに劣るが、左だってここは弱点の一つなのである。

 

 

「……よし、こんなもんかな」

 

 そうして両方のチェックを終えたランスは、

 

「う~~む……」

 

 ぎゅっと目を瞑った悩みの表情で、左右それぞれの突起の素晴らしさをじっくり検討した後。

 

「……うむ。あれだな、やっぱ甲乙付けがたいな」

 

 みんな違ってみんな良い。

 それが彼の出した答えであった。

 

 

「そもそもこういう事はだな、優劣を付けるようなものでは無いと思うのだ」

「ランス! お前が言い出した事じゃないか!! ならこの時間は一体何だったんだ!!」

「……本当にね。いきなり人の事を呼び出すから、何の用事かと思えば……」

 

 二人の魔人は相変わらずな反応、サテラは怒りシルキィは呆れ顔で嘆息する。

 

 ランスは今、乳首の品評をしていた。ちなみ先程の右がサテラ、左がシルキィとなる。

 上着をはだけさせた二人を膝の上に跨がらせ、じっくり入念に乳首のチェックをしていたのだが、結果としては勝者無し、両者共に全く譲らずのノーコンテストで終了した。

 

「だって、暇だしなぁ」

 

 それがこの品評会の開催理由、なんとも身も蓋もない理由である。

 

「あぁ下らない、ほんとーに下らない、なんてバカバカしい!!」

 

 サテラはぷんすかと怒りながら、ランスの膝から下りると捲り上げていた服を戻す。

 怒りに加えて胸を晒していた恥ずかしさも混じり、その顔は真っ赤に染まっていた。

 

「とか言いつつ、俺様にしっかり付き合っちゃうサテラちゃんでしたと」

「うぐっ! ち、違うぞ、それは……!」

「そんなイヤならとっとと逃げりゃイイのに。何のかんの言ってぇ、俺様に乳首のチェックをして貰いたかったんだろ? ん? ん~?」

「ぐ、ぐ、ぐぅ~~……!」

 

 ニヤニヤ顔のランスに痛い所を突かれたのか、サテラは悔しそうな表情で呻く。

 

 彼女はつい先程ランスからの呼び出しを受け、この部屋に来て早々「今から乳首のチェックをするから服を脱ぐのだ」と宣言された。

 無論そんな事をして欲しかった訳では無いし、逃げ出そうと思えばそうする事も出来た。

 だがこの通りサテラは逃げ出さず、ランスのセクハラに最後まで付き合ってしまった。それは相手がランスだからと言うどうにもならない理由もあるのだが、それとは別にもう一つ。

 

「……し、シルキィが悪い!!」

 

 隣に居る相手にも責任があるのだと、真横を向いてキッと鋭い目付きで睨んだ。

 

「え、私のせいなの!?」

「そうだ! シルキィが断らないからだ!! シルキィが付き合うから、なんかサテラも付き合わなきゃいけないような感じになっちゃうんだ!!」

「えぇー……」

 

 サテラのすぐ隣、こちらも服装を元に戻したシルキィは予想外の飛び火に困惑する。

 

 同じように呼び出しを受けた彼女がランスのセクハラに付き合った理由、それは乳首を見せる事に殆ど抵抗感が無いから。もう何度も性交を重ねた相手だし、大して恥ずかしくないからである。

 とはいえそれだとサテラは困る。サテラにも見栄やプライドというものがあり、シルキィがランスに付き合うその横で、自分だけが逃げ出す訳にもいかなくなってしまうのだ。

 

「薄々感じていたんだがな、シルキィはちょっとランスに対して甘すぎるぞ。もっとビシッと言ってやらないと駄目なんじゃないのか?」

「……確かにそうね。サテラ、貴女の言う通りかもしれない」

 

 サテラの言い訳のような言い分に、シルキィは真剣な表情で頷く。

 先程は流れで付き合ってしまったが、どう考えてもあれはセクハラ。モラルに欠ける行為であり、褒められた行いじゃない事は明白である。

 ここは年長者の自分が強く言うべき必要があるだろうと、シルキィは一度こほんと咳払いして。

 

「……ランスさん」

「ん?」

 

 そして、相手の目をしっかりと見つめて。

 ……いたのだが、すぐにすっと横に逸して。

 

「……あのね。あんまりね、こういう事はその……良くないと思うのよ、うん」

「シルキィ!! お前、それでビシッと言ってるつもりかー!!」

「う、うぅ……」

 

 サテラの至極尤もな指摘に、反論出来ないシルキィは気弱な表情で俯く。

 どうにもランスに対して強く出られない。最近のシルキィはそんな悩みを抱えていた。

 その上つい先日行われたあの酒宴、それが今の彼女のメンタルに大きな影響を与えており、現に今のシルキィの頭の中では、

 

(あー、あー! 恥ずかしい、恥ずかしい!!)

 

 と、そんな絶叫が絶え間なく上がっていて。

 

(は、恥ずかしすぎるぅ……! あぁもう、お酒なんて飲まなければぁ……!)

 

 あの酒宴の日、自分は泥酔して我を忘れた。

 そしてランスに対して甘えたり泣いたり喚いたりと、それはもう散々に恥を晒してしまった。

 

 特ににゃんにゃんの真似をしてしまった事、にゃーにゃーと鳴いて甘えていたあの姿はヒドい。

 ああして甘えていた最中は何故だか無性に楽しかったのだが、しかし素面に戻った今ではとても受け入れ難い、直視する事の出来ない醜態である。

 

(……どうしよう、恥ずかしくてランスさんの顔を見れない……!)

 

 裸を見られても恥ずかしくは無いのだが、自分のそういった姿を見せるのは恥ずかしいのか、今のシルキィは内心気恥ずかしさで一杯一杯。

 その影響でランスと顔を合わせる事も出来ず、明後日の方向を向いたままその口を開く。

 

「……えっとね、ランスさん。いくら暇だからってこういうのはダメよ。こういう事はその~、せめて夜になってからというかね?」

「そうだそうだ! せめてシルキィと別々にしてくれ! いや別にされたい訳じゃないけどっ!」

 

 内心にある羞恥や懊悩をひた隠しにしながらのシルキィの言葉に、すぐさまサテラも同調する。

 

「つってもなぁ、ヒマなもんはヒマだしなぁ。やる事と言ったら乳首のチェックぐらいしか……」

 

 しかしランスはどこ吹く風。

 二人から抗議を受けても、退屈そうな表情で軽く受け流す。

 

「そんな、乳首のチェックぐらいしかって……他にもいっぱいやる事はあるでしょうに。ていうかランスさん、そんなに暇なの?」

「うむ、とってもヒマなのだ」

 

 暇を持て余している。それはランスにとってここ最近の悩みの一つ。

 ホーネットとセックスが出来ず、そしてその攻略方法が思い付かない。何も打つ手が何も無い現状、今のランスにはする事が何も無いのである。

 

「こう暇になってくるとさすがに退屈だなぁ。……あそうだ、なぁシルキィちゃん、この前みたいに派閥を挙げて戦ったりせんのか? 今の俺様はヒマだから次は付き合ってやってもいいぞ」

「……そう言ってくれるのは嬉しいけど、今の所その予定は無いかな。次の戦いは過酷なものになるはずだから、今は魔物兵達を鍛えたりとか、派閥の戦力を増強している最中だからね」

「そういやぁ、ここ最近は君もホーネットもずっと城に居るな。戦いはまだまだ先って事か」

 

 だがそうなるとますます暇だなぁと、ランスはつまらなそうに口元をへの字に歪める。

 対ホーネットに関しての進捗が無い事に加えて、派閥戦争の進捗に関しても現在は停滞中。

 ランスがこの魔王城に来た目的は、主にホーネットを抱く為と派閥戦争を何とかする為。その両方の目的が共に難航してしまった事が、こうしてランスが暇になった大きな要因であった。

 

「ぬぅ、俺様のような男に退屈は似合わんのだ。二人共、何か面白い事はねーか」

「面白い事と言ってもな……そんなに暇なら魔物兵達と訓練して身体を鍛えたらどうだ?」

「あのなぁサテラよ、なんでこの俺様が雑魚モンスター共に混じって訓練せにゃならんのじゃ。それに俺はトレーニングとかそういう事はせんのだ、すでに最強だからな」

「面白い事かぁ……そうねぇ……」

 

 ランスの暇つぶしになりそうな何か。

 シルキィは軽く顎を押さえた格好で、うーんと一頻り悩んだ後、

 

 

「……なら、迷宮探索とかはどう?」

 

 そうして思い付いた暇つぶしのアイディア。

 それは迷宮探索。つまりは冒険。

 

 

「……ほう、迷宮探索か」

「うん。ほら、この前シィルさんやハウゼルと一緒に、モスの迷宮を探索したって言っていたじゃない? その続きをするのはどうかなって」

「……確かに悪くねーかもな。考えてみりゃ魔物界なんてそう来られる場所じゃないし、迷宮にもレアなもんが沢山あるかもしれん」

 

 シルキィからの提案を受けて、ランスは満更でもなさそうな表情を見せる。

 女性とのセックスが大好きなランスであるが、他に冒険好きという一面も持っている。

 未知のものや見た事の無い秘境、そういったものに好奇心や男のロマンが疼くタイプである。

 

「二人共、この近くに良さげなダンジョンとかってあるのか?」

 

 ここ暫くはお休みしていた冒険心、どうやらそれが目を覚ましたのか。

 迷宮探索に乗り気になったランスが、そんな質問をしてみれば。

 

「そうねぇ……規模で言うなら、ここらの近くではやっぱモスの迷宮かな。ちょっと遠くても良いなら、光原を越えた先にアワッサツリーがあるんだけど、その近くの悪の塔に登るのもありかもね。あそこは今魔物達の巣窟になってるって話だし」

 

 さすがに長い年月この魔物界に住み、土地勘のある魔人達。シルキィがそう口を開けば、

 

「悪の塔まで行くなら、その近くにはいつわりの迷宮もあったな。光原を越えた先はサテラ達ホーネット派も滅多に行かないから、あの辺は派閥に関係の無い魔物達が居るはずだ。ちょうどいい腕試しになるんじゃないか?」

 

 重ねるようにサテラの口からも、ランスが聞いた事の無いダンジョンの話が出てくる。

 

「ふむふむ……なるほどなるほど」

 

 魔物界とは人間が立ち入れない世界。超一流の冒険者たる自分にも知らない迷宮が沢山。

 それらを攻略するのは中々に面白そうであって、暇潰しにはこの上無い。幾つかの迷宮に挑んでいれば時間も経過し、その内に今の停滞した情勢にも何か動きがあるだろう。

 そんな事を考えたランスは、ソファから勢いよく立ち上がった。 

 

「……うむ、決めたぞ! 俺様は今から迷宮探索に向かう事にする!! 今言ってた迷宮全部制覇するまで、暫く帰って来ないからそのつもりでな」

「ランス、サテラも! サテラも行く!!」

「よっしゃ、ならサテラよ、お前も一緒に来るがいい!! ……シィール! 冒険に行くぞー! とっとと準備しろー!!」

 

 ランスはサテラの手を掴むと、そのままダッシュで部屋を飛び出していく。

 そんな二人の背中に向けて、シルキィは「いってらっしゃーい」と手を振るのだった。

 

 

 

 

 

 久々に冒険心を掻き立てられたランスは、その後すぐに準備を終えて魔王城を出発した。

 

 パーティは戦士のランス、魔法使い兼ヒーラー兼荷物持ち役のシィル、レンジャーのかなみ、ガンナーのウルザ。

 そしてサテラとガーディアンのシーザー。そして賑やかし兼秘密兵器のシャリエラ。計7名。

 

 

 ランス達一行が最初に向かったのは魔界都市サイサイツリー。その付近にあるモスの迷宮。

 以前にランスがレベル上げをする為に潜り、途中の階で探索が中断していた迷宮である。

 途中までというのはどうにも据わりが悪いので、まずはこの迷宮を踏破してしまう事にした。

 

「よし、出発だ。がんがん、もぐれ!!」

 

 そんな号令を合図にして、一同はモスの迷宮内へと足を踏み入れる。

 このダンジョンの深さは50階層。立派な巨大迷宮であり、その全階層の攻略となると一日や二日でどうにかなるようなものではない。

 何度もキャンプを張って休憩を挟みながら、ランス達は徐々に最深部へと進んでいく。

 

 

「……今の魔物、何だか他のよりも強かったですね。それに倒す前に逃げちゃったし……」

「……ぬ、今の雑魚ってもしや……」

「ランス様、今の魔物を知っているのですか?」

「いや、知ってるっつーか……まぁいいや」

 

 途中、どこかで見た事があるような気がする一風変わったぶたバンバラや、何だか知っているような気もする一風変わったサメラーイなど、ランスが妙な既視感を覚える戦闘なども挟んで。

 

 やがて一行は最奥部に到着。50階層からなるモスの迷宮を見事に完全踏破した。

 

 

 

 そして次に向かったのは魔王城から北、魔界都市アワッサツリー。

 だが都市へ向かう途中、雷が降り注ぐ危険なエリア『光原』を越えるのにとても苦労した。

 止む事無く発生する落雷に、ぎゃーぎゃーと騒いで逃げ惑うランス達の横で、魔人のサテラだけは無敵結界に守られ涼しい顔をしていた。

 

 

「………………」

「……うん? ランス、どうした?」

「おいサテラ。お前これ持ってろ」

「なんだこれは?」

「いいから。んで少し離れてろ」

 

 最終的にサテラが持たされたのは金属の長い棒。

 無敵の彼女を避雷針代わりにする事で、ランス達はどうにか光原を突破して。

 

 そうして辿り着いたのがアワッサツリー。

 ランス達の目的はその付近にある悪の塔。モスの迷宮とは異なる人工的な建造物である。

 

 

「サテラが聞いた話ではな、この塔は訪れた者の心を悪に染めてしまうらしいぞ」

「ほーん、心を悪にねぇ……。かなみ、お前いっちょ心を悪に染めてもらったらどうだ」

「えっ、何で私が?」

「だってほら、そうすりゃ多少はマシな忍者になれるかもしれんだろう」

「マシって何よ、マシって!」

 

 この塔にまつわる逸話などを小耳に挟みながら、ランス達一行は塔内部を上へ上へと探索する。

 しかしこの悪の塔はすでに誰かが攻略してしまったのか、内部にあった宝箱などは全てがカラ。

 単に魔物が多いだけのあまり見所が無いダンジョンであり、ランス達は頂上までサッと登ってサッと下りてきた。

 

 

 

 そうして悪の塔の探索を終えた一行は、その付近にあるダンジョン、いつわりの迷宮に挑んだ。

 その迷宮の内部は偽物の通路や幻覚を見せるトラップなど、惑わせる事に特化した厭らしい仕掛けが多く、単純な思考で進むランスにはどうにも相性の悪い迷宮だった。

 

 

「ランス、この道さっきも通ったよ」

「え、マジ?」

「うん。シャリエラちゃんと覚えてる」

「……ぬぅ。……よし、ウルザちゃん、ここは君の出番のようだ」

「はい、分かりました。しっかりとマッピングしながら慎重に進みましょう」

 

 先頭をウルザに任せてからはわりかしスムーズに攻略は進み、そうして辿り着いた最深部で発見した宝箱から、希少なアイテムであるクリスタルリングを手に入れた。

 

 

 ランスが暇つぶしにと始めた迷宮探索だったが、しかし一度始めてしまえば熱中するもの。

 魔物界にある迷宮だけあって内部には強い魔物が多く、自然とランスの経験値も溜まっていく。

 3つの迷宮全てを踏破した頃には、ランスのレベルも60を越えていた。

 

 とそんな感じで、ランスがダンジョン攻略に日々を費やした結果。

 以前部屋で乳首の品評会をしていたあの日から、気が付けば一ヶ月以上が経過していた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そして、そんなある日の事。

 

 

「がーー!!」

 

 雄叫びが聞こえる。

 

 

「がーーーー!!!!」

 

 それは次第に近づいてきて、

 

 

「がーーーーーー!!!!!!」

「わぁっ、なに!?」

 

 そして、部屋のドアが粉砕されんばかりの勢いで蹴破られる。

 部屋内に居たシルキィは驚き、装甲の強化の為に用いていた工具をその手から落とした。

 

「がーーーーーーーー!!!!!!!!」

「ら、ランスさん!? 帰ってきたの? ていうか、ちょ、ちょっと、ちょっと!! なになに、なにこれ、何なの一体!?」

「がーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」

 

 叫ぶランスはシルキィの事を抱え上げると、そのまま天井目掛けてぽーいと投げてはキャッチ、再びぽーいと投げてはキャッチ、その繰り返し。

 意図のよく分からない謎の行動であるが、とにかく溢れそうな怒りを表現しているらしい。

 

「いつまでチンタラやってんじゃーー!!!!!」

 

 迷宮探索から戻ってきたランスは怒っていた。それはもうブチ切れていた。

 その理由は暇を持て余していたあの日と全てが同じ、現状が何一つ変化していない事に尽きる。

 

 対ホーネットに関しての進捗が無い。それは仕方が無い事だと受け入れるしかない。

 迷宮探索に出ていた間は一切ホーネットと接触しておらず、それで何かが変わるはずも無い。 

 

 だが問題はもう一方、派閥戦争に関しての進捗。

 こちらにも全く動きが無く、魔王城の様子は至って平和、ランスが迷宮探索に出発する前と何も変わっていなかった。

 

「もう一月以上経ってんだぞ!! 次の戦いだとか、逆に敵が攻め込んできたりとか、普通何かあるだろ!! 何も変わってねーじゃねーか!!」

「ランスさんっ!! 分かった、分かったから!! 下ろしてってば!!」

「分かってねーんじゃーー!! 俺様に退屈は似合わないっつってんだろーー!!」

「そ、そんな事を私に言われても……!」

 

 ぽーいぽーいとお手玉状態にされているシルキィは、ほとほと困ったように呟く。

 やがてランスはその行為にも飽きたのか、落ちてきたシルキィの事をキャッチ、そしてその脇の下を両手でがっちりとホールドすると、至近距離からドスの利いた目付きで睨んだ。

 

「……考えてみりゃあ、君らは魔人だもんなぁ? つまりそういう事なんだな!?」

「そういう事って、どういう事?」

「魔人ってのはあれだ、寿命がねぇんだろ? だからこの戦争だってすぐには終わらなくてもあと十年以内に、いやなんならあと百年以内にケリ付けりゃいーや、とかなんとか考えてんだろ!?」

 

 こののんびり屋さんめ!! とランスはそれはもう怒り心頭で叫ぶ。

 実の所、それは現在のケイブリス派の方針そのものであったのだが、さすがにそんな気の長い事を考えているのはあの魔人だけであって、ここに居るシルキィにそんなつもりは全く無い。

 

「あ、あのねぇ。いくら何でも、そんな悠長な事は考えていないわ。こんな戦争、一刻も早く終わらせたいに決まってるでしょう?」

「ほんとかぁ~? どーにもそうは思えんぞ。現にこの前から何も変わってねーじゃねーか」

「ていうよりもむしろね、まだたったの一ヶ月程度じゃないの……」

 

 ランスに持ち上げられたまま、シルキィは辛抱が無いなぁと言いたそうな表情で異を唱える。

 

 派閥戦争が勃発してから早7年、未だにこの戦争は継続中なのだが、しかしその7年の間常に争いが起きていたかと言うとそれは異なる。

 数ヶ月以上も戦いが起こらない期間があれば、逆に数ヶ月以上も前線に張り付きっぱなしとなる事だってある。

 元より戦争とはそういうものだとシルキィは解釈しており、今は言うなれば準備期間。故に彼女にとっては何らおかしな事は無く、特別のんびりしている訳では無いのだが。

 

「まだ、じゃない! もうだ、もう! もう一ヶ月も経っとんじゃい!!」

 

 しかしランスにとってはそうでは無い。なにせとても短気な性格、以前ヘルマンで革命活動を行っていた時などは、当初は3年程を目標としていた所、それは長すぎると文句を付けて2ヶ月に短縮してしまう程である。

 

 そんなランスにとって、この現状はあまりにもちんたらし過ぎている。

 すでにこの魔王城に来てから半年以上が経過しており、前回の第二次魔人戦争を勝ち抜くのに要した期間と変わらなくなってきていた。

 

「こんなだらだらと無駄な時間を掛けていたらな、ペンギンが来るぞ! ペンギンが!!」

「……ペンギン?」

 

 その言葉の意味がさっぱり分からず、シルキィはこてりと首を傾げる。

 

「そうだ!! ペンギンは怖いぞぉ~、さすがの俺様もあれには手も足も出せんからな。いくらシルキィちゃんだって、いやホーネットだろうがあのペンギンには絶対敵わないぞ!!」

「……一体、なんの話をしているの?」

「とにかく!!」

 

 なんかそろそろ遅刻してしまう気がする。そしてヤツらが押し寄せてくる気がする。

 そんな謎の強迫観念に押されているのか、いずれにせよランスはもう我慢の限界、動かない戦況を待つ事には飽き飽きだった。

 

「派閥の作戦とかもう知ったこっちゃない、俺様は勝手に動くからな」

「……て事は、まさか……」

「おう」

 

 ランスは一度大きく頷いて。

 

 

「今から魔人退治だ!!」

 

 そして堂々と宣言した。

 

 

「なんせ暇だしな!!」

「て、え、そんな理由で? ランスさん、貴方ちょっと無茶苦茶な事を言ってない?」

 

 暇だから魔人と戦う。

 マトモな神経をしているとは思えないそのセリフに、シルキィは驚くより呆れてしまったのだが、その男の考えはもう変わらない。

 

 そんなこんなで、暇を持て余したランスは魔人退治をする事にした。

 

 

 

 

 



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閑話 その頃の魔王城

 

 

 

 

 最初に違和感を受けたのは、その脱衣所に足を踏み入れた直後の事。

 

「……?」

 

 居るはずの相手、それが居ない。

 いつも先回りして自分を待ち構えているはずの、あの姿が何処にも見当たらない。

 

「………………」

 

 ここに居ないという事は先に入っているのか。

 自然とそう考えて、そのまま彼女は通常通りの行動、身に付けていた衣服や装飾類を外す。

 一糸纏わぬ姿となり、タオルを手に取ってそのドアを開く。

 

「………………」

 

 だが先程の予想に反して、ここにもその姿は見当たらない。

 いつもと同じの、しかしいつもとは異なる浴室の様子。それに少し釈然としないものを感じながら、その魔人は洗い場の椅子に腰を下ろす。

 

「………………」

 

 そこで悩む。ここ最近はその相手に背中を洗って貰うのが習慣となっていたのだが、しかし今日はその姿が見えない。

 そして今までその役目を与えていた使徒達にも、最近はもう風呂場への同行は必要無いと断っている為、体を洗う者がここには居ない。

 

「………………」

 

 これまでそうであった習慣を突然変えるのは、こちらの対応が利かないから止めて欲しい。

 ふとそんな不満を抱いてしまったが、しかし居ないものはどうしようもない。今から自分の部屋に戻って使徒達を呼んでくる訳にもいかず、仕方無く彼女は自らの手を動かす。

 

「………………」

 

 誰の視線を感じる事も無い、変に気を張らなくてもいい状況。

 それに少しだけ開放感を感じながら、自らの手で自らの身体の隅々まで洗って。

 

 そうして身体を流し終えたら次は頭。

 シャワーのノブの捻り、腰に掛かる程の長髪に満遍なく水分を纏わせ、シャンプーを泡立てる。

 

「………………」

 

 あるいはこのタイミングか、とも考えていた。

 髪を洗う時には目を瞑る為、どうしても周囲への警戒が疎かになる。故にこの隙を突いてくるかとも考えたのだが、どうやらそれも違う様子。

 密かに両耳で周囲の気配を探っていたが、浴室のドアが開かれる音は一向に聞こえてこない。

 

「………………」

 

 洗い終わった髪を纏めて、彼女は洗い場の椅子から立ち上がる。

 向かうはこの浴室の半分以上を締める湯船。一人で入るのには大きすぎる、二人でだって過分な程に広々とした魔王専用の湯船。

 

「………………」

 

 つま先からゆっくりと水面に落とし、肩の位置まで熱い湯に浸かる。

 湧き上がる心地よい痺れが全身を満たし、自然と身体中から力を抜く。

 一日の疲労が湯に溶けていくのを感じながら、その魔人はそっと口を開いて。

 

 

「……来ませんね」

 

 その魔人、ホーネットがこの浴室に入ってから最初の一言はそれだった。

 それはランスが退屈しのぎにと迷宮探索に出発して、魔王城を離れたその日の事である。

 

 

 

 

 その日は結局、魔人筆頭が利用している風呂場に闖入者がやってくる事は無かった。

 

 ランスとホーネットの混浴。それはここ最近自然と繰り返されてきた事ではあるが、特別そのような約束をしていると言う訳では無い。

 つい先日もランスはサテラ達と酒を飲み、その日は泥酔して風呂に入るのをすっぽかしている。

 

 故にこういう日だってあるだろう。

 そもそも彼は自分とは違って不真面目、思い付きや気分次第で行動を変える一面がある。

 今日はここでは無く共用の風呂場か、あるいは別の者と一緒に入る事にしたのだろう。

 そのように考えて、その日はホーネットも大して気にしていなかったのだが。

 

 

 

 

 しかし次の日。

 

「……今日も来ませんね」

 

 

 

 そしてまた次の日。

 

「……来ない」

 

 

 

 またまた次の日と続くにつれ。

 

「……これは」

 

 

 

 ──さすがに少し妙ではないか。

 4日連続その姿が見えなかった事で、遂にホーネットもその考えに思い至った。

 

 

「………………」

 

 そして思い至った以上、その考えを無視する事は出来ない。

 以前の彼女なら出来たかもしれないが、今の彼女はもう目を逸らす事など出来ないのである。

 

 

 

 故にその風呂上がり。ランスの様子が気になったホーネットは自ら足を運ぶ事にした。

 

(……今はあまり彼と顔を合わせたくはないのですが……)

 

 自分の気持ちを自覚して以降、彼と会う度に動転しては無様な姿を晒してしまうので、ここ最近は半ば意識的に浴室以外での接触を避けてきた。

 それが仇となって今のランスの状況を知る機会がなかったのだが、部屋の前までやって来た所でようやくその事に気付いた。

 

 

「居ない……?」

 

 ランスが使用する為にと与えられている客室。

 その部屋の灯りは落とされていて、ドアの向こう側からは物音一つ聞こえてこない。

 

「………………」

 

 コンコンとドアを軽くノックしてみる。だがそれでも反応は無い。

 そのまま十秒程悩んで、そして気付く。そのドアには施錠がされていなかった。

 

「………………」

 

 そのまま一分程悩んだのだが、やがて意を決してそのドアを少しだけ開いてみる。そうして出来た僅かな隙間から中の様子を伺ってみても、半ば予想していた事だがその姿は見当たらなかった。

 

「……何処かに出ているのですね」

 

 この部屋の様子を見る限り、どうやら今ランスは不在中。おそらく風呂場に来なくなった4日前から何処かに出掛けたのだろう。

 この城の管理を代行する者として、外出するならば一言くらい声を掛けて欲しかったのだが、しかしあのランスにそのような気配りを期待するだけ無駄というものか。

 

(……ともあれ、浴室に来なくなった理由は分かりました。部屋に戻りましょう)

 

 踵を返したホーネットは、そのままランスの部屋を後にする。

 正直な所、少しだけその顔を見たい気持ちもあったのだが、居ないのならば仕方が無い。

 そんな事を思いながら廊下を歩いていると、ふいにもう一つ別の事に気付いた。

 

(……静か、ですね。……これはもしや、ランスだけでは無く……)

 

 この階層、ここら一帯の部屋は全て、人間世界からの客人用に割り当てられている。

 今はその全ての部屋から物音が全く聞こえず、見ればその全ての部屋の照明が灯っていない。

 という事はランスのみならず、彼がこの城に連れてきた者達も皆同じく不在中なのか。考えられる理由としては、彼と一緒に全員が出掛けたという事なのだろうか。

 

「………………」

 

 ランスとその仲間達。

 この魔王城内に来ていた人間達が、皆一斉にして何処かに出掛けた。

 その事実を知った時、瞬間的に魔人筆頭の脳裏を掠めた寒気にも似た疑念、それは。

 

 

(……まさか)

 

 ──人間世界に帰ってしまったのか。

 

 

「っ、」

 

 そう考えた時、あの時に抱いてしまった恐怖、その感情がまた胸の内から表出してしまい、ホーネットは思わず生唾を飲み込んだ。

 

(……いえ、そんなはずは……)

 

 呆然と廊下に立ち尽くしたまま、それでも頭の冷静な部分で慎重に思考する。

 人間であるランスは人間世界に帰る。いつかは必ず訪れるその事に対して、今の自分が寂しいという感情を抱き、そして会えなくなる事に恐怖しているのは目を逸らしようのない事実。

 

 その所為もあって咄嗟にその可能性を連想してしまったのだが、しかし落ち着いて考えてみるとさすがにそれは飛躍した発想のように思える。

 自分との性交。絶対に諦めないぞと、あれだけ執拗に宣言していたそれをまだ達成してもいないのに、彼がこの城から去る事など考えられない。

 

(無い、……はず、です。……けれども)

 

 だが相手はあのランスであって。

 その突飛な行動にはこれまで何度も振り回されており、とても考えの読める相手では無い。

 そして我慢強い性格でも無いので、もういいやと投げ出してしまったのかもしれない。

 

(……そもそもが、私にどの程度の価値が……)

 

 ランスがあれだけ執拗に求める程の理由、それ程の価値がこの自分にあるのだろうか。

 自分程度の女性など、人間世界にはごまんと居るのではないだろうか。

 

 とそんな自嘲的とも言える思考が、ホーネットの頭の中には次々と浮かぶ。

 初めて自分の内に生じた情愛に戸惑い、臆病な気持ちを抱えている今の彼女では、一度その疑念が生まれてしまうと否定するのは難しく。

 

 

(……まさか……)

 

 もう会えないのか。こんなにも早い別れとなってしまったのか。

 4日前の浴室での遭遇、女性器を用いた性交が嫌なら他の部位でさせろと言ってきた、あのあまり思い返したくない出来事が彼との最後の思い出となってしまうのか。

 

 そんな考えに思考を囚われたまま、ホーネットは覚束ない歩みで自分の部屋へと戻り。

 

(……そんな、でも……)

 

 その日、彼女は中々寝付く事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 そして、その次の日。

 

 

 コンコンと軽いノック音が聞こえた後。

 

「ホーネット様、入ります」

 

 礼儀正しく一声掛けてから、魔人シルキィはその部屋のドアを開く。

 その室内には見慣れた姿、壁際に整列する使徒達と、奥にある執務机に掛ける魔人筆頭。

 シルキィは一直線にその机の前まで進むと、すぐにその頭をぺこりと下げた。

 

「申し訳ありません。少し遅れてしまいました」

「構いませんよ、シルキィ。予定もないのに突然呼び付けたのは私の方ですから」

 

 先程までシルキィは城の中庭で軽く身体を動かしていたのだが、魔物兵から「ホーネット様がシルキィ様にお話があるとの事です」と伝えられ、急ぎこの部屋までやって来た。

 そんな魔人四天王の出だしからの謝罪に、魔人筆頭は気にした様子も無く言葉を返す。

 

「それでホーネット様、お話というのは? カスケード・バウ攻略に関しての事でしょうか」

「……いえ。今日は、あちらで」

 

 ホーネットはちらりとその視線を部屋の隅、ソファの方へと送る。

 

「……あぁ、はい。分かりました」

 

 返事と共にシルキィは口元を綻ばせ、少しだけその表情を緩める。

 派閥の主からの急な呼び出しに、もしや次なる戦いの進展があったのかと、シルキィは少々緊張しながらこの部屋を訪れたのだが、今のホーネットの仕草を見てそうでは無いのだと理解した。

 

 相手の視線は執務机から離れて、肩肘を張る必要の無いソファへと向いている。

 つまりホーネットの用事とは単なる雑談、言うなれば世間話のようなもの。

 

(……ホーネット様とそういう話をするのって久しぶりかも。私に聞きたい事があるのかな?)

 

 作戦会議をするのは大事だが、しかし他愛もない語らいの時間だって大事だとシルキィは思う。

 相手との仲を深める意味もあるし、そういう時間は殺伐とした戦争の中での心の潤いとなる。

 まったりとした空気の中、ホーネットと談笑しながらのティータイム。そんな楽しくて貴重な午後となりそうだ。

 

 ……と、この時はそのように思っていたのだが。

 

 

 

「シルキィ様、どうぞ」

「ありがとう、ケイコ」

 

 二人の魔人がソファに場所を移すと、すぐにホーネットの使徒達が動き出し、憩いの一時の必需品である紅茶と菓子を用意してくる。

 それにシルキィが笑顔で謝意を述べて、さてとと手を伸ばそうとしたその時、目の前に座わる相手がその口を開いた。

 

 

「……では、今から少し、シルキィと二人で大事な話をします。貴方達は外れていなさい」

 

(え、また!?)

 

 ティーカップを取ろうと手を出したままの格好で、シルキィはぎょっとしたように驚く。

 今聞こえたのは何処かで聞き覚えのあるセリフ、何だか嫌な予感がしてしまうセリフだった。

 

(大事な話って、確かこの前……)

 

 思い出されるのは先日の事。その時もホーネットは今と同じく、大事な話をするからと自分の使徒達を部屋の外に退出させた。

 そうして打ち明けられた話、それは魔人筆頭が抱えていた重要な悩み。聞くのも答えるのも恥ずかしい、しかし確かに大事な話であった。

 

(今度はどんな話を……ていうかちょっと待って、そういえばあの後って、ホーネット様……)

 

 あの日打ち明けられた事、ホーネットから相談された内容。

 それは何を隠そう性交の際の留意点について、そんな赤裸々な話であって。

 

 そしてあの日の後。自分への相談を終えた後、もしホーネットの決意が固まったとしたら、そういう事になっていてもおかしくはない。

 あの日の終わりに誰あろうシルキィ自らが、近々そうなるのではとの予想をしていたのだ。

 

(え、え、え。てことは、て事はまさか、今日の話はその事に関してだったり……?)

 

 もしかしてホーネットは、遂にあの男との一線を越えたのか。

 その初体験を経て何か思う事があったのか、悩んでしまう事があったと言うのか。

 もしそういう事に関する相談だとしたら、自分は何と答えれば良いのだろう。自分だって別にそういう経験が多い訳では無いのに。どうしよう。

 

 と、シルキィが内心あたふたしている間にも、ホーネットの使徒達は室内から退出していく。

 そして、ぱたんと入り口のドアが閉まり切るのを確認した後。

 

 

「……さて」

 

 魔人筆頭がその金の瞳を、魔人四天王の赤い瞳と合わせる。

 

「………………」

 

 口を固く引き結んで身構えるシルキィ。

 

「………………」

 

 その一方でホーネットもしばし沈黙。以前の時と同じように逡巡の最中にあった。

 すぐにでも目の前の相手に尋ねたい事があるのだが、しかしそれはどうにも尋ね辛い。

 本来なら特別そう感じる必要の無い質問のはずなのだが、しかし自分の内にある慕情を自覚してしまうと、そんな事でも何故か尋ね辛く感じてしまうものであって。

 

「……そういえば」

 

 故にホーネットは呟いたのはそんな台詞。

 そんな如何にもふと思い出したかのような滑り出しから、至って自然な体を装って。

 

 

「シルキィ」

「は、はい。何でしょう」

「……その、最近ランス達を見かけないのですが、貴女は何か知っていますか?」

 

 この時のホーネットの内なる葛藤、そして憂心、更には羞恥心などなど。

 それら全てがごちゃ混ぜになった複雑な感情。そんな想いを知る由も無く、

 

 

「ランスさん達なら、ついこの前迷宮探索に出掛けましたよ」

 

 シルキィはとてもあっさり答えを告げた。

 

 

「……迷宮探索?」

「はい。退屈しのぎにちょうど良いからって、シィルさん達やサテラを連れて」

「……そうですか、迷宮探索……成る程……」

 

 魔王城を留守にしていたのは元の世界に帰ったのでは無く、冒険に出掛けていたから。他の面々が居なかったのも冒険する上でのパーティだから。

 それを知ったホーネットの表情が、胸中にある不安により曇っていたその表情が、僅かに安堵の表情へと切り替わる。

 

「ランスさん、城の近場にある迷宮全てを制覇するんだって燃えていましたよ」

 

 シルキィはその微々たる変化、今日のホーネットが寝不足気味な所までしっかり気付いていたのだが、あえて指摘するような事でも無いかと思い、そのまま会話を続ける。

 

「この近くの迷宮となると、ランス達はモスの迷宮に向かったのですか?」

「そうですね、それとアワッサツリーの方にも行くそうです。モスの迷宮と悪の塔といつわりの迷宮、それら全てを攻略するまで城には帰ってこない予定だって言っていました」

「……3つも迷宮を制覇するとなると、帰ってくるのには結構時間が掛かりそうですね」

「ですね。まぁサテラが一緒に居るから万が一の事は無いと思いますが」

 

 魔物界の迷宮には難所が多く、生息している魔物も強い個体が多い傾向にある。幾らあのランスと言えども容易に攻略する事は出来ないだろう。

 とはいえその目的が人間世界への帰還では無く、単なる暇つぶし目的での迷宮探索であるのなら、いずれはこの魔王城に帰ってくるはずである。

 

「というかホーネット様。この事を知らなかったのですよね? なら私がもっと早く報告しておくべきでしたね、申し訳ありません」

「いえ、構いませんよ。……それにシルキィからというよりも、どちらかと言えば出発の際にサテラからの連絡があると良かったのですが」

「あ~、それは~……。ランスさんは本当に思い立ったら突然と言うか、冒険に行くぞとなってすぐ準備をしてすぐ出発したので、それであの子もちょっと連絡し忘れちゃったんだと思います」

「そうですか。まぁ先程も言いましたが別に構いません。それほど重要な事ではありませんから」

 

 昨日抱いた不安、夜中ずっと苛まれたそれはただの杞憂であった。

 胸の中にあった重たいものが解消したホーネットは、自然とティーカップに手を伸ばす。

 

「……ふぅ」

 

 使徒達が丁寧に入れてくれたその味をそっと一口味わう。

 そしてほっと一息ついた所で、シルキィが様子を伺うような表情で口を開いた。

 

「……あの、ホーネット様」

「どうしました?」

「先程ホーネット様が言っていた、大事な話というのは何でしょうか?」

 

 さすがに今のは本題では無く、会話を弾ませる為の単なる前振りのようなものだろう。

 シルキィがそう考えたのも無理はなく、故に彼女はそのように本命の質問を促したのだが、

 

「……そう、ですね」

 

 ホーネットはそこで言葉を止めて、何かを躊躇うように視線を横へと逸らす。

 彼女が聞きたかった大事な話、実の所それはもうすでに聞き終えている。だが相手からそのように言われてしまうと、今のがそれなのですとは中々口に出来ないもので。

 

「大事な話というのは……」

 

 そして何より今のホーネットには、シルキィに聞いてみたい事がもう一つ存在していた。

 今しがた尋ねたランスの居所と同じくらいに、あるいはそれ以上に大事な話。

 

 自分の内に芽生えていたもの。自覚してしまった想い。彼に対して向けている情愛。

 それを自分はどのように扱えば良いのか。今後彼とどのように接すれば良いのか。

 そして彼が求めている行為に対して、自分はどのように向き合うべきなのか。

 

 などなどそんな悩み。まるで思春期にある人間の少女が抱くような悩みであるが、しかし今のホーネットが確かに抱えている悩みであって。

 それを自分よりも遥かに人生経験が豊富なシルキィに相談し、何か助言を貰いたいという気持ちがあるにはあったのだが。

 

 

「………………」

 

 しかし魔人筆頭の表情は一向に動かない。

 沈黙が続くだけで、その口からは次なる言葉がどうしても出てこない。

 

 自分のこの想いを誰かに打ち明ける事。そしてそれらの悩みを打ち明ける事。

 その難解さ、その尋ね辛さたるや、先程の質問の比では無く。

 

 

「……ホーネット様?」

 

 シルキィが心配そうに小首を傾げる中、

 

「……その」

 

 結構な時間を躊躇っていたのだが、結局ホーネットはそれを尋ねる事は出来ず。

 

 

「……先日、の、事なのですが」

「先日?」

「えぇ。……シルキィ、貴女が泥酔していた時の事です」

 

 代わりに選んだのはそんな話。

 とはいえ一応、これも気になると言えばとても気になっていた事ではあって。

 

「え!」

 

 その予想外の話題に、魔人四天王の口から飛び上がるような一言が漏れた。

 

 

(続く)

 

 




2019/7/15 
本日ランスシリーズ30周年、誠におめでとうございます。



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閑話 その頃の魔王城②

 

 

 

 

 大事な話がある。

 

 そんな理由で始まった今回の雑談の時間。

 だったのだが、しかし魔人筆頭はその身に秘める大事な話、それを打ち明ける事は出来ず。

 

 そんな彼女が代わりに選んだのは先日の事。

 それはかの魔人四天王がヒドく酔っ払っていた、あの日の事に関して。

 

 

 

(……あ、あの日は……)

 

 当然飛んできたその話題に、嫌な心当たりがあったシルキィはその顔を引き攣らせる。

 あの酒宴の日に一体何が起きたのか。それは彼女も内心とても気になっていた。何故ならその全てを覚えてはおらず、途中から記憶が曖昧になっているからである。

 

(あの日は、確か……)

 

 酒宴をしようじゃないかと、そんな理由でランスが酒を用意してきた。

 乾杯をしてみんなでお酒を飲んで、まずハウゼルが倒れて、そして次にサテラが倒れた。

 

(それで私も酔っ払っちゃって、それで……)

 

 その後ランスと二人だけでお酒を飲み、そこで大量の酒を飲んだ結果自分は泥酔してしまった。

 そしてにゃんにゃんの真似をしてしまったりと、一生分の恥をかいた事はまだ覚えている。

 どうせならその辺の事も全て忘れていたかったのだが、それはともかくとして問題はその後。

 

(……それでその後、確か部屋にサイゼルがやって来て……)

 

 サイゼルの姿を目にしたら何故か急激にテンションが上がって、思わず彼女に抱き付いた。

 そしてランスが眠り、まだ元気だった自分はサイゼルとお酒を飲む流れとなったのだが、その辺りから記憶があやふやになっているのだ。

 

(……サイゼルと二人で、沢山お酒を飲んだような気がする。それで、それで……)

 

 ここからは何となくの記憶なのだが、その後誰かの部屋に向かったような気がする。

 そしてこれまた何となくなのだが、サイゼルはホーネットについて悩んでいたような気もする。

 

(……なんか、目が怖いとかどうとか……)

 

 そんな悩みをサイゼルから打ち明けられ、その時に自分は「よし、じゃあ言いにいこっか」などと、今考えると耳を疑うような発言をしたようなしていないような。

 そこからまた更に大量のお酒を飲んだらしく、それが原因でこれ以降の記憶が無いのだが、ここまであった要素から考えると、あの時泥酔していた自分が向かった部屋というのは……。

 

 

「……ほ、ホーネット様」

「どうしました?」

「……もしかしてあの日、酔っていた私はホーネット様のお部屋に……!?」

「えぇ。サイゼルと二人でやって来ました」

 

(あああああっ! やっぱり!!)

 

 あんなへべれけになっていた状態で、あろう事かこの派閥の主の部屋に突撃していたとは。

 知りたくなかったその事実を知り、シルキィの顔から一気に血の気が引いていく。

 

「シルキィ。貴女はあの日の事を覚えていないのですか?」

「……えっと、その……はい。実は記憶があやふやになっているのです」

「成る程。記憶が欠如するのは深く酩酊した後には良くある症状だと聞きますね」

「え、えぇ……。あの日は結構な量のお酒を飲んでしまったので……」

 

 ホーネットの言葉にシルキィは神妙な顔で頷く。

 あの日は最終的に10本近くあった酒瓶全てを開けたのだ。その頭から記憶が欠ける程に酔っていたとしても不思議ではない。

 ただ問題はそこじゃない。自分の記憶云々よりも大事な事、それは今目の前に居る相手の事。

 

「そ、それよりホーネット様。あの時泥酔していた私は、何かホーネット様に失礼な事をしてしまったのではないですか!?」

「それは……」

 

 切迫した様子のシルキィの問いに、ホーネットはそれを答えるのに一拍を挟んで。

 

 

「……いえ。そういう訳ではありませんよ」

「そんなはずはありませんっ! 私は何かをやらかしてしまったはずです!」

 

 ホーネットからの否定の言葉を受けても、しかしシルキィは食って掛かるような勢いで叫ぶ。

 なんせ自分の酔い方はヒドかった。ランスの前であれだけの醜態を晒したのだ、そんな自分がホーネットの前で何もしていないとは考えられない。

 その否定の言葉は事実では無く、恐らくは自分が変に気に病まないよう気を遣ってくれたもの。そうだと分かってはいたのだが、しかし今のシルキィにはその優しさが痛かった。

 

「ホーネット様、教えてください! 私は一体どれほど愚かな事をやらかしたのですか!?」

「……しかし貴女は何も覚えていないようですし、ならばあえて言うような事でも……」

「構いませんホーネット様! 私はどんな叱責でも受ける覚悟は出来ていますから!」

「………………」

 

 シルキィのその声、その表情は実に真剣なものであって。

 その並々ならぬ覚悟を目にしたホーネットは、少し話題選びに失敗したなと思いながらも、仕方無くあの日の事を思い出す。

 

「……確かにシルキィ、あの日の貴女は普段のそれとは少し違っていました。ですが私は気にしていません。この城で酒を飲む事を禁じた覚えはありませんし、それに私と貴女の間柄です。貴女が泥酔していたら介抱するのは当然の事でしょう。……ただ」

「……ただ?」

 

 やっぱり泥酔していた自分を介抱させてしまったのか。

 そう思うと同時に、そこで一旦言葉を区切ったホーネットの何やら難しそうな表情を見て、シルキィも次なる言葉に身構える。

 

「あの時、貴女が言っていた事なのですが……」

 

 あの日の事に関して、先の言葉通りホーネットは大して気にしていない。

 酔っ払ったシルキィに変な感じに絡まれた事も、一緒に寝た事だって不都合がある訳でも無し。

 ここで一々そんな事を糾弾して、心優しきこの魔人四天王を萎縮させる必要は無いだろう。

 

 そう思っていたのだが、ただそれでも一つだけ。

 どうしてもあの事だけは、ホーネットも確かめずにはいられなかった。

 

 

「……シルキィ。貴女は魔人四天王を辞めたいのですか?」

 

 その言葉はまるで鋭利な刃物のように、強烈な鋭さでその魔人の胸に突き刺さり、

 

「くふっ」

「シルキィ?」

 

 小さく呻き声を漏らしたシルキィは、体から力が抜けたようにがっくりと頭を落とした。

 

「……私は、私はそのように愚かな事を口にしたのですか?」

「……えぇ、まぁ。魔人四天王を辞めてにゃんにゃんになりたいのだと言っていました」

「にゃ……!」

 

 思わずシルキィはその鳴き声を口走る。そしてその顔が見る見る内に赤くなっていく。

 

 魔人四天王を辞めてにゃんにゃんになる。

 それはなんという愚かな発言、なんというアホな発言なのだろうか。

 ランスに甘えた時と言い、何故泥酔時の自分はそんなにもにゃんにゃんにこだわっているのか。

 

(……あぁもう、恥ずかしすぎて死にたい……)

 

 今すぐリトルの中に入りたい。装甲の内部で永遠に引き篭もっていたい。

 ついそんな気分になってしまったシルキィだが、まずするべきは何よりも弁明である。

 

「……ホーネット様、それは酔っ払いの戯言です。私の本意ではありません。なので出来れば今すぐに忘れて貰えると助かります」

「……そうですね、私も恐らくはそういう事なのだと思っています。ですが……」

 

 ホーネットはまだ納得する事は出来ないのか、その表情には憂いを含んでいた。

 彼女も当の本人とは概ね同意見、あれはきっと酔っ払いの戯言だったのだと思っている。なんせあれだけ泥酔していたのだ、意味の無い世迷言を喋ってしまう事だってあるだろう。

 そう思ってはいるのだが、しかしその内容が内容だけにどうしても考えてしまう事がある。

 

 

「……思えば、これまでシルキィには沢山苦労を掛けてきましたからね」

「え? いやあの別に──」

「隠す必要はありません。この私が不甲斐ない分、貴女に掛かる負担は多かったはずです」

 

 魔人四天王たるシルキィ、彼女には自派閥のNO,2として沢山の戦いを任せてきた。

 特に防衛戦では一番信頼出来る戦力として、シルキィを頼りにする事も多かった。

 

 そんな戦い続きの日々の中、次第に彼女の胸の内に蓄積されていった思い。

 それが魔人四天王を辞めたい。そんな願いだったのだとしたら。

 戦う事なんてもう辞めて、野原を自由に駆け回る一匹のにゃんにゃんになりたい。そんな願望を抱いていたのだとしたら。

 

「……貴女は真面目な性格ですからね。知らずの内に溜め込んでいる思いもあるかと思います」

 

 シルキィの性格上、そんな事は思っていても口に出す事など出来なかっただろう。

 けれどもあの日、お酒を飲んだ影響で心の堰が脆くなり、今までひた隠しにしてきた本音がぽろりと口から溢れたのだとしたら。

 

「……使徒を持たない貴女の事です、そう言った事を相談しようにも中々相手も居ないでしょうし、私で良ければ──」

 

 ──どんな相談にだって乗りますよ?

 

 と、それはもう真摯な表情で。

 その精神状態を気遣い、とても親身になってくれるホーネット。その一方で、

 

「無いです無いです! 悩みなどありません!! 魔人四天王を辞めたいと思った事も、にゃんにゃんになりたいと思った事もないですからっ!!」

 

 シルキィは激しく両手を振って否定する。

 彼女にとって魔人四天王とは、敬愛する魔王ガイから戴いた名誉ある立場。

 それを誇りに思う事こそあれ、辞めたいなどと思った事は一度たりとも無いのである。

 

「ホーネット様。ご気遣い有難うございます。けど私は大丈夫ですから」

「シルキィ……本当ですね?」

「勿論です。私は魔人四天王を辞めたりしません。にゃんにゃんになったりなどしませんから」

「……分かりました。そうだとは思っていたのですが、やはり私の杞憂でしたね」

 

 ようやく安心したのか、ホーネットはその表情を微かに綻ばせる。

 

「それに、もう絶対にお酒なんて飲みません」

「……先程も言いましたが、別にお酒は飲んでも構いませんよ?」

「いえ。もう金輪際飲みませんから」

 

 今後二度とあのような醜態は晒すまい。

 そんな決意で口にした禁酒宣言だったが、しかしその誓いは残念ながら叶わなかった。

『酒を飲んで普段より甘えんぼになったシルキィ、今度はそれとセックスしてみたいなぁ』

 とそんな事を考えたランスの企みにより、シルキィの禁酒宣言は脆くも崩れ去る事となるのだが、それはまた別の話であって。

 

 

「……そうですか」

 

 方や魔人筆頭。彼女にはあの日の事に関してもう一つ気になっていた事がある。

『ランスは小さい胸が好き』あの発言は酔っ払いの戯言なのか、それとも事実なのか。

 その真偽がとても気になるのだが、しかしそんな質問どのような顔ですればいいのか。

 それを切り出すのにまた結構な時間を掛けるのだが、それもまた別の話であって。

 

 

 

 

 

 ともあれ、その日の雑談はその後恙無く終わりの時刻を迎えた。

 

 結局ホーネットはその情愛に纏わる悩み、それを打ち明ける事は最後まで出来なかった。

 だがそれでも当初の目的、ランス達の行方を知る事は出来た。

 

 迷宮探索。成る程確かにあり得る話。それなら人間の仲間達を連れて行く理由にも合点がいく。

 3つのダンジョンを攻略するとなると、彼がこの城に戻るのには結構な時間が掛かるだろう。

 

 とはいえそれでもいつかは帰ってくる話であり、もう会えなくなってしまう訳では無い。

 それなれば気にするような事では無い。それならば何も問題は無いだろうと、この時のホーネットはそう思っていたのだが。

 

 

 

 

 しかし一週間。

 

「……まだ、でしょうね」

 

 

 

 

 そして二週間。

 

「……少し、遅いですね。……いえ、3つも迷宮を巡るのならこれくらい普通でしょうか」

 

 

 

 

 三週間と続くにつれ。

 

「……これは」

 

 

 

 ──さすがに遅すぎやしないか。

 20日頃を越えた辺りで、遂にホーネットはその考えに思い至った。

 

「………………」

 

 胸の内に湧いた不安と焦燥。それに駆られて居ても立ってもいられなくなったのか。

 ホーネットは部屋の奥側にあるバルコニーへと出ると、縋るような目付きを遠くの空に向けた。

 

「……もしや、迷宮内で何かあったのでは……」

 

 迷宮探索。未知なるダンジョンへ挑む冒険。

 それに好奇心を掻き立てられる者は多いが、それには当然ながら危険も付いて回るもの。

 出現するモンスター達は元より、迷宮内部にはトラップなどが仕掛けられている場合も多い。時には命を落とす者もいたりなど、死と隣り合わせなのがダンジョン攻略というものである。

 

 勿論ランスの強さは知っている。

 以前一緒に戦った相手、魔人たるメディウサと対峙しても一歩も引かずに戦う姿を見ている。

 

 だがそれでも彼は人間で。

 無敵結界が無い人間である以上、万が一という可能性が無いと断言する事は難しく。

 

 

(……もうすでに。……など、とは)

 

 とても考えたくない。

 それだけは想像したくない。

 

(……けれど……そう、例えば、戦闘で怪我を負って動けずにいる可能性はあります。あるいは道に迷ったりなどして、迷宮内を延々と彷徨っている可能性だってあります)

 

 現在も何処かの迷宮を元気に攻略中ならば良い。

 しかしもしも何らかの理由により、迷宮内で足止めを食らっているのならば。

 それだといずれは回復アイテムや食料が尽き、彼等は帰らぬ者となってしまうだろう。

 

(……だとすれば、今からでもケイコ達を……)

 

 すぐに使徒達全員を迷宮へと向かわせて、ランス達の捜索を命じるべきか。

 

(……いえ。それよりもいっその事……)

 

 ホーネットはその両手、フェンスの手すりを握る手にぐっと力を込める。

 眼前に広がるは見慣れた景色、遥か彼方にはサイサイツリーとアワッサツリーの世界樹が見え、その付近にランス達が居ると思わしき迷宮がある。

 

 いっその事、このままここから飛び降りて自分自らが探しに行くべきか。

 そうするのが一番手っ取り早いし、それが一番確実なのでは。

 

 ……と、そんな事を考えた所で。

 

 

 

「……いえ」

 

 静かにそう呟いたホーネットは、自然とその頭を横に振った。 

 

(……まずは一旦、落ち着くべきですね。いくら何でも動揺しすぎです)

 

 今の自分はどう考えても冷静とは言い難い。

 ホーネットは一度大きく深呼吸して、普段よりも早まっていた心拍を元の状態へと戻す。

 

 そうして考えてみると、先程危惧した事はやはり早合点と言わざるを得ない。

 迷宮から出られなくなっているのではと、そんな可能性を考えてはみたものの、しかし迷宮攻略には欠かす事の出来ない必需品、脱出用のアイテムがあると聞いた事がある。

 

(ランスは冒険慣れしているようでしたし、当然そのアイテムを所持しているでしょう。それにサテラだって同行しているのです、万が一などと言う事態だって考えにくい)

 

 迷宮内のモンスター達が束になった所で、無敵結界を有する魔人に敵うはずが無い。 

 サテラとシーザーが同行している以上、もうすでにランス達は全滅しているなどあり得ない。悲観的考えが行き過ぎた妄想だと言わざるを得ない。

 

(……おそらく今もまだ迷宮を攻略中。あるいは城への帰路についている途中かもしれません。……そもそも今一度考え直してみれば、ランス達が出発してまだ20日程度ではないですか)

 

 この城から出発してサイサイツリーに移動し、そして付近にあるモスの迷宮に挑戦する。

 その後は北に向かいアワッサツリーへと移動し、悪の塔といつわりの迷宮に挑むと言うのなら、20日と言う期間は別に遅い訳では無い。

 むしろ難関な迷宮3つに挑むというならば、それ位の日数は当然に要するものだろう。

 

(……つまり、これは……)

 

 

「…………はぁ」

 

 ホーネットは何かを嘆くような、あるいは何かに呆れるような表情で深々と息を吐き出す。

 つまりこれは、別にランス達の帰還が遅れているという訳では無くて。

 

 

(……これは私の問題。……この私に、辛抱が足りていないというだけの事。……なのですね)

 

 この胸に疼くどうしようも無い不安と焦燥、それはただ単に自分の忍耐力の無さ故のもの。

 そうと気付いた事で、ホーネットは無性に居た堪れないような気分になってしまった。

 泡を食った勢いでバルコニーに飛び出してきた、今の自分の姿が何とも滑稽に思えてくる。

 

 

(しかし、思い返してみると……)

 

 自らの愚かさへの自省の表れなのか、ホーネットはここ最近の自分の事を少し振り返ってみる。

 するとやはり目に付くのは自らの醜態、その相手への気持ちを自覚して以降の自分の変化。

 

 会ったら会ったで普段通りでは居られず、狼狽したりとみっともない姿を見せてしまう。

 だからと言って会わなければ良いかと言えばそうではなく、少し会えないだけでまたこのような無様な姿を晒してしまう。

 

(……今更な事ではありますが、何とも……何とも儘ならないものですね、これは)

 

 自分が抱いたこの感情。これは特別な想いではあるのだが、しかし特別珍しいものでは無い。

 世間一般に居る人間達、誰しもが年頃になれば自然と誰かに対して抱くようなもので。

 そのような人並みな感情に、百年の時を生きる自分が振り回されるとは全く予期しておらず、ホーネットは今とにかく不甲斐ないような、恥ずかしいような気持ちで一杯であった。

 

(……とはいえ、いつまでもこのままにしている訳にはいきません)

 

 今の自分の状態は決して好ましくない。彼が視界に入る度に集中力を欠く事が多すぎる。

 今は戦いが停滞期に入っているからまだいい。けれどもいずれは戦いが再開される。その時にこの想いが影響して冷静さを失うような事があれば、致命的な問題にも繋がりかねない。

 故にこれは急ぎの問題、早急にどうにかしなければならない事だと分かってはいるのだが。

 

 

「……けれど、私はどうすれば……」

 

 普段はあまり呟かない独り言。

 今の率直な想いを口から零して、思い悩むホーネットは遠くの空を眺める。

 

 今日の魔物界の天気は曇り。空一面を灰色に覆い隠す程の曇天。

 それをじっと見つめてみる。すると次第にそのキャンパスの上に輪郭が見えてくる気がする。

 きりりとした目元と大きめな口元、それらが浮かび上がってくるような気がする。

 

「………………」

 

 しかし一度瞬きをしてみれば、そこにあるのは単なる曇り空でしか無くて。

 何とも馬鹿らしいとしか言いようが無い、そんなものにまで彼を求めてしまうようなこの気持ちを、一体どのように扱えば良いのだろうか。

 

(……どうすれば良いのか。……しかしこれは、悩めば答えが出るような事なのでしょうか)

 

 この20日間程を悩みに悩んだ結果、遂にホーネットはそんな根本的な疑問まで抱いた。

 あるいは彼に直接この想いを伝えてしまえば、このように悩む事も無くなるのだろうか。

 そんな事を考えたりもしたのたが、しかしシルキィにも打ち明けられないような現状、それは遠い世界の話のようにしか思えない。今後も暫くは抱え続けて、悩み続けるしかないのだろう。

 

 

(……それに、性交の事も……)

 

 ランスの事を悩む上でもう一つ欠かせない事。

 彼が自分と出会った当初から要求しているその行為、セックスについて。

 

 彼女が抱いているその情愛と、その行為とはまた別次元にあるもの。

 その感情が無くともする事は出来るし、その感情が生じた今ではする事が出来なくなった。

 ただその感情がその行為に与える影響は大きく、現にホーネットはその情愛を自覚して以降、その行為についての心境に大きな変化が生じていた。

 

 

(……ランス、は)

 

 これを考えると、自然と顔が熱くなってしまう。

 そうと分かってはいるのだが、しかしその頭が考えるのを止めてくれない。

 

 

(……ランスは、この私の事を、あれだけ求めてくれているのに……)

 

 相手に抱きたいのだと求められる事。セックスがしたいのだと熱望される事。

 これまでの心境とは異なり、自分が懸想している相手から求められているのだと思うと、どうしても胸が震えるのを抑えられない。

 相手の方にはこの想いはおそらく無い。単なる下心だけだと理解してはいるのだが、それでもやはり平常心ではいられないもので。

 

(……こうなると、もう……)

 

 もう彼の要求に応えるべきだろうか。

 もはや自分の心の内に、彼との性交に対しての抵抗感は殆ど無い。

 それどころかそれを求める気持ちはないか。彼とそういう事がしたいと思う気持ち、それは欠片も無いと今の自分に断ずる事が出来るだろうか。

 

(……そもそもがあの時、あの日にそうしようと決めていた事ですし……)

 

 ホーネットはランスとの性交に関して、少し前に一度その覚悟を固めている。

 だがそんな最中に生じたあの疑念。この城を訪れた目的を果たした彼がその後どうするか。

 それがどうしても引っ掛かってしまい、その結果先延ばしのようになってしまったのだ。

 

 その疑念は未だに残っている。それを嫌だなと思う気持ちは強くある。

 けれどもそれはその名の通り疑念なだけで、そうと決まった訳では無い。むしろ彼と少し話せば多分それだけで済む事であって。

 

 目的を果たした後もこの城に残り、私と共に戦ってくれますかと、そう尋ねれば良いだけの事。

 勿論いつかは人間世界に帰るだろうが、この戦争を終えるまでは共にいてくれるだろう。

 

(……私が、その程度の勇気を見せられれば)

 

 そうすれば、自分と彼との間に障害はもう何も無くなってしまう。

 そうなった途端に、おそらく彼は自分の事をベッドの上に押し倒すのだろう。

 そして服を剥ぎ取り、この身体の好きな所に手を伸ばすのだろう。それが胸なのか、それともいきなり下に向かうのかはよく分からないが、とにかく好きなようにするのだろう。

 ここまで待たせた以上、もはや抵抗するつもりは無い。好きなだけ好きな事を好きなようにすればいいと思うが、せめてその前に一度口付けを……。

 

 ……と、そこら辺までを考えた所で。

 

 

 

「………………」

 

 急に強く吹いた突風。

 その勢いに顔を撫でられて、はっとしたようにホーネットは我に返った。

 

(……バルコニーに出ておいて、正解でしたね)

 

 きっと今の自分の顔は赤い。とても使徒達には見せられないような表情をしている。

 はぁ、と熱っぽい溜息を吐いたホーネットは、その視線をもう一度遠くの景色へと向けた。

 

(……とにかく、とにかく何にしてもです。ランスが帰ってこない事には始まりません)

 

 張本人が居ない現状、今の彼女に出来る事といえばこのように長々と悩む事だけであって。

 

「………………」

 

 その時ふいに思った事。

 それはこの20日程の間で常々思っていた事。魔人筆頭がその頭の中で繰り返し考えていた事。

 

「………………」

 

 その顔色はまだ赤みを帯びていたが、その表情は先程とは異なる切なさが浮かぶもので。

 そうして口から零したのは、嘘偽りのない彼女の本音。

 

 

「……会いたい」

 

 結局の所、ホーネットが今思う事はそれだけだった。

 

 

 

 

 

 

 だが、そんな彼女の想いも虚しく。

 

 その後ランスは迷宮探索から無事に帰還した。

 しかしそのすぐ直後、戦況の進まなさに業を煮やして魔人退治へと出発してしまった。

 

 なのでホーネットはもうしばらくの間、その想いを募らせる事になる。

 

 

 

 

 

 



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TURN 8
カスケード・バウ①


 

「つー訳で、これから魔人退治に行くぞ」

 

 恐れ知らずとしか言えないそんな言葉。

 それをその男は傲然とした態度で言い放つ。

 

 迷宮探索から帰還したその男、ランスは退屈を持て余していた。

 そんな彼が選んだ次なる暇つぶし、それがまさかの魔人退治であった。

 

「魔人退治って……あのねぇランスさん、そう簡単に言うけども……」

「簡単だとも。魔人を見つけてぶった斬りゃいいのじゃ。要はそれだけだろう」

 

 困惑した表情を浮かべるシルキィの一方で、ランスの決意は固い。

 それは退屈だからという事もあるが、それ以上に切実な理由があるからである。

 

「俺様はちんたらしてるのは好まんのだ。君達に任せていたら永久に戦争が終わらなそうだしな」

 

 短気な性格のランスにとって、今の派閥戦争の情勢はあまりにも動きが遅すぎる。

 このままでは決着までに後何年掛かるか分かったものでは無く、とてもでは無いが付き合っていられなかった。

 

「大体ホーネットは何をしとるんじゃ。向こうが攻めてこねーならこっちから攻めりゃいーのに。戦争ってなそういうもんだろう」

「それはそうなんだけど……けれどね、そうもいかない理由があるんだって」

「理由だ?」

「うん。実は……」

 

 ケイブリス派の動きが見えない今、一方のホーネット派が動けない、動こうとしない理由。

 シルキィはその幾つかある理由を一つ一つ、ランスに対して丁寧に説明をした。

 

 ここから先。敵の本拠地であるタンザモンザツリーまで到達する為には、その前にある大荒野カスケード・バウを越える必要がある事。

 そこはすでに大勢のケイブリス派魔物兵が布陣を終えていて、加えてホーネット派がカスケード・バウを越えようとすると、その付近に居を構える魔人四天王、ケッセルリンクが動き出すという事。

 ケッセルリンクを相手取っての荒野踏破は難関を極め、ホーネット派はこれまでも数度失敗している為、嫌でも慎重にならざるを得ないという事。

 

 

「……だからね、私達は別にのんびりしているって訳じゃないの。次こそは必ずカスケード・バウを越える為、今は戦力を増強している最中なの」

 

 説明を終えたシルキィは、「分かってくれた?」と尋ねながら少し小首を傾げる。

 

「なんだ下らない。何かと思えばそんなしょーもない理由でだらだら時間を掛けてんのか」

 

 だがその話を聞いても尚、ランスは全く納得していなかった。

 

「しょ、しょーもないって……」

「だってだな。つまりはケッセルリンクに勝てないっつー話だろ? そのカスケード・バウだか言う場所だって、あのキザ野郎さえ倒せりゃ簡単に越えられるんだろう?」

「……それは、まぁ、そうだけど……」

 

 先程シルキィはあれこれ色々と説明していたが、要約してしまえば今のホーネット派が直面している問題は一つに絞られる。

 それが魔人四天王ケッセルリンクであり、ならばその問題を解決する方法も一つである。

 

「だろ? ……はぁ、しゃーない。また俺様が一肌脱いでやるとするか。全く、結局の所ホーネット派は俺様が居ないとどうにもならんと言う訳だ」

 

 あのホーネットでも苦慮している問題ならば、それを解決出来るのはこの派閥内で唯一人だけ。

 これも英雄の宿命ってヤツだなと、ランスはうむうむと大げさに頷き、そして。

 

 

「よし、んじゃあ目標は決まった。目指すは打倒ケッセルリンク!!」

 

 次なる標的の名を高らかに宣言した。

 

 

「て事でシルキィちゃんも付き合えよ」

「えっ」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そしてそれから二日後。

 ランス達はその場所に来ていた。

 

「……うーむ」

 

 眼前に広がるは荒漠たる光景、大地はからからに乾いていて、吹き抜ける風と共に砂埃が舞う。

 所々地面から巨大な角のようなものが隆起していて、目を引くものといったらその程度。

 その他には何もなく、先の方まで延々と荒れ地だけが広がっている。

 

 それがカスケード・バウ。

 魔物界の中南部に位置し、現在のホーネット派とケイブリス派の勢力圏を隔てる大荒野である。

 

 

「……こうして見ると、さすがに広いな」

「ですねぇランス様。前に来た時も思いましたが、やっぱり広いです。まだ肝心のケッセルリンクの城はちょっと見えないですね」

 

 荒野の景色の眺めてのランスの率直な感想に、隣に居た彼の奴隷であるシィルも頷く。

 

 一行は二日前に魔王城を出発し、そしてこのカスケード・バウの北の端に到着していた。

 ここから南下を開始して、途中で東に進んだ所に目指すべきケッセルリンクの城がある。

 ケイブリス派魔人達は皆現在の居所が知れず、唯一分かるのが自身の居城があるケッセルリンクだけとなるので、その意味ではランスが標的とするのに手頃な相手ではある。

 

 しかし相手は魔人四天王、言うに及ばず強敵。

 これからそんな相手と戦うという事で、ランスは荷物持ち役として連れてきたシィルに加えて、重要な戦力である彼女達を連れてきた。

 

 

「……カスケード・バウ。……来ちゃったわね」

 

 その一人が魔人シルキィ。出発直前に宣言していた通りである。

 なにせ敵となるのは魔人四天王、ならば対するこちらも魔人四天王だ。ランスがそう考えたのも自然な流れであり、城で暇しているように見えた彼女はあえなく連行されてしまった。

 

 

「……そうだなシルキィ。なんか、言われるがままみたいなノリで来てしまったな」

「……ハイ、サテラ様」

 

 それに加えて魔人サテラとシーザー。

 魔人四天王と比べるとさすがに劣るものの、とはいえ彼女だって立派な魔人。

 彼女の最高傑作となるガーディアン、シーザーも加えれば軽視する事は出来ない戦力である。

 

 

「……ところで、あの……私には一応、ホーネット派の任務があるのですが……」

 

 そして更に魔人ハウゼル。

 彼女はここから最寄りの魔界都市、ビューティーツリーで周辺の偵察任務を行っていた。

 昨日そこにランス達が立ち寄った際、これはちょうど良いやと無理矢理に引っ張ってきた。

 

 以上三名の魔人と一体のガーディアン。

 ランスがわりと自由に扱える戦力の中では最強、ケッセルリンク一人と戦うだけならば決して見劣りする事の無いメンバーである。

 

 

「では諸君。我々は今から魔人ケッセルリンク討伐に向かうぞ」

「………………」

「なんじゃお前らその顔は」

 

 ランスがそんな文句を付けたのは、眼前に並ぶ自分以外の面々全員に対して。

 魔人退治と聞いて不安そうな表情のシィルは元より、サテラやシルキィ、ハウゼルといった皆全員が難しい表情を向けていた。

 

「ランス、本当にカスケード・バウに進む気か?」

「勿論。その為にここまで来たのだからな」

「……ここまで来る間で何度も言ったけどね、さすがにこれは無理だと思うのよ」

「やかましい。何度も言ったがやってみなきゃ分からんだろう」

「ランスさん、けれど……」

「全くハウゼルちゃんまで、魔人のくせにそう情けない事を言うもんじゃないぞ」

 

 やる気満々、血気盛んなランスに対して、3人の魔人達は「気乗りがしないなぁ」といった感じのオーラに満ち溢れていた。

 これは派閥の主からの命令では無く、影の支配者を自称するランスの独断専行で動いているからとの理由もあるのだが、それ以上に戦う気が起きない一番の理由。

 

「でもね、いくら何でもこの戦力じゃ無理だって。私達たったの6人しか居ないじゃないの」

 

 それは彼我の戦力差の大きな隔たり、戦う前から殆ど結果が見えてしまっているから。

 これまでの戦いの歴史を踏まえても、このカスケード・バウ攻略は最大の激戦となる。それをシルキィ達は深く理解している。  

 以前挑んだ時はホーネット派の総戦力、派閥に属する大半の魔物兵達に加えて、最強の戦力であるホーネットが出ても突破する事が出来なかった。

 にもかかわらず、それらを抜いたこの6人だけで今回は挑んでみる。それはもう無謀という他に表現しようの無い挑戦であった。

 

「ここカスケード・バウは本当に難所なんだ。魔物兵だってうじゃうじゃいるし、夜になるとあのケッセルリンクが出てくるんだぞ」

「そう。ランスさん、貴方はケッセルリンクの事を知らないんでしょうけどね……」

「俺様を誰だと思っとる、ケッセルリンクの事ぐらい知ってるっつーの」

 

 無知を指摘するシルキィの言葉に反論して、ランスはふんと鼻を鳴らす。

 前回の第二次魔人戦争を経験している彼にとって、その魔人の脅威はシルキィ達と同じくらいに、あるいはそれ以上に理解している。

 近づけば鋭い爪での攻撃、遠距離からは強力な魔法攻撃、他にも血を吸われると理性を失ってしまうなどの多彩な能力に加えて、一番厄介な点が夜が訪れた時の特異性。

 

「お前達が言いたいのはあれだろ? あのキザ野郎は夜になったらちょっと強すぎるから、勝ち目なんて無いって言いたいんだろ?」

 

 魔人四天王ケッセルリンク。彼は夜間になると戦闘能力が急上昇するという性質を有している。

 その強さは時に無敵とも称される程。夜間のケッセルリンクとはランスも前回の時に対峙した経験があるが、さすがの彼でさえも戦う気の起きないような相手であった。

 身体を霧状に変えて夜闇と同化し、壁をすり抜けて奴隷二人を攫われてしまった時の事などは、ランスにとって思い返したくない過去の一つである。

 

「けどな。お前達知っとるか? あいつには昼に弱いっつーアホみたいな弱点があるのだ」

 

 とはいえそんなケッセルリンクと言えども、前回の時にはランスの手によって討伐されている。

 その理由がケッセルリンクが有する大きな弱点、今回のランスの狙いも前回と同じく、相手が弱体化する昼間に戦う事にあった。

 

「ランス、ケッセルリンクの弱点くらいサテラ達はみんな知っているぞ」

「なら話は早い。要は夜になる前にこの荒野を抜けて、あいつの下まで辿り着きゃ良いって訳だ。んなもん俺様に掛かりゃ楽勝だ、らくしょー」

 

 楽に勝てると謳うランスにとって、ここまでは全てが作戦通り。

 まだ日も昇っていない深夜の頃合いにビューティーツリーを出発して、このカスケード・バウに到着した今はまだ朝方近く。

 その魔人が目を覚ます日没まではまだかなりの時間があり、急いで進めば必ず間に合う。

 辿り着けさえすれば、後は棺の中で無防備に眠るケッセルリンクにトドメを刺すだけである。

 

 これは前回の時にもランスが採った作戦。

 前回はメイドへのお仕置きに熱中してしまい、結果失敗に終わってしまったのだが、しかしそうと分かっている今同じ轍を踏みはするまい。

 故に大丈夫だとランスは考えていたのだが、

 

「……本当に楽勝だったら良いけどな。けれどランス、ケッセルリンクが昼間に動けない事は向こうだって重々承知の事なんだぞ」

「えぇ。当然私達はその弱点を狙ってくる、ケイブリス派はそれを分かっていてここに布陣しているんだから、そう簡単にいきっこないわ」

「……そうですね。これまで私達ホーネット派が何回挑んでも、このカスケード・バウは越えられませんでしたから……」

 

 しかしこの荒野の難攻不落さを知る者達、三人の魔人は皆がランスの考えに否定的。

 この戦力で進むのはどう考えても無謀、これではカスケード・バウで守備を固める魔物兵達の壁に阻まれて、恐らくはケッセルリンクの城に辿り着くことさえも叶わないだろう。

 そう考える彼女達は何とかランスに再考させようと、あれこれ理由を並べてみたのだが。

 

「これまでってのは俺様が居ない時の話だろ? けど今回はこの俺様が居る。だから問題無い」

 

 しかし一向に効果無し。この時ランスは彼女達の意見を一応耳には入れつつも、それでも十分イケるだろうと思っていた。

 一度ケッセルリンクには勝利している。その事で楽観的になっているという理由もあるのだが、なにより敵の戦力を軽視していた。

 

 彼がこの魔物界に来てからもう半年近く。その間に数体の魔人を無力化する手柄を挙げたが、しかしその一方でこれまでに二度程行われた、魔物兵同士の大規模衝突に参戦するのを避けてきていた。

 その為ランスはまだ魔物兵達と戦っておらず、その全貌を目にしていない。前回の時のように総戦力を4つに分けてはいない、巨大な一団となったケイブリス派魔物兵達の数の暴力、それをまだ真の意味で理解していなかった。

 

 そしてそれ以上に一番の理由、とにかくランスは暇だった。

 動かない今の戦況、退屈な状況を強引にでも変える為には、多少の無謀も致し方無しであった。

 

 

「……ちょっと待ってね、ランスさん」

「あん?」

 

 その一方、そんな数の暴力というものを深く理解している3人の魔人達は、こそこそっとランスから少し距離を取っての緊急作戦会議。

 

「……ランスは本気だぞ。どうする、シルキィ」

「……どうしますか、シルキィ」

「そうねぇ……って、え、これ私が決めるの?」

 

 三人額を寄せ合って、ひそひそ声で話し合う。

 これから始まるのはあまりにも無茶な作戦、とてもでは無いが勝機など見えない突撃。

 どうにかしてランスに考え直させなければと、彼女達は頭を悩ませていたのだが。

 

「……仕方ないわね。私達だけでやれる所までやってみましょうか」

 

 最終的にそれは無理だなと思ったのか、やむを得ずといった表情のシルキィがそう宣言した。

 

「ランスさんは言っても聞かないし、自分の目で見てもらった方が早いわ。幸いこっちの魔物兵達は動かしていないから、ランスさんとシィルさんにさえ気を配れば余計な被害が出る事も無いし」

「まぁ、サテラ達は魔人だからな……。という事は頃合いを見て引く感じか?」

「うん、そんな感じで」

「……そうですね。ちょっと深入りをする偵察だと思えば一応得るものもあると思います」

 

 少々後ろ向きな思考だが意見は纏まった。

 目を見合わせた三人の魔人は一度こくりと頷き、そして。

 

「……ランスさん、分かったわ。なら時間も惜しいし、早速行きましょうか」

「おぉ、乗り気だなシルキィちゃん。よっしゃ、んじゃあ作戦開始だ! シィル、お前も遅れないように付いてこいよ!!」

「はいっ!」

 

 ランスの号令を合図にして、一同は駆け出した。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 カスケード・バウ。

 そこは見晴らす限りに広々とした荒野。

 大地から突き出した巨大な角のような隆起物の他には、遮蔽物などはどこにも見当たらない。

 

 故に進軍を開始したランス達の視線の先。

 遠方は砂塵によってぼやけて見えていたが、それでも程無くしてその姿を視界に捉えた。

 

 

「おっ、雑魚共はっけーん!!」

 

 荒野の先には緑の大軍、魔物兵スーツを着込んだケイブリス派魔物兵達の姿。

 その言葉通り一体一体なら彼等にとっては雑魚。とはいえその軍団の横幅は視界を遮る程に広がり、縦幅などは一目見ただけではとても分からない。

 いくら単体では雑魚とは言え、その規模は決して軽々しく戦えるようなものでは無いのだが。

 

「者ども、突撃じゃーー!!!」

 

 しかしランスはそんな大軍を前にしても勢いを落とさず、駆けながら仲間達への号令を叫ぶ。

 次第にその距離が縮まっていく中、こうしてランス達が敵の姿を捉えているという事は、勿論ながら向こうも同じように近づいてくる敵の姿を発見しているという事で。

 

「敵襲、敵襲ーー!!」

「守備を固めろ! 敵は魔人だが臆するな!!」

 

 その大軍の中、一人の魔物兵が接敵を大声で知らせれば、その場を取り仕切る魔物隊長の一人が全員に向けての命令を返す。

 ケイブリス派陣地の北端、そこはホーネット派が攻めて来た時には最初に衝突する場所となる。その事を当初から理解しているのか、魔物兵達はさしたる混乱も無くすぐに臨戦態勢を取った。

 

 

 

「行け、シーザー!!」

「ウォォォォォッ!」

 

 先陣を切ったのはシーザー。制作主からの命令を力に変えて、雄叫びと共に猛進していく。

 魔人と同等の力を有するとも言われるシーザー、そのぶちかましの迫力は目を見張る程。魔物兵の一塊に向かって突撃を繰り返しては、その束ごとを紙くずのように蹴散らしていく。

 

「やぁっ!」

 

 そして勿論ながら主人であるサテラも戦う。

 その手に持つ鞭を縦横無尽に振るって、魔物兵達の頭部を的確に射抜いていく。

 

 サテラとシーザー。この戦場の中で両者の戦闘能力は抜きん出ていた。

 まさしくちぎっては投げちぎっては投げと言った感じで、瞬く間に戦果を増やしていく。

 

 その活躍は目覚ましいものだが、しかしこの戦場において彼女達は主役では無い。

 サテラ達の戦い振り以上に目を引くもの、それが荒野の遥か上空にある。

 

 

 

「はぁぁああああっ!!!」

 

 気合の籠もった声を上げながら魔力を高めて、そして引き金を引いて開放する。

 魔人ハウゼル、空を飛ぶ彼女が持つ巨銃、タワーオブファイアー。その銃口からは巨大な火炎の奔流が放たれ、大地にあって見上げる事しか出来ない魔物兵達の頭上に降り注ぐ。

 

「ぎゃあーーっ!!」

「は、反撃だ、とにかく攻撃を続けろー!!」

 

 空を飛翔する魔人の火炎に晒され、兵達は悲鳴を上げて逃げ惑う。だがそんな中でも弓矢や魔法など、遠距離攻撃が可能な者は上空の脅威へと向けて攻撃を行う。

 勿論それらは無敵結界に阻まれてしまうのだが、相手の視界を遮ったり、多少の煩わしさを与えたりは出来る。逆に言うとその程度にしかならない必死の抵抗を繰り返す。

 

 魔人ハウゼルが放つ火炎砲。その一撃の火力と規模も相まって、彼女が齎す戦果は先程のサテラとシーザー以上。

 地上で戦う仲間達を援護する為か、敵の遠距離攻撃部隊を優先的に狙っては、爆音と共に真っ赤な火炎の華を咲かせていく。

 

 しかしそんな彼女もこの戦場だと主役ではない。

 ハウゼルの戦いよりも更に目を引くもの、それはやはりこの場においては最強の存在。魔人四天王である彼女の奮戦振りか。

 

 

 

「──ふっ」

 

 装甲内部で聞こえる鋭く息を吐く音。

 それと共にその装甲、見上げる程に巨大な装甲が動き出し、巨大な二の腕を振るう。

 巨人がその手に持つ武器、今は斧槍のような形状の魔法具が地表にいる魔物兵の一団を粉砕し、そのまま大地を抉って地形ごと変えていく。

 

 魔人シルキィ。彼女は開戦と同時に魔法具の装甲を全て展開し、それはもう八面六臂の大活躍を見せていた。

 何せ巨大である。彼女が秘める戦闘の才能も相まって、その腕の一振りで蹴散らしていく敵の数はサテラやハウゼルの比では無い。

 

 魔人シルキィの魔法具の装甲、それを全て使用すると魔人バボラと匹敵する程の大きさを持つ。

 ただバボラとは異なる点として、そこには無敵結界の効果が無い。魔人の無敵結界は魔人本人の周囲に展開される為、シルキィが装備している装甲部分にその守護が及ぶ事は無い。

 そしてその欠点に関しては、ケイブリス派の魔物兵達なら皆が知らされている事であって。

 

「射てー!! 射てー!!!」

 

 魔物将軍の合図を受けて、弓を構えた魔物兵達が巨人に向けての一斉射を行う。

 魔人シルキィの装甲部分だけならば、無敵結界を破れない魔物兵にだって破壊する事は可能。

 故に彼等は臆せず立ち向かう。先程から引っ切り無しに矢を射かけたり、あるいは魔法を撃ち込んだりと、巨大となった魔人四天王の侵攻に対して迎撃を試みてはいるのだが。

 

「……駄目だ、効かない!! 攻撃が全然効いていないぞ!!」

 

 一人の魔物兵が思わずそんな悲鳴を上げてしまった通りに、その装甲はビクともしていない。

 シルキィの装甲は元々は防御の為にあるものであり、その頑強さには折り紙付きである。それはリーザス国正規兵、彼らに支給される剣程度では全く傷付かず、逆にその剣をへし折ってしまう程。

 雨と見紛う程の魔法や弓矢の下に晒されても、その装甲の猛威が止まる気配は無かった。

 

 

 

 そして。

 そんな獅子奮迅の活躍を見せる魔人シルキィ、その装甲の足元付近で。

 魔人達の戦い振りからするとさすがに派手さには欠けるが、ランスだって勿論戦っている。

 

「とーー!!」

「ぎゃーーー!!」

 

 掛け声と共に振り下ろした魔剣が、魔物兵の身体を一刀両断。

 それと似たような死に様を晒す死体が、彼の周囲にはもう沢山転がっていた。

 

 これまでの三名と違ってランスは人間だが、しかしただの人間では無く屈指の戦士である。

 特に一月前から迷宮探索を繰り返し、それによって彼のレベルはもう60を越えており、人類の中でもトップクラスの実力を誇っている。

 

 そして何より、ランスには前回の記憶がある。

 前回の第二次魔人戦争、その中では少数精鋭の魔人討伐隊を率いて、時に一万を超すような魔物の大軍と何度も交戦してきた。

 そんな彼にとって、このような圧倒的大多数と戦う戦闘はもう慣れたものであった。

 

「てぇーーいっ!!」

「ぐぎゃーーー!!!」

「がーははははは!! 弱い弱い! 貴様らのような雑魚、この俺様の敵では無いわ!!!」

 

 突っ込んでくる相手の胴体を切り裂いて、ランスは大口を開けてのいつもの大笑い。

 その言葉は客観的にも事実であり、彼にとってこの戦場に居る魔物兵達は敵では無い。魔物隊長は元より、魔物将軍だって一対一ならば十分に戦える力が今のランスにはある。

 

 だが戦闘前にシルキィ達が危惧していた通り。

 このカスケード・バウ攻略において問題となるのは質では無く、やはり数の方にあった。

 

 

 

 

 



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カスケード・バウ②

 

 

 

 魔物界の中南部に位置するカスケード・バウ。

 今その荒野は戦場へと姿を変え、悲鳴と血しぶきが絶え間なく上がっていた。

 

「てりゃーー!!」

「ぎゃーーー!!」

 

 男が掛け声と共に魔剣を振るえば、身体を裂かれた魔物兵の断末魔の絶叫が響く。

 

 魔人ケッセルリンク討伐の為、ランス達はカスケード・バウへと侵攻を開始した。

 そんな一行を待ち構えていたのは、荒野に布陣していたケイブリス派魔物兵の大軍勢。

 

 それを蹴散らすは主に3名の魔人。

 大地の上では魔人サテラとシーザー、空からは魔人ハウゼルがその巨銃を構え、そして天を覆わんばかりの装甲の巨人が聳え立つ。

 

 ホーネット派魔人達は皆全員、開戦直後からその力を存分に奮っている。

 そしてそんな彼女達に負けじと、先程からランスも奮戦していた。 

 

 

「ラーンス、アタタターック!!」

 

 ランス得意の必殺技。振り下ろした魔剣に続き、大地を貫く巨剣の如き衝撃波が発生する。

 それは海を割るかのように一直線、視界を遮る程に並んでいた魔物兵の集団を切り裂いた。

 

「まったく、歯ごたえの無い奴らめ! 肩慣らしにもならんわ!!」

 

 夥しい程の敵の数を前にしても、余裕綽々のランスは居丈高に言い放つ。 

 魔物兵スーツを着込んだ魔物兵の性能は全員が均一であり、その一体を軽く捻れる彼にとって、この戦場において歯ごたえのある敵と言ったら魔物将軍くらいなもの。 

 だからこその余裕なのだが、しかしそれはあくまで一対一の状況においてのみの話であって。

 

「第一部隊、前進ー!! 敵を進ませるなー!!」

 

 これ以上相手を近づけてはならない。本拠地には絶対に届かせてはならない。

 派閥の主たる魔人のそんな意向の下、この荒野に置かれた莫大な規模のケイブリス派魔物兵達。

 その数の暴力というものが、次第にランスへその牙を向け始めた。

 

 

 

「死ねーーー!!」

 

 と叩き切ったそばから、すぐに一体。

 仲間の死体を踏み越えるような勢いで、魔物兵がランスの方に突撃してくる。

 

「無駄じゃーー!!」

 

 その程度で押されるランスでは無い。

 追加の一体も即座に切り捨てるが、またすぐにもう一体の姿。魔物兵の攻勢に止む気配は無し。

 

「ラーンス、大根斬りーー!! ……ぬっ」

 

 大振りな攻撃でその魔物を真っ二つにするが、またまたすぐにもう一体。

 相手は突進と同時に鋭い槍の先端を伸ばしたが、ランスは身体を捻ってそれを躱す。

 

「んなもん当たるかーー!! ……ぐえっ」

 

 返す刀でその魔物を切り伏せるものの、更にまたまたもう一体。

 横合いからの体当たりを食らって、倒れはしないもののランスは軽くたたらを踏んだ。

 

「だーもう!! 雑魚共がこうぞろぞろと、数だけは無駄に並べやがって!!」

 

 思わず悪態を吐く彼の前には、魔物兵達がそれはもうわらわらと、無尽蔵とも言うべき数。

 何処に顔を向けても魔物兵の姿が目に入る。それ程の戦いも前回の時には経験しており、今更ランスがこの数を前にして怯むような事は無い。

 

 しかし前回の時に彼が率いた魔人討伐隊。その戦い振りは強襲からの即離脱が基本であり、数で劣る戦場に長々と留まって戦うような真似は前回の時にもあまり経験が無く。

 そして何より前回の魔人討伐隊は「隊」と言うだけあって、精鋭達が100人近く集まった選りすぐりの戦闘集団であったのだが。

 

「シィーール!! お前も真面目に戦え!! さっきからロクに戦ってねーじゃねーか!!」

「た、戦ってますーっ! けれどランス様、さすがに敵の数が多すぎて……!」

 

 今のランスのそばにはシィル一人だけ。勿論彼女だってもう立派な精鋭、ランスの迷宮探索に付き合った結果、レベルは50を越えている。

 しかしシィルは前回の経験があるランスとは違って、このように少数で大量の魔物兵達に囲まれる戦闘に慣れていない。

 倒しても倒しても次々と湧き出てくる敵を前にして、幾度の冒険を越えてきた彼女の顔にも混乱と焦りと色が浮かんでいた。

 

「ちっ、しゃーない。サテラと合流するぞ」

「は、はいぃ……、はぁ、良かったぁ……」

「まったくへぼっちい奴め、奴隷の分際で主の足を引っ張りやがって……」

 

 足手まといの奴隷がちょろちょろしていては戦闘にならないと、仕方無くランスはその場をダッシュで一時撤退、そそくさと移動を開始。

 

「おぉランス。どうした、何かあったか?」

「いや、シィルがへっぽこだからこっちに来た」

 

 そして近くで奮戦していたサテラ達と合流。

 壁役のシーザーと戦士のランス、中距離で鞭を振るうサテラ、遠距離から攻撃・支援魔法を放つシィルと、4名しっかり連携を取りながら戦っていく。

 

 その戦場において一番目を引くもの、それは勿論魔人シルキィが展開した装甲の巨人。

 一番活躍しているのも彼女であり、専ら敵の注意はそちらへと向いている為、全ての魔物兵の目がランス達に向く事は無い。

 そんな事もあってかサテラと合流したランス達もその後は危なげなく、膨大な数の敵を前にしても決して押される事は無かった。

 

 だが、とはいえそれでも敵の数は尋常では無く。

 一時も止む事の無い戦闘を繰り返しながら、時刻が昼前に差し掛かった頃。

 

 

 

「ランス、右から来たぞ!」

「………………」

「おいランス、聞いてるのか!?」

「………………」

「……ランス?」

 

 思わず振り返ったサテラの目に映ったのは、その男のとてもげっそりとした表情。

 

「……疲れた」

「なに?」

「……俺様、もう疲れたんだけど……」

 

 延々と戦い続けて数時間。

 すでにランスはバテバテであった。

 

「……ふぅ、ひぃ……、わ、わたしもです……」

 

 そしてシィルも同じくバテバテ。

 この戦場でただ二人となる人間、ランス達の身体にはとっくに限界がきていた。

 

「……あーだる、しんど……」

 

 魔剣を持ち上げるのも辛いのか、肩を落としたランスは両手をぶらりと垂らす。

 彼は基本的に劣勢の戦況では戦略的撤退を選ぶ事が多いため、このように何時間もずっと戦い続けるような真似は滅多にしない。

 汗はだらだら、身体は疲労困憊、当初あった威勢の良さも何処かに吹き飛んでいた。

 

「なんだランス、これしきで音を上げるなんて情けない。サテラはまだまだ全然平気だぞ」

「……こちとら人間じゃ、魔人のお前と一緒にすんなっての。……あ゛~、腹減ったぁ……」

 

 サテラ達は魔人、体力の底も他の生物を遥かに勝る存在であるが、しかしランス達は人間で。

 人間には食料が必要であり、エネルギー補給をしないと動けなくなってしまう。こればっかりはレベルが高くてもどうにもならない問題である。

 

「……ダメだなこりゃ。ちょっと食事タイム。おいシィル、お前も付いてこい」

「はぁ、はっ……あ、はい。……え、けれど一体どこに……?」

 

 この敵ばかりの戦場の中、一体何処で休むのか。

 そう首を傾げるシィルをよそに、ランスはその場をサテラに任せてすたすたと移動を開始。

 

「……おーい、シルキィちゃんやーい」

 

 そうして立ち止まったのは、今も尚戦い続けていた巨大の装甲の足元近く。

 

「どうした?」

「俺様もう疲れた。休むから肩に乗せろ」

「えぇー……」

 

 想定外の要望に、思わずシルキィは戦場において意図的に変えている固い口調を崩してしまう。

 ランスが考えた休憩場所、それは魔人シルキィの巨大な装甲の上であった。

 

「休むってランスさん、今は戦闘中なのよ? もう少し我慢出来ないの?」

「無理、腹減った、早くしろ」

「けどねぇ……そもそも休憩っていっても、この装甲の上だって別に安全って訳じゃないのよ?」

 

 その装甲の上は確かに高い場所な為、地上の戦闘からは逃れる事は出来る。

 しかしだからといって全くの安全では無く、今だって弓矢や魔法が飛んできている。

 

 そんな事もあってか渋るシルキィを前にして、

 

 

「……うにゃーん」

 

 ランスは突然にゃんにゃんの鳴き声を上げた。

 

 

「……どうしました、ランス様?」

 

 主人の奇行にきょとんとするシィルの一方、

 

 

「なっ!?」

 

 シルキィはびっくり仰天、飛び上がるような反応を見せる。

 

 

「にゃーお、にゃーお」

「ちょ、ちょっとちょっとっ!!」

「うにゃーん、ふにゃーん……って、可愛らしく鳴いてた魔人が居たっけなぁ。ありゃ誰だっけ、確かどっかの魔人四天王で~……」

「分かった、分かったから、もうっ! その事は今後一切触れないで、お願いだから!」

 

 永久に隠しておきたい自らの醜態、それをあわやバラされてしまう一歩手前、シルキィは制止の言葉と共に魔法具を操作する。

 装甲の巨人が慌てた様子で片膝を落とし、その大きな片手を地面へと差し伸べる。

 

「うむ、よろしい」

 

 偉そうに頷いたランスがその上に乗り、そしてシィルも続く。

 するとその手がゆっくりと動き出し、巨大な装甲の肩の高さまで持ち上がった。

 

「おぉ、高い高い。それに結構広いな」

「ですね、これなら十分に休めそうです」

 

 全長50メートル近い巨人だけあって、その横幅だってかなりなもの。

 ランス達が下りた装甲の肩部分は広く、二人が食事を取るには十分な、たとえ寝そべったとしても問題無いくらいのスペースがあった。

 

「……けれどもランス様、ここは魔法とかが飛んできてしまうのでは……」

「安心しろシィル、そういうのはシルキィちゃんが全部防いでくれるから」

「……まぁ、ね」

 

 この戦場には自軍の陣地などが無い為、何処に居ても敵の攻撃に晒されてしまう。

 ならば一番安全な休憩場所はここ。この魔人はとても世話焼きな子であり、この状況下で自分達を危険に晒す事など出来ないはずだ。

 ……と、そんな自分の性格をランスに完璧に読まれていたシルキィは、不承不承といった感じで頷くしかなかった。

 

「とにかく二人共、そこから落ちないでよね」

「おう。君もあんま激しく動いて戦うなよ。……んじゃシィル、さっそく昼飯」

「分かりました、お弁当出しますね」

 

 シィルは戦場においても律儀に背負っているリュックを下ろし、その中から今朝出発する前に作ってきた昼食を取り出す。

 

「はいどうぞ、ランス様」

「うむ。もぐもぐっと……お、梅おにぎりだ」

 

 そしてランス達はしばし昼食休憩。

 今も地上では激しい戦闘が行われている中、その肩の上は何とものどかな雰囲気で。

 

「……ふーむ」

 

 奴隷の作ったお昼ごはんでお腹を満たしながら、ランスは何気無く周囲を眺める。

 

「……お、あそこでサテラが戦ってる。こうして見てるとあいつも結構やるもんだなぁ」

「そりゃ何と言っても魔人だしね。魔物兵ではあの子を止める事なんて出来ないわ」

 

 ランスとシルキィがそう評価した通り、サテラ達は着実に魔物兵の山を築き上げている。

 そしてふと遠くの空に目を向けてみれば、そこには見目麗しき天使の姿。

 

「お、ハウゼルちゃんだ。相変わらずもの凄ぇ火力だなぁ。一瞬で丸焼きにされてく雑魚共がさすがに気の毒になってくるぞ」

「確かに。というか性格に似合わず豪快な戦い方をするのよね、ハウゼルって」

 

 その火炎は荒野に何条もの焼け跡を残し、その直線上には黒焦げになった亡骸の姿。

 そのまま真下に目を向けてみれば、そこには巨大な足と多くの魔物兵の頭部が見える。

 彼等はその手に持つ武器を激しく打ち付け、装甲の脚部を破壊しようと試みているようだった。

 

「……なんつーかあれだな、巨人と小人の戦いって感じだ」

 

 小人の振るう剣は頼りなく、巨人にとっては爪楊枝で引っ掻かれた程度のもの。

 すると巨人は小人が纏わり付いていた片足を一度持ち上げ、そのまま彼等の頭上に落とした。

 

「うわっ、あいつらぺちゃんこだぞ。シルキィちゃん、やる事えげつなー」

「……ちょっとランスさん、そういう事を言わないでよ。戦い辛くなっちゃうじゃないの」

「しっかし懲りねーなぁこいつら。またすぐ向かってきているぞ。こんなデケーの相手じゃ勝ち目なんか無いってのによく戦う気になるもんだ」

「カスケード・バウの魔物兵達はみんな士気が高いのよ。彼等からすればこの私に勝つ事は出来なくても、ここで時間さえ稼げればそれで勝利みたいなものだからね」

 

 戦場において魔物兵達が魔人と相対した時、彼等に出来る事と言えば時間稼ぎ位なもの。

 魔物兵では魔人に勝つ事など不可能なのだが、しかし現在時刻は昼。数時間後には日没となり、するといよいよケッセルリンクが姿を現す事となる。

 そうなればもう勝利は間近。自分達に唯一可能な時間稼ぎが勝利の鍵となるこの戦況下において、彼等は皆やる気に溢れていた。

 

 現に装甲の巨人の足元に纏わり付けば、それを振り払う為にシルキィは一度歩みを止める。時間稼ぎとはそういうものの積み重ねである。

 特に今その巨人は肩上に人間二人を乗せていて、激しい動きが制限されてしまい戦闘能力が大幅に低下し、その歩みも更に遅くなっている。

 

 となるとランス達もすぐに休憩を終えて、これまで以上にその剣を振るい、先に進む足を早めなければならないというもの。

 だがこうして一度休んでしまった事で、どうやら戦う気持ちが切れてしまったのか。

 

 

「……ふぅ、ごっそさん。シィル、茶ぁいれろ」

「はい、分かりました。……えーと、急須はどこに入れたかなっと……」

「ちょっとランスさん、食事が終わったのならすぐに戦闘に戻ってよ」

「……ん~、もうちょっと休んだらな。食後すぐに身体を動かすのは健康に良くないのだ」

 

 ランスは食後の休憩を挟んで。

 

 

 

「あ、漫画が読みたい。シィル、漫画よこせ」

「漫画ですか……漫画は、持って来てたかなぁ……ごそごそっと……」

「ちょっとランスさん、人の肩の上で漫画読もうとしないでよ。早く戦いに……」

「……あ~、まだまだ休憩が足らん。もうちょっと休んだらな」

 

 ランスは休憩終わりの休憩を挟んで。

 

 

 

「お、おやつの時間だ。シィル、おやつよこせ」

「はーい。今日のおやつはおまんじゅうですよ。こしあんとつぶあん、どっちが良いですか?」

「こしあん。……もぐもぐ、うむ美味い」

「……はぁ」

 

 もはやその口から溜息しか出なくなったシルキィを尻目に、ランスはおやつ休憩を挟んで。

 

 

 その後も彼が再び魔剣を握る事は無く。

 身体をごろんと横に倒して、遠くの景色を気ままに眺めながらまったり過ごしていると、次第に空の色には赤みが差し始める。

 

 それが切っ掛けだったのか、やがて一人の天使が彼等の下に近付いてきた。

 

 

「……お、ハウゼルちゃんだ」

 

 それは少し遠くで戦っていた魔人ハウゼル。

 彼女は装甲の巨人の顔近くまで寄ると、遠目でも分かる程に真剣な表情で口を開いた。

 

「シルキィ、そろそろ……」

「……えぇ、そうね」

 

 目を合わせた二人の魔人は静かに頷き合う。

 そしてシルキィはふぅ、と息を吐くと、ランス達を乗せている肩の方へと装甲の頭部を向けた。

 

「ランスさん、残念だけどタイムオーバーだわ。これ以上進むのは諦めて戻りましょう」

 

 現在時刻は夕刻前。

 彼女達が出発前に予定していた頃合い、引き返すと決めていた頃合いになっていた。

 

「あん? まだ日没までには時間があるだろ」

「それはそうだけど、けれど戻る時間も入れたらもう退却した方が良いわ。それにあと少し進めば辿り着くような距離でも無いし。まだ目的地の姿さえ見えていないのよ?」

「……む、まだ見えないのか? つーかケッセルリンクの城ってそんな遠いのか?」

 

 カスケード・バウの近くにあるらしきケッセルリンクの城。その目的地までの距離とは。

 そんな今更のような質問を受けて、シルキィは「そうねぇ……」と少し考えた後。

 

「……四分の一くらいは越えたかな?」

「……つー事は……」

「……最低でも、あと二日ぐらいは進み続ける必要があるという事ですか?」

「うん」

 

 恐る恐るといった感じのランスとシィルの問い、それにシルキィは即答で返す。

 

「普通に進めばそんなには掛からないんだけどね。けれどこうも魔物兵達に邪魔されては中々思うようには進めないでしょう? だからこのカスケード・バウは難関なのよ」

 

 朝方から行動を開始し、およそ8時間近く戦い続けて進めた距離が四分の一程度。

 それが今回のランス達の成果、そして同様にケイブリス派魔物兵達の時間稼ぎの成果であった。

 

「……ぬぬぬ。四分の一か、四分の一はさすがに……いやでももうちょっと頑張れば……」

「ランスさん、まさかまだ進むなんて言わないわよね。じきにケッセルリンクも出てくるわよ」

「……そもそもがだな。この俺様の手に掛かれば別にケッセルリンクなんぞ……」

 

 本日の作戦は誰あろうランスの立案。

 自らがやるぞーと啖呵を切った手前、この残念な結末のままで引き下がるとは言い辛いのか、彼は納得のいかない表情で遠くを睨んでいたのだが。

 

「……もしケッセルリンクが出てきたら、もう休憩なんてとれないわよ。朝になるまでずっと戦い続きになるけどそれでもいいの?」

「………………」

「相手があのケッセルリンクとなれば、貴方達を守りきれるか私にだって保証は出来ない。真っ暗な闇の中で何処から攻撃されるかも分からない、一瞬たりとも気の抜けないような戦いになるけど本当にやるの?」

「………………」

 

 あくまで事実を述べただけの、シルキィのそんな脅しが効いたのか。

 

「………………」

「……ランス様?」

 

 隣に居た奴隷の方にちらっと目を向けた後、

 

 

「……帰る」

 

 ランスは折れ、そして一行はカスケード・バウから退却する事となった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「……やっぱり失敗だったな。だから朝にも言ったじゃないか。この戦力でカスケード・バウを越えるのなんか無理だって」

「………………」

 

 ランス達はカスケード・バウから撤退した。

 早々に荒野を離れ、最寄りの魔界都市ビューティーツリーへ向かう帰り道の途中。

 

「やる前から分かっていた事だ。大体ホーネット様も居ないのにいける訳が無いだろう」

「………………」

 

 先頭を歩くは今回の杜撰な計画の立案者。

 そんな男に向けて、その背後から容赦の無い非難の言葉が浴びせられる。 

 

「全く、無駄足にしかならなかった。ちゃんとサテラ達の話を聞かないからこうなるんだ」

「……がーー!! うるせーーー!!」

 

 だがその男はとても短気、言われっぱなしの状態を耐える事など不可能だった。

 ランスは殆ど逆ギレのように吠え上がった後、ぐちぐち言っていたその魔人のほっぺを摘んでぐにぐにーっと引っ張り上げる。

 

「サテラのくせに生意気言いやがってーー!!」

「むにゃぁ! ランスっ、離せぇ~!」

 

 今回の作戦はちょっと見通しが甘かった。

 その事はランスも自覚しているのだが、しかしそれを他人から言われるのはムカつくもので。

 その後目一杯サテラのほっぺをこね回してストレスを発散し、ようやく落ち着いたランスはこほんと一つ咳払い。そして、

 

「……というかだな」

 

 そんな台詞で仕切り直して、何やら負け惜しみのような台詞を語りだした。

 

「別にこの作戦は失敗などしていない。それは大きな間違いだぞ」

「ランス、いくら何でも往生際が悪いぞ」

「うるさいサテラ。お前は勘違いしているが作戦はまだ終わっていないのだ。この負け……じゃなくて、この一時撤退も俺様の計画の内なのだよ」

「え、それ本当に?」

「そうなのですか、ランスさん?」

「うむ」

 

 この時ランスはあえて振り向かなかったのだが、その背中には「嘘っぽいなぁ」と言わんばかりな魔人達の怪訝な視線が刺さっていた。

 

「さっきは確かにケッセルリンクの城まで辿り着く事は出来なかった。けどな、別に無駄な事をしたって訳じゃないぞ。さっきの戦いでは結構な数の雑魚共を倒したはずだ」

「……それは確かにその通りですね。数千体……いえ、一万近くは倒したかもしれません」

「そう、その通りだハウゼルちゃん! 少なく見ても一万は倒した、いやもっと倒したかもしれんな、うむうむ」

 

 およそ八時間程、主に三人の魔人達がその強大な力を存分に奮った以上、当然ながら敵の方には結構な被害が生じている。

 そして一方のこちらには一切の被害無し。これはとても上々な結果であり、素晴らしい成果なのだとランスは声を上げて主張する。

 

「だから後はこれを……百回? くらい? 繰り返せば、敵は全滅するはずだ。そしたら簡単に進めるようになる、それが真の計画なのだよ」

「……なんていうか、気の長い計画ね、それ。……ていうかランスさん、あと百回これを繰り返すのに付き合ってくれるの?」

「やだ、めんどくさい。後は君達だけで頑張りたまえ。応援だけはしてやるから」

「……そう言うと思った」

 

 その答えは予想通りだったのか、気落ちした様子も無くシルキィは言葉を返す。

 

 今のはランスが咄嗟に思い付いただけの負け惜しみ、単なる強がり発言なのだが、しかし言っている事は決して間違っている訳では無い。

 魔物兵の総数で上回るケイブリス派と言えども、その数に限りがあるのは事実。魔物だって畑からぽんぽんと採れるようなものでは無い以上、倒し続ければいつかは尽きるのは当然の話。

 

「……百回繰り返せば、か。簡単に言ってくれるけどもね、そう簡単な話じゃないわ」

 

 ただそれが現実的な話かと言うと、それはやはりノーだと言わざるを得ないもので。

 

「今回はたまたまよ。たまたま向こうに魔人が居なかったから私達が好きに戦えただけ。けれども次も同じだとは限らない、今日の一件で向こうも警戒するでしょうし、次は誰かしらの魔人が出てきてもおかしくないわ」

 

 魔人ケッセルリンクの討伐を目標に掲げたランスだが、ケイブリス派にはその他にも魔人が所属しており、そちらの警戒も必要なのは自明の理。

 以前にホーネット派がこの荒野に挑んだ際は、ケッセルリンクの他にもバボラや当時敵だったガルティアなどが行く手を阻み、故にこそのカスケード・バウは最難関なのである。

 

「今回の戦いの事はホーネット様にも報告した方が良いだろうな。サテラ達は勝手にカスケード・バウに挑んでしまった訳だし」

「そうですね。明日になったら私が魔王城に飛んで報告してきます」

「うん、悪いけどお願いねハウゼル。……それでランスさん」

 

 そこでシルキィは横を歩く仲間の方から、前を歩く男の方へと顔の向きを変えて、

 

「私達ホーネット派が今動こうとしない理由、ちょっとは分かってくれた?」

 

 そう問い掛けてみたのだが、しかしその男は、

 

「けっ!」

 

 とそっぽを向いただけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回ランスが退屈しのぎにと始めた魔人討伐。

 それはケイブリス派魔物兵達の壁に阻まれ、目的地に到着する事も無く失敗に終わった。

 

 

 だが。

 

 そのように暇を持て余していたのは、なにもランス一人だけという訳では無い。

 

 停滞したこの戦況を嫌い、戦いの起こらない現状に苛立ち、その結果派閥の主の意向など無視してしまうような者は、ホーネット派だけでは無くケイブリス派の方にも存在していて。

 

 それはランス達と時を同じくして既に行動を開始しており、その脅威はもう間近に迫っていた。

 

 

 

 

 



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魔界都市ペンゲラツリー②

 場所は魔界都市ビューティーツリー。

 ホーネット派の拠点の内の一つであり、現在戦争の最前線となっている拠点。

 そんな都市内に設置されているテントの一つで。

 

「う~む……」

 

 ランスは唸っていた。

 

「う~~~むむむ……」

 

 その頭に巡るは昨日の一件。昨日ランスは魔人ケッセルリンクを討伐する為、仲間達を連れて大荒野カスケード・バウの踏破に挑戦した。

 だが結果は見事に失敗。ケッセルリンクと戦うどころかその城の前に辿り着く事さえも叶わず、あえなく時間切れとなって撤退する羽目になった。

 その失敗の最大の要因、それはひとえにカスケード・バウに置かれた障害の多さに尽きる。

 

(さすがにあの雑魚共の量はな……。強くはねーが面倒くさすぎるぞ……ぬぬぬぬ……)

 

 思い出されるのは魔物兵の大軍、無尽蔵に湧き出てくる雑魚との延々と続く戦闘。

 その数の莫大さ、それらを相手にしながらの進軍の困難さは、今こうして思い悩むランスの眉間に寄る皺の数が物語っていた。

 

 昨日の失敗を受けてさすがのランスも実感したのだが、現状のままではカスケード・バウ踏破はちょっと無理だと言わざるを得ない。

 可能性があるとしたら今後ホーネット派の準備が整い、派閥の総戦力を挙げた時か。聞けばそれでも以前は失敗に終わったそうだが、しかし以前と今とでは状況が異なる。

 ケイブリス派からは魔人が数体減り、一方のホーネット派には一体増えた今の情勢ならば、以前は失敗したカスケード・バウ踏破も成功する可能性は十分にあると言えるはず。

 

(……だがそれを待つってのも退屈だしなぁ、何か良い方法はねーかな……)

 

 しかしホーネット派の進軍準備が何時整うか、それは全く目処の立っていない話であって。

 一月経っても何の変化も無い現状、全ての準備が整うのは更に一月掛かるかも、いや二ヶ月か、事によっては半年以上掛かるかもしれない。

 足掛け7年にも及ぶこの派閥戦争において、その程度の準備期間など珍しくも無い。そうホーネットやシルキィなら言うかもしれないが、ランスはそんな時間を待つ事など出来ないのである。

 

(敵の数もそうだが、距離も問題だよなぁ……さすがに二日掛かるってのはシンドい……)

 

「……うぬぬぬぬぬ」

 

 カスケード・バウを越える有効な策はないか。

 テントの中で一人、そんな悩みに頭を絞り続けるランスの唸り声は止まらない。

 

 例えばあの無数の雑魚、あれを一瞬で全滅させる方法があれば。そういえば以前、魔物だけを殲滅出来る爆弾を使用した覚えがある。あれがどこかに余ってないだろうか。

 あるいはその距離、目的地まで一瞬で移動する方法があれば。そういえばそんな魔法があった、物理的距離を無視したワープが出来る黒髪のカラー、その協力が得られれば。

 

 ……などと、実現可能性はともかくとしてあれこれと良さげな手段を考えていた所で。

 

 

「……そういやぁ、結局あのキザ野郎の城ってのは何処にあるんだ?」

 

 ふと思い出したのはそんな疑問、昨日シルキィに一度尋ねてみた疑問。

 本当なら魔人討伐に向かう前に知っておくべき、何とも今更な疑問である。

 

「ふむ、どれどれっと……」

 

 ランスはそばにあった棚から地図を取り出し、テーブルの上に広げる。

 それは彼にとっては馴染みが無い、魔物界だけを描いた地図。その地図の中央から少し下の箇所に『カスケード・バウ』と書かれており、その南東近くに『ケッセルリンクの城』と書かれている。

 

「……ここか。確かに近いっちゃ近いが遠いっちゃ遠いな。うし車が使えりゃ楽なんだが……」

 

 長距離移動には欠かせない乗り物、うし車で進めばおそらく数時間で辿り着く距離。

 しかしあの夥しい数の敵の中、うし車を走らせるのはさすがに自殺行為か。

 そんな事を思いながら地図を眺めていると、

 

「ん?」

 

 ふと目に入ったのはその地図の南端。

 そこに『魔界都市タンザモンザツリー』と、そう書かれているのを目にした時。

 

「……お?」

 

 突如その頭の中にぴーんと閃きが走った。

 

「……うーむ、これは……」

 

 鼻先が触れるぎりぎりまで顔を近づけ、ランスは地図上のある一点を凝視する。

 

「……よし、これだ」

 

 そして、遂にその考えに思い至った。

 と言うべきか、思い至ってしまった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「全員ちゅーもーく。次の作戦を発表するぞー」

 

 そんな言葉を受けて、その場に居た一同の視線が発言者へと向かう。

 

「……次の作戦だと?」

「……ランスさん。まだ諦めていなかったの?」

「サテラさん、シルキィさん。一応聞くだけ聞いてみましょうよ、ね?」

 

 どうにも聞きたくない言葉を耳にしたのか、嫌そうな表情で呟くサテラ。

 そんなサテラと似たような表情を作り、はぁ、と息を吐くシルキィ。

 何とか主人のフォローをしようと、あまりフォローになっていない事を言うシィル。

 

 周囲を陣幕に囲まれた大きなテント内。

 ランスからの集合の号令を受け、その場に集まったのは彼女達3人。

 

「……ってあれ? ハウゼルちゃんが居ないぞ」

「ハウゼルなら今朝早くに一旦魔王城へ戻ったわ。昨日の戦いの結果をホーネット様に報告しないといけないからね」

「あー、そーいやそんな事言ってたな。つーか昨日の結果なんぞ報告した所で……まぁいいや」

 

 魔人ハウゼルは派閥の主への報告を持ち帰る為、朝方ビューティーツリーを飛び立った。

『依然としてカスケード・バウは難関。6名だけで越える事は不可能だと思われます』

 そんな何とも実の無い報告、ホーネットからは「それはそうでしょう」と返されるだけの報告ではあるが、そんな内容でも伝えに戻るハウゼルは真に律儀な魔人であった。

 

「もう出発しちゃったならしゃーないな、とにかく俺様達は次の作戦に取り掛かるぞ」

「……それで? その次の作戦とは一体なんだ。まさかとは思うがまたカスケード・バウへ挑戦するとか言い出さないだろうな?」

「なのなぁサテラよ、この俺様がそんな結果の見えている事をすると思うか?」

「……その言葉、昨日のランスさんに聞かせてあげたいわね」

 

 シルキィのそんな皮肉を見事にスルーして、ランスは威勢良く言い放つ。

 

「次の作戦はあんな面倒くさい場所には挑まんから安心しろ。むしろその逆だ、逆」

「……逆、ですか?」

 

 呟くようなシィルの問い掛けを受けて、その男は「その通りだ!」と力強く答える。

 先程魔物界の地図とにらめっこをして、そうしてランスが思い付いた次なる作戦。

 それは結果の見えているカスケード・バウ踏破に挑むのでは無く、もっと別の視点からこの戦争を俯瞰してみる事。

 

「俺様思ったのだがな、別にケッセルリンクなんぞと戦う必要はねーんじゃねーか?」

「戦う必要が無い?」

「そうだ。だって所詮あのキザ野郎はただの下っ端だろ? んなもんをわざわざ相手にせんでも、ケイブリスさえ倒しちまえばそれで終わりだろう」

「……あのケッセルリンクがただの下っ端って事は無いでしょうけど……でもケイブリスさえ倒せばって言うのは確かにその通りかもね」

 

 配下には構わず一番上だけを倒せばいい。

 争い事においては定石とも言えるランスの言に、シルキィもこくりと頷く。

 

 派閥のトップというのは一番大事な部分、特にその名を冠した派閥に至っては尚更の事である。

 ホーネット派が前魔王ガイの娘であり、魔人筆頭であるホーネットのカリスマ無しでは維持出来ないのと同じく、ケイブリス派も最強最古たる魔人ケイブリス無しではその威勢を誇る事は出来ない。

 

 故に派閥の主さえ討ち取ってしまえば、この派閥戦争はそれで決着。

 その時仮に誰かしらの魔人が生き残っていたとしても、それは然程の意味を持たない事である。

 

「だろ? て事でケッセルリンクはちょっとパス。討伐目標はケイブリスに変更する事にした。そっちの方が色々とてっとり早いからな」

 

 そんな台詞を得意げな表情で語るランスの一方。

 

「………………」

「………………」

 

 二人の魔人は共に難しい表情をしていて、その方針に納得していないのが丸わかりであった。

 

「……ランス。そうは言うけどな、そのケイブリスの下に辿り着く為にはあのカスケード・バウを越える必要があるんだぞ」

「そうね。だからこそケッセルリンクを倒す必要がある。……ていうかこの話、出発する前に私が教えてあげたと思うんだけど」

「うむ。確かに聞いたな。けどなシルキィちゃん、それは大きな間違いなのだよ」

「………………」

 

 その次の言葉を聞かずとも、この時点ですでにシルキィは何だか嫌な予感がしていた。

 だがそんな彼女の心境など知る由も無く、ランスはその手に持っていた地図を広げる。

 

「俺様はちょー天才だからな、ある事に気が付いてしまったのだ。全員これを見たまえ」

 

 そして地図上のある一点を指差した。

 そこは魔物界の南西部、大陸の端際を通って魔界都市と魔界都市を結ぶ一つの道。

 

「ここだ。カスケード・バウを越えるのが難しいなら、こっちから行けばいいだろう」

 

 するとシルキィは「うわぁ……」と呟き、急激に痛み出した額をその手で押さえる。

 それは前に彼女が派閥の主と作戦会議を行った際、いつかランスがそんな事を言い出すのではと、そんな予想をしていた言葉そのものだった。

 

 ランスの指が示す場所。そこは一見ただの道。

 そしてその道を進んだ先、それは確かに敵の本拠地タンザモンザツリーへと続いている。

 けれどもそれはただの道では無い。その事を二人の魔人は深く理解していた。

 

「……あぁそっか、これ古い地図だから書いてないんだ……。新しいのを作り直さないとね」

「……そうだなシルキィ。城に戻ったらホーネット様に提案してみるか」

「おい、何を二人で話しとるんじゃ。それよりこれを見ろこれを。この道はなんと敵の本拠地へと繋がっているのだ! だからここを通ればカスケード・バウなんぞ通らんでも……」

 

 敵の本拠地へと繋がる別ルート。

 その世紀の大発見をご機嫌な様子で披露するランスだったのだが、

 

「……あ、ランス様、それって……」

 

 その言葉を遮るように呟き、その大発見の致命的な欠点を指摘したのは彼の奴隷だった。

 

「何だシィル」

「……その、確かそこの道って今はもう通れない道なのでは……」

「通れない?」

「ほら、シィルでも知ってるじゃないか。前にサテラが説明してやっただろう。そこの道はもう随分前に死の大地へと変わってしまったんだ」

 

 魔物界の最南部にあるケイブリス派の本拠地、魔界都市タンザモンザツリー。

 その都市に繋がる道の片方はカスケード・バウを越える必要があり、そしてもう片方は死の大地によって封鎖されてしまっている。

 サテラが言った通り、死の大地に関してはランスも以前に一度説明を受けているのだが。

 

「死の大地? ……て、なんだっけ?」

「ぐっ、こいつ……」

 

 残念ながらその記憶はすでに消失していた。

 誰が何の為に説明してやったと思っている、この男の頭は一体どうなっているんだ。

 とそんな文句を言いたい気分のサテラだったが、しかし覚えていないものはどうしようも無い。

 

「……全く。もう一度説明してやる」

 

 よーく聞くように。と念押しをして、彼女は以前と同じ説明を繰り返した。

 

 その道は元々普通の道だったのだが、ある時大きな魔力の衝突が原因で変容してしまった。

 死の大地はあらゆる命が死に絶える場所。空からは死の灰が降り注ぎ、その効力は付近にある魔界都市ペンゲラツリーの世界樹を枯らしてしまう程。

 無敵結界を有する魔人であっても影響を受けてしまい、それ以下の抵抗力しか持たない魔物、そして人間にとっては近付く事すら危険な場所である。

 

 

「……わかったか? 死の大地は通れない。だからカスケード・バウを越えるしか無いんだ」

 

 世紀の大発見は残念ながら不発。皆が知っていたけど選択肢から外していただけのもの。

 だったのだが、しかしサテラから一通りの説明を受けたランスは顎に手を当て、「……うーむ」と少し悩んでみた後。

 

 

「ま、何とかなるだろ。とりあえず現地まで行ってみるぞ」 

 

 とても軽い調子でそう告げた。

 

 

「あのなぁ! お前はサテラの説明を聞いてなかったのか!? あそこは人間が近づいたら……」

「たかだか灰だろ? 俺様は灰ごときでは死なん」

「ランスさん。死の灰は本当に危険なのよ。あの道を通ろうとした魔物兵の一団が全滅した事だってあるわ、いくらなんでも……」

「俺様は魔物兵より強い、だから問題無い」

 

 死の大地には絶対に行ってはならない。特にそれが人間であるならば尚更の事。

 それを知っている二人の魔人はあれこれ言葉を並べて説得するのだが、しかし毎度のようにランスには効き目は無し。

 その男の根底にあるのはやはり現状への不満。戦況が停滞している中、カスケード・バウも越えられないのなら、次は死の大地の方を試してみるかと考えるのは自明の理であった。

 

「大体お前らだってとやかく言うがな、その死の大地とか言う場所に行った事はあんのか?」

「……さすがに爆心地の真ん中まで行った事は無いけどね、その近くまでなら行った事はあるわ」

 

 そう答えたのは魔人シルキィ。派閥内で一番耐久力がある事を自負する彼女は、専ら調査目的で一度死の大地へと進んだ経験がある。

 その灰は彼女自慢の頑強な装甲に阻まれ、内部のシルキィに被害が及ぶ事は無かったのだが、次第にその装甲自体が溶け始めてしまい慌てて引き返す事となった経験があった。

 

「シルキィちゃん、それって何時の事だ?」

「……ええと、確か死の大地が出来てすぐの事だから……5、6年くらい前かしら」

「だろ? それはもう昔の話だろ? なら今はもう元通りに直ってるかもしれんではないか」

「な、直ってるって……」

 

 そんなまさか、とシルキィはすぐに眉を顰める。

 そもそも数ヶ月前にホーネットがペンゲラツリーで魔人バボラと戦った際、その都市内で灰の影響を受けたと言っていたのだ。だとしたら今もまだ死の大地は治癒していないはずである。

 

「それにこっちの道がグッドなのはそれだけじゃないぞ、こっちはケッセルリンクの城からも離れているからな。さすがにこっちを通ればあのキザ野郎だって出張って来る事はねーだろう」

「……まぁ、それはそうかもね。殊更来たいような場所でも無いでしょうし。けど……」

「けどじゃない。とにかく一度行ってみるぞ。ここに居たって埒が明かねーからな」

 

 相変わらずランスは意見を変えない。

 その頑固な態度を目の当たりにしたシルキィは、

 

「……ちょっと待ってね、ランスさん」

「あん?」

「サテラ、こっちこっち」

 

 こそこそっとランスから少し距離を取ると、同僚を呼び寄せての緊急作戦会議。

 

「ランスは本気だぞ。どうするシルキィ。さすがに死の大地に行くのは不味いだろう」

「私達はともかくとして、ランスさんとシィルさんは人間だものね。……けど、うーん……」

 

 二人の魔人は額を寄せ、ひそひそ声で話し合う。

 これから始まるのはあまりにも危険な行動。彼女達は他ならぬランス達の身を案じて止めようとしているのだが、悲しくもその思いは伝わらない。

 この困ったリーダーをどうやって考え直させるか、二人は色々と悩んではみたのだが。

 

「……仕方無いわね。行ってみましょうか」

 

 やっぱりそれは困難な事。やる方なしといった表情のシルキィがそう宣言した。

 

「おい、本気かシルキィ!?」

「うん。だってランスさん言っても聞かないし。それにね、ここで私達が無理やり止めたとしても、その内に一人で勝手に行っちゃいそうじゃない?」

「それは……確かに……」

「でしょ? だったらここで私達と一緒に行った方がまだマシだと思うのよ」

「……それもそうだな。なら、ある程度手前で引き返す感じか?」

「うん、そんな感じで」

 

 かなり後ろ向きな思考だが意見は纏まった。

 目を合わせた二人はこくりと頷き、そして。

 

「……ランスさん、分かったわ。そこまで言うなら行ってみましょう」

「お。ようやく乗り気になったか」

「けれど行くのは死の大地じゃなくて、その手前のペンゲラツリーまで。それで良いわね?」

「あん? それじゃ意味ねーだろ。目的はその先にあるヤツらの本拠地……」

「大丈夫よ」

 

 シルキィはランスの言葉を遮るように告げ、そして念押しするようにもう一度。

 

「ペンゲラツリーまで行けば大丈夫。そうすれば死の大地がどういうものなのか、貴方にもきっと理解出来ると思うから」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 魔界都市ペンゲラツリー。

 その都市は魔物界の南西部、大陸の端ぎりぎりに位置している。

 先程ランス達が居た拠点、魔界都市ビューティーツリーから程近く、うし車を全力で飛ばせば数時間で到着可能な距離である。

 

 

「……全くサテラもシルキィも、灰だなんだと大げさな奴らだ。なぁシィルよ」

「え、えぇと……」

「大体これは戦争だぞ。んなもんを怖れて殺し合いが出来るかっての。なぁシィルよ」

「そ、そうですね……」

 

 カタコトと揺れるうし車の荷台の中、ランスはいつも通りの偉そうな様子で口を開く。

 その隣で困ったように相槌を打つシィル、むっとした顔で沈黙するサテラとシーザー。

 そしてうし車を操縦するシルキィも含めて全員、出発した直後はその様子に変化など無かった。

 

 

 しかし出発してから一時間程。

 道のりの半分近くに差し掛かった頃。

 

「……にしても、この辺は雑魚共の姿が見えんな。カスケード・バウにはうじゃうじゃ居たのに」

「それはそうだろう。ケイブリス派もホーネット派も、いや派閥に関係の無い魔物達だって、死の大地方面には近付きたくないだろうからな」

「ふむ、そーいうもんか。つーかだったら尚更こっちの道の方が楽じゃねーか」

 

 荷台の中から外の光景を眺め、サテラと会話していたランスの身に最初の変化が訪れる。

 

「……ん?」

「どうしました、ランス様?」

「いや、なんか目が……ゴミでも入ったか?」

 

 突然ちくっとした痛みが走り、ランスは右目をその手で押さえる。

 そんな様子に気付いたのか、うし達の手綱を引いていたシルキィが口を開く。

 

「……それ。死の灰の影響かもね」

「え、これが?」

「うん。死の灰は風に乗って流れるって話だし、それならここら辺まで届いていてもおかしくないわ。今日は風も強いしね」

「……ほーん、これがねぇ……。つっても目が痛む程度なら大した事ねーじゃねーか」

 

 ごしごしと目元を擦りながら、まだランスはいつも通りの調子で答える。

 実際この時はほんの一瞬僅かな痛みを感じただけで、その言葉通り大した問題は無かった。

 しかし風に乗って流れる灰の量は、当然ながら目的地に近付く程に増えていくものであって。

 

 

 そして出発してから二時間と少し。

 そろそろ目的地の姿が見えてきた頃。

 

「なんか……喉がヒリヒリするのだが」

「……ランス様、私、ちょっと頭痛がします」

「……なぁシルキィ、これって多分……」

「うん。間違いないと思う」

 

 次第にランスとシィルは体調の変化を訴え始め、二人の魔人はその原因に確信を持つ。

 死の大地から流れてくる死の灰、それはまだ微量ながらも確実に空気中を漂っており、吸い込んだ人間二人の身体に悪影響を及ぼし始めていた。

 

「……ねぇランスさん。もうここら辺で引き返した方が良いんじゃない?」

「引き返すだぁ? んな訳あるか、勿論進むぞ」

「あのねぇ、もう体調が悪くなってきている自覚はあるんでしょう? けどこんなのはまだ序の口、進めば進む程に灰の量は増えて、今より更に身体への悪影響は増していくわよ」

「……ぬ。……いや、それでも行く」

 

 今より更に身体への悪影響は増す。

 その言葉にランスは一瞬だけ怯んだものの、しかしその考えはまだまだ変わらず。

 

 

 

 

 

 そしてそれから三十分程。

 ランス達を乗せたうし車は死の大地の手前にある魔界都市、ペンゲラツリーに到着した。

 荷台から下りた一同の視界にまず飛び込んできたのは、この都市ならではの象徴的な光景。

 

「……あ、枯れてる……。木が枯れてますよ、ランス様」

 

 そう言ってシィルが指差したのは都市の中央、そこに生える巨大な樹木の変わり果てた姿。

 本来なら空を覆う程に葉を繁らせ、幹や根元から食料を無限に供給する世界樹。

 だがペンゲラツリーの世界樹は完全に枯れ果てており、黒く炭化した無残な姿を晒していた。

 

「お、ホントだ。あれってどの都市にもあるクソデカい木だよな。ここは火事でもあったのか?」

「あれは死の灰の影響で枯れちゃったのよ。その後ここで大きな戦いがあったっていう話だから、その影響もあるんでしょうけどね」

 

 ここで起きた大きな戦い。それはホーネット派の主がケイブリス派の魔人数体の奇襲を受け、そして敗北を喫したあの戦いの事。

 殊更取り上げたい話題では無いのか、シルキィはあえて深く触れずに話を逸らす。

 

「……それより二人共、体調は大丈夫なの?」

「うむ、問題ないぞ」

 

 ランスはいつも通り平然とした様子で答えたが、

 

「………………」

「……シルキィちゃん、その目はなんだ」

 

 そんな男の顔色を、魔人四天王のじとーっとした目付きが睨む。

 

「……本当に平気なの?」

「本当だとも」

 

 表情こそ不変を貫いていたのだが、しかしその言葉は完全なる嘘っぱち。

 先程から目の痛みも喉の痛みも増してきているし、指先にもちりちりとした痺れがある。

 けれどもそんなものは無視。自分から言い出した手前こんな所でギブアップとは口に出来ず、ランスはやせ我慢全開で普段通りを取り繕っていた。

 

「……ならシィルさん、貴女はどう?」

「あ、私はちょっと頭が痛くて、それに何だか吐き気もしてきて……」

「シィーール!! 俺様が問題無いのならお前も問題ないはずだ。そうだよな?」

「う、うぅ……はい。問題無いです……くすん」

 

 軟弱な事を言いたがる奴隷を黙らせ、ランスは巨大な枯れ木の奥を睨む。

 

「ここを越えりゃあ死の大地に着くんだろ? 少し休憩したらすぐに進むぞ」

 

 このペンゲラツリーを南の方角に抜ければ、いよいよ死の大地が見えてくる。

 そしてその先に進めばケイブリス派の本拠地、タンザモンザツリーへと辿り着く。

 ランスにとっての目的地はそこ。このまま南へと進み続けて、本拠地で胡座をかいているだろうケイブリスをたたっ斬る。

 そして今日明日でこの派閥戦争を終わらせてやろうじゃないかと、そこまで考えていたのだが。

 

「………………」

「………………」

 

 しかしランス以外の者、特に二名の魔人にとってはここが目的地、すでに旅の終点である。

 

「……どうするシルキィ、ランスは進む気だぞ」

「……そうね。どうしようかしらね」

 

 サテラとシルキィ、二人の魔人はランスから少し距離を取るとひそひそ声で話し合う。

 すでに出発前に予定していた場所、ここで撤退すると決めていた地点まで到着してしまった。

 灰の影響は完全には解明されておらず、まだまだ不明な点も多い。それこそ後遺症でも残ったら大変な為、二人は一刻も早く引き返したかったのだが、しかし彼女達のリーダーがそれを許してくれない。

 

「さすがにここまでくれば、ランスさんも引き返す気になってくれると思ったんだけど……」

 

 このペンゲラツリーまで来たなら、あの枯れ果てた世界樹の悲惨な姿を目にしたなら、死の灰の恐ろしさをきっと理解出来るだろう。

 そう思ってここ都市まで来たのだが、しかしどうやらランスは理解出来ないのか、それとも理解してはいるが止まらないのか。自らの予測の甘さを反省する事となったシルキィは、

 

「いっその事、ランスを引っ叩いて気絶させて連れ帰るしかないんじゃないか?」

 

 そんなサテラの乱暴な提案を受けても、

 

「……うん。もうそうするしかないかもね」

 

 本当なら駄目と言うはずなのだが、ついつい頷きたくなってしまう。

 

「灰の影響は確実に出ているはずなのに……本当に強情な人なんだから……」

「全くだ。というかサテラだってここに到着してから何だか体調が悪くなってきた気がするぞ」

「そうね、実は私もここに着いてから少し……そろそろリトルを装備しようかしら」

「……はっ! そういえばこの灰の影響で、シーザーが溶け始めたりしないだろうな?」

「死の大地そのものならともかく、ここならまだ大丈夫じゃない? ……多分だけど」

 

 二人がそれ程にこの都市から撤退したがるのは、やはり死の灰への懸念故。

 目に見えない程に微細であって、どのような影響があるかもよく分からない灰は、魔人である彼女達にとっても十分脅威に値するものであるらしい。

 二人共に少し不安の見える表情で、あれこれ会話を交わしていたのだが。

 

「あ、サテラ。ランスさん達もう歩き出してるわ。ほら、あんな遠くに」

「なに? 本当だ。何処に行く気だあの二人は……シーザー、お前も早く来い」

「ハイ、サテラ様」

 

 ふと彼女達が気付いた時には、すでにランスとシィルの姿は遠くの方にあった。

 二人と一体は慌てて後を追い掛けて、程なく追い付いたその背中に向けて声を掛ける。

 

「ちょっとランスさん、何処へ行く気なの?」

「別に何処へも行かん、ただの散歩じゃ。少しばかしこの灰に身体を慣らそうと思ってな」

「……ていう事は、あくまで死の大地へと進むつもりなのね」

「おう」

 

 歩く足を止めずにランスは即答で返事を返す。

「身体が慣れる前にぶっ倒れるのがオチだ」とそんなサテラの呟きが聞こえたような気もしたが、一切聞こえないフリをしてランスはきょろきょろと辺りの景色に目を向ける。

 

「……しっかし、なんかここはボロボロだな。見たところだーれも住んでないし」

「ペンゲラツリーは肝心の世界樹が枯れちゃったからね。そうなるともう食料が取れないの、それで魔物達は全員ここから移動しちゃったのよ」

 

 散歩に興じる彼等の周囲一帯、枯れた魔界都市は見るも無残な姿。

 大小様々な大きさの薄汚れたテントの残骸や、世界樹から剥がれ落ちたと思わしき幹の破片や枯れた葉など転がっている。

 特にここで起きた魔人達の大激戦、その戦闘の余波で更に荒廃が進んでおり、その景色はもはやゴミが多いだけの荒野と然程の違いが無い。

 

「魔界都市ってのはどこもあんましオモロイもんが無いが、ここは輪をかけて酷いな」

「……そうね。……けどそれよりもランスさん」

「なんじゃい」

「いい加減ビューティーツリーに戻りましょう? 死の灰は本当に、本当に危険なのよ。命を落としてからじゃ遅いでしょう?」

 

 いつにも増して真摯な表情の魔人四天王。その悲痛な訴えを受けて、

 

「……ぬぅ」

 

 一度その歩みを止めたランスだったが、

 

「……いや、もうちょっと進む」

 

 しかしすぐにその歩みを再開する。

 勿論ランスとて死にたい訳では無い。そして何も死の灰の効力を軽視している訳でもない。シルキィ達がここまで言うからには本当に危険なのだろうと理解はしている。

 それでも引く気分にならない理由。それはこちらも駄目となると、あのカスケード・バウを越えねばならないからである。

 

 片方は大量の雑魚と待ち受ける魔人四天王。そしてもう片方は生物を殺すという死の灰。

 どちらの攻略が楽かは悩ましい所であるが、どちらも同等に困難な事には変わり無い。

 故にランスは昨日の荒野踏破の際と同じく、ぎりぎりまで撤退はしないと決めていたのだった。

 

 

 

 そしてその後小一時間程。

 一行は枯れた都市内の散歩を続けていたのだが。

 

 

「……おやん?」

 

 唐突にそんな声を上げたのは、ランスの腰に下げられている剣。

 今まで昼寝でもしていたのか、一言も発していなかった魔剣カオスである。

 

「……あれれれ? うぬぬぬ~ん?」

「なんだカオス。急に不気味な声を出すな」

「いやね、何かさぁ……うん? うぅぅ~ん??」

 

 その魔剣は何か腑に落ちない事があるのか、鍔にあるその両目を意味深に歪ませる。

 

「……なぁ心の友よ。ちょいと聞きたいんだけどもさ、3人でいいんだっけかね?」

「3人? って何がだよ」

「あんたがここに連れてきた魔人の数さ。確か3人だったよな?」

「あぁ、それなら3人……じゃねぇな。ハウゼルちゃんは抜けちまったから、今は後ろに居るサテラとシルキィちゃんの2人だけだ」

 

 ランスのそんな返答を受けて、その魔剣は「え、二人なん?」と驚いたように呟いて、

 

「だとするとおかしい。近くにもう一体おるぞ」

 

 そして急に真面目な声色になってそう告げた。

 彼は魔剣としての特殊能力により、他の者達には気付けないその事実をいち早く察知していた。

 

「もう一体だ? 何処のどいつだよそれは」

「そりゃあ……どっかの誰かさん?」

「なんだそりゃ。お前の勘違いかなんかだろ。あ、それともハウゼルちゃんが戻ってきたかな」

 

 カオスの指摘を受けても気にした様子は無く、ランスは変わらない調子で歩を進める。

 

 しかしその歩みが止まったのはすぐ直後の事。

 それは元々デカントが使用していたのだろうか、視界を遮る程に巨大なテントの残骸。

 その横を通り過ぎた事で、それまで遮られていた視界が一気に開ける。

 

 するとそこに何かがあった。

 

 

「んあ? なんじゃこれ?」

 

 最初ランスはそこにあるものの正体に、その存在に気付く事が出来なかった。

 

 

「……オォーウ?」

 

 何度か聞いた事のあるそんな声を聞いてもまだ、何かを思い出す事は無かった。

 

 だが。

 

 

「ランスッ!! そいつから離れろッ!!!」

 

 血相を変えたサテラの声。

 

 

「ッ!」

 

 その隣では、息を飲んだシルキィが瞬時に魔法具の装甲を展開する。

 

 

 そこにあるもの。3メートル程の金属の巨体。

 そこにあるもの。それは闘神Γ《ガンマ》。

 そこにあるものに寄生しているもの、それは無数の触手を生やす紫色の眼球。

 

「……オォーーウ!! サ~テラ~!! シィ~ルキィ~~!!」

 

 予期していなかった突然の出会いに、その名の通りの赤い瞳が歓喜の声を上げる。

 それと同時に爆発的な魔力の高まりが生じ、すぐに具体的な脅威の形へと変わっていく。

 

 そこにいた魔人、レッドアイ。

 

 こうして遭遇してしまった以上、言うまでも無く戦闘となった。

 

 

 

 

 



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VS 魔人レッドアイ

 それはある種運命的な巡り合わせというものか。

 魔界都市ペンゲラツリーにて、一つの戦いが始まろうとしていた。

 

 その場に集った全ての者達にとって、それは思いも寄らない唐突な遭遇。

 だったのだが、しかし彼等は皆歴戦の強者達。想定外の事にもさすがにその反応は迅速だった。

 

 

「レッドアイッ!!」

 

 装甲の展開が完了し、戦闘準備を終えた魔人シルキィは敵対者の名を叫ぶ。

 それは相手の注意を引く為、そして仲間達の前へ進み出ようと彼女は先んじて突撃を敢行。

 

「──ヌゥ!?」

 

 巨大となった装甲が弾丸のような速度で飛び、敵が寄生する巨大な兵器と衝突する。金属と金属がぶつかり、ドゴオォォン! と派手な轟音が響く。

 

「レッドアイ、何故貴様がここにいる!!」

「オーオー! それはミーのセリフね! 何故シルキィ達がここにいるしとるか!?」

 

 装甲と闘神。互いに鋼鉄より硬い身体をガリガリと擦らせ、互いに相手の腕部を掴み合う。

 互いに一歩も引かず押し合いながら、今こうしている事への疑問にシルキィが怒鳴りを上げれば、レッドアイもそのまま同じ問いを返す。

 

 ここペンゲラツリーは死んだ都市であり、どちらの派閥も支配圏としていない空白地帯。

 ランスの思い付きによって来る事となったシルキィは元より、レッドアイも敵の存在を知ってここに来た訳では無い。

 故にこれは互いにとって本当に偶然の出会い、まさかの遭遇。その偶然を偶然とは思えなかったシルキィなどは、最後までそれが頭の片隅に引っ掛かっていたのだが。

 

「……でもそんな事はもう興味ナッシン、もう関係ナッシンね!」

 

 一方のレッドアイはすぐにどうでもよくなった。

 何故シルキィ達がここに居るのか、その思惑などはもう些細な問題。仮にホーネット派が大規模な作戦行動を企んでいたとしても、この魔人にとっては全てが取るに足らない事。

 

「ミー達こうしてエ~ンカウントしたからには、する事と言ったら一つ!」

 

 意思持つ宝石の魔人レッドアイ。

 狂気の魔人と呼ばれる彼の趣味は無差別な殺戮。命ある者全てを憎み、命ある者を殺す事、命ある者の悲鳴を聞く事が至上の喜び。

 そんなレッドアイにとって、ホーネット派の者達が居るこの状況でする事と言えば一つだけ。

 

「全てダイ! オール・キル・ユー! キル・ユー・あなたね!」

 

 この日の素晴らしき出会い、自分の幸運に感謝をしながら全てを皆殺し。

 そんな思考の下に闘神Γが動き出す。弾くように地面を蹴って大きく後方へと下がり、今しがた競り合っていた魔人四天王から距離を取る。

 

「けけけけけけけけけ!!」

 

 奇っ怪な笑い声と共にその凶悪な魔力が収束し、すぐにそれはピークに達する。

 目に見える形での脅威へと転化し、狙うは勿論眼前に見えるその重装甲。

  

 前に突き出した闘神の指先に大きな光球が灯り、そこから放たれる極太のレーザー。

 それは大魔法使いの証ともなる攻撃魔法、白色破壊光線。

 

「──くぅッ!」

 

 甲高い音を伴って迫る白色の閃光。

 シルキィは両腕を交差して、装甲の前面部分でそれを真っ向から受け止める。

 

「ぐ、うぅ~~……ッ!」

 

 だがそれは破壊光線と言う名に恥じない破壊力を有しており、200kg近くの装甲がその威力に押されてじりじりと後退し、装甲内部まで突き抜けてくる苦痛にシルキィが呻く。

 今その背後には大事な仲間達が、特に何が何でも守らなくてはいけない者が二名も居る。下手な方向に光線の威力を逸らす訳にもいかず、その全てを耐え抜こうと彼女はぎゅっと歯を食い縛る。

 

「シルキィ! くっ、行くぞシーザー! シルキィの援護だ!!」

「ワカリマシタ、サテラ様!!」 

 

 そんな彼女の仲間の一人、魔人サテラ。攻撃を受ける友の名を叫んだその魔人は、自らが制作したガーディアンに指示を出して共に駆け出していく。

 特にそのガーディアン、魔人と同等の力を持つシーザーは近接戦闘に長けている。製作者たる主を追い抜いてレッドアイに肉薄すると、

 

「ウォォォオオオッ!!」

「オゥ!?」

 

 雄叫びを上げながら突撃。石の身体を活かしてのぶちかまし。

 それは闘神の巨体を大きく揺るがし、それに意識を削がれたレッドアイは放っていた魔法攻撃を中断させられる。

 

 

 

 とそんな感じで、その場に集った魔人達皆が戦闘を開始する中、肝心のランスはと言えば。

 

「……レッドアイ? あれが?」

 

 呆然とした表情でそんな台詞を呟き、その視界に映る物体を訝しげに観察していた。

 その大きさは3メートル程、見上げる程の巨体は全てが金属で造られており、体の各所が血管のような赤いケーブルで繋がれている。

 だがそんな外見的特徴よりも、何より気になったのが自分がこれを初めて見たというその事実。

 

「あれ? 確かあのキチガイ野郎が寄生していたのって、もっと別の……」

 

 ランスは前回の第二次魔人戦争を戦い抜き、その中で魔人レッドアイを撃破した経験がある。

 しかし目の前に聳える人造兵器、それは彼の記憶に残るレッドアイの姿とは全く相違しない。

 

「んじゃあ、ありゃあアニスの前って事なのか? つーかあれってなんかどっかで……」

 

 過去に一度倒したはずの相手の姿が異なる。

 更に言えばあの巨大な物体。あれは自分が以前に戦った何かに似ているような気がする。

 その違和感、その不可解さに、戦闘の最中だと言うのにランスは剣を取るのも忘れて、その場に立ち尽くして思考に耽っていたのだが。

 

「心の友ッ! 何をボサっとしとる!! 敵が目の前に居るんじゃぞ!!」

「お、おぉ! 分かっとるわい!」

 

 まさにその剣、腰に下げていたカオスからの叱責が飛んでハッと我に返る。

 レッドアイの寄生体、それが前回とは違う事は少し気になるが、それを考えるのは今では無い。

 そう思い至ったランスはすぐに魔剣を引き抜くと、傍らにいた奴隷へ指示を出す。

 

「シィル! お前は前に出てくんなよ! 邪魔だからどっかで援護してろ!」

「分かりました! ランス様、どうか気を付けてください! 念の為に……鉄の壁!」

 

 ランスとは違い前回の経験が無いシィルだが、彼女も一流の冒険者だけあって相応の場数を踏んでおり、唐突な魔人との戦闘にもすぐに頭を切り替えて支援魔法を唱える。

 鉄の壁。仲間の防御力を上昇させる効果があり、対魔法で言うなら魔法バリア程の効き目は見込めないのだが、一度攻撃を受けたら消える魔法バリアとは違い鉄の壁には持続力がある。

 

「よっしゃ、覚悟しろよレッドアイ! いつかのお礼をもう一度返してやる!」

 

 支援魔法の完成と共に下がっていく奴隷を横目にしながら、ランスは標的を見据える。

 少々予定外の戦闘にはなったが、ともあれあのキチガイ魔人は生かす理由も無いので殺そう。

 そうと決めたら行動は迅速であり、先のサテラ達に続くように地を駆け出す。

 

「ランスさん、危険だ! あまり前に出ては……」

「問題なーし! あんな雑魚魔人、この俺様に掛かりゃどうって事無いわ!」

 

 自分の背後に隠れていて欲しいと、言外にそう伝えてくるシルキィ。

 そんな彼女の横を走り抜けて、ランスはいよいよ魔人レッドアイの元へと迫る。

 

「グゥゥゥウウウ!!」

「ファーック! ユー、邪魔ネーー!」

 

 ガーディアンと闘神が取っ組み合い、その目玉の視線もそちらへと向いている中。

 

「チッ、デカい図体しやがって……!」

 

 自分よりも遥かに巨大、闘神Γの威容を前に、ランスは正面から飛び込む愚など犯さない。

 走りながらその巨体の横合いへと回り込み、

 

「とぉーーーっ!!」

「……オゥ?」

 

 闘神の脚部へと向けて、振り被った魔剣を思い切り叩きつけた。

 

 だが。

 

 

「──か、かってぇ!! なんつー硬度だ!」

 

 その剣を真下まで振り抜く事は叶わず、その攻撃は闘神の脚にほんの一筋の亀裂を残しただけ。

 渾身の一撃が弾かれ、その代償のようにじーんと痺れる左手をにぎにぎしながら、彼の怒りはその手に持つ魔剣へと向けられる。

 

「おいカオスッ! 全然斬れねぇじゃねぇか! てめぇ真面目にやりやがれ!!」

「やっとるわいっ! けどコイツが寄生しとるのは多分あれだ、闘神だ! 前に闘将と戦った時にも言うたけどな、儂はこういう分厚い鋼鉄をぶった斬るようには出来とらんの!」

 

 怒りのままに怒鳴る持ち主同様、怒鳴るような勢いで反論をするカオス。

 彼は神によって造られた魔剣であり、その切れ味はなまくらでは無い。むしろ並の剣を遥かに越える鋭さを持つのだが、とはいえそれでも剣であり、硬度の高い金属を容易く両断する事は難しい。

 特にそれが今相手にしている闘神のように、並の鎧を遥かに越える分厚さの鋼鉄で覆われた相手となれば尚更である。

 

「やっぱこいつは闘神か……! けどなカオス、これに寄生しているレッドアイは魔人、お前の大好物なんだからもっと気合を入れろ!」

「だから儂だって手は抜いとらん! 真面目にやってるってゆーとるやろ!」

「それが足りねぇっつってんだバカ剣が!! もっとやる気を──」

 

 やいのやいのとやかましく、言い換えると悠長にも言い争っていた最中、

 

「ランスッ!!」

 

 それに気付いたカオスが持ち主の名を鋭く叫ぶ。

 

「っ!」

 

 それで何を見ずとも反応した。

 ランスは咄嗟に左腕を振り上げ、闘神Γが自らの足元へ向けて振るった一撃、その鋼鉄の豪腕を魔剣の刀身で以て受け止める。

 

「ぐぅッ!!」

 

 足元でうるさくしていた隙だらけの邪魔者、それを払うかのように振るわれた闘神の巨拳。

 ランスはぎりぎりで防御したものの、しかしその威力、途轍もない衝撃までは殺せない。

 

「ぐ、はっ──!」

 

 たたらを踏むどころか、巨大なバネに弾かれたように後方へと吹き飛ぶ。

 そしてランスはその勢いのまま、軽く数メートルは地面を転がった。

 

「ランスっ!」

「ランスさん!!」

 

 その光景を目撃していた二人の魔人、サテラとシルキィの悲鳴が飛ぶ。

 

「心の友よ、生きてるか!?」

「……の野郎、やーりやがったなぁ……!」

 

 地面に何度も身体を打ち付けたランスは、魔剣を支えにしてゆっくりと起き上がる。

 シィルの支援魔法のおかげで見た目程のダメージは無かったのだが、それでも一発貰った事への怒りは別物。ランスは口から怨嗟の言葉を吐き出し、射殺すような目付きで憎き敵を睨む。

 

「無駄ねヒューマン! ミーの闘神ボディはベリィエクセレント! 弱っちいヒューマンの貧弱ソードアタックなど無駄、無謀、無意味!!」

 

 そんな視線を受けてもレッドアイは動じず、相変わらずのハイテンション。

 今その目玉が寄生しているもの。それは数百年前、魔を討つ為に人類が作り上げた最強の兵器。

 魔人に比する力を持ち、無敵結界を破る方法さえあれば魔人を倒せていたと言われる程の代物。故に人間など相手になるはずが無いと、レッドアイは寄生体の強さを存分にアピールしていたのだが。

 

「……オォー? ヒューマン?」

 

 先程自らが喋ったセリフ、そのおかしさにようやく気付く。

 人間とは人間世界で暮らす者達であり、この魔物界には居ないはずの存在、ここペンゲラツリーでは見るはずの無い相手である。

 

「ユーはヒューマンか? 何故ヒューマンがここにホワイ?」

 

 不思議そうに紅い眼球を歪ませるレッドアイだったが、その目に映る人間は「けっ!」と吐き捨てるように答えただけ。

 その代わりと言う訳では無いのだが、その人間が手に持つ魔剣が憎々しげに口を開く。

 

「……貧弱ソードとは言うてくれる! ランスよ、レッドアイの本体だ! あの闘神の首元にあるヤツの本体を狙え!!」

「んな事お前に言われんでも分かっとるわいっ、ならもう一度、次こそぶっ殺したる!」

 

 熱り立つカオスとランス。二人がが狙うは闘神Γの首元付近、そこにいる寄生主の本体。

 高い位置にあって斬り掛かるのは困難だが、しかし挑戦する価値はある。レッドアイは他の素体に寄生して戦う魔人である為、その本体たる宝石部分の防御力は極めて低い。

 

 更に言えばランスが使用している武器、魔剣カオスは魔人に対して絶大な効力を有する。

 その攻撃がレッドアイの本体に見事決まれば、一撃で両断する事だって不可能では無い。

 故にランスは会心の一撃一発で勝負を決しようと、痛む身体も気にせず再び駆け出した。だが、

 

「……あ~、ヒューマンなんてどうでもええか」

 

 対するレッドアイはすでに別の方を向いており、謎の人間への興味を失っていた。

 何故なら人間は弱い。魔人や使徒はおろか、魔物にも劣る貧弱な存在。ホーネット派の魔人が二人も居るこの場において、その赤い眼球が視界に捉える必要のある存在では無い。

 

「ヒューマンなんかよりこっち、こっちが邪魔! ファッキューね石人形!!」

 

 今も闘神Γに食い下がるガーディアン、シーザーの事をぎろりと睨む。

 そして殆どついでのように、その体から生える無数の触手を一本だけ持ち上げると、

 

「て事でヒューマンは早くダイして、悲鳴をリスニングさせるするね」

 

 それを向かってくる人間の方へと向け、触手の先端からファイアーレーザーを連続で発射した。

 

「いっ!?」

 

 ぐねぐねと湾曲しながら迫る赤色の光線、それをランスは驚愕の表情で迎える。

 これを受けるのはマズい。相手はただでさえ魔人である上、その魔人の中でも一番となる魔法力を有するレッドアイ。これを単なるファイアーレーザー1発と侮る事は出来ない。

 

「──この!」

 

 故にランスは迎撃を選択。走りながら斬撃を上手く合わせて、光線の先端を切り払う。

 するとその魔法は形が崩れて、瞬間弾けるような熱が襲うが、そのレーザーに直接身体を貫かれる事を思えば何倍もマシというもの。

 そうしてファイアーレーザーの1本を無理やり処理したのだが、しかしそれで終わりでは無く、

 

「げっ」

 

 間髪入れずに続々と迫る残り9本のレーザー。

 並の魔法使いにはとても真似できない芸当、驚異的な速度での魔法の連続行使、魔法LV3の真髄をその視界に捉えた所で、

 

「無理!!」

 

 そう断言したランスは即座に反転。

 背中を追ってくる赤いレーザーから猛ダッシュで逃亡を図ると、

 

「シルキィちゃん、たーっち!!」

 

 そこにいた闘神に比する程に大きな装甲、魔人シルキィの背後へと転がるようにして避難。

 

「んっ……!」

 

 追尾してくる残りのレーザーは全て、その頑強な装甲が受け止める事によって事なきを得た。

 

「ランス様、大丈夫ですか!?」

「おぉシィル、お前ここに居たのか」

「はい。自分の後ろが一番安全だからって、シルキィさんがそう言ってくれて……」

 

 シィルは言葉を返しながら、すぐにヒーリングの呪文を唱え始める。

 身体中に暖かい癒やしが巡り、急場を逃れた安心感にランスはほっと息を吐き出す。

 

 今ランスとシィルの二人が隠れているこの場所、魔人シルキィの装甲の背後。

 この装甲は勿論攻撃にも使えるが、攻撃を防ぐ事こそが本来の使い方。持ち主の性格も合わさってここが一番安全な場所である事は間違い無い。

 だからこそ二人は避難していられるのだが、しかしその間はシルキィが動けない、魔人四天王がその力を攻撃に割けないという事でもあって。

 

「んっん~、マ~ヴェラスッ!!」

 

 遠くで鎮座しているだけの装甲、抵抗してこない魔人四天王をいたぶるのが愉しいのか。

 レッドアイはその装甲を射撃の的のようにして、攻撃魔法を出鱈目に連射する。

 

「く、うぅっ!」

 

 立て続けに生じる爆発音。

 それは装甲の前面部を焼き、もしくは氷結させ、あるいは電撃が走ったりと。

 とにかく色々な方法でもってダメージを与え、その度にシルキィの口からは息を詰まったような音が漏れる。

 

「おいシルキィちゃん、大丈夫か!?」

「平気だ! この程度なら問題無い!」

 

 その身を案じて声を掛けるランスに向けて、シルキィは戦場での固い口調で迷いなく宣言する。

 彼女は歴戦の魔人であり、その装甲の頑強さも相まって守備力に関しては魔人随一。同じく魔人随一であるレッドアイの魔法力、それを前にしての平気との言葉も決して虚勢では無い。

 故に敵の攻撃をひたすら防いでいるこの状況。シルキィにとってそれは問題無いのだが、しかし防いでいるだけでは状況になんら変化は無く、そちらは大きな問題である。

 

「けけけけけけ!! シ~ルキィ~、何故バトルするしないか? 弱っちいヒューマンをガードするのがそんなに大事か?」

「……当たり前だ、お前には分からんだろうがな」

「オーオー! 勿論ね! 勿論ミーにはドントアンダースタン!」

 

 魔人が戦う事を放棄してまで、弱き存在である人間を守護する。

 そんな思考などは理解出来ない、理解したくもない事だとレッドアイは声高に主張する。

 

「ならシルキィ、ユーはそこでウェイトするしてるがよい。そんなユーはミーのハイパーな魔力でなぶり殺し、キル・ユー・あなたね! ゲギャハヒャアヒャヒャ!!」

 

 いくら魔人四天王と言えども、防御を固めて動かないのならば全く脅威にならない。

 それならばその装甲を全て破壊し尽くすまで、シルキィが死ぬまで魔法を放ち続けるだけだと、レッドアイは再びその強大な魔力を練り始める。

 

「させるか! シーザー、魔法を止めるぞ!」

「ハイ!」

 

 肉眼で見える程の魔力の収束に、気勢を上げたのはその場の近くにいた魔人サテラ。

 レッドアイの魔法の発射を阻害しようと、シーザーと共に攻撃を仕掛ける。だが、

 

「サ~テラ~。ユーの相手は後。シルキィがダイしたらユーもちゃんとキル・あなたしてあげるから、イイコチャンで大人しくするしてるOK?」

 

 その攻撃はレッドアイ本体には届かず、代わりに闘神Γが迎え撃つ。

 鋭く打ち付けるサテラの鞭を右手で掴み取り、シーザーの石拳に左の鉄拳を合わせる。

 

「ちぃ、こいつ……!」

「ヌゥウ……!」

 

 その兵器の性能、その厄介さに悔しくも舌を巻くサテラとシーザー。

 二人の攻撃は全て闘神Γが受け止めて、その一方でレッドアイは強力な攻撃魔法を繰り出し、シルキィをその場に縫い付ける。

 

 魔人を討つ為に作り出され、魔人と互角に戦える程の力を持つ闘神。

 その内の一体に寄生しつつ、自らも強大な魔力を行使する魔人レッドアイ。

 そんな相手との戦闘はもはや、魔人二人分の戦力と戦うに等しい事。

 

 ケイブリス派屈指の実力者である宝石の魔人は、一人として味方が居らず、ホーネット派の魔人が二人も居るこの状況下においても、劣勢どころかむしろ優勢に戦っていた。

 

 

 となるとそんな劣勢の状況をひっくり返すのは、往々にしてあの男の仕事となるのだが。

 

「……ぐぬぬ」

 

 そんな声は巨大な装甲の後ろ側から。

 今も安全地帯に逃れている、見方を変えると戦闘にちっとも貢献出来ていないランスは苛立たしげに口元を歪ませる。

 

「おい心の友よ、いつまでもここにおったってしゃーないだろう」

「分かっとるっつーの! ちょっと黙ってろい!」

 

 早くここから飛び出してレッドアイと戦え。

 そう言いたげな視線を向けてくる魔剣に対し、ランスは八つ当たりのような怒りをぶつける。

 

 今サテラとシーザーは闘神Γを相手取って戦っている。言うなればそれが彼女の役目。

 そしてシルキィはその高い防御力を活かして、ガードとしての役目を忠実にこなしている。

 そしてシィルはそんなシルキィに向けて、ヒーリングなどの支援魔法を唱え続けている。

 

 となるとこの劣勢の戦況を変える事、それはアタッカーであるランスの役目。

 魔人に対して抜群の効力を持つ魔剣を扱える唯一の人間、ランスはその高い攻撃力を活かす事こそが役割となるのだが。

 

 

(ぐぬぬぬぬ! どんだけバカスカ撃ってんだあのキチガイ魔人は!) 

 

 しかしそこからの一歩が踏み出せない。

 先程から絶え間なく聞こえてくる魔法の衝撃音が耳に残り、それを防いでくれている装甲の背後から飛び出す事が出来ない。

 

 戦士であるランスが魔法使いと戦う場合、相手に近付くまでが肝要となる。

 魔法とは基本的に遠距離攻撃であり、距離の優位性は魔法使いの側にある為、何かしらの手段によりそれを上回る必要がある。

 

(こういうのはとっとと攻めて、魔法を撃つ前に近付いてぶった斬るのが楽なんだが……)

 

 相手の魔法が完成する前の速攻。その戦法はしかしこの魔人相手には難しい。

 レッドアイが魔法を行使する速度は並では無い。LV3の才能故なのか、ロクに詠唱さえしていないようにも見え、とても先手が取れる相手では無い。

 となると最低でも一発は耐えて、それから反撃といくのがセオリーとなるのだが、それは被弾前提の戦い方であり、そこらの魔物ならばともかく魔人と戦う際には選びたくない戦法である。

 

(……だーもう! 絶対的に盾の数が足らん! 俺様を守る肉壁が足らーん!!)

 

 基本的に攻撃を受けるのは自分の役目では無い。それは頑丈な盾を持ったガードの役目。

 今シルキィがその役目を担っているが、しかし彼女だけでは足りない。魔法を乱射する敵の下まで接近するにはせめて後もう一人盾役が欲しいのだが、勿論そんなものは何処にも無い。

 

(……だがカオスの言う通り、こうして隠れていたって埒があかねぇ)

 

 このままシルキィを盾にしながら、何もせずにここで待機している訳にはいかない。

 これでは守るべき対象の一人として、シルキィの足を引っ張っているだけのようではないか。

 後衛職であるシィルはともかくとして、英雄である筈の自分がそんなザマではいけない。プライドの高いこの男は覚悟を決めた。

 

(……しゃーない、ちょっとばかし破れかぶれにはなるが……!!)

 

 あの魔法の雨の下をぴゅーと走り抜け、そのままの勢いでレッドアイの本体をぶった斬る。

 接近している間に間違いなく1、2発は被弾するだろうが、それはもう頑張るしかない。

 先のように叩っ斬れば一発は防げる、そして歯を食い縛って我慢すれば多分一発は耐えられる。

 

 問題はその後。1、2発なら多分イケるが、その後3、4発と食らったらちょっとマズい。

 その時はさすがに死ぬかもしれないが、そうなったらもうそうなった時である。

 とそんな捨て鉢のような決意を胸に、いざランスはその安全な場所から足を踏み出そうとした。

 

 しかし。

 そんな彼より一足先に。

 

 

「……あーもうっ! 鬱陶しい!!」

 

 

 ここまでレッドアイの攻撃魔法を一身に受け続けてきた、魔人シルキィの方が先にキレた。

 

 このまま防いでいるだけでは埒が明かない。そう考えていたのは彼女だって同じ事。

 つい口調を元に戻してしまったシルキィは、その思考を守備から攻撃へと切り替えた。

 

「サテラ! シーザー! 少し離れて!!」

 

 闘神Γと接近戦を続ける仲間に声を掛け、同士討ちにならないよう距離を取らせる。

 そしてその装甲は膝を曲げて姿勢を低くする。その体勢は強く地面を蹴って飛び出す合図。

 

 自分が攻撃に回ると守備の役目が居なくなる。するとランスとシィルに危険が及んでしまう。

 よって長々と戦う訳にもいかないので、シルキィは一撃で決める事にした。

 

「──ふッ!!」

 

 そして発射。

 200キロを超す重装甲の塊が、大砲の砲弾のように飛んでいく。

 

「ホワット!?」

 

 迫り来る魔人四天王を視界に捉えて、レッドアイの行動も迅速であった。

 それに要した時間は数秒あるか無いか。とにかく恐ろしい程の速さで魔力を収束させると、

 

「……メイクドラ~マァー!!!」

 

 謎の掛け声と共に生じる極光、白色破壊光線。

 接近する相手を迎撃せんと放たれたその魔法は、先程と同じようにその装甲に直撃する。

 

「ぐぅッ!!」

 

 その破壊の圧に押されて、残り5メートル程の距離で装甲の勢いが止む。

 

「……ぅうう~~ッ!!」

 

 だが止まった訳では無い。苦痛に呻きながらもシルキィはゆっくりと足を前に出す。

 装甲の前面部が遂に溶解し始めても、その巨体の前進は止まらない。

 

「……グググゥゥ~! シィ~ルキィィ~~!!」

 

 徐々に近づいてくる魔人四天王、自分の魔法など物ともしないと言わんばかりの装甲。

 その姿にレッドアイは苛立ち、発射中の破壊光線へと更に魔力を集める。だが、

 

「んんんんん~~~っ!!!」

 

 それでもその装甲は止まらない。

 並の魔人二体分の戦力を有するレッドアイだが、しかしシルキィだって並の魔人の比では無い。

 彼女は誰あろう魔人四天王、その格で言えばレッドアイよりも上なのである。

 

「──レッドアイ!!」

 

 そして遂に白色破壊光線の圧に打ち勝つ。

 闘神Γの正面まで辿り着いたシルキィは、声を張り上げながら魔法具の形を操作する。

 装甲の手が握るに相応しい大きさの斧を作ると、それを上段へと振り上げた。

 

「オゥ!?」

 

 今まさに振り下ろされようとする大斧の刃。

 危険を感じたレッドアイは魔法を中断、即座に寄生中の闘神Γを操作して、その両の腕を首元で交差させる。

 

「ちょっちピンチだったけどこれでセーフ! ノープロブレム!!」

 

 先程まで晒されていたレッドアイの本体、そこは闘神の両腕がしっかりとカバーしている。

 これならどんな攻撃が来ても問題無し。闘神の腕が壊れるまで自分が攻撃を受ける事は無い。

 そしてお返しとばかりに反撃の魔法を放とうと、再びその身に秘める魔力を練り始めたのだが、その時レッドアイはおかしな事に気付く。

 

「……ンー? アタックが来ない?」

 

 何故か一向にシルキィからの攻撃が来ない。

 先程の大斧が今まさに振り下ろされようとしていたならば、本当なら一つ前のセリフの途中辺りで何らかの衝撃が来ないとおかしいはずである。

 

 今レッドアイは防御の体勢、闘神Γの丸太のような両腕を自分の目の前で交差している都合上、その視界が完全に遮られている。故に相手が今何をしているのかが分からず、不可解そうにその赤い眼球を歪ませるのみ。

 何故攻撃が来ないのか。ついさっきシルキィが振り上げていた大斧、あれは一体何だったのかと、レッドアイがそんな事を考えていると。

 

 

「……おー?」

 

 ふいに感じるふわりとした浮遊感。

 自分の身体が揺れ動いているような感覚。高い場所へと持ち上げられていくような感覚。

 

「……これは」

 

 無性に嫌な予感がしたレッドアイはすぐに闘神Γの防御を解いた。

 すると見えたのは先程までの死んだ都市の光景では無く、今日も天気の悪い魔物界の大空。

 

「……オーノゥ、シルキィ、まさかユー……」

 

 嘆きのようなそんな呟きが聞こえた場所。

 それは空高くに掲げられた巨大な手のひらの中。

 

 その場に出現していたもの。

 魔人四天王が扱える全ての魔法具を展開した姿、全長50メートル程の巨体を持つ装甲の巨人。

 その巨人はまるで野球のピッチャーのように、大きく振り被った投球モーションに入ると、

 

 

「──えぇぇーーーい!!!!」

 

 踏み込んだ足が地響きを鳴らす程の勢いで。

 振るった豪腕が強風を巻き起こす程の勢いで。

 装甲の巨人はその手に掴んでいたもの、闘神Γの事を思いっきりぶん投げた。

 

「ノオオオオォォォォォーーーー!!!」

 

 綺麗な放物線を描いて飛んでいくレッドアイ。

 その叫びは徐々に小さくなっていき、やがて空の彼方がきらんと光る。

 

 

 ──死の大地まで飛んでいけ!! 

 そんな気持ちをボールに込めてここに披露した、装甲の巨人による大遠投。 

 

 だが残念な事に投手シルキィはノーコンだった。

 その遠投は死の大地方向からは大きく左に外れ、レッドアイは遠くにある森深くに墜落した。

 

 

 こうして主に魔人シルキィの活躍により、魔人レッドアイは戦場外へとリタイア。

 結果的には痛み分けと言った感じで、ペンゲラツリーでの戦いは終了した。

 

 

 

 

 

 



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戦い終わって③

 

 

 

 魔界都市ペンゲラツリーに聳え立つその姿。

 全長は遥か50メートル、片足を上げて片手を前に突き出した、遠投を終えた直後のポーズで固まる巨大な装甲、その内部で。

 

「……ふぅ」

 

 それは疲労感の表れか、あるいは安堵の表れか。

 とにかくその魔人は大きく息を吐き出すと、その身に纏っていた全ての魔法具に命令を送る。

 

「ぃしょっと……」

 

 すると装甲の巨人は煙のように掻き消えて、その中に居た魔人シルキィが地に下り立つ。

 自ら武装を解除したその姿は、ひとまずの危機が去った事の何よりの証。

 

 この都市にて遭遇した相手、魔人レッドアイ。

 ケイブリス派に属する宝石の魔人との戦闘は途中まで劣勢だったものの、装甲の巨人による渾身のオーバースローが炸裂、レッドアイは戦場外へと強制的に離脱させられ戦闘終了となった。

 

「……本当に急な戦いだったけれど、何とか撃退出来たわね。……そうだ、みんなは……」

 

 強敵たるレッドアイとの戦闘を終えた今、気になるのは仲間達の安否。

 シルキィは周囲を軽く見渡した後、近くに見つけた一人と一体に労いの言葉を掛ける。

 

「サテラ、シーザー、お疲れ様。貴女達が前で戦ってくれて助かったわ。二人共怪我はない?」

「あぁ、大丈夫だ。シルキィもお疲れ様、あのレッドアイを投げ飛ばすとはさすがシルキィだな」

「かなり無理矢理な方法だったけどね。あんまり戦いを長引かせたくなかったから……」

 

 闘神Γとの接近戦を請け負っていたサテラ。そしてレッドアイの魔法を防いでいたシルキィ。

 此度の戦いの殊勲賞とも言える両魔人。二人は互いの健闘を讃え合った後、少し離れた場所に居る仲間の下へと近付いていく。

 

「……ランスさん、それにシィルさんもお疲れ様。怪我はないかしら?」

 

 そこに居たのは二人の人間、ランスとシィル。

 無事の姿に安心したのか、シルキィがほっとした表情でそう尋ねると、

 

「……まぁな」

「……私達は平気です、それよりもむしろシルキィさんは大丈夫ですか? 私達を守る為に敵の魔法攻撃を受け続けていましたから……」

 

 ランスはやや憮然とした顔で言葉を返し、そしてシィルは心配そうな顔で問いを返す。

 

「まだダメージが残っているなら、もう一度ヒーリングを唱えましょうか?」

「心配しないでシィルさん、あの位の攻撃だったら大した事は無いわ。ちょっと装甲が傷んじゃった程度だから」

 

 城に戻ったら装甲の修理をしないとね、とシルキィは軽い調子で呟く。

 彼女の高い防御力を支えた装甲、特にその前面部はレッドアイの強烈な魔法攻撃に晒され至る箇所が溶解し始めていたが、逆に言うなら目立った被害といえばその程度で。

 

「……にしても、皆が無事で良かったわ」

「あぁ、そうだな。けれど……」

 

 唐突な魔人レッドアイとの遭遇にも、ランス達は皆大きな怪我も無く戦闘を終える事が出来た。

 全員の安否を確認し終わりその場には少し弛緩した空気が漂う。戦闘の緊迫感から解き放たれた一同の思考は、自然と件の魔人へと向けられる。

 

「なぁシルキィ。レッドアイの奴はどうしてここに居たんだと思う?」

「……そうねぇ」

 

 まず一番に挙がった疑問。何故あの魔人はこのペンゲラツリーに居たのか。

 ここは棲む生物の居なくなった死んだ都市。理由も無しに訪れるような場所では無い。

 その事はサテラから言われるまでも無く、シルキィも頭の片隅で引っ掛かっていたのだが。

 

「……何かレッドアイなりに考えあっての事なのか、それとも何も考えずにただ何となくなのか……サテラはどっちだと思う?」

「……あいつの考えなど、悩んでみた所で分かるようなものじゃないな」

 

 しかしそれは非常に難解な問題、二人は早々に無駄な思考に頭を使うのを中断する。

 何せレッドアイは狂気の魔人、そのけったいな喋り方といい常軌を逸した相手である。あの魔人が何を考えてここに来たのか、その思惑などとても読めたものでは無い。

 

 そして実際の所、レッドアイがこのペンゲラツリーに居たのはただ通過しようとしていただけ。

 ここを通過してホーネット派の前線拠点ビューティーツリーに侵攻しようとしていただけで、その理由も停滞中の戦況に焦れただけという、仮にそうと知れた所で益の無い問題であった。

 

「……つーかよ、シルキィちゃん」

「何?」

「確かこの都市の先にケイブリス派の本拠地があって、んで君が言うにはその途中に死の大地とかいうのがあるっつー話だったよな」

「えぇ、そうだけど」

「それだとおかしくねーか? 奴はここに来るのにその死の大地を越えてきたって事になるぞ」 

 

 次にランスから挙がった疑問、何故あの魔人はこのペンゲラツリーに来られたのか。

 この都市から南に進む道、それがケイブリス派の本拠地タンザモンザツリーへと繋がっており、そして死の大地はその道の途中に発生している。

 故に彼の言う通り、ケイブリス派の者達がこのペンゲラツリーに辿り着く為には、死の灰が降り注ぐ死の大地を越える必要がある。

 

「君は何度も俺様に言ってたよな。死の大地は通れないっつー話じゃなかったんかいな」

「……通れない、はずなんだけどね。けれども灰の効果には個人差があるから……」

 

 自分の過去の発言を槍玉に挙げられ、シルキィは少し困ったように顔を背ける。

 死の大地は通れない場所とされてはいるものの、しかし以前にケイブリス派がその道を通った事からも明らかな通りそれは絶対不変の話では無い。

 彼女がそう言っていたのは専ら人間であるランス達を気遣っての事であり、しかし人間と魔人ではその耐久力の桁が違うし、更に言うとあの魔人はただの魔人では無い。

 

「レッドアイの事だから……例えば……死の灰から身を護るバリアーでも張ったのかも」

「バリアー? んなもんあんのか? 大体その灰は君ら魔人の無敵結界でも防げないんだろ?」

「それはそうなんだけど……」

 

 無敵結界より強いバリアーなどあるのか。

 そんな尤もな反論を受けたシルキィは「ならそうねぇ……」と、少し投げやり気味に呟いて。

 

「……それなら灰に触れないように、地中深くを掘って移動してきたとか」

「……地中深くを掘っただぁ? んなモグラじゃねーんだから」

「あ、じゃあ強風を巻き起こして、一時的に灰を遠ざけたとか」

「……強風を起こしただぁ? つーかシルキィちゃん、君なんか適当なノリで喋ってねーか?」

 

 シルキィが次々と挙げる死の大地突破方法に、ランスはとても胡散臭そうな目を向ける。

 それは一見すると適当なアイディアを述べているだけにも見えるのだが、しかし彼女は何も考え無しに主張している訳では無い。

 

「……だって、仕方が無いでしょう? なんて言ったってあれは魔法LV3なんだから」

 

 魔人レッドアイ最大の特異性。全魔人の中で頂点となるその才能、魔法LV3。

 この世界に数多ある才能全てに共通する事だが、LV3ともなればそれはもう伝説級。

 それがどんな才能でも、例えば執事の才能であってもLV3ともなれば脅威に値するものであり、特にそれが魔法の才能ともなれば尚の事である。

 

「レッドアイの魔法力があれば、私がさっき言った方法だって可能かもしれないわ。あるいはもっと単純な方法で、例えば死の大地なんて通らないでここまで直接ワープして来たのかもね」

「ワープだぁ? ワープって──」

 

 ──んな馬鹿な話があるか。

 とランスは反論したかったのだが、

 

「……ぬ」

 

 しかしふと考えてみると、それは何も荒唐無稽な話という訳では無い。

 実際この世界には瞬間移動が可能な者も居る、そんな相手にもランスは会った事がある訳で。

 

「ワープ……マジ? んなのあり得るのか?」

「あり得ないって言い切れる? 少なくとも私には無理だわ。私魔法に関しては全然だから」

「……ぬぬぬ」

 

 一口に伝説級の魔法の才能があると言っても、その『魔法』という言葉が意味しているもの、その才能で以て行使出来る力の範囲はとても幅広い。

 あの死の大地を無傷で越える事だって、魔法LV3ともなれば可能かもしれない。その才能を有しないシルキィやランス達では、その可能性を真っ向から否定する事など出来なかった。

 

「……とにかく、その辺の事はここで悩んでも仕方が無いわ。とりあえず魔王城に帰りましょう。この事を早くホーネット様に報告しないと」

「そうだな。あのレッドアイが本格的に動き出したとなれば、ホーネット様だって戦いに出られるかもしれないしな」

 

 魔人レッドアイはとても好戦的な性格。これまでも幾度と無くホーネット派支配圏への侵攻を繰り返してきており、それと対峙するのは魔法力での対抗が可能なホーネットの役目。

 今回の一件が魔人レッドアイによる本格的な侵攻なのかどうか、それはまだ判断出来ないものの、いずれにせよ一刻も早く城に帰還して今後の事を話し合う必要がある。

 

「それじゃあ皆、うし車を留めている場所に戻りましょう」

「………………」

「……ランスさん? どうしたの?」

「……む。いや、何でもねぇ。……そーだな、ひとまずは城に帰るか」

 

 遠くに見える不気味な色の空。

 先程あの魔人を投げ飛ばした空の彼方。

 その方向を苛立ちの浮かぶ顔で睨んでいたランスだったが、やがて表情はそのままに踵を返す。

 

 その後彼等はすぐにうし車へと乗り込み、少し前に通った道を引き返す事となった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 ランス達 VS 魔人レッドアイ。

 というべきか、魔人サテラと魔人シルキィ VS 魔人レッドアイ。

 ペンゲラツリーで起きた両派閥の衝突の余波は、決して小さくないものだった。

 

 まず反応したのはケイブリス派陣内。

 現在のケイブリス派の方針、それは専守防衛。弱腰になってしまった派閥の主の意向により、全軍を押して徹底的に守備を固めている最中。

 今回のレッドアイの行動はその意向に反し、派閥の足並みを崩す勝手な侵略行為となる。

 

 特に軍を指揮する大元帥ストロガノフにとって、派閥の現方針に反する行いだというのもさる事ながら、単騎での侵攻というのは非常に困る。

 この半年程でケイブリス派に属する魔人の数も減ってきており、これ以上更に減るといよいよもって派閥の勢力図がひっくり返りかねない。

 

 勿論レッドアイの強さは理解している。しかしそれでも単独行動に危険が多いのは自明の理。

 万が一の事を考えてこれ以上の独断専行は慎んでくださいと、その後一旦本拠地に戻ってきたレッドアイに対して大元帥は直接に頼み込んだ。

 

 だが殺戮を趣味とするその魔人にとって、派閥の現方針はとても受け入れられるものでは無い。

 そもそも彼がケイブリス派に属している理由、それはこの派閥が魔物達が好き勝手に暴れられる世界を目標としているからであり、つまりは暴れる為にこの派閥に属しているようなもの。

 故に大元帥直々の嘆願にも効果は無し、その後もレッドアイは勝手な侵攻を繰り返す事となる。

 

 

 

 そしてその一方。

 帰還したサテラ達からの報告を受けて、ホーネット派陣内もにわかに物騒がしくなった。

 

 今回のレッドアイの動き、死の大地を越えてのペンゲラツリー侵攻ルート。

 それは以前にも一度ケイブリス派が使用し、結果的にホーネット派を壊滅の危機に追い込んだあの作戦と同じ道筋。

 もしやまた同じ手をと、ホーネット派の面々がそう考えたのも当然の成り行きで。

 

 派閥の主の部屋には魔人達全員が集められ、彼等の話し合いはその後数時間にも及んで。

 そして、次第に城の外が暗闇に包まれ始めた頃。

 

 

 

 

「お」

 

 とそんな一言に対して、

 

「……あ」

 

 とそんな一言が重なる。

 

 

 ──気が乗らんから俺様はパス。

 そんな理由でランスは作戦会議には参加せず、久々に帰ってきた自分の部屋でしばし小休止。

 ぐっすり昼寝をして、そして目を覚まして、んじゃそろそろ腹も減ったし夕飯にするかなぁと食堂に向かおうとした所で。

 

「ホーネット、話し合いは終わったのか?」

 

 その魔人、ホーネットとばったり遭遇した。

 

 

「………………」

「……ん?」

 

 少し見開いた金色の瞳を真っ直ぐ向けたまま、そしてその口を小さく開いたまま。

 

「………………」

「……おいホーネット、聞いとるか?」

 

 常の怜悧さが感じられない、ぽかんとした表情で石像のように固まる魔人筆頭。

 その妙な様子を不審に感じたのか、ランスは再度声を掛けてみる。

 

「………………」

 

 するとその魔人は何も言わず、おもむろに右手を前に持ち上げる。

 そして何かに導かれているかのように、すーっと近付いてくる。

 

「お、おぉ、どした?」

「………………」

 

 ランスが面食らうのも気にせずといった感じで、ホーネットはどんどん迫ってきて、そして。

 

「……おい、なんだよ」

 

 そう呟いた彼の左頬。

 そこに彼女の右手がぴとっと重なっていた。

 

「……おいってば」

「………………」

「……あの、ホーネットさん、聞いてます?」

「……あ、いえ。……はい、聞いています」

 

 再三の声掛けでようやく魔人筆頭は我に返る。

 何故だか分からないのだが、ふと気付いた時には自分の右手はランスの頬に触れていた。

 これは決して当人の意図した事では無い。まさに無意識と言うべきか、知らずの内に身体が勝手に動き出していた。

 

 あるいはそれは彼女が身に秘める想い、その情愛に押されての事だろうか。

 夢か現か、肌に触れる事によってその存在を確かめたかったのだろうか。

 ホーネットにとって、実に一ヶ月以上ぶりとなるランスとの再会だった。

 

 

「……ランス」

「あん?」

「……その、久しぶり……です、ね」

「おぉ? あー、確かにそうかもな」

 

 ここ最近のランスは暇だからと迷宮探索に出掛けてみたり、同じく暇だからと魔人討伐に取り掛かってみたりと、色々忙しくしていた結果長らく魔王城を不在にしていた。

 その不在期間の影響、会えなかった期間が魔人筆頭に与えた影響はかなりのものとなるのだが、そうとは知らないランスは軽い調子で呟く。

 

「こうしてお前と話すのって、考えてみたら久しぶりになるのか」

「えぇ、私達が会うのは久しぶりの事です。……それで、ですね」

 

 不安で眠れぬ夜を幾度越したか分からない、それ程に待ち焦がれていたその姿。

 その心中を悟らせぬよう普段通りに徹してはいたのだが、それでも普段より少し上擦っている声でホーネットは言葉を続ける。

 

「……ランス」

「おう、どした」

「……その、ですね」

 

 勿体付けるかのように言葉を区切るが、その実頭の中は目まぐるしく回転していた。

 彼女にはランスと再会したら言おうと思っていた事が、話そうと思っていた事が沢山あった。

 

 なのだが。

 

 

「……その、元気にしていましたか?」

 

 しかし実際こうして目の前にしてしまうと何も言葉が出てこないのか、魔人筆頭が口にしたのは何とも当たり障りの無い言葉であった。

 

「ぬ? そりゃまぁ元気ではあったが」

「……そうですか。それは……何よりです」

「うむ。つーかそれはいいのだが……これには一体何の意味があるのだ?」

「……これ、とは?」

「いやだから、これ」

 

 ランスは自分の左頬をすっと指差す。

 

「……あ」

 

 その指摘は自分の右手、未だその頬に重ねられている右手の事。

 その意味を尋ねているのだと気付いた彼女は、

 

「……そうですね。……いえ、特に深い意味はありません」

 

 少し名残惜しそうにその手を離す。

 

「……そうか」

「……えぇ」

「………………」

「………………」

 

 言おうと思っていた事、それら全てが頭からすっ飛んでしまった魔人筆頭と、そんな魔人筆頭の挙動不審さに戸惑いを隠せないランス。

 二人は互いに二の句を告げずに沈黙し、廊下の真ん中でじっと立ち尽くしていたのだが。

 

「……それでは、私はそろそろ行くべき所がありますので、これで」

 

 結局ホーネットの方が会話を打ち切った。

 というべきか、居た堪れなくなってその場からの逃亡を図った。

 

「行くべき所? こんな時間に出掛けんのか?」

「えぇ。すぐにビューティーツリーへと行かねばならないのです」

「……あー、そりゃもしかしなくてもあれか。あの目玉野郎の……」

「目玉? ……あぁ、そうですね。察しの通りレッドアイの侵攻に備える為です」

 

 そこでホーネットは真面目な表情に戻り、ランスの言葉に頷きを返す。

 それは先程彼女達が行っていた作戦会議、ホーネット派魔人達による話し合いで決まった事。

 

 彼女達のこれまでの経験上、魔人レッドアイの侵攻は一度では終わらない。

 その殺戮衝動の赴くまま、命ある者を片っ端から蹴散らんと暴れに暴れて、その殺戮に一旦の満足がいったらやがて去っていく。

 それがレッドアイという魔人であり、先の戦闘では一つの命も奪えていない以上、再びの侵攻が必ずあるはずだと会議に参加した面々は考えた。

 

 その侵攻がケイブリス派としての作戦上のものなのかどうか、それはまだ分からないが、いずれにせよ備えておくに越した事は無い。

 次は以前と同じ轍を踏まないよう拠点の防衛を最優先にする方針を固めて、そして派閥最強の戦力であるホーネットはこれからビューティーツリーへと向かう事になったのだった。

 

「こちらはサテラ達に任せておきましたから、何かあれば彼女達を頼って下さい。では」

 

 故にそれだけ言い残して、そのままホーネットはその横を通り過ぎようとした。

 

「ちょい待ち」

「……どうしました?」

 

 だがその肩をぐっと掴まれて、振り向いた彼女は再びランスと目を合わせる。

 

「お前はこれから出かけるのか」

「えぇ、そう言いましたが」

「ふむ、そうか。だがな、俺様はついさっきこの城に帰ってきたばっかなのだ」

「そうですね。……それが何か?」

 

 ほんの僅かに首を傾げるホーネットをよそに、その男はいけしゃあしゃあと言い放つ。

 

「俺様は長旅から帰ってきた。つまりとっても疲れているのだ。分かるか?」

「……まぁ、それはそうかもしれませんね」

「そうなのだ。だから今日はゆっくり風呂に浸かって体を癒そうと思っていてな」

「……と、言うと……」

「当然風呂はお前と一緒だ。風呂の中でお前にあれこれセクハラしようと考えていたのだ」

「………………」

「俺様のそんな計画がこのままでは台無しになってしまうぞ。一体どう責任とってくれるのじゃ」

「………………」

 

 筋違いも甚だしいような文句をぶつけられ、ホーネットの眉間に小さな皺が寄る。

 それでも以前の彼女であれば、馬鹿馬鹿しい話だと呆れるだけの事だったのだが。

 

「………………」

 

 しかし今の彼女はどうか。

 今のホーネットは呆れるだけに留まらず、その金色の瞳をぎゅっと閉じる。

 

「おぉ、考えとる考えとる」

 

 ランスからそのように言われてしまう程、魔人筆頭は深く頭を悩ませる。

 

 それは理性と感情と表現するべきか。

 自分がすべき事としたい事、相反するその2つが魔人筆頭の頭の中で天秤に掛けられていた。

 

 だが確かに彼の言う通り、長旅から帰ってきた直後であれば相応に疲れてはいるのだろう。

 そしてその旅の目的は魔人討伐。つまり自派閥の為に戦ってくれたという事で、ならば派閥の主としては一応の礼を尽くす必要があるだろう。

 

 と、そんなちょっと言い訳がましいような理由が天秤の片側の皿に乗せられた結果。

 

 

「……今日中には、出発したいのです」

「で?」

「ですから、一時間……いえ、30分だけです」

 

 視線を少し下に下げた、若干の後ろめたさが垣間見える表情でホーネットはそう答えた。

 

「おぉ、マジか、何でも言ってみるもんだな」

「……久しぶり、ですからね」

「しかしホーネットよ。お前って出会った時と比べると随分性格が丸くなったなぁ」

 

 何かあればすぐにキッと睨んでくる、つっけんどんな態度でいた頃とは大違いだ。

 そんな事をランスがしみじみと考えていると、

 

「……誰のせいだと……」

 

 ホーネットにしては本当に珍しく、そんな愚痴っぽい一言を声に出さずして呟く。

 

「っと、30分だったか。なら夕飯なんぞ後だ、すぐにでも風呂に行こう、そうしよう」

「……えぇ」

 

 ランスは魔人筆頭の肩に手を回すと、一秒を惜しむかのように歩き出した。

 

 

 

 

 そして辿り着いた魔王専用の浴室。

 そこにあるのは久しぶりとなる極上の裸体。自分が未だ手を出せていない魔人筆頭の全裸。

 

 久しぶりに見たその身体はやっぱりエロい、手を出せていないという現実が何とも恨めしい。

 いい加減にこいつを抱きたい。しかしどうやって攻めればよいのか。もうちょっとの所まで来ているような気がするのだが、そのちょっとを越える手段が分からない。

 

 そんな事を考えながら交代で互いの身体を洗い、そして熱い湯船の中に身を落として。

 迷宮探索をした時の事など、不在期間が長かった分積もる話も沢山あったのか。

 結局しっかりと一時間、ランスはホーネットとの長湯を楽しんだ。

 

 

 だがそんな逢瀬もそれまで。

 自分の感情側へと大きく傾き掛かっていた天秤、それを魔人筆頭はちゃんと立て直して。

 風呂から上がってすぐに身支度を整え、その後ホーネットは魔王城を出発していった。

 

 

 

(……うーむ)

 

 魔人ホーネット。

 彼女は派閥最強の魔人筆頭として、戦争の初期からその力を出し惜しみ無く振るい続けてきた。

 それは勢力の規模で劣るホーネット派が、今までケイブリス派と拮抗してこられた大きな要因。となると一度戦いが始まってしまうと、基本的に彼女は前線の魔界都市に出撃する事となる。

 

(……駄目だな、これはイカンぞ)

 

 それはランスにとってはあまり宜しくない。

 口説くにしても襲うにしても、張本人が居ない事にはどうしようも無い。アクションが起こせない事には何も進展しようが無い。

 ホーネットが前線に向かった以上、レッドアイの脅威が去るまでは城に戻ってくる事は無い。言い換えるとレッドアイの脅威が去るまでホーネットとのセックスが叶う事は無い。

 

(んなもんを待つのは退屈だし、それに……)

 

「………………」

 

 先程魔人筆頭との混浴を終え、そして夕食を食べ終わって部屋に戻ってきたランス。

 ソファに掛けて考え事をしていた彼の目付きが、徐々に険しいものへと変化していく。

 

 狂気の魔人レッドアイ。

 自分にとっての最大の目標、ホーネットとのセックスを邪魔している障害。そしてなにより。

 

「……ちっ」

 

 思わず舌打ちをしたランス、その頭の中で思い起こされるは先の戦闘。

 彼にはあの戦闘の最中で抱いたまま、一日掛けてこの城に戻ってきた今でも全く薄れていない強烈な感情がある。

 基本的にランスはそれをそのままにはしない。何故ならそれを解消する手段を、一番てっとり早い方法を知っているからである。

 

 つまり、やられたらやり返す。

 

 

「……うむ。やっぱあのキチガイ目玉はぶっ殺すしかねぇな。んじゃ早速作戦会議といくか」

 

 膝を叩いてソファから立ち上がると、そのまま自室を後にする。

 そうしてランスが向かったのはウルザの部屋、何かと頼りになる軍師の部屋だった。

 

 

 

 

 



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魔人レッドアイ討伐作戦

 

 

 

 

「つー訳でだウルザちゃん。あの目玉野郎をぶっ殺すグッドな作戦を考えてくれ」

「……いきなりやってきたと思えば、本当にいきなりな事を言いますね」

 

 ドアを開くなり開口一番言い放ったランスに向けて、部屋主は頭が痛そうな表情で答える。

 

 時刻は夜。そこはウルザの部屋。

 こうしてその部屋を訪れたランスの目的、それは魔人討伐に関しての作戦会議をする為である。

 

「作戦会議に必要なものと言えば軍師。となればウルザちゃん、君の出番だろう」

「それは構わないのですが……ランスさん、その目玉野郎と言うのは?」

「目玉野郎ってのは魔人レッドアイの事だ。今回のターゲットはヤツに決定じゃ」

 

 今ランスが一番ぶっ潰したいと思う相手、ケイブリス派に属する狂気の魔人レッドアイ。

 その名を耳にしたウルザは、あぁ、と呟き、つい先程夕食の時間にした会話を思い出す。

 

「そう言えばシィルさんから聞きましたよ。偶然にも魔人レッドアイと遭遇してしまい戦う事になったそうですね」

「お、さすがに耳が早いな」

「私が見た所シィルさんは無事のようでしたが、ランスさんは怪我など無かったのですか?」

「ん? ……まぁな。俺様はこの通りピンピンしているぞ。別に大した相手ではなかったな」

 

 自分の無事を尋ねる軍師の言葉に、さも平然とした様子で答えるランス。

 だが今の会話で先の戦闘の事を思い出したのか、

 

「………………」

「……ランスさん?」

 

 その表情の変化に気付いたウルザが、思わず様子を伺うように声を掛けてしまう程。

 その胸中では怒りの炎と言うべきものががめらめらと燃え上がり、その頭の中では、

 

(……レッドアイめ。絶対に許さんからな……!)

 

 などとそんな事を考え中で。

 今ランスはとにかくむかっ腹を立てていた。

 怒りの矛先は勿論あの魔人。闘神の首元に寄生して耳障りな声でケタケタと笑う紫色の目玉。

 

 こうしてレッドアイが動き出した事で、ホーネットは魔王城を離れる事となった。つまり念願となる魔人筆頭とのセックスは更に遠のいた。

 それも大層ムカつくのだが、何よりもランスがイラつくのは先の戦闘で起きた全てに対して。

 

 なにせあの戦闘では全く良い所がなかった。ランスは魔人レッドアイに対してロクなダメージ一つ与える事が出来なかった。

 あの魔人が操る闘神Γ、あの鉄の拳に思いっきりぶん殴られた一撃。あれのお返しを食らわせる事も出来ずに、戦闘の殆どをシルキィに守られてやり過ごしていただけ。

 英雄たる自分がてんで活躍出来なかったあの一件は、彼のプライドに大きな傷を残していた。

 

(あの目玉だけはもうぜーったいに許してやらん。思えば前回の時もそうだったが、余程ヤツはこの俺様にぶっ殺されたいらしいな)

 

 前回の第二次魔人戦争。その最中にもあの魔人には一度辛酸を嘗めさせられている。

 あの時もかなりドタマに来たものだが、今回の怒りだって相当なもの。

 あの憎き目玉だけは自分の手で討伐する。でないとランスの怒りは到底収まりそうになかった。

 

「……まぁとにかくだ。俺様はレッドアイをぶっ殺す事に決めたのだ。つー訳でウルザちゃん、いっちょ作戦を考えてくれ。手っ取り早くぱぱっと退治出来るような方法で頼むな」

「……そう出来ればとは思いますが、けれど私は魔人レッドアイを見た事もありませんから……」

「見た事が無いっつってもウルザちゃんの事だし、すでに調べてはいるんだろ?」

「それは勿論。ただ……」

 

 神妙な表情で呟いたウルザは、机の引き出しから紙の資料を取り出す。

 そしてソファに掛けていたランスの隣に腰を下ろすと、その紙束をパラパラと捲りだす。

 

「調べて分かった事と言えば、魔人レッドアイはケイブリス派の中でも屈指の実力者であるという事、これまでホーネットさんが何度か戦っても倒せていない相手だという事、それくらいですね」

 

 ホーネット派の主、魔人筆頭であるホーネットですらも引き分けるような相手。

 そんな相手を討伐するのはとても困難な事であると、ウルザはその表情で物語っていた。

 

「ホーネット派はこれから前線に兵を送って、今後の魔人レッドアイの侵攻に備えるそうです。となればやはりそちらと協力し合って討伐するのが一番だと思いますが」

「それは俺も少し考えたのだがな、それだと時間が掛かりそうだからパス。俺様はもっとサクッと殺りたい、あんなキチガイ如きに無駄な時間を掛けたくないのじゃ」

「……とは言いますがランスさん、だからと言ってそんな簡単な方法があるかと言うと……」

 

 手間暇掛けずに魔人を簡単に倒す方法。

 ランスからのそんな無茶振りを受けて、ウルザは顎に手を当てて考えを巡らせる。

 

「……魔人レッドアイ、ですか。そういえばゼスの方にも少しは資料がありましたけどね」

「ほー、どんな内容だ?」

「大したものではありませんよ。ゼスの魔法使い達が束になっても敵わないような桁外れの魔力と寄生能力を持つ、最も警戒すべき魔人の一体だと書かれていました」

 

 宝石の魔人レッドアイ。寄生能力を持つその魔人は殺戮を趣味としており、ウルザの自国であるゼス王国も過去に相当な被害を受けている。

 その時は勇者の力を借りてどうにか撃退したそうだが、しかし勇者の力を借りても撃退が精一杯な相手を楽に倒す方法など、ここで考えた所で答えが見つかるようなものでは無いのでは。

 内心そう思わないでも無かったが、それでも彼女はランスからの要望に応えようと、律儀にもその思考を回し続けた結果。

 

 

「……そう言えば」

 

 やがてちょっとした思い付きが頭に浮かび、軽く伏せていたその顔を上げた。

 

「ランスさんは過去に戻る前、以前に一度魔人レッドアイを倒しているのですよね? その時はどのような方法で勝利したのですか?」

「……あー。そーいやぁウルザちゃんにはその話をしたんだっけか」

 

 言われてランスも今更のように思い出したが、確かにウルザはその秘密を知っている。

 ランスが諸事情により過去に戻ってきた事、その話を打ち明けた唯一の相手となる。

 

「ふむ。ならば君はこの俺が奴を倒した時の話、英雄の大活躍の一端を聞きたいという事かね?」

「えぇ、是非。きっと参考になると思いますから」

「ふふん、よーしよし。そういう事なら幾らでも話してやろうじゃないか」

 

 聞きたいと言うなら語るに是非も無し。

 いざお得意の自慢話をしようと、気分良く喋り始めようとしたランスだったが、

 

「……ただなぁ」

 

 すぐに何やら難しい表情へと変わる。

 

 ランスは前回の時に魔人討伐隊を率いてレッドアイと戦い、そして見事勝利している。

 その時の戦い方、その成功体験などは今回戦う上でも有益な情報となる事は間違いない。

 なのだが、しかしそれは相手が前回の時と同じ状態、同じ状況にあるのが望ましい事であって。

 

「実は一つだけ問題があってな。前と今とではヤツが寄生しているものが違っていたのだ」

「……シィルさんから聞きましたが、魔人レッドアイは闘神に寄生していたそうですね。それがランスさんの討伐した時とは異なるという事ですか?」

「そーいう事だ、理由は分からんがな。俺様が知っている限りではな、あの目玉野郎は最初アニスに寄生してやがったんだ」

「……え」

 

 その言葉に、ウルザはほんの一瞬だけきょとんとした顔になって。

 

「アニス、って……まさかあのアニスですか?」

「おう。君もよく知っているあのアニスだとも」

 

 あのアニス。それはウルザの自国であるゼス王国に所属する魔法使い、アニス・沢渡。

 その魔法の才は魔法王国ゼスにおいても一番、伝説級の域であり魔人レッドアイと同じくLV3。

 だが厄介な事に当の本人は実にポンコツ。考えなしに駆使する魔法は時に味方をも巻き込み、「味方殺しのアニス」などと言う恐ろしい威名で呼ばれている女性である。

 

「アニスが魔人レッドアイに寄生されるとは……それはまた何と言うか……大変でしたね」

「おう。あん時は大変だった、ホントーに大変だったぞ。つーかこの俺が居なかったらアニスが原因で人間世界が滅んでいたかもしれんぞ」

「そんな笑えない冗談を……と言いたい所ですが、あのアニスがレッドアイに寄生されたとなってはその可能性も否定し辛いですね」

 

 知らぬ世界、知らぬ時間軸の話とはいえ、その状況を想像してみると気が気ではないのか、ウルザはなんとも難しそうな表情で呟く。

 そんな人間世界を滅ぼしかねない危険な存在、アニスに寄生した魔人レッドアイ。

 魔法LV3のタッグという強烈な相手であったが、その時のランスはある女性の力を借りる事で見事それに打ち勝った。

 

「ただあん時はリズナが居たから何とかなったが、あの方法は今回だとちょっとなぁ……」

 

 その女性の名はリズナ・ランフビット。

 桁外れの魔法抵抗力を持つ人物であり、魔法使い相手にはまさに鉄壁の盾となる。

 彼女に敵の強烈な魔法攻撃を防いで貰う事で、前回ランスはレッドアイとの初戦を勝利で飾ったのだが、その戦法は物理攻撃に乏しいアニスとレッドアイ相手だから通用した戦法であって、まさかリズナを闘神Γの前で盾にする訳にもいかない。

 

「……でまぁ、そんな感じで一度ヤツを倒してだ。その次が確か……ぽ、と……ポットン? とか言う魔物に寄生していたはず」

「……ポットン?」

「……違うか? いやでもそんな感じの名前だったはずだ。なんかこうデカくてだな、んでムキムキでもの凄いパワーの魔物だった」

 

 正しくはポットンでは無くトッポス。前回のレッドアイがアニスの次に寄生した相手。

 魔物の森に棲む温厚な性格の魔物であるが、その力強さや耐久力は並外れており、近接戦闘での脅威度は闘神と変わらないようなものである。

 

「ポットン……どうやら私の知らない魔物のようですが、その時はどのように戦ったのですか?」

「あー、確かあん時はランス城に攻め込まれてて~……んで一回目は、……じゃなくて」

 

 一回目は負けた。

 と口走りそうになってしまい、ランスは危うくその言葉を飲み込む。

 

「……えっと~……あそうだ、思い出した、あれだあれ。あの~……あのデカいヤツ」

「デカいヤツ……と言うのは?」

「ほれ、確かゼスのどっかの博物館にデッカい闘神があったろ? あれを使ったんだ」

「……ゼスの? ……まさかそれって、ラグナロックアークの王立博物館に展示されている闘神Ζ《ゼータ》の事ですか?」

「そうそう、それそれ」

 

 トッポスに寄生した魔人レッドアイ。一度目は手痛い敗北を喫した相手であるが、ランスは闘神Ζを利用する事でそれに打ち勝った。

 それは彼が考えた作戦という訳では無く、突然降って湧いたような出来事だったのだが、とはいえそれでも勝利は勝利である。

 

「しかし闘神Ζとは……確かに利用出来るのなら強力な代物ですが、あれを動かせたのですか?」

 

 不審げに首を傾げるウルザ。彼女の知る限りでは闘神Ζは完全に機能停止している。

 だからこその展示物なのであり、それをどうやって動かして戦争に利用したのか。ウルザにとっては内心かなり興味を引かれる話だったのだが、

 

「動かせた……みたいだな。ぶっちゃけ俺様も詳しくは覚えとらんが」

 

 そこら辺の小難しい話はすでに記憶から薄れかけているのか、ランスはぽりぽりと頭を掻く。

 

「確かあれは~……なんだったかな~……なんかいきなり空から落ちてきて……あーそうだ思い出した、あいつだ、パットンだ」

「パットンさんですか?」

「そ。なんかよく分かんねーが、パットンのやつがあれこれ上手い事やって動かしたらしい」

「そうですか……でしたら一度パットンさんに連絡を取ってみましょうか。パットンさんならこちらの事情を話せば協力してくれるかもしれませんし」

 

 パットン・ミスナルジ。その男とは以前ゼスで起きた騒動の時に共に戦った間柄。

 知らぬ仲では無いし、今自分達がホーネット派に協力している事情を説明すれば、パットンならきっと二つ返事で協力してくれるだろうと、ウルザは早速とばかりにソファから立ち上がろうとした。

 

 だが。

 

 

「え~……、やだ。それはパス」

「………………」

 

 すぐ隣から聞こえてきた本当に嫌そうな声に、彼女はぴたっとその動きを止めた。

 

「……ランスさん。何故パスなのか、その理由を伺っても宜しいですか?」

「だって~、あいつって男だし~、俺様のパーティに野郎はいらんっていうか~」

「……そんな事を言っている場合ですか?」

「それにここでヤツに連絡を取るという事はだな、あの筋肉だるまの手を借りんとレッドアイに勝てないと宣言するようなものではないか。それはスゴくムカつくからやだ」

 

 たかが魔人レッドアイ如き、パットンなんぞに協力を頼まんでも退治してみせる。

 そんな見えっ張りな思考、つまりはランスのプライドの問題。とはいえ自尊心の強い彼にとってはとても切実な問題である。

 

「……しかしランスさん、パットンさんの協力が無いと闘神Ζは動かせないと思いますよ? それとも闘神Ζに頼らないで魔人レッドアイを倒す方法があるのですか?」

「ある! ……はずだ。それを今から考えるのだ」

「……先程も言いましたが、魔人に楽に勝つ方法となると……。相手が闘神に寄生していると言うのなら、こちらも闘神を利用するのは悪い手では無いと思いますが」

「……うーむ、けどなぁ……」

 

 敵は闘神Γに寄生した魔人レッドアイ。

 遠距離と近距離双方で高い攻撃力を有し、攻守共に隙の無い強敵。

 

「……うぬぬぬぬ~~……」

 

 そんな相手を倒す方法など、こうしてランスが唸る程に考えてみても簡単には思い付かない。

 そもそもそれはランスとウルザだけではなく、今までホーネット派の面々が幾度と頭を悩ませ、しかし答えを出せなかった問題である。

 そんな難問をその後しばらく考えていたのだが、やがて集中力が途切れ始めたのか。

 

「……うーむ」

 

 その男の視線はすぐ隣、その女性の胸元付近へと向き始めた。

 

「……あそうだ。ウルザちゃんがおっぱい揉ませてくれたら何か思い付くかもしれん」

「………………」

 

 そしてランスが呟いたそんな言葉に、その軍師の眉がぴくんと動く。

 

「……ランスさんが何かを思い付く事と、私の胸に一体何の関係があるのですか?」

「それはほれ、ウルザちゃんのおっぱいをもみもみするだろ? すると俺様の桃色の脳細胞が元気になる事によってだな……」

「成る程。要は頭に刺激が欲しいという事ですね。でしたらこちらはいかがですか?」

 

 ウルザはランスに見せつけるかのように、その右手を握り拳にして持ち上げる。

 

「……いやいい、それはいらん」

 

 その拳骨の痛みを思い出したのか、ランスは首を左右に振る。

 

「そうですか。では真面目に考えましょう」

「うむ、そうしよう」

 

 ほんの一時、ほんの些細な冗談を挟んで、二人の頭は元の思考へと戻る。

 ……はずだったのだが、どうやらランスにとっては一時の冗談などでは無かったらしく、ウルザがその危険な右手を膝の上に戻したその瞬間。

 

「……なーんちゃってスキありーー!!」

 

 その俊敏さはさすがにレベル60超えか。

 ランスは驚異的な速度で隣に座る女性の身体に抱きつき、その胸元へ顔から突っ込んだ。

 

「ウルザちゃんのおっぱいゲーット! すりすりーっと!」

「っ、この……!」

 

 自分の胸を顔全体で存分に味わうランス。

 その頭頂部目掛けて、ウルザは今度こそと再び持ち上げた拳骨を振り下ろそうとした。しかし。

 

 

「あ、思い出した」

「え?」

「そうだ、思い出したぞウルザちゃん」

 

 ぴっちりと着込んたタイトなスーツ。その上からでも分かるウルザのおっぱいの柔らかさ。

 それを味わった事によりランスの脳細胞が本当に活性化したのか、今の今まですっかり忘れていたある事を思い出した。

 

「……何を思い出したのですか?」

 

 振り上げた拳の落とし所を見失い、ゆっくりと右手を下げるウルザの一方、

 

「いやな、別にあの目玉を退治する方法とかってんじゃねーんだけどな。そういやぁロナはどっかにいんのかなーと思ってよ」

 

 ランスが口にしたのはそんな疑問。

 前回の時に出会ったとある少女の行方について。

 

「ロナ?」

「うむ。あの目玉をぶっ殺した時にな、ビスケッタさんが保護してきた女の子が居たのだ」

「女の子……それは人間という事ですか?」

「そ、人間の女の子だ。結構可愛い顔をしていたのだぞ、まぁまだ俺様の射程範囲外だったから手を出してはいなかったのだが……」

 

 ロナ・ケスチナ。

 魔人レッドアイの本体となる宝石、その魔法具を造り出したケスチナ家の末裔たる少女。

 

 創作者の血を受け継ぐロナには、魔人レッドアイの生死にも関わる重大な秘密がある。

 だがそれはあくまで秘密。そこら辺の事情に関してランスは前回の時に聞き及んではいない。

 故にロナがレッドアイにとっての最大の弱点だという事は、この時知りもしなかったのだが。

 

「あいつを保護した時には体中ガリガリの痩せっぽちでな。聞けばなんでもレッドアイの奴に長い間虐待されていたらしい」

「……その話が本当だとすると、今この時もレッドアイの下に居る可能性はありますね」

「まーそーなるな。……考えてみりゃあロナは我がランス城の大事なメイドだ、あんな目玉野郎に預けておく訳にはいかん」

 

 それは単に可愛い女の子限定の博愛主義。自分が将来抱く予定の少女を失いたくないが為。

 そんな理由ではあるのだが、ランスは偶然にも魔人レッドアイの急所を突こうとしていた。

 

「ウルザちゃん、なんか良い方法はねーか」

「そうですね……」

 

 目的語の欠けた要求であったが、ウルザはその意図を正確に察知して思考を巡らせる。

 ランスのそういった一面、酷い目にあっている女性がいたら進んで動く性格だという事は彼女も理解しており、となれば軍師として自分が考えるべき事も自ずと見えてくる。

 

「……救出するにせよなんにせよ、まずはロナさんの現在地を知る必要がありますね」

「……現在地か。確かにそりゃそーだ。ぶっちゃけ今ロナがレッドアイの所に居るかどうかも実際分からねーしな」

 

 ランスにとっての前回がそうだったからと言って、しかし今回もそうだとは限らない。

 それは今のレッドアイが寄生している対象、その違いからも明らかな事で。

 

「えぇ。ですのでランスさん、少し時間を下さい。ロナさんの事に関して調べてきますね」

「ん、頼むな」

 

 こうして二人の作戦会議は一時中断。

 ロナという少女の調査の為、そのままウルザは足早に自分の部屋を後にして。

 

 

 

 

 

 

 そしてそれから二日後。

 ウルザはランスの部屋を訪れた。

 

「お待たせしましたランスさん。ロナという少女の事に関して、少し分かった事があります」

「おぉ、さすがウルザちゃん、仕事が早いな」

 

 頼れる軍師に称賛の言葉を送ると、ランスは寝そべっていたソファから身体を起こす。

 

「んで、どーだった?」

「あれから魔王城内を聞いて回ったのですが、ロナという女の子の事を知っている魔物は中々見当たりませんでしたね。ですが唯一、メガラスさんから有益な話を聞く事が出来ました」

「メガラスって……あの無口なヤツか」

「はい。以前メガラスさんがケイブリス派陣内を偵察していた時、レッドアイの配下と思わしき魔物の一団を見つけたそうでして、その中にボロボロの格好をした人間の少女を見た覚えがあるそうです」

 

 以前に魔人メガラスが索敵中に発見した人間、ロナ・ケスチナと思わしき少女。

 そんな調査報告を聞いたランスは憮然とした表情で口を開く。

 

「……ぬぅ、やっぱしロナは居たか」

「えぇ、どうやらそのようです」

「んでやっぱしボロボロか。となるとあんまし放っとく訳にもいかねぇな」

「ですね。魔人レッドアイの討伐よりもまずそっちを優先した方が良いと思います」

 

 今もロナは魔人レッドアイの支配の下、日常的に虐待を受けている。そう考えるとあまり気分が良いものでは無く、このまま放置しておけば万が一の事態が無いとも限らない。

 魔人討伐も結構だが、しかしそれよりも何よりも女の子の命が大事。それがランスにとっての当たり前だと言う事はウルザも理解していた。

 

「……ただ、ロナさんの現在地まではまだ分かっていません。どうやら魔人レッドアイは彼女を戦場には連れてこないらしく、自身が戦っている時はどこか別の場所に置いているようですね」

「……言われてみると確かに、この前あの目玉と戦った時も近くにロナは居なかったな」

「一応ロナさんの事はメガラスさん達飛行部隊に捜索をお願いしたので、発見可能な範囲に居たなら近い内に見つかるかと思いますが……仮に発見出来たとして問題は如何にして救出するか、ですね」

「……ふーむ」

 

 頭の中に全身痩せこけた少女の姿を思い出しながら、ランスは思案げに顎を擦る。

 この魔物界の何処かに居るはずのロナの救出。それは魔人レッドアイの討伐に比べればまだ容易と言えるが、しかし決して簡単とは言えない問題。

 

「ウルザちゃん。君の想像だとロナはどこら辺に居ると思う?」

「そうですね……さすがにホーネット派の支配圏と言う事は無いでしょうし、やはりケイブリス派の支配圏である魔物界南部の何処か。場合によっては辿り着く事すら困難かもしれませんね、聞けばカスケード・バウから先にはランスさんでも進む事は出来なかったそうですし」

「その話は……まぁ、置いといてだな」

 

 すっと顔を横に逸らすランスだったが、身を以て知った分その事は深く実感していた。

 仮にロナがケイブリス派支配圏奥深くに居るとしたら、そこまで到達するのがまず難関。それこそ敵の本拠地タンザモンザツリーなんかに居るとしたらもうお手上げに近い。

 そして仮にロナの居場所まで到達したとしても、その周囲に居るのは魔物兵か、あるいは魔人レッドアイもそばに居るのか。それによっても難易度が一気に変わる不確定要素の多い作戦となる。

 

「……ぬぅ。出来るだけ楽チンに済ませたいのだが、中々それも難しそうだなぁ」

「……楽に時間を掛けないという方針でしたら、一つだけ思い付く事があるのですが」

「おぉっ、何かグッドな方法があるのか?」

 

 さっすがウルザちゃん、頼りになるなぁとランスは期待に目の色を変える。

 ウルザはロナに関しての調査を終えてすぐ、その頭の中に一つの作戦案が、いや作戦と言う程でもないとても簡単な解決策を思い付いていた。

 

「先程も言いましたが、現在メガラスさん達がロナさんの事を捜索してくれています。ですので彼等がロナさんを発見したとしたら、そのまま彼等に救出もお願いするというのは如何でしょうか」

 

 その解決策、それは魔人メガラスに任せる事。

 

「……む」

「どうでしょう、簡単と言うならこれ以上は無いと思いますが」

「それは……いや、でも……」

 

 その案を聞いたランスはすぐに眉根を寄せて、とても難しい顔になって、うーむ、と唸る。

 事が将来抱く予定の女に関わる問題だけに、ここであまり男の手は借りたくない。だが確かにそれが一番楽で手っ取り早い方法のようには思える。

 なにせあの無口な魔人が空を飛ぶ速度は速い、尋常ではなく速い。ぴゅーと遠方から一気に近付いてロナを救出して即離脱、そんな芸当もメガラスであれば容易に実行可能だろう。

 

「……確かにな。ここはあいつを使っちまうのが一番確実かもしれんな」

「えぇ。メガラスさんであれば何と言っても魔人ですし、仮に魔人レッドアイが居たとしてもある程度は戦えるはずですからね」

「……ふーむ」

 

 さすがに優秀なウルザが考えた作戦だけあって、そこには欠点らしき欠点が無い。

 今も安否が気に掛かるロナの事を思えば、それがベターと言うべき選択肢だろうか。そう考えたランスであったが、

 

「……むむむ」

 

 しかし更にその上はないのか。

 この状況下で選びうる、ベストな選択肢は他に無いのだろうかと考えた結果。

 

 

「……ん?」

 

 それはランスが時々発揮する才覚。

 土壇場での並外れた閃き、このランスという男を英雄たらしめる所以の一つ。

 

 救出対象はか弱き人間の少女、ロナ・ケスチナ。

 そして相手は言うまでもなく強敵、闘神Γに寄生している魔人レッドアイ。

 前回の時も闘神Ζの助太刀が無かったら勝てなかったように、まともに戦うなら勝機は薄い。

 唯一弱点があるとするならば、その強力無比な攻撃力と比較して魔人レッドアイ本体の防御力は皆無に等しい所ぐらいか。

 

 そんな事を頭の中で考えていると、次第に浮かび上がってくるものがあって。

 

 

「……あ、そうだ」

 

 この状況下で選びうる、一番ベストな選択肢。

 その事に思い至ってしまったランスは、

 

「……ふっ」

 

 とカッコつけるかのようにニヒルに笑い、その顔をすぐ隣に居る女性へと向けた。

 

「……時にウルザちゃん。一つ聞きたいのだが」

「なんですか?」

「ここであの無口野郎に頼らずとも実行可能な、もっと素晴らしいロナの救出方法を閃くヤツが居たとしたらだ、そいつはもう天才だと思わないか?」

 

 ランスがそんな事を言い出すので、

 

「……その口ぶりだと、そんな天才であるランスさんは何か閃いたという事ですか?」

 

 ウルザはあえて乗っかってあげた。

 なのですぐにも『その通り! 俺様は天才だから閃いてしまったのだ!』みたいなセリフが聞こえてくるかと思ったのだが。

 

「いんや。別にそんな事は閃いちゃいないぞ」

「え?」

 

 続くランスの言葉を受けて、彼女は肩透かしを食らったような気分になる。

 

「うむ。そんな事は閃いちゃいない。だって別に俺様は天才じゃないからな」

「……はぁ」

 

 それはとてもプライドが高く、何より自信家なランスの口から出たとは思えない言葉。

 思わずウルザは我が耳を疑ってしまったのだが、そこでランスは口元をにぃと曲げる。

 

「そう。俺は天才などではない。俺は天才じゃなくて天才の上を行く超天才なのだ。知ってたか? もちろん知ってたよな?」

「……あの、ランスさん、何を仰りたいのかがよく分からないのですが」

「つまりだな、ちょー天才であるこの俺様は、それ以上の事を閃いてしまったという訳だ」

「それ以上の事、ですか?」

 

 不可解そうな顔で首を傾げるウルザに向けて。

 ランスはそれはもう自信満々な、とても勝ち気な笑みを見せた。

 

「そうだ。単にロナを救出するだけじゃない、そのついでにあの目玉野郎もサクッとぶっ殺す、そんなスペシャルな作戦を閃いてしまったのだよ」

 

 

 敵は狂気の魔人レッドアイ。

 ケイブリス派屈指の実力者であり、魔人筆頭たるホーネットでさえも引き分けるような相手。

 だがその強大な力を無力化する方法があれば。それさえ叶えばロナを救出する事だって、そのついでにレッドアイを討伐する事だって可能となる。

 

 それは前回の時には闘神Ζが担ってくれた役目。

 だが闘神Ζよりももっと強力であって、そしてもっと確実な方法。

 そんな最強とも言えるカード、それが元々自分の手の中にあった事をランスは思い出した。

 

「さてと、んじゃ明日にでも会いに行くか。ウルザちゃんは引き続きロナの捜索を続けてくれ」

 

 それはこの魔王城には居ないあの魔人、ホーネット派ではないあの魔人。

 四六時中厚着をしていて、近付くと眠たくなってしまうあの魔人の存在であった。 

 

 

 

 

 

 



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魔人レッドアイ討伐作戦②

 

 

 

 

 森を切り拓いて出来た一本道。 

 危険な魔界植物を根こそぎ取り除き、安全に通れるようになった道をランスが進む。

 

「しっかしまぁ、相変わらず奇妙な森だ」

 

 両側に見えるは捻じくれた蔓に発光する花など、魔物界の森ならではとなる極彩色の光景。

 この景色を見ながらこの道を歩くのも思えば久しぶりの事。以前ここを通ったのは迷宮探索に熱中する前の事になるので、もう一ヶ月以上振りになるのだろうか。

 とそんな事を考えながら、深い森の奥へと進んでいたランスであったが。

 

 

「……くっくっく」

 

 ふいに抑えきれないような忍び笑いを漏らし、その口元をニヤリと曲げる。

 

「……待ってろよぉ~、キチガイ目玉野郎。お前の命日はすぐそこだからな、ぐふふふ……!」

 

 キチガイ目玉野郎こと魔人レッドアイ。ケイブリス派に属する宝石の魔人。

 その死期を予告するランスはとても上機嫌、その笑みには絶対の自信が宿っている。

 その自信の根源、それは彼が閃いた会心のアイディア、作り上げた完璧な作戦によるもの。

 

 

 ランスが城に戻ってきてすぐの事。軍師であるウルザとレッドアイ討伐の作戦会議を行った。

 その話し合いの途中でふと思い出した。レッドアイの下には人間の少女、ロナ・ケスチナが捕われており、それは将来自分が美味しくいただく予定のメイドの一人。

 そんな少女を敵に預けておく訳にはいかんと、ランスはまずロナの救出を優先する事にした。

 

 そしてウルザと二人、どうやってロナを救出するべきかと頭を悩ませていたその時、ランスの脳内にピカーンと電球が灯り、とても素晴らしいアイディアが閃いた。

 それはロナの事を楽々救出可能で、かつそのついで魔人レッドアイも楽々討伐出来る、そんな一石二鳥で夢のような作戦である。

 

 

「あいつを助け出してキチガイ目玉もぶっ殺す。こんなナイスな計画を立ててしまうとは、常々思っていた事だが俺様ってばなんて天才なのだろう。……なぁ、君もそう思わんか?」

 

 この作戦を実行するに当たって、重要となるピースが2つ程存在している。

 その内の一つが今ランスの隣に居る女性、こうして一緒に森の中を歩いているその魔人。

 

「……そうかもね」

 

 それが魔人シルキィ。ホーネット派に所属している魔人四天王。

 彼女のその堅甲な防御力、それを支える魔法具の装甲と彼女自身の我慢強さ。それが今回の作戦で必要となるピースの一つとなる。

 

「けど私ね、この前と違って今は忙しいのよ。あまり変な事に付き合っている場合じゃ……」

「忙しいってのはあれだろ? あの目玉野郎に備える為の準備があるってんだろ? けどそんな必要は無い、あいつは俺様がぶっ殺すからな。その為に君の力が必要になるってんだからつべこべ言わずに付いてこい」

 

 今より数時間前、シルキィは自分の部屋に居た。

 戦争の機運が高まり始めた事もあってか、早々に次なる戦いの準備をするべしと、彼女はレッドアイとの戦闘で破損してしまった装甲を急ぎ修理していた所、あえなくランスに捕まってしまった。

 そこでこの作戦の全容を聞かされ、事はついでだからと有無を言わさず連れられ今に至る……という流れである。

 

「……まぁ確かにね。ランスさんの考えた作戦の出来自体は悪くないものだと思うわ」

「だろ?」

「うん。……ただ正直に言わせてもらうと、あまり気が乗らない作戦なんだけどね」

 

 そう言って、はぁ、と溜息を吐くシルキィ。

 先程から浮かない表情をしており、ランスに嫌々付き合っているのが丸わかりである。

 

「気が乗らんとはなんだ。さっき事情は全部話してやっただろ?」

「……ロナさん、だっけ?」

「そう。あの目玉野郎の所には俺様のメイドが捕まっているのだ。君はロナを助けてやろうとは思わんのか? あいつはまだ幼い少女なのだぞ?」

「そりゃあ私だって、助けてあげたいけど……」

 

 ランスからの批難めいた言い分に対し、シルキィは複雑な表情で答える。

 彼女は人間を守る為に魔人となり、今もその願いを抱き続けている心優しき魔人。

 凶悪な魔人に捕われている人間が居るのなら、すぐにでも助け出してあげたいと思っている。

 

「……けどねぇ」

 

 しかしそれでもシルキィの気が乗らない理由。

 それはこの作戦を実現する上での重要なピース、その2つ目の方にある。

 この作戦においての肝心要と言える存在、ホーネット派に属しないあの魔人がその理由。

 

「いくら何でも、ワーグの力を借りちゃうのはさすがに反則じゃないの?」

 

 それが魔人ワーグ。二人が今向かっている先、森を越えた先にある小さな一軒家に住む魔人。

 ランスが閃いたアイディア、それは魔人ワーグに協力してもらうという方法である。

 

「確かに反則かもしれんな。なんせあいつの能力の効き目は反則な位にヤバい。あの眠気の前ではケイブリス派の奴らだって抗えんだろう」

「……まぁ、それはそうでしょうね」

「だろ? だろだろ? あいつの力を借りちまえばロナの救出なんて楽チンだろう?」

 

 不承不承と言った感じのシルキィの一方、ランスは実に得意げな様子で答える。

 

 魔人ワーグが有する能力。あらゆる生き物を眠らせる魔性の香り『夢匂』。

 その効果範囲は軽く都市一つ分に及び、彼女の周辺一帯全ての生物を眠らせてしまえる。

 故にその力があれば人質救出など容易い事。仮にロナが何処に捕われていようと、周囲にどれだけの敵がいようとも、ワーグならば軽く散歩するようなノリで楽々連れ帰ってくる事が可能である。

 

「それにこの作戦の素晴らしい点はそれだけじゃない。この方法ならあのキチガイ目玉だって楽チンで殺せるからな。ヤツが眠っている所に一発ランスアタックをかませばそれで試合終了じゃ」

 

 それに加えていくら魔人レッドアイと言えども、寝ている間なら自慢の魔法だって使えないし、寄生している闘神Γを操る事だって出来ない。

 あの赤い瞳が睡魔によって閉じている間ならば、魔剣の一撃で容易く退治する事が可能である。

 

 とこのようにロナを救出する事もレッドアイを討伐する事も、ワーグの協力さえあればどちらも簡単に解決する事が出来るのである。

 

 

「ふふん、ちょー天才の俺様にしか思い付かん、スペシャルでカンペキな作戦だろう?」

「……確かに成功確率の高い作戦だとは思うわ。……でも」

 

 その作戦の有用性は認めつつも、しかし相変わらずシルキィは難しい表情。

 彼女にはランスから聞いたその作戦に関して、引っ掛かってしまう点が2つ程存在していた。

 

「いくら相手がレッドアイだからって、寝ている所を仕掛けるのは卑怯過ぎるような気が……」

 

 その一つが作戦自体の正当性。シルキィはとても真面目な性格であり、派閥の主に負けず劣らず正々堂々を好む性格。

 そんな彼女にとって、ワーグの能力を利用して敵を無防備にして討伐する、そんな作戦はあまりにもズルすぎてさすがに抵抗感があるらしい。

 

「甘い甘い、甘すぎるぞシルキィちゃん。これは戦争なのだ、戦争なんてのは卑怯だろうが何だろうが勝ちゃあいいのだ」

 

 しかしランスにとってはそうでは無い。

 勝つ為ならば卑怯と言われようが何のその。勝つ為ならばゴールデンハニーの死体の中にだって隠れてみせる、それがランスという男である。

 

「……まぁね。私だってどうしても許容できない訳ではないのよ。かなりズルいとは思うけど、それでもこの戦いには絶対に勝たなきゃならないからね。平和を守る為には仕方無い事もあると思うし」

「ならシルキィちゃん、君は一体何がそんなにも気に食わんというのだ」

「私が納得できないのはワーグの事よ」

「ワーグの事?」

 

 オウム返しに尋ねるランスに向けて、シルキィは真面目な表情で「えぇ」と呟く。

 彼女が引っ掛かっていた2つ目の理由、それはその作戦を実行する事に関しての正当性。

 

「……ランスさんは知っていると思うけど、私は前にワーグと戦う事になったでしょう?」

 

 今より三ヶ月程前、シルキィはその当時ケイブリス派に属していた魔人ワーグと対峙した。

 そして彼女の説得により心を動かされ、ワーグは派閥戦争からリタイアする運びとなった。

 

「……その時あの子に言ったの。貴女が戦う必要は無いからって、ホーネット派に協力する必要は無いからって、そう言ってあの子を説得したの。だからあの子の力は借りたくないのよ」

 

 これじゃあ私が嘘吐きになっちゃうじゃないの。とシルキィは不満げに唇を尖らせる。

 

「ふむふむ、なるほどなるほど。君の言いたい事はよく分かるぞ」

「だったら……」

「けどそれは君の話であってだな、別に俺様はワーグとそんな約束した覚えは無いからな。俺があいつに協力を頼む分には何も問題無いだろう」

「そ、れはそうだけど……うう~ん……」

 

 その屁理屈に納得させられたような、しかしそれでも納得出来ないような。

 なんとも悩ましい表情で唸るシルキィだったが、彼女が気掛かりなのはそれだけじゃなく、今現在ワーグが置かれている状況も問題である。

 

「……それにねランスさん、あの子は今ケイブリス派から身を隠しているのよ? それなのにここであの子を矢面に立たせちゃったら台無しになっちゃうじゃないの」

「だいじょーぶだいじょーぶ、パッと行ってパッと帰ってくりゃ見つかりゃしねーって」

「……そもそもだけどね、ワーグは戦う事自体を嫌っている子なのよ? あの子の能力を戦いに利用したいなんて言っても断られると思うけど」

「だいじょーぶだいじょーぶ、俺様が上手い事言って説得してやっから」

「……丸め込む、の間違いじゃない?」

 

 シルキィがそんなツッコミを入れてみても、ランスは「どっちでもいいのだそんな事は」と答えるだけでまるで聞く耳を持たない。

 

 ワーグの力を借りたくない、ここでホーネット派への協力を求めたりはしたくない。

 そう考えるシルキィとは違って、ランスは使えるものならば何でも使う性格。

 特にそれがワーグのような超強力な戦力ならば、使わない方が嘘というものであって。

 

 その後も渋々ながら付いて来るシルキィの様子など意にも介さず。

 ランスは意気揚々と森を進んでいって、そしてしばらくすると。

 

「……と、よーやく見えてきたな」

 

 そこで一度足を止めたランスの視界の先。

 深い森の景色が切り替わったその先には、その魔人が住んでいる小さな一軒家が建っていた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「……かくかくしかじか、これこれこーいう事情があるのだ」

 

 ざっと説明を終えたランスの目の前。

 そこにはクリーム色の髪に真っ白な肌の魔人、その隣にはふわふわなペットの姿。

 

「という訳でだワーグよ。いっちょお前の力を貸してくれ」

 

 そこはワーグの家の食卓。

 テーブルを挟んでその正面に座るランスは、早速とばかりに事情を話して協力を申し出た。

 

 なのだが。

 

 

「………………」

「ん?」

 

 しかしその魔人の口はぴっちり真一文字、固く結ばれたまま動こうとしない。

 

「あり? ワーグよ、聞いとるか?」

「………………」

 

 ランスが再び問い掛けてみても、返ってくるのは沈黙だけで。

 

「おい、ワーグってば」

「ワーグ、どうしたの?」

 

 その無反応を不思議に思ったのか、ランスは元よりその隣に座るシルキィも声を掛ける。

 

 

「………………」

 

 するとワーグはその目を少し細めて、じとーっとした視線を向ける。

 そしてその口を開いたかと思えば、

 

 

「……つーん」

 

 と呟き、その顔をすっと真横に背けてしまった。

 

 

「……いや、つーん、って……」

「……ぷいっ」

「いやだから、ぷいっ、じゃなくて……」

 

 どれだけ声を掛けてみても、その魔人の顔の向きは一向に戻ってくれない。

 今の自分の気持ちを外に漏らさぬよう、隣りに居るペットにも触れないような用心深さで。

 

「……ワーグ。お前なんか……怒ってんのか?」

 

 そのあからさま過ぎる態度を目にしてさすがのランスも気付いた。

 何故かは分からないのだが、どうやら今ワーグはとても怒っているらしい。

 

「………………」

「おいワーグ、何とか言えよ」

「……ぷーいだ」

「ぷーいだ、じゃねーつの。お前──」

「ランスさん、ちょっとちょっと」 

「あん?」

 

 シルキィはランスの言葉を遮るように肩をトントンと叩くと、その耳元にそっと口を寄せる。

 

「ひそひそ……ねぇ、ワーグが怒っているわ」

「ひそひそ……うむ、そうみたいだな」

「そうみたいだな、じゃなくって。貴方一体ワーグに何をしたの?」

「……何かしたかぁ? いやけど、怒らせるような事は何もしてないと思うのだが……」

 

 ランスはうーむ、と悩んではみるものの、ワーグの怒りの原因には何ら心当たりが無い。

 例えばこれまでにも軽くボディタッチをするなどして、ワーグに「もうっ、ランス!」などとそんな感じで怒られたりした経験ならばある。

 だがこれはそのような軽い怒りでは無い。なにせ先程玄関で顔を合わせたその時から、ワーグはむすっとした表情のままなのだ。

 

「おいワーグよ、お前何を怒っとるんじゃ」

「………………」

「おいって。何とか言えよ」

「……別に。怒ってなんかいないわ」

 

 ようやくランスに対して返事をしたワーグ。

 しかしその声色はとても素っ気なく、その顔は相変わらずのそっぽを向いたままで。

 

「嘘つけ。明らかに怒ってるだろーが」

「………………」

「あのなぁワーグ、黙ってちゃ分からんだろう」

「………………」

 

 僅かに怒気が混じり始めたランスの言葉に、ワーグは苛立たしそうに眉を顰めて、そして。

 

 

「べっつにー。ランスが一月以上も遊びに来てくれなかった事に怒ってなんかないしー」

「……あ~」

「……なるほど。それはランスさんが悪いかも」

 

 そこで二人は理解した。

 何かをしたから怒っているのではなく、何もしなかったから怒っているだという事に。

 

「……そういやぁ、ここに遊びに来んのも久しぶりだったな。それでか」

 

 今より三ヶ月程前、ランスはワーグと出会い、そして二人は友達となった。

 ランスにとっては未だ抱いた事の無いワーグ、その好感度を稼ぐ事に関しては余念が無く、その後もまめにちょくちょくと遊びに来ていた。

 

 しかし一月前頃からランスは迷宮攻略に熱中し、その間は必然ワーグの家を訪れる機会は無く。

 その結果、ワーグは一ヶ月以上も放ったらかしにされてしまっていた。

 

「わたしー、これでも色々と心配してたのにー、ぜーんぜん連絡とかくれないしー」

 

 自分の髪先をくりくりと弄りながら、ワーグはやさぐれたような態度で語る。

 

 自分の事を孤独なままにはしないと、あの時そう言ってくれたはずなのに。しかしこの頃はどうしてか遊びに来てくれなくなった。

 もしかしてランスに身に何かあったのか。あるいは何かランスの不興を買ってしまったのか、それともやっぱり自分の事を怖くなってしまったのか。

 そんな不安を覚えても彼女の方から魔王城に出向くのはその能力の都合上難しく、ワーグの苛立ちや寂しさは日々募るばかりで。

 

「それでー、よーやくランスが来てくれたとかと思ったらー、なんかシルキィもいるしー」

「うっ、……ごめんねワーグ。私そういう事に頭が回らなくって……」

「ううん、別にいいのよシルキィ。さっきも言ったけど私はぜーんぜん怒ってなんかないから」

 

 すっかり拗ねてしまった今のワーグは、無関係のシルキィにすら当たってしまう始末だった。

 

「……ほんとにごめんね。けれどね、決して悪気があった訳じゃないのよ?」

「そ、そうそう。ワーグよ、機嫌直せって。俺様だってお前の事を忘れてた訳では無いのだぞ? ただ最近ちょっと忙しくてな、お前んトコに来る暇が無かっただけなのだ」

 

 ワーグがこの様子では協力を頼む所では無い。

 何とかその怒りを鎮めるべく、シルキィはとにかく頭を下げ、ランスは言い訳の言葉を重ねる。

 

「……ふーん」

 

 その言い訳に効果があったのか、それともさすがに子供っぽい事をしている自覚はあったのか。

 

「……ま、いいわ。何度も言っているけどね、別に怒っている訳じゃないんだから」

 

 ワーグはいじけた振りをするのを止めると、そばに居たペットの身体にぽんとその手を乗せた。

 

「まったくー! ワーグの寛大な心に感謝しろよなー! ランス、分かったかー?」

「あぁ、分かった分かった」

「なら次からはちゃんと遊びに来いよ? こっちは寂しくて死ぬ所だったんだからなー!」

「……イルカにんな事を言われてもなぁ。……まぁとにかく話を戻すが」

 

 ワーグの寛大な心を代弁するペットを適当にあしらってから、本題となる話を再開。

 ランスは一度仕切り直すと、ようやくこっちを向いてくれたワーグと目を合わせる。

 

「さっきも言ったけどワーグよ、いっちょお前の力を貸してくれ」

「……私の、この眠りの能力を利用したいのね?」

「そうだ。お前が居りゃあ百人力、その能力さえあれば全てが楽勝で片付くからな」

「……そう」

 

 そこでワーグは、ふぅ、と息を吐いて、

 

「……悪いけど、協力は出来ないわ」

 

 少し寂しそうな表情でそう呟く。

 するとシルキィは「ほら、やっぱり」と言わんばかりの顔となって、その隣のランスは納得がいかなそうに口元を曲げた。

 

「協力が出来んとはどういう事だ。ちょっと行ってすぐ帰ってくるだけではないか」

「そういう事を言っているんじゃないの。私はね、この力を戦争に利用したくないのよ」

 

 ワーグの力。周囲の者を無差別に眠らせる能力。

 魔物界のあらゆる者が恐れるその体質、それはワーグ自身が一番強く忌み嫌っているもの。

 

「……確かに私の力があれば、戦いなんて楽に勝てるのでしょうけどね。けど……」

 

 相手を眠らせて意のままに操れるのならば、それは確かに無敵と飛ぶに相応しい力。

 以前にホーネット派とケイブリス派双方から協力を求められた事からも明らかなように、事が戦争となればその使い道は幾らでも考えられる。

 だがその力の争いに利用している限り、ワーグの孤独は終わらない。今より更に恐れられて、今よりも更に他人が離れていく事になる。

 

「私はもうこの力を戦いに利用したくない、この力で誰かを不幸にしたくないの。だからランス、悪いけれど……」

 

 世界中の人達と仲良くしたい。そんな事を考える程にワーグは思いやりに溢れた魔人。

 故に誰かを傷付ける戦争には協力出来ないと、拒否の意思を告げたつもりだったのだが。

 

「ちっちっち。それは違うぞ、ワーグよ」

 

 しかしランスは不敵に笑い、前に出した人差し指を左右に振る。

 来る途中でシルキィから言われた事もあって、ワーグが協力を渋るだろう事は予測済み、その対処方法もしっかり考えてきていた。

 

「これは別に戦いじゃない。ただの人助けだ」

「人助け?」

「そうだ。さっきも言ったが俺様のメイドが悪いヤツに捕われている。だからそれを助けに行く。俺はお前に戦いに協力して欲しい訳じゃない、人助けに協力して欲しいだけなのだ」

「……私の力で、人助けを……?」

 

 ランスの言い分に虚を衝かれたのか、ワーグは呆然とした様子で呟く。

 他人を眠らせて操る能力、彼女はこれまでそれを悪用する事を要求されてきた。自然とワーグ自身ですらもそういう見方をしてしまっていたのだが、使い方によっては人助けのような善行に使う事だって勿論可能である。

 

「……けれどランス、その人助けの途中で戦う事になるのでしょう? 私はそれが嫌なのよ」

「いーや、戦わない」

「嘘よ、そんな……」

「本当だとも。戦いに行く訳じゃないからな」

 

 信じられないといった表情のワーグを納得させる為、ランスは強い口調で断言する。

 

「いいか? ロナはケイブリス派陣内のどっかに捕われている。そこに辿り着こうとすると結構な数の魔物兵と戦う必要になってしまうだろ?」

「……えぇ、そうね」

「だからそれをお前の能力で眠らせて欲しいってだけなのだ。そうすりゃ戦う必要は無いだろ?」

「……本当にそれだけ? 眠った魔物兵達を倒したり、操ったりはしないの?」

「しないしない。ロナの救出さえ済んだら魔物兵共はすぐにでも起こして構わんぞ。絶対に戦ったりなどはしないから安心してくれ」

「………………」

 

 そんな説得の言葉に心を動かされたのか、沈んでいたワーグの表情に変化が生じ始める。

 

 自分の力を使って誰かを助ける。そして計画通りに事が進めば戦いが起こる事も無い。

 それは良い事なのではないだろうか。良い事ならば協力しても良いのではないだろうか。

 なによりこの眠りの力をそういう良い事に使えるのならば、今までずっと嫌いだった自分の体質をちょっとは好きになれるかもしれない。

 

 とそんな事を考えているワーグの一方で、

 

 

(まぁ魔物兵はどうでもいいけど魔人は一匹退治する事になるけどな。けど俺様が一方的にぶっ殺すだけで戦いになどはならんし、嘘を言っている訳ではないよな。うむうむ)

 

 とランスはとても都合よく物事を解釈しており、

 

 

(うわぁ……物は言いようというかなんていうか、なんかもう詐欺師の手口を見ている気分)

 

 一連の話を傍観していたシルキィはそんな感想を抱いたが、あえて口に出す事は無く。

 とにかくそれはランスの狙い通り、ワーグの心を動かすのに十分な内容であったのか。

 

「どうだワーグ。ロナを助け出すのにお前の力を貸してくれるか」

「……繰り返すようだけど、本当に私の力を戦いには使わないのね?」

「勿論だ。それは約束してやる」

「……うん、分かったわ。そういう事なら協力してあげる」

 

 ようやくワーグはその首を縦に振った。

 

「よっしゃ! これで全ての準備が整ったぜ。ならばすぐにでもロナの救出に向かうぞ」

 

 いざ作戦実行だ! とランスはバンとテーブルを叩いて立ち上がった。……と思いきや。

 

「……ぐがー、ぐがー」

 

 このタイミングで我慢の限界が来たのか、そのままテーブルに突っ伏して眠ってしまった。

 

「あ、ランスさん寝ちゃった」

「……何だかしまらないわね」

 

 あっという間に夢の世界に旅立ったランスを眺める二人の魔人は、そんな感想を口にした後、

 

「……ところでワーグ、本当にいいの?」

 

 心配そうな表情のシルキィの問いに、ワーグは小さく頷きながら答える。

 

「えぇ、もう決めたわ」

「けれどここで貴女が動いたら、貴女の存在がケイブリスに知られちゃうかもしれないわよ?」

「……うん。それは分かってる」

 

 現在ワーグは戦争の中で死んだ事となっている。

 そのようにしてケイブリスの目を誤魔化している以上、もしそれが虚実でワーグはケイブリス派を裏切って未だに生きていると知られたら、どのような報復を受けるか知れたものではない。

 シルキィが不安視していたその件は、ワーグも内心恐怖している事ではあったのだが。

 

「……けれどそれはもういいの。もしわたしが生きている事がケイブリスに知られたら……その時はもうその時だわ」

「成り行き任せって事? ……なんだかワーグ、随分と適当になっちゃってない?」

「ふふっ、そうかもね」

 

 誰かの性格が伝染っちゃったのかしら、とワーグは小さく笑みを零す。

 

「……それに、仕方が無い事でもあるしね」

「仕方が無い?」

「えぇ」

 

 そして嫌々ながらでは無く、どこか吹っ切れたような表情で口にした。

 

「……私はランスの友達だからね。友達が困っているのなら力を貸すわ」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 こうしてワーグの協力を得た事により、ランスが考えたスペシャルでカンペキな作戦、魔人レッドアイ討伐作戦の前提条件は整った。

 

 だがこの時ランスは気付いていなかった。

 自身が考えたその作戦はカンペキなどでは無く、致命的とまでは言わないものの、しかしかなり大き目な欠陥が潜んでいるという事に。

 

 ランスがそれに気付いたのは幸いにもすぐの事。

 眠りから目覚めてワーグの家をお暇してから、ほんの数分後の事だった。

 

 

「んじゃあ出発だ……といきたい所だが、その前にひとまず魔王城に寄らないとな」

「そうね、旅の支度をしないといけないし」

 

 作戦には諸々の準備が必要となる。その為魔王城に近づけないワーグとは一旦別れ、各自準備を終え次第魔王城近郊で合流する事に決定。

 故にランスとシルキィは二人、行きと同じく森の道を進んでいたのだが。

 

「後はうし車も取ってこないといかんしな」

「……え?」

 

 ランスが呟いたそんな言葉に、隣を歩くシルキィがきょとんとした顔になる。

 

「待って、どうしてうし車が必要なの?」

「どうしてって……んなの旅をするのにうし車が必要なのは当たり前だろ。あれが無いと移動に時間が掛かってしゃあないからな」

「そうじゃなくってね。ワーグと一緒に旅をするんだからうし車は使えないでしょう? ワーグの前じゃ車を牽くうし達が眠っちゃうんだから」

「……あ。そっか」

 

 この作戦においてはうし車が使用出来ない。

 その欠陥に今更ながらに気付いたランスは、その場で立ち止まって数秒程考えた後。

 

「……え、じゃあちょっと待て。てことは歩いていくしかないって事か?」

「うん」

「……え、え、ここ魔物界の北部から、ロナが居るはずの魔物界の南部までを歩きで?」

「そうなるわね。かなりの長旅になるから準備はしっかりしないとね」

「………………」

 

 出発予定場所は魔王城の近郊、そして到着予定場所は魔物界南部の何処か。

 その移動距離を分かりやすく例えてみると、それはヘルマン国首都のラング・バウからゼス国首都のラグナロックアークまでを歩くようなもので。

 

「……あの、やっぱこの作戦中止で──」

「今更なにを言っているのよ。せっかくワーグがやる気になってくれたんだから、あの子を焚き付けたランスさんも覚悟を決めなさい」

「……まじ?」

 

 こうしてうし車の使用が出来ない魔人レッドアイ討伐作戦、ランス達の長い旅路が始まった。

 

 

 

 

 



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閑話 作戦行動中の一幕

 

 

 

 深い森の中を進む4つの人影。

 先頭は人間の男、その後ろに大きな甲冑姿、その後ろを小さな少女とふわふわの生き物が続く。

 

「……あっちもこっちも似たような光景、どこも似たような木ぃばっか。つーかこれ、ちゃんと道あってるんだろーな?」

「大丈夫よ。確かに森の中は迷いやすいけど大きな目印があるからね」

「ほらランス、木の陰から僅かにだけどキトゥイツリーの世界樹が見えるでしょう? あれを目指して進んでいれば迷う事は無いわ」

 

 それはランスと魔人シルキィ、そして魔人ワーグと夢イルカのラッシー。

 一行がこうして森の中を進んでいる理由、それは囚われの身であるロナ・ケスチナを救出する為、そして魔人レッドアイを討伐する為である。

 

 ホーネット派では無いがランスにとっての友達である魔人ワーグ。彼女の協力を得た事で作戦実行に必要なピースは全て揃った。

 後はワーグと共にロナが居る場所へと向かうだけ。そして相手が眠っている間にロナを救出し、そのついでに魔人レッドアイをたたっ斬るだけ。

 

 それがランスの考えた魔人レッドアイ討伐作戦。

 立案者がカンペキと謳う作戦、内容を書き出してみればとてもシンプルな作戦なのだが、しかしそこに潜んでいた大きめな欠陥が原因となり、一行は出発当初から苦労されられていた。

 

「……しっかしまぁワーグよ。お前ってほんっとーに不便なヤツだな」

「……ランス、まだそれを言うの?」

「だってなぁ。うし車が使えてりゃもうとっくに到着している頃合いだっつうのに……」

「そんなの仕方が無いでしょう? 私だって好きでこの体質でいる訳じゃないのよ」

 

 ランスの批難めいた言い分に対し、ワーグはむすっとした顔で反論する。

 それが一行の抱える厄介な問題、移動方法が徒歩に限られてしまうという事。

 

 その原因は勿論ワーグの体質。彼女の眠りの力は本人にも制御が出来ない代物であり、その周囲に居る全ての生物を無差別に眠らせてしまう。

 すると移動には欠かせない乗り物、うし車が使えない。車を牽くうし達も眠ってしまう為、ワーグが一緒だと徒歩でしか移動が出来ない。

 その能力の効果で森に潜む魔物や危険な魔界植物なども無力化出来る為、作戦を開始したランス達は進路を気にせず森の中を南に一直線、最短ルートでえっちらおっちら歩いていたのだが。

 

「……はぁ、かったりぃ。さすがに歩くとなると遠いな……」

「まぁそうね。魔王城からケイブリス派陣内までとなると確かにちょっと遠いわよね」

 

 疲労感を滲ませるランスの言葉に、後ろを歩くシルキィも素直に同意する。

 魔王城が存在するのは魔物界の北部、そしてケイブリス派勢力圏は魔物界の南部一帯。故に彼達が目的地に辿り着くにはこの大陸の半分程を縦断するに近しい距離を歩く必要がある。

 すでに出発から3日程経過しているが、未だ魔物界中部に差し掛かった辺り。道程はまだまだ遠いと言わざるを得ない現状である。

 

 このように移動手段が徒歩限定となる問題、それは解決しようが無い問題。

 ワーグと一緒に行動する上では享受せねばならない事なのだが、しかし問題は他にもあって。

 

「……あ~……ねみ~……」

 

 それがこの睡魔。ワーグと一緒に居る間は耐えなければならない甘い誘惑。

 なにせワーグの能力は本人にも制御が効かない。となるとその脅威は敵にだけでは無く、すぐそばを歩くランスにも平等に襲い掛かってくる。

 

「……う゛~、しんど~……」

 

 地を這うような重い呻きを吐き出す、その男の顔は見るからに眠たそうな表情で。

 出発してから今日で3日目、その間ランスはずっとこんな感じである。ワーグの眠気に守られる事によって戦闘が起こらないという利点はあれど、しかし戦闘などよりも遥かにキツい睡魔と旅の間中ずっと戦い続けなければならない。

 

 故にランスはとぼとぼと歩きながら、

 

「……ぐににに、ぐににににー……!」

 

 ふいに自分の頬をつねって、思いっきり左右へと引っ張ってみたり、

 

「……がーー!!! うがーーーー!!!」

 

 突然大声を張り上げてみたりはするものの、

 

「……ぐぅ、やっぱ眠い……」

 

 しかしその眠気は単なる眠気ではなく、他ならぬ魔人の能力。

 頬をつねろうが大声で叫ぼうが、ランスの脳内に漂う眠気は中々晴れてくれない。

 

「ちょっとランス、びっくりするじゃない。急に叫び出すのは止めてって言ったでしょ?」

「……ワーグよ。止めろっつーなら俺様はこの眠気を出すのを止めてほしいのだが」

「だからそれは出来ないって何度も言っているじゃないの。いい加減にしつこいわよ」

「……ぐぬぬぬ。ある程度覚悟はしていたが、ワーグと旅するのがこんなにキツいとは……」

 

 もう何度目かになる問答を繰り返しながら、ランスは目元を乱暴にゴシゴシと擦る。

 魔人ワーグの強烈な眠気。それは今のランスでは完全に克服する事など出来ないもの。特に目的地まではただひたすらと歩き続けるだけで、戦闘を挟んだりする事も無く。

 

「……眠い、眠い~、ね~む~い~……」

 

 その退屈感と疲労感も合わさってくると、おのずと限界は近くなってくるもので。

 

「…………あー駄目だ、シルキィちゃん、そろそろキツい」

 

 そこで重要となるのが彼の後ろを歩く重装甲、魔人四天王シルキィ・リトルレーズンの存在。

 彼女は自前の装甲と持ち前の根性により、ワーグの眠気をかなりのレベルで克服している。

 特にワーグが一緒となるとシィルすら同行する事が出来ない為、長旅に必要な食料やその他生活必需品などの荷物を運ぶ役目として、この作戦に欠かす事の出来ない存在である。

 

「あ、もう限界?」

「うむ、もう無理、俺様死ぬ」

「そっか、分かった」

 

 そしてなにより、緊急時にはランスのベッドにもなってくれる。

 小さく頷いたシルキィはその両手に抱えていた大きな荷物袋を一旦地面に下ろすと、そのまますっとしゃがみ込んで背中を向けた。

 

「はいランスさん、乗っかって良いわよ」

「おう、あーねむねむー」

 

 そしてランスが装甲の背中によじよじと登ると、彼女の手が背後に回ってその身体を支える。

 

「大丈夫? 痛くない? ちゃんと眠れそう?」

「ん、問題無いぞ。んじゃシルキィちゃん、あとよろしくな。……ぐがー、ぐがー」

 

 そうして背負われるや否や瞼を閉じて、ランスはあっという間にいびきをかき始める。

 彼が苦肉の策として考えたワーグの眠気への対抗手段、それはシルキィにおんぶをして貰う事。

 いい歳した大人の男が少々、いやかなり情けない格好ではあるのだが、しかしそのような葛藤は初日の段階でとっくに消え失せていた。

 

「……わぁ、もう寝てる。ランスさんってば相変わらず眠るのが早いなぁ。いしょっと……」

 

 三人分の旅の荷物に加えて、今しがた背中にも新たな荷物を増やしたシルキィだが、その程度の重量なら魔人四天王である彼女にとっては軽いもの。

 再び荷物袋を手に取って立ち上がると、先程までと変わらない調子ですたすたと歩き始める。

 

 

「……じぃー」

 

 するとそんな二人のすぐ後ろ。

 今の様子をじっと観察していたワーグは、

 

「……なんか、甲斐甲斐しいわね」

 

 そんな言葉をぽそりと呟いた。

 

 

「ん? ワーグ、なにか言った?」

「ねぇシルキィ。私ね、この旅を始めてからずっと思っていた事があるんだけど」

「思っていた事?」

「えぇ。なんかシルキィって妙にランスに対して親切と言うか、妙に優しく接してないかしら」

「……え、そう?」

 

 ワーグからの思いもよらない指摘に少し面食らったのか、シルキィはその歩みを止める。

 そんな彼女は今睡魔に敗北を喫したランスの事を背中に背負い、代わりに歩いてあげている。その姿はこの旅の中で何度も繰り返されたもので、ワーグが先の感想を抱くのにも納得の姿ではある。

 

「……けど、別にこれくらい普通じゃない?」

「どうかしら。私にはそうは思えないけど」

「……そうかな? ……まぁ私ってほら、ちょっと世話焼きの気があるからさ、それで今のランスさんにはどうしても優しくしちゃうのかもね、うん」

 

 ──ランスさんとっても眠そうだし。

 とそんな言葉をシルキィはさも言い訳するかのように付け加える。

 

 彼女にとってこれはあくまで世話焼きの範疇。なにせランスは魔人の自分達とは違って人間、であればワーグの眠気を我慢するのにもさすがに限度というものがある。

 一方の自分は魔人四天王であるし、装甲にも守られているので大して眠くならない。となればここは自分が何とかしてあげるべき状況だろうと、シルキィの考えとしてはその程度のものである。

 

「……へぇ~」

 

 だがワーグはまだ納得していないのか、そんな世話焼き魔人に対して勘ぐりの視線を向ける。

 

「……ちょっとワーグ、その目はなに?」

「……別に。けどなーんか怪しいなって思って。ねぇラッシー?」

「同感どうかーん。なーんか怪しいよなー、ねぇワーグー?」

 

 ねー? と飼い主とペットは声を揃える。

 ワーグによる見事な一人芝居を受け、シルキィは装甲内で少しひるんだように顔を顰める。

 

「もう、ペットちゃんまで……大体、怪しいって何の事を指して言っているのよ」

「何って、それは……あれよ、あれ」

「あれ? あれってなに?」

「……だから、その……あれ。強いて言うなら……あなたの態度?」

 

 誰に対しての、とまではあくまで口にせず。

 ただ今のシルキィの態度、その振る舞いや受け答えが怪しく見えるのだとワーグは告げる。

 

「態度? 態度って言われてもねぇ……私は普段からこんな感じだって」

「……ふーん。なら、普段からそんな感じでランスに優しくしているって事なのね」

「べ、別にそういう訳じゃないけど……」

 

 ワーグのいちゃもんのような口撃にダメージを受けたのか、シルキィはややの動揺を見せる。

 しかし押されていたのはそこまで。彼女は誰あろう魔人四天王、ただの魔人であるワーグとの格の違いを見せつける……という訳では無いのだろうが、その観察力の鋭さ故に少し思う事があった。

 

「……というか、怪しい態度って言うなら……」

 

 自分の態度が怪しいのだと疑ってくるワーグ。

 しかしそう疑われたシルキィにとっては、まさにそのワーグの態度こそが怪しく見えていて。

 

(……なんだか、今のワーグって……)

 

 先程からワーグは妙に突っ掛かってくるが、果たして彼女はこういう性格だっただろうか。

 その不自然に見える態度の事や、この前ワーグの家で会った時ずっと怒っていた事、そして極め付けは先程から自分の方に向けているその目付き。

 シルキィにはそれが引っ掛かっていた。それはどこかで見覚えがあるような気がするのだ。

 

(……あ。これってそういえば、サテラの……)

 

 ワーグのあの拗ねているような目付き。

 それでいて何を羨んでいるようなあの目付き。

 

 そういえばあれはサテラのそれに似ている。

 自分がランスと一緒に居る時、特に距離が近くなっている時などに、むっとした表情のサテラが向けてくる目付きに似ていて。

 

(……まさか)

 

 そこでシルキィはピーンときてしまった。

 

 

「……ねぇワーグ」

「なに?」

「もしかして貴女って……ランスさんの事が好きなの?」

「なぁ!?」

 

 魔人四天王からの強烈なカウンターにワーグはびっくり仰天、肩を揺らして飛び上がった。

 

「な、ななな、なんで、なんでそんな話に!?」

「だってさっきから貴女の態度って、まるで私にヤキモチを焼いているみたいだから……」

「はうっ!?」

「あああっ! バレちゃってるよワーグ!!」

「ら、ラッシー! だま、黙りなさいっ!!」

 

 本音を代弁してしまうペットを慌てて叱り付けながら、ワーグは自らの過ちを悔いる。

 先程ランスとシルキィの距離感がちょっと気になったというか、端的に言うといちゃいちゃしているように見えてなんかもやもやした。

 そこでからかい半分にシルキィの事を突いてみたら、まさか自分の方に跳ね返ってくるとは。藪蛇とはまさにこの事である。

 

「……その様子だとやっぱりそういう事なのね?」

「べ、べ、べ別に違うけど!? 私は、私はあの、あくまでランスの友達として!?」

「……ワーグ、あなたね……そんなに動揺しちゃったら真意がダダ漏れじゃないの……」

 

 何やら必死に否定するワーグであったが、しかしその言葉の「友達」の部分を「主」に変えてみれば、それはまさしくサテラが言いそうな事で。

 

「……そっか。ワーグ、そういう事だったのね」

「ち、違うって言っているでしょう!?」

「別に隠さなくてもいいじゃないの。本人は今眠っているんだし、私だって喋ったりはしないから。……にしてもそっかぁ、ワーグがねぇ……」

 

 そういう事もあるのかぁと、シルキィは多少の驚きと共にしみじみと考える。

 ワーグは魔人。その能力の凶悪さから多くの者に恐れられてきた魔人であるが、とはいえその心には感情というものがある以上、誰かの事を好きになったりする事は当然にあるだろう。

 だからそこは問題無いのだが、ちょっと気になってしまうのはその日数。彼女の知る限りではランスとワーグが出会ってまだ3月程度しか経っていないはずで。

 

「3ヶ月かぁ……そういう気持ちになるのはちょっと早いような気がするんだけど。……でもそうでも無いのかな? 私の考えが古いだけ?」

「だ、だから別に私は……!」

「あぁけどそっか。ワーグにはワーグの事情があるもんね。ならおかしな事でも無いのか」

 

 ワーグにある特別な事情、彼女の体質に纏わる根深い問題、今まで100年以上にも渡る長い期間ずっと孤独だった過去。

 それを踏まえて考えてみると、睡魔の壁にも負けず自分を恐れず近付いてきてくれた初めての相手、ランスに惹かれてしまうのはある種当然の事と言えるのかもしれない。

 

「……けどねぇ~」

「な、なんなの!? 何が言いたいの!?」

「何が言いたいっていうか……ランスさんかぁ~、って思って。だって……これじゃない?」

 

 言いながらシルキィは反転して背中を向ける。

 そこには相変わらずおんぶされたまま、鼻提灯を膨らませてぐっすりと眠るランスの姿。

 それを見て相手の言わんとする事を理解したのか、ワーグもちょっと複雑な表情で口を開く。

 

「……確かに情けない格好で寝ているわね」

「でもワーグ、貴女はそんなランスさんが好きなのよね?」

「だ、だから私は別にただその、あくまで友達としてのあれで……」

「あ、なんなら貴女がランスさんをおんぶする?」

「……ううん、別にいい」

 

 私じゃ多分無理だと思うし、と呟きながらワーグはすっと顔を背ける。

 それに「そっか」と返事をしながらも、シルキィはやっぱり気になってしまう。

 

(ワーグがランスさんを好きになった理由は何となく分かる。それは分かるんだけど……)

 

 睡魔の壁を乗り越えて友達となった、ランスのそういう積極的な一面、誰に対しても物怖じしない性格というのは評価するべき点なのだろう。

 しかしその他の点はどうなのか。その他の面で問題があると感じたりはしないのだろうか。

 これはサテラにも言える事なのだが、プラスが大きければマイナスは目に入らないという事なのだろうか。というかランスからは魔人にモテるオーラか何かでも出ているのだろうか。

 

 などと、そんな事をつらつらと考えていたシルキィだったが、

 

 

「……ていうか、私よりもシルキィはどうなのよ」

 

 その時ようやくと言うべきか、顔を赤く染めたワーグからの反撃の言葉が飛んできた。

 

 

「え、私?」

「そう。さっき言いたかったのはその事よ。シルキィはランスの事をどう思っているのよ」

「どうって言われても、別に私はそんな……普通にしか思っていないけど?」

 

 それは目の前に居る魔人や真っ赤な髪をポニーテールに結んだあの魔人など、今はもしかしたら緑色の長髪のあの魔人も含むだろうか。

 そんなどこぞの魔人達のように狼狽えたりなどはせず、シルキィは至って平然とそう答える。

 

「……怪しい。やっぱり怪しいわ」

「うんうん、怪しい怪しい。なぁワーグー」

 

 しかしワーグとそのペットはそれでも納得してくれない。

 どれだけ当人から否定された所で火の無い所に煙は立たずと言うべきか、彼女がそう疑って掛かるのはヤキモチ以外にもちゃんとした理由がある。

 

 それはこの旅、この作戦が始まってからワーグが度々目にする事となったもの。

 ランスに対してのシルキィの面倒見の良さ、その世話焼き加減が大元の原因。

 今のように眠くなったら背負ってあげる。そんなお昼寝の世話は勿論の事、この魔人四天王はその他にもあれこれと世話を焼いているのだ。

 

 例えば朝。ランスが起きたら「あ、寝癖がついてるわよ」と微笑みながら手を伸ばして、ちょちょいとその身なりを整えてあげたりと。

 例えば昼。食事の時には「はい、どーぞ」とごはんやおかわりをよそってあげて、食べ終わりの際には「ふふっ、ご飯粒付いてる」などと呟いてひょいと取ってあげる様はまるで恋人同士の何とやら。

 

 そして決定的なのは夜。皆が寝静まる頃合い、そんな時に耳を澄ませば微かに聞こえてくる、魔人四天王のしっとりと濡れた甲高い嬌声。

 夜中にこの二人がこそこそと何をしているのか、シルキィは隠しているつもりのようだがワーグはとっくに気付いていた。

 

 このようにとにかくシルキィはあれこれと、ずぼらなランスに対して世話を焼いていて、そして密かにエッチな事までしている訳で。

 そこまでするのは単なる親切心だけじゃなくて好意があるから故なのではと、ワーグがそう睨んだのも至極当然な事であった。

 

 

「絶対に怪しいわ。シルキィ、あなたの方こそ隠さなくてもいいのよ」

「私は何も隠してません。さっきから何度も言っているけど、なにも怪しい事なんてないから」

「……ならシルキィ、あなたはランスの事を何とも思っていないの?」

 

 自分の本心がバレてしまった以上、相手の本心もバラしてやりたい。

 そんな思いでワーグが尋ねた今の質問に対して、

 

 

「えぇ、勿論。何とも思ってないわよ」

 

 この時、シルキィは確かにそう答えた。

 

 

「……本当に?」

「本当だって。……あ、別に何とも思ってないって言っても大切な仲間だとは思っているのよ? ランスさんって色々な意味でスゴい人だなぁとも思っているわ。けど──」

 

 ──男の人としてはちょっとねぇ。

 ワーグの手前あえて口には出さなかったが、シルキィはそんな台詞を頭の中で思い浮かべる。

 

 先の通りランスにも良い所は勿論ある。しかしダメな部分だって一杯ある。

 とってもスケベだし、デリカシーも無いし、特に何人もの女性に手を出す程に節操が無い。そういう部分は大きな減点要素である。

 

 シルキィが思う自分にとっての理想の男性像、それはとても真面目で厳格な性格の人。

 それでいて時に不真面目で豪快な性格の人。自分でもなんだそれはと思わないでも無いが、とにかくそういう相手に惹かれた過去がある。

 ランスは後者の要素こそ当てはまるものの、前者の要素がさっぱり欠けている。故に男性としてはちょっとNGかなぁと、そう答えた彼女の言葉は本心であっただろうはずなのだが。

 

 

「……ふーん」

 

 そんな魔人四天王の事を、ワーグはとても訝しげな目付きで見つめていて。

 

 そしてその数時間後、事件は起こった。

 

 

(続く)

 

 

 

 

 



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閑話 作戦行動中の一幕②

 

 

 

 

「……うし、ここら辺にすっか」

「そうね、ここならすぐ近くに水辺もあるし悪くないと思う」

「じゃあ早速テントを張りましょうか。よいしょっと……」

 

 ランスの言葉にワーグが相槌を打ち、シルキィがその手に抱えていた荷物袋を下ろす。

 

 作戦行動開始から3日目。時刻は夕暮れ。

 暗い森の中を歩くのはさすがに危険な為、ランス達の本日の活動はこれにて終了。

 

 

「ランスさん、ちょっとそっち持ってくれる?」

「だとよ。おいそこのイルカ、お前がやれ」

「あのねぇランス、ラッシーにテント張りを手伝わせないでよね、もう……」

 

 森の中である程度開けている場所を探して、そこに3人分のテントを張る。

 それはシルキィが運んできた大荷物の一つ。ワーグが一緒だと魔界都市にも近付く事が出来ない為、この旅の間で一行が寝泊まりしているのはこのようなテントとなる。

 

 

「……よし、出来たわ」

「お、今日の晩飯はワーグが作ったのか。……ふむ、いい匂いがするな」

「へぇ、ちょっと意外かも。ワーグって料理上手だったのね」

「……まぁね。私、一人暮らしが長いから……」

 

 そして夜。

 三人仲良く焚き火を囲んで、今日の食事当番となるワーグ手製の晩ごはんを美味しく味わう。

 

 本日は朝から暮れまでひたすら歩いた。

 そしてそれは明日も同じ事、明日も朝から暮れまでひたすら歩く事になる。

 明日の為にも本日は早めに身体を休めた方が良いだろうと、その後夕食を食べ終わった一行は就寝の準備を終え次第すぐに別々のテントへと別れた。

 

 そして。

 その事件が起こったのはそれから少し後の事。

 

 

 

 

 

 

 

「ん~……っと」

 

 一人用となるやや手狭なテントの中、魔人シルキィは両手を上にぐっと伸ばす。

 

「……ふぅ、ちょっと疲れたかな」

 

 そしてすとんと両手を下ろしながら肩の力を抜いてリラックス。自らそう呟いた通り彼女の顔色には若干の疲労感が浮かんでいた。

 歩いた距離というのも勿論だが、200キロを超す装甲を着込みながら三人分の荷物を運んで、途中で眠ってしまうランスの事も背負ったりなど。

 面倒見の良さ故か、この旅の中で一番の重労働をこなしているシルキィだが、働き者である彼女の仕事はそれだけに留まらない。

 

「……さてと、地図地図っと……」

 

 するとシルキィは持参した荷物袋の口を開き、その中から地図とペンを取り出す。

 

「……ええと、あっちのあの辺にキトゥイツリーが見えるから、今は多分……この辺……かな?」

 

 彼女が行っているのは現在地の把握。一昨日からずっと森の中を歩いてばかり、今自分達が何処に居るのかも把握し辛い状況にあるのだが、しかし今後の事を考えるとこれは大事な事。

 このまま延々と南下を続けてホーネット派の最前線となる拠点、ビューティーツリーの近くに到着する事が第一の目標となる。

 そこでメガラスとハウゼル率いる合同飛行部隊と接触をして、救出対象であるロナの現在地を教えて貰う手はずとなっているのだ。

 

「……メガラス達、ロナさんの居場所を見つけてくれているといいけど」

 

 3日前の時点、つまりこの作戦のスタート段階ではまだロナの現在地は不明のまま。

 このままのペースで歩き続けると後一週間程でビューティーツリーに辿り着く事になるので、その頃までにメガラス達が魔人レッドアイの一団を発見してくれる事を期待するしかない。

 もしロナを見つける事が出来ないとそこから先に進む事が出来ない。なのでメガラス達には是が非でも頑張ってほしいなぁと、シルキィはそんな事を考えながら今日歩いた距離と大体の現在地を地図上に書き加えていた。

 

 するとその時。

 

 

「おうシルキィちゃん、ちょっといいか」

「あ、うん。いいわよ」

 

 彼女の返事を待つまでも無くテントの入り口が勝手に開かれ、ランスが中に入ってきた。

 

「けどどうしたの? さっきご飯食べ終わった後『俺様もう寝るー』とか言ってなかった?」

「うむ。そのつもりだったのだがな、どうも昼に寝すぎたみたいでさっぱり眠くならんのだ」

「あぁ、それはそうかもね。ランスさん昼間は私の背中でぐっすりだったし」

 

 言いながらシルキィは小さく微笑み、座る位置を横にずらして一人分のスペースを空ける。

 するとそこにランスが腰を下ろして、二人は狭いテントの中で肩を並べる。

 

「君はまだ寝ないのか? さっき見たらワーグはとっくに眠っていたぞ」

「そうね、私ももう少ししたら……て、それ、もしかしてワーグのテントを覗いたって事?」

「おう。だが案の定つーかなんつーか、やっぱ寝ている時でもあいつには近づけんな」

「そりゃあそうよ。あの子の能力は体質の問題なんだから。……ていうかランスさん、もし近づけたのなら何をするつもりだったのよ……」

 

 寝ている所を襲うなんて駄目よと、そんな当たり前のような注意をしそうになった。

 しかし今自分達が実行している魔人レッドアイ討伐作戦、その内容の事を思うとそんな事言える立場でも無いなと思えてきてしまったシルキィは、

 

「……ところでランスさん、何か私に用事でもあったの?」

 

 その代わりにランスの訪問目的、こんな夜遅くに訪ねてきた理由を聞いてみた。すると、

 

「……ん、まぁ用っつーかなんつーか……」

 

 ランスはすぐには答えず、なにやら歯切れの悪い言い様ではぐらかす。

 そして話を逸らすかのようにして、ふと目の前に広げられていた地図を覗き込んだ。

 

「お、この地図って現在地を書き込んでいるのか」

「うん。ある程度は今居る位置を知っておかないと何かあった時に怖いからね」

「ほーん。しかしあれだなぁ、君は相変わらずの真面目ちゃんだなぁ」

「そう? けど真面目って言ってもねぇ、これくらいは誰でもする事だと思うけど」

「いやいや、んな事は無いぞ、現に俺様はしないからな。……て事でほれ」

 

 そこで何を思ったのか、ランスは大きく開いた右手を隣に座る魔人の頭の上にぽんと乗せた。

 

「……え、なに?」

「君は真面目な子だからな、褒めてやろうじゃないか。ほーらほーら、いい子いい子」

「……あ、ありがと……」

 

 大きな手のひらでがしがしと。

 頭を前後左右に撫でられながら、シルキィは少し照れくさそうに呟く。

 

「それに君は面倒見も良くてとても親切な子だ。昼間はクソ眠かったから本当に助かったぞ」

「あぁ、うん。あれくらい別に構わないって。私は装甲があるからあまり眠くならないしね」

「だが出発してからもう3日、君にはずっと世話になりっぱなしだ。んで多分この先も世話になりっぱだろうからな、んな訳でもっと褒めてやろうじゃないか。ほーれほーれ、なーでなーで」

「あ、う、うん……でも私は別に……」

 

 先程より気持ち強めに頭をわしゃわしゃと撫でられながら、シルキィは内心大いに戸惑う。

 自分は特別褒められる程の行いなどしていない。現在地を地図に書き込む事など誰でも出来るし、眠気を堪えきれないランスを背負って歩くのだって同等の事である。

 

(……なにこれ、どういう状況? なんでランスさんはこんなに私の事を褒めてくるの?)

 

 一体どういう風の吹き回しなのか。もしやただ単に頭を触りたいのだろうか。

 とシルキィそんな事を考えている間にも、その右手を動かし続けていたランスが口を開く。

 

「シルキィちゃん、君はとても真面目な子だ。んで面倒見も良い、性格のグッドな優しい子だ」

「そ、そう? そう……かな?」

「そうなのだ。けどそれ以上に君を語る上では欠かせない要素、大事な事がある」

「大事な事?」

「うむ」

 

 そこでランスは一度言葉を区切ると、身体の向きを90度横にずらす。

 

「……どうしたの?」

 

 自然とシルキィもそれに合わせて動き、横並びだった二人は正面から向き合う形となる。

 するとその男は彼女の小さな両肩に手を置いて、その顔をじっと見つめながら言い放った。

 

 

「……シルキィちゃん、君って可愛いな」

「けふっ」

 

 シルキィはむせた。

 

 

「な、何を馬鹿な事言っているのよ、もう……」

「馬鹿な事などでは無いだろう。前々から感じていたのだがな、シルキィちゃんって本当はもの凄く可愛い女の子なんじゃないかと思うのだ」

 

 ランスはそんな台詞を呟きながら手を伸ばし、シルキィの顔のあちこちをぺたぺたと触れる。

 その髪形はショートヘアー、その青色の髪は彼女の少し濃い肌の色に良く映えている。

 そのおでこには謎の模様、これはよく分からないがなんか可愛くみえる。そして少し上向きの眉には彼女の芯の強さが表れている。

 更には赤色の大きな瞳はくりりとしていて、小さめな口元も実にキュート。

 

「……うーむ。やっぱり可愛い」

「べ、べべ別に私なんてそんな……私より可愛い子なんてそこら中に居るでしょうに」

「いやいや、いないいない。君はマジで可愛いぞ。俺様が出会った子の中で一番かもしれん」

「んな、にゃ、なにを……!」

 

 気恥ずかしさのあまり口が上手く動かせず、シルキィはしどろもどろな声を出す。

 その慌てふためく様子が更に可愛く見えるのか、ランスの攻勢は一向に止まらない。

 

「可愛い可愛い、ちょー可愛い」

「ちょちょ、ちょっとランスさんっ、もういい、もういいから……!」

「いーや、まだまだ足りん」

 

 その柔らかそうなほっぺをつんつんと突っついてみたり、ぷにぷにと引っ張ってみたり。

 そうして彼女の違った表情を見つけてみては、ランスは可愛い可愛いと呟き続ける。

 

(……な、何なのこれは!?)

 

 その「可愛い」の連呼、唐突な褒め殺しにシルキィはすっかりテンパっていた。

 

(こ、この私が、かわ……いい、だなんて、そんな、そんな事……)

 

 そんな事はあり得ない。可愛いなんて言葉はとてもじゃないが信じられない。

 シルキィにとってそれは決して謙遜ではなく確たる証拠がある事実。何故なら自分はランスに会うまでは処女、男性経験が一切無かった魔人である。

 それはつまり約千年にも及ぶ期間、周囲の男性から見向きもされなかったという事。その頃の自分は時の魔王に尽くす事に腐心していたので仮にそんな話があったとしても無視していたであろうが、とにかくそういう事実がある訳で。

 

(……そう。そんな私が可愛いだなんて、そんな事あるはずが無いわ)

 

 自分は女性としての魅力に欠ける魔人、そんな自分が可愛いなんてあり得ない話。

 先程の「可愛い」の連呼、あれは多分ランスのリップサービスのようなものなのだろう。

 しかし何故このタイミングでそんなリップサービスをするのか。これに一体どのような意味があるのか……と、そこまで考えた所で。

 

 

「……あっ! 分かった! 分かったわ!」

「分かった? 何がだ?」

「エッチよ、狙いはエッチね!? ランスさん、私とエッチな事がしたいんでしょう!?」

 

 シルキィはようやく気付いた。

 これはつまり、性交への前振りなのだと。

 

「……考えてみたらそうだわ。こんな時間にランスさんが尋ねてくる理由なんて一つだものね」

 

 時刻は夜更け。こんな時間にこの男が自分の所に来る理由などどう考えてもそれしかない。

 先程の可愛いとの褒め言葉の連呼、あれは自分の気持ちを高揚させる目的というか、スムーズな性交への導入を促す為の言わばムード作りのようなものなのだろう。

 

(……はぁ、全く。普段とは全然違う感じでくるからびっくりしちゃったじゃないの)

 

 シルキィの知る限りでは、基本的にランスという男は勢いのままに向かってくる。

「がはははー!」とか「服を脱げー!」とか「セックスさせろー!」とか、そんなムードもへったくれも無い、さながら暴漢のようなノリで襲い掛かってくるケースが多い。

 

(……そういうのってなんだかなぁ……って、そんな事を思った日も何度かあったけど……)

 

 魔人を一体倒せたらという例の約束がある以上、ランスに抱かれる事はもう仕方が無い。

 だがそれならばせめて、せめてもう少しちゃんとした形でそういう事に及んで欲しい。

 仕方無い事ではあるけれど、でもまぁエッチな事をしてもいいかな? と僅かなりとでも思えるようなムードというか、そういう雰囲気を作って欲しいなぁとそんな事を考えた時もあった。

 

 しかし今回、そんなムード作りをされてみて分かったのだが、これはいらない。

 もしランスとエッチをする度にこんな事を言われていては、頭がどうにかなってしまいそうだ。

 

 

「……もう。エッチがしたいならエッチがしたいって始めからそう言ってよね」

 

 そう呟いたシルキィの表情、そこには「したくないなぁ」という気持ちが如実に表れていた。

 もう半年近くも抱かれている身の上、さすがに抵抗感というものは殆ど無くなっているのだが、しかし今は出来る事なら遠慮して欲しい。

 何故なら今は近くでワーグが眠っている。ランスはただ好き勝手楽しむだけなのだろうが、こちらはワーグにバレないように終始声を抑え続けるのにも一苦労なのである。

 

「ねぇランスさん、昨日も言ったけど少しぐらい我慢出来ないの? こう毎日のようにしてたんじゃいつかワーグにバレちゃうと思うんだけど……」

 

 故にシルキィはそんな話を振ってみたのだが、

 

「……ん、あぁ、そうだな。いやまぁエッチな事もしたいけど……」

 

 ランスは曖昧に返事をした後、再び彼女の頬にそっと右手を伸ばす。

 

「けどなシルキィちゃん。そういうのを抜きにしても君は本当に可愛いと思うぞ」

 

 そしてその頬を撫でながら先程と同様の話、魔人シルキィ実はとても可愛い論を主張し続ける。

 

「も、もう、それはもういいから……!」

「いーや、よくない。君はまだ自分の可愛さに気付いていないようだからな」

「あ、あのねぇランスさん、私は……」

「可愛いなぁ。シルキィちゃんってどうしてこんなに可愛いんだろうなぁ」

 

 ランスにしては珍しく、今日はセックスに及ぶよりも前戯を重視しているのか。

 何度も何度も可愛いと呟きながら、シルキィの髪やおでこ、頬や顎の下などにぺたぺたと優しくソフトタッチを繰り返す。

 

「な、なに、なんなの? これって、これってあれなの? 焦らしているって事なの?」

「焦らしてるっつーか……実はな、俺様ついさっきようやく気付いた事があるのだが……」

 

 そして、更に強烈な言葉を言い放った。

 

 

「シルキィちゃん、俺は君が好きだ。この世界で一番君の事が大好きだ」

「んきゅ!?」

 

 シルキィは喉から変な声が出た。

 

 

「……あ、あ、あの、あの、あの……」

「おう、どうした」

 

 口をわなわなと震わせながら、それでもシルキィはどうにか言葉を絞り出す。

 

「……あの、これもムード作りなのよね?」

「ムード? いやいや、本心本心」

「……あのねランスさん。そういうね、そういう心にも無い事を言うのは良くない事だと思うの」

「心にも無い事などでは無いぞ。俺様は本当に君の事が世界で一番好きなのだ」

「な、な、そんな、そんな……こと……」

 

 小細工抜きのド直球での好意をぶつけられ、シルキィの頬がじわりと赤く色付いていく。

 そんな彼女の目に映るランスの顔、それはとても真面目な表情をしており、今の言葉が冗談などでは無い事が嫌でも伝わってきていた。

 

「シルキィちゃん。今日の俺様は本気だ。……だからな、今日は君の本当の気持ちが知りたい」

「えっ、わたしの、気持ち?」

「そうだ。実際のところ君は俺様の事をどう思っているのだ。率直な気持ちを教えてくれ」

 

 それは一月程前に開催した酒宴の時、酔っ払ったシルキィにはぐらかされてしまった事。

 今この魔人四天王が自分に対して抱く感情。それを改めて問うのが目的だったのか、ランスは真剣な眼差しで相手を見つめる。

 

「どうなのだ、シルキィちゃん」

「え、その、ぅ……」

 

 その熱を帯びた眼差しに貫かれ、シルキィの声のボリュームがどんどんと下がっていく。

 

(……ど、どう思ってるって、それは……)

 

 今の自分の率直な気持ち。この男の事をどのように思っているのか。

 その答えは自分の中にあるはずで、それを答えろと言うならば答えるしかない。

 そうしなければならないと思わせる程、今のランスには有無を言わさないような圧があった。

 

「私、は……ランスさんの、事は……」

「事は?」

「ぅ、その……べ、つに、その……好きとかじゃ、ない、けど……」

 

 故にシルキィはそう答えた。

 その答えが相手を悲しませると半ば分かりつつも、しかし嘘を言う事は出来なかった。

 

「……そうか」

 

 案の定、ランスはその表情を曇らせる。

 だがそれはほんの一瞬だけの事。これまで数多くの女性と向き合ってきたこの男にとって、その程度の拒絶は想定の範囲内。ランスはその位でへこたれるようなヌルい性格などしていなかった。

 

「ならシルキィちゃん。一体俺様のどこがイカンのかを教えてくれ」

「え、えぇ? ど、どこって言われても……」

「俺の事を好きになれない何かがあるのだろう? それを全部正直に言ってくれ」

「……え、えぇ~……好きになれない何かって、それはその~……」

 

 視線を左右にきょろきょろと泳がせ、完全に困りきっている様子のシルキィ。

 しかし相手の真摯な思いには真摯な態度で向き合うべきと感じたのか、困惑した頭のままあれこれ考え、なんとか一つランスの欠点を絞り出した。

 

「えっと……えっちなところ、……とか?」

「よし分かった。なら直そう」

 

 するとランスからは即答が返ってきた。

 

「今後は君とのセックスは少し我慢する。今後は週に一度……いや、君が嫌ならば月に一度だって構わない。……で他には?」

「ほ、ほか? 他は……その、そのぉ~……で、デリカシーが無いところ……とか?」

「デリカシーか……よし分かった、直そう。すぐに治るかは分からんが精一杯努力しよう。……で他はどうだ、まだあるか?」

「え、ええっと……ええっとぉ~……!」

 

 一つ挙げる度にすぐ次の理由を急かされて、シルキィはあたふたと頭を悩ませる。

 だが今のランスが何を言わんとしているのか、あるいは自分に何を言わせたいのかはちゃんと理解していた。

 自分がランスの欠点だと思う要素、それらを全て直すと約束してみせる事で、自分の口から「好き」という言葉を引き出したいのだろう。

 

(で、でも何で!? 大体どうしてランスさんは、そんなに私の事を……!?)

 

 何故ランスはそこまでして自分に好きだと言わせたいのか。

 自分など女性の底辺、そこらに居るきゃんきゃんなどよりも魅力に欠ける魔人ではないか。

 どうしてそんなにも自分にこだわるのか。その点がシルキィには本当に不思議なのだが、いずれにせよこの流れはあまり良くない。

 

(こ、このままじゃいけないわ。このままだと、このままだとなんか……)

 

 このままの流れで進んでしまうと、言ってはいけない言葉を口にしてしまうような気がする。

 それが具体的に何かは知らない。知らないのだが、しかしこのままではなにか致命的な過ちを犯してしまうような気がする。

 どうしてか無性にそんな気がしたシルキィは、悩んだ末に仕方無く最後のカードを切った。

 

「ら、ランスさんの一番駄目なところはね。色んな女の子に手を出す所だと思うの。そういう所はやっぱり直さないと駄目だと思うわ」

 

 ──だがこれだけは。

 これだけは直すとは口に出来ないだろう。

 

 シルキィにはその確信があった。

 それはもう絶対と呼べる程のもの。彼女もランスと出会って早半年、この男の根幹がどういう要素で構築されているのか、ここは絶対に譲れない部分だろう事は深く理解していた。

 

 だが。

 

 

「よし分かった。なら直そう。もう他の女には一切手を出さん。それでいいか?」

 

 ランスは本当にあっさりとそう答えた。

 

 

「なぁ!? う、嘘でしょう!?」

「嘘などでは無い。俺様は本気だとも」

「嘘、ぜったいうそ! それだけは、それだけはぜーったいにウソだわっ!」

 

 あまりにも信じがたい話だったのか、シルキィは声を荒げて言い返す。

 この男が他の女性に手を出さなくなるなど絶対にあり得ない。それと比べれば天地がひっくり返る事の方がまだあり得るような気がしてくる。

 今の言葉だけは、他の女性には手を出さない宣言だけは軽はずみな口約束だろうと、シルキィにはそうとしか思えなかったのだが。

 

「……ふむ、そうか。君は俺様の本気が信じられんと言うのか」

 

 しかし当の本人の決意は固く、むしろその思いを信じて貰えなかったのが心外だったようで。

 

「ならそうだな……」

 

 そこでランスは一度深く目を閉じる。

 自分の本気を疑われたままではいられない。この思いを信じてもらう一番確かな方法とは。

 

「……よし」

 

 そう考えた時に自然と思い付いた事。

 ランスはきりっと目を開くと、今日一番となる衝撃発言をかました。

 

 

「ならシルキィちゃん、結婚しよう」

「け、けけけけ結婚!?」

 

 シルキィは声がひっくり返った。

 

 

「な、ななな、なな何を、何をばかなことを言ってるの!?」

「馬鹿な事ではない、だって君は俺の本気が信じられんのだろう? なら結婚をすればいい。そうすりゃ少しは君も俺の本気を信じられるだろう」

「え、と、そ、でも、それ、けど、あの……!」

 

 わちゃわちゃと文章にならない言葉を漏らす、顔中真っ赤になってしまったシルキィ。

 その頭の中では件の二文字が、ランスの口から出たその単語がくるくると回り続ける。

 

 結婚。それは夫婦となる事を誓い合う事、互いに永遠の愛を誓う神聖な儀式。

 そしてそれは本気の意思表示。先程のランスの言葉が真に事実なのだとしたら、もう他の女性には手を出さないと本気で言っているのだとしたら、確かにランスにとっては結婚するという発想になるのも自然の成り行きなのかもしれない。

 

「で、でもだからって結婚なんて、でもだってそんな結婚って、そんなそんな……!」

 

 しかしされども結婚。それは軽々しく口にするような誓いでは無いはずで。

 一体ランスはどうしてしまったのか、どうしてこれ程までに覚悟が決まっているのか。

 こんな自分からの好意が欲しいだけで、好きという言葉が欲しいだけの理由で、どうしてそんな約束をしてしまえるのか。シルキィには何もかもが全く分からなかった。

 

「シルキィちゃん、今日の俺は本気だと言ったろ。俺様は本気で君の事が好きなのだ」

「……あ、う……」

「エッチな所もデリカシーの無い所も直す。んで他の女にも手を出さん。それでいいのか?」

 

 それは答えを急くかのように。

 じわじわと追い詰めるように一歩一歩、ランスはゆっくりとにじり寄ってくる。

 

「……ぇ、ぁ、うぅ……」

 

 合わせてシルキィも一歩一歩後退するが、すぐに背中がテントの横幕に当たる。

 

「あ、ランスさん、まって、」

「駄目だ、待たん」

 

 そしてランスは彼女の頭の後ろに片手を回すと、逆の手でその顎を軽く持ち上げる。

 それが唇を重ねようとする合図だと気付き、その細い喉がごくりと音を鳴らした。

 

「シルキィちゃん、改めてもう一度言うぞ。俺様と結婚しよう」

「……え、ぁ……」

 

 普段は目にしないランスの真剣な顔付き。

 その真摯な表情が徐々に近付いてきて、互いの息が掛かる程の距離まで詰まる。

 

「ま、まって、まって……」

 

 先程からもう状況に全く付いていけず、シルキィの心はもう一杯一杯。

 頭の中はくらくらするように熱く、目元には涙が浮かんでランスの顔も滲んで見える。

 そして頭と顎を抑えられて身じろぎをする事すらも出来ず、ただ口先だけでの弱々しい抵抗をしていたのだが。

 

(……あれ? ちょっと待って……)

 

 その時ふと思った。

 今目の前に居るランス、彼には駄目な所は一杯あるが、良いところだって一杯あるはずで。

 そして先程本人が言う話を信じるのなら、その駄目な所は全て直すと言う。

 

(……でも、だったら……)

 

 もしそうなったとしたら。

 いや仮にそうならなかったとしても、そうしようと思う気持ちがあるというのなら。

 それ程のひたむきな想いでこの自分と向き合っているというのならば。

 

(……私に断る理由って……あるんだっけ……?)

 

 この求婚を断る理由を。

 その想いを拒む理由を。

 それを見つける事が遂に出来なかったのか。

 

 

「今日から君は俺様のお嫁さんだ。いいな?」

 

 後1cmという距離まで迫ったランスの問いに、

 

 

「ぁ……」

 

 それはまるで熱病に罹ったかのような表情で、

 

 

「……うん。分かった、お嫁さんになります……」

 

 この時、シルキィは確かにそう答えた。

 

 

 そして婚約を誓った二人の唇がゆっくり重なる。

 そのままシルキィは押し倒されて、そこから先はもうあえて言う必要も無く。

 互いの体温が交わり、互いの身体が一つに溶け合うまで、二人の長くて熱い夜は続いて。

 

 

 そして次の日。

 ランスとシルキィは沢山の招待客による祝福の中、真っ白なチャペルで結婚式を執り行った。

 その後は沢山の子宝にも恵まれ、二人はいつまでも末永く幸せに暮らしましたとさ。

 

 ランス(9.5 IF) おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……て、ちがーーうっ!!!!」

 

 そんな大音量の絶叫と共に、シルキィは寝袋の中からがばーっと勢いよく跳ね起きた。

 

「……はぁ、……はぁ、……はぁ……!」

 

 荒い呼吸を繰り返しながら、呆然とした様子で周囲を見渡す。

 

「…………あ、あれ?」

 

 そこは勿論昨日張ったテントの中。そばには現在地を書き終わった地図が広げられている。

 ここはあの時結婚式を執り行った真っ白なチャペルではないし、永遠の愛を誓ったその相手の姿だって何処にも見当たらない。

 

「……あ、いまのはもしかして……ゆめ?」

 

 先程のランスからの求婚も。

 それを受け入れてしまった自分も。

 全ては夢の世界の話。自分が寝ている間にこの脳が勝手に見せてきた幻のようなもの。

 

「……はぁぁ~……なんだぁ、夢かぁ……、よ、よかったぁ……」

 

 その事実にシルキィは心の底から安堵した。

 疲労困憊の体でその頭をがくっと下げ、汗粒の浮かぶおでこをその手で押さえる。

 

「……それにしても、な、なんて夢なの……!」

 

 先程見た夢。あれを悪夢と表現していいのかは分からないが、とにかく恐ろしい夢だった。

 まさかあのランスから求婚されるなんて。実に夢らしい荒唐無稽さ、今考えるとどう考えてもありえない展開である。

 よくよく考えれば彼の態度もかなりおかしい。あんなに可愛い可愛いと連呼してくる事もそうだし、そもそもランスはあそこまでこの自分の好意を欲しがったりはしないだろう。

 

(……そう、どう考えてもおかしいじゃないの。ちょっと考えれば分かりそうなものなのに……)

 

 こうして冷静に考えればすぐ夢だと分かるのに、あの時は何故か全くそんな事を考えなかったのだから不思議である。

 肌に触れる感触やお互いの息遣いまで、全てが本物としか思えない真に迫る夢だった。

 

(……でも冷静になって考えると、あの時の私はとんでもない事をしちゃったような……)

 

 先程の夢はあくまで夢。

 なのだが、しかしその内容はとても致命的なものだったように思える。

 

 なにせあの時、自分はランスからのプロポーズを受諾してしまっていた。

 あの時は完全に彼のお嫁さんになる気分だった。そのつもりで口付けを交わしていた。

 そしてなんか結婚式も挙げていたし、なんか子供も沢山居たし、挙句の果てには自分にはよく分からないものが、何か大事なものが完結しそうになっていたような気もする。

 

(……でも結婚って、結婚なんてそんな……)

 

 結婚とは相手と永遠の愛を互いに誓い合う、とても神聖な儀式。

 そんな誓いをあくまで夢の中とはいえ、軽々しく頷いてしまった自分が信じられない。

 

(……あの時の私は絶対におかしかった。多分思考が狂っていたんだわ)

 

 絶対にそのはず。それしか考えられないとシルキィは脳内でコクコクと頷く。

 あの時は可愛いと連呼されたり好きだと言われたりプロポーズされたりで、恥ずかしさや照れや驚愕など色々な思いが混じって頭がくらくらしてしまい、その結果血迷った事をしてしまったのだ。

 

(……それに、あの時……)

 

 あの時、夢の中でランスから求婚を受けた時。

 混乱した頭でどうにか考えたのだが、自分はその求婚を断る理由を見つける事が出来なかった。だからこそ頷いてしまった訳なのだが、しかしそもそも結婚とはそういうものなのだろうか。

 

 結婚とは『しない理由が無い』からするようなものでは無く、『する理由がある』からするようなものなのではなかろうか。

 少なくとも自分が結婚する事があったとしたらそういう積極的な気持ちでしたい。この人と結婚したいなぁと思った時、そう思った相手とそうしようと思うのが一般的な感覚ではなかろうか。

 

(……え、私がランスさんと結婚をする理由? ……って、そんなものは……)

 

 そんなものは無い。あるはずがない。

 ならばあれはやはりただの気の迷いか。あの時のおかしな雰囲気に押されて、混乱の極みにあったこの頭が勝手に頷いてしまっただけの事なのか。

 

(……そんなものはない。……はず。……よね? ……それとも、もしかしたら……)

 

 あるいはそれとも。

 この胸の中にあるというのか。自分でも気付いていない何かがあるというのか。

 

 それを知ってしまったら最後、きっともう後戻りは出来なくなってしまう。

 そんな致命的とも言える感情の在り処に、魔人シルキィの思考の先が触れかけた所で。

 

 

(……か、考えないようにしましょう)

 

 そこでぱったりと思考を放棄し、彼女はあらゆる問題を視界に入れない事に決めた。 

 これは恐らく触れてはいけない問題、知らずにいた方が今後平穏に暮らせるような気がする。

 大体つい昨日、ワーグがランスの事を好きなのだと知ったばかりだと言うのに、これ以上ランス回りの人間関係をややこしくしてなるものか。

 

 とそんなよく分からない事を考えながら、彼女は手早く身支度を済ませる。

 そして昨日汲んでおいた川の水で顔でも洗おうかなと、シルキィはテントの外に出た。

 

 すると。

 

 

「おはよう、シルキィ」

「あ、おはよう、ワーグ」

 

 そこにはワーグが立っていた。

 

「……どうしたの? さっき『ちがーう!』ってスゴい大きな声が聞こえたけど……」

「……あぁ、うん。ちょっと色々あって……」

 

 シルキィは目を逸らして曖昧に言葉を濁す。まさか夢見が酷かったから叫んでしまったなどと、そんな幼児みたいな事を言う訳にはいかない。

 

「……ごめんね、もしかして起こしちゃった?」

「ううん、先に起きてたから気にしないで」

「そっか、良かった……」

 

 その起きていた理由などはつゆ知らず、ほっと一安心といった表情のシルキィをよそに。

 

「……それで?」

 

 そこでワーグは何故かくすりと笑って。

 

「シルキィ、あなたはどんな夢を見ていたの? もしかして良い夢だったのかしら?」

 

 そう呟いたその口元には、まるでからかうような笑みが浮かんでいて。

 

 

「え? ……あ」

 

 そこでシルキィはピーンときてしまった。

 

 

「──ワーグッ!! あれは貴女の仕業ね!?」

 

 先程見た恐ろしい夢。

 あれはただの夢ではなくて、この魔人の能力によって見せられた夢なのだと。

 

「私の仕業? 一体なんの事を言っているの?」

「さっき私が見た夢の事よ! あれは貴女の能力で見せた夢なのでしょう!?」

「ちょっと、私は知らないわよそんな事。変な言い掛かりは止めてよね」

 

 ワーグはさも平然とした様子で答えるが、その顔は含み笑いを隠せていない。

 それを目にしてシルキィは確信を深め、彼女にしては珍しく怒り心頭となって吠え立てる。

 

「言い掛かりじゃないわ! 考えてみればあんな作為的な夢、貴女の能力だとしか思えない!」

「……へぇ。それってどんな夢だったの?」

「どんな!? どんなってそりゃあ──」

 

 私がランスさんに求婚される夢よっ! 

 と叫ぼうとして、

 

「──あ、う、そ、れは……!」

 

 そんな台詞を言葉にする事は出来ず、悔しそうに口元を震わせる。

 

「なぁに? どんな夢なのか教えてくれないの?」

「だ、だからそれは……! と、とにかく恐ろしい夢っ! それはもう恐ろしい夢だったの!!」

「……ふーん、恐ろしい夢ねぇ」

 

 激昂する魔人四天王、シルキィ・リトルレーズンからの怒気とプレッシャー。

 以前は恐怖したそれを当てられても今のワーグは怯みもせず、しれっとした表情で言い返す。

 

「どんな夢を見たのかは知らないけど。でもあなただったら何とも思わないんじゃないの?」

「……え?」

「何とも、思ってないんでしょう? 違うの?」

「……ッ!」

 

 そこでシルキィは察した。

 ワーグが何を言いたいのかを全て理解した。

 

 自分は昨日、ワーグに「ランスの事を何とも思ってないの?」と聞かれて「勿論」と答えた。

 つまりはその事を言っているのだ。「たとえランスから求婚されようがなんだろうが、本当に何とも思っていないなら狼狽えたり怒ったりする必要なんてないでしょう?」と、ワーグはそう言いたいに違いない。

 

「……なるほど、そういう事ね」

 

 だとするとここは我慢するべき。ここで怒りを露わにしてしまうのは愚策というもの。

 それだと自分が狼狽えてしまった事を認めるに等しい行い、ひいてはランスの事を何とも思っていなくは無いのだと認めるに等しい行いである。

 

「……すー、ふぅ」

 

 シルキィは一度大きく深呼吸をして、脳に新鮮な空気と冷静さを取り戻して。

 

 そして。

 

 

「……ワーグっ! 貴女ねぇ!!」

 

 しかしやっぱり激怒するのだった。

 

「夢の内容云々じゃないわ! 貴女はいつからこんな悪戯をする子になっちゃったの!?」

「あのねシルキィ、そんな母親みたいな事を言わないでくれる? 大体私の所為だって言うならちゃんと証拠を出してよね。ねーラッシー?」

「そうだそうだー。ワーグがやったってんなら証拠を出せよなー、証拠をさー」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴るシルキィ。

 その一方ひたすらしらばっくれるワーグ。

 

「……お前ら、朝っぱらから元気だな」

 

 そんな魔人達の言い争いを、テントから顔を出したランスが寝ぼけ眼で眺めていた。

 

 

 

 

 



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魔人レッドアイ討伐作戦③

 

 

 

 

「全くお前ら、何を朝っぱらから喧嘩などしとるんじゃ。ちゃんと仲良くするよーに」

「別に喧嘩なんてしていないわよ。……してないわよね、シルキィ?」

 

 ふっと笑い、してやったりといった表情で同意を求めてくるワーグ。

 

「……まぁね」

 

 その隣、まんまとしてやられたシルキィは釈然としない表情でしぶしぶ頷く。

 

 起き抜けとなるランスの目の前、そこで繰り広げられていた魔人同士の口喧嘩。

 夢を操る魔人が仕掛けた悪戯に端を発する言い争いは、最終的に証拠不十分という事で決着。

 ワーグが自分の仕業ではないとひたすらしらばっくれる以上、その夢が単なる夢なのか作為的なものなのかを決定付ける事は出来ず、仕方無くシルキィはひとまず矛を収める事にした。

 

 だったのだが。

 しかしその矛以外の感情、それがそう簡単に収まってくれるかと言うとそうでもなくて。

 

「で? 結局何が原因で喧嘩しとったのだ?」

「う、ううん、本当に喧嘩とかじゃないから。ランスさんが気にするような事じゃないわ」

「……ま、それならいーけど。んじゃあシルキィちゃん、早速だが朝飯を作ってくれ」

「うん、分かっ──」

 

 た。と口にしながら、自然とそちらに顔を向けたシルキィだったが、

 

「……ぁ」

 

 その人物の顔を目に入れた途端、全身をピタっと不自然に硬直させる。

 

「……う」

「ぬ、どした?」

「……ぁ、う」

 

 引きつった顔で口をパクパクとさせるシルキィ。

 彼女のその目に映っているもの、それは普段となんら変わりの無いランスの表情。

 

 だがその顔を見ているとあの時の事が。

 その瞳を覗いていると、世界で一番好きだと告白されたあの時の熱い視線が。

 その口元を見ていると、夢の中で告げられたプロポーズの言葉が脳裏に蘇ってきて。

 

「ぁー……」

「あー? つーかシルキィちゃん、君なんか顔が真っ赤だぞ」

「ぅー……」

「うー?」

 

 あー、とか、うー、とかしか言えなくなってしまった魔人四天王。

 その不審さにランスが首を傾げていると、

 

「……ランス。朝ごはんは私達が作っておくから、あなたは顔を洗ってきたら?」

「お、そういやそーだ。まだ顔を洗ってなかった」

 

 見るに見かねたワーグが助け舟を出して、ランスは少し離れた水場へと歩いていく。

 その後姿を見送った後、

 

「……それにしても」

 

 ワーグは真っ赤な顔でまごついている魔人四天王に対して、それはもう呆れを込めた視線を向けた。

 

「シルキィ、あなた少し動揺しすぎじゃない? そんなんでよく昨日私に対して『ランスさんの事は何とも思ってないわー』なんて言えたものね」

「ワーグっ!! 貴女がおかしな夢を見せるからでしょう!? ほんとにもうっ、私がおかしくなっちゃったら貴女の所為だからね!?」

 

 

 

 

 

 と、朝っぱらからそんな一悶着を挟みつつ。

 その後彼等は朝食を食べ終わり、そしてテントの撤収など出発の準備を整えて。

 

「皆、忘れ物は無いかしら?」

「おう」

「うん」

 

 朝食の間に何とか平静さを取り戻したのか。

 普段の様子に戻ったシルキィがそう声を掛けると、すぐにランスとワーグが頷きを返す。

 

「それじゃあランスさん、行きましょうか」

「よっしゃ。では本日も作戦行動開始といくか」

 

 そして一行は前進を再開、進路はこれまでと同じく南の方角。

 今日で出発から4日目。夜中に魔人四天王が悪夢を見た事以外はこれまでと何ら変わらず、ここまで作戦は順調に進んでいる。

 

「……まぁ作戦行動開始っつってもやる事は昨日と同じ、朝から晩まで歩くだけなのだが」

「もう、出発早々気が滅入る事を言わないでよ。大体この作戦はランスが考えたのでしょう?」

「そりゃそうだけどな。けど俺様の想定ではうし車を使ってパパーっと事が済むはずだったのだ。車が使えんともっと早く気付いていれば……」

「まぁ確かに歩くには大変な距離があるのは事実だけどね。けれどその距離以外には何ら障害が無いんだし、楽な作戦だと私は思うけど」

 

 シルキィがそう評価した通り、この作戦の問題点と言えるのはその途方も無い移動距離のみ。

 それを越えるだけでロナを楽に救出する事が可能であり、かつ魔人レッドアイを楽に討伐する事も可能。掛かる手間暇は多いがそれを遥かに上回る見返りが望める素晴らしい作戦だと言える。

 

 

 故に彼等は歩く。ただただ歩く。

 魔界都市キトゥイツリーを通り過ぎて、南の方角へと一直線。

 

「……あー、だりー、もう歩きたくなーい」

「ランス、そうやってぐちぐち言わないの」

「だってなぁ。……あそうだシルキィちゃん。確か君が着ているその装甲ってめちゃくちゃデカくする事が出来たよな?」

「えぇ、そうね。全部のパーツを使用すればかなり大きく展開する事は出来るけど」

「ならこの前みたいにその上に乗っけてくれ。それで移動した方が絶対に早いだろう」

「駄目よ、それだと目立っちゃうもの。目立たないようにわざわざ森の中を進んでるんでしょ?」

 

 

 

 それから3日が経過。

 まだまだ彼等は歩く。とにかく歩く。

 魔界都市サイサイツリーを通り過ぎて、更に更にと南進を続ける。

 

「よし、じゃあ淫語しりとりをしよう」

「うん? 何をするって?」

「淫語しりとり。エロいワードしか使えんしりとりだ。んじゃいくぞ、おっぱい。はいワーグ」

「え、私!? え、ええと、おっぱ『い』だから……その、えっと……」

「どうしたワーグ? 答えられんかったら罰ゲームでストリップだからな」

「ちょ、ちょっと待ってよ、そんなの……! い、い、い……!」

「……ワーグ。何でもかんでもランスさんに付き合ってあげる必要は無いのよ」

 

 

 

 それからまた3日が経過。

 変わらず彼等は歩く。ひたすら歩く。

 ホーネット派最前線の魔界都市ビューティーツリーまで到着すると、その先にはいよいよケイブリス派支配圏が見えてくる。

 

「シルキィちゃんの肌の色に関してなのだが」

「私の肌の色?」

「うむ。君の肌って少し濃い色をしてるだろ? ワーグよ、これはなんでだと思う?」

「て、それを私に聞くの? ……そうねぇ、日焼けでもしたんじゃないの?」

「と思うだろ? けどな、この子の身体には日に焼ける前の色をしている箇所がどこにも無い。普段は服で隠れるはずの乳首の際ぎりぎりまでこの色をしているのだ。知ってたか?」

「あのね、知る訳無いでしょそんな事。……でもそうなんだ、て事はシルキィの肌は地の色──」

「そう。つまりシルキィちゃんは素っ裸で青姦しまくったからこうなったって事だな」

「ランスさん、ぶっとばすわよ」

 

 

 

 それからまた2日程が経過して。

 ビューティーツリーとペンゲラツリーを結ぶ道の途中、そこから南に進んでケイブリス派の支配圏となる森の中へと突入する。

 そこは魔物界においては一般的、通行用に切り開かれてはいない森林地帯。木々や草花が視界を遮る程に生い茂り、更には危険な魔界植物も群生していたりと本来ならば歩くだけでも危険な一帯である。

 

 とはいえ魔人ワーグの能力によって森の中は全てが深い眠りに落ちて、そして先頭を歩く重装甲、魔人シルキィが邪魔な木々や蔦などを取り払って。

 

 そうして進み続ける事数時間程。

 

 

 

「……いよいよね」

 

 全体を通して掛かった日数は12日近く、彼等は遂に目的地の付近へと辿り着いた。

 そこはその森に入ってから数10km南へと進んだ地点、魔人レッドアイ指揮下の魔物兵の一団の現在地と思わしき場所である。

 

「この先にロナとレッドアイが居るのか?」

「えぇ、一昨日に会ったメガラスの情報に間違いがなければそのはずよ」

 

 ランスの言葉にシルキィが頷きを返す。

 事前に立ち寄った魔界都市ビューティーツリー、そこで接触した魔人メガラス指揮下の飛行魔物兵部隊はランス達の期待に見事応え、数日前に魔人レッドアイの一団を発見してくれていた。

 

「よし。ワーグよ、お前の能力の効き目はどうだ」

「この距離なら絶対に大丈夫。きっともう全員眠っている頃だと思うわ」

 

 緊張からか自然と声を顰めて、ランス達は小声でひそひそ声で会話を交わす。

 相手はもう間近の距離、木々に遮られてまだ見えてはいないがそれでも気配は伝わってくる。

 特に耳を澄ませば微かに聞こえる、大勢の生物のものであろう安らかな寝息。それは魔人レッドアイの一団がそこにいる証であり、ランス達の狙い通りワーグの能力によって無力化されている証である。

 

 唯一の障害であった移動距離を踏破して、こうしてその前に辿り着いた以上残すは簡単。

 眠る敵の中から眠るロナを助け出して、そして眠るレッドアイにトドメを刺すだけである。

 

 だったのだが。

 

 

「それじゃあランスさん、行きま──」

「ぐがー、ぐがー」

「って、えぇ!? ちょっとランスさんっ、貴方このタイミングで眠っちゃうの!?」

 

 今まさに作戦の山場となりそうだったその時、ランスは一人夢の世界へと旅立ってしまった。

 ワーグの眠気は魔人の能力であり人間のランスが耐え続けるのにも限度がある。故に仕方無いと言えば仕方無くもあるのだが、シルキィが口にした通りあまりにもアレなタイミングである。

 

「ねぇランスさん、起きて、起きてってば!」

「ぐがー、ぐがー」

「……こうなるとしばらく起きそうにないわね」

 

 シルキィはわしゃわしゃとその肩を揺すってみるものの、ランスの両目が開かれる気配は無し。

 ワーグの能力による永久睡眠では無いのでいつかは目覚めるとはいえ、どうやらここまでかなり我慢していたのか、その眠りはこれまでのケースを参考にすると数時間は目を覚まさないだろうと思われる深い眠りである。

 

「……シルキィ、どうする? ランスが目を覚ますまでここで待ってみる?」

「けど……」

 

 ワーグからのそんな提案にシルキィは難しそうに顔を顰める。

 彼女達が今立っているこの森。この場所はすでにケイブリス派の支配圏内であり、となるとあまり長居をするべきでは無い。

 特に今はワーグが一緒に居る。ワーグはケイブリス派において死んだ事となっている以上、もし何らかのアクシデントにより彼女の存在が敵に知られでもしたら大事である。

 出発前にワーグは知られても構わないと言っていたが、それでもホーネット派に属している訳では無い彼女にここまで協力して貰っている以上、これ以上余計な負担を掛けるべきでは無い。

 

「……仕方無いわね」

 

 そんな事を考えたシルキィは、その視線をぐーすか眠る男に向けながら口を開いた。

 

「とりあえずランスさんはここに置いといて、私達だけで行きましょう」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そして。

 

「……ぐがー、ぐがー」

 

 それから数時間が経過した頃。

 

「……ぐがー、ぐがー。…………んが?」

 

 ようやくランスは眠りから目覚めた。

 

「あ、起きた。シルキィ、ランスが起きたわ」

「……ん、おぉ、ワーグ……」

 

 すぐそばで聞こえたワーグの声に意識を呼び戻され、ランスは葉っぱの敷かれた地面からゆっくりと身体を起こす。すると少し離れた所にいた大きな装甲姿が近づいてくる。

 

「ランスさん、やっと目が覚めたのね」

「……あー、まーた寝ちまったのか、俺様」

「そうよ。まったくもう、どうしてあのタイミングで眠っちゃう訳?」

「知らん、全てはワーグの眠気が悪いのじゃ、そういう文句はワーグに言いなさい」

 

 シルキィからもクレームも気にせず、ぼんやり頭のまま周囲を眺めて状況を整理していると、

 

「……て、そーだそーだ」

 

 そこでランスは眠る直前の出来事を思い出す。

 作戦はもう完遂間近、怨敵はもう目の前なのだと気付いた彼はバッと立ち上がった。

 

「そういやぁ奴らはすぐそこだったな。よっしゃお前ら、準備はいいだろうな?」

 

 それは寝起きの人間が口にするのには全く相応しくない言葉であったが、とにかくそう告げながら仲間達へと視線を向けたのだが。

 

「もうとっくに終わったわよ」

 

 そんなランスに返ってきたのは呆れ混じりの視線、そして実に素っ気ない返事。

 

「……え? 終わっちゃったの?」

「うん。だってランスさん起きないんだもん」

「……あれま」

 

 自分がぐっすりと眠っていた間にどうやら作戦は完結していたらしい。

 そうと知って気が抜けたのか、さりとて寝ていた時の出来事に何か文句を言う気分にもならなかったのか、ランスは何とも言えない表情でぽりぽりと頬を掻く。

 

「……んじゃあ、奴らはもうこの近くには居ないっつー事か?」

「えぇ、あそこはケイブリス派支配圏内だったからすぐに離脱したの。だからこの辺はもうホーネット派支配圏のはずよ」

「……そうか。まぁ終わっちまったもんはしゃーないな。んでロナはどうだった?」

「勿論助け出したわ。ほら」

 

 そう言ってシルキィはランスに見せるように、くるりと反転して背中を向ける。

 そこに居たのは身体を預けて眠る少女、みすぼらしい格好をしたボロボロの女の子。

 

「この子でいいのよね?」

「おぉ、それだそれ。その長い髪と不健康そうな身体付き、間違いなくロナだ」

 

 ロナ・ケスチナ。魔人レッドアイの一団の中に捕らわれていた人間の少女。

 ほんの数時間前、漂ってきた甘い香りによってその周囲に居た魔物兵達と同じように眠りについた彼女は、その後やってきたワーグとシルキィの手によって無事救出された。

 

「狙い通り助け出す事は出来たんだけどね、でもこの子の身体……」

「……うむ。なんつーか、こうして見ると結構ヒドい怪我してるな」

 

 ロナの身体の至る箇所には火傷や擦り傷、打身や出血の痕があり、彼女が日常的な虐待を受けていた事実を示している。

 前回の時、ロナと初めて顔を合わせた時にはすでに彼女の身体は治療済みであり、こうして治療前のロナを初めて見る事になったランスもその痛々しさに思わず眉を顰める。

 

「……ん、……すぅ」

「ふむ、ロナはまだ寝てんのか」

「えぇ。私の能力はすでに解除してあるから、起こそうと思えば起きるとは思うけど……」

「いやいい。とりあえず好きなだけ眠らせてやれ」

 

 虚弱なロナはワーグの眠気に抵抗出来ないのか、救出されてから今までずっと眠り続けている。

 その様態を考えてもあえて起こす事はないだろうと、そのまま休ませてあげる事にしたランスはふい片腕を伸ばして、そして。

 

「ところでシルキィちゃんや、ちょいとかもん」

 

 おいでおいでと手招きをして、装甲姿の魔人四天王を呼び寄せた。

 

「……うん」

 

 それにシルキィは低い返事で返す。

 目覚めたランスに呼び出されるだろう事、内緒話をせがまれるだろう事は半ば分かっていたのか、

 

「……ごめんワーグ、ちょっとこの子をおんぶするの代わってくれるかしら?」

「えぇ、いいけど」

 

 シルキィはロナの世話をワーグと交代すると、ランスの方へと観念した様子で近付いてくる。

 

「……よし、この辺でいいか」

 

 シルキィを連れたランスはそこから少し離れた場所、ワーグ達から十分な距離をとった場所で立ち止まると、ワーグに聞かれてはいけないあの話について切り出した。

 

「……で?」

「で、って……なにが?」

「分かるだろ、レッドアイの事じゃ。勿論ぶっ殺してきたんだよな?」

「………………」

 

 ロナの救出と並ぶこの作戦における重要な目的、魔人レッドアイの討伐。

 ランスがそれを尋ねると、若干の沈黙を挟んだ後その装甲の頭部が控えめに左右に振られた。

 

「……ううん。そっちは駄目だった」

「……何だと?」

 

 するとランスは急にドスの利いた声となり、その声が似合うような表情で目前の装甲を睨む。

 

「駄目ってのはどういう事だ。まさかあいつは眠ってなかったって事か?」

「そういう訳じゃないんだけど……」

「つーかシルキィ、もしや君の問題か? ワーグがすぐそばに居るからってんで気が引けて、それで目玉退治を止めたんじゃねーだろうな」

「違うの、そういう事じゃなくってね。そもそもあそこにレッドアイは居なかったのよ」

「居なかったぁ?」

 

 不審げに呟いて首を傾げるランスに対して、

 

「うん、実はね……」

 

 その装甲はこくりと頷き、そして数時間前の出来事を語り始める。

 

 ランスが眠りに落ちた後、シルキィとワーグはその先に進んで遂にその地点へと辿り着いた。

 そこには事前にメガラス達から聞いていた情報通り、魔人レッドアイに付き従っている魔物兵達の一団が存在していた。

 しかしその中に肝心の相手だけは、魔人レッドアイの姿だけは確認する事が出来なかった。

 

 このままではマズい。その時シルキィは率直にそう思った。

 この作戦はロナの救出とレッドアイの討伐の双方を目的としている。その為に何日も掛けてここまで歩いてきた以上、このまま引き下がってレッドアイは倒せませんでしたーでは後々絶対ランスにあーだこーだ言われてしまう。

 それは重々承知していたのだが、しかし戦いなどはしないと約束していたワーグがすぐ隣に居る手前、そこに居ないレッドアイを探しに行くような真似なども出来ず、仕方無くシルキィはロナを背負ってその場を後にしたのだった。

 

 

「……て事なの。分かってくれた?」

「………………」

「そ、そんな目で睨まないでよ。だって仕方が無いじゃない、居ない相手はどうやったって倒しようがないでしょう?」

「………………」

「そ、それにワーグがすぐそばに居たのよ? あの子に対して戦いとかは絶対にしないからって約束したのは他ならぬランスさんじゃないの」

 

 その無言のプレッシャーに押され、魔人四天王はあれこれ必死に弁明する。

 それに多少の効果はあったのかどうか、ランスは顰めっ面のままその口を開く。

 

「……何故あの目玉はあそこに居なかったんだ?」

「さぁ、それは私にも……」

「あのメガラスとか言うヤツの情報が間違っていたって事か?」

「どうかしら……メガラスの情報通りレッドアイの一団はあそこにちゃんと居たんだし、完全に間違っている訳じゃないと思うけど」

「……むむむ」

 

 共に首を傾げるランスとシルキィ。これは二人には知り得ぬ事ではあるが、魔人レッドアイは昨日の時点ではちゃんとそこに居た。

 しかし昨夜遅くに一人ホーネット派陣内への侵攻を再開しており、今この時はビューティーツリーで待機していた魔人ホーネットと何度目かの激戦を繰り広げている真っ最中であった。

 

「まぁメガラスから教えて貰ったのは3日前の時点での情報だしね。レッドアイは単独行動する事も多い魔人だしこういう事だってあるわよ。気を落とさずにいきましょう?」

「……つーかきみ、卑怯な手を使わずに済んで内心ホッとしてるんじゃねーか?」

「そんな事は…………ないけど?」

「おい、今の間は何じゃ」

 

 その表情は装甲によって完全に覆われていたのだが、しかしランスにはシルキィのしれっとした表情が見えたような気がした。

 

「と、とにかく! それでも当初の目的通りロナちゃんの事は助け出せたんだからさ。ね?」

「そりゃそうだけどなぁ……しかし目玉退治に成功してないんじゃ……」

「でもさっきも言ったけど相手が居ないんだからどうしようも出来ないわ。それに今はレッドアイよりもロナちゃんの事を優先した方が良いと思うの。ランスさんもあの子の身体を見たでしょう?」

 

 ロナの事を言われたランスは「……ま、それはそーだな」と渋々ながらと言った感じで頷く。

 憎きあの目玉をぶっ殺したいという気持ちはあれど、しかしランスにとって何にも勝るのが可愛い女の子の事。

 救出したロナの様態は悪く、素人目にも放置しておけるようなものには見えなかった。

 

「一応ランスさんが寝ている間に回復アイテムで応急処置はしたんだけどね。でも私やワーグは回復魔法なんて使えないし、早く魔王城に戻って然るべき人に見せた方が良いと思うわ」

「……そうするしか無さそうだな。んじゃ──」

 

 ──急いで帰るか。

 と言い掛けたところで、

 

「……え? て事はもしかして、これからまたあのクソ長い道程を歩くって事か?」

「うん。それとも帰る方法が他にあるの?」

「………………」

 

 平然の答えるシルキィの一方、ランスは目の前が真っ暗になったような気がした。

 

 

 

 こうしてランスが計画した魔人レッドアイ討伐作戦は一応の結末を迎えた。

 その成果は目的の一つであるロナの救出には成功したものの、もう一つの目的である魔人レッドアイ討伐は失敗に終わり、ここまでの苦労を考えるとどうにも不完全燃焼な感が否めなかった。

 

 とランスはそう考えていたのだが、しかしそれはロナ・ケスチナの価値を知らないが故の事で。

 その作戦は結果的には絶妙な一撃に、それこそレッドアイ当人にとっては殆ど殺されたも同然の状況を作り出していた。

 

 

 

 

 

 



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魔人レッドアイ討伐作戦④

 

 

 

 

 魔物界南西部。ケイブリス派支配圏内。

 鬱蒼とした木々が生い茂る森の中、静寂に包まれていた深い森の中で。

 

「ファアアーーック!!!」

 

 突如その静けさを引き裂くようにして、耳障りな絶叫が上がる。

 

「ファック! ファーック!! ファァァアアアーーーーック!!!!!」

 

 繰り返し繰り返し、その魔人は狂ったように何度も叫び続けて。

 その甲高い声と共に繰り返し生じるは魔法の発射音と爆音、そして断末魔の声。

 

「れ、レッドアイ様……どうかお許しを──ぎゃあああああああッ!!!」

 

 魔物兵の必死の懇願も叶わず、その身体は爆炎に包まれ数秒で物言わぬ屍に変わる。

 黒こげとなった焼死体。それは今の魔物兵一人分だけでは無く、そこら一帯に──魔人レッドアイの一団が滞留していた森の中のあちらこちらに転がっていた。

 

「……ぬー、ヌー……!」

 

 これまで自分に付き従っていた魔物兵達。

 人間一人の監視すらもロクに出来ない、役立たずのゴミ共。

 それら全てを怒りのままに消し炭に変えた魔人レッドアイは、その赤い眼球を上下左右と不規則に揺れ動かし、そしてか細い叫びを漏らす。

 

「オォ~……オォ~……、ロナが、ロナがぁァァ~~……」

 

 ロナが。

 ロナ・ケスチナが居なくなってしまった。

 ホーネット派の者共を殺戮する為、自分がこの場所を少し留守にしていたその合間、ケスチナ家の血を引く末裔が逃げ出してしまっていた。

 

 魔人の自分とは違ってロナは人間。虚弱な人間を戦場に連れていく事は出来ない。

 故にレッドアイはロナを安全地帯に残して、万が一の事が無いよう魔物兵達に見張らせていた。

 こうした事はこれまでにも何度もあり、これまではそれで何一つ問題など起こらなかった。

 

 しかし今回、自分が不在にしている隙を突いてロナは逃げ出してしまった。

 反抗する様子など全く見えなかったのに、もしやこれまでずっと機を伺っていたのだろうか。

 見張りの魔物兵達は全員が「眠ってしまった」などとフザけた言い訳を抜かす、皆殺しにして当然の無能揃いだった。もっとまともな兵に監視させておけば、とそんな後悔をしてももう遅い。

 

「……あぁぁ~、ロナ、ロナを……!」

 

 ロナを一刻も早く見つけなければ。

 レッドアイにとってロナはただの人間ではない。

 自らの創造主たるガウガウ・ケスチナ。その血を引いている唯一の末裔となる。

 

 ガウガウは自らが制作したレッドアイという名の宝石の魔法具に対し、ガウガウ自身が死んだ時には自己崩壊するという命令を下していた。

 しかしその事に気付いたレッドアイはその命令を『ガウガウ自身』から『ガウガウの血筋』に書き換える事によって、ガウガウの死によって自らが自己崩壊してしまう危機から逃れた。

 その後は自己崩壊の条件となるケスチナの血が絶える事の無いよう自らの手で管理し、強制的に交配させて子を産ませてを繰り返す事によって何百年もの時を生きてきた。

 

 故にもし今、ロナの身に何かあったら。

 この森から逃げ出した先、そこでどこぞの魔物に遭遇して殺されたりでもしたら。

 その時に死ぬのはロナだけではない。レッドアイ自身も一緒に死ぬ羽目になってしまう。

 

「……ウケ、ケ、ケケ……ケケケケケケ……!」

 

 いつ自分が死んでもおかしくないような状況。

 魔人となってから2千年以上、一度も手放した事の無かったケスチナの血筋の不在、レッドアイにとっての絶体絶命と言える現状。

 自己崩壊という名の恐怖に直面し、その目玉は気でも触れたかのようにケタケタ笑い、そして。

 

「ロォォォ~~ナァァァァ~~!!!!!!」

 

 慟哭のような絶叫が森中に響き渡った。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「……ん? いま何か聞こえなかったか?」

 

 ふいに立ち止まってそう尋ねてみるが、

 

「え、そう?」

「えぇ、別に何も聞こえなかったと思うけど……」

「……そか、気のせいか」

 

 ワーグとシルキィの返事を受けて、ランスは再び歩き始める。

 何処かの森で上がった宝石の魔人による絶叫はしかし、その頃すでにビューティーツリー付近まで戻ってきていたランス達には当然届く事は無く。

 

 そして。

 ランス達は行きと同じく約12日という日数を掛けて、その後遂に魔王城へと戻ってきた。

 

 

 

 

 

「……とまぁ、そんな訳でだ。こうして俺様は見事ロナを助け出す事に成功したのだ」

「はい。長旅お疲れ様でしたランス様、どうぞ」

 

 椅子に腰を下ろしたランスが今回の作戦の内容と成果を語れば、その労をねぎらってシィルが冷えたピンクウニューンを差し出す。

 

「うむ」

 

 それを手にとってごくりと一口、久方ぶりのその味で喉を潤したかと思いきや。

 

「……むか」

「あいたっ!」

 

 ポコリと一撃、ランスのグーがシィルのもこもこ頭の上に落ちた。

 

「あれ!? 私今どうして叩かれたんですか!?」

「……いや、何か俺様の20日以上にも及ぶ苦労を『お疲れ様でした』の一言であっさり片付けやがった事にイラついた」

「えぇー……」

 

 かなり理不尽な理由で折檻を食らったシィルと食らわせたランス。

 二人は今この魔王城に数多くある客室、それまで使われていなかった部屋の寝室に居た。

 二人の前にあるベッド。そこには先程からの話の中心人物であるロナ・ケスチナの姿が。

 

「……くぅ、……すぅ……」

「ふむ。ロナの身体の状態も大分良くなったように見えるな」

「そうですね。この城に居るヒーラーさん達が頑張ってくれたそうです。私も微力ながらお手伝いしましたよ」

 

 回復の力を持つメイドさん他、シィル達ヒーラーの尽力によってロナが負っていた怪我の状態も良くなり、見かけ上は傷や痣などが見当たらない程度には回復した。

 これまでの日常だった地獄を夢見ているのか、眉間に深い皺を寄せたままの表情で眠るロナの事を眺めながら、ランスは予てから考えていたある事について口を開く。

 

「とりあえずロナの怪我は治った。まぁまだ健康とは言えんほどにガリガリの身体ではあるが、これも飯を食いまくればその内に良くなるだろう」

「はい。そうなると思います」

「だがな。ここで一つ問題があるのだ」

「問題、ですか?」

「うむ。実は俺様がこいつを助けたのはただ単に可愛いからってだけじゃない。こいつは我がランス城のメイドに就職が決まっているのだ」

 

 そんなセリフを語りながら、ランスはその脳裏にメイド服を着たロナの姿を思い出す。

 ランスにとっての前回の第二次魔人戦争。その戦いの中で司令本部の役割を果たしていたランス城に侵攻してきた魔人レッドアイ。

 その討伐に成功した後、メイド長であるビスケッタが何処からか連れてきた少女、それがロナであり、その後ロナはビスケッタによる指導の下ランス城にてメイドとして働く事となった。

 

「ビスケッタさんが言うにはロナにはメイドの素養があるらしくてな。なんでも次代のメイド長候補とまで言われとったような覚えがある」

「メイド長候補ですか、それは凄いですね……って、あれ? でもじゃあビスケッタさんってロナちゃんに会った事があるんですか?」

「ん? ……まぁその辺はあんま気にすんな。とにかくそんな訳でロナにはメイドになって貰おうと思ってたんだが……困った事にここにはビスケッタさんが居ねぇんだよなぁ」

 

 それが先程ランスが口にした問題、この魔王城には前回の時ロナをメイドとして教育してくれたビスケッタが居ない。

 というかそもそも人間のメイドなど一人たりともおらず、この城内で清掃や炊事などを行っているのは全員が女の子モンスターのメイドさんとなる。

 

「……なぁシィル。ロナをメイドさんに任せて大丈夫だと思うか? メイドさんってのは部下のメイド教育とかは出来るのか?」

「ど、どうですかね……魔物とはいえ話してみると本当に普通のメイドさんって感じですから、出来なくは無いと思いますけど……」

 

 そこでシィルは一度言葉を区切ると、ベッドで眠るロナの事を切なそうな表情で見つめる。

 

「ただその……ロナちゃんの事を考えると、この城でっていうのは、あまり、その……」

「……そーだな。やっぱ俺様の城に連れてった方がいいか」

 

 奴隷が何を言いたいのかはすぐに分かったのか、ランスも渋い表情で同意する。

 

 ロナはこれまで過酷な環境の中に居た。魔人レッドアイによる支配の下生かさず殺さずの生き地獄の中で育ってきた影響からか、今はまだ表情も変えられぬ程に心を病んでしまっている。

 帰路の途中で何度かロナは目を覚ましたのだが、助け出されたと知ってもその実感が沸かないらしく、何処かであの赤い目玉が見ているのではないかと周囲のほんの小さな物音にも怯える状態。

 先程も一度目を覚ましてシィルと挨拶を交わしたのだが、シィルがどれだけ優しく声を掛けても自分の名前すらロクに喋れず、挙げ句には眠っている今でも悪夢にうなされている始末で。

 

 現状ロナはまともな状態とは言えず、これではとてもメイド教育など出来やしない。

 彼女のメンタルカウンセリングの事を考えると、右も左も魔物だらけのこの魔王城よりは人間が生活しているランス城の方がまだマシだろう、それがランスとシィルの共通見解であった。

 

「それじゃあランス様、ロナちゃんを連れて一旦ランス城の方に戻りましょうか」

「ま、そーするっきゃねーわな」

 

 どの道ロナはまだ子供でランスにとってのストライクゾーンの外にいる。その肋骨の浮いたガリガリの身体といい、色々な意味で今すぐに性欲を掻き立てられる対象では無い。

 前回の時のように暫くランス城でゆっくり休み、少し元気になってきたらメイドの仕事を一つずつ覚えていけばいい。そうして月日を重ねて食べ頃になったら美味しく戴こうじゃないか。

 そんな数年越しの計画を立てていたランスにとって、これからロナをランス城に連れていく事自体には不満など無かったのだが。

 

「……けどなぁ」

「ランス様、何か問題でもあるのですか?」

「問題って訳じゃねーけど……なーんか面倒くせぇなぁと思ってよ……」

 

 嫌そうに眉を歪めながら呟いた言葉、一旦自分の城に帰るのが単純に面倒くさい。

 簡単にランス城に帰ると言ってもこの魔王城からだと結構な距離がある。なげきの谷を越えて番裏の砦を通過して、ヘルマンを横断してバラオ山の南側を通って自由都市のCITYまで。

 往復で考えると一週間は掛かる道程であり、ついさっき20日以上にも及ぶ行脚の旅から返ってきたばかりの彼にとって、面倒だなぁと感じてしまっても仕方無いと言える道程である。

 

「シィル、俺様は魔王城で休んでるからお前がロナを連れてランス城まで行ってこい」

「え、私一人でですか!? でも私だけだと魔物とかと遭遇した時にちょっと心細いよーな……」

「んじゃかなみも付けるから」

「……まだ少し心細いような気が……」

「全くしゃーないヤツめ。んじゃ特別にウルザちゃんも付けてやろう」

「あ、そうですね。ウルザさんが一緒だったらとても心強いです」

 

 かなみはともかくウルザも同行してくれると聞いて、シィルはだいぶ前向きになったのだが、 

 

「……うーむ」

 

 そんな提案をしてみたランスはしかし納得のいかなそうに唸る。

 かなみとウルザを加えたとしてもそれは女4人での旅。リーザスなどと比べると治安の良くないヘルマンを通過する事なども加味すると、安心して行ってこいと言えるようなものでは無く。

 自分が行くのは面倒くさい。さりとて自分の女達に行かせるのも安心とは言えない状況。何かもっと別のグッドな方法はないのだろうか。

 

「……はぁ。ここにビスケッタさんが居ればなぁ」

 

 例えば今ここに自分に仕えるあのメイド長、ビスケッタ・ベルンズが居たのならば。

 それだったら事は簡単、ロナの事は全てビスケッタに任せるだけで万事問題無し。

 前回の時と同じく完璧なメイド教育を施し、必ずやロナを一人前のメイドにしてみせるだろう。

 

 故にランスはその名を呼んでみた。

 

 

「ビスケッタさーん」

「こちらに」

 

 ──居た。

 

 

「え?」

 

 ランスはその声が聞こえた背後を振り返って、

 

「……どわぁ!!? び、びび、ビ、ビスケッタさん!?」

 

 自分の目に映ったその人物の姿が信じられず、椅子から転げ落ちそうになった。

 

「はい、ビスケッタです。御主人様」

 

 恭しく一礼をする女性。ぴっちりと分けた前髪に真面目さの象徴のような眼鏡。

 メイド服を着込んだその姿はランス城のメイド長、ビスケッタ・ベルンズその人である。

 

「え、あ、え……う!?」

「び、ビスケッタさん!? ほ、本物ですか!?」

 

 驚きのあまりに口をパクパクさせるランスと、同じく驚きのあまり目を白黒させるシィル。

 

「はい、本物です。シィル様」

 

 平然と受け答えするそのメイド、ビスケッタは主人たるランスが冗談半分のようなノリでその名を呼んでみた所、当たり前のようにその姿を現した。

 主人に呼ばれたら何処にいようともすぐに駆け付ける。それがデキるメイドの条件であり、ビスケッタはデキるメイドである。

 

「……い、いやけど、ビスケッタさんはランス城に居たはず……だよな?」

 

 しかしいくらデキるメイドとはいえ、それでも彼女はランス城に居たはずの存在で。

 そんなビスケッタが何故この魔王城に居るのか、何故主人の呼び出しに応じる事が出来たのか。

 

「……ま、まさかビスケッタさん、私達が気付かなかっただけでずっと魔王城に居た……とか?」

「いいえシィル様、そういう訳ではありません。私はつい先程こちらの城に到着したのです」

「……つい先程到着した? ……て、何か用事でもあったのか?」

「はい、御主人様」

 

 見ればビスケッタは普段通りの姿では無く、その背中に大きな背嚢を背負っている。

 それを肩から床へと落ろすと、少し躊躇いがちにその口を開く。

 

「……私は御主人様から留守を任されている身。あの城を離れるなど本来ならば許される事ではありません。ですが……」

 

 時に鉄面皮とも称される彼女の表情。それは今も相変わらずではあったのだが、しかしそこにはほんの僅かに苦渋の色が見て取れる。

 ビスケッタがこの魔王城にやってきた理由、それは彼女がここ最近抱えていた悩みがその理由。

 

 事の発端は今から半年以上前、魔物界に向かう為ランスが自分の城を出発したあの時まで遡る。

 その悩みの原因は勿論ランス。出発の際にランスは行き先を伝えず、ビスケッタに対して「ちょっと出てくる」としか告げなかった。

 その為ビスケッタの感覚では一週間以内か、遅くとも一月以内には戻るだろうと考えていたのだが、しかしその予想を遥かに上回ってランスの不在期間はすでに半年を越えていた。

 

「御主人様の外出期間が想定していたよりも長くなってきましたので、やむを得ずこうして追加の荷物を届けに来た次第です」

 

 ビスケッタはその訪問理由を告げながら、背嚢の口を開いて中身を取り出す。

 

「荷物?」

「はい。そろそろ身の回りの物を切らしている頃合いではないかと思いまして。……シィル様、これをどうぞ。御主人様用のマグカップです」

「わぁ、有難うございます。そうそう、ちょうどこの前今使っているのをランス様が手を滑らせて落っことしちゃって、持ち手の部分が壊れちゃったのでどうしようかと思っていたんです」

「そしてこれ、替えの下着です。そろそろゴムが切れる頃かと」

 

 他にも替えの上下や身の回りの細かな物などの生活必需品、そして新品の防具や回復アイテムなどの冒険必需品の数々、果てはランスが不在中に人間世界で発刊されたエロ雑誌などなど。

 そのメイドは主人が充実した日常を過ごすのに必要なあらゆる物を背嚢から取り出しては、次々とシィルに手渡していく。

 

「すごい、こんなに沢山の荷物を……」

「……なるほど。これを届けに来たのか。さすがはビスケッタさん、本当に気が利くメイドだな」

「お褒めにあずかり光栄です」

 

 全ての荷物を渡し終わったビスケッタは、主人からの賛辞の言葉に慇懃に答えた後。

 

「それで御主人様、先程仰っていましたがこの私に何かお申し付けがございますのでしょうか」

「あ、そうそう。実はビスケッタさんに頼みたい事があってな。こいつの事なんだが……」

 

 まさかのビスケッタ登場に心底度肝を抜かれたランスであったが、とはいえこれは渡りに船。

 ベッドで眠るロナに目を向けながら、大雑把にこれまでの経緯を説明する。 

 

「……つー訳でロナをここじゃなくてランス城に連れていく必要がある。んでゆくゆくは立派なメイドにしたいのだ。だからビスケッタさん、君の手でロナを立派なメイドに育ててやってくれ」

「心得ました。では私がこのままランス城に連れて戻りましょう。御主人様がお帰りになられる頃までには彼女を御主人様の前に立たせられるメイドにしておきます」

「ん、頼むな」

 

 主人からの『頼む』という言葉を受けて、ビスケッタは先程と同じように恭しく一礼をした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「……ところでビスケッタさん」

「はい。何でございましょう」

「君はついさっきこの城に到着したばかりと言っていたが……それはマジなんだよな?」

「……と言うと?」

「いやな、さっきシィルも言ってた事なのだが、実はずっと前からこの城で普通に働いていたー……とかではないんだよな?」

 

 それは先程からずっと気になっていた事。

 いやまさかそんなはずは無いだろう。いくら何でも前々からビスケッタがこの魔王城に居たと言うなら、さすがに自分達が気付かないはずが無い。

 そうは思うのだが、しかしあまりにタイミングの良すぎる登場にどうしてもその疑念を払拭出来ず、ランスは恐る恐るそんな質問をしてみた。

 

「………………」

 

 するとビスケッタは意味深に沈黙して、そのメガネをキラリと光らせる。

 

「……あの」

「………………」

「ご、ごくり……」

 

 その無言の迫力に気圧されたのか、ランスは思わず生唾を飲み込む。

 

「……え、えっと、ビスケッタさん……」

「……私は御主人様から留守を預かった身。御主人様の帰還を待つのが仕事でございます」

「……そ、そっか。そうだよな」

「はい。私はメイドですから」

 

 ビスケッタの返答は先程と同じもの。その言葉にランスはホッと一息つく。

 となるとビスケッタが今ここに居るのはやはりあの荷物を届けに来たからであり、自分が呼び付けたタイミングで姿を見せたのは本当にホントの偶然なのだろう。

 そう納得しかけたランスだったのだが、しかしそこで疑問点がもう一つ。

 

(……あれ? でもまてよ、考えてみりゃここって魔物界だよな?)

 

 ランスが今居るのは魔物界の北部にある魔王城。その周辺は全てホーネット派の勢力圏となり、なげきの谷やブルトンツリー付近には数十万という魔物が生息している。

 ビスケッタはメイドだけでは無く格闘の才能も有する才女ではあるが、とはいえここは人類にとっての暗黒の地である魔物界。人間の女性がその身一つで進めるような場所では無い。

 

(普通は無理なはず……んじゃ一体ビスケッタさんはどうやってこの城までやって来たのだ?)

 

 極力魔物との戦闘を避けてきたのか。運良く魔物と出くわす事が無かったのか。

 あるいはそれとも。やはり自分が気付かなかっただけでビスケッタは前々からこの城に……。

 

「……なぁ、ビスケッタさん」

「はい」

 

 そんな事を尋ねようとしたランスだったが、

 

「……いや、やっぱいいや」

 

 なんか答えを聞くのが怖かったので止めた。

 ふとその時、頭の中に『瞬間移動』なるキーワードがパッと浮かんだのだが、口を噤んだランスがそれを言葉にする事は無く。

 

 

 ともあれ。こうしてランスはメイド長ビスケッタ・ベルンズと久しぶりに顔を合わせた。

 そして前回の時と同じく、ロナの心のケアや職業訓練に関しては彼女に一任する運びとなった。

 

 そして次の日。レッドアイの下からロナを救出してから13日後の事。

 ランスの下にとある報告が届けられ、そして事態は急展開を迎える事となる。

 

 

 

 

 

 



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魔人レッドアイ討伐作戦⑤

 

 

 

 

 ランスとシルキィとワーグの手によって助け出された少女、ロナ・ケスチナ。

 救出直後のロナは精神状態が不安定だった為、彼女の世話は前回の時と同じようにビスケッタに任せる事に決定。

 そうして人間世界へと戻っていく、メイド長と未来のメイド長候補の姿を城門から見送って。

 

 そして。

 ランスがその話を聞いたのは次の日の事。

 

 

 

 

「レッドアイがロナの事を探してる?」

「はい。どうやらそのようです」

 

 ランスの部屋にやって来たその軍師──ウルザは頷きながら言葉を続ける。

 

「私も先程耳にしたばかりの話なのですが……これまで専ら殺戮目的でホーネット派勢力圏に侵攻を行ってきた魔人レッドアイですが、なんでも今はその様子が不審なようです。『ロナは何処だ』『ロナを出せ』などと繰り返し叫びながら、前線のあちらこちらを移動しているとか」

 

 その情報源はほんの一時間前、魔王城に帰還したばかりの飛行魔物兵部隊から。

 ウルザは軍師として現在の戦況、最前線の魔界都市ビューティーツリーの状況などの情報収集を行っていた所、魔物兵達からそんな話を耳にした。

 そしてこれはと直感が走り、すぐにランスに伝えに来たのだった。

 

「今のレッドアイの動きは戦うというよりも何かの捜索をしているといった感じで、ホーネットさんも少し対応に困っているみたいです」

 

 とそんな話を聞き終えたランスは「……ほーん」と気の抜けた声を返した後。

 

「……けど、どーしてあのキチガイはそんなにロナの事を……?」

 

 率直に頭に浮かんだ疑問、何故魔人レッドアイはそこまでロナに執着しているのか。

 その答えとなるロナの血筋、ガウガウ・ケスチナがレッドアイに下した自己崩壊命令の秘密。

 ランスはそこら辺の事情を何一つ知らずしてロナを攫ってきた為、その執着の理由について5秒程考えを巡らせてみた後。

 

「……そうか、分かったぞウルザちゃん」

「何がですか?」

「あの目玉野郎はきっとロリコンだ。ロナに執心しとるのもそれが性癖だからって訳だ。……どうだ、名推理だろう?」

「……どうでしょう、そういう理由では無いような気もしますが……」

 

 いかにもランスらしい推察を受けて、ウルザは同意しかねると言いたげに眉根を寄せる。

 

「……いずれにせよ、魔人レッドアイにとってロナさんはただの人間という訳では無く、そばに置くだけの理由があるという事ですね。……そして、ロナさんを取り返そうとするだけの理由も」

 

 その少し語気を強めた台詞が意味する所。

 ウルザが軍師として何を言いたいのか、それはランスもすぐに察したらしく、

 

 

「なるほど……それ、使えそうだな」

 

 そう言いながら口元をにやりと歪めた。

 

 

「ヤツはロナの事を探している。ならロナの存在を上手く利用すりゃあヤツを罠にハメる事も出来るって訳だ」

「えぇ、その可能性は十分にあると思います。……ただ当のロナさんはすでにランス城に送ってしまったのですよね? 仮にその事を知られてしまうとレッドアイの目が人間世界に向いてしまう危険性もありますが……」

「へーきへーき、バレやしねぇってそんな事。なんたってヤツはキチガイだからな」

 

 その魔人のキャラクター、性格や思想などを聞き及んでしかいないウルザとは違って、直に相対した経験のあるランスは不敵に笑う。

 レッドアイは狂気の魔人などと呼ばれる点からも明らかなように、何処からどう見ても思慮深いような性格はしていない。

 そんなレッドアイがロナはすでに魔物界に居ないなどと気付けるはずも無し。ロナを探す事に没頭している今ならその行動を読んで罠を仕掛けるのだって容易な事。

 

「……ふむふむ、あーしてこーして……」

 

 特にこの男、ランスという男は相手を罠に嵌める事にかけては得意中の得意としている。

 ほんの一分も掛からない内に、その脳内では憎き目玉を陥れる作戦が組み上がっていく。

 

「……となると必要になるのは……」

 

 そしてその作戦の目的はただ一つ、魔人レッドアイを討伐する事に他ならない。

 そう考えた時に必要となる一番の要素と言えば。

 

「……やっぱあいつか」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 魔界都市ビューティーツリー。

 魔物界の中部に位置し、都市の中心にある巨大な世界樹から取れる食物の恵みに溢れる場所。

 

 そして今現在はホーネット派の最前線拠点。

 そんな都市の一角に設置されたテント、指揮官用の一番大きなテント内で。

 

 

 

「……あ」

 

 ふいに感じた気配。

 入り口の向こう側から伝わってくる無言の圧、それを肌で感じ取ったのか。

 

「……構いませんよ、メガラス」

 

 昼食を食べ終わって小休止していたその魔人──ホーネットが入室の許可を与える。

 

「………………」

 

 すると入り口の布が開かれ、その言葉通りの相手である魔人メガラスが入ってくる。

 常に無口なその魔人は挨拶する事も無いが、それはホーネットの方もすでに理解している所。

 

「メガラス、どうかしたのですか?」

 

 故に余計な会話を挟んだりなどはせず、単刀直入にその要件を伺う。

 

「………………」

 

 するとその魔人は相変わらずの無言で近付いてくると、その右手をすっと前に差し出す。

 その手にあったのは一通の手紙。というべきか、一枚の紙を半分に折っただけの簡素なもの。

 

「これを私に?」

「………………」

 

 小さく頷く相手の姿を目にしたホーネットは、その手紙を受け取って表と裏側に軽く目を通す。

 何処にも差出人の名前が無い事を確認したのち、半分の折られたその紙切れを開いてみると──

 

 

「ッ!?」

 

 鋭く息を呑む音と共に、その金色に輝く瞳が大きく見開かれる。

 そして途端に震え始めるその指先。魔人筆頭が手に持つその紙切れにはほんの短く一文、

 

 

『大事な話がある。今すぐ俺様の所に来い』

 

 そう書かれていた。

 

 

「こ、れは……」

 

 二度三度とその短い文面を読み直してから、ホーネットはごくりと生唾を飲み込む。

 差出人の名前が無い手紙だが、しかしこんな文章を書く相手などあの男以外に考えられない。

 そして何よりその文面。そこに書かれている文字列が意味する所とは。

 

「……メガラス、この手紙は……」

「………………」

 

 思わずといった感じで問い掛けた質問に対し、その魔人は無言で首を横に振る。

 自分は配達を頼まれただけで手紙の内容にはノータッチ。恐らくそう言いたいのだろう。

 

「……そうですか」

 

 ホーネットは再度手紙の文面に視線を戻す。

 そして何度読み返しても冷静ではいられない、その文字列をじっと見つめる。

 

(……大事な話)

 

 その手紙の要件、それは何らかの話を打ち明けたいから自分の所に来て欲しいというもので。

 

(……あのランスが、この私を呼び出して話そうと考える事。それは……)

 

 それは多分、いや間違いなくあの事に関して。

 一月以上前、魔王専用の浴室で拒否して以降音沙汰の無かった性交渉に関しての事だろう。今のホーネットにはそれしか思い浮かばない。

 自分はあの時に一度はっきりと断っている。にも拘わらずこうして呼び付けるという事は何かランスなりに思う事があったのか、もしかしたら何らかの打開策を見つけたのかもしれない。

 

(……だとすると。……だとすると、この呼び出しに応じたならば、私はきっと……)

 

 きっと何事も無くは終わらない。

 彼との関係性に必ずや大きな変化が生じる。そんな確信に近い予感がある。

 

(……ランス、と……)

 

 彼と今以上の関係になる事。

 そんな予感が醸し出す魔力と呼ぶべきか、その言葉の誘引力たるや。

 

 単にこうして手紙一枚、接触の機会を向こうから持ちかけられただけで内心では心が弾むのを抑えられない今のホーネットにとって、それはとても抗い難い誘惑。

 そう呼んでも差し支えない程、すでにその心中ではその存在の占める割合が大きくなっていた。

 

 だが。

 

 

「……いえ」

 

 その口から出たのは否定の言葉。

 それはこれまで彼女が自らに対して徹底的に課してきたもの。魔人筆頭という立場故か、あるいは派閥の主としての責任感故か。

 

「……今は駄目です。あのレッドアイが不審な行動を見せている今、この私がビューティーツリーを離れる訳にはいきません」

 

 とにかく理性の方が上回って、ホーネットはその感情を心の奥にそっとしまい込んだ。

 

「……メガラス。貴方にこのような事を頼むのも心苦しいのですが、この手紙に応じる事は出来ませんと、ランスにそう伝えてきて貰えますか?」

「………………」

 

 派閥の主からの要望にメガラスは無言で頷き、そのまますぐにテントから退出していく。

 

「……ふぅ」

 

 その背中を見届けてから、ホーネットは緊張の糸が切れたかのように吐息を漏らす。

 

 そして思うはあの男の事。前回最後に会ってからそろそろ一ヶ月ぶりとなるあの男の事。

 前線に出撃してからは努めて考えないようにしてきた、しかしこうして手紙を貰った事で嫌でも頭に浮かんでしまうその姿。

 

(……会いたい、ですけれどね)

 

 その気持ちはある。強くある。

 けれど先程自分が取った選択肢は正しい。きっと間違ってなんかいない。

 自分はこの派閥の主。志を共にする多くの魔物達や魔人が集ったホーネット派、その派閥の名を冠する魔人筆頭である以上自分にはその責務を全うする義務がある。

 その義務を自分の感情ただ一つだけで放棄する事など許されないし、そして何より、そんな自分の姿を彼に見せたいとは思わなかった。

 

(……もしレッドアイを倒せたなら、その時はきっと……)

 

 これまでも繰り返し侵攻を行い、ホーネット派に最も被害を与えてきた魔人レッドアイ。

 自分にとってはまさに因縁の相手。今まで幾度と戦いその都度引き分けてきた以上、負ける気はせずとも勝機があるとも言い難いのが実情ではある。

 

 しかし必ずや打ち勝ってみせる。そしてその時にこそ彼が言う大事な話を聞きたい。

 その時ならきっと前に進める。彼の言う大事な話がどんなものであろうと、きっと全てを受け入れる事が出来るはずだと思うから。

 

 ……などと、この時のホーネットは自分が今置かれている状況を考えた上でそんな事を、言い換えると悠長にもそんな事を考えていたのだが。

 

 

 

 

 

 しかしその次の日。

 

「おう、入るぞ」

 

 相手からの応答も待たずして、テントの入り口がザッと開かれる。

 

「……な」

 

 するとそのテントの中に居た相手、ホーネットは瞠目した様子で硬直し、両手に持っていた紙の束をパラパラと零してしまう。

 その目に映った人物、それは魔人筆頭意中の人、もう暫くは会えないと覚悟していたその姿。

 

「……ランス、どうしてここに……」

「あ? どうしてだと?」

 

 呆然としたように呟くホーネットに対して、ランスは大層不機嫌そうにその顔を顰める。

 

「あのなぁホーネットよ、んなのお前が城に戻ってこねーからに決まってんだろーが」

「それは……そう、ですね。……そういえば貴方はそういう人物でしたね」

 

 その返答を受けて、魔人筆頭は自らの覚悟の方向が間違っていた事を深く理解した。

 あの呼び出しに応じるのは今じゃない。彼の言う大事な話を聞くのは今では無く、魔人レッドアイの討伐を達成してからにしよう。

 とそんな事を考えていた訳だが、しかしそれを相手が受け入れるかは別問題であって。

 

「全く、この俺様の呼び出しを無視するとは。中々いい度胸してるじゃねーかよ」

 

 当然ながらランスはそんなに気の長い人間では無い。ホーネットが呼び出しに応じないならば仕方無しと、うし車を飛ばして一人このビューティーツリーまでやって来たのだった。

 

「つーかお前、俺様がホーネット派の影の支配者だって事を忘れてんじゃねーだろうな」

「それは貴方が勝手に言っているだけでは……。それに私はこの場所でケイブリス派の侵攻に備えなければなりません。今はとても……とても魔王城に戻れるような状況下では無いのです」

「みてーだな。だからこーして俺様が足を運んでやったって訳だ、ちゃんと感謝するよーに」

「……えぇ」

 

 上から目線でものを言うランスに対して、ホーネットは曖昧に頷きを返して、そして。

 

「……それで、あの……ランス」

「何じゃ」

「……その、貴方があの手紙で言っていた大事な話とは……一体どのようなものですか?」

 

 つぶさに観察すればその頬はほんのりと赤く、その瞳も普段の時よりも潤んでいて。

 その指先ではドレスのすそを整えていたりと、とにかく魔人筆頭はどこか落ち着かない様子。

 

 それはあの手紙を目にした時に生じて、一度はその心中にしまい込んだはずの感情。

 ではあるのだが、しかしランスの方から来てしまった以上はしまい込んでいても意味が無い。

 

 こうしてわざわざ会いに来る程の要件、次に彼の口から聞こえるであろう言葉。

 その返事だけはちゃんとしなくてはならない。これ以上はぐらかすべきじゃない。

 ホーネットはそんな気持ちを胸に、密かに決意を固めてその言葉を待っていたのだが。

 

 

「おう、実はレッドアイの事で話があってな」

 

 しかし聞こえてきたのは予期せぬ言葉。

 

 

「……レッドアイ?」

 

 ──何故このタイミングでその名前が?

 とそんな台詞を口にするかのように、ホーネットは不審げに眉根を寄せる。

 そんな表情から言いたい事を察したのか、ランスはあっけらかんとした顔で言い放った。

 

「そりゃあお前、この状況で大事な話があるっつったら目玉退治の事しかねーだろ」

 

 今この状況。派閥戦争という戦時中、そして魔人レッドアイが活発に動きを見せている最中、その討伐以上に大事な話があるのか。

 それはランスが言う台詞と言うよりもむしろ、少し前までであれば他ならぬホーネット自身が言いそうな台詞であって。

 

「……そうですね」

「だろ?」

「……えぇ、全て貴方の言う通りです」

 

 まさかの正論で斬られてしまった魔人筆頭。

 決して意識はしていないつもりだった。しかし結局は意識してしまっていたのか。

 戦時下においては相応しくない、おかしな方向に思考が向いていた自らを自省し、ホーネットは少々気まずそうにその顔を伏せる。

 

「……ですがランス、次に手紙を書く時にはちゃんと要件を記載してくれると助かります」

「ありゃ、書いてなかったっけか? けどまぁんな事どーだっていいだろ」

「良くはありません、とても大切な事です」

 

 ──変な勘違いをさせないでください。

 とそんな台詞を声なき声で呟いた後、ホーネットはしっかりと頭を切り替えて。

 

「……それで、レッドアイに関して……でしたね。一体どのような話ですか?」

「うむ。ちょいと聞いた話なのだがな、なんでもレッドアイのヤツがロナの事を探してるらしいじゃねーかよ」

「あぁ、その話ですか。……そうですね、大体一週間前ぐらいからでしょうか……」

 

 その頭の中に数日前からの出来事を思い浮かべながら、魔人筆頭は語り始める。

 

 ここ最近になって再びホーネット派支配圏への侵攻を開始した魔人レッドアイ。

 それを迎え撃つ為にとホーネットはビューティーツリーの防衛に就き、そして二週間程前に両者は一度激戦を繰り広げる事となった。

 その時にはこれまでと何ら変わりの無い、いつも通りの狂った調子だったレッドアイだが、しかしその数日後に姿を見せた時その様子は一変していた。

 

 その目玉は狂気に身を宿すというよりも、恐怖に追い立てられているかのようで。

 そして常のように戦いに臨んできたホーネットの姿を見るや否や、そんな事している場合じゃないとばかりにロクに戦いもせず逃げ出していく始末。

 あの好戦的な魔人レッドアイが早々に背を向けるなど初めての事で、何度も相対してきたホーネットはその奇妙な変化に戸惑いを隠せなかった。

 

 

「……ふむふむ、なるほどなるほど。その様子だとヤツはよっぽどロナが大事みてーだな」

「どうやらそうらしいですね。しかしそのロナというのが一体何を指すのか……」

「ロナってのはあの目玉野郎の下に捕らわれていた人間の女の子だ。んでついこの前に俺様がちょちょっと動いて助け出してきたのだ」

「……貴方が?」

 

 僅かに首を傾げる魔人筆頭の言葉に、その男は「そのとーり!」と尊大に頷く。

 魔人レッドアイの現状の説明を受けたランスはそのお返しとばかりに、自らが実行してきたロナ救出作戦のあらましをかい摘んで説明する。

 

「……てな感じで俺様はロナを救出した。んでそれを今あの目玉野郎が探しているって訳だ」

「……成る程、そういう事でしたか」

 

 その説明を聞き終えると、ホーネットは得心がいったように一度頷く。

 

「あのレッドアイが『ロナを返せ』だとか『お前達ホーネット派の仕業だろう』だとか、訳の分からぬ事を多々言うので何の話かと思っていましたが……全くの濡れ衣では無かったのですね」

「ま、そういう訳だ。とにかくこの絶好の機会を逃す手は無い。ロナ探しに没頭しているヤツを罠にハメてぶっ殺す作戦を考えてきたのだ」

「作戦?」

「そ。まずあーしてな、んで次にこーするだろ? んでその次は……」

 

 そしてランスがペラペラと語るその話こそ、例の手紙に書いていた大事な話の内容。

 憎き目玉を退治する為にと、ランスが悪知恵を働かせて作り上げた魔人レッドアイ討伐作戦。

 

「……どうだ? 悪くねー作戦だろ?」

「………………」

 

 その全貌を聞き終えた魔人筆頭は複雑そうな表情となって、はぁ、と息を吐く。

 

「……何と言うか、子供騙しのような作戦ですね。本当にそれで良いのですか?」

「だいじょーぶだいじょーぶ。絶対にこれでイケるはずだ。なんせヤツはキチガイだからな」

「……にしても、貴方は相変わらず正々堂々とは無縁というか……卑怯な手段を選びますね」

「ちっちっち、楽チンで被害の少ない優れた手段と言いたまえ。現にメディウサをぶっ殺した時だって俺様が決めた作戦で戦ったら楽に片付いたろ?」

「それは……」

 

 ランスが過去の功績を例に上げると、無視する事は出来ないのかホーネットも表情を変える。

 彼女は品行方正を旨としておりランスが考えるような作戦は好みの戦法では無い。しかし彼が言う通り実績があるのも事実だという、そんな理性的に考えた場合の理由が一つ。

 

「……ですが、そうですね」

 

 そしてもう一つの理由はもっと単純。

 ランスがこうしてホーネット派の為に動いてくれた。その事実が率直に嬉しいので、ならばその意思と計画を尊重してみたい。

 そんな感情的に考えた場合の理由も加わって。

 

「……分かりました。ならばここは貴方の言う通りにしてみましょう」

 

 そう言って頷くホーネットの姿を見て、ランスはその顔によく似合う強気な笑みを浮かべた。

 

「よっしゃ、んじゃすぐに作戦開始だ。さっそく準備に取り掛かるぞ」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「……オォ~……」

 

 あれからどれだけの時が経過したのか。

 もはや時間の感覚すらも覚束ないまま、レッドアイは彷徨い続ける。

 

「……オォ~、ロナァ~……」

 

 そうして探し求めるもの、それは自分の支配下から逃げ出したロナ・ケスチナただ一人。

 深い森の中や乾いた荒野の先など、どちらの派閥の支配圏など気にせずあちこちと捜索を繰り返してきたのだが、しかし何のあても無く一人の人間を探すにはこの魔物界はあまりにも広すぎる。

 どれだけ探しても一向に目当ての存在は見つからないまま、ただただ時間だけが過ぎていく。

 

「ロナァ~、ロナァ~……!」

 

 けれどもその魔人は止まらない。何故ならロナの死と自らの死はイコールだから。

 次の瞬間にも自己崩壊するかもしれない。これまで想像した事も無かった恐怖に突き動かされ、魔人レッドアイはロナ捜索に狂奔していく。

 その姿は傍目から見ても周囲を警戒したり気を払ったりしているようには見えず、あの男の言う通り罠に嵌めようとするならば今が絶好の機会と呼べるもので。

 

 

 それからまたどれだけ時が経過したか。

 とにかくレッドアイがそれまでと変わらず、何処かも分からない場所を探し回っていた時。

 

「……オ?」

 

 それまでは落ち着き無く上下左右にと揺れ動いていた赤い眼球。その動きがピタっと止まって、

 

「……オ、おぉ……!!」

 

 何か眩しいものを見たかのように見開かれる。

 その視界の先。何処かも分からない森の入口、そこには何故か大きな立て看板が設置してあり、その板面にはドデカく一言。

 

 

『ロナはこっちに居ます→』

 

 そんな待望の情報が書かれていた。

 

 

「ぉぉおおオオ!! ロナ、ロナァァアアー!!」

 

 誰かがロナを見つけてくれていた。そしてどうやら保護してくれていたらしい。

 まさかこんな親切な誰かが居るなんてと、魔人レッドアイは歓喜に全身を震わせる。

 それは一見して胡散臭そうな看板、誰が見てもすぐに罠だと分かりそうな代物であったが、その目玉は欠片も疑いなど持たずにその矢印が示す方へと向かって猛ダッシュしていく。

 

「ロナ……ロナ……!」

 

 そして2,3キロ程進むとまた大きな看板が。

 そこには先程と同じように『ロナはこっちに居ます→』と、変わらぬ方向を示している。

 そしてまた2,3キロ進むと看板が設置されていて……とそんな事を繰り返していく内に、レッドアイは気付かぬ内にホーネット派勢力圏内の奥深くへと進路を誘導されていく。

 

 やがて深い森を抜けると、その先には不自然にもぽっかりと切り開かれている大広場が。

 そしてこれまた不自然にも大きな岩がそこかしこに置かれており、まるでその陰に誰かが隠れていますよと言わんばかりのシチュエーション。

 

「……けけけ。見つけた、ロナ……!!」

 

 僅かでも警戒心が働く者であれば進むのを躊躇しそうな場所だが、しかしその目玉は止まらない。

 何故ならその広場の中央、そこに『ロナはここです』と書かれた看板が設置されていたから。

 

「ロナッ! ロナはソコ!!」

 

 そうして最後の看板の前に到着した魔人レッドアイだったが、

 

「……おー? ロナはどこ? ホワイ?」

 

 何者かの指示に従ってここまで来てみたものの、探していた人物の姿は何処にも見当たらない。

 これはどういう事なのかと、ようやく目の前だけじゃなく周囲にも目を向けようとしたその時。

 

「……ヌゥ?」

 

 その目玉は異変に気付く。

 自らが寄生している闘神Γ、その機体がその場から前に進もうとしない。

 

「う、動か、ナイ……!?」

 

 寄生能力を駆使して脚部を持ち上げる命令を何度も送ってはいるのだが、しかし地面がとりもちのように引っ付いてきて剥がれない。

 これはとある魔法による効果。レッドアイ自身はそういう搦め手を必要とはしないのでこの魔法の詳細自体には不知であったのだが、

 

「……これは、もしや……ミーをハメる為のトラップちゅーヤツか?」

 

 この状況。ふと考えてみればあやしさ満点の看板と足止め効果のある魔法。

 それらが罠なのだと遅まきながらも気付き、そんなセリフを口にしたその時。

 どうやらそれが合図となったのか、岩陰に隠れていた者達が姿を現した。

 

 

「……本当に成功しましたね。まさかこんな方法で誘き出せるなんて……」

 

 それは巨銃を持つ天使のような魔人。

 

 

「……なんか、今までこんなヤツに苦労させられてきたのだと思うと悲しくなってくるな」

 

 自ら制作したガーディアンと共に構える魔人。

 

 

「同感。……それにしても、ランスさんの勝ち誇った顔が目に浮かぶようだわ」

 

 そして頑強な装甲を着込む魔人四天王。

 そして。

 

 

「……グヌ、ほ、ホーネット……」

 

 四方をホーネット派魔人に囲まれた闘神Γ。

 その首元に寄生する赤い目玉に映った相手、それはこれまで何度も戦ってきた因縁の相手。

 周囲に浮かぶ6つの魔法球を光らせながら、その魔人は常と変わらない様子で口を開いた。

 

「決着を付けましょう……レッドアイ」

 

 

 

 

 

 

 



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VS 魔人レッドアイ②

 

 

 

 

 そこは魔物界中部の西端、ビューティーツリーとキトゥイツリーの丁度中間点にある地点。

 今回の計画の実行を容易にする為にと、木々を伐採して森の中に拓かれた大きな空き地。

 動きを止める罠と4名ものホーネット派魔人が待ち構えていたその場所は、言わば魔人レッドアイの為に用意された処刑場である。

 

「グ、グ、グ……!」

 

 その中央で拘束されている獲物、それは魔人の中で一番の魔法の才を有する存在。

 そんなLV3の魔力と互角に撃ち合える程の力を持つ魔人ホーネット、そして遠距離からの火炎砲の一撃が十八番となる魔人ハウゼル。

 そんな面々が戦っている事もあってか、その処刑場は莫大な熱量と多彩な魔力の残滓が飛び交う魔法合戦の様相を呈していた。

 

 

「ぐぐぐぐぅ~! ファーーック!!!」

 

 相変わらずの雑言を発しながら、魔人レッドアイは高めた魔力を発射する。

 触手の先から放たれた極細の青いレーザー、幾条ものスノーレーザーが向かう先は空中、中天を華麗に飛翔するホーネット派魔人がその狙い。

 

「レッドアイッ!!」

 

 その魔人──ハウゼルは斜め下に向けて構えた愛銃の引き金を引き、その銃口から発射された火炎の奔流でもって迎え撃つ。

 そして極細の青いレーザーと極太の赤い大砲が両者の中間点で衝突。互いの攻撃魔法の威力は若干ハウゼルの方に軍配が上がったのか、その爆炎が徐々に冷気を押し込んでいく。

 

「……シィィーット!!」

 

 瞬時にバリアーを張って迫りくる火炎から身を守りながらも、レッドアイは悔しげに呻く。

 さすがに巨銃での一撃に定評のある魔人ハウゼルの攻撃だけあって、その火炎はスノーレーザーを数発食らわせた程度では止まりそうにない。

 あれに打ち勝つにはレーザー系魔法じゃなくてその上位、破壊光線が必要か……と、そんな事を考えている余裕すらもありはしない状況で。

 

「ならお次は──グヘェ!?」

 

 レッドアイが次なる攻撃魔法の魔力を練り上げようとしたその時、それを遮るかのようにして闘神Γの背面を強い衝撃が襲う。

 それが何なのかは見ずとも分かる、後方に居るあの魔人からの攻撃魔法に他ならない。

 

「グググゥ~……ホーネットォ……!!」

 

 レッドアイは闘神Γの首周りを沿うように移動して背後に周り、その相手を憎々しげに睨む。

 そこに佇む姿、魔人レッドアイが以前から何度も戦ってきた宿敵──魔人筆頭を。 

 

「バックからアタックするなんて! なんてダーティなヤツ! なんてファッキンなヤツ!!」

「………………」

「ホーネットッ!! ユーのハートにはミーのような誠実さっちゅーもんがないんか!?」

「……まだお喋りをする余裕があるようですね」

 

 耳障りな雑音を適当に聞き流して、ホーネットは自身の周囲に展開している6つの魔法球の光度を再び高めていく。

 

「ノーッ!!」

 

 新たな攻撃魔法の予兆を目の当たりにしたレッドアイは慌てて元々居た場所──闘神Γの首元へと逃げ戻る。

 だがそうして安全地帯に戻ったはいいが、正面には魔人ハウゼルの銃口がピタリと狙いを定め、背後には魔人筆頭が睨みを利かせるこの状況。おまけに左右にもニ体の魔人が構えるこの窮地を逃れる手立てが一向に思い付かない。

 

(オーノー! これはピンチ!! ミーのベリーベリー、ピーンチ!!)

 

 如何な魔人レッドアイとはいえ。そしてその寄生体が魔人と互角の力を持つ闘神Γとはいえ。

 敵に回しているのが4名の魔人とあっては、その身を守るのが精一杯という有様である。

 

 特にその背後に居る相手、これまで何度も戦ってきた魔人ホーネット。長きに渡り決着の付かなかった宿敵であるが、言い換えるとそれはレッドアイにとってもホーネットは引き分けるのが精一杯の相手だと言う事で。

 そんな強敵に加えて魔人サテラと魔人ハウゼル、そして魔人四天王であるシルキィすらも加わったこの状況では、客観的に見てもレッドアイの方に勝ち目など存在しなかった。

 

(ここは一旦エスケーイプするがよろし。早くバイバーイしたい、の、だが……!)

 

 この場においては逃げるが勝ち。

 それは分かっているのだが、しかしそれを許さないのが闘神の脚部を拘束するもの。

 魔人筆頭自らがその魔力で以て張り巡らせた強力な粘着地面に加えて、4名のホーネット派魔人達がそれぞれ四方を囲む形で構えており、ここから逃亡を図るのはとても困難だと言わざるを得ない。

 

(……ケ、ケケ……こうなればぁ……!)

 

 このままでは負けてしまう。このままここで半端な魔法を撃ち続けていても意味が無い。

 この状況を一変するにはもっと強烈な一撃が必要だと判断したのか、レッドアイは闘神Γの両腕を自身の目の前で交差させての防御態勢を取る。

 その間も飛んでくるハウゼルの火炎とホーネットの魔法攻撃に耐えながら、この状況を打開する一撃に必要な魔力を十分に練り上げて、そして。

 

「……ハウゼーールっ!!!」

「ッ!」

 

 その名を高らかに呼びながら、レッドアイは闘神Γの防御を解いて触手の先をそちらに向ける。

 その標的、警戒した表情を見せるハウゼル目掛けて強烈な一撃を発射した。……と見せかけて。

 

「──ケケケケ!! ホントはコッチ!!」

 

 やはりレッドアイにとって叩き潰したいのはハウゼルでは無くその相手なのか。

 正面に向けていた触手の先が瞬時に背後へと向き直り、そこに居るホーネット目掛けて練り上げた魔力を最も強い色の破壊の形に──黒色破壊光線として解き放った。

 

「ホーネット様っ!」

 

 その黒の極光を視界に捉えたサテラの悲鳴が上がる中、

 

「………………」

 

 しかし魔人筆頭は怯みもせず、瞼を閉じて呪文の詠唱にその神経を集中させる。

 受けようとする素振りなど欠片も見せないその姿が示す通りに、やはりその黒色破壊光線はホーネットまで届く事は無く。

 

「くうッ!」

 

 驚異的な速度で地を蹴り光線の通り道に割り込んできた巨大な装甲、魔人四天王シルキィ・リトルレーズンによって防がれる。

 

「うぅ、うぐッ……!」

 

 以前防いだ白色破壊光線の数倍の威力、その破壊の圧に巨大な装甲がじりじりと後退していく。

 しかしこの戦いに臨むに当たってしっかりと装甲を修理してきた事も功を奏してか、決してその背後にまで破壊の光を届かせる事は無く。

 

「………………」

 

 腹心たる魔人四天王がそれを防いでくれる事を分かっていたのか、魔人筆頭は目を閉じたまま呪文の詠唱を止める事すらも無く。そして。

 

「──ふッ!」

 

 小さく息を吐く音と共に、彼女の周囲に浮かぶ6つの魔法球の内、白の魔法球が眩く発光する。

 そこからお返しの如く発射されたのは対をなすような純白の輝き、白色破壊光線。

 

「ホワット!?」

 

 今まさに攻撃中のレッドアイに迎撃の魔法までを繰り出す余裕は無く、仕方無く闘神Γの右腕を盾にして迫りくる極光を受け止める。

 しかしいくら闘神といえども相手は魔人の中でトップクラスの実力を持つ魔人筆頭、その強烈な魔力を受け続けるのにも限度というものがあって。

 

「グゥ……! オ、オオ……!?」

 

 焼けるような熱を帯び始める闘神Γの右腕部。

 そして金属が折れ曲がる時に聞こえる不協和音と共に、そこに巻き付けていた自身の触手ごとブチブチと千切れていく嫌な感覚。

 

「……オオーー!! マイガァーー!!!!」

 

 そして聞こえる驚愕と悲しみの叫び。それは100年以上もの長き年月に渡って使用しているお気に入りの機体、それが修復不可能な程に破損してしまった事を示す絶叫。

 ホーネットが放った白色破壊光線の圧力に耐えかね、闘神Γの肩口から先、右腕のパイプ部分が焼き切れるようにして千切れ、その右腕部は胴体から離れて後方へと転がっていった。

 

「……み、ミーの……ミーのベリィエクセレントな闘神ボディがーー!!」

 

 パーフェクトな機体だった闘神Γ、それがもうパーフェクトでは無くなってしまった。

 その事実に戦闘の最中である事も一旦忘れ、魔人レッドアイは大いに嘆き悲しむ。

 

 

「………………」

 

 その悲鳴、その慟哭の声を聞きながら。

 

(……ようやく腕一つ、ですか)

 

 ホーネットは自身の放った魔法の成果に、これまで幾度と重ねてきたレッドアイとの戦いで初となる目に見える成果を受けて、僅かなりとも感慨深いような心地でいた。

 

(しかしこれだけの戦闘を重ねて腕一つとは。人間が作った兵器と侮る事は出来ませんね)

 

 闘神とは古き時代に人間が作り上げた代物。だが人造物とはいえその戦闘能力は一驚に値する。

 まともにメンテナンスなど受けていないであろうあの闘神がここまで自分の攻撃を耐えてきた事から見ても、その耐久性能などは確かに魔人に比する程と言えるのかもしれない。

 

(……ですが、そろそろ限界のようですね)

 

 とはいえこうしてその右腕部は壊れた。

 そして右腕部が壊れたという事は、同じようにこれまで自分の魔法を受け続けてきた他の箇所の耐久性の限界も近いはずで。

 

(……このまま順当に事が進めば、私の六色破壊光線を使わずとも……)

 

 ──勝利は可能か。

 魔人筆頭がその心中で思う事、それは自身の必殺の魔法を温存しておけるかどうかについて。

 

 ホーネットには全ての魔法球を使って放つ大技、六色破壊光線という必殺の魔法がある。

 しかしこれまでにその必殺魔法をレッドアイに対して使用したのは一度だけ。その一度の際、お互いの必殺魔法の衝突が原因で死の大地が発生してしまった事を後悔し、それ以降彼女はレッドアイとの戦闘で六色破壊光線を使うのを控えてきた。

 

(……今回ランスが立てた作戦の目的は確実にレッドアイを討ち取る事。故に一応六色破壊光線を使う可能性も考慮してはいましたが……)

 

 ホーネット達が今戦っているこの場所。それも六色破壊光線を放つ可能性を鑑みたが故の事。

 ここは付近の魔界都市から十分に離れた場所に位置しており、もし仮にこの地が死の大地になったとしても灰の効果が付近の魔界都市の世界樹までは及ばないよう考慮されている。

 だから今のホーネットはいざとなれば六色破壊光線を放つ事が出来る。少なくともその覚悟だけはしてこの戦いに臨んでいる。

 

(……しかしこの分であればその必要はなさそうですね。……勿論、油断は禁物ではありますが)

 

 開戦からおよそ十数分程。

 未だその右腕部一つ、あくまで寄生体の一部が破壊しただけ。

 とはいえそれでもダメージを与えているのは確かな事で、なにより周囲を4体の魔人に囲まれているこの現状でロクな手立てがあるはずも無く。

 

 今の戦況を冷静に判断してホーネットがそのように考えた通り。

 徐々にではあるものの、しかし確実に魔人レッドアイの死期は迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 ところで。

 

 今現在行われている戦闘。ホーネット派魔人達 VS 魔人レッドアイ。 

 魔法飛び交う派手な激戦の光景、それを遠くから眺める視線が3つほど存在していて。

 

 その内の2つの視線。それが──

 

 

 

 

「……おぉ?」

 

 と興味深そうに呟いて、思わずその身体がやや前のめりになる。

 

「……おおーっとぉ! ここで赤コーナー、ホーネット選手の白色破壊光線が炸裂だぁーー!!」

「………………」

「それを受けた青コーナー、レッドアイ選手、遂に片腕がぶっ壊れたー!! これは痛い、相当な大ダメージ!! いよいよ決着の時が近いかー!?」

 

 ホーネット派魔人達 VS 魔人レッドアイ。 

 自身がプロモートしたその戦いはスリルと興奮を誘うもので、双眼鏡を覗き込むその男の実況解説にも自然と力が増す。

 

「レッドアイ選手は片腕が壊れてしまった事に動揺しているのか、お返しとばかりに放った魔法にもどこか勢いがありません!」

「………………」

「逆にその背後、上空からハウゼル選手の銃口が火を吹いたー! ド迫力の火炎の一撃がレッドアイ選手を襲うー!!」

「…………なぁ」

 

 同じくその光景を眺めているもう一人。

 熱の入った実況を繰り広げる自分とは対照的、平時のテンションのそいつから何か話しかけられたような気もしたが、無視。

 

「とここでこれまで防御に徹していたシルキィ選手が仕掛けたッ! もの凄い速度での体当たりだ! レッドアイ選手は首元を庇うのが精一杯か!」

「……なぁ、心の友よ」

「そしてサテラ選手も鞭を振るうー! ……けど、ありゃあ効果あんのかな……?」

「なぁ、なぁって」

「……ちっ」

 

 再三の呼び声が功を奏したのか、煩わしそうに舌打ちしたランスは顔の向きを少し下げる。

 

「あんだよカオス、うっせーな。今俺様は実況解説をしている最中だと分からんか」

「いや実況解説はいいんだけどもさ」

 

 ホーネット達の戦いを遠巻きに眺めていたかと思ったら、何故かいきなり誰に向けてのものかも分からない実況解説をし始めた。

 そんな持ち主に対し、カオスは今自分達がここでこうしている事への疑問を投げ掛けてみた。

 

 

「あんた戦わんの?」

「戦わん」

 

 するとその男はきっぱりと答えた。

 

 

「うわ、即答」

「あのなぁカオスよ、俺様に戦うつもりがあるならこんな所で実況解説をしてると思うか?」

「いやそりゃその通りなんだけどもさ……」

 

 当たり前の事を聞くなと言わんばかりのランスの態度に、カオスも控えめに同意する他ない。

 彼等が今居る場所、そこはホーネット達が戦っている戦場から数百メートル離れた地点。森の中ではあるが地面が小山のように少し高くなっており、遠くを眺めるのには絶好の場所。

 これほど離れていれば戦闘の余波が飛んでくる事も無い為、その激戦を観覧するのには特等席と呼べる場所だが、しかしその激戦に参加する気のある者が居るべき場所でない事は明白で。

 

「ランスよ、あんたなんで戦わんのさ」

「なんでだと? なら逆に聞くがな、何故俺様があいつと戦わねばならんのじゃ」

「な、何故って……いやでもあんたここに来る前ちゃんと魔法耐性のある装備だってしてきたし、戦闘の準備はバッチリしてきたじゃないの」

「これは単に念の為であって戦うからではない。俺様はメンドーな戦いなどはせんのだ」

「え~……戦いを面倒って言われると儂のアイデンティティー無くなっちゃうんだけど……」

 

 武器としての存在価値の消滅の危機に、魔剣は心底困った声色で呟く。

 確かにランスは面倒くさがりという一面があり、戦う理由の無い相手との戦闘など煩わしいだけなのかもしれない。

 とはいえランスにとって魔人レッドアイは戦う理由の無い相手では無く、ちゃんとした戦う理由のある相手だったはずで。

 

「つーか心の友さ、ちょっと前までは『レッドアイは俺様が絶対にぶっ殺してやるー』みたいな感じで息巻いてたじゃないの。あの時のアツーい気持ちはどこいっちゃったん?」

「……あー。そういやぁそんな事を言ってた時もあったっけなぁ」

 

 カオスからのそんな指摘を受けても、もはやランスは遠い過去の出来事のように語る。

 

「確かにな。確かにあのキチガイ目玉をぶっ殺してやりたいと考えてた時もあったとも。……けどな、あれから何日が経ったと思う?」

「何日? えーと、確かありゃあ~……」

「あれはヤツとの戦いを終えて城に戻った直後だからもう一ヶ月近くも前の話じゃねーか。一ヶ月も時間が空いちまうと駄目だな、なんかレッドアイとかもうぶっちゃけどうでもよくなってきてしまったのだ」

「えぇー……」

 

 熱しやすく冷めやすい……という訳でも無いのだろうが、それでもその間に20日以上にも及ぶロナの救出作戦を挟んだりなど、相当な期間の開きがあったのは確かな事で。

 すると以前はあった激情も次第に風化し、単なる過去の感情にもなろうというもの。

 

「……大体だな。なんで俺様だけがあんな目玉も何度も戦わなきゃならんのだ」

「……え、何度も?」

 

 そしてそれ以上にランスが引っ掛かっている事。

 それは振り返ると前回の時から続いている、自分とあの魔人との妙な因縁について。

 

「そうだ!! これまで俺様があの目玉野郎と何度戦ってきたと思ってる!!」

 

 ランスが魔人レッドアイと対峙したのは前回の時に3戦、そして今回もすでに1戦、計4戦。

 前回といい今回といい何かと妙なタイミングであの魔人とは遭遇する事が多く、ランスにとっては心底嬉しくない巡り合わせである。

 

「次で5度目だぞ!? 5度目!! 普通5回も同じ魔人と戦うか!? なんでこの俺様だけがあんなクソ気持ち悪いイカれた目玉と5回も戦わにゃならんのじゃい!!」

「いや5度目って……2度目の間違いじゃろ。あんたレッドアイと後3回もどこで戦ったのさ」

「戦ったんだよ! お前の知らねぇ所でな!!」

 

 激昂した様子で語るランスにとって、もう魔人レッドアイとの戦闘は完全にお腹一杯。

 先程カオスが言っていた通り一応装備を万全に整えてここに来てみたはいいものの、しかしふと冷静になってそんな事を考えてみるとあの魔人と戦う意欲がさっぱり沸いてこなかった。

 

「それに見ろ!!」

 

 そしてそんな低テンションに拍車を掛けるかのように、眼前ではそれはもうド派手な激戦が。

 ランスは腰から魔剣を引き抜くと、前に突き出してその光景をありありと見せつける。

 

「カオスよ。あんな所に飛び込んでいってまともな戦いになると思うか?」

「ま、まぁ……そりゃそうね」

 

 持ち主の言いたい事を理解したのか、カオスもやる方なしといった感じで頷く。

 

 計5体の魔人が集うその戦場、その中に魔法を得手とする者が多かったからか、自然と魔法の打ち合いに比重を置いた戦況となっている。

 特に魔人ハウゼルが上空から撃ち下ろす火炎の奔流、それにより大地は燃えて所々が溶鉱炉のようにグツグツと煮え立っており、あそこに立とうものなら戦う前に足を火傷する事間違いなし。

 それ以外にもレッドアイとホーネットの魔法が引っ切り無しに飛び交っていたりと、そこは近接戦闘で戦う者には活躍し辛い状況となっている。

 よく見ればサテラやシーザー、シルキィですらも戦うというよりはレッドアイを逃さぬようにその場に構えているといった感じで、人間のランスがその身一つで飛び込んでいくのには確かにツラい戦場となっていた。

 

「大体あそこまで有利な状況をお膳立てしてやったのだ。俺様が戦ってやらんでもさすがにアイツらだけで勝てるだろーよ」

「まぁそれはそーやね。お互い魔人同士での4対1となりゃレッドアイに勝ち目は無いじゃろ」

「んでアイツらの勝利はこの作戦を考えた俺様の勝利も同然。つまり結果的には俺様がレッドアイを倒したって事になるのだ、うむうむ」

 

 配下の手柄はトップの手柄も同然だと、ランスは偉そうな態度で大きく首を縦に振る。

 

「……でも儂さぁ、せっかくの機会だしレッドアイの奴をぶった斬りたいんじゃがのう。……なぁ心の友よ、んじゃせめてトドメだけでも貰ってくる訳にはいかんかね?」

「あのな、なんでこの俺様がわざわざお前の為にんな情けない事をせにゃならんのじゃ」

「え~、ケチー、いけずー」

「やかましい、黙れ馬鹿剣」

 

 そんないつものノリの会話を交わしながらも、その視線は今も爆炎が上がる戦場に向いていて。

 ランスとカオス、二人はその後しばらくその場から見える戦いの光景を眺め続けていたのだが。

 

 

 

「……ん?」

 

 ふいにランスの耳が捉えた小さな音。

 それは正面にある爆音飛び交うその戦場からでは無く、後方から聞こえた何者かの足音。

 

「何だ──」

 

 自然とランスは背後を振り返って、

 

「──お、おぉっ!?」

 

 そこに居た大きな生き物。

 それを見るや否や弾かれたように立ち上がり、慌てて魔剣の切っ先を向けて構える。

 

「うお!? な、何じゃコイツは!! これどっから現れたん!?」

 

 その威容にカオスも驚愕しながらも、持ち主と同じように頭を戦闘モードに切り替える。

 

「………………」

 

 しかしその魔物はその目に映る相手、魔剣を構えて警戒するランスには興味が沸かないのか。

 軽く一瞥しただけで顔の向きを変えると、そのまま二人を無視してのしのしと歩き始める。

 

「………………」

 

 結果、その時はほんの数秒程の邂逅。

 特別何かが起きた訳では無く、すぐにその姿は木々に遮られて見えなくなったのだが。

 

 

「……あーびっくりした。なによあの魔物」

 

 冷や汗混じりの声色で呟くカオス。

 今の魔物が秘める圧倒的な実力は一見しただけで容易に察せられるもので、戦わずに済んだ事にホッと一安心といった心境でいたのだが。

 

「……あれ?」

「……って、心の友?」

 

 その魔物を初めて目にしたカオスとは違い、ランスはその姿に、その脅威に覚えがあって。

 

「……今のはもしかしなくても……」

 

 その大きさは3~4メートル。

 全身が筋肉の鎧で包まれ、そのパンチは岩をも砕く恐ろしいパワー。

 そして何よりその圧力、それは魔人と対峙した時にも比する強烈なプレッシャー。

 

 それはこの世に一体しか居ない希少な魔物。

 魔物の森に棲息し、魔物のくせに何故か魔物だけを倒して回る不思議な存在。

 

「……何故だろう。どうしてか分からんけど無性にイヤな予感がしてきたぞ」

 

 その名をトッポスと言った。

 

 

 

 

 

 



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VS 魔人レッドアイ③

 

 

 

 

 

「──ファック!!」

 

 宝石の魔人は吐き捨てるかのように叫ぶ。

 だがそれもつかの間、すぐにその前後から容赦の無い攻撃魔法が飛来する。それらはレッドアイが寄生している闘神の巨体を撃ちつけ、その機体の至る箇所に確実なダメージを蓄積していく。

 

「ファック、ファック、ファアアーーック!!」

 

 苛立ちを表すかのように下品な俗語を連発しながらも反撃。赤い眼球から伸びる触手の先端から色とりどりの閃光が迸る。

 周囲を4体のホーネット派魔人に囲まれているこの現状、この絶体絶命の窮地をどうにかして脱しようと、ロクに目標も定めないまま強力な攻撃魔法を出鱈目に乱射する。

 

「シーザー!」

「ハイ、サテラ様!!」

 

 その内の数発は魔人サテラの下に向かって飛ぶものの、彼女が作った最高傑作品となるガーディアンによって防がれて。

 

「んっ!」

 

 その内の数発は魔人シルキィの下に向かって飛ぶものの、しかし彼女がその身に着込む頑強な重装甲を貫く事は叶わず。

 

「はぁぁあああっ!!」

 

 その内の数発は魔人ハウゼルの下に向かって飛ぶものの、その手に構える巨銃から発射された業火の壁によって阻まれて。

 

「──ふっ」

 

 その内の数発は魔人ホーネットの下に向かって飛ぶものの、彼女がその周囲に展開した魔法バリアによって打ち消される。

 

 

 そこは魔物界中部の西端。

 魔界都市ビューティーツリーと魔界都市キトゥイツリーの丁度中間点にある地点。

 

 その場所では今、魔人レッドアイとホーネット派魔人達との激戦が繰り広げられている真っ最中。

 やはり数的不利が大いに影響してか、その戦いはレッドアイの方が劣勢の状況。前後左右から繰り出されるホーネット派魔人達の苛烈な攻撃の対処に苦慮し、自慢の寄生体だった闘神Γもすでにその片腕が大破してしまっている。

 

「ググググゥ~~!!」

 

 悔しそうに呻く魔人レッドアイ。

 客観的に見てもその敗北は揺るぎなく、もはや時間の問題であったのだが──

 

 

 

 

 

 

 そんな戦場から少し離れた地点にて。

 魔人達が繰り広げる激戦の光景。それを遠巻きから眺めている視線が3つ程存在していて。

 

「い、今の魔物は……今の魔物には何だかめちゃくちゃイヤな思い出が……」

「心の友よ、今の魔物の事知っとるん?」

 

 その内の2つの視線はランスとカオス。

 彼らがとある魔物との予想外の遭遇を果たし、大いに肝を冷やしていたちょうどその頃──

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 それは同じく戦場から少し離れた地点にて。

 ホーネット達の戦いを遠くから眺める視線、その内の3つ目。

 それはランス達とは異なる場所、異なる視点からその戦いをじっと観察している一つの視線。

 

「……いらいら」

 

 その者は今、苛立っていた。

 元々が少し短気というか、ちょっと頭に血が上りやすい性格。

 そして今こうして眺めている光景、魔人レッドアイとホーネット派魔人達との戦いの経過が自分にとって思わしくないというのが一つ。

 更にはそもそもの話をすれば、今自らがここでこうしている事にも大層不満を感じていた。

 

「……いらいら」

 

 その紫色の瞳で一点を見つめながらも、その眉根には深い皺が浮かぶ。

 元々はここに来るつもりなど無かった。何故なら自分は部外者、自分にとってあそこで行われている戦いなど何ら関係無い事だからだ。

 故にいつものように部屋でのんびりしているつもりだったのに、しかし結局はこうして戦場近くまでやって来てしまった。

 自分でも理屈に合わない行動だとはと分かっているのだが、しかしこれはもう自分が自分である限りどうしようもならない事。きっと自分が生まれた時からそうと決まっている事なのだろう。

 

「……いらいら」

 

 だから自分がここでこうしている事は仕方無い事なのだとしても、何にせよここでただ眺めているだけというのは焦れったい。

 勿論あの戦いに参加するつもりなど無い。それはさらさら無いのだが、しかしここで傍観者に徹するというのもそれはそれでツラいものがある。

 なにせあそこで戦っている者の一人、それは自分にとって一番大切な人なのだから。

 

「……いらいら」

 

 大体あいつらもあいつらだと思う。いくら相手があの魔人レッドアイとはいえ、こっちは魔人4人掛かりで何を手こずっているのか。

 どう贔屓目に見ても勝てる戦いではないか。とっとと魔人シルキィの装甲の巨人で叩き潰してしまえばいいのに。とっとと魔人ホーネットの六色破壊光線で焼き尽くしてしまえばいいのに。

 

「……いらいら」

 

 早く戦いを終わらせて欲しい。自分は早く戦いの結末を見届けて帰りたいのに。

 戦闘開始から結構な時間が経ったが一向に決着はつかず、未だ戦闘は継続中で。

 

「……いらいら」

 

 こうして見ているだけというのは実にストレスが貯まる。

 そろそろ限界だ。もはや我慢がならない。 

 

「……あーもうっ!!」

 

 ──そして、堪らず彼女は飛び出した。

 

 

 

 

 

 そこは魔物界中部の西端。

 魔界都市ビューティーツリーと魔界都市キトゥイツリーの丁度中間点にある地点。

 そこで行われていた戦い、その激戦の戦場に突如として転機が訪れる。

 

 

「あんた達ねぇ、魔人が四人もそろって何をちんたら戦ってんのよ!!」

 

 戦いの場に乱入してきたその姿。

 それを見て真っ先に反応したのはやはりと言うべきか、その者の近親者たるあの魔人。

 

「ね、姉さん!? 来ていたのですか?」

「そうよ! 来ていたの!!」

 

 まさかの人物の登場にびっくり仰天のハウゼル、その瞳に映るは最愛の姉の姿。

 

 その戦いを遠巻きに眺めていた3つ目の視線、その正体は魔人サイゼル。

 彼女は派閥戦争の情勢にはてんで興味が無く、長年喧嘩をしていた妹と仲直りをした後は魔王城にて悠々自適な生活を送っていた。

 しかし今回派閥の作戦により魔人レッドアイと戦う妹の事がどうしても心配になってしまい、結果こうして戦場まで駆け付けてしまったのだった。

 

「……ん? どうしてサイゼルがここに?」

「あれ、確かサイゼルってホーネット派には参加しないって言っていたはずじゃ……」

「……サイゼルの事です、大方ハウゼルの事が心配で様子を見に来ていたのでしょう」

 

 その魔人の登場にサテラ、シルキィ、ホーネットがそれぞれの反応を見せる中、

 

「……オォーウ、サイゼル~!?」

 

 劣勢の状況がそうさせるのか、その声は苛立ちを感じさせる余裕のない声色で。

 闘神Γの首元、そこに居る赤い眼球がギロリと中天を睨みつける。

 

「レッドアイっ! こうして会うのも久々ね!」

 

 するとその相手、戦いの場に乱入してきた青き天使は実に堂々とした様子で口を開く。

  

「あんたに特に恨みは無いけど私はハウゼルと一緒に遊びたいの! その為には悪いけどあんたの存在が邪魔なのよ!!」

 

 派閥の対立など知ったこっちゃ無し、実に個人的な理由で敵意を向けるサイゼル。

 彼女にとってレッドアイは元々同じ派閥に属する味方、そして今では特に関係の無い間柄。

 しかし双方の力量を比較するとレッドアイに軍配が上がる為、もしサイゼル単独でならこうして敵意を向ける事など怖くて出来ようはずがない。

 しかし今はハウゼルの側に付いている結果、5対1という圧倒的有利な立場にある事が影響してか、サイゼルの態度も実に強気なもので。

 

「さぁハウゼル、とっととレッドアイを倒して城に帰るわよ!! 私ね、この前新しい入浴剤を買ったの! 早く試してみたいでしょ!?」

「え、あ、はい……て、じゃあもしかして姉さんも一緒に戦ってくれるのですか?」

「そうよ! あんた達が不甲斐ないからもう仕方無くだからね、仕方無く!!」

「姉さん……!」

 

 ツンデレ気味の参加表明を受けて、妹が嬉しさに表情を綻ばせていたその隣で。

 

「て事でハウゼル、早速だけどあれをやるわよ!」

 

 眼下の標的を見据えたまま、姉は高らかに秘策を解き放つ宣言をした。

 

「あれ?」

「あれって……なに?」

 

 その宣言にサテラとシルキィは顔に疑問符を浮かべて。

 

「………………」

 

 宿敵への警戒を依然残したまま、ホーネットも僅かにその眉を顰めて。

 

「アレ? アレとはホワイ?」

 

 当のレッドアイ自身も自らへと向けられる魔人姉妹の秘策に興味を覗かせる中。

 

「姉さん……わかりました、あれですね!」

 

 妹だけはその意図を瞬時に理解する。

 それは魔人姉妹にしか出来ない事、姉妹が姉妹であるが故の必殺の一撃。

 ハウゼルはすぐさまサイゼルの隣に回り込み、翼の生えた背中を互いに密着させる。すると青と赤の姉妹は合わせ鏡のように同じ格好となり、同じ標的に向けてその武器を構える。

 

「いくわよ、ハウゼル!!」

「はい!」

 

 魔人サイゼルが持つ魔銃、全てを凍らせる氷の女神クールゴーデス。

 魔人ハウゼルが持つ巨銃、全てを燃やし尽くす炎の塔タワーオブファイヤー。

 互いの愛銃をぴったりと寄せ合い、互いの銃口が触れる程に銃身を近づける。

 

『せーのっ!』

 

 そして重なる声と共に、サイゼルとハウゼルは全く同じタイミングで引き金を引いた。

 

『仲良しビーームっ!!!』

 

 元々は一つの存在から分かたれた魔人姉妹。

 氷の力の操る姉と炎の力を操る妹。両者が放った氷結砲と火炎砲の軌道が重なって。

 同量の魔力となる青と赤は完全に交わり、純粋な破壊の力となって標的へと向かっていく。

 

「オゥ!?」

 

 一見しただけでその輝きが危険なものだと理解する事は出来たのか、レッドアイも同時に練り上げていた自慢の魔法力でもって応戦する。

 

「ウケケケケケケ!!」

 

 ケタケタと笑いながらその触手の先端から撃ち出した魔法、白色破壊光線。

 ここでより強力な黒色破壊光線を撃つ余裕があれば結果は違ったかもしれないが、最強の破壊光線は魔力を貯めるのにも相応の時間を要する。

 この時のレッドアイには白色破壊光線を放つのが精一杯で、とにかくそうして放たれた白き極光は全てを貫かんと進んでいったのだが。

 

「……お、オーノォー……!!」

 

 次第にその赤い眼球が驚愕に見開かれる。

 両者の中間点で衝突した白き極光はそこから先に進む事は出来ず、青と赤の混じった光に飲み込まれていくではないか。

 

 いくら全魔人中最大の魔法力を有するレッドアイの放った白色破壊光線とはいえ、今相手にしているのは魔人二人分の魔力。

 特に姉妹の仲の良さが極まった時にだけ使用可能な必殺の一撃、通常の銃撃と比べて数倍の威力となった通称『仲良しビーム』を前にしてはさすがに一段劣るものだったのか。

 

「──グッ!」

 

 そのビームは闘神Γの下まで届き、やむを得ず盾代わりにと差し出した左腕に衝突する。だが、

 

「……ググ、ウ……とまら、ナイ……!? ミーの、ボディ、ガ……ガガガ……!!」

 

 魔人姉妹の放った必殺の一撃はそこで止まらず、そのまま闘神の左腕を深く抉っていく。

 これまで幾度となく繰り返してきた魔人筆頭との激戦に使用され、その度にロクなメンテナンス一つ受けてこなかった闘神Γ。どうやらその機体の各所にはすでに限界が来ていたのか、

 

「終わりよ! レッドアイ!!」

「終わりです! レッドアイ!!」

 

 サイゼルとハウゼルがその手に構える愛銃に更なる魔力を込める。

 すると青と赤が混ざった破壊の光は闘神の左腕を貫き、そのままの勢いで胴体をも貫いて。

 

「……オー、なんてこったい……!!」

 

 バチバチと機体全身から聞こえてくる嫌な感じのスパーク音。

 魔人サイゼルと魔人ハウゼルが放った破壊の力。それは闘神Γの中枢にまで到達し、その内部機構を容赦なく食い荒らして。

 

 そして。

 

 

「ノォオォォォォォーーーーッ!!??」

 

 魔人レッドアイの断末魔のような絶叫。

 だがその叫びはより凄まじい爆音によってかき消される。

 闘神Γの内側から光が漏れ出した直後、見る者の目も眩むような大爆発が起こった。

 

 

「──やったぁっ! ハウゼル、レッドアイを倒したわー!!」

 

 吹き付ける途轍もない規模の爆風に体勢を崩しながらも、サイゼルは最愛の妹との共同作業が齎した会心の結果にガッツポーズ。

 

「はい! 姉さん、やりました……!」

 

 ハウゼルも敵派閥に属する強敵の撃破を受けて、少なくない達成感に包まれていたのだが。

 

 

 そうして爆炎と土煙が晴れた後。

 

「……て、あれ? レッドアイの魔血魂は……?」

「え……」

 

 その場には破壊された闘神Γの残骸だけが残されていた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そこは魔物界中部の西端。

 魔界都市ビューティーツリーと魔界都市キトゥイツリーの丁度中間点にある地点。

 先程まで戦場となっていた場所、大爆発が起きた場所から少し離れた地点にて。

 

 

「……グギギ」

 

 全身を襲う苦痛に呻きながらも、滑らかな挙動で地中をすいすいと泳いでいく姿。

 

「……ね、ネヴァーギブアップぅぅぅ……」

 

 魔人レッドアイである。

 

「け、ケケケ……ミーの負け……」

 

 普段とは比較にならない程に自嘲気味に、敗北の味を噛み締めるかのように呟きを漏らす。

 

 ホーネット派による卑劣な罠に嵌められた。その中で戦った結果自分は敗北を喫した。

 お気に入りだった機体は無残にも爆散した。だがその大爆発の最中、レッドアイはどさくさに紛れてその戦場からこっそりと逃げ出していた。

 

「負け、負け……ミーはルーザー、敗北者……」

 

 とはいえ無傷という訳では無い。至近距離からの大爆発に晒された事でレッドアイの触手は半分以上が千切れ、本体たる宝石部分にも一筋の深い亀裂が生じている。

 仮に人間だとしたら手足を半分失い胸元深くまで斬られている状態ではあるが、それでもレッドアイとて魔人。魔王の血の恩恵からかぎりぎりの状態ではあるものの未だ死には至らず、寄生体を犠牲にする事でホーネット派が仕掛けた罠から辛くも生き延びる事に成功したのであった。

 

「ケ、ケケ、ケ……ケケケケケ! ゲギャハヒャアヒャヒャハハ!!」

 

 4対1、ないしは5対1の戦い。全く手も足も出せなかった一方的な戦い。

 その手痛い敗北を喫した事実を受け入れる事で、その目玉はまた狂ったように笑い始める。

 

「あ~、あ~……ミーはラッキーね。これでミーはまたパワーがアップできるんだから」

 

 狂気の魔人レッドアイ。彼の欲望は専ら2つの事柄へと向けられている。

 その一つが命あるものを殺戮する事。そしてもう一つが自らを際限なく強化していく事。

 先程の戦いで自分は敗北を喫したが、しかしそれでもこうして生き延びる事が出来た。ならば今よりも更に強くなれる可能性がまだ自分には残されているという事になる。

 

「うヒヒ……ハッピーハッピー、ミーは今とってもスイートな気分。今よりもっと強くなって、そしてホーネット達をキル・あなたする、けけけ」

 

 レッドアイはすでにそのレベルが成長限界に達している為、これ以上自らが強くなる事は無い。

 しかし彼は寄生能力を持つ魔人。故に寄生体のヴァージョンアップを繰り返す事で、今よりも強力な個体に乗り換えていく事で自らを際限なく強化する事が可能となる。

 

「……まずは新しいボディ、今のミーにピッタシのおニューなボディが必要ね。次は闘神ボディのような弱っちいガッカリボディじゃなく、もっとハイパーなボディにザッツパラサイト」

 

 レッドアイの正体は肉体を持たぬ宝石であり、その本体たる宝石部分の防御力は皆無に等しい。

 一番大事な自分自身を守る為にも、即急に新たな寄生体を見つける必要がある。

 

 さて次はどの生物を寄生体にするべきか。

 次はドラゴンに寄生してみようか。それとも闘将に寄生してやろうか。

 

「うけけけ、楽しみ、楽しみ……ケケケ……!」

 

 次の寄生体はどれ程強いものになるのかと、そんな想像に夢膨らませるレッドアイはこの時、その頭の中からロナの存在を完全に忘却していた。

 今の自分が本当はいつ自己崩壊してもおかしくない状況だという事などすっかり忘れて、新しい寄生体を見つける事に──前の自分よりも更に強くなる事だけを考えていて。

 

「けけけけ……ケケケケ……」

 

 それはレッドアイにとって何よりも純粋な思い。

 時として、そういう純粋な思いが奇跡と呼ぶべき出来事を呼び寄せる事があるのだろうか。

 

 

「……お?」

 

 そして両者は邂逅を果たす。

 それは自己を高める事に対しての願望、魔人レッドアイの願いが天に届いたのか。

 あるいはそれとも。それは双方にとってのある種の運命と呼ぶべきものなのか。

 

「……オォ、オォー……!!」

 

 心の底からの感嘆の声と共に、その狂気を帯びた赤い目玉がにぃ、弓なりに歪む。

 

 そこに居たのは全長3~4mになる大きな魔物。

 この世界にただ一体しか居ない魔物、魔物の森に出没し、魔物の癖に何故か魔物を殺す事だけに心血を注いでいる、別名魔界の災害。

 

「……オォー……ミーはなーんてベリーラッキー、今日はなーんてハッピールンルンな日……!」

 

 その魔物の強さに纏わる逸話、伝え聞く話はどれも信じがたいようなものばかり。

 その身に秘めるパワーは岩山をも動かしうる程に強力なもの、そしてその耐久力は魔人と一年以上戦い続けても決着が付かない程のもの。

 

「次のパラサイトはアレに決定ね。……けけけ、これでミーはもっとベリー強くなれる……!」

 

 闘神Γから乗り換える次の寄生体として、あれ以上に相応しい存在は居ないだろう。

 もし舌があれば舌なめずりしているであろうルンルン気分で、魔人レッドアイはその時をじっと待ち構える。

 

 

「………………」

 

 そして一歩一歩、力強い歩みでその魔物は近づいてくる。

 幹のように太い脚を動かし、魔人に目を付けられてしまった哀れな獲物が歩いてくる。

 

「………………」

 

 その瞳が探し求めるのは魔物の姿のみ。

 そこに潜む存在の事など知る由も無く、その歩みは遂にその地点へと到達して。

 

 そして。

 

 

「──キシャアアアアアア!!」

「……ッ!」

 

 急に地中から飛び出してきたタコのような生物に対し、その大きな魔物は鋭い反応を見せた。

 瞬時に振り下ろした拳、大地を割る程の豪拳はしかし、魔人の無敵結界には悲しい程に無力で。

 

 ──そして。

 

 

 

 

 

 そこは魔物界中部の西端。

 魔界都市ビューティーツリーと魔界都市キトゥイツリーの丁度中間点にある地点。

 先程まで戦場となっていた場所から少し離れた地点にて。

 

 

 新しい力を手に入れた以上、その力を今すぐに試してみたいと考えるのは至極当然の事。

 単に力を試すだけならば周囲にある木々などでも構わないのだが、しかしどうせなら生きている生物で試してみたい。

 命ある者を殺して、その悲鳴でもってこの並外れたパワーの規格外さを実感してみたい。

 

 そんな事を考えていたその時、たまたま目に映ったのがそれだった。

 よく見れば知っているような気もするが、そんな事はこの際どうでもいい。

 とにかくちょうどいい所に居たあれを叩き潰し、この新しい力を試してみようではないか。

 

 つまりはそれが理由。

 言ってみればそれだけの理由。

 そこに何らかの因縁めいたものがあったという訳では無いのだが。

 

 

 

「ウケケケケケケケーー!!」

「だーもう!! やっぱりこうなるんかいッ!!」

 

 思わずそんな悲鳴を上げたランスの目の前。 

 これで計3度目の衝突、トッポスに寄生した魔人レッドアイが襲い掛かってきていた。

 

 

 

 

 



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VS 魔人レッドアイ④

 

 

 魔物界中部の西端。

 魔界都市ビューティーツリーと魔界都市キトゥイツリーの丁度中間点にある地点。

 その森林地帯を駆け抜けていく影が一つ。

 

「………………」

 

 周囲に浮かぶ6つの魔法球が特徴的な姿、それは魔人ホーネット。

 先程強敵との戦いを終えたばかりになるが、彼女の表情に疲労の色はまるで見えない。

 

「……くっ」

 

 ただその代わりに焦りの色が見て取れる。

 

「……レッドアイ」

 

 そうして呟くのは先程まで戦っていた敵の名。

 先程の戦闘の結果を受けて、今のホーネットの胸中には強い焦燥の念が渦巻いていた。

 

(……レッドアイは何処に……!)

 

 長年苦慮させられてきた宿敵との決戦。その戦いは最終的にレッドアイの寄生体の破壊に成功し、遂に勝敗が決したかのように思えた。

 しかしその寄生体が大爆発を起こした最中、いつの間にかレッドアイは戦場から逃亡していた。あの戦場跡にレッドアイの魔血魂が残されていなかった以上そう考えるしか無い。

 

(……何という失態。決着をあの二人に任せなければ……という問題でもありませんね)

 

 この不始末はハウゼルとサイゼルが仕損じた結果だと、そう責める気にはならない。仮にあの二人が「仲良しビーム」なる魔法を放たずとも、やがて似たような事が起きていたはずだからだ。

 これは最後の一撃どうこうでは無く、むしろその後に逃亡を許してしまった事が問題。つまり自分を含むあの場に揃っていたホーネット派魔人全員にその責任がある。

 故に今こうして周囲を注視しながら森を駆けるホーネットに限らず、あの場で戦っていたサテラ、シルキィ、ハウゼルとサイゼルまでもがレッドアイの行方を必死に捜索している最中であった。

 

(……何にせよ、ここでレッドアイを取り逃がす訳にはいきません)

 

 先程の戦闘、あれは魔人レッドアイを討ち取る絶好の機会だった。寄生体である闘神Γの破壊に成功した事からもそれは明らかな事。

 こんな好機は恐らく次と無い。入念な罠を仕込んで圧倒的優位な状況に誘い込んだというのに、ここでレッドアイを取り逃すような事があってはまさに画竜点睛を欠くというもの。

 

(何としてもレッドアイを見つけなければ……!)

 

 魔人レッドアイはこれまでホーネット派に一番被害を与えてきた存在。その好戦的で残虐な性格も加味すると一番厄介な相手と言ってもいい。

 そんな宿敵をこの場で打ち取れるかどうか、それはこの先の派閥戦争の趨勢にも大きく関わってくる事柄となる。

 

 そしてなにより。ここでレッドアイを打ち損じたとしたら自分は彼に何と言えばいいのか。

 レッドアイが探していたロナという少女を救い出し、今回の罠を考えてくれた彼に、「ヤツとの戦いはお前達に任せる」と全てを託してくれたランスに合わせる顔が無いではないか。

 

「……はっ、はぁ……!」

 

 息も上がる速度で駆けながら、ホーネットは胸の焼けるような焦燥感にその表情を歪ませる。

 

 レッドアイは何処に逃げたのか。

 まだ時間的にそう遠くには行けないはず、必ずこの付近に居るはずだ。

 しかしあの魔人の魔法LV3という驚異的な才能を加味すると、とっくに何らかの魔法でこの場から離脱している可能性も否定はし難い。

 

 だとしたらもう時既に遅し。自分達は致命的な失敗を犯してしまったのか。

 そんな悲観的な心境のまま付近を探し回っていたその時、ホーネットの耳が遠くの方から聞こえた何かの音を捉えた。

 

「今のは……」

 

 それはドスンと地面を打ち付けるような衝撃音。

 あるいは何か硬いものが壊れるような破砕音。

 

「……っ」

 

 半ば直感のようなものだが、ホーネットはそれが目的の相手だと判断した。

 すぐにその方向へ向き直ると、道行く障害物を蹴散らす勢いで一直線に走っていく。

 

 そうして進む事しばらくして、魔人筆頭の瞳にその光景が飛び込んできた。

 

「あれは……」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「ウケケケケケケケーー!!」

 

 狂ったように嗤う耳障りな声。

 それと共に振るわれる巨木のように太い二の腕、鉄の塊のような拳。

 

「──くっ!!」

 

 その一撃を、喰らえば必殺の一撃となる拳をランスは低くしゃがみ込む事で回避する。

 その背後にあった樹木が2,3本まとめてへし折られていく中、転がるようにして避難し相手と十分な距離を保つ。

 

 それは史上類を見ない程に強力な魔物。

 魔界において災害と称される程の魔物、その名はトッポス。

 

 そして宝石の魔人レッドアイ。

 魔法LV3という才能を持つ相手、寄生能力を有するケイブリス派屈指の強敵。

 

 そして今、そんなレッドアイがそんなトッポスに寄生して自らの手足としている。

 つまり今、ランスが対峙しているのはそんな驚異的な組み合わせの相手となる。

 

 

「つーかコイツはさっきホーネット達と戦ってたんちゃうんかい!! なんで俺様が戦う羽目になってんだっつーの!!」

 

 見覚えのある魔物にくっ付く見覚えのある目玉、嫌な記憶が思い起こされてしまうその姿。

 トッポスに寄生した魔人レッドアイを前にして、さすがのランスもこの運命の悪戯のような展開に文句を付けたい気分で一杯である。

 

「ランスよ、こりゃさすがに相手が悪すぎる!! ここは一旦下がれ!!」

 

 そして普段なら魔人との遭遇にテンションを上げる魔剣カオスとて、この時は持ち主に対し即急な戦略的撤退を提案していた。

 トッポスについて詳しく知らないカオスでもその驚異は一目見れば分かるもので、ならばレッドアイとの組み合わせが危険な事も言うに及ばず。

 

「いくら心の友でもこりゃキツい、魔人との一対一はさすがに無謀だ!!」

「チィ……!」

 

 そしてなにより今ここにはランスの味方が誰も居らず、魔人との完全なるタイマン状態。

 ランスはこれまで何体もの魔人を討伐してきた。とはいえさすがに一対一の状況下で勝利した事は無く、どんな時にも必ずその周囲に数名から多い時には数十名の心強い味方が揃っていた。

 すでに人類の中ではトップクラスの実力を誇るランスとて、依然として魔人との間には厳然たる力の隔たりが存在する。基本的に魔人とは人間が一対一で戦えるような相手では無い。

 そう理解しているが故にカオスは逃げろと叫び、ランスも内心そうしたいのは山々、というかすでに背を向けて逃げ出してはいたのだが。

 

「ステ~~イ!! そこなヒューマン、ド~ントムーブ!!」

 

 しかし襲い掛かる相手がそうさせてはくれない。

 その3mを越す巨体も相まって一見すると鈍重そうなトッポスだが、軽々と跳躍したりと見かけによらない敏捷性を有しており、逃げようとしても中々振り切れるような相手では無い。

 

「こ、こりゃマズい……ならとにかく時間を、時間を稼ぐんじゃ心の友! 近くには仲間の魔人達も来ているはずだ!」

「……ぐぬぬ、この俺様が時間稼ぎとは……!」

 

 やがて逃げ切るのは無理だと判断したのか、ランスは足を止めてその魔人と対峙する。

 逃げ切れない以上もはや戦うのみ。勝ち目があるかどうかはともかく、時間さえ稼げばその内にホーネット達も駆け付けてくる。そしたらまた四方を囲んで袋叩きにしてやればいい。

 とそんな覚悟を決めたランスの耳に、レッドアイの不気味な程に優しい声が響く。

 

「……あ~、ヒューマン。ユーはラッキーよ。今日のユーはベリーベリーラッキーね」

「あぁ!? なんの事だ!」

「ユーはなんと一人目よ。ミーのおニューなボディのお披露目、闘神ボディを超えるハイパーエクセレントなこのボディのパワーを誰よりも早くルック出来る。これハッピーちゅうヤツちゃうか?」

 

 先程寄生したばかりの魔物、トッポスの頭部に絡み付いている赤い目玉。

 自身こそがその新しい寄生体の強さを心底楽しみにしているのか、たまたま見つけた人間に語り掛けながらレッドアイはにこりと笑って。

 

「だ~か~ら~ヒューマン、ユーの命でミーの新しいボディのテストさせるよろし。そしてユーの悲鳴をプリーズッ!!!」

 

 そんな死刑宣告と共に再びその巨体が動き出す。

 大地が捲れる程に強く足を蹴り出して突進、その勢いのまま突き出される巨木のような二の腕。

 

「おっと!」

 

 真っ直ぐ飛んできたそれをランスは真横に軽くステップ、若干の余裕をもって回避する。

 だが振り向いたのちにすぐ飛んでくる反対の腕、トッポスの岩をも粉砕する剛拳。

 

「くっ!」

 

 再度ランスはステップで躱す。際どいコースだったが紙一重の差で回避に成功する。

 だがトッポスの猛攻は続く。高々と真上に掲げた拳、それは5mの高さを越え、超高速でランスに向かって振り下ろさせる。

 

「──ぐぬっ!」

 

 今度は紙一重の差で躱せないコースだったが、ランスは魔剣の刀身を当ててその攻撃軌道を無理やり逸らす。二の腕に途轍もない衝撃が襲うが、際どい所で直撃を避ける事には成功する。

 

「危ねぇ、死ぬかと思った……!」

「んっんー。ヒューマン、そう粘る必要はナッシンよ。ユーは早くダイするだけでオッケーね」

 

 命からがらといったランスの一方、それはまるで駄々をこねる子供を諭すかのような声色で。

 この時はまだレッドアイも余裕綽々、さも悠然と構えていたのだが。

 

「この……舐めんなよキチガイヤローが!!」

 

 次第にその余裕には変化が訪れていく事になる。

 その理由はこうして今対峙している相手、レッドアイにとってはトッポスの力試しをする為の単なる的のようにしか見えていないその相手、ランスという男が秘める真価にあった。

 

「けーけけけけけけ!!」

 

 そして再び振るわれる巨拳。ごう、と風が唸りを上げる程の一撃。

 それをランスはぎりぎりまで引き付け、身体を大きく反らして寸での所で躱してみせる。

 

「お~、ファンタスティーック!」

 

 その見切りの技にレッドアイは率直な称賛を述べたものの、しかしその猛攻は止まらない。

 ならばと繰り出されたのは両の拳でのラッシュ。二度、三度と続けざまに迫る大砲のような拳。

 だがランスはそれをも躱してみせる。その都度バックステップで後退し、ほんの僅かな回避の隙間を見つけては身体を上手に逃がしていく。

 

「……ヌー、ならこっちはどうか!?」

 

 横への攻撃では手応えが無いと感じたのか、そこでトッポスは強く地を蹴った。その巨体には似合わない程に高々と、かつ身軽な跳躍でもって標的を踏み潰さんと迫る。

 そして落下してくるトッポスの両足スタンプ。大地が揺れたと錯覚する程の衝撃が伝うが、落下地点を瞬時に読み切って飛び退いたランスを潰すには至らない。

 

「……グヌヌー!!」

 

 遂には苛立ちを隠さず唸り声を上げて、その勢いは更に増していく。

 だがそうして幾度と振るわれる巨木のような二の腕も、大砲のようなその拳も。

 どれだけ放っても全てがランスには命中せず、虚しく空を切るのみで。

 

「ファーック!! なーぜヒットしな~い!! 早くキル・あなたしたいのにー!!」

 

 猛る宝石の魔人の赤き瞳に映るもの、謎の人間が披露する華麗な回避の技の数々。

 一見するとランスらしくないその戦い方、それはレッドアイ以外の者も目を疑うような光景で。

 

「うおぉ!? どしたん心の友!? あんた今日キレッキレじゃないのよ!!」

 

 思わず魔剣カオスも望外の驚きと共にその持ち主を称賛する。

 今日のランスの動きはまさに神懸かっていた。まるで戦いを極めた達人かのようにギリギリでの回避の連発、相手の攻撃を完全に読み切っているとしか思えないような身のこなし。

 そもそもランスはもっと攻撃に比重を置いた戦い方を好んでおり、このように回避に専念した動きをする事自体がカオスからすれば驚きであった。

 

「けっ! 俺様を誰だと思ってやがる!! この程度なんて事ないわ!!」

 

 そんないつもとは一味も二味も違うランス。

 今も繰り出されるトッポスの拳に対して見事なステップ、見事な回避を披露しながら、常と変わらない不遜な態度で言い返す。

 

「……つーかな!! 三度目ともなりゃあさすがに慣れるっつーの!!」

 

 それは前回の第二次魔人戦争で、今はやり直しとなってしまったあの戦争で手に入れたもの。

 あの過酷な戦争の中で魔人討伐隊を指揮し、その先頭に立ち激戦を乗り越えてきた事によってランスの身に蓄積していた知識と経験。

 

 トッポスに寄生した魔人レッドアイ。ランスはこの相手と過去に二度程戦った経験がある。

 ランスにとっての戦いというのは基本的に生か死かという実戦であり、全てが真剣勝負。そして真剣勝負である以上、決着が付いた時にはどちらかが死んでいるはずであり、前回の時の初戦はランスがそうなっていてもおかしく無い程の敗戦だった。

 

 その一度目の敗戦。そしてその敗戦を受けての二度目の戦いでの勝利。

 それらを経て今、過去の世界に戻ったが故の一度倒した相手との三度目の衝突。

 

 三度目となればそこに新鮮さや目新しさは無く、今更気後れするような事など何も無い。

 こうして襲い掛かってくるトッポスが繰り出す強力無比な攻撃、そのどれもがランスにとっては何度も見た事があるものでしかないのだ。

 

「レッドアイッ! テメェの攻撃なんざぁとっくに見切ってんだ!! そう何度も何度も俺様の前でデカい顔が出来ると思うな!!」

 

 どうでもいい事はポンポンと忘れていくランスでもさすがに歴戦の戦士だけあって、戦闘に関する事は身体に染み付いていて忘れようが無い。

 その貴重な知識と経験の蓄積、そして何よりもランスという男が秘める高い戦闘センス。その2つが合わさる事で綱渡りのようなぎりぎりの攻防ではあるものの、それでも人間と魔人のタイマンという無謀な戦いを何とか成立させていた。

 

「ファーック! クソッたれヒューマン、ドントムーブね!!」

「アホが! 動くなっつってバカ正直に動かねーヤツがあるか!!」

 

 例えばトッポスが繰り出すこの攻撃。巨木のように太い二の腕での全てを粉砕するパンチ。

 この攻撃は防げない。仮に自分よりも防御力の高いガード職の者が防いだとしても、そのガードごと貫いてダウン状態に──一時的な戦闘不能状態に追い込まれてしまう程の一撃である。

 

 前回での初戦ではこれを防ごうとしてしまったが最後、ガード職の者は倒れてパーティは半壊状態となり、結果敗北を喫する事となってしまった。

 そうと理解しているが故に今のランスは決してその拳を受けようとはせず、先程からのように全てを躱し切る事に心血を注いでいた。

 

「無駄に逃げるのはノー!! ユーに勝ち目なんてナッシンなのだからとっととダーイッ!」

「……だから舐めんなっつってんだろ……!」

 

 そして例えばトッポスの耐久性。それを知るランスは無駄な攻撃を繰り出す事も控えていた。

 このトッポスという魔物はその攻撃力もさる事ながら、なによりもその耐久力が並外れている。

 前回の二度目の戦いでレッドアイを倒した際、魔人討伐隊の面々で散々攻撃を与えていたにもかかわらず、正気に戻ったトッポスは平然とした様子で去っていったという出来事からも明らかな事で。

 

 元より魔人でも倒す事を諦めるような魔物、前回のアニスや先の闘神Γ以上にこのトッポスという寄生体の撃破は不可能。

 そうと理解しているランスは一先ず攻撃より回避に専念し、狙うはトッポスではなくその顔の上、この手で直接叩き潰してやりたかったその相手。

 

「──でりゃッ!!」

 

 その掛け声とほぼ同時、「ギャ!」と甲高い声が聞こえて赤い目玉が苦痛に歪む。

 下からすくい上げるような一撃、その大振りな攻撃を回避してのすれ違いざまの袈裟斬りが的確に命中し、レッドアイに残されている触手の一本を見事に断ち切っていた。

 

「ホワァァット!? なぜヒューマンが魔人のミーにダメージをォォオオオ!?」

「クカカカ! そりゃあ儂が魔人をたたっ斬る魔剣だからだ! ランスよ、なぜこんなイケイケなのかはよう分からんけどこのままやるんか!?」

「やるに決まってんだろ! もうコイツを見るのも飽き飽きだ、二度と視界に入れないで済むようここで確実にぶっ殺す!!」

「……グググゥ~!」

 

 憎々しげに唸りを上げるレッドアイ。彼にとってこの戦闘は単なるテスト、新たな寄生体の性能を試してみようじゃないかと考えただけのもの。

 その為に叩き潰そうと見つけた人間にここまで粘られるとは想定外、そして無敵結界まで貫かれて痛手を負うとは全くの想定外である。

 そんな混乱と怒りに猛り狂い、レッドアイは更に激しく寄生体を動かす。だが激している分更に考えなしの攻撃となり、やっぱりランスには全て躱されてしまう。

 

「ファック! ファァック!! ファアアーーック!!!」

「当たんねぇっつってんだろが! テメェの攻撃は単調なんだよ!!」

 

 特にレッドアイは肉体を持たぬ魔人。だからこそ強力な個体に寄生して戦うのだが、その動きの指示の出す肝心のレッドアイは近接戦闘に関する才能を何一つ有していない。

 故にその戦法は手に入れた強大な力を闇雲に振り回すだけのもの。接近戦のエキスパートであるランスからすれば素人同然の動きで。

 

 加えてそのブレインたるレッドアイの思考が壊滅的な所為か、判断力もお粗末なもの。ランスが回避の為にあえて隙を晒してみせれば、レッドアイは素直にそこに食いついてしまう。

 罠と疑わず突っ込んでくるだけの戦い方、それもランスの回避行動を容易にさせている一因で。

 

 仮にこの時、基本的に必中となる魔法を使ってみればランスとて手の打ちようが無かった。

 しかし今のレッドアイはその事に気付ける程に冷静では無く、だからこそ乱雑に振るわれるトッポスの攻撃は回避の隙を与えてしまう。

 

「ガッデーーームゥ!! たかがヒューマン如きがァァアアア!!!」

「たかがじゃねぇ、俺様はランス様だッ!!」

 

 とはいえそれは一つ間違えれば即致命傷、一撃一撃で神経をすり減らすような極限下の戦い。

 だがランスは臆しない。一発食らうだけでミンチになりかねない巨拳が迫る中、そこに攻撃のチャンスがあると見たなら躊躇なく動く、足を前に踏み出す事が出来るのは英雄たる所以か。

 

「くたばれ、雑魚がッ!」

「ギャウッ! み、ミーの身体が……!!」

 

 そうして踏み込んだ分より深く、魔剣の一閃が更に追加で2本の触手を両断する。

 レッドアイの身体から伸びる触手は魔法の行使に不可欠なもので、このまま全ての触手を失えば寄生能力の維持すら危うくなってしまう。

 

「グ、グ、グググゥ……!!」

 

 ここに来てレッドアイにもようやくの焦りが。

 自分は単なる寄生体の実力テストをしているのでは無く、れっきとした殺し合いの中にいる。

 下手すれば自分はここで死ぬ事となる可能性だってあるのだと、宝石の魔人が現状を正しく認識し直した、その時──

 

 

「──レッドアイッ!!」

 

 戦いに転機が訪れた。

 

 

「オー?」

「あん?」

 

 聞き覚えのある声が聞こえ、レッドアイとランスは自然とそちらに顔を向ける。

 それはランスの背後、道の脇にある木々の合間から姿を現した相手、レッドアイにとっては今この状況で一番会いたくなかった相手。

 

「……オォー!? ユーはなんとホーネット!!」

 

 それは先程まで戦っていた相手の一人、魔人ホーネット。

 遠くの方で鳴る戦闘音を聞き付け、彼女は遂にこの場所まで辿り着いた。

 

「オーノォーッ! そういやユー達の事忘れてた、そもそもミーは今エスケープ中ね!」

 

 最強の寄生体と奇跡の遭遇を果たした事ですっかり忘れていたが、先程自分は九死に一生を得て、そして今必死の逃亡をしている最中ではないか。

 そんな我が身の置かれている危機的状況、それをようやく思い出したレッドアイをよそに、

 

「おぉっ! グッドなタイミングで来たなホーネット!! 今まさに俺様がヤツをぶっ殺す所だ、トドメの瞬間をそこで見ているがいい!!」

 

 背後に現れたホーネットに対し、ランスはそんな台詞を投げ掛ける。

 そしてトドメとなる必殺の一撃、それを放つ気力を全身に目一杯溜め込んで、そして。

 

「とぉーーーーうッ!!」

 

 思いっきり高くジャンプ。

 だがそれは先程までの合理的な思考では無く、見栄えを重視した思考から取った行動で。

 言い換えるならば付け入る隙を──あってはいけない慢心を挟んだ攻撃で。

 

「……ニィ」

 

 この時すでに頭の冷えていたレッドアイはその隙を見逃さなかった。

 対峙していた男が地を蹴って高く跳躍した直後、その狂気を宿す赤い目玉が酷薄に歪む。

 

(──あ、まずい)

 

 その表情の変化を見て、これは相当な危機的状況だとランスは率直に感じた。

 いざ必殺の一撃を喰らえッ!! とカッコよくジャンプをしてみた。このままジャンピングランスアタックでキメればそりゃもうカッコいいシーンとなるのだが、しかし如何せん空中に飛んでしまうともう回避行動が取る事が出来ない。

 この敵との戦闘は回避が命、その選択肢を自ら捨ててしまった事はまさに痛恨の極みである。

 

 そして、そこからの数秒間に起きた出来事。

 その間に各々の取った行動、それが結果的に戦いの勝敗を分ける事となった。

 

 

「けけけ! これはミーのビッグなチャーンス!」

 

 大きく笑いながらレッドアイは迅速に動く。

 それは近接戦闘に関する才能無き故か、ここでその目玉が選んだ選択肢──それは魔法だった。

 まるで当たらないトッポスの攻撃はパス。性能のテストをするのは一旦置いておき、撃てば必中必殺となる自分自身の莫大な魔力で以てケリをつけようと考えた。

 なにせ近接戦闘はからきしでも魔法なら得意中の得意。その事実を示すかのように、その赤い眼球の先に驚異的な速度で魔力が収束していく中、

 

 

「ランスッ!」

 

 その光景を見て同じ判断をしたのか、ホーネットの切羽詰まった叫びが聞こえて。

 同時にその周囲にある魔法球全てが輝き始める。6つの魔法球全てを使用して放つ大技、それは魔人筆頭の必殺魔法、六色破壊光線ただ一つ。

 このままではランスが死ぬ。もはや後の事を考えている状況じゃない。今はただこの危機を打開し彼の命を守る為にと、ホーネットはこれまで封じてきた必殺魔法の使用を決意する。

 

 しかし奇しくもこの時、レッドアイの方も同様の選択をしていて。

 この時レッドアイが撃とうとしていたのは自身の必殺魔法、ミラクルストレートフラッシュ。

 

「──くッ!」

 

 その魔力の収束、ホーネットにとっては疼痛を感じるような赤き光の輝き。

 それによってこの地が死の大地となってしまう危険性などよりも、魔法の才で劣る分自分の魔法よりレッドアイの魔法が先に完成してしまう事。その事にホーネットは途方も無い絶望感を覚える。

 

 

「ぐぐぐっ、ヤバい……けどッ!!」

 

 そして宙を翔ぶランスもその魔力の収束を目にしていたのだが、もはや下がる事も叶わず。

 

「っ、死ねーーー!!」

 

 ならば先にトドメを刺したる! とそんな破れかぶれのようなノリで。

 落下と共に必殺の一撃──ランスアタックを振り下ろす。

 

 だがその魔剣の刃から衝撃波が発生するより、相手の魔法の完成の方が僅かに先だった。

 

 

「これがミーのヴィクトリーーッ!!」

 

 赤い眼球の先から放たれた赤き光、必殺魔法ミラクルストレートフラッシュ。

 そしてレッドアイは勝利を確信する。今まさに魔剣を振り下ろうとする人間を焼き殺さんと、白色破壊光線を優に超える殺傷力を持つ赤き光が迫る。

 

「──ヌゥッ!?」

 

 瞬間、その男の前に現れた薄い光の膜。

 赤き光はそれに包まれて、だがレッドアイの必殺魔法はそれをも貫いて。

 

「ぐ、げっ──」

 

 そしてランスに直撃した。

 赤き光がその鎧を、その服を、その肉体を容赦なく焼き焦がしていく。

 

「がぁ、あ──ッ!!」

 

 視界が赤く染まって明滅する。

 身体が掻き毟られるように痛み、血の味が喉の奥から逆流してくる。

 そのダメージは計り知れず、ここで死んでもなんらおかしくはなかったのだが。

 

「──ッ、こんな、もん……!」

 

 掠れた声だが、それでもしっかりと聞こえる声。

 その直撃を受けても尚ランスは生きていた。まだその意識を手放してはいなかった。

 

(こんな、所で……!)

 

 こんな見ず知らずの森の中で、こんな道半ばにして死ぬ訳にはいかない。

 大体すぐそこにいるホーネットの事だってまだ抱いてもいないのに、それなのにこんな所でくたばってしまう訳にはいかない。

 

(こんな、雑魚に……!)

 

 そしてなにより自分は世界を救った男。

 過去に一度、ケイブリス派に属する全ての魔人を討伐し尽くした英雄。

 そんな自分が、そんな英雄が、たかが魔人レッドアイ如きに殺されるなどあってはならない。

 

 その意志と矜持の強さ。魔人レッドアイのそれを遥かに上回る精神力の強靭さが勝負を分けた。

 ランスはぐっと歯を食いしばり、感覚の薄れた左手が持つ魔剣を気合で握り直して。

 

「──俺様が、負けるかぁぁあああッ!!!」

 

 そうして振り下ろされた必殺技。あらゆる敵を倒してきた渾身のランスアタック。

 赤き光を割って衝撃波が走り、トッポスの頭上で無防備に晒されている赤い眼球まで届く。

 

「……ぴっ」

 

 そして衝撃波がその巨体の上を一直線に走り抜けた後、パリン、と軽快な音が聞こえて。

 

「ゲ……ゲ……ゲゲゲ……!」

 

 魔人レッドアイの本体たる宝石部分、それがものの見事に真っ二つに割れていた。

 

「ぐ、ゲゲ……み、ミーが、ヒューマン、に……」

 

 自分を砕いたのは魔人筆頭では無く、たまたま見つけたよく分からない謎の人間。

 レッドアイがその敗北の事実を認識した瞬間、身体が陽炎のように大きく揺らいで。

 

「──メ、メイクドラ~~マァァアアア~~!!」

 

 その相変わらずな叫びが最後の言葉。

 消滅の間際まで耳障りな雑音を残して、魔人レッドアイは物言わぬ魔血魂となった。

 

 

「……ぐへ」

 

 そしてランスももはや限界。

 すたっと着地したものの足に力がまるで入らず、そのまま崩れるように背後へ倒れた。

 

「ランスっ!」

 

 その姿を見たホーネットは血相を変えた様子で駆け寄り、ランスのすぐそばにしゃがみ込む。

 

「……ホーネット、お前ちょうどいい所に……は、早くヒーリングを……」

「えぇ、分かっています。本当に酷い怪我……」

 

 そして目に入ったランスの様態、その怪我の痛ましさに彼女は表情を歪める。

 ミラクルストレートフラッシュの直撃を受けた鎧は見事に溶解し、皮膚は真っ赤に爛れている。胸骨や肋骨なども折れているだろうと思える程、ランスの怪我は酷いものであった。

 

 だが。 

 

 

「けどまぁほれ、生きとる生きとる。……うむ、さっすが俺様だな」

 

 他人事のようなセリフを呟きながら、ランスは鈍い動きでその左手を閉じたり開いてみたり。

 

 それでもランスは生きていた。

 呼吸もしっかりしているし、こうして喋れる程に意識もはっきりしている。

 

 ランスが魔人レッドアイの必殺魔法を受けても死ななかった理由。

 それはこの日までに高めてきたレベル、更には念の為にと準備してきた魔法耐性を高めた装備、そして何よりも一番の要因。

 

「……ホーネット、あれはお前の魔法か?」

「……えぇ、そうです」

 

 紙一重でランスの生命を守ったもの。それは魔人ホーネットが展開した魔法バリア。

 あの時、寸前で六色破壊光線の発動が間に合わないと判断した彼女は瞬時に詠唱を切り替え、レッドアイの魔法攻撃からその身を守る為の障壁、魔法バリアをランスに使用した。

 呪文の詠唱に時間を要する必殺魔法では無く、防御の魔法を選択したからこそ、レッドアイの必殺魔法に先んじての発動に成功した。

 

 そうして張られた薄い光の膜。それは本来なら魔法攻撃一発を完全に無効化する代物なのだが、それをも突き破ってみせたのはさすがに魔人レッドアイの必殺魔法、ミラクルストレートフラッシュと言った所か。

 とはいえその赤き閃光は魔法バリアを突き破る際にその威力を大幅に減衰してしまい、結果それを食らったランスは首の皮一枚の所で死を免れた。

 そして振り下ろされた必殺技、ランスアタックによって魔人レッドアイは討伐されたのだった。

 

 

「ふふん、見てたかホーネットよ。この俺様があの目玉を見事にたたっ斬る瞬間を」

「……勿論見ていましたよ。また貴方に助けられてしまいましたね」

 

 ランスの胸に添えた手のひら、そこからヒーリングの柔らかな光を発しながら、ホーネットは殊更に穏やかな声、穏やかな表情で答える。

 

「その通り。またホーネット派を救う大活躍をしてしまったぜ。どうだホーネット、俺様はちょースゴいだろう。びっくりしたか?」

「そうですね……けれど、それ程びっくりはしていません。貴方が凄い人だという事はもう分かっていましたから」

「ほう、そーかそーか。お前も分かってきたじゃねーか、がーっはっは、あ、痛でででで……!」

 

 高笑いをしたら傷に響いたのか、ランスは痛そうにその顔を顰める。

 するとヒーリング中のホーネットから「ランス、今は安静に……」と真剣な声で窘められる。

 

 魔人レッドアイとの激戦が終わった後。

 先程までの喧騒が嘘のように過ぎ去った後。

 地面に横たわるランスは暫くその格好のまま、魔人筆頭のヒーリングを受けていたのが。

 

「……おいホーネット」

 

 ふいに半眼に開いた視線を向けながら、大層不満げにその口を開く。

 

「どうしました?」

「どうしました? じゃない。お前はさっきから何故そこに座っているのだ」

「……え?」

 

 その言葉の意味が分からなかったのか、そこでホーネットは──横たわるランスの真横に座っている彼女は素の表情となる。

 

「あのな。地べたに寝そべる俺様の姿を見て何とも思わんのかお前は。普通こういう時はひざ枕をするに決まってんだろーが」

「……そう、なのですか?」

「そうなのだ。分かったら早くやれ。早くやらねーと俺様死ぬぞ」

「……ランス。そのような言い分で急かすのは止めてください」

 

 こういう状況においてはひざ枕。魔人筆頭はそういう作法は知らなかったらしい。 

 ランスに急かされた彼女はヒーリングを持続したまま横たわるその頭を持ち上げて、その下に自分の太ももを滑らせる。

 

「……これで良いのですか?」

「うむ。苦しゅうない。やっぱ怪我した時には女の太ももに限るな」

 

 頭の裏には先程までの硬い地面では無く、十分なハリがあってかつ柔らかな感触が。

 普段は中々味わえない貴重な感覚、それに身を委ねているとランスはふと思う事があって。

 

「……うーむ」

 

 現在、魔人筆頭の太ももを枕にして身体を寝かせているランス。

 そのまま真上を向いた場合、その視界に映るのは目の前にあるふくよかな稜線。

 

「……ホーネット」

「なんですか?」

「お前、おっぱいデカいな」

「………………」

 

 そんな明け透けな感想に対し、彼女は沈黙ののち「……ふぅ」と息を吐いて。

 

「……ランス、怪我は傷まないのですか?」

「ん? いやそりゃ痛むが。というかめちゃくちゃ痛くて死にそうだが」

「……死にそうな怪我を負っている今、よくそのような軽口が叩けますね」

「別に軽口じゃないぞ。俺様は本気でデカいなぁと思ったのだ。いよっと……」

 

 すぐ目の前で大きな膨らみが待っている。ならばここで手を出さないのは男が廃るというもの。

 故にランスはその左手をゆっくりと持ち上げてみたのだが。

 

「……あー駄目だ。腕を動かすのがキツいー」

「ランス、今は身体を動かすべきではありません」

「くそー、ホーネットのおっぱいがこんな近くにあるのにー」

 

 どうしても諦めきれないのか、ランスは必死の形相になって腕を持ち上げる。

 ぐぐぐーっと手を伸ばし、後20cm, 後10cmと近づいていって。

 

「………………」

 

 だがその膨らみに届く直前、ホーネットの手に掴まってしまう。

 そして一切の情け容赦無く、すすすーっと元の位置へ戻されてしまった。

 

「……おいホーネットよ。こんな時くらいおっぱい触ったっていいだろ」

「……ランス。お願いですからこんな時くらい安静にしてください」

「いやいや違うんだって。お前のおっぱいを揉めば怪我が治るような気がするのだ」

「まさか。私の胸を揉むだけでこの怪我が治るなら苦労はしません」

「ちゃうちゃう、俺様の場合マジで治るから。だからちょっと触らせてみろって」

 

 目の前にある大きなおっぱい目指して、ランスはぐぐぐーっと手を伸ばす。

 だがやっぱりホーネットの手に捕まり、すすすーっと元の位置に戻されてしまう。

 

 それは魔人レッドアイとの激戦の後。

 他の者達が駆け付けてくるまで、ランスとホーネットはしばらくそんな事を繰り返していた。

 

 

 

 

 



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TURN 9
戦い終わって④


 

 

 魔人レッドアイは倒れた。

 ケイブリス派の魔人がまた一体討伐された。

 

 狂気の魔人と呼ばれ、これまで幾度と無くホーネット派魔物兵の殺戮を行ってきたレッドアイ。

 彼は居なくなってしまったロナを取り返す事に執着するあまり仕掛けられた罠に気付かず、最終的には人間の手によって止めを刺され、その宝石の身体を魔血魂に戻す事となった。

 

 そして。

 

 

 

「……ふあ~~ぁ、ねみ……」

 

 と、そんな大きなあくびをする声。

 魔人レッドアイとの戦いで結果的に大殊勲を立てる事となった人間の男、ランス。

 彼はその戦いの後すぐに魔王城に帰還して、そして今は自室のソファに寝転がっていた。

 

「……あーくそ、何かくらくらするな……」

 

 何をする訳でも無く、退屈そうにしているランスの顔は見るからに憮然とした表情で。

 魔人レッドアイとの激戦を見事に制したランスであったが、しかしほぼタイマンに近い形で魔人と戦うのはあまりに無謀な行いであり、無事に済んだとは言い難いものであった。

 

 特に最後に食らってしまったレッドアイの必殺魔法、ミラクルストレートフラッシュ。

 あれは寸前でホーネットが魔法バリアを使用してくれていたから助かったものの、そうでなければ間違いなく死んでいた程の一撃で。

 

(あんな雑魚の一発とはいえ……そこは一応魔人っつーだけはあるって事か。……まぁでも俺様にとっては大した事など無かったがな)

 

 などとその心中では強がるものの、しかし魔法バリアによって減衰して尚かなりの威力となるレッドアイの必殺魔法、その直撃を受けたランスのダメージは甚大なものであった。

 全身の皮膚は爛れて骨折も数か所見つかったりと、そのまま死んでいてもおかしくない重症であり、そうならなかったのはひとえにランスの強靭な生命力、そして負傷してすぐホーネットの神魔法LV2によるヒーリングを受けられた事が要因だろう。

 

(……つーか、前にヤツと戦った時もすげー怪我を負ったような気が……ぐぬぬ、ムカつく)

 

 振り返って考えると前回の時、魔人レッドアイとの2度目の戦いの時にもランスは大怪我をした。

 そして今回に至ってはそもそも戦うつもりなど無かった。ホーネット達に戦わせれば問題無いだろうと確実に勝てる状況をセッティングした。

 それにもかかわらず、ふと気付いた時にはあの魔人と5度目となる死闘を繰り広げていた。もはやただの偶然とは考えられない、しかしながら運命だとも思いたくはない巡り合わせである。

 

(ただやはり今回も前回と同じように俺様の大勝利ではあったがな。そう考えるとヤツが俺様に負けるのも運命だと言えるのかもしれんな。うむ、きっとそうに違いない)

 

 ともあれ、そんな心底受け入れがたい嫌な因縁をランスは自らの手で断ち切った。

 そしてその時に負った大怪我も今ではもう殆ど治っている。即座に治療を受けられた事が幸いしたのか後遺症なども無し。故にもはやその安否を心配する必要など無いのだが。

 

「……全く。どいつもこいつも同じような事を何度も言いおって」

 

 思わずその口から出た不満。それはあの戦いを終えた直後にあった出来事。

 その時はまだ全身酷い火傷だらけの状態であり、治療していたホーネットは勿論の事、駆け付けてきたサテラやハウゼル、シルキィ達全員にそれはもうひどく心配をされてしまった。

 その後すぐに帰還した魔王城で顔を合わせた者達も似たりよったりの反応で、最終的に治療の大半に貢献してくれた魔人筆頭からは「せめて一日は安静にするように」と厳命を受けてしまった。

 

「あいつらはあれだな、俺様が不死身だという事を理解しとらんのだな。けしからん」

 

 などと呟くランスだが、実際確かに傷は癒えたもののそれでも大量に血を失った影響からか、立ち上がってみると頭はフラフラしてしまう。

 前回の時に大怪我を負った際はすぐに治療を受けてまた戦ったりしたものだが、しかしながら今はあの時のように差し迫った状況にある訳でも無く。

 

「ただまぁ俺様はちょー大活躍した訳だしな。そんな英雄には休息も必要だよな、うむうむ」

 

 よって本日は言うなれば安息日。

 特に何をする訳でも無く、ランスは自室でまったりモードである。

 

「……んー、何かちょっと眠くなってきたな。そろそろ昼寝でもすっか」

 

 そう思って瞼を落としかけたその時。

 

 コンコン、とドアをノックする音が聞こえて。

 

「お、誰か来た」

 

 そしてガチャリとドアノブが回された。

 

 

 

 

「ランス、お見舞いにきてやったぞ」

「おぉ、サテラ。それにシルキィちゃんも」

「こんにちは、ランスさん。身体の調子はどう?」

 

 やってきたのは魔人サテラと魔人シルキィ。

 両者共に先の魔人レッドアイとの戦闘に参加した二人であり、その後ランスと同じように魔王城へと帰還した二人である。

 

「というかランス、起きていちゃ駄目じゃないか。今日一日はベッドで横になっているようにとホーネット様も言っていただろう」

「んな一日中寝てられるかっての。お前らは揃いも揃って余計な心配をしすぎだ」

「そう言われてもねぇ、心配だってしちゃうわよ。だってあの時のランスさんったら酷い怪我をしてたんだもの」

 

 ほんの直前まで寝ようとしていたのに、やたらと心配されるのもそれはそれで煩わしいのか。

 ランスは殊更に健在をアピールしてみるものの、しかしそう言われた所でやっぱり気懸りになってしまうのが人情というもので。

 

「それにほら、私達は魔人だからね。人間の貴方にどれ位の生命力があるのか、どれ位の怪我になら耐えられるのか……みたいな事って中々分からないものなのよ。……本当に大丈夫なの?」

「本当に大丈夫だっての。俺様はもう元気ハツラツ、もうセックスだって出来るぞ。そうだ二人共。せっかく来た事だし3Pでもするか?」

「……シルキィ、こいつ叩いてもいいよな?」

「……サテラ、一応怪我人だから」

 

 グーを握るサテラとそれを嗜めるシルキィ。

 たださすがにその台詞はポーズだけ。レッドアイとの戦いを終えた直後、重症を負ったランスの姿を見て二人ははっと息を呑み、サテラなどは泣き出しそうになる有様で。

 それ故こうして元気になったランスの姿を見て、二人共内心ではホッとしていた。

 

「でも実際3Pぐらいはさせてくれたっていいと思うのだが。俺はお前達ホーネット派がずっと苦労してきた相手を退治してやったのだぞ?」

「……む」

 

 そんな二人の心情を知ってか知らずか、ランスが今回のレッドアイ戦での大活躍を、自身の手柄を殊更にアピールしてみせると、

 

「……まぁ、それに関しては……うん、本当に良くやったぞ。さすがはサテラの使徒だな」

「そうねぇ。あの時にも言ったとは思うけど、改めてランスさんって本当に凄い人だと思うわ」

「だろ? 俺様ってスゲーだろ? がはははは!」

 

 それには二人の魔人も素直に頷くしか無い。

 レッドアイはこれまでホーネット派に対し一番の被害を与えてきた魔人。その討伐の成功にはこれまで倒したどの魔人以上もの大きな価値がある。

 魔人が一体減る事による敵の戦力低下は勿論、魔人の撃破という事実は敵の士気を挫いてその逆に味方の士気を高める事にもなる。

 そして更に、ここに来ての魔人レッドアイの討伐には何よりも大きな意味合いがある。

 

「にしても目玉野郎もようやく潰した事だし、これでケイブリス派に残る魔人共もさすがに結構減ってきただろう」

「そうだな。レッドアイを倒した事で向こうの魔人は残り5体、遂にサテラ達ホーネット派が魔人の頭数で上回った。これは確かに凄い事だ、今まで勢力的にはずっとケイブリス派が優勢だったからな」

 

 現在ホーネット派に属している魔人。

 それはホーネット、サテラ、シルキィ、ハウゼル、ガルティア、メガラスの計6名。

 

 そして現在ケイブリス派に属している魔人。

 それはケイブリス、ケッセルリンク、カミーラ、レイ、パイアールの計5名。

 

 派閥に属する魔物兵の総数では依然として差はあるものの、もはや魔人の数ではホーネット派よりケイブリス派の方が劣る事となった。

 勿論一口に魔人と言ってもその強さは各々で大きく異なる為、一概にどちらが戦力的に上とは言えない状況ではあるのだが、それでも単純な数字の大小が与える印象というのは決して小さくない。 

 つまりここに来てケイブリス派は劣勢となり、ホーネット派が優勢になった……と、その事実を知る者達は自然とそう考えていた。

 

「確かに言われてみると……もうこっちの方が魔人の数が多いのか」

「そうね。一時期なんて私達の倍以上の魔人がケイブリス派に属していた事もあったのに、そこから考えると本当によく盛り返せたなぁと思うわ」

 

 過去には倍の差があった両派閥の魔人の数。常に苦境だったその頃を思い出したシルキィがしみじみといった感じで呟くと、目聡いランスがそこに大事な注釈を入れる。

 

「……ちなみに知っとるか? こっちに来てから俺様が退治した魔人はこれで2体目。んでケイブリス派から引っこ抜いたムシ野郎とワーグの件も加えればこれで4体になるのだ」

「勿論知ってるって。分かってる、私達が勢力的に上回れた理由の多くはランスさんのおかげね。……正直な話、貴方を仲間に引き入れた時はここまでの活躍をしてくれるなんて全く思ってなかったわ」

「ふっ、見る目が無いなシルキィちゃん……とは言わないでおいてやろう。俺様のスゴさはヤバすぎてそう簡単に理解出来るようなもんじゃねーからな。……て事で二人共、もっと褒め称えていいぞ」

 

 その勢力図の変化、ケイブリス派の魔人が倒れた理由の大半はランスが要因となる。派閥戦争に参加してからもそうだが、更に魔人ジークや魔人サイゼル、魔人カイトの討伐もこの男の手柄。

 魔人たる自分達にも出来なかった敵魔人の討伐、それに加えて派閥の主であるホーネットを救出した事など、その貢献はもう計り知れないもので。

 故に褒め称えていいぞと言われたなら、サテラとシルキィはもう素直に褒め称えるしかない。

 

「あんまり調子に乗らせたくは無いけど……まぁ今日くらいは褒めてやるか。うん、偉い偉い」

「もう何度も言った事なんだけどね。……うん、凄い凄い」

 

 サテラとシルキィはランスの両隣に腰を下ろし、手を伸ばしてその頭をよしよしと撫でる。

 

「その通り、俺様は偉くて凄いのだ。さぁもっともっと俺様を崇めろ」

「もっとだと? 全くしょうがないヤツだな……ほら、偉い偉い」

「うん。凄い凄い。ほら、いい子いい子」

 

 二人の魔人は更にその頭をなでなで。

 

「うむ。まだまだ続けろ」

「うんうん、えらいえらーい」

「よしよし、すごいすごーい」

「……おい。何か適当になってきてねーか?」

 

 どうもおざなりになってきているような。というかこれはむしろ子供扱いなのでは? 

 その点が少し引っ掛かったものの、しばらくの間ランスは両魔人からの称賛を受け続けた。

 

 

 

 

 そして。

 

「じゃあランス、ちゃんと安静にしているんだぞ」

「またね、ランスさん」

 

 その後サテラとシルキィは部屋から退出して。

 

 

 

 それから10分程が経過した後。

 コンコン、とドアをノックする音が聞こえて。

 

「お、また誰か来たな」

 

 そしてガチャリとドアノブが回された。

 

 

 

 

「こんにちはランスさん。怪我の具合は良くなりましたか?」

「おぉ、ハウゼルちゃん。それにサイゼル、お前も来たのか」

「私はハウゼルの付き添いで来ただけよ」

 

 やってきたのは魔人ハウゼルと魔人サイゼル。

 どうやら先程のサテラ達と同じく、ランスの様態を気にしてお見舞いにきたようである。

 

「……ふーん。こうして見る限りだともうすっかり元気になったわね」

「まぁな。俺様は不死身だからな」

「ほらハウゼル、だからそんなに心配する事ないって言ったじゃないの」

 

 元々大して心配もしていなかったのか、普段と変わらない様子でいるサイゼルの一方。

 

「姉さん、けど……」

 

 こうしてランスの元気な姿を見て尚、ハウゼルはその表情を曇らせていて。

 

「……ランスさん、本当に申し訳ありません。私達の所為でランスさんを危険な目に合わせる事になってしまって……」

「あぁ、そういやなんかホーネットから聞いたな。あの目玉を倒したと思ったらいつの間にか逃げ出していたんだって?」

「はい、そうです。あの時レッドアイを打ち損じたのは私達の責任です」

 

 ランスが考えた作戦でレッドアイを罠に嵌め、4対1の圧倒的優位な状況を作り出した。そしてハウゼルとサイゼルが放った『仲良しビーム』は闘神Γの破壊に成功したものの、大元たるレッドアイを倒す事は出来なかった。

 あわやレッドアイを取り逃がしそうになった事、そしてランスが戦う羽目になって結果的に大怪我を負ってしまった事。それら全てが自分達の責任だとハウゼルは感じているらしい。

 

「あそこまで追い詰めたのにレッドアイの逃亡を許していたらと思うと……ランスさんがレッドアイを倒してくれていなかったらと思うと……本当にもう感謝の言葉もありません」

「そーかそーか。まぁあまり気にすんなハウゼルちゃん。英雄たる俺様にとってあんな目玉一つたたっ斬る事なんぞ大した手間じゃねーからな。がーっはっはっはっは!」

「ランスさん……ありがとうございます」

 

 美人な女性に対しては実に寛容、ランスの男前な対応にハウゼルは目尻を下げて微笑む。

 

「……へぇ。そんなあっさりと流してくれるなんてちょっと意外だったかも」

「あん? どういうこっちゃ」

「いやほら、あんたの事だしもっとネチネチと言われるんじゃないかと……」

 

 一方の姉はその対応に懐疑的。

 謝ったとてこの男はそう簡単に許しはしないだろう。それどころかその失態にかこつけて性行為まで要求してくるのでは? とまでサイゼルは考えていたらしい。

 

「おいサイゼル。お前は俺様の事をそんな性格の悪い奴だと思ってんのかいな」

「うん」

「……即答しやがったなコイツ。つーか前にも言ったがな、お前はなんか余計な事をやらかしそうな気がしていたのだ。だからサイゼルが戦場に乱入してきた所為でレッドアイを取り逃したって聞いた時は『あぁ、やっぱりな……』って感じで……」

「うわ、なにそれヒドいっ! 私ってそんな駄目な奴に見えてる訳!?」

 

 優秀な妹と比較するとポンコツ気味な姉。

 そんなサイゼルの叫びを受けて、ランスはお返しのように「うむ」と即答した。

 

 

 

 

 そして。

 

「それではランスさん。お大事に」

「それじゃあね。さーハウゼル、お見舞いも終わった事だしおやつ食べにいきましょ」

 

 その後ハウゼルとサイゼルは部屋から退出して。

 

 

 

 それからまた10分程が経過した後。

 コンコン、とドアをノックする音が聞こえて。

 

「お、またまた誰か来た。これは多分あいつだな」

 

 そしてガチャリとドアノブが回された。

 

 

 

 

「おうランス。怪我の具合はどうだい?」

「おいムシ野郎、何故ここで貴様が出てくるのだ」

 

 やってきたのは魔人ガルティア。

 だったのだが、彼が挨拶をした途端、返ってきたのはそれはもう喧嘩腰な声だった。

 

「え、いや、何故って言われても……あんたが怪我したって聞いたからお見舞いに……」

「そうじゃない。いやまぁお前がお見舞いに来るってのも全く嬉しくない事態なのだが、俺様が怒ってるのはそこじゃねーんだ」

 

 何故自分はいきなり怒られているのか。

 その理由がさっぱり分からないといった感じの暴食魔人に対し、ランスはこめかみに怒りマークを携えながらその口を開く。

 

「いいか? さっきこの部屋にサテラとシルキィちゃんがお見舞いにやって来た。んでその次にサイゼルとハウゼルちゃんがやって来たのだ」

「……んで?」

「んで? じゃねーわアホ。あの4人が来たとなったらお次はいよいよホーネットの番だろう。それがお約束ってなもんだろーに」

「……て言われてもなぁ、俺そんなお約束知らねーしよ……」

 

 次にこの部屋に来るべき人物、ランスが待ち望んでいた人物は魔人ホーネットだったらしい。

 だがそう言われたとて自分はどうすれば良かったのか。お呼びでなかったと知ったガルティアは困ったように頭を掻く。

 

「まぁなんにせよランス、今回は本当に大活躍だったそうじゃねーか。まさか人間のあんたがあのレッドアイを倒しちまうとは、本当に恐れ入ったぜ」

「ふんっ、あんな雑魚魔人一匹、俺様の手に掛かりゃどうって事ないわ」

「はは、そりゃ頼もしい言葉だな。……そうそう、んで怪我したんだよな? 見た所もう治ってるっぽいけど……ほらこれ、元はあんたから貰ったものだけどさ、これでも食って養生するといい」

 

 そう言いながらガルティアはその手に持っていた包みを剥がし、お見舞いの品を差し出した。

 

「……おい貴様、よりにもよって怪我人のお見舞いに毒を持ってくるとは何事だ」

「え? いや毒じゃないって。これは本当に飛び上がる程に美味いお団子で──」

「それはまだ人類には早すぎる代物なんだよ。いいからそれ持ってとっとと出てけ」

 

 ガルティアが持参したお見舞いの品、それは香姫特製の魔性のお団子。

「うわーん、毒じゃないですーっ!」との叫びが遠い遠いJAPANの方から聞こえてきたような気がしたが、それはともかく。

 

 

 

 そして。

 

「んじゃランス、あんま無理すんなよ」

 

 その後ガルティアは部屋から退出して。

 

 

 

 それからまた10分程が経過した後。

 コンコン、とドアをノックする音が聞こえて。

 

「お、遂に来たか。これは間違いなくあいつだな」

 

 そしてガチャリとドアノブが回された。

 

 

 

 

「………………」

「おいっ! 次はホーネットがお見舞いに来る番だっつってんだろがッ!! よりにもよって何故貴様がここに来るのだ!!」

 

 やってきたのは魔人メガラス。

 だったのだが、彼が無言での挨拶をした途端、返ってきたのはブチ切れたランスの怒声だった。

 

「………………」

 

 部屋に足を踏み入れて早々に理不尽な怒りを受けてしまったメガラス。

 

「………………」

 

 彼はお見舞いにと持ってきた花束をそばにあった花瓶に差し替えると、

 

「………………」

 

 その顔を少し下向きに俯けて──見ようによってはしょんぼりしたようにも見える姿のまま、一言も喋らずに帰っていった。

 

「全く……何なのだアイツは……」

 

 未だロクに会話を交わした事も無く、未だランスにとっては謎だらけの魔人メガラスであった。

 

 

 

 

 

 そして。

 それから一時間程が経過した頃。

 

「ぐがー、ぐがー」

 

 誰かを待っているのにも飽きたのか、ランスはすでに瞼を閉じてのお昼寝タイム。

 するとその時、コンコン、とドアをノックする音が聞こえて。

 

「ぐがー、ぐがー」

 

 そしてガチャリとドアノブが回された。

 

 

 

「……あ」

 

 お見舞いにやってきたその女性はソファで横になって眠る男の姿を見つけると、

 

「………………」

 

 足音を立てずに近づいてきて、自然とその寝顔を覗き込む。

 

「ぐがー、ぐがー」

「………………」

 

 普段の真顔。あるいはたまに見せる鼻の下が伸びただらしない顔、他には戦っている時に見せる凛々しい顔など。

 そのどれもと違って、その穏やかな寝顔は幼さやあどけなさが抜けきっていない顔付きで。

 

「ぐがー、ぐがー」

「………………」

 

 そんなランスの寝顔をじっと見ていて彼女は何を思ったのか。

 ふいにその身体を前に傾けて、自らの顔を相手の顔に近づけていく。

 

「………………」

 

 だがそこで何かを思い直したのか、彼女は一度その身体を起こす。

 

「………………」

 

 今度は自分の頬に掛かる髪を耳の上に掛けて、再びその身体を傾けていく。

 そうしてお互いの顔が、より正確に言えばお互いの唇が触れる寸前。

 

「……っ」

 

 やっぱり思い直したのか、彼女は弾かれるようにその身体を起こした。

 

「……私は、何を……」

 

 自分は一体何をしているのか。何をしようとしていたのか。

 こんな事をしにきた訳ではない。ただ彼の様態を確認しにきただけだと言うのに。

 とても正気では無いというべきか、自制心が足りなすぎるというべきか。

 とはいえもはやそんな自分の直視しがたい姿にも慣れてきてしまったその魔人は、はぁ、と息を吐いてからそっと手を伸ばして。

 

「ぐがー、ぐがー」

「……ヒーリング」

 

 眠るランスに対して回復魔法を掛けた後、そのままホーネットは部屋を後にした。

 

 

 

 

 魔人レッドアイは倒れた。

 それにより魔物界の情勢も変化して、そして各々の心境にも変化が生まれる。

 レッドアイという宿敵を討伐した事により、ホーネットの心にも安堵と余裕が生まれて。

 

 すると思考は自然とそちらに向いてしまう。

 彼女がその胸に秘める情愛、初恋という感情は日に日に大きくなっていく。

 それは安らかに眠る想い人を前に、あわや血迷いそうになってしまう程のもので。

 

 つまりホーネットの方もそろそろ限界で。

 そして言うまでもなくランスの方は前々からそんな感じで。

 つまり両者にとって、その時が訪れるのも極自然な事であった。

 

 

 

 

 

 



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必殺の口説き文句

 

 

 

 それはある日の出来事。

 

 

「……あ」

「お」

 

 廊下でたまたま遭遇した二人の声が重なる。

 

「ランス。もう出歩いても平気なのですか?」

「おう。てか城に帰ってきた時点でとっくに平気だったっつーの。お前は無駄に心配しすぎだ」

 

 それはランスとホーネット。

 怪我の状態を心配した彼女の言葉に対し、その男はふんと鼻を鳴らして言い返す。

 

「……そうですか。まぁなんにせよ歩ける程に回復したというなら何よりです。ただそれでも病み上がりには変わりないのですから、あまり無理をしてはいけませんよ」

「だから心配しすぎだっつー……まぁいいや。俺様はこれから昼飯なのだが、お前もか?」

「えぇ、そうです」

 

 時刻は昼時。目的地が一緒だからか二人はそのまま自然と肩を並べて。

 そうして食堂へと向かって歩いていたその途中。

 

「……おっと足が滑ったっ!!」

 

 突然ランスが足をつんのめり、そのまま左隣にぐらっと体勢を崩す。

 左隣、つまりホーネットが居る方へと。

 

「大丈夫です、か……」

 

 ホーネットは即座に反応し、倒れ込んできたランスの事を優しく支える。

 だがその直後、自分の胸辺りから伝わる違和感にその身体を硬直させた。

 

「……あの、ランス……」

「いやぁ悪い悪い。ちょっと足を滑らせちまった」

「……そうですか。いえ、別にそれは構わないのですが……」

「ん? どうかしたか?」

「あの、貴方の手が……」

「手?」

「……ですから、私の胸……」

「胸?」

 

 何の事かな? とランスが素知らぬ顔でとぼけている間にもふにふにと。

 ホーネットを横から羽交い締めにする格好で、その両手が彼女の両胸を鷲掴みにしていた。

 

「……何故私の胸を揉んでいるのですか?」

 

 その頬をほんのりと色づかせて。

 目を閉じたまま身じろぎする事も無く、魔人筆頭は静かな声で尋ねる。

 

「あこれか? いやほら、とっさの事だったからココしか掴む所が無くてよ」

「……そうですか」

「うむ。なんせほら、俺様病み上がりだし」

「……そうですね」

 

 そう言っている間にもふにふにと。

 

「………………」

「………………」

 

 ふにふにと。

 

「……あの。いい加減に離してくれませんか?」

「おぉ、そういやそーだな。いやいや、あまりにグッドな揉み心地だからか少し没頭してしまったぞ。ゴメンゴメン」

 

 ランスは心底適当な謝罪をしながら、ふにふにと弄んでいたその双丘から手を離す。

 

「さてと。んじゃ飯食いに行くか」

「えぇ。……それとランス、繰り返しになりますが貴方は病み上がりなのですから、歩く際はちゃんと足元に気をつけるように」

「うむ、そうだな。肝に銘じとく」

「……はぁ」

 

 どう聞いても嘘っぽく聞こえるその言葉に、ホーネットは疲れたように息を吐き出した。

 

 と、そんな事があったりと。

 

 

 

 

 

 そしてまたある日の事。

 

 

「……お」

 

 階段を下りていた途中のランスの前。

 そこには見慣れた紫紺色のドレス姿の女性、ホーネットが居た。

 

「……ふーむ」

 

 手元にある資料に目を通しているらしく、向こうはまだこちらに気付いていない様子で。

 そんな魔人筆頭の背中をじっと眺めていると、次第にその胸中には悪戯心が湧いてくる。

 

「……おぉーっとまたまた足が滑ったーー!!」

 

 そして再度足をつんのめらせたフリをして、その身体目掛けて勢いよくダイブした。

 

「な──」

 

 ホーネットは瞬時に振り返り、そして驚きと共に状況を把握する。

 今は階段の下り途中、そして足を滑らせて頭から突っ込んでくるランス。ここで下手な受け止め方をしては怪我にも繋がりかねないと考えたのか、

 

「くっ!」

 

 落ちてきたランスを受け止めたホーネットはその勢いに逆らわず、そのまま後ろへと飛んで踊り場の床に背中から着地する。

 無敵結界に守られる自分の身体を下にすれば階段から落ちても怪我は無し。その判断に何一つ間違いは無く、実際お互いに無傷で済んだのだが。

 

「……ふぅ、危ねぇ危ねぇ。またまた足を滑らせちまった」

「……ランス。貴方はまたこん、な……」

 

 そこでまたホーネットは自分の胸元から伝わる違和感に気付く。

 彼女の身体をクッションにする形となって階段から落ちた結果、そのふくよかな胸の真上にランスの頭がこれ見よがしに乗っかっていた。

 

「……あの、ランス……」

「ホーネット、お前がたまたま前を歩いていてくれて助かったぞ。いやマジで」

「……それは構わないのですが、その……」

「ん? どうかしたか?」

「ですから、顔が……」

「顔?」

 

 何の事かな? とランスが素知らぬ顔でとぼけている間にもすりすりと。

 その双丘の触り心地や体温を余さぬようにと、顔全体でその感触を満遍なく堪能する。

 

「うーむ、やっぱデカいな。それに……むほほほ、やわけー」

「……ランス」

「ん? あ、いやこれは違うぞ。ほら、何と言っても俺様病み上がりだからよ」

 

 そう言っている間にもすりすりと。

 

「………………」

「………………」

 

 すりすりと。

 

「……あの。そろそろ身体を起こしてください」

「おぉ、それもそーだな。にしてもお前のおっぱいは時間を忘れされるなぁ、すまんすまん」

 

 ランスは心底適当な謝罪をしながら、すりすりと楽しんでいたその双丘の上から身体を起こす。

 

「よっこいせっと。ほれホーネット」

「……えぇ」

 

 目の前に差し出された手を取って、ホーネットもその身体を起こした。

 

「……ですがランス。こういう危険な事をわざと行うのは感心出来ません」

「いやいや、わざとじゃねぇって。本当に足を滑らせちまったのだ」

「……私、の──」

 

 そこでホーネットは大層難しい顔で何かを言い掛けたのだが。

 

「──いえ。……それでは」

 

 そのまま背を向けたと思いきや、気持ち早めの歩みですたすたと去っていった。

 

 と、そんな事があったりもして。

 

 

 

 

 

 

「……うーむ」

 

 その後、ランスは自室のソファで唸っていた。

 

「もうちょっとだ」

「………………」

「もうちょっとだと思うんだよなぁ」

「……はぁ」

 

 その脳裏に浮かぶのは先程のホーネットの姿。

 いや振り返って考えてみると、少し前頃から顕著に変わってきているその態度について。

 

「あのホーネットの様子を見る限り、本当にもうちょっとでセックス出来る所まで迫っている、絶対にそのはずだと思うのだ」

「……そうですか」

 

 あの魔人と出会った頃、その視界にも入らなかった頃を思えば今は大いなる進歩を遂げている。

 もはや事故を装ってならば、そのおっぱいを好き勝手揉んだとしても文句の一つすら言われず。

 今の彼女との距離感はただの派閥の協力者で済ませられるようなものでは無く、ランスからすればもう一度くらい夜を共にしていないと不自然とさえ思えるような距離感である。

 

「あいつも前は駄目だ駄目だと言っとったがな、今ならもうその気持ちも変わっているはずだ」

「……なるほど」

 

 思えば以前、例の風呂場でこれはイケると感触を得た時もあった。

 ただあの時は結果的に失敗、性交のお誘いは丁重に断られてしまったのだが、しかし今はもうあの時とは違う。何よりも相手の態度が全く違う。

 

「俺様はようやくここまで漕ぎ着けた。だがここから先へ進めずに停滞している。ここから一歩進むには何か切っ掛けが必要だと思うのだ」

「……切っ掛け、ですか」

「そう、切っ掛けだ。ホーネットの首を縦に振らせる何か、それを今必要としているのだ」

 

 今やもう陥落間近、死に体の魔人筆頭にトドメを刺す為の一撃が欲しい。

 そんなオーダーを出してみたランスは事も無げに言い放った。

 

 

「つー訳でウルザちゃん。あいつを口説き落とすグッドな手段を考えてくれ」

「お言葉ですがランスさん。何故それを私が考えねばならないのでしょうか」

 

 それに反応したのはランスの目の前、頭の痛そうな表情で口を開くその女性。

 呼び出しを受けてこの部屋にやってきた軍師、ウルザ・プラナアイスである。

 

「何故ってそりゃあ……君は俺様の軍師だし。ウルザちゃんのその優秀な頭脳は俺様の悩みを解決する為に存在しているのだよ」

「……物は言いようですね、それ」

「だが事実だ。君は軍師としてここに居る訳で、誰が上官かと言ったらそりゃ俺様だろ? なら俺様の指示にはちゃんと従わないとな」

 

 女を口説く方法。そんなプライベートに過ぎる問題を軍師に尋ねるというのは如何なものか。

 ウルザは真剣にそう思うのだが、しかしランスは気にも留めない。使えるものは何だって使うのがランスという男である。

 

「とにかくホーネットは手強い。俺様が何度口説いても中々上手くいかん。なので今回はいっそ他の者の意見も取り入れてみようと思ってな」

「……まぁ、それは悪くない考えだと思います。特に恋愛感といったものは異性よりも同性の方が共感出来る部分があるものだと言えますし」

「そうだろ? だから君の出番なのだ。特にウルザちゃんだってもう俺様にメロメロな訳だし、そんな君だからこそ分かる事もあるってなもんだろう」

「……今の言葉については大いに異議を唱えたいものですね。まぁそれはともかく……」

 

 反論すると深みに嵌りそうな危険な話題は避け、ウルザはそこで少し気まずそうに瞼を閉じる。

 

「……先に白状してしまうとですね。私はそういった事に関してはあまり経験が無いので、口説く方法を教えてと言われても有益な答えを返せる自信がありません」

 

 ウルザ・プラナアイス。彼女はこれまでの人生において大した恋愛経験が無い。

 深く触れ合う関係となった男性はそれこそランスただ一人で、恋愛事情などに関して誰かにアドバイス出来るような立場には無いのだが。

 

「だいじょーぶだいじょーぶ。君は頭が良いんだからそこにもっと自信を持ちたまえ。まぁ勿論俺様の方がより天才なのだがな。がははは!」

「……でしたら私に意見を求める必要など無いような気もしますが。繰り返しになりますが本当に大した助言は出来ないと思いますよ?」

「あぁ、それでも構わん。とにかくなんでも良いから考えてみてくれ」

「………………」

 

 それでもランスからこのように頼まれると逃げる訳にもいかないというか、一応は軍師として何か回答しないと居心地が悪く感じるのか、ウルザは顎に手を当てて真面目に思案し始める。

 

「……ホーネットさんを口説く方法、ですか」

「そう。あいつの口から『ランス! 貴方と今すぐセックスがしたーいっ!』って言わせる方法を考えて欲しいのだ」

「いくら何でもそんな明け透けな事を言う方だとは思えませんが……そうですね……」

 

 ホーネット派最強の存在、魔人筆頭たるホーネットを口説き落してセックスに持ち込む手段。

 そんな難問について、大した恋愛経験の無いウルザでも何とか思い付いたアドバイスと言えば。 

 

「……恐らくランスさんの事ですから、これまでホーネットさんに対して押して押すようなアクションを起こしているのだと思います。月並みな言葉ではありますが、押して駄目なら引いてみるというのも手だと思いますよ」

 

 これまでとは異なる方法で攻めるのはどうか? という初歩的な助言一つ。 

 

「……ほう、押して駄目なら引いてみる、か」

「えぇ。本当に常套手段だと思いますけれどね」

「……ふむふむ……なーるほど……」

 

 ランスは納得させられた様子で大きく頷く。今ウルザから指摘された点はまさにその通りで、これまでホーネットに対しては時に一緒に風呂に入れと迫ったり、時にセックスさせろと迫ったりと、とにかく押せ押せで関係を迫ってきた。

 それが一番自分の性格にあっているから自然とそうしてきたのだが、しかしその方法でここまでやってきて駄目だった以上、その攻め手を変えてみるというのはアリかもしれない。

 

「しかし、引く……か。引くっつーと具体的にはどうすりゃいいのだ? 例えば~……『ホーネットがセックスさせてくれないなら俺様もうランス城に帰るー!』……とか?」

「そうですね、少々大袈裟だとは思いますが方向性としてはそんな感じです」

 

 そこでランスがふと思い付いた事。自らの人間世界への帰還を駆け引きに使ってみる事。

 それは今の魔人筆頭にはまさに一撃必殺、一瞬で勝負を決めかねない禁断のワードだったのだが、そうとは知らない二人は然程気に止めずにそのまま会話を続ける。

 

「そのように距離を置いてみて相手の気を引くというのもそうですが、あとは……相手の興味を引くような事をするのも手だと思いますよ」

「興味を引く、か……なるほどなぁ。確かに一見そういう遠回りな方法で攻めた方が簡単に口説き落とせたりもするからなぁ」

 

 恋愛経験がまるで初心者とはいえさすがにそこは人類の中でもトップクラスに優秀な軍師、ウルザが提案するアイディアは中々的を射たもので、

 

「よし、んじゃあ今のウルザちゃんのアイディアを使ってみるとするか」

 

 ならば早速ホーネットにぶつけてみようじゃないか。……と思ったのだが。

 

「……けどまてよ。出来れば直接ホーネットに試す前に他の誰かでテストをしてみたい所だな」

 

 無駄なアクションを仕掛けて失敗に終わるだけならばまだしも、下手な事をやらかしたら逆効果になる場合もあり得る。

 ここまで来てホーネットとの関係性が後退してしまうのを避ける為にも、先程挙がったアイディアの有効性を試してみたいとランスは考えた。

 

「テストですか……まぁ確かに実戦の前に経験を積んでおくのは悪い事では無いと思いますが、しかし口説きのテストとなると中々……」

「ウルザちゃん、君で試してみてもいいか?」

「……私では意味が無いでしょう、すでに手の内を知っているのですから。もっと別の誰か……出来ればホーネットさんに近い反応をしてくれそうな方が適任だと思いますが」

「……ふーむ」

 

 ホーネットに対しての口説き文句のテストをするのならば、ホーネットに似た反応をしてくれそうな相手でテストをしてみるのが吉。

 

「よし、ならそうだな……」

 

 と、言う事で。

 

 

 

 

 

「……それで、私に何の為に呼ばれたの?」

「まぁまぁ。とりあえずそこに座ってリラックスしてくれ、シルキィちゃん」

 

 訳も分からずきょとんとした様子のシルキィ。

 ランスはその背中を優しく押して、そばにあった椅子に彼女を座らせる。

 

 ホーネットを口説く為の実戦テスト。魔人筆頭に近い反応をしてくれそうな相手として、同じく魔人であって立場が近いとの条件から3名のホーネット派魔人が候補に挙がった。

 その内サテラは何を言っても反発しそうだからとの理由で却下。その逆にハウゼルは何を言っても受け入れそうだからとの理由で却下。

 結果、一番中立でフラットな回答をするだろうと見込まれる相手、魔人シルキィがこうして栄えあるテストモニターとして選ばれたのだった。

 

(……よし。んじゃまずは距離を置いてみるアレから試してみるかな)

 

 作戦その1。自らの人間世界への帰還を駆け引きに使ってみる事。

 ランスは椅子に座るシルキィと視線を合わせて、それはもう真剣な表情で語り掛ける。

 

「……シルキィちゃん。今日は君に大事な話をしなければならないのだ」

「大事な話?」

「うむ。実は君達の戦いに俺達が協力出来るのはここまでになる。どうしても外す事の出来ない用事があってな。俺様はもう人間世界に帰らなくてはならないのだ」

「えっ……」

 

 するとシルキィは弾かれたように大きく目を見開いて、

 

「……それ、本当なの?」

「あぁ。残念ながら本当だ」

「……そっか、そうなんだ……」

 

 そして途方に暮れたような様子で呟く。

 ランスが人間世界に帰る。それは本当に寝耳に水な話であって、ホーネットに限らずシルキィにとっても相当ショックな話だったのだが。

 

「……うん、分かった」

 

 そこで彼女は椅子から立ち上がると、大きく一礼してからランスの手を取る。

 

「お?」

「ランスさん、今まで本当にありがとう。貴方達が協力してくれた事は絶対に忘れないわ」

「お、おぉ……」

「後の戦いは私達に任せて。必ずやケイブリス派に勝ってみせる。人間世界に戦火を広げる事は絶対に防いでみせるから、貴方達は安心して元の世界で平和に暮らして欲しいな」

 

 そして少しの寂しさを混ぜた笑顔を作り、ランスの手をぎゅっと握ったまま感謝とお礼の気持ちを口にする。

 

「……てかシルキィちゃん、引き止めないのだな」

「……そりゃあね、引き止めたいって気持ちが全く無いかって言われたら嘘になるけどね」

 

 本当はこれからも自分達と一緒に戦って欲しい。

 その気持ちはあるのだと白状したシルキィは、「……でもね」と小さく呟いて。

 

「ランスさん達はやっぱり人間だからね。人間の貴方達にこの魔物界に留まって魔人同士の戦争にこの先も付き合って欲しい……なんて、魔人の私達の口から言えるような言葉じゃないわ」

「……ふむ、そーいうもんか」

「えぇ、そういうものよ」

 

 そう言ってまた笑顔を作るシルキィの一方、ランスは複雑な表情となる。

 

(しかしなぁ。引き止めて貰わんとこの作戦は成功しないのだが……)

 

 この作戦は引き止めて貰う事が大前提。

 シルキィが「ランスさん、人間世界になんて帰らないで!」と言ってくるとする。

 そこで自分は「そーか、帰っちゃイヤか。イヤならどうすりゃいいか分かるよな?」と返す。

 そしたら「……うん、分かってる。エッチな事なら何でもするから」みたいな感じの約束をさせるのが目的である。

 

 故に最初の時点で引き止めてくれないと、食い下がってくれないと大前提が崩れてしまう。

 それではただ単に人間世界に帰るだけ。無意味にランス城に帰宅するだけで終了である。

 

(……うーむ。けど考えてみるとホーネットもこんな感じの反応をしそうだな。むしろアイツの事だから俺様が帰ると言っても「そうですか」の五文字で終わりかもしれんぞ)

 

 さすがに今のホーネットはとてもでは無いがそんな淡白に返す事など出来ないのだが、そんな彼女の心の機微を理解する事はまだ出来ないのか。

 ランスがうむむと唸っていると、シルキィが恐る恐ると言った感じでその口を開く。

 

「……それでランスさん、もうすぐに人間世界に帰っちゃうの? 出来れば城のみんなに別れの挨拶くらいはした方が……」

「……あ~、そういや人間世界に帰る用事があったってのは気のせいだった」

「え?」

「うむ。だからさっきの話は無し。もう忘れてくれていいぞ」

「そ、そうなの? ……そう、それならいいんだけど……」

 

 とても急な前言撤回を受け、戸惑いながらもホッと一安心といった様子のシルキィをよそに。

 こうしてテストをする事に意味はある。そう感じたランスは早速次なるテストを実施してみる。

 

(……よし。んじゃ次はあれを試してみるか)

 

 作戦その2。相手の興味を引く事で好意を引き出してみる事。

 

(……興味を引く、か。興味、興味ねぇ……シルキィちゃんが興味のある事と言えば……)

 

 ランスはその頭の中にこれまで見てきたシルキィの色々な姿を思い出す。

 そして彼女が一番興味を持ちそうな事、これだと思ったものを一つピックアップして。

 

 

「シルキィちゃん」

「なに?」

「実は今日の俺様は体力と精力がとても有り余っていてな。なので今から明日の朝までノンストップで君の事を可愛がってやろうじゃないか」

「えっ」

 

 そんな話題を振ってみた所、シルキィはぴくっとその肩を揺らす。

 

「どうだシルキィちゃん、嬉しいだろう?」

「……ううん。別に嬉しくないけど」

 

 そして一瞬の空白の後、魔人四天王はふるふると首を横に振る。

 そんな様子を見たランスは率直に思った。

 

「今きみ一瞬だけ嬉しそうな顔をしたな」

「そんな顔してないから!! ちょっと、勝手な事を言わないでくれる!?」

「ウルザちゃん、きみも見てたろ。してたよな?」

「……ノーコメントでお願いします」

 

 大層慌てた様子のシルキィを無視して、ランスが少し離れた場所で成り行きを見守るウルザに話を振ると、これは関わり合いにならぬが吉と彼女はコメントを差し控える。

 

(……うーむ。けどなぁ、シルキィちゃんはそりゃもうエッチ大好きだからこの方法で興味が引けるとしても、これじゃホーネットの興味を引く事は出来ねぇよなぁ)

 

 魔人ホーネットは未だ処女。性行為の快感を知らない以上、今の方法でその興味を引けるかと言われると大いに首を傾げてしまう話。

 そもそもそんな方法でホーネットの興味が引けるのだとしたら、彼女とセックスするのに自分はこんなにも苦労していないはずで。

 

(……つーか考えてみるとホーネットの興味を引けるもんってなんだ? 俺様あいつの趣味とかそういう事は全く分からねーぞ)

 

 そして基本的にホーネットはプライベートを話すようなタイプでは無い。

 彼女の趣味一つすらランスは知らず、パッと思い付いた事と言えば「もしかしたら露出行為に興味があるかも?」といった程度のものである。

 

「……駄目だな。この方法もちょっと難しそうだ」

「え、駄目って何が? ……というかそれよりもねぇ、ねぇ、私本当に嬉しそうな顔なんてしてなかったからね? ねぇ、聞いてる?」

「おうおう、分かった分かった。だがこれだと困ったな……」

 

 自己弁護を繰り返す魔人四天王を適当にあしらいながら、ランスは腕を組んで思い悩む。

 距離を置いてみるのもあまり効果が無さそう。そして興味を引いてみるのも難しそう。

 

(……うーむ。となると他に手は……)

 

 何かもっと優れた方法は無いのか。

 よりグッドな口説き文句は無いのだろうか。

 

(……あそうだ。ならいっその事……)

 

 そんな事を考えていた時、ふいにランスの頭の中に少し過激なアイディアが浮かんだ。

 

(……あれ、まてよ? この方法ならマジでイケるんじゃねーか? だってこれなら……)

 

 それはパッと思い付いただけのアイディアだが、しかし考えてみると考えてみる程に完璧なアイディアのように思えてくる。

 なぜならこの口説き文句……というか殆ど脅迫に近いのだが、とにかくこれを使った場合、ホーネットが何と答えようが関係無し。彼女がどんな返答をしようが最終的には必ずセックスに持ち込める、そんな必殺の口説き文句なのである。

 

(これだ! これなら絶対にイケる!! ……ような気がするぞ。うし、ならちょっと試しにシルキィちゃんにも使ってみるとするか)

 

 この方法を使えばあの魔人とのセックスだってきっと叶うはず。

 そんな確信を抱いたランスは早速テストをしてみる事にした。

 

「シルキィちゃん。さっきまでの話は軽いジョークのようなものだ。本当はこの話をする為に君の事を呼び出したのだよ」

「……どんな話?」

「実はな、ごにょごにょごにょ……」

 

 ややの警戒するシルキィの耳元に口を寄せ、ランスはひそひそ声でその口説き文句をぶつけてみる。

 

「……てな訳だ」

「え、えぇ!?」

 

 すると彼女は先程の時以上に、ランスが人間世界に帰ると宣言した時よりも驚愕した声を出す。

 この反応を見る限り本当にイケそうだ! ……とランスはぬか喜びしそうになったのだが。

 

「……て、さすがにそれは嘘ね」

「ありゃ?」

 

 すぐにシルキィは元の調子に戻り、白けた声で言い放った。

 

「え、これそんな嘘っぽい話に聞こえるか?」

「うん。いくら何でもそんな突拍子の無い話、すんなりと信じる事は出来ないわね」

「……マジか」

 

 ランスが思い付いた必殺の口説き文句、そこには想定外の大きな欠陥が一つ。

『人間世界に帰る』みたいな話なら信じる余地もあったのだろうが、しかしその口説き文句はあまりに無理筋過ぎて真実味が欠けていたようだ。

 

(……むぅ。となるとコレはボツか。……いやでも待てよ。シルキィちゃんにはバレてもホーネットが気付くかどうかはまだ分からねーか)

 

 ただシルキィがその嘘を見破ったとしても、ホーネットも同じように見破れるとは限らない。

 未だセックスをした事の無いホーネットより、何度も夜を共にしてきたシルキィの方がランスとの関わりが深い分、おのずとその理解度も高くなる。

 そんなシルキィだからこそ見抜けたものの、しかしホーネットには見抜けない嘘というものだってあるにはあるはずである。

 

「……シルキィちゃん、ちょいと頼みがあるのだがな。今の話を嘘だと思わなかった場合の反応をしてみてくれんか」

「え、ちょっと待ってなにその注文。嘘だと思わなかった場合の反応……てどういう事?」

「つまりな。今の話を仮に君が信じ込んだ場合、どういう態度を取るのかを見てみたいのだ」

「えぇ~……そんな難しい事を言われても……」

 

 ランスからの無茶振りを受けて、シルキィは心底困ったように眉根を寄せる。

 

「頼むシルキィちゃん。そういう演技をするだけで構わんから。これは本当に大事な問題、具体的には俺様の生死にも関わってくる問題なのだ」

「せ、生死ってそんな……まぁいいわ。さっきのランスさんの話を嘘だと思わないで信じる……って感じのフリをすればいいのよね?」

「そうそう、そんな感じで頼む」

「……はぁ、そんな演技私に出来るかなぁ……」

 

 

 という事でTAKE2.

 ランスが考えた必殺の口説き文句、それを仮にシルキィが信じた場合どうなるか。

 

「実はなシルキィちゃん、ごにょごにょ……」

 

 再度ランスがその口説き文句を耳打ちすると、

 

「……え、えぇ!?」

 

 シルキィは先程上げた驚愕の声に近い反応をしてみせる。中々の女優ぶりである。

 

「……う、嘘でしょう? そんなの……」

「嘘ではない。本気だとも。さすがにこんな話を嘘で言う訳が無いだろう」

「でも、だって、なんでそんな事をするの?」

「なんで……か。そりゃ俺様がそうしたいと思ったから、としか言えんな」

 

 その口説き文句をシルキィが信じた場合「どうして?」という気持ちが最初に来るらしい。

 だがそうしていたのもつかの間、すぐに彼女はとても真剣な顔付きに変わって。

 

「……けれど駄目。駄目よランスさん。それだけは……それだけはしては駄目」

 

 さすがにその口説き文句は「ランスさんなら仕方ないわね」で済ませられるものでは無いのか、シルキィは大真面目にそう答えた。

 

「ほーう、駄目とな」

「うん。それだけは絶対に止めて。大体そんな事をしたら貴方の為にもならないわ」

「そうかそうか。止めて欲しいのか。けど止めて欲しいっつーならどうすればいいのか、君ならもう分かっているよな?」

 

 そこでランスは彼女の肩を抱き寄せると、その顎でくいっと寝室の方を指し示す。

 その仕草が意味する所、それはもうシルキィだってとっくに理解済みで。

 

「……うん、分かったわ。貴方とエッチな事をすれば考え直してくれるのね?」

「その通り。君は本当に話が早くて助かるな。んじゃたっぷりと楽しませてもらうとするか」

 

 頷きと共に二人は席から立ち上がり、早速とばかりに寝室へと向かって歩いていく。

 だがその部屋のドアノブが回される直前、

 

「……ランスさん。それは演技なのでは?」

「おっと、そういやそうだった」

「あ、そうね」

 

 一連の流れを見ていたウルザからの指摘が飛び、二人はそこで我に返った。

 

「……ふむ。やっぱり信じた場合の効果はテキメンだな。それは間違い無い」

 

 軽くテストしてみた所、シルキィならこうもあっさり寝室に連れ込む事が出来た。

 この口説き文句はやはり必殺の口説き文句。仮にホーネットがなんと答えようともセックスに持ち込める構造となっている。その点に関してはランスも絶対の自信が持てる。

 

「となると問題はやっぱ、アイツがこれを信じるかどうかって所か……」

 

 ただ最初のテストの通り、実際にはシルキィには通じなかった口説き文句。それをホーネットは信じるだろうか。

 それは試してみないと分からない。とはいえもし信じたとしたらセックス確実な必殺の口説き文句である以上、試してみる価値はあるはずで。

 

「……うし。んじゃちょっくら本人にぶつけてみるとするか」

 

 これが必殺の一撃となるか、はたまたあっさりと見抜かれてしまうか。

 どちらに転ぶか分からない秘策を準備し、ランスはホーネットの部屋に向かう事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……だが。

 そうして部屋から出ていったかと思いきや。

 

「あれ? どうしたの?」

 

 すぐにランスが戻ってきて。

 

「……そういえばシルキィちゃん。さっきあの演技を終えた時、俺様とベッドイン出来なくて心なしか残念そうな顔を──」

「してないからっ!!」

 

 

 

 

 



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言えない言葉

 

 魔王城の最上階にある一室。

 

「………………」

 

 それは奇しくも、というべきものか。

 ランスが軍師たるウルザの知恵を借りて、魔人筆頭を倒す秘策を考えていたちょうどその頃。

 

「……ふぅ」

 

 と、静かに息を吐き出す声。

 大きな執務机に掛ける姿、この部屋の主である魔人筆頭。

 浮かない表情をしている彼女もまた、ランスと同じかそれ以上に深い悩みの中にあった。

 

(それにしても……どうしたものでしょうか)

 

 数日前、遂にあの魔人レッドアイを撃破した。

 ケイブリス派から大きな戦力がまた一つ欠ける事となった以上、そろそろホーネット派として次なる一手を考える時期にある。

 前々から継続的に実施している魔物兵達の徴兵及び練兵も経過は順調、そして魔人レッドアイが討伐された事で向こうの兵達の士気は下がり、今では離脱者も出ている状況だと聞く。

 現在どちらに流れがきているかは議論するまでも無く明らかな事、となればいよいよホーネット派全軍を挙げての大攻勢、大荒野カスケード・バウの攻略に本腰を入れる頃合いかもしれない。

 

 ……などといった、彼女が派閥の主としてその頭を悩ませないといけない問題もあるのだが。

 

(……私は、私はランスとどのように向き合えばいいのか……)

 

 とはいえ彼女が今悩んでいるのはそっち方面の話ではなく、自身のプライベートに関しての事。

 そんな私事にかまけている場合か、と捨て置く事はもはや出来ない。何故ならその思いを放置しているが故に生じる悪影響、それがすでに顕在化してきてしまっているから。

 

(……この前のような事はいけません。次からはああいった事は起こらないようにしないと……)

 

 この前。魔界都市ビューティーツリーでランスからの手紙を受け取った時。

 あの時自分は手紙に書かれていた「大事な話がある」という文面の意図を大きく読み違えて、結果恥ずべき思い違いをしてしまった。

 あの時はただ自分が内心大いに恥をかいただけで済んだのだが、次はもっと大事な判断の時にその意図を読み違えてしまうおそれだってある。そういった危険性を排除する為にも、いい加減この感情に振り回される自分をどうにかしなければならない。 

 

(思うにですが、これはきっと煮えきらない状況にあるのが良くないのだと思います)

 

 中途半端な状態だからこそ迷ってしまう。曖昧だからこそ揺れてしまう。

 何かを受け入れるのだとしても、あるいは何かを拒むのだとしても、そうと決めてしまってさっさと動いてしまった方が良い。

 

 ……そして現実問題、もはや拒むという選択肢を選ぶ事は出来ない。

 であるならばもう覚悟を決めて、その思いに沿った行動をすべき。そうすれば今の自分の酷い有り様だってある程度は改善するだろう。

 

(……このように悩んでいるより、きっとそうしてしまった方が良いのでしょう)

 

 そんな事を考えて、ホーネットは顔を俯けると瞼を伏せる。

 その胸中にはまだ解決していない問題、大なり小なりその決断を鈍らせる要因が存在している。

 それは例えば例の問題。あの浴室で自らの想いを自覚する切っ掛けとなった疑念と恐怖心など。

 

 そしてその他にも大きな謎が一つ。

 ホーネットが自らの想いを自覚して以降、ずっと考えてきたが全く見えてこないものもある。

 そういった要素が判断を鈍らせ、ここまでその気持ちを躊躇わせていたのだが。

 

(……そうですね。もはやこの期に及んで悩んでいても仕方ありません)

 

 一向に消えない疑念や謎はこの際無視して、想いのままに動く。

 そしてこの中途半端な状況に終止符を打とうと、遂に彼女は決意した。

 

 そうと決めたら視界が晴れたような気分になり、すぐに椅子から立ち上がる。

 そうして彼の部屋に、ランスの部屋に向かおうとした、まさにその時。

 

 

「おう、入るぞ」

 

 それは奇しくも、というべきものか。

 ノックの一つすらも無くドアが開かれ、その男はやって来た。

 

 

「ランス……」

「ホーネット。今日は大事な話があって来た。お前の──」

「……あ」

 

 その男の声色から、そしてその表情から何か予兆のようなものを感じ取ったのか。

 

「ちょっと待って下さい」

「あん?」

 

 ホーネットはとっさに待ったを掛けてから背後に振り返り、自らの使徒達にその視線を向ける。

 

「……全員部屋を出なさい。今日はもう私に仕える必要はありません」

 

 ──本日の業務は終了、自室に戻って良し。

 その言葉一つで役目を終えた使徒達全員が一斉に動き出す。主に向けて深々と一礼し、次々と部屋を退出していく。

 そうして人払いを済ませ、その部屋に居るのは二人だけとなった後。

 

「……お待たせしました。……それで、一体私に何の用事ですか?」

「あぁ。今日はお前との勝負に決着を付けようと思って来たのだ」

「……決着、ですか」

 

 偶然にも考えていた事は同様の事。そんな人間の男と魔人筆頭が真正面から向かい合う。

 それはこの両者にとって何度目かとなる対峙、何度目かとなる真剣勝負。

 

「……ホーネットよ。思えばお前との戦いも随分遠い所まで来たもんだなぁ」

「……いえ。私は貴方と戦っていたつもりなど無いのですが……」

「けどこの戦いも今日で終わりだ。今日こそはお前を抱くぞ。その為の秘策だって持ってきた」

 

 そうと語るランスの表情は決して浮ついたものでは無く、見るからに真剣な表情で。

 

「……秘策?」

 

 そこに伝わってくるものがあったのか、ホーネットも普段以上に真面目な表情に変わる。

 

「そうだ、とっておきの秘策だ。さすがのお前もこれを食らって立っている事は出来ないはずだ」

「……ランス、私は別に──」

「覚悟して聞けホーネットっ! これがお前を倒す最後の一撃だ!!」

 

 そしてランスは堂々と告げる。

 ホーネット派最強の魔人筆頭を倒す為にと用意してきた秘策、必殺の口説き文句を。

 

 

「いいか! 俺様はもうケイブリス派に乗り換える事にしたッ!!」

「……え?」

 

 

 返せたのはほんの小さな呟き一つ。

 それは魔人筆頭にも予期せぬ話だったのか、金色の瞳を大きく見開いて硬直する。

 

 それがランスの用意してきた必殺の口説き文句、押して駄目なら引いてみる。

 それもただ単に距離を置いてみるだけでは無く、いっその事敵派閥のケイブリス派に寝返ってしまおう。という大胆かつ驚きの作戦である。

 

「……貴方が、ケイブリス派に?」

 

 未だ衝撃が抜けきらないのか、ホーネットは呆然とした様子で呟く。

 

「その通り、俺様はもう決めたぞ。ホーネット派は駄目だな、なんせ派閥の主がケチだ。これまでこの派閥にメチャクチャ貢献してきた俺様に対してセックスの一つさせてくれねーんだから」

「………………」

「だからケイブリス派に乗り換えるのだ。んで向こうの戦力を使ってホーネット派を叩き潰して、捕虜になったお前とセックスする」

「それは……」

「もしそれが嫌だってんなら……お前が何をすればいいのかはもう分かるよな?」

 

 それこそがこの秘策の利点。この口説き文句の前ではホーネットが頷こうが拒もうが関係無し。

 このままホーネット派に残る事になっても、あるいはケイブリス派に乗り換える事になっても、どちらにせよ最終的にはこの魔人とセックスをする事が出来るのである。

 

「……成る程。どちらに転ぼうとも貴方にとっては利点があるという事ですか」

「そういう事だ。お前を抱くに当たってこれ以上は無い完璧な作戦だろ?」

 

 ふふん、と鼻の先で笑うランスは既に勝利したかのような振る舞いで。

 ただこの秘策には穴がある。事前にテストした所シルキィにはあっさり見破られてしまった通り、実際の所は完全なるブラフである。

 

 さすがのランスもケイブリス派に乗り換えるなどと本気で言っている訳では無い。

 あの魔人ケイブリスに味方したいなどとは欠片も思わないし、そもそもケイブリス派はホーネット派を打倒した後には人間世界に侵攻する予定。それを止めなければ将来自分とセックスをする世界中の美女が犠牲になってしまう以上、ケイブリス派に協力するなど土台無理な話で。

 よって本当はその気など無いという事を見抜かれてしまった場合、この口説き文句は何ら意味を持たぬものとなってしまう。

 

「さぁどうするホーネット? 俺は別にどっちでも構わねーぞ?」 

「……しかしランス、そもそも貴方は──」

 

 そしてこの時、シルキィと同じようにホーネットの慧眼もその事を見抜いていた。

 そうと語る今の態度、あるいは今まで見てきたランスという男の人間性から判断し「貴方はそれを本気で言っている訳では無いのでしょう」と言い返そうとした。

 

 だが。

 

 

「しかしもカカシも無いっつの。とにかくこの先も俺様にホーネット派で戦って欲しいなら、今すぐに俺様とセックスをする事だな」

「え──」

 

 それを遮るようにして告げられたその言葉が。

 この二人の間にあった最後の壁、それをいとも容易く壊してしまった。

 

「……ランス、貴方は……」

「何だよ」

「貴方は、この先も……ホーネット派で戦ってくれるのですか?」

「お前が俺に抱かれるっつーならな。もし駄目なら今すぐケイブリス派に寝返ってやる」

 

 ブラフだと見抜かれぬよう毅然とした様子で答えるランスの一方、聞きたかった言葉を耳にしたホーネットは恐る恐るといった様子で。

 

 それは彼女が抱えていた疑念。ずっと前からその胸の深い所に重くのしかかっていたもの。

 自分を抱く為にこの城にやって来た人間の男。だとしたらもし彼がその目的を達成した時、そのまま人間世界に帰ってしまうのではないか。もう会えなくなってしまうのではないか。

 

 そんな不安と寂しさ。そんな疑念と恐怖。

 そんな厄介なものに心を囚われていた訳だが、その悩みもほんのつい先程までの事で。

 

「………………」

「おいホーネット。何とか言ったらどうだ」

「……ランス。その問いに答える前に……私からも一つ質問をしていいですか?」

「ん? 別にいーけど」

 

 相手の事情など何一つ知らずして、ランスはあっさりとその疑念を解決してしまった。

 そんな想い人の顔をじっと見つめながら、改めてホーネットは自らの口で問い掛けてみる。

 

「……貴方は以前、この私を抱く為にこの城に来たと言っていましたね」

「あぁ、そう言ったな」

「では仮に私が貴方に抱かれたとします。すると貴方はこの城に来た目的を達した事になりますね」

「あぁ、そーなるな」

「……もしそうなった時、その時に貴方は自分がどのような事を考えると思いますか?」

「んあ? もしお前とセックスをしたとして……その時に俺様が考える事?」

「えぇ。教えて下さい。ランス」

 

 常と同じく真面目な表情、真剣な様子でそう尋ねるホーネットの一方。

 

「……ふーむ。お前とセックスしたとして……」

 

 顎を擦りながら考えるこちらも常と同じ様子。

 ランスは特に気負いもせず、それはさも当たり前の事を言うかのような口ぶりで。

 

「俺がその時に考える事っつったら……『もっかいホーネットとセックスしてぇなー』だろうな」

「……ふふっ」

 

 そのあまりにもランスらしい答え。それが心底おかしかったのか。

 あるいはそれとも。そんな事をずっと悩んでいた自分が馬鹿馬鹿しくなってしまったのか。

 とにかくその答えを聞いた途端、ホーネットは頬を緩ませて小さな笑みを零した。

 

「うおっ、ほ、ホーネットが笑った……」

「……そのように驚く事ですか? 私だって笑う事くらいはあります」

「いやけど、お前がそんなふうに笑うとこなんて今まで見た事無かったし……」

 

 普段通りの真面目な顔、そして以前は良く見た冷たく睨んでくる顔、そして最近見せるようになった羞恥を堪える紅潮した顔など。

 これまで見てきたどの顔とも違う表情、その新たな発見に目を丸くするランスをよそに。

 

「……しかし、これでは私が一人で空回りをしていたようなものですね」

 

 ホーネットはその思いを、その複雑な心境を噛み締めるように呟く。

 

「あん? なんの事だ?」

「いえ、なんでもありません。それで先程の件ですが……もし私がこの身を委ねない場合、貴方はケイブリス派に乗り換える……という事でしたね」

「お、そうそう。それで結局どうすんだ? 別に俺様はどっちでも構わないぞ。どう転んだ所で結局はお前を抱けるのだからな」

「……そうですね……貴方がケイブリス派に乗り換えるとなると、私はどうするべきか……」

 

 そして深々と目を瞑って、殊更に思い悩んでいるような仕草を見せる。

 実のところその気持ちはすでに、いや振り返ればもっと前から決まっている。

 とはいえこの状況、この口説き文句を前に、自分はさてなんと答えるべきだろうか。

 

「……ランス。貴方は本気でケイブリス派に乗り換えるつもりなのですね?」

「勿論だとも。俺様は本当にそのつもりだ」

「しかしそれは口で言う程に簡単な事でしょうか。ケイブリスにとっては人間など取るに足らぬ存在です。そんなケイブリスが人間の貴方を味方に引き入れるとは到底思えませんが」

「……む」

 

 言われてランスも気付いたが、考えてみるとそれは確かに容易い事では無い。

 そもそも以前にケイブリスから「お前を見つけたら地獄を見せてやる」と宣言されている以上、ケイブリス派に加わりたいなどと言える段階はとっくに過ぎているのではないだろうか。

 

「加えて言えばケイブリスは魔王を目指している魔人です。もし仮にあれが魔王になった場合、その統治は人間の貴方が期待するようなものにはならないと思いますが、それでも構わないのですね?」

「……むむ」

 

 実際の所構わなくは無い。

 だからこそ前回の時には魔人討伐隊を率いて戦い、そして過去に戻ってきた今もこうしてホーネット派に協力して戦っている訳なのだから。

 

「更に貴方の力が加わったケイブリス派というのは実に難儀な相手だと率直に思います。事によっては私やサテラ、ハウゼルやシルキィも戦火の中で倒れ魔血魂となるかもしれませんが、それをも享受するというのですね?」

「……ええっと」

 

 勿論ながら享受出来るはずが無い。

 ランスにとってサテラ、ハウゼル、シルキィはすでに自分の女。そしてホーネットも予約済みで。

 そんな彼女達が魔血魂となる事など──死ぬ事などあってはならない。

 

「……そして何より、貴方は自分が誰に何を言っているのか、それを正確に理解していますか?」

「……ん?」

「今貴方の前に立つ相手はホーネット派の主。そんな相手に対し貴方は『これから敵の派閥に寝返るぞ』と宣言しているのです。今この場で私に斬られたとしてもおかしくない程の危険な行いだと思いますが、貴方はそう理解していますか?」

「え、いや、あの……」

 

 それはランスが全く想定していなかった3つ目の選択肢。

 頷くでもなく拒むでもなく、そもそもそんな無礼な事を言う輩は問答無用でたたっ斬る。

 こうして理路整然と指摘されるとランスの用意してきた秘策は実に穴だらけ、シルキィやホーネットにあっさり見抜かれてしまうのも仕方無しといった代物で。

 

「……ランス。どうなのですか? 今この場で私と敵対する覚悟があるのですか?」

「いや、ちょ、ちょっとタイムを……」

「今私が言った事を全て踏まえた上で、それでも貴方は同じ事を言えますか? 私がこの身を委ねないのならばケイブリス派に寝返ると……貴方は本気でそう言うのですか?」

 

 そこでホーネットは語気を強めて、同時にその金色の瞳をすっと細める。

 

「ぅぐっ……」

 

 思わず肌が粟立つ感覚、それは久しぶりにこの魔人から食らったもの。

 魔人筆頭の他を拒絶するような鋭い目付き、息も止まってしまう程の強烈な威圧の視線。

 その眼光で、その真剣な眼差しで覚悟を問われたランスは、しかし決して下がらずに。

 

「……あったり前だッ!!」

「……当たり前ですか」

「ああそうだ! 俺はどんな時もマジの本気だ! 本気でお前とセックスがしたいからこの城までやって来たんだからな!!」

 

 その真剣さに負けじと叫んだ。

 

「……そうですか」

 

 その答えに、聞かなくても分かっていた答えを受けてホーネットは小さく顎を引く。

 先程ランスがぶつけてきた必殺の口説き文句、その中身は殆ど脅し文句のようなもので。

 だから彼女も同じように脅し文句を突き付けて、少しだけ好きな人をからかってみた所で。

 

「──分かりました」

 

 この日まで言えない言葉だったそれを、この日遂にホーネットは口にした。

 

「本気だと言うならば仕方ありませんね。貴方にこの身を委ねる事にしましょう」

「……え?」

 

 その言葉が頭の中にすんなりと入ってこなかったのか、ランスは呆けたように呟きを返す。

 

「ではランス、こちらに」

「お、おいちょっと、どこに……」

 

 一方のホーネットはすたすたと歩き始めて。

 寝室のドアを開けて中へと入り、そして大きなベッドの前で立ち止まる。

 

「……さて。私は初めてなのでこういう場合の作法を詳しく知らないのですが……これはもう脱いだ方がよろしいのですか?」

 

 そう言いながらホーネットは着ているドレスの肩布を軽く持ち上げる。

 だがそうやってポンポンと先に進もうとする彼女に対し、その男はもっと前の時点で脳みその処理が一時停止していた。

 

「いや、つーかホーネット……あの、これってセックスしていいって事か?」

「えぇ、そうです」

「……マジで? ほんとに? 」

 

 狙い通りの結果となっているにもかかわらず、ランスは見事に困惑した表情。

 どうやらあまりにすんなりと事が進んでしまった結果、展開に付いていけなくなったらしい。

 

「……マジのマジだよな? 後からやっぱ無しーとか絶対駄目だぞ?」

「分かっています」

「……い、いやけどホーネット、ほんとにこんなんでっつーか……あんな理由でいいのか?」

「えぇ、勿論。貴方をケイブリス派に渡す訳にはいきませんからね。貴方は私に──」

 

 その先に続く言葉。

 ホーネットはそのままの勢いで口を滑らせそうになったのだが、

 

「……いえ」

 

 危うく喉の奥に飲み込んで。

 

「……私の、派閥に……必要ですから」

 

 しっかりと言い直したその言葉を、少しだけ朱に染まった表情で口にした。

 

「……そ、そうか。んじゃセックスしても構わないって事なのだな?」

「先程からそう言っていますが」

「……いや、だが何か裏があるような気も……ほんとにホントの本当でオッケーなのだな?」

 

 それは夢にまで見た魔人筆頭とのセックス。今まで手が届きそうで届かず、やっと届いたと思ったら指の隙間をすり抜けていった。

 これまでそんな事を繰り返してきた所為なのか、いざそれを目の前にしたランスは訳も分からず二の足を踏んでしまっていたのだが。

 

「……ランス?」

 

 そう言ってホーネットは僅かに小首を傾げる。

 

「……ぐっ」

 

 彼女のそんな仕草を、そしてその目を見ていると、まるで「今更怖気づいたのですか?」と言われているような気がして。

 そして何よりもその指先が、普段通りの様子に見えるホーネットの指先が、緊張からか小さく震えているのを目にした時。

 

「……がっーーー!! やったらーーー!!」

 

 ランスは覚悟を決め、自らを奮い立たせるかのように大声で吠えた。

 

「とーーう!!」

「あっ──」

 

 そしてホーネットの身体を力一杯抱き締めて、そのままベッドの上に押し倒す。

 

「……遂にだ。遂にこの時が来たぞ……!!」

「………………」

 

 今その視界に映るもの。真っ白なシーツの上。そこに横たわる魔人ホーネット。

 俎上の鯉の如く身じろぎもせず、ただじっと目線だけを合わせてくる美しい女性。

 いよいよ眼前に迫った彼女との交わり、その事実にランスの声もかすかに震える。

 

「……どうだホーネット。緊張するか?」

「そう……ですね、多少は……。ただ見た所、貴方も緊張しているように思えますが」

「俺は緊張などせんわ、これは武者震いだ! 俺はこの日の為に……この瞬間の為に今まで頑張ってきたのだからな!」

 

 ようやくこれまでの貢献に見合う褒美を得る時、前回の時から重ねてきた苦労が報われる時。

 

「すー……、ふぅ……」

 

 逸る気持ちを一旦抑えるように、すーはーと大きく深呼吸をして。

 

「ホーネットッ! 俺は今からお前を抱く!! 覚悟はいいな!!!」

 

 そう宣言したランスの目に映ったもの。

 それもこれまでに見た覚えが無い表情、思わず見惚れてしまう程の嫋やかな微笑み。

 

「──はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 それから数時間。

 

 初めて触れたその肢体、それを余す所無く味わうのに十分な時間が経過した頃。

 濃密な交わりの中で自然と高まっていた体温、それも幾分か落ち着いてきた頃──

 

 

「………………」

「………………」

 

 二人はベッドの上に横たわっていた。

 行為を終えた後、互いが身に付けているものは当然ながら何も無し。

 共に裸のまま、共に何気なく天井を見上げる。

 

「………………」

「………………」

 

 一戦どころか二戦目三戦目と盛り上がった夜。 

 その行為の激しさを表すように、両者ともにその顔は気だるげな表情で。

 

「…………ふぅ」

 

 身体に残る熱の感覚。それを冷ますかのようにホーネットは吐息を漏らす。

 そうして暫く微睡んでいると、ふいにすぐ隣から聞こえてきた彼の声。

 

「……ぅ、うぐっ……」

 

 それはなにやら涙混じりの声色で。

 それに驚いた彼女は思わず隣を向いた。

 

「……ランス。まさか泣いているのですか?」

「泣いとらんわい! ただなんか、こう……こみ上げてくるものがあってなぁ……!」

 

 言いながらランスは目元をゴシゴシと擦る。

 その胸に去来するもの。それはこうしてすぐ隣にこの魔人が居るという嬉しさ、そしてこれを感じたいが為に頑張ってきたこれまでの日々の事。

 

「くーっ、長かった、マジで長かった……」

「………………」

「マジで長かった! マ! ジ! で! 長かったぞぉ……!」

「……そうですか」

「あぁそうだ! マジでやっと、やっとお前とセックスする事が出来た……」

 

 同じ言葉を何度も繰り返し、実に感極まった様子で語るランス。

 彼がこの世界でホーネットと再び出会ってからすでに8ヶ月以上。その間言わばずっとおあずけ状態にあったようなもので、こうしてようやくご馳走にありつけた感動もひとしおである。

 

「……そんな大袈裟な。長かったと言っても私達が出会ってからまだ半年と少し、たかだか一年も経っていないではないですか」

「それが長いっちゅーねん! ……いや、つーかお前にとっちゃまだその程度なんだろうよ、お前にとってはな。けどなぁ、俺様がどれだけの時間を掛けてここに辿り着いたか……!」

 

 更にランスにとっては前回の時、あの時に本当ならホーネットを抱いていたはずだった。

 前回のホーネットとは「魔人ケイブリスを倒したらセックスする」と約束した。そして約束通りケイブリスを倒した訳で、祝勝会でのあの一件さえなければとっくに彼女を抱いていたはずだった。

 そうした前回の時に歩んだ月日、それも合算したらランスがホーネットを抱けなかった期間はゆうに一年を越す事になる。

 

 更に更に言うならばもっと昔、いつかの時に聞いた魔物界にいる美しい姫の話。

 そんな噂話を耳にして「いつの日かこの手にその姫を抱いてやろう」と目標に決めた時、あの日はもうどれ程前の事だっただろうか。

 

「本当に長かった……お前は本当に強敵だったぞ、ホーネットよ」

「……そうですか」

「あぁ。俺様が初セックスをするのにここまで長い時間が掛かった相手は現状お前が初めてだ。最終的には陥落したとはいえ、これだけ粘った事実は誇りに思っていい事だと思うぞ」

「……そのような事、誇りたいとは思いません」

 

 感慨深い様子で語るランスの一方、ホーネットはどこか呆れた様子で言葉を返す。

 

「んでホーネットよ、実際どうだった?」

「……何がですか?」

「だから初セックスだよ。お前にとってはあんだけ拒んできたセックスだが、やってみりゃ以外と悪くないもんっつーか、ぶっちゃけた話すげー気持ち良かっただろ?」

 

 なんせあれだけ喘いでいたし。

 とランスが付け加えると、途端にすぐ隣から微かに身じろぐ気配が。

 

「……ランス。そういう事は……出来れば聞かないで欲しいのですが」

「いいや聞く。初セックスの後は感想を言うのがマナーなのだ。ほれほれ、答えろ。うりうり」

「………………」

 

 そんな下世話なマナーが本当にあるのか。そう疑うホーネットのわき腹辺りを軽くつねりながら、ランスは意地悪をする子供のように笑う。

 

「なぁホーネット、気持ち良かったろ?」

「そう、ですね……気持ち良かった、と、いうより……」

「と言うより?」

「……その、何と言うか……」

 

 すると言い淀んでしまう魔人筆頭の表情、その頬がじわりと赤くなっていく。

 初めての行為の最中に感じていたもの。押し寄せる快楽以上に圧倒的だったあの実感。

 その事はとても打ち明けられるような話では無いらしく、結果ホーネットは「……ところで」とわざとらしく話題を変える。

 

「……ランス。私は貴方に抱かれましたね」

「うむ、俺はとても気持ち良かったぞ。お前は本当に名器だった。これも誇っていい事だと思う」

「っ、そうでは無く……あの約束の事です」

「約束?」

「ですから……貴方はこの先もホーネット派に属して戦うという事です。私がこうして貴方に身を委ねた以上、もうケイブリス派に寝返るなどと言い出すのは禁止ですからね」

「あぁ、その話か。その話ね……」

 

 少し前に自分が何と言ったかも忘れていたのか、必殺の口説き文句の事を思い出したランスは、

 

「……くっくっく」

 

 そこで何故かいやらしく笑い始めて。

 

「……がーっはっはっはっは!!」

「……どうしたのですか?」

 

 遂には大声での高笑いに変わる。

 そのすぐ隣、聞こえてきた笑い声に不審げに眉を顰めたホーネットに対し、ランスは勝者の笑みと共に種明かしをしてあげた。

 

「ホーネットよ。あれは嘘だ、全部ウソ」

「………………」

「がはははは! とうとうヤキが回ったなぁホーネット!! お前ともあろう者があんな嘘に騙されてセックスしちまうとはなぁ!!」

 

 今回が用意してきた秘策。必殺の口説き文句。あれは実のところ単なるブラフであって、最初からそのつもりなど全く無かった。

 だがホーネットはそのブラフを見抜く事が出来なかった。その結果騙されるような形で自分に身体を許す羽目になってしまった。

 ……と、そう考えていたが故のランスの馬鹿笑いであったのだが。

 

「……何かと思えばそんな事ですか」

 

 その種明かしを受けて、ホーネットの方もあっさりと白状する。

 

「ランス。貴方がケイブリス派に乗り換えるなどと本気で言っている訳では無い事くらい、最初から分かっていました」

「……え、そうなの?」

「そうですよ。それくらい……そのくらいなら私にだって分かります」

 

 その声は少しだけ満足そうな声色で。

 だがこうしてお互いがその心境を打ち明けると、そこには一つの疑問が生まれる。

 

「……けどホーネット、ならお前はどうして俺に抱かれたのだ?」

「え?」

「だって俺が言ったアレが嘘だって最初から分かってたんだろ? ならこうして俺とセックスする理由がねーじゃねーかよ」

「それ、は……」

 

 失言に気付いた魔人筆頭は言葉を濁し、一度その目線を上に向ける。

 

 さてこれには何と返すべきか。

 今回自分は遂に性交を行い、物理的に相手の事を受け入れるに至った。

 ならば精神の方もそれに準じて──率直な想いを打ち明けてしまってもいいのかもしれない。

 

(……しかし、だとすると……)

 

 だが仮にこの気持ちを、彼が好きだという気持ちを言葉にした場合。

 それはどういう影響を及ぼすのか。その言葉は互いにとってどういう意味を持つのか。

 そんな事を考えた時、ホーネットはどこか寂しげな微笑を浮かべて。

 

(……これは、言えない言葉ですね)

 

 自分にとっても、そしてランスにとっても。

 この言葉は胸の内に秘めておくだけに留め、外には出さない方が利口だなと思った。

 

「……ランス。今回こうして私が貴方にこの身を委ねた理由、それが分かりますか?」

「あ? いやだからそれが分かんねーっつう話を今してんだろーがよ」

「えぇ、そうですね。だからそれが答えのようなものです」

「は?」

 

 故に彼女はかなり遠回しな言葉を、それでも偽りのない気持ちを伝える事にした。

 

「貴方には私の事が分からない。でもだとしたら、それを知って欲しいと今の私は思います」

「………………」

「それと同じように私にも貴方について分からない事、知らない事が沢山あります。それをもっと知りたいと思った。そして私の事をもっと知ってほしいと思った。……貴方にこの身を委ねた気持ちに理由を付けるとしたら……まぁそんな所です」

 

 そう囁く彼女の表情、それは照れと切なさと少しの嬉しさが混じったもので。

 

「……ふーん」

 

 自分の複雑な気持ちを言語化しようとするホーネットの姿。

 それをランスは横目にじっと眺めていたのだが、

 

「……そうか。つまりお前はこの俺様の事をもっと知りたいっつー事なのだな」

 

 ふいにそんな事を言い出して。

 

「……はい。今は本当に強くそう思います」

「なら俺様という男について、とてもグッドな情報を一つ教えてやろうじゃないか。こんな時に俺様だったら何をすると思う?」

「え?」

 

 こんな時。というのが何を指しているのか分からず、一瞬思考が止まる彼女をよそに。

 

「正解はな、こうするのだよ」

 

 そこでランスは身体を起こすと、再びその相手の上に覆い被さった。

 

「……まさか、またするのですか?」

「もちろん。そろそろ休憩は終わりだ」

 

 唖然とした様子で呟くホーネットの目の先。相変わらずのいい顔で笑うランス。

 その時彼女はようやく思い出した。この男が自分を抱いた後、その時に考える事と言ったら「もっかいホーネットとセックスしてぇな」という身も蓋も無いものだったという事を。

 

「さぁもう一戦いくぞ。お前との記念すべき初セックスの夜をこんなもんで終わらせる事なんて出来ないからな」

「……っ、けど、さっきあんなに何回も……」

「ホーネット、もう一つ良い事を教えてやろう。俺はまだまだ全然イケる」

「まって──」

 

 ──ください。とまでは言えず。

 すぐにその口は相手の口で塞がれて、その内に再びの甘い声が聞こえてくる。

 それは夜中を越えて明け方近くまで、声が掠れてくるまで止む事は無かった。

 

 

 

 




途中、すっ飛ばした部分については後々別の場所にて補完する予定です。
(追記:R-18の方にて補完部分を投稿しました)


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影響と変化

 

 

 

 それはぱくぱくというよりもガツガツと、まるで流し込むように飯を食らって。

 

「うし、ごっそさんっ!」

「はい。お粗末様でした、ランス様」

 

 きれいに平らげたどんぶりをテーブルに戻すと、笑顔のシィルが挨拶を返す。

 朝ごはんを食べ終わったランスは席から立ち上がって、近くにあった窓を全開にする。

 

「あぁ、今日はなんていい天気だ!」

 

 そこから覗ける魔物界の空。

 今日の空は一面に血をぶち撒けたかのように毒々しい真っ赤な色。

 

「いい天気……ですかね?」

「そうだとも! 見るからに素晴らしい天気じゃないか、シィル君!」

「は、はぁ……」

 

 思わずシィルが首を傾げてしまった通り、とても良い天気とは思えない空模様なのだが、それもランスから見れば晴れやかな天気となる。

 それは何故か。それは今のランスの心の中がこんなにも晴れ渡っているから。

 

 

「ふんふんふふ~ん~~♪」

 

 朝食を終えたランスは食後の散歩に興じる。

 その足取りはステップを踏むかのように軽やか、思わず鼻歌を歌いだす程に陽気で。

 

「お、かなみ君、おはよう!」

「お、おはよ……何だか今日は元気ね、ランス」

 

 そして道すがら出会う相手、その機嫌の良さに少し面食らった様子のかなみや、

 

「お、ウルザちゃん、おはよう!」

「おはようございます、ランスさん。……あぁ、その様子を見る限り昨日のあれは……」

 

 何かを察した様子のウルザに向けて、ランスは活き活きとした声で挨拶を交わす。

 

 今日のランスはとてもテンションが高かった。

 それは何故か。それは今日という日が昨日の次の日、つまりあの一件があった翌日だから。

 その余韻はあれから数時間経った今でも続き、おかげで今のランスはとてもグッドな気分。

 そんな朝っぱらからのハイテンションはその後昼過ぎまで変わらず続いて。

 

 

「ようガルティア! 元気か!」

「おぉランス、上機嫌じゃないか。というかあんたから名前を呼ばれたのって初めてかも……」

 

「ムシ野郎」というあだ名では無く、ちゃんとした名前で呼ばれた事に驚く魔人ガルティアや、

 

「ようメガラス! お前は相変わらず無口だな!」

「……っ!」

 

 まさか声を掛けられるとは思ってなかったのか、ビクッと肩を揺らす魔人メガラスなど。

 普段であればシカト間違い無し、そんな男魔人達にすら自ら声を掛けてしまう程で。

 

 今日のランスはとても浮かれていた。

 それは何故か。それはランスが遂に前人未到の偉業を成し遂げたから。

 その達成感、自分はスゴい事をやってやったんだという充実感は一向に途切れる事無く、遂には夕方頃まで変わらず続いて。

 

 

「ようサテラ! 今日もお前は相変わらずの敏感肌だなぁ! すりすりー!」

「わぁ! い、いきなり尻を撫でるな!」

 

 出会い頭のセクハラにその魔人──サテラは真っ赤な顔でぷんすかと怒って。

 

「ようハウゼルちゃん! 君は相変わらずの美人さんだなぁ!」

「ふふっ、ランスさん。今日は一段と元気ですね。何か良い事でもあったのですか?」

 

 挨拶代わりの褒め言葉にその魔人──ハウゼルは照れ笑いを浮かべて。

 

「ようシルキィちゃん! 今日の俺が何故こんなに上機嫌なのか、その理由を知りたいか!?」

「そうね、聞いてみたいかも。ランスさん、見るからに喋りたいなーって顔をしているし」

 

 そんな問い掛けにその魔人──シルキィは小さく頷きを返して。

 

 そして。

 

 

「それはな! 俺様は遂にホーネットの事を抱いてやったのだ! どーだ、凄いだろ!!」

「……それをこの私に向かって話す事に、一体どのような意図があるのですか」

 

 遂に打ち明けたそのハイテンションの理由。

 それを聞く羽目になったその魔人──ホーネットは頭痛を堪えるかのように顔を顰めた。

 

 

 

 視界一杯に広がる開放的な空間、薄い湯けむりが立ちのぼる石造りの湯船。

 そこはこの魔王城に設置された特別な場所、この世界の支配者たる魔王専用の浴室。

 

「やっぱ一日の終わりは風呂だよなー!」

「………………」

 

 ランスは今日、一日をとてもハッピーな気分で過ごしていた。

 するといつの間にかこの風呂場に来ていて、そしていつの間にかホーネットと混浴をしていた。

 

「にしてもいい湯だなー!」

「………………」

「本当にここの風呂は最高だなーっ!」

「……そうですね」

 

 両手をぐぐっと上に伸ばし、心地良さそうに湯加減を味わうその顔はとても晴れやかで。

 そんなハッピーテンションなランスと同様、彼女にとってもそれはつい昨日の出来事で。

 

「……しかし、貴方はもう当然のようにこの浴室に入ってきますね。それもあえてこの私が入っている頃合いを見計らって」

 

 入浴中に勝手に入ってくる、もしくは先回りをしている、それはもはや様式美のような流れ。

 とはいえ今日は昨日の翌日。昨日のあの出来事は未だ心に残るものが多く、正直今は顔を合わせ辛いというか、率直に言ってとても恥ずかしい。

 そんなホーネットはまともに目を合わせる事が出来ず、少し横を向いたままの姿でいたのだが、

 

「なんだぁホーネット、お前照れてんのか? 随分と可愛らしくなったじゃねーか、がははは!」

 

 その仕草の意味を正しく理解出来たのか、ランスはより上機嫌となって大仰に笑う。

 

「昨日あんなに何度もセックスしたのだ、今更こんな風呂ぐらいで照れる必要など無いだろうに」

「……別に、照れている訳では……」

「いーや照れてる。その顔は間違いなく照れてる」

「………………」

 

 どうやらランスも自分の表情を読み取るのに大分慣れてきた様子で。

 それ程に距離が近付いた事を喜ぶべきか、感情を隠せていない自らを嘆くべきか。ホーネットとしてはとても複雑な心境である。

 

「……にしても、貴方は相変わらずですね。昨日のような一件があっても何ら変わった様子が無いと言うか……」

「そりゃまぁな。それともなんだ、何か変わってて欲しかったのか?」

「いえ。むしろ変に変わっていない事に安心感を覚えました。良くも悪くも、貴方は貴方のままでいる方が魅力的に思えます」

 

 するとその口から聞こえた言葉。少しくすぐったさを感じるその言葉にランスは「……おぉ?」と軽く目を見開く。

 それは今までの彼女なら言いそうにない言葉、思わず耳を疑ってしまうような言葉で。

 

「ホーネット。お前はなんか……少し変わったような気もするぞ」

「……そうですか? 殊更に何かを変えたつもりは無いのですが……」

 

 その指摘に彼女自身は自覚的で無かったのか、不意を突かれたような表情になる。

 

「……ですが、そうですね」

 

 するとそれまで横に逸らしていた視線、その金色の瞳をようやく正面に居る相手と合わせた。

 

「………………」

「ん? どした?」

 

 そうして見つめていると感じるもの。自然とそうなっていく自らの変化。

 それが少し前まではトクトクと鼓動が速くなるような感じだったのだが、今ではじんわりと暖かくなるような感じで。

 こうして浸かっている湯船の熱とは別物、何か暖かいものが胸の内にあるのが分かる。

 

「……確かにそうですね。こういう部分に関しては変わったのかもしれません」

「こういう部分?」

「えぇ。……それに、これで必要以上にそういった事を悩む必要も無くなりました。このような心境になれただけでも貴方と夜を共にした意味はあったのだと思います」

「そういった事? おいホーネット、お前もうちょっと分かりやすいように喋れよ」

 

 一体何の事を指しているのか。発言の要点が掴めず首を傾げるランスの一方。

 ホーネットは自己完結しただけで分かりやすく説明してくれる事は無かったのだが。

 

「……そういえば……」

 

 そこで何かを思い出したらしく、その表情が形容し難い複雑なものへと変わっていく。

 

「……今になって振り返ると、その……あの時の事で少し気になった点があるのですが……」

「あの時って、昨日のセックスの事か?」

「……えぇ、その事です」

 

 あの時。それは魔人ホーネットにとって初体験となった夜。

 その時はまるで心に余裕が無く、そちらにまで目を向ける事が出来なかった。

 しかし一日経った今、あの初体験の中で起きていた事を冷静に振り返ってみると、あの時のランスについて、ひいては自分自身の事について、彼女には少し気になってしまう事があった。

 

 なのだが。

 

「……ランス。……あの時、貴方は、その……」

「おう、俺様がどうした」

「……いえ。何でもありません」

 

 しかしやっぱりこういう話は尋ね辛い。

 尋ねるべきかどうか少し悩んだ後、結局その口を閉じてしまった。

 

「何だホーネット、何か気になった事があったんじゃねーのか?」

「えぇ、ですが些細な事ですから。それによくよく考えると貴方に尋ねるような事でもありません。今度シルキィにでも聞いておきます」

「あー、確かにエロの事ならシルキィちゃんに聞けば間違い無しだな」

 

 こくこくと頷きながらランスが太鼓判を押せば、ホーネットも「シルキィは本当に物事をよく知っていますからね」と腹心たるあの魔人四天王に大いなる信頼を置く。

 こうしてホーネットが抱いた悩みはランスに打ち明けられる事は無く、結果シルキィにお鉢が回る事となってしまったのだが、それはともかく。

 

「あの時の事……か。そういや俺も今になって振り返ると思った事があるぞ」

 

 お次はランスがそんな事を言い始める。

 その顔は一応真面目なものだったのだが、しかしどこか企みを感じさせるような表情で。

 

「貴方も? 一体何が気になったのですか?」

「いやな、あの夜は最高だった。お前とのセックスは本当に気持ちよかったなーと思ってよ」

「………………」

 

 すると聞こえてきたのはそんな話、自分を抱いた事に対しての明け透けな感想。

 そんな話をわざわざ促した事に数秒で後悔したくなったホーネットは、はぁ、と嘆息する。

 

「……ランス。それはもうあの時に聞きました。今更ここで言うような話では無いでしょう」

「いやいや。こうして後から振り返ってこそ思う事もあるもんだぞ。現に俺様は一日経った今でもあの時の興奮が忘れられん」

「……そうですか」

「あぁそうなのだ。それこそこうしている今でも鮮明に思い出してしまうのだよ」

 

 言いながらランスはその横に回り、その華奢な肩に片腕を回す。

 

「なにを……」

「よっと」

 

 そして身動ぐホーネットに抵抗させじと、もう片方の手で相手の腕を掴む。

 あたかも身動きを封じるような、その行為の意図が嫌でも分かってしまったのか、その魔人の金色の瞳が僅かに揺らいだ。

 

「……何のつもりですか?」

「なぁホーネット。俺は今でも興奮しているぞ。それこそ今すぐにでもお前を味わいたいのだが、この気持ちをどうすればいいもんかな」

「……ラン、ス──」

 

 ──そのような事など私は知りません。

 とそう言いたいのだが、しかし言えない。それを言うには相手の顔の位置が近すぎる。

 すぐそばで聞こえる言葉、そこまで接近を許してしまった事。そしてなによりも心の距離がもう近付きすぎてしまっていた。

 

「……ですが、そんな、まだ……まだ昨日の今日ではないですか」

「んな事はなーんも関係無い。俺は今お前が抱きたいのだ。抱かせろ」

「……っ」

 

 するとその真っ直ぐな誘い文句同様、真っ直ぐな目付きが自分に刺さる。

 この目が危険だとホーネットは思った。この目で見つめられてしまうと、同じようにこの目をしていたあの時の事を否が応にでも思い出してしまう。

 あの時の触れ合いを、あの時の快楽を、そしてそれを上回る圧倒的な心地も。

 

「俺様の事が知りたいっつってたろ? なら昨日のアレだけじゃ全然足りないはずだ、もっと色々な事を教えてやる」

「……これは別に……あの時のように何かを理由にしている訳ではありませんよね?」

「あぁそうだな。ヤラせてくれないならケイブリス派に寝返るなどとはもう言わん。だからホーネット、イエスかノーで答えりゃいい」

「……私、は」

 

 あれからまだたった一日、たった十数時間前の出来事の余韻を忘れる事など出来ない。

 そんな自分自身の思いを否定する事、そしてなにより相手の思いを拒む事はとても難しく。

 

「………………」

 

 暫し返答に窮していたが、やがて何かやましい事をしたかのようにその表情を曇らせると、

 

「……自分が堕落していくのを感じます」

 

 ホーネットはそんな台詞をぽそりと呟いて。

 

「……ランス、この場所は……ここは本来なら魔王様だけが使う事を許された浴室です」

「で?」

「ですから……如何なる理由があろうとも、この場所を汚す事は許されません」

「……ほう?」

 

 その遠回しな返事、その裏にある意図を正確に読み切ったランスはニヤリと笑う。

 

「なーるほどね、おっけおっけー! そういう事なら……こうだー!」

「あっ……」

 

 バシャンと跳ねる水飛沫。ランスはホーネットをお姫様抱っこで抱えて湯船から立ち上がる。

 そのままダッシュで浴室を後にして、脱衣所の床をベッド代わりに彼女を押し倒した。

 

「さぁホーネットちゃん! ここでなら構わないっつー事でいいんだよな!?」

「………………」

 

 ホーネットは顔を真横に背けたまま答えない。

 しかしその沈黙が、その羞恥を堪える表情が意味する所は誰の目にも明らかで。

 

「ぐふふ~……! 回答無しは肯定と受け取るぞ。いいのか? いいんだな?」

「………………」

「まー駄目だと言っても無駄だがな! ここまで来て止まる事など出来ないのだ、うりゃー!!」

 

 湯船に浸かり十分に温まった身体。水滴の浮かぶその身体が大いに興奮を誘う。

 抵抗をしない獲物を前に待ちきれないといった感じで、ランスの手がその柔肌へと伸びていく。 

 

「がははははーー!!」

「……んっ」

 

 やがてその脱衣場から──この城でランスとホーネットしか使用しないその脱衣所から、楽しそうな笑い声と抑えるような嬌声が聞こえてくる。

 

 

 それは魔人レッドアイの討伐後。

 念願だった魔人筆頭との初夜を迎えた後。

 遂にホーネットとも「そういう関係」になれたランスはとても上機嫌であった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 ところでその一方。

 ランスがとても上機嫌だったその頃、宿敵たるあの魔人の機嫌はどうだったか。

 

 その答えが分かるのは魔物界の南西部、ベズドグ山の中腹辺りに建てられている堅城。

 

 そしてその玉座の間──

 

 

「………………」

「………………」

 

 両者の沈黙は重苦しさを帯びたもの。

 まるであの男の機嫌と反比例するかのように、今その魔人──ケイブリスは不機嫌そのもので。

 

「……おい。あの話は本当なのか」

 

 その牙の生えた口が重々しく開かれる。

 するとその不機嫌さに影響を受けているのか、その身体から漏れ出す恐瘴気の量も増す。

 より重苦しく、より暗い雰囲気となった玉座の間にて、魔人ケイブリスの前に立つ魔物大元帥──ストロガノフは一度だけ大きく頷く。

 

「……はい。真に残念ながら……レッドアイ様は討伐されてしまった模様です」

 

 その報告を聞いた途端、ケイブリスは「……ぐ」と憎々しげに呻く。

 

 それは数日前の出来事、ランスという人間の男が成した大戦果、魔人レッドアイの討伐。

 それは派閥戦争に大きな影響を与え、ホーネットの者が大いに沸き立つ一方、その事実はケイブリス派全体に暗い影を落としていた。

 特にそれはここに居る両者、ケイブリス派の主とその大元帥にとってはより顕著な事で。

 

「……何かの間違いって事はねぇのか」

「……レッドアイ様が少し前に本拠地タンザモンザツリーを出発されて以降、その足取りを追ってはいたのですが……ホーネット派勢力圏内に侵攻を開始して以降、行方不明となったままです」

「だったらまだ……ホーネット派の奴らと戦っている最中だって事もありえるだろ」

「しかし……レッドアイ様の配下の魔物隊長の一人には定期的な報告を上げさせていたのですが、その報告も二週間程前から途切れています。そして何よりホーネット派の者共がこれ見よがしに喧伝している事から考えても、恐らくは……」

 

 レッドアイがタンザモンザツリーを出発する際、その時にストロガノフは一度顔を会わせている。そして身勝手な行動は謹んで欲しいと直訴したが、結局は聞き届けて貰えなかった。

 その時に何か手の打ちようがあったのではないかと、そんな悔いが残っているのか、大元帥は暗然たる表情で自らの予見を語る。

 

 魔人レッドアイは討伐された。

 数日前より、主にホーネット派飛行魔物兵達によって吹聴されているその噂。

 向こうの狙い通りなのだろうが、その噂は今ケイブリス派陣内で病魔のように蔓延している。魔物兵達の士気も大きく低下し、逃げ出すような者まで現れる始末。その深刻さはこうして派閥の主が緊急で大元帥を呼び出す事からも明らかであった。

 

「……チッ、本当に……どいつも、こいつも……役立たずが……!」

 

 配下たる魔人の死。また一つ重要な手駒を失ってしまった事実。

 沸き立つ怒りのあまりにその身を震わせるケイブリスだったが、しかしその激情を体外に発出させて暴れ回るような事はしない。

 何故ならそれはもうとっくに──レッドアイが自分の命令に従わずに勝手な行動を始めた際、すでに二度三度と吠えて消化した後だから。

 

「ぐ、ぐぐ、ぐ……!」

 

 そして何より──今のケイブリスの心にあるのは怒りだけでは無いから。

 その心は焦りが、不安や怯えといった感情がはっきりと生じてきている。それが証拠にケイブリスの表情は怒りに歪むだけではなく、焦燥に駆られて固く強張っていた。

 

「……ストロガノフ。率直に聞くが……これはあんまり良くねぇ状況だよな?」

「……はい。率直に申し上げてその通りです」

 

 狂気の魔人レッドアイ。その言動は理解不能、気分次第で命令違反をしでかす事も多々あり、ケイブリスにとってもストロガノフにとっても扱いやすい駒とは言えない存在ではあった。

 とはいえその実力は本物であり、殺戮を好む性格も戦争事においては利点とさえ言える。これまでホーネット派に対し一番損害を与えてきたのは間違いなくレッドアイであり、そんな魔人が討たれた事はケイブリス派にとって大きな痛手となる。

 

「レッドアイ様が討伐された事で我が軍に属する魔人は残り6体。ホーネット派も残り6体なので、これで同数となってしまいました」

「……同数、か」

「はい。……ですが問題はそれだけでは無く、メディウサ様の件もあります」

 

 そしてストロガノフの声色をより重くさせる事、それは魔人メディウサの事。

 数年前からメディウサは魔王捜索の任で人間世界に向かっており、彼女が魔王を発見して連れてきさえすればそれでほぼ勝利が決まる。そんなとても大事な役目を担っている魔人なのだが。

 

「あれから何度も連絡を取ろうと試みてはいるのですが、メディウサ様からの返事はありません」

「………………」

「そしてメディウサ様の館にアレフガルドが戻った形跡も依然としてありません。あの使徒がここまで主の館を放置する事など初めての事ですし、こうなると魔王の捜索中にメディウサ様の身に何かがあったとしか……」

 

 こちらも行方知れずとなった魔人メディウサ。怠惰な彼女の事、報告や連絡などそっちのけで自堕落な日々を過ごしている可能性はあり得る。向こうから連絡が無い限りそれを確かめる術は無い。

 しかし仮に大元帥の想像が的中していた場合、それだと残るケイブリス派魔人は5体。すでにホーネット派を下回っている事となる。

 

「……つまりレッドアイは死んだ。んでメディウサも生きているかどうか分からねぇって訳か」

「……はい、そうなります」

「……チッ」

 

 もし仮にメディウサが死んでいる場合、それだと派閥の現方針の根幹が崩れてしまう。

 現在全軍を押して守備を固めているのはメディウサの帰還を待っているから。彼女がいつか魔王を連れ帰ってくる事を見越しての専守防衛である為、あの魔人が存命でなければ何ら意味が無い。

 

「レッドアイも……メディウサも……」

 

 魔人レッドアイ──攻めの戦力としては最重要であった魔人の死。

 そして魔人メディウサ──頼みの綱もすでに断たれているかもしれない状況。

 

 果たしてこのまま待っているだけで、それだけで勝利が転がってくるのか。

 あるいはそれとも。ただ無為に時間を浪費しているだけなのか。それどころかホーネット派に戦力を整える時間を与えているだけという可能性も。

 そんな疑念は次々と浮かんできて、するとそんな焦りに押されてしまったのか、

 

「……なぁストロガノフ。ケイブリス派は……俺様は勝てるんだよな?」

 

 そう呟いた派閥の主の口調は実に弱気なもので。

 

 その弱腰を改めさせる意図もあったのか、

 

「はい、勿論です。ケイブリス様は勝ちます。それは間違いありません」

 

 大元帥たるストロガノフは即座にそう答えた。

 

 だがこの時、ストロガノフは勝てると口にしただけでその具体的な方法を告げなかった。

 この状況下からケイブリス派が勝利する方法。それは大元帥に思い付かない訳では無く、むしろとっくの昔から分かりきっていた単純な話。

 

(……ケイブリス様自らが戦場に立たれる事。勝利の一手はそれしかあるまい)

 

 それは魔人ケイブリスが出撃する事。

 派閥戦争が勃発して以降、一度も戦場に立った事の無い派閥の主がその最強の力を振るう事。

 

 魔人の数といい魔物兵の数といい、元々は戦力的に大きく上回っていたケイブリス派。それなのにここまでホーネット派と拮抗している理由。

 それはホーネット派の主であり派閥最強の戦力、魔人ホーネットが開戦当初からその力を惜しみなく振るってきた事が何よりも大きい。

 ならばケイブリス派も同じ手を、と誰しもが考えるのはある意味当然の話であって。

 

(今ここでケイブリス様が戦ってくれれば……と、そのように考えた事はこれまで何度あったか。……無論、ケイブリス様が仰る事も理解出来る話ではあるのだが)

 

 派閥の主自らが戦場に立つ事。それには勿論大きなリスクも存在している。

 実際そのリスクを突いて一度は魔人ホーネットの捕縛に成功した。そうした事もあった以上、ケイブリスがその身を危険に晒したくないという心情はより強まったのかもしれない。

 

(……しかし、もはや我が軍に最強の戦力を温存しておけるような余裕は無い。……そう、ケイブリス様はこの魔物界で最強の存在、ケイブリス様に敵う相手などいないのだ。だから……)

 

 ケイブリスさえ動けばここからでも勝利は確実。ストロガノフは本気でそう信じている。

 だが先程そうと告げなかった理由、それはケイブリスの癇癪を恐れたから、では無い。

 もはやそのような事、言わずとも当然に理解している事だと思ったからだ。

 

 

「……そうか、そうだよな。俺様が負けるなんてありえねぇよな」

 

 そして自分自身を納得させるかのように、何度も大きく頷く魔人ケイブリス。

 その心の中で渦巻いていた思考、それはまさしく大元帥の読み通りで。

 

(……ここから勝つ方法。んなの俺様が戦う事だ。もうそれしかねぇ)

 

 その事はケイブリスもとっくに理解していた。

 たとえレッドアイが死のうが、そしてメディウサが死んでいようともそれが何だと言うのか。

 ここで自分が戦場に出て、そしてホーネット派の奴らを尽く蹴散らしてしまえばいい。メディウサが魔王を連れ帰ってこずとも、ホーネットを倒しさえすればそこで派閥戦争は終了なのだから。

 

(……俺様は最強の魔人だ。俺様は戦えば絶対に勝てる。そうに決まっている)

 

 自分は最強最古の魔人ケイブリス。

 自分に敵う存在など魔王を除いていない以上、自分が戦えば勝利は約束されたようなもの。

 

(俺様は最強、最強だ。……けれど、戦うとなると奴らが、ホーネット達が……!)

 

 自分は最強。それは間違いない。

 しかし戦いに絶対という言葉は無い。自分が必ずあの魔人筆頭に勝てるかどうかは分からない。仮に100回戦ったとして、100回全てに勝てると言える保証がどこにあると言うのか。

 過去にはこの世界で最強の存在、魔王ですら敗れる瞬間だって見てきた。そんなケイブリスにはたかだが魔人である自分が絶対の存在などと過信する事は出来ない。どうしても出来ない。

 

(……どうする、どうすりゃいい……! 俺様が戦えば勝てる……けど……!!)

 

 自らが戦うべきか、あるいはこのまま守備を固めているべきか。

 未だその決断を下す事は出来ず、未だ悩みの中にいる魔人ケイブリス。

 

 幸いにしてまだ悩む時間はある。しかしいずれは否応なく決断しなければならない時が訪れる。

 今こうしている間にも刻一刻と、ケイブリスが決断せねばならぬ時は確実に迫ってきていた。

 

 

 

 



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本当に大事な話

 

 

 

 それはある日の事。

 

「お」

「……あ」

 

 そこは魔王城の廊下。何の気無しに歩いていたランスとホーネットが鉢合わせる。

 それは両者がこの城で生活をしている以上、当たり前に起こる出来事なはずだったのだが。

 

「よう、ホーネット」

「……ラン、ス……」

「……ぬ?」

 

 しかし今日に限っては当たり前の事では無く、なにやらその魔人の様子がおかしい。

 こうして顔を合わせた、ただそれだけで、

 

「……っ」

 

 ごくりと喉を鳴らしたかと思えば、何もしていないのに自然とその両頬が赤く染まり始める。

 

「なんかお前、顔が赤いよーな……」

「あ、いえ、私、は……」

 

 常に冷然とした態度の魔人筆頭は何処へやら。

 何故か羞恥の表情のまま、その視線を落ち着きなく左右へと迷わせて、そして。

 

「ランス、あの……」

「何だよ」

「私、と……こ──」

 

 そこで何かを言い掛けたのだが。

 その先は口をわなわなと震えさせるだけで、言葉が出てくる事は無く。

 

「……こ?」

「──いえ、何でもありません。それでは」

「あ、おい」

 

 一方的に会話を打ち切ると、そのまますたすたと立ち去っていった。

 

「……何だあいつ?」

 

 出会い頭の奇妙な態度、ホーネットの挙動不審な様子にランスは思わず首を傾げた。

 

 とそんな出来事があったのだが、しかしこれはまだ始まりに過ぎなかった。

 何故ならその奇妙な態度、挙動不審になっていた魔人はホーネットだけでは無くて。

 

 

 

 

「お」

「……あっ」

 

 それから少し経った後の事。

 そこは同じく魔王城の廊下、再び何の気無しに歩いていたランスはシルキィと鉢合わせた。

 

「よう、シルキィちゃん」

「……ランス、さん……」

「あん?」

 

 するとこの魔人の様子もおかしい。

 こうして顔を合わせた、ただそれだけで、

 

「……う、うぅ……!」

 

 その口からか細い呻きを漏らし、その顔がみるみる内に茹で上がっていく。

 

「どしたシルキィちゃん、風邪でも引いたか?」

「あ、いや、わたし、えっと……」

 

 常にハツラツとした魔人四天王は何処へやら。

 シルキィはもじもじとした様子で何かを躊躇っていたのだが、やがて。

 

「あの、あのね……」

「おう、どした」

「ランスさんは、私に……あ、あ──」

 

 そこで彼女も何かを言い掛けたのだが。

 その先は口をぱくぱくとさせるだけで、やっぱり言葉が出てくる事は無く。

 

「……あ?」

「──な、何でも無いの。それじゃ」

「おい、ちょっと」

 

 これまた一方的に会話を打ち切り、そのまますたすたと立ち去っていった。

 

「……なんだありゃ?」

 

 出会い頭の奇妙な態度、シルキィの挙動不審な様子にランスは再びその首を傾げた。

 

 

 

 

 と、そんな出来事が立て続けに起こった。

 

 今しがたランスと顔を合わせた二人の魔人、ホーネットとシルキィ。

 二人の奇妙な態度の理由とは。何故二人はあんなにも挙動不審となってしまったのか。

 

 その謎の答え。それは数日前からホーネットの頭の中に浮かんでいた深刻な問題。

 そしてその問題をシルキィに相談した事に端を発している。

 

 故に二人の話し合いが行われた日、昨日の時点までこの話は遡る──

 

 

 

 

 

 

 それは前日、昼過ぎ頃の事。

 コンコン、と聞こえる軽いノック音。

 

「失礼します」

 

 礼儀正しく一声掛けてから、魔人シルキィはその部屋のドアを開く。

 室内には見慣れた姿。壁際に整列する使徒達、そして奥にある執務机に掛ける魔人筆頭。

 

「シルキィ、よく来てくれました」

「はい。なんたってホーネット様からの呼び出しですからね」

 

 来ない訳にもいきませんよと、朗らかな笑みを浮かべるシルキィ。

 彼女はほんの数分前、ホーネットの使徒の一人から「主がシルキィ様にお話があるそうです」と伝えられ、急ぎこの部屋へとやって来た。

 

(お話っていうと……やっぱりあれかな? レッドアイを討伐した事に関連する話かしら)

 

 魔人レッドアイの討伐。それはこの派閥戦争に対して多大な影響を与えた事は言うまでもない。

 故に大事なのはここから。ホーネット派としての次なる一手、例えば大荒野カスケード・バウへと侵攻する具体的な作戦案など、そういった事に関する言わば作戦会議をするのだろうか。

 

(あるいはそれとも──)

 

 ──もっと別の話だろうか。

 それこそ例えば、以前に聞いたあの……大事な話のような事とか。

 

 少し前に一回、その前にも一回と、二回程そんな要件でこの魔人から呼び出しを受けている。

 もしや今回もそういった話なのでは……と、この時のシルキィにはすでにそんな予感があって。

 そしてその読みは見事に冴え渡っており、ホーネットの用事はまさにそんな話だったのだが。

 

「ではシルキィ、早速ですが大事な話があります。……ですので貴方達は外れていなさい」

 

(は、早い……!)

 

 予測していたにもかかわらずシルキィは驚く。

 今日はいつにも増して、今までとは比べものにならない程に展開が進むのが早い。

 前までのように使徒達に紅茶や菓子を用意させる事すらせず、さっさと退出させてしまう程で。

 

(……何だろう、今日の『大事な話』って……これ程に急かす必要がある話……って事? 何だか以前にも増して聞くのが怖いわね……)

 

 この様子を見る限り、過去ニ回の時よりも今日は重大なテーマなのかもしれない。

 果たしてどんな爆弾が飛び出てくるものやら……と身構えるシルキィをよそに、使徒達の退出を見届けたホーネットはすぐに椅子から立ち上がる。

 

「シルキィ、立ち話もなんですから、こちらに」

 

 その言葉に彼女も「はい」と頷き、場所を移した二人の魔人はソファに腰を下ろす。

 

「………………」

「………………」

 

 そして沈黙。

 過去ニ回の時もそうだったのだが、派閥の主たるこの魔人から『大事な話がある』と宣告されるとどうしても緊張してしまう。

 シルキィは背筋をピンと伸ばして口を閉じ、不動の姿勢で相手が話し始めるのをじっと待つ。

 

「………………」

「……さて」

 

 一方で普段通りの様子に見えるホーネットも、その胸中には少なくない緊張があった。

 何故なら今回の『大事な話』は結構生々しく、かなりプライベートに過ぎる問題。過去ニ回の時のそれを優に上回る程、他人に打ち明けるのは抵抗感のある話で。

 

「………………」

「……ふぅ」

 

 しかしそれでも尋ねない訳にはいかない。

 何故ならこれは場合によっては深刻な問題、速急に対処せねばならない問題なのだから。

 どのように伝えれば波風立てずに進められるか、そんな事をしばらく考えて、そして。

 

「……シルキィ」

「は、はい」

「これは例えばの話なのですが……あるところに一人の女性がいたとします」

 

 ふいに魔人筆頭はそんな事を言い出した。

 

「えっ? ……あ、なるほど。あるところに一人の女性が居たのですね?」

「えぇ、そうです」

 

 その発言の意図を魔人四天王はすぐに理解する。

 

(……これはあれね、例え話ってやつね)

 

 例え話。それは伝えたい事、聞きたい事などを別の表現などに置き換えて話す技法。

 正直ホーネットがそういった話術で主張を濁すのもシルキィには驚きだったのだが、その点はもうこの際だから気にしない。

 とにかくこうして例え話をしてきた以上、自分はその本意を的確に読み取る事に集中するだけ。その例えの裏にこの魔人が真に伝えたい事が隠れているはずなのだから。

 

「そして……その女性はある時、人間の男と出会ったとします」

「人間の男、ですか」

 

(人間の男……これはそのままの意味じゃなければ……きっとランスさんの事ね)

 

 ホーネットが知る人間の男などあの男以外には居ないだろう。

 だからその女性が出会った「人間の男」というのが文字通りの意味では無い場合、それが指し示すのはランスの事で間違い無いはず。

 

(けど男の方にわざわざ『人間』のって付けるという事は……女性の方はきっと……)

 

 ホーネットにとって人間というのは決して身近な存在では無い。故に女性の方も人間であれば、きっと『人間の女性』と言っていたはずで。

 

(……となると女性の方は魔物か、あるいは魔人か……仮に魔人だとしたらそれはサテラか、ハウゼルか、サイゼルか、ワーグか……それとももしかして私か……それとも……)

 

 ──あるいはそれとも、ホーネット自身か。

 というかこのようにあえて遠回りな例え話をする以上、誰の話をしようとしているのか、シルキィにはもう何となく見えてしまっていた。

 そして見えたのはその中身についても。以前に受けた相談の事や、この前会ったランスのハイテンションぶりなど、それらを考慮して考えると今回の『大事な話』のテーマは恐らく……。

 

「……それで、ですね。その女性と男性は様々な事を通じて心を通わせていきます」

「心を通わせて……二人は徐々に仲良くなっていったのですね」

「えぇ。それで、つい先日の事なのですが……その女性と男性は……遂に……」

 

 そこでホーネットの言葉が詰まり、その視線がすっと横に逃げそうになったのだが。

 

「……いえ」

 

 しかしこの話は避けられない。

 ここを避けてはその先に待つあの問題を打ち明ける事が出来ない。

 ホーネットは覚悟を決めて口を開いた。

 

「……その女性と男性は遂に……初めて肌を重ねる事となったのです」

「は、肌を重ねる? って、でもランスさんと初めてって事はやっぱそれホー──」

「え、ランス? あ、いえ、これはあくまで例えばの話で……」

「……あ」

 

 その指摘にシルキィはぽかんと口を開いて。

 

「……そ、そうでしたね。も、申し訳ありません、ホーネット様」

 

 正直ほぼバレバレだったとはいえ、しかしあくまでそういう体裁で話さなければ。

 つい軽挙な反応をしてしまった事を恥じ、シルキィは頭を下げて肩身を狭くする。

 

「………………」

 

 その一方、ホーネットも複雑な──というかちょっと恥ずかしそうな表情で。

 無駄に遠回しに話してもさっぱり意味が無いと悟ったらしく、「……はぁ」と吐息を吐き出す。

 

「……シルキィ。全てを率直に話すので聞いてくれますか?」

「あ……はい。そうして貰えると助かります」

「……えぇ」

 

 何とも言えない空気の中、魔人筆頭と魔人四天王はその視線を合わせる。

 実際の所、もうすでに9割方話してしまったようなものだが、

 

「………………」

 

 それでもホーネットは再びの覚悟を固めるのに数秒を要し、

 

「………………」

 

 一方でシルキィもその言葉を耳に入れる心構えをしっかりと固めて。

 

 そして。

 

 

「──先日、私はランスと性行為をしました」

「んんっ!」

 

 何を言われるかはほぼ分かっていた。それでもその言葉が持つ破壊力たるや。

 シルキィはぐっと息を飲み込む事で、どうにか驚きの声を出してしまう事を我慢した。

 

(……そっか。ホーネット様、遂にランスさんとエッチな事をしちゃったんだ……)

 

 これが例えば半年程前であれば。ランスという男と知り合って間もない時期にホーネットからそう言われたのだとしたら、自分はきっと驚きのあまりソファからひっくり返っていたと思う。

 しかし今ではそこまでの衝撃は無い。あのランスという男を深く理解した今、ホーネットともそうなってしまうにも時間の問題なのではないかと考えた事もあった。だから今は驚きというよりも遂にその日が来たのかという感慨が湧く。

 

 ともあれ、ホーネットはランスと性交を行った。果たしてこれは良い事だと祝すべきなのか。何だか一概にそうとは言えないような気もするが、さりとて悪い事だと表現するのも憚られるような。

 というかこうなった以上ホーネットは純血を失った訳で、これは彼女の父親である先代魔王ガイの墓前に報告した方がいいのだろうか。その報告はホーネットがすべきか、それともそういう赤裸々な話は本人がするのでは無く、自分のような者が気を利かせた方がいいのだろうか──

 

 ……などと、動揺するシルキィがあーだこーだ考えている間にも。

 

「ですが……そこで一つ、大きな問題が発生したのです」

「あ、と……問題……ですか?」

 

 ホーネットは本当に深刻な表情で。 

 ランスとの性交を行った次の日からずっと悩んでいた問題、それを遂に打ち明けた。

 

「えぇ。……実はですね、あの性行為で妊娠をしてしまった──」

「に、にににに妊娠!? ほ、ホーネット様、にに、妊娠をしてしまったのですか!?」

 

 耳に飛び込んできた言葉、そのフレーズに仰天してしまったシルキィはソファから立ち上がる。

 

 なんという事だ。まさかホーネットが初体験だけに留まらず妊娠までしてしまったとは。

 確かにそういう事をした以上、そうなってしまう可能性はある。だがそれにしても急な話、これはさすがに驚くなというのは無理な話だ。

 というかホーネットが妊娠したのなら、先代魔王ガイの墓前には初孫が出来ましたよと報告しなければならないのか。果たしてガイは喜んでくれるだろうか、あるいはお怒りになられるかも──

 

 ……などと、テンパっているシルキィが訳も分からぬ事を考えていたその時。

 

「……落ち着いて下さい、シルキィ。私は別に妊娠などしていません」

 

 ホーネットはすぐにその間違いを訂正する。

 

「……え?」

「そういう事では無く、もし私が妊娠をしてしまったとしたら……という仮定の話です」

「……あ、成る程。そういう事ですか……申し訳ありませんホーネット様、あらぬ早とちりをしてしまって……」

 

 軽率に過ぎる反応をしてしまった事を恥じ、シルキィはしゅんと俯いたままソファに座り直す。

 ホーネットが妊娠したというのはあくまで仮定、仮の話。だからこそあのような例え話をしていたのだと気付いた彼女は、その時「あれ?」と不思議に思う事があって。

 

「……けれど、妊娠? そもそも私達のような魔人って妊娠をするような存在なのですか?」

 

 そこで浮かび上がった疑問、果たして魔人という生物は妊娠するのか否か。

 シルキィはその答えを知らない。知らないけれども何となく妊娠しないものだと思っている。

 その理由は簡単、今まで妊娠をしたという魔人の話など聞いた事が無いから。実例が無い以上、あり得ないと考えるのも仕方無い事だと言える。

 

「……どうでしょうね。私達のような魔人が妊娠するのかどうか、それは私にも分かりません」

 

 そしてホーネットもその答えは知らない。それどころか答えを知る者など存在しているのか。そう感じてしまう程にそれは難しい問題。

 そもそも魔人という生物を単一種族と見なしてよいのかどうかも分からない。へびさんが元の種族となる魔人メディウサと人間が元の種族となるサテラでは身体の構造なども異なってくる。

 事によっては魔人各々によって妊娠の可否というのも変わってくるのかもしれない……など、考えてみれば疑問点は沢山浮かんでくる。

 

「……正直な所、これまで性交など自分とは縁遠い行為だと考えていたので、自分が妊娠するなどという考えを抱いた事すらありませんでした」

「私も同じです。私なんて千年間も生きているのに全然……ただ考えてみると女性の魔人という存在もこの世に少ないですからね」

「えぇ。そして子を為そうとする女性の魔人となると尚更……」

 

 そもそも魔人とは魔王によって作り出された忠実なる下僕。

 子を産む為の存在では無く、だとしたらその機能が無かったとしても不思議は無い。

 ただこの問題のなにが厄介かと言うと、別にその機能があっても不思議では無いという点で。

 

「……私達魔人が妊娠するのかどうかはこの際置いておきましょう。私が貴女に相談したいのは『仮に妊娠するのだとしたら』という話なのです」

「仮に……ですか。確かに妊娠するかどうかが分からない以上、考えておく必要はありますね」

 

 どちらが正解なのか分からない以上、どちらのケースも想定しておく必要がある。

 そして妊娠しないのならばこれまで通りとなる以上、問題となるのは妊娠する場合。

 

「……シルキィ。私はあまりそういう事に詳しく無いのですが、性交を行う者が妊娠を避ける為に使用する『避妊具』というものがこの世にはあるはずですよね?」

 

 やはりそういう話は真顔では難しいのか、ホーネットの頬はちょっとだけ色づいていて。

 

「そうですね。……あの、男の人の……あれに、その、あれする感じの何かがあったはずです」

 

 そして同じようにほんのりと顔が赤いシルキィ。

 彼女は右手の人差し指を立て、そこに左手を使って何を被せるようなジェスチャーを見せる。

 

「その避妊具の事なのですが……その、ランスは……性交の際に使用していましたか?」

「……そういえば……使ってない……ですね」

「……えぇ」

 

 そして二人は恐る恐るといった感じで頷く。

 ランスは性交の際に避妊具を使用しない。だからこそ妊娠の危険性が生じてしまう。

 ……と、ここにいる二人が両者共にそう考えてしまったが故の問題で。

 

 つまりこれは方や100年間にも渡って処女。そして方や1000年間にも渡って処女。

 そんな性行為とは縁遠い人生を歩んできた二人、ウブな魔人筆頭とウブな魔人四天王が話し合ったが故に起きてしまった悲劇。

 二人はランスが男の嗜みとして使用している避妊方法『避妊魔法』の存在について不知だった。

 

「……ランスとの行為が終わった後、ふとその事がとても気になってしまったのです。ランスが行為の中で避妊具を一切使用しなかった事が……」

「……考えてみればそうですね。ランスさんとはもう何回もしましたが、あの人が避妊具なんてものを使ってした事はこれまで一度たりとも……」

「……え、何回も? シルキィは、その……そんなに、そんなにランスとしているのですか?」

「え? あ、え、っと……はい、いやでも、あの、あくまで常識の範囲内というか、その……」

 

 ──お願いですからそこに食い付かないで下さいホーネット様。

 なんて事を言えたらどんなに楽か。勿論そんな事は言えず、シルキィは心に思うだけに留める。

 

 ともあれ。避妊具を使用しないで性交を行った場合、妊娠する可能性は当然ながらあり得る。

 ただ先程述べたように実際はランスも避妊を行っている為、その心配は杞憂に終わるのだが、そうとは知らない両魔人は実に真剣な表情で。

 

「け、けど確かに……そうなると私がすでに妊娠している可能性だってあるという事ですよね」

「……そうなりますね。回数が多いならその分やはり妊娠の確率は増すものでしょうし……」

「妊娠……そんな事、こうしてホーネット様に指摘されるまで考えた事もありませんでした……」

 

 もし今、自分が妊娠してしまったらどうなるか。

 これまで考えもしなかった話、そんな仮定に思考を巡らせてみると。

 

(いけない、これは想像以上に大問題かも……! 今は戦争中なのに……!)

 

 シルキィはゾッとするような寒気を感じた。

 未だ派閥戦争の最中にあるのに、ここで重要な戦力である自分が妊娠してしまったとしたら。

 当然ながら大幅な戦力ダウンは避けられない。せっかくレッドアイを倒して派閥全体の気勢が盛り上がっている時だというのに、そこに水を差してしまう形となる。

 

(……というか、私の体型が変わっちゃうとリトルが着られなくなっちゃうかも……!)

 

 そして妊娠したらお腹も大きく膨らむ。お腹が大きく膨らんでしまったら、全身にピッチリと着込むあの装甲だって装備出来なくなるかもしれない。

 とはいえさすがに身重の身体となったら戦っている場合では無いのだが、真面目一筋の彼女には安静にするという考えが浮かばないらしい。

 

「……どうしましょう。これは私達にとって本当に大変な問題ですね……」

「……えぇ」

 

 シルキィが深刻そうな声でそう呟くと、ホーネットも同じような声色で呟きを返す。

 

「事によってはすでに手遅れかもしれませんが……いえ、だとしたら尚更、これは一刻も早く対処せねばならない問題です」

「確かに事は急を要しますね。ここで私達が妊娠するような事があれば、この戦争も──」

「えぇ、ここで私達が妊娠したとしたら出産もここで行うという事になりますが、今の魔王城に出産に立ち会った経験のある者は多くありません。早急に出産に詳しい者達を集めてその為の環境を整備する必要があるでしょう」

「そうですね……うん?」

「それに今の戦争続きの魔物界が子育てに適した場所かと言えばそれも疑問符が付きます。場合によっては生まれてきた我が子を人間世界に避難させる事も考える必要が──」

「あ、あの、ホーネット様?」

 

 聞こえてきた言葉に違和感を覚えて、シルキィは思わず待ったを掛ける。

 何やら見ている問題が大きく違うような。妊娠の段階で停止している自分の思考を通り越し、ホーネットは随分と先へ進んでいるような。

 

「……あ」

 

 シルキィのそんな思考が伝わったのか、ホーネットはハッとしたように数度瞬きをして。

 

「……少し、話が飛躍しすぎましたね。今言った事は忘れてください」

 

 そして恥じ入るかのようにすっと瞼を閉じる。

 今こうして聞いたばかりのシルキィとは違い、ホーネットは数日前からこの問題に悩んでいた。

 その影響で頭の中はすでに妊娠を越えて出産、そして遂には育児の段階に到達していたらしい。

 

「……とにかく。まず一番に考えなければいけないのはやはり妊娠についてでしょう」

「ですね。もし私達がすでに妊娠していたら……例えばお腹が膨らんできたりとか、そういう妊娠をした合図みたいなものはいつ頃になったら分かるものなのでしょうか?」

「どうでしょう……確か子供というのは妊娠してから一年程で生まれてくるはずです。だとすると……半年程度でしょうか」

「半年……でもじゃあ、それなら私は明日にでもお腹が膨らんでもおかしくないって事……?」

「……え、シルキィ、貴女はそんなに前からランスと性交を……?」

「え、あ、そこ食い付きます?」

 

 もはや心に思うだけには留まらず、ついつい言葉に出してしまったシルキィ。

 ともあれそんな彼女も、そして目の前に居る相手も同様に性事情には疎い。妊娠や出産についての正確な知識がまるで足りず、考えれば考えるだけ話は迷走してしまう。

 

「……駄目ですね。ホーネット様、これはもう私達だけではなく、もっとこういった話に詳しい人を呼んだ方が良いかもしれません」

「こういった話に詳しい方となると……例えばシィルさんとかでしょうか?」

「そうですね、シィルさんならおそらくこの私よりは遥かに詳しいはずです。それに──」

 

 ──それに何より、こういった話は当事者たるあの男も呼んで話し合うべき問題では。

 

 ……と、シルキィがそんな事を考えた、その時。

 

 

「──っ、まさか!?」

 

 突如その頭の中を走った恐ろしい疑念。

 その桁違いの恐怖に襲われ、魔人四天王たる彼女が思わず大声で叫んでしまった。 

 

「……シルキィ、どうしました?」

「……ホーネット様……」

 

 突然の大声に瞠目した様子の魔人筆頭。

 その金の瞳をじっと凝視しながら、彼女は頭に浮かんだ恐ろしい疑念を口にした。

 

「……ホーネット様。ランスさんは……エッチの時に避妊具を使用しませんよね?」

「えぇ、先程から言っている通りです。だからこそこのような問題が……」

「けれど、それは当然……ランスさん自身も分かっている事ですよね?」

「え、えぇ、それはそうでしょう……て、あ──」

 

 そこでホーネットも同じ考えに行き着いたのか、

 

「──ま、まさか……!」

 

 ハッとしたように口元を押さえ、その表情を驚愕に凍りつかせる。

 

 ランスは性交の際に避妊具を使用しない。

 それはランス自身の判断でそうと決めている。

 その2つの事実を踏まえて考えた時、そこにはとても恐ろしい仮定が浮かび上がる。

 

「……という事は、ランスはもしかして……」

「私達との子供を……作りたがっている……!?」

 

 二人が考えた世にも恐ろしい話。

 ランスは自分達との子供を欲しいが為に、避妊具無しのセックスに及んでいるのではないか。

 

「………………」

「………………」

 

 その恐ろしい疑念に取り憑かれてしまった二人は数秒程しん、と黙り込んで。

 

「まっさかぁ! 流石にそれは無いですよね!」

「え、えぇ。さすがにそれは間違っているように思います。なにせあのランスですから」

「ですよね! あのランスさんですもんね! 子供を欲しがるようなタイプじゃないですし、むしろ子供なんてどうでもいいからこそ避妊に無頓着なのかもしれませんね!」

 

 二人は殊更に明るい声を出して、その恐ろしい疑念を頭から吹き飛ばそうとする。

 実の所、子供なんてどうでもいいからこそ避妊をしないのならそれはそれでかなりの大問題となるのだが、今の二人にからすればその方がまだマシと思えてきてしまう。

 何故ならランスがそんな無責任男ではない場合、それだと本当にランスが自身の子供を望んでいるという事になってしまう訳で。

 

(……でも、でも本当にあのランスさんが、自らの意志で避妊をしないで……)

 

 そんな事を考えるシルキィ。

 その顔が自然と朱に染まっていく。

 

(……この私に、自分との子供を作って欲しいと願っているのだとしたら……)

 

 そんな事を考えるホーネット。

 その手で自然と下腹部の辺りを押さえてしまう。

 

(私は、どうすれば……!)

 

 もしランスが子供を望んでいるのなら、自分はその思いにどう応えればいいのだろうか。

 二人共にそんな事を考えてしまう。すると次第に頭の中にはそんな光景が、小さな赤子を愛おしそうに抱える自分とランスの姿さえも浮かんできて。

 

「………………」

「………………」

 

 もはや真っ赤になってしまった魔人四天王。

 そして同じく真っ赤になってしまった魔人筆頭。

 

「………………」

「………………」

 

 その後両者は何一つ口を開く事が出来ず。

 ソファで向かい合って座ったまま、深々と俯いた状態でしばらく石像のように固まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 と、それが昨日の出来事で。

 

 そんな一件があっての今日の出来事。

 二人の魔人がランスの前で見せた奇妙な態度、その理由はつまりそんな話が原因であった。

 

 そして。

 その影響は次の日にも続いて。

 

 

 

「お」

「……あ」

 

 翌日、ランスと出会ってしまったホーネット。

 するとやっぱり昨日までと同じく、その顔は見る見る内に赤くなってしまう。

 

「……ラン、ス……」

「なぁホーネットよ、お前昨日から様子が変じゃねーか?」

「わ、私は……別に……」

 

 今こうして目の前に居る相手。この人の本心では自分の事を孕ませたいと思っているのかも。

 そんな事を考えてしまったが最後、平然としている事など出来なくて。

 

「ランス、あの……」

「おう、何だよ」

「私、と……私と、こど……」

 

 ──私と子供を作るのが貴方の望みなのですか?

 昨日も尋ねようとしたそのセリフ、それはやっぱり声にはならず。

 

「──っ、何でもありません。それでは」

「おい、またかよ」

 

 そのまま急に反転して、すすすすーっと立ち去ってしまう。

 

 

 

 そしてこちらの魔人の様子も同じ。

 

「お、シルキィちゃん」

「あっ……」

 

 シルキィもランスの顔を目にした途端、その顔を茹でダコのように赤くさせて。

 

「ね、ねぇねぇ」

「あん?」

「ランスさんはさ、私に、あ、あ、あか……」

 

 ──ランスさんは私に赤ちゃんを産んで欲しいの?

 昨日も口にしようとしたそのセリフ、だがそんな事を聞くのはあまりに恥ずかしすぎて。

 

「──な、なんでもないっ!」

「あ、おーい!」

 

 そのまま両手で顔を隠して、すてててーっと逃げ出してしまう。

 

「なんだぁ一体? シルキィちゃんといい、ホーネットといい……どうしたんだあいつら」

 

 事の当事者なはずなのに全くの部外者。

 二人の話し合いなど全く知らないランスはひたすらその首を傾げるだけで。

 

 

 魔人筆頭と魔人四天王の奇妙な態度、その挙動不審な様子はその後もしばらく続いて。

 ある時シィルから避妊魔法の存在を聞き、ランスとはどれだけセックスをしても妊娠する事は無いのだと知るまで、二人の魔人は悶々とした日々を過ごす事となった。

 

 

 

 

 

 



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難敵への挑戦、再び

 

 

 

 

 それはある日の事。

 

「ふんふふ~ん………」

 

 ランスが気ままに魔王城内をぶらついていると、とある魔人の後ろ姿が目に入った。

 

「お、シルキィちゃん」

「っ!」

 

 そう声を掛けた途端にびくっと、彼女は大袈裟な程に肩を跳ね上げる。

 

「……ふふふ」

 

 そしておもむろにこちらをふり向くや否や、何故か意味深な笑みを浮かべた。

 

「……もう慌てる必要も無いわね。こんにちは、ランスさん」

「おう……って、慌てるって何の事だ?」

「ううん、別に何の事でも無いの。だって何も無かったんだからね」

「あー、もしかしてここ最近君の様子が変だったけどあれの事か?」

「……まぁ、ね。私ったらちょっとおかしな思い違いをしちゃってて」

 

 あぁ恥ずかしいわ、と呟きながら、シルキィは片手でそっと頬を押さえる。

 

「……昨日ね、シィルさんからとても興味深い話を聞いたんだけど……何でも今の世の中には『避妊魔法』なんてものがあるらしいじゃないの」

「あぁ、避妊魔法な。俺も普段からシィルに掛けさせている魔法だが」

「そうよねぇ! さすがのランスさんでも避妊魔法は使っているわよねぇ!」

「そりゃ使っているが……それがどうしたのだ?」

「いいえ? 別にどうしたって事は無いの。ただその、便利な時代になったなぁと思って……」

 

 あぁなんと素晴らしき避妊魔法。なんと素晴らしき人類の英知の進歩。

 シルキィは何やら年寄りじみた事を言いながら、実感の籠もった様子でこくこくと頷く。

 

 それはこの魔人四天王が、そしてあの魔人筆頭が抱いてしまったとても恐ろしい疑念。

 だったのだが、しかし避妊魔法の存在を知った事で問題はあっという間に解決。シルキィはようやく普段通りの様子でランスの前に立つ事が出来るようになったのだった。

 

「……けど本当に良かったわ。ランスさんがそういう所は常識を持ち合わせている人で」

「なんだそりゃ。それではまるで俺様が常識の無いヤツみたいではないか」

「まぁ……その、ね。けど本当に、私もホーネット様も色々と大変だったんだから」

「そういや最近はホーネットの様子も変だったな。前はイケた脱衣所でのセックスもここ数日は駄目だ駄目だの一点張りだったし」

 

 ランスがそんなセリフを口にした途端、シルキィは「んっ!」と喉を詰まらせる。

 それはあの日、すでに当の本人の口から直接聞いている話。しかしそうと知っても尚大きな衝撃を与えてくるような話で。

 あの時は直後により大きな爆弾発言を受けた事で思考がそちらに向いてしまったのだが、改めて考えるとその点にも気になる事があるような。

 

「そう言えばランスさんって……ホーネット様ともそういう事をしちゃったんだって?」

「セックスの事か? 勿論したぞ、そりゃもうメチャクチャに、ハチャメチャにしたな」

 

 改めて聞き直してもランスは包み隠さず堂々と、むしろ少し自慢気にそれを語る。

 

「ここまで長らく掛かったがな、俺様は遂にあのホーネットを抱いた男となったのだ。どーだスゴいだろう、がははは!」

「……そうねぇ、凄いかどうかって言われると……間違いなく凄い事だとは思うんだけど……」

 

 果たして諸手を挙げて賛辞すべき事なのか、シルキィとしてはとても複雑な心境である。

 あのホーネットが誰かと一線を越える。それはホーネットの自由意思で決める事であって、他人が口を挟む問題は無いと重々承知している。

 特に自分はその事に関しての相談をホーネットから受けた事だってある。あの時深く悩んでいたホーネットの姿を思い返すと、事情はどうあれ一歩踏み出せた事は良い事なのかもしれない。

 

(……けどねぇ、ホーネット様もランスさんとそういう事をしちゃったって事は……)

 

 とはいえあのホーネットが一線を越えた。そしてそのお相手はやっぱりランス。

 するとホーネットも、そしてサテラも、そしてハウゼルも、そして勿論自分も。ホーネット派に属する女魔人全員がランスと肉体関係を持つ事になったという事で。

 

(……良いのかなぁ、こういうのって。ランスさんと出会ってすぐにそういう事をする羽目になっちゃった私が言えた事じゃないんだけど……)

 

 真っ先にその魔の手に掛かった我が身を振り返りながら、シルキィはその心中で嘆息する。

 竿姉妹。という卑猥なキーワードについては存じ上げない彼女であっても、そういった関係性になっている事は分かる。そしてそういった関係は良からぬものであるという事も。

 

(……真っ先にそうなった私はともかく、ホーネット様は知っててそうしたはずだし……ホーネット様が何も言わないなら私が変に気にするような事じゃないのかしら。……けど、うーん……)

 

 たとえ複数人と肉体関係を持った所で、ランスという男がちゃんと避妊をしていた以上、妊娠などの問題が生じる訳では無い。

 残るは倫理的な問題なのだが、それだって言ってしまえば人間世界でのルールの話。人間世界で構築された倫理観にここ魔物界で縛られる必要などあるのだろうか。

 

 ……などと、言い訳しようと思えば釈明の言葉は沢山浮かんでくる。

 とはいえ真面目な性格のシルキィにはそのように開き直る事など出来ないし、同じように真面目な性格の者が多いホーネット派魔人達、他の皆の胸中は如何ばかりか。

 

「……はぁ。なんて言ったらいいのか……本当に困ったものだわ……」

「なんだ、何か悩み事か?」

「うん。主に貴方の事で。……というかランスさんは悩みが無さそうでいいわね」

「まぁな。俺様にとって唯一の悩みだったホーネットの問題が解決したからな。こうしてホーネットを抱いたという事はだ、俺様は遂に──」

 

 ──ホーネット派の魔人達を完全制覇したのだ、がははははーっ!

 みたいな感じで、大笑いを上げようとしたランスだったが。

 

「──ん?」

 

 その時、何か強烈な違和感を覚えて。

 

「……あああーーーー!!!」

 

 すぐにその違和感の正体に気付き、驚愕の叫びを上げた。

 

「ど、どうしたの? 急に大声を出して」

「……忘れてた。まだあいつとのセックスを達成してねーじゃねーか」

 

 それを忘れていた自分自身にびっくりしたのか、ランスは唖然とした様子で呟く。

 

 自分は念願の末に強敵たる魔人筆頭を倒した。

 しかしこの魔物界における強敵は魔人筆頭だけでは無く、もう一人存在している。

 それはラスボスの裏に潜む隠しボスの如き相手、強烈な眠気を纏うあの魔人が。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 という事で、すぐさまランスはその隠しボスの家までやってきた。 

 ピンポーン、とチャイムが鳴らされ、ととととっと玄関まで足早に向かってくる音。

 

「いらっしゃい、ランス」

「おうワーグ、久し振りだな」

 

 出迎えてくれたのは小さな背丈、常日頃から厚地のコート姿の少女、魔人ワーグ。

 

「わーいわーい、ランスが遊びに来てくれたー!」

 

 そしてその隣には彼女の本心を代弁するペット、夢イルカのラッシーの姿。

 その言葉通り内心凄くハッピー、友達が遊びに来た事にとても嬉しがっているワーグなのだが、そこはそれ。あくまで表面上はそうとは見えないすました表情、それが乙女心というものである。

 

「……なんかこのイルカ、最近俺様に懐いてきてねーか?」

「そうね、前に何日間も一緒に旅をした事が影響しているのかも。けどランス、ラッシーは危険な生き物だから触ったりしちゃ駄目よ」

「え、コイツって危険なん?」

「そうよ。魔人の私じゃないとペットとして飼う事なんて絶対に出来ないわね」

「……へー、見かけによらないっつーかなんつーか……てかそういう事はもっと早く言えよ」

 

 随分と今更な指摘に驚きながらも、ランスはすたすたと進んで食卓の椅子に腰を下ろす。

 この家に来た回数はもう10回以上、すでに勝手知ったる他人の家のようなものである。

 

「なぁワーグ、何か飲むもんくれ」

「分かった、ちょっと待ってね」

 

 ワーグは冷蔵庫の扉を開いて麦茶を取り出し、二人分のコップに注ぐ。

 それをランスの前に差し出すや否や、すぐに手が伸びてきてゴクゴクと喉を鳴らしていく。

 

「……ぷはー、生き返るー。ここまで急いできたから喉が渇いていてな」

「急いで来たって? なにか急用でもあるの?」

「急用っつー訳でも無いのだが……まぁアレだ、早くお前に会いたかったのだ、がはははは!」

「……そう」

 

 途端にワーグはすすっとそっぽを向く。

 それは照れ隠しの仕草なのだが、そうして横を向くと普段真っ白なその頬が如実に赤くなっているのがよく見える。ランスからしたらむしろ分かりやすいアピールである。

 

「そう言えば……あの子の様子はどう?」

「あの子?」

「ほら、前に私達がレッドアイの下から助け出してきたあの子よ」

「あぁ、ロナの事か。そーだな、あの時よりも大分健康にはなったはずだぞ。まだちょっと色々な面で治療が必要だから今はこっちにはいないのだが、その内元気になったら会えるだろう」

「……別に元気ならそれでいいのよ、わざわざ会う必要までは無いわ。あの子が私の眠気に耐えられるとは思えないしね」

「そか。まぁロナの事は置いといてだな……」

 

 前置きの世間話はこれくらいにして、そろそろランスは本題に入る事にした。

 

「……実はなワーグ、俺様はついこの前まである難攻不落の山にずっと挑んでいたのだ」

「難攻不落の山? 翔竜山にでも登ったの?」

「翔竜山か、まぁ似たようなものだな。とにかくその山はとても険しい山だったのだが……この度ようやく頂上に辿り着いたのだ」

「そうなんだ……それで?」

「うむ。それでな、そうして制覇した山の頂からの絶景を眺めていたのだが……すると未だ登っていない山がすぐそばにあった事に気付いたのだよ」

 

 今もランスの目の前、そこにはホーネットという山とは別次元で難攻不落な山が聳えていて。

 

「つー訳でワーグよ。俺様とセックスをしようじゃないか」

 

 そんな言葉を呟いた途端、その山は「こほっ」と可愛らしくむせ返った。

 

「ちょ、ちょっと待ってランス、話の繋がりが全然見えてこないんだけど。あなたさっきまで山に登っていたんじゃなかったの?」

「話の繋がりなどこの際どうでもいい。とにかく俺はお前とセックスがしたい、どうしてもしたくて堪らなくなったからこうして会いに来たのだ」

「ひゃ、ひゃわぁ! そ、そんな……そんなに求められても……そんなそんな、照れるよー!」

「おい、なんでイルカが照れているのだ」

 

 ランスがそんなツッコミを入れると、飼い主たるワーグも恥ずかしくなったのか「……ラッシー、黙りなさい」と命じてペットの口を閉じさせる。

 

「……はぁ。セックス、ね」

 

 そして赤らんだ頬のまま深く溜息。

 あまり話したい話題では無いのか、ワーグの声色が先程までよりも重くなる。

 

「……前にもあなたからそんな事を言われた事があったけど……まだ諦めてなかったのね」

「この俺が諦める訳があるか。ワーグよ、お前の事は絶対に抱く。絶対にだ」

「……ふーん。そんなにランスは私とエッチな事がしたいんだ?」

「したい。スゴくしたい。ワーグのような可愛い女の子とだったらセックスしたいに決まっとる」

「へぇ~……」

 

 そう興味なさげに呟く表情はちょっと得意げだったのだが、しかしその胸中はとても複雑で。

 こうしてランスから可愛いと言われたり、求められたりするのは率直に言って悪い気はしない。しないのだが、しかし素直に喜ぶ事も出来ない。

 喜びたいと思う自分の感情、そして相手の想いが重石になってしまうという事もある。

 

「……けどランス、忘れたの? 前にあなたが私とエッチな事をしたいって言ってきた時、色々試したけどどれも全部駄目だったじゃないの」

「……む」

「そう熱く求められてもね。ランスが私の前で長くは起きていられない以上、私とセックスをするも何も無いでしょう?」

「……ぐぬぬ」

 

 するとそんなワーグの胸中と同様、その事実を突き付けられたランスも苦々しい顔となる。

 今こうして会話をしている間にも襲い掛かってきている強烈な睡魔。それはこの魔人と自分との間に立ち塞がっている分厚い障壁。

 

 例えばつい先日にランスがようやく倒した強敵、魔人ホーネット。

 彼女とのセックスに長い時間を要した理由、それは父親からの教育の影響で人間を遥か格下の存在だと見ており、当初はその眼中にも無かった事。

 そしてそもそも性格的に堅物であった事など、言ってみればホーネットという女性の内面に纏わる問題がとても大きかった。

 

 しかしワーグの問題はそれとは大きく異なる。

 その内面という意味ではもはや問題無いのではないかと、すでにランスはそう睨んでいる。

 しかしこの魔人の問題はそこでは無く、その身体から放たれるフェロモンが原因。言ってみれば物理的にセックスが出来ないという事で。

 

「ぐぬぬぬぬ……」

 

 たとえ彼女から性交の許可を得たとしても、それでも彼女に手を出す方法が無い。

 ランスが前々から手をこまねいている睡魔の壁、魔人ワーグの難攻不落さはそこにあった。

 

「そこなんだよなぁ……お前の眠気、これさえどうにかする方法があれば……」

「無いわよ、そんな方法」

「ちなみにワーグよ。もしお前の眠気をどうにかする方法が見つかったとしたら、その時はお前とセックスしていいって事でいいんだよな?」

「……さぁ、どうかしらね」

「おい、なんだその答えは。ちゃんとイエスかノーで答えなさい」

「……どうせそんな方法なんて無いんだから、私がどう答えようが意味なんて無いでしょ?」

 

 イエスと言うのは恥ずかしいし、さりとて完全にノーと言のは嘘を吐く事になってしまう。

 そんな心境のワーグははぐらかすように曖昧な答えを返したのだが。

 

「いーや、それはまだ分からんぞ。肝心のお前が俺とのセックスに協力的になってくれたら……それなら一つだけ方法があるかもしれない」

「え……?」

 

 続くランスの言葉を受けて、はっとしたように目を見開く。

 

「うそ、それって……どんな方法?」

「うむ。だからそれをお前が考えてくれ」

「……は?」

「だからな、お前が俺とのセックスに協力的だってんなら、その方法をお前に考えて欲しいのだ」

 

 そして更に続くランスの言葉を受けて、ワーグはがっくりと項垂れてしまった。

 

「あ、あっきれた……あなたが私を抱く方法をこの私本人に考えろって言うの?」

「そういう事だ。俺もここに来るまで色々考えてはみたのだが、やっぱりこの前試したのと似たような方法しか思い付かん。だからいっそお前に聞くのが一番なんじゃないかと思ってな」

 

 もはや自分には思い付く方法が無いので、後はそっちで考えて欲しい。

 そんな実に人任せな解決方法ではあるが、ランスは至極真面目な表情。何故ならそこにはそれ相応の大きな理由がある。

 

「だってセックス出来ない原因はお前の身体から出る眠気、体質な訳だろ? だったら俺や他の誰かよりもお前自身が一番詳しいはずではないか」

「それは……まぁ、そうかもしれないけど……」

 

 魔人ワーグが有する睡眠体質『夢匂』と呼ばれるフェロモンの香り。

 それは彼女以外には実例が見当たらず、ランスにとっては完全に未知なる代物。医者でもない彼にその対処法を考えろと言うのが土台無理な話で。

 となると当の本人に考えてもらうのが一番。自らの体質に長年付き合ってきたワーグなら、きっと解決策を閃くのではないかと考えての事だった。

 

「なぁワーグ。なんか思い付かねーのか? お前の能力を抑える方法とか」

「無いわよそんなの……私だってこの体質にはずっと苦労してきて、それでも思い付いた方法と言えばこうして厚着をする事くらいなんだから」

「ならお前の眠気が効かないようになる方法とか」

「それだって……思い付く事なんて何も……」

 

 この魔物界において最も恐ろしい魔人だと評される存在、魔人ワーグ。

 その理由の一つがこの眠気であり、ならばそれに打ち勝つ術など簡単に見つかるはずもない。そんな簡単に無力化出来るのならば最も恐ろしい魔人などと呼ばれはしないのだ。

 

「……けど、そうね……私の眠気も絶対の能力って訳ではないから……」

 

 とはいえ、そんな魔人ワーグがこの魔物界において最強の存在かというとそれは異なる。

 その強烈な睡眠体質だって効かない相手は存在している。魔王は勿論の事、あの魔人ケイブリスにだって効かなかった。

 その事からも分かるように、この眠気はとても強烈ではあるものの絶対に抗えないという代物では無いはずで。

 

「例えばそうね……ランスが今よりもものすごーくレベルを上げるとか」

「それは……それはちょっと最終手段にしてくれ。それはあまりにも時間が掛かりすぎる、なんかもっと簡単な方法で頼む」

「頼むって言われてもねぇ、そういう地道な方法が一番近道だったりするんじゃないの?」

「やだ、めんどい。大体それでは前に俺が考えた方法と変わらんではないか。自分の体質に詳しいお前だからこそ思い付く方法はないのか」

「だから無いってば、そんな…………あっ」

 

 話途中でワーグはその表情を如実に変える。

 その脳裏にはピーンと閃きが、魔人ワーグだからこそ思い付くアイディアが一つだけあった。

 

「お、なんだ、何か思い付いたか?」

「……ううん、そういう訳じゃ……」

 

 しかしワーグはそれを答えようとせず、少しばかり沈んだ表情で首を左右に振る。

 先程思い付いた方法、それは彼女にとってあまり手を出したくない方法。そして何よりランスにも良からぬ影響を及ぼしかねない危険な方法。

 だからこその否定であったのだが、しかしそんな気遣いはその男には全く不要なもので。

 

「その様子じゃ何かを思い付いたんだろ? とりあえず教えてくれ」

「……この方法じゃ多分無理よ。だから……」

「いいから教えろって。無理かどうかの判断は俺様がするから」

「……そうは言うけどね、教えたらランスはきっと試してみるって言うと思うわ。けれどこれは危険な方法だから、もっと別の……」

 

 ワーグとしてはあくまでランスの安全第一、友達の身を案じての言葉だったのだが。

 

「危険がどうした。大体それを言ったらレベル上げだって危険っちゃ危険じゃねーか。この俺様がたかが危険程度で臆するかっての」

「ランス……」

 

 そう答えるランスの表情は実に肝の据わった様子で、思わずワーグも圧倒されてしまう。

 この男にとってエロとは生きる理由そのもの。その為ならばどれ程の危険があろうと何のその。

 その覚悟の強さ、その意思の固さはこうして顔を合わせているだけで強く伝わってくるもので。

 

「……本当に、本当に危険な方法なのよ? それでも良いの?」

「あぁ良いぞ。お前とセックス出来るってんならどんな手だって試してやるとも」

「……う」

「ふぇぇ、そんな、そこまで私の事を……!?」

「だからなんでイルカが照れるんだっての」

 

 そんなツッコミも聞こえないのか、ワーグは真っ赤な顔を両手で隠して「うぅ……!」と唸る。

 

 自分は決してランスとそういった事をしたいと思っている訳ではない。ないと言ったらない。

 ただここまでどストレートにアピールされるとさすがに困るというか、何と言うか。

 ランスにここまで言わせておいて、それで協力しないというのも気が引けてしまう。

 別にそういう事をしたい訳じゃないんだけど、けど友達の期待を裏切る訳にはいかないし。

 

 そう、これはあくまで友情の範疇にある行為。

 だから問題無いというか、これはもうしょうがない事というか。

 そのような思考の帰結に至ったワーグは、こほん、と一度咳払いをして。

 

「……そう、分かった。どんな方法でも構わないというのなら……あれを試してみる?」

「えー、いいのかワーグ? あれをランスに使っちゃうのはマズいと思うけどなー」

「……私もそう思うけど……でも当の本人にここまで言われたら……断れないじゃない」

「そうだそうだ、俺様が良いっつってんだから別に構わん。……で、あれって何だ?」

 

 はてなと首を傾げるランスに向けて。

 この魔物界で最も恐れられているその魔人は、その恐怖の本当の理由を口にした。

 

「それはね……私のもう一つの能力を使う事。夢操作能力であなたの頭の中を改造するのよ」

 

 

 

 

 



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「……改造?」

 

 聞こえてきた不穏な響きのワードに、思わずランスは鸚鵡返しに呟く。

 

「そうよ、改造。前にも一度教えたはずだけどね、私には他人の眠らせるこの体質の他にもう一つ別の能力があるの。……それが他人の見ている夢を操作する能力」

 

 身体から甘いフェロモンを放ち、あらゆる生物を眠らせる魔人ワーグ。

 その睡眠体質の他にもう一つ、彼女がその身に秘める稀有な才能──それが「夢操作」の才能。

 その名の通り、他人が見ている夢を操作する事が出来る能力なのだが、その能力の影響は単に夢の内容を作為的に変更するだけには留まらない。

 

「私の夢操作能力を使えば、見せる夢の内容によっては相手の記憶を改竄する事が出来る。そして相手の精神性まで……性格や考え方なんかも変える事が出来てしまう」

 

 夢の操作に伴う記憶の改竄、精神の操作。

 これまでホーネット派として戦っていたのに、一夜経つとケイブリス派の兵となっている。命を懸けて戦うべき陣営、その忠誠心の先まで容易に変えてしまえるとあっては戦争などしようも無い。

 それは睡魔以上に凶悪な、魔人ワーグがこの魔物界で恐れられている本当の理由である。

 

「ランス、あなたが今手を焼いているのは私の眠りの能力でしょう?」

「まぁ、そうだな」

「だったら私が持つもう一つの能力、夢操作能力を試すのもアリかなって。魔人ワーグの能力によって施した改造であれば、同じ魔人ワーグの眠気にだって通用すると思わない?」

 

 他人の尊厳を土足で踏み荒らすようなこの能力について、ワーグ自身も強く忌避している。

 しかし今回彼女はあえてそれを使うという提案を自らしてみせた。そうと告げた所でこの男なら、ランスなら今更自分の事を嫌いになったり怖がったりはしないだろう、そう思っての提案で。

 

「……なるほど。お前の能力に対抗するならお前の能力ってのは確かにその通りかもしれんな」

 

 そして案の定、夢操作能力の詳細を聞いてもランスに気にした様子は無かった。

 魔人ワーグは他人の記憶や人格を弄る事が出来るらしい。しかしてそれが何だと言うのか。そんな事よりも大事なのはセックスだ。それがランスという男の思考である。

 

「本当はこんな方法試したくないんだけどね、今回ばかりは特別よ。勿論終わったら全部元通りに戻すからそこは安心してちょうだい」

「けどワーグよ。俺様の事を改造するっつっても、具体的にはどんな感じに改造するのだ?」

「そうねぇ……」

 

 ワーグは思案げに俯く。今回の改造目的はランスを睡魔に打ち勝てるような人間にする事。自分の睡眠体質に負けないような存在となって貰う事。

 一口に改造といっても体の構造などを無制限に弄れる訳では無く、あくまで頭の中のみの話。さて何処をどのように改造するべきだろうか。

 

「……私の眠気に負けない為には……やっぱり我慢強い人間にならないとダメだと思う」

「我慢か。まーそりゃそうだけど、けど俺様は今でもかなり我慢強い男だと思うのだが」

「それじゃまだ足りないわ。もっと我慢強く……世界一我慢強いぐらいにならないと。あなたが挑むのはただの眠気じゃなくて魔人の能力なんだから」

「……ふむ、分かった。んじゃとりあえずそんな感じで、俺様を我慢強い人間に改造してくれ」

 

 こうして第一の改造プランは決まった。

 とはいえ自己の性格、自己の精神性に変化を及ぼす改造をランスは涼しい顔で注文してきて。

 

「うん。けど……ねぇランス、本当に改造しちゃってもいいの?」

 

 そのあまりの軽い調子に、それを提案した張本人たるワーグの方が少し気後れしてきてしまう。

 

「私の夢操作で我慢強い性格になるって事はね、自分が今とは違う別人になるって事なのよ? 怖いとは思わないの?」

「別に怖くない。そんな事より俺様はお前とセックスがしたい」

「っ、……分かったわ。それじゃあ早速だけどそこのベッドに横になって」

「うむ」

 

 頷いたランスはベッドに上がって仰向けとなる。

 すると直後にワーグの手がすっと伸びてきて、そのまま顔の上に乗せられる。

 

「夢操作能力は相手が眠ってくれないと使えないからね。一旦眠ってちょうだい」

「おぉ、甘い匂いが……ねむ……ぐがー、すぴー」

 

 その手のひらから伝う強烈な眠気に誘われ、ランスはものの数秒で夢の世界へと旅立った。

 

「さてと……」

 

 そしてワーグはその能力を行使した。

 夢操作LV2の才能、他者の記憶や精神を思い通りに改竄する忌まわしき能力を。

 

「………………」

 

 その能力を行使した。

 

「……う」

 

 その能力を行使しようとして。

 

 

「……はぁ、ちょっと待って……」

 

 しかし一旦その手をランスから離す。

 

「……どうしよ……緊張するわね……」

 

 そして自らの胸元をぎゅっと押さえる。

 

 これからランスに行う夢の操作。それ自体はもう割り切った。

 本当は友達にそんな真似はしたくないけど、向こうから望まれてしまってはしょうがない。それに改造といってもあくまで一時的な処置、後で元通りの性格に戻せば影響は無いはず。

 だから問題はその後。この改造を行った場合、その後に待ち構える事と言えば……。

 

 と、そんな感じでワーグがまごついていると。

 飼い主の様子が気になったのか、ラッシーがふよふよと近付いてきた。

 

「どうしようどうしようっ! だってだって、この改造が成功したら、そうなったら私……!」

「ちょっとラッシー! 勝手に触れてくるのは止めてってば!」

「ねぇラッシーどうしよう! 私はどうしたらいいの!? ドキドキが収まらないよー!」

「だからぁ! そんな事思ってないから!」

 

 ワーグは慌ててラッシーと距離を取るが、それでもラッシーはしきりに纏わり付いてくる。

 こちらの本心を好き勝手代弁してくる夢イルカ、このペットと付き合うにはとにかく自分の心を平常心に保つ必要がある。

 

「……すぅー、ふぅ」

 

 故にワーグは一度大きく深呼吸。ドキドキする心をどうにか落ち着かせる。

 

「……もう大丈夫よ。ありがとねラッシー、私の事を心配してくれたんでしょう?」

「そうそう、ワーグが心配なんだよー。本当に夢操作なんてしちゃっていいのかー?」

「大丈夫よ。これっきりならともかく、後でランスの事はちゃんと元通りに戻すんだから」

「そういう事じゃなくってさー、この改造が狙い通り成功しちゃったら……ワーグはランスとセックスするって事になるんだぜー?」

「……う、分かってるわよ……」

 

 言葉と本心による見事な一人芝居をしながら、ワーグが考えてしまうのはやっぱりその事。

 いつの間にかというべきか、気付いたらこうしてランスに協力する流れとなっていたのだが、そもそも自分はランスとセックスがしたいなとど言った覚えも無い訳で。

 

「……駄目だわ。その事を考えたらまたドキドキしてきちゃった……」

「嫌なら止めたって良いんだぜ? そもそもワーグが協力するような事じゃないんだしさー」

「それはそうだけど……でも……」

 

 協力するような事では無いけれど、協力したくないかと言われるとそれは難しいもので。

 ワーグはラッシーから離れると、ベッドの方へその視線を向ける。

 

「ぐがー、ぐがー」

 

 そこには自分の気持ちなど何ら知らず、心地良さそうに眠る人間の男。

 

「……のんきなものね。寝ている間に自分の精神性が変えられてしまうっていうのに……」

「ぐがー、ぐがー」

「………………」

 

 何となくワーグはその顔へと手を伸ばし、ランスの頬に触れてみる。

 そうして何度か撫でてみるが、その程度で目を覚ますような浅い眠りでは無く。

 

「………………」

 

 ならばとさらに近付いて。

 それは互いの呼吸が、安らかな寝息と熱めの吐息が触れる程の距離。

 

「…………ん」

 

 そしてその頬に口付ける。

 

 こうして眠っている時だったら。それなら自分とランスだって唇と頬で触れ合う事が出来る。

 けれどそれはあくまで眠っている間だけ。出来れば彼が起きている時にこうして欲しい。

 そう思ってしまう事だけは、そう願ってしまう事だけは抑えられない。それだけはワーグの偽りなき本心、どうしようも無い気持ち。

 

「……そうよ。私はそれだけなのに……それなのにランスが……」

 

 自分はそれだけで満足なのに。しかし彼の方はそれだけで満足してくれそうに無い。

 そう、だからこれは仕方無い事。別にセックスをしたい訳ではないけれど、それでも起きている彼と触れ合う為にはこうするしかないのだから。

 

「……さてと」

 

 ワーグはそんな言い訳を心にしながら、その身に秘める才能──夢操作能力を行使した。

 

 

 

 

 

 

 そして、小一時間後。

 

「おはよう、ランス」

「むぐ……おぉワーグ、ふわぁ……よく寝た」

 

 ランスは目をこしこし擦りながら、むっくりとその上半身を起こす。

 

「……あれ、さっきまで何やってたんだっけ?」

「私の夢操作能力を試していたんでしょう?」

「おぉ、そうだそうだ」

 

 そしてポンと手を打った後、肩を回してみたりと自分の身体の調子を確認し始める。

 そこには寝起き特有の気だるさはあれど、他には何ら変わった点など無いように思えた。

 

「……で? ちゃんと改造は出来たのか? 何も変わってないような気がするのだが」

「さぁ、どうかしらね。ならちょっとテストをしてみるけど……」

 

 ワーグはこほん、と咳払いをして。

 

「ランス、あなたが好きな事と言えばなに?」

「そりゃもちろんセックス!」

「けどそれよりも好きな事は!?」

「我慢する事!」

「ぃよし……完璧だわ……!」

 

 その点に何一つ疑問を抱く事すら無く、ランスは当たり前のようにそう答えた。

 こうしてセックスよりも我慢が大好き、世界一の我慢人間ランスが出来上がった。

 

「……ん? 今ので何が分かったのだ? 俺様は世界で一番我慢する事が好きな男、んなの確認するまでなく当然だろうに」

「そうね。今のあなたにとってはそれが当然、改造されたなんて自覚は無いかもね。けれど確かに改造は成功しているわ。だから……」

 

 するとワーグは頬を赤らめ、急にもじもじとした様子になって。

 ランスの改造は完了した。となると二人が次にするする事と言えば一つ。

 

「その……ランス、あの……」

「おう」

「それじゃ……えっちな事……試して……みる?」

「試してみるー!!」

 

 それは今の彼にとって世界で二番目に好きな事。

 ランスはワーグの事をひょいと持ち上げ、自分の膝の上にすとんと下ろす。

 

「よっしゃ、ではいくぞワーグ! いざ勝負!」

「……んっ」

 

 そのまま両手を前側に回し、ワーグの胸を服の上から優しく撫で回す。

 しかし目の前には彼女のクリーム色の髪、そこからふわりと漂う甘い匂いと強烈な眠気。

 

「くお、ね、眠い……!」

「ランス! 我慢よ、我慢するの! 我慢はあなたが何よりも得意な事でしょう!?」

「そ、そうだ……俺様は世界一我慢強い男……! この程度、この程度の眠気で……!」

 

 今は間近に迫るセックスよりもむしろ、この眠気に耐える事の方が望む所。

 ランスは唇をぐっと噛み締め、頭を鈍器で殴られるような衝撃に必死で耐える。

 

「ぐぐぐぅぅ~……、い、イケるぞぉ……、わ~ぐ~……セックスするぞぉ~……!」

「う、うん……」

「俺様、は……世界一、我慢強い、男……!」

 

 これ程に魔人ワーグと接近して、これ程に起きていられるというのは驚異的な記録。夢操作による改造の効果は如実に表れている。

 とはいえそれでも。世界一我慢強くなったとは言ってもあくまでそれだけ。彼自身のレベルが上がった訳でも、睡眠に対して特別な耐性が身に付いたという訳でも無く。

 

「我慢……我慢……俺様は……我慢強い子…………ふにゃああん……!」

 

 やがて情けない声を出したかと思えば、ランスは眠りに落ちてしまった。

 

「……まぁ、この眠気が我慢して耐えられるようなものだったとしたら、この魔物界で私がこんなにも恐れられてはいないわよね」

 

 半ば分かっていた事とはいえ、深い徒労感に襲われたワーグは、はぁ、と息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 そして、また小一時間後。

 

「くそー、駄目だったか……」

 

 先程その身体に施された改造、普段よりも遥かに我慢強かった性格は元通りに直されて。

 目覚めたランスは不満げに口元を歪めながら、まだ眠気の残る頭をぽりぽりと掻く。

 

「あれだけ我慢強くなった俺様だったら、絶対にイケると思ったのだが」

「そうね。さっきのランス、我慢する事が世界一好きだーとか言ってたわよ」

「……言っとったな、そんな事。今こうして考えると信じられんようなセリフだが、あの時はそれが当たり前だとしか思わんかったぞ」

 

 どれ程に記憶や思考を操作されたとしても、当の本人はそれをおかしいとすら認識出来ない。

 魔人ワーグの有する夢操作能力、聞きしに勝る凶悪な能力である。

 

「けどスゴいなこれは。これならイケるような気がしてきた。よし、次の方法を試すぞ」

 

 しかしこれ程に凶悪な能力ならば、同じく凶悪な睡魔の壁だって打ち破れるかもしれない。

 そこに可能性を見出したランスは次なる改造プランを考えてみる。

 

「次はどうしようかしらね。性格を変えても駄目だったとなると、もっと別の所を……」

「……ふむ。なぁワーグ、お前の能力ってのは俺様の記憶を変えちまう事が出来るんだよな?」

「えぇ、そうだけど」

「よし。なら次はあれだ、禁欲だ」

 

 そうして思い付いた次なる一手。

 それは禁欲。自らの欲望を断って生きる事。

 

「禁欲?」

「そうだ。ほれ、前に俺様が禁欲をしてからお前に挑んだ事があったろ?」

「それって……もしかして初めて会った時?」

「そうそう、それだ」

「……あぁ、あの時は確か……」

 

 言われてワーグもその時の事を思い出す。

 それはランスと初めて出会った大事な思い出、けれどもあんまり思い返したくない思い出。

 

「正直言うと禁欲していた時の事はサッパリ覚えとらんのだが、聞く所によるとなんかスゴい事になってたらしいな」

「えぇ、そうね。ていうかスゴいなんてものじゃないわ。あの時のランスは本当に獣じみていて……けどそう言えば確かに、あの時のランスは随分長い事ラッシーと戦っていられたわね」

「だろう? だからまたあの時のような禁欲状態になりたいのだ。いや、今度はあの時以上だ、今度は禁欲を一ヶ月……いっそ一年間は禁欲をしているという設定にしてくれ」

 

 現実のランスが一年間禁欲をしようものなら、一ヶ月も持たずに間違いなく暴発してしまう。

 だがワーグの夢操作能力による改造ならば。実際に一年間の禁欲などせずとも『自分は一年間にも及ぶ禁欲をしている』とランス自身が認識するようにその記憶を改竄してしまえば。

 

「なるほど……悪くないかもね、それ」

 

 あの時以上となる地獄の禁欲。あの時以上となるセックスへの強い欲求。

 その渇望、その途轍もないエネルギーは睡魔の壁を突破しうるものとなるに違いない。

 

「決まったな。ならワーグ、早速頼む」

「うん」

 

 ランスは再びベッドに横になる。

 するとすぐにワーグの手がその顔に乗せられて。

 

「……ぐがー、すぴー」

 

 そうして夢の世界に旅立った後、再び魔人ワーグによる夢操作能力が行使された。

 

 

 

 

 

 

 そして、またまた小一時間後。

 

「……!?」

 

 一年間にも及ぶ禁欲を見事達成した男、ランスがハッと目を覚ました。

 すると跳ね起きるように身体を起こす。そしてその血走った目を、視点の合わないその瞳孔を彷徨わせ、即座にそれを発見した。

 

「おはよう、ラン、す……?」

「──────!!!!!」

「きゃあっ!」

 

 一年間も抑え込まれてきた衝動、その封が弾けるのはほんの一瞬の事。

 女の姿を視界に捉えた途端、ランスは発音不可能な叫びを上げながら襲い掛かった。

 

「ちょ、ちょっとランス!?」

「──────!!!???」

 

 それは脱がすと言うより、力の限りに引き千切るような勢いで。

 ランスはワーグの衣服をビリビリと破きながら裸に剥いていく。その様は飢えた獣の如し。

 

「ふ、服ぐらい自分で脱ぐから……!」

「──────!?!?!?」

「あ、でもスゴい……裸の私を前にしても全然眠そうになっていないわ……!」

 

 さすがに一年間も禁欲した直後となると、どれ程に強烈な睡魔だろうと気にならないのか。

 今のランスとならば性交だって可能かも、いや間違い無く出来るだろうとワーグは感じた。

 

 なのだが。

 

「けれど無理! こんなランスと、こんなのとするなんて絶対むりー!」

 

 迫るケダモノ。これはもはやランスでは無い。こんなのは自分の大切な友達では無い。

 これにレイプされるのが自分の初めてだなんてあまりにもツラい。初体験を前にしたドキドキ感など無く、ただただ恐怖しか無かった。

 

「ラッシー、ラッシー! 助けてー!!」

「──────!??!??」

「きゃー!! 怖い怖い怖い! 助けて、ねぇラッシー! ラッシーってばー!!」

 

 半泣きになりながらペットの名を叫ぶワーグ。

 その後、夢イルカの奮戦のおかげもあって彼女の純潔はどうにか守られた。

 

 

 

 

 

 

 そして、また小一時間後。

 

「……んで、結局どうだったのだ?」

 

 元通りの記憶に戻されて目を覚ましたランス。

 だがやっぱり禁欲時の記憶は無いのか、その首を傾げながら問い掛ける。

 

「えっと……やっぱり駄目だったわね」

 

 そのすぐ隣、ボロボロになった衣服を着替えたワーグは何とも言えない表情で答える。

 

「そうか、禁欲でも駄目だったか……」

「……うん」

「ただ仮にイケてたとしてもだ、記憶が無いんじゃお前を抱いた気分にならんな」

「そうね、本当にその通りだわ。もう禁欲を試すのは絶対に止めましょう、絶対に」

「うむ。けどこうなるとお次はどうっすかな……」

 

 我慢強くなっても駄目。禁欲してみても駄目。

 さすがに魔人ワーグの睡眠体質は手強く、生半可な方法では突破する事など出来ない。

 

「次は……逆に何日も寝てない設定にするとか……いや、それじゃ意味ね-か」

「……こうなったらもういっその事……ランスをこれまでの人生で一度も眠った事の無い人間に……いえ、そもそも睡眠という脳の機能を持たないような人間にしてしまうしか……」

 

 そうして提示された究極的な改造プラン。

 それはもう眠らない人間になってしまう事。

 

「……睡眠という脳の機能を持たない人間? なんかスゴい改造だな、そんな事まで出来るのか」

「……ううん、自分から言っておいて何だけど出来るかどうかは分からない」

 

 ワーグは神妙な表情で首を左右に振る。

 彼女の能力は夢を操作する事。あくまでそれだけが能力の本体であり、記憶の改竄や性格の変更などはその副次的効果に当たる。

 対象が見ている夢を操作する事によって脳の機能までをも改変してしまえるか、それは当のワーグですらも分からない領域の話で。

 

「私はこの能力の事が本当に嫌いだから、これまで滅多に使用してこなかったの。だからこの能力によって何処までの改造が出来るか、確実な事を言うには実際に試してみないと……でも……」

「ふむ、では実際に試してみようじゃないか。早速頼むぞ、ワーグよ」

 

 するとランスは三度ベッドに身体を寝かせる。

 だが今度はワーグの手が伸びてくる事は無く、その代わりに聞こえたのは彼女の焦った声。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ、こんな大事な事をそんな簡単に決めないで」

「何でだよ。やってみなきゃ分からねーならやってみるしかねーだろ」

「……ランス。あなたは自分がどういう改造を受けるのか、その意味を理解していないようね」

「なに? そりゃどういう意味だ」

 

 当然そんな意味など理解しておらず、身体を起こしてそう尋ねるランスの一方。

 その意味を理解しているワーグは真剣な表情で──本当に真剣な表情で答える。

 

「いい? もし仮にこの改造が成功した場合……ランスは眠らない人間となるのよ」

「あぁそうだ、何か問題があるのか? 眠らない人間になっちまえば間違い無しだ、いよいよお前とセックスが出来るではないか」

「……かもしれないわね。けれど、その行為が終わった後……あなたはどうするの?」

「どうするって?」

「だってその時のあなたはもう眠る事が出来ない人間になっているのよ? そして眠っていない相手には私の夢操作能力を使う事が出来ない……この意味が本当に分からない?」

「……あー。つー事は……そうなるともう元には戻せないって事か」

 

 つまり今回の改造だけは不可逆。仮に成功したらそれが最後、二度と元の状態には戻れない。

 脳の機能を改変して睡眠という行為を出来なくしてしまう以上、必然的にそうなってしまう。夢を見ない相手には夢操作能力は使えないのだ。

 

「……ランス、やっぱりこの改造に手を出すのだけは止めましょう。二度と眠られなくなってしまうなんてさすがに度が過ぎているわ」

 

 睡眠とは人間にとっての三大欲求の一つ。一時の性欲の発散の為にと、今後の人生全ての睡眠欲を捨ててしまうのは割に合わなすぎる。

 ワーグの忠告はそう考えての事、誰よりも大切な友達の事を考えての言葉だったのだが。 

 

「……んー、まぁそれでもいいや。とにかく試してくれ」

 

 ランスは本当に呆気なくそう告げた。

 

「ちょっとランスっ! もっと真剣に考えて──」

「考えたっつの。お前の言いたい事は分かるぞ、確かにこの先二度と眠れないっつーのはちとツラいかもな。ポカポカ天気の中で昼寝をするのは気持ちいいし、それこそセックスし終わった後なんてのはそのままぐっすり眠るのが最高だしな」

「だったら……!」

「けどな。俺様はそんな事よりもお前を抱きたい。その為なら別に眠れなくなっても構わん」

「……な」

 

 その並々ならぬ覚悟にワーグは絶句してしまう。

 ただエロい事がしたい。その男の頭にあるのはそれだけの低俗な思考。

 だがその為ならば今後の人生全ての睡眠をも捨ててしまえる覚悟。それはただエロいだけの人間に持てるような覚悟では無く。

 

「ランス、あなたはそこまで……そんなに、そんなに私と……エッチな事がしたいの?」

「したい。どーしてもしたい」

「……もう二度と眠れないのよ。本当にそうなっても良いの?」

「あぁいいぞ。つーかそうなったら夜通しセックス出来てむしろラッキーかもな、がははは!」

 

 そして遂には明るく笑い飛ばしてしまう程で。

 

「……そう。分かったわ」

 

 その心意気を、自分との性交に懸ける桁外れの熱意を知ったワーグは頷くしかなかった。

 

「けれどさっきも言ったけど、この改造が出来るかどうかはまだ分からないから。もし駄目だったとしても文句は言わないでよね」

「大丈夫だ、お前なら出来るから自信を持て」

「……そうね。じゃあランス、横になって」

「おう」

 

 ランスは身体を寝かせて三度ベッドに横になる。

 

「うし、んじゃ頼むな」

「……何だか気軽なものね。これが人生最後の睡眠になるかもしれないのよ? もっとちゃんと味わった方がいいと思うけど」

「ふふん、人生最後の睡眠よりもな、起きた後にお前とセックスする事の方が楽しみなのだよ。さぁワーグ、とっとと寝かせてくれ」

「……うん」

 

 そして彼女の手が伸びてくる。

 そこから香る甘い匂い、漂ってくる強烈な眠気にその瞼はすぐに重くなってきて。

 

「……おやすみ、ランス……」

「……ぐがー、すぴー」

 

 耳元で聞こえた優しい声を最後に、ランスは呆気なく眠りに落ちた。

 

 

「さて……と」

 

 そうして魔人ワーグは夢操作能力を行使する。

 

「………………」

 

 けれどもその手は小さく震えていて。

 

「…………っ」

 

 遂にはぎゅっと目を瞑って。

 

 そして。

 

 

 

 

 

 

 そして、小一時間が経った後。

 

「……あー、今日はよう寝たな、ほんとに」

 

 目覚めたランスはむくりとその身体を起こす。

 

「……おはよう、ランス」

「おぉワーグ、改造は出来たのか?」

 

 脳の機能を改変する改造は成功したのか。自分は遂にこの魔人を抱ける男になったのか。ランスがその目に期待を込めながら尋ねてみると、

 

「……ううん。ごめん、出来なかった」

 

 ワーグは悲しそうな表情で首を横に振った。

 

「ぬ、出来なかっただと?」

「……うん」

「……そうか。やっぱそんな大それた改造は出来ないのか。となると他の方法は……」

「……違う、そうじゃないの」

 

 再度、その顔を力無く揺すって。

 

「そうじゃなくて……試す事が出来なかったの」

「なんだと?」

「……だって、もしこの改造が成功しちゃったらと思うと……怖くて……」

 

 それはもしかしたら可能だったかもしれない。

 ランスの脳から睡眠という機能を外し、自分の睡眠体質に勝てる存在に出来たかもしれない。

 だが今のワーグにはそれを試す事さえ、その可能性を覗き見る事すらも出来なかった。

 

「おい、試す事が出来なかったとはなんだ。今まではちゃんと出来ていただろう」

 

 これでは自分が何の為に眠ったのか分からない。

 ランスはムッとした視線を投げるが、それでもワーグは辛そうな表情をするばかりで。

 

「……だって今回は今までと違う。あなたがもう眠れなくなっちゃうじゃない。そんな事……」

「あのなぁワーグ、当の本人が構わねーっつってんだからお前が気にするような事じゃねーだろ」

「……それでも無理。私には出来ない」

「出来ないじゃない、やれ。とりあえず俺様はもっかい寝るから──」

 

 次はちゃんとやれよ。

 と、そう呟きかけた声を遮るように。

 

「出来ないっ!」

 

 ワーグの感極まったような叫びが響いた。

 

「そんな事出来ない! ランスがもう二度と眠れなくなってしまう夢操作なんて、そんなの私に出来る訳がないでしょう!?」

「……どうしてもそうして欲しいって、この俺自身がこれだけ頼んでもか」

「そうよ! どんなに頼まれたって出来ないっ! だって、そんなの……そんな……」

 

 そして遂にはその思いが、堪えきれない感情が心の中から溢れてしまったのか。

 

「……どうして、どうしてそんな、そんな意地悪な事言うのよ……」

「お、おい、ワーグ……」

 

 動揺するランスの目の先、ワーグの頬をすっと伝う涙。

 それは一筋流れた後、堰を切ったようにぽろぽろと溢れ出す。

 

「そんな事……あなたにそんな事、わたしに出来る訳ないじゃない……」

 

 それは初めて出来た友達。自分の睡眠体質や夢操作の事を知ってもそばに居てくれる得難き人。

 自分を抱きたいという望み、そんな恥ずかしい望みを叶えてあげたいとまで思う人なのに。いや、そんな人だからこそ、甚大な悪影響を及ぼす夢操作を行う事など出来るはずが無くて。

 

「わた、わたしだってっ! ……わたしだって……ランスと触れ合いたいのに……」

「え……」

「けど、そんな事出来るわけない……だって、大切な人なのに……そんなの……」

「………………」

 

 その胸の奥から出た本音。その痛切な言葉にランスも言葉を失う。

 そう望んでいるのは自分の方だけだと思っていたのだが、けれどもそれは違った。

 程度の差こそあれ、触れ合いたいと思う気持ちはお互いにあるもの。ワーグの方も初めて出来た友達の事を強く想って、今よりももっと深い仲になりたいと望んでいた。

 

「……ぐすっ、ひっく……」

 

 今もランスの前にはその魔人が、嗚咽を漏らしながら泣きじゃくるワーグが居る。

 好きな人に対して夢操作を行う事も、好きな人と触れ合う事も出来ない魔人が。

 

「ぬ、ぬぬぬ……!」

 

 それは未だ自分が抱いた事の無い相手。今自分が一番抱きたいと思っている相手。

 そして相手もそれを望んでいる。それなのに自身の体質が邪魔をして触れ合う事が出来ず、こうしてその瞳から涙を流している。

 ランスにとって、これ以上に見たくない女性の涙などは無い。

 

「だーもうっ!」

 

 もはやどうしていいか分からず、勢いのままにその華奢な身体を抱き締めた。

 

「らん、す……」

「……く、ぬぅ……!」

 

 だがそうするとすぐに伝わってくる甘い香り。

 脳の奥を強烈に揺らし、あらゆる生物を拒絶する圧倒的な眠気。

 

「ぐ、にに、に……!」

 

 力の限りを振り絞って堪らえてみても、どうしても瞼が落ちてきてしまう。

 自分とワーグの間に立ち塞がる睡魔の壁。勢いや我慢などでは決して打ち破れないもの。

 

 これを越えない限り彼女の涙は止まらない。

 ここでその涙を拭ってあげた所で、彼女の心の痛みが無くなる訳ではない。

 

「……ワーグ、もう泣くな!!」

 

 故にランスは抱擁を解いて、彼女のそばから一旦離れた。

 

「俺様が何とかしてやる、こんな眠気なんぞすぐにどうにかしてやっからもう泣くな!!」

「……どうにかって……どうやって?」

「知らん! けど絶対にだ、絶対にどうにかしてやっから少しだけ待ってろ! あと一週間……いや、あと三日以内に必ずお前を抱いてやる!!」

 

 そうして宣言した言葉。

 それは絶対に反故には出来ない約束、男としての甲斐性を見せる何よりも大事な誓い。

 

「いいなワーグ、後三日の辛抱だからな! ちゃんとセックスする準備を万全にしておけよ!」

 

 未だ手を出せない、どうしても抱く事の出来ない魔人ワーグを抱く方法。

 何処に有るかも分からぬそれを探しに、ランスは駆け足で玄関から飛び出していった。

 

 

 

 

 

 



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涙②

 

 

 

 

 

 魔王城にある自分の部屋。

 

「うーむむむ……」

 

 ランスはしきりに唸っていた。

 

「……くそ、どーすっかな……」

 

 その悩みのタネは昨日の一件。未だ手を出せていなかった魔人ワーグの事。

 ランスはワーグを抱く為に色々な手を試した。彼女が有する夢操作能力にて精神性を改造する事まで試したのだが、しかしそれでも駄目だった。

 それなのに「あと三日で必ずお前を抱く!」と、帰り際にそんな啖呵を切ってしまった。

 

(……マズいな。あと二日しかねーぞ。何でもいいから手を打たねーと……)

 

 あの日からもう一日経ってしまったので、残されている時間は二日。

 あと48時間程度で何らかの手を打ち、ワーグとのセックスを達成する必要がある。

 

(だが手を打つと言ってもな……そもそもこれは昨日今日に気付いた問題じゃねーし……)

 

 魔人ワーグ抱けない問題。それについてはランスも結構前から取り組んできている。

 昨日夢操作による改造を試した事もそうだが、それ以前にもシャリエラの力を試してみたり、香姫特製団子の力を試してみたり、魔人シルキィの装甲の力を試したりもした。

 

 しかし、そのいずれの方法も失敗に終わった。

 そんな過去があっての現在な訳で、今更頭を捻らせた所でそう簡単に解決策など浮かばない。

 というかこれ程考えて何も思い浮かばない以上、そもそも解決策など無いのでは。と、頭の片隅ではそんな事すら考えてしまうのだが。

 

(……けど引き下がる訳にはいかん。あんなワーグはもう見たくないからな)

 

 しかし諦める訳にはいかない。

 次にワーグと会った時「やっぱり無理だったわゴメンなー」などと言う訳にはいかない。そんなセリフを彼女の前で言えるはずが無い。

 

 何故ならワーグは泣いていた。

 ああして涙を流す程に、それ程に自分との性交を熱望しているのに、その想いに応えてあげられないのならばそれはもう男では無い。

 ランスにとってこれは下心だけでは無い、男としての沽券に関わる重大な問題なのである。

 

「……あいつを抱く方法となると……パッと思い付くのはやっぱ二つだよな」

 

 魔人ワーグを抱く方法。それには主として二つのアプローチが考えられる。

 一つ目は正攻法。あの眠気を無力化出来るぐらいにまで自己のレベルを高める事。

 対する二つ目は特殊な方法。何かしらの手段によりあの眠気を突破する事。

 

(レベルを上げるってのは確実なのだが……時間が掛かり過ぎるのが難点だよなぁ。あるいは時間を掛けずにレベルを上げられる方法を探すってのもアリかもしれんが……)

 

 ランスに残された時間はあと二日。となると真面目にレベル上げをするにしても、あるいは手っ取り早くレベルを上げられる方法を探すとしても、いずれにせよメチャクチャ巻きで行う必要がある。

 更にレベルを上げろと言っても具体的には幾つまで上げればいいのか、という問題もある。10で良いのか、50いるのか、それとも100か、ハッキリした事は何も分からないのである。

 

(やっぱレベル上げはキツいか……? ならあの眠気を無力化出来る方法、それを見つけるのが一番早く済むんだろうが……んなもんが簡単に見つかるなら苦労しねぇよなぁ)

 

 二つ目の方法の問題点は言うに及ばず。

 それはもうずっと考えてきた事で、そもそもあるかどうかも分からない不確かな方法。

 

(やっぱしどっちもキツイ……が、それでもやるしかねーよな)

 

 考えてみると未だ問題は山積み、というかワーグと初対面の時から殆ど進展していないような。

 それでもこうして制限時間が設けられてしまった以上、もはや立ち止まっている暇も無く。

 

「考えている時間も惜しいな。とりあえず動くか。まずはアレからだな」

 

 そしてランスはソファから立ち上がると、荷物袋に入れてあった魔剣を取り出した。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「死ねーーー!!」

 

 と、吠え立てるような大声。

 

「おい待てって! いきなりどうしたんだよ!」

 

 対して聞こえたのは心底慌てた声。

 

「おい貴様、逃げるなーー!!」

「そりゃ逃げるだろ! とにかく落ち着けって!」

 

 魔王城の廊下を脱兎の如く逃げ惑う、その魔人の名はガルティア。

 そしてその背後、魔剣を振り回しながら追い掛けるのがランスである。

 

「往生際が悪いぞー! 観念しろー!」

「だから何の話か分からないって……げ、行き止まりかよ……!」

 

 廊下の端まで辿り着いてしまい、ガルティアは仕方無く足を止める。

 すると追い付いてきたランスは勝ち誇った笑みを浮かべ、その剣先をビシッと突き付けた。

 

「追いかけっこは終わりだ、往生せい」

「おいランス、こりゃ一体何なんだよ、俺があんたの気に触るような事をしたか?」

「いや、別にそういう訳じゃない。ただ今はとにかくお前の経験値が必要なのだ」

「け、経験値?」

「そう、経験値だ。つー訳でガルティアよ、俺様とワーグの為の尊い犠牲となるがいい」

 

 魔人ワーグを抱く為にと、行動を起こしたランスが真っ先に取り掛かった事。

 それはレベルを上げる事。ただそこらの雑魚でレベル上げをしても到底間に合わないので、たっぷり芳醇な経験値をくれそうな魔人ガルティアを討伐する事にしたらしい。

 

「お、おいおい……そんな理由かよ……」

「そんなとはなんだ。手っ取り早くレベルを上げる為には強敵を倒すのが一番だろう」

「そりゃそーかもしれねぇけどさ……そこまでしてレベルを上げる必要なんてあんのか?」

「ある。俺様はあと二日でワーグの眠気をどうにかせにゃならんのだ」

「ワーグの眠気? ……あぁなるほどね、それでレベル上げをか……」

 

 ランス突然の凶行の理由、今まさに自分が殺されそうになっている理由。

 それを把握したガルティアは小さく頷いた後、片手を開いてひらひらと揺する。

 

「なら無駄だって。俺を倒した所で貰える経験値なんざたかが知れているさ。あいつの眠気は魔人の俺でもクラっとくるような代物だ、20とか30レベルを上げた程度じゃ変わらないと思うぜ?」

「……ぬ? 30上げても駄目か?」

「多分な。あいつの眠気をどうこうしたいってんなら……そうだな……最低でもレベルを200ぐらいにまで上げないと駄目なんじゃねーか?」

「……え、200? マジで?」

 

 聞こえてきたその数字に唖然としてしまうランスだったが、流石に歴戦の戦士だけあってガルティアの読みは非常に鋭いもので。

 ワーグの眠気を人間が打ち勝とうとする場合、少なくともレベルが200は必要になる。現在レベルが100にも届かないランスからしたら、200というのは遥か彼方にある数字である。

 

「ぬぅ。200まで上げなきゃならんとなると……ちょっとレベル上げ作戦はキツイな……」

 

 いくら相手が魔人とはいえ、一体分倒して得られる経験値ではレベル200など到底届かない。

 これは効率が悪すぎると感じたのか、ちっ、と舌打ちしながらランスは魔剣を下ろした。

 

「ふぅ。分かってくれたか」

「ならガルティア、代わりにお前もあの眠気をどうにかする方法を考えろ」

「俺が? そうだな……」

 

 つい先程殺されかけた事も気にせず、ガルティアは腕を組みながらしばし考えて。

 

「あの眠気をか……あ、じゃああの団子を食うってのはどうだ?」

「アホ。お前は俺様を殺す気か」

「じゃなくってさ。だったらあの団子が食べられるようになればいいだろ?」

「……む?」

 

 それは何ともガルティアらしいアイディア。

 眠気に耐えられる男になるのでは無く、香姫特製団子の毒性に耐えられる男になるのはどうか。

 

「あの団子の味は本当に強烈だ、あれを食べて眠くなるヤツなんてこの世には居ねーよ。ちょっと身体がピリピリするのが人間のあんたには確かにキツイかもしれねーが、そっちに慣れちまうってのも一つの手だと思わねーか?」

「……なるほど。確かにそれはアリっちゃアリかもしれんが……」

 

 一考する価値有りと感じたのか、瞼を閉じたランスはこれ以上無い程に真剣に悩み始める。

 確かにあの団子は気付けという意味ではこの上無い代物。あの激烈な毒性に対し抵抗力を身に付ける事さえ出来れば、気付け代わりに食べまくる事でワーグの眠気を突破可能かもしれない。

 しかしワーグの眠気に耐える、あるいは香姫の団子に耐える。どちらがよりキツイか、どちらがより人間離れしているかというと……。

 

「……難しいな。それはとても難しい問題だ……」

「そうか? ワーグの眠気はいつ受けても眠くなるけどさ、あの団子は……いや、あの団子だっていつ食べても美味しいもんな。確かに難しい……」

「いや、そういう事じゃなくって……けどやっぱり駄目だな。お前の案にしては悪くない手だとは思うが、今からではちょっと時間が足りん」

 

 抵抗力を身に付けるといっても、あの団子は一度食べたら数時間は気絶してしまう代物で。

 あと二日というタイムリミットを前にそんな事を試している時間は無い。今のランスには少しの回り道もしている余裕など無かった。

 

「なんか他にアイディアはねーのか」

「……うーん。他にはちょっと思い付かねぇな」

「くそ、役立たずめ」

「力になれなくて悪かったな。俺じゃなくて他のヤツらに聞いてみたらどうだ?」

「……他のヤツらか、ふむ……」

 

 魔人ガルティア退治は失敗に終わった。しかしランスに気を落としている暇などは無い。

 ならばと次なる一手、とにかく誰でも良いから知恵を借りてみるのはどうか。

 

 と、言う事で。

 

 

 

 

「つー訳で君たち、緊急会議だ。ワーグの眠気をどうにかする方法を考えてくれ」

「ワーグの眠気? あれを今更どうにかする必要があるのか?」

「……何となく理由は分かるけどね。前にも似たような事を聞かれたし」

「確かにあの眠気への対処法は以前にも考えた事がありましたね。けれども中々……」

 

 数人で囲める大きな丸テーブル、席につくのはホーネット派の幹部達。

 魔人サテラ、魔人シルキィ、魔人ハウゼル。ランスからの緊急招集を受けて集まってくれたのはこの三名の魔人達。

 

「ねー、ていうか私とハウゼルはこれから遊びにいく予定だったんだけどー」

「うるさいぞサイゼル。ごちゃごちゃ言ってないでお前も考えるのだ」

 

 そしておまけの魔人サイゼル。

 皆ランスより長い時を生きており、その分の知識が頭に詰まっているはずのメンツである。

 

「とにかく問題はあの眠気なのだが……実はもう一つ厄介な事があってな。この問題は後二日でクリアする必要があるのだ。なので時間を掛けずに手っ取り早く済む方法で頼むな」

「頼むな……って言われてもねぇ。あと二日でっていうのはいくらなんでも無謀じゃ……」

 

 それでなくともあの眠気は対処法など見つかっていない代物なのに、二日でどうにかしろというのは無茶振りが過ぎるのではないか。

 そんなシルキィの言は全魔人共通の思いなのか、同調するようにサテラも頷く。

 

「そうだぞランス。そんなに手っ取り早くワーグの問題が解決する訳が無いだろう」

「確かにキツいミッションだがな、けどだからこそお前らの出番だ。お前ら魔人だろ? 魔人が四人も集まってんだから誰か一人ぐらいグッドなアイディアを出してみろって」

「グッドなアイディアって……それ魔人どうこうはあんまり関係無くない?」

「……そうですね、パイアールとかだったら何か思い付くかもしれませんが……」

 

 魔人ワーグの眠気に有効な方法。それも今から二日以内に実行可能なものに限る。

 そんな未曾有の難問を前に、ここに集った四名の魔人はそれぞれ頭を捻らせてみるものの。

 

「目を覚ますといえば……ミントの香りが良いとかって聞いた事がありますよ」

「あれじゃない? ほっぺをつねるとか」

「眠気に効くツボを押してみるのはどうかしら」

「辛いものを食べるのはどうだ?」

「……お前ら、もうちょっと真面目に考えろよな」

 

 しかし出てくるのは浅知恵ばかり。その程度の低さに思わずランスもツッコんでしまう。

 

「つーかこれならガルティアの方がまだマシな案を出してくれたぞ」

「む。……そう言われてもな、思い付かないものは思い付かないんだからしょうがないだろう」

「そうそう。考えたって無理なものは無理」

「……ぐぬぬ、魔人のくせにどいつもこいつも役に立たんヤツらめ……」

「お役に立てず申し訳ありません、ランスさん。ただ魔人とはいっても……」

「戦う事だったら得意なんだけどね。けどこういう頭脳労働みたいな事は……ねぇ?」

 

 困り顔のシルキィがそう話を振ると、他の魔人達も皆何とも言えない表情になる。

 どうやら他の生物を超越する戦闘能力を持つ魔人と言えども、頭の中まで他の生物を超越するかというとそれは異なるようで。

 アイディアや閃きといったものは専門外、魔人達の知恵を借りてみる作戦も残念ながら不発に終わったようだった。

 

「……ぬぅ、けど困ったな。こうなったら次は……魔人に聞いて駄目なら魔王に聞くか?」

「美樹様に? けどランスさん、肝心の美樹様の居場所を知っているの?」

「知らん事も無いのだが……あと2日じゃ会いに行くのがちとキツいな……だとしたら次は~……あーくそ! 思い付かん~……!」

 

 ランスはがーっと苛立たしげに頭を掻き毟る。

 自分で考えても良いアイディアは浮かばず、しかして他の誰かに聞いても同じ。

 せめて何かキッカケをと考えても、もはやそれすらも思い付く事が無くて。

 

「ぐぬぬぬ……」

 

 やっぱり無理なのか。

 あと二日であの眠気をどうにかする事など、ワーグを抱く事など最初から不可能だったのか。

 何かと負けず嫌いのランスであっても、ついそんな事を考えてしまいそうになったのだが。

 

「──ん?」

 

 やはりこの男は土壇場に強いのか、その時頭の中にピーンと閃きが走った。

 

「……あ、いやでも待てよ」

 

 今自分の目の前に居る相手。その知識に頼ってみたけどあんまり役に立たなかった魔人達四名。

 だがそんな彼女達を見ていると、その存在そのものが一種の答えでもあるように思えてきて。

 

「……そっか。別にレベルを上げんでもいいのか」

「何がですか?」

「ワーグの事だ。なぁハウゼルちゃん。確かあの眠気は強くなれば良かったはずだよな?」

「えぇ、そうです。おそらく強ければ強い程に抵抗力が身に付くという事なのだと思います」

「だよな。なら……」

 

 目的はレベルを上げる事じゃなくて強くなる事。強くなる為には自己のレベルを上げるのが一番確実な方法ではある。

 だがそれしか方法が無い訳では無い。単に強くなるだけならばレベル上げ以外にも方法はある。それこそすぐそこにはそんな存在が──魔人という他を圧倒する程に強い存在が居る訳で。

 

「………………」

 

 そこでランスは暫し無言となる。

 それは自らの今後を大きく変えてしまう決断。もう半年以上も昔に自ら選んだ選択、過去に戻るという選択と同じ位に重大な決断。

 その重みは理解していたようで、さすがに即断即決とまではいかなかったものの。

 

「……そうだな。もうこの際それでもいいか」

 

 やがてそんな言葉を呟いた。

 

「なぁサテラ」

「ん、なんだ?」

「ちょっと話は変わるんだけどよ……以前俺が倒したメディウサとかレッドアイとか居るだろ? あいつらの魔血魂ってどうしたっけ?」

「魔血魂? あぁ、それなら全てホーネット様が管理されているはずだが」

「そっか、分かった」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そして。それから一日と少しが経過して。

 あの帰り際の宣言通り、あの日からちょうど三日目の事。

 

「よう、ワーグ」

「ランス……」

 

 時刻は昼前。そろそろ昼食の準備をしようかと、ワーグがキッチンに立った頃合いにその男はやってきた。

 

「今日で約束の三日目だったよな。てな訳で早速だがセックスするぞ」

「……え、て、そんなのいきなり言われても……」

「いきなりではないだろう。すると予告しとったんだからな。ほれ、とっとと来い」

「ちょ、ちょっと……」

 

 今日は念願叶う約束の日。ここまで来て待ち時間を挟む余地など無し。

 ランスは困惑するワーグの腕を掴むと、引っ張るような勢いでベッドへと連行していく。

 

「待ってランス、ねぇ待ってってば……っ」

「だーめ、待たん」

「だ、大体……セックスするって言ってもどうやって……わたしの眠気の問題は解決したの?」

「あぁ、眠気か。眠気な……とうっ!」

 

 するとランスはあの時と同じように、ワーグの事をがばっと抱き締める。

 

「きゃ、ら、ランス……」

「ふむ、ワーグはちっこいなぁ」

 

 するとその華奢な身体から伝わってくる柔らかさと体温、そしてそのフェロモン。

 だが『夢匂』と呼ばれるそれはもはや、その男の前ではただの甘い香りでしかなく。

 

「……え、あの……」

「どした?」

「……ランス、眠くない……の?」

「おう、全く眠くないぞ。今日はたっぷりと睡眠を取ってきたからな、がはははは!」

 

 大口を開けて笑うランス。その表情は眠気に耐えている気配など微塵も感じさせないもの。

 しかしそれはあり得ない話。自分の眠気は寝溜めした程度で耐えられるものでは無い、それは当のワーグが一番分かっている事で。

 

「嘘よ、そんな……どうせやせ我慢でしょう?」

「やせ我慢なもんか。だったらこーして……すーはー、すーはー……っと」

 

 今度はより近付いて、ワーグのふわふわした髪の中に顔を埋める。

 そして何度も深呼吸。その都度強烈な眠気を誘うフェロモンを鼻腔から大量に吸い込むものの、それでもランスの様子は何ら変わらず。

 

「……どうだ、全然眠くないぞ。こんなもん慣れちまえば甘くていい匂いってだけのもんだ」

「……うそ、一体どうやって……」

 

 その証明は効果覿面だったらしく、ワーグは信じられないといった様子で瞠目する。

 

 三日前とは違って、ランスはこれまで勝てなかった睡魔の壁を完全に打ち破っていた。

 しかし如何なる方法を使ったのか。ワーグには分からない。こうしてその身体に触れる限り、これまでと変わった事は無いように思える。

 よく集中してみると何か別種のものが、ランスの身体からランスのものとは異なる特殊な力を感じるような気もしたのだが、そういった事に疎いワーグに感じ取れたのはそこまでだった。

 

「まぁあれだ、俺様の手に掛かりゃ不可能など無いって事だな。……つー訳でもうこの前みたいに泣く必要はないからな、ワーグよ。これから俺様を存分にくれてやる」

 

 そしてランスはベッドに腰を下ろす。

 その膝の上には勿論ワーグが、今まではここで限界だった、遂にこの先に進める相手が居て。

 

「……え、あっ」

 

 ふと気付けばその腕の中、そんな体勢になってようやくワーグは我に返る。

 

 如何なる手を使ったのか、ランスは自分の睡眠体質を克服してしまった。

 勿論それは嬉しい事だ。これまでこの体質にはとても苦労させられてきた。何よりも自分だけ好きな人と触れ合えないのが悲しかった。

 だから三日前のあの時、泣いている自分の為に「絶対に何とかしてやる!」と言ってくれたのがとても嬉しかった。

 

 そして信じられない事に、ランスはその約束を守ってくれた。

 だから今こうして触れ合えている事、それが嬉しくない訳が無いのだが、しかしランスが自分の体質を克服してしまったとなると、否が応でも次のステップに進まなければならない訳で。

 

「……ちょ、ちょっと待って! ランス、お願いだからちょっと待って!」

 

 そんな事を考えた途端急激に恥ずかしくなってきたのか、ワーグはじたばたと暴れ始める。

 

「せ、せめて後10分、後10分待って! 気持ちを整理するからっ!」

「駄目だ、待たんと言ったろ」

「でもだって、こんな急に……! じゃあせめてシャワーを、シャワーを浴びさせて!」

「それも駄目だ。セックスする準備は万全にしとけっつったろ。サボってたお前が悪いのじゃ。つー訳で……うりゃー! とっとと脱げ脱げー!」

「きゃあああ! 待って、待ってってばー!」」

 

 静止の言葉など知ったこっちゃ無し、ランスはぽいぽーいと服を脱がしては放り投げていく。

 ものの数秒で下着まで脱がせ終わり、そこには生まれたままの姿をした魔人ワーグが。

 

「おぉ……身体中が真っ白だ、こりゃなかなかにエロいな……ぐへへへ……」

 

 目の前にある背中も、小さなお尻も、お腹や胸まで全て真っ白。そんな雪面のような眺めの中、胸の先っぽとほっぺただけは鮮やかに色付いていて。

 それが魔人ワ-グ。これまでどうしても手が出せなかった相手。それを味わえるとあってランスのハイパー兵器もあっという間に臨戦態勢へ。

 

「よーし、ではワーグよ。覚悟はいいな」

「……だから、だからよくないって……」

 

 お願いだから話を聞いてと、泣きたいような気分のワーグ。しかし抵抗する事も諦めたのか、その膝の上できゅっと身体を丸める。

 彼女は魔人とはいえその身体能力は人間の子供と同程度、睡眠体質を克服されてしまうとただ食べ頃の女の子でしかなかった。

 

「……ねぇランス、本当にするの、っていうか……本当に出来るの? 本当に眠くないの?」

「本当かどうか、そんなに気になるってんならすぐに試してやる。……さぁワーグ! お楽しみのセックスタイムだ! とーーー!」

「まって──あっ」

 

 大きな手のひらで初めて地肌に触れられ、ワーグはぴくっと身体を揺らす。

 未だ信じ難い心地でいたものの、その感覚を味わうともう覚悟を決めるしか無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。しばらくの時間が経過して。

 

「はー……、えがった……」

 

 一発出してスッキリ。ホクホク顔でベッドの上に寝転ぶランス。

 

「……な? ちゃんと出来ただろ?」

「……うん、出来た。なんか信じられない……」

 

 その隣、恥ずかしそうに毛布に包まる魔人、しっかり大人になったワーグの姿。 

 

 こうして遂に念願叶って、二人はめでたく一線を越える事となった。

 行為後、身体を寄せ合いながら暫し微睡んでいると、思い出したかのようにワーグが口を開く。

 

「……ねぇ、ランス」

「んー?」

「そろそろ教えてくれない? あなたは結局どうやって私の眠気を克服したの?」

 

 それは行為の前からずっと気になっていた事。

 数日前には何ら対処法など無かった睡魔の壁、それにランスはどうやって打ち破ったのか。

 

「特別あなたのレベルが上がったような気配も無いし……一体どんな手を使ったの?」

「ふむ、やっぱり気になるか」

「そりゃ気になるわよ。ていうか私には魔人としての力がこの眠気ぐらいしか無いんだから、簡単に破られちゃうと死活問題なんだけど」

「なるほど、確かにそりゃそうだな。まー実際の所簡単に破った訳じゃねーんだが……」

 

 ワーグの眠気への解決策を追い求めて、その中で起きたあれやこれや。

 色々と大変だった昨日の事を思い出したのか、ランスはしみじみといった感じで口を開く。

 

「……ワーグ、お前も今度会ったら一言ぐらいお礼を言っておいた方がいいかもしれんぞ」

「お礼?」

「うむ。本当に大変だったんだぞ? まさかあいつがあんな事で泣くとはなぁ……」

「……泣いた? 誰が泣いたの?」

 

 そう尋ねたワーグの耳に聞こえてきた名前。

 

「ホーネット」

「……ほ、ホーネット!? あ、あの、あのホーネットが泣いたの!?」

 

 それはおよそ涙とは無縁の存在。

 思わず耳を疑ってしまうような衝撃な名前で。

 

「……え、ホーネットの目って……涙を流すような機能が付いていたの?」

「……結構な言い草だな、それ。けれどぶっちゃけ俺様も同感だ。あいつの涙を見た時はもう仰天したぞ、マジで」

 

 今回ようやく達成したワーグとの初セックス。

 だがそれはランス一人の力だけで成し遂げた訳ではなく、魔人筆頭たるあの女性の大いなる献身と犠牲の下に成り立っている事で。

 

 そしてランスは昨日の出来事を語り始めた。

 

 

 

 

 



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ホーネットの秘策

 

 

 

 

 話は少し戻って。

 ランスが魔人ワーグを抱いた日の前日の事。

 

 

「……それで、話とは?」

 

 そこは魔王城の最上階にあるホーネットの部屋。

 ソファに掛ける部屋の主がそう尋ねると、

 

「実はな……と、そうだ。その前にちょっとサテラの事を聞きたいのだが」

 

 その正面に座る男、話があるからとこの部屋を訪れたランスがそう答える。

 

「サテラの事ですか?」

「うむ、まぁ参考までにな。ちょいと小耳に挟んだ話なのだが、お前とサテラは昔っからの幼馴染なんだってな」

「えぇ、そうです」

 

 小さく頷くホーネット。彼女は魔王ガイの一人娘であり、この魔王城で生まれ育った存在。

 そんなホーネットの遊び相手になるようにと、幼き日にガイが人間世界から連れてきた少女、それがサテラである。

 

「ならホーネット、お前はサテラが魔人になる前から知ってるって事だよな」

「そうですね。私がサテラと出会ったのは彼女がまだ魔人になる前の事ですから」

「ならその時の……魔人になる前のサテラってのはどんなもんだった?」

「どうと言われても……今と比べて性格などは変わっていませんし、私の目で見る限りでは至って普通の人間の少女だったと思いますが」

「ほうほう……」

 

 100年以上も昔、遠い過去の記憶を思い返しながらホーネットがそう答えると、ランスが興味深そうに相槌を打つ。

 

「普通の少女、か。て事はやっぱ人間だった頃のサテラはあんなに強くはなかったんだよな?」

「えぇ、そのはずです。普通の人間の少女だったサテラがあれ程に強くなった事、ガーディアンメイクの才能に目覚めた事などは全て魔人化した事による影響でしょう」

「だよなぁ……だとするとやっぱこれか……」

 

 ランスは顎を擦りながら、とても難しそうな表情でむむむと唸る。

 その悩みの様子、そして先程からの質問の意図が見えてこなかったのか、

 

「ランス。貴方は何を気にしているのですか?」

 

 ホーネットはそう尋ねてみた。すると、

 

 

「いやな。実は俺も魔人になろうと思ってよ」

 

 ランスは突然そんな事を言い出した。

 

 

「……え」

 

 それは全く予期せぬ言葉だったのか、ホーネットは放心したように呟く。

 

「……貴方が、魔人に?」

「おう」

 

 一方のランスは至極真面目な表情。

 すでに覚悟を固めているのか、気まぐれや冗談などで言っているようには見えなくて。

 

「……けれど何故、急にそんな……」

「なんだ、俺が魔人になったら駄目か?」

「……いえ、別に駄目という訳では無いのですが……何か理由があるのですか?」

 

 この時ホーネットは話しながらも、ついそのような光景を想像してしまった。

 ランスが魔人になる。それは自分と同格の存在になるという事。共に派閥戦争を戦い、そしていずれはこの魔王城で共に魔王に仕える日々を送る。

 それは中々に悪くないのでは。いやむしろとても満ち足りた日々になりそうな……。

 

 ……と、ホーネットはそんな感想を抱いてしまったのだが。

 

「理由か。それはワーグを抱く為だ」

 

 しかしそんな思考は次の瞬間には彼方の先へと吹き飛んだ。

 

「……ワーグ?」

「あぁ。俺様も色々考えてみたのだが……やっぱりあいつを抱く方法は何も思い浮かばんのだ。となるとこれはもう小細工抜き、正攻法であの眠気を突破するしかないと思ってな」

「……正攻法と言うと……ワーグの眠気を自力で耐えるという事ですか?」

「そ。あの眠気はより強い相手には効果が薄くなるって話だったろ?」

「……まさか、貴方はそれで魔人に……?」

 

 事がエロ目的だとは想定していなかったのか、驚愕の表情を向けるホーネット。

 そんな彼女に向けてランスは「その通りだとも」と事も無げに言い放つ。

 

「だって魔人になりゃあ普通の少女だったサテラでもあれだけ強くなれるんだろ? ならすでに最強の俺が魔人となりゃもっと最強、恐ろしい位に強い魔人になるはずだ」

「……それは、そうかもしれませんが……」

「だろ? きっとお前よりも強い魔人になるに違いないぞ。そこまで強くなりゃさすがにあの眠気にだって対抗出来るはずだ。つー訳でホーネット、この前倒したメディウサかレッドアイの魔血魂をくれ」

 

 全てはあの強烈な眠気を耐えて、魔人ワーグとセックスする為。その為だったら『魔人ランス』になる事だって何のその。

 故にこうしてホーネットの部屋を訪れ、魔血魂を受け取りに来たランスだったのだが。

 

「……ワーグの眠気を耐える為、ですか。そのような理由で魔人になるなどとても勧められるものではありません。考え直した方が賢明でしょう」

「なに?」

 

 しかしホーネットは魔人化というアイディアに賛成してくれないようで。

 その瞳を真っ直ぐ合わせたまま、ランスが想定していなかった魔人化の欠点を指摘し始める。

 

「第一に、ワーグの眠気は魔人であっても効力を及ぼします。だとしたら魔人になったとて必ずしもあの眠気を打開出来るとは限りません」

「それは大丈夫、そこらの雑魚ならともかくこの俺様が魔人になるんだからな」 

「第二に、貴方は魔人になると簡単に言いますが、どのようにして魔人になるつもりですか?」

「だから魔血魂だ、魔人になるなんて魔血魂を食えばいいだけだろ? 肝心の魔血魂もこの前潰したヤツらのが余ってるはずだし」

「魔血魂を摂取すれば魔人となれる……確かにそれは間違ってはいません。しかしそれは初期化された魔血魂に限った話です」

 

 初期化された魔血魂。それは魔血魂の中に宿る魔人が完全に消滅している魔血魂の事を指す。

 魔人は死ぬと魔血魂になるが、それは完全なる死とイコールではない。魔血魂となった魔人は言うなれば休眠状態のようなもので、場合によっては復活する事だって可能となる。

 故に魔血魂の中で眠る魔人を初期化する事、それこそが魔人にとっての完全なる死。そして魔血魂を初期化する事が出来るのはこの世で唯一人、魔人を統べる存在である魔王だけとなる。

 

「ここに美樹様が居ない以上、ここに初期化された魔血魂はありません。初期化された魔血魂でない以上、摂取しても必ず魔人になるとは限りません」

「げ、そうなのか?」

「魔人を作るというのは魔王の権能、ならば魔王が意図していない魔人の存在が許されるか、そう考えればおのずと分かる事でしょう。あるいは適合次第によってはメディウサやレッドアイが復活するという事もあるかもしれませんが」

 

 初期化していない魔血魂を摂取して魔人となるのはギャンブルのようなもの。確実に魔人となりたいなら初期化した魔血魂が必要となる。

 その事を考慮していなかった、というか知らなかったランスは困惑したように口元を歪める。

 

「……ぬぅ、なら美樹ちゃんから初期化した魔血魂を貰ってこないと駄目って事か。ヤベェな、時間的に間に合うかどうか分かんねーぞこりゃ……」

「……ランス。その点が貴方に魔人化を勧められない一番の理由なのですが……」

 

 そう前置きした後、ホーネットは相手を見定めるような真剣な目付きを向ける。

 

「そもそも魔人とは魔王様に対して絶対服従を誓う存在です。貴方は魔人となった後、美樹様に絶対服従するつもりがあるのですか?」

「無い」

「でしょうね。しかし、だとしたら貴方に魔人は向いていません」

 

 清々しい程の即答だったが、そう言うだろうと分かっていたホーネットに驚きは無かった。

 つい先程、ふと魔人になったランスとの日々を想像してしまったのだが、しかし考えれば考える程に無理筋というか、唯我独尊人間のランスに魔人として生きる事など到底不可能だと断言出来る。

 

(……ランスの性格を考慮すると……魔人というよりはむしろ──)

 

「けどなぁ、もう魔人になる以外にあいつを抱く方法が……。なぁホーネット、お前はあの眠気に対抗する方法とか知らねーのか?」

「……さぁ」

 

 何事かを考えていた途中で話しかけられ、思考を中断したホーネットは小さく息を吐く。

 

「……ワーグの眠気への対処法、ですか。仮にこの私がそれを知っていたとしたら、ワーグがケイブリス派に属していた時にその方法を使用し、とっくに討伐しているはずだとは思いませんか?」

「……それはそーかもしれんが」

 

 今でこそ派閥戦争からリタイアしたワーグだが、一時期は確かにケイブリス派に属していた。

 そしてその頃のワーグによって数万に及ぶ魔物兵がケイブリス派に寝返ってしまった以上、その頃のホーネットに容赦する理由など一切無い。

 あの眠気に有効な秘策があったとしたらワーグはとっくに魔血魂となっている、その指摘は至極妥当なものであった。

 

「あ~~……んじゃあ何か……アイディアだけでもいいから思い付く事はねーか?」

「アイディアと言われても……やはり地道に鍛錬を重ねて強くなるのが一番では?」

「この問題はあと二日で解決せにゃならんのだ。だからその案はボツ……あ、それともこの城に経験食パンが余ってたりはしないか? あれを大量に食えば……」

「……経験食パン?」

「……ま、そんなウマい話はねーわな。ならやっぱレベルを上げるっつー方法はボツだ」

 

 ランスはつまらなそうに肩をすくめる。

 やはりレベルを上げる方向性での突破は不可能。そして魔人化もオススメ出来ないとなると、残るは外的要因。自分以外の何かしらの力によってあの眠気を突破する方法はないか。 

 

「んじゃやっぱアイテムだ。なぁホーネット、この城に何か良いマジックアイテムはないか? なんかこう……絶対に起きられる目覚まし時計とか」

「ありません。何なら自分で探しますか? 宝物庫の鍵ならお貸ししますよ」

「ちっ、……なら魔法、魔法はどうだ? なんかこう……魔人筆頭にだけ使用出来る特別な魔法みたいなのがあったりしねーのか?」

「ですからそのようなものはありません。魔人筆頭にだけ使用出来る魔法など、そんな都合の良いものあるはずが──」

 

 食い下がってくるランスを諭すかのように、ホーネットが否定の言葉を口にしかけた時。

 

「──あ」

 

 ふいに脳内に差し込んだか細い光のような閃き。

 

(……ワーグの眠気への対処法。……そう言えば、あそこにならばもしかしたら……)

 

 ホーネットは唐突に思い付いてしまった。

 ワーグの眠気を打ち破る方法そのものでは無い。では無いのだが、その方法が残されているかもしれない場所について。

 先程のランスの言葉を聞いた途端、そんな心当たりが一つだけ思い浮かんだ。

 

 だが。

 

(……けれど、あれは……)

 

 これは言えない。

 これだけは教えてはいけない。

 

 何故ならその方法の在り処、あの場所は決して足を踏み入れてはならない場所。

 魔物界の誰しもが、魔人筆頭たるホーネットですらもあの場所に入る事は許されない。数年前からそうと決めている場所。

 故に彼女は一抹の罪悪感を抱えつつも、ランスにその事を教えるつもりは無かったのだが。

 

「ぬ?」

 

 けれどもその様子の変化、特に先程「──あ」と呟いてしまったのが失敗だったらしい。

 正面に座る魔人筆頭がどこか落ち着きのない雰囲気に変わった事、それはランスの方も目聡く気付いていた。

 

「ホーネット。さてはお前、何か良い方法を思い付いたのだな?」

「え、あ……いえ。そういう訳では、ありません」

「いーやそれは嘘だ。お前が嘘を吐いていると俺様センサーがビンビンに反応しているぞ。ホーネット、何を思い付いたのか教えろ」

「ですから、何も思い付いてなど……」

 

 元々嘘を吐くのが得意じゃない性格、数秒前から明らかに歯切れの悪くなったホーネット。

 その様子にクロだと確信を持ったのか、ランスはソファから身を乗り出して顔を近付ける。

 

「ホーネット。俺様の目をしっかりと見ろ」

「……なんですか?」

「そう、そうやって俺様の目を真っ直ぐ見たまま、自分は嘘を吐いていないと誓えるか?」

「……それ、は」

「ほーら目を逸したっ! やっぱり何かを思い付いたんだろ!」

 

 すすっと横に逃げたその金の瞳に対し、ランスの容赦無い追求が刺さる。

 するとホーネットは早々に観念したらしく「……ふぅ」と息を吐いてから姿勢を正した。

 

「……確かに、一つだけ思い付いた事はあります。けれど恐らくこの方法では不可能でしょう」

「不可能かどうかは俺様が判断する。とりあえず聞かせてみろ」

「……正直に言いますと、あまり口外したい方法では無いのです」

「いいから言え」

「………………」

 

 返答は黙秘。

 言えと言われても、魔人筆頭はその方法を教えようとはしない。

 

「ホーネット、早く教えろ」

「………………」

「おい」

「………………」

 

 返答は相変わらずの黙りで。

 

「ホーネット、教えろっつってんだろーが。俺もあんま気の長い方じゃ──」

 

 その態度に軽く苛立ち、ランスは少し語気を強めたのだが、

 

「………………」

「……ぬ」

 

 すると思いの外強めに──まるでこの魔人と出会った頃のような目付きで睨まれ、少し気後れしたかのように声のトーンを落とす。

 

「……何だよ、そこまでして教えられない方法だってのか」

「……あ、いえ……」

 

 自分の視線が強くなっている事に気付いたのか、ホーネットはばつが悪そうにその顔を伏せる。

 

「………………」

「………………」

 

 そして気まずい沈黙。両者共に押し黙る。

 

 何故ホーネットがここまで頑なに黙秘するのか。その理由に関して、ランスもこの魔人の性格をある程度理解してきており、なにか意地悪のつもりで黙っている訳ではない事は理解していた。

 こうまでして言わないのはそれなりの理由があるのだろう。そうと理解していたのだが、しかしそれでも今はこれだけが一縷の望み、聞き出すのを諦めるという選択肢は無い。

 

「……分かった。ならホーネット、交換条件といこうじゃないか」

「交換条件、ですか?」

「あぁ、お前はその方法を俺に教える。その代わりに俺は……そうだな……よし、ならお前の願いを何でも一つ叶えてやろうじゃないか」

「え……」

 

 その提示された条件に、顔を上げたホーネットの瞳が揺らぐ。

 

「何でも……ですか?」

「そうだ、何でも、だ。どんなお願いでも叶えてやろう」

「………………」

 

 ──どんな願い事も叶える。

 ありきたりと言えばありきたりの提案だが、正直に言えば惹かれるものはあった。

 頭の中にパッと思い浮かんだ願いが一つ、叶えて欲しい望みがあるにはあったのだが。

 

「……いえ。今の貴方に叶えて欲しい願いなど、特には何も……」 

「お、おいおい。何もねーって事はねーだろう。本当に何でも良いんだぞ? 例えば青姦をしてみたい~とか、露出プレイをしてみたい~とか」

「……それは貴方の願いでしょう」

 

 呆れたように呟きながら、ホーネットはその願望を心の奥底に封印した。

 感情的な思考はそれを望んでいる事なのだが、しかし理性的な思考がそのような事は望んではならぬとストップを掛けている。

 そして何より。たとえその望みを交換条件にしたとしても、先程思い付いたあの方法は到底教えられるようなものでは無くて。

 

(……私は、意地悪な事をしているのでしょうか。ランスが困っていると分かっているのに、このように突き放した態度を……)

 

 ふとそんな事を考えてしまうと、ホーネットの心が更に重たくなっていく。

 それこそ例えば今のこの状況、そもそもランスとワーグが夜を共にする方法について、自分が手助けしなければならない理由がよく分からない。

 という感情、言わばヤキモチのような気持ちが無い訳ではなかったのだが。

 

(……けれど、それでもあれは……あそこに立ち入る事だけは……)

 

 しかしホーネットの心中の大部分を占めるのはそういった感情では無く、もっと純粋な懊悩。

 これだけは教えたくない。あの場所の事だけは秘しておきたい。そして自分自身あの場所にはもう二度と立ち入らないと誓った、その誓いを破りたくないという想い。

 それは彼女にとって本当に、本当に大事な想いだったのだが、そんな頑な心を解したもの、それはランスが口にした意外な言葉だった。

 

「なぁホーネット。ここまで頼んでんだから教えてくれたっていいじゃねーかよ。俺様はどーしてもワーグを抱かねばならんのだ」

「……どうしても、ですか。貴方の女性を抱く事に関しての熱意は相変わらずですね」

「まぁな。それにこれは俺様だけの問題じゃない、ワーグたっての願いでもあるしな」

「……ワーグの?」

「そう、これはワーグの頼みだ。あいつの方から俺様とセックスしたいって言ってきたのだ」

「……そうなのですか?」

 

 性交渉を求めたのはランスの方からでは無く、他ならぬワーグの方から。

 その話が本当に予想外だったのか、ホーネットは驚きの目を向ける。

 

「……ワーグの方から……ですか。そうですか……それはなんと言うか……少し驚きました」

「おう、俺様もあれにはびっくりしたぞ。なんせあいつ、俺様とセックスがしたいのに出来ないーっつって泣き出しちまう程だからな」

「……泣いた? あのワーグがですか?」

「うむ。全く、モテる男がツラいってのは世の常だが、にしてもあれには参った。だから俺は何としてもワーグとセックスせねばならんのだ」

 

 女の涙を拭うのは男の甲斐性。だからこそ自分はワーグを抱かないといけない。それこそたとえ魔人化という手段を使ってでも。

 ランスのそんな固い決意に押された……という訳では無いのだろうが、その話を聞いた事でホーネットの心は大きく揺らき始めていた。

 

「……泣いた……ワーグが……」

 

 ランスが今こうしてワーグの眠気への対処法を求める理由。それはランス自身がワーグとの性行為をしたいが故だと考えていた。

 しかしその逆、ワーグがそれを求めているのだとすると、今までとは異なる思いが湧いてくる。

 

 思い焦がれる相手がすぐそばに居る。

 そして相手の方から自分を求めてくれている。

 それなのに如何なるものが邪魔をしてか、そこに手を伸ばす事がどうしても出来ない。

 

(……それは、まるで……)

 

 そんなワーグが置かれている状況。

 それはまるで、少し前までの自分と重なっているように見えて。

 

「………………」

 

 その切なさ、その辛さは痛い程に理解出来る。

 幸いにも自分の場合はもう解決に至ったのだが、しかしワーグの場合はどうか。

 自分のような単なるすれ違いとは違い、彼女が抱える問題は体質そのもの。だとしたら有効な手段がない限り永久に解決しない事だってあり得る。

 そんな事を考えてしまうと、ここで自分が手を差し伸べてあげないのは酷なのでは、同じ思いを知る自分が見て見ぬ振りをするのはあまりにも薄情なのではと思えてきて。

 

「………………」

 

 されど天秤の皿に乗るもの、それは彼女にとって一番と言ってもいい程に大事な想い。

 

「………………」

「……あれ、ホーネット?」

「………………」

「……おい、聞いとるか?」

 

 ランスが声を掛けてもその耳には入らないのか。

 ホーネットは深い悩みの表情のまま、しばらくの間熟考に熟考を重ねて。

 

「……ふぅ」

 

 やがて、心の整理をつけるかのように大きく息を吐き出した。

 

「……ランス。貴方はこれまでホーネット派に対して沢山の協力をしてくれましたね」

「ん? あぁ、まぁな」

「先日のレッドアイの事もそうですが、それ以前にもメディウサやガルティアの事など、貴方の助けが無ければ解決出来なかった問題は多くあります。……そして何より、派閥の主たるこの私も貴方には一度救われている。もはやどれだけ感謝の言葉を尽くしても足りそうにありません」

「お、おぉ……」

 

 突然の謝意に面食らった様子のランスをよそに、ホーネットは更に言葉を続ける。

 

「そしてそれはワーグにも言えます。この前シルキィから聞きましたが、ワーグにはレッドアイの件で協力して貰ったそうですね」

「レッドアイの? あー、ロナの事か。そうそう、ロナを助ける時にあいつの力を借りたのだ」

「ですがワーグはホーネット派ではありません。ホーネット派に属しない彼女にレッドアイ討伐への協力をして貰ったというのなら……私はこの派閥の主として彼女に礼をする必要があるでしょう。……そして勿論、貴方にも」

 

 それは彼女にとって自らを納得させられる理由。

 自分自身への誓いを破る事、そして大事な言付けを無視する事を自らに対して許せる理由。

 

「……派閥の主としてするべき事、それは私の感情よりも優先される事です。ですからこれは仕方の無い事なのでしょう。……ワーグの眠気の打開する方法について、私が思い付いた事を教えます」

「お! 遂に話す気になったか!」

「……えぇ」

 

 そしてホーネットはソファから立ち上がる。

 部屋の奥の方へと歩いていき、そこにあった執務机、その一番大きな引き出しを開く。

 

「………………」

 

 その中から取り出したもの。それはくすんだ銀色の小さな鍵。

 手に持ったそれをホーネットはじっと見つめる。

 

「なんだそれ? どこの鍵だ?」

「………………」

「……おい聞いてんのか、ホーネッ、と……」

 

 それは思わずランスも声を掛けるのを躊躇ってしまう程。

 

「………………」

 

 その小さな鍵を見つめる彼女の表情。

 それは見ている方の胸が詰まりそうな程に、哀愁に満ちた切ない表情で。

 

「………………」

「……おーい」

 

 その茶々を入れ難い雰囲気に呑まれ、ランスも少し声を弱める。

 

「………………」

「……ホーネットさーん、聞こえてますかー」

「……えぇ、聞こえています」

 

 ようやく覚悟を固めたのか、ホーネットは思いを振り切ってその鍵から視線を外した。

 

「ではランス、付いてきてください」

「お、おう」

 

 そしてランスもソファから立ち上がり、そのまま二人は部屋から出る。

 魔王城の最上階、長い廊下をホーネットを先頭に真っ直ぐ進んでいく。

 

「……あらかじめ言っておきますが、これはあくまで可能性がある、というだけの事です。確実なものを保証する訳ではありませんから、もしかしたらこの方法でもワーグの眠気を打開するのは不可能かもしれません。それだけは覚悟しておいて下さい」

「あぁ、そりゃ分かってるって。……てかホーネット、一体何処へ行くのだ?」

「すぐに付きますよ」

 

 その言葉通りほんの一分も掛からず、二人はとある部屋の前で立ち止まった。

 

「……ここです」

 

 そのドアを見つめるホーネットの顔、それも先程と似た物憂げな表情で。

 そこは彼女の部屋と同じく城の最上階、もう誰も使用する事の無い部屋。

 

「ホーネット、この部屋が何だってんだ?」

「ここは……」

 

 それをありのままに伝えるべきか、彼女はほんの一瞬だけ悩んで。そして。 

 

「……ここは魔王の部屋です」

「魔王の部屋? ……て事は、ここは美樹ちゃんの部屋なのか?」

 

 ランスがそう尋ねると、ホーネットはゆっくりと首を横に振る。

 

「いえ、この部屋の主は美樹様では無く……美樹様より以前に世界を支配していた一人の魔王。今から千年程前、この魔王城が建てられた当時の魔王が私室としていた場所……そう聞いています」

「……へー、ならここは千年以上前の魔王が使っていた部屋って事か」

「えぇ、そういう事です」

 

 この魔王城が建てられた時期、それはこの世界が人間界と魔物界に二分されたGI期以降の事。 

 つまりその部屋はGI期にこの世界を支配していた魔王──ガイの部屋。

 

「……本当はこの私ですら入ってはならない部屋なのですけどね」

「ぬ、そうなのか?」

「えぇ。なにせここは魔王の部屋ですから」

 

 そしてそこはホーネットにとって父親の部屋。

 魔王ガイの死後、彼女がホーネット派を率いる事となった時、甘えを切り捨てる為に二度と立ち入らないと自らに誓った部屋。

 

「まぁつっても当時の魔王はもう居ない訳だし、今更誰かに文句を言われる事もねーだろ」

「……そうですね」

 

 ホーネットがその鍵を鍵穴に差し込む。

 カチャリ、と小さな音が鳴ってロックが外れる。

 およそ7年、その間ずっと閉じたままだった部屋のドアがついに開かれる。

 

「……ほーん、ここが魔王の部屋か」

「……えぇ」

「なんだかあれだな、魔王が使ってたっつーわりにはパッとしないな」

 

 中に入ってきょろきょろと辺りを見渡した後、ランスはそんな感想を口にする。

 

 先代魔王ガイが私室としていた場所。だが魔王の私室といっても内装などに特別な印象は無く、テーブルやソファや本棚など、何処の部屋にもあるようなものが当たり前に置かれている。

 魔王の部屋と聞いて少し興味を抱いていたランスからしたら拍子抜け、それこそ先程まで居た部屋と変わらないような印象を受けた。

 

「魔王の部屋っつうんだから……もっとこうなんか派手なもんとかあるのかと……」

「……確かに飾り気の無い部屋です。この部屋を使っていた当時の魔王は過度な装飾を好まない性格だったのかもしれませんね」

「それに……なんか埃っぽいぞこの部屋」

「……そうですね。この部屋には掃除にも入らぬよう言いつけていますから……」

 

 だが彼女にとってはその飾り気の無い部屋こそ、尊敬する父の思い出が残る場所。

 魔人となってからは立場を弁えてこの部屋を訪れる機会も減ったが、魔人となる前、子供だった頃は頻繁にこの部屋を訪れ、奔放な性格をしている時の父に遊んで貰ったりしていた。

 その頃の追憶に耽っているのか、ホーネットは遠くを見るような表情で佇んでいると、ランスが急かすかのようにその肩を突く。

 

「んで? この部屋に何があるのだ? 魔王の力が宿るアイテムとかがあったりするのか?」

「魔王の力が宿るアイテム、ですか。当たらずとも遠からずといった所ですが……」

 

 記憶の中にある懐かしき父の姿を思い出しながら、ホーネットはそれを告げた。

 

「私が思い付いた方法、それはかの魔王が得意としていた秘術……禁呪を使う事です」

 

 

 

 

 

 



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ホーネットの秘策②

 

 

 

 

 

「……およそ千年前、この地に魔王城を建てた当時の魔王……その男は剣術と魔術に精通する卓越した戦士だったそうです」

 

 第6代魔王ガイ。元々は人間、魔族の討伐を目標に掲げて魔王ジルと戦った男。

 その後ジルの手によって魔人とされたが、最終的にはジルを封印して自らが魔王となった男。

 その歴史が示す通り、ガイは人間でありながら魔王と戦える程の力を有していた。その一端が剣LV2の才能、そしてそれをも越える魔法の才能。

 

「特にその男は魔術に関しては並外れた才能を有していたそうで、通常の魔法を越えた魔法──いわゆる『禁呪』と呼ばれる魔法を自在に扱う事が出来たそうです」

 

 それが禁呪。人間だった頃のガイが魔王ジルを追い詰めるに至った秘術。

 そしてワーグの強烈な眠気への対処法として、つい先程ホーネットが思い付いた方法。

 

「なるほど。つまりそれが……」

「えぇ、それがこの部屋に残されているもの。……ほら、あれです」

 

 ホーネットは部屋の奥の方に目を向け、そこにある本棚へと近づいていく。

 それは本棚と言っても本自体はとても少なく、僅か十冊程度の本だけが並んでいた。

 

「ここにある本はその魔王が書いたもの。長き時を生きる魔王が手慰みにと、自身の扱える禁呪や扱う事の出来ない禁呪も含め、持ち得る知識の全てを書き記したものだそうです」

「ほー、いってみりゃ禁呪の書かれた魔導書ってところか。こりゃ確かに珍しい……志津香とかマジックとかに見せたら喜びそうだな」

 

 ランスがしげしげとそれを眺めると、隣に立つホーネットも少し目を細める。

 それはランスには勿論、ホーネットにとっても未知なるもの。生前のガイに「みだりに手を出してはならない」と忠告され、その言い付けを頑なに守ってきた彼女はその本に触れた事すら無い。

 その言付けがあったからこそホーネットはこの本の存在を教える事にあれだけ悩み、そうと決めた今でも胸の中では罪悪感が渦巻いていた。

 

「この本のどっかにワーグを抱く方法が書いてあるかもしれないってんだな?」

「えぇ。禁呪とは通常の魔法を越えるものだと聞きます。ですから魔法では手の打ちようが無いワーグの体質も禁呪ならば何か手があるのではと思ったのです」

「つーかよ、通常の魔法と禁呪ってぶっちゃけ何が違うのだ?」

「……私も禁呪には詳しくないので確かな事は言えませんが……通常の魔法より強力な魔法、それが禁呪である事は間違いありません」

 

 一口に禁呪と言っても様々なものがあるが、それらも大きな括りでは魔法に分類される。

 しかし単に強力なだけの魔法が禁呪と呼ばれる訳では無い。例えば破壊光線と呼ばれる魔法──それこそ黒色破壊光線であってもそれはあくまで魔法であり、魔法の域を越えて禁呪と呼ばれる事は無い。

 

「ですが禁呪が禁呪と呼ばれるのにはそう呼ばれるだけの理由があります。世にある多くの禁呪はその強力さ故、術者に副作用を及ぼすと聞きます」

「副作用?」

「えぇ。それが如何なる副作用かは禁呪によって異なるそうですが……一般的には強力な禁呪であればある程、その副作用も重くなるそうです。ですから仮にワーグの眠気に対抗出来る禁呪があったとしても、それが使用可能な禁呪かどうかはまた別の話になってしまうのですが……」

 

 禁呪が齎す副作用は様々、中には対価として術者の命を要求するようなものまである。

 強大な力には相応のリスクが付いて回るもの、その危険さ故に呪えるのを禁じられた魔法。だから禁呪は禁呪と呼ばれるのである。

 

「……なるほど、副作用か。んじゃあワーグの眠気に対抗出来そうな禁呪があって、その副作用が大した事なかったとしたら、その時はお前がその禁呪を使ってくれるって事でいいんだな?」

「……えぇ、まぁ。あくまで私に扱える程度の禁呪であれば、ですが。副作用の事もありますが、そもそも私の魔法の才で扱えるものなのかという問題もありますからね」

 

 多くの禁呪を操り魔王ジルと戦った男、ガイ。彼が人間だった頃の魔法LVは3であり、だからこそそんな並外れた真似が可能だったとも言える。

 しかしホーネットの魔法LVは2である為、この本の中に書かれた禁呪の全てを彼女が扱えるとは限らない。

 

 そもそもあるかどうかも分からない。

 そしてあったとしても副作用の問題、そして才能の問題で使用可能かどうかも分からない。

 そんな不確定要素の多すぎる話であるが故、禁呪の事を教えるべきかどうか悩んでいたという面もあったのだが、そんなホーネットの一方ランスはとても前向きというか、楽観的な性格で。

 

「ま、ここであーだこーだ言ってもしょうがない。とにかく肝心の禁呪を見つけてからだ」

「それもそうですね。では手分けして探してみましょう」

 

 という事で捜索開始。

 二人は本棚からそれぞれ一冊、魔王ガイの残した禁呪の書を手にとって開く。

 

「ランス。念の為に言っておきますがこれはとても貴重な本です。くれぐれも大切に扱うように」

「分かってるっつの。……どれどれっと……うわ、わけ分からん呪文が一杯書いてあるな」

 

 それは禁呪の書かれた書というだけあって難解な魔術用語が並んでおり、魔法に詳しくない者にとっては大半が意味不明な内容。

 ランスはどうにか理解出来る文字だけ拾って、その表面的な概要だけでも読み解いてみる。

 

「えっとこれは……『封印の禁呪 相手をコンクリートの中に封印する』……か。……あれ? これなーんか聞いた事あるような……」

「私には聞き覚えがありませんが……人間の世界では知られている禁呪なのですか?」

「……いや、多分気のせいだな。んでこっちのこれは……『禁呪 ハニワ殺し』だと。……え、これマジか、魔法でハニワをやっつけられんのかよ」

「ハニー種を倒す魔法ですか……確かにそれは驚きの禁呪ですね」

 

 魔法に対して完全なる耐性を有し、魔法使いの天敵とも呼ばれるハニー。

 そんなハニーにダメージを与えられるとしたら画期的な魔法であるが、とはいえそれは禁呪。ウマい話には往々にして裏があるもので。

 

「うーむ、禁呪恐るべし。で副作用は……げっ! 『身体がハニワ臭くなる』だって! キッツい副作用だなこりゃ……てかそうなるとこの本を書いた魔王は身体がハニワ臭かったって事か」

「っ、そんなはずはありません。おそらくその禁呪は書き記しただけで使ってはいないか、その副作用は永続的なものではないのでしょう」

「あん? お前、その魔王の事知ってんのか?」

「……あ、いえ……その、ただそんな気がしただけです。他意はありません」

 

 父の名誉を守る為にと、気持ち強めの声で反論したホーネット。

 だがランスの指摘でふと我に返ったのか、すぐにその顔を手元にある本へと戻す。

 

「ワーグの眠気に耐えるような禁呪となると……彼女の力を封じるような禁呪か、あるいはその力を寄せ付けないような禁呪があれば良いのですが……中々見つかりませんね」

「だがここにある本のどっかに必ずそんな禁呪が書いてあるはずだ。つーかここに無いともう本当に魔人になるしかなくなってしまうぞ」

「……諦める。という選択肢は……」

「無い」

「でしょうね。聞いてみただけです」

 

 1ページ目を通しては次のページ、捲っては捲っての繰り返し、全て読み終わったら次の本へ。

 次第に無言となった部屋の中、ランスとホーネットの二人はしばしそんな作業に没頭する。

 するとやがて禁呪という魔法がどういうものなのか、その輪郭が朧げながらに見えてくる。

 

(こうしてみると……やはり攻撃魔法に分類されるものが多いようですね)

 

 それは人間だったの頃のガイが魔族と戦う為に用いた禁呪が多いからか、その本の中には相手にダメージを与える禁呪が──既存の攻撃魔法を越える破壊力を有する禁呪が数多く記されている。

 そして攻撃魔法に分類される禁呪はその強力さ故か、必ずと言っていい程に副作用の問題が付いて回る。その破壊力に比例して副作用も重篤なものとなり、一度使用しただけで精神が崩壊してしまうような危険な禁呪だらけで。

 

(……成る程。父がみだりに触れるなと私に命じた理由がよく分かりますね)

 

 仮にその忠告を受けていなかった場合、もっと早くこの本に手を出していたかもしれない。数年に及ぶ派閥戦争の苦境の中、この本の存在に頼ってしまっていたかもしれない。

 しかしこうした禁呪によって戦況を打開出来たとしても、あくまでそれは一時的な話。むしろそれで自分が理性を失ってしまったら元も子もない。

 父がこの本を自分から遠ざけたのは自分の身を案じたが為、それがあの父なりの愛情だと思うと胸が温かくなるような思いだった。

 

(……とはいえ今はこの本に頼るしかありません。攻撃魔法の禁呪ではワーグの眠気を打開するのは難しそうですし、もっと別の……)

 

 探しているのはダメージを与える禁呪ではなく、もっと特殊な効力を及ぼすような禁呪の存在。

 ホーネットは手に持っていた一冊を閉じ、本棚に残る新たな一冊を手に取った。

 

(この本は……どうやら回復魔法に分類される禁呪を集めた本のようですね)

 

 その本は回復魔法、つまり神魔法に分類される禁呪を纏めた一冊。

 その表紙を開きながら、しかしホーネットは内心少し首を傾げる。

 

(……けれど神魔法の禁呪、ですか。……確か父は神魔法を使えなかったはず……)

 

 自分の記憶が正しければ父親──魔王ガイは神魔法の才を有してはいなかった。

 だとしたらガイ自身にはここに書かれた禁呪は使えないという事になる。となるとこの一冊はただ知識として知り得ていたものを書き残したという事だろうか。

 

(……あるいは、もしやこの本は……)

 

 父とは違い神魔法の才を有する自分の為、魔王ガイが我が子の為に残したものかもしれない。

 もはやその意図を確認する術も無いが、仮にそうだとしたら率直に言ってとても嬉しい。

 とそんな事を考えながら、ページを捲っていたホーネットの目がある箇所で止まった。

 

(これは……状態回復の禁呪、でしょうか)

 

 神魔法の一つに『状態回復』という魔法がある。

 毒や麻痺など、その身に受けた異常な状態を回復する魔法、その名の通りの魔法である。

 どうやらこれはその状態回復の魔法を禁呪の域まで高めたものらしく、全ての状態異常を回復するのは勿論の事、更にその後一定期間あらゆる状態異常を無効化する事が出来るようだ。 

 

(ワーグの眠気……あれは異常な眠気と捉えれば状態異常と言えるはずです。だとしたらこの禁呪をランスに使用すれば防げるのでは……)

 

 これは単なる魔法ではなく禁呪。魔王をも追い詰める秘術であれば魔人の能力にも有効なはず。

 更には格上となる魔人筆頭が、ワーグよりも遥かにレベルの高い自分が使用する禁呪であれば。

 そこに光明が見えた気がしたホーネットはすぐに次のページに目を通す。

 

(……この呪文は……そうですね、この程度であれば私にも使用可能でしょう)

 

 状態回復の禁呪は禁呪ではあるものの、その効果と言えば使用後2,3日の間状態異常を無効化するだけのもの。

 言ってしまえばそれだけの禁呪で、禁呪の中では程度の低い位置付けらしく、神魔法LV2もあれば問題無く使用可能な代物で。

 

(……となると残る問題はやはり副作用ですが……しかしこの程度の禁呪であれば……)

 

 強力な禁呪であればその分副作用も重くなる。

 その例に沿って考えると、この状態回復の禁呪の副作用は然程のものでは無いはず。

 ホーネットはそんな事を考えながら、次のページを捲って──

 

 

「──あ」

 

 即座にパタン、と本を閉じた。

 

 

「ん? ホーネット?」

「………………」

「おい、どうしたんだよ」

「………………」

 

 すると彼女は「……ふぅ」と息を吐いて。

 

「……どうやらワーグの能力に対抗可能な禁呪というのは無さそうですね。日も落ちて来ましたしそろそろ戻りましょうか」

「あぁ、そーだな。ところでホーネット、今お前が手に持っているその本をちょいと貸してくれ」

 

 すでに感づいていたらしく、ランスはパッと手を前に差し出す。

 するとホーネットは嫌そうな──本当に嫌そうな目をそちらに向けた。

 

「……別に大した事は書いていませんよ」

「いーからよこせ」

「………………」

「よこせ」

「……どうぞ」

 

 ホーネットは渋々と──本当に渋々ながらといった感じでその本を手渡す。

 

「で、何ページだ」

「………………」

「何ページだ?」

「……ちょうど真ん中ら辺です」

「んー、どれどれ……ヒーリングの禁呪……これは違うな……状態回復の禁呪……あ、これか?」

 

 そしてランスの目もそこに止まる。

 

「……ふむふむ、一定時間状態異常を防げるのか。……あーなるほど、そう考えると確かに睡眠も状態異常だな……おぉ! ホーネット、これマジでいけそうじゃねぇかよ!」

「……そうですかね」

「そうだとも! これなら絶対にワーグとセックス出来るぞ! ……んで副作用はっと……」

 

 先程ホーネットが目に入れた内容、そして即座に本を閉じる事となった内容。

 

 そこにはこう書かれていた。

 

 

 

『状態回復の禁呪の副作用──術者が一定時間、とてもエッチな気分になってしまう』

 

 

「………………」

 

 その文字を目にしたランスは、先程の彼女と同じようにその本をパタン、と閉じて。

 

「……うし。ホーネットよ」

「嫌です」

 

 即答だった。

 

「おい、まだ何も言ってないぞ」

「聞かなくても分かります。その禁呪を自分に掛けて欲しいというのでしょう? あえてもう一度言いますが、嫌です」

 

 ホーネットははっきりと、それはもうきっぱりとNOを突き付ける。

 

「話が違うじゃねぇか。使えそうな禁呪があったらお前が使ってくれるって約束だったろ」

「ですからそれは私には使えない禁呪です。誰か他の者に……シィルさんにでも頼んで下さい。彼女もヒーラーだったはずでしょう」

「いーや、あいつじゃ駄目だ。へっぽこなシィルじゃこんな高度な魔法は使えん」

 

 もし仮にシィルが使えたとしても、それでもこの禁呪はこの魔人にこそ使って欲しい。

 ランスはそう考えていた、その考えしかもう頭に無かった。

 

「ここにはセルさんもクルックーも居ないし、この禁呪を使えるのはお前しか居ないのだ。頼むホーネット、俺様の夢を叶えてくれ」

「……分かりました。ではランス、すぐに魔血魂を持ってくるので魔人となって下さい。それでワーグを抱けるはずです」

「おいっ! さっきと言ってる事変わってるぞ! そんな禁呪があると分かった以上もう魔人化はパスだ、お前がそれを使ってくれるだけで問題は全部解決するんだからな」

「ですから私は嫌です」

「あのなぁ! 期待だけさせて肝心の禁呪は使ってくれないなんてあまりにもヒドいぞ! ホーネットのケチー! おにー!!」

 

 ランスはまるで駄々っ子のように喚き立てるが、しかしホーネットからしたらこちらの方が泣きたい気分である。

 尊敬するあの父の字で「エッチな気分になる」なんて文字など目にしたくなかった。当時の父がどんな思いでそれを書いたのか、想像するだけで悲しさが押し寄せてくる。

 

「話が違うぞー! お前が使ってくれるって約束だったじゃねーかよー!」

「ですからそれは……」

「ホーネット、お前は俺様との約束を破るのか? たかがエッチな気分になる程度だろ? その程度でホーネット派の主は……魔人筆頭は約束を破っちまうようなヤツなのか?」

「っ、……」

 

 ランスの言は的確にその急所を貫き、ホーネットはぐっと奥歯を噛み締める。

 確かにそれは自分が宣言した事。そしてその副作用だってその程度と言えばその程度のもので。

 その程度を理由に約束を違える事など出来ない。特にこの部屋で──亡き父が見ているかもしれないこの場所でそんな不誠実な真似は出来ない。

 

「……そうですね。分かりました、私が責任を持ってその禁呪を使用しましょう」

 

 故にホーネットは覚悟を決めた。

 

「やったー! これでワーグを抱けるし、何よりエッチな気分になったホーネットも──」

「ですが条件があります」

「……ぬ、条件?」

「えぇ」

 

 さりとて覚悟を決めても譲れないものが──譲ってはいけない一線というものが存在する。

 故に彼女は条件を付ける事にした。でないととてもそんな禁呪など使える気がしなかった。

 

「簡単な事です。その禁呪を使用した時、術者の私は……少し良からぬ事になるというか、取り乱すような事があるかもしれません」

「あぁ、だからエッチな気分になるんだろ?」

「……仮にそのような状態となった場合、その時の私には指一本触れないように。それがこの禁呪を使用する条件です」

「……え、触っちゃダメなん?」

 

 ランスは呆気にとられたように呟く。

 すでに内心ではホーネットと、禁呪を使用してエッチな気分になったホーネットとセックスする気満々だったので、これではぬか喜びもいい所。

 だがそんな腹積もりなど、術者となる彼女にとっては知った事ではない話で。 

 

「ランス。貴方はワーグを抱く為にこの禁呪を探し求めたのでしょう。だとしたらその過程で私に触れる必要など無いはずです、違いますか?」

「そりゃそうだけど……」

「貴方がこの約束を守ると言うなら、私も貴方との約束を守ってこの禁呪を行使します。私に約束を守れとあれ程に言うのです、ならば貴方も私との約束を守るのが対等というものでしょう」

「……むむむ」

 

 その言い分は筋が通っており、ランスには反論の言葉が思い付かない。

 確かに今はワーグの問題を解決するのが先決。エッチな気分になったホーネットとの一戦は是が非でも叶えたい所だが、それで本筋を見失ってしまっては本末転倒というもの。

 

「……分かった。その条件を飲んでやろう」

「本当ですね?」

「あぁ、今回はお前には手を出さん。約束する」

「……分かりました。ではランス、私の正面に立って下さい」

 

 ホーネットはランスから禁呪の本を受け取り、該当するページを開いたまま片手を前に出す。

 

「……いきます」

「おう、どんとこい」

「では。……──」

 

 その口が滑らかに呪文を唱え始める。

 するとその手の先には白い光が灯っていく。その光は大きく広がってランスの全身を包み込み、その身体の中へ溶け込むように薄れていって。

 

「──終わりました」

 

 そして状態回復の禁呪が完成した。

 ホーネットがその腕を下ろすと、ランスは自分の身体を不思議そうに観察する。 

 

「ほぉ、これが禁呪か……。あんまし変わった気はしねーけど、これで俺様は一定時間状態異常にならなくなったって事なのか?」

「えぇ、そのはずです。これであの眠気も──」

 

 その時、それは急激にやってきた。

 

「──ッッ!?」

 

 突然身体が震えだす。

 ホーネットは自身を抱くように二の腕を押さえ、自然とその身体をくの字に曲げる。

 

(これ、は──!!)

 

 身体が燃えるように熱くなる。頭の奥が溶けるように熱くなる。

 そして何より下腹部が熱い。熱いなにかが沸々と湧き上がってくるのを感じる。

 

(これ、が、禁呪を使用した副作用……!?)

 

 全てが熱くて堪らないのに、肌は粟立つかのように小刻みに震える。

 性交の最中と近似した感覚の中、赤らんだ顔で荒い呼吸を繰り返す、そんな今のホーネットの姿はとても扇情的な色気に溢れていて。

 

「……おぉ、なんかホーネットが一気にエロい感じに……!」

「……ら、んす……」

 

 思わずランスがそう呟くと、彼女の意識も自然とそちらへと向いてしまう。

 

「あ……」

 

 目の前にいる相手。その目付き、あるいはその輪郭、喉仏、そして胸板。

 男を感じさせる箇所を見る度、ドクンドクンと音を立てて欲情の鼓動が暴れる。

 

(ランス、が……そこに……)

 

 好きな人が、愛しい人がそこにいる。

 抱きつきたい。キスしたい。触れられたい。貫かれたい。めちゃくちゃにされたい。

 頭の中がそんな思考だけに支配され、勝手に伸びていくその右手を──

 

「……くっ」

 

 ホーネットは歯を食いしばり、鋼の自制心を発揮して何とか押し止めた。

 無限に湧き上がってくるような情欲を必死に抑えながら、息も絶え絶えにその口を開く。

 

「……ランス、どうしたの……ですか? 禁呪は掛け終わった事ですし、貴方は、早く……」

「おう、勿論ワーグの所には行くぞ。ただその前にこっちも味わっておかんとな」

 

 決して触れてはいけない。その約束をあっという間に破って、ランスはホーネットの肩を掴む。

 それだけで彼女はふらっと体勢を崩し、大きな執務机の上に押し倒される格好となった。

 

「な、ランス、約束が──」

「がははは、こんな据え膳を前に手を出さない男はホモだけだ。そして俺様はホモでは無い、という事でっと……」

「止め──んんっ!」

 

 抵抗虚しく胸を鷲掴みにされ、それだけで普段の何倍もの快感が身体中を駆け巡る。

 

(あ、駄目……!)

 

 それが火種となったのか、熱くなった全身で燻っていた情欲が一気に弾ける。

 今すぐ性交がしたい。その本能のまま、身体が勝手に愛しい相手を迎え入れようとする。

 

「──くぅっ!」

 

 だが再度驚異的な自制心を発揮し、ホーネットは自分の上に乗るランスを両手で押し返した。

 

「……離れ、て……!」

「ぐにに、おいホーネット、ここまできて無駄な抵抗すんなって」

「だ、め……!」

「くの……!」

 

 無理やり迫ろうとするランス、その逆に何とかして遠ざけようとするホーネット。

 そんな押し合いへし合いの攻防の中。

 

「……って、え……」

 

 ランスが目にしてしまったもの。

 瞳をぎゅっと閉じたホーネットの目尻、そこからすっと流れる透明色の水滴。

 

「……な、お前まさか泣いてんのか!?」

 

 ホーネットは泣いていた。

 両の瞳からはらはらと、大粒の涙を流していた。

 

「え、う、そ、そんなにするのが嫌なのか!?」

 

 まさか泣くとは。他の誰かならともかくこの魔人が泣くとは。

 そんなに自分とのセックスが嫌なのかと、動揺しきったランスの目の前、ホーネットは辛そうな表情のまま首を左右に振って。

 

「ランス……だめ……ここでは、だめ……!」

「え?」

「わたしの……部屋に、戻って……お願い……!」

 

 そこは父の思い出が残る場所。彼女にとって一番大切な場所。

 ここで性交を行う事だけは、淫らな姿を見せる事だけはしたくない。

 ホーネットのそんな切なる思いは、幸いにして相手にもちゃんと届いたらしく。

 

「わ、わわ、分かった! お前の部屋に戻ればいいんだな!?」

 

 ランスはホーネットの事を抱き上げると、大慌てで部屋を飛び出していく。

 ものの数秒でホーネットの自室に到達し、寝室のドアをバタンと開く。

 

「どうだホーネット、ここでなら──んぐっ」

 

 するともう限界だと言うかのように、その唇がホーネットの唇で塞がれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その後。

 二人の戦いに一応の決着が付いた頃。

 

「……俺様は思うのだがな、何故人はエロい事をするのを恥ずかしがるのだろうな」

「………………」

 

 生まれたままの姿でベッドに横たわる男と女。

 方やこの部屋の主、魔人筆頭。

 

「ほれ、食う事と寝る事とセックスする事が人間のなんたらかんたらって言うだろ? でも食う事寝る事を恥ずかしがるヤツなんていないだろう」

「………………」

「だからエロい事だって同じなはずだ。飯を食いたい事、眠たい事は当たり前にあるんだから、エッチな気分になる事だって当たり前の事なはずだ」

「………………」

「そう、だから当たり前の事を恥ずかしがる必要など無いのだ。エッチな気分になる事は何もおかしな事では無いし、何も悪い事では無い。そう思わんか? そう思うだろ?」

「………………」

「だから……その……なんだ、ホーネット……そろそろ機嫌直せって」

 

 そしてもう片方、ランスは今必死に弁明を繰り返していた。

 

「………………」

 

 だがそれにも効果が薄いようで、ホーネットは相変わらず無言の抗議中。

 どうやら副作用の効果は切れたらしく、すでに元の落ち着いた様子へと戻っているのだが、しかしその眉間には深い皺が寄ったままで。

 

「まぁ確かに、確かにな。確かに副作用の影響でエッチな気分になったお前は見ものというか、普段の姿と違っていて新鮮だったってのはある。その姿にとても興奮したってのは認めよう」

「………………」

「けどそんなのはほんの一時の話な訳だし、んな引きずるような事じゃないだろう。あれがお前の素だってんならともかく、禁呪を使った影響だって事は俺様だって分かってるし」

「………………」

「それにぶっちゃけた話をするとな、あの程度の乱れ方だったら普通な方だと思うぞ? それこそシルキィちゃんなんて普段からもっと凄いし」

「………………」

「だからこれは全然大した話ではない。俺様も気にしないし、お前も変に気にする必要は無い。なのでそんなに怒るのはもう止めて、全部水に流そうではないか、ホーネットよ」

 

 な? と同意を求めるように呟き、ランスはホーネットの肩を抱く。

 だがその言い分は彼女からすると少しズレた言い訳というか、むしろ逆にこちらのフラストレーションを煽ってくるようなもので。

 

「……ランス。貴方は勘違いしていますが、私は別に怒っている訳ではありません」

「ウソつけ、怒ってんだろーよ」

「本当です。決して怒ってなどいません」

 

 ホーネットは嫌々ながらといった感じでその口を開き、ランスの勘違いを訂正する。

 

「私はただ……貴方が私との約束を守らなかった事。その事に対して失望しているだけです」

「し、失望ってそんな大袈裟な……」

「私は貴方との約束を守りあの禁呪を使いました。正直なところ反故にしたいとも思いましたが、けれども私にとって貴方は大事な人です、そんな貴方に対し不誠実な真似は出来ないと思いました」

「………………」

「しかし貴方は私との約束を破った。貴方にとっては私など口約束一つ守る必要の無い相手、その程度の相手だと思われていた事に……私は今大いに失望を感じているのです」

「……ぬ」

 

 あの約束を破った事、手を出さないという誓いに反して性行為を行った事。

 こうしてつらつらと己が罪状を述べられると、さすがのランスも唸ってしまう。

 本人は否定こそしているものの、しかしこの様子を見れば明らか。どうやら想像以上に──かなりホーネットは怒っているらしい。

 

「……確かに俺様は約束を破った。けどな、あんなエロエロなお前を前にして俺様が我慢出来るようなヤツだと思うか?」

「……だとしたら、あのような口約束などせねば良かったのです」

「けどあの約束をしなかったらお前は禁呪を使ってくれなかったじゃねぇかよ」

「……だとしたら、やはり貴方は我慢するべきでした。自らの口でそうと約束したのですから」

「ぐぬぬ……」

 

 ホーネットの機嫌は一向に直らず、互いの意見は平行線を辿ったまま。

 実の所ランスにはあの約束を交わした時から守る気などさらさら無く、ホーネットがエッチな気分になったら無理やり押し倒してやろう、なんて事を考えていた訳で。

 だからこれは完全なる自業自得なのだが、にしてもホーネットがここまで怒るとは想定外。このままその怒りを放置しておくと今後のセックスのお誘いにも支障をきたしかねない。

 

「……分かった分かった。ならホーネット、こうしよう。あの約束を破った代わりに別の約束を何でも一つ叶えてやる。それでどうだ?」

「……先程も言いましたが、今の貴方に叶えて欲しい事など別に……」

「何か一つぐれーあるだろーよ。本当にどんな事だって構わねーんだぞ?」

「ですが……そうは言っても貴方の事です、また先程のように約束を破るのではありませんか?」

 

 相当根に持っているのか、ホーネットは横目でちらっと淡白な視線を送ってくる。

 

「破らねーって、今度は本気だ。というか俺様は元々女との約束はしっかり守る男なのだ。たださっきのあれは……あれはエロに関する事だから、それはもうしょうがないというか、あそこで手を出さなかったら俺様が俺様でなくなってしまうのだ」

「……まぁ、それはそうかもしれませんね。このような口約束など無駄ではないかと、私も最初からそんな危惧を抱いていましたから」

「だろ? それが俺様という男なのだ。だから別の約束、エロに関係しないような約束だったらどんな事でも叶えてやっから」

「……分かりました。ではいずれ……もし何かを思い付いたとしたらその時に言う事にします」

「よし。んじゃこれで貸し借り無し、これ以上怒るのはダメだからな」

 

 という事でこの一件はこれにて手打ちに。

 半ば無理やりホーネットの機嫌を直した所で、ランスは気になっていたあの事を聞いてみる。

 

「ところでよ、さっきお前はなんで泣いたのだ?」

「それは……」

「急に泣き出すからびっくりしたんだぞ。あの部屋でセックスするのがそんなに嫌だったのか?」

「……そうですね。今更隠すような事でもありませんね」

 

 元はといえば最初にそれを秘密にした事、それが失敗だったかもかもしれない。

 ホーネットはそのように自省した後、ふぅ、と一息置いてからゆっくりと口を開く。

 

「……あの部屋の主の名はガイ。美樹様の先代に当たる魔王で……私にとっては父となります」

「……え。ちちって……父親って事か?」

「えぇ、そうです」

「……んじゃホーネット、お前はなにか、魔王が作った子供って事なのか?」

「えぇ、そういう事です」

「……マジか。そりゃまたなんつーか……あぁでもそっか、考えてみりゃ魔物界のプリンセスって事は魔王の子か、なるほど……てか前にそんな話を聞いたような聞いてないような……」

 

 魔人ホーネットは魔王の血を引く者。先代魔王ガイの一人娘。

 今まで認識していなかったその事実を知り、ランスは興味深そうにほうほうと頷く。

 

「て事はあれか、お前は父親の部屋でセックスをしたくなかったって事なのか」

「……えぇ、まぁ、そういう事です」

「……ん? いやでも待て、普通そんだけの理由であそこまで泣くか?」

「……悪いですか?」

「悪いっつ-か……そんな理由であんなに泣くって……お前って結構──」

 

 ──ファザコンだったんだなぁホーネットよ。がははははっ!

 みたいな感じで、幼気な部分を見せた魔人筆頭をからかってやろうとランスは思ったのだが。

 しかしどうやらこの部分は彼女にとって相当な地雷原というか、軽々に踏み込んではならない部分だったらしく。

 

「ランス。父に関してあまり妙な事を言うのだけは止めて下さい。私は……私はそんな事で貴方を嫌いになりたくはありません」

「む、……分かった、止めとく」

 

 そのように言われてしまうと、ランスとてそう返すしかなかった。

 

「……ところで、貴方はワーグの元に向かわなくて宜しいのですか?」

「ん? そうだな……俺に掛けたこの禁呪の効果ってどれくらい持つか分かるか?」

「えぇ。父の書いたあの本によると、使用後二日から三日程度は効果が持続するそうです」

「なら明日でいいや。お前とハッスルしすぎてもうすっからかん、今あいつの所に行ってもせっかくの初めてが中途半端な事になりそうだからな。それに何か眠くなってきたし……つー訳で俺様は寝る」

 

 外的要因による異常な眠気ではなく、生理現象としての睡眠は普通に感じるのか。

 ランスはくあー、と大欠伸一つ。そして掴んでいたその肩をぐいっと自分の方に抱き寄せる。

 

「……ここで眠るのですか?」

 

 そうして抱き寄せられた腕の中、ホーネットは身じろぎする事も無く静かに呟く。

 

「おう。部屋に戻るのかったるいし」

「……そうですか。……では、私も」

 

 そうしてランスが瞼を閉じれば、傍らに寄り添うホーネットも瞼を閉じて。

 やがて穏やかな寝息が聞こえてくる。ぴたりと身を寄せ合ったまま眠る二人の姿は、さながら愛し合う恋人のようだった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「……と、いう感じだったのだ」

 

 以上、ランスによる回想話。

 

「まぁそんな訳でな。お前の眠気に打ち勝った方法は禁呪だったという事だ」

「………………」

「本当にホーネットが協力してくれて助かったぜ。あいつが禁呪を使ってくれたおかげでお前を抱く事が出来たのだからな」

「………………」

「だからワーグ、今度あいつにあったら一言ぐらいはお礼を言って……ておい、聞いとるか?」

 

 これまで負けっぱなしだった強烈な眠気、それに打ち勝った方法の種明かし。

 

「…………くっ」

 

 そんな話を聞き終えたワーグは暫しの無言の後、きっとその眉を吊り上げて。

 

「……ねぇ! その話今する必要あった!?」

 

 そして吠えた。

 ワーグは今大層おかんむりであった。

 

「え? いやでも、どうやって自分を抱いたか教えて欲しいっつったのお前じゃねーかよ」

「そうだけどっ! それはそうなんだけど!!」

 

 確かにそう言ったのは事実。手の打ちようが無かった自分の眠気をどうやって打開したのか、それは是が非でも知りたかった。

 しかしそんな方法だとは想定していなかった。いや、この際その方法自体は別に構わない。他ならぬ自分の為にしてくれた事、そこに文句を言うつもりにはならない。ならないのだが。

 

「……けどねぇ! なにもこんな時にそんな話をしなくたっていいでしょう!?」

 

 今この時。自分にとって初体験の直後、ランスと初めて結ばれた直後の事。

 今まさに自分とランスはベッドの中で微睡んでいるのに、そんな折に耳元から聞こえてくる話がよりにもよってそれなのか。

 ドキドキな初体験の直後、他の女性とのあれこれを聞かされるこちらの身にもなって欲しい。

 

「大体なんなの!? さながら愛し合う恋人のようだった~……って! わざわざそんな事を言う必要あるかしら!?」

「え? いや、俺様そんな事言ってない……」

「言ったわよ! 絶対に言った! だって書いてあるもんっ!」

 

 遂には地の文にまで噛み付くワーグは、その後もぷんすかと怒り続けて。

 前日のホーネットと同様、彼女の機嫌を直すのにランスはまた苦労する事になったのだった。

 

 

 

 

 

 



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VS 魔人サテラ VS 魔人ハウゼル

 

 

 

 

 ある日の魔王城。

 

「ぐがー、ぐがー……」

「ランス様。朝ですよ、起きて下さい」

「ぐがー、ぐがー……んあ?」

 

 朝。身体をぽんぽんと優しく叩かれる感覚。

 いつものように起こしに来たシィル、その声でランスはいつものように目を覚ます。

 

「……ふわ~ぁ、よく寝た」

「おはようございます、ランス様」

「……あー」

 

 柔らかい笑顔で朝の挨拶をするシィルの一方、ランスは寝ぼけた声での返事をして。

 ベッドから下りて、シィルの手伝いを受けながら朝の身支度を済ませる。それはランスにとって何ら変わりのない、至って普通の朝だったのだが。

 

「……ん?」

 

 ふいに何かが気になったのか、ランスは不思議そうに首を傾げる。

 

「……うーむ?」

「ランス様、どうかしましたか?」

「……ううーむ……」

 

 声を掛けるシィルを無視して、ランスは両手を前にぐっと伸ばしたり、肩をぐるぐると大きく回してみたり。

 なにやらストレッチのような動きをした後、ふいに両目をしっかりと瞑って。

 

「──とうっ!」

「いたっ!」

 

 そして開眼と同時に一閃。

 もの凄い速度でデコピンを繰り出し、反応すら出来なかったシィルのおでこをぱちんと弾いた。

 

「え!? どうしていきなりデコピンを……?」

「……うーむむむ……」

 

 シィルの悲鳴も耳に入らないのか、ランスは手をグーパーと開いてみたり、あるいは背中を伸ばしてみたり、腰を左右に曲げてみたり。

 何か気になる事でもあるのか、しきりにその身体の動きを確かめている。

 

「ランス様、身体の調子が良くないのですか?」

「……いや、つー訳じゃねーんだけど……」

 

 こうして確認してみた所、身体の調子は決して悪くない。

 それどころか先程のデコピンの速度を見る限り、状態はむしろ真逆と言えるものであって。

 

「……これはそろそろか。……よし、決めたぞ」

 

 そしてある事を考えた。

 

「決めた? 何をですか?」

「本日の予定。こーなるとやっぱし最初はあいつからだな」

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そして。その日の昼下がり。

 

 そこは見晴らす程に広々としていて、庭木や花壇などは丁寧な手入れがされている。

 そこは魔王城の中庭。広大なその城に相応しい程に広く、中には身体を動かしたり訓練を行ったりしている魔物達の姿が見える。

 

「お、来たか」

 

 そんな中庭の一画、ベンチに座っていたランスは目的の相手が来たのを目にして立ち上がった。

 

「あぁ、来てやったぞ」

 

 その相手の名は魔人サテラ。

 近づいてきた彼女は途中で立ち止まり、自然と両者は向かい合って対峙する形となる。

 それは数歩踏み込めば相手に届く距離、これから二人が行う事に必要となる間合い。

 

「……ランス。まさかお前が模擬戦をしようなどと言い出すとはな」

 

 ランスが思い付いた本日の予定、それは模擬戦。

 真剣勝負では無いものの、真剣勝負に近い強度で戦って力試しをする事。

 そしてまず最初はあいつからだなと、一戦目の相手として選ばれたのがサテラ。彼女はやや不可解そうな表情のまま口を開く。

 

「けれどどういう風の吹き回しだ? ランスもこの魔王城に来てもう半年以上になるけど、これまで特訓をしたり模擬戦をしたりする事なんて一度たりとも無かったじゃないか」

「んー……まぁちょっとな。今日の俺様はそういう気分なのだ」

「気分って……またそんな適当な事を……」

 

 つい先程、ランスから突然に「模擬戦をするから中庭に来い」と言われたサテラ。

 何故いきなりそんな事を。とそう思う気持ちはあれど、ランスに突発的な思い付きに振り回されるのも慣れたのか、然程気にせずに「分かった」と答えてこの中庭にやって来た。

 

「でも強くなろうとする事は良い事だな、うん。だから特別にサテラが付き合ってやる」

 

 主の胸を存分に貸してやろうじゃないか。と呟くサテラはふふんと得意げな顔。

 

「それでランス、準備は出来ているんだろうな?」

「あったり前だ。これはあくまで模擬戦だからな。ちゃんと手加減してやろうと思って、ほれ」

 

 そう言いながらランスは左手を前に出してそれを見せ付ける。

 その手が握るのは白い刃の模擬剣。通常ランスが使う武器と言えば魔剣カオスだが、カオスは魔人を軽々と斬り裂く魔剣である為、模擬戦で使用してしまうとまさかの事態が無いとも限らない。

 故に今回ランスが使う得物は模擬の剣。刃もしっかりと潰してある安心仕様である。

 

「俺様はこのオモチャみたいな剣を使うのだから、お前も無敵結界は外せよな。あれがあるとこっちの攻撃が全く効かねーし」

「分かってる。ちゃんと外してあるから安心しろ。それに言われた通りシーザーだって連れてきていないだろう」

 

 一方のサテラが使う武器は鞭。そしてその隣には常に控えているシーザーの姿が今は無い。

 魔人サテラの真価といえばそのガーディアンメイク能力にあり、彼女の真の実力を味わおうというならその最高傑作品となるシーザーは外せない。

 とはいえ繰り返しになるがこれは模擬戦。こっちは一人なのにそっちが二人なのはズルっこい……とランスが事前に物言いを付けた為、今回シーザーは主の部屋でお留守番である。

 

「……そう言えば。さっきシーザーは置いてこいよと言われた時、ちょっと気になった事がある」

「気になった事?」

「……あぁ」

 

 そこでサテラの声のトーンが少し変わって。

 

「……あの時見えたランスの顔がな、なんか『シーザー無しのサテラだけなら楽勝だろー』みたいな顔をしているように見えたのだが……それはサテラの気のせいだよな?」

 

 そう言いながら、彼女の身に纏う雰囲気が徐々に重たいものに変わっていく。

 その紅い瞳がすっと細まり、魔人特有の突き刺すようなプレッシャーが放たれる。

 

「……ランス。まさかとは思うがお前、シーザーの居ないサテラになら勝てる、なんて考えてるんじゃないだろうな。だとしたら大きな間違いだぞ」

「……む」

 

 強烈な威圧感に思わず生唾を飲み込むランス。

 その眼に映る姿はれっきとした強敵、他を圧倒する力を持つ人類の敵、魔人。

 魔人サテラはその手に握る鞭を強く振り下ろし、ビシィィッ!! と地面を弾いてみせると。

 

「いくぞランスっ! サテラの力を見せてやる!」

 

 それを開戦の合図に動き出す。

 しなりを利かせて右腕を振るえば、高速の凶器となった鞭の先端がランスを襲う。

 

「おわっとっ! おいサテラ、スタートの合図を勝手に……うおっ!」

 

 慌てて背後に飛び退いて回避し、一方的な戦闘開始に文句をつけようとした所で、もう一撃。

 ランスがとっさに頭を下げると、その頭上でビュンッ! と風を切る音が聞こえる。

 

「ほらほらほら! どうだランス!」

「ぬっ! くっそ……このッ!」

 

 右からの一閃。その直後に左から飛んできたか思ったら、お次は真上からの打ち下ろし。

 縦横無尽に振り回されるサテラの鞭、その先端の速度はとても目視出来るようなものでは無い。

 ランスは集中力を高めて、相手の腕の振りを見て鞭が飛んでくるコースを見極める。

 

「あははははっ! どうしたランス! 守っているだけじゃサテラには勝てないぞ!」

「くっ、ぬぬ……っ! さ、サテラのくせして生意気な……!」

 

 だがそれでも回避をしたり、模擬剣で打ち払ったりする事までが関の山といった有様で。

 ビュンビュンと飛び交う鞭の合間、その微かな隙を突いて攻撃に転じる事などとても出来ない。

 

 魔人サテラは武器として鞭を使う。ただ彼女は鞭を扱う特別な才能を有している訳ではない。

 とはいえそこは魔人という生物の利点。外見上は十代の少女にしか見えないサテラも、実際には100年以上もの歳月を生きている。

 それはつまり100年以上もの自己研鑽の時間があるという事。その中で少しずつ腕を上げてきたサテラの鞭は決して侮れるようなものでは無く。

 

「ちぃ……! さすがに俺様一人だと、中々、攻撃のタイミングが……ぐッ!」

 

 今も音速に近い速度で飛ぶその鞭に対し、ランスはどうにか剣を合わせて防ぐのが精一杯。

 仮にこれを仲間の誰かが、例えばガード職の者が防いでくれたなら。そうすればその間自由になるランスは攻撃に回り、持ち得るその高い攻撃力を活かす事が出来る。

 だがこのような一対一という状況にある場合、ランスといえども防戦一方にならざるを得ない。それが人間と魔人の性能差というものである。

 

「どうだランス、サテラの実力を思い知ったか! 別にシーザーが居なくたって、この鞭一つだけでこんなに強いんだからな!」

「ぬっ……、なんの、この程度……!」

「それにサテラの鞭はな、こんな事だって出来るんだぞ──っと!」

 

 そこでサテラは手首をくるっと返す。

 

「おぉ!?」

 

 するとその鞭の軌道に変化が生じる。

 ランスがそれを打ち払おうとした途端、鞭が模擬剣の刀身にシュルシュルと巻き付いていく。

 

「ふふん、捕まえたぞ」

「ぐ、ぐぬぬ……!」

 

 方や涼しい表情、方や苦々しい表情となった両者の間を繋げるもの。ピンと伸びた一本の鞭。

 そんな綱引きのような状態になってしまうと、どちらに軍配が上がるかは明白で。

 

「ランス、力比べで魔人に勝てるとは思わない方が良いぞ。──さぁ、こっちに来いっ!」

「くっ……お、おわぁ!」

 

 引っ張り合いをする事数秒、得物を手放そうとしなかったランスは力負けし、前につんのめったかと思いきやそのまま引き摺られていく。

 ……ように見えたのだが、実の所それこそがこの男の狙っていた展開だった。

 

「よっと。うん、これが使徒と主の正しい姿だな」

 

 無様に地を転がってきたランスの身体、その上にサテラはとすんと腰を下ろして。

 

「どうだランス、降参か? 降参なら──」

「うりゃ、なでなで」

 

 そして降参を促したその瞬間、突然ランスの手が伸びてきた。

 馬乗り状態になっている彼女の太もも、自分の顔の前にあるそれをいやらしく撫で回す。

 

「ひゃあっ!」

 

 すると反応はとても顕著、サテラは甲高い声を上げた。

 

「や、ちょ、らん、止め──!」

「サテラよ、お前も学習しないやつだなぁ。このちょー敏感な身体が弱点なのだから相手を近付けさせちゃ駄目だろうに」

「こ、こらっ、そこは──やんっ!」

 

 両手を使ってその敏感な身体を愛撫すると、その魔人は甘く鳴きながら身体をよじる。

 

 サテラだってもう自分の身体が他人と違う事、その敏感な身体が弱点だとは分かっているはず。

 にもかかわらず向こうから接近する機会を作ってくれるとは何事だろうか。というか敵を近付けさせない為に鞭を使っているのではないのだろうか。

 その辺がランスには本当に不思議なのだが、ともあれこうしてサテラを捕まえた。そして捕まえた以上後はパパっと料理するだけである。

 

「つーかお前、前にもこんな負け方しなかったか? うりうり、うりうり」

「くっ、んんっ……! …………んゆーっ!!」

 

 やがてその身体がぶるっと震えたと思いきや、くったりと力を抜いて倒れ込む。

 こうして愛撫に負け、どうやらサテラは十分に気持ち良くなってしまったようなので。

 

「イッたなサテラ、イッたな? ……よしっ! んじゃ俺様の勝ちって事で!!」

 

 ランスは魔人サテラに勝った事にした。

 

 

「これにて模擬戦しゅーりょー、お疲れ様ー……と言う事でっと……」

「ふ、ふぇ……?」

 

 そして未だ放心状態のサテラの事を抱え上げ、そのまますたすたと歩き始める。

 

「ら、らんす、どこに……」

「俺様の部屋。負けたサテラちゃんには罰ゲームでセックスの刑を与えないとな」

「え、ちょ、そんなのサテラ聞いてない……!」

「サテラ、敗者のお前にものを言う権利など無い。敗者は勝者に従うのが定めなのだよ」

「あ、あぁ……!」

 

 模擬戦の勝者たるランス。彼は敗者となったサテラを自分の部屋へとお持ち帰り。

 その日の残りはサテラと色んな事をした。思う存分楽しんでとてもスッキリした。

 

 

 

 

 

 

 

 そして。次の日の昼下がり。

 

 

「模擬戦闘……という事でよろしいのですよね?」

「そ。ガチの殺し合いじゃないから安心してくれ。言ってみりゃ腕試しみたいなもんだ」

 

 そこは昨日と同じく魔王城の中庭。

 ランスと対峙するのは今日の対戦相手、炎の力を操る有翼魔人ラ・ハウゼル。

 彼女も先程突然に「模擬戦をするから中庭に来てくれ」と言われ、特に不思議に思う事なく「はい、分かりました」と答えてこの場所にやってきた。

 

「そう言えば聞きましたよ、なんでも昨日はサテラと戦って勝利したとか」

「その通り。あいつも頑張ってはいたけどやっぱ俺様の敵ではなかったな。がはははっ!!」

「魔人と戦ってそんなふうに言えるなんて……本当に凄いと思います。レッドアイにも勝ってしまうランスさんには当然なのかもしれませんが」

 

 サテラとの模擬戦の詳細は知らないのか、ハウゼルは本心でもって称賛する。

 彼女にとってランスとはそんな人間。サテラはおろか、あの魔人メディウサや魔人レッドアイをも倒してしまうような男。そんな相手と戦うならば、模擬戦とはいえ彼女が手を抜く理由などどこにも無く。

 

「私の力がどれ程通用するかは分かりませんが……全力を出したいと思います」

 

 そしてハウゼルが身に纏う空気も変わっていく。

 普段のお淑やかなものでは無く、確とした重圧のあるものに変わっていく。

 

「……む」

 

 この魔人からこのようなプレッシャーを向けられるのは初めての事、ランスも自然と顎を引く。

 魔人ハウゼル。生真面目で優しい性格の彼女もれっきとした魔人であり、他の生物を圧倒する魔人としての顔をちゃんと持ち合わせている。

 

「ランスさん……準備はいいですか?」

「おう、いいぞ。いつでも掛かってこい」

「では……いきますっ!!」

 

 そして戦闘開始。

 直後にハウゼルは背に生えた翼を伸ばし、地を蹴って一息に中空へと飛翔する。

 

「──ふっ!」

 

 そしてその手に持つ巨銃、タワーオブファイヤーの銃口をランスへと向けて。

 いざ引き金を引こうとした……その時。

 

「ちょい待ちハウゼルちゃん」

「えっ?」

 

 寸前でランスからの「待った」が掛かり、ハウゼルは引き金に掛かった人差し指を硬直させた。

 

「どうしました?」

「ハウゼルちゃん。まさかとは思うが君、その銃をぶっ放そうとしてないか?」

「はい、そうですけど……」

「おいおい、あんな炎で焼かれたらさすがの俺様も死んでしまうぞ。これはあくまで模擬戦なのだから相手を殺すような攻撃はNGだ」

「あ、それはそうですね……」

 

 言われてハウゼルもふと気付いたが、確かにここでこの銃を撃つのはとても危ない。

 タワーオブファイヤーの一撃はとても広範囲に及ぶ為、この近距離で放ってしまうとランスがどう頑張っても回避の術は無い。

 そして何と言っても高火力が持ち味。直撃を受ければ人間の身体などあっという間に消し炭になってしまうし、ついでに言うとこんな中庭でぶっ放しては城への被害だって馬鹿にならない。

 その火炎砲は魔人ハウゼルの真の力を味わう為には欠かせないものなのだが、しかしどう考えても模擬戦で撃っていいような代物では無かった。

 

「……となると仕方無いですね、あまり得意では無いのですが……」

 

 ハウゼルは銃口の狙いをランスから外し、タワーオブファイヤーを横に持って構える。

 遠距離砲撃戦を得意とする彼女は滅多にこういう使い方はしないのだが、一応その巨銃は鈍器としても扱う事が可能である。

 

「では改めて……いきますっ!!」

 

 そして地上にいる相手、ランス目掛けて出せる最高速度でもって一直線に突っ込んでいく。

 その銃身に猛る炎を纏わせての横一閃、通称「ハウゼルの火炎斬り」それを交錯する瞬間に繰り出そうとした……その時。

 

「ちょい待ちハウゼルちゃん」

「──え、ええ!?」

 

 再度ランスからの「待った」が掛かり、ハウゼルは慌てて急ブレーキ。

 身体をくの字に折り曲げて、ランスと衝突してしまうギリギリでストップした。

 

「こ、今度は何ですか?」

「まさかとは思うが君、その銃で俺様の事をぶん殴ろうとしていないか?」

「はい、そうですけど……」

「おいおい、そんなもんで殴られたらさすがの俺様も死んでしまうぞ。これはあくまで模擬戦なのだから相手を殺すような攻撃はNGだ」

「あ、それもそうですね……」

 

 言われてハウゼルもふと気付いたが、確かにこの銃で殴るのだって危ないと言えば危ない。

 巨銃タワーオブファイヤーはその見た目に違わない程の重量を有しており、それを魔人の腕力で振り回した場合、打ち所が悪ければ人間などあっさり死んでしまう。

 得意の火炎砲撃が封じられた場合ハウゼルにはこうやって戦うしか無いのだが、だがその火炎斬りも模擬戦で使って良い技では無いのかもしれない……とまで考えて。

 

「……あれ? でもそうなると、私は一体どうやって戦えば……」

 

 そんな根本的とも言える疑問を呟いた瞬間、すっとその手が伸びてきた。

 

「捕まえたーっと!」

「きゃっ!」

 

 ランスはすぐ目の前で止まっていたハウゼルの事をぎゅっと抱き締める。

 そして片手を尻に、片手を胸に伸ばして、おまけにその口で彼女の耳たぶに齧りついた。

 

「ハウゼルちゃん、さすがに君はちょっとバカ正直に相手の言葉を受け入れ過ぎだな。もう少し疑う心を持った方が良いと思うぞ。うりゃうりゃ、なでなで、はむはむ」

「あ、うんっ……! そ、そこ、は……っ」

 

 ランスの三点同時エロテクの前に弄ばれ、すぐにハウゼルの頬が赤く染まる。

 

「ら、ランスさんっ、待って……んんっ」

「降参かハウゼルちゃん、降参だな? 降参しないとこの場で裸にひん剥いてセックスするぞ」

「そ、そんなの駄目です……! わ、分かりました、降参しますから……!」

 

 こうしてハウゼルの口から確かに「降参」の二文字が聞こえたので。

 

「よしっ! それじゃあ俺様の勝ちって事で!!」

 

 ランスは魔人ハウゼルに勝った事にした。

 

 

「これにて模擬戦しゅーりょー、お疲れ様ー……と言う事でっと……」

「え、あの……?」

 

 そして訳も分からず動転しているハウゼルの事を抱え上げ、そのまますたすたと歩き始める。

 

「ランスさん、一体どこに……」

「俺様の部屋。負けたハウゼルちゃんには罰ゲームでセックスの刑を与えないとな」

「え、そ、そんな……というかそれだと私が降参した意味があまり無いのでは……」

「ハウゼルちゃん、残念だけど敗者の君にものを言う権利など無いのだ。今この場で犯されないだけでも幸運だと思わないとな」

 

 模擬戦の勝者たるランス。彼は敗者となったハウゼルを自分の部屋へとお持ち帰り。

 その日の残りはハウゼルと色んな事をした。思う存分楽しんでとてもスッキリした。

 

 

 

 

 

 そして。

 次の日の昼下がり。

 

 

「──とまぁ、あの二人は殆どお遊びのようなノリで片付ける事が出来たのだが……」

 

 ランスは一昨日、魔人サテラに勝利した。

 そして昨日は魔人ハウゼルに勝利した。 

 

 前者の魔人はその身体にある大きな弱点、敏感な部分を刺激して勝利した。

 後者の魔人はその性格、根本的に優しすぎて戦いに向いていない性格を利用して勝利した。

 

 その2つの戦いを越えて、3戦目となる今日。

 

「……問題はここからだな……」

 

 そこは魔王城の中庭。

 静かに呟いたランスと対峙するその相手。

 

「ふふっ、お手合わせよろしくね。ランスさん」

 

 そこには大きな斧槍を持った魔人四天王、シルキィ・リトルレーズンが立っていた。

 

 

 

 

 



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VS 魔人シルキィ VS 魔人ホーネット

 

 

 

 

 そこは魔王城の中庭。

 広大な敷地の一角、武器を片手に向かい合う一人の人間と一人の魔人。

 

「……問題はここからだな……」

 

 この模擬戦の挑戦者、ランス。

 彼は一昨日魔人サテラに勝利した。そして昨日は魔人ハウゼルに勝利した。

 

「ふふっ、お手合わせよろしくね。ランスさん」

 

 そして今日は第三戦目。

 模擬戦の相手は魔人の上をいく魔人四天王、シルキィ・リトルレーズン。

 

「貴方がサテラやハウゼルと戦ったって話は聞いていたの。だからそろそろ私の番かな~……て思っていたらやっぱりだったわね」

「まぁな。あの二人の次となりゃシルキィちゃんしかおらん。てか君、なんか楽しそうだな」

「楽しい、か……そうね、そうかも。前々からランスさんとは一度手合わせしてみたかったのよ」

 

 私だって一応は戦士の端くれだしね、と小さく微笑むシルキィ。

 彼女とランスは同じ派閥で共に戦う仲間であり、共に近接戦闘を得意とする戦士同士。

 

 そしてランスは英雄。これまで多くの国を、そして一度は人間世界丸ごとを救った破格の英雄。

 方やシルキィも英雄。魔物に虐げられていた人類の開放に大きく貢献し、歴史の裏で『忘れられた英雄』と呼ばれる存在。

 そんな彼女はランスにある種のシンパシーのようなものを感じる所があったのか、こうして力試しするのは望む所といった気分でいた。

 

「それじゃあランスさん、早速戦いましょうか」

「そーだな。んじゃ戦うか……と言いたい所なのだが……シルキィちゃん、それ使うの?」

「うん。リトルを使わせて貰うわ。あ、刃の部分は切れない素材に変えてあるから安心して」

 

 ランスが「それ」と指差しながら指摘したもの、魔人シルキィがその手に持つ大きな斧槍。

 それはランスが使う模擬剣とは違い、彼女が付与の能力で制作した魔法具、その攻撃特化型剣形態「リトル」の形状を変化させたもの。

 

「だってランスさん、魔人シルキィの実力を味わいたいんでしょう? だったらこの魔法具の武器は欠かせないじゃない?」

「いや、別に実力を味わいたいって訳じゃ……」

「それに貴方はレッドアイとも戦える人だもの。変に手加減するのも失礼だしね。本当は装甲までちゃんと着込みたかったんだけど」

「あれは駄目。あの装甲まで着ている君はガチガチ過ぎてダメージが全く入らん」

「でしょう? だから攻撃形態の魔法具ぐらいは使おうと思って。それに正直言うと私はリトルじゃないと上手く戦えないのよ。もう長年これしか使ってないから他の武器が手に馴染まなくて……」

 

 魔人シルキィの特筆すべき点としては付与の才能で作り出した魔法具に加え、剣、槍、斧と多彩な武器を扱う才能を有する事が挙げられる。

 彼女にとって模擬剣ではその全ての才を余す事無く披露する事が出来ない。状況に応じて形状を変える魔法具の武器『リトル』は、シルキィがその実力を発揮する為に欠かせないものとなる。

 

「……分かった。なら特別にその武器を使う事は許可してやる。その代わり君が負けたら罰ゲームで朝までセックスの刑だからな」

「……ランスさんならそんな事を言ってくるかも、とは思っていたけどね」

 

 そこでシルキィはやれやれ、といった感じに溜息を吐いて。

 

「まぁいいわ、罰ゲームの件は分かった。でも、そうなると私も負けられないわね」

 

 それまで柔和な表情だった魔人四天王、だがその言葉と共にすっと真面目な表情に変わる。

 それは外見上ではほんの少しの変化、だがそれだけで全くの別人になったかのように、彼女から伝わってくる空気が一変する。

 

「っ……!」

 

 それは思わずランスも一歩下がる程の圧力。

 昨日までに戦ったサテラやハウゼル以上、魔人四天王による威圧、肌がビリビリするような強烈なプレッシャー。

 

「……さてと。それじゃ準備はいいかしら?」

「……おう。んじゃいくぞッ!!」

 

 始めから受けに回っては到底勝ち目など無い。そう本能的に判断したのか。

 ランス自ら戦闘開始を宣言して、同時に地を蹴って一気に前に進み出る。

 

「でりゃ!!」

 

 そして上段からの振り下ろし。前進の勢いも十分に乗せた模擬剣の一撃。

 

「速いっ、けど……!」

 

 しかし相手には命中せず。シルキィは深くしゃがみ込んでその攻撃を回避する。

 装甲を脱いだ分防御力は大きく下がったものの、代わりに身軽さや敏捷性は大きく上昇する。小さな体躯を活かしてランスの攻撃を軽々と躱し、立ち上がりと共にお返しの攻撃。

 

「はっ!」

「ぐっ、にに……!」

 

 武器の形状は剣。低く潜り込んだ下から頭上への振り上げ。

 ランスは模擬剣を合わせて防ぐものの、その圧に持ち上げられて足が地面から僅か離れる。

 

「ふっ!」

「うおっ!?」

 

 瞬時に形状を変化させて今度は斧。身体を反転させて大きく真横へと振り払う一撃。

 ランスも模擬剣を横に当てて受け止めるが、そのまま身体ごと弾かれてしまう程の威力。

 

「ぐっ、なんちゅー馬鹿力……! 腕なんて俺よりも遥かに細いくせして……!」

「魔人ってのはそういうものなの。私のパワーを見かけで判断しない方が良いわよ!」

 

 人間のランスと魔人四天王たるシルキィでは、とにかくその馬力が違う。

 彼女の細腕から繰り出される信じ難い膂力、そして武器の重量も加われば、一撃の破壊力はランスのそれを優に上回る事となる。

 

「ちくしょー! 見かけだけならただのエロい格好した痴女なのにー!!」

「そういう事言わないっ! ほら、お喋りしている余裕があるの!?」

「ぐぬッ! おいシルキィちゃん、きみ今の一言でちょっと怒って……のわぁっ!」

 

 斧槍で繰り出す振り下ろしの一撃。ランスはどうにか剣を当てて防ごうとするものの、その威力の前では鍔迫り合いになる事も出来ない。

 シルキィの一撃を防御する度、あるいは吹き飛ばされる度に強い衝撃が走り、その身体に防ぎようのないダメージが蓄積していく。

 

(くそっ! こんなん何発も受ける訳にはイカンってのに……!)

 

 受け止める度に骨が軋む感覚。こんな攻撃を受け続けてはその内に腕がイカれてしまう。ヒーラーの居ない一対一ではそういう問題も浮上する。

 故に出来る事ならば回避を、それこそあのレッドアイ戦みたいに全てを回避したい所なのだが、しかしレッドアイとシルキィでは役者が違う。

 レッドアイとは違って近接戦闘に関する才能を有するシルキィの攻撃は多彩であり、特に武器の形状を変えてくるのが実に厄介。武器毎に間合いが異なる影響でどうしても回避が難しくなる。

 

「はッ!」

「っと! 危ねえ、ギリギリ……!」

「さすがに良い反応ね、ならこっちはどう!?」

「ぐおぉっ! くうッ、さすがにあの時とは大違いだな……!」

 

 高速で真っ直ぐを突いてきた槍の一撃。

 それを何とか剣で弾いて逸らしながら、ランスはこの魔人に一度勝ったあの時の事を思い出す。

 

 それは前回の第二次魔人戦争でのリーザス国、ランス率いる魔人討伐隊は魔人四天王シルキィ・リトルレーズンと戦い勝利を挙げた。

 だがそれは連戦に次ぐ連戦で疲弊しており、更に魔封印結界により追い詰め、装甲の展開すら満足に出来ない状態まで弱体化させての事で。

 勿論ながら今のシルキィはそのような弱体化などしておらず、魔人四天王としての100%の実力を発揮している。今も持ち得る膨大な魔法具のほんの一部分しか使用していないにもかかわらず、完全にランスの事を圧倒していた。

 

「このっ……とりゃーーっ!!」

「甘いっ!」

「のわっ! ぐ、ぐぬぬぬ……!」

 

 叩きつけるような渾身の斬撃。それを半歩横に動くだけでするりと躱され、お返しとなる蹴りを食らってランスがよろめく。

 この模擬戦で戦った相手、ガーディアンメイクが本領となるサテラや遠距離砲撃を主体するハウゼルとは違い、シルキィは接近戦を得意とする純然たる戦士。その運動性能は先の二人の比ではなく。

 そして彼女はランスの約40倍もの長い年月を生きている魔人。これまでの人生で培ってきた戦闘経験でも大きく上回られている。

 

「どうしたの? もう降参する?」

「何だとぉ!? 俺様が負けるかー!」

「そうそう、その意気よ!」

 

 もはや戦いというよりも、シルキィ主導の実践型稽古のようになってきてしまっていて。

 とにかくそんな魔人四天王、そんな強敵にランスが一対一で勝とうと言うのなら、それはもう奇跡と呼ぶべきものが必要である。

 

 だが奇跡とは稀にしか起こらない。そして大体の場合模擬戦闘などでは起きてくれない。

 奇跡が起きなかった場合、結果がどうなるかは火を見るよりも明らかな事で。

 

 

 

 

 

「……ぜぇ、ぜぇ……」

 

 模擬戦開始から十分程。

 

「ぜぇ、はぁ……ちょ、ちょっとタンマ……」

 

 もはやランスはバテバテの状態。

 ぜぇぜぇと息切れしながら両手で膝を押さえる。

 

「そうね、少し休憩にしよっか」

 

 一方のシルキィは平然とした顔。

 こくりと頷いて振り上げていた剣を下ろした。

 

「はー、はー……シルキィちゃん、きみ、けっこう容赦無いな……」

「そう? これでも抑えてはいるんだけど……」

「……マジか。まだ本気じゃねぇってのか……」

 

 額をだらだらと流れる汗を拭いながら、ランスは呆然とした様子で呟く。

 未だ実力の底を見せてはいない魔人シルキィ。彼女が本気で戦うとなったらここにあらゆる攻撃を防ぐ完全装甲が加わり、更には装甲の巨人まで展開する事も出来る。

 それが魔人四天王の真の実力。とても人間一人では届かない力量差である。

 

「でも大したものだわランスさん。これだけ私の動きに付いてくるなんて」

「……ぐぬぬ、なんだか上から目線……」

「そりゃあ私はこれでも魔人四天王だもの、そう簡単には負けられないわ。でも本当にお世辞抜きで、ここまで私と打ち合えるのって凄い事なのよ?」

「……て言われてもなぁ……」

 

 時にシルキィは魔物兵の訓練に参加し、そこでこうした模擬戦を行い部下達を鍛える事もある。

 そういった経験からここまで自分に食い下がるランスの実力を高く評価していたのだが、そう言われた当の本人はあまりピンと来ていない模様。

 

 それは何故か。

 答えは簡単。ランスはまだシルキィに負けたつもりなどさらさら無いから。

 

「……あー駄目だ、もう喉がカラカラだ。シルキィちゃん、悪いけどちょっと……」

「うん、お水汲んできてあげるね。ランスさんはそこのベンチで休んでいて」

 

 そしてその魔人が自分から背を向けて。

 花壇のそばにある蛇口の方へと向かって、すたすたと歩き出したその瞬間。

 

「いきなりランスアタックッ!!」

 

 ランスはなんら遠慮なし、そして一切の手加減抜きとなる攻撃を仕掛けた。

 それは多種多様な武器を扱う才があれど、そのどれもがLV1のシルキィには出来ない芸当。

 剣LV2の才を持つランスだからこそ出来る芸当、必殺技ランスアタック。

 

「なッ!?」

 

 完全なる背後から繰り出されたその一撃に対し、シルキィも見事な反応を見せた。

 瞬時に反転し、目の前に迫る刃のような衝撃波をその手に持っていた剣で受け止める。

 

「うっ!」

 

 それでもさすがに咄嗟の事、受け方が不安定なものとなってしまったのか、衝撃波の圧力に押されて体勢を崩し、その手からリトルを放してしまう。

 

「そこだーーー!!」

「あっ──!」

 

 続けざまにランスの全力タックルを食らい、そのまま芝生の上に倒れた。

 

「……もう、ズルいわランスさん。さっき貴方の方から『タイム』って言ったんじゃないの……」

「くっくっく。シルキィちゃん、敵の言葉を信じてはイカンなぁ。実戦ではそんな文句を言った所で誰も聞いてはくれないぞ?」

「そりゃそうだけど……、あ、ちょ、ちょっとどこを……!」

 

 押し倒される格好となっていたシルキィは突然に慌てた声を出す。

 彼女の慎ましやかな胸元、ランスはそこに狙いを絞ったらしく、服の上からそこを指先で弄ってみたり、舌で舐めてみたり。

 

「うりゃうりゃ、ぺろぺろ」

「あっ、もう、こんな所で何を……やんっ」

 

 するとその部分には次第に変化が訪れる。 

 服の上からでもうっすらと分かるそれ、ツンと尖ったぽっちは彼女の身体が反応した証なので。

 

「……よしっ! 俺様の勝ちって事で!!」

 

 ランスは魔人四天王シルキィ・リトルレーズンに勝った事にした。

 

「これにて模擬戦しゅーりょー、お疲れ様ー……と言う事でっと……」

 

 そして横たわる敗者を抱え上げ、そのままシルキィの事を自室へとお持ち帰り。

 ……しようと思ったのだが。

 

「よっと」

「ありゃ?」

 

 昨日までの流れのようにはいかず、シルキィは腕の中からするりと逃げ出してしまった。

 

「え、シルキィちゃん?」

「それだけ元気なら休憩はもう良いわね。模擬戦再開といきましょうか」

「……いやあの、俺様もう疲れたから……」

「あんな必殺技を撃つ体力が残っているんだもの、まだまだ頑張れるでしょう?」

「……というかだな、この後はセックスをするっつーのがこれまでの流れで──」

「ちゃんと剣を持って。ほら、しっかりと構えて。……それじゃ戦闘再開。いくわよ!」

「ちょっとま……どわーーっ!?」

 

 

 その後。

 ランスは魔人四天王によるスパルタトレーニングに延々と付き合わされて。

 

 

 その日の夜。

 ランスはお返しとばかりにシルキィの事をベッドの上で存分に突き回して。

 

 

 そして次の日。

 ランスは全身を襲う打撲痛と筋肉痛でまともに動く事が出来ず。

 

 

 

 

 

 

 そして、その次の日。

 

 そこは相変わらず魔王城の中庭。

 広大な敷地の一角、武器を片手に向かい合う一人の人間と一人の魔人。

 

「……いよいよこいつか」

 

 昨日までに魔人サテラ、そして魔人ハウゼル、更には魔人シルキィに勝利した。

 そんなランスが挑む最終戦。こうして対峙するは勿論あの魔人。

 

「………………」

 

 静かに佇むその姿。

 ホーネット派最強の存在、魔人ホーネット。

 

「この模擬戦も遂にここまで来たぞ」

「……遂に、ですか」

「あぁそうだ。俺はサテラとハウゼルちゃんとシルキィちゃんに勝った。となりゃやっぱ大トリはお前しかいないと思ってな」

「……あの三人からの勝利は正攻法ではないと聞きましたが……とはいえ仮にも一本取られてしまった以上、負けは負け。彼女達が負けたというなら確かに私の出番でしょうね」

「だろ? ここでお前を倒して俺が最強だという事を証明してやる。ホーネット、覚悟はいいか」

 

 強気な笑みを浮かべるランス、一方のホーネットは常の冷然とした表情で。

 二人が手に持つ武器は共に剣。長さも重さも同一、全く同じ規格の模擬剣。

 同じ武器を使用する以上、勝敗を分けるのは互いの実力のみ。

 

「……えぇ、私の準備は出来てきます。いつでも構いませんよ」

 

 そう答える彼女には特に気負った様子も無く、本当に普段通りの佇まい。

 だがその姿に迫力がある。ただ立っているだけで他を圧倒する存在、それが魔人筆頭。

 

「……うし」

 

 こちらもすでに準備万端。ランスは模擬剣を握り直して相手を見据える。

 

「……ホーネット、いざ尋常に勝負ッ!」

 

 そして戦闘開始。同時に二人共に前に出る。

 瞬時にその間合いが狭まり、二人共に袈裟斬りで振り下ろす。

 正対照となる太刀筋は途中で衝突し、直後にガキィン! と聞こえる金属音。

 

「ぐ、ぬ……!」

「………………」

 

 至近距離での鍔迫り合い。歯を食いしばるランスの一方、ホーネットは実に落ち着いた表情。

 魔人との力比べは厳禁。以前サテラがそう言っていた通りに押し負けたのはランス。よろめき体勢を崩した彼に魔人筆頭の追撃が迫る。

 

「──ふっ」

「ぬッ! ぐぐっ!! こ、れは──ッ!?」

 

 一撃、一撃と途切れる事無く、一連の動作のように続くホーネットの流麗な剣。

 ランスは一撃、一撃と必死に防ぐが、防ぐ度に火花が飛び散り、両腕に途轍もない衝撃が伝う。

 

(こいつ、ヤバい……! メチャクチャ振りが速いし、それなのにこの重さか……ッ!)

 

 魔人ホーネットの実力。それは前回の時も含めて初めて自分に向けられる事となったもの。

 模擬戦だと言う事も忘れて命を懸けている気分になりながら、ランスは心の中で驚愕する。

 魔人としてのレベルが200を超えるホーネットが振るう剣。それはリーザスの紅い死神以上に速く、ヘルマンの人斬り鬼以上に重く、JAPANの軍神以上の鋭さで以てランスに襲い掛かる。

 

「ぐッ! 速、ちょ、ま──!」

 

 傍から見たら閃光のようにしか見えない剣撃、ランスは殆ど感覚だけで腕を振って防御を行う。

 その苛烈な攻めを前に、こちらから攻撃を挟む余裕など微塵も無し。ただ相手の太刀筋に剣を合わせる事だけに全神経を注ぎ、満足に呼吸をする余裕すらも無く。

 

「……勝負ですからね。待つ訳にもいきません」

 

 一方ホーネットは相変わらずの様子、普段通りの振る舞いを崩さずして激しく攻め立ててくる。

 

 魔人ホーネット。その剣はLV2の高みにあり、もはやランスとも才能に違いは無い。

 となると他に勝敗を分ける要素と言えば単純なレベル差となりそうだが、レベルというのは生物毎にパラメータの上昇幅が異なる。故に魔人と人間であれば、仮に同レベルであっても身体能力などでは人間の方が劣る事となる。

 にもかかわらずホーネットのレベルは210。一方のランスは現状100にも及ばず、そんな人間が魔人筆頭と一対一で戦って勝てる道理など無く。

 

 

 

 

 そして。模擬戦開始から五分程。

 あるいは五分近くも耐えられた事が奇跡と呼べるのかもしれないが。

 

「……し、しぬ……た、たいむ……」

 

 何ら見せ場など作る事も出来ず。

 もうランスはヘトヘトの状態、芝生の上にどてーんとひっくり返った。

 

「お前さ……ちょっとは手加減しろよ……こっちは人間だぞ……」

「これでも十分手加減しているのですが……」

 

 一方のホーネットは涼しい顔、戦闘中断の合図を受けて丁寧にも模擬剣を鞘に収める。

 

 その言葉通り彼女はまだ手を抜いている。その剣戟という意味でもそうなのだが、なによりこの戦いでは魔法を使用していない。

 魔人ホーネットの本質は高い剣の才と高い魔法の才を兼ね備えた魔法剣士であり、斬り合いの最中に魔法が飛んでくる事となれば段違いに驚異となるのは言うに及ばず。

 

「さすがに最強だと証明してやると言うだけの事はありますね、貴方の剣術は見事なものです。ただ時折足捌きが雑になる所と、振りが力任せになる事がある点が少し気になります」

「……んなレクチャーは聞いとらん……」

 

 そんな驚異的に強い存在、魔人ホーネット。

 彼女は汗も流さぬ顔で倒れたランスの様子を眺めていたのだが。

 

「ぐぅ、身体が痛い……何だか怨念のようなものを感じるぞ。おいホーネット、お前なにか俺様に恨みでもあんのか?」

「恨み……?」

 

 ランスからそんな事を言われた瞬間、虚を衝かれたような表情に変わる。

 

「恨み、ですか……。いえ、別にそんな事は……しかし全く無いかと言われると……」

 

 そして何やら思う事があったのか、殊の外真剣な表情となって悩み始める。

 そんなホーネットの様子を好機と見たのか、

 

「……そーっと……」

 

 ランスは芝生の上から音もなく起き上がり、ゆっくりと近づいていく。だが、

 

「……あ」

 

 そこでホーネットはすぐに思考を中断し、再度ランスの方にその視線を向けた。

 

「……何だよ」

「……いえ。ランスが『タイム』と言ったら何かを仕掛けてくるので気を付けてください……と、昨日シルキィから聞いたものですから」

「……ちっ」

 

 すでにその情報も相手方で共有済み。休憩中に攻撃するような手も通用しそうに無い。

 

「……ぐぬぬ。こうなると……」

「ランス、まだこの模擬戦を続けますか?」

「ぬ……当たり前だ。まだ勝負はついてねーぞ」

 

 口先ではそう強がるものの、だがランスの頭はすでに厳しい現実を受け止めていた。

 戦い事に関してはシビアに考えるその思考が、目の前に居る相手が自分と隔絶した実力を持つ相手だという事を認めてしまっていた。

 

(さすがに……さすがにこいつに勝つ方法は……ちょっと無いかもしれねーな……)

 

 魔人ホーネット。魔物界を二分する派閥の一つ、ホーネット派の主である魔人筆頭。

 その強さはたかが人間一人の力では到底届かないような領域にある。

 

(……いや)

 

 そんな相手に勝つつもりのランスに残されている手段。

 それはもう出し惜しみせず、持ち得る全ての力を尽くしてぶつかる事のみ。

 

「──決めた。こっからは本気でやる」

「……本気?」

 

 その宣言をランスが口にした途端、ホーネットの眉がぴくんと動く。

 

「ランス、今までは本気では無かったと?」

「あぁそうだ。こっからが俺様の本気だ。……おい、何だその目は。疑ってんのか?」

「疑っている訳ではありませんが……しかし手を抜いていたようにはとても……」

「いーや、さっきまでの俺様は本気じゃない。つーか言わせて貰うとこんなオモチャでは本気を出す事など出来んのだ」

 

 するとランスはその手に持っていた武器、オモチャのような模擬剣を放り捨てる。

 それは彼の手には決して馴染まないもの。なぜならランスという男は訓練や特訓をしない。自主的に自らの身体を鍛えたり、このような模擬戦などは基本的には行わない。

 ランスの強さは全て実戦で磨かれたもの、生命を賭けた殺し合いの中で鍛え上げてきたもの。

 

「つー訳で俺様はコイツを使う」

「……え、儂を使うん?」

 

 故に実戦同様となるその武器を──魔剣カオスを腰から引き抜いた。

 

「えーの? 儂ってガチの魔剣だし、模擬戦とはいえ当たり所が悪いとバッサリイッちゃうよ?」

「良いんだよそれで。だからホーネット、お前もその剣じゃなくてちゃんとした武器を使え」

「しかし……」

 

 持参していた愛剣の鞘に恐る恐る手を掛けながら、ホーネットは困惑した表情を浮かべる。

 互いに真剣同士での戦い。それは模擬戦であっても極めて実戦に近く、カオスが言うように下手すれば大怪我を負う可能だってある。そして勿論、場合によっては死ぬ可能性も。

 

「……ランス、私は結構です。使うというならば貴方だけがその魔剣を使って下さい」

「いいからつべこべ言わずにお前も使え。じゃねーと俺様の本気が出せねーんだよ」

 

 互いが互いを殺し得る武器を使って戦う場合、自ずとその歩幅や間合い、戦法や体捌きの妙なども模擬戦とは大きく異なってくる。

 そして、常に真剣勝負の中を生きてきたランスが得意とするのはそちら側の戦いである。

 

「………………」

「どうしたホーネット。ガチで戦って俺様に負けるのが怖いのか?」

 

 そんな台詞を吐いてくるランスの顔、その刺すような目付きは見るからに本気の眼差しで。

 その表情から伝わってくる強い意思を目にして、迷っていたホーネットも覚悟を決めた。

 

「……分かりました。本当に構わないのですね。怪我をしても知りませんよ」

「お前こそ。もしここで死ぬ事になっても文句言うんじゃねーぞ」

 

 そして二人は再び向かい合う。

 自然と先程よりも距離を取って、深い間合いで両者が対峙する。

 

「………………」

「………………」

 

 その冷えた空気は達人同士の試合そのもの。

 相手の僅かな動作も見逃さんと、互いにじっと睨みあったまま、一秒、二秒と時間が過ぎて。

 

 ──そして。

 

 

「──ッ!」

 

 どちらが先を制したか、あるいは同じか。

 二人は共に地を蹴る。瞬時に間合いが詰まる。

 振り上げた剣を再度袈裟斬りに、正対称となる太刀筋で共に振り下ろす──

 

 

「ぽいっとな」

「あれー!?」

 

 ──寸前、ランスはその手に持っていた魔剣カオスをパッと手放した。

 

「ッ!?」

 

 その奇策を驚愕の表情で迎えたのはホーネット。

 自分は鍔迫り合いを作るつもりでその剣を、手加減抜きの一撃を繰り出してしまっている。

 それなのに相手は剣を捨てた。このまま剣を振りきってしまうとランスの身体を斬る事になる。いやそれ所か、この勢いのままでは身体を真っ二つにしてしまう可能性すらも。

 

「くっ!」

 

 刹那の間にそんな事を考え、ホーネットは必死でその腕を引き戻した。

 しかし本気で振り下ろしていた分、瞬時に止めるのにはかなりの無理をする必要がある。

 その分どうしても体勢は不格好なものとなり、必然そこには大きな隙が生まれてしまう。

 

「そこだーーー!!」

 

 そしてその隙を見逃すランスでは無かった。

 手ぶらとなった両手を大きく広げて、その隙だらけの身体をぎゅっと抱き締めて、そして。

 

「──ん! ……んぅ……」

 

 そのままのノリでホーネットの唇を奪っていた。

 

「むっ……ん、んん……んむ……」

 

 そこからの一手は実に迅速、すぐに舌がうねうねと動いて唾液が絡み合う。

 そんな攻撃を前にしてはさすがの魔人筆頭といえどもされるがまま。自然と瞼を閉じてその感触を味わう事だけに身を委ねてしまう。

 

「……はっ」

 

 どれだけ時間が経ったのか、くちゅり、と音を立てて互いの顔が離れる。

 するとそれは照れているのか、あるいは悔しがっているのか。とにかくホーネットは何とも言い難い表情で目の前にいる男をぐっと睨んだ。

 

「……ランス、貴方はなんという事を……」

「何だよ、キスの一つぐらい今更な事だろ?」

「っ、そこでは無く……貴方は自分がどれだけ危険な事をしたか……私が剣を止めなかったらどうするつもりだったのですか」

「がははは、それは負け惜しみかな? お前が剣を止める事までを読みきってこその戦いというものだろう、ホーネット君?」

 

 口元をにぃと曲げるランス。それは見事に作戦がハマった事を受けての会心の笑み。

 ランスが狙っていたのはとにかくこの魔人から隙を作る事。しかし単純な実力勝負では彼女から隙を作り出す事はちょっと難しい。

 故に攻撃の途中で剣を捨てる。そんな捨て身の作戦により、まんまと隙を見せたホーネットからディープキスを奪う事に成功したのだった。

 

「とにかくこれは一本取ったって事でいいよな?」

「……そう、ですね。貴方が武器を手放す事、それを私が読んでさえいればこれは防げた事。その読みが届かなかったのは私の落ち度である以上、貴方に一本取られたと認めるしかありません」

 

 実の所ただ一回口付けをしただけなのだが、こうして当の本人も負けを認めた事なので。

 

「よしっ!! 俺様の勝ちって事で!!!」

 

 ランスは魔人ホーネットに勝った事にした。

 

 

「やったー!! 遂にホーネット派魔人全員を倒したぞー!! 俺様さいきょー!!!」

 

 そして高々とガッツポーズ。

 こうしてランスは魔人サテラを、魔人ハウゼルを、魔人シルキィを、魔人ホーネットを倒した。

 彼の輝かしい功績にまた一つ、いや四つ分の戦績が加わったのだった。

 

「……ですがランス、ホーネット派魔人全員を倒したと言い張るのならば、まだガルティアとメガラスが残っているのではありませんか?」

「いやそいつらはいい。俺様の中でそいつらはホーネット派に入ってないから」

「……当人達が聞いたら悲しみますよ」

 

 途中で鞍替えしたガルティアはまだしも、ホーネット派結成当時から参加してくれていたメガラスに対しその言い種はあんまりでは。

 ホーネットは大いにそう思うのだが、しかしランスはそんな事お構いなしで。

 

「とにかくこれで俺はホーネット派に勝利した。これが何を意味すると思う?」

「……貴方が凄い人物だという事ですか?」

「それもあるけどな。大事なのは四体の魔人を倒したって事だ。つまり魔人四体分となる大量の経験値、俺はそれを手に入れたって事になる」

「……そうなのですか?」

「そうなのだ。つー訳で……レベル神ウィリス、かもーん!」

 

 経験値というのはあんな勝ち方で、単にキス一つしただけで手に入るものなのか。

 そんな疑問にホーネットは眉を顰めていたのだが、しかしそんな勝ち方であっても勝ちは勝ち。強敵たる魔人から一本取った事実に違いは無し。

 

 魔人サテラと魔人ハウゼル、そして魔人四天王シルキィ、更には魔人筆頭たるホーネット。

 彼女達に勝利した分の経験値は確かに加算されていたらしく。呼び出しに応じて姿を現したレベル神、すでにサービスは最終段階の一糸纏わぬウィリスが職務を終えて帰った頃には、ランスのレベルは80代の半ばまで上昇していた。

 

「よしっ、これで俺様はちょーレベルが上がった。ホーネット、これが何を意味すると思う?」

「それは……強くなったという事では?」

「惜しい。確かに強くなったのもそうなのだが……肝心なのはこっちだ」

「……こっち?」

 

 そしてこれ程にレベルが上昇すればきっと、いや間違いなくアレが出来るはず。

 ランスは魔剣カオスを構えて、柄を握る手にぎゅっと力を込める。

 

「見てろよぉ~ホーネット、さっきまでとは違う、俺様の真の実力を!」

 

 そこにある標的を──何もない芝生を見据えたまま、その精神を極限まで集中させる。

 そうして全身に溜め込んだ気力、それはランスが得意とする必殺技、ランスアタックを放つ時以上となる膨大な量のエネルギー。

 

「──っ!」

 

 そして踏み込みと共に振り下ろす。

 それは必殺技を超える必殺技、ランスにとっての最強の一撃。

 

「──鬼畜ッ、アタァァックッ!!」 

 

 直後発生した鋭い衝撃波。それは視界一杯に広がる程に莫大な規模。

 爆撃のような音を響かせて大地を削っていくその様は、斬撃と言うよりももっと別の恐ろしい何かのようにも見えて。

 

「これは……」

 

 呆然と呟くホーネット、その目の先にはクレーターのような大穴が一つ。

 それがランスアタックを超えるランスの必殺技、その名も鬼畜アタック。

 魔人筆頭でも眼を見張る程、人間一人の力でなし得るものとは到底信じ難いような一撃だった。

 

「ふいー、出来た出来たー。やっぱここまでレベルが上がりゃあ出来るよな。わざわざ模擬戦なんぞをした甲斐があるってなもんだ」

 

 やりきったような表情のランス。

 その身体には必殺技を撃った後特有の虚脱感があったが、それを上回るような達成感も。

 

 数日前の朝の事、自身の身体に巡る充実した感覚から、ランスはふと「これはそろそろ鬼畜アタックが撃てそうだな」と思い至った。

 そこで今回こうして魔人達との模擬戦を行い、たっぷりと経験値を稼がせてもらう事で、見事ランスは鬼畜アタックの習得に成功したのだった。

 

「さてと。んじゃお次は……」

 

 そして鬼畜アタックの習得に成功した以上、もはや模擬戦を続ける理由など無し。

 ランスはホーネットのそばにそそっと近づき、おもむろにその肩を抱き寄せる。

 

「ホーネットよ、俺様の部屋に行くぞ。まぁお前の部屋でも構わんが」

「……何故?」

「そりゃ勿論セックスする為だとも。この模擬戦の敗者は勝者と朝までセックスする、そういう流れに決まっているのだ」

「……そのような流れ、私は知りません」

 

 静かにそう答えるホーネットだったが、その肩に回された手を払い除ける事は無く。

 そうして二人は同じ方向に歩き出したのだが、

 

「……つーかさぁ」

 

 突然ランスはニヤニヤとした顔で。

 

「ホーネットぉ~、さっきな、俺様と熱~いキッスをしただろう?」

「……それが、何か?」

「あれさぁ~、お前の反応速度がありゃあ、避けようと思えば避けられたんじゃねーのぉ?」

 

 本当にニヤニヤとした顔で、そんな意地悪な事を言ってくるランスに向けて。

 

「……ですから、そのような事は知りません」

 

 ホーネットはそう答えるのが精一杯だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ。

 

 

 

 エクストラバトル、第一戦目。

 

 

「……ふぅ」

 

 挑戦者は人間の男、ランス。

 

「模擬戦だったな。んじゃさっそくやろーか」

 

 対峙するは暴食のムシ使い、魔人ガルティア。

 

「あんたはあのレッドアイに勝った男だからな。こうして戦えるのは本当に楽しみだよ」

 

 剣を握る手をぶらりと下げたまま、しかし隙の無い構えでガルティアは嬉しそうに笑う。

 

「先に言っておくけどこの試合は俺様が勝つ。それはもう決定している事だ」

「どうかな。勝敗ってのはやってみないと分からないものだと思うぜ?」

「いいや分かる。何故なら俺様には備蓄しているあの団子全てを廃棄する権限があるからだ」

「えっ」

「いいかガルティア。万が一、いや億が一にでも貴様が俺に勝つような事があった場合、もう二度とあの団子は食えなくなると思え。では戦闘開始ー!」

「な、ちょ、それズルくねぇ!?」

 

 ガルティアの悲鳴になどランスは聞く耳持たず。

 お互い剣LV2となる戦士二人、その後両者は10分間程にわたる激戦を繰り広げて、そして。

 

「──参った! 参ったよ、俺の負けだ」

「よし」

 

 最終的にはランスの企み通り、自らの食欲に屈したその魔人は敗北を認めた。

 こうしてランスは魔人ガルティアに勝利した。

 

 

 

 

 

 

 エクストラバトル、第ニ戦目。

 

 

「……ふぅ」

 

 挑戦者は人間の男、ランス。

 

「………………」

 

 対峙するは沈黙のホルス、魔人メガラス。

 

「………………」

「………………」

 

 双方共にその口を開く事は無く。

 

「………………」

「………………」

 

 不気味な程の静けさの中、二人はただじっと睨み合って。

 

 ──そして。

 

「──さいしょはグー! じゃんけんポイ!!」

「……ッ!」

 

 ランスが出した手はグー。

 メガラスが出した手はチョキ。

 

「いやったー!! 俺様の勝ちーー!!」

「………………」

 

 喜ぶランスの一方、メガラスはちょっと悔しそうにその顔を伏せる。

 こうしてランスは魔人メガラスに勝利した。

 

 

 

 

 

 

 そしてエクストラバトル、最終戦。

 

 

「なぁホーネット、ちょっとワーグと戦いたいからこの前の眠くならない禁呪をもう一回──」

「嫌です」

 

 最終戦は行われなかった。

 

 

 

 




今回の話に関して、特にホーネットの戦闘描写に関して「あれ?」思った方もいるかもしれませんので一応記載しておきます。
この話はあらすじにもある通り、『ランス10ver,1.04までの設定、及びハニホンXの設定』を参考にしており、その後明らかとなった設定は参考範囲外となります。
ここら辺の話は活動報告にも上げましたので、より詳しく気になる方はそちらに目を通して貰えれば幸いです。


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シルキィの想定外

 

 

 

 

 それはある日の事。

 

「……という訳で。貴方も知っているとは思いますが、目下最大の敵はケッセルリンクです」

「へー」

「ここから先、ケイブリス派の本拠地たるタンザモンザツリーに侵攻しようとするならば、その途中に広がる大荒野カスケード・バウを越える以外に方法はありません」

「ほーん」

「そしてカスケード・バウを越えようとするなら、その際に猛威を振るうケッセルリンクを倒す以外に方法は無いでしょう。夜毎に襲撃を受けてはとても遠征などままなりませんからね」

「なるほどなー」

 

 ホーネット派としての今後の課題と進路。

 彼女が自然と話題に選んだそんな話に、ランスは何とも適当な相槌で答える。

 

「……ランス、ちゃんと聞いていますか?」

「聞いとる聞いとる。……けどその話はもう何回も聞いたからなぁ」

「……そうですね。確かにこの話は前にもした事がありましたね」

 

 その頃から未だに解決していない、未だに進展していない悩みなのだと、ホーネットは嘆息したい気分をぐっと押し殺してティーカップに手を伸ばす。

 

 時刻は昼過ぎ、そこはホーネットの部屋。

 本日のランスは暇を持て余し、なんとなくの気分でこの部屋に遊びに来た。

 そして今はホーネットと二人ソファに掛け、3時のおやつをご馳走になっていた。

 

「もぐもぐ……なぁホーネット、このクッキーはお前が焼いたのか?」

「いいえ。それは私の使徒が焼いたものです」

「そか。つーかそういやお前は料理出来ないっつってたな」

「……別に出来ないという訳では……」

 

 そこにはプライドというものがあるのか、彼女の中で譲れない部分なのか。

 する必要が無いのでしないだけです、とそんな台詞を小声で呟くホーネット。しかしてあまり触れたい部分でも無いのか、すぐに話を元に戻す。

 

「……とにかく。ホーネット派の今後の目標としてはカスケード・バウの攻略、それに伴うケッセルリンクの撃破が最優先となります」

「カスケード・バウか……あそこには雑魚共がうようよしてやがったからなぁ……」

「えぇ、向こうもあの地を越えられては後がありませんからね。その力の入れようから見ても最大の山場となる事でしょう」

 

 現在のホーネット派勢力圏とケイブリス派勢力圏を隔てる大荒野、カスケード・バウ。

 その地に置かれたケイブリス派の防衛戦力は途轍もない規模。もし仮にそれを一掃出来た場合、その先にある本拠地タンザモンザツリーには僅かな手勢しか残らない程となる。

 

「カスケード・バウさえ越えられたならばもう勝利は目前です。勿論タンザモンザツリーの制圧は残っていますが、カスケード・バウを越えるのに比べれば苦労はしないはずですからね」

 

 本拠地を手薄にしてでもカスケード・バウの守りを厚くしている以上、どちらの派閥にとってもそこが最大の焦点となるのは明らか。

 だからこそこうしてランスの意見を聞く為に現状を説明してみたりと、ホーネット達は結構前からカスケード・バウ攻略の為に色々動いているのだが、中々そう簡単にはいかないもので。

 

「……とはいえ、依然としてカスケード・バウは難攻不落。守備部隊の規模、夜毎に出てくるケッセルリンクに加えて、それ以外の魔人がどれだけ出てくるかの予想が本当に難しいのです」

「なるほど。確かにあのキザ野郎一匹だけならともかく、他にもいるとなると面倒だな」

「えぇ。そんな事もあってかまだ……前々から進軍準備を整えてはいるのですが、決行には二の足を踏んでいるというのが実状です」

 

 すでに大半の魔物兵はホーネット派最前線拠点、ビューティーツリーへと集められており、いざやろうと思えば半月も掛からずにカスケード・バウへと大攻勢を仕掛ける事が出来る。

 しかしその具体的な時期は未定の段階。過去数度の失敗の事実もあってか、ホーネットはまだ決断出来ずにいるらしい。

 

「……問題はいつカスケード・バウに攻め込むかって事か?」

「えぇ、まぁ……これ以上考えても仕方の無い事なのかもしれませんが……」

「ふーむ……」

 

 そんな悩み事を打ち明けられたランスは、顎に手を置いて数秒考える……ふりをした後。

 

「……ま、気が向いたらでいんじゃねーの?」

 

 そんな適当極まりない言葉を返した。

 

「……ランス。それは幾らなんでも……というか貴方は戦いを急いていたのではないのですか?」

「急く? いや別にそんな事はねーけど」

「……そうなのですか? 貴方が自発的にカスケード・バウに挑んだりしたのは遅々として進まない現状に苛立ったからだと、私はシルキィからそう聞いていたのですが」

「あー。そりゃまぁそんな事もあったけど、あれはその時に限った話だからなぁ」

 

 それは今から二ヶ月以上前、一ヶ月間にも及ぶ長い迷宮探索から帰ってきた直後の話。

 ちんたらしていて進まない現状に苛立ち、ならば俺様がどうにかしてやる! とケッセルリンクを討伐する為カスケード・バウに挑んでみたり、死の大地に挑もうとして魔人レッドアイと戦う羽目になったりと、色々と迷走していた時の話。

 あの時のランスは確かに苛立っていた。それはホーネットが指摘する理由も勿論なのだが、しかし一番肝心な理由はもっと別にある。

 

「あの時はなホーネット、お前とセックスする事が出来なかったのだ。だからそのイライラをぶつけて憂さ晴らしがしたかったのだ。……けど今はもうお前とセックス出来るからな」

「っ、……成る程。今はあの時のように焦ってはいないという事ですか。それは……何よりです」

 

 何と答えていいのか分からず、ホーネットは曖昧な表情で曖昧な言葉を返す。

 

「まぁそういう訳だ。俺様は今とても日常が充実しているのだよ。がははは!」

 

 その明朗快活な笑顔が何よりの証。

 ランスにとってケイブリス派打倒は大事な目的。だがそれ以上に大事なのがエロ、女性とのエロが生きる上での一番の目的。

 そして遂にホーネットを抱いた、更にはワーグも抱いた。そんなランスはあの時と比較してとても満足な日常を送っており、今の所は何ら焦ってなどいないのであった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そしてその後、ホーネットの部屋をお暇して、あっという間に時刻は夜更け。

 先程述べた通り、ランスは今とても満足な日常を送っている。

 するとこの時間帯、そろそろベッドに入る頃合いに彼がする事と言ったら一つしかない。

 

「がはははー、すっきりー!!」

 

 それはお相手の部屋の寝室。

 ちょうど熱き戦いが一段落付いたらしく、ランスはツヤツヤ顔でがははと笑う。

 

「ん、く……はぁ……、はぁ……」

 

 そして隣には荒い呼吸を繰り返す女性。

 その特徴と言えば水色の髪と小柄な身体。そして玉の汗が浮かぶいくらか濃い肌の色。

 どうやらランスの本日のお相手は魔人シルキィのようだ。

 

「ふいー、毎度の事ながらシルキィちゃんとのエッチは盛り上がるなぁ」

「ん……」

 

 ランスは軽く手を動かし、彼女の耳に掛かる髪をくすぐるように撫でる。するとその腕を枕にしているシルキィが小さく吐息を漏らす。

 

「俺と君はセックスの相性というか、エロに対する感覚がバツグンに合ってるな」

「……そうかな」

「そうだとも。初めの頃は身体のサイズが少し合わんかったが、それだってここ最近はわりとすんなり挿入出来るようになってきたしな」

「だってランスさんってば、何度無理だって言っても無理やり入れてくるんだもん……」

 

 もはや馴染んでしまった身体、馴染んでしまった感覚にシルキィは拗ねたように呟く。

 すでに半年以上、何度も身体を重ねてきた二人。故にこんな事後の語らい、身体を寄せ合ってのピロートークだって慣れたもの。

 ランスは勿論、シルキィの顔にも嫌悪の色など微塵も無く、その姿はやはり互いに想い合う恋人同士のようにしか見えない。

 

 ……とはいえ、実際の所は異なる。

 この二人は別に恋人同士では無いし、互いの想いの向きが重なっている訳でも無い。

 無いのだが、しかしこの日、そんな二人の関係性に一石を投じるような出来事が起きた。

 

 

「そういやシルキィちゃん、知っとるか? ついこの前の事なのだが、俺様はワーグとのセックスをようやく達成したのだ」

「……え、ワーグともしちゃったの?」

 

 そのキッカケはランスが口にしたそんな話。

 自分はあの魔人ワーグを抱いたのだという、言ってみれば男の自慢話のようなもの。

 

「おう、したした。あいつは君と同じぐらいにちっこいから中々大変そうだったがな」

「……そう。なんか本当は受け入れちゃいけない事なはずなんだけどね、もうあんまり驚かなくなってきている自分が嫌だわ。けどワーグとって……一体どうやって? 眠くならなかったの?」

「ふふん、その答えはホーネットだ。ホーネットを抱くとワーグを抱けるようになるのだ。まさに一石二鳥ってやつだなあれは」

「……ごめん、全然意味が分からないんだけど」

 

 何がどうなればホーネットを抱くとワーグを抱けるのか。シルキィにはさっぱり理解出来ない。

 そしてなんか生々しい話になりそうなので、あえて踏み込みたいとも思わなかった。

 

「とにかくこれで本当に魔人は完全制覇だ。こんなにも色んな魔人を抱いた男なんてきっとこの世界で俺様だけだろうな」

「……まぁね。この世界どころか、過去を見渡してもそんな人はいないでしょうね。私だって貴方としかこういう事はしていないし」

「その通り! 魔人四天王とセックス出来る男などこの俺様だけだ。がははは、凄いだろう」

「そうねぇ、凄いか凄くないかで言えば……やっぱり凄いんでしょうねぇ」

 

 あんまりこういう事で褒めたくはないし、共感したくもないんだけど。

 とシルキィは複雑そうな、それはもう複雑そうな表情で呟く。

 

 ところで。今繰り広げられている話の内容、それは誰これを抱いたとかそんな話で、およそピロートークには全く相応しくない内容となっている。

 なのだが、しかしランスは元より、シルキィもその点に関しては気に留める気配は全く無い。

 

 それは何故か。それは自分とランスはそういった関係では無いから。

 自分とランスはただ身体だけの関係であり、恋愛関係にある訳ではない。

 だからこうした事後の語らい、そこで別の女性との性行為の話が聞こえてきたって問題無し。

 自分と彼との間に甘酸っぱい感情は無いのだと、シルキィはそのように認識していたのだが。

 

「ホーネットも抱いたしワーグも抱いた。そしてサテラもハウゼルちゃんもシルキィちゃんも、みーんな俺様にメロメロだ。いやぁ全く、本当にモテモテで困るぜ、がははははー!!」

「……うん?」

 

 そんな台詞が聞こえた途端、シルキィはあれ? と眉根を寄せて。

 そしてつい指摘してしまった。すぐにそんな指摘をした事を後悔する羽目になる、何であんな事を言ってしまったの私のバカ、と頭を抱える事になるのだが、とにかくそこを突いてしまった。

 

「ちょっと待って。サテラとハウゼルはともかく、私がいつランスさんにメロメロになったの?」

「……え?」

 

 するとランスは不思議そうに──心底不思議そうな表情となる。

 しかしそのぽかんとした顔こそ、シルキィにとっては大いなる不思議である。

 

「え? ってそんな……『何を言っているのだ?』みたいな目で見られても……」

「何を言っているのだシルキィちゃん。とっくに君はこの俺にメロメロじゃないか」

「違うって、メロメロなんかじゃないから」

 

 いくら相手がランスとはいえ、勝手に自分の想いを決めつけられては堪らない。

 さも心外だと言わんばかりに、シルキィはふるふると首を横に振る。

 

「あのね、別にあれよ? ランスさんの事が嫌いって訳じゃないのよ? ただねぇ、メロメロって言われてもそんな気持ちは全然……」

 

 メロメロなどという甘い気持ち。そんなものは自分の心の何処を探してもありはしない。

 ただまぁ、ランスがそう勘違いする理由は分からないでもない。ここまで何度も夜を共にして、何度も身体を重ねてきているのだ。だからそう勘違いしてしまうのも方無いのかもしれないが、これだってあくまであの約束あっての事で。

 自分は断じてメロメロでは無い。と少なくとも自己認識上ではそうなっている為、シルキィは先程のような否定の言葉を口にしたのだが。

 

「……あのな、ほんのついさっきの事を思い出せって。きみ、セックスの最中に何度も何度も『ランスさん、好きー!』って喘いでいるだろうに」

「なっ!? ちょ、ちょっと、言ってないわよそんな事!!」

 

 ランスからのそんな反論を受けて、シルキィは仰天したように目を見開いた。

 

「いや、言ってるから」

「言ってない! 言ってないから!」

「いやいや、言ってる言ってる」

「言ってない! 絶対言ってない!」

 

 いくら性行為の最中とはいえ、そんな血迷ったセリフをこの自分が口にするものか。

 そう信じたいシルキィは断固として否定していたのだが、その語気の荒さとは対象的な程に、

 

「言ってるから。マジで」

 

 ランスは至って平然とした様子で。

 

「だから言ってないって!」

「言ってるっつーの」

「言ってないって! 言ってない……言ってな……い……い、言ってる?」

「うむ、言ってる言ってる」

「……ほんとに?」

「ほんとに」

 

 こうもランスからまじまじと、まるで分からず屋を諭すかのように言われてしまうと。

 だんだんと否定の意思も弱まってきてしまうというか、自分の方が間違っているような気がしてくるというべきか。

 

「……え、うそ……私って……エッチしてる時にそんな事を言っちゃってるの?」

「うむ、思いっきり言ってるぞ。『ランスさん、好き好きー!』って。あんな言葉を耳元で何遍も聞かされてみろ、君がこの俺にメロメロでないと考える方が無理があるってなもんだろう」

「………………」

 

 衝撃のあまり、シルキィは唖然とした様子で黙り込んでしまう。

 果たして自分は性行為の最中に『ランスさん、好きー!』などと言っているのだろうか。

 言っていないと信じたい。けどもしかしたら言っているのかもしれない。よく分からない。よく分からないけどそうなのかもしれない。いや、けど、でも、やっぱ分からない。知らない。考えたくない。

 

「……ちなみにランスさん、それっていつぐらいからの話? まさか貴方と初めてした時からそんな事を言っていた訳じゃないわよね?」

「そうだなぁ……わりとここ最近になってから……あーそうそう、あの時だ。ほれ、ついこの前にワーグと三人で旅をしたろ? あの頃から君はそんな事を言うようになったな」

「あの時……あの時って言うと……」

 

 それはロナを救出してレッドアイを討伐する為にと、魔物界を縦断する行脚の旅をしていた時。

 どうやらその頃から自分はそんなセリフを吐くようになったらしい。そうと知った今になって考えてみると、心当たりが無い訳でもなかった。

 

(……はっ! まさか……あれの影響? ワーグに見せられたあの夢が……!)

 

 それはあの旅での3日目の事。ワーグの力によっておかしな夢を見せられたあの一件。

 あの夢の中で自分はランスに猛烈に告白され、結果プロポーズを受諾してしまった。そして結婚式を挙げたり、最終的には沢山の子供に囲まれて暮らしていたりと、とにかくもう恐ろしい夢で。

 まさかあの夢を見た事で自分の深層心理に何か変化があったというのか。そのせいで行為の最中に血迷った言葉を口走るようになってしまったのか。

 

「……あの、あのね。仮にその~……ね、仮に私がそんな事を言っているとしましょう」

「だから仮にじゃなくて、マジで言ってるっつの」

「けどもね。その~……エッチな事をしている時の私は頭がおかしくなっているというかね? あれはもう私じゃないというか……そうっ! 別人だと思ってくれていいから」

「別人だぁ?」

「そうなの、別人なの」

 

 魔人シルキィはこの世に二人存在している。具体的に言うと昼の顔と夜の顔。

 痴情に耽る自分の姿を未だに認めたくないのか、シルキィはそんな珍説を唱えだす。

 

「いーいランスさん? おかしくなっている時の私の言葉を信じちゃ駄目よ。エッチをしてる最中の私は今の私とは関係無い人だから」

「ぬ~? なんだかその言い分はずるっこいような気がするぞ」

「ずるっこくなんて無いです。だって私は本当にランスさんにメロメロなんかじゃないし」

 

 そう言ってシルキィはついっとそっぽを向く。

 だがこうも真っ向から否定されてしまうと、ランスとしてはあまり面白くない。

 

「シルキィちゃん。それは違うぞ。君は自分の本当の気持ちを自覚していないだけなのだ。そういう事は結構よくある話だからな」

「本当の気持ちって、そんな……」

「だってシルキィちゃん、君って確か千年近く生きてるんだろ?」

「えぇ、そうね……この歳になると年齢とかロクに数えなくなっちゃうんだけど、私が魔人になってからだいたい千年くらいだったはず」

 

 シルキィが曖昧に自らの年齢を数えれば、ランスが「千年かぁ……長ぇなぁ」としみじみ呟く。

 

「そんで君は俺様に抱かれるまで処女だった。つまり千年間一度もセックスしてない訳だ」

「ま、まぁ……それはそうね」

「んで君の事だからどーせその間好きになった男とかもいないんだろ? そんなんだから恋愛センサーが退化してしまって、俺様の事が大好きだという自分の気持ちに気付けなくなってしまうのだ」

「そんな事は……無いと思うけど……」

 

 それは全くの的外れな意見とは言い難く、次第にシルキィの語気が弱まっていく。

 本当の気持ちを自覚していないのかどうか。それはともかくとして、自分がそういった話に疎いのは事実。ランスが言う恋愛センサーなるものが退化している可能性は否定できない。少なくとも発達はしていないだろう。

 

 そのように思ってしまった事、そんな戸惑いが大いに影響してなのか。

 シルキィはこの時、致命的なまでに口を滑らせてしまった。

 

「それに……別に私だって好きな人が居ないって訳じゃ……」

「……なんだと?」

 

 そのフレーズにランスは目敏く反応。

 聞こえてきた言葉に耳を疑い、すぐに身体を起こして隣に居る女性の顔を覗き込んだ。

 

「シルキィちゃん、君まさか好きな男がいるのか」

「え、なに、どうしたの急に」

「どうしたもこうしたも無い。好きな男がいるのかいないのか、早く答えなさい」

「え、と、そ、れは……」

 

 じーっと睨んでくるその目付きに耐えかね、シルキィはそーっと視線を横に逃がす。

 自分が好きな男、心に想っている男。そう聞かれると一人思い浮かぶ姿がない事もないのだが、しかしその名前はキケンというか、色々な意味で口に出すのは憚られる名前で。

 

「……いや、別にそんな……私の好きな相手の事なんて大した話じゃないでしょう? ね?」

「大した話じゃねーなら隠す必要はねーだろう! つーかその言い方だと居るんだな!? 一体誰だ! 答えろ!」

 

 これはなんとしても聞き出す必要がある話。

 ランスはシルキィの事を無理やり起こすと、その両肩を掴んで前後にがくがくと揺さぶる。

 

「わぁ! ちょ、ちょっと何を……!」

「隠してねーで答えろー! 一体何処のどいつとイチャコラしてやがったのだー!!」

「い、イチャコラって……! 大体私が誰を想っていようがランスさんには関係無いでしょ!?」

 

 自分とランスは決して恋人同士では無い。

 だから自分が誰に対して想いを向けていようが、ここでどうこう言われる筋合いは無いはず。

 シルキィはそう考えていたのだが、しかしその男はそんなふうには考えてはいないらしく。

 

「関係大アリじゃー! 俺様の目から隠れてコソコソと恋愛なんて絶対に許さんぞー!!」

 

 すでに怒り心頭、ランスはがーっと吠え上がる。

 だってシルキィはとっくに自分の女。軽くつまみ食いしただけの行きずりの女ならともかく、すでに半年以上も夜を共にしている相手。

 そんな相手に自分以外の男の影がある。それはとても看過出来ない問題、ランスにとってこれは由々しき事態なのである。

 

「俺の女に手ぇ出しやがった野郎は何処にいる! まさかこの城の中に居る相手か!?」

「て、手なんて出されてないから! それに何処に居るかっていうと……なんていうか……」

「シルキィちゃん、あんまり隠すと君の為にならんし、相手の男の為にもならんぞ。とっとと観念して名前を吐けー!」

「う、うぅ……!」

 

 まるで妻の浮気を問い詰める夫のような事を言い出すランス。

 その剣幕に押されるシルキィだったが、それでもこの名は軽々と口に出してはいけない名前で。

 

「だからそれは~……あーもうっ、失敗した! 変な事を言うんじゃなかった!」

 

 この話の流れに乗ってしまった事。口を滑らせてしまった事を大いに後悔して叫んだ後。

 

「私はもう眠ります。おやすみランスさん」

 

 ぽすんとベッドに横たわる。そして毛布を頭からすっぽりと被って雑音を遮断。

 どうやらこれ以上の問答を打ち切って逃げ出す事にしたらしい。

 

「あ! おいこら、まだ話は終わってないぞ!」

 

 ここで逃がしてなるものかと、ランスはその毛布を思いっきり引っ張る。

 だが相手は魔人四天王、その握力は実に強烈。ランスの力では中々引き剥がす事は出来ず、二人の間でしばし毛布の引っ張り合いが続く。

 

「ん~……!」

「ぐににに~……シルキィちゃん、出てこーい!」

「んん~~……えいっ」

「うおっ! なんだいきなり!」

 

 そんなせめぎ合いを面倒に感じたのか、毛布の中でシルキィは人差し指をくいっと動かす。

 するとそれが合図となり、ベッドの脇に置かれていた魔法具が動き出す。驚くランスを尻目に、その魔法具はシルキィの身体にしゅるしゅると纏わり付いていく。

 

「あ、その中に隠れるのはズルいぞー! おいっ、このっ!」

 

 瞬く間に出現した頑強な重装甲。その内部で厳重に守られる魔人シルキィ。

 ランスはげしげしと蹴りを入れてみるものの、当然その程度の攻撃ではびくともしない。

 

「おいこらー! 聞いてんのかー!」

「………………」

「出てこいって言ってんだろー!」

「………………」

「……くそ、ほんとに寝やがったな……!」

 

 その重さに耐えかね、ベッドがミシミシと音を立てるのにも構わず。

 装甲の外側で喚くランスを完全に無視して、シルキィはそのまま安らかな眠りに就いた。

 

「ぐぬぬぬぅ……シルキィちゃんの好きな男……何処のどいつだ一体……!」

 

 眉間には深い皺、ランスは憤懣やる方なしといった表情で歯ぎしりする。

 どうやらシルキィには好きな相手が居るらしい。それが自分じゃない事だってムカつくのに、そんな相手の存在など到底許されるものでは無い。

 つまりはそんな思考。シルキィの想定以上にその男はわがままで、何より子供だった。

 

「見てろよぉ、ぜーったいにその男を見つけてやるからなぁ~……! そんで適当な理由を付けてぶっ殺そう、よしそうしよう」

 

 そして次の日、ランスによる魔人シルキィの想い人捜索が始まった。

 

 

 

 

 

 



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シルキィの想定外②

 

 

 

 魔人シルキィには好きな相手がいるらしい。

 

 突如降って湧いたそんなスキャンダル。それにランスは大層立腹した。

 シルキィはすでに自分の女。自分の女に手を出す輩など不届き千万。そんな奴を生かしておく事など出来ようはずがない。

 

 故にその話を聞いた次の日、早速行動を開始。

 ランスはそこらに居た適当な相手から聞き込み調査をする事にした。

 

 

 Q, シルキィの好きな人を知っていますか?

 

「シルキィさんの好きな人、ですか? うーん、私に思い当たる事は何も……申し訳ありません。……え、ランス様の事じゃないのかって? それはちょっと……微妙かなぁ? ……あいたっ!」

 

 

 Q, シルキィの好きな人を知っていますか?

 

「シルキィの好きな人? さぁな、俺そういう話には興味ねーから……けどあれじゃねーか? 美味しいご飯を作ってくれる相手とか……痛てっ、急に蹴るなよ」

 

 

 Q, シルキィの好きな人を知っていますか?

 

「シルキィ様の好きな人? さぁ、知らないなー。ぼくはただの通りすがりのハニーだし……あ、止めてー、割らないでー」

 

 

 Q, シルキィの好きな人を知っていますか?

 

「………………」

「……おい、何とか言えよ」

「……知らない」

 

 

 

 そして。 

 

 ランスはそこらに居た適当な相手に聞き込みを繰り返し、やがてその部屋に辿り着いた。

 

「……シルキィの好きな人、ですか?」

 

 そう言って小首を傾げる女性。

 それは渦中の魔人四天王と関係性が深い人物、魔人ホーネット。

 

「そうだ。どうやらシルキィちゃんには好きな相手が居るらしい。それを今調査中なのだ」

「……一応聞いておきたいのですが……それは貴方の事ではないのですか?」

「それがどうやら違うらしい。全く、俺様以外の男とイチャコラするなんて浮気もいい所だぞ」

「……そうですか。それは少し意外でした」

 

 シルキィの好きな相手。それは何度も夜を共にしていると聞くランス以外にあり得ないのでは。

 てっきりそう思っていたホーネットも虚を突かれたような表情になる。

 

「どうだホーネット、何か知らねーか? お前はあの子と昔っからの付き合いなんだろ?」

「えぇ、まぁ……、私の知る限りシルキィはここ何十年魔物界から出ていないはずなので、相手がいるのだとしたらやはり魔物界にでしょうか」

「俺もそう思ったのだが、けどそれだと相手は魔物って事にならねーか? こっちには人間なんていないはずだろ?」

「そうですね。ですから男の子モンスターか、あるいは使徒の誰か、もしくは魔人という線も無いとは言えませんが……」

「……ふーむ」

 

 お相手候補その1, 男の子モンスター。これはちょっと悪趣味に過ぎるような。

 お相手候補その2, 使徒。これは元人間という事もあり得るので無いとは言い切れないような。

 お相手候補その3, 魔人。これも無いとは言えないが、しかし生き残っている魔人の中にそれっぽい相手はいないような。

 

「……なんだかどれもピンとこねぇなぁ」

「……そういえばシルキィ本人は何と?」

「それがどれだけ問い詰めてもサッパリ、ずっとだんまりで全く教えてくれなかった」

 

 ランスがそう答えると、ホーネットは「言えないような相手……」と小声で呟く。

 この魔物界にいるはずの相手。しかし魔物、使徒、魔人のどれも決定打に欠く。そしてそれはシルキィにとって口に出すのが憚られる名前。

 そんな事を考えていると、魔人筆頭の頭には一人だけ思い当たる人物の姿があった。

 

「……いえ。けど……まさか……」

「お、なんだ、何か思い付いた事があったら言ってみろ」

「………………」

 

 するとホーネットはとても複雑そうな表情になって。

 

「……確証がある訳では無いのですが……」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そして夜。彼女の部屋にその男はやって来た。

 そして開口一番アンサーを告げた。

 

「魔王ガイ。それが君の好きな男だな?」

「ぅぐっ……!」

 

 するとその言葉が急所に刺さったのか、シルキィはその顔を歪めて呻きを漏らす。

 

「……さすがに早かったわね」

 

 全ては自分の失言が引き金。愚かにもあんな事を口走ってしまった以上、この男に嗅ぎ回られる事になるのは何となく分かっていた。

 とはいえものの一日足らずでバレてしまうとは。本当に隠し事は出来ないと言うか、自分の行動範囲の狭さが恨めしいというか何と言うか。

 

「その反応、どうやらビンゴみてーだな」

「……ねぇ、ちなみにそれ……ランスさんが気付いたの? それとも誰かに聞いた?」

「ホーネットに聞いた」

「やっぱり……! 何となくそうじゃないかって思ってたけど……え、でもじゃあ待って、ホーネット様は知っていたって事……?」

 

 この事をホーネットが知っていたとすると、それはかなりの大問題なのでは。なにせホーネットはあの魔王の娘さんな訳で。

 え、うそうそ待って待ってどうしよう。とシルキィは途端にあたふたし始める。

 

「しかし魔王ガイ、か」

 

 その一方で、ようやく真相に辿り着いたランスとしてもそれは予想外の名前。

 自分の女に手を出す不埒な輩は見つけ次第たたっ斬ってやる。そう考えていたのだが、しかし魔王ガイはすでにこの世にはいない人物。

 さすがに死んでいる相手には怒りをぶつけようが無いし、何より死んでいるのならば今現在そういう関係にある訳でも無し。

 そんなこんなでランスの怒りも消沈し、残ったのは純粋なる興味のみである。

 

「君はホーネットの親父の事が好きだったのか。それってつまり……不倫? インモラル?」

「違いますっ! 言っておくけどね、私がガイ様と出会ったのはホーネット様が生まれる何百年も前の話……じゃなくて!」

 

 言葉途中でシルキィはハッとしたように顔を上げる。

 下手な言い訳を重ねる前に、自分には真っ先に否認すべき事項があるではないか。

 

「あのねランスさん、違うから。私は別にガイ様の事が好きだった訳じゃないから」

「おいシルキィちゃん、ここまで来て認めないのはさすがに往生際が悪いぞ」

「違うの、そうじゃないの。私にとってガイ様はそういう……好きとかそういうアレじゃないの」

 

 そもそもこれは事実無根な話、ランスがおかしな誤解をしているだけの事。

 自分とガイの間にあるのは単なる上下関係のみ。勿論ながら不倫の事実なども無い。というかガイは子持ちながら誰かと結婚していた訳では無いのでそもそも不倫でも何でもないのだが、とにかくそんな事実は無いのである。

 

「だってガイ様は魔王なのよ? 私はただ魔人としてあの方に仕えていただけだから」

「だから魔人として仕えていて、それで好きになったって事だろ?」

「違います。……確かにガイ様はとても大切な人、そう思っている事は認めましょう。けどね、それはあの方が私にとって特別な人だからであって、そこに恋愛感情がある訳じゃないの」

「ほんとかぁ~? どーにもウソっぽいぞ」

 

 ランスは見るからに疑惑の視線を向ける。

 先程からのシルキィの反応、そして昨日の慌てっぷりを思い返す限り、恋愛感情が無いなどとは到底信じられるものでは無い。

 魔人と魔王としての上下関係だけでは無く、二人はもっと深い関係に──それこそ不倫の如き爛れた関係にあったのでは。

 

「……つーかもしや、ホーネットの母親が君だっていう可能性も……」

「あのねぇ! そんな訳が無いでしょう!?」

 

 あまりにも馬鹿馬鹿しい疑惑に、シルキィはつい大声で否定をした後。

 

「……はぁ、仕方無いわね。こう疑われ続けるのも嫌だし、ちょっとだけ昔話をしてあげるわ」

「昔話?」

「えぇ。……私がガイ様と出会った頃の話。それを聞けば貴方の疑いもきっと晴れると思うから」

 

 そうして彼女が語り始めた昔話。

 それは史上最も人間が虐げられたGL期。それが終わって新たな魔王の時代となった頃の話。

 

 

「……およそ千年前。私が生まれた頃の世界はね、今よりも遥かに暗い時代だったの」

 

 シルキィが生まれたのはGI期初頭──魔王ガイの治世となってすぐ頃の事。

 その頃に彼女は人間としてこの世に生を受けた。だがその当時は人間として生まれてしまう事こそが最大の不幸と呼べるような時代であって。

 

「その頃はね、今みたいに魔物界と人間世界に分かれてはいなかった。この世界は完全に魔物が支配していて……人間達はひっそりと身を潜めて、毎日を怯えるように過ごしていた時代だった」

 

 魔王ガイの先代、魔王ジルが行った支配。全ての人間を奴隷化して管理していた時代。

 GI期初頭はまだその時の影響が色濃く残り、魔王が変わったと言っても世界は変わらず、ヒエラルキーの最下層に位置する人類はそれまでと同じように虐げられていた。

 

「当時の私は勿論ただの人間だったんだけど……家畜のように扱われる人類の悲惨な現状にどうしても我慢出来なくて、魔物と戦う道を選んだの」

「ほー。今もだけど君は昔っから人間大好きちゃんだったんだな。つーかどっかで聞いたなそれ、本当なら君は英雄と呼ばれる程の人物だったとか」

「……よく知っているわねそんな話。まともに伝わってはいないはずなんだけど……」

 

 それは歴史の影に埋もれた人物。忘れられた英雄シルキィ・リトルレーズン。

 史上最も多くの人類を救い、世界の在り方を大きく変える功績を挙げた英雄の話。

 

「けど英雄なんて呼ばれるような事は何もしてないんだけどね。幸いにも才能に恵まれたおかげで魔物と人並み以上に戦えたってだけの事よ」

 

 シルキィには剣と槍と斧を扱う才能、そして魔法具を作製する付与の才能があった。

 ただ本人はそれだけと謙遜するが、それだけで圧倒的な戦力の魔軍と戦えるものでは無く、何よりも強い正義感と使命感を持ち合わせていた。

 

「とにかくそんな訳で、私は魔軍と戦っていたんだけど……それでも相手の数が多すぎてね。私の目が届く範囲にいる魔物をどれだけ倒しても、人類全体を取り巻く現状は何も変わらなかったの」

「まぁそりゃそうだろう。世界中が敵だらけの状態で君だけが頑張った所でなぁ」

「うん。それでこれはもう魔軍の親玉、魔王を倒すしかないなと思って、ある時私一人でガイ様のお屋敷に襲撃を仕掛けたの」

「ほう、屋敷を襲撃とは中々アグレッシブな……て、え、きみ一人で?」

「うん。私一人で」

「……シルキィちゃん、君ってけっこう強気というか……怖いもの知らずだな」

 

 少々引き攣った顔で呟くランス。彼も前回、魔軍の親玉の本拠地に乗り込んだ経験を持つが、その時は数十名の心強い仲間を率いていた。

 さすがのランスでも魔人ケイブリスと一対一で戦う気にはならないのに、当時のシルキィの狙いは魔人を越える魔王。もはや怖いもの知らずを越えて殆ど自殺と変わらないのでは。

 ランスのそんな思考が伝わったのか、シルキィもちょっと恥ずかしそうに頬を掻いた。

 

「……そうね、今考えるとあれはちょっと無謀過ぎたわね。……ただそんな無謀な所が結果的には良かったのかも。最終的に私は瀕死の状態で何とかガイ様の前まで辿り着いたんだけど……そんな無謀を仕出かした私に興味を持ったらしくてね、ガイ様から魔人になるよう勧誘されたの」

 

 無数の敵を蹴散らし、それでも多すぎる敵の数に次第に追い詰められ、されど決して引かず。

 やがて片腕も失って、息絶える間際のシルキィの耳に誰かの声が聞こえた。

 

 ──面白い娘だ。ここで死なすのは惜しい。魔人となって私の配下となれ。

 

 その言葉に、彼女は頷きも拒みもしなかった。

 むしろ逆に「魔物が人間に手を出さないようにするなら部下になってやる」と、そんな条件を加えて魔王ガイに突き返した。

 

「そして私が出した条件にガイ様は頷いた。それで私は魔人となって……その数年後、本当に魔物が人間に手を出さない世界となった。世界を2つに分けるなんて最初はまさかと思ったわ」

 

 魔王ガイはシルキィとの約束を果たし、人間と魔物が棲む領域を別々に分けた。

 その西側の世界を魔物界、東側を人間界とし、人間が魔物に虐げられる事の無い秩序ある世界を作り上げた。それが今日までの世界の礎となる。

 

「こうして世界は今の姿になった。その世界を支配するガイ様に忠誠を捧げ、私は魔人として今日まで長い年月を過ごしてきたのでした、おしまい。……ていう事なの。分かってくれた?」

「……え? いや全然分からんが。結局何が言いたかったのだ?」

 

 この世界の歴史、そして彼女が魔人となった経緯は分かった。だがそれが何だと言うのか。

 はてなと首を傾げるランスの顔を目にして、シルキィはやれやれと言った感じで首を振る。

 

「だからね……私はあの人に夢を叶えて貰ったの。平和な世界なんて当時からしたら本当に夢物語だったのに、ガイ様はたかが人間の小娘との約束を守って世界を2つに分けてくれた。私はその返しきれない恩に少しでも報いる為、あの方に生涯を懸けて仕えようって決めたの」

「……んで?」

「んで? じゃなくて。つまり私の中にある気持ちはそういうものなの。忠誠心というか、純粋な尊敬というか、そういった類のものなの。……ね? これって恋愛感情じゃないでしょう?」

 

 ね? と念押しするように問い掛けるシルキィ。

 彼女にとって今の言葉は決して虚言では無く、少なくとも自己認識上では本心そのもの。

 そもそもガイは魔王、たかが魔人の自分が恋愛感情を向けるなど畏れ多い事。自分が向けている愛は言わば『敬愛』であって、それは『恋愛』とは断じて別物なのである。

 

「だってほら、これは昨日も話した事だけど……私はその~、エッチな事をしたのはランスさんが初めてだったでしょう?」

「む。確かに君は処女だったな」

「でしょう? 私は魔人になってからあの方のそばで千年近くも仕えていたのに、それで一度たりとも経験なんて無いのよ? もし私に恋愛感情があったとしたらそんな事があり得ると思う?」

「……うーむ」

 

 その言葉には十分な説得力があったのか、思わずランスも唸らされる。

 魔人シルキィはランスと出会うまで処女、約千年間にも渡ってずっと処女を貫いてきた。

 魔王ガイは2つの人格を持ち、悪の人格の際には相応に好色な性格となるのだが、そんな時でも彼女と経験した事実は一度も無い。

 更にはガイが実子たるホーネットを産ませる為、大勢の女性と繰り返し性交を行っていた際も、シルキィが名乗りを上げる事は無かった。

 

「ガイ様の事が好きなんだな? ってさっき私に聞いたわね。そう聞かれると答えはイエスになっちゃうんだけど、けどそれはランスさんが考えているような『好き』とは全くの別物なの」

「別物? 一体何がどう違うというのだ」

「ランスさんの考えている『好き』は相手を異性として見て、っていうものでしょう? けれどそうじゃない『好き』の形もあるって事よ」

 

 なんら求める事など無い。何故ならすでにとても大きなものを貰っているから。

 ならば後はこちらから捧げるだけ。彼女の内にあるのはそんな崇拝にも似た愛情で。

 

「私はガイ様と一緒のベッドで寝たりした事なんて一度も無いけど、それでもこの千年間、あの方に仕えられただけでとても満ち足りた気分だったわ。こういう気持ちはランスさんには分からないかもね」

「……むむむ」

 

 基本的にランスが言う『好き』とは性行為と密接に結びついているもの。

 しかしどうやら彼女が魔王ガイに向けている『好き』とはそういう『好き』ではないらしい。

 

「……むむむむ」

 

 だがそんな話をしているシルキィの表情が。穏やかに微笑んでいるその表情が。

 その魔王の事を思い返しているのか、先程言っていた通りの満ち足りた表情、自分の前では見せた事のない程に可愛らしく魅力的な表情で。

 

「……何かムカつく」

「え?」

「何かムカつくー! ムカつくぞー!」

 

 それを見ていたらムカムカしてきたらしく、ランスは大声で喚いた。

 

「君は俺様の女なんだぞー! なのに他の男の話をしてそういう顔されるとすげームカつくー!」

「別に私は貴方の女になったつもりは……って、そういう約束だったわね……」

「そうだそうだ、そういう約束だー! シルキィちゃんはもう俺様のなんだから、昔の男の事なんてとっとと忘れろー!」

「だから昔の男とか、そういう関係じゃないんだってば……」

 

 シルキィは何度も否定するのだが、しかしランスの苛立ちは一向に収まらない。

 その想いが如何なるものであれ、とても大きな想いを魔王ガイに向けているのは事実。

 ランスからしたらそれがもう何かムカつく。そしてそれが過去の話である為、自分の介在する余地が全く無いのが更にムカつく。

 

「へーんだっ! なーにが魔王ガイじゃ、そんなヤツより俺様の方がイイ男に決まっとる!」

「え~……それはどうかな……」

「どうかなーじゃない、そうなのだ!」

 

 相手がすでにこの世にいない以上、シルキィの中での位置付けで上回るしか勝つ方法は無い。

 ランスは親指を自らに向け、ビシッと決め顔を作ってみせる。

 

「見ろ! 顔だって俺の方が絶対にイケメンだ!」

「顔かぁ……難しいわね……ガイ様ってお顔の半分が魔物みたいな感じになってたから、イケメンかって言われるとどう答えていいものやら……」

「なら性格、性格だって俺様の方が良いはずだ! そうだろう!」

「性格かぁ……これまた難しいわね。ガイ様って普段は真面目なんだけど、時々別人のように……それこそランスさんみたいに奔放な性格になるから、あれを良い性格かって聞かれると……」

 

 うーん、どうだろ……、と首を傾げながらシルキィが語る魔王ガイの人物像。

 それは気になるポイントが多く、聞いていたランスも次第に微妙な表情へと変わっていく。

 

「……顔の半分が魔物みたいで、普段は真面目だが時々俺様のような性格になる? なんか話を聞いている限りだと全然イイ男だとは思えんのだが。きみ本当にそんなヤツの事が好きなのか?」

「……確かにね。さっきの言い方だとちょっとアレな人に聞こえちゃうわね」

 

 困ったように呟くシルキィには知らぬ事だが、魔王ガイには二重人格という特色がある。

 顔の半分が異形化しているのも、普段は真面目なのに時々奔放な性格へ変わってしまうのも、全てその二重人格の影響。

 つまりちゃんと理由あっての事なのだが、しかしガイはその事を秘密にしていた為、周囲の者からするとどうしてもそんな人物像となってしまう。

 

「でも顔とか性格とかは抜きにしても、ガイ様は本当に立派なお方なんだからね?」

「けっ、どれ程立派だろうが知った事ではないわ。とにかく君はもう俺様の女なのだから、過去の魔王の事など忘れて俺様の事を好きになれ。つーかメロメロだという事をいい加減に認めろ」

「またその話? 昨日も言ったけど別にメロメロなんかじゃないから……」

「いーやメロメロだ! 昨日も言ったけどそれは君が自覚していないだけなのだ!」

「だから違うってば……」

 

 ランスからどれだけ強く指摘されても何のその。シルキィは困ったように額を押さえる。

 

(全くランスさんったら……本当に分からず屋なんだから……)

 

 自分がランスに向ける感情。それが恋愛感情なのだとどうしても認めさせたいらしい。

 確かに何らかの感情はある、……気がする、一応だがそれは認める。

 もうすでにこの派閥で8ヶ月以上、共に仲間として一緒に過ごしてきたのだ、何かしらの感情が生まれているのは当然だろう。

 それは多分、自分が魔王ガイに向けていた感情、つまり敬愛とも違う感情なのだが、それでも恋愛感情では無い。無いと言ったら無いのである。

 

(大体どうしてこんな私にそんな……私がメロメロだろうとメロメロじゃなかろうと、どっちでも大差なんてないでしょうに)

 

 そもそもの話として、何故ランスはそこまでこの自分、魔人シルキィにこだわるのか。

 こんな自分に恋愛感情を向けられたとて、それが一体何だというのか。そんなもの殊更に有難がって欲しがるものではないだろうに。

 これまで何度も何度も性交を求めてくる事もそうなのだが、率直に言ってちょっと女性の趣味が悪いのではないだろうか。

 

(……て、そういう訳でもないか。ランスさんは私以外にも手を出しているし、他は皆綺麗で魅力的な人ばっかだもんね。……ていうかそうよ。ランスさんの事を想う子は他にいるのに……)

 

 ランスが人間世界から連れてきた子達や、魔人の中でもサテラやワーグなど、彼に恋愛感情を向けていると思わしき女性は多く居る。

 そんな中で自分が同じ想いを向けようものなら、色々と面倒というか、気が引けるというか、厄介な事になるのが目に見えているだろうに。

 

 などと、益体もない事を考えてしまうシルキィなのだが、とにかくランスはそこにこだわる。

 それが男の性なのだろうか、どうしてもこの口から「貴方が好きです」と言わせたいらしい。

 

 だとしたら。

 もうその通りにしてあげるのが一番手っ取り早いのではないだろうか。

 

 

「……そうね。どうせ減るものでもないしね」

「あん?」

「ランスさん。私は──」

 

 

 ──貴方の事が好きです。

 と、嘘でもいいからそう言って、この話を終わらせようと思ったのだが。

 

 

「──あ。……れ?」

「……どした?」

「……んと」

 

(……あれ?)

 

 そこで固まる。

 これ以上口が動いてくれない。どうしても次の言葉が喉から出てこない。

 

(……なんでだろ。なんか、これを言っちゃうのは……駄目なような……)

 

 その言葉を口にしたが最後、自分の内にある何かが決定的なものとなってしまう。

 どうしてか分からないがそんな気がする。もう後戻り出来なくなってしまうような気がする。

 それが怖いからなのか、自分の心が勝手に栓を締めているような感じがする。

 

(……って、怖い? 私が?)

 

 その感情に気付いてシルキィは愕然とする。

 戦士として数多の戦を経験してきた、そんな自分が今更何を怖がるのか。

 

 それは果たして──自分の内にある何かを真っ向から直視する事なのか。

 あるいはそれとも──自分の内にあった何かが塗り替えられてしまう事なのか。

 

「………………」

「おい、シルキィちゃん。何を言いかけたのだ」

「え、あ、その、えっと……」

 

 自らの心と折り合いが付かず、狼狽するように口をパクパクさせていたシルキィだったが。

 その時突如、彼女の脳内に起死回生の如き閃き、素晴らしい一手がピーンと思い付いた。

 

(……あ、そうだ、それなら……)

 

 すると先程までの表情とは一変。

 打って変わってシルキィはにんまりと、まるでいたずらを思い付いた少女のように笑って。

 

「……うん、そうね」

 

 すぐにランスの方に近付いていく。

 そしてその身体に両腕を回して、正面からぎゅっと抱き付いた。

 

「お、どした?」

「……ランスさん」

 

 その胸元に額を寄せたまま、心の限りに率直な想いを込めて言葉を口にする。

 ランスが聞きたかったのであろうその言葉を。

 

「……好きよ。私はランスさんの事が大好き」

 

 不思議な事に、さっきまでとは違って今度はあっさりその言葉が口から出た。

 

「おぉっ!」

 

 遂に性交の最中ではなく、この魔人が普通にしている時に聞けたその言葉。

 誰から聞いてもやはり嬉しいその言葉に、ランスは喜色満面の笑みとなる。

 

「そーかそーか、ようやく認めたか! うむうむ、素直なのは良い事だぞ、シルキィちゃん」

「……ふふっ」

 

 するとシルキィは上を向いて、ランスと顔を合わせる。

 そしてにぱーっと、それはもう満点の笑みを浮かべた。

 

「私ねー、基本的に人間の事はみーんな好きなの。知ってた?」

「……ぬ?」

 

 その言葉の意味を反芻して考える事三秒程。

 

「……がー! そういう事を言ってんじゃねー!」

 

 ランスはすぐに気付いた。

 自分とこの魔人の『好き』は意味合いが違う。

 その『好き』はその他大勢の一つと同じ。その好きが表す愛情は『博愛』や『仁愛』であって、決して『恋愛』のそれとは異なるという事を。

 

「考えてみればランスさんは平和の為に戦ってくれている人だもんね。そんな人の事を私が嫌いな訳ないでしょ? うんうん、大好き大好き!」

「んな事を言ってんじゃねーっつってんだろー!」

「あははっ! 私は貴方の事が大好きだからさ、これからも平和の為に一緒に戦いましょうね?」

「うがー! 話を聞け-!」

 

 またしても煙に巻かれてしまい、ランスは苛立ちと怒りの余りにがーっと吠え上がる。

 そんな叫びと共に、室内にはシルキィの楽しそうな笑い声が響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と。ここでこの話が終わっていたなら。

 

 それなら良かった。この時点でのシルキィならきっとそう言っただろう。

 それならランスから好きな人を問い詰められて、しかし土壇場で逆転の一手を思い付いた、言わばランスの事を手玉に取ってやった話。それだけの他愛もない話なのだが。

 

 しかし彼女にとっては不幸な事に、この話はここで終わりでは無い。

 あるいは幸運な事にと呼ぶべきかもしれないが、とにかくこの話にはまだ続きがあった。

 

 

 

 それから数時間後、就寝の時間。

 その日の真夜中、魔人シルキィは夢を見た。

 

 それは本当に不思議な夢。

 明晰夢の如く、何故だかすぐにこれは夢だと分かってしまうもので。

 そしてその夢の中にはとても印象的な生き物が──『黄色いトリ』が出てきて。

 

 

 

 そして朝。

 目覚めた彼女は寝ぼけ眼のままぽつりと呟いた。

 

「……電卓キューブ? 運命の相手……?」

 

 

 

 

 



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運命の相手

 

 

 

 

 

 そして翌日。

 

「ふぃー、食った食ったっと」

 

 場所は魔王城の食堂。

 朝食を食べ終わったランスがしばし席でまったりしていると。

 

「……じぃ」

「む?」

 

 ふいに何かの気配を、自らへと向けられている強い視線を感じた。

 気になって辺りを見渡してみると、それが居たのは食堂の出入り口付近。

 

「……じぃ」

「おぉシルキィちゃん、んな所で何してんだ?」

 

 そこにはドアの端からひょこっと顔だけを覗かせている魔人シルキィがいた。

 

「……あっ」

「って、ありゃ?」

 

 だが互いの目線が重なった途端、その魔人はハッとした様子で顔を引っ込めてしまう。

 まるで警戒心の強い小動物、その様子にランスが首を傾げていたのもつかの間。

 

「……じぃ」

「お」

 

 またすぐに顔をひょっこり覗かせて、先程と同じようにこちらをじっと見つめてくる。

 

「……じぃ~」

「……どした?」

「じぃ~……」

「あの、シルキィちゃん?」

 

 ランスが不審がるのも気にせずといった感じで、シルキィはただただじぃ~っと見つめてきて。

 

「じぃぃ~~……」

 

 その赤色の大きな瞳に映るもの。

 ランスという男の頭の先から足の先まで、それはもうじっくりと観察をして。

 

「……じぃぃ~~……」

 

 視線を移動させて今度は自らの左手。

 そしてまたじーっと、特に小指の辺りを穴が空きそうな程に凝視した後。

 

 

「……いやいや、まさかね」

 

 ぽつりとそんなセリフを呟いた。

 

 

「……でも、う~ん……」

 

 だがそれでも気になる。どうしても疑念が払拭されない。

 シルキィは再び自らの小指をじっと睨んで、深々と思考に耽り始める。

 

「おいシルキィちゃん。さっきからどうしたのだ。俺様に何か用か?」

「えっ、あ、ううん。大した事じゃないから気にしないで」

「って言われてもな、そうじっくり見られるとさすがに気になるぞ。大体何故そんな隅っこに隠れているのだ、こっちに来ればいいだろう」

「……それもそうね」

 

 ようやくシルキィはドアの陰から姿を現し、ランスの方にとことこと近付いていくる。

 

「一体どうした? さっきからずっと俺の事を見ていたようだが」

「……うーん」

 

 シルキィは自らの小指を心底不思議そうに眺めながら、とことこと近付いてきて。

 

「……ておい、シルキィちゃん?」

「でもなぁ、そんなまさか……」

 

 とことこと近付いてきて。

 そのままランスの膝の上に乗っかると、その顔を両手で包み込むようにしっかり押さえた。

 

「じぃ~……」

「いや、じぃーじゃなくて……」

 

 それは鼻先が触れるような近さ、超至近距離から再びのじー。

 何がそんなにも気になるのか、今日のシルキィはひたすらランスの事を観察してくる。

 

「じぃぃ~~……」

「……あの、近くないか?」

「え、あ、そう? ごめんなさい、私ったら気付かなくって……」

 

 どうやらこれは決してワザとでは無く、今の彼女にとっては素の行動らしい。

 近すぎると指摘されるや否やその膝から下りて、二人は今度こそ普通の距離感で顔を合わせる。

 

「じぃ~……」

「ってやっぱりそれかい。一体何がそんなにも気になるというのだ」

 

 とにかく今日のシルキィは見つめてくる。それはもうじぃ~っと見つめてくる。

 昨夜、魔王ガイの事について問い詰めた時はいつもと同じ様子だったというのに、そのすぐ次の日がこれではランスも調子が狂うというもの。

 

「シルキィちゃん、何かあったのか? きみさっきからものすごく様子がおかしいぞ」

「う、その……何かあったのかって聞かれると……別に何があったって訳じゃ無いんだけど……」

「何もなきゃいきなりそうはならんだろう。……あ、それとも遂に俺様のイケメンフェイスから目が離せなくなったとか?」

「いや、そういう訳でもなくて……うーん、なんて言ったらいいか……」

 

 何をどう説明したらいいのやら、シルキィは難しそうに眉を顰める。

 昨日の夜、彼女の身に起きた出来事はまるで雲をつかむような話。まともに受け取る方がおかしいとさえ思えるような話なのだが、それでも何故か気になってしまう、そんな話で。

 

「……ランスさん、私がおかしな事を言い出したなーって思っても笑わないで聞いてくれる?」

「お? あぁ、そりゃ構わんが」

「……そっか。じゃあ一応話してみようかな」

 

 そうして遂にシルキィはそれを打ち明けた。

 昨日の夜、夢の中で見た不思議な話を。

 

「実はね、私……昨日すごく変な夢を見たの」

「変な夢?」

「そうなの。なんか妙に現実感のある夢で……それで全身真っ黄色のトリが出てきてね、そのトリが言うには『電卓キューブ迷宮』っていう場所に運命の男と一緒に来いって……」

「……ほう! 電卓キューブとな!」

「うん。まぁ私もあれは単なる夢だって分かってはいるんだけど、ただどうしても気になっちゃうっていうか……あの時の感覚は夢だとは思えないっていうか……それに何より私の小指が……」

「ほうほう!」

 

 シルキィが見た妙な夢の内容。黄色いトリ、電卓キューブ迷宮、そして運命の相手。

 そんな話を聞いた途端、ランスは嬉しそうな表情になって何度も大きく頷く。

 

「そっかそっかぁ~……シルキィちゃんがかぁ……これはちょっと意外な人選かもな」

「人選って何の事? もしかしてランスさん、この夢の事について何か知っているの?」

「まぁな。つーか君がさっきから俺の事を見ていたのは運命の相手だと思ったからって事だな?」

「う、べ、別にそういう訳じゃないんだけど……」

 

 完全にそういう訳なのだが、しかしそうとも言えないシルキィは恥ずかしそうに顔を背ける。

 

「ただなんて言うか、私の近くに居る男の人ってランスさんぐらいしかいないじゃない? だからもしかしたらその可能性もあるのかな~って……」

「うむ、その読みは大正解だ。シルキィちゃんの運命の相手はこのランス様なのだよ」

「え、いやでも運命なんてそんな大げさな事……」

「んじゃ早速電卓キューブ迷宮に行くとするか」

「え?」

 

 という事で。ランスとシルキィは電卓キューブ迷宮にやって来た。

 

 

「え?」

 

 ──繰り返しになるが、ランスとシルキィは電卓キューブ迷宮にやって来た。

 

 

「え?」

「うし、それじゃあ進むぞ。レッツらゴー」

 

 この場所に来るのももう何度目か。

 もはや片手では数えられない回数、そんなランスは慣れた様子ですたすたと歩き始める。

 

「え、ちょっと待ってランスさん、ここって一体どこなの?」

「だから電卓キューブ迷宮だって。ここに来るよう言われていたのだろう?」

「そりゃそうだけど……え、でもじゃああれは夢じゃないって事なの……?」

 

 シルキィはきょろきょろと落ち着かない様子で周囲を眺める。

 立方体に立方体が重なる幾何学的な光景が上下左右に広がっており、一見すると迷宮とは思えないような電脳的デザイン。

 この世界でもとびっきりに不思議な場所、それがこの電卓キューブ迷宮である。

 

「え、でも待って待って。私達ついさっきまで魔王城の食堂に居たはずよね? それがいきなりどうしてこんな場所に来ているの?」

「そりゃここが電卓キューブ迷宮だからだ。その辺はあんまし深く考えないほうがいいぞ」

「え、なにそれ待って待って。ていうかどうしてランスさんはそんなに落ち着いているの? これどう考えてもおかしな事が起きているわよね?」

「それはなシルキィちゃん、ここが電卓キューブ迷宮だからだ。もう一度言うがこの迷宮に関してはあんまし深く考えない方がいい。考えたって絶対に分からんからな」

 

 ほんの一分前まで城の食堂でランスをじーっと見つめていたはずなのに。ふと気が付いたらこんな訳の分からない場所に居る。

 ここは一体何処なのか。一体どういう理由で、どういう原理で魔王城に居たはずの自分達がこんな場所に飛ばされたのか。

 シルキィのそんな疑問は至極最もなのだが、しかし『ここは電卓キューブ迷宮なのである。』それは全ての疑問を丸投げに出来る魔法のキーワード。

 

「どうやらこの迷宮は自分の運命の相手が判明したら来られる場所らしくてな。俺様も前に何度か来た事があるのだが、その時も気付いたらいつの間にか到着していたって感じだったのだ」

「……運命の相手が判明したら来られる場所?」

「そ。運命の相手と一緒にここに来いって、夢の中でそう言われたんだろう?」

「それは……そう、なんだけど……」

 

 未だ話が飲み込めないのか、呆然とした様子のシルキィは自らの小指を眺める。

 そこには昨日までは存在しなかったものが。赤色の糸が結ばれており、反対の糸の先は今もランスの方に向かって伸びている。

 今朝方目覚めてすぐに気付いたその変化。小指に結ばれた運命の赤い糸。

 

(運命の相手……か)

 

 運命。それは人の意思を越え、天の意思の如きものによって定められた自らの巡り合わせ。

 つまり運命の相手とは、そうした運命によって自分と結ばれている相手。

 

(……え、運命の相手?)

 

 今自分とランスが居るこの迷宮、どうやら電卓キューブ迷宮という場所らしいが、ここは運命の相手と一緒でないと来られない場所らしい。

 その電卓キューブ迷宮にこうしてランスと来ているという事はつまり、今隣に居るこの男が自分にとっての運命の相手という事になる。

 

(運命の相手……って、何?)

 

 運命の相手。出会う運命だった相手。自分の運命を握る相手。運命によって決まっている相手。

 意味合いは様々だが、いずれにせよ自分にとってランスは運命で結ばれている相手らしい。

 

 ──繰り返しになるが、どうやら自分にとってランスは運命で結ばれている相手らしい。

 

 

「運命の相手ってなにーーー!?」

「おぉっ、びっくりした」

 

 そんな事を考えたシルキィは唐突に叫んだ。その顔はちょっと泣きそうな表情だった。

 

「待って待って! だってそんなっ、そんなの、そんなのおかしいわ! おかしいわよね!?」

「いきなり大声出してどうしたシルキィちゃん。一体何がおかしいってんだ」

「だって何で私が!? 何でランスさんと!? 私達そんな関係じゃないでしょう!?」

「いやいや、俺と君はまさにそんな関係だとも。俺様のようなイイ男が運命の相手で良かったじゃないか、がははは!」

 

 ランスが大口を開けて気分良く笑えば、シルキィが「がははーじゃない!」と怒鳴りを上げる。

 

「これは笑い事じゃ……いえ、待ってランスさん、冷静になって。落ち着いて考えましょう?」

「そもそも俺様は落ち着いているのだが。冷静になるのは君の方だろうに」

「……そ、それもそうね」

 

 受け入れ難い現実につい取り乱してしまったが、魔人四天王たる自分がこれではいけない。

 シルキィはすーはーすーはー深呼吸を繰り返し、頭の中に僅かなりとも冷静さを取り戻す。

 

「……ふぅ、見苦しい所を見せてごめんなさい、大分落ち着いたわ」

「うむ、それは良かった」

「うん。……でね? 改めて考えてみたんだけど、やっぱりこれはおかしいと思うのよ。だってほら、私はこの通り魔人なのよ? 人間じゃないのよ?」

 

 シルキィ・リトルレーズンは魔人。そして隣に居る運命の相手らしいランスは人間。

 魔人と人間。それは本来なら決して相容れる事は無い関係のはずで。

 

「私と貴方が運命の相手だっていう話だけど……でもそんな、魔人と人間がそんな関係になるなんて絶対におかしいでしょう?」

「そうか? 魔人っつったって元は人間だし、運命の相手になってもおかしかねーと思うが」

「でもランスさん、考えてもみて? 私が生まれたのはもう千年前の事、本当ならランスさんとは出会うはずなんて無かった存在なのよ?」

「……ふむ」

「私は本来ならとっくに寿命を迎えているはずの人間なの。けどたまたま魔人になったから今もこうして生きているだけ。なのに私が生まれた千年後に生まれたランスさんと運命で結ばれているって、そんなのどう考えてもおかしい事だと思わない? 思うわよね? ね? ね?」

「……ふーむ、そう言われると……」

 

 彼女の必死な言葉に唸らされたのか、ランスも自然と顎を撫でる。

 両者の間にある千年という時間の隔たり。本来ならば出会うはずの無い相手が自分にとっての運命の相手とは如何なものか。

 言われてみると確かにおかしいような気もしてきたのだが、しかしすぐにランスはどうでもよさそうな表情となって。

 

「けどなぁ、んな事俺に言われても……別に俺が相手を決めている訳じゃねーしなぁ……」

「……う、それは……確かにランスさんに言っても仕方無いかもなんだけど……」

 

 それは誰が決めている事でも無い。あるいはだからこそ運命の相手と呼ぶのだろうか。

 これまで選ばれた数人を思い返してみても、その理由や共通点などは全くの不明。故にランスとしてはただありのままを受け入れるばかりである。

 

「おかしかろうがどうだろうが、実際こうして電卓キューブ迷宮に来ているからな。俺と君が運命の相手だって事はもう揺るぎない事なのだよ……ってほれ、モンスターが出てきたぞ」

 

 すると二人の進行方向の先、そこには道を塞ぐように数体の魔物の姿が。 

 ここ電卓キューブ迷宮は一応「迷宮」だけあって魔物が出現する。青い円柱状の魔物『ブルーワンド』や、六角形の集合体のような魔物『ヘキサピラー』など、この不思議な迷宮にふさわしい不思議な魔物達が出現したその時。

 

『運命の二人よ……ここでの戦いでは苦戦をしてはならない……』

 

 何処からともなくそんな声が聞こえた。

 

「だとよ。今の声はこの迷宮を攻略するヒントになっていてな。俺様の考えだとこれは多分……」

「だってそんな……私とランスさんが運命の相手って……そんな、そんなの……」

「おいシルキィちゃん、話聞いてるか? つーかモンスターが来てるぞ……って、おぉ!」

 

 驚くランスの隣、シルキィはぶつぶつと独り言を繰り返しながらも腕を一振り。

 襲い掛かってきた魔物をパコーンとワンパンで反対側の壁までぶっ飛ばした。

 

「ぬぅ、さすがは魔人……こりゃ苦戦などしようがねぇな」

「でもそんな、運命の相手って……私がそんな……私とランスさんがそんなそんな……!」

 

 出現するモンスターも、迷宮の攻略法だろうと今は全てどうでもいいのか。

 シルキィは両手で頬を押さえながら、身悶えるかのように首を振る。

 その脳内を支配する思考、それは何故自分とランスが運命で結ばれているのか。そんな先程からの疑問ただ一つのみ。

 

 魔人シルキィ・リトルレーズン。元は人間、そして今では魔人四天王の一角。

 派閥戦争ではホーネット派に属し、今こうしてランスの隣でテンパっている彼女ではあるが、しかし本来なら魔人シルキィはこうして電卓キューブ迷宮に来る事など出来ないはずだった。

 

 それはランスが体験した前回の話。前回の派閥戦争でホーネット派はケイブリス派に敗れた。

 派閥の主たるホーネットは生け捕りとなり、ホーネットを人質に取られたシルキィはケイブリスの言いなりになる事を余儀なくされた。

 

 その後、第二次魔人戦争が勃発。その中でシルキィは自らが大切に思い続けていた人間世界への侵攻の手駒とされ、更には魔物兵達による陵辱を毎晩のように受ける事となった。

 そうした中、前回のシルキィはランス率いる魔人討伐隊に敗北を喫し、その後は説得を受けた事もあって人間達の戦いに協力する事となった。

 

 しかし彼女にとっての不幸はその戦争末期、人類全体の死者数が30%を越えた頃。

 総人口の減少に伴い力の一部が覚醒した勇者アリオス。その襲撃の際にシルキィはそばに居たメイドを庇う形で凶刃を受け、それが致命傷となってその身を魔血魂に戻す事となった。

 

 以上が前回のシルキィの身に起きた出来事。それは言わば本来たる彼女の運命であって。

 その悲惨な運命が変わった理由、それは紛れもなくランスの影響。過去に戻ってきたランスの働きによってホーネットは窮地を脱し、そして今も尚この通りホーネット派は存続している。

 本来は死ぬはずだった。しかしランスの影響によってその運命は覆された。そう考えた場合、今ここに居るシルキィにとっての運命の相手がランスである事に然程不思議は無いのだが。

 

 

(なんで!? どうして!? どうしてランスさんが私の運命の相手なの!?)

 

 当の本人は勿論ながらそんな事は知り得ない。

 本来の自分が歩むはずであった運命など知る由も無い以上、突然にランスが運命の相手だと言われてもただただ混乱するばかりで。

 

(運命なんて、そんなの……私とランスさんはそんな関係じゃないはずなのに……!)

 

 自分とランスは同じ派閥で戦う仲間、それだけの関係性でしか無いはずなのに。

 仲間の前に『大切な』を付けても構わないが、いずれにせよその程度の関係性なはずなのに。

 

(そうよね? その程度よね? 他に何かあるとすれば……まぁ、大した事じゃないけど……)

 

 ……あえて特筆する事でも無いが、強いて言うならば初体験の相手にはなるのだが。

 そして更に言うならば、それ以降も度々身体を重ねている程度の関係性ではあるのだが。

 

(……ま、まぁ確かに……私の人生において一番深く触れ合った男の人ってなると……それはランスさんになるのかもしれないけど……)

 

 そういう見方をしてみると、少なくともランスは『特別な相手』と呼べる存在ではある。

 なにせ自分は約千年にも渡って性交という行為とは無縁だった。きっと今後もそのまま、自分は一生そういう事はしないんだろうなぁと、漠然とではあるがそんな事まで考えていた。

 それなのにランスという男と出会ったらどうだろう、まさか一月もしない内にあっさり身体を重ねてしまったのだから驚きだ。色々な意味で自分にとって特別な相手であるのは納得出来る。

 

(……けどそっか……そう言われてみると頷かされる事があるような無いような……)

 

 自分とランスは運命の相手。それを念頭に置くと違った見え方をしてくるものもある。

 例えばこれは以前にも考えた事だが、そもそも自分とランスは性格的に噛み合わない。真面目で頭の固い自分と不真面目で自堕落なランス。普通なら反りが合わなそうなはずなのに、しかし不思議とそうでもない。その理由は『運命の相手だから』なのではないか。

 他にも例えばランスからセクハラやエッチないたずらをされた時、本当なら咎めなければならないのに「しょうがないなぁ」みたいな感じで許せてしまうのも運命の相手だからかもしれない。

 

(……そうだ、それだけじゃないわ……! ランスさんとエッチな事をすると毎回信じられない位に気持ち良くなっちゃうのも、ランスさんが運命の相手だからって事なんじゃ……! そうよ、きっとそうだわ! そういう事だったのね……!)

 

 どさくさ紛れに自らの痴情までも運命に責任を押し付けつつ。

 とにかくそうやって色々考えてみると、思い当たる節は幾つもあって。

 どうにも混乱してきたシルキィは一度冷静に、その視線をちらっと隣に向けてみる。

 

「がははは。魔人四天王と一緒だと雑魚戦が楽チンで助かるな」

「……う」

 

 そうすると目に入るその横顔が。

 ちょっと口元の大きめなその人が、どうやら自分にとっての運命の相手らしくて。

 

「……う、うぅ~……!」

 

 これも運命の相手という言葉が持つ魔力故か。

 昨日までは何も感じなかったはずなのに、今ではもうまともに直視出来ない。

 こうして見ているだけで顔が火傷しそうな程に熱くなってきてしまう。

 

「……う、ぇうぅ~……!」

「ん? 何だシルキィちゃん」

「……あっ」

 

 その時振り向いたランスと目が合った。

 

「……あ、う、あぅ……」

 

 すると遂に混乱が極まってしまったのか、

 

 

「あ、その……えっと……不束者ですが、末永く宜しくお願いします……」

 

 そう言ってシルキィはぺこりとお辞儀をした。

 

 

「……どしたいきなり」

「あ、違う!? 違うかな!? 違うわね! やだ私ったら、何を言っているのかしら……!」

 

 真っ赤な顔を両手で覆い隠し、シルキィは逃げるように背を向ける。

 傍目からは面白い程の狼狽っぷりだが、そうなってしまうのも仕方無しと言うもので。

 

(だって運命の相手なんて、そんな、そんなの、それじゃまるで、私とランスさんが結ばれるのが運命というか、なんか心から愛し合う関係みたいに聞こえちゃうっていうか……そんな感じに、そんな感じになっちゃうじゃないぃぃ~……!)

 

 一般的に『運命の相手』と言われれば、自身にとって唯一無二の存在だと考えるのが自然な事。

 とはいえランスにとっては唯一無二では無く、その両手両足と計20人分となるのだが、いずれにせよシルキィの小指からは一本しか赤い糸が伸びていない以上、彼女にとってはランスが唯一無二の相手。

 そしてそんな唯一無二の相手となれば、それはえてして結婚相手とか、そうで無くとも永遠を誓い合う仲とか、そういった関係を想起させるもの。

 そんな考えに頭をやられ、まるで嫁入り挨拶のようなセリフを口にしてしまったシルキィを一体誰が責められようか。

 

「……はぁぁ~……どうしよ、どうしよ……!」

「しっかしシルキィちゃん、今日の君は随分とパニくっとるな」

「そ、そりゃだって、いきなりこんな事になったらパニックにもなるでしょう! ていうかランスさんの方こそ落ち着きすぎじゃない? 急に運命の相手なんて言われてビックリしないの!?」

「そりゃ言われた時はな。けどこうして運命の相手が判明するってのは良い事だからな。そうパニックになる必要なんか無いだろう」

 

 初めての事に混乱しっぱなしなシルキィの一方、経験済みのランスは一向に通常運転、というよりもむしろ普段より機嫌が良かった。

 自分にとっての運命の女がまた一人判明した。そのお相手とこうして電卓キューブ迷宮を進むのは何度経験しても気分が良いもの。

 それがシルキィだったのはびっくりと言えばびっくりだが、とはいえ彼女も元から自分の女。やはりそうだったのか、俺様の目に狂いはなかったぜ……と、その程度の事である。

 

「まぁ君とはエロの相性がバツグンだったからな。これも運命の相手だと分かれば納得だ」

「う、……別に、それは関係無いような……」

「いやいやどうかな? 俺様と君は互いに英雄色を好むってヤツだからな。お互い英雄同士、俺様にとって君が運命の女なのは当然の事だったのかもしれんな、うむうむ」

「そんな英雄色を好むって、何度も言うけど私は別に好んでなんか──」

 

 謂れなき冤罪に反論しようとしたその時、

 

「──て、あ……でもそっか……」

 

 シルキィはある事に気付いて、途端に声のトーンを弱くする。

 

「考えてみたら私の相手が貴方だって事は……貴方の相手が私だって事にもなるのよね……」

「そりゃそうだろ。それがどうかしたか?」

「……その、どうかしたかっていうか……」

 

 運命の相手。それは自分だけの事では無く、相手にとってもそういう運命だという事。

 そんな事を考えたシルキィは少し俯いた顔、どこか申し訳無さそうな表情で呟く。

 

「……ねぇランスさん。私が貴方にとっての運命の相手になっちゃうとさ……」

「なっちゃうと、何だ?」

「……なっちゃうとね、その……貴方に不都合とかは無いの?」

「不都合? そりゃどういう意味だ?」

「だからね、あの……私なんかが運命の相手で嫌じゃないのかなーって……」

「何を言うか、嫌な訳が無いだろう。シルキィちゃんなら大歓迎、むしろ嬉しいぐらいだ」

 

 基本的にランスという男は分かりやすい男。

 今の言葉が真実なのか嘘なのか、その表情や声色から簡単に察する事が出来る相手で。

 

「……はぅ」

「ん?」

 

 それは本心からの言葉だとすぐに分かった。故にこそ今のは結構効いたらしい。

 シルキィは小さく呻くと、胸元を押さえてそのまましゃがみ込んでしまった。

 

「おいシルキィちゃん、大丈夫か?」

「……うん、大丈夫」

「……と言うわりには立ち上がらんではないか。足でも挫いたのか?」

「ううん、ほんとに大丈夫だから。けどちょっと、ちょっとだけ待ってね……」

 

 そう答えるシルキィは小さくうずくまったまま動こうとしない。

 何故なら顔がこれまでに無い程に熱い。今の自分の顔は絶対に見せられない気がした。

 

(……う、嬉しい……かぁ)

 

 自分が運命の相手で、嬉しい。

 そう言ってくれるとなんか、なんかよく分からないけど、信じられないぐらいにとても嬉しい。

 

(……でもそっか……そうよね……考えてみればランスさんって、私と初めて会った時からすぐに「自分の女になれ」って言ってきたんだっけ……こんな私を……)

 

 こんな自分。平坦な身体の自分。可愛げがある訳でも愛嬌がある訳でも無い自分。

 千年間も未経験を貫いた程に今まで浮いた話の無かった自分。そんな自分と初めて顔を合わせたその場で求めてきたのがランスという男だった。

  そしてついでに言えば、一度抱いた後も飽きもせず何度も求めてくる男でもあって。

 

(……こんな私をこんなに求めてくる人なんて、後にも先にもこの人だけ……だろうな……)

 

 仮にランスと出会わなかったとしたら。

 千年も生きて経験の無かった自分の事だ、きっとこの先もまた千年、そして死ぬまで未経験だったに違いない。

 自分の何処に女性としての魅力があるのか。それはさっぱり分からないが、もしそんなものがあるのだとしたら、それを初めて見つけてくれたのがランスだという事なのではないだろうか。

 

(だとすると……いい人、なのかな? いやいい人では無いわね。無いんだけど……私にとってはいい人というか……割れ鍋に綴じ蓋というか、なんていうかその~……良縁?)

 

 先程までの思考の流れが影響してか、ふとそんな言葉が頭に浮かぶ。

 ランスはこんな自分の事を猛烈に求めてくれる人ではある。それが下心なのだとしても、これまでは下心を向けてくる相手すらも居なかった。

 だとしたら自分にとっては良縁に違いない。だってこの先二度とそんな人は現われないかもしれないのだから。まさしく千年越しに出会えた運命の相手と言えるだろう。

 

(……良縁。あるいは運命の相手……私にとってのランスさんって……)

 

「………………」

 

 するとシルキィはしゃがみ込んだままの姿で、意を決してその口を開く。

 

「……ごめんランスさん。ちょっと手を貸してくれないかしら」

「いいぞ、ほれ」

 

 すぐに目の前に差し出された手。

 それとしっかりと掴んでシルキィは立ち上がる。

 

「……うん、ありがと」

 

 そうして立ち上がった後も、しかしその手を離そうとはせず。

 

「……ぬ?」

「……うん。もうちょっと」

「そか。まーいいけど」

 

 ランスも然程気に留めず、そのまま二人は手を繋いだまま迷宮を進む。

 

(……あたたかいな)

 

 その手から伝わるのは人の温もり。

 分厚い装甲の中にいたのでは決して感じる事の出来ないもの。

 

(それに……なんかドキドキする)

 

 そしてこの胸の痛みも。

 それは経験した覚えの無い痛み。かの魔王の事を想って感じる穏やかな心地とは異なる、ドクンドクンと大きく弾けて、けれども嫌ではない感触。

 

(あまり考えたくないんだけど……これって……)

 

 それはこの魔人にとって、これまでずっと目を逸らしてきたもの。

 意識せずに自覚しなかった魔人筆頭とは違い、半ば意識的に自覚するのを避けてきたもの。

 それを遂に直視させてしまう程に、運命の相手という言葉の魔力は強烈で。

 

(これってやっぱり……そういう事、なの? こんなにドキドキしちゃう理由は……)

 

 自分の内に芽生えたもの。

 その実、すでに芽生えていたもの。

 その想いを一つ一つ確かめながら、その足取りは一歩一歩ゆっくりと。

 

「ランスさんってさ……歩くの早いね」

「む、そうか?」

「うん。……男の人、なんだね」

「いやそりゃそうだろ。君は今まで俺をなんだと思ってたのだ」

「そりゃ分かってたんだけど……けどなんか、改めて思い知ったというか……」

 

 そう呟く彼女の顔は、傍から見れば恋する乙女そのもののような表情で。

 俯きながらもその手を繋いだまま、シルキィはランスと一緒に迷宮を進んでいった。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そしてその後。

 

「……お、どうやらクリアーしたみたいだな」

 

 次々と出現するモンスターを苦戦せずに倒し続ける事しばらくして。

 ふいにモンスターの出現が止まり、二人の前には宝箱が出現していた。

 

「……あ、そう言えば、私専用の武器が手に入るとかどうとかって……」

「きっとあの宝箱がそれだろう。ほれシルキィちゃん、開けてみたらどうだ?」

「えぇ、そうね」

 

 シルキィは宝箱を開く。

 するとその中に入っていたのは──

 

「ほう、どうやら剣みたいだな」

「そう? これって剣というより槍じゃない?」

「そーかぁ? これは絶対に剣……というか斧のようにも見えるような……」

 

 それは彼女の背丈と同じ程に大きく、両手持ちで扱うらしき大型の武器。

 片側の刃は剣のような曲線、逆の刃は斧のように広く、その先端は槍のように鋭く尖っている。

 剣にも見え、槍のようにも見えて、斧のようにも見える。二人共に首を傾げてしまう程、なんとも不思議な形状の武器──その名も『英雄の槍』

 

「一応槍なのか、それ」

「そうみたいね。ただこの名前……私が英雄って呼ばれた事があるからこの名前なんでしょうけど……でも自分が扱う武器にこの名前を付けちゃうのってちょっと恥ずかしくないかしら」

「それはまぁ……けれど『痴女の槍』とかじゃなくて良かったじゃないか」

「ランスさん、ぶっ飛ばすわよ」

 

 言いながらシルキィはその手に英雄の槍を握る。

 そして二度三度と振りを確かめてから、驚いたようにその目を見開く。

 

「あ……でも凄い。こんな不思議な形の武器なのにびっくりするくらい手に馴染む……」

「そりゃまぁ君専用の武器な訳だしな。なんであれ使えそうなら良かったじゃないか」

「そうね。これでまた強くなれそう。城に戻ったら早速装甲に合成しないとね」

「……え?」

 

 そんな言葉が聞こえた途端、ランスの眉がぴくんと動く。

 

「ちょっと待てシルキィちゃん、その武器……君の装甲にくっつけちゃうのか?」

「うん。私は武器とか防具とかは全部一つの魔法具に纏めちゃってるの。そうした方がいつでも取り出せて使いやすいからね。そうやって出来上がったのが私が普段使っているあの装甲な訳だし」

「いやでもそれ……君専用の特別な武器……」

「確かにかなり性能の良さそうな武器ね。でも大丈夫、私のLV2になる付与の力なら金属の合成で失敗する事なんてまず無いから」

「いやそういう事じゃなくて……もっとこう、気持ち的な何かっていうか……」

 

 武器や防具など、それらはこの魔人の目を通すと魔法具強化用の素材にしか見えないらしい。

 確かに彼女の装甲は展開自在、大きさも自在に変えられたりと非常に優れた魔法具。使い勝手の良い武器を入手したのであれば尚更、合成した方がいつでも使用出来て便利なのかもしれない。

 とはいえそれは一つの武器では無く、数多ある魔法具の集合体の一つになるという事で。

 

「……まぁ、その方が使いやすいってんなら……それでいいのか? けどなぁ……」

 

 運命の相手である自分との言わば記念の品、それが魔法具強化用の一パーツ扱い。

 それは何だか釈然としないような。というかちょっと寂しいような。なんというか。

 

「……シルキィちゃん。やっぱそれ君の装甲にくっつけるの禁止」

「えっ、どうして? だってその方が便利に──」

「うるさい。便利とか便利じゃないとかそういう問題ではないのだ。武器の一つくらい面倒くさがらずにちゃんと持ち歩きなさい。いいな?」

「えぇー、でも……」

「でもじゃない。返事は?」

「……はーい」

 

 渋々ながらもシルキィは頷き、英雄の槍が魔法具に合成されてしまう事態は回避された。

 

 

 

 

 

 

 

 



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もう一つの可能性

 

 

 

 

 大陸の西側一帯。そこは魔物が跋扈する魔物界。

 そんな魔物界の南側、そこは現在ケイブリス派が支配している領域となる。

 そしてケイブリス派領域の南東部一帯、その森林地帯は『引き裂きの森』と呼ばれている。

 

「……しかし引き裂きの森か。なんか物騒な名前の場所だな」

 

 そう呟いたのは全長2m程の姿。

 全身が緑色で覆われたそれはこの魔物界でよく見かける姿、魔物兵スーツを着込んだ魔物兵。

 彼は四方を覆う森の景色に目を向けながら、すぐ隣に居た別の魔物兵に向けて声を掛ける。

 

「ここはあれか。無闇に通ったら身体が引き裂かれるぞーとか、そんな話があったりするのか?」

「……聞いた事はあるわね。ただ引き裂かれるとは言っても物理的にでは無く、誰かとの関係性の事だっていう説も聞いた事があるわ。どっちも単なる言い伝えだと思うけどね」

 

 隣に居た魔物兵の中身はどうやら女性なのか、女言葉でこの森の逸話を説明する。

 ここは魔物界南東部にある引き裂きの森。すぐ東にある人間の世界と隣接しており、迷い込んだ者はたちまち凶暴な魔物に襲われて命を落とす、そんな危険な森なのだが。

 

「……にしても魔物がいないな」

「えぇ、戦力の大半がカスケード・バウの方に回されているのもそうでしょうけど……やっぱりこちら側に兵を置く理由は無いって事ね」

 

 引き裂きの森はケイブリス派の領域。とはいえ、支配領域の北側方面にホーネット派という敵を置く以上、ここ魔物界南東部は戦線を大きく外れた地であり、ケイブリス派にとっては重要度の低い場所。

 故に元々ここに棲息していた魔物達はケイブリス派に招集され、現在は絶対防衛線を敷くカスケード・バウへ移動させられている。そんな理由で今では魔物の数が激減し森はとても静かになっていた。

 

「がははは、ここまでは全て予想通りだな」

「……まぁそうね。けれどね、何度も言っているけど問題はここから先なんだってば……」

 

 ご機嫌に笑う魔物兵の一方、そんな気分にはなれずに項垂れるもう一体の魔物兵。

 ここはケイブリス派の領域。しかしケイブリス派にとってここに兵を置く理由は無い。

 という事は、今ここに居るこの二体の魔物兵はケイブリス派の魔物兵では無いという事で。

 

「……ねぇランスさん。やっぱり止めない? こんな無意味な事……」

「無意味では無いぞ、シルキィちゃん。ここに来た理由ならさっき話しただろうに」

「だからそんなの絶対に無理だって……」

 

 つまりその魔物兵スーツの中身は魔物では無く、それは誰あろうランスとシルキィ。

 少し前に電卓キューブ迷宮に飛ばされた二人、強い運命で結ばれている二人である。

 

「帰りたい……」

 

 実に弱々しい声色で、何とも切なげな言葉を漏らすシルキィ。

 二人がこうして引き裂きの森を進む理由、その切っ掛けは彼女が呟いた一言からだった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 遡る事数時間前。

 電卓キューブ迷宮内での出来事。

 

「……それにしても、電卓キューブ迷宮か……本当に不思議な場所ね。まさか魔物界にこんな場所があるなんて思いもしなかったわ」

 

 一見すると何の変哲も無い一言だが、後から考えれば今のが余計な一言だった。

 それは迷宮が出す試練をクリアして、宝箱からシルキィ専用の武器を手に入れた直後の事。

 彼女が迷宮を振り返っての感想を呟くと、ランスが「……ぬ?」と眉を顰めた。

 

「いや待てシルキィちゃん、電卓キューブ迷宮って魔物界にあるのか?」

「え、違うの?」

「うむ。なんか違ったような……俺の記憶が正しければゼスの近くだったような気がするぞ」

「ゼスって……じゃあここは人間世界って事?」

 

 二人が気になったのは今自分達が居る場所、ここ電卓キューブ迷宮の具体的な所在地。

 魔王城の食堂から超常的な力によって瞬間移動させられ、一体何処に飛ばされたのか。

 長年魔物界で暮らしているシルキィは当たり前のように魔物界だと考えていたのだが、ランスは過去の経験からそれを否定していた。

 

「ここは確かゼスの……あ~、何処だっけな?」

「私に聞かれても……私は電卓キューブ迷宮なんて聞いた事すら無かったし……」

「ぬぅ、俺様もここに来る時はいっつもいきなり内部に飛ばされてたからな……」

 

 気が付いたら電卓キューブ迷宮内に居て、気が付いたら電卓キューブ迷宮を去っている。

 そんな不思議な過去を振り返りながら、ランスはきょろきょろと周囲を見渡す。

 

「どっか外が見えそうな所はねーかな。そうすりゃここが何処だか分かると思うのだが」

「外かぁ……でもさすがに外が見えそうな雰囲気じゃないわね。というかここは迷宮なんだから私達は地下に居るんじゃないの?」

「いや、地下では無かったような……なんかこう……外側から見える場所だったような……」

 

 ランスが初めてこの電卓キューブ迷宮に訪れたのはLP4年、ゼス国で戦っていた頃。

 もはや記憶もあやふやになっているのだが、その時にこの迷宮を外部から目にした機会があったような無かったような。

 

「ううむ……なんか無性に気になってきた……」

 

 ここ電卓キューブ迷宮の所在地。頭の奥からもうちょっとで出てきそうなのに出てこない。

 そんな状態がもどかしくなってきたのか、突然ランスは上の方を見上げて。

 

「……おーい! どっか外が見えるような所に俺様達を連れてってくれー!」

「え? ランスさん、それ誰に頼んでいるの?」

「知らん」

「知らんって貴方……」

 

 すぐ隣から聞こえた突然の大声、突然の奇行にシルキィが動揺していたその時。

 ランスのそんなお願いは何処ぞの誰かの下まで無事に届いたらしく。

 

「いくら何でもそんな……って、きゃ!」

「うおっ!」

 

 パッと視界が切り替わって。

 ふと気付いた時にはすでに、ランスとシルキィは外が見えるような場所にいた。

 

「え、なにこれ。こんな簡単に瞬間移動しちゃっていいの? ちょっと怖くなってきたんだけど」

「まぁまぁシルキィちゃん、あまり深く考えるな。ここは電卓キューブ迷宮だからな」

「ねぇランスさん、薄々気付いていたんだけど貴方それで全部押し通そうとしてない?」

「押し通すとかではない、ありのままを受け入れろって事だ。それよりもここは……」

 

 肌に触れる風や見晴らす限りの遠い景色など、ここが間違い無く外だという事は分かる。

 ただその景色が見えるのは随分と高い視点から。空を見上げれば雲は普段より近くにあって、そして足元には固く無機質な金属が地面の代わりに広がっている。

 

「……ここってまさか……空に浮いているのか?」

「……そうね。見た所そんな感じね……」

 

 電卓キューブ迷宮。それは空中に浮かんでいる巨大な立方体の迷宮。

 歩いて訪れる手段は無く、故にこそ運命の相手が判明したらいつの間にか到着している場所。

 どうやら今ランス達が居るのは電卓キューブ迷宮という立方体の上部分。ランスが外の見える場所に行きたいと誰かしらに頼んだ結果、このような場所に移動させられたようだ。

 

「地下ならともかく、まさか迷宮が空中にあるとは思わなかったわ。世界は広いわね……」

「でもここからなら現在地が分かりそうだ。ふむ、どれどれっと……」

 

 ランスはすたすたと歩を進めて立方体の端、足場の途絶えるぎりぎりまで近付いていく。

 角は90度で真下に折れ、ここで足を滑らせようものなら地表まで真っ逆さま。勿論手すりなども無い為中々にスリルを誘う場所である。

 

「おぉ、想像していたよりもかなり高ぇな」

「ちょっとランスさん、そんな端っこまで近づくのは危ないわよ」

「大丈夫だっての。……お、あそこに小さく見えるのは……ありゃマジノラインか?」

 

 少しだけ身を乗り出して真下を眺める。

 すると眼下に見えたのは巨大な建造物、ゼス国西の境界線となる魔法要塞マジノライン。

 どうやらここ電卓キューブ迷宮はマジノライン付近の空中に浮かんでいるようだ。

 

「あーそうそう、思い出した。そういやマジノラインに来た時に見かけたような気がしたのだ」

「へぇ、あれがマジノラインかぁ……貴方の言う通り、ここは本当に人間世界なのね」

「そーいう事だな。けどここがマジノラインの上空だっつー事は……」

 

 ランスは言いながら左の方向に──西の方角にその顔を向ける。

 二人は今マジノライン付近の空中に浮かぶ巨大な立方体、その上に立っている。

 するとそこから西の方角に視線を向けた場合、必然的にそれが見えてくる事になる。

 

「……すぐこっちは魔物界って事だよな」

「そうね。ゼス国は確か人間世界の南に位置しているのよね? だったらここから見える景色は……魔物界の中でもケイブリス派の支配圏になるわ」

 

 二人が見つめる先に広がる世界。

 それは魔物界の南側、ケイブリス派の領域。

 

「………………」

「………………」

 

 自然と両者共に沈黙し、暫しその景色を眺める。

 魔物界の南側一帯。現在ケイブリス派が勢力圏としているエリアであり、ホーネット派に属するシルキィにとっては長らく足を踏み入れていない地。

 

「……うーむ」

 

 しかしランスにとっては違う。

 彼は前回の第二次魔人戦争の末期、魔人ケイブリスを討伐する為に『20海里作戦』を決行し、船を使用して魔物界南部に進んだ経験がある。

 それは人類の命運を懸けた決死の作戦、選りすぐりの精鋭で挑んだ決死の逆侵攻。そんな手に打って出た経験があるからこそ思い付いたのか。

 

「……なぁ。ちと思ったのだが……こっちから行けばいいんじゃねーか?」

 

 ランスは唐突にそんなセリフを呟いた。

 

「こっちからって……何が?」

「だからヤツらの本拠地にだ。別に魔王城から進まんでもこっちからだって進めるだろ?」

 

 それは魔王城から南進する侵攻ルートでは無く、ゼス国から西進する第二の侵攻ルート。

 ケイブリス派の本拠地が魔物界南部にある以上、ランスが提案するそんなルートでも辿り着く事は確かに可能である。

 

「ほれ、カスケード・バウとかケッセルリンクとか、他にも死の大地とかがあってあっちからは攻めるのが難しいって何度も言ってたろ? だったらそんな面倒な場所は通らずにゼスからマジノラインを越えて攻め込めばいいじゃねーか」

「……え、けどそんな、人間世界を通るなんて……それだとゼスに迷惑が掛かっちゃうわ」

「その点なら安心しろ。ゼスは俺様の命令なら何でも聞く。こっちにはウルザちゃんも居るしな」

「そ、れは……でも……」

 

 ランスの語る作戦案。それを聞いたシルキィは頭の中で何度か反芻して。

 

「……そっか。ランスさん達が協力してくれるならそういう方法もあるんだ……」

 

 やがて感心したようにそう呟いた。

 魔物界を南北に分ける派閥戦争を7年以上続けてきたシルキィにとって、人間世界から西に進む進路は思いもよらなかった侵攻ルート。

 それは勿論ながら簡単な作戦では無く、多くの人間の協力が不可欠。だから仮にこれまでであれば思い付いたとしても実現は不可能だった。

 しかしランスの協力が、人間世界に絶大に顔が利くこの男の協力があれば問題の殆どが解決、西進ルートは決して実現不可能な作戦ではなくなる。

 

「カスケード・バウにはアホみたいな数の雑魚共がいたからな。あんな所を通るよりかはこっちから進んだ方が絶対に楽チンだろう」

「……確かにそうね。カスケード・バウにあれ程の規模の戦力を割いている分、他への備えは手薄になっているはず。それにまさかこのタイミングで人間世界の方から侵攻してくるなんてさすがのケイブリスでも想定していないでしょうし……」

「なるへそ。警戒していないなら更に無防備でもおかしく無いってか。なら尚更アリだな」

 

 ケイブリス派にとって警戒するべきは北側。つまり驚異となるのはホーネット派のみ。

 そして東側は人間の領域、ケイブリスにとっては眼中に無い相手。いずれこちらから侵攻して滅ぼす対象というだけの認識に留まる。

 そんな眼中にない相手が兵を挙げて逆に侵攻してくるなど想定外の事。現状ケイブリス派にとって東側に戦力を置く理由は無く、無防備だろうとの主張には筋が通っていた。

 

「これはイケるぞシルキィちゃん。あのリス野郎がパニクる姿が目に浮かぶぜ、くくくっ」

「そうね……勿論ホーネット様に相談する必要はあるけど、確かに悪くない手かも……」

 

 とここまでの話を踏まえて、思考が同意の方向へと大きく傾いていたシルキィだったが。

 

「……あ、けどそっか。やっぱりその作戦はちょっと難しいかも……」

 

 依然として眼下に広がるケイブリス派領域を眺めていると、ふとある事を思い出した。

 

「難しいって、どうしてだ?」

「ほら、あそこをよく見てランスさん。あそこに大きな世界樹が見えるでしょ?」

 

 言いながらシルキィは遠くを指差す。

 その指の先には言葉通りのもの──魔界都市の一番の特徴、巨大な半球状の植物の姿が。

 

「あぁ、たしかに見えるな。あれがケイブリス派の本拠地って事か」

「いいえ、あれは違うわ。あれじゃなくて……ここからだとかなり遠いけど……よーく見るとその奥にもう一つ世界樹があるのが見えない?」

「……あー。確かに、ぼんやりとだがもう一つあるように見えるな。て事はそっちが……」

「そう。ケイブリス派の本拠地、魔界都市タンザモンザツリーは奥にあるそっち。手前にあるのは『ミダラナツリー』っていう別の都市なの」

 

 今現在、ケイブリス派が自軍の支配拠点としている魔界都市は2つ。

 その一つがタンザモンザツリー。魔物界南端部、派閥の主の居城があるベズドグ山にも程近い、ケイブリス派にとっての本拠地となる都市。

 そしてもう一つがミダラナツリー。魔物界南東部、人間の領域と程近い場所にある拠点。

 

「ミダラナツリーはケイブリス派にとって後詰のような都市、だから多くは無いだろうけど多少の兵が置かれているはずよ。こっちのルートからタンザモンザツリーに侵攻するならミダラナツリーを避けては通れないから、あそこに居る魔物兵達をどうにかする必要があるわ」

「んなもんどうにかすりゃいいじゃねーか。言ったって後詰だろ? あのカスケード・バウみたいな馬鹿げた数がいる訳じゃあるまい」

「それはそうだろうけど。でもね、ミダラナツリーには魔物兵以外にも難点があるの」

 

 ケイブリス派にとってはあくまで控え、予備部隊を置いているだけの都市。

 位置的にもホーネット派が侵攻を行えるような拠点では無い為、ケイブリス派のみならずホーネット派にとってもあまり重視されていない都市、ミダラナツリーにはちょっとした特色がある。

 

「ミダラナツリーにはね、カミーラがいるのよ」

「カミーラって……あの魔人カミーラか?」

「そう。魔人四天王カミーラ、その居城があるのが魔界都市ミダラナツリーなの」

 

 それが魔人カミーラ。ホーネットとの人質交換によってケイブリス派に戻った魔人四天王。

 カスケード・バウで行われた人質交換以後、戦場に出てきていないカミーラの動向は不明だが、恐らくは自身の居城に戻っているのだろうとシルキィは予想していた。

 

「……へー。あそこにはカミーラが居るのか」

「えぇ。魔物兵だけならともかく、魔人四天王が相手となれば簡単にはいかないわ」

「……カミーラ、カミーラねぇ……」

「かと言ってミダラナツリーの攻略に手間取っていたら本拠地からの増援が来るはず。そう考えるとこっちのルートも決して一筋縄ではいかないわ……って、ランスさん……話聞いてる?」

「……カミーラかぁ、そっかそっかぁ……」

 

 シルキィが話途中で声を掛けるものの、その男は自らの思考に没頭していた。

 あくまで敵派閥の幹部として考えているシルキィとは異なり、ランスはランスなりの視点でその魔人の事を考えていて。

 

 魔人四天王カミーラ。冷たい美貌を持つドラゴンの魔人。

 ゼス国での騒動の中で自分が退治した相手、そして何度かセックスをした相手。

 最後に抱いたのはあの人質交換の時。それきりそろそろご無沙汰と言えばご無沙汰になる。

 

「ならちょっくら会いに行ってみるか」

「え?」

「おーい! 俺様達を下に下ろしてくれー!」

 

 そしてランスは突然そんな事を言い出して。シルキィがハッと気付いた時にはすでに遅し。

 二人はいつの間にか電卓キューブ迷宮の下方、マジノライン要塞の一画に下り立っていた。

 

「え?」

「うし。んじゃしゅっぱーつ」

「え、待って待ってランスさん。しゅっぱーつ、じゃなくって。一体何処に行くつもりなの?」

「だからそのミダラナツリーっつう魔界都市に」

「え、何しに行くの?」

「だからカミーラに会いに」

「……え、何の為にカミーラに会うの?」

「セックス」

「……え?」

 

 こうして二人は魔物界南部へと──引き裂きの森へと進む事になったのだった。

 

 

 

 

 

 そして。それからしばらくして。

 

「……はぁ。もう信じられない……」

 

 どうしてこんな事になってしまったのか。

 何もかもが分からない、受け入れられないシルキィはただただその頭を抱えるばかり。

 

「信じられないって、何がだ?」

「この状況が、に決まってるでしょう。ねぇランスさん、ここが何処だか分かってる?」

「知らん。けど魔物界のどっかだろ?」

「ここは引き裂きの森。そして引き裂きの森はケイブリス派の領域。私達は今ケイブリス派の領域にたった二人で居るのよ? こんなのどう考えてもあり得ないでしょう?」

 

 魔物界南東部に広がる引き裂きの森、そしてそれを含むケイブリス派の領域。

 ホーネット派として長らく侵攻出来なかったエリア。そこに何故かランスと二人で来ている。シルキィとしてはとても受け入れられない、いっそ大声で「あり得ないー!」とか叫びたい気分である。

 

「んな大袈裟な。ケイブリス派の領域なんざ珍しくもねーだろう。この前にもワーグと一緒にケイブリス派領域に乗り込んだ事があったじゃねーか」

「あの時はロナちゃんを助けるって目的があったじゃないの。けど今回の目的は何?」

「だからカミーラに会う為だって」

「それよそれ! カミーラに会う為って何!?」

 

 そこが一番納得いかない点なのか、シルキィは思わず語気を強める。

 

「百歩譲って倒しにいく、ならまだ分かるの。けれど会いに行こうってどういう事なの? あれはケイブリス派に所属する魔人四天王なのよ? すっごく危険な相手なのよ?」

 

 魔人四天王カミーラ。千年の時を生きるシルキィよりも遥かに長寿、魔人らしく他の生物を下等な存在としか見ていない思考の持ち主。

 ホーネット派にとっては言うまでも無く危険な相手であり、間違っても今のランスのように、ちょっと知人の家に遊びに行くようなノリで会いに行ってはならない相手なのだが。

 

「うむ。それは分かっとる。けどシルキィちゃん、カミーラは危険だがイイ女なのだ」

「……だからセックスしたいって? 一応聞くけど本気でそんな事出来ると思ってるの?」

「確かにあいつの封印を解いちまった以上、もっかいセックスするのは難しくなった。だがそれでもやってみなきゃ分からんだろう」

 

 たとえ危険だろうが、相手が魔人四天王だろうがなんのその。

 セックスの為ならばどんな難敵にも挑む、それがランスという男である。

 

「あいつと最後にセックスしてからもう結構な時間が経ってるからな。意外とあいつも俺様に会いたがっているかもしれんぞ。ランスに会いたいわー、寂しいわー、ってな感じで」

「ないない。あのカミーラに限って絶対無い」

「いいやある。それどころか思いを募らせて俺様にメロメロになってたりするかも。いやぁ全く、モテる男はツラいぜ、がはははは!」

「絶対に無い。断言してもいいわ」

 

 シルキィは実に厳しい表情のまま、その戯言に対して大きく首を左右に振る。

 

「なんだシルキィちゃん、やけに突っかかるな。……あ、もしかしてヤキモチ焼いてんのか?」

 

 するとランスはニヤリと笑って、その小さな肩を自分の方へと抱き寄せる。

 

「なんだなんだ、そういう事か。きみも随分と可愛らしくなったじゃねーか」

「そういう事じゃありませんっ! 私はランスさんの事を心配して……」

「大丈夫だって、ちゃんと君の事も可愛がってやっから。何ならカミーラと一緒にすっか? 魔人四天王二人との3Pか、なんか豪華な感じがしていいな、がははは!」

「……く、くぅぅ~~!」

「って、おいちょっと! いだっ! 痛いって!」

 

 遂に我慢ならなくなったのか。

 シルキィは両手でグーを作って、その男の胸元目掛けてぽかすかと殴りかかる。

 

「分かった分かった! 3Pは止める、セックスは別々にしてやっから!」

「そうじゃない! そうじゃなーい!!」

 

 こっちはずっとその身を案じているのに、何故この男はそういう思考しか出来ないのか。

 常日頃から優しい彼女にしては珍しく、その高ぶった感情を露わにして。

 

「い、痛でで……昨日のセックスの時といい、最近の君はちょっと凶暴になってきてないか?」

「……そうかもね。色々な意味で貴方に遠慮しなくなってきたのかも」

 

 そうしてじゃれ合う事しばらくの後。

 ある程度ストレスを発散したらしく、元の様子に戻ったシルキィが話を仕切り直す。

 

「……それにねランスさん、問題はカミーラの事だけじゃないわ。さっきの話だけど、魔王城からじゃなくゼス国から西に進むルートでも侵攻は可能かもって言っていたでしょう?」

「言ったな。これはその下見も兼ねているのだ」

「だったら尚の事、すぐに引き返した方がいいわ。あれはケイブリス派にとって支配圏の東側が警戒に値しないからこそ実行可能な作戦でしょ? けれどここで私達がケイブリス派の者に見つかったらきっとその意図を勘ぐられるわ。そしたらこっちのルートも警戒されてしまうはずよ」

「……なるほど。それは確かにその通りだな」

 

 今ランス達がこの引き裂きの森を我が物顔で進んでいる事からも明らかなように、現状のケイブリス派はこちらのルートを全く警戒していない。

 だからこそ西進ルートも一考の価値ありとされたのだが、それは現状に限った話。もしここで二人が敵に補足され、魔人四天王シルキィがこんな場所に来ていると知られたら、警戒心の強いケイブリスならまず対策を講じるはず。そうなったら最後、もう西進ルートは使い物にならなくなってしまう。

 

「ね? 私達がこんな所に居るなんて知られる訳にはいかないの。だからミダラナツリーに行くのなんて止めて引き返しましょう? ね?」

「まぁ待て待て。要は俺達の事がバレなきゃ良いんだろ? どっかに雑魚は居ねーかなーっと」

 

 シルキィのお願いを右から左に聞き流し、ランスは周囲をきょろきょろと探る。

 彼が探していたのは雑魚敵、つまり魔物兵。だが先の通りこの場所にはケイブリス派の兵が置かれていない為、魔物兵を見つけるのも一苦労で。

 

「……お、ようやく見つけたぜ」

 

 30分後、運良く一体の魔物兵を発見する。

 それはミダラナツリーにある予備部隊の一員、魔人レッドアイが倒れた事によって自派閥が劣勢となった事を肌で感じ、臆病風に吹かれて派閥を脱走してきた魔物兵の一体。

 

「そこの雑魚、スト-ップ!」

「何だお前ら? って人間だと? ……え、っていうか……魔人、シルキィ? ……うそ」

「死ねーー!」

「ぎゃーー!!」

 

 目の前に居た小さな背丈の魔人四天王。それを目にして硬直してしまったが最後。

 その隙を逃さずランスは魔剣を一突き、胸部を抉られた魔物兵はあっさり倒れた。

 

「よし。んでこいつのこれを……」

 

 そしてランスは死体を漁る追い剥ぎの如く、事切れた魔物兵からそれを脱がせる。

 

「はいこれ。魔物兵スーツ」

「……これを着ろって事?」

「そ。これさえ着ればシルキィちゃんの姿がバレる心配は無いだろう」

「……そうね」

 

 シルキィは嫌々ながらといった感じで頷き、魔物兵スーツをその身体に着込む。

 

「……うわ。ねぇランスさん、なんかこれ……中が血でベットリなんだけど」

「文句を言わずに着なさい。姿を隠したいって言ったのは君の方だろう」

「私はそれ以前にカミーラの城には行きたくないって言ってるんだけど、そっちは無視なの?」

「別に無視はしとらんぞ、ただ却下してるだけだ。さーて、俺様の分も欲しいなっと……」

 

 その後運良く出会ったもう一体からも魔物兵スーツを掻っ払い、それをランスが装着。

 こうして魔物兵スーツを着込んで引き裂きの森を進むランスとシルキィ、冒頭にあった通りの姿が完成し、話は冒頭に繋がるという訳である。

 

 

 

「……はぁ。なんかもう城の食堂に居た頃が懐かしく感じるわ。……そう言えば、城に居る皆にとっては私達が突然居なくなった事になるのか。今頃心配しているかもしれないわね」

「そういやそーだな。けどこっちから連絡を取る方法が無い以上、放っとくしかねーだろ」

「……なんだか今からもう気が重いわ。これと言った用事も無いのにカミーラの城に行ってきましたー……なんて、帰ってからホーネット様にどうやって説明したらいいのよ……」

「そりゃその通り言えばいいだろ。つーかさっきも言ったが用事はセックスする為だっての」

「ならそれランスさんが説明してよね。私はそれをホーネット様の前で口にする自信が無いから」

 

 二人共に魔物兵の姿。それでもランスは意気揚々と、一方のシルキィは足取り重く。

 

「あのカミーラに会いに行くなんて……絶対大事になる、ぜーったい大変な事になるわ」

「大丈夫だって。シルキィちゃん、この俺様を……いや、君にとっての運命の男を信じるのだ」

「うっ、……ね、ねぇ、それ意識しちゃうからあんまし言わないで欲しいんだけど……」

 

 ランスという運命の大波に翻弄されるがまま、溺れるシルキィは抗う事も出来ず。

 その右手に運命の証である英雄の槍をしっかりと持ちながら、その後数時間掛けて引き裂きの森を進んでいくと──

 

「……お、ようやく見えてきたな。あれが……」

「えぇ、あれがミダラナツリー。カミーラの城はすぐ近くにあったはずだから……ほら、あそこ」

 

 二人の視界の先、そこにはケイブリス派の拠点となる魔界都市ミダラナツリー。

 そしてその近辺には目的地、魔人四天王カミーラの居城が聳え立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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密約

 

 

 

 

 引き裂きの森を抜けた先、魔物界南東部に位置する魔界都市ミダラナツリー。

 そしてその都市の近辺、ミダラナツリーの支配者の如く聳え立つ大きな城。

 

「ふーむ、あれがカミーラの城か」

 

 それが魔人四天王カミーラの城。

 ホーネットとの人質交換によって封印を解かれて以降、あの魔人が居るはずの城であり、こうしてケイブリス派領域となる魔物界南部まで進出してきたランスの目的地となる。

 

「さすがに魔王城よりは小さいようだが、それでも結構デカイな。それになんか豪華な感じだ」

「そうね。このデザインからしてもカミーラのお城って感じがするわね」

 

 居館を中心に四方を囲む尖塔が高々と伸び、その外観たるや思わず息を飲む程。

 城本来の役割である要塞としての意味合いよりもデザイン性を重視しているのか、それは城主たる魔人カミーラに相応しいような絢爛華麗な城。

 

「そういやカミーラもだが、ケッセルリンクも自分の城があるよな。これは全魔人共通か? 例えばサテラの城もどっかにあったりすんのか?」

「あの子のお城は無いわね。城を持つ事が出来るのは魔人四天王の特権みたいなものなのよ」

「ほう、魔人四天王の?」

「えぇ。魔物界の地に自分の城を有して、その周辺一帯を自らの支配圏として管理する事を魔王様から許された存在、それが魔人四天王だからね」

 

 最大24体となる魔人の中でも上位の者として魔王に認められた存在、それが魔人四天王。

 その立場に与えられた特権として、彼等は魔物界の各地に自らの居城を構えている。

 

 その一つが魔物界中南部、大荒野カスケート・バウの近郊にある魔人ケッセルリンクの城。

 もう一つが魔物界南西部、ベズドグ山中に建てられている魔人ケイブリスの城。

 そしてもう一つがここ魔物界南東部、ミダラナツリー付近にある魔人カミーラの城。

 

 そして。

 

「てかシルキィちゃん、君も魔人四天王だよな。だったら君の城もあるって事か?」

「うっ」

「……う?」

 

 そう声を掛けた途端に聞こえた奇妙な呻き声。

 気になったランスがすぐ隣に目を向けると、シルキィは露骨な程に視線を逸していた。 

 

「……私の……お城?」

「うむ、君の城。もしかして無いのか?」

「私のお城の事……気になるの?」

「そりゃまぁ、気になるっちゃ気になるな」

「……そう」

 

 するとその魔人四天王は全てに達観したような、あるいは遠くを見るような表情となって。

 

「私のお城、かぁ……そりゃあ私だって魔人四天王だからね、勿論自分のお城があったわ」

「……あっ『た』って事は……」

「……うん。まぁ、お察しの通りよ。私のお城はビューティーツリー付近にあったんだけど……」

 

 過去形で語られる魔人シルキィの城。

 その城は魔物界中央部、魔界都市ビューティーツリーの北西辺りに建てられていた。

 

「……あの辺りはね、派閥戦争が始まってからはずっと激戦区だったの。ビューティーツリーとその隣にあるサイサイツリーを取り合って、私達はケイブリス派と何度も戦ってきた」

 

 魔物界を南北に分けて争う派閥戦争、すると中央部一帯は必然的に両派閥の境界線となる。

 並んで存在する2つの魔界都市を巡っての攻防、その中でシルキィの城はホーネット派の前線拠点として重要な役割を果たしてきた。

 しかし激戦区にある前線拠点となれば格好の的になるのは必然。そして常に劣勢を強いられてきたホーネット派、ケイブリス派の大軍の前に押される事も多々あり、そしてその時が訪れる。

 

「……あれは4年程前、美樹様の護衛としてサテラとハウゼルを出していた頃だったかしら。その時はもう人手も何もかもが足りていなくって……」

「……ふむ」

「そんな中でケイブリス派が侵攻してきてね。私達も必死で応戦したんだけど……最終的にはバボラの突撃を止められなくって……」

「……あー」

 

 見上げる程の巨体を一直線に、ダッシュで突っ込んできた魔人バボラ。シルキィやホーネットが他の魔人達の対処で手一杯な中、魔物兵達だけではその猛進を止める事が出来なかった。

 そしてバボラ渾身のタックルを受けた結果、シルキィの城は見るも無残な瓦礫の山と化してしまったのだった。

 

「……そっか。それで魔人四天王なのに君だけは自分の城が無いのか」

「そういう事。……はぁ、ガイ様から賜った私のお城……色々な思い出の詰まった大切なお城だったんだけどね……」

「……まぁ、なんつーか……どんまい」

 

 何と声を掛けていいか分からず、ランスはシルキィの頭を魔物兵スーツの上からほぷほぷと撫でる。

 ちょっぴりセンチメンタルな気分になってしまったシルキィも、その優しさにどうやら気持ちが慰められたのか、

 

「……うん、ありがと。大丈夫よ、もうとっくに割り切っている事だからね」

 

 小さく頷き思考を切り替え、その視線を正面にある豪華なお城へと戻す。

 

「私の城の話はいいとして……本当にカミーラと会うつもりなのよね?」

「うむ、それはもちろん」

「まぁここまで来たからにはって感じだけど。けれどここからどうやってカミーラに会うのかは考えていたりするのかしら?」

「いんや全く、今から考えるのだ。あいつに会う為にはあの城に乗り込まなきゃならん訳だが……さーてどうすっかな」

 

 ランスがこの城を訪れたのはカミーラに会う為。そしてセックスをする為。となればあの城の中に入れて貰う必要がある訳で、見るからに堅牢そうな城門を開けて貰う必要がある。

 しかしホーネット派のランス達とケイブリス派のカミーラは現在戦争状態。いやそもそも戦争状態だろうとなかろうと、会いに来たぞーと言って会ってくれるような関係性ではない。

 

「今は魔物兵スーツを着てっから俺様達だとはバレないだろうが……正面からこんちわーっつってあの門を開けてくれるかっつーと……」

「さすがにそれは難しいでしょうね。私が城主だったら身元の知れない魔物兵が訪ねてきても城門は開けないと思うわ」

「だよなぁ……ならシルキィちゃん、あの城の中に知り合いとかはいないのか?」

「……いない事も無いんだけどね、けれど今は敵対関係だから……。あるいはホーネット派の幹部として会談を要求しているって事にすれば、一番話が通じそうなのは七星なんだけど……」

 

 カミーラの使徒、七星。古くからカミーラに仕える男であり、立場的には筆頭使徒に当たる。

 七星は理知的な性格をしており、少なくとも話くらいは聞いてくれるだろう。そう考えたシルキィには知らぬ事だが、七星はすでに亡くなっている為この城内には居ない。ちなみにその下手人はすぐ隣に居るランスという男になる。

 

「……けれどやっぱり今のは無し。ホーネット派としての会談なんて言ったけど、そんな事をホーネット様に相談も無く行う訳にはいかないわ」

「ううむ……んじゃああれだ、ピザの宅配しに来たって事にするのはどうだ?」

「えぇー……それはちょっと……」

「ぬぅ。けどそれも駄目だとなると……こっそり忍び込むしかないな」

「……ま、そうなるわね」

 

 固く閉ざされた城門、それを開けて貰う秘策は二人の頭では思い付かず。

 正当な来客にはなれそうも無いので、残された手段は不法侵入一択。二人は正面突破を諦め、人手の少なそうな城の裏手へと回り込む。

 

「……しかしあれだな、なんか不用心な城だな。城壁の上に見張りも居ないし、こんなに近付いても見つかりそうな気配がしないぞ」

「そりゃあここは魔人四天王の城だもの。忍び込もうと考える輩なんてまず居ないし、警戒する必要がないのよ。特にこの城は前線から遠くて私達ホーネット派が侵攻する事も出来ないしね」

「ふむ、そんなもんか。……と、シルキィちゃん、ここら辺で良いんじゃないか?」

「うん、分かった。よいしょっと……」

 

 城壁は20mを優に越え、とても手が届かない程に高く造られていたのだが、自在に形状を変える魔法具の前では城壁など意味は無し。

 シルキィは魔物兵スーツの中から愛用の魔法具を取り出すと、装甲で巨腕を形作って城壁の縁をがしりと掴む。それを伝って壁を登り、二人はあっという間に城壁を突破した。

 

「けれどランスさん、カミーラに会えたとしてもそこからどうするつもりなの?」

「そりゃどうにかするのだ。どうにかしてあいつとセックスする」

「どうにかして……じゃなくって、その中身を詳しく教えて欲しいんだけどね。あのカミーラとセックスをするなんて絶対に無理よ。分かっていると思うけど私達とカミーラは今敵対関係なんだし、出会った瞬間に攻撃されたっておかしくないのよ?」

「大丈夫だって、何とかなるはずだ」

「……だと良いけどね」

 

 実に楽観的な考えのランスをよそに、そうは考えられないシルキィは呆れたように呟く。

 相手はケイブリス派の魔人四天王。レッドアイみたく話が通じない相手とまでは言わないが、危険な相手である事に変わりは無い。

 会えば戦闘になるかもしれない、戦闘になったらランスだけでは危ない、同じ魔人四天王である自分が応戦する必要があるだろう。

 シルキィがあーだこーだ言いながらもランスに付き合う理由は概ねそんな所、彼女は実に面倒見の良い魔人であった。

 

「さてと、何処からか城内に……お、あそこから入れそうだな」

 

 調理場に併設されていたらしき裏口を通って、二人は城内へと侵入。

 ひっそりと息を潜めながら、目指すはこの城の城主、魔人カミーラの部屋。

 

「カミーラの部屋は最上階だな。階段を探すぞ」

「あれ? ランスさん、どうしてカミーラの部屋が最上階にあるって分かるの?」

「そりゃ分かるだろ。城の中で一番エラい奴は一番上に居る、そうと決まっているからな」

「そうなの? そうとは限らな……くも、ないのかな……確かにそうかも。言われてみれば魔王城もそんな感じだったわね」

 

 城内に住む住人達に見つからないよう、抜き足差し足で長い廊下を移動。

 このカミーラ城はさすがに魔王城には及ばずながらも、相応に大きい立派な城なのだが、城内から聞こえてくる物音と言えば自らの足音ぐらいで。

 

「にしてもこうまで簡単に忍び込めた事といい……魔物の気配が殆どしないわね。さすがに城内にはある程度魔物が居ると思っていたんだけど……」

「確かに随分と静かな城だな。俺様の城は言うに及ばず、魔王城ですらもっと活気があるぞ。もしかしてカミーラしか住んでねーんじゃねーか?」

「カミーラだけって事は無いでしょうけど……あまり多くの者が居ない事は確かみたいね」

 

 二人が気になったこの城の静けさ、それは約3年前の出来事に端を発している。

 この城の城主カミーラは美しいもの、美しい少年や青年を好み、その一方で美しい女性や醜いものを毛嫌いする性格。そんな事もあってか元々この城に住む事を許された魔物はとても少なく、カミーラの審美眼に叶った美少年、美青年達が下級使徒としてこの城の雑務に就いていた。

 

 そしてLP4年、カミーラは魔軍を率いて人間世界のゼス国へ侵攻を行った。

 その際には多くの下級使徒達を同行させていたのだが、結果は敗北。自らの血を分けた七星、アベルト、ラインコックという3名の上級使徒達の他、下級使徒達も多く失う事となり、カミーラ自身もゼスの永久地下牢に封印される事となった。

 

 そしてカミーラが封印されている間、カミーラ城はゼス侵攻に同行しなかった少数の下級使徒達だけで維持されてきた。

 それから3年後の今、城主が戻ってきてもまだ新たな下級使徒を増やしていないらしく、そんな理由で今のカミーラ城はその規模からすると信じられない位に住人が少なくなっていた。

 

「まぁなんにせよラッキーだ。とっととカミーラの部屋を見つけるぞ。んで頃合いを見計らって……そうだな……入浴中を狙うか、それとも寝込みを襲うってのもアリか……?」

 

 この城のそんな経緯は知らないランスでも、今が潜入に適した状態である事は察せられる。

 今なら気付かれずにカミーラの下まで辿り着くのも容易なはず。そして目的である彼女とのセックスだって手の打ちようはある。

 上手い事言って口説くか、それとも侵入者らしく襲うか。そんな中でもし仮に戦闘になったとしても隣にシルキィがいれば問題無し。そうなったらいっそホーネット派として正々堂々戦いカミーラを倒す、そしてご褒美タイムと洒落込むのもアリだなぐふふ……。 

 

 ……などと、ランスの頭の中にあったそんな期待は早々に裏切られる事となる。

 それは二人が階段を発見して、上の階へと向かおうとしたタイミングだった。

 

 

「そこの魔物兵」

 

 横合いから聞こえたそんな声。

 ちゃんと周囲には気を配っていたはずなのに、気付けばそれは当然のようにそこにいた。

 

「……っ」

 

 耳に届いたその声に、魔物兵スーツの中に居るランスとシルキィは共に息を飲んで硬直する。

 聞こえた声は女性のもの。澄み渡るようによく通り、しかし突き放すような冷たさを感じる声。二人共に聞き覚えのある声で。

 

「何故貴様が私の城にいる?」

「………………」

 

 ぎぎぎと音がなるかのような、ぎこちない動作で魔物兵二人は横を向く。

 そこに居たのは美しい女性。目を引くのは銀白色の長髪と背中に生えた黒い翼。そしてその美貌と他を圧倒するような威圧感。

 それはまさしくランスが探していた相手、この城の主である魔人四天王カミーラだった。

 

「………………」

「何故貴様が私の城にいる……と、そう聞いたはずだが。聞こえなかったのか?」

 

 カミーラはその冷たい目付きを侵入者に、先程から沈黙しっぱなしの魔物兵の片方に向ける。

 

「もう一度聞く。何故貴様が私の城にいる? ……聞こえないのか? ランス」

「ぐっ」

 

 その中身までしっかりお見通し。

 思わず呻きを漏らしてしまったランスの背筋に冷たいものが走る。

 

「……それと」

 

 今度は隣の魔物兵に視線を向けると、カミーラはふっと愉快そうに笑った。

 

「しばらく見ない内に……随分と情けない装甲を着るようになったのだな」

「……やっぱりバレてるか。言っておくけどね、こんなの着たくて着ている訳じゃないから。……ランスさん、これもう脱いで良いわよね?」

「……だな」

 

 怠惰ゆえに多少その力を落としたとて、長い年月の中で培った観察眼は衰え知らずで。

 もはや正体は隠せない。そう悟ったシルキィとランスは魔物兵スーツを脱いだ。

 

「……カミーラ」

「……あ~、おほん。……ようカミーラっ! ゼス以来だが元気にしとったか?」

 

 そうして元の姿へと戻って、改めて二人はケイブリス派の魔人四天王カミーラと対峙する。

 シルキィは睨むようにその名を呼んで、一方のランスは相変わらずの調子で。

 そんな二人の挨拶を前に、カミーラは冷めた瞳のまま先程からの言葉を繰り返す。

 

「……ランス。何故貴様がここに居るのかと、私はそう聞いているのだが」

「ふっ、俺様がここにいる理由か、そんなの一つしかねーだろう」

「……貴様の事だ。私を殺しに来た……などとは言わぬのだろうな」

「当ったり前だ。別に戦いに来たって訳じゃない。俺様と離れ離れになったお前が寂しがってるんじゃないかと思ってな、こうしてはるばる会いに来てやったという訳だ。がはははっ!」

「……相変わらず、ふざけた事を言う」

 

 相手は敵派閥の魔人四天王。前のように封印されていない以上とても危険な相手なのだが、それでも何度かは肌に触れた相手。

 そんな事もあってかランスは態度を変えず、そのあまりにも気安くて不遜な物言いにカミーラの冷たい視線が鋭さを増した。

 

「……だが戦う気が無いというのはどうだろうな。貴様はともかく、隣にいる者はその気のようにも見えるが。……なぁシルキィ?」

「……どうかな。それはお前次第だ、カミーラ」

「ククッ……お前は分かりやすい奴だな。その顔と口調を見れば一目瞭然だ」

「………………」

 

 何かあれば即座にランスを庇う為にと気が立っているのか、口数少ないシルキィは静かな戦意を向けていて、それを見たカミーラも冷笑で返す。

 共に強大な力を持つ魔人四天王同士、会話を交えつつも油断は無し。その気になれば一息で斬り掛かれるような距離の中で睨み合っていると、それを遮るかのようにランスが一歩前に出た。

 

「ちょい待ちシルキィちゃん、んな喧嘩腰になるなって。んでカミーラも、さっきも言ったが別にお前と戦う為に来た訳じゃねーんだっつの」

「……そうか。まぁ、どうでもいい事だがな」 

「ところで、ちょいと気になったのだが……俺達が忍び込んだ事にどうやって気付いたのだ? 侵入に失敗したつもりは無かったのだが」

「この城には侵入者を知らせる結界が張り巡らされている。先程それに反応があったと配下から知らせがあった。その強さからして片方は魔人だという事から仕方無く私が動いたまでだ」

「……あー、なーるほど……」

 

 侵入者を知らせる結界、つまりはトラップ。

 城壁の上に見張りがいなかったのは無警戒なのではなく、むしろ対策済みだから。

 

「……おいシルキィちゃん、こういう時って普通『ランスさん、気を付けて、この城には結界があるかもしれないわ!』ってな感じで君が注意してくれないとイカンのではないか?」

「……私ね、魔法は全然駄目なのって前に言わなかったっけ? 魔王城にも設置されてない結界の事なんて知るはずないじゃないの」

 

 ランスがじとりと目を向ければ、シルキィも負けじとその目を向け返してくる。

 共に結界の存在などには頭が回らず、そんな二人は互いに責任を押し付け合う。

 

「気になる事と言えば私にもある。ホーネット派のお前達がどのようにしてここまで来た。カスケード・バウをどうやって越えた、今あそこには大勢の守備部隊が居るはずだ」

「ふふん、気になるか? まぁあんな雑魚共、俺様の手に掛かればちょちょいのちょいで……」

「……あぁそうか。ランス、そう言えば貴様がいたのだったな……という事はカスケード・バウを越えてきたのでは無く、人間世界の方から迂回してきたという事か」

 

 するとシルキィはぎくりと身を固くして。

 その仕草の意味を理解していたのか、カミーラは端正な口元を僅かに曲げた。

 

「……成る程、確かにこれは盲点だ。人間共が侵攻してくるなど普通は考えないからな。このルートは現状全くの未警戒……それどころかケイブリスはホーネット派が人間と手を組んだ事すら知らないはずだ。となるとシルキィ、お前がここにいるのはホーネット派としての侵攻の下見といった所か?」

「……どうかしらね」

 

 顔や言葉にこそ出さなかったものの、シルキィは心中で「あーあー……」と呟いていた。

 懸念していた通り、自分達の姿を見られた事でケイブリス派にそれを知られてしまった。ゼス国から西に進む西進ルート、それは警戒されていないからこそ生きるルート、つまりこうしてカミーラに知られてしまった以上もはや使う事は出来ない。

 実際に実行可能だったかはとにかく、城に持ち帰ってホーネットと相談するだけの価値はあったのにと、内心少し気落ちするシルキィの一方。

 

「……そうか、しかしそうなると……」

 

 ランス達が自分の城を訪れてきた、それも現状ケイブリスが警戒していないルートを通って。 

 更にそれが()()()()()()()()となると、なにか奇妙な巡り合わせを感じずにはいられないのか、カミーラも思案げにその顎を擦る。

 

「なぁカミーラ。前にも言った事だがケイブリス派なんぞ辞めて俺様に協力せんか? 確かお前はケイブリスに狙われていたはずだし、そう悪い話ではないだろう」

「……協力だと? ランス、貴様は私をホーネット派に勧誘しに来たのか?」

「それも込みって事だ。この際言うがどうせケイブリス派は負ける。これは断言してやる。最終的には俺様が絶対に勝つのだから、負けると決まってる方に付くなんぞバカらしいと思わんか?」

 

 ランスはカミーラを退治しに来た訳ではない。ならば敵対する理由も無く、敵対していないのならばいっそ協力関係になった方がお得である。

 美人を敵側に置いておくのも忍びないし、勿論ホーネット派としても益がある。そして何より仲間になれれば、この先セックスのチャンスだって今より大幅に広がるはず。 

 そんな打算からの勧誘の言葉に、この時カミーラの表情が変わった。バカらしいとまで言い切るその言葉に少し関心が湧いていた。

 

「……絶対に勝つ、か。ケイブリスの力をろくに知りもせぬくせして強気なものだな」

「いや知ってる。知ってるからこそ言えるのだ。俺様が絶対に勝つってな」

「……ほう?」

 

 絶対に勝つ。その言葉の裏側に見える確信、確かな自信がある故の断言。

 ケイブリスとは四千年以上も昔からの関係となるカミーラ、そんな彼女でさえも知らない、魔人ケイブリスが秘める本当の実力。

 それを知っているのはこの世界でただ一人、過去に一度それに勝利してきたランスだけで。

 

「……ランス。貴様は本気であのケイブリスと戦うつもりか。そして勝つつもりなのか」

「当たり前だろ、俺様はどんな時でも本気だ。だからカミーラ、お前も協力しろ」

「………………」

 

 その男の揺るぎない表情、それを見てカミーラもふとある事を考える。

 色々あって覇気が落ちた今の彼女にとってもはや派閥戦争など興味無い。いやそもそも興味など無かったと言うべきか、どちらの派閥が勝とうが正直な所どうだっていい。

 しかしこの男は自分に多くの屈辱を与えた男。そんな男の言葉に頷くなど、そしてあのいけすかないホーネットに協力するなど、とてもではないがプライドが許さない。

 

(……しかし)

 

 なのだが、それでも今のカミーラはもうひとつ別の厄介な問題を抱えていた。

 そのどちらも気に食わないのは確かなのだが、ギリギリの線で今は()()()の方が煩わしい。

 協力などしてやるつもりはないが、しかし自らの目的の為に利用するのならば。

 

「そうだな……分かった。……良いぞ、ランス。貴様に協力してやっても」

「えっ!?」

「お、マジか!」

 

 とある思惑の下、カミーラが告げた受諾の言葉。

 それにシルキィは目を大きく見開いて驚き、ランスはその顔に喜色を浮かべた。

 

「がははは、何でも言ってみるもんだなぁ! そんじゃカミーラ、お前も魔王城に──」

「いや、私はここを動かぬ。そして戦いなどと面倒な事もせぬ。……だがお前達が人間界方面からミダラナツリーを通過しての侵攻を行うのならば、その際は見て見ぬ振りをしてやろう」

「それって……私達にミダラナツリーを素通りさせてくれるって事?」

「あぁそうだ。そうなればお前達にとって残るは本拠地タンザモンザツリーのみ。あそこに元居た兵達は大半がカスケード・バウの方へと移動させられているから、タンザモンザツリーまで辿り着きさえすれば制圧など容易だろう」

「それは……」

 

 それは間違っていない、シルキィはそう感じた。

 ケイブリスにとって重要なのはカスケード・バウの守備であって、東側の守備はミダラナツリーに残る兵とカミーラに一任しているはず。

 ホーネット派が人間世界を迂回して侵攻してくるなどとは普通思わないし、加えてカミーラと結託しているなどとは到底思わないだろう。

 だからこの作戦が実現したらこれ以上無い奇襲となる。そう考えるとカミーラの協力には大きな価値があるのだが、しかし不可解なのはその態度、自分達に協力をすると言うその真意。

 

「……確かにそうなったら私達にとっては有り難い話かもね。けれど……ねぇカミーラ、それって何の対価も無しって話じゃないわよね?」

「察しが良いな、シルキィ。その通り、協力するに当たって一つだけ条件がある」

「条件?」

「あぁ。……なに、簡単な事だ」

 

 そこで一度言葉を区切ったカミーラは、その思惑を隠すかのように軽く目線を外して。

 

「この派閥戦争をあと3ヶ月……いや、あと2ヶ月以内に終わらせろ。それが協力してやる条件だ」

「あん? 派閥戦争を終わらせろって事は……あと2ヶ月でケイブリスの野郎を倒せって事か?」

「そうなるな。なに、先程言った手を使えば決して不可能では無いはずだ」

「それはそうかもしれないけど……でも、2ヶ月って……」

 

 カミーラが突き付けた条件、それはあと二ヶ月というタイムリミット。

 確かに本拠地への奇襲が成功すれば早期決着も不可能な話ではない。その全ての準備期間を含めても2ヶ月あれば事足りるだろう。

 けれども依然としてその真意は読めない。あと二ヶ月で派閥戦争が終わる事、それは所属するケイブリス派を裏切って、嫌っていたホーネット派に協力する見返りとして価値のあるものなのか。

 

「カミーラ……どういうつもり? どうしてそんな条件を付ける必要があるの?」

「……別に、大した理由など無い。ただ今の状況に飽いただけだ」

「飽いた?」

「あぁ、今の魔物界は騒がしくて敵わん。私は派閥戦争の勝者などどちらでもいい。とにかく早く戦争を終わらせて元の静かな魔物界に……その為なら少しだけ手を貸してやる」

「そんな理由で? けど貴女が──むぐっ」

「シルキィちゃん、そこまで」

 

 シルキィが更なる追求をしようとした時、その口をランスが片手で押さえて黙らせる。

 そしてもう片手の人差し指をビシッと、カミーラに向けて勢い良く突き付けた。

 

「良いだろう、乗ったぞカミーラ! 俺様も派閥戦争なんぞもうとっくに飽きていた所だ、あと2ヶ月でパパっとケリを付けてやる!」

「……ちょ、ちょっとランスさん、そういう事はホーネット様に相談してからじゃないと……!」

「相談なんぞ必要なーし! だってこっちから侵攻すりゃ本拠地まで一本道だろ? ならもう残すは本拠地制圧、んで最終決戦のみじゃねーか。んなもん2ヶ月も掛からんっての!」

 

 とっととケイブリスをぶっ殺したるわ! とランスはそれはもう豪快に笑って。

 

「俺はあと2ヶ月で派閥戦争を終らせる。だからお前はその協力をする。そういう約束をするって事でいいんだな?」

「あぁそうだ。約束しよう」

 

 この日初めてカミーラの方も、ランスに向けて口の端を僅かに曲げた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 こうしてランスとシルキィは魔人四天王カミーラと密約を交わした。

 それにより進展の見えなかったカスケード・バウ攻略、あるいは死の大地攻略。これまで難関と思われてきた敵本拠地への侵攻について、ここにきて別方向からの明確な光が差し込んだ。

 

 挑むは西進ルート、期限は2ヶ月以内。

 派閥の主であるホーネットにも内緒で、最終決戦への道程が勝手に決定した。

 そしてその後すぐに二人はカミーラ城をお暇し、そんなこんなで魔王城への帰り道。

 

「……なんか、話が終わったらパパっと追い出されちまったな」

「それは間違いなくランスさんが悪いわね。なら協力の証にセックスでもしようぜがははー、……なんて言い出さなきゃ、もしかしたら一泊ぐらいは停めてくれたかもしれないのに」

「ぬぅ。やはりセックスは難しかったか。でも結果的にはここにまで来た甲斐があったじゃないか。なぁシルキィちゃん」

「……まぁね。カミーラから一時的な協力を取り付られた事は大きいかもしれないわね」

 

 最大の目的こそ叶わなかったが、派閥戦争を勝利する為の大きな足掛かりを掴めた。

 その事に上機嫌のランスの一方、隣を歩くシルキィはずっと難しい顔をしていて。

 

「……けどねぇ。協力とは言っても、カミーラの言葉をどれだけ信用して良いものやら……」

「あいつが俺達を騙しているかもってか? 大丈夫だって。あいつはそんな事でウソを吐くようなヤツじゃないだろ」

「……ま、それはそうかもね。カミーラは誰よりもプライドが高いような魔人だし」

 

 自尊心の強いあの魔人の事、虚言でもって自分達を罠に陥れようとはしないだろう。そこまでして自分達の命を奪いたいのなら、先程自らの手でそうしているはずだ。

 それはシルキィも同意する所だったのだが、それでも気になるのは協力への対価について。

 

「……それにしても、あと2ヶ月以内に……っていうのはどういう理由なのかしら」

「そりゃ本人が言ってた通り、戦争続きの魔物界に飽きたって事じゃねーの?」

「……けど、そんな理由であのカミーラがホーネット派に協力なんてするかな……」

 

 うーん、と唸るシルキィだったが、結局その謎が解ける事は無かった。

 それはある意味とても馬鹿馬鹿しくて、しかし当人にとってはとても煩わしい切実な問題。

 

 カミーラの懸念、それは来年の2月の後半頃。

 本日の日付、ランスがカミーラの城を訪れた今日はLP7年の11月の中頃の事で。

 つまりその3ヶ月後、カミーラにとって避けられない祝宴、自身の誕生日が迫ってきていた。

 

 

 

 

 



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おまけ
移動遊園地がやってきた


 

 

 

 

 

 それはLP7年、11月の前半に起きた出来事。

 ランスが魔人達と模擬戦を行い、鬼畜アタックを習得した頃の事。

 

 

「移動遊園地に行くぞ」

 

 それはそんな一言から始まった。

 

「……移動遊園地、ですか?」

「そ。移動遊園地だ」

「……サテラ、なんの事だか分かる?」

「知らない。ランス、移動遊園地とは何だ?」

 

 朝食の席で一緒になったハウゼルとサテラ。

 二人はランスが言う『移動遊園地』なる言葉が何を指すのか分からず、共に小首を傾げる。

 

「移動遊園地ってのはその名の通り、移動する遊園地だ。さっきウルザちゃんに聞いたのだが、今それが番裏の砦付近に来ているらしくてな」

「……移動する遊園地?」

「うむ、あんまし分かってなさそうだな。まぁ詳しい事は行きゃ分かる」

 

 移動遊園地。それは大陸の各地を移動して開催されるテーマパーク。

 ランスも今から二年程前、JAPANで戦っていた頃に移動遊園地で大いに楽しんだ経験がある。

 そして今回、その移動遊園地がヘルマン国西端の境界線、番裏の砦付近に来ている。そんな話を聞いたランスは「せっかくだしあいつらを連れて遊園地に遊びに行くか」と思い至ったのだった。

 

「けどランスさん、番裏の砦付近という事は人間世界という事ですよね? 私達魔人が行くのは問題があると思うのですが……」

「だいじょーぶだいじょーぶ、君らは普通にしてりゃ魔人だなんてバレないって。てな訳でこれからさっそく移動遊園地に遊びに行くぞ」

 

 という事で。

 パパっと朝食を食べ終わり、その後すぐにランス達は移動遊園地へ出発した。

 

 

 

 そして到着。

 

「おぉ、これが移動遊園地か……」

「……凄い、とてもきらびやかな場所ですね……」

 

 入場ゲートを通過すると、広い園内には色々な乗り物や屋台が沢山。

 初めて目にしたテーマパーク、その光景にサテラとハウゼルは興味津々といった面持ちで。

 

「移動遊園地か……さすがにこういった施設は魔物界にはありませんね」

「……そうですね。これはまさしく人間文化というものなのでしょう」

 

 そしてこちらの二人、シルキィとホーネットも似たような表情。

 以上計4名のホーネット派魔人達、今回ランスが一緒に移動遊園地を楽しむメンバーである。

 

「……ところでホーネット様」

「シルキィ、何でしょう」

「本当に今更な質問なのですが……私達はこのような場所に来ていて問題ないのでしょうか?」

「……そうですね」

 

 その指摘には大いに思う所があったのか、ホーネットは深々と瞼を瞑る。

 こうして人間世界のテーマパークに遊びに来てしまった訳なのだが、しかし魔人たる自分達がこの人間世界に、それも『遊びに来た』なんて理由で訪れてよいものか。

 そしてなにより問題なのは、この遊園地に共に来る事となったお馴染みの面々。

 

「……知っての通り今は戦時中、私達にはケイブリス派と戦う使命があります。にもかかわらず派閥の頭首たる私やシルキィ、そしてサテラ、ハウゼルといった重要な戦力が同時に魔王城を離れ、その理由が事もあろうに遊びに来たなどとは……」

「……どう考えてもマズいですよね?」

「……えぇ。少なくとも前代未聞である事は確かでしょうね」

 

 戦時下において、ホーネット派魔人4人一緒での遊園地など問題が無いはずがない。

 あくまでそう前置きをした上で。

 

「……ですが……まぁ、たまには良いのではないですか?」

 

 そう呟くホーネットの顔は我関せずというか、投げやりになっているような表情で。

 

(……あぁ、ホーネット様……これはきっと考えるのを諦めてるわね……)

 

 恐らくランスの強引さに負けたというか、何を言っても無駄だと悟ったのだろう。

 シルキィはそんな事を思ったが、気配りの出来る彼女はその想いを胸の中だけに留めた。

 

「よーし、んじゃあさっそく遊ぶか! さーて、まずはどれから行こっかな……」

 

 そんな二人の心中など意に介さず、ランスは遊園地へと目を向ける。

 するとその時、頭の中にはパッと4つ分の選択肢が浮かんで。

 

 ・サテラと遊ぶ。

 ・ハウゼルと遊ぶ。

 ・シルキィと遊ぶ。

 ・ホーネットと遊ぶ。

 

「……ふむ」

 

 そして選んだのは。

 

 

 

 

 

 →サテラと遊ぶ。

 

「よし、ここに入るぞ」

「……なんだかボロっちい場所だな。ランス、ここは何をする所なんだ?」

「ここはおばけ屋敷だな。ボロっちいのはそういうふうに見えるような造りってだけだ」

 

 二人がやってきたのは園内にある施設の一つ、おばけ屋敷。

 おばけや幽霊などの存在を巧みに演出し、一時の恐怖体験を楽しめるアトラクションである。

 

「……おばけ屋敷か。聞いた事はあるような気がするが、こうして体験するのは初めてだな」

 

 古びた洋館チックな建物はおどろおどろしい雰囲気を醸し出しており、今回がおばけ屋敷初体験となるサテラは自然とその身体を固くする。

 

「さーて、どんなもんかなーっと……おぉ、中に入ったら急に真っ暗だな」

「ほんとだ……前が殆ど見えないぞ」

 

 建物の中に入るや否や周囲は闇に包まれ、それっぽい雰囲気は更に強まる。

 暗闇の中で不気味に発火する青い炎や、ひゅ~どろどろ~といった感じのBGMなど、恐怖心を煽る演出効果が至る所でされていて。

 

「……う。なんか……結構本格的だな……」

 

 もしやここは本当におばけが出るんじゃないか。

 い、いやいやまさか、おばけなんてそんな馬鹿馬鹿しい話が。

 みたいな事をサテラが一瞬考えた、ちょうとそのタイミングで。

 

「──ひぃ!」

 

 ピタッ、と。

 天井から釣り糸でぶら下げられていたこんにゃくがその頬に触れた。

 

「な、なんか触った、何か触ったーー!」

「なんか? なんかって何だ」

「知らない! けどなんか、ぶにぶにしたものがサテラのほっぺたに当たったー!」

 

 それは生き物の舌の感触か。あるいは幽霊の手のひらに撫でられたのか。

 何が自分の頬を掠めたのか。答えが分からないサテラはきゃーきゃーと騒ぐ。

 

「う、うぅ……なんかいる、なんかがいる……!」

 

 そして恐怖心に押されたのか、思わずといった感じでランスの二の腕をぎゅっと掴んだ。

 

「どうしたサテラ。お前さては怖いのか? 怖いのだな?」

「べ、別にそういう訳じゃない! ただその、暗いから、ランスがはぐれないようにと……」

「下手な言い訳はよしたまえ。そーかそーか、サテラちゃんはおばけ屋敷が怖いのか」

「怖くないっ! こんな子供騙し、サテラには通用しないからな!」

 

 ふんっ、とそっぽを向くサテラ。

 だがその言葉とは裏腹に、先程までよりも明らかに距離を寄せてきていて。

 その仕草の意味は明白、心細そうなサテラの様子を目にしたランスは、

 

「……にぃ」

 

 と、いたずらっ子のような笑みを浮かべて。

 

「まったく……大体な、サテラは魔人だぞ。魔人がこんなものを怖がる訳が──」

「ぎゃーーーー!!」

 

 突然ランスが大声で叫んだ。

 

「わーーーーっ!」

 

 打てば響くというべきか、つられてサテラも今日一番の絶叫を上げる。

 驚きのあまりぴょんと跳ねたと思いきや、そのまま勢い余って後ろにこてんと倒れた。

 

「な、な、な……!」

「がははは、ひっくり返ってやーんの!」

 

 尻もちを付いて放心中のサテラ、そこにランスの容赦無いがはは笑いが届く。

 

「……ら、らんす、お前ぇ……っ!」

 

 してやられた事に気付いたのか、サテラはその目を怒りに吊り上げる。

 そしてすぐ立ち上がろうとしたのだが、その足は生まれたてのうしの如くぷるぷる震えていて。

 

「……あ、あれ? う、いしょ……あれれ?」

「どした?」

「……ら、ランス、どうしよう、立てない……」

 

 身体が思い通りに動いてくれないのか、ランスを見上げながらサテラは泣きそうな声で呟く。

 

「まさか腰を抜かしたのか? サテラ、お前それでも魔人かよ……」

「う、うううるさいっ! 元はと言えばランスのせいじゃないか!」

 

 お前がぎゃーとか騒ぐからいけないんだっ! 

 と必死の抗議をするが、相変わらずサテラは地べたにぺたんと座ったまま。

 天下の魔人の姿としては何とも情けない格好に、呆れ顔のランスもやれやれと腰を下ろす。

 

「しゃーないな。ほれ、特別におぶってやろう」

「……む」

 

 目の前に下りてきた背中。ランスの大きな背中。

 それに一瞬躊躇したサテラも、やがておずおずとその肩に両手を回す。

 

「……ふん、特別じゃなくて普通の事だ。なんたってサテラはランスの主なんだからな」

「主ねぇ。主だったら使徒におんぶされるのはカッコ悪いと思うぞ?」

「う……うるさいっ」

 

 口に出す言葉こそそっけないながらも、サテラはその背中にぎゅっと抱きつく。

 するとその胸の鼓動が。先程までの恐怖体験とは少し異なるドキドキに変わって。

 

「よっこいせ。……えーと、出口はどっちだ?」

「あっちじゃないか? ほら、なんかぼんやりとした光が見える」

「……なんか怪しくないか? あれって近付いたら驚かしてくるやつじゃねーだろうな」

 

 その後ランスはサテラを背負ったまま、共にわーきゃー騒ぎながらおばけ屋敷を探索した。

 

 

 

 

 

 →ハウゼルと遊ぶ。

 

「よし、次はここだ」

「大きなカップが沢山ありますね……ランスさん、これはどういったものなのですか?」

「これはコーヒーカップだな。このカップの中に入ってぐるぐる回るのだ」

 

 二人がやってきたのは園内にある施設の一つ、コーヒーカップ。

 回転するカップに乗り込み、その回転の勢いを楽しむアトラクションである。

 

「さて、んじゃ一緒に乗るか」

「はい。……ここに入れば良いのですよね?」

「そうだ。ほれ、カップの中に椅子があるだろう」

「あ、ありますね。……それにしても、こんなに大きなカップの中に入るというのは不思議な感じがしますね。何だか自分が小さくなったみたいです」

 

 二人は一番近くにあったカップに乗り込む。

 席に腰を下ろしてドアを閉じると、ハウゼルが気になったのは目の前にある丸いハンドル。

 

「ランスさん、この円盤はなんでしょうか?」

「その円盤でこのカップの操作が出来る。それを回すとカップ自体も一緒に回る仕組みなのだ。ハウゼルちゃんはコーヒーカップに乗るの初めてだろ? 今回は君の好きに回していいぞ」

「分かりました。これを回せば良いのですね?」

 

 初めてとなるコーヒーカップに内心ちょっとドキドキ気分、ハウゼルは円盤をしっかりと握って。

 その時ちょうどぴるぴるぴる……と、乗り物が動き出す合図のベルが鳴り響いた。

 

「よしスタートだ! さぁ回せハウゼルちゃん!」

「はい!」

 

 スタートと共に勢い良くハンドルを回す。

 するとその回転に合わせるように、二人が乗るカップも勢い良く回り始める。

 

「おぉーっ、こりゃ凄いスピードだ、さすが魔人パワー……」

 

 その速度はあっという間に最大速度へ。

 感心するランスの目に映るもの、遊園地の景色がびゅんびゅんと高速回転していく。

 

「本当ですね、確かに凄いスピード……」

 

 そしてランスと同じように、ハウゼルもその速度を楽し……もうとしていたのだが。

 

「……あっ」

 

 突然何かに気付いたように声を上げた。

 

「……ら、ランスさん、これは……これはちょっと、わたし、駄目かもしれません……」

「駄目って……まさかもうくらくらするのか?」

「……はい、くらくらというか……なんか、頭の中が揺れて……」

 

 顔を顰めたまま額に手を当てるハウゼル。

 どうやらカップの勢いにやられたのか、その顔色からは既に血の気が引いていた。

 

「なら回転を緩めりゃいい。ハウゼルちゃん、もっとゆっくり円盤を回せ」

「そうですね、ゆっくり……」

 

 ランスに言われた通り、ハウゼルはハンドルを回す勢いを弱める。

 するとカップの勢いも弱まり、目に入る景色もなんとか見れるものに変わっていく。

 

「そうそう、そんな感じで……ふむ、これぐらいの速さなら良いんじゃないか?」

「……いえ、まだちょっとキツいです……もう少しゆっくり……」

 

 ハウゼルはハンドルを回す勢いを更に弱める。

 するとカップの勢いも更に弱まり、目に入る景色も普通に見ていられるものに変わる。

 

「ふむ、この速さならさすがに大丈夫だろ」

「……いえ、これでもまだ速いような……」

「え、これでも駄目か? てかハウゼルちゃん、きみ戦っている時はこんな回転なんぞ目じゃないぐらいそりゃもう激しく飛び回っているではないか」

「はい……自分で飛んでいる分には気にならないんですけど……けれどこういうのはなんか……」

 

 自分の意思で飛び回る感触と、誰かに回される感触は全くの別物らしく。

 ハウゼルは弱々しく呟きながらも、ハンドルを回す勢いを更に更に弱めて。

 

「これくらいなら……なんとか……」

「……ぬぅ。なんだかもう回ってるような気がしないのだが……」

 

 ゆるゆるゆる~っと、とてもゆっくり目で二人の乗るカップが回る。

 ランスからしたらもはやコーヒーカップの醍醐味ゼロなのだが、そんな緩やかな速度の中でもハウゼルはくったりしていた。

 

「……うぅ、くらくらします……」

「大丈夫か? ほれ、なーでなで」

「……ありがとうございます、ランスさん……」

 

 殆ど回転を感じさせないカップの中、ランスはハウゼルの背中を優しく擦る。

 

「けれどもハウゼルちゃん……君はこの程度の回転でもアカンのか」

「……はい、どうやらそうみたいです」

 

 こういうアトラクションに慣れていないからか、あるいは単に三半規管が弱すぎるのか。

 ハンドルに身体を預けてうずくまるハウゼル、コーヒーカップにすら敗北を喫した悲しき魔人の姿をランスも切ない眼差しで見つめる。

 

「……そういやぁ、前に一緒に飲んだお酒も君はダメダメだったな」

「……そうですね、あれも駄目でしたね、私」

「なんつーか……むしろ君は一体何にだったら強いんだろうな」

「……な、何でしょうかね……」

 

 自分が勝てるものがあるのか分からない。

 そんな哀しいセリフを呟くハウゼルはカップから下りた後も青白い顔色のままで。

 その後彼女の気分が回復するまで、ランスは昼食休憩を取る事にした。

 

 

 

 

 

 →シルキィと遊ぶ。

 

「……わぁ、結構高くまで登るのね……なんかドキドキしてきちゃった……!」

 

 カタカタと無機質な音を響かせながら、コースターは上へ上へと登っていって。

 そして頂上へと辿り着き、そこから一気に落下。

 

「……きゃーーーっ!!」

 

 コースターは線路上を高速で駆け抜け、途中でぐるりと縦方向に一回転。

 

「わぁーーー!!」

 

 縦横無尽に振り回される中、シルキィは悲鳴を上げながらもとても楽しそうな表情で。

 程なくしてコースターの勢いが弱まり、出発地点まで戻ってきた。

 

「ふーっ、結構なスピードだったな」

「ね! ね! こんなに速いなんてびっくりしちゃった! あはははっ!」

 

 二人が楽しんでいたのは園内にある施設の一つ、ジェットコースター。

 いわゆる絶叫マシンであり、遊園地の目玉とも言えるアトラクションである。

 

「どうだ、楽しかったか……って、その様子じゃ聞くまでもないな」

「うん! 凄く楽しかったっ! ジェットコースターってすごく楽しい乗り物なのね!」

「そかそか、そりゃ良かった。けどさすがシルキィちゃん、ジェットコースターも問題無しか」

 

 おばけ屋敷で腰を抜かすサテラや、コーヒーカップで目を回すハウゼルと比べて、魔人四天王たる彼女はやはり胆力が違うのか。

 シルキィは初めて乗ったジェットコースターを怖がるどころか大興奮。まるで外見相応の子供のようにその赤色の目をきらきら輝かせていた。

 

「んじゃ次は何処行くかな……シルキィちゃん、何か乗りたいもんあるか?」

「そうねぇ……あ、それじゃあこのメリーゴーランドっていうのは?」

「メリーゴーランドか……あれは俺様のような男が乗るのはちょっとな……なんならもう一回ジェットコースターに乗るか?」

「あ、良いわねそれ! もう一回乗りたい!」 

 

 施設案内の書かれたパンフレットを眺めながら、二人が次の目的地を選んでいたその時。

 

「……っておい、それ……」

 

 ランスはある事に気付き、その魔人の胸元をぴっと指差す。

 

「シルキィちゃん、きみポロリしとるぞ」

「ポロリ?」

「ほら、胸のそれ、取れてる取れてる」

「え? あ……ほんとだ……」

 

 シルキィも自分の胸元に視線を向ける。

 するとその慎ましやかな胸に貼り付いていた彼女の私服、布一枚の胸当てがぺろっと剥がれ、隠されるべきその乳首が見事にポロリしていた。

 

「ジェットコースターに乗ってる時に取れちゃったのね……って、あれ? ん……あれ?」

 

 シルキィは胸当てを定位置に戻そうと格闘するものの、しかしすぐにぺろっと剥がれてしまう。

 どうやらジェットコースターに振り回された際の重力、あるいは風圧などによって布自体がヘタってしまったらしく、もはや下着としての役割すら果たさないただの布切れと化していた。

 

「どした?」

「……うーん、駄目だわ。なんかくっつかなくなっちゃったみたい」

 

 どうしよ、困ったわね……と、シルキィはあまり困ってなさそうな声色で呟く。

 

「こんな格好で園内を歩くなんて見苦しいわよね、何か着るものはないかしら」

「服なら屋台に売ってると思うぞ。見に行くか?」

「そうね、そうしましょう」

 

 という事で二人はシルキィの服探しへ。

 そこかしこにある屋台を次々に見て回った所、目的のお店はすぐに見つかった。

 

「お、ここに服が売っとるぞ」

「本当だ。……そうね、どれにしようかな……」

 

 そこは移動遊園地をモチーフにしたデザインの服屋、というかおみやげ屋らしく、さすがに下着こそ無いもののTシャツやパーカーなど、とりあえず胸元が隠せそうな服が色々売られていて。

 

「……ふむ。シルキィちゃん、これなんか良いんじゃないか?」

「えっ」

 

 そんな中からランスが選んだ服。

 それは上下セットの装い、肩からスカートの先までふりふりヒラヒラが沢山付けられている服。

 それはシルキィがまず着る事の無い衣装、とても可愛いデザインのお姫様ドレス。

 

「……ちょっと待ってランスさん、よりにもよってどうしてそれなの?」

「だってシルキィちゃんってちっこいし、こういうの似合いそうじゃないか」

「似合わないから! そんな可愛いらしい格好、私には絶対似合わないからっ!」

「似合うって。よしこれに決定。店員さーん、これくださーい」

「あぁっ! ちょっと勝手にー!」

 

 まさかのチョイス、まさかのお姫様ドレスに悲鳴を上げるシルキィ。

 けれども彼女は魔物界で暮らす魔人、つまり人間世界の通貨を全く所持していない。

 故に園内ではランスの言う事が絶対、ランスが着ろと購入したものを着るしか無いのである。

 

 その結果。

 

「……う、うぅ~……!」

 

 実に恥ずかしそうに身をよじり、真っ赤な顔で唸るシルキィ。

 その身体には新調した一式、やむなく着る羽目になったふりふりヒラヒラのお姫様ドレスが。

 

「おぉ。やっぱり似合ってるじゃないか。うむ、可愛い可愛い」

「こんなの似合ってないぃ~……、可愛くなんてないからぁ~……!」

 

 絶叫マシンをものともしない胆力があっても、可愛い格好だけは耐えられない。

 そんなシルキィはランスの身体に隠れるかのようにその身をぴたりと密着させていて。

 

「よーし、次のアトラクションに行くぞ」

「ちょ、ちょっと待ってぇ~……!」

 

 その後他の場所へ移動する度、シルキィはずっとランスにくっついたままであった。

 

 

 

 

 

 →ホーネットと遊ぶ。

 

「よし、最後はここだ」

「随分と大きい乗り物ですね。これは何ですか?」

「これは観覧車だな。あのゴンドラに乗ってぐるりと一周するのだ」

 

 二人がやってきたのは園内にある施設の一つ、観覧車。

 ゆっくりと回るゴンドラに乗って、高所からの眺めを楽しむアトラクションである。

 

「成る程。これは景色を楽しむものなのですね」

「そ。そろそろ夕暮れだしな、きっとヘルマンの良い景色が見られるだろう」

「そうですね。では乗りましょうか」

 

 二人は同じゴンドラへ乗り込む。

 するとゆっくりゆっくり観覧車が回転して、ゆっくりゆっくりゴンドラが上昇していく。

 

「おぉ、動いた動いた」

「ランス、立っているのは危険ですよ。観覧車が動いている間は席に座るようにとアナウンスがあったでしょう」

「へーへー、全く真面目なヤツめ……」

 

 手狭な作りのゴンドラ内、二人は向かい合わせになって席に座る。

 その間もゆっくりゆっくり、どんどんゴンドラは上昇していく。 

 

「外から見ていても思いましたが……これは園内にある他の乗り物とは少し趣が違うというか、随分と緩やかに動く乗り物なのですね」

「そーだな。観覧車はゆっくり動くのだ。もしかして退屈か?」

 

 ランスがそう尋ねると、ホーネットは首を左右に振って。

 

「……いえ。こういうゆったりとした時間は……嫌いではありません」

「そか」

「……えぇ」

 

 そして彼女は窓の外、ヘルマンの銀世界の景色へとその視線を向ける。

 ちょうど日が落ちてきた頃合い、白一色の景色に朱色の光が差し込む様はとても幻想的で。

 

「……綺麗、ですね。こういった光景は人間世界でしか見られません」

「確かにな。魔物界はどこも暗いし、空なんかもずっと不気味な色をしとるからな」

「そうですね、一説によると魔王の力による影響なのだそうですが……だとするとこの景色は魔人筆頭の私には縁遠いもの、本当なら見る事の無かった景色なのでしょうね」

 

 魔王が住まう地は魔王の影響により、周辺環境が禍々しく変化していく。

 故にこの美しい光景は魔王の居ない地、人間世界でしか見る事の出来ないもの。

 魔物界で生まれて魔物界で育ち、魔王に仕える魔人筆頭となったホーネットにとって、初めて見たそれは目を細めてしまう程に美しい光景で。

 

「……不思議な気分です。今もまだ派閥戦争は続いているというのに、私は本来居るべき魔王城を離れて人間世界に赴き、今こうして景色などにうつつを抜かして……」

「ホーネット。お前が真面目なヤツだって事は分かっとるがな、ほんの一日ぐらい遊園地で遊んだってバチは当たらねーって。そんなふうに気に病む事じゃないだろう」

「……いえ。気に病むどころかむしろ……不思議と心は穏やかなのです。もっとこの景色を眺めていたい……と、そう思ってしまいます」

 

 それに、とホーネットは呟いて。

 

「………………」

「……ん?」

「……いえ。観覧車とは悪くないものだと、そう思いまして」

 

 窓の外には息を飲む程に美しい景色。

 そこから少し視線を外してみれば、すぐそばには彼がいて。

 

 ホーネット派の主として、ホーネットはこれまで自身の感情よりも使命を最優先にしてきた。

 けれども観覧車のゴンドラの中、今一時だけはそういったものを気にしないでいられるのか、その顔は先の言葉通り本当に穏やかな表情で。

 

「……こんな時間が、ずっと──」

 

 そして自然と呟いた言葉。心の奥底に隠しているはずの想い。

 それを零した事に気付いているのかどうか、ホーネットはじっと窓の外を眩しそうに眺める。

 

「……む」

 

 その横顔を見ていると。

 もう見慣れたはずの相手なのだが、それでもランスは初めて見た時と同じ感想を抱いてしまう。

 

「……ぬぅ、やっぱキレイだな」

「……えぇ、とても綺麗です」

「いや、そっちじゃなくて……よっと」

 

 するとランスは椅子から立ち上がる。

 そして座る位置を変えると、すぐ隣にあるその肩に手を回す。

 

「これはちょっとした余談なのだがな、この観覧車っつーアトラクションは特にカップルで乗る事が多いのだ。その理由が分かるか?」

「……察するに、一時的に外部と遮断された二人だけの空間となるから、でしょうか」

「まぁそんな所だ。だからこう……」

 

 ランスはホーネットの顎をそっと押さえ、自らの方へと振り向かせる。

 

「……何ですか?」

「なぁホーネット、じゃあカップルが観覧車の中でする事と言ったら何か分かるか?」

「……さぁ」

「お、分からんか。なら俺様が教えてやろう」

 

 そしてランスが近付いてくる。

 ホーネットは避けようとしなかった。

 

 

 

 

 

 そして。

 

「いやー、楽しんだ楽しんだ」

 

 時刻は夜。完全に日も落ちた頃合い。

 各自思い思いに遊園地を楽しんで、そろそろ帰りの時間である。

 

「……遊園地か。まぁなんだ、結構その……楽しかったな」

「そうね。良い気分転換になったというか……凄くリフレッシュ出来た気分」

「えぇ、そうですね。……ところでシルキィ、その格好はどうしたの?」

「うっ、……ハウゼル、お願いだからその事には触れないで」

 

 サテラ、シルキィ、ハウゼルが初めて楽しんだ遊園地への感想を述べる中。

 

「……けど、なんか妙だな」

「……ランス?」

 

 ランスがぽつりと呟いたそのセリフに、ホーネットが反応した。

 

「どうしました? なにが妙なのですか?」

「いやな、なんだか今回の移動遊園地は……楽しい事ばっかりじゃないか?」

「……それはどういう……楽しい事ばかりだと何か問題でもあるのですか?」

「問題があるっつー訳じゃねーんだが……」

 

 今日は一日とても楽しかった。

 そりゃもう大層楽しかったのだが、しかしここは移動遊園地。

 ランスは過去の体験から何か感じるのか、その顔は楽しい一日の終わりには似合わない仏頂面で。

 

「この移動遊園地っつー場所はな。必ず1つ2つはおかしな選択肢が混じってるものなのだ」

「……選択肢、ですか?」

「いや、選択肢っつーか、なんかこう……『あれ? 俺様なんでコイツと一緒に遊んでんだろ?』みたいな気分にさせる相手っつーか、そいつを選んでしまうチョイスっつーか……」

「…………?」

 

 ランスの言葉はさっぱり要領を得ず、ホーネットは内心その首を傾げる。

 するとその時、近くに居たシルキィ達が何かに気付いて声を上げた。

 

「……ねぇ、あれってメガラスじゃない?」

「あ、本当だ。メガラスが飛んで来てる。緊急の連絡かなにかかな?」

 

 暗闇の空を指差すシルキィとサテラ。

 その指の先には高速で近付いてくる存在、共に戦う仲間である魔人メガラスの姿が。

 

「──来やがったかっ!?」

 

 するとランスは露骨な程の反応を見せる。

 そんな彼をよそに、やがて一行の前にメガラスが下り立った。

 

「………………」

「メガラス、どうしました? 魔王城に何かあったのですか?」

「………………」

「……え、報告に? あぁ、そうですね……えぇ、分かりました。問題が無いのなら構いません」

 

 相変わらず無言の魔人メガラス。ホーネットがその沈黙から読み取った内容によると、どうやらメガラスはカスケード・バウの偵察任務を完了し、その報告にと魔王城に戻ってきたらしい。

 しかし城内にホーネット他魔人達が居ないのを不審に思い、事情を知る者から話を聞き、こうして移動遊園地までやってきたとの事だ。

 

 しかしどうだろう。メガラスの報告は「カスケード・バウの様子は一週間前と変わらず」というもので、緊急性のある報告にはとても思えない。

 わざわざこちらへ来ずとも、城で一行の帰りを待っていれば良かったのではないだろうか。

 

 それなのにメガラスは手間を掛け、こうして移動遊園地までホーネット達を探しにきている。

 ランスからしたらその行動も大いに不審というか、何らかの力を感じずにはいられないもので。

 

「手間を掛けさせましたね。では魔王城に戻りましょうか……メガラス?」

「………………」

 

 そして、案の定と言うか何と言うか。

 その魔人は初めて訪れる事となったテーマパークに興味を抱いたらしく。

 

「………………」

 

 メガラスは表情の読めない目でただ一点をじっと見つめる。

 その視線の先にあるもの、それはネオンライト輝くメリーゴーランド。

 

「……メガラス、もしかしてそれに乗りたいの?」

「………………」

 

 シルキィから声を掛けられても、メガラスは相変わらずの沈黙のまま。

 そして何故か、本当に何故か分からないのだが、突然ランスの方に振り向いた。

 

「………………」

「……おい、どうして俺様の事を見るのだ」

「………………」

 

 ひたすら無言を貫いたまま、メガラスはただただじっとランスの事を見つめてくる。

 

「………………」

「………………」

 

 何故自分なのか。ランスにはどれだけ考えてみてもさっぱり分からない。

 あるいはそれはやはり運命力というか、なにか不思議な力によって強制されているのか。

 それが証拠にランスの脳内にも、通常ならばあり得ないはずの選択肢が浮かんできて。

 

 ──そして。

 

 

 →メガラスと遊ぶ。

 

「……一緒に乗るか?」

「………………」

 

 何故か呟いてしまったそのお誘い文句に、魔人メガラスはこくりと頷いた。

 

 

 

 

 

 そして回る。メリーゴーランドが回る。

 

「……あぁ、分からん……」

「………………」

「……本当に分からん。何故俺様はこいつと一緒にメリーゴーランドに乗っているのだ……」

 

 上下に動く木馬に跨るランスともう一人、すぐ隣の木馬には魔人メガラスの姿。

 先程シルキィに言った通り、そもそもメリーゴーランドとは大の男はあまり乗らない乗り物。

 それが何故か男二人で、何故かこの魔人と。ランスにはもう分からない事だらけである。

 

「……なんだか不思議な光景だな」

「そうですね。ランスさんとあのメガラスが一緒にメリーゴーランドを……」

「あの二人……意外と仲良しだったのかしら」

「……どうでしょう。ランスは複雑な顔をしているようにも見えますが……」

 

 サテラ、ハウゼル、シルキィ、そしてホーネットに見守られる中。

 ランスとメガラスはしばしメリーゴーランドを楽しんで。

 

「………………」

「おい」

「………………」

「おい。こんな時ぐらいなんか喋れよ」

「……楽しい」

「そ、そうか。それは良かった…………のか?」

 

 ランスはメガラスとちょっとだけ仲良くなった。

 

 

 

 

 

 



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TURN 10
決戦準備①


 

 

 

 

 歩く二人の目の先、魔界都市ブルトンツリーを越えてようやく見えてきた巨城のシルエット。

 

「……はぁ、やっと帰ってこられた……随分と時間が掛かっちゃったわね」

「だな。帰りは電卓キューブ迷宮からのワープが使えんというのが想定外だった」

「あれって普通だったらそのまま元居た場所に戻して貰えたのでしょう? それなのに余計な寄り道を挟んだりするから……」

 

 共に疲労を感じさせる声色で話す二人、ランスと魔人シルキィ。

 二人はカミーラ城を出発し、ゼスを越えてヘルマンを越えて、やっとこさ魔王城に戻ってきた。

 

「さて。早速ホーネット様に報告しに行かないと。ランスさんも付いてきて」

「え~……俺様もう疲れたし、今日はこのまま部屋で休みたいのだが」

「だーめ。帰ってきた事もそうだし、色々と話さなきゃいけない事があるでしょう」

 

 久方ぶりの魔王城内へと足を踏み入れ、最初に向かうのは勿論城の最上階。

 突然電卓キューブ迷宮にワープさせられる形でこの城を離れてから、すでに一週間。

 その間に起きた様々な事、別ルートでの侵攻の可能性を見出した事や、極秘裏に魔人カミーラと会って密約を交わした事など、早急に派閥の主と話し合わなければならない事が沢山ある。

 

「ホーネット様、入ります」

 

 コンコンと軽いノックの後、一声掛けてからシルキィはドアを開く。

 そして部屋に入ってきた二人の姿を目にして、その魔人は軽く驚きの表情となった。

 

「……ランス、シルキィ……」

「ようホーネット、今帰ったぞ」

「ホーネット様、只今戻りました。長らく城を留守にしてしまい申し訳ありません」

 

 予期せぬ出来事だったとはいえ、派閥の幹部たる自分が勝手に城を離れてしまった。

 その事をまずシルキィが謝罪すると、すぐに表情を戻したホーネットが口を開く。

 

「二人共、無事だったのですね。突然に城内から姿を消したものですから皆心配していましたよ。一体何処に行っていたのですか?」

「うむ、実はな……」

「あ、ランスさん、それは私が説明するから。……えっとですね……」

 

 今回の一件を、特にあの不思議な出来事をどのように説明するべきか。

 ランスの言葉を遮るようにして説明役を買って出たシルキィは、瞬時に思考を巡らせて。

 

「……その、ちょっとした所用で人間世界のゼス国に向かう必要に迫られまして。本当に緊急だったので事前の連絡が出来なかったのです」

「二人は人間世界に行っていたのですか……それで、その所用とは?」

「え、と、それは本当に大した事無い用事で……ただそこからが重要というか、ゼスでの用事を終えた後に私達は……その、カミーラに会いまして」

「……カミーラとは……あのカミーラですか?」

「はい。あのカミーラです。ミダラナツリーにあるカミーラ城まで行っていました」

 

 魔人四天王カミーラ。予想外のその名前にホーネットの声のトーンが変わる。

 とその一方、カミーラの名前を出す事でシルキィは『所用』の件から見事に話を逸した。

 自分がランスの運命の女となって電卓キューブ迷宮に行った事。その件は未だシルキィ自身も消化しきれておらず、まだ誰かに打ち明けられるような気分にはなれていなかった。というか率直に言うとなんか恥ずかしかった。

 

「……驚きました。まさか二人がカミーラに会いに行っていたとは……」

「はい。当初そのつもりは無かったのですが……やむを得ずというか、本当に成り行きでして。事前の相談も無しに勝手な事をしてしまい、重ね重ね申し訳ありません、ホーネット様」

 

 そう言ってシルキィは再び頭を深く下げる。

 今回の旅で起こった出来事。それはホーネット派の今後にも大きく影響を与える話で、本来なら二人の独断で行って良い事では無い。

 故にシルキィの謝罪は本当にもう心からの謝罪といった感じだったのだが、そのすぐ隣、ランスには何ら気にした様子も無く。

 

「けどカミーラに会ってきた収穫はあったぞ。何とあいつから協力を取り付ける事に成功したのだ! どーだスゴいだろ!」

「協力? それは……あのカミーラが私達ホーネット派に協力してくれるという事ですか?」

「そういう事だ。俺様もまさかカミーラがとは思ったが……何でも言ってみるもんだぜ。ただまぁその代わりと言ってはなんだが、この派閥戦争をあと二ヶ月以内に終わらせる必要があるのだ」

 

 至極あっさりと。

 本当にあっさりと、ランスが口にしたその言葉。

 

「……え」

 

 この派閥戦争をあと二ヶ月で終わらせる。

 それはカミーラの協力などとは比べものにならない程に衝撃的な話だったらしく、聞いたホーネットは表情が抜け落ちたような顔になった。

 

「……に、二ヶ月、ですか?」

「そ。二ヶ月。あと二ヶ月でケイブリスを倒すぞ」

「………………」

 

 すぐには衝撃が抜けきらないのか、その魔人には珍しく呆然とした様子が続いて。

 

「二ヶ月……」

「……突然こんな事を言ったら混乱しますよね、ホーネット様。実はカミーラがホーネット派に協力する条件として、派閥戦争をあと二ヶ月で終わらせるよう要求してきたのです。本人は戦争続きの魔物界の状況に飽きたからだと言っていましたが……」

「………………」

 

 シルキィがその理由を伝えても、どうやら頭の中に入っていない模様で。

 

「それでカミーラが協力してくれるとな、なんとヤツらの本拠地まで──」

「……二人共、この話は明日にしましょう」

「あん? どうしてだ?」

「……少し、考えたい事があるのです」

 

 遂にはそう呟いて、ホーネット自ら会話を打ち切ってしまった。

 

「それに貴方達も魔王城に帰還したばかりで疲れているでしょう。今日はもう休んで下さい、話し合いは明日で構いません」

「ふむ、それもそーだな」

「分かりましたホーネット様。では詳しい報告と話し合いは明日に」

 

 そうしてランスとシルキィは退出していって。

 

「………………」

 

 自分の部屋に一人となった後、ホーネットは静かに呟いた。

 

「……あと、二ヶ月」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして次の日。

 途中終わりだった話の続きをする為、ランス達はホーネットの部屋に集まった。

 

「……成る程。魔王城から侵攻を行うのではなく、ゼス国から侵攻を行うルートですか……」

「あぁそうだ。ほれ、こっちからは死の大地やカスケード・バウが邪魔で攻めるのが難しいってずっと言ってたろ? ならそんな所は通らずゼスから攻めた方が楽なんじゃねーかと思ってよ」

 

 魔王城から南進するのでは無く、ゼス国から西進してケイブリス派領域に乗り込むルート。

 それはホーネットの頭にも無かった、ホーネット派だけの力では決して実現不可能なルート。ランスが協力しているからこそ実現可能になる新たな侵攻ルートとなる。

 

「……貴方の言う通り、カスケード・バウも死の大地も共に難攻不落の地。ゼス国から西に進むルートの方が楽というのはその通りでしょう。そちらから進む際に障害となるものと言えば、ミダラナツリーと魔人四天王カミーラになりますが……」

「はい。その際にはカミーラ本人は勿論の事、ミダラナツリーに詰める魔物兵達も一切動かさないようにするとの事です。それがカミーラの協力であり、その条件として派閥戦争をあと二ヶ月で終わらせるようにと言ってきました」

「……事情は理解しました。確かにこれは早急に話し合うべき案件ですね」

 

 昨日とは違って頭を切り替えられているのか、ホーネットは冷静な表情で答える。

 そんな派閥の主に加え、今この部屋に集まっている面々。ソファに腰掛けているのはこの話を持ち帰ってきたランスとシルキィ、そしてもう一人。

 

「まず一番に考える事としては、ゼス国から西進するルートの実現可能性についてでしょうか。もしそれが不可能だとしたらカミーラの協力も何もありませんからね」

「それに関しては問題ない。ゼスは俺様の言う事だったら何でも聞くからな」

「……って、ランスさんは言っているんだけど……ねぇウルザさん、実際の所はどうなの? 人間世界にある国が魔物界の派閥である私達に協力なんてしてくれるのかしら」

「……そうですね。正直な所、全く問題が無いとは言えない事態なのですが……」

 

 それがウルザ・プラナアイス。 

 彼女はゼス国の内情を知る者として、そしてそもそも優秀な軍師として、今回の話し合いに必要だろうとランスが同席させた人物である。

 

「とはいえランスさんの言う通りですね。他でもないランスさん直々の協力要請であれば、ゼスが応じる可能性は非常に高いと思います」

「へぇ、ランスさんってそんなに顔が効くんだ……改めて思うけど貴方って凄い人だったのね」

「そのとーり、俺様はとってもスゴいのだ。なぁウルザちゃん?」

「はい。特にガンジー王は前々からランスさんの事を支持していますし、魔物界の動向にも強い関心を示していましたから、あの方ならきっと二つ返事だと思います」

 

 ですが、とウルザは呟いて。

 

「ゼスを通過してケイブリス派領域に進軍を行うとは言っても、さすがに国内に魔物兵を入れる事は不可能です。というよりゼスに辿り着くにはまずヘルマンを通過する必要がありますので、その意味でも魔物兵を人間世界で動かすのは不可能かと」

「うん、それは分かっているわ。となると西進ルートの場合、戦力として使えるのは私達魔人だけって事になるわね」

 

 魔物とは依然として人類共通の敵。今こうしてランス達がホーネット派に協力している事の方が例外であり、百万近くにも及ぶホーネット派魔物兵達、そんな規模の魔軍を人間世界で動かそうものならヘルマンもゼスも大パニックになる事間違い無し。

 故にゼスから西進するルートの場合、魔物兵達を戦力に含める事は出来ない。使えるのは魔人達と人間であるランス達のみとなる。

 

「カミーラの協力がある場合、タンザモンザツリーまでは殆ど戦闘を挟まない一本道になるはずだけど……ホーネット様、どう思いますか?」

「そうですね……それでもタンザモンザツリーはケイブリス派の本拠地。あの地を制圧しようと言うのなら、戦力はまだしも数という意味で、私達だけでは難しいかもしれません」

「確かに……タンザモンザツリーも他の魔界都市と同様に広いですからね」

「えぇ。それに魔人だけを動かすとは言っても全員は使えないでしょう、派閥内にも誰かは残す必要がありますから……」

 

 仮に1名を魔王城に残すとして、戦力として使える魔人は5名。そこに人間の協力者であるランス達を含めても10名足らず。

 一体で魔物兵数万の戦力に匹敵する魔人がいる以上戦力的には問題ないのだが、魔物が何十万と暮らす大拠点の制圧を行うとなると10名というのは少々心許ない数字である。

 

「……うーむ、そう言われると……あ、そうだ」

 

 すると代わりの戦力の存在に気付いたのか、ランスはパチンと指を鳴らした。

 

「ならウルザちゃん、魔物兵の代わりにゼスの軍隊を使っちまおうぜ。魔物兵と比べりゃさすがに数では劣るが戦力的にはまぁまぁだろ」

「ゼスの軍隊をですか……確かに今は国内も大分落ち着いているので、リーザスとの国境線を守る炎軍以外であれば動かせない事はないと思います」

「え、ちょっと待って二人共。国内を通過するだけならともかく、人間の軍隊まで借りちゃうのはさすがに……そこまで協力して貰うのは気が引けちゃうというか……」

「んな気にすんなっての。さっきも言ったがゼスは俺様の家来のような国なのだからな」

 

 主が戦う時は家来も戦うのが当然だろう、とランスは偉そうに胸を張る。

 その姿は大層自信に溢れていたのだが、シルキィとしてはやはり不安になってしまう。

 

「……ねぇウルザさん、本当に大丈夫なの?」

「……はい、恐らくは。敵本拠地の制圧作戦ともなれば最終段階、だとしたらここで使える戦力を出し惜しみするのは得策ではありません。なによりそれがゼスの国益とも合致しますからね」

 

 単に国内を通過するのと、軍隊まで出して貰うのは協力の度合いが大きく異なる。

 後者の場合、戦闘になったらゼスの軍人にも当然被害が生じる。更にはホーネット派と人間が手を組んでいる事実が明らかとなり、その後にゼスが目を付けられるリスクが大いに高まる。

 それらの危険性を考慮した上で、ウルザは先程のように答えた。ケイブリス派領域と隣接するゼス国にとって、その驚異を排除する事に関しては他人事ではいられないのだ。

 

「ただ戦力の出し惜しみという観点からすれば、ここで魔物兵を使わないのは勿体無いですね。ホーネット派に属する魔物兵達がゼスの軍隊を超える戦力である事は疑いようがありませんから」

「そりゃまぁそうだな。つーか俺様達が戦ってんのに雑魚共を遊ばせておく訳にはいかん」

「確かに彼等にも何か役割が欲しい所ですね。この状況で彼等に出来る事と言えば……カスケード・バウに侵攻を行う事ぐらいでしょうか」

「あぁ、なるほど……陽動という事ですか。さすがに突破する事は不可能でも、敵を引きつけておく事なら出来ますからね」

 

 ホーネットの言葉にシルキィが頷く。二人は前々から派閥の今後について話し合ってきており、当初の予定では近々ホーネット派の全勢力を挙げてカスケード・バウへ侵攻を行うつもりでいた。

 魔物兵達はその為の訓練を積んできている為、それをそのまま陽動として使えれば無駄が無く、これまで派閥に尽くしてきた魔物兵達に活躍の場を与えてあげられる事にもなる。

 

「そうだ、ならいっそ挟み撃ちといくか。まずこっちからガーっといくだろ?」

「ガーっと、じゃ分からないわよ。カスケード・バウに攻め込むって事で良いのよね?」

「うむ。で攻め込んだら粘る。ひたすら粘る。そしたら奴らの目はカスケード・バウに向いて、どんどん戦力を厚くしようとするはずだ」

「そうね。向こうからしてもカスケード・バウは突破される訳にはいかないはずだし、残る兵達や魔人達を向かわせてでも守備を固めるでしょうね」

「だろ? でその間に俺達はゼスから迂回して、手薄になった奴らの本拠地を落とす。んで最後にカスケード・バウに残る雑魚共を挟み撃ちで片付ける。……どうだ、カンペキな作戦だろ?」

 

 陽動と奇襲を重ねて、最後には挟撃。

 ランスがパッと考えた自称完璧な作戦。その採点を伺うかのようにちらっと視線を向ければ、隣に座るウルザも頷きを返してくれた。

 

「そうですね、その通りに事が進めばまさに理想的な展開と言えます。そしてゼスから侵攻するルートが警戒されていないのならば、そうなる可能性も決して低くはないと思います」

「警戒されていない……と思いたいけどね。私とランスさんが侵入した時点では引き裂きの森やミダラナツリーは手薄なままだったし、あの時私達の事を知ったのはカミーラだけだと思うし……」

「……カミーラ次第、ですか」

 

 警戒されている中では奇襲は奇襲にならない。特に今計画中のこの作戦はケイブリス派領域の奥深くまで進む事となるので、カミーラ次第ではホーネット派を陥れる罠ともなり得る。

 しかしゼス国からの協力と同様、カミーラの協力が無ければこの作戦が成り立たないのも事実。つまりこの作戦に乗るとするならば、カミーラの事はどうあっても信じるしかない訳で。

 

「派閥を異にする敵とはいえ、あれは誰よりもプライドが高い魔人です。そのカミーラが私達に協力すると自らの口で言った以上、そこに偽りは無いと私は思います」

「そうですね。その点は私も、そしてランスさんも同意見でした」

「えぇ、ですのでカミーラの事は心配ありません。それよりも問題は……」

 

 どうあっても信じるしかない以上、そこを悩むのは時間の無駄。

 ホーネットはその点には何ら拘泥せず、より大きな問題を議題に挙げた。

 

「問題はやはり……ケイブリスの事でしょう」

 

 それはこの作戦どころか、この派閥戦争全体において一番大きな問題。

 ホーネット派が必ず打ち倒すべき宿敵、ケイブリス派の主、魔人ケイブリスについて。

 

「……そうですね。私達がどのようなルートで侵攻しようとも、結局はケイブリスに勝てなければ何も意味がありませんからね」

「それも大丈夫だ、この俺様がいる。あんなリス如きまたサックリとぶっ殺してやるわ」

「……またと言うのがよく分かりませんが……ともあれ心強い言葉ですね。ですがその通り、ケイブリスがどれだけ強かろうが、私達のすべき事としてはあれと戦って勝つしかありません。ですのでその点に関しては私もそのつもりなのですが……」

 

 ランスの強気な言葉に同意しながらも、ホーネットの頭には憂慮の種があった。

 魔人ケイブリス。それはケイブリス派の中で、あるいはこの魔物界の中で最も強い魔人。戦うとしても困難な事には違いないのだが、しかしそれでも戦わないという選択肢は無い。

 これが派閥同士の争いである以上、派閥の主との決戦は避けられないもの……だというのが、一般的な例ではあるのだが。

 

「ケイブリスの強さ以上に私が心配なのは、そもそもあれと戦いになるのか、という事なのです」

「……というと?」

「つまりですね……タンザモンザツリーはケイブリス派の本拠地。本拠地が落ちたら致命傷だという事は向こうも分かっているはずです。だとしたらこの作戦によって私達がタンザモンザツリーまで侵攻した場合、ケイブリスはどうすると思いますか?」

「そりゃあ……さすがにそうなったらあのリス野郎だって戦場に……出る……のか?」

 

 発言途中でランスの声のボリュームが除々に下がっていき、遂には首を傾げてしまう。

 ふと考えると前回の第二次魔人戦争、魔軍の総大将である魔人ケイブリスは人間世界に出てくる事は無く、ベズドグ山にある自分の城に引き篭もったままであった。

 けれどもその中でランスはケイブリス派の魔人を全員討伐している。その報告は当時のケイブリスの耳にも届いていたはずで、だとしたらケイブリスという魔人は自軍の魔人達が全滅した程度では戦場に立とうとはしない魔人だという事になる。

 

「……なるほどな。お前の言いたい事は何となく分かった」

「えぇ、あのケイブリスの事ですから……本拠地が落ちても戦場には出てこない可能性があります。あるいは逃亡を図る可能性もあるでしょうか」

 

 魔人ケイブリスはこの7年間で一度も戦場に立った事が無い。となるとそんなケイブリスが本拠地を失うまで追い詰められた時、そこで奮起して戦いの場に姿を現すのだろうか。

 普通に考えればそのはずなのだが、しかし相手があのケイブリスだけに分からない。もしかしたら最後の最後まで追い詰めても戦場には現れず、戦いを放棄してしまう可能性もあるのでは。

 

「本拠地たるタンザモンザツリー、そしてベグドズ山にあるケイブリス自身の城。たとえそれらを制圧したとしてもまだ終わりではありません。ケイブリスはこの魔物界の地に隠れ家を沢山所有しているそうですからね」

「隠れ家ですか。それはホーネットさん達でも全ては把握していないものなのですか?」

「えぇ、残念ながら。いくつかは知っているのですが、全てとなるとさすがに……」

 

 魔人ケイブリスは最古たる魔人であり、それでいて臆病な魔人。

 最古たる魔人だからこそ魔物界の事を誰よりも知っていて、臆病な魔人だからこそいざという時に身を隠す巣穴を用意しており、その全貌はホーネット派も把握しきれていない。

 

「仮にケイブリスが隠れ家に逃げ込んだ場合、捜索には相当難儀する事となるでしょう。勿論その場合は本拠地と派閥を捨てて逃げるのですから、勝敗は決まったようなものなのですが……」

「ふむ。けどなぁ、最後はやっぱしケイブリスの野郎をぶっ殺さないと締まらねぇよなぁ」

「それもそうなのですが……ランス、貴方はあと二ヶ月以内にケイブリスの事を倒すと、カミーラにそう約束したのだと言っていませんでしたか?」

 

 そんな言葉を受けてランスは「あー、そういやそうだな」と思い出したように呟く。

 ここでケイブリスに逃げられた場合、派閥戦争の勝敗はともかくとして、カミーラとの約束を守る事が困難になってしまう。

 ランスとしてはそれは困る。今後再びカミーラの事を抱く為にも、稼げる好感度はちゃんと稼いでおきたい所である。

 

「そっか。そうなると逃げられるのはマズいな」

「けれどそれは中々難しい問題ね……。あのケイブリスが逃げ出すかどうかなんて、それこそケイブリス次第だとしか言えないし……」

 

 自らの力で戦うか戦わないか、それを決めるのは結局の所本人次第。

 普通に考えれば派閥の主たる者、最後は自ら立ち上がるのが責務だと考えそうなものだが、しかし相手は6千年もの時を生きる魔人ケイブリス。普通の考えが通用するような相手ではない。

 ここは一旦苦汁を飲んで姿を隠し、また時を伺って再起を図ろうじゃないか。とそんな考えを抱く可能性だって十分あり得る。

 

「……ぬぅ、あのクソリスめぇ……出てきたら出てきたで面倒臭いのに、出てこないなら出てこないで面倒臭いとは……」

「文句を言っていても仕方ありません。出来れば何か……ケイブリスを戦場に引っ張り出すような何かがあれば良いのですが……」

 

 最強とはいえ性根が臆病なリス、魔人ケイブリスを巣穴に逃げ込ませない方法。

 本人次第だとはいえ、それでも何かケイブリスの意思を後押しするような方法。

 

「……ふむ」

 

 そんな方法について、ランスにはちょっとした心当たりがあったのか。

 

「……ケイブリスを戦場に引っ張り出す方法か。別にねー事もねーけどな」

「え?」

「確かこのへんに……ほら、これとかどうだ?」

 

 ズボンのポケットをごそごそと探って。

 そこから取り出したとある代物、それをこの場にいる3名の女性陣に見せてみた。

 

「……ランス、貴方は……」

「うわぁ、さすがにそれはちょっと引くわね……」

「……確かに、趣味が悪いと思います」

 

 すると女性陣からは不評の嵐、全員が嫌悪感を表すかのようにその顔を顰めた。

 

「というかランスさん、何故そのようなものをポケットに入れているのですか?」

「いやほれ、この前久しぶり会ったからちょっと見返したくなってな。とにかくこれは効果大だと思うのだが、どうだ?」

「それは……そりゃ間違いなく効果はあるでしょうけど……」

 

 それに対する心理的抵抗、道義的な問題はともかく、有効性に関しては認める所で。

 シルキィが控えめに頷けば、ホーネットも頭の痛そうな表情のまま答える。

 

「……そうですね。それを見ればケイブリスは間違いなく逆上するはずです。その怒りのままに戦場に出る可能性も無いとは言えないでしょう」

「だよな。試してみる価値はあるよな」

「ですが私には……それは少々劇薬過ぎるように思えてならないのですが……」

「だいじょーぶだって。なんせヤツは7年以上も戦場に出てきてねーんだろ? だったらこれぐらいは挑発してやらねーとな」

 

 ニヤリと笑うランスが手に持つもの。

 それはかの魔人にとって最愛の相手、魔人カミーラが写っている写真。

 つまりランスの考えた一手はいつかの時と同じ、カミーラの写真をケイブリスに届ける事。

 

 しかし以前とは異なる点が一つある。

 それは肝心の写真に写っている光景。以前の写真にはカミーラの首元に魔剣カオスを突き付けた衝撃的なシーンが写っていたのだが、しかし今回の写真はそれをも超える程に衝撃的な内容。

 

「くくくっ、これを見てヤツがどんな反応するか、本当に楽しみだぜ。がはははっ! ……がーっはっはっはっは!!」

 

 その写真にはカミーラが写っていて、そしてランスも写っていて。

 カミーラは露わになった裸体を晒したまま組み敷かれ、そこにランスの手が伸びていて。

 表情を崩すまいとするカミーラの顔と、勝ち誇るランスの顔がとても対照的な一枚。

 

 それはゼスの永久地下牢、カミーラの封印を解く直前にせっかくだからと撮影した写真の一枚。

 つまりそれは、魔人カミーラとランスのハメ撮りの写真だった。

 

 

 

 



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決戦準備②

 

 

 

 

 魔物界南部にあるタンザモンザツリー。

 ケイブリス派の本拠地となる魔界都市、その都市内に設置された天幕で仕切られた一室にて。 

 

「……さて、どうするべきか」

 

 思わず呟いた言葉。

 それはケイブリス派全軍の上に立つ大元帥、ストロガノフが漏らした一言。

 

「……全く、以前の人質交換といい……」

 

 らしくもない手口を使う。と思い掛けて、それは違うかとストロガノフは考え直す。

 これは恐らく敵派閥の主、ホーネットが考えた手口では無い。あの人質交換の時に電話口の向こうにいた相手、カオスマスターなる男の手口だろう。

 

 ホーネット派の影の支配者、カオスマスター。

 その男は長らく正体不明だった。しかしここに来てようやくその姿が判明した。

 ……判明した理由は至極簡単、ここにあるそれに諸々とその姿が映っていたから。

 

「………………」

 

 沈黙するストロガノフの目の先、その手が握る一枚の写真。

 それは以前の時と同じく、ホーネットに所属する魔人メガラスによって届けられたもの。カスケード・バウの守備部隊へ投じられ、その後大元帥の元まで上げられてきたもの。

 

 届けられてすぐ、ストロガノフは警戒しながらもその中身を確認した。

 そして息の止まりそうな衝撃を受けた。これをケイブリスに見せたらとんでもない事になる。そんな確信と共に、相手の狙いを即座に看破した。

 

(……人質として軟禁されていた以上、こういう可能性も無きにしもあらずとは思っていたが……いやはや、まさか魔人四天王に手を出していたとは。なんとも豪気なものだ)

 

 その写真に映るもの。それは男と女が交わっている最中の光景。

 抵抗も出来ずに組み敷かれ、そんな中でも冷ややかな目を向けるプラチナドラゴンの魔人。

 その目付きすらも興奮を盛り立てるスパイスになるのか、勝ち誇った顔で彼女を組み敷く男。そして結合している互いの下腹部。

 そんな光景を横から写し取った写真、それが今ストロガノフの手の中にあるもの。

 

(この写真に映る男……これがカオスマスターなのだろう。見た目は人間に見えるが、何者かが新たに作った使徒だろうか。あるいは新たな魔人という線も薄いとはいえ無いとは言えんが……こればかりは実際に会ってみないと分からんか)

 

 いわゆるハメ撮り写真を眺めながら、大元帥の獅子の容貌は固く強張っていた。

 このカオスマスターなる男が何者であれ、以前の人質交換の際にはこちらとの会話口に立った所から考えても、ホーネット派の中でかなり立場の高い人物である事は間違いない。

 そして今回も同様、恐らくこの男がこの手口を考え実行したのだろう。何せ以前と狙いが同じ、相手の弱点を突くという点で一貫している。

 

(カミーラ様がこのような目にあっている写真を寄越してくる意図、それは勿論ケイブリス様を挑発する事に違いない。恐らくカオスマスターは……というべきか、ホーネット派は……ケイブリス様の事を戦場に引き釣り出したいのであろうな)

 

 この写真をケイブリスの目に入れた時、どのような反応をするかは容易く想像が付く。

 当然激怒するだろう。なにせ何千年も片思いしている相手だ。その相手が抵抗も出来ず組み敷かれている姿をみて憤激しないはずがない。

 そして肝心なのはその後の行動。そこでケイブリスはただ吠え立てて怒るだけなのか。それで終わるのなら相手の目論見は失敗だろうが……もしその怒りが到底収まらなかったとしたら。

 

(……まぁ、有効な手ではあろう。ケイブリス様の泣き所などここぐらいしかない。そもそもそこを突けば派閥の主との人質交換にすら応じると、すでに露呈してしまっているのだから)

 

 その怒りの度合いによっては、ケイブリス自らが戦場に出る事もあり得るのでは。

 配下に命じるだけでは気が済まない。自らの手でこの男を、カオスマスターを殺そうとする事もあり得るのでは、とストロガノフは率直に思う。

 

 そしてそれはホーネット派にとって、魔人ケイブリスを打ち取るまたと無い機会。

 これまで一度たりとも戦場に姿を表さず、今も尚カスケード・バウに置かれた分厚い守備部隊に守られている相手。それが向こうから戦場に出てきてくれたらこれ以上に楽な話は無い。

 

(このような手口を使ってきたという事は、未だホーネット派はカスケード・バウを突破する具体的な作戦を立てられないという事でもある。専守防衛の方針に一定の効果があるなら、ここでケイブリス様が戦場に立つ事も無いのだが……)

 

 ケイブリスが戦場に出ない事については、ちゃんとした理由があっての話。

 派閥の主が敗北した時点で終わりとなる派閥間争いである以上、その姿を積極的に危険に晒す意味は何処にも無い。むしろホーネット派の方針の方が間違っているとケイブリスなら言うだろう。

 とするならば。ここでケイブリスが戦場に出て、この写真の送り主の思惑通りの展開となるのは決して望ましい事ではない。

 

(……だが)

 

 しかしその展開は。その思惑はストロガノフにとっても共通する思考である事は事実。

 もはや開戦初期とは状況が大きく異なる。ここまで劣勢になった事実を踏まえると、この先魔人ケイブリスが戦わずしてケイブリス派が勝利する可能性はほぼ無い。

 とするならば。この写真は他ならないストロガノフこそが求めていたものでもある。

 未だ決断の下せぬ派閥の主、その重たすぎる腰を上げさせ、長らく手にしていない双剣をその手に握らせる、とっておきの劇薬となるのもまた事実で。

 

(それが向こうの狙い通りとなるのは業腹と言えば業腹なのだが……)

 

 ケイブリスを戦場に引き釣り出す為の一手を打ってきたという事は、戦場に引き釣り出したケイブリスに勝てるという公算があるという事になる。

 それがホーネットの考えなのか、それともこの男の考えなのかは不明だが、いずれにせよホーネット派の方針としてそういう事になる。

 

「……その方針が正しいのか、それとも儂の期待が正しいのか。やはりそこが争点となるか」

 

 魔人ケイブリスは最強の魔人。

 その考えにストロガノフは一点の曇りも無い。

 

 

 

 

 

 そしてその後。

 ストロガノフはタンザモンザツリーを離れ、ベズドグ山にあるケイブリスの居城を訪れた。

 

「……ケイブリス様、これを」

「あん、なんだそりゃ?」

「ホーネット派から届けられたものです。ケイブリス様宛にとの事です」

「……ヤツらからだと?」

 

 そして部屋にいた派閥の主と顔を合わせて早々、その手紙を手渡した。

 まぁ、この手紙の存在についてはいずれケイブリスの耳にも入る。疑り深いこの魔人がホーネット派から届いた手紙の存在を気に留めない事などありえないので、そもそも隠しておくなどという選択肢は選びようがなかったのだが。

 

「……なんか前にもこんな事あったな。おいストロガノフ、お前はこれに目を通したのか?」

「はい。ですが、これはケイブリス様こそが見るべきものかと」

「ふーん……」

 

 表面上は興味なさげに、しかし以前の人質交換の事もあって、内心ちょっと警戒しながら。

 

「お?」

 

 ケイブリスはその手紙を開いて。

 そこにあった一枚の写真をその眼に映した。

 

 

「…………!」

 

 瞬間、瞳孔を大きく見開いて。

 

 

「………………」

 

 最初、沈黙。

 

 

「……か、あ……」

 

 その次、声なき悲鳴を上げて、あわやケイブリスはここで息絶えそうになった。

 

 

「……こ、れは……」

「……見ての通りです。察するに、そこに写っている男が件のカオスマスターかと思われます」

「……カ、オス、マス、ター……」

 

 掠れた声で、その名を呼ぶ。

 カオスマスター。憎きホーネットをようやく捕縛したすぐ後、生意気にも自分と対等の立場かのように人質交換を提案してきたムカつく相手。

 そしてこの写真の中で、自分がものにするはずだったカミーラを抱いている罪深い相手。

 

(……つーか、コイツ……俺様との約束守ってねーじゃねーか……)

 

 思い出されるのはあの時交わした言葉。

 人質交換の際、互いの人質には指一本触れないというのが交換の条件として挙がっていた。

 だから自分はあの時ホーネットに手出しをしなかった。カミーラの身を案じてホーネットを新品のままで返したのに、向こうは指一本どころかガッツリと男性器を突っ込んでいた。

 

(……ふざけやがって)

 

 こちらは約束を守ったのに。相手は約束を守らなかった。自分の一番大事なものを汚していた。

 魔人ケイブリスにとって、これ以上の屈辱があるだろうか。

 

「……ふざけやがって」

 

 ここまで馬鹿にされた事はない。ここまでコケにされた事はない。

 込み上げるマグマのような怒り、それはすぐに許容量を越えて溢れ出た。

 

「ふッッッざけやがってぇぇええええ!!!」

 

 その叫びはまさに怒号。比喩抜きでその部屋全体が微かに振動する。

 

「ふざけやがってッ!! よくもこんな……こんな、俺様を馬鹿にしやがってぇぇええ!!」

「……っ」

 

 激情のまま出鱈目にその拳を振り回す。

 木製の机や椅子がへし折れ、拳を叩きつけた床に大きく亀裂が走る。

 その衝撃にストロガノフが思わず喉を鳴らす中、ケイブリスの怒りは到底止まらない。

 

「ブチ殺す!! コイツだけは、コイツだけは絶対にぶち殺すッ!!! おいストロガノフ、全軍を動かしてコイツをぶち殺すぞッ!!」

 

 そして怒りのままに、ケイブリス派の主としての大号令をここに発した。

 

「……全軍ですか。全軍となると、タンザモンザツリーに残してある部隊も本隊に合流させ、カスケード・バウを越えて侵攻を行うという事でしょうか」

「そうだ! もう容赦しねぇ、魔物兵は勿論、魔人共だって全員使うぞ!! ケッセルリンクのヤツにも絶対に動くよう命じろ、俺様の下にある戦力全部を使ってカオスマスターを踏み潰すッ!!」

 

 もはや敵の名もホーネットから変わっていた。

 ケイブリスの血走った目が睨むのは、憎きカオスマスターただ一人。

 

「分かりました。すぐに進軍準備を行います」

 

 そんな中、ストロガノフは派閥の主からの命に一度頷いた後、最重要となる質問を投げかける。

 

「ですが全軍という事は……ケイブリス様も出撃なさるという事ですね?」

 

 その質問に。

 

「……俺様?」

 

 ケイブリスは虚を突かれたかのように声のトーンを落とす。

 その時頭を過ぎった様々な思考。長らく行っていない敵との戦闘、この身を危険に晒すリスク、最強の自分が敗北する可能性。

 そんな思考に一瞬だけ気を削がれた後、しかし魔人ケイブリスは確かにそう呟いた。

 

「……あぁ。もう決めたぞ、俺様も戦う」

 

 それは決して理性的な思考では無く、ただ怒りのままに。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 ケイブリス派全軍を上げての大侵攻。

 その報は山を越え谷を越え、瞬く間に各地へと知らされた。

 

 

 それは魔界都市タンザモンザツリーにも。

 

「……ようやくかよ。ケイブリスの野郎、長ぇ事退屈させやがって」

 

 部下の魔物隊長から渡された指令書を読んでその魔人──レイは吐き捨てるように呟く。

 

 

 

 それは魔物界南東部、その場に似つかわしくない機械的なデザインの建物にも。

 

「……はぁ、面倒臭い。こういうのは他所でやっててほしいんだけどなぁ、ほんとに」

 

 PSシリーズの一体が持ってきた指令書を読んでその魔人──パイアールは溜息を吐く。

 

 

 

 それは魔界都市ミダラナツリー、その近辺にある魔人四天王の城にも。

 

「……ケイブリスが先に動くか。あるいはこれも奴らが手を打ったか……?」

 

 配下の下級使徒から渡された指令書を読んでその魔人──カミーラは美麗な眉を僅かに顰める。

 

 

 

 それは大荒野カスケード・バウ、その近辺にある魔人四天王の城にも。

 

「……ケッセルリンク様。これを」

「……ほぉ、全軍出撃か」

「はい。遂にケイブリス様も動かれるようです」

「……そうか。だとしたら私も戦わない訳にはいかないだろうね」

 

 メイドの一人から渡された指令書を読んでその魔人──ケッセルリンクはその目を細める。

 

 

 

 

 そして、その知らせはこちらにも。

 

 

「許さないぞーー!!」

「おぉ」

「絶対にぶっ殺してやるーー!!」

「ぬぅ」

「……と、いった感じのようです」

 

 身振り手振り身体を動かし、これでもかと怒りの表現を露わにする。

 だが心根が優しきその魔人の事、残念ながらあまり伝わってくるものが無い。聞いていたランスも曖昧に相槌を返すばかりである。

 

「……うむ、そうか」

「はい。もの凄く激怒しているそうですよ」

「けどなぁ。ハウゼルちゃんに『ぶっ殺してやるー』って言われてもあんまし迫力がねぇな」

「あ、えっと、これは私が言った訳では無く、ケイブリスが言っている事だそうでして……」

「まぁ話の流れからしてそうだろーが。けどケイブリスがそう言ってるっつっても、まさか君が直接聞いてきた訳じゃねーよな?」

「はい……実は私は又聞きというか……これは火炎が言っていた事なので……」

 

 先程の熱演が今更恥ずかしくなってきたのか、ハウゼルはちょっぴり赤くなった頬を押さえる。

 

 魔人ハウゼルの使徒、火炎書士。頭脳派使徒である彼女はホーネット派の為、ひいては主の為にとケイブリス派に対して二重スパイのような働きを行っている。

 そんな火炎書士の掴んできた超特ダネ、それがケイブリス派全軍を挙げての大侵攻計画である。

 

「けど火炎も凄いわね。全軍での進行計画なんて、よくそんな貴重な情報を入手したものだわ」

「それが聞く所によると、その情報自体は簡単に手に入ったそうです。むしろ隠す気もないんじゃないかって火炎は言っていました」

「成る程……待ち構えられる事など織り込み済み、という訳ですか。その上で私達を倒す自信があっての全軍出撃なのでしょう」

 

 シルキィの称賛にハウゼルが答え、そして相手の思惑を察知したホーネットが顎を引く。

 

 魔人ケイブリスを引き釣り出す一手、ハメ撮り写真での挑発作戦を実行してから数日後。

 情勢に変化があったと聞いて、ランス達は再び作戦会議の為ホーネットの部屋に集まっていた。

 メンバーは前と同じくホーネットとシルキィ、そしてランスとウルザに加えて、その情報を持ち帰ってきたハウゼルがここに加わっている。

 

「けど全軍での出撃となると……いよいよケイブリスが出てくるという事かしらね」

「えぇ、火炎もそう言っていました。少なくとも現段階でケイブリス派魔物兵達はそのように噂をしているそうです。……それで、これも火炎が聞いてきた噂なのですが……」

 

 そこでハウゼルはちらっと、斜め向かいに座るランスの方に視線を送って。

 

「……その、カオスマスターという男を必ず血祭りに上げると、そう息巻いているとか」

「カオスマスター……っていうと……ランスさんの事よね?」

 

 シルキィの呟きに重ねるように、その場の皆の視線がそこに集まる。

 魔人ケイブリス直々のご指名を受けた男、ランスはにぃっと不敵に笑った。

 

「そーかそーか、そこまで言うってこたぁあの写真の効果は絶大だったって事だな、がははは!」

「……ランスさん、あまり笑い事では無いと思うのですが」

「その通りです。貴方が言う通りあの写真の効果は確かにありましたが……こうなると少々効き過ぎてしまった感は否めません」

 

 ランスの身を案じたウルザの言葉に、ホーネットも異なる視点から同意を見せる。

 この状況下においてケイブリスに逃亡、あるいは潜伏を許してしまった場合、魔人カミーラとの密約の条件である二ヶ月以内に派閥戦争の決着というのが困難となる。

 そこで今回ケイブリスを逃さぬようにと、挑発して戦場に引き釣り出す一手を打ったのだが、全軍を挙げての侵攻を誘発してしまったとなるとそれはそれで話が変わってくる。

 

「向こうから攻めてくる以上、こちらも迎え撃たない訳にはいきません。そして向こうが全軍を挙げてくるとなれば、当初想定していたよりもこちら側の守りを厚くする必要があるでしょう」

「そうですね。向こうの戦力は魔物兵に加えて魔人が5人……あ、でもカミーラが動かないでいてくれるなら4人かしら? まぁそうは言ってもその中にケイブリスやケッセルリンクがいるとなると、こっちも相応の戦力を当てないといけませんね」

「えぇ……ホーネット様、こうなるとゼス国から迂回して奇襲を仕掛ける作戦の中止も検討した方が良いのでは……」

 

 元々予定していたのは敵の陽動を行い、その間に迂回した奇襲部隊が背後を突くという作戦。

 しかし敵が全戦力を挙げて侵攻してくる中、こちらの戦力を分けるというのはリスクがある話。

 派閥間の戦力差が殆ど無くなった現状、こちらも総戦力で以て迎え撃つのもありと言えばあり。そんな思惑からのハウゼルの言葉に、しかしランスは大きく首を横に振る。

 

「いーや、それでも奇襲はやるぞ。だってその方が面白そうだからな」

「面白そうって、ランスさん、そんな理由で……」

「けれども理由はともかく、方針としては間違っていないのも事実です。迂回して相手の背後を取る、それで挟撃が出来れば有利な状況となるのは違いありませんからね。勿論、防衛部隊が相手の攻勢をある程度受け止められる事が前提となりますが……」

 

 戦力を分けるというのはリスクがある、とはいえ勿論メリットもあるとウルザが言う。

 手薄となった本拠地を制圧してしまえば補給線を絶つ事になるし、前と後ろ双方に敵がいるとなれば相手の足並みだって崩れる。

 戦に当たって策を弄する。それはホーネット派本来の方針とは異なるもの。しかしその方針によってこれまで多くの難敵を倒してきたのも事実。

 だからこそ、派閥の主たるホーネットは納得の上でそれを決めた。

 

「……そうですね、ならばやはり奇襲作戦は実行する事にしましょう。私は面白みなどは気にしていませんが、個人的に()()()()()()()()もあるので。……ただそうなると、戦力の配分が何よりも重要となりますね」

 

 カスケード・バウ、及びビューティーツリーに展開してケイブリス派の侵攻を防ぐ防衛部隊。

 一方ゼス国から迂回してケイブリス派領域に侵入、タンザモンザツリーを制圧する奇襲部隊。

 

 この内防衛部隊の方にはホーネット派に属している全魔物兵達が加わり、奇襲部隊の方にはゼス国から精鋭部隊を借りる予定でいる。

 となると残る戦力、何よりも重要な戦力となる魔人達の振り分けが肝要となる。

 

「まずシルキィ、貴女は……」

「はい、分かっています。私はこちら側、防衛部隊ですね」

 

 打てば響くと言うべきか、ホーネットが言葉にし終える前にシルキィは即答で応じた。

 その戦力的にも性格的にも、魔人シルキィの本領は守備にこそある。彼女が守備部隊に加わるのは極自然な流れ、二人にとっては当然の事であって今更問答するまでもない事。

 

「問題は残りの魔人達ですね。……ハウゼル、貴女はどっちで戦いたいかしら?」

「私もどちらかと言えば防衛部隊の方ですね。私は戦場が広い方が戦いやすいですし、それに魔王城に近ければもしかしたら姉さんも協力してくれるかもしれませんから」

「あぁ、それは確かにね。そうなると残りはホーネット様とサテラ、ガルティアとメガラスをどう分けるか……」

「向こうの魔人は4人。当初の予定よりもこちらに残す戦力を増やすとなると……」

 

 それぞれが思案げな表情でテーブルに置いた作戦地図、その上に乗る各部隊を示す駒を眺める。

 

「もぐもぐ……うむ、中々ウマいな」

 

 とそんな中、ランスは一人お茶菓子を手にとってパクリと一口。

 こういう時には悩んだ末の結論よりも、パッと思い浮かんだ閃きに乗っかる。

 これまでそうしてきたのがランスであり、だからこそ彼我の戦力あれこれどうこうは考えず、率直に頭に浮かんだ思考をそのまま口にした。

 

「よし。ならホーネット、お前は俺様と一緒に奇襲部隊に来い。んで残りの奴らは全員こっちに残って防衛部隊として戦え」

「……私が奇襲部隊の方に、ですか……」

 

 魔人ケイブリスの侵攻を前にして、真っ向から当てるべき派閥最強の戦力をあえての裏側。

 単に背後からの奇襲といってもその刃が半端なものであれば効果は薄い。その点背後からあの魔人ホーネットが襲い掛かってきているとなれば、どんな相手も動揺せずにはいられないはずだ。

 とそんなノリの思考、相手の裏をかくのが好きなランスらしい思考である。

 

「どうだ、なんか問題あるか?」

「……どうでしょう、私は構わないのですが……シルキィ、貴女の意見としては?」

「そうですね、こちらとしてもそれだけの戦力を防衛に回してくれるなら正直言って助かります。けどランスさん、そっちは大丈夫なの?」

「心配すんな。最強の俺様とホーネットがいれば問題など無い。それにカミーラの話じゃ奴らの本拠地は殆どもぬけの殻になっとるそうだしな」

 

 ランスの言葉に各々が頷いて、こうして作戦の大筋が固まってきた。

 ケイブリス派全軍を上げての大侵攻。それをシルキィ、サテラ、ハウゼル、ガルティア、メガラスと魔物兵達からなる守備部隊が迎え撃つ。

 その間にホーネットとランス率いる奇襲部隊はゼス国から迂回して、手薄となっているタンザモンザツリーを制圧する。

 その後カスケード・バウへと南側から攻め込み、残る敵軍を挟撃して撃破する。

 

「奇襲部隊の進路には殆ど敵が居ないと見込まれる以上、問題はやはりケイブリスとの決戦。そしてもう一つ、守備部隊がどれだけケイブリス派の攻勢を抑えていられるか、でしょうかね」

「だな。おいシルキィちゃん。そっちにはホーネット以外の魔人を全部残してやるんだから、そりゃもうビシバシ働けよ。最低でもケイブリス以外の雑魚魔人共はそっちで片付けておくよーに」

「そりゃ私だって出来たらそうしたいけど。でもケイブリス以外といっても、ケッセルリンクは言うまでもなく強敵だし、レイとパイアールだって決して侮れる相手じゃないから……片付けておけるかどうかは正直言って確約出来ないわね」

 

 魔人は強い。勿論こちらの魔人も強いのだが、それでも相手の魔人だって強い。

 ホーネット派とケイブリス派は過去何度も衝突を繰り返し、しかしランスが派閥戦争に参加するまでお互いがお互いの魔人を倒した例は一つもない。

 だからこそのシルキィの言葉に、ランスは待ってましたとばかりに口の端を曲げた。

 

「くっくっく……安心しろシルキィちゃん。俺様には秘策があるのだ」

 

 魔人は強い。だからこそ簡単には倒せない。そう考えてしまうのがシルキィ他ホーネット派の面々なのだが、しかしランスだけは違う。

 何故ならランスはこれまでに沢山の魔人を退治してきた。その数は軽く十を越え、シルキィが先程挙げた名前、今のケイブリス派に残る魔人達全員だって一度は自らの手で討伐した。

 魔人は確かに強い。けれど戦い方次第で倒せる。何故なら自分は最強の英雄だから。それがランスの考えであり、過去に一度討伐経験のある彼だからこそ打てる策というものがある。

 

「秘策?」

「そ。ケイブリスと戦うとなりゃ他の雑魚魔人共とも戦うかもしれんと思ってな。賢い俺様は奴らをぶっ殺す秘策をすでに準備しているのだよ。……なぁウルザちゃん?」

「……えぇ。言われていたものはすでに取り寄せていますが……しかし……あのようなものが魔人との戦いの場で必要となるのですか?」

「なるなる。絶対なる」

「……?」

 

 何やらよく分からないが、ランスは魔人退治に有効な一手をすでに打っているらしい。

 だがそれを手配したらしきウルザの表情はなんとも微妙な感に溢れていて、事情を知らぬホーネット達にはその表情の理由が気になった。

 

「勿論秘策はケイブリス用のだってあるぞ。あの間抜けリスにあっと言わせるとっておきがな」

「ケイブリス用の秘策? ……それはまたカミーラの写真のようなものなのではありませんか?」

「ちゃうちゃう、今度はもっとマジのヤツ、お前も知っとるあれだ。……つまりな、ここまでは全て俺様の計画通りなのだよ」

 

 今まであらゆる強敵を策に嵌めて倒してきた男、ランスはどこまでも強気に笑っていた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そしてその後。

 その日の作戦会議は終了し、それぞれがホーネットの部屋を退出する中。

 

「……ん?」

 

 皆に続いて部屋からお暇しようとしたランス。

 けれどソファから立ち上がった瞬間、視界の端に映ったホーネットの表情が。

 何を考えていたのか、その口元には微笑が。けれどもどうしてか切なげに見えるその表情が、何故かランスは無性に気になった。

 

「……どした?」

「え? あぁ……」

 

 何を聞かれているのか分かったのか、するとホーネットはふっと口元を緩ませて。

 

「……二ヶ月も無かったなと、そう思いまして」

「あん? ……あー、そうだな。確かに二ヶ月もいらんかったな」

 

 それはカミーラとの密約。そしてランスが城に帰還してすぐ彼女に告げたタイムリミット。

 当初は先程の奇襲作戦を、それに伴うケイブリスとの決戦を二ヶ月以内に行う予定でいた。しかしこうして向こうが立ち上がった以上、開戦の時期をこちらが選ぶ事は出来ない。

 相手は準備を終え次第、全軍を挙げて侵攻してくる。となるとこちらも早急に軍を動かさなければならない。残された時間はあと一週間あるかどうか、そんなところだろうか。

 

「けどまぁ、早まる分には問題ねーだろ。こっちも戦争の準備はちゃんとしてたっつー話だし」

「……そうですね。確かに貴方の言う通り、早まる分には何も問題ありません」

 

 その言葉は。

 それは何も知らぬが故のもの。

 自分の気持ちを何ら知らぬが故の言葉に、ホーネットは確と頷いた。

 

「えぇ、何も問題はありません。……すでに、覚悟は出来ていましたから」

 

 

 

 

 

 



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決戦準備③

 

 

 

 大陸の西、魔物蔓延る魔物界の地。

 その地でLP1年より、以降7年間に渡って繰り広げられてきた戦争、派閥戦争。

 その何度目かとなる両派閥の衝突の足音が──最終決戦となる戦の足音が魔物界を揺らす。

 

 進撃するのはケイブリス派。

 その全軍を挙げての大侵攻、それはこれまで一度たりとも実現しなかった事。

 派閥の主の大号令に急き立てられるかの如く、その準備が猛スピードで行われて。

 

 一方それを迎え撃つホーネット派。こちらも防戦の準備が着々と進められる。

 戦場となる大荒野カスケード・バウに一番近い魔界都市、ビューティツリーに集結する防衛戦力は派閥のほぼ全軍に近い規模。百万に近い魔物兵達の上に5名にも及ぶ魔人が君臨する。

 

 そして防衛戦力には含まれない僅かな面々。それは人間世界を迂回して敵の背後を突く、この最終決戦の勝敗の鍵を握る奇襲部隊。

 派閥の主であるホーネットを含む、ランス主導のそちらの部隊の準備も抜かり無く行われて。

 

 魔人ケイブリスがあの写真を目にして、怒りのままに全軍侵攻を決意してから10日程。

 ランスがこの派閥戦争に参加してから10ヶ月程、いよいよその時が迫ろうとしていた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 コンコンと聞こえたノックの後、ランスの部屋のドアが開かれる。

 

「ランスさん、お待たせしました」

「おうウルザちゃん、どうだった?」

 

 部屋に入ってきたのはウルザ。

 どうやら彼女が来るのを待っていたらしく、室内にはランスの他にも数人の姿が──ランスが人間世界から連れてきた面々が皆揃っていた。

 

「ホーネットさん達と話してきました。こちら側の準備は全て整ったとの事ですので、やはり当初の予定通りになりました」

「ふむ。てことは明日か」

「はい。明日の早朝、私達奇襲部隊は魔王城を出発して人間世界に向かう事になります」

 

 いつも通りに、あるいはいつにも増して真剣な表情でウルザはそう告げた。

 遂に決まった最終決戦、その出発の日時は明日。移動距離や進路から逆算した日程、必要な準備に掛かる日数などを考慮して、事前に予定していた通りで問題無し。その事をウルザは改めてホーネットやシルキィと確認してきたようだ。

 

「明日か……いよいよ来たって感じね」

「そうですね……分かっていた事なのになんだか緊張してきちゃいました……」

 

 事前に予定していた通り、とあるように、明日出発というのは前から決まっていた事。

 なので今更一同の顔に驚きは無い。けれども明日がもう出発の日なのだと再認識して、間近に迫る戦いの事を考えたのか、かなみやシィルの表情には緊張が浮かんでいた。

 

「にしてもようやくヤツらとの決戦か。ここまで長らく掛かっちまったぜ」

「私達がこの魔王城にやって来てから~……およそ10ヶ月程度、でしょうか。確かにこれまでランス様としてきた冒険の中でも、こんなに時間が掛かったのは初めてかもしれませんね」

「そーだな、今回はかなり長かった。……つーか待てよ、10ヶ月って事は~……」

 

 そこでランスは「ひ~、ふ~、み~……」と両手の指を使って何事かを数え始めて。

 

「……やっぱりだ。もしかしなくても前回より時間が掛かってんじゃねーか」

 

 ランスだけが知っている前回の第二次魔人戦争。それはLP7年の10月頃からランスが総統となって活動を開始し、その後魔人ケイブリスを討伐したのが翌年の4月頃。

 つまり掛かった期間は約半年。半年足らずで魔軍を壊滅させた前回と比較すると、すでに10ヶ月を過ぎた今回は確かに時間が掛かっていた。

 

「ぬぅ、これは何故だ? 今回の方が敵が少ない分楽チンなはずなのに……。いや、けどその分今回はあんまし切羽詰まってなかったってのはあるか。考えてみりゃ前回は最初からヤバい状況だったし、その分真面目に戦っていたのかもしれんな」

「前回、ですか?」

「というか待てよ。前回はそもそもホーネットにあんな苦労しなかったってのはあるな。あーそうだそうだ、全てはホーネットだ、あいつが悪い。あいつが強敵過ぎたからこんなに時間が掛かってしまっただけで、別にケイブリス派を倒す事に手間取った訳では無いのだ、うむうむ」

「……ねぇランス。よく分からないんだけど一体それって誰になんの言い訳をしているの?」

 

 前回だとか今回だとか。その辺の事情を知らないシィルやかなみは不思議そうに首を傾げる。

 唯一ウルザだけはその事情を知っているのだが、前にランスとこれは秘密だと約束した為、そこに口を挟む事は無かった。

 

「とにかく、だ。とにかくここまで長かったが、それでもこの派閥戦争にもやっとこさ終わりが見えたって訳だ」

「ですね、ランス様。魔物界の派閥争いに参加するなんて最初はどうなるかと思いましたが……」

「そういえば、最初は三人だけで魔物界に乗り込んだんだっけ。なんだかもう懐かしいな。今考えてもとんでもない真似だったわね」

 

 彼等の旅の始まりはLP7年の2月1日から。

 諸事情によりランスが過去に戻ってきた。そして同じ轍を踏まぬように先んじてケイブリスを退治してしまおう、そして前回の時に抱き損ねたホーネットをものにしよう。そう考えたのが始まり。

 そこでランスはシィルとかなみを連れてヘルマン国の番裏の砦へと出発。そこでサテラとシルキィと接触し、ホーネット派と協力して戦う事となった。

 

「魔物界もそうだけど、最初はこの城の中だって怖くてロクに出歩けなかったのに、今じゃ普通に暮らしてるんだもん。慣れって凄いわね」

「ですねぇ、こっちに来た当初は色々と怖くて大変でした……そう言えば、ウルザさんがこちらに来たのは私達が来てすぐでしたよね?」

「えぇ、そうです。魔人退治に必要だからとの事でランスさんから声が掛かりました。……簡単に魔人退治なんて言ってしまえる事も、それを実現してしまうのもランスさんの凄い所ですね。それからの活躍は本当に見事だったと思います」

 

 魔王城へと到着して、派閥の主である魔人ホーネットとの再びの顔合わせを済ませて。

 その後軍師として必要なウルザを呼び出して、ランスが魔人を討伐する準備が整った。

 

 最初に標的としたのは魔人ガルティア。

 前回の知識を総動員して考えた所、この魔人はとてもお手頃な相手だった。

 香姫から特製のお団子を配達して貰い、ガルティアを見事にホーネット派へと寝返らせた。

 

 次の相手となったのは魔人バボラ。

 これは唯一ランスが何ら手を出さなかった戦い。だからランスは今でもその詳細は知らない。

 バボラはシルキィとホーネットの奮戦によって、ペンゲラツリーの地で討伐された。

 

 その後、ホーネット派にとって最大の窮地が訪れる事となる。

 死の大地を踏破しての奇襲を受けて、派閥の主たるホーネットが捕らえられてしまった。

 けれどもそこでランスが魔人カミーラとの人質交換を思い付き、あわや敗北の危機を逃れた。

 

 その次に戦ったのは魔人メディウサ。

 戦場となったのはシャングリラの地。ランスがホーネットと二人だけで向かった場所。

 魔人筆頭と共に力を合わせてメディウサを倒し、この先美女が犠牲になるのを食い止めた。

 

 その次の戦いは侵攻してきた魔人ワーグ。

 見知らぬ相手のワーグが女性だという事を知り、ランスはシルキィと共に前線に向かった。

 レベル不足や禁欲など色々あったが、最終的に心を解されたワーグは戦いからリタイアした。

 

 そしてその次は記憶にも新しい魔人レッドアイ。

 ホーネットと引き分けるような強敵だったが、様々な策を弄して誘き出す事に成功。

 最終的にはほぼタイマンの形となった戦いをランスが制して、レッドアイを見事に討伐した。

 

 以上が足掛け7年に渡る派閥戦争にて、ランスが参戦してから起こった主な出来事。

 ランス個人の活躍としては計四体の魔人討伐と派閥の主の救出。それは当初劣勢だったホーネット派を優勢の状況まで盛り返す、ウルザが言う通りに実に目覚ましい活躍の数々である。

 

「確かに何体もよく魔人を倒したわね。けれど正直言って私には殆ど実感が無いんだけどね」

「あ、それ実は私もです。私もレッドアイと一度戦っただけですから……」

「ま、お前らは殆どおまけというか、ぶっちゃけ居ても居なくても大差無い存在だからな。肝心なのはこのランス様ただ一人なのだ、がはははっ!」

「あ、あはは……、けどランス様、それでもさすがに次の戦いは私達も全員参加なんですよね?」

「うむ、その通りだ。だよなウルザちゃん?」

「そうですね、次はもう決戦ですから、私達は奇襲部隊に参加する事になります」

 

 そして残る戦いは一つ。

 ケイブリス派本拠地タンザモンザツリーの制圧。そして魔人ケイブリスの討伐を残すのみ。

 

「……決戦かぁ。ランスにこんな事聞いても意味無いかもしれないけど……勝てるのよね?」

「アホ、んなもん当たり前だろ。この俺様があんな雑魚リス風情に負けるかっての」

「まぁそう言うと思ってたけど。でも私が聞いた話じゃ魔人ケイブリスってのはメチャクチャに強い魔人らしいわよ?」

「俺様はそれ以上に強いから問題無い。それにこっちにはリス退治の秘策もあるしな」

「秘策?」

「うむ。ほれ、そこに」

 

 その顎でくいっと、ランスが指し示した場所。

 かなみ達が座るソファの背後、そこにはいつの間にか出現していたその秘策が。

 

「じゃん。私がその秘策なのです。えへん」

「わっ! い、いたのシャリエラちゃん?」

「はい、シャリエラいたのです」

 

 どうやらそこに居たらしい。その秘策の名はシャリエラ・アリエス。

 ランスがシャングリラから連れ帰ってきた少女、踊りの得意な自称人形の少女である。

 

「そういえば……シャリエラちゃんには特別な能力があるとかないとか……秘策というのはその事なのですか、ランス様?」

「そのとーり。こいつの踊りこそがケイブリス打倒の鍵だ。いよいよお前の真の力を披露する時が来たって訳だ、なぁシャリエラよ」

「はい、御主人様。シャリエラ踊るの得意。この踊りで皆さんの役に立ってみせます」

 

 人形らしく無表情を貫きながらも、シャリエラはふふんと得意げな様子で。

 踊り子LV2となるシャリエラの踊り。対象を絶好調にするその踊りが戦況を一変させてしまう程の劇的な効果がある事は、前回の時に他ならない魔人ケイブリスとの戦いによって実証済み。

 前回の戦いでは土壇場でシャリエラの力を借りたものだが、しかし今回は初っ端からその力をフルに使ってケイブリスを確実に始末する。それがランスの用意したとっておきの秘策となる。

 

「あそーだ。かなみ、今回はお前にも大事な役目があるぞ」

「私に役目? それってどんなの?」

「気になるか? けどまぁそれはのちのちのお楽しみって事で」

「え、ちょっと何で、今教えてよ。そんなふうに言われたら気になっちゃうじゃない」

 

 そして秘策とはシャリエラだけではなく、かなみという存在もまた別の秘策の一部であって。

 しかしその後どれだけ問い詰めても、ランスがそれを教えてくれる事は無かった。

 

 

 

 

 そしてその後。

 ランス達は出発を明日に控えて、それぞれ思い思いの一日を過ごした。

 

 この10ヶ月間近くを暮らしてきた魔王城。

 見知った者達と共に食事を楽しみ、多くの魔物が浸かる風呂に当たり前のように浸かって。

 

 そして夜はランスが楽しむ時間。

 今日も今日とて食べたい相手を食べたいように、思いのままにたっぷりと楽しんで。

 

 

 

 

 そして、翌日。

 

 

「ランス、こちらは終わりましたよ」

「だとよ。おいシィル、とっとと荷物を積み込め」

「分かりました。……んしょ、いしょっと……」

 

 出発の朝。

 ホーネットがいち早く全ての支度を終える。

 ランスも頷き、全ての支度を任されているシィルがせっせとその手を早める。

 

 城門前に停められている二台のうし車。もう間も無くその荷造りが完了する。

 後はそれに乗って魔王城を出発。ゼス国の首都ラグナロックアークへ向かう予定となる。

 

「ホーネット様、いよいよ出発ですか」

 

 とそこに声が掛かった。

 振り返ればそこには魔人シルキィ、そして魔人サテラと魔人ハウゼルの姿も。

 どうやら彼女達は派閥の主の出立を前に、最後の見送りに来たようだ。

 

「えぇ、私達はもう出なければ。聞く所によるとゼス国まではこのうし車を使用しても結構時間が掛かるそうですからね。シルキィ、貴方達は……」

「私達もそろそろ出ます。ケイブリス派の様子は今もメガラスが監視してくれていますが、もう動き出すのも間近といった感じらしいですからね」

 

 超高速で空中を移動出来る魔人メガラス。彼が上空から目を光らせている事により、ホーネット派が敵に先手を取られる事はまず無い。

 その働きによって今回もケイブリス派の動きが逐一伝えられていた。メガラスによればその予兆はもう目に見えて分かる程らしく、あと数日で戦端が開かれるだろうとの事である。

 

「戦力を二つに分ける以上、問題はこちらとそちらの連携が密となるか、でしょう。と言っても私達は常に移動する事となるので、おそらく苦労するのは貴女達の方でしょうが……」

「任せて下さい。昨日試してみましたが、とりあえずはあれで問題無いと思います。ウルザさんが良いものを貸してくれて助かりました」

 

 これよりホーネット達は出発し、奇襲部隊と防衛部隊は離れた場所で戦う事となる。

 作戦の大目標が敵を挟撃する事である以上、両部隊が息を合わせる事が肝要。特に奇襲部隊はここを発った後はケイブリス派の動向がまるで分からなくなってしまう為、ウルザが提供してくれた遠距離用魔法電話によって連絡を取り合う事となっていた。

 

「あの電話機もそうですが、いざとなればメガラスがすっ飛んでいくと言っていましたから、連絡に関しては問題無いと思います。ですから後はお互い健闘するのみかと」

「……そうですね」

 

 シルキィの言葉にホーネットは静かに頷く。

 そしてこれまで共に戦ってきた仲間達、それぞれに一度ずつその目を合わせて。

 

「……サテラ、ハウゼル、シルキィ。そちらの事はくれぐれも頼みます」

「はい!」

 

 派閥の主からの命に、三人の魔人達がそれぞれ力強く声を重ねた。

 

「ホーネット様! 防衛部隊の事はサテラ達に任せて下さい! そちらが奇襲を仕掛けるまで必ずやケイブリス派の侵攻を止めてみせます!」

「向こうよりこちらの方が魔人は多いですからね、そう簡単にやられたりはしません。私も微力ながら全身全霊を賭けて戦います」

「えぇ。ですのでこちらの事は心配せず、ホーネット様は目の前の戦いの事だけを考えていて下さい」

「……勿論です。貴女達防衛部隊の事に関しては何も心配などしていません」

 

 ホーネット派結成当時から自分に付き従って来てくれた、共に苦難を乗り越えてきた関係。

 そんな仲間からの心強い言葉を受けて、ホーネットがその表情を僅かに緩める。

 

「おいホーネット、シィルの支度が終わったってよ。……っておぉ、お前ら居たのか」

「あ、うん、貴方達の見送りにね」

 

 するとその様子に気付いたのか、少し離れた別のうし車の下に居たランスが近付いてくる。

 

「ホーネット様は勿論だけど、ランスさん達も頑張ってね。この戦いは貴方達奇襲部隊の活躍に掛かっているようなものなんだから」

「ふっ、任せとけシルキィちゃん。奇襲は俺様の超得意技だからな、あの馬鹿リスに目にもの見せてくれるわ、がははははっ!」

「えぇ、期待してる」

 

 奇襲部隊の先頭に立つランスの強気な言葉に、シルキィが柔らかく微笑む一方、その隣のサテラは何処か不満そうに頬を膨らませていた。

 

「……むぅ。ランスはそっちでサテラはこっち……サテラはランスの主なのに……」

「サテラ、貴女まだその事を言っているの? 奇襲部隊より防衛部隊の方が戦力を厚くする必要があったんだから仕方無いでしょう?」

「それは分かってる。……いいかランス、しっかり戦ってこい。……死ぬんじゃないぞ」

「あたりめーだ。俺様が死ぬかっての。ハウゼルちゃんも頑張れよ」

「はい。次にランスさん達と会う時はホーネット派が勝利した時ですね」

「だな。……あ、そーだそーだ忘れてた」

 

 ランスはポンと手を鳴らして、ポケットの中からゴソゴソと何かを取り出す。

 

「はいこれ、俺様の考えた秘策のメモ。シルキィちゃんに渡しとくな」

「あぁ……そう言えばこの前、向こうの魔人を倒す秘策があるとかって言ってたわね……」

「そ。なんせそっちは俺様抜きだからな、きっと苦戦するだろうと思って用意してあげたのだ。それさえありゃ雑魚魔人共との戦いなど楽勝だ。必要な道具は俺の部屋にあるから好きに使っていいぞ」

 

 それはランスの頭の中に残っていた情報、言わばケイブリス派魔人打倒マニュアル。

 しっかりと折り畳まれたメモ書きを手渡されたシルキィは、それを大事そうに受け取って。

 

「……そっか、なら有効に使わせて貰うわね。ありがと、ランスさん」

「うむ。俺様の勝利の為、誠心誠意働くように。……んじゃホーネット、そろそろいくか」

「えぇ、そうですね」

 

 そして遂に出発の時間が訪れる。

 ホーネット派の主たる魔人ホーネット、そしてランスとその一行がうし車に乗り込む。

 

「よーし、では出発だっ!!」

 

 目指すは人間世界、魔法大国ゼス。

 ランスの号令と共にうし達が動き出し、魔王城の姿があっという間に遠ざかっていった。

 

 

 



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決戦準備④

 

 

 

 

 その日の朝、奇襲部隊の面々はうし車に乗って魔王城を出発した。

 ランスとシィル、ウルザとシャリエラ、そしてホーネットを乗せた車はなげきの谷を通過して番裏の砦を越え、人間世界へと足を踏み入れる。 

 途中途中、休憩や夜を越す度に魔法電話で防衛部隊の方と連絡を取り合いながら数日間、ヘルマンを横断してバラオ山沿いを通って南下、アダムの砦からゼス国へと入国。

 

 それから更に進路を進めて、やがて一行の乗るうし車が停車した。

 一先ずの目的地として到着したのはゼス国首都、ラグナロックアークにある王宮前。

 

 

「あ、ランス達が来たみたいね」

「おぉ、ようやくか! ランス、待っていたぞ! わっはっはっは!」

「ぐ、相変わらず無駄にバカデカい声を……」

 

 仲間達を連れて宮殿に入るや否や、聞こえてきた男の大声にランスが顔を顰める。

 

 そこに居たのはゼス国の王女、マジック・ザ・ガンジー。

 そしてマジックの父親であり国王、ラグナロックアーク・スーパー・ガンジー。

 どうやら二人はランス達からの連絡を受けて、こうしてその到着を待っていたようだ。

 

「ガンジー王、それにマジック様も。お待たせしてしまい申し訳ありません」

「気にしないでいいわ。……それにしても、ウルザ達と会うのも久しぶりな感じがするわね」

「そうですね、以前にお会いした時は落ち着いて話せるような雰囲気ではありませんでしたから……とはいえ、それは今回も変わらないのですが」

「……そうね」

 

 ランス達がガンジー親子と顔を合わせるのは4月中頃、人質交換の際に訪れた時以来。

 およそ8ヶ月ぶりとなった再会を懐かしんでいる暇も無く、すぐにマジックがいつも以上に真面目な表情で口を開く。

 

「話はすでに聞いているけど、なんだかとんでもない事になったわね、まさか魔人に協力して魔物界への侵攻を行うなんて……」

「確かに間違いなく前代未聞ではあろう。だがランスよ、お前はその必要があると判断して、その為にゼスの力が必要だという事なのだな?」

「うむ。ケイブリスをぶっ殺すのにはこっちから進んだ方が色々手っ取り早いのだ。ホーネット派に協力してるっつーのは前にも話したろ?」

「あぁ。だがその派閥の主と会うのは初めてだ。どうやらその方が……」

 

 そこでゼス国王と王女の視線がランスの隣に。

 こうして相対した当初から強い存在感を放っていた、見知らぬ絶世の美女へと向けられる。

 

「……えぇ」

 

 話が自分の方に向いたのを見てか、ホーネットが自ら一歩前へと進み出た。

 

「……私がホーネット派を率いる頭首、ホーネットと申します。此度はケイブリス派打倒の為、貴方達人間の助力を心より感謝します」

 

 常の丁寧な口調で謝意を表し、腰を軽く曲げてお辞儀をする。

 

「……っ」

「ぬぅ……」

 

 その所作からは何ら害意など感じないのに、それでも二人は数秒押し黙ってしまった。

 至って普通にしていてもその目付きから、あるいはその姿から鮮明に伝わってくるものがある。

 魔王城で長らく暮らしてすでに慣れている者達ならともかく、初対面となる者は誰であろうと本能的な恐怖を感じて気を引き締める。魔人筆頭とはそれ程に威圧感のある存在で。

 

「おいホーネット、お前あんまりマジック達を脅すなって」

 

 そんな竦んだ様子のマジック達を見かねてか、ランスが助け舟を出した。

 

「脅すなどと……私は至って普通に挨拶をしただけではありませんか」

「だからお前はその普通がもう怖いんだっつの」

「……そんな、事は……」

 

 そんな事は無いはずです、とホーネットはぽそりと小声で呟く。

 

「がははは、そうビビるなガンジー親子ども。確かにこいつはちょー強くて怖い魔人だが、それでも危険なやつでは無いのだ。……な?」

「えぇ、その通りです。私には貴方達を害する意思などありません」

「そうそう。それに何より……だ」

 

 そう言ってランスはにやりと笑うと、その魔人の細い腰をおもむろに抱き寄せる。

 

「あ、……」

「この通り、ホーネットは俺様の女だからな。がーっはっはっはっ!」

 

 それはもう自慢げに、その場にいる誰に対しても見せびらかすように。

 実にイイ顔で笑いながら、ランスお得意のこいつは俺の女宣言。

 

「………………」

 

 その宣言に対してホーネットはどのような反応をするのか、何と言葉を返すのか。

 ランス以外の皆の視線、ぐっと息を飲むガンジー親子のみならず、遠巻きからその様子を眺めるゼス国兵士達の視線なども集めながら。

 ホーネットは若干の沈黙の後、その視線をそっと横に逃して。

 

「…………まぁ」

 

 とだけ答えた。

 何とも含みを持たせる返事だが、それがこの場で出来るホーネットの精一杯である。

 そしてそれは魔王城で暮らしていた面々、シィルやウルザやシャリエラにとってはすでに何となく知っていた事なのだが、そうでは無い者達にとってはやはり衝撃的な返事だった。

 

「……ぐ、う……ランスの隣にいる美人を見た時からそんな気はしてたけど……」

「成る程……一応それもウルザから報告を受けてはいたのだが。いやはやなんとも……ランス、お前は本当に計り知れない男だ」

 

 新たな強敵の出現に唸るマジックの一方、ガンジーは感嘆の響きで呟く。

 たとえ相手が魔人であっても、それが魔人筆頭であっても関係無し。美女とあればランスは構わずその手を伸ばし、失敗も多くある一方で見事その手に宝を掴む時もある。

 魔人の心を射止める事、それはある意味単に討伐するよりも価値のある事。常人にはとても真似できない、魔人を決して恐れないランスならではミラクルである。

 

「うむ、そういう事ならここで私が口を挟む事など何もないな。ランス、そしてホーネット殿、我がゼスが誇る魔法部隊の力を存分に使ってくれたまえ」

「……有難うございます」

「けっ、俺様が救ってやったゼスの力を俺様が好きに使うのは当然だっつの。つーかお前ら、ちゃんと準備は出来てるんだろーな?」

「当たり前でしょ。すでに雷軍、光軍、氷軍はマジノラインの方に移動してあるわ」

 

 事前にウルザからの連絡を受けて、魔法大国ゼスが誇る精鋭部隊、通称四軍はすでに配置済み。

 勿論ゼス軍には四軍以外にも一般的な魔法使いの部隊が幾つも存在しているが、しかし魔物界への突入とあっては生半可な戦力では役に立たない。

 故に今回ゼスが提供するのは軍の中で最強の戦力たるゼス四軍、その内リーザスへの備えとして外せない炎軍を除いた計三軍となる。

 

「こちらの準備に抜かりは無し、なので後は我らがマジノラインへと向かうだけだ。明日にでも魔物界へ突入する事が出来るだろう」

「うむ、ならば良し。……けど我らっつー事は……おいガンジー、まさかお前も来るつもりか?」

「当然だとも。他ならぬランスがゼスの戦力を借りて魔人と戦うと言うのだ、ならばこの私も力を振るわぬ訳にはいくまい」

「いらん。付いてくんな」

「いいや。断られても付いていく」

「勿論、私も一緒に行くからね」

「……お前ら王と王女だろうに。ならまーいいけど、足だけは引っ張るんじゃないぞ」

 

 けれどゼスの王族は暇なのか? とランスは内心少し首を傾げる。

 するとそんな暇人疑惑の上がった王族、ガンジーは妙に硬い表情で口を開いた。

 

「だが……ランスよ、今回使用するのは本当にゼスの戦力だけで良いのか? リーザスなどもお前が声を掛ければきっと力を貸すだろう、そちらの戦力もあった方が良いのではないか?」

「いらんだろ別に。こっちにはホーネット派最強の魔人もいるし、なにより俺様がいるからな」

「しかし……ここは各国に声を掛けて、人類の力を結集して戦うべき時だと思うのだが……」

「いらんと言っとるだろ。大体各国の戦力なんて呼び寄せている時間が無い。カスケード・バウの方ではもう戦いが始まる間近らしいからな、俺達も早く出発しねーと」

 

 勝率を1%でも上げようと言うなら、当然ながら少しでも戦力を多くした方が良い。

 その意味ではガンジーの言う事はなんら間違っていないのだが、しかし今からヘルマンやリーザスに動いて貰うのには時間が足りない。

 そこには異を唱えようが無く、ガンジーとしても引き下がるしかなかったのだが。

 

「……ふうむ、そうか。ならば仕方ないが……これが後の火種とならねばよいのだが」

 

 魔物界への侵攻。それは未だ人類が一度もなし得ていない偉業。

 そこには当然大きな危険が伴うが、その分成功すればこの上ない声望を得られる。

 それをゼス国が単独で行った場合、他の国々が、特にリーザスのあの女王がどう思うか。ガンジーの頭にはそんな憂慮があったのだが、さりとて時間が無いと言われては打てる手も無かった。

 

「さてと、そんじゃマジノラインへ──」

 

 出発だー、との言葉を遮るようにして、

 

「その前に。ランス、今度こそスシヌに会っていってよね」

「ぬ……」

 

 口を挟んできたマジックの言葉に、ランスは途端にしかめっ面となった。

 

「……スシヌ?」

「そう、スシヌ」

「……いや、けど、ほれ、今は時間が無いと言っとるだろう」

「前来た時もそう言って会ってくれなかったじゃないの。ちょっと会うだけでいいから」

「つっても時間が無いのはマジなのだ。だから~……そう、帰りだ、それは帰りにしよう」

「帰りぃ?」

「うむ」

「……分かったわ、なら帰りは絶対に、ぜーったいに会って貰うからね!」

「お、おぅ……」

 

 覚えてたらな、とランスがぼそりと呟いて、覚えてなさいよ! とマジックの叱責が飛ぶ。

 相変わらず子供との接触は嫌がる男、ランスはスシヌ王女と会う事は後回しにする事を決意。

 

「……スシヌ?」

 

 とそんな中、ホーネットは誰に聞かれる事も無くその名を呟いたのだが。

 幸か不幸か、この時のホーネットがそれを知る事は無かった。

 

 

 

 

 その後、時間が無いという事もあって一行は休む暇も無く王宮を出発。

 ランスとシィル、ウルザとシャリエラとホーネット。そこにガンジー親子が加わった一行は再度うし車に乗り込んだ。

 

 これは冒頭から二回ほど述べている事だが、今回ここに居るメンバーは以上の通り。

 よく見ると誰か一人忍者が足りないような気もするが、それはともかくとして一行はゼス国西の端、人間世界と魔物界を区切る境界線へと向かった。

 

 魔法要塞マジノライン。魔法の力によって魔物の侵攻を防ぐ絶対防衛線。

 到着した頃にはすでに日も落ちていた為、本日は要塞内に部屋を借りて一泊。魔物界への出撃を明日に控え、ランス一行は休息を取る事にした。

 

 

 

 そして夜。

 

「……ふぅ」

 

 背もたれのある椅子に腰を下ろして、ホーネットは小さく息を吐いた。

 そこは彼女に与えられた宿舎内の一部屋。先程全員での夕食を食べ終わって、その後宿舎内にあったシャワーを借りて身体を流した。

 後は明日に備えて身を休ませるだけとなった今、ホーネットは自然と瞼を閉じる。

 

「……明日」

 

 明日、この奇襲部隊はマジノラインを越えて魔物界へと突入する。

 ホーネット派が長らく侵攻出来なかったエリア、ケイブリス派領域の奥深くへと進む事になる。

 

 それは人間であるランスが思い付いた方法で、多くの人間達の力を借りて行う作戦。

 もはや受け入れているし、もはや慣れきった事でもあるのだが、それでもこの自分が、人間など取るに足らない存在としか見ていなかったこの自分が、とそんな思いを抱かずにはいられない。

 

(……私がそんな思いを抱く事も、ランスと出会った事による影響なのでしょうが)

 

 ランスと出会って自分は変わった。変えられてしまったと言い換えてもいい。

 その事もそうだが、今ここでこうしている事も。ケイブリス派領域への突入を明日に控える段階まで来られたのも、ランスが協力してくれたからこそ。

 人間世界の国を簡単に動かしてしまう事といい、改めて凄い人物の協力を得られたものだと思う。

 

 ──そう。ランスの協力を得て、ランスの力を借りて……明日。

 

 ケイブリス派領域へと突入して、敵の本拠地タンザモンザツリーを制圧して。

 そうしてカスケード・バウへと向かったら、いよいよケイブリスと決着を付ける時。

 

(……そして)

 

 そして。その後。

 その後、魔人ケイブリスとの決着の後に待ち受けるであろう事。

 その先の事へとホーネットの思考が触れかけた、ちょうどその時。

 

 コンコン、と聞こえるノック音も無く。

 勿論ながらどうぞ、と答える間もなく、向こう側から勝手にドアが開かれた。

 

「よう、ちょっといいか」

「……ランス、どうしました?」

 

 そんな横着な真似を仕出かす者といえば一人しかおらず、部屋を訪れたのは勿論ランス。

 ホーネットは腰を下ろしていた椅子から立ち上がって、そのそばへと近づいていく。

 

「ホーネット、これが決戦前夜だ」

 

 そうして真正面から顔を合わせた途端、ランスはそんな事を言い出した。

 

「……決戦前夜?」

「うむ、決戦前夜だ。だって明日には魔物界に乗り込む事になるだろう?」

「えぇ、そうですね」

 

 明日はもう魔物界へと乗り込む。それは先程からホーネットが考えていた通り。

 その為の準備も終えて、後はもう就寝して明日を待つだけなのだが。

 

「ですが……決戦前夜というのは違うのでは? 距離的に考えても明日に進めるのはミダラナツリーまで。ケイブリス派の本拠地タンザモンザツリーを制圧するのはその翌日になるでしょうし、決戦の地であるカスケード・バウに着くのは更に翌日になると思いますが」

 

 予定している進行計画を振り返りながら、ホーネットはそんな指摘をする。

 明日の進軍はミダラナツリーまでで、決戦を行う予定は無い。明日の内にタンザモンザツリーまで辿り着くのも不可能とは言えないが、そうなるとかなりの強行軍となってしまうし、更にその先、大荒野カスケード・バウまで明日の内に辿り着くのはまず不可能。

 故に今夜は決戦前夜ではない。その指摘は至極真っ当なものだったのだが。

 

「確かにそれはお前の言う通りかもしれん。けど明日からはずっとテント泊まりだろ? だからこの部屋にあるようなベッドでゆっくり眠れるのは今日が最後になるのだ」

「まぁ……それはそうですね」

「うむ。だから今日が決戦前夜なのだ。もうそういう事にした」

「……そういう事にした、と言われてもよく分からないのですが……まぁいいでしょう」

 

 それでも今日は決戦前夜らしい。

 ランスはもうそのように決めたらしい。

 

 しかしてそれがどのような意味を持つのか、理解しているのは現状その男のみで。

 ホーネットは考えた事が無かったのだが、決戦前夜とは単なる一夜ではなく特別な意味を持つ。

 

「……それで? 今日が決戦前夜だとしたらどうだと言うのですか?」

「うむ、だからホーネットよ、セックスするぞ」

「………………」

 

 やはりというかなんと言うか、その口から次いで出てきた言葉はセックス。

 実のところ、この男がこうして自分の部屋に来た時から何となく予感していたのか、沈黙するホーネットの瞳に動揺は見られなかった。

 

「……ランス。その『だから』というのは、一体どの言葉に掛かっているのでしょうか」

「だから決戦前夜だ。今日が決戦前夜だからセックスするのだ。決戦前夜は誰かしらの女とセックスをする、決戦前夜とはそういうものなのだ」

 

 うむうむ、としたり顔で頷くランス。

 決戦前夜。それは宿敵との決戦を明日に控え、そんな中で女とセックスをする神聖な夜。

 時に選択を間違えて何故か男と語り合ってしまう事が稀によくあるのだが、それは無視。とにかくランスにとって、決戦前夜とセックスはイコールと言っても差し支えないものなのである。

 

「そういうものだ、と言われましても……」

「おーっと、駄目だぞホーネット、これに関しては拒否はノーだ。決戦前夜は女とセックスする、これはもうそうと決まっているのだ、口答えは許さん」

 

 これはある種予定調和的な流れであり、その点に関して反論は一切受け付けない。

 そんな無理矢理過ぎる理屈に、ホーネットは何を思ったのか。

 

「……そうですか」

 

 数秒だけ考える仕草を見せた後。

 

「……分かりました。では、どうぞ」

 

 途端にすっと半身を引いて、ランスを部屋の中に招き入れる意思を示した。

 

「あり?」

「どうしました?」

「いや、こんなにすんなりとオッケーが出るとはちょっと意外だった」

 

 どうやらランス自身も無茶苦茶な理屈で押している自覚があったらしい。

 もっと粘られるんじゃないかと思っていた為、こんなにすんなりと、いつにも増して聞き分けの良いホーネットの姿に、こりゃラッキーだなと思う反面、あれ? と首を傾げる思いもあった。

 

「それとももしかしてお前もその気だったか? がははは、そうなのだな?」

「そういう訳ではありませんが……」

 

 けれど、とホーネットは呟いて。

 

「決戦前夜とは、そういうものなのでしょう?」

「あ、あぁ、まぁな」

「でしたら……そうする他にないでしょう」

 

 そう言って目を合わせたホーネットの表情、あるいは声色、伝わってくる雰囲気のようなもの。

 この時はまだランスも確信が持てなかったが、確かにそれは普段の彼女とは少し異なっていた。

 

(続く)

 

 

 

 

 



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決戦前夜

 

 

 

 そして、決戦前夜の夜は更けていく。

 一つのベッドに二つの身体、共に一糸纏わぬ身体を何度も交わらせて。

 

 決戦の前夜とは得てしてそういうもの。だからその作法に則ってセックスをする。

 そんなよく分からない理屈に抗う事なく、ホーネットはその身体を相手に委ねた。

 その様子には少々引っ掛かるものがあったが、とはいえ委ねられたランスとしては是非もない、それを余す所無く味わう事だけに没頭して。

 

 

「ぽへー……」

 

 やがて性交が終わって、今は眠りに就く前のほんの僅かな一時。

 ランスの隣にはホーネットが、未だ熱を帯びているその身体が確かに横たわっている。

 

「……なぁ、ホーネット」

「……どうしました?」

「ちょっと気になったのだが……今日のお前はいつもとはなんか違う気がするぞ」

 

 微かに上気しているその顔を見ながら、ランスは先程から引っ掛かっていた事を尋ねてみた。

 

「私のなにがどう違うと?」

「どうっつーか……なんか今日のお前、随分と積極的だったではないか」

「……そうですか? 別にそんなつもりは……」

「いーや、絶対にそうだった。今日のお前はこれまでよりもエロチックだった」

 

 今日のホーネットは何かが違う。本日のセックスはいつもとは違って、彼女の方から求めてくる気配がそこかしこに見られた。

 前に禁呪を使った時のように決して淫らになっているという訳では無いのだが、どうにも情感的というか、濃密というか。

 そもそもセックスに至る前、あんな適当な口説き文句でベッドイン出来た事からして、いつもとは何かが違うとランスは感じていた。

 

「今日のお前は……なんかいつもより柔らかいっつーか、いやいつも柔らかいんだけど、なんかもっと深みがあるというか……エロエロというか……」

「……柔らかい? 身体に触れた感触がですか?」

「いや、身体もそうなんだけど……なんかこう接し方っつーか……雰囲気? とにかく今日のお前はなんかが違う気がする」

 

 何が、と具体的な差異はよく分からない。あえて言うならば全体的に醸し出す雰囲気か。

 そんなあやふやな指摘を受けて、けれどホーネットにも少しだけ思い当たる事があったのか。

 

「……雰囲気、ですか……。そうですね……そうかもしれません」

 

 一音一音自らの思いを確かめるかのように、ゆっくりとそう言葉にする。

 すると分かる。確かに今の自分はいつもと違う。いつもとは異なる自らの心情、それを吐露する事にいつもより抵抗がない。

 

「やはり決戦前夜だからでしょうか……意識してしまっているのかもしれませんね」

「ははーん、なるほどな。さすがのお前と言えども決戦前となりゃ緊張するってか」

「これを緊張と呼ぶのかは分かりませんが……それでも普段の私と違う事は確かなようです。柄にも無い事だとは承知していますが」

 

 今日は決戦前夜。

 =セックスだと考えるランスは稀なケースで。

 一般的に決戦前夜となれば、もう間近に迫る決戦を意識してしまうもの。

 

 そして──その決戦が終わった後の事も。

 

 

「……もうすぐです。もうすぐ長かった派閥戦争にも決着が付きます」

「そうだな。勿論俺様の大勝利で、だ」

「ランス、そこはせめてホーネット派と言って欲しいのですが」

「んなのどっちでも変わらんだろ。とにかく勝つのはホーネット派を率いるこのランス様なのだ」

「私の名を冠する派閥を率いるのが貴方というのはおかしな話ですが……けれど、そうですね。なんにせよ勝つのは私達です」

 

 そして、とホーネットは呟いて。

 

「派閥戦争に決着が付いたら……貴方とこうする事も最後となるでしょうから」

「……あん?」

 

 こうする事も最後となる。その言葉は実に嫌な響きでランスには聞こえた。

 その言葉が意味する所もそうなのだが、なによりもホーネットの口調から伝わってくるものが、その言葉を確信を持って言っているように聞こえたのが気に障った。

 

「おいホーネット。なにを言うとるか、こうするのが最後だなんて……あ、お前まさかあれか? この戦いにケリが付いたら俺様から逃げられるとでも思ってんじゃねーだろうな」

「……えぇ。そう思っています」

「アホ。んな事は許さんぞ、お前みたいな良い女をこの俺様が手放す訳ねーだろう」

 

 ただでさえ絶世の美女な上、途方もない苦労の末にようやく手に入れた念願の相手。

 その言葉通り手放してなるものかと、ランスは抱き寄せる腕の力をぐっと強める。

 

「手放すもなにも……この戦いが終わったら、貴方は元居た場所に帰るのでしょう」

「む。まぁそりゃいつかは帰るだろうが……けどそん時はお前も持って帰る。魔物界みあげとして荷物袋に入れて持って帰るからな」

「……ランス、私は物ではありません」

 

 もの扱いされてもそこは気にせず、むしろホーネットは苦笑するようにそう呟いて。

 

「私は物ではなく、魔人です。そして貴方は人間。……私達は住む世界が異なります」

 

 魔人が住むのは世界の西側、魔物界。そして人間が住むのは世界の東側、人間界。

 その境界は各国が建てた堅牢な砦により厳重に仕切られている。それがこの世界の姿、彼女の父親が創り上げた秩序ある世界の姿。

 

「一度貴方が人間世界に帰ればそれが最後、きっともう会う事は無いでしょう。……いえ、むしろもう会わない方が良いとさえ思います」

「おい、だからなんでそうなるんだっつの。住む世界がどーした、そんなもん無視して現に俺はお前を抱いているだろうが。お前が魔人で俺が人間だとかどうとか、んなこたなんも関係無いのだ」

「……関係ありますよ」

「いーや無い。無いったら無い。この戦いに勝ってもお前の事はこれまでと変わらず抱くからな。もうそう決めた」

 

 あるいはその言葉は、少し前までであれば彼女も嬉しく感じたのかもしれない。

 けれど──今はもう決戦前夜。ここに来るまでにすでに覚悟を固めており、故にこそその言葉は今のホーネットには響かない。

 

「無理ですよ。派閥戦争などあくまで魔物界の中だけの戦争です。この戦いに勝ったからとて世界の理が変わる訳ではありません」

「世界の理?」

「えぇ。この戦いに勝ったからとて……それで美樹様の問題が解決する訳ではありませんから」

「……ぬ」

 

 それを告げられた時、ランスは即座に返す言葉が口から出なかった。

 それはある種ここまでランスが目を背けてきた、見ないようにしてきた問題。

 それでも決して無視する事は出来ない問題──現魔王来水美樹のリトルプリンセスへの覚醒。

 

「私達がこうしていられる時など、美樹様が魔王として覚醒していない今だけの事です」

「………………」

「ですが早晩……きっと近い内に美樹様は魔王として覚醒なさるでしょう」

 

 それは来水美樹に魔王として世界を治めて貰う事を目的とするホーネット派、その頭首としての期待からではなくて。

 むしろそれが世界の有り様だと──必然の事だと言うかのような口ぶりで。

 

 ホーネットは魔人筆頭。魔王の最も近くで仕える事を役目とする存在。

 そしてリトルプリンセス、つまり覚醒した魔王とは彼女の父親を除いて基本的に人類の害悪。

 近々魔王が覚醒するとして、そうなったら当然魔人筆頭たる自分の負うべき使命も変わる。それがどのようなものになるかは覚醒したリトルプリンセス次第とはいえ、きっとロクなものではない。

 だからこそ、この先はもうランスに会わない方が良いとさえホーネットは感じていた。

 

「……美樹ちゃんが……魔王になるって?」

「えぇ、そうです」

「……んな事はまだ分からんだろう。あの子はここまで覚醒せずに何とかしてきとるではないか。だからこの先だって……この先ずっと覚醒しないでいられる可能性だって十分あるはずだ」

「……いいえ。おそらくそれは不可能でしょう」

「だからそんなの分かんねーだろ。どうしてそう言い切れるのだ、なにか根拠でもあんのか」

 

 その言葉は当然「根拠はありませんが……」と返してくれるのを期待してのものだったのだが。

 しかし魔人にとって魔王とは絶対の存在。現状未覚醒の美樹が絶対の存在たるリトルプリンセスになるかどうかについて、ホーネットは根拠も無しに憶測を語るような性格はしていない。

 

「勿論、私なりの根拠はあります。……それは父の事です」

「父? それって……魔王ガイだっけか?」

「えぇ、先代魔王ガイ。先代とあるように、魔王というのは代替わりをする存在です。これが人間に知られている事なのか分からないので一応補足しておきますと、一代の魔王に与えられている任期はちょうど千年となります」

 

 魔王の任期は千年。その任期を何事も無く終えた場合、魔王は新たな魔王へと代替わりをする。

 そして彼女の父、魔王ガイはその在任期間を何事も無く終えようとしていた為、代替わりする為の新たな魔王の存在を必要としていた。

 

「父は晩年、魔王の力を引き継がせる後継者探しに奔走していました。あらゆる手を尽くし、最終的には異世界にまで手を伸ばして、そこで美樹様を発見して後継者としました。ですが……」

 

 その先を言葉にしていいのかどうか、ホーネットは一瞬躊躇ったように見えた。

 だがすぐに意を決したのか、すっと細めた目線を上に、今はもう遠い何処かを眺めるようにしてその先を語りだす。

 

「私は……私は可能であれば、あのまま父上に魔王を続けてほしかった。最終的に父上の在任期間は千と十五年。あの時すでに本来の任期である千年をとっくに過ぎていましたからね」

 

 もし在任期間を越えても構わないのなら。それでも魔王としてあり続けられるのなら。

 だったら後継者など探さなくても、父がそのまま永遠に魔王であり続ければいいのでは。

 ホーネットはそう思っていた。そう──願っていたのだが。

 

「ですが……どうやらそれは叶わぬようでした。その後父上は美樹様に魔王の力を継承して……そして亡くなりました。その時に私は思ったのです。魔王に定められた仕組みというべきもの、魔王の力というのは魔王自身にさえも抗えぬものなのだと」

「………………」

「ですから……このまま美樹様が魔王への覚醒を拒み続ける事も不可能だと思うのです。もしそれが許されるのなら……父があのまま魔王であり続ける事だって許されたはずですから」

 

 父親である魔王ガイの最後に触れて感じた事、それがホーネットの持つ根拠。

 

「……ほーん、まぁお前の言いたい事は分かった」

 

 そこはランスが立ち入れぬ領域の話であって、当然そこには反論の余地など無い。

 だがそれでも、それでも魔王の覚醒というのは容易く受け入れる訳にもいかない話で。

 

「けどな、けど~……そう、仮に美樹ちゃんが覚醒するとしてだ、それでもどうなるかはまだ分からんだろう。なんせあんなに優しい子だ、魔王になっても優しい性格のままかもしれんではないか」

「それは……」

「……なんだよ」

「……いえ。そうですね、そうだといいですね」

「……だろ?」

 

 優しい性格の魔王。それを聞いてそっと目を伏せたホーネットはおろか、ランス自身でさえも言ってて虚しい言葉だなと感じていた。

 何故ならランスはすでにそれを知っているから。数年前JAPANに居た頃、リトルプリンセスとして覚醒しそうになった美樹と対峙した経験がある。

 その時のいざこざでシィルは氷付けにされた。あれがリトルプリンセスなのだとしたら、優しい性格の魔王などとは到底思えるものでは無い。

 

「……まぁ、期待は期待として、考えるべき事は考えねばなりません。一般的に魔王というのは人類を虐げるものです。私も美樹様が父上の遺志を継いで秩序ある統治を行ってくれる事を期待してはいますが……現実には難しいでしょう」

「……かもな」

「えぇ。ですからすぐにとは言いませんが、きっといつか美樹様は魔王となって……その時には必ずこの世界の有り様が変わる事となるでしょう」

 

 今の暦はGI歴ではなくLP歴。つまり魔王はすでに代替わりをしている。

 未だ美樹は覚醒を拒んではいるものの、しかし本来ならすでに世界の有り様は今とは違うものに、代替わりした新たな魔王リトルプリンセスが望む形へと変わっているはずで。

 

 そしてその時はいずれ必ず訪れる。ホーネットはそう思っている。

 だからこそ先程告げた通り、こうしていられるのは今だけで──別離の時は必ず訪れる。

 

 

「ですから……」

 

 するとそれまで仰向けでいたホーネットは、言いながら少し体勢を変えて。

 

 

「今はその……ほんの一時の間のこと」

「お?」

 

 その手を反対側の肩まで伸ばして、相手の身体ごと包み込むかのように。

 

 

「こうして貴方が隣にいる事も……」

「おい、ホーネット……」

 

 その顔を近付けて、吐息がその首元に掛かるまでの距離に。

 

 

「そして、私がこうしたいと思う事も」

 

 更にはその足まで動かして、自らそれを相手の足に絡めさせるように。

 

 

「……全ては今だけの事。この気持ちはほんの一時の間の……錯覚のようなものです」

 

 僅かな隙間すらも余さず、ホーネットはランスの事を抱きしめる。

 その口で語る言葉とは裏腹に──決して離れまいとするかのように。

 

 

 これは全てほんの一時の間だけの事。だからホーネットは自らの想いに封をした。

 ランスの事が好きだという気持ち、それを言えない言葉として外には出さないようにした。

 いずれ別離するのが分かりきっているのに、そんな言葉を伝えた所で意味が無いなと感じたから。

 

 そうして自らの想いに封をして、だからそれを望む事すらも抑えようとした。

 前にランスからどんな望みでも叶えてやると言われた時、望もうとする想いはあった。それは別になんでもよくて、趣味としている詩集の朗読を聞いて欲しいだとか、それこそ一緒に城内を散歩してみたいだとか、本当に小さな事でもよかった。

 けれどもそれすら望まなかった。何かを望んで、より離れ難くなってしまうのが嫌だったから。

 

 そんなホーネットの想いについて、言葉にはしなくても伝わってくるものがあったのか。

 

「………………」

 

 そうして抱きしめられたまま、ランスは何も言う事が出来なくなってしまっていた。

 彼女の方から密着してきた事、初めてとなるそれに少なからず動揺したのもあるのだが、何より先程ホーネットが告げた思い、それに対して返すべき言葉が何も思い付かなかった。

 

「………………」

「……ふふっ」

 

 するとそんなランスを見てか、珍しくホーネットが小さく笑った。

 

「どうしました? そのように沈黙するなんて貴方らしくもない」

「……む、別にそんな事はないぞ。俺様はどんな時も俺様なのだ。つーかホーネット。むしろ今はお前の方がらしくないと思うぞ」

「ふふっ、そうですね」

 

 本当にらしくも無く、ホーネットは再び柔らかな微笑を浮かべる。

 

「……貴方の言う通りですね、今日の私はいつもとはなにかが違うようです。明日の私が今の私を振り返ったら目を覆いたくなるかもしれません」

「ほう、だとしたらそん時のお前の反応はさぞ見ものだろうな」

「でしょうね。けれど絶対に見せませんから」

 

 明日の自分は後悔するかもしれないが、少なくとも今の自分はそうは感じない。

 決戦前夜という今だけの不思議な心境、それをある意味好機だと感じたのか、次いでホーネットは普段ならまず言わないであろう事を言い出した。

 

「……ねぇランス。少し愚痴を聞いてもらってもいいですか?」

「愚痴?」

「えぇ、愚痴です。……いえ、愚痴というより……正しく言うならば懺悔でしょうか」

 

 懺悔というわりにはその顔に悲壮感は無く、むしろ穏やかな笑みを浮かべていて。

 それはずっと胸に秘めていた、気心の知れた関係であるサテラ達にも話した事の無い、けれど不思議と今ランスにだけには話したくなった想い。

 

「本当は……本当は全て私のせいなのです」

「お前のせい? ……って、何がだ?」

「ですから全て、です。今の魔物界が荒れている事も、魔王への覚醒を拒んだ美樹様が人間世界に逃亡している事も……更には貴方が今ここでこうしている事も、全て私に責任があります」

「あん? そりゃどーいうこっちゃ」

「本当なら私が魔王になっていたという事です。父はその為に私を作ったそうですから」

 

 前述の通り魔王ガイは晩年、魔王の力を引き継ぐ後継者探しに奔走していた。

 だが後継者候補は中々見つける事が出来ず、そこでガイは考えた。魔王の子供であれば、魔王の力を引き継ぐ事が出来るのではないか、と。

 そうして多くの女性との性交を繰り返し、その果てに生まれたのがホーネットとなる。

 

「……ですが、父の思惑通りにはならなかった。私は魔王にはなれなかった。私には魔王の力を引き継ぐ才能が無かったのです」

「……よく分かんねーんだが、魔王になるっつーのは才能が必要な事なのか?」

「えぇ。才能、あるいは素質……言い方は様々ですが、とにかく私には何かが欠けていたのです」

 

 ホーネットは魔王になる為の『何か』を持たずに生まれてきた。ガイは我が子にその力を引き継がせるのを諦め、最終的に異世界にて発見した後継者にその力を引き継がせる事にした。

 それが次元3E2で発見した少女、来水美樹。しかし美樹は魔王の力など望んではおらず、覚醒を拒んで逃げ出してしまった。

 

「美樹様が魔王にならなかった事、それが派閥戦争の原因となるのですが……そもそも美樹様にそのような責を負わせずとも、他の者が魔王になれていれば良かっただけの事だとは思いませんか?」

「……ま、それはそうかもな。美樹ちゃんは異世界から連れてこられただけな訳だし」

「えぇ。ですからもし私が父の期待通りに魔王の力を引き継げていれば……そうであれば、美樹様に今のような苦労をさせる事もなかった。そして勿論ながら派閥戦争なども起きなかったでしょう。いくらケイブリスといえど覚醒した魔王に歯向かえるはずがありませんからね」

「……ふむ」

「そして派閥戦争が起こらなければ、貴方が私達ホーネット派に協力する必要も無く、今ここでこうしている事も無かったでしょう。ですから全て……全て私の責任なのです」

 

 それがホーネットの抱えていた懺悔。話し終えた彼女はふぅ、と大きく息を吐く。

 魔王になる才能、素質が無かった事。それは彼女の意思どうこうで左右出来る事では無い為、一概に全ての責任があるとは言えず、見方によってはそういう見方も出来るというだけの話。

 とはいえホーネット自身はそういう見方をしているらしく、だからこそのその思いには懺悔という名が付けられて。

 

「……そうか。……うむ、そうだな、あ~……」

 

 告解を聞き入れたランスは神父などでは無い為、どのように答えればいいのかよく分からず。

 

「……まぁなんだ。ホーネットよ、お前も色々あるみたいだけど……元気出せって」

「……ふふっ、それは慰めているのですか?」

 

 あまりにも軽い、けれども確かな気遣いを感じるその言葉に、ホーネットはまた笑みを零した。

 その言葉は遠い昔、今隣にいる人に良く似た相手から掛けて貰った言葉と同じだったからだ。

 

「……そういえば、父上もあの時……」

 

 自分が魔王になれないと知った時、父の期待に応える事が出来ないと知った時。

 自らに失望し、酷く落ち込んでいた自分の一方、奔放な性格をしている時の父には気にした様子も無く、元気を出せと言ってこの頭を撫でてくれた。

 思惑とは違って我が子が魔王の力を引き継ぐ事が出来ないと知っても、それでもガイの態度は何ら変わらず、それまでと同じように常に厳しく、時に奔放な愛情でもって接してくれた。

 だからこそホーネットにとって、魔王ガイは尊敬すべき魔王であり父親だった。

 

「……けど、魔王になる才能か」

 

 とホーネットが遠い昔の父の記憶を思い返していると、ふいにランスがその口を開く。

 

「それがお前にはねーのに、あの美樹ちゃんにあるってのも不思議な話だな。ぶっちゃけあの子よりはまだお前の方が魔王っぽいと思うのだが」

「……ぽい、というのは関係無いと思いますが……けれどもそうですね。美樹様に魔王としての適正があるというのは不思議といえば不思議です。けれども事実、私は魔王になれず美樹様はなれた。父が長年掛けて探し求めていた点から見ても、とても希少な才能なのだと思います」

「……ほーん」

 

 魔王になる才能、あるいは素質。それは長年探し求めても見つけられないとても稀有なもの。

 そんな話を聞いて、何を思ったのか。

 

「……でも、だったら俺様は魔王になれるっつー事なのか」

 

 ランスは突然そんな事を言い出した。

 

「……ランス、何故そのような考えに?」

「だって才能がありゃあ魔王になれるんだろ? だったら俺様は間違い無しだ。なんせ俺様はあらゆる才能に恵まれた奇跡のような男だからな」

「……あらゆる才能に恵まれた? そうは言いますが貴方は攻撃魔法を使えないのでは? それにヒーラーの適正も無いと見受けられますが」

「うるさい、昔はそれだって出来たのだ。とにかく俺なら絶対魔王になれる、なんせ俺はちょーが付く天才なのだからな」

 

 自分は天の才を持つ男、故に魔王になる為の才を持たぬはずがない。

 そんなランスの言を受け、しかしホーネットは訝しむようにその眉根を寄せる。

 

「……どうでしょう、私は……貴方にも魔王となる適正は無いと思います。貴方にそれがあるのなら父上が貴方を後継者としているはずですからね」

「いーや、ある。お前の親父はきっと俺様の存在に気付かなかったのだ」

「いいえ、ありません。父上がそのような見落としをするはずありません」

「あるったらある。ホーネット、自分が魔王になれんかったからって拗ねるなっての、がははは!」

「別に拗ねている訳ではありません。拗ねる理由などありませんから」

 

 それは双方共に根拠など無く、その会話は言わば冗談や軽口みたいなもので。

 だからこそホーネットもそれに乗って、本当に拗ねているかのように少し口元を尖らせる。

 

「けれど……ランスが魔王に、ですか。もし仮に貴方が魔王などになったら、きっとこの世界は大変な事になってしまうでしょうね」

「かもな。俺様が魔王になったら……そうだな、まずは世界中の美女を一箇所に集める、んで毎日毎日違う女を日替わりで楽しむのだ。ぐふふふ~、どうだ、実に魔王らしいだろう?」

「……そうですね。自らの思いのままにこの世界を弄ぶ、それが魔王らしいというのはその通りだと思います。その意味では世界を自らの意思で二分して治めた父の行いだって同じ事ですからね」

 

 この世界の支配者らしく、何にも縛られずに自由奔放に生きる。

 それは確かに魔王らしい姿と言える。とはいえその力の規模が桁違いとなる以上、それに巻き込まれる方はたまったものではない。

 特に父が作り上げたこの世界、秩序ある今の世界を受け継ぐ新たな魔王としては尚更。

 

(そういう意味では……ランスでは父のお眼鏡に適う事は無かったかもしれませんね)

 

 もし仮にランスに魔王となる才能があって、父がランスの存在を知っていたとしても、きっと後継者には選ばなかったのではとホーネットは思った。

 秩序ある今の世界を引き継ぐのにランスでは性格的な面であまりにも不適格だ。才能がある事と支配者たる資質があるかどうかは別の話なのである。

 話に聞いた事がある父の先代魔王、あらゆる人間国家を滅ぼした魔王ジル。そういう性格の魔王であればランスのような奔放な性格の者を後継者に選んだかもしれないが。

 

(けれど……それも考え方次第でしょうか)

 

 しかし、とそこでホーネットは考え直す。

 支配者たる資質とはいっても、何もあらゆる面で魔王が際立っている必要は無いのではないか。

 

 例えば父。魔王ガイ。それはホーネットの知る限り、厳格な側面と奔放な側面を併せ持ったまさに理想的な魔王と言えた。

 ランスは奔放な時のガイに似ていて、豪快さとか、直感で物事を選ぶ決断力とか、そういった面は優れている。一方父のような厳格な側面は見えず、奔放な分理知的な思考に欠けているのも事実。

 とはいえそれはランスが併せ持つ必要は無く、周囲の者がそれを補えば良いだけの話。その為に魔王には配下として24体の魔人が居るのだから。

 

(……そうですね、別に魔王が必ずしも完璧である必要は無いのでしょう。理知的な思考を埋め合わせるだけならば他の者にだって出来るはずです。……それこそ例えば……私、でも)

 

 翻って自分はどうか。

 もし自分が魔王になっていたら、きっと理知的で厳格な魔王となっていた。その自信はある。

 しかし自分には父やランスのような豪快で奔放な側面は欠片も無い。ランスと比較して決断力に劣ると言われたら頷くしか無い話で、だとしたら自分もやはり何かが欠けた魔王となっていたはずだ。

 

 けれども自分は魔人筆頭となった。魔人筆頭とは魔王の一番近くで魔王を補佐する存在。

 理知的で厳格な面しか持ち合わせない自分のような魔人筆頭には、その逆の側面しか持ち合わせない魔王が合っているのではないか。

 

(そう考えると……私にとって、ランスが魔王となるのは……望ましい、事、かもしれませんね。いえ、勿論仮定の話なのですが、そうなったらと考えると……)

 

 ランスのような奔放な魔王に忠誠を捧げて、その理知的な部分を自分がサポートする。

 それはこの世界の支配という意味でも、お互いの相性という意味でも素晴らしいのでは。

 父のような完璧な魔王に仕えるよりも、やり甲斐があって充実した日々になるような気がする。

 

(……そうですね、私は……)

 

「私は……ランスのような魔王に仕えたかったのかもしれませんね」

「……おぉ」

 

 聞こえてきた言葉に驚いて、ランスは目をパチクリとさせる。

 

「ホーネット、お前……今日はまた随分と可愛らしい事を言うじゃねーか」

「……え?」

 

 そこでホーネットもふと我に返った。

 頭の中だけで巡らせていた思考が一部、口から漏れ出てしまったような気がする。

 

「……私、は、今……声に出して?」

「おう。思いっきり言ってたぞ。俺様のような魔王に仕えたかったなー、って言ってた」

「……っ、」

 

 その目を大きく見開いたまましばらく放心。

 あまりにも。あまりにも恥ずかしい独り言に、次いでその頬が赤く染まり出す。

 

「……ランス、今私が言ってしまった事は聞かなかった事にして下さい」

「そりゃ無理だ。そっかそっかぁ~、お前は俺様に仕えたかったのか~、なるほどねぇ~!」

「……でしたら、今の言葉を美樹様に伝えるのだけは控えて下さい。……お願いします」

 

 ニヤニヤと笑ってその頭を撫でるランスの一方、ホーネットは固く瞼を閉じる。

 あんな言葉を現魔王に聞かれでもしたら、それだけで背信を疑われても仕方無い。魔人筆頭たるホーネットとしては冷や汗が流れる気分、あまりにも手痛い失言である。

 

「いやしかしなぁ、あのホーネットがこんなに可愛らしい事を言うようになるとはなぁ」

「……別に、可愛らしくなど……」

「可愛らしいだろーよ。ホーネットちゃんはランス様に仕えたいんですーって事だろ? いやほんと、お前と初めて会った時のそっけない態度とは大違いというか、なんだかもう俺様感無量だ」

 

 うむうむと大げさに頷きながら、ランスは脳内でそんな妄想を展開してみる。

 

 自分に仕える魔人ホーネット。この魔人の性格から考えて、仕える相手が下した命令だったらどんなものでも従うはずだ。

 服を脱げと命じたら服を脱ぎ、セックスさせろと命じたらどこだってセックス出来る。それはどんな男にとっても夢のような日々だろう。

 

 命じれば何でも言う事を聞く女。それだけならランスが殊更に有難がるような相手では無い。それだけなら何人か心当たりがある、それこそすぐそばにいるシィルだってそうだ。

 だから肝心なのはそれがホーネットだという事。プライドが高く、最初は自分の事などわんわんのようにしか見ていなかった相手。人間がまず手を出せない魔物界のプリンセス。

 それが自分の思い通りになる、どんな命令でも聞く。そんな妄想を膨らませていると……。

 

「……あ、勃った」

「は?」

「ちんこが勃った。てな訳でもう一回戦と行くぞ、ホーネット」

 

 いつの間にかハイパー兵器は臨戦態勢へ。

 そしてランスは体勢を変え、ホーネットの上に覆い被さった。

 

「な、あ、何故このタイミングで勃つのですか!」

「そりゃお前が悪い。お前が柄にもなくあんな可愛らしい事を言うからだ」

「私は、なにもそんなつもりで言った訳では……」

「ええい、つべこべ言うな。ほれ、さっきの言葉を美樹ちゃんに黙ってて欲しいんだろ? ならどうするか、賢いホーネットちゃんには分かるよな?」

「……貴方は相変わらず意地の悪い物言いを……」

 

 そこを突かれると文句も言えない。

 ホーネットは観念したかのように、はぁ、と嘆息して。

 

「……ですが、やはり確信しました。貴方は魔王になどなってはいけませんね」

 

 こんなに意地悪で、こんなに性欲の強い魔王に仕えてはきっとこちらの身が持たない。

 素早く伸びてきた手に身体をやや乱暴に触れられながら、ホーネットはそんな事を考えた。

 

 

 

 

 



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命運の分かれ目

 

 

 

 そして決戦前夜は過ぎて……翌日。

 

「……ぐがー、ぐがー……んが?」

 

 今日は決戦の日……ではなく出発の日の朝、ランスはいつも通りに目を覚ます。

 

「ふぁ~あ、よう寝た……ってありゃ、ホーネットが居ない……」

 

 むくりと身体を起こして早々、すぐ隣で眠っていたはずの昨夜のお相手が居ない事に気付く。

 なんとなく気になったランスはすぐに身支度を終えて部屋から出る。そして宿舎の通路をぶらぶら歩いていると、その人物はすぐに見つかった。

 

「お、いたいた」

「あぁ、ランス。起きましたか」

 

 そこにいたのは魔人ホーネット。

 昨夜こそは少々様子が違っていたものの、一夜明けた今ではいつもと変わらない表情をしていた。

 

「む。その様子……さてはホーネット、朝風呂に入ったのか」

「えぇ。ここに詰める兵士達に尋ねたら好きに利用して構わないとの事だったので」

 

 身体に残る昨日の残滓を洗い流す為か、どうやらホーネットはシャワーを借りたらしい。

 その緑色の髪はしっとりと濡れ、服の隙間からよく見える肌も微かに上気している。その扇情的な姿にランスもにたりと口元を曲げる。

 

「うーむ、風呂上がりの美人というのはやっぱりエロいな……」

「……ランス。鼻の下が伸びていますよ」

「つーかホーネット、風呂入るんだったら何故俺様を誘わないのだ。俺達はもう毎日のように一緒に風呂入っている仲だというのに」

「っ、それは、……それは、魔王城での話ではありませんか。城の浴室とは違ってここの浴室は共用のものです、貴方を誘える訳など無いでしょう」

 

 仮にこの宿舎の浴室が共用のものでなかったとしても、別にホーネットはランスを朝風呂に誘いはしなかっただろうが、それはともかく。

 

「そういやホーネット、昨日は色々話したけど覚えてっか? お前、明日に思い返したらこっ恥ずかしくなりそうだーとか言っとったが」

 

 昨夜を思い出したランスがそう尋ねると、ホーネットは「えぇ、覚えています」とすぐに頷く。

 

「確かに、昨夜の私はなんというか……随分と口が軽かったですね。ただ、今思い返して羞恥を感じる程ではありません。むしろ少し胸が軽くなったような気がします」

「なるほどな。あれか、お前も色々とストレスが溜まってたっつー事なのか」

「……どう、でしょうかね」

 

 今度はすぐに頷きはせず、ホーネットは曖昧に言葉を濁した。

 どうやら昨夜に話したあれこれ。その内容よりもそれらを抱え込んでいたという事実、それをランスに指摘される事の方が今の彼女にとっては恥ずかしい事のようだ。

 

「まぁすっきりしたのなら良かったではないか。お前の愚痴を聞いてやった俺様に感謝しろよな」

「……そうですね。……あ、そう言えば……」

「あん?」

「……ランス。実は少し()()()()()が……」

 

 その時のホーネットの表情の変化、それをランスはちゃんと目にしていただろうか。

 目線をそっと斜め下方に落として、それは未知に対する不安に揺れるような、それでも何かに期待しているかのような。

 ホーネットがたまに見せる憂いを帯びた表情の中でも、今のそれは特に深みのあるもので。

 

「気になる事?」

 

 そして残念ながら、ランスはそれをちゃんと目にしてはいなかったらしい。

 その表情の意味を深刻には捉えなかったのか、至って普段通りの調子で尋ねる。

 

「……その」

「なんだよ」

「……いえ。何でもありません」

 

 それが仇となったのかどうか。

 ホーネットは一瞬悩んだ後、その口を閉ざしてしまった。

 

「おい。勿体振るなよ、そう言われるとこっちだって気になるだろ」

「勿体振っている訳ではありません。ですが今話すような事ではないと思ったのです。もうすぐに出発の時間ですからね、今は余計な事に手を回している場合ではないでしょう」

 

 ですから……、と呟きながら、ホーネットはその右手で自分の左手をぎゅっと握って。

 

「この話は後に。……ケイブリスとの戦いに勝利した後で構いません」

「……そか。分かった」

 

 その言葉に、ランスは深く考えないで頷いた。

 この時の二人には到底知る由も無い事なのだが、ここで一つ、二人の命運が大きく分かれた。

 

「けどまぁ、戦いに勝った後っつってもたかが数日の話だけどな」

「ですね。本日中にミダラナツリーまで進んで、そこから予定通りの流れで進めば2日か3日程度で……あぁ、そう言えば……()()()()気になっていた事なのですが……」

 

 するとまたホーネットはそんな事を言い出す。

 だが先程気にしていた事と比較して、心配の度合いで言うならこちらの方が断然上。

 それは今から2週間程前、魔王城で交わした作戦会議の頃から彼女が気になっていた事。

 

「……ランス。貴方は……今回の作戦が上手くいくと思いますか?」

「あ?」

 

 その言葉を聞いた途端、ランスは露骨な程に表情を顰めた。

 

「あのなぁ、今更んな事を言うなっつの。そんなん上手くいくに決まってんだろが。大体、今回の作戦に関してはお前だって納得してたじゃねーか」

「……えぇ、その通りです」

「だろ? だったらそう弱気になるな、もっと自信を持て」

「……私は弱気になっている訳ではありません。貴方やシルキィ達と考えたこの作戦に関して、何ら問題はないとは思っています。ただ……」

 

 そこで表情を曇らせるホーネットと、相も変わらず強気な態度のランス。

 この二人の調子の温度差、それは二人が歩んできた経験の違いからくるもの。

 

 ランスは過去に魔人ケイブリスを討伐した経験があるが、それはホーネットには無い。

 だからこその強気ではあるのだが、しかしその一方、ランスには無くてホーネットにはあるものだって存在している。

 

 ホーネットが持ち得るもの。それはケイブリス派と戦っていたこれまでの日々。

 ランスとは異なり、7年にも及ぶ長い期間ケイブリスと覇を競い合ってきた事からくる経験則。

 

「それでも私は……どうしてもケイブリスの事が気になるのです」

「ケイブリスの事?」

「えぇ。私は未だに……あのケイブリスが本当に戦場に出るのか、そこに確信が持てないのです」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして奇遇にも、というべきか何というか。

 ホーネットが気にしていたその事は、遠く離れたこちらの魔人達も同様に気にしていた。

 

 

 砂埃と共に吹き抜ける乾いた風。

 見晴らす限りに広大な景色、目に入るものと言えば大地から隆起する巨大な角。

 

 そんな光景に加えて──今はまだ遠くに見える、夥しい程の大軍勢。

 それはここに集った者達、ホーネット派とケイブリス派双方にとって共通するもの。

 

 魔物界中南部に広がる大荒野カスケード・バウ。

 敵地侵攻を目論むケイブリス派、その阻止を図るホーネット派。両派閥の大軍勢が荒野の北側と南側に集結し、その衝突はもう間近。

 戦場の空気はまだ静けさを保ってはいるが、けれども何処か重苦しい。兵達が秘める気勢はすでに弾け飛びそうなものとなり、荒野一帯が殺伐とした異様な雰囲気となっていた。

 

 

 そんな中、カスケード・バウの北側。

 ホーネット派が構築した陣地、その一角にある指揮官用の天幕内にて。

 

「……ほぼ全軍同士での衝突、か。さすがにこれまでには無かった規模だな」

 

 サテラがそう呟けば、すぐそばにいたハウゼルも重ねるように口を開く。

 

「分かっていた事とはいえ、こうなるとホーネット様が居ないのは少し心細いですね」

「……そうだな。ホーネット様はどんな時もサテラ達の先頭で戦ってくれていたお方だからな」

 

 そう言って二人は寂しげな表情を浮かべる。

 派閥の主の不在というのは戦力としては勿論、精神面での影響も大きいのかもしれない……。

 ……と、二人の様子を見ていたシルキィはそんな思いを抱く。

 

「二人共。なにもホーネット様が亡くなった訳じゃないんだから」

「そんな事は分かってる。単にサテラ達とは別の場所で戦う事になったってだけの事だ」

「ええ、そうね。それだけの事だわ。向こうは向こうで頑張っているはずだし、だから私達も私達のするべき事をしましょう」

 

 そう言い切った後、シルキィはその場に集った面々それぞれと一度顔を合わせる。

 

 身震いする程の大軍勢にちょっと緊張しているらしい魔人サテラと魔人ハウゼル。

 そしてこんな時でも、どんな時であっても何かを食べている魔人ガルティア。

 仲間の魔人達に目を向けて、その次テーブル上にある荒野全体が記された地図に視線を落とす。

 

「それで私達のするべき事としては……これはもう変更無しで構わないわよね?」

「あぁ、良いと思うぜ。昨日の話し合いでも文句は出なかったしな。どの道こっちは囮っつーか、大事なのは裏に回っている奇襲部隊の方だし」

「えぇ。だから勝利の鍵を握っているのはホーネット様達で、その意味ではこれもいつもの戦いと変わらないわ。……だからこそ、私達がすべき事もいつもと同じ」

 

 そこでシルキィは斜め後方に振り返って、そこに立つ一人の女性に視線を向ける。

 

「いつも通り本隊の指揮はケイコがお願いね。私達は向こうの魔人を迎え撃つのに手一杯だから」

 

 今回の戦場にはホーネットが不在な為、魔人四天王であるシルキィに全権が委ねられている。

 そんな総指揮官代理の言葉に、ホーネットが置いていった筆頭使徒のケイコが小さく頷く。

 

「全軍での出撃となりゃあ、やっぱしケイブリスの奴もきてんのかねぇ」

「どうだろうな。なんせあのケイブリスの事だし、この期に及んでも本拠地から出てこない可能性だって十分ありえると思うけど」

「あ、やっぱりサテラもそう思う? 私もそこだけが未だに気になっていて……」

「……実は私も。というかホーネット様もその点は不安だって仰っていたわ」

 

 ふとガルティアがそんな話をしてみれば、サテラやハウゼル、シルキィからも声が上がる。

 

 魔人ケイブリスが出てくるか否か。どうやらそれはホーネット派の全魔人共通の疑念らしい。

 この戦いは決戦。故にさすがにここまで来て出てこない訳にもいかないだろう。そう思いはするのだが……しかし、それでもあるいは……。

 ……と、そう考えされられてしまうのがケイブリスという魔人の印象なのだろうか。

 

「まぁ出てこないなら出てこないで、それなら相手にする魔人が一体減るだけ。こっちが有利になるだけだからって話で、ホーネット様ともそれ以上深くは話し合わなかったんだけどね」

「まぁそれはそうですね。なんであれ私達はこの戦場に出てくる魔人との戦いに集中しましょう」

「けれど魔人もそうだけど、ケイブリス派にはまだ魔物大将軍が何体かいたはずだぞ」

「あー、そういやぁそうだな。今生き残ってんのは……どいつらだっけ?」

「ええっと……確か以前の戦いでホーネット様がヨシフを倒したから~……残るはツォトン、ルメイ、ピサロの3体かしら」

 

 魔人に加えてもう一つ、ケイブリス派に残る3体の魔物大将軍。

 魔物将軍を超す実力を有しており、それぞれが魔物兵ではとても太刀打ちできない強敵。今回の攻勢が全軍出撃である以上、当然この戦場に出てくると思わしき相手である。

 

「……とはいっても、サテラ達は魔人の相手をしなければならないからな……」

「うん。だから基本的には魔物兵達に頑張って貰って……それでもどうしようもない時は、近くに居て手の空いている者が戦うしかないわね」

「まぁあいつらは大将軍だし、そうそう前線に出張ってくる事もねーだろ。……いや、むしろその方が有り難いか」

「そうね。魔物大将軍は戦闘能力よりも指揮能力が驚異だから、出来れば早めに対処したい所ね。今回のような戦場では特に──」

 

 とその時、話途中でシルキィが何かに気付く。

 

「──あ、戻ってきたみたいね」

「………………」

「……おかえりメガラス、偵察ご苦労さま」

 

 天幕内に帰還した影、今しがた敵陣偵察を行ってきた飛行魔物兵部隊の長。

 シルキィが挨拶と共にその労を労えば、魔人メガラスは無言のまま小さく顎を引く。

 

「どうだった? さすがに今回ばかりは大変だったんじゃない?」

「………………」

「……そう、そんなに飛行魔物兵が……やっぱり全軍での出撃ってだけはあるようね。それでも貴方だけは止められないでしょうけど」

 

 両派閥陣営の空を覆う飛行魔物兵部隊。通常の魔物兵よりも価値の高い部隊であり、戦いにあって何かと渋りがちなケイブリス派なのだが、しかしここは出し惜しみせず使ってきたらしい。

 その総数はホーネット派のそれを上回っており、となると数で勝る側が上空を支配してしまいそうなものだが、しかしそれを覆すのが魔人の存在。

 無敵結界を有するメガラスなら飛行魔物兵に足止めを食らう事はない。そして飛行能力を持つ魔人サイゼルはケイブリス派から離脱し、地上から対空迎撃とばかりに強烈無比な魔法を放つ魔人レッドアイは討伐された為、魔物界の空はもう魔人メガラスの独壇場であった。

 

「それで、向こうはどんな感じだった?」

「………………」

「……ふむふむ、中央がルメイの軍、東がツォトンで西がピサロの軍ね」

「………………」

「……なるほど、それで恐らくレイが中央、パイアールが西側で、それ以外は今の所不明、と。うん、そこまで調べてくれれば十分だわ」

 

 そんな空の支配者、魔人メガラスが持ち帰ってきたケイブリス派陣営の情報。

 それを見事だと言う他無いコミュニケーション能力を駆使して読み取った後、シルキィは顎に手を置いて「うーん……」と悩む。

 

「……ケッセルリングがいない理由は分かるから良いとして……ケイブリスは何処かの天幕かなにかに隠れているって事なのかしらね」

「……それともまだカスケード・バウには到着していないか、あるいは……」

「……やっぱり出て来ない、か」

「………………」

 

 ハウゼルの言葉をサテラが引き継いて、しばしその場に沈黙が流れる。

 先程も言った通り、出てこないなら出てこないでこちらの有利となるだけの話。

 だから問題は無いのだが、しかし……これはその可能性を十分考慮しておくべきかも……と、シルキィはそんな事を頭の片隅で考えながら。

 

「……ま、まぁさっきも言った通り、私達は私達のするべき事をするだけだから」

 

 ともあれ、そんな言葉で話を纏めて。

 

「……さてと。それじゃあそろそろ私達も配置に付きましょうか」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 こうしてホーネットが、そしてシルキィ達が共に不安視していた事。

 それはしかし、現状全くの杞憂であった。

 

 如何な性根が臆病過ぎるリスとて、それでも今では最強最古と称される程の魔人。

 それなのにあれ程にバカにされて、あれ程に虚仮にされてそのままでいられるはずが無い。

 

 そもそもが今の状況から鑑みて、このままずっと引き篭もり続けている事はほぼ不可能。

 勝つにはもう自分が戦うしかない。それを当人も心の底ではとっくに理解していた事で。

 

 つまり──魔人ケイブリスは立ち上がっていた。

 

 長らく手にしていなかった愛用の大剣、ウスパーとサスパーを腰に下げて。

 長らく引き篭もったままだった自分の城、その城門から足を踏み出して。

 長らく見ていなかったベズドグ山、その景色を横目に山道を下って。

 長らく気にしていなかった本拠地、魔界都市タンザモンザツリーに立ち寄って。

 

 そして進路を北に。

 ケイブリス派全軍が集結している大荒野カスケード・バウ。

 決戦の地に魔人ケイブリスは今まさに向かっている最中であった。

 

 

 ……だが。その道のりの途中。

 

「……む」

 

 道を進む大元帥ストロガノフ、その下に伝令役の飛行魔物兵が近付いていく。

 

「……そうか。分かった、下がってよい」

 

 そしてその報告を耳に入れる。

 するとストロガノフは足を止め、固く引き締まっていた表情でその顎を撫でた。

 

「……ふむ」

「どうしたストロガノフ、何かあったのか?」

「……ケイブリス様」

 

 その様子に気付いた派閥の主の視線が向く中、ストロガノフは瞬時に思考を巡らせる。

 

 率直に言って、この報告を今ここでケイブリスの耳には入れたくなかった。

 すでにケイブリスは重い腰を上げ、こうしてカスケード・バウへと向かっている最中。

 腰にある二本の大剣を見ても分かる通り、ようやくこの魔人が戦う気になってくれた。それなのにここで余計な些事に気を取らせたくなかったのだ。

 

「おい、どうしたって聞いてるんだよ」

「……はい」

 

 しかしそんな思惑はあくまで思惑、こう急かされてしまったら答える他に無い。

 ストロガノフは結局、報告を受けた通りの内容をそのまま言葉にした。

 

「実は……まだカミーラ様が動いていないようなのです」

「……カミーラさんが?」

 

 その報告とはすなわち、魔人四天王カミーラについての重大な命令違反。

 派閥の主たるケイブリスが下した全軍出撃の大号令によって、ケイブリス派に身を置くあらゆる者達が今、カスケード・バウへと集結している。

 あのケッセルリンクでさえも従うとの返事を返してきたその号令に、しかしカミーラただ一人だけが従わず、未だミダラナツリーにある自分の城を出ていない……というもの。

 

「……まだ命令を知らない、っつー事は……さすがにねぇよな?」

「はい。それは無いでしょう。指令書は確かにカミーラ様の下に届いているはずです」

「……だよな」

「……再び魔物兵を使いに送っても恐らく結果は変わらないでしょうし、ここは私が──」

 

 ──私がカミーラ様に会って説得をしてきます。

 そう言おうとした途中、ストロガノフは思わず言葉を止める。

 目の前に居る主から伝わってくる圧、それがあまりにも異様なものだったからだ。

 

「……なぁストロガノフ。ケイブリス派っつうのは……この俺様が一番偉いはずだよな?」

「……はい。それは勿論です」

「だったらよ……一番偉いこの俺様に従わないってこたぁ、どういうつもりなんだろうな」

「それは……」

 

 魔人カミーラの命令無視、派閥の主である自分が下した指示に従ってくれない。

 実のところ、そうした事はこれまでに何度もあった。そしてその都度「カミーラさんなら仕方ねぇ」とか「きっと何か事情があるんだ」と許してきたのがケイブリスという魔人だった。

 

 しかし、この時ばかりはそうはならなかった。

 この時のケイブリスの身にあった感情。それは一言で形容できるものではない。

 自分の命令に従わない者に対しての怒りだとか、 長年向けていた片思いだとか、その思いが報われない理不尽さだとか、色々なものが混ざり合って。

 それでもあえて表現するならば──それはやはり『苛立ち』だろうか。

 

 この自分でさえも戦う時だと言うのに、そんな中でも戦おうとしない者が一人いる。

 そもそもこの戦いはカミーラが切っ掛け。彼女が捕虜となっていた時に陵辱を受けていた、そのカミーラの無念を晴らしてやる為の全軍侵攻のようなものなのに。

 

(……そうだ、俺様はカミーラさんの為に、その為に色々してやったはずなのに……)

 

 惚れた相手に振り向いて貰う為にと、これまでケイブリスは色々な事をしてきた。

 この戦い以前からもそうだし、前にホーネットとの人質交換で助けてあげた事だってそうだ。

 それなのに。それなのにカミーラは自分を蔑ろにする。思い返せば人質交換の件、そのお礼の言葉一つだってまだ聞いた覚えは無い。

 

 そして何より……今回の一件によってケイブリスが知ってしまった事。

 

(……それなのに。それなのにカミーラさんは……よりにもよってあんな野郎と……)

 

 それなのに。カミーラは自分ではない別の男に身体を許してしまっていた。

 それが陵辱だとか、カミーラの意思どうこうは関係無い。なにもカミーラの純潔に拘ってるとか、そういう低次元の話をしている訳でもない。

 そもそもケイブリスはカミーラの美貌だけに、その見てくれだけに惚れていた訳ではないのだ。

 

 魔人カミーラ。あれは冠だった。

 はるか昔、魔王アベルとドラゴン族との長きに渡る戦い、ラストウォー。

 その時のケイブリスにはただ見上げる事しか出来なかった、遥か強者達の戦い。その中で魔王とドラゴン達が奪い合っていたもの、それが魔人にされた雌のプラチナドラゴン、カミーラだった。

 

 この世界で絶対の存在たる魔王と最強種たるドラゴンが競い合った、言わば絶対強者の冠。

 だからこそケイブリスもそれに焦がれた。だからこそカミーラが欲しかった。

 あのプラチナドラゴンの魔人をこの手に掴む事。それこそが強さの証明のように思えたから。

 

(……そうだ。だからカミーラさんが欲しかったんだ……それなのに……)

 

 それなのに。

 それなのにカミーラという冠は、自分の知らぬ間に汚されていた。

 どこぞの誰とも分からぬ、カオスマスターなどという男がその手に掴んでいた。

 

 あれが魔王を越える程の男なのか? まさかそんなはずは無いだろう。

 だったらそんな男に抱かれたカミーラは、もう絶対強者の証たる冠などではない。

 

 ……いや、もはや冠だとかどうこうとかはどうだっていい。

 とにかく自分がずっと恋い焦がれてきたあのカミーラが、そんな男にさえ身体を許すのならば。

 

 

「……だったら、だったら俺様だっていいはずだよな……」

 

 その呟きは。

 その感情は、まるで憎き怨敵に向けるかのようにどす黒いもので。

 

 

「……ケイブリス様?」

「……ストロガノフ。お前は先にカスケード・バウに向かって戦いをおっ始めてろ」

「……は、了解しました。……しかし、それではケイブリス様は……?」

「なーに、別に引き返す訳じゃねぇよ。ちょっくら寄り道をするだけだ」

 

 動揺を隠せないまま聞き返してきた大元帥ストロガノフに向けて。

 ケイブリス派の主、魔人ケイブリスは自らの命運を分ける言葉を口にした。

 

「俺様はミダラナツリーに行く。カミーラさんに直接会って話を付けてくるからよ」

 

 

 

 こうして魔人ケイブリスはミダラナツリーへ。

 

 同じくミダラナツリーを目指して、ランス達がまもなくマジノラインを出発する。

 

 一方カスケード・バウの方でも、やがて開戦の火蓋が切って落とされる。

 

 そして──それぞれの戦いが始まる。

 

 

 

 



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開戦

 

 

 

 ゼス国西の果て、マジノライン要塞。

 朝。出発の支度を終えた一行は要塞の一画に集合していた。

 

「……ここを開ける日が来るなんてね」

「うむ。ここが破られる事はあれど、我らの意思で開けるのはゼスの歴史上初めての事だからな」

 

 ゼス国の王族たる二人、ガンジー王とマジック王女は目の前の光景に感慨深い様子で呟く。

 そこはゼス国西の境界線を区切るように各所に設置されている砦、その内の一箇所だけにある魔物界側へと繋がる門。

 特殊な魔法が掛けられておりゼスの王族以外には開けられないその門が、これまで開かれる事の無かったその門が今、大きく口を開けていた。

 

「いよいよ魔物界へ突入か……、昨日は緊張してあんまり眠れなかったわ」

「私もだ。この先が魔物達の世界だと思うとすでに武者震いが止まらん」

「おいマジック、つーかガンジー親子共、お前ら出発前からなにをビビっとるんじゃ」

「別にビビってる訳じゃないわ。ただ何ていうか、やっぱりここから先は別の世界だから……」

 

 脆弱な生命体である人間にとって、魔物が暮らす魔物界とは暗黒の地。

 元より人間世界にも魔物は多く生息しているが、しかし魔物界に人間は生息していない。そういった事からも人間と魔物の上下関係、パワーバランスといったものが見えてくる。

 

「魔物界っつったってな。行ってみりゃ分かるけど実際大したことねー場所だぞ、マジで」

「そういえばランスはもうホーネット派に協力して長いんだっけ。もはや魔物の世界も勝手知ったる他人の何とやらって感じなの?」

「まーな。こっちと比べて魔物の数が多いぐれーで一週間も暮せばすぐに慣れる。……ま、娯楽が少ねーから慣れたい場所でもねーのだが」

 

 そして、ここに集った者達はこれからそんな魔物界へと突入する。

 そのメンバーはランスとその仲間達、そしてホーネット派の頭首である魔人ホーネット。そこにゼス国の精鋭部隊が加わる布陣。

 するとそんな精鋭部隊の長、各部隊を率いる3人の将軍がランス達の下へと近付いてきた。

 

「国王陛下。光軍の出発準備が整いました」

「我が雷軍も同じく」

「氷軍も問題ありません」

「ご苦労。……だ、そうだ。ランスよ」

「うむ」

 

 するとランスはゼス国王よりも一歩前にずいと身を乗り出し、その3人の将軍達と顔を合わせる。

 

「ランスさん、また一緒に戦えるのが楽しみです。宜しくお願いします」

「おう。俺様の為にしっかり働けよ」

「はい!」

 

 光軍の長、アレックス・ヴァルス。

 元恋人であったマジックをランスに寝取られてしまったのも今は昔、最近は新たな恋人との婚約も結んで、公私ともに充実している青年である。

 

(……誰だっけこいつ?)

 

 そんなアレックスとは前回の第二次魔人戦争時に再会する事が出来なかった事もあってか、すでにランスの記憶からはすっかり抜け落ちてしまっていたのだが、それはともかく。

 

「……小僧に我が雷軍の力を貸す事になるとはな。人生何が起こるか分からんものだ」

「雷じじい……はどうでもいい。下がれ下がれ」

 

 雷軍の長、カバッハーン・ザ・ライトニング。

 老齢ながらも「雷帝」と呼ばれるゼス国屈指の魔法使い。とはいえ男で爺で怖い性格をしている事もあって、ランスとしてはあまりお近付きになりたいとは思わない相手。

 なので挨拶も早々にお引き取り願って、残る一人にその目を向ける。

 

「……宜しくお願いします」

「うむ。お願いされようじゃないか。俺様は君の事を待っていたのだよ」

「…………はぁ」

 

 そして彼女が氷軍の長、ウスピラ・真冬。

 その名の通り冬を思わせるような冷たさ、無口でクールな女性。しかしその美貌に疑いはなく、ランスとしてはもっとお近付きになりたい相手。

 特に今回はウスピラに手を出そうとすると毎回決まったように邪魔しに現れる相手、炎軍の長であるサイアス・クラウンがこの場に不在という事もあって絶好の機会ではあるのだが。

 

「ウスピラちゃんとはもっと親交を深めたいなぁと思ってたのだ、ぐふふ。つー訳でここでは何だしどっか二人きりになれる場所で……」

「ちょっとランス、もう出発前だってのに変な事言い出さないでよね」

「ぬ……しゃあない、今はパスだ。このあと隙を伺って襲う事にしよう」

「……聞こえています」

 

 巡り合わせというものなのか、はたまた運命というものなのか。

 中々ウスピラとはそういう機会を持てなかったりするのだが、それはさておき。

 

「うし、そんじゃまぁ出発といくか。……ホーネット、お前も準備はいいな?」

「──えぇ、勿論です」

 

 最後にランスは少し離れた場所にいた一人、この場で唯一人間ではない彼女に目を向ける。

 二人の視線が結び合う事一瞬、ホーネットはしっかりと頷きを返した。

 

 

 

 こうして一行はマジノラインを出発した。

 目標としてケイブリス派の本拠地、魔界都市タンザモンザツリーを制圧する為。

 更には大目標としてカスケード・バウを侵攻中の敵軍を挟撃する為、ランス達奇襲部隊はケイブリス派の領域である魔物界南部へと突入を果たした。

 

 人と魔の境界線を越えてしばらく、一行を誘い入れたのは引き裂きの森の妖しい光景。

 本来なら魔物が跋扈し人間の侵入を拒む危険な森ではあるのだが、事前にランスがシルキィと行っていた下見の通り、今現在引き裂きの森には全くと言っていい程に魔物の姿が見当たらなかった。

 そのおかげで進軍は順調。想定外の出来事を挟む余地もなく、予定の進路をそのまま進んで。

 

 

 ──そして、出発時刻から約半日後。

 そろそろ日も落ちてきた頃合い、ランス達は進軍の足を止めて本日のキャンプ地に到着した。

 そこは引き裂きの森を越えて少し進んだ地点、万が一の事を考えてと魔界都市ミダラナツリーからは程々に距離を取った場所。

 

「ふぃー、ちかれた。ようやく休めるぜ……シィル、喉乾いた」

「あ、はい。すぐにお茶を淹れますね」

 

 初日の行軍が終わって、周囲にはテキパキと野営の準備を行うゼス国兵士達の姿が。張り上がった幾つものテントが並び、その奥には物資輸送用の大型うし車が何台も停車している。

 そんな光景を尻目に、ランスは組み立て椅子に腰を下ろしてほっと一息。シィルが淹れてくれた馴染みの味のお茶をゴクゴクと味わう。

 

「今日は結構歩きましたからね。でも魔物との戦闘が無くて良かったです」

「まぁここまでの道程で戦闘になったらその時点で計画が狂っとるようなもんだからな。逆に言えばここまで戦闘が無かった以上、俺様の考えたこの作戦はカンペキだって事だ。どーだ凄いだろう」

「はい。ランス様凄いです。ぱちぱちぱちー」

 

 シィルの拍手に気を良くしたのか、ランスはがはははと大口を開けて笑う。

 当初の予定通り、ここまではまだ一度も戦闘行為を行っていない。それはこの奇襲作戦が奇襲として成立している何よりの証。

 そしてもう目の先に見える魔界都市、ミダラナツリーも魔人カミーラとの密約によりそのまま足を止めずに進軍可能となる。となれば戦いが待ち受けるのはその先の地点から。

 

「けどなシィル、楽チンなのはここまでだぞ。明日には奴らの本拠地を落として、その次か次の日ぐらいにはもうケイブリスとの決戦だからな」

「ですね……手薄になっているタンザモンザツリーの攻略はまだしも、魔人ケイブリスとの決戦は……何ていうかその……ちょっぴり怖いです」

「何を怖がっとる、俺様の考えたこの作戦はカンペキだっつってんだろ。あのリス野郎にだってカンペキに勝てる、その為にシャリエラだって連れてきてるのだからな」

「はい。シャリエラちゃんと連れてきてます」

 

 ランスがその名を話題に上げれば、何処からともなくシャリエラがひょっこりと姿を現す。

 本拠地の制圧はともかく、魔人ケイブリスの討伐に関してならランスは過去に一度経験がある。誰も見た事無いであろうその実力を、もしかしたら当の本人でさえも知らないかもしれない真の実力をランスだけは知っている。

 その知識と経験を元に考えて、この作戦なら間違いなく勝てると想定している。特にこうして秘策として連れてきた踊り子の少女、シャリエラの存在は何よりも大きい。

 

「シャリエラよ、今回の戦いではお前にも存分に働いて貰うからな」

「はい、シャリエラしっかり働きます」

「そうだ。そんでもってケイブリスのヤツをコテンパンにしてやるのだ。がはははっ!」

「はい、コテンパンにしてやります。何と言っても秘策ですから、えっへん」

 

 リス退治にはシャリエラの踊りが効く。それは前回の時に実証済みの秘策。

 故に我が勝利に死角は無し。そんな気分でランスとシャリエラが共に得意げになっていた時、そのすぐそばを神妙な顔をしたホーネットが横切った。

 

「お、ホーネット。そんな難しい顔してどーした、何か問題でもあったのか?」

「え? あぁ……」

 

 声に気付いたホーネットは立ち止まってランスの方に振り向いて。

 

「問題があったという訳では無いのですが……今しがたウルザさんの手を借りて、防衛部隊の方と遠距離用魔法電話で連絡を取ってみたのです」

「あぁそっか。そういやぁ向こうの奴らとも電話は出来るんだったな。それで? シルキィちゃん達となにか話したのか?」

「話した……というより、向こうはそれどころじゃなかったというべきか……」

 

 そして彼女は視線を外して北の方に──その戦場がある方へと目を向けて。

 

「……どうやら、すでにカスケード・バウの方では戦いが始まっているようです」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 この派閥戦争の中で最後となった両派閥の衝突、カスケード・バウの戦い。

 その戦端の幕が開けたのは正午前の事、ランス達が引き裂きの森を移動していた頃合いだった。

 

 前魔王ガイから新たな魔王へと代替わりをして、LP1年から始まった派閥戦争。

 ケイブリス派とホーネット派に分かれて魔物界を二分したこの戦争は結局の所、現魔王リトルプリンセスを認めるかどうかの争いとなる。

 

 魔王の座から逃げ出した来水美樹を魔王とは認めずに、最強最古の魔人ケイブリスを新たな魔王として戴くべきとするのがケイブリス派に集う者達。

 一方で逃げたとしても魔王は魔王。魔に属する者は全員が魔王の配下なのだから、ただ粛々と魔王に従うべきとするのがホーネット派に集う者達。

 

 つまりこの戦場に集った魔物達は皆、大なり小なりそのどちらかの考えを抱いている。

 ……というのは表面上の話であって、勿論中にはそんな主義主張などどうでもよくて、単に暴れたいから派閥に属している者だっている。

 あるいは。これは特にケイブリス派の魔物兵に多い思考なのだが、派閥の主に逆らうのが怖いからその派閥に味方している者だっている。

 またはその逆に、もしリトルプリンセスが覚醒した場合、それに逆らうケイブリス派などに属していたらその時どう扱われるか、それが怖いからホーネット派に属している者だっている。

 

 確たる信念を持つ者、暴れる場を求めている者、恐怖心故に戦う者。

 理由は様々だが、とにかく何らかの意思の下にどちらかの派閥に属し、この戦場に集まった。

 そんな魔物達は魔物兵スーツを着込んで、一個体の兵として指揮しやすい魔物兵に変わって。

 そうして指揮官の合図を待って、それが聞こえたと同時に前進を開始した。

 

 

「第一陣──突撃開始!!」

 

 拡声器を用いて伝わる女性の声。それは魔人ホーネットの筆頭使徒であるケイコが下した号令。

 その凛とした声をかき消すように、ホーネット派魔物兵の荒野を震わせる鬨の声が沸き起こる。

 

 開戦の幕を先んじて開けたのは、意外にも防戦を行うホーネット派の方からだった。

 その理由は至極簡単なもので、ただ単に夜を待ちたくなかったから。夜になるとケイブリス派の方には使える駒がもう一つ、それも途轍もない程に強い駒が一つ増える事となる。

 相手は当然それを見越しての作戦を立ててくるだろうと思われたので、その前に先手を打っておきたいという思惑があったからだ。

 

「進めー! 進めーー!!」

 

 一般兵に指示を出す魔物隊長達、そして隊長格の指揮を取る魔物将軍達。

 彼等が張り上げた声を背に受けて一塊となった魔物兵達が突撃していく。

 

 ホーネット派魔物兵の第一陣およそ10万。まずはこれをぶつけて敵の出方を伺う。

 魔物兵とは個体によって能力差が無い。故に戦争では総数の多い側が当然有利となるのだが、しかし一時期は倍近くの差があったそれも今ではもう目立つ程の差は無い。

 ここ数ヶ月で重なるように起きたケイブリス派魔人の離脱と討伐、特に攻めの戦力としては最強の駒だった魔人レッドアイが討たれた事は兵達に大きな動揺を与え、結果離脱者も多く出た。

 多少の数的不利は依然として残るが、しかしその程度ならば。今の派閥の勢いが後押しする兵達の士気の高さを加味すれば、その程度の差なら互角かそれ以上で張り合えるはずだ。

 

 そんな思惑からのホーネット派の進軍に対し、直ちにケイブリス派の応戦も始まった。

 こちらも同じ魔物兵、同等の規模となる先陣同士が衝突。地鳴りのような無数の足音の上に武器と武器とが交わる硬い音が重なり、更に咆哮と怒声と悲鳴が重なる。

 魔物兵として統制は取れていようとも、殺し合いが始まれば秩序だったものは無し。一合打ち合う間もなく斬られ突かれてと、死んでいく仲間の死体を踏み越えてまた新たな兵が疾駆していく。

 

 そうした魔物兵達の無限に湧き出てくるかのような波状攻撃。互いに兵をすり潰し合う壮絶な光景は派閥戦争においてはよく見られたもの。

 更にはそんな前線を互いに援護しようと、横合いや後方からはボウガンの矢や魔法攻撃が引っ切り無しに飛び交い、兵達の巨躯を貫いていく。

 それが魔物兵達の戦場であり、そうした中で戦い倒されていくのが魔物兵達の役割。互いに10万同士となった先陣の衝突、刻一刻と進む度に着々とその数が目減りしていく。

 

 だがそんな魔物兵達の戦いも、こと派閥戦争においては一つの側面でしかない。

 同じ戦場にあっても魔物兵達の戦いとは別の戦いがもう一つある、それが魔人達の戦い。

 

 魔人とは隔絶した戦闘力を有する存在であって、かつ魔物兵達を統括する存在。

 魔人が居る戦場と魔人が居ない戦場では魔物兵達の強さが大きく変わったりするものだが、とはいえ魔人が魔物兵達を直接指揮する事はほぼ無く、それは言わば精神的な支柱のようなもの。

 程度の差こそあれ、基本的に魔人とは唯我独尊的な思考を持つ生物。隔絶した戦闘力を有するが故、戦場で魔物兵達と足並みを揃えようとはしない。

 

 その傾向は特にケイブリス派の魔人には多くて──この魔人にとっては尚更。

 

 

「──オラァッ!」

 

 軽く振りかぶってから突き出した拳。

 紫電を纏った拳に打ち付けられ、まともに食らった相手の頭部が捻れると同時に電撃が迸る。

 

 ──ようやく暴れられるぜ、こっちはもう待ちくたびれてんだッ!

 そんな言葉を語るかのように鋭い拳をまた一撃、更にもう一撃。

 目に付く敵の片っ端から拳をお見舞いして、同じような死因の死体を増やしていく。

 

 電撃と格闘を得意とする魔人レイ。

 彼は戦いが始まるや否や前線まで進出して、敵軍の雑兵達に向けてその力を存分に奮っていた。

 

 何せこれはレイにとって待ちに待った戦い。もう半年以上ぶりとなる戦いなのだ。

 ここ数ヶ月の日々は本当に退屈だった。ケイブリス派が専守防衛の方針を固めて以後、戦う機会が全く無くなってしまったからだ。

 自分は戦う為にケイブリス派に属しているようなものなのに。専守防衛と聞いた時はまたケイブリスが臆病風に吹かれたのかと呆れてしまった。

 

 そしてどうやら退屈を持て余していたのは自分だけでは無いようで、レッドアイなんかは勝手に動いてその挙げ句に討伐されたと聞く。

 実の所、レイも派閥の方針などは無視して戦ってしまおうかと考えた事もあったのだが、結局彼がそうする事は無かった。

 

 その理由の一つとして、自分一人での奇襲まがいの侵攻の場合、望む相手が待ち構えているかが分からなかったから、というものがある。

 レイは戦う事を好んでいるが、レッドアイとは違って殺戮を好んでいる訳では無い。むしろ雑魚との戦いなどは煩わしいと感じるだけだ。

 彼が求めているのは戦いを楽しめる相手。自分と同等な程に強く、理想を言えばタイマンでのガチンコに乗ってくれるような相手。

 そうなると必然的に相手は魔人に限られる為、こうしてホーネット派の魔人全員が出てくる戦場を待ち望んでいたのだ。

 

「ハッ! 長らく発散してねェからな、今日の俺はいつもより気が荒ェぞ!!」

 

 振りの大きい拳をがら空きの腹部にお見舞いして、続く右足で邪魔な相手を蹴り飛ばす。

 魔物の群れの中を突切りながら、言葉通りの荒っぽい喧嘩スタイルで戦うレイ。だがその格闘術はLV2の才能に裏打ちされた本物であり、魔物兵達では食い下がれるはずも無い。

 更にはバチバチと弾ける電撃音、その身体から縦横無尽に放たれる雷撃に撃たれ、多くの者は近付く事も出来ずに意識を手放していく。

 

 まるで自らの存在を誇示するかのように、その戦い振りは豪快かつ苛烈なもの。

 そうやって魔物兵達を潰すのは言わば暇つぶしのようなもので、勿論これがレイの目的ではない。

 

 先の通り、魔人レイが求めているのはもっと歯応えのある強敵。

 それを誘き出す為、こうして肩慣らし程度にしかならない雑魚潰しを行っている。

 特に攻撃に追随して放たれる雷激、その眩い雷光は遠目にもとても視認しやすいもので。

 そんな戦いを続ける事早数十分、その甲斐あってかあっという間に捕捉された。

 

 

(──見つけた)

 

 視界の先で繰り広げられている一方的な戦い。

 暴風の如く暴れる魔人レイと、薙ぎ払われるように倒されていく自軍の魔物兵達。

 魔人の相手を魔物兵にさせてはいけない。彼等は無敵結界を破る術が無いのだ、僅かたりとも勝機が無い戦いで無為に死ぬ事を要求するのは酷というものだろう。

 

 魔人の相手とは魔人がするもの。

 そして敵の姿を自分が一番に発見した以上、その相手は自分がすべきだろう。

 そもそも魔人レイが開戦当初から最前線に出張ってくる事は分かっていた。こちらからも探していた相手であって、自分がレイの相手を受け持つのは事前の作戦通りとなる。

 

 何故なら自分はあの人から──ランスから、とっておきの秘策を授けられている。

 これがある以上、魔人レイとの戦いだって恐れる心配は何もない……はず。

 

 ()()が入っている鞄の感触を一度確かめて。

 そして、赤き天使が飛び立った。

 

 

 

 

 



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カスケード・バウの戦い①

 

 

 

 

 拳を打ち付ける度に血しぶきが飛び、続けて電撃が激しく迸る。

 

「雑魚共がッ! 次に叩き潰されてェヤツはどいつだ、オラァ!」

 

 待ちに待った戦争の最前線、無人の荒野を行くが如きに周囲の魔物兵を蹴散らす魔人──レイ。

 こと戦場にあってはその魔人の居場所はとても分かりやすい。何せその拳を振るう度、目も眩むような雷光と電撃音が発生する。

 

 それは自らの存在を積極的に誇示して、目的の相手を誘き出す為のもの。

 そうやって存分に暴れた甲斐あって、ようやくレイは相手方の魔人とエンカウントした。

 

 

「──止まりなさいッ!」

「あぁ?」

 

 自らに向けて聞こえてきた制止の声。

 それが見上げる程度の上方から、そして聞き覚えのある女性の声だった事に嫌な感じを覚えて。

 

「……チッ、よりにもよってテメェかよ」

 

 その姿を目にした途端、レイは吐き捨てるように呟いた。

 自らの進路を塞ぐように中空を飛ぶ相手、巨銃を手に持つ有翼魔人ラ・ハウゼル。

 ホーネット派に属する魔人の一人だが……しかしこの相手はレイが求めていた相手では無い。故にそのテンションは急激に落ち込み、身体から迸る雷光も陰りを見せていた。

 

「……レイ。私が相手では不服ですか?」

「あぁ不服だ、不服に決まってんだろ。俺からしたらテメェは一番の大ハズレだ」

 

 魔人レイが戦場に求めるもの。それは主に一対一での肉弾戦、原始的な力比べ。

 タイマンでのケンカこそが自らの衝動を最も発散出来る行いであり、だからこそ今回の戦争でも以前のように魔人ガルティアか、あるいは魔人シルキィとかと戦いたかった。

 だというのに相手が魔人ハウゼルとは。この魔人は空を飛んで魔法で戦う女、およそレイが期待していた相手の対局に位置するような相手である。

 

「つーかこれはアレか。俺を苛立たせる為の作戦かなんかかよ」

「そんなつもりはありません。ただ、他の皆にはそれぞれの役割があるというだけです。ですから大ハズレでも何でも、貴方の相手はこの私がします」

「……ケッ、そーかよ」

「えぇ。貴方は私が止めます。ここから先に進ませはしません」

 

 そうと告げる魔人ハウゼルの声には確たる決意が宿っていて。

 常日頃から優しく穏やかな性格の彼女も、戦場に立てば業火を操る炎の魔人となる。

 その顔は凛としたものとなり、その姿からは確かな威圧感と高まる魔力が伝わってくる。

 

 ……と、いうのが普段の魔人ハウゼルなのだが。

 

 

「つーか……オイ、ハウゼル」

「なんですか?」

「テメェ、何を照れてやがる」

「え、えぇ!?」

 

 思わずレイがそう指摘した通り、今日のハウゼルは何故か照れていた。恥じらっていた。

 その顔は凛としたものとは言えず、戦う前からそれはもう真っ赤になっていた。

 

「べ、別に照れてなんていませんよ!?」

「そう言う声がもう上擦ってんじゃねーか」

「そ、そんな事は……そんな事はありませんっ! 私は普段通りですから、えぇ!」

「……そうは見えねーけど」

 

 むきになって否定してきたりと、その態度がもう何やらおかしい。

 謎に恥じらっているハウゼルの様子は意味不明だったが、けれどレイはすぐに関心を無くした。

 

「……けど、ま、俺にとっちゃどうでもいい事か」

 

 これは単に戦う相手というだけ。だったらその恥じらいの理由など気にする必要も無し。

 残念ながら熱いケンカなどは望めはしない相手なのだが、それでも魔人である以上、そこらの雑魚を潰して回るよりかは楽しめるはずだ。

 

「とっとと始めるぜ。せいぜい楽しませろ」

 

 そう言ってレイは腰元のバックルの中に収納している櫛を引き抜く。

 それを使って戦闘の際に邪魔な前髪を逆立てる。それがレイにとっての戦闘前のルーティン。

 

 ……だったのだが。

 

「レイ、生憎と闘いになどはなりません。何故なら私は貴方の弱点を知っていますから!」

 

 その機先を制すかのように、赤面しているハウゼルがそんな言葉を告げてきて。

 

「……あ?」

 

 レイは前髪を掻き上げる途中でその手を止めた。

 

「俺の弱点だ?」

「え、えぇ、そうです」

 

 こくこくと、ぎこちない所作で頷くハウゼル。

 その瞳に映る相手、魔人レイは格闘を得意としていて、更には雷撃を扱うのが最大の特徴。

 そんなレイに隠されている秘密。その弱点こそが数日前にランスから授けられた秘策。

 そして更に言うならば、それこそが彼女の赤面の理由だったりもする。

 

「……ただ、この手はあまり、そのっ、使いたくはないのです。ですからその……ここで自ら負けを認めて貰う訳には……」

「ザケンな。俺にどんな弱点があんのか知らねーが、やる前から負けを認める訳がねェだろ」

「……ですよね。レイならそう言うと思っていました。……ならば仕方ありません……!」

 

 覚悟を決めたハウゼルは持参した鞄の中からあるものを取り出す。

 それは事前にランスが用意していたもの。「これを使えばビリビリ野郎なんぞ楽勝だ、楽勝。がはははーっ!」と大笑いしながら太鼓判を押す、そんなとっておきの秘策。

 

「こ、こっ、これです!」

 

 相変わらず上擦った声のまま、真っ赤な顔のハウゼルはそれをビシっと突き付けた。

 

「……なんだそれ、本?」

「え、えぇ、そうです。レイはこれが欲しいのでしょう? でしたら私の言う事を聞きなさい」

「ああん?」

 

 ハウゼルが自分の弱点だというモノ、それは本。

 けれど自分は別に欲しがっていた本など無いし、あったとしても闘いより優先する事など無い。

 これは一体どういう事なのか。理解不能な言い分にレイが眉を顰めていると、空に浮かんでいたハウゼルがすーっと近付いてきて。

 

「……ほ、ほら、これです」

「……おォ」

 

 まるで要らないものを押し付けるかのようにその本を手渡されて。

 自分の弱点らしきそれを受け取ったレイは、パラパラとページを捲ってみる。

 

「……あん? おいコレって……」

 

 その本の中身に目を通して、最初こそ訝しげにしていたレイも、

 

「…………おい」

 

 その本を自分に見せてくる意味、その本を自分が欲しがっているという理由。

 それを理解したレイの表情には次第に変化が──そのこめかみに血管が浮かんできて。

 

 やがてその本をゴミみたいに雑に放り捨てると、

 

「──おいテメェ、俺をナメてんのかッ!!」

 

 バヂンッ! と弾ける雷電。静電気で逆立った前髪の下から表れた鋭い目付き。

 あっという間に怒りの頂点に達したレイは噛み付かんばかりの勢いで怒鳴った。

 

「えっ!? あれ!? レイはその本が欲しかったのではないのですか!?」

「ンな事をいつ俺が言った!! こんなもん欲しくも見たくもねェに決まってんだろが!」

「けど、だってランスさんが、これを見せればレイは必ず言いなりになるからって……!」

「フザけんな!! んな訳ねェだろ! つーか何処のどいつだそのランスってのはッ!」

 

 怒声を上げる度、レイの全身からバチバチッ! と幾条もの雷が迸る。

 その怒りの原因、彼が先程投げ捨てた本の中に載っていたもの。

 それは女性が──特に年端も行かぬ少女達が裸になっているヌード写真の数々。

 

 それこそが対レイ用の秘策としてランスが用意していたもの、幼女愛好者向けのエロ本。

 警察長官のウルザにゼス国内で押収した物を取り寄せてもらった、発禁もののエロ本である。

 ちなみにランスの元々のオーダーは()()()()()ロリコン向けのエロ本だったのだが、さすがにそこまでニッチな需要に応えるエロ本はゼス国広しと言えども存在していないようだったので、その本の中であられもない姿を晒すのは皆が見目麗しい少女達である。

 

 だが勿論、そんなロリコン向けエロ本で魔人レイが言いなりになるはずがなく。

 つまり、ランスは魔人レイの性癖を完全に誤解していたのだった。

 

「ハウゼルッ! 俺がこんな下らねーモンを欲しがるような男に見えるか!? あぁ!?」

「い、いえその、本当は私も半信半疑で……!」

「半信半疑だと!? そりゃてめェ半分程は俺がロリコンだと思ってたって事か!?」

「い、いいえっ! 決してそういう訳では……!」

 

 あらぬロリコン疑惑を掛けられて激怒するレイ、その怒気の前にたじたじなハウゼル。

 とその時。そんな二人を仲裁しに……もとい、更なる混乱を引き起こしに。

 

「──あぁもう! 馬鹿ハウゼル!」

 

 遠い空の彼方から、ハウゼル待望のあの魔人が助っ人として飛んできた。

 

「だーからランスが用意した秘策なんか真に受けるなって、あれ程言ったじゃないの!!」

「あ、姉さん! やっぱり来てくれたんですね!」

「そーよ来てあげたわよっ! ほんとーに全く、あんたはお姉ちゃんが付いていてあげないと駄目駄目なんだから!」

 

 その言葉こそつっけんどんなものの、その声色は何処となく嬉しそうで。

 戦場に姿を現した魔人サイゼル。もはや派閥戦争に参加するつもりもホーネット派に肩入れするつもりも無いのだが、しかし先のレッドアイ戦と同様妹の事が心配になりすぎて、結局はこうして妹の援軍に来てしまったようだ。

 

「サイゼルだと? オイ、お前は死んだんじゃなかったのか?」

「お生憎様、この通り生きてるわよ。ケイブリス派に戻るのが面倒になったから死んだって事にしていただけ」

「面倒ねェ……で、その様子じゃあ今度はホーネット派に付いたって訳か」

「別にそんなつもりは無いわよ。けれど私はハウゼルの味方なの。だから今はあんたの敵ってわけ」

「……ハッ、そーかい」

 

 姉妹仲を元に戻したサイゼルの事情を聞いて、レイは白けたように呟く。

 ロリコン疑惑を掛けられて燃え上がった怒りと闘志、それはまたしても消沈してしまっていた。

 突然の乱入者、元は味方だった魔人サイゼルが敵に回った事はどうでもよかったのだが、これでは一対一のタイマンじゃない。それがレイにとっては一番萎えてしまう要素。

 加えて言えば相手は二人共に殴り合いなどとは無念の女魔人。これでレイにやる気を出せというのが無茶というものである。

 

「……まぁいい、それでも闘いは闘いだ。オラ、とっとと掛かってこい」

「レイ、言っとくけどこっちは二人掛かりだから。文句は言わせないわよ」

「好きにしろよ、興味もねェ。……ハァ、今日は運が無かったな……」

 

 今日はもう気分が萎えたので適当に戦って、適当な所で切り上げよう。

 そんな事を考えていたレイに、ここで更なる萎える要素が。

 

「行くわよハウゼル! 私達の力を見せてやろうじゃないの!」

「あ、はいっ!」

「……ん?」

 

 そうして戦闘開始。

 すると姉妹は背に生えた羽を羽ばたかせ、ふわーっと空高くまで上昇していく。

 

「お、おいおい……」

 

 やがてそれは見上げる程の高さまで、レイの拳がとても届かないような高さまで。

 遠距離砲撃戦を得意とする姉妹達にとって、戦闘となれば高度を取るのは当然なのだが、そうなると翼を持たぬレイとしては困りものである。

 彼の攻撃は基本的に接近戦特化、故にこれ程高く飛ばれてしまうと戦いようがない。本気でイカヅチを起こしてみれば届くかもしれないが、現状そこまでのやる気を出す事は出来ない。

 

「てめぇら、せっかくの闘いでそりゃねぇだろ。せめて下りてきて戦えよ」

 

 故に半ば無駄だと思いながらも、そんな言葉をボヤいてみたのだが。

 

「あ、確かに……これはちょっと卑怯ですね」

 

 それは期せずして心優しき魔人ハウゼルの心に届いたらしい。

 そもそもが2対1の戦いなのに、更には相手の手が出せない上空からの一方的な闘い。

 流石にそれはズルすぎると感じたのか、ハウゼルはすすすーっと下に下りてくる。

 

「レイ、これで宜しいですか?」

「お、おォ……そりゃ宜しいけどよ、俺が言っといてなんだがおめェこそそれでいいのか?」

「はい、私は構いません。こっちは二人掛かりですからね、それならせめて地上で闘いましょう」

 

 その目線を同じ高さに合わせて、敵だというのに微笑で以て語り掛ける。

 その姿はまさに品行方正を旨とするハウゼルらしい姿だったのだが。

 

「って、馬鹿ハウゼルっ! 構わない訳がないでしょうが!」

 

 慌てて下まで降りてきた姉、サイゼルの方にはそんなつもりなど欠片もない。

 2対1なのは一人きりで孤高を気取っているのが悪い。空を飛べないのは翼を持たないのが悪い。

 そうシビアに考えるのが姉であり、だからこそ相手に合わせる理由など何も無い。

 

「ほらハウゼル、とっとと飛びなさい! 上空に上がっちゃえば飛ぶ事が出来ないレイに私達が負けるはず無いんだから!」

「でも姉さん、それはあまりにも卑怯じゃ……」

「あのねぇ、そんな事は気にしなくていーの!」

 

 ただ根本的な問題として、この姉妹は基本的に考え方が噛み合わない。

 相反する属性をその身に秘める点からしても、それはもうどうしようもない事なのである。

 

「卑怯だろうがなんだろうが、楽に勝てるんだからそれでいいでしょ!?」

「けどっ、私達は二人掛かりですし、せめて下で戦わないとレイが可哀想では……!」

「レイが可哀想だからって何だって言うのよ! こんなヤツ上空から撃ちまくってとっととノシちゃえばそれでいいの!」

 

 そして更に困った事に、この姉妹は姉妹が揃ってしまうと時たまこうなってしまう。

 お互いがお互いを好き過ぎるが故なのか、お互いしか目に入らなくなってしまうのだ。

 

「……オイ、おめェら……」

 

 思わずレイが困惑気味に声を掛けても、姉妹からの反応は無し。

 こうなったらもう最後、ハウゼルとサイゼルの瞳には互いの事しか映っていない。

 

「ほんとーにあんたは頭が固いんだからっ! せっかく私が協力してあげるって言ってるのになんでわざわざ面倒な闘い方を選ぶのよ! この馬鹿、バカバカ!」

「っ、姉さんだって、協力してくれるって言うならこんなギリギリじゃなく、もっと早くに言っておいてください! 姉さんが協力してくれるかどうか分からないからこの闘いでの私の役割が中々決められなかったんですからね!」

「そんな事知りませんー! ていうかそれを言うならあんただって出撃の日時ぐらいちゃんと教えときなさいよ! 急に城から居なくなっちゃってめちゃくちゃ寂しかったんだから!」

「い、言いましたよ! 私少なくとも二回は言いましたよね!?」

「言ってないっ! だって私知らなかったもん!」

「だからそれは姉さんが忘れていただけです! 大体この前だって……!」

 

 あーだこーだと、ごちゃごちゃと。

 二人の言い争いはすぐに当初の地点を離れ、二人だけの世界へと突入していく。

 

「………………」

 

 そんな中、完全に蚊帳の外となったレイは、

 

「……くっだらねぇ。これだから女ってのは」

 

 それはもう心底呆れ果てたように呟いた。

 もはや闘いなどという気分では無いので、一旦出直そうとレイは思った。

 とにかく今日はもうツキが無かった。エンカウントした相手が悪すぎた。

 

「明日はガルティアかシルキィとやりてェな。まぁこの際サテラでもホーネットでもいい。つーかもう、こいつら以外なら誰だっていい……」

 

 そんな言葉を呟きながら、魔人姉妹達に背を向けてとぼとぼと歩き出したレイだったが。 

 

「……お」

 

 ふと視界に入ったそれ。地面に捨てられている発禁もののエロ本。

 レイはヤンキー座りでしゃがみ込んで、何となくもう一度その中身に目を通してみる。

 

「……しょうもねぇ。俺がこんなもんを欲しがるとても思ってのか」

 

 そしてやっぱり先程と同じ気分になって、ポケットから取り出したタハコに火を付ける。

 その本の出来自体は良いのだろう。美少女を呼んで差し支えない子供達が欲情を沸き立てるようなポーズをとったり、中には男と交わっている写真すらも載っている。

 そういう嗜好がある者にとっては喉から手が出る代物かもしれないが、それでもレイには欠片も性的興奮など湧いてこない。何故ならレイはロリコンでは無いから。

 

「せめて後10は育ってねぇとな。じゃなきゃ立つもんも立たねーよ」

 

 とはいえ魔人レイとて男であり、その男の部分は何も枯れているという訳ではない。

 例えば人間の女が目の前にいたとして、気が向いたなら犯す。その程度の事はしたりもする。

 ただそれでも淫蕩に耽ったりする訳では無い。無いなら無いで別に構わない。

 

 それは戦い然り、あるいは性交然り、根本を辿ってみれば同じもの。

 結局の所、レイはただ求めているだけなのだ。

 自らの胸の内、そこに沸き立つ激しい衝動を存分にぶつけられるような相手を。

 

 あるいは──

 その衝動をものともしないような相手を。

 それを求めているだけで。

 

「……はぁ」

 

 タハコの煙をぷかりと吹かせて。

 今も背後で言い争うハウゼルとサイゼルの声を聞きながら、魔人レイはぽつりと呟いた。

 

「……どっかにイイ女はいねぇかなぁ……」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 魔人姉妹達のイチャつきに踊らされ、魔人レイが大いにテンションを落としていたその頃。

 レイが戦いたがっていた魔人の一人、ガルティアは西の戦場で戦っていた。

 

「ふっ!」

 

 ギザギザの刃が浮かぶ蛮刀、ハワイアンソードを鋭く一閃。

 ケイブリス派魔物兵達を軽く蹴散らしながら、ガルティアは難しい表情をしていた。

 

「……うーん、どうしたもんかな」

 

 自分は魔人。魔人の相手は同じ魔人であって、ここに居る魔物兵達は相手にならない。

 だから今ガルティアがやっている事は魔人レイがやっていた事と同じ。雑兵を蹴散らしながら敵軍を荒らして、向こうの魔人を見つける、もしくは見つけてもらう。そんな方針。

 

「……レイとかレッドアイとかなら、簡単に見つかるんだろうけど」

 

 こういう手に乗ってくれるのは好戦的な性格の魔人であり、その筆頭と言えば魔人レイ。

 実のところ、魔人レイは開戦と同時に突っ込んで来ると分かっていたので、ガルティアがそちらを受け持つという案もあった。

 しかし対レイに関してはランスから受け取った秘策があるというので、ハウゼルが担当する事になった。故にガルティアはこうして自らが相手するべき魔人を探していたのだが。

 

「さすがに難しいかな。ケッセルリンクは夜しか出られねーし、残りの奴らも出不精なヤツばっかだからなぁ」

 

 今日はまだ初日の段階。先を見据えて向こうが魔人を温存する事は十分にあり得る。

 勿論それでも自分がすべき事は変わらない。相手が出てくるまで、あるいは腹が減って帰陣する時間になるまで、ここで暴れまくるだけ。

 

 けれどもこの分じゃあ今日は空振りに終わりそうだな──

 ……と、ガルティアのそんな考えは期せずして裏切られる事となった。

 

「……ん?」

 

 ふと気が付くと、周囲からケイブリス派魔物兵達の姿が消えていた。

 無敵結界を持つ魔人とて、物量で押し込めば足止めは可能なのだと、そう言わんばかりに前進し続けていた魔物兵の壁がいつしか後退していて。

 

 そうして引いた魔物兵達の壁の奥。その向こう側から新たな軍団が前進する。

 その軍団は魔物兵ではなく、鋼鉄の身体を持つ機械人形──PG〈パーフェクトガール〉

 

「……おぉ、こりゃビックリだな」

 

 まさかこの魔人が出てくるとは。その光景に思わずガルティアも驚く。

 この機械人形達の主、それを探していた身としてはまさに望外の幸運で。

 

 そうして見えてきたその姿──白衣を着込んだ不健康そうに見える少年。

 

「やぁガルティア、久しぶりだね」

 

 ケイブリス派に残る魔人の一人、パイアールはふっと口の端を曲げた。

 

 

 

 

 



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カスケード・バウの戦い②

 

 

 

 

 戦地となった大荒野カスケード・バウ。

 今も喚声と怒号飛び交う戦場の一画、そこで二人の魔人が対峙していた。

 

「やぁガルティア、久しぶりだね」

「あぁ、そうだな。けどパイアール、お前がこんなに早く出張ってくるとは思わなかったよ」

 

 魔人パイアールと魔人ガルティア。

 元々は同じくケイブリス派に属しており、そして今では袂を分かっている関係。

 しかしそもそも仲間意識が無く、だからこそ裏切り者だという感覚も無いのか、両者はケイブリス派に居た頃と同じような気軽さで挨拶を交わす。

 

「お前は戦いってガラじゃないし、出てくるとしたら最後の方だと思ってたんだけどな。それともさすがに今回ばかしは乗り気になったとか?」

「まさか。こんな戦争全く興味無いよ」

「だよなぁ。でも、だったらどうしてだ? またケイブリスの奴にせっつかれたか?」

 

 ガルティアがそう尋ねてみると、パイアールは煩わしそうに首を横に振って。

 

「いいや。むしろそうなりそうだったから今回はストロガノフと交渉したんだ。それでホーネット派の魔人を誰か一体潰したら、それでもう僕は切り上げて良いって事になったんだ」

「あぁなるほど、そういう事ね。まぁこっちとしても有り難い話だなそりゃ」

 

 パイアールは争い事に関心が無く、自らの研究にしか興味を持っていない魔人。

 そのスタンスは最終決戦となるこの場でも変わらないようで、とっとと研究所に帰りたいからこそ、ガルティアの首を狙って開戦当初から前線に出張ってきたらしい。

 

 そしてそれはガルティアにとっても好都合。彼も同様に手っ取り早く落とせる魔人を探していた。

 ケッセルリンクやケイブリスなど、この先出てくるであろう更なる強敵の事を考えると、初日の段階でパイアールを倒すチャンスと巡り会えたのは願ったり叶ったりであった。

 

「けど魔人を誰か一体潰せば、っつってたけど……その狙いは俺でいいのかい?」

「うん、いいんじゃない? というか僕としては別に誰だっていいんだよ。守備力の高いシルキィとかだったら面倒くさかったけど、その点ガルティアなら手頃な相手だしね」

「そうか、なりゃ良かった。いやね、これまたこっちとしても有り難い話だったからさ」

 

 暗に下に見られている事も気にせず、ガルティアは常のように気さくに笑う。

 向こうがそのように見ているように、彼にとっても魔人パイアールとは手頃な相手。自分と相性の良い相手だと想定しており、事前の作戦会議でもガルティアの優先目標はパイアールに決まっていた。

 

 そして更に有り難い事に。

 出発前、その事を知ったらしいランスからパイアール討伐の秘策まで戴いていた。

 

(……ま、秘策っつっても……)

 

 ガルティアは腰巻きの裾から一枚の紙切れを取り出しぴらっと捲る。

 それこそランスが授けてくれたメモ書きであり、そこにはパイアールとの闘いで役立つであろう秘策が短く一文。 

 

『死ぬ気で戦え。つーかお前は死んでも良し』

 

「……なんだかなぁ。まぁあいつらしいけどさ」

「何が?」

「いいや、こっちの話」

 

 ガルティアはやれやれと首を振る。

 ランスが授けてくれた秘策は言われずとも当たり前の事というか、単なる根性論。

 相変わらず男と女でまるっきり対応が異なる……というのは表面上の話であって、実際の所はどうやら魔人パイアールに対してはランスも有効な手が思い付かなかったらしい。

 一応パイアールの姉、ルートの魂が宿る肉塊を人質に取る事までは考えたのだが、その肉塊が現在何処に置かれているのかが分からなかったようだ。

 

(とはいえ秘策なんざ必要無いんだけどな。普通に戦えば良いだけの話だ)

 

 頂戴した秘策が期待外れ、無意味なものであってもガルティアの心胆は微塵も揺るがない。

 普段通り悠然と構えながら見つめる先、機械人形の大軍に守られる少年の姿。

 

(……特に、パイアールが相手だとな)

 

 魔人パイアール。元々は人間、発達した頭脳が生み出す図抜けた科学力の駆使する魔人。

 今もその周囲に並ぶPGというロボットの他、衛星兵器やメカバボラなど、数々の科学兵器を開発してホーネット派を苦しめてきた存在。

 その科学力はパイアール以外には誰一人として理解し得ない程のもので、当然ガルティアにはその仕組みなどさっぱり分からない。ないのだが。

 

(パイアールの作り出すもんはすげーけど、ありゃ無敵結界さえあればなんともねぇからなぁ)

 

 それでもガルティアは魔人。魔人は無敵結界という超常の防壁を有しており、それはパイアールの科学力を以てしても解析できないもの。

 魔人自身の攻撃であれば通過するものの、それ以外の攻撃は全て無敵結界の前に防がれる。例えばガルティアが体内で飼っている使徒達の攻撃がパイアールには全く通じないように、パイアールが生み出した無数の化学兵器の攻撃もガルティアには全く通じない。

 もしこの戦場に衛星兵器を持ち出してきていたとしても、その衛星爆撃だって効果は無し。それが無敵結界を持つ魔人同士の戦いでのルール。

 

 そして魔人パイアールとはその能力を頭脳に、その科学力に極振りしているような魔人で。

 故に科学力を除いたパイアール本人の戦闘能力、それは例えるなら眠りの能力を除いた魔人ワーグに毛が生えた程度のものである。

 

 方や魔人ガルティア。彼は元伝説のムシ使いであってLV2の才を持つ剣技の達人でもある。

 魔人としてのレベルでも上回っており、一対一での接近戦ならパイアールの数十倍は強い。

 

(……パイアールには悪ぃけど、ちょっと負ける気はしねぇなぁ)

 

 その科学力は驚異なれど、魔人との闘いにおいては有効な手段にはなりえない。

 だからこの勝負は自分が勝つ。その考え方は間違っているという程のものでは無かったのだが。

 

 しかしこの時、ガルティアには一つだけ読み間違えている事があった。

 魔人パイアールとは頭脳に優れた魔人。つまりガルティアよりも遥かに頭が良い魔人。

 となれば今ここでガルティアが考えた事、その程度の事は当然ながらに想定済みで。

 

 

 

(……『パイアールには負けねぇだろ』……みたいな事を考えているんだろうね)

 

 その思考を冷静に分析しながら、パイアールは冷めた目で相手を見つめていた。

 そう侮られる事については何とも思わない。ただ他人事ながらに無知とは哀れなものだと、低能とは悲惨なものだと感じるだけだ。

 

(そりゃまともに戦えばガルティアはおろか、殆どの魔人に僕は負けるだろうさ。でもそれが分かっているのに、この僕がなんの対策も無く戦場に出てくる訳が無いとは考えないのかな)

 

 自分の造った科学兵器は専ら魔物兵相手に使用するものであり、無敵結界の前には無力。

 それは誰よりも製造主であるパイアール自身が一番深く理解している。

 けれどもその上で尚、こうして戦場に立つパイアールは魔人との戦闘を全く恐れてはいない。

 それは振り返れば魔人になる以前から。脆弱な存在である人間であった頃からそうだった。

 

 ──パイアール・アリ。

 それはこの世界で生まれた人類の中で、一番最初に魔人を倒した人間の名前。

 

(僕の造ったPG達は確かに魔人との戦闘には向いていない。けど、だったら相手の魔人化を解除してしまえばいいだけの話だよね)

 

 それこそがパイアールの有する秘策──魔血魂摘出装置の存在。

 彼が人間だった頃、魔人が持つ無限の寿命を得る為に魔血魂を入手しようと制作した機械であり、魔人の身体から魔血魂を取り出してしまうとっておきの秘密兵器。

 それは今もこの戦場に──連れてきたPG達の一体が隠し持っている。

 

(当時は限界まで作り込んだつもりだったけど、今見るとまぁ酷い出来だったね。今回使用するのはあの時のものより改良を加えてあるから、前よりも更に簡単に終わるはずだ)

 

 当時より進化した科学力で小型化にも成功して、手に持てるサイズとなった箱のようなメカ。

 それをガルティアの身体に取り付ける。それがこの闘いでのパイアールの勝利条件。

 

(時間にして約30秒……いや、10秒もあれば十分かな。10秒間動きを制限する事が出来れば、この装置をガルティアに取り付け起動させて、それでもう僕の勝利は確定する)

 

 魔人ガルティアを人間に戻してしまえば、自分が制作したあらゆる科学兵器が有効となる。

 それこそこちらには無敵結界もある訳で、人間に戻ったガルティアが相手になるはずがない。

 

(問題はこれをどうやってガルティアの身体に取り付けるかだけど……睡眠ガスに神経毒、催眠誘導装置に急速冷凍装置……色々持っては来たけど、まぁ片っ端から試してみるか。面倒だけどこれも実験の一環と思えば多少はマシかな)

 

 戦闘用のPGの他、相手の動きを拘束する為の機械を運んできたPG達もずらりと控えている。

 それらを駆使して戦えば、魔人ガルティア程度なら簡単に片付くだろう。

 そもそもが自分は人間だった時でさえ、この科学力を駆使して魔人を倒してみせたのだから。

 

 と、魔人最高の頭脳を持つ少年はそのように考えていたのだが。

 しかしこの時、そんなパイアールも一つだけ読み間違えている事があった。

 

 

 

「さてと。んじゃ早速やろーか」

 

 そうしてガルティアは手に持つ蛮刀、ハワイアンソードを軽く構える。

 

「構わないよ。まぁやると言っても戦うのは僕じゃなくてPG達だけどね」

 

 対するパイアールは構える事も無く、代わりにその周囲に居たPG達が武器を構える。

 

「……ふーん」

 

 その様子を見ていて何を思ったのか。

 そこでガルティアは蛮刀を一度下ろし、反対の手でその軍勢全体を軽く指差す。

 

「なぁパイアール。お前の周りにあるそのPG……ロボットっつったっけか? それって見た目は人っぽいけど生きている訳じゃないんだよな?」

「うん、そうだよ。生きているものより人工知能の方が遥かに扱い易いからね」

「だよな。だったらまぁいいか」

 

 パイアールが読み違えていた事。 

 それは自らが隠し持っている魔血魂摘出装置と同じように、相手にも秘策があるという事。

 

「うし。んじゃあ久しぶりにやるかね……っと!」

 

 言いながらガルティアは脇腹に手を当てて。

 大きく息を吸い込むかのように、その身体をぐっと仰け反らせる。 

 

 すると生じる──ほんの僅かなそよ風。

 

「……ん?」

 

 その風がパイアールの頬をすっと撫でた。

 と思った矢先、そよ風程度だったそれは一気にボリュームを上げて、瞬く間に突風となる。

 

「……な、なんだ、この風は……!?」

 

 パイアールがそう呟いた時にはもはや、目を開けているのも困難な程の暴風と化していて。

 その風が吸い込まれていく先、それは目の先に居る魔人の腹部にある空洞の中。

 

 それがガルティアのとっておき──異次元ストマックホールに繋がる腹部の穴の大開放。

 命有るものも無きものも、あらゆるものを無差別に飲み込む大食らいの大穴。

 

「く、くうっ!」

 

 荒れ狂う風の奔流。危険を感じたパイアールはすぐさま自らの前面に魔法バリアを展開する。

 パイアールの魔法は魔人の中で特別優れている訳ではないが、この魔法バリアだけは別。無敵結界だけでは衝撃まで吸収する事が出来ず、それに思考を邪魔されてしまうのを嫌う彼は魔法バリアを重視しており、その強度は全魔人中最大となる。

 そのお陰もあって、パイアールがその大穴に吸い込まれてしまう事は無かったのだが。

 

「──あ!?」

 

 しかし……それ以外は。

 

「あっ! あぁっ!! あーーーッ!!」

 

 絶望の如き悲鳴を上げるパイアール。その周囲に並ぶ大軍勢たるPG達は。

 魔物兵よりも遥かに強い機械人形といえど、その吸引力の前では堪える事が出来なかったのか、その大軍勢の全てが瞬く間にその腹の中へと吸い込まれていってしまう。

 

 それはPG達が持っていた睡眠ガスも、神経毒も、催眠誘導装置も急速冷凍装置も。

 そして、虎の子となる魔血魂摘出装置でさえも。

 

 

「……ふぅ、ごっそさん」

 

 やがて暴風が止んで、暴食を終えたガルティアは腹に空いた大穴を満足そうに撫で回す。

 こうしてありとあらゆるものを飲み込んで、全ては異次元ストマックホール送り。

 魔人ガルティアの秘策、前回のランス達も散々苦労したそれによって、数秒前まで無数に並んでいたPG達を綺麗サッパリ片付けてしまった。

 

「よし、これでやりやすくなったな。んじゃあパイアール、改めて──」

 

 改めて戦闘開始といこうぜー、なんてセリフを気楽に呟こうとした瞬間。

 

「っ、ガルティアッ!!」

 

 自分の研究にしか興味を持たない冷めた魔人。

 そんな普段の姿をかなぐり捨てたようなパイアールの怒りが飛んできた。

 いやそれは怒りなどと生ぬるいものではなく、まさしく激怒と呼ぶもので。

 

「ちょっと信じられないんだけど!? 人が作ったものをそんな雑に片付けるかな普通!?」

「いや、でも闘いの邪魔だったし……」

「邪魔!? 邪魔ってなに!? ていうかあれ一体作るのにどれだけの手間と時間が掛かっているか分からないのかな!?」

 

 大量のPG達を見ると勘違いしてしまうかもしれないが、PGとは一体作るのにも結構なコストが掛かり、決して大量量産が可能な代物では無い。

 それをこんな簡単に、こうもあっけなく。製作者のパイアールとしては比喩抜きに悲鳴を上げてしまう大惨事である。

 

「大体PGが生きてるかどうとかって聞いてきたのはなに!? 生物でない相手なら吸い込んでいいよなーとでも思っているの!?」

「い、いや、俺はそんなつもりじゃ……」

 

 その剣幕に押されて狼狽えるガルティア。

 ガルティアとしてはロボットという無生物は食料にはならないと思ったので、それなら気兼ねなく吸い込めるなーと考えただけなのだが、それはやっぱりパイアールの神経を逆撫でする考え方で。

 

「あー下らない! 来て損したよホントに!」

 

 どの道、PG達と魔血魂摘出装置を失ってしまった以上勝機は欠片もない。

 

「僕もう帰るから!! じゃあね!!」

「あ、おーい……」

 

 怒りも収まらない様子で、鼻息荒くしながらパイアールは去っていってしまった。

 

「………………」

 

 こうして二人の戦いはパイアール側の戦意喪失により終了となった。

 一応ガルティアはパイアールからPGの大軍と魔血魂摘出装置を奪った訳で、敵を討伐したとは言えずとも戦果を上げたとは言える結果。

 しかしそんなガルティアの顔に達成感は無く、大きな戸惑いと少しの後ろめたさが。

 

「……なんか、悪ぃ事しちまったかな……」

 

 ふとガルティアは思う。もしかしたらパイアールにとってのPGとは、自分にとっての食事のようなものだったのかもしれない。

 だとしたら確かに自分の所業は酷い。戦場で会った以上は情け容赦無しと言えども、それでももう少し敬意を払って相手すべきだった。

 そう考えるとなんだか罪悪感が湧いてきて。

 

「……今度会ったら飯でも奢るか」

 

 ぽりぽりと頭を掻きながら、ガルティアはぽつりと独り言を呟いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 正午頃に開戦したカスケード・バウの闘いも、それから数時間が経過した。

 

 そんな中で魔人レイがやる気を失って。

 魔人パイアールが用意していた秘策を失って。

 

 そうした魔人達のいざこざがあった中、それでも両派閥の闘いは続いていく。

 双方共に怒涛の如く前進する魔物兵達、その数は合計200万に及ぶ規模。未だ10万同士の第一陣の衝突が佳境に及んだ程度で、開戦から数時間ではまだまだ趨勢に変化は感じられない。

 

 そうして時刻は進んでいって。

 やがて戦場は日没を迎えて──

 

 ──そして、夜。

 

 

 

「……そろそろかな」

 

 魔人シルキィは空を見上げる。

 その色は暗い濃紺色をしており、先程呟いた言葉通りもうそろそろそれが近い。

 ケイブリス派に残る最大の強敵、魔人四天王ケッセルリンクが出陣する時間が。

 

「どうやらケイブリスはまだ出てこないようだし、となれば先にこっちを止めないとね。……この場所であってるといいけど」

 

 今シルキィは東の戦場の更に東側、つまり戦場からは少し外れた地点に居る。

 彼女がこの場所だと読んだ理由は至極簡単。もしケッセルリンクが自身の城を出てホーネット派の本陣を一直線に目指す場合、この地点を通る事になるからという、それだけの理由。

 

 指揮系統の中心地となる本陣に奇襲を受ける事だけは避けなければならない。

 となるとこの地点でケッセルリンクの侵攻を食い止めておきたい。故にシルキィはここに居る。

 

 そして何時訪れるか分からないケッセルリンクの奇襲に備える以上、これよりシルキィはしばらくこの場を離れられない事となる。

 もし仮に今このタイミングで、戦場に魔人ケイブリスが出てきたら。そうなったら手の空いている魔人と魔物兵達で対処してもらう事になる。かなりキツいだろうがどうにか頑張って貰うしかない。

 

「けどシルキィさん、魔人ケッセルリンクがこの場所を迂回して本陣に向かっちゃうっていう可能性は……ないんですか?」

「無いとは言えないけど、でも多分大丈夫。ここで待ってればその内に来るわ。ケッセルリンクはそういう所は合わせてくれる魔人だから」

 

 ちなみにそんなシルキィの隣には今、一人の人間がぽつんと立っている。

 その名は見当かなみ。ランス達人間の中で唯一奇襲部隊に参加しなかった人物である。

 

「ねぇかなみさん。今更だけどわざわざここまで付き合う必要は無いのよ? いくらランスさんの命令だからって……」

「でも、一応これが秘策という事ですし……」

「秘策ねぇ。私もそれは聞いているけど、正直言って無茶な話だとしか思えないんだけど」

「……正直言って私も同感です……はい」

 

 かなみがここに居る理由。それは彼女の存在こそが秘策となるから。

 魔人ケッセルリンクの弱点。それが可哀想な女性だという事は前回の時にリサーチ済み。

 だったらかなみだ。かなみを盾にして戦えばきっと楽に勝てるだろう。それがランスの考えた対ケッセルリンク相手の秘策となる。

 

「うぅ……いくら秘策だからってこんな扱い……ランスのばかぁ……」

「……貴女も大変ね。けれど安心して、さすがに貴女を盾にして戦ったりはしないから」

 

 そんな理由で一人お留守番となったかなみ。その扱いは確かに可哀想な女性と呼べるものだが、とはいえただの人間であるかなみを魔人四天王同士の闘いに参加させる訳にもいかない。

 秘策はそのまま秘しておく事にして、この戦場でのかなみの仕事は専ら伝令役となる。

 

「けれどシルキィさん、その……闘いの方は大丈夫なんですか? 聞いた話だと魔人ケッセルリンクってとっても強い相手だって……」

「……そうね。特にこの時間のケッセルリンクが相手となると私に勝ち目は──」

 

 そう言い掛けた途中、シルキィはハッとしたように空を見上げる。

 その景色は先程と何ら変わらなかったが、それでも熟練の戦士には感じ取れる気配があった。

 

「──来た!」

「えっ?」

「かなみさん、ここはもういいから貴女はすぐに本陣に戻って。それで予定通り私は戦闘に入る事になったから、しばらくこっちには誰も近づけさせないよう伝えて!」

「は、はいっ! 了解です! シルキィさん、その……頑張って下さい!」

 

 鋭さを増したシルキィの声に押されて、かなみはすぐさまその場を離れていく。

 するとそれを待っていたかのように、その周辺一帯が急激に暗度を増していって。

 瞬く間に闇が広がり、先程は僅かにしか感じなかったその気配が一気に濃密なものへと変わる。

 

「──やはり私の相手は君か。シルキィ」

 

 そうして闇の中からその姿が現れた。

 紳士然とした貴族のような男、ケイブリス派に属する魔人四天王──ケッセルリンク。

 

「……えぇ。お互い派閥のNO,2同士、貴方を止めるのは私の仕事だからね」

 

 その姿を油断無く見据えたまま、シルキィはいつも通りの口調で答える。

 闘いの場で使う事にしている堅い口調に直そうかとも思ったのだが、けれど止めた。

 この魔人との戦いにおいては変に取り繕う必要も無いし、何よりこの戦いではそういう余計な事に気を割く余裕など無かった。

 

「予期してはいたが、それでも出来れば違う相手が良かったよ。君とは相性が悪いからね」

「……よく言ってくれるわね、そういう事。相性が悪いなんてどっちがの話よ、全く……」

 

 シルキィは溜息を吐きたい気分を抑える。

 戦士である自分にとって、魔人ケッセルリンクとは非常に相性の悪い相手。

 とはいえ相手がこの魔人となれば、きっと誰もが相性悪く感じるものだろうが。

 

 特にこの時間の──この魔物界で『無敵』とも称される夜のケッセルリンクであれば。

 

「時間も惜しいし、早速だが始めよう」

 

 その言葉が合図となって、そこに居たケッセルリンクの輪郭がぼやけていく。

 かと思ったのも一瞬、ぼやけた輪郭はすぐに闇の中へと溶け混んでいく。

 

「……そうね。いつでもいいわよ」

 

 先程まで目の前にあった強い気配。それが周囲一帯へと薄く広がっていくのを感じ取りながら、シルキィは魔法具を操作する。

 この相手を前に無駄に大きな装甲を展開する必要は無い。防御力と機動力を兼ねた2m程の大きさの装甲を、使い慣れた大きさの装甲に身を包む。

 

「……ふぅ」

 

 そうして精神を集中しながら、ふと頭を過ぎるのは先程かなみに言い掛けた自分の言葉。

 

 この時間のケッセルリンクが相手じゃ自分に勝ち目は、無い。

 戦う前からそれは分かっている。それでも。

 

「──負けるつもりも、無いッ!!」

 

 

 

 

 



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カスケード・バウの戦い③

 

 

 

 

 

 周辺一帯を闇が覆う。

 延々と黒しか見えてこない、あらゆるものの輪郭を無くしてしまう異常な程に深い闇が。 

 

「ふっ!」

 

 そこに聞こえる音、鋭く息を吐く声。

 そしてガギィンッ! と、何かと何かが激しく交錯する衝撃音。

 そんな戦場のBGMすらも飲み込んでしまう、何処までも底無しに深い闇。

 

 それがアモルの闇。夜の闇とケッセルリンクの魔力が交わる事によって生じる特別な闇。

 通常の夜闇とは異なり、ランプでも照らせない程に深い闇。あらゆる光を拒絶するその闇の中では1m先もまとも目視出来ない。

 

「……はぁっ」

 

 そんなアモルの闇に包まれる中、魔人シルキィは呼吸と共に全神経を極限まで尖らせる。

 視覚が封じられている以上、頼りになるのは蠢く闇の奥を捉える聴覚や嗅覚、あるいはその動きを肌で感じ取る触覚、更には戦士として磨き上げてきた洞察力や直感など。

 そして魔人四天王として弛まぬ鍛錬を重ねてきた彼女のそれは紛うこと無き一級品。故に視界が効かないだけ、それだけでもう戦えないという程のものではない。

 いや、仮にそうだとしても、それでも戦わなければならないのだ。

 

「──ッ」

 

 聞こえた僅かな風切り音。

 直後ケッセルリンクの魔爪が弾丸のように飛んでくる。

 武器も持たぬ指先に力を込めただけのそれは、容易く鋼鉄を引き裂く程の威力。

 

「くぅッ!」

 

 躱せないと判断して反射的に顔を右手で覆った、その二の腕を覆う装甲に衝撃が走りガリガリと深い亀裂が刻まれていく。

 その威力に体勢を崩しかける中、シルキィは逆の拳を硬く握って殴り掛かる……が、その時にはもう標的は深い闇の中に紛れている。

 

 ──相変わらず厄介な……!

 およそこの魔人だけが持つだろう特殊能力を悔しげに評価しながら、シルキィは破壊された右手の装甲部分を新品のものへと切り替える。

 

 今も視界を覆う闇。ケッセルリンクが展開したアモルの闇は確かに驚異ではあるものの、しかしそれだけならば夜のケッセルリンクが無敵とまでは呼ばれたりはしない。

 魔人ともなればシルキィのように闇の中でも戦える者はいるし、あるいは魔術に優れた者なら広域魔法で周囲一帯を攻撃する方法だってあるだろう。

 そうした打開策が考えられる中、それでもこの魔人が無敵と呼ばれている以上、本当の驚異はアモルの闇とは別の所にある。

 

 それがミスト化。夜のケッセルリンクを無敵たらしめる一番の理由。

 自らの身体を闇に溶かして、闇と同化する事が可能となる唯一無二の特殊能力。

 要は周辺一帯を覆うアモルの闇自体がケッセルリンクだという事。闇の中から、ではなく闇そのものから姿を現して攻撃し、直後に身体を霧状化させて相手の反撃を回避する。

 

 ──その爪を防ぐのはともかく、こっちの攻撃を当てるのが本当に難しい……!

 比類なき戦士であるシルキィであってもそう唇を噛む程に、攻守共に万能となる闇の鎧。

 それを纏う今のケッセルリンクこそ、この魔物界で無敵と称される存在。

 

「──ッ!」

「ふっ!」

 

 再度鋭く飛んできた魔爪の一撃。

 それを武器の柄で弾き返しながらシルキィは思考を続ける。

 

 分かっていた事だけど、このケッセルリンクに勝つのは難しいというか、ほぼ不可能。

 というのが率直な感想だ。同じ魔人四天王であるのになんとも情けない話ではあるが、しかし攻撃が当たらない相手というのは如何ともし難い。

 仮に魔術の才があれば何かしら特殊な打開策を講じられたかもしれないが、生憎とシルキィにそんなものは無い。ただの戦士でしかない自分にとってこれは本当に相性の悪い相手だと思う。

 そもそもこれ程に回避性能が高い上、何も一発良いのが入ればそれで勝てるという訳でも無い。肉体的な面でもケッセルリンクは自分に勝る、その生命力だってきっと上なはずだ。

 

 ──今はどうやっても勝ち目が無い。となるとやっぱり、闇が晴れるのを待つしかないか。

 それはもう戦う前から分かっていた事で、ついでに言えば相手も分かっている事なはずだ。

 夜のケッセルリンクは無敵だが、そう呼ばれるのはあくまで夜だけの事。ならば夜闇が晴れる時間まで待てば良い。そう考えるのは当然の事で。

 

 つまり狙いは持久戦。ひたすら耐え忍ぶ我慢比べのようなもの。

 幸い守備力にはちょっと自信がある。この身を守る装甲だって合計20t分なら換えが効く。

 そういう見方をするならば先程言っていた事、ケッセルリンクにとって自分が相性の悪い相手というのもあながち間違ってはいないかも──

 

「んッ!」

 

 そんな思考を遮るかのように再度魔爪の一撃、咄嗟の判断でシルキィは真横に飛んだ。

 

 

 

 

 

 ──そして。

 それから数時間後。

 

「……はぁ、は……っ」

 

 聞こえてくるのは荒くなった息づかい。

 戦場から聞こえる叫声も夜遅いこの時間帯では止んでいるのか、無音の中で自らの荒い呼吸音だけがうるさく聞こえてくる。

 

 ──どれくらい時間が経ったかな……。

 今もまだアモルの闇は晴れていない。

 相変わらずの深い暗闇の中、ふとシルキィは頭の片隅でそんな事を考える。

 

 戦闘開始から早数時間。耐え忍ぶ闘いを続けてきた彼女の様子にも変化が生じてきていた。

 敵の攻撃は四方八方何処から飛んでくるか分からない上、その速度も驚異的。全神経を尖らせていて尚、それでも対処は難しい代物。

 特に周囲を覆う闇、何ら光の見えない深すぎる闇が次第に感覚を鈍らせていく。そうした事もあって、最初は的確に対処出来ていた攻撃も徐々に被弾する事が増えてきた。

 

 その都度魔爪に引き裂かれ砕かれてと、破損した装甲の残骸が周囲には沢山転がっている。

 勿論それらに守られてきたシルキィの方も無傷とはいかず、その小さな身体には切り傷と出血が目立つようになってきていた。

 

 ……ただ、それでも。

 

「……流石に耐えるね、シルキィ。特に今回は君一人だというのに」

 

 ふいに闇の何処かから声が。

 普段と変わらない調子のケッセルリンクの声が聞こえる。

 

 ──そう言えばそうね。これまでとは違って今日は私一人なのに……。

 シルキィはこれまでにも数度ケッセルリンクと戦った経験がある。以前にホーネット派がカスケード・バウ攻略に乗り出した際、夜毎に襲ってくるケッセルリンクの対処をしてきた。

 そしてその際には自分よりも強い派閥の主、魔人ホーネットがそばに居た。まぁ派閥のトップ二人掛かりで戦っても夜のケッセルリンクを倒す事は出来なかった訳だが、それでも二人掛かりであればある程度応戦する事が出来ていた。

 どちらかに攻撃が来た際はどちらかが動けるし、ホーネットなら魔法での攻撃も可能。更には回復魔法だって使える魔人筆頭の存在はこの闇の中でとても心強いものだった。

 

 しかし今はそんな心強い存在は居らず、今ここにはシルキィただ一人だけ。

 それなのに、だ。それなのに今は良く戦えている気がする。決して強がりなどでは無く、これまで以上に動きが冴えている気がする、敵の猛攻の前に良く立ち回れている気がする。

 依然として勝てる気は全くしないのだが、不思議な事に負ける気だって全くしない。

 

 以前と比べて自分は何が変わったのか。

 あの時よりも強くなったのだろうか。それともこれが最終決戦故の決死の覚悟というものか。

 何が理由で今日はこんなにも……と考えて。

 

「……あ」

 

 ──もしかして……これのおかげかもね。

 ふとそんな事を思って、シルキィの口元に激戦の最中には似合わない微笑が浮かぶ。

 

 今も右手の中にはその感触が、闇の中でも失わない感触がある。

 闘いの中で自然と武器として選んでいたもの、英雄の槍の感触が確かにある。

 

 それは傍若無人で豪快な、それでいて頼りになるあの男との不思議な運命の絆。

 これがあるだけでなんだか心強い。この槍を握るだけで勇気が湧いてくる気がする。

 

 ──これは装甲に合成しちゃわなくて良かった。後でランスさんにお礼を言わないとね。

 

 そんな事を考えて、またその口元をふっと柔らかく緩ませて。

 周囲を覆う闇、すぐ真横から鋭い魔爪が脳天目掛けて飛んでくる──瞬間。

 

「──はぁッ!」

「むっ!」

 

 構えていた英雄の槍を振り切るように一閃。それは相手の動きの先を取った。

 この闘いの中で初めてシルキィの攻撃がクリティカルヒットし、ケッセルリンクの左肩に一筋の深い傷痕を残していた。

 

「……見事な反応だ。この闇の中、この期に及んでその集中力には称賛さえ覚えるよ。やはり君とは戦いの相性が良くない」

 

 引き裂かれた傷口から赤い血を滲ませながら、ケッセルリンクはまた闇に紛れる。

 

 耐え忍ぶ闘いというのはつまり、心の強さが求められる闘い。

 守備力や持久力よりも何よりも、内に秘める意志力の強さが肝要となる。

 

 そして彼女の()()はずば抜けて強い。シルキィは耐える戦いを何ら苦としない。

 束の間の平和の中で出来た思い出一つ、それだけでまた千年戦えると思える程に。

 だからこそシルキィは魔人四天王であり、だからこそ英雄と呼ばれるのだ。

 

 ──そう。だから……いくらケッセルリンクが無敵だからって……!

 

 たかが一夜、たかが半日足らずの戦闘。そんなものは耐えるの範疇にすら入らない。

 シルキィはもう一度、英雄の槍の柄をぎゅっと握り直した。

 

 

 

 

 

 そして──

 その後も戦闘は続いて、やがて魔物界の暗い空にも光が差し込む時間となる。

 深い夜闇、アモルの闇も強制的に晴れる時間となって、遂にはその時が訪れた。

 

 

「……ここまで、かな。良い戦いだったよ」

 

 戦闘終了の合図を告げたのはケッセルリンク。

 もはやその身を守る闇も消え失せ、彼の姿は完全に露わとなっている。

 目に見える程の大きな傷口は計4箇所。その他細かな傷は多々あれど、結局シルキィの攻撃がクリティカルヒットしたのは4回だった。

 勿論その程度で魔人四天王は倒れず、その容貌は戦闘開始当初の威厳を誇ったまま。

 

「見事だ、シルキィ。この勝負は君の勝ちだ」

「……そんなセリフ、今の私を前にしてよくもまぁ言ってくれるわね」

 

 一方のシルキィは消耗した表情、その小さな身体の至る箇所に怪我を負っている。

 鋭く斬られた腹部と足、そして額からは今も流血が滴っており、それ以上のダメージを何度も受けた事を暗に示す砕かれた装甲、パーツの残骸がそこらに散らばっている。

 そんな二人の姿を一見すれば、先の台詞通りの結果だとは見えないものなのだが。

 

「負け、だなんて。本心じゃあそんなつもりなんて無いんでしょう?」

「いいや、本当にそう思っているよ。今はまだ多少は動けるつもりだが、これ以上君と戦えば確実に私が負けるだろうからね。……ほら」

 

 するとケッセルリンクは右手を前に突き出す。

 そして指を動かす。……が、その動きはあまりにも弛い。その手で魔人シルキィの頑強な装甲を引き裂き続けてきたとは到底思えない程。

 

「もはやこの通り、満足に手も動かせない。ここには光を遮るものが何も無いし、完全に動けなくなってしまうのも時間の問題だろうね」

「……最初からそれ狙いだった私が言うのもなんだけど……不便な体質よね、貴方のそれって」

「まぁね。とはいえ夜であれば君程の魔人を圧倒出来る体質でもあるのだから、この程度のデメリットは仕方無いものだと割り切っているが」

 

 夜を得意として無敵とも称される一方、昼そのものが弱点となる魔人ケッセルリンク。

 特に今は野外という事もあってその影響は強く、すでに身体の各所は動かなくなってきている。

 このまま戦闘を続行して完全に身体が固まってしまえば、如何な魔人四天王のケッセルリンクと言えども討伐は免れない。

 今自分戦っている相手が魔人四天王シルキィ・リトルレーズンであるが故の、自ら負けを認めた先程の言葉は本心からのものだった。

 

「けど……ねぇ、ケッセルリンク」

「なにかな?」

「何故今回はここまで私に付き合ってくれたの? 私の狙いが夜明けを待つ事だってのは貴方も最初から分かっていたでしょうに」

「あぁ。本当はいつも通り、闇が出ている内に一度引き返すつもりだった。……ただ、あの暗闇の中でも怯まず、その顔に微塵も敗色を見せずに戦い続ける君を見ていたら、なんだか私も引くに引けなくなってしまってね」

「え、そんな理由だったの? でもまぁ、そう言ってくれると私も頑張った甲斐があるわね」

 

 そう言ってシルキィが微笑めば、釣られてケッセルリンクもその表情を緩める。

 元から互いに敵意も無いのか、一度矛を下ろしてしまえば二人の様子は派閥戦争が勃発する前、何ら敵対などしていなかった頃のもので。

 

「それじゃあ戦闘も終わった事だし、身体が動かなくなっちゃう前にそろそろ城に戻ったら?」

「おや。その言い分だと、私を見逃してくれるつもりなのかな?」

「見逃すもなにも、私だってもう身体が限界よ。なんせとっても怖いカラーの魔人が散々いたぶってくれたからね。これ以上戦えばどっちもただじゃ済まないし、ここは引き分けで手を打ちましょう」

 

 最初からシルキィの狙いは時間切れ、タイムオーバーによる引き分け狙い。

 このまま戦闘を続行したなら討伐も可能かもしれないが、しかしケッセルリンクとてそうなれば簡単にやられはしないだろう。勝てたとしてもこちらも痛手を負う事は想像に難くない。

 なのでシルキィとしてはここらで切り上げておきたいというのが本音だった。闘いはまだ2日目、この先もまだ戦闘はあるし、そして何より本気で倒したい相手という訳でもなかった。

 

「……ふむ、引き分けか。私としては有り難いが、君は本当にそれでいいのかな?」

「何が?」

「勝敗が引き分けでも結果は同じではない。私は城に戻って昼を越すだけで済むが、君はそういう訳にもいかないだろう」

 

 そう問いかけるケッセルリンクにとって、自らの足枷となっているのは陽の光のみ。

 この戦闘の中で何度かシルキィの攻撃を食らったものの、それでも魔人の耐久力からすれば戦闘を続行するのに支障は無い。

 

 しかしシルキィの身体にはそれ以上となる無数のダメージが刻まれ、なによりもその身を守ってきた装甲は結構な箇所が破損している。

 それは修理すれば直せるとはいえ、一日で仕上げる事は間違いなく不可能だろう。

 

「私は今日の夜にでもまたすぐ全力で戦える。その事を考えたなら、今ここで私を見逃すのは得策では無いと思うが。それともこれがホーネット派の方針なのかな?」

 

 あえて挑発的に、その甘さを指摘するような台詞を告げるケッセルリンク。

 

「……そう」

 

 その言葉をどう受け取ったのか。

 シルキィは今も血の滴るその顔に大層強気な笑みを浮かべて。

 

「いいわ。なら今日の夜も明日の夜も、何度でも掛かってきなさい。何度でも相手してあげるから」

「フッ、……流石だね。シルキィ」

 

 その言葉に、ケッセルリンクも微笑で返した。

 幾度踏み躙られて無残に折れた花。それを救うのがケッセルリンクという魔人の性分となる。

 けれどもその芯は真っ直ぐひたむきに伸びて、どうあっても折れない程に強く。

 そんな見事な花であれば、それはやはりケッセルリンクにとっても好ましく感じるもの。

 

「安心したまえ、先程の言葉は本気じゃない。一度見逃されたというのに、そのすぐ夜に顔を見せるような真似など出来ないさ」

「あら、それなら私は有り難いけど。でも貴方こそ本当にそれでいいの? そんな悠長な事を言っている間に全部終わっちゃうかもしれないわよ?」

「む……?」

 

 全部が終わる。そう言い切った言葉が引っ掛かって、ケッセルリンクはふと眉を顰める。

 この状況から全部を終わらせる方法。そう考えた時に思い当たる方法はそう多くない。特に今はまだケイブリスだって姿を見せていない段階だというのに……とまで考えて。

 

「……あぁ、そういう事か。察するに、ここにホーネットはいないのだね?」

「そーいう事。私達は囮ってわけ」

「ふむ。こちらにいるのは陽動、となればホーネットの役目は奇襲といった所か」

 

 しかし……と、ケッセルリンクは訝しげにその顎を撫でる。

 ホーネット派の作戦と狙い。それを知った上で気になるのはその成否などではなく、あの魔人がその選択としたという事実について。

 

「何かとあれば正々堂々を好んでいたあの子が……少し会わない内に変わるものだ」

 

 魔人とは長寿の存在であるが故、自分も含めてその精神性はそう簡単に変わる事が無い。

 一体どのような心境の変化があったものやら、とケッセルリンクは心中で呟く。

 

「けれど、だ。そうだとしても……あのケイブリスに勝てるかな、あのホーネットが」

 

 全てを終わらせるというのなら、ケイブリス派の主、魔人ケイブリスを倒す必要がある。

 如何なる方法で奇襲を仕掛けるかは知らないが、それがどのようなものであったとしてもホーネットの実力ではケイブリスには届かないだろう。そうケッセルリンクは考えていたのだが、

 

「えぇ、勝てるわ」

 

 それでもシルキィに揺らいだ様子は無く、堂々とした様で答えを返した。

 

「ほう、大した自信だね」

「うん。なんたってあっちにはホーネット様だけじゃない、ランスさんも一緒にいるからね」

「ランス……?」

 

 ケッセルリンクには聞き覚えのない、その名前こそがホーネット派が有する切り札の名前。

 シルキィにとっては今も右手に握る大事な槍の感触、それを与えてくれた人。ちょっとアレな部分は沢山あるけど、それでも心から信頼出来る名前。

 あの人がいればきっと大丈夫。ランスとホーネットが共に戦えばケイブリスにだって間違いなく勝てると、シルキィはそう確信していた。

 

「貴方はさすがに知らないでしょうね。でもこっちなら聞いた事はない? ホーネット派を影から支配するカオスマスター……って」

「あぁ、それなら聞いた事がある。前からストロガノフが随分と気にしていてね、聞けばホーネット派に加わった新たな魔人か使徒ではないか、という話だったが……」

「それはハズレね。ランスさんは魔人や使徒じゃなくて普通の人間よ」

「……ほう?」

 

 カオスマスターは普通の人間。その事実にはケッセルリンクも少なからず驚いたらしい。

 人間というのは大元帥から聞いた予想にも無かった。ホーネット派内で高い立場にあるだろうカオスマスターが、まさか人間だなんてとても想像出来なかったからだ。

 

「カオスマスターが人間だとは思わなかったよ。けれどもその……ランスと言ったか、その男が人間なのだとしたら、尚更その男一人が戦力に加わったとて何かが変わるとは思えないが」

「って思うでしょ? けどランスさんなら絶対にやってくれるわ。あの人はただの人間じゃない、あの人は何ていうかもう……破格の人間だからね」

 

 常識では測れないような事を成し遂げる、常人とは桁違いとなる破格の人間。

 

「……ふむ、破格の人間……か」

 

 時としてこの世界には、そんな奇跡のような存在が稀に誕生する事がある。

 

「破格の人間と言うなら、そんな人物に私も一人だけ心当たりがある」

「え、そうなの? ていうかもしかしてランスさんと知り合いだとか?」

「生憎ランスという人間には心当たりが無い。私が知っている破格の人間というのは、ちょうど今目の前にいるのだがね」

「え……?」

 

 そんな破格の人間の内に入る一人、シルキィ・リトルレーズン。

 彼女はケッセルリンクが呟いた言葉の意味を理解した途端、

 

「あははっ! ないない、私なんかあの人とは比べものにならないって!」

 

 余程その比較がおかしかったのか、思わずぷっと吹き出した。

 その実に無邪気な笑い顔に釣られて、ケッセルリンクも表情を緩める。 

 

「フッ、そうかね。けれど私としては君以上に破格の人間となると覚えが……」

 

 覚えが無い。と言い掛けて、

 

「……あるいは、少し前まで我等の主だったあの男ぐらいなものか」

「……そうね」

 

 人間として生まれて魔人を経て、遂には魔王になった男。

 間違いなく破格の人間であろう男、ガイ。二人にとってはまだ記憶に新しい前魔王の名前。

 

「どうだねシルキィ。その男と比較しては」

「て言われてもねぇ、私はあの方が魔王になられてからの姿しか見た事ないから……。人間だった頃のガイ様とだったら……どっちが上かな……二人共似ている所があるから……」

 

 うーん、難しいなぁ……と思いの外真剣に、シルキィは悩みに唸り始める。

 そんな姿を目にして、ケッセルリンクの方も訝しげにその目を細めた。

 

「おや。さすがにそこは魔王ともなったガイを挙げるべきだと思うがね」

「……やっぱりそうかしら?」

「あぁ。特に君の事であれば尚更、迷いなく断言するものだと思っていたのだが」

「……あはは」

 

 恐らくケッセルリンクの事だ、自分の抱いていた想いなどお見通しなのだろう。

 そんな事を思ったシルキィは、さも恥じ入るようにそっと目線を横に逸して。

 

「……きっと、昔の私なら迷いなくそう断言していたでしょうね。……けど」

「けど?」

「けど、そんな私を……こんなふうに変えちゃうのが……ランスさんの凄い所……なの、かな?」

 

 微かに頬を染めたその表情。これまで見た覚えがないシルキィの照れた顔。

 そして何より、聞きようによっては惚気のようにも聞こえるその台詞。

 

「……成る程。であれば確かに、破格の人間には違いないのだろうね」

 

 そのシルキィの変化こそ、ケッセルリンクにとっては一番驚くべき事だった。

 

「しかし……そうか、ランスか。君がそこまで言う程の男に私も少し興味が湧いたよ。いつか機会があれば会ってみたいものだ」

「派閥戦争さえ終われば、そんな機会いくらだって──あ、けど……」

「どうしたかね?」

「その、ランスさんって極度の女好きだから……もしかしたら貴方とは相性が悪いかも……」

「……ふむ」

 

 極度の女好きと聞いて、ケッセルリンクが微妙な表情になったその時。

 ふわっと一陣の風が二人の間を吹き抜ける。

 

「……む、どうやら迎えが来たようだ」

 

 それで近くに来ている事に気付いたのか、彼女達の主はその口元を優しげに緩めた。

 

「あぁ、貴方のメイドさん達?」

「うむ。私の帰還が遅いのを心配したのだろう。ではシルキィ、そろそろ失礼させて貰うよ」

「どーぞご自由に。久々にこうして貴方と話せて結構楽しかったわ」

「フッ、私もだ」

 

 その言葉を最後に背を向けると、ケッセルリンクは戦場を離れて自らの居城へと戻っていく。

 こうして二人の戦いは、魔人四天王同士の闘いは引き分けという形で終了した。

 

 

「……はー、つっかれた……」

 

 その後ろ姿が見えなくなるまで我慢していたシルキィも、やがて緊張の糸が切れたのか。

 地べたにぺたりと腰を下ろして、疲労困憊の体で大きく息を吐き出す。

 

「しかしケッセルリンクのやつ……敵ながら本当に容赦が無かったわね……」

 

 普段から自分の城に籠っている分、体力が有り余っていたのだろうか。

 夜が明けるまで一晩中、それはもうしこたま攻撃を食らった。率直に言って身体中が痛い。

 

「……さっきはああ言ったけど……またすぐに戦うとなると結構骨が折れるな……」

 

 思わず本音が溢れてしまう……が、とはいえそれが戦い。それが戦争。

 泣き言を言っていても始まらないし、とにかく今はすぐに本陣に帰ってヒーリングを受けたい。

 ああでもそう言えば、自派閥の中で一番のヒーラーでもあるホーネット様は居ないんだった。

 ホーネット様と言えば、奇襲部隊の動きは今どうなっているのだろうか。ちゃんとケイブリスの背後を突けているのだろうか。

 あ、そういえばケイブリスもそうだ。結局ケイブリスの行方はどうなったのか。もし今ケイブリスが仕掛けてきたらどう対処すればいいか。ガルティア達は今戦える状態にあるのだろうか。

 

 ……などなど、あちらこちらに思考が飛んで、しかし疲れ切った頭が上手く働かない。

 何はともあれ夜通し戦った身、今は眠気が一番辛い。一旦本陣に戻って仮眠を取るべきだなと、シルキィがよいしょと立ち上がったその時。

 

「──シルキィさーん!」

「……あ、かなみさん……」

 

 戦闘の終わりを察知したのか、伝令として働いているかなみが駆け付けてくる。

 

「うわ、ひ、酷い怪我を……」

 

 そしてシルキィの姿を見るや否や、痛ましそうにその表情を歪めた。

 

「あ、そうだ世色癌っ! 世色癌持ってますから食べてください、ほら!」

「あ、うん、ありがとね……て、うわぁ……なんかこのお薬、随分と苦いのね……」

「あう、ごめんなさい……世色癌はとにかく苦いのが特徴で……で、でもそうだ、こうしてシルキィさんが生きているって事は、ケッセルリンクに勝ったって事ですよね!?」

「ううん、残念だけど引き分けが精一杯」

 

 世色癌の苦味を口一杯で感じながら、シルキィはゆっくりと首を左右に振って。

 

「……それで、さっきは随分慌てていたようだったけど……本陣の方でなにかあったの?」

「あそうだ、そうなんですっ! 実は先程ウルザさんから連絡があって……!」

 

 

 

 

 

 



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天啓

 

 

 

 

「天啓だ」

「天啓……ですか?」

 

 きっかけはランスが呟いた一言からだった。

 

「そうだ、天啓だ。これは天啓なのだ。なんつーかこう……ばちこーんッ! と来たのだ」

「……はぁ。ばちこーん、ですか」

「うむ。つー訳でシィル、とっとと付いてこい」

「あ、はい。……え、けどランス様、まだ真っ暗なのですが……」

 

 場所はミダラナツリーから少し離れた場所に設置された奇襲部隊のキャンプ地。

 そして時刻は深夜3時過ぎ。誰も彼もがとっくに眠っている頃合いであり、起きている者と言えば寝ずの番をしているゼス軍兵士達ぐらいなもの。

 当然ながらシィルも寝袋に包まれてぐっすり夢の中であったのだが、突然ばちこーんと来たらしいランスによって叩き起こされたのだった。

 

「はふぅ……眠いです。ランス様はまだ眠っていなかったのですか?」

「いんや、俺様も寝とったぞ。ただそれでも天啓が来てしまったからな。来てしまった以上はもう呑気に寝ている訳にはいかんのだ」

「はぁ……それで、その天啓というのは? というか一体何処に向かっているのですか?」

「まぁ待て待て。その前にあいつも呼ぶ。……えーっと、どのテントだったっけな……」

 

 暗闇を照らすランプを片手に持ちながら、ランスはきょろきょろと辺りを見渡す。

 一帯に所狭しと設置されている沢山のテント、その中からお目当ての人物が眠っているはずのテントをうろうろ探し回って。

 

「お、これだな」

「ここは……ホーネットさんのテントですよね?」

「うむ。あいつが寝てるはずだから静かにしろ。そーっと、そーっと……」

 

 魔人筆頭が眠るテントの入り口をそっと開いて。

 まるで夜這いを図るかの如く息を殺して、ランスはそーっと中へ入……ろうとしたのだが。

 

「……ランス、どうかしましたか?」

 

 足を踏み入れた途端、そんな声が返ってきて。

 

「……おい。何故お前は寝ていないのだ」

「寝ていましたよ。けれども外から貴方達の声が聞こえて目が覚めたのです」

「ぬぅ、相変わらず隙の無いヤツめ……」

 

 そこはさすがに魔人筆頭。どんな状態にあっても油断は無し。

 寝ている時でも侵入者の気配はお見通しらしく、彼女はテントの中で普通に身体を起こしていた。

 

「まぁいい。そんな事よりホーネットよ、さっき俺様に天啓が来たのだ」

「天啓?」

「おう。だからお前も付いてこい。ほれ、とっとと支度をせんか」

「支度? ……こんな時間に出掛けるのですか? 一体何処に……」

「いいから早くしろっての」

 

 全ては突然ばちこーんと来た天啓が故。

 目的地も告げずに急かしてくるランスの態度に、ホーネットは「全く……」と呆れた嘆息一つ。

 

「……それで? こんな真夜中に貴方は何処に行くつもりなのですか?」

 

 そうして数分後、仕方無く身支度を整えたホーネットがテントから姿を現した。

 

「そりゃ付いてからのお楽しみだ。ほれ二人共、こっちだこっち」

「そういえば……シィルさん、貴女も?」

「はい、そうなんです。私もさっきランス様に起こされまして……」

 

 状況がまるで飲み込めないホーネットとシィル、一方すたすたと目的地へと歩き出すランス。

 三人は部隊が寝泊まりするキャンプ地を離れて、西の方角へと歩いていく。

 進むにつれて進路の先、景色の大半を覆う魔界都市の巨大な世界樹がどんどん近付いてくる。

 

「……ランス。貴方はまさかミダラナツリーに行くつもりですか?」

「ちゃうちゃう、あそこに用は無い。俺様が探しているのはもっとイイ感じの場所なのだ」

「……イイ感じの場所、ですか?」

「うむ」

 

 ランスが探しているのはイイ感じの場所。イイ感じなロケーション。

 

 それは例えば、周囲には妖しげな木々が沢山立ち並んでいて。

 そして地面からは、これまた妖しげな草花が沢山生えていて。

 それらは妖しげに発光していて、夜でも十分に視界が効くような、そんな場所。

 

 そしてランスが探すそんな場所とは、この魔物界においては然程珍しいものでは無くて。

 

「……お、あそこなんてイイ感じだな」

「あそこは……何処でしょう?」

「何処という事もありません。この魔物界によくある森の一つだと思いますが……」

 

 そうして辿り着いたのは森。単なる森。

 ホーネットが言う通り、この魔物界には沢山ある内の一つでしかない小規模な森である。

 そんな森の中へと足を踏み入れて、10分程適当に歩き回った頃。

 

「……おぉ、まさしくこんな感じだ。素晴らしくイイ感じの場所ではないか、うむうむ」

 

 目に入るその景色、どこか見覚えのあるような光景にランスは満足そうに頷く。

 それは不気味な静けさが漂う森の中、辺りには怪しく発光している魔界植物の数々。

 勿論周囲に生物の気配なども無く、あの時と場所は違えどもとても近似している、まさに探していた通りの素晴らしいロケーションである。

 

「さーて、っと」

 

 するとランスは二人の方へと向き直って。

 

「んじゃ、どっちからいく?」

「……どっち、とは?」

「あ、それともどっちともいくか? 俺様はそれでも構わないがな、がはははっ!」

 

 そうして笑うその顔を見て、シィルとホーネットはぞわっと身の危険を感じた。

 けれども時すでに遅し。もはや彼女達二人に逃亡という選択肢は残されていなかった。

 

 

 

 

 

 ……そして、その後。

 

「がははは! グッドだーっ!」

 

 そこにはイイコトをし終えた姿、楽しみに楽しんでとってもスッキリした顔のランスが。

 

「……はぁ、んっ……」

 

 そしてすぐ隣には、地面に横たわったまま熱い吐息を繰り返すホーネットが。

 

「……ほ、ホーネットさん、大丈夫ですか?」

「……え、えぇ。ありがとうございます」

 

 こちらは一足先に抱かれて一度ノックダウン、そして一足先に復活したらしいシィル。

 そんな彼女の肩を借りて、ホーネットはなんとかその身体を起こして。

 そして赤みの残る顔でランスを睨みながら、深い恨みの籠ったような声色で呟いた。

 

「……全く、信じられません……このような時に、このような場所で、このような事を……」

 

 突然ランスから呼び出されて何かと思えば、待ち受けていたのはやっぱり性交だった。

 それも二人きりではなくシィルと一緒で。彼女との3Pという提案は断固として固辞したが、しかしこの状況では一人一人別々にというのもそれはそれで辛いものがある。

 先を譲ったシィルがランスに抱かれている中、少し離れた場所で自分の番を待っているのも無性に辛かったし、そうして自分の番になって、くたくたになって横たわるシィルのすぐそばでランスに抱かれるというのもとてもキツかった。

 

「もうすぐ出発を控えているというのに……貴方は何を考えているのですか」

「さっきも言ったろ、これは天啓なのだ」

「……訳がわかりません。ここで私とシィルさんを抱く事に理由でもあると言うのですか?」

「その通り。理屈はよく分からんのだが、ここでのセックスは絶対に欠かせないと思ってな」

 

 ホーネットから非難交じりの目で睨まれても気にせず、ランスはあっけらかんとして答える。

 

 天啓。それは天の啓示、天の導き。それがランスに下されたのはつい先程の事。

 彼がぐーすかぴーと眠っていた時、突然夢の中にばちこーんっ! と天啓が落ちてきた。

 

 思えば今のこの状況、これは前回のあの時の状況と凄く似ているような気がする。

 前回の時、船を用いた決死の作戦で魔物界南部へと侵入を果たして、決戦を明日に控えて一晩越したあの時とそっくりではないか。

 だったら今、自分はここでセックスをしなければならない。その一人はシィルで、そしてもう一人、誰か女の魔人を抱かなければならない。

 

 とそんな天啓に突き動かされて、ランスは二人を誘って森の中へとしけ込んだ。

 そしてあの時と似たイイ感じの場所を探して、この通り二人とのセックスを敢行したのだった。

 

「……大体、貴方は昨日……昨日が決戦前夜だと言っていたではありませんか」

「確かにそう言ったな。けどな、だからって別に翌日セックスしないとは言ってないぞ」

「……貴方と行動を共にしていると、時折無性に頭が痛くなります」

 

 額を押さえて、本当に頭の痛そうな表情でホーネットは呟いて。

 

「……とにかく、その天啓とやらが済んだのなら早くキャンプ地に戻りましょう」

「そうですね。なんだかもう日が上がり始めてきちゃいましたし……」

「うむ、そうだな。んじゃ戻るぞ」

 

 二人を相手に楽しんだ事もあって、あれから結構な時間が経過している。

 次第に森の中も明るさを増して、時刻はそろそろ早朝と呼べる頃合い。三人は身支度を整え次第すぐに移動を開始する。

 

「……んぁ、なんか眠くなってきた。さっさとテントに戻って寝直すとすっかな」

「ランス、寝直すとは言っても八時頃にはもう出発の予定ですよ」

「なら出発は昼前に変更……つーか俺様が起きてからに変更だ。シィル、戻ったらウルザちゃん達にそう伝えとけ」

「あ、はい、ランス様。え、でも、その、それって大丈夫なんですかね……?」

 

 などと雑談を交わしながら。

 ランス達はイイ感じのロケーションだった森の中から抜け出して。

 元々居た場所、奇襲部隊のキャンプ地へと戻る、

 

 その歩みの途中で。

 

 

「──え」

 

 

 あるいはその時に起こった出来事。

 それこそを天啓と呼ぶべきだろうか。

 

 瞬間、その耳に届いた遠鳴り。

 そして全身を襲う総毛立つような感覚。

 

 

「………………」

 

 そのまま一歩と歩けないまま、ホーネットは石像のように硬直する。

 

 

「……ホーネットさん?」

「ん、どした?」

 

 その様子に気付いて振り向くランスとシィル。

 二人はただの人間であるが故、幸か不幸かそれに気付く事は出来なかった。

 しかし魔人である彼女は、人間よりも優れた肉体を持つ魔人筆頭だけはそれに気が付いた。

 

「……ランス」

「なんだ」

「………………」

 

 長い沈黙の後、ホーネットはそっと口を開いて。

 

 

「……今、ケイブリスの声が聞こえた……ような、気がします」

「……なに?」

 

 先程ホーネットが聞いたもの。

 それはホーネット派の宿敵たるあの魔人──ケイブリスの声。

 

「ケイブリスだと?」

「……えぇ、恐らくは。聞こえてきた声はかなり遠いものでしたが……」

 

 ランス達の方を振り向く事も無く、ホーネットの視線はその方向に釘付けになったまま。

 

「……おいホーネット、それじゃまさかこの付近にヤツが居るってのか?」

「け、けど、魔人ケイブリスは今、全軍を挙げてカスケード・バウへ侵攻しているはずじゃ……」

「そうだそうだ。だから俺達はその背後を突く為にこうして迂回してきたんじゃねーか」

 

 その話を聞いてさすがのランスも、そして隣に居たシィルも表情を変えた。

 まさかとは思う。敵本拠地である魔界都市タンザモンザツリーならいざ知らず、ここはまだその手前にあるミダラナツリー。

 相手の侵攻ルートからも外れたここにケイブリスがいるはず無いと、そう思いはするのだが。

 

「……そうですね。ケイブリスはカスケード・バウに居るはず。そのはず、なのですが……」

「…………が?」

「……ですが、それでも今聞こえてきた声には覚えがあります。私の耳が幻聴を聞いたのではないのならば、きっと間違いありません」

 

 普段から冗談など全く言わないホーネットにこうも強く言われてしまうと。

 普段から真面目なその顔により真剣味を増した表情で告げられると、その真実味と事の重大さというものがランス達にも理解出来てくる。

 

「……おいカオス、どうなんだ?」

「……分からん。そっちになんかが居る気配は確かに感じるけども、これがケイブリスのものなのかどうかまでは儂にも分からん」

「チッ、役に立たんヤツめ」

 

 ランスが腰に下げる魔剣に聞いてみても、その返事は頼りないもので。

 

「……でもランス様、もし、もしですよ? もしこの近くに魔人ケイブリスが居るなら、それって私達奇襲部隊の動きがバレていたって事なんじゃ……」

「ぬ。……そんなバカな、俺様の考えたカンペキな作戦があの馬鹿リスに気付かれるなど……」

「しかしケイブリスがここに居る理由を考えると、確かにその可能性は否定出来ません」

「ですよね? だったらこれって、私達とってもピンチなのでは……」

「……そうですね。すぐにキャンプ地に戻って対応を図るべきかもしれません」

 

 計画に無い敵総大将との遭遇。奇襲作戦の失敗と、それに伴う派閥戦争全体での敗北の可能性。

 それらを鑑みて、早急にキャンプ地まで帰還する事を提案したホーネットは、

 

「……けれど」

 

 と、戸惑い気味に呟いて。

 

「……先程、ケイブリスの声が聞こえてきた場所。あれは恐らく……」

「恐らく……なんだ?」

「……あの方角はミダラナツリーのすぐ近く。……カミーラ城がある方向からだったと思います」

 

 今現在ケイブリスが居ると思わしき場所。それは魔人四天王カミーラの城。

 

「……マジか」

「……えぇ。恐らく、ですが」

 

 堅い表情で頷くホーネットの様子に、ランスもまた苦い表情となる。

 

 あのケイブリスが。あのカミーラの城に居る。

 それも今、カミーラの協力を得てその背後を突こうとしているこのタイミングで。

 

「……そうか。カミーラの城に、か……」

 

 そんな事を考えたランスが口にした言葉。

 それは天啓ではなくてランス自身の判断、あるいはもっと不確かな予感と呼ぶべきものか。

 

「キャンプ地に戻るのはパスだ。ちょっくら様子を見に行くぞ」

 

 

 

 

 

 そしてランス達は更に西に進む。

 今も視界の半分以上を覆っている巨大な世界樹、ミダラナツリーの元へと。

 

 何かしらの予兆に押されてなのか、早めの歩みで進む事小一時間。

 やがて魔人四天王カミーラの城が、その荘厳美麗なシルエットが見えてきて。

 

 ……そして。

 

 

「………………」

 

 その城のそばに近付くにつれて、自然とランス達の口数は減ってくる。

 見れば皆が同じように口元を片手で覆っていて。

 

「……ランス、様、これは……」

 

 その苦しさの理由を知らないシィルが、つっかえつっかえになりながらそう呟けば、

 

「……間違いねぇ、こりゃヤツがいるな」

「……えぇ、そのようですね」

 

 その苦しさの理由を知る者、ランスとホーネットも顔を顰めながら頷く。

 

 その城は約一月前、ランスがシルキィと一緒に訪ねた時とは様子が一変していた。

 城の外観自体に変化は無い。しかし周囲を漂う空気が目に見える程に黒く暗く色付いていて。

 それはあの魔人が有する特徴の一つ。その身体から発する毒の如き粒子。弱き者には意識を保つ事すら許さない、濃厚な恐瘴気が溢れ返っていた。

 

「あのリス野郎、どうしてカミーラの城なんかに居やがる。それもこのタイミングで……」

「……もしかしたら、私達との協力関係が知られてしまったのかもしれませんね」

 

 魔人カミーラはホーネット派の侵攻に対し、不干渉の立場を取るという密約を交わしている。

 それはつまりケイブリス派に対して背信を行っているという事。その背信が派閥の主に知られてしまったのだとしたら、このタイミングでここに居る事についての説明は付く。

 もしそれが真実なのだとしたら、ランス達にとってはまさしく危機的状況と言えるのだが。

 

「ただ、見た所……ケイブリス以外の兵は居なさそうですね。他に強い気配は感じられません」

「……みてーだな」

 

 しかしその一方で、この場にはケイブリス派魔物兵達の姿などは全く見当たらない。

 それはこうしてランス達がカミーラ城のそばまで近付けている事からも明らかで。

 

「なぁホーネット。これって見方によっては結構なチャンスでもあるよな?」

「……確かに、そうとも言えます」

 

 すぐ近く。ほんの100m先に見える城の中には宿敵たるあの魔人が居る。

 それもただ一体で、他の魔人や魔物兵達などを引き連れずに一人だけで居るという状況。

 

「当初の予定ではカスケード・バウにてシルキィ達と挟撃する予定でしたが、この場に他の敵戦力が居ない以上、ここで戦うというのも決して悪い状況では無いでしょう」

「だよな? こっちの戦力もやや欠けるけど向こうだって取り巻きが居ない分、どっこいどっこいみてーなもんだよな? それに今ならあいつの力も借りられるかもしれねーし」

「ですね。計画していた流れと大きく異なるのは事実ですが、どうあろうともケイブリスを倒してしまえばそれで構わないのですから」

「だよなだよな? これって別に俺様達が困るような状況では無いよな?」

「えぇ。困るというなら、それはきっと……」

 

 そこでちらっと、ホーネットはその金色の瞳を城の方へと送って。

 

「……まぁ、な」

「……え? どういう事ですか?」

 

 含みを持たせた言葉の意味が分からず、困惑するシィルをよそに。

 その魔人達の事をよく知るホーネット、そしてある程度は知るランスにはすでに予感があって。

 

 そして、その予感は見事に的中していた。

 それは突然に。今度はホーネットだけではなく、ランスとシィルにもちゃんと聞こえた。

 

 

『──ッ、カミィィラぁあああーーー!!!』

 

 

 城内から上がった天を衝くような怒声。

 それは城外まで易々と届いて、すぐ近くにいたランス達の肌をビリビリと震わせる。

 

「……い、今のは……」

「……今のがケイブリスの声です」

「こりゃあ想像通りか。……マズいな」

 

 あらん限りの怒りを込めた、心の底から憎き相手の名を呼んだかのような絶叫。

 それが意味する所はすぐに分かる。そもそもがランスは前回の時にも一度、ベズドグ山中のケイブリス城にて()()()()()を目にした訳で。

 

「……ランス。どうしますか?」

「………………」

 

 ホーネットから判断を委ねられて、そこでランスは少しだけ沈黙する。

 

 今あの城の中に魔人ケイブリスが居て、その周囲に敵の姿は見当たらない。ならばこれはケイブリスを倒して派閥戦争を終わらせる絶好のチャンス。

 その為にベストな選択肢と言えば、ここは一度キャンプ地まで引き返す事だろう。今この場に居る戦力、ランスとシィルとホーネットの三人だけでは万全とは言えないからだ。

 だから一度引き返して、連れてきた奇襲部隊の面々を──ゼス国が誇る三軍の力を、そして何よりも戦局を一変させてしまうとっておきの秘策、シャリエラの力を借りて戦うべきだろう。

 

 ……と、そんな事はランスも分かっていて、そして勿論ホーネットの方も分かっていて。

 

「……チッ」

 

 ただそれでも、それでもホーネットはランスに判断を委ねる事にした。

 それは自分なら気にしないが、きっとランスなら気にするだろうと思ったからだ。

 

 仮にこの場から一旦引き返したとして。

 そんな事をしている間にあの魔人はきっと……。

 

「──よし」

 

 そして、ランスは決断した。

 

「シィル」

「は、はい!」

「お前はすぐキャンプ地に戻れ。んでウルザちゃん達に決戦の準備をさせてここまで連れてこい」

「分かりましたっ! ……あ、え、けど、それじゃあランス様達は……」

「俺とホーネットはケイブリスをぶっ殺す。このままじゃカミーラが殺されちまうからな」

 

 結局、ランスはシィルただ一人だけを引き返させる事にした。

 その判断をしたという事はつまり、そういう戦いになるのを踏まえての事だった。

 

「構わねーよな、ホーネット」

「勿論、私は構いません」

 

 ホーネットは迷いを見せる事無くすぐに頷く。

 彼女は魔人筆頭であり派閥の主。ケイブリスを倒す事が自分の使命であると考えている。

 だからそれがどんな状況であろうが、それこそ派閥に残る戦力が自分一人だけになろうが、最後まで戦い抜くと覚悟を決めている。

 

「ですが……ランス。貴方は本当に、本当にそれで宜しいのですか?」

 

 けれどもランスは人間。それも派閥戦争への関わりで言えば単なる協力者に過ぎない。

 だからこそ、ここでシィルと一緒に下がったとしても決して責めたりなどはしない。

 そんな意味合いで尋ねたホーネットに対して、ランスはふんと鼻を鳴らして答えた。

 

「あたりめーだ。俺様を誰だと思っとる」

「──分かりました。では共に戦い……ここでケイブリスを倒しましょう」

「うむ、任せろ」

 

 そうして頷き合った後、ランスはふと気付いて隣に視線を移す。

 

「……っておいシィル、何をしとる、お前は早くキャンプ地に戻れっつの」

「……けど、ランス様──」

「けどじゃない。いいからとっととウルザちゃん達を呼んでこい。リス一匹退治するのなんぞ俺様一人でも楽勝だが、より戦力がある方が楽だからな。……分かったな?」

「っ、……」

 

 その声は固い。ランスの様子には余裕が無く、事の重大さ、どれ程に困難な戦いになるかは敵をよく知らないシィルにも簡単に分かった。

 だからこそすぐにはその命令に頷けず、泣きそうな顔をしていたものの。

 

「……はい、分かりましたっ!」

 

 それでもシィルは奴隷。

 ランスの歩みに寄り添い続けてきたパートナーとして、無理矢理にでも顔を引き締めて答えた。

 

「ランス様、これ、念の為の回復アイテムです」

「おう」

「すぐに皆さんを呼んできますから、だから……ランス様もホーネットさんも、絶対に無理はしないでくださいね!」

 

 意を決したら行動は迅速。

 所有していた回復アイテムを全てランスに渡し終えると、更なる戦力を連れてくるべくシィルは駆ける勢いで来た道を戻っていく。

 

「……さてと。んじゃ俺達はリス退治といくか」

「えぇ、そうですね」

 

 そうしてこの場に残った二人。

 ランスとホーネットは再度その眼を見合わせる。

 

「……けれどもまさか、このような流れで決戦になるとは思いませんでした」

「まーな。けど数日以内にはどの道戦う予定だった訳だし、それがちょびっと早まっただけだ」

 

 すでに覚悟を決まっている。

 いざ決戦の地、恐瘴気漂う魔城と化したカミーラ城へと進む……その前に。

 

「あそーだ、ホーネット」

 

 ランスはふと歩みを止めた。

 

「なんですか?」

「戦う前に一つ、お前に言っておきたい事がある。……この戦いが終わった後の事だ」

 

 ここでランスが考えた事。それは魔人ケイブリスを倒した後、派閥戦争が終わった後の事。

 この時点でそちらに思考を進めてしまった事。その事が結果的に戦局を大きく左右する事にもなったのだが、それはともかく。

 

「……終わった後の事、ですか?」

 

 この戦いが終わった後。

 自身でも前々から考えていたその事に、ホーネットも自然と身構える。

 

「あぁ、実はな……」

 

 ランスは勿体振るかのように一拍置いて。

 

 そして。

 

 

「俺様がケイブリスの野郎をぶっ殺したらだ。そん時はご褒美として、ホーネット派魔人全員でのハーレムプレイをさせて欲しい」

 

 ランスはこんな時でも、あるいはどんな時でも、何処までもランスだった。

 

 

「……は?」

「いいな。お前とシルキィちゃん、サテラとハウゼルちゃん全員でのセックスだ、約束だぞ」

「な、あ、そ、それが今言う事ですか!」

 

 ケイブリスとの決戦を前に控えて、何と場違いな話をしてくるのか。

 思わずホーネットも声を荒げてしまったのだが、それでもランスはお構いなしで。 

 

「むしろ今しか言えんだろうこんな話は。とにかくいいな、もう約束したからな!」

「勝手に決めないで下さい! 大体そのような話、私の一存で決められるような事では──」

「いーやお前なら決められる。お前さえ頷けば他のメンツだって全員頷くはずだからな」

「っ、だからって、そんな……」

「つー訳でけってーいっ!! よっしゃー! 夢にまで見たホーネット達とのハーレム! これはやる気がムンムン漲ってきたぜーー!!」

 

 勝手にご褒美を約束して、ランスのテンションはMAXまで高まった。

 ホーネット派魔人全員でのハーレムプレイ。それは魔王城を訪れた当初からの目標の一つ。

 リス退治なんぞとっとと終えて、この手に掴むは前回の時にも味わっていない夢のような一時。

 

「行くぞホーネット! これが最終決戦だ、ここでケイブリスの野郎をぶっ殺すッ!!」

 

 そうして二人はカミーラ城へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 



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最強の魔人

 

 

 

 

 遥か大昔。私はこの世界で最も強い魔人だった。

 

 この世界の支配者、最強種たるドラゴン族。

 その中でもプラチナドラゴンという種に生まれて魔人となった私を前に、およそ力で敵う魔人など当時は存在していなかった。

 

 ……そう。当時は、だ。

 当時はそうだった。しかし遥か大昔たる当時と今ではもう何もかもが違う。

 時の流れと共に何もかもが変わって、最強の称号も私を飾るものでは無くなった。

 

 しかし──しかし最強の魔人とは。考える度になんとまぁ滑稽な称号だと思う。

 全24体となる魔人の中での最強を誇ったとて、それが一体何だと言うのか。この世界には魔人よりも強い存在など幾らでもいるというのに。

 魔人など所詮は魔王の配下でしかなく、その魔王でさえも敗れる事があるというのに。

 

 要するに遥か大昔の私とはその程度の存在でしかなくて、それが最初の絶望だった。

 プラチナドラゴンだろうが魔人だろうが、所詮はより強き者に蹂躙される存在でしかなかった。

 そして私を蹂躙する者達ですら、結局は蹂躙される立場を逃れる事は出来ない。本当にこれ以上滑稽な話は無いと思う。

 

 ある日、空から降り注いだ神々しい光。

 それによって唾棄すべき同族、ドラゴン共は瞬く間に殲滅されて。

 

 そうして世界の有り様が変わった事で、最強の魔人だった私の下にもようやくの平穏が訪れた。

 その後は長らく平穏の中、あえて特筆すべき事は何も起こらなかったのだが……。

 

 それが原因で、なのか。

 あるいはいずれにせよ、だったのか。

 

 最強であるが故に長らくの平穏。目的も持たずにただ無為に生きるだけの日々。

 そうした日々がいつしか私の力を落とした。最強だった爪を鈍く摩耗していった。

 ただ私は所詮魔人でしかない自分の強さなどには興味が無かったし、強くなりたいなどとも思わなかったから、そうと気付いても然程気にしてこなかったのだが……。

 

 とにかくそうして私は力を落とし続けて。

 遂には魔人よりも遥かに弱い存在、人間共にすら敗北するまでに至った。

 かつて最強の存在だったプラチナドラゴンの魔人がよもや人間などに敗れる。我が事ながら実に滑稽な話だと、今の私にはそう思えてしまう。そこまで冷めてしまったから。

 

 とはいえその敗北に、その屈辱に、一時は報復の火に燃えた事もあった。

 ただそれもいつしか冷めた。私が敗北したのは言わば因果応報の結果でしかないのだから。

 寵愛していた使徒達を失った事だって、それ程に私が弱くなった故だという身から出た錆でしかないと気付いてしまったから。

 

 やがて敗北の代償だった封印も解かれて。

 解放された私はそれでも何ら変わらず、今も昔も同じように怠惰な日々を過ごすだけ。

 そんな変わらない私の中に残る情動、それは大昔から変わらずに抱き続けている一つの思い。

 

 ──私はもう、誰のものにもなりたくない。

 

 私を子を成す為の番として、私を得る為に競っていたドラゴン達だろうと。

 そんなドラゴン達の下から私を攫って、言いなりにする為に魔人にした魔王アベルだろうと。

 

 そしてそれは無論──

 

 

「──カミーラさんっ!!」

 

 ──今、目の前に居るこの魔人であろうと。

 

 

「え、えへへ……カミーラさん。その……元気にしてましたか?」

 

 まだ日も上がって間もない早朝、知らせも無く勝手にこの城を訪れた不躾なリス。

 何を可愛い子振っているのか、相変わらず私の前だけでは取り繕う気色の悪い喋り方。

 しどろもどろになりながら、あれこれ言う話に耳を傾けてみれば──

 

 ──要は、自分も戦うから私も戦え。

 と、そんな要求をしているらしい。

 

「……だって、だってカミーラさん……ケイブリス派の主は僕だしさ……それにほら、この前人質になっていたカミーラさんを助けてあげたのだって僕な訳だしさ……」

 

 ……だから自分の為に戦え。と、そうとでも言いたいのだろうか。このリスは。

 私は貴様を主などと認めるつもりは無いし、貴様に助けを求めた事なども無いというのに。

 

 とはいえ、だ。それでも私とて、ここでケイブリスが来るとは予想していなかった。

 最初はあの件の事だと、私が裏でホーネット派に協力している事を察知したのかと思ったが、どうやらそれには気付いていないらしい。

 だがそれでも。私を見つめるケイブリスの瞳には常の慕情や劣情などより、今では深い疑念と不信の色が見え隠れしているのが分かる。

 

 今、こいつの精神状態はあの時と同じだ。

 4年程前、堪え切れずに私に襲い掛かってきたあの時と同じような顔付きをしている。

 

 だとするとここは従っておいた方がいい。

 たとえ面従腹背でも、表向きはその言葉に従っておいた方が得策だろう。 

 なにせ私はもうケイブリスと戦うような勇気も、そんな行動力も持てはしないのだから。

 

「僕はこれまで……カミーラさんの為に沢山の事をしてきましたよね? だったらカミーラさんも……僕の為に動いてくれますよね?」

 

 思えば数週間程前、ゼスで私を倒したあの人間の男がこの城を訪ねてきた時。

 ホーネット派に協力しろと言ってきた時、私はそれに頷く一方で強い自己矛盾を感じていた。

 だってそうだろう。あのいけ好かないホーネットに協力してまでケイブリスを始末したいのなら。ならばその可能性を少しでも上げる為、私自身も戦いに参加した方が良いに決まっている。

 

 しかし私はそれを選ばず、奴らを見て見ぬ振りをして決戦を傍観する立場に留まった。

 それは決して面倒だったからではなく、単に選べなかっただけだ。ケイブリスと一度戦って敗北した事が切っ掛けで、もはや自分が勝てる相手だとは思えなくなってしまったから。

 だから他の誰かに倒して貰おうなどと、そんなプライドの欠片も無い無様な真似を晒して。

 

「………………」

「……カミーラさん?」

 

 それなのに──今。

 今もプライドなどは曲げて、ケイブリスの言葉に従った方が良いと分かっているのに。

 それなのに私は今、その言葉に従う気分にはなれないでいる。

 

 それはやはり、ケイブリスが邪魔だからだ。

 こいつはいずれ私に手を掛ける。遅かれ早かれそうなるだろう事はずっと前から分かっている。

 だとするならば。やはりこいつが生きていては、私の願いが叶う事はない。

 

 私はもう、誰のものにもなりたくないのだから。

 とはいえここでこんな展開になったのは、魔人のくせに他力に頼ろうとした私への戒めなのか。

 そんな事を自嘲気味に考えながら、努めて突き放すような低い声色でそれを告げた。

 

 

「──消えろケイブリス。これ以上視界に入るな。貴様がそばに寄るだけで臭くて吐き気がする。貴様の為に戦うぐらいなら死んだ方がマシだ」

 

 

 そうして一度息を整えて。

 寒々しい程の数秒間の空白の後。

 

 

「──ッ、カミィィラぁあああーーー!!!」

 

 

 それはいつかの時と同じく。

 耳を劈くようなけたたましい怒声を上げて、激昂したケイブリスが襲い掛かってきた。

 

 魔人ケイブリスなど、大昔の私にとっては矮小なリス如きと鼻で嗤うような存在だった。

 しかしリス種が持つ自己進化の特性。それにより少しずつ自らを高めて、そうして六千年。いつしか姿形さえも変貌し、異形のリスとなったその力は紛うことなき本物の強さ。

 一方で四千年もの時の中で力を落とし続けた私では到底敵うはずもない強さで。

 

 プラチナドラゴンが誇るこの爪でも、ケイブリスの身体を穿つ事は出来なかった。

 この口から吐く必殺のブレスでも、ケイブリスの身体を焼き尽くす事は出来なかった。

 魔人カミーラの全ての力を持ってしても、ケイブリスの命に届く事は無かった。

 

「カミーラァ! カミーラァ! カミィィラァァアアァァアア!!」

 

 その拳が私を打ち付ける。

 繰り返し繰り返し、何度も執拗な程に。

 

「俺様がこれだけ愛してやってんのに! 俺様がこれだけ想ってやってんのに!! もう許さねぇ! テメェだけは、テメェだけは許さねぇぞ! ああぁぁぁぁああああッ!!」

 

 殴り付けながらもケイブリスはよく吠える。

 その下らない喚きを聞いていると、痛みに襲われながらもなんだか笑えてきてしまう。

 

 自分は六千年間も頑張ってきた。六千年間も想い続けてきた。

 だからその頑張りは、その想いは報われるはず。いや、報われなければならないと、そんな無責任な思い違いをしている哀れなリス。

 

 結局の所、このリスはあれと同じだ。ドラゴン共や魔王アベルと大差ない存在だ。

 こいつの驕傲さはつまり、自分が強くなったからに過ぎない。弱き身のままであれば私に挑もうなどとは絶対にしない。私の視界に入る事すら怯えて隠れ潜んでいただけだ。

 そんな隠れ潜む日々を越えて強くなった今、私の意思など無視して自らの想いを遂げようとする。ドラゴン共や魔王アベルと同じように。

 本人はそれこそを努力の結果と謳い、それを尊いものだと宣うのだろうが、生憎と私がそれを認めてやる理由など何処にも無い。

 

 何故ならケイブリスがどれ程強くなった所で、肝心の性根だけは変わらないから。

 自分よりも弱き存在は踏み躙る。誰よりも弱き立場の事を知っていても尚蹴散らし蹂躙する。

 そして自分よりも強き存在には媚びへつらい、決して逆らおうとはしない。そんな性根をクズと呼ばずして何と呼べばいい?

 

 なんらプライドの無いムシケラのようなリス。

 あれから何千年経った今でも、私の目には変わらずそのようにしか映らない。

 そんな男から長年想いを向けられたとて、不愉快な心地になるだけだ。そもそもが全く好みの外見では無い。

 

「テメェはだたじゃ殺さねぇ! 絶対に殺してなんかやらねぇぞ!! 今日からテメェは俺様の性欲を解消するだけの人形として扱ってやる。どうだ嬉しいだろ? 嬉しいと言えよ!! アァ!?」

 

 ケイブリスの男性器が、八本の触手が蠢き出す。

 地に伏す私はもうそれを見上げるだけで、抵抗する力も残ってはいない。

 

 しかし、力のままに女を犯そうとする男とは、いつ何度見てもやはり……醜い。

 こんな男に惹かれる女などいるものか。こんな男の想いが報われる事などあるものか──

 

 

「ケイブリス、そこまでだッ!!」

 

 

 ──そんな時、あの男の声が聞こえた。

 何処ぞのリスやドラゴン達とは違って、弱き人間の身のままで私に挑んだ愚かな男の声が。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 二人がその城に足を踏み入れてまず感じたもの。

 それはドロリと絡みつくように重い空気の感触、むせ返る程に強烈な恐瘴気の匂い。

 嗅ぐだけで頭痛を引き起こすその瘴気を前に、二人は苦しそうに顔を顰める。

 

「これは……一刻の猶予もなさそうですね」

「みてーだな。ホーネット、この音からしてヤツはすぐそこだ!」

 

 無用な会話を交わす余裕も無く、ランス達は廊下を一直線に駆けていく。

 今もその奥から聞こえるもの。それは二人の魔人四天王が繰り広げる戦闘音──では無い。

 すでに戦いは終わって、片方が片方を一方的に痛めつけている打撃音。

 

「チィ……!」

 

 その結末は予期していたらしく、ランスとホーネットの顔に逡巡は無い。

 そうして廊下を駆け抜けていくと、次第に壁や天井が崩れていたり床石が割れていたりと、戦闘の余波が目に付くようになって。

 

「ランス、あれを!」

「あぁ! けどギリギリ間に合ったな!」

 

 視界の先、破壊された扉の奥に見える大広間、そこに立つ醜悪なシルエット。

 6mに及ぶ巨体。自己改造を繰り返し続けて元々の種族とは大きく外れた異形の身体。

 ホーネットにとっては約半年ぶり、ランスにとっては約1年ぶりとなったその姿。

 

 

「ケイブリス、そこまでだッ!!」

 

 

 大広間に突入すると同時、ランスは威勢よく大声で言い放った。

 

「……アァ?」

 

 拳を振り上げていたその魔人の動きが固まる。

 そのまま声が聞こえた方に振り返って、まず目にしたのはランスの姿……ではなくて。

 

「──な」

 

 一瞬の硬直の後、驚愕に見開かれる瞳。

 

「な、なッ、ほ、ホーネットだとッ!? てっ、テメェ、どうしてこんな所にいやがる!!!」

 

 その目に映るのは自身にとって7年越しの宿敵、ホーネット派を統べる魔人筆頭の姿。

 

 けれどもどうして。一体何故ホーネットがこのカミーラ城に居るのか。

 ホーネット派の面々は今、大荒野カスケード・バウに集結しているはずじゃないのか。

 仮にホーネットだけが別行動で動いているのだとしても、それでもカスケード・バウを越えない限りこのミダラナツリーに辿り着く方法は無い。

 だからこそ自分も安心してこの場所まで来る事が出来たというのに。それなのにホーネットがここに居るというのはどういう事なのか──

 

「ま、まさか」

 

 そこでケイブリスは視線を真下に。

 力無く地に伏せるその魔人の方に移して。

 

「か、カミィィラァァアア!! テメェ、さては俺様を裏切ってホーネット派と手を組んでやがったんじゃ──!」

 

 何者かが手引きしたとしか考えられない。そうだとしたらこのアマしかいない。

 ケイブリスははち切れん程の怒りを込めてその大きな拳を握り締め、まだ整った形を保っていたカミーラの顔面を叩き潰そうとした、その刹那。

 

「ケイブリス!!」

「ぬぉッ!」

 

 ちょうどその間を割くかのように一閃。白く輝く破壊光線が唸りを上げる。

 ケイブリスは慌てて背後に飛び退いて、術者の狙い通りにカミーラは九死に一生を得た。

 

「ホーネット、テメェ……!」

「……ケイブリス、ようやく戦いの場で相まみえる事が出来ましたね」

 

 憎々しげに睨む瞳と射抜くように睨む瞳。互いに鋭い視線が衝突する。

 

 ホーネット派の主、魔人ホーネット。

 ケイブリス派の主、魔人ケイブリス。

 

 派閥戦争の切っ掛けとも言える二人、両派閥の主が遂に戦場で顔を合わせた。

 半年前のように虜囚の身ではない、こうして同じ場所に同じ立場で対峙する事となった今。

 

「この機を逃しはしません。今日、ここで派閥戦争の決着を付けます」

「……チッ、ちょっとばかし俺様を出し抜いた程度で調子付きやがって……!」

 

 真っ直ぐに敵を見据えるホーネットの一方、舌打ちするケイブリスの表情は苦い。

 自分が相手か、派閥の主のどちらかが敗れた時点で派閥戦争は終幕となる。それはケイブリスも承知していて、だからこそ今回は総戦力での全軍侵攻を決断し、自分も武器を取って立ち上がった。

 

 ただそれでも。それでもここでホーネットと戦うというのは全く想定していなかった展開。

 これがホーネットとカミーラが手を組んで画策した事なのだとすると、自分にとってここで戦うというのは決して得策とは言えないだろう。

 ただでさえこの相手、魔人ホーネットは強い。若くして魔人筆頭になるだけの実力がある上、自分には先程カミーラと戦った時のダメージだって残っている。

 確実に勝てる戦いしかしないという信条を持つケイブリスにとって、この状況は確実に勝てるとは言えない状況に当たるのだが……。

 

「……は、どうやら死にたいみてーだな」

 

 けれどもこの状況では。事ここに至ってはもはや決戦もやむ無しか──

 と、ケイブリスが覚悟を決める、その前に。

 

「だーもう! お前ら、この俺様を無視して戦いを始めんなっつーの!」

 

 この場の主役は魔人達ではなくて、世界を救う英雄である自分ただ一人。

 若干出遅れた感もあるが、とにかくランスがホーネットよりも一歩前に歩み出た。

 

「てな訳で……がははは! 正義のヒーローランス様の登場だ! おいカミーラ、生きてっか!?」

「……ラン、ス……」

「カミーラ、選手交代だ! そのリスは俺達が退治してやっからお前はもう退がれ! お礼のセックスなら後で受け付けてやるからよ!」

 

 弱々しく名前を呼び返すカミーラに向けて、ランスが撤退の指示を出す中。

 

「あぁん? 誰だお前は──」

 

 一方のケイブリスは最初、そこに訳の分からない見知らぬ男が立っていると思って。

 

「──て、て、てめぇ、は、まさか……」

 

 そしてすぐに気付いた。

 自分はこの男と直に会った事は無い。

 けれどもその声も、その姿もよく知っている。

 

「……そうか。てめぇが……」

 

 それはあの電話越しに。

 そしてあの写真越しに目にした相手。決して忘れぬよう脳内に刻み付けていた相手。

 

「……てめぇが、あのカオスマスターか」

 

 謎の人物カオスマスター。

 憎き男がそこに立っていた。その名の通りに魔剣カオスをその左手に握って。

 

「そのとーり、この俺様こそがホーネット派を影から操ってきた男、ランス様だ。やいケイブリス、こうしてまたお前をぶち殺しに来てやったぜ。せいぜい感謝しろよな」

「……あぁ。感謝するぜ、カオスマスター……いいや、ランスか。てめぇだけは俺様の手でぶち殺してやろうと思ってたんだよ」

 

 その男の顔を見ながらケイブリスは静かに、そして凶悪そうににたりと嗤う。

 カオスマスター。ランス。あんな挑発的な写真を自分の下に送り届けてきた相手。

 自分よりも先にカミーラを抱いていた。人質に手出しはしないという約束を破っていた相手。

 

 この男だけは。この男だけは許さない。

 その顔をグチャグチャに潰して、その身体をギタギタに裂いてやらないと到底気が済まない。

 

「てめぇは俺様の事を散々イラつかせてくれやがったからなぁ。何処の何者だと思っていたが……そのナリを見る限り、てめぇは人間だな?」

「あぁそうだ。俺様は人間、この世界で最強の人間ランス様だ」

「だよなぁ、人間だよなぁ」

 

 するとケイブリスは「……クククッ」と、さも嘲るような笑みを零す。

 

「おいホーネット、テメェ……まさか人間なんぞと手を組みやがったのか?」

「……えぇ、そうです。けれどもそのおかげで私は今ここに居ます。カスケード・バウからのルートが封鎖されている状況下、ここに辿り着く方法は他に一つしかありません」

「……あぁそうか。人間世界の方から来たのか。なーるほどなぁ、その考えは頭に無かったぜ」

 

 極度に臆病なケイブリスにとって、人間という種が警戒に値しないものだとは考えていない。

 リス種から強くなった自分だっているのだ、だったら人間種からでも強くなる者はいるだろう。

 そもそも数年前にはカミーラ達のゼス侵攻の失敗だってある。それを知っている以上、人間など何ら警戒しなくていい相手だとは考えない。

 

 故に多少の警戒心は持ちつつも、その上で尚この展開はケイブリスも予期していなかった。

 魔物界の中だけで争ってきた派閥戦争において、人間が関わってくるとは想定外だった。

 そもそも人間という種に対して、協力を求めるような相手だという発想が無かった。

 自分にとって人間などただ邪魔なプチプチ共でしかなく、それは魔人筆頭たるホーネットにとっても当然そうだろうと思っていたのだが……。

 

「追い詰められて追い詰められて、そんでなりふり構わず人間なんぞの手に縋ったってか?」

「………………」

「なんだなんだぁ、情けねぇなぁホーネットッ! そんなザマで決着を付けようとかどうとか、この俺様の前で偉そうな事ほざいてんのかよ!!」

 

 ケイブリスの嘲りの言葉を受けても、ホーネットはなんら表情を変えずに。

 

「何とでも言いなさい。ですが少し前までは劣勢だったホーネット派がここまで盛り返したのは、他ならぬランスの協力があったからこそです。彼は人間なんぞと侮るような人物ではありません」

「そーだそーだ。ホーネット派がここまで来たのは俺様のおかげ。だからケイブリス、てめーがここまで追い詰められてんのも全て俺様の活躍なのだ、がはははは!」

 

 ホーネットの言葉に気を良くしたのか、ランスは宿敵の前でも破顔一笑して。

 

「大体俺様が人間なら、てめーなんぞただのリスじゃねーか。リス如きが偉そうにすんな」

「……なんだと?」

 

 そしてランスの言葉が琴線に触れたのか、ケイブリスは一瞬真顔になる。

 

「テメェ、今なんつった?」

「たかが雑魚リス如きが偉そうにしてんじゃねーよバーカ、って言った」

「ッ!」

 

 そしてギリッと奥歯を噛んで。 

 

「言うに事欠いてリス如き、だとぉ!? この俺様をナメてんのか!! アァ!?」

 

 すぐにブチ切れた。 

 白目を剥き出す程の怒りに、4本の角が生える顔が真っ赤に充血する。

 

 リス如きだと? ──違う!!

 自分はもうあの時とは違う。脆弱で臆病だった矮小なリス如きなどでは断じて無い。

 自分はケイブリス派の主だ。そして最強最古の魔人四天王で……そして。

 

「俺様は王だ! ここでテメェらをぶっ殺して魔物の王になる男、ケイブリス様だッ!!」

 

 自らがなるべき姿。それを宣言したケイブリスは腰に下がっていた双剣を引き抜く。

 大剣ウスパーを右手に。大剣サスパーを左手に。

 

「ホーネット、来るぞ!!」

「えぇ!」

 

 これが派閥戦争における最終決戦。

 身構えるランスとホーネットに向けて。

 

「オラ行くぜ! オラ行くぜ! オラ行くぜ! オラオラオラオラオラオラオラァァァ!!!」

 

 最強の魔人、魔物界最強の暴力が牙を剥いた。

 

 

 

 

 



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VS 魔人ケイブリス

 

 

 

 

 カミーラ城の大広間、遂に始まった派閥戦争最後の戦い。

 ホーネット派とケイブリス派、両派閥の頭首が激突する戦いが幕を開けてから早数分、その戦闘は類を見ない程に激しいものとなっていた。

 

 

 

「オラァ!!!」

 

 猛る咆哮。高々と振り上げた大きな拳。

 その手には長らく握っていなかった大剣サスパーのシルエットが。

 

 派閥戦争が始まって以降、初めて戦いの舞台に姿を現した魔人ケイブリス。

 最強最古と形容されるリスの魔人、その圧倒的な暴力が振り下ろされる。

 

「くっ!」

 

 避けて、と声を掛け合う暇さえなく。

 ホーネットは右に跳んで、同時にランスは左に跳んで。

 

「ガアァ!!」

 

 その数瞬の後、二人が回避した場所に大剣サスパーが打ち込まれる。

 ズガンッ! と地面に突き刺さり、地を揺らす振動と共に床石が激しく捲れ上がる。

 

「ケイブリス……!」

 

(ただの一撃が、なんて威力──!)

 

 その規模といい威力といい、まるで攻城兵器もかくやという一撃。

 それをただ腕の一振りで実現する規格外さに、ホーネットは心の中で驚愕する。

 

(ケイブリス、やはり……強い!)

 

 こうして戦ってみて分かった。いや、改めて理解したと言った方が正しいか。

 魔人ケイブリスは強い。途轍もなく強い。最強最古の魔人という名、魔物達から畏敬を込めて呼ばれるその呼び名には何一つ偽りなどは無い。

 認めるのは少々癪だが、戦闘能力では恐らく自分よりも上だ。これが派閥の主同士の一対一での戦闘だったら敗れるのはきっと自分の方だろう。

 

(……無論、ケイブリスが強い事は知っていた。そんな事は最初から分かっていました)

 

 そう、それはずっと前から分かっていた事。

 それはホーネットが魔王城で生まれて、最初にその姿を目にしたその時からずっと。

 

 およそ六千年程前、魔人ケイブリスも元々は弱くて小さなリスだった──らしい。

 けれどもその弱かった時期の事なんて知らないホーネットにとっては、魔人ケイブリスというのは掛け値なしに強い魔人の代名詞である。

 だからこそ、ホーネットはケイブリスの強さを侮った事なんて一度たりとも無い。

 

(……けれど)

 

 けれど父親である魔王ガイが人間と魔物の世界を隔てた事によって、魔人は戦う機会が減った。

 特にケイブリスは性根が臆病なので、ガイが存命だった頃は自身の城に籠もりっぱなしで。

 故に強いという事は知っていても、その戦う姿を見た事がある訳では無い。だからこそ。

 

「オラオラァ!!」

 

 迫る巨剣。

 躱せないコースだと判断したホーネットは細身の剣を前に構えて防御の体勢を取る。

 

「……ぐっ!!」

 

 そこに衝突する、桁外れの衝撃。

 

「ホーネットッ! そんな細腕で俺様の攻撃が受け止められんのかよォ!!」

「ぅ、くぅ……、ッ……!」

 

 身体が下がる。上半身が押し込まれる。

 なんとか受け止める事は出来る……が、この威力の前では反撃する事も難しい。

 

(これほど、とは……!)

 

 強いという事は知っていた──だが、その想像を遥かに上回る程の強さ。

 これ程の力があって、何故今まで派閥戦争の戦場に出てこなかったのか。

 これ程に強いのに何故臆病になれるのか、そう不思議に思えてくる程の強さだ。

 

 とそのように、ホーネットが初めて目の当たりにした魔人ケイブリスの強さに驚愕していた中。

 一方でそれ以上に驚愕していた者がいて。

 

 

「……ぐっ」

 

 その男の名はランス。

 こちらにとっては初めてではない、これで計四度目となった魔人ケイブリスとの戦闘。

 以前の時と変わらない激戦の中、ランスは魔剣を構えたまま攻め入る隙を見いだせずにいた。

 

(こいつ、バケモンか!?)

 

 化け物。そう表現するのが相応しい異形のリス。

 見上げるような6mの巨体。その身体は頑強な筋肉の鎧に包まれている。そして更に魔人とあってはその肉体的強度は人間のそれを遥かに上回る。

 それは耐久力という意味でもそうだが、特に攻撃力という意味においても大きい。

 

「ガァッ!」

 

 斜めに振り払われる右の巨剣。

 迫力は申し分無し。当然そんな一撃をまともに受ける訳にはいかない。

 

「来るぞ! 心の友よ、避けろ!」

「んなこた分かっとるわ!」

 

 悪態を吐きながらも真横にステップ、大剣ウスパーの斬撃を危なげなく回避する。

 

 幸いな事にランスは前回の時、魔人ケイブリスとの戦闘を三度も経験している。

 その際に得た経験値は知識として残っている。ケイブリスの戦法は身体が記憶している、こうして振るわれる巨剣にも見覚えがある。

 つまり条件としてはトッポスに寄生した魔人レッドアイ戦と同じ。初見ならばいざ知らず、三度も体験したその太刀筋はもう殆ど見切っている。

 

 だが。

 

「オラオラオラァッ!」

「ぐぬ……!」

 

 ケイブリスの武器は双剣。右の一撃を躱してすぐ左から新たな一撃が叩き込まれる。

 条件としてはレッドアイ戦と同じ、けれどもその中身は大きく異なる。破壊力だけで言うならトッポスと同程度だろうが、その破壊力を扱う戦闘技術がまるっきり違う。

 

「こいつ……気を付けろ心の友! こいつの剣はただ乱雑に振っとるだけじゃないぞ!」

「だから知ってるっつーの!!」

 

 ケイブリスの剣LVは2. 才能としては達人の粋に達している。

 その凶器をただ闇雲に振り回すだけだったレッドアイとは違って、激しく荒々しく攻め立ててくるその双剣にはしかし隙らしい隙がない。

 

「雑魚人間が! 邪魔だァ!!」

「っ、やば……!」

 

 一撃を躱して、もう一撃を躱した所でランスは無理な挙動に体勢を崩してしまう。

 レッドアイとは異なる計算された攻め手。まず回避するのが困難な状況に追い込んでから、そこに容赦なく本命の一撃が叩き込まれる。

 

「死ねやぁ!!」

 

 袈裟斬りに振り下ろされる右の巨剣。

 その二の腕の太さはランスの胴回り以上、当然その膂力だって桁違いなもの。それを受け止めようとしたならランスの力を持ってしてもそのまま潰されてしまうだろう。

 魔人筆頭ならまだしも人間では。ケイブリスの攻撃を受け止められる人間なんてガード職を極めたほんの一握りの人間のみ。アタッカーであるランスには出来ない芸当だ。

 

「ぐっ、ぬぬ──!」

 

 とはいえ回避するのが難しい以上、この攻撃をやり過ごさなければ死んでしまう。

 ランスは即座に魔剣を構えて、全身の気力を一気に漲らせて、そして。

 

「でいッ!」

「ぬ、お……!」

 

 迎え撃つ一撃。

 魔剣の先から発生した衝撃波の刃がケイブリスの巨剣と交錯し、互いの刃が後方に弾かれる。

 

 この通り、圧倒的にパワーで劣るランスにも唯一ケイブリスの剣と打ち合う方法がある。

 それはランスが使える必殺技、ランスアタックの威力で以て迎え撃つ事。

 全身の気力を込めて放つ必殺の一撃であれば、どうにかその巨剣と打ち合う事が可能となる。

 

 ただそれは言い換えるならば。

 ケイブリスが繰り出す普通の攻撃、普通の斬撃一つと打ち合うのにも、ランスは必殺技を放つエネルギーを必要とするという事で。

 

「まだだッ!」

「げっ!」

 

 そして必殺技とは気力を必要とする為、そう簡単に連発出来るような代物ではない。

 しかしケイブリスは何度でもその巨剣を振るう事が出来る訳で、当然のように更なる追撃が必殺技を撃ち終えた直後のランスに迫る……が。

 

「ケイブリスッ!」

「ちぃ、ホーネット……ッ!」

 

 そこで横合いからフォローが入った。

 飛び込むような速度で繰り出すホーネットの剣。それを防ぐのにケイブリスが気を取られてくれた事によって、あわやランスは九死に一生を得た。

 

「こ、この、バケモノめが……!」

 

 恐怖や暴力という言葉の形がそのまま具現化したかのような、まさしくバケモノ。

 ランスは荒くなった呼吸と気力を整えながら、改めてその強さに驚愕する。

 

 とはいえ、三度も戦った事のあるランスはその強さを知っていたはずだった。初めて戦ったホーネットよりも、この世界で誰よりもその強さをよく知っていたはずだった。

 そして何かと相手を下に見る傾向がある、自信過剰が故に相手を侮りがちなランスとて、ケイブリスについてだけは侮って見ていたつもりは無い。

 

(こ、これはちょっと強いぞ……ケイブリスってこんなに強かったか!?)

 

 無いのだが──それでも尚、改めて目にして驚愕する程の強さ、それが最強最古の魔人。

 あれ程強かったレッドアイですら、この化け物と比べれば楽な相手だと思えてくる。

 

(つーか俺様……前回の時こんなバケモノに本当に勝ったんだっけか!?)

 

 もはや過去に一度勝利したという、その記憶すらも疑いたくなってしまう、それほどの強さで。

 

(い、いやでも待て待て! 間違いじゃないぞ、前回の俺様は確かにこいつに勝ったはずだ!)

 

 けれどもその記憶は正しいもの。ランスだけが知るその事実は決して夢や幻などでは無い。

 前回の時、ランス率いる魔人討伐隊は死闘の末に魔人ケイブリスを撃破した。

 だからどれだけ強くても、化け物みたいに強くても決して倒せない相手では無いはずだ。

 

(あん時はどうやって勝ったんだっけか、思い出せ俺様っ! 確かあん時は、あん時は……!)

 

 あの時と今で何が違うのだろうか。

 一つは仲間の存在、というのはあるだろう。前回の時はホーネット以外にも多くの仲間が居た。

 自分以外のアタッカーやガードやヒーラーなど、仲間の存在というのは大きいはずだ。

 

 けれどもそれは最大の要因では無い。

 というのもランスは前回の時、一度目はケイブリスに敗北を喫している。

 そうして次に挑んだ二度目と三度目、その時にケイブリスを撃破した最大の要因を挙げるなら。

 

(あー思い出した、シャリエラだ! あいつさえいりゃあ……!)

 

 それはやはり自称人形の踊り子、シャリエラ・アリエスの存在が大きい。

 シャリエラはその奇跡の踊りによって、仲間の気力を完全に回復する事が出来る唯一の存在。

 気力が回復すれば必殺技だって何度でも連発する事が可能となる。通常の攻撃全てがランスアタックとなれば、ランスだってケイブリスの剣と打ち合う事が可能となる。

 

(別に忘れていた訳じゃねぇ、んな事は最初から分かってたのに。だから今回だってちゃんとシャリエラの事は連れてきたっつーのに……!)

 

 前回の記憶があるからこそ、ランスは多くの事を最初から分かっていた。

 だからこそ決して侮らず、確実にケイブリスを倒せるだろう計画を事前に立てていた。

 奇襲を仕掛けて挟撃を成立させる。そして自分とホーネット派魔人達全員、そしてゼスからの援軍、そこにシャリエラの踊りの力が加われば、前回の時の手応えからしても100%ケイブリスを倒せるだろうと踏んでいた。

 

 そんな計画はしかし、ケイブリスがミダラナツリーに進路を変えた事によって崩れてしまった。

 更にはカミーラを救う為に先行した事によって、すぐ近くのキャンプ地までは連れてきているシャリエラの力も今は借りる事が出来ない。

 幸いカミーラに関しては目論見通り、こちらがケイブリスの気を引いている間に上手く逃げられたようだが、当初の計画が全て台無しになっている現状にランスは歯噛みする。

 

「どーしたどーしたァ! ムカつくぐれにー強気だったのは態度だけか!? アァ!?」

 

(──く、そっ! つーか二人しかいねぇとマジで休む暇がねぇッ!)

 

 そんな思考の最中も休む暇なく、立て続けに振るわれるウスパーとサスバーの猛攻。

 寸での所で回避したり、ランスアタックで打ち払ったりするのもすでにキツくなってきた。

 その上未だ攻撃らしい攻撃はロクに与える事が出来ていない。ホーネットの魔法攻撃が何度か直撃しているものの、ランスが振るう魔剣の刃は専ら防戦一方である。

 

(どうする、どうする──!)

 

 このままでは埒が明かない。

 どうにか隙を見つけて攻勢に転じなければ。受けているだけでは……いずれ。

 

 とそのように、焦れながらも反撃のタイミングを伺っていたランスの一方。

 

 

(……ハッ)

 

 ケイブリスは態度とは裏腹に頭の中は激さず、冷静に相手の戦力を分析していた。

 

(……なぁんだ。偉そうに大口叩くからどんなもんかと思えば、所詮人間なんざこんなもんか)

 

 そうして分かった。このランスという男は大した相手ではない。

 やはりこれは人間だ。雑魚プチプチとはどこまでいっても所詮雑魚プチプチだ。

 ただ一応、あえて言うなら気になる点があるにはあって……その一つがこれだろう。

 

「オラァ!!」

「おっと!」

 

 力強く大振りに、けれども鋭く振るった大剣サスパーの一撃。

 真横に薙ぐような広範囲の一閃を、その男は刃が届くギリギリで立ち止まる事で回避する。

 

(しっかしまぁさすが雑魚プチプチだけあって、小賢しく避けるのだけは上手いじゃねーか)

 

 この通り、このランスという男はこちらの攻撃を躱すのが上手い。見切りの技術が冴えている。

 というよりも……この男は妙に勘が良い。その躱し方は機敏というよりも事前に予測した攻撃を予測通りに躱すような、まるでこちらの戦い方を熟知しているかのような印象を受ける。

 

(けれどもそんな事はあり得ねぇ。俺様の戦いを見た事があるヤツなんてこの魔物界にですらそうは居ねぇはずだからな。たかが100年ぽっちも生きられない人間如きが知っているはずがねぇ)

 

 だとしたらこれはやはり、このランスという男の技量という事なのだろう。

 成る程最強の人間だと自称するだけの事はある。その躱しの技術はウザったい事この上ない。

 

 しかし。

 

(それでもこいつは問題ねぇな。こいつ自体は全然大した事ねぇ)

 

 弱いとは言わない。

 その躱しの技術や、必殺技で以てこちらの一撃と打ち合ってみせる点なども含めて、人間としては破格の戦闘能力を有している事は認める。

 

 しかし、あくまでそれだけだ。

 あくまで人間の中で飛び抜けているだけ。魔人の領域にはまるで届いていない。

 仮に一対一で一万回戦ったとしたら、間違いなくその一万回全てにおいて自分が勝つ。

 このランスという人間に関してなら、極度に臆病な性格のケイブリスであってもそう断言出来る。

 

(こんな雑魚、俺様にとっちゃあ眼中にもねぇ相手なんだが……)

 

 それでももう一つ気になる点としては、この男が魔剣カオスを振るっている事。

 魔剣は魔人の身体を容易く斬り裂く。それどころか魔王の身体ですらも貫く程の代物。故に魔人に対する攻撃力となると、それはホーネットとも遜色が無い程に高くなる。

 だからこそ無視は出来ない。この男が単なる剣士なら完全に無視してしまえるのだが、ランスが魔剣使いである以上一応は注意しないといけない。それが煩わしい。

 

(でもまぁ、それだけだ。ちょっと鬱陶しいだけでこいつ自体はいつでも潰せる)

 

 体感で言うなら自分の全力を10として、その内1か2の力を割くだけで十分だと言える相手。

 なので今意識を割くべきはこの男ではなく、それよりも遥かに危険なもう一人の方だろう。

 

(そうだ、問題は、こっちだ……!)

 

「──ケイブリスッ!」

「ふんっ!」

 

 問題の相手──ホーネット派の主、魔人ホーネットが剣を振るって攻め立ててくる。

 その細身の剣を左の巨剣で受け止めながら、ケイブリスは内心密かに恐怖を覚える。

 

(クソが……このアマ、おもちゃみてーに細い剣を振るってるのに、それなのに……!)

 

 こうして剣を交えてみて分かった。自分とホーネットの剣の才能は互角だ。

 6千年掛けて磨いた自分の剣と、千年も生きていないホーネットの剣が互角というのは非常に腹立たしい話なのだが、こればっかしは文句を言っても仕方がない。

 とにかく才能の部分では同等であって、故に剣術の技量で勝負するとしたら中々決着は付かないだろうが……けれども互いの膂力は異なる。

 

「うらぁッ!」

「く、ぅ……!」

 

 刃を切り結んだまま、ケイブリスは強引に左手を押し込む。

 負けじとホーネットもその手に力を込めたが……すぐに力負けして、押し込まれた身体がバランスを崩してたたらを踏む。

 

 ホーネットはその外見からも明らかなように、魔人の中では華奢な部類に入る。

 一方で自分はパワーこそが、自己強化を繰り返して鍛え上げたこの肉体こそが最大の武器。

 だから剣の才能が互角だとしても、いや互角だからこそ自分の方に分がある。確実な差がある膂力で以て押し切れば、いずれはホーネットを倒す事が出来るはずだ。

 

 ……とはならないのがこの戦い。

 単なる膂力の差だけでは勝つ事は難しい、それが魔人筆頭という存在で。

 ホーネットが体勢を崩したのを機と見て一歩踏み込んだケイブリスは、直後眩い光を見た。

 

(っ、ヤバいッ!)

 

 とっさに踏み止まって、直撃を受けたら危険な顔面を左腕でカバーする。

 

「はっ!」

 

 鋭く息を吐くホーネット。彼女の真骨頂は剣術ではなくこちら。

 戦いながらも呪文の詠唱を完成させて、眩く発光するのはその周囲に浮かぶ白の魔法球。

 

「──ぐうっ!」

 

 そうして発射された極太の光、白色破壊光線。

 至近距離からのレーザーを回避する事は出来ず、受け止めたケイブリスの太い二の腕を、剛毛で覆われた左腕を容赦無く焼いていく。

 

「ぐっ、オオォォオオオオ!」

 

 身体を焼かれる痛みに呻きながら、ケイブリスはその破壊力に震撼する。

 

(やっぱり、こいつの魔法は危ねぇ……ッ!)

 

 自分とホーネットを比較して、自分の方が確実に負けていると言える部分。それがこの魔法だ。

 自分の魔法レベルは1。一方のホーネットは破壊光線を容易く扱う所から見て2はあるはずだ。

 自分は剣術の方が得意なので戦闘の際は殆ど魔法を使わないのだが、もし魔法での撃ち合いでホーネットと勝負したなら間違いなくこちらが敗れる事になるだろう。

 

 魔人ホーネット。剣の才能では互角。魔法の才能では相手が上。

 加えてケイブリスには知らぬ事だが彼女は神魔法の才能まで有している。つまり才能の数で言うなら完全にケイブリスを上回っている相手。

 

 そして。

 

(それだけじゃねぇ、多分こいつは……!)

 

 そして。

 これはあくまで予想であって、ケイブリスがその具体的な数値を知っているという訳では無い。

 ただそれでも、ケイブリスは最強最古の魔人。六千年にも及ぶ長い時間を生き抜いてきた分洞察力なども鍛えられており、故にこそ肌で感じる印象から察せられるものがある。

 

 魔人ホーネット。彼女の魔人としてのレベルの才能限界──それは320。

 その並々ならぬ数字はケイブリスの才能限界である255を大きく上回っている。

 それはつまり、ホーネットという魔人はやがては自分よりも強くなる相手だと言う事で。

 

 才能で、そしてレベルの限界値で、間違い無く自分を上回っていると言える相手。

 それがケイブリスにとってのホーネット。憎き敵派閥の主であって……そして。

 

(こいつだッ! 今はこいつだけが怖えぇ! こいつだけが俺様の障害になる!!)

 

 そして、今目の前に迫る恐怖の対象。

 ケイブリスにとっての宿敵とは、ホーネット派というのは結局の所この魔人ただ一人だけ。

 魔人サテラや魔人ハウゼルも、魔人シルキィですらも恐怖を感じる所まではいかない。ただこのホーネットだけが、潜在的なポテンシャルで自分を上回っているこの女だけが恐ろしい。

 

(そうだ、怖いのはもうこいつだけなんだ!! だから、だから──!!)

 

「ホーネットォ! テメェさえぶっ殺せば、俺様はぁぁァァア!!」

「っ!」

 

 猛りながらの強引な突進。

 その勢いを弱らせるかのようにファイアーレーザーが飛んできたが、それも無視。

 生半可な魔法などは鍛え上げた肉体で無理やりに受け止め、一気に距離を詰める。

 

「オラァ!!」

「くっ! ケイ、ブリス……ッ!」

 

 接近戦なら分があるのはこちらの方だ。

 ケイブリスは左の巨剣を振り下ろして、あえてホーネットの剣に受け止めさせる。

 そして双剣の利を生かして続く右の巨剣を一閃、隙が生じた魔人筆頭の胴体へと──

 

「でりゃッ!」

「あぁくそ、鬱陶しい!」

 

 右の巨剣を振るう寸前、ケイブリスはその軌道を攻撃から守備に切り替える。

 直後地を這うような衝撃波、ランスアタックが飛んできて巨剣の刃に衝突した。

 

(クソ野郎が、雑魚のくせに要所要所邪魔だけはしてきやがって……ッ!)

 

 中々切り崩せない。ホーネットとランスの巧みなフォローの前にケイブリスは舌打ちする。

 現状9の力をホーネット相手に、そして残る1の力をランスに割くような感じで戦っている。

 故にこそ戦いが拮抗している。いや、というよりも戦いが拮抗してしまっている。

 

 仮に10の力でホーネットに当たれば、時間は掛かるだろうが倒す事は出来ると思う。思いたい。

 けれどもその場合ランスがフリーになる。魔剣を扱うこの男を自由にさせるのは怖い。

 逆に10の力をランスに当てれば、多分一分も掛からずに叩き潰せるとは思う。

 けれどもその場合ホーネットがフリーになって……ただでさえ怖い魔人筆頭を一秒でも自由にさせるなんて怖すぎる、論外だ。

 

(こうなると……やっぱり、()()か……?)

 

 この拮抗した状況を打破する術。

 それは実の所、すでにケイブリスの頭の中に一つだけ思い浮かんでいる。

 

(けど、もし()()でも駄目だったら……)

 

 けれども今、臆病で慎重な心がその思考にブレーキを掛けてしまっている。

 もし仮にその秘策を使ったとして、それでもこの二人を倒す事が出来なかったら。

 そうなったらもう打つ手が無い。その事実を直視してしまう事が怖い。

 

(あぁ駄目だ、怖えぇ、怖すぎる! 一体どうすりゃいい!?)

 

 敵が怖い。戦う事が怖い。

 そもそもケイブリスは絶対に勝てる戦いしかしない魔人。だからこうしている今、勝てるか分からない戦いをしている事自体が恐ろしい。

 

(怖えぇよ、死にたくねぇ! つーかなんでこの俺様が戦う事になってんだよ!?)

 

 自分の命を奪う可能性のあるもの。その全ての存在が恐ろしい。

 いっその事戦闘なんて止めて、この場から逃げ出してしまおうか。

 それだって選択肢の一つなのでは。と、そんな弱腰極まる選択肢を思い掛けて。

 

 

(──いいや、違うッ!)

 

 途端にそれを否定する。

 

(怖い? 一体なにが怖いってんだ?)

 

 自らの思考を。自らの思考で上書きする。

 

(俺様が負けるはずがねぇだろ? だって俺様は最強最古の魔人ケイブリス様なんだぞ?)

 

 つい先程まで怖い怖いと臆病になっていたかと思えば、次の瞬間には一転して増長している。

 傍目からはとても奇妙に思えるが、戦闘中でさえもころころとその思考を変化させる、それがケイブリスという魔人なのである。

 

(そうだ、俺様は最強の魔人だ! だったらこんな雑魚共に負けるわけがねぇだろ?)

 

 とにかくこうして、臆病な思考のターンが終わったらしいケイブリスは──決断した。

 

(ホーネットだろうが関係ねぇ。俺様に勝てるヤツなんざいるはずねぇんだ……やってやるッ!)

 

 

 するとケイブリスは深く身を沈めて、

 

「だりゃッ!」

 

 力を溜めて一気にジャンプ。

 大広間の天井近くまで一息に飛び上がる。

 

「っ、なにを……」

 

 その不意を打つような行動に、ホーネットが一瞬面食らう中、

 

「ふんっ!」

 

 ケイブリスは空中で尻尾を大きく振るって。

 

「あ」

 

 その巨体がぐるりと一回転する姿を。

 記憶の中に見覚えの残るその動きを目にした時。

 

(……あ、いけね。()()の事ホーネットと相談すんの忘れてた)

 

 ランスは頭の片隅で、まるで他人事のようにそんな事を考えて。

 

「くっ!」

 

 直後ホーネットは真後ろに飛んだ。

 それを知らなかったが故、彼女はそこで回避する事を選択して。

 

「チィ!」

 

 一方のランスは身体に宿る気力を振り絞りながら魔剣を振りかぶる。

 それを知っているが故、彼は下がらずにランスアタックでの迎撃を試みて。

 

「──死にやがれェッ!!」

 

 怒号と共に、二振りの大剣による渾身の一撃が勢いそのままに落ちてくる。

 振り下ろされた双剣ウスパーとサスパーの斬撃。

 そして発生した津波のような衝撃波が2つ、ランスとホーネットを飲み込んでいく。

 

 それは六千年に及ぶ雌伏の時の中で磨いた成果。

 この魔人を最強の魔人たらしめるもの。

 魔人ケイブリスが誇る必殺技──スクイレルザンが炸裂した。

 

 

 

 

 



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確たる自信

 

 

 

 

 床石に深々と刻まれた二条の亀裂。

 舞い上げられた瓦礫と砂埃。

 そして一杯に立ち込める衝撃波の残滓。

 

 その光景こそは魔人ケイブリスの必殺技──スクイレルザンによる破壊の足跡。

 

 

「……はっ」

 

 霞がかった視界の中。

 渾身の一撃を撃ち終わり、体勢を戻したケイブリスは肩を揺らして大きく息を吐き出す。

 

「……はぁ、はぁ……」

 

 尻尾のバネを利用しての回転落下斬り。およそ数百年ぶりに放った必殺技。

 それによって息が上がったというよりもむしろ、遂にその技を放ってみせた事による高揚感、そして結果を目の当たりにする緊張によって心拍が激しく高鳴っていた。

 

 なにせこれは必殺の一撃。

 弱かった自分が長きに渡る苦境の日々の中、遂に編み出した必勝の技なのだから。 

 

「……へ、へへへ……どうだ、さすがにこいつは効いたろ……」

 

 未だ視界が晴れぬ中、ケイブリスは唇の端を歪な弓形に曲げる。

 その表情は自信の表れ。如何に臆病なケイブリスであってもこれだけは確たる自信がある。

 

 もし仮にこの必殺技、スクイレルザンが破られたとしたら。

 そうしたらもう自分は戦えないかも、いいやきっと戦えないだろうとケイブリスは考える。

 いざという時にこの技を頼りに出来ないのなら、恐ろしくて戦いの場になど立てやしない。

 ケイブリスにとってスクイレルザンとは、それ程に確たる自信がある必殺技なのである。

 

「……お」

 

 そして霞がかった視界が晴れていく。

 上述の通りスクイレルザンとは、最強の魔人ケイブリスが誇る必勝必殺の技。

 であるならば。このスクイレルザンを破れなかったとしたら、そこには──

 

 

「……くっ、うぅ……」

 

 聞こえてきたのは呻き声。

 靄が消え失せて、そこには痛手を負った魔人ホーネットの姿があった。

 鎧代わりとなる巨大な肩当ては大きく破損し、その身体にも数々の裂傷が見える。

 そして出血のある額を片手で押さえ、もう片方の手は剣を握ったままぶらりと垂らしている。

 

 そして。

 

「っ、……ケイ、ブリ、ス……」

 

 そして何より……その瞳が。

 先程まで力強い眼差しで敵を見据えていたホーネットの瞳が……今では弱々しく揺れていた。

 

「……はっ、はは、ハハハハハっ!」

 

 そこにあったのは見たかった姿。

 思い描いていた通りの光景に、ケイブリスは自らの勝利を確信して呵々大笑する。

 

「ぎゃーーっはっはっはっはっはぁ! どぉーだホーネットッ! 俺様のスーパーデンジャラスな必殺技の味はよォ!!!」

「………………」

「効いたろ? 効いたよなぁ!? なんとか言ってみろよなぁオイッ!!」

 

 ケイブリスの嘲笑に対して、ホーネットからの反論は……無い。

 スクイレルザン。その一撃は間違いなく勝敗を決する程のダメージを与えていたからだ。

 

 つい先程の数秒間。高くまで飛び上がっての回転落下斬り、スクイレルザンの予備動作を目にしたホーネットは瞬間的に回避する事を選択した。

 しかしその判断は正解では無かった。スクイレルザンの破壊の規模を見誤っていた。躱そうとしても躱しきれない程に莫大な衝撃波が放たれた。

 その破壊の波に飲まれたホーネットはその身を何度も削られて、そして──

 

「……くっ」

 

 呻きと共に腰を落として、ホーネットは片膝を地面に付けてしまう。

 悔しげにケイブリスを見上げるその瞳は頼りなく揺れていて、瞳孔の動きが定まっていない。

 

 スクイレルザン。その衝撃波はホーネットの身体を刻み、それだけには留まらなかった。

 目の前にある光景がブレている。今、ホーネットが見ている視界は何重にも重なり、上下左右も不明なぐらいにぐらぐらと揺れている。

 必殺の衝撃波に強く頭を打ち付けられた結果、脳震盪のような症状を引き起こしていたのだ。

 

「……こ、これ、は……」

 

 視界と脳内の異常な混濁。強烈な酩酊感にも似たそれは初めて体験するもの。

 それは魔人筆頭を以てしても、地面に膝を付けたまま立ち上がる事が出来なくなってしまう程で。

 

「おいホーネット、大丈夫か!!」

 

 そんなホーネットの姿を見て、少し離れた場所にいたランスからの声が飛ぶ。

 

「……あん?」

 

 するとそんなランスの姿を見て、ケイブリスはややの驚きにその目を見張った。

 

「……ほぉ~? 取るに足らねぇ雑魚のくせしてこっちはまだ多少は元気じゃねぇか」

「っ、……当然だろうが。テメェなんぞの攻撃がこの俺様に効くかってんだ」

 

 そう吐き捨てたセリフはさすがに単なる強がりではあったのだが、それでも。

 それでもケイブリスが言った通り、ランスの方がまだ多少は無事なように見える。

 衝撃波の波に飲まれて受けたダメージはホーネットと同程度だろうが、しかしランスはまだ自分の足でしっかりと立っていた。

 

 あの時。ホーネットとは異なり、スクイレルザンの予備動作を見たランスは迎撃を選択した。

 それだって別に正解では無い。何もスクイレルザンに対する有効な打開策と言えるものではない。残念ながらそんな秘策はランスの頭の中には無い。

 ただ前回の経験からスクイレルザンによる衝撃波の規模が途轍もない事を知っており、回避するのはほぼ不可能だと分かっていた。

 

 だったら逃げるよりかは打ち合った方がまだマシだろう。とそう考えたが故の迎撃。

 言わばその程度の選択の違いで、結果としてはまだマシな程度というだけの違いしかなくて。

 

「……ぐっ」

 

 途端にランスは顔を顰めて、魔剣を握る左手首を右手で庇うように押さえる。

 

「……おい心の友よ、その手首……」

「ぐぬ、平気だこんなもん……!」

 

 カオスが心配そうに指摘した通り、ランスの左手は──利き手の手首は真っ赤に腫れていた。

 

 スクイレルザンの衝撃波とランスアタックでの競合いを演じたランスではあったが、やはり魔人との力比べをしては無傷では済まなかった。

 衝撃波が多少相殺された事でホーネットのように脳震盪になるのは避けられたが、魔剣を握る左手がその圧に耐えきれず手首の骨が折れてしまった。

 今ここにはホーネット以外にヒーラーは居ない。となれば武器を持つ利き手が壊れてしまっては、ランスもこれ以上戦闘は続けられそうにない。

 

 それこそが魔人ケイブリスの必殺技、スクイレルザンが秘める真価。

 単純な破壊力だけじゃない。パーティを半壊させる程のダメージと共に、双剣により放たれた衝撃波が計2体の相手をダウンさせる──

 ──つまり、一時的な戦闘不能状態に追い込むという特殊効果がある。

 

 それは一対二までなら、要はこの状況においてならほぼ無敵を誇るという事。

 弱きリスが六千年を掛けて磨き上げた技、それはまさしく必殺技の名に違わぬ一撃だった。

 

「よぉ雑魚人間。いくら魔剣があったってよぉ、利き手がそれじゃあもう戦えねーだろ?」

「……ちっ、雑魚リス風情が吠えんな。貴様なんぞ右手一つで十分だ」

「ほー、そうかいそうかい。だったらその言葉通り足掻いて貰おうじゃねーかよ」

 

 利き手で魔剣を構える事が出来ず、そんなランスの挑発にも力が無い。

 対して圧倒的な勝勢にある事もあって、ケイブリスは余裕綽々な態度を崩さず。

 

「そんじゃまぁ続きといこうや。……けど、てめぇを嬲り殺しにする前に……」

 

 言いながら右の巨剣を高々と振り上げて。

 

「──お前は死んどけよ! ホーネットォ!!」

「っ!」

 

 打ち下ろす。

 渾身の一撃を、未だ意識が混濁していて立ち上がれないホーネットの頭上へと。

 

「くぅ……!」

 

 平衡感覚が定まらない中、それでもホーネットはどうにか身体を転がすようにして回避した。

 ほんの1m横に巨剣が突き刺さって大広間全体を揺らす中、それでもケイブリスの武器は双剣、攻撃は一太刀では終わらず。

 

「死ねぇ!!」

 

 そうして放たれた左の巨剣。振り下ろしの一閃は一撃目よりも更に鋭く迫る。

 先程の回避行動によりそのまま地面に倒れ込んでしまったホーネットには、もはや躱す事の出来ない軌道にある攻撃だったが。

 

「ホーネットッ!!」

「……く、ラン、ス……」

 

 そこにランスが飛び込んできた。

 横合いからタックルを食らうような形となって、ぎりぎりで死線上を避けられた。

 

「くっ、そ!」

 

 すぐに次が来る。満足に呼吸する間も許されないような一瞬の最中、今のホーネットは戦える状態にないとランスは即座に判断した。

 思えば前回の時も今と同じく、ケイブリスとの決戦ではスクイレルザンを食らって一時的な戦闘不能状態に陥る者が続出した。

 あの必殺技を受けたら意識混濁になるのは避けられず、ならば周りの者がフォローするしかない。ランス自身もその影響で利き手が使えない中、無理矢理にホーネットを抱え上げて。

 

「逃がすかァ!!」

 

 一旦距離を取ろうとした所で容赦なく迫るケイブリスの猛撃。

 立て直す隙を与えぬようにと、右から左から止まる事無く双剣の乱舞が襲い掛かる。

 

「くぬっ! なんの、これしきッ!」

 

 だがランスは際どいながらもそれを躱していく。

 ホーネットの事を抱えながらも機敏かつ無駄のない動き、まるで火事場の馬鹿力にも通じうる神憑り的な集中力で。

 

「……く、白色──!!」

 

 そしてホーネットの方も。

 意識混濁の中にありながらも、それでも魔法の詠唱は完成させたのは魔人筆頭のなせる技か。

 とはいえ視界が明滅する中では正確な標準を合わせる事は出来ず、ランスに抱えられながら放った白色破壊光線はケイブリスからは少し外れた方向に放たれた。だが、

 

「ぬぉ、この、死に損ないが……!」

 

 しかしその威力には遜色無し。

 ホーネットの魔法は依然として驚異だと感じたケイブリスは慎重さ故に一歩下がる。

 そのおかげでランス達は辛うじて相手と距離を取る事に成功した。

 

「ふぅ、間一髪……!」

「ケッ、雑魚のくせして中々粘るじゃねーか」

 

 息を切らすランスの一方、ケイブリスは双剣を握り直しながらその姿を眺める。

 相変わらずの回避技術を見せる人間はまだしも、もう片方は。

 

「特に……そんな無様な姿をこの俺様の前で晒してまでよぉ、なぁホーネット」

 

 人間に庇われる魔人。今目の前にあるのはかくも情けない光景。

 宿敵だった魔人筆頭を見下ろしながらケイブリスは嘲りの笑みを浮かべる。

 

「………………」

 

 それにホーネットは揺れる瞳で睨み返すのみ。

 

「ぐぬぬ……!」

 

 そしてランスも唸るだけで。

 

 スクイレルザンの直撃を食らって意識混濁中のホーネットは戦える状態にない。

 そして、同じくスクイレルザンによって利き手が壊された自分も戦える状態にはない。というかホーネットを抱えていては利き手が使えた所で戦う事は出来ない。

 というかそもそもホーネットがこれでは。最強の戦力である魔人筆頭がダウンしていては、ランス一人でケイブリスと戦うなんて無謀もいい所で。

 

「……せ」

「あん?」

「……せ、せ……せ……」

 

 そんな状態になってしまった以上。

 悔しいかなその判断をするのにも容易く、悩むのに必要だった時間など数秒足らずで。

 

 

「せ、戦略的てったーいッ!」

 

 

 故に──ランスは逃げ出した。

 

「……は?」

 

 ポカンと口を明けるケイブリスの目の先。

 ランス達は背後にあった階段を登って大広間の奥側から二階へ逃亡していく。

 

「……ははは」

 

 そんな姿を目にして。

 ケイブリスが乾いた笑い声を漏らした時には、もはやその姿は見えなくなっていて。

 

「──ぐぁはぁはぁはぁはぁはッ! おいおいテメーらぁ! ここまで来て逃げんのかよ!!」

 

 そして、ケイブリスも動き出す。

 敵を……いや、尻尾を巻いて逃げ出した獲物を追い詰めるべく。

 7年に及んだホーネット派との因縁に、今この場で確実にケリを付けるべく。

 

「なんだなんだぁ!? 俺様をぶっ殺すんじゃなかったのかぁ!? 散々生意気言ったわりにはクソダセー事するじゃねぇかよ、アァ!?」

 

 そんな嘲笑を遠くに聞きながら、

 

「ぐっ……うるせーうるせー!」

 

 ランスは逃げる。

 ホーネットを抱えたまま、カミーラ城の廊下を遮二無二疾走する。

 たとえ背を向け無様を晒してでも、それでも今はケイブリスから逃げるべきだ。

 今はまだ一か八かの特攻をするべき時じゃない。ランスの直感がそう告げていた。

 

「うし、とりあえずここで……!」

 

 そうして逃げ込んだのは何処かの部屋、廊下の一番奥にあった無人の客室。

 バタンとドアを閉めた瞬間に息が上がったのか、ランスは壁により掛かりながら腰を下ろした。

 

「ぜぇ、ぜぇ……おいホーネット、具合は……」 

「……ランス、申し訳、ありません……私が、このような……」

 

 抱えている腕の中、意識の混濁が治らないホーネットの謝罪が虚しく響く。

 

『──オラオラァ! 何処に隠れたぁ!?』

 

 そしてケイブリスも確実に迫ってきている。

 邪魔なものを破壊しながら進んでいるらしく、ガラガラと崩落音のBGMが聞こえてきて。

 その音が徐々に大きくなるにつれ、隠れている方は焦燥と恐怖を嫌でも感じてしまう。

 

「マズイなこれは。こんなとこに隠れてたっていずれは見つかっちまうぞ」

「………………」

「……おい聞いとるか、心の友よ」

「だーもううるせぇな! 今考え事してんだからちょっと黙ってろ!」

 

 そんな中、八つ当たり気味に怒鳴り返したランスは必死に思考を巡らせていた。

 

(……や、ヤバいヤバい……! これはちょっとピンチかもしれんぞ……!)

 

 これはマズい。

 この展開は、この状況は控えめに言っても絶体絶命と言わざるを得ない。

 

 苦渋を飲んで戦略的撤退を選んだとはいえ、それで逃げ切れるかどうかは全く別の話となる。

 特に追跡者たる相手は魔人。それも並の魔人ではなくて最強最古たる魔人四天王。小回りが利く場所ならともかく、開けた場所での移動速度なら間違いなく相手の方に分がある。

 故にランスは城外に逃亡は図らなかった。平地でケイブリスと追いかけっこをするよりは城内に隠れた方がまだ望みがあると判断したからだ。

 

(つってもカオスの言う通り、ここに隠れてたって見つかるのは時間の問題だろうし……!)

 

 このカミーラ城は広大な城、隠れる場所なら幾らだってあるものの、しかしこれは何もかくれんぼをしている訳では無い。

 この破壊音を聞く限り、ケイブリスは城の全てを破壊してでも自分達を見つけるつもりだ。この城を平地にされては隠れ続ける事も出来ない。

 そもそも城の崩落に巻き込まれてしまっては、無敵結界を持つホーネットはともかく人間であるランスはひとたまりもないだろう。

 

(だーもう! どうしてこうなるんだ! 大体前回の時だって似たような事に……!)

 

 思い返せば前回の時、前回の最終決戦時も初戦はケイブリスに敗北した。

 そして今回もまた。今回などは事前にちゃんと討伐計画を立ててきたというのに。切り札となるシャリエラも連れて、万全と言えるような体制で戦いに挑んだというのに。

 それでも結果はこの通り。計画には無かった予期せぬ出来事が続出し、前回と同じようにケイブリスに敗北して逃げ出す羽目になってしまった。

 

(前回はそれでもなんかよく分かんねーうちに上手い事なったけど、今回はさすがに……)

 

 前回の時は戦闘の余波によって、運良く城の床が崩落して地下水路まで落下した。

 そしてその後、運良くケイブリスが自分達の事を追跡してはこなかった。

 しかし今回に限ってはどうやらそこまで運良くはいかないようで。

 

『とっとと出てこい! 今すぐ出てきて命乞いをすりゃあ許してやるからよぉ!』

 

「ぐ、ぐぬぬ……!」

 

 このままでは見つかる。そして──死ぬ。

 けれどもどうすれば。ここからケイブリスを振り切って逃走する手段が思い付かない。

 認めたくない、されど認めざるを得ない現実を前にランスは悔しげに唸る。

 

「ぐぬぬぬぬぬ……!!!」

 

 一体何故こうなってしまうのか。

 まさか自分はどの世界でも、ケイブリスに一度は負けるのが運命だとでも言うのか。

 

(どうする、どうする……!)

 

 そんな事を考えながら、絶体絶命の窮地に追い込まれたランスは──

 

 

(……って、運命だ?)

 

 ──しかし、そこからただでは起き上がらないのがこのランスという男。

 絶体絶命の窮地にあって、それでも逆転の一手を捻り出すのが英雄と呼ばれる者の本領。

 

(っ、まてよ、そうだ……)

 

 故にランスはある事を思い付いた。

 

 

「……けれど」

 

 けれど。これは正直に言ってなんら保証などない不確実な方法。

 これが可能かどうかも分からない。なんせあれをそんなふうに使った事なんてないから。

 そもそもいけるかどうかも分からない。あれには毎回なんの確信もないから。

 

 ……けれど。

 

 

「……ホーネット」

「……ラン、ス……」

 

 ランスは抱えていた腕の中に居る女性、ホーネットの顔を覗き込む。

 未だ脳内の混迷が晴れないのだろう、弱々しく返事を返してくるホーネットの顔を。

 

 これはなんの保証もない不確かなもの。

 これには何一つ根拠などは無く、確信なんてものはどこにも無い。

 

「……いける、か?」

「……え?」

「いや、いけるな。そうだ、いける。だって俺は英雄だ。俺様がこんな所で死ぬはずがない」

 

 それでも、この魔人とであれば。

 ホーネットなら大丈夫だろうと、なんの根拠もないのにランスには確たる自信があった。

 

「……よし」

 

 そして、ランスはホーネットを抱えたまま。

 

「す~っ」

 

 大きく大きく息を吸って、そして……。

 

 ──そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、ケイブリスが迫る。

 

「ぐぁはぁはぁはぁはぁ!!」

 

 勝利の喝采を上げながら。

 一歩一歩荒々しく踏みしめて。徐々に獲物を追い詰めるかのように。

 

 ──はははははっ! 

 勝てる、勝てるぞ! 勝てたじゃねぇか! これで遂に俺様の勝利だッ!

 

 今すぐにでも喜びに踊り出したい気分だ。

 それも仕方のない事だろう、だって自分は勝利したのだから。

 あの魔人ホーネットに、憎きホーネット派の主を倒したのだから。

 

 そしてこの勝利の意味とは。この世界において自分が最強だという事の証明だ。

 やっぱり自分は最強だった。魔人筆頭のホーネットと言えども相手にはならなかった。

 思えばあんなに怯えている必要も無かった。やっぱり自分が──このケイブリス様こそが、魔物の王となるに相応しい存在だったのだ。

 

「オラオラァ! 何処に隠れたぁ!?」

 

 目に入った部屋の一つに巨剣を振るう。

 外側から壁ごと部屋の中までを粉砕して確認……どうやらここには居ないようだ。

 ならば次の部屋。ケイブリスはまた巨剣を振るってカミーラ城の一室を次々と破壊していく。

 

「とっとと出てこい! 今すぐ出てきて命乞いをすりゃあ許してやるからよぉ!」

 

 城外に逃がしてしまう可能性は、無い。

 あのランスという人間はまだしも、ホーネットのような強い気配の在り処はある程度察知出来る。

 特に自分は今までの生き方が影響して、強い存在を察知する感覚は魔人随一だと言ってもいい。

 

 だから分かる。奴らはまだこのカミーラ城の何処かに居る。

 恐怖に逃げ惑いビクビクしながら隠れている。まるで脆弱なリスのように隠れ潜んで息を殺して、お願いですから見つからないように、なんて神頼みでもしているのだろう。

 

「殺す……ここで確実に、ぶっ殺す……!」

 

 勿論そんな相手を見逃しはしない。この勝機を逃す手は無い。

 ケイブリスは熱り立ちながら双剣の柄をぐっと握り直して。

 

 その時だった。

 廊下の一番奥にある部屋から、

 

 

「えー! なんだってー!!」

 

 

 妙に能天気な声が。

 この状況には合わない、不思議なぐらいに軽快な口調のあの男の声が聞こえた。

 

 

「こりゃビックリだー! まさかホーネットが俺様の運命の女だったなんてーー!!」

 

 

「──そこかぁッ!!」

 

 聞こえてきた言葉の意味は不明だが、とにかく居場所は判明した。

 早くブチ殺したいと急く心そのままに、ケイブリスは右腕を高々と振り上げて。

 

「おらァ!!」

 

 巨剣の一振りで軽々ドアを粉砕。

 崩れ落ちる瓦礫を踏み越えて。

 そうしてあの死に損ない共を、殺す。

 ランスとホーネットに、確実な止めを刺そうとしたケイブリスだったが──しかし。

 

「……アァ?」

 

 先程は確かに声が聞こえてきた部屋。 

 けれども今、そこに二人の姿は無かった。

 

 

 

 

 



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運命の相手②

 

 

 

 

「おいホーネット、ホーネットっ!」

「う……」

 

 抱きかかえた腕の中。

 ランスは名前を呼び掛けながらその肩をゆさゆさと揺さぶる。

 

「あそうだ! ほれ、これ食え、ほら!」

「む、ぅんっ……!」

 

 ポケットにあったのは世色癌と龍角惨。それは戦闘前にシィルから受け取っていたもの。

 意識混濁状態に効き目がありそうな回復アイテムを取り出すと、ランスはホーネットの口に半ば無理やり突っ込んでいく。

 

「ほれ、食え食え、もっと食え!」

「ん、ラン、す、もう、結構──」

「ほれほれ、たーんと食え! どうだホーネット、美味いか、美味いか!?」

「……いえ。美味しくは、ない、ですね……」

 

 すると無数の治療薬を食べさせられたホーネットの口元に小さな微笑、というか苦笑が浮かぶ。

 やや乱暴で強引ながらも、それでもランスなりの気遣いが見える手厚い看病。それによって一時的な戦闘不能状態から回復したのか。

 

「……ランス、ありがとうございます。もう平気そうです」

 

 少しふらつきの残る頭を押さえながらも、ホーネットは自分の力でその身体を起こした。

 

「頭ぐらぐらは治ったか?」

「えぇ、ようやくですが。……どうやら先程口にした丸薬の強烈な苦みが効いたみたいです」

 

 魔人ケイブリスの必殺技。スクイレルザンによる意識混濁、一時的な戦闘不能状態。

 それはあくまで一時的なものである以上、時間の経過によって症状は回復していく。そして勿論回復魔法やアイテムの効果でも同様となる。

 

「そうか。なら良し。んじゃあ早速で悪いが今度はこっちを何とかしとくれ」

 

 言いながらランスは左腕を前に差し出す。

 その手首の真っ赤な腫れを見て、ホーネットは驚きに目を見張った。

 

「これは……、もしかして、あの技と打ち合った時ですか?」

「まーな。俺様とした事がちぃっとばかし油断しちまったぜ。てな訳でほれ、ヒーリングくれ」

「えぇ、すぐに。……──」

 

 ホーネットの口が滑らかに呪文を唱え始めて、直後その手のひらに柔らかい光が灯る。

 それを患部に押し当てれば、じんわりとした温かさに包まれ痛みが徐々に引いていく。

 

「おー、効く効くー」

「……このような怪我を負ったまま、私の事を庇ってくれていたのですね」

「別にこの程度の怪我なんぞ、大げさに言う程のもんじゃねーがな」

「……本当にありがとうございます」

 

 先程の一戦。ケイブリスが放ったスクイレルザンを回避しきれずに食らってしまった事。

 意識が混濁して立ち上がる事も出来ない中、あわや殺される寸前だった所を助けて貰った事。

 その事を思い出して感謝の言葉を告げながらも、ホーネットは憂わしげにその目を伏せる。

 

「……それに、申し訳ありません。本来であれば私が……魔人筆頭たる私こそが、貴方を庇って戦わねばならないというのに……」

「がははは、気にすんな。お前は魔人筆頭だろうが俺様は最強無敵の英雄様だからな。格付けで言うなら俺の方が上にあるのだよ」

「ランス……」

 

 相変わらずのがはは笑いに加えて随分と不遜な物言いではあったが、しかしそこにはやっぱりランスなりの気遣いがあった。

 そもそもホーネットとは異なりパーティで戦う事が基本となるランスにとって、戦闘中に庇ったり庇われたりは当たり前の事、いちいち感謝を述べるような事ではなくて。

 

「……そうですね」

 

 恐らく当人は無意識なのだろうが、それでもその言葉に救われている。

 反省と後悔をするのは程々にして、ホーネットはその表情をふっと緩めた。

 

「ところで……ランス」

「なんだ?」

「あの、ここは一体……」

 

 そして頭を切り替えて、先程からとても気になっていたそちらへと思考を向ける。

 

 今自分達が置かれている状況。それは意識混濁中だったホーネットには不明な点が多い。

 なにせほんの数分前までは絶体絶命だった。ケイブリスに追い詰められていた。本来ならこうして休んでいる暇など無いはずだ。

 それなのに今ではこうしてヒーリングを掛けている余裕がある……というか、周囲からケイブリスの気配を感じない。その声が聞こえない、その圧力が全く感じられないのだ。

 

「ケイブリスが居ない事もそうですが、見た所ここはカミーラ城ではないような……」

 

 回復魔法を維持しながら、ホーネットは不思議そうに周囲を見渡す。

 すると目に入るのは立方体に立方体が重なる幾何学的な光景。先程までのカミーラ城の光景とは何もかもがまるで違う、ホーネットにとっては見慣れない電脳的なデザインの世界。

 

「あぁ、ここは電卓キューブ迷宮だ」

「……電卓キューブ?」

「うむ」

 

 ランスが鷹揚に頷いた通り、ここはカミーラ城ではなくて電卓キューブ迷宮の中。

 ゼス国マジノラインの上空に浮かぶ立方体、この世界でもとびっきりに不思議な場所である。

 

「ここは実に謎の多い迷宮でな。自分の運命の相手が判明したら来られる場所なのだ」

「……運命の相手?」

「そ。んでその時は毎回強制的にワープさせられるから、それを上手く利用すりゃ逃げ……じゃない、戦略的撤退に使えるかもしれんと思ったのだ。ケイブリスもさすがにここまでは追ってこられねーだろうからな」

 

 そう言ってランスはにやりと──まんまと悪戯を成功させた悪ガキのように笑う。

 

 あの時。ケイブリスに追い詰められて絶体絶命の窮地の中、ランスの脳裏にピーンときた。

 毎回移動手段として突然ワープさせられる、あの電卓キューブ迷宮の仕組みを利用する事を。

 何処にも逃げ場が見当たらない中、自らの運命によって戦略的撤退を図る術を。

 

「まぁ正直一か八かではあったが……狙い通り撤退には成功した。うむ、さっすが俺様だな」

 

 そしてランスは賭けた。

 自分とホーネットとの関係に、この魔人との間に運命の繋がりがある事に賭けた。

 そこには勿論なんの確証も無かったが……けれども結果はこの通り。

 二人は超常的な力によって、強制的にこの電卓キューブ迷宮までワープさせられたのだった。

 

 

「……運命の、相手……」

 

 そんな経緯を、この迷宮の仕組みを知ったホーネットは呆然とした様子で呟く。

 

「ここが……電卓キューブ迷宮……」

 

 その声色は。

 その表情は。

 それは想像すらしていなかった未知の出来事に対する驚きというより、むしろ──

 

「まぁお前にとっちゃ眉唾な話だろうがな、こうしてこの場所に来たって事は紛れもなく──」

「……では、あの夢は真実だったのですね」

「……あん?」

 

 ランスはおや? と眉根を寄せる。

 あの夢とは? 真実とは?

 今聞こえた言葉の意味を考えると……もしかしてホーネットは……。

 

「……なぁ、ホーネット」

「なんでしょう」

「お前まさか……すでにもう夢の中でお告げ的なもんが来ていたんじゃねーだろうな」

「えぇ、その通りです」

 

 すると予想通り、彼女はあっさりと頷いた。

 

「……おい」

「なんでしょう」

「お前な。お告げが来てたんだったらなんですぐ俺様に言わねーんだよ」

「それは……色々と事情があったのです」

「事情って?」

「もう作戦が始まっていたからですよ。私があの夢を見たのはマジノラインでの事でしたから」

 

 夢の中にて訪れる不思議なお告げ。自らの運命を知らせる黄色いトリ。

 それがホーネットの元にやってきたのは二日前、マジノライン要塞の客室で一泊した時の事。

 つまりランスと共に決戦前夜の夜を迎えて、そうして眠った夢の中で起きた出来事で。

 

「翌日の朝はもうすぐに魔物界への突入を控えていたではありませんか。運命の相手と電卓キューブ迷宮に来いと言われても、作戦を無視して行けるような状況には無かったのです」

「……ふむ」

「ですからその話は後々に、ケイブリスとの戦いが終わった後にしようと思ったのです。……貴方にもそのように言いましたよね?」

「あー、そういやなんかそんな話をしとったな」

 

 ふとランスも思い出す。

 そう言えばあの日の朝。ホーネットは何かを気にして何かを言えずに隠していた。

 それがどうやらこれだったらしい。夢の中で黄色いトリから運命のお告げを聞いて、朝起きたら自分の小指に不思議な赤い糸が結ばれていた件についてだったようだ。

 

「なーるほど。となるとお前は俺様が運命の相手だって最初から分かってたのか」

「え、えぇ……分かっていたというか、まぁ……」

「だったらあそこから逃げ出せたのも、実際は一か八かの賭けって訳でも無かったのだな」

 

 電卓キューブ迷宮への道が開かれる条件。

 それは運命で結ばれていて、かつお互いがお互いを運命の相手だと認識する事がキーとなる。

 それをホーネットは自らの小指から伸びる運命の赤い糸によって。一方ランスは単なる直感で。

 そうしてお互いがお互いを運命の相手だと認識した事によって、二人はあの絶体絶命の窮地から逃れる事が出来たのだった。

 

「……正直、私は夢のお告げなど信憑性に欠ける話だと思い、状況も踏まえてあの場では後回しにしたのですが……せめて貴方には話しておいた方が良かったかもしれませんね」

「でもまぁ、こうして戦略的撤退は成功したんだから結果オーライだろ」

 

 ランスは結果オーライだと言ったものの、しかし二日前のあの日にそれを聞いていた場合、その瞬間強制的に電卓キューブ迷宮までワープさせられていた可能性が高い。

 そうなると当然ここで戦略的撤退の為にワープを使用する事は不可能となっていたので、二日前に話さなかった事は結果オーライどころかむしろ超ファインプレーだと言えた。

 

「そう言えば……この迷宮に来れば私専用の武器が手に入るとか、どうとか……」

「あぁ、それもあったな。んじゃちょっくら進んでみるか」

「あ、けどランス、まだヒーリングが途中で──」

「んなもん歩きながらすりゃいいだろ。ほれ、とっとと行くぞ、立て立て」

 

 

 という事で、治療は続行しながらも移動開始。

 専用武器を手に入れる為、ランスとホーネットは電卓キューブ迷宮の奥へと進む。

 

「にしても、ここは本当に不思議な空間というか……馴染みのない場所ですね……」

「まーな。さっきも言ったがこの電卓キューブ迷宮はマジで訳分からん迷宮だからな。知っとるか? ここは空の上にあるのだぞ?」

「空の上?」

「そう、空の上。マジノラインの上空に四角い箱みたいなのがプカプカ浮かんどるのだ。だから来る時はワープしないと来られないって訳だ」

「空の上にある迷宮ですか……。でもそれなら、メガラスであれば来られるかもしれませんね」

「あー、確かにそうかもな。……いやけど、あいつ一人でここに来ても虚しいだけだと思うぞ?」

 

 などと他愛ない会話を交わしながら、迷宮を奥へ奥へと進んでいた二人だったが。

 

 

「……ところで」

 

 と、唐突にランスが呟いて。

 

「……なんですか?」

「うむ」

 

 その場で立ち止まって隣に向き直る。

 そしてホーネットと、運命の相手と真正面から目を合わせる。

 

「ホーネット君」

「なんですか?」

「俺達は今、電卓キューブ迷宮に来ているな」

「そうですね」

「そうだな。ここは電卓キューブ迷宮なのだ」

「えぇ、そのようですね」

「ここは運命の相手とだけ来られる場所なのだ」

「……はぁ」

 

 ランスが繰り出す言葉に対し、ホーネットは平然とした顔で相槌を返してくる。

 

「分かるか? 運命の、相手だ」

「えぇ」

「俺様と、お前が」

「はい」

「運命で繋がっている訳だ」

「みたいですね」

「……それだけ?」

「え?」

「運命の相手だぞ?」

「えぇ」

「…………運命の相手、だな?」

「です……ね?」

 

 ランスが繰り出す言葉に対し、ホーネットは平然とした顔で相槌を返すだけで。

 

「………………」

 

 そして遂にランスは沈黙してしまう。

 

「……ランス、どうしたのですか?」

 

 一方でホーネットは不思議そうに眉を顰める。

 その様子は実に相変わらずだ。至って普段通りなホーネットの姿そのままで。

 

「……なんか、反応が薄い気がする」

「え? ……そう、ですか?」

 

 ランスが気になったのはその反応。

 言わばホーネットが見せる塩対応について。

 

「せっかく俺が運命の相手だと分かったんだから、もっとこう、驚きがあっていいような……」

 

 自らの運命の相手が判明する。それが誰にとってもビッグニュースではないのか。

 何度も経験している自分はともかく、ホーネットにとっては初めての事になるはず。

 だったらもう少しぐらい驚いたり、取り乱したりしたっていいのではないだろうか。

 

 例えば一番直近の相手、魔人シルキィ。

 彼女はこの電卓キューブ迷宮を訪れて自らの運命を知り、結果そりゃもうテンパっていた。

「運命の相手ってなにーーー!?」だとか「……はぁぁ~……どうしよ、どうしよ……!」だとか、ひたすら取り乱した可愛らしい姿を見せてくれた。 

 

 そんなシルキィと比較して、この暖簾に腕押しのようなホーネットの塩対応はどうだろう。

 自らにとっての運命の相手が判明した。それなのにあまりに無感動というか、無関心というか。

 

「二日前から知ってたからって事なのか? いやでもそれにしたってなぁ……」

 

 ランスは納得いかなそうに顔を顰める。

 これでは「私にとって運命の相手などどうでもいい事です」とでも言うかのようではないか。

 

「やっぱりあれか。お前は運命とかそういう感じのロマンチックなあれこれには興味無いのか」

「ロマンチック……」

「うむ、ロマンチック」

「……いえ、そういう訳ではありませんよ」

 

 するとホーネットはゆっくりと首を振る。

 その顔には僅かな笑みと恥じらいが、その頬にはうっすらとした色付きが見える。

 それこそは彼女の心中を表したもの。普段通りのホーネットじゃない部分。

 

「……私とて、なにもそんな……これでも驚いていない訳ではないのです」

 

 そこにはホーネットの驚きが、ホーネットなりの喜びというものが確かにある。

 その上で、彼女は「ただ……」と呟いて。

 

 

「……少々、今更な話だなと思いまして」

「今更?」

「……えぇ」

 

 そして、想いを込めるかのように目を閉じる。

 

 

「……運命めいたものというのなら、それは……貴方からとっくに感じていましたから」

 

 こうして電卓キューブ迷宮にやって来た事。

 小指に結ばれた運命の赤い糸を目にした事。

 夢の中で黄色いトリからお告げがあった事。

 

 ……そのどれよりも以前から、ホーネットは。

 

 

「……ランス。私にとって貴方は……出会った当時はなんとも思っていなかったのに、今では……貴方と出会えた事はなによりも僥倖だったと、それ程までに大きく感じています」

 

 出会いはもう10ヶ月以上前、派閥戦争の苦境の中で突然人間世界からやって来て。

 当初は人間などと下に見て、魔剣を扱える事にしか価値を見出してなかったというのに。

 

 しかしその活躍は予想を大きく上回って。

 そして命を救われて。共に魔人と戦って。

 共に派閥戦争の苦楽を乗り越えて。

 

 そして──恋をして。

 愛情を抱いて……初めて身体を重ねて。

 

「貴方という存在は……とても言葉で語り尽くせるような相手ではありません」

「………………」

「そんな貴方に対して、私が運命めいたものを感じないというのが嘘だというものでしょう」

「……ふむ、そーいうもんか」

「えぇ。そういうものです」

 

 たとえ夢のお告げがあろうと、なかろうと。

 それこそ仮に運命の相手ではなくとも。

 

 その事とは関係無く、すでにホーネットはランスをそういう相手のように思っていた。

 故に今回こうして電卓キューブ迷宮に来た事。それに驚くというよりもむしろ、ホーネットとしては答え合わせを受けたような心境だった。

 

「それに驚きというのなら……貴方こそ少々反応が薄いように見えますが」

「んー? そりゃまぁ俺様にとってはもう何度目かの出来事だからなぁ」

「……え?」

 

 ──何度目かの出来事だからなぁ。

 聞こえてきたその妙なフレーズに、ホーネットの整った眉がぴくんと動く。

 

「……運命の相手、なのですよね? 何度目かという事があるのですか?」

「あるのだ。どうやら俺様には運命のお相手が沢山居るらしくてな、こうして誰かと一緒に電卓キューブ迷宮にやってくるのももう10回以上になる」

「……10回?」

「そういやこの前はシルキィちゃんとも来たな」

「ッ!?」

 

 次いで驚愕に息を飲み込む。

 

「……そ、そう、ですか……。シルキィとも、ですか……そうですか……」

 

 それはまさかまさかの名前……か。それともある意味納得の名前か。

 とにかくランスにはシルキィ含む10人以上の運命のお相手が居るらしい。

 

「………………」

 

 ──運命の相手。

 それは特に番とかそういう訳では無いらしい。

 果たして運命とはそれでいいのだろうか。

 

「………………」

 

 あるいはそれとも……。

 そういう相手に情愛を抱く事、それこそが自分の運命だという事なのだろうか。

 

「………………」

「なんかシルキィちゃんの時にビックリした分、ホーネットはやっぱりかーって感じだったな」

「………………」

「なんせお前という女は俺様史上最も強敵だった相手になる訳だし……って、どした?」

「……いえ、別に」

 

 ランスが隣に視線を向けると、そこに居たホーネットの表情は。

 それは……投げやりになっているかのような。あるいは……何処か拗ねているかのような。

 

「……しかし、そうなると……これが言う程にロマンチックなあれこれなのか、という点にも疑問を抱いてしまうのですが……」

「あん?」

「……いえ、なんでもありません」

 

 ロマンチックさとはなんなのか。

 そんな話はきっと……そういった事に理解の浅そうなランスに何を言っても無駄だろう。

 そう感じたホーネットは首を横に振ると、手のひらに集めていた魔力を霧散させていく。

 

「……と、こんな所ですかね。ひとまず応急処置としてのヒーリングは掛け終わりました」

「お、終わったか」

「えぇ。左手首の具合はどうですか?」

「どれ……おぉ、イイ感じだ。動く動く」

 

 神魔法LV2によるヒーリングを受けて、腫れの引いた左手首をランスは満足そうに眺める。

 短時間での骨折の治療という事あってまだ若干痛みは残るものの、それでも魔剣を振るって戦うのに支障が無い程度には回復したようだ。

 

 そして。

 武器を握れるようになった以上、その次に待ち受ける事と言えばただ一つだけ。

 

「よーし。これで問題無くあのリス野郎との再戦と行けるぜ」

 

 ──再戦。

 

「……っ」

 

 すると、ホーネットの息を飲む音が聞こえた。

 

 

 

 

 



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再戦の誓い

 

 

 

 

「よーし。これで問題無くあのリス野郎との再戦と行けるぜ」

「……っ」

 

 再戦。

 魔人ケイブリスと──再び刃を交える。

 

「ランス……」

 

 手首の治療を終えて、戦える状態に戻ったランスはすぐにそう言った。

 その意気込みは心強い。心強いが……しかし。

 

「なんだホーネット、その顔は」

「……ランス。貴方は……もう一度ケイブリスと戦うつもりなのですか?」

「あ? んなもん当たり前だろうが」

「………………」

 

 当たり前とまで言い切る程に強い意思。

 それはどうしてなのだろうかと、この時ホーネットは純粋に不思議に感じていた。

 

「……ですが」

「ですがじゃない。戦うっつったら戦うのだ」

「しかし……」

「しかしじゃねーっつの」

 

 ランスが自信家である事は知っている。

 ……知ってはいるが、それでもこの状況で。

 

 魔人ケイブリスとの再戦。

 再戦とはつまり、一度戦ってみて勝てなかった相手と再び戦うという事。

 一度敗北を喫して、その強さを痛感して、それでもランスの瞳は全く死んでいなかった。

 

「つーかホーネット、お前さては一度負けたぐれーでビビってんのか?」

「いえ、そういう訳では……」

「じゃあどういう訳だ。もう諦めましょうー、とか言うつもりじゃねーだろうな」

「……まさか」

 

 その挑発めいた言葉に対しては、ホーネットも当たり前かのように言い返す。

 

「ケイブリスを倒す事、それは私の使命です。使命とは諦める事が許されるものではありません」

 

 一度敗北を喫して尚、それでもホーネットは諦めるつもりなんて毛頭ない。

 元より魔人ケイブリスが強いという事は分かっていた。一対一の状況であればきっと、こちらが劣勢だろうとも半ば理解していた。

 その上で戦いに臨んでいるホーネットにとって、一度敗れた程度でその心が折れる事は無い。

 

「そもそも敗北云々を言えば、私はすでに一度ペンゲラツリーの地で敗北を喫していますからね」

「そういやそうだったな。一度負けたぐれーで諦めるような性格はしてねーか」

「えぇ、これは私にとっての使命ですから」

 

 それはホーネット派を率いる者としての使命。

 あるいは魔人筆頭としての使命、もしくは魔王ガイの娘としての使命か。

 とにかくそれが使命だからこそ、ホーネットは命尽きる時までケイブリスと戦うつもりでいる。

 

「けれど……貴方はそうではないはずです」

 

 しかしランスの方はどうか。

 ランスはそんな使命を負ってはいない。ただホーネット派に協力してくれているだけだ。

 それなのにどうしてこれ程までに戦意を余しているのか。どうしてその心が折れないのか。それがホーネットには本当に不思議だった。

 

「特に……相手はあのケイブリスだというのに」

 

 魔人ケイブリス。最強最古と称されるその強さは人間など到底及びもつかないもの。

 いいやその強さは人間はおろか、魔人という括りの中でも飛び抜けたものだった。

 その戦闘技術も、その肉体の強靭さも、その巨剣の迫力も何もかもが想像を超えていた。

 

 ホーネットでさえそう感じるのに……何故。

 魔人ケイブリスと一度戦って尚、この意思の強さは……ただの人間であるはずのランスが、何故。

 

「……正直な所、このままでは再度戦った所で勝ち目は薄いと思っています。それなのに──」

 

 するとそんな言葉を遮って。

 

 

「いいや、勝てる」

 

 

 ランスは言った。

『勝てる』と強く宣言した。

 

「……ランス」

「勝てるだろ、あんな雑魚リス一匹如き。俺様の手に掛かれば倒せないはずがない」

 

 使命などは無い。

 命尽きる時まで戦い抜くつもりなども無い。

 

 そんなランスの戦意がそれでも折れない理由。

 それはこの程度の逆境など、この程度の苦戦などはとっくに経験済みだから。

 

 前回の第二次魔人戦争。

 自分や周囲の仲間達はおろか、この世界で暮らしている人類全てにおける滅亡の危機。

 それをも救ってみせたランスにとって、この程度のピンチが一体何だというのか。

 

「それに一度ヤツと戦ってみて俺は確信したぞ。これなら絶対に勝てるってな」

 

 そして先程ケイブリスと刃を交えた事で、前回の戦いと比較して分かった事がある。

 ケイブリスの強さはあの時と全く同じ。前回の時と比べて何一つ手応えに違いは無かった。

 であるならば、一度それに勝利した自分がもう一度ケイブリスに勝てない道理は無い。

 

「何よりこっちはまだ用意してきた切り札をなんも使っとらんからな。まだ万策尽きたわけでもねーのにここで諦めるなんてアホのする事だろ」

「ですが……それでも、それでも貴方が積極的に戦う理由にはならないはずです。ここからは私一人で戦ったって構いません。最後までホーネット派に協力してくれるのは有り難いですが、しかし……」

 

 そう言って表情を曇らせるホーネット。

 その本心としては──もう、ランスには。

 

 それはホーネット派の主としてではなく、ただのホーネットという女性として。

 その強さとか、魔剣がある事の優位性とかそういう話は無視して、もっと単純に──

 

「ランス。あなたは……人間ではありませんか」

 

 もっと単純に、ただその身を案じていた。

 なにせ人間とは。ケイブリスが振るう巨剣の直撃一つだけで命を散らしてしまう存在。

 どれだけ攻撃力があろうとも、その耐久力は魔人と比較にならない程に脆弱な存在。

 

 だからこそホーネットは、ランスにはここで安全な場所に退がって欲しいと思っていた。

 

 そう──思ってしまったのだが。

 

「人間、ねぇ」

「えぇ。種族としての差がある事はどうしようもありません。ですから──」

「ていっ」

「いたっ」

 

 ホーネットはデコピンを食らった。

 

 

「……え、あの……」

「あのなぁホーネット。お前はさっき俺様が言った事をもう忘れたのか?」

 

 常に隙がないはずの魔人筆頭に見事デコピンを食らわせた男、ランス。

 その表情は苛立つというよりもむしろ、物覚えの悪いホーネットに呆れたような表情で。

 

「俺は最強無敵の英雄だと言ったろーが。魔人筆頭のお前よりも上なんだっつの」

「……勿論、私とて貴方の強さは分かっています。分かってはいますが……」

「いーや違うな。お前はこの俺の強さをまるで分かっちゃいない」

 

 うむうむ、としたり顔で頷くランス。

 自分は英雄。前回の世界であらゆる魔人をなぎ倒してきた最強無敵の英雄。

 

 そして更に言うならば──

 

「ホーネット。本当の事を言うとな、このランス様は最強無敵の英雄を超えた存在なのだよ」

「……英雄を超えた存在、ですか?」

「うむ。それがどんな存在か、お前に分かるか?」

「…………いえ」

「ほーれみろ、やっぱりこの俺の強さを分かっていないではないか」

 

 最強無敵の英雄の、その更に上。

 自分はそこに立つのだと豪語するランスは、にぃっと子供っぽく笑って。

 

 

「俺様は──主人公だからな」

「……主人公?」

「そ、主人公だ。主人公だから俺様が勝つに決まっているのだ。がーはっはっはっはっはっ!」

 

 そして、いつものように大笑い。

 一度敗れて撤退した先であっても、ランスはこれ程までに上機嫌に笑える。

 その精神こそ、英雄を超えた主人公であると嘯く者に必要な要素なのだろうか。

 

 

「……あの、主人公というのは、一体……何に対しての主人公という事なのでしょうか」

「何の、とかはどうでもいいのだ。とにかく主人公なのだ。それぐらい分かるだろう」

「……いいえ、全く分かりません」

 

 一方でそんな精神性は持たないホーネット。

 自らを主人公だなんて言い張る気にはならないホーネットは首を左右に振って。

 

「……ですが、そうですね。貴方がどうあっても引く気は無いという事だけは分かりました」

「うむ、分かればよろしい」

「……私が間違っていました。貴方に余計な気遣いは無用という事ですね」

 

 そして、一度その目を閉じる。

 

「……ふぅ」

 

 一呼吸置いて瞼を開く。

 その金色の瞳は真っ直ぐランスを見つめていた。

 

「でしたら……私も覚悟を決めましょう」

 

 覚悟など、とっくに決めていたはずだった。

 しかし甘かったなとホーネットは改めて感じた。

 

 それはこれより先、魔人ケイブリスを倒すまで戦い抜く覚悟──ではなくて。

 自分以外の者、誰の身に何があったとしても厭わない、そういう覚悟がまだ足りなかった。

 これまで一人で戦う事が多かったホーネットにとって、その覚悟の重みは無縁のもの。

 けれどもその重みは……隣に立ち並ぶ者の重みは不思議と嫌な心地にはならなかった。

 

「となればここからはもう一蓮托生ですね」

「んなもんとっくの昔からそうだろっつの。俺様が何ヶ月魔王城に居たと思ってんじゃ」

「ふふっ、それもそうですね」

 

 そこでようやくホーネットも表情を綻ばせる程度に心の余裕を見せて。

 

「……では、次こそ勝ちましょう」

「うむ」

「美樹様の為にも、そして先代魔王ガイ様の遺命を果たす為にも、共に──」

 

 ──共にケイブリスを倒しましょう。

 と、そんな再戦の誓いを結ぼうとした途端。

 

「おっと、ストーップ」

「……?」

 

 そこでランスから待ったが掛けられた。

 

「ホーネット、それ止めろ」

「それ、とは?」

「今お前が言おうとしたやつだ。魔王ガイうんたら~っての、それは駄目だ。ノー」

 

 どうやら魔王ガイうんたら~は駄目らしく、両腕で大きなバツマークを作るランス。

 しかしどうしてノーなのか。理由が分からないホーネットは「何故ですか?」と小首を傾げる。

 

「魔王ガイ、な」

「はい」

「なんかムカつく」

「えっ」

「つーか最近、俺様はその魔王ガイと比較される事が妙に多いのだ。特にシルキィちゃんとか」

「比較……ですか。それは……確かにそうかもしれませんね」

 

 ふと考えてみると、それはホーネットにも思い当たる点があった。

 ランスと魔王ガイとの比較。そんな事をあの決戦前夜の夜に考えてみた事がある。

 それはランスとガイ以外に深く知り合った男性が居ない、つまり他に比較対象が居ないからという理由もあるのだが、単純にこの二人は似通っている一面を持つという理由が大きい。

 

「うむ、ムカつくのだ。大体このランス様と誰かを比較するなんぞけしからん話だ」

 

 けれどそれはランスにとっては気に食わない。

 会った事も見た事もない、知らない魔王と比較されたって何も嬉しくない。

 特にそれがすでにこの世にいない相手である為、実際にどちらが上なのかを証明する事が出来ないのもまた気に食わない。

 

「なんでも魔王ガイってのは顔面の半分がモンスターで、固い性格をしているかと思いきや唐突にハッチャける躁鬱野郎だって話じゃねーか。そんなん絶対にろくなヤツじゃねーぞ」

「そ、れは……、確かに父上の特徴を言い表すと間違ってはいないのですが、しかし……」

「そんな理由で今、魔王ガイと比較した全てにおいて俺様が勝つぞキャンペーンを実施中なのだ」

「……そ、そうですか。そのようなキャンペーンを実施していたとは……知りませんでした」

 

 いつの間にやらランスはそのようなキャンペーンを実施していたらしい。

 魔王ガイと比較した全てにおいて自分が勝つ。それはランスにとっての見栄やプライドの問題。

 何も死者と張り合わなくても、とホーネットなどは思ってしまうのだが、しかしランスにとっては死者だろうとムカつく相手はムカつく。ムカつくならば張り合うのに理由はいらないのだ。

 

「てなわけで。ここでお前に『魔王ガイの為~』とか言われると俺様のテンションだだ下がりだ」

「……それは、困りますね」

「だろ? 困るだろ? だからもっとなんか違うアレにしてくれ」

「しかし、なんか違うアレと言われましても……」

 

 顎の下に手を置いて、ホーネットは困ったように眉根を寄せる。

 

 先程言おうとしていた言葉。それは改めて戦い抜く事を約束する言わば再戦の誓い。

 そういう事を考えた時、ホーネットの頭の中に浮かぶ言葉と言えば父親の遺言しかない。

 なにせホーネットとは、ホーネット派とはその遺命を果たす為に戦ってきたのだから。

 

 しかしそれではランスのテンションが下がってしまうらしい。

 だったらどうすれば──

 

「いっそのこと俺様の為に戦ってみるとか」

「……貴方の為、ですか?」

「うむ。ここで魔王ガイの為~とか言われるよりはそっちの方がテンション上がるはずだ」

「そうですか……まぁ、それでいいのなら……」

 

 他に言うべき言葉も思い付かない。

 だったらここは言う通りにしておこうとホーネットは頷いて。

 

「……では」

「おう」

 

 手を伸ばせば触れられるような距離の中。

 ランスとホーネットは真正面から見つめ合って。

 

 そして。

 

 

「……ランス。私は貴方の為に戦います」

 

 

 言った。

 そこには一切の照れなど無い。

 至極真面目な表情でそんなセリフを言った。

 

「おぉ」

 

 するとランスは軽く目を見張る。

 

「ホーネット、お前って結構こっ恥ずかしいセリフを言うヤツだな」

「なっ、貴方がなにを……これは貴方が言わせたのではありませんか」

「いやそりゃそうなんだけど……こうもバカ正直に言われるとなんかおもろいっつーか……」

「お、おもろい……」

 

 ──折角言ってあげたのに。 

 貴方の為に戦いますなんて言ってみたのに、それで返ってきた反応が『おもろい』とは。

 最初苛立ち、しかしすぐに冷静になったホーネットはすっとランスから視線を外した。

 

「……もういいです。ほら、先に進みますよ」

 

 そして一人、すたすたと迷宮の奥へ進んでいく。

 

「あ、おい、待てって」

「待ちません」

「待てっつの。そもそもこの迷宮は二人で進まないとクリア出来ねーぞ」

「でしたらとっとと付いて来て下さい」

「とっとと、って……なんかお前、言葉づかいが雑になってきてねーか?」

「なってません」

「いーやなってる。昔のお前はとっとと~なんて言わなかったはずだ」

「そうですかね」

「ああそうだ。昔のお前はもっと丁寧で真面目なヤツだった」

「そんな事はありません。口には出さないだけで心の中ではずっと思っていましたから」

「え……?」

 

 などと、あれこれ言い合う姿。

 それは出会った頃のランスとホーネットからしたら信じられないような姿をしていて。

 

「てかホーネットよ。さっきの宣言に関してちょっと引っ掛かる点があるのだが」

「なんですか?」

「お前が俺の為に戦うのは良いとして、じゃあ俺は一体なんの為に戦えばいいのだ?」

「知りません。好きに戦って下さい」

「好きにってお前、んな投げやりな……」

「よく言いますね。私を投げやりな気分にさせたのは何処の誰だと思っているのですか」

 

 その後も互いに口数は減らず、他愛もない会話を交えながら二人は迷宮の奥へ進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 ──そして。

 

「……お」

 

 迷宮が出してきた試練を軽くクリアして。

 そうして辿り着いた電卓キューブ迷宮最奥部、そこには宝箱が一つ置いてあった。

 

「もしかして、これが……」

「うむ。この宝箱の中にあるのがお前専用の武器ってわけだ。ほれホーネット、開けてみ」

「えぇ」

 

 ホーネットは宝箱を開く。

 するとその中に入っていたのは──

 

 

「これは……武器、というより……」

「服……だな」

「……ですね」

 

 その中にあったのは武器ではなく衣服。上下でセットとなっている専用の衣装。

 勿論それはただの衣服ではない。各所に施された装飾類が特殊な魔法具で出来ており、装備した者の身体能力を向上させたり魔法の威力を高める効果があるらしい。

 それは剣を使っても戦うが、しかし魔法も扱うホーネットに最適な代物と言えた。

 

「どれどれっと……ほう、中々にナイスなデザインじゃねーか」

「そうですか?」

「うむ。俺様はこういう格好好きだぞ」

「……そうですか。それは……何よりです」

 

 そしてその服のデザインはランス好みの──つまりは中々に際どい格好をしていて。

 白と紫紺色を基調としたその衣服が守るのは女性にとっての大事な部分のみ。胸元はおろか腹部まで完全に開けていて、魔人シルキィが好んできている衣装のような形式に近い。

 私服というよりかはビキニタイプの水着のようなホーネット専用衣装──その名も『Xの服』

 

「……何故X〈エックス〉?」

「分からん。でもほれ、胸のこの部分の布がXの字に重なってるからじゃねーか?」

「……でしょうかね。まぁ、この際名称などはなんであっても構わないのですが……」

 

 Xの服をその手に持ちながら、ホーネットは興味深そうな目で眺める。

 

「……ですが、確かに……この服からは特別な力を感じます」

「そりゃお前専用の武器な訳だしな。せっかくだし今ここで着てみたらどうだ?」

「そうですね。着るだけで強くなれるという話ですし──って、ここで?」

 

 ランスの言葉に頷きかけた瞬間、ホーネットはその声色を変えた。

 このXの服は着用する事により、自身の身体能力や魔力を向上させてくれる衣装らしい。

 であるならば、ケイブリスとの再戦を前に当然着替えておくべきなのだが……しかし。 

 

「……ここで、ですか?」

「うむ。ここで」

「……ここで、着替えろと?」

「うむ」

 

 ランスは「当たり前だろーが」と言いたげな表情で即答してくる。

 

「ここで……」

 

 今、ここで、この服を。

 何一つ視界を遮るものなんてないここで……このXの服に着替えろと。

 

「……ランス」

「なんじゃ」

「……後ろを向いていてください」

「は? なんで?」

「何故って、それは……着替えるからですよ」

「んなの好きに着替えりゃいいだろ」

「ですから着替えますから、後ろを──」

「だから好きに着替えろって」

「………………」

 

 何を言ってもランスは一向に譲らない。

 ……いや、というよりもこれは。譲る譲らないの話ではなくて、これはむしろ──

 

「あのなホーネット。そんなスケスケな服を着といて今更着替えの何を恥ずかしがるってんだ」

 

 ホーネットが何を躊躇っているのかが全く理解出来ない。

 そう言うかのような口ぶりで。

 

「………………」

「……っておい、何処へ行く」

「貴方はそこにいて下さい」

 

 そして結局、ホーネットはその場を離れた。

 来た道を戻って通路の角を曲がった所、誰の視界にも入らない場所で着替える事にしたらしい。

 

「……普段からあんな服を着ておいて、何故今更着替えを恥ずかしがるのだ? 分からん……」

 

 ホーネットの複雑な女心に対してランスが真剣に首を傾げる事……数分。

 

「……お」

「……どう、でしょうか」

 

 通路の奥からそそくさと、若干照れ混じりの表情でホーネットが戻ってきた。

 

「……なんだか、落ち着かない……ですね」

 

 その様子は普段通り冷然と構えているとは言えないもので……有り体に言えばもじもじしていた。

 Xの服とは隠す必要のある所以外は全て大胆に晒しているようなデザインで、さすがのホーネットでも照れてしまうのはやむ無し。

 

 ……と、いう訳では無くて。

 ホーネットが照れている理由、それは単にこれまでとは違う衣装に着替えたから。

 馴染みのない格好でランスの前に立っている事に彼女は照れているようだ。

 

「おぉ、よく似合ってんじゃねーか」

「……本当ですか?」

「うむ。実にホーネットらしくてグッドな格好だと思うぞ」

「……そうですか、良かった……」

 

 よく似合っている。

 その言葉をくれたのが存外に嬉しく感じて、ホーネットは胸を撫で下ろす。

 

「まぁさすがにスケスケとはいかないようだが、ちゃんとお前好みのエロエロな衣装だし」

「……私好み? どういう意味ですかそれは」

「え? だってお前って肌が良く見えるようなエロい服しか着たくねーんだろ?」

「………………」

 

 そして「よく似合っている」の真意を知って、すぐに複雑な表情に変わった。

 

「……ランス。私は別に、そんな……なにも露出の多い格好を好んでいる訳ではありません」

「うわ、説得力ねー言葉。あんなスケスケ衣装を普段から着ておいてよくそんな事が言えるな」

「あれは……あれは魔人筆頭として、格の違いを明示的に示す為に着ているのであって……」

「分かった分かった。別にお前が露出好きだってのはもう知っとるから、そう無理すんなって」

「私は無理などしていませんっ!」

 

 思わず声を荒げるホーネット。

 ともあれ、こうして彼女は自身の専用武器であるXの服を手に入れた。

 無事電卓キューブ迷宮の攻略も終わった。となれば──次に待ち受けるのは一つ。

 

「よっしゃ、んじゃあ行くぞホーネット。あのリス野郎にリベンジじゃ」

「えぇ、そうですね」

 

 

 

 

 





『Xの服』について。
これはハニホンXの表紙でホーネットが着ている衣装そのままをイメージしています。




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VS 魔人ケイブリス②

 

 

 

 

 

 佇む姿。

 今やそこに立つ者は一人。

 

「………………」

 

 元々の荘厳絢爛だった姿は失われて、ほぼ半壊状態となったカミーラ城。

 尖塔や外壁が崩され、瓦礫の積み重なる大広間に立つのは一体の魔人──ケイブリス。

 

「………………」

 

 崩壊の喧騒もとうに消え去って、今では不気味な程の静寂が漂うその場所で。

 長らく沈黙していたケイブリスは……やがてその口をゆっくりと開いて。

 

 

「……俺様は、勝った」

 

 そう、呟く。

 

「そうだ。俺様は勝ったんだ」

 

 思わず、呟く。

 何度も、呟く。

 

「俺様は勝った。ホーネットを倒したんだ」

 

 自らの勝利を、呟く。

 自らの言葉で勝利を宣言する。

 まるで念押しするかのように何度も何度も。

 

「そうだ。勝ったんだ。……そのはずなんだ」

 

 自らが勝ったのだと宣言する──しかし、その行動の意味とは。

 念押しするという事はつまり、内心では自らの勝利を疑っているという事に他ならなくて。

 

「……なのに」

 

 そこでケイブリスは表情を歪めて、ギリッと憎々しげに奥歯を噛み締める。

 血管までもが浮き上がるその顔には勝利の歓喜も余韻も全く見られない。とてもじゃないがこれを勝者の表情とは呼べないだろう。

 

「なのに……ッ!」

 

 しかしそれも致し方ない事か。

 何故ならケイブリスは。先程からの言葉とは裏腹に勝利など手にしてはいないから。

 

 いや、戦いには勝利した。

 先程の一戦ではスクイレルザンの一撃によってランスとホーネットを見事に撃破した。

 けれどもその勝利の意味とは。それはただ単に相手を上回ったというだけのものでしか無くて。

 

「……ヤツら、何処に逃げやがった……!」

 

 あそこまで追い詰めたのに、しかしランスとホーネットを見失ってしまった。

 だからまだケイブリスは勝利を掴んでいない──あの二人に止めを刺してはいない。

 

 まだ……派閥戦争は終わっていない。

 

 

「……チッ」

 

 苛立ちを表すかのように大きく舌打ちを一つ。

 しかしケイブリスはその苛立ちを、胸の内にある癇癪を弾けさせて暴れたりはしない。

 何故ならそれはもうとっくにやったから。今はもうすでに大暴れした後だから。

 

 あの時。通路の一番奥の部屋にあの二人を追い詰めたはずなのに、そこで見失って以後、ケイブリスは湧き上がる強烈な怒りと激情を手当り次第にぶつけまくった。

 なにせあと一歩の所まで追い詰めたのに逃げられてしまったのだ。その怒りは凄まじく、そのせいあってカミーラ城は半壊状態となってしまった。

 

(……どういう事だ)

 

 幾度と吠えて幾度と当たり散らした分、今ではある程度頭の中は落ち着いて。

 そうして冷静になった思考で考える。ケイブリスはもう長い時間ここで考えに浸っていた。

 

(奴らは何処に消えやがったんだ)

 

 何故、あの二人の姿が見つからないのか。

 寸前までは確かに声が聞こえた。あの部屋から聞こえてきた声は聞き間違いなんかじゃない。

 それなのに数秒後にはもう姿が消えていた。これは一体どういう事なのか。

 

(運良く隠し通路でも見つけたのか……なんて、あの時は考えたもんだが……)

 

 そんな可能性を考慮してケイブリスは探した。

 あの二人を見失った後、この広いカミーラ城の隅から隅まで探し尽くした。

 それも自らの手で。城内に居たカミーラの下級使徒達の手も借りず、むしろ邪魔してくる奴らは尽く蹴散らし、ケイブリスはありとあらゆる場所を探し尽くした。そして破壊した。

 

 それなのに、いない。

 どれだけ探しても、どれだけ壊してもランスとホーネットの姿は一向に見つけられない。

 あの二人の捜索に夢中となっている内に、ふと気付けばカミーラにも逃げられてしまっていた。

 けれど今はカミーラなどどうでもいい。今のケイブリスにとって大事なのは宿敵の行方だけだ。

 

(そもそもが……こうしている今だってホーネットの気配が全く感じられねぇ。あれ程に強い気配はそう簡単には消せねぇはずだ)

 

 本音を言えば捜索中から、その気配を全く感じない時点でここには居ないのだと察していた。

 ただそれでも慎重な性格が影響してか、念には念を入れて探してはみたものの……結果は先程から述べている通りで。

 

 突然、魔人筆頭の強い気配を感じなくなった。

 考えられる理由としては──

 

(……すでにホーネットは死んだ、か)

 

 宿敵たる魔人筆頭はその命運を使い尽くして、すでにこの世から消えているという可能性。

 仮にそうだとしたらその場合、死んだ魔人は遺体が残る事は無くその身を魔血魂へと変える。

 魔血魂とは小さなガラス玉のような代物だ。それなら瓦礫の隙間に埋もれてしまって、これだけ探しても見つからない可能性は十分に有り得る。

 

(だが……)

 

 だがしかし。あの時、敗走する寸前のホーネットの様子はどうだったか。

 スクイレルザンを食らって戦えなくなってはいたものの……しかしそれで死ぬかと言うと。

 特にケイブリスが絶対の自信を持つこのスクイレルザンという必殺技は──

 

(……それに男の方も見つからねぇのはおかしい。そっちの死体は残るはずだろう)

 

 一方でもう一人の人間、ランスは人間である以上その遺体が消える事は無い。

 だとしたら遺体が見つかるはずで、見つからない以上はまだ生きているという事になる。

 

(まぁ男の方はホーネットを抱えて逃げるだけの体力が残ってた訳だし、そもそもあの時に聞こえてきた声はあの男の声だった訳だし、そりゃ生きてるだろうが……)

 

 ランスの方はまず間違いなく生きている。 

 だとしたらその姿が見つからない理由は……あの男はすでにこの城から逃げ出したのか。

 さすがのケイブリスも脆弱なプチプチ共の気配までを察知する事は出来ないので、その可能性も一応有り得ると言えば有り得るが……。

 

 

「……いや」

 

 そこでケイブリスは頭を振って。

 

 

「違う。それは違ぇな」

 

 自らの言葉で自らの思考を否定した。

 ホーネットの姿が無いのはすでに魔血魂となっているから。一方男の方は逃げているから。

 つまり、自分はもう勝利を手にしている……というのは楽観的な考え、危険な考えだろう。

 ケイブリスはそのようには考えない。他の誰ならともかく、慎重の上に慎重を重ねるこの魔人だけは宿敵の生死を楽観的に考える事など出来ない。

 

(ヤツらはまだ生きているはずだ。その上でここからどうにかして逃げ出しやがったんだ)

 

 今の状況を慎重かつ臆病な思考で考えると、そのような答えが成り立つ。

 それを前提とした場合、あの二人がここから逃げ出すのに考えられる手段としては何か。

 ただの逃走では無い、その気配が察知出来ない程の遠くまで一瞬で逃げる手段となると──

 

(……瞬間移動、ってか?)

 

 瞬間移動。あるいはワープ。

 物理的な距離を無視してしまえる、そうした移動手段についてはケイブリスにも覚えがある。

 例えば特殊な魔法陣を描いた二点を結ぶ、魔物兵を輸送する為の転移陣などが存在している。しかしとても大掛かりな下準備と輸送人数に応じた莫大な量の魔力を必要とする為、この派閥戦争においては採用を見送っていたのだが……。

 

「……けど、ホーネットなら」

 

 しかし、あの魔人筆頭であればどうか。

 その強大な魔力を以てしたら、瞬間移動の魔法だってあるいは可能なのではないか。

 

「可能性は……あるよな」

 

 可能性ならば、ある。ケイブリスとしてはそう言うしかない。

 最強最古を誇るこの魔人と言えども、魔法の才に関してはあまり恵まれていない。

 故に魔法について詳しくはない。LV1でしかないケイブリスにはLV2の事は分からない。その才能でどれだけの事が出来るのか、瞬間移動が可能なのかどうかは想像で語るしかない。

 

 だからこそ可能性の話として、ホーネットが瞬間移動の魔法が使えるとするならば。

 それならば一応、あの部屋の中から一瞬で姿を消した方法にも説明は付けられるだろう。

 

「可能性だけなら……ある」

 

 ──しかし。

 仮にそうだとすると、それは──

 

 

「……チッ」

 

 そして再度の舌打ち。

 今度のそれはただの苛立ちだけではなく、もっと別の……臆病な心の表れ。

 

 瞬間移動。物理的な距離を無視して移動する、突然に姿を消す事が可能となる魔法。

 という事はすなわち、それを使えば逆に突然現れる事だって可能なのではないか。

 そんな思考の流れになるのも当然の話で。

 

(……くそ) 

 

 仮に今。自分の背後に突然、瞬間移動の魔法を使ってホーネットが現れたとしたら。

 そのような仮定だって、この状況からは成り立つという事になってしまう。

 

(……くそっ)

 

 それはケイブリスにとって恐ろしい仮定だ。

 今この瞬間にも奇襲を仕掛けようと、あの魔人筆頭が魔力を高めているかもしれないなんて。

 

 だったら何処から来る──

 やはり死角となる背後からだろうか。

 それとも首を狙って上から来るか。

 

 そしてそれは何時現れる──

 今日か、明日か、明後日か……更に先か。

 それとも一番油断している時を狙ってだろうか。

 

 などと、そんな事を考えてしまうと──

 

 

「……くそッ!!!」

 

 堪らず大声で吠える。

 しかしそうやって吠えながらも、ケイブリスは身の回りの警戒を解く事が出来ない。

 

 あの二人との戦いが終わってもう結構な時間が経っているのに、見えない相手の奇襲に怯えるケイブリスはこの場から動く事が出来ない。

 ランスとホーネットがまるで埒外の方法を使ってあの部屋から移動した事により、臆病な性格のケイブリスは身動きがとれなくなってしまっていた。

 

「クソがぁ……!! 俺様が、この俺様が勝ったはずなのに……ッ!」

 

 魔人ホーネットに勝った。

 宿敵たるホーネット派の主を倒した。

 

 それなのに今……むしろ戦っていた時よりも強く恐怖心を感じてしまう。

 自分は確かに勝ったはずなのに。あまりにも理不尽な現状にケイブリスは歯噛みする。

 

「どうする……どうすりゃいい……!」

 

 これから自分はどうするべきか。

 カスケード・バウに向かおうにも、ホーネットの行方が不明なままでは動くに動けない。

 敵派閥の主の居場所が分からないままでは、派閥戦争の決着だって付けようがない。

 

 しかし、だとしてもどうすればいい。

 このままでは、ホーネットの奇襲に怯えて永遠にここでじっとしているしか無いのでは──

 

 ……と、そんな事を考えた、その時だった。

 

 

「……あん?」

 

 ここから少し離れた地点。

 ほんの数秒間パッと眩しく発光する光源が目に入った。

 

「なんだ今の光は…………って、ッ!?」

 

 瞬間、ケイブリスの全身がぞわっと粟立つ。

 

 

「……まさか」

 

 居る。感じる。

 先程までは消えていた気配が──魔人ホーネットの気配を確かに感じる。

 

 

「っ、くるか!?」

 

 即座にケイブリスは右の巨剣ウスパーと左の巨剣サスパーを構えて。

 

 それと同時だった。

 消えた時と同じく、それは突然に現れた。

 

 

「がーっはっはっはっはっは!」

 

 

 積み重なった瓦礫の上から。

 そんな馬鹿笑いが聞こえてきて。

 

「……は、はは」

 

 そのムカつく声を耳にして、ケイブリスは苛立つよりもむしろ安堵してしまった。

 目に見えない敵よりも、目に見える敵の方が遥かにマシだと感じた。

 

「お、いたいた。馬鹿リス見っけ」

「……ハハハ。なんだテメェら、尻尾巻いて逃げ出したんじゃなかったのかよ」

 

 瓦礫の上に立つ二人の姿。

 そのシルエットは紛れもなく一度見失ってしまったあの二人。

 

 ランスと、ホーネットがそこに立っていた。

 

 

「逃げただぁ? バカを言うな、何故この俺様が貴様なんぞから逃げねばならんのだ」

「あぁ? オイオイ、テメェさっき俺様に背を向けて無様に逃げ出した事をもう忘れたのか?」

「うむ、忘れたな。俺様はお前と違ってそんな下らん事を一々記憶しとらんのだ」

 

 こうして再び自分の前に現れて、それでも男の方の様子は相変わらずだ。

 相変わらずのデカい態度、大して強くもないくせにただ偉そうにしている。

 

「てな訳でさっきの戦いは無し、今度こそ貴様をぶっ殺すぞ。……なぁホーネット?」

「…………えぇ」

「……あん?」

 

 そして気になったのはもう片方。

 ランスの隣で口数少なく答えるホーネット、こちらは少し様子がおかしい。

 

 まず服装が変わっている。先程まで着ていた普段通りの格好ではなく、より動きやすそうな布面積の少ない服に着替えている。

 その表面的な変化も気にはなるのだが……一番おかしいのはホーネット自身の様子だ。

 

 不思議とその肌が紅潮していて、更には各所に玉の汗が浮かんでいる。

 そして顔色も赤らんでいて、よく聞けばその呼吸も整ってはいなかったりと。

 とにかくホーネットの様子はこれまでとは違う、妙に艷やかな雰囲気でそこに立っていた。

 

 

「……へっ、ぶっ殺す、ねぇ……くくっ」

 

 そんな相手の分析を終えた後──

 勝機が未だ手の中にある事を知ったケイブリスは堪え切れずといった感じに吹き出して。

 

「……クククっ、ぎゃははは!! ぐぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ!!!」

 

 そして、腹の底から嘲るように大笑いした。

 

 ──バカな奴らだ。なんてバカな奴らなんだ!

 一度無様に負けたというのに、どうやら全く懲りてはいないらしい。

 先程と比べて何かが大きく変わった訳でもない、それで勝ち目があるとでも思っているのか。

 

 大体ああも情けなく逃げ出したのなら、そのまま姿を暗ましてしまえばいいものを。

 それでもあえて戦うというのなら、奇襲の一つでも仕掛けてくればいいものを。

 

 一度負けたというのに逃げず、それでいて再び真っ向から向かってくるなんて。

 コイツらは一体何がしたいのか。ケイブリスにはバカの思考が全く理解出来なかった。

 

「ぶっ殺すだとぉ!? そりゃあこの俺様のセリフだ!! 次こそは絶対に逃さねぇぜ、テメェら二人を完璧にぶっ殺してやるからよぉ!!」

「言ってろ雑魚が! このランス様の辞書に敗北の二文字は無いッ!」

 

 ランスが腰から魔剣を引き抜く。

 そして再戦の火蓋が切って落とされた。

 

 

「とーーうっ!」

 

 掛け声と共に、ランスは瓦礫の山の上から高々とジャンプ。

 跳躍の勢いに合わせて魔剣を振り下ろし、直後発生する巨大な刃の如き衝撃波。

 

「オラァ!」

 

 すぐさまケイブリスも応戦開始。

 飛び掛かっていたランスの一撃を──ランスアタックを右の巨剣で受け止める。

 

「ぐぬぬ……!」

「なんだぁ!? そんな攻撃でこの俺様に勝てると思ってんのか……よッ!!」

 

 必殺技との鍔迫り合いは互角。

 けれど双剣使いであるケイブリスにはまだ左の巨剣が残っている。

 右での鍔迫り合いを維持したまま、左でランスの胴を落とすかのように横薙ぎの一閃──

 

「ふっ!」

 

 を、防ぐようにホーネットが飛び込んでくる。

 細身の剣を身体の真横に構えて、自らの腰よりも太い巨剣の一撃を真っ向から受け止めた。

 

「ぐっ、ケイブリス……っ!」

「この、死にぞこないがぁ……ッ!」

 

 睨み合い、共にその力を振り絞る。

 膂力ではケイブリスに分がある、とはいえさすがにランスとの鍔迫り合いを維持したままでは思うように剣が振れないのか、右と同じように左の巨剣も押し合いのような形となる。

 そしてこのような膠着状態となった場合、有利となるのはそこで別の力を扱える者の方で。

 

「……──」

 

(っ、マズい!)

 

 ホーネットがその口の奥、声にも出さない程の小声で呪文の詠唱をしているのが分かった。

 瞬間ケイブリスは背後に飛び退く、と同時に眩く発光する白の魔法球。

 

「──はぁ!」

 

 放たれる白色破壊光線。

 威力も狙いも申し分無しの一撃。

 回避しきれないと悟ったのか、ケイブリスは身を守るように左腕を突き出す。

 

「ぐッ!!」

 

 直撃。

 分厚いレーザーを受け止めた左腕、その焼くような痛みはつい先程までとは違っていて。

 

「──ぐ、ググッ、おぉぉオオオ──!!」

 

(なんだとッ──!? ホーネットの魔法の威力が上がってやがる──ッ!!)

 

 重みが違う。破壊光線の圧が増加している。

 先程はダメージを負いながらも受け止める事が出来たはずの一撃に、しかし今度はその圧に押されてケイブリスは体勢を崩してしまう。

 

「スキありー!!」

「チィ……!」

 

 その隙を狙ってランスが迫る。

 合わせてケイブリスも攻撃を繰り出したが、不安定な体勢で振るった右の巨剣には力が乗らず、軽く回避されてすぐに反撃が。

 

「でりゃッ!」

 

 けれどたかが人間の攻撃なんて──

 と思いかけて、しかしその武器は魔剣だったと考え直した瞬間、右腕に鋭い痛みが走った。

 

「ぐッ!」

 

 やはりこれだけは。魔剣カオスの切れ味だけは侮る事は出来ない。

 鍛え上げたこの肉体を、剛毛に覆われた二の腕を易々と斬り裂くあの剣だけは恐ろしい。魔人にとっては何処までも天敵だ。

 

「行けるぞホーネット! このままガンガン押して押しまくる!」

「えぇ!」

 

 向かってくる相手、ランスとホーネット。

 二人はこの通り、一度敗れても尚戦う気でいるらしい。ガンガン押せば勝てる気でいるらしい。

 

「……ハッ」

 

 そんな二人の会話を聞いて、ケイブリスは思わず笑ってしまった。

 

「イキがってんじゃねぇよ! 雑魚共がァ!!」

 

 一度この二人から勝利した事で、臆病な思考の段階なんてとっくに過ぎ去って。

 今は普段よりも増長した思考、それがケイブリスの心気を普段よりも高ぶらせていた。

 

 理由は分からないがホーネットの魔力が強化されている。

 そしてランスが振るう魔剣は相変わらず驚異だ。

 

 ……が、それがどうした?

 その程度が一体なんだって言うんだ?

 

 その程度で勝てると思っているのか。

 この俺様に、最強最古の魔人ケイブリス様に敵うとでも思っているのか。

 

「特に……このスーパーデンジャラスな一撃に敵うとでも思ってのかァ!!」

 

 最強の魔人が繰り出す最強の一撃。

 この必殺技を前にして、雑魚共に抗う術などがあるとでも思っているのか。 

 

「だりゃッ!」

 

 ケイブリスは深く身を沈めて、力を溜めて一気に大ジャンプ。

 天井が崩壊した事で上限が無くなり、先程の戦闘時よりも更に高く跳躍する。

 

「ランスっ!」

「あぁ、来るぞ!」

 

 その攻撃動作を目にして、表情を変えたランスとホーネットはすぐにアクションを起こした。

 

 ランスはその手に握る魔剣に力を溜めて、

 方やホーネットは瞼を閉じて、周囲に浮かぶ6つの魔法球全てを眩く発光させて。

 

「なにしたって無駄だァ!!」

 

 この技に死角は無い。これは最強の自分に相応しい最強の必殺技。

 特に相手が二体しかいないこの状況なら、放つだけで必勝となる無敵の技。

 

「今度こそ死にやがれェッ!!」

 

 尻尾を振るう力を利用しての回転落下斬り。

 双剣より繰り出す二条の莫大な衝撃波。それこそがケイブリスの必殺技スクイレルザン。

 

 回避も許さず、計2名の相手を問答無用で戦闘不能状態に追い込む必殺の一撃。

 

 それを振り下ろす、寸前──

 

 

「……掛かりやがったな」

 

 と呟き、ランスは口元をにぃっと曲げた。

 

 

 

 

 



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とっておきの秘策

 

 

 

 

 

「今度こそ死にやがれェッ!!」

 

 響く怒号。

 そして魔人ケイブリスによる必殺技、スクイレルザンが振り下ろされて。

 

 

「……掛かりやがったな」

 

 と呟いて。

 魔剣を構えるランスが口元をにぃっと曲げた。

 

 

 

 

 ──その、少し前の事。

 ここで話は今より30分程前に遡る。

 

 

 それは第一戦目が終了した後の事。

 消えた二人に止めを刺すべく、ケイブリスがカミーラ城の隅から隅までを捜索していた頃。

 

 一方ランスとホーネットは。

 カミーラ城からワープして、遠く離れたゼス国マジノラインの上空。

 電卓キューブ迷宮の出す試練をクリアして、ホーネットの専用武器を手に入れた頃──

 

 

 

「よっしゃ、んじゃあ行くぞホーネット。あのリス野郎にリベンジじゃ」

「えぇ、そうですね」

 

 魔人ホーネット専用武器、Xの服への着替えも済ませた。

 再戦の準備を整えた二人が顔を見合わせて頷きあった──その直後の事。 

 

 

「……ですが」

 

 と、ホーネットが一言。

 実はあの後、電卓キューブを去る前に二人の間でこんな会話が繰り広げられていた。

 

 

「その前に一つ……再戦に臨む前に考えなければならない事があります」

「考える事?」

「えぇ。あの時ケイブリスが放った技……先の一戦の勝敗を分ける事となったあの技の事です」

「……あー」

 

 言われてランスも頭に過ぎったのか、渋い顔で嫌そうに返事を返す。

 

 あの時ケイブリスが放った技。

 一戦目の戦いの勝敗を分ける事となった技。

 それは勿論魔人ケイブリスの必殺技──スクイレルザンの事を指す。

 

「ケイブリスの攻撃はどれも強力なものでしたが、特にあの技は……高く飛び上がっての回転落下斬りの迫力は際立っていました」

「まぁな。多分ありゃあ俺様のランスアタックと同じようにヤツにとっての必殺技だろーな」

「えぇ。あの必殺技によって一気に戦局が傾いてしまった事を考えると、ここでなんの対策も打たずにもう一度戦いに臨んだところで、また同じ結果を招く事になりかねません」

「……ふむ」

 

 それ一つで戦局を変える大技。あの時ケイブリスが放った必殺技とはそれ程に強力な代物。

 となればスクイレルザンへの何ら対策無しにもう一度戦うのは得策ではない。その言葉にはランスも同意するしかなかったのだが。

 

「……けど対策か、対策っつってもなぁ……」

 

 果たして対策などがあるのだろうか。

 ランスは困ったようにぽりぽりと頭を掻く。

 

 あの必殺技、スクイレルザンが厄介な技だという事はランスが一番よく理解している。

 それこそ前回の時も含めた場合、ランスはもう何度もあの技を食らってきているのだから。

 ただでさえ強力な上、スクイレルザンとはランスアタックと同じように必殺技である為、気力さえ溜まれば二度三度と放つ事だって出来る。

 とはいえさすがにランスアタックと比べたら桁違いの気力を必要とするらしく、それ相応の溜めは必要になるようだが、いずれにせよ一撃で勝負を決する程に強力な必殺技の対策となると……。

 

「そうだな……キムチ鍋を食うとか?」

「……キムチ鍋?」

「……いんや、なんでもない。忘れろ」

 

 カラウマーな味を思い出したランスはやれやれと頭を振る。

 作り手不在な絶品キムチ鍋はともかくとして、スクイレルザンによって受けたダメージをその都度こまめに回復する、それは確かに地道ながらも対策の一つには違いない。

 とはいえあのスクイレルザンが秘める価値をダメージという見方をした場合、そこには少し首を傾げてしまうポイントがある。

 

「つーか……なぁホーネット」

「なんですか?」

「あの必殺技を食らった時って……効いたか?」

「え? えぇ、勿論それなりには効きましたが……貴方には効き目が無かったのですか?」

「いやまぁ俺様もそれなりには効いたんだが……」

 

 スクイレルザンはそれなりには効いた。

 あくまで──それなり。そう答えるランスは納得いかなそうに首を傾げる。

 

「でもなんか変な感じがしないか? あの技って」

「それは……確かにそうですね。振り返って考えると妙な違和感のようなものは受けました」

 

 そして、ホーネットもそれに同意する。

 あの必殺技を食らった時、二人は身体中を刻まれるような痛みと共に奇妙な感覚を覚えていた。

 それはスクイレルザンが与えるダメージの量。その破壊力が齎す奇妙な結果。

 

「なんかこう……半分、だよな?」

「……ですね。半分な感じはしました」

「それもMAXからじゃなくて、現在の状態から半分ポッキリってな感じだよな?」

「えぇ、そんな感じですね。……考えれば考える程に不思議な技でしたね、あれは……」

 

 それが『半分』という事。

 スクイレルザンとは実に不思議な技で、その威力が固定化されているという特徴がある。

 そのダメージ量は対象が有する生命力の半分。それはつまり、万全の状態からであれば一撃食らっただけでもう半殺しになるようなもの。

 そう考えると恐ろしい技だが、しかしスクイレルザンによって削られる生命力は最大値からではなく、現在の状態から半分となる。

 その為例えば二回連続で食らった場合、二度目のダメージは一度目の更に半分という事になる。

 

「……あの時、私は相当なダメージを受けたような気がしていたのですが、しかし半分という見方をするとそうでもないのかもしれませんね」

「うむ。あの必殺技はまぁ痛いっちゃ痛いけど、でもいけるっちゃいけるんだよなぁ」

「確かにそうですね。ダメージだけで言うならば耐えらないという程のものではありません」

 

 共に同じ感想らしく、ランスとホーネットは顔を合わせて頷き合う。

 

 如何なる場合でも生命力を半分削られる技。

 それはつまりスクイレルザンだけであれば、永遠に半分から半分を減らしていくだけで何度喰らおうとも死にはしないという事になる。

 対象を選ばず、人間のランスと比べて遥かに生命力に勝るホーネットのそれをも問答無用で半減する点は脅威には違いないのだが、しかしその技が直接に死という結果を齎す事は絶対に無い。

 

「ですが……あの必殺技はむしろダメージ以外の要素の方が厄介だと思います」

 

 スクイレルザンとはそういう技。そのダメージ量で言うならあくまで生命力の半分だけ。

 それがこの技の持つ特色の一つであり、この技が秘める真価とはもう一つの特色の方にある。

 

「……あの時の私はケイブリスの必殺技を受けた事によって、前後不覚となって立ち上がる事も出来ない状態となりました。戦いの中にあってはそちらの影響の方が遥かに脅威です」

「あー、頭ぐらぐらするヤツな。確かにあれは……ちょっぴり厄介だな」

「えぇ。昏倒、あるいは短期的な脳震盪……とでも言えばいいのでしょうか。意識が混濁してしまう事への対策は考えねばならないでしょう」

 

 それがダウン状態。あるいは一時的な戦闘不能状態に追い込まれてしまう事。

 スクイレルザンによって繰り出される特殊な衝撃波の直撃によって、頭を揺さぶられた相手は一定時間戦う事が出来なくなってしまうのだ。

 

「ランス。あの意識混濁はあの時に限った偶発的なものという可能性はないのでしょうか?」

「無いな。それは絶対に無い。あれはヤツの必殺技に付いてる特殊効果みてーなもんだ」

「ですよね……。あの双剣が二条の衝撃波を扇状に放つ点から鑑みても、恐らくは左右それぞれ計二体の相手を昏倒させる技なのでしょう」

 

 その衝撃波を食らった計二体の相手を戦闘不能状態に追い込む特殊効果。

 仮にランスのようにその衝撃波と打ち合ったとしても、だとしたらその武器を破壊し、もしくは武器を握る腕を破壊する事によって同じく戦闘不能状態に追い込む。ケイブリスのスクイレルザンとはそのようにデザインされている。

 

「……実に厄介な技ですね」

「……けっ」

 

 ダメージ量は相手の生命力の半分。それに加えて対象二体をダウンさせる特殊効果。

 それは相手に勝つ為の技というよりもむしろ、相手を弱らせて戦えない状態に追い込む為の技、つまり負けない事に主眼を置いた必殺技で。

 

 魔人ケイブリスの必殺技、スクイレルザン。

 それは最強の力を持ちながらも、その性根はとても臆病なケイブリスという魔人の内面をよく表している必殺技だと言えた。

 

「ダメージはともかくとして、意識混濁については対策を打たねば戦いようがありません」

「……確かにな」

 

 再戦に当たって、二人が危険視するのは一戦目の戦いの二の舞を演じてしまう事。

 ダウン状態の特殊効果の対象は二名。そしてこちらに居るのも二名。となればこのままだとケイブリスがスクイレルザンを放った瞬間にゲームオーバーという話になりかねない。

 

「けどどうすりゃいいんだかな……ありゃ避けようと思って避けられるもんでもねーし……」

「そうですね。あの距離からあれ程に莫大な衝撃波を放たれては回避するのは難しいでしょう」

「それにあれは魔法バリアとかを張っても防ぐ事は出来ねーし……」

「そうなのですか?」

「ん? あぁうむ、まぁ勘だがな。あくまで勘だけどあれは魔法バリアでも無理だ。ダメージの方は防げるけど特殊効果の方までは防げん」

 

 前回の時からの体験談なのだ、とは言えないランスは軽く視線を外す。

 けれどもそれは紛れもない事実。その規模故に回避する事も出来ない、そしてバリアでも防げない特殊効果に関して、前回の時にランスが講じた対処法といえばただ一つだけ。

 

「こうなるとやっぱし生贄作戦しかねーか……」

「生贄……身代わりを立てるという事ですか?」

「うむ」

「……まぁ、そうですね。確かに対策としては考えられますが……」

 

 それが生贄作戦。ダウン状態に陥るのはもう仕方無しとして身代わりを立てて戦う方法。

 幸いな事にと言うべきか、一発のスクイレルザンで意識混濁に陥る対象は計二体のみ。放たれた衝撃波を中央で受けた相手しかダウン状態にはならない仕組みとなっているらしい。

 となればそれを食らった者は──基本的にガード職の者となるのだが、とにかくダウンした者は下がらせて、抜けた穴は他の者がカバーしてと、皆で協力し合えば戦いを維持する事が可能となる。

 

「しかしそうなると……こちらの増援の到着を待って戦うという事ですか?」

「うむ、そういう事だ。さっきシィルをキャンプ地に引き返させた訳だし、もう暫くしたらウルザちゃん達を連れてくるはずだ。そうなりゃこっちはゼス軍兵士達含めて1000人以上の大軍勢、それなら幾らでも身代わりを立てる事が出来るって訳だ」

 

 今回ゼス国から借りてきた三軍、それは前回の魔人討伐隊の総数を遥かに超える規模。

 さすがに人類全体の粋を集めた精鋭部隊という訳では無いので戦力としては劣るものの、しかしスクイレルザンに対する身代わりとして考えるなら戦力は気にしなくても良い。

 そう考えた場合、今回の生贄作戦はより効果的に機能するとも言えるのだが。

 

「しかし……」

「なんだ?」

「ゼス国から連れてきた人員というのは……見た所全てが後衛職なのでは?」

「……あ」

 

 しかし問題は、その戦力の全てが魔法使いだけに限定されているという点で。

 

「となるとゼス国からの援軍が到着した所で、前で戦うのは依然として私と貴方だけですから、身代わりなど立てようがないのでは?」

「………………」

 

 前衛職と後衛職では戦う場所が違う。戦場においてその身を置く位置が異なる。

 1000名を超える援軍はその全員が自分達の後方で戦う事となるので、あの衝撃波を代わりに受けて貰おうにもそもそも配置的に無理がある。

 

「がー!! そういやそーだ!! てか今回前衛でキツい目に合うのは俺達だけじゃねーか!!」

「……まさか気付いていなかったのですか?」

「くそー! これだから魔法使いってのは!! あいつら揃いも揃って役立たねーー!!」

「役立たない事はないでしょう。あれ程の人数が揃って放つ魔法ならケイブリスにもダメージを与えられるはずです。……けれど、まぁ、あの必殺技への対策という面では確かに頼れそうにないですね」

 

 頭をがしがしと掻きむしるランスの一方、ホーネットは小さく首を振る。

 ゼス国から借りた援軍も身代わりとしては使えそうにないとなると……残る手段は。

 

「……こうなっては、再戦の前にシルキィ達と合流した方がいいかもしれませんね」

「……それって、ここからカスケード・バウに向かうって事か?」

「えぇ。そもそも当初の計画ではそのような予定だった訳ですし」

「けどなぁ……」

 

 残る手段はカスケード・バウに移動する事か。

 カスケード・バウにはホーネット派の防衛部隊が今も戦っているはずで、そちらには前衛として働ける者が幾らでも存在している……が。

 けれどもそれは。カスケード・バウに戦力があるのは何もホーネット派だけではない。

 

「でもそれだと雑魚が増えるぞ、雑魚が。カスケード・バウにうようよいる向こうの魔物兵共も相手にせにゃならん事になっちまうじゃねーか。せっかく今はヤツが一人きり、ぶっ殺すには絶好のチャンスだってのに」

「それはそうですが……しかしこちらの前衛が私と貴方の二人しか居ない以上、あの必殺技の対策を取るのは無理があるのでは……」

「ぐぬぬ……」

 

 二人の頭を悩ませる難問、魔人ケイブリス必殺のスクイレルザン。

 それは6千年にも及ぶ研鑽の成果。最強の魔人が鍛え上げた最強の必殺技。

 

「ぐにに~……、ダメージは耐えられるんだ、あの頭ぐらぐらさえどうにかなりゃあ……」

 

 計2名の相手を強制的にダウン状態に追い込む、あの特殊効果さえなんとかなれば。

 そう思いはすれど、しかしそれでもどうにもならないのが現実というものか。

 

「うーむ、うう~~む……、どうにかしてあれさえ防ぐ事が出来れば……」

 

 しかし……現実とは。

 

「あの頭ぐらぐら状態さえ……って、ぬ?」

 

 とかくこの男にとって現実とは。

 受け入れるものではなく、ねじ伏せて前に進む事を言うのであって。

 

 

「──はッ!?」

 

 

 だからこそ、ランスは思い付いてしまった。

 よりにもよってこれを思い付いてしまうのがランスという男だった。

 

「……そうだ、あれがあるじゃねーか」

 

 その声は少し震えていた。

 それは奇跡の閃きに対する感動故か。それとも悪魔的な発想に対する身震い故か。

 

「ランス?」

「……ホーネット」

 

 そして……ホーネットの顔を見る。

 あの強烈無比なスクイレルザンに対して唯一対抗可能であろう、魔人筆頭の顔を。

 

「……なぁ、お前はあの時、ケイブリスが放った必殺技の衝撃波を食らって戦えなくなった。……頭の中がぐらぐらになったんだよな?」

「え、えぇ……そうですね。視界が上下左右に大きく揺れて意識を保つ事が精一杯でした」

「けれどお前は死んではいない。でも頭の中がぐらぐら状態になった……」

 

 一音一音確かめるかのように、ランスはゆっくりとその言葉の意味を反芻する。

 

「あの頭ぐらぐら状態は……普通にしてたらそうはならないはずだよな?」

「えぇ、それは勿論。あのような経験をしたのは私の人生において初めての事でした」

「そうだな。あれは普通とは違う状態……」

 

 そこでランスは一度頷いて。

 そして、言った。

 

 

「つまりそれは……状態異常、だよな?」

「……えっと、まぁ、そうかもしれませんね」

 

 

 ダウン状態。あるいは一時的な戦闘不能状態。

 それは通常の状態とは異なる状態である以上、確かに状態異常と表現する事が可能で。

 

「状態異常なら……防ぐ方法があったよな?」

「状態異常を防ぐ方法? ……って、え──」

 

 そこでホーネットもようやく気付いたのか。

 

「──ま、まさか……!」

 

 ハッとしたように口元を押さえる。

 そして瞳をこれ以上無いぐらいに見開いた驚愕の表情で凍りつく。

 

「あぁそうだ! そのまさかだ!! 状態異常を防ぐ禁呪!! あれがあっただろう!!!」

 

 それは禁じられた魔法──禁呪。

 その中でも神魔法に分類される禁呪の一つ──状態回復の禁呪。

 魔人ワーグの眠気にも通用する禁じられた魔法。それこそランスの閃いたとっておきの秘策。

 

「あの禁呪は全ての状態異常を一定時間無効化してくれるもんだったはずだ! ならあれを使えば頭ぐらぐら状態だって防げるはずだ!!」

「……し、しかし……!」

「これはいけるぞホーネットッ!! あの禁呪を使えばケイブリスの必殺技なんぞ怖くねぇ!」

 

 ダウン状態を防ぐには状態異常を防げばいい。

 そんな会心の閃きに歓喜するランスの一方、

 

「待って下さい! あれは、あの禁呪は……!!」

 

 ホーネットは愕然とした様子で声を荒げる。

 その表情の理由は禁呪が有する難点、使用の対価として生じる副作用の問題。

 

 特にあの状態回復の禁呪の副作用は──

 

「……あ、あれは、あれは……! あれは、わ、わ、私が……!」

「ホーネット、作戦を考えたぞ。まずはリス野郎があの必殺技を撃ってくるように誘う。んでヤツが高く飛び上がったらこっちも反撃の準備をする」

「待って……話を、聞いて……!」

「そして奴が衝撃波を放ってきたら、それは気合で耐える! あれのダメージで死ぬ事は無いし、頭ぐらぐらになるのだって禁呪で防げるとなりゃあ耐える事が出来るはずだ!」

「ランス、お願い、話を……!」

「そしてヤツの攻撃に合わせてこっちも最強の一撃をぶつけるッ!! 攻撃中なら回避は不可能、俺とお前の必殺の一撃を100%ヤツに命中させる事が出来るって訳だ! どうだ、カンペキな作戦だろう!!」

 

 ランスが鼻息荒く捲し立てる通り、確かにそれは有効な作戦だと言えた。

 ケイブリスにとってスクイレルザンとは必勝必殺の技。そこに確たる自信があればある程、それを放つ時にはもう勝利を確信しているはずで。

 そこに隙がある。その確信が油断に繋がる。そこを突いて最強の一撃をお返しする。その作戦案には欠点など見当たらなかったのだが。

 

「……そ、そんな……だって……」

 

 弱々しく呟いて、ホーネットは子供のようにイヤイヤと首を横に振る。

 その表情はもう泣きそうな顔をしていた。だってあの禁呪には副作用があって……。

 

「あの禁呪を使ったら……私、は……」

「うむ。お前はエッチな気分になっちまうな」

「………………」

 

 ……それは、術者たるホーネットがエッチな気分になってしまう、という副作用。

 そしてその副作用を解消するのには……。

 

「大丈夫だ。あれは性欲を解消してやればすぐ元に戻るはずだ。前もそうだったからな」

「……性欲を、解消……」

「うむ。要はセックスすりゃあいいんだ」

「……っ」

 

 その副作用の解決策は……性交をする事。

 溢れるエッチな気分はエッチをして解消する。それは至極当たり前の事。

 

「……そ、そんな、だって……!」

「どうした」

「だって、だって私達は……つい先程まであのケイブリスと戦っていたのですよ!?」

「そうだな」

「そして……この後またすぐにケイブリスとの再戦に臨もうというのですよね!?」

「そうだな」

「それなのに……! その合間に、ここで身体を重ねるというのですか……!?」

「その通りだ。それこそがケイブリスをぶっ殺す唯一の秘策なのだ」

 

 スクイレルザンに打ち勝つ秘策とは。

 魔人ケイブリスを倒す為の秘策とは──セックスをする事。

 

「セックスこそが勝利の鍵だ。やはりエロは世界を救うって事なのだな」

「……そ、そんな……!」

 

 あっけらかんとして答えるランスをよそに、ホーネットは信じたくないとばかりに首を振る。

 今は決戦と決戦の合間。そんな中でエッチな気分になってエッチな事をするだなんて。

 そんなものが秘策だなんて認めたくなかった。なんかもう戦いを冒涜しているような気がする。

 

「……い、嫌です。そんなの……嫌です」

「何がイヤなのだ。あの馬鹿リスにぎゃふんと言わせる絶好のチャンスではないか」

「それはそうですが……だってっ、私はもうあんな禁呪は金輪際使わないつもりで──」

「ホーネットっ!」

 

 言葉の途中、それを遮るようにランスはホーネットの両肩をガシッと掴む。

 

「っ!」

 

 その力強さはまるで……未だ決心が付かない気持ちを後押ししてくれるかのようで。

 ……もとい、崖から突き落とすかのようで。

 

「思い出せホーネットっ! あの禁呪の書は何処にあったんだ!?」

「何処って……あれは、お父様の部屋に……」

「そうだっ! あれはお前の親父がお前の為に残してくれたものだ!! だからお前の親父は遠くない内にこうなる事が分かってたんだ!!」

「え……?」

 

 お前の親父は──魔王ガイは、遠くない内にこうなる事が分かっていた。

 その言葉が、ホーネットの心に刺さる。

 

「いつかホーネットがケイブリスと戦う事になる。そうなったらきっと苦戦するだろうと考えたお前の親父は、ケイブリス対策として使えるあの禁呪をお前の為に残したんだっ!」

「……そ、そうなのですか?」

「そうなのだ! だからここでお前があの禁呪を使うのはもう運命なんだ!」

「……そうなのですか? お父様……」

 

 ランスが適当に考えた話に押されて、ホーネットは思わず記憶の中に眠る父親に話しかける。

 

「お父様……」

 

 ガイは何も答えてくれない。

 ただ、それでも。ほんの少しだけ……笑ってくれたような気がした。

 

 

「………………」

「……ホーネット、覚悟を決めろ」

「……本当に、それしか方法がないのですか?」

「あぁ。ケイブリスに勝つ為にはこれしかない」

「………………」

 

 全ては魔人ケイブリスに勝つ為。

 派閥の存在意義を、自らの使命を果たす為。

 

 そして──

 

「……安心しろ、ホーネット」

「………………」

「お前一人だけに辛い思いはさせない。お前のエッチな気分が元に戻るまで、この俺が何処までも何発でも付き合ってやる」

「……ランス」

 

 何処までも付き合ってくれるらしい人。

 生まれて始めて恋をした相手──ランスと共に戦って勝利をこの手に掴む為。

 

「……あまり悠長にしている時間はありませんよ」

「分かっとる。あんまし時間掛けてると援軍の方が先に到着しちまうからな。超特急でズコバコして速攻で副作用を終わらせてやるから心配すんな」

「…………えぇ」

 

 遂に覚悟を決めたのか。

 ホーネットは決意の表情で頷いて……そして。

 

 

 

 

 ──そして、彼女は禁呪を行使した。

 自分自身とランスに対して、あらゆる状態異常を防ぐ守りの防壁を展開した。

 

 その直後、ホーネットの身体の奥から火山の噴火のように湧き上がってきたエッチな気分。

 派閥戦争だとか、ケイブリスとの決戦だとかそんなのはどうでもよくなってしまう程の淫欲。

 

 それはランスが見事に退治した。

 ホーネットの性の衝動が収まるまで、何度も何度も存分に身体を重ね合った。

 

 そうしてとてもスッキリしたランスは、その心地よい余韻を残したままに。

 一方思考が元通りになったホーネットは、熱を帯びた身体を静める時間もないままに。

 

 二人は電卓キューブ迷宮を出て、元のカミーラ城へと戻ってきた。

 そしてすぐにケイブリスとの再戦が始まって……戦いは狙い通りの展開となって。

 

 ──そして。

 

 

 

 

 

「今度こそ死にやがれェッ!!」

 

 響く怒号。

 そして魔人ケイブリスによる必殺技、スクイレルザンが振り下ろされる。

 

 だがケイブリスには気付けなかった。

 今こうして戦っている相手、ランスとホーネットには禁呪の守りがある事に。

 この二人がほんの十分前まで、それはもう濃密に身体を交わらせていたなどとは到底気付けず。

 

「……掛かりやがったな」

 

 ──その瞬間、魔剣を構える男の口元がにぃっと弓形に曲がって。

 

 

「オラァァアアッ!!」

 

 そして双剣が振り下ろされる。

 回転と落下の勢いを乗せた打ち下ろしの一撃を大地に強く打ち付けて。

 そして発生した衝撃波が2つ。スクイレルザンがランスとホーネットを襲う──だが。

 

「──ここだぁッ!!」

 

 ランスは全身に漲る全ての気力を解き放つかのように魔剣を振り被って。

 

「──はッ!!」

 

 そしてホーネットは周囲に展開した6つの魔法球全てを眩く発光させて。

 

 そして、スクイレルザンが直撃した。

 しかし必勝必殺の技、最強の魔人が繰り出す衝撃波を真っ向から受けても二人は倒れず。

 

 

 そして。

 

 

「──ぎゃああああああああッ!!」

 

 上がったのはケイブリスの悲鳴。

 最強最古を誇る魔人が、ぐちゃぐちゃになった左腕を押さえて転げ回っていた。

 

 

 

 

 



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VS 魔人ケイブリス③

 

 

 

 

 

 絶叫が響く。

 

「──ぎゃああああああああッ!!」

 

 耳を劈くような金切り声を上げて、6mに及ぶ巨体が地面を転げ回る。

 

「ぎゃああああッ! アアァァアァアアア!!」

 

 魔人ケイブリス、その左腕が崩壊していた。

 剛毛に覆われた大木のように太いその腕が、夥しい程に真っ赤に爛れている。

 そして至る所から出血し、更にはあらぬ方向に曲がっている。一目で重傷だと分かるダメージだ。

 

「……へっ」

 

 無様に転がるその姿を見てランスは笑った。

 

「どうだホーネット、全て俺様の言った通りになったろ?」

「……ですね。あのダメージはいくらケイブリスと言えども無視する事は出来ないでしょう」

 

 そしてホーネットもこの結果に大きな手応えを感じていた。

 全て計画通りの展開。ランスが土壇場で閃いたとっておきの秘策が見事にハマった結果。

 

 魔人ケイブリスの必殺技スクイレルザンが秘める厄介な特殊効果、ダウン状態。

 それを禁呪によって無効化して反撃する作戦。何事にも強気なランスはともかく、ホーネットとしては賭けのようなつもりだった。

 魔人ケイブリスが誇る必勝必殺の一撃を真っ向から受けるのが作戦だなんて……と、そう考えてしまっても仕方ない話だ。

 

 けれども目論見通り、今回はその衝撃波を浴びても前のように意識混濁にはならなかった。相手を強制的にダウン状態へと至らしめる特殊効果は状態回復の禁呪が防いでくれた。

 ランスが言っていたように、この日の為に父が禁呪の書を残してくれたのかは分からないけど……それでも今は父に感謝したい。あんな恥ずかしい真似をした甲斐はあったのだ。

 

 そうして繰り出したカウンターの一撃。

 これは事前の計画でケイブリスの片腕に集中させるようにと決めていた。

 ホーネットが放ったのは最強の必殺魔法、六色の輝きを破壊力に変えて放つ六色破壊光線。

 そしてランスが放ったのも最強の必殺技、魔人筆頭の必殺に勝るとも劣らない究極の一撃。

 

 2つの必殺は計画通り、勝利を確信して隙が生じたケイブリスにクリティカルヒットした。

 その威力は凄まじく、魔人の中でも最強の肉体を誇るケイブリスの左腕を見事に破壊したのだ。

 

 

「……ランス、大丈夫ですか?」

「あたりめーだ。この程度でへばるかっての」

「ですが……傷は浅くはありませんよ」

「……まぁな」

 

 とはいえ、作戦を成功させたランスとホーネットの方も決して無傷という訳ではない。

 スクイレルザンのもう一つの特色、対象の現生命力の半分を強制的に削り取るダメージ効果。それを食らったランスとホーネットの身体には無数の真新しい切り傷が見える。

 再戦に臨む前にヒーリングで回復したとはいえ、すでに生命力の半分のダメージを食らったとあっては結構な痛手とも言える。だが、

 

「この程度のダメージなんぞ織り込み済みだ。所詮は半分程度、死にはしねぇ」

 

 それでもこれは想定内のダメージ。二人にとってはあくまで想定内の痛手を負っただけ。

 想定しているからこそ堪えられるし、耐えられるからこそ反撃だって可能となる。

 

「それに見ろ。ダメージっつーなら俺達よりもヤツの方が大ダメージだろう」

「……えぇ」

 

 そして、二人の見つめる先。

 

 

「ぎゃあああああッ!! お、俺様の腕が、左腕がああァァァアア!!」

 

 何百年、いや何千年ぶりかになる激痛に呻く魔人ケイブリス。

 それは相手の反撃を、この結果をまるで想定していなかった者の姿。

 

「ぐぁあぁ゛あ゛アァ゛ァアアアッ!」

 

 惨たらしく破壊された左腕。灼けるような痛みを訴える左腕を押さえながら絶叫する。

 その脳内は極度の混乱状態にあった。この痛みが理解出来ない……何もかもが分からない。

 

 ──なんだ!? 一体何が起きたんだ!?

 なんでこんなことになってる!? どうして俺様の方がダメージを受けてるんだ!?

 だって俺様は勝ったはずだ! 絶対に勝てるはずのスクイレルザンを放ったはずなのにッ!!

 

 それなのに痛い! 痛ぇじゃねーか!! 

 痛くて左腕が動かない!! 俺様の左腕が動かないんだぞ!? 一体どうしてくれる!?

 なんなんだこのダメージは!? あいつらは俺に何をした!? どんな攻撃をしやがった!?

 

 つーか反撃を食らった!? 

 反撃!? なんで!? どうして!? 

 どうして、一体どうして俺様の必殺技がこいつらには効いてないんだ!?

 スクイレルザンは最強の技だぞ!? それなのにどうしてこいつらは戦闘不能に陥らない!? 

 

 どうして……どうして!?

 

 

「どうしてだァァアアア!!!」

「っ!」

 

 極度の混乱状態の中、ケイブリスは飛び上がるように跳ね起きた。

 そして勢いそのままに突撃する。恐慌状態のまま出鱈目に巨剣を振るう。

 

「くぅ……っ!」

 

 が、ただ勢い任せの闇雲な攻撃が通用するような相手ではない。

 大きく振り被った右の巨剣による一撃。破壊力だけはあるものの、しかし破壊力しかない斬撃はホーネットの全身全霊を込めた受けの前に防がれて。

 

「どりゃあッ!」

「ぐあッ!」

 

 重ねるように反撃の刃、ランスによる魔剣の斬撃がその右拳を抉る。

 痛みに顔を歪めて、こっちの邪魔者を蹴散らそうと──ここで次の攻撃が繰り出せない。

 

「グッ、くそがァ……!」

 

 左腕を使えなくなった事によって、双剣使いであるケイブリスの攻撃手段は大きく減少した。

 となれば数の有利が効いてくる。右の巨剣を片方が防げば、もう片方が攻め入る隙が生じる。

 先程の作戦、必殺技での渾身のカウンターをケイブリスの左腕一点に集中させたのは、ひとえにこの展開を作り出す為となる。

 

「この雑魚共がッ!! 死に損ないがァ!!」

「がははははっ! その死に損ないにまんまと左腕をぶっ壊されたのは何処の誰だっての!」

「黙れぇッ!!」

 

 激怒に吠え、逆上するケイブリスは右の巨剣を何度も振り回す。

 ……が、当たらない。右の大剣ウスパーだけでは思うように有効打が繰り出せない。

 むしろ力んだ分振りが雑になってしまい、その分相手に付け入る隙を与えてしまう。

 

「死ねぇい!」

「ふっ!」

 

 左からランスの斬撃が、右からはホーネットの斬撃が襲い掛かる。

 

「ガッッ! くそ……!」

 

 それを防ぐのか、あるいは躱すのか、もしくは攻撃する事によって迎え撃つのか。

 今は片腕しか使えない中、片手剣での戦い方に関して有効な判断を行う事が出来ない。

 ケイブリスはここまで双剣の扱いを鍛え上げてきたのだ。左腕を負傷したからとすぐに片手剣での戦法を構築し直せるものではない。特にそれが戦闘の最中、更には混乱した頭であっては尚更。

 

「勝機アリだ! 押すぞホーネット!」

「えぇ!」

 

 ここが攻め時と見たのか、ランスとホーネットが左右から一気呵成に畳み掛ける。

 

「こ、この……っ!」

 

 まずは身を守るべき──と、弱腰な判断を下したケイブリスは右の巨剣を防御に構える。

 がしかし相手の剣は二つで共に速い。自分の一撃と比べれば威力は遥かに劣るものの、その分一つ一つの振りが速くて捌きにくい。

 そしてランスの方は魔剣を持つが故、その切れ味だけは馬鹿にならないし、ホーネットが振るう剣は一見何の変哲も無いように見えるが……しかしこの魔人の真価は剣ではない。

 

「オラァ!!」

「んぐッ! ……──」

 

 弾ける金属の音色、ケイブリスの巨剣とホーネットの細身の剣が交錯する。

 剣の威力は当然ケイブリスの方が上だ。膂力で劣るホーネットはその一撃に押し込まれて苦しそうに表情を歪めるものの……しかしその口元は。

 

(……マズいっ!)

 

 分かる。あれは呪文の詠唱をしている。

 ホーネットは前衛の役目をこなしながらも、同時に後衛のように魔法を行使してくる。

 それも並の魔法では無く破壊光線を。それが魔人筆頭たる者の実力、剣と魔法の才に恵まれたからこそ可能となる脅威の戦闘技術。

 

(まま、マズい、マズいマズいマズい!!)

 

 そんな二人と戦いながら、ケイブリスの思考は混乱を超えてもはや狂乱状態にあった。

 

(ホーネットの魔法が来る! あれはマズい!!)

 

 きっと白色破壊光線だ。ヤバい。あれは痛い。ホーネットの呪文詠唱を止めなければ。

 駄目だ、止められない。嫌だ、あれは食らいたくない、あの破壊光線は痛いから嫌だ。

 マズい。押されている、左腕が痛む、劣勢だ、状況が良くない、左腕がめちゃくちゃ痛む。

 そもそもスクイレルザンが効かなかったのは何故なんだ? こいつらが急に強くなった? それとも俺様が急に弱くなった? スクイレルザンでも倒せない相手を一体どうやって倒せばいい!?

 

 などと……そんな思考が。

 混乱に拍車を掛ける、冷静にさせてくれない思考がケイブリスを追い立てていく。

 

(マズい……マズい……!!)

 

 片腕が使えなくなったとはいえ、まだケイブリスが負けたわけでは無い。

 むしろ戦闘能力の差で言うなら五分にさえ届いていない。片腕を封じられて尚ケイブリスには最強の魔人たる実力が、他を圧倒する程の力がある。

 

 しかし今、その強さを発揮するには混乱する思考が邪魔になっている。

 特にスクイレルザンが効かなかった事。最強の技だと信じていた必殺技が不発に終わった事が、その混乱に拍車を掛けていたのだが。

 

 

「──ッ、ぅおらあああッッ!!」

「ぬぉ……!」

 

 これ以上無い程に大きく振り被り、真横に大きく薙ぎ払った力任せの一撃。

 その迫力に押されてランスとホーネットは一歩下がり、戦闘に僅かの空白が生まれる。

 

「あぁクソ面倒くせぇ!! 雑魚共のくせに調子付きやがってよぉ!!」

 

 しかしそれでも。

 どれだけ思考が狂乱状態にあっても、それでもケイブリスは最強と称される程の魔人で。

 

(こいつらにスクイレルザンが効かなかった事はもう忘れろ! 今はそんな事どうでもいい!)

 

 とかくケイブリスは良くも悪くもだが、戦闘中にその思考がころころと切り替わる特徴がある。

 それは狂乱状態にあったとしても、いずれは別の思考に切り替えられるという事でもあって。

 

(今は、今はとにかくこの状況を……!)

 

 この不利な状況を打開する為にはどうすべきか。

 今一番重要なその事だけに思考を割いてすぐに分かった──やはり左腕を封じられたのが痛い。

 

(そりゃあ俺様なら、俺様だったら片腕だけでも戦えない事はねぇだろうが……!)

 

 戦えない事は、無い。

 無いのだが、しかし攻撃手段が減った以上、二体を同時に相手するのはどうしても分が悪い。

 となれば相手の頭数を減らすべきだ。今はなによりもそれが先決だろう。

 

(となりゃあ当然……!)

 

 ケイブリスの目に映った相手。

 魔剣を振り被って攻めてくる人間の男。

 魔人筆頭であるホーネットはそう簡単に落とせはしないだろうが……しかしこちらなら。

 

 魔人じゃないただの人間なら。

 魔剣を扱えるだけの雑魚プチプチであれば。

 

「ふんッ!」

 

 そこでケイブリスが繰り出したのは突き。ここまでの戦闘で見せていなかった突きの一撃。

 真っ直線を最速で突いてくる巨剣の切っ先を、しかしそれすらも読んでいたのか、

 

「おっと!」

 

 ランスは身体を斜めに反らして刃を避けた。

 本当にイラつく程の回避技術。これが際立っているのはもう認めるしかない……だが。

 

「これならどうだァッッ!!」

「なッ!」

 

 驚愕に目を見開くランス。

 その視界一杯を埋め尽くすのは6mもの巨体、魔人ケイブリスの全身。

 

 それはただの突進、あるいは体当たり。

 とはいえそれがケイブリスであれば、単なる体当たりでも相当な破壊力を有する攻撃となる。

 そしてそれは読めなかった……というべきか、至近距離から突進してきた6mの巨体はさすがに回避しようがなかったのか。

 

「ぐ、はッ──!」

 

 ランスはケイブリスの体当たりを食らった。

 巨大なハンマーで叩かれたような激痛が全身を鋭く貫いて、衝撃を受け止めきれずに数メートル後ろへと吹っ飛ばされる。

 

「ランス!」

「もらったぁ!!」

 

 地面を転がるその姿を好機と見て、間髪入れずにケイブリスの追撃が迫る。

 

「っ、ケイブリス! 止まりなさい!」

 

 勿論それを見ているホーネットではない。

 ランスへの追撃を妨害する為、呪文詠唱が完成した白色破壊光線を放った──だが。

 

「ぐッッ! ググゥゥゥ~~!!」

「な……っ!」

 

 背中に破壊光線が直撃して、しかしケイブリスはそれでも動きを止めなかった。

 それもこの魔人が持つ武器の一つ。強靭な肉体が誇る桁外れの耐久力を盾にして、ホーネットの魔法を喰らいながらもランスに迫る。

 

「……くっ」

 

 割れた床石の上に倒れ込んだまま、まだランスは立ち上がれない。

 食らったのはたかが体当たり一発。しかし先程のスクイレルザンのダメージと合わせてもう生命力は危険水域を超えている。

 立ち上がろうにも痛みを訴える身体が言うことを聞かず、一瞬でも気を抜けばそのまま意識を手放してしまいそうになる。

 

「く、くそ……!」

 

 ケイブリスとは、最強の魔人とはそういう相手。

 ランスがどれ程に強かろうが、本来であればただの人間が戦えるような相手では無い。

 

「死ねやぁ!!」

 

 そして。

 高々と大剣ウスパーが振り上げられて、

 

「やば──!」

 

 振り下ろされた瞬間、ランスは死ぬ。

 そこに偶然やまぐれなどは無い。

 ケイブリスの剣をまともに食らって生きていられる人間などこの世には存在しない。

 

 それがただの人間でしかないランスの避けられない結末となったのだが──しかし。

 

 

「ごっ、はッ!?」

 

 爆発した。

 ケイブリスの身体で何かが爆ぜた。

 

「な、なんだ──グガッ!」

 

 次いで稲妻が、そして凍てつく力に襲われた。

 それはホーネットが居る場所ではなく、全く予想し得ない方向からの攻撃。

 故にケイブリスは一切警戒しておらず、まともに受けたその衝撃に体勢を崩してしまった。

 

「……へ」

 

 そしてランスはすぐに分かった。

 その攻撃の意味を。結果的に自分を助けてくれた魔法攻撃の意味とはあれしかない。

 

 何故ならランスは。

 この男はただの人間ではなくて。

 勿論ただの雑魚プチプチなんかではなくて。

 

 誰がどう言おうともやっぱりランスは英雄で……英雄の下には必ず仲間の力がある。

 

 

「──ランス様ぁっ!」

「……おぉ!」

  

 聞こえてきたのはあの声。

 この世界で一番聞き馴染みのある彼女の声。

 

 

「──シィル! やっと来やがったか!!」

 

 その声を耳にして活力が漲ったのか、ランスはガバっと身体を起こして即座に立ち上がった。

 と同時にあたたかな感触が。ランスの身体を覆うかのように光の雨が降り注ぐ。

 遠隔まで届く回復魔法、シィルによる回復の雨がランスの身体を癒やしていく。

 

「ランス! 大丈夫!?」

「ランスよ! 遅れてすまない!」

 

「マジック、ガンジーも! 最終決戦に遅刻するなど言語道断だがまぁ許してやろう!」

 

 崩れ落ちた城壁から見える向こう側。

 カミーラ城のすぐそばにある小高い丘。恐瘴気の影響を考慮して接近できる限界の位置。

 そこには待ち望んでいた姿が。援軍として遂にカミーラ城に到着した奇襲部隊の面々がいた。

 

「アァ!? 人間共の増援だとぉ!?」

「あぁそうだ! 俺様の家来共が、切り札がようやくやって来たって訳だ!! ケイブリス、てめぇがいい気になれんのもここで終わりだッ!」

「ふざけんなカスがぁ! たかが雑魚プチプチ共が増えたぐれーで何を──」

 

 そう発した言葉をかき消すかのように。

 大量の雑魚プチプチ共の力が、大勢の力というものがケイブリスに襲い掛かる。

 

 

「光軍の皆、行くぞ!」

 

 ゼス国光軍の長、アレックス・ヴァルスの号令。

 そして光爆が爆ぜる。無数のエンジェルカッターが宙を舞う。

 

「雷軍も行く。全員遅れるでないぞ」

 

 ゼス国雷軍の長、カバッハーン・ザ・ライトニングの号令。

 そして雷撃が弾ける。ライトニングレーザーの束が撃ち出される。

 

「氷軍……攻撃開始」

 

 ゼス国氷軍の長、ウスピラ・真冬の号令。

 そして白冷激が唸る。氷雪吹雪の乱舞が襲う。

 

「ぐうっ! こ、この、雑魚共が……!」

 

 様々な魔法攻撃が、色とりどりの魔力がケイブリスに牙を向く。

 その一発一発は微弱な力、しかしてそれが千以上もの塊となれば、最強の魔人たるケイブリスにダメージを与える程の攻撃に変容する。

 

「白色破壊光線!! はぁ──!!

 

 そして中にはただ一人だけで桁違いの火力を発揮する人間だっている。

 ゼス国王女、マジックの放った白色破壊光線などはまさにそういう類のもので。

 

「……破邪ッ、覇王光ーーー!!!」

 

 更にはそれを上回る一撃さえも。

 ゼス国王が放つ必殺魔法、破邪覇王光の直撃がケイブリスの身体を大きく揺るがす。

 

「がッ、ググゥ~~ッッ!! ああくそッ! 雑魚共の分際で邪魔くせぇッ!!」

 

 相手はあくまで人間。レッドアイやホーネットの魔力と比べたら一段二段は劣る。

 しかし数が数だけに鬱陶しい。確かな痛みと苛立ちにケイブリスが荒々しく吠える。

 

(援軍か、やっぱりいたのかよ……ッ!)

 

 援軍。この場における他の戦力の可能性を考えていない訳では無かった。

 ホーネット派の主がここに居るのに、他の戦力がランス一人だけというのは不自然だからだ。

 ケイブリスなら絶対にそんな計画は立てないし実行しない。故にこれが計画された作戦ならば、他に戦力があってもおかしくないと思っていた。

 

 しかしその予想は外れた……と考えていた。

 何故なら先の戦いで勝利したから。一戦目の戦いでホーネットを追い詰めたあの時に援軍が来なかった以上、それは無いものだと考えていたのだが……まさかこのタイミングで来るとは。

 

(……だが、こいつらは所詮人間共だ! ちょっと数が多いだけで雑魚には変わりねぇ!!)

 

 とはいえその援軍は人間。魔人はおろか魔物ですらない、ただの人間。

 軽く見て千人を超える規模がいるようだが、しかしその全てが脆弱なプチプチ共でしかない。

 だったら恐れる程のものでは無い。これが切り札のつもりだとしたらあまりにお粗末な話だ。 

 

(特にこいつらは見たところ魔法使いだけだ。だったら距離を詰めちまえばそれで終わりだ!)

 

 そしてこの援軍はその全員が後衛職。

 前に出てくる戦力は一つもなく、全員が離れた場所から魔法をチクチクと撃ってくるだけ。

 勿論戦法としてはそれで正しい。けれども後衛とは前衛があってこそであり、前衛を崩してしまえば後衛など脆いもの。そして前衛は依然としてランスとホーネットの二人だけだ。

 

(雑魚が増えたからって状況は変わってねぇ。とにかくこいつを、ランスとかいう人間を潰しちまえばそれで──!)

 

 それで、勝てる。

 前衛の一人であるランスさえ潰せば、それだけで戦局は一気にこちら側へと傾く。

 

(そうだ! こいつさえ潰せばいい!)

 

 その目論見は、この決戦の場においては紛れもない真実だった。

 ケイブリスが意図した理由とは異なるが、ランスさえ倒せばという考え方はその通りだった。

 

 ──しかし。

 

 

「ランスー、私もきたよー」

 

 その時聞こえた可憐な声が。

 それがケイブリスの目論見を崩壊させる。

 

「おぉシャリエラ! ようやく来たか! お前の事を待ってたんだ!!」

 

 シャングリラの地で出会った踊り子、シャリエラ・アリエス。

 それこそがランスの用意していた切り札。味方を援護する何よりも大事な存在。

 

「早速だがお前のダンスを見せてみろ! ゴーだシャリエラ!」

「分かりましたご主人様。シャリエラ早速ごーします。……る~るる~~♪」

 

 そうしてシャリエラがダンスを踊り始める。

 くるくる回ってゆらゆらと。派手さこそ無いものの不思議と惹きつけられる踊りで。

 

「る~らら~~♪」

 

 そしてそれはただの踊りではない。

 踊りLV2によるダンス。それは味方の気力を回復させる奇跡の踊り。

 

「……おぉ! きたきたー!!」

 

 それはランスの下に。

 

「これは……」

 

 そしてホーネットの下にも。

 前衛で戦う二人に向けて、奇跡の踊りの効果が届けられる。

 

「よっしゃあ! これならいけるぜ!!」

 

 あの時と同じ、全身に気力が漲る感覚。

 尽きても尽きぬ程に無限の気力が湧き上がってくる万能感。

 そのエネルギーを余すことなく両手に、ランスは勢いよく魔剣を振り被る。

 

「食らえ!!」

「ハッ! それがどーしたァ!!」

 

 合わせてケイブリスも巨剣を振るった。

 そうして一撃。ランスアタックの衝撃波の刃が大剣ウスパーと衝突して。

 

「でりゃッ!」

「な、にッ──!?」

 

 そして、二撃目。

 必殺技を連発して二度、ケイブリスの巨剣と打ち合ってみせたランスは言い放った。

 

「覚悟しろよぉケイブリス!! こっからが本当の決戦だッ!!」

 

 

 

 

 

 



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決戦──ランス

 

 

 

 

 決戦。

 派閥戦争の勝者を決める最後の戦い。

 金属の打ち合う音が鳴り響き、火花散らすその光景こそは決戦の名に相応しいもの。

 

「オラァァアアッ!!」

 

 斬撃。

 大剣ウスパーの一撃は地を揺らす程。

 魔人ケイブリスの攻撃とは、その全てが必殺と呼ぶに違わない桁外れの暴力。

 

「でりゃあッ!!」

 

 ランスはそれを受け止める。

 湧き上がる無限の気力を衝撃波に変えて、必殺のランスアタックによって迎撃する。

 

「ぐぅ……!」

「この……ッ!」

 

 衝突した剣の威力はほぼ互角。瞬間激しい激突音と眩い火花が飛び散る。

 そして反発力に押されてケイブリスの右腕が、ランスは身体ごと大きく後ろに弾かれる。

 

「……くっ」

 

 が、即座に体勢を整えて。

 臆さず、退がらず、再び魔剣を振り被る。

 

「でいっ!!」

「ウラァ!!」

 

 そして、二撃目。

 再度の交錯。先程と同じく大剣ウスパーを迎え撃つのはランスアタックの刃。

 

「ランスー、がんばれー」

 

 そこに届く気の抜けるような応援の声。

 今も流麗なステップを踏んでいる踊り子、シャリエラ・アリエスが魅せる華麗な舞い。

 

「る~~るる~~♪」

 

 彼女の踊りのおかげでランスは戦える。

 圧倒的に膂力で劣るランスが唯一ケイブリスの大剣と打ち合える方法、必殺技ランスアタック。

 それを繰り出すのに必要な気力を奇跡の踊りが回復してくれるおかげで、必殺技を連発する事が可能になる。魔人ケイブリスと真っ向から剣戟を交える事が可能になる。

 

「ランスっ、がんばれ、がんばれー」

「おう! 心配すんなシャリエラ、お前のご主人様は世界最強だ!!」

 

 斬り結びながらも威勢よく応えるランス。

 ……だが、その強気な表情の裏では。

 

 無限の気力があったとしても、ただの人間でしかない身体の構造までは変わらない。

 最強の魔人の暴力と一撃打ち合うごとに途轍もない衝撃に襲われて、手首や二の腕どころか全身の骨が砕けてしまいそうになる。

 

「ぐッ……この程度で……!」

 

 それでも歯を食い縛って耐える。耐えられる。

 これが一度や二度目ならまだしも、すでに四度目を越えてもう五度目の決戦となれば。

 前回の時の三戦を含めて魔人ケイブリスとの計五戦目となれば、どれだけの痛みやキツさであってもさすがに慣れてくるものがある。

 

「ランス様っ!」

 

 そして、今はこの声だってある。

 後衛から届くシィルの援護、回復の雨の癒やしが絶え間なくランスの下に届けられる。

 

「支援部隊! まずは前衛で戦う二人の援護を最優先にして下さい!」

 

 そしてシィルだけじゃない。今のは同じく後衛から部隊を指揮するウルザの声だ。

 ゼス軍後方支援部隊による援護、対象の攻撃や防御等の各ステータスを上昇させる付与魔法が前衛で戦う二人の戦力を底上げしてくれる。

 

「──ふっ!」

 

 そして、魔法球から発射される魔法の爆撃。

 後衛からの手厚い支援を受けて、前衛で戦うのはランスだけではない。

 すぐ隣には刃の向きを揃える存在、戦場にあっては何よりも心強い魔人筆頭だっている。

 

「ケイブリス……!」

「グッ! ぐぐ、くっ、そがぁ! ホーネットッ、何処までも俺様の邪魔をしやがってェ!!」

 

 魔力上昇効果の付与魔法、そしてXの服によって強化されたホーネットの魔法。

 以前までとは違うその魔力が唸る度、ケイブリスは無視出来ないダメージに動きを止める。

 

 

 カミーラ城で繰り広げられる最終決戦。

 ケイブリス派の主、魔人ケイブリスとの死闘。

 それは奇襲部隊の援軍が到着した事で、若干ながらもランス達の優勢で進んでいた。

 

 そう。戦局の傾きはまだ「若干ながらも」と言った程度のものだ。

 片腕を負傷した状態でランスとホーネットと千人規模の後衛を相手にしながら、それでもまだケイブリスは若干ながらも劣勢にある程度。

 その程度の差で戦えている、踏み止まれているのは最強最古の魔人が誇る実力故か。

 

 

「──っ、だりゃあッ!!」

 

 特に凄まじかったのはやはりその必殺技だ。

 時間が経って気力が十分に溜まったのか、ケイブリスは深くしゃがみ込んでの大ジャンプ。

 

「ふんっ!」

 

 そして太い尻尾を振るった反動で一回転。

 勢いの乗せて振り下ろされる大剣。

 三度目のスクイレルザン。

 

「くるぞっ!」

 

 逃げろ──とは言わなかった。

 そんなのはどうせ無理だと分かっていたからだ。

 それは前衛で戦うランス達は勿論の事──離れた場所から支援する後衛でさえも。

 

「死ねぇぇえッッ!!!」

 

 天から降される大剣が激しく大地を打ち付ける。

 爆砕音と共に迸る莫大な規模の衝撃波。それは最強の魔人が鍛え上げた最強の一撃。

 

「ぐ、は──!!!」

「くッ、ぅ……!」

 

 それはランスとホーネットを飲み込んで、

 

「うわぁぁぁぁっ!」

「きゃあぁぁぁ!」

 

 そして後衛にいる者達でさえも。

 千名を超える規模のゼス国三軍すらも容赦なく飲み込んでいく。

 

 それがスクイレルザンの威力。片腕であってもなんら遜色なし。

 その衝撃波は前衛を越えて後衛まで、自らと対峙する敵軍全てを蹴散らしていく。

 

「ぐぅ、ぅ……」

「う、あぁぁ……」

 

 そうして最強の一撃が通過した後、各所から聞こえてくる兵士達の呻き声。

 その場に居る全員が必殺の衝撃波に食い散らかされて痛手を負っていた。あらゆる者達の身体の各所に深い裂傷が刻まれていた。

 

「……っ、痛ったぁ……」

「マジックよ、平気か!」

「親父……うん、なんとか……」

「しかしなんという破壊力か……ただ一撃で、ゼス軍全てをこれ程までに……」

 

 周囲に広がる凄惨たる光景にガンジー王が。

 いいやその場にいる全ての者達が、最強の魔人の恐ろしさに震撼せずにはいられない。

 

 やはり魔人ケイブリスは最強の魔人。そしてスクイレルザンとは最強の必殺技。

 少人数相手にはダウン効果が有効となり、一方で大軍相手にはダメージ効果が有効となる。

 その必殺技の一振りだけで、奇襲部隊の後衛は言葉そのままに半壊状態にまで陥った。

 

「どうだ雑魚共、効いただろうがッ!! いい加減にくたばっちまえよぉ!!」

「アホが! こんなもん痛くも痒くもないわ!」

 

 しかしそれでも前衛は。

 前で戦うランスはその動きを止めない。疲労と激痛はあれど決して退がろうとはしない。

 自分がここで退がった瞬間、戦いの均衡が崩れてしまうと理解しているからだ。

 

「ッ、この、ナメやがって……!」

 

 一方でそれが狙いのケイブリスは余裕のない表情で唸る。

 スクイレルザンは強力な一撃なれど、特殊なダメージ効果故に相手を殺す事は出来ない。

 そしてダウン効果が無力化されている以上、前衛で戦うこの二人相手には効き目が薄い。

 ランスとホーネットを殺すのにはスクイレルザンじゃなくて──もっと火力を高めた一撃か。 

 

「だったらこれならどうだァ!?」

 

 するとケイブリスの右手に魔力が宿った。

 右手に集まったそれは剣の柄へと伝わり、大剣ウスパーの刀身に真っ赤な火炎が宿る。

 

 それがケイブリスの使う魔法。

 魔法そのものを放って攻撃するのではなく、武器に纏わせて戦う魔法戦闘攻撃。

 

「食らえッ!!」

「ぬお……っ!」

 

 これまでとは違う、魔力を伴う袈裟斬りの一閃が振るわれる。

 とはいえそれだってランスにとっては見た事のある攻撃、身体を捻って寸前で回避する。

 

「づッ……!」

 

 しかしそこで大剣の刀身に宿る魔法が襲う。

 躱しきれない火炎が容赦なくその身を焼き、ランスは苦しそうに表情を歪める。

 

(──ここだッ!)

 

 ランスが怯んだ──そう見たケイブリスは続く攻撃をお見舞いする。

 それは「リス猛撃」と呼ばれる、必殺技に比肩する威力を誇るケイブリス渾身の一撃──だが。

 

「ぐッ! ふんぬぅぅぅ!!」

「なにッ! こ、こいつ……ッ!」

 

 それでも打ち合う。

 叩き付けるように魔剣を振るい、ランスアタックで迎撃する。

 大剣ウスパーに炎が宿っていようとも、そんなのは無視してランスは戦う──立ち向かう。

 

 魔人ケイブリスが繰り出す攻撃を。

 人間が食らったら一発で即死ものの一撃を。

 

 

(こいつだ……!)

 

 その姿を。

 何度も立ち向かってくるランスの姿を見て、ケイブリスが感じたのは──

 

(間違いねぇ……こいつだッ!! 本当の敵はホーネットじゃなくてこの男だッ!!)

 

 敵は魔人筆頭じゃない。

 宿敵たるホーネット派の主、魔人ホーネットじゃなくてこの男こそが真の敵だ。

 

 いいや勿論ホーネットは脅威だ。

 脅威ではあるのだが……しかしそれはあくまで想定内の脅威だ。

 ホーネットが強いなんて事は、魔人筆頭が手強いなんて事は最初から分かりきっていた。

 

 だがこの男は違う。

 ランスはただの人間でしかない。魔剣を扱えるだけの雑魚プチプチとしか見ていなかった。

 そんなランスの強さが、鬼神の如き奮戦ぶりを見せるこいつの強さだけは完全に想定外だった。

 

 そして何より、この場における中心がこいつだ。

 戦いの流れの中心にいる者。立ち向かってくる『敵』という集団、その中心にいるのはホーネット派の主たるホーネットじゃなくてこの男だ。

 ランスが先頭に立って果敢に剣を振るうから、その姿に勇気付けられた仲間だって後に続く。

 それは同じ人間である後衛達は勿論……すぐ隣で戦う魔人のホーネットでさえも。

 

「この……たかが人間のくせしてェェ!!!」

 

 自らの宿願を阻む障害、六千年越しの目標をたかが人間如きに邪魔されている。

 それが我慢ならないケイブリスは吠える。ランス目掛けて立て続けに大剣を振るう。

 

「オラオラァ!!」

 

 斬撃。

 受け止められる。

 また斬撃──を阻むかのようにホーネットの魔法が襲い掛かる。

 防ぎはしない。痛みを無視してまた斬撃。

 また受け止められる。

 

「オラオラオラオラァァァァ!!!」

 

 怒濤のように繰り返す斬撃。

 それでも何度だって受け止められる。

 ホーネットとも協力し合い、絶え間なく回復の雨をその身に受けながら何度でも。

 

「ぜぇ、ぜぇ……!」

「……ランス、流石に一度退がった方が……」

「平気だこんなもん! 俺様がこの程度の雑魚に負けるかッ!!」

 

 とっくに息は上がっているものの、しかしその言葉や態度は。

 ランスの表情は、その瞳はどこまでも力強くて。

 

 

「こ、こいつ……!」

 

(こいつは……!)

 

 こいつは……何だ!?

 どうしてここまで戦える!? どうしてこれ程までに立ち向かえる!?

 

 いや、理屈は分かる。

 それはランス個人の戦闘能力に加えて、味方の手厚い支援があるおかげだ。

 この男の必殺技だろう、魔剣の刃から衝撃波を放つ一撃ならこちらの攻撃を受け止められる。それを連発する事によって打ち合いを演じている。

 必殺技を放つのには気力を消費する為、そう簡単に連発など出来ないはずだが……しかしいずれかの方法によってそれを可能としている。だから人間のくせに魔人と肩を並べて前衛で戦えている。

 

 その理屈は分かるが……しかし。

 

(けどよ……それでもこいつは人間だろう!? 人間なのにどうしてここまで戦えるんだよ!?)

 

 それでも人間。どこまでいっても人間は人間。

 パラメータの絶対値は変わらない。どこまでいっても魔人には敵わないのに。

 魔人と打ち合う手段があっても、それで打ち合えるかは全く別の話なのに……それなのに。

 

(なんで人間のくせにこいつは……この俺様が、魔人ケイブリス様が怖くねぇってのか!?)

 

 どうして人間が魔人に立ち向かえるのか。

 味方がいるからか。魔剣があるからか。……それだけで本当に魔人と戦えるのか?

 

 だってその身体はもうボロボロのはずだ。

 スクイレルザンを二度も食らったんだ。どれだけ回復したってもう瀕死になっているはずだ。

 

 それなのに──それでも、戦う。

 瀕死のはずの人間のくせして、最強の魔人という圧倒的強者に真っ向から立ち向かう。

 

(そんなの……俺様だって、無理なのに……っ!)

 

 それはケイブリスにだって、最強の魔人にだって出来やしない事。

 臆病なケイブリスは強き相手を前にしたら、頭を垂れて媚びへつらう事しか出来ない。 

 

(それなのに、こいつは……どうして!!)

 

 弱いのに、それでも強い相手に立ち向かう。

 自分には絶対に出来なかった事が……どうしてこの男には出来るのか。出来てしまうのか。

 

 

「っ、なんだよ……なんなんだよテメェは!!」

「あぁ!?」

「テメェは雑魚のはずだろう!! それなのにどうして俺様と戦えるんだよ!!」

 

 その言葉は。

 ケイブリスの言葉は、戦いの最中なのにどこか痛切な叫びのようにも聞こえて。

 

「はぁ? バカかてめーは!? 俺様をてめーみたいな雑魚と一緒にすんな!!」

 

 それに対する答えは一つ。

 ランスにとっては至極当たり前な事。

 

 

「俺様は──主人公なんだよ!!」

 

 

 主人公。

 時折ランスが口にする言葉。その言葉に確たる裏付けなどは何一つ存在しない。

 それはそうだろう。だってこの世界は誰かが書いた物語などではないのだから。

 

 けれど裏付けなんてものが無くとも。

 それでもこの世界の主役は自分なのだと信じて疑わない、そんな強い信念の表れ。

 それこそが主人公という言葉の意味。ランスが自らをそのように言い張る理由。

 

 裏付けなんてないけど、それでも自分は勝つ。

 自分だったら全てが上手くいく。まるで物語の主人公かのように。

 

 それは絶対に勝てる戦いしかしない、ちょっとでも危険があったら臆して思い留まる。

 それで勝機まで逃してきた思考とは真逆とも言える考え方で。

 

 強き存在となっても尚、弱かった時の性根のままでいるリスと。

 弱き存在なれど、それでも強い信念を持って戦える人間の違いで。

 

 

「……ぐ、がアアアアアア!!!!」

 

 その大きな違いを認識して、けれどもそこでケイブリスも意地を見せた。

 振り上げた拳が握るもの。それは右の大剣ウスパーではなく左の大剣サスパー。

 

「なっ、こいつ、左腕を……!」

「ランス! 魔人というのは回復能力も人間とは異なります、どれ程にダメージを与えていても油断してはいけません!」

 

 魔人に備わる自己回復能力。

 回復魔法とは別種の治癒力を発揮して、一度破壊された左腕を強引に治して無理やりに振るう。

 

「ふざけんなよ雑魚共がぁ!! 主人公だかなんだか知らねーが、俺様はケイブリス様だ!! 最強の魔人に勝てるはずねーだろうが!!」

 

 怒り、大音声を轟かせ、大剣ウスパーとサスパーが走る。

 

「くぅッ!」

「ぐ、これしき……!」

 

 荒れ狂うような猛攻がランスとホーネットを押し込んでいく。

 双剣での戦法を復活させた事で、戦いの均衡はまた僅かにだがケイブリスの方に傾き始めたか。

 

 それ程にこの魔人の強さは凄まじかった。

 魔人筆頭すらも及ばない、最強の魔人の名に何一つ違わぬものだった。 

 

 とはいえそれは──どこまでいっても個の力。

 魔人ケイブリスはこの戦場にただ一人。派閥の主であるにもかかわらず一人きりで。

 

 一方のランス達は。

 ケイブリスとは違うからこそ、ランスの下には今も大勢の仲間が居て。

 

 

 だからこそ、この戦いは。

 その時──戦いの均衡が一気に崩れた。

 

 

「オラァ!! もう一発食らわせてやるッ!!」

 

 そしてまた。

 気力を溜め終わったケイブリスは限界まで大きく飛び上がった。

 

「くそっ、またあれか……!」

 

 もはや分かりきったその挙動。

 しかし防ぎようのないスクイレルザンの予備動作にランスは歯噛みする。

 

 ここに来てまた半分のダメージに襲われる。

 先程の一撃で半壊した後衛はまだ立て直せていないのに、そこに重ねるようにもう一撃が。

 

「チィ……来るぞ! 耐えろよホーネット!」

「えぇ、分かっています!」

 

 言葉を交わす前衛の二人は禁呪によってダウン効果を無効化している。

 そして半減のダメージ効果で死ぬ事は無い以上、ここは歯を食い縛ってでも耐えるのみ。

 撃ち終わり直後のカウンターも意識しながら、ランスとホーネットは共にぐっと息を飲みこむ。

 

「食らえッッ!!!」

 

 そして尻尾を大きく振るって。

 回転の勢いを乗せて双剣を振るう──その時。

 

 

「──ガッ!?」

 

 

 ──ガツン、と。

 何かがケイブリスの鼻先を強く打った。

 その衝撃に体勢を崩して、スクイレルザンを打てぬまま地面に着地した。

 

「い、今のはなんだ!?」

 

 それが何なのか。

 ケイブリスでさえもすぐには分からなかった。

 それは最強の魔人であっても捉えられない程の攻撃で──だからこそすぐにもう一撃が。

 

「──ぐぅ!」

 

 今度は真横から脳天を撃ち抜かれた。

 ダメージはそこそこといった程度だが……しかしこれは、この攻撃は!?

 何処から誰に攻撃されたかも分からない、この一撃はまさか──

 

「まさか……!」

 

 それは目視さえも難しい。

 しかし耳を澄ませば確かに聞こえる。

 

 キィィィィン、と聞こえる風切り音。

 ──よりも疾く、それは飛ぶ。

 

「──オラァ!」

「…………ッッ!!」

 

 三度目の衝突。

 今度はケイブリスもその動きに大剣ウスパーを合わせる事に成功した。

 巨剣との交錯によりその動きが止まって、その姿がようやく明るみになった。

 

 

「………………」

 

 沈黙で応じるその姿は。

 空を飛ぶのに羽もなく、全身が薄紫色の金属で覆われたような特徴的な姿は。

 

「まさか……メガラス!?」

「やっぱりテメェかぁ……メガラスッ!!」

 

 ホーネットもケイブリスも、共に驚愕の声を上げてその名を呼ぶ。

 

 

「………………」

 

 それは沈黙のホルス、魔人メガラス。

 ホーネット派魔人の一人、守備部隊の一員として戦っていたはずのメガラスがそこに居た。

 

「けど、どうしてメガラスがここに……」

「……へっ、なーるほどな」

 

 不思議がるホーネットの一方、ランスはすぐにその意味と答えが分かった。 

 ここでこういう機転を効かせられる者、それは彼女しかいないだろう。

 

「がはははは! さてはウルザちゃんだな!? さっすが俺様の軍師は頼りになるぜ!!」

 

「……良かった。間に合ってくれましたね」

 

 そう、それはウルザが打った一手。

 勝率を1%でも高めるのが軍師の仕事。最後の切り札の到着にウルザは胸を撫で下ろす。

 

 今から約一時間、大層慌てた様子のシィルがキャンプ地に戻ってきた。

 そして事の詳細を聞いたウルザは、決戦の支度をしながらも遠距離用魔法電話を使用して、カスケード・バウの守備部隊と連絡を取った。

 

 そして現状と更なる作戦を伝えた。

 今カミーラ城にケイブリスが居る。となれば決戦の場をカスケード・バウと想定していた当初の予定と異なり守備部隊の戦力が余るはず。なので増援として一人こちらに寄こして欲しいと。

 とはいえ増援といってもカスケード・バウ──カミーラ城間には相当な距離的隔たりがある為、今まさにランス達がケイブリスと戦闘中なのに守備部隊からの増援なんて間に合うはずがない。

 

 しかし──魔人メガラスならば。

 誰にも邪魔される事のない大空を飛び、しかも全魔人中最速のスピードで移動可能なメガラスであれば増援として間に合うのでは。

 ウルザはそう考えた。そしてその期待に応えるかのように、メガラスはカスケード・バウの空を超特急で越えてこの決戦の地にやって来たのだ。

 

 

「くそッ、ここに来てメガラスが……!!」

 

 更なる敵の登場。

 それにケイブリスが一瞬狼狽えた様子を見せて。

 

「…………ッッ!!」

 

 その瞬間にメガラスの姿がブレた。

 と思ったらもう見えなくなっている。後に残るのは耳を打つような風切り音だけ。

 

「──チィ! このッ、ハエのようにちょこまかと飛び回りやがって……ヅゥッ!!」

 

 視認してからでは遅い。ケイブリスは双剣を出鱈目に振るって攻撃する。

 が、当たらない。飛び交う刃の間隙を縫って速度の乗せたメガラスの拳が打ち付ける。

 それがメガラスの戦い方。攻撃手段は魔人最速を誇るそのスピードを見せつける事ただ一つ。

 

「ぐッ! くっそッ、生意気な……ガッ!」

 

 右脇腹を打たれた、と思ったら左頬に衝撃。

 痛みを感じる間も無く右膝に衝撃。ケイブリスでさえも見切れない驚異的な速度。

 

 その疾さこそが魔物界最速の魔人メガラスが誇る必殺技──ハイ・スピードの超加速。

 

 

「……はっや」

 

 その疾さは。その強さは。

 まるで暴風吹き荒れるようなその奮戦ぶりは、思わずランスも見入ってしまう程のもので。

 

「……なぁホーネット。あいつってこんなに強かったのか?」

「えぇ、メガラスの実力は相当なものですよ。その飛翔能力もそうですが、なによりもメガラスは4000年以上もの時を生きている最古参の魔人の一人ですからね」

「ほへー……」

 

 魔人メガラス。普段から無口な彼は自らの事情などと殊更に語ろうとはしない。

 ただそれでもホーネット派の面々に対する仲間意識は強い。それは志を共にしているから。

 

「…………ッッ!」

 

 メガラスはただ平穏を、シベリアの巨大戦艦内でひっそりと暮らすホルス達の平和を願う魔人。

 魔王アベルの時代から、四千年もの遥か昔からメガラスが願うのは仲間達の平和ただ一つ。

 

 ……だからこそ。

 

「──ケイブリスッ!!」

「クッソがぁ……メガラスゥ!!」

 

 平和を破壊するこの魔人は、女王の為にも許す訳にはいかない──!

 その想いが拳を握らせ、魔人メガラスの驚異的な速度を後押しする。

 

「ホーネット、なんにせよこれはチャンスだ! 一気に畳み掛けるぞ!」

「えぇ! メガラス、攻撃を合わせてください! 私達三人ならば押し切れるはずです!」

 

 そしてランスとホーネットも動き出す。

 これで前衛の攻め手の数は3つ。双剣をそれぞれ二人が受けても尚一人が攻撃出来る計算。

 

「ふっ!」

「…………ッッ!!」

「でりゃッ!!」

 

 ホーネットの剣が。

 メガラスの拳が。

 ランスの魔剣が鋭く迫る。

 

「ぐぬッ! ググ、くそがぁ……! 何度も何度も増援とか、汚ぇぞテメェらぁ!」

「んなの知るかってーの! 俺様はお前と違って人望に溢れ返ってるからな、何もしなくても仲間が勝手に増えちまって困るぜ! がはははは!」

 

 その言葉の通り、この状況は意図せずともランスが作り出したもの。

 ランスがここに連れてきたウルザ、彼女の咄嗟の判断によりメガラスが援軍として駆け付けた。

 そして勿論それだけじゃない。この戦場にはそれを遥かに超える大勢の力が。

 

 

「ランス!! 魔法攻撃、準備出来たわよ!」

「前衛、一時下がって下さい!」

「おう!」

 

 応えてランス達はケイブリスから距離を取った。

 その直後に届く数多の魔法。ようやく立て直した後衛からの支援攻撃。

 

「グッ! がが、ガ……ガアアアアアア!!」

 

 無数のエンジェルカッターが。

 一帯を覆う氷雪吹雪が。数多のライトニングレーザーが。

 

 そして、白色破壊光線が。

 雷神雷光が。破邪覇王光がケイブリスの身体に突き刺さる。

 

「ガハッ! こ、この、プチプチ共が、ふざけやがっ……づッ! ぐぐ……ぐあッ!」

 

 そして支援攻撃が止んだと思えば、またすぐにランス達が突っ込んでくる。

 満足に呼吸を整える暇すら無い。無尽に繰り出されるランスとホーネットとメガラスの攻撃。

 

 

(……あれ?)

 

 これでは……いくら最強の魔人と言えども。

 

 

(あれ……? これ、マズイんじゃないか?)

 

 ふと、ケイブリスはそんな事を考えた。

 

 だってつい先程までの状態でほぼ互角だった。

 戦いの均衡はちょい劣勢から、ちょい優勢を行ったり来たりしていたんだ。

 

 なのに向こうにはメガラスの野郎が加わった。

 魔人四天王に比肩する実力を持つメガラスが来たとなると……これはちょっとマズくないか?

 

 

 ……え? マズい?

 てことは俺様……負けてしまう、のかも?

 

 

 え? 負けるって……どういう事だっけ? 

 そんなもん決まってる。

 負けるってのはつまり、つまり、つまり……。

 

 

(……し、ぬ?)

 

 ──死。

 ケイブリスを待ち受けるのは死。

 ここで終わりという結果ただ一つ。

 

 

(……え?)

 

 唯一勝機があるとすれば──

 それは自らの原型を。一番最初に抱いたあの気持ちを思い出す事だろうか。

 

 だが。

 

 

(俺様が……負ける? ……俺様が、死ぬ!?)

 

 結局それは、いつまで経ってもケイブリスには見えてこなかった。

 死の恐怖に囚われているその頭では、なにかを思い出す事なんて出来るはずがない。

 

 それは昔から。今も……ずっと。

 

 

 

 

 



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決戦──ケイブリス

 

 

 

 

 遥か六千年もの遠い昔。

 あるところに一匹のリスが居た。

 小さな小さなそのリスは、あるとき大きな大きな魔王と出会った。

 

 

(俺様が……負ける?)

 

 その時に感じたはずの思いを。

 自らの原型を取り戻せないまま、ここまで戦い続けたケイブリスは──

 

 

(……俺様が、死ぬ!?)

 

 ──死。

 それこそはケイブリスが最も恐れるもの。

 

(……い、いやいや。そんなまさか)

 

 死ぬだなんて。

 そんなのはあり得ない。

 

(だ、だって……俺様は最強の魔人なんだぞ?)

 

 そうだ。自分は最強だ。

 ここに居る誰よりも強い存在なんだ。

 

 ──しかし。

 最強であるはずの自分の前には、最強を怖れずに立ち向かってくる敵がいるではないか。

 

 まずメガラスが突撃してきた。

 こちらも合わせて大剣ウスパーを振るう、が……速い、当たらない。

 当たりさえすればとは思うが、しかし空中を高速で飛ぶメガラスに攻撃を当てるのは難しい。二撃三撃と繰り返すが……やっぱり駄目だ、速すぎて当たってくれない。

 

 その隙を突いてランスが向かってきた。

 こいつはムカつくから殺したい。放ってきた鋭い衝撃波の刃を左の大剣で打ち払う。

 が、その瞬間後頭部を撃ち抜かれた。メガラスの必殺技だ。速すぎてとても反応出来ない。

 ああくそ、小賢しい。四方八方から攻撃してくるメガラスは本当に厄介だ。力押しなら俺様の圧勝なのに、こいつの速さには俺様の力が通用しない。

 

 ってまてよ? この二人だけって事はホーネットは……ってヤバい、呪文を詠唱してやがる。

 よく見ればあの女の周囲に浮かぶ魔法球の全てが発光している。あれは必殺魔法の合図だ。

 あれはマズい。あれの威力は洒落にならない。なら呪文の完成を妨害すべきだ……出来ない。攻撃はランスとメガラスに防がれるし、そもそもホーネットは剣で戦いながらも呪文詠唱を行えるヤツだ。その集中力を崩すのは簡単な事じゃない。

 

 だったら……逃げる。一旦退避して避けるか。

 そうして下がったら……奴らの後衛からの魔法攻撃が雨のように飛んできやがった。

 氷の矢が、エンジェルカッターが、雷撃が。人間共の放つ白色破壊光線が、それをも超える分厚いレーザー光が身体中に突き刺さる。

 一発一発は大した事ないけど……これだけの数を浴びたら流石に痛い。止むこと無く続く魔法攻撃のダメージに身動きが取れなくなる。

 

 苦痛に呻いている内に……ほらきた。

 本命の一撃だ。ホーネットの放った六色破壊光線が身体を一気に撃ち抜いた。

 なんつー威力だ。痛い、痛すぎる。こんなの耐えられる訳がない。

 

 このままじゃ、このままじゃ──

 

 

「あ、がッ……!」

 

 この決戦は──負ける。

 そして死ぬ。

 六千年を生きた最強最古の魔人ケイブリスは、派閥戦争の最終決戦に敗北して死ぬ。

 

「が、……がが、……が……!」

 

 その事実を直視した。

 というべきか、直視せざるを得なくなったケイブリスは……唐突に吠えた。

 

「……が、ぐぁあぁ゛あ゛あぁ゛ぁあああ!」

「っ! なんだぁ!?」

 

 思わずランスも身を竦ませる程の大絶叫。

 ただそれは肉食動物の咆哮というより、もっとか弱い存在の悲鳴のようにも聞こえて。

 

「うわぁあぁあああぁぁああ!」

「な、急に動きが……!」

「ホーネット、油断すんな!」

 

 大声で喚き立てながら、ケイブリスは双剣をぶんぶんと出鱈目に振るう。

 速く、荒っぽさはあるがしかし鋭さが無い。それは敵を殺す為の斬撃というよりも、まるで怖い相手を近寄らせない為の防御のような攻撃で。

 

(いいいい、いやだ! 嫌だ嫌だ!!)

 

 まるで小さな子供が……癇癪を起こして暴れているかのような攻撃で。

 

 

(いやだ、死にたくない! 死ぬなんて嫌だ!! そんなの絶対に嫌だ!!!)

 

 ──死にたくない。

 それは最強の魔人であるケイブリスが長年抱き続けている唯一の思い。

 

 ただ死にたくない。

 なによりも安全が欲しい。

 安心出来る状態であり続けたい。

 

 それこそがケイブリスの願い。だってケイブリスは弱かったから。

 元々はとても弱い存在だったから。だから身近にある『死』がとにかく恐ろしかった。

 

 それは最も恐ろしい存在だった魔王ジルとか。

 大昔には数多く存在していたドラゴン達とか。

 他にも自分より強かった魔人達とか。色々。

 

 身の回りにある全ての脅威にずっと怯えていた。

 そのせいで夜も眠れなくなった。ケイブリスはもう何千年間も不眠症のままだ。

 

(夜も眠らねぇでずっと耐え忍んできたのに、それなのに……ここで死ぬなんて嫌だ!!)

 

 とにかく安全に暮らしたかった。

 外敵のいない巣穴に引き篭もって、安全にぐっすりと眠る生活だけが目標だった。

 

 けれどもそんな場所は無いから。外敵の居ない世界なんて何処にも存在しないから。

 だから強くなった。全ての脅威よりも自分が強くなるしか身を守る方法が無かったから。

 だから六千年間も耐え忍んで、最強最古の魔人と呼ばれる程に強くなったんだ。

 

 ──本当にそうだったか?

 

 

「そうだっ! 俺様が我慢したのは六千年間なんだぞ!? 分かってんのかテメェらぁ!!」

「貴様が何年我慢しようが知った事か! いいからとっととくたばりやがれッ!!」

 

 ケイブリスが振るった巨剣と、ランスが振るった必殺の魔剣が激突する。

 互いの信念と言うべきものを込めた刃が真っ向から衝突して……打ち勝ったのは。

 

「……ぬッ、おぉらぁぁぁ!!!」

「ぐ、ぐぅぅ……!」

 

 そのまま押される。押し込まれる。

 最強なはずのケイブリスが握る巨剣が、人間のランスが振るう魔剣に力負けする。

 

(ぐっ! なんでだ!? なんで、俺様の方が強いはずなのに、そのはずなのに──!!)

 

 ケイブリスには分からない……が、けれどもそれは当たり前の事。

 臆した心のままに振るった剣が、決して臆さない英雄の一撃に敵うはずがないのだから。

 

「──はぁ!」

「……ケイブリスッッ!!」

 

 そして同時にホーネットの強力無比な魔法が、メガラスの高速の拳が迫る。

 

「がはッ! ぐ、ググッ、ホーネット、メガラスぅ……!!!」

 

 勿論この二人だって臆さない。その胸の内により強い決意を秘めているから。

 ホーネットは自らの使命を果たす為。メガラスは同族の平和を守る為。

 二人は臆さずに戦い続ける。どこまでも。

 

「はぁ、はぁ……くっそがぁ……!」

 

 一方でケイブリスはどうか。

 さも荒々しく吠えて、激しい戦いを繰り広げているように見せていても。

 

(おおおお、おいおいおい! ヤバいぞヤバいぞ、これはマジでヤバいんじゃねぇか!?)

 

 その心の中には強い決意が見つからない。

 臆病なままのリスが考える事といったら、この期に及んでもそんな事で。

 

(あれ? こんなに傷付けられるのって……一体いつ以来だったっけ……)

 

(まさか……もしかして……やっぱり……本当にコイツらは俺様を殺すつもりなのか!?)

 

(だ、だだ駄目だ駄目だ! 死ぬなんて! 俺様が死ぬなんてのは絶対に駄目だ!!)

 

(えーとえーと、考えろ、どうしたらいい?)

 

(そ、そうだな……俺様はいずれ魔王になる。……だったらここは一旦退いて、魔王になってから奴らを倒した方が安全だな、うん)

 

(だから、えーと……よーし!)

 

 するとケイブリスは構えていた双剣を下ろす。

 そして、大声で叫んだ。

 

 

「ちょっと待ったーーーーッ!」

 

 

「っ、なにを……」

 

 その言葉に、ホーネットは警戒心を顕にして。

 

 

「ホーネット……話し合いしましょ?」

 

「……は?」

 

 続く言葉を受けて、ポカンとした表情になった。

 

 

「……は、話し合い?」

「そうだ! 話し合いだ!! 戦いなんて野蛮な事はもう止めて話し合いで解決しよう!」

 

 戦いを止める。その言葉を、この魔人が言う。

 暴力と残虐の象徴のような魔人ケイブリスが、戦いを止めて話し合いで解決しようと提案した。

 

「ホーネット、お前達の強さは分かった! 俺様もうビックリした! 感動しました!」

「………………」

「だから、な? 後はもう話し合いでいいじゃねぇかよ! もう戦いは終わりだ! な!?」

「……ケイブリス、下手な真似は止めなさい。ここまできて刃を下ろす事など──」

 

 あり得ない。

 と言い掛けるホーネットに先んじて、

 

「話し合いか。よし、いいぞ」

 

 ランスはあっさりと頷いた。

 

「っ、ランス!? 一体何を……」

「別にいいじゃねーか、話し合いで解決したって。俺様だってもう戦うのは疲れたしな」

「だからって、そんな──」

「おーおー! さっすがカオスマスター!! 話が分かるじゃねーか!!」

 

 するとケイブリスは乗った。ホーネットに有無を言わせないよう即座に乗っかった。

 今はとにかくこの場を凌ぐ事が先決。生きてさえいればどうとでもなるのだから。

 

「んで話し合いで解決するっつー事だけど……具体的にはどうするつもりだ?」

「え、えっと、そうだな……そうだ! そもそも俺達が戦ってたのは派閥戦争が原因だろ?」

「そうだな」

「んじゃあもう派閥戦争は止めだ! お互いこれ以上争うのは禁止にして、そんで魔物界を半分こする事にしよう! そして北側をお前らホーネット派、南側のケイブリス派が支配する。どうだ、いい案だろう!?」

 

 魔物界の南北分割。そして相互不干渉。

 そんな提案をするケイブリスだが、その腹積もりは派閥戦争の終了ではなく当然別の所にある。

 

(そうだ。要は危険な事さえしなけりゃいい。やっぱり最初からこれで良かったんだ)

 

 狙いは時間を稼ぐ事。つまりは以前やっていたように待ち戦法。

 結局のところホーネット派を撃破する事が出来なくたって、人間世界にいる魔王を見つけてしまえば全てが自分のものになるのだから。

 

「なるほど、半分こか」

「あぁそうだ! それに勿論人間世界だってこれまで通りだ。今後は絶対にこっちから戦争を仕掛けたりなんてしない! 約束する!」

「ほう、悪くないな」

「そうだろ!? そうだろ!!」

 

 その提案は中々に好感触だったらしく、興味を持ったランスがすたすたと近付いてくる。

 すたすたと……ケイブリスの足元まで近付いて。

 

「ところでケイブリスよ。ちょっと上にいるメガラスの事を見てみろ」

「あん? メガラスがどうしたって?」

 

 言われるがまま、ケイブリスは斜め上を見上げて空を飛ぶメガラスの姿を視界に捉える。

 

「………………」

「……なんだよメガラス、そう睨むなよ。これまでのいざこざは忘れて仲良くやろうぜ?」

 

 ケイブリスの巨体は全長6mにもなる。

 するとそのまま上を見上げた場合、足元付近に居る小さな相手は視界から外れる事になる。

 

「よっしゃ」

 

 言うまでもなくそれが狙いだったランスは、待ってましたとばかりに魔剣を振り上げて。

 

「鬼畜……」

「え?」

 

 全ての力を両腕に込めて。

 そして、叩き付けた。

 

 

「──ッ、アタアアアァァァクッッッ!!」

 

 

 ズガンッ! と爆ぜるような破砕音。

 直後魔剣の刃から衝撃波が──ランスアタックを優に超える莫大な規模の衝撃波が発生する。

 

 それこそが本物の英雄の一撃。

 ランス最強の必殺技、鬼畜アタック。

 

「グギャアアァァァアアアッ!!!!!」

 

 そのエネルギーたるや、ケイブリスの巨体が浮き上がって20m以上も弾き飛ばされる程。

 そして破壊力も申し分無し。先程ケイブリスの左腕を破壊したのだってこの必殺技だ。

 英雄が放った最強の一撃、その斬撃の波がケイブリスの全身を抉り、刻む。

 

「ガハッ、ぐ……ガハァッ! くそ……い、痛ぇ、痛ぇぞちくしょう……!」

 

 衝撃波が通り過ぎた後、その巨体からは夥しい程の血が流れていた。

 最強の肉体を持つ最強の魔人であっても、もはや重傷と言える程のダメージを負っていた。

 

「ふいー、っと」

「ランス。まさかとは思いましたが、やはり油断を誘っていただけだったのですね」

「まーな。つーかあんな話に乗るわきゃねーだろ」

 

 そして鬼畜アタックを撃ち終えたランスはそのまま魔剣を肩に軽く担いで。

 即座に回復していく気力を感じながら、再びケイブリスの下に近付いていく。

 

「このバカが。前回と全く同じ手で来るとは……本当に芸のねぇ野郎だなお前は」

「て、テメェ……! 話し合いで解決しようって言ったじゃねぇか!! 卑怯だぞ!!」

「知るかバカ。おまえにその気がねー事なんざこっちは最初から分かってんだよ」

「っ、そんな事はねぇ! 俺様は本当にこの戦いを止めるつもりで──」

「あっそ」

「ッッ、グゥ……!!!」

 

 この舐め腐った態度は。

 この卑怯なやり方は。

 このランスとかいう男は……どこまで。

 どこまで自分を虚仮にすれば……!

 

「グ、ギ、ギ、ギ……!!」

 

 怒りと屈辱のあまり、犬歯に罅が入る程に歯を噛み締める。

 その形相は言うまでもない、激怒の顔だ。ケイブリスがブチ切れた時の表情。

 

「グギギ、ガアアアァアアァァアアアアア!!!」

 

 そしてまた、ケイブリスは吠えた。

 その咆哮はこれまで以上に大きく、その怒りは天を衝く程に激していて。

 

「……覚悟しろよなぁ、ランス……!! 俺様はもう完全にブチ切れちまったぜ……!!」

「そーかよ」

「ああそうだッ!! テメェだけは許さねぇ!! 俺様を虚仮にしやがったテメェだけは……!」

 

 傷だらけの両手が双剣を握り直す。

 この世で最も憎き男をブチ殺さんと、魔人ケイブリスが前に出る。

 

「殺す……ブチ殺す……ッッ!!!」

 

 だってこれ程の屈辱を。

 これ程の怒りを。

 過去六千年間の中でも一番にブチ切れたと言えるようなこの怒りを──

 

 

「………………」

 

 ……怒りを。

 

 

「………………」

「……なんだ、かかってこねーのか」

「………………」

 

 

 怒って……どうなる?

 だってブチ切れたなんて話をするなら、それはもうとっくのとうの話であって。

 

「……は」

 

 どれだけ吠えたところで、どれだけブチ切れたところで状況は何も変わらない。

 

 自分は勝てない。

 ランスとホーネットとメガラス三人相手では、自分一人じゃどう頑張っても切り崩せない。

 となれば相手には多くの後衛が居る分、どちらが優位かなんてのは言うまでも無い。

 

 それはもう分かっているのに。

 吠えたところで、叫んだところで、この状況が変わってくれる訳では無いのに。

 

「……はは」

 

 誰かが助けてくれる訳でも無い。

 派閥の主であるはずなのに、奴らのように何度も援軍が駆け付けてきてくれる訳でも無い。

 

 これじゃあ戦ったところで。

 一人きりでどれだけ吠え上がったところで、その叫びは……まるで──

 

 

 

「……やめた」

 

 

 

 そして──ガラン、と音が鳴った。

 ケイブリスの左腕がだらりと下がって、握っていたはずの武器がこぼれ落ちた。

 

「あん?」

「もうやめた。……くっだらねぇ」

 

 焼け爛れて、へし折られて、一度は完全に破壊された左腕。

 その時でも決して手放さなかった武器を……大剣サスパーを自ら手放した。

 

「もういい。後はテメェらの勝手にしろ」

「……ケイブリス。それは……もう降参するという事ですか?」

「ホーネット……ハッ、降参もクソもあるかよ。こっちは一人きりなのに、テメェらはぞろぞろ大勢を引き連れてきやがって……こんなもん俺様に勝ち目なんてあるはずねぇじゃねぇか」

 

 それは最強の魔人には相応しくない声だった。

 まるで拗ねるような、あるいは僻むような……そんな寂しい声色で。

 

「……こんなもん、こんなもん……ッ!」

 

 そこで怒りの火種を見つけたのか、ケイブリスは右手をぎゅっと握り締める。

 ……が、すぐに力を抜いてしまう。

 

「……こんなもんか。……もういい」

 

 激怒して激怒して。ブチ切れて。

 怒りの沸点を大幅に超えて、それでも怒って……最終的にケイブリスの心は冷めてしまった。

 

「……はぁ、くだらねぇ」

 

 腹が煮えたぎるような屈辱を呑んだ。

 強くなる為に血反吐を吐くような努力をして、永遠にも思える六千年を過ごしてきた。

 

 それなのに……負ける。

 たかが百年足らずしか生きていないようなホーネットが率いる派閥に負ける。

 世界を支配する魔王になるどころか、魔物界を制覇する事すらも出来ずに負ける。

 そんな理不尽極まる現実を前にして、遂には抗う気持ちまでもが失せてしまった。

 

 

「そうか、諦めたか。……よろしい」

 

 すると鷹揚に頷いたランスが近付いてくる。

 

「ならトドメを刺してやる。最後は本気の鬼畜アタックでビシッと決めてやろう」

「……好きにしろ」

「……とかなんとか言って、心の中じゃあ反撃するタイミングを伺ってんだろ?」

「んなつもりはねぇよ。……ほら」

 

 今度は右の大剣ウスパーを手放した。

 愛用の双剣を投げ捨てて、ケイブリスはそのままどしりと地面に腰を下ろす。

 

「……本当に諦めたのか」

「だからそう言ってんだろが」

「ほーん……」

 

 そんな姿を見て、ランスは何を思ったのか。

 こちらはしっかりと魔剣を握ったまま、一瞬たりとも戦意を切らさずまま、言った。

 

「お前、弱くなったな」

「あんだと?」

「なんつーかマジで拍子抜けだ。これなら前回の方が遥かに手強かったぜ」

「はぁ? なんの話をしてんだテメーは」

 

 こいつは今日初めて出会った相手、ここで初めて刃を交えた相手だ。

 だから自分の強さを知っているはずがないし、拍子抜けなどと言われる筋合いは無い。

 

「なに言ってんだか分かんねーけど、やるんならとっとと──」

 

 そしてケイブリスの耳に……その言葉は届いた。

 

 

「ケイブリス。てめーはククルククルすら超える男になるんじゃなかったのか」

 

「……あ?」

 

 ──ククルククルを、超える?

 

 

「あれはウソか。ただの負け惜しみだったのか?」

「………………」

「おい」

「………………」

 

 ──それは。

 

「………………」

「おい。なんとか言ったらどうだ」

「…………ウソじゃあ、ねぇよ」

 

 そうだ。それは。

 あの気持ちは、嘘や負け惜しみなんかじゃない。

 

 

 遥か六千年もの遠い昔。

 あるところに一匹のリスが居て。

 小さな小さなそのリスは、あるとき大きな大きな魔王と出会って。

 

 その時に感じたはずの思いは──

 

 

「俺は……ククルククルになりたかったんだ」

 

 最強になりたかった。

 この地上で一番強い存在になりたかった。

 それがケイブリスの原型。極度の臆病さはその後に身に付いた習性に過ぎない。

 

 安全に生きたかったわけじゃない。

 安心して眠りたかったわけでもない。

 ただ強くなる事。それだけを目標としていた時がケイブリスの過去には確かにあった。

 

 その事を……ようやく思い出せた。

 

 

「ランス。ククルククルというと……歴代最初の魔王と言われる、あの……?」

「さぁ? 俺様はククルククルなんてのは会った事もねーしサッパリ知らねーけど」

 

 ホーネットの疑問に答えながらも、ランスは鋭い目付きを向けていて。

 

「……ただ、この俺様に向かってあれだけ偉そうに啖呵を切ったくせして、ここでは随分と情けねー姿を晒すもんだなと思ってよ」

「……さっきから、一体なんの話をしてんだよ、テメェは……」

 

 この男の言葉はまるで意味が分からない。

 自分がいつそんな啖呵を切ったと言うのか。そんなの言い掛かりにも程がある。

 

 

「本当に、まったくよぉ……訳が分からねぇっつうんだよ……」

 

 どうしてこんなに大事な事を、自分は何千年間も忘れていたのか。

 それをようやく思い出して……こんなにも頭と心がスッキリするなんて。

 

 

「なんで、テメェは……」

 

 そして。

 自分すらも忘れていた遠い昔の決意を、どうしてこのランスが知っているのか。

 

 

「はは、なんで、俺様、は……」

 

 ランスが……知ってくれていた。

 その事を──本当に全くどうしてなのか。

 

 どうしてか分からないけれど……嬉しい、と、そう感じてしまった。

 そんな自分の気持ちが、ケイブリスにはさっぱり分からなかった。

 

 

「……ククルククルすら超える男……か。我ながらデケェ夢じゃねーか」

 

 そして、ケイブリスは立ち上がる。

 

「なぁ……ランス」

「なんだ」

「テメェよぉ……知ってるか? 大昔にいたククルククルっつー最強の魔王をよ」

「だから知らねぇっつってんだろ」

「あぁそうだな、なら教えてやるよ。……ククルククルってのはな、アホみてぇな数のドラゴン共に囲まれようとも最後まで戦い抜いたんだぜ」

 

 その勇姿は今でも記憶の中に残っている。

 負けてなるものかと、ケイブリスは地面に落ちていた大剣ウスパーとサスパーを拾い上げる。

 

「俺様はまだちょっとククルククルには追い付いちゃいねぇが……けどなぁ、諦めの悪さだったらククルククルよりも俺様の方が上だ」

「そーかよ」

「あぁそうだ。これだけは自信があるぜ。なんせ六千年間も諦めずにやってきたんだからな」

「言ってろ。勝つのは俺様だ」

「……へっ」

 

 小さく笑って、ケイブリスは双剣を構える。

 その目に映る相手は……ランスは今も魔剣を油断なく構えている。

 

 その姿は紛れもない英雄の姿。

 それがなんだか眩しく見えたのが、ケイブリスには無性に悔しかった。

 

「テメェじゃねぇよ、バカが。勝つのはこの俺だ。……魔人ケイブリス様だッ!!」

 

 そして、双剣を振るった。

 その一撃は強かった。

 臆病な心はもう晴れていた。

 

 

 

 

 こうして、派閥戦争最後の戦いは再開された。

 初心に戻ったケイブリスとの決戦は、先程までを遥かに超える程に激しいものとなった。

 

 

 

 そして──

 やがて、その戦いにも決着が付いた。

 

 

 

 

 



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我が栄光

 

 

 

 

 決死の刃が迸る。

 

「オラァァアア!!!」

「だりゃあッ!!」

 

 それはもう幾度目か。

 分厚い巨剣と衝撃波の刃が交錯する。

 

「オラオラオラァァア!!!」

 

 その剣はこれまでのような怯えはもう無い。

 遠い昔の決意、自身の原型を思い出したケイブリスは強かった。

 慎重になったり傲慢になったりと思考が切り替わる悪癖も消えて、ただ目の前の相手を倒す事だけに集中したケイブリスは、まさしく最強の魔人という名に相応しい存在だった。

 

「ナメんなッ!!」

 

 ただそれでも、相対する男も同様に強かった。

 ランスは人間なのに、それでも人間は時として計り知れないような強さを見せる。

 英雄たる自負が、主人公たる自覚が、決戦の場で最前線に立つその身を後押しする。

 

 ランスとケイブリス。

 互いに互いにを宿敵だと認め合って。

 互いの意志を乗せた刃は繰り返し繰り返しぶつかり合って、そして──

 

 

「…………ッッ!!」

「ぐあっ!!」

 

 超高速の弾丸が走る。

 魔人メガラスの加速した拳がケイブリスの右頬を叩いて、その顔が斜め上に弾かれる。

 それはもう目視すら出来ない攻撃。その速さどうこうではなく、ここまでの戦闘によってケイブリスの右目は潰されているから。

 

 

「っ、これで──!!」

「……ぐ、があ、ああ、あ……!!」

 

 必殺の魔力が唸る。

 魔人ホーネットの必殺魔法、6つの極限の輝きが力となってケイブリスの巨体を貫く。

 もう何度も浴びたその魔力の前に、遂には身体を動かす事が出来なくなって。

 

 

「──ランス、アタタターーーークッ!!!」

「ガッ、は──」

 

 聞こえたのは乾いた音。

 ランス必殺の一撃が炸裂した。

 それはすでに砕けていた鎧を通過して、最強の魔人の胴体を深々と抉っていた。

 

 

「……ぐ」

 

 傷は深い。

 いや、それどころか……これは。

 

「ランス、俺様の懐に飛び込んでくるとは……いい度胸してんじゃねーかよ」

 

 自らの命運が尽きた事を悟って。

 それでもケイブリスは拳を振り上げ、すぐそこにいるランスに反撃をしようとして。

 

 

「……あー、くっそ……」

 

 けれど、力が抜ける。

 手の中から大剣ウスパーが零れ落ちる。

 膝が、折れる。

 そして……身体が崩れ落ちた。

 

 

「チッ、情けねぇぜ……、この俺様が……こんな奴らに、よ……」

 

 その声には力が無い。

 間もなく命の火が燃え尽きようとしている、そうと察せられる程に生気のない声で。

  

「はっ……ぜぇ……ぜぇ……」

 

 一方でランスの呼吸も荒く、回復に回復を重ねたその身体はとっくに傷だらけの状態。

 

「……はぁ、はっ……」

「………………」

 

 それはホーネットとメガラスも同様。

 決戦の名に違わぬ激闘だった。もはやホーネットの魔力すらも尽きかける程の激闘だった。

 誰も彼もが満身創痍の中、致命傷を負ったケイブリスだけが満足げに佇んでいた。

 

 

「終わりだな、ケイブリス」

「……みてーだな」

「そういやさっき言ってたな。ククルククルとかいう魔王よりも諦めが悪いっつーなら、命乞いの一つでもしてみたらどうだ」

「……泣いて謝ったら、ってか? ハッ、そんなんでテメェが情けをかけるようなタマかよ」

「ほう、よく分かってんじゃねーか」

「たりめーだろ、そんな事……」

 

 これ程までに戦えば、分かる。

 全身全霊を懸けて刃を交えれば、それがどういう相手なのかは理解できる。

 決戦の中で一人の人間を自らの宿敵と認めたケイブリスは「けれど……」と呟いて。

 

 

「……あぁ、……本気で戦うっつーのは……こんな感じなのか……」

 

 生まれて初めて、全力で戦った。

 泣いて命乞いをする体力すらも残っていない程、この戦いに全てを出し切った。

 

 全てを出し切って本気で戦って、そうして──

 

 

「……なぁ、ランス。一つ教えてくれよ」

「なんだ」

「テメェが主人公ならよぉ……俺みてぇなリスは所詮雑魚キャラがお似合いってか……?」

「知るか。んなこた自分で考えろ」

「……けっ、冷てぇヤツ……」

 

 ランスの答えとしてはそんなもの。 

 自分を斬り裂いた男のつれない言葉に、しかしケイブリスは何処か嬉しそうに口元を綻ばせる。

 

 

「……けど、そっか。なら、俺は……」

 

 あれだけ恐怖したものが今、目の前にある。

 それなのに……それにしては、不思議と穏やかな心地になれたのは。

 

 

「へっ……ま、いいや……」

 

 そして、ケイブリスの身体が薄れていく。

 風に混じるかのように薄れていって……後に残ったのは真っ赤な玉が一つ。

 

 

 こうして、魔人ケイブリスは討伐された。

 遥か遠い六千年の昔、最強を夢見たリスの魔人は魔血魂の姿へと戻った。

 

 

 

「……終わりましたね」

「……そーだな」

 

 地面を転がる小さな魔血魂。

 ケイブリス派の主だったその小さな玉を、ホーネット派の主は感慨深げに見つめる。

 

「……ランス」

「なんだ?」

「貴方はあの時……何故あのような言葉を口にしたのですか?」

「あん?」

「ククルククルの事です。あれは──」

 

 魔人ケイブリスの原型。それをどうしてランスが知っていたのか。

 そしてあの場でそれを口にした意味も。あれを切っ掛けにケイブリスは気迫を取り戻した。まるで敵に塩を送るかのような、ランスらしくない行為をホーネットは不思議に感じていたのだが。

 

「……いえ。なんでもありません」

 

 すぐに小さく首を振って、その気持ちを胸の奥へとしまい込んだ。

 あえて尋ねるのは野暮だと思ったし、尋ねたところでランスは答えないなと感じたからだ。

 

「しっかし……ああ、疲れた……」

「……あ、ランス……」

 

 疲労困憊で精も根も尽き果てた。

 身体中が痛い。もう痛くない箇所が無い。

 立っているのもしんどいランスはホーネットに抱きつくようにもたれ掛かって、言う。

 

「ホーネット、膝まくらプリーズ」

「っ、膝まくら……ここで、ですか……?」

「おう。疲れた時は膝まくらだって前に教えたろ」

「……正直、私もこれ以上無い程に疲れ果てているのですが……仕方ありませんね……」

 

 やれやれとホーネットはしゃがみ込んで、自分の膝の上にランスの頭を乗せる。

 

「うむ、よろしい」

 

 いつかの時と同じように、魔人筆頭の膝を枕にしたランスは満足そうに頷いた。

 

「……少々、気恥ずかしいですね」

「んな膝まくら程度、今更何を照れるってんだ」

「膝まくらがというより……その、メガラスの視線が気になるのです」

「あん? おぉなんだメガラス、何見てやがる」

「………………」

 

 そんな光景を空から見下ろす目。

 派閥の主が甲斐甲斐しくランスに膝まくらしている様子を、魔人メガラスはなんとも言葉にしようがない思いで眺めていて。

 

「……あー、まーじで疲れた……」

「……ですね。本当に激戦でした……」

「……あぁ、そうだな。ケイブリスは強かった」

「うおっ、喋りやがった」

 

 ともあれそんなメガラスと。

 そして勿論ランスとホーネットと。

 

「ランス様ー!」

「ランスー!」

 

「おぉ、あいつら……」

 

 そして遠くから聞こえてくる声。

 戦いの終結を見届けて後衛で戦っていた者達も駆け付けてくる。

 シィルやマジック、ガンジーにウルザにシャリエラ、そしてゼス三軍を率いる将軍達に兵士達。

 

 この場に集う全員の奮闘によって、長かった派閥戦争にようやく終止符が打たれたのだった。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 こうして、魔人ケイブリスは討伐された。

 前回の時と同じように、最強最古たる魔人は人間のランスの手によって倒された。

 

 そして派閥の主の死亡に伴って、ケイブリス派は事実上壊滅。

 LP0年より始まった派閥戦争、魔物界を二分する争いはホーネット派が勝者となった。

 

 

 そして。

 カスケード・バウの戦いから、あるいはカミーラ城での決戦から数日後。

 それぞれの戦いが終わって、ホーネット派に属する者達は本拠地である魔王城に戻ってきた。

 

 そして──

 

 

 

 

「……派閥戦争は終わりました」

 

 そう口を開いたのは、緑色の長い髪を煌めかせる美しき魔人。

 このホーネット派という派閥を率いてきた頭首──魔人ホーネット。

 

「戦いは私達ホーネット派の勝利です。……これを言える日が来た事を本当に嬉しく思います」

「ホーネット様……」

 

 その言葉を受け取るのは三名の魔人。

 ホーネットと共に苦楽を乗り越えてきた仲間──魔人サテラ、魔人ハウゼル、魔人シルキィ。

 

「皆、ここまで本当に良く戦ってくれましたね」

「それはホーネット様が居たからこそです。ホーネット様が居てくれたからサテラ達だってここまで戦ってこられたのです」

「サテラ、それは私の言葉です。貴女達が居てくれたから私は……」

 

 それは派閥の主として。

 あるいはそんな彼女を支え続けた幹部として。

 

「派閥の主として至らぬ私に付いて来てくれた事、貴女達には本当に感謝の念に堪えません」

「そんなっ、ホーネット様……、ホーネット様に至らぬ事なんてありませんでした、私達はそのように感じた事なんて一度もありません」

「ハウゼルの言う通りですよ。ホーネット様はこの派閥の誰よりも果敢に戦って、立派に私達を率いてくれていました。もっと胸を張って下さい」

「シルキィ……、ハウゼルも、サテラも、本当に……本当に有難うございます」

 

 今日まで言えなかった言葉。聞けなかった思い。

 それをこうして伝え合える事に、この場に集う四名の魔人達は皆一様に喜びを感じていて。

 

「戦いが終わって、これから始まるのは多くの戦後処理となります。ケイブリス派が壊滅したとはいえ生き残った者は多いですからね」

「はい。ケイブリス派に残る者達もケイブリスが討伐された以上はホーネット派の方針に従うとの事です。ストロガノフを筆頭に全ての魔物兵達が投降してきていますから、彼らの処遇も考えなければなりませんね」

「えぇ。魔物達は兵として戦っただけですから過度な罰を与える必要は無いでしょう。なによりも大事なのは魔物界を元の秩序ある姿に……派閥戦争が起こる前の姿に戻す事です」

 

 そして話題が今後の話へと。

 ホーネット派としての先の展望に進んだのを切っ掛けとして。

 

 

「そうですね……ところで、ホーネット様」

 

 シルキィは他二名を代表して声を上げた。

 恐らくサテラとハウゼルも内心大いに気になっているであろうこの疑問を。

 

「シルキィ、何でしょうか」

「戦後処理の事は宜しいのですが……あの、どうしてその話を……この部屋で?」

 

 ──もっと別の場所でする方が良いのでは? 

 と、不思議に思ってしまうのも仕方ない事。

 

 何故ならこうしてシルキィ達が集められたこの場所は……ここはホーネットの部屋だ。

 いやそれなら特に問題は無いのだが、しかしここは私室の中でも一番プライベートな場所で。

 

「……そうですね。このような場所に貴方達を集めるのは初めてですからね」

「はい。……その、私達がこの部屋に入るのは率直に言って落ち着かないといいますか……」

 

 畏まりながらもシルキィは視線を左右に振る。

 その目に映るのは……それは。綺麗に掃除されている落ち着いた雰囲気の部屋。

 クローゼットだったり天蓋付きの大きなベッドだったり、そういう家具が置かれている部屋。

 

 ……つまり、ホーネットが使う寝室である。

 

 

「……ふぅ」

 

 自らの寝床に三名の魔人を集めたホーネットは、まずそれぞれの名前を──

 

「……サテラ」

「はいっ!」

 

「……ハウゼル」

「はっ!」

 

「……シルキィ」

「はい」

 

 ──この先大変な事に巻き込んでしまう、哀れな道連れ達の名前を呼んで。

 

「……何故、この部屋に貴女達を集めたのか」

「………………」

「それは……」

 

 それは……果たしてなんと答えたものか。

 遠回しにそれとなく伝えてみるか、それとも直球勝負で行くべきか。

 話を切り出せないホーネットが躊躇していると、そのタイミングでバタンとドアが開かれて。

 

 

「それは、こういう事だーーー!!!」

 

 

 寝室内にランスが突入してきた。

 その顔はもう待ちきれないといった感じの実にイイ顔をしていた。

 

「ら、ランス!? 何しに来たんだ!?」

「何しに来たか。それはこの俺様こそが今回の主役だからだよ、サテラ君」

「主役?」

「うむ。……ほれ、ホーネット」

 

 ──とっとと言え。

 とランスから暗に促されて、嫌々ながらも覚悟を決めたホーネットは「……えぇ」と頷く。

 

「……サテラ、ハウゼル、シルキィ」

「………………」

「これは、派閥の主としての最後の命令……」

 

 そう言い掛けた後、首を大きく左右に振る。

 

「……いえ。命令ではなく……お願い、ですね」

「お願い、ですか?」

「そうです。これは派閥の主としてではなく、私一個人としての心からのお願いとなります」

「おいホーネット、ここは命令って事にしといた方が色々と楽チンなんじゃねーか?」

「……ランス。このような事を命令出来る訳が無いでしょう。全く……」

 

 このような事。それは……それは。

 それをよもやこの自分が、よりにもよってサテラやハウゼルやシルキィに対して。

 

 本音を言うならしたくない、言いたくない。

 けれど約束してしまった以上……するしかない。

 

「……皆、お願いします」

「な、ホーネット様!?」

 

 驚きに声を上げるサテラ達の目の前。

 ホーネットは深々と腰を折って頭を下げた。

 派閥の主では無くとも、魔人筆頭ではあるはずの彼女が精一杯の誠意を見せて、言った。

 

 

「……一晩だけで構いません。今日一晩だけ私と一緒に……その身をランスに委ねて下さい」

 

 そして──言った。

 あの約束を、ランスへのご褒美を。

 

 

「ほ、ホーネット様っ! とにかくお顔を上げて下さい!」

「と、というかホーネット様、そのお願いって一体どういう意味で──」

「うむ、詳しくは俺が説明してやろう。今から全員でセックスするのだ。以上」

「なんだぁそれはっ! ランス、全然説明になってないぞ!」

「だからな、今からここで──」

「ランス。私が説明しますから……」

 

 三人を説得するのは自分の使命……というか、巻き込んでしまった者の責務だ。

 ホーネットはふぅ、と息を吐いて、それぞれ混乱している様子の三名の魔人達と向かい合う。

 

「とはいえ話は先程も言った通り、皆にはこの場でランスに身体を委ねて欲しいのです」

「ほ、ホーネット様、それは……それは、つまり、ランスとセックスをしろ……と?」

「……その通りです、サテラ」

「っ、それではホーネット様、こ、ここで、私達全員で、ランスさんに……抱かれろ、と!?」

「……その通りです、ハウゼル」

「な……何故?」

「……シルキィ、それは……」

「それはそういう約束をしたからだ。これは俺様へのご褒美なのだよ、うむうむ」

 

 こくこくとしたり顔で頷くランス。

 そう、これは約束していたご褒美。勝者たる者が手に入れるべき栄光。

 ホーネット派魔人4人とのハーレムセックス。それはランスがこの城にやってきた最大の目標。

 

「や、約束だと!? サテラはそんな約束した覚えなんてないぞっ!」

「お前はしてなくともホーネットがした。俺様がケイブリスをぶっ殺したらここに居る全員でのハーレムセックスをさせてくれる、ってな」

「なっ……ホーネット様、それは本当ですか!?」

「……えぇ、本当です」

「そ、そんな……!」

 

 まさか派閥の主直々にそんな約束を。

 信じられない、信じたくないその言葉にサテラ達は愕然とした表情になる。

 

「……貴女達の身を売るような約束をしてしまった事は本当に申し訳なく思っています。謝ったところで許されるような話ではないとも重々承知しているのですが、ただ……」

「俺様はケイブリスをぶっ殺したのだッ!! ならハーレムセックスぐらい良いだろう!! いやむしろそれぐらいのご褒美は当然あるべきだ!!」

「……と、言う事です。ランスからそう言われて私は……反論する事が出来ませんでした」

 

 熱弁を振るうランスの一方、ホーネットは覇気無く肩を落とす。

 

 それは最終決戦の直前、ランスから勢いのままに押し切られてしまった約束。

 そして更に言えば決戦の後も。カミーラ城からの帰路の最中ずっとランスは「帰ったらすぐハーレムセックスだからな!」と何度も何度も念押ししていて、言い返す事も出来ないホーネットとしてはもううんざりな気分になる程だった。

 

「でもハーレムセックスなんて……って、ていうかそれじゃあ、ホーネット様までもがランスに抱かれるという事になってしまうのでは……!」

「うむ、そうなるな」

「そうなるな、じゃない! そんなの、そんなの許される訳がない!」

「許されないもなにも、俺様はもうとっくにホーネットの事は何度も抱いているのだが」

「な、なぁっ!? ほ、本当なのですか!? ホーネット様!?」

「…………そうですね」

「そ、そんな……ホーネット様までもが……!」

 

 小さく頷くホーネット。

 まさかの事実にビックリ仰天なサテラ。

 

「んな今更の話はどうでもいい。とにかくそういう訳でハーレムセックスをするぞ」

「って言われてもねぇ……どうする?」

「そ、そんな、ハーレムセックスだなんて……そんな事をいきなり言われましても……」

 

 戸惑いながらも周りに目を配るシルキィ。 

 そして顔を真っ赤にして恥じらうハウゼルと。

 突然の話だった事もあって、その場は混迷の様相を呈していたのだが。

 

「サ、サテラはしないぞ! ハーレムなんて、そんなの絶対にしないからな!」

「ほう。絶対にか」

「そうだ! そんなのしないっ! シルキィだってハウゼルだってそうだろう!?」

「……うーん、そうねぇ……」

「そ、そうですね……。さすがに全員でというのはとても抵抗が……」

 

 そこはやはり魔人といえど、色事については経験の乏しい花も恥じらう乙女達。

 程度の差こそあれ、巻き込まれた三名の気持ちはどうやら否定的な様子。

 

「ふむ、そうか……」

 

 その事を知ったランスは、しかし動じずに一度言葉を区切って。

 

 

「なら君たち、一つ聞くがな……お前達はこの俺様抜きでケイブリス派に勝てたのか?」

「っ……!」

 

 そう言ってやった途端、それぞれを魔人は言葉に詰まったようにぐっと息を飲み込んだ。

 

 

「なぁサテラ。ガルティアをホーネット派に引き抜いてやったのは誰だったっけ?」

「そ、それは……」

 

 それは勿論ランスの活躍。

 ランスが魔王城にやってきて、すぐに魔人ガルティアをケイブリス派から引き抜いた事。

 歴戦のムシ使いが加わった影響は大きく、派閥戦争の趨勢をひっくり返す切っ掛けとなった。

 

 

「ハウゼルちゃん。前にホーネットが捕まった時、助けてやったのは誰だったっけ?」

「それは……ランスさんですね」

 

 それだってランスの活躍。

 ペンゲラツリーにて敗北した魔人ホーネット。それを救出したのは最大の功績と言ってもいい。

 ランス考案の人質交換作戦がなければ、あの時すでにホーネット派は敗北していたのだから。

 

 

「シルキィちゃん。メディウサの居場所が分かったのは誰のおかげだ? ワーグはどうだっけ? レッドアイをぶっ殺したのは誰だったっけ?」

「それはランスさんのおかげね。……言われなくても分かってるって」

 

 それらは言うまでもなくランスの活躍。

 前回の第二次魔人戦争と同じように、今回もランスは多くの魔人と対峙してきた。

 そして次々と勝利を挙げて、ケイブリス派からは次々と戦力が欠け落ちていく事となった。 

 

 

「そんで……なぁ、ホーネット」

「……はい」

「お前は俺様抜きであの戦いに……ケイブリスとの決戦に勝てたと思うか?」

 

 ランスがそう尋ねると、ホーネットは「いえ……」と首を振って。

 

「……思いません。ケイブリスとの戦いで貴方は大いに活躍してくれました。貴方が居なければ……私一人では、とてもケイブリスに勝つ事は出来なかったでしょう」

 

 そして、ケイブリスとの決戦も。

 一度目は敗北した。スクイレルザンを食らって戦闘不能状態に追い込まれてしまった。

 

 そこから助けてくれたのはランスだった。

 そしてランスがスクイレルザン対策となるとっておきの秘策を閃いてくれたからこそ、最強の魔人ケイブリスを討伐する事が出来た。

 

 以上の事を総括して。

 さて、今回のホーネット派の勝利は一体誰のおかげだろうか。

 

 

「そう! 俺様のおかげだ! 俺様の力なしではお前らはケイブリス派に勝てなかった!」

 

 今回の戦いのMVPは俺様に決まってるっ! 

 と、ランスは大きく胸を張る。それはもうえっへんと胸を張る。

 

 となればご褒美があって然るべき。

 だってこれは派閥戦争だ。人間の自分達ではなくホーネット達にとっての戦争だ。

 自分はそこに協力してあげた訳なのだから、その分の報酬を受け取るのは正当な権利である。

 

「俺様の協力がなけりゃお前達ホーネット派なんてとっくの昔に負けていたのだ。んでケイブリスにとっ捕まって、今頃はあいつのちんこでヒーヒー言わされとったんだぞ」

「うわぁ……想像したくもない事を言うわね……」

「それに比べりゃあ俺様とのハーレムセックスぐれーどうって事はねぇだろう。いやむしろ俺様に対してちょっとでも感謝の念があるってんなら、自ら進んでそうすべきだと思うがなぁ?」

「うっ……」

 

 その言葉には説得力があったのか、三人の魔人達は思わず唸ってしまう。

 

 贔屓目無しに見てもランスの活躍は多大だ。貢献度で言えば魔人である自分達よりも上だろう。

 そんなランスに対して感謝の念を抱かないというのは……それはあまりにも恩知らずな話だ。

 そして感謝の念を抱いているなら、それなら……ランスの望みの一つぐらいは、叶えてあげるべき……なのかも、しれない。

 

「……で、でも、全員でなんてそんな……は、ハーレムなんて、サテラは……っ!」

「そうですね……せめて別々にするのであれば、その……構わないのですが……」

 

 しかし、それでもハーレムセックスは。

 特にこのメンツでとなると……あのホーネットと一緒にくんずほぐれつだなんて。

 そこがどうしてもネックとなって、未だ渋っていた三名の魔人達の中で。

 

 

「んー……しょうがないなぁ」

 

 まず最初に歩み寄ったのはこの魔人。

 そう言ってシルキィは困ったように微笑んだ。

 

「まさか、シルキィ……」

「……うん。ランスさんが私達の為にいっぱい頑張ってくれたのは本当だもんね。それのご褒美が欲しいっていうなら……うん、いいよ。私で良ければ付き合ってあげる」

「ほうほう、イイ子だシルキィちゃん。まぁ君ならそう言ってくれると思ってたがな」

 

 こうしてシルキィは折れた。

 というよりも……彼女は場の空気を読む事が出来る性格をしており、ここで何を言ってもランスは引かないだろうと察していた。

 ケイブリス討伐のご褒美と言われたら言い返す言葉もない。だったら自分が真っ先に名乗りを上げる事で、残りの二人が後に続きやすい空気を作ってあげるべきだろう。

 つまりこれはサテラとハウゼルの為、そしてハーレムプレイの約束をしてしまったホーネットの為、そしてランスの為だった。

 

 

「よし。シルキィちゃんは落ちた、と。だったら次は……ハウゼルちゃん」

「っ……!」

 

 ランスがギリッと視線を向けると、ハウゼルはピクッと肩を揺らす。

 

「ハウゼルちゃん。君にはお願いなんてまどろっこしい真似はせんぞ。抱かせろ」

「え、えっと、でも──」

「でもじゃない。セックスさせろ。いいな?」

「う、うぅぅ……、わ、かり、ました……あの……はい……ご褒美、ですしね……」

 

 するとハウゼルはポキリと折れた。

 この魔人は押しに弱い。下手にお願いするよりも一気に押してしまった方が有効なのだと、すでにランスもハウゼルの性格を熟知していた。

 

 

「よし、ハウゼルちゃんも落ちた。となれば最後は……」

「さ、サテラはしないぞっ!」

「……サテラ。お前はどうしても駄目か?」

「そうだっ! そんな、そんなハーレムなんて、なんでサテラがそんな事……!」

 

 そして残った一人、サテラ。

 この魔人の落とし方と言えば……。

 

「……ならサテラ、お前はいいや」

「えっ」

「うむ。せっかく俺様が死ぬ思いをしてケイブリスを倒してやったのに、誠意の一つも見せられんようなケチくさい奴はいらん」

「ぐぅっ!」

「俺はホーネットとシルキィちゃんとハウゼルちゃんと一緒に楽しくセックスするからな。どケチなサテラちゃんは粘土遊びでもしてりゃいいさ」

「ぐ、ぐ、ぐぐぐぅ~~!」

 

 この魔人は性格が尊大で、かつ子供である。

 なのでそのプライドを刺激してやったり、一人だけ仲間外れにしてやったりするのが良く効く。

 

「ほれサテラ、お前は帰れ帰れ。しっし」

「……う、うぅ」

「さーてと、それじゃあいらないサテラを除いた君たちとはめくるめく快楽の世界へ──」

「──うううっ~~! 分かったぁっ! すればいいんだろう、すればぁ!!」

「その通り。すればいいのだ」

「ぐぅぅ~~!! ランス!! 本当に今回限りだからなぁ!!」

 

 こうしてサテラも折れた。

 もはやこの魔人の扱いは、いいやどの魔人の扱いだってランスにはお手の物。

 そうなるぐらいに長い時間、ランスはこの魔王城で暮らしてきた。

 ホーネット派に協力して、派閥戦争を勝ち抜いて、その中で彼女達と触れ合ってきたのだ。

 

「よーーっし!! これで全員完了、ハーレムセックスの準備おっけー!! では君たち、服を脱いでベッドに上がりたまえ」

「こ、ここで、脱ぐんですか……?」

「当たり前だろう。大体なハウゼルちゃん、これからみんなでセックスするっつってんだから裸になるぐれーで恥ずかしがってる場合か」

「そ、れは……そう、ですね……」

「く、う、う゛ぅぅう゛~~! さ、サテラはこのくらい、このくらい……っ!」

 

 ハウゼルとサテラはもう真っ赤になりながら、それでも一枚一枚と衣服を脱いでいく。

 

「……ところでホーネット様。お怪我の方は大丈夫なのですか?」

「えぇ、まぁ……。それに怪我というならシルキィの方も結構な怪我を負ったと聞きましたが」

「私は耐久力だけが取り柄のようなものですから。……とはいえ、今は出来る事なら安静にしていたいんですけどね」

「……えぇ、そうですね」

 

 一方で露出に抵抗の少ないシルキィとホーネットはすんなりと脱衣を済ませて。

 

「……ランス。準備出来ましたよ」

「おぉぉ……! これは壮観だ……!」

 

 全員が服を脱ぎ終えて、その場には見目麗しい四名の魔人達の一糸纏わぬ裸体が。

 その絶景にランスは口元をニヤつかせ、嬉しそうに目を輝かせる。

 

「では君たち、ここはムード作りも兼ねてそれぞれの言葉で俺様を求めてみなさい」

「……なにか一言ずつ言え、と?」

「うむ。こういうのは各々のセンスが光る重要なセリフだぞ」

「……そう、ですね……」

 

 そんな要求をしてみれば、最初こそ四人も躊躇していたものの。

 

 

「う゛ぅぅ~~……ランスッ!」

「おう」

「こ、これは……これはぁぁ~……ほ、本当に特別だからなぁ!! 特別だから、だから……その、今日は……サテラにエッチな事……させてやる」

 

 ある魔人は真っ赤な顔でそう囁いて。

 

 

「……ランスさん。その、私、こういう事は苦手なのですが……あの、宜しくお願いします……」

 

 ある魔人は恥じ入りながらもそう呟いて。

 

 

「えっと……お手柔らかに、ね?」

 

 ある魔人は少し茶目っ気のある顔で微笑んで。

 

 

「……ランス。……来て、ください」

 

 そして、ある魔人は心の内を素直に曝け出す。

 

 

「……くっくっく。そうかそうか。お前ら……そんなに俺様が欲しいのか」

 

 ハーレム。それは男の夢。

 それもただのハーレムじゃない。これは世にも贅沢な趣向であろう魔人ハーレム。

 魔人というのは魔王の従者。本来なら人間なんかではとても手の届かない存在のはずで。

 

「がーはっはっはっはっは!! ならばたっぷりとくれてやろうではないか!!」

 

 そんな魔人達がこんなにも。

 こうして全員が裸になって、こうも扇情的に自分の事を求めている。

 

 魔人サテラが。

 魔人ラ・ハウゼルが。

 魔人シルキィ・リトルレーズンが。

 魔人ホーネットが。

 

「がーはっはっはっはっは!! がーーーーはっはっはっはっはっはっは!!!!」 

 

 これはあの時のような夢じゃない。

 まさにこの世の春。

 これこそが我が栄光。

 

 ランスは瞬時に服を脱ぎながらジャンプして、四人の元へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 こうしてランスは最大の目標を達成した。

 魔人ケイブリス討伐のご褒美として、夢心地の魔人ハーレムを心ゆくまで堪能した。

 

 めくるめく快感を、興奮を存分に味わった。

 喜びを、幸せを尽くすように味わった。

 

 そして──

 

 

 

 

 

 

 

 ──そして、束の間の平穏を味わった。

 

 魔王が覚醒するまで、ほんの一時の平穏を。

 

 

 



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エピローグ

 

 

 

 

 

 それは、ある日の事。

 

 

「美樹ちゃんを招きたい?」

「えぇ、そうです」

 

 きっかけはそんな会話からだった。

 

 そこは魔王城内にある客室の一つ。

 戦後処理に追われる日々の中、ランスの部屋を訪れたホーネットが口を開く。

 

「貴方も知っての通り、ここは魔王城。本来であれば魔王様が御わす場所です。である以上、やはり美樹様にはこの城に居て貰うべきだと思うのです」

 

 人間世界で行方不明となっている存在、未覚醒の魔王・来水美樹。

 その居場所や安否など、美樹に関してはホーネットも以前から懸念しており、今回戦後処理の一環として美樹の件にも触れる事にしたらしい。

 

「けどホーネットよ、美樹ちゃんはこの城から逃げ出したんじゃなかったか?」

「えぇ、その通りです。当時は私もそれを止むを得ない事だと考えていたました。魔物界で派閥戦争が起きている状況下、美樹様は人間世界に居た方がまだ安全だと思ったのです」

 

 しかし今、その派閥戦争は終わった。

 自らが魔王になる事を目論んで美樹の命を狙った魔人ケイブリスは討伐された。

 

「戦いが終わった以上、美樹様をこの城に招く事に何ら障害はありません」

「……ふむ」

「それに美樹様にとっても……未覚醒とはいえ美樹様はれっきとした魔王、人間世界で暮らすのには何かと不都合が多いと思うのです」

「……ふーーむ……」

 

 人間世界で暮らす美樹達について、前回の時の記憶などを思い出したランスは顎を擦る。

 魔王の血を継承して、しかし魔王リトルプリンセスとして覚醒していない来水美樹。彼女が不安定な魔王の力に翻弄される姿は何度か見てきた。

 そして同行者の小川健太郎は魔人。魔王と魔人が人間世界にて安穏と暮らすのは難しい。中々一つの場所には留まれず、山の中に隠れていた前回の美樹達の姿がランスの脳裏によぎる。

 

「……ま、そーだな。今となってはこっちに居た方が何かと安心かもしれねーな」

 

 当人達にとっても、あるいは誰にとっても。

 美樹達にはこちらの目の届く場所に居て貰った方が良い。それはランスも同意する所だった。

 

「えぇ。美樹様が魔王として覚醒なさるにしろそうでないにしろ、いずれにせよ魔王城に居て貰う事に問題は無いはずです。ですから美樹様をお迎えに上がりたいのですが……困った事に私には美樹様の居場所が分からないのです」

「なーるほど。それでこのランス様の力を借りたいって訳だな?」

「えぇ、そういう事です。貴方は人間世界の国々に顔が効く立場にあるようですし、以前には美樹様から手紙を受け取っていましたよね?」

 

 ホーネットがそう尋ねると、ランスはなんのこっちゃと言いたげに「む?」と首を傾げる。

 

「美樹ちゃんからの手紙? んなもん受け取った覚えはないのだが」

「……やはりあれは嘘だったのですね。まぁ、そうだろうとは思っていましたが」

 

 案の定だった答えにホーネットが嘆息する。

 それは以前、初めてランスと一緒に入る事となった魔王専用の浴室。

 その時にランスが混浴の言い分として使用したのが美樹からの手紙の存在だった。

 

 しかしそれはニセモノであり、ランスは美樹からの手紙など受け取ってはいない。

 なので今現在、ランスは美樹や健太郎と連絡を取り合えるような状態には無いのだが。

 

「まぁいい。話は分かった」

 

 ランスは腰掛けていたソファから立ち上がる。

 美樹達と連絡を取り合う方法は無いが、されど何も問題は無し。

 前回の時もそうだったが、ランスの力を以てすれば美樹達を探し出す事なんて朝飯前だ。

 

「確かに美樹ちゃんの問題は放っておくと後が怖えーし、とっとと手を打った方が良さそうだ。んじゃ早速だが人間世界に向かうとするか」

 

 

 

 

 こうしてランス達は人間世界へと出発した。

 目的は魔王・来水美樹の捜索。

 それは前回の時にも経験済みであり、だからこそ手順はもう分かっている。

 

 まず向かったのはランスの居城、ランス城。

 目当ては城に住む居候の一人、クレイン。

 盗み聞きの魔女とも呼ばれるクレインの情報収集能力を借りた所、前回とは違って人間世界は戦時中ではない事も影響してか、美樹達の所在は労せずすぐに判明した。

 

 二人が居たのは自由都市の小さな村。

 ランスは即座に直行して、前回の時程に手間取る事もなく美樹達と再会を果たした。

 そして事情を説明した所、こちらの提案に美樹達は悩んだ挙げ句に首を縦に振った。

 

 そして──

 

 

 

 

「わぁー! なんか懐かしいなぁ!」

 

 跳ねるような美樹の声。

 

「久しぶりに見たけどやっぱし大っきい城だね。美樹ちゃん」

「うん、そうだね!」

 

 そして隣には小川健太郎の姿。

 長らく人間世界を旅していた二人は、因縁深き場所でもあるこの魔王城へと戻ってきた。

 

 敵対派閥だったケイブリス派が壊滅して魔物界も平和になった事。

 共にこの城で暮らす者達、ホーネット等には美樹に魔王化を強制する意思は無い事。

 もし何かが起きてしまった時、人間世界に居たのでは多くの人々に迷惑が掛かってしまう事。

 

 それらの事情を考慮して、美樹と健太郎はこの魔王城で暮らす決意をしたのだ。

 

 

「あ、そう言えばランスさん」

「なんじゃ」

「聞きましたよぼく。ランスさんはホーネットさん達に協力して、美樹ちゃんの命を狙ってたわるーい魔人達を退治してくれていたんですよね?」

「あぁそうだ。俺様がケイブリス派をブッ潰したからこそお前ら二人はこの魔王城で安全に暮らせるのだ。せいぜい感謝しやがれ」

「もちろん、感謝感謝です」

 

 健太郎は両手を合わせてぺこりとお辞儀する。

 

「なんかすみませんねぇランスさん。僕達の為に色々頑張ってもらっちゃって……」

「……イラッ」

「いたーっ!」

 

 どげしーっ! と健太郎のケツに本気のランスキックが炸裂。

 わざわざ魔剣を取り出して無敵結界を破壊してからケリを入れる程の念の入れようだった。

 

「い、痛たた……いきなり蹴るなんてヒドいなぁ、ランスさん」

「やかましい。真っ二つに叩っ斬られなかっただけでもマシだと思え」

 

 本人に悪気は無いのだろうが、どうにも空気が読めないというか、なんというか。

 変人の気がある健太郎の言動はランスの機嫌を逆撫でする事が多く、またそもそも男である事もあってか、基本的にこの二人の相性は悪い。

 

「シィルおねぇちゃん!」

「美樹ちゃん、久しぶり!」

 

 一方でこちらの二人はその真逆。

 シィルは基本的に人当たりが良く、なので勿論美樹とも良好な関係を築いている。

 

 その後は氷漬けにしてしまった事を謝罪し、また氷の中から解放された事を喜んだりと。

 賑やかな団欒の中、美樹達は久しぶりに再会したシィル達と友誼を深めた。

 

 そして──

 

 

 

 

 そして。

 それは次の日の事だった。

 

 

 

 

「あっ! あああぁああああッッ!」

 

 苦しむ声が。

 人のものとは思えないような絶叫が響く。

 

「この城に備蓄してある全てのヒラミレモンを持ってきて下さい! 早くっ!」

 

 切迫したウルザの声。

 廊下を慌ただしく走るホーネットの使徒達。

 

「うぐっ! ぐうぅうぅ! ああ゛ああぁあ゛ああ゛ぁぁあ゛ああ!」

 

 ベッドの上には、大量の鎖で縛り付けられている来水美樹の姿が。

 胸の内で暴れる凶悪な鼓動に、美樹は身体を暴れさせてもがき苦しんでいた。

 

「………………」

「美樹様……」

 

 一方、その周囲に立ち尽くす者達は。

 皆が絶句している。

 途方に暮れたような表情をしている。

 

「どうして、こんな……」

「…………チッ」

 

 目の前にある光景が受け入れられない。

 その場に集まった者達、ホーネット派の面々はおろかランスでさえもそんな顔をしていて。

 

「……おい、ホーネット」

「………………」

「なんなんだ、これは」

「………………」

 

 ランスは八つ当たり気味にそちらを睨む。

 だがホーネットの視線は目の前の光景に釘付けとなったまま。

 

「昨日まではピンピンしてたじゃねーか。どうして突然こうなるんだ」

「……分かりません。魔物界の空気が影響した……とは、考えたくないのですが……」

 

 突然に。

 本当に突然に始まった美樹の発作。

 それはただの偶然や気まぐれなのか。あるいは何者かの意思によるものか──

 

 

 魔王リトルプリンセスへの覚醒。

 それが今、この魔王城で刻一刻と迫っていた。

 

 

「美樹ちゃん、ほら、口を開いて! ヒラミレモンを食べるんだ、さぁ……!」

「あぐっ……うっ、ううううぅうぅぅ……!」

「美樹ちゃん、頑張るんだ、美樹ちゃん……!」

 

 健太郎が美樹の口を開かせ、押し込むようにヒラミレモンを食べさせる。

 けれども美樹の悲鳴は止まない。本来なら魔王化の発作を鎮めるはずのヒラミレモンだが、しかしこの時に限っては何の効果も齎さない。

 

「……ランスさん。何か他に打つ手は無いのでしょうか」

「……どうなんだ、ホーネット」

「………………」

 

 ウルザが問い掛けて、ランスが話を振って、そしてホーネットは沈黙で返す。

 魔王化の症状を抑える方法、それは現状ヒラミレモンを食べる以外には見当たらない。

 残る手段としては本人次第、美樹が自らの意思力によって発作に打ち勝てるかどうか。

 

 もしそれも無理だとなると──

 

 

「……美樹様が魔王様として覚醒する」

「………………」

「これは……これは、良い事なんですよね? ホーネット様……?」

「………………」

 

 不安げに見つめるサテラ。

 対してホーネットからの返事は、無い。

 

 ホーネット派とは、リトルプリンセスに世界を支配して貰う事を目的としていた。

 であるならば、この結末はホーネット達にとって派閥の本願を叶えたものだと言えるだろう。

 

 だからこれは歓迎すべき事だ。

 美樹が魔王へ覚醒する事は、この城に住む者達にとっては本来喜ぶべき事であるはずなのだが。

 

「美樹様が、ここで……」

「……っ、ホーネット様」

「……シルキィ、貴女の言いたい事は分かります。ですが……」

 

 しかしサテラも、ハウゼルもシルキィも。派閥を率いてきたホーネットですらも。

 魔王・来水美樹の為、ホーネット派として戦っていた彼女達全員の表情は固く、巌しい。

 

 魔王の本質とは破壊と殺戮だと知られている。

 秩序だった統治を行った唯一の存在、前魔王ガイは例外中の例外だと言ってもいい。

 特に人類に対してとなると、破滅的な攻撃を仕掛けるのが魔王としてあるべき姿。

 

「ここで美樹様が覚醒したら、世界は……」

 

 この覚醒の意味とは。

 魔物界に棲む魔物達はまだしも、人類にとってはどういう意味を持つのか。

 

 そもそもが今この場所でこうしている事が。

 自分達ホーネット派がここまで来られたのは、人間であるランス達のおかげなのに。

 

 それなのに、その結末がこれでは──

 

 

「……ランス。どうしますか?」

「……どうって、どういう意味だ」

 

 ホーネットがそちらに視線を向けると、ランスは尖った目付きで睨み返してくる。

 

「どうもこうも、他に打つ手はねーんだろ?」

「……いえ。本当の事を言えば……完全に打つ手が無いという訳ではありません」

「例えば?」

「……一つはとても簡単な事です。まだ美樹様が未覚醒である今の内に……」

 

 その先は言わなかった。

 魔人筆頭として、それだけは絶対に言ってはならない言葉だったからだ。

 

「……あー」

 

 けれどもそんなホーネットの表情を見てある程度察したのだろう。

 だからこそランスはすぐに答えた。

 

「それはパスだ。俺様は可愛い女の子は絶対に見殺しにはせんのだ」

「……そうですか。……そうですね」

 

 未覚醒である今の内に……魔王を殺す。

 ランスがランスであるが故、それを選択する事は出来なかった。

 ここでそれを選択してしまっては、ケイブリスとやってる事が何も変わらなくなってしまう。

 

「だとしたら、他には……」

「……他には?」

 

 魔王を殺す以外の、更なる別の手段。

 それは──

 

 

「他、には……」

 

 別の手段……それは。

 それ以上ホーネットは何も言えなくなって、ただ揺れる瞳でランスの事を見つめる。

 

「……なんだ」

「……いえ、分かりません。……おかしな事を言っていますね、私は……」

 

 そして、答えは告げずに視線を戻す。

 

 

「……おかしな事、か」

 

 けれどその瞳の意味は。

 全てはランスにもちゃんと伝わっていた。

 

「…………ふーん」

 

 それは決戦前夜の夜の事。

 マジノラインの客室で、ホーネットと一夜を共にしたあの時の事。

 

 魔王はその力を継承する事が可能で、その為には継承者に特別な何かが必要になる。

 

 そんな話を聞いた時。

 その時、自分はホーネットに対して何と言って返したのだったか。

 

 

「……魔王」

 

 ふと──ランスは思い出す。

 もはや遥か昔のように感じる記憶。

 それでもまだ色褪せずに思い出せる、前回の第二次魔人戦争、その最後の日。

 

 あの日。祝勝会の場ではちょっとした事件が起こって自分はそちらにだけ気を取られていた。

 けれどもよーく思い出してみると、あの時ランス城内ではもう一つ別の事件が起きていた。

 あの会場から自分が姿を消す最中、周囲の者達はそのように騒いでいたような覚えがある。

 

 その事件とはすなわち魔王の覚醒だ。

 あの時も今と同じように、美樹はリトルプリンセスになろうとしていた。 

 あの時の自分にはどうでもいい事だったが、今思い返せば確かにそうだった。

 

「……だったっけか」

「え?」

「いや、なんでもない」

 

 しかし──今はあの時とは違う。

 

 ここはランス城ではなく魔王城。

 あの時のように人間の仲間達は居ない。

 けれどもその代わりに魔物や魔人達が居て。

 

 サテラが。

 ハウゼルが。

 シルキィが。

 ホーネットが、ここには居て。

 

 そして──

 

 

「ランス様……」

「………………」

 

 そして、すぐ隣には……これが。

 不安そうな顔でこちらを見ているシィルが居る。

 

「……そーだな」

 

 あの時と今は違う。

 ここにはシィルが居る。

 

 ──だとしたら。

 

 

「……シィル、ちょっとこっち来い」

「え? でも、美樹ちゃんが……」

「いいから来いっての」

 

 ランスはむんずとその手を掴むと、有無を言わさずシィルを引っ張って部屋から出ていく。

 

「ど、どうしたんでしょう……?」

「さぁ……?」

 

 ハウゼルやシルキィが首を傾げる中。

 ランスとシィルが廊下に出ていたのはほんの一分足らずの事で。

 

 その時、なにがあったのか。

 二人の間でどんな会話が交わされたのか。

 それは二人の他には誰も知らない事。

 

 そして。

 

 

「がははははははーーっ!」

 

 

 すぐに大笑いと共に戻ってきた。

 なにがあったのか、ランスはそれはもう上機嫌になっていた。

 一方でシィルは少し顔が赤くなっていた。

 

「よーし決めたっ! やっぱし苦しむ女の子の悲鳴を放置しておく事など出来んな! つーわけで健太郎、邪魔だからそこどけ」

「えっ、ランスさん、なにをするんですか?」

「いいからどけっての。役立たずは引っ込んでいるがいい。しっし」

 

 ランスは健太郎を下がらせると、ベッドで横たわっている美樹と目線を合わせる。

 

「美樹ちゃん。苦しいだろうが一仕事だけ頼む」

「ひと、しごと……?」

「あぁ。それさえ終わりゃあすぐに楽になるはずだから。ほら、身体を起こせるか?」

「……うん、よいしょ……」

 

 美樹はよろよろと身体を起こす。

 

「……まさか、ランス、貴方は……」

 

 そんな中、ホーネットはランスがしようとしている事をいち早く察知した。

 何故なら他の選択肢と言えば……それは、もうあれぐらいしか残されていないから。

 

 

「まさか、血の継承を……?」

「あぁ。俺様が魔王になる」

 

 するとやっぱりランスはそう答えた。

 なんら気負いなく。当然の事を言うかのように。

 

 

「なっ……!」

 

 その驚きは誰の声だっただろうか。

 きっとその場にいた殆どの者の感想だろう。

 とはいえホーネットと、そしてシィルだけは異なる反応をしていたようだが……とにかく。

 

「ランス、一体何を言ってるんだ!」

「そんな、ランスさんまさか!」

「ふふん、やっぱり世界最強の俺様には世界一の存在が似合うってなもんだぜ。さぁ美樹ちゃん。君の魔王の力を俺様に寄こすのだ」

「え、けど、そんな……いいの? そんな事……」

「いいのだいいのだ。ほらほら、魔王の力なんてペッて出しなさい、ペッて」

 

 魔王の力の継承。それは自らの苦しみを相手に押し付ける事に他ならない。

 苦痛の最中にあっても優しい性格の美樹は躊躇していたのだが、しかしランスは気にもせず。

 

「ふふふ、魔王か……悪くない」

「ランス。貴方は本気で……?」

「当然だ。つーかな、お前からあの話を聞いた時から俺は魔王になろうと企んでいたのだ」

「ちょ、ちょっと待って下さい! ランスさん、そんなこと──!」

 

 すると慌てた様子のウルザの言葉を遮るように、

 

「大丈夫だ、ウルザちゃん」

 

 ランスはそう呟いて。

 そして、重ねるようにもう一度。

 

「大丈夫だ。俺様を信じろ」

 

 その言葉が決定打となった。

 その言葉を耳にして、自然と誰もが反対の意思を持たなくなった。

 

 だってそれは自棄になったとか。どうでもよくなったとかそういう事では無いから。

 ランスは自らの意思で、自らの手でそれを選んだのだから。

 

 

 

 そして──血の継承が行われた。

 

 

 

 そして──

 

 

 

 

「がはははははは!」

 

 そして、聞こえる。

 

「がははははははははははははは!」

 

 笑い声が、聞こえる。

 

「がーーっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」

 

 魔王城に高笑いが響く。

 

 

 LP歴8年から変わって──RA歴0年。

 

 この世界に魔王ランスが誕生した。

 

 

 

 

 




 
これにて第一部……というか本編としては完結になります。
ここまでお読みになっていただき有難うございました。

ここから先、この話はアフターへと進みますのでそちらもお読みいただければ幸いです。

また、ランス(9.5IF)本編完結に先駆けて活動報告を更新しました。
そちらでは本編についての経緯やアフターについての展望などを書きましたので、興味がある方は御覧下さい。



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アフター
前夜


 

 

 

「──ぐっ、があああ゛あ゛あ゛ああ!!」

 

 絶叫が響く。

 

「あ゛あ゛あぁあぁあ゛ぁああ゛あああ!!!!」

 

 濁った悲鳴が魔王城内に轟く。

 血の継承を受けてから数時間、その男はずっと自室で心臓を押さえてもがき苦しんでいた。

 

 その悲鳴はいつまでも続いて、永遠に終わりなど来ないかのようだった。

 

 ──だが。

 

 

「…………あ」

 

 ふと気付いて、誰かが呟く。

 絶え間なく続いていた絶叫が途切れていた。

 先程までが嘘のように静かになっていた。

 

「ホーネット様、これは……」

「……えぇ。恐らくは……」

 

 その男は──適合した。

 素質無き者には飲み込めない凶悪な力の源、魔王の血を飲み込む事に成功した。

 

「……ランス、入りますよ」

「……あ、ランス様、眠っちゃってますね……」

「ホーネットさん、これは魔王の力の継承に成功したと考えて宜しいのでしょうか?」

「えぇ、そうだと思います。適合出来なければ魔王の血を吐き出しているはずですから。とはいえあれだけ長い時間苦しんでいましたからね、身体の方が限界になって眠りに就いたのでしょう」

「……血の継承に成功した。という事は、ランスが目覚めたら……」

 

 その男が目覚めた時、この世界に第八代目の魔王が誕生する。

 今は穏やかな顔で眠っているその男が、じきにこの世界を統べる新たな王となる。

 

 

 

 次の日。その男はまだ目覚めない。

 

「……でもまさか、ランスが魔王になっちゃうなんてね」

「……そうですね。あの状況では他に手段も無かったですし仕方無い事とも言えるのですが……」

「ねぇシィルちゃん……その、大丈夫?」

「あ、はい。私は大丈夫なんですけど、でも……」

「でも?」

「……でも、やっぱり色々と大きな問題になっちゃうんだろうなー、って思って……」

「あぁ、それは……そうね」

「間違いないと思います。新たな魔王が誕生するというだけでも一大事なのに、それがランスさんですからね。あの人の影響力を考えると、特に人間世界がどうなるか……」

 

 新たなる魔王は人間出身の魔王となった。

 その事実は、その影響は、事によっては国家間の情勢を揺るがす大事件に発展しかねない。

 先行き不安な状況を憂い、人間である者達はその表情を曇らせる。

 

「……とはいえ、ここで私達が悩んでいてもどうにもならないんだけどね」

「そうですね。すでに賽は投げられてしまった事ですし、私達は私達に出来る事をしましょう」

 

 

 

 次の日。その男はまだ目覚めない。

 

「……成る程。ヒラミレモンをですか」

「えぇ。ランスが目覚めた後、場合によっては必要になるかもしれません。魔物界にある分はこちらで集められるのですが、私には人間世界の伝手がありませんので……」

「そこを私に、という事ですね。分かりました、すぐに手配しておきます」

「えぇ、お願いします」

「……ただ、もしヒラミレモンがランスさんの役に立った場合、それはそれで喜ぶべき事なのかどうか判断が難しいですね」

「……確かに。その時はランス自身にも魔王の力を抑えられなくなっているという事。あるいは美樹様のように、そもそも魔王には至らず不完全な状態となる可能性もありますが……」

「ホーネットさん、魔王の力を受け継いだ場合、美樹さんのように未覚醒の状態を保つというのは良くあるケースなのでしょうか?」

「……いえ、美樹様に関しては相当稀なケースだと私は考えています。あの方は私の父によって半ば強制的に魔王にされた身、そもそも本人が魔王になる事を拒んでいたからこそあのような不安定な状態になったのだと思います」

「だとすると、ランスさんは曲がりなりにも自らの意志で血の継承を受けた。となると……」

「えぇ……。とはいえ、確かな事は当のランスが目覚めてみないと私にも分かりません」

 

 自然と考える。否が応でも考えさせられる。

 その男が目を覚ました時、その男はどのような魔王となっているのか。

 

 残虐で冷酷な魔王になっているのか。

 それとも魔王にすらなっていないのか。

 それはまだ誰にも分からない。……が、その時は刻一刻と迫っている。

 

 

 

 次の日。その男はまだ目覚めない。

 

「ホーネット様、手紙の代筆終わりました」

「ありがとうございます、シルキィ。……悪かったですね、こんな雑用を貴女に頼んで」

「これ位構いませんよ。ホーネット様の使徒達はヒラミレモン集めに忙しいようですし、送る相手が多いだけに必要な数もかなりのものですからね。……これで全員分ですか?」

「えぇ。ひとまずはこれで十分でしょう。私の分も書き終わりました」

「魔人達は当然として、魔物界において重鎮と呼ばれる魔物達、それに各魔界都市の代表や各種族の有力者達など、全員を呼び寄せるとなると結構な人数が魔王城に集まる事になりますね。……時期が時期だけに少し不安ですが」

「派閥戦争が終わって間もないですからね。私もそこは悩みましたが、しかし魔王様が代替わりしてしまった以上これは避けては通れぬ道。であれば早い方が良いでしょう、考えようによっては今なら叛意を持つ者も少ないでしょうし」

「あぁ、それは確かに。ケイブリス派が壊滅した今すぐに再び魔王様に反旗を翻そうと考える者はそう居ないでしょうね。……ではホーネット様、メガラスに渡してきますね」

「えぇ、お願いします。……考えてみると、一番大変なのはメガラスかもしれませんね。北のアワッサツリーから南のタンザモンザツリーまで、魔物界の各地を飛び回わらねばならないのですから」

 

 新たな魔王が誕生した時、魔に属する者達にはするべき事がある。

 新たなる魔王の誕生を祝し、我らが王に絶対の忠誠を誓う事。

 更にはこの世界に生息する全ての魔物達、末端の魔物達にまで魔王の存在を周知させる事。

 その為に魔物界の各地から、魔王の手足となるべき者達が着々と集められていく。

 

 

 

 次の日。その男はまだ目覚めない。

 

「……はぁ、どうしよう……」

「かなみさん、悩み事ですか?」

「うん……ランスの事をね、リア様に報告するべきかどうかずっと悩んでて……」

「あれ? かなみさん、まだリア王女に報告されていなかったのですか?」

「……その言い方だと、ウルザさんは……」

「えぇ、すでにゼスの方には報告を入れました」

「ですよねぇ~……やっぱし私もリーザスに報告した方がいいのかなぁ……。あぁでも、ランスが魔王になったなんてリア様に知られたらすっごく大変な事になるような気が……」

「……正直言ってそれは私も同感ですが、しかしこのような世界の一大事を隠し通す事なんて不可能ですから、かなみさんが報告しなくても遅いか早いかの違いでしかないと思いますよ」

「……それもそうですね。ならやっぱり報告しようかな……って、考えてみたら私は今リーザス所属じゃなくてランスお付きの忍者なんだから、報告するとしたら先にランス城の方ですかね」

「あ、かなみさん、ランス城の方にだったら私がお手紙を出しておきましたよ」

「あ、そうなんだ……。なんか……シィルちゃんもウルザさんも仕事早いね……」

 

 そして人間達も。

 この先どうなるか分からないからこそ、今の段階で打てるべき手は打っておく。

 それは人間も、魔人達も変わらない。魔王によって翻弄される全ての生物に共通する思考。

 

 

 

 次の日。その男はまだ目覚めない。

 

「……中々起きないな、ランスのやつ」

「そうね。これでもう5日目ですか」

「ちょっと寝すぎじゃない? 魔王になる時ってこんなにぐっすり眠るもんだっけ?」

「……聞いた事はないな。といっても魔王の血を継承した時の事なんて、ガイ様から美樹様に継承された時の事しかサテラは知らないけど」

「私と姉さんはその一代前、ジル様からガイ様に継承された時の事も知ってはいるけど……」

「でもあれはちょっと別モノっていうか、正式な継承では無かったって話だからね。……ねぇハウゼル、他の魔王の例は知らないの?」

「私達が生まれる前の魔王様の事はさすがに分からないわ。こういう事は私達よりも後に生まれたシルキィやホーネット様も詳しくは無いでしょうから、知っているとしたら……」

「古株の魔人だと……ガルティアとかか。あ、メガラスが一番詳しいじゃないか?」

「んじゃあサテラ、ちょっとメガラスに過去の魔王の事を聞いてきてよ」

「どうしてサテラが。サイゼルが聞いてくればいいじゃないか」

「え~、いやよ。メガラスに話しかけたって沈黙で返されるのが目に見えてるし」

 

 

 

 次の日。その男はまだ目覚めない。

 

「ホーネット様、ビューティツリーの代表が城に到着したようです」

「分かりました。では他と同じように客室に通しておいて下さい」

「今のケイコの報告は……メガラスが届けた手紙の返事が早速やって来たという事ですか」

「えぇ、そういう事です。ブルトンツリーやキトゥイツリーなど、魔王城に近い都市に棲む者達は続々と集まってきています。やはり新たな魔王様が誕生したとあっては魔物達の動きも迅速になりますね」

「ですね。まだ手紙を出して数日だと言うのに……この分だとランスさんが目を覚ますよりも先に全員が到着してしまうかもしれませんね」

「全員……そうですね。空き部屋は多く有りますし待たせる分には問題ありませんが……ただ、こちらが呼び出した全員が招集に応じるかと言うと……どうでしょうかね」

「……元ケイブリス派の魔人達の事ですか?」

「えぇ。来ると思いますか? シルキィ」

「さすがに来ると思いますけどね。魔王という存在を無視出来る魔人はそう居ないでしょうし、特に今回の戦いで生き残ったのはそれなりに理知的な魔人達だし……って、あ、ケイコ?」

「ホーネット様、シルキィ様。魔人レイ様が城に到着されたようです」

「……話をしたら、ですね」

「えぇ。……しかし、これはまた意外なところが一番に来ましたね……」

 

 

 

 次の日。その男はまだ目覚めない。

 

「……起きないわね、ランス」

「あの日からもう一週間、さすがにちょっと心配になってきましたね……」

「そうですね……ただこれが異常な事なのかというとなんとも言えないですね。血の継承による魔王化については事例が少なすぎて確かな事は言えないとホーネットさん達も言っていましたから、今のところは見守るしかないでしょう」

「うん。それに起きないとは言ってもぐがーぐがーと心地よさそうにいびきはかいてる事だし、問題とかは無いと思うけどね」

「……それもそうですね。今から心配し過ぎてちゃ駄目ですよね。色々と大変な事になるのはランス様が起きてからが本番でしょうし」

「そうそう。大変なのはランスが起きてから……」

「……かなみさん?」

「……ランスが起きたら……本当に、どうなるんだろうなって思って」

「そうですね。……魔王、ですからね」

「……大丈夫ですよ、きっと」

 

 その男が目覚めた時、果たしてその男はどのような魔王になっているのか。

 魔王が目覚めた時、果たしてこの世界はどうなっていくのか。

 

 彼が目覚めた時、果たして自分はどうなるのか。

 

 

「先程カミーラも来城して、元ケイブリス派魔人達も全員が到着しましたね」

「そうですね。……これで後はランスが目覚めるだけ……なのですが」

「さすがに城内も騒々しくなってきましたし、早く目覚めて欲しいものですね」

「えぇ。……にしても不思議なものですね。元々私達ホーネット派は父上の遺命に従い美樹様に忠誠を誓っていた身です。その為に派閥戦争を戦い、戦いの中で人間であるランスの協力を受けました。そのおかげで派閥戦争に勝利したと思えば、美樹様からランスへと血の継承が行われて……」

「……確かに。不思議な巡り合わせですね。私達ホーネット派の使命は叶いませんでしたが、それでも魔王になる事を拒んでいた美樹様にとっては喜ばしい結果なのでしょうね」

「そうですね。……ただ、一方でランスは……どうなのでしょうか」

「というと?」

「ランスは……ランスも美樹様とはそう変わらない立場ではありませんか。あの時、もしかしたら望まぬ選択を強いてしまったのではないかと、その事が頭の片隅で気になって離れないのです」

「それは……考えすぎだと思いますよ。ランスさんは自分がやりたくない事を仕方なく背負うような性格はしてないですって」

「……だと良いのですが。いずれにせよすでに血の継承が行われてしまった以上、ランスが新たな魔王となるのは変えようのない事なのですがね」

「……なんか今更ですけど、あのランスさんが私達魔人の新たな王になるなんて……ほんと、本当にビックリですよね」

「えぇ……。ランスが魔王になったら、私は……」

 

 

 彼が目覚めた時、果たして自分はどうなるのか。

 

 人間達は。

 魔人達も。

 

 

「私は……魔人筆頭です。こんな事を魔人筆頭が考えるなど不躾かつ不謹慎な話なのですが、私は……こうなった事について少々期待してしまっている面もあるのです」

「……それ、私も同じです。この世界の全ては魔王様の思うがまま。それは当然の事ですけど……ケイブリスは論外として、美樹様よりもランスさんの方がもしかしたら……って気分になっちゃうんですよね。不思議な事に」

「えぇ、そうですね。期待し過ぎるのも良くない事かもしれませんが、それでも私は……魔王になる事を拒んでいた美樹様より、ランスが魔王になってくれた事を好ましく思います」

「………………」

「……シルキィ?」

「あ、いえ。ホーネット様、随分と……あれですね、あの……もはや隠す気もありませんね」

「隠す?」

「いえ、なんでもありません。でもそうですね、この先どうなるかは分からないけど、それでもあのランスさんが魔王になってくれたんだから……私達もその意思に応えなければなりませんよね」

「えぇ。その通りです。魔人筆頭として、私は……ランスに全てを捧げるつもりで尽くします」

「………………」

「……シルキィ?」

「……いえ。もう本当に隠す気ないですね。なんと言うか……さすがです、ホーネット様」

「?」

 

 誰も彼も、そんな気持ちを胸に抱いたまま。

 時間は刻一刻と過ぎていって。

 

 

 

 

 

 ──そして。その数日後。

 

 

「…………んが?」

 

 男は、目覚めた。

 

 

 

 

 




 (2020/11/25)祝! 超昂大戦エスカレーションヒロインズ サービス開始!
 という事であんまり関連性はありませんがランス(9.5 IF)もアフター編、開始です。

 前話「エピローグ」の後書きにて少々紛らわしい書き方になっていたので補足。
 ここからの話はアフター、つまり本編ストーリーの完結を受けての「その後の話」となります。
 ランス10ゲーム内のアフターと同じ立ち位置に当たるものであり、第二部ではありませんのでそこはご了承下さい。




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新魔王、誕生

 

 

 

 

 

『世界の変革をお知らせします』

 

 アコンカの花が咲く。

 時代の移り変わりを知らせる花が咲く。

 

 

『新しい魔王が誕生しました。まだ正月早々ですが、LP歴は8年で終了となります』

 

 この世界に新たな魔王が誕生した。

 その瞬間から、この世界にある全ては魔王のものとなった。

 

 

『来年からRA1年となります。お間違えなきように』

 

 アコンカの花が告げた新たな年号は──RA.

 

 

「……RA?」

「新しい年号……魔王が……RA?」

 

 その事実が知らされる。

 

 

「……遂に来たわね」

「そうだな。予めウルザから報告を受けていたとはいえ……ううむ、やはりRAか」

 

 とても希少な花であるアコンカの花を所有する一部の者達へと。

 

 

「……リア様、これは……」

「……そうね、間違いない」

 

 それは例えば、各国の王室とか。

 

 

「……ランス」

 

 他にも、AL教本山の聖堂奥とか。

 

 

 新たな年号はRA.

 それが、とある人間の男の名前から取られた年号だと気付いた者はどれだけ居ただろうか。

 

 魔王。

 それは魔族の王にして絶対の支配者。

 この地上で最も力ある存在であり、この世界の全ては魔王の所有物だ。

 

 であるならば。魔王のおわす所こそがこの世界の中心に他ならない。

 よって今現在世界の中心となった場所、魔物界の北部にある魔王城の客室にて──

 

 

 

 

 

 

 シャリシャリシャリ……。

 と、包丁で果実の皮を剥く音が聞こえる。

 

「……なっちまったなぁ」

 

 小気味良いその音を聞きながら、ソファにまったりと掛ける男は感慨深げに呟く。

 

「……なっちゃいましたねぇ」

 

 すると隣から相槌が打たれる。

 彼女は包丁を持つ手元を滑らかに動かして、シャリシャリと丁寧に皮を剥いていく。

 

「ま、なっちゃったもんはしょーがねーよな」

「ですねぇ。しょうがないですねぇ」

「だよなぁ。しょうがねぇよなぁ」

「ですねぇ……と、はいどうぞ、剥けましたよ」

 

 そうして手を止める。

 一口サイズに切ったそれをお皿に乗せて、男の前に差し出した。

 

「ん」

 

 と呟き、男はそれをパクリと一口。

 

「お味はどうですか?」

「もぐもぐ……うむ、なかなか──」

 

 その瞬間一気に酸味が襲ってきて。

 

「──すっぱっ!!」

 

 思わずランスは叫んでしまった。

 みかんに似たその果物の名はヒラミレモン──魔王御用達の珍しい果物である。

 

 

 

 

 ここは魔王城。ランスの部屋。

 ……もとい、今では魔王のおわす場所。

 

「シィル、水、みずーっ!」

「は、はい! どうぞランス様!」

 

 お水の入ったコップを差し出すシィル。

 ランスはそれをぐびぐびと一息で飲み込む。

 

 ……そう、この男がランス。

 RAという新たな年号の元となった男、魔王になっちゃった男である。

 

「うえ~、すっぺー。美樹ちゃんってば普段からこんなすっぺーもんを食ってたのか」

「そういえばJAPANで会った時には美樹ちゃんもヒラミレモンの酸っぱさに苦労してましたね」

 

 ランスが今食べたヒラミレモン。それは魔王化の症状を抑える効果のある唯一の果物。

 魔王としての覚醒を防ぐ為に来水美樹が定期的に食していた果物ではあるが、しかしその果肉の味はものスゴく酸っぱいという特徴がある。

 その酸味は美樹の口に合わなかったのと同様、残念ながらランスの口にも合わなかった。

 

「そりゃこんなに酸っぱいんじゃ食うのにも苦労するだろーな。てなわけで俺様はもう食わん。シィル、残りのヒラミレモンはお前が全部食え」

「だ、駄目ですよランス様。これはランス様が食べないと意味が無いんですから……」

「うるさい。お前は魔王様の命令に逆らう気か。そんなヤツはこうじゃー!」

「わっ! うぷっ!」

 

 ランスは皿の上にある小切りのヒラミレモンをまとめて掴むと、シィルの口の中に無理やりねじ込んでいく。

 

「うりゃうりゃ、食え食えー!」

「んぎゅ、ら、ランス様なにを……むぎゅ、うっ、す、酸っぱい、酸っぱいですー!」

 

 するとあまりの酸っぱさにシィルも泣き叫ぶ。

 ヒラミレモンとはそれ程の酸味らしい。酸っぱい食べ物が好きな人でも無い限りは好き好んで食べる気にはならない果物のようだ。

 

「うぅ……口の中が酸っぱいです……」

「シィル、早い内にその酸っぱさに慣れておけよ。この城にある全てのヒラミレモンを食い切るのはお前の仕事だからな」

「えぇー! そんな、あの量は私一人じゃ絶対に無理ですよっ! 後々必要になるかもしれないからって、ランス様が寝ている間に皆さんで大量に集めてくれたんですから!」

「いらん。俺様はもう絶対に食わん」

 

 もしものケースを考えても、魔王になったばかりのランスにはヒラミレモンが必要だろう。

 そう思って集めてくれたらしいが、それはランスに言わせるとありがた迷惑というものである。

 

「って、俺が寝てる間にそんな事してたのか」

「はい。ヒラミレモンに関してはホーネットさんとウルザさんが集めてくれて……。他にも大勢の魔物達や魔人達をこの城に呼び寄せたりとか、ランス様が目覚めた後の事を考えて皆さん忙しそうにしていましたよ」

「ほーん……」

 

 自身が眠っていた時の話にランスは興味深そうに耳を傾ける。

 今こうしてシィルと喋っているランスだが、これはもう一週間以上ぶりの目覚めとなる。

 

 

 今から十日程前──あの日の事。

 ランスは新たな魔王となる為、来水美樹から魔王の血の継承を受けた。

 

 美樹の中にあった魔王の血を飲み込んた直後、地獄の苦しみが襲ってきた。

 喉を潰され、肺が焼かれ、心臓が壊れたかのような痛みにランスでさえも絶叫を上げた。

 

 ひたすら叫んで、藻掻き苦しんで。

 永遠に止まないかと思われたその苦しみは……いつしかピタリと止んだ。

 それこそが適合の証。ランスは魔王になる資質を有していたのだ。

 

 そしてその後、ランスは深い眠りに付いた。

 眠って眠って……そうしている間に、その身体は別のものに作り変えられて。

 そして十日程経過した今日、目が覚めたランスは人間ではなく魔王となっていた。

 

 

「しっかし一週間以上も眠っていたとは……全然そんな気はしねーから不思議な感じだ」

「ランス様、本当にぐっすりでしたよ。この睡眠はきっと魔王化に必要な事なんだろうってホーネットさん達は言っていましたけど……」

「ま、俺様としても寝てるだけで魔王になれたのは楽っちゃ楽だったが。……けど、なんか魔王つってもあんまし変わった気はしねぇがな」

「そうなのですか?」

「うむ」

 

 言いながらランスは左手をにぎにぎ。

 そこにある感覚は……その力強さは、確かに人間だった頃のそれを遥かに凌駕している。

 圧倒的な力の滾りを感じる、今はどんなものでも握り潰せそうな感じがする……が。

 

「そりゃまぁパワーとかは強くなったんだろうが……どうだシィル、他になんか変わったか」

 

 そうした内的な変化とは別。それ以外の外的な変化となるとどうか。

 

「そう……ですねぇ。あくまで見かけ上はほとんど変わってないかなー……って感じですね」

 

 シィルは少し首を引いて、隣に座る主人の姿をしげしげと眺める。

 この度人間をやめて魔王となったランスだが、その姿形などには大きな変化は無い。

 身長や体重は勿論顔付きや表情なども、あくまでこれまで通りのランスのままである。

 

 ……ただ、それでも異なる点はある。

 時折その身体からオーラのようなものが、血のように紅い粒子が溢れ出る時がある。

 それこそが魔王の力の根源。身体の奥から無尽蔵に溢れる絶対なる支配者の証。

 

「……でも、良かったです。少なくとも見た目はランス様がランス様のままで」

「なんだそりゃ。俺様がモンスターになるとでも思っとったのか?」

「え、えぇと……モンスターってわけじゃないですけど、でもやっぱり魔王になるって言われたら、なんかこう……ランス様が今よりも怖い感じになっちゃうのかなー、とか……」

 

 魔王になる事。人間ではなくなる事。

 それに不安を感じるなというのが無理な話だ。特に長らく一緒に居た者にとっては尚更。

 だがそんな心配をしていた奴隷の顔をランスは馬鹿にするような目で見つめて。

 

「アホ。お前は俺様が言った事をもう忘れたのか」

「……あ、いえ……勿論覚えてますけど……」

 

 そして。

 あの時交わした言葉を思い出して、シィルがその頬をちょっぴり頬を赤らめた、

 

 その時だった。

 コンコン、と軽いノック音が。

 

「魔王様。お目覚めになられたと聞きました。……入っても宜しいでしょうか?」

「お、ホーネットか。いいぞ」

「では、失礼します」

 

 礼儀正しくドア越しに挨拶してから、ホーネットが室内に入ってきた。

 

「……っ、魔王、様……」

「おう」

 

 そして、そこにいた姿を見て息を飲み込む。

 それは……ソファに掛けていたのは間違いなくランスだったが……それは。

 人間のシィルには分からない感覚となるが、魔人であるホーネットにはよく分かる。

 

「……本当に、なられたのですね」

 

 それは紛れもなく魔王の感覚。

 魔族を支配する王の力。それがランスから……そこにいた魔王から伝わってくる。

 

 ランスは本当に魔王になっていた。

 無論疑っていた訳では無い。無いのだが、けれどもあのランスが、本当に──

 

「あん?」

「あ、いえ……なんでもありません。それよりも魔王様、お身体の調子はどうですか?」

「どうもこうも無い。見ての通り俺様はピンピンしてるっての」

「……どうやらそのようですね」

 

 魔王になる直前、血の継承に苦しみ喉が裂けんばかりの絶叫を上げていたランスの姿。

 それを知っている者達は皆今日まで不安が消えなかったのだが……しかしこうして元気になった姿にホーネットも安堵に胸を撫で下ろす。

 

「んで? 俺様になんか用事か?」

「はい。……ただその前に、お食事などはもう取られましたか?」

「あぁ、食った食った。めちゃくちゃ酸っぱいデザートまで食ったぞ」

「……そうですか」

 

 体調に問題は無し。朝食まで美味しく平らげた。

 となれば新たな魔王として、ランスがまず最初にするべき事と言えば。

 

「魔王様、今、お時間は宜しいでしょうか?」

「あぁ、別にいーけど」

「でしたら何分急な話ではあるのですが、王座の間まで来て頂けませんか?」

「王座の間?」

 

 ランスが鸚鵡返しに質問すると、ホーネットは常の真面目な表情で頷いた。

 

「はい。大体の者が集まりましたので……魔王様さえ宜しければお姿を見せて貰いたいのです」

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 ──王座の間。

 それはこの魔王城の上階にある大広間の一つ。城の中でも最も豪華な内装を施された空間。

 そこは王たる者が腰を下ろす座。そして臣下たる者達が跪拝する為の部屋。

 

「この城に王座の間なんてあったのだな。俺様知らんかったぞ」

「私も知りませんでした。考えてみればここはお城だから当然あるはずなんですけど、私達ももう結構長くここで暮らしているのに一度も見た事ありませんでしたから……」

「魔王様が不在となって以後、王座の間は今日の日までずっと閉めていましたからね。二人が知らなかったのも当然と言えば当然かもしれません」

 

 廊下を歩く三人、ランスとシィルとホーネット。

 目的地は先程からの話の通り玉座の間。この度約八年ぶりに開かれた特別な場所。

 

 この世界に新たな魔王が誕生した。

 来水美樹から血の継承を受けて、ランスが新しい魔王となった。

 となれば最初にするべき事。それはやっぱり新たな魔王の存在を周知させる事だろう。

 

「あれか。俺が新たな魔王様だぞがはははー! ……とか言えばいいのか?」

 

 ランスがそう尋ねてみると、先頭を歩くホーネットは「……いえ」と小さく首を振って。

 

「何を語るかは魔王様の自由です。魔王様は我々の王なのですから、臣下の前で何を語ろうとも、あるいは何を語らずとも構いません」

「なーるほど。要は好きにしろって事か」

「その通りです。魔王様はありのままに振る舞えばそれで問題ありません。必要な事はそれが新たな魔王様なのだと知らしめる事であって、それをどう受け止めるかは彼等次第ですから」

 

 魔族の王が魔王。そして魔に属する者達、魔物や魔人達は全てが魔王の臣下となる。

 それは人間世界の王制度と同様だが、しかし権力によって生じる人間世界の王制度とは違い、魔族の王というのはあらゆる生物を支配するに相応しい絶対的な力をその身に宿している。

 故に魔王と臣下の間には下剋上というものが起こり得ず、魔人ガイが魔王ジルから魔王の力を奪った唯一の例外を除いて、魔王と臣下の上下関係というのは何があっても変わる事は無い。

 

 とすれば魔王たるランスは何をしようとも、どう振る舞おうとも構わない。

 絶対の支配者である魔王の言動が抑制される謂れはなく、臣下がそれに合わせるべき。

 それが魔物界における王と臣下の関係。要はランスが言っていた通り、魔王というのは何を好きにしたって構わない存在と言えた。

 

「現在、ほぼ全ての魔物達は未だ美樹様の事を魔王様だと思っているはずですからね。新たな魔王様が誕生した事を周知する為にも、魔王様が王座に座る姿を臣下達に見せる必要があります」

「ふーむ、周知ねぇ……」

「はい。その為に魔物界の各地に知らせを出して主要な面々を集めております。魔王様の命無く行った事ではありますが、しかしこの程度の事で魔王様の手を煩わせる必要も無いと思いましたので」

「まぁそれは構わんのだが……」

 

 初めて足を踏み入れる王座の間とか、そこに集められた魔物達とか、諸々。

 そんな事よりもランスが気になったのは、はきはきとした淀みない口調で喋るこの魔人の事。

 

「なぁホーネットよ。お前なんだか妙に張り切ってないか?」

「勿論です。私は魔人筆頭、魔王様に誠心誠意仕える事こそが使命ですから」

「……そ、そうか」

 

 思わずランスが言葉に詰まる程、ホーネットは真っ向からド直球の答えを返してきた。

 何やらやる気になっているらしい魔人筆頭があれこれ手を回した事によって、魔物界の各所から多くの者達がこの魔王城に集められた。

 

「今回呼び出したのは魔物界における重鎮達や各魔界都市の有力者達など、そして魔王様の手足となるべき魔人達も招集しています」

「わぁ、なんか凄そうです。さすがは魔王って感じですね、ランス様」

「そういや魔人って事は、もしかしてケイブリス派のヤツらも呼んでるのか?」

「えぇ、勿論です。美樹様に代わる新たな魔王様が誕生したとなっては、もはや派閥云々と言っている場合ではありませんから」

 

 絶対の支配者が誕生した以上、魔人同士の諍いなど意味を成さないもの。

 故に今回ホーネットはケイブリス派に属していた魔人達も同様に招集した。元より派閥戦争はすでに終結済み、新たな魔王の前で魔人達を分けて扱う意味も無い。

 

「集まった魔人は元ホーネット派から私、サテラ、ハウゼル、シルキィ、ガルティア、メガラスの六名に加えて、元ケイブリス派からサイゼル、レイ、パイアール、ケッセルリンク、カミーラの計十一名となります」

「ほうほう、聞いた限りだと俺が知ってる名前は全員揃ってるって感じだな。つーかケッセルリンクとかカミーラまで来たのか」

「はい。あの二人は魔人四天王ですからね。他の魔人達よりもむしろ率先して魔王様に恭順するべき立場にありますから」

 

 とそこでホーネットは一度立ち止まって、

 

「……それで、ですね」

 

 その先の言葉を言い難そうに表情を曇らせる。

 

「なんだ?」

「……その、今回の招集には応じず不参加となった魔人がいまして……」

「……ほーう? 魔王様の呼び出しに応じなかった魔人がいるってか」

「はい。……ただその、一応それぞれに事情があるにはあるのですが……」

 

 新たな魔王が初めて公の場に姿を現す、言わばお披露目式のようなもの。

 新魔王にとっての晴れの舞台に不参加を決め込んだ不届きな魔人、それは以下の三名となる。

 

「まず一人目はワーグです。ワーグはこちらが送った手紙には返信を返してきたのですが、やはりその能力の都合上魔王城に来させるのが難しく……」

「あー、まぁワーグはしょうがねーな。なら今度俺様の方から会いに行ってやるとするか」

「えぇ、是非そうしてあげて下さい。手紙の返事でも魔王様に会いたがっていましたから。……そして、二人目はますぞゑです」

「……ますぞゑ?」

 

 って何だっけ? とランスは首を傾げて、

 

「魔王様はご存じないかもしれませんね。ますぞゑというハニーの魔人が存在しているのです」

「……あー、なんか居たなぁそんなの」

 

 すぐに思い出したのか、ポンと手を打つ。

 魔人ますぞゑ。派閥戦争ではどちらの派閥にも属さなかったハニーの魔人。

 

「……あれ? そいつってちょっと前に俺様が倒さなかったっけか?」

「そうなのですか?」

「うむ。まぁ前回のあれは抜きにしても、それ以前にも戦ったような戦ってないような……」

 

 よくよく考えてみると過去に何度か倒したような気がしないでもない。

 だがその都度復活している不思議な魔人、それがハニーの魔人ますぞゑ。

 

「……まぁいいや。んで、そのますぞゑは呼び出しに応じなかったと」

「と、言いますか……ますぞゑは奈落に住んでいると言われているのですが、奈落とは地の底の果て。ここからはとても遠い場所になりますので、その……」

「なるほど。そもそも時間的に招集するのが無理だっつー話か」

「そういう事です。呼び出しの手紙を持たせた魔物兵達もまだ帰ってきてませんから、ますぞゑを呼ぶとしたら相当な時間が掛かると思います。無論魔王様がそうせよと命じられるのであれば、如何なる手を使ってもますぞゑを呼び付けますが……」

「いや別にいい。あんなお化けハニワみたいなヤツに会いたいとは思わん」

 

 ランスがそう答えると、ホーネットが「魔王様ならそう仰られると思っていました」と答えた。

 ハニーの魔人にはランスも興味を示さないだろうと半ば分かっていたので、ホーネットもますぞゑの呼び出しに関しては躍起にならなかった。

 このように誰からも興味を持たれず無関心に扱われる事によって、今日も奈落の底でのんびりしている魔人、それがますぞゑという魔人だった。

 

「そして三人目は健太郎さんです」

「健太郎? ……って、そっかそっか。そういやあいつも魔人だったっけか」

「えぇ。私も知らなかったのですが、いつの間にか魔人になっていたようですね。健太郎さんに関しては今もこの魔王城に居るのですが、彼は今美樹様のそばに付きっ切りとなっていまして……」

「美樹ちゃんに? もしかしてあの後なんか問題でもあったのか?」

 

 あの後。美樹から魔王の血を継承した後、その後美樹がどうなったのかランスは知らない。

 もしやまだあの子の問題は解決していないのか。なんて思う間もなく「問題という程の事ではないのですが……」とホーネットが呟いて。

 

「血の継承を行い人間に戻った事が影響してか、美樹様は今体力を落としているそうでして。まだ十分に歩くのも辛い状態なようです」

「そっか。それで健太郎が付きっ切りって訳か」

「はい。……無論、今からでも王座の間に呼ぼうと思えばすぐに呼べるのですが……」

「それも別にいいや。健太郎なんぞ居ても居なくても同じだからな」

 

 という事で、ワーグとますぞゑに加えて小川健太郎も不参加が決定。

 それぞれ特殊な事情がある者達を除いて、全ての魔人達が今回の招集には参加している。

 それだけ新たな魔王というのは魔人達にとって、いや誰にとっても大きな関心事なのだろう。

 

「……と、着きましたね」

「お、ここが王座の間か」

 

 そこでランス達の足が止まった。

 一行の前には一際大きな扉が。その扉の奥には絶対の支配者たる者が腰掛ける王座がある。

 

「魔王様が到着しました」

 

 言いながらノックをすると、両開きの扉が向こう側から開かれる。

 

「……では魔王様、どうぞ」

 

 そして魔人筆頭は道を開けるように脇に控えて。

 

「うむ」

 

 ランスは──魔王は鷹揚に頷いた。

 

 

 

 

 

 



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王座の間

 

 

 

 

 王座の間。

 それは王たる者の姿と力を誇示する場所。

 特にこの魔王城にあっては、世界の支配者たる者が坐す唯一の王座がある場所となる。

 

「………………」

 

 ──沈黙。

 そこは今、寒々しい程の静寂に包まれていた。

 

 大勢の魔物達が入れるよう、一つの階の半分以上を丸々使用して拵えられた王座の間。

 広大な魔王城の中でも一番広大となるその部屋には今、多くの者達が揃っていた。

 

「………………」

 

 それは魔人筆頭から呼び出しを受けた者達。今回の式事に参加する事を認められた者達。

 魔物の群れの中で重鎮的役割を果たす者や、各魔界都市における有力者達など、その全員が通常の魔物とは一線を画す力を有している。

 そんな多種多様の魔物達が所狭しと整列して、その全員が王座に向かって傅いていた。

 

「………………」

 

 そしてその一列前には──彼等が。

 多くの魔物達を従えるかのような形で、その前列には魔人達が一列に並んでいた。

 魔物達と同様に一言も発する事も無く、勢揃いした魔人達全員が王座に向かって傅いていた。

 

 今、王座の間にあるのはそんな光景だ。

 魔物達が、魔人達が。全ての者達が跪き頭を垂れて、王たる者への忠誠を表明していた。

 

 そして──

 

 

「……ふむ」

 

 王の座には……その男が。

 これまで座る者の無かった椅子には、新たに魔王となった男が腰を下ろしていた。

 

 ──第八代魔王ランス。

 その姿を見る為、その声を聞く為、魔物界の各所から多くの者達が集まったのだ。

 

「……な、なんだかこれだけ大人数の魔物や魔人が居ると……すごく異様な感じ……ですね」

 

 そして王座の右脇には、おっかなびっくりといった表情のシィルが立っていて。

 その反対側、つまり王座の左脇にはホーネットが立っていたのだが。

 

「……魔王様。始めても構わないでしょうか?」

「ん? おう、別にいーけど」

「……では」

 

 そう呟くと、彼女はそこから離れて広間の方へと歩いていく。

 そして最前列で整列する魔人達の更に前、一同を代表する位置で片膝を地面に付いて跪いた。

 

「改めまして……新たな我らが王……その誕生を、皆を代表して心よりお祝い申し上げます」

「うむ」

「本日を以て……我ら魔に属する全ての生き物は、貴方に忠誠を誓う、貴方の下僕となりました」

 

 魔人筆頭が、宣言する。

 その名を、呼ぶ。

 

「魔王ランスよ」

 

 魔に属する全ての者は魔王に忠誠を捧げる。魔王となったランスの下僕となる。

 厳かな雰囲気の中、臣下一同を代表して魔人筆頭であるホーネットがそう宣言した。

 

「……うむ」

 

 一方、王座に座るランスはとりあえず偉そうな顔を作って頷いておいた。

 そもそもの性格的に態度がデカかったりと、また過去には世界総統の経験もあったりと、こういう場で偉そうに振る舞うのは大得意である。

 

「………………」

 

 そして、そのまま沈黙。王座の間には暫し無音の空白が生まれる。

 その静寂は魔王の言葉を待っているから。魔物達も魔人達も、そしてホーネットも、新たに魔王となった男の言葉を待っている。

 それを肌で感じる空気から察したのか、ランスは王座の上で軽く顎を撫でた。

 

(……さーてと、どうすっかな)

 

 果たして自分はここで何をするべきか。

 ホーネットからは何を語ってもいいし、あるいは何を語らなくてもいいと言われている。

 なのでランスは何も考えてきていない。完全なるノープランで今も王座に座っている。

 

 この式事の目的は魔物達を集めて、新魔王ランスの存在を多くの者に知らしめる事にある。

 つまりは顔見せであり、その意味ではもう目的は達成されている。なのでここからはフリータイムというか、何をどうしようが全ては魔王の自由となる。

 

(何もしないってのもつまんねぇよな。せっかくだしなんか遊んでみるか?)

 

 例えば、魔王として下僕達に適当な命令を下したっていい。

 あるいは、世界を統治する際のルールなどを適当に宣言してみたっていい。

 それとも、もう飽きたからとこのまま自室に戻ったって勿論構わない。

 

 魔王というのはそういう存在だ。

 何を省みる必要も無い存在、常に傍若無人なランスにとっては天職と言えるような存在である。

 

(しっかしあれだな。こうして見ると……なかなか壮観ではないか)

 

 そしてそんな魔王の前には。

 王座に座るランスの視界一杯には、こちらに頭を垂れる魔人達や魔物達がズラリと並んでいる。

 

(これが魔王の力か……。ぐふふ、悪くないな)

 

 その光景をランスは気分良く眺める。

 やはり自分には偉い立場がよく似合う。忠誠を捧げる臣下達の視線が心地よい。

 感覚的にはあれだ。前回の時の世界総統だった頃の立場に戻ったかのようだ。

 

(……いや、これは前回以上か)

 

 立場というなら、前回の世界総統という立場よりも今回の方が遥かに上。

 勿論ながら世界総統だって世界一の権力者、とても融通の効く便利な立場ではあった。

 あったのだが、しかしそれはあくまで人間世界の社会という範囲に限っての話で。

 

(なんせ俺様は魔王だからな。今はもうなにをしたって許されるのだ、がははは!)

 

 魔王とは絶対の支配者。その力は人間世界などという狭い範囲には限定されないもの。

 そもそもが人間世界の成り立ちからして、魔王ガイが世界を二分した事で成立したもの。魔王となったランスが本気を出せば、元通りの一つの世界に戻してしまう事だって可能となる。

 

(あそうだ。今度は人間と魔物じゃなくて男と女で世界を分けるってのも良いかもな。そうすりゃ全ての女を俺様が独占出来るって訳だ。おぉ、中々のナイスアイディアじゃないか)

 

 そんな冗談じみた話でさえも、今のランスなら現実にしてしまう事だってそう難しくは無い。

 

 それが魔王。それこそが魔王。

 あらゆる法律やルールに縛られず、全てを思いのままにする事が許される存在。 

 

 それは例えば──

 すぐ目の前に居る相手、魔人ホーネットとか。

 

(ぐふぐふぐふふ、魔王になった以上はホーネットだってもう完全に俺様の女だ。なんたってこいつは魔人筆頭なのだからな)

 

 魔に属する者は全員が魔王の下僕。先程ホーネット自らがそう言っていた。

 だったら当然ホーネット自身もそうだろう。魔人筆頭なのだから当然そうなる。

 この絶世の美女の全てを思いのままに出来る、今日からはもうやりたい放題という事だ。

 

(勿論ホーネットだけじゃないぞ。他にも……)

 

 ランスはホーネットの一列後ろに目を向ける。

 そこは魔人達の列。見覚えのある魔人達が微動だにする事無く傅いている。

 それぞれに目を向けると右から順に……サテラ、シルキィ、ハウゼルの姿が。

 

(こいつらだって俺様のものだぞ、うむうむ。まぁこの三人は魔王になる前から何度もセックスしてたし今更っちゃ今更なのだが、改めて俺様の女になったってわけだな)

 

 すでに自分の女だった相手も、こうして魔王という立場になればまた変わってくるものがある。

 例えば先日の一件、魔人ケイブリス討伐のご褒美として頂いたハーレムセックスだって、これからはご褒美などとは言わずに毎日楽しむ事だって可能となった。

 

 そして更に魔人達に目を向ければ……ハウゼルのすぐ隣にはその姉の姿も。

 

(おぉ! そういやぁこれでサイゼルともセックスし放題になるのか。こいつとはバラオ山で姉妹丼を楽しんだっきりご無沙汰だったからな。ぐへへ、楽しみだぜ……!)

 

 ハウゼルと違ってサイゼルとは折り合いが悪く、中々セックスするタイミングが無かった。

 しかし魔王となった今ではサイゼルだって自分のもの。ハウゼルと一緒に生意気な姉の方も好き勝手楽しんでオッケーなのである。

 

 それはサイゼルはおろか……その隣すらも。

 そこに居たのはケイブリス派に所属していた魔人四天王、カミーラの姿。

 

(そうかそうか! これからはカミーラともセックスし放題か! おお、素晴らしい……!)

 

 その事実にランスは目を輝かせる。

 魔人カミーラ。ホーネットに負けず劣らず美しいこの魔人だってもう自分のもの。

 先日のケイブリスとの決戦の最中で負った怪我はまだ回復しきっていないようだが、その怪我を押してまでこの城に来て自分の前に傅いている姿が何よりの証明。

 封印を解いて以降手を出しようが無かったカミーラも、これからオールオーケーなのである。

 

 ……と、ここまでは良かったのだが。

 しかし、そこから先に目を向けると……。

 

 

「む」

 

 魔人カミーラの隣。

 そこに傅くのは……魔人ケッセルリンクで。

 

「あん?」

 

 その次は魔人パイアール。

 

「……ぬぅ」

 

 そして次、魔人レイ。

 

「………………」

 

 そして次。魔人ガルティア。

 更には魔人メガラスと続いて。

 

「………………」

 

 ザッと一同を見晴らした後、ランスの眉間にはそりゃもう深い皺が刻まれていた。

 

 途中までは良かった。最高だった。

 ホーネットから来て、サテラ、シルキィ、ハウゼル、サイゼル、カミーラまでは素晴らしい流れだったのだが……しかしそこから先はどうか。

 後の方になるにつれ尻すぼみというか……段々テンションが下がってくるというか。

 

「……ホーネットよ」

「何でしょう」

「俺様は魔王だよな?」

「はい。貴方様こそが我らの王です」

 

 魔人筆頭は答える。

 ランスは魔王。魔を統べる魔族の長。

 

「てことはだ。お前達は俺様のものだよな?」

「その通りです。魔に属する全ての生き物は魔王様の所有物です」

「所有物なら……どう扱っても構わねーよな?」

「勿論です。貴方様は魔王なのですから」

 

 魔人筆頭は答える。

 魔に属する全ては魔王の所有物。魔物や使徒や魔人でさえも全て同じ。

 所有物をどう扱おうが、誰をどれだけ寵愛しようがそれは魔王が決めること。

 

 そして所有物である以上は。

 何を捨てる事だって、全ては魔王の御心次第。

 

「……だよな」

 

 何を捨てるかって?

 そりゃあ勿論──

 

 

「──よし、決めた」

 

 ──要らないもの。

 捨てるとしたらソレしかないだろう。

 

 

「えー……」

 

 そして、ランスは王座から立ち上がった。

 その場に平伏する全ての者の注視を集めながら……ゆっくりとその口を開いた。 

 

「俺様が新魔王ランス様だ」

 

 その言葉は、全ての臣下達に届く。

 

「俺様が魔王になった以上、全ては俺様のものだ」

 

 王たる者の声が。

 臣下達全員に魔王の存在を感じさせる。絶対なる支配関係を突き付ける。

 

「だから当然、この世界をどうするかってのも全部俺様が決める事なのだが……」

 

 そしてその話題こそ、この場に集った多くの者達にとって一番の関心事。

 これまでとは違うこの世界の新たなる姿、新たな魔王による新たな世界統治。

 特に多くの魔物達にとっては、この世界が魔を頂点とする絶対的な世界になる事を期待して、魔王らしい世界統治がなされる事を期待していたのだが。

 

「……ま、その辺の事はおいおい語るとしてだ。まず最初にお前ら全員に言っておく事がある」

 

 世界統治云々は一旦置いておいて、それよりもまず先にする事。それはこれまでの後始末。

 そこでランスは一歩前に進むと、一番先頭で跪くホーネットに目を向けた。

 

「なぁホーネット」

「はい」

「この魔物界ではちょっと前まで大きな戦争が起こっていたのだが……それを覚えてるか?」

「勿論です。派閥戦争の事ですね」

 

 派閥戦争。LP歴の始まりを契機として、魔に属する者達が派閥に分かれて争った戦争。

 その結末も何もかも、覚えていない者など今この場には誰一人として居ないだろう。

 

「その派閥戦争だが……二つの派閥があったはずだよな」

「はい。私が率いたホーネット派と、今は亡き魔人ケイブリスが率いたケイブリス派ですね」

「あぁそうだ。そんでな、これは知っとるヤツも居るかもしれねぇが……」

 

 そこでランスは一同を軽く見渡すと、やや語気を強めながら言う。

 

「俺様は魔王になる前、ホーネット派に協力して戦っていたのだ。そうだな? ホーネット」

「はい。そうです」

「そうだ、俺様はホーネット派に協力していた」

 

 語気を強めて……その言葉を。

 

「……つまり、だ。俺様にとってケイブリス派は敵だったのだ」

 

 ──ケイブリス派は敵だった。

 魔王がそう宣言すると、王座の間の各所から息を飲み込む音が聞こえた。

 

「となると今この王座の間には……俺様に歯向かっていた愚か者共が居るって事になるよなぁ?」

 

 そして直後、大広間全体が一気に寒々しい緊張感に包まれる。

 今の言葉には強烈な圧迫感と……そして、明確な敵意が含まれていたから。

 

「……っ」

 

 その圧を強烈に感じて、一番近くに居たホーネットは思わず喉を鳴らした。

 魔人として感じられるものが、ランスから伝わってくる魔王の気配が増していた。

 ランスの身体から溢れる魔王の力が、紅いオーラのような粒子の量が増加していた。

 その姿を見れば今のランスを人間だなんて思う者は一人も居ないだろう。それは紛れもなく魔族の頂点に立つ魔王の姿をしていた。

 

「魔王である俺様がホーネット派に協力してるってのに、他の魔物や魔人共がケイブリス派に属しているなんておかしな話だよなぁ。これじゃあ魔王様に歯向かってますよーって宣言しているのと同じだよなぁ?」

 

 ランスはそう言うものの、しかしそれは少々筋が通らない話。

 多くの者にとって、後の魔王となるランスがホーネット派に居たなどとはつゆとも知らぬ話。

 そもそもが当時は魔王になどなってはいなかった訳で、それで魔王に歯向かっていたとするのはあまりに酷な話だと言えた。

 

 ……が、しかしそのような理屈は通らない。

 何故なら全ては魔王が決める事だから。話に筋が通っていようがいまいが、魔王が語る理屈以上に優先されるものなどありはしない。

 魔王がシロと言ったらそれはシロ、クロと言ったらそれはクロなのである。

 

「なぁホーネット。魔王に歯向かうヤツらを許してもいいのか?」

「いいえ。あってはならない事です」

 

 そしてホーネットも魔王の……というか、ランスの意を汲んでそう答える。

 ここまでの話の流れを読んで、何を言いたいのかはもう察していた。

 

「だよなぁ。許しちゃいけねぇよなぁ、そんなヤツらは……」

 

 すると案の定、ランスはニヤリと笑って。

 

 

「つー訳で──そこからっ!」

 

 ──ビシィィッ!

 という効果音が鳴りそうな勢いで、ランスは人差し指を突き指した。

 魔王の指が『そこから』と指定した場所、それは……カミーラとケッセルリンクの間。

 

 

「──こっちまで!」

 

 そして、その指を一気に左端まで持ってくる。

 今指定した範囲に含まれる魔人達。それは……先程大いにテンションを下げてくれた者達。

 

 

「この中に居る奴らは全員必要無しっ! ケイブリス派魔人共は一斉在庫処分の刑じゃー!!」

 

 

 言葉が衝撃となって王座の間を駆け抜ける。

 こうしてランスは──新たな魔王は最初の命令を臣下達に下した。

 

 第して『ケイブリス派魔人一斉在庫処分の刑』

 魔王から無慈悲なる死刑宣告を告げられてしまった哀れな魔人達は以下の五名。

 

 

「………………」

 

 魔人ケッセルリンク。

 

「くぅ……!」

 

 魔人パイアール。

 

「チッ……」

 

 魔人レイ。

 

 

「……ってあれ? 俺も?」

 

 そんな中、ちゃっかり在庫処分のシールが貼られていた元ホーネット派魔人のガルティア。

 

「………………」

 

 そして、魔人メガラスも。

 

 

「がはははーっ! 俺様の配下に男はいらーん!」

 

 ランスは相変わらずのがはは笑い。死刑宣告をした直後とは思えない明るい笑顔。

 ケイブリス派魔人とは言いつつも魔人カミーラが省かれている所からも明らかなように、実のところ派閥云々は関係無く、単に不要な男の魔人を処分したかっただけの事。

 

「………………」

 

 しかしそんな贔屓だって魔王には許される。

 その命令に異を唱えられる者などありはしない。

 ホーネット派魔人達は勿論の事、死刑宣告を受けた当人達も押し黙ったまま。

 

「……ら、ランス様……」

「あん?」

 

 けれどもそんな中、王座の隣に立つシィルが恐る恐るといった感じに口を開いた。

 

「さすがにそれは……ちょっと可哀想では……」

「可哀想だぁ? あのなシィル、こいつらは敵だったじゃねーか」

「それはそうですけど……でも、ガルティアさんとメガラスさんは仲間だったじゃないですか」

「俺は男を仲間だと思った事はない」

「そ、そんなぁ……」

 

 取り付く島もないようなランスの言葉にシィルはくすんと眉を下げる。

 対立していたケイブリス派魔人はともかく、ここまで一緒に戦ってきたガルティアやメガラスまで在庫処分送りにしてしまうのは可哀想では。シィルの気持ちとしてはそんな所で。

 

「……けど、そうだな……」

 

 そこでランスも少し考えてみる。

 自分にとって必要なのは女だけ、男は要らないという考え方は変わらない。その点に関しては奴隷に何を言われようとも絆されるつもりは無い。

 けれどもその考え方を変えないが故に、在庫処分の中にもちょっと気になる相手が居て。

 

(……ふむ)

 

 例えば──魔人ガルティア。

 こいつは男だけど……しかしこいつの使徒に女は居なかっただろうか?

 

 例えば──魔人パイアール。

 こいつも男だけど……しかしこいつの親族に女は居なかっただろうか?

 

 例えば──魔人ケッセルリンク。

 こいつだって男だけど……しかしこいつの周囲に女は居なかっただろうか?

 

 そのように考えてみるとどうだろう。

 男の魔人なんて不要な存在、即座に切り捨てて構わないのだが……しかし。

 

 

「……お前はどう思う? ホーネット」

「……魔人とは魔王様の手足の一部。手足の扱いをどうするかは魔王様が判断される事かと」

 

 魔人筆頭として、魔王の考えには逆らえない。

 ただそれでも一緒に戦ってくれたガルティア、メガラスまで死なせるのは心苦しい。

 シィルと同様の気持ちを心に秘めていたホーネットは「ただ……」と呟いて。

 

「その判断をするのは……彼等から話を聞いてからでも遅くはないと思います」

「話か。……そうだな」

 

 ランスは頷くと、在庫処分シールを貼られた五名達に視線を向ける。

 

「よし。ならホーネットに免じて……お前達に一度だけチャンスをやろうではないか」

 

 そして、魔王は告げる。

 新たな命令を。最後のチャンスを。

 

「一人につき一回だけ話を聞いてやる。自分の価値を示して俺様を納得させてみろ」

 

 条件は魔王を納得させる事。

 こうして処分対象となった五名の魔人による、生き残りを賭けた魔王との個人面談が始まった。

 

 

 

 

 



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個人面談 一人目

 

 

 

 

 ──個人面談。

 それは一対一での話し合い。

 

 自らの生存権を手に入れるべく。

 一斉在庫処分セールから逃れるべく。

 魔人は自らの主たる魔王へと立ち向かう。

 

「それでは次の方、どうぞー」

 

 受付役のシィルから合図が聞こえて。

 魔王ランスの私室。そのドアを恐る恐る開いた彼の耳に届いた第一声は──

 

 

「よし。こいつはいらんな」

「おぉ、いきなりだな」

 

 取り付く島もないような言葉に、魔人ガルティアは困ったように眉尻を下げる。

 

 今回の面談相手は魔人ガルティア。

 元ケイブリス派、その後ホーネット派に鞍替えをしたムシ使いの魔人である。

 

「これが面談だって言うならせめて話ぐらい聞いてくれよ。……と、ここ座ってもいいかい?」

「好きにしろ」

 

 魔王ランスがどっしりと腰を下ろすソファ。

 その対面にガルティアも腰を下ろすと、正面に居る相手の姿をしげしげと眺める。

 

「なぁランス……じゃないな、魔王様か。……そっかぁ、魔王様なんだよなぁ、そうかぁ……」

「なんだよ」

「いやね。改めて驚きっつか、本当にあんたが魔王になっちまったんだなぁと思ってさ」

 

 出会った当時から他とは一味違う男だと、底知らないものを秘めた男だとは思っていた。

 至高のお団子で自分を釣った事といい、魔人が争う戦場で幾つもの戦果を上げた事といい、人間の範疇で収まる男では無いなとは思っていたが……まさかまさか魔王になってしまうとは。

 

「魔王か……けどまぁ考えてみたらそれもアリっちゃアリなのかもな。特にあんたみたいな男は誰かの下っつーのは性に合わないだろうし」

「その通り。俺様は世界一の男だからな。世界の頂点に立つ俺が魔王になるのは必然だったのだ」

「ははは、世界一の男か。ほんの一ヶ月前までならただの大言壮語だってのに、それを本当にしちまうんだもんなぁ。いや本当、大したもんだぜ」

 

 自分のような魔人ならまだしも、魔王にまで上り詰めたとあっては感服するしかない。

 遥か遠い魔王スラルの代から生きているガルティアとて、その破格さには舌を巻く程だ。

 

「それで本題に入るけどよ……そもそもこの~、個人面談っつうのか? これはケイブリス派のヤツらをどう扱うかって話じゃないのか?」

「まぁそうだな。けれどな、そのついでにいらん魔人も処分してしまおうと思ってな」

「いらん魔人……か。直接あんたからそう言われるとちょっとショックだな」

 

 そう言って寂しげに笑うガルティア。

 しかし寂寥感漂うその姿も、男性差別意識の強い新魔王ランスにはまるで効果が無く。

 

「俺様の配下に男はいらんのだ。大体お前はホーネット派とはいえ元はケイブリス派だしな」

「そりゃそうだけどよ……」

「それにお前は他の魔人に比べて食費が高すぎるという苦情も来ている」

「あ~……それは言い訳出来ねぇな……」

「以上二つの理由でお前は在庫処分だ。他に何か言う事はあるか?」

 

 早くも個人面談は終了の兆し。

 と言うべきか、その結論はランスにとっては最初から決まっていたようなもので。

 

「うーん、そっかぁ……俺としてはあんたの作る世界で生きてみたかったんだけどなぁ……」

 

 魔王からの最後通告を受けたガルティアは何を言い返す事も無く。

 頭をぽりぽり掻いて、あっさり白旗を揚げた。

 

「まぁ、そう言われちゃあしょうがねぇな。殺すなら一思いにやってくれ」

「ほう、中々潔いではないか」

「そりゃあ俺は魔人だからな。魔王のあんたに歯向かおうとは思わないさ」

 

 魔人とは魔王の血によって造られたもの。故に魔人と魔王の間には明確な上下関係がある。

 それを破るつもりなんてガルティアには無いし、破ったところでただ不毛なだけ。彼我の戦力差を考慮すれば魔王への抵抗なんて無謀な話。

 

「そうかそうか。ま、俺様としても手間が掛からないってのは有り難い」

 

 そう言ってランスはソファから立ち上がると、その左手をグーに握った。

 するとその拳が赤黒いオーラに包まれる。体内にあった魔王の力が集約して、ランスアタックを優に上回る程の強烈なエネルギーが左拳に宿る。

 

「よぉし。ではガルティア、死ぬがいいッ!」

 

 そして拳を振り下ろす──ッ!

 

 

「……と、その前に、だ」

「ん?」

 

 ──寸前、ランスは左拳をパーに戻して。

 そしてソファにどてっと座り直すと、その口元を意味有りげに歪めた。

 

「くっくっく……ガルティアよ。魔王様は全てを知っているのだぞ?」

「知ってるって……なにを?」

「女だ。お前は女を囲っているだろう」

「女? いやいや、女なんて囲っちゃいねーって」

 

 ガルティアは顔の前で手をブンブンと横に振る。

 しかし魔王の目は誤魔化せない。ランスはその眼光をギラリと鋭く光らせる。

 

「嘘を吐くな。お前は三人の女の使徒を所有しているだろう。それぐらい魔王様にはお見通しだ」

「使徒って……まさかサメザン達の事か?」

「そうだ。そいつらだ」

 

 魔人ガルティアが有する三体の使徒達。使徒サメザン。使徒タルゴ。使徒ラウネア。

 ランスは前回の第二次魔人戦争時、ゼス国の戦場でその三名の使徒達と対峙した。

 当時は状況が状況だけにアレコレしている暇は無かったのだが……しかし今ならば。

 

「抱かせろ」

「えっ」

「えっ、じゃない。抱かせろ。今すぐお前の使徒達三人を抱かせろ」

「……え、抱くって……セックス、すんのか?」

「そうだ。他になにがある」

「……え、マジで?」

 

 ──サメザン達とセックスさせろ。

 魔王からの命令、想像だにしていなかったその要求にガルティアは目を丸くする。

 

「……いや、でも、それはちょっと……」

「なんだ、可愛い使徒共を捧げるのが惜しいか? でも駄目だ。とっととセックスさせろ」

「違うって、惜しいとかそういう事じゃなくてさ……魔王様、あいつらはその……ムシだぜ?」

 

 魂なき生命体の総称──ムシ。

 魔人ガルティアはムシ達を操るムシ使いであり、体内に多くのムシ達を棲まわせている。

 そんな複数のムシ達が融合して出来上がったのが使徒サメザン達となる。つまりはムシの使徒、外見上は女の子っぽい感じで可愛く見えていても、彼女達はあくまでムシなのである。

 

 ……が、そのような事はあらゆる生物の頂点に立つ魔王様にとっては些末な問題のようで。

 

「ムシだろうがなんだろうが、可愛ければセックスするのに支障は無い。いいからとっとと出せ」

「……本気か?」

「当たり前だ」

「……まぁ、あんたがそう言うならいいけどさ……。おーい、サメザン、タルゴ、ラウネア、みんな出ておいでー……」

 

 魔王の命令には逆らえない。ガルティアは腹部の穴の縁をトントンと叩く。

 すると穴の中から件の三体が、魔人ガルティアの使徒達が姿を現した。

 

「……ピィ」

 

 使徒サメザン。

 女性のような全身に、鳥のような翼と鉤爪の生えた足を持つムシの使徒。

 

「……シァアア」

 

 使徒タルゴ。

 女性のような全身に、猿のような手足と太い尻尾を持つムシの使徒。

 

「………………」

 

 使徒ラウネア。

 女性のような上半身に、巨大な蜘蛛のような下半身を持つムシの使徒。

 

「……ピィ、ピィピィ」

「……シャア、シャアア」

「………………」

「ほほう、やっぱし中々に可愛い子ちゃん達ではないか。全員がおっぱい丸出しだし。ぐふふ」

 

 普段は主であるガルティアが手を焼く程に自由気ままな彼女達だが、今は皆大人しくしていた。

 恐らくは魔王の御前である事もあって本能的な恐怖に怯えているのだろう。ランスから好奇な目を向けられてサメザン達は身を竦ませる。

 

「そりゃ見かけ上はそうだろうけどさ、あくまでこいつらは全員ムシだからな? セックスするっつっても出来るのかどうか……」

「やりゃあ出来るっての。特にこの~……おい、この蜘蛛子ちゃんの名前はなんだ」

「そいつはラウネア」

「そう、ラウネアちゃん。この子なんて……ほら、こうしてだな……」

 

 ランスは左手で自分の目元を覆って、視界の下半分を隠してみる。

 ラウネアは上半身が女性で下半身が蜘蛛の姿。となればその下半分を隠して見ると……。

 

「……うむ! これならどこからどう見ても女の子にしか見えん! 絶対に抱ける!」

 

 そこに居るのは黒髪ロングの可愛らしい女の子。

 これは抱かない訳にはいかないっ! と鼻息を荒くするランス──だったが。

 

「そりゃそうかもしれないけどさ……でもほら魔王様、こうしてみると……」

「ん?」

 

 ガルティアはランスの左手を少し持ち上げて、その視界の上半分が隠れるようにしてみる。

 ラウネアは上半身が女性で下半身が蜘蛛の姿。となればその上半分を隠して見ると……。

 

「……どう見える?」

「……蜘蛛にしかみえねーな」

 

 そこに居るのは蜘蛛。ただのデカい蜘蛛。

 これにちんこを突っ込むなんてあり得ない。……とランスの眉間が嫌そうに歪んだ。

 

 ──が。

 

「……いいやっ! それでも抱く! だって俺様は魔王なんだ!!」

 

 我は魔王。この世界の支配者也。

 ならばたかが使徒如きを、たかがムシ如きを恐れてなるものか。

 

「ガルティア!! 俺様はこいつらを抱くぞ!! 文句あっか!!」

「……いや、まぁ、文句は無いけどさ……」

 

 魔王によるムシ姦宣言を受けてガルティアは困ったように眉を下げる。

 ムシとセックスする男なんて聞いた事がない。そんな蛮勇は止めといた方が……と思いはするものの、しかし魔王がこう言っている以上魔人のガルティアには何も言えない。 

 使徒達にとっては望まぬ性交になるだろうが、しかし相手は魔王。となれば魔に属する者としては甘んじて受け入れなさいと言うしかない。

 

「じゃあ、まぁ……おまえ達、頑張れよ。それじゃあ、ごゆっくり……」

 

 とはいえさすがに気まずかったので、ガルティアはランスの部屋からそそくさと退出した。

 

 そして──

 

 

 

 

 ──以下、世にも珍しい光景。

 ムシとセックスをする魔王の姿を音声のみでお届けする。

 

 

『さーてさて。では諸君、めくるめく快楽の世界にご招待しようではないか』

 

『ええと……君がサメザンちゃん、君がタルゴちゃん、んで君がラウネアちゃんだな』

 

『では早速っと……もみもみ、もみもみ。おぉ、中々良い乳しとるではないか』

 

『うむ、これならいけそうだな。ならこっちの具合はどうかな~……』

 

『……ぬ。一応挿れる穴はあるようだが……これ、濡れてる……か?』

 

『いや、濡れてるっちゃ濡れてるが……なんかこれ愛液とはちょっと違うような気も……』

 

『……まぁいいか。とりあえず一発……おっと、こらこら、暴れるなっての』

 

『よーし。では行くぞ。ぐりぐり~……』

 

『……お。入った、か……?』

 

『……む! こ、これは……!?』

 

『う、ううむ……! ま、まぁ、気持ちいいっちゃ気持ちいいな……!』

 

『……けど』

 

『けど、これは……』

 

『これは、セックスっつーより……交尾?』

 

『俺様は今……女とセックスをしてるのか? それとも、これは、ムシと、こうびを……』

 

『………………』

 

 

 

 

 

 ──そして。

 

 

「……さてと。終わったかな?」

 

 そろそろ事が済んだ時間だろうと、ガルティアは再び魔王の部屋を訪れた。

 

「……お、おぉ。マジでやったのか」

 

 すると……そこには事後の光景があった。

 ベッドの上にはくったりとしているサメザン、タルゴ、ラウネア達三名の姿。

 そして素っ裸で立ち尽くす……魔王の姿が。

 

「……ガルティア。俺様はこいつらを抱いたぞ」

「……みたいだな」

「あぁ。セックスしてやった」

 

 初めてとなるサメザン達とのセックス。初めてとなるムシとのセックス。

 新たなる性のトビラを開いてみせたランスは……しかしなんとも複雑そうな顔をしていて。

 

「……けれど、これは……」

「……魔王様」

「……なんか俺様、とんでもない事をしてしまったような気が……」

 

 ──ムシ姦。

 果たしてこれは……開いてもいいトビラだったのだろうか。

 

 女性っぽい外見ならそれでいいのか。ただ単に気持ち良くなれればなんでもいいのか。

 その思考が行き着く果ては……例えば服屋に置かれているマネキン人形とか、ちょっとエロい感じに出来上がったニンジンとかダイコンとかでもオッケーだという話にならないだろうか。

 

「……俺様は……」

 

 これではあまりにも雑食過ぎないか。

 自分は穴さえあればなんでもいいのか。などと自問自答していたランスだったが……。

 

「ッ、いいや、違う!!」

 

 そこでがばっと頭を上げた。

 

「これは前進だ! 俺はムシを抱いてしまったのではなくムシだって抱ける男になったのだ! そうだろうガルティア!!」

「え!? あ、あぁ! そうだな!!」

「そうだ! これは人間の頃なら無理だった!! 俺は魔王になった事で進化したのだ!! ありとあらゆる生物をハーレムに加えられるようになったのだ!! どうだすげーだろ!!」

「あぁ!! スゲェよランス!! あんたカッコいいぜ!!」

 

 その勢いに押されたガルティアはとりあえず同意しておいた。

 

「そのとーり!! 俺様は凄いのだ! 俺様はカッコいいのだ!! がーっはっはっはっは!!」

 

 そして勝ち誇るように、ランスは身体を大きく仰け反らせながら高笑いをして。

 

「はっはっはっは…………はぁ」

 

 やがて、げんなりと肩を落とした。

 

「……もういいや。俺様もう疲れたからお前は帰っていいぞ」

「え? あ、いいのか?」

「うむ、今後は俺様の為に誠心誠意働くように。んじゃバイバイ……」

「お、おう……」

 

 射精後の賢者モードと言うべきか、色々冷静になってテンションが急激に落ち込んだランスはもうガルティアの事とかはどうでもよくなったらしい。

 一方、在庫処分を免れたガルティアはすたすたとベッドに近付いていく。

 

「……なんかよく分かんないけど、持つべきものは使徒、って事かね。結果的にはお前達に助けられちまったな、ほら、もう戻っていいぞ」

 

 そして初体験を終えたサメザン、タルゴ、ラウネア達を。

 今回の殊勲者達である使徒達三名を腹の穴の中に戻そうとした……が。

 

「……くるくるぅ!」

「シャアア! シャアアア!」

「………………!!」

 

 するとサメザンが、タルゴが、ラウネアが、しきりに鳴き声を上げてきて。

 

「……え? そりゃ本当か? おぉ、そーか、うーん……となるとどうすっかな……」

 

 それは主だけには通じる言葉。

 使徒達の訴えに耳を貸したガルティアは、驚くと同時に困惑したように眉を顰めて。

 

「……なぁ、魔王様」

「なんだ、まだ居たのか」

 

 そして魔王ランスの顔を見て、言った。

 

「なんかコイツらさぁ、あんたとの交尾が思いの外気持ち良かったみたいでよ」

「は?」

「良ければもう一回……て、あれ?」

 

 ガルティアは周囲を見渡すが……居ない。

 それは一瞬の出来事。魔王ランスは煙のように消えていた。……もとい、逃げ出していた。

 

 

 

 

 

 



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個人面談 二人目

 

 

 

 ──個人面談。

 それは一対一での話し合い。

 

 自らの生存権を手に入れるべく。

 一斉在庫処分セールから逃れるべく。

 魔人は自らの主たる魔王へと立ち向かう。

 

「それでは次の方、どうぞー」

 

 受付役のシィルから合図が聞こえて。

 魔王ランスの私室。そのドアを恐る恐る開いた彼の耳に届いた第一声は──

 

 

「よし。こいつはいらんな」

「……チッ、初っ端からそれかよ」

 

 初対面早々のお言葉に、席についた魔人レイは苛立ちを込めて舌打ち一つ。

 

 今回の面談相手は魔人レイ。

 ケイブリス派に属していた魔人の一人、電撃を操る孤高の一匹狼たる魔人である。

 

「うむ、こいつはいらんぞ。こいつは間違いなくいらんはずだ」

「……そーかよ」

「あぁそうだ。お前はガルティアのように女を囲っているって事もねーだろうしな」

「女か……あぁ、ねぇな」

「だろう? だったらもう生かしておく必要など無いわ。がははははっ!」

 

 死刑宣告を突きつけておいて、魔王ランスは実にイイ顔で大笑い。

 一人目の面談相手、魔人ガルティアは女を差し出したから許してあげた。まぁ女というか女のようなムシなのだがとにかくそういう事にした。

 ならばこの二人目はどうか。差し出す女が無い魔人レイを許す理由など何も無い。故に死刑。ランスにとっては至極単純な道理である。

 

「……ま、そう言われるとは思ってたがな。そもそも俺は元ケイブリス派だしよ」

「そうそう、お前は敵だったしな。まぁお前程度の雑魚魔人が敵だからってどうという事も無かったのだが、雑魚と言えども雑魚なりに邪魔だったのは事実。その罪は決して軽くないぞ」

「だろうな。直接の相手はアンタじゃなくてリトルプリンセスにはなるが、ケイブリス派が魔王に歯向かってたのは事実だ。その点に関しては言い訳もしようもねぇ」

 

 魔王からの救いの無い言葉にも表情を変えず、レイは相変わらずの様子で答える。

 前魔王リトルプリンセスに忠誠を捧げたホーネット派。一方で未覚醒の魔王を認めず、ホーネット派と敵対してその命を狙ったケイブリス派の行いは魔王に対する反逆そのもの。

 となればこうしてホーネット派からランスという新魔王が誕生した今、ケイブリス派に属していた者達は前魔王に対する反逆によりどのように裁かれようと文句は言えない立場にある。

 

「ここに来る前から覚悟はしてた。今更狼狽えたり命乞いをしたりするつもりはネェよ」

「ほう、そうかそうか。話が早くて助かるな」

「……ただな。その上でアンタに一つだけ言っておきたい事がある」

 

 申し開きは無い。魔王の不興を買った自分が処分される事は分かり切っている。

 そう前置きをしたレイは、すぅ、と息を吸って。

 

「──ランスッ!!」

 

 その身体から雷撃を迸らせながら、怒鳴るようにその名を呼んだ。

 

「ぬ! なんだお前、魔人のくせして魔王様の事を呼び捨てにする気か」

「けッ! ここでテメェに殺されんだったら敬意を払ったって意味ねーだろが。ンな事よりもな、俺はテメェに会えたら一言文句を言ってやろうと思ってたんだ!」

「文句だぁ?」

「あぁそうだ。──これを見ろッッ!!」

 

 ダンッ! とテーブルを揺らす音。

 レイが魔王の御前に叩き付けたもの。表紙に見目麗しい幼女が載っている一冊の本。

 

「なんだそりゃ……って、おぉ、これはウルザちゃんに頼んで用意して貰ったエロ本ではないか」

 

 それは最終決戦の直前、魔人レイ対策としてランスがハウゼルに手渡していたもの。

 レイの性癖を大いに刺激するであろう逸品、幼女愛好者向けの発禁もののエロ本である。なんとレイはあのカスケード・バウでの戦いの後、このエロ本を持ち帰っていたらしい。

 

「このエロ本がどうしたって……あ、分かった。この本が最高に実用的でヌけたから俺様に感謝をしたいってわけだな?」

「ちげぇーよ! 文句だっつってんだろがッ!!」

 

 魔人レイ。彼は怒っていた。そりゃもう怒りに怒って激怒していた。

 戦場で出会った魔人ハウゼルからあらぬ疑いを掛けられてからずっと、この本を用意したという「ランス」なるふさげた男を絶対にぶっ飛ばしてやろうと決めていた。

 生憎とその男は魔王になってしまったのでぶっ飛ばす事は出来なくなってしまったが、それでもこの怒りを飲み込む事は出来ない。せめて文句だけはぶつけてやろうと決意していた。

 

「こんなフザけたもん寄こしやがって! テメェは俺の事を何だと思ってやがる!!」

「ロリコン」

「だからちげぇっつってんだろ!! 俺はこんなガキ共なんざぁ全く興味ネェんだよ!!」

 

 自分は断じてロリコンでは無い。事実無根の冤罪である。

 たとえここで死ぬのだとしても疑惑だけは晴らしておきたい、そんな思いのレイをよそに。

 

「いいや違うぞ。お前はロリコンだ」

「だから違うっつー──」

「違くない。お前は間違いなくロリコンだ。ただ自分の性癖に気が付いていないだけだ」

 

 魔人レイはロリータコンプレックス。魔王はあくまでそう断言する。

 その根拠となるのは前回の記憶、今はランスだけが知る魔人レイの戦場以外での意外な一面。

 

「お前のロリコン度は極まっている。なんせお前はロリが好き過ぎた結果、幼いがきんちょの言いなりになって敵軍に寝返るようなヤツだからな」

「アァ!? そりゃなんの話だ! 俺がいつガキの言いなりになったってんだよ!」

「なるんだよ。お前の知らん世界でそうなる。それもただのロリじゃなくてかなりのブスだ。お前、ロリコンでブス専ってめちゃくちゃ業が深い性癖をしとるぞ。ハッキリ言ってヤバいぞ」

 

 ランスが言うブスなガキとは。それは前回の第二次魔人戦争時、自由都市を侵攻していた時に魔人レイが出会った少女、メアリー・アンの事。

 レイはメアリーと出会った事で、己の心の空虚さを闘争以外でも埋められるのだと知った。胸の内にある衝動を闇雲に発散せずとも、受け止めてくれる人が居るのだと知った。

 だからこそ前回のレイは拳を収めて、魔軍を裏切って人類側に味方する事になった。そんなハートフルな一件が前回の歴史には確かにあったのだが。

 

「だからなんの話だってんだよそりゃあ……!」

 

 がしかし、そのような話は今ここに居るレイには知る由も無い。

 これまで1000年以上生きてきて、自分の性癖がブスなガキだなんて露程も感じた事がない。

 自分がロリコンだなんてあり得ない話、謂れなき冤罪だとしか思えないのに、それを今日この日まで会った事も無かった魔王から突き付けられているのだから堪らない。

 

「そりゃテメェは魔王だろうがな、俺の性癖まで勝手に決めつける権利はねェ。俺を殺すのは構わねェが、その前にロリコンだって決め付けたのだけは訂正しやがれ」

「いやだ。ロリコンをロリコンだと決め付けて何が悪いってんだ」

「あのなぁ……!」

「お前こそ自分の性癖を素直に認めたらどうだ。そりゃロリコンなんてのは犯罪者一歩手前の危険な性癖ではあるが、それでも自分の性癖を自ら否定するなんて虚しいだけだろうに」

「……テメェよォ、さては根本的に人の話を聞く気がねェみたいだな」

 

 この魔王は結論ありきで喋っている。そう悟ったレイは疲労感を滲ませた表情で肩を落とす。

 どうしてかは分からないがこの魔王は自分の事をロリコンだと決め付けている。ここで何を言ったって耳を貸そうとしないに違いない。その理不尽ぷりは確かに魔王と呼ぶに相応しいもので。

 

「……あ、そうだ。良い事を思い付いたぞ」

 

 だからこそ、そんな理不尽魔王ランスは次いでこんな事を言ってきた。

 

「よーし。ならビリビリ野郎、お前に一度だけチャンスをやろう」

「チャンスだ?」

「あぁそうだ。自分の性癖を認められないっつーなら俺様が認めさせてやろうじゃねーか」

 

 そう言ってニヤリと笑うランス。

 それは心優しい魔王が哀れな魔人に与える最後のチャンス。自らの性癖自認への第一歩。

 

「お前、今から人間世界に行ってこい」

「は? 人間世界? 俺が?」

「そうだ。んで自由都市にある……あれ? 自由都市の……どこだっけ?」

「さぁ、俺が知るかよ」

「……ま、どっかの町だ。とにかく自由都市のどっかの町に居るあのブスガキを……あれ? そういやあのブスガキってなんつー名前だっけ?」

「だから俺が知るかっての」

 

 魔人レイが欲情している(のだとランスが勝手に思っている)少女、メアリー。

 彼女はブスなガキだったのでランスにとっては微塵も興味が湧かない相手。なのでメアリーについてはその外見以外は一切記憶しておらず、住んでいた場所や名前など個人情報は全てが不明。

 

「……まぁいいや。とにかく自由都市のどっかの町にイイ感じにブサイクなガキが居るから、お前はそいつを見つけて自分の性癖を確認してこい」

「な、なんつー曖昧な命令だそりゃ……!」

 

 捜索場所は自由都市のどっかの町。捜索対象はイイ感じにブサイクなガキ。

 そんなあやふや過ぎるヒントだけでお目当ての相手が見つけられるはずが無い。あまりに理不尽な指令に魔人レイは目を剥くが、しかし魔王ランスはお構いなしで。

 

「そんで自分の性癖がブスなロリガキだっつー事を認めたら、さっきお前が言った事を取り消して謝罪しろ。俺様の前で土下座して『全て貴方様の言う通りでした。私はブス専のロリコンでした。魔王様ゴメンナサイ』って言えたら、お前の処分を考え直してやってもいいぞ」

「ふッ、フザけんなッッ!! んな事言うわきゃねーだろうが!!!」

 

 レイに与えられたチャンスという名の命令、それはあまりに屈辱的な内容だった。

 あやふや過ぎるヒントで目的の少女が発見出来るかという点を無視するとしても、それで自らの性癖が自認出来るとは思えないし、よしんばそうなったとてこの魔王の前で土下座で謝罪など。

 そんなの到底認められるものでは無かった。魔人にだってプライドはある。今は亡き何処ぞのリスではあるまいし、レイはそれ程の屈辱を飲んでまで生に執着したいとは思わない。

 

「さっき覚悟は出来てるって言ったろ。テメェに頭下げるぐれーなら死んだ方がマシだ。だからそんな命令には従えねぇな」

「ふむ、なるほどな。……ビリビリ野郎、さてはお前ビビってるな?」

「はぁ? 何を聞いてたんだテメェは。俺はもう死ぬ覚悟なら出来てるって──」

「そうじゃない。お前は自分の性癖を直視する事にビビってる、自分がブス専のロリコンだと認める事を怖がってるっつってんだよ」

「な……なんだと!?」

 

 魔王は煽る。レイは怒る。

 

「恐いんだろ? 自分の性癖がゲキヤバ過ぎるのを認めたくねーんだろ?」

「違う。テメェの言う事が下らな過ぎて耳を貸す気にならねェだけだ」

「いーやビビってる」

「ビビってない」

「ビビってないなら従えるだろう。ちょちょっと自由都市まで行って人探しをするだけだ。それともお前はその程度のおつかいすらも出来ない能無し魔人だってのか?」

「ッッ……!」

 

 魔王は煽る。とことん煽る。

 思わずレイは怒りに喉を鳴らす。

 

「……チッ。ランス……か」

「あん?」

「……いいや、テメェがどういう魔王なのかがよーっく分かったよ……」

 

 第八代魔王ランスとは。人をおちょくって楽しむ底意地の悪い性格をしているらしい。

 とはいえこんな明らかな挑発、こんな見え透いた挑発に乗っかるのはバカがする事だと思う。

 がしかしこれ程までに挑発されて、それでも無視して素知らぬ顔をしているのは。ここで受けて立たないのはそれはそれでレイのプライドを大いに傷付けるもので。

 

「……わかった」

 

 故にレイは頷いた。

 

「そうだな、テメェは魔王だもんな。なら命令には従ってやるよ。……けどなぁ!!」

 

 魔王からの命令を受諾した上で、レイは弾けるような怒りに前髪を逆立てた。

 

「俺は謝罪なんかしねェぞ!! テメェに向かって土下座なんか絶対にしねェからな!!」

「ほう、そうか?」

「あぁそうだ!! んな無様な真似をしてまで命乞いなんかしたくねェし、そもそも俺はロリコンじゃねぇ!! この命令に従うのはむしろロリコンじゃねぇって事を証明する為だからな!!」

「そーかいそーかい、まぁ好きにすりゃあいいさ。がははははっ!」

 

 これで面白いものが見れそうだなと、魔王ランスは愉快そうに笑う。

 

「けどな。そうは言ってもお前は絶対に土下座をして命乞いするぞ。断言してやる」

「っ……大した自信じゃねぇか」

「まぁな、それがお前の運命だからな」

「……なぁ、どうしてそこまで断言出来るんだ? 俺とテメェは今日が初対面、俺の事なんざテメェはなにも知らねェはずだろうが」

「あぁそうだな。俺様はお前の事なんざサッパリ知らない。つーか名前も覚えてねーし」

「……なるほど。テメェ、それでさっきから俺の事をビリビリ野郎としか呼ばなかったのか。レイだレイ、俺の名前はレイ」

「あー、そういやレイだったか」

 

 ようやく目の前に居る魔人の名前を思い出したランスは、そこでまたにぃっと。

 それはもう愉快そうに口元を曲げて、言った。

 

「レイよ、俺様は魔王だ。魔王様はなーんでもお見通しなのだよ。がーはっはっはっはっ!」

 

 

 

 

 

 そして──その後。

 個人面談終了後、魔人レイは魔王からの命令を遂行するべくすぐに人間世界へと出発した。

 

 捜索場所は自由都市。捜索対象はイイ感じにブサイクなガキ。

 あまりにも抽象的過ぎるヒントだけを頼りに、レイは自由都市群一帯を当てもなく歩き回った。

 大小合わせて三十の都市、約5000万にもなる人口を前に捜索など不可能だと思われたが……。

 

 ──けれども、それは運命の導きか。

 然程苦労する事も無く、レイは自由都市のとある町でいい感じにブサイクな女の子と出会った。

 

 少女の名前はメアリー・アン。

 前回の時とは出会い方も状況もあらゆるものが異なる二人ではあったが……しかし。

 それでも二人は自然と結び付いた。あの魔王の言葉通りだと認めるのはとても癪だったが、確かにそれはレイにとって運命の出会いと呼べるようなものだった。

 

 そして──更にその後。

 ある日、魔人レイはメアリーを連れて魔王城に戻ってきた。

 そして命令の完了を報告すると同時、レイは魔王の御前で潔く土下座をした。

 

 そんな無様な真似をしてまで、命乞いをしてまで生に執着したいとは思わない。

 以前まではそう思っていたレイだったが、しかしメアリーと出会ってその考えが変わった。

 まだ死にたくない。メアリーの寿命が尽きる時までは一緒に生きてみたいと思ったのだ。

 

 故にレイは魔王に土下座をして謝罪をした。

 その姿が大層面白かったのと、その頃にはもうランスも個人面談云々とかはどうでもいい気分になっていたので、そんなこんなで魔人レイは在庫処分送りを免れる事となった。

 

 ……ただ、それでもレイは一つだけ貫き通した。

 謝罪の際、事前に魔王から言えと命じられていた文言をそっくりそのまま口にはしなかった。

 魔王に何と言われようとも、レイは『ロリコン』という部分は認めても『ブス専』という部分は絶対に認めようとはしなかった。

 

 

 

 

 



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個人面談 三人目

 

 

 

 

 ──個人面談。

 それは一対一での話し合い。

 

 自らの生存権を手に入れるべく。

 一斉在庫処分セールから逃れるべく。

 魔人は自らの主たる魔王へと立ち向かう。

 

「それでは次の方、どうぞー」

 

 受付役のシィルから合図が聞こえて。

 魔王ランスの私室。そのドアを恐る恐る開いた彼の耳に届いた第一声は──

 

 

「よし。こいつはいらんな」

「……ふぅ。面談って聞いてたけど、これは初っ端から取り付く島もないね」

 

 初対面早々のお言葉に、席についた魔人パイアールは顰めっ面で嘆息する。

 

 今回の面談相手は魔人パイアール。

 ケイブリス派に属していた魔人の一人、発達した科学力を駆使する魔人である。

 

「うむ。こいつこそはいらんはずだ。なんたって男でガキだからな」

「ふぅん……性別や外見で判断するんだ。能力じゃなくってさ」

「当然だろーが。性別や外見以上に大切な事なんてこの世には無いのだ」

 

 性別や外見。つまりは男性か、それとも女性か。

 女性である場合は更にその外見が美人だったり可愛かったりするか、それともブスか。

 それが魔王ランスが配下に求める判断基準。人間だった頃から変わらない絶対的な物差し。

 

「……それで、僕を処分するって?」

「そういう事だ。それにお前は元ケイブリス派でもあるしな」

 

 その物差しの外側に立つ魔人パイアールは、現状生き残りの目がとても厳しい状態にある。

 そもそもが立場的には魔人レイと同様、魔人でありながら魔王に反逆していた身。覚醒前の前魔王に対する行いではあるものの、魔王が魔人を処分する理由としては十分なものと言える。

 

「……ケイブリス派なんて入りたくて入ったわけじゃないんだけどね。僕としては新たな魔王様に対して迷惑を掛けるつもりなんて無いから、その逆に僕の事も放っておいて欲しいんだけど」

「そうはいかん。お前は魔人で俺様の配下だ。だったら俺様が必要とする人材じゃねーとな」

「……はぁ。これならガイとかジルとかの方がまだマシだったね」

 

 分の悪い現状を自覚してパイアールは息を吐く。

 彼は自らの研究にしか興味を持たない魔人。だから本音を言えば魔王が誰であろうが、リトルプリンセスだろうがケイブリスだろうが、そして新魔王ランスだろうがどうだっていい。

 本当ならこんな面談も無視して研究所に籠もっていたい所なのだが、しかし自身の命が懸かっているとなると無視は出来ない。

 長年掛けての研究を完成させる為にもパイアールは一斉在庫処分セールを免れる必要があった。

 

「男のガキなんざ俺様の配下には必要無いのだ。それともいっそロボになってみるとか」

「ロボ?」

「うむ。ロボ。その方がまだ……いや、あんま変わらねーか」

 

 一方ランスにとって、魔人パイアールというのはロボットの姿の方が見慣れている存在。

 前回の第二次魔人戦争時、自由都市郡に侵攻した魔人パイアールはランス率いる魔人討伐隊によって討伐された。けれども死ぬ前にパイアールは自身の脳機能のバックアップを保存していた。

 そうして復活したのがパイアールロボ。魔人パイアールの発達した脳機能が完全に移植された画期的なロボットであり、その後パイアールロボは魔人討伐隊の一員として戦う事となった。

 

「まぁロボだろうがガキだろうが関係無い。俺様の配下に男はいらん……が」

 

 とはいえパイアールロボとは、魔人パイアールの脳機能を完全に移植した機械。

 であればどうしてパイアールロボが、魔人パイアールの思考が人類の味方となったのか。

 

「……が?」

「が、一応お前には多少の価値はある」

 

 その理由こそが魔人パイアールの有する価値。

 目の前にいるガキになど興味無し。最初からそっちが目当てだったランスはにやりと笑った。

 

「パイアール、お前には姉が居るだろう」

「……ッッ!」

 

 そうと告げた途端、パイアールの表情がサッと固く強張った。

 

 パイアールの姉、ルート・アリ。

 彼女こそがランスの狙い。性別も外見も問題なく魔王のお眼鏡に適う美女。

 

「……どうして、それを……!」

 

 そして彼女こそ、魔人パイアールが生きる理由そのもの。

 人間だったパイアール・アリが魔人になってまで研究を続行しようとした唯一の理由。

 

「どうして、か。魔王様に隠し事が出来るとは思わない事だなぁパイアールよ。お前に姉がいる事なんざとっくにリサーチ済みなのじゃ」

「……あっそう。誰から聞いたのは知らないけど随分とお喋りなやつがいたもんだね。……あぁそうだよ、確かに僕には姉がいる。けどそれが何? 魔王様には関係の無い事だと思うけど」

「関係無いかどうかは俺が決める事だ。違うか?」

「っ、それは……そうだけど」

 

 ルート・アリについて関心を示す魔王の様子にパイアールの警戒心が強まる。

 肉親である姉の存在は弟にとっての全て。加えて今のパイアールとってルートとは、自らの失敗と苦難の歴史とも言い換えられる。

 

 何故ならパイアール・アリの研究とは、不治の病に罹ったルート・アリを復活させる事だから。

 しかし長年研究を続けても結果は出ていない。わざわざ魔人になって無限の寿命を手に入れてまで長い月日を研究に捧げても、未だに姉とは再会を果たせていない。

 そんなパイアールにとって姉ルートの話題は一番の地雷。本当なら口にも出したくない話題なのだが、しかし相手が魔王とあってはそうもいかない。

 

「でも魔王様。興味を持ったところで今は姉さんに会う事なんて出来ないよ。今は──」

「そうだな。俺もついさっきその事を思い出したのだが、お前の姉ちゃんはぶよぶよぐにゃぐにゃの肉塊になっちゃってたんだったよな」

「……よく、知ってるね」

「うむ。んでお前はそれを治す研究をしていたと」

「……あぁ、そうだ。姉さんを治す事、それだけが僕の全てだ。僕は姉さんを治療する事さえ出来れば他はどうだっていいんだ。だから……」

 

 だから見逃して欲しい。一斉在庫処分セールは止めて欲しい。

 新たな魔王の治世を邪魔するつもりはなんて毛頭無いから、自分の事は放っておいて欲しい。

 そんな文句で魔王を説得しようとしていたパイアールだったが。

 

「俺様が治してやろうか?」

「……は?」

 

 聞こえた言葉に最初、何を言っているのか分からないとばかりにぽかんとした顔になって。

 

「お前には治し方が分からねぇんだろ? だったら俺様が治してやるよ」

「………………」

 

 そしてその次、一気に湧き上がってきた黒い感情に顔を歪めた。

 

 ──魔王が? 治す? 

 僕の姉さんを? 僕には治せないからって?

 

「……魔王様。そういう冗談はあんまり言って欲しくないんだけど」

「冗談なもんか。俺様はお前の姉ちゃんの治し方を知ってるからな」

「バカな! そんなはずは無い!」

 

 その言葉だけは聞き捨てならない。

 思わずパイアールは声を荒げながら椅子から立ち上がる。

 

「……ふぅ。いくら魔王様といえども今の言葉は看過出来ないな」

 

 けれど魔王の御前だった事を思い出したのか、頭を冷やして席に座り直した。

 

「ほう? どうしてだ?」

「だってそんなの嘘だからだ。魔王様だからって嘘を吐くのは良くない事だよ」

「嘘ではない。本当だとも」

「嘘だ。姉さんの症状はこの僕が二千年以上研究しても未だに改善出来てない難病なんだ。それをどうしてつい先日まではただの人間だった魔王様に治せるっていうんだ」

 

 ルートの症例に関しては自分こそがこの世で一番詳しい。パイアールはそう断言出来る。

 その自分が何千年も前からずっと手を焼いている状態なのに、それを魔王が、たかが元人間の魔王如きに治せるはずが無いではないか。

 そもそも姉はおろか自分とだって今日が初対面、そんな相手が自分と姉の問題にずかずかと土足で踏み込んでくるのが我慢ならない。自然とパイアールの視線にも苛立ちが籠もる……が。

 

「それでも俺様になら治せるのだよ。何故なら俺様は……魔王様だからな」

 

 しかし、その男は魔王。

 たかが魔人でしかないパイアールを遥かに凌駕する存在、この世界の絶対なる支配者。

 

「魔王様にはなーんでもお見通しなのだ。お前の姉ちゃんの治し方だろうとなんだろうとな」

「嘘だ。そんな非科学的な話はあり得ない。僕が知ってる過去の魔王の例を見ても、魔王が何でもお見通しな存在だとは思えないな」

「いいやこれは本当だ。過去の魔王共なんざ知らんが俺様はそういう存在なのだ。……なんだったら証拠を見せてやろうか?」

 

 特にこの魔王には、これまでの魔王とは少し違う特殊な一面がある。

 なんでもお見通しだと不敵に笑うランスの頭の中には特別な知識が存在している。

 

「証拠?」

「あぁ。……よし、そうだな……おぉぉ……見えてきたぁ、見えてきたぞぉ~……!」

「い、一体何を……」

 

 不審がるパイアールを尻目に魔王ランスは両目をぐっと瞑って。

 そして片手で額を押さえて、まるでテレパシーを受信するかのようなジェスチャーを見せて。

 

「……いいか、パイアール!!」

「っ!」

 

 そしてカッと開眼。

 ビシッと人差し指を突き付けて、告げた。全てを見通す魔王の凄さを、その恐ろしさを。

 

「まずお前の姉ちゃんの名前はルート! ルート・アリだ! そうだな!?」

「な、どうしてその名前を……!」

「性格はおっとり穏やかな感じで、でも芯の強さがあるいかにもお姉さんチックな感じの子だ。けれど怒らせたらこっちが謝るまでは絶対に許してくれないすげー怖い人!」

「な……、な……ッ!」

「で外見は勿論美人さんだな。腰の辺りまで伸ばした水色のロングな髪がグッドだ!」

「なんで、どうして……ッ!」

「んでなによりもおっぱいがデカいッ!!」

「バカな……どうして、そこまで……!!!」

 

 ルート・アリは二千年以上前、魔王ナイチサの時代を生きていた人間。

 それから病気の治療の為にコールドスリープ状態となり、今ではその身体は肉塊へと変貌した。

 

 だからルート・アリと言う名前も、その性格も、外見的特徴も。

 姉の人間としての情報を知っている者なんて自分以外には存在していないはずなのに。

 それなのに……どうして!?

 

「それはなぁ、俺様が魔王様だからだ!! がーはっはっはっはっは!」

 

 驚愕の表情になるパイアールをよそに、ランスは勝ち誇った顔でがはは笑い。

 それはランスが魔王だからではなく、過去に戻ってきたという事実があるからこそ。

 前回の第二次魔人戦争を勝ち抜いたからこその知識なのだが、勿論そんな事は口には出さず。

 

「くッ……これが魔王……か……!」

 

 悔しげに呻くパイアールには分からない。

 姉の事を詳しく知る理由が、まさか実際に本人に会ったからだとは思わない。

 それでエッチな事までしたからだとは、全魔人中最高の頭脳を持つ少年でもさすがに分からず。

 

「……認めるよ。僕の負けだ。確かに僕は魔王という存在を侮っていたみたいだ」

 

 魔王。それはパイアールの発達した科学力を駆使しても解析出来ない存在。

 その規格外さを読みきれなかったパイアールは自らの敗北を認めざるを得なかった。

 

「けど……それでもっ! それでも姉さんを治すのは僕が、僕こそが……!」

「二千年間研究しても治せねーならお前には無理だって事だ、諦めて俺様に任せなさい。ルートを人間に戻すにはアレを使うのだ」

「アレ?」

「あぁ。アレだ」

 

 自身満々にそう呟いたランスは、しかしすぐにこてりと首を傾げる。

 

「……あれ? あれって何だっけ?」

「いや……知らないよ」

「なんか……こう、ほれ、人形みたいなアレは……えーと、なんつったかな……」

 

 ランスが思い出したい人形みたいなアレ。それは『IPボディ』というマジックアイテム。

 対象の魂の情報を元に肉体を構成するマジックアイテムであり、肉体は崩壊してしまったが魂が残っていたルートはそれを使用する事によって見事に蘇生を果たした。

 がしかしそれはミラクル等の入れ知恵によって編み出された救出方法であり、その現場を横でぼーっと見ているだけだったランスにはうろ覚えの記憶しか残っていなくて。

 

「AP……いやIEだっけ? それとも……」

 

 魔王の頭脳というのは女性のプロフィールを記憶する事以外には働かない。

 記憶の底を掘り返してうむむと唸っていたランスだったが、やがて思い出すのを諦めたらしく。

 

「……まぁとにかく、あの肉塊から魂をキュって吸い上げて、んでなんかのアイテムにギュギュッと突っ込むのだ。そしたらぽわーと肉体が出来て、あっという間にルートの完成ってわけだ」

「……あのねぇ魔王様。そんな雑なやり方で姉さんが元に戻ったら苦労はしないって」

 

 やっぱり姉の治療方法を知っているなんてのは嘘っぱちなのでは? 

 とパイアールは一瞬怪訝な顔になったものの。

 

「……けど、魂から肉体を作る、か……確かにそういうアプローチは試してなかったかもしれないな……だとしたらまず魂のデータを解析して、そこから数値を定義化して……」

 

 今の話から新たな知見を得たのか、ぶつぶつと呟きながら自らの思考に没頭していく。

 今ランスが語ったのは紛うことなきルートの治療方法そのもの。ランスなりの擬音が多くあやふやな部分ばっかりだったものの、それでも魔人最高の頭脳を持つパイアールにとっては十分なヒントになったようだ。

 

「……中々興味深い話だね」

「だろう?」

「うん。姉さんを治療する一歩前進にはなったかもしれない。……感謝します」

 

 そして最低限の礼節は弁える気になったのか、パイアールは大きく頭を下げた。

 

「うむ。たっぷりと感謝したまえ。んで早いとこルートを復活させろよな」

「……ねぇ魔王様。仮に姉さんが復活したとしたら魔王様はどうするつもりなんですか?」

「抱く」

「えっ」

「抱く。セックスする。だからとっととルートを復活させろ。魔王様からの命令じゃ」

「……分かりました」

 

 もし姉が復活したとしても魔王には絶対に会わせないようにしよう。

 パイアールはそう固く誓った。姉の貞操を守るのは弟の役目なのである。

 

「……でも魔王様、それならここで僕を処分したりはしないって事だよね?」

「む。確かにそうなるな……ではルートが復活するまでお前の処分は保留とする」

 

 ──よしっ! 

 とパイアールは心の中でガッツポーズ。

 

「だがそうなるとお前は俺様の配下だ。俺様の為に忠実に働いて貰う必要があるぞ」

「それは分かってるよ。さっきも言ったけど僕は魔王様に逆らうつもりなんて毛頭ないからね」

「宜しい。ではお前は……そうだな……」

 

 面談の結果、ひとまずルートが復活するまで魔人パイアールの処分は保留となった。

 となると保留の期間この魔人を、男の魔人を自分の配下として役立てるとなると……。

 

「……よし。じゃあお前には俺様が使用するエログッズ開発でもさせるかな」

「は? え、エログッズ?」

「うむ。お前は色々とわけの分からんメカを作るのが得意だったはずだからな。その開発力を活かしてエログッズ開発担当大臣に就任させてやろうじゃないか」

「えぇ……僕の科学力をそんな事に使うの……?」

 

 一転してげんなりとした顔になるパイアール。

 現状の人間世界における科学力、その水準を遥かに超える魔人パイアールの驚異的な科学力。

 それをエログッズ開発に使用するなどあまりにも勿体ない話。パイアールからすればにゃんにゃんに小判かと言った話なのだが。

 

「ぐふふふ、俺様が欲しいエログッズを好きに開発出来るってのは中々悪くねぇ話だな」

 

 市販品のエログッズではなく、必要とする機能が搭載されたオーダーメイドのエログッズ。

 特にそれが魔人パイアールの頭脳で作られるとなるとどれだけ素晴らしい逸品が出来るか。

 そんな想像にランスは笑みを浮かべる。なによりもエロを至上とする新魔王にとってはこの上なく夢の膨らむ話、魔王になった甲斐があったというものである。

 

「……まぁ、魔王様に作れと言われたら作るけどさ……ちなみにどんなものが欲しいの?」

「そうだな……んじゃあ10段階、いや15段階に強弱の切り替えが可能なバイブとかどうだ」

「それいる? 普通のと何が違うの?」

「全然違うだろう! 15段階だぞ15段階!!」

「でもさぁ、それなら強弱の違うバイブを15個用意すればいいだけじゃないの? わざわざ新しく開発する必要性を感じないんだけど」

「必要性なんか知るか! 俺様が欲しいっつうんだからそれでいいんだよ!」

 

 発明に対する意義や開発者の矜持なんて知ったこっちゃなし。

 ただ欲しいから作らせる。面倒な顧客ランスは次いでこんなオーダーを出してくる。

 

「あとはそうだなぁ、いっそこれまでには無かった未知のアイテムを……例えば……あ、じゃあポチッとスイッチを押したら透明になる服とかどうだ? これでいつでも裸が見放題!」

「それに何の意味があるの? わざわざ服を透明にしなくてもさ、裸が見たいなら裸になれって命令すればいいだけじゃないの?」

「かーーっ! これだからエロの事をなんにも分かっとらんガキんちょ魔人は!」

 

 ガキはやっぱりガキだなと、ランスは大げさな素振りで頭を振る。

 服を脱がせる事と、服を透明にする事。この二つは似通っているようで大きく違う。

 服を脱がせる行為は脱衣。一方で服を着たまま裸体を露わにする行為には脱衣とはまた違った趣がある。エロマイスターを自認するランスにはその違いが分かるのだ。

 

「いいか? その服を……ならそうだな、ホーネットに着せるとしよう」

「それで?」

「それでだ。この前みたいに王座の間に大勢を集めてその先頭にあいつを立たせるとするだろ?」

「それで?」

「それでだ! そんな時に突然ホーネットの着ている服が透明になったらどうだ!! これはエロいだろう!!」

「エロいかな?」

「エロいだろうが!! あいつは自分の服が透明になった事に気付いて恥ずかしがるだろうが、それでも魔王様の前だからと逃げ出す事も身体を隠す事も出来ずにそのまま……ぐへへへ、これはエロいぞぉ~!」

「そうは言うけどさ。ホーネットなんて普段から透明な服を着ているようなものだし、そんな事態になっても顔色一つ変えないと僕は思うけど」

「……まぁ、そう言われると、確かに……ちょっと人選が悪かったかもしれん」

 

 パイアールから冷静にツッコまれ、鼻の下が伸びていたランスはすっと真顔に戻る。

 

「……いやでもエロいのは事実なのだ。とにかく、そんな服だってお前なら作れるよな?」

「作れます。……って言っておかないと駄目なんだろうね、ここは」

「うむ、その通りだ」

 

 15段階変速機能付きバイブだって。透明になる不思議な服だって。

 あんな夢もこんな夢もみんなみんな叶えてくれる……かもしれない。この魔人の科学力なら。

 

「まぁいいや。魔王様のご要望は分かったよ。それじゃあ僕もう行っていい?」

「良かろう。今後も俺様の為に誠心誠意しっかりと励むよーに」

「分かってますって。……はぁ、透明になる服か……なら電気信号によって透明になる色素を……いやそれとも繊維の方に手を加えるべきか……」

 

 こうして新魔王ランスの命により、エログッズ開発担当大臣の役職に就いた魔人パイアール。

 彼はその発達した頭脳を捻らせながら魔王の部屋を退出していった。

 

 

 

 

 



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個人面談 四人目

 

 

 

 

 ──個人面談。

 それは一対一での話し合い。

 

 自らの生存権を手に入れるべく。

 一斉在庫処分セールから逃れるべく。

 魔人は自らの主たる魔王へと立ち向かう。

 

「それでは次の方、どうぞー」

 

 受付役のシィルから合図が聞こえて。

 魔王ランスの私室。そのドアを恐る恐る開いた彼の耳に届いた第一声は──

 

 

「よし。こいつはいらんな」

「ふむ、第一声がそれとは。どうやら私は随分と嫌われているようだ」

 

 初対面早々のお言葉に、魔人ケッセルリンクは然程気にした様子もなく席に座る。

 

 今回の面談相手は魔人ケッセルリンク。

 ケイブリス派に属していた魔人の一人、派閥のNO,2として君臨していた魔人四天王である。

 

「さて……お初にお目に掛かります、魔王様。我が名はケッセルリンクと申します」

「知っとる。今更自己紹介などいらんわ。お前の処分はすでに決まっているのだからな」

「釈明や弁解の余地は無い、と?」

「あぁそうだ。なんせお前にはあまりにも罪状が多すぎるからな」

 

 死刑宣告を傲然と告げた魔王の目に映る相手、魔人ケッセルリンク。

 紳士然とした貴族のようなその魔人はランスにとって色々と鼻に付く要素が多く、今回面談対象となった魔人達の中でも一番アウトな存在である。

 

「お前は男だし、キザったらしいし、今も余裕ぶってる感じがなんかムカつくし」

「別に余裕ぶっているつもりは無いのだがね」

「それに元ケイブリス派だ。お前さえいなけりゃもっと早く戦いに片が付いたのだ。『ああもうケッセルリンクうぜー! ムカつくー!』……ってホーネットが口癖のように言ってたぞ」

「ほう。彼女にしては随分と直情的で口の悪い物言いだが……さて……」

「それに聞いとるぞ? お前はシルキィちゃんに手を出したな? 俺様の可愛い可愛いシルキィちゃんを散々に苛めてくれたそうじゃねーか」

「私がシルキィを? そんな事は……って、あぁ、この前の戦いの話か」

 

 この前の戦い。それは派閥戦争最後の全軍衝突、カスケード・バウの戦い。

 久々に全力で戦ったあの時の事を思い出したケッセルリンクは小さく首を振った。

 

「けれども魔王様、苛めたというのは大いに語弊がある。シルキィの名誉の為にも言っておくが勝敗は引き分けだ。どっちが勝ってもおかしくない真剣勝負だったと記憶しているよ」

「やかましい。それでもお前がシルキィちゃんをタコ殴りにした事実は変わらん。戦いが終わった直後はあの子の身体にも生々しい傷があってなぁ、セックスするのにも少し躊躇しちまったのだ。んでもあの子は『気にしなくていいから、ね?』とか言ってきて、シルキィちゃんはああいう健気なところが可愛いよなぁ、うむうむ」

 

 魔王城に戻ってきてすぐ楽しんだご褒美、我が栄光たるハーレムセックスの最中。

 負傷した身体を押して献身的に尽くしてくれたシルキィのエロさを思い出すランスの一方、

 

「……ふむ」

 

 ケッセルリンクは紅い瞳を細めて、初めて相対した新たなる魔王の容貌を注視する。

 

 目の前に居る男、ランス。それはまさにあの戦いの中でシルキィが教えてくれた人間の名前。

 嘘か真か、ホーネット派を影から支配してきたカオスマスター。それがランスであり、今回その男がまさかまさかの新たな魔王となった。

 その事実を知らせる手紙が届いて以降、ケッセルリンクは内心大いに興味を抱いていた。

 

 あの時シルキィから聞いた話では、ランスの協力があればケイブリスにだって勝てるとか。

 ランスとはシルキィを遥かに超える破格の人間だとか。他には……極度の女好きだとか。

 

「今の話を聞く限り、魔王様はシルキィと肉体関係を持っていると?」

「んなもん当然だろうが。あの子はとっくの昔から俺様の女なのじゃ。がははははっ!」

「ほう……それは驚きだね」

「つかそんな事どうでもいい。今話しているのはお前の処分であってそれはもう決定済みだ。俺様の配下にキザな男はいらんのだー死ねー!! ……っつうのがこれまでの流れで」

「流れ?」

「うむ。ここら辺は繰り返しになるから省くぞ。とにかく俺様はちゃーんと覚えてるのだ。やいケッセルリンク、お前にも女がいたはずだな?」

 

 極度の女好きである以上、ここを突いてくるのはある意味当然の流れか。

 聞こえてきた言葉に先の展開が読めたケッセルリンクの顔付きが変わった。

 

「お前はメイドっ子を大勢侍らせてハーレムを作っていたはずだ。そうだな?」

「ふむ。シャロン達の事かな?」

「それだ。それぞれの名前は知らんが顔は全員覚えとる。みーんな美人で可愛い子ちゃん達だった」

 

 ケッセルリンクが侍らせているメイド達。

 それは全員が元人間であって、今は魔人ケッセルリンクの使徒となった8人の女性達。

 

 シャロン。パレロア。エルシール。加奈代。

 バーバラ。アルカリア。リリム。ファーレン。

 

 以上の8名こそがランスのお目当て。

 彼女ら通称ケッセルメイドとは前回の第二次魔人戦争時に遭遇したのだが、その時には進軍の最中という事もあってアルカリアとリリムとファーレンの三名しか食べる事が出来なかった。

 なので今回は余す事なく、8名のメイト達全員をぺろりと平らげるつもりでいた。

 

「思い出すなぁ。お前のメイド達はみんな可愛かったよなぁ」

「………………」

「あぁ、セックスしてぇなぁ」

「………………」

「さーてケッセルリンク君。お前が何をすべきか、ここまで言えばもう理解出来るよな?」

「察するに……彼女達を差し出せ、という事かな」

 

 ケッセルリンクが答えると、魔王は我が意を得たりとばかりに口を開く。

 

「そのとーり! この世の全ての美女は俺様のものになるのだ。だからケッセルリンク、お前が手に入れた女も俺様によこせ」

「……ふむ」

 

 どうしたものか……と、ケッセルリンクは深い眼差しの奥で思考する。

 女を献上せよと命じられたのは初めての事だが、上位者たる魔王らしい命令ではある。

 となれば一人の魔人として断るべくもない命令なのだが……しかし。

 

「……さて、困ったね……」

 

 しかし……自分の元に身を寄せたあの子達は。

 彼女達は皆が厄介な事情を抱えている。それぞれが心に深い傷跡を抱えていて、だからこそあの子達は自分の元に来て使徒となる道を選んだ。

 故によこせと言われて、はいそうですかと差し出せるものでは無い。心情的には叶う事ならば断りたい場面なのだが……しかし。

 

「あ、メイド達を手放すのが惜しいってんなら別に断ってくれたっていいんだぞ? その時は力づくで手に入れるまでだからな。がーっはっはっはっはっはっ!」

「………………」

 

 まぁこうなる。当然ながら相手はこう言ってくるだろう。

 そしてこう言われてしまった場合、もはやケッセルリンクに抗う術など無い。

 いいやケッセルリンクはおろか誰しもが抗う事の出来ない存在、それが魔王。この世の全てを掌握する絶対的な存在なのだから。

 

「どうする? 素直に差し出すか? それとも一縷の望みに賭けて俺様に歯向かってみるか?」

 

 そう言ってランスはにやりと笑う。

 酷に過ぎる二択を突き付けながらの笑みは、まさに魔王の名に相応しい悪虐な表情で。

 

「………………」

 

 傷付いて、救いを求めてきた女性を救うのはケッセルリンクの性分。

 そして一度救いの手を差し伸べた以上、こちらから見捨てる事は出来ない。

 それだって性分であるし、なにより彼女達はもう自分と血を分けた使徒なのだから。

 

「……仕方ないな」

「お?」

 

 故にケッセルリンクは決断した。

 長らく沈黙に閉じていたその口をゆっくりと開いて……言った。

 

「では魔王様。シャロン達の代わりにこの私が貴方に抱かれましょう」

「とうっ!」

 

 びしーっ! と魔王チョップが炸裂。

 

「ふむ、さすがは魔王様。痛い」

「おい貴様ッ! 唐突にメチャクチャ気持ちワルい事を言い出すんじゃねぇ!! ああもうサブイボ出ちまったじゃねぇか!!」

 

 鳥肌の立った二の腕を擦るランスの一方、ケッセルリンクはおでこを押さえる。

 単なるツッコミとしてのチョップだったがしかしそこは魔王、その一撃には魔人四天王にすらダメージを与える確かな威力があった。

 

「ケッセルリンク、テメェがホモだってのはよく分かった。だが俺様は違う。よってテメェは先程の罪にホモ罪も追加して即刻処刑とする」

「違う。そうではない。魔王様、私は女性だ」

「俺様の配下にホモがいるなど冗談じゃ……え?」

 

 ──私は、女性だ。

 ふと聞こえてきたそんな言葉に、魔王ランスはぽかんとした表情になる。

 

「え? 女性? だれが?」

「私がです。魔王様」

「……お前、よくもまぁそんな真顔で丸分かりな嘘が吐けるもんだな」

「嘘ではない。本当だとも」

「そうか分かった。自分はオカマだって言いたいんだな? けどな、ノンケの俺様に言わせりゃホモだろうとオカマだろうと大差ねーんだよ」

「だからそうではない。ほら、これを見たまえ」

 

 するとケッセルリンクは先程チョップを食らった額の真ん中を指差した。

 未だ痛みの残るそこには青く輝く宝石が一つ。

 

「このように額にクリスタルを持つ『カラー』という種族の事をご存知ないか?」

「カラーぐらい知っとるわ。……って、まさか、それじゃあお前はカラーなのか?」 

「いかにも、私はカラーの魔人だ。そしてカラー種には女性しか生まれないという特色があるのだが、それについてはご存知か?」

「……知ってる。確かにカラーは女だけだ」

 

 長命で、額にクリスタルがあって、そして女性のみが生まれる種族。それがカラー。

 カラーの森に住むカラー達の事についてはランスも良く知っている。その内の一人とはうっかり子供まで作ってしまい、生まれてきた子供の性別もやっぱり女性だった。

 だからケッセルリンクに言われるまでもなく、カラー種とは男性が生まれない女性のみの種族だとはランスも知っていたのだが。

 

「……いや、でも待て、お前は何処からどう見たってオッサンじゃねーか」

「あぁ。だから私は元カラーであり元女性だ。魔人になる際に性別を変えて男性になったのだよ」

「魔人になる際に性別を変えたぁ? んな事が可能だってのか?」

「そのようだね。私もそれが出来ると知って魔人になったわけではないから、変えたというよりも結果的に変わったと言った方が正しいが」

 

 カラーの女性ケッセルリンク。彼女は魔王スラルの代に魔人となった。

 そしていざ魔血魂を飲み込む際、ケッセルリンクは魔王スラルを守る騎士となる事を望んだ。

 それが影響してなのか魔人としての肉体を手に入れた時、カラーではなくなって魔人となったケッセルリンクは男性の身体に変わっていた。

 

「……つーことは何か? お前は今でこそオッサンだけど元々は女だった。だから元々の姿に戻って俺様に抱かれるって事か?」

「そういう事だね。その代わりにシャロン達には手出し無用でお願いしたい」

「……ぬぅ。そうは言ってもなぁ……」

 

 ランスは顎の下に手を当て、値踏みするかのようにケッセルリンクの顔をじろじろ眺める。

 どうやらこのオッサンにしか見えない魔人は元々カラーの女性だったらしいので、元の姿に戻って自分とセックスするつもりらしい。

 なんとも自分の性別を軽視し過ぎというか、こいつはバイなのかと問いたくなる所だが、とにかくケッセルリンクはそのつもりのようで、代わりにメイド達は見逃して欲しいらしい……が。

 

「……ふぅん」

 

 しかしてそれは。その選択肢は自分にとってどれ程のメリットがあるというのか。

 

「なぁケッセルリンクよ。仮にお前が本当に元女だったとしてだ」

「本当だ。私とて魔人、魔王様に対して嘘を吐くつもりなど無い」

「だとしてもだ。お前が俺様のお眼鏡に適う女かどうかは分からんだろう。言っとくが俺様が女に求めるハードルは高いぞ? 最低でも50点は……いや、魔王になってどんな女でも食べ放題になった今、最低でも70点は欲しい所だ。お前はそれ程の美人だってのか?」

「ふむ、容姿の問題か。そうだね……基本的にカラー種は容姿端麗、私も見られない外見では無かったと思うが……さて、どうだったかな……」

「それにだ。それ以上に大事な事がある」

「というと?」

 

 そこでランスは口元をにたりと弓形に。

 さも魔王らしく酷薄に笑って、実に魔王らしい事を言い出した。

 

「簡単な事だ。仮に女に戻ったお前がセックスするのに問題無いレベルの美女だったとしてだ」

「うむ」

「そしたらお前の事を抱くだろ? ……けどなぁ、その上でお前のメイド達も全員食べたってなーんにも問題はねぇはずだよなぁ? なんせ俺様はこの世界を支配する魔王様なんだからよ」

「……確かに、その通りだね」

 

 言われて、反論する術のないケッセルリンクは静かに瞳を閉じる。

 相手は魔王。世界の全てを、自分も使徒もその全てを総取りにする事が許されている存在。

 ケッセルリンクとっては最初から交渉の余地すら無いような相手であり、出来る事と言えば魔王の機嫌を損ねないようにただお願いする事のみ。

 

「だよなぁ? そうだよなぁ!? がははははははーーっ!!」

 

 しかし生憎とこの魔王は極度の女好き。

 その他の事ならともかく、女性が関わる事については妥協するつもりは無いらしい。

 自分の願いも、使徒達の想いも無視して全てを我が物とするつもりなのだろう。あるいはそれを残酷な事だとも思っていないのかもしれない。

 

「ぐふふふ……さぁどうする? このままだとお前の大切なメイドちゃん達が俺様のものになっちゃうぞ~? いいのかなぁ~?」

「………………」

 

 にやにやと笑いながら、魔王は囃し立てるかのようにそんな事を言ってくる。

 こちらに選べる選択肢など無い事は分かっているだろうに、その上でこうして煽る事で自分の苦しむ顔を、悔やむ顔を見て悦に浸ろうというのか。

 そういう底意地の悪い姿は、性悪な趣向はまさしく魔王らしい姿だと言えるが──

 

(……しかし、どうかな)

 

 極度の女好きで、強欲で、酷薄で、底意地が悪くて、性悪な性格。それが新魔王ランス。

 ここまで話して見えてきた印象と言えばそういった一面だけだった……だが。

 

(それがこの男の本性ならば……シルキィがあれ程に心を許すとは思えない)

 

 あの時、ランスという人間の男について照れ混じりの表情で語っていたシルキィの姿。

 ケッセルリンクが興味を持ったのは話に聞いたランスという男以上に、旧知の相手であるシルキィの変わりようが気になったからだ。

 義心に厚いあのシルキィがこのランスという男と魔王になる以前から身体を重ねていたのなら、この男には魔人シルキィから認められて好意を抱かせるに足る「なにか」があるはずで。

 

(無論、魔王化に伴い性格などが変貌したという可能性も考えられるが……さて)

 

「……魔王様」

「なんだ?」

「貴方は魔王だ。たかだが魔人である私の事など気にせず魔王様のお好きになさると宜しい」

「ほう、潔いな。ではお前の使徒達は──」

「ですが」

 

 なのでケッセルリンクは危険を承知で少し試してみる事にした。

 ランスという男の、新たなる我らが王の本性というべきものを知る為に。

 

「その場合、この先私が貴方に対して忠心を抱く事は決して無くなるでしょう」

「あん?」

 

 するとランスの眉が不快げにぴくんと動いた。

 一方でケッセルリンクは表情を変えない。まっすぐその目を向けながら、告げる。

 

「誰にでも譲れぬものがある。それは魔王相手と言えども変わらない。少なくとも私にとっては」

「だったらどうだってんだ? 魔人のお前が魔王様に逆らって勝てるとでも思ってんのか?」

「いいえ。そうではありません。私は魔人として貴方に逆らう気など毛頭ありません。……ただ、貴方を上位者として敬意を以て見るに欠片も値せぬ魔王だなと感じるだけの事です」

「……あんだと?」

 

 ──上位者として敬意を以て見るに欠片も値せぬ魔王。

 それは丁寧な言葉遣いながらも、実質的には「お前はクソ野郎だ」と言われているに等しく。

 

「……おい。お前、さてはケンカ売ってんな?」

 

 イラッときたランスが恫喝するような口調に変わるが、それでもケッセルリンクは動じない。

 

「まさか。魔人の私では魔王様相手にケンカなど売りようがありません。ただ貴方に対して心から敬服しない事、魔人に許される事などその程度のささやかな反抗のみ。忠誠と忠心は別だという事です」

 

 魔王の言葉に従いはすれど、しかし従う心を持つかどうかは全く別の話。

 魔王の言いなりになるのが魔人とはいえ、その心の内まで言いなりになるとは限らない。

 魔王の座から逃げ出した来水美樹を認める魔人が少なかった事からも明らかなように、そういう事に関しては魔人と魔王であっても人間世界の上下関係と同じように成り立っている。

 但し魔王は魔人相手であれば強制的に従わせる事が可能となるので、たとえ魔人からの忠心が無くとも特段問題は生じないのだが。

 

「まぁ、所詮は一魔人の戯言に過ぎぬ話。大袈裟に捉える必要はありません……が」

「……が、なんだ?」

「……いえ。存外に魔王様は気にするのだなと思いまして」

「あん?」

「実に下らぬ話だなと一笑に付して構わないという事ですよ。なにせ貴方は魔王なのですから」

 

 魔人からの忠心など無くとも、魔王が魔王として世界を支配する事に支障など無い。

 だからこそ魔王を試す為の試金石となり得る。そう思ってケッセルリンクが試してみた所、どうやらこの魔王はその点に引っ掛かりを覚える程度には理性的なようで。

 

「それに……意外と怒らないのですね、魔王様は」

「そりゃ完全に気のせいだ。むしろ俺様はもうキレる一歩手前だぞ」

「一歩手前という事はキレてはいないという事でしょう。これ程に失礼な言動をする魔人がいたなら即刻処断したっておかしくは無いというのに」

「……ケッセルリンク。お前、失礼な言動をしとる自覚はあったのか」

「無論です。いつその拳が飛んできてもおかしくないと内心警戒していたのですが、こうなると……魔王様は見かけ程に粗野な性格をしているというわけでもないのですね」

「当然だろう。俺様は乱暴なだけのバカとはちが……っておい、見かけ程にとはどういう意味だ」

 

 ランスのこめかみにくっきりと怒りマークが浮かぶ……がしかしそれでも。

 未だこうして会話を交わせる程度の寛容さを有している。格下の存在である自分相手にも。

 

(やはりこの男は元が人間で人間社会の中で育ってきたからか、魔王となっても最低限の社会性を持ち合わせている。まぁ、本人にそのつもりがあるかどうかは不明だが)

 

 色眼鏡を掛けずに見ても性悪で粗野な性格をしている事は確かだが、しかしこの程度なら魔物界の基準で考えれば大した事では無い。

 魔物界の住人である一般的な魔物はもっと乱暴で残酷な性格をしている者だらけであり、それと比べればこの魔王は遥かに理知的で分別がある。

 

(王座の間で初めてその姿を見た時は傍若無人なだけの印象を受けたが、そうではないな。……というよりもこの男は恐らく……)

 

 これが初対面とはいえ、その観察眼は三千年以上の長い年月の中で培ってきたもの。

 それにより魔王ランスの性格や本性といったものをある程度把握したのか、ならばとケッセルリンクは少し攻めの手を変えてみる事にした。

 

「では魔王様、こういうのはどうでしょう。シャロン達に手を出すのは構いません。ですがその際に一つだけ約束を守って貰いたいのです」

「約束?」

「はい。彼女達に手を出すのは彼女達がそれを受け入れた時だけにして貰いたい。それさえ守って貰えれば私は何も言いませんし、魔王様の事を敬意を以て見るに欠片も値せぬ存在などと見なす事もございません」

「ぬ。受け入れた時っつうと……要はレイプはNGだけど和姦ならオッケーってことか?」

「まぁ、有り体に言えばそうですね」

 

 ランスのざっくばらんな物言いにケッセルリンクは大きく頷く。

 

「魔王様は先程、私がシャロン達を侍らせていると仰ったが……それは少し見方が違う。彼女達は自らの意思で私の下に居る事を選んでいる」

「あぁん? そりゃ自分がモテモテだって言いたいのか?」

「というよりもだね……彼女達は皆それぞれが心に深い傷を負っている。皆が痛みに、あるいは恐怖に、絶望に押しつぶされて、行場を失い寄る辺も無くしたからこそ私の下に身を寄せている。あの子達は私の下以外では生きる希望を見いだせない、そういう子達なのだよ」

 

 ある者は国が戦に負けた責任を取らされて、火あぶりにされるところを助けられて。

 ある者は野党に捕まり奴隷にされて、家族を殺されて発狂していたところを救われたりと。

 ケッセルメイド達は皆それぞれが過去に壮絶な体験をしている。そうした絶望の淵から救われたからこそ、ケッセルリンクの至上の主と決めてその使徒となる事を選んだ。 

 

「あぁ……そういやぁお前は可哀想な女の子を助けるのが趣味だったっけな」

「趣味というよりは性分かな。とにかくそういう訳で、私は庇護者として彼女達の意思を尊重してあげたいのだよ。故に彼女達が自らの意思で魔王様のものとなる事を選ぶのであれば構わない。それは私にとって歓迎すべき事だからね」

 

 自らの手元に押し留めておきたい訳ではない。自立するのであればそれでも良い。

 確かな本音を語ったケッセルリンクは、更に魔王の男心を擽るかのようにこんな言葉も。

 

「今でこそ笑えているが彼女達の心の傷は深い。それは私にも癒せぬものかもしれないが……しかし魔王様ならばどうか」

「ほう?」

「魔王様は大の女好きと聞く。であれば女性の扱いには慣れているのでしょう」

「そりゃもちろん。人間だった頃は世界一のプレイボーイと呼ばれたのがこのランス様だ」

「であれば私の使徒達を無理やり襲うような無体な真似はせずとも、男として正面から口説き落として抱く事だって出来るはずだ」

「……む」

「ここは是非とも魔王様の器量の大きさというものを私めに見せ付けて頂きたい。そうすれば彼女達の心の傷だって必ずや癒える日が来るでしょう」

「……むむむ、そう言われると……」

 

 ケッセルリンクによる見事なヨイショが効いたのか、魔王は腕を組んで悩み始める。

 襲う事は簡単に出来る。しかし口説き落として欲しいと言うならそうするのも吝かではない。特に最近はランス自身も和姦志向になってきているという事情もある。

 ただそれでも強姦を捨てた訳では無い。強姦と和姦にはそれぞれ違った趣があって、どちらの良さも知り尽くしているランスはさてどうしたものかと考え込んでいたのだが……。

 

「……ま、それはお前次第だな」

 

 そう言いながら顔を上げた。

 

「というと?」

「まずはお前を抱いてみてからだ。その結果俺様が満足したら多少はサービスしてやろう。けどお前が抱くにも値しないドブスとかだったら即ブッ殺してお前の使徒達を犯しにいく」

「成る程。確かにこちらがお願いをする立場である以上、先に誠意を見せるのは当然か」

 

 使徒達の主たる魔人である以上、先に身体を捧げてみろと言われたら断るべくも無い話。

 ケッセルリンクは頷き、そして真っ直ぐに魔王の目を見た。

 

「では魔王様。僭越ながら私がお相手致そう」

「うむ。……でケッセルリンクよ、一体どうやってオッサンなお前を抱けってんだ」

「あぁそうか、先に女性に戻らなければね。ただそれには魔王様のお力を借りる必要があります」

「俺様の?」

「えぇ。私には自らの性別を変える能力などはありませんから」

 

 ケッセルリンクの性別の変化は魔人化による影響であり、言うなれば魔血魂の力による影響。

 となると自分自身の事とはいえ、ケッセルリンク当人に解決出来るようなものでは無い。

 

「魔人とは魔王の血によって生まれし存在。魔王の血を魔人如きが操るなど不可能です。それが出来るのは魔王様以外にいないでしょう」

「つってもな。魔王の血を操る方法なんて知らんぞ。なんせ俺様まだ魔王になったばっかだし」

「恐らくですがそう難しく考える必要は無いかと。魔王の血とは魔王様の身体の一部なのですから、身体を動かす事と本質的には変わりません。私に触れて『元の姿に戻れ』とでも念じてくれればそれで宜しいかと思います」

「ふむ、そんなもんか。どれどれ……」

 

 立ち上がったランスはケッセルリンクの隣に立つと、その頭の上に手を乗せた。

 

「よーし。戻れ~、元の姿に戻れ~……」

「………………」

「戻れ~、戻れ~……オッサンの姿は捨てて美女だったあの頃の姿に戻りたまえ~~……」

 

 魔王が戻れと念じる事、数十秒程。

 絶対の支配者が命じた絶対なる意思はケッセルリンクの内にある魔血魂にまで伝わって。

 

「……お? おぉ、おおおお……!!」

 

 するとその身体から黒い粒子が湧き出す。それはすぐにケッセルリンク自身を覆い隠した。

 蠢くような闇の中、魔人化した際に変化した身体が元々の姿へと作り直されて……。

 

 そして──

 

 

 

「…………ふぅ。どうやら成功したようだね」

 

 深い闇が消え去って。

 そこにいたのは一人のカラー。

 

「──ッッめ……!!」

 

 所々金色の混じった水色の髪を短く揃えて、額にはカラーである事を示す青色のクリスタル。

 切れ長の目の奥には紅色の瞳を携え、鼻筋はすっと通っていて細長い耳がピンと伸びる。

 貴族然とした高貴な印象は全く変わらないその外見はまさしく──

 

「──ちゃ美人やんけッッ!!!!」

 

 と魔王が思わず叫んでしまう程、女に戻ったケッセルリンクはめっちゃ美人だった。

 

「……え、え……お前、本当にケッセルリンク?」

「いかにも。これがカラーだった頃の私の姿だ。どうだね、お気に召したかね?」

「召した召した! めっちゃ召したっ!!」

 

 なんという奇跡。キザったらしいオッサン魔人が美女カラーに変わるなんて。

 それも下限の70点を遥かに上回る美女。まさかの棚からぼた餅にランスはもう大興奮である。

 

「おっぱいもでけーし……まさかケッセルリンクがこんなにイイ女だったとは……!」

「ふむ。三千年前の自分の姿などとっくに忘れていたのだが、そう言われると悪い気はしない」

「つーかお前……何故オッサンの姿になんぞなっていたのだ。最初からそっちの姿だったら在庫処分セール送りにだってしなかったのに」

「まぁ、私にも色々と事情があったのだよ」

 

 女となっても、男だった時と変わらない優雅な所作でケッセルリンクは首を振って。

 

「……ところで魔王様、こうして女の姿に戻ったとはいえ、つい先程まで男の姿をしていた事に変わりはないのだが……それは気にならないのかね?」

 

 ほんの数十秒前まで男の外見をしていた女を抱く事に抵抗は無いのか。

 ケッセルリンクがそんな事を尋ねてみると、ランスは軽く手を振って答える。

 

「あぁダイジョブダイジョブ。俺様そういうの全然気にしないから。元男だろうと見た目さえ美人ならなーんも問題なし。つーかさっきまでのオッサン姿はもう記憶の中から消した」

「……成る程。さすがは魔王様。極度の女好きだと言われるだけの事はある」

 

 女性とは心ではなく身体で決まるもの。少なくともランスにとってはそうなる。

 過去にはJAPANで出会った最大の恐怖、不死鳥の使徒ですらも女になったのならいいやと抱いてみせたのがランスという男である。

 

「ではケッセルリンク君! お楽しみのお時間といこうじゃないか!」

「あぁ……そうだな」

 

 ランスは早速とばかりに美女となったケッセルリンクの手を取って。

 そして、魔王と魔人四天王は寝室のドアの奥へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 ──そして。

 

「ぽへー……」

 

 熱く淫猥な戦いが終わって、ベッドには横たわる魔王の姿が。

 

「……ふぅ」

 

 そしてその隣、汗の浮かぶ身体を起こして息をついたケッセルリンクの姿も。

 

「女の身体でするなんて何時ぶりになるかも思い出せないが……具合はどうだったかな?」

「……うむ、グッドだったぞ。けっこう……いやかなりグッドだった……」

「そうかね。それは良かった」

「にしてもケッセルリンクよ……お前って中々のテクニシャンだな……」

「まぁね。年の功というやつだよ」

 

 そう言ってケッセルリンクはふっと妖艶に笑う。

 魔人四天王熟練の手練手管に翻弄されたランスはとてもスッキリさせられてしまったようだ。

 

「それで魔王様。先程の話を覚えているかな?」

「あぁ。お前の使徒達を抱く時はレイプはダメで口説いての和姦にしろって話だろ?」

「あぁそうだ。それで、返答は?」

「……うむ! いいだろう! お前のエロさ加減に免じてその条件を飲んでやろうじゃないか!」

 

 大満足になったランスはシャロン達を無理やり襲わないという約束を受け入れた。

 その答えを聞いてケッセルリンクも「そうか。飲んでくれるか」と安堵に胸を撫で下ろした。

 

「安心したよ。魔王様が配下の者に慈愛の心を向けられるお方で良かった」

「ふふん、そうだろうそうだろう。女性に対しては優しくするのがモットーでな、俺様は美女相手にはジェントルマンなのだよ。がはははは!」

「ほう、美女限定かね?」

「うむ。美女限定だ。男とブサイクはどうなろうと知ったことか」

「……そうか。どうやら君は私が想像していた以上に分かりやすい男のようだ。とどのつまり、君は食指の動く女性だけを愛しているのだね?」

「そうそう、そういう事」

 

 美人の女だけには特別に優しくする男、それがランスという新たな魔王。

 

「今回の話だってな、最初からお前がそっちの姿でお願いしていたら5秒で終わってたと思うぞ」

「成る程……君はある意味、私に似ているね」

「む、そうか?」

「あぁ、そうとも」

 

 決して博愛主義者ではない。特定の者にのみ向けられる大きな慈悲。

 それは救いを求めてきた女性だけを助けるのが性分である自分と似たようなものか。

 そんな事を考えながら、ベッドから下りたケッセルリンクは衣服を着直して。

 

「……時に魔王様」

「あん?」

 

 魔王の寝室から去る直前、感謝の意も込めてこれだけは伝えておく事にした。

 

「少し気になったのだが……貴方は魔王になってから女性を抱いたのはこれが初めてか?」

「ん? あぁ、言われてみればそうだな」

「ふむ、やはりそうか」

 

 魔王が返してきたYESの返事にケッセルリンクは神妙な顔で頷く。

 実際にはこれが初めてではなく、ガルティアの使徒達とすでにセックスをしているのだが、あの禁断のトビラの先にあったムシ姦の事はランスの記憶からは都合よく抜け落ちているようだ。

 

「では老婆心ながらに忠告しておくが……どうやら魔王になったばかりの貴方はまだ自らの力の扱いに慣れていないように見える。……率直に言って少し痛かった」

「な、なにィ!?」

 

 その言葉にランスはビックリ仰天。

 それもそのはず。行為が終わった後に女性から痛かったと言われるのは「あなたはセックスが下手くそね」と言われているに等しい訳で。

 

「バカな!! 人間世界のあらゆる性技を習得したセックスマスターであるこの俺が……! それともまさか魔王になった影響でエロテクレベルが下がっちまったってのか!?」

「テクの話ではなく力の加減の事だよ。ついでに言えば問題視するのはそこではない」

「というと?」

「つまりだね……魔人四天王である私だからこそ『少し痛かった』で済んだ。しかし私よりも肉体的に劣る存在を、例えば人間などを抱いた時に『少し痛かった』で済むか、という話だ」

「っ、それって……」

 

 その言葉にランスの表情が変わった。

 魔王の力。それがどれ程に巨大なのかを未だよく理解していないランスの一方、深く理解しているケッセルリンクは大真面目な顔で言う。

 

「少なくとも力の扱いに慣れるまでは気を付けていた方がいい。女性には優しくするのがモットーであるなら、行為の中で相手を潰してしまうのは本意ではあるまい。……では」

 

 そんな忠告を残して、ケッセルリンクは寝室から去っていく。

 

「………………」

 

 そうして一人残されたランスは。

 セックスの最中、熱中して腰を打ち付ける力が強くなり過ぎたあまりに相手の女性が……。

 

「……マジ?」

 

 そんなシーンを想像してみたランスは、引きつった顔で呟いて。

 

「っ、シィィール!!」

「はーい! どうしました、ランス様?」

 

 直後大声で奴隷の名を呼んだ。

 すると打てば響くとばかりに部屋の外で受付役をしていたシィルがやってきた。

 

「シィル。するぞ。服を脱げ」

「えっ、あ、え、でも、あの、まだメガラスさんの面談が残ってますけど……」

「メガラス? あぁ、まぁあいつはいいや」

「あ、処分無しで良いんですか?」

「うむ。あいつは男っつうよりムシだからな。それにもう個人面談するの飽きた。てな訳でとっとと服を脱いでこっちに来い」

「……はい」

 

 

 そしてランスはシィルを抱いてみた。

 ケッセルリンクの忠告通りに、力を出しすぎないよう注意してそーっとそーっと。

 

 すると抱くことには抱けた。

 魔王であっても人間のシィルとのセックス自体は可能だった。

 

 しかし力を抑えながらのセックスではあんましスッキリとしない。

 意識的に躊躇してしまってノれない為、どぱーっと皇帝液を出した時の気持ちよさが足りない。

 これはケッセルリンクの言う通り、力の扱いに慣れる必要があるなと感じたランスだった。

 

 

 



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新たなる魔王様の新たなる日々

 

 

 

 

 そして、明くる日。

 

「ふー。ようやく面倒事が一つ片付いたぜ」

「面倒事?」

「あの在庫処分魔人共の事だ。全く、何故この俺様があんな残りクズみたいなヤツらの事後処理に手間取らせられなければならんのじゃ」

「え、えーと……でも個人面談をしようって言い出したのはランス様だったような……」

 

 八つ当たりのような主人の言葉に、シィルは困ったように眉を下げる。

 昨日までランスの手を煩わせていた仕事、戦後処理の一つでもあったケイブリス派魔人達(その他含む)の個人面談も恙無く終了して。

 そして今日、朝飯を食べ終えたランスは自分の部屋で一休みしていた。

 

「まぁでも個人面談をした甲斐はあった。今後の良きセックスに繋がりそうな要素は色々と発見出来たし、なによりもケッセルリンクがあれ程イイ女に化けたのは一番の衝撃だった」

「あぁ、あれには私もビックリしました。ランス様の部屋に案内した時は男の姿だったのに、その後部屋から出てきた時はすっごく綺麗な女性の姿になってて……」

「うむ。処分するつもりだったオッサンがおっぱいボインの美女に変わるなんて、これ以上に素晴らしい出来事はそう無いだろう。これも俺様の日頃の行いが良かったおかげだな」

 

 棚からぼた餅だった美女カラー魔人四天王ケッセルリンクや、その他の魔人達も諸々。

 ランスは全員と顔を合わせて面談をして、現状は一応全員処分保留という結論を下した。

 だったら別に放っておいても良かったのでは。個人面談なんて時間の無駄だったのでは。という考えもチラつくが、それでもランスなりに得るものはあったのでオッケーのようだ。

 

「……で、だ。シィルよ」

「はい」

「個人面談は終わった。面談対象だった元ケイブリス派魔人共の処理も片付いた」

「ですねぇ。ガルティアさんとメガラスさんはケイブリス派魔人じゃないですけど」

「と、なるとだ」

「はい」

「ここからだ。ここからようやく俺様の素晴らしき魔王様ライフが始まるって事だ」

 

 そう言ってむふんと得意げな顔になるランス。

 魔王として目覚めてすぐ、ホーネットの頼みを聞くような形で王座の間に直行し、大勢の魔物や魔人達の前で新魔王のお披露目式を行った。

 

 そしてその後、不要だなぁと感じた在庫処分魔人達の個人面談を行って、今日、ここから。

 ランスとしてはようやくと言った感じの自由行動タイムの始まりである。

 

「俺様は魔王になった。そうだな?」

「はい、そうですね」

「ではシィルよ。魔王になるっつーのはどういう事だと思う?」

「ど、どういう事か……ですか?」

「うむ」

「そうですねぇ……う~ん、魔王なんてスケールが大きすぎて、私にはちょっと……」

 

 ランスは来水美樹から魔王の血の継承を受けて、この世界における第八代目の魔王となった。

 しかして魔王になるとはどういう事か。それが如何なる意味を持つのか。話の規模が大きすぎて想像が付かないシィルをよそに、ランスはご満悦の表情で先々の展望を語り始める。

 

「俺様が魔王になった以上、今後はもう家賃を払う必要はない。いいやそれどころか住民税などあらゆる税金の支払いを無視出来るだろう」

「えっ、あ、一番最初がそこですか?」

「そうだとも。それにN○Kの集金だって今後はビタ一文支払う必要はないぞ。ガス代も水道代の支払いもぜーんぶ無視したって許される、なんせ俺様は魔王様なのだからな」

「はぁ……、けれどN○Kはともかくガス代や水道代はちゃんと支払わないと、お役所の方からガスとお水の供給を止められてしまうのでは……」

 

 感覚が人間だからか随分と所帯染みた事を言うランスだが、それだって事実には違いない。

 魔王とは魔族の王であって世界を統べる者。であれば人間世界においての取り決めである税金関係などは一切合切無視したって構わない。

 たとえケチくさいと言われようが何のその、魔王が身銭を切る必要など無し。つまりはそういうやりたい放題な存在になったという事である。

 

「つーわけでシィル、今後は税金の支払いの催促が来ても全部シカトしろよ」

「でもランス様、そもそもここは魔王城ですから催促のお手紙は届かないと思いますよ?」

「む、それもそうか。ではビスケッタさんに支払いは無視しろと連絡して……お?」

 

 二人がそんな話をしていたその時、部屋のドアがコンコンとノックされる。

 すぐにシィルが「あ、はーい」と立ち上がって、ドアを開いて来客を招き入れた。

 

「ランスさん。おはようごさいます」

「おはよう、ランス」

「おお、ウルザちゃんか。それにかなみも」

 

 やって来たのはウルザとかなみ。

 部屋に入った二人はソファに掛けるランスを見て、その顔色を伺うように口を開く。

 

「ランスさん。魔王となってからまだ数日ですが……体調などはどうですか?」

「見ての通り、なーんも問題ないぞ」

「どうやらそのようね。何はともあれ元気になったみたいで良かった」

「なんだ、そんな事を気にしてたのか」

「そりゃあね。だってランスってば一週間以上も眠りっぱなしだったし……」

 

 血の継承を受けて、その後深い眠りに就いたランスの事は多くの者達が心配していた。

 それはウルザやかなみも例外ではなく、この数日は不安な気持ちが晴れなかったようで、ランスが目覚めたと聞いて以降ずっとその様子が気になっていたようだ。

 

「でもそっか。それならもう問題無く……」

「……問題無く、なんだ?」

「いや、その……問題なく、魔王……なのよね?」

 

 元より体調は万全、何も問題の無い魔王。

 かなみはその顔を、第八代目の魔王となった男の御尊顔をしげしげと眺める。

 

「でもこうして見ると……パッと見なにも変わってないように見えるんだけどね」

「しかし外見に変化は無くとも、ランスさんは間違いなく魔王になった……のですよね?」

「うむ、多分な。ぶっちゃけ俺様もあんまし魔王になった実感とかはねーのだが」

 

 外見的特徴に変化は無し。しかしその中身は激変している……のか、どうなのか。

 本当に実感が湧いていないらしいランスはぽりぽりと頭を掻きながら答える。

 

「だが魔人共が俺様の言いなりになる姿を見ると、まぁそういう事なのだろう」

「そっかぁ……。けれどもまさかランスが魔王になっちゃうなんてねぇ……」

「ふふん、羨ましいか? かなみよ」

「そういう事じゃなくて。なんか……うーん、私もなんて言ったら良いのか分かんないけど……」

 

 そう言って複雑そうな表情になるかなみ。

 ランスが魔王になった。人間の身を捨てて、魔物達を統べる世界の支配者となった。

 それは驚きとか、魔王に対する恐怖とか、人間では無くなった事への寂しさとか、その他色々。

 いずれにせよその感情は一言ではとても片付けられない、それ程に重大な出来事で。

 

「ねぇランス。今更だけどさ……魔王になんてなっちゃって良かったの?」

「さーな、良い機会だからなってみただけだ。良いとか悪いとかは知らん」

「そんな適当な……それに魔王になるならなるで、相談ぐらいしてくれたって良かったのに」

「んな相談なんつー悠長な事を言っとる状況じゃ無かったんだっての」

「けど……」

 

 もはや覆水盆に返らず。とはいえそれですんなりと受け入れる事も難しく。

 そんなかなみの気持ちに同調するかのように、その時別の方向からも声が聞こえた。

 

「そーじゃそーじゃ。なーぜこんな大事な事を相談も無しに決めちまったんじゃ」

「あん?」

 

 それは魔剣カオスの声。

 魔王になってしまった持ち主に対し、荷物袋の中から抗議の声が上げる。

 

「せめて事前に相談してくれれば……そしたら儂が全力で止めてやったというのに……」

「カオス、お前が止めたところで俺はお前の言葉など聞かん。よって相談など無駄だ」

「そりゃそーかもしれんが……うぬぬ、よりにもよって心の友が魔王になっちまうとはのう……」

 

 魔剣とは魔を斬り裂く剣。魔物を、魔人を、魔王を殺す事こそがその使命。

 そんなカオスにとっては自分を扱える希少な存在であった心の友、ランスが魔王になってしまった事は途轍もないショック。

 言っても無駄だとは知りつつも文句を言わずにはいられない、そんな心境で。

 

「心の友よ、分かっとるのか? 魔王になるっつー事は魔族の長になるって事なんだぞ? 人類の敵になるって事なんだぞ?」

「だからどうしたってんだ。魔族の長だろうが人類の敵だろうが俺様は俺様、俺様がするべき事はこれまでと何一つ変わらん」

「するべき事って?」

 

 新たなる魔王がするべき事。

 カオスが尋ねると、魔王ランスは人間だった頃と同じように笑う。

 

「んなもん決まってるだろ。世界中のあらゆる美女を俺様のものとするのだ。がはははっ!」

「あぁ、それね。……けどもなぁ、魔王になったって事はそれがマジで可能になっちまったっつう事だからなぁ……ううーん……」

 

 世界中の美女を我が物に。

 壮大過ぎて少々現実味に欠ける野望だったその目標も……魔王となった今となっては。

 

「……それに」

 

 それに──と、カオスが懸念する事。

 たとえランスが世界中の美女を我が物にしたとしても……魔王となった今では。

 

「……なぁ、心の友よ」

「なんじゃ」

「お前さん、今こうして嬢ちゃん達を目にしてなにか感じる事はないかの?」

「は?」

「いや、感じる事っつうか……こう、湧き上がってくるものっつうか……そんなの無い?」

「無い」

「そ、そうか。ならええんじゃが……」

 

 今、こうして、シィル達を目にして。

 ──魔王が人間を目にして、殺したい気分にはならないのか。

 そうとは聞けないカオスは曖昧に言葉を濁す。一方ランスは意味不明な質問に眉を顰める。

 

 魔王には使命がある。血の衝動によってその身に刻まれる命令と言うべきものがある。

 その内容とは人間を虐げる事。そこら辺の詳しい詳細については知らないカオスでも、経験則としてある程度の事は知っている。

 

 魔王というのは人間を虐殺する存在。

 ただ唯一先々代魔王ガイという例外があるにはあるものの……果たしてランスは。

 

(魔王になったばっかしだからか、心の友も今のところは落ち着いておるようだが……それでもこの先どうなるものやら……)

 

 もしランスが人間性を失って、世に言う魔王らしい魔王に変貌してしまったとしたら。

 その時は魔王ジルの時みたく、その心臓を貫くのが自らの役目になるかもしれない。そんな事を考えるとカオスは今からもう憂鬱である。

 

「……はぁ、なんてこったい」

「さっきから何をぶつぶつと訳分からん事を言うとるんだ、お前は」

「要は大変な事になっちゃったねーって事! 心の友も少しは深刻になった方がいいぞ!」

「んな大げさな……」

「決して大げさではなく、大変な事だというのは事実だと思いますよ。魔物界もそうですが、人間世界でも新たな魔王の誕生というのは極めて重大な出来事に当たりますからね」

 

 ウルザがそう言うと、そっちを想定していなかったランスは「……ふむ」と顎を擦る。

 人間世界。最近はそっちに関わる機会が減っていた為すっかり忘れていたが、考えてみれば自分の出身は魔物界ではなくてそちら側。

 自分がこれまでの冒険で名を売ってきたのも主に人間世界という範囲の中。となればそんな自分が魔王となった今、人間世界にとっては確かに一大事件となるに違いない。

 

「てか今思ったのだが、俺様が魔王になった事を人間世界のヤツらは知ってんのか?」

「そういえばどうなんでしょうね? ランス様が血の継承を行ってからまだ日も浅いですし……」

「新たな魔王が誕生した事は年号の変更にも関わる事ですから、AL教を通じて一般の人々にも知らされるはずですが……多くの者は『RA』という年号がランスさんを指しているとは気付かないでしょうね」

 

 魔王の変更を知る方法としては、アコンカの花のお告げを聞くのが一般的な方法となる。

 だがそのお告げも魔王の変更と新たな年号を知らせるだけで、直接に魔王の名を告げはしない為、『RA』という年号を知ってもそれをランスと結び付けられるかは難しい話。

 

「……ただ、それでも中には気付く者も居るかもしれません。それこそゼスの首脳部については私がすでに連絡を入れていますし」

「私も……リア様に事情をお伝えするお手紙だけは送っておいた」

「んじゃガンジー達とリアは俺様が魔王になった事を知ってるってわけか」

「えぇ。ですがゼスやリーザスに限らず、遠くない内に人間世界全体に広まると思いますよ。人の口に戸は立てられないと言いますからね」

「ふむ、そうか。まぁ別に広まったところで問題はねーけどな」

「そりゃランスは問題ないかもしれないけど、他の人達にとってはそうもいかないんじゃない?」

 

 たとえ魔王の名であっても、ランスは自らに付いた悪名など気にはしない……が。

 しかしランス以外の者達にはどうか。かなみは複雑そうな顔になって息を吐く。

 

「特に問題はリア様よ。ランスが魔王になったと知ったあの方が何をするか……」

「リアが何か言ってきてんのか?」

「ううん、返信はまだ無いけど、でもじっとはしていないんじゃないかなーって思って」

「ふーん……ウルザちゃん、ゼスの方は?」

「こちらも現状特には。事情を知ってガンジー王やマジック様は深く動揺しておられましたから、今は皆で対応を協議している段階だと思われます」

 

 リーザスやゼスなど、ランスが魔王になった事を知る者達が何を考えてどう動くか。

 それらはここから先、この世界の動向にも関わってくる重要な話。特にかなみやウルザにとっては他人事ではいられない話なのだが。

 

「ほーん、そんなもんか」

「うわ、どうでもよさそうな返事」

「そりゃ実際どうでもいいからな。リアやガンジー共が何を考えようが知った事か。俺様はいつでも俺様の好きなようにやるのだ」

 

 一方でランスにとっては。世界を統べる魔王にとっては人間世界の国々など些事の一つ。

 そう考えるのは魔王になった影響……ではなく、そもそもランスはそういう性格をしている。

 人間だった頃から世界一の唯我独尊人間であるランスにとって、周囲の者達の思惑がどうだろうが知ったこっちゃないのである。

 

「ま、気が向いたら人間世界にも行く事はあるだろうから、そっちの事はその時でいいだろ」

 

 そう言いながらランスはソファから立ち上がる。

 

「ランス、何処行くの?」

「ちょっくら散歩。魔王になった俺様にはやる事が山積みなのだ」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そうしてランスは一人部屋を出て、ちょっくら魔王城内を散歩中。

 

「ふんふ~ん、っと……」

 

 鼻歌交じりに歩を進めて、目に入るのは埃一つ無い程綺麗に掃除された城の廊下の景色。

 魔王として目覚めてから今日まで、お披露目式や個人面談など色々と立て込んでいた。故にこうしてまったりと散歩をしながら周囲の景色に目を向けるのも久しぶりである。

 

「さーてさて、あいつは何処に……」

 

 とはいえ、ランスが寝ている間にこの魔王城には君臨するべき新たな主が誕生した。

 となるとその景色はやっぱり以前までとは大きく変わっていて。

 

「あっ」

「……む?」

 

 ふとランスの視界に入ったのは一匹の魔物。

 これまでこの城の中で普通に生活をしていたホーネット派の魔物──だったが。

 

「……おぉ」

 

 その魔物はランスの姿を目にするや否や、スッと廊下の端に寄った。

 そして片膝を付いて頭を垂れて、平伏した格好のまま微動だにしない。

 

「なるほど、魔王になるとこうなるのか。がははは、これは気分イイな」

 

 跪いた魔物の姿。それは魔王に対して忠誠を誓う意思の表れ。

 こうした様子はこの一体だけではなく、散歩中に出会った魔物達全てが同じ様子で。

 

「お、またか」

 

 次も。

 

「おぉ、女の子モンスターもか」

 

 その次も。

 

「まさかハニーまで……」

 

 どの魔物も。

 全てが魔王の歩く道を開けて平伏していく。

 

「うーむ、徹底されてる。魔物共にこういう事をしろって指示しそうなヤツと言えば……」

 

 その時ランスの頭の中に浮かんだのは……緑色の長髪を靡かせるあの魔人の顔。

 その読みは大当たりで、これは魔人筆頭であるホーネットが城内の魔物達に下した命令。

 新たなる魔王様に最大限の忠誠を誓うべしと、魔人筆頭指導の下、その形振りや立ち振る舞いを徹底させた成果がこれである。

 

「こりゃ敬われ度で言ったら総統だった時よりも遥かに上だな。ぐふふ、悪くない」

 

 こういった偉い立場の扱いは大好物なランスは口元を綻ばせる。

 これはランスが魔王になった事に対する影響、その変化の一つだと言える。

 先程かなみ達と話したように、人間世界でも色々な影響が起きているのだろうが、ランスにとってはこういう身近な変化の方が興味を引くようで。

 

 

 そして城内を歩いて数分、ランスは目当ての部屋の前に辿り着いた。

 

「ホーネットー、入るぞー」

「っ、魔王様!?」

 

 そこは魔人筆頭の部屋。

 声を掛けた直後に慌てた返事が聞こえたが、気にせずランスはドアを開けた。

 

「よう、ホーネット」

「魔王様……私に用事ですか?」

「そりゃそうだ。じゃなきゃ来ないだろう」

「でしたら次からは誰でも良いので近くにいる魔物に命じて下さい。そうしたら魔王様自らが足を運ばずとも私がそちらに参りますので」

 

 魔人筆頭として、主たる魔王にご足労を掛けさせてしまったのが心苦しいのか。

 ホーネットはすぐに執務机から立ち上がって、ランスのそばに寄ると一礼した。

 

「魔王様、おはよう御座います」

「……む」

 

 その姿を。

 自分に対して恭しく頭を下げるホーネットの姿を見ていると。

 

「………………」

 

 ──気になる。

 実のところ、これは自分が目覚めてすぐこの魔人と顔を合わせた時から気になっていた事。

 

「……ぬぅ」

「それで……魔王様、どうしましたか?」

 

 ホーネットが顔を上げる。

 その表情は何ら失点の無い礼儀正しい魔人筆頭の表情……なのだが。

 

「いやな、実はちょっとお前に聞きたい事があったのだが……」

「はい。何でしょう」

「……ただ、その前にだ」

 

 ランスは神妙な顔で呟く。

 自分が魔王になった事に対する影響と変化。それはきっと色々あるのだろう。

 けれどもランスが一番気になる変化といえば、誰あろうこの魔人の変化について。

 

「なぁ、ホーネットや」

「はい。何でしょうか、魔王様」

「なんだかお前……随分と俺様に対する態度が変わったじゃないか」

 

 自分が魔王として目覚めて以降、ホーネットが自分に対して見せる態度は変わった。

 簡単に言えば真面目さと慇懃さが増した。これまで以上に品行方正度が極まった。

 ランスはそこが気になる。しかしホーネットは表情一つ変えずに答える。

 

「それは当然でしょう。貴方様は魔王様になられたのですから」

「んでもシィルやかなみやウルザちゃんの態度は変わってなかったぞ」

「それは彼女達が人間だからでしょう。しかし私は魔人、それも筆頭の立場ですから、魔王様に対する態度を改めない訳にはいきません」

「……ま、そりゃそうかもしれんが……」

 

 その意味とはつまり、敬われている。

 魔人ホーネットから、あのホーネットから、大いに敬畏の念を向けられている。

 

「……ううむ」

 

 自分が魔王である以上、それは確かに当然の事なのかもしれない。

 だが明確な上下関係が生じた分、彼我の距離感に隔たりが生じたようにも感じられて。

 

「……ううーむ」

 

 その距離感は……なんていうか。

 立場こそ逆転しているが、自分とこの魔人が初対面だった時の余所余所しさと似ていて。

 

「……なんか、納得いかん」

「え?」

 

 魔王として崇められて……この気分は。

 なにやら納得いかないらしいランスは不満げに眉を顰めた。

 

「……魔王様。何が納得いかないのでしょうか」

「そりゃお前のその態度がだ」

「態度……申し訳ありません。私が至らぬ所為で魔王様に不快な思いを──」

「いやそうじゃない。ホーネット、俺様はそういう事を言っとるのではない」

 

 ホーネットは魔人筆頭として、魔王に対して忠節を尽くす態度を取るようになった。

 それは自分が魔王になったから。先程からの通り当然の話。

 

「では魔王様、一体何がご不満なのでしょうか?」

「不満っつーか……なんか、損した感じがする」

「……損、ですか?」

 

 立場が変わったら関係性が変わるのは当然の話。

 なのだが、しかしそれは言い方を変えると、これまでの関係性のリセットとも言える訳で。

 

「なぁホーネット。今の俺様の苛立ちの理由がお前に分かるか?」

「……申し訳ありません。分かりません」

「だろうな。ならこの際ビシッと言ってやる」

 

 そこでランスは一度言葉を区切ると、軽く息を吸って、

 

「……いいかッ!」

「っ!」

 

 ビシッと人差し指を突き付けて。

 この苛立ちが理解出来ないらしい魔人筆頭に向けて真正面からそれをぶつけた。

 

「ホーネットッ! お前はオチていたはずだ!!」

「お、……落ちてた?」

「そうだっ! お前は絶対にオチてた!! お前は俺様に惚れていたはずなのだ!!」

「ッ!?」

 

 息を呑むホーネット。

 そんな彼女を落とした。魔物界のプリンセスを惚れさせたという事実。

 その確信があるからこそ、ランスはこんなにも苛立っていた。ムカついていた。

 

「お前はオチてた!! 俺様に対してメロメロになってた!!」

「な……なっ……!」

「ただ単にセックスをしただけじゃない。お前は俺様に惚れてた! 絶対そうだった!!」

 

 女性を抱く事と、女性を落とす事は似ているようで大きく違う。

 ことランスにとって一番好きな事は言わずもがな女性とのセックスなのだが、一方で女性を落とす事だって軽視している訳ではない。

 単にセックスするだけではなく、その心までも奪うのはより難度の高い事だと言える。だからこそ挑み甲斐があるし、だからこそ多くの女性を落とす男は色男などと呼ばれる。

 

 そして当然ランスもそちら側だ。それもただの色男ではなく世界一の色男を自称している。

 それは口先だけではない。世界一の色男、モテ男だという自負があるからこそ、ランスは世界一の難敵であろう魔人ホーネットにも挑んだ。

 そして長きに渡る攻防の末に見事ホーネットをオトした。惚れされた……はずなのに。

 

「それが今ではどうだ!? 今のお前には全然そんな素振りが無い!!」

「な……い、いえ魔王様、そんな──」

「これじゃあせっかく俺様があんなに頑張って、あんなに長い時間を掛けてお前をオトした事がパーになっちまったみてぇじゃねぇか!!」

 

 それなのに。自分が魔王になった事で、関係性がリセットされてしまった。

 せっかくの偉業がおじゃんになってしまった。その事にランスはイラついているのだった。

 

「お前は間違いなくオチてた。そうだな!?」

「……いえ、そ、れは……」

「あの時の自分を思い出せホーネット。そんで俺様にメロメロだったあの頃に、目が合ったらすぐキスをねだってきたあの頃に戻りなさい」

「そんな事はしていませんっ!」

 

 頬を赤くして反論するホーネット。

 その顔からは心機一転した魔人筆頭という仮面が早くも外れ掛けていて。

 

「そ、それに、私は別に──」

 

 そして、顔を横に背けて。

 囁くような声で、ぽそりと一言。

 

「──オチて、など」

「……あんだと?」

 

 その瞬間、ランスの眉がピクンと動いた。

 

「まさかお前、否定するつもりか?」

「……いえ、その……」

「やいホーネット! お前はあくまでオチてなかったって言い張るつもりか!?」

「言い張ると言いますか……私は単に客観的な事実を申し上げているだけで……」

「やかましい! 言い逃れは許さんぞ、お前は絶対にオチてたはずだ!! 」

「な、何故そんな、何を根拠に……!」

「根拠なら一杯あるぞ! 城に帰ってきてからのお前はずっとそんな感じだったからな!」

 

 それは魔人ケイブリスとの決戦を終えて、全員が魔王城に帰還して、それ以降の事。

 派閥戦争を勝利して、それから来水美樹を魔王城に招いたあの日までの間、ランスはこの魔王城にて一ヶ月程まったりとした日々を過ごしていた。

 

 となればその一ヶ月の間、ランスとホーネットの間には男女の触れ合いがあった訳で。

 そしてその期間の逢瀬とは。決戦前夜に想いを吐露した事や、派閥戦争最後の決戦で生死の境を共にした事や、ランスが運命の相手だと知った事など。

 そうした出来事を踏まえての逢瀬、つまりはこれまで以上に親密度の上がった逢瀬だった訳で。

 

「例えばこの前だって──!」

 

 ランスはその時の話を語り始めた。

 

 

 

 

 



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Q, 魔人ホーネットはオチていたのか?

 

 

 

 

 

 それは今から一月程前。まだランスが魔王になっていなかった頃の事。

 派閥戦争を勝利にて幕を閉じて、その後束の間の平穏を過ごしていた頃の事。

 

 一例を挙げればこんな事があった。

 

 

「お」

 

 ある日の昼下がり。

 城内を気ままにぶらついていたランスはホーネットの後ろ姿を発見した。

 

「よう、ホーネット」

「あぁ……ランス」

 

 呼ばれて振り向くホーネット。その隣には顔を隠すように俯いた見知らぬ使徒の姿も。

 戦争が集結して間もなく、この時期のホーネット達は派閥戦争の戦後処理に追われていた。

 ランスはそういう事に関しては一切ノータッチだったのだが、ホーネットやその使徒達などホーネット派の主要な面々は戦いが終わってもまだ忙しい日々を過ごしていた。

 

「ちょうど良かった。今日からしばらく魔王城を開けるので留守をお願いします」

「あん? どっか出掛けんのか?」

「えぇ。これからタンザモンザツリーの視察を行おうと思いまして」

 

 派閥戦争下、ケイブリス派の本拠地として機能していた魔界都市タンザモンザツリー。

 長らくホーネット派の目が届かなかった都市であり、今回戦後処理の一環として各都市部の復興と統治に関する計画を進める為、ホーネットは魔物界最南端にある大拠点に向かう予定らしい。

 

「視察、か」

「はい」

「ホーネットよ、残念ながらそれはパスだ」

「え?」

 

 しかしそんな話を聞いたランスは一度首を左右に振ると、すすすと彼女のそばに歩み寄って。

 

「お前には大事な仕事があるからな。ほーれ」

「あ……っ」

 

 その手をホーネットの細い腰に回すと、ぐいっと自分の方に抱き寄せた。

 

「な、ランス、なにを……」

「魔界都市の視察も結構だがな、お前が優先するべきはこっちの用事だ」

「用事って……」

 

 用事。こうして自分の腰を抱き寄せて、息も掛かりそうな距離で告げる用事。

 その内容を聞かなくても理解したホーネットは抵抗するように顔を背けた。

 

「……駄目ですよ、ランス」

「ほう? 何が駄目だってんだ?」

「これは外せない用事だという事です。タンザモンザツリーは長らくケイブリス派の支配下にあった魔界都市、一度現状を見ておかなければ──」

「おやいや? ホーネットちゃん、きみってば俺様のお願いに対して駄目とか言うわけ?」

 

 するとランスはこれ見よがしな驚き顔になって、

 

「ケイブリスに勝てたのは誰のおかげだったか、まさか忘れたわけじゃないよなぁ?」

「っ……」

「俺様はホーネット派の恩人だよな? 恩人のお願いを無下にしていいのかなぁ? 派閥のトップであるお前がそんな態度でいいのかなぁ?」

「それは……」

  

 恩着せがましいセリフを吐くと、ホーネットは返す言葉を失って沈黙する。

 恩人とか。あるいは功労者とか。ここ最近のランスはそういったキーワードを盾にしてホーネット派の面々に対し関係を迫る事が増えていた。

 そしてそのキーワードは良く効いた。真面目で責任感の強い派閥の主には特に効いた。

 

「しかし……もう出発の時刻が迫って……って、あれ、ケイコ?」

 

 ふとホーネットが周囲を見渡すと、一緒に居たはずの筆頭使徒の姿はこつ然と消えていた。

 それは空気を読んだからか、はたまた使徒として主に気を利かせたからか。

 

「さ、こっちこっち」

「ですから……も、もう、ランス……」

 

 そして結局、魔人筆頭の口だけの抵抗も虚しく。

 二人はその場を離れて、近くにあった適当な空き部屋の中へと入っていく。

 

「がははは。恩人からのお願いはちゃんと聞かないとな。なぁホーネット?」

「……本当に、全く……仕方ありませんね……」

「うむ。ではいっただっきまーす!」

 

 壁際に押し付けるような格好になって、ランスの手がその胸に伸びる。

 

「あっ……」

「ぐふふ~、相変わらず良い乳しとんなぁ、ほーれほーれ」

「んっ、あぁ……ランス……」

 

 するとホーネットの口から甘い声が漏れ始めた。

 

 こうして、魔人筆頭によるタンザモンザツリー視察は中止となった。

 

 

 

 ……みたいな事があったり。

 他にも一例を挙げると、また別の日にはこんな事もあった。

 

 

 

「がははははーっ!」

 

 と、お決まりのがはは笑い声が浴室の壁に反響して響く。

 

「……ふぅ」

 

 一方その隣、静かに吐いた息は湯気と混じって消えていく。

 

「うむ、いい湯だなぁ」

「えぇ、そうですね」

 

 ランスとホーネット。二人は魔王専用の浴室にて入浴をしていた。

 こうした混浴は初めての事ではない。捏造した来水美樹からの手紙を盾にゴリ押しして以降、ランスとホーネットの間で不定期的に繰り返されてきた事ではあるのだが……しかし。

 

「……(そ~っと)」

「………………」

 

 しかし、二人の混浴のあり方も当初の形からは大きく変わってきていた。

 一緒に湯に浸かるだけでは飽き足らず、次第にランスはそーっと手を伸ばし始めて、

 

「………………」

 

 その手がホーネットの肩を掴んだ。

 けれども反応は無し。ホーネットはその目を閉じて静かにしている。

 

「……(そそそ~っと)」

「………………」

 

 ならばとランスは手の位置を下げて、肩からその脇腹に狙いをシフトする。

 

「……んっ」

 

 更には脇腹から前に回して、背中を一周した手が前にある膨らみにまで到達する。

 するとホーネットが小さく声を漏らした。

 

「……ランス」

「お? どした?」

「……手が」

「て? 手がどうしたって?」

 

 すっとぼけながらもランスは手を動かして、その胸をふにふにと揉みしだく。

 すると次第にホーネットの表情には赤みが増してきて。

 

「……駄目ですよ」

「駄目って、何が」

「ですから……」

 

 次第にその声にも艶が増してきて。

 

「……ここの水を汚さないよう、湯船の中では駄目ですと前に教えたではありませんか」

「おやおやぁ? 俺様はまだ何をするとも言っていないぞ? ホーネットちゃんはここの水を汚すような事をするつもりなのかなぁ?」

「ランス……そのように意地の悪い物言いをしないで下さい。とにかくここでは駄目です。……あ、ちょっと、駄目ですってば……」

 

 駄目です駄目です、とは言いつつもロクな抵抗はしない魔人筆頭。

 その身体の上をランスの手が縦横無尽に蠢く。魔王専用の湯船の中だろうとお構いなし。

 

「大体湯船の水なんざ毎日換えとるんだから汚れなど気にする必要はねーだろうに」

「それは、そうですが……」

「そんな事よりもホーネット、俺様は今とても性欲が滾っている。これは裸のお前が隣にいて誘惑してくるからだ。責任とれ」

「なんの責任ですか、もう……」

 

 はぁ、と嘆息したホーネットはさも嫌々ながらもという体裁を取りつつ。

 しかし自らランスの方に振り向いて。

 

「……せめて、お風呂から上がるまで待てないのですか?」

「待てん」

「……そうですか」

 

 すると自らその両手をランスの首に回して、

 

「本当に仕方のない人ですね、貴方は…………ん」

 

 そして、自らその唇を重ねた。

 

 こうして、その日の魔王専用の湯船のお湯は汚れてしまった。

 

 

 

 と、そんな事もあったりもして。

 そして──今現在。

 

「──どうだホーネットっ! 思い出したか!!」

 

 そんな日々を経験した上で、今こうして魔王となったランスは吠えていた。

 数週間前の赤裸々な出来事を、それを共に経験したはずの魔人筆頭に対して怒鳴っていた。

 

「あんな事こんな事しておいて、それでもまだメロメロでは無かったと言い張るつもりか!!」

「っ、ま、魔王様っ! そういう話は使徒達も居るこの場では控えて下さると……!」

「お前が認めりゃあ済む話だろうが! なんなら他の日の事も話してやろうか!? この前一緒に寝た時なんかお前はセックス中からずっと俺様の手を握ったまま離さないで──」

「も、もういいですからっ! これ以上の話は結構ですから……!」

 

 ここ最近の自分の振る舞いを。ランスとの逢瀬の時間にどんな事をしていたか、こうして改めて説明されるとかなりこっ恥ずかしい。

 更にはそれを使徒達も聞く中で話されたとあってはこっ恥ずかしさも倍増、冷静さを失い慌てふためくホーネットの顔は真っ赤になっていた。

 

「と、とにかく使徒達は全員部屋を出なさい。そして魔王様、貴方様の言いたい事は分かりました」

「うむ、分かったか」

 

 魔王は鷹揚に頷く。その一方でホーネットの使徒達はそそくさと部屋を退出していく。

 そうして室内に二人きりとなった後、ランスは改めてその口を開く。

 

「いいかホーネット、あの時のお前は間違いなく俺様にメロメロになってたのだ」

「…………まぁ」

「それなのに今はどうだ。今のお前からはそういう雰囲気をぜーんぜん感じないではないか」

 

 ランスの不満はそこ。自分が魔王になった事によって変わったホーネットの慇懃過ぎる態度。

 絶対的な上下関係が生じた。互いの立場が変わった事で関係性がリセットされてしまった。

 その結果頑張って苦労してホーネットをオトしたという事実が無くなってしまった……ように見えてしまうのが気に食わない。

 

「し、しかし魔王様……私は魔人筆頭です。魔王である貴方様に対して、立場を弁えた態度を取るのは当然の事ではないですか」

「別にいい。これまで通りで構わん」

「そういう訳にはいきません。魔王様相手にこれまでのような失礼な態度を取るわけには……」

 

 魔王相手にこれまで通りの態度など、魔人筆頭としては認められるはずもない話。

 特に新魔王の誕生に伴い心機一転、そういう所には一層拘りたい気分でいたホーネットは控えめながらも拒否の姿勢を見せる。だが、

 

「いらんと言ってるだろう」

「しかし……」

「もしお前が男だったらナメた態度を取った時はブッ飛ばすかもしれんがな、女なら別だ。女のお前はこれまで通りで構わん、俺様はそういうみみっちい事は気にしないからな」

 

 俺様は器の大きい魔王様なのだ、とランスはがははと笑って胸を張る。

 ランスは女性相手にはこういうスタンスを取る。女性との間で構築した関係性も込みで楽しんでいる節がある故か、自分が偉くなっても畏まった態度を取る事を強制したりはしない。

 総統になっても総統と呼ばせる事を強制したりはぜず、それは魔王になっても同様である。

 

「つーわけでホーネット、とりあえずお前はこれまで通りの態度に直せ」

「ですが……」

「ですがじゃない。お前は魔王様の言う事が聞けないのか」

「っ、それ、は……」

 

 それを言われると弱い。というかそこを突かれた時点でもう勝ち目は無い。

 魔王に逆らうつもりなど無い、むしろ絶対の恭順を示すつもりでいるホーネットにとって、当の魔王から今まで通りの気安い態度に直せと言われるのは二律背反にも等しい命令。

 故にホーネットはしばらく難しい顔で俯いていたのだが、やがて意を決したように顔を上げた。

 

「……分かりました。ですが魔王様、せめてそれは二人きりの時だけにして下さい」

「なんだ、周りに誰か居ると恥ずかしいのか?」

「そういう事ではなく……他の者達の目がある中、魔人筆頭である私が魔王様を軽んじるような態度を取る事だけは出来かねます。他ならぬ魔王様の威厳を守る為にもどうかこれだけはご容赦下さい。お願いします」

 

 言いながらホーネットは深く深く頭を下げる。

 魔王の威厳を守る事。どうやらそこは魔人筆頭として絶対に譲れないラインのようで。

 

「ふーむ、俺様の威厳か」

「はい。秩序を守る為にも必要な事です」

「まぁお前がそこまで言うなら良いだろう。なら他のヤツらが居る時はセーフにしてやる」

「有難うございます、魔王様」

「そんじゃホーネット、今は二人きりなわけだし以前までの態度に直してみろ」

「……はい」

 

 以前までの態度に、直す。

 そうと決めた、というか半強制的に決めさせられたホーネットは仕方なく頷いて。

 

「……っ」

「ん?」

 

 目の前にいる──魔王に。

 何かを言おうとその口を開けて。

 

「……ぅ」

「う?」

 

 けれどもすぐに閉じて。

 

「……ら、」

「ら?」

 

 ぎこちない挙動で口をぱくぱくさせて。

 

「……らっ、ん、……っ」

「……おい。何をもごもごしとる」

「……いえ、その……」

 

 今まで通りの態度で接する事。魔王に対して気安い態度で接する事。

 それは長年魔人筆頭の立場にあった彼女にとっては相当ハードルの高い要求らしく、ホーネットはらしくもない様子で口を開けたり閉じたりする。

 

「あのなぁ、そんなに難しい事じゃないだろ」

「わ、分かってはいるのですが……」

「二人きりの時は俺様の事を魔王だと思わんでいいから。普通に喋ればいい」

「……はい」

 

 目の前にいる相手を魔王だと思わないで。これまで通り普通に喋る。

 そんな呪文を心の中で繰り返し唱えながら、ホーネットはぐっと息を飲んで。

 

「…………あの」

「おう」

「……っ、……く」

 

 喉の奥から絞り出すように。

 

「…………ラン、ス」

 

 その名を呼んだ。

 これまで通りに、気安く呼び捨てで。

 

「……ランス」

「おう。俺様はランス様じゃ」

「ランス、ランス……これで宜しいですか?」

「うむ、よろしい」

 

 するとランスは満足そうに頷いた。

 自分の事を呼び捨てで呼ぶホーネット。これこそ自分が頑張ってオトした彼女の姿。

 

「魔王様呼びも悪くはねぇけど、やっぱしお前はそっちの方がお前らしくてグッドだな」

「私らしい?」

「うむ」

「……そうですか。この方が私らしいですか……」

 

 ようやく緊張が解けてきたのか、ホーネットは吐く息と共に肩の力を抜いて。

 ランスに向けてこれまでとは違う目付きを、少々無愛想とも言える目付きを向ける。

 

「相手を呼び捨てで呼ぶ方が私らしいとは……まるで私が失礼な奴とでも言いたげですね」

「そうだな、お前は初期の頃はかなり失礼なヤツだった。今だから言うけどお前と出会った当初は『こいつは超美人だけどなんつー失礼なヤツだ!』と第一印象を抱いた覚えがある」

「それは……出会った当初の事は……仕方無いではありませんか」

 

 あまり思い出したくない自らの姿を思い出したホーネットは恥ずかしそうに呟いて、

 

「それに第一印象と言うなら……私だって」

「ほう?」

「初めて貴方と会った時は『この人間はなんて失礼な人間なのか』と思っていましたよ」

 

 そう言って懐かしそうに笑みを浮かべる。

 ホーネットは魔人であるが故、出会った当初は人間であるランスの事を見下していた。

 けれどもその後ランス達と触れ合い、派閥戦争を戦う日々の中で次第に考え方を改めて、人間の事を見下す事はなくなった。

 

「ですが、私と違って……貴方はあの頃から変わっていませんね。……魔王になっても」

 

 一方でランスは変わらない。

 出会った当初から傍若無人な男で、それはこうして魔王になった今も同じ。

 

「魔王化の影響によってもっと苛烈な性格に変容したりとか、あるいはもっと冷酷な性格に変容する事があるかもと思っていたのですが……貴方はいっそ驚く程に貴方のままですね」

「そりゃそうだ。魔王になっても俺様は俺様なのだからな」

「そうですね。魔王になっても貴方はランス、それは確かにそうですが……あるいはそれを当然のように言えるのが貴方の凄さなのかもしれませんね」

 

 外見なども含めて、現状のランスは魔王になる前の状態と殆ど変化が無い。

 果たしてそれは良い事と言っていいのか。それとも良くない事なのか。

 その答えは分からずとも、少なくともホーネットはそれを好ましいと感じていた。

 

「ではランス。言い付け通りに二人の時はこのように話しますが、それで宜しいのですね?」

「うむ、いいぞ。お前はそれで良い、さっきまでの堅苦しい感じより今の方がいい顔しとるしな」

「いい顔? そうですか?」

 

 堅苦しい態度を止めた事によって表情も少し柔らかくなったという事だろうか。

 ホーネットはそんな事を考えたが、

 

「あぁ。今の方が可愛い」

「っ、」

 

 不意打ちを食らってホーネットはくらっときた。

 

「……か、可愛い?」

「うむ」

 

 可愛い、らしい。その言葉はこれまで言われた事が無かった。

 夜の営みの時などランスから容姿を褒められる事は何度かあった。あったがそれは「綺麗」とか「美人」とか「おっぱいがデカい」とかで、可愛いと言われたのはこれが初めて。

 初めてとなる攻め口が効いたのか、ホーネットの返事はちょっと上擦っていた。

 

「昔からお前の顔といえば、真面目な顔か静かにキレてる感じの顔かどっちかだったからなぁ。それよりは今みたいな柔らかい感じの顔をしとる方が絶対に可愛いと思うぞ」

「……そ、れは……というか、今の私はそんなに緩んだ表情をしていますか?」

「うむ、昔と比べりゃダンチだな」

「……そうですか。なんだか……昔よりも気が弛んでいるぞと言われているような気分です」

 

 ここ最近の自分は緩んだ表情を、ランスが言う可愛い表情をする事が多くなったらしい。

 しかしてその変化は良い事と言っていいのか。それとも良くない事なのか。

 

「……良くはありませんね」

「あん?」

「いえ。身を引き締めねばと思っただけです。……しかし、肝心の貴方がこれですから……」

 

 新たな魔王が誕生した今、魔人筆頭の気が緩んでいるというのはどうなのか。

 けれどもそれでホーネットが身を引き締め、立場を弁えた態度を己に律していたというのに、当の魔王自身がそれを止めろと言ってくる。ホーネットとしては本当に頭の痛い問題である。

 

「ところでホーネット、さっきの話の続きだが」

「さっきの話?」

「うむ。お前が俺様に対してメロメロになってたっつー話」

 

 とそこでランスが話題を戻す。

 するとホーネットの眉間に皺が寄った。

 

「……その話、まだ続けるのですか?」

「うむ」

 

 もうその件は掘り返さないで欲しい。出来ればそっとしておいて欲しい。

 そんな願いを込めた眼差しをスルーしつつ、ランスはホーネットの顔をじっと見つめる。

 

「この際だからハッキリさせておく。……メロメロになってたよな?」

「………………」

「おい。なんとか言えよ」

「……さぁ、どうでしょうかね」

「なんじゃその答えは。こんなもんイエスかノーで答えられるだろ」

「………………」

 

 返事は、無し。

 ホーネットはイエスともノーとも答えない。

 

「おい、ホーネット」

「………………」

 

 その問いは。

 その心の内に秘めている情愛は。

 それはホーネットにとって、つい先日までは言えない言葉だったもの。

 

 何故なら自分が魔人で、しかし相手は人間だったから。

 人間と魔人は住むべき場所が違う。寿命だって違う。種族が違う以上いずれは離れ離れになる。だったらあえて言う必要も無いだろう。

 わざわざそんな言葉を伝えた所で、より離れ難い気持ちになるだけだろうと、打ち明ける必要性を感じなかったホーネットが心の内に封じて言わないようにしていた言葉。

 

(……けれど)

 

 けれど、ランスは人間ではなくなった。

 ランスは第八代魔王ランスとなった。という事はどういう事か。

 それはつまり……来たるべき別離は無くなったという事ではないのか。

 

(……ですね。そうなる……はずです)

 

 だって魔王と魔人筆頭だ。

 魔人筆頭の役目は魔王に仕える事だ。より簡単に言えばそばに侍る事だ。

 となれば少なくともこの先千年間、自分はランスと一緒に居られるはずだ。

 

(だったら……言えない言葉、なんて)

 

 である以上、もはやこの気持ちに封をしておく必要など無いのではないか。

 ふと、ホーネットはそんな事を考えて。

 

(……けれど)

 

「………………」

「……おい」

「………………」

「おい。なんとか言えよ」

 

 けれど……どうしてか口が重い。

 何故だかそれを言う気分になれない。

 

(……不思議です。もはや『好き』という気持ちを隠す必要など無いはずなのに……)

 

 こうして相手の方から聞いてきている以上、殆ど明るみになってしまっているような想い。

 今更隠す意味も無いのに、それでも一向に口を開く気分にならない理由とは。

 

(まだ隠しておく必要がある……と、私は感じているのでしょうか?)

 

 隠しておく必要がある、というよりも。

 隠しておきたい、が正解に近くて。

 

(……というよりも、私はもしや……)

 

 ──これはもっと単純な話で。

 ただ『好きです』というのが恥ずかしいのでは。

 

「……子供ですか、私は」

「あん?」

「……いえ。なんでもありません」

 

 思わず自分にツッコミを入れてしまう。

 それ程に呆れた結論に達したホーネットは顰めた表情で首を振って。

 

「……とにかく。その答えは貴方の好きなように受け取ってくれて構いません」

「ダメだ。それじゃつまらん。せっかくの機会だしお前の口から『好き』だと言わせてみたい」

「……でしたら、そのように命じて下さい。私は魔人で貴方は魔王なのですから」

 

 命令さえあれば従う事も已む無し。なんせ相手は魔王なのだから。

 今のホーネットにとってはそっちの方が遥かに気が楽だった。魔人筆頭として魔王様からの命令に従うのであれば、この胸の内にある気恥ずかしさだって押し殺せるような気がする。

 

「命じる?」

「はい。お好きなように命令を」

 

 けれどもその思いは、その意味は。

 ランスには正しく伝わらなかったようで。

 

「あのな。『俺様の事を好きだと言え』って、そんな命令したって虚しいだけじゃねーか。モテない男じゃあるまいし」

「………………」

「こういう言葉はお前自身の意志で言わせるからこそ意味があるって──」

「……いいえ、そうではありません」

 

 そしてまたホーネットは首を振った。

 しかしその表情は先程とは違って、悶えるような羞恥を必死に耐えているような顔で。

 

「そうではなく……私が貴方の事をどう思っているのか、嘘偽り無い気持ちを素直に口にせよ……と、そのように命じてみて下さい」

「む?」

「そうすればきっと、貴方の聞きたい言葉が私の口から聞けると思いますよ」

「……むむ?」

 

 嘘偽り無い気持ちを素直に口にせよ、と命じて。

 それで聞きたい言葉が聞けるという事は。 

 

「…………ほう!」

「……なんですか?」

「ほう! ほうほう!!」

 

 遠回しな言い方を理解するのに数秒ほど、ランスは梟みたいにほうほうと頷く。

 

「へぇ! そーなんだぁホーネットちゃん!!」

「……だから、なんですか?」

「いやいや、そーなのかーと思ってなぁ! そっかそっかぁー!! あのホーネットがついに陥落したかー! なんか俺様感無量だなーー!!」

 

 半ば想像通りだったとはいえ、やっぱり嬉しいその事実に大げさな反応で喜ぶランス。

 

「……そうですか。それは何よりです」

 

 一方でとても恥ずかしい言葉を口にした自覚のあるホーネットは、平然と。

 あくまで平然と、普段通りの平然とした仮面を被る事に徹する。

 

「……それで? 命じないのですか?」

 

 するなら早くして欲しい。殺すなら躊躇せず一思いにやって欲しい。

 そんな思いで尋ねてみると、性格の悪い魔王様からはこんな返答が。

 

「うむ、命じない」

「何故ですか? 私の口からそれが聞きたいのだと先程──」

「いやいい。ここまで来たら意地でもお前自身に直接言わせたくなった」

 

 そう言ってにやりと笑うランス。

 

「っ、……意地でも、ですか?」

「そのとーり」

 

 ──だってその方が絶対に面白いから。

 ホーネットには文末にそんな続きが聞こえたような気がした。

 

「……そうですか。でしたら私は意地でも言いたくなくなりました」

 

 だからそう返した。

 こうなったら徹底的にひた隠す。向こうが意地ならこちらも意地の張り合いである。

 

「なんだとぉ? おいホーネット、お前は魔王様相手にそういう事を言うつもりか」

「えぇ、言います。だって二人きりの時は魔王では無いのでしょう?」

「ぬ……! じゃあやっぱあれは無し、二人きりの時も魔王らしく扱え」

「そうですか。でしたら魔王らしく『好きだと言え』とでも命令してみればそれで宜しいかと」

「あのなぁ!」

 

 さっきから言うようにそれでは意味がない。

 ああ言えばこう言ってくる魔人筆頭の態度に魔王から激が飛ぶ。

 

「どうされましたか、魔王様?」

 

 しかしホーネットは怯まず、ほんの少しだけ口の端を釣り上げる。

 その表情は柔らかい笑み。昔のホーネットには無かった表情。

 

「言え」

「いやです」

「言え!」

「いやです」

「魔王様に逆らうなー! 言えー!」

「ランス、しつこいですよ。貴方は魔王になってしつこい性格になりましたね」

「なんだとー!!」

 

 言えと言われて、しかし言わない。

 魔王の子に生まれて、これ程に真正面から魔王に逆らった事など初めての経験。

 けれども中々悪くない気分だなと、ホーネットは魔人筆頭らしからぬ事を思った。

 

 

 

 

 

 



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新たなる魔王様の新たなる日々②

 

 

 

 

 

 そして──それから小一時間後。

 

「はへー……えがったぁ……」

「はぁっ、はっ、はぁ……」

 

 たっぷりと気持ちイイ事をしてツヤツヤ顔になったランス。

 一方その隣では息も絶え絶えになったホーネットがぐったりしていた。

 共に裸のそれは男女の濃密な交わりの姿。言うまでもなくセックスの事後の姿である。

 

「……んー? そういやぁなんでセックスする流れになったんだっけ?」

「……はぁ、ふぅ……」

「あ、思い出した。ホーネットが意地っ張りだったからだ。そうだそうだ、お前のせいだ」

 

 つい先程まで、ランスとホーネットはちょっとした言い争いをしていた。

 メロメロになっているはずなのに『好きです』とは言わないホーネット、ランスはその言葉を言わせようと躍起になって「言えー!」だの「いやです」だのと言い合っていた。

 すると業を煮やしたランスは「だったらベッドの中で言わしたるわー!」とそんな流れで二人はベッドイン、そして小一時間経って今に至るという訳である。

 

「途中からすっかり忘れていたけど、結局セックス中も『好き』とは言わなかったな」

「はぁ……、はぁ……」

「これがシルキィちゃんならセックス中は積極的に言ってくれるってのに……全く強情なやつめ。ホーネットって結構そういうとこあるよな」

「……はぁ、……はっ……」

「……おい、大丈夫か?」

 

 こちらに言葉を返さずひたすら荒い呼吸を繰り返すホーネット。

 その様子に思わずランスが心配すると「……は、ぃ……大丈夫、です……」と弱々しい声が。

 

「なんだ、バテたか」

「……はい。……その、久々、でしたから……少し……すこし、激しかった、です……ね……」

「がははは、そーかそーか。確かにちょびっとハッスルし過ぎてしまったかもしれんな」

「えぇ……」

 

 今回のセックスは熱く激しかった。これまでに無いぐらいに盛り上がった。

 ランスはピンと来ていないようだがそれは紛れもなく魔王化した事による影響。魔王になったランスは人間だった頃よりも体力が桁違いに上昇して、ついでに言えば性欲も上昇した。

 その莫大なエネルギーはさすがの魔人筆頭でも受け止めきる事が出来なかったのか、行為を終えたホーネットは身も心もくたくたになっていた。

 

「けど……まだイケるような気がする」

「っ!」

 

 ……が、どうやら魔王の方はまだまだこれからが本番のようで。

 

「よっしゃ。ホーネット、とっとと息を整えろ」

「……まさか」

「うむ。第五ラウンド……じゃねぇか、第六? いや第七か? とにかくもう一戦いくぞ」

「………………」

 

 すでに片手の指の数を超えて、それでもまだ抱き足りないのか。

 魔王の性欲とはかくも強烈なものなのか。ホーネットは血の気が引く思いがした。

 

「……あの、ランス」

「なんだ?」

「いえ、その……あ、そういえば」

 

 疲労困憊に加えて何度も力強く打ち付けられた腰が悲鳴を上げている。

 乗り気の魔王様には申し訳無いのだが、さらなる連戦はさすがにキツい。

 故に何か話題を変えようとして、そういえばとホーネットはある事を思い出した。

 

「ランス、先程貴方は私に用事があると言っていませんでしたか?」

「用事? いや、ねーけど」

「え……そうなのですか? 何かしら用事があるから私の部屋を訪ねたのでは?」

「うんにゃ、特には無いぞ。強いて言うならセックスという用事はあったかもしれんが」

「そうですか……」

 

 この部屋を尋ねてきた時「用事がある」と言っていたのは聞き間違いだったのか。

 ホーネットはそんな事を思いながらも更に思考を巡らせて。

 

「……あ、それなら……貴方は昨日、元ケイブリス派魔人達の処分を決定する為に彼等との面談を行いましたよね?」

「あぁ、個人面談な。それがどーした?」

「その個人面談に関して……とある魔人から不満の声を耳にしまして」

「不満だぁ?」

「えぇ。といっても大した事ではありませんが……」

 

 それはランスが個人面談を開始した直後、王座の間に残っていたホーネットの耳に届いた声。

 魔王を補佐するのと同時に魔人達を取り纏めるのも役目となる魔人筆頭にとって、魔人達の愚痴やクレーム処理を行うのも彼女の役目で。

 

「……どうしてアイツらが先なんだ、順番がおかしくないか、魔王様と謁見するならまず自分達からではないのか……と、そんな不満です」

「その口振りは……サテラか」

「はい。有り体に言えは貴方と顔を合わせて話をしたいという事でしょうね。貴方が眠っている間、サテラは勿論他の者達も心配していましたから」

 

 ケイブリス派魔人と面談するよりもまず先に自分達と会ってくれるべきではないのか。なんたってこっちは一週間以上もずっと心配していたのに。

 サテラの不満はそんな所。要はホーネットが言っていた通り、魔王として目覚めたランスと会って話がしたいのにーという事である。

 

「でもそっか。そういやまだサテラとか他の女魔人達には会ってなかったか」

「まだ貴方が目覚めて数日ですからね。そういう意味では王座の間でのお披露目を優先させてしまった私にも責があると言えるかもしれませんが」

「ふむ……考えてみればそうだな、全てにおいて俺様の女達を優先するのは当然だ。つーかなんであんなクソどうでもいい男魔人共と面談するのを優先したのだ俺様は」

 

 魔王として目覚めて早々、然程興味も湧かない男魔人達との個人面談という暴挙。

 あの場での思い付きとノリだけで取った行動を自省しつつ、ランスはベッドから身体を起こす。

 

「んじゃまぁいっちょサテラ達と会ってくる。ホーネット、お前も行くか?」

「あ、いえ。私はまだ仕事がありますので」

「そか」

 

 まだ腰が痛くて立ち上がれそうにない……というホーネットの本心には気付く事もなく。

 ランスは軽い調子でベッドから下りると、そのまま彼女を残して部屋を後にした。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 その後、ランスは食堂にやって来た。

 お昼を飛ばして時刻はそろそろ夕食時、目当ての魔人達が居るとしたらここのはず。

 

「さてさて、居るかな……って、お?」

 

 ランスが食堂に足を踏み入れた途端、その場の空気がガラリと一変した。

 それまで聞こえていた一切の雑音が消えて、見事にしーんと静まり返ったのだ。

 

「おぉ……これも魔王効果か」

 

 見渡せば目が届く範囲に居る全ての魔物達がその動きを止めていた。

 それは忠誠心故か、あるいは本能的な恐怖故か。誕生して間もない新たな魔王様の不興を買わぬようにと、息を潜めてじっとしている魔物達。

 そんな様子を横目に眺めながらランスは食堂の奥へと進んでいって。

 

「お、いたいた」

「あっ! ラン……ではなくて、魔王様!」

「これは魔王様。お食事ですか?」

「いや、二人に会いに来たんだが……そうだな、ついでに飯も食っちまうか」

 

 居たのは魔人サテラ、そして魔人シルキィ。

 ランスも一緒の席に腰を下ろすと、すぐ隣からこれまでに感じた事の無かった熱い視線が。

 

「遅ればせながら魔王様っ! 無事お目覚めになられた事とても嬉しく思います!」

「お? おぉ」

「魔王様! これからサテラは誠心誠意魔王様にお仕え致しますから!」

「……おぉ。それは構わんのだが……けどなんだお前、そのけったいな喋り方は」

 

 突然の敬語。そして誠心誠意お仕えしますとかどうとか。この魔人がこんなにも礼儀正しくこんなにも殊勝になった姿を見せるとは。

 まるで中身が別人に変わったようなサテラの態度にランスは目を丸くする。

 

「けったいな喋り方などしていません。これがサテラの普通ですから」

「ウソつけ。お前の普通は『ランスっ! ここで会ったが百年目だ! 今日こそお前をやっつけてやるぞ!』ってな感じだろうに」

「そ……そんな事はありません。そんなサテラはサテラではありません」

「なんかホーネットもそうだったけど、お前の変わり様はそれ以上だな。なぁシルキィちゃん、魔人ってのは全員こんな感じになるのか?」

「それはそうでしょう、私達魔人は貴方の配下、貴方の忠実なる下僕なのですから」

 

 一方でシルキィは元々が礼儀正しい性格なのであまり変わった印象は無い。

 とはいえ魔王に対する忠誠心は強い。彼女の瞳からはそんな意思が伝わってきていた。

 

「それとも魔王様は我々のこういう態度はお気に召しませんか?」

「お気に召さんとまでは言わんが……敬語を使うサテラってのはなんだか不気味な感じがする」

「なっ……!」

「それに魔人に限らずこいつら魔物共も、ここまで分かりやすい反応をするとは。やっぱし魔王ってのはすげーんだな」

「えぇ、それはもう」

 

 この魔物の世界において、魔王というのは全てにおいて優先される絶対的な存在。

 力と血。その強制力によって成り立つ徹底した支配構造は人間世界のそれを遥かに超える。

 その感覚は元人間だったランスには馴染みのないものだが、一方で魔人であるシルキィ達に言わせれば至って当然の事のようだ。

 

「ここ数年は先代魔王である美樹様が不在でしたからね。その頃にやってきた魔王様にはご存じない事かと思いますが、先々代魔王であるガイ様が存命だった頃の魔王城はこんな感じでしたよ」

「あぁ、ホーネットの親父か。まぁホーネットはあの性格だし、それの親父が居たならそりゃお固い空気にもなるだろうが……」

 

 魔王城とは魔王の住処。であれば魔王が存在していてこその魔王城と言える。

 その独特な空気を肌で感じつつ、それでもランスは軽い調子で呟く。

 

「んでも俺様はあんましピリピリとした空気は好きじゃないのだ。魔物共はともかくとしてお前らはそう畏まらんでいいぞ」

「そう言われましても……魔王様は魔王様ですから、サテラ達魔人が畏まらない訳には……」

「それな、似たような事をついさっきホーネットにも言われた。あいつには他の奴らが居ない時はこれまで通りの態度にするって事に落ち着いたから、お前らもそんな感じで構わんぞ」

「成る程、公私を分けた態度を取って構わないという事ですね。分かりました、ではこれから先はそのようにさせて貰います」

 

 人間だった頃から接してきたから分かる。きっとランスは女性からあまりに畏まった態度を取られるのは好まないのだろう。

 そうと察したシルキィはすぐに頷いた。それがどのような要求だろうと、魔王の望みに応える事は魔人の役目の一つである。

 

「……しかし、となると魔王様、二人の時は『ランス』と呼んでも構わないって事ですか?」

「別にいいけど」

「……本当に? 怒りませんか?」

「んな事で怒ったりせんわ。俺様は女性限定でとーっても器の大きい魔王様だからな」

「ふふっ、女性限定でと言う所がいかにも魔王様らしいですね。けど公私を分けても良いというのは助かります。多くの者が居る中で魔王様に対して畏まらないというのは私達にとっては難しい事ですから」

「みてーだな。こうして考えると魔人っつーのも中々めんどくせー生き物だなぁ」

 

 魔人の忠誠とは半ば強制されているもの。絶対の存在たる魔王に服従しない魔人などいない。それこそ最強の魔人だったケイブリスだって魔王相手には逆らおうとはしない。

 そんな魔人の悲哀についてランスがしみじみ考えていると、食堂の入り口の方に見知った姿が。

 

「お、ハウゼルちゃんとサイゼルだ」

「本当だ。二人も食事をしに来たようですね」

 

 やって来たのは魔人ハウゼルと魔人サイゼル。

 

「……あ、魔王様」

「げっ!」

 

 二人はランス達の存在に気付くや否やそれぞれ異なる反応を見せた。

 言うまでもない事だが一応補足しておくと、前者が妹の反応で後者が姉の反応である。

 

「なぁシルキィちゃん。あいつ魔人のくせして今俺を見て『げっ!』って言ったぞ」

「……サイゼル、今は魔王様の御前よ」

「うっ、そうね……じゃない、ええっと、ソウデスネ……コンニチハデス、マオウサマ……」

「おい、なんじゃその片言は」

 

 感情の乗らない声で挨拶するサイゼルの目は見るからに泳いでいた。

 どうやら過去に色々因縁があったランスを魔王として崇める事にかなりの抵抗感があるらしい。

 

「姉さん、この方はもう魔王様なのよ」

「分かってるわよ……ええっと……今後は誠心誠意お仕えさせていただきます、ハイ……」

「うむ。にしても生意気だったサイゼルもこうなっちまえば形無しだな、これからはお前の事も沢山可愛がってやるから覚悟しとけよ。ぐふふのふ」

「うわぁ~い、うれしいでーす……」

 

 とても嬉しくなさそうに喜ぶサイゼル。

 魔王になったランスから身体を求められる事は目に見えていたので、もはや諦めの境地である。

 

「勿論ハウゼルちゃんもだ。まぁ君の方は文句を言ったりはしないだろーが」

「……はい。魔王様の命令であればどんな事にも従います」

「よーしよし、いい子だ」

 

 一方でハウゼルは素直に頷く。

 元ホーネット派の魔人達は全員、共に派閥戦争を戦い抜いた人間の事を認めている。

 程度の差こそあれ皆ランスへの好感度は高く、こうして頭を垂れる事にも抵抗は無かった。

 

「けれど……魔王様は……なんだか……」

「なんだ?」

「あ、いえ……本当に魔王様は、その、人間だった頃とお変わりないなと思いまして」

「あ、それ私も思った、……じゃない、私も思いましたでございますです」

「それ、似たような事を色んなヤツから言われる。んでサイゼル、お前は敬語がおかしいぞ」

「それだけ変わりないお姿に皆が驚いているという事ですよ。魔王になったらその外見や性格などが変容する事も多いそうですから」

「うん、ほんとに……」

 

 言いながら魔人達はランスの顔を眺める。

 魔王の力の波動こそ確かに感じるが、それがなければ魔王だと認識出来ないのではないか。

 そう思ってしまう程、ランスは人間だった頃と変わらない姿をしていて、

 

「外見の方はともかく、性格の方はもうちょっとテコ入れがあっても良かったと思うけど」

「あんだとぉ?」

「イイエ、ナンデモナイデゴザイマス」

「変に変わるよりは変わらないに越したことは無いですよ。少なくとも私はそう思います」

「うむ、まぁそれはそうだが……変わらんとは言っても俺様は確かに魔王になった訳でな。これからは魔王らしく色んな事をするつもりなのだ」

 

 ただ、それでもランスは第八代魔王。

 その身には魔王の力を、この世界を支配して思うがままに出来るだけの力を秘めている。

 

「魔王らしく、ですか。例えばどのような事をするつもりなのですか?」

「そりゃあ勿論女だ! 世界中の女達とセックスするのだ、がははは!」

「……それって魔王らしいの? あんたが人間だった時と変わって無くない?」

「魔王らしいだろーが。これ以上に魔王らしい事がどこにあるってんだ」

 

 世界中の女を手に入れる。それはこの世界を支配する魔王らしい行いと言える。

 がしかしサイゼルが言った通り、その目標は人間だった頃とあまり変化が無いのも事実。

 こうして自分が世界の支配者になった以上、望めばこの世界の在り方すらも変えられる訳で。

 

「……ふーむ」

 

 果たして魔王らしさとはなんだろうか。

 そんな事を考え始めた所で……ランスのテーブルに夕食が運ばれてきた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そしてその後。夕食をぺろりと平らげて。

 入浴などを終えて自室に戻ってきたランスは一人目を輝かせていた。

 

「さーてと! そろそろ楽しい楽しいセックスの時間だな!」

 

 そろそろ時刻は就寝時。ここからは大人の男のお楽しみな時間。

 それは魔王になっても変わらない、ランスには絶対に欠かせないお決まりの日課である。

 

「がははは! にしても困っちまうなー! なんせもう候補が多すぎるからなぁー! どいつもこいつも食べ放題だからなぁー!!」

 

 我は魔王。となれば今やこの城の中にいる誰でもなんでも食べ放題。

 仲間の人間達は勿論の事、配下たる魔人達を食べたって良いし、ここはあえての女の子モンスターという選択肢だってある。

 

「どうするどうする……誰を食べる……それともセットメニューってのもアリか……うぬぬ……」

 

 あらゆるご馳走が食べ放題。あぁ素晴らしきかな魔王ライフ。

 めちゃくちゃ強くなったり、魔軍の支配者になったりと様々な恩恵があるけれど、ランスにとって魔王になった事による一番の恩恵はエロ、やっぱりエロなのである。

 

「そうだなぁ……こうなったらいっそルーレットとかで決めちまうってのもアリかもな。デッカい的を回してダーツを投げて決めるとか」

 

 と、そんな事を考えていたランスは、

 

「よし、ならシィルに的とダーツを用意させるか…………って、あ」

 

 ようやくそれを思い出した。

 今日の昼間、ホーネットの部屋を訪ねた際の用事とは一体何だったのかを。

 

 

 

 

 

 そして、次の日。

 

「ホーネット、入るぞー」

 

 昨日に引き続き、ランスはもう一度ホーネットの部屋を訪れた。

 

「あら、魔王様」

「おぉ、シルキィちゃんもいたか」

「はい。ホーネット様と少し話があって」

「魔王様……ですからご用事の際はこちらに来るのではなく呼び出して下さいと……」

 

 ホーネットは困った表情になりながらも指示を出して、部屋内に居た使徒達を退出させる。

 どうやらランスは自分達からあまりに畏まられるのは好みでは無いらしい……とそんな話を今しがたシルキィとしていた為、なるべく私的な対応を取れるようにした方が良いと思ったからだ。

 

「魔王様、私も退出した方が良いですか?」

「いや別にいいぞ。つーかホーネットよ、お前の使徒達が居たって気にしねーけど」

「魔王様が良くても私が気にするのです。……それで、どうかしましたか? ……ランス」

 

 まだ呼び慣れないのか、少しぎこちなさのある声でホーネットはその名を呼ぶ。

 

「うむ、昨日の用事を思い出してな」

「あぁ、やはり……」

 

 そしてランスは口を開いた。

 なによりも一番に優先すべき、最も大事な話を。

 

「実は……ちょっとした問題が発生したのだ」

「問題?」

「俺様は魔王になっただろ? 魔王になってめちゃくちゃ強くなったのはいいのだが……どうにも力の扱いに慣れなくてな」

 

 魔王になったランスがまず直面した問題。それは自らの力の扱いの困難さ。

 人間だった頃とは別物、比べ物にならない程に増したパワーの制御が上手くいかない。

 その結果やたらと躊躇してしまって気持ちの良いセックスが出来ない……という相談である。

 

「あの個人面談の時、色々あってケッセルリンクがちょー美人な女になってよ」

「……ケッセルリンクが美人に?」

「あ、ホーネット様、私は見ましたよ、女性になったケッセルリンクを」

「シルキィ、では本当なのですか?」

「はい。正しくは女性になったのではなく元の姿に戻ったとの事ですが……あれは驚きました」

「まーな。あれにはさすがの俺様もビックリ仰天だった。んでその時ケッセルリンクを抱いたのだが、そしたら力の扱いに慣れなくてセックス終わりにあいつから『少し痛かった』と言われちまったのだ」

「……あぁ、そういう事ですか、成る程……」

 

 吐き出すように呟いたホーネットの言葉には深い実感が混じっていた。

 昨日の行為時、何度も何度も強く打ち付けられた彼女の腰も相当痛い事になっていた。

 あの時はひたすらに激しくするのが今日の趣向なのかと、それがランスの望みなのかと思ってホーネットはそのまま耐えていたのだが、この分だとどうやらランスにそのつもりは無かったようだ。

 

「それに単純なパワーもそうだが、魔王ってのは他にも色々と能力があったりするだろ? けど俺様そこら辺の事についてもよく分からん」

「ああそっか。考えてみればランスさんは急遽土壇場で魔王になったようなものだもんね」

「ですね。それにそもそも少し前まではずっと人間世界に居たのですから、魔王について知らない事が多いのが当然でしょう。であれば確かに知っておく必要がありますね」

 

 魔王という存在について、魔王であるランス自身が理解を深める事。

 それは言うまでも無く大事な事。何をするにしてもまず最初はここからである。

 

「分かりました。では魔王の力について、少し説明しましょうか」

 

 

 

 

 

 



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魔王の力

 

 

 

 

 

「まず大前提として……魔王の力というもの、これは魔王の血にあると言われています」

 

 魔王の力とは。

 この世界を統べる頂点たる者の力の根源、それは魔王の身体に流れる血液こそにある。

 

「魔王とは最強の生物。当然単純な腕力や魔力なども他の生物とは比較になりませんが……それ以上に魔王を魔王たらしめるもの、魔王の力というものはその血にこそあります」

「血か。まぁなんか聞いた事はあるな。『魔血魂』なんつーモノがあるぐらいだし」

「えぇ、そうですね。魔血魂とは魔王の血の一部を取り出したもの、魔王の血がただの血ではなく特殊な力を秘めている事を示す何よりの証でしょう」

 

 最強の生物である魔王と、それ以外の生物を隔てる最たるもの、魔王の血。

 そんな魔王の血には秘められた特殊な力が、魔王にのみ許された特殊能力というものがある。

 

「今魔血魂と言いましたが、魔王の能力として一番知られているのが魔人作成能力でしょうね。貴方も知っての通り、私やシルキィのような魔人を作り出して自らの配下とする能力です」

 

 その一つが魔人作成能力。

 自らの血の一部を『魔血魂』に変えて他の生物に摂取させる事によって、高い戦闘能力を有する魔王の手足『魔人』を作り出す事が出来る能力。

 

「魔王が意図していない魔人化の事例も極稀にはありますが、それでも基本的には魔人は魔王の意思によって作り出される存在。魔王である貴方にのみ行使可能な能力となります」

「なら俺様の気分次第で好きに魔人を作っちまってもオッケーって訳か。魔人にしたいヤツに魔血魂を食わせるだけでいいんだよな?」

「えぇ、その通りです。ただそれは初期化した魔血魂に限るという事に注意して下さい。初期化していない魔血魂を摂取した場合、魔人になるのではなく魔血魂に宿る元の魔人が復活するという場合も有り得ますから」

「それと魔人を作成出来る人数は最大で24体までだから、その点にも気を付けてね」

「ふむふむ、24体か。結構少ないな」

 

 魔人作成能力の詳細、ホーネットとシルキィによる説明にランスは興味深そうに頷く。

 魔人の作成人数は24体までという制約がある。現在生き残っている魔人は14体なので、残りの作成可能人数は10体となる。

 

「そういやホーネット、派閥戦争でぶっ殺したヤツらの魔血魂はお前が持ってるんだよな?」

「えぇ。討伐したケイブリス派魔人達、バボラ、メディウサ、レッドアイ、ケイブリスの魔血魂は私が管理していますが……」

「でも、それ以外にも美樹様が回収した魔血魂もあったはずですよね? それは魔王の力を継承した事で今はランスさんの身体の中にあるはずだけど」

「俺様の身体の中に?」

「うん、そのはずよ。なんて言ったら良いのかな、こう……精神を集中してみると……自分の身体の中に何かがあるような感じがしない?」

「ぬぅ……?」

 

 どうやら前魔王が回収済みの魔血魂が自分の身体の中にもあるらしい。

 ランスは首を傾げながらも精神を集中してみる。自分の身体の中にある感触を探るように、目を閉じて意識を自らの内側へと潜らせていくと……。

 

「……おぉ?」

「どう? 感じる?」

「うむ、確かになんかがあるような気がする」

 

 そこに力強く脈打つ鼓動を感じた。

 魔王の体内、魔王の血──それが魔血魂。

 

「……けど、これって一体どうやって取り出せばいいのだ?」

「恐らくですが、そのように念じればいいのだと思いますよ。魔王の血は貴方の身体の一部、貴方の意思によって扱えるはずですから」

「ふむ。よーし、出てこい~、出てこい~……!」

 

 魔血魂よ、我が体内から出てこいー! 

 と、ランスが念じる事数秒程。

 

「あ、出た」

 

 ふと気付くとランスの手のひらの上、血のように真っ赤な球が出現していた。

 

「おー、なるほど。体内から魔血魂を取り出すってのはこうするのか」

 

 ランスがもう一度意思を以て念じると魔血魂はパッと体内に戻る。

 再度念じればまたすぐにパッと出現する。この程度の操作は慣れれば簡単のようだ。

 

「ランスさん。魔王様の体内にある魔血魂はその一つだけ?」

「ちょっと待て……うーむ、この感じだともう一個だけあるっぽいな」

「計二つ、ですか。となると所在の知れない魔血魂が四つ程残っているという事ですね」

 

 来栖美樹が初期化した魔人はノス、ザビエル、オギン・ギンプの三体。その内の一つを小川健太郎の魔人化に使用したので残りは二つ。

 そしてホーネットの手元にあるケイブリス派魔人達の魔血魂が四つ。残る四つはAL教が管理していたりと、あるいは行方不明になっていたりとその所在はまちまちである。

 

「魔血魂は魔王様の身体の一部ですからね。残る四つを回収する事も視野に入れるべきかもしれませんが……それはおいおい考えるとして今は話を戻しましょう。とにかく魔王の能力の一つが魔人作成能力、それは宜しいですね」

「うむ。まぁ元から知ってたがな」

「でしたらこれも知っているかと思いますが、二つ目の能力として魔王には魔人や魔物達に対する絶対命令権というものがあります」

 

 二つ目の能力、絶対命令権。

 魔人や魔物達を強制的に従わせる力。魔族の王たる者が有するに相応しい絶対的な命令権。

 

「その名の通り絶対の命令です。魔に属する者は魔王である貴方の命令に逆らう事は出来ません」

「話には聞いていたが……やっぱお前ら魔人は魔王には絶対に逆らえないのか」

「はい。魔王様の命令であればどのようなものであっても言いなりになるしかありません」

「……ほーう? 言いなりに?」

 

 そこでランスの目がギランと怪しく光る。

 絶対命令権。魔に属する者であれば絶対に言いなりに出来てしまう能力。

 成る程確かに素晴らしい力だ。魔王の力をエロ目的で使用するならこれ以上は無いだろう。

 

「ぐふふふ……んじゃあ二人共、いっちょここで素っ裸になってみろ」

 

 魔王ランスは早速そんな命令をしてみた。

 すると──

 

「………………」

「…………えっと」

「あれ? 二人共なんで脱がねーんだよ。絶対命令権ちゃうんかい」

 

 結果は効果無し。

 二人は脱ぎ始める気配すらなく、戸惑いの混じった表情で顔を見合わせる。

 

「ホーネット様、今のは……違いましたよね?」

「……えぇ、そうですね。ランス、恐らくですが今の指示は絶対命令になっていません」

「あん? 単に命令するだけじゃ駄目なのか?」

「そのようですね。これは推測ですが……先程の魔血魂のように絶対命令権も魔王の能力によるものですから、使用の際には相手を従わせるという魔王の意思が必要なのではないでしょうか」

「ふむふむ、なるほど」

 

 という事で、もう一度挑戦。

 今度は心の中で「俺様に従えー!」と念じながら命令してみる。

 

「『二人共、今すぐ服を脱げ』」

 

 そう告げた途端、ランスの身体から微量の紅い粒子が湧き上がった。

 それは魔王の能力を行使した証。溢れ出る程に強大な魔の力の残滓。

 

「あ……」

「っ、……」

 

 二人の魔人は共に息を飲む。

 それはただの言葉ではなく、魔人を形作る魔血魂を介して伝わってきた絶対なる命令。

 

「……はい。分かりました」

「仰せのままに。魔王様」

「お? おぉ、おおお……!!」

 

 その強制力を前に逆らう術など無し。

 命令通りにホーネットとシルキィは粛々と衣服を脱ぎ始めて、あっという間に全裸になった。

 

「なーるほど、これが絶対命令権か……中々便利な力じゃねぇか、ぐへへへ……」

 

 命令一つで裸になったホーネットとシルキィ。

 こういうエロの形もアリだなぁと、魔王ランスの鼻の下がだらしなく伸びる。

 

「……お気に召したようですね」

「うむ。魔人を作るのはそんなでもねーけど、絶対命令権はとても気に入ったぞ」

「そうですか、それは何よりです。……では、そろそろ服を着ますよ」

 

 絶対命令権の仕様として、一度下された命令は完遂してしまえば強制力は無くなる。

 なので脱衣命令を済ませて強制力の解けたホーネットとシルキィはいそいそと服を着直した。

 

「にしても絶対に言いなりになるなんて、こんなのエロい事をする為にあるような能力だな。なぁ、お前ら二人もガイとかいう魔王からエロい命令を沢山されただろう?」

「いいえ。そのような事は決して」

「本当かぁ? 『おいホーネット、正直に答えてみろって』」

「では正直に答えますが、本当です。ガイ様からそのような命令を受けた事などありません」

「ていうかランスさん……ホーネット様とガイ様は親子なんだから……それはさすがに……」

「……確かにそりゃそうか。『ならシルキィちゃん、君はどうだ? 正直に答えろ』」

「分かりました、正直に答えます。私もそのような命令を受けた事はありません」

「ほぉ! そうかそうか、なら宜しい」

 

 二人の回答にランスは満足そうに頷く。

 これで自分の女達がムカつく魔王ガイのお手付きでは無かった事が正式に証明された。

 仮にそうだったとしてもランスが現状の関係を変える事は無いのだが、それでもやはり男として気になるものは気になるのである。

 

「しっかしこの絶対命令権ってのはオモロいな。エロ以外にもなんでも使えそうだ」

「……でしょうね。ただ個人的な意見を言わせて貰うと……私は元より貴方に忠誠を捧げて貴方の命令には従うつもりでいますので、絶対命令権など使うまでも無いと思っているのですが」

「まぁそれはそうだ。お前達がいい子にしてたら絶対命令権など使う必要はねーだろうが……」

 

 絶対命令権など使わずとも魔王の命令には従うつもりでいる。

 そんな言葉を聞いたランスはにぃっと笑って、

 

「でもこういう命令ならどうだ? 例えば……『今からホーネットは赤ちゃん言葉で話せ』」

「な、なんででちゅか!?」

 

 ホーネットは赤ちゃん言葉になった。

 

「んでシルキィちゃんは……そうだな、じゃあ『にゃんにゃんの真似をしなさい』」

「にゃん!?」

 

 シルキィはにゃんにゃんになった。

 

「がははははーっ!! おもしれーこれ!!」

「面白がってないで……どうして赤ちゃん言葉なんでちゅかぁ、らんすぅ……!」

「にゃーにゃー! ふにゃあ、ふにゃあ!」

 

 赤ちゃん言葉のまま抗議するホーネット。

 にゃんにゃんのように四つん這いになってにゃーにゃーと騒ぐシルキィ。

 魔王の能力、絶対命令権を使えばこんな奇怪な光景だって簡単に作り出せてしまうのだ。

 

「らんすぅ……元にもどちてくだちゃい……」

「さぁ~て、どうしよっかなぁ~!」

「にゃあにゃあ! うにゃん! うにゃん!!」

「おーおーどうしたシルキィちゃん、そんなに鳴いちゃって。さてはエサが欲しいのかな?」

「にゃおん! にゃーにゃー!」

「それとも猫じゃらしが欲しいのかな? ん? ご主人様と遊びたいってか?」

 

 ランスはにっこり笑顔になって可愛らしいメスにゃんにゃんに話し掛ける。

 このにゃんにゃんはお腹が空いたのか。それとも構って欲しいのだろうか。

 一向ににゃーにゃーと鳴き止まないにゃんにゃんの訴えに耳を傾けていると……。

 

「…………ふにゃあ」

「む。……分かった分かった、戻すって。『二人共、さっきの命令は無ーし』」

 

 にゃんにゃん化したシルキィが泣きそうな顔になってきたのでランスは命令を撤回してあげた。

 

「全く……趣味が悪いですよ、ランス」

「ホントにね。絶対に言いなりに出来るからって魔人で遊ぶのは良くないと思うわ」

 

 赤ちゃん言葉とにゃんにゃん化の絶対命令を解かれたホーネットとシルキィ。

 二人の表情は共に赤くなっていた。そしてちょっと怒っていた。

 

「でもなぁ、こんなの遊ぶ為にあるような能力だとしか思えんのだが……」

「ではなくて、反抗的な魔物や魔人を従わせる為の能力です。とはいえ先程も言いましたが基本的に魔王様に逆らう存在などいませんからね、絶対命令権なんて余程の事がない限りは使う必要の無い能力だと思いますよ」

 

 魔人の一人として、魔王から遊び感覚で絶対命令権を乱発されるのは避けたい。

 されども魔王相手に使うなとも言えないホーネットはやんわりと窘めておくに留めた。この辺は魔人の悲哀が垣間見える部分である。

 

「……さて、以上の二つが魔王の力として良く知られている能力でしょうね」

「うむ」

「そして……この他にも魔王には魔王の力に纏わる特殊能力があるようなのですが……」

「ですが?」

「……残念ながら、これ以上の事は魔王ではない私は存じ上げません」

 

 ホーネットは申し訳なさそうに目線を伏せる。

 魔王が秘める特殊能力。魔人作成能力と絶対命令権の他には……不明。

 

「あれま。シルキィちゃんも知らねーの?」

「そうね、残念だけど私も知らないわ。ガイ様だったら知っていたかもしれないけど……」

「そうですね……せめて父上からの血の継承に美樹様が協力的であれば、父上が待ち得ていた魔王の知識も伝えられていた可能性はあるのですが……」

「あーそうか、美樹ちゃんが逃げちまったからそれも伝わらなかったと」

 

 魔王の能力に関しては魔王が知るべき事。一介の魔人ではその全ては知り得ない。

 そして代替わりと共にその知識も失伝してしまったようなので、魔王の能力の深みについては現状手が出せない領域となっていた。

 

「まぁ知らねーならしゃーないな。それよりもホーネットよ、俺様のパワーが強すぎて女に痛いと言われる問題はどうしたらいい?」

「あぁ、肝心の話ですね」

 

 ランスにとっては一番大事な事、俺様のパワーが強すぎて女に痛いと言われる問題。

 このままでは魔人達はともかく人間の女性とガッツリ目でセックスが出来ない。ゆっくり抑えめにすれば出来なくもないが、それではあまり気持ち良くない。

 故にこれは由々しき問題。何を置いても解決しなくてはならない問題なのである。

 

「魔王の強大な力の扱い方ですが……私の体験談で言うなら、それは慣れだと思います」

「ぬぅ……慣れか」

「えぇ、慣れです。さすがに魔王とは程度が異なりますが、私やシルキィも魔人になった時に似たような経験をしていますから」

「そうですね。自分の力が急激に上昇する経験は魔人なら誰もが通ってきた道です」

 

 今ランスが抱えている問題は魔人になったら誰しもが大なり小なり経験する事。

 その上で魔人達が普通に生活している以上、それはあくまで「慣れ」で解決出来る程度の話。

 

「ほら、なんていうかな。ランスさんが人間だった頃を思い出して欲しいんだけど、その時だって壊れやすいものに触れる際は無意識の内に手の力を加減していたはずでしょ? その感覚は魔人や魔王になっても一緒だって事よ」

「えぇ。扱う力の規模が増えた事で戸惑う部分があるかとは思いますが、それも慣れるまでの事。慣れてしまえば気にするような事ではありません」

「……そうか。んじゃあ慣れさえすれば人間と普通にセックスしても問題無いって事か?」

「そのはずです。例えば私も──」

 

 とそこでホーネットは一瞬言葉を区切り、ちらっとシルキィの方を見て。

 

「──私も、人間だった頃の貴方に抱かれた際、似たような事を考えました」

「お前も?」

「えぇ。私とて魔人筆頭ですから」

 

 今更隠す必要も無いなと感じたのか、そのまま続きを話し始める。

 

「行為に没頭するあまり、無意識の内に力の加減を誤って貴方を傷付けてしまわないか、そんな事を不安に思ったりもしたのですが……結局はなんとも無かったでしょう?」

「あー、そういや確かに。魔人とのセックスは何度も体験したけど怪我した事はねーもんな」

「えぇ。それは貴方と身体を重ねた相手方の魔人が力の扱いに慣れていたからこそ。ですからそれと同じように、魔王となった貴方にも慣れが必要だというだけの話です」

「そっかそっか、よーく分かった」

 

 提示された答えは慣れ。一応の解決策があると知ってランスはホッと一安心。

 今はまだ魔王として目覚めて早数日。力の扱いに慣れないのも当然の話だと言えた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そしてその後。

 ホーネットの部屋をお暇したランスは力の扱いに慣れる為、色々と試してみる事にした。

 

「よし、準備運動おっけー。こうして身体を動かすのも久々だなぁ」

 

 まずは運動。思えば一週間以上も眠り続けていたからか身体にも重たい感覚がある。

 城の中庭でストレッチをしたりランニングをしたりと、汗を流して鈍っていた身体を動かす。

 

「……ふぅ、やっぱしパワーが違うなこりゃ。それに全然疲れねーし」

 

 すると実感する魔王の肉体の凄さ。自分の身体が秘める驚異的なポテンシャル。

 足の速さが人間の限界を優に超えていたり、体力が尽きそうな気配が無かったりと。

 

「……ま、これも慣れだな」

 

 言わばそういった変化こそが原因であり、その違いに慣れる必要があるという事。

 ランスは自分の身体の動きを一つ一つ確かめて、人間だった頃と魔王になった今との認識の違いを一つずつ改めていって。

 

 

 

「シィル、用意出来たか」

「はい。色々と集めてきましたよ。まずは……そうですね、風船なんてどうですか?」

「風船か、よし」

 

 その次。微妙な力加減が必要になりそうなものを片っ端から試してみる。

 まず手渡されたのは風船。ランスは風船の口を掴んで、すぅーと息を吸って……。

 

「わっ!」

「あ、割れた」

 

 ふぅっ! と強めに息を吐き出した瞬間、一瞬で膨らんだ風船はパンッ! と破裂した。

 

「ぬぅ、これでも7割程度なんだが……力加減がさっぱり分かんねぇなぁ」

「これも慣れですよランス様。気を落とさず次にいきましょう。次は……はい、アメちゃんです」

「アメちゃんか、よし。れろれろ…………あ、割れちった。噛んだわけじゃないのに……」

 

 ……と、こんな感じで。

 ランスは魔王の力の扱いに慣れる為、自分の身体を扱う色々な事を試してみて。

 

 

 

 

 ──それから一週間後。 

 

「……よしっ! ゆで卵の殻も剥けた!」

「お疲れ様です、ランス様。あ、卵には傷一つ付いていませんね!」

「うむ。沢山の卵を駄目にした甲斐があった。ようやく力の扱いに慣れてきた気がするぞ」

 

 全身を動かしての運動から、手足指先の細かな感覚に至るまで。

 ランスが自分の肉体の強靭さに、その力の規模にようやく慣れ始めてきた頃……。

 

「魔王様、少し宜しいですか?」

「あ、ホーネットさん。それとシルキィさんも」

「シィルさん、こんにちは。少し魔王様に……というか、ランスさんに用事があって」

 

 部屋にホーネットとシルキィが尋ねてきて。

 そしてこの日……ちょっとした事件が起こった。

 

「実は先程、美樹様から相談を受けまして……」

「美樹ちゃんから?」

「はい。というのも……健太郎さんの魔人化を元に戻したいそうなのです」

 

 

 

 

 




自分で読み返してみて分かりにくく感じたので、今現在の魔人と魔血魂の状態について追記。


生存
・ホーネット派
  [ホーネット][サテラ][ハウゼル][シルキィ][ガルティア][メガラス]
・ケイブリス派
  [レイ][パイアール][サイゼル][カミーラ][ケッセルリンク]
・その他無所属
  [ますぞゑ][小川健太郎][ワーグ]  

 以上14名

魔血魂状態
 ・ホーネットが管理
  [ケイブリス][メディウサ][バボラ][レッドアイ]
 ・美樹が初期化
  [ノス][ザビエル][オギン・ギンプ]※内一つを健太郎の魔人化に使用
 ・行方不明
  [アイゼル] リーザス城内?
  [カイト]  AL教が封印
  [アベルト] ゼスが管理
  [レキシントン] 使徒達が所持 

 以上10個 合計24の魔人


 が、この話における魔人と魔血魂の状態となります。



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この世界のルール

 

 

 

 

 魔王ランスの部屋を訪ねてきた魔人ホーネットと魔人シルキィ。

 二人の話に耳を傾けてみると、どうやら用事というのは──

 

 

「ふむ。健太郎の魔人化を元に戻したいと」

「はい。それで貴方になら可能なのではないかと思いまして。なにせ貴方は魔王ですから」

 

 それは前魔王、来水美樹から相談を受けた話。

 自らの手で魔人に変えてしまった恋人、小川健太郎を元の人間に戻したいという願い。

 

「魔王の力を継承されて以降、少し体調を崩されていた美樹様もようやく復調されまして。今では普通に生活出来るまで体力が回復したそうです」

「おぉ、そりゃ何よりだな」

「それで……貴方も知っての通り、美樹様は元々異世界から来た人間です。魔王の力を捨てた今、元の世界に帰る方法を探す為に旅に出られるおつもりのようなのですが……」

「けれど人間に戻った美樹様と違って健太郎さんは魔人。このままじゃ元の世界に戻っても健太郎さんだけ魔人のままになっちゃうじゃない?」

「確かに……それは可哀想ですよね。魔王になった美樹ちゃんもですけど、健太郎さんだってなりたくて魔人になった訳では無いですし……」

「うん。だからどうしようかなって思って」

 

 あの二人と仲の良いシィルが呟くと、シルキィもその心情を察して頷く。

 第七代魔王リトルプリンセス。そしてリトルプリンセスが作成した唯一の魔人、小川健太郎。

 先代魔王の後処理とも言えるこの問題、解決出来るとしたら新魔王であるランス唯一人だけ。

 

「なるほど、健太郎か。しっかしあいつはどこまでも面倒くさいヤツだなぁ」

「まぁまぁ、そう言わないで……」

「とにかく話は分かった。俺様としても健太郎なんつー魔人はいらんから人間に戻すのは別に構わんのだが……そもそも魔人になったヤツを元に戻すなんて可能なのか?」

 

 率直に気になった疑問、果たして魔人化の解除は可能なのか。

 新米魔王ランスからの質問に、新米ではない二人の魔人がその見解を示す。

 

「魔王化の解除と同様、魔人化の解除の事例も過去に聞いた事はありませんが……それでも魔王である貴方になら可能ではないかと思います」

「うん、私も同感。魔人の身体を形作る魔血魂は魔王様の身体の一部なわけだし、魔王であるランスさんの意思によってならその解除だって不可能な話ではないと思う」

「ふーん……」

 

 事例が無いので憶測にはなるが、魔王にだったら魔人化の解除だって可能。

 それが二人の考えのようで。

 

「よし。ならホーネット、ちょっとこっち来い」

「はい、何でしょうか」

 

 試しにランスはホーネットを呼び寄せてその背中に触れてみた。

 そして魔血魂を取り出すかのように背中の中心辺りを軽く引っ掻いてみる。すると──

 

「あ、取れた」

「え?」

 

 背中からスポッと抜き取るような感じで、魔血魂の摘出に成功した。

 

「えっ?」

 

 こうして魔人ホーネットはただのホーネットに戻った。

 

「なんだ、意外と簡単に取れるもんだな」

「……え、あの……」

 

 ランスの手にある小さな魔血魂。それは魔人ホーネットに強大なる力を与えていた根源。

 それを取られた今……ただのホーネットは。

 

「あの、ランス、なぜ、私から、魔血魂を……」

「いや別になんとなくだけど」

「なんとなく……え、あの、でも、それは、あの、えっと……少々……困る、ような……」

 

 つっかえつっかえになった言葉には力が無く、その瞳も弱々しく揺れていて。

 まさかこんな軽いノリで自分が魔人ではなくなるとは想像だにしていなかったのか、魔人というアイデンティティを失ったホーネットは面白いぐらいに動揺していた。

 

「なんだ、魔血魂を返して欲しいのか?」

「あ、はい……出来れば……返して貰えると……」

「ほうほう、そうかそうか」

 

 どうやらホーネットは魔血魂を返して欲しい、人間ではなく魔人のままでいたいらしい。

 しかし「返して」とお願いされると返したくなくなるのがランスという意地悪な男で。

 

「どうしよっかなぁ~、だってこの魔血魂は魔王である俺様のものだしなぁ~」

「それは……そうなのですが……でも……」

「ならそうだなぁ、お前が俺様の言うことをなんでも聞くってんなら返してやってもいいが」

 

 そんな要求にも、ホーネットは「は、はい、勿論です」と素直に頷く始末。

 

「私は魔人として、貴方の命にはどのようなものでも従う所存でいます。ですから……」

「ていうかランスさん、言うことを聞かせたいなら尚更魔人に戻した方がいいと思うけど」

「……それもそうか。ほれ」

 

 よくよく考えると魔血魂を没収する意味も無かったので、ランスは素直に返してあげた。

 

「んっ……」

 

 ホーネットはすぐに魔血魂を飲み込む。

 すると人間に戻っていたその身体には再び魔王の力の一部が注がれて。

 

「……ふぅ」

「おぉ、一気に強そうな感じになった」

「ですね。さっきまでのホーネット様とは伝わってくるエネルギーが桁違いです」

 

 あっという間に再び、魔人ホーネット誕生。

 無事元通りの姿に戻れた魔人筆頭は密かにホッと胸を撫で下ろした。

 

「実験は成功だな。魔人になったヤツを元に戻せるってことは分かった」

「……実験台にする前に一言声を掛けて欲しかったのですが……でもそうですね、これなら健太郎さんを人間に戻す事も出来ますね」

「にしても魔血魂って随分と簡単に魔人から取り出せるんですね。ちょっとびっくりしました」

「……ですね」

 

 いとも容易く解決した魔血魂摘出問題。

 シィルの言葉に頷きながらも、ホーネットは少し異なる見方をしていた。

 

「けれどもこれは……魔血魂の摘出が簡単というよりも……どちらかと言えば……」

 

 ランスが魔王として目覚めてからずっと思っていた事だが、ランスという魔王はあまりにも人間だった頃のままというか、妙に魔王らしくない。

 最初は来水美樹のようにまだ未覚醒状態なのかとも考えたが、しかし絶対命令権などを行使可能である以上魔王になっていないという訳ではない。

 その違和感や、先程自分の身体から魔血魂を実にあっさり抜き取った事などを考えると、これはきっとランス自体が──

 

「もしかしたらですが……貴方は魔王そのものに対する適正が高いのかもしれませんね」

「適正?」

「えぇ。思えば貴方は魔王の力を継承する事が可能な素質を有していた稀有な存在ですからね。その分魔王の力の扱いに長けているのかもしれません」

 

 前魔王から正式な継承を受けて魔王になったランスは魔王としての適正が高い。

 恐らくは魔王の返り血を浴びて魔王になった先々代魔王、自分の父親であるガイよりも。

 

「一般的に言えば魔王というのは残虐非道な性格になるものです。けれどもランスがそうなっていない理由もそこにあるのかもしれません」

「成る程、確かにそれは有り得ますね。思えばガイ様や美樹様以上に、ランスさんの身体から感じる魔王の力はより洗練されている感じがしますし」

 

 適正が高い分、魔王の身体に沸き起こる殺戮衝動を上手くやり過ごす術に長けている。

 だからこそランスはランスのままなのでは……というホーネットの読みは当たっていた。

 

 これはランス自身もまだ知らぬ事だが、ランスは魔王化に伴い複数の才能を開花させていた。

 元々有していた剣の才能は2から3に上昇して、伝説級の剣の冴えを得るまでに至った。

 それに加えて魔法の才能も発現させた。こちらのレベルは2、白色破壊光線など高度な魔法も使用可能となる高いレベルである。

 

 だが。ランスは更にもう一つ、途轍もなく稀な才能をもう一つ発現させていた。

 それが『魔王』の才能。魔王になる事でしか効果を発揮しない特別な才、そのレベルは2.

 例えば剣や魔法のレベルが2であればそれは達人級と言われる。となるとランスは魔王の血の衝動や魔王の能力などその全般に関して、達人級に扱いが長けている稀有な存在だと言えた。

 

「よく分からんが……まぁとにかく俺様は天才って事でいいんだよな?」

「そうですね。魔王の力に関して、貴方には高い素質があるのだと思います」

「ふふん、そうだろうそうだろう。なーんかそんな気はしてたのだ、がはははは!」

 

 世界一の大天才である自分は魔王になってもやっぱり天才だった。

 その事実に喜ぶランスだったが──

 

 

 ──が、しかし。

 

 

「ではランス様。美樹ちゃんと健太郎さんに会いに行きましょうか」

「これで無事お二人共人間に戻れますね。本当に良かったです」

「そうだな。…………────む?」

 

 ──しかし、それでもランスは魔王。

 高い才能で制御していたとしても、その身体の内には残虐非道な因子が確実に存在している。

 

「………………」

「……ランス様?」

「………………」

「あの、どうかされましたか、ランス様?」

「…………あぁ、そうか」

 

 だからこそ、時としてその魔王らしい一面が顔を覗かせる事だってある。

 それは魔王である以上逃れられない宿命であり、更に言えば……それは。

 それは実のところ人間だった頃から同じ。ランスという男の変わらない本性。

 

「……そうかそうか。今更だけど……もうあの子は魔王じゃないんだよな」

 

 あの子──来水美樹。

 それはそれは見目麗しい美少女で……まだ食べたことのない女。

 元魔王リトルプリンセスで……今はもう、ただの人間に戻っている少女。

 

「……ニィ」

 

 そしてランスは笑った。

 その笑みは、残虐非道な魔王の笑み。

 

「ならそうだな……おいシィル」

「なんですか?」

「今日の晩飯にはじっくりコトコト煮込んだへんでろぱが食べたい。今から作ってこい」

「あ、はい。へんでろぱですね」

「いいかシィル、じっくり煮込むんだぞ。今から晩ごはんの時間まで片時も厨房を離れるなよ」

「はーい。分かりました、ランス様」

 

 オーダーを受けた今日の晩ごはん、美味しいへんでろぱは自分の得意料理。

 主人からの言い付け通りにシィルは厨房へと向かっていく。

 

「よし。邪魔者の排除は完了っと」

「邪魔者って……ランスさん、まさか……」

「うむ、そのまさかだ」

 

 これから行う事を目撃された場合、邪魔をしそうなヤツはこうして事前に遠ざけた。

 となればもはや障害は無し。この先何をしようとも邪魔をされる事など無い。

 

 何故なら自分は……自分こそが魔王なのだから。

 

「思えば美樹ちゃんには色々と苦労させられたし、そろそろお返しを貰わねぇとな」

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そして、王座の間が開かれる。

 その名の由来たる王の座の上に君臨するは魔族を統べる王となった男──魔王ランス。

 

「ランスさんっ! こんにちは!」

「おう美樹ちゃん、久しぶりだな。元気になったみたいで何よりだ」

 

 その王に拝謁するは先代魔王、今は晴れて人間の身となった来水美樹。

 その隣には付き人のように連れ添う魔人、小川健太郎の姿も見える。

 

「ランスさん、遅くなっちゃったけど改めてお礼を言わせて下さい。美樹ちゃんを元の人間に戻す事が出来たのは魔王の力を継承してくれたランスさんのおかげです」

「本当にありがとうございました、ランスさん。ぺこり」

 

 先日の一件、覚醒間近だった美樹が今こうして笑顔でいられるのは紛れもなくランスのおかげ。

 来水美樹の魔王化。それは二人にとってずっと頭を悩まされてきた問題、世界中を旅して解決策を探せども一向に見つからなかった難題。

 それを完璧に解決したとは言えずとも、代わりに引き受けてくれた事。それは二人にとってどれだけ感謝してもし足りないと感じる程の事で。

 

「がははは、気にするな。俺様はどんな時も可愛い女の子の味方なのだ」

 

 一方、王座に悠然と腰掛けるランスは二人からの謝意を受けて朗らかに笑う。

 その程度は些事に過ぎない、英雄たる自分が女を助けるのは当然だと言わんばかりの表情で。

 

「美樹様、お元気になられて良かったですね」

「そうですね。……ところで、どうしてわざわざ王座の間が開けられたのでしょう?」

「私は知らないわよ。ホーネットなら知ってるんじゃない?」

「そうなのですか? ホーネット様?」

「………………」

「ホーネット様?」

「あ、いえ……そうですね……魔王様がどうせならここでと仰ったので……」

 

 しかし、そんな光景を横から眺める魔人達は。

 何事かと気になって集まってきた面々、サテラやハウゼルやサイゼル達とは異なり、シルキィとホーネットの顔に笑みは無くて。

 険しく眉を顰めたその重い表情はまるで……これから起こる事態を暗示しているかのようで。

 

「それでね、ランスさん。健太郎くんの魔人化をどうにかして欲しくって……」

「あぁ、その件な。さっきちょっくら実験してみたのだが、魔人化の解除は可能だったぞ」

「本当ですか! ランスさん!」

「本当だ。魔王である俺様の手に掛かれば魔人化の解除なんざお茶の子さいさいなのだ」

「やったぁ! 良かったね! 健太郎くん!」

「うん! そうだね美樹ちゃん!」

 

 魔人化の解除は可能。その事実に美樹と健太郎は手を取って喜び合う。

 元々は死の淵に瀕した健太郎を助ける為の魔人化だったとはいえ、美樹が人間に戻った今となっては元の世界に帰るのを阻む足かせでしかない。

 

 故にこの問題さえ解決出来れば。そうすれば二人にとってゴールはもう間近。

 後は元々暮らしていた異世界である次元3E2に帰る方法を探すだけ……なのだが。

 

「……けれど、な」

「え?」

 

 しかし、ランスの思惑は違う。

 これはあくまで可能だという事実を教えてあげただけ。ただそれだけで。

 

「何を勘違いしとるのかは知らんが、俺様はまだお前の魔人化を解除してやるとは言ってないぞ」

「え~。ランスさん、そんな意地悪言わないで下さいよー」

「やかましい。元はといえばお前が勝手に魔人になったのが悪いんだろうが。それをなぜ俺様が後始末をつけてやらねばならんのだ」

「あ、違うんだよーランスさん、健太郎くんの魔人化は私が勝手にしちゃった事なの。健太郎くんがピンチになっちゃって、それで助ける為に……」

 

 来水美樹と小川健太郎。二人はまだ魔王の思惑を知らない。

 いいやそれどころか……王座に座る相手の事を正しく認識しているか、それすらも曖昧で。

 

「助ける為ねぇ。そりゃ結局ピンチになった健太郎が悪いんじゃねーか、とは思うが……」

「うぅ、ランスさん、それを言わないで……」

「でもそうだな、君が勝手にした事だと言うなら……美樹ちゃん。健太郎の魔人化を元に戻す代償は君に支払って貰うとするかな」

「代償? 私が?」

 

 代償を支払え。そう言われた美樹はきょとんした顔になる。

 それは目の前にいる男の本性を、魔王の残虐性を知らないが故の無垢なる表情。

 

「そうだ。健太郎の魔人化を元に戻す代わりに……君には俺様の女になってもらう」

 

 ──俺様の女になれ。

 その文句は、その代償は、ランスという男を少しでも知る者なら簡単に予測出来たもの。

 

「え、ええっと……それってその……恋人さんになれって事だよね?」

「そういう事だな」

「それは、ええと、その……ご、ごめんなさい!」

 

 返答は拒否。

 美樹は申し訳無さそうにぺこりと頭を下げた。

 

「ほう、ごめんなさいか」

「う、うん……さすがに恋人はちょっと……」

「そうか、そりゃ残念だな。……でもいいのか? それだと健太郎の魔人化は戻せないぞ?」

「うっ、そ、そうだよね……どうしよう……」

 

 恋人の魔人化を戻してあげたい。だがその為には別の相手と恋人になる必要がある。

 健太郎に好意を寄せている美樹にとって、どちらの選択肢も選びようがないような状況。

 それでも彼女は相手の善性や優しさを信じているのか、ランス相手に縋るような目を向ける。

 

「どうしようどうしよう……どうにかならない……かなぁ?」

「そうだなぁ。どうにもならねぇなぁ」

「ランスさん。僕からもお願いします。そこをどうにか……」

「……ふむ。お願いします……ね」

 

 だが……今やその男は魔王。

 魔王とは。残念ながら善性や優しさなどといった言葉とは無縁の存在。

 そしてそれ以前に、そもそも人間だった頃から『鬼畜戦士』などと呼ばれていた程で。

 

「生憎だがなぁ二人共。俺はなにも『お願い』をしているわけじゃねぇんだ」

「え?」

「俺様の女になれ、って……『命令』してるんだ」

 

 そして、王座から魔王が立ち上がる。

 それと同時に魔王の力が、魔王の全身から血のように紅い粒子がぶわっと湧き上がった。

 

「分かるか美樹ちゃん? そもそも君に選択肢なんかねぇんだ」

「……あ、ぅ…………わっ」

 

 急激に増加した魔王のオーラ。それはただの人間には到底耐えられるものでは無い。

 美樹は圧力に屈したように一歩下がって、そのまま足元を崩して床にへたり込む。

 

「……え、あ、う……うそ、だよね? ランスさん……」

「嘘じゃあないとも。君は知らなかったのか? 俺は最初からこういう男だ」

 

 一歩一歩、魔王が近付いてくる。

 その口元に微笑を携えたまま、悠然と。

 

「イイ女を口説いて落とすのも好きだけどな。力づくで手に入れるってのも大好物でな」

「あ……く、ぅ……」

 

 寒くもないのに身体がガタガタ震える。喉が詰まって息が出来なくなる。

 そんな美樹の瞳に映る相手はもう、美樹にとっては知らない相手に変貌していた。

 直視しただけで本能的な恐怖を引き起こす、その姿こそが魔王としてのランスの姿。

 

「思えば君には本当に苦労させられたなぁ。手を出したいと思った事は何度もあったが、魔王の力を持つ君にはさすがの俺様も手が出せなかった」

「……い、いや……こないで……」

「けれど……もう君は魔王じゃない。君はただの人間に戻って、代わりに俺様が魔王になった。となればもうなーんも怖くはねぇってわけだ」

 

 一歩一歩、魔王が近付いてくる。

 ゆっくりと、獲物をいたぶるかのように。

 

「手間暇掛けさせてくれた分、たっぷりサービスして貰わんとな。さぁ美樹ちゃん──」

「……あ、あっ……!」

 

 その手を伸ばして、魔王が迫り来る──だが。

 

「…………ランスさん」

「あん?」

 

 その歩みの前に立ち塞がる者が一人。

 美樹を背後に庇うような形で、その隣に立っていた健太郎が前に進み出た。

 

「なんだ健太郎? 俺様と美樹ちゃんはこれから二人でとっても楽しい事をする予定なのだが」

 

 その行動を予期していたかのように、魔王はそこで一度歩みを止めた。

 その表情には笑みがある。圧倒的優位に立つが故の魔王の冷笑は変わらぬまま。

 

「ランスさん。それは……駄目です」

「駄目だと? お前、この俺に対してそんな事を言える立場か?」

「……確かにランスさんは僕たちの恩人です。美樹ちゃんを狙う悪い魔人を退治してくれた事も、魔王の血を継承してくれた事も本当に感謝しています。けど……それでも、ランスさんが美樹ちゃんの事を傷付けるっていうなら、恩人であっても許す事は出来ません」

 

 常の変人ぶりは何処へやら。健太郎はとても真剣な表情で魔王と対峙していた。

 恋人である美樹を守る事に関しては健太郎だって本気を出す。その意志の強さは魔王を前にしても怯む事の無い程に強烈なものだったのだが。

 

「アホ、そうじゃない」

「え?」

「健太郎。お前は自分が魔人で俺様が魔王だってことを忘れてんじゃねーか?」

 

 それでも小川健太郎は魔人。対してランスはその絶対的上位者である魔王。

 魔人は魔王には逆らえない。それは単なる口上では無く強制力を持つ絶対のルール。

 

「そうだな……『なら健太郎、お前は明日までそこで逆立ちでもしていろ』」

「え? はい! って、わっ、うわーっ!?」

 

 絶対命令権を行使しての命令。それは魔人である健太郎にとっては逆らう術の無いもの。

 その言葉を聞いた瞬間に身体が勝手に動き出す。床に両手を付いて足を蹴り上げて、健太郎は逆立ちの体勢になったまま身動きが取れなくなった。

 

「がはははは!! どうだ? 俺様の命令には絶対に逆らえねぇだろ?」

「ぐっ……ランスさんっ! 美樹ちゃんに手出ししたら絶対に許さないぞー!!」

「ほーう、絶対に許さないか。マジかーそりゃあ困ったなー、健太郎が怒ると後が怖いからなー、さーてどうしよっかなー」

 

 健太郎の怒りを浴びてもどこ吹く風。

 言葉とは裏腹にランスはまるで動じる事もなく、からかうように次の命令を。

 

「でも健太郎よ。そうは言っても本当は許してくれるんだろ? 『なぁ、許すと言え』」

「う、……くぅ……! ゆ、許しま、す……!」

 

 言うまいと必死の形相になりながらも、その言葉を拒む事は出来なかった。

 健太郎にとって一番大切な女の子、美樹を傷付ける相手を許す事すらも強制されてしまう。

 それが絶対命令権の恐ろしさ。残酷なまでの支配関係が魔人と魔王の間には存在していた。

 

「良かった良かった。健太郎の許しも出た事だし安心して美樹ちゃんとセックス出来るな。さぁ美樹ちゃん、お楽しみの時間だ」

「あ……け、健太郎くん、助けて……!」

「健太郎くんは君を助けるよりもそこで逆立ちしている事の方が大事なんだってよ。全くヒドい男だなぁ健太郎くんは、がはははは!」

 

 今日のランスはとにかく魔王だった。

 自ら悲劇の舞台を作り出しておいて、良心の呵責を感じるどころか実にイイ顔で大笑い。

 まさしく鬼畜の名を冠するに相応しい所業に、それを見ていた外野の方からもアクションが。

 

「うーわ、相変わらずやる事がエッグい……」

「あぁん? なんか言ったかぁサイゼル?」

「イイエ、ナニモイッテマセンデス」

 

 ぼそりと呟いた直後、サイゼルはすぐに棒読みになって魔王に恭順する。

 

「……ホーネット様、宜しいのですか?」

「……宜しいも何も、この場の全ては魔王様がお決めになる事ですよ、サテラ」

「……はい。そうですよね」

 

 そして他の魔人達も口を挟む事は無い。

 サテラもハウゼルもシルキィもホーネットも、固唾を呑んで成り行きを見守っている。

 

 あのランスが。魔王の力を盾にして今にも美樹を襲おうとしている。

 正直見ていて気分が良いものでは無い。だがそれでも救いの手を差し伸べる事は出来ない。

 何故なら全てにおいて魔王の意思が優先される、それがこの世界のルールだから。そんなのは魔人である彼女達にとっては今更言うまでもない事。

 魔王様がそう望んでいる以上、可哀想だけど来水美樹は魔王のものになるべき。それが魔人達にとって当たり前の思考なのである。

 

「さぁ美樹ちゃん、俺達のセックスを健太郎に見せ付けてやろうじゃないか」

「や……いや……!」

「ぐふふふ……!! 以前までならこの辺で君の魔王の力が爆発したりしたものだが、もはやそんな心配をする必要も無し。さぁ~て美樹ちゃん、そろそろ年貢の納め時だぞぉ~!!」

 

 にやにやと笑いながら迫る魔王。美樹は泣きそうな顔になって首を振る。

 健太郎や魔人達からは救いの手は見込めない中、他に彼女を救う存在といえば──

 

 

「待ちなさい」

「お?」

 

 聞こえた声は健太郎の腰に下がった刀から。

 その細身のシルエットの鞘が突然ピカーっと光り出して、そして……。

 

「おぉ、日光さん! そういえば日光さんが居たんだったか!」

「……えぇ。お久しぶりですね。JAPANで会って以来でしょうか」

 

 いつの間にか、そこには和服姿の美しい女性が立っていた。

 

 

 

 

 



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この世界のルール②

 

 

 

 

 

 そこは王座の間。

 魔王の眼前、凛と立つ和服姿の美しい女性。

 

「おぉ、日光さん! そういえば日光さんが居たんだったか!」

「……えぇ。お久しぶりですね。JAPANで会って以来でしょうか」

 

 彼女の名前は日光。魔剣カオスと同様に魔を斬り裂く武器、聖刀日光の本来の姿。

 カオスと違って日光は刀の姿と人間の姿を自由に切り替える事が出来る。よって時に刀として、時に人間の姿で保護者のような立場として、美樹と健太郎の旅路を手助けしてきた人物である。

 

「それにしても……少し意外でした」

「意外って?」

「こうして人間の姿に戻った私を見て、もう少し驚くかと思っていたので」

「む? あぁそうだな、いや驚いたぞ。うむ、驚いた驚いた」

 

 普段は聖刀の姿をしている日光にとって、ランスの前で人の姿に戻るのは初めての事。

 とはいえランスにとっては前回の第二次魔人戦争時に日光と顔合わせをしており、その時に十分ビックリしたので今更驚きは無かった。

 

「……そうですか。まぁそれはともかく、まずは魔王の血の継承を受けて美樹ちゃんを助けてくれた事について、貴方にお礼を言いたいと思います。本当に有難うございました」

「おう」

 

 日光は感謝の念を込めて深々と腰を折る。

 

「ですが……その上で、ここで行われようとしている事に関しては許せません」

 

 そして顔を上げると、日光の表情には冷たい鋭さが増していた。

 日光は厳しさの内に慈悲深さを秘める女性。魔を殺す使命を与えられながらも、美樹と健太郎を憐れんで救いの道を探してしまう程の人物。

 そんな彼女がこの現状を、美樹と健太郎を襲う魔王の魔の手を見過ごせるはずも無い。

 

「へぇ。許せない、ねぇ」

「えぇ。あの二人はようやく苦難の道を終えて幸せになれる間近だと言うのに、それなのに……このような所業、あまりに残酷ではありませんか」

「残酷か。確かにそーかもな」

「だったら……」

「けどんなこた俺様の知ったことではない」

「っ……」

 

 当事者のたる男の勝手な言い草を受けて、日光の眉間に小さな皺が寄る。

 その鋭い表情に睨まれたランスは背筋を凍らせた経験がある……がしかし今ではその程度の凄み、世を統べる魔王となったランス相手にはまるで通用しないもので。

 

「んで日光さんよ。見過ごせないのは構わねぇが、だったらどうする? 俺様と戦ってみるか?」

「……いいえ。魔王である貴方と戦っても勝てない事などは百も承知です」

「ならどうする? まさか説得するとかって言うつもりじゃあねーだろうな」

「まさかも何も、ここで私に出来る事などそれぐらいしかありませんよ」

 

 魔王を相手に戦うなど無謀もいいところ。となれば残る方法は説得のみ。

 以前の出会いでランスの人柄もある程度知っている為、交渉の余地がある事も分かっている。

 

「……しかし、何の対価も無く貴方が考えを翻しはしないだろう事も分かっています」

 

 すでに覚悟は決めていたのか、その言葉はすらすらと澱みなく。

 魔王を説得する為の対価として用意していた言葉を日光は口にした。

 

「ですから……美樹ちゃんの代わりにこの私が貴方に抱かれましょう」

「ほう、日光さんが?」

「はい。私の身体であれば貴方の好きにしてくれて構いません。ですのでその代わりに美樹ちゃんからは手を引いて下さい。お願いします」

 

 そう言って再び日光は頭を下げた。

 古くは人類の希望、エターナルヒーローの一員として戦っていた日光が。

 頭を垂れ、自らの身体を差し出して乞い願う。そこまでしなければ圧倒的強者である魔王から譲歩を引き出す事など出来るはずもない。

 

「だ、駄目だよ日光さんっ!」

「そうだよ日光さん! 私の為にそんな……!」

「健太郎君、美樹ちゃん。私なら構いませんからどうか気にしないで下さい」

 

 純真無垢なこの二人とは違って、所詮自分は聖刀の契約の為に多くの男と交わってきた身。

 であれば今更渋る事も無い。ここまで散々苦労してきた二人が幸せになる為だったら、自分の身体など安いものだと日光は思っていた。

 

 ──しかし。

 

「日光さん。それ、対価になってないよな?」

「え?」

 

 しかし…その男は魔王。

 説得とは、譲歩とは、ある程度対等な関係性があってこその話で。

 

「日光さんの事は抱くぞ、それは当然だ。けどその上で美樹ちゃんも抱く。それだって当然だ。なんせ俺は魔王様なんだからよ」

 

 今日のランスはとことん魔王だった。

 片方の為にもう片方を手放す。魔王である自分がそんなまどろっこしい事をするはずが無い。

 この世界のイイ女は全て自分のもの。それこそがランスの根本的な思考である。

 

「……私の事は抱く。けれども美樹ちゃんの事を諦めてはくれないと?」

「あったりめーだ。なんで魔王である俺様が女を抱く事を諦めなくてはならんのだ」

「……そうですか」

 

 交渉は決裂、譲歩の余地など無いと知った日光は静かに息を吐く。

 ここで例えば使徒達を守ろうとしたケッセルリンクのように、条件付き許可を求めたならランスが応じる可能性はあった。ランスは女を抱く条件があるとむしろ燃える性格をしているからだ。

 しかし日光が求めているのは不許可。それではランスは応じない。大の女好きであるランスが女を抱くなと言われて頷くはずが無い。日光の要求はあまりにも無理筋だった。

 

「でしたら……私にも考えがあります」

 

 ただそれでも日光は退かない。魔王相手にも毅然として立ち向かう。

 たとえ愚かしく思えようとも、自らの信念を違える事は不器用な彼女には出来ないのだ。

 

「考えって? この状況で日光さん一人に一体何が出来るってんだ」

「それは……こうするのです」

「ぬぉっ! なんだ!?」

 

 すると日光の身体が眩い光に包まれる。

 程無くして光と共に日光の姿は忽然と消え去り、その場には一振りの刀が残されていた。

 

「あん? これが日光さんの考えか?」

「えぇそうです。聖刀の姿に戻ってしまえば私を抱く事は出来ないでしょう?」

「……あー、そういう事か」

 

 相手は刀形態の姿と人間の姿を自由に切り替えられる存在。

 そんな日光の狙いを理解したのか、ランスは納得顔になって頷く。

 

「いくら魔王といえども、刀になった私を元の姿に戻す事は出来ないはずです」

「なるほど、確かにそうかもな。それは力づくでどうこう出来るような話じゃないっぽいし」

「その通りです。ですので私を抱きたいのあれば美樹ちゃんには手を出さないと誓って下さい」

 

 日光の形態変化。それは超常的な存在から与えられた神秘的な能力であり、如何な魔王であっても手が出せる領域ではない。

 つまり聖なる刀のままでは。このままでは日光とセックスする事は不可能。

 

「もし貴方が美樹ちゃんに手を出すなら、私はもう二度と人間の姿には戻りません」

「二度と人間には戻らない、か。なんか日光さんにそう言われると冗談には聞こえんな」

「それは当然でしょう。冗談のつもりでは言っていませんから」

「そっかそっか。さーてどうしようかねーっと」

 

 だがそうと知っても尚、魔王は余裕綽々の態度を崩さなかった。

 何故ならこの魔王は悪知恵が働く。力づくだけではなく搦め手も得意なランスは軽い調子で呟きながら、床に落ちた聖刀をひょいと拾い上げて。

 

「よっしゃ、日光さんゲーット」

「ゲットして、どうしますか? この状態の私を人間に戻せるか試してみますか?」

「ノンノン、んな面倒な事はせんとも。……おーいサテラ、ちょっとこれ持ってろ」

「えっ? あ、はい!」

 

 そして、壁際に控えていた魔人サテラにぽーいと聖刀を投げ渡した。

 

「どうだ日光さん、そこからちゃんとこっちが見えるか?」

「えぇ。見えますが」

「そうか。ならよーく見ているがいい」

 

 そして魔王はふっと笑って。

 その視線の先を、その狙いを日光から別の獲物へと切り替える。

 

「刀の状態ではさすがの俺様でも手が出せん。……けどな、だったら話を戻すだけだ」

「っ、まさか……」

「そう、そのまさか。とりあえず日光さんは後回しにして美樹ちゃんとセックスする」

 

 この場で優位に立つのはあくまで自分。魔王である以上こちらには絶対の優位性がある。

 だからこそ、畳み掛けるようにこんなセリフも。

 

「日光さんがケチな分、美樹ちゃんは頑張ってもらわないと。なぁ美樹ちゃん?」

「ぅ……わ、私、は……」

「これから24時間ぶっ続けのセックスフルコースといこうではないか。人間に戻ったばっかしの君には相当ハードなセックスになるだろうが……まぁ何事も経験だ、精々頑張ってくれたまえ」

 

 今日のランスは果てしなく魔王だった。

 二度と人間には戻らないと宣言する程に守りたいものがあるのであれば、当然そこを突く。

 頑固なくせして情に絆されやすい女性、日光の弱点ぐらいランスには簡単に思い付くのだ。

 

「……いいのですか? 美樹ちゃんに指一本触れた時点で私には手出し出来なくなりますよ」

「日光さんこそいいのか? 魔王である俺様が本気のセックスをしたら、人間の美樹ちゃんなんて簡単にぶっ壊れちまうかもしれねーぞ?」

「っ、それは……!」

 

 事によっては美樹の純潔だけではなく、その生命にまで危害が及ぶかもしれない。

 そして……更には。

 

「あーそうだ。そういやぁここには健太郎とかいう魔人もいたっけな」

「え……」

「こいつはさっき魔人のくせして俺様に逆らおうとした不届き者だし……よーし決めたぞ、健太郎は今すぐぶっ殺そう」

「なッ!」

 

 今日のランスはえげつない程に魔王だった。

 目的の為には一つの命さえ奪う。しかしそれを悪行と呼ぶ事は出来ない。

 何故ならランスは魔王、配下たる魔人を処分する権限を有しているのだから。

 

「そうだそうだそうしよう! なにも逆立ちなんぞさせておく必要は無い、健太郎の事はとっととぶっ殺して、そんで復活も出来ないよう魔血魂を初期化しちまおう!」

「待って下さい! それだけは──!」

「ま、待ってっ!! お願いランスさん、それだけは止めてっ!! わ、分かったよ、わたし、あなたの恋人になるから!! だから……!!」

「おぉそうか、美樹ちゃんはいい子だなぁ」

 

 健太郎の死と魔血魂の初期化。それには日光以上に美樹の方が強く反応するのも当然か。

 その返事を王座の間に呼ばれて早々にしていたらまた違ったのだが……しかし今となっては。

 もはや美樹だけでは満足出来そうにない、それがランスという男で。

 

「でも美樹ちゃん、とても残念だが健太郎の事は諦めてくれ。日光さんがセックスさせてくれないなら俺は健太郎を殺すしかないのだ」

「そ、そんなぁ……!」

「さぁどうする日光さん? そこで聖刀になってストライキしてるのは勝手だがな、その分のツケは美樹ちゃんと健太郎に支払って貰う事になるぞ?」

「……っ! 魔王、ランス……!」

 

 冷酷に笑うその姿を見て、日光はようやく認識を改めた。

 そこにいるのは以前に出会った相手、織田家を率いて魔軍と戦っていた人間の男ではない。

 そこにいるのは凶悪な魔王の血を飲み干した男、第八代魔王ランスだという事を。

 

 ……と、そう思えてしまう程に。

 それ程に、それ程までに今日のランスはダークな方向にノリノリであった。

 

「どうした? 何も言えないか? くっくっく……がははは! がははははーー!!」

 

 つまりこれが……これがランス。

 まさに鬼畜の名に相応しい所業。ランスは時折こんな感じになったりする。

 だからこれは別に魔王化の影響とかではなくて、ただ単純にランスという男の地だった。

 

「まぁいい。何にせよとりあえず美樹ちゃんとのお楽しみといくか」

「ね、ねぇ、ランスさん……お願いだよぉ、健太郎くんを殺さないで……!」

「だからそっちは日光さん次第だって」

「お願いします、ランスさん……! わたし、なんでもするから……っ!」

「分かった分かった。君の頑張り次第では考えてやるから。ほれ、とっとと服を脱げ」

「う、うん……分かった……」

 

 小さく頷き、美樹は自分の服に手を掛ける。

 

「だ、駄目だ、美樹ちゃん……!!」

「……ごめんね、健太郎くん……」

 

 絞り出すような健太郎の言葉に、美樹は悲しそうな表情と声で答える。

 魔王によって引き裂かれた哀れな恋人。もはや救いの手が差し出される事はない──

 

 ──ようにも思えたが。

 

「………………」

 

 ──しかし、これは。

 前述の通りこれはランスの地の性格。そもそもの鬼畜な性格が故の行い。

 これは魔王化とは一切関係無い事であって……だからこそ手の施しようがなくもない。

 

「………………」

「ん?」

 

 そのように考えた訳では無いだろうが、とにかく彼女は動いた。

 先程の健太郎のように……今、美樹を庇って魔王の前に立ち塞がったのは。

 

 

「……なんだ、ホーネット」

「………………」

 

 それは魔人ホーネットだった。

 忠実なる魔王の下僕、魔人筆頭である彼女が魔王の道を塞いでいた。

 

「おい、邪魔だ」

「………………」

「……おい。なんだその目は」

 

 その視線は普段と変わらず真っ直ぐで。

 まるでこちらの悪行を咎めるかのような瞳に、少々不機嫌な顔になったランスが言う。

 

「ホーネット。まさかお前……魔王様に逆らおうってんじゃねーだろうな?」

「いいえ。私は魔人筆頭です。魔王である貴方様に逆らう事など有り得ません」

 

 するとホーネットは一切の躊躇も無く、当たり前のようにそう答える。

 

「だよな。だったらそこをどけ」

「……ただ」

「あん?」

 

 ただ、魔人筆頭として逆らうつもりは無くとも。

 彼女には彼女なりの意思があって、それは必ずしも魔王に恭順するという訳ではない。

 

「ただ……」

 

 その気持ちを。何から何まで畏まらんでいいぞと言ってくれたのが当のランスで。

 だからこそそこにはホーネットなりの勝算と……そして贖罪の気持ちがあった。

 

「ただ……悔しい、です」

「……は?」

 

 悔しい。……一体何が?

 言われたランスはぽかんとした顔になる。

 

「だ、だってっ」

「だって?」

「だって、ですねっ?」

「おう。……おう?」

 

 何故かホーネットの顔がちょっと赤い。

 そして不思議と声も上擦っている。一体どうしたのだコイツは……とか思っていたら。

 

「だってっ、だって……あ、貴方にはっ! 貴方には、わ、私がいるではありませんかっ!」

「は?」

「む、無論、私がそういった事に関して秀でているとは言いませんっ! えぇ! そりゃあ貴方の情事の際には至らぬ点も多々あるかと思います! 思いますが、ですが!!」

「へ?」

「ただそれでも、献身的な姿勢を評価して欲しいと言いますか、あの……こ、心ではっ! 貴方を想う心では負けていないと思っています!」

「ほへ?」

「そ、それなのにっ! 貴方がそうやって……私ではなく、その、美樹様と、そちらの刀の女性に執着している姿を見ると、わ、私はとても悔しくて、とても胸が痛んで……だから、あれです、あの、お、女としてっ、嫉妬を感じてしまいますっ!」

「……え? マジで?」

 

 女として嫉妬を感じる。まさかあのホーネットが、そんなセリフを?

 耳を疑うかのような発言にランスはビックリなのだが、相手の方はそりゃもう本気で。

 

「そ、そうですっ! マジです!!」

 

 ホーネットの顔はもう真っ赤になっていた。

 恥ずかしい。言葉遣いがおかしくなる程に滅茶苦茶恥ずかしい。

 顔を覆って逃げ出したくなるぐらいに恥ずかしい言葉を口にしている、その自覚はある。

 けれどもここまで来たらもう引き下がれないし……更に言うならまだ足りない。

 

「私は……私はっ! いつでも、今すぐにでも貴方に抱かれたいと思っていますっ!」

「おほっ!」

「そして、これは……」

 

 そこまで言い切ったホーネットは、

 

「これは……」

 

 そこですすーっと、その視線を壁際へと移行させて。

 

「……これは、シルキィも同じ気持ちでいます」

 

「えっ!?」

 

 と声を上げたのは勿論そのシルキィである。

 そんな気持ちでいた訳ではない魔人四天王は驚きに目を見張った。

 

「そーなのか? シルキィちゃん」

「え、いや、あの……」

 

 ──あれ!? わたし巻き込まれた!?

 と思った時にはすでに遅し、魔王の目はしっかりと彼女を捉えていて。

 

「そうですよね? シルキィ」

「……あ、えっ、と……」

 

 そして巻き込んだ当事者も。魔王と魔人筆頭、共に逆らえない二つの瞳が彼女を貫く。

 まさか自分が。ここに来て何も関係ないはずの自分が追い詰められるだなんて。

 シルキィにとっては全く予想外の展開──だが。

 

「……ふぅ」

 

 聡い魔人四天王は即座に理由を察した。

 突然ホーネットがとんでもない事を言い出した理由も、自分を巻き込んだ理由も理解した。

 それはとても簡単な話。平和を愛し、人間を愛するシルキィにとって、仲睦まじき恋人が引き裂かれる光景など見ていたいものじゃないのだから。

 

「っ、そーよランスさんっ!」

 

 故にシルキィは覚悟を決めて乗っかった。

 恥ずかしさを押し殺して前に出た。

 

「わ、私だって、さ、寂しいんだからぁ! ランスさんが魔王になったら、もっと、もっといっぱい私の事を可愛がってくれると思ってたのにぃ!!」

「おっと」

 

 ててててーっと突っ込んでいって、勢いそのままランスの身体にぎゅーっと抱き付いた。

 

「わ、私だってランスさんが欲しいっ! ねぇ、私じゃダメなの? こんな身体も貧相で、可愛げもない私じゃやっぱりダメかな? ランスさんはもう……わたしに飽きちゃった?」

 

 そして顔を見上げて上目遣いになる。

 魔人シルキィ渾身のおねだりの体勢である。

 

「な……シルキィちゃん」

 

 その言葉にランスが揺らいだ。

 さすがはシルキィ、急なアドリブとは思えない程のもの凄い攻勢だ。

 負けていられないと感じたホーネットも撓垂れ掛かるかのようにランスの首に手を回した、

 

「ランス……私は今すぐ貴方に……貴方の愛を感じたいのです……」

「お、お前ら……」

 

 あの魔人ホーネットと魔人シルキィが。

 こんなにも自分を欲しがっている。こんなにも自分に抱かれたがっている。

 

「……なんだなんだ、お前ら、そうだったのか」

 

 ランスの顔が嬉しそうににやけていく。

 これ程に明け透けな愛情を向けられて、見て見ぬ振りなど出来ようも無い。

 これ程に自分を求められているのなら、応えてやるのがイイ男の甲斐性というもの。

 

「がははは! そうかそうかそうだったのか!! そんなに俺様が欲しいってか!!」

「……はい、そうです」

「……うん、欲しいの……」

「よーし分かった! 安心しろよな二人共!! 俺様は釣った魚にエサをやらんようなケチな男じゃないからな!! 俺の事が欲しいってんならいつでもどこでも、何発だってくれてやるわーー!!」

 

 より美味しそうなご馳走を差し出す事。それこそが現状一の解決策。

 現にこうして熱烈な愛を受けて、上機嫌になったランスは先程までの話をすっかり忘れた。

 両肩にホーネットとシルキィを抱え上げて、ばひゅーんと自分の部屋へ直行していった。

 

 

 

「……ええっと、ど、どうなった……のかな?」

「……一先ずは助かったという事でしょう」

 

 そして王座の間には。

 状況が飲み込めない美樹と、日光と。

 

「……び、ビックリ……でしたね」

「ま、まさか、ホーネット様があんな事を言うなんて……それに、シルキィまで……」

「あれはもう……マジでヤバいわね。あの二人、ランスに頭をやられちゃったのかしら」

 

 ホーネットとシルキィの変わりように驚愕するハウゼルと、サテラと、サイゼルと。

 

「……あぁ、ぼくもう腕が疲れてきた……」

 

 一向に逆立ちを続ける健太郎と。

 魔王という名の暴虐が去った後の王座の間には、なんとも言えない微妙な空気が流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 そして一方。

 それから数時間後、ランスの部屋の寝室では。

 

「ぐがー、ぐがー……」

 

 ベッドの上にはその男が居た。

 魔人二名相手に連戦に次ぐ連戦。出しに出してとってもスッキリ。

 ツヤツヤ顔になってぐっすり、大いびきを奏でて鼻提灯を膨らませる魔王ランスの姿が。

 

「ぐがー、ぐがー……ぐへへぇ」

「……ぜぇ、ぜぇ……」

「……はふぅ」

 

 そしてその両隣には。

 息も尽き掛けて、身体を起こす事も出来ずにぐったりと横たわる二人の魔人の姿が。

 

「……はぁ、つかれたぁ……」

「……申し訳、ありません……」

「え?」

「申し訳ありません、シルキィ……」

 

 そんな中、呼吸を整えながらもホーネットはうわ言のように謝罪の言葉を繰り返す。

 

「本当に申し訳ありません……私の勝手な判断で、貴女をこんな事に巻き込んでしまって……」

「……あぁ、いえ。いいですよ、ホーネット様」

「私一人では……自信が無かったのです。魔王であるランスが眠りに就くまで、私一人だけで満足させられる自信が……」

「いいですって、ホーネット様。そういう事だろうなってのは分かっていましたから」

 

 たとえ巻き込まれても、どんな時でも優しい魔人四天王は苦笑するように呟く。

 あの場での話を有耶無耶にする為、ランスには眠って貰う必要があると判断した。

 けれどもホーネットだけでは不安だった。となれば選ばれるのは……やはり自分しかいない。 

 

「それに……私だって。あのまま我慢しているのは辛かったですから」

「シルキィ……そう言ってくれると助かります」

 

 美樹を襲おうとするランスを止めたかった事。

 しかし魔人では。魔王に逆らえない魔人ではこの方法しか思い付かなかった事。

 だから一番正義感の強いシルキィを巻き込んだ。それはシルキィの方も納得済みで。

 

「無事……と言えるかは難しい所ですが、とにかく狙い通り事が進んで良かったです」

「そうですね。ただ……ホーネット様」

「なんですか?」

 

 自分を巻き込んだ理由も、そうせざるを得なかった理由も。

 全てを納得していて、それでもシルキィが唯一引っ掛かっていた点。

 

「その……本当に宜しかったのですか?」

「……えぇ。貴女の言いたい事は分かっています」

 

 本当にこれで良かったのか。

 こういう性格の自分はまだしも……そんな自分よりも真っ先に、あのホーネットが。

 

「ランスは美樹様の事を抱こうとしていた、それを阻むのは魔王様の意に反する行いです」

「……ですね」

「それが分かっていて、魔人筆頭たる私がこのような事をするなんて……おかしいですよね」

 

 ホーネットは自嘲気味に呟きながら視線を移す。

 隣ですやすやと眠るその寝顔を眺めていると、過ちを犯したような気分になってくる。

 

 この世界の全ては魔王の所有物。

 魔王の意思こそが絶対であり、逆らう事など許されない。特に魔人であれば尚更。

 それがこの世界のルール。それはホーネットだって当然分かっている。

 

「けれど……美樹様には……いえ」

 

 だが、それがこの世界のルールと言えども。

 

「……美樹さんには、これまで多くの苦労を掛けてしまいましたからね」

 

 来水美樹と小川健太郎。二人はこの世界とは異なる異世界から呼ばれて来た人間。

 魔王には逆らえない。それがこの世界のルールであろうと、そもそも異世界人である二人はこの世界のルールに縛られる必要のある立場では無い。

 

「父上から血の継承を行う為、異世界から魔王の素質ある者を呼び寄せた事で……そちらの世界で普通に暮らしていたであろう美樹さんと健太郎さんの人生は大きく狂ってしまいましたからね」

 

 そして、美樹と健太郎がこの世界にやってきたのは魔王ガイが呼び寄せたから。

 二人は異世界のいざこざに巻き込まれただけの被害者であって、となれば加害者は──

 

「ですから私は……父上の分も含めて、あの二人に償いがしたかったのだと思います」

「……ホーネット様」

 

 ホーネットは罪滅ぼしのつもりで美樹と健太郎を助けた。

 そんな贖罪の気持ちを同じように理解出来たシルキィはそれ以上何も言わなかった。

 

「……とはいえ、まだ問題が片付いたという訳では無いのですが」

「そうですね……この後はどうしましょうか。ひとまずランスさんは私達を抱いた事で満足して眠ってくれましたけど……でも、起きたらまた騒ぎ出しそうですよね」

「……えぇ」

 

 魔人筆頭と魔人四天王が体を張って頑張っても、出来た事といえば時間稼ぎ程度。

 当然ながら魔王はその内に目覚めてしまう。さてどうするか。

 

「とりあえずあの二人には……今の内に魔王城を出るよう言っておきましょうか」

「そうですね。後はもうあの二人がこの先ランスと出会わない事を祈るしかありません」

「でもホーネット様、健太郎さんの魔人化の解除はどうしましょうか?」

「それは……思い付きません。魔王様に頼らない方法を探して下さい、としか言えませんね」

「……ですね」

 

 今も隣で眠る巨大な爆弾、魔王ランスの爆発を止める方法は……無い。

 だからこの先二度と魔王に出会わない事。あの二人が身を守る術はもうそれしかない。

 魔人化の解除は難題だろうが、しかしこうなった以上こちらが手を貸す事は難しい。

 あくまで魔人化の解除、魔王化の解除方法を探すよりは簡単だと思って頑張って貰うしかない。

 

「……ぐがー、ぐがー……」

「はぁ……のんきに寝ちゃって。寝ている分には穏やかなんですけどね、ランスさんも」

「女性が絡まなければある程度は分別のある行動をしてくれるんですけどね。しかし女性が絡む事に関しては……なんとも……」

 

 今日一日、魔王に翻弄されたホーネットとシルキィは共に疲労感のある声で話す。

 

「まぁ……ランスさんがそういう人だからこそ、私達も今こうなっちゃってる訳ですしね」

「そ、そうですね……。そう考えるとマイナス面だけという訳でもないのですが……」

 

 極度の女好きという性格。それはランス自身が英雄の素質を有している事もあって、単純な善悪で計れるようなものではない。

 女を抱く為に一国を救うのがランスであり、女を抱く為に鬼畜になるのもランスなのである。

 

「それにしても……シルキィ」

「はい」

「貴女は本当に……本当に凄いですね」

「凄い? え、っと……何がですか?」

「……その、性行為の事です」

 

 ホーネットはためらいがちに言った。

 

「んくっ」

 

 シルキィはしゃっくりのような声で鳴いた。

 

「……あの。凄いって、そこですか」

「申し訳ありません。でも本当に……こうしてランスを満足させられたのは貴女のおかげです」

「……それは、えっと……光栄です」

 

 ですがそこを褒められてもあまり嬉しくないです……とは言わないシルキィ。

 

「えぇ、もう本当に……魔人シルキィの凄みというものを思い知りました」

 

 どうやらホーネットにとっては衝撃を受ける程、シルキィは本当に凄かったらしい。

 忘れられた英雄。それは魔王化に伴い体力精力が激増したランスとも戦える程の女傑なのか。

 

「私なんて……私は途中からランスの無尽蔵の体力に付いていくのがやっとで……貴女のように行為を楽しむ余裕など欠片もありませんでした」

「いえあのホーネット様、私だって別に行為を楽しんでいた訳では……」

「それに最中での貴女の乱れようが……こう、なんと言えばいいのでしょうか、ものすごく情熱的というか、情感的というか……官能的というか……」

「……ホーネット様、私の乱れようを無理に言葉で表現しようとする必要はありません」

 

 努めて冷静に答えながらも、恥ずかしくなってきたシルキィははぁ、と熱い吐息を吐き出して。

 今回の騒動で最終的に一番損をしたのは自分なのでは……と、そんな益体もない事を考えた。

 

 

 

 

 

 そして──その後。

 

 ホーネットの忠告を受けた美樹と健太郎は早々に魔王城を出発して、二人旅を再開した。

 そしてある時、宛てもなくぶらぶらと旅をしていた二人は魔人パイアールの研究所を訪問した。

 

 そこには目当てのものがあった。それはパイアールが作り出した魔血魂摘出装置。

 二人はパイアールと交渉をして、異世界の知識と引き換えにその装置を使用してもらった。

 

 こうして健太郎の魔人化は解除された。

 その後更に旅を続けて、やがて二人は元居た異世界、次元3E2への帰還を果たす事となった。

 

 

 

 

 



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新たなる魔王様の新たなる日々③

 

 

 

 

「──ふっ!!」

 

 瞬間、空気が弾ける。

 

「はッ!! でりゃ!!」

 

 風よりも疾く、音よりも疾く。まるで光の瞬きのような一閃。

 それは一度目より二度目、三度目と繰り返す毎により鋭さが増していく。

 

「とうっ!!」

「わぁ……」

 

 振るわれた力に一切の乱れが無い、美しささえ感じる程の太刀筋。

 それはまさしく剣術の極み。ある種の到達点とも言える剣の冴えは見る者を魅了する。

 

「──うむ!! どうだシィル!! なんかすげーだろ!!」

「はい! 凄いですランス様!」

「がははは、そーだろそーだろ!!」

 

 華麗な剣捌きを披露して、聞こえたシィルの歓声にえっへんと胸を張るランス。

 その手に持つのは細身の刀、その刀身は闇を斬り裂くような純白の刃。

 そして……その刀から聞こえる女性の声。

 

「……確かに。見事なものですね」

「だろ? こりゃあ俺様めちゃめちゃ強くなっちまったな。魔王的なパワーだけじゃなくて、なんかこう……センス的なもんまで上がった気がする」

「それも魔王化による影響でしょう。当人の才能に依る剣の技量だけでもこのレベルとは……本当に魔王とは恐ろしい存在ですね」

 

 その声の主は魔を断つ刀、聖刀日光。

 こうして日光を振るってみた事で、ランスは魔王になった事による自身の変化に気付いた。

 それが剣LV3という極み。ランスの剣術は歴史上でも数人足らずの伝説級の域に達していた。

 

「おかげでこの通り、日光さんの事だって問題無く使えそうだ。前はせっかくの日光さんだってのにどうにもしっくりこなかったからなぁ」

「前?」

「うむ。日光さんの知らない前があるのだよ」

 

 今はもう懐かしきあの頃。前回の時を思い出して感傷に浸った顔になるランス。

 前回の第二次魔人戦争の最中、ランスは美樹と健太郎に同行していた日光と出会い、色々あった挙げ句に日光と契約を交わして聖刀のオーナーとなった経験がある。

 しかしその時は独特の反りがある刀という武器の扱いに慣れず、結局は日光を使うのを断念してこれまで通りの使い慣れた魔剣カオスを使わざるを得なかった、といった出来事があった。

 

 けれども今は違う。あの時とは違って今のランスの剣LVは3の高み。

 伝説級の剣才を持つ者となればもはや武器を選んだりはしない。それが剣である限り、魔剣だろうと聖刀だろうと何であろうとも持ち前の才能で自在に扱えてしまうのだ。

 

「こうして日光さんも自発的に俺様の女になってくれた訳だし、まぁ結果オーライだな」

「……自発的に、ですか」

「イエース。自発的にだ。それとも違うのか?」

「……いえ、そうですね。確かに私は自発的に貴方の女となりました。それについては今更文句を言うつもりはありません」

 

 文句を言うつもりはないと言いつつも、納得のいっていなさそうな声で答える日光。

 聖刀日光とは特殊な武器であり、装備者が刀として振るう為には契約を交わす必要がある。そして聖刀の契約とは人間状態の日光と身体を重ねる事、つまりはセックス。

 となると今こうしてランスが聖刀日光を振るっているという事は、二人はすでにセックスを行って契約を交わしたという事になる。それも先程二人が言っていた通り日光からの自発的に。

 

 

 それは……あの事件終わりの事。

 鬼畜っぽさが全開になった魔王ランスが来水美樹と日光を脅して手篭めにしようとして、しかしホーネットとシルキィによる身体を張った妨害工作を受けて有耶無耶になったあの一件の後。

 ぐっすり眠って、目覚めて暫くはその事をすっかり忘れていたランスだったが、あくる日ふと「あれ? そういや俺様って美樹ちゃんを抱こうとしてたんじゃなかったっけか?」と思い出した。

 

 だが時既に遅し。その頃にはもう美樹と健太郎は魔王城から逃げ出していた。

 その事に気付いたランスは怒った。そりゃもう怒った。魔王の怒りは天を衝いた。

 そして当然怒るだけでは済まず、絶対に逃してなるものかとランスは魔王軍全軍に号令を発し、地の果てまで美樹の捜索を、ついでに健太郎の抹殺を命じようとした……が。

 

 しかしそれをされたら困るのが日光だ。

 美樹はもうなんの力もない人間だし、健太郎は魔人と言えど強さ的には下級魔人の域に留まる。

 魔人四天王や魔人筆頭を含む魔王軍全軍に襲われたら一溜まりもないのは明白であり、そのような事態が容易に考えられたからこそ日光は二人の旅には同行せず、そのまま魔王城に留まっていた。

 

 そして魔王の癇癪を収める為に仕方なく……自らの身体を捧げるという選択を選んだ。

 ホーネットとシルキィがやったように、魔王の目を自分に向けさせようと日光は身体を重ねた。

 そして慣れないながらも自ら積極的になって色々と頑張った。沢山頑張った。数日掛かりでそりゃもう精力的に頑張った。

 

 基本的にランスは一度抱いて気に入った女性に対しては態度が優しくなるという特性がある。

 その特性は純和風美人である日光相手にも遺憾なく発揮された。閨の中で日光が献身的に身体を捧げて誠心誠意言葉を尽くした甲斐あって、最終的に魔王は機嫌を直して矛を収めるに至ったのだった。

 

 

「…………ぬぅ」

「どうしました?」

「……なんか、やっぱり勿体無かったような気が……美樹ちゃん……うぬぬぬ……」

「未練を引き摺るのはよくありませんよ。次の出会いに期待すれば良いではないですか」

「ぬぬぬぅ……」

 

 どうやらランスは未だ完全に矛を収めきった訳ではないようだが……ともあれ。

 

「……まぁいい。その代わりに日光さんが手に入った訳だしな」

 

 そんな流れで、日光は女としてランスの腕の中に収まる事を受け入れた。

 そして日光を手に入れた以上、自ずとこちらの方も手に入れたという事になる。

 

「ついでに聖刀日光もだ。これを超える武器ってのはそう無いだろうからな」

「まぁ、そうですね。自分で言うのもなんですが唯一無二の武器である自信はあります」

「だろ?」

「えぇ。しかし……魔王となった今、貴方がこれ以上強さを追求する意味は無いと思いますが」

「ちっちっち。日光さん、こういうのは強さよりも格や見栄えが重要なのだよ。世を支配する魔王様が店売りのロングソードなんかを使ってたら格好つかねぇだろ?」

「……かもしれませんね。なんにせよ気に入ってくれたのならば何よりです」

「うむ、大層気に入ったぞ。魔王となった俺様に相応しい武器ではないか。がはははは!」

 

 この世に二振りと無い魔を断つ刀、聖刀日光。

 人間姿でも和服美人、刀の姿になっても一層美しい日本刀の煌きに魔王ランスはご満悦。

 

「……ぐにに」

 

 だが一方で……こちらの機嫌は。

 

「……ぐにににぃ~~!!」

 

 それは部屋の隅っこにあった。

 無造作に置かれた荷物袋の中、その光景を憎々しげに見つめる視線が一つ。

 

「やいやい! 刀なんぞ振り回してなにやっとんじゃい! 儂に見せ付けてんのか!」

「なんだ、うるさいぞカオス」

 

 その視線の主は聖刀日光に対を成す武器、魔剣カオス。

 彼は怒っていた。本来ランスの手の中に収まるべき魔剣は先程からずっとお冠だった。

 

「やい日光! やいやい!!」

「なんですか?」

「なんですかーじゃないわ!! なーんでお前がランスのもんになってんだよっ!!」

「カオス、仕方無いではありませんか。こうする以外にどうせよと言うのです」

「んなこた知らん! けどお前まで魔王のもんになったらいざって時に人類が困るだろーが!!」

「私とてそのような事は承知しています。……が、その上で言わせて貰いますが、現状の貴方にだけはそれを言われたくありません」

 

 聖刀とは。魔剣とは。魔を滅ぼす為に存在しているただ二つの特別な武器。

 それを二つとも魔王が所有してしまうとはどういう事か。人類が無敵結界を破壊する術を失う、魔に対抗する術を失うという事である。

 そうと分かっていて尚、お互いはお互いに言ってやりたい事が沢山あるようで。

 

「人類の事を思うのであれば、貴方こそが人類に味方すれば良いではありませんか」

「持ち主をぶっ壊す儂よりお前の方が使いやすいだろーが! 儂は使い手を選ぶんだよ!」

「使い手を選ぶのは私だって似たようなものです。たとえ契約を交わそうとも波長が合わない者には扱えないのですから」

「おいコラ、なにをケンカしとるか」

 

 二人の言い争いに堪らずランスが口を挟む。

 するとカオスの怒りはそちらに向いた。日光共々こっちにも大いに文句を言いたい気分だった。

 

「大体心の友も心の友だ!! なーにを似合わん刀なんぞ振るって楽しそうにしとるんじゃ!!」

 

 カオスが気に食わないのはその点。どちらかと言えば不満度はこっちの方が上。

 持ち主に扱われる事こそが武器の本願なのか、意思あるインテリジェンスソードである魔剣カオスにとって、持ち主から新たな武器に乗り換えられる事以上に寂しくて腹の立つ事は無いようで。

 

「心の友愛用の武器と言ったらこの儂、魔剣カオスしか無いだろうに!!」

「知るか! 貴様を愛用した覚えなど無いわ!!」

「そんなぁ! どうしてそんな事言うの! ここまで長い間仲良くやってきたじゃんか!!」

「ええいうるさい! こっちはここまでずっと我慢してきたんだよ!! 俺様はもう爺声で喋るスケベな魔剣なんぞ使いたくないのだ!!」

 

 爺声で喋るスケベな魔剣カオスをランスがここまで愛用していた理由。

 それは剣そのものの切れ味、つまり攻撃力を重視してという意味合いもあるが、最たる理由としてはやはり魔人と戦う際に無敵結界を破壊する必要があったからこそ。

 となれば魔王になったランスにとって、もはやカオスを振るう理由は特に無い。新たな武器に乗り換えるのも已む無しといったところである。

 

「考え直してよぉ! 儂に悪いとこがあるなら直すからさぁ!!」

「やかましい! お前の悪いとこは全部だ!! 性別も込みで全部直してこい!!」

「そんなのヒドいっ! そんなに女か!! そんなに女がええのかーー!!」

「当たり前だバーカ!!」

「カオス、貴方は……そのような態度でよくも私に難癖を付けられましたね」

「全くだ。魔人と戦う必要がねーならこんな駄剣を誰が使うってんだ……」

 

 次の粗大ゴミの日に出すか。

 それともいっそモロッコの秘境に連れていってやろうか。

 そんな事を真剣に考え始めたランスだったが……その時ふと閃いた。

 

「いや待てよ? そうだ、なんなら二刀流ってのもいいかもしれん」

「二刀流?」

「うむ。聖刀と魔剣の二刀流、こりゃあカッチョいいだろう! どれどれっと……」

 

 ランスは右手で聖刀日光の柄を握ったまま、左手で魔剣カオスの柄を握る。

 そしてなんか格好良さげなポーズで構えて──

 

「とうっ! ていっ! どりゃっ! ……おぉ、イケるな!!」

 

 それはLV3の剣才故か。

 思い付きでやってみた二刀流でも問題無し、ランスの双剣捌きは堂に入っていた。

 

「よし。これで俺様がオリジナルだ」

「オリジナル?」

「うむ。なんかこの戦闘スタイルはのちのち誰かに真似されるような気がしてならんのだ」

「真似するって、誰がよ?」

「分からん。……が、なんかそんな気がする。俺様の直感がビビビっと来てるのだ」

 

 それは男か、女か。黒髪か、あるいは茶髪か。

 すっとぼけた性格をしている規格外の何者かがこの戦闘スタイルを真似るのでは。

 この時のランスにはどうしてか分からないが猛烈にそんな予感があった。

 

「だけどもう俺様が先にやっちまった以上、俺様こそがオリジナルなのだ。いいな?」

「まぁそりゃいいけどさ……」

「これで次にやったやつはただのパクリ野郎だからな。やーいやーい、ざまーみろ!!」

「聖刀と魔剣で二刀流をするような者など貴方以外に居ないと思いますが……にしても、誰とも知れぬ相手に対してなんとまぁ……」

 

 まだ知らぬ何者かよりも優位に立って、ランスは勝ち誇ったように笑うのだった。

 

 

 

 

 

 そして、その後。

 ランスがシィルを連れて「散歩に行ってくる」と部屋を退出した後。

 

「……でよ、日光」

「なんですか?」

「冗談は抜きにして、この先どうするんだ?」

 

 先程までとは一転して真面目な口調になったカオスが問い掛ける。

 

「どうする、とは?」

「お前だったらいつでもここから出て行けるだろって話だよ。なんせ人間に戻れるんだから」

「だから人間世界に戻れ、と? 無理ですよ。実質的に私の扱いは人質なのですから。私がここを逃げ出したとして、それであの人の怒りが美樹ちゃん達の方に向いてしまったらどうするのです」

 

 一方で日光も淀みなく答える。

 優先すべきはあの二人の身の安全。一緒に旅をしていた時からその考えに変わりは無く、故に自分がここを動く訳にはいかない。

 だがそれは先程も述べた通り、聖刀と魔剣が共に魔王の支配下に置かれるという事で。

 

「お前な……んなこと言ってる場合か。実際問題儂ら二人共がこっちにいるのはマズいだろう」

「先程も言いましたがね、それならば貴方がここを離れればいいではありませんか」

「だから儂は自分じゃ動けないんだっつの。人間に戻れるお前とはちげーんだよ」

「なら私が手伝ってあげますよ。この城からは食料などの物資運搬の為に定期的に人間世界行きのうし車が出ているようですから、荷台の中に貴方を忍ばせる事など然程難しくはありません」

「ぬ……ああ言えばこういう奴め……」

「それは貴方とて同じでしょう、カオス」

 

 歯に衣着せぬ会話を交わすカオスと日光。

 二人は共に魔を断つ武器であって元仲間同士。その心に同じ信念を持っており、古くエターナルヒーローとして戦っていた頃から共に魔を憎んでいた。

 とある遺跡の深部にて世の理の超えた超常的存在との謁見を果たした際も、少々毛色の違う願いを望んだエターナルヒーローの他2名とは異なり、カオスと日光は共に魔を倒す為の力を望んだ。

 

「それに、私は……私は貴方とは違います。知っての通り、私は貴方程に非情には徹し切れません」

「………………」

 

 そんな共通した思考を持つ魔剣と聖刀だが、しかし元々の人間性は大きく異なる。

 その上1500年にも及ぶ年月の経過、そして魔王だった少女との出会いもあって、現在では魔に対するスタンスというものが少々変化してきている。

 カオスの方は相変わらずと言えたが、特に心根が優しい日光にはそうした一面が強くあった。

 

「私は……今暫く、新たに魔王となったあの人の事を見守りたいのです」

「……見守って、そんでどうする」

「さぁ。というよりもその判断を含めて、今暫く時間が必要ではないかと思うのです」

 

 魔王とは魔を統べる頂点。カオスや日光にとっては討ち果たすべき宿敵そのもの。

 とはいえそれは前魔王である来水美樹だって同様の存在。そんな美樹を殺すではなく救う道を模索していた日光にとって、美樹を助けるような形で新たな魔王となったランスの事もすぐさま敵視は出来ないようで。

 

「ランスさんに関しては……率直に言って奇妙な魔王だなと思いました。美樹ちゃんのように魔王になる事を拒んでいる訳では無いのでしょうが、それでもまだ完全なる魔王にはなっていないというか……人間らしい善性を多く残しているように見受けられます」

「善性ねぇ。つってもお前、元魔王の嬢ちゃんとまとめて一緒に食われそうになったんだろ?」

「えぇ、まぁそうなのですが……しかしそれは元からでしょう。私の記憶が確かならば、二年前にJAPANで出会った時から彼は女性に関しては目がない様子でしたから」

「……ま、そりゃそうだが」

 

 それに関してはカオスも頷く他無い。

 ランスが女性を襲うのはもう性分だからしょうがないとして、それ以外の点はどうか。

 性欲に直結する事以外であれば、現状のランスには普遍的な魔王のような悪性は感じられない。未だランスは心が悪に染まっていないように見える、それが日光の見解らしく。

 

「ここ数日ランスさんの普段の姿を観察していたのですが、人間だった頃と同じ様子で──」

「なぁ日光」

「なんですか?」

 

 そんな日光の見解を聞いていたカオスはふと思い付いて口を挟む。

 

「観察云々は置いといて、ここ数日は抱かれっぱなしのヤリっぱなしだったんだよな、お前」

「……それが、なにか?」

「さてはお前……情が移っただろ?」

「っ、それは……だとしたら、何ですか?」

「否定しねーのかいな。全く、相手は魔王だってのに何をしとるんだか……」

 

 どうやら日光はここ数日間にランスと身体を重ね過ぎた結果、少々気持ちを入れ込みすぎて魔王相手に情を移してしまったらしい。

 情が深くて非情にはなり切れない。それが日光の良さでもあって駄目な点でもあると熟知しているカオスは呆れたように息を吐いた。 

 

「……私の事などどうでもいいでしょう。今大事なのはランスさんの現状の事です」

「へーへー、んで?」

「つまりですね……私は魔王として覚醒しかけた美樹ちゃんを見た事があるのですが、美樹ちゃんの場合はリトルプリンセスになった時点でその精神性までもが魔王の如く変化していました」

「あぁ、JAPANの時に儂も見たな。シィル嬢ちゃんが氷漬けにされちまった時だ」

「えぇ。あの姿こそが魔王リトルプリンセスで……そこから考えると、魔王となって尚人間だった頃の精神性を保っていられるランスさんは稀な存在のように感じるのです」

 

 美樹とは違って魔王として覚醒はしている。 

 だがその一方でリトルプリンセスとは違って心が悪に染まっていない。

 それが現在の魔王ランスの状態。その点に日光は何らかの価値を見出していた。

 

「……んなもん今だけの話だ。直に魔王っぽく変わってくるだろーよ」

「そうかもしれませんね。しかし、そうではないかもしれません」

「だからそこに賭けてみるってか?」

「賭けるとまでは言いません。ただ先程も言ったように見守るだけの意義はあるように思います」

 

 殺すではなく見守る。

 それが日光の考えで、さらに言えば──

 

「カオス、貴方だってそう感じているのでは?」

「あん?」

「だから先程のように彼と一緒になって和気藹々としていられるのではありませんか?」

「……けっ」

 

 するとカオスは苛立ちを隠さない声になって。

 

「知ったような事を言うな。お前よりも儂の方が心の友との付き合いは長げーんだよ」

「……えぇ、勿論分かっています。だからこそ……私はそれを信用したいのです」

 

 情に絆され易い自分とは違って、魔を滅ぼす事に躊躇の無いこの魔剣が未だ動かないのなら。

 自分よりも彼と親しいカオスが、魔王になった彼の事をまだ心の友と呼ぶのなら。

 それならまだ、可能性があるのではないか。

 

「……ふん」

 

 そんな日光の考えを察したのか、カオスは不満そうに鼻を鳴らした。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「……うーむ」

 

 さて、その一方。

 部屋を出て、気晴らしに城内を散歩していたランスとシィルの二人は。

 

「……ううーむ」

「どうしました、ランス様?」

 

 不意にランスは廊下の途中で立ち止まって、唐突にこんな事を言い始めた。

 

「なんか……魔王っぽい事がしたい」

「えっ」

「うむ。せっかく魔王になった事だし、なんか魔王っぽい事がしたい気分だ」

 

 ランスは魔王っぽい事がしたくなったらしい。

 魔剣と聖刀の思いなどつゆ知らず。魔王である以上は魔王っぽい事がしたいのである。

 

「はぁ……魔王っぽい事、ですか」

「おう」

「でも……ランス様、一体どういう事をするのが魔王っぽい事なんですか?」

「ぬぅ、そうだな……」

 

 果たして魔王っぽさとはなんだろう。

 まだ新米魔王のランスはふーむと顎を擦る。

 

「じゃあ……あれだ、魔王を倒す為に人間の強者共のパーティが攻めてきたりしないのか? んでそれを俺様がボコボコにしてやるとか」

「どうですかね……そういう道場破りみたいな人達はあんまり見ないような気がしますけど……」

 

 世界に平和を取り戻す為に戦う人間達。それを返り討ちにするのは魔王の醍醐味の一つ。

 ……なのだが、しかし実際にそういう人間達が居るのかといえばそれは中々難しい話。

 ここ何百年もの間、人類にとって魔物界というのは暗黒の地。魔物の支配圏に足を踏み入れる者などそう居らず、魔王城に乗り込んで魔王を倒してやろうと考える者など皆無に等しい。

 

「なら逆にこっちから人間世界に攻め込んでみるってのはどうだ」

「えぇ……でもでも、そんな事をしたら人間世界が大変な事になっちゃいますよ」

「でもなぁ。せっかく魔王になったんだから魔王軍をがーっと動かしてみたいではないか」

 

 魔王軍をがーっと動かして人間世界に攻め込む。それも魔王の醍醐味の一つには違いない。

 ……とはいえ、それをされたら溜まったもんじゃないのが人間達。各国に沢山の知り合いが居るシィルにとっても気が気でない話である。

 

「そういうのは抜きにして、もっと平和的に魔王っぽい事をしましょうよ。ね? ランス様」

「平和的に魔王っぽい事ってなんじゃ一体。なら……新しい魔人を作ってみるとか?」

「そうですね。それなら……」

 

 配下たる魔人を作成する事。それもまた魔王と醍醐味と言えるかもしれない。

 

「あ、そういえば……この前サテラさん達と話したんですけど、今は魔人四天王の席が一つ空いているので、新たな魔人四天王に誰が選ばれるのかが気になっているそうです」

「魔人四天王? それってシルキィちゃんとカミーラとケッセルリンクと……あぁそっか、ケイブリスをぶっ殺したから一つ空いたってわけか」

 

 魔人四天王を任命する事。それだって一応魔王の醍醐味と言えなくもない。

 ランスからすると正直言って誰が魔人四天王だろうがあまり興味の湧かない話なのだが、しかし選ばれる相手にとっては違う。

 魔人四天王とは他の魔人達と一線を画する存在。その任命は魔王からの信頼の証であり、魔人にとってはとても名誉ある事なのである。

 

「そういやぁ魔人四天王ってのは一体何を基準に選んでるんだろうな」

「それはやっぱり……強さとか?」

「強さ……んじゃあ今いる魔人四天王とホーネットを除いて、次に一番強いのって誰だ? サテラだけは絶対違うってのは分かるが」

「あ、あはは……。この前の戦いで見た印象だとメガラスさんはとても強かったですけどね」

「え~……あんな無口を選ぶのはなんかやだ。おもろくない」

「じゃあ……ガルティアさんとか」

「それもやだ。てかシィル、お前はなぜ俺様が嫌いだと知っていて男魔人の名前を挙げるのだ」

 

 たとえ強かろうとも、男の魔人なんぞを優遇する気など毛頭ない。

 それが魔王ランスの信条。新たな魔王軍の構造はこの上無く女性優位なのである。

 

「でもそうだな……じゃあハウゼルちゃんか、サイゼルか、それともやっぱサテラか。それぐらいしか選択肢はねぇのか」

「そうですねぇ、女性の魔人さんっていったらそれぐらいしか……」

「うーむ、そうなると…………って、あ」

 

 とそこでランスは大事な事を思い出した。

 接点の無かったシィルも忘れているようだが、よくよく考えると女の魔人はもう一人居たはずで。

 

 この世界に平和を取り戻す為に戦う人間達を返り討ちにする事よりも。

 あるいは魔王軍をがーっと動かして人間世界に攻め込むよりも。

 魔人を作成する事よりも。もしくは誰かを魔人四天王を任命するよりも。

 

 魔王ランスにとって何よりも一番大事な事。

 ──それは女。女を大切にする事。

 

「いっけね、すっかり忘れてた。そういやあいつに会いに行ってやらねーと」

 

 

 

 

 



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「……そわ、そわ」

 

 そわそわと、落ち着き無く身体を揺すって。

 

「……ちら、ちら」

 

 ちらちらと、視線を玄関の方に向けて。

 そんな事をひたすら繰り返して……暫く。

 

「…………はぁ」

 

 と、大きなため息を一つ。

 期待と落胆の入り混じった吐息を吐き出したのはこの家の家主、魔人ワーグ。

 

「……遅くない?」

 

 待ち人──来ず。

 

「ね。遅いわよね?」

「遅い!」

 

 時間は刻一刻と進んでいく──遅い。

 

「遅いー!」

「ね。そうよね、絶対に遅いわよね」

「そうだそうだー! 遅い遅いーー!!」

「ねー。遅いよねー。はぁ……全く、ラッシーもこう言ってるってのに……」

 

 顰めっ面なワーグ。その手がラッシーのふわふわボディをわしわしと撫でる。

 ついついペットの夢イルカと一人芝居をしてしまう程、ワーグは今退屈でご機嫌斜めだった。

 だって遅い。遅いから。一体あの男はいつになったらやって来るのか。

 

 

 それは……今から4週間近く前のこと。

 ある日、ワーグの家のポストに一通のお手紙が届いていた。

 差出人はあの魔人筆頭。何事かと思い目を通してみるとそこには驚きの内容が記されていた。

 

 曰く──今世の魔王、第七代魔王であるリトルプリンセスから代替わりが行われた。

 それだけでもびっくり仰天な話なのに、新たな魔王の名はなんとワーグが良く知るあの男の名。

 

 その手紙を目にした時、驚きのあまりワーグは比喩抜きで座っていた椅子から転げ落ちた。

 だって、だって彼が。ワーグにとって唯一と言ってもいい友達かつ初体験のお相手が、まさかまさかの魔王になったと言う。それに驚くなというのが無理だと言うもの。

 だからワーグは驚いた。驚いて動揺して騒いで喚いて混乱してと、自分しか居ない屋内でひとしきりテンパった姿を見せた後……居ても立ってもいられなくなった。

 

 だから本当の事を言うなら、すぐにでもこちらから会いに行きたかった。

 しかしそれは難しい話。障害となるのは言うまでもなくオンオフの出来ない自分の睡眠能力。

 特にその当時は新魔王のお披露目式を行う為に多くの魔物達を魔王城に招集している最中であり、そんな時に周囲の者を無差別に眠らせてしまう魔人ワーグにこちらに来られるのは困ると、魔人筆頭からの手紙にもそう書かれていた。

 

 なのでワーグは諦めた。会いたい会いたいと沸き立つ気持ちをぐぐっと我慢した。

 そして魔人筆頭に「だったらこちらに会いに来て欲しい、と伝えて」と返信を返した。

 

「……そわそわ、ちらちら」

 

 だからこそ、ワーグは今そわそわしている。

 もう先週ぐらいから「そろそろ来るかな?」とワーグは一日中そわそわちらちらしていた。

 

「ううーー!! 会いたいよー会いたいよー!!」

「あらあらラッシーったら。そんなに新しい魔王様に会いたいの?」

「会いたいー!! さみしいさみしいー!!」

「まぁまぁラッシーたら。本当にラッシーはさみしがり屋さんなのねぇ」

 

 自分の気持ちは全て夢イルカに代弁させて、ワーグはその頭をよしよしと撫でる。

 向こうからは一向に音沙汰無し。ただ待っているだけというのは辛い。溜息を繰り返す日々の中でさみしい思いや会いたい思いがどんどん募っていく。

 

(……魔王、か)

 

 それはやはり新たな魔王になったという知らせの衝撃度合い故。

 彼が第八代目の魔王になったと聞いて、本音を言えば怖い気持ちだってある。

 魔王とは魔の頂点であって恐怖の象徴。その全てが人間だった頃とは大きく変貌しているかもしれない、それを不安に思う気持ちはある。

 

(……でも)

 

 でも……それ以上に気になってしまう。

 

「ねぇワーグ。魔王になったって事はさ、つまりワーグの能力も……」

「…………ん」

 

 だって、あの男が魔王になったという事は。

 それは魔人である自分の能力が通じない相手になったという事で、それはつまり──

 

 

「わーーーーぐッ!!」

 

「ひゃっ!?」

 

 突然響いた大声。

 驚いたワーグの口から甲高い声が飛び出した。

 

「あ……」

 

 噂をすればなんとやら。

 その声を聞き間違えるはずが無い。来た……彼が来たっ!

 

「おーい!! あーけろーー!!」

「わっ、あ、ちょ、ちょっと待って!」

 

 あたふたと椅子から飛び上がって、玄関まで走っていって。

 そして玄関ドアを開けると──

 

「よう、ワーグ」

「……ランス」

 

 そこに居たのは待ち望んでいた姿。

 それはランスだ。ランスに違いない……だが。

 

「っ、……」

 

 思わず息を飲む。以前までとは放たれるプレッシャーがまるで違う。

 そこには魔人だからこそ感じ取れる確かな力の波動が存在していて。

 

「……ランス。魔王になったって聞いたけど……本当だったのね」

 

 つまりはそれが魔王の証明。

 第八代魔王ランス。この世界を統べる新たな王がワーグの前に立っていた。

 

「まぁな。それより入っていいか?」

「あ、うん。上がって」

「んじゃお邪魔するぜーっと。……おぉイルカ、お前も久しぶりだなぁ」

 

 最後にここを訪れたのは魔王になる以前、派閥戦争を終えての休暇を楽しんでいた頃。

 久しぶりに会ったふわふわなペットを横目に見ながらランスが食卓の椅子に腰掛ける、その対面の席にワーグも腰を下ろした。

 

「ねぇ……ランス」

「なんだ?」

 

 そしてすぐ躊躇いがちに口を開く。

 目の前に居る相手。会えて嬉しい気持ちと同じ位に気になっている事は山程あって。

 

「……魔王、なのよね?」

「そうだけど。見て分かんねーか?」

 

 自分は魔王。ランスは事も無げに答える。

 

「ううん、見れば分かる……ていうか、もう見なくても分かるレベルなんだけど……でも、どうしてあなたが魔王になったの? だって前に会った時はそんな素振りなんて全然……」

「そりゃまぁ……色々あったのだ」

「色々ってどんな?」

「色々は色々だ。まぁ俺様としても人間世界と魔物世界を制覇した丁度いいタイミングだったし、だったら魔王にでもなってやるかーって感じで美樹ちゃんから血の継承を受けたのだ」

 

 来水美樹が覚醒間近であった事とか、殺す以外にはこの方法しか無さそうだった事とか。

 色々と厄介な状況になっていた事は伏せて、ランスは魔王になった経緯をざっと語った。

 

「……そうなんだ」

「うむ、そうなのだ」

「……そっか」

 

 そういう事らしい。事情を知ってもワーグは何と言って良いのか分からなかった。

 これは喜ばしい事なのか、それとも嘆くべき事態なのか。だとしてもそれは人類にとってなのか、魔物にとってなのか、あるいは当人にとってなのか。ワーグには何一つ見当が付かない。

 元よりすでに魔王になってしまった以上、何を言っても覆水盆に返らずというもので。

 

「……まぁ、でも、そうね。魔王か……うん、いいんじゃない? ランスには合ってると思う」

「だろ? この世界を制覇した俺様が今更人間のトップなんぞに戻ってもしゃあないし、となればやっぱ魔王になるっきゃないと思ってよ」

「随分と簡単に言ってくれるわねぇ。魔王になるなんてとんでもない事だってのに……」

 

 呆れたように言いながらも、そんなワーグの表情は先程よりも柔和になってきていた。

 こうして話してみた事で魔王となってもランスらしさが失われていない事を実感出来たのだろう。

 

「ってそうだ、考えてみたらもうあなたは魔王、じゃなくて魔王様なのですよね。軽々しい態度を取ってしまって申し訳ありません、今後は私も一人の魔人として誠心誠意お仕え──」

「またそれかいな。どいつもこいつも同じ反応をしやがって……ワーグよ、それはいい。そうやって無理に堅苦しく構える必要は無い」

「けど……」

「いいんだっての」

 

 ホーネットを始めとして散々見てきた魔人達のテンプレ反応をランスは軽くスルーして。

 

「……だが、そうだな」

「え?」

 

 思い立ったように席から立ち上がると、ワーグのそばへと近付いていく。

 

「誠心誠意お仕えするってのは良い心掛けだ。そこまで言うならこっちをお願いしようかな」

 

 そして、その肩にぽんと手を置いた。

 

「ふふーん。なぁワーグ、分かるか?」

「え、っと……分かるって、なにが?」

「これまでの俺様と今の俺様の違いをだ。今だからバラしちまうけどな、これまでの俺様はこのぐらいの距離でもうヤバかった、頭の中がガンガンぐらぐらしていたのだ」

「あぁ、眠気のことね。……て、それじゃあ……」

 

 こうして肩に手を置ける距離。魔人ワーグのフェロモンを直に浴びてしまう距離。

 これまでのランスは人間だった。人間だからこれぐらいの距離でもう眠気が限界だった。

 しかし魔人ワーグの睡眠能力は彼我のレベル差と肉体の強度によって抵抗する事が可能である。

 となれば今は……魔王となった今ならどうか。

 

「やっぱり魔王になったあなたには……私の能力は効かないのね?」

「そのとーり! もうぜーんぜん眠くならん!! あれ程シンドかったのがウソのようだ!!」

「そっか……そうなんだ……」

 

 もう全然眠くならない。すなわち今後はどれだけ一緒に居ても問題無い。

 その事を知ったワーグは心に湧いた歓喜を隠せない表情になった。ランスが魔王になった件に関してはそこが一番気になっていた所だったからだ。

 

「ほれ、こーしてお前の匂いを嗅いだってだな……くんくん、くんくん、すーはー」

「ちょ、ちょっとランス……!」

「見ろ、眠気なんてまーるで感じない! もはやお前の香りなんてどうってことは無い、ただの甘くていい匂いってだけだな。がはははは!」

 

 そしてこちらも。遂に克服したワーグの眠気、それが嬉しかったのはランスも同じ。

 これまで散々苦しんできた甘い香り、魔人ワーグが誇る最凶の武器『夢匂』すらも、魔王となったランスの前では良い香りを放つ香水程度のもので。

 

「くっくっく……ワーグよ。これでいよいよお前も年貢の納め時だなぁ?」

 

 となれば必然、それが待っている。

 口元を妖しげに歪めた魔王の笑みに、ワーグはぴくんと身体を揺らした。

 

「な、なによ、年貢の納め時って……」

「分からんか? 俺様は魔王でお前は魔人、んでもう眠くならないとなりゃあ……ここから先の話はあっちでするしかねーだろ?」

「……うっ」

 

 そう言ってランスの視線が向いた方向。

 そっちの方にあるのはワーグが普段寝起きしているシンプルなベッドが一つ。

 

「いいよな?」

「……っ、あの……もう、するの?」

 

 ぽそりと答えるワーグの頰が朱に染まる。

 

「まだ私の家に来て早々なのに……早くない?」

「早くない。なんたって久し振りにお前とセックスが出来るんだ、もう待ちきれん」

「……うぅ」

 

 二人が肌を重ねたのは以前に一度、状態異常の禁呪によって性交を成し遂げたあの一度だけ。

 あの一回こっきりだけでは到底ランスが満ち足りるはずもなく。

 

「ほれワーグ、こっち来い」

 

 すっと差し出される手。

 

「……ん」

 

 その手の上にワーグはゆっくりと手を乗せる。

 もはや自分を守るものは無い。ランスとの間で障害となるものは何一つ存在しない。

 それが……嬉しい。

 

「もう……強引なんだから……」

「そりゃあそうだろう。なんたって俺様は魔王様なのだからな、がははは!」

 

 ランスは魔王になった。

 ワーグがその手を拒むはずも無かった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして──その後。

 

「ふぃー、スッキリしたぜー」

「…………ん、……はぁっ、」

 

 ランスとワーグ。二人は仲良くベッドの中。

 久しぶりに逢瀬の叶った魔王と魔人、二人はしっぽりと身体を重ね合った。

 

「ワーグはちっこいからキツキツだ。キツキツ度はシルキィちゃんといい勝負だな」

「…………ばか」

「あん?」

「……やさしくって言ったのに。ばか」

 

 顔の半分以上を毛布で覆い隠して、ワーグが恨めしそうな呟きを漏らす。

 

「ぬ? 十分優しくしたつもりなのだが」

「えぇ……これでなの? 私はまだ二回目なんだからもうちょっと手加減してよ……」

「むむむ……ちょっとハッスルしすぎたか。実はそっちの方はまだ練習中でな……」

 

 するとランスは困ったように眉を潜める。

 魔王となって増加したパワーと性欲。それの制御はランスにとっての課題の一つ。

 色々と練習した甲斐あってここ最近は大分慣れてきたつもりだったのだが、それでもまだ熟練度が足りなかったか。あるいは久々のワーグとのセックスで興奮し過ぎたか。

 肉体的強度は人間並のワーグにとって、今回の性交はまだちょっと圧が強かったようだ。

 

「しかしだなぁワーグよ。これはどっちかっつーとお前の方が慣れるべきだと思うぞ? あの眠気も感じなくなった事だし、これからはお前ともガンガンセックスしていくつもりだからな」

「うぅっ、や……やっぱり、そうなる、の?」

「当然そうなるだろ。イヤか?」

「いっ、いぃ……いや、って、わけじゃ、ないんだけど……」

 

 嫌か? と聞かれると嫌とは返せない。

 それが惚れた弱みと言うもの。どうにもならない困った乙女心なのである。

 

「……まぁ、いいわ。正直に言うとね、あなたが魔王になったって聞いた時からそうならざるを得ないんじゃないかって想像付いてたから」

「うむ、よろしい」

「……でも。だったら、今度からはちゃんと定期的に会いに来てよね」

 

 言いながらワーグは毛布の中でランスの手をぎゅっと握った。

 今後はこの温もりを味わう機会が格段に増える。それ以上の快楽を受け入れなくてはならない事に気恥ずかしさはあれど、寂しがり屋なワーグにとっては概ね喜ばしい話である。

 

「そりゃもちろん。つーかこれまでだってちゃんと定期的に会いに来てやってただろうに」

「半分ぐらいはね。でも時々私のこと忘れてるんじゃないかしら? って思う時もあった」

「ぬ。……そんな事は無いぞ。この俺がお前のことを忘れるなんてそんなまさか……ないない」

 

 ないない、とは言いつつも実際のところは昨日までワーグの事をすっかり忘れていた訳で。

 ランスの語気が弱まったのを察したのか、すぐ隣からワーグがじとーっとした目を向けた。

 

「……本当かしら?」

「本当だっつの。それに次からはもう大丈夫、これからはセックス可な訳でワーグの家に来るモチベーションがダンチだからな」

「あぁ……それはそうかもね」

「これからはセックスがある。だからもう忘れる事は無いぞ。……ただなぁ」

「なに?」

 

 とそこでランスは思案げな顔になった。

 現状こうしてワーグとセックスする為には、魔王城から数時間の道程を歩いて森を抜けた先にあるワーグの家を訪れる必要がある。

 それは仕方ない事とはいえ、単純に手間が掛かって面倒臭いのは事実。そして普段から自分の近くに居ないというのがワーグの存在を忘れてしまう一番の要因でもあって。

 

「なぁワーグ。お前さぁ、今日から魔王城に住んだらどうだ?」

「えっ、……魔王城に?」

「うむ」

 

 だからこそ、魔王からのお引っ越し提案。

 こんな森の奥にある一軒家ではなく、魔王の膝下である魔王城にて生活したらどうか。

 

「魔王城に住むなんて……そんな、無理よ」

「なぜ無理だ。もうお前の眠気は俺に効かねーんだし城で暮らしたって問題ないだろ」

「そりゃあランスには効かなくなったけど、でもそれだけでしょう? 他の魔物達には相変わらず効いちゃうんだから……」

「別にいいだろそんなもん。魔物共なんざいくらでも眠らせときゃいい」

「あ、あのねぇ……いくらなんでもそういう訳にはいかないわよ」

 

 ランスの無茶苦茶な提案にワーグは呆れ顔。

 魔王城とは魔王の居城。魔王の許しさえあれば全ての行いが許される訳で、こうして魔王が良いと言っている以上は周囲の者達を無差別に眠らせてでもワーグが城に住む事は可能である……が。

 しかしワーグがそれを望むかと言えば別の話。優しい性格のワーグは自身の能力で他者に不都合を与えてしまうのを嫌っている、だからこそこうして森の奥でひっそりと暮らしている訳で。

 

「大体今の魔王城には人間の子達だって住んでいるんでしょう? そんな所に私が住み始めたら人間達はずっと眠りっぱなしになっちゃうわよ? それでもいいの?」

「ぬ。……そっか、確かに魔物はどうでもいいけどシィル達が眠っちまうのはなぁ……」

「でしょう? 私の能力が無差別である以上、私が魔王城で暮らすなんて不可能だわ」

「ううーむ……」

 

 人間達まで眠りっぱなしになると言われてはさすがのランスも返す言葉が無い。

 ワーグが言った通り、その睡眠能力が無差別である限りは人の多い所で生活するのは不可能。

 

「……んじゃあ、どうにかしてお前の能力を抑えるしかねーな」

「……え?」

 

 であれば当然そこが論点となる。

 魔人ワーグが無差別に振りまく厄介な眠気、このフェロモンを抑える方法さえあれば。

 

「要はお前の能力はOFFにする事が出来ない。それが問題なわけだろ?」

「それは……まぁ、ね」

「だったらそこをどうにかする。そうすりゃお前はこの先魔王城で普通に暮らせるって訳だ」

「それはそうだけど……」

 

 ランスの言っている事は間違ってはいない。

 それさえ出来れば──と、そう思わずにはいられない魅力的な話ではあるものの。

 

「……でも、それこそ無理よ。そんなの……」

 

 言いながらワーグは目を伏せる。

 自分の能力をOFFにする方法。自分の能力を自分で制御出来るようになる事。

 それは過去のワーグが必死に追い求めて、最終的にそれは不可能だと見切りを付けたもの。

 

「私だってね、この体質を自分で制御したくて色々試してはみたのよ。もう昔の話だけど……」

 

 人間でいた頃から色々やってみて、魔人になっても色々やってみて。

 それでも、どうやっても無意識下身体から放たれるフェロモンを抑える事は出来なかった。

 だからこそ魔人ワーグは他者を遠ざけて、更には普段から衣服を重ね着したりと、目一杯周囲に配慮をしながら今日まで生きてきた。

 

「……私の能力を抑えるなんて、そんなの不可能に決まってるわ」

 

 睡眠能力の制御は無理。不可能。

 その言葉には厄介な体質に振り回されてきた100年以上の年月の重みが詰まっていた。

 

 だが。

 

「いいや、出来る」

「出来ないわよ、そんな──」

「いいや出来るっ! 俺様なら出来る!! ……ような気がする」

 

 しかし、ここにいるのはランス。

 時として不可能を可能にしてしまう男。

 

「だってほれ、お前は魔人だろ?」

「そうだけど?」

「んで俺様は魔王様だ。だったら手の打ちようがあるかもしれんではないか」

 

 そしてランスは魔王。対してワーグは魔人。

 魔人とは魔王の血の一部である魔血魂を元にして作成される。となれば実質的にワーグの身体はランスの血によって作られているという事で。

 

「魔王だから……どうにか出来るって?」

「あぁそうだ。特にこのランス様は普通の魔王とは違うらしいからな」

「違うって? なにが違うの?」

「そりゃ才能だ。俺様は魔王の中でもとびっきり才能に溢れる超天才魔王様なのだよ」

 

 更には第八代魔王ランスの特筆すべき要素、つまり魔王LV2の才能ならばどうか。

 ケッセルリンクの性別を簡単にチェンジしたり、ホーネットの身体から魔血魂を簡単に抜き取ったりする程に魔王の血の扱いに長けているのなら、魔人ワーグの能力にONOFFスイッチを付けるような事も可能なのではないか。

 

「うーん……」

「どうだ、なんとかなりそうだろ?」

「……どうかしら。だって私を魔人にしたガイ様にだってそんな事は出来なかったのよ? いくら魔王だからって……」

「ほーう? これはガイにも出来なかったのか、そりゃイイことを聞いたぜ」

 

 魔王ランスの顔に挑戦的な笑みが浮かぶ。

 自ら命を絶とうとして魔物の森に足を踏み入れた人間ワーグ、それを救ったのが魔王ガイ。

 そうしてワーグは魔人となったものの、しかし自殺しようとするまでに絶望を感じた自らの体質問題に関しては今日の日まで何一つ解決していない。

 つまりワーグとは、一旦は救った魔王ガイにすら匙を投げられた存在とも言える。

 

「ならここで俺がパパっとお前の問題を解決出来たら、俺の勝ちってわけだ」

「……ガイ様との勝負に、ってこと? そりゃそうかもしれないけど……無理だって」

「無理かどうかはやってみないと分からん。よっしゃワーグ、ちょっと身体を起こしてみろ」

 

 魔人ワーグの睡眠体質。これは亡き存在である魔王ガイとの優劣を付けられる絶好の機会。

 ランスはベッドから起き上がると、同じように起き上がったワーグの身体に手を伸ばした。

 

「さーてさて、お前の眠気をOFFにするにはどのスイッチをいじれば良いのかなぁ?」

「だからねランス、そんなスイッチなんて無いから苦労して……て、あっ……!」

「ん? ここかなぁ? それともここかなぁ?」

「ぁん、ちょっと、どこいじってるの……!」

 

 スイッチのように見えなくもない胸のぽっちを押してみたり、くりくりと転がしてみたり。

 実にオヤジ臭いセクハラを繰り出すランス。これが今世の魔王の姿である。

 

「もうっ! 真面目にやってよねっ!」

「分かった分かった。えーと、多分これはケッセルリンクの時と似たような感じだと思う」

「ケッセルリンク?」

「うむ。要は魔王である俺様が念じりゃいいんだ」

 

 魔血魂に代表される魔王の血の操作。それらは全て魔王の意思一つで行われる。

 なのでランスはワーグの背中に手を当てて、ぐっと眉間を顰めた表情で強く念じ始めた。

 

「ぬぬぬ……ワーグの眠気よ、収まれー……!!」

「………………」

「ぬぬぬぬぬ……なんかこう……上手い感じにONOFFとかが出来るようになれー……!!」

「……なんか、念じ方が曖昧じゃない?」

 

 少々具体性に欠ける念じ方だが、とはいえそれは紛れもなく魔王の意思、魔王の命令。

 

「……お?」

 

 そして、魔王LV2の才能が。

 魔王の力の行使に関しては達人級の才能を秘める魔王ランス。その絶対なる意思が伝わった。

 魔人ワーグの内にある魔血魂へと。そこから更に魔人の肉体そのものへと。

 

 すると──

 

 

「おや?」

 

 空気が、変わった。

 

「どうしたの?」

「これ、消えたんじゃねーか?」

「消えたって?」

「だからお前の眠気が。なんか甘い匂いがしなくなったような気がするぞ」

「……え?」

 

 ワーグの能力が、消えた。

 つい先程まで部屋中に漂っていた甘い香りがすーっと消え失せていた。

 

「おぉ、出来るもんだな」

「……ほ、ほんとに……?」

 

 今まで自分を苦しめていた睡眠体質『夢匂』がこうも呆気なく。

 信じられないといった表情のワーグだったが、一方で確かに今までとは違う感覚があった。

 これまで無秩序に拡散していた自らのエネルギーのようなものが、今では自分の内側にちゃんと収まっているような、そんな不思議な感覚がある。

 

「……消えた」

「おう、消えた」

「……で、でもこれ、今度は逆に睡眠能力が使えなくなったって事じゃないの?」

「どうだろな。試してみたらどうだ」

「試すって言っても、そんなの、どうやって……」

「そりゃあ……『甘い匂いよ、出ろーー!!』……って念じるとか」

「そ、そんなやり方でいいの?」

 

 ランスに言われるがまま、ワーグは『甘い匂いよ、出ろーー!!』と心の中で念じてみた。

 

 すると──

 

 

「……あ、出たっぽいぞ」

「え、ほんと?」

「あぁ、さっきまでの匂いを感じる。くんくん……うむ、こりゃ間違いなくワーグの匂いだ」

 

 あたかもスイッチをONにしたかのように。

 部屋中にはまた甘い香りが、あらゆる生物に眠りを誘う香りが漂い始めていた。

 

「……能力の制御が、出来た……」

「出来たな。やってみりゃ簡単じゃねぇか」

「……ウソみたい。こんな……」

 

 自分の両の手のひらを見つめながら、呆然とした様子で呟くワーグ。

 これまで制御不能だった香りを自らの意思によって放出したり、引っ込めたり。

 そんな事が可能になった。能力のオンオフが出来るようになった。

 

「どうだワーグよ、魔王ガイには出来ない事でも俺様だったら出来るのだ。すげーだろ?」

「……うん。すごい……」

 

 小さく頷くワーグ。

 その呟きには万感の思いが込められていて。

 

「……嬉しい」

「そうだろうそうだろう。このランス様に感謝するがいい。がはははは!」

「……うん」

 

 魔王となった事によって、ランスだけは自分の能力が効かない存在となった。

 だからランスとは一緒にいられるようになった。それだけでもすごく嬉しかったのに。

 

「……うれしい」

 

 これからは周囲の者達を無差別に眠らせてしまう事は無い。

 これからは普通に生きていける。誰とでも顔を合わせて、誰とでも仲良くなる事が出来る。

 

 それが──嬉しい。

 

「……ぅ、……ぅく」

「お、おいワーグ、んな泣かんでも……」

「だ、だってぇ……」

 

 堪え切れず目尻から熱い涙が伝う。

 すると泣き顔を見せたくなかったのか、ワーグはランスの胸元にひしっと抱き付いた。

 

「……ありがとう、ランス。本当に嬉しい」

「そか」

「うん。なんか……ほんとに……信じられないぐらい嬉しくて……」

 

 こんなにも感極まった経験は無い。

 そう言い切れる程、ワーグは自らの睡眠能力にずっと悩み苦しんできた。

 だからこれは悲願だった。この睡眠能力を制御出来るようになる事は──夢だった。

 

「……なんか、わたし、わたし……」

「なんだ」

「……ラッシー、来て」

「ん? イルカ?」

 

 だからこそ胸が一杯になって、その想いを伝えたくなった。

 この気持ちをこれ以上隠す事は出来ない。そう感じワーグはペットを呼び寄せて、

 

「……ランス」

 

 そして……そのふわふわな身体に触れた。

 

 

「ランス。……あなたが好き」

「お」

「好き好き、だーい好き。大好き大好き、すっごく好き。これからもずっと一緒にいてね」

 

 好き。何度も繰り返したその言葉こそがワーグの偽りのない本音。

 その想いを聞き入れたランスは──

 

 

「えぇ~……んな事イルカに言われても……」

「………………」

「イルカよ、お前はメスか? いやだとしても俺様はイルカのメスには興味ねーんだ。好きとかどうとか、そういう言葉を使うのは人間様に進化してからにしろ」

「………………」

 

 案の定というか、なんというか。

 魔人ワーグ一世一代の告白も夢イルカ越しではさっぱり伝わらなかった。

 

「……ラッシーの」

「あん?」

「ラッシーの、愛を……受け入れてあげてよ」

「いらん」

「……けち」

 

 ランスのつれない態度を肌で感じたワーグは「……はぁ」と息を吐いて。

 

「じゃあ……ランス、触ってあげて?」

「触る?」

「うん。……ラッシーの身体に触れてみて」

 

 遂に種明かしをする事にした。

 ペットとして飼っている夢イルカ。ラッシーが喋る言葉の意味を。

 

「あれ? 確かコイツって触っちゃダメとか言ってなかったか?」

「そうね。触ると生命エネルギーを吸い取られちゃうから。でもそれは人間だった時の話で……」

「あぁなるほど、魔王だったら関係無いってか。ふむ、どれどれ……」

 

 そうしてランスの手が伸びて──

 

 

 

 ──そして。

 

 

「──がははははっ!」

「……うぅ」

「ワーグ! お前って結構可愛らしいとこあるじゃねーか! がーはははは!」

「う゛うぅ~~……!!」

 

 その後暫くの間、ワーグはにやにや顔のランスからからかわれ続けた。

 

 

 

 

 



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新たなる魔王様の新たなる日々④

 

 

 

 

「ほれ、ちゃんと挨拶せんか」

「う、うん……」

 

 ぽんと背中を押されて、魔人ワーグはおずおずと前に歩み出る。

 

「……え、えっと」

「はい」

「……は、初めまして。私は……ワーグ」

「はい。私の名前はシィルです。よろしくお願いしますね、ワーグさん」

 

 コミュニケーションの基本、挨拶と自己紹介。

 

「……っ」

「あっ」

 

 それだけで限界が来たのか、途端にワーグはペットの陰にぴゅっと隠れてしまった。

 

「おいワーグ、これぐらいで恥ずかしがるなよ」

「し、仕方ないでしょ!? これまでの人生で挨拶なんか経験してこなかったんだから……!」

 

 これまでの人生。誰かと仲良くなりたいと思っても体質のせいで困難だった人生。

 しかしそんな人生に転換期が訪れて、今日。ワーグはこの魔王城に足を運んでいた。

 

「シィルよ、前にも軽く説明したと思うがこいつはワーグ。顔を合わせるのは初めてだよな?」

「はい。以前からランス様がよくお出かけになられていたのがこのワーグさんの所ですよね?」

「そうだ。こいつは周囲の生物を無差別に眠らせちまうからってんで森の奥に住んでいたんだが……つい昨日その問題が解決したんで、今日からはココに住ませる事になった」

 

 昨日。魔王ランスの力によって、フェロモンの放出により無差別に眠気を撒き散らす魔人ワーグの凶悪な特殊能力『夢匂』は制御可能となった。

 となればワーグがこれ以上一人ぼっちで居続ける理由は無くなった。何かと不便な森の奥で生活をし続ける必要は無くなった。

 その真っ白お肌の美味しそうな身体を食べたくなった時に無用な手間を掛けない為にも、魔王の命によりワーグは森の奥から魔王城へとお引越しする事になったのだった。

 

「しかしなぁ、これ程までに人見知りするってのはちょっと問題だな」

「……うぅ」

「ワーグ、この城にはシィルだけじゃなくてかなみやウルザちゃんも居るし、他にもホーネットとか魔人連中だってわんさか居るんだ。シィル一人にこんなに照れていたらこの先やっていけないぞ」

「わ、分かってるわよぉ……でも……」

 

 これからこの魔王城内で共同生活を送る以上、ある程度の社会性は必要不可欠。

 しかし長年の孤独のせいでワーグは対人コミュニケーション能力が未発達。相手と目と目を合わせて会話をするのはまだ高いハードルのようで。

 

「……ラッシー」

 

 こんな時、主人を助けるのがペットの役目。

 ワーグはいつものように夢イルカのふわふわボディにぽんと手を乗せた。

 

「へへーん! シィル、俺の名前はラッシーって言うんだぜー!」

「わぁ! ラッシーちゃんは人間の言葉を喋れるんですね、ちょっとビックリしました」

「ワーグは見ての通り照れ屋な魔人だけどさ、でも悪いヤツじゃないから仲良くしてくれよなー」

「こちらこそ仲良くしてくださいね。ワーグさん、ラッシーちゃん」

 

 突然喋り出したイルカに驚きながらも、すぐさま柔らかく笑い掛けるシィル。

 人当たりの良さは随一なシィルの笑顔を見て警戒心が解けてきたのか、

 

「……うん」

 

 ペットの身体に隠れるワーグも小さく頷いた。

 

「……うーむ」

「……な、なに?」

 

 とそんな中、ランスはなんとも胡乱げな視線をワーグに向けていて。

 

「……いや、タネが割れてから見ると……お前とイルカがやってる事ってなんだか……」

「う、うるさいわねっ!」

 

 

 

 

 

 

 そして、その後。

 ワーグが初対面となる者達と挨拶を交わす間にも引っ越しの作業が進められていく。

 

「おらおらー! 働け働けーー!!」

 

 魔王の檄が飛ぶ中、魔物兵達の手によってワーグの家にあった荷物が客室へと運ばれていく。

 

「……にしても、まさかワーグの睡眠能力が制御可能になるなんて……」

「そうですね……驚きました」

 

 そんな光景を横目に見ながら魔人サテラと魔人ホーネットが呟いた。

 無差別が故に凶悪な睡眠能力、この魔物界で最も恐れられているとまで言われた魔人ワーグ。

 その能力の凶悪さは据え置きながら、実害面においては大きなテコ入れがなされた。テコ入れを行ったのは勿論この男、魔の頂点に立つ当代の魔王。

 

「魔王様。ワーグの能力を操作可能にしたのは魔王様の御力だと聞きましたが」

「その通りだ。これがやってみたら意外と簡単になんとかなってな」

「魔人を形作るのは魔血魂の力ですからね。その魔血魂が魔王様の身体の一部である以上、魔人本人には制御出来ない体質の問題に手を加える事も可能かもしれませんが……」

 

 魔王の力に関してはホーネットも全てを知っている訳では無い。しかしそれが言う程に簡単な事では無いだろうと理解していた。

 特にそれが魔人ワーグを作成した張本人、先々代魔王ガイにも不可能だった事だと考えると、それは新魔王が秘める才覚によるものと言える。

 

「やはり魔王様は魔王の力に対しての適正が高いのでしょうね。だからこそワーグの体質を改善する事が出来たのだと思います」

「だろうな。世界一の大天才であるこの俺様に不可能は無いのだ」

「魔人の体質を改善…………はっ!」

 

 とその時、何事かを閃いたサテラが弾かれたように顔を上げた。

 

「ならランス……じゃなくて魔王様っ! さ、サテラのも治せませんか?」

「治すってなにを?」

「ですからサテラの体質をですっ! サテラの体質も治すことが出来るのではと思うのですが!」

「お前の体質? ……って、もしかしてそのエロエロ敏感肌の事を言ってんのか?」

「そうです! それです!!」

 

 魔人サテラの抱える厄介な体質。普通の人よりも遥かに刺激に弱い敏感なお肌。

 ちょっと触られるだけで気持ちよくなってしまうその肌はさながら全身が性感帯のようなもので、過去にはそこを突かれて人間だった頃のランスに苦渋を飲まされた事だってある。

 言わば魔人サテラにとっての弱点であり、叶う事ならば改善して貰いたい体質なのである。

 

「なーるほど、お前の敏感体質をねぇ……これはどうなんだろうなぁ」

「そうですね……サテラのそれは魔人化の影響とかそういう話ではありませんが……しかし似たようなワーグの問題が解決出来たとなると、魔王様の御力であれば可能性はあるかと」

「ですよね!」

「えぇ。少なくとも試してみるだけの価値はあると思います」

「ですよね! ですよね!?」

 

 ワーグの睡眠体質問題と同じように、自分の敏感体質問題にも終止符が打たれるのでは。

 

「では魔王様!!」

「ふむ……」

 

 そう思って期待に目を輝かせたサテラだったが。

 

「けど駄目」

「えっ」

「たとえ治せたとしてもお前の体質は治さん」

「な、なんで!?」

 

 返答は拒否。

 無情なる宣告にサテラは悲鳴のような声を上げた。

 

「だってワーグの体質と違ってお前の体質はエロいからな。治しちまうなんて勿体ないだろ」

「そ、そんなっ……!」

「サテラよ。お前は超が付く程の敏感エロエロ魔人だからこそ抱きがいがあるんだ。それを治しちまったら魅力が減ってしまうではないか」

「な、ななな……っ!」

 

 魔人サテラは何故エロいのか。それは身体中の何処を触っても敏感だからである。

 肌を撫でるだけで頰を赤らめて、ちょっとおっぱいを弄るだけでも達してしまう。それは魔人サテラにしかない特別な魅力、特別なエロさ。

 

「魅力が……減る……」

「うむ。魅力半減だな」

「は、はんげん……」

 

 敏感じゃないサテラなんてアイデンティティの欠如もいいところ。

 ランスからしたら「それを捨てるなんてとんでもない!」といった話である。

 

「サテラの魅力……半減……」

「うむ、敏感じゃないサテラなんてサテラじゃないだろう。俺様は何度も何度もイキまくるちょー敏感なサテラとセックスがしたいのだ。だから駄目」

「……う、うぐぐぅ……」

 

 悔しげに呻くサテラ。

 ここで前までなら「ランスっ! お前はサテラを何だと思ってるんだー!」とか言えたのだが、しかし今や魔王となったランス相手に文句を言うわけにもいかない。

 

「……う、うぅ……ほ、ホーネットさまぁ……」

「……サテラ、受け入れなさい。魔王様にそう望まれているのですから、それに応えるのが魔人の本懐というものですよ」

 

 仕方なくホーネットに泣き付いてみても結果は変わらず。

 こうして魔人ワーグとは違い、魔人サテラは今後も敏感体質のままとなった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして──それからというもの。

 

「がははははーー!!」

 

 魔人ワーグというハーレム要員が一名追加された魔王城にて、その後ランスは日々を謳歌した。

 

 

「今日はお前だー!!」

「うぅっ、ランス……!」

「ワーグっ! 早速魔王様がお呼びじゃー! 観念せいー!!」

 

 今日のお相手は魔人ワーグ。

 この魔王城に、いいやこの世界で自分に逆らえる相手など存在しない。

 それが魔王の醍醐味。魔の頂点に立った者の栄華というもの。

 

 

「今日はお前だー!!」

「魔王様……あっ……!」

「ホーネット、魔王様に逆らうとは何事だー!! お仕置きしてやるぞーー!!」

「逆らってません、逆らってませんから……!」

 

 今日のお相手は魔人ホーネット。

 どの女の部屋を訪れようともアポイントは一切必要無し。

 気分の赴くまま性欲の赴くまま、食べたいお相手を食べたいタイミングで食べる日々。

 

 

「今日はお前だー!!」

「ぎゃー!! 助けてハウゼルー!!」

「思えばサイゼル単品で食べるってのは初めてだ。てな訳で今日はハウゼルちゃん抜きでお前だけとセックスする。覚悟しろー!!」

「いーやー!!」

「イヤとはなんだー!! 俺様は魔王様だぞー!」

 

 今日のお相手は魔人サイゼル。

 自分に対して反抗的な相手だってお構いなしで。

 

「がははははー!!」

 

 そんなハーレムな日々を過ごして……早数日。

 ランスが魔王として目覚めてから、およそ一ヶ月以上が過ぎた頃──

 

 

 

 

 

 

「ふんふーん……っと」

 

 ある日の昼下がり。

 今日も魔王は気ままに日々を過ごしていた。

 

「なーんか腹減ったなー。そろそろおやつでも食うかなー」

「あ、ランスさん」

「おぉ、ウルザちゃん」

 

 すると廊下でばったりウルザと遭遇して。

 

「そうだ、ちょっと宜しいですか?」

「ん?」

 

 そして彼女はランスが思っても見なかった事を言い出した。

 

「実はですね……私は一度ゼスの方に戻ろうかと思いまして」

「な、なにィ!?」 

 

 驚愕に眼を剥くランス。

 

「ぜ、ゼスに、戻るだと!?」

「はい」

 

 一方事も無げに頷くウルザ。

 ゼスに戻る──この魔王城から去る。ランスにとっては青天の霹靂というものである。

 

「どうしてゼスに戻る!? まさかこれは三行半か? 三行半というヤツなのか!?」

「いえ、そういう訳では無くて……」

「では何故だ!? 一体なぜ!?」

「それは……元々私がここに呼ばれたのは派閥戦争への協力の為でしたからね。その派閥戦争がとうに終結した以上、私がここに居てもするべき仕事は無さそうですし」

 

 軍師ウルザ。彼女がこの魔王城にやって来たのはもう一年以上も前の事。

 当時はランスも魔物界に乗り込んだばっかりで右も左も分からない状況、身動きを取ろうにも色々と融通が効かず、細かい所に手が回る頭の良い人材が欲しくて呼び出した相手、それがウルザだった。

 そして今、派閥戦争は勝利にて幕を閉じた。ウルザにとっては目標を達成した訳で、現状ではこれ以上魔王城に留まるべき理由は特に無い。

 

「何を言うかウルザちゃん! 君には俺様とセックスをするという大事な仕事があるだろう!!」

「それは仕事とは言いません。……そして何よりですね、そろそろ本来の業務を休んでいるのに気が引けてきたというのが一番の理由でして」

「本来の業務って……ゼス四天王?」

「に加えて警察長官ですね」

 

 ゼス四天王兼警察長官。ウルザはゼス国内でも要職に就いている重要な存在。

 自由人のランス達とは違って彼女にはちゃんとした公務がある。となるとこの魔王城で暮らしている期間延べ一年以上、本来の業務を部下達に任せっきりになっている訳で。

 

「実は……警察長官の仕事が問題でして」

「問題?」

「はい。どうもこの一年の間でゼス国内の治安が悪化してきているという報告があるのです」

 

 言ってウルザは僅かに視線を伏せる。

 ゼス国内の大都市における治安の悪化。そんな報告が上がってきたのはもう随分前の事。

 

「治安が悪化って……以前みたいにテロリスト集団でも現れたってか?」

「どうでしょう、そこまでの事はまだ判明していないので何とも言えませんが……」

 

 ランスが指摘したテロリスト集団。それはLP4年に起きた大騒動の契機となったもので、最終的に魔軍の侵攻にまで発展した一大事件の解決はランスを飾る武勇伝の一つでもある。

 そしてその大騒動以降、ゼス国内の犯罪率は一定水準を保っていた……が、ここ一年でそれがまた上昇傾向にある。特に多くの民間人が巻き込まれる事故や事件が増加傾向にあるらしい。

 単なる偶然といえば偶然なのかもしれないが、警察長官である自分がゼスを離れている間にそんな事態が起こったとなると、ウルザとしては気が気でない話である。

 

「つってもなぁ、その程度ならわざわざウルザちゃんが戻るまでも無いだろう。なにも君自身が全国の町をパトロールするわけじゃねーんだし、部下に指示を出したいなら魔法電話で十分だろ?」

「魔法電話でも指示が出せるというのは確かにその通りなのですが……しかしこの治安悪化の傾向はどうやらゼスだけに限らないらしく、妙な胸騒ぎを感じてしまうのです」

 

 それに、とウルザは呟いて、

 

「どうやらゼス四天王の方も……色々と各国の情勢が変わり始めているようでして」

「あん?」

「当然と言えば当然の事なのですが……それだけの時間は経過していますからね」

 

 それは──新たな魔王が誕生して、約一ヶ月。

 いいや振り返ればそれは──去年の二月一日。その日から今日までの間中ずっと。

 

 ランスは長らく魔物界で暮らしている。だからそっちの事は全く気に掛けてこなかった。

 故に知らぬ事なのだが、当然その間も人間世界の方では幾つもの事件が起こっている。

 

 それは例えばJAPANにて、何者かによって禁妖怪の封印が解かれた事とか。

 ゼス王立博物館が襲撃を受けて、展示物であったmボムが持ち去られた事とか。

 AL教総本部のカイズが襲撃を受けて、禁断保管庫の中身が一部流出した事とか。

 そのカイズでの襲撃事件以降、世界各地で汚染人間の数が増加してきている事とか。

 

 そして国際情勢も。昨年からゼス国とリーザス王国の関係が悪化してきている事とか。

 直近の話題では、リーザス王国がヘルマン共和国に対し宣戦布告と共に侵攻を開始した事とか。

 

 他にも挙げればきりが無い。ここ一年の間にもそれだけの事件が発生している。

 当然その中にはゼス国が絡んでいる事件もあり、警察長官として、ゼス四天王として、本来ならウルザが対応するべき事案も多くあった。

 

「そんな訳で、私は一度ゼスの方に戻ろうかと」

「………………」

 

 魔物界の騒動が落ち着いて、今度は人間世界がキナ臭くなってきた。

 なので一旦ここを離れてゼス国へ戻ろうかと考えていたウルザだったのだが。

 

「正直なところを言えばこちらの状況から目を離すのも悩ましい部分はあるのですが──」

「……う、うぐ」

「……ランスさん?」

 

 すると……不意にランスの様子が変わった。

 

「うぅ、うぐぅ……!」

「ど、どうしました?」

「ぐ、ぐぅぅ……!! あ、ああぁぁあ!!」

 

 喉の奥から漏れ出したような呻き声。

 見るからに苦悶の表情になって、自らの胸を掻き毟るように苦しみ始めた。

  

「ランスさん、大丈夫ですか?」

「あ、あぁあ……! ま、マズい……これは、マズいぞ……!」

 

 世の支配者である魔王がここまで苦悶する、マズいという程の危機的状況。

 それはつまり──

 

「……ヤバい、俺様の中の、魔王の力がぁ……!」

「え!?」

「魔王の力が、今にも溢れそうだ……ぐぅ、抑えられない……!!」

「魔王の力って……そんな、まさか……!」

 

 魔王の力が溢れる。その言葉の意味を理解してウルザはハッと息を飲んだ。

 これは先代魔王・来水美樹を悩ませていたもの、魔王化の発作に近いものか。

 ここまでランスが人知れず抑え込んできていた魔王の力、それがもう臨界寸前なのか。

  

「と、とにかくヒラミレモンを持ってきますから、それまで──」

「う、ウルザちゃんが……いなくなると……!」

「え?」

「ウルザちゃんがゼスに帰ってしまうと……魔王の力が爆発してしまうかもしれん……!」

「──あ、まさかそういう事ですか!?」

 

 とそこでウルザは気付いた。

 これは魔王化の発作でも何でもなくて、それを匂わせる事での駆け引きだという事を。

 

「あぁ、あぁぁあ……駄目だぁ、もしウルザちゃんがゼスに帰っちまったら……俺は世界を滅ぼす魔王になってしまうかもしれん……ぐぐぐ……っ!」

「……ランスさん。これ、演技ですよね?」

「演技ではなぁい……! マジで魔王の力が抑えられんのだ……! このままでは本当にホントの魔王になってしまうかも……それを阻止できるのはウルザちゃんしかいない……ぐわぁ……!」

「その言い分は卑怯ですよ、もう……」

 

 血の衝動。それは当の魔王本人にしか知り得ぬものでウルザには分からないもの。

 どう考えても演技だとは思うのだが、しかし実際にランスの身体から放出される魔王オーラは溢れんばかりに増加しているから困りものである。

 

「にしても世界を滅ぼす魔王になるなんて、冗談でも言っていい事ではありませんよ?」

「冗談とかではなぁい……! ぐあぁぁ……!! もう駄目だぁ、魔王の力がぁ……!!」

「……分かりました。ゼスに帰るのは止めます。これで宜しいですか?」

「うむ、よろしい」

 

 その言葉を聞いた途端、魔王ランスは呆気なく元の様子に戻った。

 

「やっぱり演技じゃないですか」

「いーや演技ではない。ついさっきまで俺の中で暴れていた魔王の力が不思議と収まったのだ」

「……なら、やっぱり私はゼスに戻ります」

「ぐわぁぁ……! また魔王の力がぁぁ……!」

「……はぁ。もうそれはいいですから……そんな子供みたいな真似は止めて下さい」

 

 再び苦しみ始めたランスを尻目に頭の痛そうな表情で呟くウルザ。

 あまりにしょうもない真似ではあるものの、しかし魔王の発作というのは人間世界における最大の危機であるのは紛れもない事実。

 そんなものを軽々しく駆け引きに使ってくる魔王ランスを置いてゼスに戻るのは怖い。そう思わされた時点でウルザの負けだった。

 

「……まぁ、魔王になったランスさんと魔物界の状況を把握しておく事にも意義はあるので、ゼスに戻るのも痛し痒しだったんですけどね」

「そうだそうだ。大体ゼスの治安がどうのこうの言うとったがな、魔王である俺様が本気を出したらゼスなんてデコピン一発で木っ端微塵だぞ。だから君が注意しておくべきなのは魔王である俺様、君がいるべきなのはここなのだ」

「それは全く以てその通りでしょうが、しかしそれを当のランスさんが言わないで下さい」

 

 人間世界の治安を脅かす最たる理由、それが魔物である事は言うまでもない。

 となれば治安維持の観点からして、魔族の頂点たる魔王の動向を監視する為に魔王城に留まるのは理に適っているとも言える。

 それが警察長官の仕事なのかと言われると疑問符は付くものの、しかし自分の他に適任がいるとも思えない。とはいえ国内にも目を向けたいウルザにとっては本当に痛し痒しな状況だった。

 

「こうなると出向はもう暫く継続ですね。ゼスの方に連絡を入れないと……」

「うむ。……しかしこれはちょうど良かったかもしれんな」

「え?」

「さっき言ってたろ? これ以上ここに居てもするべき仕事が無いって。だったらヒマを持て余しているウルザちゃんに仕事をあげようではないか」

 

 派閥戦争が終了して約三ヶ月。新たな魔王が誕生して約一ヶ月。

 となればそろそろ暇を持て余す頃合いである。それは勿論魔王にとっても。

 

「いい頃合いだ。そろそろ俺様も魔王として動こうかなぁと思っていたのだ」

「……ランスさん」

 

 ──むしろ大人しくしてくれていた方が私としては有り難いのですが。

 口から出掛かったそんな言葉をウルザはぐっと飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 



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夢のハーレム計画

 

 

 

「てな訳で、王座の間だ」

「はい」

「ですね」

 

 という訳で、王座の間である。

 

「やっぱり魔王っぽい事をするならここだよな。こうして座ってるだけでなんか魔王っぽいし」

 

 いかにも魔王っぽく、でーんと王座に腰掛ける魔王ランス。

 その両隣にはウルザが、更には呼び出しに応じてやってきた魔人ホーネットの姿も。

 

「改めて、だ。俺様が魔王になってから結構な時間が経ったな」

「そうですね。魔王様がお目覚めになられてから一ヶ月と少しが経過しました」

「うむ。この一ヶ月、俺様は何も遊び呆けていた訳ではないのだ」

「そうなのですか? 私にはそのようにしか見えませんでしたが……」

「いーや違う。それはあくまで表向きの姿、本当は機が熟すのを待っていたのだよ」

 

 先代魔王から血の継承を受けて、早一月。

 その間に男魔人達との個人面談を行ったり、魔王の力の使い方を学んだり。

 それは魔王として動く為に必要な事と言える。言わばこの一月は準備期間だったのだー、というのが魔王ランスの弁で。

 

「そして先日、ワーグの問題も解決した。これであいつもこの城で暮らせるようになった」

「えぇ、そうですね」

「うむ。これで遂に我が魔王軍の陣容が固まった事になる」

 

 魔王軍の陣容。魔王の手駒として扱える必要な魔人達も勢揃いした。

 

「となれば……」

「となれば?」

「──いよいよだ。いよいよ本格的に動き出す時がきたのだ」

 

 準備期間が終わって……今、遂に期は熟した。

 第八代魔王ランス、その威名を世界中に轟かせる日がやって来たのである。

 

「……本格的に動き出す、ですか」

「おう」

「成る程。それで私とホーネットさんを呼び出したのですね」

「そういう事だ。君等二人にはこの俺様の補佐をして貰う。人間世界の事はウルザちゃん、魔物界の事はホーネットに任せるのが適任だろうからな」

 

 そんな魔王の補佐を命じられたのはあらゆる面において優秀な才女二人。

 

「君達の働きには大いに期待しているぞ?」

「お任せ下さい、魔王様。必ずやご期待に応えてみせます」

「まぁ、そうですね。ここに残ると決めた以上私も自分の役割を放棄するつもりはありませんが……にしても、いよいよですか」

 

 魔王の言葉にホーネットとウルザはそれぞれ真面目な表情で頷いた。

 いよいよランスが魔王として動き出す。その時がくるだろう事は分かっていた。ランスという男の性格上、このまま何もせずに日々を穏やかに過ごすだけとは考え難いからだ。

 新たな魔王が誕生した以上、その力がこの世界中全てを覆わんとするのは避けて通れない道。約八年に及ぶ期間魔王が不在だった事の方が特殊なケースであり、魔王による支配こそがこの世界における本来の姿なのである。

 

「それで……ランスさん、具体的には何をするつもりですか? 先程魔王軍の陣容が固まったとか仰っていましたが、だったら魔王軍を動かすつもりなのですか?」

「あぁそうだ。ただでさえ魔物ってのはアホみたいにうじゃうじゃ居やがるからな。このまま遊ばせておいたんじゃただの無駄飯食らいだ、あるものは使わないと勿体無いだろう」

「では、どのように?」

「うむ。魔王軍の陣容が固まった事だし……」

 

 魔王軍の陣容が固まったという事は?

 次にする事と言えば──

 

「それは……」

 

 次にする事と言えば?

 

 

「……人間世界への侵攻?」

 

 ランスはむむむと首を傾げながら告げた。

 人間世界への侵攻。両世界の境界線を破って人間世界に攻め込み、人間達を虐殺する。

 つまりはメインプレイヤーの抹殺。魔王軍の使い道と言ったらそれしかない。

 

「………………」

「………………」

 

 するとそれを聞いたホーネットとウルザは。

 お互いにチラッと一瞥、共に警戒の色を滲ませた目線を交錯させて。

 

「……魔王様。それは……如何なる理由で人間世界への侵攻を行うのでしょうか」

「如何なる理由かって聞かれると特に意味は無い。けどせっかく俺様の俺様による俺様の為の最強魔王軍が出来たんだし、やっぱガーッとド派手に動かしてみたいではないか」

「な、成る程……つまり興味本位という事ですか」

「まぁそうだな」

「……ですがランスさん、人間世界への侵攻など行ったら多くの人々が犠牲になります。その中にはこの先ランスさんが抱く予定の美人な女性だっているでしょう。そういう人達が亡くなってしまっても良いのですか?」

「む。確かにそりゃダメだな。んじゃやっぱ人間世界侵攻はなーし」

 

 ノリで人間世界侵攻を行った結果、世界の宝である美女が失われるなど以ての外。故に却下。

 こうして魔王ランスによる人間世界侵攻計画は約20秒足らずで頓挫した。

 

「えぇ、それが宜しいかと」

「さすがは魔王様、ご英断だと思います」

 

 平然と答えながらもウルザとホーネットは密かに胸を撫で下ろした。

 魔軍による人間世界侵攻、その引き金を引ける唯一の存在が魔王。まさか本気では無いだろうと思いはすれど、しかし当の魔王があのランスだけに楽観視は出来ない。

 その場の勢いやノリだけで突拍子も無い事をしがちなランスが魔王となってしまった以上、その思考を出来るだけ安全な方へと導くのは自分達の役目であると二人は自覚していた。

 

「まぁ今のはほんのジョークのようなものだ。こっからは別の計画を真剣に考える」

「別の計画ですか。それはどのような?」

「ふーむ、そうだなぁ……人間世界への侵攻がNGだとなると、他には……」

 

 ランスは腕を組んで考える。 

 魔王として、これから自分がする事とは。

 

「ううーむ……」

 

 魔軍を動かして人間世界へ侵攻を行うのは駄目。

 となればどうするか。

 

 ……どうする?

 

 

「……なぁ、ホーネット」

「はい。なんでしょう」

「魔王って一体なにすりゃいいんだ?」

 

 新米魔王ランスは深く首を捻って呟いた。

 果たして魔王とは何をする存在なのか。なにをする為に存在しているのか。

 

「人間世界への侵攻をしないとなると、他に魔王がするような事なんて思い付かねーのだが」

「……魔王がなにをすればいいのか、ですか。それは中々難しい質問ですね……」

 

 聞かれたホーネットも顎の下に手を置き思案げな顔になる。

 この世界を支配する絶対の存在、魔王になった者の役割とは。魔王とは何をすればいいのか。

 ……という考え方そのものが。魔王というのはそういう考え方自体がそぐわない存在であって。

 

「この世界において魔王様というのは言わば『何をしても構わない存在』という事ですからね。それは言い換えると『何をしなくても構わない存在』でもあるという事」

「成る程。魔王がその行動を抑制されたり強制されたりする謂れは無いという事ですか」

「えぇ、そういう事です。ですから『なにをすればいいのか』と聞かれたら答えとしては『魔王様のお好きな事をすれば宜しいかと』と答える以外にありません。具体的にそれが何かというのは魔人の私に言える事では無いでしょう」

 

 魔王としてこの世界を支配して、人類の総家畜化を図った魔王だっている。

 あるいは。魔王としてこの世界を支配して、人類の生存圏を創り出した魔王だっている。

 

 その両極端な支配構造について、どちらが正しいも間違っているもなにも無い。

 ただそれぞれの魔王が好きなようにした、好きなように魔王の力を使っただけ。

 

「そうか。好きな事をすりゃあいいのか」

 

 魔王というのはそういう存在。全てがオールオーケーとなる存在。

 となればここにいる新たな魔王、第八代魔王ランスがする事とは。

 

「よし決めた。んじゃあアレだな。やっぱアレしかない」

「ランスさん、アレとは?」

「そりゃあ勿論ハーレムだ。ハーレム」

 

 人間世界侵攻計画改め──夢のハーレム計画。

 それが魔王ランスのしたい事、好きな事。つまりはそれがこの世界の新たなる形か。

 

「俺様による俺様の為の素晴らしき夢のハーレム計画スタートだ。つーわけで俺はこれから魔王として世界中の美女を全員手に入れる。それをする」

「……やはりそうなりますか。そう言い出すだろうなと半ば分かってはいましたが……」

 

 魔王の力を手に入れたランスが何を望むか。それはまず間違いなく女、美女、ハーレム。

 それは当然のように分かっていたので今更驚きは無い。むしろ来るべき時が来たか、とウルザとホーネットは気を引き締める。

 

「二人共、文句はねーよな?」

「はい、勿論です。元より私は魔王様に対して文句を言うつもりなどありません」

「無い、とは言いませんが、文句を言ってもそれで考え直してくれるランスさんではないですからね。それなら建設的な話をした方が良いでしょう」

 

 頭ごなしに否定すると返ってランスはへそを曲げてしまう。

 そんな性格を理解しているウルザは嘆息するように軽く息を吐いて。

 

「では……そのハーレム計画について、いくつか聞きたい事があるのですが」

「おう、なんだ」

「先程、世界中の美女を全員手に入れると言っていましたが……それは言葉通りに全員ですか?」

 

 一番気になった部分、ハーレム計画の対象は世界中にいる美女全員を範囲とするのか。

 その答えは言うまでも無い。魔王ランスは大きく首を振って答えた。

 

「もっちろん全員だ。この世界に存在している可愛くてキレイな女の子はぜーんぶ俺様のもの。俺様以外の野郎共には一人たりとも譲ってやらんのだ。がーはっはっはっはっ!」

 

 この世界の美人は全て自分のもの。それは人間だった頃から宣言していた言葉。

 あまりにオーバーで大言壮語に等しかったそれだって今では現実的な目標となり得てしまう。

 

 ──が。

 

「全員、ですか」

「おう。全員だとも」

「全員……」

 

 言いながらウルザはホーネットの方にちらっと視線を送る。

 

「……全員。魔王様の御力の規模を鑑みれば、それも当然と言えるかもしれませんが……」

 

 すると同じような事を考えていたのか、ホーネットもその眉間に皺を寄せた。

 

「ですが……現実的に可能な事が現実に行って正解だとは限りません。この世界に存在する美人な女性全てをランスさんのハーレムとするなど、少々困難が過ぎるように思うのですが……」

「簡単だろそんなもん。なんたって俺様は魔王様なのだからな」

 

 現実には困難だと主張するウルザの一方、魔王ランスは軽い調子で答える。

 魔王ランスが想像する夢のハーレム。その作り方はとても簡単でシンプルなもの。

 

「いいか? まず全人類を男と女に分けるだろ?」

「はぁ」

「んで男の方は捨てて、女の中から賞味期限の切れた年増とガキ、更にはブスと普通を捨てる」

「はぁ」

「そうすればほれ、そこに残ったのがぜーんぶ俺様のものってわけだ。簡単だろ?」

「……まぁ、言葉で言う分には簡単ですね」

「そうだろ? だからそんな感じでやる。今日からそういう世界にするのだ」

 

 夢のハーレム。適齢期にある美しい女性は全て魔王が総取りにしてしまう世界。

 それがこの世界の新たな形となる……のか、どうなのか。少なくとも魔王はその気のようだ。

 

「ですがランスさん、今の話を具体的にはどのようにして実現するおつもりですか?」

「それは知らん。つーかそれを考えるのはむしろ君達の役目だろうに」

「あぁ成る程。具体的にどうするかについては私とホーネットさんで計画しろと言う事ですか」

「イエース。何かと優秀な君達ならハーレム計画だって出来るはずだ。だよなウルザちゃん?」

「まぁ、そうですね。以前までならともかく魔王になったランスさんの力を使ってという事なら、確かに可能だとは思いますが……」

 

 最強の存在たる魔王の力を使えばなんだって出来る。世界を二分する事だって出来てしまう。

 だったら魔王ランス式夢のハーレム計画の実現だって不可能ではない。それはウルザも頷く所。

 人間世界にある各国の指導者に対して定期的に美女を差し出す事を強制したっていいし、もっと乱暴に全人類を総奴隷化して、その中から美女を選出するような世界に作り変えたって良い。

 

「ですが……」

 

 しかしそこでまたウルザはちらっとホーネットの顔を見た。

 

「………………」

 

 するとアイコンタクトで意図を察し合ったのか、ホーネットも小さく頷いて、

 

「……魔王様。そのハーレム計画について、私も聞いておきたい事があるのですが」

「おう、なんだ」

「魔王様は先程、この世界にいる全ての美しい女性達を我が物にすると仰っていましたよね」

「言ったな」

「ではそうして美しい女性達を我が物にして、それで魔王様はどうされるおつもりでしょうか」

「んなもん決まってるだろ。全員とセックスする」

「……ですよね」

 

 全ての美女を集めた夢のハーレムの目的。

 それは当然セックス。ハーレムに入れた全ての美女達とセックス三昧の日々を過ごす事。

 

「……では、少し計算してみましょうか」

「計算?」

「えぇ」

 

 しかしその場合、魔王ランスが言う『全て』とは具体的にどれほどのものなのか。

 どうにもその規模を理解していなさそうなランスに現実を教える為、ホーネットは答えが見えつつも一から計算して説明する事にした。

 

「ウルザさん。魔人である私には分からない事なので教えて欲しいのですが、今現在人間世界の人口総数というのはどれ位のものなのでしょうか」

「そうですね。おおよそにはなりますが、去年の時点で約3億人程だったはずです」

「なるほど、3億人ですか……」

 

 この世界で生きている人間は約3億人。

 その中で魔王ランスが欲しがっている『美人』というのはほんの一部分になる訳で。

 

「でしたら魔王様、先程仰っていたようにまずはこれを男と女で分けましょう。性別の比率が均等であると仮定して3億の内の半分、つまり1億5000万人が女性だとします」

「うむ」

「そして次、この中に適齢期の女性がどれだけいるのか、ですが……先程魔王様が捨てると仰られていた『年増』と『ガキ』というのは具体的には何歳頃を指すのでしょうか?」

「年増は30だな。30歳を過ぎた女は鮮度が落ちるから駄目。下は外見によっても変わるが……あんまりロリ過ぎるのは好きじゃない。大体15歳前後ってところだろーな」

「15歳から30歳までという事ですね。となると……ウルザさん、人間種における平均寿命というものはどの程度でしょうか」

「大体80歳と考えて良いと思います。ランスさんが女性に求めるのは15歳~30歳ですので、比率にして約18%という所ですかね」

「という事は1億5000万の女性の内、18%となる2700万人程度が15歳から30歳であると仮定しましょう。……魔王様、ここまでは宜しいですか?」

「うむ」

 

 魔王ランスは仰々しく頷く。

 総人口3億人から性別と年齢というふるいに掛けて、ここまで残ったのは大体2700万人。

 

「そして最後に外見ですね。外見は数字で表すのが難しく具体性に欠けますが……例えとして『十人に一人の美女』を選出するとしましょう」

「おぉ、なるほど」

「十人の集団の中で一番美人な一人を選ぶ。そう考えた場合2700万人の十分の一、270万人が15歳から30歳であって美人な女性という事になります」

「270万か。イイな、んじゃあその270万を俺様のものにしよう」

 

 この世界に存在している適齢期の美女。大まかに計算して総数270万人。

 その全てを我が物とする気満々の魔王は満足げに笑う……が。

 

「……ランスさん。その270万人を一体どうするおつもりなのですか?」

「あん? だから全員とセックスを──」

「270万人ですよ? 一日替わりで抱いたとして270万日、一日に10人を抱いたとしても27万日掛かるのですよ? 一年で割って約739年掛かる計算になりますが、本気で全員抱くおつもりですか?」

「…………え。な、739年?」

「はい。739年です」

「……そ、そんなに?」

 

 一転してランスは不意打ちを食らったような顔になった。

 魔王ランス夢のハーレム計画──それは現状739年掛かりとなるあまりに壮大過ぎる計画。

 

「739年か……それは、さすがに……」

「魔王様の任期は1000年ありますから、739年というのも不可能な数字ではありませんが……」

「ですがランスさんは問題無くともお相手の女性が寿命を迎えてしまうでしょうね」

「……ぬぅ」

 

 思わず唸るランス。

 現状の見立てとなる739年、それは人間が10世代以上も先へと進む長過ぎる年月。

 到底寿命の方が持たないので、このままではハーレム計画の実現は実質的に不可能である。

 

「じゃ、じゃあさっきの計算を見直す」

「というと?」

「えっと……なら10人に一人の美女は止めて、100人に一人レベルの美女に絞ったらどうだ?」

「それなら今の数字をそのまま10分の一にして女性の数は27万人、計73年ってところですね」

「73年か……それなら、なんとかなるか……?」

 

 魔王ランス夢のハーレム計画(改)──それは現状73年掛かりとなる壮大な計画。

 

「……なんとかなりますか?」

「なるっ! ……と、思う」

「ですが、その73年の間にも新しい女性は生まれてきますよ? となればその分の勘定だって増やす必要がありますよね」

「うぐっ」

「そして一番の問題点ですが、その73年の間にも女性は年齢を重ねてしまいます。ハーレム計画の進行中に適齢期だった女性は適齢期を越えてしまうでしょうし、適齢期に無かった女性が適齢期に入ってくる事になります。そうした年代の経過まで考えた場合、73年計画というのは少々現実的では無いと思いますが」

「……ぐぬぬ」

 

 30歳で鮮度が落ちると言っているのに、73年も掛かればその美貌を維持出来るはずが無い。

 ウルザの言う事は全て尤もであり、ランスにはぐうの音も出ない。

 

「じゃ、じゃあ……一日に10人じゃなくて一日に100人とセックスする」

「……100人と、ですか?」

「おう」

「……それなら、まぁ……更に十分の一して約7年で済む計算にはなりますが……」

「7年! 早いぞ! これならイケるな!」

 

 魔王ランス夢のハーレム計画(決定項)──それは現状7年掛かりとなるそこそこな計画。

 話し合いの甲斐あって、ようやく実現可能な計画の大筋が固まってきた……かに思えたが。

 

「けど本気ですか? 一日100人ですよ?」

「本気だ。俺様ならやれる」

「……では、これも計算してみましょう」

 

 果たしてそれは、一日に100人と性交するとはどういう事か。

 これまた現実が見えていないランスの為にもウルザは一から説明する。それこそが型破りなトップを支える補佐役の仕事というものである。

 

「ランスさんは普段から8時間ぐっすり睡眠を取りますからね。他にも食事や入浴、その他雑事にも時間を消費するとして……まぁ多めに見積もって一日12時間を性交に当てるとしましょう」

「うむ」

「その12時間で100人を抱こうとする場合、一時間につき8人強、大体一人につき七分半の時間で抱く必要があります」

「……な、七分半?」

「はい。七分半です」

 

 100人に1人レベルの美女とのセックス。

 それを一人につき約七分半ぽっきりでぱぱっと終わらせる。

 

「七分半……」

「はい。そうでなければ一日に100人と性交を行うのは不可能です」

 

 そうして一日につき100人抱いて、それを約7年間休み無く続ける。

 それが魔王ランス夢のハーレム……なのか。

 

「……なんか、そこまでいくと作業みたいであんまし楽しそうじゃないな」

「ですね。私も同感です」

「しかもそれって他の女共とセックスする時間を除いて、ってことだよな」

「ですね。シィルさんや魔人の皆さんと性交する時間はほぼ無くなってしまいますね」

「………………」

 

 ハーレム。それは男の夢。

 果たして夢とはかくも作業感漂うものなのか。

 自分の女と呼ぶ程に大事な女達とのセックスの時間を削ってまで叶えるようなものなのか。

 

「……どうしますか? 魔王様」

「………………」

 

 沈黙する魔王の隣、ホーネットは躊躇いがちに口を開く。

 

「魔王様がそうせよと仰るなら、これは決して実現不可能なものではありません」

「………………」

「魔王軍全軍を動かす号令を発して、今の世界をそのような世界に作り変えますか?」

「………………」

 

 その一言で世界が大きく変わる。

 その重みを知ってか知らずか、長い長い沈黙を続けていたランスだったが──

 

 

「……よしっ! 決めたぞ!!」

 

 遂に──決断した。

 

 

「はらへった。俺様は飯を食いにいく」

 

 それだけ言い残して、立ち上がったランスは王座の間をそそくさと出ていった。

 

「……逃げましたね」

「……ですね」

 

 開けっ放しにされた扉を眺めながら、ウルザとホーネットは共に息を吐く。

 

 こうして魔王ランス夢のハーレム計画は計画時点で頓挫したのであった。

 

 

 

 

 

 



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閑話 華麗なる─────の忠誠

 

 

 

 

 

 それはLP8年から変わってRA0年の二月中旬。

 魔人ワーグを加えた魔王城にて、ランスが日々を気ままに過ごしていた頃の出来事。

 

 

 

 ここ最近……常々思う。

 

(…………いる)

 

 そう。……居る。

 居るのだ。これまでとは違って……それが。

 

(……魔王様が、いますね)

 

 魔王が、いる。

 この魔王城の城内に、魔王が居る。

 この世界の王が。長らく空席だった魔族の王の座に新たなる主が誕生した。

 

(……魔王様が)

 

 その事が──ホーネットには分かる。

 たとえそばに居なくても分かる。何をしていなくても分かる。よく分かる。

 彼女は魔人だから。魔人であるが故、魔王の力の波動というものを感覚で察知出来るのだ。

 

(……ランスが、居る)

 

 だから、分かる。

 そう──彼が居る事が。

 

(……ランスが、いますね)

 

 ランスが。元人間だった彼が、それで今は魔王になった彼が、居る。

 この城に居る。この魔王城の中で普通に生活をしている。それが分かる。

 

(ランスが……いるなんて)

 

 不思議な気分だ、とホーネットは思う。

 いつかの別れを覚悟していた。派閥戦争が終わってからは遠からずそうなると思っていた。

 そうでなくても彼は人間だったから。避けられない別れを覚悟していたのだが──

 

(……いる)

 

 居る。魔王としてここに居る。

 それが不思議だ。不思議で……不思議だと思う以上に、この気持ちは。 

 

(いる…………いる? えぇ、いますね。いる…………いる。いるのです)

 

 ランスが居る。会いたいと思えば簡単に会える距離に居る。すぐ近くに居る。

 その力の波動を感じながら、魔人筆頭として彼に仕える日々は……これは。 

 

(なんていうか、もう、私は……今ここでこうしているだけで、感無量かもしれません)

 

 これは……これ以上の幸福があるものか。

 ホーネットはもう、幸せほわほわな気分である。

 

(ほわほわ……)

 

 ランスが近くにいるだけで、ホーネットは幸せほわほわな気分なのである。

 

(ほわほわ……)

 

 ほわほわ、ほわほわ、ほわほわ……。

 ほわほわ、ほわほわ……。

 

────────

──────

────

 

 

 

 

(……などと)

 

 ──などと。

 

(などと、考えているに違いありません)

 

 などと考えている──この女性は?

 

(全く、この表情の裏側で。この見るからに取り澄ました真面目なお顔の裏でそんな幸せほわほわな事を考えているだなんて)

 

 これを当人が耳にしたら「私は断じてそんな事など考えてはいません」と答えるだろう。

 魔人筆頭から叱られかねない勝手な妄想を好き勝手繰り広げる、この女性は一体?

 

(本当に恋煩いというのは困ったものですねぇ。ま、私は一向に構わないのですが)

 

 ランスがいるだけで幸せほわほわ気分……という、そんな魔人ホーネットの、妄想を。

 この話の冒頭から妄想逞しく繰り広げてくれたこの女性は一体誰なのだろうか?

 

「これはこれは申し遅れましたね。私はホーネット様の筆頭使徒であるケイコと申します」

 

 すると突然に名前を名乗った、この女性が。

 朱鷺色の髪を肩の辺りで揃えた可愛らしい外見の彼女こそが。

 

「ケイコ? いきなり自己紹介などをしてどうしたと言うのです」

「はっ、申し訳ありません、ホーネット様。ここはどうしても名前を名乗っておかなければならない場面だと感じたもので、つい」

「はぁ……」

 

 ホーネットも思わず首を傾げる、この女性こそが冒頭からの語りの主。

 彼女の名前はケイコ。魔人ホーネットの使徒である。

 

「いいえ、使徒ではありません。私は使徒の中の使徒、筆頭使徒です。そこをお間違いなきよう」

「ケイコ? どうしました? 貴女が筆頭使徒だという事は承知していますが」

「いえ、なんでもありません。ホーネット様」

 

 突然に変な事を喋り出す癖がある、彼女の名前はケイコ。魔人ホーネットの筆頭使徒である。

 

 そして……彼女こそが今回の話の主役。

 そう、これは日々陰日向にと魔人ホーネットを支える一人の使徒の物語なのである。

 

 題して……華麗なる使徒ケイコの忠誠──

 

 

 

「さて……改めまして、私の名前はケイコ。魔人ホーネット様の筆頭使徒であります」

「ケイコ? ですから何故自己紹介を──」

「どうか気にしないで下さいホーネット様。本日の私は無性に独り言を喋りたい気分なのです」

「……そうですか」

 

 ここはホーネットの部屋。主たるホーネットの背後には今日も使徒達が揃っている。

 その中でも筆頭使徒のケイコは今日、何故だか無性に独り言を喋りたい気分のようだ。

 

「遂にこの日が来ましたか。栄光ある魔人筆頭、ホーネット様の筆頭使徒であるこの私が。ここまでちょくちょくと名前だけは出ていたこの私ケイコが、その秘密のベールを脱ぐ時が遂に来たのですね」

「………………」

「今も勢揃いしている通り、ホーネット様は計八名の使徒を有しています。その内の7名はどうでもいいモブなので覚える必要はありません。ですが私の名前は覚えて下さい。私の名はケイコ、くり返しますがホーネット様の筆頭使徒なのですからね」

「……いえ。ケイコ、貴女以外の使徒達だって別にどうでもいい存在という訳では……」

「分かっていますとも、ホーネット様。今のはあくまで外向けの言葉ですから」

「……そ、そうですか」

 

 外向けの言葉とは一体なんだろう。

 と気にはなったがホーネットは無視することにした。

 

「しかし、こうしていると思い出しますねぇ」

「思い出す? 何をですか?」

「それは勿論、この私がホーネット様の使徒となった記念すべきあの日の事ですとも」

「……今それを思い出しますか? 私には何の脈絡も無いように感じるのですが」

 

 唐突なフリに付いていけずホーネットは眉を顰める。

 しかし使徒ケイコはお構いなしで。

 

「いいえホーネット様。私はホーネット様のお顔を見るだけであの日の事を思い出すのです」

「ですがそれだと……貴女は一日に何十回もあの日の事を思い出しているという事では……」

「えぇその通りですとも。私にとっては今でも色褪せる事の無い大切な思い出なのですから」

 

 そう言ってしみじみと頷く使徒ケイコ。

 どうやら日に何十回と回想する程、主との出会いの日を大切に感じているようで。

 

 魔人ホーネットの使徒、ケイコ。

 モブのようにどうでもいい7名の使徒達を纏める筆頭使徒であるケイコ。

 元は人間だった彼女が主であるホーネットと出会ったのはもう何十年も昔の事。

 

(あぁ懐かしい。あれはまだ私が幼い頃、故郷のゼスでぶいぶい言わせていた頃、巷で『賢者』などと呼ばれていた頃ですか)

 

 賢者ケイコ。今でこそ歴史の流れに埋もれた名前ではあるが当時はそこそこ名の知れた存在。

 彼女の生まれはゼス国。その卓越した魔力と賢者と呼ばれる程の知性で以て、人々の悩みを解決したりモンスターや悪者などを退治したりする事で尊敬を集め、日々を悠々自適に送っていた。

 

(転機が訪れたのは私が18歳の頃。その日は野草を取りに森へ出掛けたのですが……なんと私は森の中で道に迷ってしまったのです。賢者ケイコの人生初となるうっかりミスと言えるでしょう)

 

 その時ケイコが足を踏み入れたのはカラーの住むクリスタルの森。カラーの魔力によって結界が張られているこの森では道に迷うのも已む無しといった所である。

 つまり道に迷った事ではなくクリスタルの森に野草を取りに出掛けた事自体がミスだった訳だが、とにかくそうして賢者ケイコ(18歳)はクリスタルの森を彷徨い続けて──

 

(ふと気付けば時既に遅し。目の前にはどんよりくらーい世界が広がっているではありませんか)

 

 その結果、ケイコは人間の領域を外れて魔物界に足を踏み入れてしまっていた。

 

(なんとビックリ、クリスタルの森との境にはマジノラインが建設されてないんですよねぇ。なので魔物界に出てしまった事は不可抗力です。私のうっかりミスではありませんのであしからず)

 

 悪しき魔の領域。暗黒の世界である魔物界へと足を踏み入れてしまった賢者ケイコ。

 となれば次の展開は。美味しそうな若い人間の女の匂いに釣られて、ケイコの前には大勢の魔物がわらわらと集まってくるではないか。

 

(これはピーンチ。賢者ケイコ人生最大級となる大ピンチ……ですが!)

 

 しかしケイコは諦めなかった!

 両の瞳を真っ直ぐ見据えたまま、両の拳を固く握ってファイティングポーズを取った!

 

(私は賢者ケイコ、それなりに腕の立つ人間なのです。なので魔物達を千切っては投げ、千切っては投げの大活躍で魔物の森をひたすら突き進みました。その結果私はボロボロになりながらも魔王城まで辿り着いて……そこで終生の主となる魔人ホーネット様と出会ったのです)

 

 息も絶え絶えになりながら、人間の賢者は辿り着いた城門の縁に倒れ込んで。

 そこで、たまたま城の外に出ていたホーネットと出会ったのはまさに運命と言うべきか。

 

「本当に懐かしい……初めて出会ったあの時、城門の前で倒れていた私を目にしたホーネット様が呟いたお言葉は今でも鮮明に覚えています」

「ケイコ……」

「あの時、ホーネット様は私を見てこう仰ったのです。『ほう、人間でありながら私の前に辿り着くとは……面白い娘だ。ここで死なすのは惜しい、我が血を飲んで私の下僕となれ』……と」

「……いえ。ケイコ、私はそのような事を言った覚えはありませんが。というかそれは父上がシルキィを勧誘した時のセリフなのでは……」

「あれ、そうでしたっけ?」

 

 こてりと首を傾げるケイコ。

 どうやら少々記憶に間違いがあったようだが……それはともかく。

 

 とにかく、そんな経緯で人間だったケイコは魔人の使徒となった。

 そしてそれ以後、ケイコは魔人ホーネット第一の使徒として主を支えていく事になる。

 

(懐かしいですねぇ。当時はホーネット様もお若く……ですがお若くとも立派な御方でした)

 

 当時はまだホーネットが魔人に成り立て、友達のサテラと共に魔血魂を飲み込んですぐの頃。

 当然ながら今程に強くもなくて、まだ魔人筆頭にも任命されていなかった頃。

 

(ホーネット様は魔王ガイ様の愛娘、その出自故に花よ蝶よと温室で育てられてきたように思われがちですが……しかしそうではありません。真相は異なります)

 

 ホーネットは魔王である父の下、子供の頃から厳しい英才教育を受けてきた。

 それは当初魔王になる為。魔王の適正が無いと知ってからは魔人筆頭になる為。

 

(私がお仕え初めた頃、あるいはそれ以前からホーネット様は日々修行の毎日でした。それはそれは厳しい修行で……ホーネット様の頑張りをケイコは全て見てきました。えぇ)

 

 多くの知識を学んで。

 その身に秘めた才能を十全に活かす為に魔法を、そして剣術を学んで。

 

(ですからホーネット様はお強いのです。魔人の中では年若いホーネット様が筆頭に見合う実力を得たのにはそれなりの理由があるのです)

 

 そうした日々の中で、ケイコの方にも使徒としての意識が芽生えてきた。

 自らを高め続けるホーネットの姿を見て、賢者ケイコは率直に「すごい」と感じた。

 この御方は凄い御方だ。自分が使徒として忠誠を捧げるに足る、いいや足るどころか大いにその価値がある立派な魔人だと感じたのだ。

 

(ホーネット様に仕える日々の中で多くの魔人達を目にしてきましたが……ホーネット様以上に素晴らしい魔人はいませんね。この御方こそが魔人の中の魔人、まさしく完璧な魔人なのです)

 

 完璧な魔人。それは折しもホーネット自身がそうあろうと心掛けていた姿そのもの。

 完璧であろうとする者と、そんな彼女を完璧だと見た者。そんな二人が魔人と使徒という関係になるのは確かに運命だったのかもしれない。

 

(そう、ホーネット様はそりゃもう完璧な御方だったのです…………が)

 

 が。しかし。

 そんな完璧魔人ホーネットにも転機が訪れる事となる。

 

 

 

 それは今からだと一年と少し前。足掛け8年に及ぶ派閥戦争の後期頃。

 人間世界に出掛けたサテラとシルキィ、二人は帰還に伴い人間世界から客人を連れてきた。

 

(それが……ランス)

 

 それがランス。魔人ホーネットとセックスする為に魔王城へ乗り込んできた人間の男。

 当初は主たるホーネットがその視界にも入れていなかった事もあって、筆頭使徒であるケイコもランスについては何とも思っていなかった。

 

『なんだこの無礼な人間は。大体なんなんだその口のデカさは。ふざけているのか?』

 

 当時のケイコの感想と言ったらこの程度。

 がしかし次第に変化が訪れていく。一番大きく評価が動いたのはやはりあれだろう。

 魔人ホーネットが敵軍の奇襲を受けて敗北の憂き目に遭い、絶体絶命のピンチだった所をランスの機転によって難を逃れたあの一件。

 

『口でか……! 信じていましたよ口でか……!』

 

 まるで信じていなかったケイコでもそんな事を思ってしまうくらいには心が揺れ動いた。

 つまりは感謝である。主たるホーネットを窮地から救ってくれた事がきっかけとなって、ケイコはランスという人間を感謝の念と一定の好感を以て評価するようになった。

 

『口がデカい男の中にも優秀な者は存在しているという事ですね。あの口でかは……いいえ、こんな呼び方をしては失礼ですね。今日からは敬意を込めて口でかさんと呼びましょうか』

 

 そんなこんなで、その頃のケイコにとってランスという男は口でかさんという扱いだった。

 

(……が)

 

 ──が。あの一件の後に問題となったのはケイコではなくてホーネットの方。

 命を救われて以後、ケイコ以上にホーネットはランスに対して関心を示すようになった。

 それからは一緒に人間世界に向かって魔人メディウサを討伐したり、魔王専用の浴室にて混浴をするようになったりと、ランスのホーネットの関係は急速に近付いていった。

 

 そして……遂にその日が訪れる。

 それはバラオ山へ出掛けていたランス達が約一週間ぶりに魔王城に帰還した日の事。

 

『ケイコ。少し入浴をしてきますね』

『分かりました。お伴は……』

『いえ。今日は必要ありません』

 

 その日、ホーネットは使徒達を連れずに魔王専用の浴室へと向かっていった。

 いつもの混浴かと思い、その時はケイコも大して気に留めなかったのだが……。

 

『……ふぅ』

『お帰りなさいませ、ホーネット様』

 

 暫くしてホーネットが部屋に戻ってきた。

 すると……その様子には、変化が。

 

『……ホーネット様? どうされましたか?』

『……え、あ、いえ……だ、大丈夫です。なんでもありません……』

 

 入浴を終えて部屋に戻ってきたホーネットは見るからに異様だった。

 ろくに髪も乾かさずに、その様子にはいつもの冷然とした空気がまるで無くて。

 その表情はなにかに怯えているように、切なげに揺れていて……そして。

 

『…………ランス』

 

 止めとばかりに呟いた言葉。

 

『……っ!?』

 

 その瞬間、ケイコは全身がゾクッと泡立った。

 

『(……な、なんだ!? この色気は!?)』

 

 端的に言ってホーネットは色っぽかった。

 ほんのりと赤く上気した頬は湯船に茹だっただけだとは思えない。

 その唇の潤いが、その目の奥の熱が、これまでのホーネットとはまるで違っていた。

 

 それはつまり……恋する乙女の顔で。

 

『(……ま、まさか、あの口でかさんに!?)』

 

 ケイコは賢者とまで呼ばれた女。賢く聡明な彼女はすぐに気付いてしまった。

 その理由を。そのお相手を。ホーネットの心が恋に囚われた事を察してしまったのだ。

 

『……あ、ああ、ああああ……!』

『……ケイコ?』

『…………ッ!!』

 

 居ても立ってもいられなくなって……その時、ケイコはホーネットの前から逃げ出した。

 

『……そ、そんなぁ……』

 

 これ以上は見ていられなかった。

 終生の主と定めた者の……望んでいなかったその変わり様を。

 

『あ、あぁ……そんな……ホーネット様がぁ……』

 

 魔人ホーネット。

 ケイコにとっては何十年も前から仕えてきた唯一無二の主。

 

『ホーネット様が……あのホーネット様がまさか恋心なんかを……それも人間に……』

 

 そして、ケイコにとって絶対性の象徴。

 完璧な魔人たる事を心掛けてきたホーネットが、あろう事か人間に恋をした。

 その事実が認められない、認めたくないケイコは愕然とした表情のまま魔王城内を彷徨って。

 

『……ほ、ホーネット様がぁ……完璧だったホーネット様が、変わってしまわれた……』

 

 その日はどうやって自分の部屋に戻ったのかも覚えていない。

 憔悴しきったケイコはふらふらと頭を揺らしたまま、ただベッドの上にその身を投げた。

 

 

 

 そして、次の日。

 

『いいや待てよ。別にこういうホーネット様だってアリなのでは?』

 

 彼女は早々に思考を切り替えた。

 何故ならケイコは賢者。賢い者と書いて賢者。その思考はとても柔軟なのである。

 

『えぇそうです。不老の存在だからと言って変化を恐れてはいけません。考えてみれば恋をしたからと言って完璧じゃなくなる訳でも無し、これはきっとホーネット様が今以上に立派な御方となる為に必要な経験というものなのでしょう』

 

 そう受け入れてしまえば早いもの。ケイコはホーネットの変化を歓迎した。

 とかくホーネットが魔人の中の魔人であるなら、彼女に仕えるケイコは使徒の中の使徒。

 つまりその忠誠心は折り紙付き。絶対視していた主の変化が受け入れられず、あえて主を危機に陥らせて主を試そうとする慮外な使徒などとはその性根からして違うのである。

 

『しかしこうなると……恋愛初心者のホーネット様になにかアドバイスするべきか? とはいえ私とて彼氏居ない歴=年齢の処女、そんな私のアドバイスが役に立つかと言うと……ううむ……』

 

 相手と自分を正しく評価して思考する。それは賢者ケイコの優れた一面である。

 それはともかくとして、その後自らの恋心を自覚したホーネットの変化は顕著だった。

 

 例えば……ホーネットが自らの恋心を自覚してから約一月後の事。

 時はまだ魔人レッドアイを討伐する前、暇を持て余したランスが仲間達を連れて迷宮探索に出発し、一月程魔王城を留守にした事があった。

 

『彼等は今頃モスの迷宮内でしょうか。口でかさん達が居ないと城内が静かになりますね』

『えぇ、そうですね。……ところでケイコ、その呼び名は改めた方が良いと思いますが』

『では……口でか様?』

『いえ、そういう事ではなく……』

 

 当初は平然としていたホーネットだったが。

 しかしその後二週間、三週間と経つにつれ次第に様子が変わってきて。

 

『……っ』

『ホーネット様?』

 

 その日。遂に我慢の限界が来た。

 辛抱堪らず、椅子から立ち上がったホーネットはバルコニーの方へと駆け出した。

 

『ホーネット様、どうしたのでしょう?』

『さぁ……?』

『(……あれは恐らく……)』

 

 周囲の使徒達がその様子を不審がる中、使徒歴の長いケイコだけは違った。

 あれは恋煩いの影響だと、ホーネットの乙女心が爆発したのだとすぐに勘付いた。

 

『………………』

 

 何故なら窓越しに見えるホーネットの眼差しが、ここには居ない誰かを求めていたから。

 バルコニーから望める遠くの景色の先、何処かに居るであろう彼にその想いを馳せながら、

 

『……会いたい』

 

 と呟くホーネットの姿を見て、それを読唇術で完璧に読み取ったケイコは思った。

 

『……我が主、可愛すぎか』

 

 こんな愛らしいホーネット様のお姿をあの口でかさんに見せてあげたい。

 ついでに今は亡きガイ様にも見せてあげたい。この時ケイコは心からそう思った。

 

 

(あの時のホーネット様はマジヤバかわ……と、少々振り返りが長くなってしまいましたね)

 

「その後はまぁ色々なんやかんやありまして結果今に至る……という訳ですね」

「ケイコ? 突然になんの話ですか?」

「なんでもありません。ただの独り言です」

「はぁ……」

 

 話の終盤部分を一気にすっ飛ばして、ケイコはざっと現状のあらましを語ってみせた。

 

(今の話において私が何を言いたかったかと言うとですね。一つ目にこの私ケイコはホーネット様に篤い忠誠を捧げている使徒だという事)

 

 使徒ケイコとは。魔人ホーネットに絶対の忠誠を誓う者。

 

(そして二つ目に当初こそあの口でかさんを……いえ、今はもう魔王様ですね。とにかく当初こそは否定的な見方をしていたものの、今では魔王様を素晴らしき御仁として認めているという事。それを言いたかったのです)

 

 使徒ケイコとは。魔王ランスをホーネットの想い人として問題無しと認めている者。

 

(それがこの私、ケイコなのですが……実はここ最近、私にはちょっとした悩み事があるのです)

 

「ですよね? ホーネット様」

「え? っと……なんの話ですか?」

「実はですね。ここ最近、私にはちょっとした悩み事があるのです。というのも──」

 

 とその時だった。

 

「っ!?」

 

 突然ケイコがその目をカッ!! と開眼させて。

 

「ケイコ? ……って、何処に……」

 

 ふと気付いた時、部屋の中からケイコの姿はこつ然と消えていた。

 まるで瞬間移動と見紛う程の速さ。それにホーネットが驚くのも束の間、

 

「ホーネットー、入るぞー」

「あ、魔王様……」

 

 直後、ランスが部屋を訪ねてきた。

 

 

 

 

 そして……それから数十分間後。

 用事を済ませたランスがホーネットの部屋から立ち去った後。

 

「……ふぅ」

「あぁ、ケイコ。戻りましたか」

 

 まるでその頃合いを伺ったかのように、先程こつ然と消えていたケイコが戻ってきた。

 

「ホーネット様。先程は話途中で退席してしまい申し訳ありません」

「それは構わないのですが……」

 

 先程、ランスが訪れる直前でいなくなって。

 そしてランスが立ち去ったらすぐに帰ってきた。

 

「ケイコ」

「はい。何でしょうか」

「もしかして貴女は……ランスの事を避けているのですか?」

 

 となれば当然とも言えるホーネットの疑問。

 使徒ケイコは魔王ランスを避けているのか。

 

「それは……」

 

 さてこれにはなんと答えるべきか。

 幾つもの選択肢が脳内に思い浮かんだが、その中から最適を選び取ってこその筆頭使徒。

 ケイコは賢者とまで称されたその優秀な知能をフル回転させて──

 

「……実はですね」

「はい」

「私には……愛する御方がいるのです」

「えっ?」

 

 筆頭使徒ケイコ、衝撃の告白。

 それに驚くホーネットの他、見ればケイコ以外の使徒達もざわざわとしていた。

 

「……そ、そうだったのですか、ケイコ。まさか貴女にもそういう人が……」

「はい。私には愛する御方がいて……それ故に先程のような真似をしてしまいました」

「あぁ、成る程……そういう事ですか」

 

 どうやら聡明な魔人筆頭は筆頭使徒の言いたい事を察したようだ。

 ケイコには愛を向ける殿方が存在していて、だからこそあの魔王とは鉢合わせになりたくない。

 

「でも、そうなると……ケイコ、貴女はまだランスとは……」

「はい。私はまだ魔王様と閨を共にした経験はありません。それどころかろくに顔を合わせた事もありませんので、恐らく魔王様の頭の中に私という存在はまだ認識されていないでしょう」

「……確かに、貴女は顔立ちが良いですからね。もしランスが貴女という女性を知ったら……放っておく事はないでしょうね」

 

 極度の女好き魔王ランス。一方で使徒ケイコは18歳頃の外見を持つ見目麗しい美少女。

 となれば二人が出会った場合、ランスが「セックスさせろー!」と言うのは想像に難くない。

 しかしそれでは……ケイコの切なる恋心はどうなってしまうだろうか。

 

「ケイコ。貴女の想いは理解出来ます。……ですがランスは今や魔王様、使徒の貴女では……」

「はい、分かっています。ですのでもし魔王様から直接にお声掛けを頂いたら、その時は私とて何一つ拒むつもりはありません」

 

 相手は魔族の頂点に立つ男。魔の一員である使徒ケイコが逆らえるような相手ではない。

 

「ですが、現状そうでないのであれば……それまでは足掻いてみたいのです」

「ケイコ……」

 

 だから──逃げる。

 欲深き魔王の目に入らないように。使徒ケイコは愛する者の為に逃げ続ける。 

 

「申し訳ありません、ホーネット様。貴女の筆頭使徒である私がこのような浅ましい真似を……」

「……いえ。魔王様に何も言われていないのであればその意に反する行いとまでは言えません。それに……いざという時の覚悟はあるのですよね?」

「はい。それは勿論」

「そうですか。でしたら私は何も言いません」

 

 ケイコの行いは言わば消極的抵抗。積極的に魔王に歯向かっているとまでは言えない。

 なのでホーネットは目を瞑る事にした。好きな相手と結ばれたい、それ以外の相手を避けたいという気持ちは痛い程に理解出来たから。

 

「ですが……この先ずっとランスとの接触を避け続けるのは難しい事だと思いますよ? いくら貴女の左目を使ったからといって……」

「はい。それは分かっているのですが……しかしこればかりは何とも…………はッ!!?」

 

 すると再びケイコはハッと目を見開いて、

 

「ケイコ? って、速い……」

 

 ホーネットが瞬きした瞬間にはもうその場から消え去っていた。

 

「我が使徒ながら驚異の逃げ足ですね……でも、そうなるともう一度ランスが……」

「おーいホーネットー、もういっちょ用事があるのを忘れてた」

 

 すると案の定、再びランスがホーネットの部屋を訪ねてきた。

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

(……愛する御方、ねぇ)

 

 緊急脱出にて主の部屋を逃げ出した使徒ケイコ。

 仕事場を離れて、手持ち無沙汰になった彼女はぶらぶらと廊下を歩いていた。

 

(ま、私が愛する御方などこの世でホーネット様以外にいるはずも無いのですが)

 

 それが──先程の答えの真相。

 

「おーっと早まらないで下さいね、私の愛はあくまで崇拝の念に伴うものです。決してホーネット様とチョメチョメしたいなどとは思っていませんので、そこは誤解無きように」

 

 まるで誰かに聞かせているかのように独り言を呟く使徒ケイコ。

 彼女が愛するのは主であるホーネット。それは忠誠心からの親愛、プラトニックな愛。

 

「しかし魔王様にも困ったものですねぇ。これでは仕事も手に付きません…………お?」

 

 廊下の角を曲がる。すると前を歩く二人の人影を見つけた。

 赤いフードを被ったあの子と、大きな両手が特徴的なあの子と言えば……。

 

「おやおや。そこにいるのは火炎書士とユキではありませんか」

「あ、ケイコちゃん!」

「おー、筆頭使徒サマじゃーん」

 

 そこにいたのは火炎書士とユキ。

 魔人ハウゼルと魔人サイゼルの使徒二人、出会ったケイコと朗らかに挨拶を交わす。

 

「この通り、私はこの両名とは仲良しなのです。言わば使徒仲間と言ったところですね」

「ねぇケイコちゃん。なんで今日のケイコちゃんはそんな説明口調なの?」

「何故私が説明口調なのか。それは説明しなければならない事があるからでしょうね」

「でもそれって誰に説明してるの?」

「さぁ。それは私にもサッパリです。あるいはユキなら分かるかもしれませんが」

「そうなの? ユキちゃん」

「んー……ま、なんとなく☆」

 

 別次元の存在をなんとなくは分かるユキ。分からずながらも説明はするケイコ。そして二人の言っている事がまるで理解できない火炎書士と。

 この三人は全員が使徒、故に使徒仲間。友情で結ばれた仲良しこよしな関係なのである。

 

「とはいえ私は栄えあるホーネット様の筆頭使徒ですからね。この中で一番強いのは私、この三人でガチンコの殴り合いをしたら勝つのは私です」

「うわっ、突然に何の脈絡もなく実力マウント取ってきやがったよこのアマ」

「ケイコちゃんってそういうとこあるよね」

「申し訳ありません。ですがこういう事はハッキリさせておかないと…………むっ!?」

 

 すると本日三度目。

 またもや突然ケイコはその目をカッと開眼して、

 

「あ、逃げた」

「ありゃりゃ。逃げちゃいましたね」

 

 だだだだーっと走り去っていく使徒ケイコ。

 その後ろ姿を火炎書士とユキが見送って早々、二人の背後から声が掛かった。

 

「おい、そこの」

「あ、魔王様」

「おや、口デカ魔王様」

「……あれ? お前らだけか?」

 

 やって来たのはやっぱりこの男、魔王ランス。

 彼はきょろきょろと辺りを見渡してから不思議そうに首を傾げた。

 

「ぬぅ? こっちから可愛い子ちゃんの匂いがしたはずなのだが……気のせいか?」

「あ、それ私の事じゃん?」

「アホ、お前のわけあるか。……おかしいな、俺様のセンサーが狂ったとは思えんだが……」

 

 どうやらランスは可愛い女の子の匂いを嗅ぎ分けてここにやって来たらしい。

 それはつまり……先程までここに居た筆頭使徒ケイコを探しにやってきたという事で。

 

「なぁ火炎書士よ。さっきまでここに誰かが居なかったか?」

「それならケイコちゃんがいましたけど」

「……ケイコ?」

 

 この魔王城内で生活していて、未だ魔王の毒牙に掛かっていない女性、ケイコ。

 その名を聞いたランスは訝しげに眉を顰めて、

 

「いいや、それは違うな。聞いた話じゃケイコってのはかなりのブスなんだろ?」

「そうですねぇ。ケイコちゃんはお世辞にも可愛いとは言えないブサイクさんですねぇ」

「だよな。だったら違う。俺はブスを抱くつもりなど無いのだ」

 

 そしてすぐ、その名前から興味を失った。

 

 

 

 

 

 

 その一方。

 

「……ふぅ。危ないところでした」

 

 ケイコはまたもや緊急脱出にて危機を回避した。

 魔王を相手にしてこの身のこなし、筆頭使徒の名に違わぬ驚きの危機管理能力である。

 

「あぁ、もしかして私がこんなにも逃げるのが上手な理由を知りたいですか? その秘密はですね、私の左目にあるのですよ」

 

 飽きもせず説明口調の独り言を繰り返すケイコ。

 そんな彼女の左目の角膜には六芒星の魔法陣が刻まれている。 

 

「実は私の左目には千里眼があるのです。この千里眼は距離によって見え方が変わる代物でして、半径100m近辺なら透視の如く廊下や隣の部屋など全てを見晴らす事が可能なのです。ですからこれを使えば魔王様の現在地を把握し、その移動ルートを予測して逃げ出す事だって簡単なのですよ。えっへん」

 

 左目に宿る千里眼。それが今日の日までケイコがランスに襲われなかった理由。

 その目を駆使して毎日毎日逃げ続けて、ケイコはここまで純潔を死守してきた。

 

「にしても今日は妙に魔王様とのニアミスが多くて困りますねぇ。普段通りであればそろそろお昼過ぎの性交を楽しむ頃合いでしょうし、早いところお相手を決めて貰いたいところなのですが」

 

 魔王ランス昼のごちそう。それに自分が選ばれる訳にはいかない。

 どんな時でもケイコの頭の中にあるのは主ホーネットの事のみ。ランスについては口がデカい事以外には大して興味が湧かないのである。

 

「けどまぁ、ぶっちゃけ一度ぐらいなら……とは思うのですがね。なんせあの御方は敗色濃厚だったホーネット派を救ってくれた御仁ですし」

 

 ただ興味が湧かないというだけで、ケイコはランスの事を嫌っているわけではない。

 単に筆頭使徒として主ホーネットの事しか考えていないだけ。だから例えばホーネットから「魔王様の夜伽を命じます」と言われればケイコは躊躇無くランスとセックスするだろう。

 

「それに今では魔王様ですからね。一度ぐらいは夜を共にして好感を稼いでおいた方が何かと得だろうとは分かっているのですが……」

 

 一度抱いて気に入った女性には優しくなる。ランスのそういう性格だって把握している。

 それでも尚、ケイコがランスの事を避け続けるのは使徒としての譲れない理由があるから。

 

「しかしあの御方は我が主ホーネット様の想い人ですからね。となればほんの一時だってその目を私の方に向けるわけにはいかないのです」

 

 例えばランスが自分の事を抱いて、万が一にでも好感触を抱いてしまったら。

 ランスはハーレム志向なので自分一人のみに絞るなんて事は無いだろうが、ハーレム志向だからこそ、今後も不定期にセックスを求められる可能性は大いにあり得る訳で。

 

「私が魔王様と性交を行えば、その分ホーネット様が愛される時間が減ってしまいますからね。筆頭使徒であるこの私の責任において、ホーネット様の至福の時間を一分一秒でも目減りさせるような事は断じて避けなければならないのです」

 

 時間とは有限なるもの。自分の出番があるという事は誰かの出番が無いという事に他ならない。

 とはいえ仮にランスがケイコを抱かなかったからといって、じゃあその代わりにホーネットを抱くかと言えばそれはまた違う話になる。

 がしかしケイコにとってはその可能性があるだけで避ける理由になる。主の幸せがそこにある以上、筆頭使徒ケイコとしては最大限にそれを尊重し守らなければならないのである。

 

「故にここ最近の私は自らがブサイクだと言う噂を積極的に広めているのです。賢いでしょう?」

 

 魔王が自分に興味を持たないように。

 主の幸福の時間を一分一秒でも減らさないように。ケイコは今日も逃げて、策を巡らせる。

 

「その意味では美醜の価値観が逆転している火炎書士の存在は有り難いです。あの子ならウソを吐かずに私をブサイクだと言ってくれますから。……あ、これってつまり私が可愛いって事ですからね? 私は決してブサイクではありませんからね? そこはお間違いなきよう」

 

 まるで誰かにいい聞かせているかのように延々と独り言を呟く使徒ケイコ。

 

 全ては主の為。

 それが使徒。それこそが使徒の忠誠。

 これから先もケイコはずっと逃げ続けて、これから先もずっと純潔を守り抜くだろう。

 

 何故ならケイコは筆頭使徒だから。

 そしてなによりケイコは賢者だから──

 

 

 ──だが。

 

 

「──えっ?」

 

 その時、動きが止まった。

 彼女の右手がバシッと掴まれて、

 

「みぃ~つけたぁ」

「……ッッ!!」

 

 華麗なる使徒ケイコに迫る魔の手が。

 獲物を捕らえてニヤリと笑う男、それは魔族の頂点に立つ王──魔王ランス。

 

 

 

 

 

 

 



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閑話 華麗なる─────の忠誠②

 

 

 

 

 

「みぃ~つけたぁ」

「……ッ!」

 

 華麗なる使徒ケイコに迫る魔の手が。

 

「ぐ~ふふふ~~!」

「……ま、おう、様」

 

 それは魔族の王──魔王ランス。

 

「やっぱりなぁ。俺様の可愛い子ちゃんセンサーが間違えるはずはねぇと思ったんだよなぁ」

「………………」

「ぜーったいこの近くに食べ頃の女の子がいると踏んだんだが……案の定だったぜ」

 

 極度の女好き魔王ランス天性の感覚。可愛くて美人な女の子を嗅ぎ分ける特別な嗅覚。

 それが使徒ケイコの策と逃げ足に勝った。左目の千里眼による予測を上回ってきた。

 

「で、きみがケイコちゃんだな?」

「……はい。私こそが魔人ホーネット様に仕える筆頭使徒ケイコでございます、魔王様」

 

 見つかってしまった以上は仕方がない。

 パッと姿勢を正して、自己紹介を済ませたケイコは慇懃に頭を下げて礼をする。

 

「そうかそうか。いやぁ、ウワサなんてのは当てにならねぇもんだなぁ。ブサイクだって聞いていたけど真相はその真逆もいいとこ、ばっちりキュートな可愛い子ちゃんじゃねぇか」

 

 この魔王城にて長らく生活してきて、今日までろくに顔を合わせた事の無かった相手。

 その理由と言えば相手の方から接触を避けられていたからなのだが……とにかくランスはこうして初めて遭遇した使徒ケイコを、その顔を値踏みするようにじろじろと眺めて、

 

「……うむ、いいぞ。いいじゃないか」

「お褒めに預かり光栄です。そう、私ってば本当はキュートな可愛い子ちゃんなのです」

「おぉ、自分で認めるとは中々だな。……でだ、そんな可愛いケイコちゃんや」

 

 そしてその眼がギロリ、と妖しく光った。

 それは獲物を狙う狩人の眼光か。あるいは腹を空かせた肉食獣の眼光か。

 

「君は使徒だよな?」

「はい。そうですね」

「んで俺様は魔王だ」

「はい。そうですね」

「そうだなそうだな。君は可愛い女の子使徒で、俺様はイケメン魔王様だ」

 

 使徒と魔王。

 あるいは可愛い女の子とイケメンな男。

 

「こうして君と俺様が出会った以上、これから行かなきゃならない所があるよな?」

 

 そんな二人が顔を合わせたとなれば……待ち受ける次の展開とは。

 

「行かなきゃならない所?」

「そう、男と女が行くところだ」

「男と女が行くところ……あぁ、成る程」

 

 するとケイコはぽんと手を叩いて、

 

「それなら動物園でしょうか。私は動物の中ではこかとりすの丸焼きが好きですが」

「いやそんな事は聞いとらん。つーか動物だっつってんのに好きな食べ物を答えるんじゃない。じゃなくて俺と君が行くのはベッドのある寝室だ」

「なるほど、寝室ですか」

「そうだ。男と女が寝室で二人、何をするかはもう言わなくても分かるよな?」

「そうですねぇ、男と女が寝室でするとなると……あぁ、成る程」

 

 再びケイコはほんと手を叩いて。

 

「賭け麻雀でしょうか。だったら得意ですよ、私にぶっこ抜きをさせたら右に出る者はいません」

「だから違うっての。それにイカサマが得意だなんて堂々と宣言するんじゃない。じゃなくてセックスだ! 俺と君がするのはセーックス!」

「あぁ、せっかくのらりくらりととぼけていたのに言われてしまいましたね。……やれやれ」

 

 ふぅ、と息を吐くケイコの右手。それは今も魔王の手によってガッシリと掴まれている。

 この拘束がある限りここからの逃亡は不可能。もはや魔王と相対する以外に道は無い。

 

「さて……セックス、ですか」

「そうだ。俺は君とセックスがしたい。そりゃもうしたいぞ」

「そうですか、セックスがしたいのですか。……ちなみに、私ケイコと魔王様はこれが殆ど初対面のようなものなのですが、それでもセックスがしたいのですか?」

「イエース。初対面だろうが関係無し、可愛い子が居たらセックスしたくなるのが俺様なのだ」

「なるほど、聞きしに勝る性豪ですねぇ。……そうですか、セックスを……」

 

 どうやら魔王ランスは自分とセックスがしたいらしい。

 

「セックス、ねぇ……」

 

 ほぼほぼ分かりきっていた事とはいえ……こうして改めて宣言されてしまうと。

 

「……はぁぁ~~~~」

「うわ、でっけーため息」

 

 肩を落として、ケイコはそりゃもう大きな溜息を吐いてしまった。

 

「困りましたねぇ。ほんっとーに困りましたねぇ」

「む、ハッキリ言うのだな」

「えぇ。にしても薄々気付いてはいましたがやはり私の優れた容姿が仇となりましたか。これは私がキュートで可愛く育ってしまったが故の悲劇と言えるでしょう」

「……ま、まぁ、否定はせんが……」

 

 自分は可愛く育ってしまった。そしてセックス大好き男ランスが魔王になってしまった。

 となればこれは遠からず必然の展開だったのかもしれない。いくら広大な敷地面積を誇る魔王城といえども同じ屋根の下で暮らす者同士、接触を避け続けるのにも限界があったという事か。

 

「しかしケイコちゃん、君ってさてはちょっと変わった使徒だな?」

「そうでしょうか? 私などユキに比べたらまだまだ全然だと思っているのですが」

「いや、あれは変ってかキチガイだから……つーかあそこまでいくと抱けなくなるから駄目」

「あぁ、なるほど……ではキチガイの振りをするというのもアリでしたか。……しかし栄えあるホーネット様の筆頭使徒であるこの私がキチガイの真似をするというのも……ううむ、ままならないものですねぇ」

 

 切なげに目を伏せて首を振るケイコ。

 筆頭使徒として主の沽券を下げるような行いも出来ない以上、もはや八方塞がりである。

 

「……仕方ありません。使徒として魔王様の御言葉に逆らうつもりなどありませんとも」

「うむ、よろしい。では──」

「……ですがっ!」

 

 がしかし、そんな八方塞がりな状況でもケイコはまだ諦めてはいなかった。

 この程度の苦境で諦めるような性格ならケイコはここには居ない。それなら人間だったあの時、道に迷って魔物界に足を踏み入れてしまったあの時にケイコは死んでいただろう。

 

「ですが……条件があります」

「条件だぁ?」

「はい。実は私、自らの初体験となるお相手に関してこれだけは守るようにと、幼少の頃より今は亡き父母から厳命を受けているのです。ですのでその条件の飲んで頂かない事には、たとえ魔王様であってもこの身を捧げるつもりにはなれません」

 

 だからこそケイコはそこに勝機を見出した。

 特にケイコは賢者。人間だった頃よりその図抜けた賢さを武器に名望を集めてきた女性。

 

「……あ~ん?」

 

 一方でヤンキーがメンチを切るかのように顔を歪めたこの男、ランスは。

 魔王化によりその肉体が極限まで強化されたものの、しかしその知性だけは据え置きである。

 

「この身を捧げるつもりにはなれません、だと?」

「はい」

「つったってなぁケイコちゃんや、分かってるとは思うが俺様は魔王様なんだぞ? なんなら強制的に従わせる事だって出来ちゃうんだぞ?」

「えぇそうですね、魔王である貴方様には使徒の私に対する絶対命令権があります。なので私が提示する条件などは無視して私の事を好き勝手お抱きになっても一向に構いません…………が」

「が?」

 

 絶対命令権の存在をチラつかせる魔王の一方、ケイコはその頭脳をフル回転させる。

 もしもその条件を無視して、魔王がいたいけな使徒を無理矢理に抱こうというのなら──

 

「その場合、ケイコはアサシンとなります」

「は?」

「アサシンですよアサシン。アサシンケイコです」

 

 アサシン。──つまり、暗殺者。

 なんとしても魔王に条件を飲ませる為、賢者ケイコは非情なるアサシンと化すのである。

 

「……アサシン?」

 

 なーに言ってんだこの子は、と言わんばかりの顔になるランス。

 

「はい。アサシンです、かっこいいでしょう?」

 

 一方、魔王の御前にてビシッとファイティングポーズを決めるケイコ。

 

「……で、君がアサシンになるとどうなるんだ?」

「はい。アサシンケイコは優れた暗殺者です。なのでアサシンと化した私をそれでも魔王様が抱きたいと言うのなら、その場合……」

「その場合?」

「えぇ。その場合、魔王様が私を押し倒して、その男根を私の膣内にぐぐっと挿入してですね」

「んで?」

「えぇ。そのまま私を犯し尽くして……そして」

 

 そこで勿体ぶるように一呼吸置いて。

 ケイコは主ホーネットと似た真っ直ぐな目付きで魔王を見つめながら、言った。

 

「貴方様が一番油断した瞬間……つまり射精をした瞬間、首を刎ねます」

「……ほう?」

 

 油断した瞬間に首を刎ねる。──その狙いは。

 聞いたランスは不敵な笑みになった。

 

「なーるほど? 面白ぇじゃねぇか。そういやぁ命を狙われながらのセックスってのも久々──」

「いえ、刎ねるのは私の首です」

「は?」

 

 そして直後ぽかんとした顔になった。

 

「見たいですか? 魔王様」

「……えっと」

「どぴゅーっと射精して気持ちよくなった瞬間、目の前にいる女の首がズバーッと飛びます。切断面から血がブシャーブシャーと飛び散りますよ。……そんな光景を見たいですか?」

「……やだ、見たくない。ちんちん萎える……」

 

 そして最終的に引き気味の表情になった。

 楽しい楽しいセックスの最後、気持ちよく抱いていた女が突然に首ちょんぱ。

 もはやスプラッタホラーの一種、想像するだけでトラウマになりそうな光景である。

 

「つーか自分の首を刎ねるんだったらアサシン関係ねーじゃねーか」

「そうですね、よくよく考えたら関係ありませんでした。ケイコのうっかりミスです」

「……てか、きみ、そこまでして俺様とセックスしたくないの?」

「そうですねぇ。したくないと言うよりもする訳にはいかないというのが適切でしょうか」

 

 セックスが大好物であるが故、ランスは女性の生命を尊重している。だったらそこを突く。

 そんな自殺まがいの特攻精神を持ち出してまで魔王に反抗する理由。それはケイコがケイコであるからこそ、筆頭使徒だからこその鋼の忠誠心故。

 

「そんな訳で魔王様、どうか私の出す条件をお飲み下さいますようお願いします」

「ぬぅ……」

「お願いします魔王様、どうか平にご容赦を。私はまだ死にたくないのです。魔王様のカスケード・バウよりも広き御心による御慈悲を、何卒」

「ぬぬぅ、なーんか釈然とせんが……まぁいい。君はホーネットの使徒だから特別だぞ?」

 

 このままケイコを無理矢理に抱いて、もし本当に自殺されでもしたら目覚めが悪いし、そんな事になったらホーネットに怒られそうである。

 なのでランスはケイコの提案を飲む事にした。元より女を抱く際に条件を付けられる事自体は嫌いではない。それを達成してこそ男の格が上がるってなもんだぜーと考えるタイプである。

 

「んで? その条件ってのはどんなだ」

「えぇ、その条件というのはですね」

「おう」

「今から考えます」

「は?」

 

 再びぽかんとするランスの一方、ケイコも再びその知性をフル回転させていく。

 何故ならこの遭遇はとても急なもの。いかな賢者といえどもビックリな展開。なのでケイコは何も考えていなかったのである。

 

「つーかさっき幼少の頃より今は亡き父母から厳命を受けているとかなんとか言うとったやんけ」

「はい。ですから先程のあれは口から出任せです。ただ単に魔王様から何かしらの条件を飲むという口約束さえ得られればそれで良かったのです」

「……ケイコちゃん。君ってあれだな、結構イイ性格しとるな」

「不快な思いをさせたなら申し訳ありません。ですが私も使徒として譲れないものがあるのです」

 

 ケイコにとって譲れないもの。それは主たるホーネットの幸せ。

 

「だから、そうですね……よし」

 

 故にケイコは思考する。

 その賢い頭脳を巡らせて導き出した解は──

 

「ところで魔王様、少々話は変わるのですが」

「あん?」

「魔王様は魔族の王、この世界の支配者ですよね?」

「そりゃそうだが……なんだいきなり」

「そんな魔王様に忠誠を誓う魔の軍勢、これは大きく分類すると三つに分ける事が出来ますね」

「三つ?」

「はい。魔人、使徒、魔物の三つです」

「あぁなるほど、その三つか」

 

 魔王が直接作り出した魔人。その魔人が作り出した使徒。更にはその下に大勢の魔物達。

 それが魔に属する者達の階層構造。魔王の軍勢とはケイコの言うように三つに分類される。

 

「この三つの分類においてですね、使徒だけは魔人や魔物とは本質的に異なる部分があるのですが……魔王様はそれをご存知ですか?」

「使徒だけが違う部分? んなもんあるのか?」

「はい。答えは簡単、使徒は魔人が作り出すという事です。故に使徒は魔人に忠誠を捧げます」

 

 使徒の忠誠の先は魔人にある。

 それが使徒の特性。魔王に作られた魔人や一般的な魔物とは本質的に異なる部分。

 

「多くの使徒達にとって一番に忠誠を誓うのは主たる魔人であり、決して魔王様ではありません。そこが魔人や魔物とは決定的に違うのです」

「……ふむ。まぁそりゃそーかもしれんが……しかしケイコちゃん、きみって結構キワドい事をハッキリと言うな」

「重ね重ね申し訳ありません。ですがこれは厳然たる事実なのです」

 

 たとえ絶対の上位者が君臨しようとも、使徒であるが故の忠誠心を変える事だけは出来ない。

 今もケイコがその頭の中で考えているのはホーネットの事だけであって……だからこそ。

 

「ですので魔王様。私を抱きたいというのならホーネット様の許可を取って下さい」

「ホーネットの許可って……それが条件か?」

「はい。そうです」

 

 筆頭使徒ケイコが提示した条件。

 それは主ホーネットから性交の許可を得る事。

 

「使徒とは魔人が作り出したモノ。であれば私の所有権は我が主ホーネット様が有しています。そんな私を抱くのであれば所有者から許可を得るのが筋というものでしょう」

「なんだ、もっと面倒くさい条件を言われるかと思っていたがそんなんでいいのか」

 

 想像よりも遥かに簡単だったその内容にランスは肩透かしを食らったような気分になる。

 

「ただし許可を得る際は平穏に、脅したりはNGでお願いします。そして絶対命令権を行使して無理矢理頷かせるのもNOです。それではホーネットが許可を出したとは言えませんからね」

「分かった。けどそんな手は使わんでもすぐだと思うぞ? あいつって基本的に俺様の言葉には逆らわねーからな」

「それはそうでしょうね。なんせ貴方様は魔王でホーネット様は魔人筆頭ですから」

「けどそれだけで良いんだよな? あいつがオッケーしたならセックスオッケーだな? 後からやっぱ無しーとか追加の条件とかは無しだからな」

「えぇ勿論。そんな事は言いません」

 

 そこでケイコはにこやかに笑って。

 

「私ケイコはホーネット様に篤い忠誠を誓う筆頭使徒ですからね。ですので私との性交に関してホーネット様が許可を出されたなら、その時はいくらだって貴方様に抱かれましょうとも」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「……つーわけで、お前を呼んだのだ」

「はぁ……」

 

 場所は変わってランスの部屋。

 ソファにでんと腰を下ろす魔王の前、呼び出しを受けてやって来た魔人筆頭の姿が。

 

「俺様はケイコちゃんとセックスがしたい。したいのだ、ホーネットよ」

「えぇ、まぁ、話は理解しましたが……」

 

 自分がこの部屋に呼ばれた理由を。今そこにケイコが居る理由も。

 事の次第を聞いたホーネットは、ケイコとランスそれぞれに一度視線を送ってから口を開く。

 

「しかし……そもそもですね、これは私の許可を得るような事では無いと思うのですが」

「俺様もそうは思うのだが、ケイコちゃんがそうしないと駄目だと言うんでな。使徒の所有権は魔人にあるからセックスしたいなら所有者の許可を得るのが筋なんだと」

「使徒の所有権、ですか。それも最終的には魔王様に帰属するものだと思いますが……まぁでも、そうですね。魔王様自らが筋を通してくれるというのは素直に有り難い事だと感じます」

 

 そんな会話を魔王と魔人筆頭が交わす中、 

 

「……(ホーネット様っ!)」

「?」

 

 一人魔王の背後に立つケイコはといえば。

 ランスに気付かれないよう、密かにホーネットに対してアイコンタクトを送っていた。

 そりゃもう必死な顔で。マジな顔で。

 

「(ホーネット様ー! 助けてー!)」

「っ、……」

 

 その必死な形相から読み取れるものが、そのアイコンタクトの持つ意味が。

 筆頭使徒ケイコが自分に伝えたい意図、それを察したホーネットは思わず喉を鳴らした。

 

(……そういえば、ケイコは先程……)

 

 先程ケイコは言っていた。自分には愛する御方がいるのだと。

 その人への愛を貫きたいが為、自分は魔王ランスに抱かれる訳にはいかないのだと。

 

「(ホーネット様ー! へるぷみー!)」

 

(け、ケイコ……!)

 

 だからこそケイコはここに自分を呼んだ。主たる魔人筆頭に救いを求めんが為に。

 性交の許可を出さないで欲しいと、魔王からの要求を撥ね付けて欲しいと望んでいるのだろう。

 

(し、しかし、ケイコ……そのように痛切な眼を向けられても、ここで私に出来る事など……!)

 

 とはいえ相手は魔王。使徒が逆らえないのと同様に魔人であっても逆らえないような相手。

 特に魔人筆頭たるホーネットにとってはその忠誠を捧げる唯一無二の存在な訳で。

 

「(ホーネット様ー! このままじゃケイコ食べられちゃいますー! 助けてー!!)」

 

(わ、私は……!)

 

 救いを求める使徒を優先するのか。それとも自らの忠誠心を優先するのか。

 ホーネットにとってはどちらを選ぶのも心苦しい板挟みな状況である。

 

 ……だが、その一方で。

 

(ホーネット様ー! へるーぷ!! ……と、これで狙い通りの展開になるでしょうかね)

 

 使徒ケイコはその内心ケロリとしていた。

 あたかもホーネットに救いを求めるかのような痛切な眼差しも全ては演技、ブラフである。

 

(いやはや、いざと言う時に使えるかもと思い布石を打っておいたのですが、それがまさか今日の今日でさっそく活きてくるとは。さすがは私、先見の明がありますねぇ。えっへん)

 

 つい先程「自分には愛する御方がいる」と宣言しておいた。それが見事に功を奏した。

 それが自分自身の事だとは気付いていないホーネットはケイコの事を庇おうとしている。

 他者に向ける恋心を、その気持ちを理解しているが故に性交を許可するのを躊躇っている。ホーネットの苦悩する表情がその事を如実に伝えている。

 

(あぁ、なんて心優しきホーネット様。ケイコの事など気にする必要は無いでしょうに)

 

 欲深き魔王の手から。魔人筆頭には絶対に逆らえないような相手から。

 それでも大事な使徒を守ろうとしている、守りたいと思ってくれている。

 

 ……となれば。

 

(ここまでくれば私のする事はありませんね。後は成り行きを見守りましょうか)

 

 

「でだ、ホーネットよ」

「……はい」

「ケイコちゃん、抱いてもいいよな?」

 

 それが当然であるかのように。

 ランスはなんの疑いもなく、なんの躊躇もなく、使徒との性交の許可を求めてくる。

 

「それは……」

 

 もしケイコの気持ちを知らないままだったら。

 あるいはホーネット自身がその感情を知らないままだったら。

 それならすぐにでも頷いていただろうが……しかし今のホーネットには。

 

「それは……どうでしょうか」

「なに?」

「ケイコは……いえ、本当に、ケイコを抱く必要があるのですか?」

 

 まずはそんな言葉で相手の出方を伺った。

 真っ向から拒否するのが難しい以上、これでもホーネットにとっては必死の抵抗である。

 

「そりゃあるぞ。だって抱きたいし」

「ですが……性欲を解消したいなら他に選択肢がいくらだってあるではないですか」

「そりゃそうだけど、でも今はケイコちゃんが抱きたいのだ。まだ抱いた事のない子だしな」

 

 性別が女で顔が可愛い。そしてまだ抱いた事の無い処女。

 となればセックスがしたくなる。ランスにとってはその程度の理由があれば十分。

 

「……ひとまず、今日のところは他の女性で我慢しておく訳にはいきませんか?」

「いかん」

 

 魔王は固い表情で首を横に振る。

 

「……どうしても?」

「うむ」

「……そこをなんとか」

「むり」

「……無理を承知で」

「だめ」

 

 ホーネットが食い下がってもランスの返事は一向にNOばかり。

 だって抱きたいから。抱きたいと決めたら抱く。性の衝動はとてもシンプルなのである。

 

「つーかなんだホーネット。お前ならもっと簡単にOKくれると思ってたのに」

「……それは」

「やっぱし筆頭使徒だからか? そんなにケイコちゃんが大事だってのか?」

「大事……えぇ、それは勿論。昔から私に仕えてくれている大切な使徒ですからね。無碍に扱われるような真似を見過ごす訳にはいきません」

 

(優しい……)

 

 その言葉に思わずじーんとなるケイコ。

 主からの愛情を感じる。使徒冥利に尽きるとはこの事である。

 

(優しい……のですが。とはいえ私は別にこういう絵を見たかった訳では無くて……)

 

 だがケイコは。何もホーネットが使徒に愛情を向ける姿を見たかった訳ではなくて。

 

(仕込みは万全なはず。読み通りならそろそろだと思うのですが……)

 

 ケイコが見たかったのはその先。

 ケイコが願うのはいつでもどこでも主の幸せのみである。

 

「んな心配すんなって。お前の使徒だってのは分かってるし、無碍になんか扱わねーって」

「……そうですか?」

「おう。聞く所によると処女みたいだしな、丁寧にやさしーくセックスしてやっから」

 

 するとケイコの読みが当たったか、あるいは今の言葉が切っ掛けとなったのか。

 

「……そうですか」

 

 そこで一度ホーネットの眉がぴくんと動いた。

 

「……丁寧に?」

「おう。そりゃもう丁寧に」

「……優しく?」

「おう。ケイコちゃんがアヘアヘとろとろになっちゃうまで、やさしーく抱いてやるとも」

「…………そう、ですか」

 

 丁寧に、優しく。ランスはケイコの事を大事に大事に抱いてくれると言う。

 それを聞いて……昔とは違う、今のホーネットはどう感じただろうか。

 

「………………」

「ホーネット?」

「……あ、いえ……」

 

 沈黙の中、今のホーネットは何を想像して。

 そして、何を思ったのか。

 

「……どうしても、ケイコを抱きたいと?」

「抱きたい」

「……代わりは誰だって良いのですよ? それこそ例えば、その、わ──」

「いや、今日はケイコちゃんが抱きたい」

「……そんなに、ですか」

「おう、そんなにだ」

「………………」

 

 ランスの意思の固さを思い知る度、ホーネットの声色は重くなっていって。

 

「………………」

「ホーネット?」

 

 むすっと沈黙するその顔は、心なしか不貞腐れているように見えて。

 そんな主の姿を見ていたケイコは思った。

 

(……ふむ。この様子だとそろそろですかね)

(そろそろ……ホーネット様の乙女心が悲鳴を上げる頃合いなはず!!)

 

 果たしてその読みは、古くは賢者と呼ばれた筆頭使徒の読みは見事なもので。

 

「……そんなに」

「あん?」

 

 ホーネットは気持ち不機嫌になったように見えるその顔をついっと横に背けて、言った。

 

「……そんなに、ケイコがいいのですか」

 

 ──これだッ! 

 とケイコは目を輝かせる。

 

(今のは嫉妬! 紛れもない嫉妬心でしょう!!)

 

 愛情が故に他人を羨む気持ち──嫉妬。

 ホーネットのような全てにおいて真面目で従順な女性が見せた、ほんの小さな嫉妬心。

 

(私を庇おうとしていたはずなのに、いつの間にやら私に対して嫉妬してしまう。御見事ですホーネット様っ! なんて見事な乙女心の発露!!)

 

 使徒を庇う気持ちも、魔人筆頭としての忠誠心も忘れた、ホーネットの乙女な姿。

 それこそケイコが見たかった、というよりも魔王に見せたかったホーネットの姿。

 

(特に魔王様の前では自らを律し、毅然とした姿であろうとする傾向がありますからね! こういう姿は中々見せられるものではありません! どうですか魔王様っ! こんなに乙女なホーネット様を見て愛おしく思わない訳が──!!)

 

 が。

 

「あぁ、今日はケイコちゃんを抱きたい気分だ」

 

 そんなホーネットを見ても、魔王ランスは実にあっさりと答えた。

 

(は?)

 

 なんだコイツはおい魔王テメーふざけてんのかよ今すぐぶん殴ってやろーかオオン?

 と思いはすれど勿論行動には移さない。何故ならケイコは賢者、ここで襲い掛かっても勝ち目は無いと理解しているのである。

 

「……チッ」

「あれ、今後ろから舌打ちが聞こえたような」

「恐らくは気のせいでしょう。今日の魔王様は耳はおろか目も腐っておられるようですから」

「え……それどういう意味だ?」

「さぁ?」

 

 白々しくすっとぼけるケイコ。

 

「……ふぅ。そうですか」

 

 そして一方、ホーネットは。

 

「……ケイコ」

「はい」

「残念ですが私にはこれが限界です。どうあっても魔王様の御心は変わらないようですので」

 

 もはや勝ち目は、無し。

 これ以上の徹底抗戦は無駄だと判断したホーネットはソファから立ち上がる。

 

「では魔王様、私は許可を出しますのでケイコの事はお好きになさって下さい」

「よっしゃ!」

「そしてケイコ。酷い事を言うようですが、貴女が魔の一員たる使徒である限りこれは受け入れねばならない事です。……貴女を庇い切れない事、申し訳なく思います」

 

 そう言い残してランスの部屋を出ていった。

 すぐに寝室で情事が行われる。その事を考えるとこれ以上ここにいたくなかったのだ。

 

 

「んじゃあケイコちゃん、ホーネットの許可も得た事だしいざ──」

 

 いざセックスといくかー! という言葉は、

 

「あーあー」

 

 ケイコの「あーあー」にかき消された。

 

「あーあー」

「な、なんだ」

「あーあー!」

「だからなんだってんだ!」

 

 呆れ顔であーあーと連呼するケイコ。

 せっかく自分が知恵を働かせて、滅多に見られない嫉妬心を露わにした乙女なホーネットの姿を見られるようセッティングしてあげたというのに。

 なのに肝心のランスがこの態度。ケイコとしては実にガッカリ残念な結末である。

 

「なんだ、じゃないですよ魔王様。ホーネット様がスネちゃったじゃないですか」

「えっ、あれって拗ねてたのか?」

「そうですよ。あんなに分かりやすくスネているのになに放っといてんですか」

 

 ケイコ曰く、どうやら先程のホーネットは分かりやすく拗ねていたらしい。

 ランスには普通に部屋を出ていっただけのようにしか見えなかったのだが、長らく仕えている筆頭使徒には見抜けるものがあるようで。

 

「ほらほら、こんなところで油を売っていないで早くホーネット様の後を追いかけて下さいな」

 

 ケイコはランスの腕を取って立ち上がらせると、その背中をドアの方にぐいぐい押していく。

 

「いや待て、俺様は君とセックスを──」

「魔王様、許可を得たのですから私とのセックスなどいつでも出来るではないですか。今はそんな事よりも優先するべき事があるでしょう?」

「優先するべき事ったってな、俺様にとってはセックス以上に優先する事など──」

「まーおーうーさーまっ! ……はぁ、全く。しょうがないですねぇ」

 

 すると溜息一つ。

 一旦足を止めて、有無を言わさぬ瞳でランスの顔をじっと見つめて。

 

「いいですか? 魔王様」

「な、なんだよ」

 

 出来の悪い生徒に教え諭す教師のように、筆頭使徒ケイコは滔々と語り始めた。

 

「ですから、仮に……そうですね、魔王様は小銭を所持していますか?」

「は? 小銭?」

「はい、人間世界の金銭です。お持ちですよね?」

「そりゃ持っとるが……ほれ」

 

 一体何の話かと、ランスは首を傾げながらもポケットから数枚の小銭を取り出す。

 

「その小銭をですね。魔王様が廊下を歩いている途中でポケットから落としてしまったとします」

「んで?」

「小銭を落としたうっかり魔王様、その少し後ろをこの私ケイコがてくてく歩いていたとします」

「んで?」

「そしてその小銭を私が拾ったとしたら、私はそのまま自分のポケットに入れます」

「おい、ネコババすんなよ」

「イヤです。私が拾った以上は私の物です」

 

 ケイコはあっけらかんとした顔で言う。

 

「魔王様。先程も言いましたが使徒の忠誠は主たる魔人にあります。ですから私は魔王様の事などぶっちゃけ何とも思っておりません。故にネコババだってするのです」

「あのなケイコちゃん。いくら忠誠は無くとも落とし物はネコババしないで持ち主に返しなさい」

「イヤです。落とす方が悪いのです」

 

 ケイコはまるで悪びれもなく言う。

 

「いくら筆頭使徒だなんて呼ばれて持て囃されようとも、所詮私など隙あらばネコババしようと考えている浅ましい使徒だという事です。そしてこれはですね、実のところ私だけに限った話ではありません」

「いや……ここまで堂々とネコババ宣言をするのは君ぐらいなもんだと思うが……」

「いいえ。これは私以外にも殆どの使徒や魔物に共通する思考で……そして更に言えば、魔人でさえも例外ではありません」

 

 使徒の忠誠の先は主たる魔人にある。それは先程ケイコが言っていた通り。

 がしかし一方で魔物や魔人はどうか。その忠誠が使徒達とは明確に違うのかと言えば必ずしもそうでは無くて。

 

「魔王様もお気付きでしょうが……魔人とは魔王に絶対服従を誓う者。とはいえそれはあくまで表面上の話であって、全ての魔人が魔王様に忠誠を尽くす訳ではありません」

 

 絶対服従とは。ただ単に絶対的上位者を恐れて頭を垂れているだけの事。

 どんな魔人でも一皮剥けばそこにあるのが忠誠とは限らない。命令に従う事と忠誠を捧げる事はまるで異なる概念なのである。

 

「……ま、そりゃそうだろうな。大体魔人の中にはレッドアイみたいなヤツもいやがるし」

「えぇ、仰る通りそもそも忠誠心などという思考を持たないような者も存在しますね。魔王リトルプリンセス様の命を狙うケイブリス派に属した魔人が多かった事からも明らかなように、魔人というのはヤンチャな方が多いのです。だからこそ絶対命令権などがあるのかもしれません」

 

 魔物や魔人の忠誠の先は魔王にある。

 だがそれはあくまで建前であり、真に忠誠を捧げているとは限らない。

 

「ですが……ホーネット様は違います」

 

 そう前置きした上で、ケイコは語る。

 ずっと昔から見てきた終生の主、魔人ホーネットが捧げる忠誠を。

 

「知っていますか魔王様? ホーネット様は普段からスケスケの服を着ているでしょう?」

「あぁ、そうだな」

「あれには理由があるのです。あれはポケットの中まで透けている服を着る事で、自分は決してネコババなどしませんよと示す為、自分は魔王様に忠誠を尽くしますよと表明する為、ホーネット様はあえてあのようなスケスケな服を着ているのです」

「へぇ、あの服にそんな理由があったのか……」

 

 ふむふむとランスは感心しかけて、

 

「……いや待て、それ嘘っぱちだろ?」

「はい。今適当に考えました」

「……あのなぁ」

 

 直後呆れたように肩を落とした。

 魔人ホーネットが露出度の高すぎる服を着ている真相は未だ闇の中だが……それはともかく。

 

「ですがつまりはそういう事です。ホーネット様は魔王様に対して心から忠誠を捧げています。その事は魔王様だってなんとなくお分かりでしょう?」

「そりゃまぁ……」

 

 ホーネットは自分に心から忠誠を捧げている。

 ホーネットならまず間違いなくネコババなどしないだろう。それはランスも頷くところで。

 

「ではそれが何故なのか、その理由が魔王様にお分かりですか?」

「何故って……あいつが魔人筆頭だからだろ?」

「いいえ違います。確かにホーネット様は魔人筆頭であるが故、過去にはガイ様に対してもリトルプリンセス様に対しても忠誠を捧げていましたが……しかし、今のホーネット様の心にあるのは決してそれだけではありません」

 

 それを見ていないランスには分からないだろうが、それを見てきたケイコには分かる。

 魔王ガイに仕えていた長き間、あるいは魔王リトルプリンセスに仕えていたほんの一時、そのどちらとも違うのが今のホーネットで。

 

「今のホーネット様の忠誠の意味……そこにあるものを魔王様はお分かりですか?」

「……いや、知らんけど」

「そうですか。では教えて差し上げましょう」

 

 勿体ぶるように一呼吸置いたケイコは。

 その手を自らの胸にそっと重ねて、言った。

 

「それは……愛ですっ!」

「愛!?」

「そうです! 愛です!!!」

 

 答えは──愛。LOVE。

 それこそ今のホーネットの心にあるもの。

 

「いいですか魔王様!! 愛です!! 愛こそが忠誠なのです!!」

「あ、愛こそが、忠誠!?」

「そうです!! 愛無き忠誠などやわなもの、真なる忠誠には真なる愛が必要なのですっ!!!」

「あ、あい……」

 

 その勢いに押されて魔王は一歩後ずさる。

 愛。愛情。LOVE。それはランスという男にはどうやっても理解出来ないもの。

 性欲とは異なる、誰かのことを純粋に想う気持ちこそが……愛。

 

「これはガチです。ホーネット様に忠誠を捧げて、ホーネット様を愛するがあまり、時にふざけた魔王様をぶん殴りたくなっちゃう事もあるこの私ケイコが保証します」

「お、おう……な、なんかそう言われると説得力があるな……」

「そうでしょうとも。魔王様の背後で舌打ちしちゃうようなお茶目な私ですが、そんな私でもホーネット様からは大事にされています。それは私がホーネット様に対して真なる忠誠を捧げているからこそ」

 

 そう言い切ったケイコは、そこで表情と語気をふっと柔らかく緩めて。

 

「……ですから魔王様。魔王様も御身が大事にすべきものを間違えてはなりません」

「ぬ……」

「魔王様の事をなんとも思っていないこの私などに愛を注ぐよりも、その分をホーネット様の忠誠と愛情に報いてあげてください。……ケイコが心よりお願い申し上げます」

 

 手足を揃え、ぴっちり45度腰を折って、魔人ホーネットの筆頭使徒ケイコは深々と礼をした。

 

「……お、おぉう……」

 

 さっきまであれ程へんてこりんだったケイコからこうも美しい所作で礼をされると。

 ギャップがあるせいか通常よりも効果的。それもまた賢い賢いケイコの演出の一種。

 

「ほらほら魔王様、拗ねちゃったホーネット様を放っておいても良いのですか?」

「ぬぬ……」

「ホーネット様ってあれで意外と根に持つタイプですからね。後回しにする方が面倒ですよ?」

「ぬぬぬ……」

「それともまさか……忠誠や愛は不変なものなどとお思いで? 覚める時なんて一瞬ですよ?」

「ぐぬぬぬ……」

 

 畳み掛けるようなケイコの攻撃が効いたのか。

 ぐぬぬと唸っていた魔王だったが、やがてケイコに向けてビシッと人差し指を突き付けた。

 

「──今度だっ!」

「はい」

「ケイコちゃんの事は今度抱くからな! 絶対だからな!!」

「はい、分かりました。ではケイコはその時を心待ちにしておりますね、魔王様」

「いいか、ちゃんと待ってろよ! それまでに処女を捨ててたりしたら怒るからな!!」

 

 しっかりと捨て台詞を残して、魔王は自らの部屋を出ていった。

 

 

 

「……ふぅ」

 

 こうして魔王はケイコの前から立ち去って、

 

「……勝ったっ!」

 

 一人きりになった部屋の中。

 上手く魔王を言いくるめた使徒ケイコは何処ぞに向けてビシッとVサインを作った。

 

 

 

 

 

 

 

 そして──その後。

 

「……ふぅー、すっきりスッキリー」

 

 所変わってホーネットの部屋。その寝室。

 ベッドの上にはやることやってスッキリとした魔王ランスの姿。

 

「………………♡」

 

 その隣にはぴたりと寄り添う姿。

 賢者ケイコの図らい通り、たっぷりと幸せにして貰った魔人ホーネットの姿も。

 

「……なぁ、ホーネット」

「……ん、なんですか?」

「さっきの……お前の使徒のケイコちゃんってよ」

「はい」

「あの子ってなんか、ちょっと……いや、かなーり変な子じゃないか?」

 

 今日一日、しっちゃかめっちゃかに翻弄されたランスが実感の籠もった表情で尋ねた。

 

「……そう、ですね」

 

 すると心地よい疲労感に包まれていたホーネットも一転して複雑な表情に変わる。

 

「ケイコは何をさせても人並み以上にこなす優秀な使徒なのですが……その、内心の面において少々奇妙な所があると言いますか、不思議な言動が目立つ時がありまして……」

「さっきあの子な、俺様が落とし物をした時はネコババするぞって堂々と宣言してやがったぞ」

「……それはいけませんね。ネコババは絶対に止めるよう私が言っておきます」

 

 遺失物横領は立派な犯罪、それを魔王相手に行うなど以ての外。

 使徒ケイコが堂々とそれを宣言するシーンを想像したホーネットは痛そうに眉間を歪ませる。

 

「ケイコはああいう一面さえ無ければ完璧と評しても良い程の素晴らしい使徒なのですが……どうにも一癖あるのが難点でして……」

「なぁホーネット。ぶっちゃけた話、あのケイコちゃんが筆頭使徒で良いのか?」

「……それは言わないで下さい。欠点に目を瞑りさえすれば優秀な子なのです、本当に……」

 

 

 

 

 一方その頃。

 

「へくちっ!」

 

 と、使徒ケイコは盛大にくしゃみをした。

 

 

 

 

 

 



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予兆

 

 

 

 

 

 

 

 それは一昨日の事。

 

「……ぬぅ?」

 

 立ち止まり、首を傾げる。

 

「……うーむ」

 

 ランスは唸っていた。

 その違和感に。あるいはそれを違和感と呼ぶべきかどうかすら定かで無いまま。

 

 

 

 

 それは昨日の事。

 

「……む」

 

 その視界に映る光景が、そこにあるものの輪郭が朧げに揺らいだような。

 

「……うーむ」

 

 ランスは唸っていた。

 単なる体調の変化かと思いきや、どうやらそういう話でも無いようで。

 

 

 

 

 そして今日。

 

「……うーむ」

 

 魔王の部屋。聞こえる唸り声。

 

「……ううーむ」

 

 やっぱりランスは唸っていた。

 一昨日ぐらいからずっと、謎の違和感が──消えない。

 

「ぬぅ……」

「どうしました? なにか考え事ですか? ランス様」

 

 うんうんと低く唸り続ける主人の様子にシィルが声を掛ける。

 

「……ぬ」

 

 するとランスは。

 その違和感を払うかのように首を振って。

 

「うむ、まぁ考え事っつうか……ちぃっとばかし問題がだな……」

「問題?」

 

 あえてそう返した──最近のランスは考えていた。悩んでいた。

 その眉間に深い皺を刻んだまま、先日あったホーネットとウルザとの会話を思い出す。

 

「実はな、俺様はハーレムを作りたいのだ」

「はぁ、ハーレムですか」

「けどな、これがいざ作ろうってなるとこれが中々難しい。魔王パワーを使っちまえば作る事自体は楽チンなのだが、理想のハーレムを作るとなると問題が山積みでなぁ」

 

 ハーレム。それは男の夢。勿論ランスの夢でもあるし野望でもある。

 だがそんな夢や野望だって、世を統べる魔王となった今では実現するのも容易い事。

 だからと掲げた夢のハーレム計画……なのだが。しかし今まで夢想していただけだったそれを真剣に考えてみると、そこには幾つもの困難な要素が浮かび上がってきた。

 

「ザッと計算してこの世界にいる美女は約27万人らしくてな。その全員を俺様のハーレムに入れる……ここまでは簡単だ」

「はぁ」

「だがその全員とセックスする方法が思い付かん。一日10人抱くとなると70年掛かるし、一日100人抱こうとしたら一人につき七分半しか楽しめない。さすがの俺様でも時間だけはどうにもならねぇからなぁ」

「……はぁ」

 

 ネックとなるのは時間の問題。

 光る宝石は山のようにあれど、その全部に手を出すには莫大な時間が掛かってしまう。

 

「ええっと……ランス様、それならハーレムの規模を小さくすれば良いだけでは? さすがに27万人全員を抱こうとする必要はないような……」

「それだと一部の美女をむざむざ捨てるって事になるじゃねーか。その中に顔も身体も100点満点のちょー美人がいたらどうする。それを逃さないようにする為に全ての美女をハーレムに入れようっつー話をしとるんだ、バカ者」

 

 あまりにも欲深いと言うべきか、はたまた現実が見えていないと言うべきか。

 望めば全てが手に入る。となれば全てを独占したくなってしまうのがランスという男。

 とはいえ何事にも限度はある。魔王の両腕の広さにも限界はある。たとえ全ての美女を囲おうとも、実際に手を付けないのであれば夢のハーレムなど作る意味は無いに等しい。

 

「……けどそっか。それなら全ての美女達を事前に採点しちまって、100点に近い子から順に食べていくってのはアリかもしれんな。それならもし抱きそびれたとしてもそれは点数の低い女だって事になるし」

「それはそうかもですけど……でもランス様、その採点って誰がするんですか?」

「そりゃ俺様が」

「それはそれで時間が掛かりませんか? 27万人なんて全員と顔を合わせるのも一苦労ですよ?」

「ならシィル、お前がやれ」

「えぇ!? でもそんな、採点なんて……どういう女性がランス様好みの女性なのか、私にはよく分からないですし……」

「んな事も分からねーとは……お前は何の為に長年俺様の奴隷をやっとるんだ……」

 

 困り顔になって首を振るシィル。それを見て呆れ顔になるランス。

 女性をパッと見で採点するのはランスの癖のようなものだが、しかし外見という個性に当て嵌められる絶対的な物差しは存在しない。

 となれば当然ながら他人の採点基準がランスの好みに合致するとは限らない。どこまでいっても人の好みは人それぞれなのである。

 

「ぬぅ……でもまぁぶっちゃけた話、27万人は多すぎるっちゃ多すぎるんだよな……」

「そうですよ。それに時間もですけどハーレムを置く場所にも困りますよね。27万人なんて一つの町以上の人口ですよ、この魔王城の中にだって到底収まりきらないでしょうし」

「……確かにその問題もあるな。ぐぬぬ……時間、場所……ハーレム……ハーレムかぁ、夢のハーレムってのは難しいもんだなぁ……」

 

 夢のハーレム。その理想的で究極的な形を追い求めんが余りランスは天を仰ぐ。

 そもそもランスは一度抱いて気に入った女性は一度と言わずに何度も抱くタイプなので、ハーレムの規模としてはせいぜい100人か、多くても200人もいれば満足に日々を楽しめるルーティンを組む事が出来る。

 27万人規模のハーレムなどどう考えても無用の長物なのだが、しかし身の丈以上の規模を欲しくなってしまうのがランスという男。

 なんせ魔王になったのだし、世界最大規模のハーレムを追い求めたくなってしまうのである。

 

「……むぅ、ハーレム、むむむ……」

 

 ハーレムは作りたい。その意思は消えていない。

 だからこれも一応ランスの頭を悩ませる問題と言えば問題ではある。

 

「ランス様。そう無理してまでハーレムを作る必要は無いんじゃないですか?」

「でもな。せっかく魔王になったのに何もしないなんてつまらんではないか。なんかしたいぞ」

「うーん……あ、じゃあサテラさん達を集めてトランプでもしましょうか? ……あいたっ!」

 

 ポコリ。

 とランスのグーがシィルの頭に炸裂。

 

「どうだ、この絶妙な力加減。人間だった頃のゲンコツと変わらない威力だろ?」

「ですね……うぅ、痛いです……」

「全く、言うに事欠いてトランプとはなんだ。お前は魔王様をナメとんのかいな」

「だって、なんかしたいって言うから……」

 

 トランプはお気に召さず。叱られたシィルはさすさすと頭頂部を擦る。

 

「そういう子供の遊びじゃなくてだな、俺様はもっと派手な事がしたいのだ」

「派手な事……それでハーレムを?」

「うむ、魔王は好きな事を好きにやっていいっつー話だからな。せっかく魔王になったんだし魔王っぽい事をしないと勿体無いではないか」

「はぁ……」

 

 思考が庶民派のシィルとは違う、庶民を遥かに逸脱する存在になったからこそ。

 前回の時の世界総統をも超えた存在、第八代魔王ランスになったからこそ。

 

「うーむ……」

 

 魔王っぽく、魔王らしい事をしたい。

 魔王で有るが故に。

 

「ううーむ……」

 

 ──と、そんな事を考えていた時だった。

 

 

「──ん?」

 

 一瞬、視界が赤く染まった。

 思わず目を擦る。目の前に見える光景がどろりと濁った、そんな気がした。

 

「……っ」

 

 自然と額に手を当てる。

 そこに妙な違和感が、脳の奥がチリチリと疼く、そんな感覚がある。

 

「………………」

 

 声が聞こえる。

 自分の内から、脈打つ鼓動と共に。

 自分ではないものが、自分になにかを求める声。

 

 それは例えば……真っ赤な血を。

 あるいはこの手で命を奪う感触を、そんなものを欲するような。

 

「………………」

 

 それこそが、いわゆる殺戮衝動。

 その声に身を委ねる事こそ、この世界における尤も魔王らしい魔王の行い。

 

「………………」

「ランス様、どうしました?」

 

 呆然としたまま、じっと虚空を凝視するランス。

 その様子が気になったシィルが声を掛ける。

 

「……ぬ」

「ランス様?」

「……いや、なんでもない」

 

 突発的に湧き上がった自分のものではない思考。

 それを掻き消すようにランスは頭を振った。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 些細な予兆こそあれど、その後は普通に過ごして。

 そして。それからちょっとした出来事があったのはその二日後の事だった。

 

 

「……あれ?」

 

 それは食堂で昼食を食べ終えて、自分の部屋に戻ろうとしていた時。

 

「あん?」

「ランス様、あれはなんでしょうか。なにやら集まっているみたいですけど……」

 

 廊下を歩いていた途中、シィルが立ち止まって窓の外を覗き込む。

 言われてランスもそちらに目を向けると……。

 

「ホントだ。なーにやってんだあいつら」

 

 そこは窓から見下ろせる城の中庭の一画、見れば多くの魔物達が集まっていた。

 皆一様に空を見上げて遠くの方を見つめて、中には睨むような目付きを向ける者もいて……そして、その中には魔人ホーネットの姿もあって、

 まるで何かを警戒するような様子、気になったランスは中庭に下りて声を掛けてみた。

 

「お前ら、そこで何やってんだ?」

「あ、魔王様……」

 

 一度振り向いたホーネットは、すぐにその視線を上空へと戻す。

 

「それが……空を見て下さい」

「空?」

「空がどうした……って、あ、なんかいるな」

 

 ランスとシィルも空を見上げる。

 一面に広がる魔物界の空。血を流したような赤色にドス黒い雲の掛かった不気味な空。

 そこに一際目立つ輝きが、銀色の何かが円を描くように動き回っていた。

 

 その眩い姿は──

 

「あれは……ドラゴンか?」

「ど、ドラゴンですか?」

「あぁ。どう見ても鳥には見えねーし、ありゃ絶対にドラゴンだ」

 

 魔王の眼が見抜いたそれは──ドラゴン。大きな翼を広げて空を飛翔する竜種。

 魔王城の遥か上空を一頭のドラゴンが飛んでいた。まるでこちらの様子を伺うかのようにぐるぐると旋回を繰り返していた。

 

「でも、どうしてドラゴンが……」

「どうやらあのドラゴンは先程からずっとあの様子らしく、最初に発見した魔物達が不審に感じて私に報告してくれたのですが、私もどうしたものかと悩んでいまして……」

「ほーん……」

 

 聞けばあのドラゴンはもう30分近く前から魔王城の空を飛び回っているらしい。

 ドラゴンとはその多くが翔竜山を根城にしており、この魔物界でもその姿を見る事は稀。そんな珍しい生物がやって来た事でホーネットも対応を測りかねているらしい。

 

「あのドラゴン、一体何が目的だ?」

「お腹が空いた、とかですかね?」

「どうでしょう、それならわざわざ魔王城までやって来たりはしないと思いますが……」

「ぬぅ、理由は知らねーがちょこまかと飛び回りやがって……さてはあのドラゴン、この俺様に喧嘩を売っとるな?」

 

 世界で一番エラい魔王が住む城の上空を、自分の頭上を、我が物顔で旋回する謎のドラゴン。

 一体何が目的なのかは知らないが、ランスとしてはあまり気分が良いものでは無い。

 

「よし。ホーネット、お前の最強魔法であいつを撃ち落とせ」

「……宜しいのですか?」

「あぁいいぞ。俺様が許可する」

「分かりました。では……」

 

 不審なドラゴンの様子は気になるものの、しかし魔王の命が下された以上その沙汰は決まった。

 精神を集中させたホーネットの周囲に6つの魔法球が出現、魔力の高まりと共に発光していく。

 そして魔王様からの命令通りに最強の魔法『六色破壊光線』を放とうとした……その時。

 

「……あ」

「あん?」

「ランス様、あのドラゴン……どうやら下りてきたみたいですよ?」

 

 遥か上空にいても感知出来る程に莫大かつ強烈な魔力の高まり。

 それが地上からの威嚇のような形になったのか、魔人筆頭の魔法攻撃を恐れたそのドラゴンは慌てた様子で高度を下げ始めた。

 

「のこのこと下りてきやがったか。だったら俺様の魔王パンチをお見舞いしてやろうじゃねーか」

「でも……あのドラゴンって……なんだか見覚えがあるような、無いような……」

「見覚えだぁ?」

 

 バッサバッサと大げさな風音を立てて、ゆっくりと降下してきたそのドラゴンは。

 輝く銀色の体躯、光を反射する大きな翼──巨大なホワイトドラゴン。

 

「あれは、まさか……キャンテルさん!?」

「やぁ……久しい顔だね」

 

 その名はキャンテル。

 遥か数百年も昔、人間の世を支配していた聖魔教団と契約を交わして、空に浮かぶ闘神都市の一つであるイプシロンを守護していた存在。

 イプシロン内では人間と共存していた事もあって他のドラゴン達よりも人間贔屓、それが理由で前回の第二次魔人戦争時には人類側の味方として戦った心優しきドラゴンである。

 

「キャンテルだと? ってことは、まさか──」

「よぉ大将!! やっぱりここに居たか!!」

 

 そして聞こえてきた声、溌剌豪快な男の声。

 それは前回の時と似たような展開、ランスにとっては予想通りの声だった。

 

「ぱっ、パットンさん!?」

「やっぱりお前かぁパットン!! んでついでにハンティも!!」

「ついでとは言ってくれるじゃないか。まぁ実際私はパットンの付き添いなんだけどさ」

 

 キャンテルの背中に乗っていたのはパットン・ヘルマン──現ヘルマン共和国大統領の兄。

 更にはその恋人、ハンティ・カラー──伝説の黒髪のカラーと呼ばれる女性。

 

「魔王様、お知り合いの方ですか?」

「いいやサッパリ知らんヤツらだ。きっとこいつらは俺様の命を狙いに来た刺客だろう。てなわけでホーネット、蹴散らしていいぞ」

「お、おいおい! そりゃあねぇだろ!! 刺客じゃなくて客人ってことにしてくれよ!」

 

 ランスの言葉を慌てて否定しながらキャンテルの背中から飛び降りて。

 そして、パットンとハンティが魔王城の中庭に下り立った。

 

「……ふぅ、着いた着いたっと。んじゃあ改めて……よう! 久しぶりだなぁ大将!」

「おう」

「それに嬢ちゃんも、こうして元気な顔が見られて嬉しいぜ!」

「はい! パットンさんもお変わりないですね!」

 

 一名無愛想な表情、他二名朗らかな笑顔で挨拶を交わすランスとシィルとパットン。

 こうして三人が顔を合わせるのは約4年ぶり。LP4年にゼス国で勃発した騒動の折に出会い、当初はレジスタンス活動から、最終的には魔軍を相手取って戦い共に死線をくぐった間柄である。

 

「にしてもお前ら、俺様の城に空から乗り込んでくるとは中々いい度胸してるじゃねーか」

「あぁ、さすがに俺とハンティだけで正面切っての魔物界突入は無謀過ぎるからな。キャンテルに乗って空から行く以外にここに辿り着く方法が無かったんだ。ちぃとばかし騒々しい登場になっちまったけど勘弁してくれや」

「突然ドラゴンが現れたからビックリしました。パットンさんはキャンテルさんとお知り合いだったんですね」

「俺っつーかハンティが、だな。ヘルマン革命が終了して以後、キャンテルには色々と手を貸して貰っていてさ……」

 

 ここ一年近くの間、パットンはハンティと共にあれこれ精力的に活動していた。

 人類と魔物の衝突。いずれ起こるであろうその戦争を視野に入れて、その為の準備として世界各地に眠る聖魔教団の遺跡を巡って情報集めをしていた。

 そしてハンティ・カラーは聖魔教団の大幹部であったフリーク・パラフィンの盟友であり、イプシロンを守護していたキャンテルとも旧知の関係。その縁でキャンテルはパットンとハンティの旅路に協力しており、今回こうして魔物界への移動手段としても働いてくれたようだ。

 

「俺達もあれこれ準備していたんだけど……この分だと無駄になっちまったかな」

「あん?」

「いいやこっちの話だ。気にしないでくれ」

 

 そう言ってやれやれと首を振るパットン。

 来たる魔軍との大決戦に備えて、闘神Ζを人類側の味方として活用する為の方法を探ったり。

 果ては人類側の最重要拠点となるはずのランス城を空中に浮かべる準備まで進めていたのだが、その裏でランスが魔物界に乗り込み魔軍の親玉であるケイブリスを倒してしまった為、全ては空振りに終わったのだった。

 

「で?」

「え?」

「え? じゃないわ。一体お前らは何が目的でここに来たんだ」

「あぁ、そういう事か。いやまぁ何が目的かって言うと~……」

 

 ランスから訪問目的を尋ねられると、パットンはその視線を横に移して。

 

「ところで……そっちに居る緑の長髪の人は見た所魔人さん、だよな?」

「えぇ。私はホーネットと申します」

「んで……魔王様と来たもんだ」

「あん?」

「さっきホーネットさんからそう呼ばれてたろ? それで普通に返事するって事は……やっぱり大将が魔王になったのか」

 

 まず最優先で知っておくべき事。半ば答えを予想しつつもパットンはそれを尋ねた。

 ここが魔王城で。魔人が居て。その魔人から普通に魔王様と呼ばれるランスはつまり……。

 

「あぁそうだ、俺様が魔王様だ」

 

 当然のようにそんな答えが返ってきた。

 そこに居るのは人間ではなく、魔王ランス。この世界を支配する絶対の存在。

 

「……おぉ、やっぱそうだよな」

「どうだ、ビックリしただろ?」

「……そうだな、ビックリした」

 

 一見すると何も変わっていないように見えるが、それでもそこにいるのは魔王。

 となると今自分は魔王と対峙している訳だが、それにしては緊張感が無い。そのチグハグさも相まってパットンは頭を掻く。

 

「つってもまぁ去年の時点で大将が魔物界に乗り込んだってのは風のうわさで聞いていたんだ。聞けばヘルマンにも立ち寄ったみたいだしさ」

「それでついこの前新しく知らされた年号が『RA』だったからね。まさかこれはってパットンと話していたんだけど……」

「考えていても始まらねーし、だったら実際に会いに行った方が早いんじゃねーかって、そんな理由で俺達はここに来たって訳だ」

 

 新たなる魔王ランス。リーザスやゼスの要職に就く者達やそれに通じる情報通の者達など、極一部にはすでに知られつつある元人間の男の名前。 

 そんな噂や憶測は知りつつも、とはいえ百聞は一見に如かず。実際にこの目で見た方が早いし何よりも真相がハッキリする、そんな思いでパットン達は魔物界に乗り込んできたようだ。

 

「そう、俺様は魔王になった、世界最強になったのだ、まぁ人間の頃からそうだったがな」

 

 あえて隠すような事でもないし、何一つ気兼ねするような事でもない。

 どんな時でも自信満々のランスはいばるように腕を組む。

 

「だからパットンよ。お前なんてもうランスキック一発で城の外まで蹴飛ばせちまうんだからな」

「マジか、スゲェなそりゃあ……ていうか、そんな事やらないでくれよ?」

「そしてハンティもだ。今やお前の雷撃だって俺様には通用しない、ここでお前を襲う事だって簡単に出来ちまうのだぞ? ぐふふふ……!」

「私の魔法なんて魔王はおろか魔人にだって効きやしないさ。ただ襲われそうになっても瞬間移動で逃げる事は出来るけどね」

「ぬ。そういやそれがあったか……」

「……つーか大将、そういう話を俺がいる前でしないでくれや……」

 

 魔王になっても相変わらずな様子にパットンはげんなりと眉を落とした。

 

 

 

 

 

 そして。

 

「おぉ……こりゃすげぇ」

 

 見渡せる程に広々とした一室。その壮観な眺めに客人は眼を見張る。

 コツコツと音を反響させて進んだ先にあるのは豪華な装飾が施された支配者の座。

 

「ラング・バウの宮殿にも皇帝の間はあったけど、あれより遥かにデカくてすげぇな」

「そりゃ当然だ。なんせここは魔王様の城なんだからな。……よっこいせーっと」

 

 久々の再会。色々と積もる話を中庭で交わすのもあれなのでと、一同場所を移動して王座の間。

 せっかく魔王なのだし魔王らしくと、魔王ランスは王座にどしっと腰を下ろしてから口を開く。

 

「では改めて……パットンよ。この魔王ランス様の城によくぞやって来たではないか」

「お、おぉ。なんだ、歓迎してくれんのかい?」

「そうだな、考えてみりゃお前らは俺様が魔王になってから初めての客人だ。本来なら人間の男なんざ問答無用で叩き帰すのだが……まぁ初回限定特別サービスで歓迎してやろうじゃないか」

 

 悠然と構えて、人間相手にもおおらかな対応を見せる魔王ランス。

 ランスが魔王に就任して以後、人間世界からの客人はこれが初めて。それどころか派閥戦争を戦っていた頃も客人などは皆無だったので、ランスの感覚としては随分ぶりである。

 

「そっか、ここに来んのは俺達が一番なのか。多分だけど今の大将に会いたいって思っているヤツは人間世界に沢山いると思うぜ。ただそれで実際に会えるかっつーと別の話なんだろうが……」

「なんせ場所が場所だしね。魔物界の奥地に聳え立つ魔王城なんて人間にはまず辿り着けない。私達だってキャンテルの力を借りてやっとな訳だし」

「ふむ……」

「言われてみるとそうかもしれませんね。最近はもうすっかり慣れちゃってましたけど、それでもやっぱりここは魔物界なんですよね」

 

 すでに感覚としてはかなり魔物側、そんなランスとシィルは納得顔になって頷く。

 人間のランスが新たなる魔王になったとはいえ、依然としてここは魔物界。人間界側から見れば魔物の犇めく暗黒の領域に変わりはなく、その脅威度が下がった訳ではない。

 たとえ人間世界の誰かが魔王ランスとの謁見を望もうとも、ドラゴンの伝手を頼りに空から移動するでもしない限りはそもそも魔王城に辿り着く事すら困難なのである。

 

「まぁそれはともかく……ここが魔王城で、ここが王座の間だ」

「あぁ」

「んで俺様が魔王ランス様だ」

「あぁ」

 

 魔物界に突入して、魔王城に辿り着いて。

 そして。目の前には全ての魔族を、そしてこの世界を支配する王……魔王ランス。

 

「どうだ、魔物界を堪能したか?」

「へ?」

「堪能したよな。ではとっとと帰れ」

 

 おおらかな対応から一転、ランスは虫でも払うようにしっしと手を振った。

 

「おいおい……せっかく来たんだしもうちょっと居させてくれよ」

 

 そのにべもない態度にパットンも困惑顔。

 

「つーか歓迎してくれるって話じゃ?」

「歓迎はしてるだろう、本来なら城に入れてなどやらん訳だからな。さっきだって城の空をうろちょろする迷惑なドラゴンを見つけたホーネットが殺る気満々でな、俺様が止めなかったら今頃お前らなんて消し炭になってたんだぞ。なぁホーネット?」

「……えぇ、まぁ」

 

 ──しかしあのドラゴンを撃ち落とせと私に命じたのは魔王様でしたが。

 とは言わないホーネット。場の空気を読むのも魔人筆頭の役割の一つである。

 

「俺様は魔王、お前らみたいな人間と違って魔王様は忙しいのだ。本来ならお前のようなパンピーが謁見出来るような相手ではないのだ」

「パ、パンピーって……」

「大体お前らはどうせ冷やかしに来たんだろ? 大した用事もねーんだろ?」

「冷やかしっつう訳じゃねーけど……用事があって来たのかって言うと……まぁ……」

 

 真っ向から言い返す言葉が無いのか、パットンは弱々しく言葉尻を濁らせる。

 二人がこの魔王城にやって来た主な理由は新たなる魔王ランスと会う事、その真相を確認して魔王の現状を直に確認する事。

 その意味ではすでに目的を達しており、となればもう用事はない。ここから先は冷やかし気分と言われても反論は出来ない状況にある。

 

「でもほら、せっかくこうして久々に会った事だし旧交を温めるか~、なんて──」

「ない」

「だよなぁ、このサッパリした感じこそが大将だよなぁ、やっぱ変わってねぇなぁ……」

 

 特に男相手には冷たい、人間だった頃と何も変わらない態度。

 用が済んだら即帰れとばかりのそっけなさにパットンは眉を顰めて、 

 

「あー、でもそうだ。それなら一つ、大将に話があるのを思い出した」

「話?」

「あぁ。そんで一つ頼み事があってな……」

 

 それは出発前、故国であるヘルマン共和国の首脳部の面々から頼まれていた切実な内容。

 あまり良い話じゃないのか、渋面のパットンは目を背けるように少し横を向いた。

 

「正直なところ、これを今の大将に頼むってのもどうなのかとは思うんだけどよ……」

「なんだ、なんの話だ」

「実はな……リーザスの女王さんをどうにかして欲しいんだ」

 

 言って、ほとほと困ったようにパットンは大きな息を吐く。

 

「リアを?」

「あぁ、ほら、大将はあの女王さんと懇意の仲だっただろ?」

 

 人間世界にある大国の一つ、リーザス王国。それを統治する女王リア・パラパラ・リーザス。

 彼女と出会ったのはまだランスが人間だった頃、更にはその名が世に広く知られる以前、まだ一端の冒険者だった頃に受けたとある誘拐事件の解決依頼を通じて知り合った。

 その後は色々あって今ではパットンが言うように懇意の仲と言える関係。そんなリア女王がなにやら悩みのタネになっているようで。

 

「パットンさん、リア女王との間に何かあったんですか?」

「あぁ。つっても俺がってわけじゃなくてヘルマン共和国が、にはなるんだが……」

 

 それは今の人間世界を賑わせている最大のニュース・トピックス。

 パットンは一呼吸置いて、言った。

 

「今、ヘルマンとリーザスは戦争中なんだ」

「ほう」

「せ、戦争!?」

 

 現在、ヘルマンとリーザスは戦争の真っ最中。

 その事実にランスの相槌とシィルの驚きの声が重なった。

 

 

 

 

 

 



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落命

 

 

 

 

「今、ヘルマンとリーザスは戦争中なんだ」

「ほう」

「せ、戦争!?」

 

 ヘルマン共和国とリーザス王国との間で勃発した戦争。

 それは今の人間世界を賑わせている最大のニュース・トピックス。

 

「パットンさん、それって本当なんですか?」

「残念ながら本当だ。当時は俺もヘルマンを離れていてさ、新聞を読んで腰を抜かしたぜ。その後すぐラング・バウに戻って事情を聞いたんだが──」

 

 パットンの話によると、事が起こったのは3週間程前の事。

 と言っても契機のようなものは無く、ある日突然にリーザス側からの一方的な宣戦布告。

 それと同時にリーザス軍が進軍開始、黒の軍を先頭にしてバラオ山脈の踏破に乗り出した。

 

「知っているとは思うけど……昔からヘルマンとリーザスは犬猿の仲でな。これまでにも小競り合いなんかは結構あったんだが、それでも大きな戦争までにはならなかった」

「でも今回は違うってか?」

「あぁ、そういう事だ。バラオ山を越える為に動員したリーザス軍の規模からして、どうも今回のリア女王は本気らしくてよ……」

 

 ヘルマン側にとっては青天の霹靂となった此度のリーザス軍侵攻。

 ただ幸いにも諜報活動を生業とする闇の翼の働きによってその動向は掴めていたようで、革命時に壊滅してまだ再建途中であるヘルマン第一軍に代わり対リーザス戦線の要としてバラオ山脈方面に常駐していたヘルマン第五軍が中心となって、先んじて防衛線を構築する事には成功した。

 

「今もロレックス将軍達が頑張ってくれているだろうけど……一昨年の革命の影響でヘルマン軍の人員や戦力が低下しているのは事実、今のリーザスを相手にどれだけ持つかって所でな……」

「……ほーん」

 

 LP2年に起きた第七次HL戦争に続いて、第八次HL戦争と銘打たれるであろう此度の戦い。

 お互いにとって難攻不落となるバラオ山に陣を敷くヘルマン側に地形的優位性はあれど、それでも現状は戦力差が響いてリーザス側の優勢のようだ。

 

「人間世界でそんな事が起きているなんて……全然知りませんでしたね……」

「うむ。なんか前にもこんな事あったような気がするが……にしてもなーにやってんだか、リアのやつは……」

「つっても大将、他人事じゃないんだぜ。多分これは大将にも原因があるんだからさ」

「は? 俺様が?」

 

 自分に原因がある。

 と言われてもサッパリ身に覚えが無いランスの顔にはてなマークが浮かぶ。

 

「さっき言っただろ? 今の大将に会いたいと思っているヤツは大勢居て、でも現状は会うのが困難だって。リア女王もその一人だって事さ」

「そりゃそうかもしれんが……それがなんだってんだ」

「ここは魔物界だ。魔物の世界に人間が真正面から乗り込もうとしたら最低でも一国の軍隊規模が絶対に必要だ。だもんで一般人には到底無理な話だが、リーザスを治めるリア女王にだったら可能かもしれないだろ?」

「まぁそうかもな。んで?」

「じゃあリーザス全軍を挙げて魔物界に乗り込もうっつー話になったとする。だがその場合、リーザスから魔物界までの進行ルート上には邪魔な国が一つあるだろ? 要はそういう事さ」

「……あー」

 

 パットンが指摘したそれはこの大陸上における地理的格差の問題と言える。

 人間世界にある3つの大国、リーザス王国とゼス王国とヘルマン共和国。その内リーザスだけは大陸の東側に位置しており西側全体を占める魔物界と隣接していないという特徴がある。

 それはリーザスにとって多くの場合はメリットとなる。前回の第二次魔人戦争時など顕著だが、魔物界と距離的に離れている為魔軍の侵攻を受けにくいという立地的利点がある……が。

 しかしその逆にこちらから魔物界に乗り込もうと考えた場合、その立地的利点がそのままデメリットになってしまう。そしてその際に最大の障害となるのがヘルマン共和国なのである。

 

「……つまりなにか? リーザスから魔物界に進むにはその進行ルート上にヘルマンがある。だから魔物界に乗り込む前に邪魔くせーヘルマンを潰しちまおうっつー事か?」

「そういう事。勿論リア女王から直接そんな話を聞いた訳じゃねーけど、恐らくはそういう理由だろうってヘルマン首脳部は考えている。なんせ大将が魔王になったって噂が聞こえてきたすぐのタイミングでこれだからな」

 

 リーザス王国突然の宣戦布告。その背景にあるのは新たな魔王の就任か。

 だからこそこの戦争はランスにも原因がある、という話に繋がるのである。

 

「つってもまぁ大昔からヘルマンとリーザスの間には深い因縁がある。だから単純にそれだけが理由って訳でもねーんだろうけど」

「そういやそうだな。確か数年前にも魔人に利用されたヘルマンのバカ共がリーザス王宮を攻め落としたっつー事件があったはずだし」

「ぐっ! ……まぁ確かに、そういう意味じゃ俺にも一因はあるんだろうな……」

 

 知ってか知らずか、ランスによって掘り起こされた過去の罪業にパットンは表情を歪める。

 魔人の力を借りたパットン皇子がリーザスに攻め込んだその事件こそが第七次HL戦争。それでもまだ『七次』であり、それより過去に六つ程リーザスとヘルマンの間では戦乱が起こっている。

 つまりはそれだけ因縁深い両国だという事。仮にランスの魔王化の一件がなくとも、リーザスから見たらヘルマンは攻め滅ぼすに何ら呵責のいらない憎き相手なのである。

 

「とにかくそんな訳で……今ヘルマンはリーザスからの侵攻を受けていて困った状況にある」

 

 悪しき帝政が滅びて、新たに誕生してまだ間もないヘルマン共和国に降り掛かる災禍。

 この両国間の問題を解決出来るのは。強権を振るうリーザス女王の暴走を止められるのは。

 それは恐らくこの世界においてただ一人。リア女王の愛を一身に受けるその男のみ。

 

「だからヘルマンを救う為、もう一度大将の手を貸してくんねぇかなって──」 

「やだ。めんどい」

 

 しかし返答は拒否。

 魔王ランスはついっとそっぽを向いた。

 

「ぐ……駄目か?」

「うむ。駄目だな」

「そんなぁ、協力してあげましょうよランス様。パットンさんも困っているみたいですし……」

「やだ。かったるい」

 

 援護にシィルも口を挟むが、魔王の返事はなんら変わらず。

 

「パットンがいくら困ろうとも俺様はちっとも困らんからな。よって手を貸す理由など無し」

「でもでも……戦争ですよ? 大事になる前になんとかしてあげた方がいいんじゃ……」

「知るか。戦争でもなんでも勝手にやってろ。なーんでこの俺様がわざわざヘルマンなんぞを救う為に動いてやらなくちゃならねーんだ」

 

 人間世界でのいざこざなんて知ったこっちゃないとばかりに一蹴する魔王。

 人間だった頃は英雄、しかし正義のヒーローではないランスはただでは動かない。損得抜きでの奉仕行為など以ての外であり、自らに利も無く誰かの頼みを聞いてあげるなどあり得ない。

 こういう時、そんなランスを釣る方法と言ったら基本的には一つしかないのだが──

 

「そこを何とか頼めねぇかなぁ。ヘルマンには大将が大切にしている女だっているだろ? それこそほら、シーラとかさ」

 

 その点はちゃんと理解していたのか、美女という釣り餌を垂らすパットン。

 

「……シーラ?」

 

 すると釣り針に引っ掛かったかのように、魔王の片眉がピクンと跳ねた。

 

「……シーラ、か」

「あぁ。リーザスへの対応が原因であいつも今すげー困っててさ……」

「……そうだな、シーラ……か」

 

 パットン・ヘルマンの腹違いの妹であるシーラ・ヘルマン。

 現ヘルマン共和国大統領である彼女もこの状況には頭を痛めているらしい。

 

「……チッ」

 

 ……とか、どうとか。

 そんなバカ兄貴の言葉を聞いていると、ランスの身にはふつふつと怒りが湧いてくる。

 

「おいパットン。お前、ケンカ売ってんのか?」

「え?」

「このバカモノめが。…………いいかっ!!」

 

 ダンッッ!! と衝撃音。

 一足で床に亀裂を走らせながら魔王は王座から立ち上がった。

 

「シーラが困ってるからー、じゃないわ! だったらそのシーラをここに連れてこいっての!!」

「あ……やっぱり?」

「あったり前だろーが!! やいパットン!! お前でいけると思うか!? この俺様が!! ここでお前が頭を下げた程度でお願いを聞いてやるような男に見えるか!? あぁん!?」

 

 余程イラついていたのか、大炎の如くがーっと吠え立てる魔王ランス。

 その怒りは今目の前に居る男に向けたもの。そもそもどうしてここに男が居るのか、そこからもう魔王の怒りは始まっている。

 

「なんでこの俺様が野郎のお願いを聞いてやらなきゃならねーんだ!! こういう時には女!! 女を用意して来んのが基本だろーが!! んな事も分かんねーとは言わせねーぞ!!」

「い、いやぁ…それは俺も分かってたんだけどよ……それこそシーラだって会いたがってたし、一緒に行くかって誘ってはみたんだけどさ……でも大統領のあいつは俺と違って暇じゃなくて……特に今は戦争中でごたついてたし……」

「それならだれでもいいから女を連れてこい!! それがこのランス様に頼み事をする時の最低限の礼儀ってもんだろーが!!」

「ぐ……す、すまねぇ……」

 

 パットンとて、ランスが男にはとことん優しくない性格をしている事は分かっていた。

 頼み事をするなら女の言葉でするべきという事も分かっていたのだが、しかしどんな危険があるかも分からない魔物界への突入であり、下手に誰かを巻き込むのは良くない。

 キャンテルに乗れる人数にも限りがある事だしと、少人数での移動がベストだろうと自分とハンティだけで来た訳だが……それが裏目に出たのか。想像を遥かに超えていた魔王の激怒にパットンもただ頭を垂れる。

 

「大体そこにいるハンティはなんだ!?」

「え、私?」

「これ見よがしに自分の女だけは堂々と連れてきやがって!! 見せつけてんのか!?」

「い、いや別にそういうつもりじゃ──」

「魔王様に会うってのにデート気分か!? フザケてんのか!? そんなナメた態度でこの俺様に頼みを聞いて貰おうだなんて100万年早いわボケナスがー!!」

「わ、悪かったって……分かったからそんなに怒らないでくれよ……」

 

 火を吹かんばかりの魔王の怒気。その迫力にパットンはおろか周囲の者達まで表情を顰める。

 ランスにとってハンティ・カラーとはすでに割り切っている相手。女にモテない悲しきブ男パットンに仕方なく譲ってやろうと決めた為、もはや手を出そうとは思わない……が。

 しかし譲ってやると決めたとはいえ、仲睦まじい姿を見せられるのはそれはそれでムカつく。ランスにはそういうみみっちい一面があった。

 

「つーわけで答えはNOだ。俺様はボケナスの頼み事を聞いてやるつもりなどない」

「ランス様、パットンさんだって悪気があった訳じゃないでしょうし、そこをどうにか……」

「うるさい。それに原因がどうだろうが今リーザスに喧嘩を売られてんのはヘルマンだろ? んなもんはヘルマンの人間で解決しろっての」

「けど……」

「けどじゃない。ヘルマン人でもない俺様に頼む事自体が間違っている」

 

 先程の通り、基本的にランスという男は魅力的なエサが無いと動く事はない。

 そして今やランスは魔王。実質的にこの世界の全てを掌握したと言える存在。その為この世界に存在する全ての美女は自分のもの、ランスの主観ではすでにそういう事になっている。

 まだ知らぬヘルマン美人が居たとしてもそれだってすでに自分の女。それが魔王ランスの認識であり、すでに自分が所有している女である以上、ヘルマンの大地で暮らしている全ての女性を束にしてもエサにはなり得ないのである。

 

「ランス様……」

「まぁいいさ嬢ちゃん。立場上頼んではみたけどさ、正直言うとリーザスの件は期待薄だろうなって最初から分かっていたからな」

 

 そんなランスの認識を知ってか知らずか、パットンは気落ちする様子も無く平然と答えた。

 

「それに大将が言ってた通り、あくまでこれはヘルマンとリーザスの問題だ。だったらヘルマンの人間の手で解決しろってのは尤もな話だしな」

「その通りだ。大体戦争がどうのこうの言うとる暇があるならな、こんなところに来てねーでお前も前線に出て戦えばいいだろーが。そして死んでこい」

「ははは、確かに。人にお願いする前に自分の身体を動かせってのも至極尤もな話だよな」

 

 誰かの力を頼りにするのではなく、自分の力で切り開いてこそ。

 ゼスの戦乱やヘルマンの革命戦争を共に戦い抜いた時と全く変わらない、実にランスらしい意見にパットンはどこか嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そして、その後。

 せっかく魔物界に来た事だし、ヘルマンに戻るのは明日にして色々と見て回りたい……とそんな事をパットンとハンティが言い出して。

「それなら私が案内しますね」とシィルが手を挙げたので、三人は魔王城内を見学する事に。

 

 

 

「……ふむ」

 

 その一方、一人王座の間を出たランスはその足でウルザの部屋を訪ねていた。

 

「ウルザちゃん、ちょっといいか」

「どうしました?」

「ちょいと小耳に挟んだのだが……今ヘルマンとリーザスが戦争中らしいな」

「あぁ、その件ですか。……そうですね、3週間程前からリーザスが動き出したそうで……」

 

 開口一番尋ねたのはさっき知ったばかりのタイムリーな話題。

 パットン達の前ではああ言ったものの、こうしてウルザに話を聞きに来る辺り、なんのかんの言ってランスも気になってはいるらしい。

 

「両国間の対立は根深いですからね。去年のヘルマン革命終結時には和睦条約を結んでいたようですが、まぁ……過去の例を見ても、一時の平穏を約束するものにしかなりませんでしたね」

「ぬぅ……そんでどうもな、今回の戦争には俺様が魔王になった事も絡んでいるとか」

「その可能性は十分にあり得ますね。どちらにせよ侵略戦争に変わりはありませんが、ヘルマンを奪い取るのなら革命時やその直後すぐに動いた方が効率は良かったはずですから。一旦は結んだ和睦をこの局面で破棄したのはそれがきっかけだと考えるのが自然だと思います」

「ふーむ……」

 

 近年、先代の王からリア女王の代に変わって急速に力を付けてきたリーザス王国。

 その矛がいずれ振るわれるのは時間の問題だったとはいえ、何事にもきっかけはある。

 先程パットンが言った通りの解答にランスも唇を尖らせる……が、この話には続きがあって。

 

「昔とは国力の差が違いますから、ヘルマンも苦労すると思います。そんな事もあって今、ゼスの方でもリーザスに対する警戒を強めている状態です」

「ゼスも?」

「えぇ、ゼスもです」

「つってもゼスは関係無いだろ。リーザスからゼスを通って魔物界に行くのはどう考えても遠回りじゃねーか。この魔王城は魔物界の北にあるんだし」

「いいえ、これはその事だけではなく……すでに去年の段階でゼスとリーザスの関係は悪化の一途を辿っていまして」

「ぬ。そうなのか?」

「はい」

 

 はっきりと頷くウルザ。

 どうやらリーザスは今、ヘルマンだけではなくゼスとも揉めているらしい。

 それも去年の段階で。血の継承を受けたランスが魔王になった数ヶ月も前から。

 

「実のところ、ランスさんの魔王化の一件が無ければヘルマンよりも先にゼスとリーザスが一戦交える事になっていたかもしれません」

「へー……なんだか物騒な話だなぁ。もしかしてリアのやつ、血の気に飢えてんのか?」

「そういう話ではなく、こちらはもっと実利的な話です。だからこそ解決が難しいのですが」

「実利的?」

「えぇ。発端となったのはシャングリラの件です」

 

 去年の段階からゼスとリーザスの間で揉めている原因──それはシャングリラ。

 大陸の中央にあるキナニ砂漠、その奥地に隠されたオアシス都市の名前。

 

「以前、魔人メディウサを討伐する為にランスさんはシャングリラに向かいましたよね? その後シャングリラがどうなったかご存知ですか?」

「いいや知らんけど。そういやどうなったんだ? 唯一シャングリラに住んでいたシャリエラは俺様が連れてきちまったから──」

「えぇ、まさにその事で揉めているんです。早い話が領土問題ですね」

 

 シャングリラとは。ある男が悪魔の力によって手に入れた幻の都市であり、悪魔の力によって生み出された金銀財宝の眠る宝の山。

 そして今現在は誰も住んでいない無人の都市。となればそれを手に入れたい、シャングリラを自国の領土にしようと考えるのは自明の理で。

 

「シャングリラの扱いをどうするのか。これは去年シャングリラを発見した時から問題になっていたんです。単純な資源価値以外にも、大陸の中央にあるあの都市の存在はあらゆる面から見て利点が有りすぎますからね」

「ははぁ、分かったぞ。それでゼスとリーザスのどっちもがシャングリラを欲しがっていると」

「そういう事です。ゼスとしてはリーザスにシャングリラを取られるのは国防の面などからして捨て置けませんし、その逆にリーザスとしてもゼスにシャングリラを取られるのは困るでしょうからね」

 

 砂漠を移動出来る事を前提として、大陸の中央にあるキナニ砂漠を拠点とした場合、リーザス、ゼス、ヘルマン、自由都市の何処へでも容易に進出が可能となる。

 その立地的利点を手に入れたい。それ以上に相手に渡したくない。どちらの国もそう考えたが故にゼスとリーザスは対立していた。

 

「最初にシャングリラの調査を行ったのはゼスですから、こちらとしては早い物勝ちの占有権を主張したい所なのですが……それで折れてくれるリーザスではありませんからね、向こうからは武力行使も辞さないとの答えが返ってきたそうです」

「ほー……そういやぁヘルマンは? ヘルマンだってシャングリラは欲しいんじゃねーのか?」

「それはそうだと思いますが、現状ヘルマンがシャングリラに進出するのは難しいと思います。というのもキナニ砂漠を移動するのには砂漠案内人の協力が不可欠です。シャングリラの存在を一番に知ったゼスは先んじてその確保に成功していましたが、残る全員をリーザスが押さえてしまったそうなので……」

「あぁなるほど。リアがやりそうな事だ」

 

 砂漠案内人の確保に出遅れたヘルマンはシャングリラ争奪戦に参加する事が出来なかった。

 たとえ確保出来ていたとしても共和制に移行して間もない今のヘルマンが領土拡大に乗り出すかと言うと微妙な所ではあったが、とにかくそういう事情でシャングリラにはヘルマンの手は伸びず。

 

 つまり。魔物界への侵入ルートを手に入れる為にリーザス─ヘルマン間で戦争が生じていて。

 オアシス都市シャングリラ。その所有権を巡ってリーザス─ゼス間に火種が生じている。

 それが今現在の人間世界の状況らしい。

 

「ヘルマンとリーザスの戦争に、シャングリラか……なーんか色々起きとるんだなぁ」

「えぇ……魔物界もそうでしたが、同様に人間世界にだって揉め事はありますからね」

「なんつーかあれだな。どれもこれもリアが原因になっているような気がするな」

「ま、まぁ……そうですね。それだけリーザスが強国になったという証かもしれません」

 

 その暴君っぷりこそが国を強くするが、一方で他国との間に争いの芽を生じさせる。

 さすがに言及こそしなかったものの、ウルザの表情はそれを如実に語っていた。

 

「そういえばランスさん、もしかしてヘルマンとリーザスの戦争に介入するつもりですか?」

「いや、それはしない。だってめんどくさいし」

「そうですか。でも……そうですね、ランスさんは下手に動かない方がいいかもしれません。色々な意味でもう以前までとは違いますし」

 

 以前。ウルザの言葉の中にあったそれはLP4年に起きたゼスでの騒乱の一幕。

 ゼスが魔軍の侵攻を受ける中、火事場泥棒の如くリーザスが侵攻してきた際、ランスがリア女王を諌める事によって争いを回避した事があった。

 

「ヘルマンとリーザス、か。まぁ俺様にとっちゃどっちがどうなろうとどうでもいいのだが……」

 

 しかし今は。今のランスは魔王。

 あの頃のような人間の英雄ではなくて。

 

「むむむ……リアなぁ……」

 

 魔王になって何が変わったか。

 その外見は何ら変わっていない。

 その性格や思考だって何一つ変わっていない。

 

 

(……うーむ)

 

 ──だが。

 

(シャングリラはともかくとして、戦争となるとなぁ……むむむむ……)

 

 ランスは考える──戦争。戦争が起きれば大勢の人が死ぬ。

 兵士だけが死ぬのであれば良いが、現実には民間人が巻き込まれる事も少なくない。というか兵士の中にだって美女が居る可能性は十分にある。

 男が死ぬ分にはどうでもいいのだが、戦いに巻き込まれて美女が死んでしまうのは宜しくない。

 

(ヘルマンで暮らす全ての美女は俺様のもの。いやヘルマンどころかこの世界に存在する全ての美女は俺様のものだ)

 

 思い出すのはこの前考えた夢のハーレム計画。

 あれの実行は色々考えた挙げ句に現在休止中ではあるものの、しかしあくまで休止中。やろうと思えば実行出来てしまう計画でもある。

 

(そう、魔王である俺様のものなんだから……)

 

 それはどういう事か。比喩抜きにこの世界に存在する美女は全員が自分の所有物だという事。

 それを奪う事など、魔王の財産に手を出すなど許されるはずが無い。それはリーザスだろうと、リア女王だろうと変わらない。

 

(まぁリアの事だし、俺様が一言ガツンと言えば戦争なんてすぐに止めるだろうが……)

 

 第八次HL戦争。すでに起きているその衝突を止めさせる事自体は出来る。

 自分が動けば一旦は収まるだろうが、しかしそれは問題の解決にはなっていない。

 依然としてリーザスと魔物界の距離は遠く隔たれたままであって、一旦収めようともいつまたリアの癇癪が爆発するか分からない。

 

(………………)

 

 その都度繰り返し自分が動いて、リアのご機嫌取りをしなければならないのか。

 それは嫌だ。はっきり言って面倒臭い。そんな面倒臭い事はしたくない。

 というか、どうしてこの世界を統べる魔王が人間如きのご機嫌取りをしなければならないのか。

 

(だったら……)

 

 そんな手間を掛けるぐらいだったら。

 そんな面倒事に悩むぐらいだったら。

  

(だったら…いっそ──)

 

 いっそ、リアを殺してしまうか。

 悩みの種は消す。それが一番手っ取り早くてスマートな解決策のように思える。

 

(……うむ、ありっちゃありだな)

 

 そうだ、そうすればいい。

 国のトップであるリアさえ死ねばリーザスだって戦争を続行する事なんて出来ないはず。

 我儘な性格の女王が死ねばこの先の面倒事だって綺麗さっぱり無くなる。多くのメリットがある素晴らしい解決策ではないか。

 

(……って、待て待て。何考えてんだ俺は)

 

 ふと気付いて、ランスはぶんぶんと首を振った。

 今、明らかにおかしな事を考えていた。この自分が女を殺す事を考えるなんて、おかしい。

 

(こんな、おかしな事を……)

 

 特にリアを殺すなんて。多少手の掛かる所はあれどリアだって自分を慕う美女の一人。

 そりゃあ偶に周囲の迷惑を顧みず暴走する事はあるものの、しかしそれだけで殺すなんて──

 

(……けど、まぁ……)

 

 ただ……それだけとはいえ、魔王が人間を殺すのに理由なんて必要ない。

 そもそもリアには前科がある。その嗜虐心を満たす為に女性を攫って陵辱していた過去がある。

 であるならば。そんな危険な女、殺した方が良い存在だと言えないだろうか。

 

(………………) 

 

 邪魔なリーザス女王を、殺す。

 それに異を唱えるであろう女官も、将軍達も軍師達も、リーザス国民も、全員まとめて。

 

 そして、メインプレイヤーを皆殺しに──

 

 

「……ランスさん?」

 

 違和感に気付いてウルザは声を掛けた。

 ランスの様子がおかしい。先程までとは一転してその表情が固く強張っていて、その瞳は呆然と何処かを見つめたまま微動だにしない。

 

「……あの、ランスさん、大丈夫ですか?」

「………………」

 

 そしてその身体から溢れる力が。血のように真っ赤な粒子が今や大量に湧き上がっていた。

 これまでのランスがやっていたように感情の揺れ動きに呼応しているのではなく、ただありのままの自然の姿としてその量が増加している。

 それはまるで、未だ中途半端な魔王を真の姿へと押し上げるかのように。

 

「……ランスさん?」

「………………」

 

 ランスは答えない。

 今や自らのものとは違う意思が、残虐な思考がその脳内を占拠していた。

 人間を殺す事を、メインプレイヤーを虐殺する事を望む魔王の血の意思が。

 

 今日この時、魔王ランスの体内では血の衝動による発作の波が一時的にピークに達していた。

 それが魔王のルール。魔王に課せられた唯一の使命であり、その殺戮衝動に身を委ねた時、この世界における魔王らしい魔王となる。

 

「…………くッ」

 

 一瞬、目の前にウルザという人間が居る事を認識して……ランスは固く拳を握りしめた。

 湧き上がる殺戮衝動。そんなものを認められる訳が無い。そんなものに屈する訳にはいかない。

 

 ランスは英雄であり、英雄と呼ばれるに相応しい強靭な精神力がある。

 そして魔王の力を自在に操る才、魔王LV2という才能がある。その2つを有するランスは殺戮衝動をある程度はやり過ごす事が可能となる。

 精神状態にも左右されるが、魔王ランスは大体5年程度それを我慢する事が可能であり──言い換えれば、5年で限界が来てしまうという事。

 

「………………」

 

 血の記憶が呼び起こす殺戮衝動。

 過去、多くの魔王がその使命に従った。

 

「……おい」

 

 しかしそこには例外もあって──だからこそ魔王ランスは口を開いた。

 

「シィルを呼んでこい」

「あ……はい、すぐに」

 

 ただならぬ事態だと察したのか、頷いたウルザが廊下を駆けていく。

 

「…………ぬぅ」

 

 人間を殺したくて堪らない。……が、この不快な心地は絶対に逃れ得ぬ縛りではない。

 どんなものにも抜け道はあるはずだと、ランスの優れた直感はそれを見抜いていて。

 

 

「──ランス様?」

 

 数分後、その声が聞こえた。

 振り返ると、そこにいたのは何も事情を知らない普段通りのシィル。

 

「どうしました? まだパットンさん達を案内していた途中だったんですけど……」

「……シィル」

「はい? て、わっ!」

 

 その声を聞いた途端、その顔を見た途端、湧き上がる衝動のままに。

 すぐさまランスはその両手をふわふわ頭の中にむんずと突っ込んだ。

 

「………………」

「……あの、ランス様?」

 

 困惑するシィルをよそに、そのふわふわをもしゃもしゃと。

 慣れた手触りのふわふわピンクをにぎにぎわしゃわしゃしていると──

 

「……シィル」

「は、はい」

「俺様そろそろ腹が減ったぞ。パットンとハンティはまだ帰っとらんのか」

「え? あ、はい。というかお二人もお腹が空いたそうで、それでどうせなら魔物界の食事を是非食べてみたいとの事で……」

「あんだとぉ? あいつら勝手にやって来たくせに飯までたかろうとは、いい度胸しとるな」

「まぁまぁ、食事ぐらい良いじゃないですか。せっかくだし今日はみんなで食べましょう。ね?」

 

 ニコリと柔らかに笑う、その顔を見ていると。

 すると──不思議な事に、さっきまであった不快な心地が綺麗サッパリ洗い流されていた。

 魔王の胸の内で疼いていたドス黒い血の衝動が嘘のように消え去っていた。

 

「……あの、ランスさん、大丈夫ですか?」

「大丈夫ってなにがだ? 俺様はこの通りピンピンしてるぞ。がははは!」

「……そうですか」

 

 一転して元の状態、元通りの様子に戻ったランスの姿にウルザも胸を撫で下ろす。

 

 殺戮衝動に従うのが魔王の使命。しかしそこには例外も存在している。

 自らの二重人格性を利用して、その衝動を都合良く逃れていた魔王ガイのように。

 第八代魔王ランスもまた、都合良くそれを回避する術を身に付けていた。

 

 それはあの時。過去に戻ると決めた時から。

 自分が自分であり続ける方法はランスは自然と自覚していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──だが。

 

 しかし。これで終わりでは無かった。

 本当に重大な事件が起きたのは……その翌日の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

「………………」

 

 しん、と静まり返った世界。

 不気味な程の静けさと緊張の中。

 

 

「……た、大将?」

 

 そう声を掛けたのはパットン。

 

 

「………………」

 

 しかし。

 魔王の反応は、無い。

 

 

「………………」

 

 誰かがごくりと喉を鳴らす。

 その場にいた者達が緊迫した表情で固まる中。

 

「………………」

 

 魔王は何も答えない。

 魔王は動かない。

 

 魔王は──

 

 

「……ま、魔王様……?」

 

 そして、魔人サテラが。

 あまりに長い魔王の沈黙が気になったのか、恐る恐る魔王の下に近付いていく。

 

「……あの……」

 

 そして……その耳を、そっと。

 微動だにしない魔王ランスの胸元に当てた。

 

 

 そして──

 

 

「……え」

「サテラさん?」 

「……はっ!?」

 

 跳ねるように顔を上げると。

 魔人サテラは驚愕の表情で呟いた。

 

 

「……し、死んでる……!」

「えぇ!?」

 

 

 魔王城にパットン達がやって来た、その翌日。

 

 魔王は──

 

 ランスは、死んだ。

 

 

 

 

 

 



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激震

 

 

 

 

 

 その事件が起きたのは、翌日の事。

 

「そんじゃあ大将、一晩世話になったな」

「お、帰るのか」

「あぁ。我ながら忙しないとは思うけどヘルマンの様子も気になるからな」

 

 ランスの部屋を尋ねてそうそう答えたのはパットン・ヘルマン。

 彼の母国ヘルマン共和国は今、侵攻してきたリーザス王国と戦争の真っ最中。

 そんな事もあって客人は一泊でとんぼ返り、パットンとハンティは早速帰路に着くようだ。

 

「にしても一日足らずで帰るとは。さては本当に冷やかし気分だったのか」

「冷やかしだなんて事は無いさ。俺としては大将や嬢ちゃんの無事な顔を見に来たんだからさ」

「なんだそりゃ」

「かっかっか。まぁ取り越し苦労だったって事で」

 

 危険を冒してまで魔物界に乗り込んだ価値はあったなとパットンは朗らかに笑う。

 新たなる魔王の正体とその精神状態。今後の人間世界の行く末を占うであろうそれは戦争中の母国を一旦置いといてでも知っておきたかった事。

 それを確認出来たパットンは安堵した気持ちで別れの挨拶をする事が出来た。先の事は分からないとはいえ、少なくとも現状の見立てでは最悪の想定にはなり得ないだろうと判断したからだ。

 

「御二人共。お帰りになられるのですか」

「あぁ、ホーネットさん達もあんがとな。こっちに来る前はどうなるもんかと不安だったけど、話してみたら親切な魔人さん達が多くて助かったぜ」

「お気になさらないでください。貴方方は魔王様がお認めになられた御客人なのですから」

「それに久しぶりに人間と話せて楽しかったわ。この魔王城に人間のお客さんがやって来るなんて稀な事だからね」

「それこそランス、じゃなくて魔王様やシィル達を除いたら初めてじゃないか?」

 

 その親切な魔人達とは昨日一日で顔合わせを済ませたのか。

 中庭まで見送りに出てきた者達の中にはホーネットやシルキィ、サテラなどの姿も見える。

 

「また遊びに来て下さいね。パットンさん、ハンティさん」

「いいや来なくていいぞ。特にパットン。俺様が治めるこの魔王城は男子禁制だからな」

「ははは、リーザスとのごたごたが片付いたらまた勝手に来させてもらうさ」

 

 ランスの言葉を軽くスルーして、シィルの言葉に笑顔で頷いたパットンは。

 今となっては魔王様相手にこんな事言っていいのか分かんねーけど、と前置きした上で。

 

「今度はヘルマンにも遊びに来てくれよ、大将」

「まぁ気が向いたらな」

「あぁ、頼むぜ。シーラなんかも大将と会いたがってたしさ」

「ふむ、シーラか。……そういやぁ最後にシーラと会ったのももう随分ぶりだな」

「だろ?」

 

 頷いて、ランスは思案げに腕を組む。

 シーラ・ヘルマン。以前のヘルマン革命の折に手に入れた女、元ヘルマン帝国第46代皇帝。

 最後に会ったのはランス達一行が魔物界に乗り込む直前の事、LP7年の2月まで遡るので今ではもう一年以上が経過している。

 

「……ううむ、シーラか。なんか言われてみると久々に抱きたくなってきたな……」

 

 深窓の令嬢と呼ぶべき儚げな美貌の内に芯の強さを携えたヘルマンきっての美女。

 そのキャラクターは今の魔王城内には居ないタイプでもあり、瞼の裏に思い返してみればランスの食欲が湧いてくるのも当然と言える。

 

「それにシーラだけじゃないぞ。ヘルマンにだって俺様の女は沢山居るからな」

「だろうなぁ、なんせ大将の事だし」

「うむうむ。エレナちゃんとか、メリムとかな。他にもピグ……は今ランス城に居るんだったか。それならペルエレ……は、まぁあれは正直どうでもいいかもしれんが……」

 

 過去の冒険で抱いた、つまり自分のものにしたヘルマン共和国在住の女性達。

 ランスは思い付いた名前を次々と挙げていって。

 

 

「それに……あぁそうだ、クリームちゃんも」

 

 ──と、その時だった。

 

 

「いやぁ大将、さすがにクリームの事は勘弁してやれよ。なんせあいつは──」

 

 何ら躊躇も無く。

 瞬間、そんな言葉が。

 

「バカッ! パットン!!」

「──あ、やべ……!」

 

 すると即座にハンティの叱責が飛んだ。

 それで致命的な過ちに気付いたパットンはすぐに口を閉ざしたが……時既に遅し。

 

「あん?」

 

 聞いた。聞いてしまった。

 魔王ランスの耳は、たった今パットンが口を滑らせた言葉をしっかりと聞き入れていた。

 

 ──そして、これが事件の引き金だった。

 

 

「なんだ、クリームちゃんがどうかしたのか?」

「い、いやぁ……別に?」

「んな慌てた様子で別にって事はねーだろ。何があったんだ?」

「何がって、その……そんな、別にどうっつう事もねぇって……」

 

 明らかに挙動不審な様子のパットン。

 視線を背けてぽりぽりと頭を掻くその姿に、魔王の疑念がどんどん強まっていく。

 

「ウソつけ。どうっつう事もねーならそんなに動揺しねーだろうが。クリームちゃんに一体何があったんだ。言え」

「だから、別にその、特になんも……」

「早く言え」

「……でも、なんつうか、これは……ほら、クリームのプライベートな話だからよ……」

「よーし分かった。おいホーネットよ、どうやら我が魔王城に人間の賊が忍び込んどるようだ。つー訳でそこにいる筋肉ダルマ焼き殺していいぞ」

「あー待て待てっ! 分かった、言うからっ!」

 

 ランスがこういう脅し文句を本気で言うと知っているパットンは即座に降参宣言。

 しかしそこでチラッとハンティの顔色を伺って。

 

「……これ、言っても大丈夫だと思うか?」

「……アタシは知らないよ。ランスの前で口を滑らせたあんたの責任だからね」

「ぐぅ……!」

 

 返ってきたのは冷ややかな言葉。ハンティ・カラーに恋人を庇うつもりは無いようだ。

 というべきか、もはや庇う方法が無い。実際問題すでに魔王に聞かれてしまったのだから。

 そしてそれ以前の問題として、そもそも現実にそれが起こってしまっている以上、仮にここでパットンが口を滑らせずとも、いずれは魔王の耳に届いていただろう話に他ならない訳で。

 

「……はぁ、腹をくくるしかねーな。……でも、じゃあ……そのよ、大将……」

「なんだ」

「言うよ。言うけどさ……でも、くれぐれも気を強く保って聞いてくれよな?」

「なんだそりゃ。いいから早く言え」

「……クリームはな、その……」

 

 一度目元をぎゅっと瞑って。

 パットンは非常に言い辛そうな顔で。

 

「実はな……」

 

 とても言い辛そうに。

 とてもとても言い辛そうに……言った。

 

 

 

「クリームはさ………………結婚、したんだ」

「……………………は?」

 

 ──結婚。けっこん。

 その4文字が、そのワードが、恐るべき凶弾となってランスの脳天をブチ抜いた。

 

 

 

「……けっ、こん?」

「あぁ。結婚だ」

「…………くりーむちゃんが、けっこん?」

 

 脳に入ってくる情報を認識出来ないと言わんばかりに呆然と言葉を漏らす魔王。

 その表情が意味する所は明らか。──あってはならない事が起こってしまったのだ。

 

 クリーム・ガノブレード。現ヘルマン軍総参謀長を務める彼女は……結婚していた。

 お相手はヘルマン第二軍将軍、アリストレスの後任として将軍職に就いた男──ボドゥ。

 

「……けっ、こん……」

「……あぁ」

 

 遡っては一年以上前──それは前回の時の事。

 第二次魔人戦争が勃発する直前のある日、クリームはボドゥ将軍からプロポーズを受けた。

 まだ付き合ってもいない段階でのプロポーズにクリームは驚いて、悩んで。そして……そのプロポーズを受ける決心をした。──その一時間後に魔軍の大侵攻が勃発した。

 ヘルマン第二軍が守備を担当する番裏の砦は言うまでもなく死地となって…その結果、結婚をする覚悟を決めたクリームがプロポーズの返事をするよりも前に、ボドゥ将軍は戦死してしまった。

 

 ……というのが、前回の歴史の流れなのだが……しかし今回はどうか。

 今回は当のランス自身が前回の記憶を生かして自ら魔物界へと乗り込んで、第二次魔人戦争の首謀者となる魔人ケイブリスを先んじて討伐した。

 すると必然的に第二次魔人戦争は起こらない。すると必然的に魔軍の侵攻は起こらず、必然的にボドゥ将軍は戦死しない。だが一方で第二次魔人戦争の有無はボドゥ将軍が抱いていた恋心とは一切関係が無い。

 そんな訳で平和なヘルマンの下、前回と同じようにボドゥ将軍はクリームにプロポーズを行い、前回と同じようにクリームはそれを受け入れた。

 

 ──こうして、クリームとボドゥの二人はランスが知らぬ間に結婚していたのだった。

 

 

「くりーむちゃんが……おれさまいがいの、おとこの……ものに、なった?」

「………………あぁ」

 

 自分の女が、大切な軍師が、何処の誰とも知れない男に奪われていた。

 その事実を遅ればせながら知ってしまったランスだが……ただ、この世界においてランスとクリームは然程親密な関係になっていない。

 クリームからすればランスとはレイプまがいの初体験を受けただけの相手。第二次魔人戦争を踏まえなければそれだけの関係であり、プロポーズを受けた際に一瞬でも思考の隅っこでチラつくような存在ですらない。

 結婚式の招待状どころか結婚の知らせを送ろうとすらも思わない相手、つまり全く眼中に無い相手なのだが、それはあくまでこの世界におけるクリームにとっての話で。

 

「………………」

 

 ランスにとっては違う。

 ランスにとってクリームとは。ヘルマン革命の際に見つけて手に入れた真面目系美人。

 そして優秀な軍師。第二次魔人戦争という史上最大の苦難を共に乗り越えた大切な仲間。

 

「………………」

 

 そもそもそれ以前に、魔王となったランスにとってこの世界にいる全ての美女は自分のもの。

 たとえまだ出会っていない見知らぬ美女であろうとも予約済みな訳で、既に出会っている美女ならば尚更自分のものであるはずなのに。

 

「………………」

 

 それが……奪われていた。魔王の所有物が、なによりも大切な財産が強奪されていた。

 すでに結婚済み、となれば当然ながらセックスだってとっくに経験済みだろう。

 あのクリームが。その身体が。知らぬ間に知らぬ男の手によって汚されていた──

 

 

「………………」

「……た、大将?」

「………………」

「……な、なぁ、大将?」

「………………」

 

 ──沈黙。

 魔王は何も答えない。

 呆然と立ち尽くしたまま反応が無い。

 

「(ひそひそ……ま、まずいかもしれませんね、これは……)」

「(ひそひそ……だ、だよな。どう考えても不味いよな、これは……)」

 

 その空気に耐えきれずシィルがひそひそ声で語り掛けると、頷いたパットンも小声で囁く。

  

「事が女の事になると大将はマジだからな……」

「はい……それに、自分が知らない間に結婚していたってのは多分初めてのケースですし……」

 

 女性への執着。それが理由になるとランスが無謀な事を仕出かすのは過去に何度も例がある。

 しかも今回は結婚。自分の女がはっきりとした形で他人に奪われてしまった初のケース。

 故にこれは、荒れる。ランスという男を良く知る二人は早くもその兆しを肌で感じていた。

 

「特に今では……なんせ今のランス様は魔王様ですから……ホーネットさん」

「……えぇ」

 

 話を振られたホーネット、そしてシルキィやサテラら魔人達も同様に深刻な表情で。

 

「私達はそのクリームという女性の事を知らないので明確な事は言えませんが、しかし魔王様にとってその女性が大事な存在なのだとしたら……」

「例えば……クリームさんが結婚したお相手の男の人を抹殺する為、魔王軍全軍を動かしてヘルマンに侵攻する、なんて事を言い出す可能性も……」

「……あるな」

「お、おいおい、そりゃあ勘弁してくれよ……って言いたいところだけど、それをマジでやりかねないのが大将だからな……」

 

 ここにおわすは魔王。この世界を支配する王。

 そんな魔王の所有物を強奪した罪の重さとはどれ程のものになるだろうか。

 その怒りの炎がヘルマンの凍土を焼き尽くす、その可能性だって否定出来るものではなく。

 

「もし魔王様からそのように命じられた場合、魔人である私達は従わざるを得ません。これは……かなりの緊急事態かもしれませんね……」

 

 故に、これはかなりの緊急事態。

 魔人筆頭をしてそう呟いてしまう程、パットンが口を滑らせたその一言は致命的なもので。

 

 

「………………」

 

 沈黙。自然と誰もが口を閉した。

 しん、と静まり返った世界。

 

「………………」

 

 そして。

 一向に魔王の反応は、無い。

 

「………………」

 

 だれかがごくりと喉を鳴らす。

 その場にいた者達が緊迫した表情で固まる中。

 

「………………」

 

 魔王は何も答えない。

 魔王は動かない。

 

 魔王は──

 

 

「………………」

「……ま、魔王様……?」

 

 そして、魔人サテラが。

 あまりに長い魔王の無言が気になったのか、恐る恐る魔王の下に近付いていく。

 

「……あの……」

 

 そして……その耳を、そっと。

 微動だにしない魔王ランスの胸元に寄せた。

 

 そして──

 

「……え」

「サテラさん?」 

「……はっ!?」

 

 跳ねるように顔を上げると。

 魔人サテラは驚愕の表情で呟いた。

 

「……し、死んでる……!」

「えぇ!?」

 

 魔王は──

 

 ランスは、死んだ。死んでいた。

 

 

 

 

 こうして魔王は死んで。

 この世界には平和が訪れたのだった。

 

 

 

 ──なんて事になるはずもなく。

 

 

 

「……すげぇな。立ったまま気絶してるぜ……」

 

 無言の沈黙……ではなくて、魔王ランスは直立不動にて失神していた。

 ちなみに先程サテラが死亡確認したように、その心臓は今現在完全に機能停止している……がしかしその程度では死なないのが魔王というもの。

 心臓というポンプの機能が停止しても意思ある魔王の血は自ら全身を駆け巡って、結果魔王の生命活動はちゃんと維持されていた。

 

「でも……マズい事には変わりないよな、これ」

「あぁ。気絶する程のショックってんだから……当然ながら目覚めた後が大変だろうね」

 

 あまりに強烈な過負荷が掛かったランスの脳も心臓と同様に機能停止中。この様子だと再起動にはもう少し時間が掛かりそうである。

 だがその時こそヘルマン崩壊の引き金が引かれる事になるかもしれない。そんな想像にパットンとハンティの表情も強ばる。

 

「でもそれなら、ランス様が気絶している今の内になんとかしないと……ですよね?」

「そうね、ランスさんの怒りがヘルマンに向かわない事を祈っているだけじゃ駄目だわ。特に今ならまだ魔人の私達でも何か出来るかも知れないし」

「……そうですね。今の内ならば……」

 

 シィルが呟き、答えたシルキィの言葉にホーネットも静かに頷く。

 もしランスの口からヘルマンを滅ぼせとの号令が発せられた場合、もはやそれを覆す方法は無い。魔人は魔王の命令には逆らえないし、ここにいる魔人達が動き出したらシィル達にそれを食い止める手立ては無いからだ。

 しかし今ならば。今ならまだ魔王は気絶中、何か直接的な命令や具体的なアクションを起こしてはいない以上、魔人としてその意に反する事なく行動する事が可能な状況と言える。

 

「問題はどうすればいいのかって事だけど……」

「でもシルキィ、こうなったらもうどうしようもないんじゃないか? そのクリームとかいう女が結婚した事をランスは知ってしまった訳で、今更聞かなかった事には出来ないだろうし……今の内に離婚させるとか?」

「うーん……どうだろ。結婚しちゃったなら離婚させればいい、って問題でも無いような……」

「そうだなぁ。大将にとっちゃたとえクリームが離婚したとしても、一度は別の男とくっついたっていう事実に変わりはねぇだろうし……」

 

 ランスという男は。自らが手にした女に対する執着心が強い、途轍もなく強い。

 自分の女が傷付けられようものなら烈火の如く怒るのがランスという男であり、そのエネルギーが多くの女性を救う原動力になる一方、今回のようにその執着心がマイナスに働く事もある。

 男の嫉妬は見苦しいもの。なのだがそんな見苦しさ一つだけでも動くのがランスであり、それで本当にやらかしてしまうのがランスなのである。

 

「……けど、それならやっぱもう手の打ちようなんて無いだろう」

「それはそうなんだけど、このまま放っておくわけにも……あ、なら今の内にヘルマンで暮らす人達を避難させておくとか」

「避難っつってもヘルマンの人口は5千万人を優に超えるし……いやけど、確かに……現実的にはそれしかないのか?」

 

 その怒りの炎に無関係なヘルマン国民が巻き込まれないようにする。

 それが今打てる手としてはベストだろうか。

 

「……ただ、その方法だと……肝心のボドゥ将軍が助かる道は……無さそうだね」

「……そうだな」

 

 ハンティの無情な言葉にパットンは唇を噛む。

 ボドゥ将軍。職務に忠実であり、無骨で実直なヘルマン人を絵に書いたような男。

 無関係なヘルマン国民は見逃そうとも、この男だけは魔王が許しはしまい。総参謀長クリームとの結婚は多くの者達に祝福された慶事だったが……幸せは長く続かないもの、もはやその命運は尽きてしまったか。

 

「…………それなら」

 

 目覚めてすぐにでも爆発しそうな爆弾、魔王ランスの怒りを鎮める方法。

 なんだか前にも似たような事があったなと、そんな事を思いながら口を開いたのはホーネット。

 

「立場上賛同は出来ませんが、どうしてもと言うならば一つだけ方法が無い訳でもありません」

「ホーネット様、それはどのような?」

「とても簡単な事です。今この城の中にはワーグがいるでしょう?」

「……あぁ、成る程……」

 

 と、いう事で。

 

 

 

 

「え~……」

 

 呼ばれてやって来た魔人ワーグ。

 彼女は事情を聞いた瞬間、上記の通り「え~……」とそりゃもう嫌そうな顔で呟いた。

 

「いやよ、そんな……記憶の操作なんて……」

 

 その視線の先にいる男。立ち尽くしたまま白目を剥いて気絶している魔王ランス。

 現状気絶という名の眠りに就いている以上、魔人ワーグの夢操作が可能な状態という事になる。

 つまりその記憶を操作して、先程聞いたショッキングな事実を頭の中から消去してしまえば。

 怒りの種となる記憶を消してしまえば全ては元通りとなる……だが。

 

「私、そういう事をするのは嫌いなの。特にそれをランスに内緒でするだなんて……」 

 

 そんな記憶の改竄という恐るべき能力を一番嫌っているのが当のワーグ本人。

 生まれ持った能力は誰よりも凶悪、しかしワーグ自身は極めて善良な価値観を有していて、他人の思考や記憶を勝手に捻じ曲げる行いがどれ程に悪逆なのかを深く理解している。

 特にその相手が大好きなランスとなれば、ワーグが頷くはずも無いのだが……だったら仕方ないなと引き下がる訳にもいかない状況で。

 

「そこを何とか、頼む!! ヘルマンの大地で暮らす五千万人以上の命が懸かってるんだ!!」

 

 漢パットン・ヘルマン。

 ここは引けぬとなりふり構わずの土下座を敢行。

 

「そ、そんな事を言われても……」

 

 五体投地の必死過ぎる姿にワーグもちょっと怯んでしまう。

 

「ワーグさん。気持ちは分かりますが、そこをなんとかお願い出来ませんか?」

「私からも頼むよ。なにも新たな記憶を捏造しろとか言っているわけじゃない。ただほんの少し、ほんの少しだけ、そこに居る魔王さんの記憶を忘れさせるだけで良いからさ」

「あぁそうだ!! バカな俺がうっかりクリームの結婚話を口走っちまったあの瞬間だけ、ほんの数秒間の記憶を消すだけでいいんだ! だから……頼むッ!!」

「……え、えぇ~……」

 

 シィルやハンティからのお願いも加わってワーグは困ったように呻く。

 無断での夢操作はその凶悪さに付随して、自らの信用を地の底まで落としかねない危険な行い。

 もしそれが露見した場合、大大大好きなランスから嫌われてしまう可能性だってある。

 

「…………むぅ」

 

 されどワーグとて平和を好む心優しき魔人。

 残虐無慈悲な魔王軍によってヘルマンの地が蹂躙される光景なんて見たいものではない。

 特にその号令を出すのが、大大大大好きなランスであれば尚更。

 

「……分かったわよ」

 

 結果、ワーグはしぶしぶ頷いた。

 

「ほんの十秒間の記憶に靄を掛けるだけ。私が操作するのはあくまでそれだけだからね」

「あぁ。それだけで構わない。感謝するぜ、魔人の嬢ちゃん」

「……はぁ」

 

 自分に言い聞かせるように呟いた後、ワーグは大きく息を吐き出して。

 

「ん……」

 

 そして、直立不動のままのランスの胸にそっと手を当てる。

 その夢を操作して記憶を改竄しようと、失神中のランスの頭の中を覗き込んだ──

 

 

「……あれ?」

 

 その数秒後、ワーグは不思議そうに首を傾げた。

 

「ワーグさん、どうしました?」

「ねぇシィル。問題の記憶は、その……クリームっていう女の人が結婚したっていう話を聞いちゃったシーン、なのよね?」

「はい、そうです。今からだと数分前の記憶になると思いますけど」

「でもね……そんな記憶は無いんだけど」

「えっ?」

 

 そんな記憶は、無い。

 ワーグが呟いたその言葉に、その場に居た者達全員が虚を突かれた表情になった。

 

「ワーグ、それは本当ですか?」

「うん。ランスの頭の中の何処を探してもそんな記憶は残っていないわ」

「記憶は残っていないって……けど、さっき大将は俺が言っちまった話を聞いてたはずだよな?」

「え、えぇ……それ故このように気絶してしまった訳ですからね……」

「となると……どういう事でしょうか?」

 

 先程、魔王ランスはクリームが結婚したという話を間違いなく聞いていた。

 その上で、その頭の中の何処にも記憶が残っていないとなると……これはどういう事か。

 

「考えられる理由としては……すでにその記憶を忘却してしまった、という事でしょうか」

「……クリームさんの結婚があまりにショッキング過ぎて、……っていう事ですか?」

「えぇ、恐らくは……」

 

 結婚。その事実は魔王には重すぎたのか。

 どうやら意識を失う程に凄まじい過負荷が掛けられた結果、自己防衛機能が働いたランスの脳は自らその記憶を消去してしまったようだ。

 

「……マジか。そんな事ってあるのか……」

「みたいだね……」

「でも、ランス様に記憶が残ってないのなら……これは一応セーフってことですよね?」

「まぁ、そうなりますね。しかし……自ら記憶を消してしまう程の衝撃だったとは……」

 

 自分の女が。何処ぞの誰とも知れない男と結婚してしまったなんて。

 あぁ嫌だそんなの。そんな事実は認めたくない。認める事なんて出来はしない。

 故に──自らの記憶を消した。それはランスという男が持つ女性に対しての執着、その強さの裏返しと言えるのかもしれない。

 

 

「…………はッ!!」

「あ、ランス様……」

 

 そうこうしている内に、ようやく再起動処理を完了させたランスが目覚めた。

 

 

「魔王様、お目覚めになられましたか」

「うむ。……うむ? あれ、なんで俺様はこんな所で寝ていたのだ?」

「寝ていたというか……まぁ、その……」

「……ぬぅ?」

 

 ランスはむむむと首を傾げる。 

 どうもここ数分間の記憶が定かでない。頭の中に空白があるような、欠けてしまった何かがあるような、そんな妙な感じがする。

 

 それに──この胸の痛みは。

 

 

「ええっと……あぁそうだ。パットン達が帰るからってんで見送りに集まってたんだよな」

「あ、あぁ、そうだな。うし、それじゃあそろそろお暇すっかね」

「そうだね。そろそろキャンテルも待ちくたびれてるだろうし」

 

 触らぬ魔王に祟りなし。

 余計な刺激を与えないよう、パットンとハンティは何食わぬ顔で帰宅の準備に取り掛かる。

 

「……ぬ~?」

 

 しかし依然としてランスは腑に落ちない何かを感じていた。

 

 気になる。何かが気になる。

 無性に気になる。妙な違和感がある。脳の奥がチリチリと疼く嫌な感触がある。

 

 この感じは、これは──

 

 

「…………結婚?」

「ッッ!?」

 

 首を傾げながら呟いたその言葉に、その場にいた全員が鋭く息を呑んだ。

 

 

「……けっこん、結婚……?」

「た、大将、それは……!」

「……なんだろな。なんか『結婚』っつうキーワードが猛烈に気になるような……」

 

 理由は分からない。この違和感はただの幻なのかもしれない……が。

 結婚。結婚。どうしてかその文字が頭の中に焼き付いて離れない。

 

「──きっ、き、気のせいだと思いますよ! ランス様!」

「そ、そうそう! そんなの気のせいだって!」

「ぬぬぬ~~……?」

 

 ──結婚。

 なんでもない単語であるはずなのに、それを思い浮かべるだけで心がキシリと軋む。

 そして……何故か苛立つ。訳も分からず胸がむしゃくしゃしてくるのはどうしてなのか。

 

「………………」

 

 まるで、自分のものだったはずの大事ななにかを失ってしまったような。

 何も思い出せないのに、不思議とそんな気がしてならない。

 

 ……と、そんな事を考えていた結果。

 

「あ……そうだ」

 

 ランスはその考えに思い至った。

 

「なぁホーネット」

「は、はい、なんでしょう」

「ちいっとばかし考えてみたんだけど……結婚っていらないよな?」

「……い、いらない?」

「あぁそうだ。結婚はいらない。そう思うだろ?」

 

 ──『結婚はいらない。』

 思い付いたそのナイスなアイディアをランスは自信満々で語り始める。

 

「うむ、考えれば考える程に結婚はいらん。だってこの世界に居る全ての美女は俺様のものだ。それなら結婚なんて制度は今後俺様が食べるはずの美女が他の男に奪われる機会を増やしちまうだけだろ?」

「……そ、れは……確かに、そういう一面もあると言われれば……そう、ですね……」

「うむ。だから必要無い。必要ないものはとっとと無くしちまった方がいい。そうだよな?」

「………………」

 

 誰もが呆気にとられて何も言えない中。

 魔王ランスはここに宣言した。

 

「つーわけで、これからは結婚を禁止にする」

「………………」

「ホーネット、人間世界の全ての国に通達を出せ。内容は今すぐ結婚制度を廃止する事。今後は俺様の許可無く勝手に男と女がくっつくのは禁止だ」

「……き、禁止、ですか」

「そう、禁止。それに従わなかった国は魔王であるこの俺様に反抗したものとみなす。俺様に反抗しようもんならすぐに魔王軍の侵攻を受ける事になるから覚悟しとけよって付け加えとけ。そうすりゃ全ての国が言うことを聞くだろう」

「それは……そうかもしれませんが……」

 

 この世界の形は魔王が決めるもの。であればその通達は実質的には強制命令というもので。

 念押しの為、あるいは一縷の望みを込めてホーネットが尋ねる。

 

「……魔王様。これは……本気の命令ですか?」

「勿論本気だ。今後は結婚禁止、今現在結婚している夫婦は強制的に離婚だ。結婚なんてもんが無ければ俺様の女が他の男に取られる心配は無い。これで一安心だな、がはははは!!」

 

 満足そうに笑うランス。

 

「………………」

 

 方や全員が沈黙。

 その案に異を唱えられる者など存在せず。

 

 

 こうして──RA0年3月上旬、魔王ランスによる御触れが世に出された。

 あらゆる婚姻関係を禁じる強制命令、その名も『結婚禁止令』が発布された。

 

 

 

 

 

 



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侵食

 

 

 

 

 時はRA0年──3月上旬。

 

 リンゴーン、と鐘がなる。

 幸せを齎す、福音の音が。

 

「────健やかなる時も、病める時も、愛する事を誓いますか?」

「はい、誓います」

 

 神の前で誓う愛。

 その証人となる牧師の言葉に、新郎新婦は誓いの宣誓を行う。

 

「みち子ちゃん……」

「茂雄さん……」

 

 愛で結ばれた一組の男女。

 その身には純白のタキシードと純白のウエディングドレス。

 

「それでは……誓いの口付けを」

 

 そうして式の山場に差し掛かった時。

 

「──あー、すいませーん!」

 

 式場のドアがバターンと開かれて、招かれざる客が入ってきた。

 

「この結婚式は即刻中止にして下さーい!」

「な、なんですか貴方は! こんな大事な時に勝手に入ってきて……!!」

「それは申し訳ありません、でもとにかくこの式は中止でお願いします」

「何を言ってるんですか! 中止なんで出来るわけないでしょう!!」

 

 神聖な式を中断された新郎と新婦と牧師が目を剥く。

 そして参列者達も騒然とし始める中。

 

「そう言われましても……こっちもお上からの命令ですし……」

 

 しかし役所仕事感満載の乱入客は言われた事を言われた通りにするのみで。

 

「なんかよく分かんないんですけど、結婚する事が禁止になったみたいで」

「け、結婚が禁止!? どうして!?」

「さぁ……それは私にもサッパリで……」

 

 突然に下された命令、結婚禁止。

 なんでそんな事を、お偉いさん方の酔狂か。現場の者にはそれぐらいしか分からない。

 それが国の首脳部よりも上、国家を超越した存在から下された命だとは知る由も無く。

 

「ていうか、私達……結婚式よりも前に婚姻届は提出しちゃってますけど……」

「じゃあ……申し訳ありませんが、離婚で」

「えっーーー!?」

 

 その日。人間世界の各所で新郎新婦達の悲鳴が上がったとか、上がらなかったとか。

 

 

 

 時はRA0年──3月上旬。

 冬の寒さが次第に薄れてきて、もうそろそろ春の息吹が顔を覗かせ始める頃。

 

 世界を二分する境界線。番裏の砦を、あるいは魔法要塞マジノラインを飛び越えて。

 それは魔物界から、人間世界のありとあらゆる国々に対し、その書状は届けられた。

 

 名義人の欄に刻まれるは魔人筆頭の名。

 それは魔王の代理として。人間世界の国々に、そこに暮らす人々に、魔王の意思を伝えた。

 

 1. 男女が誓いを交わして夫婦となる事、いわゆる婚姻制度を即刻廃止とする事。

 2. またそれに伴い、今現在結婚状態にある夫婦は強制的に離婚扱いとする事。

 3. 上記2つが守られない場合、その国は魔王率いる魔王軍に反抗したものとみなす。

 

 書状に書かれていたのは主にそんな内容。

 それはあの時、結婚という名の凶弾に脳天をブチ抜かれて死にかけた魔王の怒りが──否。

 その怒りごと全てを忘れて、それでもただでは転ばない魔王が宣言した内容が記されていた。

 

 

 ……という出来事が起こった。

 

 

 

 

 

「魔王様」

「おう」

「つい先程メガラスが帰還しました。無事全ての国々に書状が届けられたようです」

「ほう、そうかそうか」

 

 魔王城にある王座の間、その王座の上。

 配下たる魔人筆頭からの報告を受けて、世を支配する魔王は満足げに首を揺らす。

 

「これでめでたくこの世界から結婚が無くなったって訳だ。手紙一つで済むとは楽なもんだ」

「えぇ。それがこの世界の頂点に立つ支配者、魔王様の御言葉というものでしょう」

 

 魔王の言葉、それは決定と同義。

 この世界の支配者である魔王が下した判断は全てにおいて優先される。

 となれば。人間世界に古くから根付く風習を変える事だって簡単に出来てしまうのである。

 

「魔王様が代替わりしたという事は人間世界でも知られているようですからね。今回こうして書状が届いた事で、新しい魔王様の気質はこれまでとは違うのだという事は理解すると思います。ただ……何分急な話ではありますからね、いずれ人間世界側から返書が届くかもしれませんが……」

「向こうからのあれこれは全部無視していいぞ。説明はあれだけで十分なはずだからな」

 

 説明責任など無し、人間世界側からの苦情や質問は一切受け付けない。

 たとえ納得出来なくても不満であろうとも、人間世界で暮らす全ての人間達は、魔王に歯向かう力の無い者達はそれを粛々と受け入れる他無い。

 それがこの世界の正しい有り様。古より続く魔王を頂点としたヒエラルキーこそ、この世界において決定付けられた支配体制というものである。

 

「一週間後にもう一度メガラスを働かせてどうなったか確認させろ。全ての国が命令通りに結婚制度を廃止していれば良し、もし廃止していなければその国は反逆国家決定だ」

 

 そうなったら魔王軍の出番だぜぐふふ、と魔王は弓形に口元を歪める。

 しかしあまりに急ピッチ過ぎるその施策にすかさずウルザが進言を挟んだ。

 

「ランスさん、さすがに一週間は短いですよ。魔王からの命令となれば従わざるを得ないというのはその通りでしょうが、国家の制度をそう簡単に変更する事は出来ません。様々な手続きや事務処理、それに結婚制度を廃止した事を国民全員に周知する時間なども必要ですから……」

「む。なら一ヶ月ぐらい?」

「そうですね。最低でもそれぐらいは準備期間が必要になると思います」

「んじゃまぁそれでいいや。細かい事はウルザちゃんに任せる」

 

 もし今のやりとりが無ければ本当に一週間程度の猶予期間しか与えられず、結果多くの国が反逆国家認定を受けてしまいかねない。

 特にランスは直感で物事を判断しがちな分、ウルザのような補佐役の存在はとても重要である。

 

 ……だが。そんなウルザが付いていても今回の決定そのものを取り消す事は出来なかった。

 ランスはやると言ったらやる男。それを覆すには相当な抵抗力と反発力が無ければ難しい。

 特に今回はランスの生きる意味そのものでもある『女性』に関わる話。となればランスがそのアイディアを閃いた時点でジエンド、現状を回避する方法は実質的に無かったと言える。

 

 

 ──結婚廃止令。

 それは魔王の失われた記憶から。それでも怨念のように湧き出てきた恐るべき意思。

 大事な女を取られて悔しい!! という気持ちが逆恨みに発展した。その怨念が結婚制度そのものを敵視した事で、結果この世界で暮らす全ての人々が結婚出来なくなってしまった。

 

 

『……すまねぇ、まさかこんな事になるとは……』

 

 その元凶となったのはこの男、パットン。

 うっかり口を滑らせてしまった失言一つ。たったその一つだけでこの世界から結婚という大切なものを奪ってしまう羽目になるとは。まさに後悔は先に立たず、覆水は盆に返らずというもの。

 

『パットンさん、顔を上げて下さい。あれは事故みたいなものですから……』

『その通りです。今ここで知らずともどの道いずれはクリームさんと再会したでしょうし、その時には知ってしまうでしょうからね。やむを得ない事だと思いますよ』

『すまねぇ……本当にすまねぇな……二人共、後は頼むぜ……』

 

 そんなパットンはひたすら謝り倒して、シィルとウルザから慰めの言葉を貰った後。

 来た時と同じように、キャンテルに乗ってハンティと共に人間世界へと戻っていった。

 

 

 ウルザが言っていた通り、これはクリームが結婚してしまった以上やむを得ない事。

 特にランスは世界各地に顔見知りの女性が沢山居る。となるといずれはこういうケースも増えてくるかもしれない。それだってやむを得ない事で。

 であればそれに先んじて結婚程度を廃止してしまう、それもやむを得ない事だと言えた。

 

「結婚なんざこの世には必要無いのだ。俺様だって結婚なんかする気はねーしな」

「……確かに、魔王様が誰かと結婚するというのは過去に例がありませんね」

「ほう、てことはお前の親父もそうなのか」

「えぇ、ガイ様も独身でした」

 

 先々代魔王ガイ。ホーネットという子供を持つ彼でも結婚相手が居たという記録は無い。

 勿論その他の魔王も同様。絶対の支配者である魔王が世俗の風習に縛られるのもおかしな話なので、当然と言えば当然と言える。

 

「元々魔物界において結婚とは形式的な意味合いが強いものですからね。無くなったとしても大きな問題は生じないでしょうが……」

「ですが、人間世界ではそうもいかないでしょう。文化的な意味合いもそうですが、それ以上に結婚、つまり婚姻とは各国の法律によって定められている法的制度ですから」

 

 一方で人間にとって結婚とは。誰しもが将来そうなろうと一度は憧れるようなものであり、社会の中に当たり前に存在しているもの。

 そして国によって決められた制度の一つ。それを魔王からの命令で強制的に廃止してしまうなれば必然大きな混乱は避けられない……が。

 

「結婚が禁止される市民、強制的に離婚させられる夫婦達からは不満の声が上がるでしょうし、実体面においても強制離婚による共有財産の分割の問題や戸籍の管理など、様々な混乱が生じると思います」

「つってもその程度だろ?」

「……まぁ、そうですね」

 

 ランスの言葉に一瞬躊躇したものの、それでもウルザは頷いた。

 結婚制度が廃止されたば大きな混乱は避けられない……が、言ってみればその程度。

 これが魔王の意思によって齎されたものだと考えれば、魔王が行使可能な力の規模、それによって人間世界に降り掛かる厄災の桁を考えれば、結婚禁止などその程度と言える範疇のものでしかない。

 

 特に今回の結婚禁止令では制度としての婚姻が禁止されただけであって、その根本にある事実関係までもが禁止されている訳ではない。

 本来的な意味で言えば結婚とは愛する男女が行うもの。婚姻制度がなくなろうともそこにある愛情までもが消える訳ではなく、たとえ上からの命令で強制的に離婚させられようとも、それまで通りの事実婚状態を継続する事は出来る。

 今回の大元の原因となったクリームとボドゥの二人とて、新婚早々に離婚する羽目にはなったもののこの先一緒に暮らす分には問題無く、そういう意味で言えばこの結婚禁止令は然程大きな影響を及ぼすものではない。

 

「ただ……これは魔王からの命令ですからね。その内容云々より、魔王からの言葉が届いたという事実の方が人間世界にとっては重大かもしれません」

「成る程、それはそうかもしれませんね」

 

 むしろ問題となるのは、この書状が魔王から届けられたものであるというその事実。

 文面には魔軍の侵攻を匂わせる記載もあり、実行力を有する実質的な強制命令。

 それは代替わりをした魔王が動き出した証。この千年近く、基本的に不干渉だった魔王の手が遂に人間世界まで伸びてきた証に他ならない。

 

「ま、なんだっていいだろ。なんせ俺様は世の中にとって良い事をしてやったんだからな」

「これが良い事、ですか?」

「あぁそうだ。これでもう結婚出来ない独身ブ男がバカにされる事は無くなった。なんせブ男どころか誰も結婚出来ないんだからな。いやぁ、良い事をした後は気分が良いなぁ!! がはははは!!」

 

 がしかしそんな事情も含めて一切合切、がははーと笑う魔王ランスの知った事では無い。

 どれ程人間世界が混乱しようとも、伸びゆく魔王の影が恐怖を落とそうとも関係無し。

 自分という魔王こそがこの世界の絶対であり、それ以外の全ては有象無象なのであった。

 

 

「さてと。話は終わりだな?」

「えぇ、まぁ……」

「うし。んじゃ俺様は飯でも食いに行くかな」

 

 こうして本日の議題は終了して、時刻はそろそろお昼ごはんの時間。

 軽く伸びをした魔王は王座から立ち上がると。

 

「お前らも行くだろ?」

「はい」

「そうですね、ではご一緒します」

 

 そのままホーネットとウルザを連れて王座の間を後にして。

 

「にしても結婚禁止は簡単に出来た。これならもっと色々やってみてもいいかもな」

「……魔王様、それは……」

「ランスさん。簡単なのはこちら側だけで、各国の首脳部は今頃目が回る忙しさだと思いますよ」

 

 階段を下って、食堂に向かって城の廊下を歩いている途中。

 

「ゼスでも今頃は千鶴子様を筆頭に多くの方が関係各所を飛び回っているでしょうね」

「あぁ、千鶴子……ケバ子……そういやぁこっちではまだ食べてなかったような……」

「それにゼスや他の国々もですが、戦時中のリーザスとヘルマンは更に大変でしょうね。特にヘルマンは近年の腐敗政治の影響で優秀な内政要員が減っていたと聞きますし」

「……ふむ」

 

 ふと聞こえて思い出した話題、現在進行中の第七次HL戦争。

 気になるような気にならないような、頭の隅っこでちょっとだけチラつくような話題。

 

「ヘルマンなぁ……」

 

 何故か急に結婚制度を廃止したくなったのでつい先程までそちらに注力していたが、元々ランスが考えていたのはこちらの方。

 シーラが困っているとか、リアが好き放題やってるとか、とかとか。

 

「……お」

 

 そんな事を考えながら、その視線を何気無く窓の外に目を向けた時。

 その景色が、遠くからでもよく見えるそれが自然と目に入った。

 

「……おぉ」

 

 それは──天を貫く頂。

 とても目立つ。多少手を加える必要があるものの条件的にはピッタリである。 

 

「あ、そうだ」

「魔王様?」

「良いこと思い付いたぞ」

 

 魔王はピーンと来た。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして、昼食後。

 王座の間に招集命令が掛けられた。

 

「つーわけで、全員集合ー」

「はい。言付け通りに集めましたが……」

 

 魔王が腰掛ける王座の前には、ホーネットを筆頭にして魔人達がずらりと勢揃い。

 それに加えてシィルら人間達の姿もある。文字通りの全員集合である。

 

「それで魔王様、一体何事でしょうか」

「うむ。今回はちょっと重要な話をするぞ」

「重要な話、ですか」

「そうだ。ついさっきとってもグッドなナイスアイディアが思い付いたのだ」

 

 やっぱ俺様のような天才は一味違うぜ、と得意げに鼻を鳴らすランス。

 

「………………」

 

 一方でその場に集った面々は。

 先の結婚禁止令同様、ランスの「思い付き」という言葉に嫌な響きを感じて眉を顰めた。

 

「実は今、人間世界ではリーザスとヘルマンが戦争をしておるらしい」

「えぇ。先日お会いしたパットンさん達がそう言っていましたね」

「んでその戦争の原因がだ。まぁ本当かどうかは知らんのだが……どうやらリアが俺様に会いたくて、そんでリーザスからここまで辿り着くのにヘルマンが邪魔だからっつー理由らしくてな」

「どうやらそうみたいね。なんか、すごい……リア様って感じ」

 

 愛しき人と会う為ならば。ヘルマン共和国一つ滅ぼしたとしても是非も無し。

 そんな元主君の横暴ぶりにかなみも額を痛める。リア女王とは暴君であり、やるかやらないかで言えば間違いなくやるタイプ、それをかなみは深く理解していた。

 

「リーザスの勢いに押されて現状はヘルマン側の劣勢らしい。そんなんでパットンはこのランス様に戦争を止めて欲しいんだと」

「けれど……魔王様は動かれないのですよね?」

「あぁそうだ。なんでこの俺様がそんな面倒な事をせにゃならん。たとえヘルマンが滅びようがリーザスに吸収されようが知った事ではないわ」

 

 我は魔王。たかが人間世界の国々の小競り合いなど興味は無し。

 たとえパットンに懇願されようとも、ヘルマン共和国を救う為に動くつもりなど更々無い。

 あくまでそう前置きした上で、

 

「……が、リアの気持ちは分からんでもない」

 

 ランスは目を向けたのはそっち。

 今回の戦争の首謀者、どうやら自分に会いたがっているらしいリーザス王国のリア女王。

 今回のように面倒事を起こしたりと少々手間が掛かる点が無きにしもあらずだが、それでもランスにとっては大事な女の一人である。

 

「確かにここからリーザスは遠い。ハッキリ言ってむっちゃ遠い」

「それはそうですね。番裏の砦を越えて、さらにバラオ山脈まで越えなければいけませんから」

「うむ。だもんで俺様もリーザス城まで会いに行ってやる気にはならねーんだが、向こうからこっちに来たいっていうなら止める理由も無い」

「でもその場合はヘルマン共和国が障害になって……っていう事ですね」

 

 リーザス王国設立当初から目の上のたんこぶ、目の前にある障害は排除するしかない。

 そんな理由で勃発したこの第七次HL戦争だが……しかしこれは問題の抜本的解決ではない。

 たとえヘルマン共和国という国家を滅ぼしたところで、それは元ヘルマン共和国の大地を自由に移動可能になるというだけの話。リーザスから魔物界までの物理的距離が縮まる訳ではない。

 

「大体この魔物界っつー場所はおかしい」

 

 つまり、問題はここにあるという事。

 

「サテラよ、お前もそう思うだろ?」

「えっ、サテラですか? えと、その、な、なにがおかしいのでしょうか?」

「おかしいのはこの魔物界の大きさだ、大きさ」

「はぁ……」

 

 こてりと首を傾げるサテラ。

 長らくこの魔物界で生活している彼女はあまり気になっていないようだが、外からやってきたランスには気になる点があるようで。

 

「なぁホーネット。たしか今の世界はお前の親父が作り出したんだったよな」

「えぇそうです。今の世界の形は先々代魔王ガイ様がお決めになりました。私はその頃にはまだ生まれていないので……これに関してはシルキィが一番事情に詳しいかと」

「はい。当時人間だった私が魔王ガイ様と交渉……というか、お願いをしまして。それにより元々魔物が支配していたこの世界が魔物の世界と人間の世界とに二分されて、今の世界の形となりました」

 

 今の世界の形。魔物界と人間世界の2つに分かれているこの世界。

 人間シルキィを魔人化する際の対価として、元は魔族の天下だったこの世界は二分された。

 

「うむ、それは知っとる。それは知っとるが……やっぱりおかしい」

「魔王様。なにがおかしいのでしょうか?」

「その『二分』ってやつだ」

 

 二分とは。一つのものを2つに分ける事。

 

「人間世界と魔物界を比べると人間世界の方が明らかにデカい。これって半分じゃないよな?」

「それは……」

 

 が。この世界を2つに分けた『二分』というのは文字通りの二分割ではない。

 世界地図を見れば明らかな事だが、魔物界よりも人間世界の方が遥かに面積が広くなっている。

 実情を鑑みれば魔王ガイがこの世界を二分したというのは正しい記載ではなく、おおよそ三分の一を魔物界、三分の二を人間世界にした、というのが正しい記載となる。

 

「どう考えても半分こではない。これは絶対におかしい。おいホーネット、お前の親父は面積一つろくに測れなかったのか」

「い、いえ、そのような事は……無いはずだと思うのですが……」

「あっ、魔王様、それはですね、あのー、人間世界の方が広い事については、恐らくですけど、当時の魔物と人間の総数の差などを考慮して、人間の方に広い領土を渡したのかなー、とか……」

 

 まさか半分を測り間違えた訳では無いだろうが、当時の魔王ガイの思惑はなんだったのか。

 今はもう答えは分からないそれを想像してシルキィは必死のフォローを入れる。

 

「ふむ……ま、この際理由はなんだっていい。とにかく魔物界は狭い」

 

 三分の二の占める広い人間世界に比べて、三分の一しかない魔物の世界は狭い。

 

「それに西側に寄り過ぎていて交通も不便だ。なんか森ばっかで立地が良くないし、ハッキリ言って住みやすい場所じゃない。それに日当たりも悪いし」

 

 世界の西の果て。周囲は森ばっか、日当たりも悪いとなればランスが辟易するのも当然な話。

 そしてついでに言えば、それらが第七次HL戦争の実質的な原因とも言える訳で。

 

 

「つーわけで俺様は考えた」

 

 故に魔王は宣言した。

 

「それは──引っ越しだ!!」

「引っ越し、……ですか」

「そうだ、引っ越しだ!! この城は売っぱらって新しい魔王城に引っ越しをするっ!」

 

 それが引っ越し。

 なにかと不便な魔物界を出て、もっと住みやすくて条件の良い物件に転居しよう。という話。

 

   

「実はこれも前々から気になっていたんだがな……今住んでいるこの城は狭すぎる」

「そ、そうですか? とっても広いお城だと思いますけど……」

「いいや狭い。狭いのだシィルよ。この俺様にとってはあまりにも狭過ぎる。おいホーネット、これはお前の親父が作った城だよな?」

「はい。そうです」

「そうだな。だからホーネットの親父にとってはこの程度のサイズでピッタシなのだろう……がしかし俺様は違う。魔王ガイなんぞよりも遥かにスケールのデカい俺様にとってこの城は狭すぎるのだ」

 

 広々とした王座の間を見晴らしながら、それでも魔王ランスは不満そうに呟く。

 その器の大きさを反映している、だから魔王ガイの建てたこの城、現魔王城は狭い。

 なんとも当て付けのような理由ではあるが、ランスに言わせれば不満なものは不満なのだからしょうがないのである。

 

 つまり第一に立地。世界の中心から見て西側に寄り過ぎている。それが移動の面において不便。

 そして第二に建物の大きさ。当初こそ気にならなかったものの最近どうにも手狭に感じてきた。

 

 以上2つが主な引っ越し理由。

 それに加えて、魔王城の立地を改善する事により現在勃発中の第七次HL戦争にも間接的に影響を及ぼせるかもしれない……という狙いもあったりなかったりする。

 

「そもそもここは中古物件だからな。新しい魔王である俺様が住む城には相応しくないのだ」

「ではランス様、ランス城に戻るのですか?」

「アホ、あれだって中古だし、ついでに言えばこの城よりも更に小さいじゃねーか。……考えてみるとあの城もデッカく作ったつもりではあったが……所詮あの城は人間だった時の俺様に最適なサイズだったって事だな。魔王となった今、この世界で一番ビッグで一番ゴージャスな城が必要なのだ」

 

 過去の魔王達なんぞより、自分こそが一番偉大な魔王である。

 その偉大さを誇示する為にも一番大きな城が必要になる。そしてこの魔王城より巨大な城はこの世界に存在しないので必然的に新築という話になる。

 新たなる権力者が誕生した時、無駄な箱モノを作りたくなるのは世の常なようだ。

 

「つー訳で……俺様の新しい魔王城を翔竜山に建てる事にした」

「しょ、翔竜山にですか?」

「あぁそうだ。世界一高いあの山こそ世界一ビッグなランス様に相応しいだろう」

 

 翔竜山。それは大陸の中央から僅かに西側、人間世界に聳え立つ山。

 剣のように高く鋭く、この世界で最も高い標高を誇る世界一の山。

 

「あの山全体を改造して俺様の新居にする。さすがにこれを超える程にデッカい城を作ったヤツは過去にも例が無いだろうからな」

「それはそうだと思いますが……しかし魔王様、翔竜山とはドラゴンの巣、あそこには今多くのドラゴン達が棲んでいますが……」

「それがどうした。ドラゴンなんざ全員追い出ちまえばいい。人間だった頃ならまだしも今だったらあんなトカゲ共相手にはならんわ」

「それはまぁ、そうですね。ドラゴンといえども魔王様には敵わないでしょうが……」

 

 その名の由来ともなった翔竜山の先住民、種族としては最強格であろうドラゴン種。

 がしかしそれでも無敵結界の前には無力。公共ヤクザと化した魔王軍に立ち退きを迫られたら、如何なドラゴン達とて尻尾を巻いて逃げ出していくしか無いのである。

 

「最近身体がなまってるし、なんならトカゲ狩りと洒落込むのもいいかもな。がはははは!」

 

 絶滅危惧種のドラゴン相手だろうと容赦無し。

 無慈悲なる魔王ランスの標的となった地は翔竜山だけではなくて、もう一つ。

 

「……分かりました。では現在翔竜山に棲まうドラゴン達は退治するなり追い出すなりして、無人となった翔竜山に新たな魔王城を建築してそこに引っ越しを行う……という事ですね」

「あぁそうだ。んでそれだけじゃないぞ、ついでにシャングリラも俺様のものにする」

 

 それがシャングリラ。

 大陸中央、人間世界にあるキナニ砂漠の奥地に隠されたオアシス都市。

 

「なぁウルザちゃん、この前言ってたよな。シャングリラを先に見つけたゼスと後から来たリーザスの間で揉めてるとかなんとか」

「えぇ、まぁ……」

「けどな、そもそもシャングリラを真っ先に見つけたのはゼスじゃなくてこの俺様だ。それならシャングリラは俺様のものになるべきだよな?」

「……そうですね。ゼス側の主張を額面通りに受け取るならそうなりますね」

 

 早い者勝ちの理屈を通すなら、ゼスよりもランスの方が一足早いというのはその通り。

 がしかしそれを言うなら、ランスよりも早くにシャングリラを見つけていた砂漠案内人とか、あるいはそれよりも前からシャングリラで実際に暮らしていたシャリエラにこそ占有権があるのでは。

 

 ……と、そうは思ったもののウルザは言葉に出さなかった。

 その理屈がどのようなものであろうとも、魔王の言葉は絶対。というべきか、魔王の意思の前では理屈などどうだっていい。

 こうして計画を語るランスの表情を見る限りこれは確定事項、何を言っても考えは変えないだろうとウルザは早々に察していた。

 

「シャングリラには俺様のハーレムを置く。世界各地から集めた美女達をあそこに住ませる」

「まさか魔王様、以前のハーレム計画を……」

「いや、あれはまだ考え中で……とにかくシャングリラは十分に広いし、無人の建物も沢山あったからな。あそこに美女達を住まわせて、俺様が食べたくなった時に食べられるようにするのだ。……どうだ、この素晴らしい計画」

 

 シャングリラの敷地面積があれば夢のハーレム計画だって一歩前進する。色々あって今のところランスにその気は無いのだが、やろうと思えば27万人規模のハーレムだって可能である。

 それに加えて、シャングリラを手に入れる事でゼスとリーザスが揉めている火種を取り上げる……という目論見もあったりなかったりする。

 

「新魔王城を建てる予定の翔竜山からもシャングリラは近いし、ちょうど良いだろ」

「ですが……翔竜山からシャングリラまでは肝心のキナニ砂漠を通過する必要がありますが」

「そこは道路を作る」

「道路ですか……まぁ、そうなりますよね。しかし新魔王城の建設に加えて、砂しかないキナニ砂漠に道路を作るとなると……中々大掛かりな事業になりそうですね……」

「安心しろウルザちゃん、労働力ならいくらでもある。魔王である俺様の下には魔物兵っつータダで24時間働かせられる奴隷のような雑魚共が山のようにいるからな」

 

 翔竜山に建つ世界一雄大な城。それとシャングリラを結ぶ交通ルートの開拓。

 数年、あるいは数十年越しになるであろうこの計画の実働部隊となるのが魔物達。魔王であるランスにとっては無給でいくらでも働かせられるとても都合の良い駒。

 

「以上が計画の全貌だ。なにか質問はあるか、よし無いようだな。では早速決行だ」

 

 魔王はキッパリと宣言した。

 という訳で新魔王城建設計画スタートである。

 

「あいかわらず性急ですね……けど、それなら新しく建築する魔王城の外観や内装の図面、つまり設計図はもう出来上がっているのですか?」

「いや、それはこれからだ。あ、でも名前だけはもう考えてあるぞ」

「名前?」

「あぁ。さっき考えたのだ。この魔王ランス様に相応しい新たなる魔王城の名前……」

 

 すーっと息を吸って、ランスは溜めに溜めて。

 

 

「その名も……超スーパースペシャルデリシャスグレートランス城!! どうだ!!」

 

 新たなる魔王城──超スーパースペシャルデリシャスグレートランス城。

 その名を披露してえっへん、と胸を張る魔王。

 

 

「………………」

「……なんだ。反応がないぞ」

 

 がしかし周囲の反応は。

 どうやらあまり受けが良くないのか、皆一様に眉根を寄せた表情をしていて。

 

「……ええっと……ランス様……どう、なのでしょうかね。その名前は……」

「なんだシィル、文句あんのか」

「いえ、文句っていうか……文句じゃないんですけど……ど、どうですかね?」

「そう……ですね。強いて言うなら……少々、長いかもしれないですね」

「そ、そうね。もう少し短くてもいいような気がするけど……」

「てか単純にダサい」

「形容詞が多すぎるかと。それに超とスーパーは意味合い的に被っていると思います」

「それにデリシャスというのは……お城の名前にするのはちょっとおかしいような……」

「な、なんだとお前ら……つーか今ダサいっつったのどいつだ!!」

 

 口々に上がる遠回しな反対意見。

 どうやらランスが考えた新魔王城ネームはシィルや魔人達には不評な様子。

 

「ぬぬぬ……」

 

 元よりランスという男はネーミングセンスが致命的に欠如しているという特徴がある。自分の息子におっぱい君などと名付けようとしてしまう尖りすぎたセンスの持ち主である。

 その事を自覚しているのかどうか、とにかく魔王は「ちっ」と軽く舌打ちすると、

 

 

「ならホーネット、お前が名付けろ」

「えっ、……私がですか?」

 

 その命名権を魔人筆頭に一任した。

 

 

「そうだ。このランス様が住む城として相応しい、史上最高にかっちょいい名前をお前が考えろ」

「わ、私が……魔王様の御城の名前を……」

「それはいいですね。ホーネット様のセンスなら安心です」

「ホーネット、さっきのみたいなダサいのは止めてよね」

「……私が……命名……」

 

 皆の視線を浴びてごくりと息を呑む魔人筆頭。

 名が体を表すとも言うように、名前というのは大切な意味を持つもの。

 相応しい名前を命名する事により、新たなる魔王城の価値をそのまま表す事になる。

 

「………………」

 

 万人に魔王様の威光を知らしめるべく。

 壮大さと威厳と迫力に満ちていて、それでいてセンス溢れるネーミング。

 

「…………っ」

 

 その名前が遥か千年後の後世にまで残る。

 そんなプレッシャーをひしひしと感じながら、ホーネットは必死に必死に考えて──

 

 

「……あ」

「あ?」

「あ、アメージング、城。……と、いうのは……」

 

 そして、絞り出すように答えた。

 

 

「……アメージング城?」

 

 命名──アメージング城。

 

 

「……ど、どうでしょうか。私なりに精一杯考えてみたのですが……」

「……ど、どうって…………どうだ?」

 

 さすがの魔王もなんと返せばいいのか分からず、堪らずシィル達にパス。

 

「……ええっと」

「ま、まぁ……なんだろ。でもまぁ、一応、短くはなったわね」

「そう、ですね。少なくとも長くはないですね。……そっか、アメージング城、かぁ……」

「……分かりやすさは増したと思いますよ」

「そうですね。子供でも簡単に覚えられそうな感じにはなりましたね」

「それにほら、実際に住んじゃえば名前なんて気にならなくなるような気がするし」

「……あの、宜しくないのであれば宜しくないとハッキリ言って欲しいのですが……」

 

 

 こうして──新魔王城建設計画、改め。

 魔王ランスが住む新たな居城、アメージング城建築計画がスタートした。

 

 

 

 

 

 

 



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閑話 とある少年と従者の話

 

 

 

 

 

「ふぅ……っと」

 

 ようやく到着した宿の部屋。少年は一息吐いてからベッドに腰を下ろした。

 無造作に流した短めの髪が揺れる、まだあどけなさの残る顔付きには少々の疲れが見える。

 

「狭い部屋ですね」

 

 続いて部屋に入ってきたのは、その少年に付き従う忠実なる従者。

 

「それ、当て付けかい?」

「いえ、ただの感想です」

「悪かったとは思っているよ。本当はちゃんと二つ部屋を取るつもりだったんだ」

「ですから気にしていませんよ。私は疲れていませんしどこでも休めますから」

 

 その言葉通り、従者の顔にはまるで疲労の様子などない、いつも通りの表情。

 その頭に被ったフードを外す事も無く、背にあった背嚢を下ろすと化粧台の椅子を引いて、部屋に備え付けられてあった新聞を読み始める。

 

「まさか財布を落としているとはなぁ。宿に着くまで全然気付かなかったよ」

「それは貴方の運が悪いからですよ。次から財布は私が管理しましょうか」

「そうだね、それが良さそうだ」

 

 自身の運の無さを自覚していたのか、少年は拘泥する事もなくすぐに頷いて。

 

「にしても最近は良いところが無いなぁ。財布は落とすし、この前やったAL教本部でのミッションでは思っていたよりも苦労したし」

「それは貴方のレベルが低いからですよ。もっと強くなれば人間相手に苦戦はしないはずです」

 

 この少年には才能があった。この従者に選ばれる位には秘めたる潜在能力を有していた。

 がしかし、才能はあくまで才能。持ち得たそれが活かされるかは本人次第であり、戦闘能力を決めるには才能の他にもう一つ大事な要素がある。

 それが従者の言うレベル。未だ成長途中にある少年のレベルはまだ低く、その並外れた才能を十全に活かしきれてはいなかった。 

 

「レベルは仕方ない、一つ一つ地道に上げていくしかないんだから。それでも一応目的は達成出来たんだから良しとしよう」

「まぁ、そうですね。設置されたトラップの数々に引っ掛かっていく様は圧巻でしたが」

「だから運が悪いのは分かってるって。そういうものなんだから仕方無いだろう」

 

 なので本人も言うように苦労こそしたものの……それでも先日挑んだ作戦は八割方成功した。

 この少年は戦闘能力こそ未だ成長段階だが、顔立ちが良く異性にモテた。とてもモテた。それ故どんな状況にあっても女性の協力者を作り出すのが容易という特色がある。

 それを利用すれば先日の作戦のように……AL教の禁断保管庫の中に忍び込んで、バランスブレイカーと呼ばれる特殊なアイテムを多数持ち出してくる事も可能であった。

 

「天下のAL教の本部まで行ったんだ、どれか当たりがあるといいけどね」

「どうですかね。もっとじっくり見て回る時間があれば良かったのですが……テンプルナイツが出てきて以降は手当り次第持ってきただけですから」

「ま、そうだね。……それに、単純に戦闘能力を向上させるアイテムだけを封印しているって訳じゃないんだね、AL教の禁断保管庫ってのは」

「えぇ。あそこが回収しているのはバランスブレイカー、世界のバランスを崩しかねない代物という名目ですから」

 

 AL教の禁断保管庫。その中には世に出せない危険なアイテムが封印されているとの噂だが、その実体はバランスブレイカーの保管庫であり、バランスブレイカーの危険性には様々な見方がある。

 中には世界一のブスとかも封印されていた。ブスが苦手な男にとっては何よりも危険な代物かもしれないが、生憎と少年の目的には使えそうにない。

 

「そう考えると……ここ最近で一番の収穫はやっぱりあれなのかな」

 

 言いながら、少年はそれが入っている背嚢に目を向ける。

 

「あれとは?」

 

 一方、従者は新聞を読む手も止めずに聞き返す。

 

「mボム。人間を殺すのにはあれが一番分かりやすい効果をしてるだろ?」

「あぁ。確かにそれはそうですね」

 

 mボム。今回のAL教本部と似たような手口で侵入したゼス王立博物館から盗んできた代物。

 その効果は──周囲2キロ範囲にいる人間全てを瞬時に破壊する、というもので。

 

 つまり。それこそがこの少年の目的だった。

 多くの人間に手っ取り早く死んで欲しい。最終的な目標は全世界総人口が50%を下回るまで。

  

「あれを使うなら人口の多い場所で使うべきですよね。あるいは何処かに人を集めてから──」

「いいや。所詮は範囲2キロ、人口密集地で使ったとしても死ぬ数なんてたかが知れているさ。何処かに人を集めてからってのはアイディアとしては悪くないかもしれないけど……mボムを使う場所の候補はもう決まってるんだ」

「おや、そうですか」

「あぁ。リーザスの首都、ゼスの首都、ヘルマンの首都。この3つの内のどれかだ」

 

 少年の言葉に「あぁ、成る程」と、従者はほんの少しだけ口の端を歪めた。

 

「狙いは三大国のトップですか」

「そういう事。この爆弾一つで直接殺せる人数を増やそうとするよりも、そっちの方がのちのちに響いてくるだろうからね」

 

 人間世界にある三大国。リーザスかゼスかヘルマンの政治的指導者を狙う。

 それにより国家を未曾有の混乱に陥れる。この爆弾を──2キロ圏内の人間を瞬時に皆殺しにするmボムを最も効率的に使うならこの方法だろうと、少年はすでに確信を得ているようだ。

 

「リア女王か、マジック王女か、シーラ皇帝のどれかに消えて貰おう。ついでに彼女達の側近や軍部を担う将軍達なんかもまとめて消し飛んで貰って、国の中枢機能をまるごと崩壊させられればベストだね」

「ふむ。Mボムは建物などの遮蔽物をも貫通して効果を発揮しますからね、式事など国の要人が集まるタイミングを狙えばそうなる可能性は十分あると思います。……あと、最後のシーラ皇帝ですが、今は皇帝ではなく大統領ですよ」

「あぁ、そうだったね。まぁヘルマンにとって重要な存在である事に変わりはないさ。とにかくこの三人の内の誰かが候補なんだけど……ただ、現状ゼスはちょっと難しいかな」

「そうですね。川中島との国境線の検問を抜けるのにも手こずったぐらいですから」

 

 少年と従者の反応は自然な事。当事者であるゼス国は王立博物館からmボムが盗まれた事を当然ながら把握しており、その為ゼス国内は今厳戒態勢が敷かれている。

 王都ラグナロックアークには有事の際に使用される守護結界が展開されており、超強力な魔法バリアであるそれはmボムの破壊効果をも防いでしまう可能性がある。

 

「となるとリーザスかヘルマンですか」

「そうだね。そのつもりなんだけど……でも、そっちはそっちで今戦争中だからなぁ」

 

 警戒態勢が厳しいゼス国を除いて、残る候補地の二つ。

 リーザスとヘルマンは今、古くから続く因縁である第七次HL戦争の佳境真っ只中。

 

「戦争中だと不都合でも? 見方によってはより混乱が生み出せる状況だと思いますが」

「それはそうだけど。仮にここでリーザスかヘルマンのトップをまとめて消したとしたらさ、その後に成立する臨時政府は停戦か、もしくは白旗を上げちゃいそうじゃない?」

「あぁ成る程。なるべくなら今の第七次HL戦争は長引いて欲しい、と」

「そりゃそうでしょ。多くの兵士達が死んでくれればその分俺が楽になるんだしさ」

 

 戦争。それは飢饉や疫病などと並んで大勢の人間が亡くなる国家的危機。

 現在のリーザスとヘルマンは少年が手を下さずとも勝手に殺し合ってくれている為、一方で余計な介入がし辛い状態にあるのも事実だった。

 

「ま、mボムについてはもうちょっと考えるよ。なんせ一回限りしか使えない貴重なアイテムだ、一番効率的なタイミングで使用したいからね」

「そうですね。まぁ賢い貴方であればタイミングを見誤りはしないでしょう」

「……はぁ。これが千個ぐらい量産出来たらパッパと終わらせられるんだけどね」

「それは難しいと思いますよ。mボムは本来魔物だけを殺す『Mボム』の制作過程において、たまたま生み出されただけの偶然の産物だそうですから」

 

 大元のMボムですら量産出来ない以上、その偶発的副産物であるmボムの量産はより不可能。

 従者からのそんな返答に「言ってみただけだよ」と少年は軽く答えて。

 

「……それ」

「え?」

「新聞。なんか面白そうな話あった?」

 

 あぁ、と従者は相槌を返す。

 

「そうですね。生憎と貴方の目的に役立ちそうなものは見当たりませんが……ただ」

「ただ?」

「一つだけ面白い記事が。魔王に関する事が書いてありましたよ」

「……魔王?」

 

 少年の片眉が跳ねた。

 魔王。今年が始まってすぐに代替わりが行われ、RA歴の魔王として君臨している存在。

 未だ少年にとって手を出せる領域には無いが、いつかは絶対に倒すべき相手。

 

「見ますか? ──ゲイマルク」

 

 ほら、と言って差し出された新聞を受け取って。

 少年──ゲイマルクが新聞記事に目を通す。

 

「どの記事?」

「一面。つい先日から話題になっている結婚禁止令についての記事です」

「あぁ、なんかあったね。あれってこの自由都市近辺だけの話じゃないんだって?」

「えぇ。どうやら全世界的な話だそうで……その原因が魔王にあるようです」

 

 結婚禁止令。

 それは今最も世間を騒がせている施策、あまりに馬鹿らしくて愚かだとしか思えない国の決定。

 その実体は魔王からの命令。より正確に言うなら魔軍侵攻を匂わせた脅迫に該当する。

 

「さすがに不自然でしたからね。何か裏があるとは感じていましたが……」

 

 内容も然ることながら、より問題だったのはそれが即断即決で施行され始めたという事。

 ただ政治において即断即決とは。それがリーザスやゼスのような王政であれば可能だが、しかしここ自由都市群ではそうもいかない。

 自由都市は都市によって統治形態が異なるが、多くの都市は市長が都市の代表であり、市長の多くは選挙によって選任される。

 しかし選挙によって選任された市長には国王程の強い権限は与えられない。市長が魔王からの書状を受けて結婚制度を廃止させようと思っても、立法に関しては都市議会が置かれていて議会の承認を得なければ不可能だという都市も多い。

 

 そして、今回ゲイマルク達が宿を取ったこの都市もそういう都市だった。 

 結婚制度の廃止など市政を混乱させるだけでなんの利も無く、議会で承認されるはずがない。

 それでも通さなければ都市の存続が危うい。最初は悪質ないたずらかとも考えたが、しかし大国リーザスやゼスが、そしてヘルマンが大統領緊急令を行使してまで即座に結婚制度を廃止させた事を鑑みると、これは本物の魔王からの命令だと考えるべきだろう。

 

 となれば大国の方針には追随するのが利口だ。けれども先の通り市長にはその権限が無く……なんとしても議会を頷かせる必要がある。

 そこでこの都市の代表はネタバレをした。「これは魔王からの命令だ。結婚制度を廃止しなければこの都市が魔軍の侵攻を受ける事になる」と全てを打ち明ける事で議会を無理やり頷かせた。

 その事が今回記事になっていた。新聞の一面には『結婚禁止令、可決及び即時施行へ。背後に迫る魔王の魔の手』と大きな見出しで書かれていた。

 

「………………」

 

 そんな記事を呼んだゲイマルクは。

 

「……くっだらない」

 

 吐き捨てるように呟いて、読み途中の新聞をぽいっと放り捨てた。

 

「遂に動き出したかと思えば、やる事がただの結婚禁止って……こんなのが魔王だっての?」

「まぁ、魔王にも色々いますから」

「魔王なら魔王らしく、もっと人間の数が減るような事を派手にやってくれないもんかな……」

 

 ──現状は俺よりも遥かに強いんだから、俺の代わりに人間を沢山殺してくれよ。

 そうしたら……いずれ、俺があんたを殺してあげるから。

 

「……はぁ」

 

 そんな事を考えながら、呆れ顔のゲイマルクは身体を倒してベッドに大の字になった。

 

 

 

 

 

 

 



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アメージング城建設計画

 

 

 

 新しき王の誕生。

 となれば新しきものが必要である。

 手垢の付いた中古物件よりも、どうせなら新築物件に住みたいと考えるのが人の性。

 

 それ故この旧魔王城を──築千年に及ぼうかという古臭い城は捨てて、新しい城を建設する。

 それも歴史上例を見ない程に雄々しく偉大な城、歴代最強の魔王である自分に相応しい城を。

 この世界で一番高い標高を誇る翔竜山に。遥か頂きから我が威光を遍く照らさんが為に。

 

 それが新魔王城建設計画、改め──

 アメージング城(魔人ホーネット命名)建設計画である。

 

 

 

 

 

「……あの」

「なんだ?」

「ここの『(魔人ホーネット命名)』という注釈は必要なのでしょうか」

「そりゃいるだろ。だって実際問題お前が命名したんだし」

「それはそうなのですが……」

 

 アメージング城建設計画、その計画書に書かれている注釈を睨みながら。

 不承不承といった表情のホーネットは自ら命名したその名を口にする。

 

「何度も言いますが……これは魔王である貴方が住む城になるのですから。アメージング城という名に少しでも引っ掛かりを覚えるのであれば別の名に変えられては……」

「いいや変える必要は無いぞ。これはこれでおもろい気がしてきたからこのままでいい」

「……そうですか」

 

 おもろいとは。どうも好意的な意味合いではないような気がしてならない。

 というかそれはからかいの意味合いなのでは……と思いはすれど、しかし当の魔王がこのままで良いと言っている以上口を挟む余地も無い。魔人筆頭はただ眉間に皺を寄せるのみである。

 

「……そんで、ここをこうして……こっちはこれぐらい尖っててだな……」

 

 一方、魔王ランスはペンを握ったその手を軽やかに滑らせていく。

 

「こっちにも同じのがあって……ここには旧ランス城のテイストを残すような感じで……」

「………………」

「かきかきかきーっと……よーし出来たぞ! こんな感じでどうだ!!」

 

 此度創るは新たなる魔王の居城。なのでそのデザインは魔王自身の手に委ねられた。

 という事で魔王ランス渾身の画、アメージング城外観(完成予想図)の出来上がりである。

 

「……これは……」

「カッチョいいだろ?」

「……えぇ」

 

 その出来栄えといえばハッキリ言って子供の落書きに毛が生えたレベルか……否。

 その名に違わずとってもアメージングな出来栄えであったが……ともあれ。

 

「まぁ……外観はさておき」

「さておきとはなんだ」

「いえ……にしても覚悟してはいましたが、やはり途轍もない規模の城になりそうですね」

 

 アメージング城完成予想図、そこに描かれた城の中心を貫くのは翔竜山そのもの。

 山肌を削り取って内部スペースを確保しつつ、山全体を覆い被せて一回り大きくするような形で描かれているアメージング城外観。

 ランスが描き上げたこれを参考設計図として建設に取り掛かるとなると、歴史上類を見ない程の大規模工事になるであろう事は簡単に予想が付いた。

 

「下層か、せめて中層までを範囲とするなら工期も大幅に短縮出来るとは思うのですが……」

「それは駄目だ、頂上までいくぞ。じゃないと世界一高くて偉大な城にならないだろう」

「……そうですか。まぁ、貴方がそう言うのであれば勿論その通りにはします。ただし自ずと完成までの工期は伸びてしまいますから、そこだけは理解して下さいね」

 

 天に届かんばかりの翔竜山の頂、その標高はなんと12000mを誇る。

 その下層から頂上まで、全域を城郭とするとなればどれだけの時間とコストが掛かるか。

 最上層付近は足場も悪くて空気が薄かったりと障害も多く、今回のアメージング城建設計画の責任者の一人であるホーネットにとっては工事計画を立てるだけでも一苦労。ただそれでも魔王がやると言っている以上はやるしかない。

 

「それでもなるべく早く完成させろよな。なんせ人手だけはたっぷりとあるんだし」

「はい、それは分かっていますが……」

 

 そんなアメージング城建設計画の労働力、それは言わずもがな魔物兵達である。

 標準的な人間よりも腕力や体力に優れ力仕事に向いており、魔物兵スーツを着ればどんな魔物であろうとも魔物兵になる事が出来る。その上魔物隊長や魔物将軍、あるいは魔人が指揮を執れば組織だった動きも可能。

 このように労働力としては人間よりも勝る点が多くあるのが魔物兵。そんな魔物兵の中身といえは当然魔物であり、魔物とは魔王に絶対服従を誓う存在である。

 

「魔物ってのは数だけはアホみたいにいるからな。あの雑魚共を24時間ぶっ続けで働かせまくれば普通より遥かに早く城が建つはずだ」

「24時間、ですか。ちなみに報酬などは……」

「ない」

 

 労働時間は24時間。日当は無し。

 

「ですが……休み無しの上に無給となると……さすがに作業効率が落ちると思いますが」

「んじゃアメちゃんでも配っとけ。魔王様直々の褒美となりゃ泣いて喜ぶだろう」

「………………」

 

 労働時間は24時間。日当は無し、改め……アメちゃん一つ。

 そんな過酷な条件で働かせられる魔物兵達が不憫でならないが、しかし魔王ランスがそう命じている以上は従う他に選択肢は無い。

 当たり前だが魔物とて魔の一員であり、彼等をどう扱うかは魔王次第。特に絶対命令権というものがある以上、魔族の支配構造というのは時に人間世界のそれよりも遥かに残酷だった。

 

「……当面の所は投降した元ケイブリス派魔物兵達を働かせましょうか。未覚醒とはいえれっきとした魔王である美樹様の命を狙ったケイブリス派の行いを考えれば、新しい魔王様の居城の建設に従事させるのは罰として相応しいですからね」

「なるほど。たしかにケイブリス派は魔物兵の数だけはスゴかったからな」

「えぇ、カスケード・バウの最終決戦を生き残った者達でも80万を越えますから。そちらのローテーションなどもおいおい考えるとして……ランス、貴方の意向としては居所だけでもなるべく早くアメージング城の方に移したいのですよね?」

「うむ」

 

 ランスは軽く頷いた。

 早期の引っ越しの実現。これは此度の建設計画における最優先事項となっている。

 

「あっちに居た方がなにかと便利だからな。シャングリラにも近いし」

「ではアメージング城全体の完成よりも先に移住を済ませてしまうとして……その為に最低限必要となる居住エリアの建設から、早速工事に取り掛かる事にします。下層や中層までなら魔物兵だけでも活動出来ますから」

「おう。パッパとやれよ。パッパとな」

 

 

 

 

 という事で、アメージング城建設計画開始である

 

「全隊──並べッ!!」

 

 その日から翔竜山の麓一帯には大勢の魔物兵が集合し、登山客などは瞬く間に追い出された。

 そして山全体をぐるっと囲うように『工事中!』の看板が立てられる事となった。

 

「第一、第二作業部隊、準備完了しました」

「……あぁそう。んじゃ作業開始で」

 

 働き手となるのは万を超える数の魔物兵部隊。

 するとその上官たる者にも相応の地位と力が必要とされる。さもなければ魔物兵達は組織だった行動が出来ないという特色がある為、必然的に彼等の出番となる。

 

「……はぁ、なんで僕がこんな事を……」

 

 という事で、名誉ある現場監督の任を仰せつかったのはこの男、魔人パイアール。

 彼は魔王様から直々の拝命を受けて研究所から引っ張り出されてきた。この建設作業はケイブリス派に属していた者達への罰という事を差し引いても、こういった面倒な役回りは男の魔人がやらされるのが現魔王軍の方針である。

 

「……翔竜山、か。まぁ事前調査の結果地盤の硬さには問題無かったから、山全域を城に改造する事も不可能じゃないだろうけど……」

 

 作業要項などが書かれている建設計画表を眺めながら、はぁと息を吐くパイアール。

 

「にしてもこの……デザインはまぁ置いといて。この建設規模はさすがに……全長12000mにもなる城なんか作ってどうするんだか」

 

 デカい。ひたすらにデカいアメージング城。

 この城なら魔王の偉大さを誇る象徴としての役割は存分に果たせるだろうが、一方で実際に住んだ時の居住性は考えられているのだろうか。

 ここまで縦長だとどう考えても移動に不便。となるといずれは城内にエレベーターを設置する必要に迫られるかもしれない。となるとその電力を何処かから確保しなければならない。

 自分が設計に携わる以上、胡散臭い魔法器具や魔池なんかには頼りたくない。純粋な科学による安定した電力供給を実現するとなると付近に発電所を作る必要がある。すると発電システムは何を採用すべきか……などなど、魔人最高峰の頭脳が考えなければならない事は山積みである。

 

「まったく、僕の頭脳は姉さんの病気を治す為だけに存在しているってのに………」

 

 面倒くさい。とにかく面倒くさい……が、だからと言って逃げ出す訳にもいかない。

 馬車馬のように働く魔物兵と同様、魔人であろうとも魔王の前では平伏する他に道はなかった。

 

 

 

 

 こうして。翔竜山の方では現場監督となった魔人パイアール主導による建設工事が始まって。

 一方で……旧魔王城内でも。

 

「新しく建てる俺様のアメージング城は新しくておニューな城になる。そうだな?」

「そうですね」

「となると外側だけじゃなく、中身まで全てを新しくする必要がある。だからこの古くてカビ臭い旧魔王城の中にあるものなんか持っていかないのだ」

「はぁ」

 

 古い物品の持ち越しは──無し。

 

「……が、みすみす捨てるのも勿体無いのは事実」

「はぁ」

「つーわけで、この城に残っている金目のものは全て運び出せ。せっかくだし俺様が貰ってやろうじゃないか、がははは!」

 

 が、宝物庫に眠る古く千年前から溜め込んだ金銀財宝、宝物や貴重品などは例外。

 更には早期の引っ越しを目指す以上、数多ある生活必需品全てを新調するのは時間が掛かる為、それらも持ち越しが決定。

 

 

「よいしょ、よいしょっと……」

 

 という事で。翔竜山での建設工事と並行して、旧魔王城内では荷造り作業が行われていく。

 その光景はこの……魔人筆頭の部屋でも。

 

「……ところホーネット様、引っ越しの日時は決定したのですか?」

「いえ、そちらはまだ……現状はパイアール次第といった所でしょうか。それでも最低限の環境が整い次第生活の場を移す事になります。魔王様が早目の引っ越しをご所望ですからね」

「成る程、それで先に梱包作業を済ませてしまおうという事ですか。この魔王城はこの魔王城で大きいですし、今は空き部屋も多いですからねぇ」

「えぇ。ですから不要な調度品などは梱包する前に整理してしまった方が良いでしょうね」

 

 いらないものは捨てて、いるものは引っ越し用のダンボール箱の中へ。

 このような引っ越し作業の大部分は城内で活動するメイドさん達の仕事になるのだが、さすがに自分の部屋ぐらいは自分でやるべき。という事で自分の部屋を整理整頓中のホーネットとその使徒達である。

 

「問題は家具ですよねぇ。引っ越しまではこちらで使用しなければならないですし、どれも大きくて嵩張るので運搬も手間ですし……」

「そうですね。ですが魔王様のおわす魔王城となれば最高級の家具で揃える必要があります。その全てを新調するのはそれこそ手間ですから、こちらにあるものを持っていくしかないでしょう」

 

 特に魔王城は部屋数が多く、新築のアメージング城に至っては旧魔王城のそれを超える設計。

 理想を言えば全ての家具を腕の良い職人達に一つ一つ作らせたい所だが、そんな事をしていてはどれ程の時間が掛かるか。

 何事にもせっかちな新魔王ランスが早目の引っ越しを望んでいる以上、妥協すべき点は妥協する……というのがアメージング城建設計画の責任者であるホーネットとウルザの共通見解だった。

 

「……あ、そうだ。整理ついでに聞いておきたいのですが……ホーネット様」

「なんですか? ケイコ」

「急遽始まったこの引っ越し計画ですが、御自身のお気持ちの整理は付いているのですか?」

「というと?」

「いえ、この場所を離れる事に関して、葛藤などは無かったのかと思いまして」

「あぁ、そういう事ですか……」

 

 部屋の整理よりも先。気持ちの整理は如何に。

 

「……そうですね」

 

 するとホーネットは目を細めて、遠くを見るような目で部屋中を見渡す。

 

「ここは私が生まれ育った場所ですからね。当然ながら思い入れはあります」

 

 ホーネットが生まれて、ホーネットが育ち、ホーネットが生きてきた場所、旧魔王城。

 約100年に及ぶ人生の殆ど全てを過ごしてきた場所であり、今は亡き父の思い出が残る場所。

 ホーネットにとっては思い入れがあるどころか、この城の全てが思い入れだらけな場所である。

 

「特にここには父上の部屋もありますからね。あの部屋の管理は私の役目の一つですし、ここに居続けたい気持ちが無いと言えば嘘になります」

「ホーネット様……」

「……ですが、今の私が仕えているのは父上ではありませんからね。今の魔王様であるランスが居を移すと宣言したのですから、魔人筆頭の私がそれを拒むべくもないでしょう」

 

 とはいえ。そんな思い入れよりも、ホーネットにとっては忠誠心の方が上回る。

 魔人筆頭として、自身の感情よりもそっちの方がどんな時でも上なのである。

 

「郷愁を感じる事もあるでしょうが、きっとその内に慣れるでしょう。ですから気持ちの整理はもう付いていると思います」

「……そうですか」

「えぇ。それに……ここで長らく生活していたのは私だけではありませんからね。ケイコ、貴女だってもう80年近くになるのでは?」

「そうですね。ですから私は正直に言って引っ越すのは寂しいです。ぴえんです」

 

 ですが、とケイコは呟いて。

 

「主のおわす場所こそが、つまりホーネット様の居る場所こそが私の居場所ですから」

「成る程……それでしたら、私も同じ気持ちです」

 

 忠誠心から来る言葉に、ホーネットも少しだけ口の端を曲げて答えた。

 

「……さて、それでは作業を進めましょう」

「はい。チャッチャとやっちゃいましょう」

「ではケイコには寝室を任せるとして……リツコ、そちらに飾ってある調度品類は無くても平気なのでしまって下さい。マツタロウは資料室の棚を上段から順に整理して……」

「あぁ、駄目ですホーネット様。ここに来て新キャラの名前など出してはいけません」

「新キャラ?」

 

 時折のたまうケイコのよく分からない言葉を耳にしながら。

 新キャラではない使徒達の手も借りて、ホーネットの部屋の荷造りは進められていった。

 

 

 

 

 

 こうして──その後も梱包作業は進んで。

 日を追う毎に、旧魔王城内の至る所には引っ越し用の梱包済みダンボールが並ぶようになって。

 旧魔王城に住んでいる多くの者達が引っ越しの準備に追われていた──

 

 ──そんな、ある日の事。

 

 

 

「魔王様。以前からの懸案ですが……翔竜山の最上層まで工事の手を入れるとなると、やはりドラゴン達を無視する事は出来ません。あの山に棲むドラゴン達は主に上層を根城にしていますから」

「そうだな」

「穏便に退去を迫る方法をウルザさんと検討してはみましたが、どれも難しいだろうとの結論が出ましたので……当初の予定通り、退去命令に従わないドラゴンは討伐する方針でいきたいと思います。つきましてはその許可を頂きたく」

 

 現場監督からの報告書を片手に、滑らかに申し述べる魔人筆頭。

 

「いいぞ、許可する。一匹残らず蹴散らしてやれ」

「分かりました。この任は魔人でないと不可能ですから主にガルティアと、つい先日人間世界から戻ってきたレイに任せる事にして……当面は下層、中層の工事を優先するのでどれ位先になるかはまだ分かりませんが、ドラゴン達の掃討が済み次第、ゆくゆくは上層の工事にも着手します」

「うむ」

「そして次、中層部に建設中の居住エリアについてですが……工事は順調に進んでいます。具体的な引っ越し日時に関してはガスや上下水道などの設備が整い次第──」

 

 相変わらずの王座の間にて。

 ランスがアメージング城建設計画の進捗報告を受けていた──そんな時だった。

 

 

 

「ふにゃーーーーーー!!!!」

「ぎゃわーーーーーん!!!!」

 

「あん?」

 

 

 なにか聞こえた。

 遠くの方から聞こえてきた甲高い絶叫のような響きに、魔王ランスは首を傾げた。

 

「なんだ今の、誰の声だ?」

「……今のは、もしかして……」

 

 思い当たる節のないランスの一方、どうやらホーネットにはピンと来るものがあったようで。

 そして、数分後。

 

「……あのー」

「おぉ、どうしたお前ら。揃いも揃って」

 

 王座の間の扉が開いて。

 入ってきたのは魔人サテラ、魔人シルキィ、魔人ハウゼル、そして魔人サイゼルの4名。

 

「魔王様、実は……これが」

「これ?」

 

 そして。ちょっと困惑した表情のシルキィが連れてきたのは。

 その両手をしっかりと拘束して、連れてきたというよりも連行してきたのは……その二匹。

 

「わんっ!」

 

 特徴的な大きな犬耳。

 常にホネっこを咥えているわんわん──その名は使徒ケイブワン。

 

「にゃんっ!」

 

 特徴的な大きな猫耳。

 肉球の付いた大きな手を持つにゃんにゃん──その名は使徒ケイブニャン。

 

「わんわんっ! わん達はこんな扱いを受ける謂れは無いわん!」

「にゃんにゃんっ! シルキィ、放せにゃん!」

 

 そんな二匹が居た。四人の魔人達にとっ捕まっていた。

 

「なんだ。なにかと思えばわんにゃんじゃねーか」

「はい。つい先程、この二人が正面玄関から堂々と乗り込んでくる所を発見しまして」

「魔王様、きっとこいつらは侵入者です。引っ越し作業中のごたごたに乗じてこの城に忍び込もうとしていたのです」

「……と、サテラが言いまして。一応は元ケイブリス派の幹部でもありますから、この通り捕獲して連れてきた次第なのですが……」

 

 魔王城に忍び込もうとしていた侵入者。その目的は物取りか、はたまた怨恨による復讐か。

 ……などと考えたサテラもいたようだが、しかし当人達の主張は異なるようで。

 

「せっかく持ってきてやったのにとっ捕まえるなんてヒドいわん! 横暴だわん!!」

「そうだにゃそうだにゃ! にゃあ達は正当な客人だにゃん! 待遇改善を要求するにゃん!!」

「……との事でして。どうやらこの二人、魔王様に用事があるそうなのですが……」

「用事?」

「そうだわん!!」「そうだにゃ!!」

 

 威勢よく声をハモらせる二匹のわんにゃん。

 それは最強最古の雄、今は亡き魔人ケイブリスが作り出した二匹の使徒達。

 

「魔王様!」「魔王様!」

「なんだ」

 

 派閥戦争にて主を失った使徒達が。

 こうして魔王城にやって来た用事とは──

 

 

「約束通り、ケイブリス様を復活させてもらいにきたわん!!」

「きたにゃん!!」

 

 堂々と告げた──魔人ケイブリスの復活。

 ケイブワンとケイブニャンにとっての宿願、それが叶う日が遂に訪れたのだ。

 

 

「……あぁ~~ん? なーんでケイブリスなんぞを復活させにゃあならんのだ」

 

 一方、そんな宣言を耳にした魔王ランスは大いに眉を顰めた。

 魔人ケイブリスとは。数ヶ月前、派閥戦争の最終決戦にて戦ったケイブリス派の首魁。ランス自らの手で討伐した魔人四天王の一人。

 前回の時には魔軍を率いて人間世界を蹂躙しようと侵攻してきた因縁の相手でもある。当然ながらランスにとってはケイブリスを復活させる理由なんて何一つ無い。ある訳が無い。

 

「つーか約束通りってのはなんだ。俺様はお前らとそんな約束なんてしとらんぞ」

「ウソだわんっ! ちゃんと約束したわーん!」

「アホか。あのバカリスを復活させる約束なんてするわきゃねーだろっての。バカバカしい」

「したにゃーー!! 魔王様がウソを吐くなんてヒドいにゃーー!!」

「ヒドいのは勝手な記憶を捏造するお前らの残念な脳ミソの方だ。まったく……」

 

 関わってられるかとばかりにランスは首を振る。

 使徒ケイブワンと使徒ケイブニャン。この二人はおつむが弱い、つまりはアホである。

 アホだからこんな事を言う。どうせ夢か何かで見た記憶を現実とごっちゃにしているのだろう。

 

 ……と、ランスはそう思っていたのだが。

 

 

「ホーネット、こいつらをどっかに捨てて──」

「………………」

「……ぬ?」

 

 しかし、隣に居たホーネットの表情が。

 

「………………」

「……ぬぬぬ?」

 

 それを指摘するべきか。あるいは閉口したままでいるべきか。どうするべきか悩むような。

 何かを言いにくそうにしている複雑な表情をしていて。

 

「……ホーネット」

「……はい」

「まさか、俺様……んな約束してたっけか?」

「……そう、ですね。したのかしてないのかで言えば……していたと思います」

「……マジで?」

 

 驚きに目を瞠るランス。

 魔人ケイブリスを復活させる。どうやらそんな約束をしていたらしい。

 サッパリ思い出せないけどホーネットは覚えていたらしい。

 

「え、それっていつの話だ?」

「ほら、覚えていませんか? ちょうど二ヶ月程前にもこんな事がありましたよね?」

「……あったっけ?」

「あったんだわん!! ほらこれ! 証拠のブツだわん!!」

「あん? なんだそりゃ?」

 

 これが証拠のブツ。そう言ってケイブワンが懐から取り出したのは……ガラス製の小さな小瓶。

 その中には赤色の液体が入っている。はて一体これはなんだろうとランスは眉を顰めて──

 

「……あ。これってまさか……」

「そうだわん! そのまさかだわん!!」

 

 それは──魔人ケイブリスの命運を握るアイテム。

 

「……あー」

 

 それは──今から二ヶ月程前の事。

 まだアメージング城建設計画が始まっていなかった頃の事。

 

 確かに自分は言った──魔人ケイブリスを復活させてやろうじゃないか、と。

 この二匹とそんな約束をした……あの日の事をランスは思い出した。

 

 

 

 

 

 

 



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復活のK

 

 

 

 

 

 

 

 それは──今から二ヶ月程前の事。

 昼下がりの穏やかな魔王城内。その清閑な空気を引き裂くように、

 

「ふにゃーーーーーー!!!!」

「ぎゃわーーーーーん!!!!」

 

 突如そんな絶叫が上がった。

 

「今の悲鳴は……」

 

 そう呟いたのは魔人ホーネット。

 今の悲鳴は何か。それが聞こえてきたのはこの城内にある部屋の一つから。

 より具体的に言うと、少し歩いた先にあるホーネット自身の部屋の中からのようで。

 

「どうしました、何かあった……って、ケイコ、それは……」

 

 ホーネットが自室のドアを開けると、

 

「あぁ、ホーネット様。お気になさらず」

 

 出迎えたのは誇らしげな筆頭使徒ケイコの姿。

 

「見ての通り、今夜の晩飯を捕まえただけです」

「……晩飯?」

「はい。新鮮なにゃんにゃん肉とわんわん肉です。きっと美味しいですよ」

 

 そう言ってにんまりと微笑むケイコ。 

 その両手には……それが。

 

「離すにゃーー!」

「助けてー! 食われるー!!」

 

 じたばたと暴れながら泣き叫ぶにゃんにゃんとわんわんがいた。

 

「よしよし、実に活きが良いわんわんとにゃんにゃんですね」

「いえ、ケイコ……貴女が捕まえているのはケイブワンとケイブニャンですよね?」

 

 大きな犬耳。常にホネっこを咥えているのが特徴のわんわん、使徒ケイブワン。

 大きな猫耳。肉球の付いた大きな手が特徴のにゃんにゃん、使徒ケイブニャン。

 

「ふにゃーーー!!」

「ぎゃわーーん!!」

 

 今は亡き魔人ケイブリスが作り出した使徒達、先程からの悲鳴の主はこの二匹。

 その細い首根っこが使徒ケイコの右手と左手それぞれでガシッと鷲掴みにされていた。

 

「ホーネット様、こいつらは賊です」

「賊?」

「はい。どうやらこいつらは愚かにもホーネット様のお部屋に忍び込もうとしたようでして」

「私の部屋に……あぁ、成る程。となると狙いはケイブリスの魔血魂ですか」

「えぇ、恐らくは」

 

 ホーネットとケイコが瞬時に見抜いたケイブワンとケイブニャンの狙い。

 それは魔人ケイブリスの魔血魂を入手する事──すなわちケイブリスを復活させる事。

 

 魔人ケイブリスは派閥戦争の最終決戦に敗れて討伐され、魔血魂となった。

 しかし魔血魂になった魔人は休眠状態であって死んだ訳ではない。その魔血魂を適正の合う者に飲み込ませば復活する事が可能である。

 そして魔人を復活させる事、それは使徒の最たる役目と言える。そこはケイブワンとケイブニャンも例外ではなく、二人は派閥戦争終了直後からケイブリスを復活させようと画策していた。

 

 がしかし、ケイブリスを復活させる為にはケイブリスの魔血魂が絶対的に必要となる。

 派閥戦争の幕引き以降、ケイブリスの魔血魂はホーネットが管理していた。これまで敵対していた派閥の主に魔血魂を返してくれと素直に頼んだ所で返してくれるはずもなく、となれば盗み出す以外に手段は無い。

 そこで今回ケイブワンとケイブニャンはケイブリスの魔血魂を手に入れる為、ホーネットの部屋に忍び込もうとしていた所……ケイコの千里眼によって捕捉されてあえなく御用となった、という顛末のようだ。

 

「全く、あろう事かホーネット様のお部屋に忍び込むなど不届き千万。こんな賊共は即刻成敗致しましょう。具体的には鍋にしましょう」

「ぎにゃーー!! やめてにゃーー!! ねこなべだけはイヤだにゃーーー!!」

「ふふっ、これだけ元気ならさぞや美味しいダシが取れるでしょうね。ケイコ楽しみです」

「ケイコ。さすがにケイブワンとケイブニャンは食べられないと思いますが」

「いいえホーネット様、私なら大丈夫です。わんわん肉とにゃんにゃん肉は大好物ですので」

 

 ケイコは捕らえた二匹の犬猫を物理的に食べる気満々らしい。

 それがケイブワンとケイブニャンの最期なのか。捕まった賊の末路は哀れなものである。

 

「ケイコーー! わん達はお互いに使徒、使徒仲間でしょーー!?」

「そうだにゃそうだにゃ! 仲間なのにゃ!!」

「えぇその通りです。私達は使徒という絆で結ばれた使徒仲間ですね」

「だったら──!」

「ですが。私はたとえ仲間であっても必要とあらば食います」

「こいつ怖いにゃーー!!」

 

 堂々と言い切ったケイコは捕らえた二匹の犬猫を食肉に加工する気満々らしい。

 それが筆頭使徒の覚悟というものか。ケイブニャンとケイブワンはもう半泣きだった。

 

「ぐ、ぐぬぬぅ……それでも、それでもにゃん達はここで食われる訳にはいかないのにゃん!」

「そうだわん! ケイブリス様を復活させるまで、わん達はノンストップ止まらないんだわん!」

「全く、そのような事をホーネット様と私が許すとでもお思いですか」

 

 主ホーネットの意見まで代弁して、やれやれと首を振るケイコ。

 魔人ケイブリスの復活。それに賛同するつもりなどホーネットとケイコには一ミリも無い。いいやこの二人に限らず、元ホーネット派所属の者達ならほぼ全員が首を横に振るだろう。

 そしてここ魔王城は元ホーネット派の本拠地だった場所。今現在城内に居る者達は元ホーネット派の者だらけ、元ケイブリス派のケイブワンとケイブニャンにとっては味方のいない針の筵のようなもの。

 

「ええい、お前らじゃ話にならないわんっ! 今すぐわん達を魔王様に会わせるわん!」

「魔王様? 魔王様にお会いしてどうしようというのです」

「そんなの決まってるにゃ!! リス様を復活させて下さいって直訴するんだにゃん!」

「お前らホーネット派のヤツらと違って、魔王様ならわん達の味方をしてくれるはずだわん!」

 

 となれば二人にとって、この魔王城で頼れるのは魔王様のみ。

 新魔王ランスとて元はホーネット派。しかし派閥のいざこざなどを超越した存在である魔王様であれば、主を失った可哀想な使徒の味方をしてくれる可能性だって十分にあり得る。

 ……とそんな小さな希望に縋ってでも、主を復活させたいと願うのが使徒というもので。

 

「との事ですが……どうします?」

 

 言いながらケイコはホーネットの顔色を伺う。

 そしてケイブニャンとケイブワンの視線もそちらへと向いて。

 

「そうですね……分かりました」

 

 一人と二匹の使徒達の視線を受けながら、魔人筆頭は静かに頷いた。

 

「では私は魔王様に声を掛けてきますので、ケイコはその二人を王座の間へ連れていって下さい」

「……宜しいのですか?」

「えぇ。事が魔血魂に関わる話であれば私の判断で決する訳にはいきません。ケイブリスの魔血魂の処分については魔王様がお決めになる事ですから」

 

 と、いう事で。

 

 

 

 

 

「あぁ~~ん? なーんでケイブリスなんぞを復活させにゃあならんのだ」

 

 所変わって王座の間。ホーネットに呼ばれてやってきた魔王ランス。

 王座にでんと腰掛けながら吐いた台詞は、偶然にもその二ヶ月後に自らが呟く台詞と全く同じ。

 

「……お、お初にお目にかかりますわん、魔王様。わん達は魔人ケイブリス様の使徒で……わんの名前はケイブワンと申しますわん」

「にゃ、にゃあはケイブニャンですにゃん」

「んなこた知っとる。今更自己紹介などいらんわ」

 

 そんな魔王の眼前には。緊張と畏怖のせいか身体を小さく震わせる犬猫達。

 床に額を擦り付ける勢いで平伏する二匹の使徒、ケイブワンとケイブニャンの姿が。

 

「では、その、率直にお願いしますわん」

「なんだ」

「魔王様。わん達の主を……ケイブリス様を復活させて下さいわん……」

 

 縋る。

 

「どうかお願いしますにゃ。魔王様の御慈悲をにゃあ達に……なにとぞ、なにとぞ……」

 

 ただただ縋る。

 

「わおん……魔王様ぁ……」

 

 とにかく縋る。

 魔血魂を盗み出すのに失敗した以上、残るは魔王様に縋り付くしか方法はない。

 

「うにゃにゃあ……魔王様ぁ……」

 

 魔王とは世の頂点に立つ存在。この世界全ての事柄に対する決定権を持つような存在。

 となれば。魔王の許可さえ得られれば魔人の復活などは容易い事。たとえこの城内にいる元ホーネット派の者達全員が反対したとしても、魔王さえ頷いてくれれば二人の望みは叶うのだ──が。

 

「やだ」

 

 魔王の返答はたった二文字。

 

「そもそもケイブリスはこの俺が手ずからぶっ殺してやった相手じゃねーか。なぁホーネット」

「えぇ、そうですね」

「それをどうして復活させる必要があるってんだ。バカバカしい」

 

 吐き捨てるように告げたランスにとって、魔人ケイブリスとは。

 男で、リスで、生意気で、ロクでもない性格で、前回の時から引き続き今回も色々と手間を掛けさせてくれたムカつく相手。

 そんな魔人を復活させる理由など一ミリも無い。元ホーネット派として戦っていた分、その辺の思考はランスもホーネット達と共通していた。

 

「そ、そんなぁ……! そこをなんとかお願いしますわん、魔王様ぁ……!」

「うるさい」

「ケイブリス様を復活させてくれたら……にゃ、にゃあ達の身体を好きにしていいから……っ!」

「いらん」

「そ、そんな!! 新しい魔王様は大の女好きだって聞いてたのに……!」

「それはその通りだぞ。けどな、お前らみたいなちんちくりんを女とは言わん」

 

 そしてこの使徒達も。

 性別上は女だが、使徒で、わんにゃんで、ちんちくりんなので抱きたいとは思わない相手。

 ランスは抱ける女に対しては優しくもなるが、抱けない女に対しては優しいわけではない。

 そして将来性も見込めない使徒である以上、ケイブワンとケイブニャンはランスの中では『興味なし』のカテゴリーに分類される。それは扱い的に男と大差ないのである。

 

「うぅぅ~……計算外だわん。わん達が色仕掛けをすれば絶対イケると思ってたのに……」

「アホか。俺様に抱かれたいならホーネットやハウゼルちゃんレベルとまでは言わねーが、せめてサテラぐらいの色気を身に着けてから出直してこい。つーわけでもう戻るぞ」

「あぁああ魔王様待ってにゃあ!! まだ話は終わってないにゃんっ!」

「終わっただろーが。何を話したところでケイブリスなんか復活させやしないっつーの」

「ま、まぁまぁそう言わずに……魔王様、とりあえずわん達の話を聞くわん」

 

 早々と腰を上げようとした魔王、その足元にしがみつくケイブワンとケイブニャン。

 縋り付いても駄目。色仕掛けも駄目。となれば残る手段は──

 

「魔王様。ここでケイブリス様を復活させればメリットが一杯あるのにゃん!」

「メリット?」

「そうにゃ! メリットにゃ!!」

 

 残る手段は正々堂々正面突破。魔人復活のメリットを提示する事。

 ケイブリス当人の有用性、復活させるだけの価値があると魔王様に認めてもらう事ただ一つ。

 

「魔王様はお気に召さないようですが、ケイブリス様だって良いところは沢山あるんだにゃ!」

「ほーん……例えば?」

「例えば……ケイブリス様は強いにゃ! めちゃくちゃ強いにゃ! 魔人最強だにゃ! あの強さは絶対に魔王様の役に立つはずだにゃん!」

 

 魔人ケイブリスのセールスポイント一つ目。最強最古と謳われる程の圧倒的戦闘能力。

 

「んな強いったってなぁ、人間だった頃の俺様にすら負けるような雑魚じゃねーかアイツは。その程度の強さがなんの役に立つってんだ」

「うぐぐっ……そ、それを言われると困るにゃん……にゃんにゃん……」

 

 しかし魔王はお気に召さなかった。

 強いだけの魔人だったら他にも居るし、そもそも自分という魔王こそが最強の存在。魔王と比べたら所詮は魔人と切って捨てられるケイブリスの強さなどランスは必要としていないのである。

 

「で、でもでもっ! ケイブリス様は……そう! 魔王様への忠誠心が凄いんだわん!」

「忠誠心~? アイツがぁ?」

「はいですわん! ケイブリス様は一見すると傍若無人な乱暴者に見えますが、実際は自分よりも強い相手には絶対に逆らわない超絶ビビリだわん。だから魔王様相手にはペコペコ頭を下げてどんな命令でも必ず言う事を聞く、魔王様にとって使い勝手の良い便利な魔人になるはずだわん!」

 

 魔人ケイブリスのセールスポイント二つ目。臆病が故に魔王には絶対に逆らわない忠誠心。

 この際復活させて貰えるなら何でも良しと、魔人ケイブリスを忠実なるパシリとして売り込もうとしたケイブワンだったが。

 

「何を大げさな……魔王様に絶対の忠誠を誓う事など魔人であれば当たり前でしょう。当たり前の忠誠心をメリットとは言いません」

「む、確かにその通りだな」

「ぐ、ぐぬ……ホーネット、うるさいわんっ! 今は魔王様と話してるんだわん!」

 

 ホーネットの冷静な指摘が入った事で目論見が外れた。

 魔王に対して忠実である事。それは魔人の大前提であってセールスポイントにはならない。魔王が絶対命令権を有する以上、配下達はどんな命令にも従うのが当たり前で。

 

「それどころか従順なのは表向きだけで、腹の内では自らが魔王に成り代わろうと画策しているのがケイブリスという魔人です。それ故に派閥戦争などが勃発したのですから」

「う、うぐぅ……ケイブリス様の日頃の行いが悪すぎるせいで返す言葉が思い付かないわん……」

 

 更には魔王ガイの遺命に従わず、魔王リトルプリンセスの命を狙った前科有り。

 となれば魔王に対する忠誠心が高いなどとは口が裂けても言えたものではなかった。

 

「……で?」

「……うにゃん」

「なんだ、話は終わりか?」

「……ま、まだにゃん! 他にもメリットが……えっと……が、がんばり屋さんなところとか!」

「クソどうでもいいメリットだな」

「な、なら……身体が大きいところ、とか」

「んなもんメリットでもなんでもねーだろ」

「じゃあ……恐瘴気がむんむんなところ、とか」

「そりゃむしろデメリットだろ。あれ臭いし」

「うにゃにゃあ……」

 

 弱々しく唸るケイブニャン。

 使徒達にとっては誇らしき主、魔人ケイブリスを復活させるメリットと言えば……。

 

「こ、困ったにゃあ……他にケイブリス様の良さが思い付かないにゃん……」

 

 魔人ケイブリスのセールスポイント。二つ目の他には──特に無し。

 それが最強の魔人に付いた価値。最強の魔人ケイブリスはただ最強だっただけで。

 

「他にリス様が役立ちそうな事と言えば……なら、いっその事にぎやかし要員とかで……」

「いらん。つーかお前ら、そんなんでよくケイブリスを復活させてなんて言えたもんだな」

「う、うぅ……だって、だってしょうがないわん。凶暴で性格が悪くてド外道で、そのくせ小心者のビビリなのがリス様なんだわん……」

 

 凶暴で性格が悪くてド外道であるが故、自身に悪感情を抱く敵対相手を作りやすい。

 その一方で小心者でビビリであるが故、裏切りを警戒して如何なる相手も信用はしない。

 それが魔人ケイブリス。成り上がる事だけに必死で他を顧みなかった小さなリス。

 

「……でも」

「あん?」

「それでも、わん達にとっては違うんだわん」

 

 しかし、それでも使徒達にとっては。

 凶暴で性格が悪くてド外道で小心者でビビリであろうとも、ケイブワンとケイブニャンはそんな魔人ケイブリスに忠誠を誓っている。

 それはこうして敵だらけの魔王城に潜入し、魔血魂を盗み出そうとする位には献身的な忠誠で。

 

「リス様は性格がクソだけど、それでも優しいところだってあるの。わん達が任務に失敗しても笑って許してくれるんだわん」

「そうだにゃ。機嫌が良い時は好きなおやつ買っていいぞってお小遣いくれるんだにゃん。リス様はあれで意外と気前が良いんだにゃん」

 

 この二人は魔物兵にすら劣る最弱の使徒。裏切られても怖くないと思える唯一の相手。

 そんな使徒達相手だからこそ見せる魔人ケイブリスの一面というものが確かにあって。

 

「だから……お願いしますわん。ケイブリス様を復活させて下さい。魔王様」

「お願いしますにゃ、魔王様」

「む……」

 

 だからこそ、二人は再度額を床に付けた。

 みっともなく縋り付いてでも、地べたに這いつくばってでも願いを叶える。

 それこそは魔人ケイブリスの生き様。主の背中を見てきたこの二人が学んだもの。

 

「確かにケイブリス様は魔王になるのが目標の野心家だけど、新たな魔王様が誕生した今、この世界の全ては魔王様のもの。今更ケイブリス様がどう足掻いたってひっくり返る事は無いわん」

「そうだにゃ。この世界の頂点に立つのは絶対的に魔王様だにゃ。それならケイブリス様の一人ぐらい復活したって問題ないはずにゃ。だからお願いしますにゃ、魔王様。どうか……」

「……ふむ」

 

 そんな二人の真摯な気持ちに感化されたのか、魔王ランスは軽く顎を擦って。

 

「ま、確かにな。すでにこの俺様が魔王になっちまった訳で、今更ケイブリスが復活したところで何も出来やしねぇだろう。なぁホーネット」

「……そうですね。ケイブリスが反逆を起こしたのは美樹様が未覚醒状態だったからこそ。すでに魔王様が魔王として覚醒している以上、表立って反旗を翻したりはしないでしょうね。それこそ先々代魔王ガイ様の治世の頃はケイブリスも大人しくしていましたし」

「何なら絶対命令権だってあるしな。もはやこの世界は俺様の天下、たかがケイブリス一匹復活させた所で何の問題も起きないだろうな」

「「なら……!」」

 

 その言葉に、ハッと顔を上げたケイブワンとケイブニャンの瞳に光が灯る──

 

「が」

 

 ──が。

 

「んなもんはあのバカリスを復活させる理由にはならん」

 

 返ってきたのは無情なる宣告。

 魔王ランスとは。人間だった時からそうだが他者に絆されるような甘い性格はしていない。

 

「そんなっ、どうしてにゃ!? 強くて忠実な部下が手に入るチャンスなのに!!」

「いらん。そんなのもう一杯いる。その為にケイブリスを復活させるぐれーならそこらのイカマンかうっぴーでも魔人にした方が遥かにマシだ」

「そ、そんなぁ……! 魔王様はそこまでリス様の事が嫌いなの!?」

「いくら派閥戦争では敵だったからって……そんなの酷いにゃん!!」

「んな好きとか嫌いとか、敵とか味方とかって話をしてるんじゃねーんだ」

 

 ランスとしては特別にケイブリスの事を嫌っている訳ではない。

 但し勿論好いている訳でもない。ランスにとってケイブリスとはすでに討伐した過去の相手、興味の失せた相手というのが正しい。

 元よりランスは過去を引き摺るようなタイプではない。以前に敵対していようが有用であれば仲間に引き込む事だってある、つまり復活させる事だってあり得るのだが。

 

「いいか、あのバカリスは単純にブサイクで醜いツラしてるから視界に入ると不快な気分になる。んでそれ以上に体臭が臭いから近くにいるだけで更に不快になる。よって復活などありえん」

「そ、それは……っ!」

「んで一番の理由はアイツが男だって事だ。なーんでこの俺様がわざわざ男の魔人を復活させてやらなきゃならねーってんだ」

 

 生理的な抵抗感に加えて、最たる理由としては──やはり性別。

 ランスは男相手には優しくない。とことん優しくないのがランスという男なのである。

 

「以上、話は終わりだ。分かったらとっとと帰れ」

「……そ、そんなぁ」

「うぅ……」

 

 絶望し、愕然とした顔で呟くケイブワンとケイブニャン。

 最期の望みだった魔王様にも見放された。もはやケイブリス復活の見込みは──無し。

 

「……うぅぅ」

 

 もう、この先……主と会うことは出来ない。

 なにをしても褒めてもらうことはない。頭を撫でてもらうことは出来ない。

 

 そんな事を考えた途端──

 

 

「……うええええぇぇぇん!!! そんなのひどいに゛ゃあ゛ああ~~!」

「うわわわぁぁ~~~んん!! リ゛ス゛ざま゛ぁ~~~~!!」

 

 二人は泣いた。

 大声でわんわんにゃんにゃんと泣き出した。

 

「こんなのあんまりだにゃあああ~~!!」

「びえええぇぇん~~!! リス様にあいたいよぉぉ~~!!」

「あのなぁお前ら、ガキじゃねーんだから泣けばどうにかなるとでも──」

「いやだにゃあああ~~!! リス様とお別れなんていやだにゃああああ~~!!」

「うわぁぁああああ~~ん!! リス様を返してわん~~!!」

「ええいやかましいわ!! 泣いたって駄目なもんは駄目なんだよ!!」

 

 二人の泣き声に負けじとがなるランス。

 泣く子には勝てぬ、とは言うもののしかしランスはそれで己を曲げるような男ではない。

 そもそも子供自体が好きではなく、その泣き声など騒音でしかない。 

 

「ホーネット、こいつらを静かにさせろ」

「分かりました。……二人共、ここは魔王様の御前です。黙りなさい」

 

 その眼光を鋭く細めて放たれる威圧。

 魔人筆頭オーラを全開にしたホーネットが殺気を込めて命じた。すると──

 

「びゃああああぁあ! こわいよぉ~~!!!」

「リスさま助けてぇぇええ~~!!」

 

「おい。余計にうるさくなってんじゃねーか」

「……ですね」

 

 結果は完全に逆効果だった。

 

「ホーネット。さてはお前、子供の世話とかしたことねーな?」

「……はい。面目ないです」

 

 申し訳無さそうに視線を伏せるホーネット。

 どうやら魔人筆頭といえども幼子をあやす能力は備わっていないらしい。

 

「チッ、しゃーない。……お前ら、とりあえず泣くのは止めろ」

「ふにゃ……」

「わふ……」

 

 泣く子には勝てぬ、わけではない。

 がしかしとにかくうるさいし、力づくで黙らせるというのも大人げない。

 

「分かった分かった、そこまで言うならケイブリスを復活させてやってもいいぞ」

「えっ!?」

「ほ、ほんとにゃ!?」

「あぁ本当だ。……ただし条件がある」

 

 そこでランスは一計を案じる事にした。

 

「ケイブリスを復活させてやってもいいが……その代わりに『伝説の媚薬』を持ってこい」

「で、伝説の媚薬?」

「あぁそうだ。以前に知り合いから聞いた話なんだが『伝説の媚薬』と呼ばれるマジックアイテムがあるようでな。それは一滴舐めるだけでどんな女もあへあへのエロエロになっちまうんだと」

「どんな女もあへあへになる媚薬……」

「あぁ。魔人でも天使でも悪魔でも何でも、あらゆる存在を腰砕けにする最強の媚薬だ。それを持ってくる事が出来たら代わりにケイブリスを復活させてやろうじゃねーか」

 

 魔王が提示したのは交換条件。

 伝説の媚薬なるマジックアイテム。それと引き換えにならケイブリスの復活を認める。

 

「でも魔王様。その媚薬ってどこにあるのにゃ?」

「さぁ? 俺様はこれ以上の事は知らん。ここから探し出すのがお前らの仕事だ」

「む、むむむぅ……手掛かりが無いとなると……これは中々に難題だわん……」

「無理だと思うなら止めときゃいい。別に俺様はどっちでも構わねーからな」

 

 手掛かりはその名称のみ。雲を掴むような話だがこれ以上の譲歩は無い。

 魔王の表情からそれを察したのか、

 

「……にゃあ」

「……わん」

 

 ケイブワンとケイブニャンは。

 泣き腫らして赤くなった目を共に見合わせて。

 

「……分かったにゃ!! にゃん達でその『伝説の媚薬』を見つけてくるにゃん!!」

「それを持ってきたらリス様を復活させてくれるのね!! 魔王様、約束だわん!!」

「あぁいいぞ。約束してやる」

 

 魔王はにやりと笑って頷いた。

 それを見てケイブワンとケイブニャンの表情にも希望の光が宿った。

 

「こうしちゃいられないにゃ!! 早速探しにいくにゃん!! にゃにゃにゃにゃーん!!」

「わわわわーん!!」

 

 目標はこの世界の何処かにある伝説の媚薬。

 忠実なる使徒達二人は鳴き声を上げながらダッシュで飛び出していった。

 

 

「ふぅ。やっと行ったか……」

 

 そうして、静けさの戻った王座の間。

 

「にしても、あんな話を鵜呑みにするとは……本当にバカなヤツらだなぁ」

 

 開けっ放しにされた扉を眺めながら、魔王ランスは呆れた表情で呟いた。

 

「……ランス。先程仰っていた『伝説の媚薬』というのは──」

「んなもん冗談に決まっとる。どんな女も一滴であへあへエロエロなんて、そんなエロ漫画みたいな都合の良い媚薬があるわきゃねーだろっての」

「……ですよね」

 

 伝説の媚薬とは。ランスが適当に考えた口からでまかせ。

 鬱陶しいわんにゃん達を追っ払う為に吐いた真っ赤な嘘。

 

 ……だったのだが──

 

 

 

 ──しかし、それから二ヶ月後。

 

 

 

「──思い出したわん!?」

「これがその『伝説の媚薬』だにゃん!」

 

 再び姿を現したケイブワンとケイブニャンの手の中には……それが。

 

「……マジであったのか、これ」

 

 約束の品物、伝説の媚薬がランスの眼前に突き付けられていた。

 

 

 

 

 

 



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復活のK②

 

 

 

 

 ──伝説の媚薬。

 それは一滴含んだだけで、どんな女もあへあへエロエロになってしまう最強の媚薬である。

 

 ……という、設定。

 それは空想上の産物、つまりはデマ。

 そんなもんあるわきゃねーだろと、ランスが適当に吐いた真っ赤な嘘だったのだが──

 

「……マジであったのか、これ」

 

 目の前にあるそれ、ガラス製の小さな小瓶が。

 その中に封じられたピンク色の液体こそ、まさか現実に実在していた伝説の媚薬。

 

「わんわんっ! どうだわん! 魔王様っ!」

「にゃあ達はやったんだにゃ!! ミッションコンプリートだにゃん!! にゃんにゃん!!」

 

 それはこの二匹が、わんわんにゃあにゃあと吠え猛る犬猫達による功績。

 ケイブワンとケイブニャン、最弱の使徒二人が苦難と苦心の果てに入手したお宝だった。

 

「あぁ、思い出すわん……これを手に入れるのにわん達がどれだけ苦労した事か……」

「ほんとだにゃあ……。それはもう手に汗握る大冒険の連続だったにゃん……」

 

 早二ヶ月前からの日々を思い出して、しみじみと語るケイブワンとケイブニャン。

 伝説の媚薬を持ってくれば魔人ケイブリスを復活させてやろう。そう魔王様から言われて、しかしその名前以外には手掛かり無しでのスタート。

 そこら中の魔物に聞いてみたり、人間世界に出向いては人間達から聞いてみたりと、二人は世界各地をわんわんにゃんにゃんと駆け回って。

 

「誰に聞いてみても、返ってくる言葉は『そんな媚薬は知らない』の一点張り。何処を探せばいいのかサッパリ分からない、闇雲に迷宮を彷徨うような日々だったわん」

「何度も諦めそうになったけど……それでもにゃあ達は挫けなかったにゃ!」 

「で、結局どうやって見つけたのだ?」

「にゃ。伝説の媚薬がどこにあるのか、占いで探してもらったんだにゃ」

 

 そこは長く生きている者の特権、この二人には古馴染みの占い師がいた。

 おかしを差し出す事で占って貰った結果、示されたのは川中島にあるAL教の本拠地、カイズ。

 

「そしたらAL教の本拠地の奥にある倉庫の中に封印されている事が分かったので、にゃあ達はスパイになって忍び込んだのにゃ」

「へー……」

「なんかわん達の他にも侵入者がいたようで、AL教の警備は全員そっちに集中してたから意外とすんなり盗み出してこれたわん」

 

 AL教本拠地、そこには世の理を乱すバランスブレイカーを封印する禁断保管庫がある。

 この媚薬はどうやらその倉庫内から盗み出してきた代物。二人の弁によると、その日AL教本部は何者かに襲撃を受けており、二人はその騒動に便乗させて貰った形のようだ。

 

「とにかく! こうしてわん達は約束通り伝説の媚薬を持ってきたわん!!」

 

 運も味方したとはいえ、二人はAL教の禁断保管庫から伝説の媚薬を盗み出してきた。

 という事は。あの約束を、待ち望んでいた報酬を受け取る権利がある。

 

「さぁ魔王様! 魔王様も約束通りリス様を復活させるにゃん!」

「わんわん! そういう約束だったわん!!」

「あー、うむ。……まぁ、確かにそんな約束をしてたっちゃしてたな……」

 

 二匹の犬猫に詰め寄られて、ランスは少々困ったように頬を掻く。

 伝説の媚薬と引き換えに魔人ケイブリスを復活させる。そんな約束をしたのは事実。がしかしそれはこの二匹を追っ払う為に吐いた嘘の約束だった。

 

「……ぬぅ」

 

 どんな女もあへあへエロエロにする媚薬。

 そんなエロ漫画のようなアイテムが現実に存在する訳が無いと、ランスは高を括っていた。

 故にこの状況は想定外。嘘から出た真と言うべきか、口は災いの元と言うべきか。

 

「けどな、これが本物かどうかはまだ分からん。もしかしたらパチもんかもしれんぞ」

「そんな事は無いわん! これは本物だわん!」

「そうだにゃそうだにゃ! だってこれはAL教の本拠地から盗んできた媚薬にゃ。これが偽物だったらあんな厳重な倉庫の中に保管したりはしないはずだにゃ!」

「んな事は証明にはならん。これがマジもんの伝説の媚薬なのかどうか、ハッキリさせる為には一度使ってみて効果を実証しないとな」

「なら使ってみると良いにゃ。はいどーぞ」

 

 ケイブニャンが差し出してきた真偽不明な伝説の媚薬。

 ガラス製の小さな小瓶の中身をランスはしげしげと眺める。

 

「これが伝説の媚薬、ねぇ……」

 

 どろどろとしたピンク色の液体、見た目はあやしい薬品のようにしか見えない。

 これが一滴舐めただけで、どんな女でもあへあへエロエロにする効力を秘めているのか。

 

「ふーん……」

 

 嘘か真か。ハッキリさせる為には使用してみるのが一番手っ取り早い。

 ちょうどここにはホーネットと、ケイブニャンとケイブワンを連行してきた四人の魔人、シルキィ、ハウゼル、サイゼル、サテラというお馴染みのメンバーが揃っている。

 

「……さーてと、そうだな……」

 

 ランスは自然とそちらに視線を向ける。

 

「………………」

 

 すると壁際に並んでいた面々は。

 

「……(スッ)」

 

 ホーネットが、シルキィが、ハウゼルが、サイゼルが、サテラが。

 全員がさり気なくその顔を横に背けた。まるで魔王と視線を合わせないように。

 

「……ふむ」

 

 ──そして。

 

 

「──よし。サイゼル、ちょっとこっち来い」

「なんで私!?」

 

 選ばれたのは魔人サイゼル。

 瞬間王座の間に悲鳴が響き渡った。

 

「ちょっとなんで!? なんで私なの!?」

「いや別になんとなくだけど」

「なんとなくなら誰だっていいじゃない!! それなら他のヤツにしなさいよ!! もっとあんたとエロい事するのが好きなヤツを……ほら、ホーネットとか!!」

「……サイゼル、魔王様直々のご指名を受けたというのにとやかく言うものではありませんよ」

 

 選ばれなかった事に内心ホッとしつつ、取り澄ました表情で呟く魔人ホーネット。

 ランスとエロい事をするのが好きかどうか。その解答は保留しておくとして、あやしい薬の実験台になりたいとは思わなかった。

 

「なら……シルキィ! お願いだから代わって!」

「そう言われてもねぇ……これは私が決める事じゃなくて魔王様が決める事だから……」

「そうだぞサイゼル、とっととこっちに来い。来ないなら絶対命令権使うぞ」

「ぐぅぅ~~……!!」

 

 悔しげに唸るサイゼル。しかし絶対命令権を持ち出されてはどうしようもない。

 嫌そうな顔のまま、魔王のそばまで足取り重くとぼとぼ近付いていく。

 

「……ドーゾヨロシクオネガイシマス」

「よっしゃ。んじゃあサイゼル、少し上を向いて口を開けろ」

「んあ……」

 

 伝説の媚薬の効果と真偽は如何に。

 その実験台Aとなった魔人サイゼルはとても嫌そうな顔のまま大きく口を開く。

 

「そーっと……」

「んっ」

 

 キャップを開けたガラス瓶を傾けて、ピンク色の液体をぽとりと一滴。

 謳い文句の通りであれば、これでサイゼルはあへあへエロエロになるはずだが──

 

「……んん?」

「どうだ?」

「んー……?」

「エロエロになったか?」

「ううん、別に──」

 

 ──なんともないけどー。

 とか言おうとした瞬間だった。

 

「……──んっ!?」

「おっ?」

「んんんんん────!?!?!!?」

 

 きた。なにかが来た。

 落雷に撃ち抜かれたが如く、なにか途轍もない衝撃が一瞬で身体中を駆け巡った。

 眼がチカチカして、頭が、身体が、胸が、そして下腹部が──灼けるように熱いっ!! 

 

「──◎△$♪×¥●&%#!?」

「おぉ、なに言ってんだか全然分からんけどなんか凄そうだな。んじゃやっぱ本物かこれ……」

 

 身体をくの字に曲げて悶絶するサイゼル。

 魔人の身体は他の生物よりも強く、呪いや薬物などへの耐性も強化されているはずなのだが、そんな魔人サイゼルでも数秒で即オチ待ったなし。

 その姿を見たランスが伝説の媚薬の効力に驚いていると、追加でさらなる副次効果が。

 

「────んぅっっ!?」

「おや?」

 

 それが聞こえたのは眼前のサイゼルではなく、少し離れたすぐそば。

 心配そうな顔で成り行きを見守っていた魔人ハウゼルの上げた奇声のようで。

 

「あ、なにこれ……!! 姉さん、まさかこれ、こんな、こんなに──っっ!」

 

 自らの身体を抱いて姉と同じように身悶える妹。

 どうやらこの姉妹の特性、共感覚が発動してお互いの感覚がリンクしてしまったらしい。

 

「おぉ、こりゃラッキー! まさに一粒で二度美味しいってヤツだな。よっこいせっと」

「ひゃっ、ちょっとなに……!」

「さぁハウゼルちゃんも。二人まとめて楽しいところに連れてってやるからなー」

「あぁ、魔王様ぁ……っ!」

 

 ひょいひょいと姉妹二人を抱え上げて、ランスはすたこらさっさと寝室へ移動。

 

「あ、ま、魔王様!! ちょっと、そんな事よりケイブリス様の復活を──!!」

「……魔王様の情事を遮る事は許されません。こうなっては暫く待つしかないでしょう」

 

 

 ──そして。

 暫く待つ事小一時間後。

 

 

 

 

「ふいー、楽しんだ楽しんだーっと」

 

 魔人サイゼルとハウゼルを食べ終わった魔王が再び王座の間に戻ってきた。

 

「魔王様、薬の効果はどうでしたかわん?」

「うむ、あの媚薬は本物だな。二人共あへあへのエロエロだったぜ」

「そうでしょうとも! あれは正真正銘伝説の媚薬なんだにゃ!」

 

 行為を終えて満足げな魔王ランス。ケイブワンとケイブニャンも誇らしげに答える。

 伝説の媚薬は確かに本物だった。一滴で魔人を腰砕けにして戦闘不能に等しい状態に陥れる、AL教がバランスブレイカーとして封印するのも頷ける程の劇薬だった。

 

「わん達だってお使いぐらいなら出来るのよ! わんわん!!」

「ということで魔王様!! ケイブリス様を復活させてにゃん!! にゃんにゃん!!」

 

 最弱の使徒達は使命をやり遂げた。魔王様のご要望に応える事が出来たのだ。

 となれば当然、二人は魔王に対してそれを要求する権利がある。

 

「ふむ……」

 

 さて、どうしたものかとランスは顎を擦る。

 たかが口約束一つ、忘れたフリをして無かったことにしたって何ら問題はない。

 なんせ自分は魔王だ。魔王に奉仕するのはあらゆる魔族にとっての義務、であれば使徒達の働きに対して報酬を与える必要などはない。

 いいや魔王でなくとも。人間だった頃から、自分にとって都合の悪い約束などは軽くシカトしてきたのがランスという男なのだが──

 

 

「──よし、分かった」

 

 数秒の沈黙の後、魔王は頷いた。

 

 

「ほんとにゃ!?」

「あぁ。約束通りケイブリスを復活させてやろう」

「やったぁー!! リス様に会えるわんーー!!」

「やったにゃー! やったにゃやったにゃー!!」

 

 遂に、遂に叶えた、主ケイブリスの復活。

 主に会える。これ以上の歓喜は無い。喜色満面の笑みで喜び合うケイブワンとケイブニャン。

 

「ホーネット、ケイブリスの魔血魂を持ってこい」

「……宜しいのですか?」

「うむ。なんだ、不満か?」

「……いえ。魔王様の決定には従います」

 

 殊勝に頷きつつも、完全に納得してはいないような表情をしているホーネット。

 それはホーネットに限らず、サテラやシルキィも似たような表情でランスを見ていた。

 

「ま、お前達の言いたい事も分かる。あれだけ俺様の邪魔してくれやがったケイブリスをわざわざ復活させるなんて、ちぃっとばかし腹が立つってのは事実だけど……けどな、俺様は考え方を変えたのだ」

「というと?」

「ケイブリスだろうが所詮は魔人に過ぎないっつー話だ。それならむしろ復活させてやって、あのバカリスに絶対命令権を使いまくってオモチャにして遊ぶってのも面白そうだなと思ってよ」

「あぁ……成る程」

 

 にやりと悪どく笑う魔王の魂胆。それは何もケイブリスに再びのチャンスを与える訳ではない。

 与えるのは苦痛と恐怖。魔人にとっては絶対に逆らえない魔王様からの無茶な命令の数々。

 つまりランスの狙いは権力を笠に着たいじめ、あるいはパワハラの類である。

 

「くくくく……魔人と魔王の上下関係ってのを徹底的に教えてやろうじゃねぇか。このランス様のかわいがりを食らってあいつがどれだけ耐えられるか、見ものだぜ」

「わぉん……魔王様、あんまりケイブリス様にヒドい事はしないであげてほしいわん……」

「そいつは約束出来んな。復活させたケイブリスをどう扱うかは魔王である俺様の自由だ」

「そ、それは……そうですが……」

 

 先程の歓喜から一転、ケイブワンとケイブニャンは不安げな表情に変わる。

 

「そうだな……俺様に逆らった罰として、城門の前で磔の刑に処すってのはどうだ」

「は、磔の刑……」

「あるいは……最近身体が鈍ってるし、サンドバッグにして遊ぶってのもいいかもな。無駄に図体のデカいあいつにピッタリな仕事だと思わんか?」

「さ、サンドバッグ……」

 

 復活した主ケイブリスに待ち受ける運命。

 それは磔の刑、あるいは魔王のサンドバッグか。

 

「そういう扱いが嫌だってんなら、ケイブリスの復活はナシにしてもいいが……どうする?」

「……わぅん。……で、でもぉ……」

「……それでも、それでも復活はしてほしいのにゃん……、にゃあ達はそれでもリス様に会いたいんだにゃあ……」

 

 ここで復活する事がイコール幸せとは限らない。

 そうと分かっていて尚、それでも復活を望む気持ちは使徒達のエゴに他ならない。

 沈痛な表情で弱々しく答えるケイブワンとケイブニャンの一方、魔王ランスは相変わらず底意地の悪い笑みを浮かべていた。

 

「ほんとに復活させていいのかぁ? 死んでた方がマシだって思うぐらいの生き地獄を味わう事になるかもしれねーぞ?」

「う、うぅう……」

「にゃ、にゃおん……」

「……まぁいい、分かった。んじゃホーネットよ、あいつの魔血魂を持ってこい」

「はい」

 

 魔王の命を受けた魔人筆頭はすぐさま王座の間を一時退出。

 そして数分後、その手に小さな紅い珠を持って戻ってきた。

 

「お待たせしました、魔王様。これがケイブリスの魔血魂です」

「おう」

 

 受け取ったそれをランスは手のひらの上で軽く転がす。

 自らの血の一部、魔血魂。禍々しく濁るそれにはケイブリスの魂が宿っている。

 

「ここからケイブリスを復活させるには……これを誰かに食わせる必要があるんだよな?」

「はい。ですが誰でも良い訳ではなく、ケイブリスに適合する素体に摂取させる必要があります。ですのでそれを探す必要が……」

「あ、それなら大丈夫にゃ。リス様に適合する魔物はすでに見つけてあるにゃ」

 

 そういってケイブニャンがどこからともなく取り出した大きな袋。

 その袋の中に入っていた魔物は──

 

「……リス?」

「そうだにゃ、リスだにゃ! リス様に適合する魔物といえばリスしかいないにゃ!」

「リス様はリス種の魔物なら大体なんでも適合するわん。そこら辺ガバガバなんだわん」

「へー……」

 

 そこにいたのはロープで簀巻きにされたリス。なんの特徴もないただのリス。

 どうやら魔人ケイブリスは魔血魂の適合性がガバガバらしく、リスであれば何でもOKらしい。

 

「さぁ魔王様! このリスの口にその魔血魂を食わせるわん!」

「にゃんにゃん! それでケイブリス様が復活するにゃん!」

「うむ」

 

 そして……魔王の指が、魔血魂を摘む。

 それがリスの口元へと近付いていって。

 

 

 しかし、その刹那──

 

 

(……けどなぁ。あのでっけー図体のリスが復活するってのはどうも気に食わねぇんだよなぁ。邪魔だし、上から見下ろす目付きがムカつくし、とにかくあの体臭がくせーし……)

 

 とか。

 

(復活するにしても元の図体とは別の姿にならねーもんかなぁ。もっと俺様の方が見下ろせるぐらいにちっこいサイズで、身体から出るくっせー瘴気も消えちまう程度には弱っちい感じで……)

 

 とか、そんなことを。

 魔王が考えてしまったのが原因か。

 

「……(パクッ)」

「食べたにゃ!!」

「食べたわん!!」

 

 そして、そのリスは魔血魂を飲み込んだ。

 するとその身体の内から聞こえてくる声。湧き上がってくる強烈な意思をもつなにか。

 

「……(ぷるぷるっ)」

「……おぉ、なんかリスの様子が……」

「魔人化の予兆だわん! ケイブリス様が復活するんだわん!!

 

 ただのリスだったその身体から突如、紅色の粒子が煙のように湧き上がる。

 適合する素体が魔血魂を摂取した場合、元の魔人の魂と宿主の魂の間で主権の奪い合いが生じ、上回った魂が魔人の身体を手に入れる事となる。

 

「……(ぷるぷるぷるぷるっ!!)」

 

 そしてそれは一瞬で終わった。

 ただのリスでしかない魂が、6千年以上も生きた最強最古のリスの屈強な魂に敵うはずもなく。

 

「うおっ! なんだ──!?」

 

 弱き魂が消えて、強き魂による上書きが完了。

 そして魔人の肉体を再構成。するとその全身がピカーッ!! と眩く輝いて。

 

 

 そして──

 

 

「……ん」

 

 ちょこん、と。

 

 

「あん?」

「……あれ? 俺様は……」

 

 丸い毛玉に、手足と角を生やしただけのような。

 なんだか珍妙な生物がそこに立っていた。

 

「……これ、復活……したんだよな、俺様──」

「リス様ーーーー!!」

「リス様だにゃーー!!」

「うおっ! なんだ、って、お、お前ら……」

 

 感極まって、涙を滲ませながらその小さな身体に飛び付くケイブワンとケイブニャン。

 

「……あぁ、そっか」

 

 自らが作り出した懐かしき使徒達。

 その温もりに、ケイブリスは自分がここにいる意味を理解した。 

 

「……はは、マジか。まさかお前らが俺様の魔血魂を回収して復活させてくれたのか」

「そうだわん!! わん達が使徒としての役目を果たしたんだわん!!」

「にゃあ達頑張ったにゃ! リス様に褒めて貰いたくていーっぱい頑張ったんだんだにゃ!」

「お、おう……そうか」

 

 そもそもの原因、あの決戦に敗れて自分が死んでしまった事。

 そんな自分をこの二人が復活させてくれた事。それを嬉しいと思ってしまった事も。

 

「まぁ……そうだな。……よし、お前ら、よくやったじゃねぇか」

 

 その全てが照れくさいのか、ぶっきらぼうな態度で二人を称賛するケイブリス。

 

「わふん……!」

「ふにゃにゃあ……!」

 

 けれども。そんなぶっきらぼうで愛しい主の褒め言葉こそが一番欲しかったもの。

 ケイブワンとケイブニャンは泣いていた。そして満天の笑顔だった。 

 

「なんかちっちゃくなっちゃってるけどそんなのどうでもいいわん。気にしないわん」

「むしろこっちの方が可愛くなったにゃ。かわいいリス様にゃ」

「あぁ……まいったぜ。なんでか分かんねーけど元の姿に戻っちまったみてーだな」

 

 一度死んで復活した影響からか、最強最古と讃えられた強さは消え去っていた。

 しかし最弱のリスに戻っても尚、今のケイブリスの目に絶望や後悔の色は無い。

 

「おい」

「……けど、俺様は諦めねーぞ。なんたってまだ死んじゃいねーんだからな」

「「リス様……!」」

「それにもう思い出したからな。あの時の気持ちを俺様は思い出したんだ。だから……またここから最強目指して、誰よりも強くなってやる!!」

 

 それは生き延びたいが為──ではなくて、ただ単純に最強になりたいが為に。

 あの決戦にて、自らの原型を思い出せた今のケイブリスは以前までとまるで別人。再びの生によってまさしく生まれ変わったかのようだった。

 

「おい」

「勿論お前らもだ!! お前らも俺様と一緒に最強になるんだからな!!」

「わんわん! 勿論だわん!! わん達だって最強になりたいわん!!」

「にゃあにゃあ! にゃあ達はどこまでもリス様についていくにゃん!!」

「おい」

「へへっ、お前ら……」

「おい。俺様を無視すんな」

「あん?」

 

 と、そんな感動シーンに割り込む無粋な声が。

 

「なんだ──って、んんっ!?」

 

 振り返って……ケイブリスは見た。

 王座に腰掛ける男の姿を。訝しげな目付きでこちらを眺めるその顔は紛うことなき──

 

 

「なっ! なな!! て、テメェはランス!?」

 

 そこにいたのは因縁の相手。憎き怨敵。

 あの決戦で最後に自分を斬り裂いた人間の男、ランスがいるではないか。

 

「なんで、どうしてテメェがここにいやがる!!」

「そりゃ俺様がお前を復活させてやったからだ」

「あんだと!? 何をわけ分かんねーこと言ってやが…………あれ?」

 

 とそこで気付いた。

 ケイブリスが魔人であるが故、それに気付いてしまった。

 そこにいる男から伝わってくるオーラが。あるいは力の波動とも言うべきものが。

 

「……あれ?」

「なんだ」

「…………え、うっそ」

 

 これは……アレだ。

 信じたくはないけど、アレだとしか思えない。

 こうして目の前にいるだけで、本能的に膝を折って頭を垂れたくなってしまう。

 その恐ろしき力の波動。それはケイブリスが過去に幾度と味わい、幾度と畏怖してきたもの。

 

「……ら、ランス」

「だからなんだっての」

「……ま、まさか……」

 

 つまり、それが──

 

「…………ま、ま……まおう?」

「おう」

 

 それが──魔王の証明。

 ランスは魔王になっていた。そこにいたのは第八代魔王ランスだった。

 

「…………がっ」

「が?」

「……が、がびぃぃーーーん……」

 

 と顎を落とすケイブリス。

 ショックだ。とてもショックだった。だって魔王になりたかったのは自分なのに。

 その為に六千年も頑張った自分じゃなくて……ランスが。よりにもよってこいつが。

 自分を倒した因縁の男が。自分の絶対的上位者となって魔王の椅子に座っていた。

 

「……そ、そんなぁ……!! こんな、こんな事があっていいのかよぉ……!!」

「あぁん?」

「だって、なんでランスなんだっ!! リトルプリンセスならまだしもこいつが──ハッ!?」

 

 とそこで、大きな過ちに気付いたケイブリスは目を大きく見開いた。

 

「は、は、はわわ……!」

 

 ランス? こいつ? 

 ……いいや違う。そんな呼び名で、この御方を呼んでいいはずが無いではないか。

 

「あ……えと、ええとですね、魔王様! ぼ、ぼくの名前はケイブリスって言いますっ!」

「そりゃ知っとるが」

「そ、そうですよね、えへへ……。え、えとえと、改めまして、こんにちは魔王様!! ぼくは魔王様の忠実なる下僕です、ぺこぺこ」

 

 リスの毛皮の上に猫を被って、途端に礼儀正しく低姿勢になった魔人ケイブリス。

 媚びる。とにかく媚びる。相手が何者であれ、魔王の前でケイブリスが取る態度はこれ一択。

 

「えー、本日はお日柄もよく、この良き出会いに是非とも魔王様との友好関係を築きたく……」

「お前……すげー変わりようだな。なぁホーネット、これがケイブリスなのか?」

「……えぇ。ケイブリスというのは魔王様の前ではとにかく低姿勢になる魔人ですから」

「ほ、ホーネット、さん、も……こんにちは! 過去のいざこざなんかは水に流して、これからは仲良くしましょうね! ぺこぺこ、ぺこぺこ」

「ケイブリス……今更私相手に媚びを売る必要などありません」

 

 ホーネットの呆れた視線を感じながらも、そんな事は無いとケイブリスは心中で首を振る。

 なんせ自分はこの姿だ、六千年前の最弱だった頃に戻ってしまった。もはや魔人筆頭であるホーネットになんか逆立ちしたって勝てっこない。

 となれば媚びを売る。恥も屈辱も、全てを投げ捨てて自らの命を守る事だけに全力を注ぐ。それが最弱の魔人ケイブリスなりの処世術なのである。

 

「しっかしこいつ……なーんでこんなに小さくなったんだろうな」

「そうですね……魔人が復活する際には多少なりともその力が低下するのは通例ですが、ここまで急激に弱くなった例は過去に聞いた事がありません」

「じゃあ運が悪かったってことか?」

「かもしれません。あるいは……ケイブリスというのはリス種に備わる自己強化の特性によって自らを強くしてきた魔人と聞いています。つまりその身体の大部分が後付けの肉体である事が影響して、一度魔血魂になった事で自己強化により変化させた部分が無くなってしまったのかもしれませんね」

「ほぉ、なるほど……」

 

 真相は当の魔王がそう望んだからなのだが、とにかくケイブリスは小さくなった。

 足元にちょうど収まるサイズといい、丸っこい身体といい、その姿はまるで……。

 

「なんかお前……あれだな。サッカーボールみたいだな」

「え?」

「よし」

 

 と魔王が王座から腰を上げた、ちょうどその時。

 開けっ放しになっていた扉の先、王座の間の正面通路を横切ろうとする影が一つ。

 

「あれ、やってんだ?」

「おぉ、レイじゃねーか」

「あぁ、魔王様。……って、そこにいる丸っこいのはもしかして……ケイブリスか?」

 

 こちらの様子に気付いたのは魔人レイ。

 少し前に魔王との個人面談を行い、俺様の配下に男はいらん罪とロリコン罪にて殺されそうになったものの、話の流れで処分は一旦保留。

 その後人間世界に出向いて、つい先日メアリーを連れてこの魔王城に帰還。そして魔王様の前で謝罪の土下座をかました事によって無事に不起訴処分を受けた魔人である。

 

「ちょうど良かった。サッカーやろうぜ」

「へ? サッカー?」

「って、魔王様、まさか……!」

 

 そしてついでに言えば、魔人レイとはサッカーが得意な魔人でもあって。

 

「いくぜー。へいパースっ!」

「──ぐっ」

 

 げしーっ! と魔王キックが炸裂。

 そのボールが何なのかは言うまでもない。

 

「おっと」

 

 するとレイはサッカーLV2の才能を発揮して、すっ飛んできたそれを華麗にトラップした。

 すっ飛んできた……小さな紅い珠を。

 

「あれ?」

「あぁーーーー!! リス様が魔血魂に戻っちゃってるわんーー!!」

「にゃにゃーーー!? リス様が死んじゃったにゃーーー!!!」

 

 蹴飛ばされたそれは魔血魂に変わっていた。

 まるで手品のような一瞬の出来事にケイブワンとケイブニャンの絶叫が響き渡った。

 

「え、え。まさか今ので死んだのか?」

「そりゃあ魔王様よぉ……あんたが本気でケリを入れたら魔人は死ぬだろ……」

「あれまぁ……」

 

 ランスとしてはちょっとしたかわいがりのつもりだったのだが……結果はこの通り。

 

 ──魔人ケイブリス、ここに死す。

 享年ゼロ歳。二度目の生を受けてからおよそ五分後の出来事であった。

 

「うぅうう゛~……! ひどいわん……!」

「ひどいにゃあ……! 魔王さまぁ……!」

「…………うーむ」

 

 二匹の使徒達の恨みがましい視線を感じながら、ランスはてくてくと歩を進めて。

 

「ほらよ、魔王様」

「うむ」

 

 魔人レイから受け取ったそれを。

 ケイブリスの魔血魂をポケットにしまうと。

 

「……うし。そんじゃそろそろお開きとすっか」

 

 締めの挨拶とばかりにそう宣言した。

 

「ホーネット、サテラとシルキィちゃんも。晩飯食いにいくぞ」

「はい」

「ってちょっと待つわんーー!!」

「勝手に話を終わらせるにゃーー!!」

 

 王座の間からそそくさと退出しようとする魔王。

 すると当然のようにケイブワンとケイブニャンの待ったが掛かる。

 

「なんだ、約束通りケイブリスは復活させてやっただろ」

 

 がしかし魔王は素知らぬ顔で。

 

「でも死んじゃったわん!! 魔血魂に戻っちゃったわんーー!!!」

「そうだな。せっかくのチャンスだったのに何やってんだかなぁあのバカリスは」

「違うにゃーー!! ケイブリス様が悪いんじゃなくて魔王様が殺したんだにゃーー!!」

「いいや違う。今のはあいつが勝手に死んだだけで俺様は悪くない。だよなホーネット?」

「……ケイブリスが勝手に死んだかはともかく、魔王様は悪くないというのはその通りですね」

 

 そして魔人筆頭も同調するように呟く。

 復活したケイブリスをどう扱うかは魔王の自由。それは事前に宣言していた。

 魔人が魔王の所有物である以上、ここで魔王ランスが誹りを受ける筋合いは無いのである。

 

「リス様を二度も殺すなんてヒドいにゃーー!! ヒドいにゃヒドいにゃーー!!」

「ヒドくない。むしろお前らみたいな使徒との約束を守るだけ優しい魔王様ではないか」

「それならっ、それならせめて、わん達にケイブリス様の魔血魂を返してわん!!」

「返すも何も魔血魂は魔王である俺様のものだろ。なんでお前達に返さなきゃならんのだ」

「それじゃあケイブリス様を復活させられないわんーー!! 全然優しくないわんーー!!」

 

 魔人ケイブリスの復活──成らず。

 全ては振り出しに戻ったのであった。

 

「ヒドいにゃーー!!」

「ヒドいわんーーー!!」

「うるさい黙れ」

「ヒドいにゃヒドいにゃヒドいにゃーー!!」

「ヒドいわんヒドいわんヒドいわんーー!!」

 

 あまりに横暴な魔王の行いに、わんわんにゃんにゃんと吠えたくる使徒達。

 がしかし、得てして魔王とはそういうもので。

 

「あーもうやかましいわっ!! あんまりごちゃごちゃ言ってると鍋にして食っちまうぞ!!」

「ふにゃーーーーーー!?」

「ぎゃわーーーーーん!?」

 

 最終的には怒声一発。

 魔王が放った怒りのオーラを間近で浴びて、最弱の使徒達はこてーんと気絶してしまった。

 

 

 

 

 

 

 そして──その後。

 

 ある日、魔王ランスの気まぐれによってケイブリスはもう一度復活した。

 だがまたある日、魔王ランスがツッコミとして放ったチョップによって三度目の死を遂げた。

 

 そしてまたある日。魔王ランス再びの気まぐれによってケイブリスは三度復活した。

 しかしまたある日、虫の居所が悪かった魔王ランスから八つ当たりのデコピンを食らい、ケイブリスは四度目の死を遂げた。

 

 その後も小さなリスは魔王の気まぐれによって復活して。気まぐれに死んで。

 そんな日々を繰り返した結果、ケイブリスは死の恐怖をちょっとだけ克服したのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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完成 アメージング城!

 

 

 

 

 

 

「……はぁっ」

 

 荒い呼吸一つ、額に滲んだ汗を拭う。

 

「はぁ、ふぅ……」

 

 すでに高度2500m、周囲に木々は少なく、時折吹き抜ける風は乾燥していて。

 麓から変わらないペースでの急勾配が続くこの道は標高12000mを誇る翔竜山の登山道。

 

「はふぅ……さ、さすがに険しい道程ですね……」

 

 翔竜山。それは険しい嶮山、それでも世界一の頂きを目指す登山客などが多い名所である。

 下層には登山休憩所が設けられているものの、その先の中層に到達した登山者は数える程度。それを越えて更に道程が険しくなる上層、そして最上層ともなれば推して知るべしというもので。

 

「シィル。ちんたらしてないでちゃっちゃと歩け」

「は、はいぃ……」

 

 そんな翔竜山の高度約2500m、そろそろ下層を越えて中層に差し掛かろうという頃合い、先頭を進むランスにへろへろ顔で返事をするシィル。

 麓からここまでろくな休憩無し。シィルが過去の冒険の日々で鍛えられていなかったら、その見かけによらない高レベルが無かったらとうに音を上げているだろう強行軍である。

 

「……で、まだか?」

「えぇ、もう少しだと思います」

 

 とはいえそれは人間に限った話。

 いかに険しい登山道であろうとも、天下の魔王や魔人筆頭は汗も流さない涼しげな表情。

 

「………………まだか?」 

 

 がしかし、魔王の表情には疲労とは違う不満げな色が乗っていた。

 すでに登山開始から早数時間、未だ目的地には到達せず。

 

「なんか……思っていたよりも入り口が遠いぞ」

「で、ですね……わたしも、もっと麓の方にあるのかと思ってました……」

「ちなみに言っておくけど、入り口が下層を越えた先にあるのは設計図通りの仕様だよ、魔王様」

「ぬぅ……そうだったっけか?」

 

 設計図通りの仕様。つまり設計図の原案を書き上げた魔王ランスの指示通りの仕様である。

 そう答えたのは実働部隊の長、現場監督の任を受けていた魔人パイアール。

 

「にしても毎度毎度山を登るのはメンドい、麓から入り口までワープがしたいぞ。たしか魔物兵を移動させるワープ装置かなんかがあったよな?」

「転移陣ですね。分かりました、早急に設置するよう手配致します」

「転移陣ねぇ……あんな一度の使用で魔力を莫大に消費するから魔法魔物兵を何体も常駐させなきゃいけないような代物より、高速エレベーターみたいなのを設置した方が効率的だと思うけど」

「……と、パイアールは言っていますが」

「どっちでも構わん。とにかく楽に移動出来るようにしておけ」

 

 そんな雑談を交わしながら。

 一同えっさえっさと翔竜山を登り続ける事、しばらくして──

 

 

「……お」

 

 標高3000mの先に見えてきたもの。

 これまでのような自然の山影とは異なる、直線と流線が交じる人工的なシルエット。

 

「……おぉ!」

 

 翔竜山中層の一部を侵食するかのようにその建造物は建てられていた。

 一目見ただけで悪しき者の根城だと分かるような禍々しき外観が特徴的なそれはまさしく──

 

「おぉ! これが俺様の新しい城か!!」

 

 魔王ランスの新たなる居城、アメージング城。

 この世界の支配者が住まう城。新たなる世界の中心。新たなる魔の総本山。

 建設計画開始から二ヶ月と半月程、翔竜山の中層部にそれが出現していた。

 

「わぁ……なんだか、いかにも魔王様って感じのお城ですね……」

「元の魔王城より断然イカすデザインだろ。……ふーむふむ、中々悪くないじゃねーか」

 

 顎の下の撫でながら満足げに頷くランス。

 この城の外観を設計したのはランス本人。……なのだが当初描き上げた落書きのようなデザイン画はあくまで原案として、そこからホーネットやウルザら多くの者達によって修正がなされ、結果今の形に至る。

 実の所ランスが描いたデザイン画とはかなりの部分で違ってきているのだが、当の本人にそれを気にした様子は無い……というか、最初に自分が描いたデザインなどすでに頭から抜け落ちていた。

 

「どれどれ、そんじゃ早速中を見てみるか」

 

 完成したばかりのおニューな城。最初に足を踏み入れるのは勿論城主である魔王ランス。

 開放されていた大門をくぐり、まずはと右手側に見えていた道を進む──

 

「あ、魔王様。そちらの区画はまだ完成しておりませんので……」

「ぬ、そうなのか」

 

 どうやらこっちはまだ未完成らしい。

 ランスはくるりと方向転換して、正面方向に見えるエントランスの方へと歩き出す。

 

「ここが玄関口だな。どれ、中は……おぉ、城内も綺麗じゃないか」

「えぇ、内装も可能な限り拘りました。とはいえまだ少々殺風景ですからね、旧魔王城に飾られていた調度品類を持ってきて飾ればより見栄えが良くなるでしょう」

「あ、それならランス城にあった飾りとかも持って来たりするといいかもしれませんね」

「確かにそうだな。もうあっちの城だって殆ど使わないだろーし……つーかビスケッタさんとかもこっちに来て貰った方がいいかもしれん」

 

 旧魔王城も勿論だが、ランスが元々所有していたランス城にも多くの財産が残っている。

 特に選りすぐりを揃えたメイド達の価値は旧魔王城のそれを上回る程。中には白パンを盗む手癖の悪いメイドなどもいるが、それでも女の子モンスターのメイドさんよりはバリエーション豊かで食べごたえがあるメイド達が揃っている。

 

「向こうに見える別棟が一般用の居住区画となっております。こちらの建物にはシィルさん達や私達魔人が使用する部屋、客人用の貴賓室などがあり、魔王様のお部屋もここの上階となっております」

「ふむふむ、ここら辺は設計図通りだな」

「はい。そして……この奥が魔王様のおわす場所、新たなる王座の間です」

「ほほう、どれどれ……」

 

 この世界の支配者だけが腰掛ける事を許された王座の置かれた場所、王座の間。

 一際目立つ重厚な造りの扉をランスは開こうとして──

 

「あ、魔王様。内部はまだ塗装などの仕上げが済んでおりませんので……今暫くお待ちを」

「ぬ、そうなのか」

 

 どうやら内部はまだ未完成らしい。

 

「ならこっちの方は……」

 

 ランスはくるりと方向転換して、別の区画へと通じる道を──

 

「あ、魔王様、そちら側一帯の区画はまだ何も手を付けてはおりませんので……」

「ぬ、そうなのか」

 

 どうやらこちら側一帯はまだ何も手を付けていないらしい。

 

「……なぁホーネット」

「はい」

「なんか……未完成な場所が多くないか?」

「それは……はい」

 

 控えめに頷く魔人筆頭。

 よくよく見てみれば城内の至る所には『この先工事中!』だとか『足元危険!』『頭上注意!』などと書かれた看板が設置されている。

 その光景は完成した城のそれではなく、どう見ても工事現場のそれである。

 

「これ、具体的にはどれ位完成してるんだ?」

「えー……最低限の居住区画、そして最低限の食堂や御手洗いや洗面所や風呂場などの必要施設、そして王座の間。……今現在仕上がっていると言えるのは以上ですね」

「……ほとんどなんも出来てねーじゃねーか」

 

 外観こそ取り繕っていたものの、アメージングの中身はまるで出来上がってはいなかった。

 いずれも「最低限」と付けられている事からして完成度具合が推し量れるというものである。

 

「おい現場監督、これはどういう事だ。真面目に作業しとんのかいな」

「あのねぇ魔王様。魔王様がこのアメージング城の建設計画を始動させてからまだ三ヶ月も経ってないんだよ? それでここまで仕上がっただけでも驚異的なスピードだと思って欲しいんだけどね」

「それは確かにそうかもですね……特にこんな険しい山の中では作業も大変でしょうし……」

「そうそう、そういう事。ただでさえ設計図があれなんだから……設計図通りのアメージング城を完成させようと思ったらこの先何十年掛かるか……」

 

 この翔竜山全体を城に改造するのが最終的な構想として、現在の進捗はおよそ1%程度。

 パイアールとしてはどう考えても設計図の方が間違っていると言いたいのだが、それを書いた当の魔王の隣で言えるようなセリフではなく。

 

「僕だってこんな中途半端な状態で引っ越すのは勧めないけど、魔王様が早期の引っ越しを希望したから最低限度の環境を整える事を優先したんだ。一応住める状態にはなっているでしょ?」

「ぬぅ……」

 

 早期の引っ越しを実現するにはこれが限界。そう言われてはランスも唸るしかない。

 ひとまず最低限度の設備は整っており、朝起きて、セックスして、寝る。日々をぐーたら過ごす分には現状の出来でも問題は無いと言える。

 

「けどさすがに面白みがないぞ。もっと色々楽しめそうな施設を早く作れ」

「そりゃ勿論。魔王様の生活環境周りの拡充工事は最優先で行う事になってるよ」

「うむ、よろしい。この城のすぐ隣にはあらゆるエロ設備を備えた『SM塔』なんかも建設する予定だからな。そっちも早急にやれよな」

 

 男の夢と欲望をたっぷり詰め込んだ建造物──通称『SM塔』など。

 アメージング城の設計にはランス自身も携わっており、「俺様の城にはこんなのが欲しい」と要望を出したものが数多くある。

 

「けど、ここに住むとなると……食料品や雑貨の買い出しに少々苦労しそうですね」

「んなの麓の町で買えばいいじゃねーか」

「それが麓にあるのは小さな村だけでしたから、買う事は出来るんですけど品揃えが悪くて……」

「そうなのか。んじゃパイアール、この近くにスーパーでも作れ」

「えっ、スーパーなんて設計図に無かったけど」

「なら設計図を変更して作れ」

「………………」

 

 いやそんな待ってよ、設計図を変更するなら設計図の意味が無くなっちゃうじゃん。

 そんな文句がパイアールの喉の奥に引っ掛かり、言葉にならず消えていく間にも。

 

「それに……ここら辺は緑が少ないですよね」

「確かに。ちょいと殺風景だよな」

「向こうの魔王城にあった中庭やランス城にあった屋上庭園みたいに、自然豊かな広場なんかがあるといいですよね」

「いいなそれ。パイアール、それも作れ」

「……標高3000mで? 草木には一定の高度を越えると育たなくなる森林限界ってのが──」

「いいからやれ」

「……了解」

 

 感情の乗らない声で返事をするパイアール。

 

「あとプールも欲しいぞ」

「……遊泳施設だね、了解」

「あと映画館も」

「……室内シアターだね、了解」

「あとコンビニも」

「……城内売店ね、了解」

 

 というか魔王なんだし、コンビニなど利用せず誰かに買い出しをさせればいいだけなのでは。

 そう思えども、魔王がそうしろと言うならそうするのが魔人の役目で。

 

「あと本屋と、オモチャ屋と、ゲーセンと、ボーリング場と……あとラブホ」

「……ラブホテルはいらなくない? だってSM塔を作るんですよね? それに魔王様自身のお部屋だってある訳だし……」

「いる。雰囲気を変えたい時に使う」

「………………」

 

 日々の暮らしを豊かにするアイディアが魔王の口から次々と出てきた。

 こうして──アメージング城完成までの工期は延々と伸びていく事になる。

 

「まぁいいや。とにかく住むのには問題無い程度には出来上がっているって訳だな」

「はい。ですので魔王様さえ宜しければこれより本格的に引っ越し作業を始めたいと思います」

「いいだろう、パッパとやれな」

「分かりました。早急に取り掛かります」

 

 旧魔王城内で荷造りされた大量の荷物。それを運び込めば引っ越し作業は完了。

 この先もアメージング城建築計画自体は進行していく事になるのだが、当面の目標であった引っ越し計画に関しては一応の完遂となる。

 

「んじゃ一旦あっちの城に戻るんだな」

「はい。ただ荷移動は私達が行いますので、魔王様はこちらで待たれていても構いませんが」

「いやいい、俺様も戻るぞ。ちょっくら向こうで用事があるからな」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「そんな訳で、引っ越しをしたのだ」

 

 そんな訳で、一旦魔物界に戻ってきたランス。

 

「そのようですね。新しい魔王城の建設計画については以前より耳にしておりました」

「うむ。古い方の城はもう築千年のカビ臭い城、この俺様には相応しくないからな」

「それはそうかもしれませんね。元より新しい魔王様に代替わりが行われた際、新しい魔王城を建てるのは通例のようなものです。今は旧魔王城となったあの城も、元々は人間世界のリーザス国方面に建てられていた古き魔王城を放棄して魔王ガイ様が新しく建てられた城でしたから」

 

 そんなランスの前には。優雅な所作でソファに掛ける絶世の美女。

 

「アメージング城は翔竜山の中腹にあってな。とっても眺めがグッドなのだ」

「それも噂には聞いておりました。翔竜山をまるごと魔王城に改造してしまうそうですね」

「その通り。最終的には高度12000mの世界一大きくて偉大な城になる予定だ」

「成る程、偉大さを誇る為に昇竜山を……なんとも魔王様らしい判断だ」

 

 そこは大荒野カスケード・バウから南東に進んだ森の奥、魔人四天王ケッセルリンクの城。

 という事で今魔王の応対をしているのはこの城の城主、魔人四天王ケッセルリンク。魔王の手によって女性の身体に戻ったカラーの魔人である。

 

「これからはアメージング城が世界の中心だ。んでその近くに俺様専用のハーレムを置く」

「ほう」

「でだ。俺には前々から気になっていた事があるんだが……」

「なにかね?」

 

 男性だった頃の上品な佇まいはそのままに。

 今や絶世の美女となったその魔人は、言わずもがな魔王の食欲が大いに唆られる相手で。

 

「ケッセルリンク。どうしてお前はこっちにいるのだ」

「こっち、とは?」

「ここだここ、この城。俺様が魔王になって以後お前はずっとこっちにいるだろう。それでは俺様が食べたくなった時にお前を食べられないではないか」

 

 せっかく美女の姿に戻したのに、ケッセルリンクは魔王城で暮らしていない。

 これでは好きなタイミングでその身体を味わう事が出来ない。それが魔王には不満のようだ。

 

「さて、どうしてかと聞かれても……ここが私の城だからね。私が魔人四天王で、この城を与えられているから、としか言いようがない」

 

 平然と答えて、ケッセルリンクは紅茶のカップに口を付ける。

 

「いーや。きっとお前は俺様を避けているのだ」

「そんな事は無い。古くから魔人四天王の私は魔王城を住処とする習慣が無いだけだ」

 

 魔王城とは魔王の居所。城主たる魔王の他、魔王に仕える魔人筆頭などが多くの場合常駐する。

 そして魔人四天王は魔王の膝下を離れた各地に自らの城を構える。それが慣習のようなもの。

 

「ただ……」

「あん?」

「昔は今の世界のように、人間世界と魔物界という境目が無かったからね。この世界全てを支配するのが魔王という存在であり、広大なこの世界の全てを魔王が支配するからこそ、魔王城から離れた各地に城を置く魔人四天王という役割にも意味があった」

「へぇ」

「しかし今では魔物の世界は魔物界として区切られてしまった。この狭い魔物界の中に魔人四天王の城を4つも並べる必要性は薄い。そう考えると先々代魔王ガイの治世以後、魔人四天王という役割も形骸化してしまったのかもしれないね」

「……へー」

 

 今の魔物界の形と魔人四天王の役割。古くより魔人四天王であったケッセルリンクには色々思う所があるようだが、一方で第八代目の魔王様にはいまいちピンとこないようで。

 ランスが気のないリアクションで返したその時、メイド服を来た給仕の一人がティーポッドの置かれたトレーを運んできた。

 

「魔王様。ケッセルリンク様。紅茶のおかわりをどうぞ」

「おぉ。出たなケッセルメイド。君はたしか……ええと、なに子ちゃんだったっけ?」

「私の名前はシャロンと申します、魔王様。以後お見知りおきを」

「そうそう、シャロンちゃんだ」

 

 彼女の名はシャロン。

 8名に及ぶケッセルメイドの中で最古参。常に柔らかな微笑みを浮かべた女性。

 

「なぁケッセルリンク、ここのメイドちゃん達を口説くのはオッケーだったよな?」

「えぇ。以前の約束を覚えていてくれたのですね」

「もちろん。俺様は美女とした約束は忘れんのだ」

 

 それは以前、個人面談の際に約束した事。ここにいるケッセルメイド達を無理やり手篭めにするのはNGだが、正面から口説いて合意を得た上でならセックスしてもOK.

 ケッセルメイド達の中には処女を失うと命を失う呪いを掛けられている者などもいる為、ケッセルリンクが使徒を守らんとする為にはこの約束がどうしても必要だった。

 

「そんじゃあシャロンちゃん、今晩俺様の部屋に来ないか? とってもムフフでグッドな一夜にしてやるぞ?」

「まぁ。もしかして魔王様はこの私を口説いて下さるのですか?」

「イエス。君みたいな可愛い子がいたら口説かない方が失礼だというものだ」

「まぁ、嬉しいお言葉」

 

 早速とばかりに口説かれたシャロンは。

 緩やかな弓形を描くその口元をピクリともさせずに「けれど」と呟いて。

 

「せっかくですが、今晩は遠慮させて貰います」

「む、何故だ」

「だって、勿体無いではありませんか」

「勿体無い? 何が?」

「今この瞬間が、です。魔王様」

 

 相変わらずの笑顔のまま、シャロンはふふっと思わせぶりに笑う。

 

「魔王様のようなお方から口説いて頂けるなんて、これ以上に幸福な事はありません。それなら今暫くはこの身を勿体付けて、次に会った時もまた口説いて欲しいなと思ってしまうのです。私のような計算高い女は特に」

「ほう? 俺様に口説かれるのがそんなに嬉しいのか?」

「それは勿論、一介の使徒風情にはこの上無い幸せでございます」

「ほうほう、そうかそうか……ぐふふふ、中々可愛いことを言ってくれるじゃないか」

 

 口説いて貰えるのが嬉しい。だからもっと口説いて欲しい。

 そう言われるとランスも満更ではない。自分がプレイボーイである事を肯定してくれる言葉はその耳に心地良く入ってくるのである。

 

(さすがはシャロン……上手いな)

 

 セックスのお誘いをひらりと避けつつ、ランスを男性として立てておく事も忘れない。

 自らを計算高い女だとハッキリ宣言している上でこれなのだから、ケッセルリンクをして唸らせるシャロンの見事な処世術である。

 

「まぁいい、今後はシャロンちゃん達を口説く時間だってたっぷりとあるからな」

「あら、そうなのですか?」

「そうなのだ。その為にここまで来たようなもんだからな」

 

 ランスは改めて視線を正面、美女となったケッセルリンクの瞳を真っ直ぐ見つめて。

 

「とにかくそんな訳で、俺様はアメージング城に引っ越しをした」

「はい」

「だからお前もこっちに来い。今後はここじゃなくてアメージング城に住むように」

「ふむ……それは命令ですか?」

「あぁそうだ。これは魔王様命令だ」

 

 これは命令。魔王ランスはキッパリと答えた。

 ケッセルリンクも心の準備は出来ていたのか、間を置かずに首肯した。

 

「分かりました。魔王様の御命令とあらば是非もありません。では私も居を移すとしましょう」

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

 

「そんな訳で、引っ越しをしたのだ」

 

 所変わって、魔物界南東部。

 魔界都市ミダラナツリー近辺にある壮麗な城。……だった場所。

 今ではその影も消え失せて、崩壊した光景が数ヶ月前にあった激戦を物語る場所。

 

「………………」

「古い魔王城はもう築千年のカビ臭い城、この俺様には相応しくないからな」

「………………」

「アメージング城は翔竜山の中腹にあってな。とっても眺めがグッドなのだ」

「………………」

 

 その中で壁と天井がどうにか無事だった一室。

 ランスの前には。優雅だが、何処か退廃的な雰囲気でソファに掛ける絶世の美女。

 正面にいる魔王の事を見ようともせず、気だるげな目を他所に向いたまま。

 

「最終的には高度12000mの世界一大きくて偉大な城になる予定だ。凄いだろう」

「………………」

「これからはアメージング城が世界の中心だ。その近くには俺様専用のハーレムを置いて……」

「………………」 

「……おいカミーラ、聞いとるか?」

「……聞いている」

 

 感情の乗らない声で答えたのは。この城の城主、魔人四天王カミーラ。

 

「今後、俺様の居所はあっちになる」

「……そうか」

「うむ。魔物界みたいな胡散臭くて陰気臭い場所とはオサラバなのだ」

「………………」

「そんな訳でだ。カミーラ、お前もアメージング城に来い」

 

 ランスは早々に訪問目的を切り出した。 

 

「……私が?」

 

 すると片眉が僅かに跳ねて。

 他所を向いていたカミーラの瞳がようやく目の前のランスの方を向いた。

 

「そう、お前が」

「……私に翔竜山で暮らせ、と?」

「あぁそうだ。お前とセックスしたくなった時にお前が近くにいなかったら面倒だからな」

「………………」

 

 カミーラにとっては因縁深い地、ドラゴン達の生き残りが棲まう翔竜山。

 そこに引っ越すだけでも業腹なのに、その理由が我が身を欲しがるこの魔王の命令で。

 

「………………」

 

 当然の如く、不機嫌そうに。

 途轍もなく不機嫌そうに、カミーラの氷のように冷たい瞳がすっと鋭く細まった。

 

 ──が。

 

「そんな目をしてもだーめ。その程度の睨み、俺様にとってはちっとも怖くないぞ」

 

 魔王相手には一切通じず。

 あくまでカミーラは魔人四天王。それ以上でもそれ以下でもない。

 絶対の頂点である魔王との上下関係はどう足掻いても覆せるようなものではない。

 

「なんなら絶対命令権を使うか? 俺様はそれでも構わねーぞ」

 

 何故なら魔王にはこれがある。

 絶対命令権。魔に属する者を必ず従わせる権利を有している。

 

「………………」

 

 どうあっても抗えない、自らの意思を強制的に捻じ曲げられるあの力を。

 遠い昔に味わったあの屈辱を今再び味わいたいとは思わない。

 

「大体こんなとこに住んでたって仕方ねーだろ。殆ど廃墟同然だぞここ」

「………………」

 

 そして、ランスが言った通りその問題もある。

 派閥戦争の最終決戦時に魔人ケイブリスが散々暴れ回ったせいで、この城はもはや廃墟。

 

「………………ふぅ」

 

 立て直すにしても新築するにしても、その間は仮の住居が必要なのは事実。

 八方塞がりな現状にカミーラは思わず小さな息を吐いた。

 

「……分かった。従おう」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 こうして。

 魔人四天王ケッセルリンク。そして魔人四天王カミーラの転居も決定して。

 

 

「よーしよし、これで魔人四天王達もオッケーだ。シルキィちゃんは元から俺のもんだし……」

 

 魔人シルキィ・リトルレーズン。魔人ケッセルリンク。魔人カミーラ。

 計三人の魔人四天王達がアメージング城に集う事となった。

 

 となると……魔人四天王最後の一人は?

 

「あり? 魔人四天王って残る一人は……」

「それはリス様にゃ!!」

「リス様だわん!!」

「うおっ! 何処から出て来やがった!」

 

 突然にょきっと頭が二つ。

 草むらから野生のケイブニャンとケイブワンが飛び出してきた。

 

「魔人四天王が三人揃ったにゃ!!」

「となれば!! 残る一人を無視するわけにはいかないわん!!」

「お、おぉ……」

「さぁさぁ魔王様!!」

「いざいざリス様の魔血魂を!!」

「ぬ……」

 

 囃し立てて、輝くような瞳を向けるケイブワンとケイブニャン。

 

「……ふむ」

 

 この度、計三人の魔人四天王達がアメージング城に集う事となった。

 となれば。残る一人も復活させて、全員集合させてみようかという気にならないでも──

 

「ま、あれはいいや」

「ひどいにゃー!!」「ひどいわーん!!」

 

 ならなかった。

 依然としてケイブリスの復活は魔王の気分次第といった所だが……ともあれ。

 

 

 ハーレム要員たる魔人四天王二人への転居通告。

 そんな用事を済ませて、ランスは再びアメージング城へと戻ってきた。

 

「これでもう魔物界に目ぼしい女はいないはず。今後は向こうに行く機会もぐっと減るだろう」

「あ、ランス様。おかえりなさい」

「おぉシィル。お前も戻ってたか」

「はい。引っ越し作業を手伝って……今は大型家具類を魔物兵の皆さんが運んでくれています」

 

 旧魔王城からアリの行列のように続く一本道、魔物兵達による引っ越し作業は未だ進行中。

 ただそれでもランスが戻ってきた時にはすでに翔竜山の麓に掘っ立て小屋が建っていて、その中にはアメージング城の入り口と繋がる転移陣が設置されていた。この辺の手際の良さはさすが魔人筆頭といった所である。

 

「そろそろ腹が減ったな……よし。シィル、引っ越し蕎麦を食うぞ」

「あ、そうですね。お引越しをしたらお蕎麦を食べないとですよね」

「うむ。早速食堂に行く……って……そういや食堂って何処にあるんだ?」

「え、ええと……あっち、かな?」

 

 まだ引っ越してきたばかりでろくに道も分からないアメージング城内。

 ランスとシィルが右へ左へと迷いながら廊下を歩いていた、その途中で。

 

「あそうだ。こうして新しい城が出来たんだし盛大にお祝いをしたいぞ」

「築城記念パーティですか、いいですね!」

「うむ。せっかくだし各地から俺様の女達を招いてパーッとやるか」

 

 引っ越し蕎麦を食べて、引っ越し祝いをする。それが引っ越しの通例。

 特にこのアメージング城は魔王の城であり、歴史上類を見ない程に雄々しく偉大な城。

 その完成(極々一部)を祝って祝宴を開くのは当然と言えば当然の事。

 

「おーい、ホーネットー」

「はい、なんでしょう」

 

 その名を呼ばれて、どこからともなく現れた魔人筆頭。

 

「築城記念パーティを開く。準備しろ」

「築城記念パーティですか、分かりました。では早急に準備を……あ──」

 

 魔王様から命を受けた彼女は即座に頷いて、ふいに表情を曇らせた。

 

「ただ……」

「なんだ?」

「その……まだ大人数でパーティを開けるような大広間が完成していませんので……」

「……パイアールを急かしてとっとと作らせろ」

「……了解しました」

 

 こうして──現場監督の仕事は更に増えて。

 

 

 そして──後日。

 人間世界の各地に、アメージング城築城記念パーティの招待状が届けられた。

 

 

 

 

 



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女子達の集い

 

 

 

 

 

 新たなる魔王城、アメージング城が完成した。

 旧魔王城からの引っ越し作業も終わって、新しい城での新生活がスタートした──

 

 ──そんな、ある日の事。

 

 

 今だ建設途中のアメージング城において、現段階での生活ベースは翔竜山の中層にある。

 中層とはいえ標高3000m、険しい山道が続いて辿り着くのにも一苦労な城ではあるが、一方で高所からの絶景が望めるとても見晴らしが良い城ともなっている。

 加えて今はまだ魔王が移動してきたばかりという事もあって、旧魔王城のあった魔物界のように大気が淀んではおらず、上空に近いこの城には燦々とした陽の光が真っ直ぐ差し込んでくる。

 

「……ふぅ」

 

 そんな理由で、新築のアメージング城では屋外テラス席が人気スポットとなっていた。

 魔物界のそれとは異なる、山峰の澄み切った空気を味わいながら、魔物界にはない陽光を受けて輝く眼下の景色を、標高3000mからの眺めを楽しむ。

 リラクゼーションには最適、翔竜山の中層という立地を生かした快適空間がそこにある。

 

「やはり……良い眺めですね」

「そうですね。とにかく明るいです」

「魔物界は何処に行っても暗くて陰鬱とした世界ですからね。この景色一つ見ただけでも、早くこっちに引っ越して来たかったランスさんの気持ちが分かる気がします」

 

 そして今、そんな屋外テラス席には。

 大人数用の大テーブル席に魔人ホーネットが。魔人サテラが。魔人シルキィが。

 

「あ、このクッキーおいしい」

「本当ね。これってメイドさんが作ってくれたのかしら」

「いえ、それはケイコの手作りです。今日の事を話したら是非にとの事で」

「へぇ……あの子が」

 

 そして、魔人サイゼルが。魔人ハウゼルが。

 更には魔人ワーグの姿まで。

 

「いいなぁ。お菓子とか作ってくれる使徒がいて。うちのユキなんて絶対そんな事しないもん」

「そうね、火炎も……あの子は不器用だから……その点ケイコは何をさせても優秀ですよね」

「……そうでしょうか」

「そうですよ。戦闘も出来る上に頭も良いですし、その上こんな家庭的な一面まで……」

「さすがはケイコ、ホーネット様から筆頭使徒に任命されるだけはありますね」

「……そうですね。まぁ……隣の芝は青く見えると言いますからね」

 

 旧ホーネット派の面々、ホーネットを始めとする女性魔人達にサイゼルとワーグも追加して。

 テラス席からの眺めとお茶菓子の甘味を味わいながら優雅に会話を楽しむ、そんな集い。

 いわゆる──女子会である。

 

 

 本日ここ、アメージング城屋外テラス席では魔人達による女子会が開かれていた。

 

「あ、これも美味しい。けど、これって何?」

「それは『建設うまい棒』ですね。今回のアメージング城建設の一助にと、先日JAPANから届いた贈り物だそうです」

「へぇ……JAPANのお菓子なんだ」

「えぇ。なんでもそれを食べると建設の能力が上昇するとか」

「え、建設の能力ってなに? ていうかそれなら私じゃなくてパイアールとかに食べさせた方がいいんじゃないの?」

「それはそうなのですが……『せっかくの香ちゃんからの贈り物を男に与える必要は無い』とランスが言っていたので……」

「あぁ……そういう事」

 

 ここ最近になって、こうした集いは定期的に行われていた。

 特にランスが第八代魔王に就任して以後、女性魔人達の関係性はこれまでよりも親密になった。

 同じ場所で生活している事もそうだが、なにせ魔王ランスは歴代随一の性豪魔王。となればその配下たる女性魔人達はもう運命共同体と言える。

 一人一人別々でならいざ知らず、魔王の気分次第では3Pや4Pも当たり前。毎回事に異なる組み合わせでの裸の付き合いを体験していれば、自然とその距離も近くなるというもの。

 そんな事情が重なって、女性魔人達の間では自然と女子会という集いが始まっていた。

 

「……でも」

「姉さん?」

「聞いた話だと、今後はカミーラやケッセルリンクとも顔を合わせる事になるのよね……」

「そうね。あの二人もアメージング城に引っ越してくるらしいけど……」

 

 魔人四天王カミーラ。そして魔人四天王ケッセルリンク。

 残る女性魔人二人は魔王ランスより直々に転居を命じられており、現在引越し準備中。近々このアメージング城にやって来る予定らしい。

 

「なんか……あの二人に混じってランスに抱かれる日が来るのかって考えると……」

「………………」

 

 嫌そうに眉間を顰めたサイゼルの言葉に一同の沈黙が重なった。

 カミーラ。ケッセルリンク。両者共に古くから魔人四天王を務める魔物界の重鎮、威厳と恐怖に満ちたあの二人と一緒になって、魔王ランスの腕の中で喘ぐ日が来るかもしれない。

 いいや恐らくは来てしまう。この城で暮らす限り魔王の魔の手からは逃れられないのだから。

 

「…………うわぁ」

「……慣れるしかなさそうね」

「そ、そうだな。それこそ最初はホーネット様とだって抵抗がありましたから」

「……そうですか」

「私は今でも抵抗あるけど」

「……そうですか」

「ワーグ、そういう事は思っていても口に出すんじゃないの」

 

 同様の思いを抱きつつも、さらっとワーグを窘めたシルキィは。

 一旦紅茶で喉を潤してから、場の話題をエロではなくて先日の一件に切り替えた。

 

「それにしても……先日は実に賑やかでしたね」

「そうですね。記念パーティというだけの事はありましたね」

 

 それはつい先日、このアメージング城の建設を祝って行われた祝典。

 多くの客人を招き入れて行われたアメージング城築城記念パーティ。

 

「あれ程に魔王城が賑やかになったのは初めての事かもしれませんね」

「でもここは魔王城ですよ? そもそも魔王城の築城記念に人間達を招待するというのがおかしいような……」

「まぁでも、あれは全部ランスさんの交友関係だったらしいからね。さすがに元人間だけあって大勢の方々が集まりましたよね」

「それにどいつもこいつも各国の偉い人間ばっかだったらしいじゃない。ねぇハウゼル」

「えぇ、そうね。リーザス王国にゼス王国の王女、それにヘルマン共和国の大統領とかも……」

 

 リーザス、ゼス、ヘルマン。自由都市に遠くJAPANからも。

 多くの者を招待して開催された、アメージング城築城記念パーティ。

 まだ記憶にも新しい先日の出来事、女子会の話題はそちらへと進んでいく──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──その日。

 ほんの数日前に急ピッチで仕上げられたその大広間には、多くの人々が集まっていた。

 

 そして──

 

 

「俺様が!! 魔王ランス様だッ!!!」

 

 壇上にはこの男が。

 恐怖の象徴。大なる魔族の長。この世界を支配する新しき王……第八代魔王ランス。 

 

「そんでここが新築ピカピカの城、その名もアメージング城。俺様が住む新しい魔王城だ」

 

 魔城アメージング城。今日はその築城を祝う記念パーティの日。

 

「この城を建てた翔竜山っつー場所もだが、その隣にあるシャングリラも俺様のものになる」

 

 多くの招待客達の視線を集めながら、魔王は自らが決めた確定事項を宣言していく。

 

「シャングリラは世界の中心だからな。ここから魔物兵達を送り込んだら人間世界の制圧なんぞお茶の子さいさいだ。そうでなくとも俺様は魔王、俺様が本気を出したら敵う相手などこの世にいまい」

 

 一人壇上に立つランスは。元々は人間の英雄だったその男は魔王となった。

 今や人間世界の制圧だって苦もなく出来てしまえるような存在となった。

 

「つー訳で、ここに集まった諸君達の命運ももはや風前の灯火、この先死ぬも生きるも全ては俺の気分次第という訳だ。せいぜい俺様の機嫌を損ねないようにするのだな」

 

 その言葉に、パーティ会場の各所からごくりと息を呑む音が上がる。

 

「が、それはそれとして今日はパーティだから存分に楽しむがいい。がははははーっ!!」

 

 そんな、脅しているんだか歓迎しているんだかよく分からない挨拶を皮切りにして。

 魔王城に人間達を招いての祝宴、アメージング城築城記念パーティが始まった。

 

 

「だーーーりーーんーーー!!!」

 

 するとパーティ開始早々、早速とばかりに突っ込んできた青い髪の女性。

 

「リアか、久しぶりだな」

「ダーーリーン! 会いたかったぁ~~!!」

 

 それはリーザス王国からの招待客の一人、女王リア・パラパラ・リーザス。

 

「やあ~っとダーリンに会えた~~!! ここ暫くはぜーんぜん連絡取れないんだもん! ダーリンには一度リーザスに来て貰ってちゃんとザンスと会って欲しいってずっと思ってたのに」

「あぁ……リアの子供、いたなぁ」

「そう! ダーリンには是非ともザンスを抱っこしてあげて欲しくて、リーザスに来て欲しいなーダーリンまだかなまだかなーって待ってたら、ダーリンってばいつの間にか魔王になっちゃってるんだもん!」

「うむ、なっちゃったのだ」

「もーリアびっくり!! リアもダーリンだったらいずれ人間世界のトップに立つんだろうなーってのは想像してたけど、まさか魔物の世界も含めた本当のトップに立つなんて!!」

「ふふん、すげーだろ?」

「すごいすごい! さっすがダーリン!」

 

 ランスの腕に引っ付いてきゃーきゃーと姦しく騒ぎ立てるリア。

 リアは心の底からランスに心酔している。その心酔度具合故に、その愛情深さ故に暴走する事も多々あれども、そこはそれ。本人に悪気は無く、全てはランスの為という思考回路で生きている。

 なので暴走したりワガママさえ言わなければ、基本的にランスの前ではこのように素直で可愛い性格をしている、それがリーザスの女王。

 

「ねぇダーリン。さっき言ってたけど魔王になったからには人間世界を制圧する気なの? だったら手始めにリーザスあげよっか!」

「ぬ、リーザスを? いや別にリーザスはいらんが……つかそんな簡単に差し出していいんか」

「いいのいいの、だってリーザスはリアのものだもん。そのリアがダーリンのものなんだから、必然的にリーザスはダーリンのものでしょ?」

 

 そんな話をニコリと笑った顔で。

 ランスに心酔するあまり、危険な事を簡単に言い出してしまうのがリーザス女王でもあった。

 

「ねぇねぇ、リーザスいらないの? ダーリンなら最終的には全世界を征服しちゃいそうだしー、それなら魔王ランスに一番最初に制圧された国になりたいなー、なんてリア思ったりー」

「うーむ……ぶっちゃけリーザスはどうでもいいが、リーザスで暮らす美人ちゃんは欲しい。なぁリア、お前の方でリーザス中から美人を選出して定期的にアメージング城に送ってくれねーか」

「はいはーい! それならここにいるリーザス一の美女が立候補しまーす!」

「いやそういう事じゃなくてだな……」

 

 とか、そんな感じで。

 パーティの開幕当初からノリノリなリーザス女王が飛ばしていると、その時。

 

「ランス」

「おぉ、マジック」

 

 その勢いに対抗するかのように、ランスの下にやって来たのは眼鏡を掛けた女性。

 ゼス王国の王女、マジック・ザ・ガンジー。

 

「む。なーによデコちゃん、今リアがダーリンと話してるんだけどー」

「そんなの見れば分かるわよ。でも放っといたら長くなりそうだったし、私もランスと挨拶したかったからね」

「……ふーん」

 

 リア女王とマジック王女。この二人は犬猿の仲とも言える関係。

 ……というのはマジック側からの見立てであり、リア側にその意識は無い。リアから見たマジックは未だ指導者としての実力に欠ける王女、からかい相手の枠を出ていない存在なのだが。

 

「……ふふっ」

「な、なによデコちゃん、その笑みは」

 

 がしかし、今日のマジックには余裕があった。

 その顔にはリアと対峙した時によくある怒りの表情ではなく、強気な微笑が浮かんでいた。

 

「ねぇランス。ランスってここ一年以上もの間ずっと魔物界の方に居たのよね?」

「まぁな。一度向こうに行くとこっちまで戻ってくるのがメンドいのだ。アメージング城が完成した以上今後はそんな手間も無くなるだろうが」

「そうよね、ランスはホーネット派に協力して魔物界の奥地でずっと戦っていたんだもの。人間世界にはそう簡単に戻って来られないわよね」

「そうそう、俺様は忙しかったのだ。リアよ、魔物界で片時も休まず戦っていたこの俺様がだ、お前の子供に会う為だけにリーザスまで飛んで行けるわけがないだろう」

「むー……それは分かってるけどぉ……」

 

 ここ一年以上もの間、ランスはほぼほぼ魔物界の住人と化していた。

 だからこそ人間世界にいるリア達とは会う機会が無かった。そう前置きした上で。

 

「ま、それでも私は少し前にランスと会っているけどね」

「えっ?」

 

 マジックは言う。

 直に会うのが一年以上振りとなるリアとは違い、自分は去年末にランスと会う機会があった。

 という事は……つまり。

 

「つまり私のスシヌは! ちゃーんとお父さんに抱っこして貰っているからね!」

「なっ!」

「私のスシヌは! ちゃーんとお父さんに抱っこして貰っているからね!」

「ななぁっ!」

 

 勝ち名乗りのようなマジックの宣言にリアの驚愕が重なった。

 母として重要な点なのか、わざわざ同じセリフを二度も繰り返す程の念の入れ様である。

 

「そ、そんな……! ねぇダーリン! デコちゃんの言ってる事本当なの!?」

「ぬ。まぁ……うむ」

「えーなんでー!! ズルいズルーい!!」

 

 ランスとしても不本意ながらというか、積極的にしたかったという訳では無いのだが、それでもそうせざるを得なかった──それは派閥戦争の最終決戦を勝利で終えて、その帰り道の出来事。

 事前にマジックから念押しされていた事もあってか、帰路ゼス王宮に立ち寄ったランスは半ば強引に父娘の対面をさせられていた。そしてスシヌ・ザ・ガンジーをその腕に抱っこしていた。

 そうして抱っこしたスシヌは……そこは赤子、可愛いと言えば可愛い存在だった。特にそれは女の子で……されどもそれは自分の子。成長したからといって食べるわけにはいかない訳で。

 となると可愛く育ったとしてもやりきれないし、可愛く育たないのもそれはそれで嫌だ。ランスとしては色々な思いが絡み合う複雑な心境であった。

 

「まぁでも実際問題ランスはスシヌのお父さんなんだし、抱っこするぐらいは当然の事よね」

「くぅっ……!」

 

 その当然がまだ無い。我が子ザンスに経験させてあげられていないリアは唇を噛む。

 普段は政治と駆け引きの才覚の差もあってリア相手には押されがちになる事の多いマジックなのだが、しかし今日は違った。

 リアが手にしていない強みを、言わばマウントを取れる要素を用意していたのである。

 

「あ、そうそう。この前は色々ばたばたしていて言いそびれちゃったから改めて言うわね。ランス、魔人ケイブリス討伐本当にお疲れ様」

「ん、あぁ、お前らもな。いなくても全然なんとかなったが一応そこそこ役に立ったぞ」

「まさか当初の予定だったカスケード・バウじゃなくてミダラナツリーのカミーラ城で決戦をする羽目になるなんてね。そのせいで計画が大きく狂っちゃって大変だったわよね」

「そうだったな。いやでもあれはあれで戦いが楽になったから結果オーライだ。それにカスケード・バウでの決戦を避けたおかげでケイブリス派魔物兵共の生き残りが多くなって、そのおかげでこのアメージング城建設に回せる労働力が増えたってホーネットが言ってたし」

「そうみたいね。こっちもウルザから定期的に報告は受けているけど……アメージング城のある翔竜山はゼスとも近いからね、なにか必要な物資があったら用意するから遠慮なく言って」

「……む、むむむ~~……!」

 

 恨めしそうに、あるいは羨ましそうにランスとマジックの会話を眺めるリアの視線。

 派閥戦争の顛末、そして現在進行中のアメージング城建設。いずれもリーザスに住むリアにはちょっと手を出しにくい領域の話である。

 

「……へぇ、なるほど」

「なに?」

「わざわざリアの前でそういう話をするだんて。当て付けってわけ? あーほんとゼスの王女はやることが幼稚で困っちゃうわよねー」

「別に当て付けなんかじゃないわよ。こんなのはただの世間話じゃない」

 

 リアに何を言われようとも心に余裕のあるマジックは揺るがない。

 それは今ここに集まった者達の中で、多くの役割を果たしたという自負があるからこそ。

 

「なんせ何処かのリーザスとは違って。ゼスは色々やったからね」

「な、なんですって?」

 

 故にその顔は。何処かのリーザス女王よりも自信満々な顔。

 

「ええそうよ!! 今回殆ど何にもしなかった何処ぞのリーザス王国とは違って! ゼスはランスに沢山の協力をしてきたんだから!!」

 

 ランスに沢山の協力──それはゼス四天王兼警察長官のウルザを派遣した事に始まって。

 封印していた魔人四天王カミーラの解放やそれに伴う人質救出作戦への協力、更には最終決戦におけるゼス軍派遣などなど。

 今回ランスが派閥戦争に介入して以降、確かにゼス王国は多くの協力をしてきた。

 

「リーザスとは違うのよ! リーザスとは!!」

「くっ! デコちゃんの癖に生意気言ってくれるじゃないの……!」

「あら、生意気なんて言ったつもりは無いけど、私はただ単に事実を述べただけ。良かったわねぇリーザスは何事も無く平和で。それに引き換えゼスなんかもう……ランスに協力してケイブリス派の総大将をやっつけるのにほんと大忙しだったんだから」

「ぐ、ぐぬぬぅ……!」

 

 人類史に残るであろう此度の戦い、歴史の転換点であろう此度の派閥戦争。

 魔物同士の戦いに人間のランスが参加した、そんなランスに協力したのはゼス王国のみ。大国リーザスとてヘルマン共和国の壁に阻まれて指を咥えて傍観する事しか出来なかった。その事実がマジックの気を大きくさせていた。

 

「く、悔しいぃぃ~!! リーザスだって、リーザスだって魔物界と離れていなかったら……ていうかヘルマンさえ無ければリアがリーザス全軍を挙げてダーリンに協力してたのにぃ~~!!」

 

 せっかくの大国の軍事力とて、一番肝心な時に活かせなかったら何も意味が無い。

 そしてそれ以上に痛恨の極み、愛する人の一世一代の決戦の場面に立ち会う事が出来なかった。

 未だその悔しさを消化しきれないリアは真横にその目線を向けて。

 

「ねー! ヘルマンさえ無ければねー!」

「……うぅ」

 

 大きな声で当て付けのように言い放った、その目線の先にいたのは。

 

「おいシーラ、言われとるぞ」

「えっと……はい。あ、それよりもランス様、本当にお久しぶりです」

 

 お辞儀をして、淡い金髪を靡かせるその女性がヘルマン共和国の現大統領、シーラ・ヘルマン。

 

「ほんと困るわよねー。ヘルマンさえ無ければリーザスが魔物界に乗り込んで沢山協力して、ダーリンだってもっと楽に戦えてたはずなのにねー」

「そ、そうですね……ごめんなさい」

「ていうかリア聞きたいんだけどー、今回のダーリンの戦いの中でヘルマンって何かしてたの?」

「ええと……定期的に食料品などを提供していましたが……協力と言えるのはそれぐらいで……」

「ほんと困っちゃうわよねー! 魔物界に近いのにロクな協力をしない国があるだなんてー!! もーほんとヘルマンなんて国はこの世界に無ければ良かったのにねー!!」

「うぅ……すみません……」

 

 実に当て付けがましいリアに押されてくすんと眉を下げるシーラ。

 ちなみにこの二人の国、リーザス王国とヘルマン共和国は第七次HL戦争の真っ只中。

 ……だったのだが、ランスが居所をアメージング城に移した事もあって、そしてその意図をリアが汲んだ事もあって、今現在第七次HL戦争は一時休戦中となっている。

 

「けど……そうですね、その節は本当に申し訳ありませんでした、ランス様。もっと多くの協力が出来れば良かったのですが……ヘルマンはまだ革命による体制移行の最中、さすがに軍を派遣出来るような状況じゃなくて……」

「いや別にいい、気にしてない。つーかそもそも俺様にとってお前らの協力など必要ないのだ。実際こうしてなんとかなってる訳だしな」

「でもでもー、それでもリーザス軍の協力があればもっと楽に戦えてたでしょ?」

「どーだかなぁ。雑魚兵は何人いても役に立たねーし、となりゃ使えるのはいつものリックとかジジイとか将軍達だけだろ? まーそれなりに使えん事も無いだろうが……それでもシルキィちゃんとかホーネットの方がどう考えても強いからなぁ」

「えぇー、そんなぁー!」

 

 魔物界の事情を知らないリアは意気消沈だが、知っているランスは実に冷静な思考。

 大前提として魔物兵一体は平均的な人間の兵士二人分の戦力を有している。そしてケイブリス派よりも劣勢だったホーネット派とて当時100万を超す魔物兵の軍があり、それは総計50万足らずのリーザス軍を遥かに凌駕している。

 更にはそれを指揮する魔人。魔人と人間の戦力差は言うに及ばず。つまりあの戦いでのランスの手駒はそういう戦力な訳で、その中で人間の軍隊がどれだけ活躍出来るかは未知数であった。

 

「そう言えばランス様、先日は兄様がランス様の下をお訪ねになって……」

「あぁ、パットンな、来た来た」

「それで……兄様から聞いたのですが、なんでも色々とご迷惑を掛けてしまったそうで……」

「うむ、あいつはホントに迷惑だった。おいシーラ、お前のバカ兄貴には次に俺様の城に来る際はちゃんと女を用意して来いとよーく言っておけ。というか次はパットンなんぞをパシリに使わずお前が直に俺様の下に来い」

「に、兄様をパシリに使った訳では無いのですが……私も色々と忙しくて……」

 

 とか、そんな何処ぞの兄様の話をしていると。

 

「兄様!」

 

 と呼ぶ可鈴な声が。

 

「おぉ、香ちゃん。相変わらず背伸びてないな」

「うっ! 兄様、いきなりひどいです!」

 

 駆け寄ってきたのはJAPANは尾張の城主、織田家の香姫。

 相変わらず背丈は低いが、大陸の姫達に負けず劣らずの可憐な容姿の姫である。

 

「あそうだ。さっきの俺様に対する協力っつー話だったら、香ちゃんがナンバー1かもしれんぞ」

「えっ!?」

「うそ、JAPANが!? ゼスよりも!?」

「うむ。まぁJAPANがっつーよりかは香ちゃん個人がだが」

 

 先の派閥戦争における貢献。その第一位は魔物界から一番離れているJAPANの姫。

 まさかのダークホースの出現にリアとマジックは共に目を丸くする。

 

「兄様への協力、ですか?」

「そうそう。香ちゃんはあの特製手作り団子を山のように作ってこっちに届けてくれてただろ。それも戦争中定期的にずっと」

「あぁ、その事ですか」

 

 香姫が協力してくれた事。それはあの戦いの初期頃から始まり、今も尚ガルティアの強い熱望によって配達を継続している香姫特製団子。

 ガルティアに言う事を聞かせる大事な手綱となっていたのは勿論の事、ランスがホーネット派に参加してから早々に相手の重要な戦力を引き抜く功を挙げた事で、その後ランスがホーネット派内での立場を築く重要な足掛かりともなった、まさに香姫にしか出来ない遠隔地からのナイスアシストであった。

 

「あんなにもお団子を要求されるなんて思ってもみませんでした。私の手作りお団子、ランス兄様が沢山食べて下さったんですよね!」

「ん……まぁな。俺様というかホーネット派のみんなで……うむ、残さずに全部食べたぞ」

「そうですか……嬉しいです。あ、実は今日も持参してきたんです、お一ついかがですか?」

「なんと! あんな物騒なものをここに持って来たとは……! しまった、危険物の持ち込みが無いか招待客はボディチェックするべきだったか……!」

「兄様?」

 

 さすがの魔王も毒を食べる勇気は無い。こうなったら毒物処理班のあいつを呼ぶしかないか。

 そんな事を考えた──その時。

 

「……はッ!」

 

 ランスはある事に気付いた。

 

「そうだった! 考えてみりゃあこっちだとまだ香ちゃんを食べてない!」

「た、食べ……?」

「これはイカンぞ! このままじゃ香ちゃんが大人なレディーになれないではないか!!」

 

 こっち──過去に戻ってきたこの世界だと、まだ香姫とのセックスを達成していない。

 このままでは香姫が大人になれない。これは由々しき事態である。

 

「あの、兄様、大人なレディーってなんの話……」

「セックスだセックス! 香ちゃんとはまだセックスしてなかっただろう!!」

「ひゃわっ! せ、せせせセックスって……あ、あう、あうあう……!」

「香ちゃんの処女は必ず俺様が貰い受ける。それが今は亡き信長との約束だったのだ!」

「兄様同士でそんな約束しないで下さいー!」

 

 そんな約束してないよー、と何処かから穏やかな男の声が聞こえてきそうだが。

 その真偽はどうあれ、香にとってはランス以外に心と身体を許せる相手がいないのも事実で。

 

「いくぞ香ちゃん!」

「わわ、い、いくって何処に……!」

 

 ランスはひょいっと香を担ぎ上げる。

 

「あ、魔王様、パーティがまだ……この後ディナーが出てくる予定で──」

「俺抜きで進めてろ! 今は香ちゃんを大人にする方が先決だ!! とーーーーっ!!」

「ひゃ、ひゃーー!?」

 

 そして、香はランスに連れ去られていった。

 

 

────────

──────

────

 

 

 

「──といった感じで」

 

 そんな事があった──アメージング城築城記念パーティでの一幕。

 

「とにかく……賑やかでしたね」

 

 数日前の事を思い出しながら、ホーネットは紅茶を一口含んだ。

 

(続く)

 

 

 

 

 

 



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女子達の集い②

 

 

 

 

「──といった感じで」

「とにかく……賑やかでしたね」

 

 アメージング城の屋外テラス席、魔人達による女子会の話題は未だ尽きない。

 数日前の事を語りながら、ホーネットは紅茶を一口含んで喉を潤す。

 

「えぇ、あの日は本当に賑やかでした」

「というか騒がしかったです」

「まぁ、そうですね。ガイ様が魔王だった頃とは雰囲気がまるで違いましたね」

 

 アメージング城築城記念パーティ。その日は大勢の招待客で実に賑わっていた。

 魔王城があれ程に騒がしくなった事は無い、そう思う程の盛り上がりであった。

 

「とにかく人間が多かったわね」

「えぇ。改めて思いましたがランスは人間世界での顔が広いというか、交友関係が豊かでしたね」

「本当に。あの日は人間世界各国の権力者達なんかが勢揃いだったからね」

 

 リーザス、ゼス、ヘルマンという三大国に続いて自由都市、遠くJAPANまで。

 その日のパーティは多くの国々の指導者達が集うとても豪華なものであった。その内の殆どがランスの個人的な縁だというから驚きである。

 

「ランスさん自身は王族の出身とかじゃなくて普通の冒険者だったって聞いたけど……普通の冒険者が20数年足らずでどんな人生を歩めばあのような繋がりが出来るのか……」

「えぇ……本当に不思議というか、計り知れない人ですよね、ランスは」

「ふーん……人間世界の事っていまいちよく分かんないんだけど、あれってやっぱ凄い事なの?」

「そりゃそうでしょ。普通に生きていたら姫様や王様と知り合いになる事なんてないわ」

「でも今のランスは魔王じゃん。魔王が招待状を出せばどんな人間だって従うに決まってる、それならあの会場に人間の王や姫達がいたのだって普通の事なんじゃないの?」

「それはそうだけど……でも、必ずしも魔王だからって事では無いように見えたわ。特に各国の姫達はランスさんと親しげにしていたし……」

 

 あの会場にいた人間世界各国の姫達は魔王になったランスとも和やかに打ち解けあっていた。

 特に一国の姫というだけあって招待客の中でも目を引く美貌の持ち主達で……そんな美しい女性達にランスが手を伸ばさないはずが無く……つまりはそういう関係なのだろう。

 ここに居る魔人達の内、シルキィなど観察眼に優れた一部の魔人はその事を察していた。要は自分達と似たりよったりという事である。

 

「元は人間だったランスさんが新しい魔王様になった訳ですからね。その事で何か騒ぎになったりするかもと危惧していましたが……そういった事にはなりませんでしたね」

「そうね。魔王化については人間世界でもすでに知られている事だってのもあるんでしょうけど、意外な程にすんなりと受け入れられていたわよね」

「……あれもランスの人徳の為せる技でしょうか」

「人徳? ……ランスの?」

「……えぇ、まぁ。人徳というか、あくまで一個人が有している気質という意味合いで……」

 

 と、そんな話を交えながら。

 魔人達による女子会は穏やかな空気の下で進んでいたのだが──

 

 

「そう言えば……あれはなんだったのでしょう」

 

 ふいに、そんな声が上がった。

 

 

「ハウゼル、あれって?」

「あの日のパーティの翌日の事です。早朝からちょっとした騒ぎがあって……」

 

 それはアメージング城築城記念パーティの日から一夜明けて、その翌日。

 翌日は朝からとあるイベントが起きていた。

 

「あぁ、そういえばなんか騒がしかったっけ」

「えぇ。あれはたしか……リーザス王国の女王が──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──築城記念パーティ、翌日。

 

 騒ぎが起きたのは魔王の部屋や客人用の貴賓室などがあるアメージング城の本棟。

 それはまだ日が昇ってすぐの早朝の事だった。

 

「きゃーーーーーー!!!!」

 

 突如、甲高い響きが上がった。

 次いで階段と廊下をだだだだっと駆ける足音、そのすぐバターンとドアが開かれた。

 

「だーーりーーーーーん!!」

 

 早朝からはた迷惑な騒ぎ声の主はこの女王、リア・パラパラ・リーザス。

 

「だーーーーーりーーーーーーんっ!!」

「なんだリアか。一体なんだ朝っぱらから」

「だーりんだーりんだーーりーーんっっ!!」

「だからなんだっつの」

 

 昨夜の築城記念パーティから一夜明けて、そのテンションの高さは相変わらずも……いや。

 どうもリアは昨日よりも更にハイテンションになっているようで。

 

「ねぇ聞いて聞いて!! 聞いてダーリン!!」

「だから聞いてるっつー……なんなんだ一体」

 

 そのテンションの高さには理由があった。

 あのパーティから一夜開けて、リア女王の身にはとある変化が訪れていた。

 

「見える!」

「見える?」

「そう! 見えるの!!」

 

 見える。──それが変化。

 目の前のランスに向かって、突き出すように持ち上げられたリアの左手が。

 

 その──ピンと立てられた小指が。

 

「小指に!! 糸が!!」

「糸?」

「そうなの! 赤い糸がリアにも見えるの!!」

 

 大きく見開かれた輝く瞳に映るもの──小指の先に結ばれた赤い糸。

 今まで見えなかったそれが見えるようになったという事は……つまり。

 

「運命のお告げが来たの!!」

 

 つまりはそういう事──昨晩、リア女王は夜中に不思議な夢を見た。

 その夢の中に現れた黄色いトリから、彼女は運命のお告げを授かっていたのだ。

 

「ようやくリアにも運命が来た! 運命のお告げが来たんだわーーー!」

「あぁ、運命って電卓キューブの事か。ってそっか、こっちじゃまだリアとは行ってなかったか」

「やっぱりダーリンが運命の人だったんだわーー!! きゃーーー!!」

 

 自分の運命のお相手が判明した。それがこの世界で一番愛している人だった。

 それ以上の歓喜があろうか。真摯な愛を抱く自分に運命が微笑んでくれたのだ。

 

「ねぇほらダーリン!! 運命!! 運命!!」

「あぁそうだな、運命な」

「さぁダーリンっ!! さっそく行きましょ!! 早く行きましょ!! 今すぐ行きましょ!!」

「お、おぉ……」

 

 朝っぱらから歓喜でハイテンションなリア女王に急かされるまま。

 二人の姿は何処かへと消えていった──

 

 

「──待ったっ!」

 

 

 とそこに、待ったを掛ける声が。

 

「ランス、ちょっといい?」

「おぉ、マジック。お前までどうした」

 

 現れたのはこの王女、マジック・ザ・ガンジー。

 

「っ、……──」

 

 その姿を視界に捉えた瞬間、それまではしゃいでいたリーザス女王の目が鋭く細められた。

 

「……ちょっと、デコちゃん」

「なに?」

「なにじゃない。今はとっても重要な時なんだから邪魔したらさすがに怒るわよ」

 

 普段のものとは違う、冷たい威圧を伴うリアの低い声が突き付けられる。

 その声に、その圧に飲まれてしまう事も多いマジックだが──

 

「………………」

 

 ──がしかし。

 今日のマジックは一切動じなかった。

 

「私も」

「は?」

「私も、だから」

「……え、なにが?」

 

 するとマジックは。……否、マジックも。

 先程のリアと全く同じように、小指を立てた左手を目の前に突き出した。

 

「見えるのよ!! 私も!!」

「見える、って……ま、まさか──!」

「そう!! 運命の赤い糸が!! 私にもちゃーんと見えてるんだから!!」

 

 リアに負けじと声を張るマジック。その目は今まで見えなかったものが見えているようで。

 

 つまり──マジックも運命のお告げを授かった。

 それもなんとリアと全く同じ日の夜中に。全く同じタイミングで。

 これこそ運命の悪戯というのだろうか。二人の姫は同じ日に同じお告げを授かっていたのだ。

 

「ほら見てランスっ!! ここの小指に赤い糸がちゃんと結ばれてるでしょう!?」

「いやそれは俺様には見えん。……けどそっか、マジックもか。なんか前と今がごっちゃになっちまってどいつと電卓キューブ迷宮に行ったのかよく分かんなくなってきたな……」

 

 思わぬ運命の登場、もとい再登場にさすがの魔王ランスも困惑顔。

 昨日の香姫との初体験然り、一度過去に戻った事が原因でもう一度やり直さなきゃいけないイベントというものが存在している。

 その一つがこの運命の女イベント。こいつらほっとくとうるさそうだし面倒だけどやるしかねーかー……とか悠長に考えていたランスの一方で。

 

「はーーー!? はぁぁーーーー!!??」

 

 こちらのリア女王は。

 突然別の運命に割り込まれたその叫びは怒りと苛つきに満ち溢れていた。

 

「嘘、うそうそ!! 同じ日にこんな事になるなんて、そんなの信じられないんだけど!!」

「あんたが信じる信じないなんて知ったこっちゃないわよ!! 実際に私の小指にはハッキリと赤い糸が結ばれているんだから!! そんでランスの方に向かって伸びてるんだから!!」

「なにそれ納得いかないー!! そんなのあり得ないーーー!!!!」

「あり得なくなんてないわよっ!!」

 

 運命とは。自らの運命は自らだけのもの、そう思うのは当然の事。

 しかし困った事にランスには沢山の運命が紐付いている。となればこういう事も起きる。

 

「ていうかなんなの!? せっかくダーリンとの運命が結ばれた記念すべき日にまでリアの邪魔をしてくるだなんて!! さすがにやる事が陰険過ぎるわよデコちゃん!!」

「はぁーー!? それこそこっちのセリフなんですけどぉ!? 私だって運命の相手がランスだと分かって喜び勇んでここに来たら……あんたの方が私に合わせて来たんでしょう!?」

「違いますーー!!! そっちが私に合わせてきたんですーー!!」

「違うわよ!!」

「違いませんーー!!」

 

 顔を突き合わせて低レベルな口喧嘩を繰り広げるリアとマジック。

 ランスとの運命が繋がった日、いやでも心躍る日にまさかの邪魔者出現。しかもそれがこの相手とあってはリアもマジックもお互い大いに水を差された気分である。

 

「どっちが相手に合わせて来たのか、こうなったらダーリンに決めて貰いましょう!!」

「いい考えね! ランス! そこのリーザス女王と私、運命が先に繋がったのはどっちなの!?」

「知らん。別にどっちでもいい……」

 

 不毛な争いに首を突っ込みたくないのか、我関せずな態度の魔王。

 

 

 その後──リアとマジックの言い争いは暫く続いて。

 この際運命の導きが被ったのは仕方無しとして、ではどちらの運命から優先するのか。

 つまりどちらと先に電卓キューブ迷宮に向かうのか。その事でも二人は揉めに揉めて。

 

「いくわよ。最初はグー!!」

「じゃんけん、ぽん!!」

 

 最初はじゃんけんに始まって。その後すぐ取っ組み合いの素手ゴロに移行して。

 最終的にはリーザスとゼスの各将軍を三名選出しての代理対決まで行われて。

 築城記念パーティの翌日、その日は主にリアとマジックのせいで朝から騒がしかった──

 

 

 

────────

──────

────

 

 

 

「──とかなんとか、そんな事が……」

「あぁ、あったあった」

 

 それが、パーティの日の翌日にあった出来事。

 まだ早朝から周囲の迷惑も顧みず、リーザス女王とゼス王女はやかましく騒ぎ立てていた。

 そんな光景をここにいる魔人達は遠巻きから眺めていたようだ。

 

「運命の相手、だとか、赤い糸、だとか……あれは結局なんだったのかしらね」

「さぁね。夢の中でお告げを受けちゃったのー、とか言ってたけど……」

 

 首を傾げる魔人ハウゼル。それに姉のサイゼルも同調する。

 

「……まぁ、その言葉の通り……運命のお告げ? を授かる夢を見たって事なんだろうけど……」

「でも所詮は夢だろう。それでランスの取り合いなんか始めて……なんか夢と現実をごっちゃにし過ぎじゃないか? あのリーザス女王とゼス王女」

 

 夢の世界に黄色いトリが現れて、運命のお告げを授けてくれただの、なんだのと。

 

 それは魔人サイゼルにも。魔人ハウゼルにも。

 夢を操る魔人ワーグにも。魔人サテラにも。

 

 事情を知らない者達にとっては、なんの事だかサッパリ分からない話──なのだが。

 

 

「あぁ、あれなら……」

 

 

 だがそれは、分かる者になら分かる話で。

 

「あれは恐らくですが……あの二人はランスの運命の女に選ばれたのだと思います」

 

 そう答えたのは魔人ホーネットで。

 するとその直後、

 

 

「……ランスの?」

 

 そう呟いたのは魔人サテラ。

 

 

「……運命の女?」

 

 続けて呟いたのは魔人ワーグ。

 

 その瞬間、ピリッと空気が変わった。

 ここまで平和だった屋外テラス席、そこに僅かな緊張の色味が増した。

 

「……ランスの」

「……運命の女」

「えぇ、そうです」

 

 ──ランスの運命の女。

 それはサテラとワーグにとって、どうにも気になってしまう初耳なワードだった。

 

「ですからあの二人、リア女王とマジック王女はあの後……どちらが先かは存じませんが、ランスと共に電卓キューブ迷宮に向かったのでしょう」

「電卓キューブ迷宮? なにそれ?」

「そういう迷宮の名称です。……いえ、あれを迷宮と呼んで良いのかは甚だ疑問ですが……とにかくそういう場所があって、運命の相手と一緒に迷宮に向かえと、そのようなお告げを夢の中で授かるのです」

「……運命の、相手と……」

「えぇ、運命の相手と。夢の中で黄色いトリからお告げを受けると、自らの左手の小指から伸びる赤い糸が見えるようになります。それを辿る事で自分の運命の相手が分かるのです」

「は、はぁ……」

 

 ホーネットの説明を聞いても話を飲み込みきれないのか呆然と呟くサテラ。

 どうやら運命の相手なるものがあるらしい──運命の相手。実に心擽られるワードである。

 自分の運命の相手は誰か。……それはランスだ、ランスだろう。自分が誰かと赤い糸で結ばれているとしたらランス以外にはあり得ないはず。

 

「……む」

 

 となればあの日の騒ぎの真相は。

 その証明を貰ったのがリア女王であり、マジック王女だという事なのか。

 だからあの二人はあんなにも喜び、それを邪魔されてあんなにも怒っていたという事なのか。

 

「……む、むむ、む……」

 

 そう考えるとなんだか心が疼く。無性にざわざわしてしまう。

 ……しかし、より気になるのはそちらよりも。

 

「……というか、ホーネット様。……なんか、なんか妙にお詳しいですね」

「えぇ。私も以前、同じ夢を見ましたから」

 

 ホーネットは実にあっさり答えた。

 

「えっ!? そ、そうなのですか!?」

「えぇ、そうです。私もあの夢を見た時はさすがに戸惑いましたが……」

「え、で、その、運命のお相手は!?」

「相手、は──」

 

 一瞬だけ躊躇う素振りこそ見せたものの。

 それでも魔人筆頭は隠さずに答えた。 

 

「……ランスでした」

 

「なっ!?」

「ぬぅ!?」

 

 ガタンッ、とテーブルが揺れた。

 サテラとワーグ、二人は驚愕と共に思わず席から立ち上がった。

 

「ほ、ホーネット様が!? ホーネット様もランスの運命の女!?」

「なにそれちょっとどういう事!?」

「どういう事かと聞かれても……そうだったからそうなった、としか……」

「それじゃ説明になってないわよっ!」

「いえ、しかし……あれの詳細は私にもよく分からないものですから……」

 

 二人の思わぬ剣幕に気圧されてたじたじな様子のホーネット。

 運命システムには謎が多く、運命のお告げを受けた当人にすら理解の及ばない代物。ホーネットとしてはランスが運命の相手だったから夢のお告げが来た、それが自分の運命だったとしか言いようがない。

 ……だが、サテラとワーグにとってはそれならそうかと済む話ではないようで。

 

「大体、運命の相手なのに二人も三人もいるだなんておかしくない!?」

「それは私も引っ掛かりましたが、どうやら運命の相手というのは一人とは限らないようです」

「そ、そうなのですか?」

「えぇ。それが証拠にランスはあの迷宮にもう10度近く訪れていると言っていましたから。私然り、リア女王然り、マジック王女然り。それに──」

 

 とそこでついーっと、ホーネットの視線がすぐ隣の方に向いて。

 

「シルキィも、ですよね?」

「え」

 

 最初の「え」はそのシルキィ。

 

「えっ!?」

「ええぇ!??」

 

 続けてサテラとワーグの更なる驚愕が重なった。

 

「し、シルキィが!?」

「ですよね?」

「え、ええっと……」

 

 まさかのパス。この状況での殺人的なキラーパスの鋭さに硬直する魔人四天王。

 その顔には「お願いだからここで自分の名前を出さないで欲しい」とありありと書かれていた。

 

「え、いやでも、ていうかホーネット様、どうして私のそんな事をご存知で……」

「ランスがそう言っていたのです」

「あー……そっか、ランスさんが……普通に話しちゃったんですね……」

「じゃ、じゃあ本当にシルキィも……!」

「う……」

 

 魔人シルキィは、ランスの運命の女、なのか。

 

「………………まぁ、その、うん」

 

 若干の沈黙の後、その魔人はちょっぴり色付いた顔で頷いた。

 

「し、シルキィ!! なんでそんな大事な事を今まで隠していたの!?」

「い、いや別にそんな隠していたわけじゃ……あえて言うような事じゃ無かっただけで……」

「言うような事でしょう!!」

「そうだそうだ!! 卑怯だぞシルキィ!!」

「ひ、卑怯だなんて、そんなっ……!」

「……なんか、おかしな空気になってきてない?」

「そ、そうね……」

 

 狼狽えるシルキィ、サテラとワーグの口からは次々と糾弾の声が飛ぶ。

 我関せずな姉妹達を除いて、それは二人にとって大いにショッキングな話。

 

「じゃあなに!? この中でホーネットとシルキィだけがランスの運命の女ってわけ!?」

「……まぁ」

「そう……なるの、かな?」

 

 一度目を見合わせた後、ホーネットとシルキィは戸惑いがちに小さく頷く。

 

「な……そ、そんな……っ!」

「ランスの運命の女……二人だけが……!!」

 

 あまりの衝撃に目眩がする。

 サテラとワーグにとって、それ程にこの事実は受け入れがたい話だった。

 

 だってここに集う皆は全員がランスによる魔人ハーレム、全員が運命共同体だと思っていた。

 がしかしそれは違った。この六人の中にはピシーっと一本、真っ直ぐな線が引かれていた。

 ホーネットとシルキィ、そしてそれ以外の魔人達を分ける明確な一本線が。

 

 その線の名は──運命の女。

 

 

「で、でもね? 私がランスさんの運命の女っていうのは……なにかの間違いだと思うし……」

「ぐぬぬ……!」

 

 目を泳がせながらも言い訳を重ねるシルキィ。

 だがその顔も、今では真っ先に一抜けした者の余裕綽々な表情に見えてしまう。

 

「それに運命の女と言えど、ランスからしたら大きな違いがある訳では無いようですから……」

「くぅ……!」

 

 珍しく動揺した表情のホーネット。

 だがその顔も、今では二番目に運命を掴み取った者の意気揚々とした表情に見えてしまう。

 

「ぐぬぬぬぬ……!」

「くぅ~~……!」

 

 魔王ランスの、運命の女。

 誰も知り得ぬ事にはなるが、それは計20つの枠しかない特別な位置付け。

 その枠の中に魔人ホーネットが、そして魔人シルキィが入っているようで。

 

 ……それなら。

 

(それなら……サテラだって……!!)

(それなら……私だって……!!)

 

 それならば、自分だって。

 と、この二人がそう考えるのも当然の事。

 

(サテラだって……ランスの運命の女になってやるぞ……!)

(私だって……ランスの運命の女になってやるんだから……!)

 

 こうして──

 魔人サテラと魔人ワーグによる、自らの運命を掴み取る戦いが始まった。

 

 

 

 

 



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運命の戦い

 

 

 

 

「……運命」

 

 運命とは。

 それは人智を越えた意思、遥か天の意思によって定められた巡り合わせ。

 

「……運命」

 

 そうした天の意思によって定められた一対、ある男とある女を番として結び付けるモノ。

 それが運命の相手。その二人は運命の赤い糸によって結ばれている。

 

「…………運命?」

 

 そんな決まりが──ある。決して戯言ではなく運命は確かにある。

 この世界にはそんな運命の女システムなるものが存在しているらしい。

 

「運命……」

 

 となれば……自分だって。大好きなあの人との運命の繋がりが欲しい。

 そう考えてしまうのが恋する乙女の性。それは恋する魔人だって変わらないもので。

 

「運命だとぉ……!」

 

 だがそんな運命の結び付きを、すでに手にしている者達がいた。

 明かされた衝撃の事実、あのホーネットが。なんとシルキィまでもが。

 

「ぐぬぬぅ……!」

 

 あの二人はランスの運命の女だった。とっくに運命を掴み取っていた。

 サテラの知らない裏でそんな事をやっていたなんて、ズルい。いつの間にそんな事を、先手必勝で勝負を決するような機先の速さこそが、運命を掴み取る力こそが魔人筆頭、魔人四天王の実力という事なのか、悔しい。

 そしてよくよく聞けば、あの二人以外にもランスには多くの運命の女がいるらしくて。

 

「サテラだって……サテラだってっ! 絶対に運命に女になってやるぞ……!」

 

 それならサテラだって……ランスの運命の女になってやるっ! ……と。

 自らの運命をこの手に掴み取る為、魔人サテラは燃えていた。メラメラ燃えていた。

 

 

 ……とは言ったものの。

 

 

「……はぁ」

 

 肩を落として、大きなため息を吐いたのは。

 時を同じくして、魔人サテラと全く同じような事を考えていた彼女、魔人ワーグ。

 

「……運命、かぁ」

 

 運命とは。

 それは人智を越えた意思、遥か天の意思によって定められた巡り合わせ。

 

「運命なんて……一体どうすればいいのやら……」

 

 掴み取る──そう決意したものの。

 しかし実際問題、運命なんて何をどうすれば掴み取る事が出来るというのか。

 

「朝昼晩、天にお祈りをする……とか? あるいは何処かの教会にお布施をするとか……」

 

 ワーグは困っていた。とても悩んでいた。

 だって相手は運命だ。運命なんて形のない不定形なるもの、それも水や空気とかではなくて概念とか一種の信仰のようなもので、それを掴み取る方法なんて聞いた事も無い。考えた事もない。

 それが実体無きものである以上、ワーグに思い付くのは神頼みのような方法だけで。

 

「お祈り、お布施、お参り……何処に? ていうかあのホーネットやシルキィがそんな事をしていたようには到底思えないし……」

 

 というかそれが人智を越えた意思、天の意思によって定められた巡り合わせ、であるならば。

 その可否はまさしく天運が定めるものであって、ここで自分がどうこう足掻いた所で掴み取れるようなものでは無いのでは。

 ──そんな思考が頭を掠めるものの、さりとてじっとしている事も出来なくて。

 

 

「……むぅ」

「ん?」

「…………むー」

「なんだワーグ、俺様の顔になんか付いとるか?」

 

 じぃっと見つめる先。こちらの事情を知らないランスはいつも通りの呑気な表情で。

 

「……別に」

 

 ワーグはぷいっと顔を背ける。

 

「あん?」

「……べっつにー」

「なんだそりゃ」

 

 眉を顰めるランス。そんないつも通りなランスの事すらも今はなんか腹立たしい。

 元はと言えばランスが悪いとも言える。自分との運命を放ったらかしにしておきながら、他の女との運命を繋いでいるのがムカつくのである。

 

「……ランスのばか」

「あんだと?」

「ふーんだ」

 

(はぁ……運命、運命かぁ……)

 

 運命の女が複数人居るのもどうかと思うが、とにかくランスは多くの女性を侍らせている。

 そのくせデリカシーが無くて、呆れる程にエロ男なランスとの運命の繋がりが──欲しい。

 大層困った事に、どうしてもそんなものが欲しいとワーグは感じてしまうのである。

 

(私とランスとの間に運命は、ない──なんて、ことは……)

 

 自分とランスに運命の結び付きが存在しない──とは考えたくない。考えられない。

 だってそうだろう。自分にとってランスはただの男の人ではない、出会いの時から今まで、まさしく運命的と呼べるような出来事を重ねてきた。

 

(そうよね? 出会う前だってランスの方から熱心に会おうとしてくれた訳だし……)

 

 それはまだランスが人間だった頃、出会いは激化する派閥戦争の最中の事。

 最凶の魔人と恐れられる魔人ワーグに会いたい会いたいと熱望してくれたのがランスだった。

 その甲斐あって自分はケイブリス派を抜けて、ランスと友達になれた。その後は孤独を抱える自分が寂しい思いをしないよう、強烈な睡魔に怯む事も無く何度も遊びに来てくれた。

 

(それで……あ、あんな事やこんな事もしちゃった訳だし……っ!)

 

 その後、遂に睡魔を無効化する術を身に着けたランスと語るも恥ずかしいあれやこれやをして。

 やがてランスが魔王になると、その力によってワーグの夢が叶った。睡眠能力の制御が可能となって、長きに渡る孤独から開放してくれたのだ。

 

(……そう、そうなんだから。私にとってはランスは、ランスは絶対に……)

 

 これを運命的と言わずしてなんと言う。

 なんせこっちは100年以上の孤独に耐えてきた、その果てに巡り会えたのがランスだった。

 だからたかだか20年近くしか生きていないリア女王とかマジック王女なんかよりも絶対に、ぜーったいに自分の方がランスとの運命的な縁がある。あるったらある。

 

 ……と、思うのだが。

 

 

(でも……じゃあ、じゃあなんで私のところには運命のお告げが来ないの~……!)

 

 しかし……運命とは。あんまりそういった要素は関係無かったりもする。

 出会いが運命的とか。積み重ねてきた日々が運命的とか。確かに運命の女達の中にはそういった要素を有する者がいたりもするが、一方でそうじゃなくても運命に選ばれる者だっている。

 その逆にランスと長く冒険を共にしていても運命が結び付いていない者だっている。ここで言う『運命』とはそういう厄介な性質のものなのである。

 

「運命、うんめい……くぅう……!」

 

 どうすれば運命が得られるのか。

 分からない。何もかもが分からない。……けれども何もしない訳にもいかない。

 

「こうなったらそれっぽい事を片っ端から試してみるしかないわね……!」

 

 手当り次第やってみる以外に方法は無い。

 とそんな事を魔人ワーグは、そして魔人サテラも同じように考えたようで。

 

 

 

「……うーん」

 

 そして、その後。

 

「ふむふむ、幸運を呼ぶブレスレットか……これは良さそうだな、買おう。こっちは……成る程、開運を招くツボか、これも良さそうだな……買う」

「サテラ様。先日通販デ購入シタ特製パワーストーンガ届キマシタ」

「あぁ、そこに置いといてくれ。……いや、常時身に付けておいた方がいいかもな……」

 

 サテラはインチキスピリチュアルグッズにハマった。

 

 

 

「……うーん」

 

 その一方。

 

「これは部屋の構造が良くないわね」

「うんうん! 俺もそう思うー!」

「ね、そうよねラッシー。きっと家具の配置が悪くて気脈の流れが遮られている、それで運気を落としているんだわ。……え~っと、この場合は恋愛運、で、いいのかな……となると西、または東南方向に生花などを飾って生命エネルギーを向上させるのが良さそうね。あとは……玄関口に、照明をおいて明るく照らす事で福を招き入れる……っと」

 

 ワーグは風水にハマった。

 

 

 とはいえ、幸運グッズとか、風水とか。

 果たしてそんなもので運命が訪れるのか。それはやっている当人達でさえ半信半疑である。

 

「サテラ様。アタラシイ通販雑誌デス」

「よし。次は普段から使う武器とかを……幸運を呼ぶ鞭とかってないのかな……」

 

「なぁワーグー、そもそもこのアメージング城が風水的にダメって可能性は無いのかよ?」

「それは大丈夫。こんなに高い山なんだもの、この翔竜山に龍脈が流れているのは間違いないわ。ただ問題は龍の脈の流れる先、つまり龍穴が何処にあるのかって事なんだけど……」

 

 それでもやらねば始まらないし、無駄な努力なんてない。

 そう信じて二人は幸運グッズの道を、そして風水の道を突き進む。

 

 

 

 そして……運命とは。

 時としてそういったものとは関係無く。

 それこそ運命的に、前触れも無く唐突に降ってきたりするもので。

 

 

 

 故にその日──奇跡が起こった。

 二人の魔人の願いが通じた。その真摯なる祈りが天に届いたのだ。

 

 その夜、空の彼方がキランっ! と輝いて。

 眩い尾を引いた流れ星が筋を描き、光り輝く極星が翔竜山へと落ちてきた。

 

 

 それも──二つ。

 

 

 一夜に二度、二つの運命がここに繋がれた。

 彼女達の夢の中にそれぞれ一回ずつ、運命を告げる黄色いトリが登場して──

 

 

 

 ──そして、翌日。

 

 

 

「ほう、お前が俺様の運命の女だったとは」

 

 朝、それはすぐに話題となった。

 自らの小指の先に結ばれた赤い糸を辿って、ランスの前に辿り着いたのは──

 

 

「は?」

「こりゃ意外だ。今までで一番意外かも」

「へ?」

「けどまぁそういう事もあるか」

「はぁ!?」

 

 それは、この魔人。

 

「ってなんで私が!? なんであんたと!?」

 

 驚愕に叫ぶ、この魔人が。

 

「……ね、姉さんが……魔王様と……」

 

 動揺を隠せない表情で呟く魔人ハウゼル。

 ……の、姉の方が。

 

「なんで!? なんで私なの!?」

 

 昨夜、運命は確かに落ちてきた。

 しかし、それが待ち望んだ者の下に落ちてくるとは限らないもので。

 この度、魔王ランスの運命の女だと判明したのは……なんとまさかの魔人ラ・サイゼル。

 

「えちょっと待って、ホントになんで私が!?」

「知るか。なんでかは知らんがそうなったのだ、運命を受け入れるのだサイゼル」

「イヤよ!! だってこんなのあり得ない! どう考えてもおかしいでしょー!?」

 

 もし自分に運命の相手が居るのなら、それは最愛の妹以外にあり得ないのに。

 信じられない、信じたくない運命の導きに泣き叫ぶサイゼル。

 

「ぐぬぬぅ……!」

「くぅう~……!」

 

 一方、そんな光景を眺めるワーグとサテラは悔しさに喉を鳴らした。

 どう考えてもおかしい。それはこっちのセリフだと大声で叫んでやりたい気分である。

 

 ホーネットとシルキィは百歩譲るとして、どうしてあのサイゼルがランスの運命の女なのか。

 率直に言ってサイゼルはランスに対して友好的ではない。今では魔王になったからとしぶしぶ従う態度を取ってはいるが、そうなる前は関わり合いになる事すら避けていたような関係。

 こんなにも運命を待ち望んでいる自分達の下には来ないのに、ランスの事を好いてもいないサイゼルが、何故。どうして選ばれるのか。

 

 ……と、二人がそう思ってしまうのも無理は無い話なのだが、しかし運命とは。

 運命の女システムとはそういう事すらもあんまり関係無かったりする。相手の事を特段好いていなくとも、それどころか嫌っていようとも運命が結ばれる事はあり得るのである。

 

「よーし。んじゃさっそく電卓キューブ迷宮にレッツらゴー」

「いやー!! 行きたくないー!! 助けてハウゼルーー!!」

 

 こうして。ランスは未だ現実を直視出来ないサイゼルと共に電卓キューブ迷宮へと旅立って。

 そしてもう一人。この時すでに運命の導きを得ていた人物が居るのだが。

 そちらについてはいずれ語る時が来たら語る事にして、今重要なのはこちらの二人。

 

 

「ぐににぃ……サイゼルにまでぇ……!」

 

 魔人サテラ。

 

「くぅ~~! なんで私じゃないのよぉ……!」

 

 魔人ワーグ。

 

 まさかノーマークだったサイゼルにすら先を越されてしまった二人。

 幸運グッズを沢山買い集めたのに。気脈の流れを正して運気を呼び寄せたというのに。

 それなのにまだ運命の産声は聞こえない。何故、一体どうして。

 

「こうなったら……!」

「こうなったら……!」

 

 そして、二人は共に決意をして、

 そして、共に行動を開始した。

 

 ──という事で以後、それぞれ別の場所での会話を同時進行でお伝えする。

 

 

「──ホーネット様っ!」

「サテラ……どうしました?」

 

「──シルキィ!」

「あ、ワーグ、どうしたの?」

 

 こうなったらなりふり構ってなどいられない。

 サテラとワーグは恥を捨てて、すでに運命を掴んでいる二人に助力を申し出る事にした。

 

 方や派閥戦争の最終決戦の最中に運命を掴み取った魔人筆頭、ホーネット。

 方や魔人の中では一番最初に運命を掴み取った魔人四天王、シルキィ。

 

「教えて下さい! ホーネット様! どうしたらランスの運命の女になれるのですか!?」

「……そ、そうですね……。どうしたら運命の女になれるか、ですか……」

 

「教えて! シルキィ! どうやったらランスの運命の女になれるの!?」

「え、ええと……そうね……どうやったら……どうやったらなれるのかしらね……本当に……」

 

 どうやったらランスの運命の女になれるのか。

 同じタイミングで同じ質問を受けたホーネットとシルキィは同じように眉根を寄せる。

 

「ホーネット様、何かアドバイスを……」

「……申し訳有りません、サテラ。私に分かる事であれば答えてあげたいのですが……残念ながらこれに関しては私にも分からないものでして……」

「そ、そうですか……」

 

「ちょっとシルキィ、本当は知っているのに隠しているんじゃないでしょうね」

「そんな事無いってば……これに関しては本当に分からない事だらけなのよ。私だって自分がそうなるまでは運命の女だとか電卓キューブ迷宮だとか聞いた事すらも無い話だったし……」

「むぅ……」

 

 電卓キューブ迷宮の異質さといい、全てが謎に包まれている運命の女システム。

 すでに運命を掴んだホーネットとシルキィとて、実際のところ何故自分が運命の女に選ばれたのかよく分かっていない。となればそれを追い求めるサテラとワーグへ助言など送りようがない。

 

「なら……ホーネット様、運命のお告げというのはどういった流れで授かるのですか?」

「それは……前も説明した通り『夢』ですね」

「夢……」

「えぇ、夢。夢の中に黄色いトリが出てきて、そのトリが運命のお告げを授けてくれます。すると次の日の朝、目が覚めたら左手の小指から赤い糸が伸びていて、それを伝っていくとランスが居て……という流れでした」

「ふむふむ……」

 

「……夢」

「うん、夢。どうやらこの夢は女性側が見るものでランスさんは一度も見たことが無いんだって。だからワーグ、もし貴女が寝ている時に夢の中で黄色いトリが現れたら……」

「それが運命の証。その時こそ私のところにも運命が降ってきたって事なのね」

「うん、そういう事」

「夢か……私の夢操作で見る夢じゃ駄目かしら」

「さすがにそれは無理だと思うけど……」

 

 ランスとの運命を得る為には。

 運命の赤い糸を手に入れる為には、黄色いトリが出てくる不思議な夢を見る必要がある。

 

「では……ホーネット様。その夢を見た切っ掛けのようなものはありませんか?」

「切っ掛けですか……そうですね……」

 

 あの夢を見る事になった、切っ掛け。

 

「シルキィ、何か思い当たらない?」

「切っ掛けとなると前日よねぇ……うーん、あの日の前日にあった事と言ったら……」

 

 運命のお告げを授かった、その前日。

 その夢に至る前、つまり就寝する前にあった印象的な出来事といったら──

 

 

「あの日はたしか……」

 

 ホーネットにとってそれは……決戦前夜の日。

 マジノラインの客室に泊まったあの日、夜に部屋を訪ねてきたランスと──

 

「あの日はたしか……」

 

 シルキィにとってそれは……自分の想い人についてランスが探りを入れてきた日。

 魔王ガイとの馴れ初めを打ち明ける事になって、その後自分はランスと──

 

 

「あ、もしかしたら……あれでしょうか?」

 

「あ、もしかしたら……あれかな?」

 

 ホーネットは。シルキィは。

 二人は共にピンと来るものがあった。

 

 

 

 ──そして、ホーネットは答えた。

 

「あの日の夜、私はランスと多くの話をしました」

「話、ですか」

「あの日は決戦前夜でしたからね。そのせいあって私も気分が色めき立っていたのか、少し口が軽くなっていまして……普段なら話さないような事、恥ずかしい事や、懺悔のような話までした記憶があります」

「そ、そんな事があったのですか……」

「えぇ。ですが今思えばあれが切っ掛けだったのかもしれません。ですからサテラ、貴女もランスに対して心に抱えているものや負い目などを打ち明けてみてはいかがでしょうか」

「なるほど……」

 

 

 

 ──そして、シルキィは答えた。

 

「……あのね。こう……時々、ランスさんと一緒に寝るような事になってさ、その流れで……なんて言うのかな? その……親密な触れ合い、というか、人が子孫を残す為に必要な行為というか…………え? あ、うん、まぁ、そう。つまりえっちの時なんだけど。えっちな事をしている時に、こう…………え? あ、ううん、違うわ。これはランスさんが魔王になる前の話よ。うんそうなの、私が運命の女だと判明したのはまだ派閥戦争が続いていた頃の話だから…………て、ちょっと、なによワーグその顔は。……え? そんなに前から、って……いや別にそんなに前からしてた訳じゃ……ていうかそんな話はどうでもいいの。とにかく! とにかく……えっちな事をしている時にね? なんか、こう……ちょっと、気分が昂ぶってくることってあるじゃない? あるわよね? その時に……なんか、あの……気持ちがあふれ出すっていうか……なんか、過度な愛情表現をしちゃうというか。その、つまり……なんか自然と『ランスさん、好きー!』とか言っちゃったりというか。…………ちょっとワーグ、何よその目は、何が言いたいの? ……いや違うのよ? 私はそんな事言ってないのよ!? 私はそんな事言ってないんだけど! でもランスさんが言うには言ってるらしくてね? まぁ本当は言ってないんだろうけど。言ってないんだろうけどもね? とにかくそういう事例もあるようで、もしかしたらだけどそれが切っ掛けだったなんていう可能性も無きにしもあらずというか……」

 

 

 

 

 ──そして、あくる日。

 

 

「ホーネット様ぁ~~……!」

「サテラ……」

 

 魔人サテラが泣きそうな表情でホーネットの部屋を訪ねてきた。

 

「その様子だと……駄目でしたか」

「はい……駄目でしたぁ。ちゃんと話をして、心に抱えていたものを打ち明けて……前にランス達を何度も襲った事や、シィルを水責めにして殺そうとした事なんかを謝ったりしたのですが……」

「サテラ……貴女はそんな事をしていたのですか」

「わざとでは無いのです! ……いや、けど、当時はわざとだったかも……いやでもそれはあくまで当時の話でして!! 当時は、だって、仕方無いではありませんか!!」

 

 当時、人間の敵対者たる魔人らしい振る舞いをしていたからこそやらかしたあれこれを。

 なぁなぁにせず過去を自省して、決戦前夜のホーネットのように懺悔してみたりしたのだが、それでも結果は振るわなかったようだ。

 

「もしかして……過去にランスを殺そうとしたから運命の女になれないのでしょうか……」

「ど、どうでしょうかね……」

 

 くすんと頭を垂れるサテラ。その姿にホーネットも困り顔。

 

 

 そして一方──こちらは。

 

 

「シルキーーー!!!」

「わぁっ! ど、どしたのワーグ!?」

 

 魔人ワーグは怒り心頭な表情でシルキィの部屋に突撃してきた。

 

「どうしたのじゃなーいっ! よくもまぁあんな恥ずかしい事をやらせたわね!?」

「あ、やってみたの?」

「やったわよっ!! 言っとくけどめちゃくちゃ恥ずかしかったんだからね!? もうめっちゃくちゃ恥ずかしかったけど頑張ったのに!! 全然効果なんて無いじゃないのよーー!!」

 

 シルキィのアドバイス通り、ワーグはランスとの性交の最中に過度な愛情表現をしてみた。

 恥ずかしさを投げ捨てて、溢れる気持ちのままにワーグは自ら積極的に濃厚な口付けしたり、ランスの腰が打ち付ける度に好き好き愛してると鳴いてみたりもしたのだが、それでも結果は振るわなかったようだ。

 

「そ、そっか、ごめん……」

「ごめんじゃ済まない!!」

「でも……ランスさん、喜んでなかった?」

「そっ! ……そりゃ喜んでたけど!! そりゃあ喜んでたけどねっ!!?」

 

 普段よりも積極的で愛情表現沢山なワーグの姿にランスはご満悦。

 そしてワーグ自身も好きだ好きだと連呼する事で気分が高揚してしまい、その結果昨夜の行為はこれまでに無い程の盛り上がりを見せたのだが。

 それでも残念ながら、運命の星が手に入らなかったのは事実である。

 

「でも喜ばせりゃいいってもんじゃなーい!! ていうかシルキィ、あなたってあんな恥ずかしい事をずっと前からランスとしていたわけ!? そんなんでよくあの時私に『別に私はランスさんの事なんて好きじゃないからー』なんて言えたものねぇ!」

「なっ、いや、あれは……違うのよワーグ、別にね、私はそんな事していたわけじゃ──」

「誤魔化せるとでも思ってるの!? 当のランスが『今日のワーグはまるでシルキィちゃんみたいに積極的だなぁ』って言ってたんだからね!!」

「ちがっ、そ、それは、それは私じゃないの。私じゃない変な私が変な事してるだけで……っ!」

 

 真っ赤な顔で怒るワーグ。真っ赤な顔で言い訳するシルキィ。

 

 と、このように……ホーネットの助言もシルキィの助言も結果的には空振りに終わった。

 

 

「ぐぬぬぅ……運命……!」

「くぅう~……運命……!」

 

 心に抱えていたものを打ち明けようとも。積極的な愛情表現をしようとも。

 それでも手に入るとは限らない、それが運命の繋がりというものなのか。

 

「……はぁ、一体どうすればいいんだ……」

「……はぁ、一体どうすればいいんだろう……」

 

 未だその手に掴めるものは無く。

 サテラとワーグが悩みの日々を怒る中。

 

 

「…………はぁ」

 

 それとは別に──もう一人。

 サテラやワーグと種類は違えども、事の発端は同じ悩みを抱える者がいて。

 

(……なんだろう。なんか……胸が、変。胸の奥で何かが疼いているような気がする……)

 

 それは、魔人ハウゼル。

 姉がランスの運命の女だと判明して以降、彼女もまた判然としない心地を抱えていた。

 

 

 

 

 

 



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運命の戦い②

 

 

 

 

「……運命」

 

 運命とは。

 それは人智を越えた意思、遥か天の意思によって定められた巡り合わせ。

 

「運命……」

 

 そんな運命が欲しくて、思い悩んで足掻き続ける魔人達がいた。

 

 

「運命が……欲しいっ!」

 

 その名は魔人サテラ。

 

 

「運命が……欲しいのに……っ!」

 

 その名は魔人ワーグ。

 

 

「ぐぬぬ……!」

「くぅ~……!」

 

 大好きなあの人──魔王ランスとの繋がりを。運命という名の結び付きを。

 自らの手でそれを掴み取ろうと、二人の魔人は当てもない戦いを繰り広げる日々。

 

 

 そして──更にもう一人。

 

「……運命、か」

 

 自らのものでは無いにせよ、人知れず『運命』に翻弄される魔人がここにもいた。

 彼女の名前は魔人ラ・ハウゼル。

 

 

 

 

「……はぁ」

 

 最近、胸の辺りが……重い。

 

「……はぁ」

 

 ドクドクと、鼓動がやけに聞こえる。

 普段通りのリズムとは異なる、いたずらに気を逸らせるような嫌な心地の鼓動が。

 

「………………はぁ」 

 

 最近、胸の奥が苦しい。……ような、気がする。

 ヂリヂリと、ザワザワと。言い表しようの無い何かが胸の奥で蠢いている、そんな感じが。

 ドクドクと聞こえるこの鼓動が、結論から言うと運命の悪戯と呼ぶべきものが、未だ運命とは無関係な魔人ハウゼルの頭を悩ませていた。

 

「これは……何なのでしょうか」

 

 正体の分からない謎の違和感。

 それは例えば焦燥感のような。あるいは不安感のような。

 

「まるで……派閥戦争の時みたい」

 

 これが派閥戦争という争いの最中だったら。それならばあの激戦と苦境の中、こうした焦燥感や不安感を抱いた経験は何度だってあった。

 しかし平穏を取り戻した今の世界でそうした心境になるような理由は無いはず。実際ハウゼルはランスが第八代魔王となって以後、そうした心境になるような事などまず無かった。

 

「これは……やっぱり……」

 

 となれば。この違和感の原因は別にある。

 そしてついでに言えば、この胸の奥の不快感が生まれたのは数日前からのもので。

 

 その原因は……すぐそこに。

 

 

「おーい、サイゼルー」

 

 声が聞こえた。

 少し離れた場所、その名前を呼んだのはこの世界を支配する王、魔王ランス。

 

「げっ!」

 

 その名を呼ばれた姉、サイゼルは実に嫌そうな顔で嫌そうな声で応えた。

 

「ちょうど良かった。今日もこれから行くぞ」

「えぇ~~!? 今日も行くのぉ!?」

 

 魔王ランスからのお誘いにあからさまな反応を示す姉の姿。

 ここ最近、今のようにあの二人が一緒にいる姿を目にする機会が増えていた。

 

「………………」

 

 ──魔王様がお声を掛けているのにそんな態度をしていては駄目よサイゼル。

 そう言うべき場面。だが遠巻きにその光景を見つめるハウゼルの口から言葉は出てこない。

 

「これでもう四回目よ? 昨日も一昨日も再々挑戦したけど結果は同じだったじゃない!」

「だから今日も再々々挑戦だ。クリア出来るまで何度だって挑むぞ」

 

(……今日も、行くのね)

 

 二人の会話の中にあった『挑戦』とは。

 それは世にも不思議な電卓キューブ迷宮、その中で出される試練の事……らしい。

 誰かとの運命が未だ繋がっていないハウゼルには知り得ない話ではあったが、初日の挑戦を終えて戻ってきた姉サイゼルから愚痴混じりにそんな話を聞いていた。

 

 先日、まさかまさかの魔人サイゼルがランスの運命の女だと判明した。

 そしてその後、二人は運命武器を手に入れる為すぐに電卓キューブ迷宮へ向かった──のだが。

 

 しかし、問題が起きたのはそこから。

 迷宮から戻ってきたランスとサイゼルは運命武器を持ち帰って来なかった。つまり、迷宮が出す試練をクリア出来ずにダンジョン攻略に失敗していたのである。

 幸いにも電卓キューブ迷宮は一日に一回という制限ながらも何度だって再挑戦は可能。なのでランスとサイゼルは初日に失敗して以降毎日のように再挑戦を繰り返している……が。

 しかし、どうやら未だに電卓キューブ迷宮の試練がクリア出来ずにいるらしい。

 

「ふっしぎなんだよなぁ。あの迷宮で出される試練ってそんな難しいもんじゃねーはずなのに、なんでか分かんねーけどサイゼルとの試練だけはいっつも失敗するんだよなぁ」

 

 過去の例とは異なる失敗の多さに首を傾げる魔王ランス。

 電卓キューブ迷宮で出される試練、それは特定の順番で道を進んだり、特定の敵だけを倒す事を要求されたりなど、言わばその程度の簡単な仕掛け。

 冒険慣れしているランスにとっては手こずるまでもない試練であり、実際過去に何度も挑戦して何度もクリアしているのだが、しかしどうしてかサイゼルとだけは上手くいかない。

 

「やっぱり私とあんたじゃ無理なんだって! 私とあんたって相性最悪だし……ていうか、そもそも運命の繋がりなんてものは無いのよ!!」

「何を言うか、運命はちゃんとある。だってお前の小指には赤い糸が結ばれてるんだろ? んで俺様に繋がってるんだろ?」

「それは……これはきっと何かの間違いよっ! この糸は私が見ている幻覚に違いないわ!!」

「現実を直視しろサイゼルよ。実際に俺とお前で電卓キューブ迷宮には行けとるだろう。それが運命で繋がっている何よりの証拠だ」

「くぅ……なっとくいかない……」

 

(姉さん……)

 

 今の会話を聞いて分かる通り、姉サイゼルはランスとの運命の結び付きを大層嫌がっている。

 聞けばサイゼルはケイブリス派に属していた時にランスと出会い、その時に色々と酷い目に合わされた事が原因でそれ以降ランスの事を敵視している、毛嫌いしているようで。

 ホーネット派に属していたからランスと懇意になった自分とはまさに真逆の関係性。であるならば、確かにサイゼルにとっては運命の結び付きなどありがた迷惑なのかもしれない。

 

「よーし、しゅっぱーつ!」

「いーーやーーー……」

 

 とはいえ相手は天下の魔王。魔人であるサイゼルが逆らえるはずもなく。

 その瞬間二人の姿がこつ然と消えた。どうやら電卓キューブ迷宮にワープしたようだ。

 

 

「………………」

 

 そして……残されたハウゼルは。

 

「…………はぁ」

 

 今のような二人の姿を見ると。心音がドクドクと嫌な音を立てる。

 どうしてか分からないが、無性に胸の奥がざわざわしてしまう。

 

「本当に……これはなんなのかしら」

 

 その理由が……ハウゼルには分からない。

 この焦燥感にも似た胸騒ぎが。この全身を包んで覆うような違和感が、その正体が。

   

「……はぁ」

 

 それは彼女にとって一心同体とも言える最愛の姉にも言えないような悩み。

 まさにその姉が手に入れてしまった運命により、ハウゼルは人知れず翻弄されていた──

 

 

 

 

 

 

 

 ──そして、あくる日。

 

 

「……あ」

 

 何気なく廊下を歩いていたハウゼルは大階段の前に辿り着いた。すると、

 

「……はっ!」

 

 ちょうど階段を降りてきたサテラと、もう一人。

 

「……はっ!」

 

 ちょうど階段を登ってきたワーグと出会った。

 つまりサテラ。ワーグ。そしてハウゼル。運命に翻弄される三者がバッタリ遭遇した。

 

「二人共、おはよう──」

「………………」

「………………」

「……あれ? え、あの……」

 

 すると一名を除いて、二人は挨拶も無しに突如睨み合う。

 

「………………」

「………………」

「さ、サテラ? ワーグ? どうしたの?」 

 

 妙な空気に困惑するハウゼルをよそに。

 サテラは。ワーグは。お互いの事を刺すような眼差しでじっと見つめ合って。

 

「………………」

「………………」

 

 ──そして。

 

 

「……そうだな」

「……えぇ、そうね」

 

 やがてその目を緩めて、サテラとワーグはお互いを認めるようにゆっくり頷き合った。

 二人は互いに悟った。相手は自分と全く同じものを探し求めている、そして自分と同じようにその方法が見つけられなくて悩んでいる。

 つまり目の前にいる相手は自分と全く同じ状況にある。その事を二人共に察したのだ。

 

「……ここでサテラ達が敵対し合ってもしょうがないよな」

「同感だわ。ランスの運命の女は複数人がなれるって話だし、それなら競ったりしないで一緒に運命を掴む方法を探した方が建設的よね」

「いや、その事なんだが……いやでもそうだな、その通りだ。ワーグ、ここは協力といこう」

「えぇ。情報共有しましょう、サテラ」

 

 そして、二人は手を組む事にした。

 同じ立場に身を置く者同士、なりふり構ってなどいられなかったようだ。

 

 ……という事で。

 

 

 

 

 

「よし。では作戦会議といくか」

「そうね」

 

 一同場所を移動して野外テラス席。

 円形のテーブルに掛けて真剣な表情で額を寄せるサテラとワーグ。

 

「あの、どうして私まで……」

 

 そして、巻き込まれるようにして連行されてきたハウゼルの姿も。

 

「せっかくだしハウゼルも協力してくれ」

「協力?」

「あぁそうだ。第三者が参加してくれた方が良い意見が出るかもしれないからな」

「そうね。ハウゼルは私達の仲間よ。あの裏切り者共とは違って」

「う、裏切り者って……」

 

 裏切り者──それは魔人ホーネット、魔人シルキィ、魔人ラ・サイゼル三名の事を指す。

 要するに一足先に運命を手に入れた者達、抜け駆けをしていた裏切り者共である。

 

「それとも」

「えっ?」

 

 とそこでワーグはギロリと疑いの視線を向ける。

 

「まさかとは思うけど……ハウゼル、サイゼルと同じようにあなたもランスとの運命を掴み取った、なんて事は……」

「なに、ハウゼルまで!? いやでも確かにその可能性はあり得る! どうなんだハウゼル!?」

「どうって……どうもないけど。私は二人が言うような運命なんて手に入れてはいないわ」

「……本当か?」

「えぇ、本当よ。私は……私は、どうやら姉さんとは違うみたいだから」

「そうか……ならいいんだ」

 

 どうやらハウゼルは白。潔白である。

 ここに裏切り者はいない。その事実にホッと一安心のサテラとワーグ。

 

「けど……私は……」

「ハウゼル?」

「どうしたの?」

 

 しかし、サテラやワーグと同じようにハウゼルもまた悩みの中にいるのは事実で。

 種類は違えども運命に翻弄される者同士、成り行きとはいえこうして作戦会議に参加する運びになった訳だし、運命を手に入れていない自分は裏切り者ではなく仲間扱いしてくれている。

 

「実は……──」

 

 故にハウゼルはその悩みを、内に抱えるモヤモヤを二人に相談してみる事にした。

 

 

 

 

「──……ってことなの」

「ほうほう……」

「ふーん……」

 

 姉サイゼルがランスとの運命を手に入れて以降、胸の奥に妙な違和感が疼いている。

 全身を覆う膜のような不安感、その正体がよく分からなくて悩んでいる。

 

「これ……なんだと思う?」

 

 そんな話を打ち明けてみた。

 ──すると。

 

「ハウゼル。それは嫉妬よ」

「うん。サテラもそう思う」

「し、嫉妬?」

 

 告げられた病名は──嫉妬。

 

「そうよ。嫉妬」

「け、けど、嫉妬って……」

「気持ちはよく分かるわ、ハウゼル。私だってここ最近は嫉妬してばっかだから」

「サテラもだ。ホーネット様やシルキィはまだしもサイゼルに嫉妬する日がくるなんてな……」

 

 ホーネット様とシルキィ、ずるい。というかなんでサイゼルまでもが。ぐぬぬ。

 そんな気持ちが嫉妬という病。その症状に覚えがあるサテラとワーグはうんうんと頷く。

 

「嫉妬……」

 

 一方で自らの病名を告げられたハウゼルは。

 

(嫉妬? ……私は、嫉妬しているの?)

 

 誰かを羨み妬む気持ち──嫉妬。

 言われて気付く。この胸の奥にある嫌な心地は嫉妬心というものなのか。

 

(……でも、それなら……私は……)

 

 果たして自分は誰に対して嫉妬しているのか。

 サテラやワーグと同じように、ランスとの運命を掴んだ姉サイゼルに対してなのか。 

 それとも……そんな姉との運命の繋がりを手に入れた、ランスに対して嫉妬しているのか。

 

「そりゃランスだろう」

「うん。私もそう思う」

「え、……そう、なの?」

 

 そんな相談を再度してみた所、二人からは即座に答えが返ってきた。

 

「だってハウゼルはサイゼルの事が好きなんだろ?」

「えっ」

「そうよね。ハウゼルって普段からサイゼルの事ばっか考えてますーって感じだし」

「え、ええと……」

 

 二人は当たり前のように言ってくる。ハウゼルは思わず口籠ってしまう。

 

「好きなんでしょ? サイゼルの事」

「そ、れは…………まぁ」

 

 けれども身に覚え無しとは言えず。ハウゼルは控えめながらもコクリと頷いた。

 確かに自分は姉サイゼルの事を愛している。その愛は一般的な姉妹愛を超えて──少々ながら道徳を逸脱するレベルにまで到達してしまっている。

 一般的な愛を逸脱した姉妹愛、つまりは性的接触を伴うもの。姉妹一緒にランスの寝室に呼び出された時などは「君たち……近親相姦レズセックスは……よくないぞ……」と呆れられた事だって何度もある。

 

「だから私は……嫉妬を?」

「うん。あの二人が一緒にいる所を見るとモヤモヤするんでしょ? 用はそれってサイゼルの事を奪われたように感じてランスに嫉妬しているって事でしょ」

「でもそんな……相手は魔王様なのに……」

「そういう事は魔王とか関係ないでしょ。そうでなくともあのランスなんだし」

「………………」

 

 魔王に対しての嫉妬。──あまりに畏れ多い話ではあるがそれが真相なのだろうか。

 確かに話の筋は通っているような気もする……けれど、それなら自分は──

 

「……でもそっか。それなら安心だな」

 

 とそこで口を開いたのはサテラ。

 

「安心?」

「うん。だってハウゼルはサイゼルを奪ったランスに嫉妬してるんだろう? てことは……ハウゼルはランスとの運命なんて必要無いよな?」

「あぁ、それはそうね。ハウゼルにはランスとの運命なんて必要無いわね。……そうよね?」

「えっと……」

 

 そうよね? と強めに告げたワーグの視線が、そしてサテラの視線がハウゼルに刺さる。

 これ以上裏切り者も出さない為か、そこには有無を言わせないような圧があった。

 

「そ、そうね……私は、ランスさんとの運命は……その、頂けるのなら光栄だけど……どうしても欲しいかって言われると……まぁ……」

「そうだよなそうだよな。ハウゼルはランスよりもサイゼルが一番だもんな」

「そうよねそうよね。ハウゼルは抜け駆けなんかしないわよね」

「え、えぇ……」

 

 抜け駆けなんて絶対ダメだから。と言外に伝えるその空気にぎこちなく頷くハウゼル。

 正直言わされた感は大いにあるものの、とはいえそれはハウゼルの本心。彼女はサテラやワーグとは違ってランスとの運命の繋がりを積極的に欲しているという訳では無い。

 だからたとえ自分の下にそれが訪れなくとも、それが理由で嘆くような事などない──だが、

 

(でも……あるいは私もそうなれれば……その時は姉さんと一緒に……)

 

「ところで……なぁワーグ、至急相談しておきたい事がある」

「えぇ、それが本題よね。聞かせて」

「うん。実は……ここ数日、サテラは運命の女というものについて調べてみたんだ」

 

 そう言って心境な顔付きで語り始めるサテラ。

 どうしても欲しいランスとの運命、その仕組みとなる運命の女システム。

 未だ謎が多いそれについて少しでもヒントを得ようとサテラは独自に調査していたようで。

 

「……それで、重大な事実が判明した」

 

 そして──彼女は気付いてしまった。

 

「まず前提として……現在、ランスの運命のお相手はなんと14人もいるらしい」

「じゅ、14人!?」

「あぁ、14人だ」

「14人……そんなにいるのね……ていうかサテラ、そんな事をどうやって調べたの?」

「ランスから普通に聞いた」

「あぁ、そう……」

 

 それは各国の姫達とか。昔から一緒にいる馴染みとか。はたまた最近知り合った者達なども。

 ランス本人から聞く所によると……ランスと運命で結び付いている女性の数は14人。

 

 ──がしかし、実際にはそれは間違い。

 14という数字はあくまでランスが誰かと一緒に電卓キューブ迷宮を訪れた回数であって、実際にはランス当人もまだ把握していない運命のお相手が存在している。

 その数は3人。よって現状は17人。計17本もの赤い糸がランスの指に結び付いている。

 

「そして……更に重大な問題がある」

「……っ」

 

 真剣味を増すサテラの表情、その深刻さにワーグはごくりと喉を鳴らす。

 

「ホーネット様とシルキィに確認を取ってみたんだけど……二人の小指から伸びる赤い糸の先はランスの指に繋がっているらしくてな」

「指から指へ、他人には見えない赤い糸が二人の間を繋いでいるって事よね」

「あぁ。けどホーネット様とシルキィの糸はそれぞれ別々の指に繋がっているみたいなんだ」

「それって……例えばホーネットの赤い糸はランスの親指に繋がっていて、シルキィの赤い糸はランスの人差し指に繋がってる……みたいな事?」

「あぁ、そういう事だ」

 

 女性側は小指から赤い糸が一本伸びる。それが基本的な仕組み。

 しかしそのお相手側、運命の結び付きが沢山あるランス側は小指だけでは足りない為、その他の指にも多くの糸が繋がっているようで。

                                            

「って事は……もう14人だから……まさか両手両足の指の数、つまり20が上限ってこと?」

「……その可能性はある、と思う」

「それじゃあ……残りは6人!?」

「……あぁ」

 

 もし仮に上限があるのだとすると……残る運命の枠数は──6人。

 もとい、ランスが把握していない分を含めれば……残された運命の枠は、あと3つ。

 

「そ、そんな……!」

 

 驚愕の事実に愕然となるワーグ。

 運命の女が複数人選ばれるのであれば、それなら自分にもチャンスがあると思っていた。

 しかしそこに上限があるのだとすると話は大きく違ってくる。残り僅かしかない運命の星、その争奪戦に負けたら……全てが終わってしまう。

 

「……でも、それなら……私達だって……!」

「……あぁ」

 

 残り僅かしかないのなら。

 ここにいるサテラとワーグは。二人もまさしく競争相手と呼ぶべき立場。

 

「──ハウゼルっ!」

「な、なに?」

「さっきの繰り返しになるけど、ハウゼルはいらないよな!?」

「そうよね! ハウゼルは残る6つの枠を取ろうだなんて思っていないわよね!?」

「え、えぇ……私は……別に……」

「駄目だからな。ハウゼルまでサテラ達の先を行くなんて絶対に駄目なんだからな」

「わ、分かったってば……」

 

 ハウゼルに反論の隙も与えないようなサテラとワーグの剣幕。

 二人にとってはそれだけ切実だった。恋する乙女はいつだって本気なのである。

 ……そしてついでに言うなら、その本気がいき過ぎると危険な事態を招く事もあって。

 

「あそうだ。良いこと思い付いたわ」

「良いこと?」

「えぇ。ねぇハウゼル、あなたはランスとサイゼルが運命で繋がってるのがムカつくのよね?」

「ムカつくっていうか……えっと……」

「で、当のサイゼルだってランスとの運命の繋がりなんて必要としてはいないじゃない?」

「そうだな。サイゼルはランスを嫌ってるし」

「そうよねそうよね。嫌っている相手との運命の繋がりなんて必要無い。それは当然よね」

 

 自分の発言を肯定してこくこく頷くワーグ。

 当の本人にも、そして妹にも歓迎されていない運命の結び付き。

 一方でサイゼルには必要ないそれを強く切望している自分達がいる。……となれば。

 

「だったらいっその事……サイゼルの運命を奪うってのはどうかしら?」

「奪う! それはナイスアイディアだ!!」

 

 手に入らないのなら、奪う。

 それが不要な者から奪い取る。乱暴だが確かに合理的な発想ではある。

 

「でも……姉さんから運命を奪うなんて、そんなの一体どうやって……」

「そこが問題だな。どうすれば運命の赤い糸が奪えるのか……」

「じゃあ……サイゼルの小指を切り落とす、とか」

「それだっ!」

「ちょ、ちょっと……二人とも……!」

 

 その小指を落とす事も已む無し。恋する乙女はいつだって本気なのである。

 運命に翻弄されるがあまり、サテラとワーグの思考はどんどん危険な領域に突入し始めて。

 

「あるいは……残りの運命を奪いそうな奴らをあらかじめ消してしまう、というのはどうだ?」

「あぁ、なるほど……それもアリね……!」

「サテラ、ワーグ……二人共、お願いだから冷静になって、正気に戻って……!」

 

 ダークサイドに片足を突っ込み掛けている運命未所持な二人の魔人。

 そんな二人を現世に留めるのは唯一まともな思考を維持するハウゼルの役目であった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そうして。

 テラス席での作戦会議も終了して。

 

「……ふぅ」

 

 サテラとワーグの二人と別れて、ハウゼルはあてもなく城内を歩いていた。

 しかし、そんな彼女の胸の奥には今も不快げにドクドクと疼く鼓動があって。

 

「……嫉妬、か」

 

 これは……嫉妬、らしい。

 他者を妬む暗い気持ち。そう言われればそんなような気もしてくる。

 運命の繋がりが原因で、自分は最愛の姉サイゼルを取られたと感じているのだろうか。

 

「それなら私はサイゼルとの運命を……っていうのは、なんか違うような気がするわね……」

 

 ランスのように、最愛の姉サイゼルとの運命の繋がりが欲しい──とは思わない。

 何故なら運命などに肯定されずとも、自分とサイゼルが繋がっている事は分かっているから。

 この姉妹の特殊性故か、それはただ何をせずとも自然と理解出来るもので。

 

「だったら私は……私も……ランスさんとの運命があればいいのかしら」

 

 姉サイゼルのように。ランスとの運命の繋がりがあればあるいは……とは思えども。

 ハウゼルは手を伸ばす気にはならなかった。そんな理由で運命を望むなんて不純な動機のように感じるし、あれ程に運命を欲していたサテラとワーグに悪いとも思ってしまう。

 

「……ふぅ。しょうがないわよね」

 

 運命は望まない。自分が望むようなものだとは思えない。

 となればこの鼓動は、この嫉妬心はハウゼル自らが飲み込んで消化するしかない。

 

 

「でも……」

 

 でも一方で──ハウゼルは思う。

 

 

「本当に……そうなのかしら」

 

 この鼓動が。この不安感が。

 ただの嫉妬などという軽いものなのか。

 

 ──そんな思いが、先程からずっと気になっていたのもまた事実で。

 

 

 

 ──そして、その予感は当たっていた。

 つまり、彼女に下される運命とは。

 そんなものとは全く違っていて。

 

 

 

「────あ」

 

 ふいに、感じ取った。

 

 湧き上がる強烈な違和感は。

 この感覚は。この鼓動の高鳴りは。

 

「…………っ」

 

 思わず胸の中心をぎゅっと押さえる。

 今や痛いぐらいに叫びを上げる強烈な心音にハウゼルは気付いた。気付かされた。

 

「……違う」

 

 ランスに向ける嫉妬とか。

 

「……これは……そんなのじゃなくて……!」

 

 この胸騒ぎは。この違和感は。

 その正体はもっと別の──

 

 

「……これ、は」

 

 ──それは、終わりを知らせるシグナル。

 

 

(でも……どうして!? そんな、ここまでなにも無かったのに、どうして突然──!)

 

 それの発動には条件がある。

 そして、その条件は未だ満たされてはいない。

 

 ──しかし、これが運命。

 それこそが運命に翻弄されるという事。

 

 

「──ハウゼルっ!」

「あっ──!」

 

 とその時、呻き苦しむハウゼルの下に姉のサイゼルが駆け付けて来た。

 妹と同じ運命を悟ったのか、血相を変えた表情で。

 

「あぁ、サイゼル……!」

 

 涙で滲む視界、その目に映るは自分と瓜二つな姉の顔。

 

 それは本来、一つのものが二つに別れていた。

 だとしたらそれは……やがては元に戻る。それが避けられない運命。

 

「──あ」

 

 その声はどちらのものだったか。

 その声を最後に二人の姿は消失した。

 

 そして。

 

 

「………………」

 

 サイゼルはいない。

 ハウゼルはいない。

 

 サイゼルはいる。

 ハウゼルはいる。

 

 二人は、一人に。

 無の存在に。

 

 そして、破壊の象徴に──

 

 

「………………」

 

 もう言葉は無い。

 

「………………」

 

 それはただ己の権能を行使するだけ。

 言葉を喋るという行為すらも必要としない存在。

 

「………………」

 

 それが──破壊神ラ・バスワルド。

 第二級神がここに顕現した。

 

 

 

 

 

 



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VS 破壊神ラ・バスワルド

 

 

 

 

 

「………………」

 

 顕現していた。

 

「………………」

 

 眩い黄金の髪を靡かせる、それが。

 左右異なる色、凍てつくような青い瞳と燃えるような赤い瞳を持つ、それが。

 

「………………」

 

 背中から翼のように生える氷と炎の分身体、分かたれていた時の面影を残すような意匠。

 青と赤が交わって、その周囲にはあらゆるものを飲み込む黒色のバリア。

 

「………………」

 

 その姿が──破壊神ラ・バスワルド。

 第二級神がここに顕現していた。

 

 

 

「………………」

 

 バスワルドは無表情のまま、その顔を左から右へゆっくりと見渡す。

 

「………………」

「あれ……あそこにいるの、誰だろう?」

「さぁ? 見覚えは無いし、魔王様からお呼ばれを受けた何処かの女性じゃない?」

 

 目に入ったのはこの城の住民だろうか、女の子モンスター達の姿。どうやら城内にいた見知らぬ美女の存在に好奇の目を向けているらしい。

 対してその美女は一瞥もせず、その目はゆっくりと辺りを見渡していく。

 

「………………」

 

 破壊の対象、完全に汚染された魂を捜索。

 ──この付近には反応を確認出来ず。

 

「………………」

 

 するとバスワルドはほんの少し上を見上げた。

 アメージング城及び翔竜山周辺から、その知覚範囲をこの世界全域にまで拡大していく。

 

「………………」

 

 ──破壊対象の反応を確認。

 それが無いわけではない。完全に汚染された魂はこの世界の各地に点在している。

 

「………………」

 

 しかし……総じて反応は微弱。

 その総数はまだ少量、この世界の均衡に影響を及ぼす程ではない。

 

「………………」

 

 破壊神に与えられた役目、それは破壊すること。

 

「………………」

 

 完全に汚染された魂は輪廻の歯車から外れて、地上から消え去る事が無くなる。

 消えないものを放置しておけば、次第にこの地上が汚染された魂で溢れ返ってしまう。

 故にそれを破壊する存在として生み出された、それが破壊神ラ・バスワルド。

 

「………………」

 

 その地上顕現は破壊対象の総数が一定数以上に達した事をトリガーとして行われる。 

 しかしその反応はまだ微弱。その総数はまだ一定数には達していない。

 

 つまり今は。

 本来であれば、破壊神ラ・バスワルドが召喚されるような事態ではない。

 

「………………」

 

 しかし、それでもバスワルドはここにいる。

 氷と炎の分身体の魂は融合して、その真の姿となって現に地上に降り立っている。

 

「………………」

 

 これは本来の役目とは異なる地上顕現。

 自身の置かれた状況を確認し終えると、上に向けていた顔の向きを戻して。

 

「………………」

 

 そして……その両手に黒い光が。

 破壊神の周囲を覆うバリアと同質の力、破壊神の権能たる破壊の力が集約していく。

 バスワルドは──動き出したのだ。

 

「………………」

 

 何故ならそれは破壊の化身。その役目は破壊すること。

 初めて地上に降り立った今、その目的など破壊以外にありはしないのだから。

 

 

 そして──

 

 

 

 

 

 

 

 それから数分後、騒ぎはすぐに城中を駆け抜ける。

 

「……暇だなぁ。シィル、なんか面白いもん出せ」

「えっと……じゃあトランプでもしますか?」

「トランプか……よし、じゃあババ抜きだ。負けたヤツは罰ゲームな」

 

 それは当然、城主たるこの男の下にも。

 

「──魔王様!」

「あん?」

 

 血相を変えた勢いでホーネットがランスの部屋に飛び込んできた。

 

「おぉホーネット、ちょうどいい所に。今からババ抜きするんだがお前も──」

「いえ、それよりも緊急事態です。中央塔の辺りで何者かが暴れ回っています」

「暴れ回ってる? 一体誰が?」

「それが正体不明の人物でして。それを目撃した誰もが見覚えが無い相手だと言っています」

「ほー?」

 

 アメージング城中央塔──王座の間や大広間などがある城の最重要拠点とも言える場所。そこで正体不明の何者かが暴れている。

 そんな火急の知らせを受けた魔王ランスは興味深しげにその眉を持ち上げた。

 

「報告によると敵は尋常ではない強さだそうで、すでに多くの被害が出ているようです」

「な、なんか怖いですね……知らない相手がこのアメージング城に襲撃してきたって事は……」

「……ははーん? これはあれか、もしかして俺様の命を狙いに来たってのか?」

「えぇ、その可能性はあるかと」

「なるほど、おもしれーじゃねーか」

 

 ここは魔王のおわす城、アメージング城。となれば襲撃者の狙いはおのずと絞られる。

 人類の敵、魔族の頂点、この世界の支配者たる魔王ランスは不敵に笑った。

 

「どれどれ、そんじゃこの俺様に歯向かおうとする愚か者のツラを拝んでやるとするか」

 

 我は魔王。この世界に敵など無し。

 そんな気分でランスは意気揚々と、あるいは余裕綽々で中央塔に向かった──のだが。

 

 

 

 

 

「な、なんだこりゃ……」

 

 到着後、一転して呆然となるランス。

 その眼前に広がるのは元々の姿とは打って変わって無残な姿を晒す巨塔の光景。

 

 アメージング城中央塔、そこでは謎の襲撃者による破壊が繰り広げられていた。

 新築の城の至る所に虫に食われたかのような大穴が空き、すでに倒壊している箇所も数知れず。

 特に無造作な破砕や爆発とは違う、綺麗な円形に抉られたような破壊跡が数多く散見された。

 

「うわ……穴ぼこだらけ……」

「おいおい、これじゃいつ城全体が崩壊したっておかしくねーぞ」

「えぇ、すでに周辺の避難は完了しているので居住者に被害は出ないと思いますが……」

「これ以上俺様の城を壊させてたまるかってんだ。とっとと片付けるぞ、敵はどこに……」

 

 新築ピカピカだったアメージング城をこんな無残な姿に変えてしまった、その相手とは。

 

「……あっ! ランス様、あそこ──!」

 

 それは瓦礫の海に立つ、というか、その足は地面に触れず宙に浮いていた。

 城の残骸が散乱する中、その姿の周囲には邪魔なものが一つたりとも存在しない。

 それもそのはず、それに近付いたもの全てが尽く破壊されてしまうから。

 

 あらゆるものを寄せ付けぬ神々しい姿。

 そこにいた──破壊神の姿。 

 

「おぉ! 何処の何者かは知らねーがなんとビックリ美人ちゃんじゃねーか!!」

 

 それは一目見ただけで脳裏に焼き付くような美しい美貌、美しい姿をしていた。

 謎の襲撃者はまさかの女。言わずもがなランスにとっては大当たりを引いた気分である。

 

「身体も凹凸のあるナイスバディで……いいぞ、いいじゃないか! こういう襲撃は大好物だ!」

「魔王様、気を付けて下さい。この破壊跡を見る限り奴の強さは見かけでは……」

「心配すんな、相手が誰だろうが俺様は最強だ。俺一人でやるからお前らは下がってろ」

 

 我は魔王。最強の存在に敵など無し。

 ランスは腰に下がった武器を手に取る事すらもせずそのまま前に進み出た。

 

「やい! そこの美女! お前の目当てはこの俺様だな? そうだな!?」

 

 ランスが声を掛けると──その目が。

 

「………………」

 

 何一つ感情の読み取れない目が。

 無表情の目が、左右色の違う青と赤の目がランスの方に向いた。

 

「どうだ、遂に登場だぞ。この俺様こそが世界を支配する王、魔王ランス様だ」

「………………」

「ぐふふふ、怖いか? 声も出ないか? でもまぁ安心しなさい、俺様はとーっても優しい魔王様だからな。たとえ俺様の命を狙う敵だろうともそんな事でお前を殺したりはしないとも」

「………………」

「ここはやっぱおしおきセックスで手を打ってやろうじゃないか、がーはっはっはっはー!」

 

 絶対的に勝利が大前提、すでに勝敗は決しているかのように大笑いする魔王ランス。

 人間だった頃から自信過剰な性格、それが魔王になった今では。魔王ランスがこの地上で最強の存在である事は疑いようも無く、故にその自信は真っ当なものと言えたのだが──

 

「………………」

 

 すると──動き出す。

 その優美な姿がふわりと宙に浮かんで、僅かに前傾姿勢となって推進する。

 

「…………────」

「がははははー……お?」

 

 そして、迫る。

 

「っ……!」

 

 その圧でランスは目が覚めた。

 完全に相手をナメきっていたとはいえそれでも魔王、というか元々からして歴戦の英雄。

 こちらに向かって突っ込んできた謎の美女。そのただの美女とは思えない圧倒無比なプレッシャーに頭の中が一瞬で戦闘モードに切り替わる。

 

「──おっと!」

 

 真正面から迎撃するか迷って、しかしランスは刹那の判断で回避を選択した。

 その判断は正解だった。その突進を受け止めようとしていた場合、如何な魔王の肉体とてどうなっていたかは分からない。

 

「っ、なんだぁ!?」

 

 横っ飛びに避けて回避して──驚愕した。

 謎の美女の通った道が、地面や壁がそのまま真っ直ぐ半円状に抉られていたのだ。

 

「これ、あのバリアのせいか……!?」

 

 謎の美女の身体の周囲、一回り大きく覆うようにして展開されている黒色のバリア。

 それは魔法バリアや無敵結界などのただ身を守る障壁とは次元が違う、球状のバリアの通り道に沿うようにして障害物全てが消滅していた。

 

「つーかおい! これ以上俺様の城を壊すな! まだ完成だってしてねーんだぞ!!」

「………………」

「……あのきみ、ちょっと話聞いて……のわぁ!」

 

 言葉を交わす間もなく再度の直進。

 謎の美女が突撃してくるルート、破壊の軌道上から慌てて飛び退く魔王ランス。

 

「くそ、この俺様を翻弄するとは……おい、お前は本当に俺様の命を狙いに来たのか?」

「………………」

「……ぐぬ、随分と無口なヤツだな……」

「………………」

 

 謎の美女はこちらの問い掛けに何一つ言葉を返す様子が無い。

 ランスとしては殺すつもりは無いしこの後セックスもする事だし、もっとこの美女のパーソナルデータを知っておきたい、せめて戦う理由ぐらい聞いておきたいのだがそれすら答えてくれない。

 何を考えているのか全く読めない無表情といい、どうにもやりにくい相手である。

 

「つーかせめて名前ぐらいは名乗れ!」

「………………」

 

 その問いに、一瞬その動きを止めて。

 

「……我が名は」

「お?」

「我が名は……破壊神ラ・バスワルド」

 

 その名を告げた──破壊神ラ・バスワルド。

 天より降り立った第二級神、この世界に破壊を齎す存在。

 

「あぁん? 破壊神だぁ?」

「………………」

「んじゃなにか、お前は神様だってのか?」

「………………」

「おい急に黙るなよ。というかその破壊神サマが一体俺様に何の用事で……」

「…………────」

「だーから話の途中で突っ込んでくんなって!」

 

 言うべき事は言ったとばかりに再びの突進、再びの破壊。

 ランスも再度回避を選択。回避こそ可能なもののこのままでは埒が明かない。

 

「ぬぅ、こうなったら……」

 

 と、そんな時だった。

 

 

「おい、なんの騒ぎだ、ってこりゃあ……」

「あん?」

 

 近くにあった瓦礫の山の物陰から。

 昔はとても耳障りだったが今では別にそうも感じなくなった声が聞こえて。

 

「……お、おいおい……なんだなんだ、あの見るからにヤバそうなヤツは……!」

「にゃ、にゃにゃにゃ……! アメージング城が穴ぼこだらけになってるにゃあ……!」

「わ、わぉん……! り、リス様、これは早くここから逃げた方がいいのでは……!」

「おぉ、お前ら……」

 

 それは魔人ケイブリス、そしてその使徒達二匹。

 つい昨日、魔王の気まぐれによってたまたま復活していた最弱の魔人がひょっこり姿を見せた。

 

「お、おいランス、一体アイツはなんなんだよ!」

「さぁな。なんかいきなり現れていきなり暴れ出した破壊神ラ・バスワルドさんだと」

「破壊神!? つーかラ・バスワルドって、その名前はなんかに似てるような気が──」

「にしてもケイブリス、お前ちょうどいいタイミングでやって来たな」

「へ?」

 

 ちょうど良いタイミングとは。ケイブリスが眉を顰めたのも束の間、

 

「……っておい、ちょっと……」

 

 魔王の手が伸びてきて、小さなリスの小さな身体をむんずと掴み上げた。

 

「そういやお前、最強になりたいんだったよな」

「は? いやまぁそりゃそうだけど……」

「ならちょうどいい相手があそこにいるぞ。あいつを倒せばきっと経験値がっぽがぽだ」

「え、いや、そんな、ちょっと待──」

 

 魔王の言わんとする事を察したケイブリスはその身体をわさわさと震わせた。

 がしかし、そのような微々たる抵抗で魔王の手のひらから逃れられるはずもなく。

 

「待って! いやだ! やだやだ!!」

「てなわけで……いってこい! ケイブリスっ!」

「やめてーーーー!!」

 

 そのままばひゅーんっ!! と投げられた。

 

「あぁーーー!?」

「リス様ーーー!!?」

「ぎゃーーーーー!!!」

 

 魔王渾身のピッチングによって剛速球と化した魔人ケイブリスが、

 

「………………」

 

 破壊神バスワルドの周囲に展開された球体状のバリアに触れた、その瞬間。

 

 

「──あっ」

 

 聞こえた小さな断末魔。

 

 

「あぁーー!! リス様がぁーーーー!!」

「り、リス様が大根おろしみたいになっちゃったにゃーーーー!?」

 

 球体状のバリアに触れた、その瞬間。

 触れた部分から魔人ケイブリスの身体全てが粉微塵に破壊された。

 

「うげ、やっぱあのバリアはヤバいな……触れた瞬間即死したぞ……こわ」

「魔王様ー! いくらなんでもリス様の扱いがヒドすぎるにゃーー!!」

「わんわん! 怖いのはあいつのバリアじゃなくて魔王様のほうだわんーー!!」

「やかましい、魔王様の為に身を粉にして働くのが魔人の仕事だ。にしてもあのバリア……つうかあの黒いエネルギーそのものが危険っぽいな」

 

 凶悪なバリアの表面上で火の粉のように揺らめく黒い粒子、それは純粋なる破壊の力そのもの。

 永久に消えない魂を完全に消滅させる為に与えられた、触れたものをただ破壊する力。それは魔人ケイブリスの肉体をあっという間に摩り下ろしてしまう圧倒的破壊力。

 

 ただ幸いにも、現在の破壊神ラ・バスワルドは諸事情によりその神格を低下させている。神たる力の一部を奪われて、更に神格を落とす原因となる魔血魂を取り込んでいる。

 そのおかげでケイブリス本人の肉体は瞬時に破壊されたもののその根源は無事、つまり魔血魂は破壊される事なくその場にぽとりと転がった。

 

 もし破壊神ラ・バスワルドが本来の神格を有していた場合、それは魔王をも凌駕する力を持つ。

 つまり魔王の力の源である魔王の血、その一部である魔血魂すらも破壊する事が可能という事。

 その場合はケイブリスも魂ごと破壊されて完全に消滅していたはずなので、今回はバスワルドが神格を下げていたおかげで九死に一生を得た形だった。

 

「つーかワンニャン共、ケイブリスがやられたってのに使徒のお前らは仇を討たなくていいのか」

「わ、わん達の残機は常に0なんだわん! ケイブリス様と違って無駄死には出来ないだわん!」

「そうだにゃそうだにゃ! そもそもあんな強そうなヤツににゃあ達で勝てるわけが──」

「…………────」

「ぎゃーー!! こっちに来たわんーーー!!」

「逃げるにゃ逃げるにゃーー!!」

 

 突撃。破壊の力を撒き散らす突進はただそれだけで大きな脅威となる。

 ランスは再び回避、ケイブワンとケイブニャンは散り散りに逃げ出していく。

 

「ぬぅ……なるほどな、確かにこのバリアは厄介だ」

「………………」

「これが破壊神か、やるではないか」

「………………」

 

 その実力は認めざるを得なかった。

 天界より降臨した破壊神。魔王の城を襲撃して魔王の前に立ち塞がるのも納得の強敵。

 

 

「──が!!」

 

 ──が。

 それでもここにいる男は。

 

「俺様はランス様だ!! 破壊神如きを恐れる俺様ではないわ!!」

 

 その男はランス。

 立ち塞がるあらゆる敵と戦い、その全てを勝ち抜いてきた男。

 

「てなわけで……日光さん!」

「はい」

「んでついでにカオス!」

「ついでちゃう! 儂がメインじゃい!!」

 

 ランスは腰に下げる両剣を引き抜いた。

 白く輝く聖刀と黒塗りの魔剣を左右それぞれに、最近やり始めたばっかの双剣スタイルである。

 

「やいバスワルド! 手加減はしないからな、くれぐれも死ぬんじゃないぞー!!」

 

 魔王の力とはいえこの相手に手加減は不要。

 ランスはそう判断した。相手の実力を見抜く眼力は歴戦の英雄に備わる素質の一つ。

 

「……………………」

 

 するとバスワルドの表情に僅かな変化があった。

 まるで相手を見定めるかのように、その目の奥の瞳孔が少しだけ大きくなって。

 

「いくぞー!! ひっさーーっつ!!」

 

 一方でランスは。その両腕を高く掲げて。

 すでに気力は十分、故にその力を余す事なく勢いよく振り切った。

 

「喰らえーい!! 魔王アターック!!」

 

 地に打ち付けて──ズンッ! と重く響く。

 魔王の力が、その本気が炸裂したのだ。

 

「うわわっ、地面が……!」

「揺れていますね……」

 

 その瞬間、大地が悲鳴を上げた。世界一の山岳である翔竜山が揺れたのだ。

 魔王の本気は大地を、大気を、世界を圧倒する。離れた場所で戦いを見守っていたシィルやホーネットにも感じ取れる程、桁違いの力を行使するのが魔王という存在。

 

「……………………」

 

 そうして放たれた斬撃の衝撃波が、地を食らう大刃となって突き進む。

 魔王の放った必殺技。それは一瞬でバスワルドの視界全てを覆う程の莫大なエネルギー量。

 

「……………………」

 

 洪水に飲み込まれたかの如く、その姿はあっという間に見えなくなって──

 

 

「……ヤバい」

「ヤバいってなにが?」

「ちょっとやり過ぎたかも。こりゃバスワルドちゃん死んじまったんじゃ──」

 

 この後おしおきセックスと洒落込む予定の美女を殺すわけにはいかない。

 対戦相手であるにもかかわらずランスがその身を案じて動きを止めた、その時だった。

 

「っ、心の友!」

「危ない!」

「げッ!!」

 

 当代の魔王が放った必殺技を──超えた。

 衝撃波の瀑布を真っ向から突き抜けて、破壊の神が迫りくる。

 

 それは──比較するならランスアタックの数十倍に及ぼうかという魔王アタックの衝撃波。

 がしかし破壊神ラ・バスワルドには届かず。衝撃波はその身を覆う破壊の粒子と追突し、双方の破壊力が相殺し、結果バスワルドの通り道の分だけ綺麗にかき消された。

 

「…………────」

「ぬわぁ! こ、この……っ!」

 

 交錯して、寸前、顔の前を通った破壊の粒子が髪を撫でる。

 衝突ギリギリで回避したものの、それでもたった今起きた事にランスは動揺を隠せない。

 

「お、俺様の魔王アタックが……!」

「効かんかったのう」

「効きませんでしたね」

「そんな……がーん、がーーーーん……!」

 

 実はこれが初お披露目だったランスの新必殺技、魔王アタック。

 単に魔王になったランスが力任せに繰り出すランスアタックというだけの代物なのだが、それでも魔王が放つ必殺技だけにその威力は絶大、この世に並び立つものなど無い究極の一撃。

 ……だったのだが、破壊神の破壊の力はそれすらも破壊してしまった。神格を落としているとはいえさすが第二級神の力は伊達ではないという事か。

 

「エネルギー波の類は相性が悪い……となると、直接攻撃で攻めるしかありませんかね」

「えーマジでー? でも儂等の刃ってあのバリアと斬り合っても大丈夫なん?」

「……大丈夫でしょう、恐らくは」

「んじゃ日光、まずお前から試してみろよな」

「……貴方がメインなのでは?」

「知らん。それに大丈夫言うたのお前やんけ」

 

 魔王が放った必殺技すらも相殺して打ち消してしまう破壊神バスワルドのバリア。

 破壊の権能そのものと言える力、それは神造武器であるカオスや日光ですらも躊躇する程で。

 

「どーするよ心の友、なんだか分が悪そうだし一旦引いて体勢を立て直すか?」

 

 遂には撤退案まで提示される始末。

 

「………………」

 

 そんな状況にランスは──

 

「……ナメんなよ」

「お?」

 

 俯いていたランスは顔を上げた。その目はまだ死んでいなかった。

 それどころか怒りの炎によって強く激しく燃え上がっていた。

 

「魔王様をナメるなよーー!!!」

 

 その怒声は。全生物を恐怖で震え上がらせる魔王怒りの体現。

 

 我は魔王。破壊神がなんのその、絶対なる最強は断じて自分である。

 このままでは済まされない。魔王アタックが不発に終わったままではいられない。

 そもそもが苦戦するなんて事があり得ない。たとえ相手が破壊神であろうとも。

 

 ──故にランスはその名を呼んだ。

 

 

「かもーんっ! シャリエラーー!!!」

「はーい。シャリエラでーす」

 

 呼ばれてどこからともなくやって来たアメージング城在住の踊り子、シャリエラ。

 今となってはランスの秘密兵器、伝説の踊りがそのベールを脱ぐ。

 

「さぁ踊れ! お前のダンスを見せてみろ!」

「はいですご主人様。るーるるる~……♪」

「おぉ……きたきた……力が湧いてきたぞ……!」

 

 全身に立ち昇る充足感。踊りLV2の才能によるダンスが齎す強力なバフ効果。

 ランスは魔王であり、魔王の体力は無尽蔵であり尽きる事は無い。しかし必殺技を放つのには体力の他にも気力が必要であり、その気力は魔王とあっても消費をする。

 すなわち魔王とあっても必殺技を放つのには、つまりランスが魔王アタックを放つにはそれ相応の溜めが必要になるのだが。

 

「さぁーて、覚悟しろよバスワルド……!」

「………………」

 

 しかし、気力を回復させるシャリエラの踊りはその前提を覆す。

 今や気力は無限に湧き出る状態、そして繰り返しになるが魔王の体力には上限が無い。

 となれば。気力も体力も無尽蔵の場合、どんな事が可能になるか。

 

「いくぞー!! 魔王アタタタターーーック!!」

 

 漲る力のままに魔王は魔剣を振るった。そして続けざま聖刀を振るった。

 その一太刀一太刀が必殺技。左のカオスで一撃、右の日光で追加の一撃、連続で放たれた魔王アタック、津波のような衝撃波が二連。

 それだけでも圧倒的な光景だが、魔王の本気は何も二連程度には留まらず。

 

「あたたたたたたたたたたったたたた──!!」

「…………────!」

 

 『た』の回数だけ繰り返し繰り返し放たれる魔王アタック。

 カオスと日光を交互に振るう度、噴出する桁違いの衝撃波がバスワルドを飲み込んでいく。

 

 それはランスお得意のがむしゃら連発ランスアタック。それを今や魔王アタックの規模で。

 シャリエラがいるからこそ実現可能な技。インチキにインチキを重ねたような戦法だが、それだけに効果は甚大で。

 

「………………っ」

 

 バスワルドの目が大きく見開かれた。

 迫り来る圧倒的な衝撃波は先程と同じように破壊の粒子と相殺され、その身体には届かない。

 がしかし間髪入れずに続きが。繰り返し襲い掛かる衝撃波は破壊の粒子と相殺されて、その身を守るバリアを確実に削っていく。

 

「うりゃりゃりゃりゃりゃーーー!!」

「…………くっ」

 

 バリアの維持が──追い付かない。

 無限に迫る魔王アタックを前に、破壊神の権能たる破壊の力が枯渇していく。

 

 そして──

 

「とーーーーっ!」

「あ────」

 

 一撃、届いた。

 それで勝負は決した。一つ届いた以上、続くその先を防ぐ術などありはしない。

 魔王の放った必殺技にその身を刻まれて、やがて破壊神は力なくその場に崩れ落ちた。

 

「──っと、どうだバスワルド、参ったか!」

「………………」

 

 返事は無い。

 ただその沈黙は先程までとは意味合いが異なる、言葉なきその姿は敗者の証。

 

「よーしっ! この戦いは俺様のしょーり! だいしょーりー!!」

 

 こうしてランスは破壊神バスワルドに勝利した。

 魔王様の見事な勝ち戦を受けて、それを観戦していた者達からも祝福と賛辞の言葉が。

 

「……なんか、ズルいのにゃ……」

「インチキだわん……」

「ズルくない。戦いってのはこういうもんだ。なーシャリエラー?」

「そうなのです。ねーランスー」

 

 ランスにとって戦いとは。ズルかろうが楽に勝てる方法があるのならそれで良し。

 最強の存在である魔王になっても尚、正々堂々など知ったこっちゃないのであった。

 

「さーてさて! ではではお待ちかねのおしおきセックスのお時間でございまーす!!」

 

 ともあれ、勝利の次に待つのはご褒美。

 ランスは鼻歌混じりに勝ち取ったご馳走のそばへと近付いていって──

 

「……って、おや?」

 

 思わず目を瞠る。

 たった今討伐した相手、破壊神ラ・バスワルドの姿はこつ然と消えていて。

 その代わりに倒れていたのは──

 

「う、うぅ……」

「ん……っ」

「ハウゼルちゃん……と、サイゼル?」

 

 何故かそこにいたのは魔人ハウゼル。そして魔人サイゼル。

 まるで破壊神と入れ替わったかのように魔人姉妹二人が倒れていた。

 

「……なんだこれ? どういうこっちゃ」

「…………ん」

「おい二人共、こりゃ一体どういう……」

「…………うぅ」

「駄目だ、意識が無い。……シィール! この二人を医務室に連れてけー!!」

「あ、はーい!」

 

 お呼びが掛かって物陰からシィルが姿を表す。

 という事で、まだ意識が戻らないハウゼルとサイゼルは医務室に搬送が決定。

 二人が目を覚ますのを待ってから、ランスは事情を聞いてみる事にした。

 

 

 

 

 

 

 こうして──ひとまず破壊神の脅威は去った。

 

 がしかし、事件はこれでは終わらなかった。

 破壊神ラ・バスワルドによる騒動、それはここからが本番だった。

 

 

 

 

 

 



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破壊神バスワルドたん

 

 

 

 

 

 アメージング城を襲った破壊の暴風、破壊神ラ・バスワルドの脅威は去った。

 地上の王たる魔王ランスが戦い、見事に第二級神を討伐した。

 

 そして──その後。

 

 

「おーい、二人共ー」

「あ、ランスさん…」

「おう、目が覚めたか」

「うん、なんとかね……」

 

 ランスが向かったのは医務室。するとベッド上で出迎えたのは二人の魔人。

 破壊神バスワルドの討伐に伴い救急搬送された二人、ハウゼルとサイゼルはすでに意識を取り戻して身体を起こしていた。

 

「でだ。二人共、ここまでの経緯は分かるか?」

「ん、まぁ……一応は……」

「なんかいきなり破壊神ラ・バスワルドとかいう物騒な美人ちゃんが暴れ出してな。でそれを俺様がやっつけた。そこまでは良かったのだが……するとバスワルドの姿が消えちまって、その場には何故か二人が倒れていたのだ」

「……えぇ」

「これ、どういう事だか分かるか」

「……はい、分かります。実は──」

 

 今まで知る由も無かった事、そして遂に思い知った事。

 破壊神ラ・バスワルドと自分達の関係性、ハウゼルはぽつぽつと語り始めた。

 

 

「……つまり、あのバスワルドは君たち二人が……合体? いや融合した姿って事か?」

「そういう事です。ただ……」

「どちらかって言うと私達が融合したんじゃなくてあの破壊神ラ・バスワルドこそが元なのよ。バスワルドが二つに分かれて生まれたのが私でありハウゼルだってことね」

「ほへー……なるほど……」

 

 魔人ラ・サイゼル。魔人ラ・ハウゼル。

 氷と炎という正反対の属性を持ち、瓜二つの容姿を持つ姉妹にはその原型がある。

 二人の元々の姿、言わばその真の姿が破壊神ラ・バスワルドであるという事。

 

「あの日、突然予兆のようなものを感じて……私と姉さんはバスワルドに戻りました。そうなった理由は今でもよく分かりません」

「ふむ……バスワルドになったのはいいとして、アメージング城をぶっ壊したのは何故だ。んで俺様に襲い掛かってきた理由も」

「それはバスワルドに聞いてよ。あれは私達がそうしたくてした訳じゃないんだから」

「んじゃあバスワルドの意思とお前ら二人の意思は別だってことか?」

「えぇ、そうです。バスワルドになっている間も朧げながら意識は残っているのですが、バスワルドそのものの意識の方が優先されるらしく、私達には一切コントロールが出来なくて……」

 

 破壊神の姿をしている時は破壊神の意識が、つまり元々のバスワルドの人格が表出する。

 行動の主導権は完全にバスワルドが握り、サイゼルにもハウゼルにもコントロールは不可能。二人はあくまで破壊神の分身体である事を考えるとそれも当然の事と言えた。

 

「バスワルドの力はとても強大でした。どうしてあのように暴れていたのかは不明ですが、ランスさんに止めて貰わなかったらと考えると……本当にご迷惑をお掛けしました」

「ま、俺様に掛かればあの程度大したことはない。二人の意思じゃないっつーなら城を壊した事も大目に見てやるが……ちなみに今ここでバスワルドの姿に戻ったりする事は出来るのか?」

「いえ、それは無理です。あれは私達の意思でどうにか出来るものではないようで……」

「もし出来たとしてもやりたくないわね。バスワルドの姿になったら何も制御出来ないんだもん」

「ぬぅ……そうか」

 

 ハウゼルとサイゼルの意思で自発的に破壊神バスワルドの姿に戻る事は不可能。

 よしんばバスワルドの姿になれたとしても一切制御が出来ない以上、常時破壊のバリアに守られるバスワルドとセックスする事は実質的に不可能。

 つまりご褒美は無し、唯一それだけがお目当てだった魔王ランスは悔しげに喉を鳴らした。

 

 

 

 

 

 

 そして。ランスは医務室から退出して。

 

「でも良かった……こうして元の姿に戻れて」

 

 静かになった医務室。

 すぐ隣に妹がいる事を実感しながら、姉のサイゼルは穏やかな表情でふぅと息を吐く。

 

「突然バスワルドになっちゃった時は本当にどうしようかと思ったわ」

「……そうね。……けど」

 

 一方でハウゼルは。

 まだその表情を曇らせたまま。

 

「ねぇサイゼル。バスワルドの事……どう思う?」

「どうって……なにが?」

「今回私達が突然バスワルドに戻った理由。それが分からないっていうのもそうなんだけど……サイゼルは感じない? バスワルドは……まだ……」

「それは……」

 

 言われるまでもなく、サイゼルも気付いていた。

 

 その胸の奥には。まだ……鼓動を感じる。

 今までは感じる事の無かった破壊神の脈動を。

 

 

 ──まだ、バスワルドの脅威は去ってはいない。

 ハウゼルとサイゼルの懸念はその後すぐに現実のものとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、それから数日後。

 

 

「ふぃー、今日もいい天気だ。シィル、茶いれろ」

「はい、ランス様」

 

 にこやかに頷いて、シィルは慣れた手付きで急須にお湯を注いでいく。

 昼下がりの穏やかな日差しの中、野外テラス席でまったり中の魔王ランス。

 

「にしてもこの間はえらい騒ぎだったなぁ」

「破壊神バスワルド、ですか?」

「うむ。いきなり現れたと思ったら襲い掛かってきて……結局なんだったのだあれは」

 

 数日前、突如出現した破壊神ラ・バスワルド。

 破壊神というだけあってとにかくその破壊の力は凄まじかった。サイゼルとハウゼル二人分の力を単純に合算した力量を遥かに超えていた。

 それは今二人が眺める景色が物語っている。破壊神が暴れ回った事によりアメージング城中央塔は無残にも崩壊し、戦いに敗れて消滅した不幸なリスなど犠牲者も出てしまった。

 

「けどまぁ破壊神と言えども最強魔王様であるこの俺様の敵では無かったがな」

 

 そんなバスワルドと戦って──魔王ランスは見事に勝利を収めた。

 久々に全力を出した一戦、破壊神との激闘を思い出しながらランスはほうじ茶をずずっと一口。

 

「でも……勝利はしたもののアメージング城への被害は大きくなってしまいましたね」

「それはパイアールとかに何とかさせるからノープロブレムだ。どうせまだ建築途中だしな」

「パイアールさん、崩壊した中央塔を目にして呆然とした顔になっていましたね……」

「最終的な完成はまだまだ先なのだし、あの程度のやり直しどうって事は無いだろ。それよりも痛恨だったのはバスワルドとセックス出来なかった事だ。せっかく倒したんだからそのままおしおきセックスの流れだったのに、倒した途端にサイゼルとハウゼルに戻っちまったからなぁ……」

 

 などと世間話を交えながら。

 ランスとシィルが昼食後のまったりとした時間を楽しんでいた──そんな時だった。

 

 

「──えっ?」

 

 ふと横を見て気付いたのはシィル。

 

 

「ら、ランス様っ!」

「あん? ……ぎょッ!?」

 

 声に釣られて視線を向けて、すぐさまシィルと同じようにぎょっと驚くランス。

 

 

「………………」

 

 それもそのはず。

 ランスとシィルの驚愕の先には、それが。

 

 

「………………」

「な、なな……ッ!」

「我が名は……破壊神ラ・バスワルド」

 

 テラス席の奥の方、神々しくも屹立するその姿は純粋なる破壊の象徴。

 先日討伐したはずの破壊神ラ・バスワルドが何故か再びアメージング城に顕現していた。

 

「………………」

「な、なんでバスワルドがまた……!」

「おいサイゼルにハウゼルちゃん! こりゃどういうこっちゃ! ……って、今の二人に言っても意味ねーのか……!」

 

 たった今話題にしていた相手、まだ先日の戦いの傷跡深く残るこの城に再び現れたバスワルド。

 破壊神の状態は姉妹達にもコントロール不可能という事あって、また訳も分からず戦闘になるのかと身構えるランスとシィルだったが──

 

「………………」

「……あれ?」

「………………」

「……あん?」

 

 警戒を厳にする二人をよそに、バスワルドは。

 

「………………」

 

 数日振りに現れたバスワルドはただその場にふわふわーっと浮いているだけ。

 喋る事も無く身動ぎすらもせず、勿論ながら破壊の力を周囲に振りまくような事も無く。

 

「………………」

「なんか……この前とはちょっと雰囲気が違う、というか……」

「……うむ。襲い掛かってくるような気配は……なさそうだな……」

 

 先日のようにバスワルドが襲い掛かってきたり破壊の力を行使する気配は無い。数多の戦いを経験してきたランスとシィルの観察眼を通してもその姿に戦意は見られなかった。

 無敵結界のようにOFFにする機能が無いのか、破壊神の象徴でもある破壊のバリアこそ展開されてはいたものの、それも波のように揺らめく事なくバスワルドの周囲を穏やかに包むだけで。

 

「………………」

「おっ、なんだ、やるか?」

 

 そんなバスワルドが、近くにいたランス達の存在に気付いて振り向いた。

 すると──

 

「………………」

「お、おぉ?」

 

 無表情無反応のまま、ふわふわ宙に浮きながらすいーっと近付いてきて。

 

「………………」

「ぬ……」

 

 そしてぴたっと停止、ランス達の手前3m程で立ち止まった。

 

「………………」

「……な、なんだよ」

 

 視線が交錯。じっと睨み合う魔王と破壊神。

 

「………………」

「ら、ランス様……」

「お、おい、それ以上こっちに寄るな。お前のバリアに当たりそうで危なっかしいんだよ」

「………………」

 

 ランスの言葉が届いているのか、理解しているのかいないのか。

 それすらもよく分からないが、とりあえずバスワルドがこれ以上近付いてくる様子は無い。

 

「………………」

「……ランス様、その……バスワルドは何がしたいんでしょうかね?」

「分からん。こっちに近付いてきたって事は何かしらの用があるんだろうが……」

「………………」

 

 沈黙したままの破壊神。全てを見通すような鋭い神の眼差しから伝わるのは無言の圧。

 とにかく圧は凄い。神々しさと破壊の圧が相まって途轍もないプレッシャーを感じる……が、それでも無表情無反応のままではその意思まで読み取る事は難しく。

 

「おいバスワルド、お前の目的はなんだ」

「………………」

「おいって」

「我が名は……破壊神ラ・バスワルド」

「そりゃ知っとる」

「………………」

 

 やっと口を開いたかと思えば名乗りだけ。そして再度沈黙。

 何かしらの意思や思考はあるのだろうが、あまりにも掴みづらい相手である。

 

「………………」

「けど、なんか、こいつ……」

「ランス様を……見ていますね」

 

 しかしてその視線の先に注目してみると。

 どうやらシィルは眼中に無く、バスワルドはランスだけを注視しているようで。

 

「バスワルド、俺様になんか用か」

「………………」

「あ、もしかして戦いに負けたからって潔く俺様に抱かれに来たか。そうなんだな?」

「………………」

「でもバリアがなぁ……この物騒な破壊バリアさえ無ければセックスも出来るのだが……」

 

 試しにランスはテーブルにあった急須を拾ってバスワルドに向けて投げてみる。

 すると急須は空中でバリアに触れた途端、粉砕機に掛けられたように粉々になった。

 

「だーめだこりゃ」

「あぁ、ランス様……この急須高かったのに……」

「また買え。それよりもバスワルドよ、そのバリアを解除する事は出来ねーのか?」

「………………」

「おい、聞いとんのか」

「………………」

「……反応、無いですね」

「無いな。相変わらずうんともすんとも言わねーヤツだなぁこいつは……」

 

 何をしても。何を語りかけても。返ってくるのは無表情無反応の沈黙だけ。

 ディスコミュニケーションの化身のような相手にさすがのランスも困り顔である。

 

「おいバスワルド、お前の名前はなんだ?」

「我が名は……破壊神ラ・バスワルド」

「名前はちゃんと名乗るんですよね」

「うむ。でバスワルドよ、お前は一体何が目的でここに来たんだ?」

「………………」

「お?」

 

 するとバスワルドは。

 その左手を軽く持ち上げて。

 

「………………」

「ど、どうした」

 

 手のひらをじっと見つめた後。

 

「………………」

 

 その手を下ろして、ランスに視線を戻した。

 

「……は?」

「………………」

「……おい、なんだ今の」

「さ、さぁ……なんでしょうね……?」

「………………」

 

 ランスとシィルも首を傾げてしまう程、謎が多すぎる破壊神バスワルド。

 ろくに言葉も発せずその表情も変わらない。神の意志を伺い知る事は出来ないのか。

 

「おいバスワルド、なんとか言え」

「………………」

「だーめだこりゃ」

 

 この沈黙の前には打つ手無し。ランスは早々に白旗を上げた。

 

「シィル、部屋に戻るぞ」

「えっ、あ、けどバスワルドを放っといてもいいんですか?」

「いいだろ別に。戦う気は無いようだし。その内に飽きてサイゼルとハウゼルに戻るだろ」

「はぁ……」

 

 意思疎通が取れない、というか相手側に取る気が無い以上は仕方無し。

 どうせセックスも出来ない事だしと、ランスはバスワルドの存在を放置する事にした。

 

 

「………………」

 

 ……しかし、その後。

 

 

 

「………………」

「…………ぬぅ」

「ええっと……」

 

 廊下を歩く、ランスとシィル。

 

「………………」

 

 その背後に続く、破壊神。

 

「……ら、ランス様……」

「……あぁ、バスワルドのやつ……俺様のあとをずっと付いてくるな……」

「………………」

 

 付いてくる。破壊神が付いてくる。

 何が目的なのか、部屋に戻ろうとするランスの後ろを無言でずっと付いてくる。

 

「おいバスワルド。俺様になんか用なのか?」

「………………」

「お前なぁ。そうだんまりだとお前が何をしたいのかサッパリ分かんねーんだっつの」

「………………」

「ぐぬぬ……何処までも喋んねーつもりか……」

「………………」

 

 バスワルドはただじっと。

 その圧のある神々しい視線を向けるのみで。

 

「………………」

「……むむ」

 

 付いてくる。

 

「………………」

「うーむ……」

 

 付いてくる。

 バスワルドがずーっと付いてくる。

 

「………………」

「ら、ランス様……いいんですか……?」

「無視だ無視。こうなりゃ根比べだ」

 

 背後に破壊神の圧を感じながら、それでもランスは徹底抗戦の構え。

 喋らない、コミュニケーションが取れない相手に構っている暇など魔王には無いのである。 

 

 

 

 そしてその後、二人の根比べは数日間続いた。

 魔王ランスの歩く後ろを背後霊のように続く破壊神ラ・バスワルド。

 そんな奇妙な光景は耳目を集め、アメージング城内でもすぐに話題となった。

 

 

 

「で、だ」

「はい」

「………………」

「いい加減こいつをなんとかしたい」

「………………」

 

 一週間後、ランスは根負けした。

 破壊神の徹底した無言ストーカーっぷりにさすがの魔王も辟易してしまったらしい。

 

「なぁホーネット、一体全体こいつは何がしたいんだと思う?」

「そうですね……これだけ貴方の後ろを付いて回るという事は、何か訴え掛けたい事があるのだと見るのが自然だと思いますが……」

「けどこいつ全く喋らねーぞ。口を開いても『我は破壊神ラ・バスワルド』としか言わねーし」

「ですよね……」

「………………」

 

 呼び出しを受けたホーネットも破壊神の奇行っぷりには頭を痛めていた。

 バスワルドの破壊能力を考えるとこのまま放置しておくのはマズい。さりとてその破壊能力故に下手に手出しをするのもマズい。何から何まで扱いの難しい困った神様である。

 

「………………」

 

 するとバスワルドは。

 ランスとホーネットが向ける怪訝な視線をスルーしながら、その左手を軽く持ち上げて。

 

「………………」

 

 そしてその手のひらをじっと凝視した後、すぐにランスに視線を戻した。

 

「……今のは?」

「それも分からん。けどこいつ、たまに今みたいな動作を繰り返すのだ」

「……何か意味があるのでしょうか」

「それが分かれば苦労はせん。聞いたって何にも答えちゃくれねーし」

「………………」

 

 相変わらずの沈黙。

 ひたすらに沈黙を続ける破壊神ラ・バスワルドが時々行う謎の仕草。

 

「………………」

 

 自分の左手を見て。

 

「………………」

 

 そして、ランスに目を向ける。

 

「左手を気にしていますよね……」

「だな。理由は知らねーけど」

「………………」

「左手の手のひら……いや、指?」

 

 自分の左手を──その指を見て。

 そして、ランスに目を向ける。

 

「これは……」

 

 その仕草の意味にホーネットは気付いた。

 バスワルドが気にしているのは左手の指、特に一番端にある小指だという事に気付いたのだ。

 

 

「もしかして……運命の赤い糸?」

「あん?」

「まさかバスワルドは……彼女にだけ見える赤い糸の先を気にしているのでは……」

 

 自分の小指を、そして目の前にいる異性を気にする仕草の意味。

 それはホーネットも経験がある──運命の赤い糸の導き。

 

「え?」

「………………」

「え、え。んじゃあまさか……まさか、こいつの運命の相手が俺様だってのか?」

「……恐らくは」

「……マジで?」

 

 人間でもなく、魔人でもなく……神。第二級神たる破壊神との運命の繋がり。

 そんなものが自分の指にあるのか。ランスには見えない仕様なので答えを知るはただ一人だけ。

 

「そうなのかバスワルド? お前には赤い糸が見えてんのか?」

「………………」

「ぬぅ、なーんも喋らねぇからなこいつ……」

 

 破壊神は相変わらずの沈黙。

 その指に何があるのか、何が見えているのか。バスワルドは何も答えてくれない。

 

「……まいいや。だったらとりあえず電卓キューブ迷宮に行ってみるか?」

 

 ランスがそう声を掛けて。

 

「………………」

 

 バスワルドの口は閉ざされたまま。

 

「………………」

 

 けれども反応はあった。

 その真っ直ぐ見つめるオッドアイの瞳孔が、応えるように若干大きくなった──

 

 

 

「お」

 

 ──その瞬間、ランスと破壊神バスワルドは電卓キューブに移動していた。

 

 

「おぉ、来たな」

「………………」

「こうして電卓キューブに来たって事は……マジでこいつが運命の女なのか……」

 

 電卓キューブ迷宮。それは運命の赤い糸で結ばれた二人だけが訪れる事の出来る場所。

 そんな迷宮にこうして来ている、それが何よりの運命の証。

 

「はぁ~……こいつがねぇ……」

「………………」

「おいバスワルド、お前はこのランス様と運命で繋がってたのだ。どうだ、嬉しいだろう?」

「………………」

「コミュニケーションが取れない……まだ一度も会話らしい会話をしていないぞ。そんなヤツと運命で繋がってるなんて事があるのか?」

 

 運命の相手と称するのだから当然と言えば当然なのだが、これまでに運命の女と判明した相手はランスとそれなりに親交が深い女性達ばかりだった。

 しかしこのバスワルドは。つい先日に初めて会って戦っただけ。セックスはおろかろくに会話すらしていない、そんな相手との運命にはランスは半信半疑である。 

 

「……まぁいい。ここでつっ立っててもしゃあないし……とりあえず進むか」

「………………」

「俺に付いては来るんだよなぁ、こいつ」

 

 意思疎通の取れない破壊神だがちゃんと状況を理解してはいるようで。

 ランスが歩き始めると、そのすぐ後ろを宙に浮くバスワルドがふわふわ付いてくる。

 

「………………」

「おい、あんま近付くなって。お前のバリアが危ねーんだよ」

「………………」

「にしても迷宮の壁や天井がガリガリ削られちまってるけど……いいのかこれ」

「………………」

「俺しらーねっと。ここの責任者が文句言ってきたらお前が謝れよな」

「………………」

 

 そんな一方通行の会話を交わしながら。

 ランス達は迷宮を進む。すると──

 

『運命の二人よ……汝ら、真の姿で進むがよい』

 

「お、迷宮の試練か。…………ってあれ?」

 

 何処からともなく聞こえた機械音声、それはこの迷宮を攻略する為の試練。

 だがその瞬間ランスははてなと首を傾げた。

 

「今のって……サイゼルの時と同じだ」

「………………」

 

 それは運命の相手の一人、魔人ラ・サイゼルとの電卓キューブ迷宮チャレンジ。

 ランスはサイゼルとの電卓キューブ迷宮攻略は未だ成功しておらず何度も失敗している。その中で出されていた問題がこの『真の姿で進むがよい』というものだった。

 

「あんときは素っ裸で進むのが正解かと思ってな。サイゼルを裸に剥いたりそのままセックスしたりしてみたけど……全部失敗だったのだ」

「………………」

「でももしかして……バスワルドの状態でここに来るのが正解だったって事なのか?」

「………………」

「ぬ? じゃあ待てよ、これってサイゼルとの試練なのか? ……いや、というよりも……最初からサイゼルじゃなくてバスワルドとの運命が繋がってたって事か?」

 

 ここにきてランスはようやく思い至った。

 自分の運命の赤い糸は魔人ラ・サイゼルと繋がっていたのではなくて、その真の姿と。

 つまり魔人サイゼルだけではなく魔人ハウゼルも含めた本当の姿、破壊神ラ・バスワルドとの運命が繋がっていたという事。

 

「なーるほど、そういう事だったのか……」

「………………」

「おいなんとか言えよ。俺様一人でべらべら喋ってたらバカみたいだろうが」

「………………」

「……本当に無口だな、お前……」

 

 ちっとも会話が出来ない運命のお相手にげんなり顔のランス。

 けれども謎は解けた。運命の導きはこの破壊神バスワルドと。サイゼル単体とでは何度挑んでも失敗していた試練の謎も解けて、その奥へと進めるようになった。

 

「まぁ考えてみりゃサイゼルが運命の女だってのはさすがにピンと来なかったからなぁ。それもハウゼルちゃん込みでの二人セットだってんなら分かるような気がするぞ」

「………………」

「……つってもこのバスワルドが運命の女だってのにもまーるでピンとはこねーんだが……」

「………………」

 

 一歩一歩、破壊神との運命を確かめながら。

 そうして進む事、暫くして──

 

 

 

「………………」

「お、どうやらゴールみたいだな」

 

 ランスとバスワルドは迷宮の最奥に辿り着いた。

 そこには大きな宝箱が一つ。その中にあるものこそ、運命の女の特典とも言うべき運命武器。

 

「どれどれ……」

 

 ランスは宝箱を開く。

 するとその中にあったのは──

 

「……あん? なんだこりゃ」

 

 思わずランスも眉を顰める一品。

 それは液晶画面の付いた手のひらサイズの小型の機械。 

 それは一見すると、というかまじまじ見ても到底武器のようには見えない謎のメカ。

 

「………………」

「お、取説みっけ。えー、なになに……『これを使えばシャイなあの子の本音もズバリ!? 秘められた乙女心を覗き見しちゃう彼氏御用達のとっておきアイテム──』

 

 その正式名称は──破壊神専用、音声認識不要型自動翻訳機(召喚機能付き)。

 その名も──『バスリンガル』

 

「……バスリンガル?」

「………………」

 

 ランスはバスリンガルを入手した。

 

(続く)

 

 

 

 

 

 

 



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破壊神バスワルドたん②

 

 

 

 

 

 たどり着いた電卓キューブ迷宮最奥。

 大きな宝箱の中に入っていた運命のアイテム。

 

 それは──

 

「……バスリンガル?」

 

 それはシャイなあの子の本音を覗く彼氏御用達のとっておきアイテム。

 破壊神ラ・バスワルド専用、音声認識不要型自動翻訳機(召喚機能付き)。

 その名も──『バスリンガル』

 

「おい、これのどこが武器だってんだ」

「………………」

 

 それは何処からどう見ても武器ではない、手のひらサイズの小型メカ。

 バスリンガル──それは破壊神ラ・バスワルドとコミュニケーションを取る為の必須ツール。

 無言の沈黙を読み取ってその奥にあるバスワルドの意思を液晶画面に表示する翻訳機能の他、バスワルドが天に帰還してしまった時にもいつでもコンタクトが取れるよう、スイッチ一つで地上に再召喚出来る便利機能まで搭載されているらしい。

 

「どう見ても武器じゃない……けどまぁ、バスワルドは武器なんか使わねーか」

「………………」

「とにかく、このメカを使えばこいつの言いたい事が俺様にも分かるってんだな?」

「………………」

「なら早速使ってみよう。どれどれ……」

 

 ランスはバスリンガルのスタートボタンを押してみた。

 すると──

 

「………………」

『……私は破壊神、ラ・バスワルド』

 

「おぉ、ちゃんと表示された。それに喋ってもくれるのか」

 

 バスワルドの沈黙を読み取って、バスリンガルの液晶画面には文字が表示された。

 そして液晶の両側にあるスピーカー穴からはバスワルドの声そっくりな機械音声が翻訳文をそのまま読み上げる。さすが電卓キューブ迷宮産とでも言うべき見事な翻訳機能である。

 

「………………」

「なるほど、こりゃ便利だ」

『そう、私は破壊神。ありとあらゆるものを破壊する為に生み出された第二級神也』

「お」

『だから宝箱とか見つけると中身を見ずに箱ごと破壊したくなる。それが破壊神の生き様』

「あん?」

『というかそろそろおなかすいたね』

「なんだ、腹減ったのか。つかお前って食事とか取る必要のあるタイプのアレなのか」

『そりゃ勿論。まぁ食わずとも死にはしないけどせっかくなら美味しいごはんを……む?』

 

 とそこでバスワルド本体が反応した。

 バスリンガルに表示された困惑を表すように、その無表情の顔がランスの方に向いた。

 

『……むむ?』

「ん?」

『むむむ? 私の意思が伝わっているのか?』

「あぁ、バッチリ伝わってるぞ。これのおかげで」

 

 ランスは手の中にある翻訳機バスリンガルをバスワルドに見せ付ける。

 

「………………」

 

 その液晶画面の表示を見てもバスワルド本人は何も答えない。なんら反応しない。

 

『ほんとだ。バッチリ表示されてる。というか音声付きで喋ってるし』

 

 しかし運命武器バスリンガルはちゃんとその意思を代弁してくれる。

 

『ふむ……面妖な』

 

 これには第二級神も驚き顔。表情はピクリとも変わらなくてもその驚きは筒抜け状態。

 これぞ翻訳機バスリンガル。取説に書かれていたキャッチコピーに偽り無し、とっても無口な破壊神バスワルドとコミュニケーションを取る為には不可欠な代物と言えた。

 

『破壊神たるこの私の意思を代弁するとは……なんたる面妖な代物。これ破壊していい?』

「おい駄目だっての。せっかくの運命アイテムを破壊しようとするな」

『けど喋らなくていいというのは楽でいいな。無駄に喋るのは疲れるから嫌いなんだ』

「疲れるってお前……そもそもこの迷宮に来てからまだ一言も喋ってねーじゃねーか」

『うん。破壊神は喋らない神。とっても無口。バスワルドそういうとこあるから』

 

 先程までとは一変して会話のキャッチボールもお手の物。

 

「………………」

 

 バスワルド本人は相変わらずの沈黙状態、その代わりにバスリンガルが雄弁に語る。

 どうやら無駄に喋るのを嫌う性格故にこんなにも無口を貫いているようだが、そういった事すらもバスリンガル無しでは窺い知れなかった事。

 これが運命の繋がりによる恩恵。運命の赤い糸で結ばれる事によって、ランスは破壊神バスワルドの内面を覗けるようになったのだ。

 

『しかし心の声を覗くというのは如何なものか。翻訳のレベルを超えていると思うのだが』

「そもそもお前が喋らねーのが悪いんだろが。喋らねーと翻訳もクソもねーだろ」

『それはそうだけど……心の声が明け透けになるなんてバスワルド恥ずかしい(*ノωノ)ポッ』

「あん?」

 

 それが翻訳のレベルを超えた運命武器の超機能なのだろうか。

 バスリンガルの液晶画面には彼女の喜怒哀楽を表すような顔文字まで表示されていた。

 

『なんだこれ、ユニーク』

「ポッ、とか言われてもバスワルド本人の顔が微動だにしてないから違和感が凄い……」

『ふむ、私の表情筋は鉄壁だからな。でも本当はこの通り照れているんだ(/ー\*) イヤン♪』

「イヤンって……」

『\(^o^)/』

「お前遊んでるだろ。つか顔文字やめろ」

 

 それがバスワルドの本心、なのかどうか。

 それは定かではないが、バスリンガルに表示される翻訳文はやたらとコミカルである。

 

「にしてもバスワルド、お前ってこういう冗談とかやるような性格だったんだな」

『その翻訳機がおかしい。私はそんなキャラじゃない。変なキャラ付けするな(*`Д´)プンスカ』

「だからプンスカじゃねーっつの。……まぁいい」

 

 ツッコむのが面倒くさくなったのか、ランスは軽く頭を振って。

 

「ところでバスワルド」

『なに?』

「お前と会話が出来るようになった今、聞きたい事が沢山あるぞ」

『ほう? ならば問うてみるがよい。我の気が向いたら答えてやろうではないか』

「なんか急に偉そうになりやがったな……じゃあ質問だが、そもそもお前はあの日、一体何が目的でアメージング城に突然現れたんだ」

 

 あの日。破壊神ラ・バスワルドと初めて遭遇したあの日。

 あの日はランスも訳が分からず、流されるままに破壊神バスワルドとの戦闘となった。

 バスワルドがとにかく喋らない神なので理由も聞けずにただ戦いただ勝利したのだが、そもそもあの戦いは何故起こったのか。

 

『なんだ、突然現れてはいけないというのか?』

「現れるなとは言ってない、けどいきなり襲い掛かってきたのは何故だ。お前がやたらめったら暴れ回るからアメージング城のあちこちを再建しないといけなくなっちまったんだぞ」

『む……』

「俺様の城を壊した責任をとれ、責任を」

『むむ……』

 

 アメージング城所有権者ランスからの責任追及に押されてたじろぐバスワルド。

 今こうしてバスワルドと普通に接する事が出来ている以上、その心に敵愾心は無いのでは。

 だとするならば、そもそもあの時に戦う必要など無かったのではないか。

 

『それは……』

 

 そんな質問に、破壊神バスワルドは若干言い淀むような様子を見せて。

 

『(mー_ー)m.。o○ zZZZ』

「おい寝るな。つーか顔文字やめろ」

 

 眠ったふりで逃れられるはずもなし。すぐにランスのツッコミが刺さる。

 するとバスリンガルからは『……むぅ』と不満げな唸り声が聞こえて。

 

『……なに? なんか文句でもあるの?』

「そりゃあるだろ。こちとらせっかく建築途中の城をぶっ壊されとるんだぞ」

『我は破壊神也。そこらにあるものを手当り次第破壊するのが我が権能にして役目。そんな破壊神に破壊をするなというのが間違っている』

「開き直りやがったなコイツ……それじゃお前は俺様の城を破壊する為に現れたのか?」

『いや別にそういう訳じゃないけど。そんな理由じゃ地上に降りる事なんて出来ないし』

 

 ていうかねー、とバスワルドはその神々しい見た目に反してなんとも軽く呟いて。

 

『本来なら私はあの日、あの場所で地上に顕現する予定なんて無かったんだ』

「じゃあお前にも想定外の出来事だってのか?」

『うん。これは内緒の話だけどね、私には特定の破壊対象の個体数が一定を越えた場合、それを破壊する為に地上に顕現する、という設定がされている』

「特定の破壊対象?」

『完全に汚染された魂だ。あれはどうしようもないので破壊する。じゃないとその内に地上が汚染魂で一杯一杯になってしまうから』

「ほーん……」

 

 この世界において、完全に汚染された魂は輪廻の歯車から外れて神の下に還らなくなる。

 神の下に還らないとは死なないという事。つまり完全に汚染された魂の持ち主は不死となる。

 そうした不死の存在が次第に増えて地上を埋め尽くすのを防ぐ為、ある時を境に破壊神が地上に顕現してそれら全てを破壊する。バスワルドにはそういう役目があるらしい。

 

『んであの日、私は地上に顕現したわけ。だから私としては当然のように汚染された魂を破壊する為に呼び出されたものだと思ったんだ』

「ふむ」

『だが蓋を開けてみればあの城の近辺には汚染された魂が見当たらなかった。この世界全ての範囲で見渡せばある程度あるにはあったけど……それも私が地上に召喚されるトリガーとなる上限数には到底及ばない数だった』

「……で、つまり?」

『つまり、想定外の出来事だってこと』

 

 するとバスリンガルには『(●´・△・`)はぁ~』と溜息を吐く絵文字が。

 

『あれは私に設定された本来の地上顕現じゃない。せっかく破壊神の破壊神っぷりを見せ付けてやろうと思ったのに、破壊対象が無いだなんて肩透かしもいい所だ』

 

 初めて地上に顕現したラ・バスワルド。

 破壊神はその名に定められた役目を行使しようとして……しかし破壊対象が見当たらない。

 これまた初めての事態にバスワルドは戸惑った。戸惑って、困って、悩んで……そして。

 

『その結果、私はとてもストレスが溜まった』

「は?」

『で、仕方無いから暴れ回る事にしたってわけ』

「……おい。まさかお前が俺様に襲い掛かってきたのってそんな理由なのか」

『あぁそうだ。これがあの日いきなり破壊神が襲い掛かってきた真相だ。どうだ驚いたか?』

 

 原因は──ストレス。

 要するにあの日突然地上に降り立ったバスワルドは結構むしゃくしゃしていたようだ。

 

『だってさぁ、破壊神が地上に顕現する理由なんて破壊しかないわけで。だったらたとえ破壊対象が無くても、突然地上に呼び出されたら何かを破壊しろってことなんだろうなーって思うじゃん。それが人間ってものでしょ?』

「お前人間じゃねーだろ」

『そういう差別良くない。困ったらとりあえず破壊する、そういう感覚は人間も破壊神も一緒』

「普通の人間は困ったらとりあえず破壊なんぞしねーっての。……まぁいいや、お前が襲い掛かってきた理由については一応分かった」

 

 あまり納得出来る理由ではなかったものの、当人がそう言うのだから受け入れる他ない。

 破壊対象が見当たらなかったから代わりのものを破壊した、要はそれだけの事である。

 

『おぉそうか、分かってくれたか。バスワルドほっと一安心』

「つってもお前がアメージング城をぶっ壊した事を許した訳じゃねーがな」

『そんなー(´・ω・`)』

「その顔はなんなんだ。……にしてもバスワルド、お前が城を壊した理由は分かったが、それじゃあの日突然現れたのはなんでだ。さっきの話じゃお前にとっても想定外だったんだろ?」

 

 本来であれば、破壊対象が一定数に達していない現状破壊神が地上に顕現する事はない。

 それなのにあの時、というか今もこうしてバスワルドがランスの隣に居る理由とは。

 

『あぁ、その理由は多分これだ』

 

 おおよその検討は付いていたのか、言いながらバスワルドは左手を持ち上げた。

 

『この小指の糸、これが原因だと思う』

「それって運命の赤い糸が?」

『あぁそうだ。この赤い糸のせいだ』

 

 それは破壊神にだけ見れるもの。破壊神の左手の小指から伸びる糸。

 それは今も。すぐ近くにいるランスへと向かって伸びている。

 

『この糸、どうやら最初は私の分身体に結び付いていたのだろう?』

「あぁ、サイゼルな」

「まずそれが原因の一つ目。そして二つ目がこの赤い糸の特性で、これは一見すると小指から伸びているように見えるけど、実際はその者の魂に結び付いているっぽくてね』

「ぽい?」

『うん。私は魂については専門外だからハッキリとは言えない、でも多分そんな感じだ。でその場合、私の分身体であるサイゼルの魂というのは実際にはこの私バスワルドの魂なわけで。もっと言えばもう一人の分身体であるハウゼルの魂とも同質なわけで』

 

 破壊神ラ・バスワルドの魂を分割して生まれたのが魔人ラ・サイゼルであり魔人ラ・ハウゼル。

 そこに魂と魂を糸を繋ぐらしい運命システムが交わると……少々ややこしい事態が発生する。

 

『きっと担当者も悩んだんだ。本来なら魂の大元であるバスワルドに結び付ける必要がある、しかしバスワルドの魂は分割されている。さてどうしようかと悩んで……とりあえずサイゼルの方に糸をくっ付けておく事にしたのだろう』

「とりあえずて。随分と適当だな」

『そう、これは運命システム担当者の適当な仕事っぷりが原因。私の分身体であるサイゼルの魂とハウゼルの魂は完全に同質でなければならない。それなのにサイゼルの方だけに余計な糸がくっ付いてしまった』

「ふむふむ」

『でその結果、なんやかんや不具合が起きて私が地上に顕現する事になった、って感じだと思う』

「なんやかんやってお前……」

『そうとしか言いようがない。魂や運命システムは私の専門ではないからな』

 

 そして『私の専門は破壊だけだ( ・`ω・´)キリッ』と液晶画面に勇ましい顔文字が。

 ともあれ、魂の片割れであるサイゼルにだけ結ばれた運命の糸。それは本来バスワルドの魂に結ばれるはずであり、もう一方の片割れであるハウゼルの魂がそれに呼応した。

 その結果魂が一つに戻り、本来の条件とは異なる破壊神の地上顕現が行われてしまったらしい。

 

『勝手に運命を結び付けたのがそもそもの原因。だからバスワルド悪くないもん』

 

 というのが本人の弁。もといそれを翻訳したバスリンガルの弁である。

 

「……ふーむ。まぁあれだな、よく分かんねー事が起きてたんだなってのは分かった」

『うむ、その理解で正しいぞ。実際のところは私だってよく分かってないからな』

「お前はそれでいいのか。自分の事だろうに」

『良いんだ。想定外の事態とはいえそれでも私にとっては初めての地上顕現だったからな。破壊神パワーで色々ぶっ壊して回るのは中々楽しくて良いストレス解消になったし』

「あのな。ストレス解消にぶっ壊されたのは俺様の城だって事を分かってんだろーな」

『(●´_ゝ`)』

「どういう感情の顔文字なんだそれは」

 

 理解不能なバスリンガルの液晶表示にランスはやれやれと頭を振って。

 

「まぁいい、一応事情は分かった。お前は美人だから一回は大目に見てやる……が、今後は勝手に暴れ回って変なもん壊したりするんじゃねーぞ」

『分かった。善処する』

「よし。そんじゃあ電卓キューブ迷宮の謎も解けた事だし、そろそろ城に戻るとするか」

 

 すでに運命武器バスリンガルは手に入れた。この電卓キューブ迷宮は攻略完了。

 いつものようにランスは帰還のワープを頼んで元居た場所に戻ろうとした──そんな時。

 

「………………」

 

 バスワルドの沈黙を読み取って。

 

 

『……ランス』

「あん?」

 

 初めてその名を呼んで──破壊神ラ・バスワルドが話しかけてきた。

 

 

『ランスよ。私とお前が初めて出会ったあの時を覚えているか?』

「そりゃ覚えとるけど……つかお前と初めて出会ったのなんてまだ一週間ちょっと前じゃねーか」

『あぁそうだ。初めて出会ったあの日、私とお前は初対面ながらも戦う事になったな』

「そりゃお前が突然襲い掛かってくるからだろ。そのせいでケイブリス死んじまったんだぞ」

 

 唐突な話題に面食らいながらもランスは軽く答える。

 あの日、破壊神と魔王が、この世に二つとない極限のパワーを持つ者同士が衝突した。

 

『私が初めて地上に顕現したあの日、私とお前は刃を交えて……そして私は倒された』

「うむ。俺様の方が強かったのだ」

『第二級神たるこの私を倒すなど。なんたる不届き者め。許せん。バスワルドマジおこ』

「マジおこって……」

 

 バスリンガルには『(# ゚Д゚)ゴラァ!』と破壊神怒りのメッセージがありありと。

 なども束の間、すぐに『(`・ω・)ノ』みたいな顔に切り替わって。

 

『が、私は戦いの結果には然程拘泥しない。私の使命は破壊であって勝利ではないからな』

「負けても気にならないってのか?」

『うん。だから実のところ別に怒ってはいない。それよりも……』

「ん?」

 

 するとバスリンガルではなく、バスワルドが。

 破壊神の鉄面皮に変化があった。

 

「………………」

「な、なんだ」

 

 その瞳がじっとランスの事を見つめる。

 たったそれだけの仕草でも、その奥にある色合いは確実に変化を来していたようで。

 

『それよりも私は……お前に興味が湧いた』

「ほう?」

『私の破壊の力を恐れずに立ち向かってくる様、見事だった。あの戦いでは勝敗云々よりもお前の戦い振りが目を引いて……だからこそ私はこうして再び地上に降り立ったのだ』

「ほほう。んじゃ今回は俺様に会う為に来たのか」

『あぁそうだ、お前に興味が湧いたからな』

 

 破壊神二度目の地上顕現。

 それは破壊ではなく、己が好奇心を満たす為。

 

「さては一週間以上も無言ストーカーしてきたのもそれが理由か」

『うん。お前がどういう存在なのか気になったし、私の指にある赤い糸の事も気になっていた。……いや、気になったというよりも……より有り体に言うならば……』

 

 破壊こそを己が使命とし、破壊にしか興味が無かったバスワルドが、言った。

 

『ときめいた』

「は?」

『ときめいたのだ。今も疼くこの感覚を表現するならばそれが一番適切だと感じる』

 

 その表情は一切変わらない……が、その胸の奥には本人にしか分からない変化があるようで。

 バスワルドはときめいていた。魔人だろうと神だろうとときめく時はときめくのである。

 

「……ほほーう?」

 

 一方ランスもそれには顕著に反応した。

 

「ときめいたのか、バスワルド」

『うん。ときめいた』

「ときめいたってのは要するに……このランス様に惚れたな?」

『かもしれない。こういう気持ちになるのは初めてだからあんまりよく分からないけど』

 

 バスワルドは正直に心中を告白する。

 

「なーるほど。にしてもあの一戦だけでか」

『うん。あの一戦だけでだな』

「そうか……さてはお前、結構チョロいな?」

『ふむ。否定はしない』

「しねーのかよ」

『うん。たとえチョロかろうとも私がときめいてしまったのは事実だからな(u_u*)ホ゜ッ』

 

 どうやら相応に照れてはいるようだが、その気持ちを認めてはいるようで。

 初めての地上顕現、初めての戦いの中でバスワルドの心には微熱が灯っていた。

 

『というかね……私は破壊神だから』

 

 それは破壊神として生まれようとも。

 あるいは、破壊神として生まれたからこそ。

 

『破壊神ラ・バスワルドは破壊するだけの存在、私が生み出された理由はそれだけであり、私に搭載されている機能もそれだけだ』

「ふむ……」

『破壊する事だけが役割、破壊するだけの存在が誰かと意思を交わす必要など無い。だからこそ破壊の行使の際に神たるこの名を告げる以外、わざわざこの口から言葉を発する理由も無い』

「ぬぅ……」

 

 神とは役目を行う存在。そこにはランスも口を挟む事が難しい複雑な事情がある。

 上位存在より生み出されて、しかしどうも使い勝手が悪かったせいで使用機会が一向に訪れず。

 その結果魂を分割されて魔人姉妹となった。それが破壊神ラ・バスワルド。

 

『だからたとえ翻訳機越しとはいえ、こうやって誰かと会話をしたのは初めてだ』

「バスワルド……」

 

 そんなバスワルドとの──運命が結ばれた。

 ランスはともかくとして、バスワルドにとっては十分運命的と呼べるものだった。

 

『意思を伝え合うというのは新鮮な体験だ。なので私は今普段よりもテンションが上がっている』

「あんましそうは見えんけど……楽しいのか?」

『うん。わりと楽しい。バスワルド満足』

「そ、そうか……そりゃ良かった」

 

 ただの破壊の象徴、無言の沈黙と鉄面皮の表情の裏にある破壊神の心。

 それは期せずしてあった運命の出会いによってときめき、沸き立ち、満たされていた。

 

『そんな訳で。今回の一連の騒動の謝罪とお礼を兼ねてお前には褒美を与えてやっても良い』

「褒美?」

『あぁそうだ。お前はこの破壊神を倒した男でもあるしな。故に──』

 

 故に破壊神は、言った。

 

『……ランスよ。私とセックスがしたいか?』

「したーいっ!!」

 

 魔王からは即座に答えが返ってきた。

 

(続く)

 

 

 

 

 

 

 

 



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破壊神バスワルドたん③

 

 

 

 

 

 

 

 

『……ランスよ。私とセックスがしたいか?』

 

 破壊神が言った。

 

「したーいっ!!」

 

 魔王はすぐに答えた。とても元気良く答えた。

 

『ふむ、素直で宜しい。そんなにしたいのか』

「したい! したいぞバスワルド! 俺様はお前とセックスがしたいっ!」

 

 破壊神ラ・バスワルド。それは神と呼ばれるに相応しいぐらいに神々しい美貌の美女。

 その中身が実は結構なお茶目さんだという事がバスリンガルによって判明したものの、それでランスの抱きたい欲が下がるなんて事はない。

 破壊神だろうが美女。中身はどうあれ美女。だったら当然セックスがしたい。

 

「させてくれるのか! そうなのか!」

 

 降って湧いたような絶好の機会、鼻息荒く詰め寄るランス。

 

『うん。お前がしたいと言うならばさせてやっても良い……が』

「が?」

『いくつか問題がある。それを踏まえた上で判断した方が良いと思う』

 

 一方でバスワルドは、というか翻訳機バスリンガルは落ち着き払ったまま語る。

 ランスと破壊神ラ・バスワルドがセックスする上での、問題とは。

 

『まず第一に、私は破壊神だ』

「そりゃ知っとるが」

『うん、破壊神なんだ。……スゴい?』

「え?」

『スゴいか? スゴいだろ?』

「あ、あぁ、スゴいスゴい」

『そうだろう、そうだろう。……えへへん』

 

 なにやら可愛らしく照れるバスワルド。

 勿論ながらバスリンガル越しで。本体たるバスワルドはまるで微動だにせず。

 

「……で、問題ってなんじゃ」

『あぁ、要するに破壊神というのは破壊する存在、破壊する為だけに作られた存在だ。そんな私には破壊する以外の機能は備わっていない、それは性行為の機能も然りという事」

「なに? んじゃまさか……穴が無い、とか?」

『どうだろう。一応この身体は女性体として作られているので女性器はあると思うけど……神である私のそれがお前達地上の生き物のそれと同じかどうかはよく分からない。確認したことないし』

「うーむ……ま、まぁでも、とりあえず穴があるなら大丈夫だろ……たぶん」

 

 第一の問題として神と人間の差異。

 神というのは基本的に上位存在によって生み出されるものであり、その方法も生殖ではない。

 となれば性行為の機能も備わってはいないのも当然といえば当然の話……なのだが、ともあれ一応穴はあるようなのでランスは良しとした。

 そこに快楽以上の意味が無くとも、とりあえず穴に入れて気持ち良くなれればOKなのである。

 

『第二に、私はセックスを知らない』

「は?」

『なんせ破壊神だからな。破壊に関する事や汚染された魂の情報ならサーチ出来るが、人間の繁殖行為の情報など私の頭にはインプットされていない。故にお前がしたいしたいと望むセックスなる行為がいかなるものを指すのか、実はあんまりよく分かっていない』

 

 第二の問題として無知。純潔や貞淑を通り越してただの無知。

 それが破壊神ラ・バスワルド。神たる彼女は物事をあまりよく知らないのである。

 

「そうか、まぁそりゃ人間じゃねぇんだもんな……つーか神ってセックスしないのか?」

『それも知らない。私は私を創造した直属の上位神以外の神とは会ったことないし』

「マジか、なんも知らねぇんだなお前……」

『(。ˇ ⊖ˇ)~フフーン♪』

「ふふーんじゃない。けど、セックスをよく知らないのにそれでも俺にさせてくれるのか?」

『あぁ。私はお前に興味があるからな。同様にお前が私としたいという行いにも興味がある』

 

 興味を抱いた男が興味を持つものであれば、同様に興味を持ってみたくなるもの。

 知らないけどしてみたい、あるいは知らないからこそ好奇心は旺盛なのかもしれない。

 

『ただ知らないものは知らないからね。故に私とのセックスはただのセックスではなく無知ックスになるかもしれんが、それでも良いか?』

「おいちょっと待て、そんな単語知ってるって事はお前本当はセックス知ってるだろ」

『いいや知らない、ただ耳年増なだけだ。数千年もの間仕事が与えられず、日々退屈を持て余していた破壊神の頭脳に蓄積された無駄な知識の量を甘くみない方がいい』

「お前……なんか偉そうに言ってるけど全然カッコよくないぞそれ」

 

 ランスは呆れたように呟く。

 どうやらバスワルドは長年役目を与えられなかった事で耳年増になってしまったらしい……が。

 とはいえ無知だろうが耳年増だろうが、そんな事を気にするようなランスではなく。

 

「つーかどれも大した問題じゃねーぞ。神だろうが無知だろうがセックスするには問題無い」

『いいや、一番の問題は次だ』

「あん?」

『第三の問題として……ランスよ、そもそもお前にそれが出来るのか?』

 

 つまりはそれが最大の問題。

 大前提として、そもそもランスが破壊神ラ・バスワルドとセックスなど出来るのか。

 

『見て分かる通り、私の身体の周囲には我が権能たる破壊の障壁が張り巡らされている』

「ぬ」

『セックスとは私の身体に触れる必要のある行いだと理解している。となれば私とセックスする為には我が破壊の障壁を突破する必要がある。それがお前に出来るのか、という話だ』

「ぬぬ……」

 

 今だって安全の為に一定の距離を保っている、その理由を思い出してランスは眉を顰める。

 破壊神の周囲には触れれば破壊を引き起こす破壊の粒子によるバリアが常時形成されている。

 バスワルド曰く破壊の障壁と呼ぶようだが、それは魔人ですらも軽く触れただけで一瞬で命を落としてしまうような代物。最強のバリアで守られた破壊神とどうやってセックスするのか。

 

『見たところ魔王であるお前の身体は相応に頑丈そうだが、それでも私の破壊の力は神たる証であり純然たる第二級神の権能。触れようものなら魔王であっても命の保証は出来んぞ』

「……ちなみにこれって、お前の意思でバリアを解除出来たりなんかは──」

『無理だな。破壊の障壁は私にも解除不可能だ』

 

 バスワルドはゆっくりと首を左右にふっ……たりはしない、彼女はあくまで不動の存在。

 ただその代わりに『フル(・_・ 三・_・)フル』とバスリンガルが否定のジェスチャーを示す。

 

『先程も言ったが私は破壊するだけの存在だ。私が破壊の力を行使する過程においてこの障壁を解除する理由は何一つ無い。となればこの障壁を解除する機能だって必要無いのが道理だろう』

「ぐぬぬ……融通の効かないヤツ……」

『破壊神は破壊さえ出来ればいいんだもん。バスワルドそういうとこあるから』

 

 破壊神バスワルドの役目。条件を満たしたら地上に顕現して片っ端から破壊して回るだけ。

 そんなシンプル構造を重視した為か、破壊の障壁をOFFにするスイッチはバスワルド本人にも搭載されていないらしい。ハッキリ言って使い勝手が悪いのも納得の仕様である。

 

「なーるほど。これが一番の問題ってわけか」

『そうなるな。この障壁は私にはどうしようも出来ないものだ。なのでもしお前がそれでも私とのセックスを望むのであれば、これはお前の手でなんとかしてもらうしかない』

「ふーむ……」

 

 破壊の障壁。それは文字通りにバスワルドとのセックスを拒む分厚い障壁。

 性交も愛撫も何もかも、その身体に触らない事には始まらない。

 

「よし。そんじゃ触ってみよう」

 

 という事で試してみる。

 ランスは破壊神の身体にすっと手を伸ばした。

 

『え、危険だよ?』

「ちょっとぐらい平気だろ、俺様は魔王だぞ。どれどれ…………痛っ!!」

 

 触れた瞬間、バチンッ! と衝撃。

 指先に強烈な痛みが走ってランスは反射的に手を引っ込めた。

 

『どう?』

「……これ、結構痛い」

『だろうな、これは破壊の力そのものだもん。本来なら触れた指先が消滅しているはず、そうならなかったのは魔王の耐久性故だろう』

「ぬぅ……こりゃ気合で我慢して抱くってのはちょっと無理っぽいな……」

 

 魔王アタックすら相殺する破壊の力、それは魔王の肉体を以てしても無事では済まないもの。

 さすがのランスもこの痛みに耐えながらセックスするのはキツい。ハイパー兵器という男にとってはとてもデリケートな部分をこの破壊力の前に晒すのはさすがに腰が引けるようだ。

 

『o(`・ω´・+o) ドヤ!』

「どやじゃない」

『どうだランスよ、破壊神はスゴいんだという事が分かったか』

「そんなにスゴい破壊神だったら自分のバリアぐらい自分の力で解除しろよ」

『( ˘ω˘ ) スヤァ...』

「寝るな」

 

 ぐっすり寝たふりバスワルド。

 破壊の障壁の無敵性といい、神というのはかくも都合の良い存在なのである。

 

『で、どうする?』

「……ふむ」

『なにか手はあるか? それとも諦めるか?』

「諦めるだと? がははは、俺様にとってこの程度の問題など困難の内にも入らんわ」

 

 とはいえこの程度の困難、たかが破壊の障壁。

 魔王ランスはにぃっと笑った。

 

「自分の能力が制御不能でセックス出来ない、お前みたいな困ったちゃんは他にもいたのでな」

 

 つまり似たような事はすでに経験済みで。

 となればその解決方法だっておのずと学習済みなのである。

 

 という事で。

 

 

 

 

 

 

「おーい、ワーグー、入るぞー」

「ランス、どうしたの?」

 

 電卓キューブ迷宮から戻ってきて、場所はアメージング城。

 ランスが訪ねたのは魔人ワーグの部屋。

 

「バスワルドよ、このワーグがお前の問題を解決してくれるぞ」

『ほう?』

「ね、ねぇちょっと……なんか部屋の壁が思いっきり壊されてるんだけど。これ以上その人を部屋の中に入れないでくれない?」

 

 バスワルドが一歩動くだけでザックリ円形に切り取られてしまう部屋の壁や家具類。

 せっかく風水的に最適な環境に整えたワーグの部屋が台無しである。

 

「それが破壊神バスワルド? サイゼルとハウゼルが合体したとかって聞いたけど……」

「そうだ。んでワーグよ、こいつは以前のお前と似たような状態なのだ」

「私と?」

「ほれ、お前は眠りの力が常時出っぱなしで困ってただろ? それと同じで、こいつも自分の物騒な力が常時出しっぱなしで制御出来んのだ」

『(。・ ω<)ゞてへぺろ♡』

「てへぺろって……」

 

 可愛げのある顔文字が表示されたが、初対面で部屋の壁を破壊しといてこの態度である。

 さすが無表情鉄面皮の第二級神は面の皮も厚いという事なのか。

 

「てな訳でワーグよ、ここはお前の力を借りたい」

「それって……もしかしなくても夢操作?」

「そう、夢操作」

 

 魔人ワーグの力といえば、代名詞となる睡眠能力ともう一つ。

 対象の意思や記憶や思考など、その内面を変化させてしまう夢操作能力。

 

「ワーグの時もそうだが、そもそも自分の力が自分で制御出来んというのがおかしい。自分で制御出来てこその自分の力だろうが」

「そりゃそうかもしれないけど……」

「そこで夢操作を使う。バスワルドの頭にちょちょっと手を加えて、破壊の力だって自分の能力なんだから自分で制御出来て当然だと思わせる、制御出来て当たり前だと思い込ませるのだ」

 

 自分の能力が自分には制御出来ない。今のバスワルドは言わばそう思い込んでいる状態。

 ……とはいえそれでも自分の能力。自分が使用している力が自分自身に制御出来ぬ道理は無し。

 なのでワーグの夢操作によってその認識を変更してやれば、意外とあっさり制御出来ちゃうのではないか。それがランスの考えた作戦である。

 

「でも夢操作は……ランス、夢操作の危険性は前に教えたでしょう?」

「あぁ聞いたな。けどなワーグ、バスワルドをこの状態で放置しとく事の方が危険だろう。このバリアに触れただけでお陀仏なんだぞ?」

「それは……そうかもしれないけど。でも相手の思考を変えちゃうってのは……」

「大丈夫大丈夫。バスワルドは見かけと違って中身は結構なアホだからな。ほんのちょっと思考が変わったって大した問題はあるまい」

「あのねぇランス、そういう問題じゃ……」

「なぁバスワルド。今からお前に夢操作を使うけど別に問題ないよな?」

『夢操作? 夢操作ってなんぞ?』

「そうだな……一種の催眠療法みたいなもんだ」

『ふむ、催眠か。なるほど……』

 

 催眠を掛けて破壊の障壁を解除させる。

 ランスの魂胆を知ったバスワルドは『催眠ぐらい別に構わないけど』と答えつつも。

 

『……ふっ』

 

 と呟き、バスリンガルには『( ´,_ゝ`)プッ』と鼻で笑う顔文字が。

 

『……ふふふ、しかしだランスよ。お前が思い付いた作戦というのはその程度なのか』

「あん?」

『ふふん、何かと思えば催眠など。この破壊神にそんな小細工が効くものか(フラグ)』

「自分でフラグって言ってるじゃねーか」

「サイゼルとハウゼルが合体したらこんな性格になるのね……なんか意外」

 

 破壊神の深慮遠謀は常人には読めず、彼女は自分自身で盛大なフラグを立てた。

 ともあれ、夢操作の許可が出た事なので。

 

「んじゃバスワルド、とりあえず寝ろ」

『よし来た。……ぐぅ( 。- -。)zzZZ』

「よし寝たな」

「寝るのはっや……」

 

 そしてバスワルドは寝た。

 バスリンガルの表示はぐっすりだし、見れば本体たるバスワルドもちゃんと目を瞑っていた。

 

「よし、じゃあワーグ、やってみろ」

「はぁ……しょうがないわね。どうなっても知らないわよ?」

「大丈夫大丈夫、俺様の考えに間違いはない」

「だといいけどね……」

 

 一種の禁じ手である夢操作だが、魔王様からの命令とあっては仕方無し。

 渋々ながらもワーグは眠る破壊神のそばに近付いていく。

 

「ん……」

「どうだ?」

「んー……なんか、このバリア越しだと……夢の操作が難しい……」

「そこは気合で頑張れ。このバリアは俺様でも痛いからワーグが触ったらヤバいぞ」

 

 破壊の障壁に触れぬよう、四苦八苦しながらもワーグは夢操作能力を行使していく。

 これは今とは異なる別の時間軸、別の世界線での話になるが、魔人ワーグの能力というのはこの世界において全てを超越する究極的な存在と言える相手にも通用してしまうような驚きの代物。 

 故にそれは第二級神という神格を持つ破壊神ラ・バスワルドにも問題無く通用した。

 

 そして破壊神が見ていた夢は改竄されて。

 同時に自己認識が改竄されて──そして。

 

 

 

 

「おーい、バスワルド、起きろー」

「………………」

『……むにゃ?』

 

 そして、バスワルドは目覚めた。

 ゆっくりその目が開かれて、それまで機能停止中だったバスリンガルにも反応が。

 

『……で、何が変わったの?』

「そりゃお前の頭の中身がだ。……変わってるんだよな? ワーグ」

「うん。夢操作は成功しているはずよ」

「よし」

 

 ワーグによる夢操作は成功した。バスワルドの自己認識は改変された。

 これで問題は解決したのか。ランスはおほんと咳払いをして、

 

「なぁバスワルド」

『なに?』

「さっきから気になっていたのだが、お前のバリアが邪魔だ。せめて室内に居る時は解除しろ」

『あ、それもそうだね』

 

 するとバスワルドはあっさり答えて。

 

『はい、消したよ』

 

 周囲を覆う黒色のバリアが──消えた。

 至ってなんでもない事のように、あっさりと破壊の障壁を解除してみせた。

 

「出来るじゃねーか」

「出来たわね……思い込みってスゴい……」

 

 出来ると思い込んだから出来たのか。あるいは出来ないと思い込んでいただけなのか。

 理由はどうあれ問題は解決した。ワーグの時然り、物事は切っ掛け一つで好転するようである。

 

「そもそもが神のくせして自分のバリアすら消せねーってのがおかしかったんだ」

『どういうこと? 私は破壊の障壁を消す事ぐらい簡単に出来るけど』

「つってもさっきまでは出来なかっただろ」

『馬鹿を言うな。我は破壊神ぞ?』

「いやでも現にさっきまで──」

『我が破壊の力が破壊神たる我に制御出来ぬはずがないだろう。あまり破壊神をナメるなよ?』

「…………なんか、イラッとくるな」

「しょうがないわよ、自己認識が変わっているんだから……確かにイラっとはするけど」

 

 夢操作では改変前の自己認識を持ち得ぬ為、認識上において周囲とのギャップが生じてしまう。

 それが難点といえば難点だが、ともあれ厄介だった破壊の障壁は消えた。

 

 という事で。

 

 

 

 

 

「さてさて……改めて、バスワルドよ。よくぞ俺様の部屋に足を踏み入れたな」

『ん』

 

 所変わってランスの部屋、魔王の寝室。

 ここに招かれた女性がどうなるのか、魔王から下される運命とはただ一つ。

 

「いよいよお楽しみの時間だ。セックスしていいって言ったのはお前だったもんな」

『うん』

「その言葉に二言は無いよな?」

『うん』

 

 すでに合意は獲得済み。

 バスリンガルを通じてこくこく頷くバスワルド。

 

『でも……』

「なんだ」

『……あれー? なんか大きな問題があったような気がするんだけど(●´ ^`)ンー?』

「無い無い。そんなもんは無い」

『んー……そっか、それもそうだな』

 

 バスワルド自身は忘れているものの、元々あった問題もすでに解決した。

 破壊の障壁もすっかり消え去って、もはやその身を守るものは無し。

 

「ではバスワルド! セックスといくか!!」

『いいだろう! 掛かってくるがよい!!』

 

 そんな勇ましい応酬が開始の合図。

 こうしてランスと破壊神ラ・バスワルドのセックスが始まった。

 

「んじゃまずはこれを……」

 

 すぐさまランスの手が伸びて、破壊神の胸元で交差する帯をひょいと掴む。

 

「ぬぅ……この服どうやって脱がすんだ? 背中で結んでんのかこれ?」

『え? 服を脱ぐの?』

「そりゃそうだ。セックスをするんだから服を脱ぐのは当然だろ」

『えー……でもでも、殿方の前で肌を晒すなんてバスワルド恥ずかしいっていうかー……』

「今更何を言っとる、とっとと脱げ脱げー!」

『きゃーー!!(´>ω<`)』

 

 ランスの手が破壊神の身を覆うドレスを強引に剥ぎ取っていく。

 バスリンガルから聞こえる悲鳴を無視して、一枚二枚とぽいぽい投げ捨てられて。

 

『うぅ……女性の服を無理やり脱がすなんて……ひどい……』

 

 あっという間に生まれたままの姿(人間基準)になったバスワルド。

 

「おほー、分かっていた事だがやっぱりイイ身体しとるではないか、ぐふふふ……!」

 

 服の上からでも分かるしっかりとした凹凸、出る所は出て締める所は引き締まった身体。

 神の如き美貌に相応しい魅惑の身体に魔王ランスもご満悦。

 

「……………………」

 

 一方で彼女は。

 裸に剥かれて、好奇の視線でじろじろ観察されても破壊神バスワルドは一切動じない。

 相変わらずの沈黙を貫いたまま、その表情だって眉一つ動かさない。

 

『あびゃびゃびゃびゃびゃびゃ』

「おい」

『むりむり。マジむりマジむり。はずい』

「おい、もうちょっと色気を出せんのかお前は」

『翻訳機が悪い!! 本当のバスワルドはもっと色気ムンムンだもん!ヽ(`Д´#)ノ ムキー!!』

 

 しかして中身は別。

 鉄壁の破壊神バスワルドも内心ではちゃんと羞恥を感じているらしい。

 

『ひ、人前で裸になるのがこんなに恥ずかしかったなんて……うぅ、ギブしちゃ駄目?』

「駄目に決まっとるだろ。セックスしていいって言ったのはお前の方なんだからな」

『ぐにゅぅ……』

「てな訳で……まずはおっぱい! あそーれもみもみーっと!!」

『あっ──!』

 

 次いでランスはその胸に手を伸ばした。

 サイゼルやハウゼルと同じサイズの双丘をもみもみ揉みしだいてみる。すると、

 

『やんっ!』

 

 とか。

 

『ぁんっ!』

 

 とか。

 一応バスリンガルから嬌声めいたものは聞こえてくるのだが。

 

「……………………」

 

 しかし──その本体たるバスワルドは。

 

「……もみもみ、もみもみー……」

「……………………」

「……あの、バスワルドさん?」

「……………………」

 

 その胸を揉もうとも、何をしようとも。

 相変わらず破壊神の表情に変化は無し。鉄壁を誇る鉄面皮はびくともしない。

 

「……………………」

「こ、これは……」

 

 これにはランスも堪らず息を呑む。

 反応が無い。おっぱいを揉んだ事によるリアクションが何一つ感じられない。

 過去、反応が薄めの女性を抱いた経験は幾度とあれども、ここまでの無反応となると……。

 

「これは……すげーマグロ女……」

『まぐろ? 食べたいのか?』

「いや違う……てかお前、せめてもうちょっと女っぽい反応する事は出来んのか」

『え、してると思うけど。はずいし、くすぐったい感じがして、ぞわぞわしますよ?』

 

 バスリンガル曰く、バスワルドはこれでも反応をしているつもりらしい。

 これが神と人間の認識の違いなのか、ランスには理解の及ばない話である。

 

「ぬぅ……これじゃあせっかくの初セックスが盛り上がらんな。……しゃあない」

『どうするの?』

「奥の手を使う。こんな時用にイイ物があるのだ」

 

 そう言ってランスが取り出したのは……。

 

「じゃじゃーん! 伝説の媚薬~!!」

『伝説の媚薬?』

「イエース。これを使えば無表情無反応のままではいられんはずだ」

 

 伝説の媚薬。それはAL教にバランスブレイカー認定された女性に対する特効薬。

 その効果といえば、たとえ神であろうとも一滴で腰砕けにしてしまうというのが売り文句。

 

『ふふん、何かと思えば媚薬など。この第二級神にそんな小細工が効くものか(フラグ)』

「だからフラグって……いや、もうツッコまんぞ」

 

 伝説の媚薬をぽとりと一滴、無言を貫くバスワルドの口に流し込んだ。

 すると──

 

『…………ん?』

「来たか?」

『…………ぴッッッ!?』

「来たっぽいな」

 

 バスリンガルにはすぐさま反応が起きた。

 体中を駆け巡る快楽と熱の衝撃、それは性交初体験の破壊神には驚愕を超えていたらしく。

 

『ひゃ、にゃ、な、にゅに゛ゅ……! ら、らん……す、なにこれ……!!』

「これが伝説の媚薬だ。第二級神には効かないんじゃなかったのか?」

『あれは、ちょっとした破壊神ジョークで……! ふひゃっ! は、か、からだ、が……!』

 

 フラグ通りに伝説の媚薬にやられて、バスワルドは身体の感度がスゴい事になっていた。 

 バスリンガルの表示は『(´◕ฺω◕ฺ`)✪ฺω✪ฺ)◕ฺω◕ฺ)♉ฺA♉ฺ)☼ω☼)❝ฺω❝ฺ)◉ฺ。◉ฺ)☉ω☉)』と訳の分からない事になっているが、とにかく混乱しているのは伝わってくる。

 

「………………」

 

 そしてそれは、本体たるバスワルドも。

 

「…………っ」

「お!」

「…………ん、くっ」

 

 その顔に、変化が。

 

「……ふっ、ん……っ」

「おぉ! あの鉄面皮が崩れてきてるぞ!」

 

 伝説の媚薬の効き目は上々、鉄壁を誇るバスワルドの表情が遂に歪んだ。

 

「ん……うぅ、ん……」

「ほぉ……エロい。元が鉄面皮だとこの程度の反応でも中々唆るではないか」

「っ……は、ぁ……」

 

 破壊神の呼吸が荒くなる。

 次第に肌の色には赤みが増して、よく見ればうっすら汗が浮かんできてきた。

 

「よーし、これなら楽しく抱けそうだな! さぁバスワルド、覚悟はいいか!」

『ら、らめぇぇ……♡ こんなの、こんなのバスワルドおかしくなっちゃうぅ……♡』

 

 そしてその中身といえば、すでに十分なぐらい出来上がっているようで。

 

「……ん、はっ、ぁ……!」

「いざ! 破壊神を抱いた男になってやるぞー!」

『ら、ランスぅ……だめらってばぁ……♡』

「ええい、セリフにハートマーク付けながら無駄な抵抗するんじゃない! てりゃーーーっ!」

『ぴゃーーーーー♡!?』

 

 何処か色気の無い悲鳴と共に、ランスは破壊神ラ・バスワルドとのセックスを楽しんだ。

 

 

 

 

 

 

 



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破壊神バスワルドたん④ そして──

 

 

 

 

 

 そして、その後。

 ベッド上に見えるは満足げに余韻を味わう表情。

 

「ふいー……スッキリスッキリ」

「……はぁ、はぁ」

 

 沢山運動して、沢山気持ち良くなってご満悦の魔王ランス。

 その隣には浅い呼吸を繰り返す破壊神ラ・バスワルドの姿。

 

 ランスはバスワルドを抱いた。寝室に招き入れて男女の営みを交わした。

 運命の相手だと判明したその日、見えない赤い糸のみならず物理的にも繋がったのだ。

 

「うむ、良きセックスだったぞ。これで俺様は神をも抱いた男になったのだ」

「……はぁ、ふぅ」

「最初はあまりの反応の無さにどうなることかと思ったが、伝説の媚薬のおかげでちゃんと変化が見られるようになってグッドだった」

「……ふぅ、ふぅ」

「それに神だけあって身体の丈夫さも問題無かったし……うむうむ、実に良きセックスだった」

「…………はぁっ」

 

 したり顔でこの一戦を評価するランスの一方、バスワルドの返事は未だ整わない呼吸だけ。

 まな板の上の鯉の如く、基本的にバスワルドは動かないので終始ランスがリードする形にはなったがそこはセックス百戦錬磨の男、そういう一面も含めて破壊神とのセックスを楽しんだ。

 さすがは第二級神だけあって肉体的強度は十分、魔王が全力を出しても壊れるような気配は微塵も無く、そういった意味でもランスの好き勝手に楽しめるセックスとなったようだ。

 

「どうだバスワルド、初セックスの味は」

「…………ふぅ」

「がははは、疲れたか。その鉄面皮が剥がれて必死に喘いでいる姿は中々見ものだったぞ」

「……………………」

 

 沈黙。浅い呼吸を繰り返していた口を閉じてバスワルドは黙り込む。

 それでも心中では今の言葉に照れている、という事をランスもようやく分かってきた。

 ちなみにその心の声を伝えてくれる翻訳機、バスリンガルの液晶画面はセックスの途中辺りから『✞┏┛墓┗┓✞』と表示されたまま停止している。どうやら心の声を上げる余裕も無かったらしい。

 

「これで普段からもっと喋ってくれたらこっちも楽なのだが」

「………………」

「いやでも普段がすげー無口だからこそ、セックスの時にだけ聞こえる喘ぎ声が特別感あってエロく感じるってのもあるか……ううむ、深いな」

『……う』

「お?」

『_:(´ཀ`」 ∠):_うぅ……』

 

 するとその心の中、ようやくまともに思考出来るだけの平穏さを取り戻したのか。

 バスリンガルが再起動して、バスワルドそっくりな電子音声が本人の代わりに声を上げた。

 

『……は、はふぅ……恥ずかしかったぁ……恥ずかしかったよぅ……』

「がははは、そうかそうか」

『うぅぅうう゛~……』

 

 さすがに初体験の後とあっては、それまであった茶目っ気さも羞恥に上書きされていて。

 

『それに……もうなんか、なんか……なんか色々スゴかったぁ……。色々スゴくて、もうなんて言っていいのかわかんにゃい……』

「そこは気持ち良かったと言うのだ。セックスの後にはそれさえ言っときゃいい」

『うぅ……こんなことしちゃって……もうバスワルドお嫁にいけないよぉ……』

「嫁にいくつもりだったのか、お前」

『うぅぅ~……』

 

 うーうーと呻くバスリンガル、あるいはバスワルドの心の声。

 どうやら行為前にあった謎の威勢の良さは未経験と無知が故の勇み足だったようで、とっぷりと事を終えたバスワルドは恥じらいやら反省やらで一杯一杯になっていた。

 伝説の媚薬が強烈過ぎたという面もあるが、いずれにせよ破壊神にとってランスとの初体験は大きな衝撃となったようだ。

 

『……けど』

「ん?」

『……けど、中々新鮮な体験だった』

 

 すると、ベッドに横たわって石像と化していたバスワルドが動いた。

 真上を向いていた首が横に向いて、赤の目と青の目がそこにあった顔を見つめる。

 

『……ねぇ、ランス』

「なんだ」

『ちょっとさ、私の身体を触ってみて』

「んあ? いいけど、ほれ」

 

 言われた通りにランスはバスワルドの身体にむにっと触れてみた。

 

『……なぜおっぱい』

「そりゃ身体を触ってって言われたらここだろ」

『むぅ、破壊神のおっぱいは決して安くは無いのだが……まぁいい。それよりこうして触られていると……なんだか不思議な感じになる』

「おっぱいが?」

「違う、私の心の中が。私、自分の身体を誰かに触られるのって初めてなんだ」

「へー……ってそりゃあ、あんな物騒なバリアを常時張っていたらそうなるだろうな」

 

 バスワルドは神。破壊神たる彼女の役割はただ破壊することのみであり、それ故授けられた常時展開式の破壊の障壁は他者との接触を拒む。

 そもそもがよその神と出会うような機会も無く、地上に顕現したのも数日前が初。そんなバスワルドにとってはセックスどころか、他人が自分の身体に触れる事自体が初体験。 

 というかそれ以前に、翻訳機越しで他人と会話をする事すら初体験だった訳で。

 

『ランス、私の身体は柔らかかっただろう』

「あぁ、柔らかかったな。つかエロかった」

『けれどもお前の身体は固いな。私と違ってカチコチしてる』

「がははは、そりゃ俺様は鍛えているからな。イイ男の身だしなみってもんだ」

『ん……』

 

 その身体に触れて、自分との違いを感じる。

 そこにある熱を感じて、そこにある感触を自分のものにする。

 バスワルドはそういう事に、破壊とは違う心の揺らぎを感じていた。

 

「………………」

 

 すると──バスワルドが。

 

「………………」

「お、おぉ! 動いた! 動いたぞ!」

 

 初めて自発的にその手を動かして。

 

「………………」

「……む」

 

 そしてその手で。その指先で。

 ランスの頬を軽く撫でた。

 

「………………」

「……なんだ?」

「………………」

 

 愛おしむように、その手付きは優しく。

 その目は穏やかで──

 

「…………ランス」

「しゃ! しゃしゃ、喋ったっ! バスワルドが喋ったー!!」

 

 遂に──バスリンガルではなく、その口で。

 その口で直接にその名を呼んだ。

 

「……ランス」

 

 その顔にはほのかな微笑が。

 そして、同時にその翻訳も。

 

 

『………………♡』

 

 と、その時だった。

 

 

「ん? ……ぬおっ!」

 

 ぽんっ!! 

 と空気が弾けたような音がして。

 

「わっ!」

「きゃっ!」

「なんだ、って……お前ら……」

 

 破壊神の姿は消え去って。

 入れ替わるかのように魔人ハウゼルと魔人サイゼルが姿を現した。

 

「あ……ランスさん……」

「そうか、元の姿に戻ったのか」

「ん……そうみたい。ていうか元の姿はあっちなんだけどね」

 

 バスワルド本人の意思か、あるいは別の要因からなのか。

 ともあれ再びバスワルドの魂は分離し、ハウゼルとサイゼルに戻ったようだ。

 

「しっかしまぁ破壊神になったり二人の魔人になったり……お前らって不思議な生き物だな」

「そ、そうですね……自分でもそう思います」

「それよりもランス、あんた……バスワルドともセックスしたのね」

「おう、ガッツリ抱いてやったわ。がははは!」

「がははじゃないわよ、全く……」

 

 破壊神をその手に抱いた男、魔王ランスの高笑いが寝室に響き渡る。

 

 

 こうして──事態は一応の収束を迎えた。

 魔王ランスは予てからの目的だったバスワルドとのセックスを成し遂げて。

 ハウゼルとサイゼルも元に戻って、破壊神ラ・バスワルドによる騒動は一件落着となった。

 

 

(………………)

 

 ──しかし。

 

 

(……こ、これはっ)

 

 その裏で、ハウゼルは。

 

(これは……なに!?)

 

 そして、サイゼルも。

 密かに姉妹達二人は、己が身に起きた変化というものを実感していた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そして、それから数日後。

 

「…………ふぅ」

「……ねぇ、ハウゼル」

 

 廊下の隅っこ。身を寄せ合う二人の魔人。

 

「ねぇ、ねぇ……ハウゼル……」

「……えぇ、サイゼル。言いたい事は分かっているわ……」

 

 呟き、眉根を寄せて、切なげに唇を噛み締めて。

 見るからに辛そうな表情のサイゼル。その表情は合わせ鏡のように妹のハウゼルも同様で。

 

 あの後、保ったのは数日が限界だった。

 サイゼルとハウゼルはここ暫くの間、その衝動にずっと苛まされ続けていた。

 特に二人の感覚はリンクする事があって、そうなると同質の衝動を同じようにその身に受ける。

 お互いの衝動も、その苦しみも、渇望も。全てリンクするとあっては我慢にも限界があった。

 

「これ……どうしよう……」

「……どうにもならないわ。だって……」

「っ、……そうよね。これは……」

 

 悩みに眉を顰めたそばから……また。

 また──声が、聞こえる。

 

 

『………………』

 

 現実には聞こえていない、その声が。

 

 

『…………ちゅ……』

 

「うっ……」

「うぅ……」

 

 その衝動に、その叫びに。

 堪らずサイゼルもハウゼルも揃って胸元を苦しそうに押さえた。

 

 ──そんな時だった。

 

 

「あ、おーい、二人共ー」

「っ!!」

「っ!!」

 

 運良く、あるいは運悪く登場した魔王ランス。

 聞こえた声に肩をビクッと跳ね上げて、姉妹二人は揃って息を呑んだ。

 

「ら、ランスさん……」

「ハウゼルちゃん、それにサイゼルも。こんな所でなにやってんだ?」

「ら、ランス……」

「おう。…………あん?」

 

 ランスは気付く──二人の様子が変だった。

 その表情が、その目の奥にある色が、これまでとは決定的に何かが違っていた。

 

「どうした二人共、なんだかぼおっとした顔をしとるけど……熱でもあんのか?」

「い、いえ、そんな事は……」

「けど顔が赤くなってるぞ。つか熱っぽいっていうよりもなんか……色っぽい?」

「そ、それは……」

 

 二人の顔が赤くなったのは。微熱混じりの色っぽい感じになっているのは。

 それは──こうして会えたからこそ。

 

「……う」

「う?」

「うぅぅ~……もうだめぇ~」

 

 折れた。真っ先に折れたのは姉のサイゼル。

 なよなよっとした声で鳴きながら、よたよたとランスのそばに近付いていって。

 

「あ、あぁああ……ランスぅ~……」

「お、おぉ? なんだぁ?」

 

 その首に両手を回してぎゅっ、とハグ。

 サイゼルはランスの身体に抱き付いた。ねだるように、甘えるように。

 

「あぁ~~うぅ~~……」

「どうしたサイゼル、お前にしては随分と積極的ではないか。もしかして抱いて欲しいのか?」

「ち~が~うぅ~……それは違うんだけど……うぅぅ~……」

 

 否定の言葉こそあれど、なにやら様子のおかしいサイゼルの甘えっぷりは変わらず。

 前々から魔人サイゼルはランスの事を敵視し毛嫌いしていた。魔王になってからは反抗こそしなくなったものの積極的に近付いてきたりはしなかった。

 そんなサイゼルが今やこれ。この変化には魔王ランスも意図が読めずに困惑顔である。

 

「……ねえさん、ずるい……私も……」

「お、おぉ、ハウゼルちゃんまで」

「あぁ、ランスさん……」

 

 そしてそれは妹ハウゼルの方も同様。

 姉妹で左右から挟むように、ハウゼルもランスの身体に抱き付いた。

 そして恍惚の表情。二人の魔人が魔王に寄り添い凭れ掛かって、うっとりしていた。

 

「なんだなんだ二人共、今日は随分とエロいな。もしかして発情してんのか?」

「ち、違うのぉ~……!」

「これは……これは……」

 

 二人は発情しているわけではない。無論おかしくなったわけでもない。

 いやある意味ではおかしくなってしまったのだが、それにはちゃんと理由があって。

 

 

『………………』

 

 その──呼び声が。

 

 

『…………ちゅ……』

 

 魂の呼び声が、聞こえる。

 

 

『…………ちゅき』

 

(あぁ……やっぱり……これは……!)

 

 ハウゼルの魂に。

 

 

『ランス……ちゅき♡』

 

(こ、これは……バスワルドがぁ……!)

 

 サイゼルの魂に、その声が響き渡る。

 

 それが原因──破壊神ラ・バスワルドの呼び声。

 今もハウゼルとサイゼルには魂の奥底からの呼び声が響いていた。バスワルドの存在を知覚した影響からなのか、先日の一件以降頭の中で魂の呼び声が鳴り止まない。

『ランス……ランス……ちゅき……ちゅき……♡』といった感じで、バスワルドによる精神汚染攻撃が絶え間なく続いているのである。

 

『ランスぅ……ちゅき♡ いっぱいちゅき♡』

 

(あぁ……だめぇ、こんな……!)

(こんなのずっと聞かされてたら……頭がおかしくなるぅ~……!)

 

 その成り立ちからして、ハウゼルとサイゼルの魂はバスワルドの魂と同質。

 そして魂の大元がバスワルドである以上当然なのだが、魂の主権はバスワルド側にある。

 それでも姉妹が普通でいられたのはバスワルドの魂が無色透明であったから。破壊神として生み出されて、破壊することしか役目が無く、その役目すら今まで一度も行使する機会が無くて。

 バスワルドが生み出されたままの状態を保っていたからこそ、その魂を分割しても無色透明色のままで不都合は起きなかった。

 

『えへへぇ……ランス……ちゅきちゅき♡』

 

 しかし。破壊神バスワルドは地上に顕現して、ランスに出会ってときめいてしまった。

 今やバスワルドの魂はそういう状態。すでに無色透明色ではなくピンク色になっている。

 となればそれを分割したら分割後の魂もピンク色になるのが必定。なにせ魂の大元がランスを求めているのである、分身体であるハウゼルとサイゼルにその渇望から逃れられるはずも無く。

 

「あぁ……ランスさん……すき」

「う゛ぅぅ~……ランスぅ~……すきぃ……」

「がはははは! さては二人共、ようやく俺様の魅力に気付いたようだな!」

 

 その身体が……否、その魂が求めてしまう。

 要するに破壊神ラ・バスワルドが放つちゅきちゅきオーラに当てられた結果、姉妹二人も同じくちゅきちゅき状態になってしまったのだ。

 

「うむうむ、やっぱ姉妹同士でレズってるよりも俺様に惚れた方が健全だよな。これからは男の魅力ってもんをたっぷりと教えてやろう」

「ち、違うのぉ~……これは違うの、これはバスワルドのせいでぇ~……!」

「バスワルド? あいつがなんかしてんのか?」

「いえ、その……なにかをしている、という訳では無いのですが……こ、声が……」

 

 二人には聞こえる。今もバスワルドはちゅきちゅきオーラをガンガンに放っている。

 サイゼルとハウゼルが分割された魂の片割れを本質的に求めているように、大元のバスワルドは運命で結び付いたランスの魂を求めているのである。

 

「ねぇ、ねぇランスぅ……好きだから、好きだからバスワルドをなんとかしてぇ……」

「なんとかって言われてもな……バスワルドにチェンジする事は出来ねーんだろ?」

「えぇ……私達の意思ではどうにも……」

 

 姉妹側からの自発的な切り替えは不可能。

 その声の主は魂の奥底に潜んだまま。手段の無いハウゼルは悩ましげに首を振る。

 

「あそうだ。んじゃこれを使ってみるか」

「これって?」

「バスリンガル。これには翻訳の他にもバスワルド召喚機能が付いていたはずだ」

 

 バスリンガル。その正式名称は破壊神専用音声認識不要型自動翻訳機(召喚機能付き)。

 括弧内が示す通り、バスリンガルには破壊神ラ・バスワルドを呼び出す機能が付属している。

 

「ポチッとな」

 

 ランスは召喚ボタンを押してみた。

 

 すると──ぽんっ!!

 と空気が弾けたような音がして。

 

「………………」

 

 サイゼルとハウゼルの姿が消えて。

 

「………………」

「おぉ、出た」

 

 そこには神々しき神たる姿。

 破壊神ラ・バスワルドが降臨していた。

 

「………………」

「ようバスワルド、元気だったか」

 

 数日振りの地上顕現。呼び出されたバスワルドは相変わらずの無言沈黙。

 だが──

 

「………………」

「ん?」

「………………(くるっ)」

「お?」

 

 不動の破壊神が、動いた。

 その姿がゆっくりと反転して後ろを向いた。

 

「………………」

「おい、何処へ行くんじゃ」

 

 そして──逃げる。不動の破壊神が去っていく。

 ふわふわ宙に浮かびながらすすすーっと、一定速度でランスの下から離れていく。

 

「………………」

「おーい」

「………………」

「バスワルド、待てっての」

 

 逃げる破壊神を追うランス。

 追い付いてその肩を掴んで、ぐいっと引き寄せて正面を向かせた。

 

「………………」

 

 すると──

 

「…………(すっ)」

「お、顔を背けやがったぞこいつ」

 

 バスワルドは顔の向きを横に逃した。

 その表情は鉄壁の無表情ながらも、何かしらの意思というものがひしひしと伝わってくる。

 

「お前さては……照れてるな?」

「………………」

「がははは、そうだろそうなんだろ? 俺様にはお見通しだぞ」

 

 バスワルドは神々しい見た目から想像し辛いものの中身があれな為、その行動原理はとても単純。

 後ろを向く。逃げる。顔を背ける。自分との接触を避けている、要は照れているという事。

 

「よし、バスリンガルで確認してみよう」

 

 ランスはバスリンガルを起動してみた。

 すると早速その心の叫びが大声で。

 

『はっ……恥ずいっ!』

「ほーらやっぱり」

『や~ん! 恥ずかしくてランスと目を合わせられないよー!(><)』

 

 バスワルドはしっかり照れていた。

 ときめき、初めてのセックスを体験して今、破壊神の心は見事に乙女となっていた。

 

『に、逃げる! 逃げたい! 逃げさせて!』

「逃げるなっつの」

『やぁ~めて~! 今はだめなの、今はバスワルドに近付かないでぇ~!ヽ(。>Д<)』

 

 バスリンガルから切なる乙女の悲鳴が響く。

 その魂がハウゼルとサイゼルの姿に分割されている時はちゅきちゅきオーラ全開なのに、実際に目の当たりにすると恥ずかしくなって逃げたくなってしまう。

 それが未だ発達途上の乙女心、乙女になったばかりの破壊神ラ・バスワルドの姿。

 

「バスワルドよ、せっかく再召喚したことだしもう一度セックスといくか」

『だ、だめよそんなの! バスワルドはね、バスワルドはもっと清い交際から始めたくて……!』

「すでにセックスを経験しといて何を言っとるか。さぁ来い来い、可愛がってやろう」

『だ、だめぇ……待ってぇ~……!』

 

 ランスに手を取られて、寝室に連行されていく破壊神バスワルド。

 本気で逃げたいのであれば破壊の障壁を展開してしまえば一発なのだが、乙女なバスワルドはそういう事は出来ないようで。

 

「今回は媚薬は無しだ。俺様の超絶エロテクだけでその鉄面皮を崩してやろうじゃないか」

『だ、だめなのランス……待ってっ! せめて、せめてゴムを付けさせて……!』

「ゴム付ければっつー話なのか?」

 

 そして、あっという間に服を脱がされてベッドの上に投げられて。

 

『ぴゃーーーー!!』

「がーははははは!」

 

 やがて数日前と同じように、翻訳機からはあまり色気の無い悲鳴が聞こえてきた。

 

 

 

 

 と、そんなこんなで。

 破壊神ラ・バスワルドもまた、実質的に魔王ハーレムの一員に加わった。

 サイゼルとハウゼルの変化も含め、ランスにとってはいい事ずくめな一件となったのだが──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし──

 破壊神ラ・バスワルドは。

 

 この世界において、破壊神ラ・バスワルドとは。

 それは破壊の象徴、汚染された魂を滅ぼす破壊の神であって。

 

 

 そして……その神格は、第二級神。

 

 

 そう、彼女は第二級神。

 つまり今回初めて地上に顕現して、地上最強の存在たるランスが返り討ちにして。

 見事にセックスまで成し遂げた破壊神ラ・バスワルドは、神の序列で言えば二番目の存在。

 

 

 となるとこの世界には。

 破壊神ラ・バスワルドの神格を上回る、第一級神という存在がいて。

 

 

 そして、そんな第一級神はまだ頂点ではない。

 一を超えた上にはさらなる高次の神、一般には存在すら知られていない八体の神々がいて。

 

 

 そして、更にその上に。

 この世界の構成、仕組みそのものを作り上げたと言える三体の神々がいて。

 

 

 そして──その上に。

 それら全てを超越する、究極的な存在がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 それから一週間程が経った、ある日。

 

 

「……ん?」

 

 良く晴れた日の事だった。

 魔王ランスは遂にそれと──その存在と相対する事になった。

 

 それは魔王を超越して。

 破壊神を超越して。

 さらなる高次の神をも超越する唯一の存在。

 

 この世界において全てを超越する究極的な存在、それがランスの前に現れたのだった。

 

 

 

 

 



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全てを超越する究極的な存在(※私だよー)

 

 

 

 

 

 

 

「……ん?」

 

 その日──

 

 

「……んんー?」

「どうしました、魔王様?」

 

 よく晴れた日の昼下がり。

 何気無しにランスが空を見上げると。

 

 

「……お?」

「あれは……」

 

 遠い遠い彼方の星が、ピカピカッと。

 まるで悪しき予兆のように、まだ昼間の空が何度も瞬いたような気がして。

 

 

 そして──光が。

 

 

「おいホーネット、なんかあれ……」

「……えぇ。こちらに近付いているような……」

 

 光が──迫り来る。 

 見上げる魔王と魔人筆頭、その視界の中で急速に存在感を増していく。

 ぴゅ~~、という甲高い効果音と共に、輝く極星が一直線に落下してきて。

 

 そして……どかーんっっ!! と着陸。

 

「っ、なんだぁ!?」

「まさか……敵襲!?」

 

 ド派手な爆発と地響きをエフェクトにして。

 アメージング城空中庭園のど真ん中、空から落下してきたものとは一体。

 

 それは隕石か。

 はたまた敵襲か。

 

 あるいは──

 

 

「はーーーにほーーーーー!!!」

 

 

 現れた。

 誰もがよく知るそいつがやってきた。

 

「はーーーーにほーーーーー!!!!!!」

 

 身長180cm、体重180kgという均整のとれたパーフェクトボディ。

 つやっとした艶めかしい陶器が輝く、そのカラーリングは抜けるような純白色。

 天知る地知る人が知る、金色の王冠を戴くその者の名は……ハニィィーーキィーングッッ!!

 

「やぁやぁ! 地の文での紹介ありがとう!!

 そう! 私こそがハニーの中のハニー、ハニーの王、ハニーキングだぁーー!!」

 

 えっへんと反り返る陶器ボディ。とても陶器とは思えない程の柔軟性がキングの秘訣。

 という事で、アメージング城に来襲してきたのはハニーキングだった。

 全てのハニーの頂点に立つ存在、偉大なるハニーの王である。

 

「いきなり何かと思えば、こいつ……」

「……魔王様。お知り合いですか?」

「知り合いっつーかなんつーか……一応知ってるっちゃ知ってる相手だが……」

 

 ハニーキング。それはランスにとって因縁深い相手……でもないような相手。

 過去の冒険の中、割とどうでもいい場面でどうでもいい感じに遭遇した事があるような。

 ついでに戦って倒した記憶まであるようなないような、とにかく不思議な相手である。

 

「遂に私が!! 登場したよ!!」

 

 そんなハニーキングが、やって来た。

 

「遂にこの私が!! このハニーキングが!!」

 

 アメージング城に。ランス達の前に。

 

「いつ登場するのかと、まだかなまだかなと皆に切望されていたこの私が遂に!!」

「別に切望などしとらんが」

「『話がむちゃくちゃになるしこいつだけは絶対出す事は無いだろうな』って初期プロット段階で早々にボツの烙印を押されてしまっていたこの私が遂に登場だぁーー!!」

「なんだそりゃ……」

 

 プロットだとか。ボツだとか。何を言っているのかランスにはさっぱりだが……ともあれ。

 初期プロットなるものから足掛け三年半以上、遂に遂にと連呼する程、本人にとってはようやくの念願叶ったりなご登場のようだ。

 

「ねぇねぇ、クジラだと思った!?」

「は?」

「クジラだと思ったでしょ!? クジラだと思ったんじゃない!?」

「クジラ? なんだクジラって」

「前回の話のフリで『おぉこりゃあ遂にクジラの登場かー!』って思ったんじゃない!? ねぇ思ったでしょ!? 思っちゃったでしょ!!」

「おい無視すんな」

「違うんだなぁー! 私なんだなぁー! 全てを超越する究極的な存在と言えばこの私、ハニーキングなんだなぁー!! クジラなんて私からしたらただの哺乳類に過ぎないんだなぁーー!!」

 

 そういう事、らしい。

 誰をからかって何が面白いのか、ハニーキングはけたけたと笑っている。

 

「はーっはっはっはっはー!!」

「……ホーネット、ハニワ叩き持ってこい」

「……すぐに探してきます」

 

 登場してここまでで早くも話をむちゃくちゃにしつつあるハニーの王。

 その勝手さ、傍若無人さ、話の通じなさには魔王ランスも早々にご立腹のようである。

 

「おい白ハニワ」

「白ハニワちがーう。私の名前はハニーキングだよー」

「やかましい。貴様は一体何しにここに来た、くだらねー用ならぶっ飛ばすぞ。いやそうじゃなくてもぶっ飛ばす」

「おやおや、いきなり好戦的だねぇ」

「当たり前だ。ハニワにかける情けなど無いわ」

 

 この際ハニワ叩きなど無くとも。魔王ランスの握り拳に魔王パワーが集約していく。

 ハニー種を統べる王、ハニーキング。先程も述べた通り、ランスはこれまでの冒険の中で何度かこの相手と戦った事がある為その対処法は知っている。

 キングだろうと根本的な部分はハニーと同じ。ハニー種の特性として魔法が効かないので攻撃方法は物理攻撃一択、ランスご自慢の魔王パンチが唸りを上げる時である。

 

「ふむ、やる気かい? ま、君がそのつもりならそれもありっちゃありかもだけど……ただね、生憎と今回は以前までとは違うよ」

「違う? 何が違うってんだ」

「おや、見て分からないかい? 今の私を以前までと同じだと思って貰っては困るってことさ」

 

 言ってハニーキングは不敵に笑う。

 ハニーキングとは。全てのハニーの頂点に立つ最強のハニーであり、噂では魔人を軽く倒せる程の力を有している。……らしいがその全貌は見えず。

 この世界の住民には違いないのだが、さりとてこの世界において活躍しすぎると上の存在からお叱りを受けたりもする。そんなとても不思議な立ち位置にいる存在……なのだが。

 

「……ふふふ」

 

 しかし、それは以前までの話。

 以前までとは違って、今はただのハニーキングでは無いのである。

 

「今の私は全てを超越する究極的な存在! ハッキリ言って魔王なんか相手になんないよ!」

「あんだと?」

「ふふふ~! 私がちょこーっと本気を出したらねー! ここにいる全ての女キャラを閂市送りにする事だって出来ちゃうんだからねー!」

「閂市? なんだそれ」

 

 閂市。それは遠い遠い異世界の何処かにある都市の名前。

 倒しても尽きない凶悪な侵略者達との大戦が日々繰り広げられており、勝っても負けてもエロい目に合うというとても恐ろしい都市の名である。

 

「ま、ここにはメガネっ娘が一人もいないからそんな事はしないけどねー!」

 

 超秘技・閂市送りの対象はメガネっ娘のみ。残念ながらそういう事らしい。

 ハニーキングは再びけたけたと笑う。

 

「こいつ、訳の分からん事をごちゃごちゃと……よほど死にたいようだな」

「魔王様。お待たせしました、ハニワ叩きです」

「よっしゃ」

 

 ホーネットが持ってきた特製ハニワ叩きを受け取って。

 魔王が勢いよく左腕を振り上げた、その時。

 

「おーっと待ったー! どうどう、どうどう、落ち着いて」

「やかましい。ハニワはとっとと割るのが一番だ」

「まぁまぁ待ちたまえ、さっきのはちょっとした冗談だよ。別に私は君と戦いに来た訳じゃない、うん、そのつもりは無いんだよ」

 

 気色ばむランスの一方、ハニーキングは軽く答えて早々に両手を上げる。

 とっても強いハニーの王だが、どうやら戦闘の意思は無いようで。

 

「だってだってー、私と君たちじゃ戦っても面白くならなそうっていうかさー」

「はぁ?」

「いやさー、私って最強っちゃ最強だけどハニーフラッシュ撃つぐらいしか出来ないしー。ほら、そんなの戦っても絵的にね? 絵的にあれじゃん? イイ感じにならないじゃん?」

「一体何を気にしとるんだお前は……」

「ふふふのふ。私ぐらいのレベルになると絵的な見栄えまで意識してしまうものなのさ」

 

 ランスには至極どうでもいい理由、されど誰かにとってはとても有り難い理由で戦闘は却下。

 そんな気遣いや心配りが出来るのがハニーの王。そこまで遠い次元を見通せるのが全てを超越する究極的な存在という事なのか。

 

「まぁそんな訳で。今回は別に戦うわけじゃない、だからそのハニワ叩きはしまってくれ」

「……だが、それなら尚更何しに来たんだ」

「そう、そこが重要なんだねぇ。今回こうして私がド派手に空からやって来た理由……」

 

 今回は特に戦うつもりではないらしいハニーキングが。

 全てを超越する究極的な存在(自称)が魔王の前に登場した理由とは──

 

「それはね……」

 

 すると……怪しく笑うハニーの王。

 その真っ黒な眼窩の奥がギランッ! と光って。

 

「──ランス」

「あん?」

 

 その名を呼んで、告げた。

 

「今回はね、君にイベントを持ってきたんだ!」

「イベント?」

「あぁそうだ。その名も──『超・挑戦モード!!』」

 

 題して──『超・挑戦モード』

 ハニーキングがそう宣言した瞬間、パンッ! とクラッカーが弾けて紙吹雪が降ってきて。

 そして、どんどんパフパフー! と軽快なBGMが何処からともなく鳴り響いた。

 

「ま、こんなイベントを持ってこられるのは世界広しと言えどもこの私だけだからね。だからこそ数多あるボツネタの中から私がアフターに登板する事を許されたってわけなんだねぇうんうん」

「……なに言ってんだかよく分からねーが……その『超・挑戦モード』ってのは?」

「そう! よくぞ聞いてくれたね!」

 

 裏事情を語るのは程々にして、今重要なのは超・挑戦モードについて。

 わざわざハニーキングが持ってくる程のイベント、その内容とは。

 

「ズバリ!! この超・挑戦モードというのはその名の通り、私が用意した強敵に君が挑戦していくモードだ。要するにお馴染みのアレだね」

「お馴染みのアレ?」

「更に今回は『超』!! 『超』なんだよ!! つまり超が付く程に超すごくて超ヤバい挑戦モードだって事さ!!」

 

 よくあるお馴染みのアレ。が超スゴくなった、それが超・挑戦モード。

 随分と大雑把かつ雑な説明だが、それでも一応分かる人には分かるらしい。

 

「てなわけで早速挑戦するよね!!」

「え。……いや、別にいい……」

「はぁ!? なんで!?」

「え~だってなんか胡散臭いし……」

「いやいや胡散臭くなんかないでしょ。挑戦モードはゲームクリア後のお楽しみとしてやりこみ要素的なシリーズお馴染みの──」

「じゃなくてお前の存在そのものが胡散くせーんだよ。つーかそれって要はどっかのモンスターだかと戦えっつー話だろ? めんどいからやだ」

 

 ハイテンションなハニーキングをよそに、あまり乗り気じゃない様子な魔王ランス。

 そもそもが面倒臭がりな性格だし、目の前にいるのはとっても胡散臭いハニワの王。バカ正直に言うことを聞く気にならないのも当然と言えた。

 

「どうせあれだろ? めっちゃデカくてクソ強いくせに倒したところで下手くそな落書きしか手に入らないアイツとかが出てくんだろ?」

「おいおい、そんな匂わせをされたら出せなくなってしまうじゃないか。とはいえまぁ確かに強敵との戦闘は当然あるだろうね。それが面倒くさいって言われたら返す言葉も無いんだけど……」

「だろ?」

「けれど……ご褒美あるよ?」

「……ご褒美?」

 

 ──ご褒美あるよ。

 ハニーキングがそう告げた瞬間、ランスの眉がぴくんと動いた。

 

「そう、ご褒美。すっごいご褒美あるよ」

「すっごいご褒美って? 何をくれるんだ」

「それを先に言っちゃあつまらないでしょー。それはクリア後のお楽しみってやつだよー」

 

 ……けどね? とハニーキングは思わせぶりに呟いて。

 

「私がここにいる、それが大きなヒントだ。なんせ数あるボツネタの沼の中からわざわざこの私が引っ張り出されたんだからね」

「意味がよく分からん」

「つまりだ。この状況の意味を逆に考えれば、この私じゃないと与えられないようなとびきりスペシャルなご褒美が待っているってことさ」

「……へー」

 

 ボツネタだとのなんだのと、メインになれない脇役達には色々裏事情があるらしい……が。

 ともあれ、スペシャルなご褒美という文言には主人公ランスも興味を抱いた。

 

「てな訳で……勿論挑戦するよね? ね!?」

「ふーむ……」

 

 ハニーキングが持ってきた謎のイベント、超・挑戦モード。

 意味不明で要領を得ない点が多いものの、どうやらとっておきの何かは用意されているらしい。

 

「……どうされますか? 魔王様」

「……よし」

 

 そして。

 ランスの返答は──

 

 

 

 

 






ハニーキング「勿論挑戦するよね!?」
(※どちらを選んでもストーリーに大した変化はありません)


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超・挑戦モード

 

 

 

→挑戦する

 

「そう!! それでいいんだよ!!」

 

 その瞬間、ハニーキングはにっこり笑顔に。

 

「よくぞ挑戦するを選んでくれたね! 君たちが変な悪ノリをしない性格で助かったよ!」

「けどまぁ、ぶっちゃけると挑戦しないを選んだところで話の流れは変わらないんだけどねー!」

「だってもう先々までプロット自体は決まってるもんねー! ここの選択次第でこの先のプロット全ボツだなんてあり得ないもんねー!!」

 

 


 

 

「てな訳で挑戦だね」

「おう」

「良かった良かった。もし挑戦しないが選ばれていたら私の必殺パワーを使って強制メガネの刑にしちゃうところだったよ」

「なんだそりゃ……」

 

 強制メガネの刑。それはあらゆる立ち絵にメガネを装着させる原画泣かせの刑。

 そんな恐ろしい刑に処されるとあっては最初から挑戦しないという選択肢は無かったようだ。

 

 

「さぁ! それでは超・挑戦モードに挑戦してもらうよ!!」

 

 という事で。

 紆余曲折あったが超・挑戦モードへのチャレンジスタートである。

 

「言うまでも無い事だけど、この超・挑戦モードに挑むのはランス、君だよ」

「いいだろう。どんな敵が出てこようがこの俺様に掛かれば楽勝だ」

 

 チャレンジャーは勿論この男、ランス。

 

「さっきも軽く説明したけど、この超・挑戦モードは挑戦者の君が私の用意した強敵に挑んでいく挑戦モードだ。そのステージは全部で6つ!」

「6つか。結構多いな」

「まぁね。でも困難に見合う分のご褒美は用意してるからって事で納得して欲しいな」

 

 待ち受ける難関ステージは計6つ。

 ハニーキングが用意した6つの試練を乗り越えればゲームクリアとなる。

 

「これは挑戦モードだから戦う敵は一体のみ、面倒な雑魚戦なんかは基本的には無いからね」

「要するにボスを倒せってことだろ?」

「そうだね。各ステージ毎に待ち受けるボスが一体いるから、そいつを倒せばステージクリアだ」

 

 ステージクリアの条件はボスを倒す事。 

 

「そして挑戦者は君オンリー、つまり他の仲間やお友達の参加は一切NGだからね」

「魔王様お一人で、ですか……」

「別に構わん。仲間など居なくても俺様一人いりゃ十分だ」

 

 チャレンジャーはただ一人のみ。仲間の参加は認められない。

 

「あ、ちなみにこれは君の腰に下がってる魔剣や聖刀も一人にカウントするからね。つまりそれらも超・挑戦モードでは使用禁止だ」

「なに? カオスと日光さんもか」

「そりゃ勿論、魔剣はまだしも聖刀なんか人間の姿にもなれちゃう訳だしね。ただその代わりと言ってはなんだけど代用の武器は用意してあげるからその辺は心配しないでいいよ」

 

 聖刀と魔剣の使用も不可。

 チャレンジャーはあくまでランスただ一人のみ。

 

「これは君自身の強さと、知恵と、勇気。それら総合力が試される挑戦モードってわけさ」

「ふーむ……」

「……って、思ってたんだけどー」

「あん?」

「よくよく考えたら君一人だとそれはそれでこっちも色々と大変っていうかー。一人だと絵的に寂しい事になりそうだしー、ずっと同じ絵面が続く事になりそうだしー、行動の幅も減って話に起伏も生まれなさそうだしっていうかー」

「さっきから一体なにを気にしとるんだお前は」

「という事で。各ステージ毎にお助けキャラとして仲間を一人だけ参加OKにするよ!」

 

 がしかし。ランス単独での6ステージ攻略ともなれば、絵面がずっと変わらず次第にマンネリ化してしまうというとても深刻な問題が発生する。

 そこで救済措置として各ステージに一人だけ仲間の同行を許可する、との事らしい。

 

「ただし! そのお助けキャラは私の権限で私が勝手に決めちゃうからね! 君が自由に選べるって訳じゃないからそこは注意してねー!」

「む。だったら女にしろよな女に。もしお助けキャラに男を選びやがったらはっ倒すぞ」

「さぁ~てどうかな~? それはその時のお楽しみってやつだねぇ~、はーはははははー!」

 

 思わせぶりに笑うハニーキング。

 お助けキャラは運営側による自動選出。ランスが任意に選ぶ事は出来ない。

 

「ここまでがざっと超・挑戦モードのルールだ。何か質問とかはあるかい?」

「別にない」

「そうか分かった! それじゃあ早速チャレンジ開始と行こうか! よーし、いでよー!!」

 

 いでよー! とハニーキングはその片手を高々と天に掲げた。

 するとその手の中にぽんっ! と、『運試し』と書かれた正方形の箱が出現して。

 

「じゃじゃーん! くじ引きー! これを使って挑戦するステージを決めて貰いまーす!」

「ほう、クジか」

「ではこのクジを~……私が引きまーす!」

「お前が引くんかい」

「さぁドキドキターイム! 君が最初に挑むステージは…………こーれだーっ!」

 

 箱の中に手を突っ込んでかき混ぜて、やがて一枚のクジを掴んだ。

 

 

「……む、むむむっ!」

 

 クジに書かれていたのは──『6』

 

 

「うん、まぁ悪くないね。最初のステージとしては手頃な相手が選ばれたんじゃないかな」

「一体どんなボスなんだ?」

「それは戦ってみてのお楽しみって事で。というわけで……よっこいしょー!」

 

 ハニーキングは左手を頭上に掲げて大きく下に振り下ろした。

 するとぐにゅーんと空間が歪んで、人一人通れる大きさのワープゲートが出現。

 

「これぞ私の超パワー! このワープゲートの先は現世とは隔離された異空間、私のスーパー超パワーで作り出した特殊空間に繋がっているよ」

「そこにボスが居るって訳か」

「そういう事。このワープゲートに入った時点で超・挑戦モード開始だ。以後はステージクリアするかリタイアしない限りはこっちの世界に戻って来られないけど……覚悟はいいかい?」

「おう」

 

 ランスは力強く頷いて。

 

「こんなお遊び程度、俺様に掛かればちょちょいのパーでクリアしてやるわ」

「ふふふ、言葉通りの活躍を楽しみにしているよ。それじゃーいってらっしゃーいっ!」

 

 そして、ワープゲートに足を踏み入れる。

 

 ──こうして超・挑戦モードがスタートした。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 明滅、暗転を繰り返す視界。

 ぐにゃぐにゃぐるぐると歪むワープゲート内を通過して。

 

「……ぬぅ?」

 

 やがてランスは降り立った。

 そこは超・挑戦モード第一ステージ。強敵たるボスが待ち受けるらしい戦いの場。

 

「ここは……」

 

 息を吸って、喉の奥に纏わりつく気配。肌に感じるは淀んだ空気。

 空は赤黒く、分厚い雲に覆われて光が差さない暗黒の世界。

 

「ここは……魔物界だな」

 

 そこは人類未踏の地、ランスも今となっては懐かしさを感じる程に馴染んだ魔物界。

 ふと見てみればすぐ目の前、そこには分厚い城門を構える壮厳な巨城のシルエットが。

 

「でもってここは……前の魔王城じゃねーか」

 

 これまた懐かしき場所──前の魔王城。

 つまりそこは魔物界の北部、魔界都市ブルトンツリーのそばに居を構える旧魔王城。

 翔竜山にある現魔王城アメージング城に引っ越してくる以前、ランスも一年以上の長きに渡ってお世話になった馴染みの城である。

 

「こうして目の前に飛ばされたって事は、この城の中にボスがいるって事だろうな」

「………………」

「……誰もいない。独り言言ってても空しいだけだしとっとと片付けるか。そういや代わりに用意してある武器ってのは……お、これか」

 

 普段は魔剣カオスがあるべき腰元、そこには代用品の長剣が下がっていた。

 ランスは早速引き抜いて軽く振るってみる。特になんの特徴も無いシンプルな剣ではあったがそこはハニーキングの超パワーによって用意された武器、魔王の力で握ったり振るったりしても欠けたり歪んだりはしない程度には逸品のようである。

 

「うむ、武器は大丈夫そうだな。……で、肝心のお助けキャラっつーのはどこに……」

 

 ランスがきょろきょろ辺りを見渡した、その時。

 

「お」

 

 すぐ隣にもう一つ、新たなワープゲートが出現。

 その中から出てきたのは──

 

 

「っ、これは一体……」

「おぉ、ホーネット。お前がお助けキャラか」

「あ、ランス……」

 

 ワープゲートから出てきたのは見慣れたドレス姿と緑の長髪、魔人ホーネット。

 魔王に忠誠を誓う魔人筆頭、どうやら第一ステージのお助けキャラは彼女のようだ。

 

「よしよし、とりあえず女だからOKだ。お前もあの白ハニワにワープさせられたのか?」

「えぇ。貴方がワープゲートに入ったすぐ後、突然に有無を言わさずと言った感じで……」

「なるほど、相変わらずナメた真似をする……が、安心しろホーネットよ。あの白ハニワはこの挑戦モードを全クリして報酬を手に入れた後、徹底的にしばき倒す予定だからな」

「……確かに、私はともかく魔王である貴方の前であれほど身勝手に振る舞われては……何らかの対処は必要でしょうね」

 

 ホーネットは頭の痛そうに、というか面倒くさそうに息を吐く。

 ワープゲートを自在に作り出す超パワーといい、魔王や魔人筆頭を相手取った上で好き勝手始めたこの挑戦モードといい、ハニーキングの力は常識を遥かに凌駕している。

 今のハニーキングはただのキングではなく全てを超越する究極的な存在なのだからそれも当然の事なのだが、巻き込まれる方は堪まったものではないというのが二人の率直な感想だった。

 

「まぁいい、とにかくサクッとステージクリアするぞ。なんせ魔王と魔人筆頭が揃ったんだ、どんな相手だろうと敵にすらならんわ」

「そうですね、早く終わらせましょう。……そういえばここは旧魔王城ですよね、ボスはこの城内で待ち構えているのでしょうか」

「多分な。という訳で……でりゃ!」

 

 眼前には固く閉ざされた城門。ランスは長剣を引き抜いてすぐさま魔王アタック一撃。

 桁違いの破壊力で門扉どころか城門そのものを粉砕し、辺り一面は瓦礫の山となった。

 

「では行くぞ」

「ら、ランス……そんな乱暴な……」

「ここは旧とはいえ魔王城、つまり俺様の私物なのだから何をぶっ壊したって無問題だ。それにさっきの白ハニワの話じゃ、ここは現実世界じゃなくてアイツが作った特殊空間らしいぞ?」

「あぁ、そういえばそのような事を言っていましたね。なんでも超パワーで作り出した異空間のような場所だとか……」

 

 ハニー種の王にそんな力があるとは正直眉唾なのですが……とホーネットは眉間を歪める。

 がしかしキングは何でも出来る。どんなルールでも自分の好きに弄る事が出来るし、超・挑戦モードというイベントの為に現実とは異なる特殊空間を作り出す事だって出来る。

 つまりたった今城門を破壊されたこの旧魔王城は言わばレプリカのようなもの、現実世界にて存在している旧魔王城とはあくまで別物。それが証拠に城内に足を踏み入れると、

 

「けれど……確かに……」

「あん?」

「いえ、なんだか……城内の雰囲気が以前までとは少し違うような気がしまして」

 

 生まれた当時から百年近く、ずっとこの城で暮らしてきたホーネットはすぐ違和感に気付いた。

 

「これは……」

 

 その空気が、懐かしさを覚える郷愁が。

 自分がよく知るはずのそれと何かが異なると感じていた。

 

「それに物音が全然聞こえんぞ」

「……えぇ、そうですね。アメージング城への転居後、こちらの魔王城も魔物界の一拠点として管理の人員を置きましたから全くのもぬけの殻という事はないはずです。それなのにこうも人気を感じないという事は……やはりここは現実ではない特殊空間なのでしょう」

「そういやあの白ハニワは雑魚戦抜きだっつってたから、誰もいないのはそれが理由かもな」

 

 基本的に雑魚戦は無し。──という事で、無駄なエンカウントは無し。

 なので本来ならここに常駐しているはずの元ホーネット派魔物兵達の姿は無かった。

 今この城に居るのはランス達を除いて一人、待ち受ける第一ステージのボスのみである。

 

「何にせよ好都合だ、とっととボスを倒すぞ」

「問題はボスが何処に居るのか、ですね。この城内で戦闘を行うのだとすると……十分な広さがあるのは中庭か、あるいは王座の間でしょうか」

「んじゃきっと王座の間だな。そっちの方がボスの居場所っぽい気がする」

 

 という事で、二人は王座の間に向かう事に。

 入り口を入った先にある階段を登って、勝手知ったる城の中を迷う事なく進んでいく。

 

「……?」

 

 その途中。

 ふと気付いて、ホーネットの片眉が上がる。

 

「これは……」

 

 ここは旧魔王城の城内。

 特殊空間に作られたらしい、現実とは異なる世界の光景。

 

「………………」

「どした?」

「……いえ。なにか……変な感じが……」

「変な感じ?」

「えぇ。言葉にし難い感覚なのですが……何かが引っ掛かって……」

 

 城内の構造は変わらない。しかし、例えば壁に掛けられた絵画やカーテンの柄などが。

 城を飾る調度品として置かれた花瓶やランプなどが。普段なら特に気にならないような部分がやけに気になる。どうしてか目に付く。

 

「…………?」

 

 何かが違うのに、何故か懐かしさがある。

 それ自体おかしな事だと思いつつも、ホーネットは肌に触る奇妙な感覚を拭えずにいた。

 

「なんでしょう、これは……」

「ま、所詮はあの白ハニワが超パワーとやらで作った胡散臭い世界だからな。あんまし深く考えたって無駄だと思うぞ」

「そう言われると返す言葉がないのですが……」

 

 深く考えたって無駄。その言葉には同意せざるを得ないとしても。

 

(……しかし、この感覚は──)

 

 特にこうして階段を一段、一段と上がる度。

 そこに近付いていくにつれて、さざ波のようだった気配は強さを増してきて。

 

「………………」

「……で、ここか」

 

 到着してランスは足を止めた。

 そこにはひときわ重厚な造りの扉。その先にあるのは魔族の王たる者が腰を下ろす王座。

 

「うむ、やっぱりここだ」

「……えぇ、間違いなさそうですね」

 

 頷く二人。まだ立ち入る前の段階からすでに確信があった。 

 強者だけが放つ波動というべきもの、それが扉越しにでもひしひしと伝わってきていた。

 

「準備はいいか、ホーネット」

「問題ありません。……今回は以前のケイブリス戦などとは違って貴方の力が桁違いですから、私は前に出るよりも魔法主体でサポートに回った方がいいかもしれませんね」

「分かった。つってもそこまでせんでもどうせ楽勝だろうがな。なんたってお前は魔人筆頭で俺様は最強の魔王、どんな相手が出てこようが戦いにすらなる気がせんわ」

 

 相も変わらず、戦う前から勝利を確信している魔王ランス。

 

(……しかし、この感覚は……)

 

 一方でホーネットは、胸中のざわつきを悪しき予感として捉えていた。

 

(この先にいるのは、まさか──)

 

 ──何故ならこれはハニーキングの用意した超・挑戦モード。

 チャレンジャーのランスは魔王。お助けキャラのホーネットは魔人筆頭。

 であるならば、当然ながら対戦相手となるボス側にも相応の力量が要求される訳で。

 

 

「よーし……たのもー!」

 

 そして。威勢よく扉を開いた。

 すぐに一歩、王座の間に足を踏み入れて。

 

「……え」

「あん?」

「……ッッ!」

 

 眉を顰めるランスの隣、鋭く息を呑む音。

 遠目に一目見ただけで気付いた。当たり前のように気付けてしまった。

 

「あれは……」

「……そ、そんな」

 

 何故ならその王座には。腰を下ろす者がいた。

 魔王城に置かれる王座に腰を下ろす者。その資格を持つ者などこの世界で一人しかいない。 

 

 

「……なんだ、貴様は?」

 

 

 その声が、ランスの下まで届いた。

 重く響く、厳しさの伝わる男の声。

 

「それに……ホーネット、そこで何をしている」

「っ、……!」

 

 ホーネットは肩を震わせた。

 それはもう、今では稀に見る夢の中でしか聞くことの出来なくなった声。

 

 王座に座っていたのは重厚な鎧を纏う偉丈夫。

 その全身から溢れ出る赤色のオーラ。それはランスの身体にある力と同質のもの。

 そして、顔の半分が人間の男で半分が異形。その特徴は以前に一度シルキィから聞いていた。

 

「っ、まさか……!」

 

 ランスもようやく気付いた。

 単なる直感が働いただけだが、恐らく間違いないだろうという確信があった。

 

「……けっ、なるほどな。コイツが……!」

 

 そこは約三十年前の魔王城。

 その王座に腰掛けるは当代の支配者。

 

「……お、お父様」

 

 すなわち第六代魔王──ガイ。

 

 

 

 

 



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VS 魔王ガイ

 

 

 

 ──GI歴。

 それは今より数えて二つ前の暦。今より数十年前の世界。

 その時、時代において、この世界の支配者として頂点に君臨していた男。

 魔物界の北部、魔王城にある王座の間。その王の座に腰を下ろす事を許された唯一の存在。

 

「……けっ、なるほどな。こいつが……!」

 

 半分が人間、半分が角の生えた魔物の異形。

 一際目に付く特徴的な顔、それは当時において何にも勝る絶対的な恐怖の象徴。

 

「……お、お父様」

 

 それが第六代魔王、ガイ。

 今の時代まで連綿と続くこの世界の礎を築いたと言える男がそこにいた。

 

「もう一度聞く。ホーネット、そこで何をしている」

「っ……!」

 

 そしてそれは……ここにいる魔人ホーネットにとって、肉親たる父の名前。

 そこにあるのは父の姿、父の声。約九年程前に別離を済ませて、今はもうないはずの幻影。

 

「……どうして、お父様が……」

「どうしても何も、あいつがこのステージのボスだって事だろ」

「け、けれどお父様は……私の父は数年前に亡くなっています、それなのに……!」

 

 魔王ガイはその力を次代の魔王に継承してすぐ、GI歴が終わると共に死亡している。

 その事を知っているホーネットは大いに動揺していたが、一方でその事を知らない、あるいはここの特殊仕様を理解しているランスは平然とした顔で。

 

「これは挑戦モードだからな、そういうもんだ」

「そういうものって、それでは説明に──」

「ホーネット、あの胡散臭い白ハニワの顔を思い出せ。あいつの妙ちきりんパワーで作られたもんを深く考えたって無駄だ」

 

 ランスが言った通り、今は超・挑戦モードにチャレンジ中。

 なんでこの敵が対戦相手として出てくるの? とかは気にしてはいけないのである。

 

「この魔王城と同じで、あいつだってきっと本物じゃない偽物かなんかだ。大体あいつは美樹ちゃんに魔王の力を継承したんだろ?」

「え、えぇ、そうです。その後すぐに父は亡くなったはずで……」

「だったら仮に生きていたとしても魔王の力は失っていなきゃおかしい。でもあいつは……」

「……確かに、そうですね」

 

 二人の視線の先──禍々しいオーラが溢れる姿。

 ランスも、ホーネットも、こうして対峙するだけでその力を十分以上に感じていた。

 あらゆる感覚をすり潰すような息詰まる重圧、それはこの世で魔王だけが持つ唯一無二の証明。

 そこにいるのは第六代魔王、この世界を二分して支配していたGI期当時の魔王ガイそのもの。

 

「……ホーネットよ、聞こえないのか?」

 

 そのガイが、重々しい声で語り掛ける。

 

「隣に居るその男は誰だ。我が城に立ち入る事を許可した覚えは無いぞ」

「そ、れは……」

「けっ、お前の許可なんぞ得る必要など無いわ。何故ならこの城は俺様の城でもあるのだからな」

「なに?」

「ガイとか言ったな……いいか、よく聞け!」

 

 その圧を真っ向から受けながら。

 怯まず睨み返して、一歩前に出て。

 

「俺様の名前はランス!! 魔王ランス様だ!!」

 

 第六代魔王ガイを前にして堂々たる様──魔王ランスは声高に名乗りを上げた。

 

「……魔王だと?」

「あぁそうだ。俺様はお前なんぞよりも遥かに強くてカッチョいい本物の魔王様なのだ」

「………………」

 

 そこにいる男も……魔王。

 その宣言にこの時代の支配者、当代の魔王であるガイの瞳の奥が訝しげに揺らめく。

 

「……何者かは知らぬが、まさかこの私の前で魔王を騙るとはな」

「がははは! どうだ参ったか!」

「無知か、あるいは酔狂を通り越して不遜にも程がある。……と言いたい所だが……ふむ」

 

 魔王を騙る正体不明の男。しかしてその偉そうな態度の裏にある真価は。

 こちらも同様に相対するだけで感じるものがあったのか、ガイはその口髭を軽く撫でた。

 

「確かに。確かに貴様からは血の衝動と同質であろう強い力の波動を感じるな。その圧からして魔人程度のものとは到底思えぬ以上、魔王である以外に答えが無いのも事実。……ホーネットよ、その男は何者だ」

「はい。その……ち、父上。全ては先程ランスが宣言していた通りです」

 

 もう会えないはずの父親がそこにいる。あの頃のように自分の名を呼んでいる。

 そしてそれに応える──本来ならあり得ない出来事に動揺してばかりの心をひた隠しながら。

 

「……正直に申しますと、あまりに突拍子もない話なのですが……」

 

 ホーネットはそう前置きして。

 自分とランスがこうして魔王ガイと相対している現状、その理由を語ってみせた。

 

 

 

 

「……成る程。八代目の魔王……か」

 

 魔人筆頭たる娘からの説明を聞き終えて、ガイはまた口髭を軽く撫でる。

 目の前にいる男。それは第六代目である自分から数えて二世代先の世を支配する魔王。

 

「確かに、あまりに突拍子もない話だ」

「……はい」

「されど決してあり得ぬ話とは言わぬ。事象としては時間跳躍か」

「はい。ただ私達が元居た世界を基準にするとこの場所は異空間に該当するようなので、単純に時を遡ったのかは不明なのですが……」

「ならば次元跳躍か、いずれにせよ似たようなものだ。とにかく私の前に立つその男は二代先の魔王であり、隣に立つホーネットも私の知るそれではなく二代先を生きる存在だという事、それは理解した」

 

 小さく顎を引くガイ。彼から見るとランスとホーネットは未来から来た存在に当たる。

 それは確かに突拍子もない話……なのだが、とはいえそれでもこの世界には不可思議な現象を引き起こす超常の力といったものが多々ある。

 例えば時を司る聖女の子モンスターや、この世界とは異なる次元3E2の存在など。常識外れと呼ぶべきものの存在を知っているガイにとっては容認不可能という程のものではない。

 

「……道理でな。ホーネットよ」

「え?」

 

 そしてそれ以上に。あのホーネットが自分に対して嘘偽りを言うはずが無い。

 たとえ時間軸や次元が異なろうとも、そこは揺るぎないという事はガイも重々承知していた。

 

「その男もそうだが、それ以上に先程からお前の様子が気になっていた」

「私が……?」

「やけに感極まっている。それが表情に出るというのもお前にしては珍しい」

「っ、……」

「何よりこの私の事を『魔王様』と呼ばなかったからな。お父様や父上はもう卒業したはずだと思っていたが……魔王様と呼ぶべき新たな存在がいるのであればそれにも得心が行く」

「……はい」

 

 ホーネットは顔色を見られぬよう視線を俯けた。

 ガイの言う通り、ランスが隣にいる状況で目の前にいる父親を『魔王様』と呼ぶ事に躊躇した。

 そして感極まっているのだと見透かされていた心境も。恐らくこの頃の自分は今程に表情に出る自分では無かったのだろう、その変化がホーネットには無性に恥ずかしかった。

 

「さて、状況は理解したが……次の疑問、お前達がこの場に現れた理由とは如何に。まさか過去を懐かしみに来た訳ではあるまい」

「それは──」

「待てホーネット、それは俺様が説明する」

 

 するとランスは。

 腰から長剣をスッと引き抜いて。

 

「む?」

 

 その切っ先を突き付ける。

 魔王が、魔王に対して、刃を向けた。

 

「覚悟しろ、魔王ガイ!! 俺達はお前をやっつけに来たのだ!!」

「ほう? それは何故だ?」

「へ?」

「だから何故、何故八代目の魔王である貴様が二世代前の魔王たる私を倒す必要がある。我々は今初めて顔を合わせた者同士、何の因縁も無かろう」

「…………ええっと」

 

 至極冷静なガイからの切り返しに思わず口籠るランス。

 魔王と魔王。本来ならあり得ぬ出会いとはいえ、特段戦う必要のある出会いでは無いのは事実。

 

「そ、それは……」

「それは?」

「それは……知らん!! 強いて言うならそれがステージクリアの条件だからだ!!」

 

 ランスとしてはそう返すしかない。

 全てはハニーキングが仕掛けた事、挑戦モードとは挑戦する事そのものが目的なのである。

 

「それに何の因縁も無い訳じゃないぞ。前々からお前には文句を言ってやりたいと思ってたんだ」

「ほう、どのような文句を?」

「色々だ色々!! どう考えても俺様の方が強くてイケメンな男だと言うのに、なんでか知らんがお前とは色々比較される事が多くてな……色々ムカついていたのだ」

 

 比較するのは似ている所があるから……らしい。今回こうして魔王ガイに初めて会って、それでもランスは全然そう思わないのだが、周囲の者の目から見るとそうなるらしい。

 そうでなくともランスは新任の魔王であり、魔王の座に付かなかった来水美樹を除けば魔王ガイが実質的な前任者。周囲の者が新任と前任を比較するのは当然と言えば当然の事。

 

「特にホーネットとかシルキィちゃんとかな。この二人と話している時なんかに何度お前の影がチラついたか、鬱陶しい事この上無かったぞ……あぁなんか思い出したらまたムカついてきた」

「……それが貴様の言う因縁か?」

「そうだ!! もしお前に会ったら一発ぶっとばしてやろうってずっと思ってたのだ」

「……事情はよく分からぬが、私が先の存在であり貴様が後の存在である以上、私の行いは貴様の存在を前提にしたものではない。察するにそれは因縁などではなくただ貴様の逆恨みではないのか?」

「やっかましい!! とにかく迷惑だったっつってんだ!!」

 

 因縁ではなく逆恨み。100%正論である指摘をランスは怒声で吹き飛ばして。

 

「俺様の女に粉を掛けた罪は重いぞ。つー訳で退治しちゃる、覚悟しろ半顔野郎」

 

 突き付けた剣先のように鋭い目付き、そこには戦意の火がメラメラと。

 たとえ逆恨みが理由であっても戦う気満々の第八代魔王ランス。

 

「……ふむ」

 

 一方、魔王ガイは。

 

「………………」

 

 浅く目を閉じて、考える。

 

「……そういう事もある、か」

「あん?」

 

 ──俺様の女。

 その言葉が脳裏に引っ掛かっていた。

 話の流れから察するに、それは──

 

「………………」

「……え?」

 

 ゆっくりと開いたガイの目が……じっと。

 その魔王の隣に立つ、良く知った顔に向けられて。

 

「……そうか。ならばまぁよい。私とて魔王、なにも戦いを疎んじている訳では無いのでな」

 

 そして、応じるように王座から腰を上げた。

 

「やるというならば相手になってやろう。但し結果には責任を持つ事だ」

「けっ、結果など目に見えている。貴様の敗北以外にあり得んわ!!」

「ほう、大した自信だ」

 

 高座から下りて魔王ガイも剣を抜く。

 旧魔王城の王座の間、本来は一人の魔王だけが君臨する場で魔王と魔王が対峙する。

 

「ランス……父上と戦うのですか……?」

「そりゃそうだろ。だってそうしないとステージクリア出来ねーし」

「それは……」

 

 そんな中、ホーネットの表情には大きな躊躇いがあった。

 魔人筆頭として魔王ランスの意思に背くつもりはない。ただそれでも相手が相手。

 というかお助けキャラとして訳も分からず呼び出されて、戦えと言われた相手がこの相手。ハッキリ言って何らかの思惑を感じずにはいられない。

 

「ホーネット、六色破壊光線の準備だ。あの生意気な髭面を丸焼きにしてやれ」

「そ、そんなっ、父上にそんな失礼な真似……!」

「失礼もクソもあるか! ホーネット、お前はどっちの味方じゃ!!」

「わ、わたしは……!」

「……ふっ」

 

 過去の存在とはいえ、唯一の肉親であって尊敬する父親に刃を向ける気になれない。

 そんなホーネットとランスの言い争いを見て、魔王ガイはあざ笑うように鼻を鳴らした。

 

「なんだ、あれ程大口を叩いていた第八代魔王は魔人筆頭のお守りがないと戦えんのか」

「……あんだと?」

「これは魔王同士の戦い、そもそもが一魔人に入り込む余地などあるまい」

 

 そしてその口が、唱える。

 

「『……ホーネットよ、お前はそこで大人しくしていろ』」

「っ……!」

 

 その瞬間、電撃に打たれたかのようにホーネットの身体が硬直した。

 その言葉にある力が、強制力が、魔人であるホーネットの口を強制力に動かした。

 

「……分かりました、魔王様」

 

 頷いて、言い付け通りにホーネットはそこで大人しくしている事しか出来なくなった。

 それが絶対命令権。魔人を問答無用で絶対服従させる魔王の力。過去の魔王、時間軸の違う魔人相手とはいえその力は問題無く行使可能なようだ。

 

「あ、テメー!! 俺様のホーネットに絶対命令権なんか勝手に使ってんじゃねー!!」

「貴様のものである以前に私の娘だ。それ以前に戦闘相手を前にして勝手も何も無かろう」

 

 不動の絶対命令権を受けたホーネットは実質的に戦闘からリタイア、傍観者扱いが決定。

 という事で超・挑戦モード第一戦目。魔王ランスと魔王ガイによる一騎打ちが始まった。

 

 

「ぶっ殺す!」

「来い」

 

 第八代魔王は、第六代魔王は。

 その身体から湧く魔王の証たる赤い粒子を滾らせながら、共に一瞬で距離を詰める。

 

「死ねー!!」

「ふっ!!」

 

 二人は両者共に剣才に恵まれた剣士。魔王が振るう強烈な刃と刃が交錯する。

 

「っ……!」

 

 弾ける圧に、王座の間を駆け抜ける衝撃に、傍観者となったホーネットが顔を顰める中。

 共に渾身の力を込めた袈裟斬りが正面衝突して──打ち勝ったのは。

 

「──ぬぅ!?」

「がははは!!  ぬるいぬるーい!!」

 

 打ち勝ったのはランス。剣撃を弾かれたガイの体勢が大きく崩れる。

 単純な剣圧、腕力という部分ではガイの方が上だったのだが、そこをランスの技量が制した。

 

「ふッ! でりゃッ!!」

「ぬ、くっ……!」

 

 追撃となる続けざまの斬合い、果敢に攻めるのはやはりランス。

 剣と剣が弾ける最中、寸前に力を抜いて衝突のエネルギーを吸収して一気に押し返す。

 あるいは相手の刃に剣先に擦らせて、その軌道を僅かな力でずらす事によって優勢に立つ。

 一瞬の交錯の中、刹那のタイミングでそれらを行う技量──それが剣LV3の高み。

 

「どうだ! これが魔王になって生まれ変わったランス様の最強超パワー!!」

「ぐぅ……ッ!」

「貴様のような髭面オヤジとは格が違うのだ! 格が!!」

 

 一つ一つ切り結ぶ度、才能で勝るランスの剣が魔王ガイを押し込んでいく。

 その根底にあるのは神業の如き技量の数々。ランスは100%感覚派なのでそれらのテクニックを理詰めで行っている訳ではないが、なんせ剣LV3。

 とにかく才能に溢れすぎているので、それらのテクニック全てが感覚で出来てしまうのである。

 

「なんだなんだぁ、偉そうにしていた割には大したこたぁねーじゃねーか!!」

「ぬっ、……ぐっ!」

 

 受け身に回って数度打ち合い、命中。

 力と才能が備わった斬撃を捌ききれず、ランスの剣がガイの脇腹を斬り裂いた。

 

「っ、成る程、言うだけの事はある……!」

 

 鎧に生じた亀裂を指先で撫でながら、実感する。

 さすがの魔王ガイとて、歴史上数人足らずしかいない剣LV3の絶技と打ち合った経験は無い。

 ガイ自身も剣LV2の才能を有しているが、いや才能を有しているからこそ分かる──第八代魔王の剣は自分よりも高い領域にあるのだと。

 

 特にLV3は。この世界において才能の上限であるLV3というのは極限を意味する。

 LV2と比較すると数字上では1だけの差だが、しかしそこには大きな隔絶が存在している。

 例えば同じ格闘技という土俵で戦った場合、LV3の人間がLV2の魔人に勝利した例だってある。

 

 つまり剣で勝負する限り、LV2はLV3には絶対に勝てない。

 それが才能というもの、特にLV3の才能とはそういうものなのである。

 

「ならば……!」

 

 剣での打ち合いは不利。であれば当然の選択。

 剣を握る右手とは逆、ガイの左手に高濃度の魔力が集っていく。

 

「っ、魔法か!」

 

 その予兆はランスにもすぐ分かった。

 ガイは剣才の他に魔法の才も有する。つまりその本領は娘のホーネットと同じく魔法剣士。

 

「させるかっ!」

「………────」

「この、ちょこざいな……!」

 

 その練度は熟練の域、詠唱は止まらない。

 ランスの剣を片方の手で受け止めながらもあっという間に魔法を完成させて。

 

「──業火炎波ッ!」

 

 右の剣で攻撃を防いだ瞬間、空いた左から魔法が炸裂。

 王座の間に響く爆音、魔王の魔力によって練り上げられた爆炎の嵐がランスを襲う──が。

 

「効かーん!!」

「ぬっ!」

 

 至近距離で放たれた業火炎波ものともせず。

 そのまま突っ込んで、お返しとばかりに追撃のランスキックが炸裂。

 

「っ、随分と強引な戦い方をする。この距離での魔法が効かぬわけはあるまいに」

「うるせー! 効かんもんは効かんのだ!!」

「ならば……──」

 

 蹴飛ばされた勢いで距離を取ったガイは再度、高速での呪文詠唱を行って。

 

「これはどうだ、ファイヤーレーザー!!」

「ぐぬっ! ぐぐっ……き、効かんといったら効かーん!!」

 

 先の業火炎破よりも高火力、高出力のレーザーがランスの身体を貫く……が。

 それでもランスは引かず。その剣の圧力が衰えるような気配は無い。

 

 とはいえガイの魔法攻撃が効かない道理はなく、実際問題痛いものは痛いのが実情。

 しかし魔法使いを相手に下がった所で狙い撃ちにされるのが目に見えている以上は距離を詰めるしかない。要するに気合のゴリ押しである。

 人間だった頃ならまだしも今は魔王。その耐久力は桁違いであり、一発二発魔法が直撃した程度で死ぬような事はない、故にこそ可能な戦法。

 

「……っ、こうして実感するのも癪だが、魔王というのは厄介な相手だ……!」

「これで分かったか! 貴様の魔法など痛くも痒くも無いのだ!」

 

 どの道ガイと違って魔法が使えないランスにとっては接近戦しか勝機は無い。

 しかしその接近戦であれば。お互いに剣士である以上剣の技量で勝るランスが優位に立つ。

 

「──でりゃ!!」

「ぐぅっ!」

 

 引かなかった事が功を奏して更に一撃、ランスの刃が命中した。

 鎧の肩当て部を砕いて、出血。その奥にあるガイの肉体に確かなダメージを刻んでいた。

 

「……すごい。お父様を……あのお父様が、押されている……」

 

 その光景にホーネットも息を呑む。

 傍観者の目からして、ここまでの形勢を判断するとそのような感想で。

 

「……成る程、確かに強いな。大口を叩くだけの事はある」

「がははは! 当然だ! このランス様は貴様のような軟弱魔王とは次元が違うのだ!!」

 

 第八代魔王ランス。剣LV3の才能を持つ魔王。

 その強さは言わずもがな、こと接近戦においては第六代魔王ガイを完全に凌駕していた。

 

「……ふぅ。ホーネットの実力の変化を見れば時間の経過というものもある程度は想像が付く」

「あん?」

「察するに然程の時は経っていまい。つまり貴様はまだ新米の魔王であり、故にステータスを比較すれば魔王としての歴が長い私の方が上だろう」

「いーや、それも俺様の方が上だ」

「しかし大幅な差があるものではなく、一方で貴様の剣の技量はステータスの差を補って余りある程のもの。正直に言って私の剣を超える剣才の持ち主と出会うのは初めてだ」

「がははは! そうだろうそうだろう! 俺様のような天才は才能に恵まれ過ぎちまって困るぜ」

「となれば魔法で攻めるのが定跡だが、それも有効打にならぬのが実情。このまま続けても良いが……その間に何発貴様の剣を食らうか分からんな」

 

 劣勢においても冷静沈着、ガイは構えながらも軽く顎を撫でる。

 ここまでの戦いを精査して弾き出したその戦況分析は概ね正しいと言えるもので。

 

「そうだ、つまり俺様の方が強いって事だ。理解したら観念して跪け!」

 

 一方でランスも。

 ここまで戦った感触として己が優勢を、いや勝利をすでに確信していた。

 

 

「……しかし、足りぬ」

 

 しかし──それでも、ガイは。

 

「貴様は十分強い。だが……運が無いな」

「あん?」

 

 この魔王ガイという男は。

 生まれはGL期──それはまだこの世界に人と魔物の境界線が存在しなかった時代。

 人間が支配されて当然だった時代。今よりも遥かに凄惨たる暗黒の時代を生き抜いてきた強者。

 

 すなわちその人生は。その戦歴は。

 今の時代の英雄たるランスと比較してもなんら引けを取るものではなく。

 

「……ふっ」

「なんだ、なにがおかしい」

「……いいや、ふと懐かしんでな」

「はぁ?」

 

 いや、それどころか……ガイは。

 今の時代における実質的な魔物の長、魔人ケイブリスを討伐したのがランスであるならば。

 当時のガイの相手では魔人どころか魔王。その身に秘めたる破格の力を振るって、当時の魔王をあと一歩の所まで追い詰めた最強の男。

 

「……貴様、ランスと言ったか。その容貌を見れば一目瞭然、魔王となる以前は人間だろう」

「そうだが、それがどうした」

「だから運が無い、と言った。仮に魔物出身などであればまた違った展開にもなっただろうに」

 

 ランスのような人間出身の魔王、あるいはそれ以外を出身とする魔王。

 そこに何の違いがあるのか、その言葉の意味がランスには分からない……が。

 しかしガイにとっては。そこには戦局を一変させる程の大きな違いが存在していた。

 

「魔王同士が争うなど本来有り得ぬ話、だがそのあり得ぬ話が起きているのが現状。であればせっかくの機会だ、後進への手ほどきとして貴様には私のとっておきをくれてやろう」

 

 そして、ガイの左手に魔力が収束していく。

 

「…………っ!」

 

 その色は──先程の魔法のような光彩とは異なる、それよりも黒く濃く淀んでいて。

 その残光を見たホーネットは思わず声を上げた。

 

「ランス! 気を付けて下さい!!」

「あん?」

「父の真価は剣術でも魔術でもありません! 父は魔術を超える禁呪の使い手なのです!!」

「禁呪だと!?」

 

 禁呪──それは魔術を超える禁断の魔法。

 

「そうか、そういやあれは……!」

 

 ランスは思い出す──以前にホーネットが教えてくれた彼女の父親、先々代魔王の話。

 ワーグの眠気に対抗する為、そして派閥戦争の最終決戦では魔人ケイブリスを討伐する最大の秘策ともなった状態異常の禁呪など。

 それらを含むあの部屋にあった禁呪の書の全てを書き上げたのが、この魔王ガイという男。

 

「…………────」

 

 ガイの口が、禁呪の呪文を唱える。

 

「ちぃ……ッ!」

「遅い」

 

 咄嗟にランスも斬り掛かったが……間に合わなかった。

 実戦の最中での禁呪行使。それこそが魔王ガイの真価。

 

「食らえ」

「くっ──!!」

 

 禁呪が完成。ガイの左手に集約していた魔力が開放された。

 

「くそっ──……ぬ?」

 

 その瞬間、視界が数度明滅した。

 その時ランスが認識出来たのはそれだけ。

 

「……なんだ? これが禁呪?」

「あぁ」

「がははは、何かと思えば──」

 

 ダメージは、無い。

 しかし──

 

「──!?」

「どうだ、これが禁呪だ」

「……な、に……!?」

 

 身体が、重い。

 手足が、全身が、神経の行き渡る身体中が尋常じゃない程に重い。

 全てを破壊出来そうな全能感がどこにも無い。これが魔王の肉体だとは到底思えない。

 先程まで軽く振るっていた長剣を構える事すらも億劫に感じる程、ランスの全身からは力というものが抜け落ちてしまっていた。

 

「……て、テメェ、なにをしやがった……!」

「ホーネットの話を聞いていなかったのか? 貴様に禁呪を掛けたのだ。今使用したのは各種弱体魔法の複合禁呪、対象の全ステータスを激減させるものだ」

 

 それは支援魔法と呼ばれるもの──ジャクタインなど、敵のステータスを低下させる魔法。

 それらを禁呪の領域に高めたもの、言わば究極のデバフがランスの身体を蝕んでいた。 

 

「効くだろう、これは。今や貴様のステータスは元々の十分の一以下まで落ち込んでいる」

「ぐぬっ……じゅ、十分の一以下だと……!」

「ステータスだけを見ればもはや魔王とは言えまい。せいぜいが中級魔人といったところか」

 

 体力、攻撃力、防御力、素早さ、回避力、魔法力、魔法抵抗力──等々。

 戦闘に必要となる全ステータスを十分の一以下にまで抑え込む、弱体魔法としては破格の禁呪。

 

「魔王様の力を低下させる……魔王様にも効果を及ぼす程の禁呪なんて……!」

「だからこそだ、ホーネット。この禁呪はその男のような魔王にのみ、元人間だった魔王にのみ効果を及ぼす特殊な作りの禁呪」

 

 術の対象は元人間の魔王のみ。そのステータスを激減させて魔王の域から引きずり落とす。

 

「術の対象を極限まで狭くする事で効力と強度を倍増させている。故にこれは魔王の抵抗力を以てしても防げぬ。……わざわざそのように作ったのだからな」

 

 今回はたまたまランスが該当したが、過去を振り返っても対象となる相手など僅か。

 そんな特殊すぎる禁呪の仕様を見れば明らか、それは人間出身の魔王を確実に葬る為のもの。

 

 つまりそれは──魔王になる以前、GL期に生まれて魔族と戦っていた当時のガイが。

 当時の魔族の王、元人間である魔王ジルを討伐せんと作り出したとっておきの禁呪。

 

「副作用として数年ほど経験値の取得が不可能になるが、今更この身に経験値など不要なのでな。ここで貴様を殺す一手としてはちょうどいい」

 

 禁呪行使による反動、副作用。

 今となっては懐かしい感覚をガイは涼しい顔で受け入れて。

 

「──さて、では続きだ」

「ちぃ……ッ!!」

 

 その剣が、唸る。

 第六代魔王ガイ。最強の禁呪使いの真価がその牙を剥き始めた。

 

 

 

 

 

 



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VS 魔王ガイ②

 

 

 

 

 

 そこは異空間。

 今より数十年前の旧魔王城、その当時の姿をそのまま写し取った世界。

 

「ふッ!」

 

 その王座の間。

 先々代となる第六代魔王ガイの剣が唸りを上げる。

 

「ぐぬっ……!」

 

 それを受けるは第八代魔王ランス。

 しかしその顔にもう余裕はない。優勢だった先程までと一変して焦りの色が滲んでいた。

 

「くそッ! 身体が……!」

 

 何故ならその腕が、その足が、その身体中の全てが──重い。

 圧倒的な力強さが無い。あらゆる攻撃を受け止める強靭さが無い。当然ながら俊敏さも無い。

 この世界で最強の存在、魔王の肉体から魔王たらしめる強さの全てが失われてしまった。

 

「形勢逆転だな」

「なにを、この程度で……!」

 

 それは最強の禁術使いである魔王ガイが唱えた恐るべき禁呪。

 全ステータスを激減する禁呪、極限とも言うべき弱体魔法がランスの身体を蝕んでいた。

 

「はッ!」

「ぐっ! うぬぬぬ……!」

 

 ガイの剣が迸る。先手は取れない、やむなくガードする度に身体が悲鳴を上げる。

 重い。身体が重い。全ステータスが十分の一以下まで低下した身体は尋常じゃない程に重い。

 

「どうした、随分と動きが鈍くなっているぞ」

「くそっ、ふざけた真似しやが──ぐわっ!」

 

 ステータスだけを見れば中級魔人程度──それが今のランスの状態、その結果が今の劣勢。

 ガイの横一閃をどうにか防いだものの、その衝撃を受け止められず地を転がった。

 

「こ、こんな髭オヤジに……! 俺様の方が剣の腕前は圧倒的に上なんだぞ……!」

 

 剣を杖替わりにして立ち上がり、両腕に残る痺れを実感しながらランスは悔しげに唸る。

 確かにその剣才はガイよりも上であり、才能の部分に関しては禁呪の低下効果も働かない。

 だがその圧倒的な剣才もそれを扱う十分な肉体あってこそ。一対一の戦闘にあってステータスの差が、レベルの差が問題にならないなんて事はなく。

 

「ステータスが低下したその身体ではな。せっかくの才能も宝の持ち腐れだろう」

「なめるなよ雑魚が!! 今の俺様でも貴様如きを倒すぐらい楽勝だ!!」

「ほう、そうか。ならばその身体でどこまで抗えるのか、見ものだな」

「くっ……くそー!」

 

 今のランスはその手に握る剣すらも十全に扱う事が出来ない。その重みすら感じる始末。

 この超・挑戦モードに挑むに当たって、ハニーキングが用意していた代用の長剣は魔王の力でも破損しない程の硬度に見合った重量がある。

 それでも魔王の力があれば小枝のように軽々振り回せたものだが、今となっては。あるいはそれでも応戦出来ているのが剣LV3の才能と言うべきか。

 

「貴様! セコい! セコいぞ!!」

「ぬ?」

「ステータス低下の禁呪なんて!! 魔王のくせしてなんつーセコい手を使うヤローだ!! もっと正々堂々戦え! 恥ずかしくねーのか!! くそぼけかすー!!」

「……ふっ、この禁呪はお気に召さぬか」

 

 セコいセコいと喚き立てる、第八代魔王の挑発めいた悪口攻撃。

 

「ならば悪い事をした。なにせ私は貴様の言うように軟弱な魔王なのでな」

 

 しかし第六代魔王は涼しい顔で受け流して。

 

「更に言えば私は貴様と違って純粋な剣士ではない。故にこういう手も使う……そらっ!!」

「げっ! それちょっと待……ぐはっ!」

 

 返しの一発が──密かに詠唱を完成させていた雷撃の嵐が炸裂。

 雷属性の上位魔法、ランスを中心にして避けようも無い広範囲に雷の嵐が迸り、その身を撃つ。

 

「げほっ、ごほ……こ、こんな軟弱魔法が俺様に効くか! ……げほっ」

「さて、効いているようにも見えるが。まぁ効かぬというのならば効くまで試してやろう」

「ぐっ、それは……!」

 

 卑怯だぞ、と言う間も無く再びガイの右手に魔力が宿り始めて。

 それは瞬く間に炎に姿を変える、そして極細状のレーザー光となって解き放たれる。

 

「──ファイヤーレーザー!」

「チィ! 俺様をなめるな!!」

「よく耐える……だがッ!」

「い゛ッ……!!」

 

 鈍い身体を動かして、高速で迫り来るファイヤーレーザーを神業の如き剣術で切り払う。

 そこまでが精一杯の抵抗。追撃の剣までは防げず、ランスの二の腕をガイの剣閃が斬り裂いた。

 

「ふむ、剣の方が手っ取り早いか」

「く、くそが……! ステータスさえ元に戻れば貴様なんぞ……!」

「そう簡単には戻らぬ。あれは魔王が有する高い魔法耐性も込みで作り上げた禁呪だからな」

 

 有史始まって以来の最強の禁呪使い。第六代魔王の真価はそこにある。

 その恐ろしさを十分以上に見せつけるガイは「あるいは……」と口元を愉快そうに曲げて。

 

「剣も魔法も嫌だと言うなら、追加で更なる禁呪をくれてやろうか? こんな事は言うまでも無いが、私が使える禁呪のレパートリーはなにもステータス低下の禁呪だけには留まらぬぞ」

「ぐ、ぐぬぬ……!」

 

 思わず圧倒されて、一歩下がる──ランスのように近接戦闘だけではなく。

 その手で剣を振るい、逆の手では魔法を扱い、更には圧倒的な禁呪の数々を行使する。

 それがガイ。GL期という人類にとって史上最も過酷だった地獄の世界を生き抜いてきた猛者。

 

「ぐぬぬぬぬ……!」

「どうした、威勢の良さが消えたぞ」

「………………」

 

 ──これはちょっとマズい。ピンチだとランスは率直に感じてしまっていた。

 

 相手は剣と魔法を絡めてくる魔法剣士。まずこの時点でもう面倒くさい。

 そしてステータス低下の禁呪、これがヤバい。今の自分はビックリするぐらい弱体化している。

 攻撃力も然りだが、防御力と魔法抵抗力も激減してしまっている為、先程実践したような魔王の耐久力にものを言わせてゴリ押す戦法など今では自殺行為でしかない。

 かといって下がるのは相手の思う壺、魔法で蜂の巣にされるだけ……がしかし前に出た所で、先のように接近戦で競り勝つ事が出来ない。

 

「…………チッ」

 

 そもそもがこれは魔王同士のタイマン勝負。相手は自分と同格の存在。

 となればステータスが激減している今、どちらが勝利するかなど火を見るよりも明らかで。

 

「……しゃあない、こうなったら……」

 

 このままでは負ける。

 となれば何か状況を変える一手を打つしかない。

 

「……髭オヤジが、後悔しろよな」

 

 幸いそういった機転を利かせるのは得意。作戦はすでにランスの頭の中にあった。

 なぜならこれは魔王同士のタイマン勝負──というのは、あくまで形式上の話であって。

 

「この俺様に本気を出させたのだ、もうどうなっても知らんぞ。……てな訳で、とうっ!」

「む……?」

 

 この場にはもう一人、強制的に傍観者にさせられてしまったあの魔人がいる。

 元々これは二体一での戦い。であればそれを利用しない手は無い。

 

「ホーネットっ!」

「え……、あっ」

 

 特に──相手がこの魔王ガイであれば。

 ランスはホーネットのそばに駆け寄って。

 

「やい髭オヤジ! これを見ろ!!」

 

 そして。その手に持つ剣の先を。

 その細い喉元に、ピタリと。

 

「っ、……!」

「………………」

 

 冷たい刃の感覚に息を飲むホーネット。そして眉を顰める魔王ガイ。

 ランスはホーネットの背後からその身を抱えて、首元に長剣の刃を押し当てていた。

 その姿が意味する所は明らか。勝手な真似をしたらこいつの命は無いぞというメッセージ。

 

「どうだ! これで手が出せまい!!」

「ら、ランス……」

「……貴様」

 

 要するに人質を取る事、それがランスの思い付いた作戦。

 仕える魔王に人質とされたホーネット──娘の姿に、ガイの眦が不快げに歪んだ。

 

「何をするかと思えば……余りにも愚劣な手だ。貴様、プライドは無いのか」

「うるせーい!! 戦いなんつーのはどんな手を使っても勝ちゃあいいんだ!!」

 

 親を相手取って娘を人質に取る。鬼畜戦士の名に恥じない途轍もなく卑怯な作戦。

 そういう手を考える時ランスの頭は冴える。実際のところ戦闘相手が魔王ガイだと判明した時からすでにこの作戦を思い付いていて、そこから先はガイが言ったようにプライドの問題だけである。

 

「ほーらほぉ~ら、いいのかぁ~!? お前の可愛い娘が死んでしまうぞ~!!」

「んっ……」

 

 そして今、ランスはプライドを捨てて勝利を掴む事を選んだ。

 純度100%の悪役顔となった男は切っ先をホーネットの首にツンツンと押し当てる。

 

「………………」

 

 人質の身を案じているのか、あるいはランスという男を測りかねているのか。

 ともあれガイの動きが止まった。それはランスの狙い通りだった。

 

「がははは、形勢逆転だな。ホーネットの命が惜しかったら武器を捨てて降参しろ」

「……そもそも今のホーネットは私の側ではなく貴様の側に立つ者、貴様の配下だろう」

「そのとーり!! ホーネットはお前のものじゃない、すでにこの俺様のものなのだ!」

 

 わが意を得たりとばかりにランスは頷いて。

 

「だからこうして人質に取ったって問題ないし、それにこーんな事だって……」

 

 するとランスは武器握る手とは逆、空いている右手をホーネットの胸元に移動させて。

 

「あっ……!」

「ぐ~ふふふふ~~!!」

「ら、ランスっ、なにを……!」

 

 柔らかなそれをぐいぐーいっと。

 親の目の前で娘の胸を揉みしだく。第八代魔王ランスにしか出来ない芸当である。

 

「貴様……それで脅しているつもりか」

「まーだまだ、こんなのは序の口だぞ。だからこうして、こことか……」

「あっ、ちょ、ちょっと……!」

「なんなら今ここでホーネットの恥ずかしい姿を全部──」

「まっ、待って下さい!! ランス……!!」

 

 これには堪らずホーネットも声を荒げた。

 眼前には尊敬する父、魔王ガイ。ここであられもない姿を見せるなど出来ようはずかない。

 

「俺様の勝利の為だ。ホーネット、我慢しろ」

「嫌です! 大体私を人質にするなど、そのような手が父に効くとは思えません!」

「いいや効く、現に効いている」

「だからって、こんな……!」

 

 百歩譲って人質作戦が効いていたとしても、胸を揉みしだく必要はないはず。

 そう言いたいホーネットだが、言ったところでランスの手が止まる訳がない。

 

「それともまさかお前……俺じゃなくて父親の肩を持つつもりじゃねーだろうな」

「そうではありません! そうではなくて……」

 

 そして──ここであられもない姿を見せるのは絶対に嫌だが、それでも彼女は魔人筆頭。

 幼い頃より完璧な魔人筆頭になるようにと、今まさに目の前にいる父親魔王ガイから厳しい教育を受けて育ってきた。

 そんなホーネットが、今ここで自分が仕えるべき魔王を、自分の役目を見誤るなんて事は無く。

 

「それより、耳を貸して下さい」

「耳?」

「はい。実は……」

 

 だからこそ魔人筆頭として。

 その口をランスの耳元に寄せて、ホーネットはごにょごにょと小声で耳打ち。

 

「……ほう?」

 

 するとランス眉がピクンと跳ねた。 

 どうやらホーネットは、この状況を打開する作戦をすでに思い付いていたらしく。

 

「……そうすれば、父は……」

「……おぉ、それは確かに……」

「えぇ、ですからそこで……」

「ふむふむ……なーるほど……ホーネット、お前って結構頭良いな……」

 

 思わずランスも感心する程。

 それは人質作戦よりも遥かに有効そうで、かつ見栄えも良さそうなので。

 

「……よし。んじゃそれでいくぞ」

「はい」

「うむ……よっこいせ」

 

 即座に作戦変更を決断。

 ランスは一歩下がって、ホーネットの首元に押し付けていた長剣を下ろした。

 

「なんだ、人質を取るのは止めたのか?」

「がはははは! 人質だと? 馬鹿を言うな。貴様如きを倒すのに人質なんざ必要無いわ!」

「……都合の良い事を言う」

 

 先程のド外道な振る舞いから一転、実に堂々とした態度のランス。

 その変わり身の早さに呆れながらも、魔王ガイは再び剣を構え直して。

 

「だがどうする。状況は変わっていないぞ」

「だからどうした、こんなもん劣勢の内にも入らんわ。このまま普通に戦っても勝つのは俺様だが……もっと楽チンで勝つ方法が一つあってな」

「ほう?」

「必殺技だ。俺様には最強無敵の必殺技があるのだ」

 

 同様に剣を構え直す──ランスが活路を見出したのはそこ。

 剣術の才能の昇華、必殺技。これまで数多の強敵をなぎ倒してきた珠玉の一撃。 

 

「必殺技だろうと同じ事だ。先の禁呪によって攻撃力が激減している以上、どんな技を放ったとしても貴様の想定通りの威力にはならぬ」

「ところがどっこい、俺様の必殺技にはステータス低下を無効化する特殊効果があるのだ」

「虚言だな。それが本当であれば貴様は真っ先にその必殺技を使用しているはずだ」

「そりゃお前の考え方だろう。俺様は切り札を最後まで取っておくタイプなのだ」

 

 言いながらもランスはその両腕に気力を充填させていく。

 剣LV3の絶技、魔王アタック。本来であればそれは文字通り必殺の威力となるが──

 

「無駄だ。今の貴様では私には届かぬ」

「ははーん、さてはお前、俺様のちょースペシャルな必殺技にビビってんだろ」

「……口だけは達者だな」

 

 一方でガイも。迎え撃つつもりかその手の中に魔力が収束していく。

 対峙するその視線はランスだけに向いていて。

 

「……くくくっ」

 

 先の作戦においてランスが受けた役割──それは必殺技を溜めて、放つ事。

 そしてその間、相手の注意を引いておく事。

 

「いくぞ……ひっさーっつ!!」

 

 溜めが完了したランスは駆け出した。

 真っ向からの衝突になるが恐れはない。すでに勝利を確信しているからこそ。

 

「悪足掻きを……!」

 

 迎え撃つガイも魔法詠唱を完成させて。

 圧倒的なステータス差からなる当然の勝利。それを掴み取らんとした、

 

 その時──

 

 

「──ぐッ!?」

 

 驚愕に目を見開き、苦しげに喉を鳴らした。

 何故ならその腕が。足が。その身体が──重い。

 

(これは──ッ!)

 

 ガイは即座に理解した。

 全身を襲う重さと不自由さ、これはつい先程自らが使用した禁呪の効果そのもの。

 各種弱体魔法の複合禁呪、対象の全ステータスを激減させる秘術。

 

(だとしたら……!)

 

 若かりし頃のガイ自らが作り出した禁呪。

 元々の種族が人間である魔王を対象に取る禁呪。

 それはつまり、元々が人間である魔王ガイにだって有効であるという事。

 

「だとしたら、まさか……先程の一度のみで呪文を暗唱というのか」

 

 その禁呪が自分にも掛けられた。

 ならばそれを唱えたのは──

 

「これは想定外だ。……見事だ、ホーネット」

 

 ガイは横目にそれを見る──その表情には罪悪感も負い目もなくて。

 魔王を補佐する魔人筆頭として、曇りなき眼で戦うべき相手と向き合っていた。

 

「そこだーーッ!!」

「っ……!」

 

 ランスが迫る。 

 十分の一以下まで引きずり落とされたステータスでは何もかもが後手。

 反応が遅れる。ガードは間に合わない。

 

「魔王アターーック!!」

「ぐはッッ──!!」

 

 そこにランスの必殺技が炸裂した。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「……ふぅ、やったぜ」

 

 必殺技を打ち終えた虚脱感の中、ランスは大きく息を吐く。

 

「完璧に上手くいったな、ホーネット」

「えぇ。あの禁呪が私に使用出来るのかどうか、賭けの要素はありましたけどね」

 

 傍らに立つホーネットと頷き合う──作戦が見事にハマったのだ。

 ランスが受けたステータス低下の禁呪、それを密かにホーネットが唱え返す。

 ガイにとっては予期せぬステータス低下、その隙を突いてランスが必殺技を叩き込む。

 

「自分が使った禁呪を逆に利用されるとは。ざまぁねぇなぁ! がははは!!」

 

 元人間の魔王を対象にする。当時の魔王ジルを討伐する為にガイが作り上げた禁呪の特徴が上手く噛み合って。

 加えてその禁呪をガイが使用したあの時、その姿を注視していたホーネットが詠唱文を一度で暗記出来たからこそ実現した作戦。

 ちなみにホーネットを縛っていた枷、ガイより下された『そこで大人しくしていろ』との強制命令の効果はすでに消えている。先程の耳打ち作戦会議の最中、ランスが『自由に行動しろ』との強制命令権でこっそり上書きしていた。

 

「これでヤツも…………む?」

 

 とその時。

 魔王アタックをブチ込んだ方向、王座ごと粉砕して瓦礫の山となった一角に蠢く気配。

 

「……良い一撃だ」

 

 魔王ガイがゆっくりと身体を起こした。

 

「チッ、髭オヤジめ、生きてやがったか」

「魔王とはこういうものだ。必殺技一つで倒せる程にやわな存在であれば、私とてあのような禁呪を作りはせんとも」

 

 魔王アタックは直撃したものの、肝心のランスの攻撃力は禁呪によって激減していた。

 しかし一方でガイの防御力も禁呪によって激減していた為、魔王アタックの威力は実質的には通常通り、つまりは大ダメージである。

 ただそれでも相手は時の魔王、一発の魔王アタックだけで絶命する程に弱くはない。その身に手痛い傷を増やしたものの威圧感は変わらぬまま。

 

「けれども勝機アリだ。このまま押し切ってやる」

 

 ランスは漲る闘志と共に剣を構える。が、

 

「いや……もういい」

 

 一方でガイは。

 戦意を鎮ませ、剣を鞘に収めた。

 

「結果は見えた。これ以上戦う意味はあるまい」

「てことはギブか? ギブアップすんのか?」

「あぁ。同じステータス帯での戦いとなれば剣術で勝る貴様に分があるのは明白。ならばと禁呪を使おうにも、その都度ホーネットに真似されては敵わんからな。……この戦いは私の負けだ」

「お父様……」

 

 数多ある禁呪の全てを行使すれば、ここから挽回する方法などいくらでもある──が。

 それこそプライドの問題というもの。ランスとホーネットの策に嵌められて、見事に一本取られたガイは潔く敗北を認めた。

 

「それに……目的は十分に果たしたのでな」

「あん?」

「いや、こっちの話だ」

 

 小さく首を振ってから視線をそちらに──唯一の肉親たるホーネットに向ける。

 その成長度合いを確かめる事。それが招かれざる客であったランスと戦う事を決めた理由。

 

「お父様……申し訳ありません、私は……」

「なにを謝罪する必要がある。今のお前はあの男に仕える魔人筆頭なのだろう」

「……はい」

 

 緊張した顔で頷くホーネット。

 父親に対して攻撃する、その意味と重みは重々承知している。

 それでもホーネットは第八代魔王ランスに仕える魔人筆頭としてあるべき行いをした。特にこの父親の前で、魔人筆頭らしからぬ姿をみせる訳にはいかなかったのだ。

 

「しかし……禁呪とは」

「え?」

「いやなに、強制命令権がお互いに使える以上、私の命令を破ってホーネットが動く事自体は予期していた。ただ何をした所で問題無し、十分に対処出来るだろうと思い放置していたのだが……」

 

 あれは読めなかった。と、ガイは口振りとは裏腹にその口元を弓形に曲げて。

 

「思えば魔王になってから幾星霜、長らく戦闘自体がご無沙汰だったからな。いつの間にか勝負勘を無くしていたか、魔術の才があるホーネットにも禁呪が使える事を失念してしまった」

「がははは、それは言い訳のつもりか」

「そうは言わぬが、いい教訓にはなった。偶には戦いの中に身を置くことも必要だな、さもなければ自らが戦士だという事すらも忘れてしまうようだ」

 

 王の座に腰を下ろして数百年。一個体として強すぎるがあまりこの世に戦う相手などいない。

 それが魔王。今回ランスの対戦相手としてガイが選ばれたのも要するにそういう理由である。

 

「ま、なんにせよお前は負けた、俺様は勝った。そうだな?」

「……あぁ」

「よーし! てことで俺様の勝ち! 超・挑戦モード・ステージ1クリアー!!」

 

 こうしてランスは魔王ガイに勝利した。

 超・挑戦モード・ステージ1クリアである。

 

「がははは! 所詮は大昔の魔王、現役バリバリで最強無敵な俺様の敵ではなかったな!」

「……確かに。こと近接戦闘に関しては文句の付けようがない強さであった。だが一方で搦め手への対応策に欠けるな。己が不足を埋めてくれたホーネットに感謝するがいい」

「なにぃ? その口振りだとホーネットがいなけりゃ俺様が負けてたみたいじゃねーか」

「事実であろう。あの禁呪が無ければ──」

 

 とその時。

 

「……、っ」

 

 小さく呻いて。

 ガイはその手で額を押さえた。

 

「っ、……くっ」

「お父様?」

「……しまった。久々にダメージなど負った影響か……油断したな」

 

 それは常に冷静沈着なガイには珍しく。

 顔を顰めた苦悶の表情、あるいは苦虫を噛んだような表情で。

 

「ぐっ、……ぬぅ」

「なんだ、頭痛か? さては俺様の一撃の当たりどころが悪かったか」

「……………………」

「おい。急に黙るなよ」

「……………………」

「おいって。……ぬ?」

 

 額を押さえたまま、長い沈黙の後。

 

 

「……へっ」

 

 そうして、聞こえた声は。

 

「ようやくあっちの俺が引っ込んだか。無様に負けやがって……ざまぁねぇな」

「……お父様?」

 

 常に冷静沈着なガイには珍しく──

 というか、あり得ないぐらいに感情豊かで。

 

「──よう。久しぶりだな、ホーネット」

 

 先程までとは違う、そのガイは大層上機嫌そうに笑った。

 

 

 

 



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VS 魔王ガイ③

 

 

 

 

 

 

「よう。久しぶりだな、ホーネット」

 

 そう言って愉快そうに笑う、男。

 

「お、お父様……」

「おぉ、お父様か……なんか懐かしいなぁ」

 

 顎の下を擦りながら、嬉しそうに口元を緩める魔王ガイ。

 その表情はこれまでに無い程に感情豊か、喜怒哀楽が顔にしっかりと表れていた。

 

「ここだけの話な。俺は『魔王様』よりも『お父様』って呼ばれる方が好きだったんだ」

「え、あ、そうだったのですか……いえ、ではなく、お父様、あの……」

「分かってる分かってる。お前の言いたい事はよく分かってるぜ、ホーネット」

 

 皆まで言うなとばかりにこくこく頷く仕草、など。

 そういった姿、立ち振舞いの所作全てが先程までのガイとは大きく変わっていて。

 

「なんか、こいつ……いきなり雰囲気が変わりやがったな」

 

 今日初対面のランスも思わず眉を顰める──魔王ガイの様子が変化した。

 その表情や口調が、その性格が変化していた。先程の厳かな印象のガイとは違う、もっと奔放な性格をしている別人のよう。

 

「もしかしてさっき俺様の必殺技で頭をぶつけたせいか? さてはバカになっちまったか」

「いえ、そうではありません。元々お父様は時折このような性格に変わる事があって……」

「……あー、そういやぁなんかシルキィちゃんから聞いた事があったな」

 

 ランスは以前にシルキィの想い人を追求した際、ガイという魔王の特徴を耳にしていた。

 曰く──魔王ガイは普段は真面目だが、時々別人のように奔放な性格に変わる事がある、と。

 

「これってあれか、二重人格ってヤツか?」

「そうだな、そんなところだ。俺は表のガイの中にいるガイ、言わば裏のガイだ」

 

 二重人格──その言葉にガイ本人が頷く。

 先程までのガイとは異なる、先程までのガイを表と呼ぶ裏人格の魔王ガイ。

 

「なるほど、二重人格ねぇ……通りで顔面が真っ二つに分かれているわけだ」

「そりゃ関係ねぇ。……と言いたい所だが、全くの関係無しとも言えねぇんだよな」

「そうなのですか? お父様」

「あぁ。全部を話すと長くなるんだが……元々ガイってのは表のアイツが、さっきまでお前らと話していたアイツがガイだった」

 

 魔王ガイ。元々は人間、その生まれは今より千年以上前となるGL期末期頃。

 当時の魔王が行っていた人間管理施策、人間牧場の中で奴隷とし生を受けた。

 

「だったんだが……まぁ色々あって、何時からかガイの中に俺が生まれた」

「色々って?」

「そりゃ色々だ。当時は人間一人の命なんざめちゃくちゃ軽い時代だったからな、精神に不調を来たせばそういう事だって起きるだろうよ」

「ほーん……」

「でもまぁ結果オーライっつーか、今となってはむしろ必然だったかもな。表の俺が無茶なズル技を使いまくる分のツケみたいなもんだし」

「ズル技?」

「あぁ。表のアイツはな、見た目によらず結構せこい手を使う男なんだ」

 

 そう言って裏のガイはからからと笑う。さも表の自分を小馬鹿にするように。

 魔王ガイの二重人格。その大元は幼少の頃に遭遇した事件による精神的外傷が原因。

 加えて精神に過度な負荷を掛ける禁呪の使用、他にも魔人化や魔王化なども重なってガイの精神分裂は治癒が不可能なものとなり、今に至る。

 

「そりゃ自業自得だな」

「ランス、そのような言い方は……」

「いいやホーネット、実際その通りで全ては表のアイツが弱かったから、つまり自業自得だ。つってもそれで挫ける程には弱い男じゃない、そこが本当に鬱陶しい所なんだが……」

 

 精神的外傷によりガイの精神は分裂し、いつしかガイの中にはもう一人のガイが誕生した。

 しかし表のガイもただでは転ばなかった。精神が二つに分裂したのをいい事に、それ以降精神に過度な負荷が掛かる禁呪の副作用を全て別人格の方に担わせる事にした。

 更には魔王になって以降は定期的に沸き起こる血の衝動なども都合良く押し付けている為、表人格のガイは血の衝動に捕らわれる事がない。

 

「なんかせこいな、それ」

「だろ? せこいだろ? アイツはさも真面目で厳格な魔王ですってな顔してるがな、その裏では面倒な事を全部この俺に押し付けてやがんだよ」

「うむ、そりゃせこい」

「………………」

 

 そんな事は無いです、と尊敬する父親を庇いたい気持ちはあれども。

 しかし他ならぬ父親本人の言葉を前にしては、娘たるホーネットも沈黙しか出ない。

 

「表のアイツなんざ所詮は禁呪が使えるだけのせこい男、全てはこの俺があってこそなんだよ」

 

 第六代魔王ガイ。二つの人格を持つ魔王。

 人類が魔物の支配から開放されたGI期。魔王が人間と魔物の境界線を作り上げたり、積極的に人類への攻撃を行わなかったのは表のガイが人間の心を保っていたからこそ。

 そして、魔王の残虐性を湧き起こす血の衝動を受け止めてきた裏のガイがいたからこそ。

 

「これが魔王ガイに隠された秘密ってわけだ。どうだ、驚いたか」

「いや別に。そもそも興味ねーし」

「私もなんとなくは察していたのですが……やはり私のお父様は二人いたのですね」

 

 魔王ガイの二重人格。それは誰にも打ち明けた事のない秘密の事項となっている……が。

 とはいえ直接本人から聞かずとも、実際に裏の人格が表出している時、表との差異やその違和感に周囲の者が気付かない訳もない。

 なのでホーネットを始めとする魔王ガイに近しい者達の中では公然の秘密扱いだったようだ。

 

「表のアイツは俺の事を上手く抑え込んでいるつもりらしいが……それでもたまに緩む。今回みたいに消耗した時なんかは特にな。そこを突いて人格の支配権を奪い取っちまうって訳だ」

「へー……なんか聞いている限りだと、表のお前と裏のお前はまるで仲良くねーっつか、むしろ対立している感じなんだな」

「そりゃそーだろ。あんな陰険で狡っ辛い堅物男と仲良しこよしが出来るかっての」

「うむ、それは大いに同感だ」

「元々アイツとは考え方が絶望的に合わないっつーか……とにかく反りが合わねぇんだ」

 

 表のガイは真面目で厳格な性格。一方で裏のガイは奔放で自由な性格。

 秩序を重んじる性格と混沌を好む性格、両者の思考は真逆とも言えるもの。

 

「こちらのお父様に人格が変わったと見受けられる度、それまでとは全く違う事や真逆とも言える命令を出されたりしましたからね。仕える者としてよく混乱していた覚えがあります」

「なんかイヤな上司だな、それ」

「うるせぇ。完全に別人格なんだからしょうがねぇだろ。……そう、俺とアイツは外見こそ一緒だけど思考回路が全く違うもんでな、だからアイツなら気にしないでスルーしちまう事も、俺には気になっちまって見過ごせねーって事がある」

 

 表のガイとは違う性格だからこそ。

 裏のガイには、この状況において大いに気になっている事が一つあった。

 

「で、だ」

 

 するとガイはその双眸を、半人半魔の顔からなる二つの瞳を娘に向ける。

 

「ホーネット」

「はい」

「さっき表の俺と話している事を聞いていたが……お前は俺が知っているホーネットよりもいくらか成長したホーネットなんだよな?」

「え、えぇ。お父様が知る私というのがいつの私なのか存じ上げないのですが、私はお父様から次代の魔王様に血の継承がなされて、その数年後にすぐまた血の継承がなされて、その結果今ここにいるランスが魔王様となった、そんな時代から来ていますので……」

「へぇー……」

 

 異世界から呼んだ来水美樹に血の継承を行い、魔王ガイはその時にこの世を去って。

 そこから更に先、今ここにいるのはガイが知らない先の未来から来たホーネット。

 

「で、こいつの魔人筆頭をやってると」

「はい」

「……ほほーん、なーるほどねぇ……」

 

 そんな先の未来では。ホーネットは相変わらず魔人筆頭で。

 仕える魔王はランス。自分より二世代進んだ第八代魔王。

 

「……ふーん、こいつがねぇ……」

「なんだ、文句あんのか」

「……いや」

 

 ランスという男が魔王。──そこに関しては別に文句はない。

 表の自分は魔王の後継について考えがあったらしいが、しかし裏のガイからしたら後継として何処の誰が魔王になろうとも興味はない。

 無いのだが……しかし。ガイはその男の顔を見ながら一度大きく頭を振って。

 

「んでよ、ホーネット」

「は、はい」

「この際直球で聞いちまうが……お前、この男に惚れてんのか」

「つっ!」

 

 瞬間、ホーネットは喉を詰まらせた。

 

「なっ、お父様、なにを急に……!」

「娘の成長を知っておくのは親の役目だからな。これは聞いておく必要があるだろ」

 

 表のガイはあえてスルーした、しかし裏のガイにはスルー出来なかった事。

 それは隣にいる男との関係性。要するにホーネットのプライベートについて。

 

「さっきから思っていたんだが、魔王と魔人筆頭にしてはやけに親しげだよな。お前の性格からして有り得ねーと思うんだが……そういう理由だってんなら分からんでもない」

「いえ、別に、私はそんな……」

「この男に惚れてんのか。どうなんだ?」

「ど、どうと聞かましても……!」

 

 まるで悪事を隠すかのように、目線を他所に逃がして言葉を濁すホーネット。

 ならばとガイはその隣に視線を向ける。

 

「……ランスとか言ったか」

「おう」

「お前はどうなんだ。ホーネットと付き合ってんのか」

「……ふっ」

 

 するとランスは。

 隠す気も無かったのか、その大きい口でにんまりと笑って。 

 

「答えはイエースだ。俺様とホーネットは付き合っているぞ」

「……そうか」

「あぁそうだとも。そりゃもう存分に、数え切れない程に突き合ってるな! がはははは!!」

「………………」

 

 憎々しい程の堂々たる大笑い。

 それを見れば『付き合っている』のニュアンスが異なる事まで察せられるというもので。

 そしてホーネットに視線を戻して見れば。

 

「………………」

「……顔が赤い」

「う、っ……」

 

 ホーネットはしっかり照れていた。

 二人の関係性はどんなものなのか、その表情を見れば明らかである。

 

「……そうか」

「……はい」

「……そっかぁ……はぁ、あのホーネットに男が出来るとはなぁ……」

 

 遠くに視線を彷徨わせて、魔王ガイは感慨深げに、そしてどこか切なげに呟く。

 まだまだ子供だと思っていたホーネットはいつの間にか成長していた。大人になっていた。

 

「……まぁな。そりゃいずれはそういう事もあるんだろうなってのは覚悟してたけどよ」

「……はい」

「にしてもだ。ホーネットが初めて俺の前に連れてきた男がこいつってのは……」

 

 年頃の娘が家に男を連れてくる。そして親に会って挨拶を交わす。

 子育てにおいて必須とも言えるイベントである。だがホーネットが連れてきた男は──

 

「なんだ、なにか文句でもあんのか」

「ねぇ訳あるか、アホ」

 

 吐き捨てた言葉には苛立ちが隠さず乗っていた。

 結局のところ、裏人格のガイが一番引っ掛かっていたのはそこである。

 

「まずお前、敬語はどうした」

「は? 敬語?」

「そうだ、敬語だ。俺はホーネットの父親だぞ。付き合っている相手の父親に挨拶するってなったら敬語で話すのが当然だろうが」

 

 例えば『お父さん』などと呼んで「君にお父さんなどと呼ばれる筋合いは無い!」という定番の返しも、『お父さん』と呼ばれない事には始まらない。つまりは敬語。

 そうでなくとも年配者。だったら敬い敬語を使うのが常識というもの。

 

「んなこた知るか。なんで俺様がお前に敬語なんぞを使わねばならんのじゃ」

 

 しかしてこの男は。

 相手を敬うなどという発想は欠片も無い。何故なら自分こそが最も偉い存在だから。

 そんな思考の男が挨拶にきた場合、相手の親から下される評価とは如何に。 

 

「……論外だな」

 

 ──それが答え。

 

「おいホーネット」

「は、はい。何でしょう」

「親として言うぞ。こいつは止めとけ」

「え。え、えっと──」

「いいか、こいつだけは止めとけ。この数分間で確信した、こいつは絶対にロクな男じゃない」

「な、なんだとー!!」

 

 ホーネットに忠告するガイの表情は大真面目、至って真剣だった。

 どうやらランスの本質を見抜いた、早々に見切りを付けたようである。

 

「相手の親を前にしてな、礼儀正しく挨拶しない奴なんぞ絶対にロクな男じゃない。大体父親と挨拶するってのに手土産の一つも持参して来ねーとはどういう了見だ」

「おい貴様! さっきから聞いてりゃ敬語とか礼儀正しくとか手土産とか、バケモンみたいなツラして常識的な事を言うんじゃない!!」

「見ろこの生意気な態度を。こんな男と付き合うなんて俺は絶対に認めねーからな」

「けっ! 勝手に言ってろ! そもそも貴様に認められようだなんて思ってないわ、過去の存在でしかない貴様なんぞ眼中にねーんだボケ」

「あんだとテメェ……それが人の親を前にして言う言葉か」

「ふ、二人共、どうか冷静に……!」

 

 ホーネットが制止するものの、反発し合う二人の言い合いはヒートアップしていく。

 共に傍若無人、性格が似ているが故の同族嫌悪というものか。裏人格のガイとランスはあまり相性が良くないようで。

 

「俺は親だぞ!! ホーネットの父親だ!!」

 

 ガイは吠える。

 

「親を前にしてその態度はなんだ!! 俺が手塩にかけて育てたホーネットと付き合うってんだ、だったらその頭を地面に擦り付けて『お父さん! 娘さんを僕に下さい!』ぐらい言えねーのかテメェは!!」

「うるせーバーカ!! 貴様のような顔面モンスターに下げる頭などないわ!!」

 

 負けじとランスも吠える。

 相手の親御さんを前にしてもこの態度。下げる頭など持っていないのがランスという男。

 だがその傍若無人さは、こういう状況のこういう場においては不適格もいいところ。

 

「テメェ……いい度胸してるじゃねーか」

 

 当然というべきか、魔王ガイの声のトーンが下がった。

 そして溢れ出る魔王オーラが増した。殺気がより一層強まった。

 

「どうやらテメェみたいなバカは一度痛い目見ないと分からねーみたいだな」

「お、お父様……」

「お? なんだ、やるか?」

「あぁ。ホーネットの父親として、テメェの腐った性根を叩き直してやる」

 

 その声には怒気が宿る。

 表人格よりも短気なのか、その目はすでにやる気満々である。

 

「がははは! さっき俺様に敗北したばっかの負け犬が何を偉そうに」

 

 とはいえすでに決着の付いた相手、何を今更とランスが笑う。だが、

 

「ははは、負け犬か」

「あぁそうだ。なにが違う」

「いいや間違っちゃいねーよ。けどそれを俺に言っても意味がねーだろ」

「あん?」

「負け犬は表の俺。表の俺に勝ったからっていい気になってんじゃねぇよっつう話だ」

 

 対するガイも不敵に笑う。

 その笑みは。表とは違う裏の本性を、裏の恐ろしさを如実に物語っていた。

 

「表の俺は甘い。あいつは人間だった頃の人格を未だに保ち続けているような奴だからな。魔人になろうが魔王になろうが所詮は人間だ」

「で?」

「つまり表の俺は言わば善人格。対してこの俺は精神障害やら禁呪の副作用やら魔人化やら魔王化やらなんやらで歪みに歪みまくった悪人格だ。善と悪、戦いの場においてどっちが強いかなんて言うまでもねぇだろ?」

 

 魔王ガイ。その二重人格性の特色は戦いの場においても発揮される。

 確かに表のガイは先の対決時、ランスの力量を推し量る為か積極的な攻勢に出なかった。

 一方で裏のガイは。本人曰く表人格とは強さの比が全く異なるらしい。

 

「がははは! 下らん下らん! 表だろうが裏だろうが雑魚に違いはないっつーの!!」

「お前……俺にそんな大口叩いていいのか? 間違いなく後悔する羽目になるぞ」

「がははは! 言ってろ言ってろ!!」

 

 射抜くような殺気を浴びても尚知らん顔、呑気に大笑いする魔王ランス。

 この魔王ガイにはすでに勝った。もはや何を言っても負け犬の遠吠えにしか聞こえない。

 

 ──だが。

 

 

「お前は何も分かっちゃいねぇ。表の俺はあれで手加減してくれていたんだぜ?」

「手加減だと?」

「あぁそうだ。魔王ガイの本気は……つうか、禁呪使いの本気はあんなもんじゃねぇぞ」

 

 魔王ガイの真価は禁呪にある。

 先の戦闘ではステータス低下の禁呪一つしか使用しなかったが──

 

「禁呪の闇は深いぜ? 中には相手を強制的にインポにしちまう術だってあるんだからな」 

「なッッ……!?」

 

 瞬間、ランスの顔が驚愕に凍り付いた。

 

「まっ、まさか、も、モルルンか!?」

「ほう、モルルンなんてよく知ってるじゃねーか。あっちは呪いで俺が使うのは禁呪だが、まぁ似たようなもんだな。だったらこの術を受けたが最後、テメェのチンポが使いもんにならなくなるって事も知ってるって訳だ」

 

 言いながらガイの右手に毒々しい色の魔力が収束していく。

 

「ちなみにモルルンはカラーが使う呪いで、俺のは魔王が使う禁呪だ。どっちがより強ぇかなんてのは言うまでもねぇ事だよな?」

「も、モルルン以上だと……ッッ!!」

「おいおいどうした、顔が引き攣ってるぜ?」

「ぐ、ぐぐぐ……!」

 

 迫るインポの呪い。

 すぐ目の前にある恐怖が、絶望という概念が形となってランスを追い詰めていく。

 

「俺の前でナメきった態度を取った罰だ、インポの禁呪をありがたーく受け取りな。ろくにチンポも立たねぇ男になりゃあホーネットの恋心だって諦めが付くだろうしな」

「ま、ままま待て! 分かった分かった!! 分かったからっ!!」

「ほう? 何が分かったってんだ?」

「と、とりあえず落ち着け! 落ち着いて、一旦その手を下ろせ!!」

 

 禁呪使いの深淵の前には為す術無し。

 強気な態度を放り投げて、あっという間に逃げ腰となった魔王ランス。

 

「ひぃ、ひぃぃ……! モルルンはいやだぁ……モルルンはもう嫌なんだぁ……!」

 

 カラーが使用する呪い、モルルン。 

 その中でも一定レベルの相手としかセックス出来なくなってしまう呪い、禁欲モルルン。

 常時インポを強制されてしまい、一度は自ら命を断つ事すらも考えたあの呪いはランスにとって余程のトラウマとなっているようだ。

 

「これが魔王ガイの真の実力だ。理解したか」

「した! 理解した! お前の強さはよーく分かった!! マジで!!」

「そうか。んじゃまずは俺の前でナメ腐った態度を取っていた事を謝罪してもらおうか」

「ぐっ……!」

 

 その要求にランスは喉を鳴らす。

 がしかし、目の前にはインポの呪いが今か今かと準備万端で待ち構えている。

 

「おら、どうした」

「ぐ、ぐぐ……!」

「あぁん?」

「ぐ……ご、ごめんちゃい……」

 

 渋々ながらもランスは謝った。

 自らの非を認めるプライドよりも、ハイパー兵器が役立たずになる恐怖の方が勝ったようだ。

 

「なんだか誠意が感じられねぇが」

「そんな事はない! ちゃんと心を込めた!」

「まぁいい、んじゃ次だ。今お前の前にいるのはな、お前の隣にいるホーネットの父親なんだよ」

「お……おう」

「ホーネットはお前の女なんだよな?」

「おう……おう」

 

 苦い顔でこくこく頷くランス。

 するとガイも同様に苦い顔で「それも認めたくねぇのが本音なんだが……」と呟いて。

 

「肝心のホーネットが惚れちまってる以上、そこはもうしょうがねぇと割り切った」

「お父様……」

「けどな。それならそれで、父親の俺に対して言うべき言葉っつーのがあるよな?」

 

 それは一人の男として、相手の父親に対して言うべき言葉。

 それは娘を貰う事への願いの言葉、あるいは父親の代わりに娘を守る事への誓いの言葉。

 仮にその誓いが破られる事があるとしても、一度は宣言して誓わない事には始まらない。それこそどんなロクでもない男であろうとも。

 

「貴様に認められる必要なんざ無いわーとかほざいてやがったがな。俺が認めないっつーのはイコール即インポだって事を分かってるよな?」

「ぐ、ぐぐぐ……わ、分かった。その、ホーネットの事は大事にするぞ……うむ」

「それだけじゃ足りん」

「ぐっ……!」

「ほれ、頭を深く下げて『お父さんー、娘さんをぼくに下さいー』って言ってみろや」

 

 ──娘さんをぼくに下さい。

 それを言うのは男としての大舞台、結婚の挨拶として定番のフレーズ。

 

「ぐ、ぐぐ……」

「ほれ、早く言え」

「い……イヤだ! その言葉を言うのだけはなんかイヤだ!!」

 

 されど絶対に家庭になんか入りたくない。

 結婚の挨拶なんて死んでも御免、ランスは何処までもハーレム思考なのである。

 

「イヤだじゃねぇ、言え」

「イヤだ! 絶対イヤだ!!」

「よーし分かった。どうやらチンポとのお別れは決意したみたいでなりよりだ」

「そっちもイヤだーーー!!!」

「あ、おいテメェ!!」

 

 だだだだだーっと駆けていく音──魔王ランスは逃げ出した。

 第八代魔王が尻尾を巻いて逃げ出す、これが第六代魔王の……というより、父親の貫禄というものか。

 

「に、逃げやがった……!」

「……逃げましたね」

 

 そして。

 王座の間に残されたのは、父親と娘。

 

「……なぁ、ホーネット」

「……はい」

「お前さ、本当にアレでいいのか? 考え直すなら今の内だと思うぞ。結構本気で」

「………………」

 

 あのランスとかいう男は大いに問題アリ。あまりにもロクでもない男。

 なのだが……そうと分かった以上、さりとてそんな男を選ぶ方もそれはそれでどうなのか。

 ランスに対する悪感情抜きにしても、なんだかガイは娘の事が本当に心配になってしまった。

 

「……いえ、ですが……お父様」

「なんだ」

「その……ですね、ランスにも……い、良いところはあるのです……」

「それは全体的に駄目なヤツに使う評価だろ」

「………………」

 

 反論、出来ず。

 ホーネットはただ目を伏せるのみ。

 

「……けど、それでもアイツが好きなのか」

「………………」

「……そうか。ならまぁ……うーむ、それならまぁしょうがねーんだろうが……」

 

 頬を朱に染めながら俯き、恥じらう事をまた恥じらっているような愛らしい表情。

 あのホーネットがこんな表情を。尊敬する父親相手にはしない表情、家族愛や敬愛とは異なる情愛があるからこその表情を見せられては、これ以上その想いを逆撫でするような事は出来ない。

 

「……チッ、これは表のアイツのせいだな」

 

 そんなもやもやした気持ちのせいか、魔王ガイは大きく舌打ちを鳴らした。

 

「表の、お父様ですか?」

「あぁ。もうずーっと思っていた事なんだがな、表のアイツは価値観が古すぎる。アイツの頭ん中は人間が魔物に支配されていたあの頃から変化がない、言ってみりゃもう化石だなあれは」

「か、化石……」

「だからアイツは古臭い考え方しか出来ない。そのせいでホーネットの教育方針がやたら厳しいものになっちまったんだ。子供の頃から勉強やら鍛錬やらばっかで遊ぶ時間なんかサッパリ無い! あの辛かった日々を覚えてるだろ?」

「……えぇ。懐かしいです」

 

 答えるホーネットの顔には小さな微笑みが。

 幼き頃、表人格のガイから完璧な魔人になるよう徹底的に鍛えられた日々。

 

「私は……あの修行の日々があったからこそ、今の私があるのだと感謝していますが」

 

 日常的な修業の日々、それがホーネットという魔人のアイデンティティを築いた。

 そうした日々を乗り越えたからこそ、彼女は若くして魔人筆頭の座に就いたのだ……が。

 しかし裏人格のガイに言わせれば、そこに大きな問題があったようで。

 

「いいや、あれがよくなかった。そりゃホーネットを強くする為には必要だったんだろうが……そんなんよりももっとホーネットを遊ばせてあげた方が良かったんだ」

「そういえば……時折こちらのお父様が鍛錬中の私を遊びに誘ってくれましたね。当時の私はあれが密かな楽しみで、次はいつお父様の性格が奔放になるかと待ち望んでいた覚えがあります」

「だろ? 楽しかっただろ? とにかく修行なんかいいからもっとホーネットを遊ばせて、もっと外に出した方が良かったんだ。そんでちょっとは火遊びなんかもさせて、イイ男の見極め方っつーもんを若い内にちゃんと学ばせておくべきだった。そうすりゃあんな男に引っ掛かりはしなかったはずなのに……」

「そ、そういう話ですか……」

 

 イイ男の見極め方。表のガイの教育内容には大事なそれが欠けていた。

 深窓の令嬢となった箱入り娘は悪い虫を追っ払う方法を知らなかったのだ。

 裏人格のガイに言わせれば、娘がランスに惚れてしまったのはそういう理由なのである。

 

「全部、ぜーんぶ表の俺が悪い。なぁホーネット、お前もそう思うだろ?」

「……そうですね」

 

 そんなガイの表情には。

 特に裏人格の今は──こうして接すると深く感じるぐらい、何処かにその面影があって。

 

「……でも、どうでしょうか。あちらのお父様のせいというよりも……私は、むしろ……」

「あん?」

「……いえ」

 

 ──今の貴方に似ているから、きっと私はランスに惹かれてしまったのです。

 そんな言葉を、ホーネットは微笑の奥に隠した。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そして、その後。

 

「ぐ、ぐぐ……」

「お前、いつまでビビってんだ」

「うぐぐ……禁呪怖い禁呪怖い……!」

 

 暫くして、何処かに逃げ出していたランスはおっかなびっくり戻ってきた。

 大事な下半身を守るべく、魔王ガイの恐怖をその身にしっかりと刻んだようである。

 

「ホーネット、この先コイツから酷い目に合わされたらすぐに俺の所に来いよ。そしたら俺が責任もってコイツのチンポを不能にしてやるから」

「はい、分かりました」

「おい! おっそろしい事を言うな! そんでホーネットも頷くな!!」

「ははははっ! これが父親の強さってもんだ。お前もちょっとは──ぐっ!」

 

 すると。

 途端にガイが額を押さえだして。

 

「くそ、もう出て来やがったか……!」

「お父様、まさか……」

「あぁ、あいつが……ぐぁっ!」

 

 身体の内から発せられる強烈な意思。

 その強さに思わず顔を顰めた、次の瞬間。

 

「…………ふぅ」

 

 大きく息を吐いて──変わった。

 ガイの表情が、その雰囲気が再び変化していた。

 

「お父様……元に戻られたのですか」

「あぁ、迷惑を掛けたな」

「やっとあっちのアイツが消えたか、助かった……」

 

 裏人格を心の奥に抑え込んで──戻ってきた表人格の魔王ガイ。

 先の奔放さはすっかり鳴りを潜めて、その表情に漂うは厳格な空気。

 

「しっかし……うむ、あっちと比べりゃこっちの方がまだマシだな」

「ほう、何を理由にそう思った」

「あっちのお前は性格が悪いし口うるさい。それにこっちのお前は俺様とホーネットの関係にとやかく言ったりしねーようだしな」

「成る程、そこか。貴様然り、あ奴も……通りで荒れている訳だ」

 

 封じ込めた胸の奥、未だガーガーとうるさい別人格の叫びにガイは顔を顰める。

 娘ホーネットとランスの関係性。裏人格のガイと違って、早々にその関係性を察していた表のガイはそこをスルーしている。ついでに言えば目の前で胸を揉まれてもスルーした。

 

「……下らぬ話だ」

「あん?」

「ホーネットが何歳だと思っている。すでに100年近く生きているのだ、己が相手を選ぶのに親の許可を得ねばならぬ歳ではあるまい」

 

 ホーネットは立派に育っている、すでに一個人として自立している。

 故に自分が口出しする事は何もない、というのが表のガイの考え方。だからランスとの関係性を察しながらも何も言わなかったようだ。

 

「ま、そりゃそうだな。つってもさっきのお前は子離れが出来ない父親そのものだったが」

「あれは私ではない」

「そういやな、さっき裏のお前が表のお前の事を陰険で狡くてせこい男だっつってたぞ」

「あれの言うことを真に受けるな」

「な、なんかお前……エロの時のシルキィちゃんみたいな事を言うな……」

 

 頭がおかしくなっている時の自分は頭がおかしいが故に何を言ってもノーカンである。

 そんな何処ぞの魔人四天王共通の考え方。主従は似るという事なのだろうか。

 

『──パンパカパーンッ!!』

「あん?」

『やぁやぁ! どうやら見事第一ステージをクリアしたみたいだね!』

「おぉ、白ハニワか。つーか出てくるのが遅いぞ」

 

 すると、どこからともなく聞こえた声。ステージクリアを知らせるハニーキングの声。

 それが終了の合図。この不思議な異世界から戻る時間になったのだ。

 

『という事で……カムバーック!』

「おぉ……」

 

 ハニーキングの超パワー炸裂、ランスとホーネットの身体が光に包まれていく。

 

「あ、お父様──」

 

 これで会えなくなる父に最後の挨拶を。

 ──する間もなく、二人の姿はその場からパッと消え去った。

 

 

「ホーネット……息災でな」

 

 一人になった王座の間、この世を統べる魔王ガイは静かに呟く。

 

 

 ──こうして、超・挑戦モード第一ステージが終了した。

 

 

 

 

 

 

 



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超・挑戦モード②

 

 

 

 

 所変わって──そこはアメージング城、空中庭園。

 なにもない空間が突如丸く切り取られて、ほわほわーっとした淡い光に包まれて。

 

「……ぬ、ここは……」

「あぁ、どうやら戻ってきたようですね」

「やぁやぁ! おっかえりー!!」

 

 その姿が現れる。

 ランスとホーネット、二人の挑戦者が異世界から元の世界に帰還した。

 

「という事で……超・挑戦モードステージ1、クリアおめでとー!!」

 

 どんどんぱふぱふー!! と軽快なクラクションBGMと共にハニーキングの喝采が。

 二人は困難に打ち勝った。超・挑戦モードステージ1、旧魔王城にて待ち構えていたボス、最強の禁呪使いである魔王ガイを倒したのだ。

 

「いやいや、さすがの戦いぶりだったねー! ステージ1にしては中々強めなボスを選んじゃったなーとか思ったんだけどなー!」

「がははは、ちょろいちょろい。あの程度の相手なんざ俺様に掛かれば楽勝なのだ」

「ほう、そうかい? けれども実の所は結構苦戦したんじゃないかな? あれはGI歴990年、魔王になってもう大ベテランな段階の魔王ガイだからね。まだ魔王になったばっかの君とでは色々な部分で大きな差があったはずだ」

「いーやそんな事はない。全てにおいて俺様の方が上だった」

 

 勝利という結果が全てとランスはえっへんと胸を張る。

 歴戦の雄、魔王ガイは剣に魔法に禁呪とあらゆる手を駆使する強敵であった。

 ただそれでも。お助けキャラであるホーネットの活躍もあってランスが見事に勝利を挙げた。

 

「ところで……ハニーキング、貴方に一つ聞きたい事があるのですが」

「おやホーネット君、なんだい?」

「あの場で戦った父の事です。あの父は結局どういった存在なのですか? あれは異空間にある異世界だとか言っていましたが……」

 

 すでに亡くなっているはずの父親ガイとまさかの再会を果たしたホーネット。その心の中には再びの別れの寂寥感が渦巻いていたが、その感傷自体にも考えてみれば疑問が湧く。

 すでに亡くなっているはずの父と再会した、あれは一体どういう原理だったのか。もしかしてこことは違う異世界では魔王ガイが別人として存在しているとでもいうのか。

 

「それともあれは過去の世界なのですか? しかしそう考えた場合でも妙な点が……」

 

 あるいは異世界ではなくて、今よりも過去の時間軸に戻っていたという事なのか。

 だがそれならば父親は。魔王ガイはその存命中、未来からやって来た自分とランスに会っているという事なのでは──

 ……などと、色々考えていたのだが。

 

「え。そこ気にするの?」

「え?」

 

 しかしてハニーキングの返答は。

 

「ホーネット君さぁ、君って細かい性格だねーとかって言われたりしなーい?」

「……私の性格云々ではなく、納得の行く答えを聞きたいのですが」

「納得って言われてもねぇ? 超・挑戦モードに理屈を求められても困るっていうかー」

「………………」

「ホーネット、諦めろ。こいつはもう何もかもかフザけた奴なんだ。見た目からして分かるだろ」

 

 残念ながらホーネットが抱いた疑問が解き明かされる事は無かった。

 超・挑戦モードとはそういうもの。このモード内で戦う相手に意味を求めてはいけない。

 理由や納得を求めたところで大いなる力の前では全てが無力なのである。

 

「あ、そうそう。ついでに言うとこのモード内での戦闘の結果は現実には反映されないから」

「あん? そりゃ何故だ」

「何故って挑戦モードはそういうものじゃん。だから魔王を倒したといっても経験値取得は無し。その代わりといってはなんだけどランス君に掛けられた禁呪の効果とか、ホーネット君が禁呪を使用した事による副作用なんかもチャラになってるからそこは安心してくれたまえ」

 

 超・挑戦モード内での経験値取得は無し。戦闘結果によるメリットもデメリットも無し。

 あくまで超・挑戦モードというのは強い相手と腕試しをする事だけが目的なのである。

 

「なんだ、それならインポの禁呪を恐れる必要なんか無かったのか」

「まぁそうだね。というか本当の事を言えばご褒美有りもダメなんだけどねー。やりこみ要素にご褒美を付けちゃうとライトユーザーから反感を食らうからさー」

「何の話をしてるんだがよく分からんが……ご褒美無しならこんなもん今すぐに止めるぞ」

「て言うじゃん? エサ無しだと絶対にやってくれないじゃん? だから今回は特別にご褒美有りバージョンなんだ。くれぐれも皆には内緒だよ?」

 

 ニンジンをぶら下げないと動いてくれないランスを釣る為、今回は特別にご褒美有り。

 そこだけが過去の挑戦モードとは異なる部分と言える……かもしれない。

 

「さてさてランス君。君が問題ないならこのままステージ2に進んじゃうけど、どうかな?」

「別に構わんぞ。どんと来い」

 

 ステージ2への連戦、ランスは強気に頷く。

 

「ステージ2となると……ステージ1のお父様よりも強い相手が出てくるという事でしょうか」

 

 1を倒して、待ち受ける2のボス。となれば1よりも強くなるのが自然な流れ。 

 ホーネットのそんな予想にハニーキングは「ううん、それはちょっと違うよ」と呟いて。

 

「ステージボスの選出はクジ引きだからね、ランダム選出だ。この先のステージでは魔王ガイよりも強い相手が出てくるかもしれないし、あるいは弱い相手が出てくるかもしれない。そこは完全に運任せだよ」

「なんか変だなそれ。普通こういうのって先に進む程に敵が強くなるもんじゃねーのか?」

「まーそりゃそうなんだけどー。でもそのパターンだと先が読めてきちゃうっていうかー」

「あん?」

「いやほらさー、そのパターンだと『あぁコイツが出てきたって事は次はアイツだな』みたいな感じになっちゃうじゃん? それが6ステージ分も続くなんてのは色々と……ほら、色々とね?」

 

 色々と。そこには大いなる存在であるハニーキングにしか分からない色々な悩みがあるらしい。

 なので今回の超・挑戦モードは対戦相手固定式ではなく、ハニーキングが用意した6体の強敵をランダムな順番で倒していくモードとなっている。

 要するに、ステージ2だからといって1よりも強い敵が出てくるとは限らない仕組みである。

 

「ていうかね!! そういう裏側の事情をポンポンと喋っちゃダメだから!!」

「ダメも何もお前が勝手にべらべらと喋り始めたんだろうが」

「という事で! 超・挑戦モードステージ2!! その対戦相手を決めてもらうよ!!」

「決めてもらうよって……どうせまたお前が決めるんだろ?」

「イエース!! 次も私が決めまーす!! てなわけでクジ引きカモーン!!」

 

 カモーン!! の掛け声を合図にして、

 その手元にポンっ! とくじ引き箱が出現。

 

「さぁさぁドキドキターイム! ランス君が次に挑むステージは…………こーれだーっ!」

 

 箱の中に手を突っ込んでかき混ぜて。

 そして、ハニーキングが一枚のクジを掴んだ。

 

 

「……む、むむむっ!」

 

 クジに書かれていたのは──『7』

 

 

「うわー! 7かー! 7はなぁー! 7はちょっと微妙かもしれないなー!!」

「微妙? それはどういう意味ですか?」

「この挑戦モードを用意した私にとっての微妙、つまりランス君にとっては良い意味だね。多分ステージ1の魔王ガイを倒した君だったらあんまし苦労はしないんじゃないかな」

「要するに弱い相手ってことか」

「まぁそうかもね。とにかく見てのお楽しみって事で。……よっこいしょー!」

 

 ハニーキングは頭上に掲げた左手を大きく下に振り下ろした。

 するとぐにゅーんと空間が歪んで、人一人通れる大きさの円形のワープゲートが出現。

 

「再び出現、ワープゲートー! このワープゲートに入った瞬間から超・挑戦モード開始だ! さっきも言ったけど以後はステージクリアするかリタイアしない限りはこっちの世界に戻って来られないけど……覚悟はいいかい?」

「おう」

 

 ランスは力強く頷いて。

 

「さーて、ちゃっちゃと終わらせてくるか」

「いってらっしゃーいっ! 頑張ってー! あとお土産よろしくねー!!」

「知るか」

 

 そして、ワープゲートに足を踏み入れた。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「……で。到着した訳なのだが」

 

 ワープゲート内を通過して──到着。

 何処かの異空間に用意された特殊な異世界、次なる戦いの舞台にランスは降り立った。

 

「ここは……何処だ? ステージ1の魔王城とは違って場所がよく分からんぞ……」

 

 今ランスが立っているのは何処かの道の上。という表現しか出来ないような一般的な場所。

 ろくに舗装されていない地面がむき出しの道の上。例えばゼス王国の首都ラグナロックアークのような都会であれば土の道路は無いだろうが、同じゼスでも少し田舎の方に行けば普通にある。要するにこれだけでは何も分からない。

 

「遠くの方には山……と、森。見渡す限りこの近くにはなーんも無さそうだな……」

 

 開けた視界の先には大自然の悠々たる様、要するに何処にでもありそうな景色。

 

「空の色は普通だし空気も淀んでないから魔物界ではなさそうだが……うぬぬ、一体何処に飛ばしやがったんだ、あの白ハニワめ」

 

 現在地点は不明。ランスの頭では今自分が居る場所を特定する事が出来なかった。

 それでもこの世界の何処かにステージ2のボスがいる。まずはそれを見つけなければならない。

 

「まぁいい、なんとかなるだろ。んで肝心のお助けキャラは──」

「ここにおるぞ」

「あん?」

 

 呼べば響くとばかりに聞こえた、声。

 お助けキャラらしきその声が聞こえたのは──

 

「どこだ?」

「いやここ、ここ。お前さんの腰」

「腰? 腰ってまさか……げっ!!!」

 

 嫌な予感に腰元を探って、そこにあったいつも通りな感触にランスは絶句した。

 そこには──いつの間にやら、いつもと変わらない魔剣の姿があるではないか。

 

「カオス!? まさかっ、カオスが!?」

「うん。どうやら今回のステージのお助けキャラは儂のようね」

 

 などとのたまう、爺声の駄剣。

 

「あっ……あの白ハニワめがー!! お助けキャラは絶対女にしろっつったのにーー!!」

 

 麗しき女性を要求していたはずなのに、やってきたのはこれである。

 魔王の怒りが遠い山々まで響く……が、残念な事にお助けキャラの変更制度などは無い。

 という事で、どうやら今回のステージのお助けキャラは魔剣カオスのようだ。

 

「つーか! この俺様が! カオス如きに何を助けて貰う事があるってんだ!!」

「うわひどー。これまで沢山のピンチを儂の力で乗り越えてきたじゃないの。リーザスの戦争の時とか、ゼスの騒動の時とか」

「それはお前を使わねーと魔人の無敵結界が壊せなかったからだろーが! 今や魔王となった俺様にはそんなもん必要ねーんだよ!!」

 

 魔剣の特性は無敵結界を貫く事。となれば無敵結界を素で突破出来る魔王ランスにとって魔剣を扱える事の優位性は殆ど無いに等しい。

 今ではただ攻撃力が高めな剣。それだけならまだいいのだが、口うるさくて下品な分今のランスにとってはデメリットの方が多めである。

 

「くそ、なんか損した気分……」

「んな事儂に言われても……これって別に儂が立候補とかした訳じゃないからね?」

「……チッ、まぁいい。あの白ハニワはいつか必ずボコボコにしてやるとして……」

 

 ともあれ嘆いていても仕方が無しと、ランスは強引に思考を切り替える。

 

「そんな事よりもボスだ。とっととボスをぶっ倒してこんなステージから抜け出してやる」

「ほいほい。んじゃボスを探しにいくべ……つーかそもそもここって何処なん?」

「分からん。ちょっと歩いてみるか」

 

 という事で移動開始。

 まだ日は高く時刻は昼前、何処かの異世界に下り立った魔王は獲物を求めて歩き始める。

 

「なにか目印となるもんがないかのう。今いる場所が分からんと身動きの取りようがないぞ」

「目印になるもんっつってもな。今のところは何処にでもあるような風景としか……」

 

 何処かの国の何処かの道、自然が作り成した畦道を適当な方向に進む事、暫くして。

 

「お……」

 

 ちらほらと見えてきた民家の影。

 至って普通の、なんの変哲もないのどかな村。それでも二人には一つの発見があった。

 

「ここって……JAPANじゃねーか?」

「あぁ、儂もそう思った。具体的な場所はよう分からんけどJAPANの何処かっぽいな」

 

 そこにあったのは木造の家や瓦ばりの屋根、そして所々に見えるひらがな書きの文字など。

 それは大陸とは異なる独特な文化、ランスもよく覚えている島国PAPANの分かりやすい特徴。

 

「つってもJAPANってだけじゃなぁ……」

「でもJAPANに飛ばされたって事は、JAPANのどっかにボスがおるって事なんじゃろ?」

「多分な。けどJAPANにいるボスなんて以前に俺様があらかた片付けたはずだと思うが」

「ふーむ、それはまぁ……」

 

 ランスの言葉にカオスも納得気味に相槌を打つ。

 LP5年頃、ランスはこのJAPANを訪れて、一大名である織田家の舵取りを任された。

 そして戦国の世を戦い抜いて織田家による天下統一を成し遂げた、という冒険譚を残している。

 

 その戦いの中で、古よりJAPANの地に封印されていた魔人ザビエルを討伐した。

 他にも戦国の世で覇を競う各地の猛者達との勝負にも勝ってきた。奥州を統べる妖怪王・独眼竜政宗との一騎打ちにも勝利した。

 ついでに聖獣オロチも倒した。更には下手くそな落書きをくれるデカイのも倒した。

 

「他にも佐渡金山のゴールデンハニーとか……あとは……なんかよく分からん敵だったあの……坂の上の……太郎くんだっけ?」

「こうして考えると結構倒したのぉ。残るJAPANっぽいもんつったら妖怪か、それとも……鬼? 鬼ヶ島に行って鬼退治するとか」

「それってボスっぽいか? つーか今更鬼共なんぞ魔王になった俺様だったらワンパンだぞ」

 

 となればもう他には。

 このJAPANの地で倒すべきボスなど、もはや残っていないように思えるのだが──

 

 

「──ぬ?」

 

 ふいにカオスの声色が変わった。

 

 

「……おいおい、これって……」

「どした?」

「いやなんか、この力の感じには覚えが──」

 

 カオスが何かを感じ取った──その時。

 

 異変が起きた。

 まだ昼間の視界を白く焼き尽くすような、圧倒的な閃光が。

 

「っっ──!!」

 

 それに一瞬遅れて、ドーーンッッ!! と。

 腹の底まで重く響く遠鳴りような轟音。

 

「っ、なんだぁ?」

 

 あまりの眩しさに目元を覆いながらランスは顔を顰めた。

 肌感覚からして数キロ先、なにか巨大な爆発物がその力を開放して爆発した、ような。

 この距離まで届いて強く吹き付ける爆風がその威力を如実に物語っていた。

 

「今の爆発は一体……」

「あれは……」

「すげーデカい爆発だったぞ。あんなにでけーのは魔法って感じじゃないし、そもそもJAPANに魔法使いはいねーし……不発弾でも爆発したのか?」

「……あー、なるほどね。んじゃボスってのはそういう事か」

「おいカオス、一人で勝手に納得するな。どういう事か説明しろ」

「つまりよ、ここってあの時なんだ。儂達がこのJAPANで戦っていたまさにあの時だ」

 

 感知能力がある魔剣カオスは気付いた──今の爆発が実際に起こったのは。

 それは先の説明通りLP5年頃。ランスがこのJAPANの地を訪れたあの時間軸の上。

 織田家による統一がなされる前、JAPANがまだ第四次戦国時代の真っ只中だった頃。

 

「あの時って……あの時にこんな爆発あったか?」

「あったんよ。んでここのボスの事やけどな」

「おう」

「そもそもがね、今のあんたのボス役になれる相手っつったら一人ぐらいしかおらんじゃろ」

「それってつまり?」

「つまりは魔王だ、魔王」

 

 カオスは事も無げに呟いた。

 敵は魔王。こちらが魔王である以上、相手だって魔王クラスとなるのが必然。

 

「あの時のJAPANにいた魔王、覚えとらん? 心の友だってあの場に居合わせてたはずだけど」

「……それって、もしかして……」

 

 このJAPANの地で出会った魔王。

 その言葉にはランスの頭にも過ぎるものがあって。

 

「っ、またか──!」

 

 すると再びの閃光。ドーーンッッ!! と地震のような振動に響き渡る爆発音。

 先程の一発目よりも距離は近い。爆心地の中心にいる存在は移動をしている。

 

「あぁそうか、この爆発は魔王の力なのか」

「そそ、そういう事」

「なーるほど、俺様にも分かったぞ」

 

 魔法による爆発とは異なる、魔王の力による圧倒的な大爆発。

 過去このJAPANで戦っていた時、確かにランスはその威力を目の当たりにした事があった。

 

「このステージ2のボスって要するに……美樹ちゃんか」

「そういう事じゃろな。相手は来水美樹……つか、魔王リトルプリンセスっつった方がええか」

 

 ステージ2のボス、魔王リトルプリンセス。

 魔王ランスの先代、実際には魔王として君臨する事はなかった幻の第七代目魔王。

 

「ほれ、なんか前にあったじゃろ。あの魔王の娘っ子がバカスカやたらと爆発していた時」

「あぁ、あったあった。思えばその流れで最終的にシィルが氷漬けにされたんだっけか」

「そうじゃったな。あの時は魔王リトルプリンセスが覚醒する寸前ギリギリまでいっとったから……」

 

 それは天下統一の戦いの後半。場面が戦国大名同士の争いから魔軍との戦いに進展した頃。

 魔人ザビエルを封印するべく、天志教の性眼に協力する事になった来水美樹と小川健太郎。

 二人とは本能寺決戦の最中にて出会い、織田家はその後二人を客将として招き入れた。

 

 そしてある時、二人の前に刺客が現れる。

 魔人ザビエルの使徒、式部との一対一の戦いで不覚を取った小川健太郎は致命傷を負って。

 死の間際にいた健太郎を救う為、美樹は魔王の力の一部を健太郎に与えて延命させた。

 

 自分の勝手な判断で健太郎を魔人に変えた。当時の美樹はその事を大いに悔いた。

 健太郎に合わせる顔が無いと思い、美樹はその場から立ち去り逃げ出した。

 そのままヒラミレモンも持たずに行方をくらませてしまい……ここはそんな時期のJAPAN。

 

「カオス、美樹ちゃんがいる場所は分かるよな」

「あたぼうよ、この距離なら感度ビンビンだ。そう遠くはないぞ」

「んじゃとっとと美樹ちゃんを……いや、まてよ?」

 

 その時、ランスがハッとした顔になる。

 

「……でも、そうか。ここは……」

「ん? どったの?」

「……いや、そうだな。んじゃとりあえず、とりあえず……様子を見に行ってみるか」

 

 ランスには何事か考えがあるらしい……が、いずれにせよ戦国の世での戦いはまず偵察から。

 という事で、魔の力に対する感知能力があるカオスが示す方向に向かってランスは歩き出す。

 繰り返しの大爆発によって周囲の景色がクリアになったからか、程なくしてその姿を発見した。

 

「……お、心の友よ、あそこ」

「おぉ、ほんとだ……居た。美樹ちゃんだ」

 

そこにあったのは──見覚えのある姿。

 

 

「……あぁ」

 

 風に靡くは鮮やかな桃色の髪。それだけ見れば華やかな姿。

 しかし体中から溢れ出る圧倒的な量の黒いオーラがその印象を禍々しく変貌させる。

 

「……あー、なんかむしゃくしゃする。むしゃくしゃするからみんな破壊するのー」

 

 元々着ていた洋服の上から魔王の象徴である黒き衣を纏って。

 勝手気ままに次なる破壊対象を探し求める、その眼は血の色を写し取ったような真紅。

 

「あは、あははは……!」

 

 無邪気に、高らかに笑う。

 それは来水美樹だった者の姿──第七代魔王リトルプリンセス。

 

 

「……ありゃ魔王か」

「うむ、ありゃ魔王だ。もう完全無欠に魔王やね」

 

 近くにあった木陰に身を隠しながらその姿を観察する二人。

 少し離れた場所には先程の爆発によって出来上がった真新しいクレーターの痕。それは魔王の力を無差別に振りまくリトルプリンセスが作り出したものである事は言うまでもなく。

 

 これは余談となるが、あの時のJAPANではリトルプリンセスが覚醒する可能性があった。

 それは先程説明した通り、致命傷を負った小川健太郎を延命させる為魔人にしてしまった、その罪悪感によって来水美樹は皆の前から逃げ出して。

 そのまま各地を逃げ回って──その時はランス達の捜索活動によって美樹を発見するに至った。

 

 しかし。もし仮にランス達の捜索が遅れて美樹を発見出来なかった場合。

 その場合、ヒラミレモンを摂取出来なくなった美樹は力に飲まれて魔王に覚醒してしまう。

 覚醒した魔王リトルプリンセスは魔人ザビエルを指揮下において、ザビエルの代わりに魔軍を率いて織田家を、JAPANの全てを滅亡させる──そんな可能性が確かに存在していて。

 

 つまり、ランス達がいるここはそんな世界。

 本来の歴史上では起こらなかった世界──それがステージ2として用意された舞台。

 

「……ほーん、なーるほど……」

 

 とそこまでの裏事情は分からずとも。

 視界に映る光景の意味を、今回戦うべき相手を理解したランスは。

 

「なーるほど、なーるほどねぇ……」

 

 その口元を──ニヤリと禍々しく歪めた。

 その悪しき顔は。無邪気な悪性を振りまくリトルプリンセスに勝るとも劣らないもの。

 

「……くくくっ」

 

 それまで、その身の奥に眠っていたものが。

 ランスの中にある凶悪な因子が、その魔王性が疼き始めたのだ。

 

「がははは、あの白ハニワめ、中々気が効く事をしてくれるじゃねーか」

「心の友?」

「さすがの俺様でも美樹ちゃんとの縁は無かったなぁと半ば諦めてたんだがな。……まさかまさかこんな所にチャンスがあるとは」

「チャンス? チャンスってまさか……」

 

 何かを察したカオスの問いに、

 

「決まってんだろ、そんなもん」

 

 言うまでも無い事だとばかりにランスは目の奥を光らせる。

 

 それは……その考えは。LP5年に織田家で戦っていた当時のランスも考えた事がある。

 相手が悪い魔王であるならば。倒して捕まえて何をしたってそれは正義となる。

 そんな事を考えた当時のランスはしかし、結局それを行動に移す事は無かった。

 

 それは己が身の安全の為。下手に突いて魔王が覚醒してしまっては一巻の終わりだから。

 というかそれ以前に、そもそも相手がまだ悪い魔王にはなっていなかったから。

 その心の中にある僅かばかしの良心が疼いて、そこに手を出す事を躊躇したのだ。

 

 しかし──今ならば。

 

「なぁ! なぁカオスよ!!」

「お、おう、なんじゃい」

「あそこにいるのは誰だ!?」

「誰って、魔王リトルプリンセスじゃろ?」

「あぁそうだ!! あれは魔王だ!」

 

 今、そこにいるのは魔王リトルプリンセス。

 魔王の力を存分に振るい、すでにJAPANに住む多くの人々を消し炭に変えている悪しき魔王。

 

「あれはもう美樹ちゃんじゃない!! 魔王リトルプリンセスだ!!」

 

 他の魔王達とは異なり、第七代魔王は覚醒と同時にその名称が変化する。

 この世界に魔王来水美樹という存在はいない。いるのは魔王リトルプリンセス。

 それが示す意味とはつまり、第七代魔王は覚醒と同時に全くの別存在になるという事。

 

「あれは魔王! 平和を脅かす悪い悪い魔王だ! そうだよな!?」

「うん。つかあんたもね」

「だったら倒したって問題なーし!! んでそのままお仕置きセックスしたって問題なーし!!」

「やっぱしそれが狙いなのね……」

「とーぜん! もはやチャンス無しだと思ってたが、セックスの神様は俺を見放さなかったな!」

 

 ランスがよく知っている美樹とは、本来の世界にいる本来の来水美樹とは。

 星の巡り合わせが悪かったのか、あの美樹とは最後までセックスする事が出来なかった。

 

 けれどもこの美樹となら──いや。

 すでに来水美樹とは違う。悪しき魔王リトルプリンセスが相手であれば。

 

「がはははは!! 魔王リトルプリンセスめ、覚悟しろ!! 俺様が退治してやるぞー!!」

 

 悪い女を倒して、セックスする。それこそが鬼畜戦士ランスの醍醐味、その生き甲斐。

 この絶好機を逃してなるものかと、魔王になっても変わらないランスは駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 



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VS 魔王リトルプリンセス

 

 

 

 

 

「……くすっ」

 

 花の咲くような、笑み。

 

「……くすっ、くすっ」

 

 無邪気に微笑む、笑み。

 皮肉な事に、その笑みの奥にあるのは邪気の一言では表せない程の大きな悪意。

 

「くすくす……くすくすっ」

 

 この時代、大陸から外れた極東JAPANの地にそれはいた。

 まだ年端もいかないこの少女が。無邪気な笑みを振りまくこの少女が。

 

 その笑みの持ち主こそ、覚醒した当代の魔王。

 

「ふふ……壊れちゃえ」

 

 すると魔王は右手を軽く突き出して──力を開放。 

 その身体に流れる力の根源たる血液が破壊力と化して──大爆発。

 

「……くすっ」

 

 目を焼く程の圧倒的閃光、それに遅れて耳を裂く程の大爆音が大気を揺るがす。

 それは土地を、木々を、山々を。少し遠くに見える民家も、そこに住んでいた人間達も。

 全てを飲み込んで燃やし尽くして、後に残るは真円状の巨大なクレーターが一つ。 

 

「ふふっ、キレイになった。楽しいなー」

 

 ただの遊びのように、特別な理由もなく無造作に力を振りまいて。

 それだけで地形を変動させる程の力を披露して。数多の命を塵に変えて。

 それでも本当に楽しそうに、少女は微笑む。

 

「あぁ、でも……」

 

 すると少女は。

 破壊の残滓が漂う空を見上げる。解き放たれたような晴れ晴れとした顔で。

 

「本当に……本当に、スッキリした」

 

 その少女は──苦しんでいた。

 逃げ出してしまった現状に。大切な人を魔人に変えてしまった罪悪感に。

 徐々に湧き上がってくる渇望に。自分が自分でなくなってしまう恐怖に。

 

 それを抑制するヒラミレモンも失ったまま、やがて飢餓感は限界を超えて。

 そして──救いは間に合わなかった。

 それが、この結果。

 

「こんなにイイ気分なのに、どうして私はあんなに我慢していたんだろう……へんなの」

 

 それを抑え込んでいた少女は、もういない。

 心優しい少女だったそれはもう魔の根源たる力に飲み込まれてしまった。

 だからそれはかつて来水美樹と呼ばれたもの。今は第七代魔王──リトルプリンセス。

 

「ふふっ、めちゃくちゃにしちゃおうかな。このJAPANとかいう国の全てを」

 

 リトルプリンセスとは。本来の歴史上では誕生する事のなかった幻の魔王。

 心優しい少女の面影が残るのはその外見だけ。その中にある思考は悪しき魔王そのもの。

 

「とりあえずここの魔軍を指揮しているやつに会いに行こうかな。たしか九州の方だよね」

 

 仮にリトルプリンセスという魔王がこの時代に誕生していたとしたら。

 その場合、JAPANで起きていた戦乱の姿は大きく形を変える。リトルプリンセスは当時魔軍を指揮していた魔人ザビエルを指揮下において、JAPANに侵攻を開始する。

 魔王が率いる魔軍に勝てる力などこの世には存在せず、抵抗空しく早晩JAPANは滅亡する。そしてその力は大陸全土にまで及び、やがて世界は魔王リトルプリンセスの支配下に置かれる。

 

「くすっ、くすっ……」

 

 この世界において、そんな未来はもう間近に迫っていた。

 悪しき魔王が誕生してしまった以上、避けられない定めとなるのだが──

 

 

「がーはっはっはっは!!」

「ん……?」

 

 そこに、闖入者が現れた。

 

 

「やいやい! そこのお前! さっきからドカバカスカと派手に爆発しまくりやがって!!」

「……んー?」

 

 真新しいクレーター跡を踏み越えて、一人の男がけんか腰でこちらに向かってきていた。

 態度と口がデカい偉そう男。どこか見覚えがあるような、ないような。

 

「お前の正体はもう知っているんだぞ!! お前は魔王リトルプリンセスだな!?」

「……そうだけど」

「JAPANに住む人々を苦しめる悪い魔王め! この俺様が退治してやるぞー!!」

「………………」

 

 それは織田家を影から支配する裏番、だった男だと気付いた。

 けれどもそんな事はもうどうでもいい。今となっては塵芥の一つに過ぎない、過ぎないのに。

 そんな塵のような存在が魔王を退治しようと挑んできたようだ。正義漢気取りが鼻に付く。

 

「……うるさいなぁ」

 

 元顔見知りといえど容赦は無し。

 魔王の右手が煩わしそうに持ち上げられて、その指先に灯り始める魔の力。

 リトルプリンセスはさも当然のように、うるさく喚くその男を消し炭に変えてやろうとした。

 

 ──しかし。

 

「ふっ!!」

「なっ……!」

 

 その動作よりも速く、ランスは腰から魔剣を抜くと同時に一気に斬り込んだ。

 人間ではなしえない驚異的な瞬発力、目測を見誤ったリトルプリンセスに肉薄する。

 

「でりゃーッ!」

「うっ! なに、こいつ……!」

 

 容赦が無いのは相手も同様、鋭く迫る斬撃。

 上げていた右手をそのまま盾にしようとして、生じた痛みにリトルプリンセスは驚愕する。

 この地上で最強を誇る魔王の肉体、それがただの一撃で切り裂かれて出血していた。

 

「がはははは! 油断するとは愚か者め! すでに戦いは始まっているのだ!」

「うひょー! この感覚、魔王の肉、魔王の身体! 魔王を斬るってやっぱ気持ちえー!!」

「っ、この……!」

 

 思ってもいなかったダメージを受けて、リトルプリンセスの表情が苛立ちに歪む。

 いきなり現れて、いきなり襲い掛かってきた相手。その唐突さもそうだが、なによりもその強さが……おかしい。

 そう、おかしいのだ。そもそもこちらが魔王と知って挑んでくるのがおかしい。魔王の前に立って、魔王の戦える人間が、魔王に傷を負わせられる人間なんているはずがないのに。 

 

「なに、なんなの、お前は……!」

 

 これほどの強さを持つ相手の存在──リトルプリンセスはそれを理解する事が出来なかった。

 相手の身体から放たれる同質の波動を。それは見かけ上の人間とは違うものなのだと、そういった事を読み取る感性や洞察力がまだ未発達だった。

 

「お前みたいな悪い魔王は俺様がお仕置きしてやる! 正義の刃を食らえー!」

「いけいけー! やれやれー!」

 

 血気盛んに攻め立てるランス。立て続けに繰り出される刃。

 その剣筋は才能LV3の極み、剣才無き者ではとても見切る事など出来ない。

 

「でりゃ!」

「くッ、痛……」

 

 防ぎ切れずにもう一撃。

 魔王が攻撃を食らう──無敵結界が貫かれるのは魔剣だから仕方ないにしても、それでも。

 

「……お前、まさか私に勝てるとでも思ってるの?」

「がははは! 当然だ。俺様は既に魔王を一匹倒した男、実績が違うのだ実績が」

 

 織田家の影番だった男。あまりにも常識外れな力を振り回してくる、理解出来ない。

 

「つーわけで、おとなしくお縄につけー!」

「あぁもう、鬱陶しいなぁ……!」

 

 とはいえ理解は出来ずとも、理解せずままに蹴散らしてしまう事は可能。

 特に魔王の力を使えば尚更。リトルプリンセスの手に圧倒的な力が集約していく──

 

 ──そんな時だった。

 

 

「こらー! そこの口が大きい男ー!!」

「ん?」

「お前、美樹ちゃんをいじめるなー!!」

 

 なにやら遠くからそんな声が。

 

「お、あれ健太郎やん」

「ほんとだ。なんだ、あいついたのか」

 

 振り返って見てみると、ランス達の下に猛ダッシュで迫り来る人影が一つ。

 それまで何処をほっつき歩いていたのか、やってきたのは小川健太郎。

 もとい──今では魔人、小川健太郎。

 

「乱暴口でか男め、やっつけてやるぞー……て、え、あれ、ランスさん!?」

「おう」

「なんで、どうしてこんな所に……」

 

 気付いて思わず動きを止める。それは互いにとって予期せぬ遭遇。

 大して気に留めなかったランス達とは違い、健太郎はその意味をすぐに理解した。

 

「あぁ……そうか」

「あん?」

「ランスさん、これは……そういう事ですか。魔王になった美樹ちゃんを倒しに来たって事ですかー……」

「まぁな」

「ですよねー、そうですか……」

 

 その狙いを知って、健太郎はガックリと肩を落として物悲しそうに呟く。

 魔王、それは人類の敵。ありとあらゆる人間達から敵視されて刃を向けられるのが定め。

 それまで味方だった人達からも。それが悪しき存在となってしまった美樹の宿命。

 

「あぁ……こんな事になっちゃうなんて……ごめんなさい、ランスさん。美樹ちゃん」

 

 このJAPANの地にて。行くあての無かった自分達を迎え入れてくれた恩人、織田家の影番。

 実際のところはこの健太郎が知っているランスと目の前にいる相手は別人なのだが、そんな些細な違いはどうでもよく、とにかく恩ある相手に仇を返さなければならない状況。

 

「でも……それでも」

 

 それでも、健太郎は鋭い目を向けた。

 

「僕は……美樹ちゃんを守る為に戦います」

「そうか」

「はい。それにどのみち、今の僕はもう美樹ちゃんに逆らう事は出来ないんだー」

 

 来水美樹と小川健太郎。ではなく、今となっては魔王リトルプリンセスと魔人小川健太郎。

 その関係はそれまでの恋人同士ではなく、すでに絶対的な主従関係となっている。

 

 ──故に。

 

 

「だから……だから! 勝負だランスさんー!!」

「よしきた。ならば死ねー!」

「ぎゃーー!!」

 

 ザクーッ!! と一撃。

 魔王ランスの一撃が、魔剣の一振りが。小川健太郎の胴体を綺麗に一刀両断した。

 

「なッ!?」

 

 響くリトルプリンセスの悲鳴。

 

「け、健太郎君!?」

 

 更には健太郎の手に握られていた日本刀の悲鳴も。

 

「あれま、一撃……」

「よし。悪の手先は死んだな」

 

 勝負は一瞬で決した。敗者横たわる地面には先程まで健太郎だったものの身体が二つ。

 まもなくその肉体は煙のように消えて、小さな赤い珠に姿を変える。

 

「うへぇー……容赦ねー……一応は知り合いだってのにマジ容赦ねー……」

「勝負を挑んできたのはコイツだろ」

「そりゃそうなんだけど……」

 

 これには魔剣カオスも唖然とした顔。

 魔人健太郎VS魔王ランス。その実力差は戦いになるようなものではなかった。

 

「実は俺様な、ハッキリ言って健太郎はすげーどうでもいい!」

「それもあんたからしたらそうやろうけど……」

「ぶっちゃけ死んだって構わん!! こいつちょくちょくムカつくところあるし!!」

「それもまぁ……否定はせんけどね……」

 

 リトルプリンセスから見たランスが塵芥に等しい存在だったのと同様に、ランスから見た小川健太郎もまた切り伏せてもまぁいいかと思える程度の存在でしかなかった。

 ただこれは健太郎が特別嫌われているという訳ではなく、極度の女好き人間ランスにとって同性の扱いとは基本的にそんなもんである。

 

「それにだな。これはあの白ハニワが作ったへんてこ世界のへんてこ勝負、この健太郎と美樹ちゃんだってどうせ偽物かなんかだ」

「そうなん?」

「そうだろ。だって美樹ちゃんの魔王の力はこの俺様が引き続いだんだぞ。それなのにこの美樹ちゃんが今も魔王でいるはすがねーだろ」

「あー、なるほどそりゃそーやね。そもそも魔王が二人いるってのがもうあり得んし、これが現実だなんて考えられんわな」

 

 加えて言えばステージ1の魔王ガイ然り、このステージ2の魔王リトルプリンセス然り。

 それは本来であればもういない存在、ランスが出会う事はない相手。故にこれが時間跳躍だろうと別次元への跳躍だろうと、いずれにせよランスにとってこれは現実ではない。

 

 だからこそここで何をやったって構わない。どれだけ無茶をしたって問題なし。

 とそんな普段以上になんでも有りな思考でランスは動いていたのだが。

 

「……え?」

 

しかし──こちらにとっては。

 

「……け、健太郎、くん?」

 

 この時空に生きる者達にとっては。

 今、目の前で起きた事こそが現実そのもの。

 

「健太郎くん……が……」

 

 絶句し、呆然とする魔王。

 

「健太郎君が……死んでしまった」

 

 持ち主を喪った聖刀日光も。

 

「……カオスッ! 貴方達はなんという事を……!」

「……ま、真剣勝負だかんね。そういう事もあるべ」

「それで済むと思っているのですか!? カオス、よりにもよって貴方達が……!」

「う……うるせーやい!」

 

 命を散らした持ち主の敵、その手に握られる旧来の仲間に非難の声をぶつける日光。

 だが一方でカオスも負けじと吠える。魔剣には魔剣なりの言い分がある。

 

「そもそもそいつは魔人! 儂は魔剣! 魔剣が魔人をぶっ殺してなにが悪いってんじゃ!!」

「そうだそうだ、言ったれカオス」

「魔人が儂の前に立つのが悪い!! もっと言えば魔人なんぞになったのが悪い!!」

「しかし……!」

「つか日光! 聖刀のくせして魔人に使われて魔王の配下になっとる今のお前にあーだこーだ言われとうないわ!!」

「くっ……!」

 

 その指摘は日光の痛いところを突いていた。

 魔を断つ聖なる刀が。持ち主が魔人化した事により魔人の扱う武器となって。

 その持ち主とて、今となっては魔人らしく覚醒した魔王に隷属する走狗。これではもはや聖刀日光が人類の敵になったといっても差し支えない状況。

 

「……しかし」

 

 ──なのだが。

 

「それを言うならば……カオス、貴方とて同じなのでは?」

「え?」

「私の感知能力を誤魔化す事など出来ませんよ。貴方の持ち主はすでに人間ではありませんね」

「ぎっくぅっ!」

「つい先日まで、尾張の城でお会いしていた時とは感じる波動が何もかも違います。その波動は……到底理解が出来かねる話ですが、それは今の美樹ちゃんと変わらない……」

「あ、いやあの、これは……」

 

 さりとて日光が魔の手先と言うならば、一方のこちらはどうなのか。

 こちらはこちらで魔王に使われる魔剣。先程の発言が完全にブーメランとなっているカオスには返す言葉が出てこない。

 

「カオス、説明を」

「いやだからそれは……ごにょごにょ」

「聞こえません」

「……あーもう! 説明すんのめんどい!! てなわけで心の友、いっちょやっちまえー!!」

「がははは! 任された!!」

 

 説明が面倒になったカオスはスルー決定。

 魔王ランスも同じような思考でいたのか、使い手を喪った聖刀を地面から拾い上げて。

 

「本当は日光さんも俺様の武器なのだが……仕方ない、本日のメインディッシュは捕れたてピチピチの魔王だからな!!」

「な、なにを……」

「日光さんの事は元の世界で本物の方をちゃーんと可愛がってやるからな。てことで……」

「っ、まさか──!」

「いざ、さらばーーー!!!」

 

 大きく振り被っての一投。武器の投擲攻撃はランスの得意技の一つ。

 ばひゅーん!! と、すっ飛んでいった聖刀日光は空の彼方でキランと星となった。

 

「これで良し」

「ううーむ……こりゃ異世界での別人相手だからこそ出来る技。こんなのが本物の日光に知られたらと思うと……ぶるぶるっ」

「バレなきゃ平気だ平気。そもそもがすでに健太郎を真っ二つにして、これから美樹ちゃんを犯そうってんだからもう今更な話だろ」

「ま、それもそうやね」

 

 やっちまったもんはしょうがなしと、日光の恐怖に怯えていたカオスもすぐに頭を切り替える。

 ここは現実とは違う異世界。現実には影響しないのだからここではどんな事だって出来る。

 となれば残るは良心の問題となるのだが、なにせこの男は魔王ランス。魔王相手に良心を説く事自体が間違っているというものである。

 

「さてさて、邪魔な乱入者も消えた」

「………………」

「残るはお前だけだ。リトルプリンセス」

 

 ランスはそちらに視線を移す。

 小川健太郎を喪って、今だ呆然としている魔王リトルプリンセスを。

 

「…………健太郎、くん」

 

 リトルプリンセスが作り出した唯一の魔人、小川健太郎は死んだ。

 

「………………」

 

 それはリトルプリンセスの中、来水美樹という存在の残滓。

 小川健太郎という幼馴染の男の子を、誰よりも大切に思っていた心。

 

「…………ない」

「ん?」

「……許さない」

 

 美樹ではないリトルプリンセスの瞳から涙は流れない。

 心に湧く感情は悲しみではなく、自分のものを奪った相手に対する強烈な怒り。

 そして破壊衝動、復讐心。そういった黒い感情が火を吹かんばかりに溢れ返る。

 

「……お前なんかっ!!」

「む」

 

 そして、勢いよく振り向いた。

その瞳は真っ赤に燃え上がっていて。

 

「お前なんかっ、消えちゃえ!!」

 

 そのまま──激情を直接解き放つかのように。

 その手から。魔王の力が迸った。

 

「あ、これアカンやつじゃ」

「げっ──!」

「消えちゃえ、消えちゃえーー!!」

 

 消えちゃえ、と心に強く念じるだけで。

 それがその通りになる。それが魔王リトルプリンセスが放つ大爆発の本質。

 

 

 そして──世界が熱と爆音に包まれた。

そこにあったものは、魔王の力によって跡形もなく吹き飛んだ。

それは人間の頃のランスであれば、塵すら残さずに蒸発してしまう程の一撃。

 

 ──だが。

 

 

「……っ、ぐ……!」

 

 やがて高熱の煙が爆風と共に消え去って。

 そこにランスはいた。その姿が爆発に包まれた時と変わらない五体満足のまま。

 

「……い、づづ……」

「貴様……!」

「め、めちゃくちゃいだい……が」

 

 無論ノーダメージではない。

 リトルプリンセスが放った最強の一撃。全てを消し飛ばす魔王の爆発の威力は桁違い。

 直撃を受けたランスの身体にも凄まじいダメージが残ったが──それでも。

 

「……っ、がははは! 耐えた! 耐えたぞ! 俺様はあの一撃を耐えた!!」

 

 それでもランスは耐えた。こちらだって魔王、その肉体強度は桁違い。

 今まではいつ食らったとしてもゲームオーバー必至だった一撃を。魔王ランスは耐えきった。

 

「これさえ耐えりゃあこっちのもんだ! これでもうスカートめくりしたって怖くはねぇ!!」

「なに子供みたいな事言っとんのさ。スカートどころか中身まで全部いただくんじゃろ?」

「そうだとも! つーわけで……魔王リトルプリンセス!! 改めて覚悟ー!」

 

 負傷した身体のダメージなど無いかのように、ランスは意気揚々と魔剣を構えて突撃。

 この先に待つのは美味しいご褒美、悪い女の子を倒したからこそ味わえるお仕置きセックス。

 

「貴様……だったらもう一度、次こそは消し炭に──!!」

「そうはさせるか! 距離を詰めちまえばこっちのもんだ!!」

 

 リトルプリンセスはその手に力を込めて再度の大爆発を準備するが──遅い。

 一瞬で斬撃が届く距離まで迫って、そこから魔王ランスの神速の如き刃が振るわれる。

 

「く、くそ……っ!」

 

 対するリトルプリンセスは武器を持っていない。

仕方無く素手での応戦となるが……それではどうしても分が悪い。

 

「あまーい! 儂の刃をなめたらあかんぜよー!」

「くっ、魔剣、カオス……!」

 

 何故ならランスの手にはそれがある。

 今回のお助けキャラ魔剣カオス。その刃は魔に属する者への特攻と化す。

 

「鬱陶しい、本当に鬱陶しい……!」

 

 如何に強靭な魔王の身体とて、魔剣の刃だけは生身で防ぐ事は出来ない。

 防げないとなれば避けるしかない。だが──

 

「がははは! 動きが遅いぞ!!」

「くッ……!」

 

 それを許すランスではなく、そして──そこに一番大きな差が。

 防ぐ、あるいは避ける、そして攻撃するなどの戦闘に必要な全ての動作が。

ランスとリトルプリンセスでは、そもそもの動きの質が大きく違っていた。

 

 特に──このリトルプリンセスは。

 その元となった人間、来水美樹というのは。

 

「くそ……! どうして、私は魔王なのに……!」

 

 大前提として。来水美樹というのは戦う事を生業としていた人間ではない。

彼女は次元3E2で普通に暮らしていた少女、戦闘能力など一切持たないただの人間である。

 特技は家事手伝い。一般人らしくそのレベルは最低数値の1でしかない正真正銘の一般人。

 

「ぬるいぬるーい! あの爆発さえなけりゃあこんなもんか!」

「貴様ぁ……! 絶対に殺す……!」

 

 当然ながら戦闘に関する技能もなく、才能も無く。

となれば美樹の身体には、戦いの感覚やセンスといったものが何一つ身に付いていない。

彼女はただ魔王になっただけ。たまたま魔王になれる素質を有していただけの一般人でしかない。

 

「どーしたリトルプリンセス!! さんざんガメオベアにしてくれた強さはこの程度か!?」

「ガメオベア?」

「いや、分からんけどなんとなく」

 

 一方でこちらはどうか。

 魔王ランスは人間だった頃から生粋の戦士。多くの苦難を勝ち抜き乗り越えてきた当代の英雄。

そんな魔王と相対した場合、リトルプリンセスの戦闘技術はあまりにも拙いもので。

 

「いける! このままいける!」

「確かにいけそうね。ここから奥の手さえ出なけりゃあ……つーか、あの大爆発が奥の手なんか」

「あんなもん二度も撃たせんわ! このまま一気に攻め切って終わらせてやる!!」

「く、くぅ……!」

 

 防ぎ切れない凶刃の圧に押されて、リトルプリンセスの表情に怯えの色が見えた。

 その隙を逃さずランスは攻める。ランスが経験則として攻め時を理解している一方、リトルプリンセスはそういう戦いの機微など何も知らない。

 

 そして──更に言うならば、今ここにいる魔王リトルプリンセスは。

 ヒラミレモンを摂取出来ずに限界を超えて、覚醒してからまだ三日と経っていない存在。

まだ在任期間が一年も経っていない魔王ランスよりも更に魔王歴の短い存在であり、ならば当然その肉体や魔王の力の制御にも慣れてはいない。

 

「なんかこのリトルプリンセスって……ステージ1のボスだったガイよりも全然弱いぞ」

「ガイ? ガイってあのガイ? あんたもしかして魔王ガイと戦ったん?」

「おう」

「はぇ~……そりゃまた……あいつは強かったじゃろ?」

「いや、別に」

「うそつけやい。ガイのやつは魔人だった時からあり得ん強さしてたからのぅ。それと比べりゃこの魔王はまだまだひよっこだろうよ」

 

 魔王ガイ。人間だった時から破格の強者、それが魔王となれば当然ながら強い魔王となる。

 一方で人間だった時は一般人でしかない来水美樹でも魔王になれば相応に強くはなる。しかしその恩恵は他の魔王も同様である以上、魔王同士の戦いとなれば結局は元々の一個体に備わった戦闘技術や知識、練度が重要になってくる。 

 

「あぁ……これはきっと……俺様は強くなりすぎちまったんだなぁ……しみじみ」

「いやそりゃあんた魔王だもんよ。強くなりすぎたのも当然やろ」

 

 元々はただの少女である来水美樹。それをこの地上で最強の存在に変えるのが魔王の力。

 その魔王の力をランスも所持している。ランスも同様にこの地上で最強の存在となっている。

 

 そして──リトルプリンセスの魔王としてのLVは1。一方でランスは2。

 魔王としての適性もランスが上。それら多くの差がこの戦いの優劣をそのまま表していた。

 

「リトルプリンセス! 早めに降参すればちょっとは優しくしてやってもいいぞー!」

「ぐぅッ……!」

「ええぞ、ええぞー! こういう時に全然まーったく躊躇しないから心の友って好きよー!」

 

 幾度と振るわれる魔剣の刃がリトルプリンセスの肌を裂き、肉を抉る。

 セックスという己が目的の為に邁進する時、ランスは躊躇や妥協をしない。

 女だろうが斬る。可愛かろうが斬る。セックスは全てにおいて優先されるもの。

 

 故に──

 

「がーっはっはっはっは!」

 

 そこからの展開は。

 優位に立つ者が優位のままに戦い、目的達成の為に躊躇や妥協をせずに進んで。 

 

 ──そして。

 

 

 

「ふぅ……と、こんなもんか」

 

 足を止めて、剣を止めた。

 刃に付着した夥しい血液を振り払ってから、ランスは魔剣を収める。

 

「……ぐぅ、ッ……!」

 

 一方で、こちらは。

 身体中を生傷だらけにして、遂に地に伏した魔王リトルプリンセスの姿。

 

「これ以上やると弱い者いじめみたいになっちまうからな。やめやめ」

「き、さま……っ!」

「そんなボロボロで睨んだって怖くないぞ。てなわけで……よっと」

 

 徹底的に攻撃して痛めつけて、もはや勝負は決した。

 という事で次のステップ、魔王ランスは魔王リトルプリンセスを組み敷いた。

 

「そんじゃ美樹ちゃん、じゃなくてリトルプリンセスよ。お楽しみの時間だぞ~……!」

「っ、貴様、やめろっ!」

 

 伸ばされる手。それは遠慮もなく身体を弄ってくる。

 全身に走る生理的嫌悪感と屈辱、魔王リトルプリンセスの瞳が怒りで激しく燃え上がる。

 

 ──が。

 

「く、くそ……ッ!」

「がははは、諦めるのだな。こんだけダメージを負ったら身体に力も入らんだろう。ここから純粋な力勝負でこの俺様が君に負けるとは思えん」

「ぐっ、くぅ……!」

 

 力の限りを振り絞ってもがくものの、その拘束からは逃れられない。

 困った事にというべきか、ランスという男はこういうシチュエーションに滅法慣れている。

 暴れる女を押さえつけて逃さず、そのまま犯し尽くす術をこれ以上ないぐらいに熟知していた。

 

「くそっ、放せ、放せぇ!!」

「放さーん。やっと美樹ちゃんと初セックスだー、うーれしいなー、るーるるるーん♪」

「この……あっ、貴様、やめろ──!」

 

 鼻歌交じりのランスの手が。ぼろきれのように残っていた服を剝ぎ取っていく。

 その身を守るものを全て失って、所々血で濡れた地肌が露わになった。

 

「おほー! これが美樹ちゃんの身体か! 発達はまだまだだがグッドではないか」

「……絶対、絶対に……殺す! 貴様だけは絶対に殺してやるから……ッ!!」

「やっぱしこれを味わう事なく他人に譲るなんてのは無いよなぁ、うむうむ」

「やめろ、やめろ……!!」

 

 相手の殺意を、その虚勢などを歯牙にもかけず。

 ランスは手を伸ばす。自らの欲望のままに動く凌辱の手を。

 

「さーて、JAPANに住む人々を散々爆死させた罰だ。君には償いを受けてもらうぞ」

「や、やめろ……やめて……っ!」

 

 そして、遂に──その眼に。魔王リトルプリンセスの瞳に。

 魔王の怒りを越えて、ただの少女のような怯えと恐怖が滲んだ──が。

 

「がーはっはっはっは!!」

 

 残念ながら、相手の魔王はそんなもので止まるような男ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ──そして。

 足元に落ちてきた影が次第に横に伸び始めた頃。

 

「…………あ、う……」

 

 聞こえるのは小さな呻きだけ。

 一糸纏わぬ姿のまま、糸の切れた人形のようにピクリとも動かない。

 

「はースッキリ!! いやー、犯した犯した!!」

 

 一方でこちらも一糸纏わぬ姿のまま。

 今だに片手で相手の胸をまさぐりながら、一仕事終えたランスは額の汗を拭う。

 

 晴天の中、行われたのはレイプ。清々しいぐらいのレイプが行われた。

 ランスはこれ以上ないぐらいに容赦無く、ガッツリとお仕置きセックスをした。

 

「ここ最近はご無沙汰だったけど、やっぱりレイプにはレイプの良さがあるなぁ」

「………………」

「犯してる感ってのがいいスパイスになるよなぁ。ちと張り切り過ぎちまってもうすっからかんだぜ」

「…………あ……」

「なんせ相手が美樹ちゃんだしな。長年苦労した甲斐あって極上の一戦だったぞ、うむうむ」

「…………う……」

「どうだ美樹ちゃん、つーかリトルプリンセス。これでちょっとは反省して……お?」

「……あ、う……」

「ありゃ、意識がとんじゃってる。少々やり過ぎちまったか」

 

 そこにいるのはもう魔王リトルプリンセスではない。

 純潔を散らされて、力のままに手折られた哀れな少女の姿。

 

「だがこれはお前の運命なのだリトルプリンセスよ。悪というのは必ず滅ぶ定めだからな」

「その理屈だとお前さんも滅ぶやないの」

「バカいえ、俺様はいつだって正義の英雄だ。正義だから必ず勝つのだ! がーははははー!!」

 

 レイプしておいて一切の悪びれも無し──何故ならこれはお仕置きだから。

 これは悪ではない。悪は相手側、このレイプは正義の制裁なのであった。

 

 こうして──魔王リトルプリンセスをガッツリとレイプして。

 一方でわりとあっさり目に超・挑戦モードステージ2は終了した。

 

 

 

 

 



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幕間

 

 

 

 所変わって──そこはアメージング城、空中庭園。

 なにもない空間が突如丸く切り取られて、ほわほわーっとした淡い光に包まれて。

 

「がはははー! 戻ったぞー!」

「やぁやぁ! おっかえりー!!」

 

 その姿が現れる。

 ランス、そして魔剣カオス。二人の挑戦者が異世界から元の世界へと帰還した。

 

「という事で……超・挑戦モードステージ2、クリアおめでとー!!」

 

 どんどんぱふぱふー!! と軽快なクラクションBGMと共にハニーキングの喝采が。

 前回のステージに引き続き今回もランス達は困難に打ち勝った。超・挑戦モードステージ2、JAPANの地にて覚醒したボス、魔王リトルプリンセスを倒したのだ。

 

「で、どうだった?」

「あぁ……エロかった」

 

 それがステージ2の率直な感想。

 

「白ハニワよ。お前を褒めてやるのは癪なのだが、それでもこのステージ2はグッドだった」

「おや、そうかい?」

「あぁそうだ。実にグッドだった。次からもこういうエロいステージを持ってこい」

 

 魔王リトルプリンセスを倒して──その先には念願のご褒美タイムが。

 運命の巡り合わせが悪く、結局手が出せずに次元3E2へと帰還した来水美樹。そんな美樹本人とは異なるものの、美樹が魔王となった姿であるリトルプリンセスがそこにいた。

 覚醒したばっかでそこまで強くもないリトルプリンセスをわりとあっさり倒して、勝者の特権として心ゆくまで犯し尽くしたのだった。

 

「でもなー、挑戦モードって本当だったらエロ抜きなんだけどなー」

「知るか。そこに女がいたなら抱くのは当然だ」

「ていうかさー、今回のリトルプリンセスはまだ魔王になったばっかだしさー。ハッキリ言ってフェアじゃないよねーこの戦いはさー」

「フェアじゃないも何も、このステージとボスは当のお前が用意したんだろうが」

「そりゃそうなんだけどー。リトルプリンセスは一番直近の魔王だから……」

 

 原作の展開を引っ張ってくるとどうしても覚醒直後になっちゃうんだよねー、との事らしい。

 さて原作とはなんなのか。ランスにはよく分からなかったが軽くスルーする事にした。

 

「リトルプリンセスって覚醒したら即ガメオベアな展開しかないじゃん? おかげで覚醒して以降のシーンが全然無いんだもん困っちゃうよね」

「なに言ってんだか分からん」

「本当はさぁ、次元3E2を支配してこっちに戻ってきたあのシーンでも良かったんだ。そこを選ばなかったのは私なりの慈悲だと思って欲しいねぇ」

「だからなに言ってんだか分からんっつの」

「ま、いいや。リトルプリンセスじゃ相性的にダメそうだなってのは何となく分かってたから」

「身体の相性はグッドだったけどな」

 

 どうやらリトルプリンセスの採用に当たっては色々と問題があったらしいが……ともあれ。

 

「とにかく。これでステージ1に続いてステージ2もクリア、順調だね」

「当然だ。俺様にかかればこんなの楽勝だと言ったろう」

「さてさて、という事で……残るステージは4つだ」

「おう」

 

 魔王ガイ、魔王リトルプリンセスを倒して……待ち受けるボスはあと4体。

 

「それじゃあお次はステージ3。この超・挑戦モードも次で折り返しだね」

「そうだな。次はどいつがボスだってんだ」

「それじゃあ早速! ステージ3のボスをくじ引きで選びましょー!!」

 

 と言いながら、高々と片手を掲げて次のステージに進もうとしたハニーキング。

 

 ──だったのだが。 

 

「……と、いきたいところなんだけどー」

「あん?」

 

 一転して声のトーンを落として、その手をゆっくり下ろした。

 

「実は! ここで悲報があります!!」

「悲報?」

「そうなのです! なんとですねー、ここで超・挑戦モードは一旦中断となりまーす!!」

 

 ばばーんっ! とどこからともなく発生した爆発のようなエフェクトを背景に。

 ハニーキングによる中断宣言。どうやら超・挑戦モードはここで一旦ストップとなるようだ。

 

「中断って……またいきなりだな。つーかそういうのは挑戦者の俺様が決める事じゃないのか」

「いやいや私が決めるのです。これはあらゆる次元を見通せる私じゃないと分からない事だからね」

「はぁ?」

「だってほら、このまま6ステージの終わりまでぶっ続けでやろうもんなら……ねぇ? なんか色々さ、色々あれな感じになっちゃうじゃん?」

「知らんが。なんなんだ色々って」

「色々は色々さ。キングには分かるんだよ」

 

 繰り返しの展開とか。連続する戦闘描写とか。そういうのを含めて色々とね? ……との事らしい。

 要するにマンネリ防止、全次元を平行観測可能なハニーキングならではの心配りのようだ。

 

「それにそろそろ晩ご飯の時間だしね。私はお腹が空いたのでお家に帰らせてもらいます」

「確かにもう夕方だな。そういえばステージ挑戦中の時間経過とかはどうなってんだ? さっきリトルプリンセスとは日が落ちるまでセックスを楽しんだのだが──」

「あ、そこら辺は気にしないで。そういう事は私もあんまし深く考えてないから」

「なんだそりゃ」

「どうでもいい事はどうでもいいのだよ。ではでは……」

 

 話は終わりとばかりに背を向けたハニーキングはグッと腰を曲げて姿勢を落とす。

 そのままピョーンと跳躍する……かと思いきや、最後にランスの方にチラッと振り向いて。

 

「あ、でも中断って言ってもそれほど長い中断にはならないからそこは安心してね」

「別にどうでもいいが」

「多分だけど6~7話後ぐらいにはまた再開する予定だからさ、そこら辺よろしくねー」

「おい、あんまり勝手な事を言うな」

「じゃーねー! ばっははーい!」

 

 そして、ピョーンと大跳躍。

 最後まで言いたい事を好きに言ってから、ハニワの王はあっという間に去っていった。

 

「しっかし……どこまでも自分勝手なヤツ……」

 

 遠い空の彼方、ランスは呆れ交じりの目を向けていた。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「……てな事があったのだ」

「はぁ……超・挑戦モード、ですか」

「おう」

 

 そして──その後、時刻は夕食時。

 贅沢なご馳走をむしゃむしゃと平らげながら、ランスは隣に座るシィルに昼間の出来事を語る。

 

「ステージ1のボス、ガイは……色々とムカつくヒゲ親父だった」

「そ、そうなんですか……」

「あぁ。だが……奴は恐ろしい相手だった」

「ランス様がそこまで言うなんて……そんなに強かったのですか?」

「まぁ……いや、強いっつか……とにかく、とにかくあいつは恐ろしいヤツだった……」

 

 最強の禁呪使い、第六代魔王ガイ。

 恐ろしき呪法の中にはランスにとって一番大事な部分を使用不可にする忌まわしき呪いが。

 本気で魔王ガイと対峙するのであれば己が性器との別れをも覚悟しなければならない。その恐ろしさを身を以て感じだようだ。

 

「んでステージ2のボス、リトルプリンセスはエロかった。ので思う存分抱いてやった」

「リトルプリンセスって……え、それってたしか美樹ちゃんの事じゃ?」

「そうだな」

「え、え、じゃあまさかランス様、美樹ちゃんと……しちゃったんですか?」

「いいや? 俺様が抱いたのは魔王リトルプリンセスだ。決して美樹ちゃんではないぞ」

 

 その証拠に和姦じゃなくて思いっきりお仕置きレイプだったからな、とランスはご機嫌に笑う。

 来水美樹が覚醒した姿、リトルプリンセスが相手であれば容赦は無し。悪い魔王を倒して懲らしめるのは英雄の役目なのだとばかりに、心ゆくまでスッキリたっぷりとセックスをしてきた。

 

「けど……さすがに超・挑戦モードと言うだけあって、対戦相手が凄い方ばかりですね」

「まーな。どっちとも魔王だし」

「魔王になった美樹ちゃんもそうだけど、魔王ガイなんて歴史の教科書に乗っているような魔王ですよね。それに、たしかホーネットさんのお父さんじゃ……」

「あぁ」

「とっても立派で偉大な魔王様だったって聞いた事がありますけど……」

「いいやそんな事はない。魔王としては俺様の方が二枚も三枚も上だ」

 

 立派で偉大な魔王、そんな賞賛にランスは不満げに鼻を鳴らす。

 この世界において、魔王というのは魔王ガイの事を指すのが一般的。その先代となる魔王ジルの人類総奴隷化施策によって人間文化が一度ほぼリセットされた為、現存する歴史の書物などは殆どがGI期以降のものとなる。

 

「ホーネット派に属していたから魔王ガイの事は色々と聞きました。派閥戦争が起こったのも魔王ガイの遺言が切っ掛けだったとか」

「言ってたなそんな事。そういや今思ったのだが、自分の次の魔王として美樹ちゃんみたいなかわいいだけの幼気な女の子を後継者に選ぶか普通? あいつ頭おかしーんじゃねーのか。つか絶対おかしい」

「あ、あはは……」

 

 在任期間が長かった分、魔王ガイが齎した変化というものは大きい。

 特にこの世界の形そのものを、今の形を世界の形として決定した張本人。魔物界と人間界、ランス達にとって常識となっているその形を作り出した男。

 

 そんな魔王と戦い、勝利した。

 別次元での出来事とはいえ、ランスの認識の中にその名は確実に刻まれた。

 

(続く)

 




※次の話との構成がどうやってもいい感じにならなかったので、やむなくこのような短い幕間を挟む事となりました。


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新たなる魔王様の新たなる日々⑤

 

 

 

 

 ハニワの王の訪れと共に始まった超・挑戦モードへの挑戦が一旦中断して。

 それから一月程が経った、とある日の事。

 

 

「ふぅ……」

 

 と、溜め息を吐いたのは魔人ホーネット。

 アメージング城に拵えられた新しい自分の部屋、執務机にかける魔人筆頭の眉間には小さな皺が。

 

「………………」

 

 その視線の先は。

 机の上、段ボール箱の中にぎゅうぎゅう詰めとなっている手紙の山。

 

「…………ふぅ」

 

 思わず再度の嘆息──ホーネットは今、悩んでいた、頭を痛めていた。 

 それはここ最近になって増えてきたもの、魔物界の中で起こっている変化の一つ。

 

「今日も多いですねぇ、お手紙が」

「……えぇ」

 

 背後に佇む筆頭使徒のケイコもやれやれと首と振る。

 二人の前に聳え立つ手紙の山、それらの差出人は魔物界に住む多くの魔物達から。

 

 そして宛先は──魔王様へ、となっている。

 

「実に多いですねぇ、不満の声が」

「……そうですね」

 

 頷く二人が示す通り、その手紙の中身は殆どが不満、苦情や意見を述べた陳述書の類。

 その声は魔物界から聞こえてくる。暗黒の世界の住民達は今、多くの不満を抱えていた。

 

「時間の問題ではあったものの、さすがに最近は増えてきましたねぇ」

「えぇ。代替わりした直後こそは様子見だったのでしょうが……もう半年も過ぎましたからね」

 

 派閥戦争を終えて。第七代魔王リトルプリンセスから、第八代魔王ランスに代替わりをして。

 魔王が代替わりをするという事は。それはこの世界のあり様が変わる変化する事に他ならない。

 そうした思いを持つ者達は特に魔物達の中には多くいた──だが、今の実情はどうか。

 

「この半年間、起こった変化といえば……」

「年号が変わった。……のは当然として、アメージング城に移転した事ぐらいでしょうかね」

「えぇ。ここで生活する私達にとっては大きな変化なのですが、それ以外の者達にとっては魔王城の移転といっても些末な変化でしょうからね。それでも人間世界の一角に魔王城を建設したのだから……と考える者もいたかもしれませんが」

「実際の理由はここが一番目立って権力の象徴になるから、ですからね。それも魔王様らしいっちゃ魔王様らしいのですが……」

 

 新魔王城アメージング城の建設と移転。この半年で起きた大きな変化といえばそれぐらい。

 一方で魔物達も魔王城の移転に関して不満を抱いていた訳ではない。あえて言うならば変化の少なさにこそ不満を抱いている。

 そして更に言うならば、魔物達が望んでいる変化というのは概ね一つであって。

 

「全く。どいつもこいつもせっかちで困りますねぇ」

「……そうですね。ただ……」

「ホーネット様?」

「派閥戦争が良い例だと思いますが、魔物の一般的な思考があちらなのでしょうから」

「あぁ、成る程。ケイブリス派に賛同した魔物の数がそのままこの不満の数に表れていると」

 

 それは魔王ランスが就任してから、半年以上──ではなくて。

 そのずっと前から。足掛け七年以上に渡る派閥戦争の最中ずっと。

 

「あるいは、それ以前から……」

 

 ひいては更にはその前、第六代魔王ガイの治世の時から。

 世界の形が今の形に定められて、その中で魔物達は不満を抱き続けていた。

 

「しっかしどうなんですかねぇ。派閥戦争の事を引き合いに出すならば、ホーネット派の一員として戦っていた魔王様に期待するのがそもそもお門違いだと思うのですが」

「それはそうかもしれませんが……ただ、当時のホーネット派が掲げていた大義名分とは美樹様に魔王として世界を治めてもらう事ですからね。そう考えれば美樹様からランスに代替わりした以上、派閥戦争の結末はケイブリス派もホーネット派も意図しないものになったとも言えます」

「ふむ……それでリトルプリンセス様ではない新しい魔王様ならば、と?」

「えぇ。魔物達にもそれぞれ思惑はあるでしょうか、いずれにせよ魔王様が代替わりをするというのはそういう事なのだと思いますよ。この世界において魔王様の存在は絶対なのですから」

 

 そう言ってホーネットはふぅと息を吐く。

 当初、第八代魔王への代替わりは大多数の魔物達から肯定的に捉えられた、支持されていた。

 ホーネットは魔人筆頭としてそれを知っていたし、その理由も概ね理解していた。

 

(魔に属する者であれば……そのように期待するのは当然の事とも言えるでしょう)

 

 それはランス個人ではなく、魔王が代替わりする事自体への期待。そして期待という気持ちの半面、それは現状への不満の裏返しに他ならない。

 魔王が代替わりした以上、今までの世界のあり様を変えてこの現状を変えてくれる──……と、それが多くの魔物達の期待であり、共通認識であった。

 

(……が)

 

 が。現状魔王ランスは特になにかをしでかすという訳ではない。

 魔王が代替わりをしても、特に何かが大きく変わった訳ではない。

 

(というよりも……元々ランスは魔王になりたくてなった訳ではないですからね)

 

 当人は「最強の自分が魔王になるのは当然の事なのだ」などと言ったりするものの、しかしランスがこれまでに「魔王になる事」を目標に掲げたり宣言していた姿をホーネットは見た事がない。

 全ては来水美樹に突然起こった避けられない魔王化の発作が原因。リトルプリンセスの誕生という破滅を防ぐ為のやむを得ない選択であり、そうするしかなかったから魔王になっただけの事。

 

(ですから……まぁ……ランスは魔王になろうとも、やる事は変わらないでしょう。魔物界に住む魔物達に目を向けるなど、そのような思考は頭の片隅にさえ存在しないに違いありません)

 

 それ以前の話として、魔王がその行いを誰かに強制されたりする謂れなど無い。

 魔王はこの世界の支配者、思うがままに振舞う事が許される唯一無二の存在。故に魔王ランスがどのような事をしようとも、あるいは何をしなくとも意味合いとしてそれは魔王らしい行いとなるのだが、そこに期待を寄せる魔物というのは確かに存在していて。

 

「新たな魔王様に期待を寄せるのは魔物の性のようなものでしょう。であれば不満を抱えるのも致し方無い事なのだと思います」

「抱えているだけならいいんですがねぇ。こっちにまで仕事を回さないで欲しいものです」

 

 期待して、不満を抱えて──それが形となる。それがここにある手紙の山。

 魔物達の中でも特に真面目な、あるいは熱意のある者はその声をわざわざ届けようとする。

 それは魔王様への嘆願書、陳述書あるいは上申書という形になってこのアメージング城へと届けられて、最終的には魔人筆頭であるホーネットの取り扱いとなる。

 

「……ふぅ」

 

 その数の多さに、こうして目の前にあるとホーネットも溜息を吐きたくなってしまうものである。

 

「しかし、これほどに量があると……」

「……えぇ」

「あ、閃きましたホーネット様。せっかくですし今日のおやつは焼き芋にしましょう」

「ケイコ、そういう訳にはいきません」

 

 早々に火を付けて焼却処分にしようと提案してくる使徒を窘めて、ホーネットは目を閉じる。

 彼女はここにある手紙に、あるいはこれまで上がってきた手紙全てに目を通している。極論を言ってしまえば魔人筆頭とは魔王に仕えるべき存在であり、配下たる魔物達の声を聞いてやる責務などは無い。

 無いのだが、しかしそもそも性根が真面目なホーネットにそれを無視するという選択肢はない。なので全てに目を通した結果、その要望は微差こそあれどもおよそ一種類に纏められると把握していた。

 

「……ふぅ」

 

 不満がある──それは仕方無い事だとして。

 ホーネットの悩みとは、それをどのようにして魔王ランスに報告するかという事。

 

「ホーネット様、気が乗らないのであればあえて魔王様のお耳に入れずとも、そのままこっそり机の引き出しとお心の中に仕舞われては?」

「……そういう訳にはいきません。これは魔物達の不満の声、私が無視する訳には……」

「なんならこの私ケイコがここにある全ての手紙をうっかり焼き芋用の焚火に使っちゃったという事にしても構いませんが」

「ですからそういう訳には……」

「あ、それなら切手代不足という事にして送り返してしまうのではどうでしょう」

「………………」

 

 屁理屈というか悪知恵というか。そういう小細工がよくポンポンと思い付くものだとホーネットはどうでもいい感心をしてしまう。

 とはいえここにある手紙の山、その全てを魔王ランスの目に入れるなどという事はしない。ランスはそんな事を望んでいないし、差し出したところで絶対に読まない、それはホーネットも理解している。

 なので全てに目を通した自分が要点だけをまとめて簡潔に報告するのがベストであり、それが魔王に仕える魔人筆頭の役目というものだろう。

 

「どうあってもこれを魔王様に報告すると言うのなら……伝え方というのも重要ですよね」

 

 確かに。報告内容が不満の声である以上、その伝え方というのも配慮する必要がある。

 

「如何にしてそれを報告するか。僭越ながらこれは配下たる者の器量が試される場面かと」

「器量……」

「えぇ。特に魔王様はああいう方ですからね。大量の不満の声にガーッと怒った結果とんでもない事をやらかすー……なんて事にならないよう、予め手を打っておく必要があるでしょう」

「……えぇ」

 

 確かに。魔王の一声は世界を動かす。故にその取り扱いには十分注意する必要がある。

 

「なんせ魔王にとって不愉快な報告になると半ば分かり切っているのですからね」

「まぁ、そうですね」

「えぇそうです。であればホーネット様、ここは出来る限り波風を立てないように、なるべく魔王様が穏やかな精神状態をしている時に報告するのが望ましいかと」

「それは……そうですが……」

「しかしどうでしょう。あの魔王様が穏やかな精神状態になる時など……ちょっと私には全然思い付かないのですが、ホーネット様には何か心当たりがあるでしょうか?」

「………………」

 

 しれっとした顔でそんな事を言ってくるケイコに、ホーネットは軽く目を細めた。

 

「……ケイコ」

「あくまで一案ですのでお気になさらず。ですが……やはり魔王様とて不機嫌な時に不愉快な話など聞きたくはないでしょうし……なるべくならご機嫌な時にそっとお耳に入れたいものですよねぇ……でもそうなるとどうすればいいのか……むむむむ……」

「………………」

 

 むむむと唸るその様子からなんらかの方向に誘導されている、恣意的なものは強く感じる。

 しかし、その意見自体は的確であり頷けるものである事もまた事実で。

 

「……ケイコ、貴女は本当に色々と知恵が回りますね」

「お褒めに預かり光栄です。不肖この私ケイコ、若い頃は巷で賢者などと呼ばれていたものです」

 

 ケイコはえっへんと胸を張る。

 そんな賢者の意見を参考にするならば──

 

「………………」

 

 ──やはり、アレが一番か。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 そして──夜。

 

 

「がはははー!!」

「あぁ……ランス……」

 

 ──抱かれた。

 その日の夜。ホーネットはランスの寝室を訪れてその身を委ねた。

 

「ふぅ、やっぱ一日の終わりにはセックスがないとな」

「はぁ……はぁ……」

 

 魔王ランスが機嫌の良いタイミングとは。それがセックス後だという事は分かり切っている。

 大量のエネルギーを消費した直後であればある程度穏やかな思考でものを考えるはず。その時にそーっと報告するのが最適解というもの。

 

「はぁ……ふぅ……」

 

 という魔人筆頭としての判断。

 これは言わば職務の一部のようなものであって、決して私情を交えた訳ではない。

 

「どうだホーネット、良かっただろう」

「んっ……ランス……♡」

「そうかそうか、がははは!」

 

 繰り返すが、決してホーネットは私情を交えたりなどしていない。

 とにかくこうしている時が一番穏やかに、波風立てずに会話を交わせるという判断なのである。

 

「ふぁーあ……今日は満足したし、そろそろ寝るとすっか」

「そうですね。……あ、そういえば……」

「ん?」

「一つ、報告があるのを忘れていました」

 

 故にこのまま微睡みたい気持ちを押して、至ってなんでもない事のように話を切り出した。

 

「実は……ここ最近、魔物界に住んでいる魔物達から手紙が届く頻度が増えまして」

「手紙?」

「えぇ。手紙と言っても音信の類ではなく意見書や嘆願書なのですが、とにかく魔物達からの声が多く届いて……きっと新たに誕生した魔王様に対して期待する気持ちが強いのだと思います」

「ほー」

 

 あくまで不満ではなくて、魔王様に対する期待や要望という形にしておく。

 実際それは表裏一体のものなので嘘は言っていない。魔物達がこれまでとは違う新しい魔王様に期待を寄せているのは事実である。

 

「魔物共に期待されたってなんにも嬉しかないが……それって具体的にはどんなもんなんだ?」

「そうですね……そこはやはり魔物ですから、その中身も魔物らしい要望ばかりです。特に多いのが今の世界の形に不満を抱いていて、新たな魔王様にそれを変えて欲しいと願う声」

「今の世界の形?」

「えぇ……」

 

 ホーネットは殊更注意をして、そこからの言葉を口にする。

 

「今の世界の形、狭い魔物界と広い人間世界とに分かれているそれを元に戻して欲しいと願う声。より有り体に言うならば……この世界を魔物の世界に戻して欲しいと願う声、でしょうか」

 

 この世界を魔物が支配する世界に。それが魔王ランスに寄せる期待と不満の正体。

 何故ならこの世界の元々の形がそれだから。そもそもの大前提として、魔物界と人間世界という形式自体に納得がいっていない魔物の方が多数派。

 古くからこの世界は魔王を頂点とする魔の勢力が支配してきたものであり、人間とは支配されるべき存在。それなのに支配者たる魔物達が世界の一部に押し込められている現状が間違っている。特に人間文化と交わっていない魔物界の魔物の多くはそのように考えている。

 

「あるいは……それが叶わないのならば、せめて魔物界と人間世界の境界線だけでも取り払って欲しいという声もあります」

「境界線っつーと、あれか。番裏の砦とマジノラインの事か」

「えぇ、そうです。あれさえなければ人間世界への侵攻も容易になると考えているのでしょう」

 

 魔物の世界を取り戻す。境界線を破壊して、人間世界へと侵攻する。

 多くの魔物がそのような事を強く、あるいは漠然とながらも期待しているのである。

 

「……ほーん」

 

 しかし、それを耳にした魔王ランスの大層どうでもよさそうな顔たるや。

 ランスは元が人間な為、魔物の王ではあるが魔物の味方になるという気が薄い。というか無い。

 魔王となった今のランスにとって魔物とは換えが効く労働力。それ以上でもそれ以下でもなく。

 

「それって要するに、魔物共が人間世界に出向いて好き勝手暴れたいっつー話だろ?」

「えぇ、まぁ……」

 

 要約するとランスが言った通り。

 自由にやりたい。暴れたい。傍若無人に振舞いたい。魔物の思考とはそういうもの。

 耳を傾ける価値のある話だと感じなかったのか、ランスは即座に「下らん」と一蹴した。

 

「魔物共がどこで何をしようが興味ねーし、どうでもいい」

「……貴方ならそう言うでしょうね」

「好き勝手暴れたいってんなら、自分らで勝手に番裏の砦でもマジノラインでも攻め落とせっつーんだ。そんなもんにどうしてこの俺様が手を貸してやらなくちゃならねーってんだ。バカバカしい」

 

 番裏の砦もマジノラインも共に堅牢な砦であり、魔物だけの力で崩すのは難しい。魔人の協力があれば可能にもなろうが、そのような事に協力してくれそうな魔人は派閥戦争で軒並み命を落としている。

 無論、魔王となったランスが力を振るえばいかなる砦も障害にはならない。とはいえ元が人間のランスはそれを障害だとは感じた事がないし、破壊する必要性も特に感じていない。

 たとえ魔物達が満足しようが自分にとっては何ら益が無い、一つも旨味が無い話である。

 

「ホーネット、そういうくだらねー要望は全部無視しろ。焼き芋用の焚火に使う事を許可する」

「いえ、焼き芋は結構ですが……あとは、そうですね。中には魔王様に直訴したいから会わせてくれという声もあって……」

「直接会いたいだぁ? ……それってかわいい女の子モンスターか?」

「いえ、確かサイサイツリー北部周辺のぶたバンバラ一族の族長だったと思います」

「そうか。ぶたのくせに魔王様に会いたがった罰として一族もろとも殺処分にしておけ」

「………………」

 

 魔物の命など、下手にクレームなど入れようものならロウソクの火よりも儚く消えるもの。

 臣下の忠誠で成り立つ人間の王とは違って、魔王の王とは存在そのものが王。人間の王は民を蔑ろにしては統治も立ち行かないが、魔物の王とは魔物をいくらでも蔑ろにする事が許される。

 魔王の力とは権力ではなくて一個体の強さそのもの。だから世界地図の三分の一という狭い場所に魔物達を閉じ込めてしまう事だって許される。それが魔王なのである。

 

「……まぁ、とにかく、貴方の意思は分かりました」

「うむ」

「全ての決定権は貴方にありますからね。現状維持という事でしたらそれで構いません」

「うむ」

「要望は全て無視しろとの事ですので、謁見の申し込みなども全て断っておきます」

「うむ」

 

 うむうむと頷くランスにとって、大事なのは自分と自分の女の事だけ。ぶっちゃけなくとも魔物や魔物界の事なんて至極どうでもいい。

 そしてホーネットとしても。魔物達の不満は認識しつつも現状維持のままの方が望ましいと考えていたので、報告義務を果たした以上この場で特に意見する事も無かったのだが……。

 

 

「……けどなぁ」

「え?」

 

 しかし。どうでもいい事はどうでもいいとして。

 一方でどうでもよくない事だってある。ランスは僅かに眉根を寄せた。

 

「そういやぁこの現状って……あいつが作ったんだよな?」

「あいつ?」

「うむ、お前の髭オヤジだ。今の世界の形はあいつが決めたって話だったろ?」

「あぁ……そうですね」

 

 第六代魔王ガイ。ホーネットの父親であり、今の世界のあり様を決めた男。

 

「……ぬーぬぬぬ……」

 

 そしてランスにとってはつい先日、超・挑戦モードで激闘を繰り広げたばかりの男。

 堅苦しくていけ好かない髭親父であり、かつ生意気でいけ好かない髭親父であり、その上恐ろしい禁呪でハイパー兵器を封じる術まで持ち得ている恐ろしい髭親父である。

 

「……なんか、あいつが作ったもんをお下がりみたいに使っていると思うと、なんか……」

「……まさか」

「そう考えるとなんか……現状維持ってのも微妙だな。いっそ番理の砦とマジノラインをぶっ壊してやりたい気分にもなってきた」

「ら、ランス……そのような理由で……」

 

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎くなるのか、そういう見方をすれば今の世界に不満が無い訳でもない。

 ランスは今の世界の形とか、魔物界とか魔物の事はどうでもいい。一方でどうでもいいという事はつまり、いけ好かない髭親父が作った今の世界の形をそのまま引き継ぐのは気に食わないー、なんていう理由で壊してしまうのも躊躇はないという事。

 

「うーむ……ホーネット、お前はどう思う」

「そう、ですね……私は……魔物界と人間世界に別れている今の世界の形に不満を抱いた事自体がありませんから……」

「そっか。まぁ俺様も気にした事はねーな」

「ただ……人間世界に比べて魔物界は狭いという指摘はその通りですからね。それに不満を抱くのは分からないでもないですが……仮に両世界の面積が平等になるように境界線を引き直したところで、それで多くの魔物達の不満が解消する訳ではないだろうとも思います」

「ふむ」

 

 ホーネットの考えは正鵠を射ていた。魔物達は何も平等な世界を望んでいるわけではない。

 望むのは自分達が自由に振舞える世界。人間とは魔物よりも下等な存在であり平等である必要がないのだから。

 であれば確かに、境界線を平等に引き直したところで不満の手紙の数が減る事はない。

 

「んじゃこのままにするか、それとも綺麗サッパリぶっ壊しちまうか。どっちかって事だな」

「……まぁ、そうなりますね」

「うーむ……なんかマジノラインをぶっ壊したらウルザちゃんとかは怒りそうだな……」

「……怒るで済みますか?」

 

 境界線を壊したら魔物の群れが人間世界に流れ込んで、ゼスとヘルマンは大変な事になる。

 そのぐらいはランスにも想像が付くので、さすがに即断即決とはならなかったが──

 

「……あ」

 

 その時、ランスの脳裏に一筋の光明が。

 

「そうだ、いいこと思い付いたぞ」

 

 やっぱりどうでもいい事はどうでもいいとして。

 それでもどうでもよくない事はある。魔王の意識はすぐにそちらへと向いた。

 

(続く)

 

 

 

 

 



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新たなる魔王様の新たなる日々⑥

 

 

 

「と、いう事で」

「うん」

「今の世界の形についてな、ホーネットから言われて色々考えてはみたのだが……」

「うん」

「ここはあえて君に任せようと思う」

「……わたし?」

 

 なんでわたし? と言いたげにこてりと小首を傾げる。

 呼び出されたのは──訳も分からずきょとんとした様子の魔人シルキィ。

 

「え、ほんとになんで私?」

「いや実はな、俺様はふと思い出したのだよシルキィちゃん。君が前に話してくれた事を」

 

 対して魔王は得意げな顔。

 ランスにとって、今の世界の形だとかはやっぱりどうでもいい。

 一方でどうでもよくない事もある。目の前にいる魔人の事だってその一つ。

 

「この世界の形ってのは、元々は君が頑張った結果だったよな?」

「あぁ、その話……ええっと、そうね、でも別に私がどうこうしたって訳じゃなくて、私の要望を聞き入れたガイ様がそうしてくれた結果っていうか……」

 

 それはGI期初頭、戦士シルキィは魔族の長を討伐するべく魔王の城に単身乗り込んだ。

 襲撃は失敗に終わったものの、その強さと行動力、正義感や勇敢さなどを評価した魔王ガイは戦士シルキィに対して「自分の配下となれ」と命じた。

 それを受けてシルキィは「人間が平和に暮らせる世界を作ってくれるならお前の配下になってやる」と返した。魔王ガイはその要望を聞き入れて、この世界を人間と魔物の世界に二分した。

 

「で、大事なのはその次だ」

「その次?」

 

 あの時に聞いた話。その内容を思い出すランスの眉間にぐっと皺が寄る。

 

「あぁ、俺様はちゃーんと覚えているぞ。君はガイに夢を叶えて貰った、その返しきれない恩に報いる為、あいつに忠誠を捧げたんだとか言ってたよな」

「え、えぇ。そうだけど」

 

 魔人四天王シルキィ・リトルレーズン。情に厚い彼女が約千年間にも渡る忠誠を捧げる先。

 それは平和を実現させてくれた魔王。それは彼女にとってかけがえのない存在と言える。

 

「それ……俺様もだよな?」

「え?」

 

 その事を理解した上で、ランスは堂々とそんな言葉を口にした。

 

「だってほれ、今の魔王はこの俺様だろ?」

「うん」

「んでな、俺様だってこの通り世界を二分したままにしている。これはつまりガイが君の為にしてやった事を、この俺様だって同じようにしてやってる事になるよな?」

「それは……えぇ、そうね」

「だろ? ってことはだ、君はこの俺様にも忠誠を捧げる必要があるって事になるよな」

「それは……まぁ、うん」

 

 問われたシルキィは若干困惑しながらも頷きを返す。

 世界を二分して統治する。魔王ガイの施策を現状は魔王ランスもそのまま維持している。

 となればそれが夢だと語る者にとっては。自分は魔王ガイと同等の存在だという事になるではないか。それがランスの主張である。

 

「俺様はぶっちゃけ今の世界の形とかはどうでもいい。興味ねーし。だから番裏の砦とマジノラインについてはそのままにしたっていいし、あるいはぶっ壊したっていい」

「ランスさん……」

「でもシルキィちゃんは嫌だろ? 今の世界は君が望んだ形なんだから、このまま現状維持が君の望みだろ?」

「それは……うん、そうね。叶う事ならそうして欲しいかな。人間が魔物に支配されずに日々を生きる事が出来る世界がいい、私が生まれた頃の世界になんて戻したくないわ」

「だよな」

 

 シルキィがそれを望む事は分かっていた。というよりも旧ホーネット派の多くは穏健派であり、旧ホーネット派が多く住むこのアメージング城城内では魔王ガイの施策を引き継ぐ事を望む声の方が多い。

 加えてシィル等人間達の意見もあえて聞かずとも分かるようなもの。少なくともランスの周囲では、現状の体制を維持した方が喜ぶ者が圧倒的に多いと言える。

 

「んでさっきも言ったが俺様にとってはどうでもいい事だからな。君がそうして欲しいっつーならそうしてやってもいいのだが……」

 

 そこでランスはこれ見よがしにチラッと視線を投げて、

 

「だったら……分かるよな?」

「……ええっと」

「分かるよな?」

「………………」

 

 その目が何を期待しているのか。

 まぁ、分かるかと問われれば、分かる。ここまで言われてわざわざ考えるまでもない。

 

「……ガイ様に忠誠を捧げるみたく、ランスさんにも忠誠を捧げろってこと?」

「そうそう、そういう事」

「………………」

 

 魔王ガイと同じ事を成している自分にも、ガイに捧げていたような忠誠を。

 そんな事を言われたシルキィは眉間を歪めて、ものすごく頭の痛そうな顔になった。

 

「あの……あのね? ランスさん」

「おう」

「えっとね、こんな事あえて言うような事じゃないとは思うんだけど、当たり前だけど私は魔人四天王として、魔王である貴方に対して忠誠を捧げるつもりでいるわよ? 貴方が魔王に就任したその日からそうしているつもりだし、忠誠を捧げろなんて言われても正直今更感が──」

「いや、それは違う」

「えっ」

 

 その言葉を遮って魔王ランスは即座に首を横に振った。

 魔人四天王として、シルキィは魔王ランスにしっかりと忠誠を捧げていたつもりだった。しかしどうやら当の魔王が言うにはそうではないらしい。

 

「ち、違う?」

「うむ、違うのだ」

「そ、そんな事は……ない、と思うんだけど……でも、そうね。貴方がそう言うのなら……」

 

 自分の認識と他人からの認識が異なるというのは往々にてある話。 

 当代の魔王から直々に「忠誠心が足りない」と言われては頭を垂れる以外に選択肢はない。

 シルキィは即座にその場で跪いて深く頭を垂れた。

 

「誠に申し訳ございませんでした。これからはもっと真剣に、全身全霊を込めてお仕え致します」

「いやいや違う違う、そういう事じゃないんだって」

「えっ?」

「そうじゃなくてだな、もっとこう……忠誠心っつーよりは……なんだろな、真心込めて? もっとこう熱っぽくっていうか……ほれ、なんとなく分かるだろ?」

「……ううん、ごめんね、全然分からない」

 

 立ち上がりながらシルキィは困りきった顔で答える。

 ランスは何が言いたいのか、何を求めているのか。単純な忠誠とは異なるようだが、しかし真心とか熱っぽくとか言われても訳が分からない。

 

「ううむ、言葉にするのが難しいな……」

「それを要求される方はもっと難しいんだけど……」

「要するにあの時の顔だ。以前に君が過去の話をしてくれた時の、あの顔」

 

 ランスは思い出す。以前にシルキィから魔王ガイとの出会いなどの話を聞いた、あの時。

 あの時に魔王ガイへの思いを語っていたシルキィの表情、それが深く印象に残っていた。いや印象に残るというか、端的に言えばムカムカしていた。

 単なる忠誠とは違う、単なる忠誠を超えたものがその表情に表れていたからだ。そういうのを目にするとランスはムカムカするのである。

 

「ただの忠誠って感じじゃなくて……もっとほわっとしてて、真心いっぱい夢いっぱいって感じの……」

「……え。私、そんな顔してた?」

「してた。だから俺様もそんな感じがいい。単なる忠誠だけじゃなくて、もっと愛情満タンで、更にその中にほんのりとした色気と若干のエロスが混じっているような……とにかくそんな感じの顔で頼む」

「そ、そんな事を言われても……!」

 

 注文されている内容が分からない。あまりの無茶ぶりにシルキィは顔を上気させて声を荒げる。

 しかし我儘魔王ランスが欲しいのは単なる忠誠ではなく、シルキィが魔王ガイに向けていたような感情。ザックリ言えばそんな感じの忠誠。

 なんせあの時色々とムカついたから。まるで昔の男の影がチラつくみたいでとってもムカついたので、ならばと今魔王になったランスはそれをそのまま手に入れてやろうと考えたのである。

 

「いいかシルキィちゃん! 君はあの時自分で言ったんだぞ!! ガイの事はエロ的な感情こそ無いものの好き好き大好き愛してるーって!」

「言ってない! そんな事は誓って絶対に言ってない!!」

「いーや言ってた! 似たような事は言ってた!! んでそれはガイが君の夢を叶えてくれたからだ、人間の世界が平和になって嬉しかったからだろ!?」

「そ、そりゃ嬉しかったけど……っ!」

「だったら俺様もそうしてやる!!」

 

 世界の形の現状維持、その決定権を持つ魔王は堂々と宣言する。

 

「君がそうして欲しいっつーなら今の世界は今まで通り、ずっとこのままにしといてやる。俺様だって君の夢を叶えてやる!」

「……う」

「どーだシルキィちゃん、嬉しいだろう!?」

「ぁ、あうぅ……」

「嬉しいよな!? 嬉しいはずだ! つーことは! 君は俺様に対しても好き好き大好き愛してるーになるべきだ! そうだろう!」

「え、えぇと……あ、うぅぅ……!」

 

 溜らずシルキィは小さな呻きを漏らす。

 そりゃ嬉しい。人間世界に住む人々が平和なままでいてくれたらこの上なく嬉しい。嬉しいけど……しかし好き好き大好き愛してるーなんてそんなの、あまりにも恥ずかしい。

 そんなものを求められる事自体も恥ずかしいのだが、そんなものを真っ向から堂々と要求してくるランスの熱量がとても気恥ずかしい。

 

「わ、わたし、そんな事を言われても……!」

 

 とはいえ困った事に元々は自分が蒔いた種、それを逆手に取ってくるランスの要求は理屈としては理解出来てしまう。

 人間が魔物に虐げられない世界、それを叶えてくれた魔王ガイに自分は生涯を賭した忠誠を誓い、この千年間奉公してきた。そう宣言したのは自分であってそこに噓偽りは無い。

 であれば、それを引き続き叶えてくれると言うランスにも同等の忠誠が必要だと言われれば確かにそうなのだろう。それがどうも単なる忠誠じゃなく真心とか夢とか愛情やエロスが混ざってないといけないらしいが、人間世界の平和を維持する対価としては破格の安さと言える……が、ただ恥ずかしい。とにかく恥ずかしい。

 

「……あの、わたしね、ちゃんとランスさん相手にも忠誠を尽くすつもりでいるのよ? それじゃ駄目なの?」

「だーめ。この先またあの時みたく『私は魔王ガイ様が好きなんですー』みたいな顔されるとムカつくからな」

 

 ムカつくから、過去を望みや想いを上書きして自分のものにする。

 どうやらあの一件はよほどランスにとって男のプライドを逆撫でするものだったようだ。特に超・挑戦モードで実際に魔王ガイと相対した事で、その感情はランスの中で徹底的なものになっていた。

 

「いいか! 君はもう俺様のものだ!」

「そ、それは……はい」

「なんせ運命も繋がっているし!」

「それは言わないで……!」

「そんで俺様はガイに勝った!! あの二つに割れた生意気な顔をこの手で直接ボコボコにしてやった!」

「……超・挑戦モードだっけ? ホーネット様から話は聞いたけど……」

「そう! つまり全てにおいて俺様が上! ありとあらゆる面においてアイツよりも俺様の方が上回っているのだ! だから──」

 

 と、そこで。

 

「……いや、待てよ?」

 

 熱弁を振るうランスの動きが止まった。

 

「……いいや、違うな。そうだ、考えてみればこれでは駄目だ」

「駄目って、なにが?」

「これではあの髭親父とやってる事が同じだ。それではあいつを上回ったとは言えん」

 

 この世界を人間世界と魔物界とに分けて、それを世界の形として維持して統治していく。

 その行いは魔王ガイと全く同じ、同等のもの。無論それでもシルキィにとっては大きな価値があるものに違いないが、しかしランスが求めているのはそれ以上。

 魔王ガイと同等、ではなくて魔王ガイよりも上。それを証明しなければこの鬱憤は収まらない。

 

「うむ……そうだな。よし、じゃあこうしよう、シルキィちゃん」

「な、なに?」

 

 古の時代、戦士シルキィと魔王ガイが交わした約束、それを上回る方法。

 一番手っ取り早いものを思い付いたランスの目の奥がギラリと光った。

 

「魔王ガイ。あいつはケチだ。ケチな髭野郎だ」

「……えっと」

「俺様はあいつみたくケチな男ではない。という訳で、もう一つ願いを叶えてやる」

「も、もう一つ?」

「うむ。君は魔人になる見返りに今の世界の形をガイに要求した。だったら俺様は追加でもう一つだ。この世界の形の現状維持に加えて、もう一つ君の望みを叶えてやろうじゃないか」

 

 実にグッドなアイディア、これでヤツの上をいく事になるぜとランスは笑う。

 魔王ガイが叶えた望みは一つ。一方で自分が叶える望みは二つ。そうすれば単純に二倍の価値となるし、なによりも器のデカさが違う。

 一つしか望みを叶えてくれないケチくさい魔王とは違う、男の器量のデカさを見せつける事で、魔王ランスは完全勝利を手にするのである。

 

「ほれ、なんでもいいぞ。言ってみろ」

「そんな、望みなんて……」

「なんかあるだろ。なんでも叶えてやるぞ。魔王である俺様に不可能なんてないからな」

「えぇ~……」

 

 シルキィは困惑げに眉を下げる。

 なんでも叶えてやると言われても、困る。ハッキリ言って困る。

 そう言われてポンと望みが思い付くような、ランスみたいな性格ではないのである。

 

「別に……私は……」

 

 平和な世界というこの上無い夢を叶えて貰って、更にもう一つを望むなんて。

 欲張りが過ぎる気がしてならない。ましてやその対価となっているものがものでは。

 

「……ねぇ、ランスさん。どうしてそんなにするの?」

 

 しばし躊躇っていたシルキィだったが、やがておずおずと口を開いた。

 

「どうしてって?」

「だって、そんな、私なんて……魔人シルキィなんてランスさんにとっては自分に仕える魔人の一人に過ぎないでしょ? それなのに……」

 

 欲しいのは愛情たっぷりな忠誠──らしいが、いずれにせよそんなものを対価にして望みを叶えようとする理由がよく分からない。

 シルキィとしてはすでに魔王に対して忠誠を捧げている。だから抱かせろと言われれば一も二も無くこの身を捧げるつもりだし、実際そうしてきた。

 それで十分ではないのか。その上で尚、こうやって自分の望みを叶えようとしてまでそれ以上のものを欲しがる理由が分からない。シルキィは自分の女としての価値を消しゴム一つ分ぐらいにしか感じていない為、余計にそう考えてしまうのである。

 

「一魔人の望みを叶えるだなんて大それた事、ガイ様がしてくれた事でさえ異常なのに……特定の魔人を特別扱いするのは良くないと思うの」

「魔王の俺様が誰を贔屓しようが俺様の勝手だろう」

「それはそうだけど……それでも、ランスさんの周りには私なんかよりも魅力的な人が沢山いるでしょ? わざわざ私を気に掛ける必要なんて……」

「大丈夫だ、君は可愛い、自信を持て」

「いっ、……い、いらない。そんな自信いらない……!」

 

 魔人シルキィ・リトルレーズン。彼女は女の子扱いされると弱い。

 赤く染まった両頬を押さえて小さく俯いた。行為中でもない素面の時にそういう事を言われるとどうすればいいのか分からない。

 

「あぁもう、へんな事言うから顔が熱くなってきちゃったじゃない……!」

「君って素っ裸を晒しても恥ずかしがらねーのにこういうのは恥ずかしがるんだよな」

「それは……そういう訳じゃなくて……」

「つっても現に恥ずかしがってるし」

「だから……それはぁ……」

 

 そういう訳ではない。──と、シルキィ自身はそう思っている。

 女の子扱いされると弱いなどと、そんなのは謂れも無き冤罪である──というのが自己認識。

 シルキィ・リトルレーズンは戦士、戦士たる者、軽々におだてられて頬を朱に染めるような乙女思考など持ち合わせてはいない、はず。

 

(そうよ……少なくとも以前までの私なら……)

 

 この千年近く、魔人四天王として魔王に忠義を捧げてきた自分であればそうだったはず。

 そんな自分が、今こうして熱の籠るその顔に恥じらいを浮かべちゃったりしているのは。

 

(うぅ……やっぱり、あれが原因なのかなぁ……私の、逃れようのない運命が……)

 

 あの日。運命の赤い糸に導かれて電卓キューブ迷宮に訪れたあの日から。

 あの日からなーんかランスが気になる。というか、気にしまいとしていたものを直視せざるを得なくなったと言った方がいいのか。

 運命の繋がりを実感して以降、変に意識して恥ずかしくなる事が増えた、そういう訳ではないとも言い切れない自分がいるのである。

 

(……はぁ)

 

 だからこそ、先程からの話にもシルキィは困っている。

 

(が、ガイ様に向けていたのと同じ想い、かぁ……)

 

 先程からの話を要約するにそんな感じの忠誠心を魔王ランスは要求している。

 具体性の無い、その言葉の意味が分からない──というのは恥ずかしさから出てくる建前で。

 実際は今の自分なら、やろうと思えば出来てしまうような気がするから困っているのである。

 

「……うぅ、わかった、分かりました」

「分かったってなにが?」

「ランスさんがとーっても強情で、私なんかじゃどうやっても逃れられそうにないってこと」

「そりゃそうだ。俺様は魔王様だぞ」

 

 そういう意味じゃないんだけどなぁ、とシルキィは心の中でだけ囁く。

 

「だから……あの、ぜ……」

「ぜ?」

「ぜ、善処します……」

 

 こんな感じで望まれて、その度に煙に巻いてうやむやに出来るような器用な性格はしていない。

 嘘が吐けない性格の自分は正直に生きるしかない、シルキィは絞り出すように答えた。

 

「善処?」

「うん。私なりにだけど、ランスさんの要望に応えられるように頑張ってみるから」

「おぉそうか、うむ、それならばよろしい」

「お、お手柔らかに……」

 

 いずれこの気恥ずかしさにも慣れる時が来るのだろうか。

 その時の自分はどんな表情をしているのだろうか。分からない。魔人四天王でも千年間生きても分からないものは沢山あった。

 

「それはそうと、もう一つの望みは本当にいらんのか」

「うん。本当にいらないけど」

「でもこれは俺様がガイよりも器のデカい男だと証明する為に必要なのだ。なんでもいいから言ってみ」

「それなら……今後も、私をランスさんのお側に置いて欲しい、かな」

「え? そんだけ?」 

 

 世界の平和とは比べ物にならない程小さな望みにランスは目を丸くする。

 

「そんなんでいいのか?」

「うん」

「……きみ、欲無いな。それじゃこれまでと特に変わらんぞ」

「……そうかな。これまでと変わらないってことは……ないと思うけど」

 

 一番に望むものは永遠に変わらない、それは千年前すでに貰っている。

 そして二番目に出てきたものがそれなのだとしたら、たった一年と半年程での自分に変化にビックリだなとシルキィは思うのだった。 

 

 

 

 ──こうして。

 魔人シルキィの望み通り、魔物界と人間世界の状態は現状維持とする事が決定した。

 境界線が破壊される事はなく、引き続き世界は二分されたまま。

 

 そうした決定が大々的に発表されるような事も無く、対外的は静観を貫いたまま。

 ランスの興味もすぐに失せてどうでもよくなった事柄の一つでしかないのだが、しかし変わらない現状に不満を抱く声は続く。

 ただそれでも派閥戦争にて多数派だったケイブリス派が敗北してまだ間もない時勢。不満はあれども魔王相手に反旗を翻そうなどとは普通は考えないし、その力も無い。

 

 それは当たり前の状態とも言えるが、しかしそれは魔物界においての話。

 つまり現状に不満を抱く声の一つは、今となっては近くなった人間世界の方からも。

 

 

 

 

 

 

 



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閑話 とある少年と従者の話②

 

 

 

 

 そこは、とある小さな町。

 街角にあった小さな喫茶店。窓ガラスに映るはまだあどけなさが残る少年の顔。

 

「ふぅ……」

 

 カップに注がれたミルクを一口。

 注文した昼食を食べ終えて、満腹感とともに一息つく。

 

「で、さ」

「はい」

「食後の一服がてら聞いてほしいんだけど、ちょっと相談があって」

 

 少年の前にはフードを被った従者の姿。

 旅路の途中で休憩処として立ち寄った喫茶店のテーブル席、その二人がいた。

 

「おや、ゲイマルクが私に相談とは珍しいですね」

「うんまぁ相談っていうか、コーラの見解が聞きたくてさ」

 

 少年の名はゲイマルク。従者の名はコーラ。

 勇者と勇者システムの導き手。その歩みはここにきて岐路に差し掛かっていた。

 

「というのも……最近、色々と忙しかった事もあって忘れていたんだけどさ」

「はい」 

「僕、もうすぐ誕生日なんだ。だから僕が勇者になってそろそろ一年が経つんだなと思って」

「あぁ……言われてみればそうですね。そろそろ一年ぐらい経ちますか」

 

 言われて従者は思い出したように呟く。

 コーラが担当する勇者システム、そこには時間的な制約が設定されている。

 その任期は7年。13歳の時点で勇者となり、成人して20歳になった時にその使命を終える。

 ゲイマルクもその例に漏れず13歳の日の朝に勇者として力に目覚めて、それから今日で約一年が経過していた。

 

「それで……この一年間を振り返ってみたんだけど、僕は勇者として僕なりに行動してきたと思うんだ。しかもそれなりに真面目に」

「そうですね、私の目から見てもゲイマルクはとても働き者だったと思いますよ。ここ最近の勇者の中では断トツでしょう」

「そうなんだ。それは嬉しい評価だね」

 

 従者からの称賛の言葉に素直に喜ぶ、その表情は年相応のもの。

 この一年間、勇者の使命を受けた少年ゲイマルクは勇者として精力的に活動してきた。

 

 それは特に──人間を殺す事に関して。

 時にはその剣で直接心臓を貫いて。あるいは自らが直接的に関わらない形で大きな事件が起こせそうな状況では事件を起こし、密かに人を殺して。

 他にも有用そうなマジックアイテムに目を付けて、ゼス国王立博物館やAL教の禁断保管庫に潜入してそれらを盗み出してきたりと、目的達成の為に勤勉かつ精力的に活動してきた。

 

「……で。その上で思ったんだけどさ」

「はい」

「このままじゃ駄目だ。このままじゃ魔王を殺す事なんて不可能だ」

 

 精力的に活動してきて──尚、このままでは最大の目的である魔王討伐は果たせない。

 それがこの一年を通じて、勇者ゲイマルクが自分自身の現状に下した評価。

 

「そうですか。まぁ、貴方がそう言うのならばそうなんでしょうね」

「だってそりゃそうでしょ。ねぇコーラ、僕達の最終目標と現在地点はどこだい?」

「最終目標は魔王を殺す事。その為に今は人間の数を減らそうと画策している所ですかね」

「あぁそうだ。エスクードソードを強化する為、今は人間の数を減らさなくちゃならない」

 

 勇者の武器、この世界に生存している人間の死滅率によってその性能が変化するエスクードソード。

 最終的にはこの世界の枠組みを作り出した神々すらも殺せてしまう程の代物なのだが、ひとまずその威力が魔王を殺せるレベルにまで向上するのは『刹那モード』という段階であり、その開放条件は人類死滅率50%以上。

 つまり人間の数を半分以下まで減らす事。それがゲイマルクの目指している指標であり、それを目指してこの一年間活動してきた──だが。

 

「学校の授業でも習うけどさ、この世界の人口って大体3億人だよね」

「そうですね」

「で、勇者の任期は7年なんだよね」

「そうですね」

「なら僕に残された時間はあと6年だ。ここから6年で目標が達成出来ると思うかい?」

「………………」

 

 ゲイマルクの問いに従者は答えない。その沈黙が答えのようなもの。

 勇者の任期は7年。その間に魔王を殺せる刹那モードを目指すならば人類死滅率50%、3億人の内1億5000万人を殺す必要がある。

 7年で1億5000万人を減らす。となれば1年で2200万人近くを減らす必要がある。それを365で割れば約6万。つまり単純計算で進めるとなると一日に6万人を殺さなければ到達出来ない数値目標となる。

 

「このままのペースじゃ絶対に間に合わない。だってこの一年で減らした数なんてせいぜいが1万人ぐらいだろう?」

「そうですね。というかむしろ1万にさえ届いていないかもしれませんよ」

 

 一年を掛けて約1万。一日に6万人のペースで進行する必要があるのに現状一年で1万。

 このままでは目標実現など到底不可能。ゲイマルクがそう断ずるのも当然と言えた。

 

「実際今日はまだ誰も殺していませんしね。至って平和な旅路の途中です」

「そう簡単に人殺しなんて出来ないって。だって騒ぎになるじゃん」

「まぁ、そうですね。どんな場所でも人を一人殺したら多少の騒ぎにはなりますね」

「下手に指名手配なんか受けたらこの先の行動が大幅に制限される、それじゃ割に合わないよ。いずれはそうなるかもしれないけど今はまだ早すぎる」

「そうですね。行く先々で警察や治安維持部隊なんかと争うのは面倒ですしね」

 

 現状は人間の数を減らしていくのが目的。とはいえそれは目に付いた人間を片っ端から手当り次第に殺していけばいいというものではない。

 たった一人でも殺人が公になれば警察の出番。その警官を邪魔だからと殺したら次は大勢の警察隊が出動し、それらを殺したらやがては国の軍隊が動き出す。

 国家とは、社会の構図とはそういうもの。あるいはそれすらも全て殺し尽くすというのも選択肢の一つには違いないのだが──

 

「なによりも単純に危険です。今のゲイマルクの実力では人間相手であっても負ける可能性は十分にありますからね。一国の軍隊などとは到底戦えないでしょう」

「分かってるよそんな事は。君に言われなくても僕の実力は僕が一番理解している」

 

 そもそもの問題として、現状の勇者ゲイマルクはそれほど強くない。

 この一年を通して到達したレベルは21。お世辞にも高いとはいえないそのレベルの理由は勇者の特性にあって、勇者というのはレベルアップするのが遅いという縛りがある。

 その代わりにレベルの上限が99まで拡張されて、一度上がったレベルはそれきり下がらないという恩恵がある。つまり勇者というのは特性から大器晩成型が義務付けられている存在であり、現状のゲイマルクのように駆け出しの段階では苦戦したり負けたりするケースも多い。

 

「そりゃ僕はまだまだレベルが低いよ。そもそもそっちは後回しにしてるから」

「レベルを上げたいのであればこつこつ魔物退治をしたり、冒険やダンジョンに潜ったりするのが王道ですが……生憎とゲイマルクはそういう事は全然しませんからね。中々レベルが上がらないのも当然です」

「耳が痛い言葉だけど……でもさ、それやったって人間の数は減らないじゃん」

 

 耳が痛いとは言いつつも、ゲイマルクは何処か子供っぽさが垣間見える口調で反論する。

 

「魔物なんかは特にね。あえて殺すよりも放置しといた方がメリットあるかなって思っちゃうんだ」

「分からないでもないですが、経験値効率が良いのはどう考えてもそちらですからね」

 

 レベル上げのような自己鍛錬は行わない。とかく経験値の糧となるのは基本的に魔物であって、ゲイマルクのように人間ばかりを殺していては自ずとレベルアップ効率は悪くなる。

 それが分かっていて尚、己が指針を改めないのはこの少年が合理的な考えで行動するからこそ。

 

「結局のところさ、僕のレベルが最大の99になったところで魔王には勝てないだろ?」

「……まぁ、そうですね。人間としては破格の強さになりますが、それでも魔王を相手にするなら全然足りないでしょうね。一対一ではいいところ下級魔人辺りが限界かと」

「だろう? だったらレベル上げなんて意味ないじゃんか。まぁ今後の活動を不自由なく行う為にもある程度のレベルは必要だと思うけど、言い換えればレベルなんて所詮はその程度のものなんだよ」

 

 最終目標から逆算して行動しているが故、自らのレベルを上げようという意識に疎い。

 だから人々を助けるべく魔物退治をする、あるいは自らを鍛えてレベルアップする。そういう部分においては先代勇者のアリオス・テオマンなどの方が余程勤勉で真面目と言えた。

 

「……でも、まぁそうですね。ゲイマルクの言っている事は概ね正しいと思いますよ。これまでの歴史を踏まえても正攻法で魔王を倒した勇者なんて存在しませんからね」

「だよね。結局は勇者自身の強さじゃなくてエクスードソードの性能頼りなんだから、だったらそこを最大限活用しないと」

「そこを最大限活用するべく、この一年間色々と動いてきた訳ですからね」

「あぁ。ただそれを加味しても現状では到底間に合いそうにない。だからどうしようかって話」

 

 このままじゃ全て無駄骨に終わっちゃうよ、とゲイマルクは軽く肩を竦める。

 正攻法だろうと、奇策だろうと。目的を達成出来ないのならばどちらにも価値はなく。

 

 

 そもそもの問題として──

 本来の歴史であれば、この世界では第二次魔人戦争が勃発していた。

 魔物界を手中に収めた魔人ケイブリスによる人間界侵攻、過去類を見ない程の魔軍の大侵攻。

 対して人類は一人の英雄の御旗の元に集結し、数多の激戦をくぐり抜けて最終的には魔人ケイブリスを討伐し勝利を手にするのだが、それでも被害は大きく人類の約30%が死滅する事になった。

 

 よって、本来であれば勇者ゲイマルクのスタートはそこからになるはずだった。

 ノルマとなる人類死滅率50%の内30%はすでに達成されており、その結果としてエスクードソードも魔人の討伐が可能な『逡巡モード』が最初から開放されているはずだった。

 そうすればたとえ当人のレベルが低かろうともまともに対峙出来る敵などおらず、ゲイマルクの旅路ももっと快適でスムーズに進むはずだった。

 

 しかし、なんの因果かこの世界の歴史においては第二次魔人戦争が起こらなかった。

 人類の死滅率に変動はなく、勇者の武器エクスードソードも錆びきったまま。 

 本来であればスタート時点から魔人を倒せるだけの力が備わっていたはずなのだが、この勇者ゲイマルクにはそれがない。

 

「中々上手くはいかないよね。期待していた第七次HL戦争も結局は停戦しちゃったしさ」

「そうですね。結果からすれば小競り合いの域を出ませんでしたね」

「もっと派手に殺し合って欲しかったのになぁ。せっかくの戦争でこれじゃあ……」

 

 現状のままでは、勇者ゲイマルクは。

 魔族の頂点たる魔王。どころか、その配下たる魔人達、どころか。

 その下に犇めく数多の魔物達、それにすら敵うかどうかといったレベルで。

 

「せっかく肝心の魔王があんなに分かりやすい所に引っ越してきたってのに」

「そうですね。魔物界から出てきたのはラッキーといえばラッキーですが」

「でも僕はまだ翔竜山に近付く事すら出来ない。ほんと腹立たしいったらないよ」

 

 今や魔の巣食う山となった翔竜山に建設中のアメージング城、どころか。

 その建設工事に従事する数十万規模の魔物兵達。彼らの駐屯所となっている翔竜山の麓付近一帯にすら近付く事が出来ない有様なのである。

 

「焦っても仕方ありません。そもそも貴方は最初から先を見据えた行動をしているのですから。ここ最近、人間の女性と接触する機会を増やしているのもそういう事でしょう?」

「まぁね。先々の事を考えれば多くの手駒を用意しておいた方がいいと思って」

 

 現状の総人口減少ペースではとても届かない──がしかしそれはあくまで現状での話。

 いずれは大きな混乱を──例えば戦争、飢餓、疫病、あるいはそれに準ずるぐらいに大きな混乱を世界規模で巻き起こす。それによって爆発的に人類を死滅させる。

 まだ青写真の段階ではあるがゲイマルクはそんな計画を見積もっており、その為に必要となるのが自由に使える多くの手駒。

 世界規模で動くとなると自分一人だけでは手足の数がとてもではないが足りない為、自分の計画に賛同してくれる協力者が必要になる。

 

「そっちは一定の成果は出てるんだけどね。その為の勇者特性だってあるわけだし」

「その為の勇者特性ではないのですが……でもまぁそれもゲイマルクの力ですからね。貴方の好きに使えば宜しいかと」

 

 勇者は異性にモテる。半ば理由なくモテる。言わば魅了の特性を有している。

 それを駆使すれば女性の協力者を作り出すのはそう難しい事ではない。実際ゲイマルクも最近の旅路の中で女性と触れ合う機会を増やして、勇者に心酔して協力してくれるであろう女性の数を徐々にだが増やしてきていた。

 

「……でもさ」

「はい」

 

 協力者は徐々にだが増えてきている。

 その上で──ゲイマルクは言う。

 

「やっぱりさぁ、人間を使うってのはどうも効率が悪い気がするんだよね」

 

 ──僕自身も含めて。

 と、そんな言葉を付け足すゲイマルクの表情には疲労の色が浮かんでいる。

 

「……人間を使うのは効率が悪い、ですか」

「うん。君もそう思わない?」

「……確かに、そうですね」

「だろ?」

「えぇ。なんというか、その言葉はこの世の真理にして全てのように思えます」

 

 人間を使うのは効率が悪い。それはこの一年の活動を通じて抱いた勇者ゲイマルクの見解で。

 一方でゲイマルクとは異なる理由、異なる意味合いによってか従者コーラも深々と頷いて同意する。

 

「魅了の特性を試みると実感するんだけどさ。僕の容姿に見惚れる女性は多くいるけど、じゃあその全てが僕の計画に賛同してくれるかっていうとそうじゃないんだよね」

「それはそうでしょうね。その特性はそこまで強力なものではありませんから、女性ならば誰しもが勇者の協力者になるわけではありません」

 

 勇者には異性にモテる特性がある。がしかしそれは魅了であって洗脳の特性ではない。

 大前提として異性限定なので同性の協力者を作る事は出来ないし、異性であればある程度は好感度を上昇させて協力者を作り出す事も可能なのだが、しかし洗脳ではない以上そこには各々の思考や良心という壁がある。

 

「結局さ、魔王を討伐するなんて目標を本気で掲げているのは僕ぐらいなんだよ。残念な事に」

「それはそうでしょう。一般人は勇者ではないのですから」

「そりゃそうだけどさ、だったら勇者に協力するのは一般人の義務ってもんだろうに。そういう思考を持たない人間が多すぎるってのがこの理不尽な現状の原因の一つだと思うね」

 

 勇者ゲイマルクの目的、それは魔王を倒す事。

 ──その為に人類を50%以上死滅させて、エスクードソードの刹那モードを開放する事。

 勇者に協力するとはそういう事。たとえ最終的には魔王を討伐するという大義名分があるにせよ、その為に総人口の50%を死滅させる活動に協力するか。と言われてイエスと答える人間は稀。

 ゲイマルクに惚れているからといって、その行いの全てを肯定出来るか、その為に己が手を血で汚せるかと言ったら必ずしもそうではない。

 

「それも仕方がないでしょう。……特に、今のこの時代では」

 

 コーラはふぅ、と気だるげに息を吐く。

 この時代──この時代の人間達は、今も平和な世界で日々を生きていて。

 第二次魔人戦争などは起こらず、魔王の恐怖など教科書でしか学ばないような世界で。

 

 この世界の人間達は魔王の恐怖を知らない。

 新たなる魔王、第八代魔王ランスの登場だって遠い世界の出来事だとしか思っていない。

 そんな世界にあって、魔王を殺す事に必死になる人間が多くいるはずがない。ゲイマルクの危険思想に賛同する者が少ないのも当然と言えた。

 

「まぁそういう訳でさ。人間の協力者を増やす事にも最近は行き詰まりを感じているんだ」

「ふむ。話は理解しましたが、ではどうするのですか?」

「あぁ、それで考えたんだけどさ……」 

 

 ただし。魔王の恐怖を理解していない人間、という意味では。

 他ならないゲイマルクこそ、それに当てはまっているとも言えるのだが─

 

「人間は使い勝手が悪い。だったら代わりのものを使うしかないよね」

「代わり?」

「あぁ。差し当たっては……魔物とか」

「魔物、ですか」

 

 そのアイディアは予想の範疇だったのか、コーラは然程驚く事もなく相槌を打つ。

 

「そもそもがさぁ、人間を殺すのって勇者である僕の仕事じゃないよね? どう考えたってあいつら魔物共の仕事だよね?」

「まぁ、そうですね。魔物にとってそれが仕事かどうかは分かりませんが、少なくとも勇者の仕事じゃない事は確かでしょうね」

「だろ? そうなんだよ、最初からそこがおかしかったんだ。人間の数を減らすなんて面倒な作業は僕じゃなくて魔物共がやるべきなんだよ」

 

 人間を殺すのは勇者じゃなくて魔物の役目。それは至極妥当な意見と言えた。

 実際に第二次魔人戦争が起こっていれば人類の30%が死滅していたように、魔物の力と恐怖というものは何時の時代であっても人間を苦しめてきた最たるもの。

 

「では……魔物を利用して人間を殺させる、という事ですか?」

「そうそう、そういう事」

「考えは分かりますが……それならる壺壺の活用法でも真剣に考えますかね」

「いや、その程度じゃ足りないよ。今だって魔物に殺される人間がいない訳じゃないんだ、にもかかわらずエクスードソードのメモリは10%にも達していないんだから」

 

 今のこの世界でも、世界規模で見たなら魔物の被害は各地で毎日のように発生している。

 だがそれでも世界総人口が減少傾向にあるわけではない。消える命がある一方で生まれる命もある以上、その均衡はそう簡単に崩れはしない。

 

「今のままじゃ駄目だ。今の人間世界にいる魔物だけじゃ全然足りないよ」

「それでは……」

「あぁ。狙いは魔物界だ」

 

 そこでゲイマルクが目を付けたのは魔物界。

 その名の通り魔物の世界。そこに棲む魔物の数は人間世界とは比べ物にならない。

 

「魔物界に乗り込むのですか? 今のゲイマルクにはあまりにも無謀だと思いますが」

「別に乗り込みはしないさ。そんな事をしないでも向こうからこっちに来て貰えばいい」

「ではまさか、境界線を?」

「あぁ。マジノラインと番裏の砦を破壊するってのはどうかなと思って」

 

 そんな魔物の世界とこの人間の世界、その二つを分かつ境界線。

 ゼス王国の魔法要塞マジノラインとヘルマン共和国の番裏の砦、二つの拠点を破壊すれば。

 

「……マジノラインと番裏の砦を、ですか」

「うん」

「随分と簡単に言いますが、魔物界への突入と同様に今のゲイマルクの実力では──」

「魔物界と違って人間相手なら僕の魅了が効く、だったらやってやれない事はないさ。実際ゼスの王立博物館やAL教の禁断保管庫には忍び込む事だって出来たんだし」

「……まぁ、そうかもしれませんね。隊員の多くが男性であろうゼス軍やヘルマン軍を壊滅させるのは無理だとしても、建造物の破壊だけを目的とするなら不可能ではないかもしれませんね」

「でしょ? そしてマジノラインと番裏の砦を破壊してしまえばそれまで、境界線を失ったゼスとヘルマンには魔物界から魔軍が一斉に雪崩れ込む。そうなったら両国は大パニックだ」

「……まぁ、パニックにはなるでしょうが」

「多くの人間が魔軍に蹂躙されて死ぬ。未曾有の混乱になるだろうし、そうして弱体化したゼスとヘルマンを見て、これ幸いとリーザスが動いてくれれば更なる混乱だって生み出せる」

「……ふむ」

 

 効率を重視するゲイマルクの考えた作戦に。

 従者コーラは思案げに顎を撫でて。

 

「どうかな。このプランは」

「……どうでしょうかね。ゲイマルクが想定しているようには進まないと思いますが」

 

 しかし、その上で首を横に振る。

 

「ふぅん……その理由は?」

「境界線を破壊したらゼスとヘルマンに魔軍が雪崩れ込む。先程ゲイマルクはそう言いましたが、それは大きな間違いだからです」

「どうして? 魔物は魔物界に押し込められているんだろう? 邪魔な壁さえなければ──」

「勿論、世界を隔てる境界線が無くなれば多くの魔物が人間世界に侵入するでしょう。がしかしそれは魔軍ではありません。ゲイマルク、貴方は魔軍というものを勘違いしています」

 

 コーラが首を縦に振らなかった理由。

 それはひとえに人間世界で生まれ育った少年ゲイマルクの理解不足によるもの。

 

「魔軍というのはその名の通り軍隊、指揮系統が一本化された魔物の部隊の事を指します」

「………………」

「その為には全ての魔物に個体差を標準化する魔物兵スーツを装着させて、兵規模に応じた指揮能力を持つ魔物隊長や魔物将軍を置いて、更にその上に総指揮官となれる魔人を置いてやっと魔軍というものは完成します」

「…………ふぅん」

「そうでない限り、魔物は魔物のまま。境界線を破壊したとしても人間世界に侵入するのはただの魔物の大群に過ぎません」

 

 魔軍とは魔物の大軍の総称、ただし魔物側に言わせればそこには明確なルールがある。

 ただの魔物が兵士になって、軍隊のように指揮管理されるからこそ魔軍は魔軍。ただの魔物の群れとは一線を画する力なのである。

 

「……でも、それでも魔物の大群には違いないよね。それじゃ力不足ってこと?」

「恐らくは。人間よりも強い魔物が人間のような軍隊になるからこそ魔軍は驚異なのであって、指揮官のいない単なる魔物の大群では驚異度も大きく下がります」

「……指揮官」

「えぇ。実際に数年前のゼスなどでは魔軍が境界線を越えて侵入し猛威を振るいましたが、指揮官だった魔人が討伐されて、魔軍から魔物の大群に成り下がった結果、然程の時間を掛けずに国内から掃討された例などもありますからね」

 

 魔軍を倒すには。その頭を潰して部隊全てを烏合の衆に変えてしまう。

 それは幻の第二次魔人対戦において、人類を率いて戦った男が取った戦法でもあって。

 

「魔物の指揮か……」

「はい」

「ねぇ、それって僕には出来ないかな?」

「多分ですが無理だと思いますよ。勇者というのは魔物の対極に位置する存在ですから」

「それでもやってみなきゃわからない……とは思えない?」

「思えませんね。魔物の指揮というのは魔族間における階層構造、血の支配による上位存在からの命令によって行うものですから。単純に力で屈服させればいいというものではありませんし、そもそも今のゲイマルクにそこまでの力があるとも思えませんし」

「……言ってくれるね。まぁ事実だろうけどさ」

 

 魔物の指揮官たるにはただ強ければ良いものではなく、そもそもゲイマルクは強くもなく。

 であれば魔物が勇者に従う道理はなし。つまりゲイマルクの力で魔軍を作る事は出来ない。

 

「何よりも一番重要な点ですが、今は魔王がいますからね」

「……魔王ランス」

「えぇ。境界線を破壊して、解き放たれた魔物の大群がどれだけ無秩序に暴れようとも、魔王が止めてしまえばそれまでです。魔王に逆らえる魔物はいない、これに関しては絶対ですから」

 

 魔王に挑もうとする人間が普通いないように、魔王に歯向かう魔物などもいない。

 

「……止めるかな、魔王が」

「さぁ。それは分かりませんが、今のところ魔王ランスが動く気配はありませんから」

「……確かに、そうだね」

「魔軍が起こる予兆もありませんし、境界線が破壊されるような事もない。つまりはそういう事なのではないですか?」

「……そっか」

 

 今、この世界は魔物よりも人間の方がより広い土地を有している。

 一部の魔物達が理不尽に感じているこの現状だって、魔王が動けばすぐにでも解決する。

 

 それをするのも、しないのも。どこまでも全ては魔王の自由であって。

 つまりは言うまでもなく、この世界は魔王のものであるという事。

 

「じゃあ……やっぱり、それしかない」

 

 そして──勇者ゲイマルクは決断した。

 

「それとは?」

「さっきから君が言っている通りさ。魔王だよ、魔王。……魔王ランス」

 

 狙いは人間でもなく。魔物でもなく。

 予てより倒すべき相手──魔王。

 

「魔物を従わせるのは魔王だし、魔軍を動かすのだって魔王なんだろ?」

「えぇ」

「んでついでに言えばこの世界で一番強いのも魔王。だったらもう答えは簡単、魔王ランスに人間を殺して貰えばいい」

 

 魔王を殺す。その目的達成の為なら倒すべき宿敵の力さえも利用する。

 それがゲイマルクの辿り着いた結論。賢く、合理的な思考。

 

「それは……でも、どうやって」

「それをこれから考えるんだよ。けれどもそう難しい話じゃない、要するに魔王ランスが人間を皆殺しにしたくなるように仕向ければいいんだ」

「……ふむ」

「そうすれば魔王は魔軍を起こして侵攻を開始する、あるいは自ら動くかもしれないけど……いずれにせよ人間世界は地獄絵図となる」

 

 一度魔王が動いたならば、それを止められる力なんてこの世界にはない。

 抵抗儚く命の火は消えていって、そうしてその内──人類の死滅率は50%を超える。 

 その時こそエクスードソードの刹那モードが開放され、ゲイマルクは魔王を殺す力を得る。

 

「さっきも言ったけどさ、勇者である僕が人間を殺す算段をするのがそもそも間違ってるんだ。人間を殺すのは魔王ランスの役目だろ?」

「まぁ、そうですね」

「僕の役目はその魔王ランスを殺す事なんだから。僕がこんなにも真面目に勇者をしてるんだ、だったら魔王ランスにも自分の責務ってのをちゃんと果たして貰わないと」

 

 魔王が人類の平和を脅かして──勇者がそこに光をもたらす。

 それが本来の仕組み。ならばその通りにするべきなんだとゲイマルクが言う。

 

「人間を憎んでもらおうよ、魔王ランスには。この世界中の人間を皆殺しにしたくなるぐらい、強い強い憎しみってやつを」

「……なるほど。確かにそういう方法もありますね。……実に貴方らしい」

 

 人間を守る為、魔王を殺す──ではなく、魔王を殺す為、人間を殺す。

 そこから更に転じて、魔王を殺す為、魔王に人間への憎しみを抱かせて人間を殺させる。

 魔王も、人間も。自分以外の全てを駒としか見ていない発想に従者コーラも舌を巻いた。

 

「となると問題となるのはその方法ですね」

「あぁそうだ。だから当面の目標として魔王ランスの事をよく調べてみよう」

 

 人間に憎しみを抱かせる。その為には相手をよく知る必要がある。

 魔王ランスは何に怒り、何に憎しみを抱くのか。言わばその弱点はどこなのか。

 

「巷で噂になってるけどさ、魔王ランスって元々は人間だったらしいじゃないか」

「えぇ、みたいですね」

「それなら魔王ランスの事を調査するのだってそう苦労はしないはず。なんたってほんの一年前まではこの人間世界で普通に暮らしていたって事なんだからさ」

「そうですね。人間として生きてきた痕跡はこの人間世界に必ずあるでしょう」

「魔王とは言っても元は人間なんだ、だったらいくらでもやりようはある」

 

 人間を殺すのは慣れている。勇者ゲイマルクはふっと笑う。

 

「家族とか、友人とか、恋人とか、なんでもいいんだ。今となっては魔王だって、元が人間だったら大事なものの一つや二つぐらいは必ずあるはずだ」

 

 魔王ランスが大事に思うもの──それを破壊する。

 そしてその憎しみの先を人類全体に向ける。魔王が人間を皆殺しにしたくなる程に。

 

「ちまちま人間の数を減らしていくより、こっちの方が効率的だと思わない?」

「まぁ、確かに」

 

 こうして──勇者の方針は決まった。

 

「……にしても、貴方は本当に勇者らしくない事を考えますね。ゲイマルク」

 

 

 



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学園ランス

 

 

 

 

 

 ピコピコ☆

 

『俺の名前はランス。これと言って取り柄のない、何処にでもいるような一般的な15歳だ』

 

 ピコピコ☆

 

『そんな俺は今日からここ、私立ルドラサウム学園に通うことになった。俺には結構ハードルの高い学校だったけど無事に入学出来て良かった』

 

 ピコピコピコ☆

 

『今日から三年間の高校生活、一体どんな出来事が待ち受けているだろうか。勉強、部活、友達、そして恋人……あぁ、楽しみだなぁ!!』

 

 ピコピコピコ……☆

 とここで一旦コントローラーを持つ手の動きが止まった。

 

「……これ、独り言か? なぁ、こいつって一体誰に話し掛けとるんだ?」

「それは画面の前にいるランス様に、では?」

 

 訝しげな目でモニターを見つめる魔王ランス。

 その隣にちょこんと腰を下ろすシィル。

 

「でもこいつが『ランス』だぞ。んじゃあ俺様が俺様に向かって話し掛けてきとるって事か?」

「いやそうじゃなくて……魔王様、これは主人公の置かれた状況を説明する為のモノローグってやつだよ。なんでこの『ランスくん』は校門の前で立ち止まって一人こんなセリフを喋ってるの? とかそういう事は気にしたら負けだって」

「ほーん……」

 

 そしてもう一人。

 そこには魔人パイアールの姿が。

 

『(キーンコーンカーンコーン……というBGM)』

『あ、ヤバい! このままだと遅刻しちゃう! 急がないと!!』

『──こうして俺は入学初日から全力ダッシュをする羽目になったのだった──』

 

「なんかこいつ、全力ダッシュ中だってのに随分と余裕あるじゃねーか」

「いやいや、最後の文はどう考えても地の文でしょ。魔王様って小説とか読まないの?」

「読まん。本はエロ本しか読まん」

「そ、そうなんだ……でもだったらこれはちょっと難しいかもね。どうやらこれってシナリオを読み進めて物語が展開していく恋愛シミュレーションゲームっていうものらしいし」

「所詮はゲームだろ? んで恋愛だろ? だったら俺様に攻略出来ないはずがない」

 

 桜の花びらが舞う美しき四月の景色、それを背景にして校舎へと走っていくこのゲームの主人公『ランス』(ランス本人が名前を入力)

 そんな画面が表示されているモニターにはまるでゲーム機のような機械が無数のケーブルで繋がれており、その機械から伸びる有線コントローラーが魔王ランスの手元にある。

 

 それはまるで、というか、まさしく往年のゲーム機そのもので。

 今ランス達が遊んでいるのはゲーム、モニターに表示する形のいわゆるテレビゲームである。

 

「どうやらランスくんは一年A組のようですね」

「あ、なんか色々と動かせる画面になった。おい、これってどうすればいいんだ?」

「ちょっと待って、取説読むから。……えーっと、ゲームの進め方は……」

 

 一体何故ランスが魔人パイアールと一緒にテレビゲームで遊んでいるのか。

 その話は今から数時間程前に遡る──

 

 

 

 

 ──その日の朝。魔王ランスは唐突に言い出した。

 

「やいパイアール。俺様ヒマだからなんか面白いもん出せ」

 

 今日のランスは暇だった。だから暇潰しになる何かを探していた。

 その時たまたま目に入ったパイアールが巻き込まれたのは不運だったとしか言いようがない。

 

「え~……、面白いもんって言われても……」

「なんかあるだろ。無いなら作れ」

「作れってそんな簡単に……あ、でもそうだ、それなら……」

 

 そんな無茶振りを、どうしたものかと頭を悩ませていたパイアールはふと思い付いた。

 

 というのも先日の事、魔人パイアールの研究所に来水美樹と小川健太郎が訪ねてきた。

 話を聞けば二人は健太郎の魔人化を解除する術を探しているとの事で、パイアールは「そんなの僕が制作した魔血魂摘出装置を使えばすぐだけど」と答えた。

 すると二人は是非とも使わせて欲しいと頭を下げてきて……どうしたものかと少し考えたパイアールだったが、とある交換条件によって魔血魂摘出装置の使用を許可した。

 

 その交換条件とは。パイアールが目を付けたのは異世界の知識。

 異世界である次元3E2で生まれた美樹と健太郎、その頭の中にある未知のデータ。

 パイアールは自身の脳機能のバックアップを取る際に使用した装置で健太郎の脳をスキャンして、その頭の中にある異界の情報をそのままコンピュータにコピーした。

 そうして入手したデータは異世界の情報だけに物珍しさこそあったものの、次元3E2においては一般的な高校生だった健太郎の脳には一般的な高校生程度の知識しかなく、生憎とパイアールの研究に活かせそうなものは無かったのだが……。

 

 しかし、小川健太郎は次元3E2においてはゲーム好きの少年だった。

 故にその頭の中には多種多様なテレビゲームの知識が沢山詰め込まれていた。

 そこでと今回、魔王の暇潰しには使えるかなとパイアールはそれを再現してみる事にした。

 

 そうして作られたのがこれ。

 小川健太郎の脳内データを元に作り出された異世界のゲーム機『ぷれすて』

 そして今ランスがプレイしているゲームがこの『どきどき☆メモリアル』という訳である。

 

 

「まずこのゲームの目的だけど……冒頭でランスくんが語っていた通り、今日から三年間ランスくんはこの『私立ルドラサウム学園』っていう場所で学園生活を送る。どんな日々を過ごすかはプレイヤーである魔王様が決める事で、最終的に三年後の卒業式の日に女の子から告白されたらゲームクリアって訳だね」

「ふむふむ」

「まずは一週間毎のスケジュールを決める。ほら、画面上部に『勉強』とか『運動』『バイト』とかってコマンドが表示されているでしょ? その中から魔王様がこれだと思うコマンドを選ぶ」

「ふむふむ」

「それでスケジュールを実行すると、各スケジュールで決められた経験値が取得出来る。例えば勉強なら学力が上昇する、みたいな感じで」

「ふむふむ」

「そうやって主人公の『ランスくん』を成長させていく。すると成長に伴いイベントとかも発生して、ランスくんの高校生活がプレイヤーの選択によって進められていく……っていうゲームのようだね」

「ふむふむ、なるほどなるほど」

 

 取説(電子書籍)片手のパイアールによる説明にふむふむと頷くランス。

 自らの分身となる主人公を操作して、ゲーム上のキャラと架空の恋愛を楽しむ事が出来る。それが次元3E2における大人気恋愛シミュレーションゲーム『どきどき☆メモリアル』

 学校名などに少々危険な要素が混じっているようにも思えるが、そこは異世界産。あくまで異世界のゲームクリエイター達が作った異世界のゲームなので特に深い意味は無い。

 

「4月の一週目からスタートってわけか。んじゃ今週は……『遊び』にするか」

 

 ランスは早速『遊び』のコマンドを実行。

 すると画面内のランスくんがゲームをして遊ぶシーンが表示され、一日一日と進んでいく。

 

「おぉ、遊んだ遊んだ。遊びのコマンドだと『雑学』や『容姿』のパラメータが上昇するのか」

「スケジュール選択は一週間毎ですから、入学早々ランスくんは一週間遊び続けるんですね……」

「どうやら各スケジュールの実行には体力を消費するみたいだね。適度に『休憩』コマンドも挟んで体力を回復させるのを忘れないようにって取説には書いてあるよ」

「つーかパイアール。取説なんぞ読まんでもこれってお前が作ったゲームじゃないのか?」

 

 ランスがそう尋ねると、パイアールは疲労感の見える表情で首を横に振る。

 

「僕はコピーした小川健太郎の脳内データからゲームとして必要なデータを抽出して、それをモニターに出力可能な形に整えただけ。このソフトの中身はブラックボックスみたいなものだよ」

「……言ってる意味がよく分からんが、つまり?」

「つまり、製作者である僕にもこのゲームの詳しい事は分からないって事。ちゃんと解析すれば分かるだろうけど、なんせ魔王様が今日の今日で仕上げろって急かすから……」

「そりゃ俺様は今日ヒマなんだから今日のヒマつぶしにならねーと意味ねーだろ」

「……ま、そういう訳だから、僕に分かるのはこの取説に書かれている内容まで。ゲームの攻略法なんかを僕に聞かれても知らないからね」

 

 小川健太郎の脳内データ、つまりその記憶を元にして作られた未知なるゲーム。

 脳細胞にある記憶をデータ化してそれを元にゲームを作成してしまうのはさすがパイアール、さすがは科学LV3といった所か。

 しかし才能にものを言わせて強引にゲームとしての形を整えただけの代物な為、このゲームの詳細やマスクデータはパイアールも知らないらしい。

 よって、ハッピーエンディングを迎える為にはランスが自らの手で攻略するしかない。

 

「よし。んじゃ次は……」

 

 ランスはポチポチとコントローラーを操作してスケジュールを選択する。すると……。

 

『──今日の三限目は数学だ。数学の授業は普通クラスと特進クラスに分かれる。俺は普通クラスなので隣の1-B教室へと向かった』

 

「お、なんかランスくんが喋りだしたぞ」

「どうやらイベント発生みたいだね。『理系』コマンドの実行が発生条件かな?」

 

『教室に入って席に着く。隣の席に座った子は真っ赤なポニーテールがとても良く目立つ──』

 

『あぁ、ランス。お前が隣か』

『あ、サテラちゃん』

『──彼女の名前はサテラ。俺と彼女は中学校からの知り合いだ』

 

 そんなイベントシーンが発生して。

 画面一杯にはセーラー服を着た魔人サテラがこちらを振り向くイラストが表示された。

 

「なんでサテラ?」

「キャラデータなんかのグラフィックは記憶の欠け落ちによるデータ欠損が多くてね。そのままだと上手く表示するのが難しかったから身近にいるヤツらの外見データを利用したんだ。ゲーム進行には問題無いはずだから気にしないで」

「……ぬぅ、なーんかご都合主義の匂いがするけど……まぁいいや。とにかくこうやって女の子と出会うってわけだな。んでデートに誘ったりしてアピールすると」

 

 主人公ランスくんは高校生活二週目にして女の子と出会った。

 それが恋に発展するかはまだまだ先の話だが、ともあれ中々順調な滑り出しである。

 

「やっぱ女の子との出会いが大事だよな。もっと沢山の女の子達と出会いたいぞ」

「それなら手広く色々なコマンドを実行してみるといいんじゃないかな。このゲームで出会えるキャラは文化部の子もいれば運動部の子もいたり、同級生だけじゃなく先輩もいれば後輩もいたりと、バリエーション豊かで魅力的なキャラ達が本作最大の魅力……って取説に書いてあるし」

「よし、んじゃあ次はバイトだ。んでその次は運動をして、その次は休憩を挟むか」

 

 コントローラーをポチポチと操作して、画面内のランスくんに次々と指示を出す魔王ランス。

 そんなこんなでゲーム内の時間は進んで、5月の4週目になった頃──

 

 

『──放課後──』

『……あれ? ピアノの音が聞こえるな……』

 

「おっ! イベント発生だ!」

「新しい女の子との出会いですかね?」

 

『軽やかな音は音楽室から聞こえてくる。俺はドアを開いて室内を覗いてみた。すると──』

 

『~~~~♪』

『──女子生徒がピアノを弾いている。あれは確か……隣のクラスのハウゼルさんだ』

 

 そこで画面に表示されたのは、優雅にピアノを弾く魔人ハウゼルのイラスト。

 

「おぉ、ハウゼルちゃんだ。ピアノを弾く姿が似合ってるな」

「ハウゼルの元になったキャラは音楽好きでお淑やかな性格のキャラみたいだね。ちなみにさっきのサテラは主人公の中学校からの知り合いで初期好感度が若干高めな設定のキャラだってさ」

 

『ハウゼルさんはこちらに気付く事なくピアノを弾き続けている。ここは……』

 

 すると画面に選択肢が表示された。

 

 『声を掛ける』

 『立ち去る』

 

「犯す」

「は?」

「犯す。ここは犯す一択だろ」

 

 表示されている二択を無視して大真面目に答えるランス。

 平凡な高校生活の日々の中、放課後に偶然見つけた隣のクラスの女子生徒を犯す。

 それがランスの選択。すなわちプレイヤーの分身であるランスくんが取るべき選択肢なのか。

 

「可愛い子と出会ったら犯す。俺様はこれまでそうやって生きてきた。なぁシィル?」

「え、ええと……そうですね……」

「勝負っつーのは出会い頭で決まる。こういうのは第一印象が大事なんだ」

「いや、いきなりレイプしに掛かるのは第一印象どころの話じゃないと思うけど……」

「大丈夫だ。イケる。気弱なハウゼルちゃんが相手だったら出会って即レイプ出来るはずだ」

「いやいや……ていうか、そもそも『犯す』なんて選択肢は無いからね? ここで選ぶのは『声を掛ける』か『立ち去る』かのどちらかだけだよ」

 

 ハウゼルと知り合いになりたいなら『声を掛ける』が正解か。

 ……などと、呑気にそんな事を考えていたパイアールの耳に驚愕の一言が。

 

「じゃあ作れ」

「は?」

「作れ。ゲーム内のいつでもどこでもセックスが出来るように『犯す』コマンドを作れ」

「………………」

 

 魔王の目は本気だった。

 そこに冗談を言っているような雰囲気は無かった。ついでに優しさなんか欠片も無かった。

 

「……い、いやそんな、無茶言わないでよ。作れなんて、そんな……」

「作れ」

「……あのね? さっきも言ったけどこのゲームのシステムについては僕も全然──」

「やれ」

「…………はい」

 

 魔人パイアールはあらゆる感情の死んだ声で頷いた。

 それが魔人という社畜の運命。上司がやれと言ったら残業覚悟でやるしかないのである。

 

「俺とシィルはおやつ食ってくるから食い終わるまでに仕上げとけよー」

「……はーい。……はぁ、僕は科学者であってプログラマーじゃないってのに……ぶつぶつ……」

 

 という事で。

 科学者からプログラマーに転身したパイアールによってアップデートパッチ(非正規品)が制作されて。

 

 そして。

 

 

「……終わったよ。『犯す』コマンドの実装」

「お、出来たか」

「うん。無理矢理突っ込んだだけだからバグとかあるかもしれないけど、まぁエラーは吐いてないからとりあえずプレイは出来るはず」

 

 天才科学者にして天才プログラマーでもあったパイアールは一時間弱で上司の期待に応えた。

 こうしていつでもセックス可能な『どきどき☆メモリアル(R-18)』が出来上がった。

 

「よーし。ポチッとな」

 

 ランスは早速ゲームを起動して中断した場面からプレイを再開する。すると……。

 

 

『ハウゼルさんはこちらに気付く事なくピアノを弾き続けている。ここは……』

 

 『声を掛ける』

 『立ち去る』

 『犯す』

 

「……わぁ、本当に『犯す』がありますね」

「やっぱし俺様みたいな大人の男が遊ぶゲームはこうじゃないとな。んじゃ勿論『犯す』っと」

 

 コントローラーをポチポチと操作して、ランスは一番下の選択肢を実行した。

 

 

 『声を掛ける』

 『立ち去る』

→『犯す』

 

『──手前側のドアは避けて、音楽室の後方にあるドアから中へと侵入する』

『~~~~♪』

『──ピアノを弾くのに夢中なハウゼルさんに気付かれないよう、俺は足音を殺して静かに彼女の背後へ近付いていく。そして──』

 

『──そして、覚悟を決めた俺はハウゼルさんに襲い掛かった!!』

 

『きゃあ! だ、誰ですか!? あ、ちょっとなにをするんですか!? いや──!!』

『声を出すな! 静かにしろ!!』

 

『──俺はハウゼルさんの両手をガムテープで拘束した。そして口元もガムテープでぐるぐる巻きにして喋れないようにした』

 

『んー!! んんーー!!』

『へ、へへへ……』

 

『──そして服を脱がしに掛かった。制服をむりやり剥ぎ取ると下着が露わになる。ハウゼルさんによく似合う清楚な白のブラジャー、その上からハウゼルさんの大きな胸を乱暴に揉みしだいた』

 

『んっ、んんっ! んんーー!!』

 

『──ハウゼルさんの目には涙が溢れていた。俺はそれを見ないようにしながら彼女のスカートの中に手を伸ばす。そしてハウゼルさんの一番大事な部分に硬くなった自分のそれを──』

 

 

「パイアール、ここのイベント絵は?」

「無いよそんなもの。僕はグラフィッカーじゃないんだから」

 

 どうやらイベント絵はないらしい。

 とにかくこうしてR-18となった話は進み、主人公ランスくんは音楽室で出会った隣のクラスの女子生徒ハウゼルをレイプした。

 

 そして。

 

 

『……うっく、ひっく……』

『──犯し終えて、今はハウゼルさんの啜り泣く声だけが聞こえる。その声を聞きながら俺は心に湧く暗い愉悦感に満足していた。だが……』

 

『おい! そこで何をしている!!』

『げっ……!!』

 

『──俺の凶行は教師に見つかってしまい、その場で取り押さえられてしまった』

『──その後は警察での取り調べ、家庭裁判所での審判を挟んで、最終的に俺は少年院へと送られる事になった』

『──俺の高校生活は終わった。あぁ、なんで俺はあんな事をしちゃったんだろう……』

 

『──GAME OVER──』

 

 

「おい! ゲームオーバーじゃねぇか!!」

 

 ランスはどきどき☆メモリアルの攻略に失敗した。

 

「当たり前でしょ。冒頭でランスくんが言っていた通り、このゲーム内において彼はただの15歳の少年なんだから。それがいきなり学校で女の子をレイプしたら逮捕されるに決まってんじゃん」

「なら逃げろ! それか戦え!! 教師だろうが警察だろうがとっちめてやりゃあいいんだ!」

「だからそんな選択肢は無いって。これはアクションゲームじゃないんだから」

 

 これは恋愛シミュレーションゲーム『どきどき☆メモリアル(R-18)』

 恋愛を無視してハッピーエンディングに辿り着く事など出来ないのである。

 

「くそ……やり直すか」

 

 ランスはしぶしぶ最初からを選択。

 

『俺の名前はランス。これと言って取り柄のない、何処にでもいるような一般的な15歳だ』

 

「まーたこっからか、今までのが全部おじゃんになっちまうとは……」

 

 二度目となるオープニング画面、ランスはAボタンを連打して話を読み飛ばしていく。

 そして。前回のように多種多様なスケジュールをあれこれ選択していって……。

 

 

「……ふむ、結構進んだぞ」

 

 そして、ゲーム内で新たな動きがあったのは9月の二週目になった頃。

 

 

『──まずい! 体育の授業に遅れてしまう!』

 

「お、イベント入った」

「運動のスケジュールを選択してイベントが入るのは初ですね。新キャラでしょうか?」

 

『──着替えに時間の掛かってしまった俺はダッシュで体育館に向かっていた。すると……』

 

『こらっ!』

『え……』

『そこの君、廊下は走っちゃ駄目!』

 

「お、これはまさか……」

 

 主人公ランスくんを叱りつける女子生徒。 

 聞き覚えのあるその口調は──

 

『君、一年生でしょう? 授業に遅れそうなのは分かるけど、ルールは守らなきゃ駄目よ』

『ご、ごめんなさい……』

 

『──そこにいたのは背丈の小さな女子生徒。この人は確か……二年のシルキィ先輩だ』

 

「やっぱシルキィちゃんか。てかこの子は先輩キャラなんだな」

「みたいだね。ええっとこのキャラの元は……実家の影響で柔道と剣道を習っていて、学校では風紀委員に所属している真面目な先輩、だってさ」

 

 画面に表示されたのは廊下を走った主人公を叱るシルキィのイラスト。

 元の性格を反映しているのか、魔人シルキィにぴったしな役割配置である。

 

「よし。この子も犯すぞ」

「えっ、また!? それやったってさっきみたくゲームオーバーになるだけだよ?」

 

 魔王ランスは性懲りもなく『犯す』コマンドを実行したいらしい。

 天才プログラマー・パイアールが実装したこの『犯す』コマンドは対象ヒロインの性格や好感度などによって成功率が変わる仕組みになっている。

 主人公のパラメータが低く、ヒロインと出会ったばっかで好感度が低い状態ではほぼ失敗する事間違い無しのコマンドなのだが、しかしランスは聞く耳持たず。

 

「いいや、次は上手くやる。まずはシルキィちゃんを気絶させて人気の無い場所に移動する。そこでレイプして魔法カメラで写真を取る。んでその写真を校内でバラ撒くぞと脅して口止めをするのだ」

「……さすが魔王様、随分と卑劣で悪どい手口だね……」

 

 果たしてランスの作戦は成功するのか。

 その指がポチッとAボタンを押して『犯す』コマンドを実行した。

 

 

『(……よしっ! 今だ!!)』

『──俺は隙を見計らってシルキィ先輩の背後から殴り掛かった! しかし……』

 

『ふッ!!』

『え? あいたっ!』

 

『──気付いた瞬間には腕を掴まれていて、俺はそのまま軽く投げ飛ばされてしまった』

 

『君、どういうつもり?』

『い、いやその……ち、違うんです! ちょっと身体が滑っちゃって……』

『ふーん……ま、いいけど。とにかく廊下は走っちゃ駄目だからね』

 

『──疑いの目で俺を見ていたシルキィ先輩だったが、やがてそう言い残して去っていった』

『(「ランスの体力が減少しました」……というシステムメッセージの表示)』

 

「おい」

「なに?」

「あっさり負けたぞ。この主人公は女を襲う事も出来ねーのか」

「これも冒頭でランスくんが言ってたけど、彼は何の取り柄も無い少年だからね。一方でシルキィ先輩は剣道三段かつ柔道三段の格闘技少女、とてもじゃないけど勝ち目は無いでしょ」

「ぐぬぬ……女に投げ飛ばされるとは……なんて情けない主人公なんだコイツは……!」

 

 憎々しげに唸るランス。このゲームを操作するプレイヤー本人はランスだろうが、しかしこのゲームにおける主人公はランスではない。

 ゲーム内における主人公の少年はだたの15歳の一般人。女を襲った経験などは無いし、当然ながら魔王のように強くもない。

 

「これで分かったでしょ? 『犯す』コマンドは止めて地道に好感度を稼いだ方が良いって。そもそもそういうゲームなんだから」

「そうですよランス様。幸いシルキィ先輩が見逃してくれたおかげでゲームオーバーにはなっていませんし、ここからだって挽回出来ますよ、きっと」

「チッ、しゃーない。なら普通にやって普通にシルキィちゃんを落としてやろうじゃねーか」

 

 

 そして、ここからランスは『どきどき☆メモリアル(R-18)』を普通にプレイした。

 狙いは二年のシルキィ先輩。レイプが出来ないのならと好感度を稼いで普通に落とす。

 世界一のプレイボーイを自称するランスにとっては本領発揮とも言える展開である。

 

「友人に電話を掛けるとヒロインの主人公に対する好感度を教えてくれるみたいだね」

「ほう、どれどれ……うわ、シルキィちゃんからの現在好感度『1』だってよ」

「最初はそんなもんでしょ。そこからデートとかで好感度を稼いでいくゲームなんだから」

「んじゃさっそくデートっと」

 

『……デート? 君と?』

『……ごめんなさい。その日は予定があるから……』

 

「断られたじゃねーか」

「断られたね」

「……いっそ犯すか?」

「止めなって。デートに振られた腹いせにレイプするなんてみっともないよ?」

「ぐぬぬぅ……!」

 

 最初は中々上手くいかない。

 赤の他人から知り合いになって、しかしそこから恋人となるには高いハードルがある。

 

 

「デートの成功率も主人公のパラメータが関わってくるみたいだからね。もっとランスくんを成長させる必要があるんじゃないかな」

「シルキィ先輩は格闘技少女との事ですし、運動系のパラメータが大事になりそうですよね」

「んじゃ『運動』とか『根性』か。ならその逆に学力はいらないっぽいな。シルキィちゃんは学歴とかに拘るタイプじゃなさそうだし」

「そうかな? でもこのシルキィ先輩は風紀委員にも入っている真面目なキャラだし、ある程度の学力は必要そうじゃない?」

「んじゃあ『容姿』はいらないか。シルキィちゃんは顔で人を判断するタイプじゃないし」

「いやいや容姿こそ必要でしょ。人間の内面性は外見に表れるって言うし」

「ぬ……、おいシィル、ちょっと本人にどんな男がタイプなのか聞いてこい」

「し、シルキィさん本人に聞いてもあんまり意味はないんじゃ……」

 

 どうやったら相手に好かれるか。

 それを考え悩み、四苦八苦する事こそ恋愛の醍醐味なのか。

 

 

『──今日はシルキィ先輩と海でデートだ』

『おまたせ、ランス君。それじゃあ行こっか』

 

「二年目に入って、安定してデートにも誘えるようになってきましたね」

「だな。好感度も50前後まで上がってきたしここからが勝負だぞ」

 

『──更衣室からシルキィ先輩が出てきた』

『……どうかな? 似合う?』

『──可愛らしい水着を着たシルキィ先輩が目の前にいる。ここは……』

 

→『とても似合ってるよ!』

 

『あ、ありがとう……。でも、ちょっと恥ずかしいかな……』

 

「あ、この反応なら選択肢は正解みたいですね」

「にしても水着程度の露出で照れるとは……シルキィちゃんっぽくなくて新鮮だな」

「そりゃあね。シルキィのグラフィックを流用してるだけで中身はゲームのキャラだし」

 

 あれやこれやと言い合いながら、三人は仲良くテレビゲームをプレイして。

 その後は体育祭、期末テスト、文化祭、クリスマスなど、季節毎の行事が過ぎていって。

 

 そして──

 

 

『──3年目 3月──』

『遂に卒業式の日を迎えた。この三年間、本当にあっという間だったなぁ』

 

『ふと下駄箱を見ると手紙が入っていた』

『手紙には「放課後、校庭にある伝説の桜の木の下で待っています」と書かれていた』

 

『卒業式を終えて放課後、俺は手紙の差出人に会う為校庭へと向かった』

『すると……一番大きな桜の木の下で待っていたのは──』

 

『……ランス君。卒業おめでとう』

『シルキィ先輩……』

 

『──待っていたのはシルキィ先輩だった。これはもしかして……』

 

『……ランスくん。私、あなたの事が……』

『あなたの事が……好き』

 

『──シルキィ先輩はきらきらと潤んだ瞳で俺を見上げながら、そう言った』

『──俺の返事はとっくに決まっていた』

 

『俺も……あなたが好きです。シルキィ先輩……』

『嬉しい……ランスくん……』

『シルキィ先輩……』

 

『ここで告白をすると永遠の愛が約束される、そんな伝説がある桜の木の下で』

『俺とシルキィ先輩は思いを伝えあい、永遠の愛を誓いあった──』

 

『──HAPPY END──』

 

 

 

 

 

「やったー! シルキィちゃんを落としたぞー!!」

 

 バンザイをする魔王の顔には歓喜の笑みが。

 どきどき☆メモリアル攻略成功である。

 

「さっすが俺様、世界一の恋愛上級者だぜ」

「途中で風紀委員長とのタイマンバトルになった時はハラハラしましたけど、あそこでランスくんが勝てたのが大きかったかもしれませんね」

「工事現場のバイトを繰り返して『運動』と『根性』のパラを稼きまくったのが勝因だろうね。初プレイにしては上々なんじゃないかな」

 

 桜の木の下で抱き合う二人。そして画面に表示されたHAPPY ENDの文字。

 ランスは見事に主人公ランスくんを導いて『どきどき☆メモリアル』のヒロインの一人であるシルキィルートをクリアした。

 

「よし。じゃあ犯そう」

「ここで!?」

 

 スタッフロールが流れる中、ランスは『犯す』コマンドを押してみた。すると──

 

 

『……シルキィ先輩、俺……!』

『え? あ、ちょっとランスくん、どうしたの? なに、あ──!』

 

『──我慢出来なくなった俺はシルキィ先輩の身体に手を伸ばした。その小ぶりな膨らみを服の上からマッサージするように揉みしだく』

 

『だ、駄目よランスくん! こんなところで……!』

『好きです、シルキィ先輩……好きです……!』

『あ、ちょっと……やぁ……!』

 

『──俺の手は止まらない。その身体のどこに触れてもシルキィ先輩は抵抗らしい抵抗をしなかった』

 

『先輩、そこに手を付いて……』

『こ……こう……?』

 

『──こちらに背中を向けたシルキィ先輩の腰を掴んで、そして──』

 

『よし……いれますよ』

『あ、う、んぅ……!』

 

「ほほーう。なんのかんの言って乗り気になっちゃうあたりがシルキィちゃんだなぁ」

「伝説の桜の木の下でセックスするなんて……なんて罰当たりなカップル……」

「ところでパイアール、ここのイベント絵は?」

「だから無いって。どうしてもっていうなら本物のシルキィと同じ構図でセックスしてきたら?」

 

 残念ながらイベント絵は無いものの、それでも二人はこうして初体験を済ませて。

 

「お」

 

 最後に画面が暗転。

 そして『どきどき☆メモリアル(R-18)』のスタート画面が再び表示された。

 

「どうやらゲームクリアみたいですね」

「なるほど、これが恋愛シミュレーションゲームか……中々面白いじゃねぇか」

 

 次元3E2における大人気恋愛シミュレーションゲーム『どきどき☆メモリアル』

 その魅力と面白さにはどうやら魔王ランスもお気に召したようである。

 

「よーし。このゲームのやり方も分かったし、次はあいつを落としてやる」

「あいつ?」

「あぁ、さっきのプレイの途中で出会ったろ。このゲーム内で一番手強そうなあいつだ」

 

 それはシルキィ先輩を攻略中、知り合いとして一度紹介だけは受けていた人物。

 学内ミスコン優勝、そして全国統一模試一桁順位の才色兼備を地でいく学園のマドンナ。

 そして二年次には生徒会長に就任しており、更には主人公の幼馴染でもあったりして。

 少々設定を盛りすぎなようにも思える攻略最難関ヒロイン、その名は──

 

「ぐふふ……落としてやるぜ、ホーネット!!」

 

 ──その名はホーネット。

 ランスは今再び、ホーネットという女性に挑む。

 

 

 

 

 



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学園ランス②

 

 

 

 ──『どきどき☆メモリアル』

 それはかの次元3E2における大人気恋愛シミュレーションゲーム。

 それが今、希代の天才科学者兼プログラマーの手によって完璧に再現された。

 

 そして、魔王ランスはハマった。

 格闘系風紀委員キャラのシルキィ先輩を見事攻略して、次に狙いを定めたのは──

 

「ぐふふ……落としてやるぜ、ホーネット!!」

 

 攻略キャラの中で最難関ヒロインと謳われる幼馴染キャラ、その名はホーネット。

 頭脳明晰で成績優秀、かつ運動も出来て容姿端麗と非の打ち所がない完璧ヒロイン。

 そんな彼女一人に狙いを定めて、ランスは再びオープニングからゲームスタート。

 

『俺の名前はランス。これと言って取り柄のない、何処にでもいるような一般的な15歳だ』

 

「しっかしこいつ、自分でこんなセリフを言ってて虚しくならねぇのかな」

「このゲームはプレイヤーが主人公の選択肢を選んで進めていくゲームだからね。プレイヤーが自己投影しやすいように当たり障りの無い主人公キャラを設定してるんでしょ」

「ふーん、そんなもんか」

「そんなもんだよ。例えば一般的な順法精神とか良心とかが全然なくて、女を見ればすぐに欲情して襲い掛かるような鬼畜な性格のキャラが主人公だったらプレイヤーが感情移入しにくいでしょ」

「なるほど、そりゃ駄目だな」

 

 そんな主人公は嫌だなぁと、ランスは適当に考えながらもAボタンを連打。

 主人公ランスくんの登場場面、三度目となるオープニングをササっと読み飛ばしていく。

 

「くっくっく。ホーネットは強敵だったが俺様には実績があるからな。二度目も楽勝だぜ」

 

 現実のホーネットは攻略した。そして先程のプレイでこのゲームの進め方も理解した。

 故にもはや敵は無し。誰が相手だろうと余裕だぜとランスは高を括っていた。

 

 ……だが。

 

 

『──1年目 10月──』

『──スケジュールを選択して下さい──』

 

「………………」

 

 プレイが進んで、暫く。モニターを見つめるランスの目がぐっと厳しくなる。

 

「……なぁ」

「どうしました?」

「肝心のホーネットが出ないぞ。いつになったら出てくるのだ?」

 

 ゲーム開始時から半年程経過して、未だ主人公ランスくんの電話帳の中にその名前は無し。

 このゲームでは出会いイベントが発生しない限り女の子と知り合いになる事は出来ない。こちらから行動を起こして出会う方法が無く、全ては出会いイベント発生にのみ委ねられている。

 

「とっととホーネットが出てこねーと攻略もクソもないじゃねーか」

「きっと出会いイベントが発生するのにも条件があるんだろうね。さっきシルキィを攻略した時のデータでもホーネットと出会えたのは二年目以降だったから……」

 

 単純に一年目には登場しないのか、それとも必要パラメータが足りていないのか。

 パイアールはそんな可能性を考えたが、真相は小川健太郎の脳内というマスクデータの中。攻略本も無いので地道にプレイしていくしかない。

 

「けどよ、こいつらってそもそも幼馴染だろ? なんで今更出会いのイベントが必要なんだ」

「それは……なんででしょうね……?」

「幼馴染なのに出会いイベントをこなさない限り相手の家の電話番号も知らねーなんておかしくねーか? それって幼馴染と言えるか? 一体こいつらは今までどういう幼馴染付き合いをしてきたんだよ」

「魔王様、異世界のゲームにツッコミを入れたってしょうがないよ。小川健太郎がいた世界ではこれが幼馴染関係の普通なんじゃない?」

「ぐぬぬ……なんか納得いかんぞ……」

 

 さすがは『どきどき☆メモリアル』における攻略最難関ヒロイン、ホーネット。デートや恋愛を楽しむどころか出会う事すらも困難な存在。

 取説にあるキャラ紹介では主人公の家の近所に住んでいる幼馴染という設定らしいのだが、それでもこちらから会いに行く事は出来ないし、イベント発生フラグを満たさない限りは絶対に出会う事はない。そんな不思議な幼馴染関係のようである。

 

 そして、その後。

 現実の時間と共に、学園生活を送るランスくんの時間もあっと言う間に経過して──

 

 

『──3年目 3月──』

『遂に卒業式の日を迎えた。この三年間、本当にあっという間だったなぁ』

 

『ふと下駄箱を見てみる』

『……けれど、そこに何があるわけでも無くて』

 

『──卒業式が終わった』

『こうして、俺の高校生活は終わった──』

 

『──END──』

 

 

「………………」

「攻略失敗、だね」

「がーー!!」

 

 モニターの前で吠えるランス。その叫びは完全に負け犬のそれである。

 攻略は失敗。主人公ランスくんは幼馴染ホーネットとの恋を実らせる事が出来なかった。

 

「くっそー! 一体何が駄目だったんだ!?」

「やっぱりホーネットさんとの出会いが遅すぎたのが駄目だったんですかね……。結局ランスくんが二年生になるまで出会えませんでしたし……」

「出会うのが遅くなった事で好感度を上げられなかったのが原因だろうね。エンディング直前でホーネットの好感度は35しか上がってない、さっき攻略したシルキィの例から考えても80とか90には上げないと無理なんじゃないかな」

 

 敗因は出会いイベント進行の遅れ。それに伴う好感度不足が響いたか。

 

「つってもこいつ、出会ったら出会ったらでこっちがデートに誘っても断ってきやがるし……」

「中々デートの約束をするのも難しいですし、デート中にある会話選択肢で正解を選ぶのも難しいですよね……。ホーネットさんの場合、一見すると女の子に好感触そうな選択肢を選んでもいまいちな反応が多いですし……」

 

 デートに誘う段階にもハードルがあって、更にはデート中でも気が抜けない。

 それが攻略最難関ヒロイン、先程攻略したシルキィ先輩とは一味も二味も違う相手なのである。 

 

「ちくしょう、もう一度やるぞ」

 

 ランスの指がリセットボタンへと伸びる。

 

 

『俺の名前はランス。これと言って取り柄のない、何処にでもいるような一般的な15歳だ』

 

「今度こそは……落とす!」

 

 再びオープニング画面からゲームスタート。

 

 

 そして──

 特に語るような事は起きず、プレイは進んで、あっという間に時間が経過して。

 

 

 

『──3年目 3月──』

『遂に卒業式の日を迎えた。この三年間、本当にあっという間だったなぁ』

 

『ふと下駄箱を見てみる』

『……けれど、そこに何があるわけでも無くて』

 

『──卒業式が終わった』

『こうして、俺の高校生活は終わった──』

 

『──END──』

 

 

 結果は撃沈。

 

「…………リセットしたら?」

「……くそぉ、ホーネットめぇ……!」

 

 先程よりは善戦したものの、今回も卒業式の日にホーネットからの手紙が届く事は無かった。

 屈辱とイライラを貯め込みながら、再度ランスの指がリセットボタンへと伸びる。

 

 

『俺の名前はランス。これと言って取り柄のない、何処にでもいるような一般的な15歳だ』

 

「三度目の正直だ、絶対に落とす!!」

 

 三度、最初からゲームスタート。

 

 

 そして──

 残念ながら語るような事は無く、パパっと時間が経過して。

 

 

 

『──3年目 3月──』

『遂に卒業式の日を迎えた。この三年間、本当にあっという間だったなぁ』

 

『ふと下駄箱を見てみる』

『……けれど、そこに何があるわけでも無くて』

 

『──卒業式が終わった』

『こうして、俺の高校生活は終わった──』

 

『──END──』

 

 

 結果は撃沈。

 

「………………」

「…………魔王様」

「………………」

「魔王様。どうする? 今日はもう止めとく?」

 

 パイアールは恐る恐る声を掛ける。

 

「………………」

 

 ランスは唇を噛んだ表情で悔しげに俯いたまま。

 女を落とす事を目的としているこのゲームで、同じ相手の攻略を三度も失敗するなんて。

 世界一のプレイボーイであるこの自分が。こんな事が許されていいのか。

 

「………………」

 

 ──しかし。

 ここで止めることはない。諦めるなんてのはもっとあり得ない。

 

「……シィル」

「は、はい! なんでしょう!」

 

 この状況を打開する為の一手として、ランスは重々しい声で呟いた。

 

「本物を呼んでこい」

 

 

 

 

 そして。

 

「おい」

「な、なんでしょうか」

「お前が落ちない」

「……は?」

「何度やってもお前が落ちないのだ。もう次で四回目だぞ、一体どうしてくれる」

「……えっと」

 

 こめかみにくっきり怒りマークを作る魔王ランスの眼前。

 呼ばれてやってきた魔人ホーネットは訳も分からず困惑顔である。

 

「……シィルさん。これは一体どういう事でしょうか」

「実はですね……ごにょごにょ、ごにょごにょ……という事でして」

「…………な、成る程」

 

 そしてシィルから事情を聞き終えると、一転して頭の痛そうな表情になった。

 

「つまり、その……『どきどき☆メモリアル』でしたか? パイアールが作り出した異世界のゲーム、それに登場するホーネットという名前のキャラが……原因という事ですね?」

 

 落ちない。ホーネットが落ちない。何度挑戦してみても攻略出来ない。

 

「これ程までに魔王様の手を煩わせるなんて由々しき事態だぞ、ホーネット」

「ですが……その文句を私に言われても……これは私とは一切関係がない話なのでは……」

 

 主人公ランスくんの学園生活を無味乾燥なものに変える最凶の幼馴染キャラ、ホーネット。

 しかしそれはあくまでここにいる魔人ホーネットの外見データを流用しただけの別人なので、魔王の怒りはホーネットからしたら冤罪もいいところである。

 

「いーや、お前が悪い。きっと現実のホーネットが頑なで全然落ちない女だったから、その影響を受けてゲーム内のホーネットもこうなっちまったのだ。何度も何度もお前にアプローチを掛けて、何度も何度もデートの誘いを断られ続けた俺様の気持ちが分かるか? あぁん?」

「し、しかし……」

「やっとの思いでお前を初デートに誘ってな。嬉し恥ずかしドキドキな映画館デートで映画を見終わった後、開口一番お前から『見る価値の無い映画でしたね』と言われちまったランスくんの気持ちがお前に分かるか!!」

「そ、れは……確かに、なんと言いますか……少々思いやりが欠けていますね……」

「そう! そうなのだ! このゲームのお前は全体的に思いやりとか優しさが無い!! こいつら本当に幼馴染なのか? って思っちまうぐらいにお前からは親しさが伝わってこないのだ!」

「ですが、魔王様……先程から言っていますがその苦情を私に言われても……」

 

 どちらかというなら自分よりも、このゲームを作ったパイアールに責があるのでは。

 そんな意味も込めて視線をそちらに送れば、パイアールは我関せずとばかりに首を振った。

 

「言っとくけどこのゲームの難易度を設定したのは僕じゃないよ。僕は小川健太郎の脳内データにあったゲームのイメージをそのまま再現してみただけだからね」

「……そこに私の外見を使用したのは貴方なのでは?」

「いやそれは……だって他に使えそうな相手がいなかったんだもん。とにかくさ、これはあくまで異世界のゲームクリエイター達が作り出した異世界の恋愛シミュレーションゲームなんだよ」

 

 ただ……、とパイアールは顎の下に手を当てる。

 

「どうやら全てがクリエイターの想定通りだった訳ではないみたいだね。特にこのキャラは」

「あん? パイアール、そりゃどういう意味だ」

「さっきから小川健太郎の脳内データを調べていたんだけどさ。どうやらこの『どきどき☆メモリアル』においてホーネットの元になったキャラは攻略の難易度でちょっとした話題になる程だったみたいで」

「話題?」

「なんでも制作の際にデバックミスかなんかがあったらしくて、攻略に必要なパラメータの数値が当初の想定よりも高く設定されちゃっていたんだってさ。その後数値を修正したベスト版も発売されたらしいけど……どうやら小川健太郎がプレイしたのは修正前の初期版だったようだね」

 

 それはこのゲームが次元3E2にて発売後、スタッフインタビューによって明らかとなった裏話。

 その話が載っていたゲーム雑誌を読んだ記憶まで小川健太郎の脳には残っていたようで。

 

「パイアールさん、それならホーネットさんの攻略は不可能だという事ですか?」

「いや、それが修正前のパラメータ設定でもクリアした人が少数ながらいるらしいよ。スタッフインタビューでも攻略不可能ではないから初期版の回収はしないって言ったらしいし……まぁ生憎と小川健太郎はクリア出来なかったみたいだけどね」

 

 ゲーム制作スタッフのミスにより生まれた攻略超難度ヒロイン、ホーネット。

 次元3E2における恋愛シミュレーションゲームガチ勢にしか攻略を許していない鉄壁の幼馴染キャラ。それは一般的な高校生ゲーマーでありエンジョイ勢だった小川健太郎がコントローラーを投げ出す程の難度らしい。

 

「どんだけ難易度が高かろうが、不可能じゃねぇんだったら俺様にだって出来るはずだ。つーわけでもう一度最初からゲームスタートだ。お前らも協力しやがれ」

「はい、ランス様」

「分かりました、魔王様。私も及ばずながら協力させて貰います」

「魔王様の命令じゃ断れないよね。……はぁ、へんなもん作るんじゃなかったな……」

 

 という訳で、ここからは魔人ホーネットも参戦。

 ランス達は四人一岩となって『どきどき☆メモリアル』最難関キャラ攻略に挑む事となった。

 

 

『俺の名前はランス。これと言って取り柄のない、何処にでもいるような一般的な15歳だ』

『そんな俺は今日からここ、私立ルドラサウム学園に通うことになった。俺には結構ハードルの高い学校だったけど無事に合格出来て良かった』

『今日から三年間の高校生活、一体どんな出来事が待ち受けているだろうか。勉強、部活、友達、そして恋人……あぁ、楽しみだなぁ!!』

 

「……あの、この少年は一体誰に向かって話し掛けているのでしょうか」

「あのさぁホーネット、魔王様と同じような反応しないでくれるかな」

「この辺はもう何度も見たから飛ばすぞ。うりゃーAボタン連打連打ー」

 

 リセットから再ゲームスタート。

 そしてもう見慣れたオープニング画面を颯爽とスキップしていって。

 

 

 そんなこんなで──ゲームは進む。

 それから数時間、熱中プレイの中であっという間に時が過ぎていって。

 

 

 

『──3年目 3月──』

『遂に卒業式の日を迎えた。この三年間、本当にあっという間だったなぁ』

 

『ふと下駄箱を見てみる』

『……けれど、そこに何があるわけでも無くて』

 

『──卒業式が終わった』

『こうして、俺の高校生活は終わった──』

 

『──END──』

 

 

 画面には。見慣れてしまったENDの文字。

 伝説の桜の木の下に行く用事なんてない、虚しき灰色の高校生活の終わりの光景。

 

「……マジで落ちねぇな、こいつ」

「……えぇ。どれ程のものかと思ってはいましたが……まさかこんなにも……」

「これで六敗目か。分かってはいたけど中々難しいもんだね……」

 

 あれから三度ゲームオーバーとリトライを繰り返して、全敗。

 すでに時刻は深夜を回っているが、画面の中にいる幼馴染が靡く気配は微塵も無い。

 

「……ですが、ようやく分かってきました」

 

 がしかし……全く進歩が無い訳でもなかった。

 画面の中の幼馴染ではなく、画面の前にいる魔人筆頭は静かに口を開く。

 

「このホーネットは主人公のパラメータの内『文系』と『理系』が合計150以上、芸術と運動がそれぞれ100に到達した時点で出会いイベントが発生するようですね」

「だね。となると序盤はそのパラメータを稼ぐのが最優先かな。このゲームは季節毎にある行事イベントを成功させる事でもヒロインの好感度が稼げる、一年目にホーネットと出会えれば文化際やクリスマスイベントでも好感度を稼げるはずだから、その分攻略が有利になるはずだよ」

「確かにこいつはデートで好感度を稼ぐのが難しいからな。イベントで稼げればその分楽にはなる。けれどもイベントで稼ぐとなるとそれにもパラメータが必要になるぞ。体育祭で上位入賞するには『運動』の数値が必要だし、クリスマスイベントでは『容姿』が必要になったりするし」

「そうですね。ですから季節毎のイベントをクリアする事も視野に入れたスケジュールを組む必要があるという事です」

 

 彼等にとっては異世界である次元3E2で生まれた未知なるゲーム『どきどき☆メモリアル』

 その攻略の取っ掛かりをランス達は確実に掴み始めていた。

 

「それともう一つ。あくまでホーネット一人に狙いを絞ってプレイする場合、他のヒロイン達と出会ってしまう事すらもデメリットになり得ます」

「あぁ、それは俺も思った。他のヒロインの好感度が下がりすぎると悪い噂が広まって、結果的にホーネットの好感度まで下がっちまうからな。それならいっそ他のヒロインとは知り合いにならない方が楽なのだが……」

「だけど一切会わないってのもそれはそれで難しいよね。知り合いになるかどうかの選択肢があるハウゼルなんかはいいんだけど、サテラやシルキィなんかは出会いイベントが発生した時点で強制的に知り合いになっちゃうから……」

「となるとそもそも出会いイベントを発生させては駄目ってことか。確かサテラとの出会いイベントは『理系』コマンドで発生して、シルキィちゃんは『運動』だったよな。ゲーム序盤はこの二つは回避しとくか」

「そうですね。ではそれも込みでスケジュールを組んでみましょう。具体的にはまず──」

「な、なんか……まだまだ時間は掛かりそうですし……私、お夜食作ってきますね……」

 

 そろそろ話に付いていけなくなりそうなシィルが夜食を作りにキッチンへと向かう中。

 ランス達の目はゲーム画面だけに向いていた。その後も彼等はひたすらに、ただひたすらにゲームプレイを繰り返した。

 

 

 

『──下校途中──』

 

『あ、ホーネット』

『ランス。奇遇ですね』

 

→『一緒に帰ろうと誘う』

 『そのまま帰宅する』

 

『ホーネット。良かったら一緒に帰らないかな?』

『貴方と一緒に?』

『……断ります。貴方と一緒に下校などをして噂をされたら恥ずかしいではありませんか』

 

「……この女」

「ホーネットさん、目付きが怖いです……」

「ちなみにホーネットよ。これはお前がランスくんに言ったセリフなんだからな」

「私はこのような事は言いませんっ!」

 

 攻略失敗。

 そして再プレイ。

 

 

 

『……ランス』

『……ホーネット』

 

『──ホーネットは俺の事を鋭い目付きで睨みながら、この期に及んでも強い口調で言う』

 

『貴方は、このような事をして……許されると思っているのですか!?』

『……へへへ。ホーネット……強がっていられるのも今の内だぜ……!』

 

『──にやりと笑った俺の周囲には、今。金で雇った不良達がずらりと並んでいて』

『俺の目の前には。両手を手錠で拘束されたホーネットが身動きを取れずにいた』

 

『犯してやる。犯してやるぞ、ホーネット……!』

『……ランス。どうして──』

 

『幼馴染だった女の子の切なる声は、下卑た男達の笑い声に飲まれて』

『そして……陵辱の宴が始まった──』

 

 

「……あの、魔王様。どうしてここで『犯す』コマンドを押したのですか?」

「いや……なんかあんまりにもデートのお誘いを断りやがるから、ムカついて……」

「気持ちは分かりますが抑えて下さい。あぁほら、またゲームオーバーではないですか……」

 

 攻略失敗。

 そして再プレイ。

 

 

 

『──っ、マズい!』

『死ねやオラーー!!』

『うわぁぁぁーー!!』

 

『町のゴロツキの一撃が炸裂した!!』

『俺はケンカに負けてしまった。そしてその後すぐに病院に緊急搬送された──』

 

 

「しまったー!! ここまで来て町のゴロツキとのタイマンに負けちったーー!!」

「あぁもう、だから体力は一定量をキープしとかなきゃ駄目だって言ったじゃんか……。特に9月から11月に掛けては町のゴロツキやヤンキー達とのランダムエンカウント確率が増えるんだから……」

「だってスケジュールを切り詰めるには休息を減らすのが一番だろう!? だからギリギリを……って、お、輸血イベントが発生した。ホーネットから輸血してもらうのは始めてだな」

「輸血イベントは相当好感度が高くないと発生しませんからね。新規イベントCGは回収出来ましたが……しかしここで入院してスケジュール管理が大幅に崩れるとなると、またリセットですかね……」

 

 攻略失敗。

 何度も何度も再プレイ。

 決して諦める事なく、ランス達は『どきどき☆メモリアル』の周回プレイを繰り返した。

 

 

 

 ──そして。

 

 

 

『──3年目 3月──』

『遂に卒業式の日を迎えた。この三年間、本当にあっという間だったなぁ』

 

『ふと下駄箱を見てみる』

『……けれど、そこに何があるわけでも無くて』

 

『──卒業式が終わった』

『こうして、俺の高校生活は終わった──』

 

『──END──』

 

 

 画面には……無情にもその表示が。

 

「……マジか。これでも駄目なのか……」

 

 愕然たる表情の魔王。そして魔人二人。

 

「……好感度はほぼMAX。各パラメータも600を越えているというのに……」

「生徒会長選挙のイベントもクリアしたし、ホーネットの両親の離婚危機イベントもクリアした。これだけ攻略を繰り返してまだ発生していないクリア必須イベントがあるとは考えにくいし、今回も駄目だったのは単純にパラメータ不足なのかな……」

「けど600だぞ? これ以上稼げるか? 今回だってかなりスケジュールを切り詰めてようやくこれだってのに……」

「……はふぅ」

 

 時刻は朝を過ぎて、昼を過ぎて、そんな事を繰り返して今は夜。

 ゲーム開始はすでに一昨日の事。二日徹夜となってシィルはもうくったりしている。

 

「……いや、でも、まだいけるか」

 

 がしかし、人間の身を捨てた彼等達は。

 

「えぇ、まだ改善の余地はあるはずです」

「そうだね。これが攻略可能なゲームである以上、必ず何処かに攻略の糸口があるはずだよ」

 

 魔王であるランス、そして魔人であるホーネット、パイアールの三人はまだまだ元気。

 いやそれどころか、ここまで敗北を繰り返した三人の闘志には火が付いてしまったようで。

 

「魔王様。提案なのですが……序盤のスケジュールを見直してみませんか?」

「なに? 序盤は文系知識を鍛えまくって『学力テスト』で一位を取るんじゃないのか? そうすりゃ『学年一位』の称号が取れて『学問』系のコマンド成功率補正が40%掛かるだろう」

「えぇ、それはそうなのですが……しかしその場合は他のパラメータの上昇が絶望的になるので、その2ヶ月後に行われる「体育祭」で良い成績を残す事が出来なくなります。ですので一年目の学力テストはあえて学年一位を狙わず、一段下の『学年上位』を狙うのも手だと思いまして」

「確かに『学年上位』なら『文系』と『理系』パラの合計が50でいいはずだからね。コマンド成功率補正は『学年一位』程ではないものの『学年上位』でも20%は上がるから、それと同時に体育祭も上位の成績を狙って運動系のコマンド成功率補正の獲得を視野に入れるってわけだ」

「なるほどな。んじゃ序盤のスケジュールを組み直すか。……そういえば、アルバイトの連発も考え直した方がいいかもしれんな」

「アルバイトは学校の授業よりも体力消費が多いですからね……その分余計に休息を取る必要が生じてしまうのは確かですが……」

「けどアルバイトなら学内にいるヒロインとの出会いイベントを回避出来るっていう利点があるからね。特に序盤はアルバイトじゃないと『理系』パラとかが上げにくいし……うーん、難しいな……」

「……なんか、どんどん会話が専門的になってきている……、私、なんか簡単に食べられるものを作ってきますね……」

 

 のそのそと起き上がってキッチンへ向かっていくシィル。

 起きているのがやっとな人間にはもう理解出来ない領域まで攻略の手は進んでいて。

 

 そうして。ランス達はその後もゲームプレイを繰り返した。

 失敗してはリセットして。もう一度失敗してはリセットを繰り返して。

 主人公が行うスケジュールコマンドと獲得するパラメータ量を限界までシビアに調整した。

 

 負けたままでは終われない。

 そんな魔王達の意地が。画面の向こうにいる幼馴染ホーネットを落としたいという思いが。

 ようやく一つの形となって結実したのは、それから更に二日が経過した後──

 

 

 

 

『──3年目 3月──』

『遂に卒業式の日を迎えた。この三年間、本当にあっという間だったなぁ』

 

『──ふと下駄箱を見ると、手紙が入っていた』

『手紙には「放課後、校庭にある伝説の桜の木の下で待っています」と書かれていた』

 

「あっ!?」

「手紙!!」

「まさか!?」

「マジでか!?」

 

 徹夜四日目にして初の展開。

 深い隈が刻まれた目でモニターを見ていた全員の身体が反射的に跳ね上がった。

 

 

『──卒業式を終えて放課後、俺は手紙の差出人に会う為校庭へと向かった』

『すると……一番大きな桜の木の下で待っていたのは──』

 

『……ランス。来てくれましたか』

『……ホーネット』

 

『──待っていたのはホーネットだった。これはもしかして……』

 

『……ランス。私は……』

『あなたの事が……ずっと好きでした』

 

『──ホーネットが、そう言った』

『昔からの幼馴染で、けれども高校に入学する頃まで疎遠になっていた女の子』

『──俺の返事はとっくに決まっていた』

 

『俺も……君が好きだ、ホーネット』

『あぁ……嬉しいです、ランス……!』

『ホーネット……』

 

『ここで告白をすると永遠の愛が約束される、そんな伝説がある桜の木の下で』

『俺とホーネットは思いを伝えあい、永遠の愛を誓いあった──』

 

『──HAPPY END──』

 

 

「いやっっったぁぁああああーー!!!」

 

 天高く両拳を突き上げガッツポーズ。

 72時間以上の死闘を制したランスの目にはうっすらとした光が。

 

「遂にッッ!! 遂にホーネットを落としたぞーーー!! やったぁぁあああ!!!」

「夢じゃないんですねランス様!! ようやくランスくんの思いが伝わりましたね!!」

「あのホーネットがこんなに笑顔になって……あぁもう駄目です私感無量です……!!」

「うわあああぁぁーー!!! やった! やったよぉーー!! 姉さぁぁーーん!!」

 

 ランス、シィル、ホーネット、パイアール。四人みんなで抱き合って喜び合う。

 ランスとシィルはともかくホーネットとパイアールは絶対そんな事をするキャラじゃないのに、全てお構いなしでわーいわーいと喜び合う。

 それ程の難敵で、だからこその歓喜。つまりは全員が完全なる徹夜テンションだった。

 

「にしてもまさか……ホーネットの冷たい態度が全てランスくんを思っての事だったとは……」

「本当はとても優しい子ですし、幼い頃からずっとランスくんの事が好きだったんですね……」

「……いい、いいよ。素晴らしいよ。これぞ幼馴染キャラの真骨頂だよね……」

 

 ただ冷たいだけではなかった。あのそっけなさの裏には深い愛情があった。

 だからこそ次元3E2において行われた『どきどき☆メモリアル』ヒロイン人気投票でも一位を獲得した実績のある幼馴染キャラ、ホーネット。その牙城をランス達は遂に崩したのだ。

 

 そして、ランスくんとホーネットが抱き合う姿を背景にスタッフロールが流れる中。

 

「……あぁ、これは……」

 

 ランスは一人、自分の胸の奥で熱く脈打つなにかがあるのを実感していた。

 

 それは、達成感。

 女を落として惚れさせる。そんな困難を乗り越えた先にある充実感というもの。

 

「……これだ。最近の俺様にはこれが足りなかったんだ」

 

 魔王になって、どんな女でも抱けるようになった。だからこそ薄れていた感情。

 それをランスは久しぶりに思い出していた。

 

(続く)

 

 

 

 



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新たなる魔王様の新たなる日々⑦

 

 

 

 

 

「なぁ知ってるか、ぷれすて」

「ぷれすて?」

 

 聞きなれない言葉に眉を揺らす絶世の美女。その前には仕えるべき主となった元人間の魔王。

 その日、ランスはケッセルリンクの部屋を訪れていた。

 

「そうだ、ぷれすて」

「さて……聞いたことがないな」

「だろうな。ぷれすてってのはパイアールに作らせた異世界のゲーム機なんだ。ここ数日、俺様はその恋愛シミュレーションゲームに熱中していてな」

「ほう、異世界の恋愛シミュレーションゲームとは……」

「うむ、ゲーム内での恋愛なんぞ所詮お遊びだろうと思っていたが……これが中々に奥が深い。ゲームだからと馬鹿に出来んもんでな、気付けばこの数日間ぶっ続けでプレイしちまった」

 

 ここ数日、ランスは日課のセックスも忘れて『どきどき☆メモリアル』に熱中していた。

 次元3E2における恋愛シミュレーションゲームの金字塔。その自由度の高さと奥深さ、そして設定ミスとなる攻略難易度を前に何度も絶望を味わい、その末の感動を思い出したランスは満足げに語る。

 

「やっぱり男の魅力ってのは学力と運動、あと根性と容姿と雑学と礼儀と芸術その他で決まるな」

「ふむ」

「後はイベントだな。学校内で発生するイベントは勿論の事、好感度が上がりやすい恋愛イベントやエンディングに必須となる特殊イベント、それらが発生する時期やその条件を正確に把握していないといかん」

「ふむ、イベントか」

「期末テストや体育祭のような強制的に発生するイベントもあれば、偶発的に発生するランダムイベントもあるのだ。中には特定の時期に特定のデートスポットでデートしなければ発生しない特殊イベントなんかもあってな。そういう好感度が上昇しやすいイベントを押さえる事でスケジュール管理に余裕を作る、そうして空いた時間でひたすら自分磨きをしてクリアに必須なパラメータを伸ばす。これがハッピーエンディングを迎えるコツだな」

「ふむ……聞いていると中々に難しそうなゲームだね」

「あぁそうだ。改めて感じたが女を口説き落とすってのは難しいもんだ。しかし難しいからこそ挑戦し甲斐があるとも言えるし、だからこそやり遂げた時の嬉しさも一入なんだなぁうむうむ」

 

 全ては効率的なパラメータ稼ぎと必須イベントを押さえて、クリアフラグを満たす事。

 それを理解し、もはや攻略本要らずの『どきメモ』マスターを自認するランスはしたり顔で頷く。

 

「どきメモを通して実感した。女ってのはただ単純に抱くだけじゃない、口説き落としてものにするという過程にも奥深さがあってやり甲斐があるもんだ」

 

 このように語るまでに熱中してマスターするまでやり込んだ結果。ランスはここ最近自分の中で感じた事のなかった感覚を思い出した。

 魔王になって、全てが自分のものになった一方で薄れていた感覚──欲しいものに挑んで手に入れる感覚である。

 

「なので、久々にそれをやってみようという気分になってな」

「ほう」

「んじゃあ誰をターゲットにするか……と考えたところ、パッと頭に浮かんだのがまずお前だったのだ。ケッセルリンクよ」

「成る程、私か」

 

 魔王様直々のご指名。突き付けられたケッセルリンクは静かに喉を鳴らす。

 第八代魔王、歴代随一の好色魔王ランス。その毒牙に掛かった者は数多く、人間世界は元より魔物界にもその手は伸びている。つまり現状すでに攻略済みの相手はまぁまぁ多い訳で。

 今回の対象は攻略経験の無い女性、ただそうは言ってもそこらにいる名も知らない一般美女を落とすというのも張り合いが無い。あの幼馴染の『ホーネットちゃん』レベルとまでは言わずとも多少なりとも登り甲斐のある山であって欲しい。

 そうして思い付いたのが今目の前にいる絶世の美女、魔人四天王ケッセルリンクだった。

 

「お前の事はもう何度か抱いたな」

「あぁ、そうだね」

「お前は見掛け通りにエロいし意外とテクニシャンでセックスレベルが高い。他の魔人達では中々味わえない趣のセックスを体験出来る、実にグッドでよろしい」

「そうか。喜んでくれているのであれば幸いだ」

「……が、だ。それでもお前を落とした感触は無い」

「そうだね……確かに、落とされたつもりは無いかもしれない」

 

 うむ、と魔王は重々しく頷いて。

 

「という訳で、口説き落としてみようと思う」

「そうか」

 

 あの時の興奮と充実感をもう一度。

 という事で、ランスは未だ落としていないケッセルリンクを口説き落とす事にした。

 

「ケッセルリンクよ。今お前の前にいるのは世界で一番カッコいい男だ」

「そうか」

「ケッセルリンクよ。お前はイイ女だ。イイ女はイイ男に惚れるべきだ」

「そうか」

「うむ、そうなのだ」

「そうか……」

 

 なんと返事をしたものか、とケッセルリンクは悩ましげに目を閉じる。

 

「……魔王様」

「なんだ」

「これは……察するに、私は今、貴方に口説かれているのだろうか」

「あぁそうだ。口説いている」

「成る程。これで口説いているのか」

 

 どうも先程からのは魔王なりのアプローチらしい。

 まるで口説かれている気はしなかったが、相手がそう言うのであれば否定しようもない。

 

「どうだケッセルリンク、俺様の女になりたくなってきただろう。落ちたか、落ちたか?」

「さて、どうかな……女性を口説き落とすというのは存外難しい行為なのだと、つい先程魔王様はそう言っていたような覚えがあるが」

「うむ。それはそうだ。でもほれ、俺様ってもう学力も運動もMAXだし、根性も容姿も雑学も礼儀も芸術も全パラメータがMAXな男だろ? つまり女を口説き落とすのにこれ以上の努力は必要ない」

「成る程。パラメータという数値だけで表現するならばそうなるのかもしれないね」

「だから『どきメモ』の主人公「ランスくん」とは違って、本物の俺様であればどんな相手だろうとすんなり落とせるはずなのだ」

 

 自分のパラメータはオールMAXである。なので自分に落とせない女はいない。

 ランスは本気でそう思っている。普段通りの自信満々な表情からそれが伝わってくる。

 

「さて……」

「うむ。どうだケッセルリンク」

「……さて、困ったものだ……」

 

 悠然と呟いて、貴族然とした上品な所作で紅茶を一口飲む。

 ……その内心、ケッセルリンクは結構本気で困っていた。目の前の男の取り扱いに。

 

「いっそ抱かせろと命じられる方が私にとっては何倍も有難いのだが」

「それじゃあ駄目だ、今日の目的はそれではない。今日は俺様の魅力で惚れさせて口説き落とした感を味わいたいのだ」

 

 いつでもどこでも使える成功率100%な犯すコマンドを実行したいわけじゃない。

 ちゃんとエンディングをコンプする為、口説き落として惚れさせる過程を楽しみたいとランスは言う。

 

「惚れる……か」

「そう、惚れる」

「ふむ……他ならぬ魔王様からの要望だからね。私とてなるべくなら応えたいとは思うのですが……しかし、惚れるというのは……なんとも」

 

 しかしてその要求はケッセルリンクにとって難題過ぎた。

 ランスが要求しているもの、心の動きというのは本人にさえどうしようもないもの。

 

「抱かせろ、と言われたなら身体を委ねる事は出来るのだが。しかしそれで気持ちが揺れるのか言われると……難しいね」

 

 惚れろ、と言われて、はい分かりました、とそう簡単に惚れられる訳ではない。

 特にケッセルリンクはそういう感情とは無縁の人生を送ってきた為、元より自分の中にそういったものは無いだろうと半ば確信を抱いている。

 だからこそ困る。困った魔王の困った要求には逃げ道を探すので精一杯である。

 

「ううむ……さてはまだ好感度が低いってことか。そうなのだな?」

「どうだろうね。好感と言うならば決して低い訳ではないとも思うのだが」

「む、そうなのか?」

「あぁ。まぁ確かに魔王様の人間性については疑問視したくなる部分も多々ある」

「おい」

「が、人間ではない魔王様の人間性を見ても仕方が無いとも言える。それに現状魔王様は私との約束をちゃんと守ってくれているからね。その分は好意的に見ているつもりだ」

 

 使徒達に対して意に沿わぬ手出しはしないという約束。ランスが歴代随一の好色魔王であると知った以上、その約束には自分が思うよりも大きな意味があるのだと理解している。

 自身の外見が美女だからという要素が極めて大きいのだが、それでもこちらの話をちゃんと聞いてくれる魔王なのだと分かった為、ケッセルリンクとしては友好的な態度を示しているつもりである。

 

「ただ……それで惚れるか、と言われるとね」

 

 それはそれ。話は最初の地点に戻ってくるのである。

 

「ケッセルリンク。お前って過去に付き合っていた男とかいねーのか?」

「いない。なにせ私は元々カラーだからね、付き合うどころか周囲に男性自体がいなかった」

「あぁそうか、カラーか……こんなに美人なのに勿体ない……」

「それは私だけでなくカラー種全体の問題だと思うがね。とにかくそんな訳で、私はこれまでの人生で男性に見惚れた事も無ければお付き合いをした事も無い。しようという気さえ抱いた事が無い」

「……せっかくこんな超美女なのに……なんつー枯れた人生だ……」

「枯れる、か。そうだね、表現としては中々に的を射ていると思う」

 

 自らの生を枯れていると評された事について、頷き一つで返すところも含めて。

 ケッセルリンクがそう感じるのは自らの内面。特に彼女はランスが高い評価をしている自らの外面というものを重要視していない為、余計にそう感じている。

 

「魔王様も長く生きてみれば分かる。このぐらいの歳になるとね、何事に関しても強い情動を抱くような事は無くなってくるのだよ」

「お前、せっかく超絶美女なのに……足腰立たなくなった老人みたいな事言いやがって……」

「これでも3000年以上は生きているからね。みたいな、ではなくて老人そのものと言える」

 

 最大1000年で代替わりを行う魔王に六度仕えて、足掛け3000年以上。

 魔王になってもまだ25歳程度のランスには想像も及ばない年月の話である。

 

「私よりも年上となるカミーラやメガラスも似たように達観した性格をしているだろう。……例外はケイブリスぐらいか」

「リス?」

「あぁ。あれは私よりも長生きしている最古の魔人となるが、達観などとは無縁の性格をしていただろう? あれはあれで珍しい事なのだよ」

「あんなもん珍しかろうがどうでもいいが」

「まぁ、魔王様には分からぬ事かもしれないがね。ただ6000年以上もの長きに渡る間ずっと、同じ野望を強く抱き続けるというのは存外に難しい事なのだよ」

 

 同じように長く生きている分、ケッセルリンクにはそれがよく分かる。

 魔人ケイブリスの一番の凄さはそこだろうねと語る声には素直な賞賛の響きがあった。

 

「そんな野望もこの俺様が見事にへし折ってやったがな。がははははっ!」

「確かに。何事も強く願えばいつかは必ず叶うというものではない。それもまた然りだね」

「つーかケイブリスの事なんざどうでもいい。問題はお前だ、お前」

 

 ケイブリスと違って精神性が達観しているケッセルリンクは惚れたり落ちたりする事が無い。

 説明されると理解出来なくもない話ではあるが、それでもなんとかしたい。ふとランスは部屋の脇に立つメイドに視線を向ける。

 

「なぁ、パレロアちゃん」

「はい、なんでしょうか」

「ケッセルリンクが俺様に惚れるにはどうすればいいと思う?」

「ケッセルリンク様が惚れる、ですか……それは……私にはちょっと想像出来ない姿ですね……」

「ぬぅ……」

 

 本日のメイド、ケッセルリンクに長く仕える使徒パレロアに訪ねても反応は薄く。

 

「ふむ……では魔王様、先程貴方が仰っていた恋愛シミュレーションゲームを例にするとだ」

「ぬ?」

「私が実際に体験した訳ではないから想像で語る事になるが……そのゲーム内に登場する全ての登場人物が攻略対象だった訳ではあるまい。中には攻略が出来ない女性キャラもいたのではないか?」 

「そりゃまぁ、いたけど。塾の先生とか、バイト先のコンビニの店長とかはただのモブキャラだからな」

「ならばそれが私だと思えばいい。ただ魔王様の周りで生活をしているだけ、攻略対象に含まれないモブキャラだって物語の中にはいるだろう」

「な!? お、お前が、モブキャラ、だと!?」

 

 まさかのモブキャラ宣言に魔王ランスは驚愕の表情。

 

「恋愛イベントの発生しないキャラも存在する。それはゲームも現実も同じだろう」

「れ、恋愛イベントが発生しない……!」

「うむ」

 

 登場する全ての女キャラとイベントが発生する訳ではない。

 それはあの『どきメモ』でもそうだった以上、言い返す言葉も無いのだが。

 

「……いーや駄目だ! お前はちょっとモブキャラにしては美人過ぎる!!」

「外見は関係無いと思うが……」

「関係あるに決まってんだろ! お前程の美女がゲームには登場するけど手出しは出来ない攻略不可キャラだなんて、そんなのユーザーから文句言われるぞ!!」

 

 こんな美人を登場人物一覧に並べてはいけない。あくまで登場人物一覧に並べるのであれば、攻略不可キャラであってはいけない。そんなのクレームの元である。

 どうやら『どきメモ』を通じてランスはすっかり異世界産のゲーム脳に染まったらしい。

 

「そう言われてもね……実際問題男に惚れろと言われても難しいのだよ。なんせ私はつい先日までは他ならぬ男として数千年以上も生きてきた身だ。それは魔王様もご存じだろう?」

「そりゃおっさんのお前を美女に戻してやったのは俺様だからな」

「長らくあの姿だったのだ、そう簡単に意識が切り替わるものではない。そんな私に男性に惚れろと言われてもね……」

 

 元々ケッセルリンクはカラーの女性だったが、魔王スラルを守る為に魔人化した際に男性となった。つまりその時点から自意識としては男性よりにあったと言える。

 更にはそれ以後。救いを求める哀れな女性達を庇護しては、時としてそんな使徒達を慰める為に男性として身体を重ねる事も沢山あった。もはや自意識は完全にそっち側である。

 

「ぬぅ……そう考えるとお前も中々けったいな人生を歩んでいるなぁ」

「さて、人間の身で多くの魔人を討伐してあまつさえ魔王になった貴方に比べたら、私など穏やかな人生を歩んでいるものと思うがね。ともあれそういう訳で、私が魔王様のご希望に沿うのは難しいのだ」

 

 モブキャラとか、恋愛イベント対象外とか、精神的に男よりであるとか。

 色々述べたが、結論としては冒頭から同じように「ランスくん、ごめんなさい。貴方と付き合うのはちょっと……」というお断り宣言である。

 

「あるいは……実際に惚れる事は難しいが、惚れたフリならば出来るだろう。それで魔王様のお気持ちが満足するというのであれば付き合いますが」

「フリって思いっきり宣言しているのにそんな事してもなぁ」

「であれば、やはり難しいでしょう。こればかりは強制命令権でもどうにもならない事ですから」

「ぐぬぬ……」

 

 強制命令権で強制出来るのは行動のみ。内心の自由まで強制出来るものではない。

 惚れた腫れたとは無縁の世界に生きているケッセルリンクを前にして、強引に恋愛イベントを起こそうにもゲームのようには上手くはいかない。

 相手がゲームのキャラではない以上、それは当然の話なのである。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「……と、ケッセルリンクにはそう言われた」

「………………」

「長年生きるとどいつもこいつも枯れた老人みたいなヤツばっかになるらしい。せっかくあんだけの美女なのに勿体ないよなー勿体ない」

「………………」

「だが俺様は諦めんぞ。何事も諦めなければチャンスはある。あれだけゲームオーバーを繰り返したホーネットちゃんルートだってクリア出来たんだからな」

「………………」

「という訳でカミーラよ。いっちょ俺様に惚れてみろ」

「………………」

 

 次いでやってきてのは魔人カミーラの部屋。

 ケッセルリンクに負けず劣らずの美貌を持つ部屋の主は「はぁ」と嫌そうに息を吐いた。

 

「………………」

「おい。聞いとるか?」

「……聞いてはいる」

 

 聞きたくもない話だが、とその美貌に隠し切れない苛立ちを乗せる。

 

「……ランス。お前はケッセルリンクが言っていた事を理解出来なかったのか?」

「いや? そんな事はないが」

「ならばそれを理解した上で何故私の下を訪れる。私の精神性もケッセルリンクと同様だ、お前に惚れるような事などない」

 

 わざわざ説明するのが億劫だと言わんばかりの視線。とっても冷めた表情。

 ケッセルリンク以上に長い年月を生きているカミーラも当然ながらその領域にいる。よってケッセルリンクの時の同じ注意事項がそのまま彼女にも当てはまる。

 

「案の定つーかなんつーか、お前も枯れてるなぁ」

「………………」

「いや、枯れてるというより……全体的にやる気ゼロだよな、お前って」

 

 そしてカミーラは使徒の保護を求めたりなどの恩も受けてはいない為、ケッセルリンクのように魔王ランスに対して一定の好感を抱くような事もない。

 好感度で見るなら、ケッセルリンクと同等どころかそれ以上に攻略不可キャラと言えた。

 

「もしかしてあれか、あの時ケイブリスにボッコボコにされたのがそんなに堪えたのか」

「……別にそういう訳ではない。元より私はこういう性格だ」

「そうかぁ? ゼスで会った時はもうちょっと偉そうにふんぞり返ってたし、元気やる気もあったと思うが……」

 

 ランスと初対面はLP4年のゼス侵攻時。その時のカミーラは古き時代からの強者たる魔人四天王に相応しい傲慢で尊大な性格をしていた。 

 しかしその一件でランス達一行に敗北を喫した。その戦いで長らく自分に仕えていた使徒や寵愛していた最愛の使徒を失って、捕縛された挙句に身動きがとれぬままに何度も犯される始末。

 

「なにがあったのかは知らんけど、元気出せって」

「………………」

 

 その元凶にこのように言われてしまっては。

 かつその相手が絶対に逆らえない魔王になってしまっては。もはや怒りも湧かないというもの。

 この状況でカミーラにやる気を出せというのが無理というものである。

 

「……お前の下らぬ話に付き合うつもりは無い。いつも通り、したいならすればいい。そうでないならばとっとと帰れ」

「む……」

 

 そんなやる気ないカミーラとは、魔王になってからランスはすでに何度か手を出している。

 このアメージング城に半強制的に移住をさせた事もそうだが、絶対命令権をチラつかせれば言う事を聞かない魔人はいない。そうやってほぼランスが一方的に楽しむような形で都度致してきた。

 

「なんだ、セックスしたいのか」

「そうではない。好きにすればいいと言っているだけだ。無駄なやり取りをしたくないからな」

 

 すでにカミーラは色々と諦めているので抵抗の意思も無い。

 何をどうしても相手は魔王、絶対命令権の前で魔人が逆らえるはずがない。

 

「そうか……それなら」

 

 セックスしていいというのなら、とりあえずセックスをしておこうか。

 半ば反射的にそんな事を考えた、その時だった。

 

 

『……駄目だ!』

 

「……ぬ?」

 

 その時、ランスの頭の中に響く声が。

 

『それじゃあ駄目だ! そんなやり方じゃあ女の子は好きになってくれないよ!』

「……はっ!」

 

 その声は。聞いた事も無い声なのにやけに脳裏に馴染む懐かしの──

 

「お前は……ランスくん!?」

「……はぁ?」

 

 その時、ランスの脳内に響いたのは天の声……ではなく、画面の中にいた彼の声。

 なんとどきどき☆メモリアルの主人公「ランスくん」の声が聞こえてくるではないか。

 

『君はあのゲームをクリアしたじゃないか! 俺が幼馴染のホーネットちゃんと恋人になる為に、エンディングに辿り着く為にはどうすればいいのか、あの日々を思い出すんだ!』

「そ、そうか……そういえば、あのゲームで画面の中にいた俺は……」

 

 ランスは思い出す。最強無敵の幼馴染キャラ、ホーネットちゃんを攻略した時の事を。

 俺に惚れてみろ、抱かせろ、と言われて惚れる女などこの世にはいない。そんな方法であの幼馴染を落とした訳ではない。それではゲームオーバー一直線である。

 そうではなくひたすら自分を磨いて、何度もデートに誘って。地道に好感度を積み上げて。そうした努力の果てに幼馴染のホーネットちゃんと結ばれたのだ。

 

「しかし……自分磨きは難しい。俺様はすでに最強でパラメータはオールMAXだ。これ以上何をしたところで磨く部分なんてどこにも無い」

 

 自分以上の男なんてこの世に存在しない以上、これ以上パラメータが上がる余地はない。

 つまりパラメータが足りなくてクリアが出来ないという事は無い。問題はやはり好感度か。

 

「んじゃカミーラよ、デートしよう」

「断る」

 

 デートの誘いを断るキャラは、いる。

 特に好感度が低い内は断られやすい。当然と言えば当然だが。

 

「……おい、カミーラ」

「なんだ」

「俺様って魔王様なんだぞ。そこんところを分かってるか?」

「ならば強制命令権を使えばいい。それならば仕方ないが付き合ってやる」

「………………」

 

 お誘いを断られる事は、ある。それは経験済みだし分かっているが、されどイラつく。

 イラつく気持ちも仕方ないと言えるが……しかしランスはそれだって経験済みである。

 

「……ふふ、ふふふ、甘い甘い、甘いぞカミーラ。俺様はこれぐらいではめげんからな」

「何も言ってないが」

「ここでイラついて犯すコマンドを実行するのは悪手なのだ。何度もそれでゲームオーバーになったからな、さすがにもう学習したぞ」

「そうか」

 

 カミーラには意味が分からないが、ランスはやたらと得意げである。

 

「だったら……そうだ。なぁカミーラよ。なんか俺様にして欲しい事とかないか?」

「ない」

「いやあるだろう。あるよな?」

「ない」

 

 にべもない。取り付く島もない。好感度を稼ぐ取っ掛かりさえ与えてくれない。

 最近のカミーラは何に関してもやる気が起きない。というか元々活発的な性格ではない。

 遥か昔から自身の館に籠って寵愛する配下達を可愛がる事に耽っていたような魔人である。

 

「……なんかあるだろ。なんでもいいぞ」

「………………」

 

 愛する配下達も死んでしまった今、したい事など、して欲しい事など特にない。

 それもランスの言に乗るような形では。これまでの経験から警戒するのも当然だが──

 

「……いや」

 

 前言撤回。

 無いことも、無い。

 それも今となってはどうでもいい事と言えばそうなのだが、それでも。

 

「……そうだな」

 

 特にこのアメージング城に住処を移してから。

 やたらと目に付くものがある。癇に障る、というべきか。

 

「……一つ、戯れ程度に思い付いた事がある」

「お! なんだ、言ってみろ」

「それなら──」

 

 今更どうでもいい事、と見て見ぬふりをする事も簡単なのだが。

 しかし魔王が叶えてくれるというのなら、望み通りに叶えてもらう事にした。

 というか、そうでもしないと目の前の男が満足しそうにないので面倒くさい。

 

 

「──と、いう事だ」

「ほー……」

 

 そして、それを聞いたランスは。

 

「……え?」

「なんだ? なんでもいいぞと言っただろう」

「いやそりゃ別にいいけど……でもそれ、なんか意味あんのか?」

 

 叶える事は簡単だが、その行為の意味がよく分からず魔王は眉を顰める。

 

「意味がない事もない。強いて言えばほんの少し、溜飲が下がる」

「……え、それだけ?」

「あぁ、それだけだ」

 

 どうやらそれを行うと、カミーラはちょっとだけスッキリする、らしい。

 

「ちなみにそれ、好感度は上がるのか?」

「さぁ、どうだか」

「えー……」

「だから言っただろう。ただの戯れだと」

「そうか……まぁ別にいいけど……でもそれ、ちょっと性格悪いと思うぞ」

「私は元々こんなものだ」

「うーむ……」

 

 カミーラが言う戯れに付き合うか、ふとランスは考えてみる。

 実行するのは簡単。けれどもなんだか後で面倒な事になるような、ならないような。

 

「……でも、ちょっと面白そうだな」

「……だろう?」

 

 しかし、すぐに湧いてきた興味が勝った。

 なんでも思い通りに出来るのが魔王、ならばあえてやらない理由も無い。

 

「けれど……なぁカミーラ、それならいっその事こういうのは──」

「……ほぅ? 成る程、それは面白い」

「だろ?」

「あぁ。しかしランス、どう考えてもお前の方が性格は悪い」

 

 更には改案まで出す始末。

 魔人四天王をして唸らせる程に魔王の性格の悪さは群を抜いていた。

 

「そんじゃカミーラ、しばらく頑張ってもらうぞ」

「あぁ」

 

 するとカミーラは、久方ぶりに。

 本当に久方振りに、その顔に愉快げな微笑を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──そして、翌日。

 

「ホーネット」

「はい」

「魔人筆頭、交代する」

「……え?」

 

 瞬間ホーネットは思考が停止した。

 

 

 

 

 

 



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新たなる魔王様の新たなる日々⑧

 

 

 

 

 

 

 

 ──魔人カミーラ。

 プラチナドラゴンの魔人四天王。彼女は美しいものを好んでいる。

 特に美少年、あるいは美青年と呼ばれる者。それらを集めて自らの使徒とし従える、そして可愛がり耽ることを無聊の慰めとしていた。

 

 一方で、カミーラは美しい女性を嫌っている。

 それは単純な好悪として。プライドが高く自己中心的な性格をしている彼女にとって、自分と同等に、あるいはそれ以上に美しい同性の存在などは許容対象外なのである。

 だから自分より上の立場の存在も大嫌いだし、それが美しい女性となれば猶更なわけで。

 

 つまり、カミーラは魔人ホーネットの事を嫌っていた。

 なんせ美しい外見の魔人筆頭、カミーラからしたら好感を抱く理由が何一つ存在しない。

 ホーネットの方も傲慢なくせに怠惰なカミーラの事を好意的には捉えていなかった事もあって、この二人は元々とても折り合いが悪かった。

 

 そんな事情があって、今回の一件。

 魔王ランスから「なにかして欲しい事あるか」と言われて、カミーラは戯れ程度に思い付いた。

 

 というのも、それはここ最近の関心事の一つだったから。

 元々住んでいた城が廃墟になった事もあってこのアメージング城に引っ越してきてからすぐ、一番に目に付いたのがそれだった。

 いけ好かない相手、ホーネットの様子の変化。同じ城で生活するようになって、少し注視してみれば分かる。それぐらいに顕著だった。

 

 要するに、ホーネットには思慕の情がある。その想いの先に誰がいるのかもすぐに分かった。

 その様が実におかしく滑稽であり、しかし腹立たしくもあり、無性に癇に障ることこの上ない。

 とはいえあの戦いではそんなホーネットとランスに自分が助けられたのも事実であり、色々あって気力が激減している今のカミーラにとってはわりとどうでもいい事でもあったのだが……。

 

 しかし、好感度を稼ぎたいらしい魔王ランスがあまりにもうるさいので乗ってやる事にした。

 魔人ホーネットの変化、そこを引っ搔き回して気晴らし程度に遊んでみる事にしたのである。

 

 最初考えたのは、ホーネットの自尊心や恋心を軽く逆撫でする程度の簡単な話。

 惚れている男がホーネットではない別の誰かを褒めたり、優先したり、贔屓したり。以前までのホーネットであれば効果があるかも分からないような些細な悪戯。

 

 それでもまぁ、効果があればカミーラはほんの少しだけ溜飲が下がる、気がする。

 その程度の戯れと提案してみれば、そういう遊びが嫌いじゃないランスから提案があった。

 

「それならいっその事、魔人筆頭をあいつからカミーラに変更してみるってのはどうだ」

 

 ホーネットの一番の拠り所であろう魔人筆頭を取り上げて、カミーラにそれを与える。

 そんな提案を平然とした顔でしてくるこいつの方がどう考えても性格が悪いのでは。

 カミーラはそう思ったものの、それが魔王様の御言葉となれば是非もなし。

 

 ──という事で。

 

 

 

 

「ホーネット」

「はい」

「魔人筆頭、交代する」

「────え?」

 

 瞬間、ホーネットは思考が停止した。

 

「……え?」

「ん?」

「……あ、えっと、申し訳ありません。よく聞こえなかったみたいで……」

 

 彼女の脳機能が聞こえてきた音声情報の解析処理を拒否した、とも言う。

 

「魔王様、もう一度仰って頂いても宜しいでしょうか」

「うむ。魔人筆頭な、交代する」

「………………」

 

 どうやら先程のあれは聞き間違いとかではなかったらしい。

 

「………………」

「ホーネット?」

「……魔人、筆頭を、交代する?」

「おう」

 

 こくりと頷くランス。

 魔人筆頭を、交代する、とのこと。

 

 ──何故?

 

「……それは、何故、でしょうか」

 

 平然を装いながらも、恐る恐る問い掛けるホーネットの顔は強張っていた。

 魔人筆頭。それは全魔人を代表する一番の位置。とかく彼女にとって魔人筆頭とは、父親の代より自分に与えられた最たる役目。

 魔王の素質が無く魔王になれなかったホーネットにとって、魔王を補佐する事は自らに刻んだ使命と言えるもの。それを交代するなど。とても受け入れられるものではない。

 

「何故、か」

「はい」

「……何故かって言われると、それは……」

「……それは?」

「それは~……」

 

 特に理由は、無い。

 なのだが、とにかく交代はする。するのである。

 

「まぁ、あれだ。色々込み入った事情があるっつーかなんつーか」

「込み入った事情だけでは理解出来ません。もっと具体的に──」

「見苦しいぞ、ホーネット」

 

 とそこへ、本日の主役登場とばかりにやってきたのは。

 

「っ、カミーラ……」

「何故、などと。魔王様に対して下らない質問をするな、ホーネット」

 

 見下した視線を隠しもせず。一方で殊更に魔王様と呼ぶのを強調しながら。

 誰よりも尊大に振舞う古き尊きドラゴン、魔人カミーラの登場である。

 

「魔王様が魔人筆頭の交代を命じる理由など一つしかないだろう。一つ一つ説明されなければ分からないとでも言うつもりか?」

「……カミーラ、私は貴女ではなく魔王様に──」

「全てはお前に不足があったからだ。だから交代させられる。それだけの簡単な話だろう」

「っ、……!」

 

 突き付けられた冷たい現実に唇を噛む。

 ランスは交代と表現してはいるものの、される側からしたら解任に他ならない。であれば前任者が信を失って解任される理由など、そこに不足があったから以外にない。

 カミーラの言っている事は正しく、ホーネットには抗う言葉が出てこない。

 

「まぁほれなんだ、お前も何十年間ずっと魔人筆頭やりっぱなしってのも大変だろうから」

「……そんな──」

 

 ──そんな気遣いはいりません。私にとって貴方に仕える事ことが幸せなのです。

 彼女の瞳はそう訴えていたが、その想いが届くことはなく。

 

「で、新しい魔人筆頭なのだが」

「まさか……」

「そういう事だ、ホーネット。今日からこの私が魔人筆頭となり魔王様の補佐を行う」

 

 代わってその栄誉を受ける事になったのは彼女、魔人カミーラ。

 元よりカミーラは古参の魔人であり長く魔人四天王の座に君臨してきた重鎮と呼べる存在。魔人を代表する魔人筆頭の役目を任されるのに適任と言えば適任ではある。

 

「異論はないな?」

「……わ、たしは……魔王様、が、決められた事であれば……」

 

 ──従います。と声にならない声で呟く、元・魔人筆頭ホーネット。

 まさかの展開に脳内が混乱しっぱなし、目の前の現実が受け入れられない。

 

「お前の役目はここまでだ、ホーネット。これからは普通の魔人として振舞えよ」

 

 ふっと笑うカミーラ。

 

「…………はい」

 

 一方ホーネットは役目を終えて、というか奪われて。

 悲壮感を漂わせながら、とぼとぼと去っていく姿はなんとも物悲しい。

 

 という事で。

 本日付けでホーネットは魔人筆頭じゃなくって。

 

「滑稽だ。ああも意気消沈した表情を晒すとは……中々に見ものだと思わないか?」

「カミーラ……お前ってやっぱ性格悪いぞ」

「何を言う、これはお前が提案してきた事だろう」

 

 一方でここに魔人四天王、改め。魔人筆頭カミーラ、爆誕である。

 

 

 

 

 

 

「──えー、つーわけで。今日から魔人筆頭が交代することになった」

 

 集められた配下達、ざわざわと騒めく王座の間。

 そして、そこに響く魔王様のお言葉。

 

「新しい魔人筆頭はカミーラだ」

「そういう事だ。今日からホーネットではなく私が魔人筆頭となる」

 

 魔王と共に高座に立つのは。役職が変われば立ち位置も変わるわけで。

 魔王の横に立つ魔人カミーラ。魔王を除けば一番偉い筆頭だからこそ許される立ち位置。

 

「カミーラが……魔人筆頭に……」

「……ホーネット様、これは……」

「……魔王様の……決定ですから」

 

 一方、元々そこにいたはずのホーネットは。

 今では他の魔人達と同じように並んでいる。権勢が入れ替わった事が一目で分かる構図である。

 

「……フッ」

「くっ……」

 

 高座から見下ろす目付き、そして嘲笑。

 それも享受しなくてはならない。立場が逆転した今となっては。

 

 

 

 

 

 

「カミーラー」

 

 魔王が呼ぶ。魔人筆頭を呼ぶ。

 

「どうかしたか、魔王様」

「俺様ぼたん鍋が食いたくなった。だからシィルに作らせようと思ったのだ」

「それで?」

「けれどこの城にはぼたん肉の備蓄が無いらしい。てなわけでぼたん肉を用意しろ」

 

 魔人筆頭とは。全魔人を代表して魔王を補佐する存在である。

 その扱いは時の魔王によって様々となるのだが、専ら魔王ランスの代の魔人筆頭に求められるのは雑用となる。故にこんな無茶ぶりも日常茶飯事である。

 

「ぼたんか……確かJAPANに生息しているのだったか?」

「あぁそうだ。あの肉は中々美味でな、尾張にいたときにはよく食ったのだ」

「分かった。ならばメガラスを働かせる」

 

 カミーラはケイブリスを除けば最古参の魔人、年功序列基準で格上である。なので他の魔人達とは一線を引きがちなメガラス相手でもわりと容赦が無い。

 このように、自分が動かなくても周囲の者達をパシらせれば魔人筆頭の役目はこなせるのである。

 

「今日の夕食に間に合わせなければ罰すると言っておいた。これでぼたん肉は用意出来るだろう」

「おぉ、さすがだなぁカミーラ」

 

 で、褒める。魔人筆頭の仕事ぶりを魔王が褒める、賞賛する。

 この褒めるという行為も計画の一つ。その狙いは無論、元・魔人筆頭の矜持を逆撫でする為。

 

「すごいなぁ。すごいなぁ」

「そう褒めるな、魔王様」

「カミーラはさすがだなぁ。優秀だなぁ」

「………………」

 

 あえて前任者が見ている前で。現任者の方が優れていると示さんばかりに。

 

「………魔王様」

 

 魔王からの賞賛の言葉は魔人にとって栄誉たるもの。それを一身に受けるカミーラと、そんな光景をただ見つめるホーネット。

 というかランスはこれまでホーネットについてその美貌や容姿を褒める事こそあったものの、魔人筆頭としての働きぶりをこのように評価したことはない。当のランス自身がそこを重視していない為に評価するという発想が出てこないのである。

 そんな中でのこの光景。寂しげに瞼を落とす元・魔人筆頭の心中は如何ばかりか。

 

 

 

 

 

 

「……ふむ」

 

 魔人筆頭とは。そんじょそこらの魔人よりも一段上に立つ存在である。

 それはカミーラの前職である魔人四天王も同様ではあるのだが、やはり筆頭は違う。

 筆頭とは並び立つ存在がいない事の証明。とってもエラいのである。

 

「おい、パイアール」

「うわ、カミーラ……なに?」

 

 とってもエラい。だから本来的には同等の立場である魔人相手にも尊大に振舞う事が許される。

 とかくカミーラは元からそうだったと言えばそうなのだが、それでも権力が強化された分その傾向は更に強まる。

 

「パイアール。お前はこのアメージング城建設計画の現場責任者に任命されているらしいな」

「まぁ、そうだけど」

「ならば現在の進捗はどうなっているか報告しろ」

「報告って言われても……工事は順調に進んでいるけど。魔王様の生活環境一帯を整える事を最優先に、以前にバスワルドとかいうのが暴れたせいで崩壊した箇所の修復工事と並行して──」

「遅い」

「えっ」

 

 故にこのような強権、あるいは無茶ぶりだって許される。

 

「魔王様の描いた設計図の100分の一も進んでいない。遅いぞ、遅すぎる」

「あのさぁカミーラ、あの設計図をちゃんと見た? あんなデタラメな設計図をそのまま再現しようと思ったら軽く数百年は──」

「言い訳に興味は無い。もっと工期を短縮して、とっとと翔竜山の最上層開発に乗り出せ。そしてあの目障りなドラゴン共を一匹残らず駆逐しろ。パイアール」

「えぇ……ちょっと待ってよ、僕には保存してある小川健太郎の脳内データを解析して『どき☆メモ2』を完成させるっていう崇高な使命が……」

 

 比較的穏健派だった前任者と違って、新任者は強硬派なのである。

 そして、更には。

 

 

 

 

 

 

「は、はわわわ……か、かか、カミーラさんが、魔人筆頭に……」

「……ん?」

「ひッ!?」

 

 目が合った。合ってしまった。

 物陰からこっそりと様子を伺っていた魔人ケイブリスと、魔人筆頭カミーラの視線が。

 

「………………」

「……こ、こんにちは……」

「………………」

「……え、えへへ……」

 

 平身低頭、卑屈な笑み。ぺこぺこと遜るリス。

 

「………………」

「あ……う……」

 

 しかし、対するカミーラの目は氷点下のように冷たい。

 恐ろしいドラゴンに睨まれたリスは恐怖のあまり動くことが出来ない。

 

「ケイブリス。そう言えば……貴様には色々と借りがあったな」

「え」

「いつからか、次第に増長し始めた貴様は私にとって長年ずっと頭痛の種だった」

「あ、あぅ……」

 

 カミーラにとって、最初は歯牙にも掛けない矮小なリスでしかなかった。

 長い年月が過ぎゆく中、その力関係が逆転したのはいつ頃だったか。

 

「そしてつい先日も……忘れたとは言わせない」

「……あ……あ……!」

 

 思い返せばあの派閥戦争の決戦時、ケイブリスとカミーラの間では衝突があった。

 当時は魔人四天王同士、しかしその時には最強最古たる強さを有していたケイブリス側の力が遥かに上回り、抵抗空しくカミーラは敗れ、圧倒的暴力による暴行を受けた。

 その後すぐランス達が現れて、最終決戦にてケイブリスは討伐された。なのでそこで一度死んだケイブリス的にはあの一件はなんかもう終わった事みたいな感じになっていたのだが── 

 

「……ところで、魔王様。そこに目障りなリスがいるが、あれを生かしておく意味はあるのか?」

「ひぃ!?」

「生かしておく意味は特にないけど。気に障るのなら煮るなり焼くなり好きにしていいぞ」

「ほぉ……」

「ひぃーーーー!?」

 

 小さなリスは星になった。

 

 

 

 

 とこんな感じで、新任魔人筆頭による強権にものを言わせた圧政はしばし続いて。

 カミーラが魔人筆頭職に就いてから、およそ一週間が経過した頃。

 

 

 

 

「ふんふんふふーん、っと……」

 

 今日も魔王ランスが気ままに城内を散歩していると。

 

「おぉ、ケイコちゃん」

「……おやおや」

 

 そこでばったり出くわしたのは使徒ケイコ。

 何の気なしに挨拶を交わして、そこで気付く。

 

「……じー」

「ん?」

「じとー……」

「……どした?」 

 

 見るからにしかめっつら、突き刺さるぶすーっとした目付きにランスは首を傾げる。

 

「じっとー……」

 

 どうした事だろうか。使徒ケイコの視線が随分と剣呑なものになっているではないか。

 

「……あぁそうだ。魔王様、最近ホーネット様にお会いしましたか?」

「む? そういえば……最近ホーネットの姿を見てない気がするな」

「でしょうね」

 

 今のホーネットは魔人筆頭ではない。魔人筆頭として接する事が無くなった分、自然とランスと顔を合わせる頻度は減る。

 するとどうなるか。一例としてこういう事も起きるのである。

 

「……あぁ! なんということでしょう! 魔王様の背後にそれはもう美しい裸の美女が!?」

「なにぃ!?」

 

 反射的にランスは背後を向いた。

 

「いてっ」

 

 しかしどこにも裸の美女の姿は無く。

 その代わりは言ってはなんだが、何故か分からないがふくらはぎ付近に鈍い衝撃が。

 

「あれ?」

「どうしました?」

「ケイコちゃん、きみ今俺様の足を蹴らなかったか?」

「まさかまさか。この私めが魔王様にケリを入れるだなんてそんな、とてもとても」

「……そうか?」

 

 どうも位置的にケイコの立ち位置からローキックを食らったようにしか思えないのだが。

 

「ところで魔王様、あのお戯れは一体いつまで続けるおつもりなのでしょうか」

「お戯れ?」

「魔人筆頭交代の件です。まさかこの先ずっと続けるなどと仰いませんよね?」

「あぁ、それか」

 

 今更ながらにランスは気付く。どうやら先程からの険しい目付きはその事を訴えていたらしい。

 とっとと魔人筆頭をホーネットに戻せ、という副音声まで聞こえるようである。

 

「御身が大事にすべきものを間違えてはならないと申し上げたではありませんか。それなのにあんなにも真摯にお仕えしていたホーネット様を魔人筆頭から解任するなど……全く。まったくもうですよ」

「けどな、カミーラだってあれで一応魔人筆頭として頑張ってるっちゃ頑張ってるし……」

「ホーネット様だって頑張ってますー! というかですね、魔人筆頭を取り上げられてしょんぼりしちゃってるホーネット様のお世話をするこっちの身にもなってくださいな」

 

 魔王を支える魔人筆頭のように、筆頭使徒にもその役目がある。

 ここ数日、気落ちしたホーネットの姿を一番間近で見てきたのは使徒ケイコである。

 

「いいですか、魔王様。ホーネット様という御方はですね、自らのお気持ちだけを理由に行動を起こせるような御方ではないのです」

 

 好きだから、一緒にいたい。そばにいたい。そう思えども。

 それを理由にして自ら行動する事は出来ない。これまでの人生でホーネットは自らの使命や役目というものを行動理由にする生き方が身に沁みついている、生き方はそう簡単に変えられないのである。

 

「ですから、特別な理由もなく魔王様のお側にいてもいい魔人筆頭という役目は今のホーネット様にとって天職そのものなのです。お分かりですか? お分かりですね?」

「お、おう」

「そんな素晴らしき天職をです、当の魔王様から取り上げられた日には……」

「日には?」

「しょんぼりです。そうなったらもうしょんぼりするしかありません」

 

 魔人筆頭解任を含めてここ数日、ホーネットにとっては気落ちするような出来事が重なった。

 それが狙いだったのだから当然と言えば当然なのだが、狙い通りに効果はあった。その結果こうしてケイコも文句を言いに来たのである。

 

「天職を奪われて、日々やる事も無く、日がなバルコニーで遠くを見ながらぼーっとしたり、そうかと思えばベッドの上で丸まっちゃったりしているホーネット様のしょんぼりさ加減がお分かりですか?」

「あいつ……今そんなことになってるのか……」

「そうですよ。あぁ……おいたわしや、しょんぼりホーネット様……」

 

 思い出す事さえ辛いのか、涙を流さんばかりにさめざめと語るケイコ。

 どうやら魔人筆頭を解任されたホーネットは本気でしょんぼりしているらしい。

 

 

 

 

 

「……と、いう事らしくて」

「ほう、そうか」

 

 そんな話をケイコから聞いたランスは、魔人筆頭カミーラを呼び出した。

 

「どうする? お前がもうちょっと続けたいってんなら継続しても──」

「いや、もういい」

 

 するとカミーラからは即決で答えが返ってきた。

 

「なんだ、もういいのか?」

「あぁ。最初に言っただろう、ほんの戯れの退屈しのぎだと」

「そりゃ言ってたけど……」

「魔人筆頭の立場というものは十分に堪能した。だからもういい」

 

 ここ数日、ホーネットの途方に暮れた顔を何度も拝めたカミーラはおおよそ満足した。

 そもそもの話、最初からカミーラは本気で魔人筆頭になるつもりなど欠片もない。

 理由は言うまでもなく、そんな馬鹿らしい事は絶対にお断りだからである。

 

「魔人筆頭としてお前に仕えることにも飽きた。正直言って私の想像以上に面倒だった」

 

 魔人筆頭とは。全魔人の一番に立つ栄誉な地位ではあるものの、その職務内容は時の魔王の動向如何に左右される事が多く、一般魔人のように魔王の目を離れて好き勝手出来るような立場ではない。

 特に現魔王たるランスはこちらの都合の一切気にせずに自分の都合だけで行動し、あれこれどうでもいい事まで命令してくる事が多く、主君として仰ぐ対象としてはかなりめんどくさい部類に入る。

 これに仕えるホーネットは根気があるのだなとカミーラは感心してしまった程である。

 

「魔人筆頭とは名ばかりの雑用役のようなものだ。これに拘るホーネットの気がしれん」

「ふーむ……」

 

 ──魔人筆頭とは。

 実力だけではなく、魔王に対する忠誠心が高い者でないと到底務まらない役目なのである。

 

 

 

 

 

 

 そして──その後。

 

「という事で」

「……はい」

「ホーネットよ。色々あったけどやっぱり魔人筆頭はお前に戻す事にした」

 

 元・人筆頭の部屋を訪れて、早々。

 魔王による職務復帰命令が下された。

 

「……戻す、ですか」

「そうだ。戻す」

「……そうですか」

 

 という事で。

 魔人筆頭ホーネット、めでたくここに現職復帰である。

 

「………………」

 

 ──が、その視線はちょっと冷めているような。

 あるいは投げやりになっているような。彼女らしからぬ目をしている。

 

「ぬ?」

「……なにか」

「いや、なんか……思ってた反応と違うっつーか……」

「そうですか」

 

 もっと喜んだり、歓喜の涙を流したりするかと思っていたランスだったが。

 実際のホーネットはこの反応。想像よりも遥かにテンションが低めである。

 

「魔人筆頭に戻れたんだぞ、もっと喜べ」

「はい。嬉しいです」

「……あんま嬉しそうじゃないな」

「いえ、嬉しいのは本当です。身に余る光栄だと感じています」

「………………」

「私などが魔人筆頭になるだなんて、恐れ多く感じてしまいます」

 

 言葉とは裏腹にその表情に変化が無い。

 あまりにも淡泊なこの反応。ランスでなくとも察せられるというものである。

 

「しょんぼりしていると聞いていたが……さてはお前、拗ねているな?」

「……べつに」

「うわ、すげー低い声」

 

 それはとても低い声だった。

 

「べつに……拗ねてなどいません」

 

 明らかに棒読みだった。

 

「誰を魔人筆頭に任命するのか、それは魔王様の御心次第ですから」

「うむ」

「その選任に一魔人たる私如きが口を挟む事などあり得ません。えぇ、あり得ませんとも」

「うむ……」

「私なんて所詮はただの魔人に過ぎないのですから。この数日でそれを重々思い知りました」

「…………うむ」

 

 一見すると身の程の弁えた台詞、しかし随分と棘のある口調だった。

 どうやらホーネットは解任中に気落ちしてしょんぼりして、ずっとしょんぼりしていた結果しょんぼりさ加減が底を割って、今では不貞腐れ思考にまでシフトしていたらしい。

 

「私のようなただの魔人に魔人筆頭が務まるのか些か不安です。カミーラのように古くから魔人四天王として君臨してきた者の方が適任なのではないですか?」

「い、いや、そんな事は無いぞ。カミーラはやる気が全然無いから長続きしなかった」

「そうですか」

「うむ。今回の一件で分かったがお前の忠誠心は本物だ。ホーネット、お前は凄い!」

「そうですか。もっと早く知って欲しかったですね」

 

 ホーネットとしては、魔人筆頭という役目はとても重いものだと捉えている。故にポンと軽く変更させられた事がとてもショックだった。

 しかしランスは人間世界出身の為魔物界のルールに疎く、魔人筆頭も肩書の一つのようにしか捉えていない。そこに温度差があるのは仕方無い事かもしれない。

 

「……ところで、ランス」

「ん?」

「結局……今回の魔人筆頭の変更についてはどのような意図があったのですか?」

「特に深い意図なんてないけど。ただカミーラとつるんでお前をからかってみただけだ」

「………………」

「な、なんだその顔は」

 

 ホーネットの好感度が10下がった。

 ……と、そんなシステムメッセージが表示された。ような気がした。

 

「一応言っておくけどな、先に言い出したのは俺様じゃないぞ」

「………………」

「真っ先に言い出したのはカミーラだ。この事件の犯人はカミーラなんだ」

「………………」

 

 魔人カミーラとは前々から折り合いが悪かった。それはホーネットも分かっていた。

 しかし派閥戦争が終了して派閥間の対立が消滅したことで敵対関係では無くなっていたし、その前後においてカミーラの性格も大きく変化した。要するに大人しくなっていた。

 故に問題無いだろうと、この期に及んでなにか問題を起こす事も無いだろうと楽観視していたのだが……どうやら向こうは自分に一泡吹かせる機会を伺っていたらしい。

 

「……まぁ、いいです。どうやら本当にからかい程度の意図しかなかったようですし」

「そうそう。遊びだ遊び」

「ですが、短期間にこう何度も魔人筆頭を交代すれば城内の魔物達も混乱するでしょう。貴方は魔王なのですから周囲への影響力も考慮した上で──」

「分かった分かった。次から考える」

 

 苦言を呈するのも忠誠心故。魔人筆頭は魔王に対して忠実なのである。

 ともあれこうして、女の戦いのような魔人筆頭交代騒動は一件落着となった。

 

 

「……あれ?」

「なんですか?」

「いや……思い返してみると、そもそも俺様って何がしたかったんだっけ?」

「知りませんっ」

 

 ホーネットをからかって遊ぶ事に意識を割くあまり。

 カミーラを口説き落とそうとしていた事をすっかり忘れていたランスであった。

 

 

 

 

 



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超・挑戦モード④

 

 

 

 

 

 とある日──

 

「……うーむ」

 

 と眉を顰める魔王ランス。

 その日、彼はアメージング城中層に設けられた空中庭園にいた。

 

「ぬぅ……なーんも用事はねーのに、なんとなくここに来なきゃいけないような気がしたぞ」

 

 昼食後、ふらふらと場内を散歩していたらいつの間にかここに辿り着いていた。

 故になんとなくここに来た。というか、来なければいけないような気がした。

 

「……あやしい。よく分からんけど、なーんかあやしい」

 

 冒頭から説明口調なところとか。誰がいる訳でも無いのに言い訳のような独り言をするところとか。

 その様子からはどこか作為的なものを、あるいは何かしらの意思を感じてしまう。その違和感には当のランス自身も気付いていた。

 

「……ん?」

 

 すると──

 

「あれは……」

 

 ふと見上げた頭上、遠い遠い彼方の星が、ピカピカッと。

 まるで悪しき予兆のように、まだ昼間の空が何度も瞬いたような気がして。

 

 

 そして──光が。

 

 

「なんか、前にもこんな事あったような……」

 

 光が──迫り来る。 

 なんだか見覚えあるなぁやだなぁと訝しむ魔王、その視界の中で急速に存在感を増していく。

 ぴゅ~~、という甲高い効果音と共に、輝く極星が一直線に落下してきて。

 

 そして……どかーんっっ!! と着陸。

 

 

「やっほー!!」

 

 そうして聞こえた明るく元気なその声は。

 皆が待ちに待っていた、大いなる存在の威厳たっぷりなキングの声。

 

「帰ってきた! ハニーキングが!! 戻ってきたよー!!」

 

 そこにいたのは真っ白ツヤツヤな陶器。ハニー種を統べる王、素晴らしきハニーキング。

 いつ見てもキングはカッコいい。いつ見てもキングは美しくて誇らしい。

 

「待たせたねみんな!! 約束通りに私が帰ってきたよーー!!」

 

 という事で、以前の宣言通りにハニーキングが戻ってきた。

 

「しっかり7話分進んだからね!! ここからまた私の出番ってわけさ!」

「そーかい」

「おや冷たい。せっかく私が戻ってきたってのに。もっと歓迎してくれていいんだよ」

「歓迎なんぞするか。お前の事を待っていたヤツなどおらんわ」

「えー」

 

 何かと思えばコイツかよ、とランスは相変わらずの塩対応。

 幾度とその姿を見ても、艶のある白い陶器には毛ほども興味が湧かないようである。

 

「でもでもでもー、みんなは私の戻りを待ってたよねー? ねー!」

「みんなって誰だ」

「みんなはみんなさ。ねーみんなー、そうだよねー!」

「おい、お前は誰に話しかけとるんだ」

「ふふふ、私には見えるのさ。遠い彼方で私の戻りを待っていてくれた者達が……!」

「なんだそりゃ……」

 

 ハニーキングは明後日の方向に振り向いてブンブンとにこやかにその手を振っている。

 その空洞の瞳には何が見えているのか、一体誰に向けて愛想を振りまいているのか。それは遥か高次元の存在であるキングにしか分からない領域の話なのである。

 

「で」

「うん?」

 

 とはいえこれでは埒が明かない。ランスはとっとと話を進める事にした。

 

「白ハニワ、お前がここに戻ってきたって事は要するに……あれだろ?」

「その通り! あれだよ!」

 

 本日のメインイベント、勿論あれである。

 

「ということで……超・挑戦モード、再開といこうか!!」

 

 ドンドンぱふぱふー! と軽快なクラクションBGMが鳴り響く。

 それはハニーキングにのみ可能なスペシャルイベント。先日唐突に挑戦させられてまた唐突に中断させられていた超・挑戦モード、その再開の鐘が鳴らされたようだ。

 

「めんどくさ」

「はいそれ禁止ー! これは強制イベントだからね、めんどくさくても挑戦してもらうよ!!」

「勝手に決めるな」

「残念ながら私が決めなくてもそうなるのさ。強制イベントの強制力は絶対なんだねぇうんうん」

 

 そのイベントをクリアしない限り、その先の話が続かない。

 そういう意味でこの超・挑戦モードへの挑戦は必須となる。……とのことらしい。

 

「再開の前にざっとルールのおさらいをしようか。この超・挑戦モードとは、私が用意した超スゴい挑戦ステージに挑んで、その先に待ち受ける超スペシャルなボスを倒すのが目的だ」

「知っとる」

「チャレンジャーはランスくんただ一人だけ。でも一人ぼっちはなんか可哀想だからランダム選出でお助けキャラを一名用意してあげるからね。二人で力を合わせてボスを倒せばステージクリアだ」

「だから知っとるっての。たしか次は第三ステージだったよな」

 

 知っている人は知っている、それがこの挑戦モード。

 待ち受ける全六ステージの内、以前の挑戦で第一ステージ、第二ステージを攻略した。よって再開は第三ステージからとなる。

 

「次はどんなボスが待ち受けているかな? 果たしてランス君の運命はいかに……!」

「どうせ前の二つと似たようなもんだろ? 何が出てきたって問題ないわ」

「おおー、強気だねー、いいねー! それじゃあ早速挑戦スタート! の前に、次のステージボスを選ぶくじ引きといこうか! くじ箱カモーン!!」

 

 カモーン!! の掛け声を合図にして、

 その手元にポンっ! とくじ引き箱が出現。

 

「さぁさぁドキドキターイム! ランス君が次に挑むステージは…………こーれだーっ!」

 

 箱の中に手を突っ込んでかき混ぜて。

 そして、ハニーキングが一枚のクジを掴んだ。

 

 

「……む、むむむっ!」

 

 クジに書かれていたのは──『1』

 

 

「うわわー!! で、でたー!! 1が、1がでたー!!」

 

 カランカランカラーンっ! 

 と何処からともなく取り出したハンドベルをめちゃくちゃに鳴らして騒ぐハニーキング。

 

「どうしようどうしよう! きゃーきゃー!」

「なんだなんだ、急にテンション上げやがって」

「だって1が出たんだよ! まさかの大当たりくじがここで登場だー!!」

 

 3つ目のチャレンジにしてその数字が出現した。

 ハニーキングでもこれ程テンションを上げる理由がある──それが『1』のクジ。

 

「1が当たりなのか?」

「あったり前じゃん! だって1だもん! 一番すごそうでしょ!?」

「そりゃまぁ分からんでもないが」

「1がここで出てくるとはねー! こりゃ運命のいたずらってやつだねー!」

「くじ引きに運命もクソもあるか」

 

 その先に待ち受ける相手を知らないランスは平然とした顔。

 あくまでこの超・挑戦モードの対戦相手はランダム抽選形式、……という名目。なので6の次に7が来て、その次に当たりの1が来る事もあり得る。……という建前がある。

 ともあれ引いてしまったクジは変えられない。次の相手は『1』なのである。

 

「ふふふのふ。ランスくん、心の準備はいいかい?」

「いいからとっとと進めろっての」

「いやいやぁ、さすがにこのステージに関しては正直言ってリタイヤ推奨かもねー。なんせ今までの2つとはちょっとレベルが違うからねー!」

「リタイヤなどするか。誰が相手だろうが関係ない、俺様は最強だからな」

「その威勢がどこまで続くか、見せてもらおうじゃないの。という事で……よっこいせー!」

 

 ハニーキングは頭上に掲げた左手を大きく下に振り下ろした。

 するとぐにょーんと空間が歪んで、人一人通れる大きさの円形のワープゲートが出現。

 

「さぁ! このゲートをくぐったら挑戦開始だ! もう後戻りは出来ないよ!」

「ほんじゃちゃっちゃと終わらせてくるか」

「うぅうう……! 辛いけど、悲しいけど、でも笑って送り出すよ! いってらっしゃーい!」

「おう」

「絶対に、ぜったいに生きて帰ってくるんだよぉー!! よよよよよ……っ!」

「なに泣いてんだお前」

 

 こうして、ランスは足を踏み入れた。

 『1』が待つ、そのステージへと。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「……で、到着した訳なのだが」

 

 ワープホールを通過して、辿り着いた超・挑戦モード第3ステージ。

 すでに三度目の事だけあって、見知らぬ世界に降り立ったランスも慣れたものである。

 

「……うーむ」

 

 辿り着いたそこは──雄大な大自然の中。

 そのように表現するに相応しい、というかそう表現するしかないような場所。

 

「……うむ。こりゃステージ2と同じで、今いる場所が何処なのかさっぱり分からん」

 

 四方八方、見晴らす限り人気のない自然の景色。広がる視界の先には山々や生い茂る木々達。

 その光景から現在地点を割り出すのは困難極まる。第2ステージ同様、ボスを探し出す云々の前に状況の把握から始める必要がありそうだ。

 

「こうなると目の前に魔王城があった第1ステージって簡単な方だったんだな……」

 

 分かりやすい目的地の影なども無く、見知らぬ世界にただ一人、何も分からない状況。

 ハニーキングに言わせれば「それも含めてのチャレンジだよー」という事になるだろうが、右も左も分からない状況で目的のボスを探し出すのは結構な手間である。

 

「あれだなぁ、今回もリトルプリンセスみたいな犯し甲斐のあるボスだといいなぁ」

 

 それでも第2ステージの場合、感知能力のある魔剣カオスのおかげでなんとかなったが──

 

「ってそうだ。今回のお助けキャラは……」

 

 思い出したように呟いてランスは周囲を見渡す。

 するとそのタイミングで、すぐそばの空間がぽっかり丸く切り取られて。

 

「お」

 

 ぐにょーんとワープゲートが出現。

 その中から姿を現したのは──

 

「……ん?」

 

 ちょこんと、一匹。

 

「は?」

 

 それは、白い毛玉。

 もじゃもじゃの丸い物体。それに手と足と角をはやしただけのような。

 とてもシンプルなデザイン。子供でも描けそうなぐらいに簡単な姿。

 

「え」

 

 それには目が合ったランスも。

 そして選ばれた当人もびっくり。

 

「り…………リスだとぉ!?」

「え?」

 

 そこにいたのは、リス。

 最強最古の──もとい、今では最弱最古と称するに差し支えない一匹。

 

「え、なんだこれ、どういう状況?」

 

 どうやら事情を説明されていないのか、訳も分からず呆然としているリス。

 という事で、今回のお助けキャラは魔人ケイブリスのようだ。

 

「あっ……あんのクソハニワめー!! お助けキャラの意味を分かってんのかーー!!!」

 

 第2ステージ同様、魔王の怒りが天を衝いた。

 かわいい女の子をオーダーしていたはずなのに、やってきたのはリス。よりにもよってケイブリス。

 その存在自体に価値が無いし、お助けキャラとしても全く使える気がしない。使えない度は魔剣カオスを優に超えている。ふざけている。

 

「……え、ここ、どこだ?」

「おいリス、いますぐ返品だ。リコールだ。クーリングオフだ」

「は、え、なんのこと? 本当にこれ、どういう状況なんだ」

「………………」

 

 自分の置かれた状況が理解出来ずにきょろきょろと辺りを見渡すケイブリス。

 ランスは蹴飛ばしたくなる気持ちをぐっと押さえて、現状をざっと説明してやった。

 

「はぁ、超・挑戦モードね……」

「……おう」

「で、それになんで俺が呼ばれたんだ?」

「知るか!! そんなもんこっちが聞きたいわー!!」

「ぐ……っ、そ、そんなキレんなよ……」

 

 魔王怒りのオーラを真っ向から浴びたケイブリスは反射的に身体を竦める。

 理不尽な怒りをその身に受けるケイブリスは巻き込まれただけ。完全にとばっちりなのだが、そんな訴えが通るような相手でもなければ状況でもない。

 

「つーか最初はホーネットだったのに……なんか第一ステージから比べてどんどんお助けキャラの質が下がってる……」

「はぁ……」

「このままじゃ次はヤンキーとかうっぴーとかになっちまうんじゃ……」

「はぁ……」

「はぁ、じゃない。お前にも責任の一端があるんだぞ」

「んな事言われたって、俺にはなにがなんだかよく分からねーし……」

「チッ……まぁいい」

 

 悪化する一途を辿るお助けキャラの抽選も不安だが、目を向けるべきはこのステージ。

 いずれ文句は白い陶器にぶつけるとして、ランスは強引に思考を切り替えて進みだした。

 

「とにかくボスだ。このままじゃ埒が明かねーし、とっととボスを探してやっつけるぞ」

「お、おぉ。そのボスを倒せば元の場所に戻れるってことだよな」

「そういう事だ。……しっかし、本当になんもねー場所だなここは……」

 

 肌に当たる風が涼しい。なんとなく元の世界よりも空気が澄んでいるような気がする。

 魔物界の異様な植物は見当たらないので、人間世界の何処かだろうとは見当が付く。

 

「ヘルマンだったらもっと寒くて雪がチラつくだろうし……ゼスか、リーザスか自由都市か……」

「見た感じ魔物界じゃ無さそうだけど……つーか、ここが人間世界だってんなら俺には地理がほとんど分かんねーんだけど」

「安心しろ、最初からお前には何一つ期待しとらん。とりあえず道の一つでも見つかればその内に人気のある場所に辿り着くはずだ」

 

 何処かの町や村、それが無くとも民家の一つでもあればいい。

 そこで誰かに話を聞けば進むべき道は見えてくるはず。冒険の基本は情報収集から。

 

 ……などと、気楽に考えているランスはまだ知らない。

 ──今この世界には、人工の建造物などはまだ一つも存在していない事を。

 

「あ、そうだ」

 

 その時、ふと直感が働いた。

 

「もしかしたらこのステージのボスも魔王かもな」

「ま、魔王? 魔王だと?」

「あぁ。第一ステージも第二ステージもボスは魔王だった。どうせあの白ハニワのやることなんてワンパターンに決まってる」

「お、おいおい……それじゃ魔王と戦うって事かよ。……でも、まぁ、考えてみりゃそうか、魔王の相手が出来るのなんて魔王ぐらいなもんだよな……」

 

 スケールの大きさに驚きつつも一方で納得顔のケイブリス。

 魔王の相手は魔王。そのあり得なさに目を瞑れば、確かに分かりやすいと言えば分かりやすい。

 

「え、でもよ。ここのボスが魔王だったとして、それならこの俺がなんの戦力になるってんだ?」

「だからそう言ってんだろーが」

「……ていうか、俺、正直今じゃそこらの魔物兵相手でも勝てる自信無いんだけど」

「お前そんなんでよく魔人やってられるな」

「ぐっ……」

 

 俺が弱くなっちまったのはお前のせいじゃねーか、とは言えないケイブリス。

 派閥戦争で敗れて、一度魔血魂状態に戻った結果鍛え上げた強さを失った。敗れたのは自分が弱かったからなので文句は言えない。

 そして一度戦い勝敗が決したからか、双方共に後腐れのようなものは無い。ついでに魔王様に対する敬意や忠誠とかも無くなっているような気もするが、それはそれである。

 

「……はー、しっかし、魔王ねぇ……」

 

 そんなケイブリスは、ふと考える。

 

「………………」

 

 ──魔王。

 その単語を耳にして、ケイブリスの脳裏に自然と思い浮かぶのはただ一人。

 それはすぐ隣にいるランスではない。遠い遠い記憶の奥底に眠る偉大な姿。

 

「……魔王」

 

 ふと見てみれば、目の先に広がるのは雄大な自然の世界。

 懐かしい、とまでは思わない。そこまで察するものがあったわけではないのだが、しかし妙に肌に馴染む感覚があるのもまた事実。

 

「………………」

 

 そしてもう一つ気になる事。それはお助けキャラとして自分がここに呼ばれた意味。

 ランダム選出らしいが何の理由もなく自分がお助けキャラに選ばれるだろうか。いいやそれはない。

 自分が選ばれた以上は何かしらの理由がある、なにかしらの意味があって自分が選ばれたのだと、臆病で用心深いリスはそう考える。

 

「………………」

 

 その上で改めて、考える。

 ここのボスは──魔王、らしい。

 

「……ははっ! まっさかなぁ!」

 

 その時、頭の中に降って湧いた予感をケイブリスは殊更明るい声で笑い飛ばした。

 

 ──さすがにそれだけはあり得ない。

 だってあれは。あれがボスだなんて、そんなの。

 もしあれがボスだったら、そんなのどう足掻いたって勝ち目が無さ過ぎる。

 

「案外ボスって魔王じゃないかもしれねぇしな。それこそ今の俺でも勝てるような相手かも!」

「今のお前でも勝てる相手? それってどれぐらいのレベルなんだ?」

「そりゃ……イカマンとか」

「お前もう潔く魔人辞めた方がいいぞ」

 

 イカマンは冗談だとしてもさすがにあれではないだろう。

 そんな楽観的な思考を浮かべたケイブリスだったが──しかし、悪い予感ほど当たるもの。

 特にその性根がとても臆病なリスにとってはそういう予感ほどよく当たる。楽観的な思考などなんら無価値なものだと、臆病なリスは心の底で深く理解していた。

 

「にしても……町はおろか民家の一つも見えてこない。さてはここ、相当な辺境のド田舎だな」

「……まぁ、そうかもな」

「こんな場所に魔王なんかいるのか? 魔王ってのは普通デカくて立派な城とかに住むもんだろうに、どこにもそんなもん見えねーぞ」

「城か……確かに歴代魔王の殆どは自分の城を建てたな。居城を持たなかったのはそれこそ──」

 

 と、その時──

 

「……ん?」

 

 はたとケイブリスは立ち止まる。

 

 急に、辺りが暗くなった。

 先程まで出ていた日の光がなくなった。どうやら雲の影に遮られたか。

 たったそれだけの変化、現にランスは気にも留めていない。

 

「………………」

 

 しかし、ケイブリスは。その身に奇妙な寒気が走った。

 それは臆病が故の生存本能のようなものか、あるいは魔人であるが故の血のざわめきか。

 そうでないように。と心の何処かで祈りながら、暗くなった空を見上げる。

 

 するとそこには──

 

 

「────は」

 

 そこには。

 その空には、あまりにも異様な物体が。

 

「は、はわわわわ……!」

 

 それは。その存在が、そこにいた。

 それがケイブリスには理解出来た、どうしようもなく理解出来てしまった。

 

「……ら、らんす」

「あん?」

 

 思わず、その名を呼ぶ。

 

「い、いた」

「は?」

「そ、そらだ」

「空?」

「そ、そうだ。そら、空を見てみろ」

 

 空がなんだってんだ、と眉を顰めながらもランスは視界を上空へと向ける。

 

「……あーん?」

 

 すると。そこには。

 逆光となって暗く映る、なにかのシルエットがあった。

 

「なんだあれ? 入道雲……にしては不気味な色をしているが」

 

 日の光を遮る程に分厚い入道雲。

 そうと錯覚する程にそれは大きい。空を浮かんでいるにはあまりにも不自然。

 

「あ、もしかして闘神都市か? だったらあそこにボスがいるかも──」

「ち、ちがう。入道雲でも闘神都市でもない、あれは──」

「ん? なんかあれ……動いてる?」

「……あぁ、そうだ。あれは生き物だ、とても信じらんねぇだろうが……」

 

 それは生物──つまり生きている。この時代にそれが生きているという事。

 その姿を見て、今再び相まみえて、その身に走った衝撃は恐怖なのか、それとも違う何かなのか。ケイブリスにはよく分からない。

 

「生きているって……んじゃモンスターか? こんにちわの親戚か? いやでも、あのサイズだと生き物にしてはちょっとデカすぎじゃ……」 

 

 軟体の身体の至る所から触手の生えた姿のそれは──

 

「……あれだ」

「なにが?」

「だから、あれだ。……あれが、あいつがこのステージのボスなんだよ……」

「は?」

 

 この時代を象徴するもの。空に浮かぶあまりにも巨大な生物──それが。

 六千年前から、そして今も。ケイブリスが畏怖し、憧れた唯一の存在。

 

「あれが──魔王ククルククルなんだよ!!」

 

 第三ステージのボス。初代魔王ククルククル。

 

 

 

 



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VS 魔王ククルククル

 

 

 

 

 

 

 ケイブリスが叫ぶ。

 

「あれが──魔王ククルククルなんだよ!!」

 

 初代魔王──ククルククル。

 丸いもの出身の魔王。初代にして最強の魔王と謡われている存在。

 

「あれが……魔王?」

 

 耳を疑う言葉に呆然と空を見上げる魔王ランス、その視界の先。

 その姿は一見すると空を悠然と漂う巨大な雲、のように錯覚してしまっても無理はない程。

 

「いや、嘘だろ」

「嘘じゃねぇよ! あれが魔王ククルククルなんだ!」

「いやだが……遠目にはへんてこな形をしたタコかナメクジのようにしか見えんぞ」

 

 軟体生物のような胴体、そこから生える無数の触手。

 その不気味な姿形はランスが想像していた魔王の姿とは大きく異なるもの。

 

「それに……あれってちょっとデカい……いや、デカすぎないか? だってあれ……」

 

 ランスはじーっと目を凝らして。

 

「……ううむ、やっぱ見た感じ結構遠くの方に……んん? いや、意外と近い、のか? でもそれだとなんかもうデカいっつか、あれは山みたいな大きさなんじゃ……」

 

 更にじーっと目を凝らして、それでも見えたものを正しく認識出来ずに目を擦る。

 初代魔王の一番特徴的なのがその大きさ。全長は4.7kmというとんでもない巨体を誇る。

 言うなれば翔竜山の標高の半分程となる立派な山脈が空に浮かんでいるようなもの。じっと見て尚距離感がおかしくなってしまうのも無理はない。

 

「へんてこなタコだろうがナメクジだろうが、とんでもなくデカかろうがなんだろうがあれが魔王だ! 正真正銘の魔王ククルククルだ!」

「……マジか」

「マジだ! んでついでに言えばこの俺を作った張本人だ!」

「へー……」

 

 そういえば、とランスは思い出す。

 派閥戦争の最終決戦の折、あの時にケイブリスが魔王ククルククルについて話していた。

 曰く、大昔にいた最強の魔王だとか。どうやら空に浮かんでいるあれがそれらしい。

 

「……まぁ、考えてみりゃ全ての魔王が人間っぽい姿をしている訳でもねーか。なんせ魔物の王で魔王なんだしな。にしてもちょっとデカ過ぎるような気はするが……」

「理解したか。けどまさかククルククルが現れるだなんて……」

「……いやでもそれにしたってデカ過ぎるような……」

「もう受け入れろよ! そういうもんなんだからしょうがねーだろ! あいつはデカい魔王なんだよ!!」

「ぬぅ……んじゃなにか、今回のステージはあいつをやっつけろって事か?」

 

 誇張抜きに山のような圧倒的な存在感。さすがにあんなデカい生物を倒すというのは骨が折れる作業になるのではなかろうか。

 嫌だなぁ面倒くさいなぁと思いながらランスが尋ねると、ケイブリスは大げさなぐらいに首(というか全身)を左右にブンブンと振った。

 

「ば、ばば、バカ言うな! ククルククルをやっつけるなんて、んな事出来る訳がねぇ!」

「つってもあれが魔王なんだろ? だったらあれが間違いなくこのステージのボスだろ」

「そりゃそうだろうが、ククルククルと戦うだなんて無茶もいい所だ! 見りゃあ分かるだろ! あのデカさ!! あのヤバさ!」

「無茶だろうがあれがボスなら倒すまでだ。それがステージクリアの条件なんだからな」

 

 これは超・挑戦モード、強敵と戦う為に用意された特別な舞台。

 リタイヤなんてする気が無い以上、あれを倒さなければ元の世界にだって戻れない。戦って勝つ以外に進む道は無いのである。

 

「向こうはこっちに気付いてなさそうだし、ここは先制攻撃で一発かましてやるとするか」

「お、おい待てって、ランス……!」

 

 戦う前から逃げ腰でビビり散らしている子リスの一方、魔王ランスは当然のようにやる気満々。

 スッと腰から剣を引き抜いて。

 

「さってと……」

 

 彼方を見据えて、構え。

 ただ差し当たっては──

 

「……これ、どうやって戦えばいいんだ?」

 

 構えて、剣先の奥に遥か仰ぎ見る程の非現実な相手にランスも困惑顔。

 相手は空中に浮かぶ山のような物体。ランスが立つ位置からは文字通り天と地の差がある。

 さて、あれと戦うと一口に言ってもどうやって戦えばいいのか。

 

「さすがの俺様も空は飛べない……あいつの近くまで徒歩で近付いたとしても……ううむ」

 

 ランスは近接戦闘を得意とする戦士である為、飛行能力を持つ相手とは嚙み合わせが悪い。

 武器投擲攻撃は得意ではあるもののおよそ一回限りの大技、あの巨体と比べると爪楊枝みたいなサイズの剣がちょっと突き刺さったぐらいで大した効果があるとも思えない。

 確実なのはやはり接近戦。接近戦まで持ち込めば如何なる相手だろうとも自分が絶対に勝つ。 

 

「……おーい! そこの巨大タコ生物ー! もうちょっと下まで降りてこーい!」

 

 とりあえずランスは大声で呼んでみた。

 

「お、おいおい! あんまりククルククルを刺激すんなって……!」

「バカ者、あいつを倒さねーと元の世界に戻れねーっつってんだろ。やーい、デカブツー!!」

 

 地上から叫ぶ声が届いているのかいないのか。届いてはいるか気にかけていないだけなのか。

 ともあれランスがどれだけ呼んでも、空に浮かぶ巨大な生物の様子に変化は見られない。魔王ククルククルは世界の支配者の如く悠然と空を漂っている。

 

「くそ、こうなったら……!」

 

 一方でこちらだって魔王。桁違いなのはお互い様。

 埒が明かないと感じたランスは両手に力を貯めて、膝をぐぐっと曲げて。

 

「ひっさーっつ!!!」

 

 全身のバネを生かしてぴょーん、と跳躍。

 高々と飛び上がって、その勢いを乗せたまま両手を振り下ろした。

 

「ジャーンピングー、魔王アターーーック!!」

 

 衝撃波は、飛ぶ。

 より正確に言うならば、ランスのランスアタックは破壊力を推進力に変えて直進する。

 故に飛ばせる。それがランスアタックの数十倍の威力ともなる魔王アタックであれば、それが剣LV3であれば、その軌道を斜め上方に向けて放つ事で対空必殺技へと姿を変える。

 

「いけー! ぶっ飛ばせー!」

 

 放たれた衝撃波が空を切り裂いて邁進する。

 ほぼアドリブで繰り出した技だったが狙い通り、それはククルククルの巨体に噛みつかんとする。

 

 

 

「………………」

 

 すると──

 

「………………」

 

 遥か上空を浮遊していた、ククルククルは。

 

「………………?」

 

 ズバッっと、無数にある触手の一本を深々と切り裂く衝撃を感知した。

 

「………………」

 

 ダメージは大した事はない。この程度の傷だったら修復可能。

 

「………………」

 

 しかし──地上から、攻撃された。

 ドラゴンの襲撃か。そう感じて、しかし続けざまの攻撃が無い事に違和感を覚えた。

 先程から奴らの気配は感じている。しかし奴らは彼我の戦力差を理解しているので一体だけで仕掛けてくる事はまず無い。挑んでくる時は必ず100体以上の大群で向かってくる。

 

「………………」

 

 加えて、今の攻撃はこれまでに感じた事の無い衝撃。

 今までこの身に幾度となく食らってきた宿敵達の攻撃手段、ドラゴンの牙や爪、吐き出すブレスとは痛みの入り方が違う。

 

「………………」

 

 となれば──これは。新たなる敵性体が、いる。

 ドラゴンではないとすると、自分と同じような丸いものか。それともまさか貝か。

 いつもパクパクと手当たり次第に食べていたせいで遂に貝達も反旗を翻したか。だとしても全く脅威ではないし問題だとは思わないが──

 

「………………」

 

 そうと知ったククルククルは地表に向かって一本の触手を伸ばし始めた。

 ククルククルはその身体に大小異なる幾つもの触手を生やしている。その触手には各種センサーが備わっていて、あまりに巨大過ぎるククルククルの視覚や聴覚を補助している。

 

「……………………」

 

 そして、見つけた。

 

 

 

「……お?」

 

 すると──地上にいたランス達の下に。

 

「なんだ?」

「く、ククルククルの身体から……!」

 

 遥か上空に浮かぶククルククルの本体から。真っ直ぐに影が伸びてくる。

 びよーんと一本、横幅5m程の分厚い、それでもククルククルの巨体からしたら細めの触手がランス達のいる地上付近まで伸びてくる。

 

「んー?」

 

 なんだこれ、と訝しむランスの目の先。

 その触手が、一度大きく弧を描くように持ち上げられて。

 

「ぐへーーーっ!」

 

 べちーんっ! 

 と、ランスは思いっきり引っ叩かれた。

 

「ら、ランスー!?」

「ぐ、ぐぐぐ……!」

 

 そして吹っ飛んだ。まるでギャグみたいな攻撃を受けてギャグみたいに吹っ飛んだ魔王ランスだったが、されどそのダメージは。

 歴代最強の魔王ククルククルの一撃。それは山を抉って地形を変える程の一撃、決してギャグで済ませられるような破壊力ではない。

 

「こ、この野郎……!」

 

 痛む身体を起こして、上空をキッと睨むランスだったが、しかし。

 

「…………(すーっ)」

「あ、おい!」

 

 その一発だけで満足したのか、ククルククルの触手はしゅるしゅると上空に戻っていく。

 

「テメェ、待ちやがれ!!」

 

 やられたままでなるものかと、ランスは再度剣を掲げて対空魔王アタックをぶちかます。

 

「………………」

 

 直撃。その破壊力に触手の先端が消し飛んだ。

 すると──

 

「ぐへーーーっ!!」

「ランスー!?」

 

 どこからともなく伸びてきていた別の触手が、べちーんっ! と。

 魔王ランスはまたギャグみたいに吹っ飛ばされた。

 

「ぐ、ぐぬぬ……いだい。これ、でたらめな攻撃にしてはすげー痛い……!」

「だーから言ったんだ! ククルククルとやりあうなんて無謀もいい所だって……!」

 

 ククルククルは最強の魔王。その領域にはどの魔王だって及んでいない。それは歴代の魔王全員に仕えた経験のあるケイブリスだからこそ断言出来る。

 そしてそれは魔王だけに留まらず、この魔王が支配していたこの時代そのものについても。世界の隅から隅まで、今の世界よりも遥かに過酷な事を知っていた。

 

「それよりもランス、早くここから逃げるぞ!」

「はぁ? 逃げるって、なんで──」

「ここはヤベェんだよ! ククルククルがあんだけの触手を出してるって事は臨戦態勢なんだ! てことはつまり──!」

 

 この時代の殺伐とした空気、この時代の姿を深く理解しているケイブリスにはすぐに分かった。

 この状態は。きっと今、この周囲には──

 

 

『──ッ、ゴガアアァァァアア!!』

 

「き、きたーー!!」

「な、なんだぁ!?」

 

 突如聞こえてきた怒号、先触れのような咆哮を合図にして。

 

『グガガァァーー!!』

「きゃー!!」

「ど、ドラゴン!?」

 

 姿を見せたのは最強の古代種ドラゴン。

 それもランスがぎょっとする程の数が。至る所からドラゴンの群れがわらわらと。

 それまで何処に隠れていたのか、攻撃開始の合図を受けて一斉に現われたドラゴン達は地を駆けて飛び立ち、空を一直線に飛翔して、そのまま──

 

『グゥウ、グァアアッ!!』

 

 その触手に、巨大な本体に食らい付く。爪牙やブレスを畳みかける。

 

「………………」

 

 対してククルククルも黙ってはいない。

 その触手が縦横無尽に暴れ回り、纏わりつくドラゴン達の強靭な身体を潰していく。

 

「なんだこれ……? ドラゴンとククルククルが……戦ってんのか?」

 

 魔王とメインプレイヤーの果てなき戦い。その光景が遥か1000年以上も続く──Kukuの世界。

 この時代、魔王ククルククルとドラゴン達は終わりなき闘争の日々を繰り広げていた。

 飛び交うドラゴンの群れ、吐き出されるブレス。鳴り響く咆哮。それがこの世界の日常。

 

「ひ、ひぃぃ……! あ、あの頃と全く同じ……あ、悪夢だぁ……!」

 

 そんな中で、小さなリスも懸命に生きていたりする。

 一世代前のメインプレイヤー、丸いものから派生して生まれたリスはとても弱く、ドラゴンなどに見つかったら一貫の終わりである。

 だから巣穴を掘って、その中で息を殺して身を潜め続ける。それが当時のケイブリスの生き方。

 

「ひゃーー!!」

 

 するとドスンッ! と、力を失った一頭のドラゴンがケイブリスのほど近くに落下した。

 落下の衝撃とは異なる力でその全身がひしゃげており、すでにこと切れているのは明らか。どうやらククルククルの触手の一本に捕まり絞め殺されたらしい。

 小さなリスが逆立ちしたって勝てっこないドラゴン。そんなドラゴン達をまとめて100頭単位で相手にしてもビクともしない、それが最強の魔王たるククルククルが誇る圧倒的な実力。

 

「だ、駄目だここは、ここはヤバい……ランス、巻き込まれないように逃げるぞ!!」

「逃げる? なんでだ」

「バッカお前あの戦いを見ろよ! こんな怖ぇところに居られねぇだろ!」

 

 衝突する力と力。魔王とドラゴン。怖い。とても怖い。

 こんな戦場にいては小さなリスなんてあっという間に死んでしまう。怖すぎる。

 

「特に今はこの周辺一帯にドラゴンがどれだけいるか……! 考えただけで恐ろしい……!」

「いや別に。俺様ドラゴンなんか怖くねーし」

「俺は怖ぇーんだよ!! 今の俺がどんだけ弱いと思ってんだ!!」

「知るか。んなこと偉そうに宣言すんな。それにこの状況はチャンスだろう」

 

 一方でランスの思考は機を捉えていた。敵の敵は味方とまでは言わないものの、ああして戦っているドラゴン共は囮に使えると思った。

 ククルククルの目が大勢のドラゴンに向いている状況は自分が動きやすい。火事場泥棒上等なランスとしてはこういった乱戦はお手の物である。

 

「とは言っても近付かなければ話にならん。となれば……これもドラゴンだな、俺様でも乗れそうなドラゴンを探して乗せてもらおう」

「バカ、よせよせ! この時代でドラゴンを利用するなんて絶対に痛い目を見るだけだ!」

 

 この時代はドラゴンの時代。現代のドラゴンとは比べ物にならない程に頭数が多く、その数の暴力は最終的に最強の魔王だったククルククルをも地に堕とす程。

 そんな光景も見てきたケイブリスとしてはドラゴンを利用するなんて気が気でないのだが。

 

「飛べるドラゴンじゃないと駄目だよな……どっかに居ないかなーっと、ドラゴンちゃんやーい」

 

 されども魔王ランスにとって今更ドラゴンなどビビるような存在ではない。

 魔王から見たら所詮は雑魚モンスター。上手く乗り物に使えそうな奴がいないかなーと呟きながらランスはずいずい先へ進んでいってしまう。

 

「お、おい待てって! ランス──」

 

 その後ろをおっかなびっくり追い掛けていたケイブリスだったが──

 

 ──その時。

 

 

「……グルル」

「ん?」

 

 低い、呻き声が。

 いやな、嫌な予感と共にケイブリスの耳に入る。

 

「……あ」

 

 ちらっと、そちらを向いた。

 そこには、岩の影から覗く、赤い瞳。

 舌なめずりする、音。

 

「は、はわわ……!」

 

 そこにいたのは──ドラゴン。

 空を飛ぶ翼を持たない為ククルククルとの戦いに参加出来ないらしい一頭のドラゴンが、小さなリスを標的に捉えていた。

 

「グルルル……!」

「ぴ、ぴぎぃ……」

 

 獲物を見つけて恐ろしげに喉を鳴らす捕食者。

 その唸りに、その睨みに、まるで石にされたが如くケイブリスはぴくりとも動けない。

 

 これは──そう。これは六千年前のあの世界と全く同じ、全く同じ地獄の味。

 あの頃、自分は魔人になったとはいえ最弱の域を出ず、一日一日を生き延びるのに必死だった。

 小さき身体、小さきリス。ドラゴンの世界。ここはあの時の世界のまま。小さなリスなんてふとした拍子に死んでしまうような世界。

 それなのに自分は、あの頃のように隠れ潜んで息を殺して生を繋ぐ事を怠ってしまった。

 

(あぁ、死んだな、これ)

 

 だから、死ぬ。

 すでに諦めたのか、投げやりになった思考でそんな事を考える。

 

(あぁ、俺は結局なんにも変わっちゃいな──)

 

 そして、その鋭いかぎ爪の生えた前足が。持ち上がって、振り下ろされる。

 ケイブリスにはその瞬間がスローモーションのように見えて──

 

「ガァッ!!」

「ぐわ────っ!」

 

 引き裂かれた。巨大な前足の一撃。

 その一撃だけで終わりを迎える、弱きリスにはそれが分かっていた。

 

 しかし。

 

「──はっ!? あれ? 生きてる!?」

 

 反動で吹き飛ばされて、地面を転がったのち、ケイブリスは自分がまだ生きている事に気付いた。

 いやそれどころかちっとも痛くない。即死確実だと感じた一撃で全くダメージを受けていない。

 全てのダメージを無効にする、これは。

 

「そ、そうか!! 無敵結界!!」

 

 あの頃とは違って、今のケイブリスにはそれがある──魔人を守る極めて強力な力、無敵結界。

 

「そうだそうだった! 今の俺様にはこれがあるんだ!! ありがとう無敵結界!!」

 

 それは6000年前の時代の魔人には無かったもの。当時と今の大きな違い。

 当時の姿で当時の世界に舞い戻った為、当時のトラウマをそのまま発症してしまっていたケイブリスだったが、しかし当時と今は別物なのである。

 

「もうあの時とは違う!! これさえあればドラゴンなんか怖くない!!」

 

 最弱に戻ってしまった今の自分ではドラゴンを倒す事は出来ないだろう。

 それでもだ。無敵結界がある以上は自分が殺される事もないわけで──

 

「……グルァ」

 

 パクっ。

 

「あ」

 

 ドラゴンは大きく口を開けて、一口。

 無敵結界の上から丸ごと、小さなリスはぱくりと食べられてしまった。

 

「グァウ」

 

 そうして、腹を満たしたドラゴンは満足げに去っていく。

 

「なーにやってんだあいつは……」

 

 そんな光景を、魔王ランスは大層呆れた目で眺めていた。

 

 

 

──そして。

 

 

 

「つーか!!」

 

 小さなリスが叫ぶ。

 

「つーかよぉ!!」

「なんだ」

「どうして助けてくれねーんだよ!! 俺が食われた瞬間を見てただろーが!!!」

 

 ケイブリスは頑張った。頑張って頑張ってドラゴンの胃袋の中から逃れ出た。

 幸い無敵結界のおかげでドラゴンの胃液に晒されても消化されるような事は無かった。ケイブリスは我が身に無敵結界を齎してくれた魔王スラルに感謝の祈りを捧げたい気分になった。

 

「バカ者め。なんでこの俺様がお前如きを助けてやらなくちゃならんのだ」

「俺はお助けキャラだろうが!! 助けろよ!!」

「お前、お助けキャラの意味を分かってねーだろ」

 

 無論ながら魔王が助けてくれるような事は無く。

 ランスにとってケイブリスは死のうが生きようがどうでもいい存在。どうでもいいからこそ生存を許されているとも言えるのだが、どうでもいい奴の扱いに関してランスはシビアである。

 

「あぁぁあ……やっぱり駄目だ、この世界の空気がもう俺様には駄目なんだ。いくら無敵結界があるとはいえ、こんな物騒過ぎる世界に留まっていたら頭がおかしくなっちまう……元の世界に帰りたい!!」

「その点については俺様も同意だ。とっとと元の世界に戻りたい。……が」

 

 言いながらランスは空の彼方を見つめる。

 ケイブリスがドラゴンとじゃれあっている間に移動したのか、先程まで上空付近を漂っていた巨大な影が今では握り拳大の大きさに見える程に遠ざかっていた。

 それでも異様な存在感。歴代最強と謡われる者の圧倒的な威圧感。

 

「どうしたもんか……あれは」

 

 魔王ククルククルを倒さない限り、元の世界に戻る方法は無い。

 ケイブリスに言われるまでもなく、ランスもその難易度を肌で感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 



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VS 魔王ククルククル②

 

 

 

 

 

 

 超・挑戦モード、第三ステージにて。

 VS──魔王ククルククル。

 

「しっかし、どうしたもんかな……あれは」

 

 魔王ランスは眉間に皺を寄せていた。

 こうして対戦相手の倒し方に悩んだりするのは本当に久々である。

 

「……デカい」

 

 とにかくデカい。デカい、デカすぎる。

 山と見紛う程の巨体。その巨体の分攻撃力も高すぎるし、そしてタフすぎる。

 

「それに、あんな空高くをぷかぷか浮かんでいられたら手の出しようがねーぞ」

 

 加えて、魔王ククルククルには元々の種族である『丸いもの』特有の浮遊能力がある。

 それ故ククルククルは基本的に陸上に降りてくる事が無く、常に上空を漂っている。同じく魔王とはいえ翼持たぬ二足歩行生物であるランスにはとても手の出しにくい領域にいる相手。

 

「あんな山みたいな図体してるくせに空中に浮かんでるなんて……あんなのインチキだ」

 

 さすがのランスも困惑というか、ちょっと想像だにしなかったような相手。

 それがククルククル。歴代最強と呼ばれる初代魔王。あれを倒すのがステージクリアの条件。

 

「ぷるぷる、ぷるぷる……ぼく、悪いリスじゃないよう……」

「こいつはこいつでクソの役にも立たねーし……」

 

 一方でその足元には変な生き物がぷるぷる震えていた。

 約6000年前、自身が生まれ育った因縁の世界に呼び出されて、見る度に恐怖だった大量のドラゴンが飛び交う光景を目の当たりにして。更にはパクリと食べられて。

 当時のトラウマが再発したのか、最弱メンタルだった頃に先祖返り中の魔人ケイブリス。お助けキャラがこれというのも先行きを大いに不安にさせる一因である。

 

「ぬ、そういやぁあんだけうるさかったドラゴン共の鳴き声がいつの間にか止んでるな」

「あ、あぁ……きっと戦いが終わったんだ。ククルククルが飽きたんだろうな」

「ふむ……」

 

 先程までの咆哮と喧騒が止んで。同時に周囲からドラゴンの気配も消え去って。

 空の彼方には。戦いを終えてゆったりと遠ざかっていく巨大浮遊物体の影。

 

「あいつ、どこに行くつもりなんだ?」

「さぁ……ククルククルは特定の住処とかを持たずにあっちこっち空をぷかぷか泳いでいたから……なんとなくの気分で移動してんだろ」

「随分と気ままなヤツだな」

「まぁな。ククルククルにとっては何もかもが、それこそこのドラゴン達との殺し合いだって遊びみたいなもんなんだよ。数が多いだけあって最終的にはやられちまうんだけど、それでも一体一体はククルククルから見れば雑魚同然だからな」

 

 たとえドラゴンであろうとも、最強の魔王にとっては本気を出して戦うような相手ではない。

 だから結局のところ、この戦いが2000年以上に及ぶ程に長引いたのはククルククル側がまるで本気を出していなかったからという理由が大きい。

 ドラゴン種は雌個体が生まれるのが稀であり、最終的にはプラチナドラゴンのカミーラ一体のみとなる程。いくら数が多かろうともその頭数が増えるという事が滅多に無いので、魔王ククルククルが遊び気分ではなく本気でドラゴン達を根絶やしにしようとしたなら2000年も掛からないのだ。

 

「しかし……うむ、それでも最強は俺様だ。だからあのククルククルの絶対にぶっ倒す」

「無理無理。絶対むり」

「無理じゃない。俺様がやると言ったらやるのだ」

 

 要するにククルククルとは。それぐらいに規格外で強い魔王だということ。

 歴代最強と呼ばれるのには理由がある。特にケイブリスはそれを一番よく知っている。

 

「無理だ! 絶対にそんなの無理!! そりゃお前は魔王だからいいけど俺は無理!! お前はこの俺をなんだと思ってんだーー!!」

「そりゃリスだろ」

 

 そんな相手と戦って勝利する。

 それ以外に元の世界に戻る方法は無い。リスが泣けど騒げども現実は変わらないのである。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで──夜。

 

 魔王ククルククルとの遭遇、そしてドラゴン達との開戦など。色々あった初日を終えて。

 そろそろ日も落ちてきた為、これ以上の行動は止めて今日はキャンプをする運びとなった。

 

「おい、とっとと準備しやがれ」

「わーってるよ!」 

 

 とはいえ、この挑戦ステージ攻略に当たってキャンプ道具が支給されている訳ではない。

 なので食事や寝床など一切合切を自らの手で賄う必要がある。勿論その準備をするのは配下たるリス、魔王はゆったりと腰を下ろして胡坐をかくのみである。

 

「またドラゴンの肉を食う事になるとは……当時は傷んだ死肉でもご馳走だったっけなぁ……」

「ドラゴンの肉って美味いのか?」

「そうだな、まぁ……リスの肉よりかは美味いんじゃねぇか」

 

 焚き火を起こして、先の戦いで犠牲となったらしいドラゴンの肉で腹を満たしながら。

 そこで話題に挙がるのは、当然ながらと言うべきか昼間に遭遇した圧倒的な存在感放つボス。

 

「なぁ、ケイブリス」

「ん?」

「お前はあのククルククルに作られた魔人だよな。だったらあいつの弱点とか知らねーのか」

「ねぇよ。ククルククルに弱点なんか……」

「なんかあるだろ。辛い物に弱いとか、実は泳げないから水に弱い、とか」

「ないない」

 

 即座に首を横に振るケイブリス。

 長年仕えてきたからこそ分かる。あのククルククルは最強の魔王、最強に弱点などない。

 

「実は高所恐怖症で高いところに弱いとか、触手の先をくすぐられるのが弱い、とか」

「ないって」

「寝起きが悪くて朝が弱いとか、女に弱いとか……」

「ないない」

 

 ケイブリスは考えるまでも無いとばかりに首を振る。

 

「そういえばあれってオスなのか? つーか元の種族はなんなんだ? タコ? イカ?」

「ククルククルは『丸いもの』で、多分オスだろ……いや、メスの可能性もある……か?」

「どっちだよ」

「……ど、どっちであろうともだ、ククルククルに色仕掛けなんか効かねぇよ。大体女に弱いだとかそんな馬鹿なこと、お前じゃねぇんだから……」

「なんだとぉ?」

 

 魔人の分際で生意気な、と魔王が睨む。

 

「つーかお前、いつの間にか俺様に対して偉そうな口叩くようになったじゃねーか」

 

 ランスとケイブリス。この二人は過去宿敵の関係であり、今では魔王と魔人という主従関係にある。そしてその事を海よりも深く理解していたのは元々ケイブリス側だった。

 魔人にとって魔王は絶対の存在。なので実際に復活したばっかりの時は平身低頭ぺこぺこしていたものだが、しかし今では標準的な態度に戻っているように見える。魔王様相手にこれはどうなのだろうか。

 

「けっ、知るかってんだ。俺はもうお前相手に媚びを売るのは止めたんだ」

「なに?」

「だってお前! 普段から俺の事をすっげー軽いノリで殺してくるじゃん! こっちがどれだけ低姿勢になって従順な姿を見せたって意味ねーじゃん!」

 

 ケイブリスはなにも卑屈な性格だからぺこぺこしている訳ではない。それは臆病な性格だからこその身を守る術であり、相手に服従を示す事で自分の安全を確保する弱者の処世術である。

 故に二度目の復活を受けた当初こそ、宿敵たるランス相手にも徹底的に頭を垂れた。歴代の魔王相手にしていたように畏れ敬い、魔王様を尊重してみせた……が、意味は無かった。

 媚びを売っても、なにをやっても。ランスの気分次第であっさり殺されるような日々が続いた為、これまで磨き続けた弱者の処世術がまるで通じない相手なのだと思い知ったらしい。

 

「別に殺そうと思っている訳ではないぞ。ただ気付いたら死んでいるだけで」

「ふざけんな! そんな理由で殺される俺の身にもなってみろってんだ!!」

「それこそ知るか。たかだかキック一発やデコピン一発ぐらいであっけなく死ぬお前が悪い」

「ぐっ……!」

 

 魔王のキックやデコピンはそれだけで小さなリスにとっては致命的な一撃となる。

 ランスとしては軽いノリで繰り出しているのであろうが、その度に死んでは使徒の手を借りてなんとか復活して命を繋いでいるケイブリスとしては堪ったものではない。

 

「くそぉ……それもこれもどれも全て、俺が最弱に戻っちまったから……最強の魔人だったあの時のままならデコピン一発ぐれーじゃ死にはしないのに……」

「あのデカリスのままだったら臭いし目障りだから復活などさせんがな。そういやお前はリスなんだし、今この時代のリス仲間とか知り合いとかっていねーのか?」

「仲間なんていねぇし、いたとしても生きているとは思えねーよ。リスなんて魔人になるでもなきゃすぐに死ぬようなか弱い生き物なんだからよ」

「ふむ……ま、それもそうか」

「この時代はとにかくドラゴンの時代だからな。ドラゴン以外の生物はあっけなく死ぬもんだ」

 

 最強の魔王ククルククルがいて、生物として最強格のドラゴン族と殺し合いをしている時代。

 その中で丸いものやリスや貝など、その他の生物達の生命など吹けば飛ぶようなものである。

 

「だったらドラゴンに知り合いは?」

「あのなぁ、俺みたいなリスがドラゴンに近付けるわけねーだろ。まして知り合いなんざ……」

 

 ドラゴンに知り合いは、などと聞かれて。

 今も昔も、ケイブリスに思い当たるのはただ一人だけ。 

 

「……あ、でも、そうだ。この時代ってもしかしたらカミーラさんがいるかもしれない」

「カミーラ? カミーラがこの時代にいるのか?」

「あぁ。まぁカミーラさんがいつ生まれたのか詳しくは知らねーし、今が具体的にKuku歴何年なのかも分からねーからハッキリとは言えねーけど……」

 

 歴史の生き字引たるケイブリスが知る限り、魔王ククルククルが死んで魔王アベルの代になってすぐ、カミーラの誘拐を発端とした魔王アベルとドラゴン達の戦争ラストウォーが勃発した。

 その流れから考えれば、ここがKuku歴の末期頃であればカミーラがいる可能性は十分にある。

 

「あぁいやでも駄目だ、この時代でカミーラさんにちょっかい出すのは止めておいた方がいい。んなことしたら絶対にドラゴン達がブチ切れる」

「別にドラゴン共なんざブチ切れたって怖くねーけど」

「それにこの時代のカミーラさんはまだ魔人になってはいないはずだ。だから魔王の強制命令権だって効かねーし、そもそもドラゴンの姿をしているはずだから探そうにも……」

「あぁ、まだドラゴンなのか。ドラゴンの姿じゃ会ったところでなぁ……」

 

 それではセックスが出来ないじゃねーか、とランスはつまらなそうに息を吐く。

 ランスは元よりケイブリスも、カミーラについて知っているのは魔人化した後の姿である為、魔人化前の純粋なプラチナドラゴンだったカミーラがどんな姿をしているかは分からない。

 何処で暮らしていたかも知らないし、当時のカミーラに接触するのはリスクが大きすぎる。ドラゴンの生ける冠に手を出してただで済むはずが無いとケイブリスは深く理解していた。

 

「そういやケイブリス」

「あん?」

「お前、カミーラに惚れているんだったよな」

「え? そ、そうだけど……なんだよ急に」

 

 唐突な話題。最初ケイブリスは面食らったものの、

 

「お前、どうしてカミーラが好きなんだ?」

「どうしてって、そんなんお前……分かるだろ、だってあの美貌! あの気高さ! あの尊さ!」

 

 すぐに得意げな顔になって熱弁を振るう。

 美しきプラチナドラゴンの魔人カミーラ。その高貴な輝きに小さなリスはずっとご執心。その恋心が時折空回りして大惨事を引き起こした事もあれど、それだけ長年思い続けている証でもある。

 

「あの美しさを一目見てみろ! あんなん惚れない方がおかしいってもんだろ!」

「ほーん……」

 

 魔人カミーラの美貌については同意するところ、ランスだってその気持ちはよく分かる。

 

「……でもなぁ」

 

 それはよーく分かるのだが……。

 しかしそれでも、どうしても気になる事が一つ。

 

「でもお前……リスじゃん」

「え?」

 

 ケイブリスは全く予想外の角度から突かれたような顔になった。

 

「カミーラは元々ドラゴンで、今は美人の女だろ? だからお前が元ドラゴンだってんなら、あるいは人間ってんならカミーラに惚れる理由も分かるっちゃ分かる」

「……えっと」

「けどお前はリスじゃん。なんでリスがドラゴンや人間に惚れるんだよ。お前は雄のリスなんだから雌のリスを好きになるのが普通だろ? それがなんでカミーラに惚れるんだ、おかしいだろ」

「……いや、そんな……」

 

 ケイブリスは、カミーラに惚れている。

 リスであるケイブリスが、ドラゴンのカミーラに。

 言われて気付く。それは果たして自然な形と言えるのか。生物として正しい姿なのだろうか。

 

「………………」

 

 ふと考えると自分は以前、魔物界を支配した次には人間世界の侵攻を目標にしていた。

 そして人間世界を支配した暁には各国の高貴な女共を捕らえて従えさせて、全員俺様の性欲処理に使ってやるぎゃはははー! なんて妄想を膨らませてもいた。

 しかしそれもよくよく考えたらどうなのか。元人間であるランスからしたら、リスである己が人間の女に興奮しているのがおかしな事であり間違いなのだと言う。

 

「おもいっきり異種姦だろ。長年ずっと異種姦を夢見る自分がおかしいと思わなかったのか?」

「………………」

「そりゃカミーラだって困るだろ。リスから求愛されたってどうしようもないぞ」

「………………」

 

 今思えば確かに、自分は当のカミーラ本人から長い年月ずっと歯牙にも掛けられていなかった。

 あれは自分の魅力云々の前に、そもそも種族として交わる事などあり得ないからではないか。

 

「つーかお前、雌のリスを抱いた事あんのか?」

「………………」

 

 無い。

 リスとの性交など経験どころか、生まれてこの方雌のリスに手を出したいと思った事が無い。

 

「……で、でもよぉ! それならお前だって女の子モンスターを抱く事あるじゃねーか!」

「そりゃあるけど、別に俺様はモンスターを抱きたい訳じゃない、あくまで人間の女に似た姿をしているから抱いているだけだ。だから人間の姿をしていないメスのハニワなんかに欲情する事は絶対に無いし、たとえすげーイイ女だなぁと思ってもホルスの女王を抱きたいとは思わん」

 

 ランスはハニ子を抱かないし、テラ・ホルスを抱こうともしない。

 一方でたとえ元が男でも、たとえ体の半分がムシっぽくても人間の女の姿をしていたら抱く。

 基準は女性の価値を顔と身体に限定して評価した時に抱けると感じるか否か、要するに可愛くておっぱいとまんこがあるかどうか。その点についてランスは一貫している。

 

 しかしケイブリスは。

 惚れたカミーラはドラゴン。それがリスの外見をしているから惚れた訳ではない。

 むしろドラゴンだから、あるいは人間の美女だから惚れた。そこに惹かれたとも言える。

 

「リスのお前が、自分とは全然違う姿のドラゴンや人間の女に欲情するなんておかしいだろ」

「……そう、なの、か?」

「そうだろ。異種姦でしかチンポ勃たないなんてイカレてる。ハッキリ言って変態だぞ、変態」

「………………」

 

 突き付けられてしまった己が性癖。愕然とした表情のケイブリス。

 今まで「雌のリスを犯したい!」という気分になった事が無い。それはおかしい事なのである。

 

「いや……でも……だって……だって、カミーラさん、めっちゃ美人じゃんか。あらゆるドラゴン達全員がカミーラさんを欲しがって奪い合いをする程の存在なんだぜ? そんなん……惚れちゃうだろ」

「そもそもリスのお前がカミーラを見て美人だと思うのがおかしい。俺様はドラゴンやリスの違いなんて分からんから超モテモテな雌ドラゴンや雌リスがいたとしてもそいつを美人だなんて思わん。それが普通だろ」

 

 生物ごとにその美しさの評価や基準、あるいは感性というものはまるで異なる。

 たとえ美しい雌ドラゴンがいたとして、それをドラゴンとして美しく思うこと、あるいは芸術的な美として評価する人間はいれども、美しい雌として欲情する男はまずいない。

 いたとしたらそれは異常性癖の類、専ら変態と呼ばれる人種である。

 

「……いや、違う」

「何が違う」

「その……俺とお前は……ちげーから。俺ぐらいに長生きをしてな、6000年ぐらいのふかーい人生経験を重ねたら分かる。好きになるのに種族なんつー些細なもんは関係なくなるんだよ……きっと」

「どーだか」

 

 果たして長い年月を経た存在にとって、性対象となるのは同種族に限らないものなのか。

 それは実際に長い年月を生きた者にしか分からない事だろうが、もしここに元ホルスである魔人メガラスがいたなら「……そんな事はない」と否定したかもしれない。

 

「つーか! 俺の性癖とかそんなんはどうだっていいんだよ!!」

「話を逸らしたな」

「違う! 今大事なのはこの世界からどうやって抜け出すかってことだろーが!!」

「ま、そりゃそうだが」

 

 リスとドラゴンの異種姦事情など興味本位で覗くようなものではない。

 それはランスも同意するところ。とはいえこの世界を抜け出す方法と言っても一つしかない。

 

「とにかく明日だ。明日こそはククルククルを倒す」

「そうだと良いけどな。んな言う程簡単に済む訳が……」

「あんなもんちょっとデカいだけ、最強の魔王は俺様なのだ。次に会ったら必ず倒してやる」

「倒すったって何年掛かるんだよって話で……」

「倒すと言ったら倒すのだ。んじゃ俺様もう寝る。ちゃんと火の番しろよ」

 

 ごろんと身体を横に倒して、あっという間にランスは就寝モード。

 

「くそ……言いたい放題言いやがって……」

 

 己が性癖をボロクソに否定された夜。

 ケイブリスは時折悪態を付きながらも、言い付け通りに焚き火を見守りながら夜を越した。

 極度に不眠症のリスは眠る必要が無い。夜の番にはとても便利であった。

 

 

 

 

 ──しかし、この時のランスは。

 そしてケイブリスすらも。この時はまだ気付いてはいなかった。

 この世界には、魔王ククルククルよりももっと恐ろしい敵がいるのだという事に。

 

 

 

 

 そして、次の日。

 

「よーし、行動開始だ。とにかくククルククルを見つけるぞ」

 

 身支度を済ませて早々に出発。

 目標は大空を気ままに遊弋する魔王ククルククルの捜索、そして討伐である。

 

「確か昨日はあっちの方に移動していったはずだったよな」

「あぁ。まぁなんせあれだけの巨体だからな、ちょっと高い所に登って見渡せばククルククルを見つけんのにそう苦労はしない。んだけど……」

「けど?」

「昨日から言ってるけどな、見つけたとしてどうすんだってことだよ。まともにやりやったって到底勝ち目なんざアリはしねぇだろ」

「愚か者め、やる前から諦めているからお前は雑魚のリスなのだ。俺様は魔王だぞ、同じ魔王に勝てないわけがない」

「そりゃ理屈上はそうかもしれないけどよ……」

 

 とりあえず、ランス達は付近に見えていたちょっと小高い丘に上がってみる。

 

「あ、いた」

 

 見晴らしの良い所から探してみれば簡単に見つかった。

 空にふわふわ浮かぶ不可思議な物体。今日もククルククルは元気そうである。

 

「あの大きさからして……結構遠くにいるか」

「そうだな。こっちも空を飛べないと近付くのだって一苦労だからなぁ」

「んじゃ当時のお前はどうやってククルククルに会ったりしていたんだ?」

「んなもん向こうから来るのを待つだけだ。当時の俺は生きる事だけに精一杯だったし、そもそも一魔人にとって魔王に会う用事なんて早々ねぇし」

 

 全てがククルククルの気分次第で、数年に一度会う機会があるかどうか。との事らしい。

 そうして会ったとしても特に命令などを受けるような事は無かった。何となくの思い付きで魔人にしてみたリスがまだ生きているか、その経過観察程度の用事だったのではないかと今のケイブリスは考えている。

 

「なーんかこうもデカいと近付いてんのかどうかもよく分かんねぇな……」

「こっちから近付くよりも向こうから来るのを待ってた方が楽じゃねぇか?」

「んなことしてたら何時になるか分からんだろ。それにヒマだ」

 

 そうこうしながら朝を過ぎて、昼に近付いて。

 ククルククル目指してえっちらおっちら進んでいた、その途中で。

 

「にしても……」

 

 ふとランスが周囲を見渡して、呟く。

 

「この時代ってなんか……殺風景だな」

 

 出てきたのはそんな感想。

 

「それに、本当に人間の姿が見当たらねーな」

「人間?」

「うむ。町や村みたいな集落どころか、小さな民家の一軒すらも見当たらんぞ」

 

 ここまで歩いてきて、未だ人間との遭遇は無し。

 その痕跡さえもろくに見当たらない、ランスにとって感じたことの無い異質な空気。

 

「まぁ今と違ってあんだけドラゴンがうじゃうじゃいたらうかうか昼寝もしてられねーだろうし、どっか目立たない所でこっそりと暮らしているんだろうけど」

 

 Kuku歴──この時代はドラゴンの時代。

 人間が生きていくのには危険が多く、だから安全な場所に隠れ潜んで生活している。

 この時までランスはそう思っていた。ケイブリスからこの時代の本当の姿を聞くまでは。

 

「あのなぁランス、この時代に人間なんかいるわけねーだろ」

「……え? 」

 

 それは大きな思い違い──人間が見当たらないのではなくて、いない。

 故に人工的な建造物の影一つすらも存在していない。それに早く気付くべきだった。

 

「いないって、どういう事だ?」

「どうもこうも、人間が生まれてくるのは次の魔王アベルの時代を過ぎてからだからな」

「……意味がよく分からん」

「だーから、ここは人間が生まれてくるよりもずっと前の世界なんだよ。Kukuの時代から今の時代まで、6000年以上全部を見てきたこの俺が言うんだから間違いない」

 

 ここは──Kuku歴1050年。

 この世界のメインプレイヤーは、ドラゴン。

 

「人間が……いない?」

 

 まだメインプレイヤーが人間ではない。だから、この世界に人間はいない。

 ようやく知ったその事実。その空恐ろしさに魔王ランスは呆然と呟く。

 

「……え。じゃあ、女は?」

「女って、メスのドラゴンか? ドラゴンってのはほぼオスだけの種族でメスは──」

「いやドラゴンじゃなくて。人間の女」

「あのなぁランス、さっきから言ってるだろ。この世界に人間なんかいねぇんだって。人間がいないのに人間の女がいるはずねーだろが」

「………………」

 

 人間が誕生する前の世界。それが超・挑戦モード第三ステージ。

 ステージボスである魔王ククルククルよりも。なによりも恐ろしいのは── 

 

「…………はッ!」

 

 残酷な世界の真実を知って、その顔色からは血の気が引いていく。

 そして脳裏に響く「このステージはリタイヤ推奨かもねー」と笑っていたハニーキングの声。

 その言葉の真の意味を。ランスはここにきてようやく理解した。

 

 ──この世界には人間の女が存在しない。

 魔王ランスの猛る性欲を発散する方法が、この世界には何一つ存在しないのである。

 

「や、ヤバい」

「あん?」

「女がいない世界なんて……あ、あり得ない。こんな世界があってはいかん……」

 

 ランスという男は性欲がとっても強く、通常一日でも女を抱けないと調子が悪くなる。

 二日抱かないと体調が悪くなって、三日も続けば精神に異常を来たす。それがランス。

 セックス無しでは絶対に生きてはいけない。そういう種類の業を背負っているのである。

 

「い、一刻も早く元の世界に戻らなければ……女がいない場所に長く留まるわけにはいかん」

「そりゃ俺だってそうしたいけど……」

 

 ケイブリスは空に視線を向ける。

 そこにはこの時代に君臨する歴代最強の巨影。

 

「あのククルククルをどーやって倒すんだ……って、この話、もう何度もしてるよな?」

「………………」

 

 女を抱いて性欲を解消するには。元の世界に戻るには魔王ククルククルを倒す必要がある。

 数多のドラゴン達が総出となって、それでも討伐するのに二千年を要した最強の魔王を。

 

「………………」

 

 今度こそ。ランスの表情が絶望色に染まった。

 

 

 

 

 



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VS 魔王ククルククル③

 

 

 

 

 ──Kuku歴。

 それはメインプレイヤーとしての人間種が誕生するよりも遥か前の時代。

 

「……死ぬ」

 

 そんな時代に放り出されていた事を遅まきながら気付いたランス。

 今やその表情は。英雄や魔王としての名には相応しくない絶望の色に染まっていた。

 

「死ぬ!」

 

 ここは人間の女がいない世界。性欲を発散する方法が無い世界。

 つまりこの世界における真の敵とは。魔王ククルククルではなく己が性欲であって。

 それに勝つ術は──無い。これだけはどうにもならないのである。

 

 つまり──死。

 

「このままじゃ、死ぬ! セックスが出来ないなんて死んじまう!!」

「おいおい。何を言い出すかと思えば、んな大袈裟な……」

 

 一方で、そんなランスの下半身事情を知らないケイブリスは至極どうでもよさそうな顔。

 

「大体性欲なんて、いざとなったら自分の手で処理すりゃあいいじゃねーか」

「イヤだ!! だって俺様は世界を統べる魔王様なんだぞ!! 世界中どんな女だって年がら年中抱き放題なはずなのに、何が楽しくて自分の手を使わなきゃならねーんだ!! そんなん絶対嫌だーー!!!」

「嫌だっつってもなぁ、この世界のどこにも女がいねーんだからどうしようもねーだろ」

「くっそーー!! あのクソボケ白ハニワめーー!! この俺様をよりにもよって女がいない世界に送り込むなんて、ケンカ売ってるとしか思えねーー!!」

 

 性欲と怒りの絶叫に応える声は、無い。

 しかし耳を澄ませば「苦しめー、苦しめー」という憎きハニワの声が聞こえる。

 ……ような気がした。無論ランスの幻聴なのだが。

 

「つーか!! そもそもが!! お助けキャラが女だったらこんな事に悩む必要無いのに、よりにもよってこのリスを寄こしてくるあたり絶対にワザとだ! 俺様を苦しめる為にワザとやってる!!」

「お、おう……それは……なんかすまん」

「もー許せん! あのハニワは割る! 絶対に割ってやる! 覚悟しとけよーー!!」

 

 悪しきハニワは悉く割るべし。魔王ランスはここに決心した。

 

「とにかく、こうなった以上悠長にしているわけにはいかん。女どころか人間がいねーんじゃこの世界にはなんも期待は出来ん、だから一刻も早く元の世界に戻るぞ!」

「そうだな。ククルククルが倒せたらな」

「倒す! とっととたおーす!」

 

 その為にもなんにせよ、目標は打倒ククルククル。

 そうと決めて、かの魔王が浮かぶ空を睨み付けるランスだったが。

 

「……って、ありゃ?」

「あん?」

「なんかあいつ、どんどん遠ざかっていってねーか?」

「あぁ、確かにそう見えるな」

 

 見れば中空に浮かぶ巨大浮遊物体の影が遠ざかっている。

 魔王ククルククルは今日も気ままに大空を遊弋中。そして偶然ランス達とは逆方向に移動しているようだった。

 

「……おい、これ、このままちんたら追い掛けていても追い付ける気がしねーぞ」

「そうだな。ククルククルは機敏に動くようなタイプじゃなくてむしろゆったりとした感じなんだけど、それでもなんせあのデカさだからな」

 

 小人の一歩と人間の一歩が違うように、人間の一歩と巨人の一歩はまた違う。

 特にこの時代は人間がいないので人間用の道などが切り開かれてはいない一方、上空に浮かぶククルククルは地形の起伏などを無視して自由気ままに移動する事が出来る訳で。

 となればククルククルが逆方向に移動している場合、ランス達の足では早々追い付けるものではない。

 

「おいケイブリス、うし車だ、どこかにうし車はねーのか!」

「この時代にそんなもんねぇよ。人間がいないのに人間の乗り物なんてあるわけないだろ」

「くっそー! なんつー不便な時代なんだここは!!」

 

 ここは人間がいない世界。つまり人間が生きていくようには出来ていない場所。

 幸いランスは魔王なのでどんな世界だろうとも生きていく事は出来るのだが、それでも元が人間である以上不便さを感じずにはいられないし、性格的にもそういうのが大嫌いなタイプである。

 

「こうなったら仕方がねぇ、とにかく全力で追っ掛けるぞ!!」

「お、おい嘘だろ、絶対に追い付けやしねぇって!!」

「うるせー! それでもやるっきゃねーんだ!!」

 

 こうなれば頼れるのは自らの足のみ。魔王は彼方に向かって駆け出した。

 

「待てって、おい! くそ、こんなの走ったって追い付けるわけがねーのに……!」

 

 その後をヒーヒー言いながら付いていくケイブリス。

 そこからはずっと追いかけっこの時間、そしてククルククルの気まぐれに翻弄される時間となった。

 

 

 

「くっそー! おいこら! 待ちやがれー!」

「だから、こんな、向こうは空飛んでんだから、追い付くなんて無理だって……っ!」

 

 汗だくになりながら追いかけても。

 どれだけ追えども追えども、それでも空浮かぶククルククルはふよふよ遠ざかっていく。

 

「……あ、あれ、おいランス見ろ、ククルククルの進路が変わったぞ!」

「本当だ! よーし、これはチャンスだ!」

 

 とか思っていたら、くるっと反転。

 急に方向転換してこちら側に近付いてきたり。

 

「遂に追い付いたぞー! ここが年貢の納め時だ! ククルククルめ、覚悟しやがれー!!」

「………………(触手をべちーん)」

「ぐへーっ!」

「ランスーー!!」

 

 いざ戦いを、と意気込んで即撃沈。

 触手のビンタを食らって返り討ちにあったり。

 

「グガァァア! ゴガアア!!」

「ひ、ひぃぃぃ……! ど、ドラゴンの群れが……!」

「がー! うるせーうるせー!! 雑魚モンスター共め、死にたいなら相手になるぞ!!」

 

 ドラゴンの群れにバッタリ遭遇。

 売られた喧嘩は買っちゃるとなし崩し的に戦闘になったり。

 

「くそ……、ククルククルのやつは……」

「もうあんな遠くにいる。さすがにここからじゃどうしようもねぇ」

 

 そんなこんなをしている間に、時間を無駄に消費して。

 

「ぐ、ぐぬぬ……お、女、女は……!」

「女は居ねぇって。現実を見ろよ」

「ぐぐぐぐぐ……!」

 

 そうして二日、三日と経つ内に。

 世界一性欲の強い男の中で、それは徐々にだが確実に溜まっていくもので。

 

 ──そして。

 

 

 

 

「……お、おんなぁ」

 

 ここまでずっと我慢しっぱなしの魔王ランスは憔悴しきっていた。

 すでにその顔に生気はなく、その瞳にも光は無い。

 

「おんな……おんながいない……おんな……おんな……」

 

 セックスがしたい。女体を味わいたい。性欲を発散したい。

 そんな欲望が無限に湧き上がって、ランスの脳内を埋め尽くす。

 

「くそぉ……なんでここにはおんながいないんじゃ……ありえん……」

「仕方がねーだろ、ここは人間が生まれる前の世界なんだから……」

 

 それでもここは女性がいない世界。

 その欲望が満たされる事はない。ランスという男にとってはあまりにもキツい世界。

 

「ぐ……ぐっ」

「ん?」

「ぐ、ぐが、ぐががが……!」

「お、おいおい、ランス、お前……!」

 

 すると性欲の衝動に苦しむランスの身体からは、赤い粒子が怒りのように湧き上がってきて。

 

「ぐががが、お、おんな、おんな……!」

 

 その姿は魔王化の前兆に酷似していた。

 ランスは精神性こそ人間のままではあるが、すでにその身体は人間のものではない。よって全てが人間の時と同じようにはいかない事がある。

 最強の存在である魔王はその欲望を発散させてこそ、決して我慢などしてはいけない。無理に自らの意思を抑制してしまっては、もう一つの意思である血の衝動が抑えられなくなってしまう。

 

「……ま、マズい。このままじゃ、マジでヤバいぞ……!」

 

 このままじゃマズい。ランスも過去の経験から理解していた。

 このまま女を抱かないでいるのもマズいし、湧き上がってくるもう一つの衝動に身を任せてしまうのもマズい。

 ククルククル討伐などはもう二の次、まずはこの窮地を脱しなければならない。

 

「が、ががが……お、おんな……おんなだ、おんなを抱くしかねぇ……」

「んな事言ったってなぁ、この時代じゃどうしようも……」

 

 とはいえ唸ろうとも、藻掻こうとも、なにをしようとも。

 どうしようもなく女がいない。存在しないものはどうしようもない。

 存在しないならば──

 

「こ、こうなったら……!!」

 

 そして、ランスは決心した。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

「…………ガァ」

 

 と唸って、ドスドスと足音を立てて大地を歩く。

 そこにいたのは、一頭のドラゴン。

 

「……グルル」

 

 彼は翼を持たないドラゴンの為、一族の敵であるククルククル討伐に参加する権利を持たない。

 よって種族内での地位は低く、この時代を象徴する上空での大戦とは無関係に、それでもククルククル以外には外敵のいない最強種として日々を安穏と過ごしていた。

 

 すると──

 

「あ、いた! いたぞランス!」

 

 という声が、聞こえた。

 見ればそちらにいたのは一匹の小さなリス。白い体毛に覆われた美味しそうなリス。

 

「グァア」

 

 ドラゴンの食性は種族によって様々、そして彼は肉食なのでリスの肉は好物である。

 彼にとってそれは餌であり、それを食べるのは自然の摂理というもの。ぺろりと美味しく平らげようと彼は足を一歩前に踏み出した。

 

「……ガァウ?」

 

 しかし……その一歩だけで足が止まった。

 恰好の獲物を前にしてそれ以上先に進めない。最強種のドラゴンである彼が。

 それは野生の勘というものか、その奥に潜んでいる何よりも凶悪な気配に気付いたのだ。

 

「……グルル」

 

 反射的に威嚇をする。

 その圧は、それは上空を支配する最強の敵と対峙した経験の無い彼には到底理解出来ないもの。

 どこまでも暗くて重い、これまで一度も感じた事が無い凶悪のオーラ。これは──

 

「見つけたー!!」

「ッッ……!!」

 

 瞬間、謎の生物が小道の影から飛び出して襲い掛かっていた。

 丸いものにも貝にもドラゴンにも似ていない二足歩行の生物。遭遇したことのない未知の敵。

 

「くたばれー!!」

「グガァァウ!!」

 

 彼は瞬時に応戦した。

 だが……鉤爪の一撃──効かない。

 吐き出す炎──効かない。渾身の体当たり──ビクともしない。

 

「次こそ当たりだ、当たりになれー!!」

 

 見知らぬ言語を使うその相手は強かった。あまりに強すぎた。

 最強種のドラゴンであっても手も足も出せない程に強大であった。

 

「ゴガァァァ!!」

「雑魚が無駄な抵抗してんじゃねー!!」

「ひ、ひぃぃぃ……!」

 

 傍観者となった小さなリスが足元でぷるぷる怯える中。

 その相手は、劣勢ながらも抵抗するドラゴンの首元を片手で強引に押さえつけて。

 

「おらァァァ!!」

 

 そして、その口の中に魔血魂を突っ込んだ。

 

「……グ、グ……!?」

「どうだ!?」

 

 すると、ドラゴンの動きが止まった。

 そして湧き出してきた血液のように赤い粒子に包まれて、その姿が見えなくなっていく。

 

「グ、ガァ、ガァアア……!」

 

 魔血魂に凝縮された魔王の血が、その全身へ流れていく。

 元々の姿がより上位のものへと、より強靭なものへと変貌していく。

 

 ──魔人化が、始まる。

 

「こい! 当たりこい! SRカモン! SSRカモーン!!」

 

 こうして。

 そこにいたドラゴンはドラゴンではなくなって。

 

「……ゴ、ゴアァ」

 

 今ここに。

 名もなき魔人が一頭、誕生し──

 

「死ねー!!」

「ギュイーーー!」

 

 そして、即座に魔王ランスに叩っ斬られた。

 

「くそぉ、また失敗だ……!!」

「あぁ、やっぱ駄目か……まぁそりゃあなぁ……」

 

 自ら生み出した魔人を早々に処分しておいて、魔王ランスの表情は暗い。

 傍らで成り行きを見守っていたケイブリスもやれやれといったところである。

 

「なぁ、ランス……もうやめようぜ。こんな方法じゃあ無理だって……」

「うるせぇ!! いいからお前はとっとと次のドラゴンを探してこい!!」

「けどよぉ……なんか俺もうドラゴン達が可哀想になってきちまったよ……」

 

 偶然出会った魔王に無理やり魔人にされて、それも束の間訳も分からずに殺される。

 まさに魔王の名に相応しいような残虐非道な行い。小さなリスが圧倒的恐怖の存在であったドラゴン達に憐憫を抱く程である。

 とはいえ無論、ランスが意味も無く理由も無くこのような事をしているはずはなくて。

 

「仕方ねーだろ!! ここで女を抱くにはこれしか方法がねぇんだ!!!」

 

 ランスは考えた──人間の女が存在していない世界で、それでもどうにかして女を抱く方法。

 前提1として、プラチナドラゴンだったカミーラは魔人化によって人間体となった。

 前提2として、女だったケッセルリンクは魔人化によって男となった。

 

 となれば。この二つの要素が同時に作用したなら。

 男のドラゴンが魔人化した際、人間体になって、かつ女になる事だってあり得るのではないか。

 

「いやぁ……さすがにそりゃあ無理だって……」

「無理じゃない! 可能性はあるはずだ!!」

 

 ランスのそんな思い付きによって、ドラゴンを元にした無銘の魔人達が量産されていた。

 

「カミーラっつー実例があるんだ、ここのドラゴン共があれぐれー美人になる可能性もあるだろ!!」

「でもカミーラさんはメスじゃん……ここのドラゴン共はオスじゃん……」

「それもケッセルリンクっつー実例があるんだ! 性別ぐらい気合で変えられる!!」

「つってもなぁ……ドラゴン共がそれを望んでいるとは思えねーし……」

 

 ケイブリスが言うように、魔人化によってその性質が変貌するのは当人の意思によるところが大きい。

 例えばカミーラはドラゴンでありたくないと願った為、そしてケッセルリンクは魔王スラルを守る騎士でありたいと願った為にその容姿性別が変貌した。

 しかし一方でここにいるドラゴン達は、当然ながらそんな事を願ってはいない訳で。

 

「無理だって。無理無理」

 

 となれば必然魔人化しても出来上がるのは男性体のドラゴンの魔人ばかり。

 しかしそんなものは必要無いのですぐに魔王の手によって処分される。残虐非道な魔王によって実に惨たらしい処刑場が出来上がっていた。

 

「とにかく次、次だ……!」

「まだやんのかよ……」

「あったりめーだ! 次だ、次のドラゴンこそ当たりを……!」

 

 しかし今のランスには。この方法しか縋る道はない。

 

「ドラゴン見つけたー!! 魔人になれーっ!」

「ゴガァァァ!!」

 

 その後もドラゴンを見つけては。軽く捻っては魔血魂を食わせ続けて。

 

「ハズレじゃねーかボケがー! くたばれー!!」

「ギュイーーー!」

「あぁ……当たりが出ない……SRが、SSRが出ない……」

 

 何度も何度も魔人化ガチャをガチャガチャと繰り返して。

 しかし当たりは引けない。確率表記の無いガチャの闇はどこまでも深いのである。

 

「ぐ、ぐぐぐぐ……!!」

 

 そうこうしている内にも、時間だけは確実に過ぎていって。

 捌け口の無い鬱憤と性欲が溜まっていく。そして──

 

 

 

 

「……おんな」

 

 そこから更に数日後。

 

「……お、おんな」

 

 女を求め続けた哀れな男は、この非情な世界から拒絶され続けた。

 

「……おんな、おんな、おんなおんなおんなおんな……」

 

 今やこれしか喋れない。脳みそがまともに動いていない。

 そして不規則にカタカタと震える。まるで何かの発作か禁断症状のようで。

 真っ赤に血走った目は虚空を見つめたまま微動だにせず、その形相は狂人のそれである。

 

「おんなおんなおんなおんなおんなおんなおんな……」

「……(ぶるぶるっ)」

 

 そんな男の視界に入らぬよう、隅っこで小さく丸まっているリスの姿も。

 この頃にはもうケイブリスはランスに近付くのすら怖くなっていた。

 

「おんなおんなおんなおんなおんなおんなおんな……」

 

 そして──

 ついに、限界がきた。

 

 

「────おんな?」

 

 

 その時。

 突如としてランスの目がクワッ! と見開かれた。

 

「おんな……? お、おお、おんな! おんなだ!!」

「え?」

「おんなおんな! おんな、おんながいる!! おんながいるぞーー!!」

 

 そして狂ったように喚き始める。

 空の一点を指差して。歓喜に湧いた表情で「おんなおんな!」と叫び回る魔王。

 

「おい、ランス……」

「おんなーー!! おんなおんなおんなおんなおんなーーー!!!」

「お、おい、落ち着けって。この時代に女なんているはすが──」

 

 この時代に存在しているのは生物上の雌のみ。人間の女なんて存在するはずがない。

 これはついに幻覚を見始めたかと、先行きに戦々恐々とするケイブリスだったが──

 

「って、え?」

「おんなーーー!!!」

「まさか、あれ……く、ククルククル!?」

 

 ランスが指差す空の先、よく見るとそこには謎の巨大飛行物体があるではないか。

 それは最強の魔王ククルククル。今やそれどころでは無かったので放念していたが、一応は討伐目標であるそれがこのタイミングで急接近してきていたようだ。

 

「おんなだーー!!」

 

 そして。相変わらず声が割れんばかりに叫ぶランス、その目線の先には。

 その魔王ククルククルの超巨大な身体から。無数に伸び出ている触手があって。

 

「って、おい、まさか──」

 

 ケイブリスは気付いた。

 ククルククルの触手、その内の一本には──

 

「お、おいおいおい!」

 

 その内の一本には、まるで女性のようにも見えるシルエットがあるではないか。

 

「おんなーー! おんなだーー!!」

「ちょ!! ちょっと待てよランス!! ククルククルのあれは女じゃねぇよ!!!」

 

 それは確かに、見ようによっては人間の女性のようにも見える。

 目と鼻と口を備えた人間のような顔があって、人間のような髪も生えていて。

 更には女性らしい胸部まで備えている。となれば見た目で女性だと勘違いするのも無理はない。

 

「おんなー!!」

「あれはただの触手だ!! 落ち着けって!!」

 

 無理はないが──しかしそれは女性ではない。

 ケイブリスは知っている、触手はあくまで触手、それ以上でもそれ以下でもない。

 そもそもククルククルは『丸いもの』であり、この時代にはまだ人間が存在していない以上それは人間を模したものでもなく、本当にたまたまそういう形状をしているだけの触手なのである。

 

「おんなーー!! おんながいたーー!!」

 

 しかし、性欲を貯め込み過ぎて正気を失ったランスにはもう女としか認識出来ない。

 ちょっとでも女性っぽい顔と身体さえあればもうそれは女、その正体がなんであっても女なのである。

 

「おんな! せっくす!! せっっくすーーーー!!!」

「お、おいおい! セックスって、冗談だろ!? ククルククルの触手を襲うつもりか!?」

 

 ケイブリスは驚愕に身震いした。

 だってそれは6000年前から憧れ続けた存在、この時代を象徴する最強の魔王ククルククルを。

 それを──倒す。どころか、セックスする為に、襲う。

 

「そんな、そんな馬鹿な真似を──!!」

 

 その触手の一本が。女のように見えるからというあまりにもバカげた理由で。

 そんな真似をしようものなら、その果てに待ち受けるのは当然身の破滅以外にはない。

 

「ランス!! 待て!! 正気に戻れ!! お前はそんな死に方でいいのか!?」

 

 ケイブリスには信じられなかった。

 ククルククルの触手を女と勘違いして襲った、それが死因だなんてさすがに酷すぎる。

 こんなんでも一応は魔王なのに。あの時最強の魔人にまで上り詰めた自分を倒して、自分の代わりに魔王になった男なのに──

 

「冷静になれ!! ランス!!」

 

 そんなケイブリスの想いも虚しく。

 ランスの目に映るのは女のみ。女を目指して彼方に駆け出した。

 

「おんなーーーーーーーー!!!」

「ランスーーーーーーーッ!!」

 

 小さなリスの絶叫が響き渡った。

 

 

 

 

 

 



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VS 魔王ククルククル④

 

 

 

 

 

 一方──その頃。

 

 

「………………」

 

 ふわふわと大空を漂う、巨影。

 

「………………」

 

 Kuku年1050年。

 その時代の名を冠する存在──それが魔王。

 

「………………」

 

 そして、それがこのククルククル。

『丸いもの』という一世代前のメインプレイヤーから誕生した最強の魔王。

 

「………………」

 

 そんなククルククルだが、今日も今日とて自由気ままに生きている。

 この時代で空を見上げれば大抵どこでも、ふわふわぷかぷかゆったりと漂う姿を見つける事が出来る。

 

「………………」

 

 魔王ククルククルは最強の存在なのでそりゃもう強い。途轍もなく強い。

 その強さ、その存在感は絶対的。ただ一人で頂点に君臨し、この時代におけるメインプレイヤーであるドラゴン達からは天敵と目されている。

 なのでドラゴン達と戦うのは日常茶飯事。その戦いの歴史はもう1000年を超えている程で、こうしている間にもいつ襲撃を受けたっておかしくはないのが常である。

 

「………………」

 

 そのように不俱戴天と呼べる関係性なのだが、一方で当人にそのつもりは無い。

 別にククルククルはドラゴン達を敵視していない。ただ面倒な存在だと感じているだけ。

 それが理由にククルククルの方からは攻撃した事が無い。あくまで受けるだけ。これまで戦いの中で数多のドラゴン達を握り潰してきたが、それでもククルククルの方からドラゴン達を狩りに行くような事はない。

 当人の感覚としては降りかかる火の粉を払っているだけで、こちらの邪魔をしないならわざわざ殺そうとも思わない。攻撃する必要性も感じない、言わばその程度でしかない存在。ククルククルにとってドラゴンというのは興味を惹かれない存在なのである。

 

「………………」

 

 一体何故ククルククルはこれだけ長い因縁のあるドラゴン達に興味を示さないのか。

 その答えはとっても簡単で、ククルククルはドラゴンを食べないから。

 まぁ食べられない事は無いのだが、ドラゴンは食べてもあんまり美味しくないのである。

 

「………………」

 

 つまり。専ら魔王ククルククルにとってその興味を刺激されるのは食、食べ物なのである。

 特に挙げるのならば貝、貝が好き。この時代には沢山いる貝こそがククルククルの好物。ドラゴン肉のような大雑把な味付けではなく、たっぷりと身の詰まった貝の繊細な味こそがククルククルのお気に入り。

 

「………………」

 

 なのでドラゴンはわりとどうでもいいククルククルでも貝には容赦しない。

 貝は見付け次第襲う。触手でガッといってパクリと食らうのである。

 

「………………」

 

 美味しいものを沢山食べる。それが日々を満足に過ごす秘訣である。

 毎日毎日、美味しい貝をパクパク沢山食べてきたから自分はこんなにも大きくなったのだ、とククルククル本人はそう思っている。

 という事で、日々を自由気ままに生きているように見られるククルククルなのだが、それでもちゃんと行動指針というものが存在している。

 

「………………」

 

 食。食を求めて今日のククルククルは気ままに北の方へゆったりと移動していた。

 そちらには他の地域よりも気温が低い寒冷地帯がある。後の時代にはヘルマンと呼ばれるその一帯は年中雪の降り積もる寒冷地であるが故、そこに棲息している貝達もまた他の地域とは一味違う粒ぞろいなのである。

 

「………………」

 

 今日は冷やした貝を食べたい気分のククルククル。

 それ故北へ北へ、巨大な身体をふわふわと浮かせて空を遊弋していく。

 

「………………」

 

 そんなククルククルだが、気ままな性格なので気ままにつまみ食いをしたりもする。

 冷やした貝は好きだが、それ以外の貝だって好き。美味しい貝が大好きなククルククル。

 

「………………」

 

 移動途中、地表にあった山間部の谷間にて貝達の巣である貝塚を目ざとく発見。

 するとククルククルはうにょーん、と触手を伸ばして。

 

「…………(パクっ)」

 

 一帯を丸ごと掬い上げて、パクリ。

 こうして貝達は魔王ククルククルにあっさりと食べられていく。

 

「……………(もぐもぐ)」

 

 果たしてこの貝は何貝だろうか。

 などという疑問を持つ事も無く、ただ美味しいものを美味しく食べる。それがククルククル。

 

「……………♪」

 

『貝』というのは『丸いもの』の敵役として生み出された第一世代モンスターに当たる。

 モンスターとしては大した特徴も無い彼等だが、その死骸が年月を経て化石化すると貝殻になったりする。けどこうしてククルククルに食べられると死骸が残らないので貝殻は生まれない。

 後の時代にはいるかもしれない貝殻コレクターなんかがこの光景を見たら卒倒するやもしれないが、この時代にそんなものはいないので細かいことは気にせずパクパク食べていく。

 

「………………」

 

 こうして。

 ここら一帯の貝塚を粗方食べ尽くして。

 

「………………」

 

 さてそろそろ当初の目的通り、冷やした貝を食べに向かおうか。

 そう考えてふわふわゆったりと移動を再開した、その時──

 

 

「おんなーーー!」

「………………?」

 

 なにかが聞こえた。

 

「おーーーんなーーーー!!!」

「………………」

 

 おんな、という音が聞こえる。

 ドラゴンの声とは異なるであろう音が、大声で何かを叫んでいる音が聞こえる。

 しかしその音が表す言語を知らないククルククルにはその音の意味が分からない。

 

「おおおおおんんんなぁぁぁああああ!!!」

「………………」

 

 意味は分からない……のだが。 

 しかし、その音からはどうしてか不穏な印象を受ける。良からぬ響きに感じるのは何故か。

 自然と警戒心が働いたククルククルはセンサー用の触手を動かした。すると──

 

「うががががががーーーー!!」

「………………」

 

 いた。

 なにかがいた。

 

「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃーーー!!」

「………………」

 

 遠い、遠い彼方の地表付近からこちらに爆走してくる影がある。

 ドラゴンではない何かが、こちらに向かって物凄いスピードで走ってきている。

 

「あばばばばばばばばーーー!!」

「………………」

 

 貝とも丸いものとも違う二足歩行で走る生き物、ククルククルには見覚えが無い。 

 そういえば少し前にもこんな生き物に出会っていたような、気がするようなしないような。

 この知的生命体は──何者?

 

「うきゃっきゃきゃきゃきゃーーー! セックスさせろーーー!!」

「………………」

 

 一部訂正。どうも知的な一面はあまり感じられなかった。

 とにかくこの生命体は一体何者なのか。

 

「セックス!! セーーックス!!!」

 

 セックスとは。一体なんなのか。

 ククルククルがそんな事を考えている間にも、その男は猛スピードで距離を縮めてきて。

 

「おんなーーーーッッ!!!」

 

 即座に交戦開始。瞬時に腰から剣を引き抜いて一閃。

 滾る性欲と必殺の勢いを乗せた対空魔王アタックが空に浮かぶ巨影を切り裂いた。

 

「………………」

 

 攻撃を受けた。体表面に生じた一筋の裂傷、決して浅いものではない。

 相手は攻撃しようとしている、とククルククルが認識した瞬間にはもうそれを食らっていた。

 触手を盾にして防ぐ隙も無かった。いっそ見事な程の速さと思い切り。

 

「………………」

 

 その相手が何者なのかも、目的がなんなのかも分からない──が。

 この相手はこちらに対して敵対行動を取ってきている、それは理解した。

 

「………………」

 

 だったら蹴散らす。降り掛かる火の粉は払う。

 扱いはドラゴン達と変わらない、ククルククルの中で行動原理が決定した。

 

「おんなーー!! おんなはどこじゃーーー!!!」

「………………」

 

 迎撃開始。動きを止めたその巨体から無数の触手が生え出していく。

 ククルククルにある無数の触手は各種センサーだけでなく攻撃にも使用される。元々は単なる『丸いもの』でしかなかったのだが、魔王化に伴い使用可能となったこの触手を用いる事で多様な攻撃が可能になる。

 

「………………」

 

 その内の一つを、地表に向けてぐにょーんと伸ばして。

 途中で一旦持ち上げて、勢いを付けて遠心力を乗せて、振り払う。

 

「うががーーー!!!」

 

 その先手を取るように、男は先程繰り出した対空斬撃を再度一閃。直撃。

 弧を描くような軌道で地表に迫った触手はその途中で真っ二つに切断された。

 

「………………」

 

 威力もさることながら、一つ一つの攻撃速度が速い。

 相手はこちらの挙動を見てから動いて尚先手を取ってくる程に速い。これでは触手一本足らずでは振るう速度が到底敵わず追い付けない。

 

「………………」

 

 だったら数を増やせばいい。

 一本で足りないなら二本、それ以上いくらでも。ククルククルの触手は切り落とされても時間が経てばまた勝手に生えてくるものなので、出し惜しみをする必要は無い。

 

「………………」

 

 地表に向けて計六本、普通の標的一体を片付けるのには過剰な程の威力が襲い掛かる。

 その内の四本、目標を前後左右から同時に囲うようにして間髪入れずの連続攻撃。

 

「キョエエエエエーーーー!!」

 

 しかし男は右に左と躱す、躱す。

 

「ホキャーキャキャキャーー!!」

「………………」

 

 計四本で仕掛けた四連続攻撃は全て回避された。

 攻撃速度以上にその動作は機敏、まるでサルみたいな身のこなし。という表現はサルを見た事が無いククルククルには思い付かず、ドラゴンとは比べ物にならない程の敏捷性は初めて目にする代物。

 それにしてもよく叫ぶ生き物である。これも知っていればサルみたいなと例えたかもしれない。

 

「………………」

 

 正直言って、こういう機敏な相手はあんまり得意ではない。

 というか、生まれてこの方貝とドラゴンの大群としか戦った経験が無かったので、こういう機敏な相手があんまり得意ではないのだと今知った。

 ククルククル自身はその巨体もあって機敏な動きが苦手、かつこれだけ小さい的だと猶更。

 

「………………」

 

 とはいえそれでもやってやれない事は無い。というか、やる。

 先程仕掛けて見事に回避された四本の触手をそのまま往復させて、再度の攻撃。

 

「うきょきょきょーーー!!」

「………………」

 

 案の定、先程と同じようにサルのような身のこなしで難なく躱された。

 それは仕掛ける前から分かっていたので、間髪入れずに追加攻撃。地表付近からは見えないであろう空高くに持ち上げていた五本目の触手を振り下ろす。

 今度は遠心力だけではなくククルククル自身の力も乗せた叩き付け。先端部分のスピードは先程までの単純な振り子攻撃の比ではない。

 

「ピャーーーー!!!」

 

 触手を打ち付けた瞬間、爆発が起きたかのように地面が爆ぜて一帯が捲れ上がった。

 

「ピャピャピャーー!!」

 

 しかし──どうやら見切られたらしい。相変わらず叫び声が聞こえるし、大地を砕いただけで手応えが無い。

 この一撃を躱せるドラゴンはまずいない。初見の攻撃に対する対応力も反応速度も見事。

 

「………………」

 

 その上で、更にもう一撃なら。

 ククルククルは五本目と同じように振り上げていた六本目の触手を叩き付けた。

 相変わらず的は小さいが、そのちょこまかとした動きにも多少は慣れてきたし、今度は計五本の触手のセンサーを活用して先程までよりもしっかりと狙いを定めた。

 

「────ぐっ」

 

 だから、当たった。

 ようやくちゃんと攻撃が当たった。それで小さな身体をすり潰した。

 

「ぐ、っがーーー!!!」

 

 ──という手応えだったが、予想に反して相手は原型を留めていた。

 というか元気だった。ちょっと信じられないぐらいの驚くべき耐久力である。

 身体の大きさなど自分はおろかそこらのドラゴン達よりも遥かに小さいのに。どうやら身体の大きさとその強靭さは必ずしも比例するわけではないらしい。

 

「おおおおんんなああああーーー!!!」

 

 まるでダメージなど受けていないかのように、男は元気に叫びながら剣を振り被る。

 そして出鱈目な動きで斬撃を連発。その都度刃のような衝撃波が打ち出されて、次々に触手が切り落とされていく。

 

「うきゃきゃきゃきゃきゃーー!! おんなおんなおんな!! おんなをだせーーー!!」

「………………」

 

 一撃で触手を破壊してくるこの攻撃力も。

 その素早さや敏捷性も。対応力や反応速度も。耐久力も。

 

「………………」

 

 ククルククルは理解した。

 この生命体の正体は依然として謎だが、その強さはドラゴン達よりも間違いなく上。

 単体で比べるならば比較にならない程、一個体の強さとしては飛び抜けている。

 

「………………」

 

 ──そして、同時に理解した。

 それでも自分の方が、強い。

 

「あびゃびゃびゃーー!! おおおおおんなはどこじゃあああーーー!!!」

「………………」

 

 男が放った対空斬撃がまた一つ、空を切り裂きククルククルの巨体に傷を付けた。

 しかし──なんの支障も無い。この耐久力一つとってもそう、確かにこの生命体の耐久力は驚嘆すべきものだが、それで言ったら自分の方がそうだと思う。

 今の一撃だって決して弱いわけではない。むしろその破壊力は生半可なドラゴン達の牙や鉤爪の比ではない。しかしそれでも4,7kmの巨体からすれば引っ搔き傷が付いたようなもの。

 

「おんな! おんな! おんな!!!」

「………………」

 

 総合的に考えて、どう考えても自分の方が強い。

 だからこの戦いは自分が勝つ。負ける事はまずあり得ない。

 そこまでを客観的かつ冷静に判断して、それでもククルククルには困った事が一つ。

 

「………………」

 

 それは──ちょっと、面倒だな、と。単純に戦うのが面倒臭そうなのである。

 先程までの戦闘を振り返れば明らかなのだが、的が小さくてちょこまかと動くので一つ攻撃を当てるのがとても難しい相手。かつ、一つ攻撃を当ててもピンピンしている程に耐久力の高い相手、となれば。

 勝てるには勝てるけど、どう考えても長引きそうで面倒な戦いになりそう。触手を適当に振り回していればその内に片が付くドラゴンの大群と戦う時よりも圧倒的に面倒臭そうなのである。

 

「………………」

 

 そもそもの話、別にククルククルはこの謎の生命体に勝ちたいとか思っている訳ではない。

 向こうから攻撃を仕掛けてきたので迎撃こそしたものの、そうでなければわざわざ戦う事も無かった。

 ククルククルの興味は専ら美味しい貝にしか向いていないし、何よりこの相手。

 

「うきょきょーー!!ウキャキャキャッキャキャキャーーー!!」

「………………」

 

 謎の奇声で狂ったように叫ぶ生き物、率直に言って不気味である。

 こんな生き物がこの世界にいたとは知らなかったが、知らないなら知らないままで良かった。

 ハッキリ言って関わり合いになりたくない。地上と空で住む世界も違うのだからわざわざ突っ掛かってこないで欲しい、自分のことは放っておいて欲しいと思う程である。

 

「………………」

 

 そういえば、結局のところこの生命体の目的はなんなのだろうか。

 こちらを攻撃してきた意図は。自分を倒して何が得られるというのだろうか。

 ククルククルがそんな事を考えた、その時──

 

「──ッッ、いたーーーー!!」

 

 という、絶叫が聞こえた。

 

「見つけたーー!! 見つけたぞーー!!」

「………………?」

 

 歓喜に湧き叫ぶ男、彼は探し求めていたものを発見したのだ。

 それは唯一一本だけ生えている他とは違う形をしている触手、後の世に生まれる人間という生物の女性体のような形に酷似している触手が。

 それ見つける為に男は先程から攻撃を仕掛けていたのだと、そんな真相にククルククルが気付けるはずも無く。

 

「うおぉぉぉおおお!!!! おおおおおおっぱい揉ませろーーー!!!」

 

 理由は不明なのだが謎の生物は俄然元気になったようだ。

 そしてまた攻撃してきた。次々と放たれる斬撃の刃がククルククルの巨体を刻む。

 

「………………」

 

 対して痛くはないけれど、それでも放っておくのは鬱陶しい。

 仕方無くククルククルもまた無数の触手を地上に伸ばして応戦をする事にした。

 けどなんか嫌な予感がするなぁと内心思いながらも触手を振り被って、いざ攻撃を──

 

「ウキャキャキャキャーー!! おんなおんなおんなーーー!!!」

「………………!」

 

 攻撃を、した。しかし男は避けようともせずに。

 むしろそれを待っていたかのように、迫り来る巨大な触手にガバっと飛び付いた。

 

「………………!!」

「キャーキャキャキャ!! セックスセックスセックスーーー!!」

 

 そして這い上ってくる。飛び付いた触手を伝って男はガザゴソと這い上ってくる。

 その動きはまるでゴキブリのよう、という表現はゴキブリを見た事が無いククルククルには思い付かなかったが、それと同じ類であろう不快感と気色悪さは十分に感じられた。

 

「ままままんこまんこまんこーー!!」

「………………」

 

 空を飛べる生物ならいざ知らず、空を飛べない地上の生物がこんな方法でこちらに近付いてくるなんて予想だにしていなかったククルククル。

 ドラゴンのように飛べない生物では戦うといっても限度があるだろうと踏んでいたのだが、こうやってこちらの本体に近付く方法があるとなると話は変わってくる。

 現に男は触手を這い上ってどんどん迫ってきている。先程までのようにエネルギー波を飛ばした間接的ダメージではなく、あの攻撃力で以て直接攻撃された場合、圧倒的耐久力を誇る自分の身体でもどうなるかはちょっと見当が付かない。

 

「うぉおおおお!! カワイ子ちゃん!! セーーックス!!!」

「………………」

 

 これ以上この生物をこちらに近付けさせるべきではない。

 そう判断したククルククルは数本の触手を伸ばした。身体に引っ付いた虫を払うが如く、男が這い上る触手を別の触手で叩く。繰り返し叩く、攻撃する。

 

「うひゃっひゃひゃひゃーー!! むむむむだむだむだむだーーー!!!

「………………」

 

 しかし男は落ちない。抜群の運動能力でククルククルの攻撃に対処する。

 迫る触手を時には躱して、また時には別の触手に乗り移りながら着実に這い上っていく。

 

「………………」

 

 触手上とはいえ、自分の身体の上をガサゴソ這い上がってくる不快感といったら。

 これを見るとドラゴンというのはまだ可愛げがある敵だったんだなぁと思わずにはいられない。

 

「あひゃひゃひゃひゃー!! 逃がさんぞーー!! おんなーーー!!!

「………………」

 

 不気味で不快。この謎の生物は、よくない。

 ちゃんと真面目に対処した方がいい。ククルククルはそう感じた。

 

「………………」

「お?」

 

 すると──先程までとは規模が違う、数十本の触手が一気に出現。

 視界一杯の空を覆い尽くす勢いでその身を伸ばして、触手にへばり付いていた謎の生物を──

 

「ぐ、ぐぬ……ッ!」

 

 捕まえた。ようやく捕まえた。

 四方八方逃げる隙間を与えないぐらい大量の触手で周囲を囲んだ甲斐があった。

 逃げ場を失い対処が遅れた男の身体を一本の触手が巻き付くように捕らえた瞬間、すぐさまその上から別の触手が幾重にも巻き付き重なっていく。

 

「ぐにに、ぐぬぬぬぬぬ……!」

 

 男はあっと言う間に全身を触手で拘束されて身動きが取れなくなった。

 いやそれは拘束などと生温いものではない。いまや無数の触手は男の全身を何重にも覆って完全に包囲している。外の空気に触れる隙間などもなく、全身を隈なく圧迫するそれが──

 

「ぐ、ぐぐ、ぐ……!」

「………………」

 

 力を増す。内側に捕らえたそれを粉砕せんと前後左右360度あらゆる方向から。

 ようやく捕らえた事だしこのまま絞め殺してしまおう。ククルククルはそう決めたらしい。

 内側で巻き付く自らの触手が潰れてしまうのも気にせず、外側からどんどん圧を加えていく。

 

「ぐげ、げげげ、ぎ……」

 

 男は全身を締め付けられて身動きが取れない。首と同時に口元も圧迫されて呼吸が出来ない。

 最強最古と呼ばれる魔王の万力の如き拘束。大半の生物であればとっくに息絶えているであろう状況でまだ耐えているだけでも大した耐久力と言えるが、それもいつまで続くのか。

 

「ぐ、ぐ、ぐぐ、ぎぎぎ……!」

「………………」

 

 ククルククルは戦闘終了を確信した。

 相手の力量を加味して尚さすがにここまですれば打開策は無いだろう。恐らくドラゴンの王であろうともこの状況になったら逃げる術は無い。

 

「ぐ、う……お、お……!」

 

 しかし男は。

 魔王の力を以てしても身動きがとれない拘束の中、そこから逃れる術など考えようとはせずに。

 

「ぐ、お、おん、な……!」

 

 この期に及んでも尚、その頭の中には女を犯したいという欲求しか無かった。

 窮地における生存本能などではない、それよりも性欲への衝動の方が遥かに強いのがこの男。

 

「ぐ、が、が、が、が……!!」

 

 生き延びる為──ではなく、女を抱いて気持ちよくなる為。

 そんな生き様の下、男は時として不可能を可能にしてきたのである。

 

「ぐ、ぐぬ、ぬぬぬぬぬ……!」

 

 すると、男の拳に。

 握りしめた左手に──血のように赤いオーラが集約していく。

 

「──ッ、うがーーーーー!!!!」

 

 そして、渾身の力を振り絞ってその左手を振り切った。

 その瞬間──

 

 ──ドーーンッッ!! と。

 閃光と共に大爆発が。

 

「………………!!」

 

 突然発生した強烈な熱と爆風。

 それによって、男を拘束していた触手の悉くが焼き払われた。

 

「………………」

 

 これにはククルククルもビックリ。

 この時代では魔法の研究がされていないのでこういった魔術的な作用による攻撃方法を目にする事が無く、類するものと言えばドラゴンが吐き出すブレスが一般的。

 故に口元は警戒して封じていたのだが、そんなククルククルの理解を大きく超える力──一帯を吹き飛ばして焼き尽くす大爆発。

 

 それは魔王に与えられる特殊能力の一つである『エクスプロージョン』という力。

 第七代魔王リトルプリンセスが得意とする能力であり、魔王LVによって習得が可能となる。

 なので魔王LVを持つククルククルも使おうと思えば使える技ではあるのだが、こういった特殊能力は習得しない限り使えるようにはならない。

 よってそれを習得していない、というかそれが必要な状況に陥った事すら無いククルククルにはエクスプロージョンを使う事が出来ない。

 

「うががががががーーーー!!」

 

 一方でその男も別に習得してはいなかったのだが、それが魔王LV2の才能のなせる力か、それとも性への衝動が齎した奇跡なのか。この土壇場で発現に成功してみせたようだ。

 大爆発によって自らを拘束する触手を焼き払った男は爆風の勢いに乗って上昇、目ざとくもまだ千切れていない触手の上に着地した。

 

「フー! フヒー……!!」

 

 男は止まらない。

 たとえ血の衝動は抑える事が出来ても、性欲の衝動を抑える事は出来ない。

 

「………………」

 

 過去最強の攻撃力と耐久力と敏捷性を誇り、どこまでも食らい付いてくる謎の生物。

 最強の魔王ククルククルも、いよいよその相手を明確な敵と認識していた。

 

 

 

 

 

 

 一方その頃──

 

「ひー、ひー……まだあんな遠くに……くそっ!」

 

 小さなリスは、それでも懸命に走って追い掛けてきていた。

 

 

 

 

 

 



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VS 魔王ククルククル⑤

 

 

 

 地上から離れた大空での戦い。Kukuの世界ではそれが常である。

 第二世代メインプレイヤー達とその宿敵による1000年以上も続く争いも。そして今も。

 

「………………」

 

 Kukuの世界を統べる最強の魔王ククルククル。

 空に鎮座する超巨体。今や無数の触手を表出させて臨戦態勢である。

 

「おおおおんな! おんなー!!」

 

 対峙するは魔王ランス。

 Kuku世界に唯一存在する女(のように見えるもの)目指して、その触手上を駆け上がる。

 

「ウキャキャキャ! ウキャキャキャッキャキャキャーー!」

 

 尚現在は性欲を無限に滾らせて爆発させてしまったあまり知能指数が大幅に低下中。

 その姿に知的生命体の風格はあらず、下半身にしか思考が無くなってしまっているが、こんなんでも一応れっきとした第八代目の魔王である。

 

「セックス! セーックス!!」

「………………」

 

 こんなんでも本物の魔王なので、たとえ知能指数が底を割っていてもその身体能力は極めて高い。

 そして何より性交に向ける執念たるや。その甲斐あって両者の対決は意外にも白熱していた。

 

「………………」

 

 地上から攻撃してきて、こちらの触手上を這い上ってくる、今まで戦ったことの無い未知なる相手。

 知らぬ事だが自分と同格である存在。その対処に魔王ククルククルは苦慮させられていた。

 

「………………」

「キョキャーッキャッキャキャー!!」

 

 四方八方から繰り出す触手攻撃は巧みに避けられて、躱される。

 相手の魔王は元々から近接戦闘に長ける男、身のこなしは絶品である。

 

「………………」

「ホキョアーー!! ホキャッキャキャー!!」

 

 まぁ躱す。いっそ見事だと感心してしまう程に運動能力と瞬発力が高い。そしてうるさい。

 更には困った事にこの相手、これ程回避力が高いくせに耐久力もまた高い。たまに攻撃が当たっても魔王の耐久性故に致命傷には程遠く、痛みなど感じていないかのように男は怯まない。

 思考力が低下している影響で後退するという選択肢が無い、美女(に見えるもの)目指して触手上を突き進むその邁進を止める事が出来ない。

 

「………………」

 

 攻撃を続けるものの有効打が打てない現状、ククルククルは悩んでいた。

 この謎の生物は強い。すでに触手上の半分を越えられた現状、このまま手をこまねいていては謎の生物がこちらの本体部分に到達してしまう。

 するとどうなるか。ククルククルは伸縮自在な無数の触手を武器としており、それを鞭のように振るって攻撃する中長距離での戦いが得意。その距離であれば四方八方あらゆる方向全てに対処出来る自信がある。あるのだが。

 しかしその一方であまりに本体に近寄られてしまうと触手を用いての攻撃が難しくなる。鞭というのは接近距離で使用する武器ではなく、成長し過ぎて山脈の如き大きさになった本体部分には一切の攻撃手段が無い。

 

「………………」

 

 ククルククルにとっての戦いとは。触手を適当に振り回すだけで片付くようなもの。だからこそ今まで本体部分に攻撃手段が一切無かろうと困った経験が無かった。

 加えて防御面では柔軟性のある触手部分よりも本体部分の方が遥かに堅い。なので決してそこが弱点という訳ではないのだが、このまま近寄られてしまうと今以上に戦いにくくなってしまうのは事実。

 

「………………」

 

 そしてもう一つ。先程の大爆発も大きな懸念材料。

 完全に極めたと確信した触手の拘束を一瞬で焼き払ってみせた、あの破壊力は脅威。

 

「………………」

 

 もしあの規模の爆発を連発出来るとするならば警戒度を上げる必要がある。

 あんな大爆発をこちらの本体部分の上でドカドカやるのはさすがに遠慮して欲しい。

 

「………………」

 

 相手は触手の拘束をも耐える未知なる生物。ドラゴンとは比較にならない程に厄介な敵。 

 相変わらずその目的がよく分からない事も懸念材料ではあるのだが、いずれにせよ攻撃手段が無い本体部分に到達させる事は避けたいのだが──

 

「………………?」

 

 そこでふと、ククルククルは考える。

 自分の本体部分には攻撃手段が一切無い。それは本当にそうだったか。

 

「………………」

 

 いいや違う。そんなはずは無い。

 だって触手は後付けのものだ。今でこそ無数にある触手が便利なので攻撃やその他色々な事に活用してはいるが、魔王になる以前の自分には触手など生えていなかったのだから。

 自分はまる、球体に目が付いただけの「まる」でしかなかった。そんなただの「まる」の身一つで数多の貝達と戦って、勝って、その身をパクパク食べてきた。それが大昔の自分の姿だったはず。

 

「………………」

 

 であれば、触手が無くたって戦う事は出来るはず。

 というか、むしろそっちが自分の本来の姿というか、本来の戦闘スタイルのはずである。

 

「……………!」

 

 やれるのか。いいや、やる。ククルククルは決心した。

 この1000年で便利な触手を活用する事に慣れてしまった、楽に戦う事にかまけてしまっていた。

 しかし今こそ、本来の自分を取り戻すべき時である。

 

「ホキャキャキャ! ウキャキャキャ!」

「………………」

 

 奇声を上げながら謎の生物が這い進んでくる。

 その足元にある触手をわざと持ち上げてこちらと高さを合わせる。──狙い良し。

 

「…………………」

「……ウキャ?」

 

 一旦引いて。助走をつけて。

 そして──

 

「お、おぉ……?」

 

 すると男は、一瞬我に返ったかのように動きを止めて目を見張った。

 目の前にある光景が、動く。全長4.7kmが、巨大な山脈が、こちらに迫ってくる。

 

「おお、お、お──!」

 

 今まで感じた事もない、比較にならない程の強烈な圧。それはすぐに視界一杯を埋め尽くして。

 それでも止まらずに。そのまま男を飲み込んだ。

 

「ぶべーっ──」

「………………!」

 

 これこそおよそ1000年ぶりに使用した攻撃方法──体当たり。

 まるは『まる』である。中には進化の過程で特殊な力を持つに至ったまる種族もいるものの、ククルククルは『丸いもの』の中でも原種である『まる』出身である為、そういった特殊能力は一切持たない。

 『まる』には手も無いし足も無い。あるのは球体状の身体ただ一つだけ。そんな丸いだけの生き物が第一世代メインプレイヤーとして選ばれていた。

 

 そして、メインプレイヤーはその敵役である『貝』と戦う。

 硬い貝殻を持つ貝。それを砕く際に使用するものといったら己の身体ただ一つだけ。

 つまり──体当たり。体当たりこそがククルククル本来の攻撃手段なのである。

 

「………………!」

 

 大昔の頃より、貝を食べるのが大好きだったククルククルは貝退治に励んでいた。

 故にこれは当時のククルククルにとって必殺の一撃、必殺の体当たり。渾身のブチかまし一つで数多の貝殻を砕いてきたのである。

 

「べべべーっ──」

 

 全長4.7kmの超巨大な身体が。ズズズと動いて有象無象を飲み込んでいく。

 その迫力といいその規模といい、それはもはや体当たりという概念を越えていて。

 それに飲み込まれた謎の生物は──

 

「あべべーっ──」

「………………?」

 

 謎の生物は──意外と平気そうだった。

 それは体当たりという概念を越えていて、もはやそれは体当たりでは無かった。

 その男からしたらあまりにも巨大な存在、巨大な壁に押されるような感覚はあるものの、しかし一方で体当たりのようにぶつかられる感覚はあんまり無い。

 その力は圧倒的でとても抗う事など出来やしない。出来やしないが、それでダメージがあるのかと言えばそれはまた別の話である。

 

「………………」

 

 ククルククルはあの頃の感覚を思い出して、あの頃のように渾身の体当たりを放ったつもりだった。

 しかしさすがに1000年経って成長し過ぎたというか、さすがにサイズ感に差があり過ぎたか。体当たりというのはあまりに小さすぎる相手には効果が薄いのかもしれない。

 

「………………」

「べべー──……べ?」

 

 効果が薄いと分かったので動きを止めた。

 巨大な壁に押し当てられて、なんという事もなくそのまま終わって。謎の生物は何が起こったのかよく分からない様子でポカンとしている。

 

「………………」

 

 せっかく一大決心して体当たりを仕掛けたのに大した効果が無かった。

 過去の思い出は美化された思い出に過ぎないのか。正直ちょっとガッカリな気分のククルククル。

 

「………………」

 

 というか、なんか。なんか。

 なんというか、昔はこんなもんじゃなかったような気がする。

 

「………………」

 

 あの頃の自分はこんなもんじゃなかった。

 昔の自分はもっと俊敏で、もっと勢いがあった。風切るような速さで目にも止まらない高速の体当たりを放っていたような気がする。いや絶対にそうだった。

 丸いもの唯一の特技である体当たりを駆使して戦っていたあの頃の自分はもっと身軽だった。もっと速かった。音を置き去りにするような一瞬の体当たりこそが武器だったのだ。

 

「………………」

 

 しかし今は。小さくて身軽な「まる」だったあの頃とは違う。

 さすがに大きくなり過ぎた。おかげで耐久力は大幅に上昇したものの俊敏さが失われた。今の自分にあの頃のような体当たりを再現する事は難しいようである。

 

「………………」

 

 現実を直視してしまいちょっとショックな気分のククルククル。

 これは貝か、貝を食べ過ぎたのが原因か。ダイエットする事も視野に入れるべきだろうか。

 しかし貝を食べる事は唯一にして絶対の楽しみ、我慢出来る気がしない。食べる事を禁止せずに簡単に小さくなれる方法はないだろうか。

 

「うがー!! うがががーー!!」

「………………」

 

 とかそんな事を考えている場合ではなくて、今思うとこれは失敗だった。

 何故なら謎の生物の現在地が。わざわざこちらから体当たりという名の急接近をしてしまったせいで、謎の生物がこちらの本体部分に到達してしまったではないか。

 

「ぎゃおーー!! あびゃびゃびゃーー!!」

「………………」

 

 正直避けたかった本体到達、こうなるといよいよ触手を用いては戦いにくい。

 下手に攻撃すれば自分の触手で自分の身体を叩く羽目になる。それはまぁ別に大した事じゃないが、この近距離だとどうしても触手を振っての勢いが付けにくい。

 遠心力を付けないと触手攻撃の威力が落ちる。ただでさえ耐久力が高い相手なのに、こちらの攻撃力まで落ちては猶更戦闘が長引いてしまう事必至である。

 

「うば! うばばー! うばばばー!!」

「………………」

 

 加えて、この謎の生物の狙いも気になる。

 先程までの動きを見れば、一連の行動の目的がこちらの本体に到達する事であるのは明らか。

 となれば。一体ここから何を仕掛けてくるのか──

 

「……あびゃ? あびゃびゃびゃ?」

「………………?」

 

 と思いきや。

 予想に反して、なにやら謎の生物の様子がおかしい。

 

「……お!? お、おおおんな!? おんなどこいった!?」

「………………?」

「おんな! おんなが消えた!! さっきまでいたのにーーー!!!」

 

 待てども攻撃を仕掛けてくる気配は無く、あちらこちらをウロウロ見渡しては狼狽している。

 こうなるといよいよもって訳が分からない。この謎の生物は触手を伝ってこちらの本体に辿り着く事を目的としていた訳ではなかったのか。

 だったら一体何をしたいのか。何故攻撃をしてくるのか。この生物は何が目的なのか。

 

「おおおおんなー!! 俺様のおんな!! どこいったんじゃーーー!!」

「………………」

 

 そう思ってちょっと観察してみる。

 すると──どうやら、何かを探しているらしい。という事は分かった。

 

「がーー!! おんなーーー!!」

「………………」

 

 この生物は何かを探していて、それを手に入れる為にこちらの本体に辿り着く必要があった。

 がしかしそこにあると見込んでいたものが無かった。だから狼狽している──という事か。

 

「………………」

 

 そうだとして、果たしてこの生物は一体何を探しているのだろうか。

 自分は宵越しの貝は持たない主義だ。あるものは全て食べてしまうので隠し持っている貝とかは無いし、住処も持たない主義なので保存食とかも無い。全て現地調達なのでそもそも持ち物という概念が無い。

 だからこの生物が何かを探しているのだとしても多分自分は持っていないと思う。何か貴重なものを保持しているという事ならばドラゴン達の方が余程可能性があると思う。

 

「うがーーー!! うががー!!」

「………………」

 

 とか思っていたら刃のような衝撃波を出鱈目に飛ばして攻撃してきた。

 イライラして八つ当たりしてきたのだろうか。なんとも野蛮な性格の生物である。

 

「おんなをだせー!! おんなはどこじゃーーー!!」

「………………」

 

 先程から何度も聞こえる『おんな』というもの、それを探しているのだろうか。

 しかし自分には聞き覚えの無いものだし、思い当たるような節も無い。

 

「………………」

 

 というか、あったとしても応えてあげる義理は無い。

 相手は野蛮で失礼な生物。態々こちらが付き合ってあげる理由は無い。

 

「………………」

 

 理解不能な相手と戦うのもいい加減面倒臭い。

 もう勝負を付ける。体当たりで駄目なら、これならどうだ。

 

「………………」

「おんな、おんなー!!! …………お?」

 

 すると、おんなおんなと喚き散らしていた男の足元が。

 足元からふわりと力が抜けていく。というよりも地面の方が落ちていく。

 

「お、おおお、おー……?」

 

 落下の感覚と同時、徐々にだが強制的に身体が傾いていく。

 それまで立っていた足元のものが、角度を変えて下に落ちていく。

 そして──

 

「………………!」

「ぐぎゃーー」

 

 そのまま叩き付けた。

 ククルククルの超巨体が。反転して大地を目掛けて体当たりをかましたのである。

 

「………………!」

「ぐ、ぐぐぐぐー!」

 

 全長4.7kmが落下する衝撃。それは四体の聖獣に支えられているこの大地が大きく揺れる程。

 衝撃を受け止めきれず地表は抉れて土砂がひっくり返る。一帯は完全に陥没した。

 

「おべべべべーー!」

 

 その規模は。その男からしたら天地がひっくり返ったかのような一撃。

 土砂の洪水に巻き込まれて、もはや自分がどうなっているのかも分からない。

 

「あばばばばーー!」

 

 とはいえ……それでもその男は死なない。魔王はそれぐらいじゃ死なない。

 魔王の肉体強度は大地よりも遥かに上なので、こうしてククルククルの超巨体と大地の狭間に押し潰されようともそれで潰れるような事は無い。その中で一番脆い大地の方が陥没するだけ。

 土砂の濁流に飲み込まれようとも目を回すだけで窒息するような事も無い。そもそもがこうした大雑把な攻撃では極小の生物にクリーンヒットさせるのは難しい。ククルククルからしたらちゃんと当てたつもりの体当たりでも、直撃には程遠かったようである。

 

「……う、うーむ……」

 

 という事で、男は無事に生存。

 さすがに土砂に飲み込まれる中で前後不覚に陥り、立っている場所もククルククルの身体の上ではなく陥没した地表の上に落とされたようだが、無事は無事である。

 

「………………」

 

 そしてこちらは、地面に体当たりをかまして再浮上中のククルククル。

 

「うーぬぬぬ…………はっ! おんな、おんなはどこじゃーーー!!」

「………………」

 

 聞こえた。あの生物の声が聞こえた。

 なんか生きてた。普通に生きてた。

 

「………………」

 

 えー、これでも死なないのー? とげんなり気分なククルククル。

 いくらなんでもドラゴンと違い過ぎる。さすがにちょっとこれは頑丈過ぎるのでは。この生物もうインチキなのでは。と自らの巨大さ頑丈さを棚に上げて文句を思う始末である。

 

「………………」

 

 しかしどうしよう。これでも死なないとなるとちょっともう仕留める方法が思い付かない。

 自分にはこれ以上の攻撃手段は無い。これまで自分が戦う相手はドラゴンで、ドラゴン程度なら触手で叩くだけで対処が出来てきた。

 絶対に逃げられない触手の拘束はおろか、体当たりでも死なない相手と戦った経験は無い。なのでククルククルにはこれ以上に攻撃力を持つ攻撃方法が無い。

 

「………………」

 

 となると。その上でこの生物を仕留める方法とは。

 それはもう繰り返すだけ。大技一撃で仕留めるのは諦めて、何度も触手で叩いて地道にダメージを与えていくだけ。ある種戦いの基本である──が。

 

「………………」

 

 ──が、しかし。それをしたいかというと。

 突然に絡まれた訳の分からない生物相手に、地道な耐久戦をしたいかというと。

 

「………………」

「うがーー!! うがががーーー!! おんなおんなーーー!!」

 

 下方であの生物が吠えている声が聞こえる。

 そう思うと先程の体当たり攻撃にも意味はあった。あの一撃に巻き込まれてさすがに態勢を維持してはいられなかったようで、謎の生物はこちらの本体から落下している。そして触手にも捕まれず地表に落っこちたらしい。

 

「………………」

 

 ──もう放っておこう。

 そうと決めたククルククルはふわーっと動き出す。

 

「………………」

 

 幸い謎の生物には飛行能力が無い。空を飛ぶ事が出来ない生物。

 だったらこちらから触手を伸ばしたりしなければ、向こうから近付いてくる事は出来ないはず。

 

「まてーー!!」

 

 とはいえこちらも。遠ざかっていく超巨体を目にして引き下がるような男では無い。

 この世界には女が一人しかいない。それを逃すわけにはいかない。

 

「まちやがれーー!!! おんなーーー!!」

「………………」

 

 うわぁ追い掛けてくるよいやだなぁという気分を隠せないククルククル。

 どうするか。相手は陸上歩行だしさすがに山脈を跨げば追い掛けてくる事は難しいだろう。今日は北にある冷やした貝を食べたい気分だったが、諦めて東にある山脈を越えようか。

 

「………………」

 

 そう考えて進路を変えようとした──そんな時だった。

 

「……おーい!」

「………………?」

 

 小さな声、ではあるが。

 それでも見知った声が聞こえた。

 

「おーい! おーーーい!!」

「………………」

 

 触手のセンサーを動かして、地表面をよーく見てみれば、そこには。

 そこには小さいのがいた。もの凄く小さい上に普段から巣穴に引き籠りっぱなしなので、運が良くても数年に一度ぐらいしか見つける事が出来ないあの小さいのがいるではないか。

 

「………………」

 

 名前は──ケイブリス。

 こちらに向かって走ってきている。どうやらずっと呼びかけていたらしい。

 こうして巣穴を出ているのも珍しいが、向こうの方から会いに来るのは猶更珍しい。

 もっと言えばさっきまで戦っていたような危ない場所に出向いてくるなんて輪を掛けて珍しい。

 

「まてー! おんなーーー!! セックスさせろーー!!」

「おーい!!」

「………………」

 

 後方には追い掛けてくる謎の生物。

 前方にはこちらに用事があるらしい小さいの。

 

「………………」

 

 元々、謎の生物はどうでもいい相手。

 一方この小さいのはなんとなく興味が湧いたので魔人にしてみたリス。

 ククルククルの中で興味の度合いはこちらが上である。

 

「………………」

 

 という事で。後ろに迫る謎の生物は無視して、ククルククルはそちらに触手を伸ばした。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──という事で。

 

「おーい! おーーーい!!」

 

 どちらに向けて声を投げかけていたのか。それもよく分かっていないのだが。

 とにかく頑張って後を追っていた、そんなケイブリスの目の前に。

 

「お……」

 

 うにょーん、と、上空から一本の触手が伸びてきた。

 

 

 

 

 



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VS 魔王ククルククル⑥

 

 

 

 

 かつてのケイブリスにとって、それは仰ぎ見るだけの存在だった。

 そして──今。

 

「おーい、おーい!」

 

 懸命に走っていたケイブリスの目の前に。

 

「お……」

 

 先程からの呼び掛けが届いたのか。

 上空よりうにょーんと差し出された触手。乗れという意味だろうか。

 

「ククルククル……」

 

 かつての魔王。今も変わらぬ遠い目標……なのだが。

 あるいはだからこそか、ケイブリスとしてはこの世界に舞い戻ったとてククルククルに会いたいとか思っていた訳ではない。今再びククルククルと相対したとて、正直何をすればいいのかも分からない。

 それ故ほんの少しだけ躊躇したが、とはいえ魔王ククルククル手ずからの招待。無下にするのもそれはそれで気が引けてしまうので、厚意に甘える形で触手の上に乗る。

 

「……デケェなぁ、相変わらず」

 

 ケイブリスを乗せた触手が上昇していく。ククルククルの本体に近付いていく。

 するとよく分かる。ケイブリスが目一杯見上げても尚、全てを捉えられない程に大きな姿。

 小さな自分とはこれ以上無いぐらいに対照的な姿、最も分かりやすい最強の証明。

 

「………………」

 

 そんなククルククルが、目の前にいる。

 六千年前と何一つ変わらない姿で今、ケイブリスの目の前にある。

 

「これが……これが元々は丸いものだっつうんだからな、ほんと信じられねぇ話だ」

 

 ククルククルは丸いもの。最も初期に、最も単純に作られた第一世代メインプレイヤー。

 そしてケイブリスはリス。リスというのは『丸いもの』から枝分かれして誕生した種族に当たる。

 同一種とは呼べないものの種族的にはとても近しく、その意味でククルククルとケイブリスには共通項がある。少なくともドラゴン種や貝などに比べれば遥かに近い立ち位置にいる。

 

「本当に……何一つ似ちゃいねぇ」

 

 しかし。かつてのケイブリスにとって、それは仰ぎ見るだけの存在。

 だから自分とあのククルククルが近い存在だと、そう感じた事はこれまで一度たりとも無い。

 

 自分が生まれたその時から、ククルククルはこの世界に君臨する魔王だった。

 空を覆い尽くすこの世で最も巨大な存在だった。数多のドラゴンを殺し尽くす最強の象徴だった。

 たとえ種族的に近いからといって、そのような桁外れな存在と矮小な自分を近しく感じられるはずもない。むしろその逆でケイブリスにとってククルククルとは、何よりも大きくて何よりも遠い存在、この世界を支配する魔王だった。

 

「そもそもが俺はリスだからな。まるとは違う」

 

 そうした理由からか、ケイブリスはククルククルの意思や意図といったものを明確に感じ取った経験が無い。魔人になってから一番最初に魔王として仰ぎ見た時からずっと。

 あまりに遠すぎる存在故に、その思考や思惑が分からない。感覚としては一生物ではなくて自然現象や災害と接している感じに近い。

 

「………………」

 

 魔王ククルククルが、その触手で小さな自分を拾い上げる。

 最初にそうして貰った時からずっと、そこにあるのは完全な沈黙のみ。

 

「俺はまるじゃねぇんだって。分からねぇ、分かんねぇよ」

 

 だからケイブリスには分からない。分からなかった。

 ククルククルの考えが。魔王の意思が。自分を魔人にした理由も。何もかも。

 

「………………」

 

 ククルククルは『丸いもの』であり、丸いものの殆どは言語機能を持たない。

 特にこのKuku歴に存在している丸いものは進化の段階を全く踏んでいない原種の「まる」であり、球体に目があるだけの丸いものは言語機能どころか音声を発する口部すら有していない。

 しかし意思疎通が行えない訳ではなくて、実際丸いものの多くは集落を作って共同生活を送っている。丸いもの同士であれば身動きで、転がったり飛び跳ねたりで意思疎通を図りコミュニケーションを取る事が出来る。

 

 一方でケイブリスは。ケイブリスは『丸いもの』の中でもその進化種となるリス。

 リスには口部があって声を発する事が出来る。なのでリスは身動きではなく鳴き声や言語を使用して意思疎通を図る。

 それがリスなので、言語を有しない原種の丸いもの達と意思疎通を図るのは困難。同じ『丸いもの』でも『まる』と『リス』は生態が大きく異なるのである。

 

「………………」

 

 そもそもククルククルは元々丸いものとはいえ、その生態は丸いものと大きく乖離している。

 4.7kmとなったその巨体では丸いもの本来の飛んだり跳ねたりでコミュニケーションを取る事は出来ず、しかし元々の丸いもの同様に口部や言語機能を持つ訳でも無い。

 なのでククルククルは意思疎通手段を持たず、コミュニケーションを取るのがとても難しい存在。

 

「………………」

 

 とはいえククルククルはこの世界における魔王、唯一にして孤高の存在で。

 なのでそもそも意思疎通を必要としない。出来ないからと言って困った事は無い。

 ククルククルはどんな時も気ままに生きている。同族の丸いもの達が何を訴えかけてこようとも、ドラゴン達がギャアギャア吠えていようとも、ククルククルにとってはどうでもいい事なのである。

 

「………………」

「ククルククル……」

 

 しかし、ケイブリスは。

 そんなククルククルによって、その意思によって生み出された魔人で。

 

「………………」

 

 かつてのケイブリスにとって、それは仰ぎ見るだけの存在。その意思を読み取る事は出来なかった。

 それでいいと思っていたし、それが当然だとも思っていた。相手は生物を越えた自然災害のような超巨大生物、そもそもコミュニケーションを取れるような相手には思えなかった。

 ククルククル側から何かを命じられたり要求されたりする事も無くて、そうした経緯からケイブリスはククルククルと意思疎通を図った事が無い。ただ相手の思惑を当時のケイブリスなりに想像する事しか出来なかった。

 

 ──しかし。

 

 

「……あぁ、分かる。分かるぜ」

 

 今ならば分かる。分かった。

 それはただのリスだった当時とは違う、紛れもなくケイブリスの成長。

 

「大昔のあの頃よりも……お前の言いたい事がよく分かる」

 

 何故ならケイブリスは、この六千年間をそうやって生きていたから。

 ケイブリスは最弱の魔人だった。自分より強い相手は自分の周囲にいくらでもいた。戦った所で絶対に勝てない、負ける、殺される。

 だから警戒する。そういう強い相手には決して逆らわずに、相手の機嫌を、顔色を伺って下手に出る。そうしなければ生き延びる事が出来なかった。

 

「我ながらろくでもねぇ生き方だがな、全くの無駄ってわけでもねぇもんだ」

 

 ククルククルの次の魔王はドラゴンであり、その次の魔王は新しく誕生した第三世代メインプレイヤーである人間。

 種族の異なる魔王相手でもその意思を的確に読み取り、こちらの服従を示す事で命を保証して貰う。そんな生き方を数千年単位で繰り返してきた今のケイブリスは相手の意思を読み取る能力、言わば観察力がずば抜けて発達している。

 

「………………」

 

 ククルククルのような最強の存在に憧れて。

 それでも最弱だったケイブリスは弱者なりに生き延びる為、周りの全てを警戒して夜も眠らずに生きてきた。

 そうやってケイブリスは、最強の魔王ククルククルの三倍も長生きしてきた。

 

「………………」

「……ククルククル」

 

 だからこそ。分かる。

 あの頃とは違う、今のケイブリスにならそれが分かる。

 言語機能を有しない魔王ククルククルでも、その意思は──

 

「………………」(あ、ケイブリスだー、という顔)

 

 を、している事が、今のケイブリスには分かるのである。

 

「お、おう……久しぶりだな、ククルククル」

「………………」(そうだね、久しぶりー、という顔)

「あぁ、本当に……久しぶりだよな」

 

 触手に乗せられて辿り着いた上空、その巨大な生物と目線があった、ような気がする。

 こうやって魔王ククルククルと、久しぶりに再会した挨拶を交わす。それは初めての経験。

 あるいは当時からククルククル側はそうした意思を発していたのかもしれないが、当時はまだ観察力が未熟だったケイブリスにはそれを読み取る事が出来なかった。

 

「なんだ、こうして見りゃあ結構分かりやすいもんじゃねぇか」

「………………」(分かりやすいって、なにが? と尋ねる顔)

「なにってそりゃ、そうやってる事がだ」

 

 ククルククルは言語機能を有しない。とはいえ生きて思考をしている生物ではある訳で、そうした思考に基づき行動や動作が行われている以上そこから読み取れるものがある。

 例えば、よく見れば触手の一本を楽しそうに揺らしている。そこから今の機嫌が伺える。そしてケイブリスレベルの観察力があれば、もはや喋らなくても会話が行えるのである。 

 

「けれどもあの頃は、俺が……このデカさに圧倒されちまってたんだろうな」

 

 しかし、当時のケイブリスにはそれが出来なかった。

 だからこれは初めての事。六千年経って初めて、ククルククルとの意思疎通が可能になった。

 

「………………」(ところでケイブリス、なんでこんなところにいるの? と不思議がる顔)

「え?」

「………………」(だって、とっても臆病なケイブリスがこんな危険な場所に出てくるなんて珍しいじゃん。なにしてたの? と尋ねるような顔)

「あ、あぁ、そういう事か。えーと、なんて説明すっかな……」

 

 返答に困る。どのように事情を説明すべきか。超・挑戦モードとかいう訳の分からないものに巻き込まれたんだーと説明してククルククルは理解してくれるだろうか。

 そもそも今ここにいる自分はククルククルが知っている自分そのものではない。ククルククルは気ままな性格なのであまり細かい所は気にしていないようだが、今ここにいる自分は六千年後の未来から来た自分。まずはそれを説明する必要がある。

 

「……つまり、かくかくしかじかで」

「………………」(ふむふむ、ほうほう、と相槌を打つ顔)

「……つー訳で、今ここにいる俺はお前が知っているケイブリスとは違うんだよ」

「………………」(違う? と疑問形な顔)

「あぁ」

 

 Kukuの世界を生きるククルククルからすれば。

 RAの世界から来たこのケイブリスは遥か未来の住人という事になる。

 

「なんと六千年も先だ。ビックリだろ」

「………………」(え? 六千年? とちょっと驚きな顔)

「あぁそうだ。俺は六千年も生きたんだ。だから今となっては俺の方がお前よりも年上なんだぜ」

 

 約六千年。それがケイブリスの歩み。

 

「………………」(へぇー、そっかー、六千年かー、と遠くを眺めて物思いに耽るような顔)

 

 一方でこの時のククルククルは千年とちょっと。六千年には遠く及ばない。

 

「………………」(……ううーん、となんだか微妙な顔)

 

 すると、今のケイブリスにだけ読み取れるククルククルの表情が。

 何か憐れむような、あるいは何処かガッカリしたような表情に変化して。

 

「………………」(なんか六千年も生きたわりには全然強くなってないなー、と言いたげな顔)

「ち、違う! 違ぇんだよ! 一度はすげー強くなったんだ! 今とは比べ物になんねぇくらいに強くなって、それこそ魔人の中では断トツ最強にまで上り詰めたんだって!!」

「………………」(えぇー、うっそだー、だって六千年も生きたにしては私が知っているケイブリスと同じで小さいままじゃん、と言いたげな顔)

「本当だって! 本当に超強かったんだけど、ただ……一回だけ、死んじまって。それで……元に戻っちまったっつうか……」

 

 魔人は魔血魂が初期化されなければ死んだとしても復活出来る。そして復活の際には多少なりとも力を落とす事があるものの、魔人になりたての初期状態にまで戻る事は無い。

 なので自分がここまで弱くなってしまったのは何かのバグ、魔王ランスの嫌がらせなのではとケイブリスは疑っているのだが、とはいえ命あっての物種なので文句は言えない。

 

「本当はもっとビッグな俺様だったんだ。まぁさすがにお前程大きくなっちゃいねぇけどよ……」

「………………」(ケイブリスは少食だから大きくなれないんだよ。もっと私みたいに普段から貝をパクパク食べた方がいいよ、とアドバイスしてくれる顔)

「あのなぁ、こっちはお前と違ってクソ雑魚なリスなんだよ。この当時は貝相手だって数体に囲まれようもんならあっけなく負けちまうぐらいで……って、んなことはどうでもいいんだ」

 

 先程からケイブリスがククルククルを追い掛けていたのには訳がある。

 今はとにかくあいつをどうにかしなくてはいけない。すると、

 

「うがー!! うがががーーー!!!」

 

 と、ちょうどよく下方からランスの雄叫びが。

 

「ウキー!! ウキキーー!! セックスセックスーーー!!!」

「………………」(ところでケイブリス、これ、なにか知ってる? と尋ねる顔)

「それは……」

 

 やはり聞かれる。あいつについての説明を省く事は出来ない。

 しかし説明し辛い。ククルククルと同格の存在がもう一人いるというだけでも事が事なのに、ランスのパーソナルな部分も加えて、結果的にこうした状況になってしまった全てが説明し辛い。

 

「そういやククルククルは人間すら見た事ないんだもんな。あれは人間っつう生き物でよ」

「………………」(へぇ、人間って言うんだ。随分と気色の悪い生き物なんだね。と率直な感想を述べる顔)

「んで、あいつはランスっつって……俺と一緒に未来から来た。六千年先の魔王なんだ」

「………………」(え? あれ、魔王なの? と驚き顔)

「あぁそうだ。今の俺にとってはあいつが今の魔王なんだ」

「………………」(へぇ~……、という顔)

 

 魔王。これが魔王。六千年後の魔王。

 さすがのククルククルもさっきまで戦っていた不気味な生き物が遠い未来の魔王だとは想像していなかったらしい。

 というかククルククルは初代の魔王である為、自分の死後に魔王という役職が次代に引き継がれていくものだとも知らなかったようだ。

 

「………………」(えー? でも本当にこれが魔王? あまりにも小さすぎない? と疑う顔)

「人間としてはそれで一般的な大きさなんだけどな。つーか大きさはあいつが小さいんじゃなくてお前がデカすぎるんだよ」

「………………」(でもそっか、魔王か。通りで何度も叩いたり握り締めたりしても中々死なないなーと思った。と納得顔)

「お、おぉ……」

 

 何度も叩いたり握り締めたり。ランスを追い掛ける最中、ケイブリスは遠巻きながらにその戦いを目撃していたのだが、改めてあのランスとククルククルが戦っていたのだと実感する。

 数多の触手や大爆発、果てはククルククルの巨大な全身全てを使用してのブチかましなど、規模が違い過ぎてこの世の光景とは思えなかったそれも魔王同士が戦うとなるとそうなるのか。

 

「おんなー!! おおおおおんなーーーー!! セックスさせろーー!!!」

「………………」(ところでケイブリス。これが魔王だってのは分かったんだけど、こいつは一体何がしたいの? なんで私に攻撃してくるの? と尋ねる顔)

「そ、それは……」

 

 ケイブリスは閉口する。説明し辛い事この上ない。

 ククルククルが不思議に思うのも無理はない。それはどの時代にあっても異常、何処の誰が見ても奇行としか表現出来ないものである。

 

「なんつーか、まぁ……要するに、あいつにとっては、その……お前に生えている触手の内の一本が……好みっつーか、欲情するっつーか」

「………………」(は? 触手? と思ってもみなかった話にきょとんとする顔)

「あぁ。さっきも言ったけどあいつは人間っつー種族で、お前が知らなかったようにこの世界にはあいつ以外の人間がいないんだ。そんな中で唯一見つけた好みの女を追っかけてたっつーか、自分のものにしたがってたっつーか」

「………………」(え? と困惑顔)

「要するに……性交をしたがってたっつーか」

「………………」(……え?)

 

 ククルククルは表情を歪ませた。ケイブリスだけには読み取れるぐらいの感じで。

 

「………………」(え、まって? こいつ、私と交尾がしたいの? と不審がる顔)

「……まぁ、うん」

「………………」(いやでもまって、だってこいつって人間とかいう種族なんでしょ? 私は元々丸いものだから、こいつと交尾をしても子供は生まれないしなんの意味も無いと思うんだけど。と本気で不思議がっている顔)

 

 丸いものは子供を成す種族ではあるのだが、丸いものにとって番となるのは当然丸いものである。

 丸いものとドラゴンが生殖行為をしても子供は生まれないように、丸いものと人間が生殖行為をしても子供は生まれない。当然の道理である。

 

「………………」(それなのに、なんで? と疑問が尽きない顔)

「あー、いや……別にランスはガキを作る為にセックスしたがってるわけじゃないから……」

「………………」(え? だったら猶更何のために? とちんぷんかんぷんな顔)

「そこはまぁ……ほら、気持ちよくなれればなんでもいいぜー、みたいな感じで……」

「………………」(……それで、人間でもない丸いものな私を? しかも触手で? と恐々尋ねる顔)

「……うん」

 

 ──あれは人間。あれはランス。

 あれは遠い未来からやって来た魔王で、性欲解消目的で自分は襲われていた、らしい。

 という状況を、ククルククルはようやく理解した。

 

「………………」(……こわっ、とドン引きな顔)

 

 状況を理解しての感想、ククルククルはドン引きだった。

 

「………………」(自分が気持ちよくなる為に誰かを襲うなんてあり得なくない? それでしかも異種姦なんて。ヤバすぎない? とすっごくまともな事を言いたげな顔)

「そ、そうだな……でも……なぁ、ククルククル。これは例えばの話なんだけどよ」

「………………」(なに? と先を促す顔)」

「人間なのに丸いものと交尾したがっている今のそいつみたいに、もしも……もしもリスが、ドラゴンと交尾をしたがっていたら……どう思う?」

「………………」(……え? リスとドラゴンが交尾?)

 

 ククルククルは一瞬沈黙をして。もとい、そういう表情をして。

 

「………………」(いやいやないないそんなの。気持ち悪い。と更にドン引きな顔)

「……そ、そっかー。まぁ、そりゃー……そうだよなー……」

 

 気持ち悪い。そうらしい。なんか予想以上に胸に突き刺さった気がする。

 ククルククルは間違っていない、異種姦に嫌悪感を示すのは生物としては自然な姿。とはいえ長年の夢だったそれをこれまた長年の目標だった相手にドン引きされて、ケイブリスは切なくなってしまったようだ。

 

「………………」(……え、ていうか、リスって……え? あれ? もしかしてケイブリスって……、と疑惑の目)

「ち、ち、ちげーよ! 俺の話じゃねーって! 俺は魔人ケイブリス様だぞ!? ドラゴンなんかとセックス出来るかっての!!」

「………………」(そっか。まぁそりゃそうだよね。異種姦なんて変態のすることだよねー、と言わんばかりな顔)

「そ、そりゃそうだ。そうに決まってんだろ。ははは……」

 

 異種姦は変態のすること、その事実をもっと早く教えて欲しかった。

 あるいはこの時代のこの当時にククルククルからそう言われていたなら。それが自分の中での常識になっていたならカミーラに対して立場違いな想いを向ける事も無かったかも知れない……が。

 とはいえもう全て後の祭り、今更になって性的趣向は変えられないのである。

 

「………………」(分かった。この小さい魔王は変態魔王なんだね。と納得の顔)

「あぁそうだ。そいつは間違いなく変態だ。俺とは違ってな」

「………………」(でもケイブリス、じゃあこいつはどうすればいい? さっきから付きまとわれていて困ってるんだけど。とうんざり顔)

「そうなんだよな……そこが問題でな……」

「………………」(敵視されていたならまだしも、まさかその逆で襲われていたとは思わなかった。嫌悪感がすごい。と異種姦は絶対NGで受け入れられない顔)

「まぁな……」

 

 異種姦云々は置いといても、現在暴走中のランスの事はどうにかする必要がある。こうしてククルククルが困っている姿を見るなどケイブリスの長い人生の中でも初の事。

 しかしどうするか。性欲が爆発してああなっている以上解決には性欲を解消するしかないのだが、仮に何かしらの手段で一時的に解消したとしてもこの世界に女性がいない以上根本的な解決にはならない。

 

「さっきも言ったけどよ、俺とあいつは未来から来ていて……だからその元いた世界に戻る方法があるにはあるんだけど」

 

 根本的解決は元の世界に戻る事。ゲームのルール通りにステージをクリア事である。

 

「………………」(その方法って? と先を促す顔)

「いやそれが……なんつーか、ここにいるボスを倒せっつー話で……」

「………………」(ボス? と首を傾げる顔)

「まぁ要するに~……その、お前を倒したら元の世界に戻れるらしくて……」

「………………」(え、わたしが倒されないといけないの? と問いかける顔)

「あ、あぁ……」

 

 なんとも言えない表情で頷くケイブリス。

 そんな理由で魔王を、特にこのククルククルを倒そうだなんて正気とは思えない。

 最初からムリゲーだったようなもので、この世界に連れてこられた当初からケイブリスはほぼ諦めていた。その挙句にランスも性欲に狂ってしまった。全ての問題は攻略難易度が高すぎたが故。

 

「………………」(じゃあ逆に言うと、私が倒されない限りあいつは私に付きまとってくる? と薄々理解しながらも一応確認する顔)

「あぁ……多分、つーか間違いなくそうだろうな。ランスの目的はお前との交尾だから……」

「………………」(……ぞわわっ、と鳥肌が立った顔)

 

 交尾。あの不気味な生物と。

 この先ずっと、異種姦を目論むあれに付きまとわれる事になる。

 

「………………」

 

 その解決策は。一番分かりやすいのはあれを倒してしまうこと。

 でも聞けばあれは魔王だった。だったら倒すと言っても相当な時間が掛かると思う。

 

「………………」

 

 そしてもう一つが、自分が倒されること。

 そうすれば、あれとここにいるケイブリスは元いた世界に戻るらしい。

 

「………………」

 

 倒される──やられる。やられる?

 ドラゴンにやられるならまだしも、あれにやられるのは絶対に嫌である。

 ──となれば。

 

「………………」

 

 そして。

 ククルククルは。

 

 

「………………」(やーらーれーたー……という顔)」

 

 そういう顔をした。魔王ククルククル渾身の顔芸。

 そしてふらふらよろよろと、空に浮かんでいた高度を下げていって。

 

「お、おお、お……!」

 

 やがて、ズシーンッッ!! と、

 ククルククルの超巨体が大地に落下した。

 

「………………」(やーらーれーたー、まーけーたー……という顔)

「お、おぁ……」

 

 やられた。あの魔王ククルククルが、山脈と見紛うような圧倒的超巨体が地に堕ちた。

 この世の終わりのような光景をケイブリスが目にしたのは、これで人生二度目の事。

 

「………………」(ばたんきゅー……という顔)

「ククルククル……知らなかったぜ、お前って結構ノリが良い性格をしてたんだな……」

 

 最強と恐怖の象徴……ではなく、意外と話せば分かる魔王だったククルククル。

 仰ぎ見るだけではなく、ちゃんと対話してみれば知らない一面が見えてくるものである。

 

「とにかく、これで──」

 

 魔王ククルククルは、倒れた。

 

「……けどなぁ、こんな倒れたフリでどうにかなるかっつうと──」

『はいはーい、おわりおわり―』

「お?」

 

 すると、何処からともかくハニーキングの声が。

 

『パンパカパーン! ステージクリアおめでとー!』

「マジか、これでクリアになるのか」

『まぁ駄目だけど。どう見てもボスを倒したとは言えないけど。でも最初からムリゲーだったし、これ以上時間掛けてもどうにもならなそうだしね。一応倒した扱いという事で、もーいいや、撤収撤収ー』

 

 主催者からしても無理難題を押し付けているという自覚はあったのか。

 今だククルククルはピンピンしているものの、おまけという事でクリア扱いにしてくれるようだ。

 

「………………」(帰るの? という顔)

「あぁ、そうみてぇだな」

「………………」(そっか、ばいばーい。あ、くれぐれもあの生物もきちんと持って帰ってね。ここに置いてっちゃダメだよ。と念を押す顔)

「お、おぉ、分かったって」

 

 ほんの数時間の邂逅だったが、どうやらククルククルは余程それが苦手になったらしい。

 

「ウキ?」

「ほらランス、クリアだってよ」

「ウキキ? ウキャキャ?」

 

 という事で、サルになっている魔王ランスを回収して。

 超・挑戦モード第三ステージはクリア扱いとなった。

 

 

 

 



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超・挑戦モード⑤

 

 

 

 

 

 所変わって──そこは相変わらずのアメージング城、空中庭園。

 なにもない空間が突如丸く切り取られて、ほわほわーっとした淡い光に包まれて。

 

「──ウキ?」

「おぉ、やった、なんとか無事に帰って来られたぜ……」

「ウッキッキ?」

「やぁやぁ! おっかえりー!!」

 

 その姿が現れる。

 ランスとケイブリス、二人の挑戦者が無事元の世界に帰還した。

 

「という事で……超・挑戦モード、ステージ3──」

「ウキ!?」

 

 すると主催者ハニーキングが喝采の声を上げるよりも早く。

 その男は、いやその獣は慣れ親しんだ世界に漂う大好物の匂いをかぎ取った。

 

「──ウッキャァァァアアアーー!!」

 

 そして駆けていく。目にも止まらぬ一瞬で。

 アメージング城居住区画、そこにあるのは魔王にとって血肉の如しもの。

 要するに、女性である。

 

「……あー」

 

 行ってしまった。これにはハニーキングも呆然。

 Kuku歴という人間がまだ生まれていない世界で耐えに耐えていた結果、理性さえ失った。そんな獣に待てを強いるのは酷、というかそもそも不可能なのである。

 

 という事で、その暫くの後。

 

「ふー、スッキリしたぜ」

 

 手当たり次第食い散らかして、出すもの出してようやくスッキリ出来たランスが戻って来た。

 生命維持活動に必須となるセックスを十分に満たした結果、獣に成り下がっていた脳みそも人間の言語を喋れるぐらいに理性を回復したようだ。 

 

「ちょっとちょっとー、こういうのは進行の流れってもんがあるんだからさー、ちゃんと守ってくれなきゃ困るよー」

「知らん。んなこたどーでもいい」

「まぁいいや。んじゃ改めて、超・挑戦モード、ステージ3クリアおめでとー!!」

 

 そして改めて。どんどんぱふぱふー!! と祝福のファンファーレが鳴り響く。 

 何はともあれランスは超・挑戦モードステージ3をクリアした。超超超巨大な丸いもの、歴代最強と謡われる初代魔王ククルククルを倒したのだ。

 

「ま、倒したのだーとか言ってもねー、本当は倒してないけどねー」

「いいや倒した。どんな相手だろうと俺様に掛かれば楽勝なのだ」

 

 ハニーキングの言う通り、その実態は倒したというより倒れたフリだったのが、それはこれ。

 これまでのステージを踏まえても相手の息の根を完全に止めなければクリアにならないという訳でもないので、結局は運営側の匙加減一つである。

 

「俺様の最強の一撃が、あのデカブツを真っ二つに叩き斬って──ぬ? あれ? 叩き斬ったんだっけ?」

「いやだから倒してないって」

「つーか……うぬぬ? なんか途中からなーんにも記憶がないのだが。どうやってクリアしたんだっけ?」

 

 よくよく考えてみれば倒した記憶などなく、こてりと首を傾げる魔王ランス。

 ランスは途中から理性を失っていた為殆ど何も覚えていないらしい。とはいえそんな状態に陥っても、あるいはそんな状態だったからこそ結果的に魔王ククルククルに対して多大な精神的ストレスを与える事には成功していた。

 それによって面倒だと感じたククルククルが倒れたフリに付き合ってくれた一面もあるので、そういう意味では健闘していたと言えるかもしれない。

 

「本当に、本当にあのまま一生あの世界から帰れねぇんじゃねぇかとひやひやしたぜ……」

 

 そう語るのは協力者に選ばれていた魔人ケイブリス。彼は約6000年ぶりに自分を生み出した魔王ククルククルと再会する事となった。

 当時は恐れ多く崇めるような目で見ていた相手と初めてちゃんと話してみて分かったが、ククルククルは意外とフレンドリーな性格をしていた。6000千年経っての新発見である。

 

「魔王ククルククルは耐久力が桁違いだからねー。それでも10年ぐらい頑張ればなんとかなるんじゃないかなーって思ってたんだけど」

「10年って……」

「んなこと誰がするか。あんな色気も面白みもねぇ世界で10年なんか──ぬ?」

 

 とそこでランスはピーンと来た。

 すると即座に剣を引き抜いて、

 

「思い出したぞ!! やいクソハニワめ!! 死にやがれーーー!!」

 

 ドバーンッ! と魔王アタック。

 

「きゃー」

 

 衝撃波に呑まれてハニーキングはぴゅーと吹っ飛んだ。

 

「おいおい、いきなり何をするのさ、危ないなぁ」

 

 ぴゅーと吹っ飛んだが、すぐに戻って来た。

 魔王必殺の一撃を食らってもハニーキングはピンピンしている。ここら辺はキングのキングたる所以である。

 

「やいテメェ! この俺様をよりにもよって女がいない世界に送り込みやがって!! ケンカ売ってんのか! そうなんだな!?」

「いやいや別にそういう訳じゃないけど。たまたまっていうかー、歴史の必然っていうかー」

「危うくボス退治とは全然関係ない所で死に掛けたじゃねぇか!! どうしてくれる!!」

「いやぁそもそもがだね、この挑戦モードってのは戦闘だけでエロシーンとかは用意されてないモードだからね。そこの文句を私に言われても──」

「ごちゃごちゃ言ってんじゃねー!!」

「きゃー」

 

 ランスはまたまた魔王アタック。夥しい衝撃波の圧に呑まれてまたまた吹っ飛ぶハニーキング。

 エロを取り上げられた世界では生きていく事など不可能。ランスにとって女性がいない世界とはそういうもので、今回はそういう目に合わされたのである。当然ながら怒り心頭である。

 

「わ、分かった分かった。じゃあ次からはそういう事は起きないように善処するから」

 

 その怒りに押されてハニーキングも折れた。

 挑戦モードは本来エロとは無縁の硬派なモードなのだが、それでも次からは斟酌してくれるらしい。

 

「俺様の往く先に女在り、これは絶対のルールなのだ。これまでも、これからもな」

「ただ女がいねぇってだけで大変だったんだぜ……正直あのククルククルよりもそっちが大変だった」

「いやいや大変だったのはこっちのセリフだよ! 今回の裏で私がどれだけ苦労したか! なんせ当初の予定が最初から──」

「知らん。どーでもいい」

 

 最強の魔王ククルククルのステージ。全てが規格外な相手との戦いはこれまでの常識を超えるもの。

 故に挑戦者のランスやケイブリスは勿論の事、どうやらそれを用意したハニーキングにも相当の苦労があったようだが……ともあれ。

 

「まぁそんな事はどうでもいいや。とにかく大変だったステージ3も終わったという事で!!」

「おう」

「次は超・挑戦モードステージ4!! いよいよ後半戦だね!」

 

 3を終えて、次に待つは4つ目。

 全6ステージからなる超・挑戦モード。前半戦を終えて後半戦の開始である。

 

「という事で、早速だけど4ステージ目のボスを決めて貰うよ!! えぇ? なんだって? そのクジを私に引いて欲しいって?」

「何も言ってないが」

「しょうがないなぁ、それじゃあ今回も私が決めまーす!! てなわけでクジ引きカモーン!!」

 

 カモーン!! の掛け声を合図にして、

 ハニーキングの手元にポンっ! とくじ引き箱が出現。

 

「さぁさぁドキドキターイム! ランス君が次に挑むステージは…………こーれだーっ!」

 

 箱の中に手を突っ込んでかき混ぜて。

 そして、ハニーキングが一枚のクジを掴んだ。

 

 

「……む、むむむっ!」

 

 クジに書かれていたのは──『2』

 

 

「おぉー、2かー2が出るかー。これはまた中々に渋いチョイスだねー」

「今の時点で予言してやる。次のボスもどーせ魔王だろ」

「こらこら、ネタバレしちゃ駄目だよ」

「1を引いて初代の魔王だったからな。2って事は二代目の魔王がボスだぞきっと」

「ちょっとちょっとー、困るってばー」

 

 さすがに繰り返し4回目ともなればランスにも先の展開が予想出来るようだ。

 その言葉通り、第4ステージで待ち受けるボスは第二代目の魔王なのかどうか、果たして。

 

「やいハニワ、次のボスの魔王はボンキュッボンな金髪美人にしやがれ。それならやる気が出る」

「だからー次のボスが誰なのかはまだ秘密なんだってばー。という事で……よいしょー!」

 

 ハニーキングは頭上に掲げた左手を大きく下に振り下ろした。

 するとぐにゅーんと空間が歪んで、人一人通れる大きさの円形のワープゲートが出現。

 

「再び出現、ワープゲートー! このワープゲートに入った瞬間から超・挑戦モード開始だ! 何度も言っているけど以後はステージクリアするかリタイアしない限りはこっちの世界に戻って来られないけど……覚悟はいいかい?」

「次からは女がいなかったら即リタイアするぞ」

「わ、分かった分かったって……次は大丈夫だから」

 

 疑り深い目線にハニーキングはたじたじになりながらも。

 どうにか説得をして、ランスを次なるステージが待つワープゲートに押しやる事に成功した。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「……で、到着した訳なのだが」

 

 という事で、攻略開始。

 毎度のようにワープホールを通過して、辿り着いた先は超・挑戦モード第4ステージとなる世界。

 

「……うーむ」

 

 ランスが降り立った見知らぬ世界。

 毎度の事態に動揺せず、慌てず騒がず周囲を確認。

 

「……ううーむ」

 

 場所は野外だった。時刻は昼頃だろうか、空は明るく肌に当たる風が涼しい。

 少し開けた野原の上、周囲には雑木林が見える、自然の中にある自然の光景である。

 

「……なーんか、怪しい」

 

 そんなありふれた光景から、しかしランスは早々に感じ取った。野性的勘の働きで嗅ぎ取った。

 自然。自然と表現するしかない光景も見慣れたものだが……しかし。

 

「なーんか匂うぞ」

 

 自然と表現すれば聞こえは良いが、その実情はむしろ人工物の見当たらない光景。

 時代が変われば環境も変わる、その時代特有の澄み切った空気の匂いには覚えがあって。どれもこれも全てがさっきまで見ていた光景に似ているように感じるのは気のせいか。

 

「つーかさっきのが1で、ここが2だ。てことはさっきのデカいのの次の世界ってことだよな?」

 

 さっきのデカいの。ランスの記憶には無いがいつの間にか倒していたらしい魔王ククルククル、それが1番のクジだった訳で。

 2番のクジは1の次。その読みが正しければここは魔王ククルククル亡き後の世界という事になる。

 

「で、あの世界には人間の女がいなかった。ってことは──」

 

 ──必然的に、この世界も。

 そう考えてしまうのも無理無い話である。

 

「いや、いやいや待て。まだ結論を出すには早い。とりあえず今回のお助けキャラに──」

 

 恐るべき結論を出すのを後回しにしたランスがそう呟いたその瞬間。

 何度も見た光景、すぐそばの空間がぽっかり丸く切り取られて。

 

「お」

 

 ぐにょーんとワープゲートが出現。

 その中から姿を現したのは──

 

「……む」

「お!」

 

 その姿の一部が見えた瞬間、ランスにはすぐに分かった。

 何故なら世に言う絶世の美女とは、その姿形振舞い息遣いからしてもう違うから。

 ただそこにあるだけでその雰囲気が、纏っているオーラが一般人とは別物なのである。

 

「おぉ!!」

 

 すらりと伸びた手足も、元の種族を思わせる翼も。

 気だるげな表情の奥にある鋭い瞳も、何もかも──美女である。

 

「………………」

「カミーラだ!!」

 

 その名はカミーラ。魔人四天王カミーラ。

 彼女が第四ステージのお助けキャラとして選ばれたようだ。

 

「やったーーー!!! 大当たりだーーーー!!」

 

 これには魔王ランスも諸手を挙げての万々歳。

 これぞ待ち望んでいた相手。第一ステージのお助けキャラだったホーネット以降、剣とかリスとかしょうもないハズレ続きだった、ここに来てようやくの当たりを引いた気分である。

 

「カミーラよ、まさかお前が来るとはな。ちぃとばかし意外だったぞ」

「……あぁ」

「うむ! 相変わらずやる気なさそーだな! だが問題無いぞ、俺様のやる気が出たからな!!」

「……そう」

 

 視線も合わせず、言葉少なく返事を返す。派閥戦争中に再会してからずっと、相も変わらずローテンションな魔人カミーラ。

 とかくランスが絶対的上位者である魔王になって以後、彼女のスタンスは命じられたら渋々従うけど自発的には何もしない、で一貫している。

 となるとお助けキャラとしてはあんまりサポートを望めない相手になるのだが、それでも美女というただ一点だけでテンションが上がったのでランス的にはOKのようだ。

 

「……それで、これから何を?」

「うむ。こうしてお前がここに来た理由を教えてやろう、これは超・挑戦モードっつって──」

「知っている。ここに飛ばされる前に説明は受けた」

「そか。まぁとにかくボスをぶっ飛ばせばクリアっつー簡単なルールなのだが」

 

 ボスを倒す。その為にはボスを発見する必要があって、その為にはボスを知る必要がある。

 毎度の事だが重要なのはこのステージのボスは何者なのか、という事。しかしこれまた毎度の事、ランスにはすでにその予想が付いていた。

 

「で。このステージのボスは魔王だ。これはずっとそうだったからまず間違いない」

「……そう」

「んで。俺様の予想だとな、ここのボスは二代目の魔王なのだ」

「……二代目の魔王、だと?」

 

 ──二代目の魔王。

 ランスがそう発した瞬間、カミーラの眉間に不機嫌そうな皺が寄った。

 

「なんせクジが2番だったからな。このステージのボスはまず間違いなく二代目の魔王、俺様の天才的頭脳がそう言っている」

「………………」

「どうだカミーラ。二代目の魔王、なんか思い当たる奴はいねーか」

「………………」

 

 二代目の魔王。と聞かれて。

 カミーラには、すぐ脳裏に浮かぶ姿がある。

 

「……成る程」

 

 忌々しい事に。未だにその姿は鮮明に思い出せる。

 そしてお助けキャラとして自分が選ばれた理由も察した。輪を掛けて忌々しい。

 

「二代目の魔王、ね。確かに思い当たる相手ならいる」

「おぉ、どんな奴なんだ?」

「名前は……アベル、魔王アベル」

 

 その名を声に出したのは幾星霜ぶりか。

 AV歴を支配していた第二代魔王アベル。カミーラにとって因縁深き魔王。

 

「アベル……」

「あぁ。アベルはあの魔王ククルククルの最期に止めを刺して、その力を継承して魔王となった」

「ほー、あのデカブツを倒したのか。そりゃ強そうだな」

「違う、魔王ククルククルは遍くドラゴン達が総出となって倒した。そうした戦いの末、瀕死のククルククルに偶々止めを刺したのがアベルだっただけだ」

 

 Kuku歴に君臨していた最強の魔王ククルククル。

 しかし最強にも最期は訪れる。長きに渡るドラゴン達との戦いの末、ククルククルは敗れた。

 

 その際、総力戦となった戦場で最後に止めを与えたのがアベルというドラゴンだった。

 巨体から噴き出したククルククルの血を浴びたアベルは魔王の力を継承した。

 そして魔王が誕生した。アベルは時の運によって第二代目の魔王となった。

 

「アベルは少し運が良かっただけ、それ以外は特段優れた点など無いただのドラゴンだ」

「ほーん、そう聞くとなんか弱そうだな」

「事実弱いのだろう。実際アベルは魔王になって50年程度という短さでドラゴン達によって討伐されている」

「50年も掛かったんだったら十分長い気もするが」

「ククルククルの2000年と比較すれば短い方だ」

「なるほど、そりゃ確かに」

 

 魔王となったアベルは元同族であるドラゴン達と対立した、そして戦争が始まった。

 しかしこの時代のドラゴン族は世界の覇者、最強の魔王ククルククルですら潰されるその力を前にしてククルククルより弱いアベルが抗えるはずも無い。

 一個体としても優れるドラゴン族の圧倒的な数の暴力によって、ククルククルと同じようにアベルも討伐された。約50年続いたその戦いは『ラストウォー』と呼ばれた。

 

「そういやククルククルを倒したのがドラゴンのアベルで、そんでそのアベルを倒したのもドラゴンだってんなら三代目の魔王もドラゴンなのか」

「いや……正確に言うならばアベルは倒されていない。ククルククルの時と同じように魔王の力が引き継がれてしまうのを危惧したドラゴン達によって、瀕死のアベルは拘束されて生きたまま幽閉された」

「うわダサ。魔王のくせにしょっぼいな」

「……そうして魔王の脅威は去って、この世界にはドラゴンによる統一国家トロンが建国された」

 

 魔王が封印されて、この世界に外敵はいなくなった。

 ドラゴンとは知性が高く理性的な生き物である為同種族間で無駄な争いをしたりはしない。故に無駄な分断を必要とせず、世界を一つに統一する唯一国家が作られる事となった。

 

 その名はトロン。ドラゴンの時代、ドラゴン王マギーホアを国王とする有史初の統一国家。

 ラストウォーの名の通り、最後の戦争を終えてこの世界から争いは無くなった。

 

「ドラゴンによる統一国家?」

「あぁ、それもすぐに滅んだが」

 

 そうして誕生した争いの無い平和な統一国家は、しかし天からの光によって瞬く間に滅ぼされて。

 その時に存在していたドラゴンも9割以上が死滅する事となった。それによって知性が高く理性的なドラゴンがそれでも同種族間で争う唯一の理由となる存在、カミーラもようやく一定の自由を得る事となった。

 ……とここまでが、魔王アベルが君臨していたAVの時代に起きた主な出来事となる。

 

「ちょっと待て。魔王アベルがやられた後にドラゴンによる統一国家なんてもんが出来るって事は……」

「なんだ?」

「それじゃあやっぱり、やっぱり、今この世界には人間なんか一人もいないって事じゃ……」

 

 今カミーラが話してくれたAV歴の流れにおいて、人間というキーワードは一度も出てきていない。

 となると。ランスが感じた嫌な予感の通り、今のこの世界には──

 

「人間? あぁ、そう言えばそうね。今この世界には人間なんていない」

「……やっぱり」

「人間が生まれてくるのはトロンの崩壊後、ドラゴンの大多数が息絶えてからになる」

 

 カミーラはあっさりと真実を口にした。

 ここのボスは第二代魔王アベル。あくまでその仮定が正しいとする場合、ここは人間が生まれてくる前の時代という事になる。

 

「やっぱり……!」

 

 案の定と言うか何と言うか、やっぱりランスが予想した通りだった。

 この世界には人間がいない、つまりここは第三ステージと同様女性が一人も存在しない世界。

 

「あのハニワめーーッッ!!! 性懲りも無く女のいない世界に俺様を送りやがってーー!!!」

 

 嵌められた。これでは先の第三ステージでの悪夢と同じである。

 こうなるとボスと戦うなどどうでもよくて、探しても探しても女性が一人も見つからない絶望と性欲を解消出来ない苦しみに苛まれ続ける事になる。きっとその姿を見て嘲笑っているのだろう。

 

「ぶっ殺す! 絶対にぶっ殺すーー!!!」

 

 非道な行いに魔王ランスはブチ切れた。なんならこのまま殺戮衝動に飲まれそうな勢いだった。

 一体どうして自分は先のインターバルの時に流してしまったのか。今思えばあの時にちゃんと叩き割っておくべきだった。そうすればこんな二の舞を演じる事には──

 

「──はッッ!!」

 

 とそこでランスは気付いた。

 そしてバッとそちらに振り向く。ここには先の第三ステージとは大きく違う点が一つ。

 

「……なんだ?」

「いや待て、違うぞ! 今回はいる!!」

「いる?」

「あぁそうだ! 今回はここにカミーラがいる!!!」

 

 そこに佇むは魔人カミーラ。言うまでも無く絶世の美女。

 たとえこの世界にはいなくとも、今回はすぐそばにそれがいる。

 

「カミーラがいる!! カミーラがいるぞーーー!!!」

「……一体どうした」

「やったー!! この世界にも癒しがあったー!!!」

 

 これで人間の女性が一人も存在しないこの世界でも性欲解消に困る事は無い。カミーラは人間では無いけどランスは異種姦全然OKなタイプなので何ら問題無し。

 どうやらインターバルでの宣言通りにハニーキングはちゃんと考慮してくれたらしい、お助けキャラ魔人カミーラはまさしくランスの為のお助け要素としてここにいるのである。

 

「あー良かった。やっぱし持つべきものは美女の魔人四天王だな」

「………………」

「考えてみりゃあそもそも第三ステージだってお助けキャラにあのリスが選ばれていた事がおかしかったんだ。あいつが全ての元凶だったんだな」

「……そうかもな」

「そういやここって過去の世界だよな、ならこの世界にいるこの時代のケイブリスを見つけて焼きリスにしてやろう。そしたらなんやかんや上手い事なって現実にいるケイブリスも消滅するかもしれん」

 

 何処かにいるリスが身震いするような物騒な事をランスが考えた、そんな時だった。

 

「うし、んじゃまとりあえずどっかに────ん?」

 

 急に視界の端が赤く光った。ランスは自然とそちらを向く。

 すると煌々と燃える赤が迫る、その奥に潜む姿は逆光が滲んで見えなかった。

 

「なんだ──」

 

 なんだあれ、と言う間も無く。

 それがドラゴンの吐き出すブレスだと認識する間もなく、直撃を食らった。

 瞬間、爆発と共に辺り一面が燃え上がった。

 

「あぢゃぢゃぢゃぢゃぢゃーーー!!!」

 

 突然の炎である。それも周囲一帯を一瞬で火の海に変える程の圧倒的な火力。

 熱い。とても熱い。ランスは魔王なのでこの程度の炎に焼かれて死ぬことはないが、さりとて痛覚が消失した訳では無いので熱いものは熱いのである。

 

「火事だ火事! シィール! 消火だ消火ー!! ってそうだシィルはいないー!!」

「──ゴアアァァァアアーーッッ!!」

 

 突然の火災にテンパったランスの喚きに混じってドラゴンの咆哮が聞こえた。

 

「──ッ」

 

 カミーラは気付いた。その哮りには覚えがあった。

 思えばこの遠距離からのブレス攻撃での奇襲、これは臆病で狡猾な者の常套手段だった。

 真っ向から戦おうとはせず、遠方から先制奇襲攻撃、その混乱に乗じて一瞬で距離を詰めて──

 

「あークソ! なんなんだいきなり──」

 

 その時、ランスの程近くを黒い影が過ぎ去った。

 

「あぁん?」

 

 夥しい炎と煙に視界が遮られる中、一瞬だけそのシルエットが見えた。

 先程聞こえた咆哮とこの炎からして、恐らくドラゴンだろうと予測は付いた──が。

 

「おいカミーラ、お前水の魔法かなんかでこの炎を……あり?」

 

 しかしそれはほんの一瞬の事。

 遅れて吹き抜けた突風だけを残してランスの視界からそれは消えていた。

 瞬くような黒い巨影が。そして、お助けキャラ魔人カミーラの姿も。

 



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VS 魔王アベル

 

 

 

 

 

 

 この世界の空気が大嫌いだった。

 この時代の匂いに、記憶の端にこびり付いているものには良い思い出が何もない。何もないのに。

 そんな世界に舞い戻って来てしまった。超・挑戦モードだとか、なんともふざけた催しに不運にも巻き込まれてしまった。

 いや不運などではない。わざわざこの時代における協力者に自分を選ぶのだから間違いなく意図しての行い、実に業腹である。忌々しい。

 

 ──などと、そんな益体もない思考に没頭していたのが間違いだった。

 思い返せばこの時代、我が身が自由になった事など片時も無かったのだから。

 この時代に戻るというのはつまりそういう事だったのに、それを失念していた。

 

 だから当然のようにそれは来た。

 遠方からブレス攻撃を放って、生じた混乱に乗じて上空から奇襲を仕掛けて一気に──

 

 

 

「………………」

 

 そして今、カミーラはその手の中にいる。

 まるでいつかの時の繰り返しのように、不自由なその身を奪い攫われてしまっていた。

 

「ゴアアァァァアアーーッッ!!」

 

 その背に生えた歪な形状の翼で空を飛んで、今しがた奇襲を仕掛けた。 

 その手には鋭い鉤爪、片手に握るカミーラの柔肌に深く食い込んで離さない。

 そしてその瞳は焼けるような赤色、歴代のそれと同じような血の色をしていて。

 その姿は、漆黒の鱗に覆われた巨大な黒竜。

 

 それがアベル。魔王アベル。

 AV歴を支配する魔王、初代を殺して第二代となったドラゴンの魔王である。

 

「ゴガァァアーーーッッ!!」

「……アベル」

 

 吠える。頭上で響くドラゴン特有の身を竦ませるような咆哮、数千年ぶりに聞いた忌まわしき声。

 カミーラは元々ドラゴンである為その音に込められた意思を正確に読み取る事が出来る。今、魔王アベルの咆哮には激しい怒りが滲んでいた。

 

「ガアァァ!!!」

 

 棲み処から出て何故こんなところにいた! カミーラ!! ──と、アベルが吠える。

 

 案の定と言うか何と言うか、アベルはこの時代にいる当時の自分と勘違いしているようだ。

 多少なりとも外見は違っているはずだが、ここにいるのがまさか未来から来た相手などとは普通思わないからそれも当然か。仮にそうと分かっていたとて結果は変わらないかもしれないが。

 

「(いつの間に逃げ出した! さては奴らと接触して助けを求めるのが狙いか──答えろ!!)」

「……っ」

 

 魔王アベルの掌中に抑え込まれて、身動きの取れないカミーラは何一つ抵抗しない。

 抵抗しても無駄だという事は理解している。カミーラに一切の抵抗をさせない為、アベルは攫ったカミーラに魔血魂を食わせて魔人とした。

 相手を魔人にしてしまえば魔王は絶対命令権によって完全に支配出来る。例えば今も『答えろ!!』と吠えるそれには絶対命令権の力が乗っている為、カミーラには答えないという選択が出来ない。

 

「(答えろ!!)」

「別に……逃げるつもりなどないし、助けを求めるつもりもない」

 

 だからこうして、話したくもない相手と会話をしなければならない。

 こういう目に合うとつくづく思うが魔人たるこの身が忌々しい。そもそもが雌のプラチナドラゴンとして生まれたこの身が忌々しい。

 

「(逃げるつもりでないのならば、何故あのような場所にいた!)」

「知らぬ」

 

 としか答えようがないのだが。

 しかしこのアベルにわざわざ超・挑戦モードがどうとか説明する気にはならない。

 さりとて絶対命令権で『隠さず本当の事を言え』などと命じられるのも煩わしいので、先んじて適当な理由をでっち上げる事にした。

 

「が……強いて言うなら、あの薄暗い巣穴が窮屈で退屈だっただけだ」

 

 この時代、魔王アベルはその所在を一か所に留めず世界各地を転々としていた。

 そうする事で敵対者を──アベルの言う「奴ら」、この時代のメインプレイヤーであるドラゴン達を攪乱して、その総力を挙げての一斉攻撃の機会を作らせまいとしていた。

 配下の中で一番弱くて一番役に立たない魔人ケイブリスに隠れ家の建造を命じて、都度完成したその場所にカミーラを連れて身を隠していた。そんな日々をふと思い出した。

 

「あのような巣穴にどうして隠れる必要がある。お前は魔王だろう」

「(違う。隠れてなどいない。何故隠れる必要があるというのだ)」

「だからそう聞いている。そんなに奴らが恐ろしいのか、お前は……魔王だろうに」

「(違う! 奴らを恐れてなどいない!)」

 

 食って掛かるかのように魔王アベルが激昂する。

 その様は図星を突かれた証明であり、実のところアベル当人もそれは理解している。その事をカミーラも分かっているからこそあえて指摘した。

 

 魔王アベルは恐れている。

 魔王が何かを恐れるなどと、普通そんな事はないのだが、アベルについては少々事情が異なる。

 要するにそれは元々の性根。元々の性根を魔王になった今でも引き継いでいるのである。

 

 

 魔王アベル。アベルは元々弱いドラゴンだった。

 ヒエラルキーの下層に位置する存在であり、だから臆病で狡猾な性格をしていた。

 とはいえこの世界では弱かろうともドラゴンというだけで最強種の位置付け、生きていく事には何も困らない。更に言えばドラゴンとは知性が高く理性的な生き物である為、同族間で争ったりはしない。

 

 それがドラゴンであって──最強種で知性が高く理性的な生き物であり、同族間で争ったりしないのであれば、たとえ弱かろうとも平然としていられるはずで、臆病で狡猾な性格になる必要はない。

 つまりドラゴンの性質とはそれだけではなく例外があって、それがカミーラという存在。ドラゴンの生ける冠に手を伸ばしたいと思うのは全ての雄ドラゴン共通の思い、言わば生物にとって共通のサガ。

 しかしアベルのような弱いドラゴンにはそれに手を伸ばす権利が無い。欲しいものと言ったらそれぐらいしか無いのに強くないとそれは手に入らない。そうした事から強者への憧れが次第に妬みのような鬱屈した感情に変わり、やがてアベルは卑屈な性格になって臆病で狡猾なドラゴンになっていった。

 

「(あのククルククルを殺したのだ。誰にも殺せなかったあのバケモノを。この手で!)」

「そうだな」

「(そうして最強になった。それなのに何を恐れる必要があるというのだ)」

「……そうだな」

 

 そんな弱いアベルが、最強の魔王ククルククルを殺して第二代目の魔王となった。

 最強を殺してその座を引き継いだのだから、当代の最強は言うまでも無く魔王アベルである。

 故に一対一であればアベルが勝つ。たとえ相手が最強種のドラゴンであろうとも、それがたとえドラゴンの王マギーホアであろうとも同じ事。魔王というのはそういう存在であり、高々ドラゴン一匹が敵うような相手ではない。

 

 この大陸を支配する者、それが魔王。この大陸上に魔王より強い生物はいない。

 という枠組みによって設定された地位である以上、魔王アベルに恐れるものなど無い、あるはずがない……というのは表面上の話で、実情は異なる。

 つまり魔王は死ぬ。最強でも死ぬ。でなければククルククルはまだここにいるはずなのだから。

 

「(これは狩りだ。恐れているのではなく、計画的に行動しているだけだ)」

「狩り、か……成る程、物は言いようだ」

「(奴らの強みは数が多くて群れている事、ただそれだけなのだからな)」

 

 最強の魔王ククルククルであっても負けてしまう、アベルのような弱いドラゴンに殺されてしまう。

 そんなアベルも自分一人の力で殺せたなどとは微塵も思っていない。言うまでも無くそれはドラゴン族の総力戦であり、この時代はそれ程にドラゴンが多く棲息している時代。

 たとえ一つ一つは及ばずとも、それが何千何万という集合になれば最強を上回る。そうして2000年の後、遂に地に堕ちた最強の魔王ククルククルの血を継承して魔王になったアベルとしては、一個体ではなくドラゴン全体を相手にしたならばどう足掻いても勝てないという事を深く理解している。

 

「(その群れすらもう数を増やす事は出来ない、やがて滅びゆく哀れな同族共だ。だから今は急がずとも、少しずつその力を削いでいけばいい)」

「……そうかもな」

「(あぁそうだ。あえて危険を冒さずとも少しずつ狩っていけば、いずれ……)」

 

 勝つ。アベルが勝つ。一対一でなら魔王が他の生物に負けるわけがないのだから。

 故に勝機が見えない全ドラゴン族との正面戦争だけは避ける為に身を潜めて、その群れから逸れた個体を狩る。という作業に没頭している。

 そして最終的には勝つ、という計画。それが失敗に終わる事が分かっているカミーラとしては何を言う気にもならないのだが、少なくともアベルはそこに希望を見出している。

 

「……それしか術が無い、とも言えるが」

「(違う、これが最も効率的だからだ。あのような卑怯者共を恐れる理由など何一つありはしない)」

「卑怯者……か」

 

 ──卑怯者。

 魔王アベルはドラゴン種を指してそう評価する。

 

「思い返せば、何かにつけてそればっかり言っていたな、お前は」

「(事実だからだ。あのような卑怯者共を……彼奴らと同族というだけで虫唾が走る)」

「……そうか」

 

 その点にはカミーラも同意する所なのだが、その意味合いは二人にとって異なる。

 大昔のカミーラにとってそれは生まれ持った立場に付いて回る逃れようのない諦観と失望だったか、アベルにとってそれは立場を変えた事で生じた苛立ちと怒りだった。

 

「(最強になったというのに……あのような、なんら強くもないただの卑怯者共が……!)」

「………………」

 

 アベルは苛立っていた。

 最強になっても変わらない臆病さ故に、その最強を誇れない不条理に。

 

 今現在ドラゴン族と対立中の魔王アベルだが、しかし当初はそのつもりなど無かった。

 たまたまククルククルを殺して魔王になってしまったアベルだったが、当初は魔王になったからとて何かをする気は無かったのである。

 何故ならドラゴンとは知能が高く理性的な生き物であり、それはアベルにも当てはまる。魔王になったからとてドラゴンの自分が同族たるドラゴン達と争う必要性などありはしないし、丸いものや貝などはそもそも眼中に無い。

 

 だから争う必要など無かったのだが、しかし──その唯一の例外、カミーラだけは。

 アベルに限らず、理性的なドラゴン種であってもカミーラだけは奪い合う。ドラゴンにおける雌個体というのはそれぐらい希少な存在であり、その価値はあらゆるドラゴンにとっての栄冠だった。

 

 それでも元々の弱いアベルだったら、カミーラが手に入るはずもなかった。

 自分より強いドラゴンは沢山いる。その中の誰かがカミーラを手に入れるはずだった。

 しかし──魔王になったのならば。この世界で最強の生物になったのであれば。

 

「(この手に掴んだ! そして今もここにある! それが何よりの証明のはず!)」

「………………」

「(浅ましく卑しいあの同族共は全てが敗北者だ。カミーラ、お前は……この魔王アベルのものだ!)」

「……今は、そうだな」

 

 そして今、アベルはカミーラを手に入れて。

 およそ十年程前からこうした日々を、ドラゴン達と対立する日々を送っている。

 その理由は当然今もこの手に握る存在、カミーラを奪い取った事が契機となっている──が。

 

 しかし、その実態は大きく異なる。

 別にアベルはカミーラを奪い取った訳ではない。

 自分はこのプラチナドラゴンの正当なる所有者である──と、アベルはそう思っている。

 

 故にこの戦いは、つまるところドラゴン達の勝手な逆恨みなのである。

 ドラゴンとは実に傲慢な敗北者であり、卑劣で卑怯な奴らだ! ──と、アベルはそう思っている。

 

 その理由としては一つ、そもそもカミーラの正当なる所有者とは誰なのか。

 それは最強のドラゴンである。最強のドラゴンに与えられる栄冠がカミーラであり、それを得る為にドラゴン族は争い合い、やがて決闘という形で勝者を決める事になった。

 であれば自分である。魔王アベルは最強のドラゴン、言うまでもない事である。ドラゴンの王マギーホアは確かに強大だが、それでも魔王に及ぶ存在ではない。あのククルククルを殺す為にマギーホアを含めて何万というドラゴンがその上で2000年を掛ける必要があったように、この世界において魔王の力というのは他の生物達とは厳然たる差があるのである。

 

 雌のプラチナドラゴンは最強のドラゴンが所有する。そういうルールだった。 

 それならばカミーラは、最強である魔王アベルの所有物となる。それが道理である。

 だから奪った。ルールに基づいて奪い取ったのだから非難を受ける筋合いなどなく、それで全面戦争が勃発するなどまさしく逆恨み、宝を奪われた哀れなドラゴン達の惨めったらしい蛮行としか言いようがない。

 

 ……というアベルの道理は、結果としてドラゴン達には通じなかった。

 

「……それで奴らが納得するとでも思っていたのか、お前は」

「(……あの時まで、同族共を見誤っていた……としか言いようがない。ドラゴンとはもっと誇り高い種族だと思っていたのだが……)」

「アベルよ、そうではない」

「(所詮は……所詮はドラゴン、束になって数の力を誇る事しか能が無い卑怯者共だったのだ。たとえ誰が勝って勝利の栄冠を掴んでいたとしても、敗れたそれ以外の全員が納得せずに争いが起きていたというだけの事だ)」

「違う、そうではない。アベル、お前は……そんな事も分からないのか」

 

 その道理が一蹴された理由がカミーラには分かる。

 特に彼女は魔人なので顕著に理解出来る。その事がそのまま答えのようなもので。

 

 つまり、アベルは最強のドラゴンではない。

 何故ならば、アベルはすでに魔王であり、とっくにドラゴンではなくなっているから。

 カミーラとはドラゴン達が奪い合うドラゴンの宝であって、決して魔王のものではない。ここにいるアベルは最強のドラゴンではなく、ククルククルの血を継いだ二代目魔王なのである。

 選ばれし最強のドラゴンが手にするドラゴンの王冠を魔王が奪い取った。それはドラゴン族への敵対に他ならず、故にこの争いが始まった。カミーラからしてみれば当然の帰結と言うものである。

 

「いっそ誠心誠意謝ってみたらどうだ。幼稚な言い訳よりそっちの方が効くかもしれんぞ」

「(あり得ぬ話だ。どうせ奴らは滅びる運命にある、このまま狩りを続けて戦力を削いでいけばいい)」

「それでいつかは勝てる……か。馬鹿げた話だ、付き合わされるこっちの身にもなれ」

「(それこそ馬鹿げた話というもの。カミーラ、お前は魔王アベルの所有物なのだ、所有物は所有者の意のままに従うのが当然だろう)」

「……ふっ」

 

 その時、カミーラはつい鼻で笑ってしまった。

 

「(何がおかしい。己の立場を理解していないとは言わせんぞ)」

「いや……随分と魔王らしい事を言うではないか」

「(当然だ。魔王なのだから)」

「当然……か」

 

 カミーラはアベルのこういう姿をよく見てきた。

 自分を頂点に置いた上から目線の傲慢な物言いで、相手の意思など無視して屈服させる。それはアベルに限らず魔王とはそういうもので、それこそ魔人であるカミーラにだって少なからずその気はある。

 故にアベルのそうした態度についてカミーラが殊更に反発する事は無かった。相手は魔王であるのだから当然の事なのだが──

 

「……なら、引き続きその狩りとやらに励めばいい」

「(無論だ。こちらの居場所さえ気取られなければ問題は無い、焦っているのは奴らの方だ)」

「そういえば隠れ家を用意する事に関しては得意だったな、お前は」

「(それはケイブリスがだ。まるで役に立たぬ羽虫と思っていたがそれでも使い道はあった。この前魔人にしてやったホルスとか言う生物にしてもそうだ)」

「ホルス? ……あぁ、そういえばメガラスはこの頃だったか」

「(あの速さは敵を探るのに使える。あれのおかげで群れから逸れて孤立しているドラゴンを襲いやすくなったからな)」

「……それは結構な事だな。しかし──」

 

 ──にしても、とカミーラは思う。

 

「(なんだ?)」

「……いや」

 

 それにしても──コイツは魔王らしくないな、とカミーラは思う。

 配下に作らせた隠れ家に身を隠したり、敵の戦力を削ぐ為に狩りをしたり……云々。

 あれこれ策を講じるのは結構な事だが、しかしそれは最強と豪語する者が取る選択ではない。

 

「お前のそれは……そう、まるで魔軍に戦いを挑む人間共のようだ」

「(人間?)」

「いいや、人間の方がまだマシか。お前の敵対者には無敵結界など無いのだから」

 

 これで人間の英雄であればまだ恰好は付くものだが、しかしアベルは魔王である。

 魔王がどうしてこう弱者の思考をするのか。その身には最強の力を宿しているのに。

 

「無敵結界があれば違ったのか? あれの有る無しがそんなに影響するのか?」

「(なんだ、なんの事を言っている?)」

 

 ククルククルが死ぬ所を見たからか。最強もいつかは死ぬというのは真理だろう。

 だがククルククルより自分の方が強いとは思えないのか。強者ならばそういう思考をするはずだ。

 大体ドラゴン族と正面から戦っては勝てない、というその発想がもう魔王らしくない。

 魔王というのは、もっと──

 

「……傲慢に魔王らしく振舞えるのは、魔血魂によって屈服させた私の前だけなのか」

「(一体どうしたと言うのだ。何を──)」

 

 カミーラが知る、魔王というのは。

 

 

 

「──ガッッ!!!」

 

 その時、声が放たれた。

 時代の名を冠する魔王の口から、叫び声が。

 

「ガァァアアアア──!!!」

「アベル?」

 

 突然の衝撃と激痛。

 動転して態勢を崩したアベルは飛行中だった空から落下していく。

 

「……あれは」

 

 一気に高度を下げていく中、異変を探ろうとしてカミーラは見つけた。

 先程まで彼女を片手に掴んで満足気に飛行していたアベル、その胴体と尻尾の境目辺りに一振りの剣が深々と突き刺さっていた。

 

「まさか……」

 

 この時代、剣のような武器を扱う生物はまだ存在していない。

 剣は人間の武器、となればこれはこの時代にいないはずの人間が攻撃した証となる。

 

「ランス、か……?」

 

 となればそういう事になる。

 もしや見失った訳ではなくて追い掛けてきていたという事か。

 確かに魔王の身体能力があればそれも不可能ではないだろうが──

 

「(グッ……敵か!!)」

 

 何者かから攻撃を受けた事を理解して、アベルも敵襲を察したようだ。

 態勢を整え地表に降り立って、構える。その片手にカミーラを握ったまま。

 

「──────」

 

 そして、その姿が現れる。

 

「(……なんだ!?)」

 

 直後アベルは訝しげに瞳を細めた。

 見知ったドラゴンの姿ではない、初めて目にする相手だったから。

 

「……な」

 

 そしてカミーラも。彼女は驚愕に目を見張った。

 そこにあったのがランスの姿ではなかったから。

 それはランスではなく──

 

「──────」

 

 その全身は、漆黒に染まった甲冑で覆われていた。

 全身鎧を着込み、兜で顔まで完全に覆っている為その表情を読み取る事は出来ない。

 しかしその身体からは血の色をした禍々しいオーラが大量に溢れ出す。それはまるで───

 

「──ら」

 

 それ以上、喉が動かなかった。

 ランス、と呼ぶ事が出来なかった。

 

「……魔、王様」

 

 そう呼ぶ他にない。

 カミーラをして魔王様と呼ばずにはいられない、本能的にそう思わせる存在。

 そこにいたのは──真に魔王の姿、第八代目魔王ランス。

 

「(何者だ、貴様は!!)」

「──────」

 

 

 その男にはドラゴンの言葉など聞こえないし、聞く余地も無い。

 剣も持たず素手のまま、漆黒の全身鎧が動き出す。

 

「──死ね」

 

 アベルは知らなかった。知る由も無かった。

 その男の手の中から、女を奪うというのがどういう意味を持つ行いになるのかを。

 

「死ね!!」

 

 それはドラゴンの巣から王冠を奪う事。それを遥かに超えて恐ろしい事なのだと。

 

 

 

 

 



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