夏空の下、ウルトラマンは、友をいじめた子供達を虐殺した (ルシエド)
しおりを挟む

序幕 光の章
罪 -シン-


 この作品は愛と希望が勝つハッピーエンドにすることを誓います(政権公約)。

 第一話は文字数特大増量スペシャルです(TVスペシャル感)


 天の神が居た。

 地の神が居た。

 天の神は人を滅ぼすことを決めた。

 地の神は人を守ることを決めた。

 神と神は対立する。

 

 そんな中、()()()()()()()

 いつからいたのかも分からない。

 何故そこに居たのかも分からない。

 もしかしたら、対応次第ではいつまでも目覚めなかったかもしれない。

 それは海の底に眠る邪神。

 邪悪にして神なる者。

 海の底にて眠っていた闇の権化。

 名状しがたきその邪神こそが、ルルイエに眠る闇の支配者である。

 

 心弱き者が見れば一瞬で正気を失いかねないほどに、おぞましい邪神が、海底で蠢く。

 心強き者でも、存在を知覚するだけで徐々に絶望するおぞましき邪神が、海底で眠る。

 『それ』を見た天の神は、その影響を受けはしなかった。

 だが、『それ』を見たことが、天の神の戦略という歯車に僅かな変化をもたらした。

 

 神が邪神を見ても心が狂うことはない。

 だが神が邪神を見て得たものはあった。

 邪の神が天の神に与えた影響があった。

 この世界は、狂っていく。

 

 

 

 

 

 物語は四国の高知から始まる。

 

 人々の想いを、無視し、踏み躙るようにして始まる。

 

 ……もしも、その出会いが運命であったなら。

 

 (こおり)千景(ちかげ)と、御守(みもり)竜胆(りんどう)の出会いが、運命だったなら。

 

 神々はその運命に、どんな感想を抱くのだろうか。

 

 

 

 

 

 郡千景は、西暦ではありふれた不幸の被害にあった少女だった。

 同時に、まともな人間であれば目を覆うほどの不幸にまみれた少女だった。

 

 千景の両親は、千景がとても幼い頃は千景をちゃんと愛してくれていた。

 とても幼い頃、だけは。

 父親は無邪気な子供がそのまま大人になったような人間で、自分勝手で家族への思いやりに欠けており、自分の"個人の時間"を家族のために使うことを嫌った。

 家族のための家事も嫌がり、千景の記憶では育児も面倒臭がっていた覚えがある。

 そんな、どこにでもいる父親だった。

 母親はそんな父親に、自分と娘をちゃんと愛することを求める。

 父親は生返事にしか応えない。

 恋愛結婚で駆け落ちしたというこの両親だが、千景が物心ついた時点で、破綻は目に見えていた。

 

 父親は家族よりも自分が大切で。

 母親は自分が愛されていないと我慢できない人間で。

 両親は、『父親』ではない『男』でしかなく、『母親』ではない『女』でしかなかった。

 駆け落ちしたから愛がある?

 駆け落ちは強い愛が生んだ勇気ある選択?

 駆け落ちしたからこの両親の愛は永遠? 

 

 違う。

 この二人は、互いの本質をちゃんと見れていなかっただけだ。

 勢いに任せて駆け落ちしただけだ。

 その結果、千景が生まれただけだ。

 破綻は目に見えていた。

 

 千景が幼かった頃、母親が高熱を出して倒れたことがあった。

 母に何をしてやればいいのかも分からず、千景は父にすがるように電話をかけた。

 この頃はまだ、千景は純粋に母を愛していたし、純粋に父を愛していた。

 そんな千景へ父は、一言だけ告げて電話を切った。

 

『薬を飲ませて寝かせていろ』

 

 高熱に呻く母の前に座り、千景は父を待つ。

 千景は待つ。

 父は帰って来ない。

 千景は待つ。

 父は電話一本すら入れてくれない。

 千景の目に涙が浮かぶ。

 幼かった千景にとって、その光景は本当に地獄だった。

 

 誰も来てくれない深夜の静寂。

 母の真っ赤な顔。

 母の荒い息。

 何もできない、何をすればいいのかも分からない無力な自分。

 "このままおかあさんはしんじゃうんじゃないか"と思うと、涙が膝にぽとりと落ちた。

 

「おとうさん」

 

 千景の涙は止まらない。

 そして、父は帰って来ない。

 一時間経っても、二時間経っても、帰って来ない。

 千景の涙が一滴残らず流れ出ても、まだ帰って来ない。

 薬を飲ませたのにまだ母の熱が上がっていっても、まだ帰って来ない。

 

「おかあさぁんっ」

 

 千景は泣く。泣き声を上げる。涙ももう出ないのに泣く。

 父は帰って来ない。

 帰って来ない。

 いつまでも、帰って来ない。

 

 そして父は、午前二時頃に、酒に酔っ払った顔で帰って来た。

 

「おう千景、ただいま。どうしたんだ、そんなに泣いて」

 

「―――」

 

 その夜のことを、千景が忘れることはないだろう。

 この日、娘と母の中の父に対する『幻想』に大きなヒビが入った。

 いや、正確にはこの一件が起こる前から小さなヒビは毎日のように入っていたし、この一件の後も父親は関係にヒビを入れ続けた。

 それも当たり前。

 この父親が反省して自分を改めるわけがないのだ。

 何故ならこの男にとって、『自分の人生』を『家族の人生』のために一部であっても犠牲にすることなど、絶対にしたくないことだったのだから。

 

 何よりも、最悪なのは。

 この一件を引き合いに出して千景が父を問い詰めたなら、この父親は"そんなことをいつまで気にしてるんだ"と言いかねないことにあった。

 だからこそ起こった必然の破綻。

 

 家庭の維持よりも"自分が愛されること"の方が大切な千景の母が、こんな父親に隠れて不倫を始めたことは、至極当然の流れだった。

 

 千景達が住んでいたのは田舎の村だ。

 当然、こんな醜聞はすぐに広まる。

 "クズな父親"と、"淫売な母親"と、"その娘"。

 情報化社会になっても村八分が起こるような日本の田舎村において、千景が人間以下の扱いをされ始めるのは、至極当然の流れであった。

 "クズならいくら攻撃しても良い"という意識は、過去から現在までずっと人類の中に根付く悪徳であり、正義感であり、ゆえにこそどこにでもある『ありふれた残酷』だった。

 

 村の皆の嘲笑と攻撃に耐えられず、母親はほどなく男と一緒に蒸発した。

 離婚はまだされていない。

 何故か?

 父と母で千景を押し付け合った挙げ句、結局話に決着がつく前に、悪意的な村八分に耐えられなくなった母親が村を出て行ってしまったからだ。

 毎日のように千景の両親は罵倒し合い、千景は泣きながら耳を塞いで罵倒合戦から逃げていた。

 

「あなたが千景を育ててよ! 私はもう十分頑張ったわ!

 一度も家事をしなかったあなたがするべきことでしょう! 父親の自覚はないの!?」

 

「ふざけるな! 家事も育児もずっとお前がしてきた、お前の役目だろうが!

 子供を育てる責任があるのは母親だ! なんでそんな当たり前が分からない!」

 

 それはまるで、捨てられない大きなゴミを抱えていたくないから、互いに押し付け合うような光景で。

 

 母親は千景が邪魔だった。

 新しい男と新しい人生を歩み出したかったから。

 父親は千景が邪魔だった。

 今となっては役に立たない重荷にしか感じられなかったから。

 両親は娘が邪魔だから押し付け合い、母は最終的に逃げ出し、父は押し付けたかった邪魔者を見るような目で千景を見た。

 

 そうなれば家に居場所はない。

 だが家を出れば、そこかしこで千景は嘲笑(わら)われた。

 村に千景の味方はおらず、全ての者が千景を笑った。

 

「アバズレの子」

「淫乱女」

「母親に捨てられたグズ」

 

 学校に行けば、苛烈ないじめと大人以上に直接的な侮蔑が千景を襲う。

 

「喋り方がウザい」

「あの親だから」

「何言ってんのか分からない」

「ゲームばっかやっててキッモ」

「知ってる? あの子さあ」

「あははははっ!」

 

 最初に筆箱がなくなった。

 ノートもなくなった。

 お気に入りのキーホルダーもなくなった。

 千景の持ち物が無くなって、千景がそれを焦った様子で探すたびに、それを見ている子供達が笑う。とても楽しそうに。

 千景が困っている姿が、苦しんでいる姿が、クラス共通の娯楽となっていた。

 

 いじめの相談をしようと、千景が職員室に向かうと、職員室から笑い声が聞こえてくる。

 

「あの親じゃロクな子に育たないでしょうねえ」

 

 教師が千景を笑っている。

 千景の親とセットで千景を嘲笑っている。

 当然ながら、教師はいじめを解決しようとしない。

 それどころかいじめに加担する教師や、いじめの隠蔽に頭を働かせる教師までいた。

 

 ある日には、千景は階段から突き落とされた。

 子供の遊びだ。

 "面白そう"程度の感覚で、千景はクラスメイトに階段から突き落とされた。

 階段の色を、動かない体を、激痛に流れる涙を、救急車の音を、千景は今も覚えている。

 

 運び込まれた病院で目が覚めた千景は、"千景が不注意で足を滑らせ階段から落ちた"ことになっていたことを知った。

 教師が、生徒が、皆で口裏を合わせてそう説明したのだ。

 千景が何を言おうと"そういう事実になったこと"は揺らがない。

 信用のある大人も含めた、千景以外の全員がそう言っているからだ。

 担任教師は激痛で体も起こせない千景を見舞って、面倒そうな顔でこう言った。

 

「郡さん……あなたが問題児なのは分かってるけど、先生にあまり面倒をかけないで」

 

 ああ、そういうことだ。

 救急車を呼んだのも教師。

 カバーストーリーを作ったのも教師。

 怪我をした千景を代表して見舞いに来たのも教師。

 教師からすれば"こんな生徒のためになんでこんなことをしなければならないんだ"と、面倒臭がる気持ち以外の何もない。

 この教師からすれば、これは全て『千景のせい』なのだ。

 千景が全て悪いのだ。

 

 ある日には無理矢理服を脱がされ、焼却炉で服を燃やされた。

 「いんばいは服なんて着てなくていいんだろー?」と、言葉の意味すら分かっていないまま喋る小学生達が、無邪気な悪意と害意で千景の服を灰にする。

 服を燃やされたみじめな下着姿で帰宅する千景を、村中の大人に笑われながら帰宅して、涙をこらえて父に相談する。

 

「うちに面倒事を持って来るな! ……面倒事ばかり持ってくる役立たずが!」

 

 けれど、帰って来るのは怒声と罵声のみ。

 千景と同じような扱いを大人社会で受けている千景の父は、その精神性が真っ当な父親のそれでなかったのもあって、千景を気遣う余裕など無いに等しかった。

 それどころか、娘にはいなくなってほしいと思っていることを隠しもしていなかった。

 

 千景は徐々に痛みを受け流すようになった。

 痛い。

 苦しい。

 でもいい反応を見せれば、周りはもっと調子付くから。

 ゲームの世界に逃げ込んで、教室で自分を叩く皆から必死に目を逸らした。

 そんな彼女の髪を、イタズラ程度の気持ちで、ハサミで切ってきた女子が居た。

 その手が滑って、千景の耳をジョキンと切る。

 

 自分の耳がハサミで切られる音と、痛みと、流れる血を、千景は今でも覚えている。

 忘れることはない。

 痛みで転げ回る自分を見て笑っていた男子と女子の顔も、きっと一生忘れない。

 

「―――っ! いだい、痛い、痛いっ!! い、い゛っ……!」

 

「あーらごめんなさい、耳も切っちゃったわ」

 

 授業で使うハサミで千景の耳を切った生徒に、先生は軽い注意をした。

 それだけだった。

 千景の耳は保健室で止血をされて、それで終わりだった。

 耳は何cmも切られていて、指で触れば耳の上と下が前後に別々に動いてしまいそうな感覚が、ひどく怖かったことを、千景は今も覚えている。忘れることはない。

 耳が切られた日のことを、彼女はその日から何度も何度も悪夢に見たから。

 

 保健室から千景が帰ると、綺麗に洗った千景の耳を切ったハサミで、千景の大事な教科書を切り刻んでいるクラスメイト達の姿があった。

 千景の耳が切られても、何も変わらなかった。いつも通りのいじめが続いた。

 そして、父を含め、耳を切られた千景を心配する人間は、結局一人もいなかった。

 あなたの汚い血でハサミが汚れちゃって洗うはめになったのよ、とは後日罵倒で言われた。

 

 耳に包帯を巻いて帰宅する千景を、商店の大人達が嘲笑っている。

 

「お、尻軽女の娘だ」

 

 家に居れば怒鳴られ。

 学校に居ても攻撃され。

 ただ歩いているだけでも嘲笑される。

 郡千景の狭い世界の全てが、千景の全てを否定する。

 まるで、生きているだけでも罪なのだ、と言わんばかりに。

 

 家にも、外にも、学校にも、千景の居場所はない。

 千景は次第に『自分には何の価値もなく疎まれるだけの存在』と思うようになり、その思考は確信となり、いつしか常識となった。

 千景にとって、自分が無価値で、世界の全てから否定されるのは、常識だったのだ。

 幼い頃から、ずっとそうだった。

 

(何も聞こえない)

 

 石を投げつけられても。

 押さえつけられて油性のマジックで顔に落書きされても。

 バケツで汚い水をかけられても。

 これが日常。

 

(何も感じない)

 

 ランドセルの中に虫を詰め込まれても。

 無理矢理ネズミの死体を口の中に押し込まれても。

 プールに蹴り落とされて、皆に蹴られて水の中に押し込まれて溺れそうになっても。

 それで当たり前。

 

(何も痛くない)

 

 毎日仲間外れにされ、罵倒され、笑われても。

 殴られても、蹴られても。

 水田に蹴り落とされ、泥まみれになった千景が、蹴り落とした子供と通りがかった大人達に囲まれて大笑いされても。

 いつものこと。

 

(何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も、何も)

 

 痛くないわけがない。

 苦しくないわけがない。

 けれど自分に"何も苦しくない"と言い聞かせなければ生きていることはできず、自分が嫌われて当然の存在だと思い込まなければ――強引にでも自分で理由付けしなければ――、千景は息をすることすらできなかった。

 千景は誰もいない空き地に逃げ込んで、泣き喚く。

 

「うっ、うううっ、うえええっ……えぐっ、うっ、ううううっ……!」

 

 人のいる場所で泣けば笑われる。石を投げられる。

 最悪の場合、泣き声が煩いからと苛烈な攻撃を加えられ、その場所から叩き出される。

 自宅で泣けば父親にさえそうされる可能性があった。

 好きな場所で泣く権利すら、千景には無かったのだ。

 

 郡千景というサンドバッグへの攻撃は、田舎の村の中で一種の娯楽となっていた。

 

 皆が千景を攻撃した。

 まるで、"皆で力を合わせて悪い化物を攻撃して倒しているような"高揚感が、達成感が、一体感が、村の皆の中にはあった。

 何故ならば。

 郡千景は、いくら攻撃してもいい『わるいもの』だったからだ。

 

 千景が小学生だったことは、良いことだったのか不幸だったのか。

 彼女は小学生だったからこそ、この現状を何も解決できなかった。

 されど幼少期から年単位でこの現状に置かれていたがために、常識や性格の基礎レベルから異常に歪み、目を覆いたくなるほどに傷だらけになってしまっていた。

 その上で言おう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 綺麗な黒髪に整った容姿の千景は、近い将来きっと美人に育つ少女だったから。

 

 郡千景の境遇は、西暦ではいくらでも前例のある境遇だった。

 似たものを探せばいくらでも似たものはあり、彼女よりも不幸な境遇を探せばいくらでも見つかるくらいには、ありふれた不幸の中に居た。

 だが、似たような事例がいくらでもあるからなんだというのか。

 それで千景の辛さが減るのか?

 それで千景の人生が悲惨であるという事実が否定されるのか?

 そんなわけがない。

 千景のような人間がいくらでもいるということは、この星と世界がクソだと断言する理由にはなっても、千景の不幸を過小評価していい理由にはならない。

 

 そもそも、世の中にありふれている幸福を何も得られていないという時点で、この少女はどうしようもないほどの地獄の中に居る。

 

 どうにもならなかった。

 千景にはこの現実を何も変えられず、千景以外の誰もがこの現実を変えないようにしていた。

 少女を囲む集団の全てが、千景の周りの現実の全てが、千景を『殴ってもいいわるもの』という枠の中に力任せに押し込もうとしていた。

 千景の弱い力では、それに押し返すこともできない。

 

(―――誰か、たすけて)

 

 悲しむ少女がこの世界に生きていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "悲しんでいる誰かを愛する"少年がこの世界に生きていた。

 

 時は2015年、六月第四週。

 その日、千景の学校に転校生がやって来る。

 千景以外の全員がその転校生に期待していた。

 千景だけがその転校生に期待していなかった。

 転校生がもたらす何かを子供達が期待して、千景は誰が来ても何も変わらないということを半ば確信していた。

 

 だからこそ、その転校生の少年は、この場の全員の予想と期待を裏切ることになった。

 

「じゃあ転校生君、自己紹介を」

 

「はじめまして! 御守竜胆です! 得意なのはサッカー、苦手なのは頭を使うこと!」

 

 みもり、りんどう、と、千景がその名前を口を開かず口内で呟く。

 不思議な響きの名前だった。

 千景は何度か声に出さずにその名前を心の中で呼んでみる。

 理由はないが、千景は何故かその名前が気に入った。

 

 少年は堂々と教卓横に立っていて、さっぱりした短い黒髪も、自信の光が宿る双眸も、背筋がピンとした身長の高い肉体も、どれもこれもが千景と正反対。

 細い体と光のない目で、いつも自信なさげにおどおどしている、声の小さな千景とは根本から生きている世界が違いそうな少年だった。

 千景は、"新しい敵"の出現の予感に雰囲気をまた暗くする。

 

「竜胆の花言葉は『正義』『誠実』!

 そして『悲しんでいるあなたを愛する』!

 親にそう願われたんでその通りに生きてます!」

 

 少年は明るい雰囲気と人懐っこい笑み、元気な喋り方であっという間に溶け込んでいく。

 千景が長年ずっと仲間外れにされていたのとは対照的に、竜胆はほんの僅かな時間で昔からの仲間のように迎えられていた。

 

「よろしくー、転校生君」

「よろな、御守君」

「席こっちだよー」

 

「やーやーよろしく、お友達になってくれなー」

 

 彼らは知らなかったのかもしれない。

 

 千景のような"周囲がサンドバッグにするため作った特異な人物"ではない、"最初から周囲の圧力を跳ね除けるほど特異な人物"というものが、世の中に存在するということを。

 

「おい、郡」

 

 だから、千景の隣の席に竜胆が座っても、微動だにしない千景を見て、子供達は苛立った。

 無愛想で、クラスの空気に溶け込まず、転校生に挨拶もしない、クラスの楽しい空気に水を差している郡千景に対し強い敵意を持った。

 千景が椅子から蹴り落とされ、うつ伏せにされ、その後頭部が男の子に踏みつけられた。

 力任せに千景が土下座させられた形。

 

 子供達にとってそれは、して当然の行為だった。

 

「ぐっ」

 

「何クラスの仲間みたいなツラして、挨拶もしないで偉そうにしてんだよ」

 

 嘲笑う子供達。

 後頭部を踏みつけられる千景。

 何も言わない竜胆。

 その時、竜胆の目に宿った光がなんであるか、"そういう人間"を生まれてこの方見たことのない子供達には、まるで理解できていなかった。

 

「ほーらちゃんと転校生くんに頭下げような。挨拶しないでごめんなさい、って」

 

 千景は、いつものように虐げられ、いつものように踏みつけられ、いつものように周りの者達を満足させる言葉を言わされる。

 言うまで終わらないことは分かっているから、言わないという選択肢はない。

 だから言う。

 言いたくなくても言う。

 

 これはここでは"いつものこと"だから。

 

「あ、あいさつしないで……ごめ―――」

 

 

 

 そこに、『それはおかしい』と言える少年が居た。

 

 

 

「なるほど、僕がここでやるべきことは見えた」

 

 千景の頭を踏みつけている少年の足を蹴りどけて、竜胆は千景を助け起こした。

 踏みつけられた千景の頭の汚れを優しく払って、よしよしと優しく撫でてやる。

 クラスの全員が異端を見る目で竜胆を見たが、竜胆はまるで気にした様子がない。

 

「大丈夫? 黒い髪がキレーだね。君、名前は?」

 

「こ……郡、千景」

 

「よっしゃ、ちーちゃんだな」

 

 にこやかに竜胆は笑っている。

 そんな竜胆を皆が困惑の目で見ていて、困惑が徐々に敵意に変わっていく。

 

 子供達にとって、千景への攻撃は日常だった。

 いじめは当たり前のことだった。

 だって大人がそうしていたから。皆がそうしていたから。

 するべきことで、して当たり前のことで、それこそが彼らにとっての"平穏で幸福な日常"。

 

 子供達にとって、このいじめは倫理に置ける『愛』と大差ないものだったのかもしれない。

 皆がそうしている。

 皆がそれを肯定している。

 狭いとはいえ世界の全てが、それが人にとって当たり前のことのように扱っている。

 ならば愛もいじめも、"するべきこと"なのだ。子供達にとっては。

 このいじめと愛との違いは、千景の父含め、誰も千景を大切になど思っていないということか。

 千景を苦しめるこの環境においては、誰か個人が悪い、と主張するのは正しくない。

 強いて言うならば、この狭い世界の全ては狂っていると言えるのだ。

 

 そんな狂った世界で、千景を助け起こした竜胆が、千景に手を差し伸べていた。

 

「僕が君の味方だ。この手を取れ。僕が僕の名前の由来ってやつを見せてやる」

 

 千景が竜胆にとって特別だったからではない。

 千景が竜胆に何かをしてあげたからではない。

 郡千景を特別扱いする理由などどこにもない。

 竜胆は千景が千景だからではなく、千景の境遇を見て、ただそれだけで、千景のために千景の味方をすることを決めた。

 

 悲しむ一人のためだけに、『全部』に喧嘩を売ることを決めていた。

 

 

 

 

 

 いじめというものは、一種の集団行動であり、派閥行動であるとも言える。

 それは集団のストレスのガス抜きであったり、集団の異端を排除する行動で一体感を保つ行動であったり、敵を作って皆の意志を一つにまとめるための行動であったりする。

 総じて、いじめは集団の中に個別の枠を作るものだ。

 

 今回のようないじめであれば、出来る枠は集団と、標的にされた一人という二枠。

 集団の中で圧倒的少数派と圧倒的多数派という枠が作られ仕分けられる。

 少数派は多数派の奴隷として扱われることもあれば、多数派の敵として扱われることもあり、多数派が見下し・差別していい被差別民族のようになることもある。

 これが派閥行動と言えるのは、いじめられっ子が少し増えたところで、いじめっ子のいじめ対象が増えるだけに終わり、何も変わることはないからだ。

 

 竜胆は千景を庇った。

 だがそれでいじめが終わるわけでもない。

 結果から言えば、いじめと村八分の対象が一人分増えただけに終わった。

 村の全てが千景を攻撃するという構図が、千景と竜胆を攻撃する構図に変わっただけだった。

 

 だが竜胆が間に割って入ったことで、千景への攻撃は少し減り、竜胆がその分多くの攻撃を受けるようになっていった。

 

「何度でも言ってやる!」

 

 石を投げられて額から血を流しても、竜胆は止まらない。

 バケツで泥水をぶっかけられても怯みもしない。

 罵倒の言葉をいくらぶつけられても気にしない。

 そして叫ぶのだ。

 

「間違ったことを正しいことだと思い込んでやることが、悪でなくてなんだ!」

 

 階段から蹴り落とされたが立ち上がる。

 食材を買いに行った先の店で門前払いされそうになったが口八丁で説き伏せる。

 大人にも子供にも嘲笑われ、千景の親がいかにクズで、千景がいかに無能なグズであるかを延々と語られたが、スタンスを何も変えることはない。

 そして声を上げるのだ。

 

「間違ってることを間違ってると言って何が悪い!」

 

 教科書を切り刻まれたがセロハンテープで繋ぎ合わせた。読めればいいの精神である。

 犬の死体が下駄箱に突っ込まれていたが、竜胆は山に埋めて墓を立ててやっていた。

 千景がいじめられていると見るやいなや、少年は最高速度で駆けつける。

 そしていじめている子供や大人に向かって怒るのだ。

 

「周りの皆と同じことしてりゃ安心か!? ばっかじゃねえの!」

 

 いじめも嫌いだ。

 村八分も嫌いだ。

 何も悪いことをしてない子が苦しんでいるのも嫌いだ。

 親のせいというだけで傷付いている子を見過ごしてしまうのも嫌いだ。

 だから竜胆は立ち向かう。

 

 竜胆がそうして反抗することに、苛立ちを隠さない子供や大人も多かった。

 それは、"淫売の子には当たり前のことだろ何怒ってんだ"という苛立ちであったが。

 実際は、無抵抗なサンドバッグを殴っていたら、サンドバッグが突然に殴り返してきたからイラついた―――そういうタイプの苛立ちであった。

 

「イラつくか?

 いじめして反抗されたらイラつくか?

 そら結構なことだ!

 自分以外の人間を一方的に攻撃したい、反撃はされたくない、ってのはクズの理屈だ!」

 

 御守竜胆、小学六年生。

 彼はこの歳で既に物の道理を弁えている。

 その心は未だ小学六年生相当でしかないが、何が正義で何か悪かくらいかの判別は、この歳の彼にも見分けがついていた。

 

「それが人間の習性でも、叩きやすいもの探してんじゃないぞっ!

 皆で一緒に同じもの罵倒してりゃ楽しいか!?

 自分より下が居ると安心か!? あいにく、僕はそういうのに参加はしない!」

 

 千景は彼を、『光』と見た。

 どんな逆境の中でも輝く光。

 光は傷付かない。だから彼も傷付かない。

 光には泥や汚れがつかない。だから彼も汚れない。

 光は真っ直ぐに進む。だから彼も真っ直ぐに生きている。

 光は影を作るが、光そのものは翳らない。だから彼もずっと光のままで。

 

 御守竜胆は引っ越ししてから時間が経っても、その間ずっと村の全てを敵に回しても、主張を何一つとして曲げていない。今も少年は叫んでいる。

 

「僕の目を見て言ってみろ!

 何も悪いことしてない女の子を!

 親を引き合いに出して笑って、攻撃して!

 これのどこに正義がある! 正しさも義もないだろうが!」

 

 村の誰も変わらない。

 村の何も変わらない。

 そんな実感が竜胆の心に残る。

 竜胆が正論を言って、皆が笑って、千景と竜胆は変わらず攻撃され続ける。

 それでも、竜胆は『郡千景』を諦めない。

 彼女が彼にとって特別だからではない。

 彼にとって、この狭い世界の残酷が絶対に許せないものであったからだ。

 

「人間は、お前らが気持ちよく殴れるサンドバッグになんてならないっ!」

 

 子供にも大人にも食って掛かる竜胆は、次第に千景以上の異物となっていたが……それと同時に『狭い村の外の常識』を叩きつけてくる強者でもあった。

 多数の弱者と少数の弱者で構成されるのがいじめの基本だが、そこに少数の弱者の味方をする精神的強者が入って来ると、構図がまた変容を始める。

 

()()()()()()()()()()っていう小学生レベルのことが何故できない! 大人だろっ!」

 

 村八分の対象はやがて、千景から竜胆に移りつつあった。

 そこに一番の危機感を覚えていたのは、他の誰でもない千景である。

 千景はこの流れに不安と危機感を覚え、自分への攻撃が緩むことを喜ぶ以上に、竜胆の先行きに不安を感じていた。

 

「もう……いいよ。私は十分、嬉しかったから」

 

「何言ってんだよ、ちーちゃん」

 

「これ以上反抗したら、御守君がもっと酷い目にあいかねない」

 

 千景の耳が痛む。

 耳をハサミで切られた跡が痛む。

 じくじくと痛む。

 もしも、"あれの先"があったなら。

 それが千景ではなく、竜胆に向かってしまったなら。

 千景の好きなゲームの敵キャラの姿が、"剣で切られて殺される人間"の姿が、千景の脳内で竜胆の姿と重なった。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()

 この村には、そんなゲームの雰囲気に似たものがあったから。

 

「私はもう、諦めてるから。もういいから。これ以上は望まないから。

 もう止めて……これ以上は……これ以上は、本当にどうなるか分からないから」

 

 あなたも皆と同じことを私にすれば大丈夫だから、と千景は言う。

 

 それは諦めであり、希望を知らない千景が出せる精一杯の助け舟だった。

 

「私の境遇は……これが……ここでの、皆の正義なんだと、思うから」

 

 千景が唇を噛む。

 きっと、そんな事は言いたくなかったのだろう。

 痛くて、苦しくて、辛くて、今の現実の全てに無くなってほしいと思っている千景だから――彼を諌めるためとはいえ――、この村の現状を正義だなんて言いたくないに違いない。

 だが、彼女の言葉は至極正しかった。

 この村では、千景への攻撃は間違いなく"正義の一種"として扱われていたのだ。

 

 それに、竜胆は唾を吐き捨てる。

 

「くっだらね」

 

 この村の人間は誰も自分が間違っているとは思っていないだろう。

 ただ、大人達が千景を"淫売の子"と嘲笑い、子供達が大人の真似をしただけ。

 ごく自然に、彼らは今の在り方を選んでいた。

 

「正義ってのは、人によって違うこともある。

 傷付け合いながらぶつかり合うこともある。

 人の数だけ正義があるから戦争なんてものもなくならない」

 

 それはある視点においては"正義"なのだろう。

 

「でもその代わり。

 一つだけの正義が、全てを支配することもない。

 各々の正義が、同じ方向を向くことも、違う方向を見ることもできる。

 正義にはそれぞれに守るものがあって、それぞれに味方するものがある。

 皆が思うまま望むままに、山ほどある正義の中から好きなものを選んでいいんだ」

 

 正義の多様性は、人間に保証された正義選択の自由は、時に絶大な醜悪を生む。

 

「この村にある全部の正義が君を攻撃しても、僕の正義はそうしない」

 

「―――」

 

「僕の正義はいじめを止めること。

 そして、何も悪いことをしていない君を助けることだ。

 こいつは間違いなく正しいことで、人の義に沿ったものだと信じてる」

 

 第一僕はこの村のこれを正義と呼びたくないんだよ、と竜胆は吐き捨てる。

 

 千景は"群千景の存在否定"をこの村の正義だと言った。

 竜胆はそれを正義とは思わなかった。

 むしろ悪だと思っていた。

 例えようもない醜悪だと断じていた。

 

 だから終わらせたいと思っているのに、竜胆ではこの醜悪を終わらせられない。

 

「今この村にあるのは

 "皆で叩いてるんだからあれは叩いていいものなんだ"

 って空気だろ! それは違うだろ!

 君は今悪者みたいに扱われてるけど、何も悪いことしてないだろ!」

 

 今、この村には"そういう雰囲気"がある。

 千景は何も罪を犯していない。

 なのに千景が攻撃してもいい存在と定義されている。

 『空気』が『悪』を作っているのだ。

 それは何らかの正義が正さなければならない、人間社会の歪みである。

 

 けれど、力の備わっていない正義ほど虚しいものはないのだ。

 

 千景を正義が救ったことはなく。

 竜胆の正義がここで成した何かはなく。

 この村において"正義"ほど虚しく響く言葉はない。

 人類史の中で、"正義"がいくつのいじめを解決できたというのだろうか?

 竜胆の正義に、何を変える力があるというのだろうか?

 

「私……」

 

 千景が呟く。

 

「何もできない私に……そんな価値、無いから……庇ってもらう価値なんて……」

 

 それは彼女自身が発した、彼女自身の価値を否定する言葉。

 郡千景に価値はない。

 それはこの村の総意である。

 千景の父や、千景自身も含めた、この村の全ての人間の総意である。

 『全て』を敵に回してでも戦おうという竜胆の心に、ミシリとヒビが入った。

 

 この環境は、間違っていることを間違っていると言える子供の心には毒すぎる。

 それでも竜胆は、千景に優しく語りかけた。

 

「人間の生の価値は何ができるかで決まらないよ。

 頭がとてもいい学者は、頭が普通の学者よりも絶対に生きる価値があると思う?

 赤ん坊は大人と比べれば生きてる価値が無い? んなわきゃーないでしょう」

 

「……!」

 

「人の価値ってのはそんな簡単に分かるもんじゃないぞ。

 君の価値は君が素敵な大人になってからでも考えりゃいいんだ」

 

 竜胆は頭が良い人間ではない。

 知識がある子供でもない。

 だが、バカはバカなりに世の道理というものを弁えている。

 

「でも、僕の中には一つだけ、他人の価値を測る僕だけの物差しがある」

 

「え……」

 

「何も悪いことをしてない君は、悪いことをしてるあいつらより価値がある。

 あ、僕の中ではってことね?

 だから僕はあいつらより君の味方をしたい。

 あいつらより君に幸せになってほしい。君が幸せになれればそれで僕は満足だ」

 

 少女が人知れず肩を震わせる。

 千景が竜胆を信じるようになったのは、きっとこの瞬間からだった。

 

「"悪いことしてないんだしお前は幸せになれ"!

 ……僕が言ってることって、当たり前のことじゃないかな?」

 

 村人の"当たり前"は、千景にとってはとても残酷で。

 少年の"当たり前"は、千景にとても優しいものだった。

 だから少年の言葉は、千景の身によく染みる。

 

 この村が当たり前の良心が勝つ世界であったなら、彼の言葉はきっと強い正義になれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正義とは武器のようで、リトマス紙のようでもある。

 それを手にした人間が何をするかで、その人間の本質がすぐに分かる。

 村人は"淫売の子"を嘲笑という棒で叩くことが正しいと信じている。

 竜胆は何も悪いことをしていない子を守ることが正しいと信じている。

 ほら、とても分かりやすい。

 

 正義とは集団の認識で成立する。

 社会の99人が正しいと信じていることと、1人だけが正しいと信じていることなら、その社会の中では99人の方が『正義』となるのだ。

 だからこの狭い世界(むら)の中で、竜胆の正義はどこまで行っても()()()()()

 正しくないから変えられない。

 

 千景をいじめても子供達に何の得もない。

 だから子供達は損得抜きで千景をいじめている、と言える。

 それが当たり前のことだから。

 千景を守っても竜胆には何の得もない。

 だから竜胆は損得抜きで千景を守っている、と言える。

 それが当たり前のことだから。

 

 村の者達と竜胆は対だ。良い意味でも、悪い意味でも。

 

 ある日。

 竜胆は間に合わなかった。

 子供達の『ライターとマッチ』が千景の肌を焼いていた。

 いじめっ子は笑い、千景は泣いていた。

 どこを焼かれたのかも竜胆には分からなかったし、実行前に止めることも、実行者を捕まえることもできなかった。

 できたのは、千景に駆け寄り言葉をかけることだけ。

 

「ちーちゃん! 大丈夫!?」

 

「だ……大丈夫……」

 

 竜胆は千景に優しい言葉をかけつつ、千景を医者に見せるべく彼女に肩を貸そうとした。

 

「ひっ」

 

 だが竜胆に触れられそうになった瞬間、千景は恐怖に濡れた顔でその手を叩いて弾いた。

 

(しまった)

 

 千景にとって、"他人の手"はトラウマの象徴だった。

 千景の短い人生において、千景に手を伸ばした者のほとんどが、千景に対し攻撃を行う者だった。

 誰も救いの手を伸ばさなかった。

 だから竜胆が助けようと手を伸ばしても、千景はそれでトラウマを想起してしまい、その手を受け入れられないのである。

 

「あ……ご、ごめんなさい……」

 

「いや、今のは僕が悪かった。女の子に気安く触ろうとするのは無神経だったね」

 

「ごめんなさい……あと、診療所は……嫌。

 前に行った時、傷を叩かれて……だから、それ以来行ってないから」

 

「……分かった。うちで手当てしようか」

 

 この村においては、教師も、医者も、駐在も、親も。全てが千景を傷付けた過去を持つ。

 郡千景の心には、塞がっていない開きっぱなしの傷が多すぎる。

 触れれば血が流れる生傷が多すぎる。

 その傷は今も増えていた。理由は明快。

 竜胆がいじめを止められていないからである。

 結局のところ彼にできていることなど、千景の方に行くはずだったいじめの一部を自分の体で受け止め、千景の受ける傷を減らすことくらいしかない。

 

 何も変えられていない。

 竜胆の顔は石を投げつけられた傷が多くあり。

 腕には切り傷や擦り傷が多くあり。

 腹にも足にも、殴る蹴るなどされたアザが多くあったが。

 竜胆がそれだけ体を張っても、千景のことは守れていないのだ。

 

 ミシリ、と竜胆の心に新しいヒビが入った音がした。

 

 

 

 

 

 竜胆はこの村における引っ越し先に、千景を連れて行く。

 千景は歩くだけで時々焼けた肌が突っ張って痛んでしまうようで、痛そうにしている千景を見ている竜胆も辛そうにしていた。

 竜胆は屋内に千景を招いていく。

 だが千景は竜胆が母屋に入らず、離れの方に入って行くのが、少し気になった。

 

「離れ……?」

 

「ここが僕らの里親の家。

 僕らを引き取ってもらえるか、様子見って感じだったんだけど……

 僕の評価があんまり芳しくないから、ここの人には引き取ってもらえなさそうだね」

 

「引き取るって……」

 

「僕の両親は交通事故で死んじゃっててさ」

 

「!」

 

「今は大人の組織の力を借りて、妹と一緒に里親探しって感じ」

 

 竜胆には両親と妹が居た。

 それが交通事故で死んだのは、少し前のことだ。

 彼は妹と一緒に、この村に、里親になってくれるという人と試験的に一緒に暮らすために来た。それで上手く行けば、そこが新しい家になるはずだった、ということだ。

 里親にも、色々と種類があるのである。

 

 だがその話も既におじゃんだろう。

 竜胆は村の全てを敵に回した。

 それはここで里親になってくれるはずだった大人も敵に回した、ということだ。

 彼が離れに住まわされているようであるのも、千景の味方をしたことで、母屋へ立ち入ることすら拒絶されているからだろう。

 いずれは里親関連が上手く行かなかったという知らせが走り、竜胆達は別の土地の別の里親に回されることになるだろう。

 それは少し先の話だから、置いておくとして。

 

 千景は、少し彼のことを理解した。

 

―――竜胆の花言葉は『正義』『誠実』!

―――そして『悲しんでいるあなたを愛する』!

―――親にそう願われたんでその通りに生きてます!

 

 転校初日のあの言葉こそが、御守竜胆の本質を表していたのだと、理解した。

 あれは、死者の想いの継承をするという竜胆の基本的な在り方そのものだったのだ。

 

 竜胆は今の自分を貫くことに躊躇いがない。

 この村で新しい親と家を得る権利を投げ捨てることにも迷いがない。

 竜胆には、新しい家族よりも、新しい居場所よりも、ずっと大切なものがあった。

 それを、人は『信念』と呼ぶ。

 

「まー、僕のことは気にしないでくれい。

 特に今のところはそれで困ってるみたいなこともないし。

 人間としてやっちゃいけないことと、人間としてやるべき正義は、ちゃんと教わったから」

 

「……そう」

 

 親が最悪だった千景。

 親が居なかった竜胆。

 似ていないようで似ていて、似ているようで似ていない。

 どちらも親由来のまともな幸福を得られない運命にあるという点では、同類だろうが。

 

花梨(かりん)ー、もう帰ってるかー? 兄ちゃん帰ってきたぞー」

 

「おっかえりー、兄貴ー」

 

「悪い、ちょっと頼み事していいか?」

 

「いいけど、何?」

 

 竜胆が呼びかけると、離れの奥からポニーテールの小さい女の子が現れる。

 竜胆の妹、御守花梨であった。

 あーだこーだと兄妹でこそこそ話しているが、その会話内容は千景には聞こえない。

 そうこうしていると、妹・花梨が千景に歩み寄って来た。

 

「えーと千景先輩でいいかな。千景先輩、こっち来てください、手当てします」

 

「え?」

 

「うちの兄貴が嫁入り前の女の子の肌を男が見るのはいかんだろって」

 

「……あ」

 

「任せてくだせーな。あたし、よく怪我する兄貴を手当てしてるんで腕はプロ級ですよ!」

 

 千景は自分が"幼い子供扱い"はされても、"女の子扱い"はされない年齢の頃から、ずっと淫売の子と嘲笑われてきた。

 その後は非人の扱いが続いた。

 だから新鮮だったのだろう。

 『ちゃんと女の子扱いされたこと』が。

 

 千景の顔にほのかな微笑みが浮かび、それを見た妹ちゃんも朗らかな笑顔を浮かべた。

 

「ほら、ここのソファ座って! 兄貴の話でもしましょ?」

 

「え? そ、そうね」

 

「学校でも兄貴は兄貴だろうけど、うちに居ても兄貴はね―――」

 

 竜胆の行動は、花梨の私生活にも影響を出している。

 そりゃそうだ。

 村八分の対象に唯一味方した余所者の妹なのだから、周囲の対応も推して知るべし。

 なの、だが。

 妹は兄のせいでそうなっているというのに、兄のことも全く恨んでおらず、千景に対しても負の感情を一切持っていなかった。

 

「で、うちの兄貴がね―――」

 

「へえ……」

 

 千景を直接的に守っている兄とは違い、妹の方はのらりくらりと周囲の攻撃やいじめをかわしているというのもあるだろう。

 だが、それ以前の話で……この妹もまた、兄に似た性格をしていた。

 

 要するに、悪党が嫌いで、千景のような子を守ろうと考える性格をしているのである。

 

「千景先輩髪キレーですね。あ、そこガーゼ貼るのでちょっと動かないでください」

 

「……ふふっ」

 

「? どしました?」

 

「兄妹で言うことが同じだな、って思ったのよ」

 

 兄の行動の結果自分に迷惑がかかっても、妹は特に気にしない。

 あの兄が『ああ』なのは本当にいつものことで、そんな兄が妹は嫌いじゃなかったから。

 

「お兄さんの選択に疑いを持ったりはしないの?」

 

「うちの兄は基本的に人を不幸にするものとしか戦いませんからねえ」

 

「……そうなんだ」

 

「兄貴はバカですが、あたしの知ってる兄貴は戦う相手を間違えたりしませんよ」

 

「……」

 

「うちの兄は……まあ、その内分かると思いますけど。

 涙が嫌いなんですよ。悲しみが許せないんです。シンプルですよ、うちの兄」

 

「……うん」

 

「はい、手当て終わりました。痛くないですか?」

 

「ありがとう……だいぶ良くなった」

 

「それは重畳」

 

 花梨が千景から離れて、別室で待機している竜胆の下へ行き、沈痛な面持ちで壁に寄り掛かる。

 

「兄貴」

 

「花梨、どうだった?」

 

「多分あの火傷、もう消えないよ。深すぎる」

 

「―――」

 

「兄貴、何に口と手出そうとしてんの? まあいいけどさ、いつものことだし」

 

「……サンキュ」

 

「いいってことよ、応援してるよ」

 

 ライターとマッチは、千景の肌に消えない傷を刻み込んだ。おそらく、心にも。

 その傷は、きっと竜胆の心も同じように抉っていた。

 

 竜胆の心が軋む音がする。

 

 

 

 

 

 竜胆は手探りで希望を探していた。

 千景はこの村に希望がないことを確信していて、竜胆はまだ希望はあると信じていた。

 その認識違いは、千景の親に対しても同様だった。

 千景は親に何の希望も持っていなくて、けれど竜胆はそうではなかった。

 

 だからだろう。

 怪我をした千景を、竜胆が家まで送った時。

 竜胆が千景の怪我の説明をして、父親に()()()()()()()()()()()()()のは。

 

「―――ということがありまして。

 できれば、お父さんの方からもちーちゃ……千景さんのために学校に連絡を」

 

 竜胆は幻想を持っていた。

 

 娘と上手く行っていない父親だという話は聞いていた。

 けれど、それでも。

 娘の体に消えない傷が付けられれば、父というものは怒ると思っていた。

 娘に酷いことをされれば、父親の胸には湧き上がるものがあると思っていた。

 千景の傷が、父親の心のどこかには響くだろうと思っていた。

 

 千景は父に対し何の幻想も持っていなかった。

 

「嫌だ」

 

「……え」

 

「余計な面倒事をうちに持ち込まないでくれ」

 

「……よ、余計な面倒事!?」

 

 千景の父は、至極面倒臭そうに、鬱陶しげに竜胆と千景を見やっていた。

 千景が自室に移動する。

 ここから先の会話から、逃げるように。

 

「千景は前にもこういうことがあった。あいつはまた怪我なんてして……」

 

「千景さんは怪我したんじゃなくて、怪我させられたんです!」

 

「知ってるさ! こっちが職場で同じ目にあってないとでも思ってるのか!?」

 

「―――」

 

「子供には分からないかもしれないがな!

 大人のこっちには、子供には理解できない辛さってものがあるんだ!」

 

 千景の父は、千景と同じ理不尽ないじめと攻撃を職場にて受けている。

 彼もまた、毎日のように村の者達に笑われ、悲惨な目にあっていた。

 されど千景の今の境遇は、大体この父親が原因である。

 千景はともかく、この父親にだけは、『自業自得』という言葉が適用できる。

 

 この男と周囲の関係については、人によって思うことが違うだろう。

 諸悪の根源なのだから、こんな目にあっているのは当然だ、と思うか。

 "そもそも何で赤の他人の村人達が何の権利があって攻撃してんだよ"、と思うか。

 どちらでもいい。

 この男は被害者であり加害者だ。

 何の犯罪も犯していない、身勝手で父親失格なだけの男であり、だからこそ千景を最も苦しめた男であり、千景の次に苦しんでいる男でもある。

 

 竜胆は少し、この男への対応を迷った。

 優しくすべきなのか、怒るべきなのか。

 

「こっちは千景よりも苦しいんだ! 子供と一緒にするな!」

 

「―――っ」

 

 だがその迷いも、すぐに吹っ切れる。

 

「ざっけんな!

 大人が子供と不幸比べしてるんじゃねえ!

 娘が感じた辛さを親が否定なんてするなっ!」

 

「なんだと!?」

 

「大人だろ! しっかりしてくれよ! ……生きて子供守ってる、親だろ!」

 

「あんなガキなら要らなかった!」

 

「―――」

 

「娘なんて足枷がなければ、今すぐにでも自由になれるかもしれなかったのに!」

 

 子連れの人生というものは、とてもやり直し難い。

 自分一人であれば、いくらでもやり直しは利く。

 だからこそ母親は千景を捨てて男と逃げたし、父親は千景を母親に押し付けたかったのだ。

 

 これが千景の見てきた世界。

 幼少期から小学六年生の今日に至るまで、ずっと彼女が見てきた地獄。

 "父親"という最悪の苦しみの源泉だった。

 

「あいつを育ててこっちに何の得がある!

 苦労と負担ばかりかかるくせに、何の得にもならないんだぞ!

 金を出してるのはこっちだ、感謝される謂れはあっても文句を言われる覚えはない!」

 

「ん、なっ」

 

「毎日あくせく働いて、その大部分を自分で自由に使えない気持ちが分かるか!

 あいつの教育に、食事に、生活に、金が吸われる!

 この体で頑張って稼いだ金だっていうのに、育児なんてものに使われる!

 あいつは働いてもないのに! 邪魔なだけだ! いっそ消えてくれればいいのに!」

 

「あんた父親だろう、あの子の!」

 

「辞められるものならすぐにでも喜んで辞めてやりたいさ、あいつの父親なんて!」

 

「―――っ!」

 

 神様なんてものは居ないと、竜胆は半ば確信していた。

 

 もしも神様が居るというのなら、あの子を見捨てるわけがないと、そう思ったから。

 

 千景の不幸が続いていることが、竜胆の中で神の不在証明となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 じわり、じわりと、状況は悪くなっていく。

 

 竜胆は諦めない。

 竜胆は千景の負担を軽くしている。

 その上で、状況は好転する気配を全く見せていなかった。

 

「近寄んなよ淫売ー!」

「出てけ阿婆擦れー!」

「くっさいんだよー!」

 

 校庭で石を投げる子供達。

 石を投げる目標は千景。

 そんな千景を竜胆が体を張って庇っていた。

 子供達の多くは、言葉の意味もちゃんと理解せずに千景を罵倒している。

 石を人に向かって投げるということの意味をちゃんと理解せずに投げつけている。

 だから、竜胆の額に石が当たって血が流れたくらいでは、止まらない。

 

 そして、竜胆の背後に庇われている千景を見て。

 いじめを止める気配も見せない教師が、そっと呟いた。

 

 

 

「男に媚びて……やっぱりあの阿婆擦れの子なのね」

 

 

 

 その言葉は、千景の心に強烈に刺さる毒だった。

 男に守られている千景。

 男を頼り信頼する千景。

 もはやトラウマに近い心の動きが、千景に竜胆を突き飛ばさせる。

 千景の手が、殴るようにして竜胆の背中を叩き、突き飛ばしていた。

 

「えっ……ちーちゃん?」

 

「来ないで……こっちに来ないで! 近寄らないで!」

 

 ()()()()()()()()()()()()という気持ちから来る、絶対的な拒絶。

 教師の言葉は――おそらく教師はそこまで狙っていなかっただろうが――、千景の中のもっとも生々しい傷をほじくり返してしまった。

 いつもあの母親を引き合いに出され、淫売だなんだと言われていた千景にとって。

 確信をもって"あの母親"と同一視されるのは、耐え難い苦痛だった。

 

 千景は母を愛していた。だから母を憎んでいた。

 弱くて、家族を捨て、男にすがった母の性情を嫌っていた。

 だからこの"男にすがって守られている"という状況に、千景が生理的嫌悪感を覚えてしまうのは当然のこと。

 

 竜胆は皆が投げる石から千景を守りながら、千景に歩み寄ろうとする。

 

「来ないでっ……!」

 

「ちーちゃ……くっ」

 

 竜胆に近寄られたくない千景が竜胆の足元に石を投げ、竜胆の足が止まる。

 攻撃する子供達と、攻撃されている千景の両方に石を投げられ、それでも竜胆は千景のことを庇い続ける。

 今ここで、千景を守れるのは彼一人しか居なかったから。

 

 教師は千景を見て鼻を鳴らしていた。

 守ってくれていた少年を裏切って石を投げた千景を見て、やっぱりあの親の子供なんてロクな子供じゃない、と千景を侮蔑の目で見ている。

 この教師には、千景の内心はまるで理解できていない。

 教師は千景に対し"クズに育てられたクズ"という認識を深めてしまっていた。

 

 竜胆は歯を食いしばる。

 千景ですら竜胆の味方で居てくれるとは限らない。

 ここは、そういう世界(むら)だ。

 竜胆は『全て』を敵に回してでも千景の味方で居ると決めた。

 たとえ、千景が、竜胆を拒絶し攻撃したとしても。

 千景を守ってやりたいのなら、その上で千景の味方になってやらなければならない。

 ここは、そういう地獄だ。

 

 竜胆の心にヒビが入る音がした。

 だけど、千景と子供達に石を投げられている竜胆より、教師の一言で竜胆を拒絶し始めた千景の方がずっと、辛そうな顔をしていた。

 竜胆の目に映る千景は、泣きそうだった。

 だから頑張れた。

 こんなところで折れてなんていられない。

 

(ここが終わりじゃない。ここがゴールじゃない。まだ、まだ、僕は……!)

 

 守ろうとした一人の少女からすらも石を投げられても、竜胆は折れない。折れないけれども。

 

 ただの小学六年生でしかなかった竜胆の心は、限界点に近付いていた。

 

 

 

 

 

 その夜、妹は久しぶりに憔悴した兄の姿を見た。

 

 竜胆の精神もとうとう限界が見え始めている。

 千景が思っているほど、竜胆の精神は強靭無比な強さを持っていない。

 心を無にして耐えている千景が、実際に感じている痛みをあまり顔に出さないようにしているのと同様に、竜胆も痛みと苦しみに耐えて笑顔を浮かべているだけだ。

 そんな彼が唯一弱さを見せられるのが、この妹と二人きりになった時だった。

 この妹だけが、彼から弱さを引き出してくれる。

 

「へー、そんなことがね……兄貴も千景先輩も苦労してるわ」

 

「僕も距離取った方がいいのかな、なんて思ったよ。

 僕が居ることで言われたくないことを言われるようになったなら、いっそ……」

 

「は?」

 

 そして妹は、弱り始めた兄貴のケツを蹴り上げた。

 

「バッカねー兄貴、これで距離取って何の意味があんのよ」

 

「だけど」

 

「どうせ敵はいくらでも居るし、悪口はいくらでもあんでしょうが。

 兄貴を悪口に使っただけで、普段は別の悪口言ってるんでしょ?

 じゃあ悪口の種類が変わったってだけじゃん。

 スルーしときなさい。

 そんで兄貴は変わらず千景ちゃんの味方でいればいーのよ、でしょ?」

 

 今回たまたま千景に刺さる悪口があっただけで、普段から村中の人間がああだこうだと多様な悪口雑言を千景に対し使っており、千景が陰口を叩かれない日などない。

 だから気にすんなと花梨は言う。

 結局のところ、この村で千景にプラスをあげられるのは竜胆と花梨しかいないがために、多少のマイナスを竜胆がもたらそうが、竜胆は距離を取らない方がいいのだ。

 

 現状、千景にとって竜胆が居なくなること以上のマイナスは存在していないのだから。

 

「忘れちゃだーめよ。この村に千景ちゃんの味方はあたしと兄貴しかいないんだからね」

 

 終着点も勝利条件もまるで見えないが、千景の味方を辞めることだけは、許されない。

 

 妹の叱咤に、竜胆は気合を入れ直した。

 

「ああ、そうだ、全くだ。サンキュー花梨」

 

「カリンちゃんは兄貴よか視野が広いのよん」

 

 彼が来る前の千景はずっと笑っていなくて、この狭い世界の全ての人に笑うことすら許されていなくて、笑っていい場所がどこにもなかった。

 それが最近では、時々微笑みくらいは見せてくれるようになっていた。

 竜胆が味方でなくなれば、その笑顔はまた消えてしまうだろう。

 

 やるしかないのだ。味方で居続けるしかないのだ。彼は男なのだから。

 

「さらって逃げちゃえばいいじゃん、千景先輩をさ」

 

「さらうってお前……」

 

「正直それで今より状況が悪くなるってことはないと思うよ、兄貴」

 

 兄が結構ギリギリなのも、妹の視点からはよく見えた。

 

 この村には、あまりにも真っ当な『正義』が無い。

 

 悪から子供を守る兄がみじめにしか見えない時点で、この村でも自分らしく"何が正義か"を求める兄が無様にしか見えない時点で、妹は既にもうどうにもならないことを半ば察していた。

 

「……あ、そうだ」

 

「おっ、兄貴特有の名案思いついた顔! 聞かせて聞かせて!」

 

「引っ越し提案してみるか。レール敷いて父親の方動かせば……行けるかも?」

 

 けれど、この妹は。

 この兄がいつも、自分の予想を超えてちょくちょく不可能を可能にしていく男であることを知っていた。

 だから花梨は、この兄が大好きなのだ。

 

 

 

 

 

 翌日の朝。

 通学路で、千景は俯き歩いていた。

 千景を追い越す子供達が棒で千景を叩き、バカにしながら先に行く。

 大人達が「売女の娘」「クズの子」とヒソヒソ話し、笑い声を上げていく。

 飛んで来た泥団子が千景の顔の前を通り過ぎて、近くの木にべちょりと当たった。

 

「ちぇっ、外れちゃった。逃げろー!」

 

「……」

 

 千景に泥団子を投げつけようとした子供達が、一目散に逃げていく。

 外れて良かった、と千景は思った。

 朝から泥まみれになると、本当に気が滅入るから。

 朝から泥団子を投げつけられることにすら慣れてしまったことで、"運が良かった"以上の何の感情も抱けなくなっている千景が、悲惨だった。

 

「……はぁ」

 

 泥団子なんていつものことだ。

 むしろ千景の心を痛めているのは、昨日竜胆に石を投げてしまったこと。

 激情に任せて最低なことをしてしまったことの方が胸が痛かった。

 

 それも当然のことだろう。

 千景をいつも苦しめているのは、他人の攻撃。

 千景が慣れている痛みは、他人の攻撃に与えられる痛みだ。

 竜胆を千景が攻撃したことによる『罪悪感』から生まれる痛みは、これの対極にある。

 

 嫌われたかな、と千景は思う。

 もう味方じゃなくなってるだろうな、と千景は考える。

 また一人だ、と千景は唇を噛んだ。

 そして千景は自覚する。

 自分はなんだかんだ、彼に希望を見ていたのだと。

 最近の日々に小さくとも幸せを覚えていたのだと。

 

 今の自分の心境を客観的に見て、千景はそれを再認識する。

 千景の気持ちは暗く沈んでいた。

 理由など語るまでもない。

 一人の味方と一つの希望があった世界から、味方は居らず希望もない元の世界に、引き戻されてしまったからだ。

 千景の手を取ってくれるその人を、千景自ら突き放してしまったからだ。

 

「……きっと、これでよかった」

 

 千景の中には寂しさもある。悲しさもある。

 彼に石を投げた罪悪感もあって、絶望もある。

 同時に、この境遇に竜胆を付き合わせているという罪悪感から解放されてほっとした気持ちと、竜胆をそこから解放できたという安堵もあった。

 "今日もまた耐えればいい"と千景は自分に言い聞かせ、顔を上げて。

 

 そこに、いつも通りの少年を見た。

 

「おはよう、ちーちゃん」

 

 竜胆はいつものように笑っていて、軽く手を振っていて、千景に朝の挨拶をしていた。

 なんだか千景は、泣きそうな気持ちになった。

 

 特別な人に対してだけでなく、大切な人に対してだけでなく。

 誰に対しても竜胆はこうなのだろう。

 それができる竜胆に対し、それができない千景は、嫉妬と好意の両方を抱いた。

 信念をもって竜胆は千景に寄り添っている。

 信念など無い千景にも、竜胆が頑張って自分の近くに居てくれていることは、理解できた。

 

―――男に媚びて……やっぱりあの阿婆擦れの子なのね

 

 千景の中にはあの時の教師の言葉が残っている。

 だから竜胆に対する拒絶感も残っている。

 竜胆に対する罪悪感も、好意も。

 ……それに、何より。

 竜胆に対する友情が、残っている。

 だからだろう。結局、千景が彼を突き放しきれなかったのは。

 

 千景は何か言おうとするが、口下手な千景には、上手いことが言えない。

 だから、気持ちを込めた一言だけを口にした。

 

「……ごめんなさい」

 

「いいよ、こっちも無神経だった。ごめんな」

 

 二人で並んで学校に向かって歩く。

 こうして友達が一緒に通学路を歩いてくれるという"当たり前"が、千景にとっては当たり前なんかではなくて、だからこそ嬉しくて。

 そんな千景に、竜胆は一つ提案をしていた。

 

「こんな村、こっちから捨ててやろうってお父さんに言ってみない?」

 

「……え」

 

「ここに居続ける限りにっちもさっちも行かないでしょ。

 ここを離れて、遠い場所でやり直したらどうかって提案するのさ」

 

 "この狭い世界の外から来た"子供らしい提案であった。

 ある意味、田舎の村という異常な閉鎖空間の中では生まれにくい発想であったとも言う。

 

 竜胆が村の外に引っ越すメリットと、このまま村の中にいることのデメリットを冷静に語れば、それは千景とその父も納得させられる理屈となる。

 無論、苦労はあるだろう。

 だがこの村に居続けるよりはマシなはずだ。

 

 そういう簡単な解決策を思いつけない、あるいは選べないのが、千景の父と千景の限界だった……とも、言える。

 千景はまだ小学生なために仕方がない。

 だが父親の方は、明らかにその性格的な問題のせいだ。

 この父娘には、とても分かりやすく"こういった問題に独力で最善の手を打てない"という性格的欠点が存在してしまっていた。

 

 竜胆はネットで調べた小学校の転校手続きやら、引っ越しで行わないといけない諸々の処置、転職に関するあれこれなども語っていた。

 提案したからには無責任でいるつもりはないぞ、と言わんばかりに。

 ちゃんと色々調べてきたぞ、と言わんばかりに。

 いかにも"付け焼き刃感"がする語り口で、相手が小学生の千景でなければ、その穴だらけの考えが受け入れられることはなかっただろう。

 

 だが、竜胆が頑張っているということはひしひしと伝わってくる。

 竜胆は千景の人生というものに対し、誠実な男であった。

 

「僕ら次の里親候補のあれこれでまた別の土地行くからさ。その時にでも一緒にどうかな」

 

「一緒に……?」

 

「一緒にここじゃない場所行ってみない? ちーちゃんのお父さんとかと相談してさ」

 

 千景には確信があった。

 竜胆のこの提案を、あの父親は受け入れるだろう、と。

 あの父親はここから逃げるのであれば喜んでそうするだろう、と。

 

 千景は父のことをよく知っている。

 父は逃げる男だったから。投げ出す男だったから。

 責任からは逃げ、邪魔な娘も投げ出したくて仕方がないという男だったから。

 この村から逃げる道筋(レール)を竜胆に敷いてもらえば、父はきっとそのレールに乗ることを決断するだろう、という確信があった。

 

「ちーちゃんの好きなゲーム的な言い回しをすると……うーん……そうだね」

 

 少年は笑って少女に手を差し伸べる。

 

「ここじゃないどこか、未知なる場所に、一緒に冒険に行こうぜ」

 

 人生の再スタートを、竜胆は『冒険』と表現した。

 

 竜胆も千景も、まだ小学六年生でしかない。

 年齢が二桁になってからも大した時間は経っていない。

 彼らの人生はまだ始まったばかりなのだ。

 二人の命という名の冒険は、まだまだこれからも続いていく。

 おずおずと、千景は少年の差し出した手を取る。

 

「……うん」

 

 竜胆は握手した手をぶんぶん振り、上機嫌そうに笑い、千景を困惑させていた。

 

 諦めない心さえあれば、一歩一歩進んで行く心さえあれば、小さな積み重ねは現実を変えていくことができる。

 それが人間だ。

 人間らしく歩んでいくということは、そういうことなのだ。

 竜胆達の行き先に、小さな希望が見え始めていた。

 

 

 

 

 

 そして、2015年7月30日。運命の日がやって来る。

 

 

 

 

 

 竜胆は、その日変な夢を見た。

 

 夢の中で竜胆は三嶺(みうね)の山の中を進んで行く。

 三嶺は竜胆達が居る高知と徳島にまたがる山脈で、高知で最も高い山だ。

 山嶺の(さん)(さん)にしたようなその名前がなんでか気に入って、竜胆はその山々のことを覚えていたのだが、そこには異様なものがあった。

 こんなものはなかったはずだ、と夢の中の竜胆は困惑する。

 

 夢の中の三嶺には、光のピラミッドが輝いていた。

 

 そのピラミッドの中に、夢の中の竜胆が入っていく。

 光のピラミッドの中には、光に包まれた巨人の石像があった。

 夢の中で竜胆が、巨人の石像に触れる。

 石像が瞬き、竜胆の中に吸い込まれるようにして消えていき―――そして、夢は終わった。

 

「変な夢」

 

 自分の何かが変わったような、自分に何かが加わったような、奇妙な感覚。

 竜胆は首を傾げつつ、妹と一緒に朝御飯を食べる。

 兄の様子が何か変なことに、妹の花梨は目敏く気付いていた。

 

「どーしたん兄貴」

 

「いや……なんだろう、嫌な予感がする」

 

「?」

 

 何故こんなにも胸騒ぎがするのか。

 寝る前はほとんどなくなっていた未来への不安が、何故こんなにもぶり返しているのか。

 竜胆にも分からない。

 それは、例えるならば……何も見えない暗闇の中で、人間が自分を待ち構えている怪物の生暖かい吐息の熱を、うっすらと感じるそれに近かった。

 

 竜胆は何かを感じているが、それが何であるかを全く分かっていないし、この感覚を言語化するすべを持たなかった。

 人のこういった主観感覚質。

 これを、クオリアという。

 

 人は赤色を指差し「アレが赤色だよ」と言ってくれる他の人間を見て、自分の内部に生まれた感覚を"これが赤色を見た時の感覚だ"とラベリングする。

 そうして、他人との会話で「赤色ってこういう色だよね」という共通認識を作り、コミュニケーションを成立させる。

 これがクオリアに関する脳活動である。

 

 赤色を見たなら、竜胆は赤色だったと言える。

 だが竜胆は夢の中で見たものも、今の自分が感じているものも、一切明確な言語にすることができなかった。

 それは"人間の感覚器"が生み出す感覚ではなかったから。

 感じ取ったクオリアを、竜胆は上手く言語化できない。

 

 その正体不明の感覚に頭を悩ませている内に、竜胆の学校での一日は終わってしまった。

 様子が変な竜胆の顔を、千景が心配そうに覗いている。

 なお、心配そうにしているだけで何も言わない。

 トラウマは山ほどあるが人生経験が致命的にない千景にとって、落ち込んでいる友人以上友人未満の少年に声をかけることなど、難易度がちょっと高すぎたのだ。

 

 竜胆がここでいつも通りの彼であったなら、校内に僅かに変な動きがあったことに、少しは気付けていたかもしれないのに。

 でも、そうはならなかった。

 だから、そうなった。

 

「帰ろっか、ちーちゃん」

 

「ん」

 

 帰路についた二人は、途中で別れた。

 

 ……その選択を竜胆が後悔し、"家まで送って行けばよかった"と思ったのは、竜胆が悪ガキどもに押さえつけられた後だった。

 

「!?」

 

 竜胆を突き飛ばし、倒れた彼を押さえつける少年達。

 いつも千景をいじめているいじめっ子の小学生だけでなく、中学生達までもが混じっていた。

 同い年の少年複数人と、中学生に押さえつけられてしまえば、竜胆も流石にその拘束を振りほどくことなどできはしない。

 

「離せ! 何するんだ!」

 

「抑えとけ抑えとけ! そいつは邪魔だ、あっちに行かないように抑えとけとよ!」

「ったく、女子は人使いばっか荒いんだからよぉ」

「あっちはどうなってんだか……女子は怖いからな」

 

 会話を拾っていけば、察していけることもある。

 この村における竜胆の立ち位置を把握しておけば、理解できることもある。

 "あっち"とは間違いなく千景に関する何かだ。

 "あっちに行かないように"とは、竜胆が千景を助けられない状況にすることを意味している。

 

 彼らは何かを千景にしようとしている。

 そのために、帰路についた竜胆と千景を分断しにかかったのだ。

 それは、現実のいじめにも前例がある『先生を引きつける役』と『いじめる役』に分かれていじめをする子供達のような、役割分担であった。

 

 きっとこの前の"ライターとマッチ"が――正確には新鮮な千景の反応が――いつもよりも楽しかったのだろう。

 だから……『もっと過激なことを試してみよう』と思った子供が居て、それに助力する中学生達が居て、男子も女子も混ざったほのかに熱狂的な集団が出来てしまった。

 楽しそうな女子がいて。

 面倒そうに協力する男子がいて。

 何の罪悪感も抱いていない小学生がいて。

 いじめを何とも思っていない中学生がいる。

 全てが竜胆の敵だった。

 

 竜胆は千景のピンチに気付いてもがくが、少年達の拘束を振りほどけない。

 このままでは、彼女が。

 そう思っても脱出できない。

 少年達は笑っていた。子供達が一緒に遊んでいる時のような表情だった。

 

 今の彼らの気持ちと感覚を、分かりやすく別のものに例えるなら。

 とても面白いと評判の新作ゲーム機が入ったというゲームセンターに、皆で一緒に向かっているようなものだろうか。

 この場合、ゲーム機が千景にあたる。

 "それ"で彼らは遊ぶのだから、そうとしか言いようがない。

 

「―――!」

 

 竜胆の心が軋む。無力感でヒビが入る。

 竜胆の背中にのしかかっている少年が、特に感情のこもっていない声を漏らした。

 

「今頃どうなってんだか、こえーこえー。おれしーらね」

 

「―――」

 

 人間は多様だ。

 いじめに罪悪感を少しは覚えている子供もいる。

 好き好んで攻撃などしていないが、とりあえず周りに合わせているだけの大人もいる。

 そしてこの少年のように、これがいじめであると認識しているし、いじめをやっている女子が怖いとも思っているが、千景に一切の同情もしていない"加害者の仲間"もいる。

 この少年にとって、自分は加害者などではない。

 手を貸しているだけだから自分は加害者でないと確信している。

 加害者になっている自覚は、全く無い。

 

 つまり、竜胆に乗っているその少年にとっては、どうでも良かったのだ。

 千景の人生も。

 千景の幸福も。

 千景の苦痛も。

 どうでもいいから、いじめに加担している。

 いじめという名の悪意すら、その少年には存在しなかった。

 千景に無関心な者ですら千景への攻撃に参加している現実が、竜胆の胸の奥を締め付けた。

 

 少年のその()()()とでも言いたげな言い草が、竜胆の癇に障った。

 

 

 

「どけえええええええッ!!」

 

 

 

 竜胆が叫ぶ。

 心に入ったヒビから闇が漏れ、吹き出す。

 竜胆を押さえつけていた子供達が、竜胆の体から吹き出した闇に吹っ飛ばされた。

 

 少年の手に、『黒い神器』が握られている。

 何故自分がそれを握っているのか、それがどこから来たのか、竜胆にも分かっていない。

 いつの間にか、神器は彼の手の中にあった。

 いつの間にか、闇は彼の身の周りにあった。

 誰も知りはしなかったが、その神器の名は―――『ブラックスパークレンス』といった。

 

 竜胆から吹き出した闇はいじめっ子達を吹き飛ばし、竜胆の周りでうごめいている。

 闇が地面に染み込んで、地面の色を黒く染めた。

 闇の染み込んだ地面の花が、次々と枯れていく。

 子供達は悲鳴を上げ、逃げ出した。

 

「な……なんだこいつ!?」

 

「バケモノだ!」

 

 竜胆は逃げ惑ういじめっ子になど目もくれない。

 全てに目もくれずに千景の帰路に向かって走る。

 憎い敵には注目すらせず、守ろうとするものだけを目指して走り出すその姿には、彼の本質が見て取れた。

 

(急げ! ……間に合えっ!)

 

 そして。世界が終わり始める。

 

 竜胆が走る中、彼方の民家で悲鳴が上がった。

 

「化物だぁ! あ、ああっ、あああああっ!!」

 

 竜胆は余計なことを考えないようにしている。

 先程自分が発した闇が何かという思考も投げ捨てていて、自分が怪物と周りに呼ばれたことは覚えていて、だから"化物だ"という声にも反応はしない。

 自分に対する声だと思っているからだ。

 

 だが、違う。

 今この村には……いや、高知には。

 本当に化物が襲来している。

 その化物は高知だけでなく、四国全域、そして地球全域の人間を殺す群体の一部だった。

 

 群体の名は『バーテックス』。この日、人の世界を滅ぼすもの。

 

 竜胆はまだその存在に気付いていない。

 彼の思考にあるのは今、千景しかいない。

 だから遠い場所で人間が怪物に食われていることにも、まだ気付いていない。

 村の住人の一部が突然怪物になり、他の住人を食っていることにも気付いていない。

 

「に、人間が化物になった! なんで!? なんでだ!?」

 

 人が怪物になっていく。

 地獄が生まれる。

 何故? という皆の疑問に応える者はない。

 村の大半の人間が地獄の顕現に気付きもしないまま、村が地獄に飲まれていく。

 

 竜胆は運良く、地獄に背を向けて走る形で、千景に向かって一直線に走ることができていた。

 怪物が人を食らう大きな地獄。

 千景がいじめられているという小さな地獄。

 その狭間で、竜胆は走っている。

 

 そして、中学生女子と小学生女子の混じったいじめっ子集団が、千景の服を脱がせているのを見た。

 

「―――」

 

 竜胆は純情だ。

 女の子の多い露出なんて見たらすぐに顔を赤くする。

 そんな彼が―――羞恥ではなく、憎悪と憤怒で顔を赤くした。

 

「お前はアバズレの子だからな」

 

「どうせ将来悪いことばっかりするんだから」

 

「注意書きしておかないとな、お前のハダカに直接さ」

 

「きゃはははは!」

 

「あんたのハダカを見た男が、ちゃんとお前の本性に気付けるようにね!」

 

「あーあー、サンちゃん性格わっるー。

 それ皮膚に染み込んだら一生消えないっていうインクじゃなーい」

 

「通販で買ったんだっけ? これで『ビッチ』とか注意書きしたら消えないんだよね」

 

「手術すれば消えんじゃない? 知らないけど」

 

「じゃーちゃんと見えるところと、手術しにくいとこにも注意書きしておかないと」

 

「おかーさん言ってたよ。

 あのいんらんおんなの子にしょーらい誰か引っかかったら絶対ふこーになるって。

 じゃあ止めないと。私達がやらないと、誰かがふこーになっちゃうんだよ!」

 

「えーと辞書辞書、『淫乱注意』の綴りこれで合ってるかな?」

 

 自分を悪だと思うこともなく。

 悪行を行っている自覚もなく。

 取り返しの付かないことをしていると認識することもなく。

 まだ15歳にもなっていない子供達は、大人の言動と思考の真似をしている子供達は、『気軽に』千景に一生消えない傷を付けようとしていた。

 

 その瞬間に。

 千景の瞳から溢れた涙を見た瞬間に。

 竜胆の心に浮かんだ感情は。

 

「人を―――」

 

 『憎悪』以外の何でもなかった。

 

「―――こんなに憎いと思ったのは、初めてだ」

 

 竜胆の手には、黒い神器・ブラックスパークレンス。

 

 その神器が、竜胆の心の闇を吸い上げて―――闇を、爆発させた。

 

 

 

 

 

 竜胆の意識が飛びかける。

 "人でない意識"に意識が変質する過程で、竜胆の意識は光の中に放り込まれた。

 そんな竜胆の意識へと、夢の中で竜胆と一体化した石像の巨人が、光の中から語りかける。

 

『君は、光にも闇にもなれる』

 

『全てを、よく考えて、選択しなさい』

 

『君の行動の結果は、全て君に返って来る』

 

 かすれていった、残響のような言葉。

 

 残り香のような、想いの言葉だった。

 

 

 

 

 

 竜胆が『変わる』。心に準じた形に変わる。

 

 それは、困っている人間であれば誰でも助けるという、光の愛ではなく。

 

 千景を大切に想い、それを傷付ける他者を憎悪する想い……闇の衝動だった。

 

 『皆のため』の善意ではない、『千景のため』の悪意だった。

 

 強い想いが力を掴む。

 愛ではなく、憎悪で少年は力を掴み取った。

 その過程と到達がどれだけ()()()()()()()を自覚しないままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――黒き闇の祝福。その日、竜胆の中の光は死に、闇が生まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その姿を、なんと表現すればいいのか。

 少女達が見上げた先で、青空を塗り潰すような黒い巨体。

 怪物と共にやって来たはずの世界の終わりが、世界の光を食い潰すような悪夢が、逆に食い潰されてしまいそうなほどの漆黒の闇。

 闇を纏う黒い巨人へと『変身』した竜胆が、千景をいじめる子供達を見下ろしていた。

 

 その巨人を"ティガダーク"という正しい呼称で呼ぶ人間は、今のこの時代には居ない。

 

「ひぃっ」

 

 それを見上げる子供達は揃って、戦慄、恐怖、絶望を表情に浮かべる。

 

 黒い巨人を見上げただけで、子供達からは大なり小なり正気が失われていた。

 

「あ―――ああっ―――ああああああッ……」

 

 そして、正気を失っているのは子供達だけではなく。

 膨大な闇の力に飲み込まれた竜胆もまた、正気を喪失してしまっていた。

 竜胆は竜胆の心を持ったまま、その心の闇の面を強烈に暴走させてしまっていて、負の感情を理性で一切制御できなくなってしまっていた。

 ゆえに。

 闇の心の赴くままに、動く。

 

『―――ああ』

 

 巨人になった竜胆の足が、小学生の女の子を踏み潰す。

 少女達の顔がさあっと青くなり、千景をいじめるのもやめて一目散に逃げ出していく。

 逃げなかったのは、茫然自失としている千景のみ。

 逃げる少女の一人を、巨人の指がつまみ上げた。

 巨人の顔の横、地上から50mほどの高さまでつまみ上げられた女の子は、その高さと巨人の恐ろしさに泣き出してしまう。

 

「やだ! やだ! やだ! 離して!」

 

 そして、巨人の指に"ぷちっ"と潰された。潰れた肉と骨と血が地面に落ちる。

 

 逃げ出す少女達に向けて、巨人の長い手が伸ばされた。

 

「わ……私の友達に、触るな!」

 

 友達想いのいじめっ子が、友達を庇って巨人の手に向かい飛び出す。

 だが、それには何の意味もなかった。

 庇った女の子も、庇われた小さな女の子も、まとめて巨人の大きな手に捕まってしまう。

 数人がまとめて巨人の手の中に握りしめられ、ゴリッと握り潰された。

 一瞬で握り潰したのではない。

 巨人はわざと数秒かけた。

 

「いっ……ぎゃっ……!」

「いだい……いだいっ……!」

「骨……骨っ……ざざっでるっ!」

 

 その数秒が、地獄の苦しみとなり。

 隣に居た別の少女の骨が、自分の肉に深々と刺さり、自分の骨が隣の少女の肉に刺さっていき、肉が肉を押し潰し合う、そんな地獄を子供達は味わっていった。

 15歳にも満たない小さな女の子達がまとめて握り潰され、べちょりと地面に落ち、地面にグロテスクな肉の花が咲く。

 

 生き残りを巨人が見やる。

 巨人は"付き合いでいじめに参加していただけ"の小学生の女の子にも容赦しなかった。

 逃げるその子を、指先で弾く。

 小さな子供が、虫にデコピンするような動きで、気軽に弾く。

 それだけで小さな女の子の下半身は弾け飛び、激痛と苦痛に悶えながら地面を転がり、"死にたくない"という想いを顔に浮かべたすすり泣きを始める。

 

「いたいよっ……いだいよぅ……たすけて……たすけて、おかぁさぁんっ……!」

 

 そして、絶命した。

 千景をこの場でいじめていたいじめっ子達はこれで全部だ。その全てを竜胆は殺した。

 

 だが止まらない。

 闇の力が闇の心を突き動かしていく。

 これは、方向性の問題だ。

 絵の具でどんな色を作っても、黒い絵の具をぶち込めば黒っぽい色になってしまうのと同じように、闇を叩き込まれた心の思考は同じ方向性しか持てない。

 

 竜胆の頭の中にある思考の全てが、闇の巨人として発現した力によって負の方向性を与えられ、破壊と虐殺という結論に帰結するようになってしまっていた。

 

『ああ、ああ、あああああ』

 

 巨人の瞳が、学校を捉える。

 千景を、竜胆を、毎日のように子供達がいじめていた想い出の校舎。

 それを見た瞬間に、普段竜胆の理性が抑え込んでいた感情が爆発した。

 

『―――無い方がいいよな、あれも』

 

 巨人の闇が爆発し、荒れ狂う暴風のように校舎を襲う。

 

『■■■■■ッ―――!』

 

 その闇の一撃で、校舎と、まだ校舎に居た百人以上の人間の命が消し飛ばされた。

 いじめに参加していた罪ある者も……いじめにまるで関わっていなかった罪なき者も。

 

 いじめに加担していなかった一年生も。

 いじめの存在は知っていたがそれだけだった二年生も。

 兄から千景の悪口を聞いていただけの三年生も。

 千景を笑っていたがそれだけだった四年生も。

 いじめに参加を始めていた五年生も。

 竜胆を見て"これはいじめでよくないことなんじゃないか"と思い始めていた六年生も。

 改心し始めていて、いじめを止めようとしていた千景達のクラスの副担任教師も。

 

 全員、死んだ。

 

 罪ある子供、罪の無い子供も、一緒くたにティガダークの闇の力に食い殺された。

 いじめに加担した子供達は、未来に反省したかもしれないし、反省しなかったかもしれない。

 そんな未来を、まとめて巨人の闇が押し潰した。

 闇が全ての子供を貪り殺した。

 

 ―――その中には、竜胆と同じ小学校に通っていた、竜胆の妹・花梨も居た。

 

『よし……よし……よし……ああ、消えた。壊れた。居なくなってくれた』

 

 罪の無い者を殺したことも。

 今、実の妹をその手で殺したことも。

 心の闇を暴走させている今の竜胆には自覚できていない。

 だけれども、罪は確かに蓄積される。

 

 罪の無い者は傷付けられるべきではない。

 悪いことをしていない者を理不尽に攻撃するなど許されない。

 それが竜胆の信念であり、千景の味方になった理由の全てだ。

 ……ならば、この後に正気に戻った竜胆は、自分を、どう見るのだろうか?

 想像に難くない。

 

『■■■■■■■ッ―――!』

 

 竜胆は校舎を念入りに潰す。

 学校の原型も残らぬように。

 そこに居た人間が、万が一にも生き残らないように。

 "千景をいじめるものを全てなくす"という想いが、残虐な行為を行わせる。

 

 そんな巨人を、村人達が恐ろしいものを見る目で見上げていた。

 

「あっ、ああっ……!」

 

「なんてことだ……」

 

「神様……」

 

 神に祈り、救いを求める者まで居た。

 

 いじめは精神異常者がするから問題なのではない。

 精神的に健常なものでもしてしまうからこそ問題なのだ。

 まともな人間でも周囲に流されやってしまうからこそ問題なのだ。

 でなければ、『衆愚』なんて言葉は存在しない。

 彼らは普通の人間で、当たり前の人間で、その上で他者を理不尽に攻撃し(いじめ)た。

 だからこそ。

 衆愚に対する過剰な反撃は許されない。

 いじめに対する反撃として人が『殺人』『虐殺』を選ぶのであれば、その選択は間違いなく『悪』である。

 

 巨人・ティガダークとなった今の竜胆は、間違いなく『悪』だった。

 

 人間がよき人として在るために必要なもの。

 それを、"道徳"と言う。

 子供は道徳を、周りの大人からぼんやりと学ぶもの。

 "なんとなくこれはしちゃ駄目だな"と子供達が思うものが、道徳だ。

 殺人を忌避する心などは、それの最たるものだろう。

 良い大人が周囲に居れば、子供は"いじめはしちゃダメ"という道徳を学んでくれる。

 この村において、千景を攻撃することは道徳の一切に抵触しなかった。

 

 つまり逆に言えば、その道徳と常識さえ与えることができたなら、この村の子供達はいくらでも反省することができたし、まともな大人になることも出来た。

 その可能性は確かにあったのだ。

 村の大人に流されて、特に得もなく千景をいじめていた子供達にも、千景に謝り贖罪をして大人になっていく権利があった。

 竜胆は、殺害によってその全てを潰したのだ。

 それは間違いなく『悪』である。

 いじめに殺人で返すことが当たり前であるはずがない。

 

 だが、いじめは時に殺人や自殺に発展するほどの憎悪と苦痛を育むもの。

 いじめに対する反撃もまた、人に許された権利である。

 だから、竜胆のこの虐殺は、見方によっては必然で、見方によっては必要以上に過剰な反撃で、見方によっては正義の報復であったとも言える。

 

 ここに正解は無い。正義も無い。

 

 ここにあるのは『闇』であり、『悪』だけだ。

 

「おねーちゃん……おかーさん……」

 

 破壊を繰り返すティガダークは、足元で泣いている女の子を見つけた。

 小学一年生くらいの年齢に見える。

 竜胆が覚えている限りでは、千景と竜胆への攻撃に参加したこともないはずだ。

 ティガダークによる破壊の中で、女の子は一人うずくまって泣いている。

 

 その姿が、竜胆の心の光を目覚めさせ、膨大な心の闇を押し返させた。

 助けてあげないと、と竜胆は思ったのだ。

 正気を失った状態から、強引に闇を押し返して正気の欠片を取り戻す。

 

『泣いてる子が……』

 

 小さな子を助けないと、僕は六年生でお兄さんなんだから、と竜胆が手を伸ばし。

 

 その小さな子に伸ばされた巨人の手から庇うようにして、別の女の子が飛び込んで来た。

 

杏寿(あんず)!」

 

「タマミおねーちゃん!」

 

『―――』

 

 妹が姉を庇うその姿を見た瞬間、腹の中が煮えくり返りほどの怒りと、特大の生理的嫌悪感が引き出した嘔吐感が竜胆を襲い、頭の中身が沸騰し、思考は全てひっくり返った。

 

 巨人に怯える小学一年生くらいの女の子が、妹で。

 黒い巨人から妹を守ろうとする小学六年生くらいの女の子が、姉で。

 姉は妹を守っていて。

 

 『その姉が』、『千景を階段で蹴り落とした姿を』、『その時の楽しそうな笑みを』、竜胆は覚えている。

 

 姉は妹を命がけで守っている。

 他の子供にもそうそうできないだろう、こんなことは。

 大好きな家族のためならば死をも恐れないその勇気が、妹を想うその優しさが、竜胆の心の光と闇を同時に刺激した。

 

「心配したのよ、なんでこんな所に……な、なんなのよあのでっかいの!」

 

「おねーちゃん、あれこっちむいてる、こわいよ……」

 

「……大丈夫よ、お姉ちゃんを信じなさい! 杏寿は私が守るから!」

 

 人の心は単純には語れない。

 光もあれば闇もある。

 美しさもあれば醜さもある。

 誰かを笑って傷付ける人間が、友達や家族を守るためなら命を懸けられる人間であることは矛盾しない。

 笑っていじめができる人間が、誰かに深い優しさを向けられることは矛盾しない。

 

 子供達は親の真似をして、"優しさという美徳"や、"この人間は攻撃してもいい"という常識を学んでいくものなのだから。

 

 姉は震えながら妹を守る。

 その、まばゆいほどの光り輝く想いが。

 どんなに恐ろしい者にも立ち向かう、気高い勇気が。

 とても、とても……()()()()()()()()

 

『お前―――お前ッ! なんでだ!

 なんでなんでなんで! なんでだよッ!』

 

 巨人が吠える。

 竜胆が叫ぶ言葉はテレパシーとなって外部に発されたが、底なしの怒りと憎悪がテレパシーに雑音を混ぜ込み、ただの咆哮として少女達に届けてしまう。

 憎悪と憤怒が混じった思考がそのまま音になった咆哮は、耳にするだけで正気が吹っ飛んでしまいそうなほどにおぞましかった。

 

『そんな優しさがあるなら!

 優しさがお前の中にあったなら!

 なんでその優しさを―――千景(あのこ)に少しでも分けてやらなかったんだッ!』

 

 ティガダークのウルトラマンらしく輝く乳白色の目が、赤く血走った。

 

 血走った瞳が、殺意をもって姉妹を見つめる。

 

『お前が!

 あの子の心に、消えない傷を付けたくせに!

 彼女の心から沢山のものを奪ってきたくせに!

 ()()()()()()()()()()()すら奪ってきたくせに!

 自分の大切なものが奪われることは……嫌だっていうのか!?』

 

 そうだ。

 そうだとも。

 それがここでの当たり前。

 千景が"自分は無価値で疎まれるだけの存在"と確信するまで追い込んだそれは、一方的な攻撃関係によってのみ成立していた、ここでの常識だ。

 

 物語風味に言えば、この村において千景は怪獣だったのだ。

 

 皆で攻撃するのが正義。

 "学校に怪獣が来たから、二度と来ないように攻撃する"のも当たり前。

 味方か敵かで言えば敵。

 この女の子は今日までの日々の中、『敵』に立ち向かって来ただけなのだ。

 

 淫売の子という敵に。黒い巨人という敵に。この子は変わらず立ち向かっている。

 だからこそ、竜胆はもはやこの感情を制御できない。

 闇の心に突き動かされ、自分を止められない。

 

『■■■―――!!!』

 

 まるで、癇癪のように。竜胆は、その姉妹を拳で叩き潰した。

 

 妹の方に罪が無いことだけは、確かなことだったのに。

 

 とても念入りに、押し込むようにして潰した。

 ねじ込まれた拳が持ち上げられると、そこにはミンチになり地面と混ざった肉塊のみがある。

 吐き気をもよおす赤黒い残骸。

 また一つ、少年の罪が増える。

 

『■■■■■■■』

 

 やがて、唸る巨人の視界が広がった。

 巨人は村を見下ろし、同時に小さな山の向こうの街を見下ろす。

 体長53mのティガダークには、多くのものがよく見えた。

 怪物が居た。

 紫の体色とサイケデリックなカラーリングの、怪鳥と呼ぶべき怪物が飛んでいた。

 人間が街中や村中で突然、その怪物になったりもする。

 そして怪物だけでなく、闇に覆われた空、世界を壊す天変地異など、日常にはありえないものが天と地の間に満ちていた。

 

 壊れていく世界の中で、阿鼻叫喚の地獄を怪物が展開していく。

 怪物の名が"シビトゾイガー"というものであることを、この時代の人間は知らない。

 巨人は言葉にならない呻きと咆哮――その咆哮はテレパシーだが、感情が混ざりすぎている――を上げ、怪物に狙いを定めた。

 

 放出される闇の攻撃。

 一体一体は2m程度のサイズだが、数だけはいるシビトゾイガー達が粉砕されていく。

 そして、同時に。

 怪物への攻撃に巻き込まれ、村も山の向こうの街も破壊されていく。

 街の崩落に巻き込まれ、何の罪もない人達が死んでいく。

 

『■■■ッ―――!』

 

 街のことも、村のことも、人のことも一切考えない破壊。

 闇の力が竜胆の正気を加速度的に削っていく。

 もはや"醜いもの・人を傷付けるものは全て壊す"という指向性しか竜胆の中には残っておらず、それすら失われて破壊に走ってしまうのは、時間の問題であるように思われた。

 人々は、絶望する。

 

 

 

 

 

 世界の終わりは始まっていた。それは神々による人の粛清と、それへの抵抗。

 

 『天の神』は人の傲慢、増長、醜悪、思い上がりを裁くべきものであると定めた。

 天の神がもたらした怪物……『星屑』が、世界各地で人間を襲い、貪り食っている。

 地は揺れ、天は震え、海は砕けた。

 『地の神』が、それに反抗した。人は滅ぶべきではないと。

 

 天の神は人を滅ぼすべきだと考え。

 地の神は人をそれから守らんとする。

 二つの勢力に別れた神々はその力をぶつけ合い、それが天変地異を引き起こした。

 津波は台風に粉砕され、地震は雷に打ち据えられ、大火災を大雪がねじ伏せる。

 神と神はぶつかり合い―――"国津神は天津神に負けた"という神話をなぞってしまうがために、地の神は約束された敗北へと向かっていく。

 

 人は死に。

 人の世界は崩壊し。

 敗北していった地の神々は、次第に一箇所に集まっていく。

 成立するは神々の樹。

 敗北者となった神々は一箇所に集まり、そこに希望の樹を立てようとしていた。

 

 だが、光の巨人は。

 怪物の襲来と同時に目覚めることができたはずの、唯一無二の光の巨人ティガは、変身者の心の闇の影響で闇の側へと反転してしまっていた。

 人を守るのではなく、人を殺すために目覚めてしまっていた。

 闇の巨人として目覚めてしまった。

 

 だから何も守られない。

 行われるのは、破壊と蹂躙のみ。

 

 憎悪で動く『ティガダーク』は、とても強かった。

 

 ―――とても、美しかった。

 

 黒い気持ちで人を殺し、怪獣を殺し、街を壊し。

 大切なものを守るのではなく、憎いものを壊すために全力を尽くす黒き巨人。

 美しき悪夢。それを見上げる人々の心には、恐怖と絶望しか生まれない。

 

 

 

 

 

 怪物が黒き巨人に一掃されていく。

 それに巻き込まれ、街が壊れて、人々が潰されていく。

 瓦礫に潰された人が、絞り出すように声を出した。

 

「誰か……たすけて……」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()人間が、助けを求める。

 

 けれどそういった人間を助けようとする竜胆は居ない。巨人はいても竜胆は居ない。

 

 何の罪も無い人間を傷付ける闇の巨人だけが、暴れている。

 

「あのあくまを……たおして……」

 

 人々の祈りが集まっていく。

 人々の願いが流れていく。

 皆、頑張っていた。

 闇の巨人という悪から逃げ、時折現れる怪物や天変地異から逃げ、全力を尽くし生き延びようとしていたがもうどうにもならない。

 人の力の限界だ。

 

「たすけて……」

 

 ティガダークが殺したのはたかだか数百人だ。

 数百人しか殺していないし、既に数百人も殺してしまっている。

 今現在、高知は白色の『星屑』という天の神由来の怪物と、それに混ざる少数の『シビトゾイガー』なる怪物に襲われている。

 推定になるが、ティガダークが居なかった場合、高知で星屑とシビトゾイガーが殺した人間の数は十万人を余裕で超えていただろう。

 

 そういう意味では、たかだか数百人しか死んでいない。

 これは奇跡だ。

 巨人が怪物を一掃してくれたことで、多くの人が生き延びられたということだ。

 ティガダークは結果的に、多くの人間を怪物から守ったということになる。

 数字だけ見れば、数百人の犠牲なんて安いものだったと言えるだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「だれか……たすけてよ……」

 

 皆が願った。

 皆が祈った。

 平和な世界の再来を。あの黒い巨人の死を。助けてくれる『勇者』を。

 

 だから、神は応えた。

 だから、千景は神に呼ばれた。

 

「何……呼ばれてる……?」

 

 千景は竜胆が巨人になったところも見た。

 自分を助けるために、いじめっ子を殺すところも見た。

 憎悪に呑まれた竜胆が、"彼らしくもない"行動を起こして、恐ろしい破壊をもたらしているのも見た。

 だから、彼を止めなければ、と思ったのだ。

 竜胆の虐殺は千景視点、()()()()()だったのだから。

 

 だが、走る千景は黒い巨人とは別の方向に向かう。

 自分が何故その方向に向かって走っているのかすら、千景には分かっていない。

 分かっているのはただ一つ。

 自分の体が、心が、魂が、そこに呼ばれているということだけだ。

 

「社……? ここに神社があることだけは、知ってたけど……」

 

 千景が来た瞬間、社が自ら壊れることを選んだかのように崩壊する。

 誰も手入れをしていなかった寂れた社は、綺麗に全壊する。

 そして、その中で奇妙な存在感を放つ錆びた刃があった。

 

「こんな所に……錆びた、刃?」

 

 それは、柄すらも付いていない、錆びついた鎌の刃だった。

 

 千景はその刃に共感を覚える。

 誰にも手入れされていなかった、ボロボロの社。

 そこから現れた、誰にも手入れされることなく、誰にも祀られることなく、誰にも見向きもされない、忘れられた鎌の刃。

 

(私と同じだ)

 

 誰からも見向きもされない。

 誰からも好きになってもらえない。

 誰からも愛してもらえない。

 放置され、忘れられ、誰からも好きになってもらえなくなった神の刃が、千景にはどうしようもなく自分に重なって見えた。

 放置された社の忘れられた神の刃。

 

 それは―――人間に見捨てられた神であり、同時に人を見捨てなかった神の刃であった。

 

 

 

 

 

 その刃の名は、大葉刈(おおはかり)。またの名を神度剣(かむどのつるぎ)

 

 日本の神話に登場する阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこねのかみ)の持つ刃だ。

 阿遅鉏高日子根は農耕神であり、また雷神でもある。

 「稲妻が大地に落ちて大地に実りを孕ませる」という雷の解釈を持つ日本において、農耕神と雷神とは近しいものがある。

 阿遅鉏高日子根は国津神の王・大国主の息子が一人。

 ゆえに、この刃にはその神の加護があった。

 

 伝承においてはただの剣としか言いようがないものだが、千景が手にした錆だらけの刃は、死神が持たされるような大鎌だった。

 が、それも不思議な話ではない。

 阿遅鉏高日子根は農業神で、鎌は農業用具だ。

 現代においても死神の大鎌は、農業神の持つ大鎌をルーツに持つという有力な説があり、この神に由来する刃が鎌であることは決しておかしいことではない。

 

 だからこそ。

 彼女の手にしたそれは、神の刃であると同時に、死神の鎌であると考えて差し支えないもの。

 

 

 

 

 

 大地から力を吸い上げるようにして、千景の手にした鎌が修復される。

 渋い色合いの大鎌が千景の手に握られて、千景の肉体が神の力で変質し、人間とは思えないレベルの身体能力をそこに備える。

 千景は風のように飛び上がった。

 

 巨人が千景を叩き落として潰そうとし、千景の顔を見て、その手を止める。

 千景は泣きたくなった。

 人間を見れば反射的に叩き潰そうとする、竜胆の今の在り方に。

 千景を見て手を止める、変わらぬ彼の在り方に。

 とても、泣きそうになった。

 変わった彼に、変わっていない彼に、少女は泣いた。

 "こうしてしまったのは私なんだ"と思うと、流れ落ちる涙が増した。

 

 千景はこぼれ落ちる涙には目もくれず、泣きながらに鎌を握る。

 彼を止めるために。彼の罪をこれ以上増やさせないために。彼の闇の暴走を打ち倒すために。

 横一閃に、鎌を振るった。

 

 千景に喉を深々と切り裂かれた竜胆の巨体が、ゆったりと倒れていき、山に落ちる。

 

 千景の手に嫌な手応えが残る。

 それは、友の喉の肉を切り裂いた手応えであり、一生残る後悔の手応えだった。

 涙がまた溢れて落ちる。

 途方も無い罪悪感が千景の中に生まれる。

 同時に、意識的にそこを切ったわけではないとはいえ、喉を切ったことにほっとする。

 "大事な友達"に恨み言の一言でも言われたら、きっと立っていることすらできなくなると、千景は自分の弱さを認識していたから。

 

 喉を切ったところで、巨人の声が止まるはずもないのに。

 

『―――ちー、ちゃん』

 

 憎悪と憤怒が混じっていたせいで、まともな言語として外部に出力されていなかったテレパシーが、ようやくまともな言語として発信された。

 喉を切られてようやく、思考に混ざる雑念が消える。

 

「ッ」

 

 千景が息を呑み、責められる言葉を予想して身構え、されど竜胆は千景を責めることなく。

 

『―――けが、してない?』

 

「―――」

 

 竜胆は朧気な意識の中、千景を心配する言葉を呟いた。

 巨人の体が消えていく。

 巨人が少年に戻っていく。

 そして、巨人が消えたその場所に、ザックリと喉を切り裂かれ、そこから大量の血を流す少年の無残な姿が残された。

 

 軽傷ではない。

 喉の傷は深く、そこからとめどなく血が流れ出している。

 致命傷ではない。

 すぐに手当てをすれば、まだ助かる。

 

「竜胆く―――」

 

 竜胆の名を呼びかけた千景の声が、村と街から上がった皆の歓声の大合唱により、影も形も残らぬほどにかき消された。

 

 "悪の巨人を倒した勇者"である千景を見上げ、皆が歓声を上げる。

 ティガダークは悪逆の者で。

 それを止めた少女は勇者で。

 だからこそ、"これ"は勇者が悪を倒して人々を守った、英雄譚の一幕のようだった。

 正義が悪を倒した一シーンのようですらあった。

 

 ティガダークにも怪物にも殺されなかった、千景と竜胆を苦しめていた村の人々が、そして街の人々が、巨人を倒した小さな少女を称え続ける。

 とめどなく、称賛を続ける。

 それは、奇跡を起こした勇者(きょうしゃ)に対する当然の反応。

 

 千景はその声に、自分のたった一人の味方で居てくれた少年の喉を切り裂いた罪悪感と、皆に虐げられるだけだった自分が皆に褒め称えられている恍惚の入り混じった、歪んだ笑みを浮かべた。

 

(私の存在が、価値が、認められている。……これは、現実なんだろうか。夢?)

 

 千景をずっと笑っていた商店街の大人達が。

 千景をずっといじめていた子供達が。

 千景を路傍の石、その辺に転がっているゴミ程度にしか扱っていなかった人達が。

 今までずっと千景が欲しかった『皆の肯定』をくれる。

 歪みと傷だけを絶え間なく与えられてきた千景が、ずっと欲しかった世界をくれる。

 

 少女は"これ"が欲しかった。

 "全ての人達が自分を否定しに来ない世界"が欲しかった。

 "ほんの少しでも皆が自分の価値を認めてくれる場所"が欲しかった。

 これだけが、欲しかったのだ。

 それは普通の人間が当たり前のように持っているもので、千景にはずっと与えられなかったものだったから。

 

(皆媚びるように見上げて。

 無神経に見上げて崇めて。

 私に……皆が感謝している……)

 

 生まれた時に祝福され。

 後に呪われ、疎まれ、そこに生きていることすら否定され。

 千景は今こうしてまた、祝福された。

 ()()()()()()()()()()()()()()、ようやく祝福された。

 

(私が皆を救ったから……? 皆が私に救われたから……)

 

 千景の心が、こんなことにすら喜びを感じ、千景の中の良心が、喜びを感じる己に自己嫌悪と罪悪感の刃を突き刺していく。

 やがて、千景に向けて歓声を挙げる群衆の中に、千景の父も混じった。

 父が千景を褒める。

 父は誇りに思ってるだとか、愛してるだとか、そういう意味合いの発言もしていた。

 そして群衆の中で千景の父であると名乗り始め、自分に対する村八分の緩和を狙い、称賛の分け前を貰おうとするなど、浅ましい行動を取り始めていた。

 

 父の浅ましさが、千景の中の負の感情を呼び覚ます。

 

(私を……私を攻撃していたのはこの人達で、私を守ってくれていたのは彼だったのに)

 

 手の中の、竜胆の肉の感触が、千景の心を闇の中へと沈めていく。

 

(彼を切って……この人達を守って……それで喜んでいる私は……何……?)

 

 誰が間違えたのだろう。

 村か。

 千景か。

 竜胆か。

 踏み躙られる小学生でしかない千景には、まるで分からなかった。

 

 

 

 

 

 御守竜胆と郡千景は、運命と出会った。

 

 良い意味でも、悪い意味でも。

 

 これは、罪と闇から始まる物語。

 罪の無い人々を、意図せず憎悪の攻撃に巻き込んだ罪は許されない。

 罪の無い子供を、意図して拳で潰した罪は許されない。

 罪の無い市民を、暴走で虐殺した罪は許されない。

 闇の力に支配されていたから仕方ない、なんて許しの言葉で竜胆は自分を許せない。

 彼が自分を許すことはない。

 永遠に。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 竜胆が掲げた信念の言葉だ。

 この言葉は正しい。

 至極正しい。

 この言葉を否定する正論など、でっち上げることも難しいだろう。

 だから、竜胆の正しい言葉が竜胆自身に突き刺さる。

 

 御守竜胆は自分自身を決して許さない。

 

 

 

 

 

 これは、自分を許せない少年と、少年を許す権利を持たない少女の物語。

 

 

 




 これは独り言なんですが、乃木若葉世代の死者に生まれ変わり匂わせて、結城友奈世代で生まれ変わりっぽいキャラが出てるの何か好きなんですよね。
 当作はキャラの個人設定とキャラの関係性は大雑把に時拳時花の前史に沿いますが、それ以外はアナザーエンドに向かって進んで行きます。ほぼ別物の独自√です。
 ソシャゲで勇者の皆が海水浴に心躍らせる中、一人だけ『体に傷があるから』って水着を嫌がったりする千景ちゃんのクソ鬱感……漫画見るに耳の傷は何年経っても普通に消えてないようです。


【原典とか混じえた解説】

●ティガダーク
 光の戦士ウルトラマンティガが闇に堕ちた姿。
 原作のティガダークは、人の心の闇によって黒に染まってしまった光の巨人。
 人と世界を守る光の巨人に戻る前のティガは、残酷な闇の巨人であった。
 このティガはその時のティガの姿。
 何も守らない闇の戦士であるがために、『ウルトラマンではない』。
 黒と銀のみの体色が、闇に染まった現在のティガの性質を表している。
 闇の単色の力のみを持つため、その力は変身者の心の闇に比例する。
 逆に変身者の心の光で弱くなる特性も持ち、竜胆の場合身体強度がまず低下する。

 御守竜胆は超古代の戦士ティガの力を継承し、己が心の属性に従い闇の巨人となった。
 力の継承でティガに変身できるのは、超古代戦士の子孫としてその遺伝子を受け継いだ者のみ。
 超古代戦士の子孫には勇敢さや高い判断力、超人的な集中力が備わっていることも多い。
 竜胆もこの例に漏れず、優秀である。
 そして巨人の闇の力が、その能力の全てを破壊と殺戮という方向性に向けていく。
 活動限界は平均的なウルトラマンと同じ三分間。

※前作既読者向け補足
 『時に拳を、時には花を』に繋がる世界線では、御守竜胆が闇の巨人になることはない。

●シビトゾイガー
 『真の闇』から生まれる怪物。
 当作においては地球のある海上を通過して異質変化した『星屑』。
 体長は2mと少しだが、武装した兵士程度では敵わない強さと、信じられない数の群れによってとてつもない脅威となる。
 そして何より、捕食した人間を模倣して化ける能力を持つ。
 "村で多くの人間が突然シビトゾイガーになった"というのは、つまり……



●天の神
 地の神(ガイア)と対になる天の神。
 別宇宙においては『根源的破滅招来体』と呼ばれる複合神性。
 根源的破滅招来体、という呼び方も別宇宙の別地球の人間が付けた呼称のため、この宇宙ではそう呼ばれない。
 天神・地神が天津神・国津神に対応するため、この場合は土着の神性である国津神(神樹の神等)、天上からの侵略者である天津神(宇宙から来た根源的破滅招来体)、天の神以外の宇宙からの来訪者たる別天津神(一部ウルトラマン)に区分される。

 使役する天使(かいじゅう)は星屑を媒体に多次元宇宙の概念記憶から再現した、神通力による模倣体と、『本物』を引っ張って来た存在の2パターン。

●余計極まる余談
 ウルトラマンティガの現実での放映が1996年。ダイナが1997年。
 ティガ・ダイナの原作時代設定は"放映当時の現実から見た"近未来設定。
 ティガが2007~10年の近未来、ダイナが2017~20年の近未来という設定であった。
 この作品の現在時系列は2015年7月30日。
 『乃木若葉は勇者である』本編開始が2018年。
 プラネタリウムウルトラマン『ウルトラマンティガ 光の子供たちへ』は、()()()()に宇宙を汚した人類が、その傲慢で神の如き宇宙の意志の怒りを買い、攻撃されるという物語。
 三百年前まで時間遡行したティガが人間と一体化し、2019年に宇宙の意志の手先と戦う物語。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

再始 -リスタート-

 西暦2015年7月30日。

 その日、世界は終わった。

 世界中で発生した天変地異。

 そして、白色の怪物『星屑』。

 人々は自分達人間の世界の全てが壊れてしまったことを、認識した。

 神々の怒りを買ったことなど露知らず、人々は世界が地獄になったことを嘆いた。

 

 怪物の名はバーテックス。頂点を意味する名を持つ者。

 

 空には太陽を遮る闇。

 空に白色を彩る雲の如く、空を飛び交う白い星屑。

 大地には建物の残骸が立ち並び、川にも湖にも人の腐乱死体が満ちた。

 津波は海沿いの街を飲み込んで、迅雷が文化財を粉砕し、大火災が人の文明の痕跡を焼き尽くして、台風が人間の生きた痕跡を吹き飛ばしていった。

 地震が人の作り上げたものを粉砕し、地割れが全てを飲み込んでいく。

 そんな悪夢の世界を逃げ惑う人間達を、星屑が念入りに食い潰していった。

 

 時は流れる。

 

 悪夢の日から、三年が経った。

 現在・2018年12月。

 世界はいまだ人の手に取り戻されてはいない。

 三年前の終焉の日、一人の巨人と五人の勇者が覚醒した。

 そして今日までの三年間で、新たに五人の巨人が人を守るために参戦してくれていた。

 巨人はそれぞれ別の場所から来たらしいが、総じてその名を『ウルトラマン』といった。

 

 だが、善戦には程遠い。

 既に六大陸が陥落し、日本以外の土地に住んでいた人間は一人残らず皆殺しにされた。

 2018年初頭には五人の巨人が日本で力を合わせて戦ってくれるようになったが、それでも日本の土地の八割以上が陥落してしまっていた。

 

 地の神々は各地で人間を守ってくれていたが、天の神の猛攻にあえなく敗北し、各地の喪失に従って四国へと集まり始める。

 そうして集まった地の神々は、四国の地にて『樹』となった。

 人はそれを、『神樹』と呼ぶ。

 日本の土地のほとんどが失われ、ほとんどの土地から神々が集まってきたことで、四国は八百万の神々が守る聖域と化した。

 人類に最後に残る土地はここだろう、という確信が生まれ始めるほどに。

 

 そんな中、四国を……人間に最後に残された大きな土地を統率していたのは、政府からバーテックス対策を全て委任された『大社(たいしゃ)』なる組織であった。

 大社は四国内部の統制を確立し、情報操作等を行える地盤を確立させる。

 そして日本各地から神々が集まったことで『神樹』として成立した神の力で、"勇者システム"なる力と、それを唯一扱える少女である『勇者』を成立させる。

 地の神々の力を宿した勇者という少女達は、天の神の使徒にも届く力を保有していた。

 

 千景もまた、神に選ばれた五人の勇者の一人であった。

 その刃は既に、恐るべき暴虐を見せた闇の巨人を一度瀕死にまで追い込んでいる。

 ウルトラマンの力、神の力を研究して得た技術をフィードバックすることで、勇者の持つ力は徐々に強化・拡張され、あの日竜胆の喉を裂いた力も、日々進化を果たしている。

 

 ゆえに、大社が打ち立てた四国防衛構想はシンプルだった。

 『ウルトラマン』という体がデカく強力な戦力と、『勇者』という小回りの利く人間サイズの戦力の併用。

 現代戦風に言えば、ウルトラマンを戦車、勇者を随伴兵に見立てた形だ。

 現代の戦闘において戦車という強力な兵器に兵士を随伴させるのは基本である。

 

 ましてや、星屑のサイズは2mと少しといったところ。

 狭いところに入られたら巨人は攻撃し難いし、ウルトラマンはその巨体のせいで広い死角が生まれやすい。

 文字通りに()()()()()存在するバーテックスは、複数人で死角をカバーし合わなければ防衛も自衛も殲滅もできない。

 勇者とウルトラマンを併用する国防構想の提唱は、至極当然の成り行きだった。

 

 その大社が、一つの決断を下した。

 あまりの危険性に多くの者が反対したが、その上で苦渋の決断を下した。

 大社も本来はしたくなかった選択……だが、そうせざるを得ない理由があった。

 何故ならば。

 ウルトラマン五人と勇者五人を投入し、既にウルトラマン二人が生死不明、ウルトラマン一人が重傷、勇者二人も軽傷という状況に追い込まれてしまっていたから。

 

 竜胆が暴走したあの日から三年と約四ヶ月。人類の最終防衛ラインは、既に半壊していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勇者は五人。

 その内の一人、乃木(のぎ)若葉(わかば)が勇者達と幼馴染の上里(うえさと)ひなたを連れ、大社の機密中の機密である地下室へと歩を進めていた。

 底が見えないほど長い階段を、ロウソクをの灯りを頼りに降り始める。

 

「全員、気をつけろ」

 

「はい、若葉ちゃん」

 

 乃木若葉は勇者である。

 彼女は勇者のリーダーだ。

 勤勉で、真面目で、鋼の意志を持ち、天の神によるバーテックス襲来の前から居合の技を収めていた武人の女子中学生。

 その強さは勇者の中でも頭一つ抜けているが、メンタリティの強さも相当なものだ。

 バーテックスの襲来時、人々を虐殺する化物に棒っ切れ一つで切りかかったという当時小学五年生の若葉の勇姿と、それで倒せなかったバーテックスを神の刀で斬り殺したという逸話は、大社でも時々語り草になるほどである。

 

 その強さと皆を引っ張っていくリーダーシップにて、彼女は四人の勇者を率いるのみならず、ウルトラマン達にも自分達のリーダー格の一人であると見られていた。

 ウルトラマン達にもリーダー格はいるが、その者も若葉を認めている。

 そんな若葉を支えるのが、幼馴染のひなただった。

 

 ひなたは巫女である。

 彼女は神の声を聞く能力を持つ、神の力の行使者である勇者とは別枠の異能者だ。

 若葉が現在の勇者の中で最強の一人に数えられているのと対称的に、ひなたもまた巫女としての最高適正値を持つ。

 彼女は幼馴染の若葉を常に支えている。

 そんなひなたを、若葉も信頼し、他四人の勇者も同様に信頼していた。

 

 勇者全員と、最高の巫女が揃って地下室へ向かう階段を降りていく。

 降りても降りても底が見えない。

 それは、彼女らが目指している地下室が、あまりにも深い場所にあることを意味していた。

 こんなにも深い地下室が必要とされるものとは、一体何なのか?

 

 階段は降りれば降りるほど深い闇を作り、若葉の手元にあるロウソクだけが唯一の光源となっていて、空恐ろしさすら感じてしまう。

 

「なんだここ」

 

 土居(どい)球子(たまこ)が、不安げに若葉に問いかける。

 球子は若葉やひなたと同じ中学二年生。

 だが小柄なひなたと比べても更に小さな球子は、小学生にしか見えなかった。

 球子の容姿が幼いというのもあるが、球子の服装や立ち振る舞いは少年らしく、それがよりいっそう彼女を幼そうに見せていた。

 そんな球子の問いかけに、若葉が横目に彼女を見る。

 

「若葉、この先には何があるんだ? それとも、何かがいるのか?」

 

「そうだ。だからこそ、神託を受けられるひなたと、勇者全員で来た。

 この先にあるのは狭い密閉空間だ。

 もし戦いになれば、ウルトラマン以上に勇者の方が有利になるよう作られている」

 

「! ただごとじゃないな、そりゃ。タマでも分かる」

 

「重ねて言うが、気を付けろ。この先に居るのは――」

 

 現在動ける勇者の全てがここに派遣されたということは、現在四国内部で戦える人間の5/7がここに派遣されたということである。

 その意味は重い。

 若葉は語る。この先に待つ大きな危険を。

 

「――ティガダークこと、御守竜胆。三年前、惨劇を起こした黒い巨人だ」

 

「「「 ―――! 」」」

 

 この先に『誰』が居るかを知っていた若葉とひなた、そして千景を除いた三人が、息を呑んだ。

 

「あ、あの、若葉さん」

 

 伊予島(いよじま)(あんず)が、おずおずと声を出す。

 この場で唯一の中学一年生であるためか、口調は丁寧で、物腰も丁寧だ。

 けれどそれ以上に引け腰気味な振る舞いや、『御守竜胆』の名を聞いたその瞬間から、勇者の誰よりも怯えている様子の方が目についた。

 

 伊予島杏は臆病だ。

 だがそれは、"どんな敵も恐れない勇者"達の中で、"対象の恐ろしさを正確に把握できる"という長所を持っているということもである。

 本をよく読み、勇者の中でも飛び抜けた知識量を持つ杏は、多くのことを知っている。

 ()()()御守竜胆の恐ろしさについても、よく知っていた。

 

「それは……巨人の力で虐殺をしたという、あの御守竜胆ですか?」

 

「そうだ、杏」

 

「私も、新聞や書籍で見たのでよく覚えています。

 後の戦局に悪い意味で大きな影響を及ぼした悪夢の巨人。

 最初はバーテックスの一種だと考えられていた巨人でしたよね。

 それが悪意で他人を殺していた人間と分かると、新聞やテレビが猛烈に非難を始めて……」

 

「ああ。バーテックスに次ぐ最大級の人類の敵だと認定された」

 

 あれから三年の年月が経った。

 一般人における御守竜胆への認識は、『悪魔』である。

 巨人の力に目覚め、バーテックス諸共何百人という人間を殺し、街を破壊した黒い悪魔。

 良心など全く無く、殺戮と破壊のみを好む……それが、世間一般の竜胆に対する評価である。

 

 若葉は警戒心を隠していないし、球子は嫌悪感を滲ませていて、杏は露骨に怯えている。

 そんな中、千景は沈痛な面持ちで俯きながら若葉達の後ろを歩いていた。

 

「……」

 

 ここが暗い階段で良かった。

 千景の表情を見ることなど、誰もできていなかったから。

 今の千景の顔を皆が見ていたなら、皆揃って仰天し心配していたに違いない。

 

 各々違う強い情動を抱く中、唯一フラットに近い反応を示していたのが高嶋(たかしま)友奈(ゆうな)。五人の勇者の中で最も優しく、最も社交的な少女であった。

 彼女はこの場に揃った六人の中で、おそらくは一番に、"他人が下した他者評価"に左右されることなく、"自分の目で見たもので他者評価を決める"能力に長けた人間だった。

 友奈がうーんと首を傾げる。

 

「私はちょっと本で読んだ内容でしか知らないかな、その人。

 その人を非難する文章とインタビューだけで本一冊作れるくらいの厚さになったんだよね。

 その本はたくさん売れた……とかニュースで見たような。

 でも、その人行方不明なんじゃなかったっけ?

 死亡説も根強くて、その人が死んでくれてホッとした、みたいなこと言ってる人が……」

 

「友奈。大社がそんな強大な力を持つ個人を放っておくわけがないだろう」

 

「あっ、そっか」

 

「誰よりも早く大社は動き、千景という勇者と御守という巨人を確保した。そうだな、千景」

 

「……ええ」

 

 友奈が納得し、事情の一部を聞いている若葉が話を振って、千景が暗い顔で頷いた。

 あの日。

 三年前の惨劇の後、千景は勇者として大社に回収され、竜胆も手当てこそされたが、回収されたその日には厳重に拘束されていた。

 千景は勇者として竜胆を弁護したが、焼け石に水程度にしか考慮されなかったという。

 

 そもそもの話、()()()()()()()()()()()()という事実だけを見るなら、竜胆は桁違いに危険な小学生でしかないのだ。

 巨大な力が癇癪を起こす小学生に備わっているようにしか見えない。

 少なくとも、大社や民衆はそう見ていた。

 

 闇の力に心を突き動かされていたこと等、神の視点であれば情状酌量の余地があることも多く知ることができていただろうが、人々はそんなものを知ることなどできない。

 

 ティガダークに潰された少女の肉塊を、三流ジャーナリストがすっぱ抜いた。

 竜胆の姿に戻るティガダークを、皆が見ていた。

 黒い巨人の虐殺を、皆が見ていた。

 だから、竜胆がこんな地下深くに幽閉されているのは当たり前のこと。

 

「なあ若葉、あんなタマげたことした危険人物を、なんで幽閉なんかで留めたんだ?」

 

「神樹からのお告げだそうだ。その者を殺すことも排除することもするな、と」

 

「はぁ!? なんだそりゃ!」

 

「さあな。神樹……神の考えていることなど、私には分からない」

 

 神の考えなど人に分かるものか。神の視点など人が持てるものか。

 若葉にもタマにも、"それ"は理解できる存在ではないのだ。

 神が寄り集まって成立した複合神性、神樹。

 それはこの数年人を守っていたがために、信用はされている。

 だが信頼はされていない。

 

 若葉、ひなた、球子、杏、友奈、そして千景。

 六人は暗い階段を歩いて降りていく。

 

「三年前、大社に捕縛された御守竜胆は、自ら変身に使う神器を差し出した。

 そして大社の要求と提案を全て受け入れ、何の抵抗もせず幽閉された。

 それから三年間ずっと、御守竜胆はこの地下深くに居る。

 ここでなら、何百mサイズの巨人に変身しようと地下に生き埋めになるからな」

 

「……意外だ。暴れなかったんだな。

 タマの中のイメージだと、そういうことするやつだと思ってたんだが」

 

「私もタマっち先輩と同意見です。

 そうなったら大暴れする人のイメージでした」

 

「うーん……駄目だ、分かんなくなってきた」

 

 若葉の語りに、タマはよく分からないといった顔をして、杏は拭いきれない恐怖心と警戒心を顕にしていて、友奈は考え過ぎで頭がショートしていた。

 対し、若葉は表情も雰囲気も揺らがせていない。

 

「御守竜胆の真意は私には分からない。

 いや、誰にも分かりはしない。

 大社も測りかねているというのが現状だ。

 少しでも読み間違えれば……その時点で、三年前の悲劇が繰り返されかねないからな」

 

「そりゃそうか」

 

 竜胆は嘘だってつけるのだ。

 竜胆と千景の証言だけで、御守竜胆の性格が分かるはずもない。

 仮に99%信用できると判断されても、その1%を誰もが無視できない。

 現在唯一残っている政府と言える大社も、その指示を受ける若葉も、竜胆の性格の善悪ではなく……彼の過去の所業から判明している危険度を基準に、竜胆への対応を決めていた。

 

 友奈はそれとは逆に、竜胆に直接会ったことのある人間が、竜胆という少年の性格をどう評価しているかを重視していた。

 

「ぐんちゃんは、その人のことよく知ってるの?」

 

 友奈の問いかけに、千景はドライに応える。

 

「私は……あの人のことを……過去形でしか語れない。だから、私に聞かないで」

 

 いや、違う。

 これはドライなのではない。

 罪悪感と後悔にまみれた拒絶。

 千景が今の自分の内心を誰にも見せたがらないがゆえの、決定的な拒絶だった。

 

「……そっか」

 

 光源がなくて物理的にも暗かった階段の、空気までもが暗くなる。

 空気だけは明るくしようと、率先してタマが声を上げた。

 

「ま、いざとなったらタマに任せタマえ! 皆守ってやるからな!」

 

「わー、タマっち先輩頼もしいー」

 

「……なんで棒読みなんだ! あんず!」

 

「だ、だって! 凄い危険人物なんだよその人! タマっち先輩には結構荷が重いよ!」

 

「あんずぅー! 心配してるのか煽ってるのかどっちなんだそれは!」

 

「まーまータマちゃんもアンちゃんも落ち着いて」

 

 球子と杏のじゃれ合いに友奈が割って入って、若葉がそれを微笑ましそうに見ている。

 だが若葉はすぐに表情を引き締め、暗い闇の底を見た。

 

「以前、大社が御守竜胆への処置を間違えたことがあったらしい」

 

「間違い……?」

 

「手続き上の不備だった、そうだ。

 御守竜胆は現在、特例を除いて誰も通常の面会ができない状況にある。

 そんな彼への食糧の提供と、身の回りの世話が途絶えてしまった。

 聞いた話になるが……一ヶ月は食糧も水も与えられなかったらしい」

 

「なんてことを……死んでしまうじゃない!」

 

 千景が食ってかかるが、既に過去のことだ。ましてや若葉に責任は無い。

 食ってかかった千景は、若葉が複雑な表情をしていることに気付いた。

 

「死ななかったんだ、千景」

 

「……え?」

 

「一ヶ月水も食糧も与えられていなかったのに、御守竜胆は死んでいなかった」

 

「それは……どういう……」

 

「御守竜胆は、()()()()()()()()()()()

 

「―――」

 

 あの日、竜胆が得たものは何だったのだろう。

 あの日、竜胆が失ったものは何だったのだろう。

 彼は今でも、人間だと言えるのだろうか。

 

「それから三年弱の時間が経った。

 衰弱を期待する大社の人間の指示で、竜胆は三年間水も食糧も与えられていない。

 だが三年近く経っても弱る気配すらなく、彼はこの光さえ届かない闇の中で生きている」

 

「……!」

 

 乃木若葉は真っ直ぐな人間だ。

 真面目で、堅物で、実直ながらもとても優しい。

 大社の意図も分かってはいる、分かってはいるのだが、それでも竜胆に対する『非人道的』な対応に苛立ちを覚えてしまう。

 そして、同時に。

 竜胆の『非人間的』な対応に、形容し難い恐れのようなものも感じていた。

 大社は非人道的で、竜胆は非人間的だった。

 勇者も各々が難しそうな顔をしている。

 

「もはや通常の人類と同じ生命体なのかも分からない人間。

 自らの心の闇に支配され、その感情に心を蝕まれてしまった巨人。

 我らが仲間である五人のウルトラマンのような光の巨人ではない……『闇の巨人』」

 

「……闇の、巨人」

 

「本当はこのまま寿命を迎えるまでここに永久封印される予定だった、そんな男だ」

 

 勇者達は階段を降りていく。

 若葉の隣を歩いているひなたが、唯一直接的戦闘力を持っていないというのに、全く怯えや不安を顔に出していないのが印象的だった。

 

「なあ、タマの気のせいだったらいいんだが、なんか明るくなってないか?」

 

「え? ……あ、ホントだ。なんでだろう? ロウソク以外の光源は増えてないよね?」

 

 球子が疑問を口にして、友奈がそれに同意する。

 光源が増えていないのに、階段を降り始めた頃と比べて明確に周囲が明るくなっていた。

 今では、目に見える範囲のほとんどを若葉の持つロウソクが照らせている、そんな明度。

 ひなたはその疑問に応じられる答えを持ち合わせていた。

 

「闇が減っているからです」

 

「闇が……減っている?」

 

「彼は光を喰いません。

 ですが闇は喰います。

 必然的にこの階段は、地下室に近付けば近付くほどに"闇の密度"が下がっていきます」

 

 ここには、概念的に――かつ物理的に――闇が無いのだ。

 闇が無いから光がより強く輝く。

 小さな光も減衰せず、より強く輝く空間になっている。

 人間が普通に生きている限りではまず目にすることがない、異常な現象。

 

「光が届かない地の底。

 されど闇さえ存在を許されない虚無の底。

 ここは僅かな光ですらも強く存在感を示すことができる、異常な空間なんです」

 

 ひなたの説明が、友奈以外の皆の心に危機感を浮かび上がらせる。

 友奈だけが、ひなたの深刻な説明に、彼女らしい独特の解釈を見せていた。

 

「ここは闇が居られない場所……いや、光がもっと輝ける場所なのかな」

 

「友奈は面白い解釈をするな。私はその説を支持しないが」

 

「私は高嶋さんの説を支持するわ」

 

「……千景」

 

「ここで何を思うのかは私の勝手でしょう、乃木さん」

 

 友奈のその独特の解釈に対し、若葉と千景は対照的な反応を見せる。

 二人の仲は仲間として許容範囲な程度には悪い。

 互いに対する確かな信頼と好感もあるが、妙に反発してしまう部分があるのだ。

 若葉の方は歩み寄ろうとしているが、千景の方が反発してしまう。

 

 御守竜胆に関する友奈の意見一つ取っても、二人の間には意見の相違があった。

 

「あ、扉……」

 

 そうして、進む彼女らの眼前に扉が現れて、杏が声を漏らす。

 ここが彼女らの目指していた目的地。

 

「端末を持っておくか、ポケットの中に入れて常に手で触れておけ。

 いつでも変身できるように。

 かつ、向こうが何かを行動に移すまでは、変身して警戒させることなどないように」

 

 勇者はスマートフォンを変身端末としていて、触れれば一瞬で戦闘装束へと変身が可能である。

 

 それを、わざわざ若葉が皆に念入りに指示するということは。

 『有事』には一秒を争う戦闘になると、そう想定しているということを、意味していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闇の底の更に底、闇すら無い深奥の地下室に皆が足を踏み入れる。

 そこに足を踏み入れるまで、勇者達は若葉の警告を額面通り受け取っていた。

 御守竜胆はそれだけ警戒する必要のある危険人物だと認識していた。

 だから誰もが、素直に全力で警戒をしていた。

 

「なっ」

 

 だが地下室に足を踏み入れた瞬間、誰もがこう思った。

 

 "そんなに警戒する必要があるのか"、と。

 

 千景は口元を抑え、ふらりとよろめいた。

 

「な……何よ、これ……」

 

 竜胆は椅子に縛り付けられていた。

 全身を革と金属で出来た特製の全身スーツで拘束されており、その上から金属の拘束・革の拘束・セラミックの拘束・石質の拘束・ゴムの拘束・樹脂の拘束etcでガチガチに固められている。

 あらゆる材質の拘束で固めるのみならず、硬い拘束と柔軟性のある拘束に、圧力に強い拘束や伸長に強い拘束などを複合させている。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という強烈な意志が感じられた。

 

 ここまで拘束されていては、おそらく一番動かせる体の部分でもせいぜいミリメートル単位でしか動かせないだろう。

 間違いなく1cmは動かせない。

 それでいて血流などを阻害しないように細かな技術が使われており、永遠にこの少年を椅子に縛り付けておこうとする意志も垣間見えた。

 

 首から上など、特に悲惨だ。

 口以外の全ての箇所が覆われていて、首も全く動かせないように固定されている。

 口だけ開放されているのは、竜胆がそこから闇を喰うからだろう。

 闇を食って生きている竜胆は、もう年単位で水も食糧も口にしていないがために、排泄の必要もない。

 だから今のこの形の拘束に変えられた。

 そしてそれゆえに、今のこの形の拘束で椅子に固定されたままずっと、この光のない地下室に延々と放置されてきた。

 

 目と鼻を覆う特殊マスクは、彼の視覚と嗅覚に何も感じさせない。

 特殊素材と特殊構造で作られたイヤーカバーは、耳栓以上に音を遮断し、彼の聴覚に小さな音さえ拾わせることはない。

 左耳に空けられた穴に付けられたピアスは、内蔵電池で動く発信機だ。

 力任せに取ろうとすれば耳の肉が千切れるようになっている。

 

 少年の全身を改めて見直すと、体のどこもほとんど動かせないようにするためか、その肌のほとんどが露出していないことも分かる。

 その肌は、堂々と空気に触れることすら許されていなかった。

 友奈も、球子も、杏も、千景も。

 この少年に"息をすること以外に何が許されているのか"全く分からない。

 そういうレベルの、非人道的な拘束。

 

 事前に大社からこの拘束のことを聞いていた若葉とひなたですら、思わず目を逸らしたくなるような、非人道的な拘束だった。

 

 今日までの日々の中、竜胆はこの拘束よりはマシな拘束をされたこともあっただろうし、これより厳しい拘束をされたこともあっただろう。

 竜胆が拘束されたのは小学六年生時。

 今の竜胆が中学三年生相当の年齢。

 三年間、ずっと、こんな拘束をされたまま、闇の中でひとりぼっち。

 

「……ひどい」

 

 友奈の呟きは、勇者達全員の代弁だった。

 竜胆を軽蔑する球子も、恐れる杏も、警戒する若葉も、疎外したいひなたも。

 そして、千景も。

 それぞれ違う感情を持ちながら、友奈と同様に"同情"の気持ちを抱いていた。

 

 友奈が呟いた、まさにその時。

 少年がピクリと反応する。

 何も見えず、何も聞こえず、空気に肌もほとんど触れていないというのに、五感を超えた反応で少年は少女らの存在を知覚した。

 半ば直感的なその動きに、若葉が唯一戦闘力のない幼馴染(ひなた)を庇う。

 

「誰?」

 

 普通の、少年らしい声だった。

 悪魔のような声、あるいは天使を装った悪魔の声を想像していた勇者達は、少し肩透かしを食らってしまう。

 若葉は大社から預かっていた鍵を使って、竜胆の耳を塞いでいた強固なイヤーカバーを外す。

 

「お初にお目にかかる。私は乃木若葉という」

 

「……見えてないんだからお初にお目にかかるも何も」

 

「失礼。今日はお前のその目隠しを取ってやれるかもしれない、そういう話をしに来た」

 

「へぇ」

 

 若葉が代表して、竜胆との会話を受け持とうとする。

 その横を、無言で通り過ぎる一人の少女。

 郡千景は若葉を無視して、拘束された竜胆に歩み寄った。

 球子と杏が止める声が聞こえた気がしたが、千景は意にも介さない。

 

(……背、伸びたんだ。竜胆君)

 

 千景は思う。

 自分は何を間違えたのか。

 竜胆は何を間違えたのか。

 ……あの日の悲劇を竜胆のせいにしたくないと、千景は思う。

 けれど、そのためには自分のせいにするくらいしか思い付けなくて、けれどその理屈では、彼を納得させることなどできないということも分かっていて。

 

 非人道的な拘束をされた竜胆の姿が、千景の胸の内を罪悪感で締め付ける。

 千景の手が、数少ない肌が露出した部分である彼の頬に触れた。

 少年がピクリと動き、どこか驚いたような様子を見せる。

 

「ちーちゃん?」

 

「―――っ」

 

 普通、触れられただけで千景だと判別することなどできるはずもないのに。

 ありえない知覚。

 目を塞がれた状態では、奇跡に等しい理解。

 触れられただけで彼が彼女を判別したことに、細かな理屈を付けるのは無粋だろう。

 

「元気だった?」

 

「……ええ、元気よ。友達も……仲間も、出来たわ」

 

 千景のか細い声に、竜胆は"はぁぁぁ"と深く息を吐き出した。

 肺の中の空気の全てを吐き出しているのではないかと思うくらいに、大きな息を吐き出した。

 

「そっか―――良かった」

 

 そして、心底安心したような竜胆の声が漏れる。

 それだけが心配だった、と言わんばかりに。

 竜胆は千景の近況を聞いて、本当に安心して、嬉しそうにしていた。

 

 竜胆はこの三年、ずっと外の情報を自由に得られなかった。

 自分に関することなら、不幸でも、罪悪感でも、いくらでも納得させられる。

 だが、千景の近況だけは違う。

 それだけは、千景の口から聞かなければ安心することなどできやしない。

 竜胆の時間は、三年前のあの惨劇の瞬間からずっと止まっていたのだ。

 

 彼はこの暗闇の中で、千景(ともだち)の未来を案じていたのだ。おそらく、三年間ずっと。

 

「―――ぅ」

 

 千景は涙と嗚咽が溢れるのを、必死に抑え込んだ。

 

「良かった……もうそのくらいしか、希望持てること、他になかったからさ」

 

「っ」

 

 三年前のあの瞬間から、御守竜胆の時間は止まっている。

 体は大きくなっていても、心の状態はほとんど何も変わっていない。

 竜胆はあの日の罪悪感と心の闇を抱えたままだ。

 

 村ぐるみの加害者どもを殺し。

 怪物達を殺し。

 唯一の肉親だった妹を殺し。

 何の罪も無い人を殺し、街を壊した。

 それで子供の心が正常でいられるわけがない。

 平気? 否。

 心が潰れた? 否。

 ()()()()()()()。彼の心はあの日からずっと、罪悪感と自責で潰され続けている。

 この闇の中でずっと、彼は自分の心を罪悪感で潰し続けていた。

 

「……」

 

 千景は勇者になった。勇者の仲間も出来た。友奈という友人も出来た。

 それが千景の三年間だ。

 楽なことばかりではなかったが、それでも幸せなこともあった。

 竜胆にはそれが一切無かった。

 それが殊更に千景の良心を抉るのだ。

 このままでは延々と竜胆と千景が互いの心を傷付け合いかねない。

 

 若葉は思考ではなく直感でそれを察し、二人の会話に割って入った。

 

「少し、話をしたい。いいだろうか? 御守竜胆」

 

「いいよ。僕に何用?」

 

「私達人類は今、窮地に立たされている」

 

「……なんだって?」

 

「レジストコード:『ブルトン』。そう呼ばれているものが現れたからだ」

 

「『ブルトン』?」

 

 竜胆の時間は、三年前で止まっている。外の世界の窮地など知りもしない。

 

「順を追って話そう。

 三年前、世界は終わった。

 世界中の人々が、お前も戦ったあの怪物に殺されてしまった。

 今や世界にどれほどの人が生き残っているかすらも分からない」

 

「……あれが、か」

 

「私の知る限り、今の世界で人間が生きていると確認されているのは四国と諏訪のみ。

 可能性レベルで話しても、北海道と南西の諸島くらいしかないそうだ。

 国外に生存者が居ないことは、確認してくれた者が居る。

 四国は今や、人類に最後に残された方舟として、神々の結界に守られた最後の希望だ」

 

「四国が……?」

 

 土着の神々が四国に集まり、人間を守るための神樹という存在と成ってくれた……なんて話を竜胆があっさりと信じたのは、彼もまた"巨人に成り果てる"という異常で不思議な体験をした者だったからだろう。

 

「細かい説明は省くが、この『ブルトン』は、神樹の結界を破壊する能力を持つ」

 

「それは……結構マズいんじゃないか」

 

「ああ、マズい。

 四国が最後の人間生存圏になっているのは、結界があるからだ。

 結界に守られた四国で、人々は日常を過ごしている。

 それを壊してしまう敵は最悪の存在だと言える。

 大社はブルトンを優先して倒そうと計画していたが……戦力が足りない、という結論に至った」

 

「それで、僕を?」

 

「ああ」

 

 シンプルな構造だ。

 結界に守られた四国があり。

 四国を壊すために結界破壊能力を発揮しているブルトンがおり。

 ブルトンから四国を守り、ブルトンを討伐するために、今の勇者とウルトラマンでは足りないから、永久封印の予定の竜胆が引っ張り出された。

 

「四国結界……ああ、そういえば、ずっと前にそんなのがあるって聞いた覚えがある。

 あれはいつのことだっただろうか。僕がここに放り込まれてからどのくらい経った?」

 

「大雑把に三年と四ヶ月だ」

 

「三年……随分経ったもんだ。

 そういえば日付や太陽は毎日見るものなんだったっけ。今思い出したよ」

 

「……」

 

「太陽を毎日見てないと三年もこんなあっという間なのか。知らなかった」

 

 若葉は竜胆を味方に引き込むという役目を、冷静に果たそうとする。

 同時に、竜胆の境遇に同情してしまう。

 そこで竜胆の過去の所業も思い出し、彼が虐殺を成した虐殺者であるということを思い出す。

 使命と、同情と、嫌悪が入り混じる心で、若葉は努めて冷静であろうとしていた。

 

「貴方に、我々に協力する気があるのか。まずはそこを確認したい」

 

「あるよ。何をすればいいのかな」

 

「……いいのか?」

 

「うん。乃木……だったか? もうその辺は約束してることなわけさ」

 

 対し、竜胆の精神状態はとても分かりやすかった。

 

「僕が自分の意志で決めたことほど、信用できないこともない。

 僕の心が決めた行動ほど良い結果に繋がらなそうなものもない。

 その結末はきっと最悪だ。

 だからここに入れられた時、大社と約束したんだ。

 あなた達の指示に従う。それがどんなものでも、僕なりのやり方で実行すると」

 

「―――」

 

「大社は僕に、償いの機会も約束してくれた。今がそうなんだろう」

 

 その言葉を、額面通りに受け取るのであれば。

 

 御守竜胆は、異様なほどに()()()()()()()()()()()

 

 自分の運命の全てを、"自分と違ってまともな心を持っている人間"に託そうと考えているくらいには。

 

「そうか、分かった」

 

 若葉が頷き、腰の刀に手をかける。

 それを見た瞬間、千景の目に殺意が宿った。

 千景が若葉と拘束された竜胆の間に割って入り、若葉の首に鎌を突きつける。

 

「何をする気? 事と次第によっては……今からあなたは私の敵よ」

 

「ぐんちゃん!?」

「えっ、えっ!?」

「何やってんだ千景!」

「若葉ちゃん! これは……」

 

 友奈も、杏も、球子も、ひなたも。驚愕しつつも動けない。

 下手に動けば若葉が一瞬で首を刎ねられかねないからだ。

 

 若葉が手をかけた刀は『生太刀』。

 地の神の王・大国主命の霊力が宿りし神刀。

 千景が首に突きつけたのは大葉刈。

 喪屋を切り倒した神の霊力が宿りし神鎌。

 ゆえにその刃は必殺だ。

 

 若葉は竜胆を、千景は若葉を、即座に殺せる立ち位置に居る。

 

「二人共、そんな物持って喧嘩は駄目だよ!」

 

 友奈が止めるが、二人は聞かない。

 殺し合いにも発展しそうな仲間割れ。

 千景と若葉の目と目が合って、一触即発の状況の中、二人は互いの目から何かを感じ取る。

 若葉はいつもの若葉だった。

 残酷を否定する若葉のままだった。

 そんな若葉を、千景を信じる。

 

 "本当に若葉が竜胆を殺そうとした時千景はどうするのか"という問題を棚に上げて、若葉と千景は同時に武器から手を離した。

 それは、一種の先送りだった。

 

「千景」

 

「……余計なことはしないと、信じるわ」

 

「助かる」

 

 若葉は千景の横を通り抜け、刀を居合で抜いた。

 

 強固な拘束の全てが、一々ほどいていられない無数の枷の全てが、居合で両断される。

 自由になった竜胆が、椅子から立ち上がる。

 背伸びをする少年は、勇者の誰から見てもごく普通の少年に見えた。

 

「ありがとう、乃木」

 

「礼を言われるほどのことではない」

 

 そんな竜胆を、球子は空恐ろしいものを見る目で見ていた。

 

(こんな場所に、三年間。ずっとひとりぼっち。

 一度も外に出ることもなく、飯も与えられず、身動きも出来ず闇の中……)

 

 闇が喰われた地下室の中で、唯一の光源であるロウソクが揺らめいている。

 そのロウソクに照らされている竜胆は、普通の少年に見えた。

 普通に見えることが、既に異常だった。

 

(普通、頭おかしくなるだろ……なんで平然としてるんだ、こいつ。タマげた)

 

 球子は胆力があるからその程度で済んでいたが、この中では比較的気弱で臆病な杏に至っては、ロウソクに照らされる竜胆が恐ろしい怪物に見えていた。

 

(……怖い)

 

 ひなたは球子や杏が彼に恐れを抱く理由が、この地下室に残っている闇と、竜胆の姿が、あまりにも()()()()()()()()からだということを理解していた。

 

(何故この人は……こんなに、闇が似合っているんでしょうね)

 

 闇が似合う。

 ただそれだけで、外見はごく普通の少年に見えるというのにおぞましい。

 その姿は、奇譚に語られる怪生(けしょう)のようにさえ見える。

 恐れる者には妖怪のように見えるのかもしれない。

 

 そんな妖怪に、若葉は神器を差し出した。

 竜胆が大社に従った時に渡していた、巨人に変身するために必要なもの。

 黒き神器……ブラックスパークレンス。

 

「その力が必要だ、『ティガ』。お前の力を貸してほしい」

 

 竜胆が若葉からそれを受け取った、その瞬間に。

 

 彼の人生二回目の戦いが。彼の人生における本当の戦いが。最後の地獄が、幕を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勇者とは、神の力を宿した個人。

 竜胆のような巨人や、神の力を研究した上で、『戦闘者』として一つの完成形を見た"神の依代たる無垢な少女達"。

 その力は強力無比であり、巨人も隙を突けば殺すことは不可能ではない。

 勇者の中の一人、土居球子は、一緒に階段を上がっている竜胆を警戒し、杏を庇いながら睨みつけていた。

 

「睨むなよ。僕が君に何かしたか?」

 

「タマにはしてないな。だけど、他の奴は沢山苦労したんだよ」

 

「他? 他の勇者?」

 

()()()()()()()()だ!」

 

「『ウルトラマン』……?」

 

 竜胆の耳には聞き慣れない言葉。

 三年前の社会には無かった言葉。

 されど今の世界には当たり前にある言葉、それが、『ウルトラマン』。

 

「タマ達の仲間の、光の巨人だ!」

 

 ウルトラマンとは、光の巨人である。

 今この世界で、それぞれが違う場所から来て、人間を守ってくれている巨人である。

 勇者と同じく敵と戦い、世界を守る人々の希望であった。

 

 人によっては、勇者を神の使徒、救世主、世界を救う自動装置のように見ている者もいる。

 ウルトラマンを神、宇宙人、天の怪物(バーテックス)の一種に見ている者もいる。

 だが勇者もウルトラマンも、どちらも人間が変身しているものだ。

 神の類ではない。

 どちらも基本は人間だ。

 だからこそ……ウルトラマンと"人間としての交友関係"を持っている勇者もいる。

 

 球子もまた、その一人だった。

 

「お前のせいでな! お前が最初に現れた巨人だったせいでな!

 後から現れた巨人は皆苦労したんだ!

 みんなみんな、お前のせいで悪者の仲間みたいに扱われて……!

 ずっと皆苦労して、逆境の中で頑張って、長い時間をかけて信用を勝ち取ったんだぞ!」

 

 竜胆の胸の奥が痛んだ。

 

「皆……皆! タマでも見てんのが辛いくらい、頑張ってたんだ!」

 

 ティガダークの虐殺は、多くのウルトラマン達を苦労させ、人間からの信用を勝ち取るまでの苦難の道を、歩ませたのだ。

 それもまた、竜胆の罪である。

 少年はしてはいけないことをした。

 だからこそ、責められて当然の身の上である。

 

「お前、それでもウルトラマンかよ! ……しちゃいけないことって、あっただろ!」

 

「……なあお前。ウルトラマンって、なんだ?」

 

「え?

 そりゃ、他人に優しく、戦いでは強く。

 常に希望を持っていて、皆を守って。

 諦めないし、タマーに甘ちゃんだけど、だからこそ誰も見捨てない……みたいな」

 

 それは、竜胆が成りたかったもので。

 もう竜胆にはなれないものだった。

 深く、少年が溜め息を吐く。

 

「じゃあ僕は、ウルトラマンじゃないな」

 

「!」

 

「僕は光の巨人じゃない。

 希望とか光とか、そういうものからは程遠い。

 僕にそういうものは期待するな。そういうものは僕には無いんだ」

 

 ティガダークは、ウルトラマンに非ず。

 守るための巨人に非ず。

 人のための勇者に非ず。

 破壊しかできない闇の巨人だ。

 

「僕は私情で気に入らない人間を殺す。これまでもそうで、これからもそうだろう」

 

「……おいっ!」

 

「気に入らなきゃ止めてみろ。何か殺してる時の僕は無防備だ。いつでも首を狙いに来い」

 

「こ、こいつ……!」

 

 それは、球子にとっては性格が悪い男の挑発で。

 竜胆にとっては、自分が暴走した時のための保険だった。

 

「第一、他のウルトラマンなんて僕の知ったことか。そっちが勝手に苦労しただけだろ」

 

「なんだと!?」

 

「鬱陶しいんだよ。僕がそんなことにまで責任持てるか、常識で考えろ」

 

「~っ! お前っ!」

 

 掴みかかろうとする球子を止めるように、竜胆を守るように、千景が無言で割って入る。

 球子がむっとした。

 

「なんだ千景! お前もそいつの味方するのか!」

 

「しないわ」

 

「へ?」

 

「私は竜胆君の味方はしない。できない。なれない。……もう、こうなってるから」

 

 千景は竜胆を守る。

 竜胆の味方をする。

 けれど竜胆の味方だとは名乗らない。

 あの日、竜胆の味方をしてやれなかったから。

 

 千景は竜胆の味方であるように振る舞うが、竜胆の味方を名乗ることはない。

 そうでなければならないと、自分を戒めていた。

 

 竜胆と千景の間に変な空気が流れそうになるが、すぐ霧散する。

 そこに、友奈が近付いてきたからだ。

 花咲くような笑顔が、広がりかけた変な空気を霧散させる。

 

「私、高嶋友奈っていうんだ。よろしくね、御守さん!」

 

 友奈が握手しようと手を伸ばし、竜胆は握られそうになった手を引いて、体ごと後ろに跳んで友奈から距離を取る。

 球子はその握手拒否に、不快感を覚えた。

 

(なんだこいつ、感じ悪いな)

 

 対し、ひなたはもう少し深い部分を見ていた。

 今の竜胆が、悪意で握手を拒否したのではなく、恐れから拒否したように見えたから。

 

(……『怯えた』? 何故怯えを?

 友奈さんが手を伸ばしただけで……

 ……触れられることに怯えた……いや、『自分が人に触れてしまうこと』に怯えた?)

 

 だがひなたには、竜胆が他人に触れることを恐れる理由が分からなかった。

 彼女にはまだ竜胆が理解できない。

 

 竜胆が"少女との握手"を拒否する理由が、"彼の手にはまだ少女の肉を潰した感触が残っている"からだと、理解することができない。

 触れることを恐れるほどに、彼の手は想い出の血に汚れている。

 

「僕に触ろうとするな。僕に近付くな。僕に関わるな。叩き潰されても知らないぞ」

 

「……あ、ご、ごめんなさい! 今のは高嶋友奈、無神経でした!」

 

 竜胆は他人から距離を取る。

 自分が他人を癇癪で殺すことを知っているから。

 友奈は他人と距離を詰める。

 寂しさが辛いという当たり前を知っているから。

 

「でも、近付かなければ、お話くらいはしていいよね?」

 

「駄目だ。僕の方にする気がない」

 

「えー、そう言わずにー!」

 

「話しかけてくるな」

 

 竜胆が拒絶して、友奈が踏み込みつつ、距離を測る。

 友奈はコミュ力おばけである。

 勇者の中でただ一人、特大の気難しさを持つ千景の友人になれるほどに。

 千景は竜胆に対し距離を測っている友奈を見て、ホッとしていた。

 

(……高嶋さんは、いつも私にできないことをする。凄い人だ)

 

 千景はホッとする。

 友奈が竜胆を嫌っていないことに。

 千景は嫉妬する。

 自分ではない者が、竜胆の心を救ってくれそうなことに。

 千景は後悔する。

 三年前の惨劇の前の竜胆は、今の友奈に近い性格を持っていたのに。

 惨劇が彼の中から、その光の全てを奪ってしまっていたから。

 

「御守竜胆」

 

「竜胆でいいよ、乃木」

 

「そうか。竜胆、手を出してくれ」

 

 カシャン、と竜胆の手に手錠が嵌められる。

 分厚い手錠と太い鎖で作られたその枷は重く、専用の機材を使っても切断することは容易ではないという代物だった。

 相当に頑丈な合金が使われている。

 

「竜胆、お前は単独での外出と自由行動を大社に禁じられている」

 

「だろうね。僕ならそうする」

 

「この手錠は常にお前に付けられる。

 大社が認可した人間が付き添っていない時は、外での自由行動は禁止だ。

 ……大社はお前が外で自由に動いているのを確認した場合、射殺すると言っている」

 

「そっか。妥当だな、僕に対してならだけど」

 

 ティガダークは、現在の人類にとってバーテックスに次ぐ脅威。

 この対応は、ある意味当然のものだった。

 暴走の仕方によっては―――ティガダークはあっという間に、四国市民全てを単独で全滅させかねないのだから。

 

 千景は鎌を握り、少し迷う様子を見せ、鎌を抜くのを止めた。

 そして友奈は、ストレートに異を唱える。

 

「わ、若葉ちゃん、それは流石に……」

 

「友奈。これが大社の出した、この男を外に出す絶対条件だ」

 

「……ううっ」

 

「……私も、正直に言えばどうかと思うが」

 

「まあ……犬ですら首輪付けてるのに、僕みたいなのに手錠も付けないってのは変でしょ」

 

 ここに居る人間の中で、当事者である竜胆が一番に"この対応は妥当だ"と思っているということが、なんとも奇妙だった。

 手錠をかけた若葉ですら、明らかにこの対応をやりすぎだと思っているというのに。

 

「けど、手錠付けたくらいで安心はしない方がいいぞ。

 何かが起こったら僕が巨人になる前に、この首を即座に落とせる心構えでいないと」

 

「百も承知だ」

 

 それは、若葉にとっては自分を甘く見られた安い挑発で。

 竜胆にとっては、自分が暴走した時のための保険だった。

 

「一つ、約束してほしい」

 

「なんだ? 大社からはある程度お前の要求も聞くよう言われている」

 

「僕が巨人に変身した後……僕の周りに極力近付くな。近寄れば、殺す」

 

「―――ああ、分かった。できる限りはそうしよう」

 

「それならいい。僕の力は、好きに使え」

 

 竜胆がブラックスパークレンスを握り締め、階段を上がっていく。

 もう二度と、触れることはないと思っていた。

 もう二度と、変身することはないと思っていた。

 だが……周囲に望まれる形で、竜胆はまたこの出所不明の忌まわしき力を手にしてしまった。

 

 三年前の竜胆の戦いは、ある意味では誰にも望まれない戦いであったと言える。

 いじめの解決は、千景に口で頼まれたものでもなく、村の全てに望まれなかったもの。

 その後の虐殺も、誰にも望まれなかったものだ。

 対し、この時代の勇者と巨人の戦いは、全ての人に望まれているものである。

 

 望まれない戦いから、望まれた戦いへ。

 "人々を敵に回す"戦いから、"人々を守る"戦いへ。

 一人を救うための戦いから、皆を救うための戦いへ。

 ガラリと変わった戦場へ、彼は放り込まれる。

 

 階段を登りきった時、竜胆の目に映る世界は、とても明るく―――美しかった。

 

 三年ぶりの青空が、竜胆の心を奪った。

 

「―――ああ」

 

 若葉が竜胆を先導しようとして、千景がそれを無言で止める。

 ほんの少しの時間でしかないかもしれないけれど。

 青空を見上げて心を動かしている竜胆の邪魔は、させたくなかった。

 

花梨(かりん)

 

 三年ぶりの光に、涙が溢れそうになる。

 竜胆は努めて感情と涙を周りに見せないようにして、歯を食いしばった。

 

(もうすぐそっちに行くと約束するから。もう少しだけ、待ってくれ)

 

 自分の手で殺した妹に謝りながら、竜胆は三年ぶりの光を浴びる。

 

(ちゃんと……できる限り償って、可能な限りみじめに、無残に死んでそっちに行くから)

 

 ここから始まる戦いは、贖罪ですらない。

 

 何故ならば、勝利で竜胆が自分を許せるようになるなんてことはないからだ。

 

(もう少しだけ……僕みたいな人間が生きていることを、許してくれ)

 

 これは贖罪などではなく。

 人間を虐殺する者が、怪物を虐殺する側に回っただけの話でしかなく。

 だからこそ、幸福の無い結末が運命付けられていた。

 その運命には未だ、引っくり返される気配はない。

 

 少年は握っていたブラックスパークレンスを、そっと懐にしまう。

 

 闇に堕ちた少年は、光の中に戻った。

 

 

 




【竜胆に対する各キャラ認識】
 乃木若葉:頭のおかしい狂犬に首輪を付けてその紐を自分が握っている
 上里ひなた:頭のおかしい狂犬が若葉に噛みつかないかヒヤヒヤしている
 高嶋友奈:彼のなんでもない表情が、何故かずっと泣いているように見える
 郡千景:しにたい
 土居珠子:普通の感性から来る至極当然の軽蔑
 伊予島杏:子猫が同じ檻に入って来たライオンを見るに等しい恐怖


【原典とか混じえた解説】

●四次元怪獣 ブルトン
 五十年以上の歴史を持つウルトラシリーズにおいて、『一番わけが分からない怪獣』の話になると必ず挙げられ、『一番強い怪獣』の話でもたまに挙げられる怪獣。
 外見は奇妙な形状で巨大なフジツボ。
 四次元現象という何が何だか分からない現象を起こし、時間と空間を超越した常識外れの現象を起こす。

 この怪獣を攻撃しようとした戦車はいつの間にか空を飛び粉砕され、空を飛んでいた戦闘機はいつの間にか地面を走り全壊している。
 地面がふっと消失して軍隊を飲み込み、次の瞬間には元の地面に戻っている。
 空間は片っ端から無限に拡大・縮小し、時間はまともに流れなくなる。

 神樹が発揮する、『結界で安全な空間を作る力』『時間を止めて街と人を守る力』も、この怪獣の力の影響下に置かれてしまえば全てが無力化されかねない。
 『大怪獣バトル』ではレイブラッド星人に操られ全力を出し、一つの宇宙に無数の並行宇宙の怪獣達とウルトラマン達を集め、大戦争"ギャラクシークライシス"を引き起こした。
 次元操作により無数の並行宇宙を接続可能という特異極まりない怪獣。

 現在の人類戦力の第一討伐目標。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

「お兄ちゃん達が戦うのをやめれば、神様も怪獣を出すのを止めるわ。きっと」

発言者:シンジョウ・マユミ
発言話:ウルトラマンティガ28話『うたかたの…』

備考:原作ティガ世界には人類の傲慢と増長を見かねて怪獣を発生させる"宇宙の意志"が存在する


 夢は悪夢を繰り返す。

 現実で光の中に戻れども、少年の心は未だ闇の中。

 三年間の闇が蓄積させた絶望に襲われ、竜胆はずっと(うな)されていた。

 夢の中で想起されるのは、三年間続いた孤独と闇という地獄の記憶。

 

『暗い……ここに、ずっと、僕一人で……?』

 

 何度も何度も弱気になり、そのたびに心を立て直し。

 幾度となく心は揺れて、そのたびに何かを自分に言い聞かせ。

 昔の通りの自分の心を保ちながら、自らの内の闇を育んでしまった、そんな三年間。

 

『何日経った……? どのくらい経った……?

 お腹減った……なんで誰も来ないんだろう……このまま、飢え死にするのかな……』

 

 記憶がぶり返す。

 

『ご飯が来てないからまだ数時間しか経ってない……?

 それともご飯が来てないだけで何ヶ月も経ってる……?

 数日……数日、放置されてるだけだと思うけど……おなか、へった……』

 

 記憶。

 

『……くるしい……つらい……』

 

 記憶。

 

『ごめん、かりん……みんな……つみのないひとも……ぼくが、ころして……』

 

 記憶。

 

『つみのないひとが……きずつけられるのは……ゆるされない』

 

 記憶。

 

『ぼくは……ゆるされない……いきてちゃ、いけない』

 

 12歳の子供の記憶。

 

『ぼくがくるしいのは……つらいのは……ぼくがそれだけのことをしてしまったから……』

 

 5分あれば、一つ後悔が彼の心に浮かんで膨らんでしまうと、そう仮定する。

 1日で起きているのが最低でも16時間。16時間なら膨らむ後悔は192個。

 1年で7万80個。3年で21万240個。

 単純な時間でも最低1万7520時間。

 実際のところ実に二万時間弱、竜胆は後悔と自己嫌悪を繰り返した。

 

 

『命乞いをする女の子を叩き潰した感触……

 泣き叫ぶ小さな子供を握り潰した感触……

 大好きだった家族を殺した攻撃の感触……』

 

 

『―――感触を、今でも覚えている』

 

 

 三年前の惨劇の時の記憶が、一万時間以上暗闇の中でリピートされる。

 殺した感触。

 殺した子供の悲鳴。

 殺した理由となった憎悪。

 それが、食事すら与えられず、闇の中に幽閉された竜胆の心の中で繰り返される。

 食事を与えなくても闇を食って死ぬ気配すら見せない化物に、せめて弱ってくれと願い現状を維持する人間が居たから、竜胆のその現状は終わることなくいつまでも続いた。

 彼が闇の中に、自分が殺した子供の幻覚、自分が殺した罪なき人間の幻覚、自分が殺した妹の幻覚を見るようになったのは、いつからだっただろうか。

 

『殺したな』

『殺したな』

『殺したな』

『私達を殺したな?』

『家族を、殺したな?』

 

 この三年間、何度同じトラウマを思い出しただろうか。

 この三年間、何度過去と現在の区別がつかず、闇の巨人になった時の感覚を思い出して暴れ回りそうになり、拘束にそれを止められただろうか。

 

 せめて、悪党になれればまだマシだっただろうに。

 "それの何が悪い"と開き直れたなら心も軽くなっただろうに。

 竜胆は闇に堕ちながらも、闇になれただけで、本当の悪にはなれなかった。

 罪人にはなれても、悪人にはなれなかった。

 悪にして闇ではなく、善にして闇という、中途半端な堕ち方が彼を苦しめる。

 

 悪夢から弾かれるようにして、彼の意識は覚醒した。

 

「ああああああああああっっっ!!!」

 

 目覚めた彼を、彼の体をベッドに拘束している鎖付きの枷が捕らえる。

 悪夢から解放されてすぐの竜胆は、夢と現実の区別もつかない状態で、暴れに暴れた。

 

「あっ! あああっ! アアアアっ!」

 

 憎い敵を殺したいという感情。

 辛い過去から逃げ出したいという感情。

 ()()()()()()()()()という感情。

 それらを闇の力が増幅し、竜胆に破壊と自殺を行わせようとして、竜胆が寝る前に自分に付けた拘束がその行動の邪魔をする。

 

 竜胆の心の闇がティガの力を闇に反転させ、巨人の闇の力が心の闇を増幅し、闇が闇を生むという最悪の悪循環。

 

 数分後、ようやく落ち着いた竜胆は、呻きながら拘束を外し始める。

 竜胆は毎晩寝る前に自分を拘束し、ブラックスパークレンスを自分から離れた場所に置くようにしていた。

 でなければ、悪夢と現実の区別がつかない状態で変身・暴走しかねないと思っていたから。

 竜胆は自分のことを何も信じていない。

 だが自分が他人を癇癪で殺す醜い人間であるということだけは、信じていた。

 

「……う」

 

 枷を外すと、枷がついた状態で全力で暴れたことで、擦り傷だらけになった手足が見える。

 血が出ていたが、その内塞がるだろうと思い手当てはしなかった。

 竜胆の体は既に人間離れしている。

 闇があれば食事を取らなくてもいいのもそう。

 しぶとさと回復力が非常に高いのもそう。

 暗い場所を好むようになったのもそうだ。

 

 竜胆の目はいつからか、暗い場所でもよく見えるようになっていた。

 光がなくてもそれなりに見える、人間離れした目が動く。

 洗面所で手錠付きの手で顔を洗い、鏡を見た。

 

「……酷い顔だ」

 

 鏡の向こうには、竜胆が誰よりも信じられないと思っている男の、情けない顔があった。

 

 鏡は心の闇までは映してくれない。

 

「……」

 

 鏡が映してくれない箇所にこそ、竜胆が許せないものはある。

 

 殺したことを、こんなにも悔いているのに。

 壊したことを、こんなにも後悔しているのに。

 同じ状況に置かれれば、同じように殺してしまうかもしれない、と竜胆は思っている。

 後悔しているのに、自分を変えられない。

 自分の中の闇が拭えない。

 

 消えない己の闇を見つめて、竜胆は一人俯いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カーテンを締め切った暗い部屋で、竜胆は迎えに来た若葉を迎えた。

 

「少し早いが、迎えに来たぞ」

 

「ありがとう」

 

「……竜胆。お前、感謝の言葉が似合わないと言われたことはないか?」

 

「無いかな。この三年はそもそも誰とも会話してないし」

 

 来たのは若葉だけではなく、その後ろにはひなたと千景の姿も見える。

 ひなたは幼馴染として『若葉の味方』をするためで、千景は竜胆が今どう扱われているかを理解して『竜胆を守る』ために来たのだろう。

 若葉と千景の間には、仲間としての一定の信頼と、何か一つ間違えれば刃を交えてしまいかねない剣呑な空気があった。

 

「上里ひなたです。昨日は名前を名乗れなかったので、改めて」

 

「よろしく。御守竜胆だ……って、皆、名前は知ってるか」

 

「よろしくお願いします」

 

 頭を下げるひなたとほどほどの挨拶をして、無言でじっと見てくる千景に向き合う。

 

「ちーちゃん、背伸びたねえ。それに女の子らしくなった」

 

「……あなたがそれを言う?」

 

 単純な数字で見ると、若葉は163cm、千景は159cm、ひなたが150cm。

 対し竜胆は170cm半ばは超えているように見えた。

 三年以上地下に放り込まれていたのに、弱っている様子も、発育不良になっている様子も無い。

 千景が彼と目を合わせるには、ちょっと上を向かなければならなかった。

 

 それがなんだかむず痒くて、千景は見上げるのをやめる。

 

 ちなみに友奈が154cm、球子が147cm、杏が156cm。

 年齢で見ると中三が竜胆と千景、中二が若葉と友奈とひなたと球子、中一が杏となる。

 二年生の若葉がリーダーであるだけに、最年長者の竜胆と千景がまるで協調性を見せず、年上らしく音頭を取って周りを引っ張って行こうとしない姿勢であるのが際立って見えた。

 竜胆と千景の今の性格は、牽引役にするには問題がありすぎる。

 

「……さあ、行きましょう」

 

 竜胆が、勇者達に連れられていく。

 

 若葉は竜胆をいつでも制圧・切り捨てられるようにしていて。

 千景はそんな若葉をいつでも止められるようにしていて。

 竜胆は自分が暴走しても巨人になる前に切り捨ててくれそうな少女がいることに、どこかリラックスしているように見えた。

 

 だからひなたの目には、若葉と千景が常に不安を抱いているように見えたし、竜胆が心底安心しているように見えた。

 それが奇妙に見えて、竜胆の過去に詳しくないひなたは首を傾げてしまう。

 

「千景。お前は勇者だ。四国の皆の希望の一人だ。軽率な行動は取るなよ」

 

「軽率? 乃木さんが軽率な行動を取らない限り私は何もしないわ。それだけよ」

 

「ま、まあまあ、若葉ちゃんも千景さんも落ち着いて」

 

 今にも神の刀と神の鎌が鞘走りそうな一触即発の雰囲気。

 ひなたがなんとか仲裁して雰囲気を和らげる。

 こんな若葉と千景に挟まれて安心した顔を見せている竜胆が、ひなたの目には本当に奇妙な生き物に見えていた。

 

 竜胆は別に誰でも良いのだ。

 暴走した時の自分の首を刎ねてくれるなら、誰でも良かった。

 だからか奇妙なことに、自分を殺すかもしれない若葉をとても好意的な目で見ていた。

 ゆえにか逆に、自分を守ろうとしてくれている千景が、かなり邪魔に見えていた。

 千景が味方をしてくれている事自体は、嬉しそうに感じていたようだが。

 

 ただひたすらにひなたのぽんぽんが痛くなる空気がそこにあった。

 ひなたのみ、胃痛。

 

(空気が辛いですね……でも、流石に若葉ちゃん達の勇者仲間割れを見過ごすわけには)

 

 竜胆が移送されていく。

 地下室から出された日、竜胆は大社で精密検査とメンタルチェックを行われ、臨時の部屋をあてがわれていた。

 だが今日からは『丸亀城』の新築施設の一室をあてがわれることになる。

 この時代において、丸亀城は大幅なリビルドがされた上で、人類最後の砦として機能していた。

 

「丸亀城まで歩くぞ。竜胆、足が弱っているということはないか」

 

「大丈夫」

 

 香川北北西部の海沿いに、丸亀城はある。

 14世紀頃に作られた史跡を軍事施設として再成立させたのが、今の丸亀城だ。

 有事にはここが守りの起点となり、分かりやすい防衛拠点として扱われる。

 神樹は四国を守る結界を作り、結界にわざと薄い部分を作ってここに敵を誘導し、有事にここを最終防衛ラインとして成立させるのである。

 

 竜胆はこれから、ここでの戦いが終わるまで丸亀城に固定される。

 日常でも外出が許されることは滅多にないだろう。

 戦いが始まれば丸亀城から出撃させられ、戦いが終われば丸亀城に閉じ込められる日々が来るだろう。

 そのために今、彼は丸亀城に移送されている。

 これからは、丸亀城とそこに作られた施設が彼の檻となるというわけだ。

 

 天からの敵(バーテックス)が来るのは、丸亀城から見て岡山方面。

 第一討伐目標・ブルトンが現在いる場所も岡山近辺であると推察されている。

 丸亀城を基点に、その敵を討つのだ。

 彼らの現在地から丸亀城までは、おそらく歩いて20分といったところだろう。

 

「……ん?」

 

 長いとも、短いとも言い難い道のり。

 その過程に、竜胆の"属性"が過敏に反応する。

 闇に寄った彼の属性が感知するものなど限られている。

 彼が感じたものとはすなわち、『やや漠然とした人の敵意』だった。

 

「ここから少し、僕は一人で歩く」

 

「何?」

 

「逃げるつもりはない。

 だがついて来るな。

 丸亀城まであと10分も歩かない内に着くだろう?

 巻き込まれたくないのなら、僕に近寄るな。離れてろ」

 

「巻き込まれる? 何を言っている?」

 

 竜胆が一人で歩き出すと、街の人々がその顔を見て、記憶を探り、何かを思い出していく。

 正の感情は一つもなく、浮かぶのは全てが負の感情。

 

「おい、あれ」

「えっ……嘘でしょ?」

「三年前の……」

 

 皆知っている。

 当時小学生だった竜胆の顔写真と実名が大々的に雑誌に乗っていたほどの、あの頃の熱狂的で絶望的だった報道を覚えている。

 御守竜胆という惨劇の主を、皆が覚えている。

 それはバーテックスという怪物ではなく、人間の悪意がもたらした殺戮だったがゆえに。

 

 "癇癪で子供達や罪のない人達を虐殺した"と散々に報道され、周知され、人々に認知された竜胆の姿を数年ぶりに見て、人々は"まともでいられない"くらいの恐怖と憎悪を覚えた。

 

「なんでこんなところに……おい子供隠せ!」

 

 人々が"ひっ"と声を漏らし、ある者は逃げ、ある者は子供を隠し、ある者は家族を守る。

 恐れおののく人々の合間を、竜胆は無感情な顔で歩いていく。

 

 やがて、皆の感情の色が変わり始めた。

 恐怖は敵意に、憎悪は攻撃性に変わる。

 人々が今竜胆に向けている感情は、街の中に迷い込んだ餓狼に対するそれに近い。

 ならば次に始まるのは……排斥だ。

 

「失せろ! 消えろ!」

 

 投げられる石。

 最初の一人が投げれば、次々に後続の投石が続く。

 赤信号は皆で渡れば怖くない。人間として当たり前の心理だ。

 

 小さな物から、頭に当たればただでは済まなそうなサイズまで、多くの石が投げられる。

 竜胆はそれに反応もしない。

 石が当たれば一瞬だけ痛そうにするが、それだけだ。

 人々を無視して、丸亀城に向かって歩いていく。

 

「くっ……こっち来んな! どっか行け!」

 

 石が飛ぶ。

 罵声が飛ぶ。

 悪意が投げつけられる。

 全ては、竜胆の過去の行動が生んだ因果応報。

 

「どの面下げて街歩いてるんだ殺人鬼! ……お前が殺した人の気持ちも分からないのかよ!」

 

 罵声と投石。

 その行動によって、人々が得るものは何もない。

 むしろ竜胆に反撃されるリスクを抱えてしまっている。

 恐怖だけが行動の理由ならば、竜胆から逃げるのが当たり前なのに、そうしない者がいた。

 

 つまりはこれは、見方によっては、自分の利益など一切考えていない私欲抜きの行動……『善意』で、『勇気』なのだ。

 街の平和や、子供の安全を守るため、竜胆を街から追い出そうとしているのだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()に人間が立ち向かう美徳、すなわち勇気。

 これが勇気でなくてなんなのか。

 巨人変身者に立ち向かっているという時点で、身の程知らずの蛮勇に近いが、竜胆が反撃する気を見せない限り、この勇気は愚行にはならない。

 

 だが、こんな光景を見て千景が冷静でいられるわけもない。

 千景が大鎌を握って飛び出そうとし、その千景をひなたが止めた。

 

「千景さん、何する気ですか!?」

 

「少し脅せばいいでしょう。それで全部解決する……!」

 

「しません!」

 

「……っ!」

 

「千景さんと、そして人々の"勇者"に対する評価が著しく損なわれるだけです!

 冷静になってください!

 人々が御守竜胆に石を投げてるのは、彼が弱いからではありません!

 彼が嫌悪され、恐怖され、ここに居ることを拒絶されているからです!」

 

「分かってる!」

 

「分かってません!

 今、力で脅して石を投げるのを止めさせても!

 ……別の時に、別の人が、別の石を、もっと大きな嫌悪感で彼に投げるだけです!」

 

「っ」

 

 ひなたは巫女で、戦う力を持たない。

 だが、勇者の誰にも勝る冷静な状況把握力と、的確な思考力があった。

 ひなたの主張は正論であり、千景のしようとしていることは明確に間違いで、そんなことは千景にも分かっている。

 

「なら、どうしろっていうのよ!」

 

「こらえてください千景さん……

 暴力で生まれた感情は、暴力で押さえつけてはいけないんです!」

 

 御守竜胆という『悪』を攻撃する意志。

 人々が石を投げるのは紛れもなく『善意』で『勇気』だ。

 だが千景から見れば『悪意』以外の何物でもない。

 

 「人にはそれぞれの正義がある」なんて陳腐な台詞がある。

 「お前にとっての正義が別の人にとっては悪なんだ」という陳腐な説教がある。

 どこの作品でも見そうな台詞だ。

 使い古された台詞だ。

 使い古されているということは……()()()()()()()()()()()()()ということだ。

 この手の残酷が、昔からこの世界にはずっとあったということだ。

 

 正義と、悪と、善意と、悪意と、勇気が、ぐちゃぐちゃに混ざっている。

 きっとこの場では、人々を恐れさせている竜胆を街から排除することこそが、最も多くの者達にとっての正義であり。

 この光景が既に、千景にとっての地獄だった。

 

(ふざけるな、またこんな、こんな―――!)

 

 千景はとにかくこの地獄を終わらせたい。

 そのためなら武器で脅すくらいは躊躇わない。

 けれど、今の郡千景は。

 

(でも、ここで)

 

 『勇者であるからこそ』、いじめの標的から外れ、勇者として讃えられている者だった。

 

 今の人類は、勇者とウルトラマンにのみ守られている。

 多くの人間は、千景に媚びてでも守ってもらおうとしている。

 ダークティガを倒して、人々から称賛されたあの日から、ずっと。

 千景は"敵を倒すことで"、人々から称賛される人間として生きている。

 

 もしもここで、竜胆のために、人々全てに刃を向けたなら?

 千景に向けられる人々の称賛は、全て無くなってしまうのでは?

 そう思った千景の心に、トラウマが蘇り、呼吸が不規則になっていく。

 "また皆に否定されて無価値な自分になってしまったら"という恐怖が、少女を揺らす。

 

(ここで、彼の味方になれば、あの時の私に、逆戻り―――?)

 

 千景は、「お前は無価値、嫌われて当然だ」と常に言われて育ってきた。

 何を言っても否定され。

 何をやっても否定され。

 そうやって幼少期を生きてきた。

 ありのままの自分が無価値だということは、千景にとっては常識だった。

 千景にとって自分の価値とは……『悪と戦い倒す』こと以外では得られないもの。

 

 なら、御守竜胆(ダークティガ)が『悪』である以上、もう本当にどうしようもない。

 

(私は……私は!

 何やってるの……何考えてるの……!?

 助けてもらって……守ってもらって……覚えてるのに!

 彼に守ってもらって、嬉しかったこと、覚えてるのに……何も、何もできない……!)

 

 千景は恐れ、トラウマで止まり。

 ひなたはほっとして、胸を撫で下ろし。

 若葉は、自分らしさを曲げなかった。

 

「ひなた、悪いが私は行くぞ」

 

「えっ……若葉ちゃん?」

 

「暴力に訴えなければいいんだろう?

 ……こういう光景は、私もあまり好きじゃない」

 

「わ、若葉ちゃん!」

 

 若葉が早足に進む。

 竜胆の隣に歩み寄る。

 歩く竜胆の横に若葉が並び立つと、"四国を守ってくださっている勇者様"に石が当たることを想像したのか、人々が石を投げるのを躊躇う。

 石投げが止まり、竜胆が嫌な目つきで若葉を睨んだ。

 

「おい」

 

「私の仕事は、お前が逃げないように見張ることだ」

 

 感情を隠した話し方で、竜胆が若葉に礼を言う。

 

「ありがとう、乃木」

 

「何のことだ?」

 

「……でも、次からはもういい。これは理不尽な暴力じゃない。当然の報いだから」

 

 若葉の脳裏に、何故かその時、祖母が昔よく口にしていた教えと戒めが蘇った。

 

―――若葉

―――乃木として生きなさい

―――『何事にも報いを』。この言葉を、忘れぬように

―――恩義や情けには報いを、攻撃されたら報復を。そう生きなさい

 

 若葉は、祖母にそう言われて育てられてきた。

 仲間には報いを、優しさで返してきた。

 悪の怪物には報いを、刃で返してきた。

 

 今の竜胆の境遇はただの報いなのだろう。

 過去の行動が返って来たというだけのことなのだろう。

 竜胆のこれが行動に対する正当な『報い』であると解釈するならば、若葉の性情がこれを受け入れるのは自然なことであるようにも思える。

 だが若葉は、この光景がどうにも気に入らなかった。

 

(……不快だ)

 

 そして、千景は。

 若葉の勇気と優しさが見える行動によって、若葉を更に好意的に見るようになった竜胆の目が、気に入らなかった。

 その想いが、うじうじと足踏みをしていた千景の背を押す。

 

 千景が竜胆に駆け寄り、その手を引いて早足に進む。

 竜胆の手にかけられた手錠が、カチャリと音を鳴らした。

 それは彼の罪の証。

 彼が皆に恐れられている限り、ずっと外されることはないだろう。

 千景が、せり上がってきた想いを噛み潰す。

 

「……ちーちゃん?」

 

「早く行きましょう。早くここを去った方が、きっと両方にとっていいと思う」

 

 傷付けられる竜胆にとっても、恐れる人々にとっても、この状況が続くことは地獄に過ぎる。

 

(なんで……なんで、こんなことに)

 

 千景は竜胆の手を引いていく。

 怖かった。

 民衆が本気で殺しに来たら、それを"受け入れてしまいそう"だった竜胆の様子が怖かった。

 竜胆が普通に殺されそうだった衆愚の空気が怖かった。

 何もかもが怖くて。

 少しでも早く、この場を離れたかった。

 

(何度こう思ったか分からない。だけど、それでも、私は何度でも考える)

 

 千景はただ、過去を悔いて、今を恐れる。

 

(私がどこでどうしていたら……どこで間違えなければ……こうならなかったんだろう……)

 

 千景は歯噛みする。

 若葉の勇気ある行動の後でないと、竜胆に駆け寄れもしなかった、自分の弱さが嫌いだった。

 竜胆に真っ先に駆け寄れた若葉の勇ましさが、妬ましかった。

 自分のことばかり考えて足を止めてしまった自分が、憎かった。

 『民衆の正義』が『竜胆の処刑』を望んだなら、それを受け入れてしまいそうな竜胆の自然体の在り方が、とても怖かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして彼女らは、丸亀城に到達する。

 若葉と竜胆は、リビルドされた丸亀城の側面をひょいひょいと登って行った。

 千景はふらりとどこかへ行き、ひなたは若葉の異様な身軽さとそれに平然とついていく竜胆に少し驚いた顔を見せていた。

 若葉は丸亀城の頂点から、城の北にある海と、南に広がる街を指差す。

 

「丸亀城は主に、防衛拠点として使われる。

 星屑相手に……というのもあるが、主な用途は"もっと巨大な個体"相手だ。

 これが我々の盾にも、鎧にもなってくれる。城は高さもあるため見通しもいい」

 

「へぇ……ここがね」

 

 竜胆の人間離れした目が、四国の周囲の海から突き出し、四国を囲んでいる壁を捉える。

 おそらくはあの壁が四国を包む結界なのだろう、と竜胆は判断した。

 

「あの壁の外には、元自衛隊の武装船団が巡回している。

 バーテックスが来たら迎撃はしてくれるが、意味は無いと思え。

 壁の向こうから奴らは来る。

 勇者(わたし)巨人(お前)のすべきことは、壁を越えて来た敵を倒すことだ」

 

「僕ら抜きで、その人達で倒せないんだ。『バーテックス』」

 

「迎撃はしてくれるだろうが、意味はないだろうな。

 どうせ核兵器でもまともにダメージが通ることはない。バーテックスとはそういうものだ」

 

 敵に通常兵器が効かないことなど、滅びる寸前の今の世界が証明している。

 

「敵が来るのは今日の15時ちょうどだ、竜胆」

 

「予測はできてるんだ? そりゃ凄い」

 

「神樹の神託だ。

 ひなたと名乗った者がいただろう?

 彼女は私の幼馴染で、巫女だ。

 巫女は神樹の神託を聞くことができる。

 こんなに正確な神託は珍しいが……ひなたはそういう神託も拾えるんだ」

 

「……世の中は僕が引きこもってる間に、随分マジカルになったんだなあ」

 

 時計を見る限り、神託で告げられた敵の襲撃時刻まで、あと40分といったところだろうか。

 

「戦いが始まれば、樹海化が行われる」

 

「樹海化?」

 

「人の世界は神樹の根に覆われ、四国結界の内部の時間は止まる。

 街は神樹の根が守り、世界は時間の停止が守るんだ。

 諸々理由はあるが……その際、樹海にダメージが行けば、世界は壊れていくと思え」

 

「戦いのフィールドも守れってことか? そりゃまた、難儀な」

 

「樹海へのダメージは戦いの後に災厄として世界に顕れる。

 最悪、それで死ぬ人間も出かねない。

 神樹へのダメージは、今の四国を回している神樹の力を削ってしまう。

 長時間の樹海化も神樹の力を削るだろう。

 そうなれば食料やインフラの供給が止まり、人間は結果的に滅びることになる」

 

「フィールドへの大きすぎるダメージは厳禁、ね。了解。

 ……ああ、分かってきた。

 これはあれか、その『神樹』にバーテックスが到達したらアウトなやつか」

 

「そうだ。

 バーテックスが狙うものは二つ。私達人間と、神樹だ。

 だから私達が近くにいれば基本的にこちらを狙ってくる。

 が、万が一にでも神樹に奴らが到達した場合、神樹は折られる。

 そうなればこの四国の人間は全員死ぬ……そう思って戦ってくれ」

 

「分かった。樹海は傷付けず、神樹に到達させず、敵は殲滅……と」

 

 ある意味分かりやすい。

 これはシンプルな防衛戦だ。

 城を使って、自分達の領土と本丸(神樹)を守る防衛戦。

 そこに"できれば第一目標のブルトンを探して倒せ"という目的を加えている。

 

 戦いの目的は、シンプルなのだ。

 四次元怪獣ブルトンの打倒も、四国結界への干渉を阻止するためであるので、基本的に竜胆や若葉の戦闘目的は"四国の防衛"であると言っていい。

 

「ああ、そうだ、僕と同じ巨人……

 『ウルトラマン』、だったか。それは何人居るんだ。勇者は五人でいいんだよな?」

 

「お前を除けば勇者も五人、ウルトラマンも五人だ。

 だが勇者の内、球子と杏は前回の戦いのダメージを引きずっている。

 あまり前に出したくはない。

 ウルトラマンが五人の内二人が消息不明、一人が重傷で入院中、残るは二人だ」

 

「……巨人が三人も? 戦いの中で"そう"なったって思っていいのか」

 

「ああ」

 

「こりゃ、戦いは予想以上に辛そうだ。……敵が来るまで、あと30分か」

 

 若葉は竜胆の表情を覗く。

 戦いの中で死ぬことに対する恐怖は全く見えない。

 だが、生きようとする意志も全く見えなかった。

 

「大丈夫だ、竜胆。お前の初戦は最前線にまでは出されない」

 

「?」

 

「今は、かなり変則的な陣形を使っているんだ。

 残った二人の巨人を最前衛にまで出し、討ち漏らしを勇者が対応する形になっている。

 お前も初戦は、比較的安全な討ち漏らしへの対応になるだろう」

 

「ああ、そうなんだ。お試し運用みたいな。

 それで問題があったらもう一回僕は地下室行き、と」

 

「……」

 

「いいんじゃないかな、低リスクでチェックできるんだし」

 

「撃ち漏らしへの対応と、お前との連携は、勇者五人で担当する」

 

 誰も、竜胆を信用していない。

 元締めの大社はもちろんのこと、若葉でさえも信じてはいない。

 彼を今信じているのは、きっと千景一人だけだ。

 

 『基本三分しか戦えないウルトラマン』と、『何時間でも戦える勇者』と、『数が無数で神樹に一体でも辿り着けば終わりの星屑』。

 殲滅戦という前提で戦うとする。

 すると、ウルトラマンから見れば人間より少し大きい程度のサイズの星屑は、勇者の方がずっと処理しやすいと考えられる。

 狭い所に入られたりすると、巨人はどうにも攻撃し辛いのだ。

 

 巨人と勇者は互いに補助し合える。

 それぞれの得意分野がある。

 協力し連携してこそ、勝利は見えてくるのだが。

 

「お前らの動きに興味は無い。僕も好き勝手に動くから、そっちも好き勝手にしてろ」

 

「仲間の得意技も知らずに共闘なんてできるはずがないだろう。

 今から個々人の特性を細かに説明している時間は……ないか。

 なら、『精霊』と『切り札』の説明だけはしておく。重要だからな」

 

「切り札?」

 

「神樹の中には、あらゆるものが概念的記録として蓄積されている。

 それを『精霊』として引き出し、『切り札』として行使する。

 それが勇者の力だ。

 球子であれば"輪入道"、友奈であれば"一目連"、杏であれば"雪女郎"がこれにあたる」

 

「妖怪ばっかじゃねえか」

 

 怨霊や妖怪ばかりであった。

 

「……そこは気にするな。

 ともかくこれは負担がかかり、多用はできない。

 使えば極端なまでの強みを発揮するが……

 理想的なのは大一番で短い瞬間だけ行使することだな」

 

「つまり、必殺技?」

 

「……まあ、その認識でいい。必殺技だな、うん」

 

「かっこいいじゃん必殺技」

 

「……欲しいのか?」

 

「別に」

 

 若葉は一瞬、竜胆がとても子供っぽく見えたが、気のせいだと思って流した。

 

「最近、ある学者が一つの説を提唱していた。

 この"勇者の精霊"と、"最近のバーテックス"は、本質的には同じなのではないか、と」

 

「最近のバーテックス?」

 

「今、人類を追い詰めているもの。

 自然に進化を重ねた果てに奴らが至ったもの。

 登録呼称(レジストコード)ではそれを、『十二星座』と『怪獣型』と言う」

 

 若葉は語る。

 バーテックスは『頂点』を意味する言葉だ、と。

 『頂点』であって『青天井』ではない。

 頂点とはすなわち到達地点のことであり、ゆえにその進化には一応の到達点がある。

 際限のない進化の中にも……一つの完成形がある。

 

「この二種はとてつもなく強い。

 巨人の身体の研究によって、出力が上がった今でなければ、勇者は太刀打ちもできなかった」

 

「強くて大きな個体、ね」

 

「十二星座は……

 今のバージョンの勇者システムであれば、切り札を使えばなんとか倒せる。

 怪獣型は個体ごとに強弱の差が激しい。が、十二星座よりは基本的に強いな」

 

 星座と、怪獣。

 竜胆は自分の頭の中で、"自分が倒すべき個体"の呼称を反芻する。

 

「だから連携を忘れるな、竜胆。

 お前の実力は知らないが、一瞬で殺されることもある」

 

「そんなにか」

 

「そのくらい強いからこそ、『ウルトラマン』も重傷を負う事態になっているんだ」

 

「……分かった。それで?

 最近のバーテックスが勇者の精霊と同じだっていうのは、どういうことさ」

 

「神樹の中にはあらゆるものの概念記録があると言っただろう?

 精霊はそれを汲み上げた力の形だ。

 星座や怪獣もまた……宇宙にある何らかの"情報"を汲み上げて形成されている、だそうだ」

 

 つまり、それは。

 

「だからこれだけは覚えておけ。

 私達の戦いは、基本的に"なんでもあり"だ。

 何が起こっても不思議じゃない。何が出て来ても不思議じゃない」

 

「……おお、怖え、怖え」

 

 敵側に事実上、質の面で限界はないかもしれないということだ。

 数の限界も見えない。

 基本的には防衛戦。

 

 竜胆が放り込まれるのは、戦いの終わりも見えない、敵の限界も見えない、そういう末期戦の防衛戦であると言っても何ら過言ではない。

 

「参考までに、前回の戦いでは……

 星屑が千、十二星座が四、怪獣型が二十三体出現した」

 

「……そりゃ、僕も呼ばれるか。

 なんでこんな危険人物をあそこから出すかと思えば……納得がいくってもんだ」

 

 二人の間に、沈黙が流れる。

 若葉と竜胆は二人で並んで、城の上から結界の壁を見つめていた。

 敵の出現まで、あと10分。

 丸亀城を撫でる12月の風が、やけに冷たく感じられた。

 

「あ、御守さん!」

 

 そこにやって来たのは高嶋友奈。

 花咲く笑顔で、元気に手を振り、城の頂点にまで軽やかに登って来る。

 竜胆は笑顔の友奈に好感を覚える。

 だからこそ無視した。

 だからこそ距離を取った。

 

「無視されちゃった……若葉ちゃんもごきげんよう、だね!」

 

「お前はいつも元気だな、友奈」

 

 戦いを前にして気合いを入れる友奈の横で、若葉は竜胆に小声で話しかける。

 

「友奈は苦手か?」

 

「距離を詰められるのは苦手だ。嫌いではないけれど」

 

「そうか。その気持ちは分からないでもないな」

 

 若葉は何気なく城の頂点から下を見た。

 木の陰から、竜胆と若葉を見ている千景が、そこにいた。

 若葉はこの瞬間まで気付いていなかったが、今この瞬間までずっと見られていた様子。

 

(……千景)

 

 千景はまだ彼の処遇が心配で心配で仕方がないらしい。

 ふと気が付けば鎌を持って跳んで来そうな、そんな怖さがあった。

 千景には思いつめると何をするのか分からない、やや感情的で危ういところがあり、若葉もそれを無意識下で察しているようだ。

 

 やがて、定められた時間が来る。

 

 城を降りた竜胆と一緒に居た若葉、友奈に、千景・球子・杏も加わり、彼らは神託で伝えられた敵の襲来時刻を持つ。

 二人残っているウルトラマンとやらの姿は見えない。

 だが竜胆だけは、目を閉じれば"それら"を肌で感じ取ることができた。

 

 離れた場所で高まりつつある、竜胆とは正反対の『光』の波動。

 見えないが確かにそこにある、神樹の力の波。

 そして……結界の向こうから来る、人を滅ぼそうとする何か。

 戦いを前にして強く高まり始めたそれらの力であれば、竜胆がそれを察知するのは、とても容易なことだった。

 

「……来る」

 

 人の世界の時間が止まる。

 結界の内部の全てが樹海に覆われていく。

 世界の光景が異様なものに塗り替えられていく。

 四国結界の内部の時間が停止され、人と街を神樹の根が守るように覆った数秒後、結界の外から"おそろしきもの"が進行してきた。

 

「でっけぇ……しかも多いな」

 

 それは、竜胆が思わず驚愕の声を漏らすほどに、大きな敵と多い敵だった。

 

 30mを超える個体、40mを超える個体がざっと見るだけで30体。

 3mから4mの小型個体・星屑が500体以上。

 『大きさ』『数』という"強さの説得力"だけで、地球上の人類の多くが滅ぼされたという事実に納得しそうになる猛威であった。

 若葉が何も知らない竜胆に説明をする。

 

「あれは、登録呼称(レジストコード)・ソドムとゴモラ。最近はよく見るな」

 

「……なんか漫画で聞いた覚えのある名前だ」

 

「私も詳しくは知らない。

 だがソドムとゴモラとは『罪と滅びの名前』らしい。

 神樹があれの正式名称を、ソドムとゴモラだと教えてくれたそうだ」

 

「ふぅん」

 

「ソドムは熱の怪獣。

 その体表の温度は2000度を超え、高熱の火炎を吐く。

 ゴモラは地の怪獣。

 神樹曰く『城崩し』の怪獣で、大昔の強力な恐竜の一種なのだとか」

 

「ああ、それで。この城の破壊にあの怪獣があてられてるわけだ」

 

「だろうな」

 

 40m超えの個体は、ソドムとゴモラと呼ばれているらしい。

 2000℃は鉄の融点、鉛の沸点を余裕で超え、フライパンがあっという間に消し飛ぶ熱だ。

 こんな温度を安定して浴びせられれば、下手な戦車や戦艦でもあっという間に溶け落ちる。

 若葉の説明を聞く限り、熱攻撃をする担当のソドムと、そのソドムを守りつつ進撃するゴモラの組み合わせといったところだろうか。

 

 竜胆が見る限り、巨大個体の内10体がソドム、10体がゴモラに見える。

 岩石で出来た巨犬のような外見のソドムと、真っ茶色の恐竜のような外見のゴモラが並んでいる光景は、実に壮観だ。

 残りの巨大個体10体は、ソドムでもゴモラでもない怪獣と、どこか星のモチーフ――蠍や太陽――を思わせるものが多かった。

 

「全部倒せば、そこで終わり……で、いいんだよな、乃木」

 

「ああ」

 

 竜胆がブラックスパークレンスを握る。

 その手触りが、竜胆に三年前のあの日のことを思い出させる。

 勇者が戦う姿に変身しても、遠く彼方に巨人の変身過程であろう光の柱が見えても、竜胆はそちらを気にする様子すら見せない。

 "敵を倒せるか"という恐れはない。

 "味方を殺さずにいられるか"という恐れはあった。

 

 この瞬間より。

 竜胆が本当に戦うべき場所は―――自らの心の中に移る。

 

(人の心から、闇が消え去ることはない。

 そんな確信だけがずっと胸の中にあって。

 何かを憎み、何かを後悔し、自分を嫌い……

 そうやって、"心の闇"を励起させて初めて、僕は巨人に成り果てることができる)

 

 怪獣を睨み、時計回りに両の腕を回すようにして、神器を空に掲げる。

 

(ああ、でも、今日くらいは自分を抑えなくてもいいのか)

 

 心と、体が、切り替わる。

 

(―――あれ、殺してもいい奴らだろうし)

 

 "人でないなら殺していい"と、彼にとっては至極真っ当な思考が、体を支配する。

 

「『ティガ』」

 

 闇の柱が、少年の全身を包んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闇の柱が少年を飲み込み、膨らみながら空へと伸びて、消失する。

 闇の柱が消えた後には、50mを超える闇の巨人の姿が残った。

 40mのゴモラ達、60m弱のソドム達が一斉に、闇を纏った巨人を睨む。

 

 竜胆の精神が闇に揺さぶられ、正気と狂気が点滅するランプのように交互に入れ替わる。

 乳白色に輝くティガダークの瞳が、敵であるバーテックス達を睨んだ。

 

 勇者達が何かを言っているような気がした。

 戦場のどこかに、他の巨人……光の巨人が現れた気がした。

 遠くには神樹が見えた気がした。

 だが三年ぶりの変身で自分を制御するのが精一杯の竜胆には、それらをまともに認識できるほどの余裕がない。

 ティガダークが言語として発するはずのテレパシーは、唸り声のように漏れ、竜胆の感情が垂れ流しになっていく。

 

『ウゥウゥウゥウゥウゥウ』

 

 まず突撃して来たのは、二体のゴモラ。

 恐竜特有の強靭な肉体が躍動し、ティガダークへと突っ込んでくる。

 ティガダークは静止状態から一瞬で最高速度に移行し……二体のゴモラの口の中に、強引に自らの両腕を突っ込み、食道奥の内臓を掴み、二体同時にその体内から内臓を引き抜いた。

 引き抜かれた恐竜の内臓が、ボトボトと地に落ちていく。

 二体のゴモラが、断末魔を上げながら倒れていく。

 

「―――なっ」

 

 ティガダークの近くでその戦いを見てしまった球子が、思わず声を漏らして、吐き気をこらえ口元を抑える。

 

 ティガダークはゴモラの血で濡れた腕で、一番近い場所にいたソドムへ掴みかかる。

 岩の巨犬と表現するが相応しいソドムの首に、ティガの腕が巻きつけられるようにして、その体が締め上げられる。

 2000度の高熱を発するソドムの体が、ティガの体を焼き、ゴモラの血を蒸発させていく。

 だが闇の巨人は止まらない。

 ティガの手元に闇が集まり、円形の回転ノコギリのような形になった闇が、ソドムの首をゴリゴリと削りながら切断していく。

 

 ソドムが痛みに絶叫していたのは、一秒か、二秒か。

 それだけの短時間で、闇のノコギリはソドムの首を切り落とす。

 切り落としたソドムの首を、ティガは敵に向かって蹴り飛ばした。

 他の個体のゴモラにその首が当たり、あまりの威力に蹴り飛ばされたソドムの首が弾け飛ぶ。当てられたゴモラも痛みに絶叫し、膝をついた。

 

『アァアァアァアァアァッ―――!!!』

 

 感情の奔流が、テレパシーに乗ってそのまま垂れ流されていた。

 勇者達だけでなく、敵である化物ですら耳を塞いでもおかしくはないと思えるような、醜悪なテレパシーの垂れ流し。

 水を操る星座型バーテックスが、巨人の頭部ほどのサイズの圧縮水流を叩き込んできた。

 だが、ティガダークに対してはあまりにも脆弱。

 

 竜胆は咆哮したまま、闇を放った。

 咆哮をそのまま形にしたような闇の爆発が、水流を消し飛ばし、水流を放ったバーテックスを消し飛ばす。

 そのまま竜胆は流れるように仲間の勇者を消し飛ばそうとし……踏み留まって、自分の中の衝動を必死に抑え込み、そのせいで苦しみ始めた。

 

『ぐっ、うっ、がっ、あっ、アッ』

 

 苦しむ竜胆の周りに、星屑が群がり始める。

 

 ティガダークは、心の光に応じて弱くなる。

 非の打ち所がないほどに正義かつ光である人が変身したならば、最弱となるほどに。

 闇の者であれば弱体化はなく、最強の闇の戦士として君臨できるほどに。

 竜胆の場合は、その弱体化が防御力の低下という形で発現する。

 足を止めた竜胆に群がる星屑は、脆いティガダークの全身の肉を食い千切り、虫を喰らう蟻のように、その肉を食って削っていった。

 

『ッ』

 

 竜胆は痛みを堪え、星屑への憎悪で暴走しそうになる自分を抑え、心の闇で暴走しそうになる自分を制し、棒立ちのまま必死に耐える。

 敵への攻撃と、自分の制御が、両立できない。

 必死に耐えている竜胆を助けるべく、誰よりも早く動いた若葉が刀を振り上げた。

 

「任せろ!」

 

 跳んでティガの後頭部に着地した若葉が、ティガの体表を駆け下りるようにして、ティガの体表に齧りついていた星屑を一匹残らず切り捨てた。

 雷の如き速さで飛び、雷の如くジグザグに落ちるような動きで、巨人の体表を駆け下りたその動きは、さながら雷刃(らいは)

 空の雲から地面に落ちる、自然現象の雷刃(ライハ)を思わせた。

 

 若葉が星屑を全て切り捨てても、竜胆はまだ自分を制御しきれていない。

 そうこうしている内に、動けないティガに別のゴモラが接近して来てしまった。

 

「っ、面倒な……『義経』!」

 

 若葉は躊躇わず、"切り札"を切った。

 少女の肉体が軋む。強大な力がその身に宿る。

 神樹の概念記録から若葉が引き出した精霊の力は、『源義経』。

 天駆ける武人、源義経だ。

 

 精霊としての義経の特性は、跳躍を下敷きにした速度強化。

 "八艘飛び"の逸話を再現し、跳べば跳ぶほど若葉は加速する。

 勇者は基本的に空を飛べないが、天駆ける武人と化した若葉は別だ。

 空中で敵を連続で蹴り跳ぶことで、若葉は飛行能力を持つに等しい空中移動能力と、バーテックスの目でも追えない速度を獲得する。

 

 若葉はその速度を全て斬撃に乗せ、その威力でゴモラの右膝を切り、ゴモラに膝をつかせてティガを守ることに成功していた。

 

 『怪獣を斬る少女』。

 ともすれば陳腐な表現になりそうだが、一言で表すならばこれ以外の表現は似合うまい。

 足は大型生物に共通の急所だ。

 若葉は自分の売りである速度を斬撃の威力に乗せ、ゴモラの足を都合四度、膝を前後左右から斬りつけるという技を披露した。

 膝周りの筋繊維の位置を正確に計算して切断したその斬撃は、まさに神業と言えるだろう。

 

 若葉の攻撃に続き、闇のノコギリでゴモラの喉をかき切ってトドメを刺したティガダーク。

 その肩に乗り、若葉は竜胆に声をかけた。

 

「正気を保っているか?」

 

『……ま、まだ、大丈夫、だ』

 

「……大社は"まだ推測の段階の情報"と言っていたが。

 戦闘中に一気に精神が不安定になるというのは、本当なのだな」

 

『……多分、今の僕の方が、"本当の僕"に近い』

 

「そうか。だが……変な気は起こすなよ」

 

 若葉がティガの肩から降りる。

 竜胆には周りを見る余裕がない。

 他の勇者、他の巨人、他の敵が何をしているかを確認している余裕もない。

 目の前の敵に集中して、自分が余計なことをしないようにするのが精一杯だ。

 

 そんなティガダークの前に、新たな怪獣型バーテックスが現れた。

 ムササビのような、イカのような、形容し難い形状の飛翔する怪獣。

 登録呼称(レジストコード)・『ガゾート』。

 それがこの怪獣の名前である。

 今日までの戦いでは、あまり出現していなかった怪獣型であった。

 ゴモラやソドムと比べれば、むしろこちらの方が星屑に近いタイプの形状をしており、バーテックスの正当進化の系譜を感じられる。

 

 これもまた、概念記録をなぞって作られた怪獣であった。

 

「ニンゲン、トモダチ」

 

『こいつ……人間の言葉を……?

 ……いや、違う。僕だ。おかしいのは僕の耳か。怪獣の言葉が……分かる』

 

「トモダチ、ゴチソウ! トモダチ、タベル!

 ニンゲン、トモダチ! コロスノ、ダメ、チガウ! トモダチ、ゴチソウ!」

 

『―――!?』

 

「トモダチ、タベテ、ヒトツニナル!」

 

 ソドムやゴモラとは違い、会話できるだけの能力があるのがガゾートだ。

 巨人の耳がガゾートの言葉を翻訳し、それがピンポイントで竜胆に突き刺さる。

 

 ガゾートは、高い知性と共食いの性質を持つタイプの怪獣だ。

 その精神性は"優しく人懐っこい"と解釈することもできるもので、異種族である人間を、本当に心から友達だと思ってくれる。

 かつ、"友達は食べるものだよね?"という基本の思考体系を持つ。

 人間は友達。

 友達だから食べる。

 食べて一つになろうとする。

 『食べるためでもなく、一つになるためでもなく、殺す』なんて野蛮なことはしない。

 

「ニンゲン、トモダチ! ダイジ! タベル!」

 

 友達を食べる、という行為に一切の敵意・害意・攻撃の意志が無い。

 彼らは友情表現として、同族を食べる。

 憎悪の発現として、無差別に同族を殺した竜胆とは違うのだ。

 

 不幸なことに、バーテックス含め誰もそう意図してはいなかったというのに、このガゾートの特性が、竜胆のトラウマに綺麗に刺さった。

 竜胆は誰かにとっての友達を殺した。

 誰かにとっての大切な人を殺した。

 竜胆に殺された者の大半は、暴走に巻き込まれただけで、大した意味もなく殺された。

 

 "友達だから食べる"という最悪中の最悪以上に、竜胆の"特に意味も無い巻き込んで殺した"という過去の罪は最悪だった。

 「意味がある分ガゾートの方がマシ」と言えるレベルの最悪だった。

 比較が、竜胆の胸を抉る。

 

『……思い出させるな、思い出させるな、僕の前に居るな、消えろッ……!』

 

食べ物(トモダチ)食べ物(トモダチ)食べ物(トモダチ)食べ物(トモダチ)

 

『やめろッ!』

 

 狂気が滲み、人間として当たり前の常識が狂ってしまいそうな、そんな空間だった。

 

 ガゾートがトモダチ、トモダチ、とリピートする。

 竜胆の脳裏に、ティガダークから友達を守ろうとして潰された、小さな女の子の姿が蘇る。

 何もかもがトラウマを抉る。

 この怪物でさえ僕よりはマシな存在だ、と竜胆が思考して。

 あのいじめっ子ですら友達を命がけで守ろうとした分僕よりはマシな存在だ、と思って。

 そのたびに心の闇は膨らんで。

 

 ぐちゃぐちゃになっていく自我が、とうとう制御できる限界点を突破してしまう。

 

『■■■■―――!!』

 

 ティガが、吠えた。

 言語にならない感情が、脳波の嵐となって噴出し撒き散らされる。

 それを嫌がり飛び上がって離れようとしたガゾートだが、先に飛び上がったはずなのに、後から跳び上がってきたティガに捕まってしまった。

 

 ティガは捕まえたガゾートを地面に向けて投げつけ、叩きつける。

 そして自分も着地する。

 ガゾートが叩きつけられた場所には球子が、ティガの着地地点には若葉がいた。

 二人は必死に跳び、潰されるのを間一髪で回避する。

 

「何っ!?」

 

「うわっ危なっ!」

 

 ティガはガゾートに飛びつき、その腹に両手の手刀を突き刺す。

 絶叫するガゾートの声を無視して、そのまま両腕を開き、ガゾートの腹を左右にぶちぶちぶちと引き裂いた。

 ガゾートが絶命し、ティガがその内部から内臓や骨を引きずり出す。

 

 そして、遠方から迫る他の怪獣に向け、連続で投げつけた。

 絶大な闇の腕力によって投擲されたそれらは、時に目潰しとなり、時に肉を貫通する骨の弾丸となり、ソドムとゴモラに命中していく。

 そして、前衛を努めていた友奈にも命中しかけていた。

 

「きゃっ!?」

 

「友奈!」

 

 友奈もなんとか回避するが、ティガダークは止まらない。

 あまりにも早い疾走で、一体のゴモラに接近し、その喉を掴む。

 そしてそのまま喉を握り潰し、喉が握り潰されたことで半分ほど繋がらなくなった首を、ハイキックで文字通りに"蹴り飛ばした"。

 ゴモラの首が吹っ飛んでいく。

 

『■■■ッ―――!!』

 

 そしてティガダークは、ゴモラの恐竜尾を掴み、首無し死体をハンマーのように使い始めた。

 無数の星屑が、ゴモラの死体という名の武器に潰されていく。

 星屑は小さく、多い。

 巨人が片付けるにはやや面倒な相手だろう。

 そう考えれば、複数の星屑を一気に潰せる武器を調達するのは、悪くない思考であるのかもしれない。

 

 死体を辱めているという前提を、見なかったことにすれば、だが。

 

「し……死体を、武器に……」

 

 伊予島杏は、その光景の凄惨さに、思わず口元を押さえた。

 

 ティガダークはゴモラの死体で、ソドムを叩く。

 叩く。

 叩く。

 ゴモラの死体で何度も殴られたソドムが動かなくなるまで、繰り返し叩く。

 

 ゴモラの死体が砕けると、死体は自然に消滅していった。

 個体差はあるが、怪獣型等のバーテックスの死体は消えるものであるらしい。

 ティガダークは死んだソドムの死体の方に手を伸ばし、ソドムの死体の眼球を指でかき回して意味もなく遊び、言葉にならない咆哮を上げる。

 どこか、嬉しそうに。

 ティガダークは、敵の破壊と敵の痛みを、楽しんでいる。

 

『■■■―――!』

 

「……人間の戦い方じゃ、ない。狂ってる……」

 

 杏の感想は正しい。

 ……ここまでくれば、もう"必要だからそうした"なんて言い訳はできない。

 暴走している状態の御守竜胆は、明らかに"死体を辱める"ことさえ楽しんでいる。

 破壊を楽しんでいる。

 殺戮を楽しんでいる。

 

 竜胆の内面はこの三年間、時が止まっていた。

 失われたものもあるが、その心の光、優しさ、他人を守ろうとする精神性は、三年前と変わらずにある。

 だが。

 だが、それとは別に、彼の中では『闇』が膨らみ、成長を重ねていた。

 

 三年前の惨劇から今日に至るまでの全ての日々が、竜胆の中に闇を育んでいた。

 竜胆が最初から持っていた光を、遥かに凌駕するほどに。

 殺人衝動。

 殺戮衝動。

 破壊衝動。

 虐殺嗜好。

 本来の竜胆の中には無かったはずのものが、闇の力のせいで発生してしまっていた。

 それが今、ティガダーク/御守竜胆を突き動かす全て。

 

 ティガダークは笑うように咆哮し、ソドムの死体を武器のように振るって、また星屑を叩き潰し始めた。

 サソリの如き星座の大型バーテックスがティガダークに襲いかかったが、片手で掴まれ、地面に叩きつけられる。

 そして踏まれる。

 踏まれる。

 踏まれる。

 市販のひき肉のような形になるまで、踏み続けられる。

 死んだ後も踏み潰され続ける。

 ティガダークの咆哮は、やはり殺戮を楽しむ笑いのようだった。

 

 どんな怪物も敵わない。

 どんな化物も敵わない。

 この場で最も恐ろしく、最も残虐な怪物であるティガダークには敵わない。

 バーテックスですら、化物度合いで今のティガには追いつけない。

 

 球子が、そのグロテスクな戦い方を見て、その小さな身を敵意で震わせる。

 

「破壊と殺戮が……そんなに楽しいのかよ」

 

 杏は臆病な少女らしく、恐怖と嫌悪で身を震わせる。

 

「……やっぱり、あそこから出したのは、間違いだったんじゃ……」

 

 若葉は太刀に手を添え、状況次第でティガダークを仕留める構えを取った。

 若葉の方をティガが見ていない今なら、飛びかかるタイミング次第で、彼女の一太刀は容易にティガの首を切り落とせるだろう。

 

「悪魔、か……」

 

 そんな中、高嶋友奈その人だけは、違うものを見ていた。

 

 友奈の視線の先で、残酷に戦うティガダークが、笑い染みた咆哮を上げる。

 

「泣いてる……」

 

 友奈自身にも、何故か自分がそう思ったのかは分からない。

 だが友奈は、そう思った。

 

「笑いながら……泣いてる」

 

 友奈は彼のその咆哮に、何故か悲しみと涙を見出していた。

 

『■■■―――!』

 

 ソドムの死体が消えて、近場の敵が居なくなる。

 残りの大型は六体ほど、星屑は数十体といったところだろうか。

 そこで竜胆は遠くのものを破壊しようとは思わなかった。

 手近なものを破壊しよう、と考えた。

 破壊衝動に突き動かされ、ショートした思考が下を見る。

 

 神樹の根に守られる人の街が、そこにはあった。

 ティガダークはまたしても円形の回転ノコギリに近い形に具現化させた闇を創って、それを街と神樹の根を狙って叩きつけようとする。

 

「!?」

 

 そのあまりにも異常な行動に、的確に反応・行動できたのは千景だけだった。

 ……いや、違う。

 ()()()()()()()()()()()を選び、()()()()()()()()()()のが、千景だけだった。

 

「ダメよ!」

 

 千景が、巨人と街の間に割って入る。

 半ば反射的に、ティガダークはその手を止めていた。

 

『―――』

 

 闇が霧散し、ティガダークが停止する。

 人間が苦悩によって動きを止めた、というよりは、エラーを起こしたパソコンのような停止の仕方であった。

 球子と若葉が、肝を冷やしながら合流する。

 

「あ、あいつ! 何考えてんだ!

 樹海を……根の向こうの街を、自分から攻撃しようとした!?

 あの出力で樹海に攻撃なんてしたら、樹海化が解けた後どうなると思ってんだ!」

 

「なんてことを……」

 

「おい若葉! 樹海化の仕組みちゃんとあいつに教えてたのか!?」

 

「教えた! 奴もちゃんと聞いていたはずだ!」

 

「嘘だろ、じゃあ分かった上で……!」

 

 若葉は、きちんと竜胆に教えた。

 樹海を傷付けさせてはいけないということを話し、竜胆に樹海を守ることを承諾させた。

 

―――樹海へのダメージは戦いの後に災厄として世界に顕れる。

―――最悪、それで死ぬ人間も出かねない。

 

 若葉はちゃんと言った。

 竜胆もちゃんと覚えていた。

 だから戦いの序盤では樹海を守る意識を持って戦っていた。

 けれど今は、そうではない。

 

 闇の力を使うだけで心は不安定になり、戦いの中で心の闇は増幅され、些細なきっかけでその全てが爆発した。

 

 誰が被害者か? 誰か加害者か? そんなもの、もうどうでもいい。

 何が善で、何が悪か? そんなもの、もうどうでもいい。

 世界を守る? 仲間? 敵? そんなもの、もうどうでもいい。

 それらの一切合切は既に、竜胆の思考から吹っ飛んでいる。

 殺せればいい。

 壊せればいい。

 それさえできれば、楽しい。

 楽しいから、他のことはもう全部どうでもいい。

 そういう思考で、竜胆は今、暴れそうになっていた。

 

 暴れそうになったが―――間一髪で、千景がそれを止めてくれていた。

 

「私の声、聞こえる?」

 

 巨人を見上げ、千景は語りかける。

 勇者システムで変身した千景の衣装のモチーフは、彼岸花。

 真紅の彼岸花だ。

 赤い彼岸花の花言葉は『独立』『再会』『悲しい思い出』『あなた一人を思う』『また逢う日を楽しみに』。

 ……そして、『情熱』。情熱の赤だ。

 

 ともすれば善悪両方の感情に流されがちではあるが、彼女は彼岸花の勇者にして情熱の勇者。

 彼女の叫びには、感情の熱量がある。

 だから、竜胆を一瞬だけ止められた。

 けれど、一瞬しか止められなかった。

 

 三年前と同じように、友の存在は暴走した竜胆の動きを僅かな間のみ止めることができた。

 三年前との違いは……"もう二度とあんなことはしたくない"と千景が思っていたこと。

 つまり、千景の鎌が竜胆の喉を切り裂かなかったことだった。

 

 だから巨人は止まらない。

 三年前も、今日も、竜胆は必死に千景への攻撃を止めようとしたが、千景の喉への一撃が無いからこそ止めきれない。

 それは、まるで、三年前の惨劇の最後の再試行(リプレイ)のようで。

 ティガダークの拳が、千景に向かって振り下ろされる。

 

「ぐんちゃん!」

 

 悲鳴じみた叫びを上げる友奈とは対照的に、千景はその拳を静かに受け入れ、目を閉じる。

 

「……いいわ、それで気が済むなら」

 

 千景の言動から見て取れるのは、後悔。

 そして、罪を償うことによる、後悔からの解放と安らぎ。

 僅かに見えるのは死の恐怖だが、これは千景の意志で握り潰されている。

 

「―――ごめんなさい。三年前のあの日のこと……やっと、ちゃんと、謝れた」

 

 千景は謝り、拳が振り下ろされる。

 竜胆の心の闇が「よくもあの時僕を」「痛かった」「僕は君に幸せになってほしかっただけなのに」と憎悪を叫ぶ。

 竜胆の心の九割が「やめろ」「殺すな」「止まれ」「僕は君に幸せになってほしかっただけなのに」と信念を叫ぶ。

 闇の巨人は止まらない。

 

 何かが弾ける、音がした。

 

 

 

 

 

 何かが弾ける、音がした。

 

 それは、千景に向けて振り下ろされた拳に着弾した、光の銃弾が弾けた音であった。

 光線を固めた銃弾とも言えるそれは、ティガダークの拳を弾き、千景を守る。

 

ギリ間に合ったか(Just safe)

 

 勇者が、闇の巨人が、バーテックスが、一斉にそちらを向いた。

 それは、竜胆の近くでは戦っていなかった者。

 最前線で格別強い怪獣と戦い、今それを片付け、こちらに援軍に来てくれた者。

 力なき人々を守る屈強なる戦士。

 南アメリカから来た男。

 

 

 

「……グレート。『ウルトラマングレート』!」

 

 

 

 勇者が、その名を呼んだ。

 その姿はまさしく、銀の巨人。

 銀の顔に、輝きを放つカラータイマー、そして"白と赤"の体。

 黒と銀の二色の巨人であるティガダークとは、あまりにも対照的だった。

 その光がティガダークを照らし、竜胆を一瞬正気に戻す。

 

『銀色の巨人―――白い体の―――光の巨人―――』

 

 竜胆がグレートの光に見惚れた、その一瞬。

 グレートは空手の型そのものの動きで、瞬時に踏み込み、掌底を突き出した。

 洗練された空手の動きは隙なく・素早く、ティガダークに一切の反応も許さずに、その額に炸裂する掌底を叩き込んだ。

 空手の型から放たれる掌底光線、『パームシューター』だ。

 

 掌底の威力と光線の威力が綺麗に重なり額に当たり、竜胆の意識が飛びかける。

 

『ぐあっ!?』

 

 強引に竜胆の意識を気絶寸前の状態にまで追い込んで、グレートは残りの怪獣に向き合った。

 迫り来る三体のゴモラ。

 まず初手、正拳突き。

 一体のゴモラを吹っ飛ばす。

 二手目、前蹴り。

 二体目のゴモラが宙を舞う。

 三手目、後ろ回し蹴り。

 綺麗に体重が乗ったそのキックは、公式に"ウルトラマンレオのレオキックと同等"と語られたほどの超威力を内包しており、ゴモラの心臓を外部から一瞬で破裂させ、絶命させていた。

 

 グレートは、『空手のウルトラマン』である。

 地球人に教わったから空手を使っているのではない。

 光の国に居た頃からずっと使っていたグレートの武術が、極真空手と極端に似通っていた武術であったがために、このウルトラマンの体術は、研ぎ澄まされた空手のそれに等しいのだ。

 若葉が感嘆の声を漏らす。

 

「相変わらず、力強く洗練された空手だな」

 

 だが、グレートの強みは空手だけではない。

 グレートの周囲を星屑、ソドム、ゴモラが取り囲む。

 対しグレートは、子供が友達と遊ぶ時にそうするように、両手の指を拳銃のような形にした。

 人差し指と中指を揃えた"銃口"を敵に向け、親指の"撃鉄"を動かし、指先から光の銃弾を発射する。

 光の銃弾は星屑を消し飛ばし、怪獣の体に黒焦げた穴を空けた。

 

 両手を銃の形にして発射する光の銃弾、『フィンガービーム』である。

 先程ティガダークの拳を弾き、千景を救った光線技が、まさにこれだった。

 

命中したぜ(Bulls Eye)

 

 グレートが手首を振る。

 このフィンガービームという光線技は特殊で、手首を捻るように振ることで、"ガチャッ"という音が鳴り、再装填(リロード)が為される。

 まるで、拳銃に弾を込めるかのように。

 

 そうして銃の形に構えられた手の中に光の銃弾が装填され、連射が可能となる技なのだ。

 グレートは二丁銃を構えたガンマンのように、その場で四方八方に銃撃を放つ。

 星屑が消し飛び、怪獣の体に黒焦げた穴が空いていく。

 弾が切れたら、手首を振ってリロード。

 そうしてまた、その場から動かず四方八方に光の銃弾をぶち込んでいく。

 

 バーテックスが近寄ることすらできない圧倒的な精度の連射銃撃は、まるで映画の中にしかいない、二丁銃のガンマンのようですらあった。

 手足を撃ち抜いたソドムとゴモラに近付いて、最大威力で頭に二発、心臓に二発。

 そうして確実に、二体の怪獣を絶命させる。

 派手ではないが確実に敵を仕留める、手慣れた殺しの手順が見えた。

 

大当たりだな(Jack Pot)

 

 空手は攻防一体、とよく言われる。

 防御は攻撃に、攻撃は防御に、滑らかに繋がる技が多いからだ。

 ここに光線技が組み合わされると、どうなるのか?

 

 ゴモラが恐竜らしい大きな尾を振り、それをグレートが空手の受けで防ぎ、流しながらフィンガービームを放つ。

 フィンガービームがゴモラの口の中に命中し、ゴモラが悲鳴を上げた。

 流れるようにそこから放たれた掌底が、ゴモラを遥か彼方へ吹っ飛ばす。

 攻・防・光が流れるように一体化しているグレートに、生半可な攻撃は通じない。

 隙が見えないその強さは、暴走して残酷な暴力を叩きつけるだけのティガダークとは、あまりにも違う。一つの極みに至った者の強さであった。

 

それじゃあ(Well then)

 

 グレートは構え直し、竜胆が相手にしていた"撃ち漏らし"達をまとめて相手取る。

 

皆殺しか(Kill them all)

 

 そして、あっという間に全滅させてしまった。

 最終的に倒した数を見れば、星屑と大型バーテックスの半分以上は、グレートが倒した形になった。

 後衛の竜胆や勇者達を心配し、最前線で自分の受け持ちを急いで倒した後、仲間達のフォローに回ってくれたからだろう。

 そうして、グレートが"敵"の全てを片付けた頃。

 "味方"が、グレートに襲いかかった。

 

 理性の飛んだティガダークが、野獣のようにグレートへと襲いかかったのだ。

 

『■■■ッ―――!!』

 

 グレートは静かに、流水を思わせる綺麗な防御で、初撃を受けながす。

 

 獣のように吠える黒き巨人と、力強い空手の構えを取った白き巨人が対峙する。

 

 この戦いが……御守竜胆の初陣の最後を飾る戦いとなった。

 

 竜胆の初陣は、『ウルトラマンではない闇の巨人』として、『人々を守るウルトラマンに襲いかかる』という、仲間割れの戦いにて幕を下ろすこととなる。

 

 

 

 

 

 乃木若葉。桔梗の勇者。

 高嶋友奈。山桜の勇者。

 土居球子。姫百合の勇者。

 伊予島杏。紫羅欄花(あらせいとう)の勇者。

 郡千景。彼岸花の勇者。

 五人の勇者達。

 

 三ノ輪(みのわ)大地(だいち)。ウルトラマンガイア。

 鷲尾(わしお)海人(かいと)。ウルトラマンアグル。

 アナスタシア・神美(かなみ)。ウルトラマンネクサス。

 ケン・シェパード。ウルトラマンパワード。

 ボブ・ザ・グレート(自称)。ウルトラマングレート。

 全員の生死すら未だ不明の五人のウルトラマン達。

 

 御守竜胆と、彼ら彼女らとの共闘―――世界を守る共闘は、この日始まった。

 

 その始まりは、巨人同士の殺し合いすら含む、目を覆いたくなるようなものだった。

 

 

 




 『TV本編だとあの家名家って扱いだけどなんで名家扱いなん?』にちょっと独自設定を入れる系のわすゆ二次

【原典とか混じえた解説】

●ウルトラマングレート
 遠き彼方、どこかに存在するM78星雲ウルトラの星・光の国からやって来た光の巨人。
 他のウルトラマンと同じ"銀色の巨人"だが、体色の銀部分が"白い"という歴代ウルトラマンの中でも珍しいタイプであり、一部書籍で語られるホワイト族でもあるのでは、とも言われる。

 両手から光の剣を出して振るう、弓術の構えから光の矢を放つ、掌底を叩きつけて零距離光線を放つ、手を星の形にして星型ビームを撃つ、指を銃の形にして銃弾光線を放つ……等々、見栄えのする特徴的な光線技を多彩に保有する。
 特に敵の攻撃を凝縮して跳ね返す"マグナムシュート"は最も多くの敵を倒してきた技で、グレートの得意とする強力な技。
 また、日本の空手の型に非常によく似た格闘術を用いるため、非常にパワフルでスピーディな格闘戦も得意としている。

 その力は身体能力だけ見れば光の国の強さの頂点・ウルトラ兄弟さえも上回る……が。
 原作においてもこの作品においても、西暦の人間が起こした地球の大気汚染(人間は平気)と体質の相性が極めて悪く、そのせいで地球では活動時間制限ができてしまっている。
 全力スペックで戦うどころの話ではなく、三分間の肉体の維持にすら苦心しているレベルで、その衰弱は原作で宿敵ゴーデスに煽られるレベル。
 人間にとっては普通の空気でも、グレートにとっては猛毒に等しい。
 よって活動限界はティガダークと同じ三分間。

 それでもグレートは戦い続ける。
 地球で、環境を汚染した地球人を、守り続ける。
 別に理由なんて無い。ずっと昔からそうやってきた、ただそれだけだ。



●変形怪獣 ガゾート
 地球の電離層に住むクリオネのような生物『クリッター』が、人間の流した電波によって融合・突然変異・凶暴化を起こしてしまった結果生まれた怪獣。
 人間の罪によってのみ生まれる怪獣。
 大量のプラズマエネルギーを電気技として行使し、共食いも行い、人間も食う。
 最大の特徴は知性を持ち"友達と認識したものを食べようとする"習性を持つこと。
 人間がガゾートと友達になろうとして接触した場合、人間を友達と認識し、友達である人間を食らおうとする。
 全ては善意。
 捕食は友情。
 天の神が送り込んだ『人間と友達になれる』怪獣である。

●ソドム&ゴモラ
 超高熱怪獣ソドム、古代怪獣ゴモラ。
 ソドムはニューギニアの火山地帯に生息する怪獣。
 ゴモラは中生代の恐竜ゴモラザウルスの生き残りであり、ジョンスン島で発見された怪獣。
 共に地球出身タイプの怪獣である。
 この世界観においては、星屑の集合体で肉体を構築し、天の神に量産されている量産型。
 原典においてはソドムが防衛隊基地を高熱で追い詰め、ゴモラは大阪城を破壊した。
 天の神の運用においては、対基地怪獣であり対城怪獣。
 『ソドムとゴモラ』は、聖書において"大罪を重ね神に滅ぼされた"罪の街の名。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

再起 -リフォーメーション-

「心は簡単には捨てられない」
「捨てられるはずはない。その感情が……優しさであるのなら」

発言者:ヒビノ・ミライ
発言話:ウルトラマンメビウス10話『GUYSの誇り』


 黒い巨人の拳が振るわれる。

 心の闇でブーストがかかったティガダークの拳は、グレートの腕力さえも上回る。

 だが、格闘技の世界において拳は大抵の場合"受け止めない"。

 

 敵が10の力で殴って来た場合、これを真正面から受け止めるには10の力が要る。

 されど敵の拳を横から叩いて力を"散ら"せば、10の威力のパンチは1の力で無力化できる。

 ボクシングではこれを"パリング"、空手では"受け"と言う。

 ボクシングは内側に叩き落とすが、空手は基本的に外へと流す。

 グレートの"受け"は、ティガダークの獣じみた連撃を全て受け流していた。

 

 カウンターで、グレートの貫手による喉突きがティガダークに綺麗に決まる。

 

『ガッ―――■■■―――ッ!!』

 

 猛獣のように飛びかかるティガだが、グレートはそれを綺麗に投げた。

 地面にすら叩きつけない、ダメージ0の綺麗な投げ。

 一瞬一瞬の攻防が、互いの戦闘技量の差を明白にしていく。

 ティガが攻めれば攻めるほど、グレートのカウンターがティガの体に叩き込まれていった。

 

 ティガダークが一方的に攻め、ティガダークに一方的にダメージが蓄積されていく。

 グレートは防御とカウンターしかしていないというのに、あまりにも圧倒的だった。

 ティガが『暴』ならば、グレートは『力』と『理』。

 それは、例えるならば―――力任せに暴れる悪魔の獣を、技で制する人の姿。

 グレートの動きは豪快で俊敏ながらも地味な技の連続であったが、ティガダークの桁違いなパワーとスピードを技で圧倒しているがために、一種の感動すら覚えさせるものだった。

 

「球子、杏、怪我は響いていないか」

 

「タマは平気だぞ」

「私も大丈夫です。前に出ていなかったので」

 

 若葉は仲間を集め、仲間の状態を把握していく。

 戦いの前に軽い怪我を負っていた二人だが、問題は無さそうだ。

 

「友奈、千景、準備はしておけ。万が一の時はこちらも動く」

 

「うん!」

「……」

 

 友奈は元気だが、千景は無言だ。

 竜胆の参戦を一番喜んだのが千景であれば、それを一番に拒み苦しんでいるのも千景だろう。

 良い意味でも悪い意味でも、竜胆と千景は互いに対する影響が大きすぎる。

 若葉には、仲間であるはずの千景の行動が読めなくなりつつあった。

 

「若葉さん、カラータイマーが!」

 

 杏の声を聞き、若葉が巨人二人の胸を見る。

 グレートとティガの胸で、同じようにカラータイマーが点滅していた。

 

「グレートとティガダークのタイマー点滅タイミングは同じか……

 なら、グレートと同じで、活動限界三分、点滅から一分で限界に至るはず」

 

 カラータイマーは危険信号。ウルトラマンの活動限界を示す指標だ。

 これで、ティガダークの活動時間限界も確認できた。

 "ティガダークの危険性"同様に、大社がこの戦いで竜胆について確認しておきたかった事柄は、この時点で全て確認が完了された。

 

「ティガもあと一分で消えてくれるはずだ」

 

 敵も残っていない。

 残っていた最後の敵も、残り一人の巨人がカタをつけてくれていた。

 

「パワードは仕事人だな……残りもきっちり片付けてくれたか」

 

 あとは、長くても一分。この一分を乗り切ればいい。

 

「……?」

 

 若葉はグレートとティガダークの凄まじい攻防を見ながら、違和感に気付いた。

 

「あいつ……強くなっている……?」

 

「え? 若葉ちゃん、どういうこと?」

 

「友奈、フットワークと手先のスピードを集中して見てみろ。

 ティガの方は、どんどん速く、どんどん力強くなっている」

 

「……ホントだ」

 

「理性をもって戦い始めていた時は、このレベルじゃなかった。

 パワーもスピードも、明らかに十倍近くまで跳ね上がっている……」

 

 今やティガダークは凄まじい速さで跳び回り、恐ろしい腕力で殴り、絶大な闇を纏う闇の巨人と化している。

 勇者の力の補正がなければ目で追えない速度は、もはや瞬間移動に近く、その腕力は頑強な怪獣を一撃で粉々に粉砕するレベルに到達していた。

 戦い始めの頃は、流石にここまでおぞましい存在ではなかったはずだ。

 若葉と友奈の見ているものは違ったが、今のティガダークが何かおかしなものに変わっているということだけは、共通認識であった。

 

『■■■■ッッッ!!!』

 

「私は、御守さんのこの叫びが、なんていうか……

 どんどん憎しみが強くなって、苦しみが増してるように聞こえる方が、気になるかな」

 

「憎しみ? ……確かに、よく聞けば、そんな風にも聞こえるが」

 

 若葉は身体の強さを見ていた。だからティガダークの変化に気付いていた。

 友奈は心の叫びを聞いていた。だからティガダークの変化に気付いていた。

 杏は二人の会話を横で聞き、一つの仮説を立てる。

 

「あの、若葉さん。少しいいでしょうか」

 

「どうした杏」

 

「事前に聞かされていた、彼の情報からの推測になりますが……

 彼は心の闇で変身する闇の巨人・ティガダークであると聞いています。

 心の闇、というものがどう定義されるのか分かりませんが……

 憎しみ、苦しみ、敵意、殺意。そういうものが、彼を強くする力の源なのでは」

 

「!」

 

 若葉が強さを見て、友奈が心を見て、杏が正解と言っていい仮説を立てた。

 

「……杏の仮説が、正しいかもしれないな。

 暴走状態が、心の闇を制御できない状態であるとすれば……

 今の暴走状態は、心の闇が最も力を発している状態。

 逆に暴走を抑えて理性で戦っている時は、今ほどの力は出せないのかもしれない」

 

 ティガダークは心の闇を暴走させればさせるほどに、戦い方が邪悪になればなるほどに、スペックが上昇していく。

 逆に、良心や倫理はスペックを抑える枷にしかならない。

 だが暴走すればまともな精神状態で戦うことは不可能になり、獣のような戦い方をせざるを得ない状態となる。そうなればグレートの技の前に屈するしかないのだ。

 空手を始めとする格闘技とは、知性ある者の暴力を制圧するために発展したものであり、それに似通うグレートの体術が、人の暴力を圧倒できないわけがない。

 

 要は相性の問題だ。

 グレートは暴走したティガダークに対し相性が良く、暴走したティガダークはスペックの関係上バーテックスを圧倒できる。

 ティガダークがグレートに勝つには、もっと深く闇に落ちなければならない。

 だが、そんな風にしか強くなれないのであれば、その先に待っているものは―――

 

「タマげたな。じゃああいつは、憎い敵を殺す時だけ強いってことか?」

 

 球子がそう言うと、真っ青な表情をした千景が球子に掴みかかる。

 

「お、おい千景、何すんだ!」

 

「違う! そんなはずない!」

 

「離せよ千景!」

 

「憎い敵を殺す時だけ強いなんてこと、あるわけない!

 彼が……彼が一番強い時は! 私が見た、彼の一番強い背中は……!」

 

「千景!」

 

 球子に掴みかかる千景を、周りの皆が引き剥がす。

 友奈が、若葉が、杏が、千景を止める。

 

 千景には、この状況が耐えられない。

 大事な仲間だと思っている球子が、竜胆をそういう目で見ることが耐えられない。

 球子がティガダークに向ける"心底侮蔑した目"は、かつての千景が村の全員に向けられていた目と、どこか似通ったものだったから。

 

「違う……そんなんじゃない……そんな人じゃないのにっ……!」

 

 千景が苦しみの声を漏らし。

 

 戦う力の全てを削ぎ取られたティガダークが、倒れる。

 

「……『ウルトラマン』が、勝った」

 

 勝者のグレートが見下ろす先で、ティガダークの巨体が竜胆の体に戻る。

 グレートの空手は見事なもので、竜胆の体は打撲だらけではあったが、体へのダメージは最小限に抑えられていた。

 光線も使わず綺麗に気絶に追い込んだその技は、達人と言う他ない。

 

 気絶した竜胆を若葉が抱えようとして、千景がその手を弾いた。

 竜胆の気を失った体を、千景が抱える。

 守るようにして抱える。

 自分にはそれくらいしかできないと、言わんばかりに。

 

「千景……」

 

「来ないで」

 

 樹海化が解けていく。

 世界が元の形に戻っていく。

 結界の内部を塗り替え戻す光の中で、千景はとても悲惨に、とても弱々しく、少年を抱きかかえていた。

 

「……誰も、近寄らないで」

 

「ぐんちゃん……」

 

 敵を全滅させて勝利しただなんてとても思えない、後味の悪い戦いの終結だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目覚めた時、竜胆はまた椅子に縛り付けられていた。

 

「……ん」

 

 ここは丸亀城に用意された竜胆の宿舎であり、彼の部屋であり、彼のための牢獄である。

 竜胆が内側からドアや窓を自分の意志で開けることは許されておらず、彼を拘束しておくための設備がいくつも取り付けられている。

 複数の監視カメラと熱源探知の赤外線センサー、有事に使われる床下の爆薬など、竜胆にも勇者にも明言されていない備えも無数に仕込まれていた。

 

(随分拘束が甘いな……)

 

 左耳に空けられた穴に通されている発信機ピアスもそのまま。

 両手に付けられた頑丈な手錠もそのまま。

 胴体をしっかりと固定するベルト、腰を椅子に固定するベルト、足を床に固定する鎖と足枷が追加されているくらいだろうか。

 身じろぎ出来てしまう時点で、あまり厳重な拘束ではないと竜胆は考える。

 

 ブラックスパークレンスも無い。おそらく誰かに取り上げられている。

 それはまあ、当然のことだろう。

 竜胆はまた暴走してしまったのだから。

 

「……はぁ」

 

 また暴走してしまった。

 三年前の最初の変身の時とは違う。

 今度はちゃんと"暴走するかもしれない"と分かった上で、"暴走しないように"と心がけた上で、暴走してしまったのだ。

 言い訳などしようもない。

 自分の中にある闇に、竜胆は負けたのだ。

 

 三年前、竜胆の心の闇に引っ張られてティガの力は闇に染まり、巨人の闇が竜胆の心に闇の衝動を植え付け、それは三年間絶え間なく膨らんできた。

 彼の心の闇は絶大であり、生半可な怪獣では太刀打ちすらできまい。

 そしてそれだけ絶大な心の闇を、理性だけで完全に制御できるはずもない。

 

「……」

 

 グレートに圧倒された最大の理由はそこにある。

 

 ティガダークは自分の力に振り回される獣だったが、グレートは自分の力を100%完璧に使いこなせる武道家だったから。

 

「……ウルトラマン、か」

 

 輝く銀河の星、光の戦士ウルトラマン。

 グレートは竜胆の目から見ても、本当に素晴らしい戦士だった。

 ティガダークが勇者の方を向かないように、樹海の破壊を考えないように、ティガダークの攻撃が余計なものを壊さないように、常に気を使っていた。

 その上で、ティガダークに余計な怪我を負わせないように制圧してみせた。

 

 星屑の掃討や大型への攻撃・足止めなどの仕事もきっちりやっていた勇者も、一人残らず自分の仕事を完遂していた姿が、竜胆の記憶に残っている。

 ウルトラマンと勇者は、世界と人々を守るため、とても正しい行動をしていた。

 竜胆は自分とウルトラマンを比べ、溜め息を吐く。

 

(確かに、僕はアレと同じにはなれない。

 僕とウルトラマンが同種扱いされるのを怒る人の気持ちも分かる。

 共通点は巨人だってことくらいだ。

 綺麗だった。綺麗な光だ。あれは僕とは逆で……何かを守る時、強くなる類の者)

 

 竜胆の中の、その感情は。

 

 きっと『憧れ』というのだろう。

 

(強かった。それに優しかった。

 暴走してた僕は本気で殺す気で行ったのに……

 あっちにはまるで殺す気がなかった。

 体はまだ少し痛むけど、逆に言えば少し痛むだけだ。

 怪我が後に残らないように、的確な武術で的確な制圧をしてくれたんだろうな)

 

 ウルトラマングレート。

 

 竜胆が生まれて初めて出会ったウルトラマン、になるのだろうか。

 

(……僕が最初に闇の巨人として世界に現れたことで、どのくらい迷惑をかけたんだろう。

 そりゃ、大量殺人鬼の後追いだ。

 生半可な苦労じゃなかったはずだ。

 ……くそっ。

 なんで三年も、こんな当たり前のことちゃんと認識してなかったんだ。

 悪行はやって終わりじゃない。

 後を引くんだ。悪行ってのはやった後に何年も、誰かを苦しめることもあるんだ……)

 

 球子の言葉が、脳裏に蘇る。

 

―――お前のせいでな! お前が最初に現れた巨人だったせいでな!

―――後から現れた巨人は皆苦労したんだ!

―――みんなみんな、お前のせいで悪者の仲間みたいに扱われて……!

―――ずっと皆苦労して、逆境の中で頑張って、長い時間をかけて信用を勝ち取ったんだぞ!

 

―――皆……皆! タマでも見てんのが辛いくらい、頑張ってたんだ!

 

―――お前、それでもウルトラマンかよ! ……しちゃいけないことって、あっただろ!

 

(そうだよな)

 

 過去は変わらない。かけた迷惑が消えることはない。

 "あれ"に迷惑をかけたのだと思うと、少年の心は重くなる。

 今回、仲間や街までもを攻撃しかけたのだから、なおさらに。

 

(しちゃいけないことは、あったんだ。

 "どんな理由があろうとそれは許されない"ことっていうのは、あるんだ)

 

 どうすればいいのか。

 どう生きれば良いのか。

 どう死ねば良いのか。

 竜胆には、分からなってきた。

 彼は、自分を見失っている。

 

「ちょっといいか?」

 

 その時、部屋のドアが空いた。

 救急セットを持った小さな体の少女が、部屋に踏み込んで来る。

 竜胆を前にしても、敵意はあれど恐怖が見えないのは、その少女が勇気ある者だからか。

 小学生程度に小さな少女は、あの残虐な戦いを見せたティガダークその人を前にしても、毛の先程の怯えのすら見せていない。

 

「お前は……」

 

土井(どい)球子(たまこ)だ。覚えとけ」

 

 忘れるわけがない。

 最初に会った時、竜胆に彼の罪を()()()()()()()()少女だ。

 

―――杏寿(あんず)

―――タマミおねーちゃん!

 

 名前を聞くだけで、竜胆の胸が抉られ、トラウマが心を刺してくる。

 伊予島杏や土居球子と、竜胆が殺した子供の名前が少し似ている、ただそれだけで、竜胆の心には痛みが走る。

 

「お前が反省してるかどうか見に来させてもらったぞ。

 毎回今日みたいなことして、暴走したらタマんないからな」

 

「……」

 

「反省してるか? 反省してるよな?」

 

「……何か、勘違いしてないか」

 

「何?」

 

「反省しようと、後悔しようと何も変わらない。僕は何も変わらない。あれが、本当の僕だ」

 

 球子は一歩下がる。

 

 彼女は竜胆の言葉の中に、とても歪んだものを見た、気がした。

 

「本当の自分が何か?

 分からない。ずっと分からなかった。

 僕は正しく義に背かない生き方をしていこうと思ってた。

 間違っていることはちゃんと間違っていると言いたかった。

 ……でも僕は、結局、悪でしかない人間だったんだ」

 

 本心を隠していた竜胆の中にあった弱さと弱音が、一瞬言葉の中に混じる。

 球子は竜胆の言葉を聞き、彼の本質を見極めようとしていた。

 

「土居。悪は誰にとっての敵だと思う?」

 

「えー、なんだよ難しいこと聞いてきて……そりゃ『正義』じゃね?」

 

「僕は『善』だと思う。悪の敵が正義。善の敵が悪。正義の敵が悪だ」

 

 正義、悪、善とは何か?

 

「正義は見る人によって、正義にも悪にも見える。

 正しそうに見える正義でも、罪の無い人を多く犠牲にするなら論外だし……

 悪行でも、それで救われる人がいるなら、救われる人達にとっては正義だろう。

 ならどこで正義と悪を決めるか。

 それは『善』の人を対比に置いておかなければ決められない。善は守るべきものだから」

 

 闇の中で三年間、竜胆はずっと善悪について考えていた。

 

「善は、とても分かりやすいものだ。

 人殺しはしちゃいけないからしない。これは善。

 隣に居る人に優しくする。これも善。

 困っている老人や子供を助ける。これも善。

 死にそうになっている人の命を救う。これも善。

 ……友達を大事にする。きっと、これも、善だろう」

 

 控え目に言って、竜胆は自分自身を完全に見失っている。

 

「善の味方なら分かりやすく正義だし、善の敵なら分かりやすく悪だ」

 

 竜胆は自分が悪だと、盲目的に決めつけている。

 

「正義ってのは強い概念だから。

 悪人だって、正義を掲げて善人を虐げることはできる。

 正義は度々悪人の看板になる。

 正しさだ義だのと言っていたのに、その本質は憎しみで誰かを殺す人間だった僕のように」

 

 黙って話を聞いていた球子は、よく分からなくなってきた。

 この男が善なのか、悪なのか。

 ただ、まともでないことだけは理解できてきた。

 

「僕は正義も語ったし、悪にも堕ちた。

 そして人殺しであって、絶対に善人ではない。

 だから僕に反省を求めない方が良い。

 反省した僕が改心するなんて考えない方が良い」

 

 竜胆のこれは、釘刺しだった。

 救急セットを持ってきてくれた球子を、自分から遠ざけるための言い草だった。

 

 球子は、竜胆を嫌っている。

 だが同時に、心配もしてくれていたのだ。

 その手の中の救急セットがその証拠。

 竜胆が反省し謝罪する様子でも見せたなら、星屑に齧られた皮膚やグレートに殴られた箇所に、痛み止めの軟膏でも塗ってくれるつもりで持って来てくれたのだろう。

 

 球子にとって、それは優しい友達(伊予島杏)の真似のようなものであったが。

 竜胆はそこに、誰かの真似でない球子の優しさを見て取った。

 

「君は『善い奴』だな。

 『正義の人』とは違う。

 悪行に厳しいのが正義の人で、悪党にも優しいのが善人だ。君は優しい」

 

「な、なんだ藪から棒にっ」

 

「ありがとう、その気持ちだけで十分だ。だからもう僕に近寄るな。特に戦いの場では」

 

 だから、少年は冷え切った声で突き放す。

 

「踏み潰すぞ」

 

 要するに竜胆は、『善人には自分に近寄ってほしくない』のだ。

 そうなるくらいなら、孤独なまま死ぬ方がマシだと、そう考えている。

 

 竜胆にとっての"自分に近寄ってほしくない人"が増えていく。

 最初に千景。次に人の良さそうな友奈。善良であることが確認できた球子もそう。

 好意を持ててしまったから突き放す。

 球子にはその思考回路が理解できない。

 

「……なんだよお前……タマにはわけわかんないぞ……頭おかしいのか?」

 

「ああ」

 

「……なんでこんな問いだけスパッと言い切るんだよ、お前。お前への悪口だぞ」

 

「この世で一番嫌いな奴への悪口に同意することは、何か変なことか?」

 

「―――」

 

「僕は僕が嫌いだ。大嫌いだ。

 嫌いな奴にはできる限り苦しんで、償いの人生を送ってから悲惨に死んでほしいものだろ」

 

 少年は当たり前のように言い、少女は当たり前のようにその思考を理解できなかった。

 

 球子が竜胆が何を言っているか、何を考えているか、それを一部だけでも理解できるようになったのは、彼が彼の友達を話題に出し始めてからであった。

 

「ちーちゃんは、周りの皆と上手くやってる?」

 

「え、なんだ突然。……どうだろうかな。

 仲間としては信じられるけど、うーん……

 タマにはあんま心開いてない気がする。

 つか、あいつが心開いてんのは友奈だけって感じがするな」

 

「そっか」

 

 友達のことを話し出すと、少年は無自覚に声が優しくなる。

 千景の親しい友達が多くないと聞くと、少年は途端に心配そうな様子を見せる。

 "ごく普通の少年のような"挙動まで見せてきた竜胆に、球子は本気で混乱した。

 この少年の本質が、分からない。

 

「ちーちゃんのこと頼むよ、善い人。

 またなんか、泣きそうな顔してた気がするから。君、ちーちゃんの友達だろ?」

 

「友達、って」

 

「頼むよ」

 

 だけど、友達(千景)を想うその気持ちは本物だと、球子は思った。

 

 

 

 

 

 竜胆の部屋を出て、球子は小さな手で頭を掻く。

 部屋に来る前よりもっと、御守竜胆という男のことが分からなくなってしまった。

 

(あいつが分からない……間違いなく悪人、だと思うのに、悪人だと思えない……)

 

 球子は確信を持っていた。

 竜胆は悪人であると。

 確信を持っていた、はずだった。

 

 球子の感覚は正しい。

 あの心の闇は、間違いなく竜胆の一部だ。

 あの残虐な暴走は、竜胆の心の一部が原因で発生したものである。

 だが、それで竜胆の全てが語れるわけでもない。

 

 そもそもの話、竜胆は勇者達に地下室から出してもらってすぐ大社に運ばれ、大社から丸亀城に移送されてすぐに初陣に放り込まれ、そこで気絶・目覚めて今に至る。

 球子と竜胆は会話した時間を総計しても、おそらく30分に満たないだろう。

 彼と彼女の間には、あらゆる面で相互理解が足りていない。

 

(あいつ、心のどこか、壊れてるんじゃないか)

 

 土居球子は少し考えてから、御守竜胆と本気で向き合うことを決めた。

 

「あんずー? 居ないか……本借りるぞ」

 

 球子が向かったのは、伊予島杏の部屋であった。

 勇者は皆同じ宿舎に住まわされており、球子と杏は特に仲が良いために、互いの部屋を自分の部屋のように行き来している。

 そのため、互いの部屋に何があるかも知っていた。

 

 杏は脳筋と脳筋以下しか居ない初代勇者チームの中で、唯一の知能派である。

 かつ、無類の読書好きであった。

 その部屋は右を見ても左を見ても、壁を覆う大きな本棚に埋め尽くされている。

 

 その本棚も恋愛小説! 恋愛小説! 少女小説に恋愛小説! と、これでもかと頭の中ピンク色な嗜好向けの小説が並んでいるという、少女趣味の塊であった。

 本棚を見ているだけで目が滑るので、球子が覚えてるのは「必殺技みたいな名前だな」と思ったワザリングハイツというタイトルくらいのもんである。

 

 杏の趣味は読書だ。で、あるからこそ。

 昔の本も、探せばそこにある。

 球子は三年前にはよく出ていた、"御守竜胆についての本"を探した。

 日本全土の大部分が陥落したのは約半年前だ。

 三年前ならまだ、竜胆を責めたり、当時の事件の真相を追求する本がいくつも出ていたくらいには出版業界も余裕があった。

 

「お、あったあった。さて、読んでみて、と……」

 

 目当ての本を見つけて、球子はそれを読み始める。

 球子はページに詰まった活字を読んでいると頭が痛くなるタイプであったが、なんとか頑張って読み進めていた。

 

「……改めて見ても、ひっどいな。

 "悪逆非道の虐殺者"。

 "癇癪で罪も無い人を大量に殺した小学生"。

 "妹まで殺し、里親候補だった人まで殺害"。

 "親は既に事故死していて、そのせいで心が歪んだ最悪の悪魔"……」

 

 本の中で、千景の故郷のあの村の大人が、コメントを載せている。

 『我々は何も悪いことをしてなかったのに―――』

 『あの御守竜胆って子は村でも評判が悪く―――』

 『何が何だか分からない内に理不尽に皆殺された』

 と、竜胆の虐殺に、自分なりのコメントを載せている。

 家族を黒い巨人に殺された人の嘆きなど、目を覆いたくなるものがあった。

 それを読んだ球子は、竜胆は悪人であるという確信を、更に強める。

 

「ああ、こんなのもあったか。

 "少年法に守られた悪魔"……

 "本来は死刑で当然の極悪"……

 "巨人達の恥、唯一の悪人である巨人"……

 "矯正は不可能、法改正で死刑にすべき"……

 行方不明になったとかいう噂が流れて、なんか有耶無耶になったんだっけ」

 

 あの頃、竜胆は日本において誰よりも死を望まれた者であったと言える。

 紛れもない重犯罪者。

 とても分かりやすい悪人だ。

 球子が気になっているのは、自分の中にあった竜胆のイメージと、実際に会った竜胆のイメージが全く重ならないこと。

 そして、千景と竜胆はただならぬ関係にありそうだということだ。

 

「……千景は何か知ってるのか? 聞いてみるか……いや、答えてくれるのか、あいつ?」

 

 千景は昔のことを語らない。

 家族のことも話さない。

 と、いうか。

 高嶋友奈を除いた仲間全員と、深いコミュニケーションを取ってくれないのだ。

 その友奈が友好的なのに他人の事情や身の上に踏み込まないタイプなのもあって、千景の過去の境遇は周りにあまり知られていない。

 

 人には触れられたくない部分、というものがある。

 千景と竜胆の間にあるのはまさしくそれだ。

 そのくらいは、球子にも分かる。

 千景のそこに下手に触れれば、友奈以外の勇者なら平気で敵に回して大暴れしてしまいそうな予感があった。

 

 若葉の喉に鎌を突きつけていた千景の姿を思うと、その辺に無策で突っ込むのはちょっと怖い。

 

「んー……友奈に問い質させてみるのが一番かなー」

 

 球子は本を本棚から引っ張り出して散らかした杏の部屋をそのままに、片付けもせずふらっと丸亀城の外の街に出た。

 丸亀城の外の街は、まばらに見える人も活気付いている。

 自由に外出することすら許されていない罪人(竜胆)の姿を先に見ていたせいか、球子は今の自分が……自由な自分が、とても恵まれているように感じられた。

 

「あれ、球子?」

 

 そんな球子に、声をかける者が居た。

 その声に聞き覚えがあったから、球子は驚き振り向く。

 

「……真鈴さん!?」

 

 安芸(あき)真鈴(ますず)

 球子と杏と……そして"もうひとり"と旧知の仲である巫女が、そこに居た。

 

 

 

 

 

 三年前、世界が終わった崩壊の日、西暦2015年7月30日。

 その日、神に選ばれた勇者が生き残ることができたのは、勇者の力だけが理由ではない。

 

 若葉は幼馴染の巫女ひなたに導かれたから。

 友奈は四国外部の神に縁深い地・奈良の人間であったから。

 千景は竜胆が敵の全てを殺してくれていたから。

 そして球子と杏は、ある巫女に導かれてバーテックスの群れの中で合流できたから。

 その巫女こそが、安芸真鈴である。

 

 最高値の巫女適正を持つひなたにこそ及ばないが、土居球子と伊予島杏という二人の勇者を、大社に保護されるまで導いた功労者だ。

 明るく快活、面倒見も良い中学三年生。

 最優秀であるがために勇者とセットにされているひなたと違い、真鈴は大社の本社にずっと詰めて巫女としてのお役目を果たしている。

 そのため、球子や杏と関係浅からぬ仲でありながら、一年以上も会うことが敵わないという難儀な環境に置かれていた。

 

 球子からすれば、久しぶりに会った恩人になるわけで、会えただけでも嬉しく感じられる。

 

「やっ、久しぶり! 元気してた?」

 

「そりゃもう! タマに来たかと思えば真鈴さんは相変わらずだなあ」

 

「話す時間が欲しかったから予定より早くに来ちゃった。

 それに、確かめないといけないこともあったしね」

 

 安芸は私服で、謎のアタッシュケースを抱えていた。

 彼女は、実はお仕事の一環でここに来ている。

 丸亀城に"あるもの"を運ぶお仕事を、強引に自分がやると引き受けて、ここに来たのだ。

 なので、彼女が純粋に遊びに来てくれたんだろうと思っていた球子はタマげる。

 

「御守竜胆って人、どこに居るかな」

 

「……!?」

 

 安芸の口からその名前が出てくるだなんて、球子は想像もしてしなかった。

 

 球子に案内され、安芸は竜胆に割り当てられた部屋に入る。

 相も変わらず椅子に縛り付けられたままの竜胆が、安芸真鈴の顔を見て、心底驚いた様子を見せた。

 

「―――まっちゃん?」

 

「久しぶり、御守くん先輩」

 

「え? 知り合い?」

 

「まね。この人、一時期アタシの小学校にも居たからさ。

 ちなみに学年もクラスもおんなじ。

 ご両親が事故で亡くなるまでは……同じ習い事にも通ってて。

 ふざけて先輩後輩とか言ってたもんよ。ま、後々引っ越して行っちゃったんだけど」

 

 竜胆は親が死んだがために引っ越し、里親探しがなされ、その過程で千景のあの村を訪れた。

 なので当たり前のことだが、引っ越す前の知り合いも居て当然なのだ。

 球子、杏、安芸の地元は愛媛。

 千景の地元は高知。

 この二県は密着しているお隣さんである。

 しからば、そういうこともあるのだろう。

 

「僕の方は真鈴だからまっちゃんて呼んでたんだよなあ、懐かしい」

 

「御守っち、みもりん、御守くん、御守くん先輩、御守先輩、あとなんかあったっけ?」

 

「ねえよ」

 

「まあそんな感じ?」

 

「まあこんな感じだ」

 

「なるほど……タマげた。まさかこんなところに繋がりがあったとは」

 

 タマは三重に驚いた。

 まず、この二人が知り合いだったことに。

 次に、恩人だと思っていた安芸と悪人だと思っていた竜胆が、こんなにも真っ当な仲の良さと親しさを見せたことに。

 最後に―――竜胆が見せた笑顔に。

 安芸は気心知れた昔の友達であり、罪悪感なく付き合える人間であり、突き放す必要のない来訪者だ。だから竜胆も、つい油断して自分らしい笑顔を見せてしまったのだろう。

 

 彼が友達に向ける笑顔を見た球子の中で、"この男は悪人"という確信がどんどん揺らいでいく。

 うんうん考えている球子の視線の先で、安芸は竜胆との会話を続けていた。

 

「なんだか本当……色々あったみたいね」

 

「色々あったんだよ。だから……」

 

 竜胆の記憶の中には、妹の花梨と安芸が一緒に遊んでいた想い出もあった。

 彼が殺した妹。

 校舎の跡地から後にぐちゃぐちゃになった死体が発見された妹。

 安芸の友人だった御守花梨を、竜胆は殺した。

 

「……ごめん。まっちゃんと花梨が仲良かったのは、今でも覚えてる。だけど……」

 

「長くなりそうな話はいいわ」

 

「……」

 

「また会えて嬉しい。アタシが言いたいのはそれだけ」

 

「……まっちゃん」

 

「うん、また会えて嬉しい。生きててくれて、本当に良かった」

 

 安芸は、触れれば痛い部分には触れない。

 触れるべきでない部分に触れないようにして、竜胆が生きていたことを喜ぶ。

 それは、とても優しい話し方だった。

 竜胆の心の傷を避ける話し方だった。

 

「三年前はアタシも巫女の力に目覚めて忙しかったからね。

 ……事件と騒ぎに気付いたのは、随分後になってからだったよ」

 

「そっか」

 

「まあどうせデマだろうって思ってたけど」

 

「……えっ」

 

「やだなあもう、何か誤解とか誤報とかあったに決まってるじゃん。

 事件の残酷さが御守パイセンのキャラと合ってなさすぎじゃない?

 アタシは未だに"残虐非道の御守竜胆"とか非実在青少年だと思ってますよ」

 

「なん、で」

 

 竜胆は、呆然とも歓喜ともつかない表情を浮かべ。

 安芸は、朗らかに笑って当たり前のことのように話していた。

 

「だって御守先輩、バカじゃん」

 

「んんっ」

 

「悪者やっていけるほど頭良くないじゃん? 小学校のテストの点数も常にゴミカスで」

 

「少しは歯に衣着せろ!」

 

「何が一番バカかって……

 "自分のため"に他人に嫌な思いさせるのが大嫌いで。

 "自分のため"に悪事を働くことが絶対できないくらい苦手だったじゃん?」

 

「……っ」

 

「うちの学校の皆はニュースは絶対デマだって言ってたわよ。

 いやだって、ありえねーわ、御守先輩の性格考えろっての。

 できるわけないじゃんあんなこと。もうちょっと常識的なニュース流してほしいわ」

 

「―――!」

 

 竜胆はまだ15歳で、その人生の内3年間を暗闇の中で生きている。

 家の外で友人を知り合いを作った年数で言えば、長く見ても10年には満たないだろう。

 だが、その10年未満の時間の中で、御守竜胆という少年とちゃんと触れ合っていた人達は……その多くが、竜胆が悪者になっただなどという報道を、信じてはいなかった。

 竜胆は恐る恐る問いかける。

 

「……『もしかしたら』とか、一瞬でも思わなかった?」

 

「いやまったく」

 

 安芸はきっぱりと切り捨てる。

 

「ああでも、心配はあったかな。

 御守くんはほら、いじめられてる子がいたら世界全部と戦ってでも守る気配があったから。

 御守先輩くんは絶対悪いことに加担しないから、困った事になってるかもなー、ってさ。

 そういう心配はしてたわよ。

 正しくしないと、優しくしないと、ってこだわりすぎて死んじゃいそうな気配があったしね」

 

「……そっか」

 

「だってホラ、バカじゃん、御守先輩」

 

「うるせぇ」

 

 竜胆が思わず笑みを零して、安芸が笑顔になった。

 

「お、いい顔。なんか暗いなー、って思ったけど……

 今の笑顔は昔の御守くんっぽくて良かった。その顔ができるなら大丈夫そうかな」

 

「―――」

 

 竜胆が虐殺をしたのは事実だ。

 だが、事実だったとしても何も変わらない。

 安芸は過去に見た竜胆の善性を信じる。

 他人から聞いた竜胆ではなく、想い出の中の竜胆を信じる。

 "何か事情があったんだろう"程度に思うだけで、彼女はその事実を流して終わるだろう。

 

 竜胆は自らを恥じた。

 『安芸が信頼し好感を持っていた人物(じぶん)』を、心底嫌い全否定したことを、恥じる気持ち。

 彼女が好感を持ってくれた自分から、今の自分に変わり果ててしまったことを恥じる気持ち。

 そして、胸を張って彼女に向き合えない、今の情けない自分を恥じる気持ち。

 多くの羞恥が、彼の胸の内を渦巻いていた。

 

「真鈴さん、それ、マジな話なのか? だとしたらとんでもなくタマげるんだが」

 

「なーによ球子、アタシを疑うの?」

 

「いや、そういうわけでは」

 

「屋上から飛び降りて自殺しようとした後輩を、窓から飛び出してキャッチした話。

 雨水流すパイプ掴んで、後輩をキャッチしながら着地した話。

 それで手の皮ビリビリになって、落ちて足が折れて、第一声が『大丈夫か!?』だった話。

 血を流しながら心配してくれる御守くんに、なんか色々感じ入って号泣した後輩の話。

 その後の御守くん先輩の説得で以後自殺しなくなった後輩の話。

 その後来た救急車と御守先輩の超絶笑ったコント的やり取りの話、どれからしよう……」

 

「全部ひと繋がりの同じ話で僕の話じゃねえか……」

 

「あれはうちの小学校の伝説だもの」

 

 球子にはもう本当にわけが分からなくなってきた。

 せめてティガダークであんな残虐な戦いさえやらかしていなかったならば、こんな困惑はなかっただろうに。

 

「球子はニュースとか周りの人が言ってる話と、御守くんの性格が違い過ぎて戸惑ってる?」

 

「タマには信じられん」

 

「まーなんというか。

 正義の人だったよ。

 正しさと仁義、ってやつ?

 一つの正義が絶対って思わない人だった。

 正義で他人への攻撃を正当化するのが嫌いな人だった。

 で、他人にとっての正義とかも一々考えちゃう人だった。今でもそうだったりするかも」

 

「……」

 

「今のこの陰気で粗雑な感じは……ほら、御守パイセンも思春期だから。気難しい時期だから」

 

「まっちゃん、思春期で何でもかんでも片付けられるとは思うなよ」

 

 タマが信じられないようなものを見る目で竜胆を見て、竜胆が"顔向けできない"と言わんばかりに、二人から顔を逸らした。

 安芸のノリは軽く、竜胆の調子は重い。

 安芸は竜胆が変わっていないと思っているし、竜胆は自分が変わり果てていると思っている。

 そして安芸と竜胆の考えは、どちらも()()()()()()()()()()

 

「……あんましたくないけど、大社からの厳命だから。

 やらないともっと状況悪くなりそうだし……ごめんね」

 

 安芸は会話が一区切りついたところで、申し訳なさそうに、アタッシュケースから取り出した首輪を竜胆の首に嵌めた。

 

「これは……?」

 

「……爆弾」

 

「ああ、なるほど」

「!?」

 

 竜胆は首に付けられた首輪型爆弾に納得し、球子は驚愕した。

 

「いい? 御守先輩。間違えて爆発させることがないように、説明はよく聞いて」

 

「ああ」

 

「まずこれは、外部からの衝撃じゃ爆発しないわ。

 でもあなたが無許可で変身しようとすると0.000001秒以内に爆発するんだって。

 だから変身が完了する前に首が吹っ飛ぶ、そういう仕組みなんだって。

 段階を見て、その許可認証を出せる巨人と勇者を増やしていくって聞いてる。

 今認証を出す許可が与えられてるのは乃木ちゃんだけだから、そこは気を付けて」

 

「まあ、妥当な処遇かな。戦闘時以外の恒久的外出禁止とかも来るかと思ってたけど」

 

「爆発したら、本当に死んじゃうから……本当に、気を付けて」

 

 これが、暴走のペナルティ。

 まだ誰にも信じられていない竜胆に対する妥当な処置。

 無許可での変身には死が与えられるという、大社の合理的な対応であった。

 だが。

 球子は、そこに反感を覚えた。

 竜胆の耳に穴を空けて発信機を付けて、両手に手錠を嵌め、自由を奪い、爆発する首輪を付け……()()()()()()()()()()()()()()と、根っから優しい球子は、思ってしまったのだ。

 

「いや、これ……どうなんだ?

 ここまでやったら、流石に……人間扱いじゃないっていうか……駄目なんじゃないか?」

 

「……言いたいことは分かるわ、球子。

 でも今、大社は彼の戦力採用でかなりパッシング受けてるの。

 巨人が前の戦いで三人抜けて、市民も相当不安になってるって話よ。

 御守くんの身の安全のためにも、御守くんに首輪付けてるってことをアピールしないと……」

 

「平気平気。気遣ってくれてありがとな、まっちゃん、土居」

 

「「……」」

 

 今この瞬間、この三人の中で一番"竜胆みたいなクズは死んでもいいじゃん"と思っているのが、竜胆本人であるというのが、なんとも奇妙な話だった。

 

「ちょっと、外の空気でも吸いに行こうぜ」

 

 竜胆の提案で、三人が外に出ていく。

 球子は竜胆のことがちょっと分かった気になっていたが、また少し分からなくなってきた。

 何故この少年は、自分の首に即死級の爆弾を付けられて、付けられる前より安心した顔をしているのか。

 

 少年は大社から支給されたらしきカードを自動販売機に差し込んで、少女二人を手招きする。

 

「?」

 

「まっちゃんが好きな飲み物、これで良かったよな」

 

「! おおっ、細かいこと覚えてる男の子は好感触だね」

 

「土居は?」

 

「え、タマにもくれるのか? じゃ、適当にその辺りのを」

 

 二人の手の中に、暖かな飲み物が置かれる。

 ……少女二人は、知る由もなかったが。

 安芸が今日ここに来てくれたことで、少年の胸の中にも、暖かなものが置かれていた。

 

「ありがと、まっちゃん」

 

「え、どうしたの急に」

 

「思い出せた。再確認できた」

 

 千景と竜胆の関係は複雑過ぎて、深すぎる。

 その関係はシンプルから程遠い。

 だからこそ、昔の友人以上でも以下でもない安芸とのシンプルな関係が、竜胆にシンプルな感情を思い起こさせた。

 

 安芸が元気そうで良かったと、竜胆は思った。素直に思った。

 幸せでいてほしいと、素直に思った。

 そう素直に思える自分に、竜胆は少し驚き、納得した。

 まだ自分にそういう部分が残っていたということを、竜胆はちゃんと認識できたのだ。

 

「僕はまだちゃんと、普通の友達の幸せを、素直に喜べる人間だったんだ」

 

 逆に言えば。

 

「僕には、大切に思ってる物以外にも、大切な物がいっぱいあったことを、思い出せた」

 

 この再会がなければ、そんなことすら認識できていなかったほどに、竜胆の心はガタガタで、心の闇と闇の力に蝕まれていた。

 

「ありがとう。君のおかげだ」

 

「……何かしたっけ? と思うけど、どういたしまして」

 

 安芸が帰路につくまで、安芸と竜胆はずっと思い出話をしていた。

 

 球子はその間ずっと、その話を横で聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 安芸が帰った後、二人は丸亀城のベンチでちびちびと飲み物を飲んでいた。

 買った時は熱々だった飲み物も、すっかり冷めてしまっている。

 球子の中に最初はあった熱い怒りの如き敵意も、すっかり冷めてしまっていた。

 二人はベンチに並んで座り、互いに距離を測りかねている。

 

「なあ」

 

 竜胆が、球子に話しかける。

 

「その、さ。他の巨人……ウルトラマンって、どんな奴なんだ? 性格とか」

 

 その内容に、球子は溜め息を吐いた。

 呆れの溜め息であり、安心の溜め息であった。

 球子はこの瞬間にようやく、竜胆を"仲間を見る目"で見てくれるようになった。

 

「やっと仲間に興味持ったのか」

 

「え?」

 

「若葉が言ってたぞ。

 御守竜胆は仲間に興味すら持ってない、って。

 タマから見ても仲間のことも知ろうとしてないし、周りを見ようともしてなかったなお前」

 

「……うっ」

 

「そりゃ、暴走するや否や周りが見えなくなるのも当然だろ」

 

「……かもなぁ」

 

 安芸が来る前の竜胆であれば、一週間共闘しようが、一ヶ月共闘しようが、仲間のことを知ろうとなんてしなかっただろう。

 拗らせ方次第では、仲間を捨てて一人で戦うことを選んでいたかもしれない。

 

「でもちょっと安心したぞ。

 仲間のことなんてどうでもいい奴なんじゃないかって思ってたからな」

 

「!」

 

「お前、戦ってる時、仲間の方見ないで敵だけ凝視してるんだもんよ。

 暴走する前も暴走した後もそうだ。

 足元から見上げてるタマ達からすりゃそりゃ怖いって思わないか?

 タマ視点、お前は守るのに興味は無いけど殺すのは大好きって感じに見えたぞ」

 

「そんなっ! ……そんな、ことは……」

 

―――お前らの動きに興味は無い。僕も好き勝手に動くから、そっちも好き勝手にしてろ

 

 過去に若葉にそう言っていたから、竜胆は反論できない。

 球子の不安も、球子の安心も、その理由に納得してしまう。

 敵ばかり見ていた。

 敵だけを見ていた。

 仲間の個性に興味すら持っていなかった。

 

 バーテックスが罪の無い人を殺すことを恐れ、自分が暴走することを恐れ、親しくなった仲間を自分の手で殺してしまうことを恐れ、竜胆はひたすら恐れながら戦っていた。

 この三年間で竜胆から失われたものがあるとするならば。

 それはきっと、勇気だろう。

 敵に立ち向かう勇気があっても、"自分を信じる勇気"は彼の中から完全に失われている。

 

 それは、仲間を見ず仲間と向き合わず戦うという愚行に直結してしまっていた。

 

「……ごめん」

 

 素直に謝る竜胆の表情を覗き込んで、球子は何故か納得した様子を見せていた。

 

「友奈がさ」

 

「……?」

 

「お前はずっと泣きそうな顔してるって言ってたんだ。

 タマは何言ってんだこいつ、と思ったものだが。

 ……友奈の勘は本当にタマげる。今やっと、タマにも友奈が何言ってるのか分かったぞ」

 

「何を……」

 

「おっと、他の巨人がどういう奴らかって話だっけか。

 ガイアの変身者の三ノ輪さんとアグルの変身者の鷲尾さんは今は居ない。

 前の戦いで小惑星サイズの怪獣とかが沢山来たんだ。

 それを迎撃する戦いの最後で行方不明になったけど……誰も死んだとは思ってない」

 

「なんで?」

 

「ガイアとアグルはそう簡単に死ぬか。

 あの二人は強いからな、ハートもパワーも。

 三ノ輪さんに至ってはウルトラマン達のリーダー任されてたくらいだ」

 

「へぇ……」

 

 行方不明になっているというのに、生存が確信されている。

 単純な強さ以上に、信じられている"何か"があるのだろう。

 

「ネクサスの変身者のアナは、最近ちょっと心配だ。

 前の戦いで重傷を負わされて以来、塞ぎ込むことが多くなった。

 本当は明るくて快活な奴なんだけど、最近滅多に笑わないし、退院もできてない」

 

「ガイアとアグルが行方不明、ネクサスが重傷、と」

 

「で、グレートに変身するボブ。パワードに変身するケンが残ってる。

 ボブは音楽で世界を獲るとか言ってた筋肉ムキムキの黒人。

 ケンはにこやかな笑みが似合ってるでっかい白人だな。

 ケンが30代後半で、ボブが20代前半で、三ノ輪さんと鷲尾さんが高校生で、アナが小三」

 

「小三……って小学三年生!?」

 

「おう。明るい小三の良い子だぞ。

 退院したらお前も可愛がってくれタマえ。

 ボブはあんま日本語喋れないけど日本語勉強中だ。

 ケンは頭良いから片言だけどすぐに喋れるようになってたぞ。

 鷲尾さんは落ち着いた感じの高校生だな。

 三ノ輪さんは胸が大きい女の言うことなら大抵聞いちゃいそうな最低野郎だ」

 

「個性に溢れてるなウルトラマン……

 情報量で頭パンクしそうだ……え、ちょっと待て今最後になんか変なの混ざらなかった?」

 

「む、これで頭パンクって、もしや勉強苦手なヤツだなお前」

 

「おう、自慢じゃないが僕の頭は悪いぞ」

 

「親近感湧くじゃないか。まあ仲間のことなんだから頑張って覚えてくれタマえ」

 

「へいへい」

 

 ガイアの三ノ輪、アグルの鷲尾、ネクサスのアナ、グレートのボブ、パワードのケン、と覚えるのに苦労しそうな固有名詞を頭の中で繰り返し、竜胆は覚えていく。

 

グレート(ボブ)パワード(ケン)ネクサス(アナ)は外人さんなんだ。

 元は遠い国で戦ってたんだけど、そこが滅ぼされた後に日本に来てくれたんだぞ」

 

「そうなのか」

 

「まだ滅ぼされてない日本を守りに来てくれたんだ。ありがたいだろ?」

 

「……うん、そりゃ、間違いなく"善い人"だな」

 

 ガイアとアグルが日本のウルトラマン。

 竜胆のティガも日本のウルトラマンと言っていいだろう。

 グレート・パワード・ネクサスが外国から来たウルトラマンであるらしい。

 

「最初はお前のこともあって結構怪しまれてたりもしたけど……

 日本全国をずっと守ってくれてたから、皆次第に信じるようになったんだ。

 半年くらい前までは、日本の国土の大半は残ってたんだぞ。今はもうほとんどダメだけど」

 

「グレートの強さはもう見てる。あのレベルの巨人が何人も居たのに負けるもんなのか?」

 

「いや、前はマジでウルトラマン無敵だったぞ! 負けなんてありえないってくらいに!」

 

 ティガを除く五人のウルトラマンは、以前は無双していたようだ。

 

「ただ、なんて言うか……

 勇者システムが敵に合わせてアップデート、巨人の力参考にしてアップデート。

 バーテックスがウルトラマンの新技や勇者の対応に合わせて進化。

 んでバーテックスの新しい特性に合わせて勇者システムアップデート。

 バーテックスがウルトラマンや勇者の弱点を突くため進化。

 こんなこと繰り返してたから、ウルトラマンが追いつかれ始めたんだ、敵に」

 

「うっへぇ」

 

「ウルトラマンは基本的に鍛錬と新技で強くなるしかないからなー。

 ポンポン新しいのを出して来るバーテックスの方が、どうにも成長は早い気がする」

 

 勇者システムは改良できる。

 バーテックスは進化する。

 ウルトラマンは自らを鍛える。

 三年前の世界であれば、ウルトラマンは飛び抜けて強かったのかもしれない。

 それももう、昔のこと。

 追いつかれる前の、昔のことだ。

 

「以前はタマ達が死ぬ気で攻撃しても十二星座にダメージも通らなかったもんだ、うん」

 

「インフレ激しそうだな……

 ん? ちょっと待った。

 じゃあ四次元怪獣ブルトンってのが、四国結界を脅かすようになったのは……」

 

「割と最近だな。ブルトン倒したら次の脅威が現れそうな気もする」

 

「……」

 

「言いたいことは分かる。……タマんないよなこの繰り返し。

 でも言うぞ。はっきり言うぞ。タマ達の勝利条件は未だにハッキリしてないんだ」

 

 敵を倒す。

 もっと強い敵が来る。

 その敵を倒すと、もっと強い敵が来る。

 それを延々と繰り返し、地球のほとんどを敵に制圧されたのが今のこの世界だ。

 

 人はそれを、ジリ貧とも言うし、敗戦間近の末期戦じみているとも言う。

 

「どうすればタマ達の勝ちになるのか、未だに分からん」

 

「……なるほど」

 

「それでも四国が落ちたらヤバいし、タマ達は四国を死ぬ気で守るしかないのだ。

 四国以外で残ってる勢力なんて諏訪しか確認できてない。

 北海道と沖縄には生存者居るかも? って話はタマーに聞くな。日本の外は全滅したらしいが」

 

「それっぽく打開策になりそうなものとかはないのか?」

 

「さっき言ったアナって子いるだろ?

 小学生でネクサスの変身者の女の子。

 あの子が最近四国結界と樹海の強化を段階的にやってるって話だ」

 

「……ああ、なるほど。

 四国の結界が頑丈になれば、僕らが守る必要性が薄れるのか。

 そうすればこっちから打って出たり、敵の根本を叩いたりできるかもしれない?」

 

「うむ。まあ希望的観測ってやつだ。余計なこと考えてないで、今はブルトンだな」

 

「一回樹海で戦ってみて、ブルトンの危険性はよく分かった。

 神樹の神の力、だっけか。時間と空間を操る力。

 あれが四国を結界で守り、樹海化で街の時間を止め、街を守ってくれてた。

 時間と空間を滅茶苦茶にするっていうブルトンが、あれに干渉して来たら……」

 

 もしも、結界と時間停止という守りが失われてしまったならば。

 

「……僕が、街と人を、暴走で潰していたかもしれない」

 

 結界や樹海化の妨害、なんてことをされてしまったら。

 怪物は人を喰らい、街を壊し、竜胆も多くの人を暴走で殺しかねない"最悪"が来る。

 そういうものだ。

 

 飲み切った空のペットボトルを、球子が投げる。

 

「タマやお前や、皆が負けたら」

 

 投げられたペットボトルは、綺麗に自動販売機脇のゴミ箱に入っていった。

 

「樹海に守られてた全部が守られなくなって、皆死ぬんだ。真鈴さんも」

 

「―――」

 

「結界の外でも敵を倒して生きられるかもしれない、タマ達とは違う。

 街の力の無い人達は、神樹が倒されて、ここの結界が消えたらおしまいなんだ」

 

 後は無い。

 この四国に、後は無いのだ。

 決定的な敗北一つで、全ては終わる。

 

「タマにはお前の考えてることがさっぱり分からん!

 いつも陰気な顔でジメジメした雰囲気してるし!

 戦い方は気持ち悪い上にグロテスクで、最悪だ!

 仲間を踏み潰そうとするわ、街を攻撃しようとするわ……いいところはひとっつもない!」

 

「……だよな」

 

「でも」

 

 だが、まだ、終わってはいない。多くが失われても、未来はまだ残されている。

 

「今日、思った。守りたいものは一緒なんじゃないか、って」

 

「土居」

 

「立ち向かう敵が一緒で、守りたいものが同じなら、一緒に戦えるんじゃないか、って思った」

 

 安芸真鈴が、今日ここに来てくれたことで、球子は知った。

 自分と竜胆が、同じ人を守ろうと思えるということを。

 自分と竜胆が、同じものを守って戦えるということを。

 

「ん」

 

 球子が竜胆に手を差し伸べる。

 その手を取れば、球子は竜胆を一応は仲間と認めてくれるだろう。

 竜胆はその手を取りそうになった。

 手を伸ばしかけた。

 ずっと積み上げられていた"寂しさ"が彼を突き動かしかけたが、竜胆は必死に自らの手を抑え、伸ばしかけた手を引っ込める。

 

「僕は……僕の力を制御できない。

 暴走したら周りが見えなくなる。

 僕を信用するな。僕に、仲間として近寄ったりは―――」

 

 伸ばされ、引っ込められて戻っていく竜胆の手を、球子が掴んだ。

 

「―――」

 

「タマはお前を信じてない。

 これっぽっちも信じてない。

 でも仲間なら、最低でもほんのちょっとは信じる」

 

 誰だって知っている。仲間に何よりも必要なものは、『信頼』であると。

 

「次の戦い、タマと一緒に戦え」

 

「……君と?」

 

「タマはまだお前を信じられてない。

 あんずの背中をお前に任せたくない。

 あいつはタマよりずっと繊細で脆いんだ。

 だからタマは、お前を信じる理由か、信じない理由が欲しい」

 

「……僕は、僕が、信じられない」

 

 竜胆には、自分の手を掴むタマの手が、とても熱く感じられた。

 

「期待されたら、信じられたら、それを裏切るのが、怖い」

 

「お前……誰かの信頼を裏切るのが、怖いのか? 暴走が怖いのか?」

 

「今は、何もかもが怖いよ。

 敵も、自分も、周りの壊れやすいものも。

 本当は何も信じられないし、誰にも信じてほしくない。

 でも、また人が殺されるのが怖いから、戦ってる。それだけなんだ」

 

「……」

 

「君はほんのちょっとって言ったけど、君の信頼も怖い」

 

 握った手を握り返してこない竜胆の弱々しい姿に、タマはムッとした。

 残虐非道の御守竜胆に対する敵意、なんてものはもう無い。

 ただ、剥き出しになった竜胆の弱さを見て、見捨てておけない気持ちが湧いた。

 

「かっこ悪いぞ。そこは、こう……なんかかっこいいこと言え! 男だろ!」

 

「そう言われると、いや本当に情けない自分だな、なんて思うけどさ……」

 

「タマはしょっちゅう男の子みたいって言われる。

 女の子らしくしろと親に怒られるのもしょっちゅうだ。

 クラスの男子に男女と言われた回数も数え切れない。

 そのタマから言わせれば、お前には男らしさがちょっと足らないんじゃないか?」

 

「うっ、女の子にそう言われると胸が痛い……例えば、どういうのが男らしいのかな」

 

「ええっ、んー……?

 いや"信頼されるのが怖い"って信頼から逃げるのはダメだろ。

 "何が何でもこの信頼を裏切らない"って誓う方が男らしいんじゃないか?」

 

「おお、男らしい」

 

「なんでタマは女なのに男に男らしさ説いてるんだ……?」

 

「かっこいいぞ、土居」

 

「うん、あんまり嬉しくないな!」

 

「……ああ、そうだ。

 信頼されないように行動するより、信頼を裏切らないために頑張る方が、かっこいいよな」

 

 球子は未だに握り返して来ない竜胆の手を握りながら、思う。

 

 竜胆が善なのか悪なのか、正直言って球子は未だに判別がついていない。

 だが、一つだけ確信を持てることがあった。

 善だろうと、悪だろうと。

 この少年はきっと、『優しい』。

 この少年が『優しさ』を捨てることは、きっとできない。

 優しくない正義も、優しくない悪も、きっとこの少年は忌み嫌っているだろうから。

 

「お前の周りが見えなくなって暴走するっていう恐怖、ちゃんと分かったぞ。

 タマをちゃんと信じさせたら、お前の背中をタマが守ってやる。

 周りが見えなくなるって言うなら、なおさらお前の背中を守る誰かが要るだろ?」

 

「―――善い人だな、土居は、本当に」

 

「いやいや、そういうのじゃないから! 心底ー、って感じにそんなセリフ言うなよ!」

 

 球子が竜胆に対しそう思うのと同様に、竜胆もまた、照れる球子の優しさを感じ取っていた。

 球子はちょっと話を逸らす。

 

「カラータイマー。知ってるか?」

 

「カラー……タイマー……?」

 

「変身した後のお前の胸にあるやつだ。

 お前の体力や活動時間が残り少なくなると赤く点滅するやつだな。

 ウルトラマンには皆胸に付いてるんだ。赤く点滅するとピンチだってことになる」

 

「自分だけが知る分には便利だけど、敵にまでピンチ知られるとかなんて厄介な……」

 

「それ禁句! まーそうなんだけどさ。デメリットだけの物を皆付けてるわけないだろ?」

 

「?」

 

「タマはアレ、"ピンチだから助けてくれ"って仲間に知らせるためのもんだと思ってる」

 

「!」

 

「"お、ウルトラマンがピンチだ!"って、アレ見れば仲間はひと目で分かるだろ?」

 

 これは球子の個人的な考えである。

 真実である保証も、正解である保証もない。

 だが、球子の性格が垣間見える『球子なりの解釈』は、竜胆が自然と受け入れたくなるような、彼の好みの解釈だった。

 

「巨人は人間よりもずっとずっと、"仲間を信じて一緒に戦う"前提の奴らなんだ」

 

「そう、なのか」

 

 球子にとって、ウルトラマンの限界を知らせるカラータイマーは、ウルトラマンを周りの人が助けるためにある、そういうものであるようだ。

 

(カラータイマー……ピンチに助けを求める部分、か。

 僕は助けを求めてた? 誰に? ……仲間に?

 それとも巨人体のただの仕様?

 僕の中に『助けて』って気持ちがあった?

 ……バカな。無い。そんなものはない。

 被害者じゃなくて加害者の僕が、『助けて』なんて思うだなんて、そんなこと……)

 

「ピンチに助けてって素直に言わない奴でもカラータイマーは素直だからなー」

 

「おい出会って間もないくせに僕を素直じゃないやつ扱いすんのやめろ」

 

「あははっ」

 

 球子はなんとなくだが、竜胆と付き合う際の距離感を掴みかけてきたようだ。

 

「お前のカラータイマーが鳴った時は、タマとか千景とかが助けに来るさ。

 あ、暴走してなければ、の話だぞ?

 だからお前は頑張って暴走しないようにすること!

 お前はまだタマの信用を全く勝ち取ってないんだからな。分かったか?」

 

「……ああ」

 

「うむ、よろしい。

 お前が頑張ればタマも頑張ろう。

 周りが見えなくなりそうな時も、お前の背中はタマに任せタマえ!」

 

 竜胆は苦笑して――本人にはその自覚なく――嬉しそうに、頷いていた。

 

 仲間が出来てから少年の内に芽生えた、仲間と親しくなって、親しくなった仲間を暴走で潰してしまうんじゃないか、という恐怖。

 竜胆の中にあったその恐怖を乗り越える『勇気』の一欠片を、球子がくれていた。

 

 少年は、少女の手を強く握り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日が経過した。

 12/24、町の人々がクリスマスに賑わうにわかな活気の中、若葉は雪降る雲を見上げる。

 吐いた息も白くなる、寒空の下。

 若葉は白い息を吐きながら、白い建物に歩を進める。

 

 扉を開き、その奥で厳重に椅子に縛り付けられている竜胆に呼びかける。

 

「行くぞ。全員に集合をかけた。状況は全員が揃ってから話す」

 

 竜胆は枷を外してもらい、若葉の後に続いた。

 若葉の呼びかけに応えない竜胆は、どことなく感じが悪い。

 だが"作られたような感じの悪さ"で、どことなく悪ぶっている印象を受ける。

 城の外縁に繋がる屋外の石の階段を登る若葉を見て、竜胆は"つい"言ってしまった。

 

「乃木、雪降ってるから足滑らせないように気を付けろ」

 

 思わず吹き出しかけた若葉は悪くない。

 

「? なんだよ」

 

「お前という人間が分かってきた。

 悪ぶるのは仲間と距離が取りたいからか?

 だが、悪ぶる才能がない。お前の本来の性格は、言動や行動に滲み出ているんだな」

 

「……勘違いも甚だしいな」

 

 他人の心配をしてつい口を滑らせてしまう人間に、他人を突き放すことなどできるものか。

 

「この雪も結界の中のもの。

 神樹が作り出したものでしかない。

 本物の雪を見られるようになるのは、いつになることやら」

 

 神様の作った人造の天気……否、神造の天気に、若葉は思うところがあるようだ。

 そして竜胆は、天気ではなく若葉を見て、少し不安そうにしていた。

 

「乃木。前の戦いの時、グレートが来ていなかったら、お前は僕の首を刎ねてたか?」

 

「……ああ」

 

「良かった。なら、まだ、少しは保険があると思える」

 

 竜胆がほっとする。

 球子は竜胆に一つの道標を示した。

 だが、仲間との間に情が湧けば湧くほど、竜胆の中に膨らむ不安もある。

 "有事に自分を殺してくれる仲間はいるのか"という不安だ。

 暴走した自分をちゃんと殺してくれそうな仲間がいないと、竜胆は不安で不安でしょうがない。

 

「僕の戦いは、君の目にはどう映った?」

 

「凄惨だった。他人と共闘する者の戦い方としては、0点としか言えない」

 

「だろうなあ」

 

 だからだろう。

 竜胆が今のところ、乃木若葉を最も信頼しているようにも見えるのは。

 それは、彼にとって庇護対象である千景に彼が向ける感情とは真逆の気持ち。

 真っ直ぐで生真面目な若葉に対し抱いた、"彼女は介錯してくれるだろう"という信頼だった。

 

「だが、何故だろうな……私にはお前が他人のように思えなかった」

 

「え?」

 

「私は杏や球子のように、お前を恐怖や敵意の目で見れそうにない」

 

 この時の竜胆には、若葉のこの言葉の意味が分からなかった。

 

「竜胆。お前は、少しは私の介錯の刃を信じているんだろう?」

 

「……ああ」

 

()()()が来ればちゃんとお前の期待に応えてみせる。心配はするな」

 

 竜胆は若葉のことを多く知らない。

 彼女が仲間を攻撃できる人間なのか、できない人間なのか。

 彼女が、仲間が望むならその首を切り落としてくれる人間なのか。

 本当は、何も知らない。

 だが、堂々とした若葉の言葉が、竜胆に一定の安心を与えてくれていた。

 

「あ、ちーちゃん。早いね」

「千景か」

 

「……乃木さん、竜胆君」

 

 若葉に連れられた先には、既に千景が到着していて、携帯ゲームをやっていた。

 そういえばゲームが好きとか言ってたっけ、と竜胆は三年前の記憶を引きずり出す。

 千景の変わらないところに、竜胆は少し安心を覚える。

 そして雪降るクリスマスの空の下、傘を差して一人でゲームをやっている友達(ぼっちかげ)の姿に、ちょっと親心に近い心配を覚えた。

 寒くないだろうか、とかついつい思ってしまう。

 

「大丈夫? 今日結構冷え込んでるけど、厚着してる? 風邪引かないようにな」

 

「……そういうところよ、竜胆君」

 

「え、なんだそれどういう意味? いや風邪引かないようにって心配以上の意味は無いぞ」

 

「……そういうところよ」

 

 三年間地下に居た竜胆に、2018年現在のインターネットミームは通じない。

 千景は意味を解説して墓穴を掘るのを避け、沈黙に逃げた。

 千景は端的に言えばネトゲ厨であり、『郡千景』でエゴサをするし、匿名掲示板のスレッドも結構見ている、そんな勇者だ。

 竜胆の前ではちょっと立派な自分で居たい千景にとって、その辺はちょっと隠しておきたい自分であったらしい。

 

「ああ、そうだ、ちーちゃん」

 

「何?」

 

「前回の戦いの時、最後、僕の攻撃を避けようとしなかったよね」

 

「……」

 

「あれ、二度とするな。次にやったら本気で怒る」

 

「!」

 

 あれは、あれだけは、竜胆にとって許せないことだった。

 

「僕はちーちゃんを恨んでない。憎んでない。生きていてほしいと思ってる」

 

「―――っ」

 

「どんな時でも、それだけは真実だから。

 僕がどんなものに成り果てても……この言葉を信じて。

 僕が暴走して敵に回ってしまっても、この言葉を信じて、抵抗してくれ」

 

「……私は」

 

 千景は三年間、ずっと謝りたかった。

 竜胆は三年間、ずっと千景の心配をしていた。

 ならば、千景の行動が、こう受け止められてしまうのは当然のこと。

 二人は互いの歯車がまだ綺麗に噛み合っていないだけで、互いの幸福を願っている。

 

「……わかった」

 

「うん」

 

 千景が頷き、竜胆もほっとした様子で頷く。

 そこに千景をぼっちかげじゃなくしてくれた少女がやって来た。

 

「ぐんちゃんと御守さんって仲良いよね?」

 

「高嶋さん」

「げっ」

 

 高嶋友奈である。

 千景は表情を明るくして反射的に友奈の方に一歩踏み出し、竜胆は表情を固くして反射的に一歩足を引いた。

 

「御守さん、ぐんちゃんと仲良いんだね。かくいう私も、ぐんちゃんと仲が良―――」

 

「壁にでも話してろよ」

 

「し、辛辣!」

 

「どうせ僕はロクな返答しねえんだから同じことだぞ。

 百の善意で話しかけても一の善意さえ返さない男なんて放っておけ。

 お前の時間の無駄遣いにしかならないんだから、そこのところいい加減理解して……」

 

「あ、でも返答はしてくれるんだね。壁よりは優しそう」

 

「……」

 

 対友奈における竜胆の最も駄目なところは、竜胆に"徹底して悪役を演じる才能"が微妙に無いというところにあった。

 友奈はぐいぐい距離を詰めるタイプなので、竜胆は思わず距離を取ってしまう。

 良い子を見ると汚い自分には近寄ってほしくないと、彼はどうにも思ってしまう。

 それを見るたび、千景は少し悲しくなる。

 三年前の竜胆は、まさしく今の友奈のようなタイプであったことを、覚えているから。

 

「高嶋さん、彼には迷惑かもしれないから、ぐいぐい行くのはその辺に」

 

(ちーちゃんナイス! 空気を読んで助け舟が出せるとか、立派に成長したなあ……)

 

「あ、そうかな」

 

「そうだぞ高嶋。これに懲りたら僕から距離を取ることを心がけろ」

 

「ちょっと竜胆君。

 高嶋さんの好意を無下にしておいてその言い草は無いんじゃないかしら?

 それに高嶋さんが親しく話しかけてくれたことに嫌な気はしてないんでしょう、なら……」

 

「お前は僕を一体どうしたいんだ郡千景! 一貫性を持て!」

 

「え? 嫌な気持ちはないの? うーん、ぐんちゃんも御守さんも難しい……」

 

 千景が竜胆にも友奈にも助け舟を出すせいでしっちゃかめっちゃかになってきた。

 竜胆の味方もしたいし、友奈の味方もしたい、どっちにもいい顔したいし、どっちにも嫌われたくない。そんなコミュ障千景の今日この頃。

 千景は二人に同時に"これでもか"と好かれるのが理想なのだがそんな上手く行くわけもなく。

 

 そうこうしている内に、竜胆に唯一『近くに来るな』と言われなさそうなポジションを獲得した球子と、未だに竜胆に恐怖心を抱いている杏もやって来た。

 

「おっ、なんか盛り上がってるな。タマも混ぜろ!」

 

「タマっち……」

 

「先輩付けろあんず!」

 

「タマっち先輩今日なんでそんなに気合入ってるの?

 戦いの前からもう変身してるし……気合いが半端じゃないよ」

 

「いいだろ別に、タマには最初から気合い入ってたって!」

 

 球子は既に勇者衣装に変身済み。

 他の勇者が制服なだけに、なおさら目立つ格好だった。

 丸亀城では勇者達に対し戦闘訓練と義務教育の両方が行われるため、皆基本的に学生服なのだ。

 なので球子の勇者衣装は結構浮いているが、それを気にする球子でもない。

 

「HAHAHA!」

 

 そして待たれていた最後の一人もやって来た。

 ボブ・ザ・グレート(自称)(本名不明)である。

 

楽しそうじゃねえかお前ら(Seems like you're having a great time)

 

「ボブ!」

 

 周りの反応を見る限り、ボブは球子と杏と仲が良さそうに見えた、が。

 

(うおっ)

 

 ここで初めてボブの姿を見た竜胆は、ちょっと気圧された。

 竜胆の身長は中三ながらに176cm。ところがボブはゆうに180半ばはありそうだ。

 黒人にドレッドヘアというだけで威圧感があるのに、筋肉も相当にあり、拳の骨の分厚さは人を殴り慣れていそうな印象すら受ける。

 格別小さい147cmの球子と並べると、40cm近い身長差があり、まさに小人と巨人である。

 ボブは二十代半ばを過ぎているので、年齢でも球子の一回り上の大人であった。

 

 一瞬気圧された竜胆の肩に手を置き、ボブは朗らかに笑う。

 

頼りにしてるぜ(I’m counting on you)

 

 朗らかな笑顔。子供を緊張させないための落ち着いた声色。

 そして、子供にも分かりやすい単語を選び、ゆっくり話し、リスニングをしやすくした話し方。

 分かる人には分かる、丁寧な気遣いが見える話し方であった。

 

「は、はい!」

 

 なお、2015年度時には竜胆の通っていた小学校で英語教科はなく、竜胆は英語教育を受けたことがなかったため、ボブが言っていることはさっぱり分からない。

 なんか分かったふりして頷いてるだけだ。

 千景だけがそれを見抜き、呆れた顔をしていた。

 

 対しボブはそんな少年の内心を知ることもなく、元気な返事に満足そうに頷いて、少年の頭をガシガシ撫でる。

 そして、何かを言った。

 

「―――」

 

 何かを言って、ボブは竜胆から離れて若葉の方に話しかけていく。

 

「土居、今あの人なんて言った?」

 

「……ちょっと待て。

 ボブの言葉を理解するため、タマはいっぱい勉強したのだ!

 結論、勉強は楽しくない。英語は特に。まあ翻訳はタマに任せタマえ! ええっと……」

 

 ボブの少し長かった英語の台詞を、球子はゆっくり頭の中で噛み砕き、翻訳した。

 

「『暴走しても何度でも止めてやる、安心しろ』……だってさ」

 

「……!」

 

「ボブのタマらん頼りがいのある言葉であった」

 

 "暴走するな"、ではなく。

 "自分が何度でも止めてやる"、という言葉。

 それが竜胆の肩の力を抜いてくれる。

 ボブは堂々と、敵を殲滅し、仲間を守りながらでも、竜胆の暴走を止めて見せると言い切ったのである。

 

 大人だ。ボブは大人なのだ。

 子供のヤンチャを止めるのは大人の仕事だと、ボブは認識している。

 竜胆は撫でられてクシャクシャになった髪を撫でつけて、自分の手よりも遥かに大きかった大人の手の平の感触を、思い出していた。

 

「英語勉強しようかな。僕、元から頭悪い上、中学校にも行ってないからなあ」

 

「タマが勉強教えてやろうか?」

 

「え、土居って勉強できんの? 見えねえ」

 

「タマより勉強ができなそうな奴はそうそう居ないからな。

 これを逃せばタマが誰かに勉強を教える機会とか一生なさそうだ」

 

「……そういう理由で他人に勉強教えようとするやつとか初めて見たぞ!」

 

 はぁ、と少年は溜め息一つ。

 

「よろしく、"タマちゃん"。勉強苦手な上に小学生レベルの男なんで、よろしく頼むよ」

 

「!」

 

 呼び名が変わった。

 少年はまた変わり始めている。きっと良い方向に。

 その変化が良い結果に繋がるか、悪い結果に繋がるか、今はまだ分からないけれど。

 

「全員揃ったか」

 

「ケンがまだ来てないぞ若葉」

 

「ケンは今回不参加だ。追って説明するぞ」

 

 若葉曰く。

 

 本日ウルトラマンパワードは四国結界の外、いわゆる"壁の外"の調査に向かっていたらしい。

 ブルトンの現在位置等も確かめておかなければならないので、当然の調査である。

 ところが、運が良いのか悪いのか、敵の侵攻タイミングと調査のタイミングが被ってしまったのだとか。

 

 パワード変身者ケン・シェパードは調査を中止して接敵、交戦。

 敵を一定数減らしたものの、全滅させられないまま三分の限界が来てしまい、四国に帰還して敵の襲来を教えてくれたのだそうだ。

 こういうところでウルトラマンの三分はネックになりがちである。

 パワードは三分間が経過したため、今回の戦闘には参加できないらしい。

 

「参加できない……?」

 

 少し首を傾げた竜胆の袖を、千景がちょこんとつまんで引いて、彼に自分の方を向かせる。

 

「竜胆君。巨人は連続で変身ができないのよ」

 

「そうなのか? やったことないけど、僕も?」

 

「多分、貴方も。

 三分しか戦えない巨人は、連続で変身すると肉体に異常な負荷がかかるの。

 負荷を自覚できなくても、変身できなくなることも多いわ。きっとあなたも同じ」

 

「そうなのか……教えてくれてありがと、ちーちゃん」

 

「変身は一日に一回、三分間のみ。気をつけて」

 

 若葉が皆をここに集めたのは、パワードが撃ち漏らした敵を、皆で迎撃するためだ。

 

「敵がすぐに来る。パワード抜きだが、我々だけで迎撃するぞ」

 

 元より、偶発的に発生した戦闘で発覚した侵攻だ。

 敵はすぐそこまで迫っていると思われる。

 そう若葉が伝えるやいなや、世界の時間が止まった。

 

「って、言ってる傍から来たー!」

 

 友奈がびっくりして声を上げ、時間の止まった世界が神樹の根に覆われる。

 時間の停止と神樹の加護が、四国の街と人々を守る。

 竜胆の目には、それが、何故か。

 神樹が自らの一部()を使って、体を張って、人々を守っているように見えた。

 

「行くぞ!」

 

 かくして、変身済みの球子を除いた勇者が端末に触れ、巨人が変身アイテムを取り出し。

 

 時間の止まった樹海の中に現れた怪獣が、何かを放出した。

 

 

 

 

 

 その瞬間、勇者達の取り出した端末……変身に使われるアプリケーションが入ったスマートフォンの電源が、一斉に落ちた。

 

「何?」

 

「あれ?」

 

 若葉が首を傾げ、スマートフォンを叩き始める。

 杏もまた、動かない端末の電源ボタンを何度もカチカチ押していた。

 

「あれ? 動かない? ぐんちゃん、私の端末が……」

 

「私の方も動かないわ……これは、いったい?」

 

 友奈も千景も、端末は動いていない様子。

 竜胆は今の一瞬、敵側の攻撃に対し瞬時に対応。

 自らの属性に沿った"干渉"……一概に言ってしまえば、闇を薄く放出しての防御を直感的に実行し、防いでいた。

 よく分からないまま防いだがために、竜胆はその攻撃が何であるかすら、正確には把握していなかったが。

 

「今、何か空中を走ったな。目には見えない何かが。

 思わず防いじゃったけど、ほんの僅かにだけどピリっとした」

 

 その言葉がヒントになって、この中で最も知識豊富な杏が何かに気付いた。

 

「ピリっと……まさか」

 

 杏がポケットの中の音楽プレイヤーを取り出す。

 スマホだけでなく、そちらも壊れていた。

 クリアパーツの奥を覗けば、音楽プレイヤーの電子部品の一部が壊れているのが分かる。

 知能派の対極ばかりな仲間達と違い、杏はあっという間に真相に辿り着いていた。

 

「若葉さん! これはEMP攻撃です!」

 

「いーえむぴー?」

 

「電磁パルスです! 強力な電磁波で、スマートフォンの中が焼け付いちゃったんですよ!」

 

 強力な電磁波は、大抵の場合人間には無害だが、精密な電子機器の中身をぶっ壊してしまう。

 これは核兵器の使用時などに発生し、単純な破壊以上の被害をもたらすものだ。

 説によっては、核兵器による物理的な破壊よりも、核兵器の電磁パルスによる電子機器破壊によってもたらされる被害の方が大きくなる、と言う者もいるくらいだ。

 

 これが、EMP攻撃。

 今勇者達がされたもの。

 電子機器を破壊する強力な電磁波の放射。

 ()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()勇者への封殺攻撃であった。

 先に変身しており、端末を勇者衣装のポケットに入れていた球子のもの以外は、勇者の端末全てが焼き付いていると考えていい。

 

「なんという……恐ろしいな、いーえむぴー」

 

「多分タマちゃん先輩以外は誰も変身できませんよ、勇者に!」

 

「くっ、奴らまた新種の手を打ってきたか……!」

 

 遠目に見える限りでは、樹海を進んで来る大型バーテックスは前回竜胆が戦ったソドム・ゴモラ・ガゾートのみ。大型は他にもいそうだが星屑の群れに阻まれて見えない。

 星屑は実に二千弱は飛翔していた。

 

「ああ、そういう」

 

 竜胆は味方の現状と敵の現状を見比べ、納得した。

 

「勇者を変身不可にして頭数を減らす。

 とにかく雑魚の数を多く揃える。

 そうやって、頭数の減った人間側を翻弄する。

 星屑もこんだけ居れば、どんな攻め方だってできるだろうな……」

 

「やっべ、タマだけかよ動ける勇者!」

 

「僕と、グレートと、タマちゃんだけだな。気合い入れないとダメそうだ」

 

 あいつら進化でタマーにこういう対策打ってくるんだよなー、と球子が頭を掻く。

 杏が心配そうに、球子に声をかける。

 

「タマっち先輩、大丈夫?」

 

「おう、あんずは皆と一緒に隠れてるんだぞ。タマに任せタマえ!」

 

「……気を付けて」

 

 丸亀城は樹海化中も神樹の根に完全には覆われていない。

 防衛拠点でもあるここなら、戦えない人間も隠れる場所はある。

 ボブは未だに心配そうにしている杏の頭を優しく撫で、力強く胸を叩いた。

 

心配するな(Not to worry)

 

「ボブ……」

 

 ボブが敵の軍勢を睨み、若葉は竜胆の首輪に指を当て、変身の許可認証を出す。

 これで首輪は爆発機能を一時的に止め、竜胆は変身が可能となった。

 

「認証、と」

 

「乃木、僕はどうすればいい?」

 

 若葉は顎に手を当て考える。

 この状況では作戦よりも、リーダーが決める"どういう方向性を持って戦うか"が重要になる。

 若葉は堅実に、妥当な方向性を定めた。

 

「……ティガダークを一番前に出そう。

 今度はグレートを最終防衛戦に使う。

 理性を維持できるウルトラマンに防衛戦を任せないと、一気に瓦解しかねない。

 私達はここで端末が再起動できないかどうか、色々と試してみる」

 

「分かった」

 

 周りにあるもの全てを破壊する暴走をしかねないティガを、一番前に。

 これなら暴走しても敵の被害は最大、それ以外への被害は最小になる。

 後衛の防衛戦にグレートを配置し、後は……三分間で敵を殲滅できるかどうか、だ。

 流石に球子一人では、できることにも限界がある。

 

「気を付けて!」

「気を付けて」

 

 友奈と千景が前回の戦いを思い出し、不安になりながらも努めて信じようとして、戦いに臨む竜胆に声をかけようとし、ハモって、二人して笑っている。

 

「ハモった!」

「……ハモったわね」

 

「仲良いな君ら」

 

 竜胆も自然と笑っていた。

 球子も仲間達に声をかけられている。

 ボブは逆に、皆に声をかけて皆を勇気付けていた。

 

 丸亀城に敵が迫る。

 竜胆とボブが、変身アイテムを取り出した。

 竜胆は神器ブラックスパークレンス。

 ボブはペンダントのデルタ・プラズマー。

 

 水晶のような透明感に、闇のように黒い大理石風のラインが入ったブラックスパークレンス。

 純銀のような三角形に、翠の宝石を嵌めたような形のデルタ・プラズマー。

 二つは色合いと輝きだけを見ても、対象的だった。

 

一緒に変身といこう(Let's change together)

 

「はい!」

 

 ボブが呼びかけ、竜胆が応える。

 バカの竜胆には英語の意味がまるで分からなかったが、とりあえず元気よく返事をしておいた。

 少年の良い返事に、ボブが"アメリカン"な良い笑顔を浮かべる。

 

 竜胆とボブは並び立つ。

 ボブはペンダントのデルタ・プラズマーを握り、目を閉じた。

 対し竜胆は、ブラックスパークレンスを見つめ、自分の内側を見つめる。

 

(頼む、闇よ。お前が僕の言うことを聞かないなんて今更だ、だけど)

 

 竜胆の中で闇が膨らみ、ボブの手の中のデルタ・プラズマーが、プラズマ状の緑光を外部へと放ち始める。

 また、御守竜胆の心の中で、戦いが始まる。

 

(僕の祈りは裏切っても……僕を信じてくれた人だけは、裏切らないでくれ)

 

 両の腕を時計回りに大きく回し、竜胆はブラックスパークレンスを掲げた。

 デルタ・プラズマーから弾けた光が、ボブの体を包み込む。

 

 

 

「―――『ティガ』」

 

 

 

 光の爆発の中から生まれるように現れる、白きウルトラマングレート。

 闇の柱の中から拳を突き出し現れる、黒きティガダーク。

 二人の巨人が、丸亀城を挟んで並び立つ。

 

 ティガダークの身長は53m、グレートの身長は60m。

 人間で言えば159cmと180cm程度の身長差だ。

 だからか、並び立つグレートとティガはどこか、似ていない白黒の兄弟のようにも見えた。

 

『ぐっ、うううっ、ウウウッ、ぎっ、ギッ、ぐううウううウううっッ……!』

 

 苦悶する竜胆。

 グレートは進撃する敵を待ち受け、防衛戦を作る。

 暴走の抑制に苦しみながらも、ティガダークは前に出た。

 ティガダークを狙う敵、迂回して丸亀城や神樹に向けて進む敵、ティガダークに襲いかかられたがゆえに迎撃以外の選択肢が消えた敵。

 敵は各々が各々の反応を示す。

 

 竜胆は正気と狂気を行ったり来たりする精神を、必死に正常に保ちながら拳を引き絞る。

 チカチカと意識が点滅する。

 闘争心を高めるだけで、理性が吹っ飛びそうになる。

 

―――タマはお前を信じてない。

―――これっぽっちも信じてない。

―――でも仲間なら、最低でもほんのちょっとは信じる

 

 だが、一歩進むたびに、仲間の言葉を思い出し。

 

―――タマはまだお前を信じられてない。

―――あんずの背中をお前に任せたくない。

―――あいつはタマよりずっと繊細で脆いんだ。

―――だからタマは、お前を信じる理由か、信じない理由が欲しい

 

 球子の言葉を思い出し、歯を食いしばる。

 

―――いや"信頼されるのが怖い"って信頼から逃げるのはダメだろ。

―――"何が何でもこの信頼を裏切らない"って誓う方が男らしいんじゃないか?

 

 闇の力が、心の闇を片っ端から励起させ、暴走させようとする。

 歯を食いしばってそれに耐え、周りをちゃんと見るようにする。

 

―――タマをちゃんと信じさせたら、お前の背中をタマが守ってやる。

―――周りが見えなくなるって言うなら、なおさらお前の背中を守る誰かが要るだろ?

 

 殺したいから殺すのではなく。

 壊したいから壊すのではなく。

 もう二度と、()()()()()()()()()()()()に。

 自分自身という悪魔にも殺させないために。

 

 人を守るために、人を殺す敵を殺して、人を守る。そのために殺す。

 

―――だからお前は頑張って暴走しないようにすること!

―――お前はまだタマの信用を全く勝ち取ってないんだからな。分かったか?

 

 理性をもって、ティガダークは接近したゴモラの顔面を殴り抜いた。

 

『くっ、クソっ』

 

 だが、ゴモラは即死しない。

 ゴモラが強靭な恐竜怪獣であるというのもあるが、それだけではない。

 今のティガダークの腕力は、強力なウルトラマンと比べてもその上を行くだろう。

 されど暴走していた時ほどの腕力はまるでない。

 心の闇が抑えられているからだ。

 

 絶望すればするほど、憎悪すればするほど、ティガダークは強くなる。

 しからば仲間のために戦うティガダークが、過去最弱になるのは当然のことである。

 ゴモラは痛みに呻いたが、死にはしなかった。

 ティガダークはもう一発ゴモラの顔を殴るが、それでもゴモラは叫ぶだけで死にはしない。

 

『くそっ、くそっ、くそっ、まともに戦ったらこんなもんかよ、僕は!』

 

 竜胆は心の中で自分自身と戦いながら、敵とも戦わねばならない。

 必然的に、敵の前で苦しみ、止まってしまうこともある。

 

『ぐっ……くっ……暴走、して、たまるか!』

 

 止まってしまったティガダークを狙って、ゴモラが鋭い歯で噛み付こうとする。

 身体強度の低下したティガダークの皮膚など、容易に貫ける鋭い歯だ。

 そうして、無防備な闇の巨人へと古代恐竜の歯が突き立てられ――

 

 

 

「ぶっ飛べ、『輪入道』!」

 

 

 

 ――る、寸前に。

 その顔面に、燃える炎の円盤が叩きつけられた。

 それは、巨大化し燃え上がった球子の旋刃盤。

 

 彼女が精霊・輪入道の力を引き出した結果、普段は少女が手に持てるサイズであった旋刃盤は一気に巨大化し、10m近いサイズになってゴモラの顔面に激突したのだ。

 旋刃盤の周りでは燃える炎の刃が回転しており、これがゴモラの顔面を焼きながら切り刻む。

 怪獣にすら通じるその大火力は、まさしく炎の竜巻(トルネード)

 ゴモラは絶叫し、ティガダークに噛み付くのを中止して、たたらを踏んだ。

 

「見たか! これぞタマの『切り札』だ!」

 

『タマ、ちゃん……?』

 

 球子がティガダークの肩に着地する。

 仲間の声を聞き、竜胆の心が正気に寄った。

 

 土居球子と伊予島杏の精霊攻撃は、特に大規模攻撃に特化している。

 この二人が戦死すれば勇者達の総合火力が洒落にならないくらい下がってしまう、と言われるくらいには、中距離・遠距離間での火力を想定されている勇者なのだ。

 その火力は、当て所を考えれば大型バーテックスにさえ致命傷を与えることが可能である。

 

 球子は巨大化した旋刃盤を高速でティガダークの周りに飛翔させ、ティガに群がろうとする敵を蹴散らし、ティガを守る。

 旋刃盤を足場にして飛び乗って、巨人の肩の上から巨人の頬をぺちぺち叩いた。

 

「平気か?」

 

『……まだ、平気っ』

 

「よし。一緒に戦うぞ! タマには男らしいとこ見せろよ、ティガ!」

 

『……っ、分かった、カッコつけてやるよ! カッコよくても惚れんなよ、女の子!』

 

「惚れるかバーカ!」

 

 心の闇を振り払うように、球子の炎を目指すように、ティガダークが一歩を踏み出す。

 

 古来より炎は、闇の中で惑う人間を導く目印である。

 それは星のような"最初から自然にあった目印"ではなく、"人が作った人のための目印"だ。

 どんなに暗い闇の中でも、人は炎を目指して歩けば、迷わず真っ直ぐ歩いて行ける。

 多くの神話の中でも、炎は人を闇の中で導く目印となった。

 

 火を灯すとは、そういうことだ。

 心の闇の中で迷う竜胆を、球子の炎が導く。

 闇の中で、少女の炎と言葉が道標になってくれる。

 顔面が燃え上がっているゴモラに向かって、ティガダークが踏み込んだ。

 

 その瞬間、不思議な感覚があった。

 力を抑えることを意識しなくても、力が自然と制御できている。

 自然と力を抑え、自然と力を出し、自然に最良の一撃を出せた一瞬があった。

 ティガダークの突き出した拳の周りに、闇の光輪が発生し、それがゴモラの首に直撃し―――ゴモラの首が、回転する闇の光輪によって切り落とされた。

 

 球子を肩に乗せた巨人が構え、自分を取り囲むバーテックスの群れに闇の光輪を向ける。

 

『制御……できる!』

 

 竜胆は、そう意識してはいなかったが。

 球子が顔を燃やしたゴモラに、ティガダークが闇の技でトドメを刺す……それは竜胆にとって初めての、"共に戦う者との連携"であった。

 球子がニッと笑う。

 

「タマがその技に名前をつけてやろう。ズバリ『八つ裂き光輪』だ!」

 

『名前がこえーんだよ! そんな名前付けたら恐ろしさ倍増じゃねえか!』

 

「お前の戦い方は最初っから怖いんだから誤差だ誤差!」

 

 ソドムが火炎を吐き出す。

 2000度近い高熱の火炎であったが、球子の旋刃盤が空中でそれを受け止めた。

 炎の旋刃盤に、大抵の炎攻撃は通用しない。

 そして旋刃盤がその場をどいて、入れ替わりに飛んで行った八つ裂き光輪が、ソドムの体を真っ二つにした。

 

 竜胆は周りを見る。

 バーテックスの多くは、グレートの方に行ったらしい。

 ティガダークの周囲にもう大型は一匹しかおらず、小型個体である星屑もせいぜい100体程度しか飛び回っていない。

 グレートの方が激戦区になっているのだ。

 

『早くグレートの応援に行かないと』

 

「……周り見えてるじゃんか。タマの教育のおかげだな」

 

『そうだな、タマちゃんの教育のおかげってことにしといてやる』

 

 嬉しそうな声色で球子がそんなこと言うもんだから、竜胆はちょっと気恥ずかしくなった。

 そんな竜胆に向けて、ティガダークと対峙していた最後の大型がプラズマ弾を吐き出す。

 

『!』

 

 竜胆は球子が落ちないように手を添え、優しく横に跳んでそれをかわす。

 敵陣に突っ込み、今はグレートの下へ戻ろうとする竜胆の前に立ちはだかったのはガゾート。

 ただのガゾートではない。

 その名は『ガゾートII』。

 前回戦ったガゾートを強化した、ガゾートの強化形態であった。

 

 ガゾートIIの体表で、凄まじい規模の電気が弾ける。

 

「ニンゲン、トモダチ! トモダチ、ゴチソウ!」

 

『この電力……こいつがさっきのいーえむぴー攻撃したやつか!』

 

「じゃあいーえむぴー攻撃したコイツ倒せば皆また変身できるんじゃないか!?」

 

『分からない……けど、やってみる価値はある!』

 

 EMP攻撃は電子機器の中身をぶっ壊すものなので、電磁波の源を倒しても別に元通りというわけにはいかないのだが、この二人がそんなことを理解できるはずもない。

 この二人は比較的馬鹿(控え目表現)であるからだ。

 

『行くぞ!』

 

「おうっ!」

 

 かくして。

 

 ガゾートIIに、一人の巨人と一人の勇者が立ち向かった。

 

 

 




 グレートの変身登場シーン等で流れる『Great Friendship』は、アデレード交響楽団が演奏しておりまして、多くの人が大好きな『オーケストラバージョン』じみた名曲戦闘BGMなのです。
 知らない人には聞いてもらいたい……通常版だと盛り上がる所まで3分かかりますが。
 偉大なる友情(Great Friendship)とかいう曲名と副題からして、グレートは友情のウルトラマンですね。愛や希望ではなく、友情のウルトラマン。
 なのでタマちゃんと良相性。
 ちなみに『偉大なる友情』は東郷さんの勇者意匠・朝顔の花言葉でもあります。

【原典とか混じえた解説】

●変形怪獣 ガゾートII
 前回の戦闘でも登場したガゾートの強化体。
 パワー、スピード、電力、凶暴性、全てが向上している。
 その最大の特徴は、半径10km以内の全ての電子機器を強烈な電磁波で狂わせること。
 自動車程度であれば即座に走行不能に陥り、対怪獣仕様の戦闘機ですら機器が動かなくなり墜落させられてしまうほどに、デタラメな強力さを誇る。
 言うなれば、歩くEMP攻撃。
 電磁パルスのみを発生させるEMP兵器の有効半径がせいぜい100mと言われる西暦の時代の兵器と比較すれば、その能力の規格外っぷりが伺える。
 単純なプラズマ攻撃も変わらず強力である。
 天の神が送り込んだ『スマートフォンで変身する勇者の天敵』。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

 原作ティガだと"ウルトラマンティガ"が『光の英雄戦士』、ティガダークが『闇の最強戦士』って一貫して表現されてるの面白いですよね。
 『英雄』と『最強』が良い感じに光と闇の違いを示してくれてる気がします。


 天の神との戦いは、同種同士の戦いになりがちだ。

 

 最初にあった天の神と地の神の激突。

 これは神同士の衝突でしかない。

 天の神とグレート達は、共に宇宙より来た人間視点での超越者同士。

 人間にとって敵であるか味方であるか、その程度の違いしかない。

 そして勇者とバーテックスの対決。

 これは天の神の力で生み出された怪物と、地の神の力で戦う勇者の衝突であり、力を借りている神の種類が違うだけ。

 

 今、行われている戦いもそうだ。

 宇宙の概念記録から引き出された情報により、作成されたガゾートII。

 地球の概念記録から引き出された情報により、形を成した妖怪・輪入道。

 プラズマと炎が激突し、威力が減衰したプラズマが炎を突き抜けた。

 

「うわっと!?」

 

 螺旋状(トルネード)の炎を突き抜けたプラズマを、ティガダークの拳が砕いて球子を守る。

 少女を守るのと引き換えに、巨人の拳が高熱で焼き付いた。

 

『っ』

 

「大丈夫か!?」

 

『大丈夫だ。だけど、あんま受けてられないな、これ』

 

 ティガは球子を手の中に抱え、跳ぶ。

 彼は闇の巨人。

 心に光が宿れば、それに応じて弱体化する。

 弱体化が真っ先に"身体強度低下"という形で現れる彼は、敵の攻撃を真っ当に受けていたらあっという間に瀕死になりかねない。

 しからばかわすしかないのだ。

 

『っ、こいつ、この威力を連発できるのか……!』

 

 だが、ガゾートIIの恐ろしさはこの大威力のプラズマを連射できるという点にある。

 力を制御したティガダークはマッハ2~3で地上を走り回っていたが、ガゾートはプラズマの連打でティガを追い込み、確実に当てる一発を放ってきた。

 

「させっか!」

 

 だがそれを、精霊を宿した球子の旋刃盤が受け止め、竜胆を守った。

 

 球子に力を貸している神は、神屋楯比売命(かむやたてひめ)

 マイナー過ぎる神で逸話がほぼ無く、名から『守り』に関する神であると推測される女神だ。

 そして、事実そうであった。

 球子はこの神の力が宿った盾を授けられ、その盾を旋刃盤に改造し、攻撃にも用いている。

 だが、その本質は守り。

 守りこそが彼女の本質。

 破壊しかできないと自分を嫌う竜胆にとって、その守りは眩しささえ感じられる。

 

「大丈夫だ、タマが全部防いで……や、うっ」

 

 だが、少し無理をしすぎだ。

 球子がくらりと目眩を感じ、巨人の手の中で膝をつく。

 少女の顔は青くなっている。これだけの火力を小さな体を通して放出しているがために、かなりの負荷がかかっているのだろう。

 竜胆は優しく、球子を樹海の根の上に降ろした。

 

『精霊が強烈な負荷をかけるのは知ってる。少し休め。奴は僕一人で片付ける』

 

「……悪い」

 

 竜胆は呼吸を整え、周りを見る。

 周りを見る余裕は無かったが、周りを見るという約束があった。

 闇の力に引きずられつつある心で、周りを見る。

 グレートは本当に強い。敵の大半を一人で引き受け、互角以上に戦っていた。

 早めにガゾートIIを倒して援護に行きたいところだろうが、今のティガダークは、暴走時と比べれば遥かに弱い。

 

『くたばれ!』

 

 上手い具合に接近し、ガゾートIIに接近戦を仕掛けるティガ。

 だが強化されたガゾートは、スピードもパワーも向上しており、ティガのそれを上回る。

 ティガの拳は胴で受けられ、ガゾートの殴打がカウンターでティガを殴った。

 ガゾートに殴られるたび、ガゾートに対する敵意・怒り・憎悪が僅かに湧いて、それが心の闇を爆発的に増加させる。

 

 攻撃されればされるほど、ティガダークが暴走する可能性は高まっていく。

 

『ぐっ』

 

 まさしく自分との戦いだ。

 竜胆はガゾートを殴り、呻き声を上げたガゾートを見て、パンチの威力が上がっている……つまり自分が憎悪に呑まれかけていることを自覚し、深呼吸。

 理性を強め、闇を抑えて、上昇しそうになる自分の身体能力を抑え込む。

 

(やれるだろ、御守竜胆)

 

 それでも、じりじりとティガのスペックは上昇していく。

 心の闇が膨らんでいく。

 竜胆が自分を抑えられなくなるのが先か、ガゾートが死ぬのが先か。

 どちらが先か、竜胆にすら分かっていない。

 

 少年は正気が飛びそうになるたび、仲間を想う。

 千景が見ている、球子が見ている、だから暴走したくない。

 若葉が居る、介錯はしてくれるはず、と考える。

 若葉が今は変身不可だというところに思考が及ばない程度には、正常な思考が吹っ飛んでいた。

 

(やるんだ)

 

 気合いで、正常な思考を徐々に取り戻していく。

 ガゾートを蹴ってダメージを与え、ガゾートに殴られまた正気が薄れ、正気が薄れた分上がった身体能力で時間を稼いで、正気を取り戻す、そんな繰り返し。

 本当の戦いの場所は、竜胆の心の中にある。

 

(何百人も、自分の心の闇に従って、殺してしまった。

 何百人守ったって、帳消しになんてならない。

 何百人救ったって、殺した過去がなくなるなんてことはない)

 

 抉るような巨人の右ボディーブローがガゾートに突き刺さり、追撃の左アッパーがガゾートの顎をカチ上げる。

 

(だけど!)

 

 ガゾートのプラズマ光弾が、ティガの左足と右脇腹に炸裂した。

 左足と右脇腹が、高熱で表面は焦げ、中まで焼ける。

 

(人を、殺したく、ない。殺させたくない! どんな人にだって死んでほしくない……!)

 

 守ろうとする心と、壊そうとする心。

 二つが竜胆の中で拮抗し、ティガダークはなおも敵だけを攻撃する。

 仲間には、街を覆う樹海には、一切攻撃することはない。

 むしろガゾートのプラズマがそちらに流れそうになるたびに、体を張って受け止める。

 

「あ、バカ!」

 

 球子の方に行きそうになったプラズマ光弾の流れ弾も、体を張って受け止める。

 体が焼ける音がしたが、それでも巨体を盾として全てを守った。

 

(辛い、苦しい、だけど、止まってなんかやるもんか)

 

 ……本当は。

 本当は、竜胆は、他者を殴ることも蹴ることも、嫌いなのだ。

 昔から人を守るための喧嘩はできるわんぱく少年だったけれども、それでも他者を殴って傷付けるということが、嫌いで仕方なかった。

 だから竜胆は、あの村でも、村の誰にも直接的な暴力で反撃などしなかった。

 ゆえに、彼は千景の盾になり続けていたのだ。

 

 殴ることも、蹴ることも、嫌いだけど。

 それでも戦わないと守れないから。

 殴れ、蹴れ、殺せ、壊せと、心の闇が叫ぶけど。

 本当は嫌いな暴力行為をするたびに、心の闇が膨らんでしまうけど。

 守るためには、歯を食いしばって行くしかない。

 

 叫んで、殴って、敵の体と自分の心を傷付ける。

 肉を殴れば殴るほど、殴り潰した子供の肉のことを思い出し、自分が殺した妹や罪の無い人達のことを思い出すけれど。

 それで心の闇に負けてしまえば、本当に何も守れなくなってしまう。

 

(巨人の顔が、表情の出ない顔で良かった)

 

 高嶋友奈は、本当に竜胆をよく見ていたと言える。

 竜胆が表情を誤魔化していても、彼女は泣いてるみたいだと感じた。

 竜胆の闇塗れの咆哮を、彼女は泣いているようだと言った。

 巨人の涙は流れない。

 巨人の表情は動かない。

 自らの苦しみが理解されないことこそが、それを伝えない巨人の顔こそが、竜胆にとってはとても喜ばしいものだった。

 

(僕が戦いの中で泣いても、苦しい顔をしても、変身してれば誰にもバレやしない―――!!)

 

 苦しくて泣いても、辛くて泣いても、誰にもバレない。それが嬉しい。

 竜胆は拳を握りしめ、ガゾートの顔面を殴り抜く。

 だが、それは罠だった。

 ガゾートは顔面狙いの攻撃を待っていたのだ。

 そして、飛んで来た巨人の拳を、噛んで止めた。

 ティガの拳に、ぐちゅりとガゾートの牙が食い込んで、バキバキと拳の骨が悲鳴を上げる。

 

『ぐあっ!?』

 

 痛みに悶えるティガのボディを、ガゾートの両手が連続で殴打する。

 拳を噛まれているためにティガは逃げられず、片腕が噛みで封じられているので防御の手も足りない。

 よってガゾートの連続殴打をモロに食らうしかない。

 ガゾートの腕力には十分な殺傷力が宿っているため、ピンチもピンチだ。

 

『こい、つっ……!』

 

 ティガの左手に八つ裂き光輪が発生し、竜胆はガゾートの喉を狙う。

 だがガゾートは反射的に拳を噛んでいた口を離し、プラズマを吐き出してきた。

 突き出した左手の八つ裂き光輪とプラズマがぶつかり、爆発する。

 

『ッ!』

 

 そして、吹っ飛ばされたティガに、またガゾートがプラズマ光弾を連打する姿勢に入り―――ガゾートの全身を切った七つの刃が、その光弾発射を中断させた。

 

「間に合ったわね」

 

『……ちーちゃん!? どうして!?』

 

 ガゾートIIのEMP攻撃で勇者の端末は、球子のものを除けば全部潰れていたはずだったのに。

 千景は今、勇者の衣装を身に纏い、ガゾート体表を切り裂いている。

 何故か?

 千景の端末は確かに停止していたはずなのに、何故動いているのか?

 

「乃木さんが叩いて直したわ。直ったのは私のスマホだけだったけど」

 

『アナログ!?』

 

 どうやら叩いたら直ったらしい。

 奇跡中の奇跡と言うべきか、神樹の力が入っていた端末だからこその奇跡と言うべきか。

 が、千景のスマホも嫌な音を立てているので、そう長くは保ちそうにない。

 しかし、何故、千景のスマホだけが動いたのだろうか?

 

(……はぁ)

 

 千景は心中で大きな溜め息を吐く。

 EMP攻撃を防ぐ有効手段は、金属箔などで包むこと等である。

 要は電磁波というエネルギーを余計な部分で使わせればいいのだ。

 そう考えれば、戦いの直前の千景を見ることで、何故彼女の端末のダメージが他端末よりも少なかったかその理由も分かる。

 

 千景は、()()()()()()()()()()()

 ポケットに端末とゲーム機を一緒に入れていたことで、ゲーム機が盾になってくれたのだ。

 おかげで千景愛用のゲーム機はぶっ壊れたが、その分だけ端末へのダメージは軽減され、若葉の脳筋対処によってスマホが奇跡的に・一時的に甦った、ということである。

 それでも、相当に端末にダメージは入っていたようであるが。

 

 千景はプラズマ爆発で吹っ飛ばされた竜胆が立て直すまでのほんの数秒の時間を、ガゾートの周りを跳び回って稼ごうとする。

 

「ニンゲン、トモダチ! トモダチ、ゴチソウ!」

 

 ガゾートの基本は、共食い、友食い。

 人間=友人という天の神のインプットに従い、人間を自然と食べようとする習性を持つ。

 ガゾートは千景を捕まえ、噛み砕いた……が、噛み砕かれた千景の体が霧散する。

 

「怪物に喰われてやる気はないわ」

 

 いつの間にか、"六人の千景"がガゾートを取り囲んでいて、その六人が七人になる。

 竜胆は千景の分身を見て、自らの目を疑った。

 

『増え……た!?』

 

「『七人御先』」

 

 千景の切り札は、精霊・七人御先。

 有する能力は偏在。

 七つの場所に七人の千景が同時に存在し、七人が完全に同時に倒されない限り、千景は死ぬことも傷付くこともないという極めて強力な能力だ。

 

 七人の内一人が生き残っていれば、近辺のどこかに一瞬で六人が再生される。

 その再生速度は、例えば矢の雨で千景を殺そうと考えた場合、矢の数がどんなに多くとも矢である以上殺すことは不可能である、と断言できてしまうレベルだ。

 精霊使用時の千景を殺し切るには、それこそ強力な隙間無き範囲攻撃が必要となるだろう。

 

 若葉のような巨獣も翻弄する速度もなく、球子のような怪獣にも通用する火力も出せないが、事実上不死身の複数存在であるという一点のみで、極めて強力な運用が可能であると言える。

 更には"人間を捕食する習性を持つ"タイプの怪獣型バーテックスに対し、千景の能力は極めて強力なアンチ能力として機能する。

 つまりは、要するに。

 

「私を殺したいのなら―――七人同時に屠ってみなさい」

 

 千景は、自分の肉体をいくら喰わせても死なない。

 自分の肉体を餌としていくらでも使うことができるのだ。

 

「できるわけ、ないけれど」

 

 彼岸花の勇者、情熱の赤が宙を舞う。

 千景は常に自分の肉体一つをガゾートに食わせ続け、四つの肉体による攻撃でガゾートの動きを調整し、二つの肉体でガゾートの両目を切り裂いた。

 

「ギャッ」

 

「今よ! 大技を!」

 

『サンキュー、ちーちゃん!』

 

 千景の作った隙を突く。

 されど竜胆が持っている技など、自覚している範囲では八つ裂き光輪しかない。

 暴走による強化がない状態で、ガゾートIIを一撃で仕留められるほどの大技?

 そんな技があるとすれば……"ティガの力"の中にしかない。竜胆がそこから引っ張り出して来る以外に無い。

 ガゾートは目が潰れた状態で、痛みの声と歓喜の声を交互に上げ、聴覚だけでティガダークの位置を把握し飛び込んで来る。

 

「トモダチ、タベモノ!」

 

『……友達は、守るものだ。食べものじゃない』

 

 竜胆は思わず、そう呟いた。

 思わず呟いたその言葉に、自己嫌悪した。

 怪物に正道を説いている自分に、"どの口で言ってんだ"と思わずにはいられなかった。

 

『―――ああ、ちくしょう。僕にこんな台詞言う資格無いんだよ。言わせんなこの野郎』

 

 ティガとしての力の中から、竜胆の心が彼にもっとも適した力を発現させる。

 飛び込んで来たガゾートを、ティガダークは抱きしめるように受け止めた。

 

 ティガの全身が真っ赤に染まっていく。

 色が変わっているのではない。

 光が発されている。

 赤い熱線がティガの全身から猛烈な勢いで放射され、そのせいでティガの全身が真っ赤に染まっているように見えているのだ。

 

 巨人の全身から放射された膨大な熱線が、ガゾートIIの全身を焼き、規格外のエネルギーをガゾートの体内に注ぎ込み――

 

『うっらぁぁぁぁっ!!』

 

 ――ガゾートの体を、体内から爆発させた。

 

 この技の名は、『ウルトラヒートハッグ』。

 敵に組み付き、巨人の全身から熱線を叩き込み、相手を内部から爆発させる技。

 至近距離で敵を爆発させるがために、爆発は発動者であるティガにもダメージを与え、技に費やしたエネルギーとティガが受けるダメージもまた比例する。

 すなわち、これは。

 ティガが発現可能な技の中で唯一無二の、『捨て身の自爆技』である。

 

「じ……自爆技……! ぶっタマげた!」

 

「……竜胆くん」

 

 理性を持った状態の竜胆が初めて発現させた"まともな技"が『自爆技』であったことに、球子は驚愕し、千景は悲しそうに納得した。

 

 ティガダークに、基本的に必殺光線技は無い。

 光の戦士ではないから、だろうか?

 ティガの力から竜胆が本能的に編み出した最初の技は、八つ裂き光輪。

 彼の中の殺意と憎悪の具現だ。

 そして今発現したのは、自爆技ウルトラヒートハッグ。

 これは彼の中にある、基本的思考の具現である。

 

 つまり竜胆は、"他者を一方的に傷付ける"ことを嫌ったのだ。

 他者を傷付ける立場になるからには、自らも傷付かねばならないという思考。

 自分が傷付かない立場から、相手を一方的に攻撃するのは、確かに楽しいのだろう。

 だが、それを嫌う彼の心こそが、この技を発現させた。

 

 そこには露骨に、()()()()()()()()()()()()()あの村の人間に対する彼の感情と、あの村の人間に対する竜胆の『感情の解答』が見て取れた。

 一方的に人々を虐殺した三年前の自分への決別と、もうあの頃の自分には戻らないという、彼の決意の現れでもあった。

 

 そして、もう一つ。

 これは"嫌いなものを壊したい"という心の具現でもある。

 敵も嫌い、自分も嫌い。

 だからこそ()()()()()()()()()()()

 そんな心がそのまま現れたからこその技である、とも解釈できる。

 この技の行き着く先は、発動するだけで敵と自分が粉々に爆散する技なのだろうから。

 

 総じて、この自爆技は、竜胆の心そのものであると言えた。

 

『ぐぅっ』

 

 身体強度が下がる竜胆のティガダークの特性とこの技の特徴は、合理的に見れば最悪に噛み合っていないが、竜胆の志向からすれば最高に噛み合っている。

 脆くなった体はボロボロになり、いたるところが焼け付いていた。

 二発、三発と連続で撃っていたら、反動だけでティガダークの全身はバラバラになってしまっていたかもしれない。

 

「おい、大丈夫か! 今の爆発、肝っタマが冷える威力だったぞ!」

 

『大丈、夫。グレートの方の助けに行こう……!』

 

「声が大丈夫じゃないわよ……あ、端末とうとう壊れちゃった……」

 

 とうとう変身維持が不可能になった千景と、精霊使用の消耗から多少回復した球子を抱え、ティガダークは飛翔する。

 そしてグレートの背中に超高熱の炎を浴びせかけようとしていたソドムに、飛行の勢いを乗せた飛び蹴りをかました。

 

『グレート!』

 

 ボブ/グレートが、アメリカンに笑った。

 

いいところで来たな(Good timing)

 

 グレートは両手を銃の形にし、左右から襲いかかるゴモラの眉間と鳩尾に光弾を撃ち込んだ。

 二丁銃がゴモラを怯ませ、グレートが手の形を変える。

 手の形を変えた、次の瞬間。

 グレートの両手から発生した二本の光の剣が、左右のゴモラを一刀両断していた。

 

 『ダブルフィンガービーム』を撃ち、『ダブルグレートスライサー』で切る、銃撃技から斬撃技に綺麗に繋ぐ武の極み。

 恐ろしいのは、銃の技と剣の技が、ごく自然に空手の動きの中に組み込まれていることだ。

 二丁銃に二刀流。

 見栄えのする二つの異質な技を、彼は空手の動きの中に綺麗に組み込んでいる。

 見ているだけで惚れ惚れしそうな、巨人の力で行使される"人間の技"だった。

 

 ティガは飛び蹴りをかましたソドムに更にもう一発蹴りを打ち込み、その背後から星屑が迫る。

 星屑の接近に気付いていないティガの背中を、球子が守った。

 投げられた旋刃盤が星屑を切り裂き、球子の手元にまた戻る。

 

「背中がお留守になってるぞ、うっかり屋さんめ」

 

『悪い、助かった』

 

 身体強度が下がったティガダークならば、星屑の攻撃力でも殺せる。

 されど、背中を守る者さえいれば、星屑ではティガダークを殺せない。

 勇者と巨人が、互いの背中を守っていた。

 

 これは生半可な攻撃では突破できない。

 そう考えたソドムが何体も横並びに並び、ティガと球子に向け炎を吐き出す。

 炎による圧殺攻撃。しかし、それは割って入ったグレートに防がれる。

 グレートはソドムの炎を全身で受け止め、手の間に圧縮し、力を上乗せして解き放った。

 

 爆裂した炎が放出され、ゴモラや星屑が蒸発し、炎に強いはずのソドム達にもダメージが入っていく。

 ひと目で分かる恐ろしい性能の"反射技"に、竜胆は目を剥いた。

 

『なっ……今のは』

 

「マグナムシュート。グレートが得意とする反射技だ……何でも跳ね返せるんだぞ!」

 

『なんで他人の技なのにタマちゃんが得意げにしてんだよ』

 

「仲間は誇らしいもんだろ。っと、もうそろそろ、二分だな」

 

 グレート、ティガのカラータイマーが点滅を始める。

 活動時間残り一分。

 敵はダメージを受けたソドム数体と、まだ無傷の十二星座が一体。

 星屑は十体も残っていなそうだ。

 

「気を付けろよ、あと一分だ!」

 

『ああ!』

 

 ティガは球子を肩に乗せ、丸亀城近くのソドムから掃討に行く。

 球子が囮になってソドムの前を跳び、吐き出された火炎弾を跳んでかわすと、生まれた隙にティガダークが切り込んだ。

 闇の八つ裂き光輪がソドムの首を切り飛ばす。

 ふぅ、と一息吐いたティガに、丸亀城から若葉が声をかけた。

 

「新手のガゾートに大分手こずったようだな」

 

『その声は乃木? 良かった、生身でも無事だっ……た……えっ』

 

 そして若葉の方を振り向いた竜胆は、ぎょっとする。

 変身していない若葉が、勇者システムの加護を受けていない若葉が、生身の若葉が。

 飛んでいた星屑に飛びかかり、太刀にて怪物を一刀両断していた。

 "勇者は変身して強くなってこそ"という思い込みを持っていた竜胆は心底ぎょっとする。

 

 迫り来る新手の星屑の噛みつきを紙一重でかわし、若葉は星屑を一本背負い。

 路面に星屑を叩きつけ、足で抑えて、刀で急所を狙って突き刺す。

 そして突き刺した刀を足で蹴り、足の力で星屑の体を切り裂いた。

 腕で刺して、蹴りで裂く。

 自分の体を完全に理解し、制御し、身体の各部筋力をきちんと把握しているからこその技巧。

 

 三体目の星屑の突撃をさらりと避けて、側面を蹴り、鞘で殴る。

 蹴りと鞘打ちで突撃の軌道を変えられた星屑は、そのまま丸亀城の壁に激突。

 一瞬動きが止められたその瞬間、若葉の斬撃が横薙ぎに走り、星屑は真っ二つに両断された。

 技。

 技だ。

 若葉のこの強さは、神の刀の力のみならず、洗練された技の強さに起因する。

 

 勇者に変身しなくとも、乃木若葉は十分過ぎるほどに強い。

 

『……!』

 

 その技の美しさに、竜胆は息を呑んだ。

 球子は逆に、いつも通りの若葉の強さに「うへぇ」と声を漏らす。

 

「若葉はヤバいぞ。

 『星屑は人間を食べ殺してきたんだから同じ仕返しをしてやる』

 って理屈で星屑ぶっ殺しながら星屑食ってたことあるからな……

 タイマンならたぶん勇者の中で一番強いサムライガールだ」

 

『こいつが勇者で一番ヤバい……』

 

「竜胆、球子、聞こえているぞ……いつからそんなに仲良くなった?」

 

 納刀した若葉が呆れたように言う。

 竜胆はその言葉に生真面目に返した。

 

『まだ仲良くはないぞ。信頼を勝ち取るのはここからだ』

 

 それを聞いた球子は吹き出す。

 

「だってさ。やらかしタマまの自分で居たくない、そういう奴だったみたいだ。まったく」

 

 千景が丸亀城に隠れたことを確認し、丸亀城と変身できない勇者達を守ることを意識して、ティガダークと球子はソドム数体に挑みかかった。

 残り時間は少ないが、弱った量産型のソドムが相手なら問題はない。

 球子と共闘する竜胆を見て、丸亀城の友奈は何故か、ほっとした様子で胸を撫で下ろす。

 

「……良かった」

 

 高嶋友奈は、勇者の中ではとびっきりに他人の感情の機微に敏い。

 そんな彼女にだけ、見えているものがあるようだ。

 友奈は安心した様子でティガの戦いを見守っている。

 

 ほどなくソドムは殲滅され、竜胆はグレートの方を見る。

 グレートは一人、大きな十二星座のバーテックスと戦っていた。

 ティガが53m。グレートが60m。だがそのバーテックスは、100mはあるように見える。

 

『デカいな……』

 

「お前が来る前には800mのヴァーサイトって怪獣とかタマが殴った覚えあるぞ、ぶっタマげた」

 

『デカいな!?』

 

 グレートと対峙している敵の名は、『レオ・スタークラスター』。

 十二星座のバーテックスの筆頭、獅子座のバーテックスだ。

 巨体、頑強、高火力と高水準のスペックを持つ大型バーテックスである。

 その巨体を、グレートは空手の技で圧倒していた。

 

 巨人とレオの距離、1000m。この距離から、グレートは拳を突き出した。

 

 まず、空手の右正拳突き。

 突き出した拳から放たれた『ナックルシューター』なる拳状の光線が、レオの放った炎の弾と衝突し、相殺された。

 続いて左の正拳突き。

 飛ぶ拳状の光線が、レオに直撃して怯ませる。

 更に右の正拳突き。

 またしても強烈な光線が、ズドンとレオの体に突き刺さった。

 

 右、左、と強烈な正拳突きを凄まじい速度で繰り返す。

 そのたびに放たれる光線が、レオを絶え間なく打ち据えていく。

 これが空手の強みだ。

 そしてグレートの強みだ。

 基礎がしっかりした空手家であるからこそ、基本の技を巨人の技と組み合わせることで、極めて強力な連撃を一つの技として成立させることが可能なのである。

 

 これぞまさしく、人の歴史全てを否定した天の神に反抗する、『研鑽された武術』という名の、人の歴史そのものだった。

 人を滅ぼす怪物に抗う、人の技の継承と伝承、そのものだった。

 

『すげえ、流れるように……』

 

 レオも弱くはないはずなのに。

 倍近い体格差があり、空手が直接的に活かせない遠距離戦だったはずなのに。

 グレートは鍛えた自分の強みを叩きつけ、押し切った。

 

 だが、ダメージは与える傍から回復されていく。

 グレートが押しているのは間違いないのだが、獅子座はかなりの頑丈さを持っており、それで攻撃に耐えながら再生を繰り返している様子だ。

 グレートの残り活動時間が、残り20秒を切る。

 レオは時間切れによる勝利も視野に入れていたようで、途中からはグレートの攻撃が急所に当たらないよう立ち回り、耐久戦を選択していた。

 ここで確実にレオを一撃で潰せる大威力攻撃さえ、あれば。

 

 その頃、ソドムを片付けたティガダークがグレートに合流する。

 今再び並び立つ、白の巨人と黒の巨人。

 ここで決める、とグレートは判断した。

 

さあ、共に決めるぞ!(Let's finish together!)

 

『タマちゃん通訳頼む!』

 

「一緒にトドメ刺すぞ、だってさ!」

 

 グレートの両手に光の剣が現れる。構えられるダブルグレートスライサー。

 ティガの両手に闇の光輪が現れる。構えられるダブル八つ裂き光輪。

 白と黒の二人が踏み込み、四つの刃が空を走った。

 

『くたばれッ!』

 

 二剣二輪、合計四つの斬撃が、文字通りにレオを"八つ裂き"にし、消滅させた。

 

 敵の全滅を確認し、ティガダークが膝をつく。

 

『はぁ、はぁ……くそっ、あの自爆のダメージが響く……

 戦いの最後に一発使って終わり、って形にしないとダメだな……』

 

「大丈夫か? 大丈夫だって言われてもタマは信じないぞ? ヤバくないか?」

 

『うん、もう無理』

 

「えっ」

 

 巨人の変身が解除され、竜胆の体が空中に放り出される。

 ウルトラヒートハッグのダメージもあって、三分の経過を待たず、彼は人間に戻ってしまった。

 そんな彼が落ちる前に、空中で球子がキャッチする。

 

「おっとと」

 

 竜胆は気絶していたが、そんな彼の姿を、球子は情けないとは思わなかったし、男らしくないと思うこともなかった。

 

「お疲れ」

 

 ふと、球子は戦いの中で見ていたティガの背中と、千景が叫んでいた言葉を思い出す。

 

―――違う! そんなはずない!

 

―――憎い敵を殺す時だけ強いなんてこと、あるわけない!

―――彼が……彼が一番強い時は! 私が見た、彼の一番強い背中は……!

 

―――違う……そんなんじゃない……そんな人じゃないのにっ……!

 

 竜胆を善と見た千景も、竜胆を悪と見た球子も、どちらも間違ってはいなかった。

 だが、球子は。

 千景の言っていたことの方が正しかったと、思い始めていた。

 千景の主張の正当性を論理的に認めた、とかではなく。

 タマの心が、そう思いたいと思っていたからだ。

 

「……事情は知らないけど、千景に後で謝っといた方が良いか」

 

 竜胆を背負って、球子は丸亀城に向かって歩き始める。

 球子の身長は147cm。気絶している竜胆の身長は176cm。

 ちょっとどころでなく、背負い辛そうであった。

 

「くそっ、タマにも少し身長分けろバカ!」

 

 樹海化が解ける、光の中。

 

 球子は背が伸びないことを嘆きながら、少年を背負い走るのであった。

 

 友に優しく背負われる竜胆の寝顔は、とても安らかなものであったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜胆は夢を見た。

 自爆技を使って、敵の全てを巻き込んで、自分も死ぬ夢を見た。

 敵は消え、自分も消え、世界に幸福と平和が戻ってくる。

 恐ろしく強大なものが、世界から残らず消え去る結末。

 

 とても素敵な夢だと、竜胆は思った。

 

 

 

 

 

 目覚めた時、竜胆は医務室に居た。

 包帯が全身に巻かれている。

 ティガダークに変身していた時の残り香のような後遺症で、衝動的にまた自傷や破壊をしそうになるが、それを必死に抑え込む。

 少しずつだが、竜胆は自分を制御するすべを身に着けていた。

 

 竜胆はベッドから降りようとして、両手の手錠がベッドに鎖で繋がれているのを見て、"まあそりゃそうか"と思い、ベッドに寝転がった。

 

「起きられましたか」

 

 物音に気付いたのか、医務室に少女がやって来る。

 綺麗な黒髪、赤いリボン、落ち着いた雰囲気、少し年齢不相応な色気。

 乃木若葉の幼馴染、上里ひなたであった。

 

「……上里、ひなた。上里で合ってるよな?」

 

「はい、合ってます、御守さん」

 

 ひなたは竜胆のベッドの横に椅子を置き、そこに座る。

 そして彼の怪我の治り度合いを、目算で軽く測り始めた。

 こうして見ると、勇者の誰と比べてもひなたは落ち着きがあるように見えるし、一番に大人っぽく見えると、竜胆は思った。

 竜胆は問いかける。

 

「怪我した人はいる? 全員無事? 誰も死んでない?」

 

「怪我人は一名です」

 

「誰!?」

 

「あなたです」

 

「……あっ、そっかぁ」

 

 ちょっとバカっぽいやり取りに、ホッとした様子の竜胆。

 元よりひなたは竜胆を、千景ほど好意的にも見ておらず、球子ほどに敵意的にも見てはいなかったが、会話を重ねるたびに竜胆の良い部分やちょっとバカっぽい部分が見えてくるので、彼の性格を読みあぐねているところがあった。

 

(露骨にホッとしてる……しかしこのちょっとお馬鹿な風味はいったい)

 

 とりあえず、皆が無事なことにホッとしている竜胆は、悪人には見えなかった。

 球子と竜胆が並び立って共闘し、球子が無傷で、竜胆が傷だらけだったという時点で、察する人は察している。

 

「その傷、本来なら全治五ヶ月……だというのが、医者の見立てですが……」

 

「うん」

 

「経過を見る限り、2、3日で完治するそうです。恐るべきことに」

 

「ふーん」

 

「人間離れした回復力です。他の巨人変身者と比べても、桁違いに」

 

「良いことじゃないか」

 

「でも……御守さんは、自分の体が"そう"であることに不安を抱かないんですか?」

 

 竜胆の体はとても即死しやすく、即死さえしなければ急速に傷が治るため、すぐにまた戦場に行くことができ、ゆえに即死の機会が増え、更に死にやすくなる。

 それはひなたにとって異常であり、竜胆にとっては今更なことだった。

 

「僕がまともな人間の体してるだなんて、なんでそんな風に思ったんだ?」

 

「―――」

 

「闇を食って生きていられる人間が、まともな生き物なわけないだろう」

 

 何年も、何も食べず何も飲まず、闇だけを食べてきた子供の精神性。

 "自分はまともな人間ではない"という確信が前提にある心。

 そんな生き方をしてきた子供が、自分の命をどういう風に見るのか。

 ひなたは少し、そこへの想像と理解が足りていなかった。

 

「だから僕は戦死しやすいし、死んでも良いんだよ。大社からそう言われなかったのか?」

 

 言われていない。

 と、いうか、大社は竜胆に非人道的な拘束や首輪付けはしたものの、竜胆が死んでもいいだなんて言ったことは一度もない。

 ひなたは少々目眩を覚えた。

 竜胆が死んだら本気で悲しむ人物に、心当たりがありすぎる。

 

「少しは周りが見えるようになったと聞きましたが、本当に少しだけなんですね」

 

「え?」

 

「若葉ちゃんもそうですけど、こういうのは自分で気付かないと意味が無いのが何とも……」

 

 千景が居るのに「死んでも良い」と言い切る竜胆を見ると、でっかい溜め息を吐き出したくなるひなたであった。

 

(なんというか……本当に、若葉ちゃんの対のような人ですね。

 自分に厳しく、生真面目。

 他人の心情が分からないわけではないのに、時々肝心な部分に鈍く。

 仲間の好意には絶対に報いを返し、敵には憎悪の応報をぶつけ。

 何かを守ろうとする善の芯が何があろうと折れることなく。

 過去に"殺された"人のことを忘れない。

 気丈そうに見えるのに、どこか寄りかかれる他人を求めているような……)

 

 どちらかと言えば、若葉と長所が似ているのではなく、短所が若葉に似ているタイプだと、ひなたは思った。

 少し前の若葉と、今の竜胆の戦闘スタイルは、脳筋突撃型早死にタイプというそっくりさんだったりしたから。

 

(けど……若葉ちゃんも変わっていくことができた、この場所なら)

 

 ひなたは巫女である。

 戦場には同行できない。

 戦場で誰かを助けることはできない。

 彼女にできることは、戦いの前後で戦う者達に助言をすることくらいだ。

 

「死んではいけません」

 

「ん? そりゃ、死ぬ気は無いけど」

 

「そんな

 『どちらかといえば死にたくない』

 くらいの気持ちではなく。もっと必死に思った方が良いです。

 あなたがもし、誰にも悲しんでほしくなく、誰にも泣いてほしくないのなら」

 

「む」

 

 ひなたは医務室を出ていった。

 釘を刺された、と感じた竜胆が腕を組む。

 ひなたの釘刺しはかなり深く彼に刺さった。

 竜胆も、自分が死んだ時に泣きそうな子がいることくらいは薄々分かっている。

 千景を悲しませたくないのなら……竜胆はそうそう死ねないのだ。

 

 友の悲しみを嫌がる気持ちと、自分に対する死んでしまえという気持ちが、二律背反になって衝突してしまう。

 ひなたの言葉は、上手い具合に竜胆の心に楔となって刺さっていた。

 

「……人を甘やかすタイプに見せかけて、厳しくするタイプだなありゃ。ああ、くそっ」

 

 上里は僕が口喧嘩挑んでも一生勝てそうにないタイプだな、と竜胆はちょっと捻くれた褒め言葉を心中でひなたに贈っていた。

 はぁ、と溜め息一つ。

 考えるべきことが本当に多くて、心が下を向く。

 気分が落ち込む。

 気分が落ち込むと、心の闇が顔を出して来る。

 巨人の闇の力が隙あらば闇側に誘惑してくるのが嫌になって、竜胆は特に意味もなく、ブラックスパークレンスを放り投げた。

 

「邪魔だ、どっか行ってろ」

 

 それで心の闇がどこかに行くわけでもなく。

 闇の力がどこかに行ってくれるわけでもなかったが。

 竜胆は感情的に、その行動を選択していた。

 床に転がったブラックスパークレンスを、新たな来訪者が拾い上げる。

 

「おいおい、変身の神器を投げ捨てるとかタマげたやつだな」

 

「! タマちゃん……」

 

 球子の手の中で、ブラックスパークレンスが回る。

 少女の手でも握ることができる大きさのブラックスパークレンスであったが、拾うだけで球子が嫌なものに触れた感触を覚えるほどに、内部に闇の力が詰め込まれていた。

 

「やなことでもあったのか?」

 

「……いや、別に。特筆して嫌だと思ったことは、最近は起きてないかな」

 

 これは本当だ。"特に嫌なこと"を竜胆が挙げようとすると、少し時間を遡りすぎるから。

 

「医務室で出されるメシはマズいとか聞くけど、最近何か食ってるか?」

 

「闇を少々」

 

「美味いのか?」

 

「水より癖がなくて空気よりは癖がある。水の方が美味しいかな」

 

「味無しじゃないか……」

 

 ひなたがそのままにしていったベッドの横の椅子に――行儀の悪い男の子のように背もたれを前にして――球子は座った。

 

「タマには美味いもんでも食った方がいいぞ」

 

「そうかな?」

 

「タマなら美味しい食べ物食えなくなったら発狂するぞ。

 食べなくても良い、と食べない、は別だろ。

 飯食わなくてもいいとしても、美味い飯は食った方が気合いが入るんじゃないか?」

 

「それは……そうかもしれないけど」

 

「はっ、そうか。お前が妙に辛気臭いのは、三年は美味い飯を食ってないからか……」

 

「おいちょっと無理な主張に説得力持たせてくるのやめろ」

 

「美味い飯食ってちゃんと腹一杯になったら元気が出る。

 美味しいごはんをたらふく食べたら上を向ける、前を向ける。

 落ち込んだ時は何か良いもの食べてぐっすり寝る。

 そういうことしてないからお前は妙に陰気なんじゃないか?」

 

「分かった、分かった、たまにはそういう食事も取るよ。正直変わらねえだろって思うがな」

 

 まったく、と竜胆は微笑んだ。

 

「ちなみにオススメは?」

 

「うどんだな! うどん!」

 

「おお、即答……そういえば香川(ここ)ってうどん県だったか」

 

「あれは忘れもしない、三年前のこと。

 香川出身の若葉とひなたに連れられ、とっておきの店を紹介されたんだ。

 あの日、一緒に店に行った全ての勇者とウルトラマンはうどんの虜になったんだよ……」

 

「何その洗脳の想い出じみた想い出語り」

 

「香川のうどんはそれほどまでに美味しいんだ。

 食えば分かる。お前の妙に陰気なところも吹っ飛ぶレベルだぞ」

 

「陰気陰気うるせー! そんなに陰気かよ僕は!」

 

「時々だ時々。陰気じゃない時はやや明るくて面白い奴だから目立つんだよ」

 

 球子は会話の途中、ふと、今朝のニュースのことを思い出した。

 

「あ、そうだ。一人称がみょーに女々しいからそういうの感じるのかも」

 

「ぬっ、『僕』がいけないってのか」

 

「タマの同級生だったガキンチョ男子だけでも『俺』ばっかだしなぁ。

 なんとなくだけど『僕』ってちょっとなよっちいイメージある気がするぞ」

 

「むぅ」

 

「今朝のニュース見たか?」

 

「いや僕TV気軽に見れる立場じゃないし……」

 

「っと、ごめんな。今のはタマが悪かった」

 

「気にすんな。タマちゃんは悪くないぞ。で、ニュースが何?」

 

「男性の一人称割合一位がぶっちぎり『俺』で、次『私』で、その次が『僕』なんだとさ」

 

「へぇー……」

 

「『俺』の男らしさ力は中々高いと思うんだ、タマは」

 

「……確かに。言われてみれば男らしさ力高いな。

 うじうじしてる人間は『僕』、堂々としてる人間は『俺』ってイメージもある……」

 

「いやまあタマはウジウジしてる俺野郎も知ってるけどな。

 一人称『俺』に変えたらメンタル成長したぜフッフーなんてなるわけないし」

 

「お前は僕をどうしたいんだよ!」

 

「でも、一人称変えて、

 『生まれ変わったつもりで』

 自分を変えていく誓いを立てる……ってのは、なんかそれっぽくないか?」

 

「……!」

 

 球子は何気なく言った言葉であったが、その言葉は、竜胆の好みにがっつりと突き刺さる台詞であった。

 

「生まれ変わったつもりで、か」

 

「お前、自分嫌いとかあんま言うなよ。

 見てるとちょっと悲しいし、ウザいし、心配になる。

 そんなこと言ってるくらいなら、ちょっとでいいから変わればいいと思うんだ」

 

「……ああ、本当に、そりゃ正論だよ」

 

 後悔は消えない。

 過去はなくならない。

 闇はいつも胸の奥に在る。

 罪はいつも想い出に在る。

 だが、三年前のあの惨劇を、もう二度と繰り返したくないのなら。

 竜胆は過去の自分とは違う、全く新しい自分に変わって行かなければならない。

 

 この人達と、この場所で。

 

「分かった。今日からは『俺』にしよう。その代わり簡単な交換条件がある」

 

「交換条件? なんぞ?」

 

「御守先輩と呼べ、中学二年女子」

 

「……そうきたかー」

 

「既に呼び捨てにしてる乃木はいいや。

 あれはそういうキャラじゃねえし。

 でもタマちゃんはほっとくと呼び捨てで来そうだからな」

 

「へいへい、御守先輩、っと」

 

「たまには俺が先輩ってこと思い出せよ、タマっち先輩」

 

「そう呼ぶのはあんずしかいないんだけどなあ」

 

「そういえばなんでちーちゃんのこと誰も先輩付けで呼んでないんだ?」

 

「だって先輩感無いじゃん……」

 

「お、お前……無いけど、可愛いだろ」

 

「……取って付けたようなフォローすんのな先輩」

 

 球子は、ブラックスパークレンスを竜胆に手渡す。

 その力が彼の手の中にあるという意味を、よく理解した上で。

 

「ま、その内タマが美味しいうどん屋に連れてってやるよ、御守先輩」

 

「じゃあ俺は楽しみに待たせて貰うかな。タマちゃん」

 

 竜胆は、ブラックスパークレンスを受け取る。

 土居球子がそれを自分に手渡したことの意味を、よく理解した上で。

 

 竜胆の過去の所業を今でも許してはならないと認識していて、竜胆に対する嫌悪感をまだ完全に拭い去ってはいない、そんな球子に手渡された闇の力だ。

 これで暴走してしまったら、球子の想いをいくつ裏切ってしまうか分からない。

 二度と暴走できないと、竜胆は改めて自分を戒める。

 

「うん、先輩は俺って言い切った方が男らしくてかっこいい気がするな。気のせいかもだけど」

 

「その最後の一言本当に必要だった? なあ本当に必要だったか? タマちゃん?」

 

 その場の軽い思いつきで先輩呼びさせてみた竜胆だが、それがきっかけで、ふと気付く。

 勇者とは無垢なる少女が選ばれるもの。

 そのため、千景だけが竜胆と同い年であり、他の勇者は皆竜胆より歳下である。

 誕生日の順序を考慮すれば、千景でさえ厳密には竜胆より歳下である。

 勇者に対し守りたいという想いを自然に抱いていた竜胆は、自分を見つめ直す。

 

(……もしかして、俺は)

 

 勇者は皆、竜胆よりも歳が下の女の子。

 

(花梨を殺した贖罪を、しようとしてるのか? 償えないと分かった上で)

 

 必然的に、竜胆が自分自身の心を分析すれば、それは妹の存在に行き着く。

 

 妹を殺してしまったから、妹の代わりに守ろうとしているのか?

 竜胆は自分自身の心に問いかけてみるが、分からない。

 そうでないとも言い切れず。

 そうであるとも言い切れず。

 竜胆は自分の善性を全く信じていないから、自分が純粋な善意で仲間を守ろうとしているだなんてことを、そう簡単には信じられないのだ。

 

(分からない……俺は、何を考えてるのか、何を思ってるのか。

 俺のことなんて、いつも俺が一番よく分かってないんだ。最悪なことに)

 

 竜胆が、欠伸をしている球子を見やる。

 欠伸の瞬間をじっと見られていたことに気付いた球子が少し顔を赤くした。

 

(……俺は、この子をどう思ってるんだろう)

 

 竜胆は、ちょっと悩んで。

 "三年前の彼らしく"、バカのようにスパッと思考を決定した。

 

(いや、好きだな。普通に好きだ。ちーちゃんと同じくらいには)

 

 昔の彼のように、シンプルな理屈で、竜胆の戦う理由がまた増える。

 

(よく考えたら花梨のこと抜きにしても俺は普通にこの子を守りたいと思ってるな。

 なんだ面倒臭いこと考えなくて良かったのか。うん、好きなものは守りたいと思うもんだ)

 

 彼の心は、また光の側に寄る。

 

(―――命に替えても、守りたいと思うものだ)

 

 だがそれは、光の巨人が持つべき精神性であって、闇の巨人に相応しいものではなかった。

 

「どうした先輩? 何考えてるんだ?」

 

「誰も死なずに終われたら良いな、って。そう思ったんだ」

 

「あー、分かる。タマも時々そういうこと思うぞ!」

 

「頑張らないとな」

 

「おうっ!」

 

 竜胆と球子が拳を打ち合わせ、笑い合う。

 

 そこに突然! 窓を開けて飛び込む男! サンタクロース・ボブのエントリーだ!

 

「Merry,Merry,Merry―――Christmas」

 

「ぼ……ボブ!」

 

さあ存分に楽しもうぜ子猫ちゃん達(Let's completely enjoy this time.baby)

 

「あ、そういえば今日クリスマスだったっけ……」

 

 サンタクロースボブは突如医務室に飛び込んで来たかと思えば、プレゼント袋の中から取り出したデカいチョコレートを「プレゼントだ」とばかりに二人の前に置く。

 そしてギターを引きながら、クリスマスの歌を歌い始めた。

 

「~♪」

 

「う……上手い! 演奏も歌も上手い!」

 

「ボブは歌うウルトラマンなんだ! タマげたろ!」

 

「そりゃタマげるわ!」

 

 筋肉ムキムキ黒人ドレッドヘア巨漢のボブと、強力なウルトラマンであるグレートと、サンタクロース・ボブの華麗なる演奏が全部マッチしない。

 彼はインパクトの塊であった。

 更にはボブと打ち合わせていたのか、ボブの演奏に合わせてぞろぞろと仲間達が医務室にやって来る。

 その手には食べ物があったり、飲み物があったり、クリスマスツリーがあったりした。

 ……どうやら、医務室に鎖で固定された竜胆のために、皆が『クリスマス』を持って来てくれたようだ。

 

「なっ……!」

 

「友奈が、クリスマスと歓迎会を兼ねちゃおう、と言い出してな」

 

「乃木」

 

「今日はここがクリスマスパーティー会場、っていうことで!」

 

「……高嶋」

 

 鶏肉の皿を持った若葉が居て、その横で飲み物を沢山抱えた友奈が笑っていて、二人の後ろでひなたが鶏肉の皿と野菜の皿を持ったまま苦笑していた。

 竜胆を除いて皆でパーティーをするという手もあっただろうに。

 竜胆を気遣い、わざわざ色んなものを持って、ここに来てくれたようだ。

 

 若葉が竜胆の健闘を称える。

 

「今日はよくやってくれた。ゆっくり休め。ちなみに私のオススメはこれだぞ」

 

「おお、鶏肉……」

 

「私は骨付鳥が好きでな。親も、親の親も好きだった。きっと私の子孫も好きだろう」

 

「子孫の好きな食べ物断言する人初めて見たぞ……どんだけ好きなんだよ」

 

「ちなみにひなたも好きだぞ、骨付鳥」

「まあ、若葉ちゃん、それは私が自分から教えたりするものですよ」

 

「なんで二人して同じ鶏肉の大皿持ってんのかと思ったらそういうことかい」

 

 若葉は鶏肉が好き。竜胆は覚えた。

 ひなたは先程の竜胆との会話がなかったかのようにしれっと会話を行い、会話の輪を作り、竜胆に対しまだ怯えている杏と竜胆の間に入ったりして、なごやかな空気を作っていた。

 

(自然体というか、雰囲気や物腰が柔らかいというか、本当に空気を和らげる人だな)

 

「今年もクリスマス、乗り切ったぞー!」

 

「三ノ輪さんと鷲尾さんはいつ帰って来るんでしょう」

 

 友奈とひなたがいるだけで、空気が柔らかくなっていく。

 とはいえ、いい感じになるのは空気だけだ。

 竜胆はまだ関係が冷え切ってる杏と、ウルトラマンパワードの変身者・ケンと目が合った。

 

「ど、どうも。伊予島(いよじま)(あんず)です。改めまして」

「ドーモ、ケン・シェパードデス。ヨロシク」

 

「あ、お疲れ様っす……御守竜胆です、これからよろしく」

 

「お、ケン、あんず! こっち座れこっち! タマの横だぞ!」

 

 幸い、球子と仲の良い二人であったために、球子に呼ばれるとそっちに行ってくれた。

 竜胆はちょっとホッとする。

 竜胆と球子は友達で、球子と杏は友達だが、竜胆と杏は友達ではない。ケンも然り。

 

(友達の友達、それも良く思われてないメンツとの間に気不味い空気が流れるあの感じ。

 トークしろって言われたら死んでも嫌どすって叫びたいレベルの空気であった。うん)

 

 そう考えたところで、竜胆は球子に気を使われ、助け舟を出されていたことに気付いた。

 球子が杏やケンと話している途中に、竜胆の方を見て少年のように笑む。

 めっちゃいい子だ……ありがとう……と竜胆は思った。

 そして球子の方を見ていたので、幽霊のように接近して来た千景の存在に気がつかない。

 

「大丈夫? 大丈夫じゃないわよね、こんなに包帯が……」

 

「ちょ、ちーちゃん?」

 

「痛い? 痛くない? 正直に答えて!」

 

「痛いから包帯の上からペタペタ触んないで!」

 

「……あっ、ご、ごめんなさい!」

 

「いや別にいいけどさ。というか本当は今の全然痛くなかったから気にするな」

 

「……そういうところよ」

 

 包帯だらけの少年と、それを見て動揺して包帯に触ってしまった少女と、本当は痛かったけど痛くなかったという小学生並みの誤魔化しを始めた少年と、全部見抜いている少女。

 千景が微笑む。

 竜胆が誤魔化す。

 少しだけ、昔の二人の空気に戻れた、そんな気がした。

 

「高嶋、無言でニヤニヤしてるのは気持ち悪く思われても仕方ないと俺は思うんだが」

 

「え、気持ち悪い!? ……あ。御守さんが初めて自分から話しかけてくれた!」

 

「あっ、やべっ」

 

 そんな二人を見て微笑みが止まらない友奈が居たりした。

 

「御守さんはケーキ食べる? ほら、真っ白なクリスマスケーキだよ」

 

 友奈はケーキを切り分けて、皿に乗せて竜胆に手渡す。

 

「きっと闇より美味しいよ。私達の手作りだもん」

 

「……かも、な」

 

 黒い闇と、白いケーキ。

 こんなものは食べなくても、闇を食っていれば竜胆は死ぬことはない。

 食べる必要はない。

 闇の力は常に働いていて、ケーキを投げ捨てて善意を踏み躙りたいという気持ちすら湧く。

 けれど、竜胆は。

 必要だから食べるのではなく、他人の暖かな気持ちに応えようとする『性格』で、心を込めて友奈達が作ってくれたものを、食べるという選択をした。

 

 料理は愛情、料理は心、そんな風に言う者も居る。

 料理は気持ちを伝えてくれる、と主張する者も居る。

 少なくとも今この瞬間において、それは真実である。

 "愛情を込めて作られた料理"なんてずっとずっと食べていなかった竜胆に、料理から伝わってくれた気持ちはあった。

 

「―――美味いなぁ」

 

 竜胆には今の自分の表情が見えていない。

 だが、ケーキを食べた竜胆の表情を見た友奈が、嬉しそうにとびっきりの笑顔を見せたという話を聞けば、彼がどんな表情をしていたかなんて、どんなバカにも分かるというものだ。

 

「クリスマスに美味しいケーキを食べると、幸せな気持ちになれるよね!」

 

「……ああ、そういえば、そうだった。そうだったな。俺もすっかり忘れてたな、そんなこと」

 

 三年前から変わらないもの、変わったもの。

 失われたもの、残ったもの。

 忘れていた"当たり前"。

 竜胆の両親が死んで、竜胆が色んなものを壊して殺して、三年が経って。

 

(そうだ、俺も、父さんと母さんが生きてた頃は……家族四人だった頃は……)

 

 友奈の行動は三年前の惨劇の時に失われたものどころか、それより前、両親の死の悲しみが竜胆の内から失わせた"当たり前"ですらも、取り戻させていた。

 高嶋友奈は勇者である。

 彼女の強さは、強大な敵を砕く時にのみ発揮されるものではなく。

 誰かの中の悲しみを砕く時にも、遺憾なく発揮される。

 

 彼女のケーキは、どこか優しく、暖かった。

 

「ずっと気遣ってもらってたのに、悪かった、高嶋。ありがとう」

 

「! うん、うんうんっ! ぐんちゃん今の聞いた!?」

 

「聞いてるわ。良かったわね、本当に」

 

 友奈はとても嬉しそうにして、気難し屋の竜胆と友好を結べたことを、若葉に報告しに行った。

 友達に報告しに行くとは、よっぽど嬉しかったらしい。

 竜胆と千景は、二人並んでベッドに座り、友奈が置いていったケーキを食べる。

 初出現時からずっとギターと歌をBGMに提供しているボブが、無駄に気を利かせてムードの出る感じのクリスマスソングに切り替えた。本当に無駄な気の利かせ方であった。

 

「竜胆君、私ね、家でクリスマスを祝ったことなんてなかったの」

 

「え……そうだったのか」

 

「私がクリスマスを初めて祝ったのは、ここに来てから。

 その時も言い出しっぺは高嶋さんだったわ。

 皆でクリスマスパーティーしよう、ってね。

 まだ仲間が結束していなかった頃、まだ私が仲間の誰にも心を開いてなかった頃」

 

「へぇー……」

 

「高嶋さんが皆を引っ張って、クリスマスパーティーを開いて。

 私の名字の(こおり)(ぐん)と高嶋さんが読み間違えてたことが話に出て。

 高嶋さんが私を"ぐんちゃん"と呼ぶのが定着して……そんな、初めてのパーティー」

 

「ちーちゃんの幸せな話を聞いてると、こっちまで幸せな気持ちになるよ」

 

「……そういうところよ、竜胆君。

 だから今は、クリスマスは良い日だと思っているわ。

 クリスマスが他の日と違う特別な日になったのは、ここで皆と出会ってからだから」

 

「……うん」

 

 神様ってやつはいるのかもしれない、と竜胆は思った。

 とても辛い目にあっていた、とてもひどい毎日を送っていた少女が、過去の不幸を帳消しにしていけるくらい、良い出会いを得た。新しい居場所を得た。信じられる仲間を得た。

 幸せを、得られたのだ。

 まだ過去の全てを帳消しにできるほどではないけれど、それでも千景は、報われていた。

 

 竜胆は千景が幸福なら幸せを感じる。

 千景は大切な友達が皆ちゃんと笑えていて、自分の価値を認めてくれる友達が傍に居てくれたなら、幸せを感じる。

 かつて竜胆が一方的に千景を守る関係であった二人の関係性は、もうない。

 ガゾートとの戦いがそうであったように、もう一方的に守られるということはない。

 二人は助け合える。

 守り合える。

 竜胆が知らない今日までの日々の中で成長した千景なら、それができる。

 

 助け合える、守り合える仲間として、竜胆(ともだち)と並んで座っているこの時間が嬉しくて、千景は自然と微笑みを浮かべていた。

 

「なんだか、嬉しい。

 こうやって、あなたと一緒にクリスマスが祝えているのが嬉しい。

 こんな日が来るなんて、あの頃は思ってもみなかったから」

 

 三年前の惨劇と三年の月日が変えたものがあり、変えられなかったものがあった。

 二人の間にあった友情だけは、何も変わってはいなかった。

 

「僕は、俺は、何も変わってない。

 まだ闇色の自分のままだ。

 幸せがあると壊したいって思いが自然に湧いてくる。

 こんな自分が……御守竜胆が、ここに居ていいんだろうか」

 

「居ていいかどうかなんて私には分からない。

 でも、ここに居てほしいって、私は思ってる。

 ……これは、それが正しいことかどうかとは関係のない、私の願い」

 

 上里ひなたの言葉が、竜胆の記憶から浮かび上がる。

 

―――死んではいけません

―――あなたがもし、誰にも悲しんでほしくなく、誰にも泣いてほしくないのなら

 

 ひなたは他人をよく見ていて、その上で安易に答えを示さない。

 その人が自然と答えに辿り着くことを望む。

 ひなたの望んだ通りに、竜胆は一人で答えに辿り着いた。

 竜胆には自分の死を望む理由が山ほどあり、死を受け入れる理由が無数にあったが、その反対側に……『死ねない理由』が一つ、とても大きな理由が一つ、置かれた。

 

 千景の笑顔を見て、それを曇らせたくないという気持ちが、彼の中に強く根付いていた。

 

「そっか」

 

 ボブは竜胆と千景を見て笑む。

 

よくやった(Great job)

 

 先の戦闘における竜胆の健闘を褒めているのか、今いい感じに女の子を扱えたことを褒めているのか、その両方なのか。

 ボブはこういう奴であった。

 ちょっと鬱陶しい兄貴ヅラをしたがるところがあった。

 弟や妹の宿題をちょっと鬱陶しいくらい手伝いたがるタイプである。

 

 だが、楽器を弾いて歌っている間は、何一つとして鬱陶しくないスーパーシンガー……そんな男であった。

 千景と竜胆が、その演奏に聞き惚れる。

 

「グレートな演奏ね」

 

「グレートな演奏だな……」

 

「あ、でもボブの歌は英語の歌しかないのに、竜胆君はボブの歌の意味が分かるの?」

 

「歌詞の意味分からなくても、英語の歌詞の歌ってなんかかっこよくて素敵じゃん」

 

「……そう」

 

 そういえば昔から、時々すっごく頭悪そうなこと言ってたなあ、と、思い出して。

 

 千景はとても懐かしい気持ちになった。

 

 

 




【原典とか混じえた解説】

●レオ・スタークラスター
 獅子座の怪物、十二星座のバーテックスの頂点。全長100m。
 攻防共に高い能力を持つ、レオ・バーテックスの強化系。
 炎弾一つとっても、強力かつ高速の直射弾、複数の敵を圧殺する追尾弾の連射、太陽を思わせる巨大弾の溜め撃ちなどを器用に使い分ける。
 その大火球の威力は、四国から放てば、瀬戸内海を突っ切って、海の水も本州も深く抉ったように消し飛ばしてしまうほどである。
 他バーテックスを吸収して強化形態となる能力や、星屑に炎をエンチャントして強化し砲弾として使うなど、最も強い十二星座でありながらかなり器用でもある。
 また、真に完成した十二星座は共通で凄まじい再生能力を持つため、極大威力で一気にダメージを与えきらなければ倒せない。現代の人類の技術力でこの特性に対応する"儀式"は不可能。

※余談
 その特性上、身体強度が低く遠距離攻撃が貧弱な現状のティガダークの天敵。
 一対一の戦いになった場合、追尾弾だけで圧殺されかねなかったりする。

●マドカ・ダイゴ
 原作ウルトラマンティガの主人公にして、ウルトラマンティガの変身者。
 闇の者の策略でティガダークに変身し、闇の力で暴走して罪なき女の子を叩き潰すビジョンを見せられた後にもかかわらず、揺らがない光の心で一切の暴走と闇堕ちをしなかった光の主人公。
 その心は光であり、人である。
 闇の最強戦士と言われたティガダークが最弱の戦士になってしまうほど、闇の巨人の力を喪失させてしまう、光り輝く心を持ち合わせていた『本物』の光の英雄戦士。

 遺伝子形質だけを見れば竜胆はダイゴにそれなりに近い。
 ダイゴは原作ウルトラマンティガにて『俺』と『僕』の両方を使っている。
 ファン間の考察では、この『俺』『僕』は『ウルトラマン』か『人』かで揺れるダイゴの心の動きも表していて、終盤に『人』であることを選んだダイゴが、それ以後『俺』を使わず『僕』で統一した……なんて考察するものもある。

・おまけ
 ダイゴさんは色っぽい話を振られても察しが悪いので「勘は鋭いが鈍いのよねえ」と隊長に言われてます

【自爆技】
 タロウの自爆技は、自分を爆発させて不死身の心臓から再生する技。
 メビウスの自爆技は、自分を爆発させてブレスレットの機能で再生する技。
 オーブの自爆技は、タロウとメビウスの自爆技の力を借り、抱きついた相手を爆発させて自分もそれに巻き込まれてしまう技。
 ウルトラヒートハッグはオーブのそれが近い。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一幕 赤の章
心傷 -トラウマ-


 2019年、1月末。

 ティガダークの参戦から一ヶ月以上の時間が流れた。

 ブルトンの捜索と討伐を当座の目標に設定し、竜胆が仲間との連携と、戦闘者としての正式な訓練を始めてから約一ヶ月。

 ティガダークは強く……は、なっておらず。

 むしろ弱くなっていた。

 

 一月の何度目かも分からない襲撃に、竜胆は対応していた。

 

『うらぁっ!』

 

 ゴモラの顎を、ティガがアッパーでカチ上げる。

 だが一発で片付かないことなど分かっているから、ゴモラの腕による反撃を予測してかわし、腹に追撃のボディブロー。

 更に噛みつきも回避して、鳩尾に肘打ちを叩き込む。

 ゴモラは痛そうにして、咆哮を上げた。

 

 竜胆は暴走しそうになる自分の心を抑え、自分と戦いながらゴモラとの戦闘にも思考を割き、同時に敵の戦力を再分析するという器用なことをしていた。

 ゴモラは古代恐竜。

 その強みはいくつかあるが、警戒すべきは太い足の筋力を活かした踏みつけと、太い尻尾による強力な一振りである。

 馬鹿げた腕力も、鋭利な牙による噛みつきも、冷静に向き合えば対処できないほどではない。

 

 よって、殴る。

 蹴りは使わず、ゴモラの懐に入って殴る。

 ゴモラの腹に密着するくらいの位置で戦えば、踏みつけと尻尾攻撃が飛んで来ることはない。

 小賢しい小細工だが、よく考えた人間らしい創意工夫のスタイルだった。

 

 問題は、ここから仕留めきれないほどに、ティガが弱体化していることだった。

 

(ヤバいか、最近は腕力も落ちて来てる……!)

 

 ティガの右手に発生する闇の八つ裂き光輪。

 巨人の右腕、ゴモラの左腕が同時に互いのボディに突き刺さる。

 八つ裂き光輪がゴモラの体表を裂き、恐竜の腕がティガを吹っ飛ばした。

 絶叫するゴモラの皮膚に深い切り傷が刻まれるが、致命傷にはまだ足りない。

 

 怒り狂うゴモラが、跳ぶ。

 そして前方宙返り。

 恐竜の前方宙返りにビックリした竜胆は頭上で腕をクロスし、防御の姿勢を取るが、ガードの上から落ちて来た尻尾に叩きのめされ、地面に叩きつけられた。

 

 地面を覆う樹海が震え、少し樹海にダメージが入る。

 

『ぐ……そうか、人間と違って、尻尾があるから、前方宙返りすら攻撃になるのか!』

 

 ティガダークは53m、4万4000t。

 対しゴモラは、40m、2万t。

 ゴモラは恐竜で、パワーファイターではあるが、実はヘビーファイターではない。

 軽業も不可能というわけではないのだが、まさかこんな技を隠し持っていたとは。

 ティガが強打のダメージでフラつき、攻撃の痛みに「冷静になれ」「よくもやってくれたな」と光陰極端な二つの思考が走り、竜胆は激情を抑え込む。

 

 弱体化してもまだ、ティガダークは強力なウルトラマンではある。

 だが三年近い激戦をくぐり抜けた他のウルトラマンと比べれば、竜胆に戦闘技術が無いこともあり、相対的に弱者になってしまう。

 バーテックスサイドも、グレート達に対応した戦力であるがために、弱いはずもなく。

 ティガはゴモラ相手に一対一で勝率八割、程度の勝率で推移していた。

 つまり、初戦のように30体怪獣が出てくれば、大体負ける程度であるということである。

 

(冷静に、冷静に……感情に身を任せるな……街を、樹海を、守りながら戦え!)

 

 だが、間違いなく成長はしている。

 戦いの中で闘争心が高まっても、敵の攻撃に痛みを覚えても、暴走の気配はない。

 精神的には間違いなく成長しているのだ。

 まだ闇を乗りこなせてはいないものの、闇を抑え込むことには成功している。

 

 友が、仲間が、くれた心の光がある。光が闇を押し込んでいる。

 心は強くなっている。力は弱くなっている。

 竜胆は強くなっているのに、ティガダークが弱くなっている。

 

(弱体化して初めて分かる。

 明確に弱いのは星屑だけで、その星屑だって油断すればこっちが殺される……!)

 

 ティガはゴモラの尻尾がギリギリ届かない位置取りを選び、攻めあぐねる。

 

「任せて!」

 

 そこに、仲間が飛び込んだ。飛び込んだ勇者が、嵐の精霊を身に纏う。

 

『高嶋!』

 

「てやあああああっ!!」

 

 暴風を具現化した精霊―――『一目連』。

 

 その特性は、竜巻の勢いと力を友奈の拳に与えること。

 友奈の精霊たる一目連のエネルギーは、"核兵器に匹敵する"とたとえ話に使われるほどのエネルギー量を誇る。

 他勇者の精霊とエネルギー量では変わらないが、そのエネルギーが拳撃の威力上昇と攻撃速度に使われており、単体の敵に対する瞬間ダメージでは他の追随を許さない。

 

 『義経』の移動速度強化によって、副産物として攻撃速度や攻撃力を上げる、汎用性の高い精霊使いの若葉とは違う。

 友奈の精霊は、手数を増やすことで極限まで近接攻撃力を高めるものだった。

 

 ゴモラが迎撃に尻尾を振るが、友奈は軽やかに跳んでそれを回避し、拳を引き絞る。

 暴風の激しさと、疾風の速さを併せ持つ拳が放たれた。

 ほんの一息の間に、数百発の拳がゴモラの眉間に叩き込まれる。

 ゴモラの眉間の骨に当たる部分の表面が砕け、ヒビが入った。

 

 怯んだゴモラの眉間に、竜胆は渾身の八つ裂き光輪を投げ込んだ。

 普段よりも遥かに威力を込めた闇の光輪が、ゴモラの額に刺さり、絶命させる。

 

『悪い、助かった』

 

「仲間は助け合いでしょ!」

 

 友奈を踏み潰したいと思う自分の心の動きを抑え、ティガは友奈と共に構える。

 ゴモラを倒したティガと友奈を、ゴモラ一体、ソドム三体、星屑約二百体が包囲する。

 

「!」

 

 ティガはその瞬間、敵の攻撃ではなく、遠方からの仲間の攻撃を見ていた。

 遠方で構える、伊予島杏のボウガンの銃口の先が、こちらを向いているのに気が付いていた。

 最近球子から聞いた、杏の精霊攻撃の特性の話を思い出す。

 とっさに、竜胆は友奈に手を伸ばした。

 

『高嶋、手に乗れ!』

 

 友奈が迷わず手に乗り、竜胆は優しく友奈を手で包み――友奈を握り潰そうとする闇の衝動を抑え――友奈を守る。

 杏の身に精霊が宿り、途方もない冷気が放出された。

 真っ白な吹雪が、ティガも友奈も、彼らを囲んでいた敵も、諸共に包み込む。

 

「―――『雪女郎』」

 

 精霊の名は雪女郎。あらゆるものを凍らせる雪と冷気の具象化にして、死の象徴。

 拡散すれば、星屑をまたたく間に凍死させる威力と丸亀市を覆い尽くすほどの攻撃範囲を実現させることも可能で、収束すれば、その冷気の威力は一気に高まる。

 他の精霊と違い、これは杏の得意分野や精霊との相性上、後衛火力砲台しかできない。

 その代わりに、その攻撃力と汎用性は極めて高い。

 

 杏は敵周りの冷気密度を引き上げ、ティガと友奈の周りの冷気密度は極端に引き下げ、竜胆が友奈を手で包んで僅かな冷気からすらも守る。

 これなら巨人は冷気で倒れず、友奈に至っては寒さをほとんど感じない。

 空間を埋め尽くす猛吹雪は、ティガでも目を凝らさないと敵が見えないほどの密度で、バーテックス達を襲っていた。

 

『凄いな……人間体の目だったら1m先も見えなそうだ』

 

 球子の回る炎の巨大旋刃盤、のような攻撃も竜胆は結構好きだったが、こういういかにもな超強力広範囲必殺技は、それはそれで憧れるものだった。

 友奈が竜胆の手の中でもぞもぞ動く。

 

『氷技かっこいいな……使ってみたいけど無理かな……』

 

「氷技好きって、男の子だね。御守さん」

 

『え、女の子って氷技好きじゃねえの?』

 

「高嶋友奈、個人的意見ですが!

 男の子って女の子よりずっと炎技とか氷技とか好きな気がします、はい」

 

『マジか、タマちゃんと伊予島のロマン砲は"これ選ぶとか分かってるな"って思ってたのに』

 

 バーテックスの陣容は、時期によってかなり左右される……が。

 最近のバーテックスの主力メンツは、かなり杏との相性が良かった。

 訓練でティガとの連携が計画的に成立するようになった最近は、杏の精霊も時たま見られるようになったので、それがよく分かる。

 

 ゴモラは恐竜。

 つまり寒さに弱い。

 ソドムは高熱怪獣。

 なら寒さに強い……と思いきや、実は体温が下がっただけですぐ風邪を引く怪獣だったりする。

 星屑ならばすぐに凍って砕ける。

 しからば、こんな吹雪攻撃をしたらどうなるか?

 

 吹雪が止んだその頃には、凍りついた怪物と、冷気によって弱りきった怪物しか残っていなかった。

 

『……本当にすげえよなあ、相性が良いとはいえ』

 

 友奈と竜胆が、力を合わせてトドメを刺し、あっという間に敵を全滅させていった。

 冷気攻撃は、敵の主力の弱点に突き刺さる。

 この時期のバーテックス迎撃において、伊予島杏は信じられないくらい頼りがいのある大活躍勇者であった。

 

「アンちゃーん! かっこいいよー!」

 

「ゆ、友奈さん! 大声でそんな、恥ずかしいです!」

 

『凄いな伊予島は』

 

「……あ、は、はい。ありがとうございます……」

 

 コミュ力おばけの友奈と、未だに杏と距離が詰まっていない竜胆と、分かりやすく杏の対応に差が出たので竜胆はちょっと悲しかった。

 けれども、納得もする。

 勇者はちょっと寛容で優しい子が多すぎると思っていた竜胆にとって、普通の子な反応をして、自分に怯える杏の対応は、少し安心すら覚えるものだった。

 

 竜胆は預かり知らぬことだが、勇者の初陣においてバーテックスを恐れたのは千景と杏だけだったという。

 恐れとは当たり前の感情だ。

 それを乗り越えられるから勇者である、とも言えるが、だからといって恐れたならば勇者ではないというわけでもない。

 

 杏が見せる"普通の少女らしい"恐れや、たくましい他の勇者とは違う"か弱さ"のようなものを見ていると、竜胆には男の子らしく"守ってやりたい"という感情が湧いてくる。

 なお、竜胆は"いや俺が嫌われるのは当然だろ"が基本思考なので、杏の諸感情に対する悪感情は特に無い。

 

(周りを見る、周りを見る、と……)

 

 杏に対して悪感情を抱いていない竜胆の理性もあれば、こんな些細なことで杏に不快感と殺意を覚える心の闇もあり、竜胆は心の手綱を握りながら周りを見る。

 グレートは珠子と、パワードが千景と若葉と連携している。

 どこも距離が近い。

 どこに援軍に行ってもいい―――そう思考した、その瞬間。

 

 純然たる『幸運』が、ティガの目に、樹海の合間を通る『星屑』の姿を捉えさせた。

 

「―――」

 

 バーテックス側の9割成功する策略を、生来幸薄いせいで本当に少ない幸運を使い切る勢いで、竜胆は幸運にも察知することができた。

 

 その瞬間、ティガは駆け出し。

 ティガが杏の下に辿り着く前に、ゴモラが杏の背後に現れた。

 防御も、回避も、ボウガン使いで打たれ強くもない純後衛型の杏では、間に合わない。

 

「―――え」

 

 樹海化は、神樹の根や蔦が街を覆うことで完了する。

 樹の根が戦いの地盤を作り、その下の街を、時間の停止も合わせて守護するのだ。

 だからこそ。

 星屑であれば、根の合間を通っていくことは、不可能ではない。

 小さな星屑を意図して作ればなおさらだ。

 

 やや小さめの星屑が生産され、それが戦いの最中に樹海の根の下と合間を通り、勇者や巨人に気付かれないように移動し、杏の背後で集合・融合・変異をし、即席ゴモラとして出現した。

 この突然の出現は、つまりはそういうことだった。

 

 戦いの中で進化していった勇者システムは多様な機能を備え、こういった敵戦術などに幅広く対応するため、バーテックスを感知するレーダーシステムも実装している。

 だからこそ。だからこその、先の"包囲攻撃"は行われた。

 ティガと友奈を囲み、杏に精霊を使わせ、その隙に星屑を樹海の合間から杏の背後まで一気に進軍させたというわけだ。

 

 吹雪は多少なりレーダーの精度にも悪影響を与えるし、吹雪が吹いている間は星屑など見えるはずもなく、攻撃中と攻撃の前後は精霊の制御のために杏は端末を覗いている余裕が無い。

 杏に気取らせないための工夫がそこかしこに見えた。

 そう、これは。

 ここ一ヶ月に何度かあった襲撃の中で、ゴモラやソドムに対し"活躍しすぎた"杏に対応した、バーテックスの戦術の『進化』であった。

 杏を殺すためだけの戦術だった。

 

 バーテックスには、生来"厄介な敵個体を封殺するための戦術進化を行う"という、本能的な習性がある。

 

「アンちゃん!」

 

 友奈も遅れて気付き、駆け出すが到底間に合わない。

 ティガが杏の危機に気付いて飛び出してから一秒未満のその刹那。

 杏が状況を完全に理解しきるよりも早く、ティガダークは割って入って彼女を守る。

 

「え……えっ……?」

 

 杏を噛み潰そうとしたゴモラの噛みつきを、腕を盾にして止める。

 ティガの腕に牙が食い込み、杏の命は守られる。

 だが、代償は大きかった。

 

 仲間が殺されるかもしれない、と思った瞬間。

 竜胆の中に"また殺すのか"と怒りが湧き上がり、それが連鎖的に心の闇を励起させた。

 幸か不幸か、それが完全に良い方向に噛み合った。

 

 ティガダークは瞬間的に速度は十倍以上、腕力は十倍以上に跳ね上がり、感情の爆発に沿った暴走が杏を救った。

 暴走したからこその速度であり、その速度があったからこそ杏を守れた、とも言える。

 

『■■■―――』

 

 杏を殺そうとしていたゴモラは、両手両足をティガダークに一本ずつ掴まれ、一本ずつ力任せに引っこ抜かれて、両手足の無いダルマにされた上で、首を折られた。

 ゴモラに絶叫させる時間さえ与えない、瞬間の解体。

 圧倒的な力の差が為す『瞬殺』と、残酷な嗜好が生み出す『必要以上の残酷な破壊』の両立に、杏は思わず後ずさった。

 

「あっ……うっ」

 

 仲間を攻撃されてカッとした、ただそれだけで、暴走する。

 大変問題であり、大変危険である。

 ……一ヶ月前の竜胆は、ここまで低いハードルで暴走はしないはずだったのだが。

 仲間と触れ合うたびに。

 仲間のことを知るたびに。

 仲間に対する好感が積もるたびに。

 それに対して攻撃した存在への抱く"許せない"という感情は大きくなってしまった。

 

 憎悪は人の繋がりから生まれやすい感情だ。

 孤独な人間より、他人との繋がりを持つ人間の方が憎悪は抱きやすい。

 皮肉にも、仲間が増え、仲間との繋がりが増えたことで、竜胆の心の闇が抑え込まれて弱体化してしまい、竜胆の憎悪のスイッチが増えるという極端に面倒臭い事態が発生していた。

 

 ゴモラを惨殺したティガダークの両手から、八つ裂き光輪が発射される。

 何個も、何個も。

 異常な威力と連射力で放たれた八つ裂き光輪が、ティガダークの視界内の二十を超える大型バーテックス達を次々と八つ裂きにしていった。

 

 ティガの足元の杏が、恐ろしいものを見る目でティガを見上げる。

 人間の心の光と闇は相殺されるのか、といえばそうではない。

 過去のトラウマがいつまでも心のどこかに残るのと同じように、心に光が増えれども、心の闇が消えてなくなるわけもなく。

 通常時のティガダークが、心の光で弱体化することはあっても、暴走時のティガダークが弱くなることはありえない。

 

 怪獣を殲滅したティガは、またしても、近場に居た仲間……杏を攻撃しようとして、止まって、踏み潰そうとして、踏み留まって、殴り潰そうとして、自分を止めて。

 自分で自分を止めきれないティガを、一番近くに居たウルトラマンが止めてくれた。

 

『ストップ』

 

 そのウルトラマンは、竜胆を気遣っていたボブよりも先に、ティガを止めてくれる。

 

 攻撃しそうになるティガを、優しく押して吹っ飛ばす。

 ほぼ暴走状態にあるティガはそのウルトラマンにも攻撃しそうになってしまうが、そのウルトラマンはティガの攻撃を見切ってかわし、その腹を再度手の平でぐっと押す。

 優しく押されたティガの腹には痛みすらないのに、そのウルトラマンの腕力があまりにも規格外すぎるせいで、ティガの巨体は軽々と吹っ飛んだ。

 完全暴走状態のティガの腕力と同等か、それ以上かという凄まじい腕力が、ティガに傷一つ付けない優しい心によって行使されていく。

 

『■■■―――!?』

 

 このウルトラマンは"押す"ウルトラマン。

 拳で殴れないわけではない。足で蹴れないわけではない。

 それでも、その性根が優しすぎるために、敵をあまり傷付けない"押す"という攻撃手段を多く選んでしまう、とても優しいウルトラマン。

 で、あるからこそ。

 押されただけのティガダークの体には、痛みすら走らない。

 

 彼の名は、『ウルトラマンパワード』。

 ティガ、グレートに続く、今の人類戦力において戦える三人目のウルトラマンだ。

 

パワード!(Powered!) そっちは任せた!(I'll leave it to you!)

 

『テキノホウ、マカゼルゾ、グレート』

 

ああ、任せろ(I got this)

 

 ティガが大半を消し飛ばした後の残りの敵を任せ、パワードはゆらりと構えた。

 勇者達もパワードではなく、グレートの方と連携すべくそちらに向かう。

 

 パワードは瞳は青く、全身の筋肉はマッシブで、腕には手首から肘までヒレが付いており、カラータイマーの周りにはメーターが付いているという独特のウルトラマンだ。

 そしてその強さの質も、極めて異質である。

 雷と見紛うレベルの超高速移動でパワードに飛びかかったティガを、パワードの手の平が優しく押して、空に舞い上がらせる。

 ティガは飛行能力で立て直し、空からまたパワードに襲いかかるが、パワードは優しく強くティガを押し、傷一つ付けずに黒き巨体を転がした。

 

『……ヤツザキコーリン、ツカワナイアタリ、ショウキ、ケッコウ、ノコッテソウネ』

 

 万年単位の大昔、地球で数々の怪獣を打ち倒した怪獣退治の専門家・初代ウルトラマン。

 彼が地球で無双していた時、彼の腕力は十万トンのタンカーを持ち上げられたという。

 それを比較に使ってみよう。

 なら、パワードの腕力はどのくらいあるのだろうか?

 

 ()()()()だ。

 

 パンチの威力は一億トン、キックの威力は二億トン。

 飛行速度も初代ウルトラマンがマッハ5であるのに対し、パワードはマッハ27。

 信じられないレベルの、規格外身体スペックだ。

 ただしこれはかつてのウルトラマンと比較して、であり、今のウルトラマンの能力であればパワードに圧倒されるということもない。

 

 腕力で勝っているなら、グレートほどの技を持たないパワードでも、ティガの暴走を抑え込めるというのは道理である。

 ティガはまた押されて飛んで、暴走もかなり収まってきた。

 

『オチツケ、ショウネン。オチツキノ、ナイヤツハ、モテナイゾ』

 

 パワードの身体能力はとても高い。が。

 実は、強いイメージを周囲に持たれているかというとそうでもない。

 

 パワードは優しい。

 ケンも優しい。

 そのせいで、拳や足を相手にぶつけて傷付けるという手段があまり好きではなく、攻撃手段がついつい優しく押して吹っ飛ばす、というものになりがちなのである。

 もちろん、パワードは怪獣を倒すことを迷ってなどいないし、光線技で爆発四散させてきた怪獣は数え切れない。

 

 だが、その上で。

 数え切れないほどの命を殺してきたが、その上で。

 パワードとケンの戦い方は、"基本的に誰も傷付けないようにする"という生き方を体現する。

 それは、見方を変えれば、ある意味では。

 パワードとケンの生き方はそれ自体が、『沢山の命を殺した後でも優しい生き方を選んで良い』という、竜胆へのとても優しい応援になるということでもあった。

 

 優しすぎるがゆえに、規格外に高いスペックを最大限に活かしきることができず、最終的にかなり強力なウルトラマン、くらいの位置に落ち着く。それがパワードであった。

 

『ソコマデ、ネ?』

 

『■■■ッ』

 

 パワードが押して転がした時間で、竜胆は自分の中の心の闇と戦い、ようやく止まる。

 暴走した状態から停止状態まで持ち直せたところに、竜胆の成長が垣間見えた。

 止まったティガダークに向け、パワードは祈るように両手を合わせた。

 

『ヘイ、モドッテコイ、モドッテコイ、カモン』

 

 パワードはテレパシー能力を持ち、その能力はこの構えにて一気に効果を引き上げる。

 祈るような構えからのテレパシーと、それによる精神抑制効果は、かつて"地球の警告"とも言われたパワードザンボラーをなだめて返したほどである。

 

『……うっ、くっ……と、止め、られた……』

 

『ヨシヨシ』

 

 なんと、驚くべきことに。

 パワードとケンは、グレートのような技量による制圧ではなく、特殊能力を通した対話にて、ティガダークを鎮めることに成功したのだ

 竜胆の自制力の急激な成長を考慮しても、目を剥くような解決の仕方であった。

 とても優しい抑制であった。

 

『ボブ、テキノイチ、イイカンジ。キョウハ、ココデ、オワラセヨウ』

 

 ティガダークの暴走も終わった。

 グレートと勇者達の巧みな連携により、敵の残りも一箇所にまとめられている。

 そっちを見たパワードは、仲間に声をかけ、無造作に光線の構えを取った。

 あまり敵を殺すという行為に乗り気でないケンが、パワードと一緒に闘争本能を高め、戦意を高めると―――精神の高揚に従い、パワードの青い瞳が、赤く染まった。

 

 パワードの腕のヒレ"パワードスタビライザー"と、カラータイマー周辺にある"みなぎりメーター"。この二つは、光線の威力を高める効果を持つ。

 更には、「何だそりゃ」と思われるかもしれないが、パワードは気功の使い手である。

 気功術により、光線の威力を高める異色のウルトラマンなのだ。

 

 各ウルトラマンの光線技の、威力ではなく、単純な温度を比べてみよう。

 初代ウルトラマンのスペシウム光線は、35万度。

 ウルトラマンタロウのストリウム光線は、40万度。

 ウルトラマンメビウスのメビュームシュートは、10万度。

 ウルトラマンジードのレッキングバーストは、70万度。

 現在ウルトラの星・光の国最高威力の光線技であるM87光線が、87万度。

 しからば、パワードの光線『メガ・スペシウム光線』は何度なのだろうか?

 

 ()()()である。

 

 ここまで来ると、「威力と熱量は比例関係にないだろう」という正論をぶつけても、「いやこれだけの熱量で低威力なわけあるか」という反論が返って来るレベル。

 グレート達がまとめていた敵に、パワードのメガ・スペシウム光線が着弾。

 規格外の熱量により、怪獣・十二星座・星屑が、一瞬でまとめて蒸発した。

 

『うわぁ……』

 

『ヘイ、オワリ』

 

 竜胆は、グレートの最強光線・バーニングプラズマを見た上で、自分の最強技・ウルトラヒートハッグと比べた上で、確信する。

 ちょっと、必殺技の威力の格が違いすぎる、と。

 

「残存している敵は……居ないか。何とか今日も乗り切れたな。竜胆、ちょっと来い」

 

『乃木』

 

「反省会だ」

 

『……知ってた』

 

 これにて、敵は全滅。

 

 樹海化が解除され、竜胆は丸亀城に正座させられていた。

 

「まいったな、タマったもんじゃないぞ、あれ」

 

「本当に申し訳ない……最近暴走してなくて油断してたんだろ、って言われたら俺何も言えない」

 

「待て待て、タマは別に責めてるわけじゃないんだ。ただどうしたもんかなと」

 

 球子に、千景に、友奈に、ボブに、ケン。皆が頭を悩ませる。

 竜胆は正座した状態で、皆に何度も頭を下げていた。

 杏はまだティガダークの残虐ファイトが尾を引いている様子で、若葉は顎に手を当て口を開く。

 

「仲間との交友が深まってくると、仲間を攻撃した敵も許せなくなるのか……

 まいったな。その感情自体は悪くないものだから、私もどう対処すればいいのか分からない」

 

「……ごめん、乃木。本当にごめん。伊予島は特に怖かったろ」

 

「え、あ、あの、その、怖がってないので、目を付けないでくださると嬉しいというか……」

 

「いや本当にごめんなさい」

 

 竜胆は杏に向けて特に深く頭を下げる。

 杏は竜胆が憎いわけではない。ただ、怖いのだ。

 竜胆の過去の所業に対し、嫌悪感を抱く者もいれば、警戒心を抱く者も居て、敵愾心を抱く者もおり、杏のように純粋に恐怖する者もいる。

 

 恐れている相手を好きになることはないし、信じられることもない。

 厳密に言えば、竜胆と杏は、まだ仲間ではないのだ。

 

「竜胆については解決策を考える必要があるかもしれない。だが、そうか」

 

「……?」

 

「お前の憎悪と優しさは、時に同じ所から湧き上がるものなのかもしれないな」

 

 若葉の指摘に、竜胆は目を剥き、千景と球子と友奈が「あー」と声を漏らす。

 

 優しいからこそ、他人想いだからこそ発生する心の闇もあるというのが、人間の心の難しさを如実に表していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 竜胆は相変わらず、外から誰かが開けないと開かない自室で、自分を縛り付けていた。

 目を瞑り、何度目かも分からない昨日の反省を行う。

 

「あー……ちくしょう。どうすりゃいいんだ」

 

 竜胆があんなに簡単に正気に戻って来れたのは、竜胆にとって杏が()()()()()()()()()()()()()()()からだ。

 例えば、杏が殺されたなら竜胆は激怒するが、千景が殺されたなら絶望する。

 あの時攻撃されたのが杏ではなく千景や球子だったなら、竜胆は簡単には正気を取り戻せなかったかもしれない。

 

 問題は一つではない。

 暴走すれば強すぎる人類の敵になってしまうのもそうだが、暴走しないならしないで日々弱くなっている、というのも問題だった。

 

「このままじゃ暴走しやすい厄介者な上に、一番弱い巨人とかいう役立たず……

 迷惑はあっても利益を生まない、控え目に言ってゴキブリの死体以下の存在……

 シューマイの上に乗ってる要らないグリーンピースより価値が無い……

 最悪仲間を殺して、バーテックス側に利することにもなりかねない……どうすりゃいいんだ」

 

 そんなこんなで、竜胆は悩んでいたのだが。

 

 そこに"休日に部屋でゴロゴロしている息子を家事に引っ張り出す"くらいの気軽さで、ケン・シェパードがやって来た。

 

「ワルイ、ソウジ、テツダッテオクレ」

 

「え、あ、はい。え? 掃除?」

 

「アリガトナス」

 

 竜胆は引っ張り出されて、箒を持たされ、丸亀城の清掃に駆り出された。

 時刻は六時と七時の間。

 気持ちの良い塩梅の朝日と、一月の肌寒さに、葉が綺麗に落ちた木々が風情を感じさせる。

 枯れ葉や小さなゴミなどが地面に落ちてはいたが、普段からケン・シェパードがこまめに掃除しているらしく、丸亀城の敷地内は綺麗なものだった。

 

 よーし綺麗にするか! と気合いを入れた竜胆が箒を振るおうとして、変な具合に箒の柄が手錠の鎖に引っかかり、箒の柄先が竜胆の額を強打した。

 

「おあだっ……手錠くんめ、こいつめ」

 

 手錠の存在自己主張を無視し、竜胆は丸亀城の掃除を始めた。

 とにかく広いので掃除の仕方はよく考えて、人の目に映る場所を意識してやっていかないといけない。

 その点ケンの掃除は、すいすいと流れるような手際の良さが見て取れた。

 

「キョウハ、チト、ヨウジガ、ツマッテテ。アサノウチニ、ソウジ、オワラセタカッタノダ」

 

「そうなんですか。いつも掃除とかされてるんですか?」

 

「イツカラカ、カジハ、ケッコウ、ボクガヤルヨウニナッタ」

 

「へぇー……」

 

「タイシャガ、ハケンシテイル、ヒトモイル。ボクガ、ゼンブ、ヤッテルワケデモナイ」

 

 話しながらも掃除は続く。

 

「ケンさんの光線技、凄かったですね。単独で撃つ技であの威力とは」

 

「ノゥ、ノゥ」

 

「?」

 

「コウセンハイカニイリョクヲダスカ、デハナク、ドウタオスカガ、カンジン。

 コウセンノ、タヨウサナラ、グレートイチバン。

 コウセンノ、セイギョリョクナラ、アグルイチバン。

 コウセンヲ、カクトウニマゼルノハ、ガイアがイチバン。ダイタイソンナカンジネ」

 

「そうなんですか」

 

 片言の日本語は聞き取りづらかったが、竜胆は頑張って一言一句を聞き取った。

 

「ああ、そうだ。ちょっと相談なんですけど―――」

 

 竜胆は、ケンに相談してみることにした。

 解決したいのは、仲間を攻撃されるだけで暴走しかねない今の自分と、希望を得るたびに弱くなっていく今の自分。

 ケン・シェパード。ウルトラマンパワードの変身者。

 竜胆が相談相手に選ぶ者としては、さほど不自然な者ではなかった。

 

 ケンは年齢30代後半の白人である。

 金の髪に、青の瞳。球子の話によれば、巨人と勇者の中では最年長。

 日本語を勉強して片言だが喋れるようになり、仲間からも信頼されている様子だ。

 竜胆の現在身長が177cm、ボブの身長が180半ばなら、ケンの身長は2mを超えている。

 

 勇者と並び立てば長身で頼りがいがあるように見える竜胆も、ケンと並び立てば親に見下される子のようにしか見えなかった。

 ケンは、竜胆の相談にすっぱり答える。

 

「ジセーシン、キタエロ」

 

「自制心、本当に鍛えないとですね……」

 

「タダ、ココロノセイギョハ、イツノジダイモムズカシイ。キミハ、ガンバッテル」

 

「ありがとうございます」

 

 ケンはスパッと名案を出してはくれなかったが、掃除をしながら、竜胆と一緒に真剣に悩んでくれていた。

 

「ブドウ、ッテ、テモアルヨネ」

 

「葡萄?」

 

「ソウ、ブドウ。ボブモ、ワカバモ、ヤッテルヤツ」

 

「……ああ、武道!」

 

『ブドウハ、セーシンシューレン、シンギタイ。ジブンヲ、キタエルモノ』

 

「精神修練、心技体、心も体も鍛えるもの……なるほど」

 

 そして、竜胆とはまた違った視点から案を出してくれた。

 武道。

 それは力のみならず、心も鍛えることを目的とするもの。

 ボブは空手、若葉は抜刀術を修めた者だが、その技にはひと目で分かる武道の精神性が見て取れた。

 ケンは武道やれば何でもかんでも上手く行くってわけでもないぞ、と考えていて。

 竜胆は、それを全ての問題を解決できるナイスな名案だと受け止める。

 

「なんて合理的な提案なんだ……ありがとうございます! 一石二鳥で解決だ!」

 

「ウーン、ノーミソ、タンジュン」

 

「え、今何か言いました? すみません、小声だったもんで聞こえなかったみたいです」

 

「ワカバ、ミタイダナ、ッテイッタ」

 

「えっ……そんな褒められるようなこと、俺何か言いましたっけ」

 

「……キミ、ソウイウトコヤゾ、ッテ、チカゲ二、イワレテソウ」

 

「ケンさんすげー。ドンピシャっす。チームの皆の理解者って感じですね」

 

 はぁ、とケンは心配そうに溜め息を吐いた。

 ボブが少年少女にとって兄のような位置にいるとすれば、ケンは父のような立場にいる。

 ケンは皆をよく見ていた。

 竜胆のこともよく見ていた。

 だから分かる。

 この少年の各問題は、心の根っこの部分から湧いてきているのだ、ということを。

 

「キミニ、タリンノハ、アゾビゴコロト、エガオダナ」

 

「え?」

 

「キマジメナコジャ、キミハ、カエキレナイカ。ツギ、センタクモテツダッテオクレ」

 

「洗濯ですね、はい」

 

 竜胆の諸問題は、竜胆の心に起因する。

 戦いのことを度外視しても、竜胆の心に根付いている幾多の歪みを解消しなければ、竜胆が幸せになることはない。

 ケンは、竜胆が弱くなっても良いやと思った。

 少年が幸せになれるなら良いやと思った。

 代わりに自分が戦えば良いやと、そう思った。

 ケンのその思考を、ケンと一体化しているウルトラマンパワードが、"それでいい"と肯定してくれていた。

 

 ケンが洗濯物カゴの中から乃木若葉のブラジャーを引っ張り出し、指に引っ掛け回した。

 

「ヘーイ、ノギコプター」

 

「―――!?!?!?!?!?!?!?」

 

 パワードは"いやこれは流石に肯定しないぞ"とケンの心中にて呟いた。

 竜胆の思考がショートする。

 思考が停止する。

 思考が再起動する。

 再起動した直後、若葉のブラジャーを指に引っ掛けてぶん回して遊んでるケンを見て、竜胆は顔を真っ赤にして思考を再ショートさせた。

 少年は首が取れそうな勢いで顔ごと目を逸らし、口をパクパクさせる。

 

「な、なっ、ななななななな」

 

「ソーラハ、ジユウーニ、トベネーナ。イガイト、オオキイヤロ。ワカバチャン」

 

「なにやってんだこのド変態ウルトラマン! 性欲解放して恥ずかしくないのか!」

 

「ナニヲイウカ。

 ユウシャニ、セイヨクナンテイダカンワ。

 ミナ、ボクノカワイイムスメ、ミタイナモンダゾ」

 

「父親は娘の下着オモチャにしねーからっ!」

 

「ボクハシテタゾ。

 ジツノムスメニモ、シテタゾ。

 イキテタラワカバタチトオナジトシノ、カワイイムスメダッタノダ。

 コノイッパツゲイヤルト、ウチノムスメハバカウケダッタノダゼ」

 

「やべえ、頭が徐々にケンの台詞を受け入れるのを拒否し始めてる……!」

 

「ハッハッハ。

 ユウシャゼンイン、オトナニナッテヨメイリスルマデハ、ボクモシネンナ」

 

 ケンは、勇者達を娘のように見ている。

 女性扱いではなく、娘扱いしている。

 勇者達もまた、ケンを家族のように扱い、家事好きの父のように扱っている。

 

 ケンのこの竜胆に対する接し方は、思い詰めて自分を責めやすい生真面目な少年に、ふざけた態度で接する父親のような、そんな接し方だった。

 からかって、ふざけて、竜胆の頭の中にあった悩み事を一旦全部消し飛ばして、インパクトのある会話で頭の中を洗い流し、一度頭の中を空っぽにさせる。

 

「コノシタギ、ミテミ。

 タマコ、アレ、ブラジャー、イラネーナ。

 アワレナヘイタン。

 モットメシクワセテ、ナイスバディニ、ソダテテヤラントイカン」

 

「追撃やめろっ……!」

 

「アンズハ、イイカンジニセイチョウシテテ、アンシンデキル」

 

 竜胆は必死に目を逸らし、目を瞑り、ケンが見せつけてくるものから逃げる。

 そう、自らの心の闇から目を逸らし、逃げるかのように!

 酷い。

 こうして見ると酷いが、竜胆が色んな事柄に対し簡単に心を動かしてしまうのも事実で、ケンが大抵のことに動揺しない大人の男であるのも、また事実であった。

 

「オンナノ、シタギクライデ、ナニオタオタシテルンデス。

 セメテ、シタギノ、ナカミミテ、オタオタシロヤ。

 ハズカシガルジブンノヨワサト、ムキアイ、タチムカイ、ノリコエルノダ」

 

「さては俺で遊んでるなテメーッ!」

 

「シュウチシンニスラ、カテナイノニ、ココロノヤミ二、カテルカ!」

 

「え……え、いや、それはもしかしたらそうなのかもしれないけど」

 

「ドウヨウシナイ、ココロ、ホシカッタンジャナイノカ!」

 

「そ……それはそうなんですけど!

 仲間が攻撃されても動揺しない心は確かに必要なんですけど!」

 

「ブラ、パンツ、ソンナモノヲミタダケデ、ユラグココロ、ヨワイトオモワンノカ!」

 

「弱い……確かに俺の心が弱いってのもあるかもしれませんけど、いや、立ち向かうって」

 

 竜胆は勇気を出そうとする。

 羞恥心を勇気で踏破しようとする。

 人は、勇気があれば勇者になれる。

 竜胆は今、やらしい意味で勇者になろうとしていた。

 勇気を出して、硬く閉じた瞼を開けてケンがノギコプターでぶん回している若葉のブラジャーを見ようとして―――膝を折って、両目を地面に押し付けた。

 

 何が何でも、見ないために。

 

「すみません、無理です……勘弁してください……許して……」

 

「ナサケナイヤッチャメ」

 

「俺には……そんな仲間を裏切るような真似……恥知らずで恥ずかしい真似、無理っ……!」

 

 駄目かー、とケンは下着を洗濯カゴにしまって、竜胆の性格へのアプローチを切り上げた。

 

「デモ、ソウイウノ、キライジャナイゼ」

 

「……ケンさん」

 

「チョット、カラカイスギタ、ゴメンナ。

 デモナ。

 ナニゴトニモ、ドウヨウシナイ、ツヨイココロガナイノハ、ジジツダロ」

 

「……それは、そうなんですが」

 

「ユウナノブラ、チカゲのパンツヲミテモ、ドウジナイココロガアレバ、モンダイハナクナル」

 

「それを事実として受け入れるの心底嫌なんですけど?」

 

「パンツカラ、ニゲルナ。ココロノヤミカラ、ニゲルナ」

 

「並べないでその二つっ……!」

 

 ケンは、こう考えている。

 心の闇とは真剣に立ち向かうものではない。

 笑っている内に、幸せを感じている内に、自然とどうでもいいものになっていくもの。

 で、あれば、真面目に自分の心の闇について考え込むのもよろしくない。

 それは光の者の理屈だ。

 まず笑わせ、肩の力を抜かせて、それから。

 

 その結果として何か不都合が起きたなら、自分がそのケツを拭く。それがケンの思考。

 

「カタニチカラ、ハイリスギルト、ナンデモ、シンコクニミエル。

 テキトウ二、タイオウスル、ダイジ。

 シャニカマエル、ダイジ。

 チャカシテ、キラクニコナス、ダイジ。

 マジメニンゲン、ハヤジニスル。

 チョットクライ、フザケテ、モノゴトニブツカル。ソレクライデイイ」

 

「……それは……そうなのかも、しれませんね」

 

「フザケテ、ワラッテタホウガ。ココロノヤミヲ、ノリコエヤスイト、オモウノダヨネ」

 

「……それは」

 

「シカシ、パンツミタガラナイショウネントカ、キミホントウニヘンナヤツダヨナ。ホレ」

 

「!?」

 

「ノギコプター」

 

 最後に奇襲が見事に決まり、掃除が終わって、洗濯が終わって、竜胆はケンと別れた。

 さあ朝御飯でも食べるか、と竜胆は歩き出したが。

 心は光でもなく闇でもなく下着のことでいっぱいになっていた。

 

(ボブといい、ケンといい。

 ふざけてるとかおかしいとかそんな一言で語りきれる人じゃない。底が見えない……)

 

 真面目なことを考えようとするが、そうしようとするたびに先程見たものを思い出し、思考が全部吹っ飛んで、顔を赤くして動きを止めてしまう竜胆。

 ケンの目論見は成功していた。

 とりあえず、今の竜胆が思いつめて鬱々としてしまう可能性はなさそうだ。

 

(あ、うん、駄目だ。真面目なこと思考できる状態じゃないわ俺)

 

 若葉のブラとパンツを両手の指でダブルコプターしていたケンの顔が蘇る。

 全くいやらしい気持ちを抱いていなかったケンの表情と、今の自分を対比してしまう。

 竜胆のハートはケンの策略によりぐわんぐわん揺れていた。

 恐るべし、ウルトラマンパワード。

 

(乃木に合わせる顔がねえ……くっ、忘れようとしてるのに忘れられない。なんでだ)

 

 少年はドキドキしている。

 普段服の下に隠されていたものを見てしまったことで、かなりドキドキしている。

 今までそういう目で見たことがない若葉の下着を見てしまったのだ。

 そりゃもうドキドキである。

 今の竜胆なら、誰が見てもごく普通の中学三年生に見えるだろう。

 

 若葉に対しドキドキしてしまっていることに、竜胆はとても罪悪感を覚えていた。

 

(俺はとんだスケベ野郎だったわけだ……

 高知が生み出してしまった性欲の化身……

 友人に対していやらしい気持ちを制御できない人間のクズ……

 "誰か受粉してくれるだろ"的な軽い気持ちで子種を撒き散らす杉の木に等しい屑野郎……)

 

 これは恋愛感情ではなく、パンツを見るだけで心動かされ、ちょっと意識したらズルズルと好意を持ちかねない、少年特有の感情であり。竜胆はそれこそを恥じていた。

 しかも、このタイミングで。

 歩いていた竜胆の向かいの方向から、乃木若葉がやって来る。

 

「おはよう、竜胆。今迎えに行こうと思っていた所だったのだが」

 

「ごめんな、乃木。めっちゃごめんな。心底ごめんな」

 

「ん、んん? 先の戦いのことか? 私は迷惑を被っていない。気にするな」

 

 若葉が苦笑する。竜胆が謝る理由を全く理解できていないので、当たり前である。

 

「それより、杏だな。あいつも早くお前と打ち解けてほしいものだ」

 

「いや、昨日の一件があるし、そんなに早くは無理だろ」

 

「お前はもう私達の仲間だ。仲間とは信じ合い、支え合うものだろう?」

 

「乃木……」

 

「お前を守るのも、暴走したお前を切って止めるのも、お前の仲間だ。お前は孤独じゃない」

 

 若葉の言葉はかっこよく、その姿は綺麗で、浮かべられた笑みは可愛かった。

 そんな彼女を見て、竜胆は自分を恥じる。

 

(こんなに真面目で凛とした彼女に……クソ、なんて俺は最低なんだ!

 もっと誠実で綺麗な気持ちで接しなきゃ駄目だ。

 忘れろ、忘れろ。ドキっとするな。純粋な仲間意識と信頼で……)

 

 いっぱいいっぱいの竜胆から、脳内の言葉がそのままふっと、口から出た。

 

「そういや乃木、お前意外と可愛いパンツ穿()いてたんだな」

 

 めっちゃ怒られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うっかり口を滑らせたことの代償は、乃木若葉のお叱りであった。

 鞘での眉間打ちに始まり、若葉の顔が赤くなくなった頃に終わった、乃木式お説教。

 それが終わった頃に、竜胆はまた朝飯を食べに歩き出した。

 

「うひぃー……」

 

 ケンが竜胆の頭の中の面倒臭いものを一旦全て押し流して、ケンが残したピンク色を若葉のお叱りが洗浄し、竜胆はかなりフラットな精神状態に戻っていた。

 ケンも若葉も竜胆も、誰も深く考えての行動をしていなかったのに、熟慮の末の行動よりも遥かに良い結果をもたらしていた。

 

(ケン、愉快な親父ポジションで定着してんのか……

 俺に対して、今日限定で、格別はっちゃけてくれたのか……

 うーん、これがすぐに判断できてないって時点で、会話が足りてないんだよな。

 やっぱり自分の意志で部屋から出られないと、能動的に会話ができない)

 

 ケンに積極的に会話をしに行けなかった部屋環境もあり、竜胆とケンの会話はあまり足りておらず、少年はケンの真意を読みかねていた。

 ケンの真意なんて、全部ケンの言葉の中にあるのだが。

 

 ともかく。

 竜胆は下着を見たくらいで動揺し、冷静さを失い、ちょっと自分を見失ってしまった。

 メンタル強度は凄まじいのだが、予想外の方向からつつかれるとすぐ揺れるのは、ちょっとバランスの悪い鉄塊の如しである。

 

(俺いっつも自分見失ってない?)

 

 ちょっと笑い話ではない。

 このままでは竜胆は、勇者がちょっと襟元を引っぱって胸元をチラッとさせるだけで確定敗北してしまうスケベ童貞中学生に等しい弱さを抱えたまま。

 心の制御力を次のステージに上げるためには、大抵のことでは揺らがない不動のハートを身に着けなければならない。

 

 それが駄目なら、もっと直接戦闘力を高めなければ。

 仲間に一切の攻撃を通さないくらい、強くならなければ。

 そうでなければ、仲間への攻撃で暴走するリスクが常に付き纏ってしまう。

 心か、力か、両方か。

 竜胆は、速やかに強化しなければならないだろう。

 

 食堂に辿り着き、竜胆は白米と卵と醤油を貰い、一人で食べ始める。

 卵かけご飯オンリーで朝御飯を済ませる辺り、自分のことは適当に済ませる彼の性格が窺えた。

 

「かかる手間の割に美味しすぎる……」

 

 ただし、竜胆は卵かけご飯だけの朝飯を本気で絶賛していたりする。

 

「あ」

「あ」

 

「あ」

 

 そこで食堂に入ってくる、伊予島杏と上里ひなた。

 三人が同時に声を漏らし、杏が反射的にひなたを庇った。

 竜胆を警戒した、というわけではなく。

 "怖いものを見た"瞬間に、杏は感情の赴くままに反射的に、戦う力を持たないひなたを庇ったのだ。

 恐れに身を震わせることがあっても、彼女は勇者。

 細かな所作に、杏の『強さ』と『勇気』は見て取れるのである。

 

 が、反射的に取ったその行動に、杏は竜胆に対する申し訳無さを少し感じている様子だ。

 杏は竜胆を恐れている。

 竜胆を恐れ、敵のように反応してしまったことに罪悪感を覚えている。

 前にも後にも進めなくなった杏を、ひなたが引っ張り、食堂から離れていった。

 竜胆が窓越しに外を覗くと、ひなたが杏のフォローをしているのが見える。

 

 あのままあそこに杏を置いていても悪化しかしないと判断し、即座に竜胆と杏を引き離し、杏の精神的なフォローに回る。

 あの状況では最適解だったと言えるだろう。

 ひなたらしい状況把握と気遣いが、竜胆には本当に頼もしく感じられた。

 

 竜胆は食堂の窓越しに、ひなたに向かって頭を下げる。

 

(悪い、上里)

 

 ひなたがそれに気付き、杏に気付かれないよう、竜胆に向けて小さく手を振っていた。

 

(早めに食い切るか、他に誰か来ない内に……)

 

「ぶっかけうどん一つお願いします!」

 

 そんな中、ひなたの方に意識を向けていた竜胆は、注文の声が上がるまで近くに来ていた仲間の存在に気が付いていなかった。

 

「!? た、高嶋?」

 

「御守さん、隣座ってもいいかな?」

 

「……いいけど」

 

 竜胆は卵かけご飯をかっこもうとして、一瞬"乃木はああだったけど高嶋ってどんな下着付けてんだろ"と一瞬何気なく思ってしまい、羞恥心その他諸々の感情の爆発で、思わずむせこんだ。

 

「ぶっ」

 

「わっ、だ、大丈夫!?」

 

 明日には影も形も残らず消えているだろうが、今日一日竜胆はこんな感じかもしれない。

 中三らしい同年代の女の子への興味を竜胆は嫌悪し、抑え込み、押し込み、胸の鼓動を必死に静かにさせていく。

 いい子な友奈に対しそんなことを思ってしまったことで、竜胆は自殺したくなった。

 心の闇は自己嫌悪をブーストする。

 自殺衝動もブーストする。

 一瞬、竜胆はガチで自殺しそうになった。

 しなかったが。

 

「大丈夫? 顔赤いよ? 私が医務室に運んで行こうか?」

 

「大丈夫だ。あと、ごめんな高嶋……」

 

「え?」

 

「俺は最低だ……」

 

「御守さんは最低じゃないよ!」

 

「最低だから償いに乃木の言うことも高嶋の言うことも何でも聞くぞ……」

 

「え? 今何でもって言った?」

 

「言った言った」

 

「うーん、どうしよう……私迷っちゃいますな」

 

 友奈はちょっと考えて、カウンターでうどんを受け取り、竜胆の横の席に座って、お願いを思いついた顔をした。

 

「あ、そうだ。名前で呼んでほしいな。私も名前で呼ぶから」

 

「そんなことでいいのか? 死ねと命令されてもちょっとは考慮するぞ」

 

「これそんなに重いことなの!? あ、でも考慮するだけなんだ……それでも十分重いけど」

 

「死ねと言われてもしょうがないんだ、俺は」

 

「うわぁ、何だかまた変な思考してる。

 仲間らしく名前で呼び合えたら、私はそれでいいんだよ」

 

 竜胆の横でうどんを食べている友奈は、とても幸せそうな顔をしていた。

 

「『友奈』。これでいいか?

 久しぶりだな、あだ名でお茶濁さないで、女の子の名前ちゃんと呼ぶの」

 

「おお、特別枠?」

 

「お願いだからな。友奈は特別枠だ」

 

「よーしじゃあ、私は『リュウくん』って呼ぶね!」

 

「え?」

 

「名前を短く切って、リュウくん!」

 

「いや俺の名前の読みリンドウだけど」

 

「……え?」

 

「リンドウ」

 

「……」

 

「……」

 

「……周りの人がリンドウって呼んでるの、あだ名だと思ってた」

 

「俺の下の名前、何て読んでたんだ今日まで」

 

「りゅうきもくん」

 

「読み方微妙にキモい!」

 

 高嶋友奈に()()()()()()()()。押し花をする人間のような花の知識はない。竜胆の字が読めないのも当然だ。

 

「『ぐんちゃん』の呼び名聞いた時点で想像しておくべきだったよ」

 

「あー、うー、ごめんなさい」

 

「いいよ、リュウくんで」

 

「え?」

 

「友奈だけならまあいいや。呼んでいいよ、その呼び名で」

 

 その言い草を聞いて、友奈はずっと前のことを思い出した。

 

―――ううん……いいの。高嶋さんだけは……そう呼んでいいよ

 

 昔自分が、千景のことを"ぐんちゃん"と呼び、名字を読み間違えていたことを知り、千景に対しての呼び名が"ぐんちゃん"に固定された日のことを、思い出した。

 友奈が微笑む。

 

「ぐんちゃんとおんなじこと言ってる。仲が良いんだね」

 

 竜胆も笑みを零した。

 

「そうだな。まだ仲良くしてもらってる。ありがたい話だ」

 

「……仲良くしてもらってる、仲良くしてあげてる、っていうのはないんじゃないかな」

 

「?」

 

「リュウくんも、ぐんちゃんも。お互いに仲良くしたいから仲良くしてるんじゃないかな」

 

「それは……うん」

 

「今のぐんちゃんが聞いてたらちょっと傷付いてたかもしれないよ?」

 

「うっ」

 

「もう」

 

 竜胆が卵かけご飯を食べ切り、友奈がうどんを食べ切り、同時に食べ終わった二人の食器が、同時にテーブルに降ろされた。

 

「なんだかなぁ……目を離すのが怖いよ、リュウくんは。全然年上に見えない」

 

「切れ味鋭い言葉を反論できない感じに投げつけるのやめてくれ」

 

「食堂で食べる時は、いつもこういう時間に一人でご飯食べてる人、放っておけない」

 

「―――」

 

「若葉ちゃんの提案で、私達は大抵の場合一緒にご飯を食べてる。

 皆で一緒にご飯を食べると、とっても美味しいんだよね。

 でも……でも。リュウくんは。

 皆がご飯食べてる時間を計算して、皆が滅多に来ない時間を選んで、ご飯食べてるよね?」

 

「普通だろ」

 

「ズバリ当ててみせようか? "俺がいると皆の飯が不味くなる"でしょ?」

 

「……むぅ」

 

「なので言います。私が今あなたと一緒に食べてるうどん、とっても美味しいです」

 

「……友奈」

 

「大事な友達で、大事な仲間。そんな人と一緒に食べてるから、美味しいんだよ」

 

 友達と食べるご飯は美味しい。それもまた、竜胆の人生から失われていた"当たり前"。

 

「俺も」

 

「え?」

 

「俺も、友奈が来てから食べてたものの方が、美味しく感じた」

 

「―――っ!」

 

「ありがとうな」

 

「うん!」

 

 光は絆だ。

 心の光は、絆によってももたらされる。

 竜胆は光で幸福になり、光によって弱体化する。

 

「そうだ、友奈。明日、ちょっと付き合ってくれ」

 

「何に?」

 

「特訓。修行だ」

 

「特訓……修行!」

 

「普段の戦闘訓練じゃ足りない。特訓だ。ティガダークの弱体化は、俺自身の修行で補う」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな二人を、見つめる少女の影があった。

 少女の中にあるのは、不安。

 そして恐怖。

 嫉妬。

 羨望。

 感謝。

 祝福。

 絶望。

 悔恨。

 心痛。

 友情。

 憐憫。

 独占。

 

「……そうよね」

 

 郡千景は、遠くから仲良く話す竜胆と友奈を見て、底冷えのする声で呟いた。

 

「二人なら、仲良くなるに決まってる。

 二人共良い人で、こんな私に良くしてくれて、優しくて、友達を大切にしてて……」

 

 千景の内側で、感情と理性がぶつかり合っている。

 

「私、要らない? ……あの二人だけでとても仲良くなったら、間に私は入れない?」

 

 竜胆と仲良くする友奈に嫉妬し。

 友奈と仲良くする竜胆に嫉妬し。

 高嶋さんを取られる、と思い。

 竜胆くんを取られる、と思い。

 私を置いていかないで、と心が痛みを叫びそうになり。

 それら全てを、友奈と竜胆に対する好意と思いやりでねじ伏せる。

 

 けれど竜胆がそうであるように、心の闇は無くならない。

 

「いや……私を除いた人達で、仲良くなってしまうのは……

 私が置いていかれたら……あの二人が仲良くなって、私が疎遠になったら……

 また一人になったら……でも……だけど……ううん、これはただの不安、ただの不安……」

 

 竜胆が参戦してから一ヶ月。

 

 ほぼ毎戦闘で竜胆を守るために精霊を多用していた郡千景の体と心には、誰よりも早く、精霊による異常症状と悪影響が発生していた。

 

 

 




●ウルトラマンパワード
 遠き彼方、どこかに存在するM78星雲ウルトラの星・光の国からやって来た光の巨人。
 青き瞳の光の巨人。
 人間との一体化によりなんとか、地球における三分間の活動時間を確保している。
 その戦闘能力は最強のウルトラマンの一人に数えられる初代ウルトラマンと比較して、単純計算で五倍とされる。

 必殺技のメガ・スペシウム光線も初代ウルトラマンのスペシウム光線の威力の五倍。
 単純な温度でも一億度以上という設定を持ち、一兆度の熱に耐える耐熱マントをぶち抜くM87光線の87万度、初代ウルトラマンのスペシウム光線35万度、ウルトラマンメビウスのメビュームシュートの10万度と比べると、文字通り桁違いの熱量を持っている。
 更にこの威力で文字通り『針の穴を通すような収束』を行いピンポイントで撃ち抜くことすらする。

 ただし、この実力を性格のせいで発揮しきれていない(当作独自設定)。
 拳や蹴りを激しく敵にぶつける戦闘が好きではなく、生物を殺すことに躊躇いがあるわけでもないのに、性根が優しいせいで掌底で押すなどの攻撃が基本になってしまっている。
 よって、スペックが高い割にそこまで強さを発揮できていない。

 彼は優しい者でありながらも地球を守る地獄の戦いに身を投じた。
 別に理由なんて無い。ずっと昔からそうやってきた、ただそれだけだ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

 翌日、早朝。

 千景はある目的で、村に向かって出立しようとしていた。

 実家がある村。かつて住んでいた村。そして、かつて惨劇が行われた村だ。

 

 あの村はティガダークの暴走によって破壊されたが、その後村の人間が一致団結して村の立て直しを図り一気に復興したとして、ニュースや雑誌でも何度も好意的に取り上げられていた。

 まあ、あの村の村人同士に強い繋がりがあることや、一つの目的のために村全員で一致団結できることは、千景も竜胆もよく知っている。

 

 三年前当時は復興ボランティアで来た村の外部の人間にも村人はよく感謝し、ボランティアに好意的に接するという点でも村で意見を統一していたため、そういう意味でも外部の評価は全体的に高かった。

 村に関して否定的な報道がなされたことが皆無、というわけではなかったが。

 世間の人々はかの村を基本的にティガに攻撃された被害者だと思っていたし、村の人間は基本的に自分が悪行をしていたと思っていなかったし、村の人間は全員が犯罪者というわけでもなく、村という閉鎖空間の中で弱者をいじめるという『ありふれた普通の人間』でしかなかった。

 

 それに、何より。

 実際に何の罪も無い人間を大量に殺し、子供まで殺し、家族まで殺したティガダークが、世間的にあまりにも強烈な『悪』だった。

 

 人間には、敵の敵を擁護する心理があり。

 人間には、悪の敵を正当化する習性がある。

 人間には、気に入らないものの敵の味方をついしてしまう精神の機能を持っている。

 これらは"人間は敵と味方をレッテル貼りで分けたがる"という心理的効果等と同様に、心理学や脳科学の世界で盛んに研究されている、普通の人間が持つ当たり前の機能なのだ。

 

 しからばとても分かりやすい。

 ティガダークが巨悪ならば、()()()()()()()()()()()()

 多くの人間の思考は、この当たり前の心理的効果によって、多少のバイアスをかけられている。

 歴史的事実から例を挙げると、ナチス・ドイツによってユダヤ人の虐殺(ホロコースト)が行われた後、同情から無根拠にユダヤ人が善性のものとして扱われた、等のものがある。

 

 なんであれ、虐殺は悪であり。

 虐殺を受けたものは同情され、善性のものに見られやすい。そういうものだ。

 

 三年間、ティガは悪、村は可哀想な被害者……そういう常識が世間に定着してきた。

 これが社会心理学で言うところの『正常性バイアス理論』に基づき、世間における『常識』となり、四国内部のティガに対する悪意は、不動のものとなった。

 高度に情報化した社会であればあるほど、こうして定着した当たり前はなくならない。

 なくならないのだ。

 

 正常性バイアス効果という観点から見れば、今の世間のティガへの認識と、かつての村での千景の認識は、同じものであると言える。

 人間の脳には、"当たり前"から逸脱した認識をある程度弾くようにできている。

 小さな変化で一々常識を変化させては、脳が疲れてしまうからだ。

 だからある程度の異常は受け入れない。

 "こいつは悪だ"という常識の変化も、脳はある程度弾いてしまうのだ。

 これが『正常性バイアス』である。

 

 無数の大災害の記録の中にも、人々が「日常は変わらない」「いつものように自分は大丈夫」と思い込み、日常の変化を脳が弾いてしまい、異常な災害に飲み込まれたものが沢山ある。

 これもまた正常性バイアスである。

 ティガへの認識。

 三年前までの千景への認識。

 それは正常であり、常識だった。

 

 だが、今は違う。

 

 正常性バイアスは、脳の処理の限界以上の情報量で、超越される。

 あの日、千景はティガダークという暴君を倒した。

 皆に英雄、勇者、と讃えられた。

 だから竜胆と違い千景は、あの村に一人で行っても何も問題は無いのだ。

 

 問題は無いはずなのに、丸亀城から出て行こうとする千景の足は重い。

 

「あ、チカゲ」

 

「ケン」

 

「オデカケ?」

 

「ええ。遅くても昼過ぎに……二時か三時には帰ってくるから」

 

 そんな千景を、門前で掃除していたケンが呼び止めた。

 千景は自覚していなかったが、千景は俯き、視線は下を向き、体は強張っていた。

 ケンはからからと、柔和な笑みを浮かべた。

 でっかい体で、千景の肩を優しく叩く。

 

「カタノチカラ、オヌキ」

 

「ケン……」

 

「クライカオシテルト、セッカクノビジン、ダイナシダゾ。ワラッテワラッテ」

 

 千景はいつも陰気だ。

 今日はいつも以上に陰気だ。

 それを笑顔にできるのは、今はきっと竜胆か友奈だけで、されど千景は今その二人へどう接していいか分からなくなっていて。

 

「ごめんなさい。今はちょっと、笑えないの」

 

 笑顔を求めたケンに、"わかっていない"千景は、頭を下げて応えた。

 ケンは寂しそうに苦笑する。

 そして、門の横に置いていた自分用らしきお弁当を千景に渡した。

 

「オベント、モッテオイキ」

 

「ありがとう、ケン」

 

「イッテラッシャイ」

 

「行ってきます」

 

 少し、千景の心が晴れる。

 ケンは"いってらっしゃい"と言ってくれた。

 "いってらっしゃい"という言葉には、言外に"ここに帰って来い"という意図が含まれる。

 『ここに帰って来ていい』という想いが含まれる。

 千景はその言葉が、なんだか嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『精霊』。

 それは、勇者の『切り札』。

 

 この精霊には、使用することで使用者に悪影響を与える効果がある。

 まだ影響が発覚しているものは肉体面のみで、誰も精神面への悪影響を発症していないせいで、精神面への悪影響はまだ発覚していない。

 だが、影響自体は確かに勇者達の中に蓄積されていた。

 

 勇者達の持つ精霊は、義経、一目連、輪入道、雪女郎、七人御先。

 どれもが怨霊・妖怪としての側面を持ち、これらの使用は人間の体に穢れを蓄積させ、人ならざる悪性との境界を曖昧にしてしまう。

 この時代における精霊の使用は、勇者と精霊との一体化を意味するため、穢れの海に魂を浸しているようなものなのだ。

 短期間に精霊を何度も連続で使用した千景は、本人が負の感情を溜め込みやすい人間だったのもあって、他の勇者とは段違いの速度で、精霊の負の側面を発現させてしまった。

 

 不安感。

 不信感。

 攻撃性の増加。

 自制心の低下。

 マイナス思考や破滅的な思考への傾倒。

 その他諸々のマイナス効果が、千景の心には発生している。

 まるで、竜胆のように。

 他人に嫌な悪口を言われた場合の心への影響を1とするなら、千景の心に発生している悪影響は10や100どころの話ではなく、暴走時の竜胆の心への悪影響であればそれは時に億に届く。

 

 更に最悪なことに、精神が不安定になって当たり前の勇者という役職が、勇者の心を常に精神不安定でもおかしくない状況に置いてしまうがために、精霊の精神への影響というのは非常に見分けにくいのだ。

 なのでまだ精霊の精神への影響は発覚すらしていない。

 心は目に見えない。

 その人の心が壊れているか壊れていないかすらも、外野には分からなくて当然だ。

 心は、目には見えないがために、気を遣って大切にしないといけないものなのだから。

 

 千景の精神は今、とてつもなく不安定な状態にあった。

 ティガダークのカバーをするために常時七人御先を使うくらいの気概でいたために、必要以上に精霊を連発してしまい、精神に悪影響を溜め込んでしまったのである。

 

 かくして、精神が不安定な状態の千景は、故郷の村に降り立った。

 

(ここは、変わったようで、変わっていない)

 

 一度壊れて、直された村。

 沢山死んだ村。

 竜胆が破壊した街からここに越してきた者も、逆に街の方に引っ越した者もいるという。

 破壊と復興により、この三年で村は相当様変わりしたと言えるだろう。

 

 だが、千景は"変わっていない"と思う。

 空気が、変わっていなかった。

 この村は何も変わっていない。

 少なくとも、千景はそう思った。

 

(あ……ここ、竜胆君と一緒に登校してた道だ……)

 

 この村に良い想い出はない。

 どこを歩いても嫌な想い出が蘇って、千景の胸は苦しくなる。

 精霊の悪影響が、それを増幅していく。

 そんな中、通学路を初めとした、竜胆との想い出がいくつか村にも見えて、それがささくれ立つ千景の心を癒やしてくれていた。

 

 闇の中で一粒の光を見つけたような、そんな気持ち。

 

「あなた……郡さん?」

 

 その気持ちも、声をかけられて霧散した。

 

 声をかけてきたのは、千景が六年生だった時の、隣のクラスの担任だった。

 生徒からの人気が高い教師だったことを覚えている。

 思わず千景は身構えたが、教師は構わず千景に話しかけ続けた。

 

「あら、やっぱり郡さんじゃない! 皆、来ると知っていたら歓迎したわよ?」

 

「え、あの」

 

「ほら、こちらにいらっしゃい」

 

 有無を言わさず、笑顔の教師は千景を連れて行く。

 教師が口を開くと、現実の教師の声と、千景の想い出の中の教師の声が、重なって聞こえた。

 

「あなたは皆の誇りなのよ」

   ―――アバズレの子はアバズレの子ね。なんでまだ学校に来てるのかしら

 

 教師に連れられ、千景は街を歩いていく。

 歩く千景に、商店街の中年男性店主が呼びかけて、それが想い出の中の店主の声と重なった。

 

「お、勇者様じゃねえか。うちの店寄ってってくれよなー!」

   ―――まともな親じゃねえんだ、どうせまともに育てないだろうよ、はっはっは

 

 頭の中がチカチカして苦しい、と、千景の心が言っている。

 街を歩いていた主婦の声と、想い出の中のその主婦の声が、重なる。

 

「あら、千景ちゃん。帰ってたのね。元気にしてた?」

   ―――本当に陰気な顔で、何を考えてるか分からない子。気持ち悪いわ、犯罪もしそう

 

 息をしているのに、息ができている気がしない。苦しい。千景の中に苦しみが増える。

 通りがかったサラリーマンの言葉と、想い出の中のその男の言葉が、重なる。

 

「我らの英雄のご帰還だな。ゆっくり休んでいけよ」

   ―――泥でも投げてやれよ。ちょっと汚れてた方があのガキには相応しいだろうさ

 

 明るい空気の中、皆の笑顔を向けられて、優しい言葉をかけられて、千景は歩いていく。

 明るい空気の中、皆の笑顔を向けられて、優しい言葉をかけられて、千景は笑わない。

 笑えない。

 媚びるような声が、過去を忘れたような声が、千景の耳に入ってくる。

 その内、同級生だった三人の少女が並んで歩いているのを見つけ、三人と千景の目が合った。

 

「あ」

 

 反応は、三者三様だった。

 

「っ」

   ―――ちょっと、何もしないから近寄らないでよ。あんたの近くにいたら巻き込まれる

 

 一人は一目散に逃げた。

 

「あ、あー、郡さん。久しぶり? 私達友達だったよね?

 落とし物とか拾ってあげたことあったよね? 恨んでないよね?」

   ―――あはは、反応おもしろーい。ほら、トイレで拾ってあげたんだから、感謝しなさい

 

 一人は、聞いてもいない話をし始めた。

 

「あ、千景ちゃんじゃん。ちょっと、最近ピンチみたいな話も聞くけど大丈夫?」

   ―――うっわー、階段から蹴り落としても立ち上がれるんだ。へー、頑丈なんだなあ

 

 一人は、何も思うところがないかのように、友達のように、気軽に話しかけてきた。

 

 この一瞬の言動だけを見れば、一見、最初に逃げた者が最も悪いことをした者であるようにも見える。

 だがその実、それは全くの逆だ。

 

 最初に逃げた人間は、千景に何をされても文句は言えないと思って逃げた。

 つまり、最もまともに罪悪感を持っていた。

 二番目の少女は、千景に媚びるような声色を作っている。

 千景に対し罪悪感を抱きつつ、千景に許してもらえることを期待していて、千景が許してくれれば自分は悪くない、ということにできると、そう思っている少女だ。

 そして最後の少女に至っては、千景に対し罪悪感すら抱いていない。

 皆がしていることをしていただけ、皆で一緒に同じことをしていただけ、そうとしか思っていない。千景に悪いことをしたと思っていない。千景がまだ過去を気にしていると思っていない。

 

 もしもの話だが、千景が、この少女らに剥き出しの気持ちを、ぶつけたなら。

 

 最初の少女は、泣きながら謝るだろう。

 二人目の少女は、自己弁護しながら謝り、「許して」と言うだろう

 最後の少女は「あんたまだそんなこと気にしてんの!?」「そうやって過去のことグチグチ引きずってるから駄目なのよ」「だから友達もいなかったんでしょ」と千景に怒るだろう。

 三者三様。

 千景のクラスメイトの三人ですら、ここまで分かれる。

 

 三者三様の反応全てが、違う形で、千景の心を傷付けた。

 

(なんで……なんで……こんな声が聞こえるんだろう……幻聴……トラウマ……?)

 

「どう、郡さん。皆あなたを応援してるのよ」

   ―――ああ、郡さん早く学校に来ないようにならないかしら。面倒なのよね

 

「……はい」

 

「三年前からずっと、あなたは私達の勇者なのよ」

   ―――あの子がいると仕事が増えるから、本当に厄介だわ。親の悪性の遺伝かしら

 

 千景は教師や周りの人達に向けて、歪んだ笑みを浮かべた。

 嬉しいから浮かんだ笑みでもなく。

 敵を威嚇する笑みでもない。

 あの日、竜胆の喉をかき切った時に浮かべた笑みに近い笑み。

 正の感情と負の感情が喰らい合う笑み。

 人々に肯定される喜びと、人々への憎悪が混ざりきった笑みだった。

 

(ああ、嫌だ)

 

「千景さんじゃない。今日は里帰りかしら?」

   ―――ああ、臭い。臭いものが来たわ! 淫売のくっさい臭いよ! あははっ

 

「おかえりなさい。ずいぶん帰ってきませんでしたね、郡さん」

   ―――これ真剣に忠告なんですけど。あなたの居場所この村に無いので、出てった方が

 

「次の里帰りはいつかと皆待ってたぞ、郡」

   ―――お前本当に気持ち悪いよな。なんで朝挨拶されても返さねえの? キモい

 

(ここに、居たくない。高嶋さん……竜胆君……)

 

 思い出したくもない記憶が、どんどん噴出してくる。

 本来人間の脳は、思い出せないだけで、人生の全ての過去を記録しているとも言われる。

 千景の脳では本来思い出せない記憶さえ、精霊の穢れが蘇らせる。

 蘇らせて、千景を追い詰める。

 

―――なんであなたは簡単なことすら、言ったことすらできないの、千景!

―――愛してるわ、千景

 

 フラッシュバックのように、母の言葉が蘇る。

 要領の悪い千景を大声で叱った母の言葉が。

 勇者になった後の千景に、ベッドの上から、数年ぶりに褒め言葉をくれた母の言葉が。

 母の言葉が蘇る。

 

―――お前なんて、生まれてなければ

―――愛してるぞ、千景

 

 フラッシュバックのように、父の言葉が蘇る。

 村八分で追い込まれた末に、娘に殺意すら向けた父の言葉が。

 千景が勇者となったことで、全てが解決した後の父の言葉が。

 父の言葉が蘇る。

 

 要らない、要らない、とまるでゴミを押し付け合うように、千景を押し付けあっていた両親の姿を、千景は今でも覚えている。

 勇者になるまで、親ですら愛してくれなかった。

 勇者になったら、親が愛してくれた。

 千景を笑顔で迎え、暖かな空気で包み、優しい声をくれる村の皆の前で、千景は卑屈な笑みを浮かべる。

 

「私は……価値のある存在ですか……? 皆に必要とされていますか……?」

 

「ええ、もちろんよ。だってあなたは、勇者だもの」

 

「―――」

 

 その言葉を。

 ()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()

 千景は、そう受け取った。

 

 彼女はみんなに否定されて生きてきた。

 だからみんなに肯定されないと生きていけない。

 それが彼女の心の根底にある歪み。

 

 千景ですらよく分かっていない『みんな』という枠からの肯定こそが、彼女の生きようとする気持ちの根幹全て。

 

 皆に否定されたら生きていけない。

 三年前と同じ環境に逆戻りしたら、生きていけない。

 だって、今が幸せだから。

 幸せじゃないこともあるけど、幸せが全く無かった三年前と比べれば、雲泥だから。

 三年前に逆戻りするようなことは言えない。逆戻りしかねないことはできない。

 

 たった一人大切な人がいればいい、なんて割り切りを、千景はすることができない。

 

 だってそうだ。

 友奈は千景以外にも大切な友達がいっぱいいる。

 竜胆も千景以外に多くの友達がいたし、丸亀城の中でどんどん友を増やしている。

 千景にとって友奈が一番になることはあっても、竜胆が一番になることはあっても、友奈と竜胆の中で千景が一番になることはない。千景は、そう思っている。

 そもそも千景は、誰かの中で一番に愛される人間に、自分がなれるとすら思っていない。

 

 『夫と妻』ですら、互いを憎み合うほどに愛を失ってしまうことも、千景は知っている。

 愛が脆いことも。

 愛が無力なことも。

 勇者でない自分が愛されないことも。

 千景は確信している。

 

 竜胆が自分を信じていない少年なら、千景は心のどこかで人の愛を信じていない少女。

 竜胆は自分が自分を裏切ると思っていて、千景は人の愛が容易に手の平を返すと思っている。

 竜胆は信じる心を足掻きながら取り戻す過程にあり、千景は愛されたい気持ちで乾く。

 竜胆は千景が裏切らないと信じていて、千景は竜胆が裏切らないと信じている。

 そんな関係。

 

 千景にとっての"自分の価値"は、"自分以外"が決めるもの。

 勇者だから自分には価値がある。勇者だから自分は必要とされている。勇者だから居場所を与えられている。勇者だから愛される可能性がある。

 そう考えているから、周囲の反応こそが自己価値を決定させるものになっている。

 千景は周囲の声を無視できない。

 

 ぽろりと、千景の口から彼の名が出る。

 

「ティガダーク、は……」

 

 それは、千景なりに、竜胆の名誉を回復する何かの言葉を、皆に言おうとしたがゆえの言葉であったが……千景が二の句を継ぐ前に、周りがその言葉に反応してしまった。

 

「ありがとう、郡さん!

 あなたがあいつを倒してくれたおかげで、私達は今日も生きてられるわ!」

「流石俺達の勇者だ!」

「アイツ生きてたんだってな……しぶとい奴だ」

「あそこで死んでれば良かったのに」

「大丈夫よ、何かあっても今度こそちゃんと、千景ちゃんが私達のために殺してくれるわ」

 

「―――」

 

 その瞬間。千景は、自分の心が二つに分かれたような感覚を覚えた。

 いつも通りの自分の心と、闇の中で嗤う自分の心。

 二つが分かれて、離れて、別々の気持ちを湧き上がらせた。

 

 皆に愛されたい。

   ―――皆が殺したいくらい憎い。

 竜胆君だって悪いことをした。

   ―――竜胆君は何も悪いことしてないよね。

 高嶋さんみたいに、私もなりたい。

   ―――私は高嶋さんのようにはなれない。誰も許せない。

 

 今は幸せだ。

   ―――皆のせいで、ずっと幸せじゃなかった。

 皆に褒められたい。好かれたい。認められたい。

   ―――願いも欲しいものも全部諦めて、全部滅茶苦茶にしたい。

 

 仲間は信じたい。

   ―――誰も信じられない。

 でも、仲間の、竜胆君が苦しい想いをしたのは、私のせい。

   ―――違う、私のせいじゃない。私は悪くない。

 竜胆君がああなってしまったのは、私が悪い。

   ―――私は悪くない。私は悪くない。私は悪くない。

 竜胆君は、幸せになるべきだから。

   ―――なんで幸せになろうとしないの。なんで自分を嫌ってるの。本当に嫌い。

 私は、竜胆君を信じて、助けて、支えないと。

   ―――彼を見るだけで辛い記憶が蘇る。ああ、いなくなってほしい。消えて欲しい。

 ここにいてほしい。

   ―――幸せになれない竜胆君なんて見たくない。

 

 私は、勇者だ。

   ―――私は、勇者だ。

 敵は倒す。

   ―――敵は倒す。

 私は友達を切り裂く罪を犯して、勇者になることで褒め称えられ、許された。

   ―――私は友達を切り裂く罪を犯して、勇者になることで褒め称えられ、許された。

 また許される。

   ―――また許される。

 さあ、武器を持って。

   ―――さあ、武器を持って。

 

 心の中で光と闇が別々の思考を吐き出して、別々の感情を混ぜ合わせて、別々だったはずの気持ちがいつの間にか一つになってしまう。

 人の心が、精霊の影響で発生した、心の闇に呑まれていく。

 

 千景の左手が端末に伸びる。

 千景の右手が包袋の中の鎌に伸びる。

 民衆は誰も気付いていない。

 誰もが、"皆を守ってくれる勇者"を暖かに褒め称えている。

 この流れなら、誰一人として逃げられない。

 不可避の鎌がまたたく間に全員の首を刎ねるだろう。

 

 千景の両手が、殺意で動いて――

 

 

 

「"それ"は、駄目だ。俺は"それ"で後悔した。

 自分の意志でやるならともかく……『闇』に流されてちゃ、駄目だ」

 

 

 

 ――少年の手が、それを止めた。

 

 この瞬間に失われるはずだった千景の未来と幸福を、少年は守った。

 少年は、未だ小さな変化だけれど、千景の運命を変えた。

 千景が殺人犯になるのを止めた少年を見て、千景は目を見開く。

 

「竜胆、君? どうして……」

 

「ちーちゃんと同じ理由だと思う。同じ報せを見たんだよな、きっと。大社からのあの報せ」

 

 竜胆は千景の端末と鎌抜きを押さえた。

 これで変身と攻撃は封じられる。

 周囲の人々は千景が蛮行を行おうとしたことに気付きもせず、一人、また一人とその少年が竜胆であることに気付き、気付いた者からざわめき始めた。

 

「俺の妹の遺品。取りに来てくれたんだよな」

 

「……ぅ」

 

「ちーちゃんは優しいな、ありがとう。俺もそれを取りに来てたんだ。乃木に付き添い頼んで」

 

 竜胆に抑え込まれる千景の視界の端に、若葉が映る。

 若葉は神の刀が収められた袋に手をかけていた。

 

 民衆は、刀の先がティガダークに向けられていると思った。

 竜胆は、若葉なら自分に刀を向けてくれているはずだと思った。

 千景は、その刀が村の者達に向けられていると感じた。

 

「だ……ティガダークだ」

「どの面下げてここに来たんだ!」

「な、なんでお前みたいなのが自由に外を出歩いてるんだよ!」

 

「自由じゃない。一応付き添いはある。大社は俺をそんなに自由にできるほど甘くもない」

 

 竜胆は手錠を付けられた状態で、不自由な手で何とか千景を抑え込んでいる。

 その首には爆発する首輪。耳には穴を開けて付けられた発信機のピアス。

 そして民衆視点、悪の巨人が暴走しそうになったなら、止めてくれそうな勇者も二人いる。

 何より、勇者が巨人を倒した三年前の光景が、神話の一幕のようなあの光景が、皆の記憶の中に残っているから。

 勇者千景がくれた勇気が、悪に絶対に屈しないという気持ちが、村の皆を立ち向かわさせる。

 

 民衆は、石に、野菜に、木の枝にと、近くにあった何かを、勇気をもって竜胆に投げつけた。

 皆で心を一つにして、村の仲間を殺した悪魔に立ち向かっていった。

 

「出てけ!」

「力をふりかざせばまた皆が怯えて、頭下げるとでも思ったのか!」

「お前に何人殺されたと思ってる! お前に家族を殺された人もいるんだぞここに!」

「殺されたってお前を恐れるか!」

「勇者が教えてくれたんだ……怖くても、恐ろしく強大な悪者には、立ち向かうべきだって!」

「私達が嫌なことをしたのに、私達を守ってくれた千景さんのように、私達だって!」

 

 竜胆に様々なものが投げつけられていく。

 それは、悪に立ち向かう千景の真似。

 三年前の千景の真似。

 悪の巨人ティガから、自分達を守ってくれた、勇者千景の勇気の模倣。

 

 千景の中に、筆舌に尽くし難い感情が湧く。

 精霊が残した穢れが、千景の中に湧き上がった感情を、殺意と憎悪に転換した。

 だが、殺しに行きたくとも、竜胆がその手を離さない。

 鎌に触れた時点で、千景には大なり小なり神の力が流れ込んでおり、普通の人間には抑え込めるような筋力ではなくなっている。

 なのに竜胆は抑え込める。

 

 彼はもうまともな人間ではなくて、そうなったのは千景視点"自分のせい"で、それが途方もなく悲しくて。

 竜胆のために悲しんだ気持ちすら、精霊の穢れが勝手に憎悪に変換してしまい、千景は竜胆のために悲しむことすら許されない。憎悪することしか許されていない。

 だから殺意は止まらない。

 

「っ……! 離して、竜胆君!」

 

「駄目だ。離さない。ちーちゃんの中……俺の中にある(もの)と、似た物があるな」

 

 民衆が千景を応援し、竜胆を罵倒し。

 千景が竜胆を想い、民衆を攻撃しようとして。

 竜胆が千景を止めて、民衆を守る。

 そんな構図。

 

 民衆が竜胆を攻撃すれば、千景が憎悪を募らせる。

 千景が憎悪を募らせれば、民衆の危険が増す。

 民衆は誰も千景の内心に気付いていないから終わらない、そんな悪循環。

 竜胆は民衆のためだけに、人々の石投げなどを止めようとした。

 

「すみません! 一旦止まってください!

 後からならいくらでも、皆さんの声を甘んじて受け止めます! けど、今は―――」

 

「私のお母さんを返してよ!」

 

「―――!」

 

 だが、竜胆のその言葉は民衆には"情けない命乞い"の類にしか聞こえず、その言葉も、小さな女の子が上げた声に遮られてしまった。

 

「俺の親父もだ!」

 

「私の親友も!」

 

「お前と話したことすらなかった僕の娘も! お前が殺したんだ! なんで……なんでだ!」

 

 いじめに対して虐殺で応えたこの少年以上の悪は、ここには一人も居ない。

 居ないのだ。

 ここに居る者達が傷付けていたのは千景一人で、竜胆を入れたとしても二人でしかなくて、竜胆は数百人を殺害した極悪人なのだから。

 法律は。

 人の心を傷付けた罪を、人を殺した罪より、重くは扱わない。

 千景の心をズタズタにした者を、千景の敵を殺した者より、重くは裁かない。

 

 結局のところ、村の者達は、殺害という一線は越えていなかったのだ。

 いじめや村八分は軽い気持ちでできても、殺人を軽い気持ちでできるような、本物の悪性の人間ではなかったのである。

 最終的に俯瞰すれば、皆は母親が淫売で父親がその原因のクズだったから千景をいじめていたので、千景が勇者になった程度で、千景を褒め称える人間になったことからも、それは窺える。

 誰も、殺しなどしていなかった。

 竜胆はした。

 それが全て。

 

 だからこそ。

 そんな過去があったからこそ。

 精霊の穢れで心が暴走している今の千景は、何があっても竜胆を傷付けないし、何が何でも村の人間を皆殺しにしようとしている。

 それが、今の千景の全て。

 

 千景は竜胆を傷付けたくない。

 だから自分を抑え込んでいる竜胆に乱暴な抵抗ができない。

 そんな千景では竜胆に抑え込まれるしかなく、千景が民衆に攻撃しようとしていることに民衆の誰もが気付かないまま、民衆は竜胆に攻撃を続けた。

 

「ちーちゃん、落ち着いて」

 

「落ち着けるわけが……ないでしょうっ……」

 

「殺した人は、夢に出るよ。ずっと、ずっと」

 

「―――」

 

 千景の身体の力が少し抜けて、竜胆は千景の端末を隙を見て奪い取り、抱きしめるようにして千景を止めた。

 竜胆は千景を抱きしめた。

 だから、民衆が投げている石などは、これで千景にも当たらなくなる。

 竜胆は千景から人々を守るため、人々から千景を守るため、千景を抱きしめたのだ。

 

 それが、千景の心に砕けそうなくらいの痛みを与える。

 千景は衝動的に、竜胆を傷付けてでも、端末と鎌の勇者の力で人々を攻撃しようとして……トラウマが、甦った。

 三年前の、"男に媚びて……やっぱりあの阿婆擦れの子なのね"と言われた時の記憶。

 石を投げている子供達。

 子供達から千景を守る小学生の竜胆。

 そんな竜胆に石を投げた千景。

 薄れていた、トラウマの記憶。

 

 竜胆に石を投げた過去の自分と、竜胆を傷付けそうになった今の自分が重なって、千景の全身は恐怖と自己嫌悪で強張り、こみ上げる吐き気が彼女を少し正気に戻した。

 

(……あ……三年前にも……こんなことが……あって……)

 

 トラウマからきた憎悪で民衆を攻撃しようとし、トラウマによる恐怖で動きが止まり、トラウマからくる自己嫌悪が千景を少し正気に戻す。

 一から十までトラウマで、今の千景の内心は、見るに堪えないものになっていた。

 

(―――私は―――とても―――後悔を―――)

 

 竜胆は千景を抱きしめる。

 少し正気に戻った千景に、竜胆の体温が伝わる。

 民衆には見えない角度で、千景の瞳から涙が溢れた。

 千景が零した涙が竜胆の服の胸に染み込み、少女の手から鎌が落ち、カランと音が鳴る。

 民衆の攻撃は止まらず、竜胆は泣いてしまった女の子が穏やかに涙を流せるよう、千景を優しく抱きしめて、投げられているものから守る。

 

 若葉は、竜胆にあまり前に出るなと言われていた。

 短慮には走るなと竜胆に言われていた。

 自分が暴走した時は首を落としてくれと、竜胆に頼まれていた。

 だがもう我慢の限界だった。

 

 竜胆の発言からも分かるが、竜胆は若葉の内心を全く分かっていない。竜胆は、若葉が怒るとすれば、千景の危険か民衆の危険によるものでしかないと思っている。

 そうではない。

 そうではないのだ。

 若葉は今、竜胆のために怒っていた。

 竜胆に対する仕打ちと状況にこそ、憤っていた。

 

―――今、力で脅して石を投げるのを止めさせても!

―――……別の時に、別の人が、別の石を、もっと大きな嫌悪感で彼に投げるだけです!

―――こらえてください千景さん……

―――暴力で生まれた感情は、暴力で押さえつけてはいけないんです!

 

 前に竜胆が石を投げられていた時、ひなたが言っていたことを思い出す。

 若葉はひなたを信頼している。

 ひなたの判断力を信頼している。

 "ひなたの言うことは正しい"と、いつでも若葉は信じている。

 

 ひなたの懸念は、勇者と民衆の対立。

 大量虐殺者を露骨に勇者が全面的に擁護してしまうことで、ウルトラマンが三人も脱落し不安になっている市民感情が、勇者への敵意として結実してしまうこと。

 そして、勇者が局所的に竜胆を守ったところで、結局のところ『全体』からティガダークが嫌われている以上、何も変わらないということだ。

 

 ここで若葉が行っても、何も良い方向には変わらない。

 どんな道筋を辿っても、虐殺者は肯定されない。

 むしろ勇者までもがその地位を落として、人に罵倒されかねない。

 それでも、若葉は黙って見ていることなどできなかった。

 

 こいつを守ってやらなければならない。こいつを守ってやりたい。若葉は、そう決意した。

 

 民衆と竜胆の間に、若葉が割って入り、白刃が宙を舞う。

 竜胆に向かって飛んでいた石や太い木の枝が、一つ残らず切り落とされる。

 神速の抜刀。

 放り投げた糸を切って細い二本の糸にするような精密な斬撃。

 "仲間を傷付けさせない"という意志を形にした隙間無き守り。

 

 若葉の介入に、民衆が困惑のまま動きを止め、若葉の刀が地面を刺した。

 

「皆様、ご清聴を……ご静聴を、お願いします」

 

 民衆が竜胆を罵倒する言葉を止めて、若葉の言葉を聞く姿勢に入る。

 若葉の凛とした声には、不思議と黙って話を聞きたくなるような、背筋を正してその言葉を聞きたくなるような、そんな力があった。

 演説に向いている少女である、ということなのだろう。

 

 ご清聴は"話を聞いてください"という敬意と感謝の意味の言葉。

 ご静聴は"話を静かに聞いてください"という意味の言葉。

 読みは同じだ。

 だから若葉の言い換えの意図に、他の誰もが気付かなかった。

 若葉は"黙ってろ"という意図で、清聴を静聴と言い換えた。

 

 それは、民衆を直接的に罵倒しないまま、民衆に怒りをぶつけるような言葉選びだった。

 

「皆さん、御守竜胆は未だ不安定な状態にあります。

 皆さんの行動により、不安定になり、予想外の事態を招くこともあるでしょう。

 彼を見かけても、皆さんは無反応でお願いします。

 こういう形での反応は特にしないようお願いします。

 私達も極力尽力しますが、それでも守りきれないことはあります。どうかご自愛を」

 

 若葉の声に感情は見えない。

 だが言葉には強いメリハリがあり、重みがあり、熱さがあった。

 人の胸の内に響く、演説のような語り口。

 

「彼への対応は勇者が担当します。

 彼の暴走、蛮行は、行われる前に私が止めましょう。

 私が殺してでも止めます。彼を殺すとすれば、私のこの刃です」

 

「ゆ、勇者様……」

 

 そう、だから。

 彼が死ぬ時は、彼がどうしようもなく自分を失った時で。

 彼がそうなった時、自分が殺してでも止めると、約束したから。

 自分が殺してやると、そう約束したから。

 バーテックスにも、民衆にも、彼は殺させない。そんな結末は迎えさせない。

 絶対に彼を死なせない。彼に残酷な結末など迎えさせない。

 

 若葉はどこまでもまっすぐに、仲間である竜胆の心に向き合ってくれていた。

 その言葉を、凛とした在り方を、竜胆は心の底から信じられる。

 

「繰り返します。

 彼に石を投げるなど、刺激する行為は今後一切しないでください。

 私が彼を見張っています。どうか、私を信じて、私に任せてください」

 

「勇者様……余計なことをして、すみませんでした」

 

「後日、大社から正式発表もあるでしょう。

 皆さんからも知人の方に、彼へ石を投げたりしないよう、言い聞かせてあげてください」

 

 しゃりん、と刀が地面から抜かれ、大気を綺麗に切り裂き、鞘に収められる。

 美しさと怖さと強さを感じさせる納刀。

 凡夫に対してならばそれだけで有無を言わせない威圧ができそうな、そんな刀捌きだった。

 

「―――市民の皆様、ご協力をお願いします」

 

 人々が攻撃を止め、捨て台詞で竜胆を罵ったりしながら、散っていく。

 若葉は竜胆と千景を連れ、この場を離れていく。

 

 奇跡だ、と若葉は思った。

 

 自分がとっさにこんな名案を出せたのも。

 ここまでこじれた状況が、こんな言葉で収まったのも。

 自分が……乃木若葉の刃が、民衆に向けられなかったことも。

 この怒りを抑え込めたことも。

 

 全てが奇跡のようだと、若葉は思った。そのくらいに大きな怒りが、彼女の内にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大社から後日正式発表があるというのは嘘だ。

 だが若葉は、大社と交渉してこの嘘を本当にさせようとしていた。

 大社にも損はないだろう。

 竜胆への攻撃的な接触を禁止しておいた方が、竜胆の暴走の可能性は低くなる。

 竜胆を暴走させないため、とちゃんと理屈も付けておけば、民衆は竜胆を無視し敬遠する対応を抵抗なく導入してくれるはずだ。

 

 これで、竜胆は守られる。

 若葉は竜胆を先導し、帰り道を歩いていた。

 まだ朝と言っていい時間帯だが、彼と彼女らの心は暗い。

 竜胆は千景を背負って歩いていたが、若葉は千景が起きているのか眠っているのか、千景が無表情なのか泣いているのか、それすらも分からなかった。

 

「竜胆、大丈夫か」

 

「ああ、まあ……三年間想像してたのよりは、マシな対応だったかな。うん、マシだった」

 

「マシなことと平気なことは違うのではないか」

 

「じゃあ、平気。俺は平気だけど、ちーちゃんの方が心配だな」

 

「……妹の遺品は、ちゃんと持っているか?」

 

「うん、ちゃんと回収できた。

 大社からの報せをちーちゃんも見てたなんてな。

 それで俺達に黙って取りに来てくれたとか……本当、いい子だ」

 

「そう、だな……」

 

「さ、帰って武道の鍛錬始めないと。

 昨日友奈やボブに頼んだけど、初日から遅刻とかたまらないからな」

 

 若葉は振り返り、竜胆と千景の故郷を見て、湧いてくる義憤を一瞬抑えられなくなりそうになった。……精霊のケガレの影響が出始めているのは、千景だけではない。

 

 この村には共通の常識と共通の正義があって、それを主観にすれば、三年前の千景を守っていた竜胆こそが村の全てに喧嘩を売る悪であると言えた。

 一般的な倫理で見れば、この村の人間全員が悪で、竜胆と千景は被害者であると言えた。

 そして、村八分のいじめと悪に虐げられる被害者という構図が、虐殺という過剰攻撃で反撃した瞬間、逆転し、竜胆が村を虐げる悪となったこともまた事実。

 辛い過去があれば虐殺が許される、なんてことには、ならない。

 

 たとえば、学校でのいじめ。

 これは法的に対処した場合、いじめに加担した全員ではなく、中心人物数人を処罰して事件を収束に向かわせる。

 たとえば、村ぐるみでのいじめ、村八分。

 これは法的に対処した場合、過去の実例を参考にして考えると、中心人物数人を処罰して事件を収束に向かわせるものである。

 

 そういうものだ。

 いじめに対して殺人で返してはいけない。

 "流されてるだけの人がいるかもしれない"ので、問答無用で全員処罰もNG。

 関係ない人を巻き込んで処罰したりするのはもっての外。

 法の視点で見たならば、竜胆は擁護のしようもないほどの極悪なのだ。

 

 だが、個人の視点で見た場合、竜胆は称賛されるダークヒーローと見ることすら出来る。

 

「悔しくないのか竜胆。怒りは、恨みは、憎しみは、無いのか」

 

「無いと言えば嘘になる。だけど、あるだけだ。俺はもう、それに身を任せたくない」

 

「仕返しをしても良かったんだ、お前は。少しくらいなら……」

 

「しないよ。もう誰も人を殺したくない。

 殴った相手が苦しんで楽しいか? 殺した相手の死体を見てスッキリするか?

 俺はしない。

 ああ、あの人達はあんま好きじゃないよ。嫌いかもしれない。

 でもなんていうか、あの人達が幸せになるなら、まあそれはそれで良いんじゃないかなって」

 

「……怖い思いをして怪物と戦い、痛みに耐え、あの者達すら守るというのか?」

 

「ああ」

 

「あいつらはお前と千景の尊厳を、誇りを、踏み躙ったんじゃないのか」

 

「……大社から詳細でも聞いたか?」

 

「詳細まで聞いたのは昨日の夜のことだ。

 奴らは、お前をきっと、奴隷にした凶暴な猛獣程度にしか思っていない」

 

「そうだろうね」

 

「それでも、守るのか……?」

 

「守るっていうか。もう誰にも死んでほしくない。化物に理不尽に殺されてほしくないんだ」

 

「……」

 

「この世界から全ての化物を一掃し。

 俺のように人を脅かす邪悪な化物を消し去り。

 かつてあった、平和な人間の世界を取り戻す。

 俺と乃木の目的って、多分ほとんど同じというか、違いはあんま無いと思うんだよな」

 

 若葉が、強く歯を噛み締めた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

「竜胆。

 誇りを奪い踏み躙るものに従うこと、それを何と言うか知ってるか? 隷属だ。

 誇りを踏み躙るものに良いように使われることを何と言うか知ってるか? 奴隷だ。

 だからこそ、人は……誇りを汚した相手には、いつの時代も報復を返してきたんだ!」

 

 若葉は、世界の話ではなく、竜胆の心の話をしている。

 世界を救うために言葉を重ねているのではなく、竜胆の心を救うために言葉を重ねていた。

 

「殴り返して良かったんだ、お前は!

 あんな罵倒を受け入れなくてよかったんだ、お前は!

 ……そうしたら私は、お前が皆に袋叩きに合いそうになっても、お前を―――」

 

 竜胆は首を横に振った。

 

「俺は殴られる人をなくしたかったんだよ。

 強い側が弱い側を一方的に攻撃するのが嫌だった。

 人が暴力で傷付くのが嫌だった。

 人が死ぬのが嫌だった。

 俺みたいな奴に殺される人間を、俺みたいな奴から守りたかったんだ」

 

「……っ!」

 

「"それ"を、俺は許さない。だから俺は俺も許さない。同じ事を繰り返すつもりもない」

 

 多数の人間が徒党を組み、擬似的に大きく力のある存在になり、小さく弱い者をいじめる。

 いじめられた小さく弱い者が大きな力を得て、反撃する。

 いじめられていた者が、いじめていた者達をいじめる。

 創作の物語であれば、よくあることだ。

 そして、まともな人間の心の動きを考えれば、当然のことでもある。

 

 だがこれは、()()()()()()()()()()()だ。

 『強い者が弱い者をいじめている構図』は何も変わっていない。

 強弱が逆転しただけで、何も変わっていないのだ。

 

 竜胆と千景の物語を最初から見ていれば分かる。

 千景は竜胆に何もしておらず、竜胆は千景に何の恩義も感じていなかったが、それでも千景を助けようとした。

 千景個人には、竜胆に助けられる理由がなかったのにだ。

 それでも竜胆が千景を助けたのは、何も悪いことをしていない子がいじめられているという理不尽と、村全体にあった醜悪な構図の全てを、竜胆が許せなかったからに他ならない。

 

 そう、竜胆は、強者が理不尽に弱者をいじめるその構造こそを、否定したのだ。

 

 竜胆や千景が手にした大きな力が、村人を逆襲していじめようとしたならば、竜胆はそこにも忌避感を覚えるだろう。

 彼は優しい。優しいのだ。

 千景がそう感じたとおりに。

 強者が弱者をいじめない世界を。

 強者と弱者が助け合えるような構図を。

 皆が皆、隣人に優しくできる、そんな場所を。

 彼は願い、求めていた。

 

 それこそが彼の願い。

 人の願いは、それが世界全てを蹂躙することになったとしても、その願いを掴むために全力で走る権利は、誰にもある。

 いじめられたから世界を滅ぼす、と考える権利は誰にもであるし。

 人間が醜いから滅ぼす、と決意する権利だけなら誰にでもある。

 願いは、強い。

 個人の願いは時に多数派の祈りよりも優先される。

 世界中の人々が「思うまま村人に復讐すればいいだろ」と竜胆に言ったとしても、暴走していない状態では、竜胆が復讐に走ることはないだろう。

 

 "もう誰も、理不尽に殺されませんように"。

 竜胆の願いは誰に否定されても無くなることのない、彼の魂の根底にある願い。

 人の愚かさ、醜さを知っても、竜胆のその願いが絶えることはない。

 あの村人達に対してすら、彼のその想いは向けられている。

 

 それは奇しくも、"人間は愚かで増長している、ゆえに滅ぼすべき"という天の神の全否定。

 御守竜胆は理性でそう考えているからではなく、魂の根底、理性の中心部分の思考からして、天の神とバーテックスの全てを否定している。

 

 人の持つ美しさをいくら見ても人を滅ぼそうとする天の神。

 人の持つ醜さをいくら見ても人を見捨てることはない少年。

 

 御守竜胆、ティガダーク。

 人間の愚かさを知らずに、人間を守ろうとする者でもなく。

 人間の愚かさを知り、人間を見限った者でもなく。

 人間の善性に喜び、人間の悪性に憤り、人間を愛し、人間を憎み、手にした闇は人間を殺そうとし、内に秘められた光は人間を守ろうとする。

 光と闇の矛盾。

 慈悲と憎悪の矛盾。

 人の部分は闇の侵食にて加速度的に人間でなくなっていき、巨人の闇の部分は心の光で弱体化していく、そんな光と闇の混成存在。

 

(……竜胆)

 

 若葉が拳を握り締める。

 何故こんな人生を、こんな男が送っているのか。

 何故こんな心を持つ者に、心を闇に誘う闇の力が与えられてしまったのか。

 世の理不尽を、若葉は感じずには居られなかった。

 竜胆は振り返り、自分を傷付けた者達が住まう村を見て、苦笑する。

 

「笑顔、幸せ、日常、平穏。

 ここにあるそれらを壊すようなことはしたくない。これは俺の、確かな願い」

 

 確かに、竜胆がその気になっていれば、若葉を騙して変身するなり何なりして、あの手この手を尽くして、この村を無茶苦茶にできただろう。

 だが、それで失われる『笑顔』『幸せ』『日常』『平穏』の価値を、竜胆は語る。

 竜胆という人間を想って、若葉の心が痛む。

 あの日、バーテックスという化物が若葉の目の前で奪った『それら』を思い出し、ティガダークという化物がこんなことを語っているのを見て、優しい怪物の苦笑を見て、胸は更に痛んだ。

 

「だから、話はここで終わりだ。帰ろう、乃木」

 

 三人は帰路につく。

 

「あの村の奴らに……千景が復讐を望んだら止めるのか」

 

「止めないよ。

 止められない。

 それはちーちゃんの権利だ。俺はそこに何を思っても、止める権利はない」

 

「……」

 

「でも、悲しくは思う。

 ちーちゃんには何の罪もなく、幸せのある方向に、歩いて行ってほしいから」

 

 話を聞けば聞くほどに、竜胆の内心に踏み込めば踏み込むほどに、若葉の心は痛む。

 そして、思った。

 彼はいつでも、どんな時でも、人の幸せを願うことが大好きで、人の不幸を願うことが大の苦手なのだ、と。

 

 その時、追いかけてきた子供が居た。

 

「あ、あの」

 

「君は……」

 

 竜胆はその子のことを覚えている。

 千景と竜胆へのいじめを、見ていた子だ。

 いじめに直接的に参加せず、かといって止めることもなく、いつもいじめを見ているだけで、本当に何もしなかった千景と竜胆のクラスメイトの少女。

 少女はどこか申し訳なさそうに、そして恐ろしそうに、竜胆に向き合う。

 

 そして竜胆に、二つのお守りを手渡した。

 

「頑張って」

 

 手錠を付けた状態で後ろ手に千景を背負っていた竜胆の代わりは、背を向けてお守りを受け取った。

 三年。

 長い時間だ。

 変わった者もいる。

 変わっていない者もいる。

 三年前の時点で罪悪感は持っていた者も。

 三年間で罪悪感を得た者も。

 全く罪悪感を抱いていない者もいる。

 

「うん、ありがとう。車に気を付けて帰るんだよ」

 

「……う、うんっ!」

 

 竜胆は微笑みかけ、かつてのクラスメイトだった少女は、駆けて行った。

 

「殺してしまえば、反省の機会も得られない。変わっていく機会も得られない」

 

 竜胆のつぶやきが、大気に溶けていく。

 

「だからバーテックスは許されないし、俺も許されない。そうあるべきだと思う」

 

 殺人が重い罪であることに理由はあるのだと、竜胆は語る。

 それは彼の中で、揺るぎのない認識。

 

「ああいう人を見ると……

 悪いだけの人間はいないって思える。

 人間は悪だけじゃないって思える。

 人は滅びるべきものじゃないって、言い続けられる」

 

 竜胆は何も考えていない能天気でもなく、他人に悪意を抱かない聖人でもない。

 苦痛を感じ、憎悪を漏らし、激怒を抑え、この言葉を言っている。

 あのクラスメイトの少女の幸も願っている。

 自らを制御し、心の闇を抑え、願う方向へと向かっていく。

 ティガダークに変身した後と、同じことを今もしている。それだけだ。

 

 汚れた場所から、綺麗なものを探して、一つ一つ掬い上げる。

 それは、泥の中から小さな花を拾い上げ、泥のない綺麗な場所に移すような行程でもあった。

 

「それに、ほら。

 悪いことした奴が死ぬの見るより、その後反省していくのを見る方が、楽しいじゃん」

 

「それは……人によるだろうな」

 

「無残に死んでほしいとか願うとしたら、そいつのことどんだけ嫌いなんだって話だよな」

 

「竜胆」

 

「何?」

 

「お前は、自分のことが、どのくらい嫌いなんだ?」

 

 その時、大きな風が吹き、竜胆は若葉の言葉が聞こえなかったフリをした。

 若葉はその沈黙から、竜胆が口にしなかった返答を理解した。

 

「……許さない権利は、本当は誰にでもあると、私は思う」

 

「誰も許してないよ。ただ、誰も死んでほしくないし、皆に幸せになってほしいだけ」

 

「……」

 

「だから、俺も許さない」

 

 若葉は昨日と今日で、竜胆のことを深く知った。

 バカもやる。

 優しくもある。

 闇もある。

 過去は凄惨で、今をとても懸命に生きていて。

 

 そうしてようやく、若葉は大社ですら実はまだ本質的に理解していなかった、『三年前の竜胆が闇に堕ちた本質的な理由・暴走し虐殺した本質的な理由』を理解した。

 

「お前は"他人は許せる"が、"自分は許せず"。"人は許せる"が、"怪物は許せず"。そして」

 

 竜胆は、自分に対しての攻撃なら、きっと許してやれた。

 自分が攻撃されいじめられただけなら、闇に堕ちることなどなかった。

 そんなことはありえなかった。

 

「『自分への攻撃』は許せても、『千景への攻撃』は許せなかったのだな」

 

 千景が居たから。千景の心が泣いていたから。

 

 だからこそ彼は、闇に堕ちたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな会話を聞きながら。

 

 汚染された千景の心は、『若葉に竜胆を取られてしまう』と、そう思考していた。

 

 

 




 バーテックスが来ないと誰も死なず、誰も危険に晒されず、比較的平和な日常になりますね


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3

 竜胆は千景を部屋まで送ったが、千景は部屋から出てこなくなった。

 千景は竜胆にも若葉にも何も言わず、あの村を離れてから一度も口を開かなかった。

 寄宿舎の部屋にこもって鍵を掛け、千景は竜胆の呼びかけにも応じない。

 

「ちーちゃん、大丈夫?」

 

 彼女の内側に、何かがある。

 普通の人間では感じられない、その存在が感じられた時点で人間でないことが保証される、ティガダークの闇に似て非なる何かが。

 それが良くないものであることは、竜胆にも理解できていた。

 大社に連絡用端末で一報を入れ、とりあえず竜胆はその場を離れる。

 

 今の時刻は昼の11時前。

 昼時になったら食事に誘うとか考えるか、と竜胆は思考しつつ、押して駄目なら引いてみろの理屈で一旦千景の説得を後回しにする。

 どの道、千景と直接話せなければ、彼女の状態は分からない。

 寄宿舎から離れていく途中、竜胆の身体がふらりと揺れる。

 

「うっ……」

 

 故郷で叩きつけられた言葉が、感情が、竜胆の中の闇を引き出す。

 首輪の存在も無視して、今すぐにでも変身して皆殺しにしたいという衝動が湧く。

 竜胆は必死に自分を抑えた。

 誰も許したくない。誰も生かしたくない。全て壊したい。

 

 感情の奔流に耐えようとする竜胆が、腕よりも太い鉄の手すりを握り潰し、肉体が出していい上限値を遥かに超えた力を出してしまった手の骨にヒビが入る。

 半暴走状態にある肉体が急速に骨のヒビを治し、また鉄の手すりを握る力のせいで手の骨にヒビが入り、治るとまた繰り返し、そのたびに手に凄まじい激痛が走る。

 

「ぐ……うッ……ギッ……!」

 

 "見境が無くなって"来た。

 "我を忘れ"そうになる。

 "魔が差す"瞬間が無数に連続して訪れている気がする。

 あの時村で竜胆が与えられたものは、とても大きかったようだ。

 

 これでまた、竜胆の心の闇は大きくなった。

 暴走時のティガダークは強化され、平時のティガダークのスペックも高まり、竜胆は更に暴走しやすくなったと言えるだろう。

 人々の幸せを願う心を、人々の死を願う闇が乗り越えた瞬間、全ては終わる。

 竜胆は信念をどこまで貫けるのか。

 心の闇にあと何度打ち勝てるのか。

 いつまで自分の願いを見失わずにいられるのか。

 

 彼自身が変わっていけなければ、限界は近いのかもしれない。

 

「……ぐ……ふぅ……」

 

 竜胆は自らの闇になんとか打ち勝ち、立ち上がった。

 ふらふらと、丸亀城の敷地内を歩いていく。

 こんなザマでは千景にとやかく言えない。

 千景が自らの内の何かに突き動かされている内は、止める立場でいなければならないのに、これでは本末転倒だ。

 

「……ん?」

 

 歩いていく内に、竜胆はベンチに座っている球子を見つけた。

 それは、球子と初めて腹を割って話し合った、あのベンチ。

 球子は竜胆を見つけるやいなや、駆け寄ってくる。

 どうやら彼女は、彼を待っていたらしい。

 

「よっ」

 

「おっす」

 

「竜胆先輩、暗い顔してんな」

 

「タマちゃんはいっつも明るいよな、表情」

 

「最近さー、なんかタマにもちょっと分かってきたぞ。

 先輩がよく笑うようになってから、よーく分かってきた。

 陰気な顔してたのもちょっとは意味があったんだな。

 普段から陰気な顔してると、辛そうな顔しててもバレにくいのか」

 

「……タマちゃんには勝てねえなあ。それと、別に陰気な顔で隠してたわけじゃないっての」

 

 球子は竜胆の表情を覗いて、彼の心境をそれとなく察したらしい。

 竜胆の心が球子とちょっと話したことで少し晴れたことも、察したようだ。

 そも、彼女は何故ここで彼を待っていたのか。

 竜胆は球子が要件を切り出すのを待ったが、いつまでも球子は話題を切り出してこない。

 

「んー、あー」

 

「言いにくいことならゆっくりでいいぞ、タマちゃん。俺はいつまでも待つから」

 

「……うん、ありがと。タマは……うん」

 

 球子の竹を割ったような性格でこれほど言い淀むとは、よほど聞きにくいことなのか。

 

「そうだ、ここでタマの恥ずかしい話をしよう」

 

「なんで? なんで?」

 

「タマは今からめっちゃ聞きにくい話を聞こうとしてるから。

 タマも聞かれたくない大恥の話をしないと、きっとフェアじゃない……!」

 

「いいんだよフェアとか気にしなくて!」

 

「タマはな、先生を先生と呼ぶべき朝の会で……」

 

「お母さんと呼んだとか?」

 

「な、何故分かった!」

 

「いや、そうだったらタマちゃんっぽいなって……」

 

 数えるほどしか会話したことがなかったあの頃とは違う。

 二人はそれなりに互いのことを理解してきていた。

 球子は恥を知られてもいいと思うくらいには彼を信頼し、竜胆は断片的な情報から球子の過去の恥を想像できるくらいには、彼女のことを分かっていた。

 球子の恥の話は続く。

 

「―――そしてタマは、醤油差しに間違えて墨汁を入れたことがバレ。

 醤油かけようとして墨汁かけちゃった母親に、こっぴどく怒られたのだ」

 

「お前の眼球ガバガバかよ」

 

「せめて節穴って言え!」

 

「でもなんかタマちゃんっぽいな……こう、微妙に雑に生きてる感じが。嫌いじゃないよ」

 

「雑!? ってかええっ……笑われるかと思ったら、先輩の感性なんかズレてないか?」

 

「タマちゃんに感性ズレてるとか言われたら俺もぶっタマげるわ」

 

「あー! ちょっ、勝手にパクんなよ『タマ』を!」

 

 球子は思い出したくもないような大恥を次々と語っていったようだが、そのどれもが微笑ましくて、何故か自然と笑顔を浮かべてしまうようなものばかりだった。

 

「はい、これでタマの恥ずかしい話終わり! 終わりだかんな!」

 

「うん、それで、聞きたいことは?

 正直感想としては"面白かった"なんだけど……

 自分の恥を語るのは勇気が要るもんだし、その心意気には極力応えたいところだ」

 

「……うっ、やっぱ聞きたくないな、タマ」

 

「聞きたいことがあるから自分の恥晒してたんじゃないの!?」

 

 球子は躊躇い、竜胆は待つ。

 話下手の千景と竜胆の会話が良く成立していたのは、こうして竜胆が他人の言葉を辛抱強く待ってくれるタイプであるというのもあった。

 竜胆は変に急かさない。

 だからこそ、球子は何度も躊躇し葛藤しながらも、"聞くべきかどうか本気で迷った"その事柄を……竜胆に、問いかけた。

 

「竜胆先輩、話したくないなら、話さなくていいけどさ」

 

「うん、何?」

 

「先輩は……なんで、どういう経緯があって、人殺したんだ」

 

「―――」

 

「誰も殺してない、全部嘘なんだ、って言うなら言ってもいい。タマは信じる」

 

「……タマちゃん」

 

「もーなにがなんだか分からん。

 何を読んでも、誰の話を聞いても混乱しそうだ。

 だからタマは、先輩の話聞いて、それを全面的に信じることにした。決め打ちだ」

 

「決め打ち、って……いいのかよ、それで」

 

「考えるのが面倒臭くなってきたからな!」

 

「おい!」

 

「それなら、信じてる仲間の言ってることを信じてやりたい。それだけなんだ」

 

「……っ」

 

「考えんの止めて決め打ちするなら、先輩本人の話を信じてそうしたいんだよな」

 

 球子は頭の後ろで手を組んで、にししと笑っていた。

 それは一種バカの理屈で、竜胆には天才の理屈に見えるもの。

 球子の語る道理は、大体の場合竜胆が好ましく思う理屈で構成されているようだ。

 

「タマちゃんそんなかっこいいとクラスメイトとか惚れたりしない?」

 

「惚れるかばーか……って前にもタマこんなこと言った気がするぞ」

 

「気のせい気のせい。さて……そうだな。話すのはいいけど、どう話そうか」

 

 こんなにも簡単に話してもらえると球子は思っていなかったから、内心少し驚いていた。

 こんなにも簡単に話せるだなんて竜胆は思っていなかったから、内心少し驚いていた。

 竜胆の様子は穏やかだ。

 球子と竜胆の予想以上に、彼は落ち着いて自分の過去を話せる状態にある。

 二人の内心を覗ける者がいたら、きっと吹き出していただろう。

 

 何故、そんなに簡単にあの過去を話す気持ちになれたのか。

 それは、球子が思っている以上に、竜胆自身が思っている以上に、竜胆が球子に対し心を開いていたから。それだけなのだ。

 

 ある者は"この人なら話してもいいか"という気持ちで。

 ある者は"この人にはもっと自分を知ってもらいたい"という気持ちで。

 ある者は"この人はどう思ってくれるのだろう"という気持ちで。

 ある者は"この人なら許してくれるかもしれない"という気持ちで。

 友に自分の辛い過去を語る。

 人それぞれのその気持ちを、人は時に『友情』と呼ぶのだ。

 

 竜胆が話の切り出しを考えていると、そこに新たな来客がやって来た。

 友奈と杏を連れた若葉が、やって来ていた。

 

「その話、我々にもしてもらっていいか?」

 

「……乃木」

 

「お前の口から、お前が見てきたものを、お前の言葉で聞きたい」

 

 ただでさえ話し辛いことだ。

 多人数相手だとなおさら話し辛い、ということは若葉にも分かっている。

 それでも、『仲間』には話してほしかった。

 そして、若葉が思っていたほど、竜胆はこの仲間達全員に過去を話すことに、忌避感を覚えてはいなかった。

 

「聞いても楽しい話じゃないと思うぞ」

 

「聞いて楽しい話かどうかは、この際問題じゃない」

 

「ん?」

 

「私達がお前に過去を語ってもらうのに足る仲間かどうか。それだけだ」

 

「……一々かっこいいこと言う奴だな。まったく」

 

 話さないなら話さないでいい、仲間全員がお前から信頼を勝ち取るまで積み重ねるだけだ、と言わんばかりだ。

 若葉の中の基準ではどうやら、"話し辛い話をどう話させるか"ではなく、"話し辛い話をしてくれるくらいの信頼をどう勝ち取るか"という話であるらしい。

 

 勇者はそれぞれ違う理屈、違う信念、違う心を持っていて、そのどれもが竜胆には好ましく感じられる。

 ボブやケンに対しては憧れのような気持ちを持っている竜胆であったが、勇者に対する好感は、他ウルトラマンに対する敬意とは、また違うものであるように感じた。

 

「最初に言っておく。どうか、気を遣ったりせず、軽蔑してくれ」

 

 竜胆は穏やかな語調で語り出す。

 

 親を亡くして村を訪れた日から、全てが終わったあの日までの、悪夢のような想い出話を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜胆の性格を知っている者ならば、"この手の話"をする竜胆の話にどれほど真実が含まれるか、そこが心配になるだろう。

 何せ御守竜胆だ。

 自分の功績は最小に、罪悪は最大に、周りの功績は最大に、罪悪は最小に語るに違いない。

 彼の罪悪感が、そこに必ずフィルターをかけると思うのは当然のこと。

 

 が。

 思ってもみないところで、ちょっと想定していなかった本音が漏れて、周りにそれがバレたりするのが竜胆君である。

 竜胆は自分の功績は最小に、罪悪は最大に、周りの功績は最大に、罪悪は最小に語った。

 だが、彼の想定通りにはいかなかった。

 結論から言おう。

 彼は、『皆に千景に同情し優しくしてほしかった』のだ。

 

 するとどうなるか。

 千景が受けた酷い仕打ちを細かに語ることになる。

 結果、村の人間の悪行を精細に語ることになる。

 竜胆は村の人間をあまり悪く言わないようにしていたが、皆が千景に優しくしてくれるようにしたいあまりに、結果的に村の人間のしたことを沢山語ることになっていたのである。

 

 そうなると勇者皆、千景が竜胆にあれだけの感情を抱いている理由を察する。

 竜胆の性格から、竜胆がどういうことをしていたのかを察する。

 千景を竜胆がどれだけ懸命に守っていたかを、言動の断片から察する。

 

 特に最近は、"仲間を攻撃されるだけで暴走する"という特性をティガダークが発現していたがために、竜胆が暴走した理由を皆がすんなりと推測できていた。

 皆が辿り着いた結論は若葉と同じ。

 自分が攻撃されても暴走しないくせに、仲間や友達を攻撃されると暴走しやすい、そんな竜胆の一面が、そのまま答えになっていた。

 

 村の人間を過剰に悪者にしないよう気遣っていた竜胆だが、その偽装はガバガバだった。

 竜胆が千景に向ける想いが、竜胆の偽装に穴を空けていた。

 その穴から覗き込み、勇者達は真実を見る。

 真実を見たからこそ……竜胆が抱いている罪悪感の詳細、千景に対する想い、たった一人の家族だった妹を殺した罪を実感できてしまい、お通夜じみた空気が広がっていた。

 

「……」

 

 友奈は口元を抑えて絶句した。

 杏は竜胆に対する恐怖の中に憐憫が混じった。

 若葉は歯を食いしばった。

 球子は苛立たしげに髪を掻いた。

 

「タマは……知らん内に、酷いこと言ってたんだな。ごめん」

 

「いや、酷いことなんて言ってないぞ。

 俺は少なくともあれで、君が正しい義憤を持てる人間だって確信できた」

 

「だけど、タマはな」

 

「俺は正しくないことをした。それで済む話なんだ」

 

 竜胆に同情するようにして、球子は怒った。

 

「そうじゃないだろ!

 何が正しいとか正しくないとかじゃなくて!

 村の人間はクソむかつくし、先輩と千景がかわいそうだってタマは言ってんの!」

 

「……タマちゃん」

 

「タマっち先輩……」

 

 竜胆が困った顔をして、杏も言外に球子に同意して、友奈も声を上げた。

 

「そうだよ! だって……だって!

 痛いことも辛いことも苦しいことも、何も無くなってないよ!」

 

「友奈。無くなってないけど、過去になったことだ」

 

「思い出して辛くなることなら、過去になんてなってない!

 どうしてそう、無理して平気そうな顔しようとするの……弱音くらい、吐いてもいいのに」

 

「んー、なんていうか……弱さは見せるより、乗り越えたいんだ。

 結局、戦いの場所は俺の心の中だから……

 最後の最後は、結局俺一人で勝たないといけないんだよな、この闇は」

 

「っ」

 

「……皆が居てくれるおかげで本当に助かってる。

 暴走しかけた時、皆の存在が俺の心の支えだ。

 でもさ、仲間を心の支えにするのはいいけど……

 甘えたらそこでおしまいなんだ。支えられた上で、俺自身が勝たないといけないんだよ」

 

 竜胆は弱音を吐く時もあるだろう。

 だが友奈は、竜胆の過去を鑑みて、もっと弱音を吐くべきだと主張する。

 されど竜胆は、自分が強く在らねばならない理由を言う。

 巨人が勇者に全体重をかけて寄りかかれるような関係は、まだ彼らの間には無い。

 

「優しい奴から死んでいく、か……

 そんな言葉があったな。

 お前の話を聞いていると、その理由が少し分かる気がする」

 

 若葉が溜め息を吐き、そう言うと、竜胆はそれに反論する。

 

「優しい人も優しくない人も等しく死ぬよ。

 優しい人が死ぬと悲しいから、それが印象に残ってるだけなんじゃないかな」

 

「ああ、それもあるだろう」

 

「俺達は知ってるはずだよ。

 悪人だから踏み潰されない、善人だから殺されない、そんなことはない」

 

 ティガダークも、バーテックスも、相手の善悪など一々考えずに殺し尽くしたのだから。

 

「だから優しい人は懸命に守らないと。俺達にしか守れないんだからさ」

 

「竜胆はこう言っているが……こいつは村の人間も守ると言っていた。皆、どう思う?」

 

 若葉がそう言うと、勇者は全員揃って唸った。

 そして四者四様の表情で竜胆を見た。

 友奈は"言いそう……"といった顔で。

 杏は"ええ……?"といった顔で。

 若葉はやや呆れた顔で。

 球子は"殺したのそんなに後悔してんのか"と言いたげな顔で。

 

 竜胆のこの部分にまず、勇者は個々に個別の感情を抱く。

 友奈がうーんと悩んで、口を開いた。

 

「罪を憎んで人を憎まず、ってやつなのかな……?」

 

「そんな聖人じゃねえよ、俺は。

 憎んでたし、怒ってたし、恨んでた。

 それがあの闇なんだ。0から発生したわけじゃない。

 少なくとも始点には……許せないっていう憎しみがあった」

 

「……」

 

「俺が何も悪くないとか、闇の力が全部悪いとか、そういうことは絶対にない。悪いな」

 

「……なんで謝るの?」

 

「友奈はそういう励ましをしようとしてくれてんのかなって、そう思った」

 

「……」

 

「俺が俺を許せる理屈を友奈が探してくれてることは、それ自体は、嬉しい」

 

 竜胆も薄々、自分の憎悪が巨人の闇の起点であり、その闇の力が自らの心の闇を増幅する、相互の汚染関係にあることは理解している。

 どんな人の心にも闇はあり、光はある。

 闇を完全に持たない人の心など、それこそ壊れた心以外にはありえない。

 

 だから、竜胆を苦しめるこの闇も、彼の中の一部。

 闇のせいで壊したもの、殺したものは、誰のせいにもできない。

 竜胆のこの考えを変えさせられるだけの理屈は、友奈の中には無かった。

 

「あー、リュウくんの内心が面倒臭い!」

 

「本人の前でよくそんな直球なこと言えるな!

 否定はしねえよ! こんな面倒臭い奴と友達付き合いしてくれてありがとう!」

 

「どういたしまして! 私も毎日楽しいよ!」

 

 お前達を見てるのが楽しいよ、と若葉が心中で思う中、杏が手を上げ口を開く。

 

「あの……前から少し気になっていて、聞けなかったことなんですけど……

 暴走しそうな時、暴走している時って、感覚的にはどういう感じなんですか?」

 

「苦しい。辛い。痛い。自分が自分がじゃない感じ。どうしても抽象的な話になっちゃうな」

 

「そうなんですか……」

 

「こう、俺の中で何かが爆発してるような。何かが暴れてる、みたいな。

 普段ある、自分が自分である感覚、自分を操作できてる感覚が薄くなるんだよな。

 で、普段とは違う自分が出て来る。

 壊すとか殺すのが楽しい自分が出て来る。

 徐々にあれ? どっちが俺だっけ? ってなってくる。

 ここで"楽な方に、楽しい方に"とか欲求に流されたら完全暴走だな。

 あとはこう、必死に自分を操作してる感覚を手探りで探して、自分の手綱を握るような……」

 

「……抽象的なのに、大変な感じが伝わってきますね……」

 

「せめてもうちょっと俺の心が強ければな……

 ああ、そうだ。もう一つ感覚的に似てるものがあった」

 

「なんですか?」

 

「夢だ、夢」

 

「夢……?」

 

「夢ってさ、思ったらそのまま反映されるじゃん。

 夢の中の光景が、思考に沿って変わったり。

 ちょっと思っただけで夢の中の自分がその通りに動いたり。

 暴走状態はあれだ。嫌なことを頭が考えて、考えた瞬間には体が動いてる感じ」

 

「あ、そう言われると分かります」

 

「踏み潰したい、と思った瞬間には踏み潰そうとしてるから、本当に心臓に悪いんだよな」

 

 杏がうんうんと頷いている。

 少しは仲間として親しんでもらえたかな、と竜胆は心中で願望を呟く。

 相も変わらず、杏とはまだ大して仲良くはない。

 しかしこいつ他の勇者と違って濃過ぎる変な個性が無いから一人だけ正統派美少女やってんな……と、竜胆は杏に対し益体もなく思った。

 

「闇って怖いね……若葉ちゃん」

 

「そうだな。

 古来より闇は"よくないもの"の象徴だ。

 本当は人の胸の内に物理的な闇なんてものはない。

 だが大昔の人間は、人の心の負の面に、『闇』と名を付けた。そこには相応の意味がある」

 

「闇の力が恐ろしいのか、人の心の闇が恐ろしいのか、俺にも本当は分かってない」

 

 竜胆がブラックスパークレンスを取り出す。

 近くでブラックスパークレンスを見たことのない勇者はまじまじと見つめたが、なんだか見ているだけで嫌な感じがする、そんな黒い神器であった。

 

「ただこれは、あまり良くない力ではあると思う」

 

「だよなぁ。先輩がそう思うのも、タマには頷けるってもんだ」

 

 うんうん、と球子が頷く。

 話の流れで杏は気付いた。

 球子(このこ)、『他の勇者より竜胆を友人として深く理解している理解者気取り』っぽい感じに振る舞っていると。

 "友達だからな"といった風の雰囲気が滲み出ている。

 

 ちょっと杏はほんわかした。

 球子は竜胆の理解者気取りもしたりするが、杏の理解者気取りもしたりするので、そういうところが子供っぽくて、微笑ましくて可愛いからだ。

 杏がそんなことを考えている前で、竜胆はブラックスパークレンスを強く握る。

 

「なんでこんな力が、俺に渡されたんだろう。他に的確な人間はいくらでもいたはずなのに」

 

 竜胆のその問いに、正しい答えを返せる勇者はいなかった。

 

「警察ですら振り切って、気に入らない人間を簡単に殺せてしまう力。

 癇癪を起こせば、街でも人でも全部まとめて壊せてしまう力。

 ハッキリ言って、俺には自分が選ばれた理由が分からない。なんなんだ、この力は」

 

 『何故自分が選ばれたのか』。

 

 竜胆は考えずにはいられない。

 戦いで苦戦するたび、暴走して大惨事を起こしそうになるたび、自分が殺してしまった人のことを思い出すたび、そう考えずにはいられない。

 そもそも竜胆の視点では、"光に選ばれた"のか、"闇に選ばれた"のかすらも、本当は分かってはいないのだ。

 

「俺はグレートやパワードみたいに、意志ある巨人と一体化したわけでもない。

 力は突然俺の手の中に現れてて、闇の力は俺といつの間にか一体化してた。

 ティガの力が何故ここにあるのか、誰も教えてくれそうにない。

 ティガダークは喋らないし、そもそも多分意志がない。本当に、なんで俺だったんだろう」

 

 竜胆が苦悩を語ると、竜胆を勇者がじっと見つめる。

 何故だろうか。

 竜胆は勇者達のその視線に、大なり小なり"共感"が込められているように感じた。

 

 若葉が頷き、口を開く。

 

「それは、私も……私達も、おそらくどこかで一度は考えたことだ。

 私も、友奈も、千景も、球子も、杏も。ウルトラマンになった人間達も」

 

「……え」

 

「何故自分なのか。何故選ばれたのか。この力はどう使えば良いのか。

 何が間違いで、何が正解で、自分はどう生きるべきなのか。答えを教えてもらいたかった」

 

 勇者なら、心のどこかで大なり小なり一度は考えることだ。

 何故自分なのか。

 何故神様は自分を選んだのか。

 勇者なんてものに、何故自分が?

 だが、神様は勇者の選考基準を人間に伝えたことは一度もない。

 

 特に自己評価が低かった千景、初陣で全く動けないほどに女の子らしい臆病さをみせた杏等は、竜胆のこの本音に強く共感することだろう。

 

 神に選ばれた理由は不明。

 力の行使は勇者の意志に委ねられる。

 何のために戦うか、戦う理由は誰も与えてくれないので、自分で見つけないといけない。

 若葉もまた、戦う前ではなく、戦いの中で仲間と共に戦う真の理由を見つけた者だった。

 

「だが、その答えは、きっと自分で見つけなければ意味がない。私は友にそう教わった」

 

 若葉が仲間に微笑みかけると、友奈は嬉しそうに笑顔を浮かべ、杏は微笑み返し、球子は照れたのかちょっと恥ずかしそうに顔を逸らした。

 

 勇者は誰もが、"自分だけの戦う理由"を持っている。

 

 若葉は過去の妄執に囚われず、今を生きている命を守るために。

 友奈は仲間も人々も皆、皆が大好きだから、大好きな皆を守るために。

 球子は人を守るのが当たり前の人間で、"自分が絶対になれない人種"である杏を守るために。

 杏は拠り所である居場所を守るため、"自分が絶対になれない人種"である球子を守るために。

 千景は無価値な自分に勇者という価値を加え、皆に必要とされる自分で居続けるために。

 

 ウルトラマン達もそうだ。五人のウルトラマンが全員、異なる戦いの理由を持っている。

 

 ハッキリと言ってしまえば、彼ら彼女らは同じ場所を目指しているだけで、同じ感情と同じ気持ちを抱えて戦っている者など、一人も居ない。

 全員が違う動機を持ち、全員が違う心をもって戦っていた。

 ……その上で。

 全員が一丸となって、同じ目標に向かい、同じ未来を勝ち取るために力を合わせていた。

 

 これは正義だ、悪だ、という話を超越している。

 ここにあるのは絆であり、助け合いであり、友情であり、生きるという意志だ。

 仮に天の神に正義があったとしても、その裁きを「知るか」と拒んで、「滅びてたまるか」の一言でその全てを粉砕しようとする意志だ。

 

 例えば、千景を例に挙げてみる。

 本当なら、陰気な千景とガサツな球子は友達になりにくい。

 だが、仲間として助け合い、信頼し合っている。

 アグルの鷲尾と千景は、友奈の友人として嫉妬が少し入るので、仲が悪いところもある。

 だが互いに敬意を払い、互いの命を守り合ったことも一度や二度ではない。

 千景と若葉は、千景の側が若葉に対し嫉妬や嫌厭の気持ちを抱いている。

 だが、千景は若葉を嫌っているが、嫌っているのと同じくらい憧れていて、嫌っているのと同じくらい好ましく思っていた。

 

 世界を守る、勇者と巨人の混合チーム。

 彼らは綺麗なだけの気持ちで繋がっていない。

 だが、強い絆で結ばれている。

 

 それぞれが違う自分のまま、光も闇も混ぜ合わせて、一つになって滅びへ立ち向かうのだ。

 

「私達のこの世界は滅びたりしない。絶対に」

 

 若葉の言葉には、力があった。

 

 バーテックスがもたらす根源的破滅への抵抗。

 それは一種の生存競争である。

 天の神に正義があろうとなかろうと、絶対に滅びを受け入れないという、生物として当たり前の生き足掻く意志。

 竜胆は理不尽に与えられる滅びに抗うその心にこそ、かつての自分が求めた『正義』に近い輝きを見た。

 滅びを前にしても諦めない勇者の心の輝きは、本当に美しい。

 

「俺も全力で力を貸すよ、乃木」

 

「若葉でいい。お前に他人行儀にされるのは何だかむず痒い気持ちだ」

 

「そっか。じゃあ若ちゃんで」

 

「……む、そう来たか」

 

「だから、本気で戻れない暴走をやらかす前に、介錯頼むぞ」

 

「ああ、任せろ。お前はちゃんと私が斬る」

 

 物騒な掛け合いのはずなのに、何故か友奈には、その二人のやり取りが、とても暖かで優しいものであるように見えた。

 

「お前を止めるのはこの私だ。

 お前が死ぬべき時は、ちゃんと見極めてやる。

 だから……バーテックスにも、殺されるな」

 

「ああ」

 

 この空気好きかも、と友奈は思った。

 

「俺はちゃんと、償えるだけ償ってから死ぬよ」

 

「なら、長生きしなければな」

 

「……」

 

 あ、変な空気になってきた、と友奈は感じた。

 

「すぐに死ぬつもりも無いが、そんなに長生きすること許されてないだろ、俺は」

 

「罪があるなら長生きして償え。私は間違ったことは言っていないだろう?」

 

「俺が長生きすることを許さないだろ、被害者の遺族は」

 

「なら私はお前が償い切る前に早死にすることを許さない。そう言ったらどうだ?」

 

「そのくらい許してくれよ」

 

「許さん」

 

「許せよ」

 

「許さん」

 

「……"名前ひっくり返したら『バカ』だなお前"とか言うぞ」

 

「……"名前にうどんが入ってるとか愉快な名前だなお前"とか言うぞ」

 

「……」

 

「……」

 

「面倒臭い頑固さだなお前」

 

「面倒臭い頑固者はお前だ」

 

 バカわ……否、若葉も引かない。

 うどんり……否、竜胆も引かない。

 どことなく鍔迫り合いのような言葉の応酬。

 

 友奈・球子・杏はちょっと懐かしい記憶を思い出していた。

 昔、竜胆が来る前、皆で温泉旅館に行った時のこと。

 ゲーム機やらトランプやらで、皆で勝負したことがあった。

 最初はゲーム分野で最強だった千景が無双していたが、真面目で負けず嫌いの気があった若葉が初心者ながらに真剣に打ち込み、とうとう千景に勝ち越しそうなところまで行った。

 

 ひなたのイタズラで最後は千景に負けたものの、もしかしたらあのまま行けば、最終的に若葉には誰も勝てなかったかも、と思わせるほどのものがあった。

 

「若ちゃんさあ、俺が長々と生きてたら最悪お前にも迷惑かかるっての分かってる?

 正直俺の味方とかしてもらえんの嬉しいけど、俺庇ってたら絶対迷惑被るぞ、バカタレ」

 

「お前は何も分かっていないな。

 たかだかお前一人程度受け入れる度量はある。

 仲間としても、友としてもだ。

 私は何度でも同じ事を言う。お前は生きていていいんだ」

 

(一度決めたことは絶対に曲げないんだなこいつ……)

(一度決めたことは絶対に曲げないのかこの男は……)

 

 中学生らしい、子供のような張り合い。

 それは信念のぶつかり合いとも言えるし、生き方の主張のぶつけ合いだったとも言えたし、ただの対抗心と言うこともできれば、子供の意地の張り合いだということもできた。

 説得という言葉からは程遠い、頑固者の言葉の殴り合いであった。

 

 球子が呆れて、杏が苦笑する。

 

「この二人、もしかしてちょっとバカっぽいことやってる時は似た者同士なのでは……?」

 

「ま、まさかぁ……いやでも、うーん……あ、そっか。

 熱血・真面目・負けず嫌いの度合いが若葉さんといい勝負な仲間って、初めてなんだ……」

 

 竜胆が伝家の宝刀「俺に生き方を押し付けるな」を抜く前に、若葉が禁断の魔剣「そう言えば何故お前は私の下着を」を抜く前に、友奈が二人の間に割って入った。

 

「まーまー、二人共落ち着いて! 二人共頑固者だから大丈夫だよ!」

 

「「 !? 」」

 

「二人共柔軟にふにゃっと対応できないわけでもないんだから、ほら、ふにゃっと!」

 

 竜胆相手に限らないが、友奈は一貫して竜胆に対して優しかった。

 彼女の対人行動は優しく、暖かく、柔らかい。

 高嶋友奈がいるだけで、その場所の空気は格段に居心地の良いものになるのだ。

 

 若葉の凛々しさと強さと迷わなさは、皆を引っ張るリーダーに向いている。

 その代わり、弱った人間を励ましたり、人と人の衝突を折衝したりするのには向いていない。

 対し、友奈は皆の間に立って仲良くさせたり、衝突を防いだりするのに向いている。

 その代わり、何があっても迷わず揺らがず、皆を引っ張っていくのには向いていない。

 この二人が常に人の輪の中にいれば一切問題は起きないが、逆に片方が欠けるだけでも将来的に問題が発生しやすくなる。

 そういうものなのだ。

 

 今また、友奈の行動が、竜胆と若葉が張っていた意地をどこかにやって、二人の間にあった空気を柔らかなものにしてくれていた。

 

「ちっ、また今度な、若ちゃん」

 

「いいだろう。次は竜胆、お前の部屋でだ。一対一で朝まで論議してやる」

 

「二人は仲が良いねー」

 

「「 友奈、お前…… 」」

 

「なんでそこで私に対しての気持ちで息合わせるかなもう!」

 

 友奈は花咲く笑顔を浮かべていた。見ている方まで笑顔になりそうな、そんな笑顔だった。

 

「竜胆、最後に一つ」

 

「何?」

 

「二つ正義があるとする。相容れない正義だ。お前はどちらかの味方をしないといけない」

 

「ふむ」

 

「片や、"ルールと治安を守る"という正義を掲げる男がいる。

 男は『犯罪者になってまで勝手に人を殺すな』と叫ぶ。

 片や、"法で裁けない悪を裁く"という正義を掲げる男がいる。

 男は『法で裁けない悪を野放しにするのか』と叫ぶ。

 そうなった時、お前ならどちらの味方をする?」

 

「……」

 

 竜胆は考える。

 考えに、考えて。

 答えは出なかった。

 

「……あれ」

 

 前者の正義は、法で裁けない悪を裁けない。

 例えばあの村の人間達のような悪を裁けない。

 そういった悪を野放しにしてしまう。

 ルールに縛られてしまう。

 

 後者の正義は、どう言い繕っても犯罪者のそれで、人々を不安にさせる。

 法律に逆らっての殺人を正義だと主張する。

 その人が個人的な判断で善悪を決め、法で裁かれない悪を裁くことになる。

 こちらは逆に、個人が勝手に感情で善悪を決め、それで人を裁くことになりかねない。

 

 法に沿った正義は、時に無能になりかねない。

 法を無視する正義は、半ば暴虐である。

 

 言い換えれば、平和な社会というものは、法に沿った正義にしか作れないということ。

 法に裁かれない悪を潰せるのは、法を無視する正義だけであるということだ。

 

 ならば、竜胆はどちらなのか。

 

「あれ……?」

 

 ()()()()()()()

 

 法で裁けぬ悪を裁きたいのであれば、村人なんて皆殺しにしてよかった。

 千景だけの味方をして、法律や社会に守られた村の悪を、正義で潰せば良かった。

 だが、彼はそうできなかった。

 

 法に沿うなら、何も思う必要はなかった。

 個人に一々何も思わず、社会のルールと法に沿うことだけ考えて、一人の千景の幸福よりも村の人間達全員の幸福でも考えていればよかったのだ。

 だが、彼はそうできなかった。

 

 こうして見ると、竜胆は個人と集団、その両方を尊重してしまっているのが分かる。

 若葉が挙げた相反する二つの正義の両方が、竜胆の中にはあったのだ。

 それは時に、竜胆の中で喧嘩していた正義だった。

 

「私は、正義について多く語られるほど立派な人間でもない。

 完全な正義について論議できるほど人生を重ねたわけでもない。

 だが、お前の苦しみの源泉はここにもあるということは、話を聞いていて分かった」

 

「若ちゃん……」

 

「集団、秩序、法を重んじる正義。

 個人、幸福、善を重んじる正義。

 お前が二つをいっぺんに求める欲張りな男であるというのは、分かった」

 

「欲張りってお前」

 

「一人で二兎を追うのは辛かろう。困難な時がくれば、私も力を貸してやる」

 

「え?」

 

「……知ってしまったからな。

 三年前と同じことがあれば、私はお前と千景の味方になる。

 もう二度と、お前に石は投げさせない。―――私とお前は、仲間だからだ」

 

「―――」

 

 もう、あの時のようなことにはならない。不思議と、竜胆は、そう確信していた。

 

「かっけー……」

 

「おい、からかうな」

 

「からかってねえよ。いや本当に。

 今俺若ちゃんの頼みなら大抵聞いてやれるくらいの気持ちになってるぞ」

 

「お、おい、からかうなと」

 

「いや本当に感動した。マジで嬉しい。かなり好きだぞ、お前のこと」

 

「おっ、おい、待てっ」

 

「おっまえこれ、俺がちょろくない男だったからいいものの。

 そうじゃなかったら、ここでお前にベタ惚れになってたぞ……」

 

(リュウくん……)

(竜胆先輩……)

(御守さん……)

 

 うろたえる若葉と、熱い気持ちをぶつける竜胆の顔がなんだかおかしくて、三人は一斉に吹き出してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちーちゃん昼飯に誘ってくるよ、と言って、竜胆は皆から離れていった。

 

「あんな人が人をいっぱい殺したなんて、信じられないよね……」

 

 友奈が呟く。

 それは過去形だけで語るべき事柄ではない。

 今もまだ、竜胆は虐殺を行う可能性はあるのだ。

 竜胆の奇妙な人生を噛み締め、友奈の声に同情が交じる。

 杏はそこに、冷静な評価を加えた。

 

「でも、それでも。

 何の罪もないのに、あの人に殺されてしまった人は、いるんです。

 今日、若葉さんが見た人達には、御守さんがバーテックスと同じに見えていたんです。

 きっと、人殺しの化物に見えていたんです。

 理不尽な、人を殺して回る人類の敵に、見えていたんです。

 それを忘れてしまったら……何かが、間違ってしまう気がします……何かが……」

 

 杏はまだ竜胆とさほど親しくない。

 感情的にではなく、理性的に物事を見れる知能があるのもあって、彼女の指摘は正しかった。

 

「そう、だよな。タマんないなぁ……あぁやだやだ」

 

 タマが愚痴をこぼす。

 殺された人のことを想って、竜胆を責めた球子の気持ちは、まだ彼女の中にある。

 竜胆が何も悪くないだなんて、球子は口が裂けても言えない。

 

 もしも、あの村の人間に対し竜胆や千景が暴走したとして。

 他の勇者達は、それを必ず止めるだろう。

 仲間に罪を犯させないため、凄惨な殺人を行わせないために。

 仲間が復讐心から一般人への攻撃を始めた場合、それを止めない勇者は千景くらいのものだ。

 

 悲惨な過去があれば殺人が許されるなどという蛮族の主張が許されるなら、日本が法治国家として成立できるわけがない。

 

「だけどな、あんず」

 

 だから、球子の選択は、決まりきっている。

 

「もうタマ達とあいつは、仲間なんだぞ。守り合う仲間なんだ」

 

 いじめだとか、復讐だとか、嫌な過去だとか、苦しい人生だとか。

 

 そんなものが渦巻いている場所から、千景や竜胆を引っ張り上げる。球子はそう決めた。

 

「あいつをもう一度いじめようとする誰かがいるなら。

 タマは絶対にあいつをいじめさせない。

 そう決めた。今日決めた。今決めたんだ。

 竜胆先輩が竜胆先輩をいじめようとしても、タマは止める」

 

「タマっち先輩……」

 

「千景と竜胆をいじめんのが正しいって言うなら、タマはそれに反抗する不良で良いや」

 

 球子のその言葉に、一も二もなく友奈が飛びついた。

 

「うん、そうだよ!」

 

 彼女の声が、一気に空気を明るく暖かなものにする。

 

「ここで、いっぱい楽しい想い出あげないと! 昔辛かった分、たっくさん!」

 

 若葉が、ふっと笑った。

 

「そうだな」

 

 短い言葉のくせに、友奈の言葉への絶対的な賛成の意志が、言葉の中に満ち溢れていた。

 

「そう、ですよね。私もいつまでも怖がっていたり、嫌っていたりするのは失礼ですよね」

 

 杏もまた、皆に賛同していた。

 

 勇者が一致団結し、手を重ね、心を一つにして――

 

 

 

ええ子や(Goog girl)……めっちゃええ子や君ら(Very good girls)……」

 

「ぼ……ボブ!」

 

 

 

 ――ボブがどこかから生えてきた。

 

「ナイタワ……ウチノムスメタチヨ、コンナニリッパニナッテ……」

 

 そうしたらケンもやって来ていた。

 なんというか、その。

 若葉が皆を連れて竜胆から話を聞こうとした時点で察知し、竜胆の過去の話を丸々聞きつつ、ずっとその辺に隠れていたらしい。

 

小遣いやるから取っておけ(Give you money to spend)

 

 ボブは強引に勇者の皆の手の中にお小遣いをねじ込み始めた。

 一人一万円。

 くしゃくしゃになった一万円が皆の手の中やポケットにねじ込まれていく。

 それに乗じてケンは飴玉をもりもり皆の手やポケットにねじ込んでいった。

 

「ちょ、こんなに、こんな理由で貰えないって!」

 

遠慮するなって(Don't hold back)

 

「オイデ、ミンナ、アメチャンヤルゾ。アメリカダケニ、アメ、ッテナ!」

 

「あーもうっ!」

 

 今日も、丸亀城は騒がしい。

 

 

 




 次話から修行、そしてバーテックス戦、そして……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

誕生 -リ・バース-

 一話三万字が見えてくると、いつものペースで書いてるせいで途端に定時更新が間に合わなくなる。時拳時花を思い出しますな

 昨日からのジードショーがティガダークメインで凄かったそうです。
 人と巨人の共存を願うティガ・マルチタイプ。
 人を神として導こうとするイーヴィルティガ。
 ところがそこで怪獣がティガに憑依、闇に呑まれたティガがティガダークに!
 ティガダークは会場の子供からのファンレターを子供の前で握り潰す!
 トラウマ確定!

 光の巨人として、ジードと共にティガを止めに動くイーヴィル!
 だがめっちゃ強いティガダーク、イーヴィル首絞めで殺しかける!
 そこで握り潰されたファンレターを司会のお姉さんが音読。
 子供の『大好き』というファンレターの中身を聞いて、ティガダーク苦しむ。
 そしてティガダークから怪獣が追い出され、ティガダークはマルチタイプに!
 怪獣をジードが倒し、ティガとイーヴィルは運命の対決に!
 戦いは互角だったが、イーヴィルはティガの人と支え合う生き方を認め、敗北を認め去った……
 って感じだったそうです。

 見たかった……告知足りてませんよ……


 竜胆は千景を昼御飯に誘おうとして、その途中でひなたと会った。

 

「あ」

 

「あ」

 

 二人が進もうとしている方向は同じ。

 千景の部屋は寄宿舎の一階端にあるので、竜胆くらい目敏ければひなたのつま先の動きから、足が向かう先を見分けることもできる。

 どの程度かは不明だが、ひなたが千景の状態を察しており、最低でも声掛けくらいはしようとしていることは、竜胆にもある程度は推測することができた。

 俺と同じで昼飯に誘おうとしたりしてんのかな、なんて竜胆は思った。

 

「ちーちゃんのとこに、俺も行こうとしてたんだ」

 

「……一緒に行きますか?」

 

「頼む。俺は……その、なんだ。

 "俺だから話がこじれる"こともあるかもしれないから、居てくれると助かる」

 

「はい」

 

 寄宿舎への少しの道を、ゆっくり歩いて、竜胆とひなたは言葉を交わす。

 その過程で、二人の共通の友人である若葉の話が出る。

 

「あいつ格好良いよな」

 

「でしょう!?」

 

「うおっ」

 

「良いですよね、若葉ちゃん!」

 

「お、おう」

 

「あれは三年前のことです!

 まだ勇者という枠すら無い時代!

 人類に突如バーテックスが牙を剥き、誰もが困惑するしかない瞬間がありました!

 ですがそこは私が育てた若葉ちゃん!

 臆することなく、バーテックスに果敢に挑む勇敢な若葉ちゃん!

 ああ、ですが、木の棒ではバーテックスに敵わない!

 若葉ちゃん危うし! ですがその若葉ちゃんの勇姿が神様を動かしたのです!

 奉納されていた神の刀を掴む若葉ちゃん! その抜刀はまさしく光!

 すっぱーんと斬られるバーテックス! 若葉ちゃん大勝利! そんな感じでした、はい」

 

「あ、熱い……語りが熱い……」

 

「短くまとめられなくてお恥ずかしいばかりです」

 

「あ、恥ずかしいのはそこなんだ……まあいいけどさ」

 

 竜胆はひなたに対し、これまではどちらかというとマイペースでのんびりとしたイメージを持っていた。自分のペースを揺らがさない落ち着いた少女だと思っていた。

 が、マイペースとローペースは違う。

 ハイペースだってマイペースなのだ。

 ひなたはどうやら、若葉のこととなると全力でアクセルを踏むタイプであるらしい。

 

「落ち着きがあって大人っぽいと思ってたが、こういう一面もあったんだな」

 

「若葉ちゃんからはのんびりしてる、時々何考えてるか分からない、なんて時に言われますね」

 

「天衣無縫入ってるんだな、上里は。

 落ち着きがあって大人っぽい印象も無くなってはないけど」

 

「御守さんの方が年上ですよ?」

 

「おう、頼っていいぞ」

 

「ふふっ、考えておきます」

 

 ボブとケンを除けば、竜胆は唯一の男で最年長になるのだ。

 元兄として、つい歳下の女の子に年上ぶりたい気持ちになってしまうのはご愛嬌。

 落ち着いた雰囲気のひなたが若葉のことではしゃいだのを見て、そういえば髪をまとめてない時の花梨と上里の髪型と髪色って似てたな、と思い出して。

 少年の胸は、痛んだ。

 

「友達を熱く語る分には何も悪くないさ。はしゃいでる子を見ると、ちょっと妹を思い出すし」

 

 竜胆の物言いに、ひなたは目を丸くした。

 

「何か、良いことがありましたか?」

 

「なんで?」

 

「何気ない会話で家族の話が出せるようになったみたいですから。

 何か良いことでもあって、心境に変化があったのでは……と」

 

「……俺もしかして結構分かりやすい奴なのかね」

 

 竜胆は照れ、ひなたは優しく微笑んでいた。

 

 竜胆は皆に話したこと、皆と話したこと、皆に話してもらったことを語る。

 ひなたは聞き上手で、話している方が気持ちよく話せるよう、適度な相槌と表情の動きを混じえた良い反応をしてくれる。

 それもあって、竜胆はとても楽しそうに仲間との会話のことを話していった。

 そんな彼を、ひなたはずっと微笑んで見ていた。

 

「やっぱり若葉ちゃんは素敵ですね……ハイパーフレンドクリエイターです」

 

「ハイパーメディアクリエイターの突然変異か何かかな……?」

 

「でも、若葉ちゃんと御守さんは仲良くなりそうだとは思ってました」

 

「そうなのか?」

 

「ええ」

 

 ひなたは、何がどう最悪の方向に転がっていっても、若葉と友奈だけは竜胆と仲良くなるだろうと思っていた。

 

「若葉ちゃんの勇者の衣装が、桔梗の花を模していることはご存知ですか?」

 

「ああ、それは見てて分かった」

 

「桔梗の花言葉は『優しい愛』、『永遠の愛』、『変わらぬ心』。

 『清楚』、『従順』、『友の帰りを願う』。

 そして……『誠実』です。竜胆の花の花言葉も、『誠実』でしたよね」

 

「!」

 

「お二人とも、真面目な人で誠実な人でしょう?

 竜胆さんはグレているけど、誠実でない自分ではいられない。

 若葉ちゃんも誤解されやすいけれど、誠実でない自分ではいられない。

 誠実な人同士というのは、紆余曲折あっても最終的に気が合うものですから」

 

 おおぉ、と竜胆の声が漏れる。

 俺が誠実かはともかく何か説得力あるな、と竜胆は思った。

 竜胆と若葉の関係推測を花から始めて、現実の人格評価を経て、実際にその推測をピタリと当ててみせたのだから大したものだ。

 関係推測を花言葉から始めるあたり天然が入っているのに、まともに人格を見てもいるから、最終的な結論が間違いにならないという、独特な思考。

 

「気が合ったようで何よりです」

 

「ちょっと論争にはなったけどな、俺達」

 

「ではここで友奈さんの言葉をお借りしましょう。『喧嘩するほど仲が良い』」

 

「あの子は"喧嘩してても仲良くさせる"の間違いじゃねえかな……」

 

 ひなたは勇者達のように、竜胆の口から直接彼の過去を聞いてはいない。

 だが昨日の時点で若葉と一緒にある程度の事情を聞いていた上、元々ひなたは竜胆に対し悪意的でも敵対的でもなかった。

 なので会話は滑らかで、どこか好意的で、隠されてはいるが同情も入り混じっている。

 竜胆はそれを知ってか知らずか、ひなたに対しても好意的だった。

 

「若ちゃんが真っ直ぐで優しくて強い奴に育てたのは、上里のおかげもありそうだ」

 

「若葉ちゃんは私が育てました! でも若葉ちゃんは、一人でも育っていける子ですからね」

 

「あー、分かる。あれはハートの芯が鋼なやつだ」

 

「そうでしょう、そうでしょう。ふふふっ」

 

「まあでもやっぱり、日向(ひなた)で育った若葉の花だっていうのが、一番大きい要因だろうな」

 

 植物の若葉は、日の下で育ってこそ強く大きくなり、いつか綺麗な花を咲かせるものだ。

 ひなたと若葉の名前を絡め、うんうんと頷きながらひなたの手腕を褒める竜胆。

 褒め言葉ですぐ照れたりする球子等とは対照的に、ベタ褒めされても照れをほとんど顔に出さないひなたであったが、流石にちょっと照れた。

 

「若ちゃんには、余計な罪悪感とか、後悔とか、背負ってほしくないもんだ」

 

 俺みたいに、とは言わない竜胆。

 竜胆がそう言わなくても、言葉の裏を察するひなた。

 

「植物も、人も、光だけで大きくなるわけではありませんよ。

 若葉ちゃんにだって闇はあって、憎悪や復讐心に囚われていたことはありました」

 

「あいつが?」

 

「若葉ちゃんもいつか話すと思います。良い仲間で、良いお友達みたいですから」

 

「そっか……じゃあ、待つかな。話してくれるのを」

 

「植物の種を発芽させるのに、光が求められる時も、闇が求められる時もあります。

 好光性種子や嫌光性種子と言われるものですね。

 人も同じです。光だけでも、闇だけでも、それだけで良いというわけではないと思います。

 私が見た限りでは……

 自分の闇を乗り越えた時の若葉ちゃんは、生涯で一番に、大きな成長を遂げていましたから」

 

「……光と闇か」

 

「光と闇が、大きな花を咲かせる。そこは、人も植物も同じですね」

 

 他人事ではない。

 植物が光と闇あってこそ健全に成長し花を咲かせられるように、人間もまた、光と闇、幸福と苦難こそが成長に繋がっていくもの。

 光と闇の中で揺れている竜胆には、一から十まで他人事に聞こえなかった。

 

「千景さんもきっと、まだその道半ばなんだと思うんです」

 

 上里ひなたは"戦う者"ではなく、"支える者"である。

 彼女の戦う場所は、勇者達のように戦場ではなく、竜胆のように自分の心の中ではなく、きっと勇者達と共に過ごす日常の中にある。

 

「それで、ちーちゃん心配して来てくれてる上里はいいやつだよな」

 

「お友達ですから。私は、戦う仲間にはなれないけれど、それでも仲間でいたいんです」

 

「……丸亀城(ここ)はあったかい場所だな。中に居るやつが暖かいからか」

 

「今はこの暖かい場所が、帰ってくる御守さんを迎えてくれる家ですよ」

 

「あ、今の言い回しめっちゃ好き。ぐっと来た。そっか、ここが、今は俺の家なんだな……」

 

 会話を重ねれば重ねるほど、相手のことが理解できてくる。

 相手が喜んでくれる言葉が分かるようになる。

 言ってあげるべき言葉が分かるようになる。

 この二人もまた、互いに対する理解を深めていた。

 

 そこでひなたは、うっかり忘れそうになっていたことを思い出す。

 

「あ、今渡しておきますね。これを」

 

 ひなたは薬の入った処方箋を、竜胆に手渡した。

 

「薬……?」

 

「発作が出た時、物陰に隠れて皆に見せないようにしていたみたいですが……

 すみません。一度、偶然見てしまったことがあったんです。あなたが苦しんでいるのを」

 

「……うっわ、こういうのは誰にも見られてないと思ってると、恥ずかしいな……」

 

 竜胆は普通に生活しているだけでも、心の闇に引っ張られて発作を起こす。

 寝る時は自分を縛っておかないと、起きた時に悪夢の影響で自殺しそうになるのもしょっちゅうだ。

 竜胆は隠せていたつもりだったようだが、心の闇の発作が時折彼を苦しめていることに、ひなたは気付いていたらしい。

 

「大社に頼んで貰った強めの痛み止めと精神安定剤です。

 効果がどの程度あるかは分かりませんが、飲めばすぐに効き目が出るとか。

 その代わり、効果が切れるのも早いそうなので、服用する時はお気を付けて」

 

「ありがとう、助かる」

 

 竜胆は薬の袋を受け取り、ふと、何故か眉間に皺を寄せて難しい顔をした。

 ひなたは首をかしげる。

 このタイミングで何故竜胆が難しい顔をしたのか、さっぱり分からなかったからだ。

 竜胆は恐る恐る、ひなたに問いかける。

 

「この薬、苦かったりしない?」

 

「ちょっと、御守さん、突然可愛いところ見せてくるのやめてください」

 

 竜胆の中には、親に飲まされた薬が苦くて"うえっ"ってなった時の記憶、すなわち苦い薬への苦手意識があった。

 苦い薬をちょっと嫌がる少年の表情に、ひなたはちょっときゅんとした。

 

「……あー、いや、待った。

 苦い薬が苦手ってわけじゃないんだ。

 俺も中三になった男だからな。多分コーヒーもイケる」

 

「……ふふふっ」

 

「なんだその笑み」

 

「最近まで小学生で時間が止まっていたのですから、仕方ないですよ。可愛いと思います」

 

「お前の方が可愛いわ! 男に何言ってんだ!」

 

「可愛いは容姿ではなく、心ですよ。若葉ちゃんだってかっこいいけど可愛いでしょう?」

 

「まあそうだが。お前と俺ならお前の方が可愛いし、若ちゃんとお前ならお前の方が可愛いわ」

 

「……むむむっ」

 

「よし、理屈は通ったな。今後お前は俺のことを可愛いとか言うんじゃないぞ」

 

「ああ……なるほど、そういう話でしたか。より可愛い方は可愛いとか言うな、と……」

 

「そういうことだ」

 

「でも私、若葉ちゃんを可愛いと言えなくなったら、死んでしまいます……」

 

「えええ……変わってるやつだな、上里は」

 

「楽しい人ですね、御守さんは」

 

 とりあえずひなたを可愛いと強く主張して、ひなたより可愛くない俺に可愛いとか言うのは禁止、という結論に持っていこうとする竜胆。

 年上の男に対し可愛いという感想を隠しもしないひなた。

 二人は妙な噛み合い方をしていた。

 

「まあ、それじゃあ、若ちゃんは上里より可愛いとか美人とかってことでいいよ」

 

「若葉ちゃんに今の台詞をそのまま伝えておきますね」

 

「やめい」

 

 ひなたは竜胆に対し"分かりやすい"と思い、竜胆はひなたに対して"読めない"と思っていた。

 

「分かってきたぞ、お前天衣無縫に他人をぶん回すタイプだな……半分くらいは狙って」

 

「まあ、人聞きの悪い。私がそんな人間に思えますか……?」

 

「思ってるから言ってるんだが。メインのおもちゃはたぶん若ちゃんかな」

 

「そんな風に見られているなんて悲しいです……私は若葉ちゃんを愛でているだけなのに」

 

「俺の妹が結構そういうタイプだったんだよ! ……こんな風に思い出すとは思わなかった」

 

 竜胆は歩きながら話していたちょっとの時間で、いつの間にかにひなたのことを"ひーちゃん"と呼ばされていた。

 本当にいつの間にかに。

 上里ひなた恐るべし。

 内心が読み切れないのも本当だが、そんなものが読み切れなくとも彼女が善性の者であるのも本当で、そこに疑う余地はないように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千景は一人、部屋にこもる。

 カーテンを閉めて、窓を隠して、電気も点けず、薄暗い昼間の部屋に引きこもる。

 

「……」

 

 何も考えたくなかった。

 何か考えてしまえば、そこから連鎖的に考えたくないことまで考えてしまって、物騒なことを考えてしまいそうな自分が怖かった。

 頭の中に二人の自分が居るかのよう。

 相反する思考が意見をぶつけ合っていて、今にも暗い考えをしている方が勝ってしまいそうで、それが怖い。

 

 千景はケンが朝持たせてくれたお弁当を開けた。

 行動することで余計なことを考えないようにしよう、何も考えず食事を取ろう、とぼんやりと思いながら箸を取る。

 そして、弁当の白米の上に、海苔で書かれた文字を見た。

 『キョウモ、イチニチ、ガンバロウ』という文字を見た。

 

 ケン・シェパードは丸亀城では家事をよくやってくれている。

 彼は昔からずっと家事をやっていたらしく、自分の弁当にも凝るし、他人のための弁当にはもっと凝るようなタイプの男だ。

 千景の弁当にもかなり手が込んでいたが、もしケンが千景の弁当を作るとしたら、もっともっと愛情を込めるし、それ相応に手の込んだものを作るだろう。

 昔は娘にもそういう弁当を作ってやっていたと、かつてケンは言っていた。

 

 弁当はすっかり冷え切っている。

 なのに、一口食べた千景は、そこに温度とは違う暖かさを感じた気がした。

 "娘をちゃんと愛する父親が作ったお弁当"は、追い詰められた千景の心によく効く。

 

「……ぐすっ……」

 

 自分を責める心、他人を責める心。

 自分の幸せを求める心、友達の幸せを求める心。

 勇者である自分、勇者でない自分。

 幸せを感じている時、今日のような幸せを感じられない時。

 色んなものが頭の中をぐるぐる巡る。

 

 心の闇が顔を出し、千景はそれに立ち向かうでもなく、それを抑えるでもなく、それからひたすら目を逸らすことで自身の暴走を停止させていた。

 だが、それも所詮はその場しのぎ。

 今の千景が暴挙の一歩手前にあることは何も変わりない。

 

 そんな、寄宿舎(あめのいわと)に引きこもってしまった女の子(アマテラス)のために、彼女の友人はやって来た。

 

「ちーちゃん、一緒お昼ご飯食べに行かない?」

 

「!」

 

 思考をしないようにしていたのもあって、千景は半ば反射的に、感情的に、飼い主に呼ばれた子犬のように部屋の入り口に向かい走っていく。

 そして、ドアノブに手をかけたところで、止まった。

 "友達に会いたい"という気持ちが彼女を走らせ、"友達に会いたくない"という気持ちが彼女の手を止めさせる。

 

 会いたい。

 会いたくない。

 寄りかかりたい。

 彼にこれ以上重荷を背負わせたくない。

 近付いて、愛されたい。

 近付いて、嫌われたくない。

 苦しんでいる彼を助けたい。

 苦しんでいる私を助けてほしい。

 千景の手と足が止まる。

 

 悩んだ末に、精霊の穢れの影響を受けている千景は、ドアの鍵を開けなかった。

 

「……ごめんなさい。もう、お昼は食べてしまったの」

 

「そっか」

 

「ごめんなさい」

 

 謝罪の言葉を口にして、謝罪の言葉を外に出すと、とめどなく"ごめんなさい"が出て来る。

 

「……ごめん、なさい」

 

 数え切れないくらいの"ごめんなさい"があって、千景はそれを次々と口に出していった。

 何に対して謝ってるかすら口にしないまま、ただひたすらに"ごめんなさい"を続けた。

 

「本当に、ごめんなさい」

 

 ドア一枚を挟んで、竜胆はそこに立っている。

 薄い板一枚を挟んで、千景はそこで泣きそうになっている。

 二人は近いのに、遠かった。

 

「竜胆君は……あの村でのこと、後悔してない……?」

 

「後悔してることも、後悔してないこともある」

 

「……」

 

「後悔していないことは……何度でも同じようにすると思う」

 

 細かく説明されなくたって、分かる。

 竜胆は殺したことを後悔していて、千景に手を差し伸べたことを後悔していない。

 だから何度でも、手を差し伸べるのだ。

 千景を助けようと思ったことだけは、絶対に悔いることはない。それが御守竜胆だ。

 それを後悔させ、千景を憎ませようとするのが、彼の中に根付いた闇なのだ。

 

「あなたは……あの村に、来るべきじゃなかった。

 後悔したことも、しなかったことも、あるとあなたは言うけれど……

 良いことだけは絶対になかったはず。

 良いことが一つもなくて、辛いことしかなかったなら……

 ……あなたはあの村に、絶対に、来るべきじゃなかったのよ……」

 

 千景は自分の心を傷付けるようにして、心を傷付けて流した血を言葉にするようにして、痛みに耐えながらそう言った。

 "あそこに来るべきじゃなかった"と口にするだけで、千景は苦しい。

 なのに、ドアの向こうの竜胆は不動で。

 

「良いことはあったよ」

 

「嘘」

 

「あったんだよ、俺には」

 

「嘘! ……そんなもの、あるわけがない!」

 

「君に出会えた」

 

「―――」

 

「誰かと出会えたことは、それだけで嬉しいことだ。その人と友達になれたなら、尚更に」

 

 千景の心は幼少期からずっと闇。

 精霊の影響で、その心は更に闇に落ちやすくなっている。

 対し、竜胆の心は闇に抗う光。

 闇に侵食されながらも、千景を憎み恨んでしまいそうな心をねじ伏せて、必死に懸命に光の心を取り戻そうとする、そんな心。

 

 竜胆自身が闇に染まってしまいそうなのに、竜胆は周りの人間を照らす。

 千景の心にすら、闇に抗う光をくれる。

 竜胆の心がその無茶に耐え切れなくなってしまうその瞬間までは、竜胆は自分の闇と戦いながらも、他人の内の闇を照らす者で在れる。

 

「待ってて。俺、頑張って特訓してくるからさ」

 

 千景の心は弱く、竜胆の心は強い。だが竜胆は自分の心の弱さばかりを嘆く。

 もっと強くならないと、と彼は考える。

 人が強くならなければならない義務などない、弱いままでいる権利だって人にはあるはずだ、と考える心も、竜胆の中にはあるから。

 弱い人が弱いままでいられるよう、自分がもっと強くなって頑張るべきだと、彼は考える。

 

 千景の弱さを、竜胆は許せる。

 無理に強くなる必要だってないはずだと考える。

 彼女が今の彼女のままでも、今の弱さを抱えたままでも幸せになるためには、最低でも自分が彼女を守れるくらい強くならなければならないと考える。

 

「俺は今度こそ、敵がどんなに強くても、多くても、君を守れるようになってみせる」

 

 あの村で、竜胆は千景を村八分から救い出せなかった。

 それどころか、自分の暴走で泣かせてしまった。

 千景を助けたかったのに、結局は助けられなかった。

 だから竜胆は、自分を変えようとしていた。

 友を助けたいと思った時、友を助けられる自分になるために。

 

 竜胆の足音が離れていく。

 閉じられたドアの前で、千景は一人崩れ落ちた。

 

「竜胆君……私は……」

 

 今と違う自分に変わっていくため、迷わず進んで行ける彼が妬ましかった。

 心の闇に引っ張られながらも、かつての自分らしさを取り戻しつつある彼が好ましかった。

 自分を置いて行ってしまいそうな彼が嫌いだった。

 進み続ける彼に憧れていた。

 自分と違って眩しい心を根底に持っている彼が眩しくて、どこかに行ってほしかった。

 彼と話していると心が暖かく眩しく照らされている気持ちになれて、嬉しかった。

 

 正の感情、負の感情が入り混じる。

 本当なら純粋に嬉しい気持ちだけ感じられていたはずなのに、精霊の穢れがその邪魔をする。

 心の闇が囁く。

 

『ほら、鎌を取って』

『憎い人は殺していいんだ』

『気に入らない人は切っていいんだ』

『だって君は』

『勇者なんだから』

『讃えられ、許される、勇者なんだから』

『友達に近くに居てほしいなら、ほら、鎌を取って』

『切って、脅して、近くにいてもらいましょう』

 

 心の闇に、友の言葉が刺さる。

 

―――良いことはあったよ

―――君に出会えた

 

 千景は鎌に手を伸ばした。

 

『そう、そうやって、鎌を握って―――』

 

 そして、頭の中に救う闇をねじ伏せて、鎌の柄を部屋の床に叩きつけた。

 

「しっかりしなさい、私っ……!」

 

 それは、千景にとって初めての、自らに巣食う闇を認識した上で立ち向かい、それをねじ伏せようとする『光』の決意だった。

 

「これ以上、私が私を嫌いになりたくないなら……自分で自分に、勝つしかないのよ……!」

 

 竜胆は男だ。男だから。男なら、誰かのために強くなろうとするのは当然のこと。

 千景は女だ、女だけれど、見ているだけじゃ始まらない。

 友のため、熱すぎるくらいの想いで強くなろうとする女が居たっていい。

 

 勇気をもって立ち向かう。

 ただそれだけできれば、勇者だ。

 自分の弱さに立ち向かう勇気は、もう竜胆から受け取っている。

 

 自分の中の闇にぶつかっていき、打ち勝とうとする千景。

 心の闇は無くならない。

 過去が無くなることはない。

 トラウマはきっとそのままだ。

 だが、心の闇に負けないよう踏ん張って、闇に打ち勝とうとするその意志にこそ意味がある。

 

『それでいいの? 私は、本当は、たくさん憎んで、たくさん嫌ってるのに』

 

「っ……いいのよ……好きなもの、憧れたものを、傷付けてしまうよりずっといい……!」

 

 心の闇と光が減ることなど滅多にない。

 ならば闇を抑え込むには、闇より大きな光か、闇さえも抑え込む心の強さが要る。

 心の闇は何でもかんでも壊し、殺そうとしていた。

 闇の感情は他人の命より優先される。

 精霊の影響で負の感情が暴走すれば、千景はすぐにでも他人を殺しに行くだろう。

 

 少女の内で、闇と光が衝突し、喰らい合い、そして。

 

 郡千景は、他人の命よりも優先される闇の感情を、自分の命よりも優先する友情でねじ伏せた。

 

「千景さん?」

 

 部屋の外に出て行った千景は、そこでひなたと顔を合わせる。

 千景の表情を見て、ピンと伸びた背筋を見て、穏やかな雰囲気を見て、ひなたは千景が何かの壁を越えたことを察した。

 

「……もう大丈夫、みたいですね」

 

 頷いて、無言で千景は歩き出していく。

 他人の命よりも重い憎悪があった。

 自分の命よりも重い友情があった。

 憎悪は友情には勝てなかった。

 今は、大切な友達である友奈や竜胆を想うだけで、千景の心は安らぎ落ち着く。

 

「私は……私は、絶対に」

 

 友達を、他の友達に取られるんじゃないかという恐れがあった。

 友達に失望されたくないという恐れがあった。

 友を失う恐れがあった。

 今の千景の中で最も大きな恐れは、情けない自分を見せてしまうことで、友に失望され友を失ってしまう恐れ。

 だから、もっと強い自分になりたいと、千景は素直に思える。

 

「出会ったことを……彼に後悔、させたくない……これまでも、これからも……!」

 

 千景は一人歩き、自分の中にある想いを拾い上げ、一つ一つ見つめ直し始めた。

 

「私は……私が! 彼に一番最初に出会った勇者、だから……

 情けない姿も……かっこ悪い姿も……見せたくない……私は勇者、なのだから……!」

 

 彼女の中にはもう、自分に向き合う勇気があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜胆は昼飯を食べ、少し体を動かしてから、若葉に連れられ丸亀城内部の道場風味の訓練施設に足を運んでいた。

 そこで彼を待ち受けていたのは、ボブ、ケン、友奈の三人。

 

 先輩ウルトラマンであるケン。

 現代の格闘術含む格闘技に長ける友奈。

 そして、先輩ウルトラマンにして、空手の達人であるボブ。

 皆が皆、強くなりたいという竜胆の願いに応えてここに来てくれた。

 

「俺が、あの時……

 もっと早くちーちゃんを助ける手段を思いつける人間だったなら。

 押さえつけるあいつらを自力で跳ね除けられる俺だったなら。

 闇の力なんてものに頼らない自分だったなら。

 闇の力に誘惑に負けない心があれば。闇に堕ちない心を持っていたなら……」

 

 少年が語るは後悔。

 

「憎んだ誰かを殺す以外の道も、あったかもしれない。そう思う」

 

 あの時、もし、自分がそうだったなら、という『もしも』の話。

 

「頭脳でもいい。発想でもいい。腕力でもいい。権力でもいい。俺にもっと力があったら……」

 

 後悔を語っているのに、心は後ろを向いていない。前を向いている。

 

 ならばこれは、心の闇と過酷な過去を下敷きにした、前を向く意志だ。

 

「違う道はあったかもしれない。だけど俺は見つけられなかった。

 『俺は何も止められなかった』

 『俺は何も救えなかった』

 『殺し壊すことでしか何かを終わらせられなかった』

 それが事実だ。

 俺には、何かを願っても、願ったことを現実にする力がなかった」

 

「リュウくん……」

 

「もしも、願いを現実にしていける力があったら……

 闇の力なんてものに手を伸ばさず、ちーちゃんを幸せにできたかもしれない。

 だけど。

 現実には、ちーちゃんにトラウマを植え付けて、傷付けて、妹すら殺してしまった」

 

 竜胆はただ、良い結末であればと想う。

 皆が笑って終われたなら。

 皆が幸せに終われたなら。

 それでいいじゃないかと想う。

 そうでないなら、過程で自分がどんなに頑張っても、そこに悲しみを覚えてしまうから。

 

 竜胆は求めるのは強さ、力、変わっていける自分。

 バッドエンドに終わった三年前とは違う"望んだ結末"を、掴み取れるものだ。

 

「俺は強くなりたい。心も体も。いかなる地獄においても不動で、全てを守れるように」

 

 竜胆は今のままの自分でいたくない。

 バーテックスが来れば負けてしまいかねない自分でいたくない。

 無力な人間が徒党を組んだというだけで、女の子一人守りきれないような無力な自分でいたくない。

 

「俺は、なりたい俺になる。

 俺がなりたいのは、只人(ただびと)が倒せない悲しみを、終わらせられる巨人」

 

 人間には助けられない人ですら、きっと助けられる巨人に、なれたなら。そう願う。

 

 竜胆の横で、若葉も同様に強くなる宣誓を口にしていた。

 

「強くなりたいと思ったのはお前だけじゃない。

 私も、今日一日でどれだけ無力感を覚えたことか。

 私も変わりたい。今日守りきれなかった仲間の心も、守れる人間に変わりたい」

 

 特例として大社に外すことを許された手錠を外して、竜胆と若葉が笑い合う。

 午前中には意地を張り合い、声を張り合っていたとは思えない。

 二人の心が目指すものは、面白いくらいに一致していた。

 

「腕力付けて、勉強して、もっと頭良くなって……俺達も先は長いな」

 

「ああ。だが、まずは」

 

「一番差し迫った問題の大敵、バーテックスを全部ぶっ飛ばすため」

 

「強くなろう。共に」

 

 男なら、そう、誰かのために強くなる。

 女もそうだ。見ているだけじゃ何も始まらない。

 あの村の人々の醜悪は、竜胆の中にも若葉の中にも、"どんなものからだって守りたい"という強い意志を植え付けていた。

 

 若葉は木刀を構えて友奈との模擬戦に、竜胆は拳を構えてボブとの模擬戦に向かう。

 皆で一緒に訓練し、更なる高みを目指す合同訓練の始まりだ。

 

 ボブは空手の構えで、素人同然の構えを取る竜胆を誘う。

 

来い(c'mon)

 

 指導をするのは、歴戦の白きウルトラマン二人。ボブと、グレート。

 

『ウルトラマン』を教えてやる(I'll tell you 『How to ULTRAMAN』)

 

 指導されるは、新人の黒きウルトラマン、御守竜胆。

 

 自分に勝つためだけでなく、自分以外にも勝つための特訓が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボブは、一日で結果が出るとは思っていなかった。

 竜胆の才能にも期待はしていなかった。

 だが、竜胆のガッツは信頼していたし、期待していた。

 そのため彼の方針は、じっくり時間をかけて竜胆を鍛え上げる、というものであった。

 特訓が、始まる前までは、だが。

 

 そんな予想は、特訓が始まって二十分と経たない内に、全てひっくり返されていた。

 

 これまでの共同訓練でも、竜胆の身体能力の高さは気にはなっていた。

 闇に属性が寄っている竜胆の身体能力は非人間的で、神の武器を使っている勇者と比べても遜色はなく、そのせいか勇者と比べて荒い技のほうが目についたくらいだ。

 竜胆に一対一でしっかりと技を教えるのは、ボブもこれが初めてである。

 だからこそ、思い知らされていた。

 

 竜胆の持つ、生来の『戦闘における才能』に。

 

「くっ、流石ボブ、守りが堅い……!」

 

 竜胆はボブに教わった攻撃の技、防御の技などを、次々自己流に組み上げ・組み換え、ボブに教わった技をそのままの形で習熟しつつ、新しい形に変えていく。

 闇の力による身体能力のブーストを除外して考えても、竜胆の才能は凄まじかった。

 

 直感力・判断力・思考力・対応力と、センスや思考に依存する多様な力が、どれもこれも飛び抜けて高い。

 相手の攻撃の前に攻撃を察知し、攻撃前の敵の予備動作を見切り、敵の攻撃に対し最適な対応を返すのみならず、何手か先まで読んでこの時点で布石を打つ、なんてことすらする。

 ボブ視点、"戦闘の天才"以外の表現が思い浮かばなかった。

 

 一を教えれば十を知るタイプではない。

 一を教えると他人の十倍の速度でそれを学び、自分のものとするタイプ。

 そしてボブから学んだ十をパズルのように組み替えて、自在に自分の技として操り、ボブが教えていない攻め方を唐突に編み出してくるタイプであった。

 教えた技しか使わないが、教えていない強さを使ってくる。

 教えていて楽しいと、ボブは思った。

 

 教えれば教えるほど強くなる。

 信じられないことに、ボブは今日半日での鍛錬ですら、竜胆が劇的に強くなることを確信していた。吸収スピードが異常に早い。

 教えを吸収する速度が早い天才を、"スポンジが水を吸うように"と形容することがある。

 だが竜胆はそんなものではない。

 これは『砂漠』だ。

 とんでもない勢いで教えを吸っていく。

 どれだけ吸えば限界が来るのかも分からない。

 教えを吸収すればするだけ強くなっていく、底無しで果て無しの才能がそこにあった。

 

凄いとしか言いようがない(VERY GOOD)

 

「あ、良かった、悪くはないんだ俺! 良かった、才能無かったらどうしようかと……」

 

 何故、これだけの才能が埋もれかけていたのか。

 その原因は、竜胆が今日までティガダークとしてしか戦っていなかったところと、竜胆がティガダークとしてどう戦うかばかりを考えていたところにある。

 

 つまりこの才能は、竜胆の()()()()()()()()()()なのだ。

 暴走時には、ほとんど正しく発揮されていない強さなのだ。

 もっと言えば、暴走を抑えることに必死になっている時の竜胆では、仲間の目につかないレベルで発揮されない強さなのだ。

 

 ティガダークは暴力をデタラメに叩きつけてこそ強い。

 ところがこの強さは、ボブと同質の、冷静に考えながら技を繰り出してこそ発揮される強さ。

 変身者の才能と、ティガダークの性質が、完璧に噛み合っていない。

 ボブは心底、惜しいと感じた。

 闇の力による身体能力ブーストを抜き、精神に影響を与える闇の力もぶっこ抜けば、竜胆の才能は日本の格闘技界で頂点を狙えるレベルにあった。

 そうなっていれば、彼は間違いなく陽の当たる場所に生きていただろう。

 

 とんでもなく、もったいない。

 才能がもったいない。

 ボブは深く深く溜め息を吐いた。

 

「あの、やっぱ溜め息つかれるほど駄目だったかな俺……」

 

いや問題はない(No problem)

 

「プロブレムは……問題、だっけ。問題無し? それなら良かった」

 

 とはいえ、ここでの特訓でそれらの前提は全てひっくり返るだろう。

 ボブは竜胆の動きの基礎部分から、しっかりと技を仕込み始めた。

 しっかりとした教えを少し叩き込めば定着するので、ボブは技と動きを基礎に染み込ませひたすらそれを反復させ、自分との組手の中で状況に合わせた応用を仕込んでいった。

 

 こうしていけば、ティガダークは動きのレベルが上がる。

 動きの一つ一つがハイレベルに仕上がる。

 そうなれば、暴走を抑えながらでも体に染み付いた技を繰り出せるようになるだろう。

 ボブはティガダークに変身するという前提から、竜胆に適した指導を行い、竜胆に適した技を仕込んでくれていた。

 

 そして、竜胆もまた。

 ボブが教えてくれた技を天才的に習得・応用しながらも、組手の中で一度もクリーンヒットさせられないボブの強さに、舌を巻いていた。

 

(この人に教えを請うて良かった。強い! 巧い! 底が全然見えてこない……!)

 

 そも、武術の世界が"凡才が天才に絶対に勝てない世界"であるならば、そんなものが流行るわけがない。

 凡才も天才も皆が懸命に努力し、全力で工夫し、油断なく敵の技や強さを研究して対策し、それでも誰が勝つのか分からない。それが武術の世界だ。

 ボブの技はその極地にある。

 異常なレベルの天才であろうが、ボブが積み上げた十年以上の武術の厚みは貫けない。

 

 『ただの大天才程度』には、絶対に負けない強さ。

 それが、ボブの空手の強さであった。

 竜胆はボブの教えを受ける者として、その強さをどんどん吸収していく。

 

「ぐっ」

 

 ボブが変則的な攻撃を放ち、それを竜胆に受けさせようとする。

 だが竜胆はそれを受け損ない、手刀が首に綺麗に入ってしまった。

 竜胆はむせ込んで膝をつく。

 

立て(Stand up)

 

 竜胆は必死に息を整える。

 

立て!(Stand up!)

 

 痛む喉を押さえる。

 

立て、男だろ!(Stand up guy!)

 

 そして、喉を抑えながら立ち上がって、構えてボブと対峙した。

 ボブが"いいぞ"と言わんばかりのアメリカンな笑みを浮かべる。

 楽しそうな二人を見て、特訓休憩中の友奈とケンと若葉がおおっと声を漏らしていた。

 

「あっち……何かすごいね」

 

「ヤミノゾクセイトカ、ソウイウノ、イッサイカンケイナク、テンサイネ」

 

「竜胆があの調子だと、私と友奈もほどなく追いつかれるかもしれないな」

 

「よーし、ボクシングの技とか、ムエタイの技とかちょっと教えてみよう!」

 

「あ、おい友奈!」

 

 友奈は仲間との模擬戦だと、仲間を気遣って全力を出しきれない。

 が、その実力は勇者筆頭の若葉に匹敵するほどのものがある。

 彼女自身も格闘強者であるのだが、彼女はそこに加えて、格闘技のテレビ番組を見たりするのが大好きなミーハーでもある。

 実力が伴う格闘技マニアの一端なのだ。

 

 ちょっと教える程度であれば、友奈は無数の技の引き出しを持つ。

 そして竜胆は、友奈にちょっと教えてもらった程度でも一つの技として習得できる。

 竜胆の技のレパートリーを、友奈の指導がメキメキ増やしていく。

 

「はいリュウくん! 次回し蹴り! 次フリッカージャブ! その次ムエタイの首相撲で!」

 

「友奈! 技いっぱい覚えてもどれ使えばいいのか迷うんだけど!」

 

「……あっ、そっか!」

 

……しょうがねえなあ(……I guess there's no choice)

 

 が、技だけいくら増やしても意味はない。

 技だけで格闘技ができるわけもない。

 

 一連の動きの中に技を組み込むこと。

 流れの中で前兆動作少なく技を放つこと。

 技の後に隙を生み出さないこと。

 技と技を流れるように繋いで連携技に仕上げること。

 どんな技を使って敵の防御を崩し、どんな技で仕留めるか考えること。

 するべきことは無数にある。

 

 友奈にモリモリ技を仕込まれた竜胆を、ボブが実戦形式で鍛え、仕上げ、竜胆流の格闘技の形に整形していく。

 動きは空手ベースになったが、少し離れるとキックボクシングの蹴りを入れたり、投げられそうな状況では一本背負いをしたり、至近距離ではムエタイの肘や膝が飛ぶキメラが誕生した。

 

「リュウくん教えれば教えるだけ面白い完成形の格闘技になって、見てて超楽しい」

 

「なあ友奈、もしかして俺をおもちゃにしてない?」

 

 仲間内で指導する人、指導を受ける人、模擬戦をする二人とローテーション。

 技の習得度合いが底辺だった竜胆が一番伸びていたが、ケンも僅かに力が伸び、成長期の若葉や友奈も確実に力を伸ばしていた。

 これを一週間、一ヶ月、と続けていくことで、本格的に力が身に付くのである。

 竜胆という例外は除く。

 

「スペシウム・ビーム、スブリ、イチマンカイ! サアヤッテ!」

 

「ははーんさては俺で遊んでるな?」

 

「スブリハ、キホンノナカノキホンダゾ」

 

「ごめん、俺光線撃てないんだ……素振りしても……あ、自爆の素振りなら」

 

「自爆の素振りって何? リュウくん?」

 

 竜胆はメキメキと実力を伸ばしていった。

 

 そうしていると、ボブが"そろそろ実力を試してみよう"と言い出した。

 明確に強い側のボブに教わりながら模擬戦をするのではなく、師匠と弟子ほどに力が離れているわけでもない、同格に近い相手とぶつかれと言い出したのだ。

 ここにはボブの、「同年代と競わせて更に上を目指させる」「格上とばかり戦っていると付きやすい負け癖を回避する」という狙いがあった。

 竜胆の相手役に選定されたのは、木刀を持った乃木若葉。

 

「すげえ、もう夜だけど、この五時間で確実に俺は強くなった……若ちゃんにも負けねえ!」

 

「ずいぶん自信を付けたようだな。が、私もそう簡単には負けてやらないぞ」

 

「言ってろ。俺も少し前までの俺じゃないんだ」

 

「ああ、大した成長だ。

 私も負けていられない……この戦いの中で、お前以上に成長してみせる」

 

 若葉が木刀を、竜胆が軽い木とテーピングで守った腕を構える。

 

「私も武道においてはお前の先人だ。遠慮せずに来い!」

 

「ああ、頼むぜ! 胸を……」

 

 その瞬間、"胸を借りるつもりで行くぞ、って女の子に言うのなんかいやらしくない? 失礼じゃない? 若ちゃんを不快にさせない?"と竜胆は思った。

 

「……俺は全力でぶつかっていくぞ!」

 

「その意気や良し!」

 

 ボブは日本語の妙が分からず、友奈は気付かず、ケンは爆笑をこらえた。

 

「うおおおおおおおッ!!」

 

「てやああああああッ!!」

 

 初戦は、若葉が圧勝した。

 天才をねじ伏せる、剣というアドバンテージに、鮮やかな若葉の剣技。

 誰がどう見ても、若葉の圧勝であった。

 

「なんだと……くっ、もう一度だ!」

 

「いいだろう。何度でも受けて立ってやる!」

 

 二戦目も若葉が圧勝した。

 また竜胆が再戦を挑み、友奈が"男の子だなあ"と思う。

 

「うおおおおおおおッ!!」

 

「てやああああああッ!!」

 

 三戦目も若葉が勝った。

 早くも圧勝ではなくなってきたことに、ケンが驚く。

 成長過程にある竜胆は、またも再戦を挑んだ。

 

「なんだと……くっ、もう一度だ!」

 

「いいだろう。何度でも受けて立ってやる!」

 

 四戦目も若葉が勝った。

 この時点でボブはなんとなく流れが読めたらしい。

 大社や食堂、ひなたなどに連絡を入れ、帰りが遅くなっても心配するなと伝えていた。

 竜胆はまた再戦を挑む。

 

「うおおおおおおおッ!!」

 

「てやああああああッ!!」

 

 五戦目も若葉が勝ち、十戦目までも若葉が勝った。

 この時点でボブは一旦部屋に帰ってゴールデンタイムのテレビ番組を見始めた。

 

「くそっ……ぐっ、もう一度だ!」

 

「いいだろう。何度でも受けて立ってやる!」

 

 三十戦目まで若葉が全勝なのを確認したところで、ケンも部屋に帰って風呂に入った。

 その頃ボブが戻って来て、ずっと二人を見守っていた友奈に晩御飯を持ってくる。

 ボブはギターと美声にて、二人の戦闘用BGMを奏で始めた。

 ケンが長風呂から帰って来た頃には、若葉の四十連勝目が終わっていた。

 

「うおおおおおおおッ!!」

 

「てやああああああッ!!」

 

 今六十回目だっけ、と誰かが言った頃には、日付が変わっていた。

 一回の手合わせが一瞬で終わることもあれば、何十分経っても終わる気配すら現れないこともあった。

 竜胆は若葉の動きを熟知し、若葉は竜胆の動きを熟知し、そこから新たな動きや新たな成長を見せて相手を上回る、そんな繰り返し。

 疲労や思考の隙を突いて、若葉はまた勝利する。

 

 もはやここまで来ると、本人の武術才覚やこれまでの努力という大きな勝利要因が、相対的に大きくなくなってくる。

 ここまで戦える根性と、追い詰められたギリギリの瞬間における勝負強さ。

 それが勝敗を分けていた。

 つまり、追い込まれてからの強さなら、若葉は竜胆を明確に上回っているということだ。

 

「くそっ……ぐっ、もう一度だ!」

 

「いいだろう。何度でも受けて立ってやる!」

 

 流石に眠くなったケンが部屋に帰った。

 ボブも部屋に戻る。

 友奈だけが二人の戦いを見守っていた。

 

「うおおおおおおおッ!!」

 

「てやああああああッ!!」

 

 若葉の百連勝目もとっくに過ぎた深夜の頃、二人を見守っている内に道場の床で寝てしまった友奈に、ボブが毛布をかける。

 特訓が始まったのは昼の一時前だったが、もう深夜の一時も過ぎている。

 二人が組み手を始めてから、もう八時間近くが経っていた。

 ボブは可愛らしい寝顔で寝ている友奈の頭の下に枕を入れてやり、あぐらをかいて腕を組み、二人の模擬戦を見守り始めた。

 

「くそっ……ぐっ、もう一度だ!」

 

「いいだろう。何度でも受けて立ってやる!」

 

 ボブも寝た。

 

「うおおおおおおおッ!!」

 

「てやああああああッ!!」

 

 太陽が登っても、二人は止まらない。

 竜胆は諦めず挑み続け、若葉は一度たりとも"もうやめよう"とは言わなかった。

 千景が竜胆に対し言い、ひなたが若葉に対して言った、そんな共通の言葉がある。

 『ちょっと真面目すぎない?』だ。

 二人はちょっと真面目すぎた。

 努力や鍛錬を苦にしない人間すぎた。

 だが、一人では流石に、ここまでの領域には到達できなかっただろう。

 

 二人だから到達できた、そんな境地だった。

 

 竜胆は若葉のために。若葉は竜胆のために。目の前の相手のために限界を超えた。

 

 人はそれを、『匿名掲示板のレスバトルで最後にレスしたら勝ちって気持ちになってる人みたいな、ここまで戦ったんだから最後に自分が勝って相手が負けを認めて、そんな感じの決着でスッキリ終わりにしたい気持ち現象』という。

 

 

 

 

 

 入り口傍で寝ていたボブと友奈を、早起きしたケンが起こした。

 

「オッハー」

 

おはよう(Good morning)

 

「おはよう、ボブ、ケン。それとリュウく……」

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

「「「 !? 」」」

 

 二人は、朝になってもまだやっていた。

 

「す……ストーップ! ストーップ! はいそこまで!」

 

 流石にここまで来たら友奈も止める。

 

 友奈も、昔旅館でゲーム無双をしていた千景と、生真面目にその千景に全力で挑み、次第に互角になっていった若葉の姿はよく覚えている。

 だがまさか、成長する天才の竜胆と、追い込まれてからも強い若葉をぶつけると、ここまでのものになるとは想像もしていなかった。

 

 竜胆には闇の力由来の再生能力があり、若葉には健康と回復を促進する神樹の加護がある。

 酷い筋肉痛には、おそらくならないだろう。

 竜胆は闇寄り肉体のスペック、若葉は近くに置いている神刀の加護によるスペックを使用していたため、身体能力的には互角だったはずだ。

 なのに、一度も勝てなかった。

 竜胆は若葉と一晩、朝まで二人で過ごしても、一度も勝てなかった。

 認めざるをえない。

 

「……俺の負けだぁー。完膚なきまでに」

 

 その声を聞き、若葉は大きな達成感を噛み締めながら、とても嬉しそうに、朝日を見つめて感慨深そうに息を吐いた。

 

「勝った……私の方が強いからな。変身していない時は私が守ってやろう」

 

「くっ」

 

 こいつらいい空気吸ってんな、とボブは思った。

 

「しかし、本当に粘り強く、諦めない男だった……味方にすると本当に頼もしいな」

 

「リュウくんも若葉ちゃんもお疲れ様」

 

 友奈が欠伸を噛み殺しながら、二人に歩み寄る。

 

「若ちゃん、次は俺が勝つ」

「いいや、次も私が勝とう。……仲間とこうして全力で戦うのも、いいものだな」

 

「おおっ、二人は仲間にしてライバルになったんだね!」

 

「ライバル……ライバル? そうか、ライバルか」

「ライバル……ライバル……うん、しっくりくるな」

 

 竜胆と若葉が揃ってうんうんと頷く。

 友奈の表現が、二人揃ってよっぽどしっくりきたらしい。

 乃木は竜胆に勝ち、竜胆と乃木がライバルになり、乃木が連戦連勝しながら紙一重のライバル関係が続きそうな、そんな二人の関係。

 

「よし、次の特訓だ!」

 

「おおっとぉ、リュウくんここで休む気配を見せない! いや、休んだ方が良いと思うな!」

 

「いや、なんか目が冴えて寝れそうにないし……」

 

「アンマ、ニクタイムリサセテモアレダシ、メンタルトックンデクールダウンシテ、オワリナ」

 

「メンタル特訓……!」

 

「シン・ギ・タイ、ゼンブキタエタインダロ」

 

「ですね。お願いしやす!」

 

 かくして竜胆は肉体を休めつつ、寝れないくらい覚醒しきった脳をクールダウンすべく、メンタルトレーニングに移行した。

 まずは、実は内心他者を傷付けることが苦手で、相手を攻撃するという基本行動だけで自覚しにくいストレスが蓄積する竜胆のメンタル問題から向き合うことになった。

 ここから徐々に慣らし、仲間が攻撃されても平気なメンタルを獲得する。

 そんな目標を打ち立てる。

 よって最初は、相手を傷付けても闇を溜めない、慣れ訓練だ! 友達の悪口を言ってみよ!

 

「バカ若葉! ひっくり返してもバカワカバ!」

 

「ちょっと面白い感じにするんじゃない!」

 

「うるせえ何も悪い事してないお前に悪口言って嫌な気持ちになんてさせられるか!」

 

「真面目か!」

 

「若ちゃんだけはそれ言っちゃいけないだろっ!」

 

 なんか上手く行っていない。

 そうこうしてると、特訓修行の話を聞きつけた球子がやって来た。

 

「せーんぱいっ! 頑張ってるかー!」

 

 ケンがヒソヒソと竜胆の耳元に囁き、竜胆が凄い嫌な顔をして、ケンが「コンナモノモ、ノリコエラレナイデ、ヤミニカテルカ!」と竜胆の背中を押した。

 竜胆が見たことのない顔で球子を挑発する。

 

「か……かかってこい、旋刃盤胸! その平たい胸は飾りか!」

 

「……タマの先輩に変なこと言わせたのはどこのどいつだ! 前に出ろ!」

 

「わーい速攻でバレちゃってるねケン」

 

「この先輩の赤くなった顔見ろ! 言わせる人間と言わせる台詞くらい吟味しろぉ!」

 

 球子がケンに飛びかかり、ケンの頭をヘッドロック。

 「アイタタター!」と叫ぶケンは球子を肩車し、道場の中を走り回った。

 なんだかケンも球子も楽しそうである。

 

「サイキンマタオオキクナッタナ、タマコー!」

 

「せーちょーきなんだよ、成長期!」

 

 ケンがボブに駆け寄り、球子がケンを足場にしてちょこっと跳んで、ケンの肩車からボブの肩車に飛び移る。

 

「ボブ、うちの先輩どんな感じ? 強くなれそうか?」

 

強くなければ生きていけない(If I wasn't hard, I wouldn't be alive)

 

「……ん?」

 

優しくなければ(If I couldn't ever be gentle, )生きている資格がない( I wouldn't deserve to be alive)

 

「……やべっ、わかんね。タマの付け焼き刃の英語力の限界が来たか……」

 

良い男さ(Very good guy)

 

「あ、今のは分かった。心配無い感じかな」

 

 ボブは

「強くなって生き残ってもらいたい」

「その優しさを抱えて生き残ってほしい」

「きっと強くなれる」

 といった意図を小洒落た感じに口にしたつもりだったが、言語の壁と球子の学力の壁は大きかった。ボブの気取った言い回しは少女に伝わらず、虚空に消える。

 

「……あー、段々、俺も眠くなってきたよ」

 

「私も眠くなってきたな……」

 

「じゃあこの辺りで終わりにしようね。はい、特訓終わり」

 

 眠気が出て来たあたりで、友奈にやや強引に二人は道場外に追いやられ、特訓をそこで切り上げられた。

 目をこすりつつ、二人はとりあえず自分の部屋に向かう。

 

「特訓一回で無駄に強さが身に付いた気がするな、竜胆……」

 

「ああ、俺もだ……」

 

 そんな二人を。

 道の途中で、お茶とタオルを持った郡千景が出迎えた。

 

「……ど、どうぞ。竜胆君も、乃木さんも」

 

 あの村に行った後、三者は三様の立ち上がり方をした、と言える。

 

 若葉は"仲間を守る"という事柄に、違う視点を加えた。

 竜胆は仲間に過去を話すことを決め、仲間との絆を深めて、心を強めた。

 千景は闇に落ちそうになりながらも踏ん張って、独力で自分の闇に打ち勝った。

 

 複雑な感情を抱いていた若葉と竜胆が特訓をしていると聞き、飲み物とタオルを渡しにきてくれたことからも、千景の変化と成長は見て取れる。

 今、千景は"他人に自ら進んで優しくした"のだ。

 かつての彼女は、他人に優しくされない、他人に優しくもしない、そんな子だった。

 けれど今、彼女は誰に言われるでもなく、自ら進んで他人に優しくしようと努めていた。

 竜胆は今、千景のその優しさを、肌身に染みて感じていた。

 

「「 ありがとう 」」

 

 若葉と竜胆の声がハモる。

 千景の目がスッと細まり、声のトーンが落ちた。

 

「……ずいぶん仲良くなったみたいね」

 

 小さな嫉妬を、千景の内の精霊の穢れが増幅する。

 千景は深呼吸して、それを抑え込んだ。

 

「若ちゃんがちーちゃんを大事に思ってくれることが分かったからな」

「竜胆が私の仲間を、千景を、どれだけ大切に思っているか分かったからな」

 

「……え、なにそれ? え?」

 

 が、竜胆と若葉が予想外に好意をぶつけてきたため、千景は少し戸惑ってしまった。

 竜胆と若葉から、目には見えない守ってやるからなーオーラが飛んでいる気すらする。

 戸惑う千景が状況を理解する前に、竜胆と若葉が、千景の方にフラっと倒れた。

 

「ちょっ、ちょっと!?」

 

 千景が背に括っていた鎌が千景の身体能力を強化し、なんとか千景は倒れてきた二人を受け止める。重かったが、なんとか耐えた。

 何事か、と思う千景の耳に、二人の寝息が聞こえてくる。

 

「寝てる……なんで……二人揃って寝不足……オールナイト……まさか……!

 いやそれはないわね。

 この性レベル・コロコロコミック級コンビにその心配は不要……じゃあなんで……?」

 

 千景は重い二人をなんとか部屋まで運び、寝かせようとするが、二人同時に運ぶのはなんとも難しい。

 

「……汗臭い……なんでこんなに汗臭いのこの二人……」

 

 途中で友奈が来てくれて、千景は心底安心し、友奈に感謝し、"流石高嶋さん"と心中でとても感謝し、若葉の方を雑に渡した。

 

 竜胆の方を友奈に渡そうとは、絶対に思わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボブ・ザ・グレート。露骨に偽名、本名不明。南アメリカ出身。

 ケン・シェパード。北アメリカ出身。元警察官。

 

 初回特訓から数日が経過した頃。

 特訓の休憩時間に、少し気になり、竜胆は二人について友奈に聞いてみた。

 友奈は笑顔で、快く答える。

 

「タマちゃんとアンちゃんはあの二人と特に仲が良いよね。

 個別だと、タマちゃんとボブ、アンちゃんとケンが仲良いみたい」

 

「アンちゃん……伊予島か。前にそんな感じの話聞いたな」

 

「あの二人はさ、『故郷のない男』なんだって、自分達のことを言ってるんだ」

 

「『故郷のない男』……」

 

 二人はアメリカ出身だ。今、アメリカに生きている人間は一人も居ない。

 

 ボブも、ケンも、故郷をバーテックスに奪われ、大切な人を皆殺しにされた。

 戦って、守って、負けて、失って、そのたびに誰かが死んで、その繰り返し。

 ボブは南アメリカを失い、ユーラシアに移動してネクサスと共闘して、ユーラシアで全ての土地と全ての人々を目の前で壊され、日本に来た。

 ケンは北アメリカを失い、オーストラリアに移動して、オーストラリアの壊滅後は中国に移動、そして中国で全ての土地と全ての人々を目の前で潰され、日本に来た。

 

 何度も目の前で奪われた。

 大切な人など何度殺されたかも分からない。

 されどボブとケンは膝を折ることもなく、うつむくこともなく、どんな時も諦めず、今生きている人を守ろうとし続けた。

 皆を守りたいという想いが、現実に何度裏切られようとも。

 

 この四国が、事実上の人類最後の砦であるということは。

 

 ()()()()()()()()()()()()()命は、既に()()()()を余裕で超えている。

 

 バーテックスを撃退できても、死者七十億人という数字は何も変わらない。

 その、七十億の中に、ボブやケンの家族、友達、仲間がどれだけ含まれているのだろう。

 一緒に戦った軍人もいたはずだ。

 巨人の心を支えた仲間もいたはずだ。

 家族だっていたはずだ。

 だが、四国でボブとケンの周りには、そういう人間は一人も見当たらない。

 

 故郷だけではないのだろう。二人が、バーテックスに奪われたものは。

 

「二人は、日本を第二の故郷だと思ってくれてるんだって」

 

「……第二の故郷。だから、頑張って守ってくれてるのかな」

 

「うん、きっとそれも、戦ってくれてる理由の一つなんだと思う。

 二人は日本の人じゃないけど、日本を自分の故郷と同じ目に遭わせたくないんだよ」

 

「あの二人にとっての、第二の故郷か。俺達も頑張って守らないといけないな」

 

「だね」

 

 今竜胆は、二人の『故郷のない男』から戦い方を伝授されている。

 二人の男が第二の故郷と定めた、この極東の世界を守るために。

 故郷のない男と共に、彼らの故郷を守るために。

 

 故郷と人々を守れなかった二人の男は、何を思って竜胆という巨人を鍛えているのだろうか。

 

「そうやって見ると……俺にはあの二人の大人な笑顔が、とても立派に見えてくるよ」

 

「あの二人、四国に来てから一度も不安な顔とかしたことないんだよ。

 私達が子供だからかな? 私達の前では、いっつもふざけてたり、笑ってたりしてるんだ」

 

「……ウルトラマングレートと、ウルトラマンパワードが、選んだ男達か」

 

 竜胆は、拳を握り締める。

 数日の特訓であったが、その間に若葉とも、友奈とも、ケンとも、ボブとも拳を交えた。

 特に直接的な師にあたるボブから受け継いだものは、この拳に多い。

 ボブの空手の技の多くは、この拳の中に詰まっている。

 

 竜胆は先日、若葉達との会話の中で、手にした力の意味が分からないという話をした。

 ティガの力の意味は、まだ分からない。

 何故ティガに選ばれたのかも分からない。

 巨人の力をどんな信念で使えば良いのかも分からない。

 

 だが、今この拳に宿る力の意味なら、分かる。

 この力を何のために使えば良いのかならば、分かる。

 ボブとケンの指導が拳に宿らせた力は、力の意味と一緒に拳に宿ってくれた。

 

 竜胆が拳を握った瞬間、世界の時間が停止する。

 

「来る」

 

 世界が樹海に変わってゆく。

 世界の時間が止まってゆく。

 神樹の根蔦が街を覆い包み、世界が戦いの準備を整えた。

 

「樹海化……バーテックス!」

 

「よりにもよって今日か……」

 

 今日は全員何事もなく丸亀城に集まっている。

 三人の巨人。

 五人の勇者。

 全員が若葉の元に集うまで、一分とかからなかった。

 

「全員揃ったな」

 

 見たことのある大型と、見たことのない大型が、壁周辺に見える。

 星屑は多いが、十二星座は見当たらない。

 過去の敵構成を頭に入れておいた杏が、珍しい構成だと感じていた。

 

 竜胆、ボブ、ケンが前に出る。

 少年はふと、ボブに疑問を口にした。

 

「ボブ。俺を鍛えてくれてありがとう。

 でも……今更だけどさ。

 鍛えた俺が暴走するっていう最悪を、想像しなかったのか?」

 

 ボブは応える。

 

疑う理由などあるものか(It admits of no doubt)

 

 答えを悩むことすらしない。

 

俺はお前を信じる(I believe you)

 

「―――」

 

 これが、ボブ・ザ・グレートである。

 若葉が竜胆の首に手を添え、首輪を変身可能状態にする。

 若葉が死んだら俺は変身できなくなるな、と、竜胆はふと思った。

 

「認証。行くぞ竜胆、共に」

 

「ああ」

 

 勇者が変身端末を、巨人が変身のアイテムを取り出す。

 ボブは銀三角のデルタ・プラズマー。

 ケンは流線型カプセルのフラッシュプリズム。

 竜胆は神器ブラックスパークレンス。

 

 全員が、一斉に構えた。

 

「サア、ショータイムダ、カレイニキメヨウ!」

 

 勇者が光に包まれる。

 デルタ・プラズマーから、プラズマ状の光が弾ける。

 フラッシュプリズムが、青と緑の光を放つ。

 ブラックスパークレンスが、巨大な闇の柱を屹立させる。

 

 皆が放った光が、ブラックスパークレンスの放つ闇を、外側から包み込む。

 その光景はまるで、光になれない竜胆が、皆の光で、光になったかのようだった。

 

「Powered」

 

「Great」

 

「ティガァァァッ!!!」

 

 丸亀城の周囲に立つ、青き瞳の巨人、白き巨人、黒き巨人。

 パワード、グレート、ティガダーク。

 三体の巨人が、城を囲み立つ。

 

『俺の特訓の成果……見せてやる!』

 

 ティガダークは、数日の特訓でサマになった構えを取った。

 

 

 

 

 

 おそらく、ここまでは。誰の中にも、希望はあった。

 

 

 

 

 

 竜胆は肌で力の流れを感じる。

 何かいる。

 だが、近くには特に何も見えない。樹海と街があるだけだ。

 

『気配を近くに感じるのに、敵バーテックスが見えないな……』

 

「竜胆君、これを見て」

 

『ちーちゃん……これは』

 

「レーダーだと敵はいるの。でも見えない。ということは……」

 

 バーテックスは初見殺しを仕掛けた。

 勇者は、事前にちょくちょく端末を確認する癖を付けておいたことで、端末のレーダーにてその初見殺しを知覚する。

 バーテックスの新たな一手は、確殺の初見殺しではなくなり、警戒していた勇者と巨人に接近を悟らせない、程度のものに終わった。

 

「……地中(した)だっ!」

 

 そのバーテックスの能力は、水中遊泳と地中潜行。

 地中さえも泳ぐ能力で、一気に勇者達に悟られずに接近した。

 その姿はまさしく魚。あるいは、クラゲ。

 額に十数個の目を持つ、クラゲのような魚であり、魚のようなクラゲだった。

 

 その目が、千景を捉える。

 接近を悟られなければ、このバーテックスは、その時点で勝利を確定させられる。

 ()()()()()()だった。

 

「―――」

 

 ガチリ、と、千景の中で何かの歯車が噛み合わなくなった。

 

 

 

 

 

 気付けば千景は、何も無い闇の中で、不気味に嘲笑するもう一人の自分と向き合っていた。

 

「え……なんで? 皆と一緒に、戦ってたはずなのに……」

 

『私、思ってたよね』

 

「私……? なんで……?」

 

『竜胆君がどん底に落ちててさ。

 再会してすぐの頃、思ってたよね。

 今、自分がこの人に優しくすれば、この人に優しくするのは自分だけになるって』

 

「―――え」

 

『思ってたわよね。だから、否定できない』

 

「ち……違う!」

 

『ああ、竜胆君は絶対に私をいじめないから!

 攻撃したりなんてしないから!

 味方になってくれたから!

 私だけが彼に優しくすれば、彼は私だけの味方になってくれるはず……そう思った』

 

「思ってない!」

 

『高嶋さんと違って、私だけの味方になってくれるかもしれない!』

 

「そんなこと考えてない!」

 

『ああ、なんて暗い喜び!

 高嶋さんと似てるところも多かった、三年前の彼が!

 傷付き、絶望し、暗い気持ちを抱いている。

 竜胆君や高嶋さんのような、綺麗な心の人を見るたびに思った。

 私の心は弱く、醜く、とても陰気。

 あんなに明るかった竜胆君の心が、私の心に近付いてくれて、嬉しい……!』

 

「違う違う違う! そんなこと、私は……違う! 思ってもないし考えてもない!」

 

『でも、失敗しちゃったんだよね。竜胆君に優しくしたかったのに』

 

「黙れ!」

 

『私は、優しくする方法を知らなかったんだよね。本当に無価値だよね、私』

 

「黙れぇ!」

 

『"こう優しくすれば他人に好かれる"ってやり方、知らなかったのよね。

 "他人にはどう優しくするのが最善なのか"を知らなかったのよね。

 だから出遅れた。

 だから他の人の方が先に彼に優しくしてしまった。

 "竜胆君が皆に優しくしてもらえてよかった"なんて言葉で自分を誤魔化した。

 他の人達がどんどん、彼の中で特別になってしまった。

 高嶋さんとかも、特別な枠だったみたいよね。ほら、名前の呼び方だって』

 

「黙って」

 

『特別な友達が二人いると、大変よねえ。

 ねえ、どっちにどっちを取られたくないの?

 今の最高の友達? 三年前の最高の友達?

 まあ本当は、二人が二人だけで仲良くなるの、止める権利なんてないんだけどね』

 

「黙って……」

 

『悲しいわよねぇ?

 だってあなた、明確に竜胆君の心を救った覚えなんてないものね。

 救ってもらった覚えはあるけど。

 私が優しくしたからじゃない。

 彼が優しかったから、彼は損得抜きで初対面の私を助けてくれただけ。

 じゃあ当然じゃない。

 彼が辛い時に彼に優しく接したのは、私じゃなくて高嶋さんだったんだから』

 

「お願いだから、黙って……」

 

『自分の幸福を邪魔する人が煩わしいでしょう?

 あの父親が、そう生きていたように。

 愛してくれるなら誰でもいいんでしょう?

 あの淫売な母親が、そう生きていたように』

 

「―――」

 

『あの父親は子供のような倫理と癇癪で生きていたわね。

 そう、今のあなたのように。

 あの母親は自分を愛してくれる男なら誰でも良かったみたいね。

 そう、今のあなたのように。

 だってそうでしょう?

 あなた、不特定多数のたくさんの人達にも愛されたいんでしょう?

 その人達に裏切られたら、冷静じゃいられないんでしょう?

 本当は名前も覚えてない集団のあの人達に、認められ愛されたいんでしょう?

 じゃああの母親と同じじゃない。

 あ、違うわね。

 名前も知らないような人からも愛されたいのなら、あの母親以上に醜悪な淫売だわ』

 

「ち……違う! 私はあの親とは違う! 絶対に違うっ!」

 

『何が違うの?

 だって、本当はあなた、愛してくれるなら誰でもいいんでしょう?

 愛されていることが重要。

 必要とされていることが重要。

 価値が認められていることが重要。

 だから愛してくれるなら、誰だって良かったんでしょう? 竜胆君でも、高嶋さんでも』

 

「もう、何も、言わないでっ……お願いだからっ……!」

 

『私があの二人を好きな理由は……

 あの二人が優しくて、私に愛を向けてくれて、私を大事にしてくれるからだものね。

 私を愛してくれて、大事にしてくれる人は、誰だって好きになるもんね。私は』

 

「違う違う違う違う違うっ!!」

 

『何も違わないわ。

 周りを見てみれば分かるでしょう?

 普通の人は、付き合う相手を選んでるわ。

 親しい人を選んで、"この人が自分の味方で居てくれれば十分"と思ってる。

 乃木さんと上里さん、土居さんと伊予島さんのように。

 だから私みたいに、不特定多数の民衆の好意や支持なんて気にしてないの。

 それが普通なのよ。

 友達ですらない奴らに、愛されたり必要とされたりしたいなんて、普通は考えない』

 

「私は……私はっ……私は私は私は私私は私は」

 

『私は誰でもいいの。

 愛してくれれば誰でもいいの。

 私の性根が見えてるから、とびっきりいい人しか、私に好意的に接しない。

 周りはちゃんと察してるもの。

 私は私を愛してくれる人を好きになる。

 それ以外の人はどうでもいい。だからずっと高嶋さんにばかり好意的に接してきた』

 

「そうじゃない、そうじゃない、そうじゃない、そうじゃない、そうじゃない」

 

『愛してくれれば"誰でも良い"。

 "誰でも良い"だなんて思ってる人に、友達が出来るわけないじゃない。

 友達を作る努力とかしたことある?

 香川に来てからは仲間を無視してゲームしてただけだったでしょ?

 友達になろうとしてくれた土居さんも無視して、ゲームして、怒られて。

 何もしてなかった私に高嶋さんが話しかけてくれて、友達になってくれて!

 ああ、なんて楽なんだろう!

 何もしていなかったのに、友達が出来た!

 とっても優しい友達が! 待っているだけで優しい友達があっちから来てくれた! 楽!』

 

「黙って黙って黙って黙って黙って黙って黙って」

 

『私のことは私が一番分かってる。

 民衆が私のことを裏切ったら、見限ったら、私はそれを殺すかもしれない。

 だってもう、私を愛してくれないって分かったんだから。

 私を愛してくれるなら誰だっていい!

 私を認めて愛してくれる人は、どんなに憎くても殺せない! 村の人間も!

 でも私を愛してくれないなら、もう殺しちゃっていいや! いいよね、あはは!』

 

「これは私じゃないこれは私じゃないこれは私じゃないこれは私じゃない」

 

『何言ってるの?

 嫌いな自分からは逃げられない。

 嫌いな過去からは逃げられない。

 一生付き合っていくしかないのよ。

 だって生きている限り、自分も過去も無くなることはないんだから』

 

「う、あ」

 

『生まれてから五年経てば、五歳の淫売の子になるだけ。

 生まれてから十四年経った今は、十四歳の淫売の子になっただけ。

 二年後には、五年前に友達の喉を切った罪人の私になるだけ。

 七年後には、十年前に友達の喉を切った罪人の私になるだけ。

 生きている限り、誰もが、自分からも、過去からも、逃げられないわ。

 彼も、私もね。

 ああ、本当にかわいそうな竜胆君……こんな私と出会ってしまったせいで、人生台無しね』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千景の中で、何かがぷつりと切れた音がした。少女の瞳から、涙がこぼれ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敵は神とバーテックス。

 心の痛みなんて分かるわけがない。

 心の苦しみなんて慮るわけがない。

 心を成長させた人間に気を使うなんてこと、するわけがない。

 輝かしい人の心の成長ですら、バーテックスは問答無用で踏み躙る。

 

 自らの闇に打ち勝ったはずの千景の心さえも、バーテックスは無理矢理に陵辱した。

 

 千景を見た魚クラゲのあのバーテックスは、『記憶を捏造し精神を操作する怪獣』である。

 無いはずの記憶を植え付け、今ある記憶を捻じ曲げる。

 無いはずの感情を植え付け、今ある感情を捻じ曲げる。

 精神を操作し、ありえない思考を自然と走らせる。

 

 「君は特訓で成長したから真っ先にその力を敵に振るわせてあげるね」なんてバーテックスが言うわけもない。

 淡々と、人間側の事情など、一切鑑みることはなく。

 ティガダークと郡千景という、簡単な精神操作で無力化・傀儡化ができそうな人類戦力に、バーテックスは目をつけた。

 

 

 

 

 

 千景が発狂したような、喉を潰しそうな声で叫びながら、ティガへと襲いかかる。

 もはやその思考は、正常から程遠い。

 

「ああああああああッ!!!」

 

 竜胆は、それを止めようとする。

 止めようとするが、修行で鍛えた武を真っ先に千景に向けることを躊躇う。

 一瞬の葛藤の中、竜胆は千景が暴走していることを認識し、その暴走の原因があの魚クラゲのバーテックスにあることを理解して―――竜胆は、最悪の危機を直感した。

 

『俺の様子がおかしくなったら、誰でもいい、俺をその時点で殺せ!』

 

 まだ理性のある内に、竜胆は仲間達に呼びかける。

 千景の鎌がティガの額を切り抉ったが、その痛みに悶えてなんていられない。

 

『あれが精神に干渉するタイプの敵なら……その時点で、俺の天敵中の天敵だ!』

 

 魚クラゲのバーテックスが精神操作を得意とするなら、竜胆なんてカモにしかならない。

 事実、そのバーテックスはティガダークに狙いを定めている。

 バーテックスによる精神操作が、ほんのちょっとでも"暴走だけする分には最高の破壊兵器"であるティガダークの、砂上の楼閣のような精神に当てられてしまったならば。

 その瞬間、ティガダークは天の神にとって最高の駒になる。

 

 仲間の危機に、球子は飛び出そうとした。

 

「先輩! 待ってろ、今タマがそっちに……」

 

「球子! 杏から離れるな!」

 

「!」

 

 だがそこで、彼女らの下にも見たことのない新手のバーテックスが二体出現する。

 新たなバーテックスはせいぜい3m程度の小型だが、どこかドラゴンのような、怪獣じみた容貌をしていた。

 しかも足が速い。

 スピードの速い二体の小型バーテックスが、珠子と若葉に咄嗟に守られた杏を狙い、杏の周囲を走り回っていた。

 

「また新型……!? タマっち先輩、若葉さん、気を付けて!」

 

「小型の怪獣型、って3mもなさそうなのが二体!?」

 

「後衛の杏を狙っている! 私とお前が杏に近い、杏を守るぞ!

 友奈! お前がティガと千景に近い! お前が二人を守りに行ってくれ!」

 

「う、うんっ!」

 

 まるで双子のような小型怪獣型バーテックスを若葉・球子・杏で受けて、若葉は友奈を竜胆達の下へ向かわせる。

 

 その頃、パワードとグレートは残り全ての個体を受け持っていた。

 パワードが最強技、メガ・スペシウム光線を放つ。

 グレートが最強技、バーニングプラズマを放つ。

 子供達のピンチに、大人二人が焦り、一気に勝負を決めに行ったことは明白だった。

 だと、いうのに。

 

 メガ・スペシウム光線は、女のようなバーテックスには当たらず、その体を通り過ぎ。

 バーニングプラズマは、バーテックスの浮遊盾に反射され、グレートとパワードを襲った。

 どちらも、今日まで一度も見られていなかった、新型のバーテックスだった。

 

『っ』

 

 反射されたバーニングプラズマを、二人のウルトラマンが紙一重で回避する。

 

 追い込まれたグレートとパワードに、水瓶を思わせる形状の全身武器庫じみた攻撃特化のバーテックスが、最大火力をぶちかます。

 回避しようとした二体の巨人に、牛のようなバーテックスが音響兵器を叩き込む。

 騒音で動きを止められてしまった二体の巨人に、水瓶タイプのバーテックスの攻撃が、次から次へと叩き込まれていった。

 

クソッ!(Shit!)

 

 ボブは子供達の前では使わないと決めていたはずの、汚いスラングをつい口にしてしまう。

 それは、彼が追い詰められ、余裕をなくしている証拠であった。

 足を止められたグレートとパワードを、ソドムとゴモラが包囲していく。

 

 

 この戦闘で投入された"新型にして新型でない"バーテックスは、総勢六体。

 

 

 其の名は『亜型十二星座』。

 別の頂点に辿り着くための回り道。

 進化の過程の試行錯誤。

 星屑で肉体を作った大型個体の、十二星座と怪獣型の中間体。

 融合にあらず、中間である。

 

 幻覚と地中遊泳を行う、魚座。

 二対一体の高速獣、双子座。

 攻撃を跳ね返す、蟹座。

 火力に特化した、水瓶座。

 攻撃無効の爆撃体、乙女座。

 音響兵器を放つ、牡牛座。

 

 其はティガダークの参戦に合わせ、新たなる進化を開始した―――新世代のバーテックス。

 

 "血を吐きながら続ける悲しいマラソンを止めたら滅びていいぞ"と言わんばかりの、神が遣わした進化の悪夢、進化という名の絶望だった。

 

 

 




 ビジュアルファンブックだとピスケスは魚モデルと明言されてるんですが、どうしてもクラゲに見えてしまうルシエド。趣味を出していいのが二次創作の良いところですね

【原典とか混じえた解説】

●亜型十二星座
 十二星座と怪獣型の中間体。
 融合ではなく、二つのものの中間の存在。
 天の神の試行錯誤と、バーテックスの独自進化の模索の過程。
 未だ未完成。
 改良の余地・進化の余地・強化の余地は無限に存在する。
 遠い未来、"全く異なる二つを融合昇華する"概念に繋がっていく可能性を持つもの。

●超空間波動怪獣 サイコメザードII
 天より来たる者、根源的破滅招来体の手先『メザード』郡の一体。
 水棲クラゲから派生したような形状の怪獣。
 メザードは総じて、人間の心を抉り、心を玩具にし、弱い心を押し潰す術に長ける。この個体は幻覚粒子を撒き散らし、人に幻覚を見せ、記憶と精神を操作する『サイコメザードII』。
 ティガダークの天敵。
 海中や地中を泳げる魚座(ピスケス)と、精神操作特化怪獣の中間体。
 亜型ピスケス・バーテックス。

●双子怪獣 レッドギラス&ブラックギラス
 獅子座L77星という、光の国とは別の『ウルトラマンの星』を滅ぼした双子の怪獣。
 当然、その星のウルトラ戦士も打倒済み。
 TVウルトラマンレオではウルトラセブンも打倒している。
 接近戦も強く、保有する光線も強力。
 小型高速戦闘タイプの双子座(ジェミニ)と、強力な双子怪獣の中間体。
 亜型ジェミニ・バーテックス。

●蟹座怪獣 ザニカ
 本来は心優しく、戦いを好まず、悪意もなく強くもないカニの怪獣。
 蟹座に住まう怪獣で、両手の鋏、強力な消火能力を持つ泡、マッハ6の飛行能力を持つ。
 攻撃反射能力を持つ蟹座(キャンサー)と、飛行能力・対火能力を持つ蟹座怪獣の中間体。
 亜型キャンサー・バーテックス。

●水瓶超獣 アクエリウス
 地球を植民地にするため、水瓶座第三星人達が派遣した超獣。
 怪獣を超えた怪獣『超獣』らしく、毒の噴煙、電撃、光線、ロケットと強力な攻撃手段を揃えており、攻撃力は中々のもの。
 水を操る水瓶座(アクエリアス)と、多様な攻撃手段を持つ水瓶座超獣の中間体。
 亜型アクエリアス・バーテックス。

●天女超獣 アプラサール
 "宇宙光線と少女の夢を合成した超獣"と表現され、乙女座の精『アプラサ』が異次元人ヤプールによって改造されてしまった成れの果て。
 光線や羽衣による攻撃を行い、宇宙線と乙女座の精の合成体であるため、物理攻撃の全てを無効化する能力を持つ。
 高火力爆撃タイプの乙女座(ヴァルゴ)と、物理攻撃無効の乙女座超獣の中間体。
 亜型ヴァルゴ・バーテックス。

●牡牛座怪獣 ドギュー
 弱い者いじめが大好きないじめっ子怪獣。
 何の罪も無い子供をいじめ、その子の母親を殺し、その子のペットを殺し、人間や動物を殺した後その子にその罪をなすりつけるなど、嫌な意味で『知性が高い』怪獣。
 牙、角、爪、怪力を持ち、人間に化けたりする変身能力も持つ。
 音響攻撃持ちの牡牛座(タウラス)と、変身能力持ちの牡牛座怪獣の中間体。
 亜型タウラス・バーテックス。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

『心傷 -トラウマ-』の冒頭で1月末だぞ、って書いてたの、皆さん覚えてるでしょうか


 若葉は刀を鞘に収め、後ろに跳ぶ。

 跳んで着地するまでの一瞬で、若葉は戦場全体に視線を走らせた。

 

 魚座・メザードのピスケス怪獣は、千景を操り、隙を見てティガダークを操ろうとしている。

 ティガがまだ無事なのは、先に千景がやられ、竜胆が一気に警戒したからだろう。

 最初にあの能力をぶつけられたものは、まずそれに対応できない。

 千景が先にやられても、竜胆が先にやられても、不思議ではなかった。

 誰もそうは思わないが、千景が先に操られ、暴走ティガダークが敵に回っていなかったのは、本当に幸運だったと言える。

 友奈がそこに救援に向かっていた。

 

(上を抑えられているのが痛いな)

 

 上空には、蟹座・ザニカのキャンサー怪獣。

 射撃武器を反射する反射板を動かす能力で、戦場全域をカバーしている。

 これのせいで、杏の遠距離攻撃や巨人の光線攻撃の強みが半減してしまっていた。

 

 それと同様に、乙女座・アプラサールのヴァルゴ怪獣も辛い。

 この怪獣は一切の攻撃を透過する。

 巨人の光線が透過された時点で、おそらく真っ向からでは現在の巨人・勇者の全攻撃が通用しない。倒せないのだ。

 その上ヴァルゴ・バーテックスの爆撃能力により、空から常に爆弾を降らせてくる。

 言うなれば、撃墜できない大型爆撃機。

 

 勇者達は一方的なこの攻撃を必死に回避せざるを得ない上、この攻撃は勇者達が回避したらしたで樹海に当たり、神樹の根を破壊し、戦闘終了後の最悪の事態を予感させる。

 

「くっ!」

 

「私が撃ち落とします!」

 

 杏の武器は神の(おおゆみ)を改造したクロスボウ。

 (おおゆみ)は中国の紀元前から使われていたクロスボウとして有名だが、日本でも大昔には使われていたものである。

 騎馬騎射の隆盛によって時代から消えていったものであるがために、大昔の神様が残した武器としては、相応しいものであると言えよう。

 

 このクロスボウに弾数制限は無い。三分の活動制限もない。

 空から降ってくる爆弾の継続迎撃という分野において、杏以上の適任者はそういまい。

 球子と若葉に護衛され、杏は全ての勇者、全ての巨人を狙うヴァルゴの投下爆弾を、一つ一つ正確に空中で撃ち抜いていった。

 爆弾は空中で炸裂し、仲間と樹海は守られる。

 

 杏に向けて頷いたパワードとグレートが、同時にゴモラとソドムを蹴り飛ばした。

 パワードの桁外れのパワー、グレートの磨き上げられた技がゴモラとソドムを吹っ飛ばし、他の怪獣も巻き込んで、敵の攻勢が少し弱まる。

 

「あーもう面倒臭い! 『輪入道』!」

 

「まて、球子!」

 

 多用できない『切り札』を、焦り気味に球子が切った。

 球子はこう考える。このまま若葉と一緒に、高速タイプの双子怪獣から杏を守っていても、埒が明かない。

 それどころか"あっちに精神操作タイプの敵が行っている"以上、一秒でも早くこの状況を動かさなければ最悪の事態になりかねない。

 友情が、球子を焦らせた。

 

「いっけっー!」

 

 巨大化した旋刃盤が、燃え盛る炎の竜巻(トルネード)を纏うようにして、まず球子と相対していた双子座の片割れ、ブラックギラスを狙う。

 その後は空のキャンサーとヴァルゴを狙い、一気に竜胆達を助けに行く。

 そう考えていた。

 彼女のその作戦が成功すれば、友は助けられるはずだった。

 

 だが、キャンサーが空から蟹座怪獣ザニカの泡を吹く。

 "どんな火でも一瞬で消してしまう"と語られるザニカの泡は、あっという間に輪入道由来の業火を消し去ってしまった。

 球子は驚愕せざるを得ない。

 

「はぁっ!?」

 

 これは露骨な、"珠子と輪入道対策"だ。

 

 杏がこれに瞬時に対応。

 泡と、それを吹くキャンサー・ザニカに向けて、クロスボウの銃口を向けた。

 

「泡なんて凍らせてしまえば……『雪女郎』!」

 

 一つの市を凍りつかせるほどの冷気を一点集中した、吹雪の砲撃。

 吹雪は砲撃状の暴風(ブラスト)と化し、全ての泡を凍らせた上でキャンサーを凍らせようとする。

 だがその吹雪を、空中で水瓶座のアクエリアスの水が受け止めた。

 膨大な量の水を冷気が凍らせる。

 "冷気が水を凍らせるのに使われてしまう"。

 

 膨大な水が氷になった頃には、杏が放った冷気は全て使い切られてしまっていた。

 水を凍らせて冷気を使い切らせる、という水技の応用。

 超獣アクエリウスとアクエリアス・バーテックスの中間体は、杏の切り札をノーリスクで封殺する術を持っていた。

 

「……! これは……」

 

 これは分かりやすい"杏と雪女郎対策"。

 珠子と杏は瞬時に状況を判断し、負荷が大きい精霊を引っ込める。

 二人が精霊を撃ち放っていた間、精霊・義経でスピードを引き上げた若葉が一人で双子座を抑えていたが、これも長くは保ちそうにない。

 

「球子、杏の護衛を怠るな!」

 

「分かってる!」

 

 ブラックギラスとレッドギラス。

 双子の怪獣にして、ジェミニの小さく速いという特性を得た、星屑とそう変わらない程度に小さな怪獣二体。その速度は、義経で加速した若葉でも翻弄できない領域にあった。

 こっちは正統派な"若葉と義経対策"。

 双子座のスピードに、怪獣のパワーを乗せ、素早い義経と若葉に当てている。

 

 この双子怪獣から後衛の杏を守り切るには、盾の旋刃盤を持つ球子、近接特化の若葉、つまり前衛担当の勇者二人を当てなければ手が足りない。

 これだけ小さく速いと、巨人では体の大きさがネックになって対応しにくいという問題まで出てきかねない、そんなバーテックスであった。

 

 一方その頃、亜型十二星座からの攻撃を受けつつ、それ以外の星屑と大型全てを請け負っていたパワードとグレートも、苦戦していた。

 

 牡牛座/タウラス/ドギューの身体が、変身能力でより音響攻撃に向いた形に変化する。

 タウラスの鐘が鳴る。

 それは広範囲に響き、バーテックスにはダメージを与えないのに、ウルトラマンにも、神樹の加護がある勇者にダメージを与える異常な音波。

 身体変形により威力を増したそれが、全ての巨人と勇者を苦しめる。

 

『……っ!』

 

 これは『音』だ。

 音だけは、グレートが得意とする万能反射技(マグナムシュート)で跳ね返せない。

 攻撃を跳ね返してくるウルトラマンには、跳ね返せない攻撃をすればいい。

 これもまた、"グレートへの対策"による進化の一つ。

 

 アクエリウス・アクエリアスの中間体がロケット、光線、雷撃を放ち、音波で苦しむ巨人達と勇者達に猛攻を仕掛ける。

 ヴァルゴも便乗し、一気に爆撃を始めた。

 

任せる(I'll leave it to you)

 

『マカサレタ』

 

 グレートは両手を二丁銃の形にし、"自分を守ることの一切を放棄して"、勇者達に向かう攻撃の全てを撃ち落とす。

 撃って、リロード、撃って、リロード。

 鮮やかな銃撃が仲間を守る。

 そしてパワードが光弾を連射し、仲間を守るグレートを守った。

 

 反撃に、パワードが青色炸裂光弾『パワードボム』を放つが、アプラサールとの合一で攻撃無効能力を獲得したヴァルゴには当たらず、すり抜ける。

 この透過能力を封じられる技能を、パワードもグレートも、もちろんティガダークも持ってはいなかった。

 

『ヤッカイナ……!』

 

 例えば、初代ウルトラマンとパワードの攻撃系光線技の数を比較してみる。

 パワードの技は総数で四つ。

 対し初代ウルトラマンは十四種。

 攻撃技に限らないが、パワードの保有する技はかなり少ない。

 

 "桁違いのパワーがある"のがパワードの長所であり、"多彩な技を持たない"のがパワードの弱点だった。

 しからばこの透過も、"パワードへの対策"であり、"パワード以外にも刺さる対策"である。

 

 魚座、双子座、蟹座、水瓶座、乙女座、牡牛座。

 戦場に現れた十二星座の新形態。

 どれもこれもが『最悪』でこそないものの、『厄介』な特性を備えている。

 

 その中でも最も厄介であると言えるのが、サイコメザードと同一化したピスケスである。

 

『ちーちゃん!』

 

「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい」

 

 発狂じみた様子の千景が、狂乱の刃をティガダークに叩きつける。

 耐久が低下したティガ相手なら容易に致命傷を叩き込める、そんな鎌だ。

 

 仲間と繋がり希望を得たことでまた耐久力が下がったティガだが、空手を初めとした実践武術には刃物に対抗する動きもある。

 ……巨人が小人の刃物を捌くための技はないが、そこは応用でなんとかする。

 千景の斬撃を防いだ、ところまでは良かったが。

 

『!?』

 

 千景が七人に増えたところで、防ぎ切れなくなった。

 精霊・七人御先。

 七人に増えた千景は、全てが虚像であり全てが本物である。

 

 二本の手で防ぎ切れるものではなく、七方向からの同時攻撃はティガダークの全身を情け容赦なく切り刻んでいく。

 ただでさえ強力な七人御先だが、この精霊の恐ろしさは、頑丈な大型バーテックス相手に使うよりも、仲間の勇者や巨人に対して使った時にこそ本領を発揮するものなのかもしれない。

 

『敵に回すとここまで厄介になるとは……!』

 

 竜胆の技は闇の八つ裂き光輪、ウルトラヒートハッグで全部だ。

 少々どころでなく殺傷力が高すぎる。

 ここから七人の千景を取り押さえるには、どうすればいいというのか。

 

「ティガダーク、なんてものが、最初から、居なければ、竜胆君だってあんな後悔は!」

 

『!』

 

「竜胆君があんな罪を背負うことも……

 竜胆君が戦いに引っ張り出されることも……

 戦いで傷付くこともなかった! ティガダークがいなければ! ……いなくなれっ!」

 

『……本当、俺は、ちーちゃんに心配かけてばっかだな』

 

 千景は竜胆に良い感情を抱いている。

 そして竜胆が持っている闇の力そのものに対しては、敵意に近いものを持っている。

 友達の心を勝手に物騒な方向に誘導しているのだから、それも当然のことだ。

 

 竜胆を好ましく思っている。

 ティガダークを嫌っている。

 普段はその二つを完全に同一のものだと認識できているのに、操られているこの状況では、その二つを分割して考えさせられてしまう。

 矛盾の思考が、殺意を走らせる。

 

 竜胆を苦しめるティガダークを憎み、竜胆のためにティガダークを殺そうとし、ティガダークを傷付けることで竜胆を殺していく、そんな異常過程。

 狂わされている千景を見ると、少年の胸は痛む。

 千景をこんな風におもちゃにした敵への憎悪で、暴走しそうになる。

 竜胆は千景と戦い、自分と戦い、千景を操っている敵と戦い、その全てに勝たねばならない。

 

『こんな時でもなければ、ちーちゃんの苦しみも、全部聞いてやれないのか、俺は』

 

「闇なんて……闇の力なんて……

 私の友達の心を蝕むおぞましいものなんて……どこかに行って……!

 優しい人が、優しいままでいられないような心の動きになんて、勝手にしないで……!」

 

 竜胆は千景を捕まえる。

 だが捕まえた千景は、竜胆の手の中で鎌にて首をかっ切り自殺した。

 バーテックスの狙い通り、トラウマ級の光景で竜胆の心にダメージを与えつつ、死んだ個体が消滅・竜胆の背後で再生する形で、竜胆の拘束を脱出する。

 そして背後から、ティガの背中を切りつけた。

 

『づっ』

 

 捕まえたら、自殺で脱出される。七人御先は本当に器用だ。応用の範囲が広すぎる。

 千景の自殺に動揺した竜胆が、七人の千景に対応しようとする中で、ティガとピスケスの目が合ってしまった。

 

(しまっ―――)

 

 ピスケス・メザードの幻覚能力が、発動する。

 

 だが、ティガに向けられたその能力ごと、ピスケスをぶん殴る少女がいた。

 

「せいやああああっ!!」

 

 飛び込んで来た高嶋友奈が、その拳を叩きつける。

 幻覚能力も突き抜けて、ピスケスを彼方に殴り飛ばした。

 殴り飛ばされたピスケスは地面に潜り、再度地面の下からティガや友奈を狙い始める。

 

『友奈!』

 

「こいつがぐんちゃんをおかしくしたやつだよね? 任せて!」

 

『任せた! 俺はおそらく、そいつの能力に一切抵抗できない!』

 

 友奈は端末のレーダーで敵の位置を確認し、対バーテックスに専念。

 竜胆は千景を抑え込みにかかる。

 地面から飛び出したピスケスはティガダークを狙うが、割って入った友奈を見て、友奈の方に幻覚を仕掛けた。

 相手の精神を操作し、記憶すら捏造するサイコメザードIIの幻覚である。

 

「あっ……うううっ……てやぁっー!」

 

 が。

 

「効くかぁー!」

 

 友奈は、幻覚を精神力であっという間に突破した。

 ピスケスは目を疑うように再度幻覚をかけるが、今度はもっと早く突破されてしまう。

 "サイコパスなので精神攻撃が効かない"などではなく、精神攻撃はちゃんと発動するし友奈もちゃんと苦しむのだが、すぐに幻覚を精神力で跳ね除けられてしまう。

 

 友奈は傷付かない心を持っているわけでもなく、心の弱さも普通の子並みに持っている。

 無敵の精神力などはなく、人付き合いでもたびたび嫌われることを恐れている。

 友奈は転ばない人間ではなく、何度でも立ち上がる人間だ。

 悪夢の幻覚に落とされようと、どん底からあっという間に彼女は駆け上がって来る。

 

「勇者! パーンチ!」

 

 友奈の必殺・勇者パンチがピスケスの目を潰す。

 十数個の目の内いくつかをあっという間に殴って潰すと、他の目も痛みからか閉じられて、潰れた目からは不思議な光る粒子が漏れていった。

 

「……? これ、なんだろう」

 

 サイコメザードIIの精神操作は、幻覚誘発粒子なるものを媒体にしている。

 ピスケスはこれをより強力なものとして行使するため、ピスケス本来の"物質潜行能力"にて幻覚誘発粒子を自らの視線に乗せて飛ばし、相手の目から脳内に浸透させている。

 要するに、視線を注射針にして、相手の脳内にヤバい麻薬を注入しているようなものなのだ。

 なお、友奈には効かない。

 

 今友奈が敵の目を殴り潰した時に目の中から出て来た粒子と、千景の脳内に浸透して精神を滅茶苦茶にしている粒子は、同じものである。

 更に、友奈が敵の目を全て閉じさせた瞬間、友奈に対する幻覚の干渉も停止した。

 友奈はこの能力が、目を合わせた相手にのみ作用するものであることを看破する。

 

「リュウくん、これ、目を合わせなければ大丈夫だと思う!」

 

『よし、それが分かれば、何とか気が楽になるな。サンキュー!』

 

 敵への対抗策を見つけた、と、思ったその時。

 十二星座特有の超速再生が潰された目をあっという間に再生し、目を合わせられないがために目を左手で塞ぐしかないティガに向け、ピスケス・メザードの電撃が飛んだ。

 竜胆は回避しつつ、友奈に当たりそうになったものを腕で守る。

 走る激痛、肉が焼ける音。

 腕が骨まで焦げた、気がした。

 

『……楽になるのは、気だけだが!』

 

「っ、危ない!」

 

 そして友奈を守った竜胆の背中に斬りかかる千景。

 友奈はティガの背中を足場とし、豪快な立ち回りと奇跡的な幸運で、千景の七ヶ所同時斬撃からティガを守ることに成功した。

 竜胆に寄り添う友奈。

 千景から竜胆を守る友奈。

 

 "そこに私が居たかった"という小さな気持ちが、千景の内に湧く。

 ピスケスの精神干渉が、それを強引に憎悪へと転換した。

 "そこに立つな"という憎悪が友奈に向けられる。

 

「高嶋さん、高嶋さん、高嶋さん!」

 

「……ぐんちゃん!」

 

「誰とでも仲良くなれるあなたが……大好きで、大嫌いで、羨ましくて、妬ましくて……!」

 

 ティガと友奈が二人揃って千景を取り押さえようとし、千景は六個体を囮にして一個体を一気に後退させる。

 取り押さえられた六体が自殺で消え去ると、ティガからも友奈からも距離を取った場所で、千景が七人揃っているのが見えた。

 

 痛々しい。

 今の千景は、形容し難いほどに痛々しい。

 傷付けたくない友達を傷付け。

 傷付くことを怖がる子なのに、自分を傷付け自殺している。

 千景が心底嫌がることを、バーテックスは洗脳にてやらせているのだ。

 

 竜胆と友奈の中に怒りがふつふつと湧いて、バーテックスでもない巨人の闇、精霊の闇が、その怒りを嫌な方向に誘導しようとしている。

 敵を見ても、味方を見ても、子供を絶望に落とそうとするものばかりだ。

 千景は鎌を携え、俯き友奈へ向けて呟く。

 

「ねえ、教えて……

 誰とも友達になれなかった私と……

 誰とでも友達になれそうなあなたの……

 違いは何……? なんで、あなたと比べて、私はこんなに価値がないの……?」

 

「……そんなことないよ! ぐんちゃんはぐんちゃんであるだけで、価値はあるよ!」

 

「どんな人間に対しても価値はあると言いそうなあなたがっ……軽い気持ちで言わないで!」

 

 だが、その時、人間側がしていたありとあらゆる予想を超えて。

 

 千景から、勇者の力が失われた。

 

『えっ……?』

 

「ぐ……ぐんちゃん!?」

 

 何がなんだか分からない。

 激動の展開の連続だ。

 千景の分身が解除され、勇者の衣装が消えて元の服装に戻り、勇者の力もかき消えた。

 

「なん、で? 私の……私の力……」

 

 そして、千景から力が失われた瞬間、突如として降ってきたヴァルゴ・アプラサールが、千景を飲み込んだ。

 

「あ」

 

 千景から力が失われてから、一秒も経っていない。

 一秒も経っていないその一瞬に、力を失った千景が、バーテックスに捕食されていた。

 

「―――」

 

 友奈も、竜胆も、その一瞬に何もできず。

 一瞬、思考の全てが止まり。

 止まった思考が動き出した一瞬の後に、竜胆が叫んだ。

 

『ちーちゃ……千景っ!!』

 

 だが、叫んですぐに冷静になる。

 あの村でも感じた千景の強烈な心の闇、ピスケスの干渉で更に濃度を増した闇を、千景を食ったヴァルゴの内部に感じる。

 闇に寄った属性の竜胆だからこそ得られた情報、そして推測。

 

『……これは。まさか』

 

 千景を食べたヴァルゴが胎動し、"力の質が変わった"。

 

()()()()()()()

 

 竜胆に遅れて、友奈の思考も動き出し、友奈は叫んだ。

 

「ぐ……ぐんちゃんが!」

 

『まだ、まだ大丈夫だ。こいつらにちーちゃんを食う気はあっても、殺す気はない』

 

「え?」

 

『最悪だ』

 

 今、ヴァルゴの半身である天女超獣アプラサールは、宇宙光線と少女の夢を合成した超獣であると表現される。

 アプラサールの素材は少女の夢、そして"乙女座の精霊"だ。

 しからばここには、本質的に『勇者との親和性』がある。

 郡千景という乙女は、今、乙女座の内側に取り込まれた。

 殺されないまま、取り込まれていた。

 

 アプラサールは、"怪物にされた少女の超獣"。

 

『そうか。

 そういう仕組みだったのか。

 俺達とちーちゃんの同士討ちを、神樹が止めに来た。

 神樹が仲裁したのか、神樹がちーちゃんを見限ったのかは分からない。

 でもあの瞬間、仲間に刃を向けたちーちゃんの勇者の力は、周囲に霧散した』

 

「……え」

 

『霧散した力ごと、全部まとめて、ちーちゃんを飲み込んだんだ。

 勇者が持ってる神樹の神の力をバーテックスは使えない。

 だけど、勇者の体から離れた神の力なら?

 所有権が消えた神の力なら?

 ちーちゃんの手を離れた神の力、精霊の力を飲み込んだ。

 それを制御するデバイスとして、ちーちゃんを飲み込んだ。つまり、これは』

 

 ヴァルゴとアプラサールの中間体は、そうして。

 ()()()()()()()

 七つの体全てを同時に倒さなければ死なない、七人御先の力を獲得したのだ。

 

 空に七体のヴァルゴが横並びする。

 一体一体があらゆる攻撃の無効化能力、一体でも無事なら即座に他六体が再生する能力、樹海も人もまとめて吹き飛ばす爆撃能力を備えていた。

 空から、悪夢のような爆弾の雨を、七体が同時に降り注がせる。

 

 樹海の空を覆い、ゆったりと降る、爆弾の雨。

 

『―――俺の友達を、どれだけ良いように使えば気が済むんだ。なあ、おい』

 

 七体のヴァルゴが樹海を更地にし、神樹を消し飛ばし、勇者と巨人を仕留めるまで、何分あれば十分なのか。

 誰にも分からなかった。

 

「リュウくん!」

 

『これも俺の特訓の成果だ、たっぷり味わえ』

 

 竜胆の手に現れるは、複数の八つ裂き光輪。

 以前竜胆が暴走した時、複数の八つ裂き光輪を連射したことがあった。

 それを参考に、極端に威力を低下させた八つ裂き光輪を大量に作り、竜胆はそれらを一斉発射していった。

 

 次々と、次々と、空から降る爆弾をいくつも八つ裂き光輪が切り裂き、空で爆発させていく。

 連射される複数の八つ裂き光輪。

 地上から杏やボブが援護してくれたおかげで、瀬戸際で全て迎撃には成功している。

 だが、多い。

 とにかく敵の弾幕が多い。

 ヴァルゴの攻撃力は、単純計算で七倍にまで跳ね上がっていた。

 

 無茶をすればするほど、自分を制御する余裕がなくなればなるほど、ティガダークの自分自身の守りは薄くなり、防御には隙間ができていく。

 迎撃に集中するあまり、防御がおろそかになったティガを、友奈が守った。

 

「来い、『一目連』っ!」

 

 嵐のような拳の連撃。

 拳の一撃一撃が竜巻のそれに等しく、拳の速度は突風を超える。

 数えきれない爆弾の雨を、ほんの一息の間に数百度突き出された友奈の拳が、殴って返した。

 

「あ、危なかった……!」

 

 友奈は精霊を解除する。精霊の負荷を考えれば、何度も使える防御手段ではない。

 

『まだ終わってないぞ! まずは、ちーちゃん奪還してからあいつぶっ殺してやる!』

 

 竜胆の言葉使いが荒い。

 友奈は少し危機感を覚えた。

 竜胆の精神への闇の力の侵食も、おそらく無視できない段階に入り始めている。

 彼にとって"千景に手を出す"という行為は、半ば地雷に近いのだ。

 

「ちゃんと会話が、成立すれば……」

 

『会話?』

 

「人は、他の人の暗い気持ちを、明るくできるって、私は信じてる。

 落ち込んでる時、辛い時、暗くなった心を友達が助けてくれるって、信じてる。

 心に自分で拭えない闇があっても、友達なら助けてあげられるって思いたい。

 そうやって助けてもらえれば、人は立ち上がれるはずだから。

 でも……こんな、会話そのものが成立しないんじゃ……いったいどうしたら……」

 

 竜胆は巨人体の動かぬ顔で、誰にも伝わらない微笑みを浮かべた。

 そうだ。

 彼女がこうだからこそ、自分は彼女を信じられる。そう思う。

 

 人が人の心を照らす。

 この状況に至っても、友奈は千景の心の闇を照らし、ここから千景が自力で再起し、敵の呪縛から逃れる可能性を見ていた。

 千景の性格を見た上でそう思えるのは、彼女が千景の強さを信じているから。

 そして、千景が誰かに照らされることで、立ち上がれる人間だと信じているからだ。

 千景の弱さを知った上で、その強さも無視しない、それが友奈という少女の在り方。

 

 千景はまだ死んでいない。

 ヴァルゴの内部で千景が覚醒すれば、もしかしたら、もしもがあるかもしれない。

 だが、このままでは無理だ。

 竜胆か友奈が、千景が立ち上がれるよう、少しの助けを届けなければ可能性はない。

 

 千景を助け、ヴァルゴを倒す。

 二人がこの瞬間にやるべきことは決定した。二人は、千景の友達だから。

 

『……友奈、援護頼む』

 

 何、だなんて聞き返すことはない。友奈はノータイムで力強く頷く。

 

『人間には、他人の闇を照らす力がある……か。奇跡にでも手を伸ばしてみるかな』

 

「リュウくん。背中は任せて」

 

『任せる。やるぞ、俺達二人で、あの子を助ける!

 自分なんて信じられないが……

 他人の心を照らす力が自分の中にあると、今は信じて、全力で、やってやる!』

 

「そうだよ、自分を信じて! リュウくんなら、きっとできるはずだから!」

 

 友奈を肩周りに乗せ、ティガダークが飛び上がった。

 信じられない速度の飛翔、されどグレートやパワードには及ばぬ速度。

 ヴァルゴに向かっていくティガの背後を狙おうとするバーテックスもいたが、それらには杏の射撃が当てられていった。

 

「杏、こっちにもっと誘引してくれ!」

 

「どうなっても知りませんよ!」

 

「雑兵はタマに任せタマえ! 大物も来ていいぞ!」

 

 杏が撃って、敵をおびき寄せ、それを若葉と球子が本気で迎撃する。

 敵を引きつけ、竜胆達を行かせるために、勇者は踏ん張る。

 敵を助け、仲間を助けてくれるはずだと、ティガと友奈を信じて託した。

 

 更にはグレートとパワードも敵を引きつける。

 グレートは空手の構えでどっしりと構え、両手を二丁拳銃の形にした。

 全ての敵を撃って引き寄せ、近寄る者は撃ち殺す、隙なき射撃。

 間断なく四方八方に撃たれる射撃が、竜胆と友奈に手を出すことを許さない。

 

全員、ここから先には行かせねえ(I can't let you go any further than here)

 

 そして、ヴァルゴ七体もティガと友奈に気付き、迎撃を行った。

 迫り来る爆弾の集中攻撃。

 ティガの肩を足場にし、友奈がここで飛び出した。

 

「うおおおおおおっ!!」

 

 可愛い声で、男らしい言葉で、友奈が叫んで拳を叩きつける。

 拳の連撃が爆弾を吹っ飛ばし、ティガが飛翔する道を開けた。

 友奈は空中で星屑に着地し、空中で何度か星屑を足場にして地面に降りていく。

 爆弾のダメージは、幸運にもほとんど無かったようだ。

 

 ここが、最後の交錯。

 飛翔するティガがヴァルゴに触れるまで、あと僅か。

 七体のヴァルゴが攻撃を当てられるチャンスは、距離から考えてあと一回。

 その一回でヴァルゴがティガを倒すか。

 その一回に耐え、ティガがヴァルゴに到達するか。

 たった一回の、たった一瞬のその瞬間が、人類の未来すら決定するだろう。

 

『届けえええええええッ!!』

 

 全速力で飛ぶティガ。

 七体同時に爆弾を放つヴァルゴ。

 当たる。

 当たる。

 当たる。

 これはかわせないし防げない。

 この威力の直撃なら、ティガダークの耐久力では耐えられない。

 その瞬間、竜胆は死を確信した。

 

 なのに、何故か急激にティガの飛行速度が倍以上にまで加速し、爆弾はティガの後方で衝突、そして爆発した。

 ティガには、傷一つ無い。

 地上で敵と戦いながらも、その合間にティガに向けて手を振る、パワードの姿があった。

 

『―――!?』

 

 パワードが使ったその技の名は、"ウルトラ念力"。

 光の国では比較的習得者が多い、念力で物を動かす技能。

 雑にパワー数値だけぶっ飛んでいるパワードらしく、とんでもないパワーで遠方のティガの背中を押し、体を押し込んだのだ。

 一瞬だけ飛行速度が倍近くにまでなったティガに、ヴァルゴの迎撃爆弾が当たるわけもなく。

 ティガの黒き手が、ヴァルゴに届く。

 

『レッツゴー! ファイオー!』

 

 ケンの応援を背に受け、手を伸ばす。

 竜胆が、ティガが、敵に向けてではなく、千景に向けて手を伸ばす。

 巨人の手が、触れた瞬間。

 誰も見たことのない力のエフェクトが、ヴァルゴを包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心の闇を助長する精霊の穢れと、脳内の記憶さえ捏造する幻覚粒子と、バーテックスの体内という最悪の環境の中で、千景の心は最悪に追い詰められていた。

 千景に向かって手を伸ばすだけで、竜胆の中にまで汚濁が流れ込んでくる気すらする。

 いや、実際にそうだった。

 千景の内部で膨らんだ精神の汚濁、心の闇は、ただでさえ暴走しやすい竜胆の中にまで流れ込んでしまい、竜胆にも良くない影響を与え始める。

 

『どうして、憎んじゃいけないの? 村のあれは、あなたの敵よ。死んだって良かったのよ』

 

 竜胆が千景の心に近づくたびに、剥き出しの千景の感情が竜胆に刺さる。

 千景の心に近付いていく過程はまるで、刃が上向きの鎌を無数に並べた地面の上を、裸足で進むようなものだった。

 一歩歩くと裸足の足がザクザク切れて、猛烈な痛みが走るような、そんな苦痛。

 立っているだけでも地獄。

 歩けば更に地獄で、しかも歩いていては間に合わない。

 必然的に竜胆は、無数に並ぶ鎌の刃の上を走るような苦痛を望んで選び取り、千景の心に近付いていかなければならなかった。

 

『私だけを見て。

 ずっと私のそばに居て。

 もう苦しまないで。

 もう闇になんて堕ちないで。

 自分らしくないことをして後悔したりしないで』

 

 竜胆に対する、呪いのような悲嘆、幸せを祈るような押しつけ、自分勝手な思いやり。

 

 千景の剥き出しの願望を押し付けているために、千景の周りの誰も幸せになれない。

 押し付けられた周囲が千景を嫌うために、千景自身も幸せになれない。

 千景を不幸にし、連鎖的にその周囲も不幸にさせるために、千景の願望を剥き出しにさせた上で少し歪め、千景の良心・倫理・思いやりなどを徹底的に除外、それを千景の基本思考として彼女の頭に植え付けている。

 

 竜胆は知っている。

 この感情が千景の一部でも、これは本当の千景ではない。

 本当の千景は人の痛みが分かる子で、他人の幸せを喜べる子で、他人の悲しみと辛さに共感することができる、優しい子だ。

 だから、バーテックスがいくら策を凝らそうと、竜胆が千景を見限ることはない。

 竜胆が千景を嫌いになることなんて、ありえない。

 

『嫌い、嫌い、嫌い、嫌い! 嫌い! 嫌い! 嫌い! 嫌い!』

 

 だが、竜胆が千景を嫌いじゃなくても、千景が千景を嫌う気持ちは、彼女の心の片隅にあった。

 

『誰にも好かれない私が嫌い!

 親に愛されない私が嫌い!

 陰気だって言われても直せない私が嫌い!

 助けられて、優しくしてもらって、なのに!

 "ありがとう"って思った時に、"ありがとう"って言えなかった私が嫌い!』

 

 愛されたい。好かれたい。自分が嫌い。自分が憎い。

 矛盾した感情だ。

 自分自身が好かれるべき人間だと思っているのか、嫌われるべき人間だと思っているのか、それすらあやふやで、一定していない。

 だが、これこそが人間なのだ。

 他人に対し愛憎の気持ちを抱くことがあるように、人は自分に対してさえも、愛憎の気持ちを抱くのだ。

 

 自分で自分を好きになれなくても、自分を好きになってもらいたいのだ。人間は。

 

 

 

『―――友達を傷付ける私が、嫌いっ!!』

 

 

 

 竜胆の喉を切り裂いた自分は竜胆に憎まれるべきだと思っているのに、竜胆に好かれたくて、友達としてちゃんと愛してもらいたいと思っているのだ。千景は。

 あの日の後悔はまだあって。

 あの日のトラウマは傷跡として残っていて。

 友奈にも、竜胆にも、千景は大きな愛を求めている。重い想いの少女なのだ。

 

「俺は好きだぞ」

 

「―――」

 

 そして、竜胆は。千景の"嫌い"にシンプルに応えた。

 

「勇者じゃない君も好きだ。……うわー、言っててこっ恥ずかしいなこれ」

 

 竜胆の言葉に、少し照れが入る。

 

「俺も自分は嫌いだな。

 でも、皆は好きだ。

 最近、俺が好きな皆が、何かお前死ぬなよみたいな空気出すじゃん。

 ……じゃあ死ねないなって、思っちゃったりもするんだよ。厄介なことに」

 

『……』

 

「ちーちゃん死んだら、皆は泣くぞ」

 

『泣かないわ』

 

「泣くよ。絶対に泣く。命賭けても良い」

 

『いつも賭けてるじゃない』

 

「うるせえ」

 

 勇者は皆泣くだろうさ、と竜胆は言った。

 

「若ちゃんが言ってた。

 勇者とは強き者のことではない。

 強き者に立ち向かう勇気を持つ者のこと、だと。

 まあ世界を守るためには強さも必要なんだろうけどさ。

 つまり、勇者は強くなくても良いんだと思う。

 だから戦いの経験が無いような、普通の女の子ですら勇者に選ばれる」

 

『え……』

 

「心の強さ、戦いの強さで勇者は選ばれない。

 神様はもっと違うものを見ている。

 恐ろしい敵にも立ち向かえる君の中には、神様が選んだ理由の、価値あるものがあるんだ」

 

『……だと、しても。

 もしもの話で、そんなものがあるとしても。

 私の中には……こんなにも弱さがあって……こんなにも醜くて……』

 

 千景の心に、竜胆の心が近寄っていく。

 

「それを、君が弱さと醜さと言うのなら」

 

 千景は一瞬、今の竜胆と、三年前の竜胆が、何故か、ダブって見えた。

 

 

 

「俺は君の弱さと醜さを、愛しく思う」

 

『―――』

 

「それはきっと、人に愛されるものでもあるんだ。ちーちゃん」

 

 

 

 赤い彼岸花の花言葉は、『悲しい思い出』『あなた一人を思う』『情熱』。

 竜胆の花言葉は、『悲しんでいるあなたを愛する』。

 悲しむ誰かを愛し、その人の味方になってやれる子に育ってほしいと、竜胆は親に願われて、この世界に生まれてきた。

 親はもう死んだ。

 親が死んだ時、竜胆はたくさん泣いた。

 泣いて、泣き止んで、立ち上がって、歩き出して。

 悲しみを乗り越えた少年は、親の願いを叶えるために頑張ることを心に決めて、三年前のあの日に、千景に手を差し伸べたのだ。

 

 御守竜胆は、郡千景の味方である。

 

「幸福を当たり前だと思わず、常に幸福の価値を感じている君は。

 あって当然の幸せを、あって当然だと慢心せず、守ろうと思える君は。

 とても綺麗だ。咲く前に険しい風雨に耐えて、風雨の後に綺麗に咲いた花みたいに」

 

『私は……私は……』

 

「君には君の価値がある。

 君が愛されるかどうかに、本当は君に原因なんて無いんだ。

 だって君が愛されるかどうかは、本当は周りが決めることなんだから。

 君が完全無欠の人間になったとしよう。

 愛されるに相応しい人間になったとしよう。

 でも、君を愛するか愛さないかの選択は、周りの人に決める権利があるんだよ」

 

『わたし……わたしっ……!』

 

「君は悪くない。

 何も悪くないんだ。

 愛されなかったことの原因は、君の中にはない。

 強いて言うなら、君に愛の無いことをした周りが悪い。

 愛する対象の好き嫌いで、君を選ばなかった周りが悪い。

 愛するべきだったのに君を愛さなかった親が悪い。

 世界は広いんだ。

 村の外に出たら、君をちゃんと愛してくれる人達は、ちゃんと周りに居ただろう?」

 

『……りんどう……くんっ……!』

 

「思い出して。君をちゃんと愛してくれる人は、君の周りにちゃんといるはずだ」

 

 

 

 

 

 辛いことばかりではなかった。

 幸せなこともたくさんあった。

 村で出会った人はほとんどが苦痛だった。

 勇者になってから出会った人達は、ほとんどが優しくしてくれた。

 郡千景は、思い出を蘇らせる。

 

 ボブがギターを弾いている。

 杏がハーモニカを弾いている。

 球子がカスタネットで合いの手を入れている。

 昔はプロのミュージシャンを目指していたというボブと、ボブに懐いていたからか、ボブに音楽を習った二人の勇者の合唱だ。

 

 空を見上げれば夜空。

 前を見れば焚き火。

 右を見れば竜胆。

 左を見れば友奈。

 夜空の下で、千景は竜胆と友奈に挟まれて座り、焚き火に枝を投げ入れながらボブ達の合唱を聞いていて、とても幸せな気持ちだった。

 

「千景ー、ボブが見てるだけじゃなくて千景もやってみろってさ」

 

「え!?」

 

 のんびりしていたら、ボブと球子に巻き込まれて、移動させられて。

 あたふたしながら、トライアングルを教わった通りに鳴らしてみる千景。

 ボブの主旋律(メロディ)、杏の和音(ハーモニー)に、時々楽しげな球子のカスタネットと千景のトライアングルが混じる。

 合唱団のような綺麗な曲ではない、お祭りのような、皆で遊んでいるような、楽しげな音が奏でられていた。

 竜胆と友奈が拍手して、それを受ける千景が照れている。

 

 ボブは千景の肩を叩き、こう言った。

 

それが、君の音だ(It's "You")

 

 千景が見失いがちな自分自身を、ボブは音という形で伝えた。

 言葉を噛み締めながら千景が元の席に戻ろうとすると、竜胆と友奈が隣同士に座っていた。千景の座っていた隙間が無くなっている。

 

「知ってる?

 ボブって、私達が聞き取りやすい英語を選んで喋ってるんだよ。

 本当は凄く汚いスラングも使ってた人なんだって。

 子供に悪い英語は聞かせたくないと思ってるんだって、ケンが言ってた」

 

「へー、知らなかった。サンキュー友奈。ここで知っといてよかった」

 

「でね、ボブは日本語勉強中だけど、前にこう言ってたらしいんだ。

 『日本とアメリカの言葉の壁はあるが、気にしない』

 『音楽があれば、どんな国の人間とも友になれる』

 『世界は滅ぼせても音楽は滅ぼせない』

 ボブは私達と出会った初日に演奏してね! 皆ととっても早く仲良くなったんだよ?」

 

「はぁー、クリスマスの音楽、あれそういう意味だったのか。

 あれって親愛の意味もあったんだな。そりゃまた、ハイセンスな」

 

 千景は竜胆の隣に行くか、友奈の隣に行くか迷って、友奈の隣に座った。

 

「ぐんちゃん、いい演奏だったね!」

 

「ありがとう、高嶋さん」

 

 この場所は、暖かった。

 焚き火があるからとか、そういう話ではなく。

 千景にとって、とても居心地のいい、暖かい居場所だった。

 友奈と千景が話していると、竜胆が何故か目を瞑って黙っているのが目に入った。

 

「竜胆君、何してるの?」

 

「ん? パワードとグレートとテレパシーで話してる。ちーちゃんも混ざる?」

 

「え? う、うん」

 

 友奈の隣に座っていた千景の隣に竜胆が移動して、また友奈と竜胆に挟まれて、千景は安らいだ気持ちになった。

 竜胆と手を繋いでみると、竜胆を中継アンテナにして、グレートとパワードのテレパシーが柔らかに千景に伝わってくる。

 

『チカゲ』

 

(……ウルトラマン?)

 

『君を見守っていた者の一人。パワードと、そう呼ばれている』

 

(パワード……)

 

『私達ウルトラマンがこの星に来た意味があるとすれば、それは……

 君のような子を守り、世界に安寧を取り戻し、君の心の光を再び瞬かせることだ』

 

(私の……光?)

 

『誰の中にも光はあるのだ、チカゲ。

 自分を信じろ。私には分かる。君の中には、君も知らない光があるのだ』

 

 真摯に千景の可能性を信じるパワードの言葉に、千景は少し戸惑いつつも、嬉しかった。

 

『君達は、私をグレートと呼ぶ』

 

(グレート……)

 

『友情を、どうか大切に』

 

(友情を?)

 

『私達ウルトラマンは、君達と変わらない。

 君達もいつか、私達と同じようになれるだろう。

 私達の間にあるのは、力の差だけだ。

 心の形も、また近い。

 だからこそ。私達ウルトラマンと、君達人間の友情のみが、奇跡を起こす』

 

(奇跡……?)

 

『人と人の友情。

 人とウルトラマンの友情。

 それこそが奇跡を起こす。

 ウルトラマンでも、一人で奇跡は起こせないのだ。

 君も友を大切にすると良い。それが、君を幸せにする奇跡にも繋がってくれる』

 

(……分かったわ)

 

『私も今は、君と共に戦う友の一人だ』

 

 暖かな思い出が、千景の胸を熱くする。

 思い出を噛み締めながら、千景は自分の中の闇に負けて、こんな思い出すら忘れかけていた自分を恥ずかしく思った。

 

(ありがとう)

 

 心の中で、自分を友と呼んでくれたグレートに、礼を言う。

 

「いいなあ、俺も音楽習ってみようかなあ、ボブに」

 

「リュウくん音楽に興味があったんだ、意外」

 

「え、だって音楽やればかっこいいしモテるよとか本に書いてあったし……」

 

「リュウくんって時々流れるように爆発的に頭悪い発言をするよね」

 

 暖かな思い出があった。

 

 愛されてないだなんて思えるはずもない思い出が、たくさんあった。

 

 

 

 

 

 そうだ。

 千景が石を投げる人にすら、立ち向かうことを躊躇ったのは。

 今の幸せが失われるのが怖かったから。

 今が幸せだったからだ。

 その後に、彼が加わった日常は、もっと幸せになった。

 

 千景が、友達が別の友達と仲良くなるのが怖かったのは。

 その友達が、大好きだったから。

 大好きな友達が離れていくのが、怖かったから。

 心の底から幸せを願える友達が、仲間が、ここで出来たからだ。

 

 どんなに恐ろしい敵とも、千景が戦ってこれたのは。

 いつも周りに、仲間が居たから。

 仲間が助けてくれたから。支えてくれたから。

 そんな仲間を、好きになれたからだ。

 好きになれた仲間を、友達を、守りたいと思ったからだ。

 

 ずっとこの時間が続けば良い。ずっとこの幸せを守りたい。そう思えたから、戦えた。

 

 

 

 

 

 竜胆は、千景の()()()()()()()

 

 それは、グレートにも、パワードにも、ガイアにも、アグルにも、ネクサスにも無い力。

 ティガダークだけの力で、竜胆だけの力。

 彼だけが可能な救済だった。

 

 千景の内に巣食っていた精霊の穢れ、バーテックスの影響で発生したもの、千景の内側を侵食していた闇の全てを、竜胆が光へ変換する。

 闇が消え、光が戻り、千景の心は、どん底から一気にフラットにまで戻った。

 精霊の穢れも、もうどこにもない。

 ならば自力で精霊の悪影響すら跳ね除ける成長を終えた今の千景が、闇に堕ちるはずもない。

 

 千景の心は、光を掴んだ。

 

 

 

 

 

 竜胆は神樹の力に訴えかける。

 一度間違えたら神罰で消しちゃうのが神様だってのは分かってます、と。

 でも間違いを許してやることもあるのが神様じゃないですか、と。

 人間に寛容さを見せてあげてくださいよ神様、と。

 

 神樹の神々は思う。

 

 傷が付いて価値が増すのは、人間だけだな、と。

 醜いから美しいのだと言うのも人間だけだな、と。

 

 宝石は傷が付けば価値が下がる。

 だが人間は、傷付き立ち上がり、そのたびに成長し、価値を増す。

 傷付くことで強く立派な人間になっていく、その過程が、神にはとても不思議に見える。

 傷が増えて価値が増すのは、人間だけだ。

 

 人間が、人間の心の醜さや弱さを"人間らしさ"と言い換えて、欠点でしかない部分をまるで良いもののように語ろうとするその心を、神様は人間ほど純粋に肯定できない。

 神樹の神々の多くも、それを欺瞞の類だと思ってしまう。

 美しい人間は美しい。

 醜い人間は醜い。

 弱い人間は弱い。

 そういうものではないか、と神々は考える。

 神によっては、人のそういう部分を"愚かしさ"と呼ぶのだろう。

 

 千景が弱さ醜さと呼んだ自らの心の一部分を、竜胆は愛し、その竜胆の訴えを、神樹の神々は聞き届けた。

 

 天の神も、地の神も、人の心など、本当の意味では理解していない。

 この神々に、違いがあるとすれば。

 それは―――この愚かしい『人間らしさ』を愛したか、嫌ったか、きっとそれだけ。

 

 

 

 

 

 暖かな時間があった。

 暖かな思い出があった。

 暖かな気持ちを届けてくれた、友達が居た。

 

 千景は、自分自身の心を抱きしめる。

 竜胆は千景を連れて行くため、千景に手を差し伸べる。

 

「ちーちゃん、多分さ、様子からしてすっかり忘れてたんだろうけど」

 

「?」

 

 少女が手を取る。千景の心が、竜胆の心に触れる。

 

 

 

「誕生日、おめでとう」

 

「―――」

 

「生まれてきてくれてありがとう。君が生まれたこの日を、俺にも祝福させて欲しい」

 

 

 

 千景の誕生日は、西暦2004年2月3日。今日がその、2月3日だ。

 生まれてこなければよかったのにと、何度村の人間に言われただろうか。

 生まれてきたことを、何度親に疎まれただろうか。

 自分は生まれてくるべきじゃなかったのかもしれないと、何度思っただろうか。

 

 この"生まれてきてくれてありがとう"は、彼女にどれだけ響くものだっただろうか。

 

「わ……私が……」

 

 この言葉が想い出の中にある限り、きっともう、千景の心が折れることはない。

 

 声が震えて、ちゃんとお礼が言えないのが嫌で、深呼吸して、千景は口を開く。

 

「私が生まれてきたことを、祝福してくれて、ありがとう……」

 

 竜胆がとても嬉しそうに、とても喜ばしそうに、笑顔を浮かべた。

 

 子供の頃、千景は暖かな世界を遠くに感じていた。

 彼女にとって"幸せな家庭"は、テレビの中にしか見れないものだった。

 自分を大切にしてくれる友達や仲間は、ゲームの中にしかいないものだった。

 暖かな居場所は、どこか遠くにしかないと、思っていた。

 遠くにあるから、自分は今そこから遠い場所にいるのだと、そう思っていた。

 

 それが自分の近くにあることに、とても、とても長い時間をかけて、彼女は気付けた。

 

 生まれた時に祝福され。

 後に呪われ、疎まれ。

 勇者になって、再び皆に祝福され。

 罪悪感に呪われて、自らをまた地獄に落とし。

 

 ―――今、彼女は。祝福と幸せの中に、生まれ直していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴァルゴが苦しむ。

 分身していたヴァルゴが一体にまとまり、ヴァルゴに触れていたティガダークの手を、力任せに暴れて振り払う。

 だが、もう遅い。

 ヴァルゴが取り込んだ神の力も精霊の力も、全て残らず千景に吸い上げられた。

 端末を手にした千景が、バーテックスの内側で変身を遂げる。

 握った鎌が、いつもより心強かった。

 

『自分を信じろ。君自身に好かれる部分があるって信じてみろ。

 郡千景を舐めるな。馬鹿にするな。見下すな。無価値だなんて思うな』

 

 ティガダークのテレパシーを、心で受け止める。

 

『それが、本当の君だ!』

 

「……ええ!」

 

 赤き衣装を身に纏った千景が、ヴァルゴと一体化している今の状態を逆利用し、自殺した。

 千景とヴァルゴが、一体化したまま同時に自殺する。

 七人御先の力を取り戻した千景は一度自殺したところで死にはしない。

 だがヴァルゴは違う。

 自殺の致命傷ダメージは、しっかりと体に残るのだ。

 

 自殺し、再生し、自殺する千景。

 自殺し、致命傷を受け、自殺するヴァルゴ。

 自らの手で自分自身に、幾度となく致命傷を与えてしまったヴァルゴ・アプラサールは、再生の余地さえなく、消滅していった。

 全てを透過する無敵の敵なら、いっそ自殺してもらえばいい。

 

 七人の千景が消滅したヴァルゴから落ちて、空中でティガダークに受け止められた。

 

「ありがとう」

 

『気にすんな、友達だろ?』

 

「……うんっ」

 

 ヴァルゴを撃破したティガと千景を見上げ、誰よりも先に若葉と友奈が声を上げた。

 

「戻ってきたなっ!」

 

「やったぁ!」

 

 空のティガと千景に向けて、飛び上がる新手のバーテックス。

 千景とティガに襲いかかるはピスケスとサイコメザードの中間体。

 視線を通して強烈に相手の精神を支配する、固有の能力が発せられた。

 地中潜行に使われる物質浸透の能力により、この能力は巨人にすら浸透する、強力な幻覚能力となる。

 

 ティガが受けてはいけないそれを、ティガを庇うようにして七人の千景が受け止めた。

 竜胆が驚き、千景が精神干渉に歯を食いしばる。

 千景を見上げ、地上の友奈が大声で叫んだ。

 

「ぐんちゃん! 勇者は根性! 勇者は根性っ!」

 

「勇者は……勇者は……根性っ!」

 

 そうして、"郡千景なら容易に操れる"という昨日までの常識で洗脳攻撃を放ったピスケスは、今日からの"千景にそんなものは通じない"という常識に、粉砕された。

 

「竜胆君! 合わせて、決めて!」

 

 幻覚が効いていないわけではない。精神にダメージがないわけではない。

 過去は消えず、トラウマは残っていて、負の感情も胸の内にある。

 だが、それ以上に輝けるものが、千景の胸の内にはあった。

 

『応っ!』

 

 七人の千景が、七方向からピスケスを鎌で刺す。

 刺されたピスケスは動きを止められ、その頭上からティガダークが落ち―――巨大な八つ裂き光輪が、渾身の一撃にてピスケスを両断していった。

 

 精霊の負荷があるため、千景は一旦精霊解除。

 大きな鋏・反射板・堅固な甲殻を持つカニ、キャンサー・ザニカが空から襲来した。

 その後ろには火力を伸ばしたアクエリアスとアクエリウスの中間体。

 反射板で八つ裂き光輪を反射しつつ、中距離から飛び道具でティガダークを封殺しようという考えだろうか。

 

 以前までのティガダークには通じただろう。

 だが、修行を終えたティガダークには通じまい。

 

『友奈!』

 

「よーし、いっくよー!」

 

 ティガダークが友奈を手に乗せ、思いっきり友奈を投げつけた。

 友奈は正確な投擲でキャンサーの反射板の合間をすり抜け、キャンサーの額に強烈な蹴りを叩き込む。

 

「勇者ぁ、ぶっとびキーック!」

 

 小さなクレーターに近い凹みを、キャンサーの額に刻み込む友奈。

 キャンサーはたまらず友奈を上方に弾き、威力を逃した。

 友奈の攻撃に間髪入れず、ティガは八つ裂き光輪を投擲。

 キャンサーは反射板を正面に集めて八つ裂き光輪を反射しようとし、八つ裂き光輪が反射板に当たる直前に空に向かって軌道を変え、明後日の方向に飛んでいったのを見て違和感を覚える。

 そして、上に飛んでいった八つ裂き光輪の行く末を、見ようとして。

 

 精霊一目連の力を身に纏い、凄まじい速度で落下してくる友奈を見て、今の八つ裂き光輪が囮であったことを理解した。

 

「勇者ッ! 流星勇者パーンチッ!」

 

 キャンサーの額のクレーターに、猛烈な勢いで数百の拳が叩き込まれる。

 その攻勢はさながら暴風。嵐のような一気呵成。

 大抵の致命傷を治してしまう十二星座が死に絶えるまで、その全身をひたすら殴り、粉砕することで撃破した。

 

 亜型十二星座、三体撃破。残るは双子、水瓶、牡牛座のみ。

 

『っと』

 

 アクエリアスが、バーテックスとしての水操作能力と、超獣としての多彩な攻撃手段を混ぜ込んでティガを狙ってくる。

 ティガは空に飛び上がり、超獣の攻撃が樹海に当たらないようにした。

 舞う巨人。

 狙う怪獣。

 戦場で誰と誰が戦っているのかも正確には分からないくらい、めまぐるしく対戦カードが変わっていく中で、ティガは最後の高火力型であるアクエリアスに狙いを定めていた。

 

 黒き巨人が空をマッハ10を超える速度で飛翔して、アクエリアスが水の弾丸、雷の砲、光線、毒の霧にロケットと多彩な攻撃で迎撃する。

 それら全ての迎撃をくぐり抜け、アクエリアスに致命打を叩き込もうとするティガ。

 特訓によって基礎から鍛え直されたティガは、もはや動きのレベルが違う。

 細かな攻防一つ一つで、相手に対して優位に立てる。

 されどそんなティガの前に、小さな何かが割って入った。

 

 ティガの動きが止まる。

 暴走時に千景を攻撃してしまいそうになった時と同じ、エラーを起こした機械のような奇妙な停止をした巨人。

 暴走時でもないのに、何故そんな止まり方をしてしまったのか。

 見れば分かる。

 だって、ティガダークの前には、竜胆が殺した妹の姿があったのだから。

 

「また、あたしを殺すのか?」

 

『―――花、梨』

 

 タウラス・ドギューの中間体は、変身能力を持つ。人間にだって化けられる。

 その応用で、竜胆の妹に化けたのだ。

 殺せない。

 殺せるわけがない、

 今でも夢に見る妹のことを、攻撃なんてできるわけがない。

 

 たった一人の家族を殺したトラウマが、ティガの体を硬直させる。

 そして妹の姿で動きを止めた竜胆を狙って、アクエリアスがロケットを構えた。

 一発でティガを殺せる威力を込めて。

 アクエリアスがロケットを発射―――する、前に、アクエリアスのこめかみにあたる場所を、杏の吹雪の砲撃が撃ち抜いた。

 

 かつてないと言っていいほどに杏が力を込めた、爆裂するような砲撃であった。

 

「それは……それは、駄目でしょう! やっちゃいけないことでしょう!」

 

 アクエリアスが砲撃を受けた瞬間に、タウラスの背後に回った若葉の斬撃が、人に化けていたタウラスの体をぶった切る。

 若葉は怒っていた。

 怒った上で、冷静に刀を振るっていた。

 その怒りのほどは、咄嗟に体を捻っていなければ、人間体が上と下で生き別れになっていたであろう、タウラスの現在の状態を見れば窺える。

 

「迷うな、竜胆! お前の背中と心は、私達が守る!」

 

 若葉は逃げるタウラスに向けて刀を振り下ろし、怪獣体に戻ったタウラスも容赦なく刀でぶった切り、鐘の音響兵器を使おうとしたタウラスの鐘をぶった切って切り落とした。

 とにかく距離を取らなければ、と空に逃げた牡牛座のタウラス。

 だが、それが逃げたその先に、空中で空手の構えを取るグレートがいた。

 

俺も、な(Me too)

 

 空中で放たれるグレートの、天地逆さの正拳突き。

 拳より放たれたるは『ナックルボルト』。拳から雷を放つ技である。

 強力な正拳突きと雷の合わせ技は、タウラスの全身を粉砕しながら消し炭にしていった。

 

 頼れる仲間が、一緒に特訓と修行をした仲間が、心と背中を守ってくれる。

 なんて、頼もしいことだろうか。

 

『……心の底から、感謝させてくれ! ありがとう!』

 

 ゴモラとソドム、星屑は、仲間達が倒していってくれている。

 ティガは一番近くにいたアクエリウス・アクエリアスに狙いを定めた。

 アクエリアス部分が水を使ってティガの足を滑らそうとしてくる。

 アクエリウス部分が雷撃と光線を使ってティガを押し込んでくる。

 修行後のティガの動きにようやく目が慣れてきたのか、水瓶座の攻撃の精度と威力が増してきていた。

 

「先輩、持ってけー!」

 

 だが、知ったことかとばかりに、そこに旋刃盤を投げ込んでくる球子の姿があった。

 精霊輪入道の力で、彼女の武器は燃える巨大な旋刃盤となる。

 球子はここまで大きくなった旋刃盤を、投げて飛ばすか、飛ばして乗るか、そういう使い方でかなり大味に使っている。

 が。

 

 大社も、神様も、バーテックスも想像していない、面白い応用を最近球子は思いついていた。

 ガチョン、とティガの腕に巨大化した旋刃盤が装着される。

 そう、巨大化した旋刃盤は、球子には盾として使えないけれど。

 ウルトラマンならば、相応のサイズの武装として、使用することができるのだ!

 

『サンキュー、タマちゃん!』

 

 旋刃盤の炎が、アクエリアスの水を蒸発させてくれる。

 旋刃盤が盾として、アクエリウスの超獣らしい攻撃を防いでくれる。

 そして接近さえすれば、旋刃盤の刃が、強力な刃として機能してくれた。

 球子の制御で旋刃盤の刃は回転して切れ味を増し、球子の意思で旋刃盤の炎が水瓶座からティガを守り、猛攻が敵を追い詰める。

 

『こいつでトドメだ!』

 

 そして、燃えて回る旋刃盤の刃と、闇にて回る八つ裂き光輪が同時に敵へと叩き込まれ、水瓶座の体は四つに切断、その肉体は消滅していった。

 グレートはゴモラにトドメを刺しつつ、その戦いに感嘆の声を漏らしていた。

 球子が竜胆に与えた炎の光が、ティガが出した闇の上で映えて、とても綺麗な煌めく輝きを見せていた。

 

 闇があるからこそ光は美しく見える、と見た者が揃って同じ感想を抱いてしまいそうな、炎の光を映えさせる闇という構図。

 

なんて崇高な輝きだ……(Magnificent……)

 

 竜胆が亜型十二星座を仕留めていく間、他の皆も亜型十二星座と戦い、それ以外の敵を軒並み片付けてくれていた。

 乙女座を倒し、魚座を倒し、蟹座を倒し、牡牛座を倒し、水瓶座を倒し、残るは双子座と、一体のガゾートのみとなっていた。

 

 ティガが怪獣と対峙し構え、その右にグレートが、左にパワードがやって来る。

 三人の巨人が並び立ち、ケンが明るい声を響かせた。

 

『セーノデ、ヤリマショウヤ!』

 

 三人が、同じ構えを取る。

 構えた技、放とうとした技は、揃って同質。

 竜胆はちょっと照れながら、ボブは威風堂々と、ケンはノリノリに、技名を叫ぶ。

 

『八つ裂き光輪ッ!』

 

『DISC BEAM!』

 

『POWERED SLASH!』

 

 "殺傷力の高い円盤を投げつける"という技を、三人は同時に放っていた。

 

 ティガの八つ裂き光輪は、ガゾートの首を切り落とし。

 グレートのディスクビームは、消滅作用で兄ブラックギラスを消滅させ。

 パワードのパワードスラッシュは、見ていてちょっと引きそうなくらいの切れ味で、弟レッドギラスを真っ二つにしていった。

 

 かくして、結界内の敵は全滅する。

 

 一見、息を合わせた三人同時の華麗な連携攻撃に見える。

 だがその実、狙いやすいガゾートを竜胆に譲り、3m程度のサイズですばしっこく動き回るという非常に狙い辛い双子怪獣を、ボブとケンが受け持った形だ。

 竜胆が狙っても、双子怪獣にはまず当てられなかっただろう。

 大人二人が、一番面倒臭いところを受け持ってくれたのだ。

 

(……もっと強くならないとな、俺も)

 

 パワード。

 グレート。

 二人の強き光の巨人を、闇の巨人は眩しそうに見る。

 この二人が共に居てくれれば、この二人を目標にしていければ、道を間違えないまま、どんな敵にも勝っていける。そう、思えた。

 前を行く二人の巨人と、共に歩いてくれる五人の勇者がいることが、胸が震えるほどに頼もしかった。

 

 

 

 

 

 戦場に散った皆を、ティガが飛んで回収して、皆で集合。

 ボブとケンも飛んで回収しようとしていたが、"新入りの俺が行きます!"と竜胆がパシリを買って出たことで、竜胆だけが飛んでいた。

 そんな少年を見て、ボブもケンも、グレートもパワードも、微笑ましそうに笑っていた。

 勝利に笑み、球子は拳を突き上げる。

 

「まだ二分も経ってないなんて、蓋を開けたら楽勝だったな!」

 

「球子。途中過程の苦難を無視してどうする」

 

「若葉は堅いんだよ。楽勝、楽勝、って言っとけばいいっしょ!」

 

『タマちゃん、油断は禁物』

 

「な、なんだよ先輩まで。タマより若葉の味方するのか? そうなのか?」

 

『いやそうじゃなくて……神樹が、まだ樹海化を解除していない』

 

「―――!」

 

『まだ何か、来るのかもしれない』

 

 とびきり勘の良い人間は嫌な空気を感じ、そうでない人間は何も感じない、そんな空気。

 

 特に竜胆の感覚は、様々な意味で鋭く、異様な何かを感じ取っていた。

 

『来る、これは、これは……?』

 

 結界の端が揺れる。

 そして、何かが入ってきた。

 入って来たその時点で結界の中の空気が変わり、この場の全ての者が異常なものの到来を実感したのは、"それ"がそれほどまでに異常であることの証明である。

 

『これは―――』

 

 "それ"は、運命。

 ウルトラマンにとっての運命。

 人間にとっての滅びの運命が『バーテックス』であるのなら、ウルトラマンにとっての滅びの運命とは、この『悍ましき黒』である。

 

 これが死。

 これが終わり。

 無敵の巨人を、希望の巨人を、"最後"に終焉に至らせる黒。

 人を滅ぼす者の究極系に非ず、光の巨人を滅ぼす者の究極系。

 

 

 

「ぜ―――ゼットン!?」

 

 

 

 竜胆は知らない。

 だが竜胆以外は皆知っている。

 その名を。

 その種族を。

 その恐ろしさを。

 竜胆は感覚でその恐ろしさを理解し、竜胆以外は知識でその恐ろしさを熟知していた。

 

『奴は、一体? 俺は初めて見るやつです』

 

『ゼットンハ、カクベツ、ツヨイヤツダ。

 ボクノ……ボクノムスメヲ、フミツブシタ、カイジュウダ』

 

『!?』

 

『アレハ、フツウノゼットントハ、カタチガチガウナ』

 

 竜胆以外は知識でゼットンの恐ろしさを知っている。

 だが、"このゼットン"の恐ろしさをこの場の何人が理解できているだろうか?

 普通のゼットンとは比べ物にならない"これ"の本当の恐ろしさは、この場の者達の約半数が理解できていなかった。

 

 竜胆はかつてないほどの恐怖を感じていた。

 ボブは武人として、絶望的な状況を実感していた。

 若葉の鍛え上げられた戦闘感覚は、敗北を予感していた。

 ケンの膨大な戦闘経験が、"もう何人生きて何人死ぬかという状況だ"と直感させた。

 

 友奈が叫ぶ。

 

「あれ……アナちゃんを……ウルトラマンネクサスを、殺しかけた奴だ!」

 

 終焉・ゼットン。

 アルファベットの終わりはZ、故にゼットン。

 始まりの光の巨人、初代ウルトラマンを殺した悪夢。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ウルトラマン殺しの系譜が一体、『人型のゼットン』が、そこに立っていた。

 

 

 




次回の後書きでようやく大事なネタバラシができそうです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

終焉 -ゼットン-

 友奈は覚えている。

 ガイア、アグル、ネクサスが一気に脱落した一連の戦いで。

 体もまだ完成していないような状態で襲来し、ネクサスの腹に大穴を空け、ネクサスからの反撃ではなく、自分の攻撃の反動で自壊したそのゼットンの姿を、覚えている。

 未完成な体で光の巨人を明確に上回っていたそのゼットンが、今は完全に完成した体で、四国結界の内部にその姿を現していた。

 

 黒い体。

 青く発光する瞳、赤く発光する胸の宝石。

 それはまるで、ゼットンでありながらもウルトラマンであるかのよう。

 ゼットン特有の虫らしき意匠こそあるが、黒と銀をベースにした人型のその体は、ゼットンというよりむしろティガダークに近いデザインであるように感じられた。

 

 人型のゼットンは槍を携え、静かに人間達の前に現れる。

 

「我が名は『ゼット』」

 

 感覚の優れた巨人や勇者が、ゼットと名乗ったこのゼットンを見た時に感じる気持ちと。

 ただの人間が、星屑を見た時に感じる気持ち。

 それは、同種のものだった。

 

「私は終焉の化身」

 

『ヒトガタノ、ゼットン』

 

「私は全てを終わらせるため、生み出された」

 

 ウルトラマン達の活動時間は、まだ半分以上残っている。

 巨人三人、勇者五人。怪獣一体を相手にするには十分過ぎる戦力だ。

 十分過ぎる戦力、のはずだ。

 

 だが、ボブやケンの判断は違う。

 勝利の確信は、二人の中には欠片もない。

 ガイア達が生死不明になった時の大侵攻と似た空気すら感じられている。

 その時は一連の戦いで五人のウルトラマンの内三人が戦場から消え、勇者五人の内二人が負傷することになった。その時と似た空気を、二人の大人は感じていた。

 

 そして、感覚的には最も優れているであろう竜胆は。

 "ウルトラマンと勇者の数を倍にしないと拮抗できない"戦力差を、肌で感じ取っていた。

 

(―――憎いとか、警戒とかじゃない、俺の胸の内にあるこれは、"恐怖"……?)

 

 グレートとパワードが目を合わせ、頷く。

 ボブとケンの意見は統一された。

 これを、子供達と戦わせてはいけない。

 

『クルナ。ボクラフタリデ、ヤル』

 

「え?」

 

 これまで、死の危険が山程あったバーテックス相手の戦いにだって、ボブとケンは少年少女が参戦することを許していた。

 命の危機がある戦いに、子供達が挑み、子供達が自分の手で未来を掴もうとするその行為を許していた。

 なのに、この戦いからは遠ざけようとしている。

 

 大人二人は、自分達以外がこの戦いに加われば、絶対に死ぬと確信していた。

 仲間がいれば連携ができるとか、仲間が助けてくれた方が勝率が上がるとか、もうそんなことをボブとケンは考えていない。

 連携する前にティガや勇者が惨殺される未来が、ボブとケンの想像の中に浮かんでいる。

 戦いの前から二人にそんな悲惨な想像をさせるほどに―――このゼットンは、強大だった。

 

 ボブとケンが前に出る。

 年単位の共闘を経た二人の連携は絶妙だ。

 グレートが前に出て、パワードが後衛で構える。

 前に出たグレートが攻める、と見せかけゼットの前で横に跳び、空いた射線を光線が飛んだ。

 

 グレートが前に出てパワードの光線の初動を隠し、パワードが光線を放ち、グレートがそれを寸前でかわして敵に当てるという初見殺し。

 完璧な連携が、初代ウルトラマンの必殺光線の五倍の威力、三十倍近い熱量のメガ・スペシウム光線をゼットの体に直撃させる。

 

 その光線を―――ゼットは()()()()()()()()()()

 

『……!』

 

 どう防いだのか、分からない。

 いや、防御行動を取ったのかすら分からない。

 ケン視点、ゼットは無造作に片手を上げ、光線を受け止めたようにしか見えなかった。

 分かることはただ一つ。

 このゼットは、パワードの凄まじい威力の最強光線を、片手で受け止められるということだ。

 

 パワードの光線が途絶え、白い煙が上がりながらも無傷なゼットの手が、拳を握った。

 

「一億度、といったところか」

 

 "手応えが足りない"と言わんばかりに。

 

 無傷な手で、煙を握り潰すように拳を握る。

 

「足りんな。全く足りん」

 

 その瞬間、ゼットは目を疑いたくなるような攻撃を仕掛けた。

 まず発動した瞬間移動。

 反応も迎撃も許さず後衛のパワードの頭を掴み、地面に叩きつける。

 後頭部を叩きつけられたことで、ケンとパワードの頭の中身が揺れた。

 

 ゼットの人差し指が、転がされたパワードの胸に向けられる。

 

『―――!』

 

「一万倍にしてから、出直してくるがいい」

 

 パワードが倒れたままバリアを張ったのと、ゼットの指先から『一兆度』の火球が放たれたのは同時。同時であった。

 

 『一兆度』。

 それは、ゼットンの代名詞たる火球の温度だ。

 ウルトラマン達の戦いのレベルともなれば、単純な熱量だけで破壊力は測れない。

 熱量を完全に制御したゼットンの一兆度火球と、一つの技として磨かれた数十万度の光線の威力が互角、なんてことだってあるだろう。

 

 パワードは一億度の光線を生み出すパワーで、バリアを作った。

 防げないものなど何があるのか、と思わされるレベルの強固なバリア。

 そのバリアを、指先サイズの火球がいとも容易く貫通し、パワードの胸に着弾した。

 

『アッ―――ガッ―――!!』

 

 ゼットは"これが一兆度だ"程度の気持ちで、指先ほどの火球を落としただけだ。

 気軽な気持ちで放たれた最悪の一撃。

 それが防がれなかったことで、ゼットはウルトラマンに対し小さな失望を覚える。

 

 だがここから更に追撃することは、グレートが許さない。

 踏み込み距離を詰めながら、掌底光線『パームシューター』を放った。

 海に叩き込めば、沿岸部の街をごっそり飲み込む大津波を起こせるだけの威力はある光線。

 これを連打しつつ距離を詰めてゼットを攻撃、パワードを救出する……そう考えていたグレートに対し、ゼットは掌底から放たれた光線を、槍で打ち返した。

 

『ッ!』

 

 先に撃っていた光線は二発。

 光線発射直後の僅かな隙もあり、グレートは跳ね返ってきた二つの片方しか叩き落とせない。

 グレートが叩き落とせなかった方の光線を、横合いからティガが投げた八つ裂き光輪が何とか相殺。グレートを守った。

 

『これは、二人だけじゃ無理です』

 

……そうだな(…… That's true)

 

 力の差は歴然。

 戦いは既に、"勝つか負けるか"の戦いであるかも怪しく、"勝利の過程で死人が出るか出ないか"の戦いですらなく、もはや"全滅するかしないか"というレベルの戦いになりかけている。

 今の一瞬の攻防で、ゼットの強さの片鱗を感じられなかった者などいない。

 

 ゼットが槍で肩を叩き、三人の巨人、五人の勇者が揃い立った。

 

「ウルトラマンパワード。ウルトラマングレート。そして、ウルトラマンではない巨人」

 

 ゼットは余裕で構え、巨人と勇者は陣形を整えていく。

 

「闇の巨人……ウルトラマンよりも、エンペラに近い者か。構わんぞ、好きに攻めるが良い」

 

『……そうかよ』

 

 かくして、皆がゼットを囲んだ。

 ゼットの逃げ場をなくす……のではなく、

 ゼットの瞬間移動によって誰かが背後を取られた場合、他の仲間がそれをすぐに警告してくれるという目的での、包囲陣形。

 そして、全員の一斉攻撃により、ゼットの処理対応限界を超えて攻撃を当てるための、包囲陣形であった。

 若葉が叫び、号令をかける。

 

「行くぞ!」

 

 八人が同時に攻撃を仕掛けた。

 

 グレートは拳にエネルギーをありったけ溜めた。

 パワードは一億トンの破壊力を持つ拳を解禁した。

 ティガダークは拳の周りに八つ裂き光輪を展開し、その威力を高められるだけ高める。

 

 勇者も全員、精霊を発動。

 義経で十分助走を付けた若葉は右のアキレス腱を狙う。

 一目連で数百の拳を一気に叩きつけるつもりで、友奈は左のアキレス腱を狙う。

 球子は輪入道で巨大化させた旋刃盤を、カーブさせつつ顔面狙い。

 杏は急所を狙う他の者と違い、武器の脅威に目をつけ、槍を持つ右手指を雪女郎で狙った。

 千景は仲間の勇者に分身を一体ずつ付け、視点の広さで皆のカバーを担当した。

 

 全員の攻撃が、高度な連携でほぼ同時にゼットに命中する。

 

 命中する、はずだった。

 

(背後を取った! これなら―――)

 

 全員の攻撃がゼットに当たると思われた、その瞬間。

 

 ゼットの攻撃が、逆に全員に命中した。

 

『ん、なッ―――!?』

 

 グレートがエネルギーを溜めていた腕を盾にしたが、槍を叩きつけられ吹っ飛ばされる。

 パワードの腹が蹴り上げられ、巨人が宙を舞った。

 拳をハンマーのように叩きつけられたティガが、地面にも叩きつけられる。

 勇者も全員、一人一人に拳と足が叩きつけられる。

 光の巨人であれば、当たりどころ次第で即死する威力。

 人間の勇者なら、どこに当たっても即死する威力が、全員に叩き込まれていた。

 

 一瞬の間に、ゼットは全ての敵の前に現れ、敵の全てに攻撃したのだ。

 どんな手段でその攻撃を成立させたのか、攻撃を受けた竜胆にさえ分からない、そういうレベルにある攻撃手段にて。

 

「あ……ぐっ……づっ……!」

 

 だが、死人は無い。

 何故か? 千景だ。千景が全員を守りきったのだ。

 

 今の一瞬に自分がやったことをもう一度やれと言われても、千景はできる自信がない。

 千景は仲間に一体ずつ分身をつけていた。

 そしてゼットの攻撃の瞬間、分身で仲間の勇者を庇ったのだ。

 当然、ゼットの戯れのような拳や蹴りでも、千景の肉体と神の鎌は砕け散る。

 だが砕け散った分の破壊エネルギーはそこで使われ、千景の分身はその場で再生し、連続で何度でも復活する壁となって皆を守ったのだ。

 

 各分身が消し飛んだ数は、合計で五十超えか百超えか、もっと多かったかも千景には分からなかった。そのくらい、分身は再生するたびに消し飛ばされていったのだ。

 分身の肉体強度、鎌の金属強度はオリジナルと同格。

 ゆえに何十体と千景が体を盾にした結果、それなりには威力が削げた。

 だが、それなりでしかない。

 

「くっ……あうっ……!」

 

 若葉は歯を食いしばって気絶を避けていたが、右肩が脱臼し、両脛にヒビが入っていた。

 友奈は攻撃の衝撃で気絶、パッと見では分からないが内臓に深刻なダメージが行っている。

 球子は攻撃によって発生した規格外の衝撃波に腹を裂かれ、声も出せずに地を張っている。

 杏は脳震盪を起こしており、友奈と違って気絶こそしていないが、このまま自力で正常な状態を取り戻せなければ、脳の精密検査が絶対に必要になる状態だった。

 

 千景が窮地にとてつもない機転を利かせられなければ、皆死んでいた。

 勇者システムがウルトラマンを参考にしたアップデートをしていなければ、皆死んでいた。

 直前にパワードが一兆度を防げなかったことで、ゼットが巨人と勇者の強さに少し失望し、全力ではない攻撃を仕掛けたこの状況がなければ、皆死んでいた。

 奇跡のような全員生存。

 だが、それだけだった。

 無事だったのは、巨人と勇者を含めて千景一人しかいないのだから。

 

「何よ、今の……!?」

 

 七人御先の特性ゆえ、ゼットが相手でも無傷でくぐり抜けられた千景が、驚愕の声を出す。

 今、ゼットは、"瞬間移動を繰り返して右から順に殴った"。

 したことといえば、それだけだ。

 

 敵の前に瞬間移動して、攻撃し、これで一瞬。

 この一瞬を八人分繰り返した、ただそれだけ。

 八度の一瞬。

 一瞬にて一人一撃、されどその一瞬は八個合わせても、一秒にすら満たない時間。

 

 千景の耳には、自分以外の七人と、自分の分身を叩き潰したゼットの攻撃音が、全て重なった一つの音にしか聞こえなかった。

 そのレベルの、超高速連続瞬間移動であった。

 ゼットはたった一撃で大ダメージを受け立ち上がるのにも苦労しているウルトラマン達を前にして、余裕たっぷりといった様子で、槍で肩を叩いていた。

 

「ゼットンは、瞬間移動ができるからゼットンなのではない」

 

 ウルトラマン達が立ち上がるのをわざわざ待ってやりながら、ゼットは語る。

 

 ティガ、パワード、グレートのカラータイマーが、点滅を始めた。

 

「『瞬間移動を武器として使いこなせる』からゼットンなのだ。

 瞬間移動の前後に付け入る隙があるのなら、それは強きゼットンではない。

 正しく兵器として完成したゼットンは、瞬間移動の連続の中でも戦える。

 瞬間移動の合間にある一瞬の間に、攻防を成立させてこそ、巨人殺し足り得る」

 

 瞬間移動をした直後、敵が反応し、反撃が間に合ってしまうようなら、そのゼットンはウルトラマンに容易に狩られる弱個体だろう。

 瞬間移動に前兆がない。

 瞬間移動をした直後に、敵に反撃すら許さず攻撃を行う。

 だからこそ、ゼットンは最強足り得るのだ。

 

 どう攻撃するかも事前に決められるゼットンは、瞬間移動の直後に攻撃できる。

 攻撃される側は、瞬間移動されたことを認識し、ゼットンの現在位置を認識し、どこからどう反撃するかを思考しないといけないために、反撃はほぼ確実に間に合わない。

 これがゼットンの強み。

 これがゼットンの脅威。

 怪獣退治の専門家さえ圧倒する、最悪の能力だ。

 

 ティガは頭を抑えながら、根性で誰よりも先に立ち上がる。

 

(頭痛い……クソ、暴走するなよ、暴走するなよ俺……!)

 

 頭にヒビが入った、ような気がした。

 幸運だったと、竜胆は考える。

 ティガに叩き込まれた威力を考えれば、十回中四回は首が折れるか、頭が潰れているかのどちらだったと、そう思えたからだ。

 ティガが地面に叩きつけられるくらい、"頭の破壊"ではなく、"頭を下方向に叩き飛ばす"ことにエネルギーが使われたことが、本当に幸いだった。

 人間で言えば、頭蓋骨にヒビが入ったくらいの傷で済んだのだから。

 

『くああああっ!!』

 

 ティガが猛然と殴りかかる。

 心が暴走に近付いている。

 よって、スペックも上がる。

 倍近くまで上昇したスペックを、特訓で身につけた動きで行使する。

 

 だが、ティガの拳が当たろうとしたその瞬間、ゼットは瞬間移動でそれをかわして、ティガの背後から蹴りを入れていた。

 

『がッ』

 

 ゼットが入れたのはミドルキック。

 人間で言うところの"脇を蹴られてアバラが折れた"に等しいダメージが、ティガに入った。

 ゼットはそのままティガの首を切り落とそうとする。

 

やめろ!(Freeze!)

 

 その時、"子供の危機"に、限界を超えてグレートが立ち上がった。

 指を銃の形にし、ゼットに放つ。

 ゼットは瞬間移動で楽々それを回避して、グレートの背後に移動。

 

 蹴られたティガの体が、ゆっくりと倒れていく。

 

 その瞬間移動を、パワードは読んでいた。

 グレートの背後に現れたゼットに、パワードの蹴りが飛ぶ。

 だが、ケンとパワードが完全に先読み勝負に勝ったというのに、ゼットは攻撃を見てからの瞬間移動でも間に合わせてしまう。

 パワードの背後に瞬間移動したゼットがパワードの背を槍で切り、再度瞬間移動、グレートを真横から殴り飛ばす。

 

 ティガはまだ倒れていない。

 蹴られたティガが地面に倒れるほどの時間すら、まだ経過していない。

 

『グッ!』

 

『っ……!』

 

 ティガが倒れ、切られたパワード、殴られたグレートもまた、倒れた。

 

 ゼットは拳の一発一発に、ウルトラマンの光線級の破壊力があった。

 技を使う必要すらなく、拳で何回か殴っていれば巨人も殺せる。

 そこにあの瞬間移動だ。

 瞬間移動のせいで巨人は攻撃をかわせず、攻撃を当てられず、一方的な戦いになってしまう。

 

『諦めるか……負けてたまるかッ!』

 

 人間で言えば頭蓋骨にヒビ、アバラが折れている状態で、竜胆は根性と気力を振り絞って立ち上がる。

 彼が大人に勝るものがあるとすれば、無茶をしていける若さ、向こう見ずな若さ、兎にも角にもぶつかっていける若さしかない。

 八つ裂き光輪を構え、ティガはゼットに投げつけた。

 

『滅びてたまるか! ……お前達なんかに滅ぼされて、終わって、たまるかっ!!』

 

 ゼットは瞬間移動で回避する。

 

(ここだ!)

 

 竜胆もまた、賭けに出た。

 ここまでティガはいいとこなし。

 ゼットとて甘く見もするだろう。

 先程のように、単純にティガの背後に移動し、ティガを背後から攻撃するというシンプルな攻撃に出てくる可能性は高い、と竜胆は読んだ。

 

 そしてゼットが瞬間移動で消えた瞬間、手に八つ裂き光輪を発生させ、決め打ちで、反射的に背後を殴った。

 ゼットが消えた瞬間には背後を殴っていた、というレベルの決め打ち。

 決め打ちは当たり、背後に居たゼットの姿を拳の八つ裂き光輪が捉える。

 

 ……それが残像だと気付いたのは、八つ裂き光輪がゼットに当たらず、ゼットの体を光輪と腕が突き抜けた瞬間だった。

 

(!?)

 

 A地点からティガの背後に瞬間移動したゼットは、ティガの背後に体が完全に現れる前に、ティガの背後からα地点に瞬間移動していた。

 ティガの背後にゼットが移動したという事実と、α地点にゼットが移動したという事実は同時に存在し、光を頼りに敵を捉える生物では絶対的に捉えられない事象が発生する。

 まるで、世界が騙されたかのような残像。

 

 ティガの背後にゼットはいるのに、いなくて、残像しかなくて。

 α地点から、溜め息を吐くゼットが、溜め息程度の軽さで全く本気でない一兆度の火球を放ち、それがティガの背中に着弾した。

 

『ぐああああああっ!』

 

「竜胆く……あっ!」

 

 小さな体で走り、神速の攻防の中ティガに近寄ろうとしていた千景が、ティガの背中で炸裂した火球の爆発に吹っ飛ばされる。

 今の一撃で、ティガの背中は見るも無残な状態になった。

 背中の皮膚が消滅した。

 背中の肉が黒焦げた。

 肉の奥の骨まで焼けて、背中側から通った熱が内臓にまで火を通す。

 明確に、致命傷だ。

 

『ちーちゃ……ぐ……ぐううううっ、ウウウウッ……!』

 

 強すぎてやっていることの意味が半ば分からない。それが、ゼットであった。

 

 ティガのカラータイマーの点滅が速まる。

 思考が闇堕ちへのカウントダウンを始める。

 ティガの体内で、ギチギチギチと、奇妙な音がした。

 

「これではハイパーゼットン程度の個体にさえ負けるぞ。そろそろ本気を出せ、ウルトラマン」

 

 よくもその子を、とボブが怒りで立ち上がる。

 早く彼を病院に、とケンが焦りで立ち上がる。

 子供を痛めつけた邪悪を前にして、限界ギリギリのグレートとパワードに力が宿った。

 槍持つゼットを、パワードとグレートが左右から挟み撃ちにする。

 瞬間移動もすることなく、ゼットは槍と拳にて受けて立った。

 

「遅い、遅いぞ、ウルトラマン」

 

『ッ、コノレベルノ、ツカイテトハ……!』

 

 空手の達人たるグレートの連撃を、右手の槍で軽々捌き切る。

 一億トンのパンチ力を持つパワードの剛撃を、左手で安々と流し切る。

 ウルトラマンが攻めれば攻めるだけ、ゼットが防げば防ぐだけ、そこにある力の差が明確に浮き彫りになっていく。

 武術の腕一つ見ても、ゼットは確実にこの二人の上位互換であり。

 その武術は"対ウルトラマン"に特化しており、ウルトラマンの使う武術全てに対して極めて相性有利、と言っていいものだった。

 

 左右からの同時攻撃からズラして、前をグレート、背後をパワードが取り、前後からの同時攻撃。

 パワードが背後から撃った光線は、そちらも見ずに槍で防ぐ。

 正面からグレートが撃ってきた光線は、容易く掴んで握り潰した。

 前後からの同時攻撃すら防ぐ、達人級の妙技が辛い。

 

「だが、悪くない!

 追い詰めてからが強いな、ウルトラマン。

 急所に私の拳が当たれば即死しかねないその脆さで、よくここまで粘れるものだ!」

 

 勇者とは、自分より強い者に立ち向かう勇気を持つ者。

 ウルトラマンとは、自分よりも強い者に勝って平和を守ってきた者。

 自分より圧倒的に強い敵に立ち向かうことも、彼ら彼女らには日常茶飯事だ。

 

『ボブ!』

 

 二人は諦めない。ケンが掛け声を担い、声を合図にグレートとパワードが前方向からゼットに同時に攻撃を仕掛ける。

 

 グレートの腹狙いの正拳突き。

 パワードの、顔面狙いの鋭いチョップ。

 ゼットはグレートの正拳突きを腹筋だけで軽々受け止め、パワードのチョップに頭突きを返してパワードの手の骨を粉砕した。

 ケンが痛みの声をこらえる。

 

クソッ……!(Shit……!)

 

 続けて放たれるパワードのハイキック、グレートのローキック。

 地味に防ぎづらい同時攻撃を、ゼットは丁寧な技巧で綺麗に受けて流す。

 ウルトラの星の格闘最強候補・レオのレオキックに匹敵する、そんな威力のキックによるキックコンビネーションがさらりと流されているこの光景は、あまりにも異常だ。

 

「それで?」

 

 トン、とゼットが二人の巨人を押す。

 まるで、パワードのように。

 パワードを馬鹿にするように。

 グレートとパワードの体を押して―――二つの巨人の体は、結界外にまで吹っ飛んでいった。

 

『!?』

 

 結界外で済んだのは、グレートとパワードに飛行能力があり、二者が空中で踏ん張ったからだ。

 そうでなければ、余裕で大気圏外にまで吹っ飛んでいた。

 二者は踏ん張り、結界外で止まり、超速飛翔にて急いで結界の中へと戻る。

 

 ティガと勇者達にトドメを刺そうとしていたゼットに、グレートとパワードはディスクビームとパワードスラッシュ、二人なりの八つ裂き光輪を同時発射した。

 ゼットは振り返り、余裕綽々で"指"にて二枚の光輪を掴んで止める。

 止めてしまった。

 

『……フザケルナ、ナニカラナニマデ……!』

 

 並の怪獣なら、手で白刃取りしようとした時点で、手が吹っ飛ぶ。

 そういう威力がある。

 だというのに、なんという指の力なのか。

 

 本当に悪夢のようだ。

 ゼットの強さを示す光景は、一つだけでも絶望なのに。

 ゼットは戦えば戦うほどに、絶望に足るシーンを山のように積み上げてくる。

 これを、なんと言えば良いのか。

 

 そう、終わりだ。

 皆が必死に足掻いても、問答無用でやって来る終わり。

 モニターの中の人工生命が生きようといくら足掻いても、電源ボタンを一回押せば、その全てが消えてしまうのと同じ事。

 

 終わりは理不尽なのだ。

 終わり(ゼットン)は理不尽であってこそ、なのだ。

 製作者が決めた終わりは、テレビの中の登場人物がどんなに必死に足掻こうと、全ての世界と物語を終焉に向かわせる。

 

 まだグレートもパワードも遠い。

 ティガにトドメを刺そうとするゼットの視界に、飛びかかる千景の姿が見えた。

 

「その人は……私が守る!」

 

 ゼットの近接攻撃は強いが、千景は自分なら相性は悪くないはずだと考える。

 今のところ、ゼットは広範囲を巻き込む攻撃を使っていない。

 一体の体を隠し、六体の体で継続攻撃。

 そうしてゼットの注意を引いた。

 

 更には、ゼットの体に収束された吹雪が当たる。

 

「うっ……くっ……私が、やらないと……!」

 

 額から血を流しつつ、フラフラになりながらも立ち上がった杏が、収束した吹雪を放っていた。

 脳震盪を起こしているのに、仲間を助けるために頑張っている。

 恐るべき敵に立ち向かっている。

 まさしく勇者だ。

 だがその吹雪も、まるで歯が立たない。

 

「……?」

 

 ゼットは杏の吹雪を、そもそも攻撃だと認識していなかった。

 "これは攻撃なのかもしれない"と一瞬思考しながらも、"こんな弱いものが攻撃なのか?"という疑問から、これが攻撃であると思えていないのだ。

 あまりにも攻撃側と防御側に差がありすぎるために、攻撃を攻撃と認識してもらうことすらも、できていない。

 

 若葉は気絶しないでいるのが精一杯で、友奈は気絶から復帰できないまま。

 グレートとパワードはまだ少し遠い。

 そんな中、ティガは立った。

 体の中で変な音がしていて、背中は一兆度により見るも無残に抉れ火傷が痛んでいて、それでもティガは立った。

 

『力貸してくれ、タマちゃん……』

 

 心が弱っている。

 自分一人で戦おうとする気持ちと、仲間に助けてほしいという気持ちが、ぶつかっている。

 竜胆の朦朧とする意識から、声が漏れていた。

 まだだ。

 まだ、誰も諦めていない。

 巨人も、勇者も。

 竜胆も、球子も。

 

『頼む……このままじゃ……皆殺しだ……!』

 

 限界を超えて立ち上がった竜胆の声に応えるように、球子もまた、腹から大量の血を流しながら立ち上がる。

 

「じゃあ、勝てよ、先輩っ……! 行ってやれ『輪入道』!」

 

 精霊が肉体に負荷をかけることも構わずに、青い顔で息も絶え絶えに、球子は燃える炎の旋刃盤を、ティガダークに装着した。

 仲間の武器を携えたティガが、ゼットに立ち向かう。

 諦めない。

 こんなところで諦めてたまるものかと、皆が歯を食いしばる。

 

 まだ誰も、希望を捨ててはいない。

 諦めない限り、希望は繋がる。

 

「お前が一番しぶといのかもしれんな、ティガダーク」

 

 ゼットが拳を突き出すための構えを取った。

 構えは一瞬。

 その一瞬でティガは旋刃盤を盾の如く左腕に構え、右腕に八つ裂き光輪を構えた。

 一瞬の構えから、突き出されるゼットの拳。

 

(これを、防いで……!)

 

 旋刃盤を盾にして、防いだ、つもりだった。

 だがその考えが甘かったことを、真っ二つに割れた旋刃盤と、衝撃でベキッと音が鳴った左腕が痛感させる。

 

 勇者の武器は、神の武器。

 二つと無い武器だ。

 壊れたらもう代わりはない。

 壊れたらもう、勇者としては戦えない。

 

 だがこの状況でこの武器が()()()()()()おかげで、精霊の使用負荷が止まり、精霊負荷によってあと数秒で死んでいたはずの球子は助かった。

 誰もが意図していないような場所で、物事が動き、綱渡りのように、皆の生死の運命が目まぐるしく転輪していく。

 

『……クソッ!』

 

 竜胆は盾が壊れた瞬間、反射的に右腕の八つ裂き光輪を突き出した。

 

 ゼットの喉に八つ裂き光輪が命中し、ガリガリガリと何かが削れる音がする。

 

 それがゼットの喉が削れる音ではなく、八つ裂き光輪の刃の部分が削れている音だと気付いた瞬間、それを見ていた千景と杏の心が、少しだけくじけた。

 

「戦意だけは一人前だな」

 

『グッ……ウッ……!』

 

 ゼットはティガの首を掴んで持ち上げた。

 いつでもその首をねじ切ることができるだろう。

 

「自爆でもしてみるか? 構わんぞ、やってみろ」

 

『後悔っ……すんなよ……! ウルトラヒート―――』

 

「駄目よ竜胆君! 今使ったら、確実に死んでしまうわ!」

 

『っ』

 

 自分の命を投げ出そうとしたティガを止めたのは、千景の声。

 他の誰かなら止まらなかったかもしれない。

 だが竜胆には、彼女を悲しませてはならない責任がある。

 自爆を後押しする意志と、それを止めようとする意志が拮抗し、今日のところは、止めようとする意志が勝利した。

 

 そして、マッハ25以上の飛行速度で戻ってきたグレートとパワードは、戻るやいなや、二人同時に光線を抜き放つ。

 放たれるはスペシウム光線。

 二人同時のダブル・スペシウム光線が、ティガの首を掴んでいたゼットの手首に正確に命中し、その威力でティガの首を離させた。

 

 飛び込んだパワードが痛めつけられたティガを抱きとめるように救出し、グレートが一人でゼットの前に立ちはだかる。

 悠然と立つグレートは、まるでティガと勇者達を守っているかのよう。

 ティガも、勇者も。

 二人にとっては守るべき仲間で、守りたい子供達であることには変わりない。

 

『コドモハ、ゼッタイ』

 

死なせるものか。俺達が居る限り(I won't let him die)

 

「くだらん挟持だ。だが……それが貴様らウルトラマンの力の源であることは、知っている」

 

 宇宙恐魔人・ゼット。

 身体能力は、暴走状態のティガダークを遥かに上回り。

 戦闘技能は、達人のグレートを明確に上回り。

 光線出力は、規格外のパワードを圧倒的に上回り。

 総合能力で、現在の人類の総戦力の合計値を確実に上回る。

 

 ゼットは、全ての命の物語を、世界と共に終わらせられる。たった一人で。

 

「つまらん。つまらんぞ、ウルトラマン。私は期待をしすぎたのかもしれない」

 

『……?』

 

「期待外れもいいところだ。

 貴様らと戦う日のため、鍛錬を重ねたことが無意味にすら感じる。

 これなら鍛錬などせずとも圧倒できただろうな。

 肉体が未完成な段階ですら、ウルトラマンの一人を殺す手前まで行ってしまった。

 ネクサスが弱いだけだと思っていたが、そんなことは全く無かった……実につまらない」

 

『お前……人類を、滅ぼしに来たんじゃないのか?』

 

「ついでにな」

 

『つい、で?』

 

「私の生まれた意味は、"ウルトラマンを滅ぼす"こと。

 そこから全てを終わらせることだ。

 天の神への義理は果たそう。

 神が望んだ人の滅びくらいはくれてやる。

 だが私の望みは、人に味方する巨人の駆逐だ。

 誰に指図されたからでもない。

 それが私の生まれた意味であり、私の選んだ生であるからだ」

 

『……!?』

 

「だが、ここまで歯応えが無いとは……

 なら、私が生まれた意味とはなんだ?

 簡単に果たせてしまう"生まれた意味"に価値などあるのか?

 ……地球を滅ぼした後は、ウルトラの星の光の国にでも攻め込んでみるとするか」

 

 ゼットの理屈は殺戮と破壊を基本とした邪悪なもので、どこか子供の考えのようで。

 ボブはその理屈を聞きながら、勇者達とティガを見る。

 すぐにでも病院に運ばないと死んでしまいそうな子までいる、子供達を見る。

 そして、ゼットを見る。

 

 そんな子供のような理屈で、この子らをこんなに傷付けたのか、と思うと。

 ボブの胸の内に、湧き上がる怒りがあった。

 

―――絶対に許さん(―――Over my dead body)

 

「来るかグレート。来いッ!」

 

 踏み込むグレート。

 その瞬間、世界を守る意志と、子供達を守ろうとする想いと、絶対に諦めない心が合わさり、グレートの総合戦闘能力が擬似的に倍以上に跳ね上がった。

 諦めないのがウルトラマン。

 想いで奇跡を起こすのがウルトラマン。

 何かを守る時、勝利を諦めない時、ウルトラマンはいつだって勝利を収めてきた。

 

 グレートは腕を十字に組んで、『スペシウム光線』を放った。

 星すら砕く威力の光線。

 ゼットが槍先を回して受け、光線を散らせる。

 "ゼットン"が、グレートに数歩近付いた。

 

 グレートの拳から放たれる『ナックルボルト』。

 怪獣の巨体にも致命傷を与えられる、強力な電撃だ。

 鮮やかに円を描くゼットの槍が、電撃を大気に散らす。

 "ゼットン"が、グレートに数歩近付いた。

 

 弓を引くような姿勢から、拳を突き出し放たれる『アロービーム』。

 堅固な怪獣の甲殻すらぶち抜く、絶大な威力の矢型光線だ。

 ゼットの槍が、正面から粉砕した。

 "ゼットン"が、グレートに数歩近付いた。

 

 空手の山突きの動きからグレートが放つは、特に強力な必殺光線『ディゾルバー』。

 相手が普通の物質である限り耐えられない、原子破壊光線である。

 槍が振るわれ、閃光のような一振りが、原子破壊光線を両断する。

 "ゼットン"が、グレートに数歩近付いた。

 

 両の手を銃口の形にして、放たれるは『フィンガービーム』。

 数々の怪獣を穴だらけにしてきた二丁銃の連射が、ゼットの全身に着弾する。

 防御すらしないゼットの表皮に、光弾の連射が弾かれていく。

 "ゼットン"が、グレートに数歩近付いた。

 

 今ある力の多くを振り絞り、グレートは最強光線『バーニングプラズマ』を放つ。

 一発でも必殺。だが無理をして三発連続で連射する。

 ゼットはそれに、必殺の槍三段突きで答えた。

 巨人の三連必殺を、ゼットンの三連必殺が一方的に粉砕する。

 "ゼットン"が、グレートを槍の攻撃範囲に捉えた。

 

 一瞬。

 

 その一瞬に、信じられない速度で近接戦の攻防が展開された。

 

 グレートの両手から光の剣『グレートスライサー』が発生し、斬りかかる。

 ゼットの槍が、光の剣を一方的に粉砕する。

 だがそれは囮。

 砕けた光剣の残光の中で、グレートは何万回繰り返したかも分からない、修練の果ての正拳突きの動きを選んだ。

 

 どの動きよりも早く放てる、どの動きよりも速く動かせる、どの動きよりも滑らかに動かせる、故に最良の一撃。

 グレートの一万年以上の鍛錬。

 ボブの二十年以上の濃密な鍛錬。

 全てが重なり、放たれる。

 拳の中に圧縮された原子破壊光線『ディゾルバー』が、拳の破壊力を爆発的に上昇させた。

 

 届け。

 砕け。

 勝て。

 守れ。

 祈りを込めて突き出された巨人の拳が―――ゼットの防御に、受け流される。

 力は受けず、流すもの。

 流麗なゼットの体捌きが、グレートの渾身の一撃を受け流してしまう。

 

 そう、その一瞬。

 ゼットの体術は、純粋な技量で、ウルトラマングレートを凌駕した。

 

「―――想いで勝てるなら、初代ウルトラマンは、ゼットンには負けなかった。そうだろう?」

 

 ゼットの返しの拳が胸に着弾し、グレートの胸から背中にかけての胴の肉が、弾け飛んだ。

 

 誰が何をしようと避け得ない死……確実な、致命傷。

 

 ゼットンは、また、ここに一人。ウルトラマンを終わらせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰も知らなかった。

 友や仲間を傷付けられて暴走したティガダークは、ただそれだけで、他のウルトラマンをスペックで超越する最強の闇の戦士となった。

 ならば、そう……『死んだなら』?

 仲間が『殺されたなら』、どうなる?

 傷付けられただけで最強になる闇の戦士は、仲間の死でどれだけ強くなる?

 誰も、知らなかった。

 

 胸も背中も、そのほとんどが残らないほどの大穴が、グレートの胸に空いていた。

 ゼットの渾身の拳は、グレートに回避不能の死を叩き込む。

 殺されたグレートを見て。

 殺したゼットを見て。

 

 どうしようもなく、竜胆は暴走した。闇の最強戦士ティガダークは、再び蘇る。

 

『■■■ッ―――!!』

 

 誰も知らなかった。

 仲間を大切に思うから、仲間が攻撃されるだけで暴走する危険性を獲得した、ということは。

 大切な仲間が死ぬことで、強くなる準備が整ったのだということを。

 

 ティガが跳ぶ。

 マッハいくつなのかを目算で測れないレベルの、目で追い難いほどの速度。

 その攻撃を、ゼットは瞬間移動で回避する。

 そして瞬間移動したゼットにも、ティガダークは反応した。

 

「ほう」

 

 A地点からB地点に瞬間移動するゼットに、A地点からB地点に一瞬で跳ぶ暴走ティガダークが食らいつく。

 ゼットはティガの正面から背後に瞬間移動するが、ティガは人間離れした反応速度でそれに対応し、振り返り、ティガを背後から刺そうとしていたゼットに拳を叩きつける。

 ゼットが瞬間移動してから、攻撃に移るまでの一瞬で、獣のように食らいついてくる。

 

 瞬間移動は"移動の所要時間をゼロにする"反則能力だが、今のティガダークは、反応速度と対応速度が突き抜けていて、それらの所要時間をゼロにすることで対抗していた。

 

『■■■■■―――!!』

 

「ほう」

 

 誰も知らなかった。

 そんなティガダークですら、ゼットには歯が立たないということを。

 

「驚いたな。これは驚いた。

 お前を除いた全員の力を合わせたよりも……お前一人の方が強い」

 

 ティガダークを強いと言いつつ、ゼットはティガダークを蹴り上げる。

 胴体に蹴りが直撃し、バキバキバキと音が鳴った。

 メキメキ、ミシミシ、グチャグチャと、ティガの内部で何かが動いているような嫌な音がする。

 

「■■■! ■■■! ■■■ッ!」

 

「そうか、そうか。

 これが人類側の切り札か。

 人間とウルトラマンの絆で勝利することを諦めたか?」

 

 ティガダークの闇は、竜胆が絶望すればするほど、悲しめば悲しむほど、辛い思いをすればするほど、失えば失うほど、強くなる。

 仲間が死ねば強くなる。

 事前に仲良くなればなるほど、その仲間が死んだ時、強くなれる。

 だが、まだ足りない。

 兄のように慕い、師のように慕い、先輩として尊敬したボブが死んだ程度では、四国を囲むバーテックス達は殲滅できない。ゼットにさえ届かない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「この力の上がり幅なら、理性の喪失も考慮して……あと八人死ねば、私と互角になるな」

 

 ゼットが飛びかかってくるティガに足払いし、転ばせた。

 力の格が違うゼットの足払いにより、ティガの右足骨が粉砕される。

 だが止まらない。

 足が砕けたくらいでは止まらない。

 

 御守竜胆は、足が砕けたくらいで、大切な仲間を殺した者を殺すことを諦めない。

 ゼットが気分良さそうに笑った。

 

「いかんな。八人死ぬまでは待ってやろうか、などという気持ちになってしまいそうだ」

 

 飛び込んで来るティガを、槍を棒のように扱うゼットが叩き落とす。

 ティガは咄嗟に防御したが、防御に使った左腕と、槍が当たった左肩の骨がバキバキに粉砕されて、それ相応の激痛が走った。

 何度打ちのめされようと、暴走状態にあるティガは止まらない。

 骨が折られたその肉の内で、ガリガリと、グジュグジュと、奇妙な音が鳴っている。

 

 ティガの闇とゼットの闇が、不思議で微かな共鳴を始めていた。

 

「面白い。なんとも面白い。お前の闇から伝わってくるぞ。

 そうか。

 そういうことか。

 "そこに居たから"というだけで、命を守れる人間から生まれた闇は。

 "そこに居たから"というだけで、命を潰す悪魔に、その人間を変えていくのだな」

 

 竜胆は人を助ける。人を守る。人を救う。

 本当は、そこに別に理由なんて無い。

 ずっと昔からそうやってきた。

 ただそれだけで、彼はそういう人間だからだ。

 

 だから、そこから生まれた闇は、特に理由がなくても人を殺そうとし始める。

 

「人を助けるのに理由が要らない人間は、人を殺すのに理由が要らない人間に成り果てるか」

 

 ゼットは、誕生と進化を祝福した。

 今日ここで、仲間の死をトリガーとして、竜胆の闇は次のステージへと進む。

 彼の内の闇は進化し、ここに新たに生まれ直したのだ。

 

 大社の一部の人間の、狙った通りに。

 

 ゼットは気付いた。

 天の神も気付いた。

 光の巨人だけならば、絶対にひっくり返せない戦局だったこの世界。

 そんな世界に、"全てのバーテックスと天の神を討てるかもしれない者"が現れたのだ。

 

 試しに今、五人ほど殺してみようか? と、ゼットは興味本位で考え、勇者達を見る。

 

()()()()()()()()()()()()お前がそうなるか、楽しみだ。ティガ」

 

 千景が分身を使ってティガに呼びかけている。

 完全暴走状態にあるティガは止まらないが、千景の呼びかけは竜胆の胸の内に響く。

 されど止まらず、ティガはゼットに襲いかかり、ゼットは余裕でその攻勢を真正面から叩きのめしていった。

 

 グレートの死の悲しみを引きずるパワードが、ゼットの前に立つ。

 ゼットが笑う。

 

「遠い昔、ウルトラマン達は……

 価値ある『地球』を侵略者達から死ぬ気で守っていたと聞く。

 この星に、人類に、価値はない。

 価値のある宝物だから狙われるのではなく、無価値で醜悪なゴミだからこそ掃除される」

 

 ゼットが嘲笑する。

 それは、何の事情も知らないはずなのに、竜胆と千景の過去を揶揄しているかのようだった。

 

「お前達は、無価値ゆえに滅ぼされるのだ。

 侵略者に狙われるほどの価値など、この星と人類には存在しない」

 

『……ザッケンナアアアアアアアッ!!』

 

 パワードの目が赤く染まる。

 激怒の赤に染まる。

 優しさゆえに、つい相手を傷付けない攻撃を選んでしまうパワードが、怒りに染まる。

 赤き瞳のパワードが、ゼットに向かって襲いかかり―――そんなパワードに、見境の無くなった暴走ティガが襲いかかる。

 

「■■■■、■■■■ッ―――!!!」

 

 笑う悪。

 人の死に、泣きながら暴走するティガ。

 胸に大穴が空き、死体を樹海に横たえるグレート。

 倒れた勇者に、まだ立ち上がろうとしている勇者。

 悪を倒せず、子供達の涙も拭ってやれず、友であるグレートすら守れなかった自分。

 一つ一つ、パワードの目が見つめていく。

 

 ケンは、泣きたいくらいに、悲しい気持ちになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボブ・ザ・グレートは、偽名である。

 偽名ではあるが、本名でもある。

 彼は南アメリカのスラムにて生まれた孤児だった。

 

 親はボブに名前を渡す前にギャングに殺された。

 名前が無いと困るので、適当にボブと名前を付けた。

 それが、彼の始まり。

 

 彼が頼りにしたのは、子供の頃拾った分厚い極真空手の教導本だった。

 観光客が落としていったらしい。

 スラムの子供同士で殴り合い、殺し合い、食べ物を奪い合う毎日の中で、この本が教えてくれた戦い方だけが、ボブを助けてくれた。

 空手を自己流で学び、自分なりに鍛え上げ、実戦の中で磨き上げていく毎日。

 

 20歳になる頃には、地元のギャングを一掃し、子供にも過ごしやすい街を作って、ゴロツキの元締めになっていた。

 ボブはたった数年で、故郷に平和をもたらしたのだ。

 子供の頃自分が辛かったから、他の子供には辛い思いをさせないと、彼は心に決めていた。

 子供をあやしている内に、音楽という便利なツールに習熟し、いずれは皆の心に届く音楽を……と考える頃には、彼の空手は、敵を殴るものではなくなっていた。

 彼が何かを殴らなくても、周りが幸せになっていける世界が出来た。

 仲間が出来た。

 親友が出来た。

 恋人が出来た。

 愛する街と、愛する居場所が出来た。

 

 そして、全員バーテックスに殺されて、街は全てバーテックスに壊された。

 

 人類そのものを否定するバーテックスは、人の営みも人が作った街もその存在を許さない。

 

 グレートと出会い、悲しみと絶望の中、ボブは駆け抜けた。

 南アメリカ全部を守るために戦った。

 皆死んだ。

 ロシアでネクサスに変身する少女と出会った。

 こんな小さな子が、と嘆いた。

 大陸でパワードとケンという友と出会った。

 最高の友と力を合わせても、何も守れなかった。

 皆、死んだ。

 全部、壊れた。

 

 されどその心、一度たりとも折れることなく。

 その膝もまた、折れることはなかった。

 どこに行っても皆死んで、守りたかった居場所は全て壊れてしまって、流れ流れて、彼は今、日本を守る戦いに身を投じている。

 子供達を守るための戦いに、身を投じている。

 

 若葉の真っ直ぐさが好ましかった。

 友奈の優しさが好ましかった。

 球子の元気な姿が好ましかった。

 杏の柔らかな雰囲気が好ましかった。

 千景の甘えたがりなところが好ましかった。

 竜胆という少年が自分を好きになれることを、幸せになれることを、願っていた。

 

 だから、何も後悔はない。

 

 子供の頃読んだ空手の教導本を、ボブは今でも覚えている。

 本は言っていた。

 武道とは、道であると。

 柔道や剣道のように、空手もまた、自分の道を見つけていくべきなのだ、と。

 

 ボブが選んだ道は変わらない。

 彼はその人生において、一つの道だけを迷わず進み続けている。

 その道が何かをボブに聞けば、彼は英語で、揺らがない答えを口にするだろう。

 

 

 

 

 

 ―――俺の『道』は、俺の生き方は、俺より若い、子供達の未来のために。

 

 

 

 

 

 ボブ・ザ・グレートの心の中で、一人の男と、一人のウルトラマンが言葉を交わす。

 

 ここまで付き合わせてしまってすまなかったと、ボブは言った。

 それが私の使命であり、私自身が望んだことだと、グレートは言った。

 道連れにしてしまうようですまないと、ボブは言った。

 君を一人で犠牲にするよりはマシだと、グレートは言った。

 

 ウルトラマンが居てくれたから、俺達人間はまだ滅びてないんだ、とボブは感謝した。

 君達人間が諦めず戦うからこそ、我々は力を貸しているのだ、とグレートは人を讃えた。

 

 君と出会い、共に戦い、子供達を守れて良かったと、ボブは微笑んだ。

 君と出会い、共に戦い、ここまで来れたのは私の誇りだと、グレートは言い切った。

 

 行こう、と二人は言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ティガダークが倒れ、三分を待たずして変身が解除され、呻く竜胆が放り出される。

 空中で千景がそれをなんとかキャッチした。

 

「ちくしょう……ちくしょう……!

 許さねえ……許さない……! 仲間を、ボブを……ボブ、を……?」

 

「……竜胆君。グレートが……立ち上がってる……!」

 

 そして入れ替わるように、ウルトラマングレートが立ち上がる。

 その体は既に死に体。

 胸には大穴が空き、穴のふちの千切れかけた肉の端に、カラータイマーがかろうじてぶら下がっている、そういうレベルの死に体である。

 カラータイマーはもはや点滅どころの話ではなく、小さな光がかすかに残っているのみだ。

 

「ぼ……ボブ?」

 

 千景が呆然とその名を呼ぶ。

 ボブは心中で笑った。

 昔、適当に付けた名前だ。

 ボブとかいう適当な名前に、何も思うところはなかった。

 だけど、今は違う。

 仲間に呼ばれるだけで、心がとても暖かくなる。

 適当に付けた自分の名前だったのに、呼ばれるだけで嬉しくなる。

 

 きっと、名前に凝る、凝らないは関係ないのだ。

 大切なのは、その名前を"誰が"呼んでくれるか。

 本当に大切な人から呼ばれるのであれば、適当な名前でも立派な名前でも、嬉しくなる。

 ボブは死の際で、それを悟った。

 

 彼は彼の人生を走り切った。

 スラムの底辺だった男が、ボブという適当な名前を自分に付けるところから始まって。

 仲間にボブという名を呼ばれ、喜びを覚えるまでになったこの日々が、ゴール。

 彼の人生に意味はあった。

 この日々に価値はあった。

 全てが、彼に最後の力をくれる。

 

 悪に殺されたボブとグレートは、奇跡を起こして、信念と意志のみで体を動かし、子供達を守るため立ち上がった。

 ウルトラマンは何度でも立ち上がる。

 子供達を、未来を、世界を守るために。

 諦めず、立ち上がる。

 

 死んだって、立ち上がる。

 

『お前達は最高の勇者だった。最高に尊い人間だった。俺が保証しよう』

 

「―――!」

 

 ボブはずっと、日本語の練習をしていた。

 勉強が得意でないボブは、日本語の聞き取りは早めに習得したが、日本語を話す技能はついぞ習得できなかった。

 だけど、これだけは。

 最後の時に皆に残す遺言だけは、皆に正しく伝わるものであってほしいと、ボブはずっと思っていたから。

 この短い台詞の遺言を、ボブは陰でずっと練習し続けてきた。

 

『生き残れ。お前達はここで死ぬべき人間じゃない』

 

「ボブ……ボブっ!」

 

 生きろと、ボブは言った。

 

 

 

『明日に希望を! 未来に夢を! 友に優しさを!

 それぞれ持って―――生きていけ! 子供達よっ!』

 

 

 

 グレートに光が集まっていく。

 ボブの言葉に続けて、グレートもまた、皆に言葉を残していった。

 

『自分の命に誇りを持て。自らを卑下することなく、自分を信じ、生きていけ。子供達よ』

 

「やめろ……やめろ、グレート!」

 

 ケンとパワードは、ボブとグレートの意を汲んだ。

 ずっと共闘してきた仲間の想いは、言葉なくとも伝わっている。

 パワードは全ての勇者と竜胆を抱え、敵に背を向け、丸亀城への撤退を始めた。

 

「やめろ、ケン! 戻って! 俺が、俺がもう一度変身するから!」

 

『……ワガママヲ、イワナイデ』

 

「―――っ」

 

 勇者は千景を除いて皆話す余裕もなく、竜胆に至っては勇者の誰よりも状態が酷い。

 こんな状態で戻らせるわけにはいかない。

 ケンは友の死を噛み締め、死をも超えて子供を守ろうとする友の気高さに身を震わせ、何もできない自分の無力さに打ちひしがれた。

 

 パワードの判断は、間違っていない。

 竜胆や勇者と違い、パワードは"大負け"を"負け"程度の被害に抑えるのに慣れている。

 酷い言い方をすれば、負け戦と死の喪失に慣れている。

 絶対に助からない仲間にこだわり過ぎて、結果全滅してしまうという最悪を、回避するのに慣れている。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()を下すのに、慣れているのだ。

 目の前で、家族に等しいくらいに大切な仲間が死んでしまうことに、慣れているのだ。

 だからボブは、ケンにこそ、子供達を任せられた。

 ケンはだからこそ、子供達を生かすために……親友のボブと死ぬまで共に戦う選択を捨て、子供達を抱えて飛んだ。

 

 光と光が樹海で弾ける。

 

 死体を動かすグレートに光が集まり、"今日初めて全力を出した"ゼットの胸の前に、一兆度の火球とは比べ物にならない光が集まる。

 

 そして、超新星爆発を思わせる光が弾け、世界が揺れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼットが笑う。

 今日一番に愉快そうに笑う。

 

「大した男だ。ウルトラマングレート」

 

 最後の瞬間、ゼットはフルパワーの光線を発射した。

 そう、このゼットンの最強技は、光線なのだ。

 対しグレートは、マグナムシュートで迎え撃った。

 マグナムシュートは、グレートの代名詞が一つ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()、『反射技』である。

 

 ゼットの攻撃は、グレートが跳ね返せる攻撃威力の上限をとっくに超えていた。

 ゆえに、これは奇跡だ。

 跳ね返せない攻撃を跳ね返したという、とびっきりの奇跡。

 子供達に未来をやりたいと願った、ボブの願いと、ボブとグレートの絆が起こした奇跡。

 

「歴史の始まり・初代ウルトラマンは、地球人とウルトラマンの歴史を始めた。

 初代ウルトラマンは地球人と出会い、ゼットンに殺され、地球人と別れたという。

 始まりがウルトラマンであり、終わりこそがゼットン。

 それが神話。

 それこそが伝説。

 初代ウルトラマンの光線を吸収し、跳ね返すことで、ゼットンはウルトラマンを殺したという」

 

 ゼットの胴体は、半分近くが消滅していた。

 ゼットンがウルトラマンの光線を跳ね返す、のではなく。

 ウルトラマンがゼットンの光線を跳ね返すという、神話の逆転。

 グレートは肉体ごと消し飛んでいたが、代わりに絶対に勝てないはずの格上相手に、とてつもない痛打を与えることに成功したのだ。

 

 ゼットが笑うのも、ある意味当然のことなのだろう。

 

「『ウルトラマンとゼットンの神話』をひっくり返し、運命をひっくり返したか……」

 

 ゼットは負けた気持ちになっていた。

 ウルトラマンがゼットンの光線を跳ね返して勝った、なんて結果を見せられたなら、負けを認めてもいい気分になっていた。

 なんと偉大(グレート)なウルトラマンだったことか。

 ゼットは感嘆せざるを得ない。

 

「ウルトラマンを舐めた。

 ゆえに、今日は私の負けと言うべきだろう。

 ウルトラマンを甘く見た愚かな怪物は、人のために戦うウルトラマンに敗北したのだ」

 

 ゼットの胴体は半分近くが消滅していたが、ゼットの絶対的な力を考えれば、ここからでも残りのウルトラマンと勇者を皆殺しにすることは可能だ。

 ゼットもそれは分かっていた。

 だが、それは無粋だと考える。

 

「いいだろう」

 

 天の神が追撃を命じたが、ゼットはその命令に反した。

 

 ゼットの天の神へ従う気持ちは、ゼットがグレートへ向ける敬意には及ばなかったようだ。

 

「グレート。貴様に免じて、一度は見逃してやる」

 

 だがそれは、慈悲ではない。反抗でもない。同情でもない。

 ゼットは人間の滅びと地球の終わりを確信しているがために、ティガや人間達の抹殺など、後に回しても何も問題は無いと考えていたからだ。

 

「死の運命は変わらない。

 いずれ訪れる滅びの運命は変わらない。

 ブルトンが残っている以上、もはやこの四国結界もロウソクの火のようなもの」

 

 結界を終わらせる四次元怪獣ブルトンは未だ無傷。

 ゼットも傷が癒えればすぐ復帰するだろう。

 いくらでも代わりのいる怪獣、亜系十二星座等は、またすぐにでも投入される。

 時間をかければ、天の神はまたゼットのような個体を別に放り込んで来るはずだ。

 

 結界が壊れるのが先か。

 神樹が折られるのが先か。

 勇者と巨人が全滅するのが先か。

 民衆の心が耐えられなくなるのが先か。

 どれがいつ来ても、おかしくはない。

 

「バーテックスの総数は無限。

 巨人と勇者の数は有限。

 三年前はウルトラマンが持っていた力の優位性も、既に追いつかれ、追い越されている」

 

 ゼットは終焉をもたらした。

 

 竜胆達は、全てが終わることだけは回避した。全てが終わること、だけは。

 

「滅びが避けられぬものならば―――せめて美しく散るが良い。季節の終わりの花のように」

 

 ゼットは丸亀城で涙を流す子供達に背を向け、結界の外に歩き出していく。

 

 樹海化が終わり、この日の戦いは終わりを迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いが、終わる。今日の戦いが終わる。そしてまた、戦いが始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜胆参戦時、丸亀城陣営暫定数。

 ウルトラマン六人、勇者五人、巫女一人。合計十二人。

 

 ボブ・ザ・グレート/ウルトラマングレート死亡。

 

 ウルトラマン、残り五人。健在二名。

 神樹の勇者達、残り五人。

 神樹の巫女、残り一人。

 

 

 

 残り、十一人。

 

 

 




 時拳時花既読の人向けの説明になりますが。
 あっちは『始数十二体の敵が減っていく』話でしたが、こっちはその対比で『始数十二人の仲間が減っていく』話になります。
 現在十一人、意外に生き残るかもしれませんし、意外に生き残らないかもしれません。

 この作品はハッピーエンドにします(政権公約)

【原典とか混じえた解説】

●宇宙恐魔人ゼット
 バット星人が作り上げた、史上最強にして究極のゼットン。
 バット星人が作り上げた『滅亡の邪神』がハイパーゼットンなら、『破滅の魔人』として作り上げたのがこのゼットン。
 またの名を『終焉の化身』。
 極限まで対ウルトラマンに特化されており、その姿はウルトラマンと対になるような形状の黒き異形で、赤いカラータイマーのようなものすらある。
 「これまでのゼットンがウルトラマンに負けたのは『心』が無かったから」という理屈で『心』を持たされており、ウルトラマンと同じく『心』を由来とする強さも兼ね備えている。

 全てのゼットンの頂点に立つ者であり、あらゆるゼットンを支配し従える力を持ち、光の国を襲撃しウルトラマンを蹴散らし、一対一でウルトラの父を戦闘不能にまで追い込んだ。
 得意技はゼットン軍団をぶつけての質と量での圧殺。
 地球での戦闘においては、ウルトラマン・メビウス・ゼロ・Xのチームさえ圧倒し、追い込み、ほぼ無傷だった初代ウルトラマンを拳一発で殺害した。
 一対一で強化型グランドキングを近接攻撃だけで圧倒し粉砕、ゼロを近接戦で上回るなど、その力は規格外を極めている。
 登場舞台で無双の強さを見せつけたが、その無双の途中でもバリヤー、瞬間移動、光線吸収、一兆度火炎といった能力を使わず、槍一本で信じられない強さを見せつけた恐るべきゼットン。

 名は(ゼット)
 その名が示すものは終わり。

※余談
 ショーにしか出ていないゼットンだけれども、ショーではどんなゼットンも固有能力は演出上使えない。いっぱいかなしい。
 ゼットはウルトラマンネクサスの劇場版&前日譚である『ULTRAMAN』の続編である、『ULTRAMAN2』に登場するはずだったウルトラマンスーツの顔部分のみを変えたスーツを使用した、ショー限定の人型ゼットン。
 つまり、顔以外は(ネクスト基準で)ちゃんとしたウルトラマン。
 言うなれば『ウルトラマンゼットン』である。
 一兆度の火球は使わないくせに光線は撃つので、更にウルトラマンゼットン感は強まる。
 ちなみにその映画で敵役の予定だったスーツがそのまま使われたのがレイバトス。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

 負傷詳細簡易報告。

 

 乃木若葉、負傷詳細。

 右肩脱臼、両足骨折、数箇所の出血。呼吸器系に軽度の損傷の可能性あり。

 

 高嶋友奈、負傷詳細。

 内臓全般に大小様々なダメージ。循環器系に損傷の疑いあり。

 

 土居球子、負傷詳細。

 出血多量、乏血性ショック、武器破壊による勇者の戦闘力の喪失。

 

 伊予島杏、負傷詳細。

 頭部出血、脳震盪。しばらくは要脳検査。

 

 ケン・シェパード、負傷詳細。

 骨折三箇所だが、胸の火傷が特に重傷。一兆度の負傷は予断を許さない。

 

 御守竜胆、負傷詳細。

 頭蓋骨骨折。肋骨六本骨折。

 右腕、複雑骨折一箇所、粉砕骨折一箇所。

 左腕、複合骨折一箇所、完全骨折一箇所(再検査要す)。

 右足、単独骨折一箇所、複雑骨折一箇所。

 左足、圧迫骨折による複雑骨折二箇所。

 骨盤、背骨、複雑骨折二箇所ずつ。

 筋組織部分は再生能力のため検査時点では損傷を確認できず。

 出血多量、神経障害、皮膚喪失率六割。

 背中に肉と骨が抉れたような大火傷。

 内臓破裂六箇所。

 異常癒着三十六箇所。異常置換部位四十九箇所。異常変化二十八箇所。

 新造内臓三種、新造脳一種確認。

 上記の負傷に致命傷となるものは無し。後遺症は要観察。

 

 各人、打撲等の軽傷は省略する。その詳細は別紙にて。

 

 最速完治と最速復帰は御守竜胆と推測される。

 

 御守竜胆と郡千景の二人のみで戦線を構築する作戦立案が求められる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局俺は、殺すことしかできないのか。

 どうやっても俺は、壊すことしかできないのか。

 守ることなんてできないのか。

 俺が、ウルトラマンでないから?

 俺が、光ではないから?

 それとも……俺が弱いから?

 

 何故俺が生きてるんだろう。

 何故俺じゃなくてボブが、グレートが、死んでるんだろう。

 誰にだって分かる。

 俺よりも、あの人の方が生きる価値があった。

 誰が考えたって明白だ。

 俺があの人に勝っている点が、どこにある?

 

 生きてちゃいけない奴が生きてる。

 生きるべき人間が死んでる。

 何の冗談だ。

 何だこの世界は。

 少しは因果応報に沿え。

 ふざけてるのか?

 

 ちゃんとした人達が頑張ってるのに報われない世界で、人殺しのクソ野郎の方が生き残ってる世界で、誰が頑張って生きていくっていうんだ。

 優しい人が生き残りやすいようにしてくれよ。

 悪党の方が先に死ぬような世界にしてくれよ。

 善悪が結果に少しは反映されるような世界じゃないと、誰も頑張らないだろ。誰も正しく生きようとしてくれないだろ。皆ズルや悪行ばっかして真面目に生きなくなるだろ。

 分かれよ、馬鹿野郎。

 優しい人が報われて、悪党に報いが訪れる、そんな世界であってくれよ。

 何やってんだよ神様。

 真面目に世界見てんのかよ。

 ……ああ、そうか、そういや……神様は、そうだったな。

 だから世界は、こんななのか?

 ああ、嫌な話だ、本当に。

 

 俺が、あの地下から出されたのは。

 人を守るためじゃなかったのか。

 誰かを守る役目を果たすために、出してもらったんじゃなかったのか。

 結局死んでしまうなら俺が出たことに何の意味がある。

 俺は本当に償えてるのか?

 俺は本当に贖罪できてるのか?

 罪を増やしてるだけなんじゃないのか?

 

 なんだろう。

 分からない。俺が分からない。俺は何を考えてるんだ。

 物騒な考えと穏当な考えのどっちが俺の本当の本音か分からない。

 殺したい。殺したいんだ。

 ボブとグレートを殺したあいつを殺したかった。殺せなかった。

 守りたかった。守りたかった。

 俺は……仲間を守りたかった。

 殺せなかった後悔と、殺させてしまった後悔の、どっちが大きいのか分からない。

 

 悲しくて、憎むことに集中できない。

 憎くて、悲しむことに集中できない。

 もっと単純な自分であってほしかった。

 憎んでるせいで悲しみに集中しきれてない俺も、悲しんでるせいで憎しみに全てを傾けられない俺も、嫌いだ。死ねばいいのに。

 

 悪夢を見る。

 悪夢を見る。

 悪夢を見る。

 夢の中で俺を責める人が、一人増えた。

 

 

 

 

 

 御守竜胆はそうして、目覚めた。

 縛られた状態で、目覚めた意識が暴走する。

 柔らかな言い方をすれば"寝ぼけている"。

 露骨な言い方をするなら"衝動的に自殺しようとしている"。

 

 寝る前から技術的に脳の活動を律したりしない限り、人は夢を理性で制御できない。

 寝起きの時に自分の脳活動を理性で制御できないのと同じ事だ。

 そしてある程度技術や投薬で緩和できるとはいえ、深いトラウマ・重傷な心の傷・忘れられない嫌な記憶の根治に、確実な方法は無い。

 一生消えない心の傷というものはある。

 普段は理性で抑え込んでいたものも、寝起きの時には表に出てしまいがちだ。

 

「うっ、ううううっ、ウウウッ、ギギギギッ……!」

 

 人間には、本音を吐露する権利がある。

 弱く在る権利がある。

 大切な人が死んだ時、感情のままに振る舞う権利がある。

 だが、竜胆にその権利はあるのだろうか。

 ボブのために泣けば、そのまま暴走してしまいかねない彼に、大切な人が死んだ時涙を流す権利はあるのだろうか?

 

 無い、と竜胆だけは言い切れる。

 

 少年は落ち着いてきた頃、寝る前に体に付けていた拘束を外し始める。

 何故か、手が血に汚れて見えた。

 何故か、これまで殺してきた人の血に見える。

 幻覚だ。

 闇が見せる幻覚だ。

 幻覚だと自覚しても消えない。

 心の闇が、竜胆の手を、人の血に汚れたそれに見せる。

 次第に手に血の暖かさ、血のぬるぬるとした感触、血の生臭い香りが感じられてきて、何故かその血がボブの血であるように感じられてきた。

 

 竜胆は何かに急き立てられるように、手錠の付いた手を洗面所で必死に洗う。

 幻覚の血が洗ったところで落ちるものか。

 罪は水に流せない。

 

「……っ」

 

 心が落ち着くにつれ、竜胆は気付く。

 今、自分の手に付いているのは幻覚の血ではない。

 現実の血だ。

 自分の血だ。

 幻覚の血を拭おうと必死に手をこすって洗ったせいで、こすりすぎで手の皮がすりむけ、そこから血が流れていた。

 

 皮がずる剥けた手を拳の形に握り締め、竜胆は自分を戒める。

 こんな不安定な状態では、また椅子に自分を固定でもしておかないと、自分が何かしてしまいそうで怖い。不安で不安でしょうがない。

 

「しっかりしろ……しっかりしろ、馬鹿野郎」

 

 竜胆は懸命に、自分の心を律した。

 

 グレートは死に、パワードの傷も深い。勇者もほとんどが重傷だ。

 常人よりは早く治るだろうが、竜胆ほど早く治るわけもない。

 竜胆を縛り付けて幽閉しておく余裕など、人類から完全に消えてなくなった。

 

「今! 戦える巨人は! 俺しかいないんだ!

 誰にも頼れないし、誰にも無茶はさせられない……俺しかいないんだ!」

 

 竜胆本人には聞こえない音が、竜胆の肉体の内側で、ギチギチと鳴っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボブの死は、皆に悲しまれていた。

 彼は人々に愛される英雄だったと言える。

 日本語が使えないくせに、街に出て日本人に好意的に接していた日常の一幕も多く、ボブの言っていることは分からないけれど、ボブが良い人だということは分かっていた人は多かった。

 

 言語の壁も、人種の壁も関係ない。

 ボブは皆に愛されていて、ボブは皆に信じられていて、ボブは皆に尊敬されていた。

 人々は、自分達を守ってくれた彼を、愛すべき同胞として受け入れていたのだ。

 

 街は悲しみに包まれていた。

 ボブの死を悲しむ人々で溢れていた。

 これからどうなるんだろうという不安がなかったわけではない。

 市民感情は最悪で、グレートの死により「もうダメだ」と思った者は数え切れない。

 それでも、街は恐怖や絶望ではなく、悲しみに包まれていた。

 皆が皆、どんな恐怖や絶望よりも大きな気持ちで、ボブの死を悲しみ悼んでいた。

 

 泣いている子供がいる。

 千景は悲しみにくれる街の中で、その子供の姿を見た。

 耳を澄ませば、ボブを慕う子供の声が痛いくらいに胸に響く。

 

 人は、人のことを完全に知ることが難しい。

 千景はボブのことを何でもかんでも知っているわけではない。

 街に出たボブが何をしていたかなんて、千景は知らない。

 それでも、千景にはなんとなく想像できる。

 

 街に出たボブが、子供達を大切にして、子供達に慕われる、そんな姿が頭に浮かぶ。

 勇者の中では一番ボブと親しくなかった千景ですらそうなのだ。

 他の勇者なら、もっと明確にボブの日常を想像できることだろう。

 街を歩きつつ、千景はボブのことを想う。

 

「……」

 

 ボブが死んでから、他の人ほどボブのことを知らなかったことに気付いて、千景は"もっと仲良くしていれば"と思ってしまう。

 ボブが死んでから、ボブに聞きたかったことが多かったことを思い出す。

 

 なんで音楽にハマったのか、とか。

 どんな食べ物が好きなのか、とか。

 人生で一番楽しかったことや、人生で一番辛かったことも聞いたことがない。

 日本に来て何を思ったのか、なども聞いたことがない。

 聞きたいことがたくさんあった。

 でももう聞けない。

 彼は、もう死んでしまったから。

 彼が千景をどう思っていたかも、もう聞けない。

 死人に口はないからだ。

 

 それが、人が死ぬということ。

 その喪失感が、その悲しみが、人を殺してはならないという禁忌の理由である。

 

 ボブと一番親しくない千景ですら、これなのだ。

 ボブと仲が良かった球子と杏……特に仲が良かった球子の悲しみは、どれほどの悲しみを抱えているかも分からない。

 千景は"生きている内に仲良くしていれば良かった"と思う自分を恥じ、生前に仲良くしようとしなかったことを後悔した。

 

 生きていた時のボブは、千景に歩み寄ってくれていたのに。

 他人との間に見えない壁を作っていたことを、千景は心底恥じて、悔いていた。

 

「……何よ」

 

 千景の心には、皆いつ死んでもおかしくないという恐怖があった。

 だが同時に、"この人達は死なない"という根拠のない考えや、"誰も死なないで"という願望もあったのだろう。

 ボブが死ぬかもしれない、という想像が足りていなかった。

 だから生前、"いつ死ぬか分からないから"という理由でボブと深く交流することもなかった。

 ゆえに今、後悔している。

 

 戦場での兵士は、いつ死ぬか分からないために、戦場で戦友に普通話せないようなこともペラペラと話すという。

 何故なら、明日に自分か仲間が死ぬ可能性を見ているからだ。

 仲間のことを知る前に仲間が死に、それを悔いたくないからだ。

 自分が死ぬ前に、せめて仲間に自分のことを覚えていてもらいたいからだ。

 

 千景はボブのことを知らなかったこと、ボブに自分のことを教えられなかったこと、そしてそのまま死別してしまったことを悔いる。

 

「馬鹿じゃないの、私は……本当に……今更、こんな風になってから……」

 

 仲間が死ぬかもしれないと、もっと思うべきだった。

 自分も死ぬかもしれないと、もっと思うべきだった。

 ガイアとアグルが生死不明になった時に、その確信は揺らいでいたはずだったのに。

 確信の隙間に、不安は差し込まれていたはずだったのに。

 

 ボブの死に関する後悔の上に、死を恐れる気持ちが乗って、千景の小さな体が震えた。

 

(死にたくない……死にたくない……だけど……)

 

 怖いことは沢山ある。

 みじめに死ぬこと。無価値に終わること。人に忘れられること。戦うこと。死ぬこと。得た暖かさを失うこと。何もかもが怖い。

 だが、怖くても逃げられない。

 逃げて失われてしまうものがあるから。

 千景の周りには、困難から絶対に逃げない、大切な人達がいるから。

 

 死にたくないなら逃げればいい。失いたくないなら戦うしかない。

 千景は、戦うことを選んだ。

 

(今、勇者は、私しかいない)

 

 七人御先の生存能力は本当に高い。

 先の戦いを無傷でくぐり抜けられたのは千景だけだ。

 体を一つ安全圏に置くことを意識すれば実質無敵なのだから、本当に使い手次第でいくらでも強みを見せられる能力である。

 今の千景には、七人御先の特性が本当にありがたく感じられた。

 

 自分の精霊がこれでなければ、今頃竜胆は"最善でも"、たった一人で戦わないといけないハメになっていただろうから。

 

(『友情を、どうか大切に』だったわよね、グレート。大丈夫。ちゃんと、覚えてるから)

 

 千景は成長した。

 今の彼女が他の勇者皆より心が強いかと言えばそうでもない。

 過去を乗り越えたかと言えばそうでもない。

 だが、確かな成長がそこにはあった。

 

 街を歩いている途中、海辺の海岸線にて、千景は見慣れた髪を見た。

 見慣れた髪色、髪型、髪飾り。

 高嶋友奈のそれを、千景が見間違えるはずがない。

 

「高嶋さん」

 

「あ……ぐんちゃん」

 

 泣きそうな表情を浮かべていた友奈が、千景の方に振り返り、無理して笑顔を作る。

 友奈は、いつもこうだ。

 仲間の死に悲しまないわけではない。

 でも、頑張って笑顔を作って、暗い空気を作らないようにする。

 辛い時でも笑っているから、心がとても強く見える。

 けれど心の底では悲しんでいる……そんな少女だった。

 

 海を見て、泣きそうな表情になっていた友奈は、何を思っていたのだろうか。

 

「大丈夫? 泣ける時に泣いた? あなたは笑うだけじゃなく、泣いたっていいのよ」

 

 千景がそう言うと、友奈は目を見開く。

 そして、なんだか嬉しそうに笑った。

 少し千景らしくなくて、結構竜胆っぽくて、けれど何故か千景らしく感じられる、励ましの意思が感じられる気遣いの言葉だった。

 

 幼い子供は、他人に優しくするやり方を親や友達から学んでいくという。

 他人に優しくすること、他人を気遣うこと、それらに慣れていない千景が、誰の優しさや気遣いの仕方を学んだかなんて、言うまでもない。

 笑う友奈に、千景は怪訝そうな顔をした。

 

「……何? その反応」

 

「あ、ええと、ぐんちゃんに励まされるって思ってなかったから」

 

「……確かに……私は高嶋さんを気遣う方じゃなくて、気遣われる方よね。基本的に」

 

「ご、ごめんね! 深い意味は無いんだよ深い意味は!」

 

 千景はちょっとヘコんだ。

 友奈は千景の成長を心底喜んでいた。

 慌てて千景にフォローを入れようとする友奈の姿が微笑ましい。

 友奈はあまり成長していない自分と、確かに成長している千景を比べて、何の嫌味もない純粋な感嘆の息を吐いた。

 

「すごいな……ぐんちゃんはちゃんと、前に進んでるんだね」

 

「私は……性格が悪いだけよ。

 ボブと生前、仲間としてちゃんと話し合うことすらしなかった。

 だから彼が死んでも、他の人ほど悲しくないだけ。

 仲間が死んでも悲しみが少ないなんて……むしろ、責められて然るべきだと思う……」

 

「仲間をちゃんと大切に想ってる人が、性格悪いわけないよ」

 

「……ちゃんと、思っていたのかしら」

 

「だってぐんちゃん、泣いてたよ」

 

「……泣いてたのは、高嶋さんじゃない……」

 

「うん。だから私達の気持ちは、一緒だと思う」

 

 グレートが肉体を消滅させながらゼットを追い返した、最後の攻撃のあの瞬間。

 

 若葉は強く在り、悲しみを噛み潰す表情を浮かべた。

 ケンは瞳を閉じ、湧き上がる感情を飲み込んだ。

 球子は大粒の涙を流して拳を握り締め、杏はへたり込んで涙を流し、嗚咽を漏らした。

 友奈は号泣し、叫んだ。

 千景は泣かなかった。ただ、悲しみの表情を浮かべていた。

 

 そして竜胆は、両手足が砕けているのに、もう変身が一度解除されているのに、敵に向かって走って行ってもう一度変身し、叩き潰そうとしていた。

 涙を流しながら、憎悪していた。

 それを千景が羽交い締めにして、取り押さえていた。

 

 千景は泣いていなかったが、友奈は泣いていたと言う。

 彼女がそう言うならそうなんだろうかと、千景は思った。

 きっと、友奈にしか見えない涙が、悲しみが、そこにはあったのだ。

 千景は自分で思っている以上に、ボブに対して親しみと好意を持っていた。

 

「大丈夫だよぐんちゃん。私、ちゃんと泣いたから。だから私は、笑うんだ」

 

「高嶋さん……」

 

「辛くても、苦しくても、笑うよ。

 ボブが『ないすすまいる』って褒めてくれたの、思い出したから。

 褒めてもらった笑顔は……絶やしたくないんだ。あの人のためにも」

 

 友奈は無理して笑っている。

 だがそれは、否定されるようなものではない。

 これは彼女が彼女なりに死者に手向けた、葬送の花だ。

 

 "私は今も笑えてるよ"というメッセージ。

 "褒められた笑顔はまだここにあるよ"というメッセージ。

 "あなたが守ってくれたからまだここで笑えてるよ"というメッセージ。

 花咲く笑顔を、死者に花を手向けるように、友奈は手向ける。

 

 暗い顔をしていたら、あの世でボブがいい気持ちになれないだろうと、友奈は思うから。

 あの世のボブが"守ってよかった"と思えるような笑顔を、頑張って浮かべるのだ。

 その笑顔につられて、千景も微笑む。

 

「ええ、お願い。高嶋さんの笑顔は、とても素敵だから」

 

 千景は自分の笑顔に、他人を笑顔にする力は無いと思っている。

 

 だから他人も笑顔にできる友奈の笑顔を、心底尊敬していた。

 

「高嶋さんの笑顔は、皆の元気の源よ。

 きっと……竜胆君を笑顔にするなら、私の笑顔よりも、ずっと効果的だと思う」

 

「ええっ、そうかな?」

 

「ふふっ、そうよ」

 

 花は、人と違って鏡を見られないから、自分の美しさを知らない。

 花咲く笑顔が他人を救うことを、その当人だけが知らない。

 自らが花咲くことで、それを見た人の心を癒せることを、その花だけが知らない。

 千景も、友奈も、そうだった。

 どちらの笑顔にも、特定の少年によく効く力があった。

 

「高嶋さん。一つ、残酷なお願いを聞いてほしいの」

 

「……残酷なお願い?」

 

「私が死んだら……その時は、竜胆君をお願い。高嶋さん、私の代わりを、お願いします」

 

「!」

 

 真面目な表情の千景を見て、友奈は驚きながらも、それが冗談でないことを察した。

 

「え……な、何言ってるのぐんちゃん!」

 

「私は死ぬ気は無い。死にたくもない。でも……怖い。

 ボブが居なくなって、思ったのよ。

 私も死ぬかもしれない。いつか死んでしまうかもしれない。

 怖くて、とても怖くて……

 それで、気付いたの。

 私が死んだ後……彼は、竜胆君は……どうなってしまうのかって……」

 

「っ」

 

「多分……今だと、私が一番……正確にそれを想像できてる気がするわ」

 

 千景の中には、明確な想像が浮かべられている。

 千景が死んだ後、ズブズブとバッドエンドまで行き着いてしまう竜胆の姿の想像が。

 友奈は、真面目な声色で問いかけた。

 

「なんで私なの? 若葉ちゃんとかじゃ駄目なの?」

 

「高嶋さんは……不思議と、困難をどうにかしてくれそうな気がするから。

 高嶋さんは、辛い思いをしている人にとっては救いだと思うから。

 それと、竜胆君の心の一番弱いところには、高嶋さんが一番効くと思うから」

 

「そうかな……?」

 

「うん。竜胆君はそういう人で、高嶋さんはそういう人」

 

 千景は強い口調で言い切っていく。その予想に、よほどの自信があるようだ。

 

「あと、高嶋さんよりしぶとく生き残りそうでも、乃木さんに頼むのは、心底嫌だから」

 

「ええっ!? なんで!?」

 

「乃木さんに竜胆君を任せるくらいなら野良犬に頼むわ……」

 

「ぐんちゃん、ぐんちゃん、なんてこと言うの」

 

「高嶋さんに任せるのならギリギリ許せる……そういう話なの」

 

 千景は自分の死後に竜胆に慕われる若葉の姿を想像するととてもイラっとする。

 自分の死後に友奈に優しくされている竜胆を想像すると悲しみとほんわかした気持ちを覚える。

 つまりはそういう話だ。

 

 物凄く雑で俗な言い換えをしよう。

 友奈なら良いが、若葉だと寝取られ感がする、だから嫌。そんな気持ちが千景の中にはある。

 千景は死ぬつもりも無いし、死にたくもないけれど、自分の死んだ後のことを考えると、色々な理由で心穏やかでいられない。

 心穏やかでいられないということは、戦場で不覚を取りやすくなるということだ。

 

 千景は死なないために、友奈に"自分の死後の友達のこと"を託そうとしている。

 

「お願い、高嶋さん。

 私はこの問題で安心できないと、心穏やかに戦えそうにないの」

 

 友奈は本音を言えばこんな頼まれ事、受けるどころか友達の口から聞きたくもなかったが、この頼みを聞くことで千景の精神が安定し、千景が死ににくくなることも分かっていた。

 悩んで、悩んで。

 悩んだ果てに、千景の頼みを聞くことを決める。

 

「分かった。分かったけど……ぐんちゃんも、どうか死なないで。

 泣くのは私だけじゃないよ。皆悲しむよ。リュウくんなんて、どうなるか……」

 

「分かってるわ」

 

 ボブは死んだ。

 

 だから誰もが思うのだ。

 

 次は自分が死ぬかもしれない。次は別の仲間が死ぬかもしれない。明日は誰が死ぬだろう。

 

 改めて、誰もが死を想う。

 

「私は死なない。死ねない。死にたくない。だから……大丈夫よ」

 

 生きる決意を固めて、千景は友奈に微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 誰もが悲しみの中に居た。

 悲しみへの向き合い方は人それぞれ。

 その内心を覗いて初めて、その悲しみは測れるだろう。

 友奈は頑張って笑った。

 千景は心で泣いた。

 球子は、ボブの部屋を訪れていた。

 

「案外、綺麗な部屋だったんだよな」

 

 楽器や音楽雑誌が並んでいるのが目立つが、こざっぱりした部屋だった。

 

「なっつかしいなー。どの楽器もボブが一回は演奏してるの見たことあったっけ」

 

 想い出があった。

 

「おもしれー、ってなって。タマとかが、お遊びで演奏習って。ボブは教えるのも上手くて」

 

 想い出があった。

 

「ボブや杏と音が合うと気持ちよくて、タマはヘタクソでも合奏は楽しくて……」

 

 想い出があった。

 

「ボブはいつも、音楽で人は繋がれるって言ってて……それで、それで……」

 

 想い出があった。

 

「皆と音が合うと気持ちいいの感じて……"ああこれか"って感覚で分かるようになって……」

 

 想い出があった。

 

「ボブは……人間皆分かり合える可能性はあるって……信じてて……

 竜胆先輩だって……聞いてないボブの曲たくさんあって……

 タマだって……聞きたいことも……教えてほしいこともまだ……

 ……ありえないだろ……

 ウルトラマンは無敵で、カッコよくて、優しくて頼れる、みんなの、みんなの……」

 

 こぼれ落ちる涙があった。

 

「……なんだよ、タマってば、こんなに女々しい奴だったのかよ」

 

 ボブの部屋には、ボブの想い出がたくさんあった。

 ボブ本人はいなかった。

 球子の心は、今は亡き仲間に会うために、球子をここに向かわせた。

 この部屋に来ても、会えるのはボブとの想い出だけなのに。

 

「ボブだったら、今のタマになんて言うかな……」

 

 球子の涙が、ボブのギターに落ちる。

 あの人ならなんて言うだろう、と思うのは自由だ。

 だが、それは何にもならない。

 ボブが何を言うかなんて、本当のところは誰にも分からないからだ。

 

 球子のこの台詞は、"ボブが何を言うか"を想像する言葉ではない。

 "ボブの声が聞きたい"という願望の発露。

 兄のように頼りにしていた大切な仲間が死んでしまったことで、中学二年生の女の子の口からぽろりと漏れた、悲しみの弱音なのだ。

 

 部屋のドアが、静かに開く。

 

「タマっち先輩……?」

 

「あんず……」

 

 二人は同じ気持ちで、けれど違う考えで、視線を合わせた。

 

「どうした、あんず」

 

「誰かがボブの部屋に入ったのが見えたのに、一時間経っても、誰も出てこなかったから……」

 

「……」

 

 いつの間にか、球子がボブの部屋に入ってから一時間以上経ってしまっていたらしい。

 一時間程度で全部思い返せるほど、ボブとの想い出は少なくない。

 それもまた、当然のことだった。

 

「今日検査だったろ、あんず。頭の怪我は大丈夫だったか?」

 

「うん。来週また再検査だけど、戦闘はまだダメだって。

 あと血圧が上がるのも危険だから、お風呂もシャワーだけにしろって。タマっち先輩は?」

 

「タマも似たような感じだな。

 激しく体動かしたら、腹がまた裂けるって。

 ……タマにとっては、ぶっ壊れた旋刃盤の方がネックになってるけどな」

 

「……」

 

「変身は何とかできるようになったみたいだけど、実質タマはリタイアかもしれない」

 

 杏と球子の、互いの怪我を心配するような台詞。

 声色が相手を気遣うような、腫れ物に触るようなものであるのは、互いの心が悲しみと傷で満たされていることを理解しているからだろうか。

 二人ともダメージが大きい。

 特に球子は、勇者の武器を破壊されている。

 勇者システムで変身自体はできるようになったらしいが、旋刃盤が割れている以上、ちょっとやそっとの補修作業でタマの戦力は戻らない。

 大社はよくやった。

 だが、もう無理だ。

 土居球子はまともに勇者として戦う力を失ってしまった。

 

 だと、いうのに。

 

「タマっち先輩、次の戦い……」

 

「あー、聞いた聞いた。全員、戦闘開始時点では樹海待機だってな」

 

「御守さんと千景さん以外は、全員まだ絶対安静と言われてるのに……」

 

「……しょうがないだろ。あんず」

 

「それは……分かってる。

 でもこれは、露骨だよ。

 大社は口に出して言ってないだけ。

 御守さんと千景さんが負けたら、重傷でも戦えなんて、こんな……」

 

「もう他に、誰もいないんだ。しょうがないだろ……だって……」

 

 "ボブとグレートが死んでしまったから"。

 その台詞だけは、球子も杏も、努めて言わないようにしていた。

 

 次の襲撃はいつだろうか。一日後か。一週間後か。一ヶ月後ということはないだろう。

 敵はそんなに、待ってはくれない。

 そして、彼女らの傷はすぐには治らない。

 バーテックスは死んでもすぐ補充されるが、人間は少しの損壊で長い休養を必要とする。

 

 もはや人類は、ズタボロの少女に壊れた使えない盾を持たせて、予備戦力として戦場に配置せざるを得ない段階に突入していた。

 

「どうして……こんな風になっちゃったんだろうね」

 

「あんず……」

 

「あの頃は……みんな居たのに……

 みんな元気で、一緒に居たのに……

 今はみんなボロボロで、何人も居なくなって、死んで、しまって……」

 

 杏の瞳から、涙がこぼれる。

 中学一年生の女の子でしかない彼女は、湧き上がる悲しみを抑えきれない。

 球子もつられて泣きそうになって、こらえようとして、けれど溢れる涙を抑えることができず。

 二人は静かに、声を押し殺して涙を流した。

 

 ボブの居ないボブの部屋に、二人分の涙が落ちた。

 

(タマは、男っぽくってガサツで、女っぽくないっていつも言われてた。

 だけど、杏は女の子っぽくて……弱くて……本当に女の子らしい。

 タマは決めたんだ。

 自分自身に誓ったんだ。

 タマが絶対になれないようなこの子を、タマが守るって……そう決めてたのに……)

 

 強く在ろうとする球子。

 強く在ろうとする球子に憧れる杏。

 されど二人は、今涙と共に、弱さを見せていた。

 

(タマは、こんなに弱かったか……杏の前で弱さを見せちゃうくらい、弱かったか……?)

 

 涙が抑えきれない。

 大切な人が死んだという事実を前にしたなら、少女にとっては当然の反応。

 泣くのも当然だ。

 悲しむのも当然だ。

 それは、人間ならば当然の感情で、当然の落涙である。

 

 悲嘆を、不安を、憎悪を、球子も杏も少しずつ制御できなくなっている。

 

 球子も、杏も、自分の内側に蓄積した精霊の穢れを、自覚していなかった。

 

 

 

 

 

 もしも、絶望の中でも自らの力で生き残る者が居るとすれば。

 それは、強い者だろう。

 心のどこかに鋼の強さを持つ者だろう。

 

 心の強さだけで生き残れる、というわけではない。

 だが個々人の力に極端な差がないと仮定した場合、集団の中で最後まで生き残るのは大抵、周囲よりも心が遥かに強いものである。

 ボブの死に確かな悲しみを抱き、けれど揺らがず現実に相対し、心の強さを見せた者もいた。

 若葉やひなたが、それだった。

 

 若葉は確かに悲しんだが、泣かなかった。

 ひなたは泣いたが、次の日には引きずらなかった。

 若葉は悲しみに膝をつかない心の足腰があり、ひなたは悲しみに暮れても立ち上がる心の足腰があった。

 

「私は、何も分かっていなかったのかもしれない」

 

 ひなたの部屋にて、車椅子の上で目を瞑り、若葉はひなたに悔恨を語る。

 

「恐ろしい敵が現れること。

 敵に仲間が殺されること。

 バーテックスの悍ましさ。

 ……本当は、何も分かっていなかったのかもしれない」

 

「若葉ちゃんは、ちゃんと分かっていましたよ」

 

「なら、何故ボブとグレートは死んだ」

 

「……若葉ちゃん。どうか、自分を責めないで」

 

「竜胆じゃあるまいし、そこまで私は自罰的でもない。

 悪いのは敵だ。あいつと違って、私はちゃんと弁えている」

 

「あら……」

 

「ただな、分かるだろう?

 友奈や竜胆のような者は、特にそうだが……

 仲間が死ねば、心の奥で自分を責めてしまうような優しい者は……

 仲間を誰も死なせず物事を乗り切る以外に、その心を守ってやる方法がないんだ」

 

 若葉は悲しまないわけでもないし、俯かないわけでもない。

 ただ、とことんくじけない。

 友奈が普通の心を奮い立たせる勇気の少女なら、彼女は全く折れない鋼鉄の少女だ。

 折れぬからこそ、誰よりも強い希望になる可能性を秘めている。

 

「友奈は朝に海に行くと言っていたな。竜胆はどうしている?」

 

「今日も特訓しているようですね」

 

「特訓?」

 

「毎日のように特訓していますよ。

 ボブを初めとした皆さんの戦闘訓練のビデオも穴が空くほど見ているみたいです。

 私も動画集めをお手伝いしました。若葉ちゃんの訓練風景など色々と……」

 

「おい、ひなた」

 

「汗で服が張り付いている若葉ちゃんの訓練動画で顔を赤くされていましたが、編集で……」

 

「おい、ひなた!」

 

「大丈夫です! 彼も立派な若葉ちゃんのファンですからね!」

 

「ひなっ……ああ、もういい」

 

 なんなんだもう、と若葉は溜め息を吐いた。

 だが、竜胆が特訓をしていると聞き、若葉の胸の内は熱くなる。

 あの男はやはり折れていなかった、と思うと、湧き上がる嬉しさがあった。

 若葉は人の心の強さを喜ぶ、そういう人間である。

 ライバルが不屈であることもまた、若葉にとっては喜ばしいことだった。

 

「特訓か。よし、私もまた手伝って……」

 

「だーめ、です!」

 

「あいだだだだ!」

 

 ひなたがちょこっと若葉の肩をつついた。

 若葉は車椅子で外をうろつくこともあったが、本来なら病院のベッドで寝かされているべき状態である。

 戦いの中で腕が抜け、両足の骨がヒビが入っていたのに、最後まで気絶に抵抗して動こうとしていた勇者は流石にものが違う。

 ただ、平時でこういう無茶をするのは、ただのバカだとも言える。

 

「車椅子がなければ移動もできない人が何を言ってるんですか!

 ギプスと包帯が全部取れるまでは絶対安静です! 修行なんてもっての外ですよ!」

 

「まあ待て、左腕だけならなんとか動かせるから……」

 

「ライバルの修行にそんな情けない姿を見せながら付き合うつもりですか?」

 

「……むぅ」

 

 若葉は一発で黙らされ、渋々納得した。

 流石はひなたといったところか。

 若葉がよく聞く言葉、若葉によく効く言葉をよく分かっている。

 

「無茶するなとは言いません。

 でも、する無茶は選んでください。

 前回の戦いで、皆がボロボロで帰って来たのを見て、どんなに心配したことか……」

 

「……すまない」

 

 ひなたは、ボブの死だけを重く扱わない。

 ボブの死も重くは扱うが、それだけでなく、今を生きている若葉達のことも気にする。

 ほぼ全員が重い怪我を抱えて帰って来たあの戦いの結末は、一歩間違えれば全員があの戦いで死んでいたことを示唆しており、ひなたはそれをちゃんと分かっていた。

 

 ひなたが望むのは、死者の蘇生のような無茶苦茶でもなく、戦士達が全員戦いから離れるという夢物語でもなく、いつまでも死者を想うことでもない。

 今を生きる生者が死なず、殺されず、生き残ることだ。

 

「すまなかった。友が傷付いて辛い想いをしているのは、ひなたも同じだったのにな……」

 

「私は……今は、皆が無事で帰って来てくれれば、それ以上のことは何も望みません」

 

「そうだな。私もそれを望んでいる」

 

 ひなたは戦いに向かう若葉に、全てを託す。

 若葉は守るべき日常の中にひなたがいることを常に認識し、戦いに臨む。

 戦う勇者と、帰りを待つ巫女。

 二人は同様に、もうこれ以上誰も死なない未来を願った。

 

「もう二度と、こんな気持ちを味わいたくはない」

 

 自然と会話が途切れ、二人はどちらかともなく、ボブの死を悼んだ。

 

「……」

 

「……」

 

 "死を悼もう"とどちらかが言い出す必要すらない、言葉なくとも互いの考えが伝わる関係。

 それが仲の良い幼馴染というやつである。

 しばし、無言の時間が流れた。

 

 二人の黙祷が途切れたのは、部屋のチャイムが鳴った時である。

 

「若葉ちゃん、ちょっと失礼しますね」

 

 ここはひなたの部屋だ。

 ひなたに用がある人間しか、基本的に来ない。

 部屋の外に出たひなたの予想通り、部屋を訪れたのは大社の使いであった。

 

 なんだろう、と思うひなたに大きめの封筒が渡される。

 書類などがしっかりと入っているタイプの封筒だ。

 ひなたは封筒の封蝋が"かなり重要な案件用"のものであるのを見て確認し、嫌な予感を覚える。

 

 誰にも見られないよう――若葉にすら見られないよう――部屋に入ってドアを閉め、若葉の下にすぐには戻らず、その場で封筒の中身を確認した。

 

 入っていたのは、竜胆のカルテと、医者の所見、そして大社の見解。

 そして、この封筒の中身を、勇者にも、巨人にも、竜胆にも秘密にしろという指令だった。

 カルテを見て、ひなたは自分の目を疑う。

 竜胆のレントゲン写真を見て、ひなたは自分の正気を疑った。

 

(レントゲンに映ってるこれは……一体……

 いや、そもそも、これは本当に人間のレントゲン写真……? これが……?)

 

 夢ならどうか覚めてほしい―――ひなたは、そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボブの遺したものに真っ先に手を伸ばしたのは、おそらく竜胆だった。

 彼はボブの格闘の動きが記録されたDVD等を、ひなたの手を借りるなどして確保し、ボブの部屋からも資料になりそうなものを漁っていった。

 そして見つけたものを使って、ひたすら特訓。

 ひとりきりでボブの動きを練習していく。

 

「はぁ……はぁっ……ハァッ……!」

 

 その竜胆の姿を、鬼気迫る憎悪の姿と見るか、死したボブに向き合おうとする悲しみの姿と見るかは、人によって意見が別れるところだろう。

 ボブも最初は、子供の頃、自分一人で空手を練習していた。

 今の竜胆のように、先人が遺した資料を使ってひとりきりで自分を鍛えていたのだ。

 

 普段は仲間と助け合っても良い。

 だがどうしようもなくなった、最後の最後の時、一人で戦わねばならない時もある。

 そんな時、男は一人で戦うのだ。

 自分自身と戦うのだ。

 ボブのその魂は、在り方は、竜胆の魂に確かに継承されていた。

 

 『故郷のない男』ボブのように、守るべきものを守るため、竜胆は自らを鍛えていく。

 イメージするのは、竜胆にとって最強の格闘家、ボブの動き。

 先を行く彼の後を追うように――先に逝ってしまった彼を弔うように――動きをなぞる。

 技を学ぶ。

 ボブの動きが記録された映像媒体と空手の本を頼りに、竜胆は自らの技の習熟度を、ただひたすらに一人で引き上げていった。

 

 強くならねば。

 その想いが、竜胆に特訓を重ねさせる。

 もう誰も死なせたくない。

 その想いが、竜胆に汗を流させる。

 ボブが守ろうとしたものを、これからは俺が守るんだ。

 その想いが、竜胆を強くする。

 

「ん?」

 

 そんな特訓の中、竜胆は集めた資料の中に、ボブの書き残しを見つけた。

 日記というほどのものでもなく。

 遺書というほどのものでもなく。

 戦いの中で死ぬことを覚悟していたボブが、仲間への想いを一枚の紙に走り書きしていた、その程度のものだった。

 

 それを見た竜胆の胸が痛む。

 宛先に自分の名前があったのを見て、竜胆は驚愕する。

 かくして、特訓の休憩時間に、竜胆は辞書と参考書を引っ張り出して、紙に書かれた英文を翻訳し始めた。

 遺書ですらない、短めの文。

 難しい言葉がなかったこともあって、竜胆は文章を一つ一つ翻訳していくことができた。

 

『俺もいつかは死ぬだろう。

 前はガイア、アグル、ネクサスが、犠牲になった。

 子供達に大きな負担をかけてしまった。

 次があるとしたら俺になるだろう。生きて皆を守りたいが、どうなることか』

 

 一つ一つ、翻訳していく。

 

『もし俺が死んだなら、誰かがこれを読んでいるだろうか。

 だとしたら、俺の死は悲しまないでほしい。

 俺はもう十分に生きた。

 だが十分には守れなかった。

 俺が死ぬ時は、何かを守り、笑って死ぬだろう。だから悲しむ必要はない』

 

 一つ一つ、翻訳していく。

 

『先に死んでしまってすまない。

 生きてお前達を守れなくてすまない。

 だが、あえて言わせてくれ。

 勝て。

 勝つんだ。

 世界は優しくできていない。

 力強き者こそが正義で、勝者こそが正義。それはどこの世界でもそうだ』

 

 一つ一つ、翻訳していく。

 

『分かるか? 勝者こそが正義だ。

 バーテックスが勝てば、奴らこそが正義となるだろう。

 優しい者も、罪なき者も、子供も殺した奴らが、正義となるだろう』

 

 一つ一つ、翻訳していく。

 

『優しき者が勝て。

 負けてはいけない。

 俺達の戦いは、絶対に勝たなければならない戦いなんだ。

 でなければ、優しさ無き者が正義となってしまう。

 勝利は、強く優しい者の義務なんだ。

 バーテックスには愛もない。優しさもない。あんなものに、絶対に負けるな』

 

 一つ一つ、翻訳していく。

 

『天の神は全知全能ではない。

 愛も優しさも無い。

 あるのは、力の差だけだ。

 人と神の間にあるのが力の差だけなら、神の裁きなど受け入れる義理はない』

 

 一つ一つ、翻訳していく。

 

『神が勝てば、最後に残るのは強いだけの者だ。

 だから、頑張れ。

 勝て。

 お前達が勝て。

 最後に世界に残るのが優しい者であるような、そんな結末を勝ち取るんだ』

 

 一つ一つ、翻訳していく。

 

『これを見つけた人に頼む。

 俺がもし、伝えるべき言葉をあいつに伝える前に死んだなら……

 この紙の言葉を、どうか、御守竜胆という頼れる男に、伝えてやってくれ』

 

 翻訳の手が、止まった。

 

『幸福になることを恐れるな。自分を許すことを恐れるな』

 

 翻訳する手の上に、透明な雫が落ちていく。

 

『お前が恐れているのは、自分の罪を忘れ、自分の罪を軽んじること。

 自分が殺してしまった人達の存在が軽くなってしまうこと。

 自分が殺した人を忘れ、自分の罪深さを忘れてしまうことを、お前は恐れている』

 

 一つ一つ、翻訳していく。紙に、透明な雫が落ちていく。

 

『その勇気はきっと正義ではないのだろう。

 だが、それでいいと俺は思う。繰り返す。幸せになることを恐れるな』

 

 一つ一つ、翻訳していく。口から、嗚咽が漏れていく。

 

『お前がその勇気を掴み取れる未来を、俺は望んでいる』

 

 翻訳していく。彼の想いを、遺した言葉を。

 

『どうか、掴み取ってほしい。幸せになる勇気を』

 

 それが―――死したボブの、最後の願いだった。

 

「う……あっ……うああああああっ……」

 

 涙が溢れる。

 幸せになれという、大人のありったけの想いが、そこには込められていた。

 罪の意識で雁字搦めになり、まともとは言い難い精神の状態に成り果てた子供の心に、ボブの遺した言葉はよく染みる。

 

 『幸せになる勇気を持つ者』に―――勇者になれという、一人の男の後押し。

 それは竜胆の心に小さな変化をもたらし、同時に、ボブの死に対する竜胆の感情を、再燃させてしまった。

 

 憎む。

 悲しむ。

 ボブを殺したゼットが憎い自分と、ボブの死を悲しむ自分の境界が分からず、純粋に涙を流すことすらできない。

 悲しみに憎しみが混じる。

 心に闇が混じる。

 彼には、純粋に仲間を死を悲しむ権利すらない。

 あの日の罪は未だ、少年から多くのものを奪ったままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当然のように、次の襲撃が訪れて。

 当然のように、皆の治療は間に合わなかった。

 丸亀城でブラックスパークレンスを握る竜胆。

 振り返って仲間達を見るが、千景を除いた全員が怪我人という目を覆いたくなる状態だった。

 

 球子は腹に塞がりかけの大傷、杏は脳のダメージの経過観察中、友奈は内臓にちょっと洒落にならないダメージがあり、ケンとパワードは胸が一兆度火球で深く抉れている上骨折もあり、若葉に至っては車椅子から降りられない。

 戦えるのは竜胆と千景のみ。

 竜胆は再度状況を確認し、竜胆は若葉の車椅子の前まで行って、体を屈めて首を寄せた。

 

 若葉が自分の顔の近くに寄った竜胆の首に触れ、認証を行う。

 一回分の変身が認可される。

 少年と少女の顔の距離が近くなった一幕で、見ていた友奈は意味もなくドキドキしていた。

 

「なんか映画のキスシーンみたいだね」

 

「「 真面目にやれ、友奈 」」

 

「ハモった!」

 

 最近気付いたけど若葉ちゃんとリュウくんの声がハモると聞いてて気持ち良い声になるよね、とかなんとか千景に話しかけたりしている友奈を無視して、竜胆と若葉は向き合った。

 

「竜胆、精神状態は大丈夫か?」

 

「……ちょっと、大丈夫じゃないな。

 大変申し訳無いが、自己申告する。

 今の俺はかなり暴走しやすい状態だ。精神安定剤でどのくらい抑えられるかな……」

 

 ひなたのくれた薬が、気休め程度の希望だろうか。

 今の竜胆は表面上は平気そうに見える。

 だが彼らの戦場において、強がりで"大丈夫"などと虚飾を口にすることは許されない。

 竜胆は申し訳なさそうに自分の状態を口にして、勇者達は同情・共感・痛ましさなど各々別の感情を顔に浮かべ、ケンは眉間に皺を寄せる。

 

「ヤハリボクガ」

 

「ケンは心臓までダメージ行ってる疑いがあって要検査待ちじゃないか。

 そこで大人しく待っててくれよ。俺が行くから、パワードは最後の手段だ」

 

 下手したらこの戦いで前回の戦傷が悪化し、そのまま死にかねない者までいるのだ。

 怪我人の投入などという最終手段を、竜胆は許容したくない。

 

「若ちゃん、ちーちゃんは前に出さないでくれ。

 下手したら俺の暴走に巻き込まれるぞ。

 俺は一気に突っ込んで、できるだけ壁近くで交戦する。

 ちーちゃんは丸亀城に待機させて……後の判断は、任せる」

 

「分かった」

 

「……悪いな。若ちゃんが刀振れない時に暴走しちまいそうで」

 

「構わん。足が折れていようと約束は守る。

 お前がお前でなくなった時、お前を殺すのは私だ」

 

「良い感じに安心させてくれる言葉をありがとよ。信じる」

 

 若葉は有言実行の女だ。

 こう言ったなら本当に、二度と足が動かなくなるとしても無茶して走り、竜胆をぶった切ってでも止めようとするだろう。

 そうはさせたくないと、竜胆は思った。

 ブラックスパークレンスを構える彼の背中に、若葉の言葉が投げかけられる。

 

「死ぬなよ。死んでも、死そのものが償いにはならないんだ」

 

 今まであった罪悪感に、ボブの死の罪悪感も加わった竜胆に、釘を刺すような言葉だった。

 

「―――お前の正論は、痛いけど、痛い分そうそう忘れねーんだよな」

 

 少年は、時計回りに腕を振り、ブラックスパークレンスを掲げる。

 

「ねえ、乃木さん」

 

「なんだ? 千景」

 

「気のせいなら良いんだけど……竜胆君、最近少しずつ、口が悪くなってない?」

 

 竜胆が巨人になる中で、千景が何気なく口にした疑問は、変身時に闇が立てた大きな音にかき消されていった。

 

 

 

 

 

 パン、とティガの両手が、祈るように打ち合わされた。

 祈りの手が左右に開かれ、離れる二つの手の平の間に無数の八つ裂き光輪が発生する。

 最低限まで威力を下げて数を増やした八つ裂き光輪が、無数に飛翔する星屑を狙い発射され、消しゴムで落書きを消すようにその大半を一気に消し飛ばした。

 

『今日の星屑は多くないか……面倒が、無くて、いいっ……』

 

 ボブの死で闇は一気にその力と大きさを増し、竜胆の制御を離れかけている。

 正気がどのくらい持つか、竜胆自身にも分からない。

 接近してくるゴモラの頭を、ティガはパンチ一発で弾けさせた。

 

『っ』

 

 攻撃力の上昇から"ヤバい"と自覚しつつも、自分自身の手綱を握りきれない。

 今日の大型はゴモラ5、ソドム5、亜型十二星座が3。

 人類側の戦力が復帰する前に潰す目論見で派遣したからなのだろうか?

 随分と数は少なく見えた。

 だが竜胆は今の自分の状態からして、5体倒す前に自分が暴走しかねない、と判断する。

 

 亜型十二星座は牡牛座(タウラス)・ドギュー、水瓶座(アクエリアス)・アクエリウス、蟹座(キャンサー)・ザニカ。

 乙女座がここに混じっていたら、攻撃無効のあの能力の仕様上、人類は今日滅びていた。

 竜胆はほっと息を吐く。

 だが、次の戦いには混じって来るかもしれない。

 人類は本当に、毎日のように綱渡りを続けている。

 

『全員……ここでくたばり、死にさらせッ!!』

 

 八つ裂き光輪を腕に出し、攻撃力の高いアクエリウスに向けて投げつける。

 自分の心と光輪を同時に制御しようとするが、あまりにも大暴れする心の闇と光輪の闇は、どちらも制御しきれなかった。

 光輪はアクエリウスを袈裟懸けにぶち抜くのみならず、着弾の衝撃でその体を一気に爆発四散させ、貫通して突き抜けていった。

 突き抜けた光輪が、四国を守る壁の上端を粉砕しながら、結界の外にぶっ飛んでいく。

 

 ヤバい、とやらかした感覚に、竜胆の背筋が寒くなる。

 

 近寄るゴモラの首を掴んで投げ飛ばそうとするが、増加した力は竜胆の主観認識を遥かに超えていて、以前の暴走時のようにゴモラの首を引きちぎってしまう。

 他のゴモラがティガに爪を振り下ろし、爪は容易にティガの右肩を切り抉った。

 闇の増加が、攻撃力を上昇させる。

 光の増加が、防御力を低下させる。

 ティガは加速度的に、敵を殺しやすいものに、かつ敵に殺されやすいものになっていく。

 

『ぐっ、づっ』

 

 振り回した腕が、ゴモラの胴に命中し、肉を粉砕する。

 これでゴモラが残り2、ソドムが残り3、十二星座が残り2。

 正気と狂気の合間で心が揺れる。

 

 そんな中、タウラスがドギューの変身能力を使った。

 前は、竜胆の妹の姿になった。

 そして、今度は……"ウルトラマングレートの姿"になった。

 偽物のグレートが構える。

 グレートのような技術に裏打ちされた構えではない、素人がするような無様な構え。

 空手の達人の姿を真似て、無様な構えを取るバーテックスを見て、怒りが湧き上がる。

 

『―――』

 

 グレートとボブを殺したバーテックス達の一種が。

 死人の姿を勝手に使い、真似て。

 優しい正義のヒーローの姿を、人を殺すために使用して。

 無様な構えを取っている。

 

 バーテックスがそう意図しているか、していないかなど、もはや関係ない。

 それは、殺意すらかき立てる挑発であり、侮辱だった。

 

『―――なあ』

 

 人は皆死ねば仏、という言葉がある。

 死者に鞭打つような真似はするな、という言葉がある。

 死への侮辱を、人は本能的に嫌悪し、許したくないと思うもの。

 

『死人でッ―――遊ぶんじゃねえッ―――!!』

 

 衝動的に突き出されたティガの拳が、()()()()()()()()

 

 その瞬間の竜胆は完全に、感情に理性が追いついていなかった。

 感情が理性を置き去りにしていた。

 グレートを殺した後に、「たとえ偽物でもボブとグレートを傷付けたくない」という思考が追いついて、竜胆の心に荷重をかける。

 

 完全な暴走が、始まった。

 

『返せ』

 

 暴走が始まったが、ティガから漏れるいつものテレパシーに、雑音が混じらない。

 非常に純度の高い感情が、ティガから漏れ出していく。

 悲しみだ。

 悲しみだけが垂れ流されている。

 憎悪もあるはずなのに……それが感じられないほどに、大きな悲しみ。

 

『返せ、返せ、返せ、返せ、返せ! 返してくれよ! 返せ、俺の仲間を!』

 

 走るティガ。

 ソドムを殴り、蹴り、片っ端から怪獣を絶命させていく。

 子供が駄々を捏ねて親にパンチをするような、"叶わないことを無理矢理に要求する"幼稚さが、暴走によって表出する。

 憎い敵を殺しながら、仲間を返せと叫ぶ姿が、痛ましい。

 

『暖かかったんだ! 優しかったんだ! 嬉しかったんだ! 楽しかったんだ!』

 

 その行為には意味も価値もない。

 一人殺せば一人蘇る、などということはなく。

 一人救えば一人殺した罪が許される、などということもない。

 竜胆はただ、死んだ仲間を想い、泣く。

 

 

 

『―――あの人は、俺なんかの幸せを、願ってくれていたんだっ……!』

 

 

 

 泣きながら、敵を殴る。殴る。殴る。殴る。

 

『ああああああああああああっ!!』

 

 死体になっても、まだ殴る。

 

『あああああっ!! ああああああっ! ああああああっ!!』

 

 グレートの死を辱めた敵に怒り暴走したくせに、敵の死体を攻撃し続ける醜悪を見せ、されど悲しみでその醜悪に気付いてもいない。

 涙で、何も見えていない。

 この攻撃に込められたものは、憎しみなのか、悲しみなのか。

 

『ううっ……ああああっ! うあああああっ! ああああっ!!』

 

 心の光が、悲しんでいた。

 心の闇が、悲しんでいた。

 光が泣いていた。

 闇が泣いていた。

 光は悲しみを経て竜胆を強くしようとし、闇は悲しみを経て竜胆を魔道に落とそうとする。

 御守竜胆は、泣いていた。

 

「やめろよ」

 

 それを遠くから見ていた球子の瞳から、涙がこぼれる。

 

「そういうのやめろよ、先輩……励ましてやれない所で、泣くなよ……」

 

 暴走が、竜胆の本音を垂れ流している。

 この手の暴走がなければ、竜胆はこんな本音を絶対に口にしなかっただろう。

 悲嘆は仲間達に伝わり、皆の中のボブへの気持ちを思い出させる。

 竜胆の涙が、皆に涙を流させる。

 

 人の死で成長する者もいる。

 だがそれは、人の死が過程であった場合、結果として成長することがあるだけだ。

 大切な人の死そのものが、人の心に光をもたらすことはありえない。

 人の死は悲しく、それそのものは絶望である。

 

「リュウくん……」

 

 友奈は笑顔を浮かべていられなくなり。

 

「……」

 

 ケンは変身の負荷で死んでもいいとさえ思い、変身アイテム(フラッシュプリズム)を握り。

 

「タマっち先輩、落ち着いて」

 

「だけど……!」

 

 飛び出そうとする球子を、杏が抑え。

 

「乃木さん……私、行くわ」

 

「待て千景。竜胆は今、暴走を……」

 

「私の精霊が『七人御先』な理由、考えたことはある?」

 

「……? いや、考えたこともない。私の義経と同じで、そういうものだと……」

 

 千景の鎌の柄が、地を叩く。

 

「私は……一人が嫌だった。だから『一人じゃなくなる精霊』になったんだと思うわ」

 

「―――」

 

「今の私は、こうも思ってる。『一人にさせたくない』って」

 

「……千景」

 

「泣いている友達に寄り添うくらいは、良いでしょう?」

 

 若葉は少し驚いていた。

 千景が、若葉に対し、心の深いところをさらけ出してくれたことに。

 そして、千景がこんなことを言い出したことに。

 驚きつつも……それが千景の欲するものなのだと思い、納得した。

 

「分かった。行ってこい、千景」

 

「ありがとう」

 

 千景は無理にでも竜胆の下へ駆けつけようとする重傷人達を諌める。

 

「彼が特別な想いを見せたからじゃない。

 彼が……私達皆の中にあるものと同じ想いを見せたから。

 同じ仲間への、同じ想いを見せたから。

 だから今……皆、助けに行きたがってるんでしょう?」

 

 死んだ仲間に対する気持ちで、皆の心は今、一つになっている。

 

 千景は七人に分身し、一体につき一つ、戦いに行けない仲間達の想いを背負った。

 

 千景の想い、若葉の想い、友奈の想い、球子の想い、杏の想い、ケンの想い……そして、ボブの想い。今あそこで泣いている少年に手を伸ばそうとする想いを、全て千景が背負う。

 

「任せて。私があなた達"六人"の想いも……ちゃんと持っていく」

 

 私のキャラじゃないな、なんて、千景は少し想いながら跳び上がる。

 

 ボブを想って自分が泣いていることに――仲間のために、自分が泣けていることに――随分と遅れて今、千景は気付いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千景が呼びかける。

 それが、感情の暴走に飲み込まれた竜胆の心に届く。

 最後の一体、キャンサーの亜型十二星座と戦うティガの内に届く。

 

「竜胆君。それでいいの?」

 

 悲しい。

 憎い。

 自分を見失っている竜胆の心に、千景の声が届く。

 闇に沈んだ竜胆を引き戻すのは、同じく一度は闇に沈んだ千景の声。

 

「死んでいったボブに見せるあなたの姿は……それでいいの?」

 

 それでいいのか、と千景は問いかける。

 これでいいわけがない、と竜胆の心が叫ぶ。

 暴走して、こんな情けない姿だけを見せて、ボブの墓前で何を言えばいいというのか。

 

「ボブがあなたの中に残していったのは、悲しみだけ?」

 

 違う、と竜胆の心が叫ぶ。

 悲しみだけじゃない。

 悲しみ以外のものの方が多かった。

 幸せだったから、嬉しかったから、楽しかったから、悲しいのだ。

 

「あなたがボブに貰ったものは、悲しい想い出だけだった?」

 

 違う、と竜胆の心が奮い立つ。

 貰ったものは悲しみではなく、もっと尊く強いもの。

 貰ったものは、いつも彼の胸の中にある。

 

 ボブの死で膨れ上がった闇を、竜胆の心が無理をしてでもねじ伏せた。

 心の中身を制御する。

 心、技、体。短い付き合いだったけれども、大切なことはちゃんと教わった。

 ボブの背中は、子供(竜胆)に『ウルトラマン』をちゃんと教えてくれていた。

 

 

 

『明日に希望を! 未来に夢を! 友に優しさを!

 それぞれ持って―――生きていけ! 子供達よっ!』

 

 

 

 彼が遺した最後の言葉が、竜胆の内に巣食う闇を打ち破る。

 

 竜胆は心の中で内なる闇を、現実世界で飛んで来たキャンサーの爪を、殴り飛ばした。

 

『はぁっ!』

 

 暴走は止まり、意識は正常な状態へと戻る。

 眼前のキャンサーと、暴走で防御がおろそかになっていたティガをキャンサーから守ってくれていた千景の七つの背中が、目に見えた。

 

『ボブ……ありがとう。それと……さようなら……』

 

 キャンサーの腕とハサミは先日の戦いとは違い、六本にまで増量されていた。

 どうやらこの短期間でまた改良されたらしい。

 怪獣ザニカの力も加わって、六本のハサミがティガへと迫る。

 ティガはかつてのグレートのように、受け止めるのではなくいなして流し、六本のハサミ全てを防御しきった。

 

 『受け止めるのではなく、力の向きを意識して流せ』というボブの教えが、脳裏に蘇る。

 

 続いて突き出す竜胆の前蹴り。

 前蹴りで腹を蹴られたキャンサーが、押されるようにして後退する。

 

 『威力は低いが、敵を突き放せる。距離調整に使え』というボブの教えが、脳裏に蘇る。

 

 更に放たれる、竜胆の追撃・足刀打ち。

 キャンサーの喉に蹴りが当たり、キャンサーは苦しそうに呻いた。

 

 『前蹴りが"押し"なら、これは"突き"だ。急所を狙え』というボブの教えが、脳裏に蘇る。

 

 キャンサーは六本のハサミで、多角的にティガを攻める。

 ティガは沖縄空手の構え・夫婦手で、攻防の流れを極めてスムーズにしつつ、隙を極限まで減らしてハサミを殴り弾いていった。

 

 『防御中心に教えていることを忘れるな』と、ボブは言っていた。

 『お前は何よりも生きるすべを学ぶのだ』と、英語しか喋れないボブは言っていた。

 『俺がお前に教える技は、殺すためじゃなく、生きるためのものだ』と言っていた。

 ボブが言って、他の人が翻訳してくれて、竜胆はその教えを受け止めて。

 そんな毎日は、もうどこにもなくて。

 されど教わった技の全ては、竜胆の内に残されている。

 

 六本のハサミが同時に迫る。

 竜胆の拳から六連撃が放たれる。

 ボブに貰ったこの拳は絶対に負けない、と言わんばかりに、ティガの拳がハサミに打ち勝つ。

 

 子供を守りたいというボブの祈りは、今、少年の拳に握り締められている。

 少年の拳を強く、強固にしてくれている。

 

『ボブ・ザ・グレートの全ては……無価値なんかじゃない! 無意味なんかじゃない!』

 

 竜胆の叫びは、ゼットの言葉の全否定。

 

―――お前達は、無価値ゆえに滅ぼされるのだ。

―――侵略者に狙われるほどの価値など、この星と人類には存在しない

 

 ボブの存在が、その人生が無価値だなんて、絶対に言わせるものか。

 

『彼は生きた! 生き抜いたんだ! その人生という光を走り切ったんだ!』

 

 ボブの全てを、"悲劇"の一言だけで終わらせない。"無価値"だなんて言わせない。

 

『そして今は―――俺の中に生きている! 俺の中で……俺と共に!』

 

 三年前のあの日、竜胆の殺戮は何も後に残さなかった。

 残したものといえば、後悔と罪くらいのもの。

 闇は価値を破壊し、無価値を残した。

 

 竜胆は今日この日、三年前のように"悪に殺された命"を無価値のまま終わらせなかった。

 悪に殺されたボブの命を、無価値になんてしたくなかった。

 それは、人の死を無価値にしないという意志。

 死した誰かから何かを受け継ぎ、次に繋げていこうとする信念。

 

 先人が遺した技術を自分が継承し、次の誰かに継承するというそれは、人類が文明を発展させていく中で、ありとあらゆる分野で行われきた事柄。

 天の神が否定した、人類の進化と継承の歴史、そのものだ。

 

『ボブはここに居たんだ! ここに生きてたんだ!』

 

 子供はいつだって、周りの大人の真似をする。

 大人を見習って、成長していく。

 大人から何かを学んで、今よりも大きくなっていく。

 そしていつか、目標とした大人を超えていく。

 

『俺が生きている限り……彼がここに居たことを、俺が証明し続ける!』

 

 飛び込むティガ。同時に、飛び込む千景。

 男はいつも、誰かのために強くなる。そして女も、きっと見ているだけじゃない。

 六体の千景の鎌が六つのハサミの動きを阻害し、振り下ろされたティガの手刀と七つ目の鎌が、キャンサーの額に炸裂し、ヒビを入れていた。

 

「『ティガ』っ!」

 

 千景が彼の巨人としての名を呼んで、ティガと千景の視線が交わる。

 ティガはゆっくりと頷き、千景は彼の意を察した。

 六つの体をサポートに残し、一つの体を全速力で遠ざからせる。

 そして、ティガはキャンサー・ザニカにしかと抱きつく。

 

『うおおおおおおおおおっ!!!』

 

 そして、全身を赤熱化させ、敵の体に大量のエネルギーを送り込んで、自分すら巻き込んで敵を爆発させる技―――ウルトラヒートハッグを発動。

 敵の体を、内側から爆発させ、バラバラにした。

 ボブから習った歩法。

 ボブから習った敵の懐に入るやり方。

 ボブから習った敵の攻撃を封じながら敵に組み付く方法。

 それらを噛み締めながら、爆焔の中でティガは佇む。

 

 樹海化が解けていく世界の中で、竜胆は"彼に恥じない戦いができただろうか"と思い、握り締めた己の拳を見つめていた。

 

 

 

 

 

 千景を抱えたティガが丸亀城に帰還し、ティガの変身も解除された。

 樹海化も終わり、いつもの世界が戻ってくる。

 

「おかえり! ぐんちゃん! リュウくん! やったねっ!」

 

「よくやってくれた、二人共」

 

 竜胆は強化された闇を――現段階では、と頭に付くが――ある程度理性で制御してみせた。

 おそらくは、ゼットや大社の一部が期待した通りに。

 暴走することで最強となること。

 闇の力を理性的に行使すること。

 "ティガダークに強さを求める者達"は、きっとその両方を竜胆に求めている。

 実際、仲間の勇者達から見ても、ティガの戦いっぷりは褒めるに値するものだった。

 

「ごめん、皆」

 

「え……竜胆君、なんで謝ってるの? 頭でも打ったの?」

 

 なのに竜胆が突然頭を下げてくるものだから、千景は盛大にうろたえる。

 

「俺、皆が辛い想いをしてたこと、本当は分かってた。

 皆を励ましに行くべきだった。

 気を遣って行動することすらしてなかった。

 いっぱいいっぱいになっちゃってたんだ。

 皆の辛さを和らげる言葉をかけに行かずに、俺はずっと修行だけしてた」

 

 ああ、と、友奈や球子が納得して。

 ああ、と、若葉や千景が呆れていて。

 杏は苦笑していて、ケンは微笑みを浮かべていた。

 

「本当にごめん。そこは、皆の仲間として、失格だった」

 

 竜胆の目は真っ赤で、顔は泣き腫らした跡が誰の目にも見えていて。

 

 そんな竜胆を責めるものなど、この場には一人も居るはずがない。

 

「気にすんなよ。かっこよかったぞ、ティガ。めっちゃ男らしかった!」

 

「タマちゃん……」

 

「腹減ったし、良い時間だしな。

 タマがおいしーうどん屋さんに連れてってやるぞ!」

 

「……ありがとう」

 

 闇の中、竜胆を最初に導いてくれた篝火(ゆうしゃ)が、小さな体で笑う。

 球子と話していた竜胆を、背後からケンの巨体がぐわっと持ち上げた。

 

「ヘーイ! ナイスファイトー!」

 

「うおおおおおおっ!?」

 

「すげえ! ケンが竜胆先輩を肩車した! 二人の身長のせいでめっちゃ高い!」

 

「ハッハッハッ! ヨーヤッタヨーヤッタ!」

 

 身長180手前の竜胆を子供扱いして、軽々肩車して、褒めてやるケン・シェパード。

 ケンに肩車されあたふたしている姿を見ると、竜胆は年相応の子供にしか見えなかった。

 

「本当に良くやってくれた、千景」

 

「……別に、乃木さんを喜ばせたくてやったわけじゃないわ」

 

「構わない。私が勝手に喜ぶだけだからな」

 

「……そういうところよ、乃木さん」

 

「もー二人とも変な喧嘩しないの! アンちゃんも止めてあげて!」

「え、ええっ? 友奈さんじゃないんですから、そんな上手くは無理ですって!」

 

 彼らは生きている。

 たとえ、昨日までの現実を失い、恐ろしい現実に直面しても。

 大切な物を失くし、心引き裂かれても。

 思いも寄らぬ悪意に、立ち竦んだとしても。

 彼らは生きる。

 何度も傷付き、何度も立ち上がり、彼らは生きる。

 彼らは一人じゃないから。

 ウルトラマンも、勇者も、一人じゃないから。

 

 この先に、何が待っていようとも。

 彼らは歯を食いしばり、地獄の向こうに何かがあると信じ、諦めを越えて進み続ける。

 

 神に奪われた人の世界を、取り戻すまで。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

喪失 -デッドエンド-

 勇者システムが人体に与える影響、巨人の力が人体に与える影響は、まだ厳密には全て解明されたわけではない。

 ただし、良い影響ならばその多くが解明されている。

 たとえば、傷が治る速度や免疫力だ。

 ウルトラマンの変身者の変化は微量だが、勇者達は目に見えるほど明確に傷の治りが速く、元々病弱だった杏は健康体と言って差し支えない状態になっている。

 

 骨や内臓にダメージが入っていた勇者達だが、常人と比べれば"凄まじい"の一言が出てくるほどにとんでもない速度で、その傷を回復させていった。

 とはいえ翌日治りました! となるほどでもない。

 ケンと勇者達が全快するまでは、竜胆と千景が二人だけで戦線を構築し、二人だけで連携するために二人だけの特訓をしたりして、敵に備えていた。

 結局二月末現在まで敵が来なかったが、今ある手札においては、備えは万全だったと言えるだろう。

 

 まず杏が脳に問題なしとして復帰した。

 そして、その次に復活したのが若葉。

 若葉本人が元々回復力の高い人間だったのもあり、骨の異常はトントン拍子で快癒していき、リハビリで元の身体能力もあっという間に取り戻していた。

 そして、戦闘勘まで取り戻した段階で、竜胆との模擬戦がまた始まった。

 

「久々だな」

 

「ああ、どこか懐かしさすら感じる」

 

「せいぜい一ヶ月なのになぁ」

 

 道場で、鉄芯入りの木刀を構えた若葉と、金属の下地に強度の高い木材を貼ったアームプロテクター・レッグプロテクターを装着した竜胆が構え、対峙する。

 

「「 勝負っ! 」」

 

 まず、若葉が切り込んだ。

 目を見張る速度の木刀の先端を、空手の孤拳がパリングの要領で木刀の側面を打ち、手首の背が木刀を弾く。

 竜胆はジャブを連続で放った。

 最速の打撃技とも呼ばれるジャブを、若葉は僅かに後ろに下がってかわす。

 若葉は木刀で、竜胆はジャブ。

 しからば距離は拳を届かせるにはまだ遠く、距離間を調整する権利は未だ若葉が握っている。

 

 竜胆が放つは前蹴り。

 ジャブよりはリーチが長いそれが若葉に届き、若葉はそれを木刀で流した。

 だが、それはフェイント。

 先に放った一撃を極限まで本物の一撃に偽装し、その足を引きつつ逆の足で蹴るフェイント技……二段蹴りであった。

 若葉はこれを瞬時に"木刀の鞘"で受け、鞘がミシリと音を立てた。

 

(ボブじみた強者になってきたな、竜胆)

 

 若葉が攻めれば、綺麗に受けられる。

 竜胆の攻め手は変幻自在で、様々な技が空手の基礎の動きに取り入れられている。

 空手の蹴りがブラジリアンキックに変化したところで、若葉はたいそう驚いた。

 それを反射神経だけで避けられたことで、竜胆はもっと驚いていたが。

 

 技の練度、及び総合的な技の厚みと重みではボブには到底及んでいない。

 実際人間の格闘家としてはボブにはまだ勝てないレベルだろう。

 だが事実として、竜胆はボブに迫る勢いで強くなっていた。

 

 ボブの遺した空手の本、メモ、映像記録などからボブの動きを継承し、友奈に見せられた格闘技のビデオなども参考にし、竜胆は加速度的に強くなっている。

 まさしく天才だ。

 そして多様性のある天才と競ることで、若葉もまた強くなっていった。

 

(強い。この男と競っていれば、私も相応に強くなれる……!)

 

 若葉の見立てでは、この竜胆が変身するティガは既に暴走していない時でも、パワードと同格レベルにまで強くなっていた。

 パワードを明確に超えるのも時間の問題だろう。

 心と力の二要素だったティガダークに、技という明確な強みが追加されたからだ。

 

 ティガダークの強さは、実に奇妙な成り立ちをしている上、流動的である。

 心の闇があればスペックが全てアップする。

 心の光が、防御力から順に様々なスペックを低下させていく。

 抑えきれなかった心の闇が噴出すると、突然攻撃力が上昇するなど、元のスペックが顔を出す。

 そして暴走時は、何の枷もなく全力だ。

 

「くそっ、今更だけど!

 若ちゃんレベルの剣術家が武器持ってるのちょっとズルいな!

 間合いが広いし、隙がないし、徒手空拳が届く距離まで踏み込めない……!」

 

「剣道三倍段だ! 悪く思うなよ!」

 

「なんだその三段重ねアイスクリームみたいなの!」

 

「『徒手空拳の武道家が剣道家に勝つには、相手の三倍の段位が必要』

 というものだ! 私にもこの剣の優位性がある以上、そうそう負けてはやれんっ!」

 

 余談だが、若葉は竜胆と会う前の時点から、模擬戦で友奈・球子・千景の三人がかりで逆に圧倒するくらいには強かった。

 

 若葉が剣を振り下ろす。

 竜胆が拳を突き上げる。

 剣の唐竹割り、拳の上段突き、二つが全力でぶつかり合って……若葉の木刀と、竜胆のプロテクターが、同時に砕けた。

 木刀の中の鉄芯が露出し、プロテクターのひしゃげた鉄が目に入る。

 

「……今日は引き分けだな」

 

「ああ」

 

 よくぞここまで仕上げた、と若葉は思う。

 竜胆の動きは実質自己流だが、いわゆる"見稽古"でボブの数々の動きを模倣しており、ボブの強さを継承しようという意識がヒシヒシと伝わってくる。

 それが、若葉には嬉しかった。

 仲間が死んでも、それで終わりにはならなかったことが。

 ボブという仲間の死が、無価値に終わらなかったことが。

 大切な仲間が遺したものを、大切な仲間が受け継いでくれたことが。

 苦悩と絶望と闇に蝕まれながらも、"光の巨人を尊ぶ"竜胆の姿勢が……嬉しかった。

 

「ところで竜胆、この試合中に流している音楽は一体……」

 

「ボブの手記に

 『練習や模擬戦の時は音楽を流せ』

 『その方が楽しく努力できるぞ』

 『辛い訓練もいいが、努力は楽しくやれる方がいい。その方が効率も良い』

 『ちなみにオススメの音楽はこれだ』

 ってメモがあったから……ロックンロール! って感じの曲が挙げられてた」

 

「音楽を流しながら鍛錬した方が効率が良い……そうか……?

 そうなのだろうか……いや、そうなのかもしれないが……ボブが言うならそうなのだろうな」

 

 ボブが遺した考え方は、心技体をバランスよく鍛えつつ、適度に無理もさせないもので、竜胆にも若葉にも程よく良い影響を与えるものであった。

 

「若葉ちゃん、御守さん、お疲れ様です」

 

「ひなたか。いつも悪いな」

「ひーちゃん、お水いただきます。ありがとう」

 

 ひなたが持ってきたひなた特製スポーツドリンクを、二人してゴクゴクと飲む竜胆と若葉。

 二人揃って豪快な飲みっぷりで、ひなたは思わず微笑ましくなってしまった。

 

「くっそ、剣のリーチが本格的に難点になってきたな俺……」

 

「実際、バーテックスは私以上に長いリーチで来るんだ。工夫を考えろ」

 

「巨人は基本徒手空拳だしな……

 闇の八つ裂き光輪のバリエーションを考えるか。

 あるいはリーチの長い武器の懐に入る技をもっと増やすか……」

 

「リーチの長い武器でも、竜胆の攻撃を受けると痺れるぞ。

 実際、私も時折かなり痺れる。

 自傷しないよう気を付け、敵の武器に攻撃を当てて敵を痺れさせるというのはどうだ?」

 

「ゴリラの発想だな」

 

「ゴリっ……!?」

 

「まあ、ひどい! 御守さん、女の子にゴリラなんて言っちゃいけませんよ。

 罰として今の発言の分だけ、若葉ちゃんの女の子らしいところを褒めてください。ね?」

 

「え゛っ……い、意外と同性の友達に甘えん坊なところとか、あとは……」

 

「褒めんで良いっ! ひなた!」

 

「あらあら」

 

 ひなたが微笑み、若葉が振り回されて、竜胆が若葉の良いところ探しをする。

 そんな中、竜胆はふと気付いた。

 ひなたが一瞬、妙に暗い雰囲気をしていたことに。

 竜胆は気付かなかったが、その一瞬ひなたの目は竜胆を見ていて……正確には、見えもしない竜胆の体の中に目を向けていた。

 

 大社も、ひなたも、本当は"それがなにか"を何も分かっていない。

 何も分かっていないから迂闊なことはできないし、迂闊なことを言えない。

 けれど、ひなたは性格上、どうしても心配してしまう。

 その心配を、竜胆が見抜いていた。

 

「どうした、ひーちゃん」

 

「え……今私、何か変でしたか?」

 

「辛いことがあったら相談とか、頼ってくれていいぞ」

 

「え?」

 

「ほらその、なんだ、一つ年上だからな。お前の先輩でありお兄さんでもあるわけだ」

 

 得意げな顔――おそらく頼りがいのある顔をしようとしている――をして、ドン、と竜胆は胸を叩く。

 

「年下の女の子くらい、何人寄りかかってきても平気だ。どーんと来いどーんと」

 

 ひなたの中には、竜胆を心配する気持ちがあった。

 同情する気持ちがあった。

 憐れむ気持ちがあった。

 不安定な人だと思う気持ちがあった。

 

 その全てに勝るくらい、"この人は信頼できる"と思える、そんな気持ちがあった。

 

「ありがとうございます、御守さん」

 

 その時ひなたは、彼の中に、光を見たのだ。

 

 若葉のような、どんな地獄の中でも芯の部分が折れないような、強さの光を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 武器が壊れてしまったので、仕方なく大社に代わりを申請し、二人はひなたが見守る中基礎体力作りのため走り込みに行った。

 当然、これも勝負である。

 50m走、100m走、800m走と、サーキット・トレーニングの要領で様々な走り込みの競争を行うが、その多くで竜胆は若葉に勝利していた。

 

「はぁ……はぁ……基礎体力なら、安定して俺が勝つな……!」

 

「ハァ……ハァ……三年間の地下引きこもりが、よくぞここまで……!」

 

「コツコツ、体力は作ってたからな……!」

 

 神の力と闇の力、どちらも補正を受けた肉体であったが、ここで出た差はここ数ヶ月の基礎鍛錬の密度によるものだろう。

 つまり、竜胆の方が多く走り込んでいた。それだけのことだ。

 

 体力は資本である。

 若葉であれば継戦能力、全力を維持できる限界時間、精霊の肉体的負荷に耐えられる上限などに直結する。

 竜胆は活動時間三分の上限こそ超えられないが、八つ裂き光輪やウルトラヒートハッグ等の威力・発射可能回数などに直結する。

 鍛えておいて損はない。

 

「高嶋友奈、参加します!」

 

「友奈か。竜胆、友奈は中々強敵だぞ。特に今の我々にとってはな」

 

「おはよう友奈。へへっ、足ガタガタだもんな俺達……」

 

 友奈がアップで軽く走り、若葉が鍛錬前のストレッチなどを手伝う。

 "女の子に触れるのはどうなんだ"と竜胆は考えているので、若葉がストレッチで友奈の背中を押したりしている間、竜胆は体育座りで待機する。

 こういう時は蚊帳の外なので、ちょっと寂しく思ったりした。

 少年が筋肉を揉みほぐしていると、肉体もそれなりに回復していく。

 

 友奈を見て、竜胆は昨晩見た動画を思い出した。

 それは、友奈も映っていた若葉の動画。

 "若葉が赤ん坊の頃からの写真と動画を片っ端から収集するのが趣味"というひなたに見せられたそれは、友奈が一度生身で本気に近い動きを見せた時の姿も映っていた動画だった。

 

「友奈はそういや、勇者の姿になってなくても十分強かったな」

 

「私? そんなことないよー」

 

「いや、友奈は勇者の力抜きでも確かに強い。

 あれで仲間相手に本気が出せない癖がなければ、手合わせを何度か挑むんだが」

 

「あははっ、最近の若葉ちゃんとリュウくんだと、私じゃもうついていけないよ」

 

 友奈と若葉の実力は、かつて拮抗していた。

 今だと若葉の方が強い、と言い切れる程度には若葉の方が強い。

 だが追い込んでからの強さではどうなるかは分からない。

 大一番でキャンサーの甲殻をド派手に殴り壊した友奈の底力を、竜胆はしかと見ていたし、それを軽視することはない。

 

「そういえば、タマちゃんの旋刃盤、アナちゃんが直せそうだって。

 昨日お見舞いに行った時に言ってたよ。これでなんとかなるかもだね!」

 

「おお、流石はアナだ。あんな重傷を受けて入院したのに、入院中もよくやってくれる」

 

「アナちゃん……? 俺の知ってる人?」

 

「アナスタシア・神美(かなみ)ちゃん。ウルトラマンネクサスだけど、知ってるよね?」

 

「あー」

 

 未だ復帰に至らない、竜胆から見て三人目の巨人。

 小学三年生のウルトラマン。

 友奈だけが見ていた結界の端で、ゼットにやられたウルトラマン。

 竜胆視点自分が参戦した十二月から現在の二月末まで復帰していないようだが、それだけ深い傷を受けたということなのだろう。

 グレートが抜けた今、復帰が望まれている一人だ。

 

 その彼女が、球子の武器を直せるという。

 直せないと言われていた武器を直せるとは、どういうことなのか?

 

「アナちゃんから聞いた話をそのまま言うと……」

 

 友奈、曰く。

 

 現在勇者が使っている精霊は義経、七人御先、輪入道、雪女郎、そして一目連。

 その全てが死霊・怨霊・妖怪としての形で、『精霊』の名で具象化している。

 だがこの中で唯一、一目連だけは『神』としての側面を持つのだ。

 

 天照大神の子・天津彦根命の子、天目一箇神。

 天照大神の孫たるこの天目一箇神は、一目連と同一視される。

 また一目連そのものも、天目一箇神と同一視される前より、嵐を司る暴風神として崇められていた竜神であった。

 

 目が一箇(いっこ)の一つ目の神。ゆえに『天目一箇神』。

 一つ目の竜神。ゆえに『一目連』。

 

 かつて、神であった妖怪。

 友奈だけが、神に類する精霊を行使しているのだ。

 

 天目一箇神は鍛冶の神である。

 世界各地の神話において、鍛冶の神・鍛冶の巨人はたびたび、片目の存在である。

 これは研究者の間では、鍛冶で片目を瞑って目を凝らす鍛冶師を象ったものであるからという説と、鍛冶師は片目を失明しやすかったからという説が根強い。

 要するに、『一目連』は暴風の神であると同時に、鍛冶の神でもあるということだ。

 

 アナスタシアという少女は、友奈の精霊を借りる――正確には、友奈を(えにし)として神樹の同じ場所から同じ精霊を引き出す――ことで、一目連の鍛冶の力にて割れた旋刃盤を打ち直し、直すという新技術を新たに生み出したらしい。

 それを聞いて、竜胆はたいそう驚いた。

 

「他人の精霊を勝手に使う?

 勇者でもないのに、勇者以上に効率的に精霊を使う?

 妖怪としての側面が顕れている精霊を、神としての側面で行使する?

 ……いや、なんというか……軽く話に聞いてただけだが、凄いな……」

 

「アナだからな。あの子は、私達にできないことができるんだ」

 

 勇者五人の精霊を比較して、特異性があると言えるのは二人。

 兄頼朝の対応により怨霊としての側面を見られた義経と、神としての側面を持つ一目連だ。

 若葉のそれは人間にして精霊、友奈のそれは神にして精霊。

 人間の側の乃木。神の側の友奈。

 それはただの偶然か、二人のこの先に待つ"ひっくり返せるか分からない運命"の示唆か。

 

「あら……自主訓練? こんな朝から……」

 

「よっすちーちゃん。ねぐ……あ、いや、なんでもない」

 

 グラウンドに来た千景が、竜胆の言いかけた言葉を聞いてUターンし、小さな寝癖を直して戻って来た。

 ひなたが「もう」と言いたげな顔で竜胆を見ている。

 戻って来た千景は、ジャージを着ていた。

 

「私もやる」

 

「ちーちゃんのそういう頑張り屋なところめっちゃ好きだよ」

 

(御守さん……いやこれは、そうではなくて……

 友奈さんと御守さんが居たから、仲間外れにされたくなかったとか、そういう……

 ああ、千景さんが若葉ちゃんに対抗心をバリバリ燃やしていらっしゃる……)

 

 竜胆と友奈が太極拳の推手のような動きで、互いの技の練度を上げる打ち合いを始める横で、若葉と千景も短距離走のスタートについていた。

 

「私と競ってみるか、千景」

 

「あなたには、負けない」

 

 千景は気質が引きこもりでゲーマーだ。

 が、訓練にはいつも懸命に打ち込んでいる。

 その身体能力は決して低くはなく、杏のように身体能力や戦闘訓練の数字があまりよくないというわけでもない。

 努力相応には、身体能力もある。

 

 それでも、若葉と競えば勝てなかった。

 

「はぁ、はぁっ……!」

 

「千景も随分速くなったな」

 

 連戦連勝する若葉を見て、ひなたは少し千景に同情してしまった。

 

(千景さんも同年代の女子と比べれば数段上の体力はあると思うんですが……)

 

 若葉が強い。とにかく強い。

 昔から居合道を学び、運動をしていた若葉と比べれば、下地の運動量が違う。

 が、千景はガッツを見せる。

 

「もう一回……」

 

「受けて立つ。私も全力で迎え撃とう」

 

「疲労が溜まりつつあるその体で、いつまでも勝てると思わないことね……」

 

 千景に起きつつある良い変化を、若葉も肌で感じ取っていた。

 若葉と千景の張り合いを横目に見て、竜胆は嬉しそうに笑う。

 

「対抗心ってのはライバル以外にも芽生えるものなんだよな」

 

「リュウくん?」

 

「ちーちゃんを馬鹿にすることもなく、ちゃんと競ってくれる良い奴がいるってのはいいもんだ」

 

 千景はゲームが好きだ。

 対人対戦があるゲームも好きだ。

 ゲームは他人と競わなければ、基本的には上手くならない。

 今、若葉と千景がそうしているように、だ。

 

「他人と良く競争できるって、良いことだよな。

 競争自体に、悪い面があるってのも否定しないが、うん。

 当たり前のことだと思ってたけど、競争ができる時点で結構恵まれてるんだ」

 

「そうだね。勝った方が負けた方を馬鹿にしたりすると駄目だもんね」

 

 これは、あの村での千景には無かったものだ。

 千景は自覚していないだろう。

 けど、これもまた、千景がここに来て新たに得たもの。

 "千景を対等に見て本気で競ってくれる他人"である。

 

 強くなるために他人と競い、結果として他人と上下を決めることになるゲームの競争と。

 上下関係を固定するために、千景を踏みつけにしたあの村は違う。

 努力をすれば勝てるしハッピーエンドに行けるゲームと。

 何をしても無駄だったあの村は違う。

 勝つために互いに全力を尽くす若葉との競争と。

 千景を踏みつけにするために全力を尽くしたあの村の光景は違う。

 

 踏みつけにされ、見下され、全否定され、何をしても邪険にされるなら、競争なんてできるはずもない。

 張り合ってくれる誰かが要るのだ。

 対等に見てくれる誰かが要るのだ。

 "千景には負けない!"という意志でぶつかってくれる誰かが要るのだ。

 

 千景の中には、若葉には負けたくないという気持ちがあるだろう。

 負けた時、心底悔しく思い、ちょっと若葉を嫌いになったりする気持ちもあるだろう。

 だが、同様に、これを嬉しく思う気持ちも、きっとあるはずだ。

 若葉と千景はまた競う。

 

「……俺も、もっかい走ってくるわ。うずうずしてきた」

 

「あ、じゃあ私も一緒に行く! ひなちゃん、ぐんちゃんにも飲み物渡してあげてね?」

 

「はい、承りました」

 

 千景と若葉を見て、"ボブはこういう気持ちだったんだろうか"と思いながら、竜胆は友奈と共に駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 訓練中は手錠を外すことが許された竜胆だが、訓練が終わればガチャンと手錠を付けられる。

 手錠はあまり気にならない。

 最近は運動中に首輪の内側が蒸れることの方が気になってきた。

 

「気温も上がってきたな……三月前だからか」

 

「だから、あんずのそれじゃ絶対駄目だって!

 パワードの光線が効かなかったんだからそれも効くわけないだろ!」

 

「タマっち先輩のそれは決めつけだよ。

 ゼットの台詞からして、対ウルトラマンの修行をしてたのは明白じゃない。

 なら、ウルトラマン対策でどんな能力を使用してたかも分からない。

 ウルトラマンの光線が効かない……例えば、光線限定吸収能力とかがあってもおかしくないよ」

 

「ん?」

 

 特訓を終えた竜胆は、丸亀城のベンチで話し合っている球子と杏を見かけた。

 二人はゼットをどう倒すか、という話をしているようだった。

 

「ゼット対策か。俺も混ぜてくれ」

 

「お、先輩じゃん。こっち来いこっち、タマの横座れ」

 

「あ、こんにちわ。御守さん」

 

 杏と球子は快く彼を受け入れて、竜胆は内心こっそり杏に怯えられなかったこと、及び受け入れられたことにほっとしていた。

 

「必殺の案とかあったら俺にも教えてくれ」

 

「……」

「……」

 

「……そう美味い話はないか」

 

 ああだこうだ、と三人でゼットの倒し方を話し合う。

 

 相打ち覚悟の危険な策でも平然と提案する、脳筋の竜胆。

 どう攻撃して落とすかを考える攻撃重視の、脳筋の球子。

 様々な可能性を多角的に見る慎重タイプの、知将・杏。

 ここに脳筋の若葉、脳筋の友奈、脳筋思考に走りがちな千景、戦いでは規格外スペックでの脳筋戦法に走りやすいケン&パワードが加わっていたら、ちょっと大変だったかもしれない。

 

「私がちょっと期待してるのは、御守さんのウルトラヒートハッグです」

 

「ほう、俺?」

 

「あれは分析によれば、相手の体内にエネルギーを送り込む技。

 相手の体内に送り込んだエネルギーで内側から爆散させる技です。

 ゼットの体内のエネルギーが多ければ大きいほど、誘爆も大きくなるはず……

 それに、内側から爆発させるなら、硬い表皮を無視できるかもしれません」

 

「ああ、なるほど……確かにそうだ」

 

「技の発動前に組み付くというのも良いですね。

 あの瞬間移動は本当に厄介です。

 ですが全身で密着すれば、瞬間移動では逃げられなくなるかもしれません」

 

「おお、いけそうじゃないか、あんず!」

 

「……そこまで持っていくのが大変だと思うよ、タマっち先輩。

 組み付けば近接攻撃も封じられるけど、組み付こうとすればその近接攻撃が飛んでくるから」

 

「むむっ」

 

 杏が希望を見ているのは、ティガダーク唯一の大技。

 自爆技だが、今のところ唯一の必殺に成り得ると杏は見ている。

 ウルトラヒートハッグがゼットを倒せると確信できる技だから、ではない。

 現在の人類戦力において、これ以外に希望が持てる技が無いからだ。

 

「どの道、パワードの光線は防がれてるからな。

 竜胆先輩か、タマ達で何か打開策を見つけないとまた二の舞になりそうだろ」

 

「それは……確かに、そうだな。俺達が頑張るべきか」

 

「はい」

 

 パワードは技がそんなに多くないので、メガ・スペシウム光線と八つ裂き光輪(パワードスラッシュ)を防がれた時点で、必殺技の全てと、光線攻撃技の半分を防がれたことになる。

 と、なれば、対ゼット戦では他の者がフィニッシャーになるしかないのだ。

 

「え? 御守さんとタマっち先輩でこっそり特訓したりして、ゼット対策の技が出来た!?」

 

「おう! タマタマ技を編み出せたんだぞ!」

 

「編み出したというか汲み上げたというか……

 八つ裂き光輪以外の技は、結構ティガの力の中から汲んで編んで組んでって感じだなあ」

 

「となると、やはり近接でゼットに勝てる人がいないのがネックになりますが……」

 

「そこは俺が修行でなんとかする」

 

「……ん?」

 

「俺が修行でなんとかする」

 

 ただ、今のこの世界ににじりよる危機はゼットだけではない。

 ゼットの危機を話していれば、必然的に他の危機の話もすることになる。

 

「……こうなると、ブルトンとどちらを先に倒すか、という話も問題になってきますね」

 

 四次元怪獣ブルトン。

 この四国を守る結界と、樹海化などに使われる神の時空干渉能力を、無効化・消滅させてしまいかねないという、現在の人類の第一討伐目標。

 

「そういや、ブルトンっての、俺はまだ一度も戦ってないな……」

 

「現在地が分かってない上、タマ達の四国に来ないからなー。

 でも干渉は毎日続いてるって話だぞ。

 今は確かアナが神樹の時空操作能力を毎日強化してるから、影響が目に見えないだけで」

 

「……そっちにも手付けてんのかその子。

 俺その子が復帰してから話そうと思ってたけど、その前に会いに行ってみたくなってきた」

 

「つまり結界の内と外に、結界を強化する人と壊そうとする怪獣がいるわけなんですね」

 

 今、仮に、ブルトンの位置を知ることができたとしても、倒しにはいけない。

 ゼットがいるからだ。

 ブルトンを倒しに行っている間にゼットが来たら、何人四国に残し何人ブルトンを倒しに向かわせるバランスだったとしても、四国は全滅する。

 ゼットは現戦力全部で当たらなければならない。

 

 と、なると、ゼットが次に攻撃してくるまで四国は受け身にならないといけないわけで。

 だがブルトンが継続して干渉を続けている以上、ネクサスとアナスタシアが限界を迎えるまで、ずっと受け身というわけにもいかない。

 状況次第では、ゼットを倒す前にリスク覚悟で結界内から打って出て、ブルトンを仕留めに行かないと詰む可能性もある。

 

「うん、確かに、ヤバい状況みたいだが……

 取らぬ狸の皮算用になっても困るし、俺は今差し迫ったゼットの危機への対応を考えるよ」

「タマもそうするかな」

 

「「 難しいこと考えるのは任せた 」」

 

「……!? た、タマっち先輩! 御守さん! ちょっとそれはどうかと!」

 

「だってなあ」

「なー」

 

「……あ、あのですね。

 今の敵を押し返した後だってすること沢山あるんです。

 壁外の生存者の調査とか。

 結界外の状態調査とか、世界を取り戻すために結界外に拠点確保とか……」

 

「タマはアウトドアが大得意だからな。キャンプとかでは頼りにしてくれていいぞ」

 

「マジで? 色々教えてくれると助かるよ、タマちゃん」

 

「任せタマえ!」

 

「頼りにしてるぜ」

 

「もー、二人共……」

 

 話が脇道にそれて盛り上がったりするのは、その子供達が仲良しである証拠。

 

「でも、危険な結界外での活動か……荷物とかあんまり持って行けなさそうだな」

 

「御守さんがいるじゃないですか」

 

「?」

 

「巨人なら、テント一式に数カ月分の食料だって運べます。

 三分が過ぎたら、その後の潜伏や戦闘は勇者が担当すれば良いんです。

 24時間に1回の変身でも、その3分が24時間の価値を一気に高められるんです」

 

「!」

 

「結界内で敵を迎え撃つ戦いが一区切りついても、私達の戦いはまだ先がありますからね」

 

 そう、まだ先は長いのだ。

 守っているだけで勝てるわけもない。

 四国の外に拠点を確保し、日本を取り戻し、世界を取り戻し、天の神を打倒し……それでようやく戦いは終わる。

 今や広い地球のほぼ全てが、敵の陣地と化しているのだから。

 

「とにかく今はゼット対策だな。

 多分俺とケンで前衛やると思うんだが、これをどうにかサポートできないか?」

 

 竜胆が話を戻す。

 

「地面を凍らせて足を滑らせるのはどうでしょうか?

 気付かれないように地面を凍らせておけば、瞬間移動直後に転ばせられるかも」

 

 杏が建設的な案を出す。

 

「タマ思うんだが、あいつの能力ってオートで発動するわけじゃないよな?

 一兆度の火球も瞬間移動も、全部能動的に使う力だ。

 じゃあほら、視界の外から攻撃するとか、地面に罠仕掛けるとか、奇襲するとかさ……」

 

 球子が閃きを口にする。

 

 実際に戦う時は地獄だろう。

 本物のゼットを前にすれば、心より湧くのは絶望だけだろう。

 千の作戦を組み上げても、その中で有効なものは一つあるかどうか。

 勝ちの目は大砂漠に落ちた砂粒一つに等しい。

 

 それでも、三人は希望を語った。

 "その作戦だとここに問題がある"程度の意見は出したが、"こういう理由で絶対に勝てない"と語ることはなく、"こうすれば勝てるんじゃないか"を語った。

 希望を語った。

 前を向いた。

 それは、絶望に抗い闇に打ち勝つ、心の光の力であった。

 

「―――とか、どうよ!?」

 

「いや、タマちゃん、それはねーわ」

 

「ええええ!?」

 

「タマっち……いやそれはないよ」

 

「ま、また先輩が取れた! あんずぅ!」

 

 楽しさも混じえて語りながら、竜胆は内心しんみり感じ入る。

 

 杏は内気で怖がりな、女の子らしい女の子だ。

 竜胆の身の上を考えれば敬遠されて当然、嫌われて当然。

 だが竜胆がボブのために流した涙と悲しみを知った日から、また一歩、杏は竜胆に対し歩み寄ってくれていた。

 仲間に攻撃するティガの姿を何度も見せていたからか、竜胆と杏は共に良心的な人間でありながら、歩み寄るのに随分時間がかかってしまった。

 

 少しずつ勝ち取った信頼があり。

 少しずつ歩み寄った関係があった。

 辛く苦しい日々があり、けれど確かにここにある、楽しさを感じる日々があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボブの死の傷は、徐々に癒えていった。

 傷は時間が癒やしてくれる。

 意外と周りを見ていて、皆に気を使っている球子は、ボブの死から始まった悲しみをここで明確に終わらせるため、皆にレクリエーションを提案した。

 

 若葉だったならレクリエーションで全員参加の模擬戦でも提案するだろう。

 だが、球子ならば、提案するレクリエーションは――

 

「キャンプするぞー! ここをキャンプ地とする!」

 

 ――皆を誘った、合同キャンプとなる。

 

「キャンプかー。丸亀城から離れちゃいけない気もするけどな」

 

「大丈夫大丈夫、丸亀城から近い山だから。ほら」

 

 球子が指定した山は、丸亀城から人の目でも視認できる位置にあった。

 ウルトラマンなら丸亀城まで飛んで一秒といったところだろうか。

 竜胆はその山を見て、ちょっと首を傾げる。

 

「……三年前に地図見た時は、こんなところに山なんてあったっけな……?」

 

「無かったぞ。出来たのは去年の十一月だし」

 

「……んんん?」

 

「あれ、怪獣なんだ。戦いの最中に山になった怪獣」

 

「山になった怪獣……!?」

 

「四国の街を全部山で埋め尽くそうとする侵攻ってのも、前にはあったんだぞ、先輩」

 

「雑だけど強烈な作戦だな……」

 

 その怪獣の名は、不動怪獣『ホオリンガ』。

 特に語るような強さは無いが、山に変化することができる怪獣である。

 その能力の絶対性たるや、星屑でホオリンガを作って山にした場合、本当に緑豊かな山になった挙げ句、元には戻らず以後人に害も与えないというほどだ。

 現代人は山を街のようには使えないので、これで街を埋め尽くすというのは、作戦としてはそこまで間違っていないのかもしれない。

 現に、ほぼ撃退された後であろう現在でも、山が一つ残っているのだし。

 

「来たぞー! 山ー!」

 

「タマちゃん足元気を付けて」

 

「子供扱いすんな先輩! 第一タマの方が山に慣れてんだから……」

 

「あいだぁー!?」

 

「先輩の方が転ぶの!?」

 

「油断したぜ……この山、そうとうやるぞ」

 

「何思わぬ強敵に思わぬパンチを貰ったみたいな言い草してるんだ……ほら」

 

「ああ、ありがとな」

 

 転んだ竜胆に、苦笑する球子が手を差し伸べる。

 体の大きな少年が、体の小さな少女に助け起こされる奇妙な光景。

 仲間に手を差し伸べられるだけで嬉しく感じてしまうのは、彼の人生が酷かったからだろう。

 やや嬉しそうに立ち上がった竜胆の頭のてっぺんを見上げ、球子はボソっと呟く。

 

「……竜胆先輩、今身長何cm?」

 

「この前の検査だと178だったかな。どうした突然」

 

「おかしい……30cm無かったはずの身長差が30cm以上になってる……!?」

 

「男の子が女の子より背が高いのは、女の子を守るためだって父さんが昔言ってたよ。

 父さんが言ってたことが本当なら、これはつまり俺の心を体が反映したんだろうな」

 

「限度があるだろ!」

 

「女の子は小さくて可愛くても良いけど、男はでっかくなくちゃいけないんだ。特に心は」

 

「女の子だって大きくなりたいって気持ちはあるんだよっ!」

 

 竜胆と球子がわいわいと道を進み、皆がその後に続き山に入っていく。

 

 山でテントを広げた時点で、皆が皆、各々の役割を果たし始めた。

 

「サカナ、ツッテキゾー」

 

 ケンが魚を釣ってくる。

 なお、ここは山だが、釣ってきたのは海魚。

 元怪獣の山に川なんて流れているわけもないのでしょうがない。

 ここが海沿いの山という素っ頓狂な立地であって助かった。

 

「流石はケンだな。最近は魚があまり獲れないという噂もあったが……ひなた、どうなんだ?」

 

「そうですね……結界の外の状況にもよりますが……

 大社は魚が獲れなくなる可能性も考えているようです。

 でも神樹様の恵みがあるので、魚を食べられなくなるということはなさそうですね」

 

「そうか、良かった。魚が居なくなればうどんの出汁も取れなくなるからな」

 

 ケンが魚を釣ってきて、料理上手なひなたが捌き、生き物を刃物でかっさばくことが得意な若葉などがそのサポートにあたる。

 

「わー! ぐんちゃんが崩れたテントの下敷きに!」

 

「な、なんでこうなるの……?」

 

「なあ、千景。タマは思うんだ。

 "あの人達にいいとこ見せよう"と張り切ってる未経験者が、一番危なっかしいってな……」

 

「タマっち先輩! オブラート! オブラート!」

 

 友奈が慌て、球子と杏が千景を救出し、千景が引っ張り出されるテントの風景。

 

「ふー、ふー……よし火が点いた……」

 

 一方その頃、竜胆は火を点け、集めた木の枝をくべ、炭に灯った火を大きくしていた。

 

(キャンプで火周りを任されるとちょっとワクワクするのは何故だ……

 火に空気を送り込んでデカい火にするのがこんなに楽しいのはなんでだろう……

 ……男の魂に刻み込まれた本能とかなんだろうか……なんか本当楽しいなこれ)

 

 キャンプの時に火に向かってうちわで過剰なくらいに空気を送り込む男のような、情動。

 ある意味それは、本能のようなものなのかもしれない

 

「竜胆先輩、これ使った? タマが持ってきたこれこれ」

 

「え、何これ?」

 

「カミマキ。紙薪ってやつな。

 新聞紙をバラバラにして、水でふやかして溶かして、固めたやつ」

 

「タマちゃんのオススメならさぞかし燃えやす……って予想以上にさっくり火が点くな!」

 

「火は点きやすく、圧縮された新聞紙だから木の薪のように安定して一定時間燃える。

 新聞紙だから材料も簡単に手に入るし、作るのも簡単。アウトドアのオススメ品だぞ」

 

「はー……タマちゃんすげえなあ」

 

「そうだろ、そうだろ! もっとタマを頼ってくれタマえ!」

 

「それでなんだっけ新聞紙のこれ、タマキだっけ」

 

「カミマキ!」

 

 火力が安定してくると、球子は分けた火でご飯を炊き始める。

 ケンは捌き終わった魚を持って、竜胆が育てた火で魚を焼きに来た。

 

「ボクガヤクヨ」

 

「料理上手なケンならタマも安心だな」

 

 ケンが手際よく魚を火に当てていく。

 やってみたいなあ、と竜胆は思った。

 口に出さなくとも顔に思いが出ていたのか、それを察したケンが微笑み、手招きする。

 

「ホラ、オイデ」

 

 竜胆を火の前に立たせ、ケンはその後ろから竜胆の手を取り、魚の焼き方を教えていった。

 ケンは竜胆よりも30cm近く背が大きい。

 文字通りに、父と息子ほどの身長差がある。

 ケンが背後からそうしていると、後ろからは竜胆の姿が見えなくなるほどだ。

 

「ホラ、ココチャントヒガアタッテナイ」

 

「う、うん」

 

「ソウ、ソレデヨシ。ヨクデキタネ」

 

 一つ教えて、一つできたら、一つ褒める。

 そんな繰り返し。

 ケンは皆の父のように振る舞っている。

 皆の心を見ながら、自分の振る舞い方を考えている。

 

 だからだろうか。

 竜胆はこっそり、自分の背中をケンの胸に寄りかからせた。

 ケンは何も言わない。

 気付いていないはずがない。

 けれど、何も言わなかった。

 

 それは、子供が大人に甘える気持ち。

 息子が父親に甘えるような気持ち。

 ケンを頼りにする、竜胆の心が現れた行動だった。

 

 そんなこんなで、スパイシーに味付けされた塩焼き魚がドドンと乗った、飯ごうで炊かれたご飯・プラス・レトルトカレーというキャンプらしいラインナップが完成した。

 

「いただきまーす! おいしー!」

 

 友奈が真っ先にいただきますを言い、真っ先に食いついた。

 美味しそうに笑顔でカレーと塩焼きをはぐはぐ食べていく友奈に、皆もつられて笑顔になる。

 球子と杏が竜胆の焼いた焼き魚を食べて、美味しそうにしていた。

 

「魚が良い感じだ。やるじゃん、竜胆先輩」

 

「美味しいね、タマっち先輩」

 

「ああ!」

 

 美味しい美味しいと言っている友奈の横で、若葉やひなたも頷く。

 

「うん、初めての焼き魚にしては完璧じゃないか。生焼けの部分も無いぞ、竜胆」

 

「美味しいですよ、御守さん」

 

 千景は一人だけカレーを完全に後回しにして、一人だけ大事そうに焼き魚を味わっていた。

 

「おいしい。……美味しいわ」

 

「ちーちゃん……ありがと」

 

 ケンが左手で塩焼き魚を食べながら、笑顔で竜胆の頭を撫で回した。

 

「オイシイオサカナ、ヨクデキマシタ」

 

「……ケンのおかげだ。ありがとう」

 

「ヤイタノハ、キミサ」

 

 竜胆はちょっと照れくさくなって、席を立って球子の頬の魚の肉を取りに行った。

 

「タマちゃん、頬に付いてるよ」

 

「え、ホントに?」

 

「取ってあげるから動かないで」

 

「い、いいって! 自分で取れるから先輩は座ってろよ!」

 

「でもなんか猫のヒゲみたいになってるぞ」

 

「いいから!」

 

 しっしっと照れた球子に追いやられ、竜胆は適当な席に座ろうとして、そこに同時に座ろうとした杏とぶつかりそうになってしまった。

 思わず席を譲り合う。

 

「「 ど、どうぞどうぞ 」」

 

「ぶふっ」

 

 心の距離が近いわけでも遠いわけでもない、ゆえに同時に譲り合ったというこの行為が、見ていた球子のツボに入った。

 げほっ、げほっ、と気管支に入ってしまった米粒でむせこむ球子。

 球子に駆け寄った杏に席を譲った竜胆を、若葉が手招きする。

 竜胆は若葉の隣に座って、またカレーを食べ始めた。

 

「たまにはこういうのも良いとは思わないか? 竜胆」

 

「同感」

 

 時刻はもうすっかり夜だ。

 夕日の光が少し地平線・水平線の彼方に見えるくらいで、空にはすっかり星空が広がっている。

 この星空も、神樹が作り出した偽物。

 米やカレーも神樹の力が生み出した作り物。

 大地から生まれた食材など、もうこの時代の人間の世界にはほぼ存在していない。

 

 だが、今の彼らの胸に宿る気持ちは、神樹が作れるはずもない、紛れもない本物だった。

 

 遠くに見える夕日の残滓。

 どこまでも広がる夜空と、そこに広がる星々の煌めき。

 風が吹けば木々が揺れて、木々が擦れて清涼感のする音が鳴り、火勢が増した焚き火から、パチパチと枝が弾ける小気味の良い音が鳴る。

 かすかに聞こえる、虫の奏でる音楽さえも心地良い。

 

「ここには何もないが、不思議と心が安らぐ。私はこの空気が嫌いじゃないんだ」

 

「いや、風情もあるし情緒もあるだろ」

 

「……これは一本取られたな。確かにそうだ」

 

 ふふっと若葉が笑って、若葉の隣でひなたが会話に加わらないまま、くすりと笑っている。

 

「あと、仲間がいる」

 

「ロマンチストだな」

 

「若ちゃんもだろ」

 

「竜胆ほどじゃない」

 

「どうだか」

 

 竜胆と若葉が同じように魚を齧っていると、竜胆の隣に友奈が座った。

 

「ロマンを見るのは良いことだよ、うん」

 

「友奈」

 

 友奈は一足先にカレーと魚を食べ終えて、謎の木の実を食べていた。

 いわゆる、山の木になっている小さな果実というやつである。

 

「……何それ?」

 

「まだ日がある時にね、見つけたんだ。

 ちょっとつまんだら甘酸っぱくて美味しかったから、後で皆にもあげようかなって」

 

「ビニール袋に集めていたのか……友奈らしいというか、なんというか」

 

「これ図鑑で見た覚えがありますけど、名前までは思い出せませんね……」

 

 果実の名前を思い出せずにこめかみを叩くひなた。

 竜胆は友奈自身に聞いてみた。

 

「これなんていう果物なんだ? 友奈」

 

「え? わかんない」

 

「おいマジか。毒あったらどうするんだ」

 

「感覚的に大丈夫なことは知ってるけど名前までは知らないよ。

 強いて言うなら……

 『高嶋友奈が子供の頃近所に生えてた木の実』!

 でも美味しいことは知ってるから大丈夫。美味しいから大丈夫だよ!」

 

「毒キノコ食ってからその台詞言える?」

 

「……まだ食べてないから、まだ言える!」

 

「お前は本当に勇者だよなぁー!」

 

 "美味しそうな木の実"とか、"道端に生えている花の蜜"に対して、高嶋友奈は勇者である。

 

「ぐんちゃんは食べるよね?」

 

「私はちょっと……虫が食ってて中にいるかもしれないし……」

 

「ぐんちゃーん! 怖いこと言わないでー!」

 

 郡千景は勇者ではない。

 

「あっ、これ食後に良い感じだぞ若ちゃん」

 

「ふむ……この甘酸っぱさ。カレーがもう少し辛ければカレーとも合うな」

 

 御守竜胆は勇者なのかもしれない。乃木若葉は勇者である。

 

 千景は友奈の果物を球子、杏、ケンも食べ始めたのを見て、自分だけ置いてけぼりなのは嫌だな……と思い、友奈に渡された小さな果実を見つめた。

 木苺の類だと思えば良いのかな、と千景は自分に言い聞かせ始める。

 そんな千景を、学校帰りに花の蜜を吸わないいい子を誘うわるい子のように、竜胆が誘惑していった。

 

「大丈夫だって、山の果物に毒があるイメージは無いし」

 

「イメージなの……?」

 

「友奈が子供の頃から食べてたやつなら毒は大丈夫だろ。

 嫌なら食べなくてもいいさ。

 食べてお腹壊したら……皆で仲良く、病室で一緒に、友奈でもいじめようぜ」

 

「ええっ!?」

 

 友奈が驚き、竜胆が少年らしく笑った。

 千景は手元の果実をじっと見つめる。

 お腹を壊しても、それでも、皆と一緒なら。それはそれでいいんじゃないかと、千景は思った。

 

「……」

 

 そして、ぱくっと口に運んだ。

 

「……甘酸っぱくておいしい」

 

「ん、よかった」

 

 竜胆の勧めで、千景はもう一つ、友奈から今の果実をもらう。

 甘酸っぱいと感じたが、二個目は結構酸っぱく感じて、千景は慌ててカレーを食べた。

 

「明るい内にもっと探してみれば良かったかなあ」

 

「そしたらテント立てるのが間に合わなかったぞ、友奈」

 

「それは困るな。寝床が無くなる」

 

 友奈、竜胆、若葉が果実をもぐもぐと食べていく。

 

「今の季節で良かったね。

 まだちょっと寒い季節だけど、今日は暖かいし……

 この実は確かこの季節にしか出来ないもののはずだから」

 

「俺的には、この季節にはもっと大きな利点があると思うぞ」

 

「何?」

 

「蚊がいない」

 

「「 ああー…… 」」

 

 友奈と若葉が、納得顔で頷いた。

 

「そういえば蚊って、人類が滅びたら滅びるのか?

 バーテックスは人間憎いのか知らないけど蚊の気持ちも考えろよな……」

 

「凄い事言い出したな……」

「リュウくんは時々爆発的に凄いこと言い出すから……」

 

「蚊の食べ物って人間の血しかないんだっけ?」

 

「そうなんじゃないか?」

「だから人間だけに寄ってくるんじゃないの?」

 

 そんなことはない。そんなことはないのだが。ツッコめる者が会話の輪の中にいない。

 

「蚊だって俺達を応援してくれてるさ。『滅びるな』って」

 

「じゃあ人の血を吸うのは控え目にしてくれないかな……」

 

「友奈。蚊だって俺達みたいに美味しいご飯を食べたいんだ」

 

「ううっ、確かに今日のカレーと焼き魚は美味しかった……!」

 

 竜胆、友奈、若葉がカレーをおかわりした。

 

「いざとなれば蚊だって俺達と一緒に戦ってくれるさ。

 何せあんなにがむしゃらに人間という食べ物に食いついてくるんだ。

 蚊は潰されると分かってても人間の血を吸いに来るからな。

 美味しいものを食べるためなら死んでもいいという真正のグルメ。

 人間という最高のグルメのためなら、死を覚悟してバーテックスに挑んでくれるかもしれない」

 

「美味しい飯のためなら死ねるのか……いや蚊はそういうところあるが」

 

「うーん、うどんのためならともかく、カレーのために死ぬのは嫌だなぁ」

 

 うどん。

 冗談混じりとはいえ、うどんのためなら死ねる、という言葉にちょっと真実味を持たせる物。

 香川のソウルフード。

 勇者と巨人の好きな食べ物をリスト化すると、うどんうどんうどんと並ぶほどの代物。

 そう、それが、この食卓には足りないのだ。

 

 だがそこで、アウトドアにおいて抜け目の無い球子の目がきらりと光る。

 

「ふっふっふ……じゃーん! 持ってきたぞ、うどん一式! できるぞ、うどん!」

 

「でかしたタマちゃん! お前は最高の後輩だ!」

 

「良い称号くれるじゃないか先輩! 人数分作るから、ちょっと待っててな」

 

 球子がうどんを鍋に放り込む。

 隣に冷水締め用の鍋を用意しているあたり本格的だ。

 うどんを作る手際も見事であったが、屋外で焚き火でこれをしているという手際にこそ驚嘆すべきである。

 

 焚き火には弱火・中火・強火も無いのだ。

 火の強さに水の温度と、知識がないと焚き火でこの手の調整は一切できない。

 細かな知識でキャンプをしっかりとやりきっていく球子の一面を見て、竜胆は彼女の知られざる頼り甲斐を知るのだった。

 そして、彼女の頬に目が行く。

 治りかけの傷が一つ、先程魚がくっついていた頬の反対側にあるのが見えた。

 

「タマちゃん、頬に傷が……」

 

「ああ、気にしないでくれタマえ。ちょっと訓練で下手打ったんだ」

 

「無茶はするなよ」

 

「へへっ、タマは本来盾役だからな。前に出てあんずとか、脆い先輩とかを守ってやらないと」

 

「言ったなこんにゃろう」

 

 球子は前衛。

 球子は盾役。

 敵を攻撃する巨大な旋刃盤こそ目立つが、その本質は人を守ること。

 "人の代わりに傷付くこと"だ。

 よく見れば、球子の体には、消えるかも分からない傷跡がいくつも見える。

 

 竜胆はゼット戦で血まみれになった球子の姿を思い出す。

 腹から血を流しながらも、竜胆に盾を投げ渡した時の姿を思い出す。

 

 もう二度とあんな傷は負わせない、と思いながらも竜胆は、あの時の球子を美しいと感じた。

 痛みを越え仲間を守る気高い姿を、美しいと感じた。

 傷だらけでも彼女らしく在り続けるその心を、美しいと感じた。

 流れる血の赤色が、痛み悶える彼女の姿が、美しいと感じた。

 内臓も見れたら良かったのに、と思った。

 竜胆はあの時の球子を美しいと感じたものの、もう見たくないとも思ったわけで。

 竜胆は彼女を守る決意を固める。

 

 なのに、球子は球子だった。

 

「あんずとかみたいに、タマはそんな女の子らしくないからさ。

 そういうやつが受けるはずだった傷をタマが受け止められたなら、それはタマの勲章なんだ」

 

 彼女は体に付いた傷を嘆かない。

 勲章だとすら言い切っている。

 

 ふと、竜胆は球子の勇者衣装の花のことを思い出した。

 土居球子は、姫百合の勇者だ。

 姫百合は普通の百合よりも小さく可愛い、可憐なオレンジ色の百合。

 明けの明星の百合(モーニングスターリリィ)とも呼ばれる可愛らしい花だ。

 

 花言葉は『誇り』『可憐な愛情』『愛らしさ』。

 そして、『強いから美しい』。

 百合でありながらも、小さい花が力強く立つその姿は、人にその花言葉を付けさせた。

 それが、姫百合だ。

 

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」

 

「ん? なにそれ」

 

「褒め言葉だよ。大人になると意味が分かるやつ」

 

「ふーん」

 

 うどんを作っている球子にそんなことを言う少年の横に、ふふふと笑うひなたがやって来た。

 

「姫の百合に百合だから、と。私もああいう台詞を生涯に一回くらいは言われてみたいものです」

 

「意味分かってるなら茶化すなよ……」

 

 百合の花は可憐で美しく、儚い女性の象徴だ。

 勇者衣装だけを見れば、一見百合の花の勇者にも見える杏が紫羅欄花(あらせいとう)の勇者で、そうは見えない球子の方が百合に連なる花の勇者であるというのが、なんとも奇縁である。

 

「ひーちゃん、この前の調査依頼だけど……」

 

「精霊の未知の悪影響が何かあるんじゃないか、という件ですね」

 

「そうそう、伊予島に言われて、"もしかして俺が感じたあの闇って"ってなったやつ」

 

「一人ずつ精密検査してデータの比較をしてみるそうです。結果は待ってくれ、と」

 

「大社が?」

 

「正確には大社の医療部門の方ですね。

 上を通す煩雑な手続きはせず、急いでやってくれるそうです」

 

「そっか、時間待ちか……」

 

 杏の知識と理論立てて物事を考えられる思考と、知的の正反対に居る竜胆の持つ情報。

 二つが合わさって、何か致命的なことが起こる前に、彼らは真実に辿り着きかけていた。

 だが、精霊の知られざるデメリットが発覚したところで、何も変わらないだろう。

 危険でも使うしかない。

 精霊の使用を控えて勝てるような戦況ではない。

 生きるためには使うしかないのだ。

 ティガダークと、同じように。

 

 ティガダークがどんなに危険な存在でも、現在の人類は使うしかない。

 嫌々でも使うしかない。

 その前提があるから、今竜胆は幸福な日常を送ることを許されている。

 ティガダークを使わなければならないほどの人類の窮地を、喜んで良いのやら、嘆いて良いのやら、といった状況だ。

 

 何せここまで人類が追い詰められなければ、竜胆は一生幽閉されていただろうから。

 結果論だが、竜胆がバーテックスに助けられたような形であるとも言えるだろう。

 人類は彼を使うしかない。

 彼は人類のために戦うしかない。

 人類が彼を使いたくなくなっても。

 彼が戦いたくなくなっても。

 自分以外の全てと、自分自身さえもが、"御守竜胆が戦うこと"を嫌悪するようになっても。

 戦うしかない。

 もう、戦いから逃げる道はない。

 彼にしか殺せない敵が居る以上、彼に他の未来はない。

 竜胆の心は、他の未来を選べない。

 

 彼が逃げれば、人類は負ける。世界は滅びる。戦う以外の道はない。

 

 友奈が、うどんができるまでの時間をふらつき始めた竜胆を見かける。

 月を見上げていた竜胆に、友奈は声をかけた。

 

「リュウく―――」

 

 声をかけようとして、止まる。

 

「―――誰?」

 

 竜胆に声をかけたつもりが、竜胆でない者が振り返ったような、そんな気がして。

 振り返った瞬間に、竜胆に戻ったように見えて。

 友奈は今の一瞬を、気のせいだと思った。

 

「……ん、ああ、悪い。今ちょっとぼーっとしてた。どうかしたか?」

 

「……ううん、たぶん、気のせいだと思う」

 

 友奈と竜胆が、笑い合って一緒に歩いていく。

 

 御守竜胆は、高嶋友奈に対しては、一切の負の感情を抱くことはなかった。

 

 

 




 仲間との絆で強くなっていく心の光


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

 一人用RPGとパーティーゲームが棚に並んでいる。

 世界がほとんど滅びても、ゲームを買おうとする人と、ゲームを売る人は居なくならない。

 千景にはそれが、なんだか嬉しい。

 迷った末に、PTゲームを千景は選んだ。

 ゲームを買って店を出る。

 

「……あ」

 

 そこで千景は、フードを深く被り、空を絶対に視界に入れないようにしている人を見た。

 "空を絶対に見ないようにしている"人の動きは独特で、分かりやすい。

 だからこそひと目で分かる。

 

(天恐……)

 

 『天空恐怖症候群』。

 略して天恐。

 空より襲来したバーテックスへの恐怖で人々が発症した、世界で最も新しい精神病だ。

 そして人によっては、世界で最も恐ろしい精神病であるとも言う。

 症状は大雑把に分けて四段階。

 

 ステージ1。

 最も症状が軽く、空を見上げることを病的に恐れ、外出が困難になる。

 ステージ2。

 バーテックス襲来時の記憶のフラッシュバック症状が起こり、日常生活に支障をきたす。

 ステージ3。

 幻覚やフラッシュバックが頻発し、常時投薬は必須となり、生活も労働も不可能となる。

 ステージ4。

 自我は崩壊し、記憶は混濁し、発狂に至る。

 

 その症状の重さと発症率が尋常ではないため、これは恐怖が引き起こす精神病ではなく、バーテックスから発される未知の毒素か電波が元凶だ、と主張する者もいるほどだ。

 バーテックスがばら撒いた、人の心を殺す病。

 

―――バーテックスは、人間が空を不敬に見上げることさえ許してないのかもな

 

 竜胆が以前そう言っていたことを、千景は思い出す。

 上を向けなくなった人間は、下を向いて生きていくしかない。

 俯いて生きていくことを強制する病。

 千景の母も……この病気に罹患している。

 

「……」

 

 千景の母は、千景と夫を捨てて若い男と逃げ、遠くに行って、そこでバーテックスの襲来を受けてしまったらしい。

 一緒に逃げた男は死に、千景の母の心は壊れた。

 笑える話と言うべきか?

 皮肉な話と言うべきか?

 千景の母がまともに生き残る可能性は、千景を見捨た時点で消え失せたのだ。

 ティガダークに守ってもらうか、勇者千景に守ってもらう以外に、それは無かったのだから。

 

 千景の母は既にステージ3。

 ここまで来ると自宅療養すら困難で、千景の母は今や会話も難しい入院患者だ。

 そしてステージ3になった者は、ほどなくステージ4になるという。

 そう、つまり。

 千景の母が発狂するのは、もはや時間の問題だということだ。

 

「……」

 

 千景はかつて母を愛した。その後は憎んだ。今は憐れんでいる。

 今の千景の母は、誰にも愛されていない。

 若い男と逃げた時から、親戚一同全てに見限られている。

 夫にも愛されていない。

 娘にも愛されていない。

 誰にも愛されず、病院で時折奇声を上げて苦しみ、やがて来る発狂死を待つだけの母を見て……憐れみを感じたのを、千景は覚えている。

 

 空を見上げられない、その名もなき通行人を見ても、千景は同様の憐れみを覚えた。

 名も知らないその辺の通行人に対する憐れみと、母に対する憐れみが何も変わらないということを実感し、千景は実母ですら自分の中ではどうでも良くなり始めているということを、自分の中で再確認する。

 

 彼らが恐れる、空を見上げてみる。

 千景は何も思わなかった。

 強いて言うなら、"人のために神樹はこんな綺麗な空を頑張ってわざわざ作ったのかもしれない"と思ったくらいか。

 

 空を見上げることの、何が怖いのか?

 千景にとっての怖いものは、空よりも地に多かった。

 ふと、再会してすぐの頃の竜胆の言動を思い出す。

 

―――僕に触ろうとするな。僕に近付くな。僕に関わるな。叩き潰されても知らないぞ

 

―――僕が巨人に変身した後……僕の周りに極力近付くな。近寄れば、殺す

 

 竜胆は、自分の周り、『自分の足元』に人が寄るのを、病的に嫌がっていた。

 

(今なら分かる。

 彼は、善い人が自分の周りに寄るのが怖くて……

 自分の足元に人がいるのが怖かった。下を見るのが、怖かったんだ)

 

 小さな人間は上を見上げることを恐れ。

 大きな巨人は下を見下ろすことを恐れた。

 小さな人は殺されることを恐れ、大きな人は人を殺してしまうことを恐れた。

 

 あまりにも、対照的だった。

 

(……あれ)

 

 思考の最中、千景は気付く。

 

(私は……こんなことを考えるような人間だったかしら……?)

 

 竜胆を救い、助けになりたいという気持ち。

 母をもはや憎まず、憐れむ気持ち。

 名も知らぬ天恐の通行人を見ただけで、かわいそうだと思う気持ち。

 昔の自分にはなかった気持ちを次々自分が抱く……そこに、千景は違和感を覚えた。

 

 竜胆ほど強くない千景には、そんな余裕はなかったはずなのに。

 千景はあの母を憎んでいたから、母にそんな気持ちを抱くはずがなかったのに。

 あの通行人ですら、天恐であっても、千景ほど不幸な人生を送っているはずがないのに。

 その憐れみは、千景自身にすら不可解なもの。

 

 だが、すぐに理由に気付く。

 

(そっか)

 

 理由は、とても明白だ。

 

(私には今……幸福があるから……)

 

 昔の千景は、誰かに優しくする余裕が無いほどに不幸だった。

 誰も憐れまなかった。

 他人を助ける余裕なんてなかった。

 いつの時代も、どんな人間もそうだ。

 どん底に落ちた人間は、他人を憐れむ余裕を失っていく。

 かつての千景はそうだった。

 

 この憐憫が、証明する。

 かつて憎んだ母を"憐れだ"と思えるこの余裕が、この自然な思考が、この幸福格差の実感が……千景が今、幸福であるということの、証明なのだ。

 

 千景は自然に憐れみを覚えた自分自身に、それを教えられた。

 今の千景は恵まれている。

 だから、"恵まれていない"と千景が思う人間に対し、かつてと違う感情を覚える。

 ボブが死んでも、まだ。

 恐ろしい敵が現れても、まだ。

 彼女は幸福なのだ。

 

(頑張って……守らないと)

 

 地獄の底でも優しさを忘れない、過剰に強い心の竜胆。

 地獄の中では失われ幸福の中では蘇る、当たり前の優しさを持つ、ごく普通の女の子な千景。

 その幸福が失われた時、千景は赤の他人を憐れむような自分も喪失することだろう。

 

 千景はまだ、幸福だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鍛冶神・一目連の力を使ったアナスタシアの助力により、生まれ変わった旋刃盤が戻ってきた。

 『再鍛神話』。

 神話には時折、壊れた武器を直すというエピソードが登場する。

 その手の神話をなぞるように、球子の旋刃盤も再誕を遂げていた。

 

「勇者タマ、ふっかーつ!」

 

「わー」「わー」

 

 ぱちぱちぱち、と勇者教育のための教室で、竜胆と杏が拍手する。

 教室の後ろでケンが教室を掃除していた。

 

 一度壊れた旋刃盤だが、前より少し大きくなって、新品同然の輝きを宿して戻って来た。

 大きくなった分、旋刃盤の重量も増したが、球子がこの旋刃盤を最初に手にした時から随分時間も経っている。

 球子の筋力量の上昇を鑑みれば問題はないだろう。

 旋刃盤が大きく重くなった分、防御でカバーできる範囲も、武器の重さによる攻撃力もアップした。これは事実上の、球子のパワーアップでもある。

 

 剣のように軽快に振る武器でもないので、重量が増したデメリットもあまり目立たないのだ。

 

「どーだっ、先輩! 前より硬くなったって話だから、これでゼットともマシに戦えるぞ!」

 

「タマちゃんパワーアップか。心強いな」

 

 ゼットのパンチは一発一発がウルトラマンを即死させかねないもの。

 ただのパンチですら威力は光線級だ。

 一兆度は防げないとしても、パンチくらいは防げる防具があるとティガ的にはありがたい。

 前回の戦いでは、ゼットのパンチ一発で、旋刃盤と腕がセットで折損されてしまったから。

 

 あれは竜胆にとっても球子にとっても嫌な記憶だ。

 借りた武器を壊した竜胆にとっても、竜胆を守るために自慢の武器を渡した球子にとっても。

 ……この盾に精霊を憑けて、ゼットの攻撃が防げるか。やってみないと分からない。

 

「タマちゃんが戻って、これで勇者全員か」

 

「叶うなら、三ノ輪さんと鷲尾さん……

 ガイアとアグルも戻って来てくれたなら、万全な布陣が敷けると思うんですが」

 

「あんずは怖がりだな。

 タマ達の力だけで切り抜けてやる、ってくらいに思わなきゃ駄目だろ!

 だいじょーぶだいじょーぶ! あんずは、無敵になったタマが守ってやる!」

 

「タマっち先輩……」

 

「無敵とは大きく出たな、タマちゃん」

 

「手に取ってみると分かるんだ。今までより、ずっと武器の力の流れが良くなってる」

 

 どうやら、武器の強化は、球子に希望と自信をくれたらしい。

 

「今の無敵のタマが負けたら、何でも言うこと聞いてやるぞ!」

 

 杏の目がきらりと光った。

 

 

 

 

 

 翌日、ケンと一緒に丸亀城の掃除に勤しんでいた竜胆が見たのは、学生服で上機嫌な微笑みを浮かべる杏と、杏に連れられる球子の姿。

 杏に引っ張られ、真っ赤な顔で連行される球子の姿。

 やたら可愛らしく女の子っぽい服を着せられた、球子の姿だった。

 竜胆は目をしばたかせ、ケンは即座にスマホで撮影して画像を保存した。

 

「負けたのか、タマちゃん」

 

「……」

 

「勝ったのか、伊予島」

 

「はいっ」

 

 まあなんかこうなると思ってた、と竜胆は納得した風に頷く。

 昨日の球子と杏を見ていて、なんとなくこうなるかもと思っていたようだ。

 球子と杏に対する理解が地味に深まってきたということなのかもしれない。

 ただ、球子の可愛い服は完全に予想外だった。

 

「何の勝負で負けたんだ、タマちゃん」

 

「聞くなぁ……!」

 

「カッワイイー、イイヨイイヨー」

 

「うるせー!」

 

 ヘーイッとウキウキのケンが球子に絡んでいる間に、竜胆と杏が朝の挨拶を交わしていた。

 

「しかし、朝から予想外のものを見たな……あの服は伊予島のチョイス?」

 

「はい。ちょっと別件で、タマっち先輩と勝負しまして。

 私が勝ったので、そのついでに先に取っていた言質を使って、言うこと聞いてもらいました」

 

「別件で引っ張るとか伊予島お前凄腕警察かよ……流石の知将か……」

 

「でも可愛いでしょう?」

 

「まあ、そりゃな」

 

「……っ」

 

 竜胆と杏の会話にピクッと球子が反応したりしていた。

 

「はぁ、タマっち先輩可愛い……」

 

「伊予島は面白い奴だな……」

 

「ええっ!?」

 

「ん、んんっ? なんで今の俺の台詞で驚く!?」

 

「わ……私は他の人ほど変な人じゃないですよ……?」

 

「えー、ちょっと変なくらいが面白くて魅力的だと思うんだけどな人間は……」

 

 仲の良い友達を着せ替えして楽しむ、女子の感覚。

 これは男子には一生分からないだろう。

 竜胆にはそれが面白い個性に見えたし、杏はそこがちょっと変に見られたと思って思いっきりびっくりしていた。

 球子を抱えたケンが爆笑する。

 

「ハッハッハ、カンゼンニ、クセノナイニンゲントカ、マネキンシカイネーカラ」

 

「ケン……!」

 

「いやあ伊予島は比較的クセのない勇者だと思ってる……思ってたぞ」

 

「待って御守さん、何故そこを過去形に言い換えたんですか?」

 

 球子をネタにすると会話が進むというのは、竜胆と杏の関係らしいと言えばらしい。

 ある意味、この二人は球子も入れた三人で完成する関係なのかもしれない。

 

「伊予島は服選びに関しては可愛い趣味なんだな」

 

「変ですか?」

 

「いや、良いんじゃないか? 俺は悪くないと思う」

 

「流石に私自身の私服だともうちょっと抑えめのが多いですけどね。

 その……あんまりヒラヒラしすぎだったり、可愛すぎだったりするのはあんまり」

 

「すげーな女子。自分が着られない服を他人には着せるのか……異文化だぜ」

 

「あ、いや、そうじゃなくて。分かりやすく言うとタマっち先輩はリカちゃん人形なんです」

 

「リカちゃん人形」

 

「人形に着せる服は地味なのばかりだと嫌ですよね。

 ちょっと派手なくらいの方が楽しいです。

 でもお人形さんの服は自分で着るのはちょっと……って思うんです。

 なのでタマっち先輩に着せた服も、うんと可愛いのにしてみました」

 

「……その辺の女子の感覚は、俺にはピンとこないなぁ」

 

「ですよね。御守さんは私より、タマっち先輩との方が話が合いそうですから」

 

 ふふっ、と杏が微笑む。

 うおーっタマを人形扱いすんなーっ、と叫ぶ球子をケンが抱っこして、父が娘にそうするように振り回している。

 

「おっはよー!」

 

「おはよう」

 

「おはようございます」

 

 友奈、若葉、ひなたも教室にやって来た。

 

 球子の服に、まず真っ先にひなたが反応する。

 

「おや……珍しい格好ですね」

 

 友奈が。

 

「タマちゃんが女装してる!」

 

 若葉が。

 

「球子は髪を下ろすと本物の女の子のようだな……」

 

 散々である。

 

「おーまーえーらーっ!」

 

 流石に球子も怒った。

 

「タマちゃんストップ! 走んな! その服で走るとパンツ見える!」

 

「!?!?!? わっ馬鹿見んな先輩っ!」

 

「俺はもう二度と女子のパンツを見ないと誓った、大丈夫だ」

 

「え、ちょっと待った何があったらそんな誓い立てることに?」

 

「ナンデダロネー」

 

 なんでだろうね。

 

 千景も来ると、いつものメンツが勢揃いだ。

 

「おはようちーちゃん。元気?」

 

「……おはよう、竜胆くん。元気よ」

 

「おっはよーぐんちゃん!」

 

「おはよう、高嶋さん。……これはいったい何の騒ぎ?」

 

「タマちゃんが女装して来たんだよ!」

 

「女装……女性なのに……?」

 

「シカリ、シカリ」

 

「友奈ぁ! お前なぁー!」

「わー! タマちゃん許して!」

 

 球子が友奈に掴みかかろうとして、杏と竜胆が話していて。

 

「そういえば、御守さんは、若葉さんや友奈さんみたいな反応しませんでしたね。意外です」

 

「いや、普段も可愛いスカート履いてただろ。勇者衣装も結構可愛いやつだし……」

 

 杏と竜胆の会話を耳にしてしまった球子が転び、友奈を掴もうとした手がスカった。

 

「普段から少年らしいとも思ってたが、かといって少女らしくないわけでもなく。

 だから若葉や友奈みたいな反応はできないな。いやだって普通に女の子だしさタマちゃん」

 

「普段のタマっち先輩は?」

 

「可愛い」

 

「今のタマっち先輩は?」

 

「凄く可愛い」

 

「おお……!」

 

「いや服変えしたのに褒め言葉の程度を変えないのは失礼だと思うぞ、普通に。

 普段着でも可愛い、可愛い服着たらもっと可愛い、って事実だけ言っておけばいいだろ」

 

 なあ、と球子の方を向いた竜胆の視線から体を隠すように、球子は旋刃盤を構えた。

 

「じっと見んな、す、スケベっ!」

 

「なんでだよ!」

 

「こっち来んなっ!」

 

 消しゴムをちぎって投げて竜胆の接近を防ぎ、距離を取らんとする球子。

 顔を旋刃盤の裏に隠して、今の服を着た自分を縮こまらせて、教卓の裏に隠れていった。

 球子によるちぎられた消しゴム投擲弾幕はまだ続く。

 ケンは「これ後で掃除するの自分だろうなあ」と思ったが、「見てて楽しいからまあいいや」と思い、「ヤレヤレタマコー」と煽った。

 ここまでされる筋合いねえぞ、と竜胆はちょっとだけムキになった。

 

「やめんか!

 お前はファッションショーで特定の人に得点出した審査員にも攻撃するのか!

 美人コンテストで誰か一人選んで票投げた人にも攻撃するのか!

 褒め言葉に罪は無いだろ!

 お前だっておもちゃ屋で可愛いぬいぐるみ見つけたら素直に可愛いとか言うだろ!」

 

「ぬいぐるみに対する可愛いと人間に対する可愛いは違うだろぉー!」

 

 友奈と若葉はすっかり楽しげな観戦ムード。

 

「リュウくんは頭が悪いなぁ……」

 

「この友奈の台詞が全く悪口に聞こえないのが凄まじいな……」

 

 ばちん、と竜胆の額に消しゴムのかけらが勢いよく当たった。

 

「む、あの技は!」

 

「シッテイルノカ、ヒナタ!」

 

「指の爪に消しゴムの欠片を乗せ、デコピンの要領で弾き出す高威力技!

 手で投げるよりも遥かに高威力、遥かに高速! ケンさんが教えてた技でしたよね」

 

「バレタカ」

 

 ハッハッハと笑うケン。

 

「竜胆君」

 

「助かる、ちーちゃん!」

 

 一方その頃、竜胆は千景より授けられし下敷きシールドで消しゴムを打ち返していた。

 

「違う、違うんだ。

 誤解があるようだけど別に驚き0だったわけじゃなくて。

 ただ、女の子は着替えたら凄く可愛くなるってのは知ってたから。

 つかそこのお前ら、可愛くなった可愛くなったって反応してたけどな。

 服だけでブサイクが突然可愛くなるわけでもないだろ。

 顔のパーツなんて一切変更利かないんだから、つまりそりゃ普段から可愛―――」

 

「タマ・スペシウム光線ッー!」

 

 大きめの消しゴムの欠片が竜胆の額を撃ち抜く。少年はまたちょっとムキになった。

 

「あ、分かった。

 お前ら女子だからだな。

 女子から見ればタマちゃんは少年っぽく見える。

 男子から見ればタマちゃんは可愛い女子に見える。

 だから可愛いと言う頻度に差が出る。

 ゆえに俺が可愛いとか言ってるのが目立つ。それだけの話だな、これにて一件……」

 

「私から見てもタマっち先輩は可愛いですよ?」

 

「……あれっ」

 

 杏のツッコミに首を傾げる竜胆。

 

「思うに、男性が女性を"可愛い"と言うのが目立つと思うんです、御守さん」

 

「むっ……じゃあ伊予島はどうすればいいと思うんだ?」

 

「タマっち先輩を可愛いと言う回数に上限を設ける、とか……

 そうすればタマっち先輩の大暴れの回数を抑えられる、とか?」

 

「上限数は何をもって定義するんだ?」

 

「ううん、難しいですね……御守さんはどう思いますか?」

 

「そもそも『可愛い』とはなんだ。

 ここが決まらなきゃ妥当な言う回数も決まらないぞ」

 

「それは……小さくて愛らしいとか……でも、確かに一言で定義はできませんね」

 

「そもそも可愛いって文字で定義しちゃ意味なくないか?

 『可愛い』って思った瞬間の心の動き、それが可愛い。

 言うなれば、本来文字じゃない心の感覚と、漏れた心の声こそが『可愛い』だろ」

 

「それは……確かに。

 『可愛い』を完全に正確に言葉や文字で定義するのは難しい。

 御守さんの言う通りです。

 心に湧き上がる衝動こそが『タマっち先輩可愛い』なら……回数制限はその時点で無粋?」

 

「そうですね、御守さんは可愛いですね。若葉ちゃんのように」

「にゅっと入ってきて男に可愛いとか言ってくんじゃないぞひーちゃん」

 

「私からすると、女の子は小さくないと可愛くない、っていうのがあるんですけど……

 だからタマっち先輩は文句なしに可愛いんじゃないかなって思うんです」

 

「身長で可愛さを決めるのか?

 タマちゃんは可愛いとして、それなら伊予島だって俺から見ればちっこくて可愛いぞ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「体が大きい女性だって可愛いことはあるはず。

 逆にゲスいやつは体が小さくても可愛いとは思えなかったりすることもあるだろう。

 つまり……可愛いとは、生き様でもあるのではないか。容姿だけじゃなくてさ」

 

「生き様……タマっち先輩の可愛さは、生き様……」

 

「タマちゃんは生き様と容姿が可愛いんだな。

 そして今回伊予島が可愛い服を着せた。

 やるじゃないか伊予島。お前、可愛いしかっこいいし偉いぜ」

 

「ありがとうございますっ!」

 

 知将伊予島と実はあんまり深いことを考えてない武将竜胆の心が通じ合った一幕だった。

 球子は二人の会話に絶え間なく羞恥心のボディーブローを食らっており、会話を止めようとしていたが、友奈と若葉が楽しげにそれを止めていた。

 

「うおおおっ! 離せ若葉、友奈!

 あんずと竜胆先輩を止めさせろ! これはなんの拷問だ!」

 

「まあまあ」

「落ち着け落ち着け」

 

「くっそーっバカだけど頭の回りが変に速い先輩とあんず絡めたらすぐこれだ!」

 

「おい俺はタマちゃんと比べりゃまだバカじゃねーぞ! 今ならそう言えるぞ!」

 

「んだとっー!」

 

 ワイワイガヤガヤと騒がしい少年少女の輪。

 その中に入らずゲームを始めようとする千景に、ケンが声をかける。

 

「チカゲモ、キカザッタライイノニ」

 

 そしてケンの声かけに友奈が乗った。

 

「そうだよそうだよ! リュウくんに見せたりしてさ!」

 

 ふぅ、と一息吐く千景。

 

「分かってないわね、高嶋さん」

 

(あ、これぐんちゃんの自己評価低い部分が出て来るやつだ)

 

「彼からすれば、私なんて分身するハムスターよ」

 

「分身するハムスター!?」

 

「分身するハムスターに服を着せても、それは服を着て分身するハムスターでしかないわ」

 

「そ、そんなことないよねリュウくん?」

 

「ああ、もちろん……」

 

 竜胆は否定しようとして、悩んで、言葉に詰まって、俯いた。

 

「……正直言うわ。ごめん、ちょっと否定できない。

 なんでちーちゃんそんな俺の内心的確に言い当てられんの……?」

 

「リュウくーん!?」

 

「ちーちゃんを女の子として見てないわけじゃないけど……

 分身するハムスターって部分がどうにも否定できない……」

 

「否定してよっ!」

 

「優しくしたくなる。

 大切にしたくなる。

 なんか可愛い。

 懸命に走ってるの見ると応援したくなる。

 幸せに天寿を全うしてほしいと願いながら可愛がりたくなる。

 俺にとってハムスターってのは、きっとそういうもんなんだよな……」

 

「……どうしよう、私もぐんちゃんを分身するハムスターみたいに思ってる気がしてきた」

 

「おいコラ友奈」

 

 女の子として見ていないわけではないが。

 友達として見ていないわけではないが。

 分身するハムスターとか言われると、そうも見えてしまう。

 ふっ、と千景は薄く微笑んだ。

 

「いいのよ、高嶋さん……そう思ってくれても」

 

「ぐんちゃん……よーしよしよし! 撫でてあげるよっ」

 

「んっ」

 

 ハムスターを撫でるように千景を撫でる友奈。

 気持ちよさそうに撫でられているハムスター。

 ケンはそれを見て、娘が好きだったアニメ・とっとこハム太郎(2000年7月7日開始、2013年3月30日終了)のことを思い出した。

 

「ハムスター……コウリクン、カナ」

 

「こうしくんだよケン! 本当に千景さんをハムスターにする気!?」

 

「ムスメメッチャスキデナー、ハムタロウ」

 

「へぇ……」

 

「ヒカリノクニニモ、イルラシイゾ。ウルトラハムタロウ」

 

「変な名前。ウルトラマンなのにタロウって名前に入ってるんだ」

 

 ウルトラマンパワードはケンの内側からうろ覚え全開のケンを見て、光の国の仲間達のことを話したことをほんのちょっとだけ後悔した。

 

「御守さん、御守さん」

 

「なんだいひーちゃん。ハムスターの思い出話でもしたくなったか」

 

「いえそれは別に。その話なんですが、例えば若葉ちゃんを動物に例えたらどうなりますか?」

 

「若ちゃんを? んー……大型犬?」

 

「私が大型犬? ふむ、そんなことを言われたのは初めてだな」

 

 大型犬、と彼が言った瞬間、若葉は首を傾げ、ひなたは満足げに頷いた。

 

「いや、なんというか……

 お前物凄く強いけど、王様タイプとか女王様じゃないというか。

 他人に首輪付けないタイプだけど、他人に首輪付けられてそうなタイプのイメージが」

 

「なんだそのイメージは……私なら理不尽に首輪を付けてくる敵がいれば喉食いちぎるぞ」

 

「うん、敵にそうされたらそうするだろうけど。

 飼い主には手綱しっかり握られてる印象があるというか。

 飼い主には忠実だが、喧嘩を売ってきた他の犬には超攻撃的な大型犬っぽい。

 大型犬は子供に愛されるイメージもあるしな、だから若ちゃんは大型犬」

 

「ううむ……納得できないところもあるが、納得できるところもあるか」

 

 なお、周りの皆は大体納得していた。ひなたが微笑んでいる。

 ひなたはさらっととんでもないことを口にした。

 

「でも、若葉ちゃんは御守さんに首輪を付けて、好きなようにしてるんですよねえ」

 

 がばっ、と若葉と竜胆は同時にひなたへと振り返った。

 

「おいひなた、何を言う! 変身の許可認証を出しているだけだろ!」

 

「そんなお前、俺が若ちゃんの飼い犬みたいな言い草……」

 

「ちょっと変態みたいに言うんじゃない! 聞いてるのかひなた!」

 

「あれ、もしかしてこれ遊ばれてるやつじゃ……」

 

「良いじゃないですか。若葉ちゃんと御守さん、首輪が似合う者同士の戦友、ということで」

 

「「 よくない! 」」

 

 名ドッグブリーダーひなちゃんが愛犬を二匹飼ってるみたいに見える……と、友奈は思った。

 

 球子はいつの間にか隙を見て脱出し、教室から消え、着替えて戻って来ていた。

 

 杏は落ち込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伊予島杏と土居球子の趣味嗜好は正反対だ。

 好きなものも嫌いなものも大体正反対。

 だけど仲が良い。

 とびっきりに気が合う二人だ。

 二人は望むものが同じなのに、全く違う道筋でそれを目指すことがある。

 

「そういえば、伊予島。タマちゃんが恥ずか死にそうになってたアレだけど……」

 

「先輩、タマにもお手柔らかにだな……」

 

「ああ、ごめん。そっち蒸し返すわけじゃないんだ。

 それのきっかけになった、タマちゃんが負けた別件ってなんだ?」

 

 竜胆に言われて、ふと、杏は"ここでいいかな"と思う。

 周りの皆に目配せすると、杏をよく理解してくれている仲間達が頷いた。

 杏は"皆で一緒に作ったその紙"を、机の中から取り出した。

 

「伊予島?」

 

「こほん」

 

 二枚の紙は、皆の気持ちの塊。

 

「これは、お二人の卒業証書です」

 

「!」

 

「私達みんなで、お二人のために作りました」

 

 杏がまず、提案した。

 勇者皆が乗って、ケンがお金を出して、文房具屋であれこれと購入した。

 賞状用紙を買って、正しい卒業証書の文面を皆で考えて、一番達筆な若葉が書いて、球子がもっとガツンと何か加えようと言い出して。

 最終的に、杏の案と、球子の案のどっちを通すかの勝負になって、球子が負けて。

 杏が球子の案を一部だけ採用して。

 そうして出来た、三年生二人のための卒業証書。

 竜胆と千景のための、卒業証書だった。

 

「……そっか。もうそんな時期か」

 

 今の勇者や竜胆に、卒業式なんてやってもらえるわけがない。

 勇者は中学生相当の授業を受けさせてもらているが、それだけだ。

 だから、と、杏が提案し、皆が快くそれに乗った。

 竜胆の卒業証書の方には、球子がちょっと豪華にしようとした痕跡が見て取れる。

 

「世の中広しと言えども、小学校と中学校を同時に卒業した奴は居ない……!

 ってタマは思ったわけだ。

 もしかしたら人類史上初めてかもしれないぞ! って思ったら、手が止まらなかった!」

 

「タマちゃんらしいな」

 

 千景は中学校の卒業証書。

 竜胆の方は、球子の提案で小中学校ダブルの卒業証書。

 竜胆は"卒業を祝われる"という初めての経験を喜びながら、横の千景をこっそり小突いた。

 千景が首を傾げ、数秒後、竜胆の意図を理解する。

 

「あ……ありがとう……」

 

 千景に素直にお礼を言われると思っていなかったのか、球子などは目をパチクリさせていた。

 

「ありがとう、後輩諸君。泣きそうだ」

 

 竜胆は皆の気持ちを受け取り、泣きそうだと言いながら笑った。

 そして深々と頭を下げる。

 ありったけのありがとうが伝わってくる、そんな所作であった。

 若葉が、卒業証書二枚をケンへと渡す。

 

「ケン、頼む」

 

「ン。ヒトリダケ、オトナダモンナ」

 

 ケンはただ一人の大人として、おちゃらけた雰囲気を拭い去り、真面目な雰囲気を作る。

 普段の、空気を明るくしようとするケンとは違う。

 背筋を伸ばし、真面目な顔で教卓の前に立つケンは、それだけで厳格な教師のようだった。

 

「ソツギョウ、オメデトウ」

 

 真面目な顔を、少し微笑ませ、ケンは千景に卒業証書を渡す。

 

「ありがとう」

 

 竜胆にも、卒業証書を渡す。

 

「ありがとう」

 

 こんなものは、精神的な一区切りでしかない。

 物質的な価値があるかといえば、無い。

 だが意味はある。

 小学生の時に惨劇を起こし。

 中学生の時に出会いを迎え。

 竜胆は今、高校生という枠の中に足を踏み入れていた。

 

 時は止まらず、流れていくもの。三年前の惨劇も、もう四年前の惨劇になる。

 

「ほら、中学生ども。高校生様だぞ。

 困ったことがあればいつでも頼れ、何でも頼み聞いてやる」

 

 ドン、と竜胆は胸を叩いた。

 

「何故竜胆は突然兄貴風吹かし始めたんだ?」

 

「リュウくんはちょっとは、ボブの代わりを果たそうとしてるんじゃないかな。若葉ちゃん」

 

「可愛い人ですよね。若葉ちゃんもそう思うでしょう?」

 

「カワイイヤッチャナー」

 

「受験とかやらないと高校生とは言えないんじゃないですか? 御守さんは中卒では?」

 

「竜胆先輩ー、高校生扱いされたいならタマをもっと大事に扱ってくれタマえよー」

 

「こいつら……!」

 

 優しく、楽しく、幸福のある世界があった。

 

 それが表で、もう一つが裏。

 

 厳しく、残酷で、幸福が失われていく世界があった。

 

「……信じらんねー」

 

 "止まった世界の時間"を見て、タマは信じられないものを見るように悪態をつく。

 

「このタイミングで襲撃かよ! 空気読めよ!」

 

 樹海化が始まる。

 止まった時間の中で、机に置かれた卒業証書が見える。

 楽しい時間はもう終わり。

 世界を守る、戦いが始まる。

 

「しょうがないさ。こういうのが嫌なら、さっさと平和を勝ち取るしかない……俺達で!」

 

 城より敵を見下ろす、勇者と巨人の変身者達。

 敵は無数。ゼットの姿はまだ見えない。

 竜胆は深呼吸し、ボブの死で膨らんだ闇を律しつつ、ブラックスパークレンスを握った。

 

「さて行くか、中学卒業後一発目の戦いだ! ……俺、中学行ったことねえけどさ」

 

 仲間の間に、少し笑いが漏れた。

 ブラックスパークレンスを構える竜胆の横に、フラッシュプリズムを構えるケンが立つ。

 ケンは力強い声をかけた。

 

「キミハ、キョウ、スコシダケオトナニナッタ」

 

 掲げられるフラッシュプリズム。

 解き放たれる、青と緑の清純な光。

 時計回りに腕を回して、突き上げられるブラックスパークレンス。

 解き放たれる、邪悪な漆黒の闇。

 

「『ティガ』ァァァァ!!」

 

 青き瞳の光の巨人、黒き体の闇の巨人が、同時に出現した。

 

 闇と光が自らの内で食い合っているのが、竜胆自身にもよく分かる。

 仲間がくれた光で弱くなる。

 仲間が遺した闇で強くなる。

 強いのか、弱いのか、光なのか、闇なのか、それすら曖昧で。

 ただ、"まだ正気は保てる"とは思えた。

 

 球子が壁際の敵のラインナップに目を凝らす。

 

「亜系十二星座が何体か。

 怪獣型は……まだ結界の中に入って来てないのか?

 星屑は五百……いや、増える増える、大体千体ってとこかな」

 

 友奈が同様に目を凝らし、城に突っ込んでくる一体の大型を見て、変な声を漏らす。

 

「げっ、乙女座! 新しいヴァルゴに攻撃は効かないよ、どうしよう!」

 

 中間体となり、攻撃無効能力を得た亜型ヴァルゴ・バーテックス。

 ニッ、と球子が笑う。

 球子は巨人の体を駆け上がり、新・旋刃盤をガチャンと鳴らした。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()を、球子はよく知っている。

 

「見せてやんな先輩! タマとの特訓の成果って奴を!」

 

『おう!』

 

 球子と竜胆の声が、重なった。

 

「『 ティガ・ホールド光波! 』」

 

 なお、二人で技名を叫ぶ必要は一切ない。

 ティガの開かれた両手の間に光がスパークし、そこから放たれた光弾がヴァルゴに直撃。

 "その体に付随していた攻撃無効化能力を"、封印・消滅させていった。

 

「よしっ!」

 

『成功だ!』

 

 この光線は、両手の間に展開されるネット状の光線と、そこから発射される光弾の二種類によって構築される。

 "ホールド光波"の名の通り、その本質は捕縛。

 ヴァルゴがアプラサールの能力で自分を攻撃無効の状態にしても、そのエネルギーを奪い取りさえすれば、理論上はその能力を封じることができる。

 

 そしてこの技は元々、エネルギーを奪い()()()()()()()()()()()()()()光線である。

 ヴァルゴに効くのは、ついでのようなものだ。

 これぞまさしくゼット対策。

 強敵に相対し、特訓し、新たな技と技術を開発する。

 これこそが、天の神も否定した『人間の強さ』だ。

 

 突然攻撃無効化能力を剥ぎ取られたヴァルゴに、特大の八つ裂き光輪と旋刃盤が突き刺さり、その巨体が切断されながら粉砕されて消滅していく。

 

『俺達は成長する……昨日までの自分を超えていく!』

 

「いつまでも同じ必勝法が通用すると思うなよ! タマげろ!」

 

 そう、調子に乗りたかったところだったのに。

 壁の向こうから来た新手の大型を見て、竜胆と球子は仰天する。

 ゴモラもいない。ソドムもいない。

 新手の怪獣型と、新手の亜系十二星座であった。

 

 新手の量産式怪獣型バーテックス、その半数は名を『EXゴモラ』と言う。

 その姿はゴモラに近い。

 新手の量産式怪獣型バーテックス、その半数は名を『ザンボラー』と言う。

 その姿はソドムに近い。

 合計で、おおよそ40体。

 

 どの大型バーテックスも大きい。

 しかも、感じられるエネルギー量はソドムやゴモラ、既存の十二星座を遥かに超えている。

 ゴモラ・ソドム・十二星座と入れ替わりに投入された新顔であることは、明白だった。

 

「……タマげた」

 

『まいったな、新型だ。それに……』

 

 だが、それ以上に竜胆が問題視しているのは、それらの怪獣に不気味に立っている怪獣。

 まるでバーテックス軍団を従えるように、その怪獣はそこに立っている。

 竜胆にゼットンの知識はなかった。

 だがゼットとの戦い一回で、その恐怖は身に刻まれている。

 

 だからこそ、"それ"を甘く見ることなどありえない。

 

『―――ゼットじゃない、ゼットンがいる』

 

 ゼットンが一体だけだと、誰が言ったのか。

 

 新たなるゼットンが、人とバーテックスの戦場に追加されていた。

 

 

 




【原典とか混じえた解説】

●EXゴモラ
 ゴモラの強化形態。
 恐竜然としたゴモラの爪と牙は更に鋭くなり、全身も刺々しい形状に変化した上で硬殻化しており、恐竜らしさより怪獣らしさが強く出ている。
 爪と牙だけでなく、伸縮自在能力が付加された尾の先端も鋭く硬くなっており、もはや凶器。
 これまで四国に侵攻していたゴモラと、EXゴモラに繋がる系譜のゴモラは別種のため、これまでのゴモラが使っていなかった『超振動波』の強化技である『EX超振動波』も使用可能。
 優秀なものが制御すれば、と頭に付くが……原作ではゼットンと強化型キングジョーをたった一体で圧倒し抹殺、アーマードダークネスも破壊と、『当時の主役怪獣の強化フォーム』らしい大活躍を見せている。
 ゴモラは"次に進んだ"。

●灼熱怪獣 ザンボラー
 時に3000度に到達するという凄まじい体温を持つソドム等、『体温が非常に高い怪獣』というカテゴリを作った祖の一体。
 初代ウルトラマンにて登場し、以後のシリーズにおいても『体温が非常に高い怪獣』達のモデルにして祖となり続けた怪獣である。
 その体温は原典にして頂点。
 『十万度』だ。
 この温度は、ウルトラ警備隊の若きエース・メビウスの必殺光線と同温度である。
 そこにいるだけで近辺の川の水は沸騰し、あっという間に山は山火事で丸裸になる。
 こんなもの、素手で対抗できた初代ウルトラマンの強さがおかしい、と断言できる。
 武器は体に生えた突起から放たれる強力な熱光線。
 ソドムは"祖に還った"。

※余談
 その火力は色んな意味で凄まじい。
 撮影時の火が凄まじかったために、ザンボラーの四足歩行スーツの中に入った人が思わず逃げそうになり、立ち上がってしまったことが何度もあったとか。
 撮影スタジオからも「いいかげんにしろ」と苦情が入ったため、ザンボラー回の撮影方法は二度とできなくなったという。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3

 EXゴモラの瞳がギラリと光る。

 全身からトゲの生えた巨大な恐竜が、一斉に突進を開始する。

 その数、おおよそ20。

 ティガの役割は、誰よりも前に出て敵の進行を食い止めることだ。

 

『あんま近寄ってくんなよ!』

 

 ゴモラ軍団の一体に、ティガダークが八つ裂き光輪を投げつけた。

 ゴモラの腹を掻っ捌くつもりで放った、単発の強威力の八つ裂き光輪。

 だが、EXの腹にびっしりと生えたトゲが、それを受けてしまう。

 八つ裂き光輪は腹のトゲのいくつかを削っただけで、逆に粉砕されてしまい、闇の粒子に還されてしまった。

 

 当然である。

 この量産タイプの元になったオリジナルのEXゴモラの表皮は、"一兆度の火球"を食らってもビクともしなかったという代物なのだから。

 

『!』

 

 一瞬動揺した竜胆だが、ティガへの援護に飛んで来たパワードのメガ・スペシウム光線がゴモラの一体を消し飛ばし、その向こうのゴモラを吹っ飛ばし、別のゴモラを巻き込んだのを見て気合いを入れ直す。

 無敵、ではない。

 倒せないというわけではない。

 パワードがゴモラの陣形を崩し、個々の突撃タイミングをズラしてくれていた。

 これで、個々のゴモラを一体ずつ対処できる。

 

 先陣を切り、突撃する一体のEXゴモラ。

 ティガはしかと構え、その角を掴み、ゴモラの突撃を受け止めた。

 突進するゴモラをティガが受け止めただけで、空気が震える。

 

 前後に動く足の構えと、左右に動く足の構えは違う。

 速く動く足の構えと、力強く目の前の物を押す足の構えは違う。

 更に言えば、拳足を振り回すための姿勢と、体ごとぶつかっていく姿勢は違う。

 

 ゴモラの突進を受け止められたのは、竜胆にボブのそれらの技術が継承されたからだ。

 竜胆は角を掴んで、ゴモラの体を左右に揺らす。

 前後では力勝負になってしまうので、敵の力を横に逸らすのである。

 

 そしてゴモラの体がふらついたところで、ゴモラの膝の横を強烈に蹴り込む。

 ゴモラの膝を少し傷めて、流れるようにゴモラの顎に掌底のアッパーを叩き込んだ。

 膝の横、顎の下と、打たれ弱いところを連続で打たれても、ゴモラは少し呻くのみ。

 

 そして、手が届く距離でのEXゴモラとティガダークの競り合いが始まった。

 

 EXゴモラの腕は、太く鋭い爪、ガチガチの豪腕、ティガの頭なら2~3個はまとめて掴めそうなほどに大きな手の平を備えている。

 それが振るわれるという脅威。

 ティガはずば抜けた竜胆の才能と、仲間から学んだ武術にてそれに対抗する。

 

 結果、互角。

 

『ぐっ……』

 

 極端に高い防御力と、トゲだらけで殴れば殴った拳が壊れる表皮。

 極端に高い筋力と、それを生かす腕の爪等々。

 そして、見た目の印象以上に機敏な動き。

 EXゴモラは、一体でティガダークに匹敵する強敵であり、純粋なゴモラの上位互換だった。

 

 人類戦力の方が数が少ない現状、理想的な撃墜対被撃墜比率(キルレシオ)は最低でも1:10。

 一対一で手こずっていては話にならない……のだが。

 量産型らしきEXゴモラでさえ、一対一でもティガとほぼ互角。

 まともにやりあっていられない、強敵であった。

 

(これは後ろに通せないぞっ……!)

 

 このゴモラとパワードや勇者が近接戦を吟じた場合、その結果がどう転がるか竜胆には分からなかった。

 一体ずつであっても、確実に、かつ早急に、このゴモラの数を減らさねばならない。

 ティガはバック転でゴモラから少々距離を取り、飛び上がった。

 

『ゴモラは飛べない、これは弱点だろ!』

 

 自分の強み、敵の弱みを土俵に上げて勝負する、というオーソドックスな戦術。

 

 ティガは空を舞い、ゴモラを翻弄するようにその周囲を飛ぶ。

 飛べる、という強みを敵に突きつける。

 飛び回ってゴモラの背後を取り、ティガを見失ったそのうなじに強烈な一撃を叩き込んで、その首を切り落とそうとして――

 

『っ!?』

 

 ――ティガの右肩を、ゴモラの尾の先端が貫いた。

 

『尾が……伸びた!?』

 

 EXゴモラはティガに背を向けたまま、音を頼りに背後のティガを突き刺したのだ。

 ゆえに完全な不意打ちであったのに、尾の先端はティガの急所を外れた。

 不幸中の幸い、と言うべきだろうか。

 

『痛っ……!』

 

 ティガは右肩を抑え、空を飛んでゴモラの尾の追撃をかわす。

 まるで、木を突くキツツキのようだ。

 トン、トン、とハイテンポで突き出される、先端鋭い伸縮自在なゴモラの尾。

 そのくせ威力は桁違いで、ティガの腹に大穴を開けるには十分な威力があった。

 

(! ゴモラが何体も……)

 

 そして、回避している内に、ティガを狙うゴモラが三体に増える。

 三方向から伸びてくる必殺の尾の先端がティガに迫り、ティガは空中で身をひねった。

 一本、尾を腕でそっと受け流す。

 一本、尾を豪快に蹴りで弾いて流す。

 最後の一本はかわしきれず、脇腹を抉られてしまった。

 

『ぐうっ……!』

 

 落下したティガは、樹海を傷付けないよう地面手前で飛行能力を発動、軟着陸して転がるように立ち上がる。

 そして、50mほどの至近距離にいたザンボラーに向けて踏み込み、蹴り込んだ。

 蹴り込んだ足がザンボラーに命中し、ザンボラーを吹っ飛ばし、ティガを火傷させる。

 

『熱っ! 熱っ!』

 

 ザンボラーの体温は十万度。

 ソドムが二千度だったことを考えれば、その熱量は実に五十倍だ。

 熱気を体外に放出している状態のザンボラーには、光の巨人ですら容易には触れられない。

 そこに、ティガを援護する杏の精霊・雪女郎の吹雪が飛ぶ。

 

「今の内に!」

 

『助かる!』

 

 体内からの加熱と、体外からの冷却。

 ザンボラーの表皮は、無理をすればティガが触れられなくもない程度の温度に落ち着いた。

 その首に叩き込まれるは、拳より生えた八つ裂き光輪。

 ティガの腕力で強引に叩き込まれたそれが、ザンボラーの太すぎる首を切り裂いて、その命を強引に絶命させた。

 

 だが、飛び散った血液などがティガの手にかかり、その手を火傷させた。

 血液さえも十万度。当然のことだ。

 だからこそザンボラーは、八つ裂き光輪にて近接戦の残虐ファイトを行うティガダークに対し、強烈なメタとして機能する。

 

『熱っ、くそ、熱い!』

 

 杏が体外をいくら冷やしても、血液が十万度では、攻撃時に飛び散る血液のせいでどの道ティガは大変なことになってしまう。

 更には強大な熱気による上昇気流で、展開した吹雪が暖められつつかき混ぜられ、杏の吹雪はあっという間に消されてしまった。

 杏が頬の汗を拭う。

 

「熱い……何百mも離れてるのに、ここまで熱い……」

 

 十万度、と言うと数字が大きすぎてピンと来ないかもしれない。

 だが十万度とは、そもそも核爆弾等が出す温度。物質がプラズマ化する温度だ。

 太陽の表面温度(六千度)の何倍か、と考えれば想像に難くない。

 ここが神の制御する樹海でなければ。

 勇者が勇者の衣装を着ていなければ。

 巨人が巨人の体を持っていなければ。

 とっくの昔に、ザンボラーの熱で皆死んでいる。

 

(この強度なら、俺の八つ裂き光輪は十分に通じる。

 ソドムに似たこの怪獣を残しておくわけにはいかない!

 距離を空けて、遠距離から八つ裂き光輪を投げ込み、全部倒す。その後ゴモラを止めて……)

 

 遠距離からザンボラーの数を減らし、EXゴモラに集中する。

 そう考えたティガが、ザンボラーを狙って八つ裂き光輪を投げ―――"ザンボラーの蜃気楼"を、八つ裂き光輪が突き抜けた。

 

「!?」

 

 ここで一つ、ザンボラーの別個体を例に挙げてみよう。

 『パワードザンボラー』という個体が存在する。

 かつてパワードがここではない地球で戦った、ザンボラーの別個体だ。

 

 パワードザンボラーの体温は五百度以上。

 ザンボラーほど高い体温を持たなかったが、周囲の木々を自然発火させ、周囲の大気を高熱で歪め、あらゆるレーザー兵器を無効化した。

 自分に放たれたミサイルを命中前に高熱で溶かし、無力化したこともあったという。

 更には自身の体温で上昇気流や異常気圧を発生させ、台風などの異常災害を発生させたとか。

 

 今、ザンボラーが発現させている現象は、これに近い。

 ザンボラーの周囲の樹海が、高熱のせいで自然に焼けている。

 加え、光が屈折してしまうほどに、高熱で大気が歪められている。

 これでは遠くのものの正確な位置が見えず、遠距離攻撃も当て難い。

 先程倒したザンボラーに至っては、高熱の血液が樹海に垂れてしまったことで、神樹の根が炎上を始めてしまっていた。

 

 ……消火に使える精霊持ちの杏が居なければ、杏に丸亀市一つを単独でカバーできる技量と出力がなければ、人類は今日ここで滅びていただろう。

 神樹とその根が全焼すれば、人類はその日の内に絶滅する。

 

 ソドムが対城の炎怪獣なら、この怪獣は対樹海の炎怪獣。

 十万度の個体を20体前後並べるという、目を疑うような炎の進撃。

 ティガにもパワードにも、冷却技や水技はない。

 ザンボラーの血液をぶちまけてしまいかねない攻撃技ばかりだ。

 ティガは一気に攻めあぐねた。

 

(仕方ない、まずゴモラ軍団の進撃の阻止から考えて……って、友奈!?)

 

 飛び上がり、飛翔し、後退するティガ。

 ティガの目に見えたのは、進撃していく一体のEXゴモラと、その進行先で棒立ちになっている友奈の姿であった。

 ティガは、ゴモラと友奈の間に割って入り、友奈を守るようにゴモラに立ち向かう。

 

『バカ、友奈! なにやってん――』

 

 そうやって、友奈に背を向けたティガの背中を、友奈が突き刺した。

 

『――だ、う、ぐっ』

 

 けたけたけた、と友奈が嗤う。

 友奈の姿が、あっという間に亜型タウラスの姿へと戻っていく。

 タウラスとドギューの中間体が持つ能力は、音響攻撃と変身能力。

 人間に化けられるバーテックスは、戦場においていくらでも悪辣な立ち回りが可能だ。

 

 ティガが冷静に周りを見ていた段階では仕掛けず、EXゴモラとザンボラーによって竜胆の余裕が削ぎ取られたタイミングで、冷静に判断しきれないタイミングで、仕掛けた。

 タウラスの目論見は見事に成功。

 ティガの背中に、牛の角が突き刺さっていた。

 

『何度も、同じ手、使いやがって……!』

 

 角を抜き、怒りを滲ませ振り返るティガ。

 友人の姿を悪辣に使われた怒りがティガの闇を増強し、瞬間的に倍以上に跳ね上がったティガダークの腕力が、背中に刺された牛の角を叩き折る。

 タウラスは音響攻撃でティガを苦しめ、音をぶつけながら後退していった。

 そしてタウラスと入れ替わりに五体のEXゴモラがティガを囲む。

 

『っ』

 

 痛みが体に走る。

 肩、脇腹、背中と肉は抉れ、火傷した部分には激痛が走る。

 ティガの体内で、ギチギチと嫌な音がしていた。

 

(ヤバい、けど……敵の注目がこっちに集まってるならなんとかなるか? いや、無理か)

 

 絶体絶命のピンチ。

 そこに飛び込む、閃光の如き人影があった。

 

 跳ぶ。

 跳ぶ。

 ひたすらに跳ぶ。

 跳ぶたびに加速し、もはや飛んでいると言っていいほどに加速する。

 

 閃光の如く飛び込んだ若葉が、ティガを狙うザンボラーの首に全力の斬撃を叩き込んだ。

 刀を超高速で振り、刀に熱が伝わる前に振り切る。

 これではザンボラーは殺せない。

 だがそれでいいのだ。狙いはそこではない。

 

 ザンボラーから吹き出した血が、右隣にいたゴモラにかかった。

 十万度の高熱血液がゴモラを絶叫させ、モロに血がかかった左腕を溶解させる。

 左腕にかかった高熱血から逃げるようにして、激痛から右に倒れたゴモラが、右隣にいた別のザンボラーを押し潰した。

 押し潰されたザンボラーが痛みの咆哮を上げ、ゴモラが十万度のザンボラーにのしかかってしまったせいで、また焼かれてその熱量に絶叫する。

 

 若葉の計算通りに、ティガを囲んでいた包囲網の一角が崩れた。

 

「熱い、熱いが……この攻撃手段は使えるな」

 

『わ……若ちゃん!』

 

「大丈夫か? 竜胆」

 

 ザンボラーの体の近くの空気は、勇者の衣装を着て通り過ぎるだけでも、皮膚を火傷させる。

 ザンボラーの近くを若葉が通ったのは一瞬で、一瞬で切り捨てその場を離脱した。

 にもかかわらず、若葉の肌には痛々しい火傷が見える。

 

 ザンボラー相手に接近戦は危険だ。

 それを分かった上で、若葉は竜胆を助けに来てくれた。

 

「やるぞ。諦めるにはまだ早い」

 

『……ああ!』

 

 若葉が囮を、ティガダークがアタッカーを努め、二人が敵陣に突っ込んでいく。

 そんな中、ザンボラーの高熱で焼死しながら、次々とザンボラーに飛びかかり、ザンボラーの目を鎌で潰していく勇者の姿があった。

 熱ダメージすら無効にする分身の勇者、千景である。

 

「突出しすぎよ、竜胆君」

 

『悪い。敵の動きはちゃんと見れたか?』

 

「ええ。それなりには、皆見れたと思うわ」

 

 パッと現れ、パッと殺され、パッと再生する。

 前に出した六体が何度焼死しようが千景は痛くも痒くもない。

 ザンボラーやゴモラの体において、千景が傷付けられる部分は眼球くらいしかないが、目を潰せるのであれば果たす役割としては十分だった。

 

(……このゴモラ、眼球まで頑丈ってどういうこと……?)

 

 だが、腰を入れて全力で叩きつけなかった斬撃は、ゴモラの眼球にさえ弾かれる。

 EXゴモラは恐るべきことに、眼球ですら硬かった。

 神の刃ですら、千景が今日まで真面目に鍛錬をしていなかったなら、きっと刺さらなかっただろう。

 千景が目を潰したゴモラの首に、ティガの強烈な回し蹴りが突き刺さる。

 

 敵の攻撃に絶え間はなく、別のゴモラがティガへと噛みつきにかかった。

 そんなゴモラの顔面に若葉が切りつけ、噛みつきの動きの邪魔をする。

 隙は一瞬。

 その一瞬で、ティガはゴモラの頭を両腕で抱えるようにガッチリ固めた。

 

 頭を掴んで、ゴモラの首に何度も何度も膝を叩き込む。

 ムエタイの技、首相撲だ。

 時に殺人技にすら発展するそれが、ゴモラの首に連続で大きなダメージを叩き込んでいく。

 

 だが敵はゴモラだけではない。

 四方八方からの攻勢は止まらない。

 ザンボラー達がゴモラ一体にかかりきりになっていたティガに接近し、その全身から発する高熱でティガを丸焼きにせんとしていた。

 

「一度冷やします!」

 

 ザンボラーの高熱を、後方から杏がフィールドごと吹雪で中和する。

 杏の冷却のおかげで、ティガが丸焼きになるまでに僅かな時間が出来る。

 その僅かな時間で、ティガはゴモラを離し飛翔。

 ザンボラーとゴモラの包囲を僅かに抜けた。

 

 着地した地点に千景が居たので、竜胆は千景を守るように立つ。

 そしてそんな千景を、後ろから球子の旋刃盤の刃が真っ二つにした。

 

『!?』

 

「あれこれ工夫してるよな、こいつら。だがタマの目は誤魔化せんぞ」

 

 真っ二つにされた千景が、タウラスの形に戻り、消滅していく。

 

「小さくなってる時は脆いんだな。

 いや、こりゃ驚いた。

 "七人の千景が八人になっていてもパッと見は気付かない"。

 そりゃこのタイミングになるまで誰も気付かないわけだ。タマげた」

 

『タウラス……!』

 

「でもなー、バーテックスは知らないかもしれないけどなー。

 千景はいつも、竜胆先輩のこと心配そうな目でチラチラ見てるんだ。

 姿は真似られても、千景のちとウジウジして口数の足りない所は真似られないようだな!」

 

「土居さん? まさか私に聞こえるように言ってたりするのかしら?」

 

「千景はそれでいーんだよ! タマのお墨付きだ!」

 

 嫌な見分けられ方をした千景がむっとして、続く言葉に少し照れて目を逸らす。

 そこで何も言わずに黙るから千景なのだが、彼女はそれでいいのかもしれない。

 少なくとも、球子はそう思っているようだ。

 

「ほらーこっちこっち!」

 

 友奈がザンボラーの周りを跳び回り、高熱で意識が飛びそうになりながら、時には火傷を負いそうになりながら、ザンボラーの位置を誘導する。

 そして縦並びになった瞬間、ザンボラーを三体まとめて、メガ・スペシウム光線が貫通する。

 血が吹き出て、十万度の血が樹海を炎上……させは、しなかった。

 

『……フゥ。コノイリョクヲ、イチイチダスノハ、ツライネ』

 

 昔パワードは、パワードガボラという怪獣と戦ったことがある。

 パワードガボラは大量のウランを溜め込んだ怪獣で、ミサイルで攻撃すると連鎖反応で極大の核爆発を起こす危険があり、「どうすればいいんだ!」と人間は嘆いた。

 そこに、パワードは平然と最強光線を全力でぶちかます。

 

 結果、パワードガボラは()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう、パワードが普段以上のパワーを込めて放ったメガ・スペシウム光線は、なんと十万度の血液を一滴も垂らすことなく、ザンボラー三体をまとめて蒸発させてしまったのだ。

 忘れてはならない。

 ザンボラーが十万度であろうとも、パワードの光線の熱量は『一億度』である。

 狙ったもののみを焼き尽くすパワードの光線制御は、いっそ芸術的ですらあった。

 

 竜胆は、そこに勝利のとっかかりを見つけた。

 

『ケン、あのあっつい奴、任せていいか』

 

『イイケド、キミニアノゴモラハ、タオセルノカ?』

 

『やってみるさ。任せて』

 

『マカセタ。シンジル』

 

 パワードがザンボラーに、ティガがEXゴモラに立ち向かう。

 総数千体の星屑も、常時勇者が倒しているのに一向に減る気配がないが、勇者達は歯を食いしばって星屑の津波から巨人達の背中を守る。

 ティガも足場にして空を跳び回っている若葉は、ティガの肩に着地し竜胆に声をかけた。

 

「竜胆! 敵の弱い部分を狙え!」

 

『ああ! 心当たりはある!』

 

 若葉が肩から飛び去ったと同時、ティガは接近してきたゴモラの"口の中"に、右腕を強引に突っ込んだ。

 

『ウルトラヒートハッグッ!!』

 

 そして、突っ込んだ腕から必殺の自爆技を発動。

 右腕が丸焼けになるのと引き換えに、EXゴモラを内側から爆散させることに成功した。

 

『へへっ……腕一本で敵一体か……』

 

 自分の体が全部爆発に巻き込まれる自爆技の応用で、犠牲になるのは片腕のみ。

 竜胆に言わせれば、かなり賢い発想からくる便利な応用技、といったところか。

 表皮が硬い敵でも、内側から爆発させられたならひとたまりもない。

 奇しくも、竜胆は杏が言っていた、対ゼット戦略の有用性への確信を深めていた。

 

 他のゴモラが竜胆に走り寄って来るが、竜胆との距離が縮まると流石に口を閉じようとする。

 二の舞はごめんだ、と言わんばかりだ。

 だがゴモラが閉じようとしたその口に、千景の一人が飛び込んで、鎌をつっかえ棒にした。

 鎌のせいで、ゴモラは口を閉じられない。

 

「竜胆君の攻撃って、時々開いた口が塞がらないでしょう? ……竜胆君!」

 

 千景の声に頷き、竜胆は今度は左腕を、ゴモラに突っ込もうとする。

 

(八つ裂き光輪なら、どうだ……!?)

 

 ティガは八つ裂き光輪を展開しながら、左腕をゴモラに突っ込む。

 八つ裂き光輪がゴモラの食道から胃腸までの経路を切り刻み、ティガの左腕が喉に詰まっている状態で、ゴモラは無理矢理に咆哮する。

 だが、死なない。

 こんなにも残酷で破壊力のある攻撃をしても、EXゴモラは死ななかった。

 

『これでも即死しないとかどういう生命力だよ! ……ちくしょうっ!』

 

 左腕をゴモラの口の中に突っ込んだ状態で止まってしまったティガを、ゴモラの怒りの爪がザクリザクリと切り抉っていく。

 

 そも、バーテックスは"まともな生物"ではない。

 星屑など最たるものだ。星屑には人間を食い殺す口はあるが、肛門はない。人間を消化して栄養として吸収するわけでもない。食物連鎖の一環で人間を殺しているわけでもない。

 このEXゴモラもまた、普通の生物に見せかけられているだけの、星屑の集合体。

 胃腸をズタズタにされた程度なら、生命活動に支障はないのだ。

 

 もっと大きく、もっと激しく、もっと徹底的に、体内を破壊しなければならない。

 生命力が桁外れに強いEXゴモラ相手なら、尚更に。

 

『ウルトラヒートハッグっ……!』

 

 結局、竜胆はウルトラヒートハッグを発動。

 左腕をこんがりと焼く痛みに耐え、ゴモラを内側から爆発四散させる。

 ズタボロになって震える両腕を構え、ティガはまだ15体前後残っているEXゴモラを見据える。

 あと腕が十五本あれば、と竜胆は思った。

 

『ん……?』

 

 ゴモラが一斉に、ティガに向けて角を構えた。

 なんだ、と思い、ティガは受け身の姿勢に移る。

 それを見ていた者達は皆"なんかヤバい"と感じてはいたが、個々の反応は違った。

 ティガは撃たれてから見切るか受けるかを正確に判断しようとし、そのタイミングでティガの一番近くに居た勇者・友奈は、それを遮二無二避けるべきだと判断した。

 

「避けてっ!」

 

『―――』

 

 そしてその瞬間、竜胆は自分の感覚ではなく、友奈の声を信じた。

 

 発射前に飛ぶティガ、回避に移る仲間達、そして多数のEXゴモラが発する『EX超振動波』。

 樹海の中に、激震が走った。

 

 超振動波は、一部のゴモラが地中を進むのに使う、物質を破砕する振動波だ。

 物理的に叩き込んでも、光線のように発射しても、当たったものを破砕する。

 EXゴモラのこれは、その強化版。

 オリジナルのそれであれば、光の巨人すら一撃で粉砕しかねないものである。

 

 空間を埋め尽くす多数のEXゴモラの超振動波。

 最高の判断と、そして運の良さが重なって、巨人と勇者はその全てを回避した。

 だが、これは危険だ。

 樹海に向けて撃たれたら?

 もっと、逃げ場が出来ないように撃たれていたら?

 十数体のEXゴモラが揃っている現状を、竜胆は大きな危機感をもって再認識する。

 

(……ん?)

 

 だがティガの目は、目ざとくEXゴモラ達の僅かな変化を見逃さなかった。

 

(バテてる? このゴモラ達、今の振動波を連発できないのか……?

 そうか、だから最初から使わなかったのか。今のは結構、賭けに出てたんだな)

 

 回復すればまた撃たれる。

 そう判断したティガが動くが、そのティガを横合いから狙う影があった。

 若葉がザンボラーの血液を飛ばしたことで、ザンボラーに焼かれてダメージを受け、今まで転がっていたEXゴモラである。

 完全に奇襲な形で、EX超振動波がティガに向けて解き放たれた。

 

「さーせーるーかーっ!」

 

 友奈が、一番最初にメガ・スペシウム光線で爆散させられたゴモラの残した尻尾を、ジャイアントスイングの要領で投げる。

 と、同時。

 竜胆は、友奈を狙うザンボラーを見た。

 これもまた、若葉が切ったあのザンボラーであった。

 ザンボラーから、友奈に向けて高熱熱線が発射される。

 

 ティガはそれを見て、両手の間に広げたティガ・ホールド光波のネットにて、友奈を守る。

 

「―――!」

『―――!』

 

 友奈の投げたゴモラの尻尾が、ゴモラに当たって、EX超振動波を明後日の方向に放たせる。

 竜胆のティガ・ホールド光波が友奈を守り、熱線を跳ね返してザンボラーの表皮を焼いた。

 その一瞬、巨人と人間は互いを守り合っていた。

 

『「 ありがとう! 」』

 

「『 …… 』」

 

「お互い様、だねっ!」

 

『ああ!』

 

 ティガ・ホールド光波には、敵の攻撃も捕まえ(ホールドし)て、跳ね返す能力もある。

 極めて汎用性の高い技なのだ、これは。

 球子との特訓で編み出したというのは伊達ではない。

 汎用性の高い技は、一度生み出せばずっと使える。

 使うたびに球子との特訓を思い出して心強くなる、という意味でも、頼りがいのある技だった。

 

『ゴモラと燃えてるヤツの強さは見えてきた。あとは……』

 

 あとは、と竜胆が言いかけた、その時。

 

「"あとはあの謎のゼットンだ"……あたりかな?」

 

『!』

 

「期待して待たせてしまったようだな。ティガダーク。そして……ウルトラマンパワード」

 

 それは、ゼットンだった。

 なのに、ゼットンには見えなかった。

 

 その体色は白。

 ゼットンといえば基本の体色は黒であるはずなのに、その全身は白かった。

 紛れもなくゼットンである姿なのに、黒さがほとんどない白だった。

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()不可思議な白。

 

 その怪獣の名は『クローンゼットン・ホワイト』。

 だが、この状況において、この名は一切の意味がない。

 オリジナルのクローンゼットン・ホワイトが、なんであるかを知る意味すらない。

 

『その声……ゼット!?』

 

「ウルトラマングレートの命を懸けた、あの一撃。

 アレの傷が中々治らないものでな。

 だがただ待つというのも退屈だ。

 白き星屑を捏ね、当座の肉体を作り、そこに私の細胞を一つ加えた。

 私の細胞は一つしか使われていないが……擬似的に、私のクローンのようなものだな」

 

『ゼットノ……クローン……』

 

「無論、貧弱な肉体を私自身が遠隔操作しているため、私の足元にも及ばないが」

 

 ゆらり、と白きゼットンが構える。

 

「お前達と遊ぶには十分だ。

 来い、ウルトラマンパワード。

 貴様が人間の希望、ウルトラマンである所以(ゆえん)を見せてみろ」

 

 ここに来ての、ゼットの参戦。

 ゼット本人の参戦であれば絶望的だっただろうが、クローンゼットンのスペックであれば、まだ戦いになる可能性はある。

 ケンは、ウルトラマンとの一騎打ちにこだわるゼットの性格につけ込み、これを自分一人で倒せたならば、と考えた。

 

 今の数のEXゴモラとザンボラーにゼットンが連携してしまったら、かなり不味い。

 ゼットはゴモラやザンボラーと違って知性もある。

 知性を使って連携が可能なゼットが混ざると、一気に詰む可能性が出るのだ。

 

『イップンクレ。イップンデ、ヤツヲタオシテミセル』

 

「ケン……やる気か。私達と竜胆で、他の敵を抑えればいいんだな?」

 

『アア』

 

 若葉が冷静に戦場を見回し、敵の数を測定する。

 ゴモラが15、ザンボラーが12、星屑が400から500。

 ……ティガ一人で何体抑えられるかを考えれば、頭が痛くなる数の差だった。

 だが、まだ誰も諦めてはいない。

 

『スマナイ。モエテルヤツト、ゴモラ、スコシデイイカラオサエテオイテクレ』

 

『余裕だよ。任せて』

 

 ゼットンとパワードが、対峙する。

 

「貴様をここで終わらせよう。ウルトラマン」

 

『ソンナパチモンノゼットンジャ、マケテヤレネーナ』

 

「言うではないか、ウルトラマンパワード!」

 

 パワードの掌底を白きゼットンの槍が受け止め、火花が散った。

 

「! リュウくん目を閉じて! 魚のアレだよ!」

 

『!?』

 

 そこで地中から現れたるは、ピスケス・サイコメザード。

 千景特攻ではなくなったものの、相も変わらずティガ特攻の中間体である。

 ティガは友奈の声のおかげで間に合い、目を隠して幻覚からの精神操作を回避するが、目を閉じてしまったティガの全身を、ピスケスの雷、ザンボラーの熱線、ゴモラの尾が貫く。

 

『ぐあああああっ!!』

 

「くっ、このっ!」

 

 ザンボラーに杏が吹雪、ピスケスに友奈が拳、球子が旋刃盤を向け攻撃を押し返す。

 ゴモラも高速で跳ぶ若葉と分身する千景が止めるべく猛攻を仕掛ける。

 だが、足りない。

 亜型ピスケスも加われば、大型バーテックスは28体。対し勇者はたったの5人。

 質でも量でも上回られては、勇者の力でティガを守ることなど叶わないのだ。

 

『く……そっ! 一分どころか、何秒保つか……!』

 

 ティガが両手から、八つ裂き光輪を投げる。

 二体のEXゴモラがそれを受け止め、容易く片手で握って砕く。

 そして三体のEXゴモラが横並びに突撃してきて、ティガが空中に跳ね飛ばされる。

 

『ガッ!?』

 

 跳ね飛ばされたティガに向け、十体のゴモラが伸長した尻尾を突き出し、十本の内七本が、その鋭い尾先をティガの体に突き刺していった。

 

 

 

 

 

 ゼットは強い。

 圧倒的なスペックに、反則的な能力も強い。

 だが何よりも、それを制御するゼットの思考と技量、この二つが強かった。

 

「どうした、こんなものか?」

 

『クッ』

 

「それでもウルトラマンか、パワード」

 

 槍が走る。

 拳が舞う。

 白きゼットンとパワードによる接近戦は、一方的にゼットが圧倒していた。

 パワードの攻撃は一つも届かず、ゼットの槍はパワードの全身を切り刻んでいく。

 

(速い、いや、上手い……!)

 

 ケンは心中で思わずゼットの技量を称賛してしまう。

 

 身体能力で言えば、パワードの方が圧倒的に上だ。

 速さも、一撃の重さも、パワードは明確にこのゼットンを上回っている。

 なのに、圧倒されている。

 それはこのゼットンの強さが、白いこの肉体ではなく、肉体を操作しているゼットの技量に依存しているからだ。

 

 パワードが蹴ると、槍で柔らかく受け止め、蹴り足を押してパワードの姿勢を崩しに来る。

 パワードが両手で連打を当てようとしても、ゼットは円と直線を組み合わせた独特の槍の軌道を展開し、パワード以上の手数で槍突きを連打してくる。

 たまに光線を撃ってみても、弱い光線は打ち払われ、強力な光線でも流れる川の水のようにゆらりと受け流してしまう。

 

 そのくせ、槍の一撃一撃にしっかりと体重と威力を乗せてくる。

 半端な受け方をしようものなら、肉を抉られながらガードをぶち破られるほどだ。

 剛柔一体。

 技力自在。

 攻防共に隙がなく、パワードのガードを崩し、パワードの行動を誘導するのが異様に上手い。

 

 パワードが攻めればパワードが一方的に傷付けられる。

 パワードが受けに回っても同じ。何もしなくても同じだ。

 身体スペックにおいては、パワードの方が圧倒的に上のはずなのに。

 

 ゼットは自分よりも強い相手に手を尽くすやり方を知っており、力の差を埋めるために技を尽くすやり方を知っていた。

 ゼットは、自分よりも力の強い相手に、技のみで勝利できるゼットンなのだ。

 

「こんなものか! ウルトラマンパワード! グレートが墓下で泣くぞ!」

 

『―――!』

 

 その技の数々を。

 

 優しきケンは、怒りでぶち抜く。

 パワードの目が赤く染まり、猛然とその拳が叩きつけられた。

 ゼットは槍でそれを受けるが、一億トンの腕力が槍をミシリと軋ませる。

 

「っ、この一撃の、重みは……!」

 

 力を逃し、ゼットの返しの槍がパワードの頬を削る。

 頬を削られても、パワードは怯えの欠片も見せなかった。

 

『キサマガ……カレノナヲ……クチニスルナ……!』

 

 パワードの目は、激しい高揚、激しい怒りで赤く染まる。

 真っ赤に染まったパワードの目は、仲間を殺した敵に対する怒りそのものであり、今は亡きボブ/グレートを思うケン/パワードの想いそのものだった。

 

 槍が振るわれる。

 両の腕が自在に振り回される。

 神速の槍の刺突の嵐を、馬鹿げた筋力のパワードの腕が、片端から叩き落としていった。

 槍も拳も、突き出される速度は銃の弾丸並みと言える領域の戦い。

 ゆえに、激烈。

 その戦いはあまりにも激しく、あまりにも速い攻防の応酬だった。

 

「そうだ、それでいい……生死問わず、仲間のためにお前達(ウルトラマン)が強くなるとは真実だったか!」

 

『グッ……!』

 

「それでこそ、終わらせる意味がある!」

 

 だが、パワードの怒りの猛攻を受けてなお、ゼットは優勢だった。

 パワードの怒りの猛攻を押し返し、逆に押し込んでいく。

 怒りで跳ね返そうとしても、ゼットの技量に無理矢理押し込められていく。

 

 パワードのカラータイマーが、点滅を始めた。

 

 

 

 

 

 ティガの拳がEXゴモラの表皮を打つ。

 だが、ダメージはほとんど通らない。

 首を狙って拳を打つが、その拳をゴモラに掴まれてしまい、ティガは無理矢理地面に投げ倒されてしまった。

 

『ぐあっ!』

 

 完全に力負けしている。

 倒されたティガが必死に地面を転がると、一瞬前までティガが居た場所をゴモラが踏み、そこにあった神樹の根が粉砕されていた。

 踏まれていたら、粉砕されていたのはきっとティガの頭だっただろう。

 

 ティガのカラータイマーが点滅を始める。活動時間、残り一分。

 

『くっ……』

 

 EXゴモラが初期個体数20、現在14。

 ザンボラーが初期個体数20、現在11。

 亜系十二星座が初期個体数4、現在2。

 星屑が初期個体数1000、現在200。

 星屑は減らせているとはいえ、大型個体は活動時間の2/3を使って半分も減らせていない。

 このままでは時間が尽きる。

 亜系十二星座の生き残りに至っては、どこに隠れているかも分からない。ピスケスがどこに潜っているのか、竜胆にもまるで見当がつかなかった。

 

 『()()()()()()()()()()()()()()()()()()』という、困難と絶望。

 

「竜胆、星屑が散りすぎた。一部が神樹の方へ向かっている」

 

『……人を分けるしかないだろ』

 

「……それしかないか。

 千景! 友奈! 私達から離れて星屑の殲滅に専念しろ!

 私、球子、杏でティガをサポート! 大型を抑えるぞ!」

 

 勇者も皆消耗が激しい。

 戦いの消耗もそうだが、精霊の多用の負荷が露骨に顕れている。

 特にザンボラーの熱を常に中和しないといけない杏の消耗は、とても酷いものだった。

 ……だが、最悪なのは。その杏以上に、ティガが消耗しているということだ。

 膝に手をついているティガの肩に着地し、若葉は竜胆に声をかける。

 

「暴走は大丈夫か?」

 

『結構限界近いけど、まだ大丈夫だ』

 

 心の闇の侵食も辛いだろう。

 ウルトラヒートハッグなど、技の負荷も大きいに違いない。

 だがそれ以上に、ティガの全身が穴だらけなことの方に、若葉は危機感を覚える。

 攻撃を受けすぎだ。

 変身が解けた瞬間に即死してもおかしくないレベルのダメージを、竜胆は全身に叩き込まれていた。

 どれほどの痛みを負っているのか、若葉にも想像できないレベルの重傷である。

 

 そしてティガの怪我を気遣うバーテックスなどいない。

 ティガの怪我をこれ幸いと喜ぶバーテックスは居る。

 ザンボラーが三体、ゴモラが三体、ティガの近距離にまで距離を詰めて来た。

 

「休む間が……無いなっ!」

 

『全部倒して、休憩はそれからだっていいさ!』

 

 勇者三人でザンボラー三体を、巨人一人でEXゴモラ三体を抑えにかかる。

 一気に処理しないと意味がない。時間をかけてしまうと敵の数が一気に二倍、三倍になる。

 絶望的な状況で、ティガがゴモラに殴りかかった。

 心の闇がボロボロな竜胆の制御を一瞬離れ、理性が一瞬飛び拳の威力が三倍になる。

 三倍の威力の拳を喉に食らっても、EXゴモラは死なない。

 だが痛そうにして、ティガの体を掴んで固定した。

 

『くっ、離せっ!』

 

 一体のゴモラがティガを捕まえ、他二体のゴモラがティガを殴り、噛みつき、蹴り飛ばし、尾で刺し、爪で切り裂き、角で穴を空けていく。

 

『ぐっ、がっ、ぎっ、づっ、あ゛っ、ぐっ、ぎえっ、い゛っ、ガハッ、ゲホッ―――』

 

 竜胆に群がるゴモラが、3体、4体、5体と増えていく。

 リンチに参加する数が増えていく。

 そうしてゴモラの壁がティガを覆い隠すような形になり―――ゴモラの壁が、まとめて吹っ飛んだ。

 

『はぁ、ハァ、はぁ、ハァッ、う、ぐぅっ……!』

 

 ウルトラヒートハッグ。

 自分をリンチするために至近距離に寄ってきたゴモラ全てを掴み、そのまま発動したウルトラヒートハッグで、ゴモラを五体まとめて内側から爆発させたのだ。

 代償は大きい。

 五体まとめての爆発を食らったのだ。自爆技に相応のダメージ×5が、ティガの体に叩き込まれた計算になる。

 先にウルトラヒートハッグを二回、腕だけとはいえ使っていたのも大きい。

 もはやティガの体は、体のどこかを怪獣が小突けばそこがちぎれそうな状態であった。

 

 とはいえ、代償が大きいだけに得られたものは大きかった。

 あのEXゴモラを五体もまとめて倒したという大快挙。

 あとはEXゴモラが9、ザンボラーが11、亜系十二星座が2、合計22体。

 今の自爆も見て学習したバーテックス達に、今のを五回やればいい。

 竜胆が完遂前に必ず死ぬという点にさえ目を瞑れば、それが現状一番希望と可能性のある戦術だろうから。

 

「竜胆、なんて無茶を……!」

 

『言ってる場合か若ちゃん! 次は、今の数の倍が来るぞ!』

 

「っ!」

 

 若葉は目眩を覚え、精霊の負荷でガタガタになった体で、刀を杖のようにして立つ。

 体力の限界か手足は震え、視界の焦点が合わなくなり始めていた。

 球子は荒い息を吐き、青い顔で杏の近衛に付いている。

 息が荒いのに、いくら激しく息をしても、呼吸が整えられる気配がない。

 杏は頑張って立とうとしているが、膝をついたまま立ち上がれていない。

 青い顔でしきりにむせこんでいて、戦闘どころか自分で歩けるかさえも怪しい。

 

 ザンボラーとEXゴモラ相手では、精霊の連打以外の手段など選べない。

 球子と杏はもう精霊も使えない状態だろう。若葉でさえ、使わせるのは危険が伴うはずだ。

 

(俺が、守らないと、駄目だ。俺が、多少無茶でも、やらねえと)

 

 ティガダークが、穴だらけで火傷だらけのボロボロな体で構える。

 体の中でギチギチと音がしている。

 まだ拳がある。

 硬く握れる拳がある。

 だから戦える、そう自分に言い聞かせるティガが構えた、その瞬間に。

 

 ―――『それ』は、来た。

 

 

 

 

 

 パワードの赤き瞳が煌めく。

 ゼットンの黄色い発光体のような目が煌めく。

 槍先が突き出され、拳がそれを叩き落とした。

 その瞬間、パワードの回し蹴りが放たれた。

 

 幾百、幾千の攻防の果てに、ケンが見出した一瞬のチャンス。一度のみの好機。

 全身切り傷だらけのパワードが放ったボブの如き回し蹴りが、かすり傷一つ負っていない無傷のゼットンに迫る。

 

「この程度の蹴りで――」

 

 その蹴りが。

 空中にて、"ありえない角度で"曲がり。

 ゼットが操作するゼットンの首に、命中した。

 

「――な、に? なん……だと……?」

 

 ウルトラマンパワードのキック力は『二億トン』。

 その威力は、パンチ力の実に二倍だ。

 光の国の強さの頂点・ウルトラ兄弟達の十数万トンという力の基準を遥かに上回っている。

 当然ながらゼットンですら耐えられるものではなく、一撃にて首がゴキリと折れた。

 

『ゼェー、ゼェー、ゼェー……ア、アタッタ、カ……』

 

「今のは……そうか。"ウルトラ念力"だな?

 これは驚いた。こんなものもあるのか。

 全力で蹴り込み、蹴り込む途中にウルトラ念力で蹴りの軌道を変えた……

 蹴り込みの姿勢ごと変えれば、キックの威力は変わらない。まさしく、異端の蹴り」

 

 首が折れたゼットンから、ゼットの称賛の声が届く。

 

「素晴らしい。

 これは光の国のウルトラマンにはない発想だろう。

 発想したのはおそらくだがケン・シェパード、お前だな」

 

『……アア』

 

「地球人の発想と、ウルトラマンの技と強さ。

 どちらか片方だけでも完成することのない蹴りだな、これは。

 地球人とウルトラマンの融合体でなければ生まれない、地球人とウルトラマンの絆の強さ!」

 

『……』

 

「ゼットンの一部は、"これ"に負けたのだったな。

 いやはや、勉強になった。

 ゼットンの一人として……ここで貴様らに負けておいてよかった」

 

 白いゼットンの肉体が消えていく。

 

「これで、貴様らの敵が私だけだったなら、尋常な勝負の余韻だけで終わったのだろうがな」

 

『……っ』

 

 まるで"ゼットに忠告されたような形"で、パワードは仲間達の危機を思い出し、ゼットに背を向け駆け出した。

 ふぅ、とゼットは白い肉体で溜め息を吐く。

 

「これは戦争だ。

 生存競争に近い戦争だ。

 一つの戦いの勝敗だけで、全体の勝敗が決まることはない……」

 

 ―――白いゼットンが消えた頃、"それ"はそこに姿を現していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、長くても一秒のこと。

 

 宇宙の年齢は、大雑把に138億年。

 その138億年の中で、地球が存在したのが46億年。

 46億年の内、現生人類が生きた時間が20万年。

 その中で、西暦はせいぜい2000年。

 人の人生が100年。

 竜胆と仲間達が出会ってから約三ヶ月。

 ウルトラマン達が戦えるのが三分間。

 『それ』が人間達に接近するまでに要した時間、三秒。

 

 "それ"は、上記のどの時間にすら及ばない、ほんの一瞬の、長くても一秒のこと。

 

 

 

 

 

 突如空間に、巨大なサソリが現れる。

 二足歩行のサソリ。

 両の手と両の足にハサミを持つ、大きな尻尾を持ったサソリ。

 いつ、どうやって、そこに現れたのか、まるで分からない(さそり)の使徒。

 

 ―――亜型スコーピオン・バーテックス。

 

 『それ』は、人類戦力の現在陣形から見て、最悪の位置に突如出現した。

 

 『それ』は勇者のレーダーを誤魔化すため、体を小さく変化させ、地面に潜行可能な魚座の口の中に潜み、最高のタイミングで魚座の口の中から飛び出して、三秒で陣形の急所を取った。

 

 巨大な尾から、蠍座の針が放たれる。

 

 

 

 

 

 そこからの一瞬、人類の反応と反撃は、控え目に言っても常軌を逸したものだった。

 

 その時EXゴモラに襲われていたパワードは、反射的にゴモラに背を向ける。

 ゴモラが噛み付く。

 凶悪なその歯がパワードの肩に深々と食い込む。

 だが、パワードは意にも介さない。

 痛みに耐えながらその両手を十字に組んで、メガ・スペシウム光線を放った。

 

 球子と杏と共に、その位置で遊撃に動いていた若葉は、尋常ではない反応で精霊を使った。

 天駆ける武人、源義経。

 速度と技巧に補正をかけるこの精霊が、若葉の疾走と剣技をブーストしてくれる。

 

 光線が針を薙ぎ払い、若葉は針を蹴り落としながら足場として跳び回り、加速した剣が針を切り落としていく。

 

 だが、尋常ならざる針の弾速はほんの一瞬しか迎撃の時間を許さない。

 パワードも若葉も、全て落とせないことは理解していた。

 だから仲間に当たりそうな六割のみを落とす。

 仲間に当たりそうにない四割は叩き落とすのを諦める。

 彼らは最速の反応、最高の迎撃、最適の行動を並立する最優の戦士達だった。

 

 最優で最適なその判断を、"直線的に飛んでいたはずの針が空中で曲がる"という理不尽が、あざ笑うように踏み躙った。

 

 

 

 

 

 直進していた針が、空中で物理法則を無視して曲がる。

 発射から着弾まで一秒未満。

 満足な反応をすることなど、本当はできようはずもない。

 

 その瞬間、杏は球子を見ていた。球子は杏を見ていた。ティガは二人を見ていた。

 向き合う二人の少女と、それを見ている巨人という位置関係。

 

 杏は球子の背後から迫る針を見た。

 球子は杏の背後から迫る針を見た。

 ティガは、左右から弧を描いて曲がる針が、二人の少女の背中を狙うのを見た。

 

 『守らないと』と、その一瞬、三人の思考が一致する。

 

 球子が精霊も使えない体で旋刃盤を投げ、杏の後方の、杏を狙う針に当てる。

 何十本もある針の内、一本しか落とせなかった。

 無数の針が杏の背中に向かっていく。

 

 杏が精霊も使えない体でボウガンを撃ち、球子の後方の、球子を狙う針を撃つ。

 何十本もある針は、一本も落とせなかった。

 無数の針が球子の背中に向かっていく。

 

 ティガは必死に手を伸ばし、二人の少女を両手で覆う。

 巨人の手が、少女を守る盾となる。

 そして。

 針は無情に、巨人のその手を貫通していく。

 

「―――あ」

 

 その声は、誰が漏らしたものだっただろうか。

 

 針はいくつかが巨人の手で止まり、いくつかが巨人の手を貫通した。

 ハリネズミのようになった巨人の手の内で、杏の左右を針が通過した。

 だが、杏には当たっていない。

 奇跡のように当たっていない。

 杏は奇跡的に無事だった。

 

 だが、杏が撃ち落とせなかった一本が、ティガの手を貫通した針の一本が―――背中側から、球子の胴へと深々と刺さる。

 

 人間に刺されば、どう足掻いても助からない猛毒を含んだ針が、球子の心臓を貫いていた。

 

 球子を守ろうとした杏の目の前で、球子を守ろうとしたティガの手の中で、土居球子はバーテックスによって殺された。

 "運良く"杏は助かって、"運悪く"球子は殺された。

 運悪く、球子を守れなかった。

 そんな事実が、降ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年の、頭の中で声がする。自分自身の、心の声が。

 

『あーあ』

 

『僕らが光なんてものを求めなければ、彼女は死ななかったのに』

 

『心が光を得れば、ティガダークの身体強度は低下する』

 

『身体強度さえ下がっていなければ、今この瞬間、タマちゃんは助けられたのに』

 

『身体強度が下がった分、針はティガの手を深く貫通して、彼女に刺さった』

 

『土居球子と出会ったから』

 

『彼女に貰った光があったから』

 

『その光の分、手の強度が下がったから、彼女は死んだ』

 

『―――これってさ。御守竜胆が悪いのか、土居球子が悪いのか、どっちだと思う?』

 

 それは、確かに、御守竜胆自身の脳から生まれる心の声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サソリの毒を受けたティガの手が、その手を腐らせ始める。

 それすら構わず、ティガは自分の体全部でドームを作るようにして、球子を守った。

 ……いや、守ろうとしていた。

 

 今の球子にはもう守る価値はない。

 土居球子はもう助からない。

 されどティガダークはその事実から逃げるように、全身で球子を守ろうとしていた。

 胸に穴が空いた球子が、それを見上げる。

 

『―――っ、―――ッ!』

 

 竜胆が何を言ってるのか、球子にはまるで分からなかった。

 他の人も何かを叫んでいる。

 けれど、球子にはまるで分からない。

 肉体は既に死に始めて、激痛と倦怠感が球子の全身を満たしている。

 

 球子を全身で守ろうとするティガの背中に、次々とサソリの射撃針が突き刺さっていく。

 何本も、何本も。

 針には人間をあっという間に殺す猛毒が含まれていて、針が刺さったティガの背中が加速度的に腐っていく。その痛みと苦しみは、想像を絶するものだろう。

 だがティガは動かない。

 そんな肉体の痛みより、もっと大きな心の痛みがあったから。

 

 球子は死にかけの体で、"守らないと"と、竜胆を見上げ想った。

 

「わひゅ……」

 

 輪入道、と球子は言おうとした。

 だが言えなかった。

 針の毒が、球子の心臓を腐らせている。肺を腐らせている。気管支を腐らせている。

 もう声も出せない。呼吸もできない。

 そんな状態の使い手の意志を反映して、輪入道は旋刃盤へと宿り、巨大な炎の円盤となってティガを守る壁となった。

 

(何があって痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い苦しいタマどうなってそうだあんずは痛い痛い痛い痛い痛い苦しい先輩を守らない苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい痛い痛い痛い駄目だ何も考えられな痛い痛い痛い痛い痛い辛い痛い痛い痛い先輩を痛い痛い痛い辛い痛い痛い痛い)

 

 球子の絶命に従い、精霊と旋刃盤に力を供給する球子という経路が失われ、精霊の力が失われた旋刃盤が落ち、ピスケスにぱくりと食べられる。

 

(痛い痛い痛い痛い痛い痛い先輩を助けないと苦し苦し苦し痛い痛い痛いなんでこんなことに痛い辛い苦しい嫌だこんなのは嫌だ痛い痛い痛い苦しい痛い痛い痛い)

 

 針が胴を貫いた痛み。

 針に含まれる、最大級の激痛と苦しみを与えながら、全身を腐敗させる毒。

 二つが地獄の苦しみを球子に与える。

 そんな中、球子の目が、ティガの目を見た。

 

(―――あ)

 

 表情が変わらないはずのウルトラマンの顔を見て、そこから気持ちを読み取れるのは、その人が他人の気持ちを分かってあげられる、優しい人間である証。

 

(泣かせちゃった……先輩を……タマの……馬鹿野郎っ……)

 

 死ねるか、まだ死ねるか、泣かせてたまるか、と球子は拳を強く握る。

 

 ……握ろうとしたが、もう指一本動かなかった。

 

(死ねるか死ねるか死ねるか痛い痛い死ねるか痛い痛い痛い痛い死ねるか痛い痛い痛い痛い)

 

 地獄の激痛と苦しみの中、球子の心は叫ぶ。

 

(―――まだ、しにたく、ない)

 

 死にたくない、と。

 

 その願いを聞き届ける神様なんてものは、この世にはいなかった。

 

 

 

 

 

 土居球子は絶命した。

 

 血を吐き、涙を流し、毒のせいで耳からも血を流しながら、生きたいと願いながら死んだ。

 

 ティガを下から突き上げるようにして現れたピスケスが、球子の死体をぱくりと食べて、そのついでにティガの巨体を跳ね飛ばしていく。

 

 旋刃盤は残らない。

 球子の死体も残らない。

 バーテックスは何も残さない。

 死者が後に何かを残すことさえ許さない。

 

 生者が死者の亡骸を葬式に使い、その死を弔うことすら、許しはしなかった。

 

 

 

 

 

 炎が消える。

 

 闇の中でずっと竜胆を導いてくれていた篝火が、消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 右の脳から左の脳に語りかけてくるような感覚があった。

 前の脳から後ろの脳に語りかけてくるような感覚があった。

 自分じゃない自分が、自分である自分に話しかけてくる感覚があった。

 

(おまえ)のせいだ』

 

 声がする。竜胆の頭の中で声がする。

 

『覚えてるよな。御守竜胆が、明確な憎しみをもって殺したあの村の女の子達の名前』

 

―――杏寿(あんず)

―――タマミおねーちゃん!

 

『あの時の憎しみ、消えてないもんな。

 消そうとしても消せないんだもんな。

 憎い奴を思い出す名前だから、わざと死ぬようにしたんじゃないのか?』

 

「違う! そんなこと、思ってない!」

 

『でもさー、最初の暴走の日にさ。

 このいじめっ子の姉妹の名前は殺意と共に(おまえ)の記憶に刻まれたわけだ。

 前に、(おまえ)が暴走して伊予島を潰そうとしたのと、この記憶は完全に無関係じゃないよ?』

 

「っ」

 

『忘れるなよ。

 過去からは逃げられないことを。

 今日、土居球子を殺したことを。一生忘れるな。一生自分を責めろ』

 

 御守竜胆が、土居球子を殺した。

 

『なんで希望とか持っちゃったんだ?

 なんで幸福とか感じちゃったんだ?

 なんで土居球子を大切に思っちゃったりしたんだ?』

 

 全く救いのない人生を送っていれば。

 心に光が差さない人生を送っていれば。

 何の希望も幸福もない人生を送っていれば。

 もしかしたら……今日この瞬間に、球子を守れる手の平は、残っていたかもしれなかったのに。

 

『あーあ、そんなこと思わなければな。

 あの子を守れる手は、自業自得でとっくに失われてたってわけだ』

 

 心が闇に沈んでいく。

 

『じゃあ、暴走行ってきな。

 なあに、今のお前に"三分"なんて制限はない。

 何もかも壊してこい。心に光の部分がなくなったら、またこうして心の中に落ちてきな』

 

 心が、暴走を始める。

 

『だって(おまえ)、あの子が死んだら世界の全てを壊していいってくらいには……』

 

 心が壊れる。

 

『……あの子のこと、好きだったろ?』

 

 湧き上がるそれは、マグマのような絶望。

 

『良いのさ。僕ら人間は、大切な友達が殺されたら、癇癪で世界を滅ぼしても良いんだ』

 

 タマちゃん、と。

 

 竜胆の心に残った最後の光が、泣きながら呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 例えば竜胆が、球子に好感を持っていなければ。

 球子の影響で、竜胆が少し、自分を好きになれるようになっていなければ。

 彼女の行動で、日常に幸福を感じていなければ。

 土居球子は今日、死ななかったかもしれない。

 あと少し、あと少しの身体強度さえティガにあれば、球子は死ななかったかもしれない。

 

 そんな無駄なもしも(IF)の話。

 

 竜胆は友情を手に入れたから、仲間を手に入れたから、優しくされたから、幸福になったから、仲間を好きになれたから、自分を少し好きになれたから、未来を望んでしまったから、前を向いてしまったから、心の闇を克服したから、過去に自分なりの決着をつけてしまったから、皆と一緒に生きていたいと思ってしまったから、球子を守れなかった。

 これは、単純な計算式だ。

 心の光がもう少し少なかったなら、という単純な計算式。

 

 そして、ここから始まるものも、単純な計算式である。

 

 御守竜胆の内に湧き上がる絶望と、悲嘆が、イコールで土居球子への好意の量の証明となる。

 憎悪が、友への愛を証明する。

 絶望が、土居球子をどれだけ大切に思っていたかを証明する。

 

 全て壊せばいい。

 

 敵も、味方も、世界も、神も。

 

 壊したものの数が、土居球子への彼の想いを、証明してくれるのだから。

 

 

 

 ティガダークが、絶叫のような咆哮を上げた。

 

 

 




 2/12

【原典とか混じえた解説】

●さそり怪獣 アンタレス
 嫌になるくらい多彩な能力を持つ二足歩行のサソリの怪獣。
 まず両手と尻尾にはあらゆる物を引き裂くハサミ。足にも敵を掴むハサミ。尻尾には猛毒。
 口からは炎を吐き、目からはビームが発射され、煙幕の展開能力もある。
 更にはどんなものにも変身できる能力と高い知能もあり、人間に化けて変身前のウルトラマンを殺しに来たりもする。
 怪獣図鑑には、その尻尾の一振りで『富士山の五合目から上が吹っ飛ぶ』と書かれており、搦手を使う癖に素のスペックも吹っ飛んでいるというまさしく怪物。
 また、弧を描き敵を穿つ尻尾攻撃が、蠍座の針射撃攻撃においても再現される。
 一撃確殺の蠍座と、一撃必殺の怪獣の中間体。
 亜型スコーピオン・バーテックス。

※走り書き
 これで亜型は七体登場。残り五体も追加予定


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4

 タマは小さい頃から、女の子らしさとは無縁だった。

   ―――小さい頃からずっと、杏は体が弱くて可哀想、と言われてた。

 ガサツで強気、いつも外で危ない遊びをしてて、親に怒られてばかりだった。

   ―――私は病弱で、いつも部屋の中で、現実から逃げるように本を読み漁った。

 女の子らしさに憧れがなかったわけじゃないけど、よく分からん。

   ―――外を元気に駆け回る日々に憧れはあったけど、よく分からなかった。

 タマは、それでいいと思ってた。

   ―――病弱な私を気遣い距離を取る皆に疎外感を感じて、毎日が嫌だった。

 

 ただ、親を困らせてるのはタマにとっても悩ましい。

   ―――親も、同級生も、皆、私から距離を取る。私の体が弱いから。

 タマは自分を変えるべきなんだろうか。

   ―――皆が私を気遣う。気遣って、距離を取る。そんな周りが嫌で、嫌で。

 どうすりゃいいんだろう。

   ―――どうすればいいんだろう、そう思うたびに、幼い頃の私は泣いていた。

 

 まあ気が向いたら自分から何かを変えていこう、とタマは思っていた。

   ―――こんな日々を変えてくれる王子様のような人が来てくれたら、と思っていた。

 

 あの日、運命の日。

   ―――あの日、運命の日。

 バーテックスがやって来て、タマはとりあえず走った。

   ―――バーテックスがやって来て、私は逃げることもできず、怯えるだけだった。

 まず感じたのは怒り。

   ―――まず感じたのは恐怖。

 人を殺してるバーテックスを見て、ふざけんなと思った。

   ―――人を殺しているバーテックスを見て、怖くて震えが止まらなかった。

 

 親は心配だったけど、森の中だったし、タマ一人で逃げてる方が気楽だった。

   ―――両親と一緒に逃げている時に、両親とはぐれてしまって、泣きそうだった。

 そして、タマはいつの間にか神社の前にいた。

   ―――私は一人で逃げている内に、いつの間にか神社の前にいた。

 そこで楯に触れ、タマが戦えることを知った。

   ―――そこで弩に触れ、私は戦えることを知った。

 よし、戦うか、と楯を取った。

   ―――戦えるわけない、と、弩を抱えた私はうずくまった。

 

 化物をガンガン倒せば、女の子らしくなくても皆は褒めてくれるよな!

   ―――あんな化物に、立ち向かえるわけがない。怖い。

 親にも怒られない! むしろ褒められる! 名案だ!

   ―――お父さん、お母さん、助けて……

 『勇者』。自分にぴったりだと思った。喧嘩も戦いも恐れないタマにぴったりだ。

   ―――『勇者』。これほど私に似合わないものも無い。

 

 巫女の安芸真鈴さんと出会って、仲間の勇者を助けに行けと言われた。なんで?

   ―――助けて。誰か……助けて……

 お、あの子だな。よっしゃ、タマ行くぞー!

   ―――え?

 うっし、全部倒した! おい、大丈夫か?

   ―――あ、はい。

 ……お前、武器持ってるじゃんか! なんで戦わないんだよ?

   ―――む、無理、です……

 なんだかなぁ……

   ―――あ……怪我が、手に……

 こんくらいヘーキだって。かすり傷かすり傷!

   ―――駄目です! そこから雑菌が入ったりするんです。動かないでください。

 手当てなんていいのに。

   ―――……あの。

 ん?

   ―――助けてくれて……ありがとう……

 

 弱くて、怖がりで、他人を思いやる心を持っていて、小さな傷や痛みも見逃さない子。

   ―――強くて、勇敢で、格好良くて、敵を恐れない人。

 伊予島杏は、タマと違って、女の子らしい、か弱い女の子だった。

   ―――土居球子は、私と違って、とても勇者らしい女の子だった。

 タマは、こうはなれない。

   ―――私は、こうはなれない。

 すぐに、分かった。

   ―――心の底から、そう思えた。

 

 憧れと確信が、同時にタマの胸に湧き上がった。

   ―――憧れと確信が、確かに私の胸の中にあった。

 

 だから、思った。

   ―――だから、思った。

 

 この子を守ろう、って。

   ―――王子様みたいだ、って。

 

 

 

 

 

 土居球子と伊予島杏は、対になる関係だ。

 互いが互いを、一番大切に思っている。

 勇者五人の中で一番親しい関係を挙げるなら、この二人が真っ先に挙がるはずだ。

 

 想い出の中で、記憶の中で、杏と球子はいつも一緒にいた。

 

「電気消すぞー」

 

「はーい」

 

 特に意味もなく、杏と球子は一緒のベッドで寝ていた。

 

「夜の気温も上がってきたね」

 

「だな。あと一ヶ月か二ヶ月もしたら、タマ達も窓開けて寝ることになりそうだ」

 

 一緒のベッドで寝て、寝るまでの時間を、楽しく話して過ごす。

 二人はまるで姉妹のようだ。

 いや、見方を変えれば、"仲の良い小学生女子同士のよう"とも言える。

 杏は去年まで、球子は二年前まで小学生だった。

 普通の中学生に囲まれた普通の中学校生活を送ったことも、一度もない。

 二人がどこか小学生らしさを残しているのも、当然のことなのかもしれない。

 

「タマっち先輩は、よくあの人のことが分かったよね」

 

「ん? 竜胆先輩のことか?」

 

「うん。タマっち先輩は私達の中で真っ先にあの人に歩み寄ってたな、って思って」

 

「あーそういやそうだっけ」

 

「千景さんは変な距離でじっと見てただけだったからね。

 タマっち先輩が歩み寄ったから、皆あの人に歩み寄ろうとする空気が出来たんだと思う。

 今は私もあの人が悪い人じゃないって思うけど……

 あの人が怖くなかったの? 敵意はあったんじゃなかったの? 私は今でも、少し怖いな」

 

 球子はそんなこともあったなあ、と思いながら、ぷっと吹き出した。

 あの頃の球子には分かってなくても、今の球子にはよく分かる。

 出会ってすぐの頃の竜胆が、どれほど"球子を殺してしまうことを恐れ"、球子を気遣って距離を取ろうとしていたのかが、よく分かる。

 

「タマが怖がるんじゃなくて、先輩が怖がってるんだよ。超怖がってんだ」

 

「あの人が怖がってるって、何を……?」

 

「たくさん話せばあんずにも分かるさ。

 先輩は色んなものを怖がってて、それを乗り越える勇気が足りないんだ。

 竜胆先輩は勇気ある人だけど、必要な勇気の量が多すぎるから全然足りてないんだよなー」

 

「ふーん……?」

 

「先輩の人生に足りないものは勇気と愛だな、間違いない」

 

「人生に足りないものでその二つが出てくるのも中々すごいね……」

 

 益体もなく話す。

 ふんわりと、ほんわかと、眠くなるまで、意味もなく話す。

 特に重要でもない話を、必要でもない話をするのが、球子も杏も楽しくて仕方なかった。

 

「こうしてると、タマ達本当の姉妹みたいだよな」

 

「そうだね」

 

 付き合いの短い竜胆でさえ、知っていた。

 この二人が、本当の姉妹のように仲が良かったことを。

 記憶の中の夜に、球子と杏は手を繋ぎ、瞳を閉じる。

 

「タマの方がお姉さんだな、うん」

 

「えー、タマっち先輩の方がちっちゃいのに? お姉さんなら私じゃない?」

 

「いいや、タマの方がお姉さんっぽいからな! タマの方がお姉さんだ!」

 

「はいはい。でも、うん、そうだね。タマっち先輩の方がお姉さんなのかも」

 

 球子は子供っぽい。そういう意味ではお姉さんらしくはないのかもしれない。

 けれど、杏はいつも、球子に手を引かれていたから。

 色んなことに怯える杏を、勇気ある球子が引っ張っていくのが、二人の日常だったから。

 お姉さんがどちらかと言えば、それは球子になるのだろう。

 

 それは、動かない樹のような杏と、それを揺らし動かす風のような球子の関係で。

 

「よーし、いっそ本当の姉妹になっちゃうか! 世界一の仲良し姉妹に!」

 

 球子の言葉に、杏は思わず微笑んだ。

 

「ふふ、そうだね。でもお姉さんなら、もう少し女の子らしくもしないと」

 

「えー、球子に今更そりゃないだろ」

 

「可愛い服着たりとか、してもいいと思うな。タマっち先輩には女子力が足りないよ」

 

「女子力ぅ~? そんなもん、生まれ変わりでもしないとタマには備わりそうにないぞ」

 

「もう、タマっち先輩は……」

 

 女子力を求める気持ちくらいは持ってくれてもいいのに、と杏は思った。

 この球子に女子力が付いても、女子らしいことができるようになったかっこいい女の子が出来るだけだろうに。

 ……それはそれで面白い女の子になるかもしれない。

 

 球子が話し、杏が話し、二人の意識は、徐々に眠りの中に落ちていった。

 

「本当の姉妹よりも仲良いってくらいに、もっとうーんと仲良くなろうな!」

 

「うん」

 

 そんな、ある夜の記憶があった。杏と球子の想い出があった。

 

 夢は終わる。幸福な記憶が脳裏に蘇る現実逃避の世界から、杏の意識は現実に戻った。

 

 目の前にあるのは、球子の胸の穴から溢れた血溜まりの赤。

 

 死体すら残らなかった球子の結末が、杏の目の前に残したものは、グロテスクな血の跡のみ。

 

「タマっち先輩?」

 

 杏が球子の血の跡に手を伸ばす。

 その手が球子に触れることは、もう二度と無い。

 球子の体から飛び散った血は、杏のクリーム色で色素が薄い髪に、よく目立っていた。

 杏の白く綺麗な肌に着いた、球子の血が。

 白の紫羅欄花(あらせいとう)の勇者衣装に着いた、球子の血が。

 よく目立っている。

 目立ってしまっている。

 

「え……え? え……」

 

 現実を受け止められない。

 事実から逃げられない。

 心が、壊れそうなほどに圧力をかけられている。

 

 伊予島杏は、土居球子が死んだという事実に、向き合うことも背を向けることもできない。

 

「あ……え……え……」

 

 そんな杏の頭上を、暴走するティガダークが飛び越えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意志ある暴風。

 邪悪なる災害。

 憎悪持つ惨禍。

 今のティガダークを例えるならば、どれが的確なのだろう。

 怪獣が、ゴミのように引き千切られていく。

 

 ……これはもはや災害だ。

 だが決定的に災害ではない。

 どんな災害でも、他者に憎悪など持つはずもない。

 特定の命を殺し尽くすために全力を尽くす災害など、あるはずがない。

 

 それは一種、意思無き災害を"意思ある存在"のように扱った昔の人間達が創り上げた、名付けられし災害―――『神』のようですらあった。

 嵐の神、雷雨の神、火災の神。

 災害に意思はないという事実と、災害に意思があるという創作の矛盾。

 "災害の無慈悲"に名前をつけた結果、生まれた"神の無慈悲さ"に近い、"ティガという無慈悲"。

 無慈悲に、ティガはバーテックスを片っ端から粉砕していく。

 

 白いゼットンが破壊された後も、ゼットは戦場を眺めていた。

 そしてティガダークが撒き散らす絶望と悲しみの思念波を感じ、溜め息を吐く。

 

「仲間が死ねば、絶望と悲嘆が心の闇を深め、力を増す。

 仲間が死ねば強くなり、仲間が死ぬまで強くなれない。

 劇的に強くなるためには仲間の死が必要であり……

 ……仲間の死の後に強くなるなら、仲間が死ぬ前に強くなって守る、ということは不可能。

 仲間が皆死ねば、人の世界の敵を尽く滅ぼしてから自殺することも可能なほどに強くなれる」

 

 ゼットはこのティガを、ウルトラマンであるとは認めていなかった。

 

「仲間と親しくなれば仲間が希望をくれる。

 仲間が希望をくれれば弱くなる。

 弱くなれば仲間を守れなくなり、仲間が死ぬ。そして強くなる。

 強くなるために仲間が死ぬ必要があり、仲間を死なせるために希望を得ていく繰り返し」

 

 これはサイクルだ。

 仲間が死ぬまでの希望のサイクル。

 仲間の死を中心においた絶望のサイクル。

 二つのサイクルが、竜胆の周りで回っている。

 

「絶望するために、奪われるための希望を得ていく過程。

 死別するために、大切な仲間を得ていく人生。

 失うための幸福を得て、他人のためにひたすら自分自身をすり潰していく、生贄の運命」

 

 その運命をひっくり返すことは、まだ誰にもできない。

 

「呪いのような力だな、ティガよ。

 まるで……絶望するためだけに人生を設計されているかのようだ」

 

 ゼットの声には、僅かな憐憫が混じっていた。

 が、竜胆のこの強さを得る絶望と希望のサイクル自体は、肯定している。

 彼が出す結論が『強くなるのであればそれに越したことはない』から変わることはない。

 『もっと死んでもっと強くなれば歯応えも出るだろうか』と考えていることに変わりはない。

 だが、その結論に至るまでの思考の中で、ゼットは不思議な不快感を覚えた。

 心あるゼットンだからこそ感じた、ゼットも知らない不快感。

 

「ああ、そうか。

 これが、かつてのゼットン達になかったもの。

 心を与えられたゼットンである私だからこそ得た感情……」

 

 ゼットが竜胆の運命を見通し、そこに覚えた感情は一つ。

 

「―――『胸糞が悪い』、という感情か」

 

 戦場を与えてもらった義理がある以上、ゼットが天の神とバーテックスに対し、終わりまで造反することはない。

 だが、ティガの運命というものにこの感情を抱くのと、それとこれとは話が別だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ティガダークの暴威と、消し飛んでいくバーテックス達。

 それを見た千景は、幼い頃の記憶を思い出していた。

 

 記録的な猛暑。

 殺人的に加熱された路面。

 そこに、千景の水筒からころりと氷が転がり落ちた。

 氷はあっという間に溶けて、溶けた水もあっという間に蒸発する。

 鉄板のように熱された路面は、氷を瞬く間に"最初から無かったかのように"消してしまった。

 その時の記憶を、千景は思い返している。

 

 あんなにも強かった怪獣が、まるであの時の氷のようだと。千景は思っていた。

 

『■■■■ッ―――!!』

 

 ドゴン、とティガの拳がザンボラーに着弾する。

 ザンボラーの全身は一瞬で粉微塵に粉砕され、吹っ飛ばされ、血液の一滴すら残さず全てが結界の外にまで吹っ飛んでいった。

 ティガの右拳が高熱で焼けたが、もはや今のティガを止める痛みにすらならない。

 

 ティガが跳ぶ。

 今のティガが暴走した状態でのスピードは、もはやザンボラーやEXゴモラの目で真っ当に追えるレベルの速さではない。

 ゴモラが"見つけた"と思ったその瞬間、ティガを視認したそのゴモラの全身は、ティガダークの手刀にてバラバラにされていた。

 あれだけ頑丈だったEXゴモラの皮膚も、暴走時のティガダークの手刀の前では砂糖菓子に等しいものでしかない。

 

 ヤバい、殺される、危険だ、という空気が、バーテックス側にも人類側にも蔓延していた。

 

 ピスケスが地面に潜り、逃走する。

 ティガダークは目に映る敵全ての敵に照準を定めた。

 EXゴモラ数体が、ティガを包囲する。

 ゴモラ達はある程度回復した体力の全てを使って、四方八方からEX超振動波を放った。

 

『■■■』

 

 その時、ティガを見ていた友奈は、"フラフープ"と一瞬思った。

 そしてすぐに、そんな生易しいものではないことを理解する。

 

 ティガの腰回りに、八つ裂き光輪が発生する。

 そしてティガを中心として、その八つ裂き光輪が一瞬で巨大化した。

 ティガへ放たれたEX超振動波と、ティガを囲んでいたゴモラの全てが両断される。

 ずるり、とゴモラ達の上半身が、下半身の上から落ちた。

 

 半径1km弱の円形範囲を全て切り裂く闇の光輪が消え、ティガは跳ぶ。

 消えたようにしか見えない高速移動。

 その手が、距離を取っていた亜型スコーピオンに迫った。

 

『■■■ッ―――あ―――あ―――!』

 

 だが、そこは強個体を素材とした亜型十二星座。

 スコーピオン・バーテックスの代名詞とも言える針を連続発射し、理性の飛んだティガの移動経路を誘導し、そこに山をもひっくり返す尾の一撃を叩き込んだ。

 ティガの両足に尾が直撃し、ティガの両足の中身が粉々に粉砕される。

 

『―――ッ!!!!』

 

 更に続けて猛毒の針を発射する蠍座が、ティガの体に無数の針を突き刺していった。

 

 これで止められるのが、まともなウルトラマン。

 ティガダークは、まともではなかった。

 

 砕けた巨人の足の内から、ミシミシミシと音が鳴る。

 ティガは足を使わず、腕だけで跳ねた。

 腕で地面を押し、高速で跳ねた。

 規格外の腕力は、亜型スコーピオンに反応も反撃も許さぬまま肉薄する。

 黒く凶悪なその腕が、スコーピオンの首を掴んだ。

 

『タマ、ちゃん』

 

 ノイズばかりだった竜胆の暴走時の思念波が、一時的にまともな言語として出力される。

 純粋な想いが、思考のノイズを取り除く。

 

『死ね』

 

 死を逃れようとするサソリの射撃針が、ティガの体に連続で突き刺さっていく。

 ティガは無視して、巨大な八つ裂き光輪を敵の右に十枚、左に十枚展開する。

 八つ裂き光輪は、単体なら切り裂く攻撃だ。

 だが、沢山重ね合わせて厚みを出しなら、どうなる?

 

 "切り裂くもの"ではなく、"削り潰すもの"に、なるのではないか?

 

 十枚重ねた巨大八つ裂き光輪が、スコーピオンに左右から迫る。

 それはさながら、左右から迫る八つ裂き光輪の刃の壁。

 

 ゴリゴリゴリ、とスコーピオンが削られていく。

 削ぎ取られながら、消えていく。

 まるで石をヤスリで削って砂にする過程を、早送りで見ているかのようだ。

 そうして、"絶対に万が一にも生存させない"という絶殺の意志を反映した攻撃が、スコーピオン・バーテックスを粉微塵にした。

 

『■■■』

 

 ぶつぶつと、スコーピオンを倒すなり何かを呟き始める竜胆。

 その思考を整理して文字にするなら、

 "なんでこいつを倒したのにタマちゃんは蘇らないんだろう?"

 "殺した奴を殺しても、殺された人は蘇らない。意味はない"

 の二種類に分けられた。

 思考は完全に破綻し、狂気が正気を圧倒している。

 

 ティガがそうして動きを止めているのをこれ幸いと、ザンボラーが熱線を直撃させた。

 直撃した熱線が、ティガの肉を抉り、その骨肉を溶かす。

 そして、失われた肉体を突如生えてきた"黒い針"が補い、繋いだ。

 

『■■■―――』

 

 これが以前、ティガダークがほんの少しの間とはいえ、ゼット相手に戦えていた異常な肉体稼働の正体だ。

 肉がちぎれても構わない。

 骨が砕けても構わない。

 黒い針で肉と骨を繋げれば、とりあえず肉体は動く。

 針が筋肉や骨の代わりを努めれば、肉体の欠損は意味を為さない。

 

 針が肉体を貫く際に激痛が走るが、それがどうしたというのか。

 竜胆が激痛地獄に苛まれるだけで、戦闘続行が可能になるのであれば、これほど強力な能力もそうそう無いだろう。

 これを細胞変異(セルチェンジ)の能力と見るか、肉体変化(タイプチェンジ)の能力と見るかは、人によって見解が別れるだろう。

 

 ティガの肉は、毒によって現在進行系で破壊されている。

 だが破壊される速度よりも、針が無理矢理に肉体を縫っていく速度の方が速い。

 竜胆の肉体に発生している毒と針の痛みを度外視すれば、スコーピオンの毒の効果はほとんど無効化されていた。

 

『■■■ッ―――!』

 

 もはや変身解除後にこの傷が異常回復能力で治るのか怪しい状態のティガだが、ダメージを抑える本能はあったらしい。

 ゆえに、その本能は残酷な行動となって形にされた。

 

 ティガがEXゴモラの一体を掴み上げ、あっという間に解体する。

 そしてその硬殻な表皮の一部を、その身に装着した。

 今のティガの移動速度なら、一瞬でも熱線を防げる防具があれば、ザンボラーの熱線が当たる可能性はもはや完全に0になる。

 

 これは、ゴモラの鎧だ。

 ゴモラの皮膚を剥いで作ったに等しい鎧だ。

 『ゴモラアーマー』、とでも呼ぶべきだろうか。

 ゴモラの血に濡れ、ゴモラの硬殻表皮を鎧のように身に纏い、ティガは跳ぶ。

 

 あんなにも苦労した強い怪獣の軍団が、笑えるような速度で殲滅されていく。

 おそらく、殲滅まで十秒とかからなかっただろう。

 

 点滅が加速しないティガダークのカラータイマーが、とてつもなく不気味に見える。

 エネルギーが減っていない、というよりは、"もう止まっている"ようにすら見えた。

 

『ミンナ』

 

「パワード……?」

 

『オソラク。サンプンヲコエテモ、カレガトマラナケレバ、カレハモドッテコナイ』

 

「―――!?」

 

 今、ティガダークを止められなければ。

 今日、永遠の別れとなる相手は、球子一人では終わらない。

 バーテックスの全てを破壊したティガダークが、次なる標的を探し、パワードを見つけた。

 対峙する闇の巨人、光の巨人。

 静かな空気に、パワードのカラータイマーが虚しく響く。

 

『リンドウ』

 

 パワードも既にエネルギーは尽きかけで、全身は見るも無残な傷だらけ、それでもケン/パワードは弱さを微塵も見せぬまま、ティガに手を差し伸べる。

 

『カエロウ。モウ、タタカイハオワッタ』

 

 ケンとパワードが悲しくないわけがない。

 球子の死に、とてつもない後悔と悲しみを覚えているはずだ。

 今すぐにでも、膝をついて泣き崩れたいはずだ。

 そんな自分の感情を後回しにして、ケンは竜胆に手を差し伸べる。

 

『タタカイハモウ、オワッタンダ!

 キミカラ、タイセツナモノヲウバウテキハ、モウイナイ!』

 

 泣いている子供に、手を差し伸べる。

 

『カエッテ、タマコヲ……タマコガ、ヤスラカニ、ネムレルバショヲヨウイシテアゲナイト!』

 

 子供は、その手を、取らなかった。

 

『■■■■ッ―――!!』

 

 知ったことかと。

 世界を今日終わらせるのだと。

 あの子を殺した世界を壊してやると。

 叫びの中に、感情のノイズが幾多にも混ざる。

 

 他人思いな少年が、友達思いな少年が、仲間を大切にする少年が、闇に急き立てられて心の片隅にあった気持ちを暴走させる。

 "あの子がいない世界に意味なんてない"という小さな気持ちすら、普段なら理性に切り捨てられるはずの小さな気持ちすら、暴走の一助となってしまう。

 愛憎、という言葉があるように。

 愛が深ければ深いほど、それが転じた憎悪は大きいものとなる。

 

 これは、世界を今日、終わらせかねない憎悪だ。

 

 球子の死を引き金として世界を滅ぼす憎悪。

 その憎悪が、"竜胆は球子を世界よりも大切に思っていた"という事実を証明する。

 

『……リンドウ! ソンナニ……ジブンヲセメルナッ!』

 

『■■■―――!!』

 

 ティガの姿が、消えた。

 瞬間移動に近い速度での踏み込みを、パワードは上空に飛び上がって回避する。

 パワードの飛行速度は真空中で超光速、大気中ではマッハ27。

 空に飛び上がったパワードに、ティガダークは悠々ついて来た。

 

『っ』

 

 空に逃げるパワード、その後を追い八つ裂き光輪を放ってくるティガ。

 パワードは空中で螺旋を描く軌道で飛び、連続で放たれる八つ裂き光輪を全て回避した。

 避けられた八つ裂き光輪は結界の天井を通過し、放たれてからもどんどん加速して光に近い速度にまで到達し、空の月のど真ん中を貫通していった。

 

 もはや勇者も、バーテックスも、ついていけるかさえ分からないマッハ25超えの空中戦。

 されどティガはやがてパワードに追いつき、パワードの足を掴んで、地面に向けて投げつけた。

 地面の樹海を傷付けないよう、飛行能力で軟着陸するパワード。

 

 着地したパワードを、超高速で跳び回るティガが四方八方から殴り、蹴る。

 パワードとティガの間にある速度差を考えれば、ティガはパワードの前後左右に1/4ずつラッシュを分割しても、その1/4だけでパワードの正面ガードを押し崩せるだけの攻撃速度があった。

 

『マジメニ……』

 

 パワードは立ったまま、亀のようにガードを固める。

 全身の筋肉に力を入れ、急所を守り、四方八方から絶え間なく襲い来るティガの攻撃を防ぐのではなく、耐える。

 ティガの攻撃は、どこかボブを彷彿とさせた。

 ボブの真似をして、体に染み付かせた動きが、暴走時にも発揮されていた。

 

 御守竜胆は、人の死を人一倍悲しみ、ゆえにその死を無意味にしないようにする。

 それが分かるから、ケンはティガのこの動きが嬉しくて、悲しくて、辛い。

 

『ホントウニ、マジメニ、ボブノワザヲ……レンシュウシテ、イタンダナ』

 

 こんな世界でなければ。

 竜胆に与えられたのがこんな力でなければ。

 ケンは、そう思わずにはいられない。

 

『コンナニナッテモ……カラダニ、シミツイテイルクライニ』

 

 強くなった。竜胆は強くなった。

 努力して強くなり、仲間が死ぬことで強くなった。

 なら竜胆は、強くなって何がしたかったのだろう。

 

『守■■■■た―――!』

 

 強い想いが表に出て、想いが思念波のノイズを減らす。

 

 竜胆の願いは、どこにあったのだろう。

 

『■り■か■た―――!』

 

 ボブ、球子と、死者を糧に強くなった彼の内なる想いは、どんな形をしているのだろう。

 

『守りた■った―――!』

 

 ケンは歯噛みする。

 ティガがこうして暴走して敵を一掃してくれなければ、世界を守れなかった場面が何度もあって……その事実が、まともな大人の心を苦しめる。

 今日だってそうだ。

 ティガが暴走しなければ、そのまま押し込まれて負けていた可能性が非常に高かった。

 醜悪な言い方を、するならば。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()、この世界は今日も守られたのである。

 まるで、生贄を捧げて世界を守るような過程。

 満開の花を神に捧げ、花が散華すれば新たな花を継ぎ足すような、残酷のリピート。

 次に死ぬのは、誰になるのだろうか?

 

 竜胆の思考は、どんどん人間のそれから離れていく。

 そして、暴走する闇が、ティガダークの背中から、"新たに四本の腕を生やした"。

 

「う……腕が……増えた……?」

 

 千景が、口元を抑える。

 

「……『殺すためにもっとも適した形』に、変わっているのか……?」

 

 若葉は戦いを止めたい。

 だが、今の巨人の戦闘規模と戦闘速度に割って入る手段を、若葉は持たない。

 今戦える状態にある勇者は若葉だけ。

 その若葉も、精霊をあと一回、十数秒使えば肉体的に動けなくなる。

 それで何ができるというのか。

 若葉は無力感を覚え、拳を強く握り締める。

 

 若葉が見据える先で、ティガは不定形でグチャグチャでろくに整形できていない四本の腕も構えて、六本の腕でパワードをタコ殴りにし始めた。

 

 黒い針といい、ティガに今起こっている肉体の変質は、一体なんなのか?

 

 それは、『ウルトラマンティガ』が、『細胞変異(セルチェンジ)』の特性も持つウルトラマンであるがために発生したものだ。

 ウルトラマンティガには自らの肉体を別の形質(タイプ)に変化させられる素養があり、他者の細胞に干渉する技があり、自らの細胞サイズに干渉する能力まである。

 そんなウルトラマンが変質したティガダークにも、細胞を変質させる素養はあった。

 

 八つ裂き光輪こそ竜胆が編んだ技ではあるが、ウルトラヒートハッグやティガ・ホールド光波などは、ティガの力から素養を汲み上げ編み出した技だ。

 細胞変異(セルチェンジ)の力は勝手に竜胆自身に干渉し、黒い針による肉体の修復という形で身体強度の低下を補い、憎悪を形にしやすい肉体へと造り変えていく。

 

 今、憎悪を形にした腕四本も、ぼとり、ぼとりと落ちた。

 作りが脆かったせいで、亜型スコーピオンの毒で腐り落ちてしまったのだ。

 おかげで腕と一緒に毒も排出されたが、竜胆の意識は腕が落ちたことすら気付いていないのだろう。

 肉体が感じる痛みや苦しみなんてガン無視だ。

 相手を殺せる殺傷能力さえ維持できればいい。

 相手を殺す能力が新たに生えてくればいい。

 そんな指向性を持った、闇の化物。

 

『■ッ■ッ■ッ■ッ―――!!』

 

 その闇の深さ、醜悪さ、暴走の度合いが、球子への好意と等量ならば。

 彼は一体、球子という友達に対し、どれほど"生きてほしい"と思っていたのだろう。

 

 ケンとパワードは、もう戦える体ではない。

 エネルギーも体力も底が見えていて、全身のどこを見ても傷が付いていない箇所がない。

 散々に打ちのめされた筋肉は力を入れれば震えて、骨にもダメージが行っていた。

 にもかかわらず、パワードは立つ。

 

 彼はヒーローで、竜胆は子供だから。

 

『……パワード』

 

 ケンは、自らの内に呼びかけた。

 

 

 

 

 

 心の中にはどんな言語もない。

 心では、ただ意志のみが通じ合う。

 日本語も、英語も、ウルトラマンの言語も、そこに差異は無い。

 パワードは、ケンに警告する。

 

―――ケン。ここまでだ。これ以上ダメージを受ければ、私だけでなく君も死んでしまう。

 

 頼む、パワード。僕はまだ、やるべきことをやっていないんだ。

 

―――下手をすれば、ここで君が死んでしまう。最悪、我々は分離し君だけでも助かるべきだ。

 

 負けた後のことを考えるのはよそう。

 あの子らを娘、息子のように思っているのは、僕だけじゃない。そうだろう?

 

―――……

 

 少しでいい。あの子を助けるためにできることが、小さくてもいい。

 子供達のために、僕は何かをしてやりたいんだ。

 

―――ケン……

 

 リンドウは今、泣いている。

 僕は悲しみ、涙し、暴れる子供を止めてやりたい。

 頭を撫でて、抱きしめて、「よしよし」と囁いてあげたい。

 泣いている子供を、泣き止ませたいと思うことすらできないのなら、大人である意味がない。

 子供を慰めることすらできないのなら、大人である資格がない。

 

―――ボブの受け売りか?

 

 ああ、そうだ。

 あの子を止めるために全力を尽くす。

 それが、今戦場で子供達を支えてあげられる、唯一の大人としての責任。

 君と出会えた僕が、光を得た僕が果たすべき……責任なんだ!

 

―――分かった。

 

―――何があっても、最後まで付き合おう。我が友よ。

 

 

 

 

 

 ケンとパワードの力が尽きる。

 光が尽きる。

 最後の最後に残った力の全てを、パワードは右手に集約した。

 

 暴走するティガの左拳が、明確な殺意を持ってパワードの額に突き出される。

 剛にして暴のその一撃に対し、パワードは強大な力で返さなかった。

 光を集めた右手を突き出し、そっとティガの胸を押す。

 叩くのでもなく、突くのでもなく、光をもって優しく押した。

 

 優しき者・パワードの押す一撃が、ティガを傷付けることはない。

 ティガの一撃がパワードの頭を打ち、倒されたパワードの姿が消え、ケンの体が路上に転がる。

 そして、パワードに押されたティガの胸……ティガのカラータイマーには、光が宿る。

 パワードが残した光が、そこに煌めいていた。

 

「パワードまで……」

 

 千景の胸中に広がるのは絶望。

 七人御先を使おうとしても、体に走る途方もない疲労感と倦怠感のせいで、精霊を引き出そうとすることすらできない。

 鎌を杖のように使って立っていても、もはや戦える状態ではなく。

 千景は"もうダメか"と、一瞬思ってしまった。

 

「まだだ、まだ諦めるか……まだ足は動く。手は動く。心も刀も折れてはいない……!」

 

 若葉はまだ、欠片も諦めていない。

 そんな中、杏に寄り添っていた友奈は。

 一つの決意を固め、皆に微笑みを向ける。

 

「若葉ちゃん。ぐんちゃん。もしもの時は、後をお願い」

 

「友奈? お前、一体何を……」

 

 使わないでいた切り札があった。

 大社から使うなと言われていた切り札があった。

 神樹を通して、それに触れた瞬間、"使ってはいけない"という実感を得た精霊があった。

 無茶しいな友奈ですら、今まで一度も使わなかった、危険な精霊。

 友奈は、その切り札を、切った。

 

 

 

 

 

「来い―――『酒呑童子』!!」

 

 

 

 

 

 『酒呑童子』。

 其は、日本三大妖怪の一体。

 伝承によれば伊吹大明神たる八岐大蛇と、玉姫御前なる娘との間に生まれた者であるとされる。

 オロチの子にして、神の子。

 ある日鬼となったが、鬼となっても神の力は有していたとされている。

 また一説には、生前は散々悪行を働いたものの、死後にその罪を悔いたことで、人々を助け人々に祀られる神の一種になったとも言われている。

 

 一目連が『神にして妖怪』であるならば、酒呑童子は『神にして鬼』。

 その力は他の精霊と比べればまさしく桁違い。

 人がその身に宿して使えば、()()()()()まとめて砕け散るほどだ。

 友奈がこれを使うということは、そう。

 友奈が、竜胆と自分の体を砕きながら戦うという苦渋の選択をした、ということを意味する。

 

 一目連すら使用すべきではない状態の今の友奈が、使っていい精霊ではなかった。

 

「うおおおおっ!!」

 

『■■■―――!!』

 

 ティガダークの左拳と、酒呑童子を宿し巨大なアームパーツを身に着けた友奈の右拳が、全力で空中で衝突する。

 弾ける大気。

 撒き散らされる衝撃波。

 星屑であればこれだけで粉砕できてしまいそうな空気の激震。

 ティガと友奈の拳の威力は、互角であった。

 

 互角、ゆえに、ティガの拳も友奈の拳も、等しくヒビが入る。

 ティガの拳に至っては、グズグズに崩壊し、また黒い針が内から拳の肉と骨を縫っていた。

 

(なんて、脆い……)

 

 亜型スコーピオンに穴だらけにされたティガの拳は、その後も無理に敵に叩きつけられていったせいで、見るも無残に崩れてしまっていた。

 ティガの拳は、黒い針で無理に縫い付けているだけで、もう中身までグチャグチャなのだ。

 こんな拳でまともに殴り合いができるはずがない。

 

 友奈の拳も、今の一発でかなり壊れてしまっている。

 何度も打ち合えば、最悪後遺症が残りかねない。

 これが『酒呑童子』。

 敵も砕く、使用者も砕く、攻撃のみに偏重した鬼の力。

 仲間同士での戦いでこれを使ってしまえば、誰も笑えない未来が到来しかねない精霊。

 

 唯一の幸運は、パワードが残した光か。

 パワードが残した光が胸で輝き、竜胆の心を照らし始めている。

 ティガダークのスペックは低下し、拳の強度も低下し、その分だけ友奈の拳に伝わる破壊力が落ちているのだ。

 それでも、友奈の拳が砕けることに変わりはないが。

 今、ティガダークが、"友奈が命をかければ想いが届く範囲"にいることは、間違いない。

 

 ティガが左拳を突き出し、友奈が無事な左拳を突き出し、二つの拳が衝突する。

 衝撃が弾け、二人の拳が砕けていく。

 

「タマちゃんともう会えないなんて……私は悲しい。

 前が見辛いくらい、涙が止まらなくて……リュウくんは、どうなのかな」

 

 友奈は泣いていた。

 体の痛みではなく、心の痛みで泣いていた。

 竜胆は泣いていた。

 体の痛みではなく、心の痛みで泣いていた。

 巨人の体ゆえに涙が流れないティガと、涙を拭いながら拳を突き出す友奈が、激突する。

 二人の拳が、砕けていく。

 

「悲しいなら……泣いてるだけじゃなくて……ちゃんと、悲しいって……言ってほしいよ」

 

 また拳がぶつかる。

 また拳が砕ける。

 そして、ティガダークの動きが止まった。

 その目は、友奈の砕けていく拳を注視している。

 

 自分の体の痛みではなく、友奈の体の痛みで、竜胆は止まった。

 自分の心の痛みではなく、友奈の心の痛みで、竜胆は止まった。

 自分がどれだけ痛みを感じても、彼はそれでは止まらなかった。

 相手の痛みを感じることで、ティガの動きが、一瞬止まる。

 

「泣かないで、なんて言わない」

 

 球子の死に涙を流すその顔で、友奈は優しく語りかける。

 

「友達が死んじゃったら、悲しくて泣くのは、当然のことだから」

 

 一瞬だけ止まっていたティガが、また動き始める。

 

「泣かないでなんて言わないから……一人で、泣かないで」

 

 友奈が、巨人に手を差し伸べる。

 

 

 

「私が、一緒に泣くから」

 

 

 

 巨人の動きが、今度こそ決定的に止まる。

 

「同じ友達を想って……隣で……一緒に、泣くから……! 一人にならないで……!」

 

 友奈の涙が、言葉が、優しさが、巨人を止めた。

 世界の全てを壊してひとりぼっちになる彼の暴走を、止めた。

 竜胆が、もう自分で自分を止められなくなっても、それを友奈が止めてくれた。

 友奈が力尽き、倒れる。

 

 これが最後のチャンス。

 ティガダークを止める最後のチャンスだ。

 一瞬の停止ではなく、友奈が決定的に止めてくれたこの瞬間だからこそ、果たせる約束がある。

 

「……義経ッ!」

 

 今立っていられる最後の勇者と化した若葉が、精霊で加速しティガの首へと深く切り込む。

 それは四年前のティガと千景の結末のリプレイ。

 心が揺れた状態の竜胆の首に、勇者が神の刃を叩き込むという過去の再現。

 ティガダークの身体がゆっくりと倒れ、繰り返し過剰な負荷をかけられた竜胆の意識は飛んで、巨人への変身は解除された。

 竜胆は首から血をドクドク流しているが、即死はしていない。

 まだ、死んではいない。

 

 御守竜胆が信じた通りに。

 竜胆が竜胆でなくなった時、若葉はそれを止めてくれた。

 竜胆の首を切ってでも、その暴走を止めてくれた。

 殺して止めてはくれなかったけど、彼女は約束を果たしてくれたのだ。

 

 若葉に首を切られて人間に戻る瞬間、竜胆は声も出せない喉と唇を動かして、「ありがとう」と言っていた。

 

「……うっ」

 

 若葉は震える。

 首から血を流す竜胆を見て。

 竜胆の血が付いた刀の先を見て。

 口元を抑え、青い顔をして、膝をつく。

 竜胆の血が付いた刀を放り投げ、若葉は竜胆に向けて手を伸ばす。

 

「りん、どう……」

 

「竜胆君!」

 

 千景が叫び、ロクに歩けもしない体で必死に移動し、竜胆の首の傷を必死に塞ぐ。

 

「ねえ……私達が…一体何をしたって言うの……?」

 

 千景は見た。

 ズタボロになって、血を吐き倒れる友奈の姿を。

 呆然としたまま涙を流す杏を。

 歯を食いしばり何かに耐えている若葉を。

 球子の死体があった場所の血溜まりを。

 生きているか死んでいるかも分からない、転がったままのケンを。

 

 今日の人類戦力では片付けられなかった敵を全て皆殺しにし、世界を守り、世界を滅ぼしそうになった、全身穴・火傷・骨折だらけで血を流す竜胆を。

 

「ここまでされなくちゃいけないことを、したっていうの?

 ここまで悲しまないといけないことを、したっていうの?

 そこまで追い詰めなくたって……悲しませなくたって、いいじゃない……」

 

 千景の涙が、樹海に落ちる。

 

 樹海化が、端から解けていく。

 

「なんで……なんでよ……なんでなのよっ……!」

 

 世界を終わらせる憎悪と絶望は、ひとまず勇者の想いによって押し止められ。

 

 けれど、今も確かに、少年の胸の中にあった。

 

 

 

 

 

 竜胆参戦時、丸亀城陣営暫定数。

 ウルトラマン六人、勇者五人、巫女一人。合計十二人。

 

 土居球子死亡。

 

 ウルトラマン、残り五人。健在二名。

 神樹の勇者達、残り四人。健在三名。

 神樹の巫女、残り一人。

 

 残り、十人。

 

 

 




 全員、「あの人に生きてほしかった」。そんな人間同士の戦い


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

姫百合 -インヘリタンス-

 ガラス越しに、医者が手を尽くしている二人の仲間の姿を、若葉は見つめていた。

 友奈と竜胆。

 二人はあの戦いから丸一日経っても目を覚ましていない。

 若葉達も深刻なダメージを受けていたが、医者の治療と本人達の回復力もあって、一日経てば歩く程度のことはできるようになっていた。

 

 そして、歩けるようになった若葉達は、何よりも先んじて、友奈と竜胆を心配してこの病院のこの場所へと足を運んでいた。

 ゆえに、打ち合わせをしたわけでもないのに、皆がこの場所に揃っていた。

 

「……」

 

 友奈が最後に使った精霊・酒呑童子。

 それは健全な状態の友奈が使っても、肉体が弾ける危険性を伴うものだった。

 あの戦闘終盤、精霊抜きでも戦えない状態だった友奈が、使っていいものではなかったのだ。

 肉体の負荷は絶大。

 友奈は竜胆を止めるのと引き換えに、戦いでボロボロになった体の外側だけでなく、体の中身までボロボロになってしまっていた。

 これが完治するまでに、どのくらいの時間がかかるのだろうか。

 いや、そもそも、友奈は目覚めることができるのだろうか。

 

 竜胆に至っては、医学的にもはや意味が分からない状態にあった。

 まるで全身を念入りに破壊しようとしたかのように――誰かがそうしようとしたわけでもないのに――、破壊されていない場所が見当たらない。

 肉体は黒い針で継ぎ合わされ、高速再生で肉体を改変しながら人の形に戻していく。

 これを再生と呼んでいいものか。

 これを回復と呼んでいいものか。

 元の形と違う人体に再構築されるのであれば、それは再生とも回復とも言い難い。

 

 友奈は、深すぎる傷が一向に治らず、起きる気配も無いために。

 竜胆は、深すぎる傷が急速に治って、人間とは思えない回復過程を見せているために。

 皆の心を不安にさせる。

 『正反対の異常』が、仲間達を不安にさせていた。

 

「死ぬなよ……友奈……竜胆……」

 

 若葉が『死』と口にした瞬間、杏が身を震わせた。

 杏は戦いが終わってから、仲間と一言も言葉を交わしていない。

 憔悴した顔を見るに、おそらく一睡もしていないだろう。

 球子の死で心のどこかが壊れたのか、と思わされるような異様な様子。

 だが、友奈と竜胆を心配してここに来ているところを見るに、球子の死のショックが大きすぎるというだけで、彼女の優しい心は失われていないように見えた。

 

 若葉の言葉に、杏は死の恐怖を思い出した。

 そして千景は、憎悪を思い出す。

 

「……死ぬなよ? よく言えたものね。彼を切ったのはあなたでもあるのよ、乃木さん」

 

「……っ」

 

「よりにもよって……あの時の私と同じ形で……!」

 

 あの時の自分と同じようなことをして、ティガダークを倒した若葉は、千景からすればトラウマを掘り起こす悪夢そのものだった。

 眠ったままの竜胆の首には、厳重に包帯が巻かれている。

 

 千景があの日刻んだ傷は、竜胆の首にまだ残っていた。

 今日若葉が刻んだ傷も、きっと消えずに残るだろう。

 神の刃が刻んだ傷は、妙に治りが遅い。

 まるで、神話の中で聖なる神の刃が、邪悪な魔物によく効くように。

 

 千景は若葉に悪意をぶつける。敵意をぶつける。罵倒する。

 だが若葉を罵る以上に、千景は自分を罵っていた。

 

「そんなあなたより、私は役立たずで……最悪で……

 竜胆君も……高嶋さんも……土居さんも……

 ううっ……えぐっ……ぐっ……

 何もできなくて……何も守れなくて……見ていることしかできなかった……!」

 

 千景は喋るたびに涙声になり、病院に悲痛な声が響く。

 杏は涙をこぼして耳を塞いだ。

 若葉は千景の罵倒をそのまま受け入れ、自分を責める。

 

「……すまない。私は……あんな方法で、あいつを止めるべきではなかったのかも―――」

 

 そんな若葉に千景が掴みかかり、その襟を掴む。

 千景は若葉を責めながらも、若葉が自分を責めるやいなや、その言葉を否定しにかかる。

 支離滅裂と、情緒不安定を重ねたような心の動きだ。

 だがこれもまた、千景の心であることは確か。

 

「黙って……それ以上喋ったら……私はあなたを許せないかもしれない……!」

 

「千景……」

 

「あなたしか止められなかったのよ……!

 あなただから止められたのよ……! 私と違ってっ……!」

 

 千景は若葉の襟を掴んだまま、泣き崩れた。

 

 竜胆の首を切ったことを責める気持ちもある。

 彼を止められた若葉を羨み、妬む気持ちもある。

 彼を止めてくれた若葉に感謝する気持ちもある。

 何もできなかった自分を責める気持ちもある。

 千景の心はぐちゃぐちゃだ。

 何故か、湧き上がる感情を制御しきれていない。

 成長した千景だからこそ、ここまで自制ができているのであって、以前までの千景であれば、ここで大問題を起こしていてもおかしくはなかった。

 

 ケンが割って入り、若葉と千景を引き剥がし、二人をなだめた。

 

「ケンカハ、ヤメナサイ。ジブンヲセメルノモ、ヤメナサイ」

 

「……ケン」

 

「ダレモ、ワルクナイ」

 

「っ」

 

「ワルイノハ、ワルモノダケダ」

 

 言葉を重ね、また重ね、ケンは若葉と千景をなだめて落ち着かせ、杏にも声をかけて穏やかな心持ちにさせていく。

 

 ケンは口には出さず、心の中でボブに謝った。

 ボブが守ろうとしたものを自分が守れなかったことを、謝罪した。

 その上で……後悔に引きずられず、子供達を守る決意を更に強めていた。

 彼は光の者である。

 

 ケンは、球子の死に涙しそうになる自分を抑え込んだ。

 まだ泣けない。

 まだ弱みは見せられない。

 守れなかった子供のために"泣く"のではなく、まだ生きている子供達を『強い自分』で守っていくために、"泣かない"という選択をケンは選んだ。

 死に纏わる感情を飲み下すことに慣れているのが、彼が大人である証であった。

 

 問題は、そのケンですら、満身創痍であるということ。

 バーテックス、ゼット、ティガとの連戦により多くの攻撃を受けたことにより、ケンも全身の骨と肉が洒落にならないことになっている。

 精霊の負荷で肉体的にも精神的にも摩耗している勇者達と、どちらが危険域だろうか。

 少なくとも、肉体的には、勇者達より遥かに危険な状態ではあった。

 

 巨人変身者でなければ、そもそもベッドから起きてはならない怪我度合いである。

 

「イマハ、ヤスモウ。ミンナ、キュウソクガ、ヒツヨウダ」

 

「……ケン」

 

 ひなたは、皆の会話に加わろうとして、加われずにいた。

 彼女は戦う者ではない。

 "その場に居た者"としての会話に加わるのは、どうしても気が引けてしまう。

 ましてや死者が出た後であり。

 皆が、仲間の死を見た後だ。

 ひなた自身、球子と仲が良かったのもあって、球子の死に悲しむ皆の気持ちに過剰に共感してしまい、皆に対して踏み込めずにいた。

 

 泣きそうな皆の顔を見るだけで、ひなたはつられて泣きそうになってしまう。

 球子を想って涙を流しそうになってしまう。

 だけど、こらえる。

 そこで踏み留まれるからこそ、彼女は皆の精神的支柱の一つになれる者なのだ。

 

 ひなたは悲しみをぐっとこらえて、他の人の悲しみを癒やすべく言葉をかける。

 

「若葉ちゃんも、自分を責めないでください」

 

「……あいつの願いを聞く形でなら、あいつを切っても、罪悪感は少ないと思った」

 

「え?」

 

「そんなことはなかった。

 あいつは、切られた時に私に礼まで言っていたのに……

 私はあいつを切って止めたことを、今、心底後悔している」

 

 だが、今の勇者達の精神状態は、ひなたの予想以上に崖っぷちだった。

 ひなたの言葉が一番届きやすい若葉ですら、ひなたが救いきれないほどに。

 

「でも若葉ちゃん、お医者様が褒めていたじゃないですか。

 変身が解けるギリギリの加減だったって。

 致命傷にならず、変身は解ける、最高の力加減で切られていたって。

 お医者様がそう褒めてくれたということは、若葉ちゃんは最大限の努力を……」

 

「分からないんだ」

 

「え?」

 

「あの時の私が、どういう気持ちであいつを切りつけたのか、思い出せないんだ。

 頭にモヤがかかったようで……あの時の自分を思い出せない。

 咄嗟のことで、我武者羅に動いていたからかもしれない。

 分からないんだ、私には。

 あの時の私は、手加減して切ろうとした結果、手違いで深く切りすぎたのか……

 あの時の私は、殺して止めてやろうとして、手元が狂って浅く切りすぎたのか……」

 

「わ……若葉ちゃん……?」

 

「あの時の私はギリギリだった。

 狙って、そんな絶妙な力加減で切れるわけがない。

 ……手元が狂っていたんだ。あの時の私は。

 竜胆が生きているのは偶然だ。私の斬撃であいつの変身が解除されたのも、偶然だ」

 

「若葉ちゃん? 若葉ちゃん? 私の声、聞こえてますか?」

 

「全て、運だった……

 運が悪ければ、私はあいつとの約束を守れず……!

 いや、運が悪ければ、私はそのつもりもないまま、あいつを殺すということにも……!」

 

「若葉ちゃん!」

 

 竜胆とあの約束をした時点で、若葉は竜胆を殺そうと殺すまいと後悔を抱く運命にあり、竜胆を切ることで竜胆を救う運命にあった。

 その結果が、これだ。

 

 ひなたが若葉を抱きしめる。

 それ以上何も言わせないように、これ以上何も考えさせないように。

 若葉が震える手で、ひなたを抱きしめ返した。

 若葉の顔がひなたの胸に埋まり、その表情が全て隠される。

 隠された彼女の顔に浮かぶのは、悲嘆か絶望か。

 

 肉体的にも、精神的にも、皆が限界であることを、ひなたは感じ取っていた。

 

(もう限界です、神樹様、これ以上はありませんっ……)

 

 ひなたは、ふと思う。

 皆はこうも不安定だっただろうか。こんなにも弱かっただろうか。

 大切な仲間であり、親しい友達であり、分かりあった同年代の女の子が死んだのだ。

 こうなっても何ら不思議ではない。

 ……だが、ひなたは仲間の皆をよく理解しているがために、違和感を抱く。

 こうまで"らしくない"状態になるだろうか、と。

 

 竜胆がひなたを通して大社に調査を頼んでいた、精霊を多用する勇者の内に巣食う闇の話が、ひなたの記憶より蘇る。

 

 そして、その時。

 神樹がひなたに、神託を降した。

 若葉を抱きしめたままのひなたが、トランス状態に移行する。

 神樹の神託は曖昧であることも多い。

 こうして突然降ってくることもある。

 神託は一瞬にて終了した。

 あまりにも簡潔で短い、多少抽象的でも間違って伝わることはありえない、そんな神託。

 

 その信託が、ひなたの表情を青ざめさせる。

 

(『次の敵の襲撃は三日後』……み、三日後!?)

 

 早すぎる。

 竜胆以外は絶対に復帰が間に合わない。

 勇者達とパワードが戦線に復帰するには、どう考えても一ヶ月は必要だ。

 それだけのダメージを、全員が負ってしまっている。

 友奈のような重傷患者を除外し、若葉や千景などの比較的怪我が軽い者の復帰を待つとしても、それでも二週間は欲しい。

 三日後では、絶対に間に合わない。

 

 若葉を抱きしめたまま、ひなたは心折れそうな絶望の圧力を、その心で感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜胆は当然のように、友奈より早く目覚めた。

 戦闘終了から二日後、そして次の戦いまであと二日、そんなタイミングであった。

 傷は当たり前のように完治している。

 ……元とは違う中身の肉体になっていることを、完治と言っていいのなら、だが。

 

 目覚めた竜胆が何を思ったか、何を言ったか、何をしたかは定かではない。

 だが、衝動的な自傷をしたことだけは確かだ。

 ベッドのシーツに、多量の血液痕が残っている。

 目覚めた彼は、球子が居ない現実に、どういう向き合い方をしたのだろうか。

 いや、そもそも。

 彼はこの現実に、ちゃんと向き合えたのだろうか。

 

 その時病院に居た大社関係者は、まだ起きてもいない友奈を除けば、ひなただけだった。

 大社の要請を受けてひなたが、起きた竜胆への対応に向かう。

 

(彼は大丈夫でしょうか……

 ……いや、大丈夫じゃないということは、前提として考えておくべきなのか……)

 

 大丈夫じゃない、ということはまず大前提だ。

 自分自身への攻撃ならいくらでも耐えられるが、仲間や友への攻撃に耐えられない竜胆の精神性を、ひなたはよく分かっている。

 

(あの人は……球子さんほどには仲の良くない私が死んでも、きっと泣く人だから)

 

 せめて心が壊れる前に、とひなたは思わずにはいられない。

 杏の様子は酷いものだった。

 声を上げていなかったがために、若葉や千景ほど狂乱の度合いが目立っていなかったが、まともな会話が成立していないあの状態が、おそらく一番に酷い。

 杏を頭の中で比較に置いてみても、竜胆がどれほど酷いことになっているのか、ひなたにはまるで想像がつかなかった。

 

 ひなたは最悪の想像をして、竜胆のいる病室に入る。

 竜胆は平然とした顔で微笑んでいた。

 彼女が予想していた最悪以上の最悪が、そこにはあった。

 

「ああ、ひーちゃんか。おはよう」

 

 表情を作っている。

 感情を抑え込んでいる。

 "吹き出させてはいけない激情"に、必死に蓋をしているのが、ひなたにはよく分かった。

 平然という名の痛々しさ。

 

 竜胆を見て、ひなたは瓶の中の火薬をイメージした。

 感情が火薬。

 心が瓶。

 閉じ切った瓶の中で、火薬が爆発している。

 感情を外に逃していないから、ただひたすらに内から(こころ)に負荷がかかっている。

 瓶はいつか、必ず割れる。

 

 球子が死に竜胆がどれだけ悲しむかを明確に想像できるひなただからこそ、今の竜胆の様子を直接目にしているひなただからこそ、彼の状態がどうであるかを正確に把握することができた。

 今の余裕が無い勇者達では、竜胆の内心を、どれだけ把握できるかも分からない。

 

「ああ、またやっちまったな。敵が強かったとはいえ」

 

「御守さん……?」

 

「まず皆に謝りに行かないとな……また暴走で迷惑をかけた。また皆に助けられちまった」

 

 謝るのはいい。

 謝るのはいいのだ。

 そこは律儀で真面目な竜胆らしい。

 

 だが、そうではない。最初に言うべき台詞は、そうではないのだ。

 球子の死から今に繋がる流れがあり、その上でそうして話に入るのは、おかしい。

 "いつも通りの自分"を演じるという行為が、痛々しいほどに浮いている。

 

「……あの、御守さん」

 

「ひーちゃんは大丈夫か?」

 

「え?」

 

「タマちゃんとは仲良かったろ。結構一緒にご飯食べてたし」

 

「―――」

 

「ちゃんと泣いたか?

 まだ全然時間も経ってないんだ。

 無理して振る舞わなくてもいいんだぞ。悲しむことは悪じゃない」

 

 少年はひなたを気遣う。

 少年はひなたの心の痛みを想う。

 少年はひなたに優しさを向ける。

 球子の死で傷付いていたひなたの心が、一瞬グラついた。

 一瞬、彼に甘えて、涙を見せそうになってしまった。

 

 だが、こらえる。

 踏み留まる。

 ひなたがここで弱さを見せても、彼はそれを受け入れ、許すだろう。

 その涙を受け入れるだろう。

 ひなたを優しく慰めるだろう。

 だが、そんな選択を、上里ひなたは選べない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()には、寄りかかれない。

 

「若葉ちゃんなら、こういう時には、私には甘えるんですけどね……」

 

「ん? どうした?」

 

「御守さん。私はそんなに、弱く見えますか?」

 

 似たところが見えた次は違うところも見えてくる。

 若葉のような『正しい方向性の心の強さ』が足りていない竜胆に、ひなたは直球でストレートな言葉を投げた。

 

「心に湧き上がる気持ちの全てを抑え込んで、気を使わないといけないように見えますか?」

 

「―――っ」

 

「私は大丈夫です。

 泣きました。悲しみました。

 今でも、彼女を想えば泣いてしまいそうです。

 でもあなたは……気遣う側ではなく、気遣われる側の人間のはずです」

 

 ひなたの言葉が竜胆に刺さる。

 今、本当にちゃんと球子の死に向き合えているのは、ひなたの方だ。

 竜胆のこれは、一見球子の死に向き合い仲間を気遣っているようで、その実球子の死の痛みから全力で逃避している。

 

 竜胆は、"友達が死んでしまったら皆はもっと素直に泣いていいはずだ"という、当たり前のことを求めた。

 その主張自体は間違っていない。

 だが、泣くべき人間が泣くのをこらえ、ひなたに優しくしようとするその思考が、ひなたの目には決定的に間違って見えた。

 

「確かに、気を遣われなくても大丈夫なのかもな。

 お前のハートは強く見えるよ。

 泣かないんじゃなく、泣いても必ず立ち上がれるって意味で。

 でも、ハートが強いなら誰にも励まされなくていい、ってことじゃないだろ」

 

 竜胆はそれでも主張を変えず、ひなたに優しくする。

 球子の死で傷付いたひなたの心の傷を見抜き、彼女に優しくする。

 ひなたの胸は痛んだ。

 優しさが痛い。

 優しさが辛い。

 優しさが苦しい。

 

 竜胆は今、心臓を雑巾絞りにするようにして、傷だらけの心から優しさを無理矢理に絞り出し、それをひなたに向けているのだ。

 

「お前が大丈夫だとしても……俺はお前を気遣う。ま、年上だからな」

 

 ひなたは、震えた声を出さないようにするので、精一杯だった。

 

「それなら、他人より先に、自分を大切にしてください」

 

「悪いな。自分に気を使ってる余裕が無いんだ」

 

「……あなたは」

 

「それに、悲しんでる仲間を放っておけるか。俺はお前の味方だ」

 

 ひなたはもう、気を張っていないと彼のことを見ていられない。

 辛くて、辛くて、辛くて仕方がなくなった竜胆が、精神のバランスを保つために"なんでもいいから何かしないと"という思考になり、それでしようとしたことが、『他人に優しくすること』だったのだ。

 真っ先に彼が思いついたことが、他人に優しくすることだったのだ。

 しからば、すなわちそれが、彼の本質であるということに他ならない。

 

 だが、忘れてはならない。

 心折れそうになっている人間が、懸命に優しさを絞り出し、他人に優しくしても。

 世界がその人に優しくなる、なんてことはない。

 運命は優しい人に優しくしてくれるわけではないのだ。

 

「俺は大丈夫だよ」

 

「それは、嘘です。大丈夫なわけがありません」

 

「嘘じゃない。大丈夫だ。ただ平気じゃないだけだ」

 

「平気でもないし、大丈夫でもないし、冷静でもないでしょう!?」

 

 内側で火薬(かんじょう)が爆発している(こころ)は、いつ砕けるのだろうか。

 

「落ち着いてるだろ、俺は」

 

「落ち着いているように見えるのは、話し方だけです……」

 

 ひなたがいくら言葉をぶつけても、自分の気持ちに向き合わせようとしても、暖簾に腕押し。

 竜胆の心の奥の気持ちが、全く漏れ出してくる気がしない。

 若葉は自罰という形で、千景は他責という形で、杏は涙という形で、人前で感情を外に出してはいたというのに。

 

「道理は通す。

 ひーちゃん達は何も悪いことはしていない。

 だから、その日常は守る。

 若ちゃん達も死なせない。必ず守る。

 そして、タマちゃんを殺した奴らは―――絶対に、一匹残らず、殺す。絶滅させる」

 

 たまに竜胆の言葉の端から漏れる感情があっても……そこには、憎悪と殺意しかなかった。

 

 ひなたと球子なら、竜胆は球子との方がずっと親しかった。

 すっと仲が良かった。ずっと大切に思っていた。

 だから、ひなたの言葉は竜胆に届かない。

 球子の死の悲しみという、分厚い壁を貫けない。

 

「それが全てだ。いつも通りだろ、俺は」

 

 それでも、ひなたは思わずにはいられない。

 

「……言葉選びが、全然御守さんらしくないです」

 

 こんな彼らしくない彼を見たら、土居球子は悲しむと。思わずには、いられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜胆は誰の付き添いもなく街を歩く許可を得ていない。

 タクシーで丸亀城近くまで移動し、ひなたの発案で竜胆は天恐発症者に偽装され、全身をローブのようなもので覆って、人目から隠して移動させられた。その手をひなたが引いていく。

 手錠や首輪は目立つので、天恐発症者に偽装して隠すのはそれなりに有効だ。

 だが、何故城近くまでしかタクシーで移動できなかったのか。

 

 それは人類の防衛拠点たる丸亀城近くで、デモが起こっていたからだ。

 

「御守竜胆を起用する愚行をやめろー!」

「あいつが来てから、死亡発表が一気に増えたぞ!」

「大社が隠してるだけで、あいつが殺したんだろう!」

「街が災害で壊れた!」

「ティガは何も更生していなかったんだ!」

「大社は誤采配を認めろ!」

「ティガダークを戦力に起用するという最大の愚行を犯したことを、隠蔽するな!」

「真実を公開しろ!」

「御守竜胆を追い出せー! 勇者とウルトラマンの邪魔をさせるなー!」

 

 丸亀城の周囲に市民が群がり、"自分達が信じる真実"を元に声を上げていた。

 

 大社は、普段情報操作で市民感情を制御している。

 だが、それにも限界はある。

 死人は隠しきれない。

 異常な災害は隠しきれない。

 情報操作で全てを隠すには限界があり、その限界はもうとっくに超えていた。

 

 ボブの死、球子の死が連続して発表され。

 神樹へのダメージによる事故や災害を、"バーテックスの攻撃によるもの"として発表した。

 

 結果、街にはかなりの騒ぎが起こる。

 人々が信じた勇者とウルトラマンの死。

 安全だと思っていた四国に発生する、神樹へのダメージによる災害と事故。

 ボブが死んだ時の戦いと、球子が死んだ時の戦い、どちらの戦いにおける樹海へのダメージでも災害と事故は発生しており、二つ共に怪我人だけでなく、死者すら発生してしまっていた。

 

 もはや、市民感情は爆発しなければ止まらない。

 そして、勇者と巨人の陣営には、分かりやすく"こいつのせいだ"と人々が思える者がいた。

 

「虐殺者に法の裁きを! 何故未成年というだけで未だ裁かれていないのか!」

「俺達の勇者とウルトラマンを返せー! お前が死ねばよかったんだ、ティガ!」

「頑張っている勇者とウルトラマンを、無理に殺人犯と共闘させるな!」

「これまで通りで良かったんだよ!」

「ガイア、アグル、ネクサスの戻って来れる場所を守れー!」

「御守竜胆を死刑に!」

「あいつが来てから……ううっ……立派に頑張ってたあの人達が次々と……ぐすっ……」

 

 現在、四国には不安が蔓延している。

 市民感情は最悪で、この先何かが起こればもっと最悪になっていくという予想があった。

 

 ある者は「もう世界は終わりだ」と自殺した。

 ある者は「どうせ全部終わりなんだから」と犯罪に走った。

 ある者は天恐の症状を悪化させ、発狂に至った。

 ある者は大社を責め、絶望的な状況に『この絶望の原因である悪者』を求めた。

 

 もう人類に逃げ場はない。

 この四国が最後の方舟だ。

 今の人々の気持ちを例えるなら、逃げ場のない虫かごに逃げ込んだ虫が、人間に遊び半分でつつき殺されているような、そんな気持ちだろう。

 明日に希望が持てず、今この瞬間にも殺されかねないという恐怖に怯えながら、何の力も持たない自分には何もできないことを知らしめられる。そんな日常。

 殺されることに抵抗すら叶わないという恐怖は、人の心を狂わせる。

 

 不安と恐怖から暴挙に走りがちな人々を、大社は必死に抑えていた。

 だが抑えきれるものではない。

 大社の構成員など所詮四桁人数かそこらのものであり、四百万人の四国の人達の『民意』を自由に制御することなど、まだ不可能なのだ。

 "ボブと球子は竜胆が殺した"という噂はネットや人の口を通して広がり、もはや民衆の中で語られざる真実として定着しかけている。

 大社にも、これを止めることはできなかった。

 

「グレートと土居を殺した竜胆を除名せよ! ヤツのせいだ!」

「日本はいつから法治国家ではなくなったのか! 何故大量殺人犯を野放しにするのか!」

「俺達の無敵のウルトラマンは、信じた勇者は、これまでずっと勝ってきたんだ!」

「どんな敵が来たって負けるわけないだろ!」

「ティガが後ろから撃ったんだ、絶対に!」

「ウルトラマンと勇者は……最後には、必ず勝つんだ!」

「大社は真実の隠蔽をするのをやめろー!」

「ティガが参戦してから不自然なほど死人が出始めた! 民衆は真実を見ているぞ!」

 

 現実に起こったことが真実になるのではない。

 人々の間でまことしやかに語られ、大多数が賛同した発言こそが真実になるのだ。

 

 人は、信じたいものを信じる。

 自分の願望に沿って信じたい真実を信じる、というのもあるが、それだけではない。

 人は"それっぽい真実"を信じたがるのだ。

 ティガダークの参戦と、それを皮切りに連続した死亡確定の発表が、人々に『御守竜胆/ティガダークが全て悪い』という"それっぽい真実"を信じさせた。

 

 それは、人々が竜胆の存在を忌避していた証明であり。

 人々がティガダークの存在を嫌悪していた証明であり。

 ウルトラマンを信じていた証明であり。

 勇者を信じていた証明だった。

 

 少なくとも今、丸亀城の周りに集まっている人間は、ウルトラマンと勇者を悪く言うだなんてことは一切しなかった。

 人々は、ウルトラマンと勇者を信じていた。

 人々は、彼らが必ず勝つと信じていた。

 人々は、ウルトラマンと勇者が生き残り、幸福になることを願っていた。

 戦いが終わり、平和になった世界の日常に、ウルトラマンと勇者が帰ることを祈っていた。

 

 彼らはウルトラマンに好感を持ち、勇者達を応援していた。

 戦いに臨む戦士達の無事を望んでいたのだ。

 ここの街の人間であるがために、ボブと何度も仲良く会話した者も、球子を友達のように思っていた者や娘のように思っていた者もいただろう。

 だからこそ、竜胆を憎んでいる。

 お前のせいだ、と。

 

 彼らはボブの死に本気で悲しみ、球子の死に本気で涙を流し、竜胆の死を本気で望んでいた。

 

「御守さん、裏から丸亀城に入りましょう」

 

「……」

 

「御守さん?」

 

 彼らは何も間違っていない。そうだよ、俺のせいなんだから。

 

 竜胆は人々の前に出て、フードをとって顔を出す。

 彼らを肯定したかった。

 彼らの意見を後押ししたかった。

 ()()()()()()()()()()()という思考が、球子の死からずっと歯車がズレている竜胆の頭の中で、ぐるぐると巡っていた。

 

「そうだよ」

 

「……! お前はっ!」

 

「ボブも、タマちゃんも、お前らが信じた通りの奴らだ。

 その信頼を疑うな。

 あの二人が死んでるのがおかしいんだ。

 俺のせいなんだよ。

 お前らの言う通り、死ぬはずじゃなかったあの二人が死んだのは、俺のせいだ」

 

 人々は『お前のせいだ』と言い、竜胆は『俺のせいだ』と言う。

 竜胆の想いと、皆の想いは一つになっている。

 そこにズレが生じることはない。

 

「あの二人は!

 最高のウルトラマンと、最高の勇者だった!

 最高の二人が死んだのは、俺のせいだ!

 お前らが信じたことは間違いじゃない! 信じた相手は間違ってない!

 お前達の信頼を、ボブもグレートも土居球子も、何一つとして裏切っちゃいないんだ!」

 

 竜胆のこの日の言葉が、ボブと球子の死後の名誉を、永遠に守った。

 

 二人に対する"街や人を守れなかった無能"という一部の声を、彼の言葉が駆逐するだろう。

 

「俺が、あの二人を殺した……!」

 

 その代償として―――人々の憎悪は、竜胆に向かった。

 人々が怒りに突き動かされ、竜胆を突き倒す。

 囲んで、皆が竜胆を蹴って、蹴って、蹴って、蹴り倒す。

 ボブや球子などに親しみを持ち、死んだ彼らに好意を持つ者達が、竜胆を蹴る。

 人々は勇者とウルトラマンに貰った勇気で邪悪なる少年に立ち向かい、今は亡き彼らへの想いを胸に、ボブと球子を殺したと言う少年を、烈火の怒りで攻撃していく。

 

「ふざけんなてめえぶっ殺してやる!」

「力があればオレ達が怯むとでも思ったかクソ野郎!」

「お前なんかよりもっと恐ろしいものに立ち向かってんだよ勇者達は!」

「それ知ってるオレ達がビビってられるか!」

「くたばれクソ野郎!」

「敵討ちだ!」

「あんな小さな子がお前のせいで……!」

「ボブはなあ、お前みたいなのよりずっと生き残るべき人だったんだよ!」

 

 ボブと球子の死を悲しみ、涙し、死んだ二人を想っている。

 リンチされている竜胆と、リンチされている人々の想いは一つで、心が一つだった。

 "心を一つにして皆で一緒に悪を叩く"。

 皆の行動は、本当にとても人間らしい。

 

 そんな中、ひなたは人の壁をかき分け、竜胆を助けようとしていた。

 

「どいて、どいてください!」

 

 竜胆に何を言われようが構わない。巻き込まれても構わない。

 『こんなもの』を、心優しいひなたが見過ごせるわけがなかった。

 以前竜胆が石を投げられた時は、何もするなと千景を止めたひなたが、今は竜胆を助けるため飛び込もうとしている。

 それは、竜胆とひなたの間に友情が育まれたことの証明であり。

 上里ひなたが、人々に攻撃される御守竜胆の心境を、理解できるようになったことの証明でもあった。

 

「御守さん……御守さんっ!」

 

 だが、ひなたに力はない。

 多少鍛えた女子にも負けるか弱い腕で、大人達が作る人の壁は崩せない。

 彼女は勇者ではないのだ。

 大人に勝る腕力など備えていない。

 彼女は巫女だから。

 人をその手で助ける力など、持ってはいないから。

 ひなたは途方もない無力感に苛まれながらも、手を伸ばし続けた。

 

 手を伸ばしたその先で、ゴミを漁っていて人に蹴り殺されるみじめな野良犬のように、ボロボロになった竜胆がなおも皆に蹴られている。

 

「誰か、誰か! 止めてください! もう……もうその人は十分、苦しんでるんです……!」

 

 ひなたの悲痛な叫びは、祈りは、どこにも届かない。

 全部、全部、ひなたは止めてほしかった。

 皆が竜胆を責めるのも、攻撃するのも。

 竜胆が自分を責めるのも、心の奥に気持ちを押し込めるのも。

 バーテックスの襲来も。

 全て止めてほしいという祈りがあれど、何一つとして止まることはなく。

 

 だが、救いの手を差し伸べるものは居た。

 

「上里様、こちらです」

 

「! あなたは……」

 

「大社の者です。早くこちらに」

 

 大社の人間が、こっそりとひなたを連れ離脱する。

 苦心しつつも上手いこと偽装して、竜胆も救出し、民衆に竜胆を見失わせた。

 今、丸亀城には、大社から派遣されたデモ対策の人間が十数人配置されている。

 その内の数人が、ひなたと竜胆をこっそりと丸亀城内部にまで運び込んだのだ。

 

「よし、なんとか逃げ切れたか……上里様、御守様、大丈夫ですか」

 

「え、ええ、はい……」

 

 ほっとするひなたの横で、地面に座り込んだ竜胆に、かがんだ大社の人間が語りかける。

 

「軽率な行動は控えてくれ、ティガ。君は俺達の希望の一人なんだ」

 

 "希望"という言葉に、竜胆がピクリと反応した。

 皆に蹴られたことで、竜胆の目には土が入っていた。

 涙を流さないように懸命に心がけていた竜胆の瞳が、土が入ってしまったことで、生理的反応で小さな涙を流す。

 涙をこらえて、こらえて、一滴も涙を見せなかった竜胆の目から、一筋の涙が落ちる。

 

「違う!」

 

 涙を流す右目と、涙を決して流さないようにしている左目が、今の竜胆の心の中身を現しているようで、あまりにも痛々しかった。

 呻くように、竜胆は否定の言葉を絞り出す。

 

「本当の希望は……生きてる俺じゃなくて……死んだあの二人が……あの二人に……!」

 

 大社の男は、竜胆の状態を察したようで、それ以上の言葉を紡ぎはしなかった。

 部下をまとめて、丸亀城の周囲の対処に戻る。

 

蛭川(ひるかわ)主任、なんとか人は散らせました」

 

「よし、(ばん)チーフ、本部に戻るぞ。

 たっく、代休取った日だってのに働き者だな、俺達は」

 

 そうして、大社の人間が帰った後に、竜胆とひなたが残される。

 寄宿舎の方から、騒ぎを聞きつけた千景が走って来ている。

 ひなたは竜胆に駆け寄り、彼の全身の傷を痛ましそうに見回した。

 

「ああ、こんな、こんなに怪我を……」

 

 今日丸亀城の周囲に集まった者達は、あの二人の死が竜胆のせいだという"噂"を流すだろう。

 それがなければあの二人は生きていたはず、という"噂"も流れるだろう。

 "あの二人が弱かったから死んだ"という噂は次第に弱まり、二人の名誉は守られるだろう。

 

 たとえ、地獄の底に落ちようとも。

 たとえ、二人が死んだ後だとしても。

 御守竜胆は、ボブと球子の二人を守る。名誉でさえも絶対に守る。

 

「あの二人は希望で……

 俺にとっての光だったんだ……

 ボブも……タマちゃんも……

 俺に……光を見せてくれたんだっ……!」

 

「……分かってます。分かっていますから」

 

 見ているひなたの心の方が削れてしまいそうな、そんな生き方だった。

 

 

 

 

 

 千景もまた、竜胆への接し方の正解を見つけられていなかった。

 とりあえず救急箱を持ってきて、ひなたに竜胆の手当てを任せる。

 ……そして、二人に話を聞いて気になって、端末で匿名掲示板を閲覧しに行った。

 まさか、と千景は思っていた。

 皆称賛してくれているはず、と千景は考えていた。

 だって私達は皆のために命をかけて戦って……と、祈るように、千景はページを開く。

 

 そこに並んでいたのは、匿名掲示板という場所で顔を隠して、"醜悪な普通の人間らしさ"を晒している人々の書き込みだった。

 

『負けて死ぬとかほんとつっかえねえ』

 

『あの災害ってバーテックスのせいなんだっけか。ちゃんと防げよな』

 

『あれで何人怪我人が出たんだか……勇者もウルトラマンも怠慢しすぎじゃね?』

 

『大社がちゃんと見張ってないからだろ。仕事してないんじゃないかな』

 

『御守竜胆とかいう誰にも生存が喜ばれてない畜生wwwwwww』

 

『ティガダークとかもう殺処分していいんじゃねえかな?』

 

『土居とグレートは無能』

 

『持ち上げられすぎてたんだよな。マスゴミが讃えてただけの雑魚だったんだろ』

 

『俺達の税金で勇者とかやれてんだから税金返せよ、税金泥棒』

 

『役立たずをいつまで勇者とかにしてんだか……死んだら入れ替わりとかないの?』

 

『ティガとか殺して結界の外に吊るしておけば怪物避けになるんじゃね』

 

『カラス避けかよ! でもちょっと試してみてもいいかもな。死んでもいいクズだし』

 

『最近まとめで記事出来てたけどボブとか土居とかもクズだぞ、情弱乙』

 

 成長した千景でも抑え切れないくらいに、感情が高ぶる。爆発する。憤る。

 精霊を多用した千景の内側で、精霊の穢れが胎動した。

 心に濃い闇が広がる。

 

「なによ……これ……?」

 

 以前、若葉は竜胆の正義を語る際に、"全体の秩序"を優先する正義と、"個人の幸福"を優先する正義は相反すること、その両方を竜胆が求めていることを指摘した。

 人の主義主張は、現実でぶつかり合う限り、二極化したり対構造になったりする。

 個人の自由の尊重と、全体秩序の厳守は対立し。

 他人を気遣う善なる者と、自分さえ良ければいい悪は対立し。

 光と、闇は対立する。

 

 だが、この匿名掲示板や、匿名SNSの者達は違う。

 秩序の者に対して、「非人道的に人権を侵害している」と言い。

 自由の者に対して、「社会のルールにも従えないグズ」と言い。

 善の者に対して、「これは凄い」「法律的に考えたらアウトだろ」と言い。

 悪の者に対して、「スカっとした」「ただの犯罪者じゃね」と言い。

 "自分の発言に責任を持たなくていい権利"を持っているがために、本当に剥き出しの心の赴くまま、好き勝手なことを言っている。

 

 無責任の塊。

 保身を考えなくてよくなった人間の剥き出しの姿。

 相手が傷付くことを言っても、傷付いた相手の姿が見えないために、何の罪悪感も抱かなくても良い悪意の坩堝。

 

 彼らは固定した主張を持つ責任すらなく、新しい情報が出れば手の平を返し、簡単に周囲や多数意見に流され、物事の解決を他人に丸投げし、その他人が上手くやらなければ文句を言う。

 

 例えば、無責任でいることが許されるなら、人は政治に参加する意欲も見せず、やる気のある人間に国のことも全て任せ、失敗したらその人間を全力で責める国を作るだろう。

 "無責任"は、人を堕落させる。

 責任を他人に丸投げして、辛いことを他人のせいにする人生は、とても楽だからだ。

 

 これは心理学の話である。

 無責任でいていい場所で、人間は心の醜悪な部分を剥き出しにする。そういうものだ。

 他人に気を使わなくていい、相手が傷付くかどうかを神経質に気にしなくていい……そういう場所での言動は、とても楽なものだから。

 これは人間として、当然の醜悪の露出なのである。

 

 "これ"は、今に始まったことではない。

 人類の歴史には常に"これ"がある。

 秩序を重んじるでもなく、自由を重んじるでもなく、善にもなれず、悪にもなれず、流されて全てに賛同することもあれば、自分勝手に全てを叩くこともある。

 

 『醜悪な普通』。

 

 普通だからどこにでもあり、普通だから世の中の大半に満ちている。

 

「ちーちゃん」

 

 絶望、憎悪、憤怒に呑まれそうになった千景の頭を、背後から竜胆が抱えた。

 千景の頭を抱える腕が、千景の目を塞ぎ、掲示板を見えなくする。

 

「そういうのを見るのは、精神衛生上よくないぞ」

 

「私は……私達が戦ってきたのは……何のために……!」

 

「君の未来を掴むためだ。君が生き残るためだ。君が幸せになるためだ」

 

「っ、でも、皆のために戦って……その結果がこれ……!? なんなのよっ……!」

 

「無視しちゃおう。君も、俺も、君の幸せが欲しくて戦ってる。これでいいじゃん」

 

「……ッ」

 

「深呼吸して、落ち着いて。

 ……タマちゃんについての書き込み見て、怒ってくれたんだよな。

 ちーちゃんはいい子だ。

 だからさ、君がこういうつまんない奴らに心苦しめられるのは、嫌なんだよ」

 

「やめて……やめてよ……竜胆君だって、これを見て思ったことがあったでしょう!?」

 

 千景の声には憎悪と怒りがある。

 言い変えれば、千景は感情をきちんと吐き出せていた。

 竜胆の声は穏やかで……ゆえに、彼は何の感情も吐き出せていなかった。

 

「俺の仲間を死なせたのは、この人達じゃないから。憎むほどの理由がないよ」

 

「……っ、やめて! そういうことを言うのはやめて!

 『殺したのは』じゃなくて、『死なせたのは』って言ってるってことは、それは……」

 

「落ち着けちーちゃん」

 

 球子を『殺したのは』バーテックスだ。

 球子を『死なせたのは』バーテックスと竜胆だ。

 彼の言葉には、そういう感情が浮かべられている。

 

「憎んでない。そう、憎んでないんだ……俺が憎いのは……」

 

 千景の目を覆いながら、竜胆は千景の端末を取り上げ、開いていたページを閉じる。

 その時、掲示板の書き込みが目に入った。

 

『どうせくたばるんなら最初から土居なんて無能は勇者にするべきじゃなかっただろ』

 

『ボブとかいうやつ外見が気持ち悪かったから死んでくれてちょっと嬉しいわ』

 

『次にティガが死ぬの祈願』

 

『他の勇者もちゃんと戦えよな。俺達みたいな罪の無い一般市民を守れないなら無価値だろ』

 

 竜胆が千景にかける声は優しく、されど声に反比例して、目は濁っていく。

 心が濁っていく。

 きっと、御守竜胆が"ウルトラマン"であったなら、こんな者達でも守り抜こうとすることに、躊躇いや迷いはなかった。

 そこに生きているというだけで、竜胆は守ろうとしたはずだった。

 

(悪いのはバーテックスだけだ。人間も憎いけど。

 皆被害者なんだ。こいつらも加害者だ。

 誰もが皆、聖人ではいられない。醜悪だよ、本当に。

 こんな書き込みを理由に殺意なんて抱かれたらたまらないだろう。

 皆不安で仕方なくて、軽い気持ちで書いてるだけだ……本当に殺してやりたい

 

 ボブと球子を思うがゆえに、竜胆を罵倒し攻撃した人達。現実の痛み。

 ボブと球子さえも侮辱して、一緒に竜胆も罵倒した人達。ネットの痛み。

 両方共に竜胆へ攻撃を加える存在ではあったが、その性質は全く違った。

 

 共通項は唯一つ。

 両方共に竜胆を嫌い、その不幸を望み、その死を望んでいることだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 友奈が目覚めたとの報を聞き、竜胆は病室に見舞いに行っていた。

 その内心は、他の人間が覗けたなら、吐き気をもよおし嘔吐してしまいかねないほどにグチャグチャで、ドロドロに淀んでいた。

 そんな状態でも、竜胆は見舞いの花と果物を選んで、友奈の快癒を願う。

 友奈はまだ目覚めただけで、面会時間すら短く制限されているほどだった。

 そして他の者達も、竜胆以外は誰も全快していない。

 

 次の襲撃は明日。

 竜胆以外の誰も回復はしていない。

 次の戦いはティガダーク一人での戦いとなるだろう。

 誰も、次は助けてくれない。止めてもくれない。

 その日、世界は終わるかもしれない。

 

「よっ、友奈。元気にしてたか?」

 

「あ、リュウくん……」

 

「ちーちゃんと若ちゃんもいたか。ほら、花とフルーツバスケット。見舞いの品な」

 

「……うん、ありがとう」

 

 竜胆は大社に呼び出されての病院検査にかこつけて、友奈の見舞いに訪れていた。

 千景と若葉が先客として病室にいて、竜胆が部屋に入る前から暗い空気があったのが、感覚で分かる。

 友奈もどこか元気がない。

 暗い空気が苦手で、率先して空気を明るくしていくのが友奈だ。

 彼女が暗い空気の一部になっているという時点で、とんでもない異常事態である。

 

 だが、今の竜胆に、友奈のそのあたりの異常を察知できるほどの余裕はない。

 

「……リュウくん、目が怖いよ」

 

「目?」

 

「ギラ、ってしてる。いつもは優しい感じなのに」

 

「目だけで人を分かった気になるなよ。俺はいつもと変わらないって」

 

 だが、心も体もズタボロで、体を起こすことすらできない友奈は、その状態から、竜胆の方の異常を察知していた。

 

「……難しいかもしれないけど、リュウくん、明日あるっていう戦いは休んだ方がいいよ」

 

「無理だな。俺しか戦える奴がいない。心配してくれたことは嬉しいよ、友奈」

 

「……」

 

 若葉にも千景にも他人の心情をじっくり慮る余裕はない。

 だからか二人は、友奈の言葉に少し驚いていたようだ。

 ティガしか戦えないこの状況で、ティガに休めと言った友奈が、とても変に見えた。

 

「俺は大丈夫だ。今は、前以上に、奴らが憎い。次は必ず殺せる」

 

 そしてすぐに、異常だったのは友奈ではなく、竜胆の方だということに気付く。

 友奈が竜胆の何を察したのかに、気付く。

 

「次は何が来ても逃さない。

 これだけの憎しみがあれば、きっと、何もかも壊せる。

 何もかも更地にできる。何も残さない。……この感情を制御できれば、まだ戦えるはずだ」

 

「敵を全部倒す、なんだ。全部守る、じゃなくて」

 

「……ああ、友奈の言う通りだな。敵を倒すより、守ることを優先して考えねえと」

 

 若葉はふと、前に千景が言っていたことを思い出していた。

 

―――ねえ、乃木さん

―――気のせいなら良いんだけど……竜胆君、最近少しずつ、口が悪くなってない?

 

 御守竜胆は、こういうことを言う男だっただろうか。

 

「頭がおかしくなりそうなくらい、奴らが憎い。

 これが、俺の力になってくれる。暴走さえしなければ、一人でも戦えるはずだ」

 

 友奈は息を飲み、若葉は何を言って良いのか分からなくなり、千景は声を張り上げた。

 

「竜胆君!

 自分の表情が見えてないの!?

 "それ"は憎しみじゃなくて! 悲しみよ!」

 

「―――」

 

「頭がおかしくなりそうなほど苦しいのは、憎んでるからじゃなくて、悲しんでるから!」

 

「敵を憎んでないとやってられないなら、同じことだ!」

 

「同じじゃない! 全然同じじゃないでしょう!

 敵を想うのと……土居さんを想うのは……全然違う!」

 

「っ」

 

「土居さんが死んだことから……土居さんを失って悲しんでいる自分から、目を逸らさないで!」

 

 ズブズブと、ズブズブと、竜胆の心の状態は悪化していく。

 そんな彼に、千景の言葉が手を差し伸べて、竜胆の言葉が、その手を払い除けた。

 

「ちーちゃんは自分も辛いだろうに、優しいな」

 

「……話を逸らさないで」

 

「でもな、優しさで守れるものって、あんまないんだ。

 優しさじゃ何も救えない。

 今の俺には、この憎しみが全てだ。

 憎しみを力に変えて、戦って、バーテックスを皆殺しにして……皆を守る」

 

 拳が砕けんばかりに、強く拳を握る。

 強く握られた竜胆の拳に、起き上がれもしない友奈の優しい手の平が触れた。

 

「違うよ。どちらかといえば、何も救えないのは、憎しみの方じゃないかな」

 

「……友奈、分かってくれ。今は、優しさの方は、必要じゃないんだ」

 

「タマちゃんの優しさに、救われた気持ちになってなかったなんて、言わせない」

 

「―――っ」

 

「ぐんちゃんの言葉に、何も思わなかったなんて言わせない」

 

「―――!」

 

「憎しみがあなたの全てだなんて、絶対に言わせない」

 

 友奈にはいつもの元気がない。

 いつもの明るさもほとんど失われている。

 酒呑童子使用の後遺症が、彼女からまだそれを奪い続けている。

 それでも彼女は、言葉を尽くした。

 

「友奈……そういうのはさ、放っておいてくれよ。

 こうと決めたこと否定されたら、そこからどうしていいか分からなくなるだろ……」

 

「放っておけないよ。友達なんだから」

 

 その言葉は、竜胆の心を打つけれど。

 

「……憎いんだよ、奴らが。自分が。

 こんな俺が生きてることを許してくれた、優しいタマちゃんやボブを、死なせた奴らが」

 

 それで全てを解決するには、今の友奈にはあまりにも光が足りなくて、今の竜胆の闇はあまりにも深すぎる。

 許すことが、優しさなら。

 彼がここに生きることを許し、幸せになることを望んでくれた人達は、きっと優しい人達で。

 

「許せることが優しさなら! 優しさなんて要らない! 許さない憎悪だけでいい!」

 

「リュウくん!」

 

「友奈はちゃんと悲しんでやれ! タマちゃんの死を!」

 

「……え」

 

「立ち止まって悲しんでやれ! うずくまって悲しんでやれ!

 それが人の当たり前で、当たり前の悲しみ方だ!

 ……だけど、俺は! 要らない! そんなものは要らない!

 悲しむために立ち止まるべきなら、憎悪に突き動かされて走り続けてやる!」

 

 友奈は、その悲痛を自分のことのように感じて、涙をこらえ。

 千景は、竜胆を幸福に連れて行くためにどうすればいいのかを考え、何も思いつけなくて。

 若葉は、自分が刻んだ竜胆の喉の傷が開いたのを見た。

 

 涙を流さない役立たずの目の代わりに、喉が血の涙を流していた。

 

「あいつらに! その全てに! ……()()()()()()()を、その重みを教えてやる!」

 

 肥大化した心の闇は、もはや制御できるようなものではなく。

 

 竜胆は友奈の病室を飛び出して行った。

 

「竜胆君っ!」

 

 千景がその後を追う。

 若葉は壁に背中を預け、ずりずりと背中を擦りながら座り込んでいく。

 尻が床に落ちた頃、若葉は頭を膝の間に埋めていた。

 

「……まるで、昔の私だ」

 

 今の竜胆と、昔の若葉は、どこかが似ている。

 少なくとも、若葉はそう思っている。

 

「復讐のためだけに戦い……憎悪に突き動かされ……周りが見えなくなり、自滅する」

 

 かつて若葉も、そうなりかけたことがあった。

 罪の無い人を殺したバーテックスを憎み、理不尽な殺人に対し報いを与えるために、一人でがむしゃらに敵陣に切り込み、敵を斬り殺し続けた。

 その果てに、仲間にも迷惑をかけた。

 

 若葉は自分の拳を見つめる。

 若葉はその手に竜胆の喉を切った時の感触を思い出し、昔の記憶を思い出し、そのせいか竜胆にズバっと何も言ってやれない自分を悔やんだ。

 

「そうかもしれない。でも、違うところもあるよ」

 

 友奈は自分の拳を見つめる。

 竜胆と打ち合った拳を見つめる。

 肉体の何もかもがグズグズで、感情の何もかもが垂れ流しだった、あの時の拳から伝わったものは確かにあった。

 暴走時の思念波を媒介にして、拳を通じ、友奈は竜胆に対する理解を深めていたのだ。

 

「リュウくんは今、悲しみと憎しみの間に境界が無いんだよ。悲しめば悲しむほど、憎いんだ」

 

「憎しみと悲しみが、同じだと?」

 

「前の若葉ちゃんはさ。

 罪の無い人をよくも沢山殺したな……って怒ってたよね。そう叫びながら戦ってもいた」

 

「……ああ。私は……人々を理不尽に殺した奴らに、報いを受けさせてやりたかったんだ」

 

「でもリュウくんは今、タマちゃんが殺されたことをきっかけに、怒ってる」

 

 球子の死を口にして、その悲しみを思い出したのか、友奈の瞳に涙がにじむ。

 

「リュウくんは、若葉ちゃんと同じだよ。

 罪の無い人が殺されたら、それだけでとっても怒る。

 全力で、見ず知らずの人を守っていこうと思える、若葉ちゃんと同じ人。

 でも……リュウくんがあんなに怒ったのは……友達のタマちゃんがああなったからで……」

 

「……」

 

「……罪の無い人が殺されたことに関しては、ずっと怒りを抑えてたんだ」

 

 名前も知らない、罪の無い人達が殺され、それで憎悪と復讐のため刃を握れるのが若葉なら。

 若葉と同じ素質を持っているのに、スタートラインで一般人を虐殺してしまい、若葉と似た心の過程を進めなかったのが竜胆だった。

 竜胆は最初から、罪の無い人を殺した人間だったから。

 

「『自分がそれに怒る権利はない』って……リュウくんは思ってたんだよ、たぶん」

 

 だからこそ、彼をどん底まで落とす絶望は、『罪の無い人』が殺されたことではなく、『敬愛した師匠で頼れる大人』が殺されたことでもなく、『大切な友達で守りたかった女の子』が殺されたことで発生した。

 

「リュウくんは自分が沢山殺してしまったから……

 バーテックスと自分に違いがあるのかって、思ってて……

 罪の無い人のために、本気で怒りたくても、その気持ちを抑え込んでいて……

 ……ボブと、タマちゃんのことで、もうどうしようもなく、抑えられなくなっちゃったんだ」

 

 生きていてくれ、と皆に対し願っていて。

 殺すな、と敵に対し叫んでいて。

 その願いは叶わなくて。

 仲間が殺されることで、その感情は爆発した。

 

「リュウくんは……タマちゃんが大好きだったから……」

 

 私も大好きだった、という友奈の心の声が聞こえるようだ。

 友奈の瞳から、涙が落ちる。

 

「自分が殺した人も、タマちゃんも、戻ってこないって、分かっているから……!」

 

 私だって分かってる、という友奈の心が、伝わってくる。

 少女の瞳は涙を落とす。

 

「皆に幸せでいてほしいって、タマちゃんに生きててほしいって、願いがあったから……!」

 

 リュウくんのその願いは私も好きだったのに、と心が叫ぶ。

 涙は止まらない。

 

「タマちゃんだって死にたくなくて、守りたくて、頑張ってて、それで、それでっ―――!」

 

「友奈」

 

 若葉はハンカチで、その涙を優しく拭った。

 

「……辛かったな。私も辛い。お前のその悲しみは、当然のものだ」

 

「タマちゃんだって……

 リュウくんだって……

 笑ってたのに……一緒に、日常で笑い合って、楽しかったのに……!」

 

 友奈の涙は止まらず、その涙が止まるまで、若葉は友奈の涙を拭い続けた。

 

(私……こんなに……感情を抑えられない子だったっけ……)

 

 友奈は、自分自身に違和感を持った。

 不安感、マイナス思考、自制心の低下、悲観的な思考の発生。

 全て、精霊の穢れが人にもたらす症状である。

 

 不安定な千景も、いつもの堂々とした心強き若葉がいないのも、友奈が明るさと元気さを失い悲観的になっているのも、全て原因は同じだ。

 

 そして、酒呑童子という飛び抜けて強力な精霊を使った友奈の精神状態は、他二人とは比べ物にならないくらいほどに悪化していた。

 そんな状態でも、友奈は変わらず優しく、他人のために泣ける女の子のままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走る。仲間から逃げるようにして竜胆は走る。

 千景を振り切り、病院の一角にまで逃げ切った。

 そこで、竜胆と同じように―――現実から逃げてここに来た、女の子を見つける。

 

 誰からも見つからない病院の区画を目指して移動したのなら、竜胆とその女の子が同じ場所に辿り着くのは当たり前のこと。

 その女の子の名は、伊予島杏と言った。

 杏は泣いていた。

 一人で泣いていた。

 誰にも見られない場所で、球子を想い泣いていた。

 

 球子の死に涙を流した量なら、杏がきっと一番だ。

 勇者の中で一番の泣き虫で、球子と一番に仲が良くて、女の子らしい繊細さで人の死や怪我にも敏感な、そんな彼女だから、とてもよく泣いていた。

 

 逆に球子は、仲間の死に一度大泣きはしても、以後大泣きはしないタイプである。

 球子がいれば、杏を一喝していただろう。

 いつまで泣いてんだ、とか。

 ウジウジしすぎだ、とか。

 そんなことを言って、杏を立ち直らせていただろう。

 けれどもう、杏をそうして立ち直らせられる者はいない。

 

 杏は泣いていた。

 服が涙に濡れているのが目に見えて分かるくらいに泣いていた。

 そして竜胆の足音が、杏の顔を上げさせる。

 

「……あ」

 

 目が合って、竜胆の声が漏れた。

 

 竜胆は先の戦い以来、杏と一度も顔を合わせていなかった。

 眠ったままの竜胆を杏が見た時はあったが、竜胆は起きてからずっと、杏を意図的に避けて動き回っていた。

 理由なんて語るまでもない。

 竜胆は、ずっと杏から逃げていた。

 

 だが今、とうとう杏と向き合ってしまう。

 杏は涙を流し、目を腫らし、心は精霊の穢れに満ちて、声は涙声でガラガラで。

 そんな状態で、口を開く。

 

「なんで私を守ったりしたんですか」

 

「―――」

 

 心抉る、杏の言葉。

 

「私達はいつも一緒で……一緒で……一緒でっ……だからっ……!」

 

 もしも、あの時の竜胆の行動が、間違いだったなら。

 

「片方だけ残されることが一番残酷で辛いって―――なんでそれが分からないんですか!?」

 

 間違いだったと、言われたなら。

 竜胆はもう、生きていられないくらい、心を傷ませる。

 

「こんな想いをするくらいなら あそこでタマ先輩と、一緒に死んでいた方が良かった……!」

 

 竜胆に何が言えようか。

 励ましの言葉なんて言えなかった。

 反論なんてできるわけもなかった。

 ただ、謝った。

 

「ごめん」

 

 杏が涙を流しながら、竜胆の横を駆け抜け、この場を去っていく。

 

 竜胆は一人立ち尽くし、繰り返し謝った。球子に、杏に、ボブに、謝った。

 

「……ごめんな」

 

 胸の奥が抉れるような、心の痛み。

 

 球子の死から逃げて、人々の向けて来る気持ちから逃げて、友奈から逃げて、その先には杏が居て、もう逃げるところなんてどこにもなくて。

 

 心が潰れていく、音がした。

 

 

 

 ―――バーテックスの次の襲撃まで、残り24時間。

 

 

 




 バーテックスが来ないので誰も死ななくて平和フェイズ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

 現在、人類最後の砦と見なされる土地・四国。

 ここを統治しているのは実質、政府からバーテックス問題を全権委任された機関・大社だ。

 大社は四国内を円滑に回す人間や、神樹を補佐するために様々な神社から選抜された神職の者達に、神樹に選ばれた巫女達など多様な人材で構成されている。

 

 だが、あまりにも多様すぎる。

 元々一般人でありながら神樹に選ばれた巫女達などもそうだが、各神社から選抜された神職の者達などは祭神や儀礼系列さえ違うことも多々あるという。

 

 そも、勇者システムを開発するような技術畑の人間、技術畑の人間とどう考えても合わないのに勇者システム開発に必須な呪術畑の人間、神職の人達と連携しなくてはならないデジタルな管理職の人達に、司法と行政を両方やらないといけない人達。

 大社はどう考えても水と油のような者達がごちゃっと詰まった、多様すぎる組織なのだ。

 これが一つにまとまれているのは、神樹という絶対的存在が居るからである。

 現実に存在する神。

 四国の物流全ての源泉。

 勇者を作り、四国結界を作り、人々に恵みを与える人類の守護者。

 

 森の大きな樹の周りに動物や植物が寄っていくように、神樹を中心として構築された一つの組織……それが、今の大社なのだ。

 

 となると、ここで出て来る問題は一つ。

 組織の基本方針、である。

 大社の今の所の目的は、人類の存続と防衛、そして世界の奪還と天の神への完全勝利だ。

 ところがこの二つ。

 よくよく考えてみると、状況によっては相反する目的である。

 

 たとえば、天の神に勝つことを諦め、世界の奪還を諦め、防衛に全リソースを割いて人類を存続させないといけない状況になったら?

 たとえば、人類全滅の可能性というリスクを背負った大博打に出て、それに勝ったら天の神も倒せる、なんていう状況になったら?

 要するに、攻撃の目的と、防衛の目的、どっちを優先するか、という話である。

 

 以前杏などとの会話でも出ていたが、ゼットの危険性を考慮して常に結界内に全戦力を置いておくか、ブルトンを仕留めるために外の調査へウルトラマンを出すか、等のバランスはこうした『大社の方針』に露骨に左右される。

 攻、防、のバランスをミスすれば即座に人類は詰む。

 しからばどうバランスを取るか。

 簡単だ。

 人を集めて、話し合わせればいいのだ。

 一人の判断で全てを決めさせるよりは、よっぽどリスクは減ってくれる。

 

 と、いうわけで。

 今日も大社は、偉い人を集めて会議していた。

 

「また否決ですか」

 

 その会議にて、"ティガダークの精神を追い込み敵殲滅に集中するよう誘導する案"を提案し、何度目かも分からない却下をされ、溜め息を吐いている男がいた。

 彼の名は正樹(まさき)圭吾(けいご)と言う。

 大社の若き中心人物が一人だ。

 今の大社は大まかに"穏健派"と、"過激派"に分かれていて、正樹圭吾は後者の中心人物の一人でもあった。

 

 正樹という男が、蛭川という男を睨む。

 

「当たり前だ。何度言えば分かる正樹。

 御守竜胆の扱いは非常に特殊だが……

 ここまでやるのは、流石に人道を逸脱しすぎている」

 

「人道? ティガは最初からまともな扱いはしてなかったでしょう。

 第一、人道なんて考えてられるほど人類に余裕があるわけでもない。

 能動的にティガの精神を追い込み誘導する『演出』くらいはしてもいいと思いますが」

 

「圭吾! 口が過ぎるぞ!」

 

「ティガの登用には色々意見があったはずです。

 心の闇が足りなければ大社(こちら)から演出して補充する。

 それも一つの意見として考慮されていたはずだと記憶に残っていますが」

 

「一意見は一意見だ。決定事項ではない」

 

 穏健派は、穏当なやり方を志向し、勇者や巨人を大切に扱い、叶うならば全員生存での結末を目指すような人間の集まり。

 過激派は、やや過激なやり方を志向し、確実に人類の保全や勝利に繋げられるのであれば、勇者や巨人の犠牲もやむなしといった傾向があった。

 求めるものは同じく、人類の守護と勝利。

 だがそのためのやり方や、許容できる犠牲の程度に差があり、ゆえに別々の意見をもった集団であるというわけだ。

 

 今の大社は、穏健派が多い。

 例えばこの会議の参加者であれば、穏健派は蛭川、三好、鷲尾、楠などがいる。

 過激派なら正樹などがいる。

 要するに正樹は、少数派であった。

 

 正樹という男が過激な話をして、蛭川という男がそれをなだめている。

 

「あれで人類最強戦力とは、反吐が出そうですがね。利用できるなら利用すべきだ」

 

「正樹……ティガには常に暴走の危険性もある。

 あれは確かに天の神すら打倒するポテンシャルもあるのだろう。

 だが扱いには細心の注意を払うべきだ。

 最大級に危険な存在ではあるが、同時に子供でもあるのだぞ」

 

「そんな余裕もないでしょう。

 もう人類側はほぼ詰みです。ここから押し返す手立てがもう無い。

 ……いや、もう手遅れかもしれないくらいです。

 今日の襲撃に対応できるのはティガダークのみ。今日、人類は終わるかもしれない」

 

「それは、確かにそうだ。その可能性も高い」

 

「今日を乗り切ってもその次がないでしょう。

 ティガダークを徹底的に追い詰め、天の神にぶつける手立てを考慮しなければ……」

 

「今の民意で下手は打てない。お前も分かっているはずだ」

 

「……」

 

「ウルトラマンと勇者を信じて、託すしかない」

 

「……そうやって信じて、また無駄に死なせるつもりですか!? 土居達のように!」

 

「正樹!」

 

「使い潰すなら有効に使い潰すべきです!

 使い潰すならその数は最小限に抑え、使い潰す者も選ぶべきです!

 そうやって甘っちょろいことを言って、結果的に巨人と勇者全員を死なせるつもりですか!」

 

 巨人を使い潰す過激派として、正樹圭吾は声を上げる。

 

「民衆の自殺率と犯罪率の増加!

 頻度が上がるデモとパニック!

 四国という箱に詰められてじわじわ殺されている民衆の精神状態は限界です!

 そして人道を無視したティガダーク運用をしなければ、天の神に届くかすら分からない……!」

 

 優しいだけの采配では、人類はもはや勝利の可能性を見つけることすら叶わない。

 

 正樹はずっと現実的な話をしていて、蛭川は理想的な話をしている。

 

「代案があるなら聞きましょう」

 

「無いな。だが、これは決定事項だ、正樹」

 

「っ」

 

「大社は、人類は……まだ総意として、そこまで残酷にも、非情にもなれんよ」

 

「……御守竜胆の死を望むのは、民意でもあります」

 

「民意で望まれたから子供を殺すか? 日本はそんな国ではない。そうだろう」

 

「……天の神に勝った後、戦後、民意は御守竜胆の死を断固として望むでしょう」

 

「少年法でも押し通すさ」

 

「そんな無茶苦茶な……!」

 

「知らんのか。

 人々が納得する裁定を下すのが司法ではない。

 法律に則って人が話し合い、裁定を下すのが法なのだ。

 人々が納得しない判決を裁判所が下し、人々がブーブー文句を言う。いつものことさ」

 

 はっはっは、と蛭川という男が笑う。

 会議はいつからか、勇者と巨人の保護派である蛭川と、それに対抗する正樹の対峙構造へと変化していた。

 

「民意はどうするおつもりですか、蛭川さん」

 

「まず公式声明を出して厄介な誤解を解く。

 マスコミを通して穏当な方向に世論を着地させよう。

 あくまで悪はバーテックスのみとし……

 そうだな、あとは、蛭川(おれ)が勇者と巨人を死なせた責任を取って辞任する」

 

「……っ」

 

「あくまで大社に非はないが、責任を取って俺が辞退した、という形にする。

 俺の個人情報もゴシップ誌にリークしておこう。住所とかな。

 "分かりやすい悪役であり元凶"をティガとは別に作る。

 俺に対する攻撃が増えれば、相対的に巨人、勇者、大社への攻撃も減るはずだ」

 

「蛭川さん!」

 

「まだやっていく気があるなら、覚えておけ正樹。

 人間はな、"誰が悪いか"でも喧嘩するんだ。

 "とりあえず他人に攻撃的な意見は攻撃しておく"人間というのもいるんだ。

 俺、巨人、勇者、大社。"どれが悪いか"で人々の意見はネットでまた別れるだろう。

 そして"誰が悪いか"という意見をぶつけ合い、互いに殴り合うだろうさ。そういうものだ」

 

 "責任を取る"。それなりに、皆が大好きな言葉だ。

 "こいつが悪い!"という『真実の報道』。これもまた、皆が結構好きなものでもある。

 演出すればいい。

 大社が「こいつが悪い」と言わずとも、「巨人でも勇者でもティガでもなくこいつが悪かったんじゃ?」と、人々が自然に思うような人間を。

 

 "大社が蛭川とかいうクズを庇って責めていないんだ"、みたいな空気を作ればいい。

 ゴシップ誌が独自調査で真実を見つけた、みたいな空気を作ればいい。

 あとは、皆が気持ちよく、蛭川というサンドバッグを殴るだけだ。

 穏健派の蛭川であれば、余計に口を滑らせることもないだろう。

 

「俺は独身だしな。巻き込む家族もいない。こいつは俺のすべきことだろうさ」

 

「蛭川さん! そういうことを言ってるんじゃないんですよ、私は!」

 

 正樹はティガダークを使い捨てろ、と主張する過激派ではあるが……穏健派の蛭川にいなくなれとまで思ったことはない。

 穏健派と過激派は、敵同士ではない。

 ただ、違う意見をぶつけ合っているだけの、仲間なのだ。

 

 両派共に、互いの意見を尊重している。

 "違う意見と考えを持っている"ということを、"その上で話し合える"ということを、大切にしている。

 いなくなれとは思っていない。

 だから蛭川の自己犠牲を、正樹も苦々しく思っているのだ。

 ボブと球子の死の責任を取らされたようにも見える蛭川が、この先どんな人生を送っていくのか想像するだけで胸は痛む。

 

 蛭川もそれは分かっているだろうに、同じく穏健派の、勇者や巨人の味方をしてくれる仲間達に後を託していく。

 

「三好。俺の代わりには(ばん)って奴を上に上げといてくれ。良い叩き上げだ」

 

「……ああ」

 

「悪いが全部丸投げしていくわ、鷲尾。クソ面倒臭いことを任せてすまない」

 

「いや、構わない。互いに違う戦いの場に行くだけだ」

 

 蛭川が会議室を出ていく。

 大社という戦いの場を去っていく。

 彼がこの後、大社に戻ることはなかった。

 

 正樹がテーブルを拳で叩いた。

 会議に参加した全員を、やるせない気持ちで怒る正樹が見回す。

 

「こんなことをいつまで続けてるつもりですか!」

 

 穏健で優しい主張をする者がいて、過激で最適解を求める者がいて、話し合って、意見をぶつけ合って、最後に多数決で一つの解を見つけ、そうして初めて総意はできる。

 多様な意見があってこそ、会議というものは成立する。

 正樹は声を張り上げた。

 

「少数の犠牲で済むならそれでいいでしょう!

 それさえ出さないようにして、どれだけ"良い人"をすり潰していくつもりですか!

 こんなことを繰り返して勝てるわけがない!

 御守竜胆は、自分が犠牲になることを受け入れています!

 せめて……せめて、最初から犠牲になることを受け入れてるやつの犠牲くらい、受け入れろ!」

 

 竜胆達も、いっぱいいっぱいであったが。

 民衆をコントロールし、神樹をサポートし、四国という箱庭にして牢獄の手綱を握り、生産性のほとんどを喪失した四国を国として維持する……バーテックスの襲来によりガタガタになっていく四国を守らんとする大社も、かなりいっぱいいっぱいな状態にあった。

 正樹は叫ぶ。

 

「生贄を捧げないと世界すら守れないなら!

 せめて悪役になる覚悟を決めろ!

 生贄を捧げる罪悪感くらい背負う覚悟を決めろ!

 ……恨まれて、嫌われて、殺されても文句を言わない覚悟くらいは決めてください!」

 

 叫び、会議が終わったその場を退出していく。

 

三ノ輪(ガイア)……鷲尾(アグル)……まだか、まだ戻れないのか……全員すり潰されるぞ……!」

 

 ウルトラマンの一人や二人戻って来た程度で、今の追い込まれた状況は逆転できないかもしれないと思いつつも、正樹はそう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神樹に予言された、バーテックスの次の襲来の時がやってくる。

 あまりにも異常な襲撃間隔。

 杏が冷静であれば、当事者としての知見と優れた知力で、"これだけ連続で侵攻できるのなら何かトリックがあるのかもしれない"と気付いていたかもしれない。

 だが今の杏は、球子のこと以外は何も考えられない状態だ。

 だから誰も気付かない。

 

 精神安定剤を飲み、ブラックスパークレンスを握る竜胆に、ひなたが声をかけた。

 

「御守さん、お体の方は大丈夫ですか?」

 

「ああ。バッチリだ」

 

 体は大丈夫だろう。だが心はきっと大丈夫ではない。

 

 これからティガダークが一人で戦う戦闘が始まると聞き、ひなたは不安と祈りを抱く。

 竜胆が無事に帰れるかを不安に思い、無事を祈った。

 ティガの暴走を不安に思い、暴走せずに終わる結末を祈った。

 

「アナちゃんが結界をまた強化してくれたようです。

 ザンボラーの高熱でも、樹海はそうそう燃えなくなったそうですよ」

 

「ありがたいな」

 

「それと……若葉ちゃん、千景さん、ケンが無理に樹海までついていくそうです。

 変身すれば三人とも命の危険があること、覚えておいてください。

 なので、基本的に変身は禁止されています。

 ……でも、若葉ちゃん達ですから。きっと、御守さんがピンチになったら変身します」

 

「……かもな。気を付けないと」

 

「無茶を言うようですが、若葉ちゃん達のことも、どうかお願いします」

 

「ああ」

 

 丸亀城で準備をしているのは、竜胆だけではない。

 ケン、若葉、千景もやる気満々だった。

 だが、千景は肉体面と精神面両方の消耗が激しく、今も青い顔をしている。

 若葉も痛み止めをいつもの倍飲むという体に悪いことをした上でないと、立っていることも辛そうな状態だ。

 ケンに至っては強い痛み止めを飲んだ上で、包帯ぐるぐる巻きの体で、松葉杖をつきながら城郭に立っている。

 

 ウルトラマンの変身は肉体を作り変えるもの。

 勇者の変身も、神の力で肉体を作り変えるものだ。

 その負荷に、彼らのボロボロの体はおそらく耐えられない。

 ティガがピンチになるまでは彼らも変身しないだろうが、もしも変身してしまったら……そのまま、死ぬ可能性が高い。

 

 大社は樹海に出撃することすら禁止していたが、ケンも、若葉も、千景も、ズタボロだろうと竜胆を一人で戦わせることに反対し、ここまで来てくれていた。

 状況によっては、死をも覚悟で変身するだろう。

 竜胆は下手にピンチにもなれないということだ。

 

「それと……その……」

 

「ひーちゃん、俺の身体の中のこと、話してくれてありがとな」

 

「……大社からは口止めされていました。

 御守さんの今の身体の中身は未知数です。

 一体どうなってしまうか分かりません。

 肉体の異常再構築が起きてしまうかもしれないので、重傷はなるべく避けてください」

 

「いや、ありがたかった。怖い、怖いが……あれは使える」

 

「え?」

 

「いやこっちの話。重ねて、サンキューなひーちゃん」

 

 思考の混濁、変化、分割の理由。脳が二つあるという自覚。

 "皆を守るにはどうすればいいのか"という課題に、"勝てない強敵を倒すにはどうしたらいいか"という課題に、竜胆は『球子の死から全く立ち直れていない思考』で答えを出した。

 今の竜胆の様子が、ひなたには危うく見えて仕方がない。

 

「それと、精霊の穢れについての報告書も……」

 

「ああ、俺も読んだよ。若ちゃん達も読んだと思う。

 自覚が出来てれば、それ相応に自制もできるんじゃねえかな」

 

「皆さんが御守さんに少し失礼なことを言っても、気にしないであげてくださいね」

 

「ああ、そこは気を付けておくよ。俺も常にそういう状態みたいなもんだからな」

 

 精霊の穢れの存在も、皆に認知された。

 勇者達は各々が"ああ今自分が不安定なんだな"という自覚を持ったために、落ち着いた状態であれば、ある程度自分を制御できるだろう。

 精霊の穢れは時間経過で解消されるものではあるが、すぐに解消する手段はまだない。

 人間の技術力は、人間の精神を観測・干渉できる領域にはまだ到達していないからだ。

 

 が、竜胆は、あの時の……千景の心の闇を光に変えた時のことを思い出す。

 あの時の竜胆は、精霊の穢れを直接光へと変換していた。

 無我夢中だったので、竜胆はあの時のあれをもう一度やれ、と言われてもできない。

 というかそもそも、あの時自分が何をやったのか、竜胆にはまるで分かっていなかった。

 

(あの時……俺は何をやった……?)

 

 あの時の竜胆は、闇を光に変えた。

 だが竜胆にはその自覚がない。

 よく分からないがなんとかなった、くらいの感覚だ。

 あの力を意識的に使えるようになったなら、もっと色々なことが楽になるかもしれないのに。

 

「御守さんを一人で戦わせるのは、本当は心苦しいです……でも……」

 

 ひなたは、申し訳なさそうにうつむく。

 その額を優しく人差し指で押し、竜胆は優しく笑った。

 気にするな、と言わんばかりに笑った。

 死ぬ気で絞り出した優しさで、魂を削るような想いで作り上げた笑顔だった。

 

「ボロボロの仲間を戦わせられるかよ。そっちの方が俺は心配で辛いっての」

 

「……御守さん」

 

「皆、体も痛くて辛いだろう。

 タマちゃんのことが辛くて苦しいはずだ。

 なら、俺が言うべき台詞は決まりきってる。

 『休め』。『お前は戦わなくていい』。『俺が戦う』、だ」

 

 私があなたにそう言ってあげたい、という言葉を胸に押し込んで、ひなたは泣きそうになる。

 まるで、砂で出来た足で走り続けているかのようだ。

 彼が頑張って走れば走るだけ、足が痛々しく崩れていき、それでも走り続けているかのよう。

 今の竜胆には、頼り甲斐より先に、いつ潰れてしまうのかという不安感しか感じない。

 

「俺を信じろ。上里ひなた」

 

 竜胆は、強い自分で在ろうとして、それをひなたに見せて安心させようとして。

 

「……いや、すまん。言い換える。俺を信じてくれ」

 

 心の限界のせいで、途中で強がれなくなってしまう。

 

「"その信頼を裏切れない"って気持ちで補強でもしないと、心の楔が足りない気がする」

 

 ひなたの信頼を得て、その信頼を利用して"彼女の信頼は裏切れない"という気持ちでも継ぎ足しておかないと、不安になってしまうくらい、今の竜胆は弱りきっていた。

 ひなたは穏やかな顔で、竜胆に語りかける。

 

「あなたを信じます」

 

 竜胆が潰れてしまうのではないか、という不安は、ひなたの中に確かにあるのだ。

 不安はある。

 だがそれは、不信ではない。

 信じる気持ちも、まだそこにある。

 

「今日信じたわけじゃありません。

 前からずっと信じてます。

 私は戦いのことは、本当はよく分かってません。

 だから信じるのは心です。あなたの強さではなく、あなたの心を信じます」

 

 竜胆がひなたを安心させようとしていたのに、いつの間にか、ひなたが竜胆を安心させる言葉をかけていた。

 

「どうか、ご無事で」

 

「ああ」

 

 暴走を抑えるのは光。

 今日暴走すれば、その時点で世界は終わる。

 竜胆の中にどれだけの光が残っているかが、未来を決めるだろう。

 

 

 

 

 

 竜胆は無理をして来てくれた仲間達を見る。

 どいつもこいつも、顔色が悪いやら、全身に包帯を巻いているやら、酷いものだ。

 病室で寝てろ、絶対安静、と言われている者ばかりである。

 

 ……ここに居ないのは、死者の球子、悲しみに打ちひしがれる杏、病室を抜け出したらそのまま死にそうな友奈だけだ。

 それを除けば、全員が来ているわけで。

 彼らがどれだけ無茶しいで仲間思いなのかが、よく分かる。

 若葉は、肉体的に特にボロボロなケンに心配そうに声をかけた。

 

「ケン、お前はベッドに縛り付けられていたはずだが」

 

「ワカバ。ネテラレナイ、ジョウキョウッテモンガ、アルンダヨ」

 

「……ゼットに焼き抉られた胸も、まだ完治はしていないだろう。無茶は重ねるな」

 

「シンパイショウダナー。マ、サイショハチョットヤスンデオクヨ」

 

 ケンの肉体ダメージは特に重い。

 次に変身した時、変身負荷で死ぬ可能性が一番高いのは、彼だろう。

 竜胆は何度謝っても、謝っても、ケンの怪我を見るたびに罪悪感を抱く。

 ボロボロのケンの前に立ち、竜胆は宣誓するように言葉を紡いだ。

 

「ケン」

 

「ン?」

 

「ケンがくれた光は、まだここにある。俺はまだ、踏ん張れる」

 

 竜胆はケンだけでなく、若葉、千景にも、その言葉を向けた。

 

「仮に俺が闇に堕ちても……

 ……いや、多分、俺は堕ちる。

 だけど、最後の最後で、まだ踏み留まってみせる。皆、俺を信じて変身はするな」

 

 竜胆の内なる問題はまだ何一つとして解決していない。

 前回暴走した膨大な闇もそのままだ。

 竜胆は泣かないように頑張って虚勢を張り、自分を偽り、それを深く考えないようにしているだけで、ずっとずっと球子を思って心で泣いている。

 心の中は悲しみと絶望、憎悪と激怒で満たされていた。

 

 だが、それは堕ちきることを確定させるものではなく。

 竜胆は踏ん張ってみせると言う。

 だから危険な変身はするなと、皆に言った。

 

「……」

 

「……」

 

 ケンと千景はイエスともノーとも言わなかった。その沈黙こそが答えだった。

 二人は約束しない。

 竜胆のピンチには、命をかけて変身するだろう。

 だが、若葉は違った。

 若葉も悩み、竜胆の今日までの日々を思い出し、自分が竜胆にしてきたこと、竜胆としてきたことを思い出し……信じることを、決めた。

 それがお前の望むことならば、と。

 

「分かった」

 

 若葉の言葉だけが、竜胆を安心させた。

 

「私はお前を信じる」

 

 竜胆が露骨にほっとする。

 もし若葉がここで竜胆を信じていなければ、竜胆はちょっとの劣勢すらビクビク気にして、背後の仲間達を気にして、あまり自由に戦えなかったかもしれない。

 

「惚れそうだぜ、若ちゃん」

 

「またそれか。どうせ惚れないんだろう、お前は」

 

 少しの時間を、四人で待って。

 

 世界の景色を、樹海が覆った。

 

「行ってくる」

 

「行ってこい」

 

 掲げられるは、黒き神器・ブラックスパークレンス。

 

「『ティガ』」

 

 そして、闇が竜胆の意識を包み込み。

 

 竜胆の正気は、一瞬で吹っ飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正気は吹っ飛び、狂気が流れ込み―――竜胆は、ギリギリのところで踏み留まった。

 最初から覚悟して変身していたのと……今日この日まで、皆が竜胆の中に積み上げてくれた心の光が、球子が積み上げてくれた心の光が、彼を踏み留まらせてくれたのだ。

 それでもギリギリ。

 正気に戻るにはまるで足りない。

 

(―――タマちゃん)

 

 ふっと球子のことを思い出し、それだけで悲しみや憎悪が吹き出し、完全暴走しそうになる。

 完全暴走の数歩手前で踏み留まっているのが、今の竜胆であった。

 

(敵は……敵は……星屑と亜型十二星座のみ……なんとか……なんとかなる……)

 

 敵は亜型十二星座が七体。

 星屑が三百体といったところだ。

 露骨に数が少ないのは、やはり連続侵攻自体に無茶があったからだろうか?

 されど、暴走していないティガを殺すには十分な数が、ティガを暴走させ人類を巻き込んだ自滅に誘うには十分な数が居た。

 

 ピスケスのサイコメザードII。

 ジェミニのレッドギラスとブラックギラス。

 キャンサーのザニカ。

 アクエリアスのアクエリウス。

 ヴァルゴのアプラサール。

 タウラスのドギュー。

 スコーピオンのアンタレス。

 

 数は少ない、とは言うが。

 ティガ一人しかいない人類と比較して、何倍差の戦力があるかも分からない。

 

『ぐ……うっ……や……やって、やる……!』

 

 ティガが投げ込んだ八つ裂き光輪が、星屑の群れをガリガリと消し飛ばし、それが戦いの始まりを告げる合図となった。

 

 空に飛び上がるヴァルゴ。

 ティガは即座にティガ・ホールド光波を叩き込み、厄介な攻撃無効能力を封印する。

 球子と一緒に特訓した光波の技が、少年に球子のことを思い返させた。

 

『っ』

 

 竜胆が、精神的な問題で、ホールド光波を使えなくなる。

 

 そこに突っ込んだのはレッドギラスとブラックギラスだ。

 双子としてティガの両足に同時に突撃し、3m程度のサイズのくせに怪獣級の馬力を発揮し、ティガの足を弾いてずっこけさせる。

 

『ぐあっ!?』

 

 空からヴァルゴ、遠方よりアクエリアス、近辺の地中からピスケスが一斉に攻撃を仕掛ける。

 爆撃がティガを打ち、アクエリアスとピスケスのダブル雷撃がティガの全身を焼いた。

 痛みを堪え、転がるようにティガは逃げる。

 

『っ、ぐ、くそっ……!』

 

 反撃にしゃにむに八つ裂き光輪を投げたティガだが、仲間を庇ったキャンサーの浮遊反射板が、八つ裂き光輪を跳ね返した。

 キャンサーの能力は反射。

 浮遊する反射板は仲間を守り、飛び道具を跳ね返す。

 跳ね返された八つ裂き光輪がティガの肩を抉り、怯んだティガに星屑が一斉に群がった。

 

 ティガダークの身体強度であれば、星屑の歯でも食い敗れる。

 群がる星屑が、ティガの全身をくまなく食いちぎっていく。

 腹の減ったネズミ数百匹に、人間が全身を齧られるに等しい痛み。

 

『いっ、ぎっ、ぐっ……このっ!』

 

 星屑を払いのけようとして―――ティガの脇腹を、背後からタウラスの角が貫いた。

 

『ぐ―――!?』

 

 ドギューから得た変身能力で、"星屑に変身していた"のだ。

 星屑という群体に紛れ込んでいたタウラスを、ティガは見逃してしまった。

 脇に穴が空き、ふらつくティガへの攻撃は続く。

 

 全身に星屑が群がり、ティガの肉を食いちぎる。

 タウラスが音響攻撃を始め、ティガを音で壊し始める。

 更には脇腹の穴にまで星屑が群がり、腹の傷跡を噛みちぎって穴を更に広げていった。

 

『―――ウルトラヒートハッグッ!』

 

 そして、弾ける。

 ティガは星屑に群がられながら、タウラスに飛びかかりその角を掴んで、自爆にまでもつれこませていた。

 星屑は大半が吹っ飛び、これで残りは百体もいない。タウラスも跡形もなく吹っ飛んでいた。

 だが、ウルトラヒートハッグを使わされたことは大きい。

 ティガはもう満身創痍で、命をゴリゴリと削ってしまっていた。

 

 ピスケスが飛び上がる。

 幻覚がくる、と竜胆は咄嗟に目を隠し、それは間に合ったが続くサソリの攻撃はかわせない。

 激痛と苦しみを伴う猛毒入りの針が十数本、ティガの体に突き刺されていった。

 

『ぐッううううううッ!!』

 

 意識が激痛で飛びかける。

 正気が削れ、狂気が心の占有率を増す。

 "こんな針をあの子に刺したのか"と怒りが心を支配する。

 少年の心がまた、暴走に一歩近付いた。

 

 竜胆はギリギリだ、

 今までのような、暴走する自分を押さえ込みながら平常心で戦うスタイルとは違う。

 完全な暴走をしかける自分を引っ張り、完全に堕ちきらないようにする綱渡りをしている。

 

 もはや"暴走していない自分"を維持することは完全に不可能になっており、"半ば暴走している自分"を維持するのがやっとだ。

 理性を戦いに使えない。

 一歩、一歩、暴走に近付いていくような綱渡りを続けている。

 

 そして、ティガは。

 

 ()()()()()()()()()()()()、敵に投げつけた。

 

『うがああああああああッ!!』

 

 サソリの針ごと、自分の身体の肉を引きちぎって、敵に投げつけていく。

 自分の肉を掴んで握り締め、自分の肉を投げつけていく。

 投げつけられる巨人の肉は、まるで散弾銃の弾丸だ。

 星屑が、ガンガン吹っ飛んでいく。

 

『許さない。許せない。許すものか―――』

 

 遠方にいたヴァルゴが、肉の散弾銃を食らって穴だらけになる。

 

『よくも、よくも、よくも、殺しやがったな―――』

 

 竜胆は、自分の肉をちぎって、敵に投げつけていく。

 "球子を死なせた憎い者"へ怒りをぶつけるように、自分も敵も傷付けていく。

 

『何故守れなかった、無能、無力、無為、何のためにあの場にいた、役立たず―――!』

 

 続く第二射で、ヴァルゴの体は完全に消し飛ばされた。

 ドゴッ、ドゴンと、肉の散弾銃を叩きつけられたバーテックスの肉が砕ける音が響く。

 地面から飛び出したピスケスが、ティガの腹の肉の塊を叩きつけられ、同じように肉の塊へと変えられていた。

 

『全■、■部、全部! 壊れてし■え、死んで■まえ―――!』

 

 まだ完全に暴走しきってはいない。

 まだ正気の欠片は残っている。

 そんな状態で、ティガは自分の胸にいつも付いているプロテクターを引きちぎった。

 防具としていつも体と一体化しているそれを、足元で走り回っているレッドギラスに叩きつけ、続き正反対の方向にいたブラックギラスに叩きつける。

 ぶちっ、と音が鳴り、双子座が潰れた。

 

 プロテクターをスコーピオンに投げつけ、針の連射でプロテクターを撃ち落としているスコーピオンの無防備な背後に、超高速で跳ぶティガが回り込む。

 

『ウガアア■アア■ア■■アアッ!!』

 

 そして抱きしめ、赤熱化するティガの全身からサソリへと膨大なエネルギーが注ぎ込まれ……スコーピオンの肉体が爆発し、その爆発のあまりの威力に、ティガの身体の全身も弾け飛んだ。

 

 それは―――仲間達が目を疑い、ケンの内でウルトラマンパワードが息を飲むような、新たなウルトラヒートハッグであった。

 

 

 

 

 

 ケンの心の内で、ケンとパワードの対話が始まる。

 

―――ケン、ケンよ。

―――あれは危険だ。あの技を多用させるな。

 

 ど、どういうことなんだい、パワード!?

 

―――ウルトラヒートハッグの威力を上げすぎだ。

―――肉体強度の低下もあり、とうとう自分の身体も耐えられなくなったのだ。

―――そして、それだけではない。見ろ、ケン。

―――ティガの体が、再生するぞ。

 

 な……あの再生速度は、どういう……

 

―――ウルトラマンタロウ……

 

 タロウ?

 

―――あの少年は間違いなく天才だ。

―――再生過程を見たか?

―――自爆技を使っても、無事なままの新しい脳があった。

―――その脳を基点に、散らばった肉体のパーツを集め、再生したのだ。

―――ウルトラマンタロウが、自爆技の後、心臓から再生するように。

 

 そんなことが……

 

―――脆い脳を基点にしているあたり、おそらくタロウ以上に危険な技だ。

―――……頭の中に、異常な脳でも見つけ、それを利用したのだろうか?

―――ウルトラマンタロウが、ウルトラ心臓を基点にしているのなら。

―――彼はさしずめ、"ウルトラ新脳"を基点にしているのだろう。

―――意識的にそういう脳を作り上げたのだとしたら……彼は間違いなく天才だ。

 

 天才、か。

 

―――おそらくは、地球でも頂点と言っていいレベルの、天才だ。

 

 ……地球の危機に、そんな天才がいてくれる幸運、か。

 こんな時代だからこそ生まれたのか。

 こんな時代だからこそ、彼の才能を発揮する場が在ったのか。

 それだけの才能があるから、彼が巨人に選ばれたのか……

 どうなんだろうな。

 

―――彼が正しく光の巨人であれば、とは思う。

―――ウルトラヒートハッグの威力はこの一工夫で数段上がっただろう。

―――だが……闇の巨人でさえなければ、もっと別に使い所があったはずだ。

 

 地球人最高の天才か……なら、このまま勝てるか……?

 

―――無理だ。新手の気配を感じる。

 

 ……え?

 

―――地球最高の天才。確かにそれは凄まじい。

―――だがこの戦争は既に、地球一の才能程度では足りない。

―――その程度の才能では、才能だけで押し切ることなど不可能だ。

―――スケールが足りない。

 

―――才能だけで最後まで勝ちたいのであれば、おそらく、宇宙一の天才が要る。

 

 

 

 

 

 キャンサー・ザニカを手に生やした八つ裂き光輪で倒した頃、ティガのカラータイマーが点滅を始めた。

 心は既に準暴走状態だが、まだ変身を自らの意志で解除できるだけの制御はある。

 まだ手遅れではない。

 まだ完全には暴走していない。

 暴走寸前の跳ね上がったスペックで、ティガはアクエリアス・アクエリウスの背後に周り、その体を抱きしめた。

 

『ウルトラっ……ヒートハッグっ……!』

 

 息も絶え絶えに、自爆する。

 敵の体が大爆発し、それに巻き込まれたティガの体も爆散し、飛び散った脳の一部から、ティガの体が再生を始めた。

 

『今ので……ラストか……』

 

 再生し、青息吐息といった風体で、ティガが膝に手をつく。

 ティガの体、竜胆の体は、加速度的に形質(タイプ)変質(チェンジ)させている。

 殺すために、憎悪に沿った形に変わっていく。

 光の巨人らしくではなく、闇の巨人らしく。

 

『変身を……解いて……』

 

 そして、ティガがもう一分も戦えなくなった頃。

 

 ティガが暴走してしまえば、もう誰もティガを止められず、世界が終わるこの状況で。

 

 暴走していないティガでは、絶対に勝てない敵が二体、やって来た。

 

『―――え』

 

 

 

 ()()()()()()()()が、ティガの胸に命中する。

 

 

 

『ぐああああっ!?』

 

 腕を十字に組んだ巨人が、結界の端に立っていた。

 その巨人の横には、腕を組んだ巨人が立っている。

 いや、巨人と言っていいのだろうか。

 それは、ウルトラマンと比べれば、明らかに異形に形を寄せた巨人だった。

 

 腕を組んでいる方の巨人は、おぞましい顔の、人型の化物。

 腕を十字に組んでいた方は、ウルトラマンを変形させたような異形の化け物。

 巨人と言うべきか、異形と言うべきか、怪獣と呼ぶべきか。

 人によって判断が分かれる、そんな造形をしていた。

 キリキリ、と異形の巨人が腕を組んだまま笑う。

 

 笑っている方の巨人は、胸に発光体を持つ、灰色の怪獣。

 異形を人型に整形したような、そんな異様な形の巨人。

 名を、『キリエロイドII』と言った。

 

 十字に組んでいた腕を解いた巨人は、灰色の肉をウルトラマンの表面に貼り付けて、ウルトラマンを無理矢理怪獣にしたような、灰色の怪獣。

 人型を異形に変えたような、そんな異様な形の巨人。

 名を、『ゼルガノイド』といった。

 

 キリエロイドIIはかつてウルトラマンティガと戦い、その力を真似た異形。

 "ウルトラマンを模倣した人型怪獣"。

 『ウルトラマンの宿敵であった怪物』。

 

 ゼルガノイドはティガの同族の遺骸を改造した人型兵器が、怪獣に変えられた異形。

 "ウルトラマンが変異した人型怪獣"。

 『ウルトラマンであった怪物』。

 

『うっ……ぐっ……あっ……嘘だろ……?』

 

 共に、ティガダークを倒せるだけのスペックを持っている。

 しかも、それだけに留まらなかった。

 

 魚座、双子座、蟹座、水瓶座の死体が、キリエロイドに取り込まれていく。

 乙女座、牡牛座、蠍座の死体が、ゼルガノイドに取り込まれていく。

 その瞬間、二体の怪獣の能力が数段上にまでレベルアップした。

 まるで、他の十二星座を吸収し、その力を高めたレオ・スタークラスターのように。

 

 十二星座と怪獣型を同じ作り方で作っているがために可能となった、新たなるバーテックスの作成手順と強化手順。

 

『うああああああッ!!』

 

 八つ裂き光輪を投げつけるティガ。

 それに、ゼルガノイドも光の刃を投げつけ、相殺した。

 そして間髪入れず、ウルトラマンのような必殺光線・ソルジェント光線を撃ってくる。

 

『くっ!?』

 

 ティガは空へと逃げる。

 ゼルガノイドは光線を発射し続け、光線はティガを追う。

 逃げても逃げても、光線は止まらない。

 

 ゼルガノイドの怪獣特性は、"ウルトラマンを超えたウルトラマン"。

 その能力はウルトラマンを模倣しつつも、ウルトラマンを超えている。

 例えば、一例を挙げよう。

 パワードは光線を無限には撃てない。

 持っているエネルギーの分しか撃てず、それが尽きれば光線を撃てなくなってしまう。

 だが、ゼルガノイドは元のウルトラマンの光線以上の威力の光線を、撃てるというのに。

 

 ウルトラマンと違って、()()()()()()()()である。

 

 しからば光線は止まらない。

 ティガが逃げ切れるはずもない。

 光線に追いつかれ、光線によってティガは地面に叩き落とされた。

 

『ぐあっ!?』

 

 地面に叩き落とされたティガに、キリエロイドIIが迫る。

 ティガは素早く立ち上がり、咄嗟に後ろへと跳んだ。

 だが、遅い。

 他の怪獣相手なら間に合っても、キリエロイド相手には間に合わない。

 

『!?』

 

 キリエロイドの背中に、巨大な翼が生えた。

 スマートな肉体、巨大な翼が、弾丸の如き速度でキリエロイドを飛翔させる。

 ティガが跳んだ瞬間、キリエロイドは飛翔で距離を詰め、ティガが着地する前にそのみぞおちに蹴り込んでいった。

 

『づぅっ……!』

 

 蹴られたティガが、痛みをこらえて立ち上がる。

 キリエロイドの背中から翼が消え、腕に刃が生え、その全身が分厚い皮膚と筋肉に覆われる。

 立ち上がったティガが殴れども、キリエロイドの分厚い皮膚には刃が立たず。

 その豪腕が、アッパー気味にティガの腹を殴り、巨人の巨体がふわりと浮かんだ。

 

『が……うっ……!』

 

 キリエロイドの怪獣特性は、"ウルトラマンティガを超えた怪獣"。

 バランス、パワー、スピードの三形態をフレキシブルに切り替えて、凄まじい速さで翻弄してから凄まじい強さで殴る、といったコンビネーションを繰り出してくる。

 速度が伸びる飛行特化(スカイタイプ)なら、半暴走状態のティガより速く。

 筋力が伸びる剛力特化(パワータイプ)なら、半暴走状態のティガより力強い。

 

 何より恐ろしいのは、ここに"柔軟性"があるということだ。

 

 暴走に近付くことで攻撃が単調になっていくティガダークでは、この柔軟性に対応できない。

 

 キリエロイドは、確かな知性をもって、このタイプチェンジを活用している。

 三形態のタイプチェンジは強い。

 相手を翻弄しつつ、多様な強みを切り替えながら、敵の弱点に叩きつけられる。

 三形態のタイプチェンジさえあれば、自分より強い相手にすら容易に勝てるのだ。

 

『暴走は……暴走だけは……くううううっ!』

 

 至近距離で、手に八つ裂き光輪を装備し斬りつけるティガ。

 だが一瞬で素早い形態に切り替えたキリエロイドにはかわされ当たらない。

 キリエロイドの速度に特化したハイキックが来る、と動きを見て顔横をガードしたティガだが、ハイキックの途中でキリエロイドが剛力形態へと切り替えた。

 速いハイキックが、当たる直前に力強いハイキックに変化する。

 

 ティガのガード越しに、強烈なハイキックがティガの顔面に衝突した。

 

『ぎっ、ぐっ、ぐぅ……!』

 

 蹴り飛ばされ、地面に転がされるティガ。

 そこに、ゼルガノイドのソルジェント光線がまた直撃し、ティガの背中の肉が吹っ飛んだ。

 

『がああああっ!!』

 

 キリキリ、とキリエロイドが笑う。

 無限のエネルギーで、ウルトラマンの必殺光線を連射するゼルガノイド。

 三形態の多様性で、ティガダークの単調さを圧倒するキリエロイド。

 もはや自分を顧みている場合ではない。

 そろそろ"自爆後の再生失敗"もしそうな消耗度合いであったが……ここで、ウルトラヒートハッグ以外に、切れる手札がティガには無かった。

 

 残り活動時間、三十秒。

 

 ティガは急所を守り、突っ込む。

 キリエロイドの光線と、ゼルガノイドの光線が、ティガの肉体の節々を抉っていった。

 ティガ・ホールド光波を使おうとして、球子のことを思い出して、使えない。

 光線に全身いたるところを焼かれながら、ティガはゼルガノイドに抱きついた。

 抱きついた、つもりだった。

 

『ウルトラぁ……ヒート、ハッ、グ……!』

 

 自爆して、ティガが爆裂する。

 全身バラバラになりながらも、新造脳を基点に再生する中で、ティガは見た。

 傷一つ付いていない、ゼルガノイドの姿を。

 

 ゼルガノイドには、バリア能力がある。

 それを自分の体表面に貼り付け、ティガのウルトラヒートハッグを防いだのだ。

 ウルトラヒートハッグは相手の中にエネルギーを送り込み、敵を体内から爆発させることで敵も自分も傷付く自爆技だ。

 送り込もうとしたエネルギーはバリアの表面で止まり、バリアの表面エネルギーと混ざって爆発してしまったのである。

 

 このゼルガノイドに、ウルトラヒートハッグは通じない。

 

『はぁ……ハァ……ハァッ……はああっ、うっ、ぐううううっ……!』

 

 亜型十二星座四体を吸収したキリエロイド。

 亜型十二星座三体を吸収したゼルガノイド。

 絶望的なまでに強い、二体の異形の怪獣巨人。

 "ウルトラマンではないおぞましい化物"という意味では……この二体は、ティガダークと同じ、醜悪なる巨人であった。

 

 立ち上がろうとして、ティガダークは膝をつく。

 

(これ、罰か……罰かもな……タマちゃんを守れなかった、クソな俺に与えられた、罰……)

 

 暴走か、死か、どちらかの二択。

 

(いや……それだけじゃない、俺の罪は、他にも沢山……伊予島……ごめん……)

 

 どこまでも、どこまでも、敵は強くなる。

 いくらでも、いくらでも、敵は復活する。

 終わりは見えない。

 人類勝利の手段も、過程も、結末も見えない。

 戦いはどこまでも防衛戦で、果てが見えない。

 終わりの見えない戦いの中で、一つ、また一つと失っていく絶え間ない戦い。

 

 人はそれを、きっと地獄と呼ぶのだ。

 

 

 




 『燃えにくくなった樹海』で「あーまた世界線が離れてきたな」って思ってほしい作者根性

●バーテックスの融合
 レオ・バーテックス等が行う、バーテックスがバーテックスを取り込む吸収合体。
 合体のベースになった個体の戦闘力が、数段上にまで強化される。
 亜型レオ・スタークラスター。
 亜型レオ・バーテックスではない。

●炎魔戦士 キリエロイドII
 古代から地球に潜伏していた精神寄生体、キリエル人が合体変身した巨人の怪獣。
 『本来のウルトラマンティガ』に対応した強さを持ち、バランス・パワー・スピードに特化させたティガの三つの形態を、キリエロイド固有のバランス・パワー・スピードの各特化形態でそれぞれ上回る。
 そうでなくとも、デフォルトでティガの能力をまんべんなく上回っている。
 パワーに特化すれば強固な皮膚と筋骨隆々な肉体を備え、両腕に刃が生える。
 スピードに特化すればスマートな肉体と大きな翼を獲得する。
 その多様性は、闇の力に溺れ力任せに戦う者では到底敵わない柔軟性を内包するもの。
 『本来のウルトラマンティガ』の宿敵。

 融合対象は魚座、双子座、蟹座、水瓶座。

●超合成獣人 ゼルガノイド
 ある地球で「さあ動け、人類最強の防衛兵器、ウルトラマンよ!」の宣言と同時に、地球人に投入された光の巨人兵器『テラノイド』。
 それが宇宙球体スフィアによって怪獣化され、人類に牙を剥いたもの。
 それが『ゼルガノイド』である。
 ある地球で、ティガの変身者ダイゴが人間であることを選んだため、"ティガという防衛兵器"を失った後の時代を恐れた地球人類が、石像化し粉砕された他ウルトラマンの破片から作った巨人兵器がテラノイド。
 一つの意味では、"地球人がウルトラマンの屍肉を集めて作った兵器"でもある。
 そのテラノイドを怪獣化したゼルガノイドは、ウルトラマンを超える能力さえ保有している。
 エネルギーは事実上無制限。
 すなわち、『エネルギーが無限に使用できる』悪のウルトラマンに等しい。

 融合対象は乙女座、牡牛座、蠍座。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3

 気合が入りすぎて色々削ったのに危うく四万字になるところでした……


 キリエロイドIIの融合対象は、魚座、双子座、蟹座、水瓶座。

 ゼルガノイドの融合対象は、乙女座、牡牛座、蠍座。

 肉の表面に、時たま十二星座が胎動する。

 

 キリエロイドの表面に浮かぶ魚座。

 球子の死体を貪り食った者。

 ゼルガノイドの表面に浮かぶ蠍座。

 球子を殺した者。

 どちらも、球子の死に未だ囚われている竜胆にとっては因縁の敵だ。

 

 見れば見るだけ、憎悪する。気狂いになりそうになる。

 竜胆が完全に暴走していないのは奇跡だ。

 一瞬一瞬に、気合いで宝くじの一等賞を引き続けているようなもの。

 一瞬前の自分が一瞬後の自分を引き止め、一瞬後の未来を思う心がこの一瞬の自分を引き止める連続。

 もはや真っ当な理屈で踏み留まれる領域ではない。

 

 残り活動時間三十秒。

 

 このピンチに、仲間達が動き始めたのが肌で感じられる。

 変身すれば仲間達は死ぬかもしれない。

 また。

 また。

 仲間が死ぬのだ。

 これ以上、仲間を生贄に捧げて世界を守るような真似はしたくない。

 竜胆は自分に繰り返し多くの言葉を言い聞かせ、立ち上がる。

 

『うおおおおおおッ!!』

 

 半暴走状態の馬鹿げた馬力で、空手の横蹴りを仕掛ける。

 敵二体は、一瞬で連携。

 剛力形態のキリエロイドが横蹴りを両腕で受け止め、同時にゼルガノイドが強力な右ストレートを叩き込む。

 そして顔面を殴られたたらを踏んだティガに、飛行形態になったキリエロイドの空中回し蹴りが突き刺さった。

 

 なんて綺麗な、仲間同士の絆の連携。

 球子が死んでいなければ、球子と竜胆だってこういった連携ができたのに。

 

『く……あッ……!』

 

 勝てるわけがない。

 

 ティガは仲間を失い、仲間と共に戦えなくなった者であり。

 

 キリエロイドとゼルガノイドは、仲間と共に戦う者なのだから。

 

 

 

 

 

 もはや、ただ見ているだけなんてこと、できるわけがなかった。

 ケンはフラッシュプリズムを胸元から取り出す。

 光り輝く流線型のカプセルは、ケンをウルトラマンへと変えるもの。

 

「っ」

 

 だがケンの外から中まで傷だらけの腕が痛み、フラッシュプリズムを落としてしまった。

 まともに物も握れない、まともに拳も握れない、握るなら相当に無理をする必要がある……こんな状態で、真っ当に戦えるはずがない。

 それでも彼は戦おうとする。

 彼は、ウルトラマンだからだ。

 

 ケンがフラッシュプリズムを拾おうとして、それを若葉が拾う。

 若葉は変身アイテムを、ケンには渡さなかった。

 変身アイテムを握ることにすら四苦八苦しているその体を、気遣ったのだ。

 

「ケンは行くな。そんな状態で変身すれば……本当に死ぬぞ」

 

「ワカバ」

 

「私が行く。行くなら私だけでいい。私はいくらか大丈夫だ」

 

 若葉は先の戦いでも最後まで動けていた。

 基礎の鍛錬量、鍛え方そのものが違う。

 確かに彼女は比較的大丈夫なのだろう。

 ……あくまで比較的、であり、彼女にも変身だけで命の危険は伴うのだが。

 若葉はまだ竜胆を信じている。

 彼が残した言葉を信じている。

 竜胆を助けようとする気持ちと、竜胆の"皆が変身しなくても大丈夫"という言葉を信じようとする気持ちは、今若葉の中でも拮抗していた。

 

 だが、皆が若葉と同じ気持ちであるわけもなく。

 千景が、襲いかかるようにして、若葉からフラッシュプリズムを奪おうと掴みかかった。

 若葉は驚くが、体を畳むように動き、咄嗟に千景の掴みかかる腕を外す。

 

「!? 千景、何をする!」

 

「それをケンに渡して、乃木さん」

 

「……その意味を分かって言っているのか、千景」

 

「変身したって死なないかもしれないわ」

 

「それは、死ねと言っているようなものじゃないのか!」

 

「私も行く。でもそれだけじゃ絶対に無理。

 ウルトラマンの追加がなければ、きっとあの二体は倒せない。

 少なくとも、あの二体の片方を抑えられる体格(サイズ)が要る……」

 

「千景!」

 

「……私は! 竜胆君まで、土居さんのように、なってほしくない……!」

 

「―――」

 

 若葉の選択と精神性は、どこまで行っても正しい方を向き。

 千景の選択と精神性は、どこまでも弱い人のそれ。

 たとえここで変身してケンが死ぬことになったとしても、千景は竜胆を助けるために、ケンを変身させようとするだろう。

 その果てに、自殺しかねないほどに大きな後悔を背負うことになったとしても、だ。

 

「私はそのためならなんだってする……

 私だって無理をするし……私以外にだって無理をさせる……」

 

「今のケンを見ていなかったのか! 三分を待たず、変身のせいで死にかねないんだぞ!」

 

「分かってるわ! 分かってる! でも……だけど!」

 

 千景は変身したらそれだけで力尽きてしまいそうな顔色で、左手に端末、右手に鎌を持ち、鎌の先を若葉に向ける。

 精霊の闇が、二人の心に一滴の狂気を繰り返し、繰り返し、垂らして落とす。

 

「私は……あなたみたいにはなれない……!」

 

「千景っ!」

 

「それを渡して……渡さないのなら……無理矢理にでも……」

 

 ケンが二人の間に割って入った。

 彼を気遣う若葉に対し、ケンは微笑み、フラッシュプリズムの返還を求める手を伸ばした。

 

「イインダ。ボクハイコウ。

 タマコノトキノ、コウカイヲ、クリカエサナイタメナラバ。イノチヲカケヨウ」

 

「ケンっ!」

 

「リンドウヲ、タスケテアゲタインダ」

 

 若葉は迷う。

 彼女が正解を迷わず引き当てられないのは、彼女にもまだ精霊の後遺症が色濃いからか。

 竜胆を信じ仲間を変身させず、変身せずにいるか。

 仲間を変身させて、変身して、皆で竜胆を助けにいくか。

 

 どちらの選択が正しいのか、という迷いだけでなく、どちらの選択の先にも死と後悔が待っている気がして、それもまた迷いになっていた。

 若葉の剣は、迷いがないからこそ強い。

 だがその剣が竜胆の首を切ったあの瞬間から、剣に迷いが混じってしまっている。

 "剣を振るった結果に対する恐怖"。

 "選択の先にある結果に対する恐怖"。

 その恐怖が、迷いとなるのだ。

 

 精霊の影響もあり、何も踏み切れない若葉の脳裏に、竜胆のテレパシーが届く。

 

『若ちゃん……頼む……そのまま二人を、変身させないで、止めておいてくれ……』

 

 今の竜胆は戦いと、暴走する自分を抑えるので精一杯だ。

 変身しようとするケンと千景を止める余裕もなく、説き伏せている余裕もない。

 二人を死なせたくないと竜胆が望むなら、頼れるのは若葉だけ。

 任せられるのは若葉しかいないのだ。

 

 遠く離れて、竜胆と若葉は背中を向け合っている。

 まるで、互いに信頼し背中を預け合っているかのように。

 

『今、信じられるのが……今、頼れるのが……若ちゃんしかいないんだ。頼む』

 

 こう言うのであれば、竜胆にはこの状況を打破できる策がある、と若葉は考える。

 いくら竜胆でも、仲間が変身しなければ皆まとめて死ぬという状況ならば、仲間の危険な変身を止めるはずがない、という推測をしていた。

 若葉は遠くのティガに向けて声を張り上げる。

 

「なんとかできると、信じていいのか!」

 

『ああ……死ぬよりも選びたくなかった手段が、ある』

 

 不穏な言い草だ。

 不安を感じるが、それでなんとかなるのであれば。

 仲間を犠牲にせずに済むのであれば、若葉はその選択を信じたい。

 思念波として飛んで来る竜胆の言葉は、何故かどこか、弱々しかった。

 

『弱音、吐いていいかな』

 

「ああ!」

 

『……俺が何をしても、嫌いに、ならないでくれ』

 

 若葉は叫ぶ。

 

「なるわけが―――あるかっ!」

 

 それが、最後の迷いを振り切らせてくれた。

 

 光線と格闘にて、これでもかと痛めつけられたティガダーク。

 なおも立ち、構え続けるティガへと、キリエロイドとゼルガノイドが襲いかかる。

 ティガは八つ裂き光輪を構え、そこに二体の怪獣の視線がいく。

 その瞬間、ティガの足元にあった樹海が、爆発した。

 

「……!?」

 

 ウルトラヒートハッグの爆発だ。

 ティガが、自分の足に触れていた樹海を、ウルトラヒートハッグで爆発させたのだ。

 

 ティガの今のウルトラヒートハッグは、敵の体を爆発させ、同時に密着している自分の体を爆発四散させるだけの威力がある。

 ティガの足元で発生させた爆発は、ティガの下半身を粉々にし、同時にある程度近距離に居たキリエロイドとゼルガノイドにもダメージを与えていた。

 地雷には、金属片などを入れ、金属片を飛び散らせてダメージを倍加させる、というが。

 この場合は、飛び散ったティガの下半身が弾丸のように飛び散り、爆発が敵に与えるダメージを倍加させてくれていた。

 

 八つ裂き光輪を肩上に構え、敵の意識を自分の体に上半身に向け、敵が八つ裂き光輪を見ている間に足からウルトラヒートハッグを発動―――咄嗟の機転にしては、上々だ。

 だが、敵へとダメージを与えたことと引き換えに、ティガの下半身は爆発四散し、足元の樹海は粉砕されてしまっていた。

 

『……ごめん』

 

 下半身を再生しながら、痛みに満ちたティガの謝罪が、若葉の脳内に届く。

 

―――樹海へのダメージは戦いの後に災厄として世界に顕れる。

―――最悪、それで死ぬ人間も出かねない。

 

 樹海を壊すな、と言ったのは若葉だ。

 今の竜胆を苛んでいる罪悪感は、若葉由来のものだ。

 この樹海の破壊で災厄が起こり……また、誰かが傷付く。死ぬかもしれない。

 そして若葉の言葉が、それを通して竜胆の心を傷付けるのだ。

 

「……っ」

 

 若葉は歯噛みする。

 キリエロイドとゼルガノイドは、撤退を選んだ。

 

 何も無理をする必要はない。

 バーテックスはいくらでも戦力を継ぎ足せるのだ。

 次はEXゴモラでも、ザンボラーでも、治っているならゼットでも連れて来ればいい。

 仕切り直しを選んだ二体が、結界の外に消えていく。

 

 キリエロイドとゼルガノイドには致命傷など叩き込まれていないから、その気になれば数日後にだって来れるだろう。

 次の襲撃は三日後? 四日後? 何にせよ、人間勢力の戦士達が復帰する前にまた来ることに変わりはないだろう。

 撃退という奇跡の結果と、また来るという矢継ぎ早の絶望が、若葉の胸に去来する。

 

 だが、ティガの変身解除が、若葉を正気に戻させた。

 他二人よりも速く、若葉は樹海化が解けていく世界を走り出す。

 

「回収に行くぞ! 急いで医者に診せなくては!」

 

 車に跳ねられたような大怪我なら、医者に見せればいい。

 だが今の竜胆は、体に怪我一つなかったとしても、普通の医者が匙を投げかねない。

 "大きな怪我をした"のが問題なのではなく、"自力で治してしまっている"ことの方がずっと問題であるからだ。

 されどそれは、竜胆を医者に診せない理由にはならない。

 

 若葉は数え切れないほどの感情を噛み潰して、竜胆の回収に走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜胆が次に目を覚ました時、そこは彼の部屋だった。

 手錠、首輪、ピアスといつもの物は身に付いているものの、それ以外の拘束はなく、少年はベッドに寝かされている。

 ふと横を見ると、千景が居た。

 その必要も無いだろうに、ずっと看病してくれていたらしい。

 すやすやと寝ている千景の目には隈があって、あまり寝ていないのが見て取れた。

 

 竜胆は部屋の電波時計を見る。

 また一日、寝ていたらしい。

 すると、キリエロイド&ゼルガノイドとの戦いからずっと寝ないで、千景は看病してくれていたということなのだろう。

 

 竜胆は千景の頭を優しく撫で、自分にかけられていた掛け布団を千景の体にそっとかけた。

 

「……ごめんな」

 

 一体、何に対しての謝罪なのだろうか。

 

 千景が締め忘れたのか、部屋のドアは閉まっているように見えて閉まってはいなかった。

 竜胆は部屋を出る。

 外は、ざあざあと雨が降り注いでいた。

 それがデモなどを起こさせないための神樹の優しい雨だということを、彼は知らない。

 傘も差さずに、雨の中を歩いていく。

 

 食堂に足を踏み入れる竜胆。

 誰も居ない。

 作っている人も、食べている人も居ない。

 そこに何故か、本や新聞などが積み上げられている場所があった。

 気になって、竜胆は軽く新聞に目を通す。

 

 新聞の日付は今日。子供が、土砂崩れに巻き込まれて死んだという報道があった。

 

 見るものが見れば分かる。その災害は、樹海へのダメージによるものだった。

 

 竜胆が今日、意図的に自らの手で破壊した、あの樹海破壊の結果は、どこへ行ったのか。

 

「……あ」

 

 また一人、竜胆は罪も無い子供を一人、殺したのだ。四年前と同じように。

 

「あ、あああああっ……」

 

 ふらふらと、竜胆が食堂を出る。

 雨の中、膝をつく。

 雨に打たれて泥にまみれて、現実に打ちのめされる。

 

 敵を倒せるなら、憎悪だけでもいいと思った。

 憎悪で敵を倒し、それでこれ以上誰も死なないのであれば、それでいいと思った。

 だが、憎悪で、優しさよりも多くのものが救えるわけがない。

 憎悪はどこまでいっても、壊す力にしかなってくれなかった。

 

 胸を張ればいい。一人を殺して、四百万人と、共に戦う仲間達の命を守ったのだと。

 胸を張れるわけがない。罪の無い命を一つ奪って、胸を張れるわけがない。

 "罪の無い人を殺すなんて許されない"が、彼の基本の思考なのだから。

 

「ああああっ……!」

 

 泥に浸かった膝に染み込む泥水は冷たく。

 瞳から溢れる涙は熱く。

 泥に打ち付けられる拳は痛く。

 胸の内は、それ以上に痛い。

 

 敵も倒せない。

 世界も守れない。

 仲間も、友達も守れず。

 罪も無い子供を殺して、四年前のトラウマを想起させられる。

 何も、何も、できない。

 竜胆の心はもうとっくに限界だった。

 限界のまま走り続けていたが、もうそれすら限界だった。

 泥に拳を打ち付けても、打ち付けても、拳は痛いだけで、何も変わらない。

 

「タマちゃん、タマちゃん、タマちゃんっ……」

 

 もう、本当に、心が駄目になってしまいそうで。

 

「タマちゃん……ボブ……花梨……俺はどうすればいいんだろう……何を考えればいいんだろう」

 

 もはや、頭が思考しようとすると頭がそれすら否定して、"俺は間違ってるんだからその思考は間違っている"という基本思考すら、定着しかけている。

 自分が生きていることを許せない、などとそういうレベルを通り越して、自分というものが意思を持つことも思考することも許せなくなり始めている。

 その思考が、その意思が、過去にそういう選択をしたことを許せないからだ。

 自我そのものを、否定し始めている。

 

 憎しみは、彼を救ってはくれなかった。

 

 その時。

 竜胆にかかる雨が止まる。

 自分だけ雨がかかってないことに気付き、竜胆は顔を上げた。

 自分が濡れるのも構わずに、竜胆を傘で雨から守る、少女がいた。

 

「や、御守くん先輩」

 

「……まっ、ちゃん……?」

 

「そうとも。あなたの安芸真鈴ちゃんですよ」

 

 四年前、バーテックス初襲来の日。

 球子を導き、杏を救い、二人を大社まで導いた巫女。

 球子と杏にとっては、若葉にとってのひなたにあたる少女。

 

 安芸真鈴が、そこに居た。

 

「……自分より取り乱してる人見ると、相対的に少し落ち着くってあれ、本当だったんだ」

 

 その心境は如何ほどか。

 竜胆と同じ、いや、それ以上の悲しみがあるはずだ。

 だが安芸はそれをおくびにも出さない。

 手にしたタオルで、涙と雨でぐちゃぐちゃになった竜胆の顔を拭き、竜胆の手を取って、それを拭いていった。

 

「ね、球子のお通夜があるんだけど、行く気はある?」

 

 安芸は救いの言葉を告げられない。

 竜胆を救ってやれる劇的な行動など、ありはしない。

 むしろ、安芸の方が心を救われるべき立ち位置にある。

 そんな彼女が提案したのは、死体すら残らなかった、球子との別れの儀式のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お通夜。

 葬式。

 告別式。

 死者に別れを告げ、冥福を祈り、死の悲しみを皆で分かち合う一連の過程。

 

 雰囲気は暗く、皆が球子の死を悲しんでいた。

 若葉も居る。ひなたも居る。千景も居る。ケンも居る。

 杏と友奈は居ない。

 球子の死を嘆き悲しむ者は皆来ていたが、嘆き悲しんでいるがために来ていない者も、体が壊れすぎているせいで来れなかった者もいた。

 

 友達として球子を想う者。

 仲間として球子を想う者。

 家族として球子を想う者。

 隣人として球子を想う者。

 数多くの者達が、球子の死を悲しんでいる。

 

 それを外から見つめて、安芸と共に歩いていた竜胆は、突然足を止めた。

 

「御守先輩? なんでそこで止まって……」

 

「……俺をリンチしてた人とかもいるな」

 

「え?」

 

「俺を憎んでる人もいる。俺はあそこに混ざれない。俺が行ったらきっと大騒ぎだ」

 

 竜胆のことを多く知らず、球子のことを多く知る者がここには多い。

 その中には、竜胆が球子の死の原因だという話を信じている者もいる。

 行けば、お通夜は滅茶苦茶だ。

 そのくらいは容易に想像できる。

 

「『みんな』は、俺が彼女の死を弔うことを、許してはくれない。俺にその権利はない」

 

 竜胆には、球子のお通夜や葬式に参加する権利さえ無いのだ。

 

 真鈴は感情を何か漏らしそうになる。

 声を上げそうになる。

 それをぐっとこらえて、竜胆と同じように、葬式の会場を遠巻きに見られる場所で足を止める。

 

「おい、まっちゃんは行っても……」

 

「いいよ、私も、ここで。お通夜に距離なんて関係ないだろうしさ」

 

 気持ちが大事なんだよ気持ちが、と真鈴は頷いている。

 気遣われたことを、普段の竜胆なら察していただろう。だが今の竜胆は察せない。

 いつもの律儀なくらいにお礼を言う竜胆が何も言わないことに、真鈴は竜胆の内心の追い詰められ具合を察した。

 

「……」

 

 二人は葬儀を見つめる。

 本来、球子の死は家族ですら知ることができなかったかもしれなかった、らしい。

 勇者の死は、四国に激震をもたらすからだ。

 

 ティガダークという存在が、球子の死の時点で隠すことは不可能という段階まで市民を追い詰めていなければ、きっと混乱を抑えるという意図で家族にすら球子の死は隠されていただろう。

 勇者や大社の関係者などしか、その死を弔うことはできなかったはずだ。

 普通の葬儀ができただけでも、奇跡。

 

 もしも、竜胆がボブと球子の死は自分のせいだと言い、二人の名誉を回復していなかったなら……今の混乱と恐怖の中にある市民の中でも特に悪質な者が、葬儀の妨害を画策していた可能性は、決して0ではなかっただろう。

 「役立たず勇者」というた声が葬儀場に響いた可能性は、きっと0ではなかっただろう。

 そうなれば、そういった人間や竜胆などを心底嫌う葬儀の参列者達が、それに反撃し、葬儀が葬儀でなくなるほどの騒ぎに発展するのは間違いなかった。

 

 "静かな葬儀"ですら、権利として勝ち取らねば立ち行かない。

 この静かな葬儀もまた、竜胆が守ったものの一つだったのかもしれない。

 

「……あのさ」

 

 参列者の中、涙を流し若葉に支えられているひなたを見ながら、真鈴は口を開く。

 

「上里ちゃんさ、凄いよね」

 

 泣いているひなたが届けた球子の遺品は、球子の親へと確かに届けられた。

 球子が死んでからの皆は、悲しみの淵にあったと言える。

 ひなたは皆と共に悲しみ、涙を流しながらも、"人の死に対する当たり前の対応"をしたのだ。

 

 死者を想い、悲しみ。遺族を気遣い。遺品を届けた。

 ひなたはお通夜の今も泣いてるのに、その悲しみの中、やってくれたのだ。

 竜胆は、ひなたがしてくれたそれらの行動の数々を、想像すらしなかった自分を恥じる。

 球子の家族の悲しみに思いを馳せもしなかった自分を、心底悔やんだ。

 

「辛くないわけがないのに……

 今も、ああして泣いてるのに……

 球子のご両親に真実を伝えて、球子の遺品を集めて届けて。

 ご両親が望んだなら、球子がどう過ごしていたかをご両親にもちゃんと話してて……」

 

 安芸真鈴は、巫女としての能力がひなたに遠く及ばない巫女だ。

 今は、それ以外の能力でも及ばない、と真鈴は痛感している。

 数字にできる能力ではない。

 悲しみながらも、死んでしまった人のために、歯を食いしばって何かをする力。

 心の力が、ひなたにはあった。

 

「アタシは、うん、駄目だ。ああは振る舞えない。きっとあの子みたいにはできない」

 

 真鈴は駄目だ。

 ひなたのように、強くは在れない。

 遠くから葬儀場を見ているだけで、涙が溢れてくる。

 ただそれだけで、感情が溢れ出してくる。

 止められない。

 

「球子……なんで死んじゃったのよ……バカ……」

 

 真鈴は泣き崩れる。

 もっと会っていれば。

 もっと話していれば。

 あの日、球子を勇者として導いていなければ。

 戦うことは危険だと、もっと言ってあげられていれば。

 悲しみと後悔がぐるぐる心を渦巻く。

 

 普通の女の子として、普通の女の子な球子と、もっと話したいことが沢山あっただろうに。

 

「なんで……無理を言ってでも、そばに居てあげられなかったんだろう……アタシは……」

 

 真鈴、球子、杏の住んでいた場所は、そう遠く離れていなかったから。

 バーテックスさえいなければ、彼女らは平和な世界で出会い、普通に仲良くなって、普通に大切な友達になれていたかもしれないのに。

 優しい日常の中で、記憶を重ねていけたはずなのに。

 もう、それも叶わない。

 

「もっと一緒に……もっと毎日会えていれば……思い出だって、沢山っ……」

 

 泣き崩れる真鈴。

 竜胆は、心が壊れそうなほどに心を絞った。

 優しくされる必要がある竜胆の心が、他人に優しくするために、優しさを心より絞り出す。

 

「タマちゃんは、まっちゃんを大切に思ってた。恩も、友情も、感じてたと思う」

 

 泣いている人を、竜胆は放っておけない。

 そこに理由は必要ない。

 自分がその結果壊れるとしても、竜胆は優しさを捨てられない。

 

「まっちゃんが居てくれたこと……タマちゃんは、感謝してたと思う」

 

 自分の身を削るようにして、竜胆は真鈴に優しくした。

 彼女に優しい声をかけるだけで、心を削る価値があると、そう思っていた。

 

「だから、泣いてもいいけど、必ず立ち上がれ。

 君らしく立ち上がれ。君らしい君を、きっとタマちゃんは大切に思ってたんだ」

 

 球子を思って竜胆も泣きたい。

 でも、目の前に泣いている人がいるから。

 ぐっと気持ちを押し込んで、少女を慰める。

 

「友達のために泣くことは、悪いことじゃないから。

 まっちゃんには、その大切な友達のことを、ずっと覚えておいてほしい」

 

「うっ……えうっ……うううっ……」

 

 優しくしていくだけで、心が擦り潰れていくようだった。

 心に余裕が無さすぎる。

 心が闇に寄りすぎている。

 優しくしないという選択肢がありえないという心と、もうとっくに他人に優しくなんてできなくなっている心が、相反しながら自壊している。

 

 余裕が無い人間ですら、周りのフォローをしなければならないほどに、全員がギリギリだ。

 されど余裕が無い人間が絞り出すように優しさを与えていくことは、自滅を意味する。

 そんな時、奇跡でもなんでもない、必然が起きた。

 

「どうかしましたか?」

 

 泣き崩れた真鈴は、葬儀場から離れていても、少し目立っていた。

 だから、この喪主等を務めていた球子の家族がそれを見つける。

 葬儀のトラブル等に対応するのも、主催の務めだからだ。

 その人は、泣き崩れた真鈴を見て駆け寄ってくる。

 

 竜胆がその人を"球子の母親"だと一発で見抜けたのは、顔が球子と似ていて、その母親の顔を見るだけで心抉られたからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真鈴は葬儀場の一室へと連れて行かれた。

 落ち着くまでは、そこで泣いていることだろう。

 竜胆の顔を見て球子の母親は驚いたが、やがて納得したようで、参列者の目に映らないように別室へと連れて行ってくれた。

 球子の母がお茶を淹れている前で、竜胆は球子の母に土下座する。

 

「申し訳ありませんでした」

 

 竜胆の顔を見た時と同じくらい、球子の母親は驚いていた。

 

「タマちゃんを俺は助けられる位置にいたのに、助けられませんでした。

 本当に……本当に、ごめんなさい……! あなたの娘を、俺はっ……!」

 

 球子の母は何も言わず、静かにお茶とお茶菓子を並べる。

 そして、竜胆にゆっくり頭を上げさせた。

 

「正直ね、今の今まで、判断がつかなかったの。

 球子が騙されているのか、あなたが本当にいい子なのか……

 電話で球子からよくあなたの話は聞いていたのよ。

 でも、私の知っているあなたの人物像と、あまりにも違っていたから驚いてしまって」

 

「それは、当然のことです」

 

 御守竜胆の一般的な認識は、非人道的な虐殺者。

 

「私も夫も、球子が騙されてるんじゃないかと思って大社に電話をかけたものだわ。

 本当のことを言うと、今日まで私も夫も、騙されていることの方を疑っていたもの」

 

「……今日まで?」

 

「ええ。私の娘は正しかった」

 

 球子の母は微笑むが、その微笑みに元気がない印象を受けるのは、おそらく気のせいではないだろう。

 竜胆は、首を横に振った。

 

「タマちゃんが、俺が仲間であることを許してくれただけです。

 友達のように接することを許してくれただけです。

 一緒に笑うことを許してくれただけです。

 俺の罪は何も消えていません。おそらくですけど、誤解は無いと思います」

 

 自分を何一つ弁護しない竜胆に、球子の母はどこか納得した様子だった。

 

「ああ、球子が、良いところも面倒臭いところもあると言っていたのは、これなのね」

 

「え、ええっ? そんなこと言われてたんですか……」

 

「ええ。うじうじしてなければかっこいい先輩だ、と」

 

「……うじうじしてばっかりの人間で、すみません」

 

 竜胆は重ねて頭を下げる。

 "良いところも悪いところもある"と球子が母に言わなかったわけも。

 "うじうじしてなければかっこいい"と球子が母に伝えた真意も。

 何も、竜胆には伝わっていない。

 球子の母は苦笑し、優しく微笑んだ。

 

「30の女の子らしさと300の男らしさ。そんな話を球子にしたのも、あなたでしょう」

 

「……? あぁ、ありましたねそんな話。

 タマちゃんがタマは女の子らしさ皆無だろ、みたいな話して。

 俺が普通の男には男らしさ10、女には女の子らしさ10あるんだ、って言って。

 タマちゃんには女の子らしさ30男らしさ300があるだけで普通に可愛い、って言って。

 伊予島とその後も、なんか盛り上がったような……うろ覚え……」

 

「ええ、目からウロコでしたとも。

 女の子らしさなんて無い、って親ですら思っていたからね」

 

「え、ええっ……?」

 

「うちの子が男の子から、女の子らしいとか可愛いとか言われるなんて。

 そりゃもうびっくりしたものよ?

 球子も電話で聞く限りでは、憎からず思ってるかもしれないなと思ってたから」

 

「……タマちゃんが、ですか?」

 

「"先輩はタマがいないと駄目じゃないかと思うこともあってさ"

 なんて言ってたこともあったからね。

 あらあら、うちの娘にも春が来たのかしら、なんて思っていたものよ」

 

「そういうのじゃなくてすみません」

 

 ふと、竜胆は思う。

 あの子が殺されてから、あの子について誰かと腰を据えて話すのは、これが初めてだと。

 

 竜胆が球子について話すことは少なくない。

 特に杏と話している時、竜胆と杏の話題の割合は最低四割球子のことだ。

 本当は、こうして、死後に死者を想って話すのが大人なのだろう。

 それが大人の当たり前なのだろう。

 

 だが心に闇を抱える竜胆は、仲間と一度もこうして球子のことを話さなかった。

 死者を惜しみ、死者の想い出を語り合い、死者へと悲しみを捧げ、立ち直る。

 そういった"当たり前の過程"を何一つ通らなかった。

 球子の死後に、球子との生前の良き思い出を語り合うという行為を、しなかった。

 それはもしかしたら、逃避だったのかもしれない。

 

 友奈だったら、そうしていただろう。

 死者との想い出、生前の想い出を語り、涙を流しながらも前に進んでいただろう。

 仲間と死者の想い出を共有しながら、一緒に前に進んでいただろう。

 だが、竜胆はそうはなれず。

 

 今になってようやく、生前の球子との想い出を噛み締めながら、次に進む道の入口に、片足をかけていた。

 

「球子が勇者に選ばれたと、言われた日。

 あの子が戦わなければならないと、知った日……

 こうなるかもしれないとは思っていたの。泣きはしたけど、分かっていたことだったから」

 

「それは違います!」

 

 だが、少年は最後の抵抗をした。

 娘の死を受け入れる母を前に……死を受け入れられない、子供のような抵抗をした。

 

「あの子に死ぬべき理由なんてなかった!

 あの子が殺されるべき理由なんてなかった!

 死ぬのも、殺されるのも、おかしい!

 タマちゃんは生きていて当然だったんです!

 それを……俺は……俺が……俺のせいで……!」

 

「違うわ」

 

 だがそんな子供の理屈を、球子の母はぴしゃりとはねつける。

 

「人はね、理由なくても死ぬの。

 理由がなくても殺されるのよ。

 殺人は、理由が無くたってできるの。

 だからこそ人は人を殺してはいけないと、大人が子供に教えるのよ。させないために」

 

「それは……!」

 

「だから私は、あの子を勇者として送り出すのが、怖かったのよ。

 一番危険な場所に送り出して……それが母親失格だと、知りながら」

 

「っ」

 

「生きるべき人間。

 確かに、そういう人はいると思う。

 でも今の世界で……そういう人は、何人死んでいるのでしょうね」

 

 子供の交友関係は、大人よりは狭い。

 四年前、竜胆は子供だった。

 四年前、球子の母は大人だった。

 ならば……球子の母の知人友人は、"四年前に何人死んだ"のだろうか。

 

 大人には大人の見ている地獄がある。

 沢山死に、知っていた世界が崩壊した四年前。

 愛する娘を、世界の危機に勇者として差し出さなければならない地獄。

 不安と恐怖に呑まれていく世界の中で、大人はバーテックスに抵抗できる力さえも持てず、ただひたすらに無力なまま。

 そして、その中で、差し出した娘が戦死という絶望に遭った、球子の母親は。

 

「そんな力のない人達を守るんだと、球子は豪快に笑って言っていたわ」

 

「―――」

 

「私の、自慢の娘。よく頑張ったね、って言ってあげたいわ」

 

 娘の死を心底悲しみながら、無念だっただろうと娘の気持ちを理解しながら、よくやったと娘を褒めて、愛娘を誇りに思っていた。

 世界で一番の娘だぞ、と泣きながら胸を張るように、誇っていた。

 けれど、子供な竜胆の前では気丈に振る舞い、涙を流しはしなかった。

 

「あなたは今、球子が生きていて当然だったと言ったわね。

 生きるべき人間。死ぬべき人間。

 それはどういう基準で決めるのかしら? あなたの好み? あなたの善悪? 法律?」

 

「それ、は……」

 

「生きるべき人間は球子で、死ぬべき人間はあなた?」

 

「―――!」

 

「もしもそう思っているのなら、そんな考えはポイ捨てしなさい。ポイよポイ」

 

「ぽ、ポイですか?」

 

「誰だってある日唐突に死んでしまったりするのよ。球子も、私も、あなたも」

 

 バーテックスは誰でも殺す。

 人間ならば誰もが死ぬ。

 

「だから精一杯生きるんじゃない。

 だから大切な人を死から守るんじゃない。

 だから……死ぬ前に、ちゃんと愛を伝えておくのよ」

 

「おかしい……そりゃ、おかしいでしょう!

 死ぬべきじゃない人はいて!

 そんな人が死ぬのは、絶対に理不尽で! おかしいことです!」

 

「子供のようなことを……いえ、子供はそう考えるのが、普通なのよね」

 

「罪の無い人は理不尽に傷付けられちゃいけない!

 罪の無い人が理不尽に殺されるのもあっちゃいけない!

 だから……だから……だから……タマちゃんだって、死んじゃ、いけなくて……」

 

 竜胆は泣いていた。

 涙ながらに、反論していた。

 タマちゃんが死ぬべきでない人間なのは当たり前だ、と叫ぶように。

 それを守れなかった俺が悪いのは当たり前だ、と叫ぶように。

 罪の無い人に降りかかる理不尽は許せない。

 千景を助けた時から、彼はずっとそういう少年だ。

 

 けれど、本当は分かっている。

 球子の母が言っていることの方が正しいって分かっている。

 分かっているけど、認められない。

 そういうことを認めていったら……まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、球子があそこで殺されてしまったのだと、認めてしまうようで。

 

 あの時のスコーピオンは誰でも狙えた。

 若葉でも、千景でも、友奈でも、狙われれば死んでいた。

 運次第で、死んだのは杏であり、生き残ったのは球子だっただろう。

 そも運の話をするならば、スコーピオンの接近に誰かが気付く可能性だってあったのだ。

 結界に侵入して来たタイミングでは、スコーピオンは視認されていたのだから。

 

 竜胆が認めたくない"事実"は、そこにある。

 竜胆は、"運が悪かったから球子は死んだ"などという残酷で簡潔な一言で、球子が死んだという事実を片付けたくなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()なんて結論に繋がるものを、認めたくなかった。

 『運』なんてもので球子の生死が決められただなんてことを、認められなかったのだ。

 

 運次第で、ティガダークの身体強度なんて関係なく、死んだかもしれないし生き残ったかもしれないなんて、そんな話には、子供が受け入れられない別種の残酷がある。

 

「娘のことをそんなに思ってくれて、ありがとう」

 

 竜胆の表情を見て、言葉を聞いて、球子の母は多くを察したらしい。

 深く、丁寧に、竜胆に頭を下げる。

 泣いていない時は大人びて見えた竜胆が、球子を想って泣いている今は、ひどく幼く見えた。

 

「どうか気に病まないで。

 娘のことは、本当に悲しいけれど……

 私の娘がここにいたら、あなたをまず励ましに来ると思うから」

 

 母は娘を理解し、その上で言葉を選び。

 竜胆は途中から、球子の親に謝るためではなく……大人に寄りかかり、大人に甘え、本音を吐き出すように、心の内を吐き出していた。

 

「守れたんです、俺は。

 もう少し何かがあれば。

 もう少し何かがなければ。

 この手で守れたかもしれないなら、俺のせいなんです……」

 

 そして、球子の親は甘ったれたことを言うことなく。

 とても強い言葉で竜胆をひっぱたき、彼を立ち上がらせようとしていた。

 

「私は、私の娘が殺されたことを、娘の大事な友達のせいになんてしないわ」

 

「―――ッ!」

 

「そして、そんな愚行は、他の誰にも許さない。君にもよ、御守君」

 

 "俺のせい"を、球子の母が禁じる。

 

「どうか、球子を理由にして、球子の友を傷付けることも、悪く言うこともやめて」

 

「……!」

 

「球子はガサツな子で、本当に女の子らしくもできない子だった。

 でも……優しい子では、あったでしょう? 友達の笑顔と、幸せを望むような」

 

 竜胆は涙を落としながら、無言で一も二もなく頷く。

 

「母親だから、私には分かるわ。あの子は、あなたの幸せを願っていた」

 

 電話越しにだって、伝わる思いはある。

 だって、親子なのだから。

 だって、この母は、娘を本当に愛して、理解していたのだから。

 

 

 

「どうか、娘の最後の願いを、叶えてあげてくれないかしら?」

 

 

 

 球子の死は、ひなたでも貫けない闇を竜胆に注ぎ込ませた。

 彼のその罪悪感を、ほんの少しでも軽くできる者がいるとするならば。

 彼に、僅かであっても救いに繋がる道を示せる者がいるとするならば。

 それはきっと、球子の家族……球子の死をこの世の誰よりも悲しんでいる、球子の親以外には、ありえないだろう。

 

 球子の願いを叶えるか。叶えないか。

 選択の権利は、竜胆にあった。

 球子を思うなら、選べる答えは一つしかない。

 

「俺は……僕は……僕は……」

 

 もう答えは、出ているようなものだった。

 

「ああ、そうだ、話が一段落する前に……」

 

 球子の母親が、お茶の横に一冊の本を置く。

 

「これを渡しておくわ」

 

「これは……?」

 

「上里ひなたって子が、球子の遺品を持ってきてくれたの。

 その中に混じっていたものよ。勇者の……日記帳? なのかしら。

 よく分からないけど、これは皆のものなんでしょ? 返しておくわね」

 

「勇者御記……?」

 

「ざっと目を通して、球子のとこには付箋つけちゃったけど、まあいいでしょ。

 あ、君は球子のところだけでいいから、絶対に目を通しておくこと。いいわね?」

 

「え……何故」

 

 その本の名は『勇者御記』。大社が編纂した一冊の本と、勇者が思い思いに記した記述。

 

「ここにも、球子がいるから。

 その球子を、ちゃんと受け入れて。

 あなたはきっとまだ、球子と向き合えていないのよ」

 

 竜胆は止まっていた涙を拭い、本に目を通した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■■■■

 

 

 

 書くことあんまないな。

 

 日記形式って感じでいいんだろうか。

 

 とにかく、空気は悪くない。

 

 ウルトラマンは皆いい奴らだ。

 

 勇者も……まあ郡がちょっと不安だけど、まあ大丈夫だろ。

 

 負ける気がしないな! 郡もタマが気を使えばいいか!

 

 タマに任せタマえ!

 

 

 

■■■■■■■■

 

 

 

 毎日がハード。くんれんつかれる。べんきょうつかれる。

 

 これに慣れるくらいじゃないと世界は救えないのかな。

 

 じゃあ、頑張るしかないか!

 

 世界の命運、タマに任せタマえ!

 

 

 

■■■■■■■■

 

 

 

 御守竜胆。

 ティガダーク、極悪外道。

 大社は何考えてんだ?

 杏が危ないかもしれない。タマがしっかりしないと。

 あいつめ、危険な素振り見せたらタマがすぐとっちめてやるからな!

 危険人物の対処もタマに任せタマえ!

 

 この日の書き込みは全部無かったことになった! そういうことでよろしく。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 正義。

 正義ってなんだろう。

 先輩はめんどうくっさいこと考えてるなー。

 でも多分、先輩はずっとこれ気にしてんだよな。

 正義とか、悪とか、善とか。

 あの巨人の力に振り回されてるだけで悪でもなんでもないくせに、自分を悪だと思いこんでいるタマ以上のバカはどうしたらいいんだろう。

 

 勇者御記は先輩に見られる心配がないから気楽でいいな!

 後で全員分編纂した時にどういう形になるんだろうか? わっかんねー。

 

 正義、正義、なんじゃこりゃ。

 しっかし面倒臭いな。

 何か一つ絶対の正義とか考えると、必ず誰かがケチつけてくるのか。

 ケチのつかない正義がないのか?

 人間がどんな正義にもケチつけられるようできてるのか?

 分からん!

 頭のいいやつにぶん投げた方がいいのかな。

 先輩はタマよりバカなのに何が正しいのかとか真剣に考えてるとかもしやバカなのでは?

 バカだなー、先輩は。

 

 けど、誰かの正義を一つ選ぶなら、多分先輩の正義を選ぶのが鉄板だよな。

 うん、それは絶対にそうだ。

 

 先輩は自分の中で正しいって思ったことの芯は揺らがせない。

 人の命を守るとか、他人には優しくとか、友達を大切にとか、そういうの。

 でも多分自分が正義とは思わないし、思い込まない。

 常に何が正しいのかって考えてるから、先輩の正義は優しいんだ。たぶん。

 

 先輩の正しさは……そうだな。

 一ど止まって考えること。

 何かあれば、そこで止まって考えること。

 一つのことを盲信せず、突っ走ったまま止まらないとかそういうこともなくて。

 時々は仲間に相談したり、他人から貰った言葉を参考にしたりして。

 そうやって作ってく正しさなんだよな、きっと。

 これでなー。

 先輩が自分は悪だって思い込んでなければなー。

 結構凄い人になると思うんだけどなー。

 先輩めんどくせー。

 そこだけはちょっと嫌い。

 

 でもさ。

 自分を悪人だと思ってる先輩がさ。

 そんななのに、人の命は大切だって言ってるの笑っちゃうんだよ。

 皆に苦しむ理由、殺される理由はない、って言い切ってるの笑っちゃうんだよ。

 罪の無い人が無慈悲に殺されるのは間違ってるって断言してて、笑っちゃうんだよ。

 だってそうじゃん?

 それのどこが悪人なんだっての。

 根が悪い人になりきれてないんだよな。

 いーひとだ。

 先輩風に言えば、善い人だな。

 

 人が死んで当たり前の世界で、それは絶対に間違ってるし当たり前なんかじゃない、とか断固として主張してて、そのせいで人殺しな自分を許せてない先輩。

 ああいうのがいいんだよああいうのが。

 いや、人殺しやってなければ、その後悔を引きずってなければ、だけど。

 タマはああいうのが割と好きだ。

 これで時々ウジウジしてなければなぁ。

 タマが鍛えるしかないのか。

 うむ。

 メンタル的に鍛えるしかないな! タマに任せタマえ!

 

 やり方はまだ特に思いついてないぞ!

 

 

 

■■■■■■■■

 

 

 

 先輩は皆から嫌われている。

 丸亀城の外は先輩を嫌いな人でいっぱいだ。

 分かってた、はずだったんだけどな。

 今日見たもののせいでどうにも気分が悪い。

 どうも最近のタマはネガティブなことを考えやすい気がする。

 気のせいか?

 ま、ネガティブな思考とか浮かんだ端から蹴り飛ばしてるんだけどな!

 

 人は、醜くも美しくも、間違いにも正しさにもなれる、ってやつなのか。

 前は御守竜胆はくたばれー! って、皆のああいう流れに参加してたはずなのに。

 今は、あれに苛立ちしか感じない。

 

 タマも同じだ。

 タマも先輩を嫌ってたし、責めてたし、心を傷付けてた。

 ティガダーク出てけとか言ってるあの人達と変わらない。

 タマは、先輩のことを知っただけだ。それだけなんだ。

 

 先輩のことを知らなかったタマが、先輩のことを知って意見を変えた。

 じゃあ先輩のことを知って意見を変える人って、結構居るんじゃないかな。

 世の中、凄い悪人になれる人も凄い聖人になれる人もあんまいないからなぁ。

 なんだかんだ先輩の味方増えそうな気がする。

 許さない人がそれでも沢山いるってことは、まあ置いておこう!

 

 そう思うと、醜いことしてる人が、素晴らしいことをし始めるってことも多いんだろうな。

 先輩酷く叩いてる人が、先輩のこと知って、先輩の味方になるとか。

 あ、これはタマか。

 タマ以外の人がやるとしたら、ってことで。

 ということは、やっぱ、どんな人でも死なせちゃいけないんだよな。

 

 先輩だってそうだ。

 先輩は闇の中から生まれた光で、間違いの中から生まれた正しさだもんな。

 悪いことをした中から出て来た善だ。

 先輩を攻撃してる人々とか、タマには悪いことしてるようにしか見えないけど、悪いことしたやつはすぐ死ねーってなる世界なら、先輩とかすぐ殺されてただろうしな。

 タマげた話だ。

 世の中はふくざつかいきーってやつである。

 

 先輩が証明してるようなもんだ。

 人間が悪いことをした後、良いこともできるんだってことを。

 悪いやつをすぐ裁かないことが、後にいいことに繋がるんだってことを。

 いや腹は立つぞ。

 タマはこの辺分かってるが、それでも腹は立つし、怒ることは怒る。

 

 うおおおお! 想像で先輩の悪口言ってんじゃねー!

 

 

 

■■■■■■■■

 

 

 

 先輩が他人の弱さや醜さを受け入れてるのは、先輩が闇落ちしたのとか関係なく、先輩がずっと昔からバカみたいに優しいからでは、という説が浮上した。

 うん、知ってた。

 タマ知ってた。

 あれは生まれつきだわ、うん。

 幸せになれんぞー。知らんけど。

 

 自分を否定してでも、人を殺すのは間違ってると言える先輩は、やっぱ今の世には必要だ。

 

 もっと必要なのは、そんな先輩を許してやれるやつだと思うんだが、先輩が受け入れられる許しって誰なら与えられるんだ? ううん分からん。見当もつかん。

 先輩が自分を許してないんだよなあ。

 クソ面倒臭い先輩はどうすりゃ許しを受け入れてくれるのか。

 パンチで受け入れてくんないかな。

 無理か。

 そもそもタマのキャラじゃないんだよなぁ、許すとか癒やすとか慰めるとか。

 杏にやらせてみるか杏じゃ無理だよなあ、多分。

 

 癒やし、癒やし。ひなたか。

 できそうな気がちょっとしてきたぞ! ひなたすごいな!

 先輩が自分を許せるようになれたらいいんだが。

 千景がもうちょっとなあ。

 こうなあ。

 千景は能力が足りてないとかそういうのじゃないんだが。

 今の千景よりは、まだ友奈とかの方が適任な気がするな。

 

 千景が先輩背負ったら、先輩の重みで潰れそうで怖い。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 

 

 正義の人も、悪い人も、善い人も。

 いつか他人に優しくなれると、先輩は信じてるんじゃないかな。

 いや、ちょっと違うか。

 優しくないのが嫌いで、優しいのが好きなんだな。

 あの人はもっとシンプルか。

 それで、誰の中にも優しさはあると信じてる……そんな感じか。

 

 先輩は自分の正義を盲信しない。

 何が正しいかをいつも考えている。

 それは多分、先輩が新しい人、新しい状況に出会うたび、そこで出会った正しさを一回考慮に入れてしまうからだ。

 

 若葉は真っ直ぐ迷わず進むことが第一だし。

 人の弱さを肯定してやらないといけない千景はそれとは合わない。

 杏は先輩を怖がってるから距離取らないといけないし。

 友奈は全員に仲良くして、距離近づけてほしいから、先輩もそれを考慮する。

 タマは先輩には報われてほしいが、町の人達はそれを望まない。

 全部人それぞれの正しさだ。

 めんどくさい。

 

 でも先輩は、一々何が正しいか考えて、また迷うんだろう。

 ……また誰かが死んでしまったら、何が正しいのか分からなくなって、また大きく迷うかも。

 

 だけど迷うのは、『答えを出すのを諦めてない』からだ。

 『考えるのやめた』ってならないのが、あの先輩の困ったところで良いところだ。

 頭足りてないくせに。

 頭悪いのに、いっつも難しい問題と向き合ってて、基本的な性格は深く考えないで真っ直ぐ進んでいくやつだっていうのが困る。

 

 タマみたいなめんどくせー、かんがえるのやめた、うだうだいってないでシンプルに! って言うやつがいないと駄目だな。

 うじうじしてるやつにはタマみたいなのが必要なんだ。

 全く先輩は、タマが居なけりゃ何もできないんだな!

 タマの補助があれば先輩は何でもできそうなのに、まったく!

 一回上向くと中々下向かない人なんだが、難しいもんだ。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 

 

 今日、キャンプに行った。

 

 竜胆先輩の寝顔ってやつを見た。

 

 人はあんなに苦しそうな顔が浮かべられるものなのか。

 

 あの人の夢の中は、地獄なんだろうか。

 

 タマ達がいる現実がそうじゃないから、先輩は笑ってるんだろうか。

 

 夢の中では先輩を守ってやれない自分がもどかしい。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 

 

 先輩と映画を見た。

 末期病患者二人が、「天国では皆が海の話をするらしい」という話をして、死ぬ前にひと目でいいから海を見ようとする話だ。

 盗んだ車がマフィアの車で、マフィアは車の中の大金を狙って末期病患者の二人を追いかけて……そんな話。

 結構面白かった。

 

 でも、そうか。

 天国では海の話が流行なのか。

 中々面白い話じゃないか?

 そういえば、杏とも先輩とも、海の話はしたことないな。

 よし決めた!

 夏になったら皆で海行くぞ!

 皆で海の話もできるし、海の想い出もできるし一石二鳥だ!

 遠くの海まで行けなくても、丸亀城の前は800mもしないうちに海だしな!

 近所ってのが悲しいが。タマはせめてそこで我慢しよう。

 

 あ、あ、あ。しまった。

 ひなたとか杏とか居たな。

 海に行くならあの忌々しい巨乳を見なければならないのか。

 悩ましい。

 先輩とかタマが水着とか着たら絶対笑うよなー。

 あー、なんか想像したら腹立ってきた!

 

 ひなたとかは絶対水着着るんじゃないぞ!

 あれはどばーんって感じで反則だからな!

 しっかしタマもそうだが、先輩も仲間外れが嫌いな人だ。

 タマがこんなこと言ったら絶対反対してくるな。

 そしたら「そんなにひなたの水着が見たいのか」ってからかってやろう。

 夏が楽しみだな!

 

 ……夏まであと半年くらいか。

 

 まだ春も来てないけど、早く夏、来ないかな。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 

 

 若葉がズッ友とかいう言葉を使っていた。

 古風だと言われたので、自分を少し改めようという宣誓らしい。

 古風だと言ったのは、確かにタマだ。

 うん、その心がけはいい。

 でもな、ズッ友って言葉が流行ったのは2012年とかそこらだ。

 今は2019年だ。

 古臭いよな? まだ古風だぞこのおばか。

 先輩の、若葉をひっくり返してばかわちゃんとかいう軽口を思い出してしまう……

 

 しかしズッ友か。

 タマが子供の頃に流行ったやつだなー。

 ズッ友。

 ずっと友達でいたい時は、ズッ友だとか言うらしい。

 若葉は面白い言葉で気に入ったと言っていた。

 なんだかなあ。

 

 でも、悪くない。ズッ友。この言葉自体は、結構好きな人多かったって言うしな。

 タマと、杏と、先輩はズッ友。

 三人で話してると、とても楽しい。

 杏と二人で話してる時とは違う楽しさがある。

 話していない時も、二人が近くに感じられる気さえする。

 

 この時間がいつまでも続けばいいな、ってタマは思うのだ。

 

 平和はタマに任せタマえ!

 

 何があっても、タマはあの二人を守ろう。

 命をかけてもあの二人を守ろう。

 生まれ変わってもまた出会って、二人を守るくらいの気合いで!

 タマは杏のおねーさんで、先輩はタマがいないと駄目だからな!

 

 あとは、そうだな。あの二人が死んだら、タマが泣くかもしれないし。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 

 

 タマが守るんだ。

 

 仲間も、世界も、皆も。

 

 杏も、先輩も、仲間も、タマの大事な友達だ!

 

 ずっと、ずっと、最後まで生き残って、最後まで皆を守ってみせる!

 

 若葉を見習って、タマはここに宣誓するぞ!

 

 

 

■■■■■■■■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 涙が止まらない。

 竜胆がいくら拭っても、涙は止まらない。

 球子は生きたかったのだ。

 死にたくなかったのだ。

 そして、それ以上に―――守りたかったのだ。

 仲間を、友達を、世界を、未来を。

 勇者御記には、球子が未来を夢見る心も詰まっていた。

 

 球子が竜胆を想う気持ちが、勇者御記を通して伝わっていく。

 球子は竜胆を守ろうとしていた。

 本気で彼を守ろうとしていた。

 心も、命もだ。

 土居球子の最後の行動を思い返せば分かる。

 彼女は本気で杏を守り、心臓を貫かれ、それでもティガを守ろうとしていた。

 自分の命を救うことすら後回しで、ティガを守ろうとしていたのだ。

 

 竜胆が今、ここに生きているということが。球子の願い、そのものなのだ。

 竜胆の死、杏の死、そのものが。球子の願いを踏み躙る、最悪の蹂躙なのだ。

 もしも、世界が終わってしまえば。

 球子が守ろうとしたもの全ては潰え、未来は失われるだろう。

 

「タマちゃ……たま、ちゃ……んっ……!!」

 

 涙が止めどなく溢れ出る。

 何故、これだけの気持ちを、生前に察してやれなかったのか。

 こんなに思われていたのに、何故生前、もっと多くのものを返してやれなかったのか。

 悔いて、悲しくて、辛くて、涙が止まらない。

 

「葬儀はね。死者のためじゃなく、生者のためにやるのよ」

 

 球子の母が、言葉を紡ぐ。

 

「葬儀は死者の世界じゃなく、生者の世界でするものだから。

 死者を弔いながらも、生者がまた歩き出すための儀式なのよ」

 

 お祭りは、本来(まつ)るが(まつ)るに転じたものであり、神への祈りを捧げるために生まれたものだ。

 だが葬式は違う。

 これは死者へ祈りを捧げ、人を想い、人が先に進むために生み出されたもの。

 祭りとは違う、人のために生まれ、人のためにあるものなのだ。

 死者に別れを告げ、次に進むために、葬送はある。

 

「御守君」

 

 球子の母が、深々と頭を下げる。

 

 球子の死から始まった悲しみの一つの終わりは、ここにあった。

 

「―――球子と一緒に、今日まで私達を守ってくれて、ありがとう」

 

 彼が戦う意味は、戦ってきた意味は、戦っていく意味は、この言葉にあった。

 感謝する力なき者がいる。

 優しく力なき者がいる。

 人を愛する力なき者がいる。

 戦士の死に、涙してくれる、力なき者がいる。

 

 その感謝の言葉が、その感謝の想いが、感謝を告げる彼女の命の価値が……球子や竜胆が戦うことの意味、そのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いの時が迫る。

 誰もが竜胆の精神状態を心配していた。

 竜胆は球子の葬式から数日、誰とも顔を合わせていなかったからだ。

 だがそれは、竜胆が皆が逃げていたからではない。

 自分の時間を、他の誰のためにも使っていなかったからだ。

 

 三日。

 丸々三日、竜胆は全ての時間を、球子と向き合うために使った。

 目を閉じ、記憶を最初から順番に再生し、球子との時間の全てを見直す。

 想い出の全てと向き合い、その時に感じた想いを追体験する。

 はたから見れば、まるで瞑想のようにも見えるだろう。

 涙を流した時もあった。

 思わず笑ってしまった時もあった。

 そうやって、自分の中の球子への想い全てへと決着をつけていく。

 

 ボブの死への向き合い方が空手なら、球子の死への向き合い方がこれだった。

 

 竜胆は人の死を蔑ろにしない。人の命を軽んじない。

 彼が人の死と向き合う時は、全力だ。

 四年前に殺した妹や罪も無い人達の死に、四年間全力で向き合ってきたように。

 球子の死に今、全力で向き合い、これからもずっと向き合っていくのだろう。

 

 そうやって、死んだ人達は皆、竜胆の中で生き続ける。

 

(絶望する理由なら、山のようにある)

 

 山のように押し寄せる、絶望に足る理由があった。

 

(絶望していられない理由は、宇宙より大きい)

 

 絶望していられない理由は、ありとあらゆる絶望を跳ね除けた。

 

 竜胆しか戦えない今、甘えてなどいられない。

 強くならねばならない環境があった。

 強く在りたい理由があった。

 強くなれる、心の素養があった。

 

 ズタボロになり、バラバラになりそうな心を、竜胆は無理矢理に熱し、打ち直していく。

 皆がくれた心の光を鋼のように打ち込み、心を更に打ち直していく。

 もっと強く。

 もっと強く。

 竜胆の心が、誰よりも強い強度を得ていく道へと進んでいく。

 

 その時、足音が聞こえた。

 ここは丸亀城のてっぺんだ。

 この城の構造を詳しく知らない者では、超常的な身体能力で壁を登ってでも来ない限り上がって来れず、角度的に下から単純に見上げてもそこに誰かがいるかは分からない。

 だから、その人が竜胆を探しにここまで来たというわけではない。

 

 その少女が、伊予島杏が、竜胆を探しに、ここまで来るなんてわけがないのだ。

 杏は逃げてきた。

 誰にも会わないために、誰も居ない場所で一人で泣くために、ここまで逃げてきた。

 

 二人は相対した瞬間、奇妙なほどに相対的だった。

 杏は球子が死んだ瞬間から時間が止まっていて、竜胆は死をも飲み込んで前に進んでいた。

 杏が流すは悲嘆の涙で、竜胆が拭うは決別の涙だった。

 杏は球子の"せい"で泣いていて、竜胆は球子の"ため"に泣いていた。

 杏は竜胆に僅かながらも敵意を向け、竜胆は自分よりも多く球子の死に涙を流す杏を、敬意と好意をもって見ていた。

 

「伊予島か」

 

「……御守、さん……」

 

 竜胆は守った者、杏は守られた者。

 竜胆は守れなかった者、杏は守れなかった者。

 二人のどちらかが悪いというわけでもないのに、二人の心の距離は、球子が死ぬ前と比べ、とても離れてしまっていた。

 

「……消えてください。お願いします。私は……きっとまた、同じことを言います……」

 

 時間をかけて仲良くなっても、それが崩れ去るのは一瞬だ。

 怖がられ、恐れられ、それでも杏と仲良くなっていった竜胆の努力は、全て無に帰した。

 杏は泣きそうな顔で、自分が竜胆を傷付ける言葉を吐く前に、と、竜胆を遠ざける言動を選ぶ。

 されど、少年はその場に座る。

 杏の突き放すような言葉は柳に風で、ごく自然体でそこにいた。

 

「タマちゃんが書き残してたものをさ、読んだんだ」

 

 半ば悲嘆の狂乱の状態にあった杏の心が、僅かずつだが、静かになっていく。

 

 少年の声を聞き、杏は不思議に思った。

 彼の声は、こんなに落ち着く声だっただろうか。

 以前も優しかった彼の声は、こんなにも優しげな声だっただろうか。

 こんなにも、慈しみが伝わるような話し方だっただろうか。

 

「タマちゃんが伊予島を一番大事にしてたのは知ってたけど……

 改めてそれを再認識した。タマちゃんは、本当に伊予島のことを守りたかったんだな」

 

「……っ」

 

 分かっている。杏にはよく分かっている。

 土居球子が、自分をどれだけ大切に思ってくれていたか、なんてことは。

 勇者御記を読むまで本当の意味で分かっていなかった、竜胆とは違うのだ。

 

「知ってます! そんなこと!」

 

 杏が胸に溜め込んでいた感情が、爆発する。流れ出ていく。

 

「御守さんが……御守さんが居なくたって……!

 あそこで、私がタマっち先輩の背中に迫る針を撃ち落とせていれば……!

 守れていたはずなのに……!

 いつも、いつも、私を守ってくれるって言ってたあの人は、有限実行で私を守って……!

 私は、私はっ、逆にあの人を守れなくて……御守さんより何もできてなくてっ……!」

 

 針を一本弾いた旋刃盤。

 針を一本も弾けなかったクロスボウ。

 球子は守れた。杏は守れなかった。

 それは武器の性質の差か、武器の強化の有無の差か。

 精霊の穢れに汚染された杏の心は、それを"自分の無能"と結論付けた。

 

「守られた私とっ、守られなかったタマっち先輩がっ、目に焼きついててっ……!」

 

 竜胆が、泣き叫ぶ杏に歩み寄る。

 

「焦るな。自分を責めるな。自分を嫌いになるな。

 ゆっくりでいい。ゆっくり立ち上がれ、伊予島。

 お前が大切な人のために泣く権利と時間は、俺が守る」

 

 優しく、声をかける。

 

「タマちゃんの代わりとしては不足もいいとこだが、俺が君を守るよ」

 

「―――」

 

 強く、杏を守ると、彼女に誓う。球子の代わりに。

 球子の代わりになれるはずがないと、分かった上で彼女に誓う。

 

「伊予島が俺のことを嫌いでもいい。憎くてもいい。

 憎しみが我慢できなきゃ、いつでも俺を背中から撃ってくれていい。俺は受け入れる」

 

 杏に嫌われたままでもいい、憎まれたままでもいい。

 これは誓いだ。

 球子の想いを受け継ぎ、自らの想いと向き合い、己に定めた守護の誓い。

 

「俺に、君をずっと、守らせてくれ」

 

 自分と球子が、同じく守りたいと思った一人の仲間を、守り抜くという誓い。

 

「なん、で……」

 

「君が仲間だから。

 君に死んでほしくないから。

 そう思えるくらいには、君のことを知ったから。そして」

 

 あの瞬間、球子が命がけで守ったものを、無価値にしないという誓い。

 

「君が生きることが、タマちゃんがこの世界に生きた証だから」

 

「―――あ」

 

「タマちゃんのことを親友として一番良く知っている君を。

 タマちゃんとの想い出を沢山持っている君を。

 彼女のことを沢山覚えている君を。

 彼女がこの世界に生きた証を沢山抱えている君を。

 絶対に、必ず、何からも、守る。

 俺とタマちゃんがあの瞬間、心同じくして守りたいと思った君を、俺は守る」

 

 灼熱のように熱い想いで組み上げた、誓いだった。

 

「どうして……私は……御守さんに、ひどいこと、たくさん言ったのに……」

 

「酷いことかもしれないが、それを気にするかどうかは俺の自由だろ?」

 

 竜胆は優しい笑顔を浮かべる。

 ちょっとだけ、嘘だった。

 杏の言葉に竜胆はとても傷付いたし、今でもあの時の言葉は引きずっている。

 が、それを杏を嫌う理由にするには、全然足りていなかった。

 杏を許す理由なら、それを超えて山ほどあった。

 

 杏の目から、また涙が溢れ出す。

 球子が死んだあの瞬間から見て、初めて、球子の死以外の事柄に流した涙であった。

 球子の死で胸がいっぱいになっていた杏が、初めて別の感情で胸の内を満たしていた。

 悲しみではなく、謝意。

 ごめんなさい、という気持ちが、杏の止まっていた心を突き動かす。

 

「ごめんなさい……ごめんなさいっ……ごめんなさいッ……!!」

 

 精霊の穢れの症状の一つは、マイナス思考や破滅的な思考。

 要するに、衝動的に他人を傷付けると、継続的に悔いるのだ。

 杏はずっと悔いていた。

 竜胆を責めたことを悔いていた。

 自己嫌悪に陥り、自分はなんてことを言ってしまったのかと、後悔し続けていたのだ。

 

 謝りたいという気持ちを増大させるのも精霊の穢れ。

 許せないから謝れないという気持ちを増大させるのも精霊の穢れ。

 だが今、その感情の天秤は崩れ、泣き崩れながら杏は竜胆に謝り続けていく。

 

「あなたは守ってくれたのに……あなたは何も悪くなかったのに……ごめんなさい……!」

 

「いいんだ」

 

 杏の涙を、竜胆はそっとハンカチで拭う。

 そして、少女に手を差し伸べる。

 

「強く在れとか言わねえよ。

 頑張って平然としてろなんて言わねえよ。

 弱くあること。醜さを持つこと。人間らしくあること。それはそれでいいんだ、きっと」

 

 それは、竜胆から杏に手渡される許しの言葉。その涙を許す言葉。

 子供が泣いていることすら許されない、悲しむ間があれば戦っていかなければならない、涙で戦えなくなることが許されない、この世界ではあってはならない言葉。

 世界に抗うような、許しの言葉。

 

「大切な人が死んで、悲しみ、俯き、取り乱すことが弱さなら――」

 

 それは、きっと。

 

「――その弱さは、愛すべきものだと思う。俺は、その弱さを愛する」

 

 杏の心を、救うものだった。

 

 竜胆の本質より湧き出づる、彼の魂の言葉だった。

 

「強く在る責任と義務は、全部俺が引き受ける」

 

 竜胆の差し伸べた手があった。杏は涙を流し、無言のまま、その手を取った。

 

「世界で一番大事な友達がああなったんだ。

 泣いていいんだ。

 悲しんでいいんだ。

 八つ当たりしていいんだ。

 辛かったら勇者だってやめてもいい。

 それはいけないことじゃない。人には当たり前に許されてる弱さなんだよ、伊予島」

 

 あの日、今は想い出の中にしかないあの日。

 球子が差し伸べた手は、竜胆の手を握った。

 それは闇の中にいた竜胆にとって救いの手。

 その手は、とても暖かった。

 

 今日、この瞬間の今。

 竜胆が差し伸べた手は、杏の手を握った。

 それは悲しみの中にいた杏にとって救いの手。

 その手は、とても暖かかった。

 

 人の想いは、死ですら断てない。想いは繋がる。強き絆が消えることはない。

 

「俺はこの名前に望まれた通りに……いつだって、悲しんでいるお前の味方だ。伊予島」

 

 杏は泣いた。

 竜胆の胸にすがりついて、わんわんと泣いた。

 なんで、と叫んで泣いて。

 どうして、と叫んで泣いて。

 球子への想いを数え切れないほど吐き出しながら、わんわん泣いた。

 

 その想いの全てを、竜胆は静かに受け止めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 泣き止んだ頃、杏は必死に竜胆に頭を下げていた。

 

「すみません、すみません、すみませんっ……」

 

「伊予島、そんなに頭下げてると頭が外れそうだぞ。もういいって。俺も謝りたいし」

 

「何を謝るんですか!?」

 

「いっぱいあるぞー、いっぱい謝りたいぞー。お前に謝りたいこと、沢山あるんだ」

 

 謝りたいことが沢山あった。

 語り合いたいことが沢山あった。

 今だからこそ、土居球子について想い出の話を沢山したかった。

 闇の影響を振り切り、また一つ成長した竜胆は、杏と交わしたい言葉が山のようにあった。

 

「御守さん」

 

「ん? どうした、伊予島」

 

「怖くは、ないんですか?」

 

 杏はまだ、竜胆ほどは立ち直れていない。

 精霊の穢れの影響は負の感情などを増加させるもの。

 まだ穢れは杏を蝕み、その心を完全には立ち直らせない。

 

「本当は、私、勇者になんてなれる人間じゃないんです。

 昔からずっと、色んなものが怖くて……

 タマっち先輩に手を引かれて、それでようやく、勇者だったんです」

 

「そうか? そうは見えなかったな」

 

「今だって……勇者に変身できない身体の状態とか、そういうのを度外視しても……」

 

 杏は片手を竜胆に見せる。

 その手は恐怖に震えていた。

 仲間が死ぬ恐怖。自分が死ぬ恐怖。敵への恐怖。球子の死というトラウマから生まれる恐怖。

 

「私は怖くて、悲しくて……私はまだ、全然、立ち上がれそうにないんです……」

 

 怖くはないのか、という問いに、竜胆は淀みなく答えた。

 

「俺も怖い。小さい頃は気付かなかったが、世の中は怖いことだらけだ。

 いっつも怖い。何もかもが怖い。

 自分以外のものは全部怖いし……

 まさか、自分自身に対してさえ怖いと思うようになるとは思わなかった」

 

 竜胆も杏同様、自らの手を見せる。

 そして、その手を握り拳を作った。

 

「で、だ。知ったんだよ。怖さを乗り越えられるのは、きっと勇気しかないって」

 

「勇気……勇者……?」

 

「俺に足りないのは、とびっきりの勇気だったんだ。それこそ、タマちゃんが持っていたような」

 

 竜胆の拳の内には、球子に貰ったものが握られている。

 

「俺はもう、その勇気を貰っている」

 

 球子の死にすら向き合わず、その悲しみから逃げ続けていた竜胆を、その悲しみに向き合わせたのは、球子が彼にくれた勇気だった。

 

「なら俺は、立ち向かう。

 この闇に、この絶望に、この恐怖に。

 楽な道は選ばない。そこが茨の道でも、俺は進もう。

 『彼女から貰ったこの勇気』で。彼女が守りたかった物を守るために、戦う」

 

 電気もなかった時代、人が闇の中を進むのに用いたものは何か?

 炎? 合ってはいるが、そうではない。

 星明り? それも合ってはいるが、そうではない。

 『勇気』だ。

 勇気がなければ、人は闇の中を進めない。

 明かりがあっても、恐怖のせいで闇の中は進めない。

 人が闇に立ち向かうために最も必要なもの、それは勇気なのだ。

 

「俺はもう、向き合うこと、立ち向かうこと、進むことを、恐れたくないんだ」

 

 全ての罪、全ての罪悪感、全ての後悔も背負って、前に進み続ける覚悟。

 罪は消えず、過去は消えず、闇は消えない。

 少年の心には未だ絶大な闇がある。

 されど闇を理由に足を止めない大きな勇気は、既に彼へと継承されている。

 

 竜胆は頼り甲斐のある笑みを浮かべ、自らの胸を叩いた。

 

「心配すんな。俺に任せタマえ」

 

 悲しみ。それが彼の全てだった。

 憎しみ。それが彼の全てだった。

 守る。それが今の彼の胸の内の全てを占めるもの。

 戦うことに、もはや幾許(いくばく)の憂いもない。

 

「皆、そろそろ集まってくれるかな」

 

「本当に、敵が来るんですか? 御守さんにそんな力があったなんて……」

 

「今回は特別だよ。前に、ちーちゃんの中に闇を感じたことがあったんだけどさ」

 

「? それがどうかしたんですか?」

 

「それと同じものが結界の外から近付いて来るのを感じる」

 

「!」

 

「タマちゃんの優しい置き土産ってやつだな。

 精霊の穢れだ。

 バーテックスの中っていう環境で、増大化してる。

 タマちゃんのおかげで、次の襲撃の正確な時間が分かるんだよ」

 

 ピスケスは勇者の再利用……要するに『旋刃盤の継承』や『勇者端末の継承』などを僅かな可能性レベルで警戒し、それを潰したのだろう。

 だが、それが裏目に出ていた。

 ピスケスを吸収したキリエロイドの接近を、竜胆はぼんやりと感知できる。

 

「竜胆」

 

「お、若ちゃん」

 

「もうすぐ戦いが始まると聞いたが……伊予島を見るに、色々と問題が解決したようだな」

 

 千景、ケンを連れて来た若葉の目が、竜胆の横の杏を捉えた。

 杏は泣き腫らした跡こそあったが、少し前までの不安定さ、壊れたように泣き続ける様子は見られない。

 

「ご迷惑を、おかけしました。ご心配もおかけしました。でももう、少しは大丈夫です」

 

 少しは大丈夫、という強がり。

 まだあてにはできないが、そのガッツを若葉は評価した。

 杏の肩をポンと叩いた若葉には、杏への確かな信頼が見て取れる。

 

「お前なら必ず立ち上がると信じていたぞ。杏」

 

「若葉さん……」

 

「頼りにしている。今日はまだ、我々は戦えないかもしれないがな」

 

「はいっ!」

 

 誰も彼もが、まだ球子の死の悲しみから抜け出せてはいない。

 だが、頑張っていた。

 頑張っているのだ、皆。

 悲しみの中、頑張って強く在ろうとしている。

 

 若葉が竜胆に向き合い、話しかける。

 

「お前に集められるとは、正直思ってもみなかった」

 

「酷い頼みをしようと思ってさ」

 

「酷い頼み?」

 

「俺はこれから全力で戦う。

 皆に危険な変身はさせない。

 死ぬ気で戦って、誰も変身させずに勝ってみせる。

 でももし、俺一人の力で絶対に勝てない、俺が絶対死ぬ、なんて状況になったら……」

 

 頭を下げる竜胆。それは、言うなれば。

 

「一緒に戦ってほしい。俺が命を懸ける戦いに、皆も一緒に命を懸けてくれ。負けたくないんだ」

 

 皆と共に生き、皆と共に戦い、皆で死のうという願い。

 叶うなら全員で生き残ろうという祈り。

 仲間を頼る、命懸けの信頼だった。

 誰より先に、千景が応える。

 

「いいわ」

 

「ちーちゃん……」

 

「死にたくは、ないけれど」

 

 ケンは竜胆の頭を撫でて応えた。

 

「……ボクガナニカイウマエニ、タチナオッチャウンダモンナア、キミハ。

 サビシイシ、ホコラシイシ、ナニヨリ、ホメテヤリタイ。カッコイイヨ」

 

「ケンほどじゃないよ」

 

「ハハハ、コヤツメ!」

 

 くしゃくしゃくしゃ、と竜胆の髪をケンがかき回す。

 

「デキノイイ、デモメガハナセナイ、ジマンノムスコガヒトリ、フエタキブンダ」

 

「心配かけるところは大変申し訳なく思っております」

 

「イインダ、ブジデサエイレバ、オトナニシンパイサセルノハ、コドモノトッケンサ」

 

 ケンに髪をくしゃくしゃにされている竜胆と、千景の目が合った。

 千景が目を逸らす。

 

「……私は、心配してなかったから。竜胆君なら、大丈夫だと思ってたから」

 

「ちーちゃんは可愛いな」

 

「!?」

 

「おめー俺を心配して看病してたこと分かってんだからな。優しい分身ハムスターめ」

 

 そして若葉は、刀に手を添えて応えた。

 強く頷き、竜胆の頼みに無言の応を返す。

 

「三日、三日か」

 

 そして、日付を辿って思い出す。竜胆とこの三日、会っていなかったことを。

 

「男子三日会わざれば刮目して見よ、だな」

 

 状況は何も好転してはいない。

 敵はそのまま。

 戦える味方の数もそのまま。

 こちらはティガ単騎で、敵はおそらく戦力を補充している。

 だが、今の竜胆を見ている若葉は、まるで負ける気がしなかった。

 

「お前は本当に、信頼するに足る男だ」

 

「じゃあ若ちゃんは、信頼するに足る女だろ」

 

 一緒に特訓もしていないというのに。

 何故この二人は、何事もなく互いに影響を与え合い、互いを強くし合っているのか。

 互いにトラウマの原因になっているはずなのに、こうして相対し、話し、互いに影響を与え合うだけで、それを乗り越える下準備を重ねていっているのか。

 

「さあ、時間だ」

 

 世界の時間が止まる。樹海化が始まる。

 世界の端から敵が現れ、心も体も傷だらけの人間達が立ち向かう。

 

 悲しみはある。心が潰れそうな悲しみはまだ残っている。絶望も、罪も、それを助長する。

 

 だがそれが、全てじゃない。

 

「『ティガ』ァァァァァッ!!」

 

 滅びてたまるか。

 

 滅びなんか受け入れてたまるものか。

 

 人は、絶望の中でも、そう叫ぶことができるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闇の巨人が降臨し、樹海の中で機敏に構える。

 敵はキリエロイドII、ゼルガノイド。

 相も変わらず、亜型十二星座合体状態。

 更にはEXゴモラ5、ザンボラー5、星屑が100。

 この前の戦いでティガダークとEXゴモラが互角だったことを考えれば、どうしようもない戦力差と言えるだろう。

 

『……ふぅ』

 

 だが、御守竜胆は、ティガダークは、一人じゃない。一人だけど、一人じゃない。

 

『……行くぞっ!』

 

 ゼルガノイドが開幕一発、ソルジェント光線を撃ってきた。

 ウルトラマンの最強光線の強化版だ。

 まともに食らってられないので、ティガは横に跳ぶ。

 前に出て来ているゴモラを上手く使って、ゼルガノイドの射線を敵で塞ぐ作戦だ。

 だが光線が、ティガの肩をかすってしまう。

 

(っ、流石に、こんだけ皆に希望を貰ったら、憎悪の純度も下がるか……!)

 

 前回の戦いでの半暴走状態のティガダークと比べると、速度が格段に下がってしまっていた。

 かすっただけで肩は焼けた。

 おそらく身体強度にいたっては、笑えないレベルで低下している。

 心の光は、彼の弱体要素だ。

 

 ザンボラー五体が、ティガの逃げ道を塞ぐように、面制圧気味に熱線を発射した。

 竜胆は踏み込む。

 暴走による無謀な踏み込みではない、勇気の一歩。

 それが、ザンボラーの熱線の僅かな隙間を、くぐり抜けさせる。

 

『よっ、と!』

 

 飛び込んできた飛行形態のキリエロイドの肘打ちを、ティガは空手の受けで綺麗に流す。

 敵の攻撃が重い。

 だが受けきれないほどでもない。

 闇の強化と光の弱体は、程度とバランスが曖昧で、竜胆自身にも把握するのは困難だ。

 

『せえええああああっ!!』

 

 そのまま、受けたキリエロイドの腕を掴んで一本背負い。

 キリエロイドを地面に転がし、振り向きざまに弱威力の八つ裂き光輪を連射する。

 ゼルガノイドは足を止めて受け止め、ザンボラーは体に傷が付かない程度のダメージに悶絶し、ゴモラは強固な皮膚で弾き、それを無視して突進した。

 狙い通りに、EXゴモラが突出する。

 

『うおおおおおおッ!!』

 

 胸の奥で膨らむ、大きな闇と大きな光。

 これまでの人生が積み重ねてきた闇があった。

 皆がくれた光があった。

 死んでしまった友への想いがあった。

 強靭な精神力で、竜胆はそれら全てを制御する。

 

『まだ……まだ……生きてほしかった……幸せになってほしかった……!』

 

 思念波が漏れていく。

 

 EXゴモラの上を飛び越え、スピードを活かして背後から蹴り込むティガ。

 その体を、ゴモラ達の尾が突き抉る。

 

『いや、違う、それだけじゃない。

 もっと君のことが知りたかった。

 もっと君と仲良くなりたかった。

 平和な世界で、君とちゃんと友達になりたかったっ……!』

 

 飛び上がるティガに、キリエロイド飛行形態の踵落としが刺さる。

 ゼルガノイドの無限のエネルギーが生む光の刃の連射が、ティガの体を切り裂いた。

 痛みが、勇者御記の一文を思い返させる。

 

―――杏も、先輩も、仲間も、タマの大事な友達だ!

 

 そう、もう、友達だ。

 ちゃんとした友達だ。

 球子が残した言葉が、竜胆の言葉への返答となってくれる。

 

『ボブ、見てろよ。……タマちゃん、見ててくれよ!』

 

 ザンボラーの熱線を、ティガ・ホールド光波で受け止め、ゴモラに跳ね返す。

 EXゴモラの一体が、十万度の熱に焼かれて絶命した。

 しかし隙だらけのその背中を、剛力形態となったキリエロイドの腕刃が切り裂く。

 痛みに耐えて、ティガは一撃離脱で既に離れたキリエロイドへの反撃を諦め、ゼルガノイドに殴りかかった。

 

『タマちゃんが命がけで守ったものを、俺が守る!』

 

 ドスン、とティガの全力の拳がゼルガノイドに突き刺さる。

 だが効かない。

 

『残るんだ、守れば。

 残すんだ、守って!』

 

 続けて八つ裂き光輪を至近距離から叩き込むが、バリアに容易く弾かれる。

 ゼルガノイドが反撃で叩き込んだ右ストレートがティガをふっ飛ばし、ふっ飛ばされたティガを空中でゴモラの尾が強烈な一撃で打ち上げ、空中でキリエロイドが強烈な体当たりをかます。

 墜落していったティガに、ザンボラー達の熱線が直撃した。

 

『ぐあああッ……!

 タマちゃんが残したものが、この世界に残っていれば!

 タマちゃんが生きてたことは無駄じゃなかった!

 土井珠子が生まれてきたことは、無駄じゃなかった!

 あの子が生きてたことの価値は、確かにそこにあるんだ!』

 

 だが、ティガは立ち上がる。

 最後の熱線は跳ね返せなかったものの、それだけはホールド光波で受け止めていたのだ。

 球子との特訓で身に着けた技を、球子との特訓を思い出しながら使い、球子との絆で決定的な終わりを回避する。

 

『タマちゃんを! 滅びた種族の中の、無駄に抗って死んだ内の一人になんてしない!』

 

 放たれる、ゼルガノイドの必殺・ソルジェント光線。

 それを、ティガはホールド光波で受け止める。

 攻撃側が無限のエネルギーである以上、防御側が跳ね返すところまで行けるわけもなく、愚策としか言いようのない防御であった。

 

『大切な人を守り、世界を守り、格好良く死んでいった、最高の勇者にしてみせる!』

 

 竜胆は、歯を食いしばった。

 

『それが……それが、何にもならないことなんて分かってる! タマちゃんは死んだんだ!』

 

 心と身体の痛みに耐えて、踏ん張り、ホールド光波で光線を受け止めながら前に進む。

 

『生きたかったんだ、タマちゃんは!

 最高の幸せは、彼女を守る以外に無かったんだ!

 死後に祀ったってしょうがない……本当は、守り抜かなくちゃいけなかったんだ!』

 

 一歩、一歩、心の痛みと光線の圧力に耐えながら、前に進む。進み続ける。

 

『だけど……生きてる人間が、死者にしてあげられることなんて、それしかないから!』

 

 そして、光線を打ち続けるゼルガノイドの至近距離まで近付き……ホールドされたエネルギーが一気に、大爆発を起こした。

 至近距離の爆発はティガを巻き込みふっ飛ばし、されどゼルガノイドはバリアで無傷。

 

『その死を無駄にしないこと以外に、できることなんて、ないから!』

 

 敵は強大。

 信じられないほどに強い。

 だが、ティガは負けない。挫けない。諦めない。

 その胸には輝くカラータイマーと、彼女に貰った輝く勇気。

 

 勇者とは強き者のことではなく、強き者に立ち向かう勇気を持つ者のことを言う。

 

『俺は、これから! 土居球子のために戦う!』

 

 投げつけられる八つ裂き光輪。

 キリエロイドの手に光が集まり、炎として放たれる。

 炎は八つ裂き光輪を粉砕しながら直進し、ティガは必死に横へ飛んでかわした。

 かわした直後のティガの体を、ゴモラの伸縮自在の尾が鞭のように強烈に打ち据える。

 根性と気合いで、ティガはそれを受け止めた。

 

『あの子が大切に思ったもののために戦い、あの子が守りたかったもののために戦う!』

 

 敵の数、質、共に絶望だ。

 

 だが、それがどうしたというのか。

 

『そのためにお前達を―――倒すッ!』

 

 そんなもので竜胆の心を折れると思うなら、やってみればいい。

 できるわけがない。

 その心は、既に無敵だ。

 尾を受け止めて掴んだティガが、ゴモラの巨体をぶん回し、ザンボラーを薙ぎ倒す。

 

 ゴモラを投げ飛ばしたところで、キリエロイドの放った圧縮炎弾がティガの肩に直撃した。

 

『ぐうっ……お前達が人に絶望をもたらすのなら!

 俺が、お前達に絶望をもたらそう!

 お前達の勝利条件が、人の全てを皆殺しにすることなら!

 俺が、お前達の勝利条件の全てを潰してやる!』

 

 諦めない。諦めるものか。

 負けない。負けられるものか。

 一人で戦っているわけでもなく、一人だけの未来を懸けているわけでもないのだから。

 

『"人間の希望ある未来"という結末が、お前達の絶望なら! "俺達"がそれをもたらそう!』

 

 剛力形態のキリエロイドが殴りかかる。

 ティガダークが、真正面から受けて立つ。

 

『"俺達"の無敵の力を思い知って、存分にタマげろ!』

 

 ティガの右拳と、キリエロイドの左拳が互いの頬に突き刺さり―――奇跡のように、ティガが打ち勝った。

 

「やったっ!」

 

 それを見ていた千景が、思わずらしくない声色を出していた。

 

 そして。

 

 ティガの一撃が、キリエロイドの融合状態に一種の揺らぎを発生させ、それが起こりえない事態を引き起こしていた。

 

 

 

 

 

 キリエロイドの体表に、ピスケスが浮かび上がる。

 そしてピスケスが飲み込んでいたものが、同様にキリエロイドの体表に表出していた。

 それは闇。

 それは炎。

 ピスケスが飲み込んだものが、バーテックスの体内で闇そのものへと変質し、キリエロイドの身体の表面に現れている。

 

「なに、あれ……!?」

 

「タマっち先輩……?」

 

「え?」

 

 千景が困惑し、杏がその本質を言い当てる。

 そう、それは、球子とその力の成れの果て。

 精霊の多用で蓄積された穢れにより、球子の中の負の感情を触媒として、神樹の力ごと闇へと反転してしまった闇の塊。

 ピスケスですら消化不良を起こした、闇の属性の神の力であった。

 

「これは―――なんだ? 私達は……何を、見ている?」

 

 若葉の困惑をよそに、竜胆は納得していた。

 

 球子に負の感情が無かったわけがない。

 死の瞬間の苦しみ、悲嘆、絶望。

 そういったものがなかったわけがない。

 この闇は、それを育てたものだ。

 竜胆は球子に好意を持ちつつも、神格化はしていなかったがために、その事実を受け入れることができた。

 

「タマちゃんにも、心の闇とかあったんだな。そりゃそうだけどさ」

 

 両腕を広げ、ティガの闇が、その闇を誘引する。

 

「来い」

 

 球子の闇が、引き寄せられるように、ティガの胸へ飛び込んでいく。

 

「光でも、闇でも。君の全てを、俺は受け入れる」

 

 膨大な闇が流れ込む。

 竜胆の正気が、球子の闇に侵食されていく。

 二人分の心の闇。

 自殺行為のような闇の受け入れ。

 自分の闇と、球子の闇を、まとめて少年は受け入れて、その両方に向き合っていく。

 

「く……うっ……ああああああああっ!!」

 

 そして、竜胆の芯にある力が。

 

 闇の力を、光に変えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しょうがないなあ、もう」

 

「どんなに厳しい戦いがあっても、一緒に居てやるよ。タマが居ないと駄目だもんな、先輩は」

 

「タマに任せタマえ!」

 

 

 

 

 

 声が聞こえた、ような気がした。

 

 君に貰ったものは今もここにあるよ、と竜胆は声を出した。

 

 杏を守ってやってくれ、と頼まれたような気がした。

 

 約束する、と竜胆は声を出した。

 

 タマとの約束破るんじゃないぞ、と言われた気がした。

 

 守るよ、と竜胆は言い、涙を一滴(ひとしずく)、流した。

 

 

 

 

 

 姫百合の別名は『光草(ヒカリグサ)』。

 

 姫百合とは、光の花。光の名を持つ可憐なる花。

 

 球子こそが、彼にとっての光だった。

 

 光をくれる、一輪の花だった。

 

 

 

 

 

 闇は幾度となく竜胆を変えた。

 醜悪に変えた。

 敵を殺すために変えた。

 肉体の内部を、人外のそれへと変えていった。

 加速度的に竜胆は人でないものへと変わっていき、それを助長したのが闇だった。

 

 ―――闇がティガを異形に変えるなら、光もまた、ティガを別の姿に変えるはず。

 

 異形とは正反対の方向に、その巨人を変えるはず。

 

 

 

 

 

『これが、俺達の―――光だッ!!』

 

 

 

 

 

 炎の竜巻が突如現れ、ティガを包み込む。

 螺旋を描く炎の中で、黒銀のティガへと鮮やかな真紅が刻まれていく。

 闇を表す全身の黒に、刻まれる真紅は『光の赤』。

 強烈な憎悪の黒色を、光り輝く赤色が制御・拘束しているかのようだ。

 

 炎の竜巻は、球子の旋刃盤が巻き起こす炎の竜巻(トルネード)と規模以外は全く同じで。

 ティガの全身に刻まれた赤色は、千景の勇者衣装と同色。

 球子の炎と、千景の赤。

 

 あの時、千景を救った時に光に変えた闇はどこへ行ったのか?

 千景の内の膨大な闇は光に変えられた後、誰の中に残っていたのか?

 それが、この答えだった。

 

「ティガガ……カワッタ!」

 

「え? え? 私の、彼岸花の赤色?」

 

 黒い体の表面を走る、赤色の光が美しい、そんな赤と黒と銀の巨人。

 

 闇を抱いて光となる、赤と黒にして暴力の化身。

 

「闇に浮かぶ―――光の巨人……」

 

 その赤き光は樹海を照らし、勇者達の中に救う精霊の闇を、欠片も残さず消し去っていった。

 

光の巨人(ウルトラマン)……?」

 

「いや、違う。ウルトラマンじゃない。光の巨人じゃない。だが、これは……」

 

「……『ティガダーク』、じゃない」

 

 ティガの周囲で吹き荒ぶ炎の竜巻が、その答えを指し示す。

 

炎の竜巻(トルネード)……『ティガトルネード』……?」

 

 赤きティガダーク、『ティガトルネード』。

 キリエロイド同様、剛力形態を発現させた、光にして闇の巨人。

 ティガが獲得した、新たなる形態であった。

 

 ザンボラー達が、一斉に熱線を照射する。

 

『ぬるいぞ』

 

 だがそれを、ティガトルネードは全身よりも大きな炎の円を出し、それを受け止めた。

 

「八つ裂き光輪を盾にした……!?」

 

「違うわ……あれはもう、八つ裂き光輪じゃない。輪じゃないわ」

 

「ブラボー……」

 

 光輪ではない。輪ではない。何故なら、それは円であり、"盤"だから。

 

 絆で進化した八つ裂き光輪。

 

 杏が口元を抑え、今にも泣きそうな顔で、その技の正体を言い当てる。

 

「タマっち先輩の……旋刃盤っ……!」

 

 ティガトルネードが、盾にしていた"炎の旋刃盤"をぶん投げる。

 ザンボラーの内三体を、巨大な旋刃盤が両断した。

 燃えにくくなった樹海にザンボラーの血が落ちようと燃えることはなく、両断された三体のザンボラーは絶命する。

 

 ゼルガノイドの必殺光線、ゴモラの尾の一本がそこに飛んで来る。

 ティガは右手で炎の旋刃盤を展開、光線を受け止める。

 そして左手にも旋刃盤を出し、ゴモラの尾を両断した。

 絶叫するゴモラに接近し、旋刃盤を消した左腕を振り上げるティガ。

 

『そぅらぁ!』

 

 左腕による一撃が、いとも容易く、EXゴモラを殴り倒した。

 パワーであればティガダークを上回っていたゴモラが、完全に力負けしている。

 赤の形態は力の形態。

 パワーを高めた剛力の形態。

 別の呼び方をするのであれば―――()()()()()()()()である。

 

 殴り倒したゴモラが立ち上がり、怒りのままにティガへと襲いかかる。

 そのゴモラに、ティガがパンチ、キックと、空手流の綺麗な連携を叩き込み。

 その拳と蹴りにて、"電撃"が弾けた。

 

『うしっ!』

 

 雷撃パンチ、雷撃キック。

 

 『ティガ』の剛力形態には、パンチとキックに雷撃が備わる特性がある。

 更に、千景に加護を与えた神、阿遅鉏高日子根神は『雷神』。

 ティガトルネードの格闘には、常に千景の加護がある。

 

 雷撃で痺れたゴモラに背を向け、ティガは光線を連発してくるゼルガノイド、この中でも厄介なキリエロイドに狙いを定める。

 

『タマちゃんを殺したこと……この強さで! この絆で! 後悔させてやる!』

 

 そして、全身を燃やしたティガが、猛烈な勢いで体当たり。

 剛力形態で防御したキリエロイドと、バリアを張ったゼルガノイドを、防御の上から弾き飛ばした。

 

 この技の名は、"ティガバーニングダッシュ"。

 

 『ティガ』の剛力形態には、高速突撃技に、全身へ炎の属性が備わる特性がある。

 本来は目に見えて炎を纏わない技なのだが、これは輪入道の特性だろう。

 "全身に炎を纏って突撃する"という意味では、今このティガこそが、輪入道の本質に近い。

 

『俺達は……負けない! 俺一人なら負けるとしても! "俺達"は、負けない!』

 

 日本には古来より、『火雷神』の神話がある。

 炎をもたらす雷の神であり、人と結ばれた"神婚の神"の神話だ。

 この逸話において、火雷神は赤い矢に変化し、人間の女性と結ばれている。

 そう。

 日本神話の世界において"火と雷の神"には、『赤色』があてがわれてきたのだ。

 今のこの、ティガのように。

 

 ちなみに、三ノ輪の祖たる名である三輪の神も、赤色の矢に変化し女性と結ばれたとされていたりする。

 

『くっ……!』

 

 ティガダークの部分が暴走しようとする。

 ティガトルネードの赤色部分、千景と球子の光が、黒き闇を抑えつける。

 "竜胆が制御していないのに"、闇の暴走が収まった。

 竜胆が何よりも苦心する闇の制御を、千景と球子の光が補助してくれている。

 想いが、ティガを支えてくれた。

 

「タマっち先輩……御守さん……」

 

 仲間が誰も共に戦えないはずだったのに、"一人で戦っていない"ティガを見て、杏が勝利を祈り目を閉じる。

 

 ティガトルネードの赤は、彼岸花の赤。

 花言葉は『悲しい想い出』、『また逢う日を楽しみに』、『再会』、『独立』。

 そして、『情熱』。

 

 情熱の赤がその身に宿った。

 悲しい想い出の先には、土居球子の想いとの再会があった。

 再会の後には、球子へ別れを告げる独立があった。

 また会うには、きっと、生まれ変わった後を待つ必要があるけれど。

 世界が終わらなければ、人類が滅びなければ、彼らにその日はきっと来る。

 

『俺達は死んでも一緒だ!

 殺されようが離れない!

 殺したくらいで引き剥がせると思うなよ!

 生まれ変わっても、また出会えたらいいなって言えるくらいには、友達だったんだ!』

 

 土居球子を"殺してしまった"ことで、バーテックスは、竜胆と球子の絆の力を奪う機会を、永遠に失った。

 支える少女を、支えられる少年を、もう邪悪が引き離すことなどできやしない。

 

『見せてやる、俺達の勇気を! ……俺が貰った、勇気を!』

 

 黒い闇が引き立てる、真紅の輝きの上に、炎の光が絢爛に煌めいていた。

 

 

 




BGM:遠き呼び声の彼方へ→BGM:蘇る巨人→BGM:光を継ぐもの
ってなるやつ。ちなみにティガ・ホールド光波ってティガパワータイプの技だったりします

▲インヘリタンス
 『継承』を意味する単語。
 オブジェクト指向プログラミングにおいて、クラス間でデータの共有を行う機構。
 新しく定義するクラスを既存のクラスの下位クラスとして記述し、上位クラスより属性やメソッドを引き継ぐ仕組みのこと。


●ティガトルネード
 『ティガダーク』が『ウルトラマンティガ』に向かう過程の一つ。
 ティガが持つ、闇を光に変えて取り込む力の一端。
 体色はティガダークの黒銀二色からうって変わって、鮮やかな真紅が加わり、黒銀赤の三色になっている。
 児童誌などでは"闇の巨人が放った炎の力を光に変えて吸収し、剛力を身に着けた姿"と記述される。この作品においても、炎が彼をここに至らせた。
 ティガダークに剛力と耐久力を後付けした真紅のパワータイプ。

 原作のティガダークは光の心が闇の力と相反するため、ティガダークは最弱の状態であり、ティガダークからティガトルネードへのタイプチェンジは、速度も力も上昇する設定になっている。
 ただし当作のティガダークは、竜胆の闇の心によって常に強力な状態にある。
 よってティガトルネードで珠子の光が加わった分、その剛力と耐久力は強化されているものの、光によって闇が抑え込まれ、速度や器用さが低下してしまっている。
 暴走する黒色と、それを抑える真紅の光。
 竜胆がまた暴走しかけた時、この光は想いの拘束具となるだろう。


●補足:正式設定とボツ設定のウルトラマンティガ
 『ウルトラマンティガ』は三つのタイプに変身するウルトラマンである。
 ティガは初期設定において、ピラミッドに収められていた五つの巨人の石像の内、破壊された二つの仲間の石像の力を受け継ぎ、タイプチェンジ能力を得たという設定だったが、没になった。
 その後劇場版にて、かつて仲間であった三体の闇の巨人を裏切って光の陣営につき、かつての仲間と戦い、かつての仲間から力を奪い取り、タイプチェンジ能力を得たという設定になった。
 一部書籍では、ティガ原作第一話で破壊された二体の巨人像から受け継いだ力でタイプチェンジしていた、などと書かれることもある。
 共通点はただ一つ。
 闇と光の違いはあれど、ティガは『かつての仲間の力を使ってタイプチェンジを行う』。
 すなわち、"仲間の力を継承するウルトラマン"こそがティガである。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4

 踏み込み、打つ。

 しっかりと体重が乗せられた正拳突きが、EXゴモラの腹を打った。

 今までティガダークの拳に怯みもしなかった強化ゴモラが、悶絶する。

 腹には相変わらず太いトゲがあったが、ティガトルネードの拳は硬く、EXゴモラのトゲをその上から殴れる強度を備えていた。剛力形態は伊達ではない。

 

『せいっ!』

 

 右パンチ、左パンチ、右ローキックと流れるような三連打、対角線のコンビネーション。

 一発一発の威力が重く、EXゴモラですら苦悶の声を上げる威力があった。

 体重のしっかり乗った、空手技の連撃。

 

 まるで、これが完成形なんじゃないか、と思わされるレベルの完成度だ。

 速度を下げて剛腕豪脚の一撃を叩き込むティガトルネードの身体特性が、どっしりと構えて重い一撃を打ち込むこのタイプの空手スタイルに、しっくりときている。

 赤と黒のティガトルネードが、重く放つ空手の技が美しい。

 

 EXゴモラは鋭い爪を豪腕で突き出すが、ティガは掴んで受け止める。

 ティガトルネードであれば、もはやこのゴモラ相手でも力負けはしない。

 

 グレートが生来使うのは、極真空手に類似する巨人の武術。

 ボブもまた独学ながらも極真空手の使い手。

 極真空手は伝統空手の対極、実戦的な空手を目指したもの。

 すなわち竜胆に伝えられた空手は実践空手……いわゆるフルコンタクト空手の流れを汲んでいるのである。

 

 この空手と戦った他格闘技の選手達にその強さを聞いてみた時、ある程度その方向性が固まっていることがある。

 すなわち、重い、硬い、厚い、である。

 重心を安定させ、重い一撃を連撃で叩き込むこの空手は強い。

 使い手のフィジカルが強いのもあって、軽い一撃を叩き込んでもビクともしない。

 この空手は連打であっても十分に重く、単打であれば必殺である。

 

 だからこそ、速度が下がりパワーが上がるティガトルネードと、噛み合うのだ。

 

『おらッ!』

 

 ガン、と右の掌底がゴモラの顎を打ち上げる。

 ダメージを叩き込み脳を揺らしつつ、目を無理矢理上に上げさせ左のローキック。

 ゴモラの足を潰しつつ、足で逃げられなくなったゴモラの胸に、左右の拳が四連打。

 拳からスパークした雷撃がゴモラの内に浸透し、その生命活動を停止させた。

 

 体の表面が硬い敵にも、電撃ならば効く可能性は高い。

 千景を通してティガに継承された電撃能力は、とんでもない防御力を持つEXゴモラに対し、十分な破壊力を発揮可能な強能力だった。

 

『ちーちゃんがちょっと最高の友達過ぎる……』

 

「え? え? 何? 何なの!? なんで突然そういうこと言うの!?」

 

 千景が照れ、何を言われているのかよく分からないまま疑問の声を上げる。

 ゴモラを倒すまでの連携は、ほんの一息の間の連打であり、遠くから見ていた千景の目にも、とても綺麗な連打に映った。

 実質秒殺。

 つまり、他の敵はまだ接近しきれていない。

 

 手から放つ光の手裏剣、ハンドスラッシュを撃つ。

 八つ裂き光輪の進化系、燃える旋刃盤を撃つ。

 ハンドスラッシュがキリエロイド、旋刃盤がゼルガノイドに当たり、その一瞬でティガは強く練り上げた力で強力な旋刃盤を作り上げた。

 

 ティガの背中を狙い、ザンボラーの体が赤く発光する。

 ティガが振り返り旋刃盤を投げ込んだのと、ザンボラーが熱線を放ったのはほぼ同時。

 燃える旋刃盤と、十万度規模の熱線が正面から衝突する。

 そして、旋刃盤が熱線を突っ切り、ザンボラーを真っ二つにしていった。

 

『タマちゃんの武器は流石だな』

 

 残り、キリエロイド、ゼルガノイド、EXゴモラ一体、そして星屑が20。

 

 ゼルガノイドが正面から光線を放ち、キリエロイドが右、ゴモラが左、そして星屑が頭上から、ティガへと一斉に襲いかかった。

 重い光線を、ティガが右手の分厚く作った旋刃盤で受け止める。

 左手で頭上に旋刃盤を投げ、雷撃を纏わせた左拳と右足で、ゴモラとキリエロイドを打ち据えるという妙技を見せる。

 後ろ回し蹴り後のような姿勢のティガの打撃が、ゴモラとキリエロイドにたたらを踏ませた。

 ティガ本人ですら冷や汗ものの動きであったが、実戦的に鍛えた体は、良い感じに敵の動きに合わせて動いてくれた様子。

 

 ティガトルネードの身体特性は、重い一撃を叩き込む空手に向く。

 ボブが遺してくれた空手が、友奈が色んなものを混ぜ込んだ空手が、若葉との特訓で実戦的に鍛えた空手が、千景と球子の光によって最高の形で結実している。

 今ここに。

 彼が継承したものは、『ティガトルネード』という完成形へと至ったのである。

 

(今、俺、ちょっとはボブみたいに動けてるかな)

 

 始まりである千景の力を借り。

 球子の勇気と力を受け取り。

 ボブの技を身に着け、今ようやく。

 彼はボブに追いついたのだ。

 

 黒い体が暴走を始めそうになって、その体を赤き光が拘束・制御し、思うように動く体を、竜胆の格闘技が動かしていく。

 

「……もう私の介錯に期待する必要などないはずだ、竜胆。

 お前が暴走しそうな時止めるのは……もう私の剣じゃない」

 

 成長した力、成長した技、成長した心。

 いつの日か、竜胆は憧れた大人の背中を追い越して、ボブが勝てなかった相手に勝ち、ボブが守れなかったものも守っていける。

 そんな未来を思わせる、強い巨人の背中があった。

 

 腕で流し、撃つ。

 足で蹴り流し、打つ。

 攻防一体の旋刃盤、防御主体のティガ・ホールド光波。

 ティガトルネードは敵の攻撃に的確なカウンターを適宜返し、攻撃だけでなく、攻防に優れる剛力形態の強さを見せつける。

 

『っしゃぁっ!!』

 

 EXゴモラが破れかぶれに放ったEX超振動波を、ティガ・ホールド光波で根性の反射。

 弾ける光波。

 跳ね返される超振動波。

 ティガトルネードを消し飛ばすだけの威力を込めた超振動波が、180°方向を変え、最後のゴモラと星屑を飲み込んでいった。

 これで残るは、キリエロイドにゼルガノイドのみ。

 

 だがティガトルネードはこれで、全ての技を見せてしまった。

 初見では通じた技も、じっくりとその動きを見られている。

 ティガバーニングダッシュのような、名前の付いた技で奥の手はもう一つしかない。

 明らかに知性を感じさせるキリエロイドとゼルガノイドの動きは、どこか不気味で、どこか合理を感じさせるものだった。

 

『!』

 

 キリエロイドが俊敏な飛行形態へと変わる。

 ゼルガノイドはキリエロイドが空に飛び上がる隙を埋めるように、右手からクサビのような形の光の刃を連射する。

 旋刃盤を盾にしてそれを防いでいたティガを、空からキリエロイドが急襲した。

 

『くっ』

 

 防御の姿勢が崩れたティガへ、ゼルガノイドの光の刃が次々当たる。

 そうして連撃を受けているティガの胸に、旋回したキリエロイドの飛び蹴りが刺さった。

 

『ぐあっ!』

 

 キリエロイドは、もはや手足の届く距離でティガと格闘戦をしようだなんて思わない。

 高速で飛翔可能な飛行形態の翼を用いて、死角になりやすい上方を四方八方から狙うつもりなのだ。この形態なら、それができる。

 ティガトルネードに剛力形態で対抗するのではなく、速度で対抗する策を選んでいた。

 

(正解だよ、くそっ)

 

 ティガトルネードは、パワーも耐久力も上がるが、スピードとテクニックが低下する。

 速度勝負、空中戦勝負、といった土俵は苦手なのだ。

 キリエロイドはティガに俊敏な飛行形態が無いことを見抜き、自分の土俵での勝負を挑んできたのである。三つの形態を持つキリエロイドIIの利点を、モロにぶつけてきた。

 二つの形態しか持たないティガの弱点を、モロに突いてきた。

 

(キリエロイドだけならともかく……!)

 

 更に、ゼルガノイドが光の刃、必殺光線を放ってくる。

 ティガに防げないわけでもない直接的な光線だが、これを防いだりかわしたりしようとすると、そこにキリエロイドが突っ込んでくる。

 光線を避けた直後では、キリエロイドの空からの突撃は受けきれない。

 

『っ』

 

 ゼルガノイドの光線をかわし、キリエロイドの飛翔ラリアットを腕で受け、衝撃でティガトルネードの巨体が樹海の上を滑っていく。

 とても綺麗なコンビネーションだ。

 無限のエネルギーを持つゼルガノイドという砲台。

 三形態をバランスよく使い分けられるキリエロイドという前衛。

 亜型十二星座との融合でただでさえ高くなっている戦闘力を、役割分担と連携でより高度に高めている。

 

(やはり強い……!)

 

 超巨大な異形とは違う強さ。

 どこかウルトラマン達にも似た強さ。

 人型である強み、人型であるからこその戦い方、人型同士の連携という強さを、キリエロイドとゼルガノイドは叩きつけてくる。

 

 ゼルガノイドのソルジェント光線を旋刃盤で受け止めたティガの後頭部を、キリエロイドの飛び膝蹴りが強烈に蹴り込む。

 旋刃盤の防御が崩れ、ソルジェント光線がティガの肩へと直撃した。

 

『ぐあああっ!?』

 

 ゼルガノイドがキリエロイドの強さを引き立て、キリエロイドがゼルガノイドの強さを引き立てる。二対一体の異質な強さ。

 人間達が一人でないのと同様に、バーテックスもまた、一体では戦っていない。

 容易ならざる敵であることは、明白であった。

 

 敵に与えられた痛み、高まる闘争心が、ティガの闇を膨らませていく。

 だが竜胆が何かする前に、ティガトルネードの赤色が光り輝いた。

 なだめるように、赤い光が闇を抑える。

 落ち着け、とでも言わんばかりに。

 

(……落ち着け。よく見ろ)

 

 暴走はせず、暴走の対極たる冷静さをもって敵を見つめる竜胆。

 まず、敵を見る。分析に使っていい時間は一瞬だ。

 

 キリエロイド。

 飛び道具は光線を凝縮したような炎のみ。

 それもあまり使わない。メインの戦闘スタイルは格闘。

 形態はバランス型、パワー型、スピード型の三種。

 つまりバランスの良い格闘と、パワー格闘と、スピード格闘の三種。

 今はティガの弱点を突くため、スピードに偏重させている。

 

 冷静に、冷静に、敵を見る。

 

 ゼルガノイド。

 特筆すべきは無限のエネルギー、光線、バリア。

 光線は腕を十字に組んでの必殺光線か、腕から光の刃の類を撃つかのおおまかに二種。

 攻撃が単調でも、攻撃が途切れないがために脅威足り得る。

 

(この状況で、俺がこいつらを倒すためには―――)

 

 ボブならどうしたか。

 タマちゃんならどうしたか。

 俺ならどうするか。

 一瞬で、三つの思考を終える。

 

 ティガの胸を狙い、真正面からゼルガノイドが必殺光線を撃つ。

 ティガのうなじを狙い、ティガの後方斜め上からキリエロイドが飛びかかる。

 前後から襲うバーテックスの挟み撃ち。

 

 竜胆は自然体で構え、幾度となくそうしてきたように、旋刃盤で真正面からソルジェント光線を受け止め―――る、ふりをして。

 旋刃盤を斜めにして光線を受け、光線を後方斜め上に受け流し、キリエロイドに直撃させた。

 

『よし』

 

 竜胆は今日の戦いで、何度もこの光線を旋刃盤で受け止めてきた。

 その動きは全て同じ。

 今も同じ動きであったが、それが突如別の動きへと変わり、光線を受け流したのだ。

 

 ティガの動きを見て、"また同じように光線を受け止めるのだろう"と無意識下で考えたキリエロイドに、最小限の動きで奇襲を仕掛けた形になる。

 別に、竜胆はこのフェイントに使うために同じ動きで光線を受け止めていたわけではない。

 ただ戦いの中で敵と自分がした行動の一つ一つを綿密に覚えていて、「じゃあこれ使うか」と、これまでの自分の何気ない動きを罠に昇華させる発想をしただけだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()を、咄嗟の発想で罠に使う発想力。

 後付けの伏線行動。

 後付けのミスディレクション。

 流石にこのフェイントを、バーテックスの知性で見抜けるはずもない。

 

 ゼルガノイドが、同士打ちに動揺し光線を止める。

 光線に穿たれたキリエロイドが落ちていく。

 ティガが振り向きざまに投げた旋刃盤が、落下中のキリエロイドの翼を切り裂いた。

 肉体よりは脆い翼が、すぱっと切れてどこかへとすっ飛んでいく。

 

『これでもうお前は飛べない。さあ、行くぞ!』

 

 着地した瞬間のやや無防備なキリエロイドに、ティガの抜き手が迫る。

 キリエロイドは剛力形態で強引に殴り弾き、瞬時に俊敏形態で後ろに跳んで距離を取った。

 翼を失えど、この飛行形態が俊敏形態であることに変わりはない。

 ティガの正面には立たず、常に跳び回り、ゼルガノイドの光線援護を受け、パンチを一発当てては離れるようなヒットアンドアウェイを仕掛けてきた。

 

『……楽勝、ってわけにはいかないか』

 

 やはり、器用だ。

 三つの形態を使い分けるという強みのせいで、攻めきれない。

 

(三つの強みを押し付けられるの強いな。あれちょっと欲しい)

 

 羨ましがるのも程々にして、ティガもまた立ち回りを考える。

 ゼルガノイドの光線が当たらないよう、攻撃でキリエロイドの動きを制限・誘導し、足捌きでゼルガノイドの射線を塞ぐ。

 キリエロイドを盾にするような形で、ゼルガノイドの飛び道具を封じた。

 

 ティガトルネードの右ローキック、左ローキック。

 キリエロイドの両太腿を、ローキックが強烈に打った。

 これで何度目かのローキックかも分からないローキック。

 何度も何度も、ティガのローキックはキリエロイドの足を打った。

 

 そのたびに、俊敏形態のキリエロイドの速度は死んでいく。

 フットワークは死んでいく。

 スピードは死に、足が震えていく。

 足が上がらなくなっていく。

 

『友奈曰く。色んな格闘技で有効なんだとさ、これ』

 

 ローキックとパンチの間合いはほぼ同じ、と言われている。

 パンチによるヒットアンドアウェイを仕掛けてきたキリエロイド相手に、ボブが教えてくれた空手が、何度も的確なローキックをカウンターで当て続けてくれたのだ。

 その結果、キリエロイドから完全に足の力を奪うことに成功した。

 

 これでもう、キリエロイドは足を使ってのスピード勝負に持ち込めない。

 いや、もはや蹴り技さえもまともには使えないだろう。

 震える足で止まるキリエロイド。

 そこに飛んで来たティガの豪腕を、キリエロイドは剛力形態で受け止めるしかなかった。

 

 ゼルガノイドの光線も、キリエロイドが足を止めてしまった以上、もはやキリエロイドを盾とするティガに当てることは叶わない。

 後衛のゼルガノイドがキリエロイドを助けるため、前に出てくるまで、あと十秒。

 その十秒で、キリエロイドを倒し切る。

 

『足を止めたな』

 

 ティガの両腕は剛力無双。

 とてつもなく重い拳を、信じられない連射速度で叩き込む。

 キリエロイドは剛力形態の肉体を活かし、堅固なガードでゼルガノイドが助けに来てくれるのを待つ姿勢に移行した。

 

 キリエロイドのガードを見て、ティガが見つけた攻め方は四つ。

 一つ。ガードを崩すこと。

 ガードの構えを崩す一手と、その後叩き込む一手を別に考えること。

 二つ。ガードを抜くこと。

 ガードの隙間をよく狙って、一撃でそこをすり抜けること。

 三つ。ガードを利用すること。

 ガードに使っている腕を掴み、投げ飛ばすこと。

 そして。

 

『おらぁぁぁぁッ!!』

 

 ガードしている()()()()()を、無理矢理に弱点に仕立て上げること。

 

 ボブはティガダークと戦っていた時、攻撃を徹底して受け流していた。

 弱い力で強い攻撃を受け流した方が効率が良かったから?

 それもそうだろう。

 だが他にも理由はある。

 "腕は弱点にもなる"ということを、熟練の空手使いであるボブは知っていたからだ。

 

 腕は体の前に出し、盾として使う。

 だが、腕は叩かれれば壊れる。掴まれれば投げられる。ナイフ等が相手なら盾にもならない。

 格闘者にとって、腕は一番危険に晒される、弱点に成り得るものなのだ。

 だからこそボブは、自分の腕に過剰な負荷をかけないよう戦っていた。

 その戦い方を、考え方を、竜胆にも伝授していた。

 

 腹や顔は腕で守れるが、腕を守るための腕は無い。

 

 キリエロイドの腕が、だらりと垂れる。

 ティガトルネードの猛攻を前に、キリエロイドの腕はあっという間に使い物にならなくなってしまっていた。

 腕と足が壊れたキリエロイドを、ティガの回し蹴りが吹っ飛ばす。

 

『気を落とすなよ、バーテックス。多分個人としてはお前の方が強い』

 

 ティガトルネードは、やはり強い。

 

『これは、師匠の差だ』

 

 膨大な闇の力を光で弱めるのではなく、赤き光で拘束して制御しているからこそ、膨大な力を理性をもって制御できるという、この強さ。

 

 キリエロイドを突如吹っ飛ばし、両腕両足を無力化したキリエロイドではなく、五体満足で今最も危険なゼルガノイドに奇襲を仕掛けるティガトルネード。

 十字に組まれる、ゼルガノイドの手。

 飛びかかるティガトルネード。

 

 その瞬間、ゼルガノイドは行動選択を一瞬迷った。

 バリアを貼るか、光線を撃つか。

 攻めるか、守るか。

 そしてティガの気迫を受け……光線を撃たず、バリアを張った。

 攻めではなく、守りに入った。

 

『俺達を!』

 

 対し、竜胆は本気の本気で直球勝負。

 

『舐めるなああああああっ!!!』

 

 右手に渾身の旋刃盤を作り上げ、バリアに叩きつけた。

 

 全力の渾身。

 フルパワーでの旋刃盤が、回転する炎の刃が、馬鹿みたいに直球勝負で叩きつけられる。

 敵にも、仲間にも、本気でぶつかって行った球子のように。

 竜胆もまた、全力でゼルガノイドにぶつかっていく。

 ボブらしくではなく、球子らしく。

 

 ガリガリガリ、と旋刃盤がバリアに食い込み、バリアが嫌な音を立てていく。

 

 そして、ゼルガノイドの背中にあったバリア発生器官があまりの負荷にショートした。

 驚愕するゼルガノイド。

 敵は目の前、バリアはもうなく、光線を撃つ暇もない。

 ゼルガノイドが頼れるのは、もはや己が肉体のみ。

 

 ティガトルネードが顔面に突き出してきた右拳を、体ごと頭を横に動かし回避する。

 なんとかかわせた、とゼルガノイドがカウンターの拳を放とうとした、その瞬間。

 ティガの右拳に突如生えた"光の鎌"が、パンチの後に腕が引き戻される過程で、ゼルガノイドの後頭部を深く切り裂いた。

 

『知らないんだろうな、バーテックス。人間じゃないお前らは』

 

 ティガトルネードの手に、突如として生えた光の鎌。

 

『空手の源流、沖縄空手。

 あるいは琉球空手、手、なんて呼ばれるそれには武器術もあり……

 それの代表的な武器術の一つは、"鎌"なんだよ。俺の今の赤色は、郡千景の赤色だ!』

 

 遠くで、千景が感極まって、息を飲む。

 

『これが! お前達が滅ぼし、無かったことにしようとした、人間の歴史と強さの一つだ!』

 

 ボブの死後のキャンサーの戦いで、竜胆はボブ直伝の夫婦手を使った。

 これもまた、普通の空手ではあまり習わない、沖縄空手の技の一つ。

 ゆえにボブの残したものの中には、同源流の、鎌術に類するものもあったのだ。

 

 空手の源流における鎌術は、唐手術から空手道へと変化していく過程、日本の本土で流行してく過程でオミットされた武器術の一つ。

 武道が弱者が強者に勝つための技術である以上、農民誰もが持っているような鎌の術理が、武術の中に組み込まれていることは何らおかしなことではない。

 現代に至っても、ごく一部の道場では空手の稽古に鎌を用いるという話だ。

 

 これは何度も使っていくような技ではない、一発芸のような技だが、ボブと球子と千景から継承した力を一体にした、究極の奇襲でもあった。

 

 竜胆は力をただ貰ったのではない。

 受け継いだのだ。

 受け継いだ力を、元から一つの技術体系であったかのように混ぜ合わせ、ぶっつけ本番で一つの武技として昇華させる。

 一発勝負で成功させ、かなり高いレベルで行使できる。

 ゆえにこその、戦いの天才。

 

 鎌で作った隙を突き、巨大な旋刃盤が、ゼルガノイドを真っ二つにした。

 

 空手に、炎に、鎌。

 ティガトルネードの強さは、一人の強さではない。

 仲間に頼りきりな強さでもない。

 "俺にはこんな最高の仲間がいるんだぞ"と少年が叫ぶような、そんな強さ。

 

 フラフラと立ち上がる彼方のキリエロイドに、ティガは指を突きつける。

 

『お前で……最後だ』

 

 ティガダークの得意とする、暴力による一方的な蹂躙ではない。

 まるでボブのように、大きな力を正しい理で扱い、技にて圧倒する人の強さがある。

 そう、これは暴走する野獣の強さではない。

 今日バーテックスは、"人の強さ"に負けるのだ。

 

 次の一撃が、最後の一撃。互いが全力を滾らせ構える。

 

 キリエロイドが、全身のエネルギーを一滴残らず右腕に集める。

 これはキリエロイドの主体キリエルが"聖なる炎"と呼ぶものの一種・『獄炎弾』。

 物質を砕波する炎の一撃だ。

 キリエロイドの異名は()()()()

 ならば、最強の一撃は炎以外にはありえない。

 

 ティガトルネードの全身から、光輝く炎の粒子が吹き出す。

 両手を円を描くが如く動かし、炎の粒子を集めると、両手の間に圧縮された炎球ができる。

 圧縮された、光にして炎の球。

 球、だからだろうか。

 見ていると"球子"という名前が自然に頭に浮かんでしまって、竜胆は自然と微笑んでいた。

 炎の球を右手に持って、振りかぶるティガ。

 炎の赤きティガだからこそ、最強の一撃は炎以外にはありえない。

 

 右腕を突き出し、全身全霊の獄炎弾を発射するキリエロイド。

 そして、ティガもまた、圧縮した光の炎を投げつける。

 圧縮された光の炎は、炎球にして光流となり、大気を焼き潰しながら放たれた。

 

 

 

『―――デラシウム光流ッ!!』

 

 

 

 獄炎弾と、デラシウム光流が衝突する。

 闇より生まれ、聖性を語る邪悪なる炎。

 闇より生まれた光を集め、絆で束ねた炎の光流。

 二つの炎がぶつかり合い、拮抗する。

 

 キリエロイドIIには、四体の亜型十二星座が融合している。

 出力だけなら、そうそう負けない。負けるはずがないのだ。

 ただのウルトラマン一人に負けるはずがない。

 獄炎弾を更なる炎で押し込み、デラシウム光流を押し込んでいく。

 

『滅びてたまるか……!』

 

 魚座、双子座、蟹座、水瓶座、キリエロイドII。五体分の力が光を押し込んでいく。

 

『人間は、お前達なんかに負けない』

 

 竜胆、球子、ボブ、千景。四人分の力で、それに必死に抗う。

 

『必ず、人間の世界を取り戻す……お前らに、誰も殺されない世界を取り戻すんだ!』

 

 闇はいつも、醜悪に集まり、変容し、力を強める。

 光は絆だ。仲間に受け継がれ、再び輝き、強くなる。

 押し切られる最後の最後の一線で、光は踏ん張る。

 

『俺達は! 負けないッ!』

 

 ティガのピンチ。

 杏の手の中には端末がある。

 変身すればその負荷で死ぬ、そう確信できる杏には、二つの選択肢があった。

 変身し、彼を助けて死に、球子の後を追うという選択肢。

 変身せず、彼の勝利を信じて任せ、これからも球子の居ない世界で生きていくという選択肢。

 二つの選択肢があり。

 杏は一つの選択と、一つの未来を選んだ。

 

 端末を使わず、ポケットの中にしまう。

 

 伊予島杏は、まるで神に祈るように、されど神には祈らず、ティガの勝利を祈った。

 

 

 

「―――負けないで」

 

 

 

 その祈りは光となりて、ティガという巨人に力をくれる。

 竜胆、球子、ボブ、千景、杏。五人分の力が、闇を一気に押し返していく。

 若葉の声が届く。千景の声が届く。ケンの声が届く。杏の声が届く。

 獄炎弾が一気に押し返されていく。

 

『ぶち抜けええええッ!!』

 

 そして、デラシウム光流が獄炎弾を打ち破り、キリエロイドを撃ち貫く。

 

 爆散するキリエロイド。

 それは竜胆が初めて、自爆でない形で敵を爆散させた一撃であった。

 決着は自分を責めぬもの、自分を傷付けぬもの。

 ……この決着の形に、球子の影響が無いわけがない。

 

 デラシウム光流の光炎で輝くキリエロイドの残骸が、まるで朝焼けのように輝いて、樹海の大地を朝焼けが包んでいるかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桜が咲く季節になった。

 卒業式の時期が三月で、卒業式もどきをやったのがその時期で、それから日時が経った今はちょうど四国の桜開花時期である。

 病院の周りにも、優しいピンクの桜が咲き始めた。

 高嶋友奈は山桜の意匠を纏う、桜の勇者。

 変身できない体でも、友奈には桜がよく似合う。

 

「もう病室を出ても大丈夫なのか?」

 

「うん、車椅子ならね。まだ一人で車椅子を登り降りするのも四苦八苦してるけど。たはは」

 

「そうか。友奈、無理はすんなよ」

 

「うん。リュウくんもいつもお見舞いに来てくれてありがとう」

 

 病院の中を、車椅子に乗った友奈と、車椅子を押す御守(みもり)が進む。

 

「桜、咲いたね」

 

「ああ。冬も終わりだ」

 

 友奈はまだ退院できない。

 他の勇者達は皆戦線に復帰したが、友奈はまだ傷が重い。

 この後遺症から見るに、酒呑童子はやはり今後も気楽には使わない方がいいだろう。

 

「前に伝えた花見の日は参加できそうか?」

 

「するする! でも車椅子からは降りられないから、助けてくれると嬉しいな」

 

「任せろ。何だってするぞ。退院はいつになりそうだ?」

 

「四月中になりそうだって、お医者さんは言ってたね」

 

「ゆっくり治してこい。世界は俺達がちゃんと守る」

 

「大丈夫? 暴走しない?

 リュウくんはちょっとつついたら猛烈に怒るスズメバチみたいだもん」

 

「否定はしないけど! 否定はできないけど! 言い方!」

 

「あはは、冗談冗談! 信じてるよ! ちゃんと守ってくれるって!」

 

 今は友奈も戦えない。守られる側だ。

 自分が戦えない間に世界が滅んだらどうしよう、といった不安もあるに違いない。

 だが友奈は、若葉を、千景を、仲間を信じている。

 世界も自分も守ってくれるはずだと、竜胆を信じている。

 

「友奈の笑顔は、皆の心を救えるし、空気を明るくできる。それは凄いと思う」

 

「わ、突然何? 照れちゃうよ」

 

「でもな、お前に笑う義務も、空気を明るくする義務も、無理する義務もないんだぞ」

 

「……うん」

 

 明るく振る舞う友奈が、ほんの一瞬、静かで嬉しそうな表情を見せた。

 車椅子の車輪が回る。

 二人はいつしか、病院の庭を歩いていた。

 歩く道の横に沿って、桜並木が立ち並んでいる。

 

「義務とかじゃないよ。私はしたいからそうしてるんだ」

 

「……そうか」

 

「大好きだからしてあげたいことがあって、大好きだから守りたいものがあるんだ」

 

 友奈が手の平を開くと、そこにひらひらと桜の花びらが舞い落ちる。

 せっかちなつぼみは、もうとっくに花開いているらしい。

 微笑む友奈に、桜がとても似合っていた。

 

「立派な志なんてないよ。これが、私の全部。

 怖いことも、恐ろしいこともたくさんあって……

 私は臆病だから、勇気に憧れるんだ。

 勇気ある自分になりたいって、いつも思ってるだけなんだよ」

 

「お前は勇気あるよ。それは俺が断言する」

 

「そうかなあ」

 

 恐れを感じられない者は勇気があると言えるのか。

 それとも、恐れがあるなら勇気ある者ではないのか。

 あるいは、恐怖を越える勇気だからこそ価値があるのか。

 

「私は、大好きな人達だから守りたいと思うんだ」

 

 友奈の勇気の理由は、ここにある。

 

「でも、ほら。

 若葉ちゃんやリュウくんは、好きじゃない人でも守ろうとするじゃない?」

 

「好き嫌いで人の生き死に決めたり、選り好みすんのが苦手なだけだよ。

 友奈の方がよっぽど真っ当で、強くて、熱い感情だ。俺は結構そういうの好きだし」

 

「……ん、ありがとう。

 でもね、私だったら、リュウくん達みたいに振る舞うには別に勇気がいると思うんだ」

 

「勇気?」

 

「そう。嫌いな人を助ける勇気と、助けた人に嫌われる怖さを乗り越える勇気」

 

「ああ……それは確かに、怖いな」

 

 そして、友奈の勇気とは違う勇気が、竜胆の中にはある。

 戦えば戦うだけ民衆に感謝される友奈。

 戦っても戦っても民衆に嫌われている竜胆。

 友奈の視点では、この二つがまるで違って見えるのは当然のことだ。

 戦い続けるために必要な勇気が違う種類に見えるのも、当然のことだ。

 

 それは嫌い合ったり言い争ったりするのが嫌な友奈と、誰かに決定的に嫌われてもいいから目的を果たそうとする竜胆の違いでもある。

 杏に嫌われてもきっとすぐにまた仲良くなれる友奈と、杏に嫌われたなら「それでいい」と言いつつ杏を守ろうとする竜胆の違いでもある。

 

「助けた人に嫌われる、か。

 体験談として言うと、クソ辛かったけど何とかはなったな。

 耐えられないほどのもんじゃないが、できればもう二度感じたくないところだ」

 

「え? 何の話?」

 

「退院したら笑い話にして話すからちょっと待っててくれ」

 

―――片方だけ残されることが一番残酷で辛いって―――なんでそれが分からないんですか!?

 

 杏のあの言葉に、竜胆は何の返答も返せなかった。

 今でも、"二人守れていたら"と思う時もある。

 だが、思うだけだ。

 友奈に話せる程度には、その痛みも乗り越えている。

 それでも、最後に笑って話せたなら、そこに辛い想い出や大きな罪悪感があったとしても、その人はそれをきっと乗り越えたということだ。

 

 竜胆を嫌っているから悪、竜胆を排斥しようとしているから助けなくていい、なんてことになるわけもなく。

 

「色んな人がいるからな。

 俺のせいで死んだ人の中に……

 良い人、実は良い人、良い人になれるはずだった人が混じってることが一番怖い」

 

 竜胆が殺した中に、良い人は何人いたか。

 悪い人は何人いたか。

 殺した村人の中に、反省して更生する可能性があったのは何人いたのか。

 分からないから、罪悪感が消えることはないのだ。

 

「色んな人がいるもんね」

 

 友奈にも、竜胆が言いたいことは伝わっている。

 

 そして、友奈もまた、竜胆や若葉の近似の信念を持っている少女ではあった。

 

「俺はな、友奈。お前は大好きな人達を守りたいって言ってるが……」

 

「?」

 

「『皆を大好きになれる』って一種の才能だと思うぞ。お前を見てると特にそう思う」

 

「才能? うーん、才能……?」

 

「ああ、才能だ。他に持ってるやつを見たことがない才能だな」

 

 友奈は、友奈を大切にしてくれる人々を全力で守ることに慣れていて。

 竜胆は、竜胆を大切にしてくれない人々を全力で守ることに慣れている。

 だがこれは、違いに繋がらないこともある。

 好きな人も嫌いな人も助ける人間と、『みんな』を大好きになっていける人間が、助ける人間の数に差が出るだろうか?

 いや、出ない。

 

 風が吹く。

 先走って花開いた桜の花びらが、風に舞う。

 友奈は目の前を横切った花びらを見て、桜を見上げ、自然に微笑んでいた。

 

 高嶋友奈は桜の勇者。山桜の勇者だ。花言葉は『あなたに微笑む』。

 

 桜は、"花の総体"である。

 若葉は桔梗、千景は彼岸花、球子は姫百合、杏は紫羅欄花の勇者。

 だがそのどれもが、地面に一輪咲き、一輪で成り立つ花である。

 桜は違う。

 桜は一般的に、桜の木に咲く、無数の桜の花の美しい集合体のことを指す。

 "桜を見たい"と言った人に、花一つ見せても納得してもらえないのは、この中では桜だけだ。

 

「桜って、人間みたいだよね」

 

「人間?」

 

「綺麗にパーって咲いて、パーって散って」

 

「人生は短いって言うしな」

 

「本当は、桜の花にも綺麗に咲く花と咲けない花ってあるんだよ。

 でも、皆そんなの気にしない。

 桜っていう花の集合を見て、綺麗だな、って思うんだ。

 中に醜い花があっても、その全体を愛するんだ。

 私の、みんなが大好きって気持ちは、桜っていう花の集まりが好きなのと同じなのかも」

 

「美しく咲く花に、醜く咲いてしまった花、か」

 

 そう、それは。まるで、美麗と醜悪の個人個人が混在する人類のようで。

 

「分かるよ。俺もその気持ち、分かる。

 醜い花を桜の中に見つけたって、桜の木を切り倒そうとは思わないもんな」

 

「うん」

 

 醜い人の存在は、人類全体の否定などという結論には、繋がらない。繋げてはいけない。

 

「『人間』って集団の形は、本当は私にもよく分かってない。

 バーテックスは『人間は何か』って分かってるみたいだけど、本当に分かってるのかな。

 ……それも、桜みたいだよね。

 桜っていうのは、小さな花がいっぱい集まって。

 それがふわっとした全体の形を作って、それが綺麗で、決まった形なんかなくて……」

 

「ああ、言いたいことは分かるぞ。

 『桜という総体の形』も、一つの固定の正解なんてない。

 『人間って何か』っていう問いにも、一つの固定の正解なんてない。

 ふわっとしてるんだよな、花の集まりも、人間の集まりも」

 

「うん。色んなものが集まって出来てるってことは、そういうことなんじゃないかな」

 

 個人が集まり、作る『人類』という総体。

 個人という花が集まり出来た、人類という桜の木。

 それを愛せる者もいるし、憎む者もいる。

 汚い個人を見ても人類に絶望しない者と、綺麗な個人を見ても人類を滅ぼそうとする者は、そうして対極に分かれていくのだ。

 

 桜を愛するように、人々という総体を愛する心。

 それを、心の光とも言うのだろう。

 光の巨人に備わっていて、きっと友奈にも備わっているその心。

 友奈は聖人でもなんでもなく、何もかも許せる心など持ってはいないが、誰とでも仲良くできる人懐っこさと、暖かな優しさ、皆を大好きと思う気持ちは持っていた。

 

(ああ、だから……だからなのか)

 

 だから彼女は、山桜の勇者なのだ。

 

 地に咲く一輪の花ではなく、集合体である花の勇者。

 "花が一つでは在れない"ことを示す勇者。

 皆が集まり、繋がることで、全員で一つの形になる花を与えられた勇者。

 "みんなで"という言葉がこんなにも似合う者はいない。

 

 最初に会った時、二人の会話は全くまともと言えないものだった。

 

―――私、高嶋友奈っていうんだ。よろしくね、御守さん!

―――僕に触ろうとするな。僕に近付くな。僕に関わるな。叩き潰されても知らないぞ

 

 友奈の最初の言葉は、友好を求めるもの。

 竜胆の最初の言葉は、殺さないことを求めるもの、友奈の死を忌避するもの。

 友奈は近寄り、竜胆は離れようとした。

 互いの意図は対極で、ファーストコンタクトからしばらくは変な距離があったと言える。

 そこから、よくここまでの関係になれたものだ。

 

 竜胆が四国防衛戦線に参戦してから三ヶ月。

 長いようで短い。

 竜胆は友奈を理解して、友奈は竜胆を理解した。

 これからまた時を重ねていけば、もっと互いを理解できるだろう。

 まだまだ二人は、互いのことを全部は知らない。

 

 未来さえ守れれば、二人はまだまだいくらでも、仲良くなっていくことができる。

 

「友奈、ありがとうな」

 

 車椅子を優しく押す御守(みもり)が、車椅子の友奈に優しい声を投げた。

 

「えっ……ど、どれに対して? リュウくんは生真面目にお礼言うからどれのことだか……」

 

「暴走してた俺を止めてくれたことに対して! こんなことで困惑しないでくれよ、ったく」

 

 友奈は竜胆を助けるためだけに酒呑童子を使った。

 命も、心も、肉体も、削るような苦行だっただろう。地獄の苦痛があったはずだ。

 全身いたるところに包帯が巻かれているのは、その部分が内から裂けたからである。

 この入院は、竜胆のせいとも、竜胆のためとも言えるだろう。

 

 謝りたい気持ちも、感謝する気持ちもあり、ゆえにこその『ありがとう』。

 友奈のためなら何とだって戦えるような強い気持ちが、彼の中に根付いていた。

 

「皆にも改めてお礼は言った。

 俺がここにいられるのは、皆のおかげだからな。

 でも友奈には改めてお礼を言ってなかったし、お前はもっとチヤホヤされていいと思った」

 

「……リュウくんらしいなあ。うん、リュウくんらしい」

 

「お前は頑張ってんだからもっとチヤホヤされていいんだ。何してほしい?」

 

「いいよそういうのは!」

 

 友奈が照れて、ちょっと話逸らせないかなと目を走らせる。

 その目が、竜胆のバッグから少し飛び出していた新聞のところで止まった。

 

「新聞? なんでこんなもの持ち歩いてるの?」

 

「……あー」

 

 竜胆がバッグから取り出したるは、あの日の新聞。

 樹海へのダメージにより、現実に災害が起き、罪の無い子供が巻き込まれたことが、勇者や巨人には分かるようになっている。

 悔やむ竜胆の前で、友奈がその新聞にじっと目を凝らした。

 

「戦いの中でさ。意図的に、俺が樹海を破壊したんだ。

 結果はこの有り様だ……俺の選択が、何の罪も無い子供を殺した……」

 

 それは罪の告白。仲間に隠し事をしない姿勢。罪悪感の吐露である。

 

「罪の無い人を俺が殺した。

 償うにはどうしたらいいのか。

 いつも考えてるけど、いつも"これだ"っていう完全な正解は出なくてな……」

 

 悔やんでも悔やみきれない、といった顔の竜胆の前で。

 

「俺は変わってねえのかよ、なんて思って、同じこと繰り返す自分が嫌いでッ―――」

 

「日付同じだけどこれ去年の新聞だよ」

 

「―――ううううおおおッ―――!? は!? は?! は!?」

 

 友奈はすぱっと真実を叩きつけた。

 

「はははっいくら俺があの時精神的に最悪の状態だったからってそんなことあるわけマジだ……」

 

「世界も運命も敵もリュウくんに意地悪してないのに自爆だったね……」

 

「俺の得意技は自爆なのか……? そうなのか……? こんな自爆をするレベルで……?」

 

「笑っちゃいけないのに笑っちゃいそうなんだけど!」

 

「笑え! 俺が許す!」

 

 友奈は笑わなかった、が。

 日付だけ見て年号を見ていなかったとはなんとも竜胆らしいというか、らしくないというか。

 メンタル最悪時の竜胆らしいと言うべきか。

 去年の三月なら竜胆はまだ地下に幽閉中だ。

 当然、この子供の死が竜胆のせいであるはずもない。

 

 調べてみたところ、竜胆が樹海を爆発させたウルトラヒートハッグによって発生した災害が、現実で誰かを傷付けたということはなかったらしい。

 竜胆は人を誰も傷付けていなかったし、殺してもいなかったということだ。

 竜胆が心底安心した、とばかりに深く息を吐く。

 

「リュウくんのそういうところ時々好きだよ」

 

「なんで時々?」

 

「九割は呆れた気持ちになるから、かな……」

 

「だっよなー! 俺でもそう思うわ!」

 

 竜胆が羞恥心で顔を覆い、戒めるように髪をくしゃくしゃかき混ぜる。

 

(運が良かった)

 

 今回は運が良かった。

 樹海の破壊で発生する災害は、誰も巻き込まなかった。

 誰が巻き込まれていてもおかしくなかったし、死人が出た可能性は十分にあった。

 だから、完全に竜胆が何もかも悪くはなかった、と言い切れるものでもない。

 

 また同じことをしようとするなら、よく考えなければならないだろう。

 反省は必要だ。

 ただ、後悔する必要はない。

 

(これは運が良かっただけだ。でも、本当に良かった……)

 

 子供一人分の後悔が、なくなってくれていた。

 となると、何故こんな新聞があそこにあったのかという話になる。

 

「しっかしなんで一年前の新聞があんなところに……」

 

「これ、ボブの遺品だよ」

 

「遺品? ……あ」

 

 竜胆は思い出す。

 この新聞を見つけた時、そこに本も積まれていたことを。

 新聞は単独で置かれていたのではなく、他の物と共に置かれていた。

 

 そして、安芸真鈴が言っていた、あの言葉。

 

―――上里ちゃんさ、凄いよね

―――球子のご両親に真実を伝えて、球子の遺品を集めて届けて。

 

 そう、()()()()()()()()()だったのだ。ひなたが。

 だからこそ、ボブの遺品があそこにあった。

 球子の遺品整理とボブの遺品整理が同時期なことには何ら不思議がない。

 それをひなたが皆に言っていたとしても、丸一日寝ていた竜胆に伝わっているわけがない。

 必然の誤解だったのだ。

 

「この新聞……ボブはずっと、これを後悔していたんだよ」

 

「後悔? ボブが……?」

 

「守れなかったって。自分のせいだって、そう言ってた。英語でだけどね」

 

「ボブが……」

 

「自分を責めてたけど、自分なりに立ち上がって、また戦ってくれたんだ」

 

 これが一年前のものだとするならば、これは一年前のウルトラマン達と勇者達が守れなかったものだ。

 その時の戦いで、グレートが樹海を守れそうだったのに守れなかった、そのせいで現実に災厄が溢れた、なんてこともあったのだろう。

 

 "子供を守る"が行動原理のボブにとっては、さぞ地獄であったはずだ。

 その日の新聞を一年経った今でも大切にとっておいたことからも、ボブがこの一件をどれだけ後悔していたかが窺える。

 竜胆同様、"俺のせい"という気持ちを抱いていたことが、新聞一つから伝わってくる。

 

「ボブが言ってたよ。

 "自分のせい"だって思って、あの時ああしてればって思うのはいいけど……

 それで喜ぶ死人は一人もいないし、それで助けられる人も一人もいないって」

 

「!」

 

「誰かが死んでしまったら……

 大切な人が死んじゃったら……

 自分にその時できることがあったなら……自分のせいだって、思っちゃうよね」

 

 ボブも。

 竜胆も。

 友奈も。

 誰かの死を前にして、「もう少し何かができていれば」「あの時ああしていれば」「自分のせいで死んでしまった」と思ったことがある。

 だが人は、そう思っても死人を蘇生することはできない。

 前に、進むしかないのだ。

 

「私も……ううん、なんでもない」

 

 友奈が、何かの感情を飲み下した。

 "私に何かができていればタマちゃんだって"といった感情。

 酒呑童子の後遺症はまだ彼女の心に闇を残し、時折友奈の心に負の思考を植え付ける。

 今の一言も、普段の友奈なら漏らしはしなかっただろう。

 

 だが、その一言として発した時点で、竜胆は友奈の内心をいくらか察した。

 この三ヶ月で深め合った理解は、きっと無駄ではない。

 

「多分、俺達の中には、違う気持ちもあるけど、同じ気持ちも沢山あるんだ」

 

「え?」

 

「俺と友奈の中には、同じ人への同じ想いも、きっとある」

 

 あの日、球子を守れなかった後悔。悲しみ。辛さ。絶望。二人の胸中に共通する想い。

 

「だから、一人で泣くな。悲しいなら悲しいって言ってくれ。俺が傍にいる」

 

「―――!」

 

「一緒に泣いてくれるんだろ? 俺と一緒に、泣いてくれ」

 

 二人の胸に浮かぶ気持ちは、ほとんど同じだ。

 球子を守れなかった、救えなかったがゆえの想い。

 だが、失念してはならない。

 友奈は救ったのだ。

 守ったのだ。

 球子は救えなかったが、球子が死んだ日、竜胆をその心と言葉で救ってくれたのだ。

 

―――悲しいなら……泣いてるだけじゃなくて……ちゃんと、悲しいって……言ってほしいよ

―――泣かないで、なんて言わない

―――友達が死んじゃったら、悲しくて泣くのは、当然のことだから

―――泣かないでなんて言わないから……一人で、泣かないで

―――私が、一緒に泣くから

―――同じ友達を想って……隣で……一緒に、泣くから……! 一人にならないで……!

 

 友奈の言葉が、竜胆の暴走を止めてくれた。

 決定的な終わりを回避し、竜胆を闇から救ってくれた。

 あの時闇に呑まれた竜胆に、友奈が救いの手を差し伸べてくれたのと同じように、今、精霊に心を闇に浸された友奈の心へと、竜胆が救いの手を差し伸べる。

 

 仲間であり、友であり、ゆえに助け合う。救い合う。手を差し伸べ合う。

 竜胆は約束を果たそうとしていた。

 友奈がくれた言葉と約束で、友奈の心に巣食う闇を祓おうとしていた。

 

「私、泣いて、いいのかな。こんな風に」

 

「泣いていいんだ。俺にそう言ってくれたのは、友奈だぞ」

 

 桜の下で、二人は泣いた。

 友奈は目一杯泣いて、竜胆は静かに無言で泣いた。

 悲しみは終わり、彼らは次へと進む。

 

 二人は一緒に、土居球子へと、別れと涙を捧げていた。

 

 

 

 

 

 一通り泣き終わり、竜胆は友奈を病室に戻し、ここまで連れて来てくれた少女と合流した。

 竜胆は、誰かの同行なしの外出を禁止されている。

 勇者など、有事に巨人変身者にすぐ対応できる人間は必須だ。

 でなければ市民感情が納得しない。

 今日その役割を果たしてくれていたのは、千景だった。

 

「大泣きしてたわね」

 

「見てたのか、ちーちゃん」

 

「高嶋さんにばかりあんなに大きく泣かせて、静かに泣いて……

 男の自覚があるなら、高嶋さんに恥をかかせないように泣きなさい」

 

「ああそりゃ確かにそうか。

 悪いな、そういうとこまで気が使えない、情けなくてみっともない泣き顔見せて」

 

「……別に、みっともないとは思わなかったけど」

 

「え?」

 

「あなたはそれでいいのよ。

 いえ、そのままじゃ、いけないのかもしれないけれど。

 あなたの周りは……涙を流す弱さとか、弱さが許されているようで、心地良い」

 

 千景が黙って見ていてくれたのは、友奈を思ってか、竜胆を思ってか。それとも両方か。

 

「高嶋さんにも……必要なことだったと、思うから」

 

「……ちーちゃんにそう言われると、そういう確信が持てそうだよ」

 

 病院の手洗い場で顔を軽く流す竜胆を、千景がじっと見る。

 何か言おうとして口を開いて、何も言わずに口を閉じる。

 "また悲しみがあれば次は私が一緒に泣いてあげる"と言おうとして、言わない。

 "高嶋さんを気遣ってあげて"と言おうとして、言わない。

 "高嶋さんと随分仲が良いみたいね"と言おうとして、言わない。

 "二人が泣いて、元気になれたみたいで、良かった"と言おうとして、言わない。

 

 言おうとしていることがあんまりまとまっていない上に、そもそも言えていなかった。

 第一声が決まらず、言葉を選んでいる内に、言おうとしていたことが言えなくなってしまう、そんな心の動き。

 郡千景はそもそも、精霊の穢れが心に溜まっていると超問題児になるだけで、そういうのが無くてもコミュ障の問題児タイプである。

 優しく、寂しがり屋で、かまってもらいたがりの、言葉足らずで仲間想いの問題児。

 

「ちーちゃん、どうした?」

 

「……なんでもないわ」

 

 第一声が決まらない内に、竜胆の方が千景の様子に気付き、逆に声をかけてきてしまった。

 結局、何も言えずじまい。

 竜胆は正確に千景の思考を読み取れないが、まあこうだろうな、と察する。

 

「ちーちゃんは優しいな」

 

「何も言ってないわ」

 

「何考えてたとしても、どうせ優しい事考えてたんだろうから良いんだよ」

 

「何よ、それ」

 

 少女はくすりと笑う。

 柔らかで、優しい、そんな微笑みを、千景は浮かべた。

 

「ちーちゃんの笑顔は、時々とても優しいんだ。だから分かるんだよ」

 

 面倒臭いところも、良いところも、どちらも分かってやらなければ、理解者とは言えない。

 相手の欠点を受け入れられる度量がなければ、友達にはなれない。

 そういうものだ。

 

 竜胆が初めて闇を光に変えた勇者の少女・千景は、無愛想で愛想のない彼女らしくもなく、今日も穏やかに微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さてさて。

 友奈退院を祝って皆で花見をしよう、と言い出したのは誰だったか。

 友奈の退院予定日を大社から聞いた人間であることだけは確かだろう。

 

 真面目なくせにこういうのに意外とノリノリな若葉だったか。

 気遣いの子なひなただったか。

 卒業式の企画などもした思いやりの杏だったか。

 のんびりしたケンだったか。

 友達の友奈に何かしてやりたいといつも考えている千景だったか。

 案の定の竜胆だったか。

 

 ぶっちゃけると、ほぼ全員が同時に言い出した。

 全員が同時に言い出し、全員が賛成して、満場一致で花見が企画されたのである。

 丸亀城の周りには、とても綺麗で立派な桜が七百本近く咲き誇っている。

 遠くに行く必要すらない。

 準備をして、丸亀城勢だけでなく真鈴なども誘って、友奈を待てばそれでいい。

 それだけで用意は十分なのだ。

 

 楽しいことは必要だ。

 仲間が死んだから、という理由で楽しいことを遠ざけていては、いつまで経っても誰も前を向いていけない。

 こうした楽しいイベントは、一種の儀式なのだ。

 仲間が死んだ後も、前を向いて生きていこうと改めて誓う、そんな儀式。

 

 ボブにタマ、樹海へのダメージにより起こった災害で死んでしまった人、多くの者達の命が失われてしまった。

 だが世界は続く。

 日々は続いていくのだ。

 人の死を越え、また明日は来る。

 

 ただ生きるだけの家畜のような未来ではなく、皆で笑っていける未来を望んで戦ってきた。

 丸亀城の皆は、そのために戦ってきた。

 なら、辛くてもどうにかして笑っていこう。

 そう心に決めて、各々が隣の仲間のために笑っていけるなら、それはもはや強さである。

 

「桜、か……散るのはいつかな」

 

 散らない花はない。

 桜も、姫百合も。

 

 死なない人間はいない。

 ボブも、球子も。

 

 永遠はない。永遠でないから美しいものもある。

 この世界では、神ですら永遠ではない。

 天の神に負けた地の神は、神樹と化して最後の足掻きをしているだけで、敗北と消滅の運命のレールに乗っている。神ですらそうなのだ。

 

 人も花も、精一杯生きて、後に何かを残して散っていく。

 それが世界の条理だ。

 だが、いつか散るという運命に抗い、精一杯生きようとするのは命の本能。

 命が死ぬことは当たり前。

 命が死に抗うも当たり前。

 

 抗った後には何かが残る。

 何かが残れば救いにはなる。

 天の神は、人が抗った後に何かが残ることを許さない。

 

 竜胆には、丸亀城の周りに咲き誇り風に揺れる桜達が、精一杯咲いてやると、散ってたまるかと叫んでいるように見えた。

 人間(じぶんたち)と似たようなものに見えた。

 神樹の作った空の朝焼けが、静かに大地を包んでいく。

 だが、朝焼けが主役になることはない。

 咲き誇る桜の前では、大地を包む朝焼けですら、脇役だった。

 

 早朝の桜の下、竜胆は近寄る足音を察知する。

 

「伊予島、散歩気持ちよかったろ」

 

「はい。早朝だと気持ちいいですね」

 

 楽な格好をして、杏は微笑んでいた。

 竜胆の部屋は内側からは絶対に開けられないので、彼をこの早朝の時間帯に外に出してくれたのは、杏ということなのだろう。

 

 勇者の中で一番早起きなのは若葉だ。

 若葉ほど真面目に、規則正しい生活を送っている人間はいない。

 となれば、杏がこの時間に起きているのは少し違和感が出て来る。

 

 そこには、彼女が早起きしてきた理由があるはずだ。

 他の人がまだ起きていないこの時間帯に、何かをしようとした理由があるはずだ。

 たとえば。

 球子の死後に竜胆に言ってしまったことを、二人きりで改めて謝りたい、とか。

 

「その……改めて、ごめんなさい」

 

 ぺこりと、杏が頭を下げる。

 

「そんなに昨日の晩御飯で俺の分のからあげまでレモンかけたこと気にしなくてもいいんだぞ」

 

「ち、違います! そっちじゃなくて!」

 

「分かってるよ。でもな、もうそりゃからあげ以下のことなんだ。謝らなくていい」

 

「!」

 

「伊予島が俺をまた仲間として、友人として認めてくれたことが嬉しい。それでいいんだ」

 

 この会話を通して二人は、自分達の間にあったわだかまりの全てが、消えてなくなったことを再確認した。

 

「俺も最近は勉強を教えてもらえてるからよく分かる」

 

「え?」

 

「俺の内に沢山溜まってた、マイナスの感情に……

 伊予島がマイナスの感情をぶつけてくれたからプラスになったんだ。サンキューな」

 

「ば、爆発的に頭の悪い考え方……!」

 

 こういう発想は、天然のバカでもなければ出てこない。

 杏を気遣った話し方をしているのも確かだが、彼がバカなのも事実だった。

 

 杏はあくびを噛み殺す。

 何故こんな朝早くなんだろう? と、ごく自然の疑問を持った。

 杏はこの早朝に起き、竜胆の頼み通り彼を外に出したわけだが、その理由までは聞いていなかった。

 

「ところで、こんな早い時間に何を?」

 

「掃除。ま、綺麗な方が気分良いだろ」

 

 竜胆は花見の予定場所を綺麗に掃除していく。

 土、砂を寄せ、昨晩の内に風で飛ばされて来たらしい落ち葉を除けて、ビニールなどのゴミをゴミ袋に放り込んでいく。

 

「それならこんな早い時間でなくても……」

 

「若ちゃんは早起きだな」

 

「え? はい、そうですね」

 

「あいつは早起きして教室のチョークを補充したり、教室の掃除してたりする。真面目だ」

 

「あ、確かに……」

 

「ケンも早起きだ。城の中を大体掃除してるのはあの人だな」

 

「そうですね。掃除だけでなく家事全般ですけど……」

 

「つまり俺が掃除してたら、あの二人は確実に手伝いを申し出るってことだ」

 

「……ああー」

 

「今日くらいは、あの二人は休暇でいいだろ。

 二人が起きてくる前に掃除終わらせれば、俺が掃除してたことは気付かれないってことさ」

 

 本当に真面目な人間は、人が見ている時も見ていない時も真面目で、人が見ている時も見ていない時も頑張っている。

 

「あの二人の……じゃなくて、花見に参加する皆のためですか?」

 

「そんなご立派なもんじゃなくてさ。

 ほら、俺も花見を楽しみにしてるんだよ。

 めっちゃ楽しみにしてるし、楽しみたい。

 そう考えてたらじっとしてるのもなんか嫌でさ。何かできることをしたくなったんだ」

 

「それで、掃除を?」

 

「そういうこと。昔から遠足とかの前日は眠れない奴だったんだ、俺」

 

「あははっ、子供みたいですね」

 

「お前より年上だ! お前よりちょっとは大人だからな!?」

 

「分かってます、分かってますよ」

 

 仲間への思いやりと、時折見せる子供っぽさが混じり合っている。

 三年間地下に封印されていた竜胆の最後の想い出は、小学六年生の時の遠足だ。

 杏が子供っぽいと少し思ってしまったのも、しょうがないことである。

 

「御守さん、夢野久作の『懐中時計』という短編小説をご存知ですか?」

 

「知らん。自慢じゃないが俺は勉強もできないし知識もない。

 料理とかの家事もできないし、肉体労働が基本のノータリンだぞ」

 

「そ、そこまで言わなくても……」

 

「本とか小説とか基本縁遠いんだ。申し訳ない。」

 

 とても短い、こんな話だ。

 

――― 懐中時計が箪笥の向う側へ落ちて一人でチクタクと動いておりました。

――― 鼠が見つけて笑いました。

―――「馬鹿だなあ。誰も見る者はないのに、何だって動いているんだえ」

―――「人の見ない時でも動いているから、いつ見られても役に立つのさ」

――― と懐中時計は答えました。

―――「人の見ない時だけか、又は人が見ている時だけに働いているものはどちらも泥棒だよ」

――― 鼠は恥かしくなってコソコソと逃げて行きました。

 

「難しい本は読めない俺に、分かりやすく教えてくれ」

 

「懐中時計は誰も見ていない時にも動いています。

 人の見ない時でも動いているから、いつ見られても役に立つのだと時計は言いました。

 人も時計も同じで、人が見ている時も見ていない時も頑張っているから、尊いのです。

 おしまい。おしまいです」

 

「すげえ分かりやすい! 天才かよ伊予島!」

 

「元が短いんですよ! 読了時間一分とかそのくらいに! 読んでみませんか?」

 

「読書ってだけで頭良い奴の趣味って感じでちょっと拒絶感出るじゃん……」

 

「その発言に滲み出る頭の悪い感じ凄いですね……御守さん頭の回転悪くないはずなのに……」

 

 杏は偏りがあるが読書家である。

 竜胆は頭が悪い。竜胆は頭が悪い。

 今まで深く絡んでいなかったからこそ発覚しなかったが、この二人の趣味のジャンルと得意分野はビックリするほど対照的だ。

 本一つとっても、目を剥くほどに対極である。

 こほん、と杏は一つ咳払い。

 

「時計は、誰も見ていなくても、真面目に頑張ってるんですよ。御守さん」

 

 竜胆が持っている箒を見ながら、杏は微笑みそんなことを言う。

 少年は頬を掻いた。

 杏の言わんとするところが分からない彼ではない。

 

「素敵なことだと、私は思います」

 

「……こういうのなんて言うんだろうな。

 遠回しとか、詩的とか、慎ましやかとか、女の子らしいとか言うのか。新鮮な気持ちだ」

 

「タマっち先輩ならこう言うと思いますよ」

 

「「 めんどくさいことしてないで直球で言えー! 」」

 

「……ふふっ」

「……くくっ」

 

 球子ならこう言うだろう、という予想がピッタリと合い、声まで重なった二人。

 まるで、二人で悲しみを和らげ合っているかのようだ。

 球子の死を悲しみ。

 球子の想い出を忘れず。

 二人の会話が、それを大切な記憶にしていく。

 

「俺は本に詳しくないから、困った時は伊予島に聞くさ。頼りにしてる」

 

「……しょうがないですね。その時は、微力を尽くします」

 

「その代わり、俺は伊予島の苦手なことやできないことを助ける。頼りにしてくれ」

 

「はいっ」

 

 竜胆が頼んだわけでもないのに、杏は自然と掃除を手伝いだす。

 ちょっと、竜胆が嬉しそうにしていた。

 

「そういえば、タマっち先輩ともしたことがありますよ。得意分野の話」

 

「俺と伊予島とはまた別ジャンルに、タマちゃんと伊予島は対極だったからな……」

 

「タマっち先輩、女子力をタマが身に着けられないと思うなー! って言ってて」

 

「女子力? 女子力か……難しいな。

 タマちゃんだと良い母親になる以上に難しい気がする」

 

「ず、ズバッと言いますね……でも確かに、そんな気もしますけど。

 私もタマっち先輩も、料理は軽くできるものなら、レベルでしたしね」

 

「へー、二人共料理できるのか。俺はさっぱりだから尊敬するわ」

 

「ちょっと、ちょっとだけです。

 今日もみんなで食べるお弁当のおかずは、私はちょっとしか作ってませんし……」

 

「楽しみだなぁ」

 

「ハードルを上げないでください!」

 

「バカだな伊予島は。

 男子はバカだから女子の料理ってだけで五割増しに上手く感じるんだよ。

 まして結構舌バカのケがある俺は大抵のもの美味いって言うから、妹にバカにされたもんだ」

 

「ぜ、全方位をバカ扱いしていくスタイル……!?」

 

「いやー、楽しみだな!」

 

「……もしかして、からかってます?」

 

「半分はな。でも、半分は本気で楽しみにしてる」

 

 二人で掃除をしながら、楽しげに語り合う。

 

 それはとても楽しい時間で、時が過ぎるのが速く感じられるほどだった。

 

「ああ、伊予島はハーモニカ上手かったな。ボブは伊予島の中に生きてるのか」

 

「ボブの空手の方は、御守さんの中に生きてます。私、それが嬉しいです」

 

「伊予島は進路とかその辺考慮に入れてたりするのか?」

 

「音楽……音楽ですか……うーん……」

 

「歌手とかミュージシャンとか音楽の道に行ってみるとかさ」

 

「あんまり、考えたことはないです。

 世界がこうなってるから、というのもありますけど……

 小学五年生の時に勇者になったので、あまり将来のことを考えたことがなくて」

 

「あー、そういうのもあるのか。将来の夢とか探してる余裕無いもんな」

 

「そういう御守さんは何かあるんですか?」

 

「えっ……ゆーちゅーばー、とか?」

 

「覚えたての言葉適当に使った時の御守さんって一瞬で分かるんですね……」

 

「ごめん適当言った」

 

「はい。謝ったから、許してあげます」

 

 やがて、球子が姉、杏が妹、みたいな話もして。

 

「外見だけなら伊予島の方が姉っぽいのにな」

 

「ふふふっ、私もそう言いました」

 

「で、タマちゃんが意地張るのが目に見えるな」

 

「ええ、そうなりました。タマっち先輩らしいです」

 

「90年後あたりに、タマちゃんと一緒に姉妹にでも生まれ変わればいいさ」

 

「……え?」

 

「タマちゃんが守ってきた命、百年超えも生きれば十分だろ。

 ちゃんと生きて、タマちゃんのしてくれたことを有意義にして。

 90年くらいは見守って待っててくれそうなタマちゃんに、死んでから会いに行けばいい」

 

「……私……。私、会えるでしょうか、タマっち先輩に」

 

「会える。会えるさ。もしかしたら、タマちゃんの方から迎えに来るかもしれない」

 

「……」

 

「長生きして、幸せになって、その命を走り切れ。伊予島杏」

 

 生まれ変わりなんてものはあるのだろうか。

 ある、という確証はない。

 あったらいいな、程度のものでしかない。

 人類史において生まれ変わりなど、その程度のものだ。

 証明なんて実は一度もされていないけど、それでも人は、それを信じる。

 

「……はい。そんなに長生きできるかは、分かりませんけど」

 

 球子とまた会える日を、もう会えない彼女とまた会えるいつかの未来を、信じる。

 

「御守さん。生まれ変わったら、また私達の先輩になって、様子でも見に来てくださいね」

 

「今から死後の約束か?」

 

「はい、気が向いたらでいいので。ずっと未来の約束です」

 

「ずっと未来、か」

 

 掃除が終わる。

 人の声が聞こえてきた。

 皆の足音が遠くに聞こえる。

 

「夢を見るような話だ。

 現実感なんて何も無い。

 何の確証もない、遠い未来を、夢見るようで……

 でもいいよな。こういうの、俺は好きだ。語るだけならタダだし、何より希望がある」

 

 竜胆と杏は、顔を突き合わせて笑う。

 

「冬が終わって、春が来るように。

 暗い時が終わって、明るい時が来るように。

 時は巡って、色んなものが変わっていくんですよ。御守さんも、私も、皆も」

 

 時が経つ度、色んなものが変わっていく。

 良い意味でも、悪い意味でも。

 竜胆が来て、仲間が増えたように。球子が死んで、仲間が減ったように。

 この先に何が待っているかは、誰にも分からない。

 天地に坐す神ですら、未来は知らない。

 

 風が吹き、桜の花びらが杏の周囲を舞っていく。

 

「俺達の未来(あす)は、いったいどうなることやら……」

 

 杏のクリーム色の髪に、桜の花びらが乗っている。

 杏はそれにも気付かずに、手の平に乗った桜の花の綺麗さに、無邪気に喜んでいた。

 桜並木と、舞う花びらと、桜を乗せて魅力的な笑顔を浮かべる杏。

 それらを見つめていた竜胆が、素直な感想を胸に抱く。

 

(綺麗だな)

 

 桜舞う中、竜胆は素直にそう思った。

 春は終わりと始まりの季節。

 一年の中の、一つの区切りだ。

 

(タマちゃん。君の頑張りが守った世界と、守った命は、今この未来を生きている)

 

 遠くに仲間達が見える。

 勇者も、巨人も、巫女も。

 皆が皆、悲しみを越える笑顔(つよさ)を持っていた。

 竜胆を見つけた皆が、手を振ってくる。

 

(君に貰った勇気と光で。君が大切にしていたものを、俺が守る)

 

 竜胆は手を振り返し、笑顔を浮かべた。

 

(俺のこの胸の内に―――君に救われた心が、ある限り)

 

 花は咲き、満開し、散華する。

 花の命は短いからこそ儚くそして美しく、その短命は運命に近い。

 されど"押し花"のように、"花が散る運命"に反逆するのも、また人であり。

 

 散った花がそこに種を残すように、何も残らぬ花散る様など、ありはしない。

 

 その種を拾い、次に繋げようとする者がいる限り。

 

 

 




 真鈴さんは竜胆と杏のW慰めでまた泣いたが立ち直ったという

 2018年の現実の桜開花予想では、四国の南端が3/15、四国の北端が3/25、香川は大体3/20ってところだったそうです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二幕 紫の章
予知 -キル・オール-


 朝、丸亀城施設の食堂にはニュースが流れていた。

 

『大社は蛭川砌氏が責任者であること、責任を取って辞職したことを明かしました』

『しかしそれ以上の取材や質問には一切応えないとのことです』

『流出した情報によれば、蛭川氏は独断専行が多くそれが今回の結果に繋がった可能性も―――』

 

 竜胆は朝御飯を食べている。

 実質大社施設であるここは、竜胆が顔を隠さないで飯を食べていい唯一の食堂だ。

 城の外で飯を食べる時は、そこそこに気を使わなければならない。

 朝うどんをずずずと食いつつ、竜胆はぽやっとした顔で厨房を見ていた。

 

「アア、ソコハ、ダシモウチョットトッテモイイカモ」

 

「出汁、出汁ですね」

 

 料理を教えているケン。

 料理を教わってる杏。

 二人の姿が厨房に見える。

 

(料理できない俺にはさっぱり分からん。

 でも、そうだな。ケンは家事万能だもんなぁ。

 料理にしろ掃除にしろ、"女性らしい"ことでもある……

 掃除洗濯も、伊予島はできるイメージあるが、タマちゃんとかはあんまなかった)

 

 ケンが自分の長所を自己主張しないタイプなので目立たないが、丸亀城メンバーズの中で一番の料理上手はケンである。

 家事の年季が違う上、日本人の舌に合う料理もあっという間に身に着けていった、家事万能タイプの大人なのだ。

 

「ジョウズ、ジョウズ」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 どういう話の流れで料理を教わることになったのかは分からない。

 だが、いい空気だ。

 肌色も髪色も薄めで雪のような杏と、金髪長身が映える大柄な白人であるケンが、まるで父と娘のようである。

 

 ケンも杏も基本的に気質が穏やかなので、料理風景も和気藹々。

 見ていて、心が穏やかになるようだった。

 ケンが一つ一つ、杏に自分の技能を継承している。

 これが、真っ当な継承だ。

 死から何かを継承する竜胆とは違う、日常の中に在るべき継承。

 

(本当はこうやって、誰も死なずに何かを貰っていくのが普通なんだよな……)

 

 ケンから料理の技を受け継ぐということは、ケンの人生の一部を受け継ぐということ。

 杏が別の人に料理を教えれば、またそこでも繋がり、受け継がれていく。

 本来ならば、こうした継承こそがまともなものなのだ。

 今の世界は物騒だから、竜胆がしたような形での継承もある、というだけのことで。

 

 平和な日常の中で、そうしたまともな継承が行われているのを見ると、竜胆はあったかい気持ちになる。

 二人の笑顔を見ていると、ほんわかした気持ちになる。

 戦いの時間より、こういう時間の方が、竜胆は好きだ。

 

 戦いなんて起こらなければいい、という気持ちがあり。

 でも戦いはまだ終わらないんだよな、という残念な気持ちがある。

 日常と日常の間に戦いがある世界ではなく、戦いと戦いの間に日常があるのが、今の世界だ。

 無常感を通り越して無情感を覚える竜胆の前に、味噌汁の入ったお椀が置かれた。

 

「リンドウー、シショク、タノムナー」

 

「「 えっ 」」

 

 味噌汁を出された竜胆、作った当人の杏も、不意打ちに驚く。

 覚えたての料理を異性に食べさせるということに、杏はちょっとした不安と羞恥心を覚えた。

 杏の様子がちょっと変な空気を作る。

 変な沈黙が流れる。

 

「……」

 

「……」

 

「……ど、どうぞ」

 

 杏がおすおずと勧める。

 美味しいと言われたら嬉しい、不味いと言われたらショック、そんな杏はドキドキと待つ。

 不味いとだけは言えないな、と決意して口をつける竜胆。

 

 が、ワカメと豆腐だけが具の味噌汁を見た瞬間、竜胆は"俺これすき"と直感した。

 竜胆にとって、なめこ並みに好きな味噌汁具材であった。

 

「おお、美味い」

 

「……ああ、よかった」

 

「庶民的な具しか使っていないにもかかわらず1200円の価値はあるように思える……」

 

「ナンツーコウヒョウカ」

 

「この……この……

 褒められた嬉しさはあんまり感じられないのに、過剰に褒められてる感じは一体……?」

 

 男が女の子の料理を食べて、その感想を価格換算するのはいかがなものか。

 

「でも俺

 『こんな味噌汁なら毎朝飲みたい』

 とか言ったらセクハラになるとか聞いたし……」

 

「……え、ええと、そ、そうですね……」

 

「どういう褒め言葉ならいいのか……

 魅力的な味噌汁……伊予島ぁ! お前また魅力的になったな!」

 

「そ、そういうとこですよ御守さん!」

 

「ちーちゃんのよく分からない言い回しが伝染してる……!?」

 

 おかわり、と竜胆が言うと、杏が苦笑してもう一杯よそってくれた。

 

「いやでも実際、美味いよこれ。好きだな」

 

「ありがとうございます。嬉しいです」

 

「ウム、セイチョウシタナ」

 

「成長……こんな細かなことでも、成長と言えるんでしょうか」

 

 小首をかしげた杏の髪を、微笑むケンがぽんぽんと撫でた。

 そして竜胆の手元を指差す。

 

「ミソシルニ、テジョウノクサリ、ハイラナクナッタ」

 

 ぴくり、と竜胆の肩が動く。ケンが笑っている。

 

「ソレモ、セイチョウサ」

 

 杏が竜胆の手錠を凝視し、竜胆が顔を逸らした。

 

「……味噌汁に手錠入れていたんですか?」

 

「……前は時々入っちゃってたんだよ」

 

 両手が常に手錠で拘束されているため、この食堂で皆と一緒にご飯を食べるようになってからも何度か、竜胆の手錠が味噌汁味やソース味になることがあったという。

 ケンは面倒見がよく、竜胆をよく食事に誘う大人だったので、竜胆が手錠の鎖をカレーや味噌汁に突っ込むのをよく見て、楽しそうに笑うような男だった。

 馬鹿にして笑うのではなく、笑い話にして恥を消してしまうような男だった。

 

「ごちそうさま、伊予島。美味しかったよ」

 

「あ、御守さん、その」

 

「ん?」

 

「……なんでもないです」

 

 杏が何かを言いかけて、口下手な千景のように口ごもる。

 竜胆は千景のことはよく分かっていても、杏のことを千景ほど理解はしていない。

 何を言いたいのか、言ってもらわないと分からなかった。

 

 時は四月、季節は春。

 

 世界はまだまだ、平和になってはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平和を勝ち取るには、強くなるしかない。

 強くなるには、鍛えるしかない。

 竜胆が目隠しをする。

 若葉がひなたが作った特製小石を投げる。

 小石の数は多く、速度もかなり速い。

 目隠しをしたまま、竜胆がそれをコン、コン、と"旋刃盤に似た小さな盾"で弾いていく。

 

「目が見えなくても防げるようになってきたか」

 

 目隠し竜胆に対し、本当に若葉が小石を投げていた頃が懐かしくすら感じる。

 

 ひなたは「小石そのまま投げるとか何考えてるんですか!」と怒った。

 竜胆は「俺が頼んだ」と言った。

 若葉は「悩んだがああまで頼まれてはな」と苦悶の表情を浮かべた。

 竜胆は「こういうので頼れるのは若ちゃんだけだから、本当感謝してる」と笑った。

 若葉は「そうか」と短く応え、少し光栄そうに笑んだ。

 ひなたは「そんな唯一互いに遠慮のないライバル関係みたいな顔されても」と呆れた。

 

 そんな流れで生まれた、当たっても怪我はしないこの特製小石。

 小石にひなたがゴムを巻き、綿で包んで、コーティングしたボール状の石。

 特訓に使うには、中々便利なものであった。

 若葉の男らしさも女の子らしさも好ましく思っているひなたは、若葉の女の子らしさをもっと見たいとも思っているひなたは、少年のライバル同士のような二人を見て何を思ったことか。

 

 竜胆が目隠しを外し、投げられた小石を拾ってバケツに放り込んでいく。

 

「耳で音を聞き、肌で動きを感じる。

 潰された時には痛いだけで、どうせ俺の目は治るんだ。

 敵に目を潰されても戦い続ける技能を用意しておきたい」

 

「悪くないだろうな。

 煙幕を張られる、目を塞がれる、目を潰される……敵の目潰しは多様で有効だ。が」

 

 若葉が指でつまんだ小石で、コツン、と戒めるように竜胆の額を突く。

 

「お前の目が潰されれば、私達は動揺する。私以外は特にな」

 

「怪我は俺だってしたくないから抑えるって」

 

「ウルトラヒートハッグを使わないお前なら、その言葉を信じていた」

 

「……そいつは、まあ、ほら、な」

 

「デリカシーは上達しないくせに自爆技ばかり達者になって……」

 

「他も達者になってるだろ!」

 

「例えばなんだ?」

 

「主に眼力だ。ここの成長は目を見張るものがあるぞ。

 今朝からお前の髪留めがいつもより可愛いのになってるのもバッチリ見抜いている」

 

「……こ、これは、ひなたからの贈り物だ。あまり似合ってないのはしょうがない……」

 

「いや似合ってないとは言ってないだろ。似合ってるぞ」

 

「……ん、そうか」

 

「リシアンサスの髪留めか。ひーちゃんはセンスがあるな」

 

「リシアンサス?」

 

「別名、『トルコキキョウ』だよ」

 

「ああ、なるほど。合点がいった」

 

 乃木若葉は、桔梗の勇者。

 

「リシアンサスの花言葉は『感謝』とか『希望』だな。

 ひーちゃんと伊予島はこういう控え目で目立たないがいい仕事をたびたびする」

 

「女性らしさというやつだ。私には欠けているがな」

 

「お前この前ひーちゃんに

 『若葉ちゃんの女の子らしいとこ褒めて』

 の罰則やらされた俺の数々の発言を忘却しやがったのか……!?」

 

「知らん。忘れた。私はお前にそんなことは言われていない」

 

「このやろう」

 

 石を拾い終わると、無言で二人は盾と剣を手に取る。

 何か言うまでもなく、二人は互いにやりたいことを分かっている。

 

(一緒に鍛錬してる時は俺の方が伸びてると思うんだが……

 それでも若ちゃんと試合をすると、どうしても俺が勝ちきれない。

 剣のリーチが強いってのもある。

 だがそれ以上に、若ちゃんの成長が大きいな。

 俺が見てないところでもかなり鍛錬や模擬戦をやってると見た)

 

 本気で勝負しない程度に、互いの技を磨く、実戦形式の鍛錬だ。

 

「よし、実戦形式でやるか」

 

「ああ。勝負にならない程度にな」

 

「熱くなったらまたひーちゃんに怒られるしな……」

 

「ひなたは怖いだろう?」

 

「ああ、怖い。それにあんま困った顔させたくないな。

 俺も若ちゃんも心配させる側で、あの子は心配する側だろうから」

 

「それは……確かにそうだ。心がけておかなくてはな」

 

 若葉が鉄芯入りで『生太刀』と同重量に調整された模造刀を振るう。

 竜胆が軽く強靭に作られた――彼が実践で使う炎光の旋刃盤に重量はないため――模造盾でそれを受ける。

 合図や声かけがなくとも、"倒して勝つ"という意識が抜ければ、互いがどう攻めてどう受けるかが何となく分かる程度には、二人は互いのことを理解していた。

 

 徐々に攻防の速度を上げる。

 若葉が「こう攻めたらどうだ」と無言で新しい手を打つ。

 竜胆が「こうすれば受けられる」と無言でいなす。

 「ならこうフェイントをかけたら」と、無言で若葉が変則的に剣を打ち。

 「こういう弾かれ方されたらガードが空くぞ」と、無言で竜胆が盾で弾く。

 もはや言葉は要らなかった。

 

 それどころか、二人は剣と盾で濃密に語り合いながら、並行して普通の会話もし始める。

 

「若ちゃんの剣に、タマちゃんの盾……神の武器、か」

 

「私達勇者は、各々がそれぞれ神の武器に呼ばれるように、社に引き寄せられた。

 私が使っている生太刀もそうだ。神の刀、通常兵器が効かないバーテックスすら殺す刃」

 

 最初から互いの動きが決まりきっているかのように、二人の攻防は滑らかに進み、互いの技を磨き上げ、両者の肌にかすり傷一つ付けることもない。

 

「竜胆。私はな、ふと思ったのだが」

 

「何? 若ちゃんの勇者衣装の髪留めが青い桔梗な話?

 あの髪留めも美しさと凛々しさがあって俺は好きだぞ」

 

「お前の中ではまだその話続いていたのか!?

 いや、そうではなくてだな。その勇者の力をくれる、神樹の話だ」

 

「神樹の話?」

 

 流れるように、剣と盾が攻防を繰り返す。

 

「神樹とは、何を考えているのだろうか。竜胆はどう思う?」

 

「どうって……人間の味方をしてくれてるんじゃないのか?」

 

「人間を守ってくれているのは確かだ。だが私は、神樹と話したことがない」

 

「そうだな。俺もない。ひーちゃんが巫女だけど、神樹の声を聞けるだけなんだっけか」

 

「話して、それで信じられると思えたならいい。だが……」

 

「実際は何考えてるのかなんて分からないよな」

 

 天の神、地の神、どちらとも、若葉や竜胆は話したことがない。

 襲ってくるから敵に見ているだけ、守ってくれているから味方に見ているだけ、それだけだ。

 

 神と人の勢力図と対立構造は、おおまかには把握されている。

 だがそれも、神樹の神々から得た情報が多分に入る。

 本当は神様達が何を考えているかなんて分かりはしない。

 若葉視点、疑おうと思えばいくらでも疑える。

 

「ひょっとしたら、我々は……

 天の神と地の神の代理戦争に使われているだけなのかもしれない。

 バーテックスと人間が、それぞれ神の代理として戦っているだけで」

 

「そりゃ考えすぎじゃないか?」

 

「竜胆……今お前、一考もしなかったな……」

 

「助けてくれてるんだから信じようぜ。神樹もコミュ障なだけで俺達の仲間だろ」

 

「……全く。お前の理屈は心地良いな」

 

 人と語り合わない神樹を、コミュ障な仲間の一言で断じる。

 仲間だからと、信じる。

 竜胆のスタンスはスッキリしている。

 同じ脅威に立ち向かうから同志、人々を守ってくれるから仲間。"神というよく分からないもの"の集合体である、神樹という"もっとよく分からないもの"も彼にとっては仲間なのだ。

 

 元から神樹を大して疑ってもいない若葉だったが、竜胆との今の会話で、神樹というものを疑う気持ちをすっぱり捨てた。

 神樹を良いものだと思うようになったわけではない。

 神樹の良心を信じたわけでもない。

 ただ、神樹を仲間として扱う気になったようだ。

 仲間であれば、若葉は信用する。

 

 仲間(りんどう)が信じたものを自分も信じよう、という気持ちがそこにはあった。

 

「若葉ちゃーん! リュウくーん!」

 

「友奈か」

 

「あんなに遠くから声上げて……友奈ー! 聞こえてるぞー!」

 

「すっかり元気になったようで良かった。

 病院で最初に見た時は、私も気が気でなかったからな……」

 

「友奈は今日が最後の精密検査だったからな。もう問題なしと思っていいだろ」

 

 駆けてくる友奈は遠くから声を張り上げていたので、まだ二人の下に来るまでには時間がかかりそうだ。

 友奈を待とう、と無言で合意した二人だが、その時ふと若葉の視線が一点で止まった。

 竜胆の首。

 普段は首輪の方が目立つが、首輪の下には薄れている首の傷と、まだ痛々しく刻まれている傷跡があった。

 前者は千景の刻んだ傷。

 後者は若葉の刻んだ傷。

 一ヶ月経ってもまだ傷跡は残っている、と言うより、首を深くまでザックリと切ったのに一ヶ月程度でここまで回復したことの方に驚くべきだろう。

 まがりにも、神の刃の一撃だったのだから。

 

「すまない、竜胆」

 

「ん?」

 

「傷が残ってしまった」

 

「ああ、これか。気にするもんなんだな。気にしなくていいのに」

 

 申し訳なさそうな気持ちが見て取れる若葉に対し、傷跡を指でなぞる竜胆は、どこか誇らしそうですらあった。

 

「若ちゃんが友情で約束を守ってくれた証拠、みたいな感じするだろ?」

 

「……お前は」

 

「悪いな。辛い役目を任せてた。

 ……自分が暴走することを恐れるあまり、お前に一番キツいところを任せてたんだ。

 自分のことばっか考えて、お前のことを考えてなかった。本当にごめん」

 

 竜胆が頭を下げる。

 若葉が悪かったわけでも、竜胆が悪かったわけでもない。

 そしてその傷は、罪悪感を呼び起こすべきものではない。

 竜胆は、その傷を誇り、若葉に感謝している。

 

「その上で言わせてくれ。

 俺を止めてくれてありがとう。

 傷は男の勲章とも言うだろ?

 この傷は、若ちゃんがくれた友情の勲章なんだ。勲章なら、首にかけておかないとな」

 

 首は切れても、情は切れない。

 首を切られた痛みがあっても、首を切った手応えを覚えていても、関係は切れず、むしろそこから絆が強まる。

 紆余曲折を経て、二人の絆はまた強くなる。

 そんな関係。

 色んな感情が入り混じった、苦笑と喜悦の中間のような笑みを、若葉は浮かべる。

 

「……お前と話していると、常識が狂いそうだ」

 

「常識の話と傷の話するならな、お前……」

 

 竜胆が若葉の手を取る。

 そこには傷跡があった。

 皮膚の色だけ違う程度の、スパッと切れたような傷跡。

 

 先日の戦いで、EXゴモラの尾の一撃からティガを守り、尾の一撃が纏っていた切れ味鋭い衝撃波の一端に、手を切られた跡である。

 EXゴモラの尾先は非常に鋭く、その一撃はパワフルだ。

 尾を振るだけで人が死ぬレベルの衝撃波が撒き散らされる。

 勇者でなければ手が切り飛ばされていただろうし、勇者であっても手が切り飛ばされていた可能性は十分にあった。

 

 竜胆の首の傷が、若葉の刻んだものならば。

 こちらは、若葉が竜胆を守るために刻まれたものである。

 若葉はこの二つの傷が対照的なものに見えていて、竜胆は同じものに見えていた。

 

「……普通女の子は、自分の体に付いた傷とか気にするもんだぞ。

 それをそっちのけで、他人の傷気にするとか、ちょっとかっこよすぎるだろ」

 

「私の場合、生傷は昔から絶えないからな。

 幼少期から居合いを習っていたのもあって、普通の女の子というのからは遠いんだ」

 

「傷がありゃ女の子らしくないってのは俺には分からんな」

 

「そうか? 傷があれば女性らしさというものは損なわれる気がするが」

 

「この手を見てそういうこと言うやついるのかね」

 

 少女らしくない手なのかもしれない。

 毎日毎日、刀を振っている手。

 敵との戦いで傷付いてもいる手。

 少女らしい手が若葉のように柔らかいなら、これは木だ。

 木のようにゴツゴツとしていて、表面が荒れていて、頑丈で、力強い手。

 若葉のようだった少女の手を、木のようにしてきた心が、日々が、信念が、その手からは見て取れた。

 

「人を守る優しい手だ。

 手に出来たマメも、マメが潰れて分厚くなった皮膚も、手の傷も。

 全部、男も女も関係ない、若ちゃんの勲章だろ。

 こんなに責任感があって、優しくて、綺麗な手を、俺は他に知らない」

 

 若葉の手には、"必ず元の世界を取り戻す"という彼女の信念が詰まっていた。

 あまりにも純度の高い、彼女一人の強い想いが詰まった美しい手。

 

 若葉の手を取る竜胆の手も、とてつもない速さで回復はしているが、傷が多い。

 手の外側は、ボブの空手を身に着けるための特訓で傷だらけになり、手の内側は、最近訓練に使っている旋刃盤型の盾を持つために、潰れたマメなどが増えている。

 あまりにも純度の低い、色んな人の想いを背負った手。

 若葉の笑みが、柔らかくなる。

 

「お前の拳も、不器用に優しい形をしているな」

 

 若葉は共に戦う者が一人もいなくなったとしても、一人で戦うとしても、強く美しく。

 竜胆は弱く泥にまみれることも多いが、一人でないからこそ強かった。

 そして、二人で背中を預け合えれば、もっと強い。

 

 若葉の手が、そっと竜胆の首の傷跡に触れた。

 

「痛くないのか?」

 

「全然。そっちの手は?」

 

 竜胆の手が、若葉の手の傷跡に触れる。

 

「痛くはないが、くすぐったいな」

 

「俺もくすぐったいぞ」

 

「触ってみると、首が少し凹んでいる感じで奇妙な感触だな……」

 

「若ちゃんの方は感触に違いはないな。

 周りの皮膚と違うのは色だけだ。あとは色素が抜ければ傷も消えるかな」

 

 傷は癒えるものだ。

 物理的に付いたものも。

 仲間が死んで、心に付いたものも。

 傷付いても、人は歯を食いしばり、その傷をいつか乗り越えていく。

 

 そしてやって来た友奈が、互いに傷に触れ合っている男女を見て、はわわと声を漏らした。

 

「……傷フェチ……?」

 

「「 変な方向に話を持っていくな! 」」

 

「わぁっ、ハモった!」

 

 また声が重なる。

 若葉が模造刀を腰に吊るし、少し離れ、今度は竜胆と友奈が対峙した。

 

「リュウくんごめんね、遅れちゃって」

 

「いや時間通りだ。俺達が早めに来て早く始めてただけだから」

 

「よーし、特訓始めようか!」

 

 友奈は色々と格闘技を使える上、趣味でも結構格闘技の番組を見ている。

 技の一つ一つは専門家レベルでなく、ボブのように指導もできない。

 ただ、"こういう仕組みでこういう風に放つんだよ"と基本の術理さえ教えられれば、竜胆はそこから才能だけで最高の完成形にまで持っていける。

 

 そういう意味では、今の竜胆が求めているものを与えるには、最高の者であると言えた。

 友奈が何かを教え、二人が軽い組手の形式を行い、竜胆がその技を実際に練習していく。

 

「とおっ! これがガゼルパンチ!」

 

「ふむふむ」

 

「キドニーブローは見せたけど、これバーテックスには意味ないやつだよね」

 

腎臓打ち(キドニーブロー)だから、まあそうだな。あいつら腎臓あるかも怪しい」

 

 友奈が何かしら動きをやってみせたり、動画で一度見せたりして、竜胆が一度それを自分でもやって見せると、友奈は目を丸くする。

 一回見た動画を真似ただけでも、ありえないことに、既にアマチュアの格闘大会ならば実戦レベルの完成度になっていた。

 技によっては、友奈が技をやってみせて竜胆が真似ると、一回で友奈以上の完成度になることすらあった。

 

 劣等感を覚えなかったのは、友奈が竜胆と競う気を一切持っていなかったから。

 竜胆を敵やライバルだとは一切思っていなかったから。

 彼を全面的に味方だと思っていたから。

 要するに、彼女がとてもいい子だったからだ。

 

 格闘技を習い始めてから、尋常でない速度で頭角を現していく竜胆の才能に、友奈はただ信頼と心強さを覚える。

 

「でも必要なのかな、リュウくんに新しい戦闘スタイルの構築なんて」

 

「グレートとボブの格闘技はよく似てた。

 なんでかは分からないが、動きはほぼ空手のそれだったからな。

 で、ゼットはそれに対応してた。あいつはウルトラマンの武術に対策してんじゃないかな」

 

「……グレートの格闘技や、それに似てる空手じゃ、駄目ってこと?」

 

「駄目とは言わない。

 だけどグレートは本当に空手の動きだったからな。

 ゼットがそれを見切ってる以上、空手ベース一本じゃなくもう少し多様化させたい。

 ボブとグレートの技を奴に叩き込むには……フェイントに使える、スタイルがもう一つ欲しい」

 

 普段遣いの空手ベースな重厚格闘術に、もう一つ、何かをサブに沿えたい。

 それは、全然種類の違う二つの格闘技でトッププロになろうと考えるようなものだ。

 サッカーと野球の両方でトッププロになろうとすることに等しい。

 天才だからこその発想であり、天才だからできること。

 そして、その程度できなければ、ゼットには太刀打ちすらできないということでもあった。

 

「となると組み技(グラップリング)

 関節技(サブミッション)

 絞め技と締め技を伸ばすのもいいし、別種の打撃格闘家(ストライカー)目指すのもいいよね」

 

「相手は槍だ。で、一兆度もある。

 瞬間移動はホールド光波があるが……

 火球をかわせるフットワークは欲しいな。

 あと、槍の間合いに対応できる技と、槍の懐に入ってからの技」

 

「なるほど、なるほど」

 

 友奈が教えて、竜胆が打ち、友奈が受けて練習が繰り返される。

 

「竜胆、脇が開いているぞ。友奈、竜胆の動きに緊張感が無い。適度に反撃も混ぜてやれ」

 

「「 はい先生! 」」

 

「誰が先生だ誰が」

 

 横から若葉が、第三者としての視点からアドバイスも入れてくれるので、訓練効率の高さは言うまでもない。

 

「プロレスの手刀打ちとか、中国拳法の縦拳とかどうかな。威力は低いけど」

 

「威力が低くちゃなあ」

 

「でも、巨人なら、他の技と併用するとかで、威力の低さを補えない?」

 

「!」

 

「チョップして、同時にバーンと手から光線撃つとか!」

 

「それはまだ無理だが……いや、面白いな。

 ウルトラマンっぽくない戦い方をしつつ……

 "手から光線を撃てる人間らしい戦い方"か……」

 

 敵がいつもの敵だけならいい。

 だが、ゼットがいる。

 どんなに努力をしても勝てる気がまるでしてこない、あの宇宙恐魔人が来る。

 しからば努力は絶対に必須だ。

 アレを超えられなければ、人類にも世界にも未来はない。

 

「武器を持っていても持っていなくても、側面や後方は弱点。

 だからこう、リュウくんはフットワークで機敏にゼットの左右へ回り込む動きで……」

 

「こうか? どう? ビデオの格闘家の人っぽいか?」

 

「ぽいぽい!」

 

 もしも、地球人が、ウルトラマンや侵略宇宙人に勝る点があるとするならば。

 

 仲間と共に努力し、先人が積み重ねて来た技や戦術を吸収し、短期間に劇的に強くなる成長力。それしかない。

 それは地球人が持つ力。

 ウルトラマン達の中でも、人間と関わったウルトラマン達のみが持つ力。

 十万年以上を生きるウルトラマン基準ではなく、百年しか生きられない人間を基準とした、短い時間を懸命に生き成長していく力だ。

 

「リュウくんから見て、槍が右から来たら左に回り込みながら受ける。

 槍が左から来たら、右に回り込みながら受ける。

 突きは死ぬ気で拳で弾くか、あるいは掴むか、旋刃盤で受ける。

 振り下ろし、切り上げは、踏み込んで柄を掴もう。

 このくらいかな。素人考えだから、どう転がるか分かんないけど……」

 

「いや、参考になるよ。サンキューな」

 

 勇者に槍使いがいないのが、少しネックではある。

 ゼット対策ならば、槍使いの勇者と戦う以上の特訓はあるまい。

 

「若ちゃん槍とか使えないのか?」

 

「あいにく、私は刀一本だ。槍では満足な技量は見せられん」

 

「槍似合いそうなのになあ、若ちゃん」

 

「ないものねだりをしてもしょうがないだろう」

 

「正論言うなぁ」

 

 竜胆の拳と、友奈の拳が弾き合う。

 友達が相手だと、友奈は本気で戦えない。

 よって若葉の時ほど、互いが高め合う様子はない。

 互いに本気ではないからだ。

 だが友奈がTVなどで見た技を教え、それを実際に技として身に着けた竜胆の攻撃を友奈が受け、友奈が防戦や駆け引きの技量を高めていく。

 

 竜胆と若葉とは違う形で、二人は互いを高め合っていた。

 若葉と竜胆が、互いを嫌わないまま『競い合い』、高め合うのなら。

 友奈と竜胆は、互いにこういう攻めがあるよと『教え合い』、高め合っていた。

 

「勇者パンチ!」

 

「あー! 私の勇者パンチ! パクリだ!」

 

「著作権を管理する建物はバーテックスがもう壊してるからセーフ」

 

「あ、それはズルい! 改名! 改名を要求しますっ!」

 

「じゃあユーナパンチで」

 

「……ちょっと字変えただけな上に私の方が猛烈に恥ずかしいっ……!」

 

「"ユーキがなければ、なんにもならねえ!"の略だぜ」

 

「ジーッとしててもドーにもならないとかの略にしよう!」

 

「えー」

 

 ジードパンチも却下された。

 ふざけも混じえつつ、二人は真面目に力を磨いていく。

 "努力するなら真面目に、でも楽しく"はボブの教えだ。

 竜胆も、若葉も、友奈も、そう教えられてきた。

 誰も忘れることはない。

 

 戦いの技を磨く中、唐突に竜胆は思った。

 

ティガ(この力)にも、本来の戦い方とか、あったんだろうか)

 

 "ティガらしい戦い方"とはなんだろう、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブラックスパークレンスは、三年間ずっと大社の手で調査と研究を重ねられてきた。

 調査の結果これは、闇に固められた部分こそ最近構築されたものだが、ごく一部の物質は驚くべきことに『三千万年前』のものであることが判明した。

 三千万年前。

 まだ類人猿すら発生しておらず、猿が固有の進化をしていて、南極大陸にデカい氷が出来始めた頃の話だ。

 当然ながら、現生人類の祖先はまだ猿から人になってすらいない。

 

 そんな時代の物質が発見されるとは、どういうことなのか。

 その時代に来た巨人なのだとすれば、ティガは何者なのか。

 何故、意思を持たないのか。

 あるいは、最初から意思など無かったのか。

 ティガという存在は、大社でも重要な研究対象とされるものだった。

 

「ティガの力はどこから来たのか……あるいは、いつ来たのか」

 

「竜胆君、このあたりの本も参考になるんじゃないかしら」

 

「ありがとう、ちーちゃん」

 

 竜胆の前に、千景が本を積む。

 ここは丸亀城敷地内の集本施設。言うなれば図書室だ。

 勇者を育てるための教本から、精霊や神々などの基礎知識が記されたものなど、バーテックスと戦っていくために必要な本が揃っている。

 

 二人が読み始めたのは、神話の本。伝承の本。

 そして特別に取り揃えられた、二人が出会ったあの村の周辺の言い伝えを示した本に、あの辺りの地理を書き記した本。

 要するに、"ティガの手がかりがある可能性が僅かにでも存在する本"であった。

 

「これで何か分かるのかしら」

 

「大社の推測曰く。

 ちーちゃんが神に選ばれたのは、あの社に近いところに居た人間で、最も適格だったから。

 そして俺が選ばれたのも、近くに『神の社』に相当するものがあったんじゃないかって話だ」

 

「神の社に相当するもの?」

 

「ピラミッドか、古墳か、塔か……

 はてさてそれは分からない。

 俺は心当たりないし、大社の人も見つけてないし」

 

「ふぅん……?」

 

「見つからないなら見つからないでいい。

 でも、大社の人は面白いこと言ってたよ。

 『三千万年前に地球に居た者だとしたら』

 『天の神や神樹の神々より先に地球に居た者だとしてもおかしくはない』って」

 

「!」

 

「面白い発想だよな。

 なら、ティガは神に顔見知りもいるかもしれない、とか。

 神にはティガを知っている者もいるかも、とか。

 ……もしかしたら、ティガを使って神の戦いの仲裁と和平を考えてる人だっているかも」

 

 ティガは最低でも、三千万年前に地球にいたことは確実だ。

 ティガの力に意思はないのかもしれないし、ティガの力には本当は意思があるかもしれないし、そこにはもしかしたら超古代の記憶が眠っているかもしれない。

 可能性レベルなら何でも言える。

 ティガは神の弱点を知っているかもしれない。

 ティガが神の敵であったかもしれない。

 天の神とティガが友であった可能性だってある。

 可能性レベルなら、何だって言えるのだ。

 

 『三千万年前』とは、それほどに特異な個性なのである。

 

 ガイア、アグルは、明確に意志無き巨人の力であるという。

 ネクサスは融合したものの多くは語らないウルトラマンであるとか。

 グレートもパワードも、一万年以上前にここではない地球で戦ったことがあるそうだが、それでも三万歳は行っていない。

 グレートとパワードが父のように慕うウルトラの星の宇宙警備隊隊長・ウルトラの父でも、現在17万歳である。

 

 一方、日本の神話においては、天照大神の孫であるニニギ、ニニギの孫のそのまた子である神武天皇(初代天皇)が存在する。

 このニニギが人の世界に降り、神武天皇が活躍する時代までで、約179万年が経っていたとされている。

 もちろん、神はこの間寿命死などしていない。

 要するに、日本の神々と比べれば、ウルトラマンの年齢ですら赤子同然なのだ。

 

 『ウルトラマン』という存在と概念が宇宙に誕生したのが27万年前。

 100年程度しか生きられない人間からすれば実感には程遠い規模の比較だが、日本の神々というものは、ウルトラマン達と比べても"凄まじい"と言えるほどのスケールを持っているのである。

 

「神様って何年生きるんだろうな、ちーちゃん」

 

「……寿命で死ぬイメージは、無いわね」

 

「俺達どのくらい生きられるんだろうな、ちーちゃん」

 

「100年か……あるいは、あと数日……かな」

 

「人殺しの神様より先に死にたくはないよなあ」

 

「……うん」

 

 人は死にました、神様はそれからも何万年も好きに生きます、じゃスッキリはしない。

 神様は消えました、人間は神様を倒した後も何十年か生き続けました、ならいい。

 そんな感覚。

 天の神が長生きなら、なおさら勝ち逃げなんてさせたくない、というのが人情というものだ。

 

「……でも、人が嫌いで、人を殺そうとする神様がいるのなら」

 

「ん?」

 

「私にはその理由……分からなくもない」

 

 千景は村の地形図を見ていた。

 "ティガにとっての神の社"を探しているようにも見えるが、違う。

 彼女はそれを通して、あの村を見ている。

 あの過去を見ている。

 

「『あれ』が……人を滅ぼす理由と同じものなら、私は少しだけ、理解はできる」

 

 人の醜さ。人の悪意。人の衆愚。

 

 それが人を滅ぼす理由であるというのなら、千景はその気持ちに小さな親近感を覚える。竜胆は絶大な忌避感を覚える。

 

「もしそうなら、俺が言うことは一つだな。『ふざけんな』だ」

 

 人の悪意に、望まずして殺害で応えてしまった竜胆がそう言うことに、千景は複雑な感情を抱いた。

 

「俺は世界を滅ぼしてくれなんて頼んだ覚えはない。だから、ふざけるな、だ」

 

 ティガとはなんなのか。

 三千万年前というスケールで昔、何があったのか。

 神というものは、超古代から地球に存在するティガというものと、どういう関係があったというのか。

 それは分からない。

 何も分からない。

 ただ、これだけは言える。

 

 何を知っても、彼らが滅びを受け入れることはない。

 未来にやりたいことが、あまりにも多すぎる。

 

「『世界を滅ぼす理由』なんて、理解はできるけど納得なんてできないだろ。俺達は」

 

「そうね。納得だけは、絶対にできない」

 

 醜い人間に憎悪を持ち、そんな人達の滅びなら享受できる千景。

 だが、世界の滅びは受け入れられない。

 醜い人間への憎悪と、その人間の幸福を願う二面性を持ち、基本的には光である竜胆。

 当然、自分の滅びはともかく、世界の滅びは受け入れられない。

 二人共、滅びたくなんてないのだ。

 

「世界が平和になったら、一緒に世界の千景(せんけい)でも見に行こう。きっと楽しいぞ!」

 

 竜胆が笑顔で声を上げる。

 暗くなった空気を一変させる。

 滅びではなく、未来を語り始める竜胆。

 

千景(せんけい)……」

 

「行こうぜ一緒に。きっと……じゃないな、絶対楽しいからさ。約束だ」

 

「約束……一緒に……」

 

 千景は、こくりと頷いた。

 滅びを退け、世界が平和になれば、世界の色んなところだって見に行けるはず。

 それは、未来の約束だった。

 

 千景(せんけい)

 竜胆は頭が悪いとしょっちゅう言われるが、頭の回転は悪くないとも時々言われる。

 彼の語彙は豊富ではないが、彼の言葉選びは、時に千景の心に染み込む。

 

「ケンと一緒に皆のお弁当作ってさ。

 ひーちゃんとかと計画表作ったりして。

 若ちゃんと川見たり、海見たり。

 友奈と山見たり、花畑見たり。

 伊予島と観光地に行ってみたり。

 皆で一緒に色んなところを見に行ったら、それだけで絶対に楽しいに決まってる!」

 

 彼が提示したのは"二人で行く楽しさ"ではなく、"皆で行く楽しさ"だったが、千景にとってはそのどちらも嬉しいもので。

 未来を思うと、千景の胸の内は暖かくなっていく。

 

「……うん」

 

 二人は適度に話しながら、資料を調べていく。

 収穫は無いが、悪くない時間であると、互いに思えた。

 くだらない話をしていたりすると、千景の視線が竜胆の首元で止まる。

 

「……傷、薄れてきたと思ったのに」

 

「無けりゃ無いにこしたことはないが、あったらあったで嬉しい。

 ま、暴走した俺を友達が止めてくれた証、みたいなもんだからな」

 

 竜胆が苦笑して、千景は無感情に"若葉の傷で半ば上書きされた千景の傷"を見た。

 

「私との友情は、乃木さんとの友情で上書きされたのね……」

 

「えっ」

 

 あっ、やべっ、なんか地雷踏んだか? と竜胆の思考が高速で回る。

 露骨に焦り、竜胆の頭脳がフル回転する。

 

「ちょ、ちょっと待った、そういうわけでは」

 

「冗談よ」

 

 ガン、と机に、フル回転していた竜胆の頭がぶつかる。

 "冗談よ"と言った千景の表情は、これ以上無いくらいにしれっとしていた。

 

「おいちーちゃんテメー」

 

「いつも私だけ本心見抜かれてるから……ちょっとは本心を偽れるように、って思って」

 

「茶目っ気出てきたなぁ。良いことなのかもしれないけどさ」

 

 千景が冗談を言うのは珍しい。

 それで相手を手玉に取るのも珍しい。

 だが、それは友達という関係性であれば、当然のようにあるものだ。

 気安い友達の間柄なら、さして珍しいものでもない。

 

「ああ、でも……」

 

 それは千景の人生には無かったものの一つ。

 

「からかったり、冗談を言っても、許してくれる友達がいるのは……うん」

 

 冗談を言っても許してくれると思える友達が居てこその冗談。

 冗談を言うことさえ許されない場所から抜け出せた、だからこそ言える冗談。

 千景が冗談を言って、それを友達が何気なく許してくれること。

 それが日常の中に、当たり前のように溶け込んでいること。

 この少女にとってそれは、小さな幸せを感じられるものだった。

 

「不思議な気持ち」

 

 千景は、不思議な(うれしい)気持ちを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 資料漁りを始めた竜胆。

 だがそれは無謀な挑戦だった。

 並ぶ活字。

 積み重なる本。

 難しい言葉の羅列。

 読書は容赦なく竜胆を睡魔に誘い、千景は毛布を竜胆にかけ、ちまちまとティガのルーツの手がかりを調べていたが、結局結果は出ず。

 

 千景は竜胆の寝顔を撮影、『件名:間抜け面』で友奈に送信し、竜胆が起きるまで傍でじっとゲームをして待ち続けた。

 起きた竜胆は平謝りし、特に気にしていない様子の千景と別れ、そろそろ夕方になりそうな丸亀城を歩いていく。

 

「お」

 

 そして門近くで、見知った背中を見つけた。

 

「伊予島って髪長いから、後ろから日が照らしてると結構綺麗だな」

 

「わきゃっ……って、御守さん?」

 

 背後から声をかけられて、杏は少し驚いたようだが、竜胆の顔を見てほっとした顔を見せる。

 

「どうしたこんなところで立ち止まって。捜し物か? なら手伝うけど」

 

「いえ、待ち人です」

 

「待ち人?」

 

「アナちゃんが……アナスタシア、ネクサスの子が、戻って来れるそうなんです」

 

「!」

 

「急な話ですが、治療を続けながら丸亀城待機という形にするのだとか」

 

「大丈夫なのか? 治療続けてるってことは、完治してないんじゃ?」

 

「アナちゃんですから、考えがあるんだと思います。

 幼い子ですが、賢い子で、他の人には見えていないものが見えている子なので」

 

「……皆が納得してるなら、それでいいんだろうが、よく分からないな」

 

 竜胆は、仲間達がアナスタシア・神美(かなみ)について話している時に、小さな違和感を覚えるようになった。

 

(そうだ、これは)

 

 ガイアやアグルの生存を、確たる証拠もなく信じている皆の言葉には、"あの二人は強い"という信頼がその裏にある。

 だが、アナスタシアについて語る時、皆がアナスタシアの強さを信じている風な言葉を、竜胆は聞いたことがない。

 なのに、アナスタシアの判断などは全面的に皆信じている、そんな印象がある。

 

 強いから信じられているのではない。

 何かが違う。

 アナスタシアという少女は、強さ弱さではない部分で、"この子の選択は正しい"という信頼を勝ち取っている。

 

("凄い奴"への扱いじゃなくて、"自分とは違う人間"への扱いだ。

 "凄くて自分とは違う奴"とかそういうのじゃない、『強者』じゃなくて『異質』への扱い)

 

 その子が今日、これから、帰って来るという。

 

「アナスタシアって、どんな子なんだ?」

 

「優しい子ですよ。

 誰にでも優しい子です。

 辛い目にあってきたはずなのに、スレてなくて純真な子です。

 入院してからは、面会謝絶の日が多くてあんまり会えてません。

 その面会謝絶も体調のせいらしくて……

 心配してたんですけど、ようやく少しは良くなったみたいで、よかったです」

 

 杏の表情は、本当に本気で心配していた人間が、"よかった"と心底回復を喜び安心していなければ、できないような表情だった。

 

「ありがとう。参考になった」

 

「私なんかの人物評では、あまりあてにならないかもしれませんけど……」

 

「いいや、あてになるよ。

 伊予島の感覚は普通の女の子っぽいからな。

 他の勇者よりは普通の感覚で見てるだろうと思うし」

 

「それなら良かっ……あれ、普通の女の子"っぽい"ってなんでしょうか」

 

「伊予島は面白いやつだから」

 

「あ、あの、ちょっと! そこの部分の言い回しの説明をお願いします!」

 

 千景はおそらく、竜胆のこういうところからも色々学んでいったのだろうが、竜胆にそういう自覚はあまりなかった。

 

「俺はな伊予島、『変人じゃない』と『普通』はイコールじゃないんじゃねと思えてきたんだ」

 

「わ、私は勇者なだけで普通の子ですもん……というか、その、名字……」

 

「名字?」

 

「……なんでもないです」

 

 杏が何かを言いかけて、口下手な千景のように口ごもる。

 もうちょっと理解度と友好度が必要なようであった。

 

「あ、車来たな。あれ?」

 

「あれですね、きっと」

 

 車から、車椅子に乗った小さな女の子が降りてくる。

 黒い髪、緑の目。

 黒い髪は、日本人とは違う白すぎるくらいに白い肌を引き立てるために黒く在るようで、色のある髪より色のない肌の方が際立っていた。

 幼い子だ。

 身長は球子より低く、手足は非戦闘員のひなたより細く見える。

 ひなたがその車椅子を、優しく押していた。

 

「ひなたおねーちゃん、ありがと」

 

「うふふ、どういたしまして」

 

 アナスタシアは、雪のような少女だった。

 肌の白さだけではない。

 その雰囲気が、脆く、儚かった。

 触れれば溶けて消える雪のように、脆さと儚さが感じられる。

 

 車から降りたアナスタシアは、"そこに居ることが分かっていた"かのように、竜胆を見た。

 驚きもせず、反応もせず、最初からそこにいることが分かっていたかのように見た。

 

「それと初めまして。ティガダークの人、御守竜胆」

 

「!」

 

「分かるよ。存在感が、暗い。醜い。これは闇だ。あたしには分かる」

 

 アナスタシアの言葉には、悪意がない。それは事実の列挙だ。

 少女の視線が竜胆を射抜いている。

 魂の底まで見抜かれていそうな視線。その時少女が一瞬見せた神聖な雰囲気に、根本的に闇の属性である竜胆は、ゾクリとした。

 

「よろしく。ええと、アナちゃんでいいのかな」

 

 それでも手を差し出し、握手を求めてみるが、握手はすげなく拒否される。

 

「ふん」

 

「……あれ」

 

 握手拒否に、拒否された竜胆も、それを横で見ていた杏も驚いていた。

 アナスタシアの竜胆に対する対応は、とても冷たい。

 

「仲良くしなくていいわよ。

 どうせ、結果は何も変わらないから。

 どうせ死ぬんだから、仲良くしない方がいい」

 

「アナちゃん!?」

 

「死別の悲しみは少ない方がいいでしょ」

 

 アナスタシアの様子に、杏は心底驚いている。

 優しい、スレてない、純真。杏がアナスタシアを評した言葉だ。

 だが、これはどういうことか。

 杏の評価とどこもかしこも一致しない。

 そして、"杏が節穴だったんだ"なんて思うほど、竜胆は杏の人を見る目を低評価してはいなかった。杏が間違っていた、だなんて竜胆は思わない。

 

「あんたもテキトーにやってた方が良いわ。

 何しても無駄なら、努力なんてするだけ無駄。

 テキトーに手を抜いてた方が楽に済ませる分マシよ」

 

「何も無駄にはならない。俺はそう信じてる。

 適当にやって後で後悔する方が嫌だからな」

 

「だから、どうせ後悔して終るんだから、無駄な努力だって言ってんの」

 

「『どうせ』とか言うなよ。未来のことなんて本当は誰にも分からないんだ」

 

「分かるわ」

 

「は?」

 

「その理屈なら、未来のことが分かる人間なら、いくら悲観的なこと言ったって良いのよね」

 

「何言って……」

 

 アナスタシアは車椅子のバッテリーを使い、車椅子を動かして丸亀城の中へと進んでいく。

 置いていかれた竜胆は、わけもわからず頭を掻いた。

 杏は困惑した様子で、アナスタシアをここまで連れて来たひなたを問い詰めようとする。

 

「ひなたさん、これは一体……」

 

「……理由は聞いても答えてくれませんでした。

 いつからかは分かりません。何を考えているのかも……」

 

 だが、アナスタシアが最も懐いていて、アナスタシアが最も心を開いていた上里ひなたにも、彼女の豹変の理由は分かっていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 一人で部屋から出られない竜胆を、外から鍵を開け、若葉が外に出してくれた。

 最近は大社で竜胆を評価する声から警戒レベルの引き下げが検討されているらしく、部屋の鍵を内側から開けられるようにする案と、首の爆弾を外す案が出されているという。

 それはまた、別の話。

 

「ありがとう、若ちゃん」

 

「このくらいならいつでも頼んで良いぞ」

 

「サンキュー。……ああ、そうだ。

 若ちゃん、アナスタシアって子のこと、どう思ってる?」

 

「既に会っていたか。ああいう子ではなかったはずなんだが……」

 

 竜胆は、"正しく強い者"から見たアナスタシア評を聞こうとしていた。

 若葉は少し考え、自分なりの回答を返す。

 

「そうだな、アナスタシアは……

 諦めない子だった。気丈な子だった。

 それと……仲間を、兄や姉、父や母のように、よく慕っていたな」

 

「……」

 

「あの子は不安なのかもしれない。

 あの子は6歳の時に、ロシアでウルトラマンになった。

 ウルトラマンになった日に、両親と友達を全員殺されている」

 

「!」

 

「その上で、その日から三年間ずっと、様々な土地で人を助けるため戦ってきた子だ」

 

「……強い子だな」

 

「ああ、立派な子だ。だがその分、無理をしてきたツケが来たのかもしれない」

 

 若葉はアナスタシアの変化を、柔軟に受け止めているようだ。

 自分達でフォローすべき事柄である、と考えているらしい。

 アナスタシアの過去を考慮した上で、若葉なりに対応をしかと考えている。

 

「もし何かあっても、竜胆は優しくしてやってくれ」

 

「ああ」

 

 若葉と別れ、竜胆は朝の掃除をしに食堂に向かった。

 

(今、9歳? 10歳? 何にせよ……幼すぎる。

 ストレスでグレてもおかしくない。ウルトラマンにしたって幼すぎる)

 

 アナスタシア・神美は、ウルトラマンネクサスである。

 ロシア出身の、日本人とロシア人のハーフである少女だ。

 今、地球上で人間が生きているのは日本だけ。

 ウルトラマン達を除けば、国外から日本に逃げ込めた人間は一人もいない。

 つまりはそういうことだ。

 

 聞けば、ロシア壊滅の前からずっと、世界を転戦中だったボブがアナスタシアの手を引き、面倒を見ていたらしい。

 そうでなければ、生きていけない年齢の少女だった。

 大人が面倒を見なければならない、本当に幼い少女だったのだ。

 

 竜胆が今まで出会ってきたどのウルトラマンとも違う、大人ではないウルトラマン。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 竜胆が他のウルトラマンに対し"自分がしっかりしてあの子を支えてあげないと"と思うのは、これが初めてだった。

 

(あ)

 

 そして、誰もいない食堂で、一人泣いているアナスタシアを見た時。

 

 

 

「ボブおにーちゃん……タマおねーちゃ……」

 

 

 

 この子を守らなければ、と竜胆は思った。

 アナスタシアの偽悪的な振る舞いは、全ての意味を喪失した。

 その少女は、竜胆が生涯で出会ったウルトラマンの中で唯一、竜胆が『守らなければ』と最初に思ったウルトラマンであった。

 

「―――っ」

 

 竜胆の気配を感じたのか、アナスタシアが目をゴシゴシとこする。

 涙は消えたが、目の周りは真っ赤っ赤。

 これで誤魔化せると思ってしまうのが、子供ということなのだろう。

 

「なによ」

 

「あ、いや、なんでも」

 

「じゃあとっととどっか行きなさいよ」

 

「……うーん」

 

 アナスタシアが何故、こうなったのかは分からない。

 誰に聞いても、アナスタシアはいい子だという話しか出てこない。

 だが現実は、ちょっとやさぐれた女の子にしか見えないのだ。

 竜胆はとりあえず、自分も好きで子供もだいたい好きなものを食堂の冷蔵庫から引っ張り出し、アナスタシアの前に置いた。

 

「はい」

 

「わっ、アイスクリーム!」

 

「俺が前に食わずにとっといたやつ。食べていいよ」

 

「いいの?」

 

「他の人にはナイショな?」

 

「うんっ!」

 

 竜胆は、ここで大体察した。

 この子は偽悪的に振る舞っているだけで、その根底は純粋でいい子なままである、と。

 いい笑顔でアイスクリームを食べているアナスタシアを見て、そう確信する。

 そこに一体、どんな理由があるというのか。

 竜胆は、アナスタシアがアイスを美味しそうに食べ、食べ終わった頃にはっとして、また偽悪的な表情を作り、話を再開できるタイミングを待った。

 照れた様子で、誤魔化そうとしつつ、感謝の意を述べるアナスタシア。

 

「……ありがと」

 

 この子は悪い子にはなれないだろうなあ、と竜胆は直感的に思った。

 

「あたしはね、天才なの。すっごーい天才。誰よりもすっごいのよ」

 

「へえ……そりゃすごいな」

 

「"巫女と巨人のハイブリッド"なんて、あたししか居ないんだから」

 

「ハイブリッド?」

 

「勇者、巫女、巨人。

 今の人類で『力』を持っているのはこの三種だけ。

 あたしはその内の二つ、巨人の力と巫女の力を持ってるの」

 

「それでハイブリッドか。そりゃ確かに、凄いな」

 

 "勇者にして巫女"のハイブリッドも、"巨人にして勇者"のハイブリッドも、未だ一人も確認されていない。

 彼女と同じ"巫女にして巨人"も当然いない。

 アナスタシアは他に例を見ないレベルのオンリーワンだ。

 

 巫女の力を持つ勇者と、勇者と呼ばれるようなウルトラマンが、一つの時代に揃うなんていう奇跡が起これば、その二人の共闘は世界の救済に直結するというレベルである。

 そのくらいに希少で、強力な存在なのだ。ハイブリッドは。

 

「巫女は神と繋がる者。

 ハイブリッドなあたしは、神様と繋がる天才なのよ。

 あたしと一体化したウルトラマンはね、力こそ失ってるけど、ウルトラマンの神様なんだ」

 

「ウルトラマンの、神様?」

 

「ウルトラマンの神、『ウルトラマンノア』。

 それが一時的に力を失ってるのが、あたしの半身『ウルトラマンネクサス』。

 あたしは巫女だからね、巨人が与えてくれた力以上のものを引き出せるんだよ」

 

「ウルトラマンの神に、神に繋がる天才の巫女、か」

 

「地球上にもうデュナミストはあたししか残ってないから……しっかりしなきゃ……」

 

「デュナミ……何?」

 

「あ、ううん、こっちの話」

 

 ウルトラマンネクサスと一体化できる人間を、デュナミストと呼ぶ。

 要するに、"ウルトラマンネクサスと一体化できる素質のある人間"ということだ。

 この才能を持つ人間は、さほど多くはない。

 

 アナスタシアがデュナミストとして選ばれた時点で、ロシア近辺のデュナミストは0。

 現在時間軸において、70億以上の人間が殺戮された結果、地球上にアナスタシア以外のデュナミストは一人も残っていない。

 ウルトラマンネクサスが一体化できる人間は、もうアナスタシアしかいないのだ。

 これがまた、アナスタシアの小さな体に重圧をかけていた。

 

「なあ、アナちゃん」

 

「何?

 あ、アイス美味しかったです。

 ありがとうございました。

 ……聞きたいことあるなら、さっさと聞きなさいよ」

 

「……扱いに困るな君。

 まあそれはそれとして。

 昨日言ってた、未来のことが分かるってどういうことなんだ」

 

 一瞬。一瞬だけど、確かに、アナスタシアの目に絶望が浮かぶ。

 それは一瞬なれど、どんな人間でも見逃すことはありえないと言えるほどに、明確で鮮烈な絶望の色だった。

 

「後悔するよ」

 

「後悔しない」

 

 竜胆は言い切る。

 アナスタシアはそこから、たっぷり一分は悩み、重々しく口を開いた。

 

 年齢相応な顔だと、竜胆は思う。

 さっきアイスを食べていた時は、年齢相応に嬉しそうな顔をしていた。

 そして今の彼女は、年齢相応に、泣き出しそうな顔をしていた。

 

「最初は、シャイニングフィールドって技を練習してた時だったの。

 あたしがその時見たのは、未来から流れ込んできた情報。

 つまりは確定した未来を見る方法を、あたしは感覚で掴み取ったんだよ」

 

「未来を……!?」

 

「意図的にはあんまり使えないの。

 安定して色々見えるようになったのも、二月の入院中にやっとって感じで。

 未来から流れてきた光景や情報を、あたしは、拾って集めて見ていって……」

 

 そう、それは、未来視の力。

 アナスタシアが融合したウルトラマンノア/ウルトラマンネクサスは、時空すら超越するウルトラマンの神である。

 その中には当然、時間軸を無視した力もある。

 彼女は天才だった。

 天才過ぎた。

 戦闘の天才ではなく、神と繋がる巫女という天才。

 ネクサスが与えていなかった力すら、アナスタシアは強引に引き出してしまったのだ。

 

 そして、見てしまった。

 

「この先、何が起こるんだ?」

 

「次の戦いからの数回で、敵の戦力の入れ替えが始まるよ。

 ガゾートはベムスターと総入れ替え。

 ザンボラーはバードンと半入れ替え。

 新規怪獣も投入されて、新規亜型十二星座も投入される。

 新手がどんどん追加されて、手が回らなくなって……それが小手調べだったって判明する」

 

「……!」

 

 巨人殺しの怪物(ベムスター)

 巨人殺しの怪鳥(バードン)

 竜胆はピンと来ない。

 実際に戦場で相対するまで、本当にピンと来ないだろう。

 ()()()()()()()()をこれでもかと並べるということの、恐ろしさを。

 

「この戦いで、非常事態宣言と一部を除いた四国全域に避難指示が出るんだって」

 

「避難指示って……四国の外に逃げ場なんて無いだろ!?」

 

「皆避難所行きになるの。街から人はいなくなる」

 

 避難勧告ではない。避難指示である。

 

「その次の戦いで、畏怖(イフ)終わり(ゼット)がそこに追加」

 

「ゼットと、イフ?」

 

「イフはゼットとほぼ同格。いや、そっちの方がゼットより強いかも」

 

「―――は?」

 

「ここでケンとパワードが戦死」

 

「―――え?」

 

「5月17日、ひなたおねーちゃんが死ぬ。ここで若葉お姉ちゃんが半ば潰れる」

 

「待て、待て」

 

「6月1日、千景おねーちゃんと杏おねーちゃんが死ぬ。

 というか、千景おねーちゃんの方はあんたが殺す。

 6月2日、若葉おねーちゃんが敵にやられて死ぬ。

 6月14日、友奈おねーちゃんが精霊の使いすぎの自滅で死ぬ。

 6月22日、私が死ぬ。

 ここの日のビジョンでガイアとアグルの死体も見えたから、二人もここでは確実に死んでる」

 

「待て、待て、待て!」

 

「あなたが生き残って、人類が負けて、終わり。夏は越えられないよ」

 

 もしも、それが本当に、未来視なのだとしたら。

 

「皆死んで……人類が負ける……?」

 

「私が見た世界が、分かった? 未来に希望なんて無いんだよ。可能性なんて無いの」

 

「起こるわけないだろそんなの!」

 

「私は予言をしてるわけでも預言をしてるわけでもない。未来はもう決まってるの」

 

「……そんな、わけが……!」

 

「……西暦じゃ、終わらないの」

 

「え?」

 

 アナスタシアは、吐き捨てるように言った。

 

「神世紀にならないと……終わらないのよ、何もかも!

 前座に、舞台を終わらせる権利なんて、無いのよ……!」

 

「しんせーき……? ま、待て、なんだそれ」

 

「西暦は今年で終わって、来年から神世紀になる。

 神世紀300年に最後の戦いが始まり、世界は救われる。

 私達の死は無駄になりませんでした、未来で世界は救われます……

 ……それで終わりよ。この時代じゃ、どうやっても勝ち目なんてないんだって!」

 

 勝利の可能性無き西暦。

 

 決着の未来、幸福の結末は、西暦で敗北し、皆が死んだ三百年後の未来にある。

 

 そんな未来視を、アナスタシアはしてしまった。

 

「未来なら、変えられるんじゃないのか!?

 アナちゃんが未来を見たなら、それを変えることだって!」

 

「あたしは……あたしはね……

 あたしが見た未来の中で、タマお姉ちゃんの旋刃盤を直してなかった。

 武器を直したら、タマお姉ちゃんはまた戦場に出てしまうから。

 未来視の中のあたしは、武器を直さないことで、タマお姉ちゃんを守ろうとした」

 

「え?」

 

「武器を直さなかったことで、タマお姉ちゃんが死んだ未来を見た。

 だからあたしは、タマお姉ちゃんの武器を直した。

 未来を変えるために。

 ……でも、タマお姉ちゃんが死んだ日付すら、変えられなかった……!」

 

「―――なっ」

 

「あたしが見た未来は変わらない。

 未来は何も変わらない。

 旋刃盤の有無は、タマお姉ちゃんの生死にガツンと関わるはずなのに……!

 そんな大きなものですら、タマお姉ちゃんの生死に一切の影響は出なかった……!」

 

「そんな……」

 

「あたしがタマお姉ちゃんの武器を直したから、タマお姉ちゃんは死んじゃった!

 ……そんな、とってもいやな、でも本当のことが、一つ増えただけだった……!」

 

 往生際悪く、竜胆は食らいつく。

 

「……見たものは幻で、偶然だった、ってことも」

 

「証拠、あたし、出せるよ」

 

 アナスタシアがコインを指で弾く。

 

「裏」

 

 裏、とアナスタシアが言った後に、落ちたコインが裏面を上にして止まった。

 

「表」

 

 表、と言って弾いたコインが、表を上にして止まった。

 

「表」

 

 表、と言って弾いたコインが、表を上にして止まった。

 

「裏」

 

 裏、と言って弾いたコインが、裏を上にして止まった。

 

「このくらい近くて単純な未来なら、常に見えてるの。あたしの目は」

 

「……嘘、だろ」

 

「未来は変わらないし、変えられない。……こんな未来、本当は、見たくなかったよ」

 

 アナスタシアの豹変の理由が、全て理解できた。

 彼女は見てしまったのだ、絶望を。

 未来(ぜつぼう)を。

 だから、全てのものを諦めようとしている。

 心がそれを諦められるわけがないのに、理性で全て諦めようとしている。

 

 "誰も諦めなかったけどみんな死んだ"未来を見た後では、それは地獄でしかない。

 

「なんで」

 

 竜胆は突然突きつけられた絶望に困惑し、動揺しながらも噛み砕き、呆然と問う。

 

「なんで、俺だけ、生き残るんだ」

 

「杏お姉ちゃんと若葉お姉ちゃんが死んだから」

 

「……え?」

 

「あなたが、『青のティガ』になるから」

 

 運命は時に、美しい終わり、収まりのいい悲劇の結末に向け、巡り合わせを調節する。

 

「青のティガが放つ最強技は、ランバルト光弾。

 光の矢を放つ技。杏お姉ちゃんのクロスボウの矢みたいに」

 

「え」

 

「球子お姉ちゃんで炎の球、クロスボウの矢で光の矢。そういうことだよ」

 

 出会いは運命だった、と言えば、美しいかもしれない。

 

 その運命が、死別に終わる運命でなければ。

 

「青いティガの代名詞は"ティガフリーザー"という冷凍光線。

 杏お姉ちゃんの雪女郎の氷の技から、それを受け継ぎ、あなたは強く発現させる」

 

 結末に至るまでの運命の流れは、とても綺麗で、残酷で、正しく噛み合っていて。

 

「青いティガの青色は、死んだ若葉お姉ちゃんから受け継いだもの。

 若葉お姉ちゃんがその時持っていた精霊は二つ。

 天駆ける武人、源義経。

 天滅ぼす天魔、大天狗。

 空を跳ぶ義経と、空を飛ぶ翼を得る大天狗。分かる? 若葉お姉ちゃんの個性」

 

「空を……飛ぶ?」

 

「一言で言うなら、()()()()()()ってことだよ。

 『天駆ける武人』って大社が呼んだ精霊の次は、大天狗の精霊。

 若葉お姉ちゃんはスピードタイプで空戦タイプで、精霊まで筋金入りだよね」

 

 アナスタシアの見た運命では、アナスタシアは死に、竜胆は生き残る。

 なのに、なのにだ。

 アナスタシアは、心底―――竜胆を、憐れんでいた。

 

「青いティガは飛行の形態(スカイタイプ)

 暴風(ブラスト)に近い、吹雪を成す精霊に、嵐を引き起こす大天狗の黒き翼。

 またあなたは強くなるの。仲間が死んで、泣いて、憎んで、悲しんで、戦って、守れないの」

 

 それは運命。

 出会い、死に別れ、強くなる、御守竜胆の運命。

 次の別れは、既に運命のレールの上に載せられている。

 この少年に課せられた運命も、アナスタシアの心を折った、一つの要因。

 

「運命に意思はないし、口もないし、言葉もない。だからあたしが勝手に代弁してあげる」

 

 未来が見えるという残酷。

 

「『どうせ三百年後に世界は救われるんだから、お前達は何人死んでもいいぞ』」

 

 変わらない運命という残酷。

 

「以上。……そんなもんよ、運命なんて。諦めた方が……諦めた方が、絶対に楽」

 

 諦めろと、アナスタシアは竜胆に言った。

 

 それはきっと、幼い少女が彼へと向けた、一つの形の慈悲だった。

 

 

 




 感想欄で「第一部完、って感じ」って感想が以外に多くてなるほどーって感じになりました。第二部(暫定呼称)の序盤は、二部後半と比べればのんびりほのぼのになると思います


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

 未来の話を、友達としてきた。

 竜胆はずっと、未来に希望を見てきた。

 未来を明るく語り、未来を守るために戦ってきた。

 

 それは、喪失の果ての結論でもある。

 想い出の中でしか会えない人がいて、過去に死んでしまった人がいた。

 それらの過去をひたすら悲嘆することもできたが、竜胆はそれを幸福な未来と、誰も死なずに済む過程に繋げることを決意していた。

 

 その結果がこれだ。

 未来を語る竜胆が愚かしく見えるほどに、決定的に突きつけられた未来。

 未来が見えていることに疑いの余地はない。

 そして、旋刃盤の有無で球子の死亡日時が一日も変わらないというのなら、並大抵のことでは未来は微塵も動かないということなのだろう。

 

 竜胆はまだ何一つとして諦めてはいない。

 が。

 そんな彼でも内心穏やかではいられない、超弩級の情報だった。

 

「……」

 

 竜胆は丸亀城の教室の後ろ隅っこで、考え事をしながら空を見上げている。

 教室の前の方では、上里ひなた先生が、空いた時間で若葉と友奈に講義をしていた。

 

「若葉ちゃんが宿す予定の『大天狗』は、定義によっては日本三大妖怪でもあります。

 また、どの定義においても『酒呑童子』は日本三大妖怪と言われますね。

 大天狗は神性と邪性を持つ化生(けしょう)です。

 また、堕ちた人が成り果てるものでもある、とも言われています。

 堕ちた僧は天狗になる、と信じられていた時代があるからです。

 堕ちた人であり、神であり、魔であり、妖怪。それが若葉ちゃんの新しい精霊です」

 

 精霊とは何か。

 神樹から引き出した概念記録である。

 これには、"精霊のイメージを強く掴んでおくことで精霊の力を体に宿しやすくなる"という特性があるということが、最近大社の調査で分かった。

 

 友奈が保有する『酒呑童子』。

 そして、若葉が新たに得るという『大天狗』。

 そのどちらも、明確で強いイメージを持てれば、更にその力が宿しやすくなる。

 よってひなたが、かなり踏み込んだところまで、二人の精霊についての講義をしているというわけだ。

 

 これは通常カリキュラムとはまた別のものであり、使う教材も恐ろしく古い古書が多い。

 大社が派遣した教員でも解読に難儀するというレベルの古書だ。

 あんまりにも昔の本過ぎて、手に持つと千切れてしまいそうですらある。

 

 ひなたが講義するという形ではあるが、正確にはひなたが空いた時間で分かりやすく噛み砕いて講義という形に再構築した精霊の情報を、若葉と友奈が受け取り、イメージとして構築するような形である。

 

 竜胆は話を聞くだけの参加をしていたが、若葉の次の精霊が『大天狗』と聞き、背中にうすら寒いものが走るのを止められなかった。

 

(……あの子の予言どおり、若ちゃんが『大天狗』の精霊を手にし始めている……)

 

 翼持つ天魔、大天狗。空の者(スカイタイプ)の代表例のような、その精霊。

 

「また、若葉ちゃんの精霊が、『義経』の次が『大天狗』であることにも意味はあります。

 義経が精霊として引き出されたのは、それが怨霊の一側面を持つからです。

 怨霊として兄・頼朝に扱われた義経。

 それと同じく、"人ならざる恐ろしき者"として扱われた者がいます。

 死後、怨念で天狗になったと語られた者がいます。

 ―――崇徳天皇です。怨霊、天狗、と言われた、唯一の天皇、魔縁たる大天狗」

 

 怨霊として扱われた人間、源義経。

 怨霊として扱われた天皇、崇徳天皇。

 

「政の世界の敗者となり、陥れられた天皇……崇徳天皇。

 崇徳天皇は、讃岐の国へ流され、『讃岐院』と呼ばれていました。

 はい、香川のことですね。

 ここ香川で崇徳天皇は失意と絶望の内に死に至り、『大天狗』となったとされます。

 なので丸亀城からさほど離れていない場所に、崇徳天皇ゆかりの場所は多くあるんですよ」

 

 そう、ここだ。

 

 死した後大天狗となったと言われる崇徳天皇が死んだ土地は、ここなのだ。

 

「若葉ちゃんはここをちゃんと理解しておかなければなりません。

 崇徳天皇は、天たる朝廷を祟り、四国の守護神となった怨霊でもあるということを」

 

 あまり知られていない話だが、崇徳天皇は香川で没した者であると同時に、四国の守り神としての伝説や、四国を統べる者の守護神となったという伝承も持っている。

 

「崇徳天皇であり、日本三大怨霊・崇徳上皇でもあり。

 天狗という神性であり、天狗という魔性でもあり。

 人が成った怨霊であり、人が成った祟りの神霊でもあり。

 祟り神であり、守護神でもある、それがあなたの『大天狗』の一側面なのですから」

 

 若葉の新精霊・大天狗。

 それは酒呑童子に比肩する強大な精霊であると同時に、天上を焼き払い天に反抗する大魔性としての伝説を持ち、四国の守護神としての伝承を持つ精霊でもあるのだ。

 友奈の精霊が神性に寄っているのとは逆に、若葉の精霊は人に寄っている。

 

 若葉と大天狗が引き合ったのは、運命であり、必然でもある。

 

「ひなた、感謝するぞ。

 古い文献に触れれば、精霊は降ろしやすいと言われたものの……

 このレベルの文献は本当に、解読すら一苦労だったからな……」

 

「今はかなり厳しい状況ですから。

 若葉ちゃんや友奈さんの負担も減らしたかったんです。

 とは言っても、古い文献を理解しやすく噛み砕いただけですけど」

 

「ううん、助かるよヒナちゃん! ありがとう!

 そもそも本が難しくてイメージを掴むところまで行けてなかったから」

 

 ひなたのおかげで、若葉や友奈の精霊イメージは掴みやすくなっていく。

 若葉は横目に竜胆の方を見た。

 未来のことを深く考えている竜胆。

 竜胆はひなたの話を聞いているようにも、真面目に講義について考えているようにも見えるが、見る者が見れば上の空であることはひと目で分かった。

 

「どうした、竜胆」

 

「ん? 若ちゃん、どうしたって何が?」

 

「様子が変にもほどがある。

 気付いていない者などいないぞ。

 最初にお前に声をかけようとしたのが私だっただけだ」

 

 最初に声をかけたのは若葉。

 これは若葉が竜胆を最も理解していたから、ではなく。

 竜胆を理解する者の中で、最も"自ら率先して動く者"であったのが、若葉であったというだけの話である。

 友奈が苦笑しながら頬を掻く。

 

「うん、いつものリュウくんならここで

 『日本のこと話してるのに日本語に聞こえないどうしよう』

 『友奈解説頼む』

 とか言い出してくるはずだよ、絶対。だってこんなに難しい話なんだもん」

 

「おい」

 

 若葉も友奈も脳筋寄りのタイプだが、流石に竜胆ほどバカではないし、そこにはのび太くんとしずかちゃん並みの学力差があったりする。

 

 ひなたの講義を聞きに来たくせに、竜胆が上の空で話をまともに聞いていなかったことは、ひなた自身にも分かっていた。

 

「御守さん、私の話で寝てなかったみたいですからね」

 

「いいことだろ。人の話を聞いて寝るのは失礼だし……」

 

「はい、それはそうですね。

 でも御守さんがとても難しい話でウトウトするのは……

 相手の話を真面目に聞こうとするからです。

 分からない話を分かろうとして、真面目に聞こうとしちゃうからですよ。

 それと、毎日色んなことを頑張っているからですね」

 

「む」

 

「御守さんがウトウトしていないのは、今日は難しい話を聞いていなかったからです」

 

「……」

 

「ああ、今日は私の話を真面目に聞いてないんだな、ってすぐ分かりました」

 

「……ごめんな」

 

「いえ、いいんです。何があったんですか?」

 

 微笑むひなた。

 全て分かった上で許し、優しく抱擁するようなその接し方に、優しく声をかけられた竜胆の方が大変申し訳ない気持ちになった。

 

 竜胆は話すのを迷っていた。

 アナスタシアは、竜胆以外の誰にも未来のことを話していない。でなければ、こんなにも皆平然としていられるわけがない。

 

 アナスタシアは、竜胆にだけ未来の話をした。

 それは、彼女にとって竜胆が一番、どうでもいい仲間だったからだ。

 大切な仲間は絶望させたくない。

 だけど未来の話を自分一人で抱え込んでいるのに耐えられない。

 誰かに話したい。

 誰かに打ち明けたい。

 そういう気持ちが、仲間ではあるが、アナスタシアにとって一番どうでもいい仲間であり……『未来を見た結果、信頼しようと思えた』仲間である竜胆に、未来の秘密を打ち明けさせたのだ。

 

 竜胆が話さなければ、皆は未来のことを知ることもない。

 竜胆は迷う。

 だが、迷いを振り切り、仲間に打ち明け、仲間を頼ることを決めた。

 

「実は……」

 

 仲間と共に歩んでいくことが、竜胆の選択だった。

 

 

 

 

 

 全滅の未来。

 300年後の決着の運命。

 それだけならただの妄言と一笑に付すことができたかもしれない。

 それを言ったのがアナスタシアである、というのが問題だった。

 

 若葉も、友奈も、ひなたも、深刻な顔で受け止めている。

 その表情は竜胆以上に深刻だ。

 今ここにいない千景や杏などにも、彼女らから未来の話は伝わっていくだろうが、千景達の表情も同様に、竜胆以上に深刻なものになるだろう。

 表情の差は、イコールで理解度の差であるからだ。

 

「……」

 

 『神と一体化した巫女』であるアナスタシアの言葉が、どれほど『真実』や『運命』というものに近いものであるかを、竜胆以外の者達はよく知っていた。

 

 竜胆はアナスタシアのことをよくは知らない。

 ゆえにこそ、彼は周りの皆ほど、絶望的になっていなかった。

 アナスタシアのことをよく知るがために、竜胆の周りの皆は、竜胆の予想以上に絶望的な心持ちになってしまっていた。

 

「……それは本当か?」

 

「ああ。若ちゃんだって俺が嘘言ってないのは分かるだろ」

 

「分かるが……だが、だとしたら……なんということだ……」

 

 各々の反応は違えど、アナスタシアが言った"変えられない悲劇の未来"の話を、三者三様に受け入れかかっている。

 

 竜胆はそれに少し驚くが、すぐに目つきが鋭くなった。

 彼はアナスタシアの過去の実績を知らない。

 その無知が、この未来を断固として盲信させず、この運命を受け入れさせなかった。

 

「俺は、未来を変えたい」

 

 竜胆の言葉に、三人が竜胆を見る。

 未来を受け入れない。

 運命を変える。

 言うは易く、行うは難し。

 

 それは容易ならざる道であったが、必ず成すという決意にも満ちた、強いものであった。

 

「俺はこんな運命、受け入れられない」

 

 無知ゆえにアナスタシアの予知を真っ向から否定する竜胆につられ、いつだって前向きな友奈が声を上げる。

 

「そうだよ、諦めちゃ駄目だよ!」

 

 心揺れこそしたものの、若葉もひなたも同様に、この程度で未来を諦めはしない。

 

「誰も諦めてなどいない。少し驚いただけだな」

 

「そうです、ここからですよ! 若葉ちゃん!」

 

 意志の統一ができたなら、次に話すことは一つだ。

 その未来をどう変えるか、である。

 ああだ、こうだと、アナスタシアの言葉を四人で話し合い、別解釈を出し合っていく。

 

「幸い、俺達には一つ言えることがある」

 

「なんだ?」

 

「この危機は、基本的に『敵が強い』ということにまとめられるってことだ」

 

「それは……そうかもしれないな。

 聞く限りではやはり敵の強さが戦死の原因になっているように思える。

 だが、そんな当たり前のことを再確認したからといって、何に……」

 

「つまり俺達がその未来より強くなっていれば、未来は変わるってことだな」

 

「!」

 

「分かりやすいだろ、これ。未来を変えるやり方が最初から提示されてるんだからさ」

 

 竜胆の発言に、若葉はなるほどと頷き、友奈はポンと手を叩き、ひなたはもにょった。

 

「確かにそうだな。良い指摘だ、竜胆」

 

「うん、確かにそうだよ! ……そうだよね?」

 

「あれ、この理屈に"知能指数半減しそう"って思うのは私が勇者じゃないからでしょうか」

 

 確かに、竜胆の主張は正しいと言えば正しい。

 "いつか来るゼットに対抗するため強くなる"よりは、"次の次の戦いまでに特訓を詰め込む"といった思考や、"5月17日のひなたの死亡を回避する"といった思考の方が、短期間の成長率は高くなるだろう。

 問題は、これが最適解だったとしても、この主張の知能指数がやや低いということだが。

 

「それなら一つ、私が前から考えていたものがある。竜胆、できるか?」

 

「詳しく聞かせてくれ、若ちゃん」

 

 若葉が語った提案は、既存の発想のどれにも合致しないものだった。

 若葉の主張に、竜胆は驚き、「……できる」と言った。

 友奈は驚き、若葉の身を心配した。

 ひなたは若葉の身を案じ、反対したが、若葉は引かなかった。

 

「若ちゃんの体も心配だが、これちょっと時間もかかるな……」

 

「今すぐには無理か?」

 

「若ちゃんの体のことを考えるなら、できるかぎり時間をかけたいところだよ」

 

「むぅ……」

 

 『若葉の提案』は、時間もかかるし、できれば多用はしたくないのでやるとすれば一回、実行者に危険まであるが―――『奇跡に繋がる発想』だった。

 

「でも、もしかしたらこれなら、俺もゼットだって倒せるかもしれない……!」

 

「それは言いすぎじゃないか?」

 

「ごめん調子乗った。やってみないと分からん。

 でも信じてもらってる限り、俺は絶対に勝つ気持ちでぶつかっていくだけだ」

 

「その意気だ。黒い巨人が黒いゼットンに勝利する瞬間を、存分に見せてくれ」

 

 若葉がふざけて拳を突き出し、竜胆がにっと笑って拳を打ち合わせる。

 うーん、とひなたは首を傾げた。

 頭の良い作戦が練れるほど情報が出揃っていない、というのはひなたにも分かるのだが。

 

「……友奈さん、これ大丈夫なんでしょうか……?」

 

「……うーん、若葉ちゃんが危険かもしれないし、皆で相談して決めよっか」

 

 若葉の提案が採用されるかどうかは、皆との話し合いの結果次第になりそうだ。

 

 四人で話していると、教室の扉が開く。

 

「アナちゃん?」

 

 開いた扉の向こうには、アナスタシアがいた。

 アナスタシアは一直線にひなたの下に駆け寄って、ひなたをぎゅっと抱きしめる。

 身長差で、ひなたの足が抱きしめられる形になり、ひなたは逃げられない形になった。

 少女の小さな手が、ひなたのスカートを掴んでいる。

 

「ごはん」

 

 ひなたは微笑み、アナスタシアの頭を優しく撫でた。

 

「ああ、もうそんな時間でしたか。

 ごめんなさい若葉ちゃん、午前の授業はここまでです。

 アナちゃんと一緒にご飯を食べる約束をしていたんですよ」

 

「そうか。なら、私達も一緒に行っていいか? アナスタシア」

 

「……若葉おねーちゃんと友奈おねーちゃんはいいよ」

 

「俺は?」

 

「……あたしのニンジン食べてくれたらいいよ」

 

「こら! アナちゃん! 好き嫌いは駄目だって前にも言ったでしょう!」

 

「びょ、病院じゃ大社の人はあたしにムリヤリ食べさせなかったもん!」

 

「また大社の人はアナちゃんを甘やかして……」

 

 竜胆は、ひなたとアナスタシアの間に、他の人とは違う絆の形を見た。

 

「ひーちゃんがアナちゃんの母親みたいだな」

 

「あの、私、中学生ですよ?」

 

「褒めてるんだよ。ひーちゃんは優しくて厳しい母親になれそうだ」

 

「ああ、ひなたは確かに母親感あるな」

「ヒナちゃんはなんと言っても包容力だよね!」

 

「まだ中学生です!」

 

 ひなたに対し、母親に甘えるように甘えるアナスタシアが、ひなたの胸を見る。

 

「いやこのおっぱいで中学生は無理でしょ。やっぱりあたしに年齢詐称してない?」

 

「!? あ、アナちゃん!」

 

「ひなたおねーちゃんはやーらかいからすきー」

 

 ぎゅーっと、アナスタシアがひなたに抱きつく。

 竜胆の居心地が猛烈に悪くなった。ひなたの視線が痛い。

 五人でわいわいと話しながら食堂へと向かう。

 

 食堂に辿り着き、若葉達が何を頼むか決めている間、竜胆は膝を折ってアナスタシアと同じ高さの視点で彼女にささやく。

 

「アナちゃん」

 

 竜胆の声にはしっかりとした意志があり、アナスタシアの目には一抹の諦めがあった。

 

「俺達が未来を変えてみせる。もう誰も、死なせたくないんだ」

 

 アナスタシアは、諦めてほしかった。

 だから悲しい顔をする。

 

「そういうこと言ってるみんなの前で、仲間が死ぬから、悲劇になるんだよ……」

 

 どうせ終わりが変わらないのであれば。

 

 余計に苦しむこともなく、無駄な努力を積み重ねることもなく、安らかに終わってほしかった。

 

 "皆が精一杯頑張ったけど結局負けて皆死にました"なんて終わりに、なってほしくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アナスタシアが、初めてウルトラマンとなったその日。

 世界は燃えていた。

 いつも雪に覆われたロシアの街は、雪でも消えない炎によって燃やされていた。

 

 空から降り注ぐ豪雪。

 それを一つ残らず蒸発させる地上の業火。

 天と地の間には白い怪物が居て、アナスタシアの眼の前には無数に転がる、両親や友達の死体の数々。

 

 その時、空から光が降ってきた。

 一も二もなく、"子供を助けないと"という一心で飛んで来たかのように、その光は一直線に飛んで来て、アナスタシアと一体化する。

 

 その光は『宇宙を渡り命を助け続けるもの』だった。

 あまりにも他の生命を助けようとしすぎたために、力の大半を使い果たし、アナスタシアと一体化するのがやっと、というレベルに弱りきっていた。

 その光の名は、ウルトラマン。

 ウルトラマンネクサス。

 弱りきった神の成れの果て。

 

「あああああああっ!」

 

 そしてその日、アナスタシアは初めてウルトラマンとなり、怪物を薙ぎ払った。

 

 その日、彼女はその光を手にしていなければ、死んでいただろう。

 光を手にしたその日から、少女の旅路は始まった。

 一人で雪原を歩き続け、泣いた日もあった。

 他の国で人を守ろうとし、守れなくて、泣いた日もあった。

 ボブと球子の死を病室で聞き、何もできなかったことに泣いた日もあった。

 

 彼女は稀代の天才である。

 竜胆が戦闘面で地球一の天才なら、彼女は巫女としての天才。

 純粋な巫女としてはひなたに劣るが、"神の力を引き出す"という意味で、アナスタシアに比肩する地球人は存在しない。

 

 だが、才能に心が追いついていなかった。

 まだ心が育ちきるまでの時間が足りていなかった。

 ウルトラマンの神の力を大人以上に引き出せるのに、大人ほど心が成熟していなかった。

 

 その絶望は深く、濃く、大きい。

 

 アナスタシアが竜胆に言う「諦めろ」は、介錯をするような優しさだ。

 苦しみが続くくらいならいっそ楽に終わらせてやりたい、という優しさ。

 優しい諦め。

 結末がもし本当に決まりきっているのだとしたら、仲間達が全力で頑張って、全て無駄に終わるだなんていう結末を、優しい人が受け入れられるだろうか。

 幼い優しさは、それなら足掻かない方がマシだと、そう考える。

 

 大人よりも未来を夢見る子供が。

 大人よりも未来を純粋に欲しがる子供が。

 誰よりも明確に、未来を諦めていた。

 

 

 

 

 

 今のアナスタシアは、歩けないわけではない。

 だができれば歩くなと医者に言われている。

 

 アナスタシアの負傷は、ゼットの一撃で腹に空いた大穴だ。

 この傷はゼットの一撃の恐ろしさゆえか、治りが遅く、今現在もいつ開いてもおかしくない傷跡をそこに残している。

 戦闘なんてもってのほか、運動さえも厳重に禁止だ。

 腹の傷が開いたら緊急手術をしても死ぬかもしれない、とすら言われている。

 

 そんなアナスタシアだからこそ、お世話役にはひなたが付けられた。

 ひなたがこの役を自ら請け負ったというのものあるが、アナスタシアはひなたを母親のように慕っていて、ひなたはアナスタシアを妹のように大切にしている。

 体を洗うことも一人ではできない状態なので、ひなたは毎日、アナスタシアの傷を悪化させないよう気を使って、その体を洗ってやっていた。

 

「頭流しますよ、目を瞑って」

 

「んー」

 

 食堂で早めの晩御飯を食べて、二人で体を洗って、風呂上がりにまだ夕日が沈みきっていない彼方の空を見て、二人で手を繋いで歩く。

 

「今日の晩御飯の後のデザートは、フレンチクルーラーです!」

 

「わぁ……!」

 

「皆には秘密で、ね?」

 

「うんうん!」

 

 食堂とは別の、道場の冷蔵庫に隠された"女の子のおやつ"を二人でつまんで、風呂上がりに気持ちよく春風を感じ、笑い合い、フレンチクルーラーを食む。

 

「テレビを見たら、歯を磨いて寝るんですよ」

 

「うんっ」

 

 夜空と夕日が同時に見える空の下で、二人は丸亀城の敷地内を走り込んでいる少年を見た。

 コツコツ、コツコツと、誰かが見ている時も、見ていない時も、コツコツ努力を積み重ねている少年。

 今は脇目も振らず、自分自身を鍛えている。

 それは未来に向かう懸命さ。

 ひなたは暖かな微笑みを自然と浮かべ、アナスタシアは辛そうに目を逸らす。

 

 竜胆の方が二人に気付き、夕日を背に歩み寄ってきた。

 

「よう、お二人さん」

 

「あ、御守さん。こんな時間までトレーニングですか?」

 

「やれるだけのことはやっておきたくてな」

 

 今日はかなり暖かい。

 風呂上がりなのもあって、ひなたは結構薄着だった。

 髪や肌もしっとりしていて、ひなたの中学生離れした胸や尻など、フェティッシュな部分が普段より少し目立つ。

 相対しているだけで、竜胆はちょっと変な気持ちになりそうだった。

 アナスタシアがムッとして、ひなたを庇うように二人の間に割って入る。

 

「ひなたおねえちゃんがとんだハレンチクルーラーだからってそういう目で見るなー!」

 

「ハレンチクルーラー!?」

「ハレンチクルーラー!?」

 

 ひなたがさっと胸の辺りを腕で隠す。

 

「……あまり見ないでくれると嬉しいです。お風呂上がりなので」

 

「悪い、不快な思いをさせたな」

 

「気にしてませんよ。謝らないでください」

 

 またなんだかちょっと変な空気に。

 竜胆は頭を下げて、丸亀城内部の自動販売機を指差す。

 実質勇者達専用の、飲み物を買うと電子パネルでルーレットが始まり、当たるともう一本貰えるというタイプの自動販売機であった。

 

「お詫びになんかジュース奢るよ。何が良い?」

 

「コーラ! あたしコーラで!」

 

「では、お言葉に甘えて、お茶を一本お願いします」

 

 竜胆が"さっき失礼したからちょっと距離取った方がいいかな"と、体二つ分の距離を空けたひなたの隣で歩く。

 "大丈夫ですってば"と言わんばかりに、ひなたが体一つ分の距離まで詰める。

 見られるのは恥ずかしいし嫌だが、距離を取られるのも申し訳ないし嫌という心理。

 ふーむ、とアナスタシアは唸った。

 自動販売機に竜胆がお金を入れると、アナスタシアがボタン押しに待ったをかける。

 

「ちょっと待って、あたしがボタン押すから」

 

「?」

 

 アナスタシアが小さな体で懸命に背伸びし、自販機のボタンを押す。

 アナスタシアが欲しがっていたコーラが出てきて、パネルのルーレットが大当たり。

 もう一本選べるよ、という表示が出る。

 

「もういっかい」

 

「……?」

 

 もう一度背伸びし、コーラのボタンを押す。

 コーラがもう一本出て、ルーレットが回り、また大当たり。

 

「もういっかい」

 

「……!?」

 

 三度目のコーラのボタン押し。

 三本目のコーラが出て、当然のようにルーレットがまた当たる。

 

「もういっかい」

 

「なっ、なっ」

 

 ひなたの分のお茶のボタンが押され、お茶が出て、ルーレットがまた回る。

 そして当然のように大当たり。

 最後に、竜胆の分のソーダが出たところで、ルーレットはようやく外れた。

 

「もういっか」

 

「え、何これ」

 

 アナスタシアが嬉しそうにコーラ三本を抱え、ひなたにお茶、竜胆にソーダを渡す。

 ぺこり、と少女は竜胆に丁寧に頭を下げた。

 

「あたしとひなたおねーちゃんにジュースをくれて、ありがとう」

 

「え……い、今のなんだ!?」

 

「予知。51分55秒に押して当たらない、56秒も当たらない、57秒に押せば当たるよ、みたいな」

 

「つか、なんで俺がソーダ飲もうと思ってたことが分かったんだ……?」

 

「未来でソーダ頼んでたじゃん。あたしには見えてるもん」

 

「……」

 

 開いた口が塞がらない、とはこういうことを言うのだろうか。

 無邪気な超越者。

 神と繋がる巫女たるがゆえに、人の領域から自然と一歩分踏み出している。

 

「アナちゃんは昔から不思議なことがいくつもできるんです」

 

 ひなたは良いことのように言っているが、竜胆は肝が冷えている。

 

 逆に言えば。

 『ここまでできる人間』が、"未来は変わらないと確信している"ということでもある。

 強さでない部分を皆が信頼していた理由が分かった。

 アナスタシアの予言を竜胆から聞き、あんなにも深刻な表情をしていた理由が分かった。

 

 ここまで未来が見えていて、未来を自由自在に取捨選択できる者が、未来を諦めている。

 いや、そもそも。

 このレベルで人間離れした"ウルトラマン"を、ゼットは体すら未完成な状態で、一方的に倒したというのか。だとしたら、アレはどれだけ化物なのか。

 

「ねえ、諦めてよ」

 

 アナスタシアは懇願するように、諦めを勧める。

 

「杏おねーちゃんとあなたの最後の会話、先に教えておいてあげる」

 

「最後って、お前……」

 

「前置きなしに聞くと、あなたの心、壊れかけちゃうから。今の内に、心構えだけしておいて」

 

 アナスタシアは、竜胆と杏の"その時"の台詞を、一言一句変えず口にする。

 

 

 

 

 

 それは、定められた運命の道筋。

 

■■■■■■■■

 

「伊予島!」

 

「みもり……さ……」

 

「喋るな! クソ、腹の傷が……!」

 

「くやまないで……ください……」

 

「喋るなって言ってるだろ! お前を守ると、タマちゃんに誓ったんだ」

 

「……あはは」

 

「おい、何笑って……」

 

「御守さん、は……タマっち先輩の……代わりに頑張るって言ってたけど……

 私は……少しは……タマっち先輩の代わりとして……御守さんの仲間、できたかな……」

 

「―――」

 

「御守さんと……こうして仲良くなれたの……

 御守さんが……命懸けて守ってくれる、関係になれたの……

 タマっち先輩が死なないと……そうはなれなかっただろうな、って思って……」

 

「馬鹿野郎! 何……何変な事考えてんだ!」

 

「だって、名前で、呼ばれたこと……なくて」

 

「―――あ」

 

「友達は……皆……御守さん……名前のあだ名で呼んでて……

 ちょっと羨ましくて……寂しくて……私は友達とは『違う』んだな、って……」

 

「バカ……お前、俺よりバカか! そんなわけないだろ!」

 

「あはは……御守さんより、バカでした……」

 

「ちゃんと友達で、仲間で、大切な人に決まってんだろ!

 タマちゃんのこととかも関係なく! 俺はお前って個人が大好きだったんだ!」

 

「……ありがと……うれしい……」

 

「『杏』!」

 

「……」

 

「……杏?」

 

「……」

 

「おい、杏! 起きろ! 死ぬな! ……脈が……死ぬな! バカ、死ぬな!」

 

「……」

 

「生きろ! 生きて聞け! 死んでから名前呼ばれたって、嬉しくないだろ! お前も!」

 

「……」

 

「―――ああああああああああああッ!!!」

 

■■■■■■■■

 

 命を運ぶと書いて、運命。

 

 世界を救うティガという闇に、生贄として捧げられる、そんな運命の命がある。

 

 

 

 

 

 竜胆の胸の奥で、闇が蠢いた。

 仲間の死二つ分で膨らんだ闇は、絶望を初めとする負の感情を求めている。

 それを押し込み、竜胆は平静を保った。

 

「心の闇が増えるのは、運命だから、変わらないけど。

 少しでも……少しでも、心の痛みが減ることに、こしたことはないから」

 

 これは残酷だが、優しさだ。

 "その時"が来た時に心構えが出来ていなければ、竜胆の心に走る痛みと苦しみはどれほどのものとなるだろうか、想像に難くない。

 ワンクッションを置くという優しさ。

 トータルで心に与えられる痛みを減らそうという試み。

 

 あまり上手い優しさとは言えないかもしれないが、竜胆はその気持ちを察している。

 

「気遣ってくれてサンキューな」

 

 ポン、と竜胆はアナスタシアの頭に手を置き、撫でる。

 同年代の女子と見ている者には、あまりこういうことはしない彼だが、幼いアナスタシア相手にはやはり"兄としての感情"が揺り起こされてしまうのかもしれない。

 

「だけど、()()()()()俺が死んでも受け入れられない。

 その未来だけは、その死だけは、絶対に駄目だ。俺はそれを姫百合に誓ってる」

 

 怯え、期待、信用、不安。

 複雑な感情がアナスタシアの表情に浮かぶ。

 アナスタシアは竜胆を信じていて、信じていない。

 その人格は信じられると思いながらも、未来を変えられるとは全く信じていない。

 

 これまで竜胆は、その心を信じられながらも、暴走するがゆえにその強大な闇の力を信じられていなかった。

 だが、これは違う。

 逆だ。

 強いが暴走する力を信じられていない、のではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()から信じられていない。

 

 ゼットの言葉と、アナスタシアの言葉を総合して考えるのであれば―――竜胆は仲間が死ぬことで強くなり、そうして初めて最後まで生き残ることができる。

 西暦を神世紀に繋げることができる。

 それゆえ、仲間が死ぬまで、仲間を守れず、無力であることを未来に保証されているのだ。

 

「……なによ」

 

「君を絶対に泣かせない結末にしないとな、って思って」

 

「泣かないもん。あたしは泣かない」

 

「ああ、そりゃいい。君は強い子だな。じゃあ俺は、君が心でも泣かないように頑張るよ」

 

 竜胆は微笑むひなたの前で、強く、強く、アナスタシアに強く言い切る。

 

「俺の師匠が。俺の友達が。

 命をかけて守ったのは、君の未来もなんだ。

 絶対にバッドエンドなんかでは終わらせない。君の幸せを、あの二人も願ってるはずだから」

 

 アナスタシアは、強さを感じる。

 仲間の死を軽く見ることなく、仲間の死に慣れることもなく、仲間の死にきちんと悲しみ、ちゃんと絶望し、その全てを糧とし、必ず立ち上がる強さを。

 何があっても諦めない強さを。

 竜胆が最後まで生き残る理由を、アナスタシアは骨身に染みて理解する。

 誰かを庇って死にでもしない限り、この少年は最後まで死なない。そういうタイプだ。

 

 だから、分かる。分かってしまう。

 

 アナスタシアが嫌がっている、"死ぬほど頑張ったのに何も報われず無念と絶望に終わる地獄"へと―――一番落ちやすいのが、誰であるのかが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いの日はやって来る。

 竜胆と杏は、海を見ていた。

 高所から街と海を見渡せる、丸亀城の塀。

 皆が集まるまで、二人は益体もない話を続ける。

 

「なあ伊予島、お前留年してるって本当か?

 頭の良いお前がそんなことになるとか、何やったんだ?

 100点だけじゃ満足できなくて120点取るためにカンニングしたとか……?」

 

「してません! 体が弱くて、学校に行けなかったんです」

 

「ああ、そういうことだったのか。

 頭が良くて素行も良いお前が留年とか、悪人の陰謀以外にありえないと思ってたら……」

 

「120点取るためのカンニングは悪い素行に入ってないんですか……?」

 

「よく考えたら120点取るためのカンニングってなんだ。

 習ってないところまで勉強して答案用紙に書いたら取れるのか?」

 

「えっ……ど、どうなんでしょう。取ったことないので分かりません」

 

「決められた未来が100点だとすると改善には120点取るくらいじゃなきゃいけないのかな」

 

 原級留置、と言うのだそうだ。伊予島杏は、小学生で一度同じ学年をやり直している。

 

「留年は嫌な想い出か?

 あんまり話したくないことなら、俺は今後一切話題に出さないと約束する」

 

「……そう、ですね。あんまり話したくないことなのは確かです。

 でも、友達なら知ってもらいたいな、なんて思うことでもあります。私の弱さのお話を」

 

「伊予島」

 

「あれは小学三年生の時でした。

 その年の私は特に体調を崩しやすくて、ほとんど学校に行けなくて、進級できませんでした」

 

 杏だけ小学三年生のまま、同級生は皆小学四年生になってしまった。

 始まるのは、これまで友達だった人達が一人もいない教室での授業。

 一つ年下の、遠巻きに見守るクラスメイト達。

 腫れ物に触るように気を使う親、気を使う教師達。

 誰も、杏をいじめなかった。

 誰も、杏に近寄らなかった。

 皆が皆、かわいそうなものを見る目で杏を見て、迂闊に触れないように距離を取り、腫れ物に触るように優しく扱った。

 "気を使わない明け透けな関係"は、留年した杏の回りから一つ残らず消失する。

 

 "一年のズレ"が、クラスで杏に常に疎外感を突きつける。

 このままずっと"一年のズレ"を感じながら、孤独に皆に遠巻きに見られながら生きていかなければならないのか。そう思うたび、当時の杏は泣いていた。

 それで泣いてしまうくらい、彼女の心は"普通の女の子"だった。

 

 そんな日々が一変したのは、バーテックス襲来の日、球子と出会ったあの時から。

 

「タマっち先輩を……恥ずかしい話ですけど、私は救いの王子様みたいに思ってたんです」

 

「いいじゃないか、王子様。俺もその王子様に救われた一人だ」

 

「……そうでしたね」

 

「かっこよかったよ、タマちゃんは。

 かわいかったけどそれだけじゃない。ちゃんとかっこよかったんだ」

 

 死んでも、離れた気はしない。

 二人は共に、二人の間にもう一人の存在を感じている。

 いつでも、近くに感じている。

 想い出を語るたび、そこにいると思えるのだ。

 

 杏の過去を聞き、竜胆は納得した様子だった。

 

「そうか。だから伊予島は、俺達の卒業式を提案してくれたのか」

 

 あの卒業式と卒業証書は、杏が提案してくれたものだ。

 "進級できず次に進めなかった者"が、"卒業し次に進むことを祝う儀式"を企画してくれた。

 そう思えば、合点もいく。

 杏の優しさの一つは、彼女の過去にそのルーツを持っていたのだ。

 

 皆と一緒に同じ未来に進んでいけない苦しみ、一人残される疎外感、"かわいそうな人"にされてしまった後の絶望を、杏はよく知っている。

 

「私達、六月に御守さんを残して全員死ぬと聞きました。

 でも……私は嫌です。一人残された御守さんがどんなに苦しいか、分かりますから」

 

「お前……」

 

「御守さんを残して、私達だけでどこかに行ったりしません」

 

 その時竜胆は、気付いた。

 自分が、"仲間が皆死んで自分一人残される未来"を、本当に恐れ、それに怯えていたことに。

 竜胆自身ですら気付いていなかった竜胆の恐怖を、杏は察して、気遣ってくれたのだ。

 

 杏だから分かった恐怖。

 杏にしか分からない恐怖。

 彼女にしか救えなかった、彼の心の一部分。

 

「……ありがとうな。

 ああ、そうだ、誰も死なせてたまるか。

 六月には若ちゃんの誕生日だってあるんだ、六月に全滅なんてさせてたまるか」

 

「……あ。そ、そういえば、確かに若葉さんの誕生日も近いですね」

 

「おう。その三ヶ月後には伊予島の誕生日もあるし、負けられないな」

 

 未来を語る竜胆の姿に、杏は勇気と希望を貰う。

 

 竜胆も、杏も、言わなかった。

 三ヶ月後には球子の誕生日もあるということを、言わなかった。

 その日にまた弔おう、という意思表示をしなかった。

 する必要すらなかった。

 "言わなくても通じ合っている実感"があって、"言わなくても分かってもらえている実感"があって、それがとても心地良かった。

 

「伊予島にも、生まれてきてありがとうー! って感じに、色々言いたいからさ」

 

 困った人だと、杏は思う。

 そんなこと、誕生日に言わなくても、周りの皆は分かっているのに。

 竜胆が"生まれてきてくれてありがとう"という気持ちを皆に対して抱いていることなんて、言われなくたって、皆分かっているというのに。

 胸の奥を暖かくさせてくる困った人だと、杏は思う。

 

 伊予島、と竜胆はまた彼女の名を呼ぼうとして。

 

―――友達は……皆……御守さん……名前のあだ名で呼んでて……

―――ちょっと羨ましくて……寂しくて……私は友達とは『違う』んだな、って……

 

 その呼び方を、改める。

 

「なあ、杏って呼んでいいか?」

 

「! ど、どうぞどうぞ!」

 

「お、おう、そこまで良い反応されるとは思ってなかった」

 

 それは、ほんの小さなことなのかもしれない。

 

「驚かせてごめんなさい。でも、実は、私……ずっとその呼び方のこと気にしてて」

 

 アナスタシアの見た悲劇の未来を、何も変えないものなのかもしれない。

 

「伊予島、って呼ばれるのが気になってて。"皆と同じ"がいいな、って思ってて」

 

 だが、この瞬間に、竜胆は。

 

「……嬉しいです。ちゃんと友達扱いにしてもらえたみたいで」

 

「俺はそんな考えて呼び方に違いつけてないよ」

 

「分かってます。分かってたんですけど、心は頭じゃどうにもできなくて……ごめんなさい」

 

「謝るなよ。むしろ、気付かなかった俺の方が謝るべきなんだ」

 

 きっと、未来を変えたのだ。

 

 "皆と違う"という疎外感と孤独感が、その過去の思いがトラウマとなっていた杏の心。

 皆と違う、という想いがあっても、球子がいないから誰にも打ち明けられずにいた杏の心。

 皆と違う呼び方をされているだけで気にしてしまう、自分の矮小さを恥じる杏の心。

 それが今、ほんの少しだが、救われた気持ちになっていた。

 

「俺があだ名で呼ばないで、名前呼び捨てにしたことある女子とか五人いないからな。特別だ」

 

「特別……」

 

「これからも改めてよろしく頼むぜ。マイフレンド杏」

 

「はいっ」

 

 特別な友達、と言われると、杏の胸の奥がほんわかする。

 対し竜胆は、アナスタシアから聞いた杏の未来の末路を想起し、鋼鉄の意志をもって彼女を守らんとする。

 

「杏」

 

 竜胆はずっと、自分の大切な人を、自分の手で殺してしまうことを何よりも恐れていた。

 その恐怖は、もう乗り越えている。

 ゆえにこそ、その胸に湧くは"敵に大切な人を殺される恐怖"。

 恐怖を振り切り、竜胆は固く決意を固める。

 

 アナスタシアが"仲間も自分も皆死ぬ恐怖"に負けて、皆が努力も頑張りもせずに終わる結末を目指した者であるのと対極に、竜胆はその恐怖をねじ伏せ、運命に立ち向かおうとしているのだ。

 アナスタシアと竜胆の違いは、勇気の大小でもある。

 

「杏は絶対に死なせない。

 いや、できるなら傷一つ付けさせない。

 お前のことを、俺の命より大切に思ってるからだ。だから、絶対に守る」

 

 守ると、少年は誓った。

 

「あの日から、疑ったことなんて一度もありません。私も、あなたの背中を守ります」

 

 頬を緩めて、喜色を浮かべた少女も、守ると言った。

 

「戦う理由は、ここにありますから」

 

 制服を下から押し上げる胸の膨らみに手を添え、その奥の想いに触れるように、杏は言い切る。

 

 少年少女は守り合うことを誓い、また一つ思いを通じ合わせた。

 

 そして、仲間達全員が、やがてこの場所に集まってくる。

 

「今日この日で間違いないのか? アナちゃん」

 

「間違いないよ。私は未来を見間違えないもん。この日、この時間に、"次"が来る」

 

 竜胆が問い、アナスタシアが答える。

 アナスタシアは全てを諦めている。

 ここで全滅するなら、その分だけ楽に死ねるからいい、とすら思っているようだ。

 敵の襲撃日時は教えてくれたが、結局それだけ。

 悲嘆に暮れたアナスタシアが、言葉を呟き、車椅子で呻く。

 

「何も……何も……変わらないよ……諦めない気持ちは、要らないくらいなんだよ……」

 

 四国結界が僅かに揺れる。

 

「来たか」

 

 時間が止まり、世界の風景が樹海に変わり、結界の外からバーテックスが侵入を始め―――入って来たEXゴモラが、樹海を踏んだ、その瞬間。

 樹海が消え、世界の時間が動き始めた。

 

「? 時間が動き出した……?」

 

 四国結界の端、結界の『壁』がほどけて消えていく。

 そこから海を割り、海を進んで来る無数のバーテックス達。

 異変に気付いた一般市民達が、疑問の声を上げ、状況を理解できず、スマホでバーテックス達が侵入してきた方向を撮影し始める。

 

「お、おい」

 

 竜胆が戸惑いの声を上げた。

 勘の良い人間が、絶望の声を上げた。

 バーテックス初襲来の日、星屑の姿を見たことのある天空恐怖症の患者が、発狂しながら絶叫した。パニックが、海岸線沿いに広まり始める。

 

「敵が来てるんだぞ! 樹海化がないと街が……」

 

 だが、樹海化はこない。

 樹海が展開されない。

 今まで守られていた日常が、日常から隔離されていた戦いの場と、接触する。

 接触してしまう。

 アナスタシアはうなだれたまま、涙を零した。

 

「ごめんね……ごめんなさい……私の力じゃ、もう結界を後付けで強化できないから……」

 

 世界はもう、取り繕えるラインを越えてしまった。

 

「もう、私が外からいくら弄っても、ブルトンからの干渉に対抗することもできない……」

 

「それって、まさか!」

 

 四次元怪獣ブルトン。

 時間を空間を滅茶苦茶にする異常な怪獣。

 その干渉があっても、四国結界と樹海化を保てていたのは、アナスタシアが腹に穴が空いた状態で必死にアップデートを繰り返していたからだ。

 だが、それも、もうない。

 

 アナスタシアが退院した理由の一つには……『もうブルトンに対抗できないことが確定した』からでもある。

 病院で厳重に管理されながら、結界をアップデートする意味が、なくなったということだ。

 時間と空間。

 樹海化と四国結界。

 その片方、時間を操る主導権を、人類と神樹は完全に剥奪された。

 

「だから……諦めて。ここで、皆死んじゃった方が、きっと楽だから」

 

 何人死ぬか、と一人は嫌な想像をした。

 何万人死ぬか、と一人は嫌な想像をした。

 今日人類は滅びるのでは、と一人は嫌な想像をした。

 

 2019年5月10日、午前10時23分。

 

 四国結界内、樹海化現象、完全消失完了。

 

 以前見られたあの結界が見られることは、永遠になくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敵側には、新顔が大量に並んでいた。

 結界の壁は崩壊し、その向こうに無数のバーテックスが並んでいる。

 大型はおそらく30~40。

 だが、それ以外に見えるバーテックスも多すぎる。

 見たことのないバーテックスが多く、敵の総数を判別することさえ困難だった。

 

 ザンボラーが何体も、樹海化が起こらなかったことでそのままの形で残った海を高体温で蒸発させながら、海だった場所を進んでくる。

 海がそのままの形でそこにあることすら許さない、絶対の十万度。

 海は次から次へと流れ込んでくるが、ザンボラーに触れるだけで連鎖的に蒸発する。

 そうして急激に発生した地獄のような蒸気の中を、バーテックスが進んでいく。

 十二星座。

 EXゴモラ。

 その他諸々、恐るべき怪物達が、海さえも消滅させながら、四国へと歩み寄って来る。

 

 それは、この世ならざる光景。

 まさしく、地獄の具現であった。

 

「四国結界がブルトンに消されるまで、あと何週間……いや、何日だろうね、若葉おねーちゃん」

 

 世界の終わりが見えるようだ。

 だが、悲観するアナスタシアとは対照的に、乃木若葉は毅然としたまま。

 

「そんな日は来ない。その前に、私達が敵を全て殲滅するからだ」

 

 しかと立つ若葉の横には、同じように心揺らがぬ少年の姿。

 

「だよな若ちゃん。それしか皆を守る道がないなら、そうするだけだ」

 

 状況は戦う前から絶体絶命の一言だが、千景や杏、友奈の胸にすら浮かんだ不安を、竜胆と若葉の勇気の背中が払拭してくれる。

 皆を引っ張るという分野において、やはりこの二人は強い。

 

 ケンは胸を抑える。

 痛みがあった。一兆度に抉られた深い傷が、まだ痛む。

 だがその痛みを知る者はいない。

 ケンは痛みをこらえて、この場における最適解を選択していた。

 

「ワカバ。

 ボクガマエニデル。

 ノコリゼンインデ、ボウエイセンヲ、コウチク。ソレデイイネ」

 

「ケン……」

 

 以前使ったフォーメーションだ。

 巨人が一人前に出て、敵の戦力の総足止めを試みる。

 そして残り全員で、後方の防衛戦を構築する。

 あの時と違うのは、"信頼できない駒"として前に出されたティガの代わりにパワードが出るということ。"信頼できる巨人"が配置される位置に、ティガが配置されることだ。

 そうなると、竜胆の方が反対してくる。

 

「何言ってんだケン! あの数が見えてないのか! 単独で突出するな!」

 

「アノカズヲ、トメルニハ、トニカクアタマカズガイル」

 

「だったら俺が一人で前に出る!」

 

「ボクノ、コウセンハ、マチナカデツカウニハチョットネ」

 

「……う」

 

 もうこうなった以上、市街地戦は確実に発生する。

 パワードの光線は市街地でも撃てなくはないが、その場合威力をかなり考えないといけない。

 ウルトラ兄弟長兄・ゾフィーは、光の国最強のM87光線を地球で撃つ時、星を壊さないよう威力を1/10にしているという。

 パワードの光線は一億度だ。

 市街地でフルパワーを放つには、多大に問題があるだろう。

 

 パワードが街から離れ、海上で敵主力に光線連打しつつ、敵の侵攻遅延。

 格闘に優れる竜胆が勇者達と最終防衛線を構築。

 これしかない。

 この数を仕留め切るには、パワードが全力で火力を叩き込まなければ不可能で、しかもそれだけでも全然足りない。

 全員が危険な領域に足を踏み入れでもしなければ、到底どうにもなりはしないのだ。

 

 ケンがニッコリ笑って、何の心配もしていないとでも言いたげに、竜胆の肩に手を置く。

 

「ミンナヲタノム、『ウルトラマンティガ』」

 

「―――」

 

 この時が、初めてだった。

 

 御守竜胆が、正しく『ウルトラマン』として扱われたのは。

 

「任せろ、ウルトラマンパワード」

 

「ゼンブ、マモロウ」

 

「ああ」

 

 光輝けるフラッシュプリズム。

 闇犇めくブラックスパークレンス。

 二つが掲げられ、光と闇が吹き出した。

 

「ULTRAMAN――」

「ウルトラマン――」

 

「――POWERED」

「『ティガ』ァァァァァッ!!」

 

 光の中から飛び出したパワードが、空よりバーテックスを猛襲する。

 海へと舞い降りたティガダークが、水飛沫を上げて敵を待ち受ける。

 四国を守るように立ったティガの肩に、千景が飛び乗る。

 

『何一つとして終わらせてやるもんか。

 意味なく死んだやつなんていない!

 意味なく生きているやつもいない! ここは―――俺達の世界だッ!』

 

 勇者も散開し、陣形を組み、バーテックスを待ち受ける。

 海をかき分け、前へ進み、バーテックスの集合へと突撃していくティガ。

 街から上がる人々の悲鳴が、まだ一人の死者も出ていないのに、酷く凄惨だった。

 

 

 

 

 

 敵の侵攻は、いつものように小型と大型の二種侵攻。

 だが今回は、パワードの活躍により、大型の侵攻が遅れている。

 海を飛んで越えてきた星屑達が、メインの敵だ。

 メインの敵、のはずだった。

 

「竜胆君、あれ……なに?」

 

『あれって?』

 

「あの……ボールみたいなの」

 

 星屑の中にもっと小さな奴が混じっている、と言い出したのは千景だった。

 誰よりもティガの近くに寄り添い、彼をサポートしている千景は、星屑の合間に球技のボールのようなものが混じっていることに気が付いた。

 遠くからだと見辛いくらいに小さく、野球ボールサイズに見える。

 それも空を飛んでいる。

 ならばそれは、バーテックスなのだろうか。

 

『牽制してみるか』

 

 八つ裂き光輪を試しに投げ込んでみる。

 星屑も、そのボールも、まとめて千切れ、切り裂かれた。

 耐久力は大したことがなさそうだ。

 

 だが、数が多い。

 とにかく多い。

 星屑だけでも数千はいるが、ボール型バーテックスはその小ささもあり、十万や二十万といったレベルでないほどの数にて、群れを成していた。

 八つ裂き光輪で全滅させられるわけもなく、残った個体の数と小ささに、ティガは思わず攻めあぐねる。

 

『ち、小さっ……くそっ!』

 

 バーテックスの津波?

 いや、もはや、バーテックスの台風だ。

 天と地の間にあるもの全てを飲み込めそうな数の、バーテックスの群れの直進。

 それがティガの肩に乗っていた千景にも接近し、ボール型バーテックスの触手が、千景の首筋を貫いた。

 

「うッ!?」

 

『ちーちゃん!?』

 

 すうっ、と千景の姿が消え、七人御先の衣装を纏った千景がティガの右肩に現れる。

 残り六体は若葉達が居る場所の近辺に出現していた。

 どうやら、攻撃の瞬間に精霊を発動し、敵の攻撃を無効化したらしい。

 

『大丈夫か!? 怪我はないか!? 痛いとこないか!?』

 

「だ、大丈夫……」

 

『こいつら……このサイズで、勇者を殺せるパワーがあるのか!?』

 

 七人御先が死をトリガーに発動したということは、そういうことだ。

 

 勇者の衣装は既存の人類科学を超越した強度を持っており、一目見ると可憐な衣装であるようにも見えるが、よく見ると首筋の急所までかなりきっちり防護されている。

 首周りに指がねじ込める程度の隙間がある者も、千景・杏・友奈しかいない。

 最初から安全を保証されていない近接でのガチンコを想定されている若葉や球子であれば、このボール型バーテックスの触手をねじ込む首周りの隙間すらない。

 

 つまり、このボール型の攻撃力は星屑以下だ。

 勇者衣装の上からでも勇者を骨折させられる星屑ほどには、攻撃力がない。

 おそらく脆いティガの皮膚すら貫けない。

 勇者衣装の隙間を狙ったのを見るに、勇者衣装も貫けないのだろう。

 

(まさか)

 

 だとすれば、このボール型バーテックスの、想定殺害対象は。

 

(こいつが、樹海化の崩壊タイミングで投入された新型なのは)

 

 『一般人』以外に、ありえないだろう。

 

(マズい、だとしたら、一匹も通せない!

 だがこいつら、何十万体……いや、何百万体いる!?)

 

 流石に53mのティガでは、人間の手の平に乗るサイズのボール型バーテックスは対処し辛い。

 星屑ですら、数が多ければ、巨人はその対応に苦労するのだ。小さいから。

 その厄介さが、とことんまで極められている。

 "星屑より小さければ巨人は対応しにくいのではないか"という発想と、進化の解答。

 小さくなるという進化の形。

 

 だがここで、奇跡のような幸運が重なった。

 竜胆は戦闘の天才である。

 人間離れした天才である。

 そんな彼だからこそ、星屑とボール型バーテックスが、ある一方向に向かって飛翔していることに気が付いた。

 

 普通の人間は、このボール型が一般人虐殺用だということにも、この短時間では気付けやしないだろう。

 察しのいい者なら、一般人虐殺用であることには気付くだろう。

 そして竜胆は、敵の本当の狙いを見抜いた。

 

 パワードは以前ケンに言った。

 彼は地球一の天才かもしれないが、地球一の天才程度が、才能だけでどうにかなるような戦いではないと。

 

『ちーちゃん、スマホあるだろ! 連絡してくれ! こいつら―――』

 

 その通りだ。どうにもならない。

 

()()()()()()()()()()()()、ゆっくり四国を全滅させるつもりだ!』

 

 避難誘導をしているのも大社。

 四国の全物流を担っているのも大社。

 四国を運営しているのも大社だ。

 大社は"とても滅ぼしやすく"、かつ、滅ぼせば即人類は詰む。

 星屑とボール型バーテックスは、一直線に大社を目指していた。

 

 千景は頷き、ティガの肩から飛び降りながら、スマホを取り出し、開いていたレーダーを閉じて電話しようとする。

 そして、レーダーマップを見た千景の、思考が停止した。

 

「―――え」

 

 ズームアウトで、直径10kmほどの範囲を映した、勇者システムのレーダーの画面は。

 

 バーテックスを示す赤い点で埋め尽くされ、赤い点以外の何も見えない。

 

 新型のボール型バーテックスの総数は、ゆうに()()()()を超えていた。

 

 四国に生存する四百万人の四国住民を殺し尽くすには、十分過ぎるほどの数が居た。

 

『……お前』

 

 そしてそれを止めようとする竜胆の前に現れる、大型バーテックスが一体。

 パワードが取り逃してしまった一体が、小型を一掃しようとするティガの前に立ちはだかり、ゆらゆらと浮いている。

 30から40という大型を全て一人で足止めしてくれているパワードが、たった一体を逃してしまったからといって、パワードを責められるはずもない。

 

 それは、なんと言えば良いのか。

 大きなハサミ……いや、大アゴは、クワガタムシのよう。

 黒く一色に染まった体は、下半分がアリジゴクのようにも見える。

 だが全体的なシルエットとしては、間違いなく、レオ・バーテックスだった。

 

『レオ・バーテックスの亜型か、こんな時にっ……!』

 

 小型を心おきなく進軍させるため、ティガの足止めと打倒のために、亜型レオ・バーテックスがティガの前に立ちふさがる。

 

『どけっ! 人が―――死ぬだろうがぁッ!!』

 

 "六月末には全員死んでいるなんて信じられない"という気持ちを消失させ、"六月まで人類が保つだなんて信じられない"という気持ちを湧き立たせるほどの、圧倒的な侵略だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このボール型バーテックスの名は『オコリンボール』。

 コブ怪獣・オコリンボール。

 星屑との連携、星屑のサポートを想定された新型バーテックスだ。

 

 このバーテックスは、合体した場合巨大なボールの塊の怪獣になる。

 そうでない場合、本体のボールと、端末のボールに分かれて人を襲う。

 そういう、ボール型の生物なのだ。

 

 この怪獣の端末個体は、野球ボールなどのボールとあまり区別がつかない。

 仮に、ここから端末個体の重量を、野球ボールより少し重い200gと仮定する。

 合体怪獣オコリンボールの総重量は2万t。gに直すと、20000000000g。

 

 一つの合体怪獣から分裂したオコリンボールの総数は……()()()になる計算だ。

 

 たった二千万体で幸運だったと言えるだろう。

 ただしそれは今現在のこと。

 オコリンボールは、人を襲い、ミイラになるまで血を吸って、増殖する。

 一億体にだって、なれないわけではない。

 

 2000万体のオコリンボールが何の妨害もなく四国住民を襲えば、四国人口は一瞬で蒸発する。

 90%を勇者達が打ち倒しても、200万体が残る。四国人口の半数が一瞬で蒸発する。

 80%を完封し、神速の迎撃で1600万体を死体に変えても、四国総人口400万は一瞬で溶ける。

 

 オコリンボールは、無数の小型個体の群れによって構築されるボールの群れ。

 小型であり、浮遊して移動し、人を襲うがために、オコリンボールは星屑と同様の運用・セットの運用が可能で、互いの強みを引き立て合う関係にある。

 

 3mサイズの星屑が入れない、小さな隙間に逃げ込んだ人間を、野球ボールサイズのオコリンボールは食い殺せる。

 オコリンボールが食い殺せない分厚い戦車の中の人間、金属の箱の中の人間を、星屑は強靭な歯で食い殺すことができる。

 互いが互いを引き立て合う、星屑のベストパートナー。

 

 繰り返そう。

 コブ怪獣・オコリンボール。

 これは星屑との連携、星屑のサポートを想定され投入された新型バーテックスだ。

 

 総数、現在、二千万超。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地獄が来る、予感がした。

 空を埋め尽くす星屑とオコリンボールの混成群体。

 鎌を握る千景の手が震える。

 分身は杏に二体、友奈に一体、若葉に一体付け、ここでは千景三人で死角を補い合う。

 千景は死なない。

 この敵を前にしても死ぬことはない。

 だが、仲間は死ぬ。

 ……これだけの敵を前にすれば、生き残る可能性の方が低い。

 

 "自分が仲間を守れるか"が大事だと、七体の千景全てが、緊張と決意で身を震わせた。

 

「乃木さんが、高嶋さんが……竜胆君が、未来を諦めていないから……!」

 

 七つの体全てが大鎌を振るい、星屑とオコリンボールを切り裂いていく。

 

「……私だって、死にたくないから!」

 

 街を飛び交う赤き影。

 単純にカバー範囲だけで言うならば、七つに体を偏在させられる千景以上に、広範囲を丁寧にカバーできる存在はいない。

 友奈は大威力の一撃を敵の群れに打ち込める。

 若葉は誰よりも速く動き、無数の敵を切り刻める。

 杏はカバー範囲こそ広いが、人間を巻き込まないという力の使い方ができない。

 

 千景は仲間達の背中を守りながら、街の人々を守り、怪物を切り裂いていった。

 

「切り刻んであげるっ……!」

 

 敵は一直線に大社に向かっている。

 そのおかげか、千景はまだ避難中の一般市民の死体を一つも見ていなかった。

 見ていないだけかもしれない。

 一般市民を襲うオコリンボールと星屑を両断しながら、千景は死体を見ないことを願った。

 

「あ、ありがとうございます勇者様!」

「勇者様が助けてくれた……」

「郡様だ! 雑誌で見たことあるぞ!」

 

 守るものが多すぎる。

 守るものが四百万。敵の数が二千万超。

 仲間だけ守って、他のものを切り捨てたい気分になってくる。

 精霊の穢れがちまちまと溜まってきているのが、自分を顧みるとよく分かった。

 

(私は勇者、勇者なんだから……!)

 

 切って、切って、切って、切って、その果てに。

 

 千景は、襲われている一人の市民を見つける。

 

「……ああ」

 

 それが『自分をいじめていた子供達の一人』だと理解した瞬間、千景の鎌は上がらなくなった。

 鎌が上がらない。

 助けようという気にならない。

 自分でもコントロールできないくらいに、自分自身が分からなくなる。

 

「……なんで、こんな……私は……」

 

 あの村から引っ越した者がいるという話は聞いていた。

 あれから四年。

 この近辺にまで引っ越していた子が居たとしても不思議ではない。

 

 千景の心に、魔が差すような声がした。

 どうせ今日はいっぱい死体が出る。

 死体が一つ増えた程度じゃ変わらない。

 自分が殺すわけじゃない。

 殺すのはバーテックスだから。

 自分にはこんな人間を守ってやる義務だってないはず。

 だから、見捨てて死なせよう。

 

 "とにかく何でもいいから理屈をつけて"、"その元いじめっ子を殺させようとしている"、千景の殺意のこもった心の声。

 これはきっと、精霊の穢れが無かったとしても、発生した感情だろう。

 

「―――私、は」

 

 鎌は上がらない。

 

 千景はその少女を、とにかく見捨てたかった。

 

 後で後悔するとしても……ここで、自分に見捨てられた彼女に、食われて死んでほしかった。

 

 

 




 二部(仮称)の開幕を告げるジャブ

【原典とか混じえた解説】

●コブ怪獣 オコリンボール
 「お前可愛いのは名前と異名だけだよな」と言われる最悪の凶悪怪獣。
 ウルトラシリーズで最悪の怪獣は? という話になると、必ず名前が上がる存在。

 本体のサッカーボールサイズの個体、端末の野球ボールサイズの個体の二種類が存在する。
 これらは触手の生えたボールのような形をしており、動くもの(人間)に飛びつき触手を突き刺し、脳と心臓に触手を突き刺して吸血を行う。
 血を吸われた人間は死ぬ。
 そして吸った血でオコリンボールは成長・増殖し、また人間を襲う。
 触手を急所に刺すせいで、通常の手段によるオコリンボールの分離は不可能、とされている。

 原作ウルトラマン80では防衛隊が本気で抵抗したが、どうにもならず無限に増殖していく怪獣の猛威と、逃げ惑い襲われていく人々と、恐ろしい数で空に浮かぶボールの群れが描かれた。
 被害範囲は日本全国に拡大。
 後には、対策会議のため国際会議場に集まった世界各国の要人も襲撃され全滅。
 世界レベルの大被害が発生した。
 端末のパワーは宇宙船をも容易に貫くほど。
 本体ボールは単体でも戦闘機群程度であれば壊滅させる光線も持ち、合体することでこれはウルトラマンにも大ダメージを与える光線にまで強化される。

 もしもオコリンボールの増殖を許し、その後の合体も許してしまえば、合体したオコリンボール達は巨大で醜悪な怪獣になってしまい、暴れ出す。
 格闘の基本は打・投・極ともいうが、この怪獣は柔軟でブヨブヨとした滑る体で、打撃・投げ・関節技をほぼ全て無効化してしまう。
 格闘と光線というウルトラマンの強みの二本柱の片方が、非常に相性が悪い。

 ちなみに一定のダメージを与えると、無数の小型ボールに戻った後街中に拡散、街中で大爆発を起こして大破壊を撒き散らし、本体は逃げてまた増殖を始める。ふざけんな。



●磁力怪獣 アントラー
 恐ろしい耐久力、馬力、特殊能力を併せ持つアリジゴクの怪獣。
 個体によって能力に差は出るが、全個体が共通して持つ、強力な磁力操作能力。
 ウルトラマンの必殺光線すら効かない頑強な耐久力。
 凄まじいパワーの大顎など、強力な能力を備える。
 また、磁力操作能力を持つため、ロボット怪獣等が相手ならばほぼ無敵。
 金属と電子機器を使わないと兵器が作れない人類にとっては、まさしく天敵。

 磁力操作は応用で、ウルトラマンの溜めた光を強制的に散らす、隕石を引き寄せて敵にピンポイントで当てる、果ては血中鉄分への干渉すら可能。
 血中鉄分を持つ生物を磁力で強制的に動かせる上、その磁力射程は100kmにも到達する。
 ひたすらに強力な能力を持つ獅子座(レオ)と、ひらすらに強力な個性を持つ怪獣の中間体。
 亜型レオ・バーテックス。

※補足
 海外ではアリジゴクは『アント"ライオン"』と呼ばれる。
 それはヨーロッパの怪物、『ミルメコレオ』に由来する。
 ミルメコレオは、アリ(アント)とライオンの混ざった怪物だと言われるものだ。
 一説には悪魔に創られた生物であるとも語られた。
 ミルメコレオ(アントライオン)はやがて砂の中に隠れてアリを食らう怪物であるとされ、やがてアリジゴクと同一視され、アリジゴクもアントライオンと呼ばれるようになった……というわけである。
 そのため、一部のウスバカゲロウには『Myrmeleon(ミルメレオン)』という、ミルメコレオと獅子(レオン)を由来とする学名が付けられている。

 余談だが、当時はアリは草食と考えられていた。
 そのため、ミルメコレオはライオンの部分のせいで植物を食べることができず、アリの部分のせいで肉を食べることもできず、滅ぶべくして滅ぶ存在であると語られた。
 キリスト教系列ではこれを、神にも悪魔にも傾倒し得る人間の性質、善にも悪にも転び得る人間の性質を象徴的に表しているとも語っており、闇に揺らぎ二心を持った人間は安らぎを得られないという教訓に用いている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3

 千景は何を思ったのだろう。

 殺されてしまえ、だろうか。

 死んでしまえ、だろうか。

 死んでもいい、だろうか。

 殺されても構わない、だろうか。

 

 今でも覚えている。

 その少女は、徒党を組んだいじめっ子の一人だった。

 この少女を含めた徒党に、服を無理矢理奪われ焼却炉で燃やされ、泣きながら裸で帰った日のことを、その時感じた想いを、千景は忘れていない。

 "探し出して絶対に殺してやる"と思ったことはない。そこまで憎くはない。

 だが、殺されそうになっているところを見殺しにしてやりたいと思う程度には、憎かった。

 

 千景は鎌を握ったまま、振り上げない。

 このまま何もしなければ、自分が殺したことになるんだろうかと、千景はふと思う。

 

―――"それ"は、駄目だ。俺は"それ"で後悔した。

 

―――殺した人は、夢に出るよ。ずっと、ずっと

 

 大事な友達の、あの日の言葉が脳裏に蘇る。

 私が殺すわけじゃない、と千景は自分に言い聞かせる。

 あの日の竜胆の言葉を一つ思い出したことで、千景はもっと思い出す。

 千景を背負っていたあの時の竜胆が、若葉に引き出された"本音"を口にする、記憶。

 

―――俺は殴られる人をなくしたかったんだよ。

―――強い側が弱い側を一方的に攻撃するのが嫌だった。

―――人が暴力で傷付くのが嫌だった。

―――人が死ぬのが嫌だった。

―――俺みたいな奴に殺される人間を、俺みたいな奴から守りたかったんだ

 

 そんな竜胆だから千景を守ってくれた。

 そんな彼だから、千景は好ましく思っていた。

 

(ここでこの人を見捨てたら……竜胆君は……)

 

 千景の心に湧く、一抹の迷い。

 

―――笑顔、幸せ、日常、平穏。

―――ここにあるそれらを壊すようなことはしたくない。これは俺の、確かな願い

 

 あの村にある笑顔、幸せ、日常、平穏ですら、竜胆は慈しんだ。

 竜胆だったらこのいじめっ子も見捨てない。千景にはそう確信できる。

 

(竜胆君は……こんな人の死でも……悲しむんだろうか……きっと、悲しむ……)

 

 千景の手は、鎌を持ち上げないが、鎌から離れてもくれない。

 

―――あの村の奴らに……千景が復讐を望んだら止めるのか

 

―――止めないよ。

―――止められない。

―――それはちーちゃんの権利だ。俺はそこに何を思っても、止める権利はない

 

 あの時、若葉の問いに、竜胆はそう答えた。

 竜胆は結局仕返しをせず、千景の復讐を否定しなかった。

 それは、"竜胆の中にある正しさ"よりも、"千景が選んだ正しさ"を尊重し優先する、という意思表示に他ならない。

 

 竜胆は憎いはずの人間達の笑顔と幸福を、尊んだ。

 そこにある平和と日常が続くことを祈った。

 その上で、千景が復讐することを、否定しなかった。

 

(私がこの人を見捨てても、竜胆君はきっと何も言わない。

 私がそれを竜胆君に打ち明けても、何も責めない。そして、きっと、きっと――)

 

 もしも、そうなれば。

 

(――ただ寂しそうに、悲しそうに、微笑んで、私を気遣った言葉を、言うだけだ)

 

 竜胆は死を悲しんで、見捨てた千景の心の傷を見抜いて、優しく千景を気遣うのだ。

 見捨てたっていい。

 そんなことで竜胆は千景を嫌わない。

 千景もそれは分かっている。

 ただ、竜胆が、悲しそうにする、それだけで。

 

―――誰も許してないよ。ただ、誰も死んでほしくないし、皆に幸せになってほしいだけ

 

―――だから、俺も許さない

 

 千景も、竜胆も同じだ。

 まだ本当は、誰も許していない。

 なのに竜胆は、"皆が幸せになればいいな"と思っている。願っている。

 千景のような人生と気持ちを抱いているのに、友奈のように皆の幸福を願っている。

 

 だけど、違う。

 若葉があの指摘をしてくれたから、千景にも、よく分かっている。

 

―――お前は"他人は許せる"が、"自分は許せず"。"人は許せる"が、"怪物は許せず"。そして

―――『自分への攻撃』は許せても、『千景への攻撃』は許せなかったのだな

 

 千景は、自分にされたことが許せなくて。

 竜胆は、千景(ともだち)にされたことが許せない。

 それは完全に同じことなのに、完全に違うことなのだ。

 

 許すとは、許せないとは、何なのか。

 許せることと、許せないことの境界線は、どこにあるのか。

 何故竜胆は、許せない人の幸福も、嫌いな人の笑顔も、望めるのか。

 

 "この人を死なせたら彼は悲しむ"。

 その想いが、千景に鎌を強く握らせる。

 そして、いじめっ子は、星屑とオコリンボールを前にして、泣きながら叫んだ。

 

 

 

「―――誰か、助けてぇっ!」

 

―――誰か、たすけて

 

 

 

 そのいじめっ子の涙ながらの叫びが、竜胆と出会う前、毎日のように攻撃されていた頃の千景が心で叫んでいた「たすけて」と、重なった。

 千景は忘れない。

 彼女らにいじめられた、あの頃の恨みも。

 "たすけて"と願って、でも誰も助けてくれなかった、あの時の苦しみと悲しみも。

 何もかも、忘れていない。

 

 "誰も助けてくれなかった"という血を吐くような辛さも。

 "彼が助けてくれて嬉しかった"という嬉しさも。

 千景は、何一つとして忘れていない。

 

 そうして、千景は。

 

 誰にも助けてもらえなかった、あの頃の自分を助けるように―――いじめっ子を、助けた。

 

「……え?」

 

 切り落とされた星屑とオコリンボールが地に落ちる。

 いじめっ子だったその子が千景の横顔を見て、呆然とその名を呼んだ。

 

「郡、さん?」

 

「早く逃げて……避難所はあっち」

 

「あ、ありがとう!」

 

 ありがとうと言われたが、嬉しくはなかった。

 何の達成感も無い。

 何の喜びもない。

 むしろ、"見捨てていればよかった"という、小さな悔いが残っているほどだった。

 

 "助けた人に『ありがとう』と言われたいから助けるわけじゃない"という気持ちが、少し分かった……なんて、千景は思っていた。

 いじめっ子に感謝なんて、最初から期待していない。

 感謝の有無など考えもせず、千景はその命を助けた。

 

 それは、"皆に好かれたいから勇者をやる"と考えていた頃の千景を考えれば、信じられないようなことだった。

 

(そっか)

 

 千景は、竜胆や友奈、若葉などの内にある、"千景には理解できない部分"を、今この瞬間に理解した。

 

(『ありがとう』がなくても、他人のために戦える人達は……

 きっと……その胸の中に、『ありがとう』よりずっと大切な、何かがあったのね……)

 

 千景の仲間の中にいる、人々の感謝がなくても戦っていけそうな強い者達のことを、千景は今まで以上に理解する。

 それは、千景が"勇者の強さ"を身に着けつつあることの証明でもあった。

 

「待って!」

 

 いじめっ子に一瞥すらくれず、去っていこうとする千景の手を、少女が掴んだ。

 背筋に寒気が走り、吐き気がする。

 それはいじめっ子への憎悪ではない。恐怖だ。

 いじめっ子に触れられた、ただそれだけで、千景の体はトラウマで縮み上がる。

 

「ごめんなさい!」

 

 千景の手を掴み、頭を下げて謝るいじめっ子。

 千景は、このいじめっ子個人への怒りが薄れていくのを実感する。

 なのに、いじめっ子達全員への怒りの総量は全く減らず、許す気は全く湧いてこないのが、不思議だった。

 

「私、村を出て、色々見て考えて、郡さんに悪い事しちゃってたんじゃないかって思って……」

 

 謝られているのに。

 このいじめっ子個人への怒りは薄れているのに。

 全く許す気が湧いてこない。

 けれど憎悪も薄れ始めているから、もう"死ねばいい"だなんて思えなくて。

 

「ずっと謝りたいって、思ってたの」

 

 何一つとして許してはいない。それでも、千景は、こう思う。

 

 "見捨てなくてよかった"と。

 

「ごめんなさい。本当にごめんなさい。郡さんに、私なんて言ったらいいか……」

 

「謝らなくていい……謝られても、私は……あなたを許せそうにない」

 

 元いじめっ子がしゅんとする。

 

「でも……

 あなたが死んだら悲しむ人がいるの。

 あなたの幸せを望んでる人がいるの」

 

 竜胆がいなければ、千景はこの子を見捨てて、死なせていただろう。

 竜胆が、他人に"愚か"と言われても仕方ないああいう生き方をしていなければ、千景はこの子を見捨てず助けようだなんて、思わなかっただろう。

 竜胆がこんな子の死ですら悲しむ人間でなかったら、千景は別の選択をしていた。

 竜胆が居たから。

 千景が彼との友情を大事にしていたから。

 

 千景は後悔を一つ、背負わずに済んだのだ。

 

「だから……私はあなたが嫌いでも、あなたが生きる権利は守る」

 

 千景は跳び、戦場に戻る。

 激闘の渦中に挑む千景の数が、六つから七つに戻った。

 七人の千景は仲間を守り、敵を討つ。

 避難所に逃げる途中の元いじめっ子が、見上げた先で戦う千景の姿は赤く、美しかった。

 

(高嶋さん、竜胆君)

 

 敵はあまりにも多い。

 それに対し、千景は仲間の背中は堅固に守り、自分自身は守らず、捨て身の猛攻で星屑とオコリンボールに立ち向かう。

 千景七人が代わる代わる死んでいき、そのたび蘇り、敵を駆逐していく。

 

(私はあなた達のようにはなれない。

 でも……あなた達の生き方が好き。

 あなた達があなた達らしく在るのを、見ているのが好き)

 

 この鎌が、人を切るためのものでなく、人を守るためのものであってくれてよかったと、千景は心の底から思う。

 

(私は優しい人にはなれないかもしれない。

 私は結局、私と、私の大事なものしか、大切にできないかもしれない。

 ……それでも……高嶋さんや竜胆君を、悲しませない自分でいたい)

 

―――ぐんちゃんは優しいね!

―――ちーちゃんは優しいな

 

(……集中して、戦わないと)

 

 記憶の中の声だけで動揺させるのやめてほしい、なんて思って、千景は記憶の中の少年の笑顔を睨みつけた。

 

 千景をいじめたのもこの世界の一部だ。

 千景を救ったのもこの世界の一部だ。

 そして千景も、この世界の一部だ。

 

 勇者は、世界を守るため、戦い続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 継続して杏の背中を守っていた千景の内の一人がまた、杏の背後を狙う星屑を切り捨てた。

 

「ありがとうございます、千景さん」

 

「敵のこと、何か分かった?」

 

「いくつかは分かりました。けど……」

 

 杏は前に出れない。

 後衛スタイルの彼女は星屑に食い殺されかねないし、オコリンボールの触手で首の隙間を狙われかねない。

 その上、杏の精霊・雪女郎は丸亀市一つ程度なら軽くカバーできるが、その分一般人を殺さないように制御することが難しい。

 杏はクロスボウでひたすら敵を撃つしかないのだ。

 

 だがその分、後衛としてじっくり敵を観察することができていた。

 杏は勇者唯一の知将。

 ただ一人、前線指揮官として柔軟に状況へ対応できるだけの知力を持っている。

 その目はオコリンボールの行動と特性をよく見て、よく分析していた。

 

「新型のボール型バーテックスですが、動くものに反応するみたいです」

 

「動くもの?」

 

「車の中でじっとしている人には何も反応してないんです。

 逆に全力で走って逃げたりしている人には積極的に襲いかかっています。

 その場合、車の中の人は星屑が襲うようになっているみたいです。

 あのボール型は逆に、動くものに対しては、星屑以上に敏感みたいですよ」

 

「……ああ、さっき、車の周りにバーテックスの死体がやたら多いと思ったら……」

 

 千景は杏の足元の氷漬けになっているオコリンボールも見た。

 

「それと、冷気にも弱いみたいです。

 人間にこのボール型が取り付いた場合、今のところ凍らせる以外に対処法がなくて……」

 

「なるほど。でも、伊予島さんの冷気があれば……」

 

「……無理です。

 いくらなんでも、バーテックスが凍るレベルの冷気を出せば人が耐えられません。

 五月です。半袖の人だって多いんです。これで吹雪なんて出した日には大惨事になります」

 

「……丸亀市の……いえ、四国全住民を人質に取られた形かしら」

 

「はい」

 

 話しながらも、二人のクロスボウとボウガンは常に敵を潰し続ける。

 手を止めている余裕が無い。

 手を止めていては、何万人死んでしまうかも分からない。

 

「せめて、樹海化さえできていれば、こんなことには……!」

 

 例えば、特定の状況の戦場で、あまりにも敵が多い空を見上げて、「空が二割、敵が八割です!」と叫ぶ者もどこかにはいるだろう。

 敵の数の多さを示すには、とても分かりやすい表現法だ。

 

 ならば、この表現法に倣って言おう。

 今現在、勇者達の周辺空間において。

 敵が五割、空気が五割。周辺空間の半分を、敵の姿が埋め尽くしていた。

 

 

 

 

 

 奇跡的に、まだ死人は出ていなかった。

 まだ、戦闘開始からほんの少ししか経っていない。

 結界外から侵入してきた星屑達が一直線に飛翔し、海岸線を越え、街中に侵入する程度の時間しか経っていない。

 その上で言おう。

 死人が出ていないのは、奇跡的な話である。

 

 そしてこれからも死人が出ないというのは、あまりにも希望的観測が過ぎた。

 

『ぐうううっ……!』

 

 なんというパワーか。

 アントラー・レオは、空中でティガを一方的に押していた。

 振るわれる黒い大アゴに、ティガトルネードは防戦一方にしかなれない。

 亜型のレオの空中戦能力は、ティガダーク以下の空中戦能力しかない赤きティガトルネードを圧倒可能なものであった。

 

(なんつーパワーだ……! ティガトルネードの腕じゃなきゃ防げない……!)

 

 しかも、硬い。

 旋刃盤を抜き打ちで叩きつけてみるが、装甲が削れただけで致命傷まで刻めない。

 これを削り切るにはどれだけ手がかかるか、想像もつかなかった。

 

 クワガタムシのような大アゴを、両手で何とか掴み止めるティガ。

 だががら空きになった腹に、レオ・バーテックスの頃から脅威だった高威力の炎弾が、連続で突き刺さった。

 

『ぐぶっ……!?』

 

 炎弾は脆いティガトルネードの体を貫通……は、せず。

 球子からの力の継承の影響で、炎にある程度の耐性を持っていた表皮が、炎弾の衝撃と熱になんとか耐えてくれていた。

 炎弾に吹っ飛ばされ、激痛に耐えるティガが大通り十字路のど真ん中に落ちる。

 足元周辺の歩道に避難中の人間が何人も居たが、そっちを余分に見ていられるほど時間と戦況に余裕がない。

 

「―――!」

 

 人々が何かを言っていたが、それに耳を傾ける余裕もない。

 ただ、声の様子から、それが罵声であることは理解できた。

 ティガトルネードは立ち上がる。

 

『まだだっ……!』

 

 一瞬で、戦場を見渡す。

 

 パワードは何十体もの大型を一人で止めていた。

 相対する敵の強さだけで言えば、誰よりも厳しい戦場にいた。

 だが、なんと凄まじいことか。

 既に新顔を含めた大型を十体以上、負傷で結界外にまで撃退している。

 そして現在も二十を超える恐ろしい怪獣相手に、ズタボロになりながら渡り合っていた。

 

 勇者達も決死の想いで星屑とオコリンボールの怒涛の流入を食い止めようとしている。

 それは個人単位の人助けと、秒単位の遅延にしかなっていないが、それでも何ら無駄ではない。

 勇者達の戦いが、大社に向かって一直線に突っ込んでいく星屑達が"ついで"で殺していこうとした何百何千という数の人間を、救っていたのだ。

 

 だがもう、手遅れになるラインが近い。

 止めきれない。

 皆の力では止めきれない。

 ここが無茶のしどころだと、竜胆は思考した。

 

 竜胆の周囲に、七つの巨大な旋刃盤が出現する。

 

『七個同時制御は初めてだが……やるっきゃねえだろ!』

 

 無茶をする方法は、いくつか考えがあった。

 その中で竜胆がこれを選んだ理由は、そこまで深いものではない。

 七という数字が好きだから。旋刃盤が好きだから。

 それだけだ。

 だが、どうせ全部等しく危険で無茶な策であるのなら、せめて"好きなもの"でやっちまおうと思ったわけで。

 

 七つの旋刃盤が、空を舞った。

 

 旋刃盤が一飛びするだけで、数百のバーテックスが爆散し、燃え尽きていく。

 触れるだけで砕け、かすっただけで燃え尽きる。まるで燃える流星だ。

 しかもこれは、盾でもある。

 人々を守る、土居球子の盾だ。

 

(もっと、もっと、視点を広く!)

 

 視点を広げ、街を俯瞰するように見て、ひたすらに頭を回す。

 ここではどれが最適解、ここには何が最適対処、あそこはそれが最優先。

 そうやって思考し、ただの一人も死なせないため、七つの旋刃盤を飛び回させる。

 竜胆は一つ、思いつく。

 思いついたが、知力が足りない。計算ができない。

 そこで、頼りになる仲間を頼った。

 

『杏! 弱くていい! 熱気に対して最適な場所に、冷気をくれ!』

 

「はいっ!」

 

 杏が竜胆の意図を汲み取って、竜胆の頭では"具体的にどこにどうするか"を思いつけなかったそれを、実行に移してくれる。

 

 旋刃盤が飛び回る街に、冷気が降りた。

 熱された空気と、冷やされた空気が、自然の摂理として移動を始める。

 やがて街中には熱と冷気が生み出した風が吹き始め、風に吹かれて物が動き、オコリンボールが感知する動体の数が一気に増えた。

 結果、オコリンボールの感知精度が一気に低下した。

 

 これは大まかに同じ方向から吹き、吹いたり止んだりする、自然の風とは違う。

 様々な方向から常に吹き続ける、人造の風である。

 これにより、風で動き続けるものは常に動き続け、人間の動きを誤魔化してくれた。

 

 バーテックスが大社に向かって一直線に進み続けるのはそのままだが、これでなんとか、そのついでで殺される数えきれない人の被害は抑えられる。

 が、感知精度を下げるのが関の山。

 それでも数万規模の星屑とオコリンボールは、沢山の人をロックオンしていた。

 

 竜胆は大社を狙う千万規模のバーテックスを旋刃盤で何とか足止めし、人々を狙う数万規模のバーテックスを対処している勇者達に向け、叫ぶ。

 

『敵がいる範囲の広さに惑わされるな!

 敵の数の多さに惑わされるな!

 発想を変えろ! こいつらが人を殺せるのは、人がいる場所だけだ!』

 

 旋刃盤を三つ、勇者の援護と、人々を守るための防衛線に回す。

 

『人が居ない場所でこいつらは人を殺せない!

 最悪、"自分の近くに居て倒せる個体"は無視していい!

 倒せる位置にいるから倒しておく、ってやってたら結果的に足止めされるぞ!

 倒せる奴を無視して移動、人を殺しそうになってる個体を倒す、って意識でいい!』

 

 竜胆の高い視点からの助言が、勇者の動きを変える。

 空間を埋め尽くすような星屑とオコリンボールを無視して、その合間を潜り抜けるに飛び抜ける友奈と若葉が、人を襲っているバーテックスを倒しているのが見えた。

 

 だが、ティガが好き勝手できるのもここまでだと言わんばかりに、空からアントラー・レオが降りてきた。

 レオが地上にティガを落としてから十秒前後。追撃に来るには十分な時間。

 黒い大アゴが、ティガの巨体を挟み込んだ。

 

『っ、ぐ、グッ……!』

 

 反応が遅れ、二の腕を挟み込まれる形で捕まってしまったティガ。

 その二の腕に、黒い大アゴの突起が食い込む。

 頑丈なはずのティガトルネードの肉でも耐えられない。

 このままいけば、腕を折られるか、最悪真っ二つにされてしまうかもしれない。

 

 その時、ティガの視界に、遠くの風景が目に入った。

 

『―――っ』

 

 このままバーテックス達が進めば、直撃するその道に。

 遠くにある、避難民達がひしめいているその道に。

 安芸真鈴の姿と、球子の母の姿が見えた。

 

 人々が居る。

 何の罪も無い人々が。

 力なき人々が。

 球子が守ろうとした人々が、そこにいる。

 

 ティガの腕に刺さっていた大アゴが、ビキッと音を立てた。

 腕の内側に食い込んでいた大アゴの一部分が、腕の筋肉の圧力に負け、ビキビキビキと腕の筋肉に押し潰されていく。

 腕の筋肉は更に隆起し、圧力の増加は止まらない。

 信じられないレベルに腕の力が増し、二の腕を外側から押し込むという圧倒的有利な状況から、大アゴが押し返されてしまった。

 

 そして、赤きティガトルネードの体が、更に真っ赤に染まっていく。

 

『守るんだああああああああッ!!!』

 

 それが"ウルトラヒートハッグ"だと、レオが認識した瞬間。

 レオは後ろに飛んで逃げた。

 ティガは前に跳んで距離を詰めた。

 大爆発の轟音が、四国全域に響き渡る。

 

「わっ、わわわっ!」

 

 一般市民が動揺する中、爆煙が晴れ、二つの巨体が姿を現す。

 アントラー由来の大アゴの片方が大爆発させられたレオ。

 上半身が傷だらけになったティガ。

 技のかかりは甘かったが、効果は絶大だったようだ。

 レオは飛翔し、距離を取る。飛行形態を持たないティガでは追いすがれない。

 

『あ、待っ―――』

 

 そして、レオが空から炎弾を連射した。

 

『!』

 

 すかさず、飛行能力がトルネードより高いティガダークにチェンジ。

 空に飛び上がり、炎弾を交差させた腕と体で受け止める。

 右、左と飛んで、次々飛んで来る炎弾を受け止め続ける。

 一発たりとも街に落とさせてはいけない。

 レオは街を人質に取った。

 ただそれだけの、有効で効果的な戦術。

 

『ぐっ……』

 

 竜胆は苦悶の声を漏らしながら、ただひたすら炎弾をその身で受け止め続けた。

 街を守るために。

 人を守るために。

 命を守るために。

 

 レオの大アゴに二の腕ごと挟まれていた時もずっと、自爆していた時もずっと、今もずっと、竜胆は七つの旋刃盤を飛ばし続け、人々を守り続けている。

 他に多くのことができないほどに、必死に"守ること"に集中し、人間離れした才能の全てをここに注ぎ込んでいた。

 

 だが、それにも限界は来る。

 炎弾がティガを撃ち、打ち、討つ寸前にまでいったそのタイミングの、最後の一発。

 それをティガが防ぎ漏らして、炎弾がビルに当たってしまった。

 真っ二つに折れ、上半分が落ちてくるビル。

 その下には、避難途中だった名もなき母親と、名もなき男の子がいた。

 

『―――』

 

 竜胆は、一も二もなく飛び込む。

 そして、背中で支えるようにして、落下してきたビルの上半分を受け止めた。

 ビルの落下が止まり、母親と子供が、守ってくれたティガを見上げる。

 

「あっ……」

 

 声を漏らす、小さな二人の人間。

 

 この行為は、優しくも愚かな行為だった。

 レオが空中で炎弾をチャージし、ビルを支えて動きを止めたティガへと、最大までチャージした炎弾を叩き込む。

 崩れるビル。

 呻くティガ。

 ティガはレオの最大火力で背中を焼かれながらも、自分の体をうつ伏せでドームのようにして――あの日、刺された球子を守ろうとした姿勢と同じ――ビルの破片から親子を守る。

 子供が、純粋な気持ちで、ティガを見上げ声を張り上げた。

 

「ウルトラマン!」

 

 ティガが体を起こし、親子が無事なことを確認すると、ゆっくり頷く。

 母親はティガに深く頭を下げ、子供の手を引き、逃げていった。

 『今度は守れた』、と。

 竜胆がその瞬間に思ったのは、弱さだっただろうか。

 それとも、別の何かだったのか。

 

 そしてこれ以上の蛮行を、竜胆の仲間は許さない。

 

 若葉が義経を身に宿し、星屑とオコリンボールを蹴って跳ぶ。

 跳べば跳ぶほど加速する義経ゆえに、空を幾千万の敵が飛ぶこの戦場は、若葉にとって翼が与えられたに等しい戦場だ。

 その右手は、友奈の左手を掴んでいる。

 友奈を掴んだまま、遥か高くへと若葉は飛び上がっていく。

 

 そして若葉がその勢いのまま、レオへと友奈を投げつけた。

 若葉の義経が最高の加速を与え、一目連を宿した友奈が、全力をぶつける。

 

「リュウくんいじめんなっー!!」

 

 暴風の如き連打が、レオの大アゴの折れた方の断面に、クリティカルヒットした。

 大アゴが更に砕かれ、ダメージでレオが落ちていく。

 空中で友奈がピースし、若葉が拳を握って見せ、地上のティガが親指を立てて返す。

 

 若葉と友奈が抜けた防衛線の穴を、ティガの旋刃盤が埋め、またしても彼らは相互に助け合い、一人では守りきれないものを守り合う。

 

『自惚れるなよ、邪悪』

 

 避難している大勢の人達が見える。

 それらを庇うようにして、ティガは立った。

 相対するは、亜型のレオと、無数のオコリンボール。

 

『まだまだ折れない。俺達は最後の力も枯れてない。

 ここから一歩も退()がるかよ……この先に、お前らは一歩も通さないっ!!』

 

 赤き光が、燃える炎が、ティガに寄り添い、強く強く輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アナスタシアは、それを見ていた。

 痛ましく見ていた。

 悲しげに見ていた。

 絶望にしか繋がらない皆の努力を、見つめていた。

 

「なんで……

 いつもあたしが、あたしにしか見えないものを、皆に教えると……

 みんな、いつも聞いてくれたのに……いつも信じてくれたのに……」

 

 車椅子の上でぎゅっとスカートを握って、その上に涙をこぼす。

 

「なんで……こんな時だけ……あたしの話を、聞いてくれないの……信じてくれないの……」

 

 アナスタシアの右手には、ブラックスパークレンスなどと同じ、巨人へと変身するための光のアイテムが握られていた。

 

 アイテムの名はエボルトラスター。

 進化(エボル)真実を見定めるもの(トラスター)の名を冠する神器。

 どこか日本刀に似た構造をした、鞘に収まった短剣型のアイテムである。

 鞘から刀を抜くことで、アナスタシアはウルトラマンネクサスになることができる。

 

 だが、アナスタシアは変身しない。

 腹の傷は治りきっておらず、体が変身に耐えられるかも怪しい状態である、というのもある。

 だがそれ以上に、心が戦いを放棄していた。

 エボルトラスターを握り、涙で濡らすアナスタシアの耳に、遠くより声が届く。

 

『この世界は滅びたりしない、絶対に!

 死んでたまるか、死なせてたまるか、絶対に!』

 

 それは、ティガの……御守竜胆の叫びだった。

 

『俺達の明日は、俺達のものだ! ―――てめえらに奪う権利はないッ!』

 

 敵への憎悪、憤怒。強敵に対する恐怖、躊躇。

 心の闇が、ティガトルネードの黒色をより深い色に変え、力を増す。

 味方への信頼、絆。死んだ仲間達がくれた希望、未来。

 心の光が、ティガトルネードの赤色を、より強く光り輝かせる。

 

 アナスタシアの目に映るのは、何よりも濃い闇と、その闇が引き立てる何よりも美しい光。

 

『俺達に、くだらない運命を―――押し付けてくんなぁぁぁぁッ!!』

 

 闇の中で、迷う人々を導く篝火が輝いているような、黒と赤。

 

 迷うアナスタシアが、その光につられそうになる。

 

「……未来は……未来はっ……」

 

 運命は残酷だ。

 アナスタシアが見た未来もあり、見なかった未来もあり。

 必然の結末が積み重なることによって、必然の結末はもたらされる。

 エボルトラスターを握るアナスタシアは、見た。

 

 遠く彼方で、星屑とオコリンボールに追い詰められた、ひなたの姿を見た。

 

 ひなたが死ぬのは一週間後だ。

 ここでは死なない。ひなたが死ぬ未来もアナスタシアには見えていない。

 それは、未来が決まっているから、誰が何をしても変わらない、とかではなく。

 "ここでアナスタシアが取る行動が絶対的に一つ"だからこそ、未来は一つに決まっていた。

 

「―――う」

 

 当たり前だ。アナスタシアが、母のように慕うひなたを、見捨てられるわけがない。

 

 少女は、腹の傷を開きながら、魂を震わせ叫びながら、エボルトラスターを引き抜いた。

 

「うあああっーーーーー!!」

 

 いっそ、見捨てられれば、未来は変えられたかもしれないのに。

 ひなたが予定より早く死ねば、未来も変わったかもしれないのに。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだと、アナスタシアは、分かっていたはずだったのに。

 

 それでも彼女は、ひなたの命を、諦めることはできなかった。

 

 

 

 

 

 銀色の流星が、空へと上がり、地に落ちる。

 ひなたを襲っていたバーテックスは、銀色の拳の一振りで押し潰されていた。

 巨人はひなたの敵を潰した後、ゆっくりと立ち上がる。

 ひなたが銀色の巨人を見上げ、その名を呼んだ。

 

「アナちゃん……?」

 

 ゆっくりと頷く、銀色の巨人。

 全身が銀色。

 胸に輝くはカラータイマーとは似て非なる赤き器官、エナジーコア。

 ティガと似た色合いの瞳が、強く光り輝いている。

 

 立ち上がるアナスタシアを見て、人々が次々と声を上げた。

 

「ネクサス」

 

「ネクサスだ!」

 

「ウルトラマン―――ネクサス!」

 

 ネクサスが腕を振ると、"光が水に落ちたような音"がする。

 美しい水の波紋のような光が、水面に流れる波紋のように、ウルトラマンの表面を流れる。

 ネクサスの姿が、一瞬で変わる。

 銀から、紫に。

 

 銀に染まっていた体は、濃淡二色の紫を基調とした体へ変わる。

 銀色だった部分は、銀色の生体甲冑へと変化する。

 これこそがウルトラマンネクサスの真骨頂。

 銀色の巨人から、色有りし巨人へと変わる『強化変身』。

 

『……変わった!?』

 

 銀の"アンファンス"から、色の付いた"ジュネッス"への強化変身を初めて見た竜胆が、驚きの声を上げた。

 そう、アナスタシアとネクサスは。

 地球戦力のウルトラマンの中で唯一、『強化変身』を持つウルトラマンなのである。

 

 強化形態(ジュネッス)へと変わったネクサスが、光を纏った拳を突き上げた。

 四国全てが、黄金の光に包まれていく。

 

『―――!?』

 

 黄金の光に驚いたティガだが、すぐにまた驚かされる。

 なんと、周囲の光景が、四国ではなく真っ赤な荒野へと変貌していたからだ。

 

『な、なんだ!? ここ……どこだ!?』

 

 非現実的なほどに、青が濃すぎる空。

 太陽もない、月もない、星もない、なのに明るい世界。

 砂の無い、結晶が埋められた赤土が敷き詰められたかのような、真っ赤な荒野。

 

「落ち着いて、リュウくん」

 

『あ、友奈、これはいったい……』

 

「『フェーズシフトウェーブ』だよ。

 ここはアナちゃんが作った異空間、『メタフィールド』。

 要するに、私達の世界の隣に、思う存分戦える異世界を作って、そこに全員引き込んだんだ」

 

『! これが、話に聞いてたメタフィールド……!?』

 

「ここは私達の世界の隣にある異空間。

 元の世界とは繋がってないんだよ。

 そして、異空間に引き込む相手はアナちゃんが選べるから……」

 

 友奈が指差した先に、並ぶバーテックス達。

 もはや一般人の被害を気にする必要もない。

 敵は圧倒的に強く、圧倒的に多いが……それだけだった。

 先程までと比べれば、圧倒的に希望が持てる状況になっていた。

 

「……一般人は一人もこっちに来てないけど、敵は全部こっちに来てるんだよね」

 

『……大逆転だな!』

 

「うん!」

 

 ウルトラマン三人と、勇者四人で、敵を―――と、思ったその時。

 ティガの背後で、ネクサスが倒れた。

 腹からまるで血のように光が吹き出し、腹の部分が光になってほどけていく。

 

「え?」

 

『お、おい、アナちゃん!?』

 

『いたい……いたぃ……』

 

『! まさか、腹の傷が……』

 

「リュウくん! 早く敵を全部、じゃなくてもほとんどは倒さないと!

 メタフィールドって、アナちゃんの体と同じ成分で出来てるの!

 展開中はずっとアナちゃんの命を削らないと維持できないんだよ!」

 

『ちくしょう、いい話には裏があるって本当だな! 良い技だと思ったら!』

 

 ネクサスはフェーズシフトウェーブという光の技で、メタフィールドという異空間を作る。

 これは狙った対象を結界内に引き込める上、結界内ではウルトラマンも勇者も強化される効果があるため、ネクサスの代名詞とも言える強力な技だ。

 が。

 このメタフィールドは、ネクサスの体と同じ成分で出来ている。

 ネクサスはこれの展開と維持に、命を削らなければならないのだ。

 展開可能時間は最大三分間。

 三分以上展開するとネクサスは死ぬ。

 地球での活動限界がないネクサスにとって、これこそが"巨人の三分間"だった。

 

『皆、こっち集まってくれ! アナちゃんを守りながら、陣形組んで俺達で敵を殲滅するぞ!』

 

 メタフィールドは、敵との戦いから、街を守るための"不連続時空間"。

 すなわちこれは、樹海化と同じ―――『戦場と日常を隔離する、神の異界創造能力』である。

 

 神樹は自らの根で世界を覆い、時間を止めて、異界を作る。

 ネクサスは体と命を削り、その体から異界を作る。

 樹海化とメタフィールドの違いはあれど、両者は根本的に同じ力を行使している。

 樹海は神樹の一部で出来ていて、メタフィールドはネクサスの一部で出来ているからだ。

 

 ブルトンの力と樹海化の力が相殺されていた四国に、アナスタシアは無理矢理メタフィールドをねじ込んで、人々を守り救った。

 だがその代償として、腹の傷が開き、絶大な苦痛を味わっている。

 一刻も早く敵を倒し、彼女を病院に連れて行かなければ手遅れになりかねない。

 

『動くな、ゆっくり休んでろ』

 

 ティガがネクサスの、竜胆がアナスタシアの頭を撫でた。

 兄が妹にそうするように。

 

『あとは俺達がやる』

 

 勇者がティガを見上げ、ティガがゆっくりと頷く。

 敵大型は十数体。

 EXゴモラ、ザンボラー、バードン、ベムスター。

 星屑は四千体、オコリンボールは1900万体ほど。

 敵の軍勢を前にして、ウルトラマンパワードと、ティガトルネードが肩を並べて並び立つ。

 

準備はいいかい?(Are you ready?)

 

ああ!(Ready!)

 

 景気づけ、とばかりに放たれたメガ・スペシウム光線が、オコリンボール達に炸裂。

 

 300万体ほどを爆裂させ、メタフィールドの幻想的な青空に、ドでかい開幕の花火を上げた。

 

 

 




 自重を知らない威力のパワード必殺光線
 量産型はスペック下がってるからへーきへーき

【原典とか混じえた解説】

●ウルトラマンネクサス
 絆――ネクサス――のウルトラマン。
 (ネクサス)を名に冠する、力を失った巨人の神。
 絆の力で神に至る可能性の提示者。
 太古より全宇宙の平和を守り続ける、伝説の銀色の巨人。その力の一端。

 ネクサスは人から人へと受け継がれる、継承の光でもある。
 Aさんが戦えなくなれば、次に世界を守るBさんに託される。
 Bさんが倒れた時、Bさんが信頼していたCさんに託される。
 そうして人から人へ、託される光。
 それは、希望の光である。
 人から人へ託されるたび、ネクサスは人の希望と絆を経て、神の力を取り戻していくのだ。

 ネクサスのウルトラマンとしての最たる特徴は、常に『二つの形態を持つ』こと。
 銀一色の第一形態・アンファンス。
 別の色を基調とした第二形態・ジュネッス。
 ジュネッスは変身者によって赤色や赤色など、全く違う力を発現させるため、変身者が変わるたびにネクサスの強さや戦闘スタイルはガラっと変わる。
 だがメタフィールドの展開など、一部能力は全てのジュネッスが使用することが可能である。

 現ネクサスの適能者(デュナミスト)はアナスタシア・神美。
 現在、地球最後の適能者(デュナミスト)
 固有ジュネッスは『ジュネッスパーピュア』。
 濃淡二色の紫色が混じった、紫色のジュネッス。
 パーピュアは古語で紫の意。
 王権を表す紫などに用いられる。

※備考
 乃木園子が神樹に与えられた勇者衣装とほぼ同色



●火山怪鳥 バードン
 ウルトラマンを『殺した』怪獣。
 初登場時にウルトラマンタロウを殺し、戦場に居た他の怪獣を捕食し、援軍に来たゾフィーも殺し、防衛隊の妨害も突破し、大規模団地を襲撃して大人から子供まで残らず捕食し平らげた。
 四万度の火炎を吐き、毒素の拡散で広範囲の人間を失明させ、ウルトラマンの皮膚を容易に貫くクチバシで敵の体を穴だらけにし、光の巨人ですら絶命させる恐ろしい猛毒を流し込む。
 その脅威の毒性は、口から少し漏れた毒だけで森が枯れ果てている描写があるほど。
 怪獣を模倣した存在を兵器化するマケット怪獣計画において、人間が扱ってもその毒のせいで環境破壊が起こるため、使役怪獣候補から外されたという恐るべき怪鳥。
 飛行速度はマッハ10。
 原作ウルトラマンティガの各形態の中に、バードンの飛行速度を超える形態は存在しない。
 原作でウルトラマンタロウ・ゾフィーを打倒し、メビウスを猛毒で撃退し病院送りにしている。

●宇宙大怪獣 ベムスター
 ウルトラマンに『勝った』怪獣。
 ウルトラシリーズの中でも上位に位置する知名度の怪獣。
 個体によってプロセスや能力強度が激しく上下するが、総じて『腹の五角形の口であらゆるものを捕食する』という特性を持つ。
 これが光線等も吸収してしまう上、安易な接近戦はベムスターに打ち込んだ手足を捕食されてしまうなど、遠近両方でウルトラマンを追い詰める特性となっている。
 "レーダー波の類を捕食して反射させないことでステルス状態になる"というとんでもないこともする。
 バードン同様、『名前だけで強いイメージを持たれる怪獣枠』の一体。
 飛行速度はマッハ5。
 原作ではウルトラマンジャックを敗走させ、ウルトラマンタロウを撃退し、ウルトラマンヒカリを追い詰め、ウルトラマンビクトリーを窮地に落とし、ウルトラマンXを捕食完了直前まで詰ませた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4

 先陣を切るはティガダーク。

 凄まじい速度で突撃してくる先頭の怪獣は、ベムスター。

 ベムスターの姿はどの地球生物にも例えられないが、どこか地球の鳥類に似た部分が見える。

 強いて言うならば、その独特の攻撃性を滲ませる容姿からして、猛禽類が近い。

 宇宙の猛禽の飛びかかりに対し、ティガダークは右ストレートで応えた。

 狙うは首筋。

 急所にて、一撃必倒を狙う。

 

 その右手を、ベムスターの腹の口が、バクンと食った。

 

『……!?』

 

 狙ったのは首のはずだった。

 なのに、ベムスターの腹の口に、ティガは右手を突っ込んでいた。

 ()()()だ。

 ベムスターの腹には口があり、そこからあらゆるものを捕食する。

 

 しかし首が付いていない口は、餌の場所まで伸ばせない。

 腹の口では、物が食べにくいのは当たり前のことだ。

 よって一部のベムスターは、腹の口に強烈な吸引力を持っている。

 何も考えずに首を狙ったパンチであれば、腹の中に飲み込めてしまうほどに。

 

 ティガの腕が食われた、と周りの皆が思ったその瞬間には、ティガダークの肘から先がなくなっていた。

 ベムスターの腹の口が、美味そうにティガの腕を咀嚼する。

 

『リンドウ!』

 

 割って入ったパワードが、一億トンの掌底でベムスターを押した。

 押され、吹っ飛んだベムスターが、後続のバーテックス達を巻き込んで、弾丸のようにすっ飛んでいく。

 

 ティガは激痛をこらえ、気合いを入れる。

 食われた腕が、肘のあたりから生えてきた。

 ウルトラヒートハッグ後の再生の応用である。

 

『俺の腕がトカゲの尻尾みたいなもんじゃなきゃ、危なかった……!』

 

「りゅ、リュウくん! 大丈夫!?」

 

『俺は脆いがしぶといぞ。新聞紙で叩けば死ぬけどしぶといゴキブリのようにな』

 

「……結構痛くて苦しい?

 そういう自虐冗談、普段のリュウくんはあんまり言わないよね。余裕が無い?」

 

『……お前はなんでそう他人の気持ちの動きに敏いんだ』

 

 全身爆散であれ、片腕の喪失であれ、敵から受けたダメージと回復にかかる消耗はそのままだ。

 肉体は無事に見えても、命がそのまま尽きることもある。

 今のは、戦いの始まりに受けていい規模のダメージではなかった。

 竜胆は冷静に、敵の陣容を把握する。

 星屑とオコリンボールの数はそれぞれ約4000体、約1600万体。

 EXゴモラ5体、ザンボラー6体、ベムスター3体、バードン2体。レオは撤退したようだ。

 

(あの黒い鳥はヤバい……赤い鳥はどうなんだ? 分からん。

 だがまず、黒い鳥の数を減らすか、ダメージだけでも与えないと……!)

 

 ベムスターを黒い鳥、バードンを赤い鳥と仮称し、竜胆はベムスターに旋刃盤を投げ込んだ。

 

 燃える炎の旋刃盤が、腹に吸引され、腹に当たり―――腹に、食われる。

 

『……!?』

 

 これぞ、宇宙大怪獣ベムスター。

 宇宙大怪獣の名に恥じないフィジカル、飛行速度、攻撃光線を持っているものの、それだけではウルトラマンは圧倒できない。

 この腹の口だ。

 あらゆるものを食べてしまうと言われるこの腹の口こそが、ベムスターをベムスターたらしめている。

 

『リンドウ! アノクロイノト、アカイノ、ショウメンニハゼッタイタツナ!』

 

 ザンボラーを必殺光線で爆散させながら、ケンが叫んだ。

 ティガが頷き、敵の側面から回り込むように走る。

 だがそこに、ゴモラのEX超振動波、ベムスターの光線、バードンの火炎放射、ザンボラーの熱線が飛んで来た。

 かわせない、面制圧攻撃。

 

『―――』

 

 景色の一部を覆うほどの大爆発。

 爆煙と爆焔がティガを包み込んだ。

 

 ティガを倒したか―――と、バーテックス達の思考に浮かんだ、その瞬間。

 爆煙の中から、黒い影が飛び出した。

 黒い影はEXゴモラの頭上を越えるように跳び、ゴモラの頭上で赤黒に変わる。

 

 EXゴモラの背後に着地した赤黒が、ゴモラの背中に強烈な連撃パンチを叩き込んだ。

 神の雷を拳に纏い、強烈な空手の拳を何度も叩き込む。

 背面から打ち込まれた拳は、ゴモラ体内の焼かれてはならない場所を雷撃で焼き尽くす。

 爆煙の中から飛び出してきたのがティガだ、とバーテックスが気付いたその時には、ティガトルネードがEXゴモラを仕留めていた。

 

 バードンが火を吐き、ザンボラーが熱線を放つ。

 熱線を受け止めたティガ・ホールド光波が、受け止めた熱線で火炎を受け止める。

 熱線と火炎は異様な反応を起こし、大爆発を起こした。

 こうして先程も防いでいたのだろう、ということがよく分かる攻防である。

 

 バードン2体、ゴモラ4体、ザンボラーとベムスターもティガを包囲する。

 

『こっちは俺が引き受ける! 心配するな!』

 

 一方その頃、勇者達とパワードは、群れ成す星屑・オコリンボール・ベムスターの神樹への進軍を食い止めようとした。

 

『シュワァッ!!』

 

 ケンがパワードのように叫び、メガ・スペシウム光線を放つ。

 今日何度目の必殺光線だろうか。

 命を削るようにして、パワードの一億度がオコリンボールを200万体、星屑を800体消し飛ばした……が、これほど総数が減っている気がしないのは、恐ろしい。

 

『クッ』

 

 オコリンボール殲滅まで、このペースだと最高に上手く行っても、メガ・スペシウム光線を七回撃たなければ倒しきれない。

 そんなことをしていたら、先にパワードの方がエネルギー枯渇で死んでしまう。

 敵の数が多すぎる。

 

「ケン! 私が雪女郎で一掃するから、残った大型だけお願い!」

 

『!』

 

 その時、パワードの足元で、杏の声がした。

 

「千景さん、レーダーはどうなってますか?」

 

「大型の反応は一つだけ。パワード一人で大丈夫……だと思う」

 

「ケン!」

 

『オッケー、ソノイッタイヲ、トメレバイイノナ』

 

 杏が、クロスボウを空へと放り投げた。

 伊予島杏の全力全開。クロスボウから全力の吹雪が解き放たれる。

 視界のほとんどが失われるほどの吹雪が、空間を覆った。

 

 低温凍結が弱点のオコリンボールのみならず、特に冷気が弱点でもない星屑も凍りつき、オコリンボール達の向こうにいたベムスターも凍っていく。

 体の表面が凍りながらも突っ込んでくるベムスターを、パワードの掌底が迎撃した。

 

(よし、これで……)

 

 これでレーダーに映っていたのは全部処理できた、と思った、杏の視線の先で。

 "レーダーに何故か映っていなかった"ベムスターが、吹雪の元である杏を狙って、一直線に飛んで来ていた。

 

「!?」

 

 レーダーにそのベムスターは映らない。

 バーテックスの類は全て映るのに、何故?

 杏は目ざとく、ベムスターの腹の口がピクピクと動いているのを見た。

 

(まさか……レーダー波も、食べて……!?)

 

 吹雪を中止し、手元にクロスボウを戻そうとするがもう遅い。

 間に合わない。

 ベムスターが杏をそのクチバシで食べるまで、あと一秒もないという距離だ。

 

「杏!」

 

「アンちゃん!」

 

 そこに、ヒーローのように飛び込んで来た若葉と友奈。

 二人が左右からベムスターの目を潰すが、止まらない。

 ベムスターは目を潰された痛みで絶叫しながらも、その怒りをぶつけるように、杏に向かって一直線に飛び、そのクチバシを開く。

 

「くっ」

 

 千景が飛び込み、そのクチバシの内側に鎌を叩き込むが、ベムスターは止まらない。

 勢いのまま突撃するベムスター。

 開かれるクチバシ。

 手元に武器も何もない杏は、死を半ば確信する。

 

(―――これは、もう、駄目かな)

 

 だが、仲間達が杏を守るべく仕掛けてくれた攻撃が、その攻撃がしてくれたベムスターへの僅かな足止めが、最後の守りを間に合わせてくれた。

 

 燃える盾が、杏の前に飛び込んで、ベムスターの突撃を跳ね返す。

 

「……え」

 

 ティガが決死の想いで投げ込んだ巨大旋刃盤が、杏の身を守っていた。

 

 "杏を守るために旋刃盤はここに在る"と言わんばかりに、旋刃盤はベムスターの突撃をくらってもビクともしていない。

 

「旋刃、盤……」

 

 旋刃盤を見上げる杏の心境は、いかばかりか。

 

 一方その頃。

 杏を守るために敵に背を向けて旋刃盤を投げたティガは、両腕をバードンに食いちぎられ、片足をベムスターに食われ、全身をザンボラーの熱線で焼かれ、腹をEXゴモラの尾で貫かれ、串刺しにされた状態だった。

 ゴモラが尾を振るうと、尾先に貫かれていたティガの体が転がる。

 旋刃盤を見上げて暖かで嬉しい気持ちになっていた杏の顔色が、さっと青くなった。

 

『くっそ、手だけじゃなく足も食いやがって……!』

 

「み、御守さん! 手足が……!」

 

『手も足も出ねえとはこのことだ……』

 

 手足が生え、傷が塞がる。

 

『あ、いや、手も足も出たな』

 

「……あの、自分を大事に……」

 

『杏は無事か、良かった』

 

「……もう」

 

 ティガの消耗が、事前想定より激しい。

 竜胆が毎日みっちりと自分を鍛え、体力を付けていなければ、ここで確実にグロッキーになっていただろう。

 闇と光、そのどちらもがエネルギーであるティガは、スタミナやエネルギーの上限が人間には見定め辛いのである。

 このまま行けば、また三分を待たずしてティガの変身が解除されてしまうかもしれない。

 

(私の雪女郎の吹雪で、視界を塞げば、レーダーがある私達だけが有利だと思ってた……

 互いの視界がゼロなら、レーダーの分だけ有利になるって……

 でも敵がレーダーに映らなくなることができるなら、むしろ逆。

 皆の視界を塞いでしまうような吹雪を私が出してしまうと、敵が認識できなくなってしまう)

 

 状況を分析する杏の可視範囲の中で、ベムスター達は、更に驚くべき行動に出た。

 

「残っていた吹雪を……食べてる……?」

 

 確かに、この吹雪は、神の力を精霊という形で行使した吹雪だ。

 そこには不可思議なエネルギーもあるだろう。

 だが、"吹雪を食おう"だなどと、尋常な者が思いつくはずもない行動だ。

 氷や冷気というものは、むしろエネルギーがマイナスのものである。エネルギーがあるものからエネルギーを奪うものなのだから。

 

 おそらくは、宇宙で凍ったガスなどを捕食していた、ベムスター特有の習性だろう。

 地球では水分補給で氷を食う生物はいるが、栄養補給の目的で氷を食う生物はいない。

 ベムスターのその所業が、"これは地球の生物とは違うものなのだ"と、まともな神経と知識を持っている杏を心胆寒からしめる。

 レーダー波を食い、冷気まで食う、暴食のベムスター。

 

(これじゃ次に吹雪を撃っても……)

 

 オコリンボール達はまだ死にきっていない。

 低温で動かなくなっているだけだ。

 吹雪を途中で止めてしまったがために、杏は殺しきれなかった。

 だがもう一度撃っても、ベムスターがまた吹雪を食べてしまうだろう。

 

 怪獣に人間が対策を打つと、バーテックスが対策の対策を打ってくる。

 いつものことながら、悪夢のような応酬だった。

 

『杏、赤い鳥の方の能力が見えない。俺が行くから、敵の能力を見極めてくれ』

 

「は、はいっ!」

 

 他バーテックスから孤立したバードンが一体いた。

 攻速のバランスが取れたティガダークにて、ティガが接近、バードンがそれを受けて立つ。

 バードンのクチバシを、腕で逸らそうとする。

 甘く見ていた、と言われれば、そうだろう。

 貫通力の高いバードンのクチバシは、逸らそうと触れたティガの腕の肉を削ぎ取った。

 

『ッ』

 

 防ぎきれなかったクチバシが、ティガの肩に刺さる。

 何の変哲もない一刺し。

 だがクチバシを肩から抜かれた瞬間、ティガは立っていることもできなくなった。

 目眩がする。命が尽きていく感覚がある。骨肉が燃え尽きるような激痛が走る。

 

 それは、ウルトラマンですら数秒で死なせかねないほどの、絶大な猛毒。

 

『うっ……あっ……』

 

 竜胆と杏は、同時にその正体に気が付いた。

 

「『 ……毒!? 』」

 

 火山怪鳥バードン。

 その猛毒は、特別強力なウルトラマンですらあっという間に殺してしまいかねないもの。

 ウルトラマンの強固な皮膚を貫くクチバシと合わせれば、まさしく無敵。

 様々なウルトラマン達は、"この毒を受けない"という方向性でバードンと戦ってきたが、この毒自体には全く対応できていない。

 それほどまでに、強力な毒だった。

 このままではティガが死ぬ。

 

『う……ぐ……ううっ……毒、ならっ!!』

 

 普通のウルトラマンなら、下手に踏ん張ってこのまま死ぬか、一刻も早く病院に連れられて寝たきり状態になるかの二択だ。

 普通の、ウルトラマンなら。

 

『ウルトラヒートハッグッ!!』

 

 毒に侵されたティガがバードンに抱きつき、その体が真っ赤な光に染まり―――内側から吹っ飛んだバードンと、爆発に巻き込まれたティガが、粉々に爆散した。

 

 そして、再生したティガが悠然と立つ。

 

『残念だったな。

 猛毒対策はスコーピオンで万全だ。

 肉体を全て爆散させれば、肉体から毒も抜け、毒の影響は残らない!』

 

「御守さんが人類の医学の発展に真っ向から逆らってる……」

 

 敵の毒に殺される前に、脳の一部を残して肉体の大部分を粉々にして、毒が回るのを防ぐ。

 殺される前に自爆する。

 完璧で頭の良い対応であった。

 

 毒が完璧に抜けたティガが構えて、もう一体のバードンが後ずさる。

 逆に、ベムスターは前に出る。

 

 バードンはこのティガと相性が悪い。

 クチバシも毒も致命傷にならないからだ。

 逆にベムスターは嬉々として戦う。

 手足を食っても新しく生えてくる、最高のご飯であるからだ。ティガがいくら再生しようが、捕食消化してしまえば関係ないので、逆にベムスターはティガと相性が良い。

 

 ティガを食おう、と飛びかかるベムスターの顔面を、消耗の極みにあるティガダークの腕がガシッと受け止める。

 そしてティガトルネードのアッパーが、豪快にベムスターのアゴを打ち上げた。

 

 トン、とティガの背中に何かの背中が触れる。

 パワードの背中だ。

 背中を通して、互いの疲労が伝わる。

 だが、疲労はしていても、頼りになる背中だった。

 竜胆がケンに対して思うだけでなく、ケンが竜胆に対しても、そう思っていた。

 

『マダイケルカイ』

 

『まだまだ余裕ですよ』

 

 ザンボラーを一掃したパワードと、バードンを倒した竜胆が、背中を合わせてしかと立つ。

 

 大型残り、EXゴモラ3、ザンボラー0、ベムスター3、バードン1。

 

 

 

 

 

 腹を抑えて、痛みに泣きそうになりながら、ネクサスは必死にメタフィールドを維持する。

 メタフィールドは、ネクサスの体と命から作るもの。

 アナスタシアの腹に穴が空いているこの状況では、本来維持できるものではない。

 それだけ、彼女が無茶をしているということだ。

 既に結界の端は揺らぎ始めてしまっている。

 

『あう……いたい……ううっ……』

 

 アナスタシアが見つめる戦場で、いくつもの旋刃盤が空を舞っていた。

 その旋刃盤を足場にして、ティガ・パワード・若葉が跳び回っている。

 複数の旋刃盤を空中で足場にすることで、飛ぶのではなく跳び、立体的に攻め立てるのだ。

 バーテックス達は独特の移動軌道に追い込まれていく。

 

『綺麗な……連携……』

 

 御守竜胆は戦闘の天才だ。

 その才覚を、"仲間との連携戦闘の確立"に使い、その強さを更に伸ばしている。

 仲間と共に戦うたび、仲間とできる連携技は増えていく。

 仲間が一人減るたび、仲間とできる連携技は減っていく。

 

 仲間と共に戦う強さを見せるティガを、こうして見れば見るほどに、アナスタシアは仲間が誰もいないのに一人で戦う未来のティガの姿を思い出し、目を覆いたくなる。

 

『これだって……すぐに……見られなくなる……』

 

 竜胆は言うだろう。

 仲間との連携は強いだろ、と。

 仲間と一緒に戦ってるから俺は強いんだ、と。

 これが絆の力だ、と。

 

 だが、アナスタシアは知っている。

 

 竜胆は結局、一人で戦っても強いのだと言うことを。

 彼は強いから、戦いで仲間が死んでも彼は生き残るのだということを。

 仲間が死んでも、彼は強いから、仲間が死んだ後も一人で勝ててしまうことを。

 それが、竜胆の過去の言葉を否定してしまうことを。

 アナスタシアは知っている。

 

 それもまた、彼が歩む地獄の道の一つ。

 "仲間が居てくれたから俺は強い"という、竜胆が嬉々として語る言葉を、『仲間が死んだ後の竜胆の方が強い』という現実が、粉砕していく地獄。

 

『なんであたし……諦められないの……なんで……』

 

 全てを諦めれば楽になれる。

 いくつかのものを諦めれば、未来が変えられる可能性も0じゃない。

 なのに、アナスタシアは諦められない。

 諦められないから、決められた未来への道筋を外れられない。

 

 諦めを受け入れるなら、メタフィールドの展開をやめる、それだけでいいのに。

 

『なんで……』

 

 アナスタシアは、諦めることができなかった。

 

 

 

 

 

 ティガトルネードが、ベムスターを投げ飛ばす。

 腹の口には、最大限に気を付けて。

 

(胴回りを殴る蹴るできないのは、地味に痛いな……!)

 

 ベムスターの胴は非常に広い。

 腹の口を警戒し、ここを攻撃しないとなると、攻め手がかなり限られてしまう。

 バードンといい、ベムスターといい、その脅威は怪獣前面に集中している。

 足を止めて真正面からガチンコで殴り合うティガトルネードとは、地味に相性が悪かった。

 正拳突きなんてしてしまえば、腕が腹の口に食われてしまう。

 

 立ち上がろうとしたベムスターにローキックし、再度転ばせ、空を見上げる。

 空には、空高くから急襲せんとするバードンがいた。

 

『若ちゃん!』

 

「ああ!」

 

 ぐぐぐ、と引き絞ったティガの拳に、若葉が乗る。

 巨人が拳を突き上げ、同時に若葉が跳躍した。

 凄まじい慣性力が若葉にかかり、意識が飛びそうな負荷に若葉が歯を食いしばる。

 超高速で飛び上がる青い流星が、腰の刀に手を添える。

 

 空より落ちて来る、翼あるバードン。

 空へと舞い上がる、翼なき若葉。

 両者が空中で激突し、意表を突かれたバードンの反応が遅れ、若葉の刀が空を走る。

 若葉の刀が、バードンの頬に付いていた袋の根本を切った。

 

 バードンが空中で何故かフラフラと揺れ、明後日の方向に墜落する。

 同様に落ちて来た若葉を、ティガが優しくキャッチした。

 

『こうしてるとお姫様抱っこしてるみたいだ』

 

「私にはそう見えんぞ。あと、誰がお姫様だ」

 

 墜落したバードンがフラフラとしているのを見て、"今行われた杏の作戦"をよく理解していなかった友奈が、驚きの声を上げる。

 

「ほ、ホントに決まった! アンちゃん、あれどうなってるの!?」

 

「友奈さん。

 ティガに毒を流し込んだ時、頬の袋が収縮していました。

 あれはおそらく毒袋です。

 毒袋が体の外側に飛び出しているのは、冷却のためか、でなければおそらく……

 自分の体の中に、毒袋の中身が混ざってしまった場合、自分の毒で自分が死んでしまうから」

 

「自分の毒で死んじゃうの!?」

 

「自分の毒で死んでしまう生物は多いですよ。人間だってそうです。

 自分に有害なものを自分で生み出してしまうのは生物の常。

 だからどんな動物にも、排出という機能が備わっているんですから」

 

 バードンは頬の袋が毒袋であると見切られ、杏が指示した部位を若葉に切られたことで、毒袋の毒が体内に流れ込んでしまったのだ。

 

 杏の知識があり、若葉の正確無比な斬撃があり、それを怪獣相手に通じるレベルにまで押し上げられるティガがいた。

 暴走していないティガでは、バードンの飛行速度には絶対に追いつけない。

 空に上がったバードンには対抗できないはずだった。

 だが、工夫と連携は、個人では勝てないような敵でさえも凌駕する。

 

『うちの頭脳は、頼りになるだろ』

 

 竜胆の台詞に杏が照れる間もなく、ベムスター三体が竜胆へと襲いかかる。

 

『ちっ』

 

 ティガトルネードは前蹴りで距離を調整、しようとして、腹を蹴ることになりそうだった今の自分を必死で止める。

 顔面に正拳突きを叩き込もうとするが、ベムスターの強靭な腕に受け止められてしまう。

 そして残り二体のベムスターが突き出した爪に、ティガトルネードの肉を抉られてしまった。

 

『ぐっ……!』

 

「友奈、千景、援護だ!」

 

「うん!」

 

「パワードの援護に五体回してるから、こっちは二体だけって、念頭に置いておいて」

 

 勇者の援護のおかげで九死に一生を得て、なんとかピンチから立て直すティガ。

 

 ティガが相手にしているのが、ベムスター三体。

 パワードが相手にしているのが、EXゴモラ三体。

 ティガの消耗は激しく、パワードも光線を連打していれば圧倒できるはずのゴモラ相手に押されていることから、光線連打ができないほどに弱っているのが見て取れる。

 大技で押し切れるだけの、体力がない。

 

 ティガとパワードのカラータイマーが点滅を始めた。残り活動時間、一分。

 

(ヤバいな……立ってるだけで手足が震えてきた……俺はあとどんぐらい戦える……?)

 

 毒袋からの毒の流入で、フラフラとしているバードンもまた、ティガの背後を取る。

 ティガを包囲する怪獣が、三体から四体に増える。

 竜胆は状況を打開すべく、考えに考えた。

 どうする、という思考はあった。

 諦める、という思考はなかった。

 諦める気など、さらさらなかった。

 

『諦めるかよ』

 

 バードンがティガの背後から迫る。

 ベムスター達が前、右、左から襲いかかる。

 ティガトルネードは穏やかに構え、背後にバードンが接近した瞬間鮮烈に動き、バードンのクチバシをかわしながらその頭を掴む。

 そして、眼前のベムスターに、バードンの頭を叩きつけた。

 

『俺達を諦めさせるのは―――世界を滅ぼすより難しいぞ、馬鹿野郎共ッ!!』

 

 バードンの毒のクチバシが、ベムスターに刺さる。

 同時にティガが毒袋を握ったことで、クチバシから毒が流し込まれた。

 ベムスターが怒り狂い、バードンを攻撃しながら突き放そうとする。

 バードンはわけもわからず、自分を攻撃するものを殺そうとする。

 そしてティガの腕に固定された渾身の旋刃盤が、二体まとめて首を切り、絶命させた。

 

『未来を諦められるほど……長く生きてねえんだよ……俺達はっ……!』

 

 ベムスター残り2。バードン全滅。

 竜胆は両手の旋刃盤でベムスターの攻撃を受け、近接戦において極めて強いゴモラに囲まれているパワードの援護も考え、そちらを見た……見た、のだが。

 その瞬間、EXゴモラの一体が、弾け飛んでいた。

 

『!?』

 

 誰だ、と思うまでもない。

 この戦場には、体の状態を無視すれば、光のエネルギーがまだ有り余っている者が一人いる。

 アナスタシアが、自分の体の状態を無視して、必殺光線を発射したのだ。

 

「アナスタシア! 無理はするな!」

 

 若葉が叫ぶが、アナスタシアは応えない。

 応えられるだけの余裕が無いほどに、痛みを堪えているのだ。

 ネクサスは再び、光線の構えを取る。

 パワードもそれに合わせ、一刻も早く戦いを終わらせるべく、力を溜めた。

 

 パワードが手を十字に組んで、ネクサス・ジュネッスパーピュアが、胸の前で光を纏った拳と拳を打ち合わせる。

 

『ストライクレイ……シュトロームっ……』

 

 組まれた十字と、打ち合わされた拳から、同時に光線が発射された。

 

 パワードの一億度がEXゴモラを爆散させ、ネクサスの光線がEXゴモラを青い光の粒子に変える。

 

『なんだありゃ……"分解"……?』

 

 それを見ていた竜胆は、見たこともない光線に目を丸くした。

 パワードは分かる。

 あれはただひたすらに強力な光線であり、大抵の者が耐えられない超高熱の光線だ。

 だがネクサスは違う。

 ネクサスの光線は、相手を爆発させなかった。

 爆発ではなく―――()()したのだ。

 

 ジュネッスは、適能者(デュナミスト)ごとに全く違う光線を備える。

 アナスタシアの場合、胸の前で打ち付けた拳から放つ、直径40mほどの太さの拡散直射光線となる。今、ゴモラ二体に二連発したのがこれだ。

 これには分子レベルの分解能力があり、受けた怪獣は細胞一つ残らない。

 対象の物理的な硬さをまるで無視して、青い光の粒子に変えてしまうのだ。

 

 アナスタシアは諦められない。

 結局、ケンが死ぬかもしれないこの状況で、ケンの命すら諦めることができなかった。

 

『あと、二体……!』

 

 二体のベムスターに両腕を食われながら、ティガが勝機を探して立ち回る。

 ティガが両腕を生やしたタイミングで、ケンが声を張り上げた。

 

『リンドウ!』

 

『!』

 

 ケンが声を上げ、ケンの声(テレパシー)を受信したベムスター達がパワードの方を向き、パワードがメガ・スペシウム光線を撃つ。

 予想通り、と言わんばかりにベムスターが腹の口で光線を吸収……は、できず。

 ベムスターとベムスターの間を、光線が素通りする。

 

 そして、"パワードの光線をホールド光波で受け止めた"ティガが、光線を跳ね返し、ベムスターの背中に直撃させる。

 ベムスターが光線を吸収できるのは、自分の前面のみ。

 光線の直撃が、ベムスターの肉体を爆散させた。

 

(おっもい……なんて光線の重さだ! 手加減はしてもらってるはずなのに……!)

 

 パワードはかなり手加減して撃っていたが、それでも跳ね返したティガの手が痺れ、ベムスターは一瞬で爆散した。

 なんという恐ろしい威力。

 初代ウルトラマンの必殺光線の五倍の威力、というのは伊達ではないということだ。

 

 最後のベムスターはティガとパワードを見比べ、近い方のティガへと襲いかかる。

 ティガトルネードは旋刃盤を連発した。

 だが、正面からの光攻撃に対し極めて強いベムスターは、片っ端からそれを食う。

 連発のせいで狙いも甘くなってしまったのか、いくつかの旋刃盤は大きく外れ、ベムスターに当たりもしない。

 

 ベムスターはそのまま旋刃盤、ティガの順に食おうとして―――結局、最後まで、"ティガがパワードに旋刃盤を投げ渡していた"ことに、気付かなかった。

 パワードの尋常でない筋力で投げつけられた旋刃盤が、背後からベムスターの首を刎ねる。

 

『俺達は一人じゃない』

 

 ベムスターは、正面からの攻撃にめっぽう強い。

 だがそれは、前面にだけ発動する防御能力だ。

 一人で戦うウルトラマンに対しては、天敵と言っていいレベルの強さを発揮する。

 

 されど、二人以上で戦うウルトラマンならば。

 何人もの、勇者とウルトラマンのチームであれば。

 決して、倒せない敵ではない。

 背後を取ることだってできるからだ。

 "一人では絶対に苦戦する怪獣"。

 "一人でないなら必ず倒せる怪獣"、そういうものなのだ。

 

 ウルトラセブンに助けられたウルトラマンジャックが、ベムスターを地球で倒したその時から、ずっとそうだった。

 

『だから、一人じゃ勝てない敵にだって、勝てるんだ!』

 

 最後のベムスターを片付け、ティガは膝をつく。

 パワードもまた、その場に座り込んでいた。

 ネクサスも含め、全員に立ち上がれるだけの余裕がない。

 

『大型は全部片付いた……残りは……』

 

「危ないっ!」

 

 その時、ティガの背後を狙った光線を、飛び込んだ千景がその身で受けた。

 千景の体がバラバラになり、光線がそこで止まる。

 

『ちーちゃん!』

「ぐんちゃん!」

 

「まあ痛くも痒くもないんだけど……」

 

「『 台無しだよ 』」

 

 まあ千景の能力からしてこんなことでは死なないのだが、それはそれとして。

 

『やっとベムスターを倒したと思ったら、オコリンボールが元気になってきたか……』

 

 ベムスターが吹雪を食うせいで、吹雪をオコリンボールに当てることはできなかった。

 そのせいで、オコリンボールはすっかり回復。

 それどころか、他の怪獣型バーテックスの血を吸い、星屑を肉の補填として吸収し、どんどん数を増やし……あっという間に、数億体規模にまで、数を増やしてしまっていた。

 仲間を食って、増えたのだ。

 

 多い。

 多すぎる。

 だが、ただ多いだけなら、オコリンボールの触手で貫けない勇者衣装を持った、勇者の独壇場である。

 バーテックスの殺人本能を持たされ、生来の殺戮本能を倍加させたオコリンボールが、そんな状況を許せるわけがない。

 

 殺人ボールは、一点に集まった。

 巨人を殺すために。

 勇者を殺すために。

 そうして、本来60mであったはずの合体個体を遥かに超えた、150m級のサイズの人型モドキ大怪獣へと変貌してしまった。

 ティガ、身長53m。

 パワード、身長55m。

 ネクサス、身長49m。

 これでは肩車しても届かない。

 

 顔が星屑のような形になっていて、造形がとても気持ち悪かった。

 

『で……でっかっ……!』

 

 ティガトルネードは根性で立ち上がる。

 赤い光が輝いて、竜胆を叱咤するかのように、球子の光が足に力を与えてくれる。

 ティガはオコリンボールの足を蹴って攻めるが、ぬるっと滑ってしまった。

 

 合体怪獣状態のオコリンボールの特性は、格闘技無効。

 殴っても弾かれるか滑る。

 掴み辛く、締め技や関節技で足を攻めても効果があるように見えない。

 ボブがくれた空手の完全無効は、光エネルギーが尽きかけの今のティガにとって、限りなくトドメに近い最悪だった。

 パワードも援護してくれたが、パワードの二億トンキックですら効果がない。

 

 なけなしの力で光線を撃つとしても、どこに撃つ?

 これは小型ボールの集合体だ。

 末端を爆散させたところで、他の個体は生き残る。

 全体を倒すためには、決定的なところに打ち込むしかないが、それがどこかは分からない。

 

『気持ち悪! なんだこれ!』

 

『……ヤリニクイ!』

 

 掴んで投げ転ばそうとしても、滑る。

 そもそも大きすぎて投げに行けない。

 習った空手の一撃が、とにかく効かない。

 パワードの光はとっくに限界で、ネクサスは倒れたまま動かず、ティガは前述の二人以上に消耗とダメージが大きい。

 技を出せるのは、ティガがあと一回、それが限界だろう。

 

(ヒートハッグ、旋刃盤、ホールド光波、どれを撃てば……)

 

 その時。

 ティガと同じくらいの無茶をする覚悟で――ティガにこれ以上の無茶をさせない覚悟で――杏が渾身の吹雪を叩き込んだ。

 限界を超えた最大出力。

 凍結が弱点であるオコリンボールの動きが鈍り、体が徐々に凍結していく。

 

 一つの市を丸ごと雪の世界にできる出力を、合体オコリンボール一体のみを対象として収束し、更にパワーを引き上げていく。

 その果てに、杏は"酒呑童子の一段下"に至るレベルにまで、出力を上昇させていた。

 

『杏!』

 

「凍れ、凍れ、凍れ……凍れっ!!」

 

 心が震え、ティガが限界を超える。

 巨大オコリンボールに飛びかかったティガの手刀が、オコリンボールの胸に刺さった。

 吹雪が冷たい。

 ティガの体も凍っていく。

 だが吹雪の冷たさに負けじと、ティガの全身も赤熱の光に包まれていく。

 

『―――熱い女だろ、うちの伊予島杏は』

 

 内側に注ぎ込まれる赤き熱。

 外側に吹き当てられる白き吹雪。

 熱で膨張する内側と、冷気で収縮する外側。

 これは、急に熱いものを注いだり、急に冷やした時、()()()()()()()()()と同じである。

 オコリンボールはもがき、ティガを叩いて落とそうとするが、それで落とせるわけもなく。

 

『俺の熱さも―――喰らっとけッ! ウルトラヒートハッグッ!!』

 

 ヒートハッグの高熱爆破と、オコリンボールの細胞致死低温を下回る極寒の吹雪が、オコリンボールの細胞を一つ残らず死滅させた。

 

 敵全てを倒しきったティガの変身が解け、気絶した竜胆が無防備に落ちていく。

 それを、吹雪が積み重ねた白い雪が、ぽふんと優しく受け止めていた。

 落ちる場所まで予想しながら、広範囲に雪のクッションを作っていた杏はほっとする。

 

 "落ちる場所を正確に計算する頭の良さ"があったからではなく、"落ちたら痛そうだから"という痛みを予想する優しさがあったからこそ、これができたというのが、何とも杏らしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無茶をして、過剰な精霊出力を出してしまった杏は入院。

 勇者も全員検査入院……の予定だったが、精密検査だけで済まされる。

 アナスタシアも緊急手術の予定だったが、応急処置で腹の傷を塞がれ、それで終わり。

 ケンも竜胆も新しい傷が増えたが、竜胆だけはピンピンしている。

 

 竜胆はすぐに傷が治るため、無茶をさせるのはまだ分かる。

 だが他の者達は何故こんな扱いなのか?

 それは、アナスタシアの予言が原因である。

 

 三日後に敵の侵攻。

 その日、パワードが死亡する。

 一週間後にも敵の侵攻。

 その日、ひなたが死亡する。

 

 その約二週間後、千景と杏が死亡。

 その翌日、若葉が死亡。

 その12日後、友奈が死ぬ。

 その10日後、アナスタシアが死ぬ。

 

 今回の侵攻は、ほんのジャブにすぎない。

 一歩間違えれえば、秒単位で何かが手遅れになれば、それだけで人類も世界も滅んでいたが、それでも開幕の一時にすぎないのだ。

 ベムスター、バードン、オコリンボールと、少しでも気を抜けばあっという間に死人を量産する敵が増えたが、それでもまだ序章に過ぎない。

 

 勇者も、巨人も、入院させて休ませてやれる余裕が無い。

 アナスタシアは本当は手術がしたいレベルで腹の傷が開いていたが、無理をして応急処置で済ませて、丸亀城待機のまま。

 大社は医者を丸亀城に常待させて対応する、と言っている。

 人道的に考えれば信じられない対応だ。

 

 ……そして、逆に言えば。

 入院させられ、実質戦線離脱状態になった杏は、このアナスタシアよりも危険な状態だと、大社が判断したということでもあった。

 精霊の負荷が、よほど大きかったらしい。

 

 病院の待合室で、竜胆は仲間達の心配をし、胸痛ませた。

 不安や恐怖が心の闇を膨らませ、心の闇がそれらを助長する。

 

(油断するとすぐ出てくるな……心の闇)

 

 竜胆視点、戦いが終わった時は、杏は大丈夫なように見えた。

 病院の検査で引っかかったということは、ダメージは目に見えない内臓などか、あるいは精神的なところか。

 何にせよ、竜胆の前では強がっていた、ということなのだろう。

 竜胆は深く息を吸い、思いを馳せ、深く息を吐く。

 杏以外の皆の状態も、心配でないと言えば嘘になった。

 

 うつむく竜胆に、大社職員に押される車椅子に乗った、アナスタシアが声をかける。

 

「何やってんの?」

 

「アナちゃん? 大丈夫なのか、腹の傷」

 

「大丈夫じゃないよ。

 ストーンフリューゲルも無いし。

 傷が早く治ってくれないから、丸亀城でじっとしてるしかないんだもん」

 

「ストーンフリューゲル?」

 

「壊れた物のこと知ってもどうにもならないよ。さ、あたしを丸亀城まで送って」

 

「ああ」

 

 大社職員から車椅子を渡され、竜胆はゆっくり車椅子を押していく。

 優しく、ゆっくりと、アナスタシアの傷に響かないように。

 アナスタシアが何も言っていないのに、自然とアナスタシアの傷を気遣ってくれる竜胆の押し方が、とても心地よくて、アナスタシアの表情は和らいだ。

 

「車じゃなくていいのか?」

 

「車が小石踏んだくらいの振動でも、あたしのお腹の傷が開くって言われた」

 

「……ああ、それなら、特製の車椅子をゆっくり押して行った方がいいな。

 俺も最大限に気を付ける。小石も段差も全部避けて、っと、この小石も駄目か」

 

「今なら道路の真ん中進んだって誰にも文句言われないよね」

 

 病院の外は、静かだった。

 街は、とても静かだった。

 今の四国で、外を出歩くものは誰もいなかった。

 

「だって、誰も居ないし」

 

 非常事態宣言と、一部を除いた四国全域に避難指示が出された。

 結果、四国のほとんどの人間は、大社が以前から用意していた各地の避難所に総避難。

 ほとんどの人間が家に帰ることすらできない、自由に避難所の敷地からも出られない、そんな状態にあった。

 

 これでなんとか、四国全域に人が散っているという状況は回避された。

 四国全ての人間が、四国全ての場所で狙われているなんて状況になれば、勇者もウルトラマンも守りきれない。

 そんな状態で四国全域を守れるのなら、それは規格外を極めたウルトラマンだけだろう。

 人間というバーテックスの殺害対象を避難所に集めることで、それでようやく、人類は防衛という概念を成立させることができる。

 

 樹海化が無力化された以上、この対応は必然のことだった。

 戦いは次のステージへ進む。

 明るい未来を、四国のほとんどの者が想像できていない。

 人類に最後に残された方舟に満ちるのは、絶望、恐怖、諦観。

 

 "世界の終わりを皆が想像している空気"。

 

 動く者が誰もいない街は、まるで死んでいるかのようだ。

 四国の全ての街が、もはや死んでいるも同然の状態。

 最後に残った人の世界、死にかけの世界。

 まだ、死んでいないだけの、世界。

 

「寂しいな」

 

「あたしは、あんまりこういう街、好きじゃないな」

 

「奇遇だな、俺もだ」

 

 誰も居ない、活気の欠片も無い瀕死の街。

 そこに、小さな足音が響く。

 子供が自由に出歩くことも許されていない状況で、竜胆とアナスタシアの前に、小さな子供達が何人も現れた。

 

「あ、いた!」

 

「? 避難所から抜け出してきたのか、腕白だな」

 

「……子供は純粋ね。あたしと違って」

 

「お前も十分子供だろ、アナちゃん。てか、純粋って何の話だ?」

 

「子供の話、聞いてれば分かるよ」

 

 子供達が、竜胆の周りに集まった。

 

「ウルトラマン! 助けてくれてありがとー!」

「守ってくれてありがとー!」

「あんがとなー!」

 

「―――」

 

 それは、きっと。

 

 かつての竜胆が。

 

 貰えるだなんて、一度も想像していなかった、そんな言葉だった。

 

「おとなはみんな、うそつきだ!」

「ティガはぼくらを守ってくれたもん!」

「僕らのウルトラマンだもんね!」

 

 竜胆は湧き上がる衝動を、ぐっと堪える。

 その感覚は、心の闇を抑える感覚に似ていた。

 だが、似て非なる何かだった。

 心の闇ではない、強い心の衝動を、理性でぐっと抑えるのは……竜胆にとって、初めての体験だった。

 

「大人は嘘つきなんかじゃないよ」

 

 穏やかな声で、優しい口調で、竜胆は子供達の頭を撫でながら、諭す。

 

「ただ、君たちを悪いやつから守りたいだけなんだ。

 悪いやつから子供を守ろうとする、正しい人達なだけなんだ。

 そんな大人と、君達と、仲間を……悪いやつから守りたいだけなんだ、俺は」

 

 正しいのは大人だ。

 虐殺者は敵視するのが当たり前。

 子供達は間違っている。

 竜胆が虐殺者だというのは常識なのに、大人の忠告も無視して、自分が信じるものだけ信じて、危険な竜胆の近くに来てしまった。

 それは一種の無謀であり、一種の勇気である。

 

 これが"竜胆に会う"無謀ではなく、"危険な場所に作られた秘密基地に行く"無謀であったなら、子供達は大怪我を負っていただろう。

 いや、そうでなくても、竜胆が間が悪く、心の闇が暴走したような状態だったなら、子供達は間違いなく危険だった。

 子供達の行動と選択は、間違いなく間違っている。

 

 正しさが救えないものもあり、間違いが救うものもある。

 子供達のその間違いは、きっと竜胆の心に救いと強さをくれる、救いの間違いだった。

 

「俺は、ずっとそうだよ」

 

 竜胆が、子供達の頭を撫でる。

 ケンにとって、竜胆は子供なのだろう。

 だが子供達にとって、背が高く、掌も大きく、頼り甲斐のある笑みを浮かべる竜胆は、きっと頼れる大人だったのだ。

 

「俺はな。

 悪いやつから子供を守ろうとする、そんな大人を……

 ……人を殺してしまうような、悪いやつから守りたかったんだ」

 

 そんなあなただから苦しむんだ、とアナスタシアは思った。

 

「―――君達みたいな、誰にもいじめられる理由のない子供を。守りたかったんだ」

 

 子供達が、憧れるような目で、竜胆を見上げる。

 とても大きな巨人のティガも。

 とても大きな身長の竜胆も。

 子供達にとっては等しく、見上げるものであることに変わりはない。

 

「お父さんやお母さんの言うことをよく聞いて、避難所で大人しくしてな。

 俺が、必ず。元の日常を取り戻す。

 君達に……もっと広い世界を、元の世界を、手渡してみせる。約束だ」

 

「約束!」

「ティガ! 頑張って!」

「負けないでね!」

 

「ああ」

 

 そういう約束をするから、仲間が皆死んでも自殺できなくなるのだと、アナスタシアは思った。

 

「どうも」

 

「あ、大社の……っていうか、前に丸亀城のデモで、俺を助けてくれた人?」

 

(ばん)だ。覚えなくていい。そんな大した人間じゃない」

 

「あの時はありがとうございます。俺、助けてもらったのにお礼も言えてなくて」

 

「それを言うならこっちもだ。

 昨日はよくやってくれた、ティガ。

 子供達はこっちで避難所まで連れて行くから、安心してくれ」

 

「助かります」

 

 どうやら、子供達が抜け出していたことはすぐバレていたらしい。

 子供が避難所を抜け出し、竜胆を探してお礼を言って、それで終わり。その程度の時間で子供達を見つけるあたり、大社の有能さが窺える。

 抜け出しても平気だと思っている子供達と違って、大社は子供達が避難所から出てしまったことを深刻に受け止めていたのかもしれない。

 大社の万は、アナスタシアに向けて頭を下げた。

 

「どうも」

 

「こんにちは」

 

「アナスタシア様。正樹から伝言です。

 『死者数、建物被害、三月の君の予言通りだ』と」

 

「そりゃそうよ」

 

「……え?」

 

 竜胆の頭の中が、真っ白になる。

 アナスタシアは眉一つ動かさない。

 そう。懸命に戦った結果、未来は何も変わらなかった。

 毛の先ほども、何も、変わってはいなかった。

 

「あ、あの! 大社の人に、死人が出たんですか……?」

 

「ああ」

 

「一体、何人が犠牲に……?」

 

「……大社の機能が麻痺するほどじゃない」

 

「それは」

 

「待て。これ以上聞くな。こっちはこれ以上何も話せない。

 何人死んだかなんて気にするな。君達は戦いに集中しろ」

 

 アナスタシアの予知は何も外れていない。

 死ぬ人は死んだ。

 壊れるものは壊れた。

 運命は覆されていない。

 皆が皆、戦いの後に病院に入り浸るくらい、限界を超えて戦ったというのに。

 

「あたしの見た未来は変わらないよ。

 ううん、違うな、そうじゃない。

 みんながみんな、頑張って、命を燃やして、限界を超えて……

 それで辿り着ける"最良の未来"が、神世紀に繋がる未来ってだけの話なんだよ」

 

「死んでる時点で最良もクソもあるか!」

 

 万も、子供達も、見えなくなった。二人は丸亀城に向かいながら、話を続ける。

 

「俺達は昨日、未来を変えられなかっただけだ」

 

 竜胆は諦めない。

 だから未来への道筋を辿る。

 アナスタシアは諦められなかった。

 だから未来への道筋を辿る。

 

 竜胆はアナスタシアの肩に優しく手を乗せ、力強く宣誓する。

 

「俺達は必ず、未来を変えてみせる」

 

 アナスタシアは泣きそうな顔をしている。

 そこには未来への絶望だけでなく、竜胆への同情も含まれていた。

 少女の手が、肩に乗った竜胆の手に添えられる。

 

「そうやって最後まで諦めなかった自分を……

 最後まで諦めなかったせいで、一人残されてしまった自分を……想像したことある……?」

 

 少女の手が添えられた、少年の手が、小さく震えた。

 

「あるよ。

 怖いよ。

 正直言って、本当にその未来は怖い。

 でもな、俺は勇気を貰ったから……何も恐れないって、決めたんだ」

 

 少年の手の震えが止まる。

 その手に宿るのは強さだと、アナスタシアは理解している。

 

「俺達を、信じてくれ」

 

「あたしが信じてないのは、ハッピーエンドだけよ」

 

 優しく押された車椅子が進んでいく。

 前に進んでいく。

 歩いていれば、誰もがどこかに辿り着く。

 辿り着いてしまう。

 時間が止まらず動いているから、いつか必ず、未来に辿り着いてしまうのと同じように。

 辿り着いてしまうことが地獄なら、人はどうすればいいのだろうか。

 

「ああ、そうだ。

 アナちゃんさ、皆のことおねーちゃんって呼んでただろ?

 俺のこともさ、おにーちゃんって呼んでくれないかな」

 

「へ?」

 

「俺も妹のように扱うからさ、頼むよ」

 

「なんで、そんな突然……」

 

 アナスタシアは未来のことを思い出す。

 自分は彼のことをそうは呼んではいなかったはずだ、と思い出す。

 

「お前を絶望させる未来を倒して、変えるよ。約束する」

 

 竜胆のスタンスは変わらない。

 

「俺の仲間を絶望させてる時点で、その"未来"もバーテックスと変わらないしな。

 俺の仲間をいじめてるんだ。そんな"未来"、パーンと倒して、どっかにやっちまうよ」

 

「―――」

 

 変わらないが、言い草が変わった。

 アナスタシアを絶望させるものを倒すのだ、変えるのだ、と言い始めた。

 アナスタシアが絶望しているから、アナスタシアをいじめている"未来"とやらをどっかにやってしまおうという、戦いの動機。

 

「……竜胆おにーちゃん」

 

「おう」

 

「何度でも言うよ。それは、苦しくて、辛くて、なのに無駄なことだよ」

 

「俺を"おにーちゃん"って呼んでくれる子に明るい未来がないとか、俺には許せないんだよ」

 

「……」

 

「必ず、お前の未来を勝ち取る。奇跡ならいくらでも積み上げてやるさ」

 

 それは、愛した妹をその手で殺した兄にとって、命よりも重い誓いだった。

 

「……んー、なんだかなあ。本当にもう、なんだかなあ」

 

「頑張るさ。俺は精一杯、頑張る。限界だって超えてやる」

 

「あたしの周りのみんなはみんなこうで、だから、だから……」

 

「だから?」

 

「なんでもない。本当にもう、みんなは、なんだかなぁ……」

 

 アナスタシアは、照れたように首を振った。

 

「第一、みんなアナちゃんアナちゃんって。

 日本人的な、子供扱いの愛称でばっかり呼んで。

 友奈おねーちゃんなんて、

 『ヒナちゃんアンちゃんアナちゃんで愛称が三姉妹っぽくなったね!』なんて言って……」

 

「日本人的?」

 

「ロシアじゃそういう愛称は使わないもん。

 アーシャとか、ナスチャとか、スターシャとか、ナターシャとか言うんだよ」

 

「アナちゃんはなんて呼ばれてたんだ?」

 

「……おとーさんとおかーさんは、向こうの友達は、皆ナターシャって呼んでた」

 

「そっか。じゃあ俺もそう呼ぶよ」

 

「別にいいのに」

 

「俺には不足してるものが山ほどある。

 なのに、ナターシャの兄気取りで接してるんだ。このくらいはさせてくれ」

 

 少し嬉しそうに、ナターシャは頷く。

 

「バカなおにーちゃんだなぁ」

 

「賢いお兄ちゃんだと妹のために命は懸けられないかもしれないからな。

 だったら、何も考えず妹のために命を懸けられるバカの方が生きてて楽しいだろ」

 

「あたしはおにーちゃんの妹じゃないんだから、そこまでしなくてもいいんだよっ」

 

 ナターシャは、楽しそうに笑った。

 

 未来のことを、少しだけ忘れて、素直に笑った。

 

 

 




 ハーモニカをボブから習った杏、ロシアの少女ナターシャ、玉響(たまゆら)とは若葉に露が落ちる様を示す言葉でもあり

 予言された日だけ一般市民を避難させたいというのが大社の本音ですが、未来が見えてるという話をすると、死者数も確定しているので大混乱待ったなしなのでできないという


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

畏怖 -イフ-

朝更新して夜も更新と


 次の戦いの日が迫る。

 あのゼットと、アナスタシアが畏怖(イフ)と呼んだ、ゼットと同格以上の敵が追加されるという次の戦い。

 『追加』だ。

 これまで出て来た敵は、全て次の戦いに出てくる可能性がある。

 それに加えて、ゼットと、ゼット以上の存在が参戦するという最悪。

 

 畏怖(イフ)とやらの強さは、アナスタシアの主観だ。

 ゼットより弱いかもしれない。

 逆に、ゼットとは比べ物にならないくらい強いかもしれない。

 それでも、アナスタシアがゼットと同格以上に見たことは変わらない。

 

 ゼットはあの時、勇者五人とウルトラマン三人を完全に圧倒し、グレートが起こした最後の奇跡によって撃退された。

 対し、今の人間陣営は酷いものだ。

 万全な状態で戦えるのはティガのみ。

 これに加えて、軽い負傷やダメージが残っているパワードと、若葉、千景、友奈。

 戦力は実質これで全部だ。

 杏は次の戦いまでに退院できない見込みであるし、アナスタシアを戦力に数えるなどそれこそ論外である。

 

 ゼット一人を相手にしてすら、勝てるかどうか。

 次が正念場だ。

 勝率は1%もなく、0.1%の勝率があると思っているようなら楽観的だと断言できる。

 

 竜胆の想定では、ゼットと同格の敵がいるのであれば、最低でも"自分一人でゼットを倒す"くらいはできなければ、勝機はない。

 そして仲間全員と一緒にゼットに戦いを挑んでも勝機はないと、竜胆は確信している。

 竜胆の中の戦いの才能が、それを確信している。

 にもかかわらず、その心は、敵わない敵に諦めることなく挑もうとしていた。

 

 絶対に勝てない敵への恐怖、勝てない絶望、ボブを殺された憎悪。

 憎い敵を殺したいという想いがあるのに、勝てないという確信がそれを抑え込む。

 恐怖と絶望が強敵から逃げ出したい気持ちを生むのに、"逃げられない理由がある"という、覚悟がそれを抑え込む。

 莫大な負の感情を生み出す気持ちと、それを抑え込む気持ちが拮抗し、胸の奥で際限なく負の感情が膨らんでいく。

 

 未来を願う心の光が、その闇と拮抗していた。

 光と闇が、竜胆の中でどんどん膨らんでいく。

 竜胆はこの気持ちのループを、自分の中で意図的に繰り返していた。

 来たるべきゼットとの決戦の日に、最大級の闇と光をぶつけるために。

 

 あまり賢いやり方とは言えない。

 心は動かせば動かすほど疲れるものだ。

 "心が癒やされる時間"というものは大抵、心が動いていない時間のことである。

 心の中で激情を常に渦巻かせるという行為は、心を疲弊させかねない。

 竜胆もそれを実感しているのか、ゼットとの再戦までと区切っており、そう何度も使える自己強化法ではないと自戒しているようだ。

 

 強くならなければならないのに。

 強くなければ守れないのに。

 今のティガには、闇も、光も、足りていなかった。

 全てを破壊する絶望、全てを救う希望、どちらかでもあれば違ったかもしれないのに。

 

 

 

 

 

 戦いの後、竜胆は一人一人に声をかけていった。

 

「ありがと。でも、私は大丈夫っ!

 元気いっぱい、勇気満タン! 抜けたアンちゃんの分まで、私が頑張るから!」

 

 友奈は今日も元気で明るい。

 だがそれは、彼女が作った明るさだ。

 周りの皆を照らすために作った明るさだ。

 花咲く笑顔と、その明るさに、竜胆の心は何度救われたことだろうか。

 彼女がいなければ、丸亀城の空気は、きっともっと暗くなっていた。

 

「ガンバッテルナー、エライエライ。

 デモ、ソンナニセキニンカン、セオワナクテモイインダゾ」

 

 ケンは微笑み、竜胆の頭を撫でた

 ケンはいつでも自然体で、竜胆を子供扱いし、その心を気遣ってくれている。

 何故、そこまで自然体でいられるのか。

 それはケンが、何度も『全て』を失っているからなのかもしれない。

 『全て』を失った後立ち上がることを、何度も経験しているからなのかもしれない。

 

 あるいは、彼が大人だから、"気負いすぎた結果としての失敗"を実体験として経験していて、竜胆をそういう面で諌めているのかもしれない。

 だとしても、ケンは、竜胆の頑張りを褒めてくれていた。

 

「私にできることは多くない。

 その中でも最も他人のためになることは、剣を振ることだ。

 その中でも最も価値のあることは、お前の背中を守ることだと、今、ふと思った。

 ……そう変な顔をするな。お前は多くを守れる男だと、私がそう思っただけだ」

 

 若葉は冗談めかした表情で、そんなことを言っていた。

 竜胆と若葉は互いが互いを信じ、頼りにしている。理想的な信頼関係だ。

 "あいつがいてくれるから自分は強くなれる"と思っているくせに、そのくせ個々の心が強くて、尋常でないことでも起こらない限り、一人でも強く在れる。

 二人なら、もっと強く在れる。そんな二人。

 竜胆が若葉に向ける褒め言葉は、『格好いい』『美しい』『綺麗』と聞いている方が恥ずかしくなるほどにストレートで、そのくせてんで的外れではなかった。

 

「若葉ちゃんも御守さんも、本当に心配症ですね。

 はい、確かに怖いです。

 もしかしたら私の命は、あと一週間も無いかもしれない。

 ……でも、本当は、毎日のように、私は怖い思いをしているんです。

 皆が戦いで死んでしまったら、竜胆さんが、若葉ちゃんが、死んでしまったら……

 そう思う毎日が本当に怖いって、知ってましたか?

 卒業式の時も……皆で笑い合っていたら、突然球子さんが死んでいて、本当に、本当に……」

 

 強く、弱い人だと、ひなたを励まし慰めながら、竜胆は思った。

 自分の死を前にして、いつも通りの自分を取り繕う強さがある。

 死を前にして、恐怖に震える弱さがある。

 仲間の死を恐れ、自分の死を恐れる弱さがある。

 その上で、仲間の前ではずっと優しい微笑みを浮かべてきた、強さがあった。

 

 竜胆は、「守らなければ」と思う。

 死の未来を突きつけられ、死の恐怖を飲み込み、必死に気丈に振る舞う、上里ひなたという少女を、守らなければと思った。

 この少女が、何の不安もなく友達と笑い合える未来を、勝ち取らなければと、決意した。

 

「ちーちゃん」

 

「何?」

 

「これ、受け取って」

 

 そして千景には、お守りを渡す。

 

 竜胆は千景から、元いじめっ子と千景の話を全て聞かされていた。

 過去に何をされたかも、戦いの中で見捨てようとしたことも、そこで何を思ったかも、結局助けてしまったことも、全部、全部。

 竜胆は千景の選択を肯定した。

 千景は正しいとも言わず、千景が優しいとも言わなかった。ただ、肯定してくれた。

 

 そうして、千景の話を聞き終わった竜胆は、千景にお守りを渡した。

 千景が小首をかしげて、竜胆が苦笑する。

 本当に覚えていないらしい。

 あの日、竜胆、千景、若葉が"あの村"から帰ったあの日。

 村から帰る竜胆達を走って追いかけて来た子が、渡してくれたお守りは、『二つ』だった。

 

 千景はあの子がお守りをくれたことすら忘れていたようだ。

 だが竜胆は、あの子がお守りを二つ……竜胆と千景の二人分くれたことを、忘れていなかった。

 

 千景に今日までお守りを渡していなかった理由は明白だ。

 この前までの千景なら、確実にお守りをゴミ箱にシュートしていた。

 酷い話だが、竜胆はそこに確信を持っている。

 そして、今の彼女であれば捨てないだろうという確信も持っていた。

 

「今のちーちゃんになら、渡せる。捨てちゃ駄目だよ」

 

「……うん」

 

 千景は竜胆からお守りを受け取る。

 とても、とても複雑な気持ちだったが、千景の胸中にお守りを捨てる気は湧いてこない。

 ふと、千景が竜胆の方を見る。

 千景の手の中にあるお守りと、竜胆の手の中にあるお守りは、同じものだった。

 

(あ……おそろいだ……)

 

 捨てる気はなかったものの、大切にする気もなかったお守りだが、『おそろい』と思った途端になんだか大切にしようと思ってしまう。千景は現金な女だった。

 

「ちーちゃんは立派になったなぁ」

 

「……そう?」

 

「そうだよ。ちーちゃんの成長見てると、俺相対的に全然成長してないじゃんって思うレベル」

 

「そうでもないと……思うけど」

 

「いーや、そうだね」

 

 竜胆は、千景の成長を千景以上に喜んでいる。

 そして千景の方も、自分以上に自分の成長を喜んでくれている竜胆に、嬉しさを感じている。

 

 初めて出会ったあの日から、もう四年が経とうとしている。

 お互いに、背も伸びた。

 子供らしかった二人は、共に男らしく、女らしくなってもいる。

 成長により『魅力』や『違い』として表出する性差を、竜胆は人並み以下に気にしていなかったし、千景は人並み程度には気にしていた。

 

「昔はちーちゃんも子供に見えてたけど、今は昔ほど子供に見えないしさ」

 

 からからと笑う竜胆の台詞に、千景はちょっと気恥ずかしさを感じた。

 

「……なんだかやらしい意味に聞こえるわ」

 

「えっ」

 

「子供に見えないとか、なんとか……」

 

「いや、そういう意図は一切ないぞ」

 

 千景の気の迷いのような台詞に、竜胆が覚えたての言葉を返し、流れが一気に変わった。

 

「すぐそういう発想に繋げるのって、ちーちゃんムッツリなんじゃね?」

 

「!?」

 

「ちーちゃんはエロい子だなあ」

 

 "ムッツリは恥ずかしい"という感覚は、大体の場合、中学校の学校生活など、思春期真っ只中の社会生活の中で育まれると言われる。

 そこがスッポリ三年以上抜け落ちている竜胆には、ムッツリが恥ずかしいという感覚がなく、千景にはそれがあった。

 

「え……あ……む、ムッツリじゃないわ!」

 

「いや正直打ち明けると、ちーちゃんがムッツリなんじゃないかって疑惑は前から……」

 

「!?!?!?」

 

「いいんだよ、ムッツリでもいいじゃないか。

 俺はちーちゃんのこと嫌いにはならないし、好きなままだから」

 

「待って、そんな私じゃない私を好きにならないで!」

 

 千景は咄嗟に、ターゲッティングを逸らす技術を披露する。

 

「乃木さんは学級委員長だったと聞くわ。

 真面目な学級委員長なんて絶対ムッツリよ。

 あの真面目な顔の裏にムッツリの素顔を隠しているのよ」

 

「若ちゃんが? そんなわけ……いやでも割と俗っぽいとこあるしな若ちゃん……」

 

「そうよ、私はムッツリじゃないけど、乃木さんはムッツリの可能性はあるわ」

 

「そうかな……そうかも……」

 

「ムッツリは乃木さんだけよ……」

 

「いやそれはまた別の話なんじゃないか」

 

(逸らしきれなかった……)

 

「しかし丸亀城の勇者はムッツリっぽい勇者ばっかな気がしてきたな……」

 

「何? 気に入ったの? ムッツリって単語」

 

「いや別に気に入ったわけじゃないけど……

 杏からさ、色々本借りて勉強してたわけさ。

 それによると無口でエロいこと考えてる人をむっつりスケベって言うらしくて。

 ……ん? あれ、この定義だと、若ちゃんはムッツリじゃないのか……」

 

「伊予島さんっ……!」

 

 この後の会話の流れで、竜胆は千景の嫌がる言葉は千景の前では使わないという、彼らしさをまた発揮し。

 

 千景の決死の説得と話術により、千景はムッツリではなく、若葉はムッツリ、そういうことになった。

 

 

 

 

 

 若葉との特訓の日、竜胆は手伝いに来ていたひなたに、直球で問いかけた。

 

「ひーちゃん、若ちゃんってムッツリだと思う?」

 

「あらあら」

 

 ひなたはイエスともノーとも言わず。

 呆れた顔をするアナスタシアの真横から、突き出される木刀一閃。

 竜胆の白刃取りが、額への突きを受け止めていた。

 若葉の頬が、うっすらと赤い。

 

「今の木刀の一閃、若ちゃんの過去最高の剣速だったと思うぞマジで……!」

 

「私は恥辱には報復で応える。誰がムッツリだ!」

 

「分かった、謝る、謝る、ごめん! でもちょっと気になったんだよ!」

 

「気になったからといって聞くやつがいるか!」

 

「違う! 待って! 俺は仲間のこととかよく知っておきたいって思って!」

 

「それは私に『よく知りたいからスカートの中身見せて』と言うようなものだ!」

 

「え!? マジで!? そこまで!? それは本当にごめん!」

 

「お前は本当にっ……!

 ……ああ、もういい。お前がそういうやつだということは分かってる。

 というか、なんで私のそんなところを、ひなたに聞くほど興味持ったと言うんだ」

 

「若ちゃんがすけべだったらすけべなりの友達付き合いの仕方があるよなって思って」

 

「おい、言い方」

 

 竜胆が「俺が思ってた以上に地雷なのかな、この話題……」と呟き、若葉がその頭を小突いていた。

 私のそういうところに興味を持つな、俺が悪かったごめん、と二人は会話しながら流れるように軽く打ち合い、合図も掛け声もないまま、自然と模擬戦に移行した。

 

「若葉おねーちゃんと竜胆おにーちゃん、いつもこんななんだね……」

 

「二人とも素の自分で接してますから。遠慮がないんですよ。

 御守さんはちょっとデリカシーが足りませんけど、そこはありあまる友情でカバーして……」

 

「カバーできてないよ」

 

「し、辛辣……」

 

「いやあ、でも、あの話題を許せるのは凄いなあ。

 もっと怒ってもいいのに。若葉おねーちゃんは寛容だ。

 それはそれとしてあたしも若葉おねーちゃんが真面目な顔してすけべだったら面白いと思う」

 

「アナちゃん!?」

 

「面白いって思うだけならタダだもんね」

 

 めまぐるしく、剣持つ若葉と、盾持つ竜胆の攻防が入れ替わる。

 今ちょっと軽く言い争ったばかりだと言うのに、竜胆の若葉への理解、若葉の竜胆への理解に、微塵の揺るぎもない。

 互いの強さを完全に理解した上で、その上を行こうとする切磋琢磨。

 竜胆が若葉を、若葉が竜胆を、鍛え上げる繰り返しである。

 

 微笑ましそうにそれを見守るひなたを見て、アナスタシアは溜め息を吐いた。

 

「どうですアナちゃん? かっこいいでしょう、二人共」

 

「でも、未来を変えられるほどの強さじゃないよ」

 

「かっこよさは強さではなく、懸命でひたむきな背中に宿るものですよ?」

 

「……」

 

 この人の周りはかっこいい人が育つんだろうなあ、と、アナスタシアは思った。

 ひなたおねーちゃんは美人だし、普通の男の人ならこういうこと言われたら絶対奮起するよ、とも思った。

 

「アナちゃん、未来はきっと変えられますよ。若葉ちゃんがそう信じていますから」

 

 けれどもし、彼女に好かれようとして頑張る普通の男の人がいたとしたら、この目に折られてしまうのだろうと、アナスタシアは思う。

 若葉を信じ切った目。

 全幅の信頼を若葉に向ける目。

 ひなたはきっと、この世の何よりも乃木若葉を信じている。

 

 ひなたの中で永遠に『二番』になることを覚悟し、割り切れる精神性でも持っていなければ、ひなたの伴侶にはなれないだろう。

 心の強度が普通で、仲間の死に打たれ弱いひなたが立っていられる理由は、ここにもある。

 ひなたは若葉を信じている。

 絶対的に信じている。

 世界を若葉が救ってくれると、揺らがぬ心で信じているのだ。

 

 そう、ここが、アナスタシア・竜胆・若葉と、ひなたの決定的に違うところ。

 

 ひなたが未来を変えられると信じているのは、"若葉が変えられると信じているから"なのだ。

 

「若葉おねーちゃん」

 

 竜胆と打ち合っている若葉に、アナスタシアが声を掛ける。

 言葉なくとも若葉の意を察した竜胆が攻め手を緩め、若葉が感謝を攻防の流れにて示す。

 アナスタシアと話しながらでも打ち合えるだけの余裕が出来た。

 

「若葉おねーちゃんは、本気で未来を変えられるって信じてるの? どうして?」

 

「小難しい理由はない。私は、許せないだけだ」

 

「何を?」

 

「未来を変えられたかもしれないのに、怠けたせいで変えられなかったという結果をだ。

 良き未来があったはずなのに、自分のせいでそこに辿り着けなかったという結果をだ。

 手を抜いてそんな道筋を辿ってしまったなら、私はその時、自分で自分を許せないだろう」

 

「……若葉おねーちゃんらしいや」

 

 どこまでも真面目に、誠実に、自らの全力を尽くし続ける。それが乃木若葉だ。

 

「でも、変わらない未来を見続けたら、若葉おねーちゃんだって折れるよ」

 

「折れん」

 

「……」

 

「未だ来ていないから未来なのだ。ならば存分に抗ってやる価値はある」

 

 竜胆の言葉も、若葉の言葉も、アナスタシアの胸を打つ。

 

 戦って、高め合う竜胆と若葉を見ていると―――何故だろうか。

 

「そうだろう、竜胆!」

 

「ああ!」

 

 アナスタシアの胸の内に、"もしかしたら"という気持ちが湧いてくる。

 人はそれを、『希望』と言うのだろう。

 アナスタシアは、若葉と竜胆の姿に、希望を見た。見てしまった。

 希望を持ってしまえば、もう諦観の終わりは迎えられないというのに。

 

 ひなたが、アナスタシアを横からぎゅっと抱きしめる。

 柔らかく、暖かく、優しい包容だった。

 

「若葉ちゃんはきっと、世界が燃え尽きる瞬間を目にしても、世界を諦めたりしません。

 未来の滅びを見たくらいじゃ、きっと諦めないですよ。本当に強い人ですから」

 

「……知ってるよ」

 

 そう、だからこそ。

 "若葉を殺す"には、"ひなたを殺す"のが一番の近道であることを、アナスタシアは知っている。

 アナスタシアは、最後に仲間へと問いかけた。

 

「―――全て無駄だと分かっていても、何もかも無駄だとしても、それでも戦える?」

 

 返って来た答えは、アナスタシアの予想していた通りのものだった。

 

 未来は変わらない。

 アナスタシアはそう確信している。

 それでも、諦められないものはあり。

 せめて、未来は変えられなくても、生き残る人を一人でも増やせたなら―――そんな希望にすがって、アナスタシアは足掻くことを決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大人の絶望と、子供の絶望は違う。

 どちらが上だ、下だ、という無粋な話ではない。ただ、質が違うのだ。

 少なくともケンだけは、そう思っていた。

 

 ケン・シェパードは、元警官である。

 12歳の時、母と姉と妹が強姦殺人で殺され、父親が自殺した一連の流れを全て見たケンは、せめて自分は"正しくあろう"と考えた。

 間違ったものを倒す。

 自分で自分を守れない人達を守る。

 弱き人達が、力がないせいで掲げられない小さな正義。その正義の味方になる。

 そう志して、警官になった。

 

 願ったものはたったひとつ。悲しみなんて、ない世界。

 

 その後も、多くの凄惨な事件を見てきた。

 ケンという個人として、心に従い人を救ってきた。

 一人の警察官として、法に従い人を救ってきた。

 醜いものも、綺麗なものをたくさん見てきた。

 その上で、ケンが人を救うことを止めたことは、一度もなかった。

 

 だからこそ、ケンは知っている。

 

 何の罪も無い人が理不尽に殺されるのは、どこにでもあることだと。

 そして、それを止めようとすることは、当たり前のことだということを、だ。

 

 世界は理不尽に溢れている。

 犯罪者のような、理不尽に殺そうとする者はどこにでもいて。

 警察官のような、それを止めようとする者はどこにでもいる。

 ケンに言わせれば、世界は何も変わっていない。

 殺す者の名前と、守る者の名前が変わっただけで、世界は何も変わっていなかった。

 

 ケンは知っている。

 天の神とバーテックスの全てを倒した後は、人間が理不尽に罪の無い人を殺す『元の世界』が戻ってくるだけだということを、知っている。

 

 だからこそ。

 罪の無い人が理不尽に傷付けられてはいけない、と大声で叫ぶ竜胆を、ケンはずっと幼稚なものを見るような目で見ていた。

 そんな竜胆を、ケンは尊く感じていた。

 そんな竜胆を、ケンはとても大切にしてくれていたのだ。

 

 バーテックスが居ても居なくても、罪の無い人が理不尽に殺されることはなくならない。

 それは当たり前のこと。

 世界から犯罪がなくならないのと同じで、当たり前のことだ。

 

 天の神が居ても居なくても、人を守ろうとする者はいなくならない。

 それは当たり前のこと。

 様々な治安維持組織が社会から消えることがないのと同じで、当たり前のことだ。

 

「だから僕は人を守り続けよう。

 僕がここにいる。皆がここにいる。

 ならば守ることこそが、僕にとっての当たり前。ケン・シェパードの正義だ」

 

 平和、幸福、笑顔を脅かす者は、永遠に居なくなることはない。

 だからこそ、自分がそれらからずっと人々を守り続ける。

 それが、警察官としてのケンの信念だった。

 

 故郷をバーテックスに滅ぼされても、大切な人をバーテックスに皆殺しにされても、何度も何度も大切なものを奪われても、一度も揺らがなかった、彼の信念だった。

 だからこそ、パワードは彼を選んだのだ。

 

「これが僕の正義。僕の誓いだ。だけど、心残りが一つだけ」

 

 ケンにとって、戦いとは"いつか終わって日常に帰るもの"ではない。

 "人の営みが続く限り永遠に続くもの"だった。

 生きる限り人のために戦い続けるという、警察官の覚悟を持っていたケンが、持ってしまった心残りはただ一つ。

 

「……僕はリンドウに、普通の子供でいてほしかったんだろうな。

 少しずつでいいから、肩の力を抜いて、笑って、穏やかな日々の中で……未練だろうか」

 

 竜胆だけではない。他の子供達にも、ずっと普通の子供でいてほしかった。

 でも、もうそれは、叶いそうにない願いだったから。

 せめて、子供達が普通の子供に戻れるかもしれない未来を、懸命に守るしかなくて。

 

「だけど、もう、僕が最後まで走り切るしかない。

 どうかこの願いが叶うなら、僕が最後の死者になりますように」

 

 せめて、自分の命を捨ててでも、全ての戦いに決着をつける。

 

 それが、ケンの決めた最後の覚悟。

 もうこれ以上、子供達に地獄の苦しみを味わわせないために。

 子供達の幸福を祈って死んでいった、ボブの冥福を祈るために。

 自分を最後の死者とする覚悟を、ケンは決めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、仲間達が次々と死んでいくと予言された最初の日、運命の時がやって来る。

 ひなたは戦いに赴く仲間達に、凛とした声をかけた。

 

「自己犠牲は尊く、美しいのかもしれません。

 けれど辛いものであり、正しいとも限らないものです。

 そして大抵の場合、周りにとっては優しくないものなのです」

 

 ひなたは深々と、頭を下げる。

 

「どうか、ご武運を。皆さん揃って、帰って来てください」

 

 ひなたの不安そうな顔を見て、竜胆は一計を案じる。

 

「ひーちゃん、手を上げて」

 

「? こうですか?」

 

 ひなたが手を上げると、竜胆はそこにハイタッチ。

 まったく、と言わんばかりに、若葉も後に続いてハイタッチ。

 はいたーっち! と声を上げ、友奈もハイタッチ。

 ケンもノリノリでハイタッチ。

 千景もおずおずと、ハイタッチ。

 ひなたにハイタッチした戦士達が、ひなたに背を見せ歩いていく。

 

「……誰も、死なないでください! それ以上は、何も求めませんから!」

 

 ひなたの声に、"悲しませたくない"と強く思ったのは、竜胆だけではないだろう。

 

「だってさケン。死を宣告されてるケンは、特に張り切らないとな」

 

「……ウン、マア、デモ」

 

 運命に勝てれば、ケンは生き残る。

 運命に負けれは、ケンは死ぬ。

 なのに、熱量を感じる竜胆の言葉とは対照的に、ケンの口調は穏やかなものだった。

 

「キミタチノシアワセガ、ボクノシアワセ。

 キミタチガイキルコトガ、ボクガイキルコト。

 ボクガシンデモ、キット、ソコデゼンブオワリジャナイ」

 

 ケンの大きな掌が、竜胆の頭を撫でる。

 彼の表情は死を受け入れつつも、今日という日に戦いを終わらせるにはどうすればいいかを、考えている顔だった。

 

「違う」

 

 竜胆は死を無意味なものにしない者。

 だが、だからこそ、死ぬべきでないと叫ぶものだった。

 

「全ては、生きてこそだ。ケン」

 

 感情と論理を、竜胆は一緒くたにしてぶつける。

 

「数日後にはひーちゃんが死ぬかもしれないんだぞ、ケン。

 だから、俺はまず第一歩としてケンを助ける。

 ウルトラマンだから、一番死ににくいはずだ。

 運命は一番変えやすいはずだ。

 そして、ケンという戦力を増やすことで、ひーちゃんの運命を変える。

 その次の、ちーちゃんと杏の未来も変える。全ての鍵はケンなんだ。ここが肝なんだよ」

 

 竜胆が語る理屈は、誰を助けたら誰を助けられない、といった選択性の救済の話ではなく。

 "全員生存を目指す"からこそ、"最も多くの者を生かせる"という理屈。

 皆で生きて明日を目指す理屈である。

 

「生きてくれ、ケン。皆のために」

 

 今日ここで死んでもいいと覚悟を決めていたケンの覚悟が、大きく揺らいだ。

 

「……キミノホウガ、ボクヨリタダシイコト、イッテルナア」

 

「俺が言ってるのは正しいことじゃない。

 当たり前のことだ。ケンが死んだら悲しむ人が何人いると思ってるんだよ」

 

「ウン……ソウダ」

 

 子供は少し目を離した隙に成長していく。

 ケンは竜胆を子供と見て甘やかしてやりたい気持ちと、立派な男として認めてやりたい気持ちの間で、少し揺れていた。

 子供と大人の中間にいる子の扱いは難しい、とケンは思う。

 だからこそ見ていて面白いのかもしれない、とも思った。

 

 出会った頃の竜胆は、ケンを正しい方向へと導こうとする子供ではなかった。

 理詰めで誰かの中に"生きる理由"を作ろうとする男ではなかった。

 でも、今はそうではない。

 ケンにとって、それはたまらなく嬉しいことであったのだ。

 

「来た」

 

 竜胆が気配を感じ取り、結界の端が揺れる。

 樹海化は発動しない。

 ブルトンによる無効化は、今この瞬間も続いている。

 

 気のせいか、四国結界そのものすら揺らがされているようだった。

 ブルトンの干渉度合いは日に日に増している。なんと恐ろしいことか。

 だが、今はそのブルトンよりも遥かに恐ろしいものが、結界の向こう側からやって来ている。

 

「ゼット……!」

 

「久しいな、ティガ、パワード。それに……ネクサス」

 

 終わりの名を持つ者が、再び四国内部へと君臨した。

 最悪なことに、グレートが与えたダメージも全て完治してしまっている様子。

 ここにいる三体のウルトラマン全てと過去に戦い、全てに決定的敗北を叩き込んだゼットは、ただそこにいるだけで四国全域に重圧を与えている。

 心弱きものでは、立っているだけでも辛いだろう。

 

 勇者は端末、ケンはフラッシュプリズム、竜胆がブラックスパークレンス、そしてアナスタシアもエボルトラスターを取り出した。

 竜胆が思わず、車椅子のアナスタシアを止める。

 

「ナターシャ、無理は……」

 

「あたしも戦う。あたしの見た未来では、この戦いにあたしは参加してなかったもん」

 

「!」

 

「できることは多くないけど、あたしもやれることをやってみる」

 

「……助かる。頼りにしてるが、無理はするなよ、ナターシャ」

 

 運命を変えようとする、アナスタシアの選択。

 やはりアナスタシアは、諦められない少女であった。

 折れた心に鞭打って、ケンが死ぬ可能性を覆すために、その先のひなた達の死の運命を覆すために、無理をしてエボルトラスターを握っていた。

 

「行くぞ、皆! 見せてやる! 俺達の勇気を!」

 

 勇者の端末が起動。

 フラッシュプリズムが光を放つ。

 ナターシャが、若葉のような抜刀で、エボルトラスターを引き抜く。

 ブラックスパークレンスが、高く空へと掲げられる。

 

 三人の勇者と三人のウルトラマンが、光闇渦巻く丸亀城の正面に、降り立った。

 

 

 

 

 

 敵勢が全て結界内に飛び込んだのと、ネクサスのフェーズシフトウェーブがメタフィールドの展開を完了させたタイミングは、ほぼ同時だった。

 敵の全てと味方の全てが、メタフィールドによって市街地から隔離される。

 赤土の荒野にて、竜胆は絶句した。

 

『ゼットン……!? 待て、何体居るんだこれ……!?』

 

 ゼットン、ゼットン、ゼットン。

 右を見ても左を見てもゼットン。どこを見てもゼットンの群れ。

 無数のゼットン達が、キロメートル平方という規模で、遠巻きに竜胆達を取り囲んでいた。

 ゼットン達が円形に竜胆達を囲んでいるせいで、まるで黒一色の壁のようですらある。

 

「ゼットン・リングだ」

 

 ゼットがゆらりと手を広げ、立ち並ぶゼットン達を手で示す。

 

『ゼットン・リング……?』

 

「安心するがいい。

 このゼットンどもがお前達に手を出すことはない。

 こやつらはただの見届人であり、壁だ。宇宙で一番強固な闘技場(リング)でもある」

 

 ティガ達と相対するのは、ゼットと、その横の奇妙な怪物のみ。

 

 その怪物は、なんとも奇妙な怪物だった。

 これまで出て来たバーテックスは、どれもこれもが"何かに例える"ことができた。

 鳥のよう、恐竜のよう、クラゲのよう、と。

 だが、これは違う。

 ゼットの横にいる怪獣には、あらゆる形容が不可能な形状をしていた。

 ただ、その容姿は、おぞましさに溢れた印象と感想を叩きつけてくるものだった。

 

(これが……イフ?)

 

 例えるなら、神。

 例えるなら、概念。

 例えるなら、宇宙の現象。

 よく分からない何かが、ゼットの横で蠢めいている。

 竜胆はその存在を、上手く言語化して理解することができなかった。

 

「天の神側で貴様らと戦うのは、私とこのイフ、二体のみ。

 そちらは何人でかかってきても構わん。ただ、全力で来い」

 

 ゼットとイフ、二体のみが戦うという。

 それは人類側にとってはとても助かることであったが、天の神側に一つの得も無いことであり、竜胆はそこを訝しがった。

 

「貴様らが勝てば、今回は貴様らも生きて帰れることを保証しよう。

 このゼットン軍団が手を出すこともありえん。我らに勝てるなら、だがな」

 

『随分こっちに有利な条件だな。全員でかかってこないのかよ、ゼット』

 

「イフを投入した時点で、天の神は人類の滅亡を確信している」

 

『―――なっ』

 

「ならば後は自由ということで、この一戦は私の流儀でやることを許可してもらった。

 私の流儀であろうとなかろうと関係なく……

 イフを投入した時点で、全て終わったということなのだろうな。

 天の神は既に、人類の掃滅を完了したつもりでいる。それだけの話だ」

 

『……舐めやがって』

 

 竜胆達は二体の敵に対し、二手に分かれた。

 千景の分身六体と、パワードがイフへ。

 ティガ、若葉、友奈、千景がゼットへ。

 ネクサスは後方待機。状況に合わせて対応していく。

 

 くるりと手の中で槍を回すゼットと、ティガダークが対峙する。

 

「死力を尽くすがいい。一対一でなければ卑怯、などとは言わん。

 絆、友情、連携……何もかもを積み上げるが良い。全てまとめて、灰にしてやろう」

 

『俺達が遊んでたわけじゃないってことを見せてやる! 吠えヅラかきやがれ、ゼット!』

 

 ゼットが槍を振り、ティガの蹴りがそれを弾く。

 

 黒き終わりと黒き巨人、宿命の対決が今、始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、悪夢がもう一つ。

 

 パワードは千景の無謀な突撃を手で制し、イフの様子を窺っていた。

 イフはまだ動いていない。

 パワードもまだ動いていない。

 いや、パワードの方は、"動けなかった"というのが正しい。

 

 対峙して分かる、あまりにもおかしい、異様な存在感。

 どう攻めても終わる、そんなイメージしか湧いてこない。

 時間が経つ。

 時間が流れる。

 ティガとゼットはもう幾度となく攻防を繰り返しているというのに、パワードは前に踏み込むことすらできていない。

 

「ケン、どうしたの?」

 

 千景の声にも応えられない。

 イフに向かって踏み込めない。

 イフに向かって攻撃できない。

 イフから目を離せない。

 何かをすれば、何かした、ただそれだけで、全てが終わってしまいそうな恐怖がある。

 

『ハァ……ハァ……』

 

 何もしていないのに、息が切れる。

 ケンとパワード、その両方が、この存在の恐ろしさを本能で感じてしまっていた。

 イフ相手に何かを仕掛けて、その先で、自分が生きていられる気がしない。

 だから何もできない。

 あまりにもおかしな、非現実的な敗北の未来の認識。

 

『!』

 

 だが、イフはいつまでも待ってはくれなかった。

 イフが()()()()()()()()()()()()()()

 

 パワードはそこに異常な違和感を覚えた。

 イフが人間に敵意を持ち、自分から人間やウルトラマンに襲いかかっていくことに、何故こんなにも違和感を抱くのか、パワード自身にも分からなかった。

 何故かイフには、自分から他人に襲いかかるその姿が、酷く似合っていなかった。

 

『クッ!』

 

 パワードが思わず、迎撃の拳をイフへと叩きつける。

 その瞬間にパワードが感じた手応えを、なんと表現すればいいのだろうか。

 宇宙。

 そう、宇宙だ。

 ()()()()()()()()()手応え。

 

 "こんなものを壊せるわけがない"という確信が手に残る、異様な手応え。

 "イフを殴って壊すのは、宇宙を殴って壊すようなもの"だと、パワードは理解した。

 そして、イフの全身から腕が十数本と生え、それぞれがパワードを殴打する。

 

『―――ガッ!?』

 

 拳の一発一発が、僅かな誤差もなく、パワードが先程打ち込んだ拳と同威力であった。

 すなわち、威力一億トン。

 それが十数本の腕で、パワードの全身を殴打していく。

 拳の連打でついでとばかりに潰されていく千景達は、イフの体から発射される水色の無数の輝きを見た。

 

「彗星に……流星……流星群……!?」

 

 小さくとも確かに星であるものが発射され、パワードの全身を打ち据えていく。

 

「太陽!?」

 

 小さくとも確かに太陽であるものが発射され、パワードの顔面に激突する。

 

「今度は、ゼットンの一兆度……」

 

 そして、パワードの右足が、ゼットンの一兆度によって穿たれ。

 

「ブラックホール……!?」

 

 しまいには、極小のブラックホールまでもが発射された。

 流石にこれを喰らえばパワードとて一撃死だ。

 必死の思いでブラックホールを飛んで回避したものの、ブラックホールが異常な挙動で消失したことで、イフの不気味さは更に増していった。

 

『ナンダ……コイツ……!』

 

 パワードが空中から、最強のメガ・スペシウム光線を解き放つ。

 一億度の高熱が、イフの全身を崩壊させ―――イフはあっという間に再生し、"コピーした"メガ・スペシウム光線を四方八方に連射する。

 

『―――!?』

 

 パワードがメガ・スペシウム光線を一度撃つ間に、イフは十数発のメガ・スペシウム光線を連射し、その内四発がパワードへ向かい、その内一発が直撃した。

 威力はそのまま、パワードが先程撃ったメガ・スペシウム光線そのもの。

 

『ウ……ガアアアッ……』

 

 胸を焼かれたパワードが落ちる。

 イフは変わらず、一億度のメガ・スペシウム光線を四方八方に連射していた。

 淡々と、人間とウルトラマンへの殺意以外、何の感情も見せないままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 完全生命体イフ。

 

 それは、語られる最強の一体、無敵と言われるものの一つ。

 持つ能力はただ一つ。

 外部からの刺激に反応して進化し、外部から受けた刺激をそのまま外部へと返す、これだけだ。

 ここに不死身の再生能力が加わることで、イフは最悪の悪夢となる。

 

 彗星や流星をイフにぶつけた。

 イフは彗星や流星で死なず、それらを外部に絶え間なく連射する存在に進化した。

 太陽にイフを放り込んだ。

 イフは太陽では死ななくなり、太陽を外部に射出する存在に進化した。

 ゼットンと戦わせた。

 当然のように、一兆度を習得した。

 ブラックホールにイフを放り込んだ。

 イフはブラックホールでは死ななくなり、ブラックホールを外部に発射する存在に進化した。

 今、パワードの光線を受けた。

 ゆえに、光線が効かず、光線を絶え間なく連射する存在になった。

 

 やろうと思えば、イフにビッグバンだってぶつけられただろう。

 そうなれば、もしかしたらイフはそれにも耐えて、ビッグバンを連発する存在として、この結界の中に現れていたかもしれない。

 そうならなかったのは、きっと"これでもう十分"だと天の神に判断されたから。

 

 天の神はイフという駒の用意に、年単位の時間をかけた。

 そして、人間とウルトラマンへの殺意を植え付けたイフを完成させ、投入したのだ。

 

 イフは意志無き存在として在る時点で最強、無敵。

 にもかかわらず。

 今ここにいるのは、"悪意あるイフ"であり、"敵意あるイフ"。

 

 これが、ナターシャに未来を諦めさせたもの。アナスタシアが見た絶望の一つ。

 

 絶望の序幕を飾る、最強にして無敵の怪物。

 

 その名は畏怖(イフ)。災害神の如く、絶望する人間達に恐怖で見上げられし者。

 

 

 

 




【原典とか混じえた解説】

●完全生命体 イフ
 ウルトラシリーズ52年の歴史の中で、『最強の怪獣』を一体決めるとするならば、間違いなく最終候補の五指に入る存在。
 最強論争という、果てしなく不毛で無駄であるはずの論議において、まごうことなく最強と呼ばれる『規格外』の内の一体。

 イフは外部から受けた刺激を、そのまま外部へと返す。
 ミサイルを受ければ、ミサイルを外部へと連射する存在に。
 ウルトラマンの光線を受ければ、ウルトラマンへとその光線をそのままの威力で連射する。
 その強さに上限はない。
 その強度にも上限はない。
 強力なウルトラマンが全力で光線を一発撃っても、イフが消え去ることはなく、イフは受けた光線をウルトラマンに連射して返し、ウルトラマンを倒してから地球を焦土へと変える。
 宇宙を粉砕する一撃を当てれば、宇宙は壊れてもイフは残り、イフは宇宙を粉砕する一撃を振り撒きながら宇宙を渡る存在となるだろう。

 誰も倒せない。ゆえに無敵。
 全てを返す。ゆえに最強。
 付け入る隙の無い完全。ゆえに畏怖。

 イフを相手にして戦おうとすること、それ自体が間違いになる存在。
 イフを相手にして勝とうとすること、それ自体が間違いになる存在。
 "力で敵を倒すことのみを考える愚かしさ"を伝えるために、『世界に無敵であることを約束されたかのような』、強さという概念を超越した生命体。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

 仲間が死ぬたびに強くなる。

 心の光が身体強度から順にスペックを低下させる。

 ボブと球子の死を越えたティガダークは、以前戦った時の理性あるティガダークを遥かに超える力強さと速さを持って、ゼットと技巧戦を吟じていた。

 

 ゼットが何よりも評価したのは、力でも速さでもなくその技だ。

 技が何よりも伸びている。

 その技量はゼットを超えており、竜胆は絶対に認めないが、既にボブをも超えている。

 最高の才能。

 武器持ちの若葉との数えきれない特訓。

 絶え間ない鍛錬。

 それらが、ある程度の格上であれば技だけで制圧できるほどの技量を、竜胆に身に着けさせていた。

 

 槍と剣はかなり違うが、若葉との特訓で対武器戦闘術はしっかりと身に着いている。

 ティガが流麗に自分の刺突を受け流すのを見て、ゼットはその技に思わず見惚れていた。

 

「随分と技を練り上げてきたと見える」

 

 地球人最高の戦闘の才を、ゼットは駄菓子のように楽しむ。

 ゼットが小手調べを終わりにして、槍の威力を倍にした。

 槍を拳で弾いていたティガダークの手に残る手応えが、一気に重くなる。

 

『っ』

 

 黒き姿から、黒赤の姿へ。

 ティガがタイプチェンジに要する時間は、設定上0.5秒。

 バランスの取れた形態から攻防力が上がる剛力形態(パワータイプ)へと変わり、槍の重い一撃を拳で弾いた。

 

「ティガトルネード……力に偏重する形態変化(タイプチェンジ)か」

 

『仲間が俺にくれた力だ!』

 

「仲間が死んで強くなった、の間違いだろう」

 

 突くか、振るか。

 点攻撃か線攻撃か、槍の攻撃はこの二つに分けられる。

 更に手足を狙って敵の戦闘力を削ぐ突き、急所を狙う必殺の突き、重力を味方につける打ち下ろしの振りや、遠心力を乗せた横薙ぎの振りなど、ここから更に細分化していく。

 

 ティガトルネードの拳が槍を叩いて弾き、掌が槍を弾いて逸らす。

 黒き体が膨大な力を吐き出して、赤い光が闇の力の手綱を握る。

 パワーだけなら、ゼットの剛槍を弾き続けられるレベルにまで上昇していた。

 

(いける!)

 

 相手の攻撃の前に攻撃を察知し、攻撃前の敵の予備動作を見切り、敵の攻撃に対し最適な対応を返すのみならず、何手か先まで読んでこの時点で布石を打つ。

 過去にボブは竜胆の動きを、そういう風に分析した。

 竜胆はどっしりと構え、力と技で真正面からゼットにぶつかる。

 ゼットは未だ無傷だが、ティガもまた、無傷だった。

 

「なら、こういう攻め手はどうだ?」

 

『!?』

 

 ゼットの重い槍の連撃を、ティガトルネードの豪腕・技巧が弾いていた流れが終わる。

 槍の一撃が少し軽くなり、槍の速度が一気に上がった。

 槍が突き出される速度も、一秒あたりに槍が突き出される回数も、段違いに上昇する。

 スピードが下がっているティガトルネードでは、それらは受けきれない。

 

 ティガダークよりも強固なはずのティガトルネードの体が、絶え間なく切り裂かれ、毎秒のように全身に切り傷が増えていった。

 

「やはり速度が下がっている。それでは、技も活かしきれんだろうな」

 

『くっ……!』

 

 竜胆の戦闘センスと才覚がなければ、この速度に圧倒され、あっという間にみじん切りにされていたかもしれない。

 先を読み、ゼットの攻撃を誘導し、速度で負けても防御を成立させる。そうやって竜胆は、深い切り傷と急所への一撃だけは徹底して避けていた。

 

 やはり、ゼットは強い。

 地力からして圧倒的に強いがために、ちょっとした工夫が必殺の対応になる。

 根本的に応用力が高く、柔軟な戦闘スタイルは、対策困難なほどに多様な攻め手と受け手を繰り出してくるものだった。

 

「私の存在価値とはなんだ」

 

 一息にも満たない一瞬で、いくつもの槍の軌跡が空中を走る。

 一つを除いて全てをティガトルネードが弾き、一つがティガの頬を抉るように削った。

 

「私が生まれた意味とはなんだ」

 

 同時に突き出されているようにしか見えない、超高速の三段突き。

 ティガトルネードの両腕が二つを弾き、一つがティガの首筋をかする。

 

「光の巨人が、私でなくても殺せる矮小な命なら……私が生まれた意味など無い!」

 

 ゼットは、生み出された命だ。

 "ウルトラマンを倒し、その歴史を終わらせる"という使命を与えられ、この世に生まれた。

 与えられた心は、『意志の力』を持ち、ウルトラマンの全てを抹殺せんとする。

 心あるからこそ最強のゼットン。

 だが、心とは、なんなのだろうか?

 

 心とは、生涯が育むものだ。

 このゼットにはこのゼットの人生がある。

 与えられた心は、この地球での物語と、この地球での戦いが育んでいく。

 そう、ゼットの心は今この瞬間も、ウルトラマン達との戦いで変化し、成長しているのだ。

 

「もっと速く打て、もっと重く打て!」

 

 そして竜胆もまた、成長している。

 ゼットの攻撃を必死に弾きながらも、ゼットの動きを目に焼き付け、その行動パターンを常に頭に叩き込み続けていた。

 徐々にゼットの動きを見切り、その動きの先読みの精度を上げている。

 秒単位で成長を重ねるという、恐るべき規格外の天才。

 

 だが、それでも、ゼットという頂は遠い。

 この程度の成長では追いつけない。

 

「『ゼットン』は―――()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ!」

 

 槍薙ぎの直撃を受け、ティガの体が浮き、地面を転がされる。

 

「ウルトラマンが強くなければ、ゼットンが強いなど誰も思わない!

 ゼットンは強きウルトラマンを倒して初めて、その価値を証明する!

 強く在れ! 私を楽しませろ! その輝きが強ければ強いほど―――私が挑む価値がある!」

 

 追撃の槍突きを、生み出した旋刃盤で受け止めた。

 ミシリ、と旋刃盤が嫌な音を立てる。腕が痺れる。

 真っ向から受け止めるのは、やはり悪手だ。

 腕が痺れたティガへと、追撃のもう一刺しが迫る。

 

 そうして、"そこに槍を誘い込んだ"ティガの狙い通りの位置に、槍が来て。

 横から突っ込んだ若葉の斬撃が、槍の軌道を僅かに変えた。

 ティガの首の横を、槍が何も貫かず通り過ぎていく。

 ゼットの想定外に槍は外れ、そのチャンスに竜胆が旋刃盤を叩きつけようとするが、バックステップでかわされてしまった。

 

「ほう」

 

 ゼットはティガを見ている。

 ティガの動きを見切っている。

 ゆえに、ティガの創意工夫だけではその意表を突けない。

 

 だが、仲間との連携があれば。

 正面からでは突破できないベムスターでも、仲間と連携すればその背後を突けるように、仲間との連携があれば、違う結果が出せるかもしれない。

 

 ネクサスが歯を食いしばって、後方で手刀を突き出した。

 突き出した手刀から放たれる光刃……『パーティクル・フェザー』である。

 極めて鋭い、三日月状の刃が飛んで、ゼットの槍がそれを弾いた。

 

 砂糖菓子でも砕くかのように、軽く斬撃光線を弾くゼットは恐ろしい。

 だが、予想済みだ。

 砕かれて舞い散る光刃の破片。

 迎撃のせいでゼットに出来た死角に潜り込むティガ。

 そうして、ティガの拳が初めて、ゼットの腹に叩き込まれた。

 

『もしも俺に……お前に勝る力があるとすれば……!』

 

 仲間が作ってくれた隙を、ティガが突く。

 

 それこそが、"一人でない"という強さ。

 

『それは、"これ"だけだ!』

 

 飛び退ったティガの足元左右に、二人の勇者が立つ。

 ゼットは恐るべき敵だ。

 出し惜しみして勝てる敵ではない。

 誰もが限界を超えねば勝てない……だからこそ、若葉と友奈の決断は、速かった。

 

「降りよ―――『大天狗』!」

 

「来い―――『酒呑童子』!」

 

 友奈の身に纏われる、敵を壊す攻撃だけを考えているかのように、腕部の攻撃ユニットである腕甲だけが大型化した勇者衣装。

 若葉の身に纏われる、修験者のような服、巨大な黒翼、変形し巨大化した太刀、それらの全体バランスを取る勇者衣装。

 

 禁じられた精霊が、二人の体に憑依した。

 

 

 

 

 

 四国の守護神。

 天に仇なす大化生。

 日本三大怨霊すら内包する、大妖怪のカテゴリー。

 それこそが、若葉の降ろした『大天狗』の特性である。

 

 そして酒呑童子も神にして鬼、日本三大妖怪の一角。

 本来ならば、人間一人の体の中に収まるような規格(スケール)の存在ではない。

 鍛えた体でも、一瞬気を抜けば内側から弾け飛ぶだろう。

 

 あまりに危険な精霊だが、二人は比較的安定してその身に精霊を宿していた。

 今日まで地道にやってきた、ひなた先生による精霊イメージを深める勉強の成果である。

 より深く精霊を理解したことで、精霊から安定して大きな力を引き出せるようになり、戦闘力の向上のみならず勇者にかかる負荷も軽減することができていた。

 

「竜胆!」

 

『応!』

 

 若葉が剣を振り、竜胆が旋刃盤を掲げた。

 剣と盾に炎が宿る。

 大天狗は、天上世界を焼き尽くしたとされる大天魔だ。

 必然、その能力は天を討つ神殺しの炎である。

 

 振り下ろされた剣から、炎の斬撃が飛ぶ。

 投げつけられた旋刃盤が、炎の竜巻(トルネード)を纏い飛ぶ。

 息を合わせた、二人の炎の連携だった。

 

「ぬるい炎だ」

 

 並みの怪獣なら必殺であるそれを、ゼットは左手を振ってかき消した。

 軽く火傷した様子すらない。

 されどこの炎は連携の起点。ゼットの視界を炎で塞ぎ、次に繋げる一手だった。

 

「『 うおおおおっ!! 』」

 

 巨大化した友奈の腕甲と、ティガトルネードの拳がゼットに向けて振るわれる。

 山をも砕く二人の拳の一点突破。

 ゼットは二人の拳を、右手に握った槍で受け止めた。

 拳が着弾しただけなのに、ダイナマイトが爆発したような音が響き渡る。

 これも容易く防がれたが、そんなゼットの視界がまた塞がれた。

 

「これは」

 

 若葉の背中に生えた黒翼が拡大化し、ゼットの視界を一瞬塞いだのだ。

 そして、その一瞬に、三人が仕掛ける。

 竜胆・若葉・友奈は、一つの心で三つの体を動かしていると思えるほどの完璧な連携にて、三方向からゼットに攻撃を仕掛けた。

 

「悪くはない、が」

 

 だがゼットは、槍をその場で回すように投げ若葉に当て、槍投げに動かした右腕をそのまま友奈に叩きつけ、ティガに左拳でカウンターを見舞う。

 何気ない反撃に見えるが、"視界を塞いでからの三方向同時攻撃"に対し的確にこれができるという時点で、異常過ぎる反撃であった。

 

「きゃっ!?」

「ぐっ」

『ぎっ……!』

 

「力が足らんな」

 

 若葉と友奈は己の武器で受け止めたものの、やはりゼットの一撃は重い。

 友奈の腕甲にヒビが入り、若葉の肋骨にヒビが入った。

 腹に直撃を貰ったティガトルネードの内臓もグチャグチャに潰れていたが、こちらはほどなくして治った。

 

 その時、竜胆はゼットの細かな挙動を見抜く。

 それはゼットが前の戦いの時、瞬間移動の前に見せた小さな挙動であった。

 

『! させるかッ!』

 

 即座に放たれる、ティガ・ホールド光波。

 それがゼットの瞬間移動のエネルギーを奪い、ゼットの瞬間移動能力を封印した。

 

「……!?」

 

 瞬間移動をしようとしたが、できなかった、という一瞬の戸惑いと隙。

 ゼットにしては珍しく、竜胆達にとっては千載一遇のチャンスであった。

 ホールド光波の発射と同時に飛び出していた千景がゼットの顔面に斬りかかる。

 ダメージは0。だが、ゼットの視界は千景の体と攻撃で僅かに塞がれる。

 そうして友奈の拳、若葉の斬撃、竜胆が投げ込んだ旋刃盤が、ゼットの体に命中した。

 

「楽しませてくれる」

 

 ……命中した、ように見えた。

 だが、ちゃんと命中してはいなかった。

 友奈の拳は丁寧に流され、若葉の燃える斬撃も紙一重で届かず、旋刃盤はゼットのこめかみあたりをかするだけに終わる。

 

 ゼットは攻撃を極限まで引きつけ、"命中した"と錯覚するほどに紙一重でかわしながら、"命中した"ものも綺麗に体で受け流していたのである。

 後退した千景、若葉、友奈をティガが庇うように立つ。

 

「瞬間移動封じ……どうやら十分に準備をしてきたようだな。面白い」

 

『ゼット……!』

 

「来るがいい、闇の巨人。闇の巨人らしくないその強さを見せてみろ」

 

 ゼットが槍を嵐のように繰り出して、ティガは旋刃盤で必死に受けた。

 

 一兆度、瞬間移動と、ゼットには数々の恐るべき能力がある。

 それを越えても、封じても、ゼットには単純に高すぎる技量がある。槍の防御を抜けない。

 一撃当てるだけでも一苦労なのに、一撃当てられたとしても、ゼット自身の強固な皮膚と身のこなしによってダメージが通らない。

 ティガ、酒呑童子、大天狗を持ってしても、攻めきれないほどだった。

 

 それでも、人とウルトラマンは力を合わせてゼットンの猛威にぶつかっていく。

 友奈は立ち回りを考えつつ、ゼットとティガの攻防を見て歯噛みした。

 

(迂闊に踏み込めない……!)

 

 パワーに特化したティガと、それを容易に凌駕するパワーのゼットの戦いに変に巻き込まれ、防御すらできなかったなら、勇者は確実にミンチになる。

 それは酒呑童子を宿した友奈も例外ではない。

 ティガですら防御を間違えれば一撃で即死するゼットの一撃に、勇者が耐えられるわけがない。

 

(考えろ、考えろ、リュウくんを守るには、どう立ち回れば良いのか……)

 

 迂闊に踏み込めば、最悪軽くぷちっと踏み潰され、それで終わりだ。

 そして仲間の死はティガを動揺させ、ゼットによるティガの殺害という最悪の結果を招く。

 迂闊な行動を選べば、その時点で連携が瓦解するだろう。

 だが。

 

「くくっ……追い込んでからが強いところまで、グレートの面影が見えるぞ」

 

『ぐっ、くそっ、余裕ぶりやがって……! ボブの技がそんなに面白いかよ!』

 

 迂闊な行動を恐れて援護をやめれば、すぐにティガが潰される。

 今ティガとゼットが攻防が戦いになっているのは、仲間の援護あってこそなのだ。

 そして友奈視点、ゼットは本気の本気を出しているように見えなかった。

 ティガは目の前に迫る死を感じ、限界を超えるような攻防を必死に繰り返しているが、ゼットは"それなり"に本気を出している程度にしか見えない。

 

(あの時も恐ろしいと感じたけど、今はもっと恐ろしく見える。

 私も、若葉ちゃんも、リュウくんも、あの時とは比べ物にならないくらい強いはずなのに!)

 

 迂闊に突っ込んで行けるのは千景だけだ。

 不死を保証された千景でなければ、ゼットの足元をうろちょろして、効果の薄い足止め攻撃を繰り返すなんてことはできない。

 

 酒呑童子のパワー、大天狗のスピードがあっても、千景ほど積極的に前に出たら確実に死んでしまう、嵐のような巨人達の攻防。

 そこに友奈と若葉が踏み込めるのに、『勇気』以外の理由はない。

 勇気ある踏み込み、勇気ある援護。

 嵐の合間を抜け、酒呑童子と大天狗の力を叩き込む。

 それがゼットの攻撃の圧力を僅かに弱め、ティガの死を回避させてくれる。

 

 一方その頃。

 竜胆は、真正面からティガと相対する者として、ゼットの危険性を再確認していた。

 

(ゼット……なんでだ……なんで、『前に戦った時より強い』……!?)

 

 槍が、ティガの腹を抉る。

 ティガの旋刃盤は、ゼットの体にかすりもしない。

 ゼットにまともなダメージも与えられないほどの力の差を感じながら、竜胆は戦慄する。

 

(―――こいつ。これで、まだ、発展途上だ。俺達と同じ……成長する余地がある……!)

 

 ウルトラマンとの戦いが、ゼットを強くする。

 ウルトラマンとの戦いが、ゼットの心を成長させる。

 竜胆との戦いですら、ゼットを強くさせてしまう。

 心があるということは、生涯を通し、成長できるということだ。

 心あるゼットンは、人間やウルトラマンのような成長もしてしまう。

 

 最悪に危険だ。

 ここで倒せなければ、次はもう太刀打ちすらできないかもしれない。

 

「ティガ。力こそ全てだ。

 力こそが何よりも価値あるもの。

 もっとお前の力を見せ、そして、潰えるがいい」

 

『違う!』

 

 友奈を狙ったゼットの槍を、ティガが旋刃盤で防いで守り、叫ぶ。

 

「何が違うというのだ? 私達の世界では、力こそが全てのはずだ」

 

『違う!』

 

「違わない。

 何よりも力が大切だろう。

 力があれば、お前も仲間を守りきれたはずだ」

 

『―――』

 

「力があれば守れた。

 力がないから守れなかった。

 お前の後悔は、自分に力が無かったから生まれたものだろう。違うか?」

 

『……それでも、力が何よりも価値があるだなんて、力が何よりも大切だなんてのは、違う!』

 

 ゼットの力を込めた一撃を、旋刃盤が真正面から受け止めて、拮抗する。

 ティガ一人の力では拮抗できるはずがないのに。

 想い一つで奇跡のように拮抗し、けれど押し返すことはできないままで。

 

『何よりも大切なのは、力じゃない!』

 

 ティガ一人の腕力では押し返せないはずのそれを……勇者三人が、旋刃盤の裏を体当たり気味に押し、三人分の力が加わって、押し返した。

 予想外に槍を押し返されたゼットが、たたらを踏む。

 

 

 

『力は―――力よりも大切な物を守るためにあるんだッ!』

 

 

 

 そして旋刃盤の刃を叩きつける強烈な一撃が、ゼットの胸を横一直線に切り裂いた。

 初めてゼットに刻み込んだ、明確で大きな傷。

 光を束ねた、光の一撃。

 

『力よりも大切なものが、いっぱいあるから!

 それを守るために必要な力を! 俺は求めた!

 ……力よりも大切なものがあると知らない、お前なんかに! 俺達は、負けない!』

 

 更に距離を詰め、追撃に走る竜胆。

 踏ん張り、ほくそ笑み、槍を更に強く握るゼット。

 

()()()()()()()()()ことを言うな、ティガよ。

 ならばその叫びの正当性、ここに力で示してみるがいいっ!」

 

 ティガと呼吸を合わせた若葉が飛び込む。

 大天狗の火炎がゼットの顔に絶え間なく放射され、その視界を塞いだ。

 視界を塞ぐだけでダメージにはならないが、その一瞬に、ティガがゼットに抱きつく。

 

(ウルトラヒートハッグか)

 

 感触だけで敵の次の一手を見抜くゼット。

 ゼット相手なら、ウルトラヒートハッグは有効かもしれない……そう話したのは、竜胆と球子と杏の三人で話した時だった。

 もう戻らない時を想い、ティガの腕にも力が入る。

 されど目が見えなくともゼットは、『抱きつく』『爆発する』の間にある一瞬の時間で、ティガを突き殺すことなど造作もないという男だった。

 

「高嶋さん!」

 

「ぐんちゃん、お願い!」

 

 ティガに向けられる槍先。

 千景が全力で振るう大鎌。

 そして、鎌を踏み、千景の力を上乗せして跳躍して、拳を突き出す友奈。

 

 千景に打ち上げられた友奈が狙うは槍先ではなくその反対、石突。そこを思いっきり殴る。

 テコの原理の作用が働き、ティガに突き出された槍の軌道が大きく外れる。

 一瞬の間に、複数の人間が一つの意志で動いているかのように連携するその動きが、ほんの一瞬のみゼットを凌駕する。

 そしてゼットは、遠くで高まる光の力の気配を感じ取った。

 

(そうか、ウルトラマンネクサス。弱りながらもここでは一手を叩き込んで来るか)

 

 ゼットは、この連携の肝を理解した。

 

 勇者達がティガを援護する。

 援護されたティガが、ウルトラヒートハッグを叩き込む。

 ウルトラヒートハッグ直撃直後のゼットに、ネクサスが必殺の分解光線を叩き込む。

 本来ならティガへの光線誤射、光線巻き込みを考える必要がある連携だ。

 だが、この場合はその心配もない。

 ネクサスの光線が命中する直前に、ティガは自爆でバラバラになっているからだ。

 

 自分の体をバラバラにすることで、仲間の光線に当たることを回避する連携ギミック。

 

『ストライクレイ・シュトローム!』

 

『ウルトラ―――ヒートハッグッ!!』

 

 ゼットとティガを大爆発が飲み込んで、そこにネクサスの必殺光線が直撃した。

 

 

 

 

 

 友奈が息を切らして、膝をつく。

 若葉が剣を突き立て、それを杖のようにして立つ。

 

「乃木さん、高嶋さん、大丈夫?」

 

「……まだ、やれる」

「頑張れば、まだなんとか……」

 

 酒呑童子の拳を振るえば、あまりの威力にそれだけで腕の肉が千切れていく。

 大天狗の翼で空を飛べば、あまりの速度にそれだけで内臓が傷んでいく。

 このレベルの精霊は、そういうものなのだ。

 精神面への影響も大きい。短時間であっという間に精神状態が悪化していく。

 

 イフというバーテックスは未だ動いていない。

 ここで戦いが終わってくれれば、と思い、祈るように千景はゼットの方を見て。

 爆焔と爆焔が晴れた先に―――()()()()()()を見て、思考が停止した。

 

「嘘……」

 

 バラバラになったティガが再生を始める。

 無理をして光線を撃ったネクサスが、息も絶え絶えに、体を地面に横たえる。

 ネクサスの消耗がそのまま顕れたかのように、メタフィールドの構成も揺らぐ。

 

 そんな中、ゼットは"ゼットン特有のバリアー"を解除し、余裕綽々に首を鳴らしていた。

 

「あまり使う気はなかったが、シャッターまで使わされることになるとはな」

 

 『ゼットンシャッター』。

 ゼットが持ち、他のゼットンも持つ、強力なバリアー能力。

 物理攻撃も光線攻撃も一緒くたにして遮断し、無敵とも言える防御力を誇る光の壁である。

 

 シャッターはウルトラヒートハッグのエネルギーを完璧に反射し、ティガの体の内側に熱爆発のエネルギーを注ぎ、逆にティガを爆発させてしまった。

 更にネクサスの分解光線まで弾き切り、ゼットに傷一つ付けることも許さない。

 最大のチャンスに、最高の連携を叩き込んだ人間勢に対し、ゼットは"最強の自分"だけでそれを悠々と乗り切ったのだ。

 

 見方を変えれば、ここまでゼットは、シャッターを使うほど『全身全霊』で戦ったことが一度も無かった、ということでもあった。

 

『く、そっ!』

 

 とにかく突破口を探して、ティガトルネードが手裏剣のような光弾・ハンドスラッシュを撃つ。

 だがその光線も、ゼットの指先に吸い込まれ、消滅してしまった。

 

『うっ……!』

 

「私にそんなものが効くとでも思ったのか?」

 

 単純に高すぎるスペック。

 竜胆以外対抗できない、桁外れに高い技量。

 一兆度。

 瞬間移動。

 ゼットンシャッター。

 そして今見せた、光線吸収能力。

 

 "どんな敵にも勝てる自分になれる"のが『イフ』なら、"どんな敵にもそのままの自分で勝てる"のが『ゼット』であると、言えるのかもしれない。

 

『諦めるな!』

 

 竜胆/ティガが叫ぶ。

 

『勝つんだ! 守るんだ!

 ここで終わらせていい安い命の人間なんて、俺の仲間には一人もいない!』

 

 その声が、言葉の力が、仲間達の心を折らせない。

 

 だが、その時、不意にゼットが横を向いて。

 

「始まったか、イフ」

 

 ブラックホールの流れ弾が、ティガの下半身を消し去った。

 

 

 

 

 

 ブラックホールはありえない速度で生成され、射出され、一瞬で消える。

 だがその一瞬で、ティガの下半身はブラックホールに潰された。

 再生はするものの、意識外からのブラックホール攻撃のダメージは残る。

 

『ぐ……あっ……!』

 

「外部からの刺激に対応する最強の一角。

 敵の全てを模倣し、容赦なき模倣でオリジナルを超える者。

 まともにやれば私でも勝てるかどうか……いや、まともにやれば勝てんだろうな」

 

 飛んで来たブラックホールの流れ弾を、展開したままのゼットンシャッターが弾く。

 シャッターを解除し、流れ弾の一兆度を何気なく槍で粉砕し、悠々自適にゼットはそこに立っている。ゼットは様子見に入ったようだ。

 

「!? な、なによあれ!」

 

 勇者達に、地球に氷河期をもたらしそうな速度の流星と彗星の落下が迫る。

 ネクサスに、小さな太陽が射出される。

 若葉が友奈を抱え飛び、ティガダークが千景とネクサスを抱え飛び、それで回避が間に合ったのは、本当に奇跡だった。

 

「あ、ありがとう若葉ちゃん!」

 

「礼には及ばない。だが、あれは……」

 

「ありがとう……竜胆君」

 

『完全生命体、イフ……あたしが見た、事前の対策なんて何の意味もない最悪の敵……』

 

『あれがイフ……マジか。

 クソ、危険過ぎるが、ゼットは一旦置いておくしかない!

 このままじゃメタフィールドの中に何も残らないぞ!

 パワードも……駄目か、あの様子じゃ、起き上がるのも厳しい……!』

 

 流星、彗星、太陽、一兆度、ブラックホール、メガ・スペシウム光線を絶え間なく周囲に発射している完全生命体・イフ。

 その圧倒的火力は、明らかに人間に向けられている。

 ゼットも巻き込んでいるあたり、攻撃範囲が広すぎてフレンドリーファイアもしてしまっているようだが、それでも明確に照準は人間達の方を向いている。

 

『少しでも、動きを、止めれば……』

 

 地に降りるティガ達。

 ナターシャ/ネクサスが、手元から光の帯を生成し、鞭のようにイフへと絡ませる。

 ネクサスの捕縛光帯・セービングビュートだ。

 光の帯はイフの全身を絡め取り、動きを止め―――られず、イフは一瞬で次の進化形態へと移行し、"拘束技が効かないイフ"になり、ネクサス達にそのままセービングビュートを返した。

 

 ティガが旋刃盤で受けて弾くが、返されたセービングビュートの性能は、そのままだった。

 

「な……何これ!? どうなってるの!?」

 

『攻撃したらそのまま返される……攻撃だけじゃなくあたしの拘束技もコピー対象……!?』

 

 攻撃技だけでなく拘束技まで連射するようになったイフ。

 もはや接近すら不可能だ。

 距離を詰めれば拘束技に捕まって、そのままブラックホールや一兆度の連発を受け、回避も防御もできずに消滅させられてしまう。

 

『ナターシャ、大技もう一発撃てるか?』

 

『……やってみる』

 

『若ちゃん、合わせてくれ。今飛び道具がある勇者は君だけだ』

 

「同時攻撃だな。今出せる最大火力を叩き込み、コピーして返される前に、終わらせる」

 

『そうだ。……というか、それしかないだろ? これで決められなきゃ、本当に打つ手無しだ』

 

 刀を腰だめに構える若葉。

 腹から血のような光を漏らしながら、両腕に稲妻のような光を集めるネクサス。

 炎にして光である粒子を拡散し、一点に集めて凝縮、炎球を作るティガ。

 

「『大天狗』!」

 

『ストライクレイ……シュトローム!』

 

『―――デラシウム光流ッ!』

 

 大太刀より放たれるは、天上を焼く業火。

 打ち合わせられた拳から放たれるは、万物を分解する直射光線。

 投げ放たれる、必殺の光流。

 竜胆と若葉の炎が混じり合い、イフの全身を焼き尽くし、そこにネクサスの光線が直撃。

 

 ネクサスの光線が、炎によってバラけたイフの細胞を一つ残らず、分子レベルで分解した。

 

『よしっ……! これで後は、最悪に厄介なゼットだけ――』

 

 ネクサスの光線が、イフの細胞を一つ残らず、分子レベルで分解した。

 

「――え?」

 

 分子レベルで、欠片も残さなかった。

 

『……嘘、だろ?』

 

 細胞は一つも残らなかった。

 分子レベルで分解された。

 ただ、それだけだ。ただそれだけの話でしかなく、イフは死んでなどいない。

 

 あっという間に再生し、更に次の形態へと進化するイフ。

 天狗のような翼を生やし、巨人の光流と天魔の業火を纏い、万物を分解する光線を連射することもできる存在へと変化する。

 

 その瞬間、ティガは仲間を守るべく、仲間を庇うように踏み込んだ。

 飛んで来たのは、一兆度の炎、メガ・スペシウム光線、ストライクレイ・シュトローム、デラシウム光流。全てが一緒くたに飛んで来た。

 防げなければ仲間が死ぬ。

 ティガは渾身の力で巨大な旋刃盤を作り上げ、盾としたが―――まるで薄いガラスのように、いとも容易く割られてしまう。

 

 旋刃盤でいくらか威力は削げたはずなのに、貫通した光線達の直撃を受けてしまったティガの体は見るも無残で、中々再生が始まらないほどのダメージを叩き込まれてしまっていた。

 完全に分解された左半身あたりは、特に痛々しい。

 

『う……ぐ……あ……』

 

「竜胆!」

「リュウくん!」

「竜胆君!」

 

『竜胆おにーちゃ……あ……やっぱり……やっぱり、未来は……』

 

 細胞一つ残さなくても、その体を分子レベルで分解しても殺せない、人の敵。

 

 まさに"神の如き"存在。

 

 今、イフに対し戦士達が抱いている気持ちは、人がバーテックスに抱いた気持ちに近い。

 

 そう、これが。

 

 "人を滅ぼそうとする絶対的な神"を、"無力な人間"が見上げる気持ちである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『ウルトラマンは最強に負けないといけないのか?』

 否、否である。

 最強が相手でも、無敵が相手でも、勝たなければ世界が滅びるのであれば、ウルトラマンはそれに対しても勝たなければならない。

 

 真に無敵、真に最強、などというものは、本質的には存在しない。

 創作の物語でさえ、そうで在ることが許されるのは、意志無き者などの"例外"だけだろう。

 それでさえ、現実的な話をすれば、『意志が有るより無い方が強いだなんておかしいのでは?』という話になっていく。

 「無敵という設定だから無敵」なんていうのは、大体の場合許されないだろう。

 強いから強い、強いから無敵、なのではなく。

 創作者や読者に無敵であることを許され、納得を得られるかどうかが、『無敵の資格』になるという、なんとも奇妙な話になる。

 現実に滅多に存在しない『無敵』が存在できる創作の世界ですら、そうなのだ。

 

 作品Aで『絶対に負けない無敵キャラ』が登場し、それが作品Bに登場させられ、作品Bのキャラ相手に『無敵だから』という設定主張だけで蹂躙をしたらどうなるのだろうか。

 少なくとも、それは物語としては成立しない。

 真に無敵、真に最強、などというものは、本質的には存在しない。

 戦いの場が広がっていけば、どんな無敵も、どんな最強も、そうでなくなることは多い。

 

 しからば、最強とは? 無敵とは? どういうものなのか。

 

 少なくとも、それは能力だけで決まるものではないだろう。

 "こういう能力があるからこいつは無敵で最強"という理屈が、通らなくなる時はある。

 少なくとも、ウルトラマンとは、そういった能力を持つ数々の敵を打ち倒してきたからこそ、『光の戦士』と讃えられ、『ヒーロー』として信じられてきた。

 彼らは人々の平和と世界の命運がかかったその時、最強であり、無敵である。

 

 "あいつは最強だから勝てませんでした"。

 "あいつは無敵だから勝てませんでした"。

 "勝てなかったので守れませんでした"。

 本当は、ウルトラマンに、そんな主張は許されない。

 

 子供達がその背中を信じているなら、なおさらに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ケンは光の中に居た。

 光の庭園。

 花、水、光、綺麗なものが詰まった世界。

 あまりにも綺麗だったせいで、ケンは即座にこれが夢であると思った。

 

 綺麗過ぎる。世界はこんなに綺麗ではない。汚いものも入り混じってこそ、人の世界だ。

 ケンは世界の形を知っている。

 人というものを、人の社会というものをよく知っている。

 ケンは白いテーブルの前で、白い椅子に座っていた。

 

 ケンの対面の席に、二人の女性が座る。

 一人は大人の綺麗な女性で、一人はケンに目元が似た少女。

 その二人を見て、ケンは息を呑んだ。

 

「ローズ……アリッサ……?」

 

 その二人は、死んだケンの妻と子……いや、"殺された"ケンの妻と子だった。

 妻ローズは微笑み、娘アリッサもニコニコしている。

 

「二人なわけがない……二人は、僕の前で死んだんだ……」

 

「あら、このフランス語なまりの英語をもう忘れたの?」

 

「忘れてない……これは、間違いなくローズの喋り方だ……だけど……」

 

「パパー、お久しぶりだね」

 

「アリッサ……」

 

 会えるわけがない。

 会えるわけがないのだ。

 ケンは妻を愛した。

 愛した妻が星屑に噛み潰され、人の口の中のハンバーグのようになっていた姿を、ケンは今でも夢に見る。

 ケンは娘・アリッサを守ると約束した。

 約束したのに守れず、ゼットンに娘を踏み潰された。

 

 二人が生きているわけがない。

 そう思ったところで、ケンは一つの答えに行き着く。

 

「そうか、僕は死んだのか」

 

 ローズは夫の勘違いに微笑み、首を横に振った。

 

「いいえ、あなたはまだ死んでいないわ。まだあなたの戦いは終わっていない」

 

「……そうか。まだ、終わっていないのか」

 

 まだ戦いは終わっていない。

 なればこそ、ケンの胸中に浮かぶのは、"まだ頑張らないと"という奮起と、"まだ戦わないといけないのか"という悲嘆。

 そこで奮起が勝つからこその、ケン・シェパードであった。

 

 ケンは席を立つ。

 殺された妻と娘。

 言いたいことはたくさんあるだろう。

 聞きたいこともたくさんあるだろう。

 ケンと妻子がお互いに、生前の心残りになったことを余すことなく語り合えば、きっと丸一日だって話していられる。

 

(そうだ。

 僕は何度も後悔したじゃないか。

 ローズが最近嫌いな食べ物が増えた理由を知りたかった。

 アリッサが学校で好きになった男の子のことを知りたかった。

 あまり聞けていなかったローズの学生時代の話を、もっと聞きたかった。

 将来の夢について、もっとアリッサと話して、未来を思って語り合いたかった)

 

 ケンの中にある、無数の逡巡。

 

(もっと僕のことを知ってほしかった。

 ローズに、僕が好きな本のことを知ってもらいたかった。

 妻に、僕が昔野菜が嫌いな子供だったことや、色んなことを知ってほしかった。

 アリッサに、世界の広さと、そこを家族と旅する楽しさを知ってほしかった。

 僕が学生時代、スポーツでどれだけ凄かったかを知ってほしかった。

 たくさん知りたくて、たくさん知ってほしくて……

 ……二人が死んだ後にそう思っても……それは後悔にしかならなくて……)

 

 もっと話したい。

 もっと触れたい。

 二人と、ずっと一緒にいたい。

 それは、一人の夫として、一人の父親として、当然の気持ち。

 

 だが、ケンがその椅子に再び座ることはなかった。

 ローズが微笑み、アリッサが寂しそうにする。

 

「私達、死んでから、あなたと話したいことが沢山あったの」

 

「アリッサもー!」

 

「うん。僕もそうだ。

 君達を、世界の何よりも愛してる。今でもそうだ。

 できれば、ずっと君達とずっと一緒にいたい。

 この奇跡の時間を、ずっとずっと感じていたい。この夢に溺れたい」

 

 ケンは、自分らしく在り。

 自分らしく在る彼を、妻と娘は愛した。

 

 

 

「だけど、僕は『ウルトラマン』だから」

 

 

 

 その言葉には、"僕は大人だから子供を守る"といった言葉と同じ響きがあった。

 "僕は警察官だから皆を守る"といった言葉と同じ響きがあった。

 これは、ケンの信念である。

 

 勇者達の、竜胆の、父親のように振る舞ってきた。

 人々の前で、人々の希望として振る舞ってきた。

 彼は最後まで、そう在り続ける。

 

「そうね、私の夫は、ウルトラマンだもの」

 

「……パパは、正義の味方だもんね」

 

 妻と娘は、最初からケンの選択を分かっていたようだった。

 

「僕は僕のためだけに生きてるんじゃない。

 今を生きている人々の幸せのために、生きている。

 ここを去ることが、残念じゃないと言えば嘘になる。

 本当に……本当にたくさん、二人に言いたいことがあった。

 伝えたい愛があった。伝えきれてない愛があった。

 もっとたくさん、手渡したい想いがあった。

 でもきっと、それを全部話していたら、"三分"なんてあっという間に過ぎてしまう」

 

 竜胆を、若葉を、友奈を、千景を、アナスタシアを。

 

 放っておいてここで楽しく話すことなど、ケンにはできない。

 

「僕に許された"三分"は、死した愛する家族ではなく、今を生きる子供達のために使いたい」

 

 彼は奇跡の如く与えられた夢のような一時を、この幸せな救いを、捨てようとしている。

 

 今を生きる子供達を、救うためだけに。

 

「行くのね、ケン」

 

「ああ」

 

「私は笑って送り出すわ。だって、ウルトラマンの妻だもの」

 

「……行ってほしくない……行ってほしくないけど……私も、ウルトラマンの子供だもん……」

 

「いい子だ、アリッサ。ありがとう、ローズ」

 

「行ってらっしゃい、あなた。

 私達はいつでもあなたの味方よ。

 たとえ世界の全てが、神様が、あなたを否定しても。

 私達だけは、あなたの選択が正しいと、あなたの傍で言い続ける」

 

「パパ! 頑張って! いつも近くにいるから!」

 

 綺麗な世界が終わる。夢が終わる。

 

 

 

「「 ―――私達の、誇りのお父さん 」」

 

 

 

 それは幻覚か、臨死体験か。

 何にせよ、一時の夢であることに変わりない。

 もう見ることはないかもしれない、そんな夢。

 

「……ありがとう」

 

 ケンが、勇者達を娘と重ねて見ていなかったと言えば、嘘になる。

 勇者に選ばれる資質があったというだけで、戦場に放り込まれた勇者達。

 理不尽な運命の中でも、勇者達は頑張っていた。

 努めて笑顔を浮かべる女の子もいた。

 そんな彼女らを、ケンが娘と重ねて見ていなかったと言えば、嘘になる。

 

 そうだ。

 ケンは、生きてほしかったのだ。

 ケンは、幸せになってほしかったのだ。

 ケンの娘は、生きることも大人になることもできなかったから。

 

 ケンは、勇者達が大人になっていく未来に胸踊らせた。

 勇者達に竜胆が絡むようになると、それを幸せそうに見るようになった。

 大人になっていく勇者達の姿を見るだけで、そこに生を実感するようになった。

 

 彼はかつて娘に対し思った気持ちを、勇者の少女達に対し、ずっと抱いていたのだ。

 

 勇者を娘の代わりにしたことなど無い。

 ケンの娘は一人が殺され、六人増えた。

 皆等しく、自分の本当の娘のように、愛していた。

 

 球子が死んだ時、愛娘が二度も死んでしまったような、痛みと苦しみがあった。

 もう誰も死なせない。強く、強く、ケンはそう思う。

 球子の死が、ケンの内に密かに、自分の命を投げ出してでも娘の未来を守ろうという想いを、宿らせていたのだ。

 

「僕で最後にはならないのかもしれない。……リンドウ、ごめん。君を信じて、未来を任せる」

 

 ボブの子供を守るという信念が好ましかった。

 若葉の誠実な真面目さが好ましかった。

 友奈の努めて明るくあろうとする姿が好ましかった。

 球子の人の盾になろうとする心が好ましかった。

 杏の女の子らしい気遣いが好ましかった。

 千景の幸せになろうとする姿勢が好ましかった。

 ひなたの友達想いなところが好ましかった。

 アナスタシアを、救ってやりたかった。

 竜胆という少年が自分を好きになれることを、幸せになれることを、願っていた。

 

 だから、この先に果てたとしても、後悔は無い。

 

「すまない、パワード」

 

 光の国から来た光と、心の中で対話をする。

 

―――謝る必要など何もない。謝る理由も一つもない。

―――君の人生は、胸を張っていいものだった。

―――謝るべきは、私の方だ。

―――君の願いを叶えられるだけの力を持たなかった私を、許してくれ。

 

「あなたこそ、謝る必要はない。

 何年も、付き合ってくれてありがとう。

 あなたのおかげで救えた命は、本当に多かった」

 

―――私が守ったのではない。私と君で守った命だ。

―――それは、最終的に見れば、多くはないのかもしれない。

―――だが、確かに君が守った命だ。

 

「僕と出会ってくれたウルトラマンが、あなたで良かった」

 

―――ケン

 

「拳で敵を傷付けることを好まず。

 それでも、殺さなければ守れない時は、その選択を迷わない。

 甘くはなくとも優しいウルトラマンであった貴方と出会えたことが……僕の幸運だった」

 

―――私も、そう思う。

―――拳で敵を傷付けるより、開いた手の平で敵を抑え、傷付けず無力化する警察の男。

―――優しい個人であり、法の守護者でもあった者よ。

―――人の善と悪をありのままに見ていた君と出会えたことが、私の幸運だった。

 

「これで、最後かな」

 

―――私達はこれで最後だろう。

―――だが、君が愛した血の繋がらない息子や娘達は、これで最後にはならない。

―――まだ先に、続いていける。

 

「そうだね。それじゃあ、最後に……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう会えない悲しみより。

 

 出会えたことの嬉しさを語ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 立ち上がったパワードが、子供達を守った。

 竜胆を、若葉を、友奈を、千景を、アナスタシアを守った。

 子供達を守りながら、必死に腕を十字に組むパワード。

 そして、過剰な威力を込められた光線とブラックホールの融合砲撃が放たれる。

 

 その一撃が、"パワードの首"を、欠片も残さず吹き飛ばした。

 

『―――え―――あっ―――』

 

 呆然とする竜胆。

 ケンの笑顔を。

 頭を撫でてくれた手の感触を。

 肩車してくれた時に感じたケンの暖かさを。

 竜胆はまだ、覚えている。

 

 それは今、永遠に失われた。

 

『ああああああああああッ!!』

 

 絶叫するティガ。

 だが、体を動かす力が残っていない。ダメージが体に残りすぎている。

 勇者が、アナスタシアが、声も上げられないまま絶句し、目の前の現実を拒絶する。

 そしてパワードは、首を吹っ飛ばされてもなお、動いていた。

 

『……え?』

 

 放たれるメガ・スペシウム光線。

 首がなくなったはずのパワードが、光線を発射する。

 それがイフに直撃し、メガ・スペシウム光線に対応した体になったイフには効かず、イフがメガ・スペシウム光線をカウンターでパワードに放った。

 パワードの体が、メガ・スペシウム光線で、徐々に溶けていく。

 

『ケン……? 生きて……いや、死んでいるはずなのに……ケン……?』

 

 頭が消えても、パワードは光線を打ち続ける。

 イフが放つ幾多の流星、彗星、光線をその体で受け止め、後ろに一つも通さない。

 イフに攻撃されようと、その体が死体に成り果てようと、撃ち続ける。

 

 その姿はまるで、"死んでも子供達を守る"という意志を体現しているかのようだった。

 

 撃つ。

 撃つ。

 ただひたすらに撃つ。

 イフには効かなくとも、メガ・スペシウム光線を撃ち続ける。

 ケン・シェパードとウルトラマンパワードという二人は、死すらも休む理由にはせず、休まず子供達を守ろうとし続けた。

 

『ケン! パワード! もういい……もういいから!』

 

 撃ち続ける。

 効かなくとも、撃ち続ける。

 その時、奇跡が起きた。

 光線の熱量が上がっていく。

 パワードの方の光線の熱量が、一億度、二億度、三億度、とドンドン上がっていく。

 イフもそれに合わせて、光線の熱量を引き上げていく。

 

 イフの体表から放たれるブラックホールや一兆度などが、パワードのメガ・スペシウム光線に押し込まれ、イフの体表で何やら変な反応を起こし始める。

 だが、それだけだ。

 

 パワードは死んでいる。

 イフにメガ・スペシウム光線は効かない。

 死者が生者を守る奇跡が続いても、イフを倒せるなんていう奇跡は起こらない。

 第三番惑星地球に、最後の奇跡は起きない。

 パワードのそれは大海を殴るに等しい、無駄な積み重ねにしか見えなかった。

 

 だが死してなお子供達を守るパワードの姿は、ゼットの心を揺り動かしたらしい。

 

「なんだこれは……理解できん」

 

 ゼットにはこれが分からない。

 何故こうなっているのか分からない。

 それは、彼が人間でもなく、人間を理解できるウルトラマンでもないから。

 

『分からないだろうな、ゼット。

 分からないだろうな、バーテックス!

 お前らには分からない! 俺達には分かる! これが……お前達に無いものだ!』

 

「そうよ……私みたいな……私みたいなやつにだって……分かる!」

 

 ティガトルネードと、郡千景。

 『情熱の赤』を身に纏う二人が、戸惑うゼットへ向かって声を上げる。

 

「これこそが、人間の」

 

『愛と!』

 

「勇気と!」

 

『―――(たましい)ってやつだあああああああッ!!!』

 

 涙をこらえるような、叫びだった。

 叫び立ち上がるティガトルネードが、旋刃盤でパワードの死体を必死に守る。

 パワードは光線を撃ち続ける。

 ティガ達を守るために、そこに立ち続ける。

 

 涙が出そうで、でもこらえて、竜胆は必死にケンとパワードの死体を守る。

 ケンはいつも笑顔だった。

 いつも竜胆達を見て、微笑んでいた。

 その微笑みに、どれだけの愛が込められていたのだろう。

 

 もう、それはない。もうこの世のどこにも、それはないのだ。

 

『ケン……ケンっ―――!!』

 

 子供達の涙、悲しみ、叫び、感謝。

 思い思いに叫びを上げる子供達の声に、それらが混じる。

 

 そして、子供達に見上げられたパワードの背中が、奇跡を呼ぶ。

 ただ、子供達のためだけに……ケンとパワードは奇跡を起こした。

 死してなお、子供達を救う奇跡を起こした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空間に穴が空き、イフがそこに吸い込まれ、消えていく。

 竜胆達も、ゼットも、そしておそらくは天の神も、揃って驚愕した。

 こんな奇跡が起こるだなどと、誰が予想できただろうか。

 

『な、なんだ……? 何が起こったんだ……』

 

「……今のは、まさか」

 

 ウルトラマンを倒すため、様々な知識を得たゼットだからこそ、知識と洞察力とセンスを併せ持つゼットだからこそ、今の奇跡を理解することができた。

 

「時空エネルギー……そうか、メタフィールドに、ブラックホールか」

 

 ブラックホールは別の宇宙に繋がっている、というのは、西暦の時代の地球の科学レベルでもよく語られることである。

 イフが出していたブラックホールは、別宇宙に繋がるものにも成り得た。

 可能性レベルでは、あったのだ。

 

 ゼットが倒す想定をしていたウルトラマンの中には、『レボリウムウェーブ』という、ブラックホールで敵をこの宇宙にない次元の狭間に送り込み、そこで押し潰すという技を使うウルトラマンも居た。

 また、シャドー星人が作り上げた怪獣兵器『時空破壊神・ゼガン』は、時空エネルギーと光線エネルギーの作用で、別宇宙の異次元に繋がる穴を空ける可能性を指摘されている。

 

 そう、肝心なのは、『時空に空いた穴』と、『膨大なエネルギー』なのだ。

 ブラックホールと膨大なエネルギーを組み合わせるというものは、別宇宙への移動・ワームホール・タイムマシンの実現に至るものとして、理論物理などの世界でしっかりと研究されている。

 これこそが、"別宇宙へ繋がる穴"を完成させる。

 

 イフは、この穴に放り込まれたのだ。

 

 ここは不連続時空間・メタフィールド。

 この宇宙であってこの宇宙でない、時空のエネルギーに満ちた異空間。

 しからば、通常宇宙よりも遥かに、隣の宇宙へと繋がりやすい空間であるとも言える。

 パワードの光線は信じられないパワーで一兆度やブラックホールを押し込み、絶え間なく膨大なエネルギーを注ぎ込み続け、イフの周囲に時空の穴を作った。

 

 宇宙に穴を空ける行為は、イフに対しては行われていない。

 イフはただ光線を受けていただけで、イフの周囲に勝手に穴が空いただけだ。

 そして"イフに刺激が与えられないまま"、転がり落ちるようにして、時空の穴にイフは転がり落ちていった。

 人間なんて一人も居ない、天の神も勿論知らない、どこかの並行宇宙へと。

 

 あのイフが人を殺すことは、もう無いのだ。

 

「クォーク・グルーオン・プラズマ状態を作り圧縮するほどの光線……なんと凄まじい」

 

 人への敵意、悪意を植え付けられたものの、あのイフに高度な知性はない。

 その本質は、刺激を受ければ外部に返すだけの存在でしかない。

 宇宙の壁を越えられるだけの能力を獲得していない以上、あのイフがもうこの宇宙に戻って来ることは不可能だ。

 無数に広がる多元宇宙、無限数存在する別宇宙の中から、この宇宙をピンポイントで探し出すことなど、あのイフの知性でできるはずもない。

 

「信じられん。

 私より確実に強いイフを……

 あの最強の生命体を相手にして……

 勝利したというのか―――ウルトラマンパワード」

 

 ゼットの驚愕の声には、どこか称賛の色が混じっていた。

 勝者はパワード、敗者がイフ。

 他の誰でもなく、ゼットというバーテックスがそれを認める。

 

 ケンとパワードは勝ったのだ。

 絶対に勝てない無敵の存在に勝ち、世界の未来と、子供達の命を守りきったのだ。

 これを奇跡と言わず何と言う?

 

 彼らはどこまでも、ウルトラマンだった。

 ありえない奇跡を起こし、世界を守る。

 子供達を守り、子供達の期待に応える。

 ウルトラマンを信じる人々の気持ちを力に変え、どんな強大な悪にも立ち向かい、奇跡を掴み―――その果てに、"みんなのため"に死んだ。

 彼らは、自分以外の全てを守りきったのだ。

 

 思わず、ゼットは笑みを漏らす。

 その姿に、ティガトルネードは激怒した。

 

『笑ってんじゃねえ……人が死んで、笑ってんじゃねえッ!』

 

 殴りかかる、赤黒の巨人。

 怒りによってもはやほぼ暴走状態にありながらも、その心を赤き光が制御する。

 暴走状態に近い力を、ティガトルネードは拳に込めて叩きつけた。

 

 ゼットは槍すら使わず、片手で軽くその拳を受け止める。

 

「強い。間違いなく強い。

 先程より間違いなく強いが……ウルトラマンらしくはない強さだ」

 

 ケンの死が、また竜胆を強くした。

 心の闇が一気に膨らむ。

 ティガトルネードの黒い部分が活性化し、赤い部分が光を放ってそれを無理矢理に抑え込む。

 だが、もう無理だ。

 赤色だけで、黒色を抑えることが出来ていない。

 球子のおかげで得た光だけでは、もはや竜胆の闇を抑え込み、制御することができない。

 赤い光の制御を抜けて、完全暴走するのも時間の問題だろう。

 

 ティガトルネードの怒りと憎悪の連続正拳を片腕で捌きながら、ゼットは冷めた目で竜胆を見つめる。

 ゼットの目は、目の前の竜胆だけでなく、時折パワードの死体の方を向いていた。

 はぁ、とゼットは溜め息一つ。

 

「萎えるな」

 

 そして、ティガの腹を蹴り、蹴り一発で悶絶させた。

 

『かっ……はっ……』

 

「やはり貴様はまだ、『ウルトラマン』ではない。

 あれが……あれが、本物だ。

 ウルトラマンを超えるべく在るゼットンを、奇跡の果てに超える者……」

 

『なに、言って……』

 

「叶うなら、私が殺したかった。

 ウルトラマンパワード……

 ウルトラマングレートと同等に、私の心を震わせた、一流のウルトラマンだ」

 

『……!』

 

「イフは無敵だ。

 絶対に勝てない存在だった。

 それは運命だったのだ。

 ウルトラマンパワードは、絶対の運命を、絶対に覆すウルトラマンだったのだ。

 それは偶然ではなく、未来を変えたのでもない。必然だ。この結末は、必然だったのだ」

 

 パワードは意志で奇跡を起こし、必然の結末へと至らせたのだと、ゼットは尊ぶ。

 "それでこそ私が潰す価値がある"とでも、言わんばかりに。

 

「次に戦う日までに、奴らを見習い少しでもウルトラマンらしくなっておけ。ティガ」

 

『……次?』

 

「貴様らが勝てたなら、生きて帰ることを保証するという約束だ。そこは違えん」

 

『……あ』

 

―――貴様らが勝てば、今回は貴様らも生きて帰れることを保証しよう。

―――このゼットン軍団が手を出すこともありえん。我らに勝てるなら、だがな

 

 パワードがイフに勝った。

 その時点で、ゼットの中では、この約束の履行条件を満たしていたらしい。

 ゼットは最初は、見逃す気などなかった。

 この条件も人間の全滅を半ば確信していたからこそ、設定した条件だったと言える。

 この結末を勝ち取ったのは、ケンとパワードだ。

 

「5月17日、夕刻。その時貴様らと本当の決着をつけよう、ウルトラマン」

 

(決闘の申し込みかよ……しかも、三日後)

 

 ゼットは無数のゼットン軍団をひとまとめに整列させ、ティガとネクサスを見てそう言った。

 人間の方は見もしていない。

 ウルトラマンの起こす奇跡のみを、ゼットは警戒していた。

 

「次は貴様らだ。次に会う時までには、少しはマシなウルトラマンになっておけ」

 

 メタフィールドが解除され、ゼットとゼットン軍団が撤退していく。

 これは天の神のやり口ではない。

 最初から最後まで、"ゼットの流儀"だったということなのだろう。

 そしておそらく、次もゼットの流儀によって戦いが行われることになる。

 

 各々の変身が解け、車椅子の上でぐったりしたアナスタシアが呟く。

 

「竜胆おにーちゃん」

 

「どうした、ナターシャ。今急いで救急車呼んだから……」

 

「ケンと、パワードの死体……私が未来に見た死体そのまんまの、形だったよ」

 

「―――え」

 

「……私一人の有無、っていう大きな要素があったのに。やっぱり未来って、変わらないね……」

 

 運命は、真綿で首を締めるように、子供達を苦しめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘後の精密なメディカルチェックが行われた。

 伊予島杏、戦闘参加不可の状態、回復せず。

 高嶋友奈、乃木若葉、共に消化器系、循環器系、感覚器系、運動器系にかなりのダメージ。変身禁止と戦闘参加禁止が通達。

 アナスタシア・神美は緊急搬送、緊急手術。

 次回戦闘に参加は不可。一ヶ月の休養を待たずに変身すれば、変身完了前に絶命することは確実と見込まれる。

 

 現在戦闘可能人員、御守竜胆、郡千景のみ。

 

 大社は次回戦闘を"捨て"た。

 次回戦闘で死ぬのは、予言通りであれば上里ひなたのみ。

 貴重な最高値の巫女適性持ちではあるが、勇者や巨人と違い、巫女は代わりがいくらでもいる。

 大社としても死なせたくはないが、ひなたを助けるために無理な戦力投入をしても、この状況では貴重な戦力をすり潰し、未来を悪化させるだけにしかならない。

 大社は、次回の戦いで、上里ひなたが死ぬことを受け入れた。

 

 その約二週間後に迫る、千景と杏が死亡する戦闘に焦点を当てている。

 どうせ、ティガと千景だけでは次の戦いでゼットには勝てない。

 気合いの問題ではなく、どう足掻こうが勝てるわけがない。

 ならば約二週間でどれだけ戦力を回復させられるか、次の次の戦いでどう千景と杏を生き残らせるか、そこを考えて布石を打っていった方がいい。

 とても、合理的な判断だった。

 

 各々が、各々の思惑を抱え、各々の事情を抱え、各々の思考を持っている。

 

 ここに一つ、言えることがあるとするならば。

 

 ひなたに生きてほしいと思う者はいても、『()()()()()()()()()()()()()()』者は、もう一人も居ないということだろう。

 

 御守竜胆、ただ一人を除いては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜胆参戦時、丸亀城陣営暫定数。

 ウルトラマン六人、勇者五人、巫女一人。合計十二人。

 

 ケン・シェパード死亡。

 

 ウルトラマン、残り四人。健在一名。

 神樹の勇者達、残り四人。健在一名。

 神樹の巫女、残り一人。

 

 残り、九人。

 

 

 




3/12


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

絆 -ネクサス-

 竜胆は、ケンの部屋に居た。

 街も、丸亀城も、死を悼む悲しみに包まれている。

 ケン・シェパードもまた、皆を大切にし、皆に大切にされる者だった。

 今回のことでまた、"ティガのせいで死んだ"派閥の一般人が増えるかもしれない。

 デモもまた、増えるかもしれない。

 

 状況は悪化する一方だ。

 皆が皆、限界を超えて奇跡を掴み取っているというのに、それでも未来は変わらない。

 この虚無感、この徒労感が、きっとアナスタシアがずっと感じていたものなのだろう。

 何をやっても無駄、という気持ちになっていたアナスタシアの気持ちを、今は皆が大なり小なり感じていた。

 そんな中、竜胆はケンの私物を整理していた。

 

 家族の写真が飾ってあったが、その数は少ない。

 ……それも当然のことだろう。

 ケンの妻子の写真など、家族との想い出のほとんどは、故郷と共に燃やされたに違いない。

 スマホなどからサルベージした写真が、ケンの持っていた写真の全てであるはずだ。

 死んだ家族の写真を撮ることも、できようはずがない。

 

(そういえば……

 タマちゃんが可愛い服を着て来た時、ケンはタマちゃんの写真を撮ってたな)

 

 あれは()()()()()()()()()()()のだと、竜胆は今更に気付いた。

 

 ケンは血が繋がっていなくても、勇者達を本当の娘のように扱ってくれていた。

 竜胆を、息子のように扱ってくれていた。

 竜胆の前でふざけて。

 竜胆を見下ろして笑って。

 竜胆を肩車して、駆け回って。

 時には優しい言葉をかけてくれて……本当に、父親のように、接してくれていた。

 

 両親を既に亡くしている竜胆にとって、これは二度目の親の死に近い。

 竜胆の中にも、ケンを血の繋がっていない親のように思う気持ちはあった。

 実の娘を亡くした後、血の繋がっていない娘を得て、それを失ったケンの気持ちに近いものを、今の竜胆は感じている。

 

「凄い人だったよ……ケン」

 

 パワードは、拳ではなく掌底を選ぶ、独特な戦い方をするウルトラマン。

 殺さない"手の平押し"を主に使いながらも、敵を殺すこともちゃんと選べるウルトラマン。

 そのパワードが選んだのは、警察官のケンだった。

 

 兵士は敵を信じない。敵を殺して、敵の未来を奪うのが仕事だ。

 だが警察官は違う。犯罪者という敵の更生を時に信じ、敵を殺さず捕まえねばならない。

 そして、時には平和と命のために、殺さなければならない。

 パワードがケンを選んだのは、あるいは必然だったのだろうか。

 

 ケンは最後までケンで、パワードは最後までパワードだった。

 優しいけれど、甘くはなく。

 殺すよりも、更生を求める。

 

 ……だからこそ、きっと、"竜胆の過去の罪は償える"と思っていたことだろう。

 ケン・シェパードの在り方を見ていれば分かる。

 彼はずっと、竜胆が過去の罪を償い、竜胆が過去の罪を責められない未来が来ることを、望んでいた。

 

「……え?」

 

 ケンはそういった自分の考えの多くを、手記に残していて。

 

 ケンの手記を見つけた竜胆は、そこからケンの想いをいくつも受け取っていた。

 

 ケンの手記は、やや拙く下手な日本語で書かれていたが、日本人であれば問題なく読めるように書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――からこそ、僕は思う。

 リンドウはきっと、償えると。

 償うということは、罪があるということ。

 彼に罪があるということだ。

 

 だが僕は、彼の過去を聞いても、彼が絶対的に悪かったと一言で断じることができない。

 だからこの場合の「償い」というのは、「彼が自分を許せるか」というところに終始する。

 最大の問題は、これが彼が自分で思い込んでいるだけの罪というものではない、ということ。

 法的には、彼は今でも犯罪者である。

 そこの扱いをどうするのか、が難しい。

 だが、やはり一番の問題は彼の心にある。

 

 許されようとしない人間は許されない。

 救われようとしない人間は救われない。

 やはり、問題は彼の心に根づいている。

 

 明日、僕が死ぬと予言された日が来る。

 

 これを誰かが読んでいるなら、その時もしも僕がもう死んでいるなら、これを御守竜胆に渡してほしい。

 

 リンドウ。

 すまないが、頼んだ。

 僕が死んだ後のことを、君に任せる。

 これ以上君に重荷を背負わせたくなかったが、君を信じる。

 重荷を降ろせるところまで、君が皆を連れて行ってくれると信じる。

 一人の男として、信じる。

 

 僕は君にとても大きなものを任せようとしている。

 世界、それもある。

 勇者、それもある。

 戦い、それもある。

 だがそれ以上に重い物……未来、というものだ。

 

 世界を救った後のことを、君は考えているかな。

 この四国の外に生き残っている人はいない、と現在は見込まれているらしい。

 世界を救った後は復興だ。

 バーテックスに殺された70億人分を再興する日常が始まる。

 本当にすまない。

 僕はそれも、君達に任せようとしている。

 

 大人は結局、子供より先に死ぬものだ。

 だから僕らは、いつかどこかで君達に、世界の復興を託さないといけない。

 その辛さを考えれば、どれだけ残酷なことを言っているのかも分かる。

 それでも僕らは君達に言わないといけないんだ。

 死ぬな。

 生きろ。

 讃えられる英霊なんかになるな。

 崇められる死者になんかなるな。

 生きて、世界を立て直してくれ。

 

 厳しいことばかり残すようですまない。

 君達に重荷を背負わせるようですまない。

 できることなら、こんな言葉を君達に伝えたくはない。

 だが、もし明日の戦いで僕が死に、世界の状況が何も変わっていなかったとしたら、僕はこの言葉を君達に残さないといけない。

 

 未来は、良いものばかりじゃない。

 バーテックス達が消えても、元の世界の厳しさが戻って来るだけだ。

 未来には辛いもの、厳しいもの、醜いものもたくさん待っている。

 

 だからリンドウ、頼んだ。

 僕の代わりに、皆を色んなものから守ってくれ。

 勇者の皆も、君自身も、色んなものから守ってくれ。

 僕が守りたかった物を、君に託す。

 

 僕が君に託す理由が分からなくて、君は戸惑うかもしれない。

 でも、深く考えなくていいんだよ。

 男が、信頼する男に、自分の一番大切なものを託す。

 それだけのことなんだ。

 

 君には弱さがある。

 君には強さがある。

 だからあえて、僕は君の強さを見た言葉を残す。

 君は強い。どうかその強さを信じて、頑張ってくれ。

 

 でも、強くなりすぎてもいけない。

 君の中にある弱さもちゃんと大切に。

 世の中には色んな方向性がある。右翼だとか左翼だとか。法治だとか自由だとか。善だとか悪だとか。積極的だとか消極的だとか。

 でも、どんなものでも、極端なものは不幸を招くものだ。

 

 強すぎる心も、大きすぎる力も、不幸を招くことはある。

 どうかその弱さを忘れないように。

 君が弱さを持ち、その弱さを支えてくれる誰かがいる限り、君は一人にはならない。

 

 それと、覚えておいてくれ。

 

 無理をして幸せになる必要はない。

 私達が君の幸せを望んだからといって、君は無理に幸せになる必要はないんだ。

 幸せは、自然に訪れるものだよ。

 自分が幸せになることを忘れずに。

 自然に、幸せを得られる場所を大切に。

 何気ない日常の中で、君を幸せにしてくれる人を大切に。

 僕は君の幸せを望んでいるけど、どうか無理だけはしないように。

 

 君が幸せになるために。

 君の周りの人を、君の周りの世界を守るんだ。

 無理はしないように、でもしなければならない時は、無理をきっちり終わらせること。

 無理をし続けることだけは、絶対にしないようにね。

 

 君はもう、いくつもの答えを得ている。

 戦う理由も、十分揃っている。

 大切なものはもう見えているだろう。それをいつまでも、見失わないように。

 

 この文章を、君が読まずに済むことを、願っている。

 

 

 

 

 

 泣きはしなかった。

 流れそうになった涙を、竜胆は必死でこらえていた。

 

 ケンは父のように竜胆に接していた。最後の最後まで。

 彼が残したことは嬉しいものだけではなく、優しいものだけではなく、あれはいけない、これも駄目だ、という言葉も混じっている。

 それでいて、竜胆を一人の男と認め、新たな責任を託す言葉も入っていた。

 竜胆は、それがなんだか嬉しい。

 

「分かった……任せてくれ、ケン。お前の願いは、ちゃんと俺が形にするよ」

 

 ボブが竜胆に残したものは、ボブの想い、前に進む心、空手という戦う力。

 球子が竜胆に残したものは、球子の想い、希望、未来、そして光。

 ならばケンは、竜胆に何を残したのか。

 

 それは、『大人』と『ウルトラマン』だ。

 

 今の竜胆を見れば分かる。

 ボブが死んだ時、球子が死んだ時、ケンは泣かなかった。

 泣きたかったが、子供達のことを想って泣かなかった。

 泣かない強さが彼にはあった。

 そして今、竜胆もケンの死に泣いていない。

 

 ケンと触れ合った日々の中で、ケンの心と強さは、確かに竜胆に継承されていた。

 

 子供の頃は、大切な人が死ねば泣くだろう。

 だが、大人になるにつれて泣かなくなっていく。

 悲しみの量は変わらなくても、悲しみに耐え、涙をぐっとこらえられるようになっていく。

 竜胆が貰ったものは、『大人の強さ』。

 大切な人が死に、悲しんでも、涙で足を止めない強さ。

 

 あの時のケンのように、竜胆は涙をこらえた。

 涙を流す他の仲間を、一人の男として守り抜くために。

 

 格好つけなくてもカッコいい大人の背中は、十分に見た。

 最高のウルトラマンのカッコいい背中も、十分に見た。

 人として、ウルトラマンとして、目指すべき目標を貰えた。

 とても大きな物を、竜胆は貰ったのだ。

 

 "罪を犯した人間の幸福を願う同類"という意味で、ケンと竜胆の二人の方向性は、かなり近いところもある。

 ボブや球子は生前の繋がり、死の衝撃、死後に見つかった言葉で竜胆に影響を与えたが、ケンはどちらかといえば生前の会話と、死の瞬間の生き様で竜胆に影響を与えたと言える。

 死に様ではない。

 死の瞬間の生き様だ。

 あの瞬間、死体だったはずのパワードの生き様を見て受けた衝撃を、竜胆が忘れることはないだろう。

 

 ケンとパワードは、文字通りに"死んでも守る"という言葉を、体現してみせたのだ。

 あの姿が、『ウルトラマン』を竜胆に教えた。

 そして残された手記が竜胆に無茶をしない生き方と、『大人』を教える。

 

 それが今、数々の変化と成長を遂げてきた竜胆を、次のステップへと進めようとしていた。

 

「……俺は頑張らないとな。よし、頑張れ、御守竜胆。お前がきっと、最後の希望だ」

 

 気付けば、もう男は竜胆しかいない。

 気付けば、竜胆はもう最年長。

 丸亀城の戦力は、もう竜胆より年下の女の子しかいないのだ。

 

「諦めるな、俺。

 前を見ろ、まだ終わってない。

 限界を超えろ……ゼットに勝って、仲間を守れ。俺は、託されたんだ」

 

 仲間達がどんどん死に、加速度的に脱落しても、竜胆の目に宿る光は強い。

 

 負けるものか。折れるものか。まだ何も、諦めはしない。

 

 彼は、四国に残された最後の『戦えるウルトラマン』なのだから。

 

 

 

 

 

 ケンの部屋で決意を固める竜胆。

 そんな彼に、部屋の外から千景が声をかける。

 いつからそこにいたのか、竜胆は気付きもしなかった。

 それほどまでに、ケンに思いを馳せていたとも言う。

 

「泣かなくていいの? 竜胆君」

 

「……人前で泣くと恥ずかしいから、後で一人で泣くさ」

 

「……そう」

 

 千景は無愛想な表情で、じっと竜胆を見ていた。

 色んなことが見透かされていそうで、竜胆は頬を掻く。

 千景はケンの部屋に入り、無愛想な表情に一瞬悲しみを浮かべ、ケンの部屋のベッドに座った。

 少女は無言で自分の横をぽんぽん叩く。

 座れ、と言いたいらしい。

 竜胆は大人しく従い、千景の横に座った。

 

「ケンは……私達に、父のように振る舞ってくれた」

 

「……そうだな」

 

「竜胆君にとっても、父のような人だったはず」

 

「……」

 

「私は……私は、悲しいわ」

 

「―――」

 

 千景の家庭環境を、竜胆はよく知っている。

 千景にとって、父のように接してくれるケンは、どれほど救いだったのだろうか。

 ケンがしてくれる愛娘扱いは、どれほど嬉しいものだったのだろうか。

 竜胆は、一度もそれを聞いたことがない。

 千景は、恥ずかしいからか、一度もそれを話したことがない。

 

 だがベッドに座り、スカートを握って俯く千景を見れば、その心情は窺える。

 "愛してくれる父親の死"と言っても過言ではない、千景の胸の内の痛み。

 本物の父ではなかったのだろう。

 父娘ごっこ、と言われれば否定もできない。

 だが、ケン・シェパードは確かに、千景を実の娘のように愛してくれていたのだ。

 

「血が繋がっていなくても、父の死を悲しむように……悲しんでいいと思う」

 

「……ちーちゃん」

 

「血は繋がっている方がいいのかもしれないけど、血だけ繋がっていても、良いことはないわ」

 

 言葉が重い。

 千景は『血が繋がっている』ということの無意味さも、醜悪さも知っている。

 『血が繋がっていない愛』の価値も、暖かさも知っている。

 

「……結局、それは、"愛があれば良い"ってことなんだと思う」

 

「ケンは、愛に溢れた人だったな」

 

「愛が大きい人だったのよ」

 

「良い人だった、本当に。本当に……」

 

「ケンは……その人が死んだら泣いてもおかしくない、って人だから。

 竜胆君だって、涙を我慢しなくたって良い、そういう人だから……」

 

「悪い」

 

「……」

 

「今は泣かない。こいつは、男としてケンに後を託された、俺のつまらない意地なんだ」

 

 竜胆は泣かない。

 もしかしたら、もう辛いことでは泣かないかもしれない。

 千景は、そう思った。

 竜胆の手が、隣に座る小さな千景の手を握る。

 

「竜胆君……?」

 

「ちょっと、こっち見ないでくれ。一分でいいから」

 

「……」

 

「一分、甘えさせてくれ」

 

「……好きなだけ、どうぞ」

 

「次にちーちゃんが見た時……俺は最強のハートな男になってるから」

 

 千景は竜胆の方を見ない。

 

「ならなくてもいいのに」

 

「俺がなりたいんだ。皆を、助けるために」

 

 千景は竜胆に強くなってほしいと思ったことはない。

 初めて出会った時から、千景にとっての竜胆はずっと強い友達で、そのままの彼であれば、強くなる必要なんてないと思っていた。

 そのままの彼が一番だと思っていた。

 今は、変わった後の竜胆も好ましく思っているが、初心を忘れたわけでもない。

 

 一分が経って、竜胆が千景に微笑んだ。

 

「ちーちゃんが次は、俺に遠慮なく寄りかかれるように」

 

 千景は竜胆が幸せになったなら嬉しい。

 竜胆が強くなったことは特に嬉しくない。

 けれど、強さが足りなくて守れなくて、うなだれている竜胆は見たくない。

 

 結局、幸せになるには強くなるしかないのだろうか、と千景は考える。

 心を強く成長させられなければ幸せになれない、そんな人生と境遇だった千景は自分を棚に上げて、ずっと竜胆の心配をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ケンは未来の死を知り、半ばそれを受け入れていた。

 自分の死と引き換えに全ての戦いを終わらせる方法を考えていたし、竜胆に生きろと願われて生きることも考えたものの、子供達を守ってその命を散らした。

 だが、これは彼が特別であったからだ。

 

 普通の人は、自分の死を宣告されれば取り乱す。

 その未来が不可避であるという実感が積み重なれば、自暴自棄になって暴走する。

 末期病患者がやけっぱちになって大勢の人を巻き込んで自殺、などというパターンは、かなり警戒されているものの一つだ。

 

 ケンは自分の死を理性で受け止めた。

 なら、ひなたは?

 根本的に普通の女の子であるひなたは、どうなのか?

 

 未だ何一つとして覆されていない予言で、明日死ぬことを宣告されているひなたは、自分が死ぬであろう明日を想い、どんな感情を抱いているのか。

 

「……っ!」

 

 その無数の感情の混沌を一言でまとめるのなら、『絶望』こそが相応しい。

 

 ひなたは一人、丸亀城の誰の目にもつかない場所で、一人震えていた。

 

「は、はは……何を怖がってるんでしょうか……」

 

 ボブは死んだ。

 球子は死んだ。

 ケンは死んだ。

 昨日まで生きていた人達が、今日には死んでいる。

 一秒前まで生きていた人達が、時間が止まった一瞬で、突然に死んでいる。

 

 死は悲しみでもあり、恐怖でもある。

 人は他人の死を見ることで悲しみ、死を明確に想像できるようになり、自らの死をも正確に想像できるようになってしまう。

 ひなたは一人、震えていた。

 

「いつも、ずっと……

 巫女なんて立ち位置で、安全な場所にいて……

 若葉ちゃん達を、危険な場所に送り出して……

 死ぬかもしれないと分かって……送り出していた、私が……」

 

 怯えちゃいけない、とひなたは必死に自分に言い聞かせる。

 皆みたいに勇気を持たないと、と震える唇で自分に言い聞かせる。

 皆をいつも死地に送り出していただけの私が、皆と同じように死ぬかもしれないという話になっただけで恐れちゃいけない、と自分に言い聞かせる。

 

 それでも、体の震えは消えてくれない。

 恐怖は理屈で消えてくれない。

 

 上里ひなたは神樹の巫女。

 勇者ではない。勇気ある者ではない。

 間近に迫る死の恐怖を、勇気一つでは乗り越えられない。

 これがもし"友達のため"といった理由でもあれば、優しく他人想いなひなたは、死を受け入れる勇気を振り絞れたかもしれない。

 

 だが、『そんな価値のある結末』はひなたには用意されていなかった。

 

「……球子さんも、こんな気持ちだったのかな」

 

 球子を想う。

 死人を想う。

 震えが、少し小さくなった。

 友達が、仲間が、もう死んでいるのに、自分だけ死をこんなに恐れているわけにはいかない、と無理矢理に自分を奮起させる。

 

「しっかり、しっかりしないと」

 

 それは、弱者の勇気。弱者の強がり。弱者の決意。

 

 仲間を想うがために、ひなたは仲間の前では、いつもの自分の微笑みを浮かべようとする。

 

「……せめて、若葉ちゃんの前でくらいは、いつも通りの私でいないと……いないと……」

 

 なんで、どうして。

 なんで自分が。

 どうして死ななければならないのか。

 頭の中で絶え間なくマイナスの思考が回り、自分の不幸と不運を嘆く。

 

 けれども、どの嘆きも長くは続かない。

 ひなたは聡明で、自己中心的から程遠い人間であるからだ。

 

 私は初襲来の日に生き延びられただけ幸運だ。

 死んでしまった人の方が不運だ。

 いつも最前線にいる勇者や巨人の方がずっと危険な毎日を送っている。

 私はいつも安全な場所で守ってもらっていただけだ。

 だから、自分は不幸を嘆くべき立場の人間ではない……そう、自分に言い聞かせていく。

 

 なまじ頭が良く、良心と自制心を持ちながらも自由に生きる人間であったがために、ひなたは絶望のループにハマってしまっていた。

 精霊の穢れがなくとも、人の心は絶望によって蝕まれるものである。

 

「……人は死んだら、どうなるのか、なんて話が本やTVにはいっぱいありましたね……」

 

 死んだ後は無だ、とか。

 死んだ後は天国と地獄に行くんだ、とか。

 死んだ後にはまたこの世界に生まれ変わるんだ、とか。

 そんな話が、平和だった頃の地球には山ほどあった。

 

 ひなたはどれかを信じていたわけではない。

 生まれ変わりにはちょっとロマンがある、と考えていた程度のもの。

 死んだ後のことなど、世界が平和だった頃は深く考えたこともなかった。

 それを今は、深く、深く考えている。

 

「……そういうの、よく考えてる人がいて。

 私みたいに、めったに考えない人もいて……

 だとしたら……その違いは……

 自分が死ぬ日のことを明確に想像したことがあるか、なんでしょうね……」

 

 平和な世界の中で、死後どうなるかを深く考える人達がいた。

 何故なら、平和だったから。

 そういうことを考えていられる余裕があったから。

 

 ひなたのように、死後どうなるかを真剣に考えていない人達がいた。

 何故なら、平和だったから。

 死について深く考えなくてもいい世界があったから。

 

 平和は死を遠ざける。

 その辺の路上で人間が死んでいても平然としている、そんな時代は、どこの国にもある。

 日本でそういう時代が終わったのは、いつだっただろうか。

 死が珍しいものになったのは、いつからだろうか。

 

 死を身近に感じ、それを想像できるようになり、未来に死を予言された者は、絶望以外のどんな感情を抱けるというのか。

 

(怖い)

 

 忘れてはならない。

 誰もがまだ、子供なのだ。

 十代半ばも過ぎていない、中学生程度の子供。

 死は恐れて当然のものであり、人前でそれらの気持ちを見せないひなたは気丈とすら言える。

 

 だが、普通の人間の心にはその強さに限界がある。

 耐えられないものがある。

 ひなたの瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。

 

(私はアナちゃんを信じてる。

 その心も、その能力も。

 あの子が言い切った未来なら、それは必ず起こること。

 現に、若葉ちゃんも、御守さんも、何も覆せていない……)

 

 信じるからこそ、生まれる恐怖。

 仲間を信じ、生まれる絶望。

 アナスタシアが有能であるがために、覆されない未来の結末。

 

(私は、死ぬ?)

 

 上里ひなたは死ぬ。そう、未来に約束されている。

 

(まだしたいことが、たくさんあって。

 若葉ちゃんとしたいことが、たくさんあって。

 生きて……生きてしたいことが、たくさん、たくさん―――)

 

 震えて、膝を抱えて、膝に頭を埋めるひなた。

 

 

 

「―――死にたく、ない」

 

 その声を、少年は聞き届けた。

 

「分かってる。だから、死なせない」

 

 

 

 ひなたが顔を上げる。

 

 仲間が死ぬたびに強くなる少年が、そこに居た。

 後悔し、継承し、想いを繋ぎ、仲間が死ぬたびに成長する少年がそこに居た。

 彼が強くなるのは、"今度こそ仲間を守る"ためであると、ひなたはよく知っている。

 

 酷い顔だと、ひなたを見て竜胆は思った。

 涙をこらえ、必死にいつもの自分を保とうとして、保てない顔。

 弱く、儚く、されど心の美しさと醜さが混ぜこぜになって表出している表情。

 気丈に振る舞う美しさと、みっともなく死を恐れる醜さの両方が、少女の表情にはある。

 

「一人で辛い気持ちに潰されそうになってるなよ」

 

 竜胆が手を差し伸べる。

 

「不安にさせてゴメンな。

 頼りない仲間でゴメンな。

 お前をこんなに不安にさせた時点で、ダチ失格だ」

 

 ひなたは思わず、その手を取っていた。

 何故反射的にその手を取ったのか、ひなたは自分で自分が分からなくなる。

 その行動が"助けを求めるひなたの心の動き"であるとひなたが自覚したのは、これから少し時間が経ってからのことだった。

 

「死にたくない……死にたくないって、思っちゃうんです……私は……弱くて……」

 

 竜胆の手を取り、ひなたはすがるように握る。

 ひなたは恐れている。自分の死を。自分の死が若葉にもたらす影響を。自分が終わってしまう恐怖と……最悪、自分の次に若葉が終わってしまう恐怖。

 友達を思う気持ちが、更に強く死を恐れさせる。

 竜胆の手が、不安に駆られるひなたの手を優しく包んだ。

 

 

 

「君は悪くない。君が苦しむ理由なんてない。だから、助ける」

 

 

 

 何故ひなたが竜胆を前にして、自分の表情と感情を取り繕うという選択ではなく、感情的に弱さを見せるという選択をしてしまったのか。

 それは、竜胆の雰囲気が、また変わっていたから。

 ケンやボブのような……いや、"ケンの持っていたもの"を取り込んだような、そんな雰囲気。

 一言で言えば、『大人の雰囲気』。

 

 辛い時に子供が寄りかかりたくなるような、穏やかで余裕のある、ケンのような優しい雰囲気が今の竜胆にはあった。

 

「なんで……ここが……」

 

「本当はそれ、俺の台詞だったんだけどな。

 俺に痛み止めと精神安定剤くれた日のこと、覚えてるか?

 あの時の俺は本当にびっくりしたよ。

 俺の内にある闇が暴れた時、俺は人目につかない場所で隠れてたつもりだった。

 なのにひーちゃんには見つかってたんだもんな。だから、分かったんだ」

 

「……あ」

 

「ひーちゃんは"人目につかない場所"をよく分かってんじゃないかって。

 だから、俺が過去に苦しい時に隠れてた物陰とか、虱潰しに当たってみたんだ」

 

―――すみません。一度、偶然見てしまったことがあったんです。あなたが苦しんでいるのを

 

―――……うっわ、こういうのは誰にも見られてないと思ってると、恥ずかしいな……

 

 あの時の会話が活きた。

 竜胆は誰にも見られていないと思った、と言っていた。

 必然、彼は発作を起こした時、できるなら人目につかない場所に移動していたということであり、。

 "人目につかない場所"で共通の認識を持っている、二人なら。

 否、この二人だからこそ、見つけられるお互いがいる。

 

 竜胆は"見つけてくれた"のだ。ひなたが胸の奥に押し込んでいた悲しみを。

 

「ごめんな、不安にさせて」

 

「謝らないで……謝らないでくださいっ……」

 

「よしよし」

 

 竜胆は妹にそうするように、ひなたを抱きしめてやった。

 よしよし、と頭を撫でてやる。

 身長180cmの竜胆と150cmのひなたでは、そうと意識しなくても、涙を流すひなたの顔が竜胆の胸に押し付けられ、泣き顔が隠される形になる。

 遠目に見ると、本当に兄妹か何かに見える二人だった。

 

「よーしよし、泣くなよ、ひーちゃん」

 

「……恥ずかしいです」

 

「泣き顔晒したまんまなのも恥ずかしいっちゃ恥ずかしいだろ。

 でも、他人に弱さを見せることは恥ずかしいことじゃない。

 死ぬことを恐れることも、恥ずかしいことなんかじゃないんだ」

 

「っ」

 

「俺はお前の涙を止めるのにどうすりゃいいのかな。守るって、約束すればいいのかな」

 

「……御守さんは」

 

 竜胆が守ると約束しようとするのを、涙ながらにひなたが止める。

 

「守ると言ったものを、守れなかったはずです」

 

「―――」

 

「だから約束は要りません。それで私が死んでしまえば、あなたはまた傷付きます……」

 

 それは、刃で刺すような優しさだった。

 守ると誓ったのに守れなかった仲間の顔が竜胆の脳裏に浮かび、胸が痛む。

 ひなたもまた、"言ってはいけないこと"を言ってしまったことに胸が痛む。

 

 それでも、ひなたはそれを受け入れられない。

 ひなたを守る、と竜胆が約束し。

 その果てに、アナスタシアの予言通りひなたが死ねばどうなる?

 御守竜胆は、どれだけの傷を心に刻む?

 

 竜胆を思えばこそ、ひなたはその約束だけは、絶対に結ばせたくなかった。

 

「妹さんの、代わりですか……? 代わりに私を守ろうとしているんですか……?」

 

―――俺の妹が結構そういうタイプだったんだよ!

 

 ひなたは、自分を兄妹のように抱きしめる竜胆が、過去にひなたと妹・花梨が似ている部分があることを指摘したことを、ちゃんと覚えていた。

 妹を抱きしめるように、竜胆はひなたを抱きしめている。

 

 ひなたは、竜胆が"上里ひなたを守れなかった後悔"を抱いてしまうことも恐れている。

 だから竜胆を言葉で突き放そうとしている。

 ひなた自身ですら、自分の生存を信じてはいなかった。

 

「……そんなに、約束で自分を追い込もうとしないでください。

 私は大丈夫です。大丈夫なんです。だから、御守さんは……」

 

「このバカ」

 

 ゴン、と結構強く、竜胆のアゴがひなたの脳天を叩く。

 ひなたの言葉を遮って、竜胆の優しい声が囁かれた。

 

「辛いんだろ、怖いんだろ、苦しいんだろ」

 

「―――」

 

「ならお前の台詞は『助けて』でいいんだ。

 ……諦めるかよ。絶対に諦めるか。

 君は悪くない。君が苦しむ理由なんてない。だから、助けるんだ」

 

 ぎゅっと、ひなたの小さな手が、竜胆の服の胸元を掴んだ。

 

「本当は……ボブの死の報から……不安で不安で、仕方なかったんです……」

 

「うん」

 

「もう誰も死んでほしくない、死んでしまったら悲しい、そう思っても何もできなくて……」

 

「うん」

 

「みんなとの楽しい時間があったのに……楽しかったのに……!

 気付いたら、球子さんが亡くなられていて、怖くて……!

 楽しい時間も、"次の瞬間に誰かが死んでいるかも"って思ってしまうようになって……!」

 

「うん」

 

「それだけじゃないんです、私は、私はっ」

 

「ゆっくりでいい、落ち着いて話しな」

 

「……私は、最低です……」

 

「何が?」

 

「ケンが亡くなられて……

 とても悲しくて、辛くて、苦しくて……なのに……

 "誰かが死んだ"という報を聞き、報の中身を聞いた、その時……

 "死んだのが若葉ちゃんじゃなくてよかった"なんて、思って……!

 "やっぱり未来は変わらないんだ"なんて、思ってしまったんです……」

 

「……ひーちゃん」

 

「最低です。

 若葉ちゃんじゃなくて、よかった、なんて……

 ……ケンなら死んでいいと、言っているようなものです。

 『やっぱり』なんて思ってしまうのは……信じきれてなかったと言うようなもので……!」

 

「そりゃ、人間なら普通の思考だ、ひーちゃん」

 

「ですけど!」

 

「今までずっと人に言えなかったんだな。

 今までずっと溜め込んでたんだな。

 うん、よく頑張った。

 大変だったろ、辛かったろ、偉いぞ。

 でもな、それでお前を悪いって言うやつなんていないんだ」

 

「私は……私は……!」

 

「お前の中のケンは、そんなことも許さないような狭量なやつだったのか?」

 

「―――それ、は」

 

「ケンはお前のそんなことくらい、もう天国で許してくれてるよ。

 俺や若ちゃん、仲間達だって、気にすんなって声を揃えて言うさ。

 俺達を支えてくれてるひーちゃんを、たまには俺達も支えてやらないと」

 

「……御守さん」

 

 ぽつり、ぽつりと、ひなたはまた、心の内を語っていく。

 

 ひなたが最も信頼し、心を開いているのは若葉である。

 若葉にだけ言っていることがあり、若葉にだけ見せている顔がある。

 竜胆はそれらを何一つとして知らない。

 だが、だからこそ。

 誰よりも信頼し合う関係があるからこそ、見せられない弱み、語れない本音というものもある。

 

 若葉が真に追い込まれたその時、最後に頼るのはひなただ。

 ひなたはそれをよく分かっている。

 若葉が、後がないくらいに心追い込まれたその時に、ひなたは若葉が遠慮なく寄りかかり、素直に甘えられる相手でなければならない。

 ひなたは、それをよく自覚していた。

 若葉とひなたの支え合う関係は、最適なバランスでこそ何よりも強い。

 

 だからこそ、ひなたが若葉にも漏らしたことがない言葉を、心の奥に押し込んでいた感情を、竜胆は吐き出させていた。

 それがひなたの心を、潰れそうな気持ちの圧力から救い出す。

 明日、竜胆はひなたを守る戦いに赴く。

 明日、竜胆はひなたの命を預かり、ひなたの命を懸けた戦いに挑む。

 なればこそ、必要な対話であった。

 

 けれど結局、話の最後の最後まで。

 ひなたは竜胆を気遣う最後の一線を守り、「助けて」とは言わなかった。

 竜胆に、ひなたを守る約束をさせなかった。

 ひなたが死んでも竜胆が罪悪感を抱かないよう、最大限の布石を打っていった。

 

 だからこそ、竜胆は強く決意する。

 

(必ず守る)

 

 涙を流すほどの悲嘆に暮れても、仲間を、友を傷付けないための選択ができる少女を。

 

 上里ひなたを―――絶対に、守り切ることを。

 

 「助けて」と言わない彼女を、全力で助けることを、自分自身へと誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の昼過ぎ。

 

「俺がノックしないで入ったのは確かに悪かったと思う、杏」

 

「……」

 

「でも杏がそのタイミングで着替え中だったのは完璧に不慮の事故だったと思うんだ、杏」

 

「……」

 

「先程から繰り返し謝ってるように、確かに俺が悪かった」

 

「……」

 

「でもな杏、許してもらえないでガン無視っていうのは中々辛いんだ」

 

「……」

 

「ごめん、本当ごめん」

 

「……」

 

 丸亀城バスト二位の伊予島杏は、丸亀城デリカシーワースト一位の竜胆のうっかり行動とラッキースケベにより、竜胆との国交を完全に断絶していた。

 ベッドで布団をかぶって引きこもっている。

 羞恥心。

 怒り。

 照れ。

 あと自分の着替えを見た異性男子に対し距離を取ろうとするあれこれ等々。

 それらが、竜胆に顔も声も見せたくないという、杏のベッド引きこもりスタイルを成立させてしまった。

 

 今杏が布団から顔を出したら、赤い顔で声は上ずってしまうだろうから、ある意味妥当な対応だったとも言える。

 竜胆は明日に決戦が迫った状態でこんなになってしまったことに、頭を抱えた。

 

(『アレ』の準備で、杏も相当に心が不安定になってるな……しまった、行動が迂闊だった)

 

 とりあえず時間を置くしかないか、と、竜胆は伝言を残して病室を出て行こうとする。

 すると、ベッドの布団の城の下から、にゅっと弁当箱が出て来た。

 杏の腕は弁当箱を差し出すと、また亀の手足のように布団の中に戻っていった。

 

「貰って良いのか?」

 

 杏は沈黙で応える。

 沈黙は、肯定である。

 

「ありがとう。丸亀城で、またな」

 

 弁当を貰って、病室を出て、屋上で食べる。

 杏が作ってくれた弁当だと分かると、途端に嬉しくなった。

 杏の料理の味付けがケンのそれと似ているのが分かると、途端に切なくなった。

 食べ終わった頃には、気合いが何倍にも膨らんでいた。

 

「よし!」

 

 次に向かうは、若葉の病室。

 

「よっ、元気? 元気じゃあ……なさそうだな」

 

「流石に竜胆には分かるか。

 『あれ』の準備中の勇者ということで、少し気を使ってくれると嬉しい」

 

「若ちゃんがそこまでの状態になってるのは、初めて見たかもな」

 

 大天狗の穢れがしっかり残ってしまっている状態の若葉は、少し弱って見えた。

 若葉がベッドの片側に寄って、竜胆がベッドの端に座る。

 

「……竜胆、どこかケンらしくなったな」

 

「そうか?」

 

「ケンはいつも自然体だったからな。

 自分自身を取り繕わないという意味で自然体なのではなく……

 心の奥底で感情が煮え滾っても、周囲に自然体に見える自分を見せられる男だった」

 

「それは……うん、そうだな。ケンはそういう表情が多かった気がする」

 

 二人揃ってくすりと笑い、若葉が真面目な顔をする。

 

「勝てるのか? 正直に言おう、私は……

 ……お前に勝ち目がないと、そう思っている。ゼットはあまりにも強大だ」

 

 若葉らしい現実的で直球な指摘にも聞こえるが、その実あまり若葉らしくないネガティブな発言だった。

 ともすれば、竜胆の強さへの侮辱や、ひなたを諦めていると受け取られかねない。

 次の戦いで勝てないことは、ひなたの死を意味するからだ。

 だが実際は、若葉の発言がネガティブに寄っているだけで、その本質は変わっていない。

 

「だから、私も行く。この体でもまだ少しは戦えるはずだ」

 

 精霊の穢れは、若葉をネガティブに寄せた。

 

 ネガティブになった若葉は不安になり、仲間への不信を得て、"ならば無理をしてでも自分が助けに行く"という結論を出していた。

 

(ああ、本当に……かっこいいなこいつ)

 

 若葉は今、何も信じられていない。

 仲間のことも信じられず、ひなたの生存も信じていない。

 信じていないから、無理をしてでも自らが出撃し、自らの手で仲間とひなたの命運を守ろうとしている。

 心に悪影響が出ているのに男前な若葉を見て、竜胆は心底、若葉のことを好ましく思っている自分を再確認した。

 

「心配は要らない、若ちゃん」

 

「だが」

 

「俺は皆で生きるために戦う。たとえ、明日がないと言われてもだ」

 

 明日がなくとも、生きるために戦う。

 そう在れないものに、運命の女神は微笑まない。

 強く言い切る竜胆に、若葉は今までにない"光"を感じた。

 

「……助力を申し出た私の言葉は、無粋だったか」

 

「いや、嬉しい。若ちゃんのことはいつも頼りにしてるからな」

 

「よく言う」

 

「そんなによく言ってるか?」

 

「今の"よく言う"はそういう意図ではなかったが……ふふっ、確かによく言っているな」

 

 若葉は刀も持つべきでないと言われ、今は生太刀も病院に取り上げられている。

 だからか、二人は子供同士がじゃれつくようなおふざけをした。

 二人の手が手刀を作って、二人の間でコツンと打ち合わされる。

 まるで、騎士の誓いのように。

 

「修行の成果、見せてやるさ」

 

「私の方は大天狗を見せて打ち止めか。少し口惜しいな」

 

 決戦は明日。

 

「丸亀城で待ってる」

 

 最後に、友奈の病室へ。

 

「よう、友……顔色悪っ」

 

「そ、そんなに悪い!?」

 

「寝てろ寝てろ。今のお前は可愛さ二割減ってレベルに顔色悪いぞ」

 

「ええ、そんなに……?

 若葉ちゃんの作戦だと私は役に立たないけど、短時間なら戦えると思ったのに」

 

「お前、ナターシャの次に死にそうな顔してるぞ。

 ナターシャほど瀕死じゃないが……本当に危険だな、酒呑童子」

 

「……体動かしたいなぁ。

 病室で一人でじっとしてると、変なことばかり考えちゃう……」

 

「俺はまだすること多いけど、ちーちゃんは暇だろ?

 休養さえできてれば何でも良いだろうから、ちーちゃん呼んだらどうだ」

 

「ぐんちゃんを? わぁ、何しようかな」

 

「オススメのゲームとか聞けばいいんじゃないかな。

 そうしたらすぐにでも色々持って来てくれるさ。ちーちゃんだし」

 

「ぐんちゃんと一緒にゲームかぁ、楽しそうだなぁ」

 

 友奈のための提案に見せかけた、千景のための提案……に見せかけた、友奈と千景のための提案であった。

 千景がこの話を聞いたなら、"竜胆君にまた気を使われた"などと思ったりするかもしれない。

 

「俺は明日、皆と一緒に戦うつもりだ。友奈の笑顔があると、心強い」

 

「えへへ、そうかな?」

 

「そうだよ」

 

 友奈は自然に微笑んだ。

 竜胆の口にした言葉の、そのニュアンスに、友奈は暖かなものを感じる。

 

「リュウくんの言う『皆』がさ。

 生きてる仲間も、死んでしまった仲間も、全部含めた『皆』って感じで……

 私、とっても好きなんだよね。ただ『皆』って言ってるだけなのに、ぐっとくる」

 

「……友奈は変わってんなあ」

 

 竜胆は明日、『皆』と一緒に戦うつもりだ。

 一人で戦うとしても、一緒に戦う。

 未来を変えられるものは"それ"であってほしいと、友奈は思った。

 

「また明日、丸亀城で」

 

 友奈の病室を出て、いつもの付き添いの人――今日は大社から派遣された安芸真鈴――と合流して、一人では出歩きが許可されていない竜胆は、また自由に出歩けるようになる。

 

「おっけー?」

 

「おっけー」

 

「御守くん先輩は売店で何か買いたいものとかある?」

 

「んー……」

 

 真鈴らしい提案に、竜胆はちょっと考えて、財布に手を伸ばす。

 

「……ナターシャにアイス買っていってやるかな」

 

 誰も知らない。

 ナターシャも知らない。

 仲間の一人一人に声をかけていく彼の"いつもの姿勢"が、何を結実させるのかを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて日は沈み、日が昇り、日が地平線に沈み始めて。

 

 ゼットが指定した、その時がやって来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕日が綺麗に輝いている。

 非常事態宣言が継続されている街に、人影はない。

 肌触りの良い、気持ちの良い風が吹いていた。

 

 戦いの準備を整える竜胆と千景。

 顔色悪くしつつも丸亀城には集結した若葉、友奈、杏。

 そして救急車からストレッチャーで降ろされて来るアナスタシア。

 重傷人を城から病院に運ぶためではなく、重傷人を病院から城へと運び、いつでもすぐにでも城から病院へと人を運ぶ状態で待機するという、異端の指令でこの救急車は動いている。

 

 戦えるのが二人。戦闘不能が四人。

 その上、アナスタシアがこんな状態であるということは――

 

「ナターシャ」

 

「変身も、無理」

 

「……そうか。無理して張るとか言い出さなくて安心した」

 

 ――メタフィールドの展開も、不可能であるということでもある。

 

「ナターシャの予知だと、ひーちゃん以外に、町の人間は何人死んだんだ?」

 

「……知らない方が、まともに戦えると思う」

 

「そっか」

 

 今日、死ぬ運命にある人は、ひなただけではない。

 思えば、アナスタシアは共に戦う仲間の死者だけに言及していた。

 だが、メタフィールドも樹海化も無い以上、戦いの過程で他に死者が出てもおかしくはない。

 街がゼットの攻撃に巻き込まれれば、何人死ぬ?

 想像するだけで、背筋が凍りそうだ。

 

 今日のこの日が初めての、そしてもしかしたら最後の、市街地戦になるかもしれない。

 

「ちーちゃん、街の防衛は任せた。俺は出来る限り、海か海岸線でゼットと戦う」

 

「流れ弾を迎撃すればいいのよね」

 

「ああ、頼む。流れ弾の処理をやってる余裕は、多分無い」

 

「やれるだけやってみる。だからあなたは、目の前の敵に集中して」

 

「おう」

 

 竜胆は不安を深呼吸で消し、結界の壁を見る。

 まだゼットは来ていない。

 ティガトルネードの制御を離れつつある闇は今現在も肥大と強化を繰り返しており、油断するとこの程度の不安で理性を吹っ飛ばそうとする。

 この闇に身を委ねれば、ゼットにも勝てるのだろうか、と少年は一瞬思う。

 されど"それではいけない"と自らを戒める。

 

勝てるわけがない。

 もう絶望しかない。

 本当は、仲間の死をもっと声に出して悲しみたい。

 立ち上がりたくなんてない。

 だと、しても。

 だとしてもだ。

 こんな自分の心の闇に、弱さに、醜さに……負けてなんてられるか)

 

 ティガには無数の選択権があった。

 闇でゼットに挑むか、光でゼットに挑むか。

 未来を変えずに自分の命を保証するか、不確定な未来へと変える、不可能に挑むか。

 諦めるか、諦めないか。

 

 城郭に立つ竜胆の目に、ひなたが城の教室で、祈っているのが見えた。

 誰にも見られない場所で一人、皆の勝利と、皆の無事、笑って終われる未来を願っている。

 

死なせてたまるかよ。

 死なせてたまるかよ。)

 

 竜胆の内にある、ありとあらゆる心が、ひなたの生存を望んでいた。

 

 と、正しく戦意を高めていた竜胆の下半身をガシッと掴む人影一つ。

 伊予島杏だ。

 だが、様子がどこかおかしかった。

 

「御守さんって私のこと嫌いですか……?」

 

「は? 嫌いなわけないだろ、どっちかっていったら大好きだよ」

 

「嘘ですね」

 

「えっ」

 

「だって私が着替えてるの見て、『うわっ』って言いました」

 

「いやただの驚いた声だぞ」

 

「『うわっ』ってなんですか『うわっ』って。

 見られるのは嫌でしたけど……もうちょっと言い方、何かあったんじゃないんですか?」

 

「……お前もしかして、布団に潜ってたの恥ずかしさだけじゃなくて、拗ねてもいたのか」

 

 杏の表情や、様子がおかしい。

 どこか、"変な何か"に動かされている印象を受ける。

 

「『うわっ』って嫌なものとか変なものを見た時に出すこえじゃないですか……それって」

 

「違う違う、嫌なものも変なものも見てないって」

 

「じゃあ好きなものだったんですか」

 

「……」

 

「ああ、やっぱり私の着替え見て、吐き気をもよおしたりしたんですね……」

 

「してないしてない!」

 

「じゃあ何を思ったんですか」

 

「……ど、ドキドキはした。胸大きいなあとか、大変失礼なことも思った。ごめん」

 

「……ちょ、ちょっと、そういう目で見るのやめてください」

 

「どうしろってんだよテメー!」

 

 やや支離滅裂、ネガティブ思考、相手の発言の曲解、内向的で煮詰まり気味な思考。

 そのくせ、顔を赤くして体を隠そうとする今の杏の挙動を見る限り、杏らしい性格がベースにあることもまた間違いない。

 杏の性格を残したまま、それを捻じ曲げる。

 この面倒臭さ、間違いなく重度の精霊の穢れの影響だ。

 

「……私の方もあだ名呼びしたりすること、許してくれますか?

 着替えを見た引け目があるなら、イエスと答えてください。許してくれますよね?」

 

「お前頭が良い分、こういう時は相手の罪悪感利用した話し方とかするんだな……いいけどさ」

 

「ありがとうございます。じゃ、りっくん先輩で……そういうことで」

 

「精霊に煽られてる時の勇者の思考は本当読めねえ……りっくん、りっくんか」

 

「精霊の影響なんて関係ないです。

 普段からこういうこと考えてるだけですよ。

 リンドウのリンの間に"っく"を挟む感じがハイセンスな気がして……」

 

「杏の発想は女の子的というかちょくちょく可愛いな」

 

 杏をなだめ、竜胆は駆け寄ってきた若葉にも声をかける。

 

「若ちゃんの方は大丈夫か?」

 

「杏のような醜態を晒す心配はない」

 

「そっか、よかった」

 

「正直言って、体がボロボロなおかげだな。

 動き回る元気が私の体に残っていないからだ。

 体がピンピンしていたらこうはならなかっただろう。

 今にも、お前や丸亀城を、壊したくて壊したくて仕方がない……!」

 

「……若ちゃんが理性でそういうのコントロールできる人で、本当に良かったよ」

 

 若葉も杏同様、精霊の穢れ特有の症状が顔に出ており、体調もかなり悪そうだ。

 ストレッチャーに寝かせられたままのナターシャが、杏と若葉を交互に見て、表情に疑問符を浮かべながら竜胆に呼びかける。

 

「竜胆おにーちゃん、これ、何……?」

 

「杏と若ちゃんに、日常の中でも精霊使って精神に穢れを溜めてもらった。

 今二人の中には、ちょっと俺が心配になるくらいの心の闇が蓄積されている」

 

「―――!?」

 

「若ちゃんの発案だ。

 すげえ案だよ、本当に。

 でもとんでもなく危険だったからな。

 精霊は身に宿しても、力は行使せず、体に負担はかけず心に闇を溜めた。

 杏と若ちゃんが自傷とかしないように、大社に見張りの人を付けて貰って……ってやってた」

 

「え、え、え?」

 

 そう、これが、若葉の思いついたという秘策。

 勇者の力、精霊の力は、日常の中でも使える。

 なので敵が来ない数日を使って、精霊で自らの内に穢れを能動的に蓄積、それが心の闇として形になったところを、ティガの力で光に変える。

 そうやって、"意図的にティガの形態を一つ増やす"という作戦。

 ティガトルネード獲得を意識的に再現しよう、ということだ。

 

 大社からは精神面に危険過ぎると注意され、その点での竜胆と大社の合意もあり、『一度だけ』という条件付きで実行を許された。

 酒呑童子の反動が大きすぎた友奈は除外されたが、若葉と杏の中にはたっぷりと闇が蓄積されている。それこそ、正気が揺らぎかけてしまうくらいには。

 

「あと……ナターシャが望むなら、お前の内側からもその絶望、持っていくぞ」

 

「えっ―――?」

 

 ウルトラマンネクサスの光は、本質的に高純度の神の力である。

 あまりにも純度が高いために、この光をそのまま喰って、自らの力とできる怪獣や闇の巨人も存在する。

 更には負の感情が過剰に蓄積され、光がそれとシンクロしてしまった場合、光が負の感情に引っ張られて闇に変換されかけてしまうこともある。

 

 アナスタシアの中に蓄積された絶望(やみ)は、竜胆が変換して受け取れるラインを超えている。

 それを渡せば、希望を持ちたいのに希望を持てないアナスタシアの心の状態も、改善できる可能性がある。

 

「ば……ばっかじゃないの!

 三人分の闇なんて、一気に変換できるわけがないよ!」

 

「ああ、そこはちょっと心配だな」

 

 だが、この危険性の指摘もまた事実だ。

 竜胆は前回、球子の闇を受け取っただけで連鎖的に自分の闇を暴走させかけて、二人分の闇のコントロールにも四苦八苦し、その果てになんとかティガトルネードを獲得した。

 

 今回は若葉、杏、ナターシャ、そして竜胆でおそらく四人分。

 単純計算で負荷は倍だ。

 どう考えても、無茶が過ぎる。ナターシャには不可能にしか見えない。

 

「でも、成功すりゃ俺が得られる力も大きいよな」

 

「無理だもん、そんなの!

 第一、その"青いティガ"が手に入るのはもっと先!

 未来は決まってるんだから、ここで手に入るわけない! 絶対に失敗する!」

 

「じゃあ、認めるんだな。これが成功したら、お前が見た未来は変わったと」

 

「―――!」

 

「お前が見た未来よりも遥かに早く、そいつを手に入れてみせる」

 

 アナスタシアが見た未来に居た、青いティガ。

 それは、杏と若葉の死によって手に入るはずのもの。

 

「こいつを成功させて、お前にまず希望を一つやるよ。俺はお前のおにーちゃんだからな」

 

 しからばそれは、『未来を変えた証明』にもなる。

 

「ナターシャがその絶望を捨てたいのに、捨てられないってんなら、俺が持っていくよ」

 

「……おにーちゃん」

 

 アナスタシアのうちには、拭い去れない絶望がある。

 それを捨てたい気持ちは、確かにアナスタシアの中にあった。

 ……本当は、アナスタシアだって、皆が生きる可能性に賭けたい。

 でも、そんな可能性は0にしか見えないから、賭けられない。

 絶望が、心をへし折っていく。

 

「諦めるな」

 

 竜胆の手が、伸ばされて。

 

「諦めるなよ、ナターシャ」

 

 ナターシャの小さな手を、強く握った。

 

「心配ってのは、その人の無茶を気遣うこと。

 信頼ってのは、その人に無茶をさせることだ。

 仲良い人にはどっちも思っちゃうけどな。今は、俺を信頼してくれ」

 

「無茶……」

 

「今俺が無茶をして、奇跡を起こす可能性を信じてみてくれ」

 

 心配ではなく、信頼を求める。

 

「全部無駄、なんかじゃない。

 全部意味のあることだったんだ。

 ボブ、タマちゃん、ケン、そして他の人達も。

 生きて頑張った人達も、死んでしまった人達の死も、全部無駄なんかじゃない。

 未来が変わらなかったからあの人達の頑張りは無駄だった、なんて言わせない」

 

「……あ」

 

「ボブも、タマちゃんも、ケンも……

 君が未来を変えたくて、やってきたことも、その想いも。

 全部無駄になんかしない。

 俺がこれから、無駄じゃなかったものに変えてみせる」

 

 アナスタシアは、未来は変わらないから頑張っても無駄だと言う。

 今この瞬間には、過去の竜胆達の頑張りは、確かに無駄に見えるかもしれない。

 

 だが、今この瞬間に無駄に見えるとしても、『未来』ではどうなるか分からない。

 これからは、どうなるか分からない。

 「あそこでケンが奇跡の勝利を掴んでくれたから未来は変わったんだ」と言うことができるかもしれない。

 

 未だ来ていない明日のこと。それを、未来という。

 

 そう、竜胆が頑張れば、「あそこで皆が頑張ってくれたから」「あそこでケンが頑張ってくれたから」「俺が成長して」「未来は変わったんだ」と言うことだってできる。

 『ケンは命懸けで奇跡を起こしたが未来は変わらなかった』という事実はある。

 けれどもそれは、"ケンのおかげで成長できた"竜胆の起こす奇跡次第で、『ケンのおかげで未来は変わった』という事実で塗り替えることができる。

 

 アナスタシアの心が揺れる。

 四国結界の端が揺れる。

 揺らぐ夕焼け空の天井が、ゼットが結界へと接近したことを教えてくれる。

 

「希望ってのはすぐ折れる。

 最強でも無敵でもない。

 そのくせ、俺達の希望を折りに来るのは最強や無敵と言っていい奴らばっかだ」

 

 竜胆はアナスタシアだけでなく、皆に呼びかける。

 

「でもな、希望は、苦しい人の傍に居てくれるから。

 辛い思いをしてる人に、前を向かせてくれるから。

 この希望が、どんな最強にも無敵にも、負けないでいてほしいと思う」

 

 杏、若葉、友奈、千景。仲間達が、信頼を込めた目で竜胆を見る。

 

「皆の希望、俺にくれ。俺に、未来を変える力をくれ」

 

 そして、四人が頷いて。

 

「ナターシャ。……ひなたを、助けたいんだろ?」

 

 アナスタシアの中にあった―――『絶対にその未来を受け入れたくない理由』が、アナスタシアを縛っていた絶望の枷を、粉砕した。

 

「……うん」

 

 アナスタシアも、頷いた。

 

 杏、若葉、アナスタシアから、竜胆へと闇が譲渡される。

 膨大な闇。

 竜胆の中で膨らんでいた闇と混ざり合い、相乗効果を生み出し、竜胆の体から変換しきれなかった闇が吹き出した。

 青いティガに至る力は、生まれない。

 失敗だ。

 闇の量がいくらなんでも多すぎる。

 杏の分と若葉の分だけですら、キャパオーバーであった。

 

「ぐっ、くっ……!」

 

「やっぱり無茶が……!」

 

 竜胆は吹き出す闇を巻き込みながら、ブラックスパークレンスを掲げた。

 闇を神器へと巻き込み、叫ぶ。

 

「うおおおおおおおああああああああああッッッ!!!」

 

 闇が弾けて、そこからティガダークが現れた。

 そして結界の向こうから、ゼットが一人で現れる。

 避難所の方で悲鳴が上がったが、ティガもゼットも気にする様子はない。

 海を焼く美しい夕日を背景に、ティガとゼットは対峙する。

 

 

 

「待たせたな、ウルトラマン」

 

『待ってねえよ、ゼットン』

 

 

 

 ゼットは皮肉たっぷりに、ティガをウルトラマンと呼んだ。

 竜胆は皮肉たっぷりに、ゼットをゼットンと呼んだ。

 何も変わっていないティガダークを見て、若葉は歯噛みする。

 

「ティガの姿は変わっていない……くそ、失敗か!

 竜胆……勝てるか……? 私は信じるが……お前は……」

 

 千景は新しい力が得られた得られないにかかわらず、竜胆を信じている。

 なので揺らがず、竜胆に頼まれた通り、流れ弾から皆と街を守る姿勢に移行する。

 

「皆、下がって。街と、皆を守ることは……私が竜胆君に託されたことで……高嶋さん?」

 

 そんな中、友奈は気付いた。

 街に吹いていたいい風が、止んでいる。

 ティガダークが現れたその瞬間から、不自然な凪が訪れていた。

 

「風が……止んだ?」

 

 ティガダークの周囲に、青と紫の光の粒子が現れていく。

 発生した光の粒子は無秩序にばら撒かれることなく、まるで染模様の小紋(こもん)のような美しい模様を作り、凪の世界を光で満たしていく。

 最も、それを小紋という正式名称で呼べたものは、伊予島杏ただ一人であったが。

 

「小紋……?」

 

 やがて、凪の世界に発生する、強烈な風。

 

 (なぎ)から小紋(こもん)へ。

 小紋(こもん)から突風(ブラスト)へ。

 風と一体化した光が、ティガダークの周囲を吹き荒ぶ。

 

 巫女にして巨人たるアナスタシアは、この現象の意味を理解した。

 

「そっか……

 ティガの本質は、力の継承、他者から光を集めること……

 そして光の者としての、竜胆おにーちゃんの力の本質は……」

 

 黒という共通色を除けば、銀の巨人は赤銀の巨人へ変わり、今また青銀の巨人へと変わる。

 

「絆―――」

 

 それは、成された奇跡のカタチ。

 

「―――ネクサス」

 

 アナスタシアの目に映る、未来の形が、明確に変わった。

 

 

 

 

 

 アナスタシアが見た未来のティガは、"青いティガ"だった。

 杏と若葉の力を受け継いだ、黒と銀と青のティガだった。

 だが、これは違う。

 

 そこにアナスタシアの紫が加わり、青色が『青紫』へと変わる。

 アナスタシアが見た未来のティガとは明確に違う、青に非ざる青紫。

 青い光と紫の光が入り混じり、暴走せんとする黒色を抑え込んでいる。

 

 青色に、紫を混ぜる。乃木の青に、紫が混ざる。乃木の青が、乃木の青紫へと変わる。

 

 その青紫を―――人間は、『竜胆色』と言う。

 

 氷雪を纏いて、青と紫の光を放ち、混ざった光が竜胆色の輝きを作り上げるウルトラマン。

 

 

 

 

 

 伊予島杏に加護を与えた神は、支佐加比売(キサカヒメ)

 与えられし武器は金弓箭(きんきゅうせん)

 杏はこれをクロスボウに改造したものを装備している。

 

 キサカヒメは出産の際のエピソードにおいて、この金弓箭を岸壁に撃っている。

 放たれた金の矢は岸壁を撃ち抜き、岸壁を洞窟に変え、そこに光をもたらした。

 洞窟は輝き、この加賀(かが)やきこそがこの洞窟の名の由来となったという。

 "加賀の潜戸"と呼ばれるそこは、現代になっても観光名所として残っている。

 

 キサカヒメの金弓箭は、目の前に立ちはだかる壁を壊し、光をもたらすもの。

 杏の手にはそれがあり、杏の想いが、それをティガへと継承させた。

 球子の旋刃盤と同じように、杏の武器もまた、ティガを導く。

 

 竜胆の前に立ちはだかる壁を壊し、彼に光をもたらすのは、杏の純なる想い。

 

 

 

 

 

 自身に向けて放たれた光の矢を、ゼットは渾身の槍の一振りで弾いた。

 光の中から現れたるは、極寒の吹雪と、黒銀に青紫を加えた巨人。

 吹雪をその身に受けつつも、微塵も体を揺らさないゼットは、ティガの新たなる形態を見て愉悦の感情を覚える。

 

「氷雪の突風(ブラスト)……この吹雪は……そうか」

 

 バランスのティガダーク、パワーのティガトルネードに続く、ティガ第三の形態。

 

「―――『ティガブラスト』!」

 

 ティガブラスト。それがこの、黒に映える青紫を身に纏う、闇の巨人の名であった。

 

「未来が……変わった!?」

 

 アナスタシアが声を上げ、ゼットが全てを理解した様子で笑い声を上げる。

 

「くっ……ははははっ!

 そうか、そういうことか!

 未来を見ていたのか、お前達は! そして、今それが変わった! 理由は分かるぞ!」

 

 未来が変わった。

 今まで微塵も揺らがなかった未来が、変化した。

 ゼットはその、最たる理由を見抜いていた。

 

「この強化には、誰の死も関わっていない!

 お前は今、誰も死なせずに新たなる力を手に入れた!

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を、丸ごとひっくり返したのだ!」

 

 運命を覆した。ゆえに未来も変わった。

 

 竜胆はティガブラストへと至るも、若葉も杏も死んではいない。

 

「それほどまでに、大きく強固な運命だったというわけだ!

 お前の『仲間が死ぬことで強くなっていく』という運命は!」

 

 ゼットは笑う。

 滅びの運命を覆した、竜胆色の光を放つ新形態。

 胸震えるような想いを、ゼットンは抱く。

 

「『運命』を引っくり返し、『未来』を丸ごと粉砕したな! ティガよッ!!」

 

 未来を見れる人間と、未来を変えられる人間は違う。

 前者はアナスタシアで、後者は竜胆と若葉が該当する。

 人には見えない未来を見る規格外と、人には変えられない未来を変える規格外。

 この二つは決定的に違う。

 だが、この二つが合わさってこそ、未来というものは変えられる。

 

 若葉は人を引っ張っていくことに長けるが、友奈のように仲間達を円滑な関係にできない。

 友奈は仲間達の関係を改善できるが、若葉のように人を引っ張っていけない。

 竜胆はこの二人の中間で、二人のどちらと肩を並べているかで、先導か円滑かの属性がどちらかに寄る。

 

 若葉がとんでもない奇策を提案し、竜胆が形にし、ティガブラストが未来を変えた。

 この二人が肩を並べて進む時、未来は変えられるものへと変わる。

 未来を変える、希望のコンビ。

 

『だとしたら、俺は感謝しなくちゃな』

 

 ティガブラストが、右の手刀を左腰に添え、右の手刀に左手を添える。

 

『俺に未来を変える機会をくれたのは……生死問わず、俺の仲間達だ!』

 

 左手を鞘のようにして、踏み込むと同時に右手の手刀を抜刀する。

 ティガブラストの踏み込みは、かなりあったはずの両者の距離を、一息で詰めていた。

 

「!」

 

 ティガブラストは、飛行とスピードに特化した俊敏形態。

 パワーと防御力こそ下がるが、とてつもないスピードにて機敏かつテクニカルな戦闘を可能としている。

 左手という鞘から抜いた右の手刀は、光を纏ってゼットを斬った。

 ゼットの槍がそれを受け止め、今、ティガブラストが放った技の正体を見切る。

 

「抜刀術……いや、居合術か」

 

 ティガブラストの両手が手刀の形に揃えられ、嵐のようにゼットを襲う。

 二刀手刀の二刀流。

 その斬撃はどこか若葉の剣筋を感じさせるが、若葉のそれとは決定的に違うもの。

 若葉に剣を教わったのではなく、若葉の剣と戦う内に、竜胆の内に自然と芽生えたものだった。

 

『俺はウルトラマンじゃない』

 

 力でゼットと勝負せず、ひたすら技と手数で勝負。

 槍をいなして、掌底を叩き込んだ。

 ゼットの体が、僅かに下がる。

 

『ウルトラマンにもきっとなれない。

 だが、それでいい。

 俺をウルトラマンと呼んでくれた人がいる。

 その人達の期待を裏切らないなら、それでいい』

 

 槍を流して、一兆度を回避して、すれ違いざまに手刀一閃。

 

 若葉を思わせる抜き打ちの斬撃が、ゼットの脇に小さな傷を付けた。

 

『ウルトラマンらしくなくても、必ずお前を倒す。

 光の力だけじゃ倒せないお前を倒す。

 ……それがきっと、俺がこの力を得た意味―――果たすべき使命の一つなんだ!』

 

 ティガの右手に、極大の冷気が集まる。

 ティガの冷気技『ティガフリーザー』だ。

 杏の冷気を右手に添えて、ティガは手刀と共に叩き込まんとする。

 

『俺を見ろ、ゼット。お前を倒すのは"ウルトラマン"なんて漠然としたものじゃない、俺だ』

 

 ゼットもまた、槍を構えて受けに回る。

 

『俺を―――御守(みもり)竜胆(りんどう)を、見ろ』

 

 ティガの目が。

 ゼットの目が。

 真正面から、互いの目を見た。

 

「我が名はゼット、終焉の名を持つ者」

 

『ティガ。ウルトラマンでもなんでもない、ただのティガだ』

 

 心を与えられた終焉、ゼット。

 

 魂を受け継いだ光輝、ティガ。

 

「『 ―――ここで終われッ!! 』」

 

 圧倒的な強さのゼットンへと挑む、ゼットンに強さが及ばぬ巨人。

 

 巨人の勝利を信じ、見守る人間達。

 

 それは、始まりのウルトラマンが最後に挑んだ戦いという、一つの神話の再現だった。

 

 

 




 千景、球子でティガトルネード。杏、若葉でティガブラスト。これで三形態揃いました

●ティガブラスト
 『ティガダーク』が『ウルトラマンティガ』に向かう過程の一つ。
 ティガが持つ、闇を光に変えて取り込む力の一端。
 体色はティガダークの黒銀から打って変わって、黒銀紫に変色している。
 竜胆が変身したこのパターンでのティガブラストに赤色は含まれない。
 ティガダークに速度と器用さを後付けした、青紫のスカイタイプ。
 ティガトルネードとは逆に、ティガダークと比べて剛力と耐久力が低下しているが、逆にスピードとテクニックが上昇した空中戦でも強力な形態。

 若葉の青、ジュネッスパーピュアの紫、足すがために青紫。
 平安時代から使われていると言われる『竜胆色』は、青紫のことである。
 若葉由来の空戦能力、杏由来の凍結能力を備え、戦闘スタイルは"ジュネッスブルー"にも近く、ティガトルネードの赤い光と同様に、青の光が黒い闇を抑えつける。

※余談
 『ウルトラマンティガ』は、とても手刀技が多い。
 怪獣の皮膚を切り裂くという設定の手刀"ティガマルチチョップ"。
 それを加速化させ連撃技にした手刀"ティガ・スカイチョップ"。
 手刀に大きな光のエネルギーを込めて放つ"ウルトラ・パワーチョップ"。
 切断光線を手刀に纏わせて叩き込む"スラップショット"。
 ウルトラマンに対しても必殺技となる、助走跳躍手刀"ウルトラブレーンチョップ"。
 手刀やキックなどを連続技として叩き込む"スカイ・サンダーダッシュ"。
 多い。
 タイプチェンジを考慮しても、とても多い。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

 夕日が東側、香川北端で街を背中に守るティガが南側、そのティガと対峙するゼットが北側なので、東側から見ると夕日が背景・ティガが左で構えゼットが右で構える絵図になります


 避難所はもう限界だと、安芸は感じた。

 

(もう結構ヤバいんじゃないの、これ)

 

 オコリンボールの襲来の後、安芸は大社でいつも見ていた大人や巫女が、何人もその姿を消しているのに気付いた。

 詳しくは説明されなかったが、死んだのだろうと安芸は考えている。

 十数人の内の数人が死んだのだとしたら、大社全体で一体どのくらいの人間が死んだのだろうか……安芸には分からない。

 民衆や勇者などの動揺を恐れ、大社は大社の犠牲者数を公表していなかった。

 

 だからだろう、巫女である安芸が普通の人と一緒に、普通の避難所に避難させられているのは。

 安芸は気付いていないが、これはつまり"もう一度大社が攻撃目標にされても大社に関わる人間が全滅しないように"という戦略だ。

 何万人死んでも、各避難所に大社の人間や巫女が残っていれば、大社は再起できる。

 犠牲を前提とした『負けない』戦略であると言えるだろう。

 安芸はそうして香川の避難所に避難していて、周りの空気に嫌なものを感じていた。

 

(皆カリカリしてるし……)

 

 古今東西、避難所というものは嫌な空気が満ちるものだ。

 "次が来るかも"という、避難の原因になったものへの恐れ。

 家に帰れないストレス。

 沢山の人間が一つの建物に押し込まれている圧迫感。

 見知らぬ人達が大勢近くにいることによる不快感。

 

 いつ帰れるかも宣言されず、募る未来への不安。

 起こる隣人とのトラブル。

 トラブルを起こした人と、それでも避難所で顔を突き合わせていないといけない鬱憤。

 いつもしていた日課ができず、簡単な食べ物や嗜好品の自由までもが制限される苦痛。

 家に帰らせてくれ、と当たり前のことを言っても、通らない。

 

 5月10日の非常事態宣言からもう一週間が経っている。

 避難所はかなり広めのものが用意されていたが、放り込まれた人間の数があまりに多い。

 一週間、避難所の敷地内から出られない心理的重圧は相当なものだろう。

 安芸が見る限り、避難所の人達の爆発はそう遠くないように思えた。

 

 避難所の空気が嫌で、安芸は敷地の端まで歩いていく。

 巫女としての彼女の能力が、ぼんやりと夕日を見ていた彼女に、"神樹の動揺"という形で危機を知覚させた。

 

「……? ! で、出たっ!」

 

 結界の北側から現れるゼット。

 安芸は慌て、動揺し、されどその向かい側に現れた黒き巨人を見て、無条件で安心した。

 彼女がゼットの強さを知らなかった、というのもある。

 だが彼女は、黒き巨人の背中を見て、無条件で安心していた。

 その背中を、彼女はいつも信じている。

 

「……御守くん」

 

 やがて黒き巨人が、炎を纏って赤黒の巨人になる。

 旋刃盤を振るって、一兆度の炎の連射を受け止め、街を守るティガを見た。

 自分が何故そう言うのかその理由も分からないまま、思わず安芸はその名を呼ぶ。

 

「球子?」

 

 赤黒の巨人は紫黒の巨人に変わり、冷凍光線をゼットに叩き込む。

 受け止めたゼットの槍が、綺麗に凍りついていた。

 自分が何故そう言うのかその理由も分からないまま、思わず安芸はその名を呼ぶ。

 

「杏ちゃん?」

 

 巫女・安芸真鈴は、かつて自分が導いた二人の勇者の名を呼んだ。

 何故、ティガに対してそう言ったのか、自分自身でも分かっていない。

 彼女が巫女だからだろうか?

 ハッキリしたことは分からない。

 だが、"ティガが一人でないこと"だけは、何故か確信が持てた。

 ティガの巨人は、一人で戦っても一人じゃない。

 

「頑張れ」

 

 安芸が、ティガに声を送る。

 周囲に居た人間が、怪訝な目で安芸を見る。

 白けた目で安芸を見る。

 嘲笑してひそひそと話を始める者達もいた。

 

 "ティガダークへの声援"は、今の社会の常識からすれば、異端極まりないものでしかない。

 

 それでも、安芸は声を張り上げた。

 周りにどう見られようがどうでも良かった。

 常識がどうだろうと知ったことではなかった。

 安芸はただ、自分の信じるものに対して正直だった。

 

「頑張れ、ウルトラマン!」

 

 そして、その声が、"ティガを応援して良いのか"を迷っていた子供の背中を押す。

 

 子供が一人、安芸に追随した、その時。

 

「頑張れ、ティガ!」

 

 世界の流れの、何かが変わった。

 

 

 

 

 

 ティガダーク。

 ティガトルネード。

 ティガブラスト。

 今のティガは、攻防特化と技速特化を切り替えられる。

 変身に必要な所要時間は0.5秒。ゼット相手には致命的な所要時間だが、タイミングを見計らって切り替えれば、まず邪魔はされない時間でもある。

 

 ティガの額にあるクリスタルは、複数の光を放ってその身を多様に変身させるものなのだと、若葉はこの日初めて気付いた。

 

「アナスタシア、未来は変わったんだな?」

 

「……うん」

 

 若葉はアナスタシアに呼びかける。

 ストレッチャーの上のアナスタシアは、まな板の上の鯉の死体のようですらあった。

 呼吸に集中していないと息も止まってしまいそう、と見る者に嫌な印象を与える。

 エボルトラスターを握っているのは、変身するためでなく、そこからなけなしの生命力を貰っているからであるようだ。

 そんな状態で、アナスタシアは息も絶え絶えに口を開く。

 

「未来は変わったよ。若葉おねーちゃんは、生き残る」

 

「……私"は"?」

 

「竜胆おにーちゃんと、若葉おねーちゃんが生存する未来になった。

 一般人の人達の死人が、15万人くらい減ってる。でも、それだけ」

 

「……!」

 

「未来は凄く変わってるけど……

 死ぬはずだった人は、死ぬ順番が変わってるくらい。

 泣いてる竜胆おにーちゃんを、若葉おねーちゃんが抱きしめてるのが見える……」

 

 アナスタシアは今、尽きそうな命が尽きないギリギリのラインで、力の制御を行い未来を見通している。

 神業的な力の制御で消耗を毛の先ほどに抑えているが、その消耗ですら命取りになってしまうレベルで弱っている。

 そこまで無理をしているのに、見える未来は絶望的だった。

 ひなたの生存さえ、まだ見えない。

 

 友奈は歯噛みし、端末を握ろうとするが、体に走る痛みがポケットに手を伸ばすだけで体を痛ませてしまう。

 

「そんな、そんなのって……!」

 

 友奈が見上げる先で、千景が精霊使用のペースを考えながら飛び回っている。

 街と町の人々、そして丸亀城とそこに居る仲間達を守れるのは千景だけ。

 もはや"一兆度"ですら通常の飛び道具と化した戦場で、勇者でもない者は街を守ることすらできないだろう。

 鉄の融点ですら1538度であることを考えれば、神の鎌でもなければ、ティガとゼットンの攻撃で発生する流れ弾は切り落とせまい。

 

 ティガの光弾・ハンドスラッシュがゼットの拳に砕かれ、その破片が飛んで来る。

 ゼットンの一兆度が渾身の旋刃盤で粉砕され、小さな火の粉が僅かに飛んで来る。

 その全てを、千景の鎌が切り落とす。

 

 千景的には高嶋さん超守りたい、乃木さんはまあ守ってやってもいい、街の人結構どうでもいい……くらいの気持ちはあった、が。

 それでも、街を、仲間の全員を守ってやろうと思うくらいには、愛着もあった。

 何より、竜胆に託されたのだ。

 千景はここを、いい加減には守らない。

 

 アナスタシアの言を聞き、杏は希望の在り処を問いかける。

 

「なんとか、ならないのかな? もっと他に、何か……」

 

「分かんない。私には何も思いつかない。

 でも……未来が変わらないっていう私の主観を、皆は、覆してみせた」

 

 夕日が染める世界の中、黒きゼットンと黒き巨人がぶつかり合う。

 

 そこに、希望を見出すとするならば。

 

「もしこの戦いで、ウルトラマンが勝利したなら」

 

 彼の勝利にこそ、それはあると、アナスタシアは考える。

 

「―――運命を、変えられるかもしれない」

 

 黒き巨人の如きゼットンが、一兆度の火球を爆発させ、広範囲を爆炎で薙ぎ払う。

 

 黒銀のティガが爆炎に突っ込み、赤黒のティガとなり旋刃盤で受け止め、街を守り、紫黒のティガとなって、旋刃盤と爆炎をまとめて飛び越えるように跳ぶ。

 爆焔が視界の多くを占めていたせいで反応が遅れるゼットと、その頭上で手刀を振るティガ。

 瞬時に振り上げられた槍が、ティガブラストの手刀を流した。

 

「頑張れ……頑張れ、竜胆おにーちゃん……!」

 

 運命は変わっていない? 否。

 運命は変わった? 半分合っている。

 

 運命は今この瞬間にも、変わり続けている途中なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 槍突きをティガトルネードが足捌きと腰回しでかわし、踏み込み、腕を掴んで投げる。

 ゼットの体は地面に叩きつけられる前に消えた。

 瞬間移動である。

 地面に叩きつけられる前に瞬間移動すれば、投げのダメージは無効化できるという異形の体術。

 

 されどティガは一瞬で見切り、一瞬で両手の間に光を溜めて、一瞬で体を回転させ、体を回す・回しながらゼットの現在位置を見つける・一瞬でそこに打ち込むという神業を見せた。

 叩き込まれるティガ・ホールド光波。

 投げの回避に瞬間移動を使ったなら、それは攻撃ではなく回避のためのものであり、瞬間移動直後に瞬間移動とほぼ同時の攻撃などできない……そう読んだ竜胆の読みが、ピタリと当たる。

 

 ゼットは瞬間移動を光波に封じられながらも、笑みをこぼした。

 

「やはり良い目と判断力だ。お前を前にしては、私の瞬間移動能力も意味を成さん」

 

『そうかい。お前の能力全部消えてほしいと、常々願ってるけどな』

 

 ゼットに傷はほとんどなく、ティガの体に付いた傷は目立つ。

 それは両者の間にある力の差だけを証明するものではない。

 ティガがいくら回復し、傷を消しても、ゼットが常時傷を付けてくるために治しきれないという"動かぬ劣勢"の証明だ。

 

「思えば、お前には初めから素養があった」

 

『?』

 

細胞変異(セルチェンジ)はタイプチェンジへ。

 暴走時の異常な回復力も、こうして自動の治癒能力へと昇華させた。

 ……くく、自分の中にあるものを最大限に活かすことは、強者の証だ」

 

『お前に褒められても嬉しくないな』

 

 "タイプチェンジ"も、"自分の傷を治す治癒能力"も、『ウルトラマンティガ』に最初から備わっている能力である。

 竜胆はその断片を引き出し、飛び抜けた才能で形にし、応用した。

 暴走時に異形に変わった力は、筋力すら変わるタイプチェンジへ。

 暴走時に黒い針を過程として使った治癒能力は、こうして常時発動の能力となっている。

 

「加えて」

 

 ティガトルネードが、赤き光を拳に込めて、『掌底』をゼットの槍に叩きつけて防御を崩す。

 まるで、ケンとパワードの戦い方のように。

 更に、その掌底を拳にして流れるようにゼットの顔に叩きつける。

 まるで、ボブとグレートの叩き方のように。

 顔を振っての回避(スリッピング・アウェー)で、ゼットはその拳の威力を技のみでほぼ無効にしてしまう。

 

「お前の後ろに……ウルトラマンが見えるようだ」

 

『そうかよ!』

 

 ゼットが槍を振り、瞬時に変わったティガブラストが二つの手刀を振るう。

 総合的な身体能力全てでティガを上回るゼットを、ティガブラストの『速さと技』が凌駕し、優位に立っていく。

 

 弱者が強者に勝つには技で勝つ、先読みで勝つ、常に先手を取って戦いの主導権などを握るなどがあるが、スピードとテクニックが強化されるティガブラストは、最高の天才である竜胆の特性とガッツリ噛み合っていた。

 だが、ゼットの体は硬い。

 ティガブラストの攻撃はいくつかゼットに当たっているものの、相当な大技でないとゼットに傷も付けられやしない。

 

 手刀二つの斬撃格闘スタイルは強いのに、強いはずなのに、ゼットの体表の硬さ一つでそれが凌駕されてしまうという悪夢。

 "そもそも技抜きでも個体の生物として強い"という最悪。

 

(ティガブラストじゃパワーが足りない!

 ティガトルネードじゃ技と速さで押し込められる!

 考えろ、俺がこいつを倒すために必要な戦略は何か―――)

 

 ここではないどこかの平行世界、平行宇宙にて、ゼットはウルトラの父と一対一で戦い、そして圧倒的に勝利したという。

 

 ウルトラの父のパンチは直径100キロメートルの小惑星も砕き、キック力は原子爆弾10発分の威力と表現された、化物の中の化物……否、ウルトラマンの中のウルトラマンである。

 ウルトラの父の側に不調要素でもない限り、ウルトラの父とまともに戦闘が成立するほどの強者など、そもそも全宇宙に数えられるほどしか存在しない。

 つまり。

 ()()()()()()()の攻撃力では、ゼットを倒すことなど不可能であるということだ。

 

 炎を纏って体当りするティガトルネード。

 その突撃を後方宙返りで軽々とかわし、ゼットは優雅に海の上に立った。

 息を飲むティガ。

 よく見ると、ピンポイントで足の下にゼットンシャッターが展開されている。

 ゼットンのバリアは、海の水でも越えられない。

 つまりは、そういうことなのだろう。

 

『杏、また力借りるぞ!』

 

 ティガブラストの右手から放たれる、『ティガフリーザー』。

 超低温の冷凍光線だ。これはあまりにも低温の光線であるために、光線を対象の頭上に飛ばしてそこで爆発させるだけで、対象を凍りつかせる冷気が拡散降下するという冷凍光線である。

 冷凍光線、というものを持っている者は多い。

 だがティガのように、光線が爆発した冷気にすら極大の凍結効果があるものは多くない。

 

 ゼットの頭上で爆発した冷凍光線が、ゼットの足元から順に海を凍らせていく。

 ゼットは凍らない。

 頭が痛くなるような規格外だ。

 ゼットが凍らないまま、丸亀城前の海域が一気に凍っていき、やがて上空からみると陸地に繋がる海が全て氷になったように見えるほどに、氷結面が広がりきる。

 

 ゼットは凍らなかったが、この海も竜胆の狙いの一つ。

 陸地と繋がった海を、ティガトルネードで一気に駆けた。

 凍らされた海面は巨人が踏んでも砕けることはなく、氷上の激突が始まる。

 

「ここまでの範囲にこれほどの凍結をもたらせるのか、面白い」

 

 氷上を駆けるティガが、走りながら光炎の粒子を発する。

 それを胸の前で炎球の形に圧縮し、投げ込むように解き放った。

 

『デラシウム光流ッ!』

 

 円球にして光流。

 燃える炎の光線技が、ゼットに迫る。

 ゼットはそれを、軽々片手で受け止め、吸収して無力化する。

 

「無駄だ、私に光線技など通じ―――何!?」

 

 ゼットすら驚愕したその一瞬の竜胆の攻め手を、一言で説明することはできない。

 

 デラシウム光流を発射、同時に跳躍。

 跳躍と同時にタイプチェンジ開始、ティガトルネードからティガブラストへ。

 タイプを変えながら0.5秒でデラシウム光流を吸収しているゼットの頭上を越えて、その背後に手を合わせながら着地。

 合わせた手の間で光がスパークし、ティガは矢を放つ時の杏のように正確無比に、その手から光の矢を放った。

 

『―――ランバルト光弾ッ!』

 

 ゼットが振り向くのは、間に合わない。

 そのまま振り向かずに直感的な回避を選ぶ。

 無理矢理に回避行動を取ったゼットの肩後ろに光弾が着弾し、その肩を浅く抉った。

 

「ぐっ」

 

 見かけのダメージは浅いが、ゼットが初めて、攻撃を受け苦悶の声を漏らした瞬間だった。

 

『ケンがな、前にゼットンのこと話してくれたんだ。

 ゼットンに家族を殺された話も。

 そして……パワードが、かつて強いゼットンと戦った時の話を。

 パワードの仲間の"ウルトラマン"が戦ったゼットンは、腕と胸で光線を吸収したと。

 それを参考に戦ったパワードは、ゼットンの背中を光線で撃って、ゼットンを倒したってな』

 

「……!」

 

『俺が貰ったのは力だけじゃない。

 知識も、想いも、願いも……希望も!

 みんなから貰ってんだよ! その全部で、お前を倒してみせる!』

 

 ゼットンの体の正面や腕に光線吸収能力があっても、背中側がそうであるとは限らない。

 かつてパワードは、正面から必殺光線を撃ち囮にし、ゼットンの背後にあった建物を反射板に使って反転光線を撃ってゼットンに後ろを向かせ、背中に光線を叩き込んで倒したという。

 掟破りの必殺光線三連発。

 仲間から聞いた何気ない話を、竜胆は戦闘の一つ一つに活かしていける。

 

 想い出が、彼を強者たらしめる。

 御守竜胆は天才だった。

 

「くっ、くくくっ……!」

 

 ゼットのひと目で分かりやすい強さに対抗する、竜胆のひと目で分かり辛い強さ。

 それが自分に追いすがる強さを見せているのが、ゼットは楽しくて、面白くてたまらない。

 ゼットの次の槍撃を受け、竜胆は目を見開いた。

 

(こいつ……また速くっ……!)

 

「もっとお前が受け継いだものを―――お前が無価値でないと信じるものを見せてみろッ!」

 

 心の動きで強くなる竜胆同様に、ゼットもまた心の動きで強くなっていく。

 槍が速くなる。

 槍が重くなる。

 連撃が過剰に強くなる。

 

 適当に出した本気と、対等と見た相手に必勝の意志でぶつける本気は違う。

 どんなに全力を出す意識があったとしても、自分に傷一つ付けられないような雑魚相手に全力を出しきれないのは、当たり前の話だ。

 雑魚は本気や全力を出し切る前に死んでしまう。

 強者が全力を出し切るには相応の相手が必要だ。

 

 そして、成長途中にある者ならば、対等の戦いこそが成長要素。

 

『がっ……!』

 

 ティガの腹を、ゼットの槍が貫く。

 ゼットはティガのそこからの反撃を許さぬまま、ティガの体を槍でぶん投げた。

 腹を割かれて投げられたティガの体に、力を込めた必殺の一兆度が直撃。

 ティガの胸から下が火球に飲み込まれ、一瞬で燃え尽きる。

 

 痛みで、意識は消失しかけた。

 治癒能力を極端に強く身に着けたティガにとって、こういう"本質的に強い攻撃"はとてもよく効く。魂すらも抉るような高熱だった。

 空で死にかけるティガの目に、必死に僅かな流れ弾を処理している千景が見えた。

 その勇姿。

 その勇気。

 竜胆を奮い立たせるには、十分すぎる。

 

(まだ……まだだっ……ちーちゃんだって、まだ頑張ってくれてるのに……!)

 

 負けない。

 負けられない。

 奮起したティガの光の力が増して、再生速度が増して―――そこに容赦なく、二発目の一兆度火球が叩き込まれた。

 

 

 

 

 

 もはや肉体の一割程度しか残っていないティガ。

 空で焼かれ、バラバラにされ、消し飛ばされなら落ちていく。

 そんな中、丸亀城を見た。

 もう首が残っていないため、思った方へと首を向けることもできない頭で、その目は丸亀城の一室を捉える。

 

 祈るひなたが、そこに居た。

 

「……どうか」

 

 ひなたは迫る死の運命を前にして、祈っていた。

 

 巫女らしく、美しく、祈っていた。

 

「どうか……皆、無事で……お願いします。神樹様、皆に、幸運を……」

 

 自らの無事ではなく、皆の無事を祈っていた。

 

 その目は痛ましく傷付けられるティガを見て、竜胆の無事も祈っていた。

 

 人間を守る巨人。巨人の勝利と無事を祈る人間。

 それは、様々な地球で幾度となく繰り返されてきた光景。

 『ウルトラマン』に力を与えるもの。

 

 竜胆の魂は、何が美しいものであるかを知っている。

 

 

 

 

 

 叫びが、闇と光を励起した。

 

『う―――ガアアアアアアアアッ!!』

 

 感情が吹き出す。

 "あの子さえも殺すのか"という敵への憎悪。

 "あの子を守るんだ"という輝ける心。

 ありとあらゆる感情を吹き出させ、多量の力を吐き出す闇を、赤と紫の光で抑えていく。

 

 暴走時に回復能力が伸びたように、闇の暴走はあらゆる能力を上昇させるため、回復能力さえも圧倒的に強化する。

 莫大な闇を膨大な光で抑え込み、ティガは普段の数倍の速度で体の再生を完了させた。

 ティガブラストが、闇と光の両活性状態で跳び込む。

 

『いつもいつも、負けられない理由の連続だ!』

 

 ティガブラストで踏み込み、ティガトルネードになりながら殴った。

 速く踏み込み、強く打つ。

 俊敏形態から剛力形態へのトリッキーな切り替えに、槍で受けたゼットの体が、ゼットの想定外に浮く。

 追撃の前蹴りも槍は受けたが、あまりの衝撃に空へと蹴り飛ばされた。

 

『負けちゃならない戦いなのに、負けたことすらある!』

 

 蹴り飛ばされたゼットは追撃防止に、一兆度の極小火球をティガへと乱射。

 ティガトルネードは旋刃盤でそれを受け、火球を受け切った旋刃盤を投げつける。

 ゼットが投げられた旋刃盤を槍の一閃で切り壊すと、その頃にはもう、ティガブラストがゼットの頭上を取っていた。

 

『だけどな! ……慣れねえんだよ!

 この気持ちには、いつもでも慣れない!

 死んだら悲しい! 死なせたくない! それが全てだッ!』

 

 ティガブラストの本領は、空中戦。

 されどゼットも、空中戦が弱いなどということはない。

 四国の空を、四国の端から端まで一瞬で飛べるような二人が、音速戦闘機が亀に見えるほどの速度で空中戦を開始する。

 

「来い!」

 

『ゼットおおおおおおおッ!!』

 

「ティガあああああああッ!!」

 

 風は彼らに追いつけない。

 雲は吹き散らされるのみ。

 空に光と闇の残滓が刻まれ、無数の残像が線となって目に映る。

 光を残しているのがゼットで、闇を残しているのがティガだというのが皮肉な話だ。

 

『ぐっ……!』

 

 ティガブラストが、自分に有利な戦場である空であるのに、飛行速度の差でゼットに追い詰められていく。

 

 初代ウルトラマンの飛行速度はマッハ5。

 グレートの飛行速度はマッハ26。

 パワードの飛行速度はマッハ27。

 対し、このゼットという存在を最初に生み出したバット星人が、ゼットの前に生み出した『ハイパーゼットン』は……マッハ33。

 当然ながら、ゼットにも相応の飛行速度が備わっている。

 

 もはやこんな速度で空を縦横無尽に舞う者達に、戦闘機など追いつけるはずもない。

 有人機でもせいぜいマッハ5を超えたり超えなかったりが最高で、無人機でもマッハ10は超えない文明の上で、スペースシャトルでも追いつけない速度で、両者は空を自由に飛び回っている。

 目眩がしそうな高速戦闘。

 街に被害が出ていないのは、神樹が抑えているからか。

 

「お前のような理由は私にはない。

 負けられない理由において、私はお前の足元にも及んでいないだろう。

 だが! 戦いとは、負けられない理由が大きい方が、勝つものでもあるまい!」

 

 空戦はティガの方が上手かったが、飛行速度はゼットの方が圧倒的に速かった。

 

 それはすなわち、ゼットがティガの背後を空で取り放題ということを意味する。

 

「そうであれば! グレートもパワードも、(かばね)を晒しはしなかっただろうからな!」

 

 ゼットの槍の一振りが、ティガを海面に叩き落としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青い顔で戦いを見ていたアナスタシアが、弱々しくエボルトラスターを握る。

 

「駄目だ……勝てない」

 

「竜胆は勝つ。信じろ、アナスタシア」

 

「若葉おねーちゃんはそれでいいと思うよ。

 ……うん……でも、駄目だ……未来が揺れてる。ゼットは強い」

 

 アナスタシアの腹の傷を覆っていた包帯に、血が滲む。

 その傷は、ゼットに刻み込まれたものだ。

 ゼットの強さをアナスタシアはよく知っている。

 そして、その恐ろしさを今、改めて痛感していた。

 

「あのゼットも、()()()()()()()()んだ、多分」

 

「―――!?」

 

「竜胆おにーちゃんや、若葉おねーちゃんと同じくらいには、変える力があるんだ」

 

 心を強さに変える権利は両方にある。竜胆にも、ゼットにも。

 未来を変える権利は両方にある。竜胆にも、ゼットにも。

 勝利する権利は両方にある。竜胆にも、ゼットにも。天の神にも、人類にも。

 竜胆は人類に希望ある未来を、ゼットは人類に絶望の終焉をもたらす者。

 両者が未来を変えられるなら、両者の心の咆哮が、『人類勝利』と『人類敗北』の二つを乗せた天秤を揺らしているということになる。

 

 逆に言えば、希望ある未来に進みきれていないのは、ゼットのせいであるのかもしれない。

 竜胆が未来を良く変えても、ゼットがそれをすぐに修正してしまう。

 それでは皆が生き残る道を進むことなど、できるわけがない。

 ゼットを倒さなければ。

 そう思うも、追加戦力を援軍として送る余裕など、人類には何一つとして無い。

 

 未来を一つ変えるのにどれだけの積み重ねがあり、どれだけの継承があり、どれだけの奇跡が必要だったか。

 それを考えれば、ゼットの存在はあまりにも脅威であった。

 ゼットがいなかったとしても、未来を変えるのに苦労は多すぎるというのに、ゼットはその奇跡すら潰しに来る最悪最大の敵であるというわけだ。

 

「……なんとかしなくちゃ」

 

「アナスタシア、打開策があるなら聞かせろ。

 私がやる。お前はその体だ、私に任せて無茶をするな」

 

「若葉おねーちゃんはかっこいいなあ」

 

「……お前、少し言うことが竜胆っぽくなったか? 言い草が似てるぞ」

 

「あはは、こんな短期間で影響受けちゃったのかな」

 

 自分の身を削り、自らの死をも恐れないティガの戦いは、アナスタシアが今までずっと"絶対に選びたくなかった"選択肢を、選べる選択肢の中に入れていた。

 竜胆は足掻いている。

 死んでも良いと思って戦ってはいない。

 ただ、死ぬ気で戦っている。

 明日がないと言われても、目の前の戦いを生き抜くために。

 皆で揃って明日に行くために、戦っている。

 

「……影響、受けちゃったのかなあ。あたし」

 

「アナスタシア?」

 

「若葉おねーちゃんは、信頼できる人だよね」

 

「? 信じてくれるのなら、私は応えるぞ」

 

「うん、そういう人が、ひなたおねーちゃんの一番近くに居てくれてよかった」

 

 アナスタシアが、丸亀城を見上げる。

 教室に相当する部屋にいたひなたの目と、アナスタシアの目が合った。

 エボルトラスターを握るアナスタシアの表情から、ひなたが何かを察する。

 さっと青くなるひなたの顔。

 ひなたが部屋を出て、階段を駆け下り始めるが、もう間に合わない。

 

「友奈おねーちゃんも、杏おねーちゃんも、今までありがとう」

 

「え……?」

 

「アナちゃん、何を……」

 

「二人はとっても優しかった。

 女の子の友達を、こんなに好きになったことなかった。

 二人とも笑顔が柔らかい人で、女の子らしい人で……

 不安だった頃のあたしを、優しい笑顔で安心させようとしてくれてたこと、覚えてる」

 

 別れの言葉のようだと、二人は思った。

 そうであってほしくないと、アナスタシアに対し思った。

 

「球子おねーちゃんにも、千景おねーちゃんにも、言いたいことあったけど……

 ……しょうがないか。しょうがないもんね。千景おねーちゃんとか、色々応援したかったけど」

 

「おい、アナスタシア、何を言っている?」

 

「ちょっとした心残りの話だよ」

 

 千景おねーちゃん幸薄いからね、と、アナスタシアは子供らしく笑う。

 

「しょうがないことなんだよ。

 だって、言いたいこと全部言ってたら、ひなたおねーちゃんに言いたいこと多すぎる。

 伝えたいありがとうが多すぎる。

 それ全部言ってたら、言ってる間に、ひなたおねーちゃんに説得されちゃいそうだもんね」

 

 今アナスタシアにできることはない。

 体を起こすことすらできない。

 ゼットに腹に穴を空けられてからも、皆のため、結界を常時アップデートし、敵に合わせて樹海を燃えにくくしたり、武器の修理をしたり、腹に穴が空いたまま戦ったりもしてきた。

 そのせいで、もはやアナスタシアにできることは何もない。

 変身すらも不可能なのだ。

 

 なのに、アナスタシアは、何をしようとしているのか。

 

 上里ひなたが、息を切らせて階段を駆け下りてくる。

 

「親、子供、親友、恋人、仲間……」

 

 ひなたおねーちゃんはあたしのことよく分かってるなあ、なんて、思いながら。

 

 アナスタシアは、エボルトラスターを握る。

 

「この人のためなら、死んでもいいって、そう思えるのが……『愛』なんじゃないかな」

 

「待って、アナちゃん!」

 

 何かに気付いた若葉が止めようとする。

 だがもう遅い。

 見えない何かに阻まれて、若葉の手は届かない。

 駆けてくるひなたが手を伸ばすも、まだ遠い。手は届かない。

 

「大好き。優しくしてくれて、ありがとう。生まれ変われたら、皆にまた会えたら良いな」

 

「待って!」

 

 アナスタシアは、皆に微笑んだ。

 大好きな皆に。

 死んでほしくない皆に。

 結局、最後の最後まで、諦められなかった皆に微笑む。

 

 

 

「またね」

 

 

 

 抜刀される、エボルトラスター。

 

「『満開』―――神花解放」

 

 変身ではない光が、アナスタシアを包み……戦場と神樹を、包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光に包まれて、ティガではなく竜胆が、その場所に居た。

 真っ白な空間。

 夢を見ているような感覚。

 目を凝らすと、真っ白な空間が宇宙のように見えてくる、不思議な世界。

 

 竜胆は、そこでアナスタシアと相対していた。

 アナスタシアは素直な微笑みを浮かべている。

 まるで、ありとあらゆるしがらみから解放されたかのように。

 

「本当はね、未来を変える一番手っ取り早い方法、知ってたんだ」

 

「ナターシャ?」

 

「あたし、勇者全員が死んだ後に死ぬって、覚えてる?

 死ぬ順番を見てさ、気付いたんだ。

 最後の方に死ぬあたしが、序盤でさっさと死ねば、未来は劇的に変わるって」

 

「ナターシャ、何を言ってんだ」

 

「単にそれだけだと、未来は99%悪くなるだけだけど、可能性は残るもんね」

 

「おい」

 

「でも、あたしはそれが嫌だった。

 だって死にたくなかったんだもん。

 死ぬのなんて、本当に嫌だったんだもん。

 お嫁さんとかなってみたかったし。

 皆と話したいこと、たくさんあったし。

 お気に入りのお店のジェラート、まだ全部の味食べてなかったし」

 

「死にたくないのは当たり前だ、そりゃ当然の権利なんだ、だから」

 

「でもやっぱり、そんなものより諦めたくないものがあったから。

 諦められなかったから。私は結局、そっちを諦めないことにしたんだよ」

 

「ナターシャ」

 

「あたし、もう死んでるから。

 死んで神樹と同化してるから。

 竜胆おにーちゃんはさ、気にしないで前向いててね」

 

「―――」

 

 それは悲壮な決断であり、残酷な事後通達だった。

 

 竜胆はまた、自分を兄と呼ぶ女の子を、助けられなかったのだから。

 

「なんで……なんでだ! まだ十歳の子が、していいことじゃなかっただろ!」

 

「バッカだなー、おにーちゃんは。

 もう十歳の女の子が自分から生贄にならないと、どうにもならないような世界なんだよ」

 

「……っ!」

 

「四年前の、最初のバーテックス襲来の日。

 その日バーテックスに立ち向かった若葉おねーちゃん達の歳、覚えてる?

 小学六年生と、五年生と、四年生だよ。おにーちゃんもその時六年生だったんでしょ」

 

「だけど……だけど!」

 

 竜胆は、叫ばずにはいられない。

 アナスタシアは、悲しげに微笑んだ。

 

「……そりゃ、こんな世界、終わってるよ。

 しかも、戦ってそれで守れるのはクズな人がいっぱいの世界!

 やる気出ないよ。

 やってらんないよ。

 しかも、解決するのは三百年後なんて言われちゃった。

 あたしさ、全部無駄としか言えなかった。その気持ち、分かってほしいな」

 

「……分かる、その気持ちは、分かるさ」

 

「でもね。そんな世界を守らないと、意味がないんだもんね。

 その世界を守らないと、あたしの好きな人の未来も無いんだから」

 

「……」

 

「両手の指で数えられるくらいの"いい人"を、うん百万の人と一緒に守る。

 そうしないといけない。

 友達幸せにして、ついでに世界救うくらいの気概じゃなきゃ、きっと駄目なんだ」

 

「ナターシャ……」

 

「決まった未来があります。

 三百年後には勝てます。

 ……なにそれ。

 それじゃ、この時代の勇者は! ウルトラマンは!

 まるで―――死ぬために生まれてきたみたいじゃない!」

 

 それはナターシャが、人間として、最後に叫ばずにはいられなかった心の声。

 

「ざっけんなー!

 未来で世界が救われるから?

 今は死ねって?

 それを受け入れろって?

 無理だよ! 嫌だ!

 未来で勝っても何の意味もない!

 今を生きてる皆が生きていられないなら、意味がないよ!」

 

 だから。

 

「だから、ごめんね。おにーちゃんに、未来を託す」

 

 アナスタシアは、決断したのだ。

 

「あたしとネクサスの一体化で、おにーちゃんを今、援護できる。

 神樹の時空操作能力も強化される。

 だから結界はもう大丈夫になるし、樹海化もまた使えるはず。

 ブルトンを処理しないといけない時間的猶予も、かなり伸びると思うな」

 

「そのために……死んだのか……?」

 

「うん」

 

「そんなことのために、死んだのか!

 お前の……お前の命は!

 そんなものと引き換えにしていいものじゃなかっただろ!」

 

「……嬉しいなぁ。

 こんなに直球で言ってもらえると思わなかった。

 こんなに本気で、怒ってもらって、悲しんでもらえるって、思ってなかった」

 

「お前が見た未来で、俺はお前の死を悲しんでたはずだろ!?」

 

「あー……そうだったかも。

 あたしが見た未来のおにーちゃん、心がボロボロだったから。

 そっか、あの未来のおにーちゃん、本気であたしのために悲しんでたんだ。

 ……良かった。おにーちゃんが、あんな未来に行かないですんで、ああいう風にならなくて」

 

「―――っ」

 

「あの未来をとりあえず無くせたなら、本当に良かった」

 

 竜胆の妹、花梨はきっと、兄を恨んではいない。

 竜胆を兄と呼ぶ少女、アナスタシアもまた、竜胆を恨んではいない。

 死んだ後ですら、竜胆が苦しんでいれば悲しんで、竜胆が幸せになっていれば喜ぶ……きっと、それだけだろう。

 

「神に繋がる天才が、戦いの天才に全部を託すんだよ?

 ロマンだよね。

 というか、最強だよね。きっと、世界だって救えるはずだよ」

 

「ナターシャ……ナターシャっ……!」

 

「悲しまないで。暗い顔しないで。俯かないで」

 

 アナスタシアが、竜胆の顔を覗き込みながら微笑む。

 

 

 

「だって、光は絆だもん。誰かに受け継がれて、再び輝くんだよ」

 

 

 

 少女のその手は、とても暖かかった。

 

「おにーちゃんが闇を光に変える必要はないよ。

 ティガの力は、他人の闇しか光に変えられないんだよね?

 他人の闇を一々受け取らないといけないの、実は結構辛いと見たよ」

 

 ナターシャは微笑んでいる。

 

「あたしは、おにーちゃんに光だけ残していくから。

 だから、笑って?

 おにーちゃんは守れなかった絶望の闇で強くなるんじゃない。

 希望を託して、笑って死を選んでいったあたしの光で、強くなるんだ」

 

 悲しみをこらえ、竜胆は歯を食いしばる。

 

「おにーちゃんの、仲間が死んで強くなる運命。

 嫌だよね、そういうの。

 でもさ、人の死が絶望だけを残していくってのは、やっぱり違うよ。

 あたしはおにーちゃんに光と希望だけ残していく。絶望する必要なんて、どこにもない」

 

 光だけを残していく死。

 それは、竜胆にとって初めてのもの。

 彼の運命に対し、アナスタシアという少女が起こした反逆。

 

「最後の最後に、おにーちゃんに出会ってから終われて、本当に良かった」

 

 アナスタシアは、竜胆に希望を託していく。

 "大好きなひなたおねーちゃん"も、彼なら守ってくれると信じて。

 

「きっとさ、世界は厳しくなんかないよ。

 だって、おにーちゃんを私達の所に送ってくれたもん。希望だよ、希望」

 

 竜胆はもう喋れない。何も言えない。口を開けば、嗚咽が漏れてしまいそうだった。

 

「世界は厳しくなくても、天の神はクソだけどね。

 おにーちゃんを見て、世界はちょっとは優しいんだって思えたんだ」

 

 球子が遺した『勇気』が、ティガトルネードの核であるのなら。

 アナスタシアが夢見た『希望』が、ティガブラストの核である。

 アナスタシアは希望を信じる。

 竜胆が見せた希望を信じて―――今日、終わりを受け入れる。

 

「あー、死にたくなんてなかったなー!」

 

 アナスタシアが笑顔を浮かべる理由が、理解できてしまうのが、竜胆はとても悲しかった。

 

「……でも、ま。しょうがないか。

 自分が生きることより大切なことって、世の中にはあるんだもんね」

 

 アナスタシアは、小さな体で竜胆に抱きつく。

 

「最後にさ、ぎゅーってしてよ、おにーちゃん」

 

 竜胆は大きな体で、アナスタシアを抱きしめ返した。

 

「あったかいなあ。それに、抱きしめ方が、優しいな」

 

 抱きしめられて、ナターシャはふにゃりと笑む。

 

 そうして、竜胆の手の中で、花びらのような光になって、アナスタシアは散った。

 

「……あたしは、あたしの人生(ひかり)を、走りきったよ」

 

 進化。真価。神花。

 少女の生贄で神樹に力の花が咲き、満開し、散華する。

 神樹の力は進化し、神としての真価を発揮して、神花の花が咲いた。

 

 世界の時間が止まり、世界の光景が塗り替えられていく。

 

 人の世界が、樹海化していく。

 

 西暦の樹海ではなく、アナスタシアが見た『神世紀の樹海の風景』が、世界に広がる。

 

 それが、ウルトラマンの神を取り込んだ神樹が展開する、新たなる樹海(メタフィールド)だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『尊い犠牲』。

 この言葉を使う人はよくいるが、この言葉の意味は二種に分かれる。

 犠牲に価値を持たせて、犠牲を強要する言葉か。

 避けられない犠牲に、価値をもたせるか、だ。

 尊い犠牲だから生贄になってください、と誰かに強要することもある。

 既に犠牲になった者を、価値ある死だったと言うために使うこともある。

 

 だが、どちらにせよ、死の悲しみを減らすことはない。

 アナスタシア・神美は、『尊い犠牲』だった。

 

『うあああああああああッ!!』

 

 叫ぶティガトルネードの拳が、ゼットの槍のガードへと叩き込まれ、踏ん張りが甘かったゼットが後方に吹っ飛ばされた。

 

「!? なんだ、ティガのこのパワーは……!」

 

 今、神樹の樹海と、ネクサスのメタフィールドは、完全に一つになった。

 

 メタフィールドとは、ネクサスが作る戦闘用亜空間。

 即席の異世界であり、アナスタシアの意思が反映されるこの空間において、全てのウルトラマンと勇者はその能力を大幅に強化される。

 特に光線技の強化率は非常に高い。

 ティガは今、神樹が作る樹海という世界そのものに、力を後押しされているのだ。

 

(ナターシャ……ナターシャっ……バカ野郎っ……!)

 

 アナスタシアは、歴代の適能者(デュナミスト)の中では、強すぎたし、弱すぎた。

 巨人の神の権能を勝手に使い、それを通常のデュナミスト以上に使いこなし、生きることを諦めないという心をねじ伏せ、皆の未来を諦めない気持ちで、その光を走りきってしまうほどに。

 

「ネクサスの力もお前が継いだか!」

 

『継いだのは力じゃない―――希望だ!』

 

 今や、ティガトルネードならば力は完全に互角。

 ティガブラストならば速さは完全に互角。

 アナスタシアが作った世界において、ティガとゼットは完全に拮抗していた。

 

 神樹の世界。

 神話の世界。

 両者の戦いは、もはや神話に語られる領域へと突入する。

 

 槍の先と、光を纏ったティガトルネードの拳がぶつかる。

 それが、嵐になった。

 ティガブラストの手刀が、槍の防御の表面を削る。

 それが、烈風になった。

 ティガダークの回し蹴りが、死角を守るゼットンシャッターに防がれる。

 それが、轟雷のような音を立てた。

 

『こんな希望を……あの子に託させたくは、無かったのに!』

 

 ティガブラストが、すれ違うように光の手刀を叩き込む。

 ゼットの脇が深く、切り裂かれた。

 

「むっ」

 

 アナスタシアがずっと負傷状態であったたために、竜胆の前で使われることはなかったが、ネクサスの腕には刃付き腕甲装備『アームドネクサス』というものがあった。

 ネクサスは近接戦闘時、これを用いる。

 これを敵に叩きつけることで、腕を刃のように使うのだ。

 今、ティガブラストが、腕を刃のように使っているのと同じように。

 

「乃木若葉の刀技。

 ネクサスの腕の刃。

 手刀に纏わされた冷気。

 ……ティガトルネードの時に、拳に見える技と力もそうだ。

 『腕に見える絆(アームドネクサス)』、か。本当に底無しの強さだな……ティガ!」

 

『……強さは欲しかった!

 だけどな! こんな強さが欲しかったわけじゃねえんだよ!

 叶うなら……こんな強さより! 皆に笑って生きていてほしかった!』

 

「ならば、その力を恥じるのか!?」

 

『恥じるかよ! これは誇りだ! ……俺はずっと、皆のことを誇っていくんだ!』

 

「それでいい! くだらないことをうだうだと語るな、巨人ッ!」

 

 ティガトルネードの拳をかわし、ゼットの回し蹴りがティガの首を折りながら吹っ飛ばす。

 

 強い、と、ティガはゼットを認めていた。

 『ゼットン』としての一つの強さを、究極にまで磨き上げている。

 『ゼットンは強い』というのが、ゼットの強さの全てであり、ゼットンという存在が持つポテンシャルの全てを究極のレベルにまで磨き上げている。

 その強さも、ウルトラマンとの戦場の中で、更に変化と成長を重ねていた。

 

 強い、と、ゼットはティガを認めていた。

 球子由来の炎に旋刃盤。

 千景由来の雷神の雷、鎌を模す格闘技、七個の旋刃盤同時操作。

 ボブ由来の空手。

 友奈由来の多様な格闘技知識。

 若葉由来の空戦能力に、剣の力。

 杏由来の氷雪能力に、光の矢。

 アナ由来の腕刀……そして、絆の力に、樹海のブースト。

 それら全てを"貰い物の力としてそのまま使う"のではなく、"ティガの戦闘スタイルの一部"として多様な形で使っている、竜胆のその強さこそを、ゼットは心中で称賛していた。

 

 ゼットはティガトルネードの後ろに、時折グレートとパワードが見える。

 それは、赤きウルトラマンである故か。

 ゼットはティガブラストの後ろに、時折ネクサス・ジュネッスパーピュアが見える。

 それは、紫のウルトラマンである故か。

 

 死したウルトラマンは、全て樹海と同化している。

 そして、樹海(メタフィールド)を通してティガに力を貸している。

 勝て、と。

 負けるな、と。

 自分達も一緒だぞ、と。

 

 それが、ティガを強くする。

 それは神樹の理である。死した勇者は神樹と共に在り、真に諦めない勇者の下に、かつて死した勇者の英霊は必ず駆けつける。

 多くが死に、多くが倒れ、多くが傷付き、ゼットの前に立ちはだかるはただ一人。

 その一人にこそ、皆の力は束ねられる。

 

「頑張れ」

 

 若葉の声が届く。

 ティガブラストの手刀が、ゼットの額を切り裂いた。

 

「頑張れっ!」

 

 友奈の声が届く。

 ゼットの槍を掴むティガトルネードの左腕。

 フリーであったゼットの左拳と、ティガトルネードの右拳が真正面から衝突し、ティガトルネードの拳が打ち勝った。

 

「負けないで」

 

 杏の声が届く。

 ゼットの蹴りがティガの腹を粉砕するが、吹っ飛んだ胴を無理矢理氷で接着し、一瞬の隙も産まずにティガは戦闘を継続した。

 

「……また、皆で、明日に!」

 

 千景の声が、千景が街を守って武器を振っている音が、届く。

 腹の傷を高速で塞ぎながら、ティガの左回し蹴りがゼットの脇に刺さり、ゼットの槍がティガの胸に深々と刺さった。

 

「―――アナちゃん、どうか、あの人を―――」

 

 止められた時間の中にいるはずの、ひなたの祈りが、ティガに届く。

 ゼットの頭突きと、ティガの頭突きが、至近距離で互いの頭を砕く。

 両方の額が同時に砕けて、再生能力で治っていくティガの額が、ゼットに"してやられた"という笑みを浮かべさせた。

 

 皆の願いが、祈りが、最後の希望・ティガを強くする。その上で、言おう。

 

「……どこまでも、楽しませてくれる」

 

 戦いの天秤は、()()()()()()()()

 

「実に有意義な時間だった。私の生涯の中でも、これほどの時間は無かった」

 

 まだ越えられない。

 まだ超えられない。

 心がティガを強くして、心がゼットを強くする。

 だからこそ互角。だからこそ越えられず、超えられない。

 

 先に膝をついたのは、ティガだった。

 

「ゆえに、惜しいな」

 

 ティガのカラータイマーが、点滅を始めた。

 

「その三分の制限がなければ……私達の戦いは、どちらが勝ったか分からなかっただろうに」

 

 ウルトラマンは、地球上では三分間しか戦えない。

 

 それがルール。

 

「その三分さえ無ければ……

 ウルトラマンが勝てたはずの敵は、何体いたのだろうな……

 その三分が、ウルトラマン達に要らぬ苦戦をどれだけ強いたのやら……」

 

『知らねえよ……でも、きっと、全員好きで背負ったハンデだろ……!』

 

「だろうな。地球が好きで背負ったハンデだろう」

 

 活動時間は、もう一分も残っていない。

 メタフィールドの樹海の加護を受けてから、もう一分以上戦っている。

 それでも戦いは、互角の状況から動いていない。

 もう一分も無いのであれば、勝利は本当に絶望的だ。

 

 それでもティガは、ゼットへと一人で殴りかかった。

 

『この三分を、負け惜しみに使う気はねえよ! ……負ける気も、無いからな!』

 

「後一分も無いだろうに、よくやる」

 

『ラスト十秒で逆転するのが、"俺達"だッ!』

 

「その意気や良し。油断も慢心もなく……全力で潰してやる!」

 

 もはや互いに満身創痍。

 だが、ゼットは全く追い詰められておらず、ティガは極端に追い詰められている。

 攻防こそ互角だが、ゼットは七割の力を残しており、ティガは三割も残っていない力を全力で費やしながら拮抗していた。

 

 先にティガが燃え尽きるのは明白だ。

 されどその目は諦めから程遠く、一発逆転のチャンスを狙う。

 

『はぁ……ハァ……』

 

 構えるティガダーク、悠然と立つゼット。

 その手に火球が作られ、ティガダークは身構えた。

 次の瞬間、火球が弾けて―――樹海が壊れ、弾け飛ぶ。元の世界の景色が戻って来た。

 

 元の四国、元の街へと、彼らの戦いの場は、戻って来てしまったのだ。

 

『なっ……!?』

 

「やはりな。まだネクサスと神樹の融合は甘いと見た。

 融合初期段階の弊害か……これだけ構成が甘い樹海化なら、私でも内側から破壊できる」

 

『ぐっ』

 

「お前の強化を剥がしたかったわけではない。それはついでだ」

 

『え……?』

 

 樹海化(メタフィールド)の加護を剥がすのが目的だと読んだ竜胆だが、そうではないらしい。

 

「ここの地球の人間どもはいつも安全圏だ。

 気に入らん。気概が足りん。……ウルトラマンと運命を共にする気概がだ」

 

『……そんなもの、必要ねえよ』

 

「お前が死ねば、人類も滅びる。それを奴らに肌で感じさせてやろうと思ってな」

 

『人間は……嫌いか?』

 

「好きになる理由が存在しない」

 

『そうか、俺は好きだ。嫌いになる理由はあるけどな』

 

 残り三十秒。

 最後の最後で、何かが足りない。

 勝ちの目は極めて薄く、ティガの勝利の要因は、絶対に諦めない心くらいしか見当たらない。

 

 ピンチの後にもピンチで、ピンチの連続。

 何があれば良いのか、何を求めれば良いのか、それすら分からない、そんな時。

 粘りに粘って、戦い続けた竜胆の心が、奇跡を繋いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時、四国の結界の外で。

 

『ワシぁ神樹がこういう呼びかけができるだなんて、知らんかったな!』

 

『できるようになったんすよ、きっと! 結界の中で何かがあったんだ!』

 

 叫ぶように声を交わす二人がいた。

 

 神樹とアナスタシアが融合したことで、現在地不明だったその二人に声を確実に届けられるほどに、神樹の思念波能力が強化された。

 それが、この結果を手繰り寄せる。

 アナスタシアは、竜胆を助けてくれる誰かへと、ひたすらに呼びかけていた。

 

『アナが呼んでる!

 "あの人を助けてあげてくれ"って!

 なら、オレ達が遅れるわけにはいかないだろ!』

 

『あたぼうよ!』

 

 四国結界の周囲は、ゼットン軍団が囲んでいた。

 ティガとゼットの決闘を――バーテックスの介入も含めて――他の誰にも邪魔させないために。

 それがもはや、見る影もない。

 

『海人! ゼットン何体倒した!』

 

『27!』

 

『こっちは36だ! がっはっは!』

 

『ゼットン以外はもっと倒してるっすよ! 連携もっとしっかりお願いします!』

 

『わぁっとるわぁっとる、しかし一人だけじゃぁ十体も倒せなそうだな!』

 

『分かってるなら、連携!』

 

 そして、敵の壁を突破したその二人は、結界の中に飛び込んだ。

 

「―――え?」

 

 空を見上げて、そう声を漏らしたのは、誰だっただろうか。

 

 二つの光が天空を舞う。

 二人の巨人が舞い降りる。

 赤と青の二色が、街の北端に着地した。

 

 着地した瞬間、その巨人のあまりの大きさと重さに、四国の土が大量に巻き上げられる。

 

 そして四国の多くの者達が、その姿を見て、その名を叫んだ。

 

「ガイア!」

 

 片や、行方知れずだった赤き巨人。その名は、『ウルトラマンガイア』。

 

「アグル!」

 

 片や、行方知れずだった青き巨人。その名は、『ウルトラマンアグル』。

 

「帰ってきたウルトラマン……俺達のウルトラマンが、帰って来た!」

 

 街に広がっていた恐怖が消え去る。

 街に蔓延していた絶望が消滅する。

 暗い空気が払拭され、希望が街に満ち満ちた。

 

 ウルトラマンガイア、三ノ輪大地。

 ウルトラマンアグル、鷲尾海人。

 人々に信じられた希望、()()()()()()()()と語られる光の巨人。

 

 二人の巨人が、ティガダークに駆け寄っていく。

 

『よく頑張った。

 お前がギリギリまで頑張ったから、間に合った。

 ギリギリまで踏ん張ってくれたお前のおかげで、ワシらは間に合った。

 どうにもならないこんな状況で、よくぞここまで戦ってくれた』

 

 ガイアが手をかざすと、そこから光が放たれ、ティガのカラータイマーに当たる。

 激しく点滅していたティガのカラータイマーが、元の色に戻った。

 ティガのエネルギーが八割ほどまで回復する。

 

『共に戦おう、黒いウルトラマン』

 

『……はい!』

 

 ふっ、とゼットは笑う。

 

「ここで、間に合うか。

 ティガが戦った、たった三分間の間に、"これ"が間に合うか。

 なんという美しい奇跡……感嘆すら覚える。だが、な」

 

 槍を振り、しかと構えるゼット。

 その力は戦いの消耗を加味しても、ウルトラマン三人分の力など、ゆうに超えている。

 

「私はそんなお前達を滅ぼすために生まれたということを……思い知るがいい!」

 

 ティガは右を見た。

 ガイアが頷き、ティガが頷く。

 ティガは左を見た。

 アグルが頷き、ティガが頷く。

 三人が揃って前を向く。

 

 文字通り、人類と神樹の最後の力が枯れるまで、全てをぶつける決戦が始まった。

 

 

 




【原典とか混じえた解説】

●ウルトラマンガイア
 星と人を守るため、地球が生み出した赤きウルトラマン。
 地球に生きる命の守護者。
 大地の光の巨人であり、光そのものに意志はなく、地球に選ばれた者が変身する。
 そのため、変身者の身体能力や個性が戦闘スタイルに劇的に反映される。
 三ノ輪大地の場合、多彩な技を適度に戦術に組み込みながらも、高い身体能力を活かした近接戦闘型の光の巨人となる。
 ガイアの光は、ひたすらに諦めない心の強い変身者を選んだ。

 ベーシックな赤銀のウルトラマンのカラーリングに、金色を足した体色のウルトラマン。

●ウルトラマンアグル
 星と人を守るため、地球が生み出した青きウルトラマン。
 地球に生きる命の守護者。
 大海の光の巨人であり、光そのものに意志はなく、地球に選ばれた者が変身する。
 そのため、変身者の身体能力や個性が戦闘スタイルに劇的に反映される。
 鷲尾海人の場合、多彩な技と高い身体能力の一切を戦術に組み込まず、汎用性の高い一つの光線技をとことん磨いた遠距離支援型の光の巨人となる。
 アグルの光は、どこかで間違えてしまうかもしれないと分かっていても、悩みながら苦しみながら他人を想える、弱さと強さを持つ変身者を選んだ。

 歴代シリーズでは初めての青基調ウルトラマンであり、体色は黒と銀に黒みがかった青。
 原作番組においては、主人公と同じく地球を守ろうとするのに仲間ではなく、主役でないウルトラマンにもかかわらず偽物でもなく、敵であっても悪ではない、副主人公のウルトラマンであるという斬新極まりない設定で、ウルトラシリーズに大きな変革をもたらした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3

 始まりの戦いで、ゼットは三人のウルトラマンと五人の勇者を凌駕した。

 ゼットが消耗しているとはいえ、あの時と同じことはできるだろう。

 その力はウルトラマン三人分の力もゆうに超えている。

 最悪なことに、ここからまだ発揮される底力と成長力がある。

 メタフィールドの加護もなく、ティガ一人では勝ちの目は薄かったはずだ。

 

 されど、仲間は居る。

 

『初見じゃ合わせられないだろうからシンプルに言うかんな。

 オレはアグル、後衛射撃型。あっちはガイア、前衛格闘型。以上!』

 

『シンプル!』

 

 ティガ、ガイアが走り出す。

 アグルは走り出さず、その場に留まり二つの拳を揃えて構えた。

 揃えられた拳が、まるで砲台のように見える。

 アグルはじっと待ち、ゼットがゼットンらしく一兆度の火球を撃ってくるのを待つ。

 そうして、鷲尾海人の予想通り、ゼットはガイアとティガを同時に迎撃するために、大小様々な一兆度の火球を織り交ぜてばら撒いた。

 

 その瞬間にアグルが放つは、連射される青い光球……『リキデイター』という光弾だった。

 

 青い光弾はばら撒かれた一兆度の火球全てを撃ち貫き、仲間を守る。

 射撃に迷いはなく、射線に揺らぎはない。

 お手本のように見事な光弾狙撃であった。

 竜胆は心の中で拍手する。

 

(光弾全てが精密射撃。

 しかも一発一発が、丁寧に威力の強弱を制御されてる。

 大きな火球は強い光弾で、小さな火球は弱い光弾で撃ち落として……

 ここまで"丁寧に光弾を制御してるウルトラマン"、初めて見た)

 

 鷲尾の狙撃は正確無比。その射撃は、仲間を後方より援護する。

 アグルの光弾はゼットの頭上や左右を通過し、ゼットにその場に留まるか、少し動いてそこで止まって吸収か防御するかの二択を迫る。

 ゼットはアグルの狙いに乗って、その場で動かずガイアとティガを迎え撃った。

 

 ティガが左、ガイアが右に分かれて攻める。

 ゼットは瞬時に脅威度の差を見抜き、ティガがいる方の右手に槍を持った。

 

 ティガブラストの手刀二刀流が、ゼットの右手の槍と打ち合う。

 ガイアの攻撃が、ゼットの左手と打ち合う。

 ガイアの攻め手を見た竜胆は、三ノ輪大地ことウルトラマンガイアの戦闘スタイルを理解した。

 

(柔術! 合気道混じりの柔術だ!)

 

 攻め手も受け手も柔軟で、敵の体を掴み、そこからの駆け引きと投げ、抑え込みに強みを発揮する格闘術・柔術。

 それをウルトラマン流にどう昇華しているのか、竜胆は激しく気になったが、今はガイアを注視している余裕が無い。

 それよりも、ゼットの手を掴み取ろうとするガイアの独特な動きに、ゼットがそちらに意識を取られていることの方が重要だった。

 

『せあああああッ!!』

 

 ガイアの方に気を取られたゼットのこめかみに迫る、ティガブラストの手刀。

 ゼットは首を振って胴ごと前に少し動き、こめかみへの手刀をかわした。

 

『大地パイセン、攻撃合わせて!』

 

 だがそこで飛んで来る狙撃光弾・リキデイター。

 威力を抑えて光弾硬度を上げ、光弾のジャイロ回転速度を上げ、弾速を上げた速度特化の高速弾バージョンだ。

 まさしく狙撃弾といった風の光弾が、ゼットの頭を直撃する。

 体に傷は付かなかったが、ゼットの体がややふらつく。

 

 そこに、ティガブラストの素早い回し蹴りと、ガイアの肘打ちが炸裂した。

 巨人二人の打撃が、ゼットの体を200mほど吹っ飛ばした。

 

 赤、青、紫の三人が共闘する姿は美しい。

 赤い体で最前衛を務める三ノ輪のガイア、中衛から切り込む乃木が如き剣技の紫のティガ、後衛で狙撃を繰り返す青き鷲尾のアグル。

 役割の分担によって、それが噛み合うことで生まれる強さの片鱗が、そこにはあった。

 三人の連携は、まだ拙い。

 だがこの三人での連携訓練を重ねた先に、どれだけ強くなるのか、ゼットにすら正確に予想はできなかった。

 

「なるほど、これは厄介だ」

 

 されど、その連携はまだまだ連携と呼べるほどのものではない。

 メタフィールドと樹海の一体化と同じで、完全なものでもない。

 それらの完成には時間が必要だ。

 

 更に、今ここにある不安要素はそれだけではない。

 ガイアとアグルが去年の冬に四国から離れ、それから一度も四国に戻っておらず、今はじっくりと話している余裕もない。

 だからこそ、"ゼットに対する無知"が発生する。

 

 ゼットが、槍に体重と筋力をかけ、振るう槍の重さを一気に上げる。

 振るわれた槍が、穂先ではなく石突を叩きつけるものであることを見抜き、ガイアはそれに右拳を叩きつけた。

 

 ガイアの拳は硬い。

 大地が想定していたその槍の石突の威力を、100と仮定する。

 ガイアの拳の強度を考えれば、300程度までは大丈夫だった。

 最大の問題は……ゼットの槍の一振りに込められていた威力が、ゆうに1000はあったということだった。

 

 ガイアの右拳の、指の骨にヒビが入る。

 

『なんじゃこのパワー!? いづづ、ワシ、指折れた……! 訴訟もんだぞこの野郎』

 

 ゼットの拳は、当たり所次第でウルトラ兄弟級のウルトラマンすら即死させる。

 竜胆は受け方をしっかり考え、そのパワーをいなすためにしっかり対策し、天才的な技量でどうにかしているだけ。

 ゼット対策を練りに練ったティガだからこそその力を受け流せるものの、初見のウルトラマン達にとって、ゼットのこの身体能力は桁外れに危険なものなのだ。

 

 ゼットは、右拳が折れたガイアに残された左手と両足、己の右側から攻め立ててくるティガ、遠方のアグルと全てに注意を払う。

 が。

 ガイアは、折れた右拳を握り、ゼットが警戒していなかったその拳でぶん殴った。

 

『とうりゃー!』

 

「!?」

 

『折れた指では殴らんと思ったか、このバカめ』

 

 ゼットの頬を殴ったのに、ゼットにあまりダメージはなく、ガイアの拳のヒビは大きくなった。

 なんという不合理。

 なんという非効率。

 効率と合理の塊のような戦い方をするゼットには、理解できないスタイルだった。

 

『まあ、折れてない方の拳で殴らなかった理由は特に無いが。ま、当たるんならそれでいい』

 

「……淡々と赤く熱い男だな、ウルトラマンガイア」

 

『がっはっは、男らしいと言ってくれい』

 

 ガイアに気を取られれば、ティガは抜け目なくそこを突く。

 ゼットの意識がいくらかそちらに行ったのを見逃さなかったティガの手刀が――居合斬りのような挙動の手刀が――ゼットの足を切り裂いた。

 

「お前もまた、動きのキレが増してきたな。ティガ」

 

『上から目線で余裕ぶってんなよ! ……負けられねえんだ、俺達は!』

 

 柔らかな柔拳と鋭い手刀を織り交ぜる、ティガブラストの猛攻。

 二人の巨人がゼットの両腕を封じたそこへ、突っ込んでくる黒翼と人影。

 

「そうだ!」

 

 大天狗を宿した若葉が、ゼットの眉間に最大威力の焔剣を叩きつけた。

 

「光はここで、終わらない!」

 

「! お前は……!」

 

 若葉は精霊の反動のせいで、戦えなかったはずだ。

 なのに、何故?

 

 最大まで翼で加速し、天上を焼く炎を一点に集中した斬撃は、眉間の発光器官という人体急所にあたる場所に命中し、そこに小さなヒビを入れた。

 若葉の衝突でゼットの頭がぐらつき、そこにティガトルネードが顔を狙う掌底を放つ。

 

「このタイミングで勇者だと……!?」

 

 ティガの掌底を、ゼットは槍の柄で受け止め。

 

 ティガの掌底を隠れ蓑にして至近距離まで接近した友奈が、ティガの手を踏み、跳んだ。

 

「!」

 

「アナちゃんは……生きたかったんだ! 生きたかったんだよ!」

 

 ゼットの眉間に叩き込まれる、酒呑童子の拳。

 眉間にあった発光器官に入ったヒビが、もっと大きくなる。

 若葉のように空を飛べない友奈は、ゼットの眉間を殴ったせいで隙だらけに浮いていたが、そこにティガの体を駆け上がって跳んできた千景が来る。

 千景は体ごとぶつかるようにして、友奈をゼットの至近距離から離脱させた。

 

「……勝つことでしか、あの子を弔えないなら、私達は……!」

 

 そして、ヒビが入った眉間へと、リキデイターの狙撃が直撃し、そこを粉砕した。

 

『パイセン、右手ヤバいだろ! 一回下がれ!』

 

 ガイアが一旦下がり、痛々しく右拳を庇う。

 そこで数歩下がったティガと、杏が、同時に冷気を纏った。

 二人の息は、ピッタリと合う。

 

『「 ―――あの子が願った、希望のために! 」』

 

「ぐうううううっ!?」

 

 ティガフリーザー&雪女郎のコラボレーション。

 極低温の冷気と、極低温の冷凍光線がゼットへと直撃し、その体を凍りつかせていく。

 

「舐めるなぁッ!」

 

 "アナスタシアを想う"気持ちで、強く強く当たってくる勇者と巨人達。

 涙を我慢して打ち込んでくる一つ一つが、いやに重かった。

 吹雪を一兆度の熱で吹き飛ばし、ゼットは息も絶え絶えに槍を握る。

 

「……ここまで参戦して来ないということは、勇者の体が不調に過ぎると判断していたが。

 どういうことだ? ここまで、非効率に戦力を偽装・温存していたということか……?」

 

『ワシが治した』

 

「―――!」

 

『覚えとけい。ウルトラマンガイアは、仲間を癒す者でもある、とな』

 

 ティガとガイアは、共に珍しい治癒能力を持つウルトラマンである。

 だが、根本的に違うところがある。

 ティガは"自分を治す能力を持つ"ウルトラマンであり、ガイアは"他者を癒やす能力を持つ"ウルトラマンなのだ。

 ティガは他人を治せず、ガイアは自分を癒せない。

 綺麗な対極。

 なればこそ、ガイアの参戦は、精霊の反動で退場していた勇者達の復帰を意味した。

 

 赤、紫、青が組み上げる陣形に、四人の勇者が並び立つ。

 

『一人じゃねえんだよ、俺達はッ!』

 

 突っ込んで来るガイアの腹を蹴り飛ばし、遠くのアグルに一兆度を連射し、ティガの右腕右足を槍で切り飛ばしながら、ゼットも叫ぶ。

 

「一人だから強いのだ、私はなッ!」

 

 それは、まさに対極の激突。

 

 『二つの異なる強さが激突する光景』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 乃木若葉が焔を放ち、ガイアが腕を十字に組んだ。

 

「大地!」

 

『おうともよぉ!』

 

 十字に組んだ腕をL字に組み換え、炎状の光を放つ必殺光線。

 名を、『クァンタムストリーム』と言う。

 それが若葉の焔を巻き込みながら直進し、ゼットの槍がそれを受けた。

 

「ぐっ……!」

 

「海人君!」

 

『ああ』

 

 間髪入れず、友奈の呼びかけでアグルが放つ狙撃光弾・リキデイター。

 それがゼットの右足を打ち、傷んだ右足を友奈/酒呑童子の拳が打つ。

 姿勢が崩れたことで防御も崩れ、ゼットは咄嗟に槍防御から光線吸収に切り替えた。

 あと一瞬切り替えが遅ければ、クァンタムストリームは直撃していただろうに。

 

『ちーちゃん! 杏!』

 

「うん……よし」

 

「はいっ!」

 

 ティガトルネードになり、七つの旋刃盤を生成、七人の千景と同時に七方向から同時攻撃。

 次いで、杏が冷気を束ねボウガンから放った矢と、光弾ハンドスラッシュによる同時攻撃。

 背後から迫る攻撃が、連続でゼットの強固な体を打ち据える。

 

「まだだ……まだだ!」

 

 何度も立ち上がる。絶対に諦めない。巨人も、勇者も、ゼットもだ。

 "敵が強大でも折れない心"を、この場の全員が持っている。

 

 ゼットの力は尽き始めていた。

 疲労は溜まり、頑丈だった肉体組織も度重なる攻撃で金属疲労に似た物質的疲弊が始まり、体内のエネルギーも底が見えていて、全身の発光器官の多くが巨人でなく、勇者に砕かれていた。

 後何回バリアを使えるか。

 後何発一兆度の火球を撃てるか。

 もしかしたら、自覚できていないだけで、もう使用は不可能かもしれない……それほどまでに、ゼットは追い詰められている。

 

 だがそれは、ゼットに誰もが決定打を与えられず、"トドメの一撃"をゼットが徹底して回避し続けているということでもあった。

 粘り強く、諦めず、食らいつき続けている。

 そしてそれは、人間達も同じこと。

 

 巨人と勇者もまた、傷付きながら、力尽きつつある自分達を自覚しながら戦っている。

 ゼットは彼らにトドメの一撃を刺せずにいる。

 若葉が殺されそうになれば、ティガが守り。

 千景が殺されそうになれば、ティガが守り。

 ティガが殺されそうになれば、友奈とアグルが守る。

 そんな流れの、繰り返し。

 ゼットはまだ誰一人として殺せていないが、叫び、槍と拳を振るい続ける。

 

「私はまだお前達に、終焉をもたらしていない!」

 

 ゼットが突き出した手から全力の一兆度火球が発射……されない。

 力が尽きたのだ。

 全力の一兆度火球を作れるだけのエネルギーが残っていない。

 されどゼットは折れることなく、アグルの放つリキデイターを切り払い、ティガとガイアを槍でまとめて薙ぎ払う。

 

「ゼットンを―――私を、生半可な勇気で越えられると思うなッ!」

 

 追撃の一刺しがティガへと放たれ、ティガブラストの手刀が流麗にそれを流す。

 

『思ってねえよ』

 

 槍が手刀で流されて、槍を持っていないゼットの左手と、一瞬で変わったティガトルネードの右手が、同時に拳の形に握られる。

 

 合図もしていないというのに、互いの拳が、互いの頬へと同時に突き刺さった。

 

『だから見せてやる―――俺達の、勇気をッ!』

 

 ゼットは身軽な体を活かし、空中で回るようにティガの首を狙って何度も左右の蹴りを放つ。

 その全てを、ティガは肘で叩き落とした。

 肘に打たれたゼットの両足は強烈に痛み、しかれども、膝を折ることはない。

 

『勝つんだ! 俺達が!』

 

「負けん! 私はなっ!」

 

 ゼットは痛む足で大地を踏みしめ、ティガ、ガイアを槍の大振りで弾き飛ばし、槍を振った風圧で勇者までもを吹き飛ばす。

 そして、槍を、投げた。

 超高速で飛翔した槍は、遠方のアグルの腹に深く突き刺さる。

 しかも、それだけでは止まらない。

 二股の槍はアグルに命中すると、4.6万tの体重を持つアグルの体を浮かばせ、それでも止まらずにアグルを後方へ吹っ飛ばしていく。

 

 ビルにアグルがぶつかり、アグルを貫いたまま、槍はビルにも刺さる。

 槍という杭がアグルをビルに縫い付けていた。

 街の各所から、一般人の悲鳴が上がる。

 

「鷲尾さん!」

 

『前衛は……後衛守ってくんないと困る……うっ、ぐっ……』

 

 槍が刺さったままではガイアも治癒できない。

 アグルは槍が刺さった痛みに耐えていたが、やがて失神した。

 青い巨人の、胸のライフゲージ――カラータイマーではない――が点滅を始める。

 その点滅が止まった時、変身は解除される。

 その前にアグルが目覚めてくれるかどうかは、分からない。

 

『なんだ、今の投擲速度……!?』

 

 なんという執念か。

 もうほとんど力も残っていないというのに、あの投擲、あの威力。

 バックアップとして最高の後方支援射撃を続けていたアグルを、ピンポイントで潰された。

 ゼットも槍を取りに行く暇はないだろうし、ゼットの武器が失われたと考えることもできるが、竜胆はよく知っている。

 

(ゼットは徒手空拳の戦闘術も十分強い……!)

 

 ゆらり、と手足を構えるゼット。

 武器が失われたからとはいえ、楽観できないのがこの敵だ。

 ガチンコの戦いに向くティガトルネードへと変わり、竜胆はガイアと息を合わせて左右からゼットを挟み撃ちにする。

 

「私はここに生きている。私はこの世界に生まれたのだ」

 

 ティガトルネードの正拳突き。

 投げに繋げようとする、ガイアの手刀打ち。

 ガイアに合わせて切り込む若葉の斬撃。

 ティガに合わせた友奈の拳。

 七人に増えた千景の斬撃。

 要所を狙う杏の射撃。

 

 その全てを、たった一人で受け止めて、たった一人で跳ね返す。

 

「お前達を倒すために―――あるいは、お前達に倒されるために」

 

 ゼットのローキックがティガの足を払い、ティガを転ばせ、転ばされたティガの頭を踏み潰そうとするゼットの足を、全力でぶつかる若葉と友奈が必死にズラした。

 

 "脳を潰せばティガは再生しないだろう"という直感ゆえの行動。

 追い詰めれば追い詰めるほどに、ゼットの戦闘勘は冴え渡る。

 

「ウルトラマンが居てこそ、ウルトラマンを倒してこそ、私には存在価値がある……!」

 

 そしてゼットは、振り向きざまに、ガイアの顔と腹へと同時に拳を突き出した。

 右拳は顔、左拳は腹。

 二箇所同時に叩く上、一つが顔面に直線的に向かってくるがために、この技を見慣れていないと対処が極めて難しいという二打一撃。

 ガイアは顔への一撃は弾いたが、腹への拳は、貰ってしまった。

 

 腹の中で嫌な音がして、崩れ落ちるウルトラマンガイア。

 

『がっ、はっ……!?』

 

「大地っ!」

 

 この技の名は、"山突き"。珍しいものではあるが、()()()()である。

 

 空手をよく知る竜胆と友奈が、ゼットンが使う空手の技を見て、驚愕していた。

 

『山突き……!? 空手の技を、なんでゼットが……!?』

 

「ティガ。お前が、戦いの中で何度か、何気なく私相手に使っていた技だ」

 

『!』

 

 竜胆が使っていた。

 ゼットは見た。

 見ただけで覚えた。

 ただ、それだけの話。

 

 山突きは両手の拳で敵の顔と腹を打つ技だ。

 そのため体ごとぶつかるように打たなければ威力が出ず、そう打ってもさほど威力は出ない。

 人間であれば、この一撃をフィニッシュブローにすることはまずできないだろう。

 人間であれば。

 

 そう、ゼットの腕力ならば、これでも十分に必殺になる。

 防御し難く威力が出ない技も、ゼットであれば防御し難い必殺の技になる。

 それでもティガ相手ではまず通じないと、ティガを認めていたからこそ、温存してガイア相手に切ったのだ。

 怪獣(ゼットン)が空手技を使ってくるだなんて奇襲、大地は想像もしていなかっただろう。

 

 空手家相手には空手の技を使わず、柔術家を空手家から盗んだ空手で仕留める。

 至極合理的な思考にて、絶大な力を細やかな戦術で扱う、あまりにも厄介なゼットン。

 三ノ輪大地はよく耐えたものだ。

 根本に脆さがあるティガトルネードに直撃していたら、間違いなく腹が弾けていただろう。

 よほど日頃から鍛えていたに違いない。

 でなければ今のは確実に致命傷になっていたはずだ。

 

 ティガがガイアを守るように割って入って戦いを始め、ガイアが腹を押さえて膝をつく。

 ガイアの胸のライフゲージが、赤く点滅を始めた。

 

「大地!」

 

『若葉……ワシ、お腹痛い』

 

「見れば分かる! 大丈夫か?」

 

『ワシぁ、まあ後で病院行くとして……

 あの黒いウルトラマンに、小声で伝言頼む。

 思念波で声を出すと、最悪あの人型ゼットンにバレかねんからな』

 

「分かった、なんだ?」

 

『15秒後に、ワシが光線を撃つ。チャンスを活かせ、と』

 

 若葉が頷き、飛翔する。

 

『連携の訓練もしてないワシらが合わせられるのは、その一瞬だけだ』

 

 一方その頃、ゼットはティガの左腕を掴みながらティガの胸を蹴ることで、ティガの左腕を胴体から引き千切り。

 ティガは痛みに耐えながらも、右腕でゼットにアッパーを叩き込んでいた。

 

「うおおおおッ!!」

 

『がッ―――!? こ、の野郎ッ!』

 

 必死に腕を生やし、傷を塞ぐティガダーク。

 その肩に若葉が乗って、次なる作戦を囁いた。

 ティガダークは牽制光弾・ハンドスラッシュを連射し、ゼットから距離を取りつつ側面を取るように跳び、ティガトルネードにタイプチェンジ。

 ゼットはハンドスラッシュを吸収しつつ、様子見の後に次の一手を見切ろうとして―――動こうとしたその時、自分の足がいつの間にかに、分厚い氷の塊に覆われていることに気付いた。

 

「……何!?」

 

 ゼットの足はティガとの先程の攻防で、強烈な肘打ちを何度も喰らっている。

 ゼットは強い精神力でその痛みに耐えてはいたが、痛みで感覚はほとんどなかった。

 注意深く観察してそれを見抜いていた杏は、それを利用して足を氷漬けにしたのだ。

 感覚がないなら、足が完全に氷の塊で覆われるまで気付かない。

 足を氷漬けにしている途中で気付かれる心配もない、というわけだ。

 

 ここは海岸線近くの防衛線。

 氷塊を作るための水分なら、海からいくらでも持って来れる。

 

 そして、杏の判断はいつも知より来たるもの。

 ゼットの体は"ティガの方もガイアの方も向いていない"。

 つまりは『正面に向けて発動するゼットの光線吸収が発動しない』。

 足が固定されている以上、体の向きも変えられない。

 

 杏の策が、ガイアの指定した時間に、最高のチャンスを当ててくれた。

 

「御守さん!」

 

『りっくん先輩じゃなくていいのか?』

 

「……りっくん先輩! ぶちかまして!」

 

『了解! サンキュー、杏!』

 

 この程度の氷、一兆度が使えないほど消耗したゼットであっても、数秒あれば粉砕できるが……このタイミングで、数秒はあまりにも長過ぎる。

 

 杏は守られる者である。

 球子がそう思ったように、とても女の子らしく、か弱く儚い雰囲気の杏は、見ているだけで守ってやりたくなるような気持ちになる、そんな少女だ。

 彼女は最初は戦うことなどできず、ずっと球子に守られていた。

 

 されど、ずっとそうだったわけではない。

 杏を守ってくれた誰かのことを、杏は守ろうと決意した。

 球子のことを、ティガの背中を、杏は守ろうと頑張ってきた。

 守られた者がずっと守られたままでいるだなんて、誰かが決めたわけでもない。

 だから杏は、強き者を守り、助ける。

 

 そう、それは。

 "ずっと昔からそうやってきた"、人間とウルトラマンの関係そのものだった。

 ウルトラマンが人を守って、いつか人間がウルトラマンを助ける関係と、同じものだった。

 

「私を……私達人間を、守られるだけの存在だと思ってるなら、大間違いです」

 

 いつの時代も、ゼットンは。

 

 ウルトラマンを凌駕し、ウルトラマンに守られるだけでなくなった人間に、負けるのだ。

 

「私達は守り合って、支え合って、笑い合って……そうやって、生きているのだから!」

 

 それが、運命。

 

『トドメじゃあ! 行けるよな、ええと……』

 

『ティガです!』

 

『よし、決めるぞ、ティガ!』

 

 ガイアが腕を左右に広げ、全身から赤き光を迸らせる。

 屈むように力を溜めて、溜めて―――額から、鞭と刃の中間である光を形成する。

 

 ティガの全身から火の粉の如き光が舞い散り、それが手と手の間に圧縮炎球を形成する。

 光であり焔である、炎球であり光流であるそれを、ティガはガイアと同時に解き放った。

 

『―――フォトンエッジッ!!』

 

『―――デラシウム光流ッ!!』

 

 光線を吸収できない角度から、ティガとガイアの最強光線がゼットに放たれる。

 

 これで終わりだ。

 これで決まりだ。

 ウルトラマンを圧倒し、甘く見た人間にしてやられ、終わりを迎えるというゼットンの運命に従い、ゼットは今ここに終わる。

 

 

 

 

 

 そんな運命は、確かにここにあり。この瞬間、ゼットもまた、自らの運命を変えた。

 

 

 

 

 

 勝った、と思った勇者は、きっと一人や二人ではなかっただろう。

 そのくらいには、完全にゼットは詰んでいた。

 

 だがゼットは、ティガとガイアの連携が完璧でないことを既に見抜いている。

 完璧な連携でないがために、二つの光線は同時着弾ではなく、ティガトルネードのデラシウム光流の方が先行してしまっていた。

 ゼットはそこに、左腕を叩きつける。

 

 そして、命を絞るような気持ちで、最後の一兆度火球を()()()()()()()()()()()

 一兆度。

 それは元来、1秒間に地球を60億個溶かしてしまうような超高温だ。

 ゼットン族は全て、その熱をベクトルレベルで完全に制御した宇宙恐竜である。

 その一兆度を内側に撃ち込まれ、外側にデラシウム光流を撃ち込まれ、エネルギー飽和状態になったゼットの腕はどうなるだろうか?

 当然、爆発する。

 とてつもないエネルギーが一点に集中されたことで、とてつもない爆発を引き起こす。

 

 ―――まるで、ウルトラヒートハッグのように。

 

 弾ける爆音。

 上がる勇者達の悲鳴。

 ゼットの片腕消滅と引き換えに発生した爆発は、ゼットの敵の全てを飲み込む。

 

「―――まさか―――私が―――ティガの真似をするとはな―――」

 

 デラシウム光流も、フォトンエッジも、跡形もなく吹き飛ばす爆発。

 

 いや、四国が跡形もなく消滅しかねないほどの爆発だった。

 

『がっはっは……ワシとしたことが、自分の分の盾を作るのは間に合わんとは……』

 

 それを防いだのは、ガイアだ。

 ガイアが持つ"ウルトラバリヤー"という技は、半径20km範囲を悠々カバーできるというウルトラマンの中でも飛び抜けた防御範囲を持つ防御技である。

 だがこれは、広範囲を守る場合、ガイアを守れないという欠点があった。

 

 ここではない地球では、ガイアはこれで街を守り、されど自分は守れなかったとか。

 三ノ輪大地はゼットを中心に起こった爆発から、これで街を守った。

 おかげで四国には傷一つ付いてはいない。

 ……だがその代償として、ガイアはもう、立っていることすらできなくなってしまった。

 

『あとは……たのんだ……』

 

 ガイアが消える。

 アグルも消える。

 過剰なダメージで、巨人の変身限界が来てしまったのだ。

 

 若葉は咄嗟に打たれ弱い杏を庇ったが、二人まとめて吹っ飛ばされて戦闘不能。

 千景も分身全てに同時に爆発を叩き込まれたことで、精霊も解除され気絶。

 そして友奈は、"爆発を殴る"というとんでもない発想を酒呑童子の力で形にし、ティガの頭部を大爆発から守ってくれていた。

 一部脳さえ無事なら、ティガは再生できる。

 おかげでティガは手足が吹っ飛んだりしたものの、なんとか死を免れていたが、そのせいで友奈は爆発の威力をモロに受けてしまっていた。

 

「……よかった」

 

『友奈っ!』

 

「リュウくんも……遠い所に行っちゃうんじゃないかって思ったら……怖くて……」

 

 アナスタシアの死の直後だ。

 友奈はこれ以上、仲間に……友達に、死んでほしくなかったのだろう。

 血まみれの友奈が、竜胆の生存を確認して微笑んでいる。

 竜胆(ともだち)を守りきれたという現実が、友奈を安心させている。

 その体に走る激痛は、生半可なものではないだろうに。

 

 そして、爆発した腕の至近距離に居た、ゼットは。

 

「お前達が、生まれた後に得た、負けられない理由で戦うのなら……!

 私は、生まれる前に与えられた存在意義こそが、負けられない理由っ……!」

 

 もう、目を逸らしたくなるほどにボロボロで、なのになおも雄々しく力強かった。

 

 全ては、ウルトラマンを倒し、終焉をもたらすために。

 

「私の理由が、お前達の理由に負けるとは、思わん―――!!」

 

 ゼットの全身の肉は削げ、全身が爆発の衝撃で穴だらけだ。

 黒焦げになっていない部分の方が少なく、顔は右目以外の全てが黒焦げている。

 爆発の起点になった左腕は消滅したままで、足も強打すれば千切れそうに見えてしまう。

 光線吸収器官も、ことごとくが焼け付いていた。

 エネルギーもほぼ0だ。

 もはや、一兆度の火球すら撃つことはできないだろう。

 

 されど、今戦場に立っている戦士は、そんなゼットただ一人だ。

 

 アナスタシアとひなた、両方と繋がりの深い若葉の咆哮も。

 口に出さないだけで仲間を大切に思っていた、千景の覚悟も。

 人間の強さを見せた杏の策も。

 仲間にこれ以上死んでほしくないと、捨て身の選択に出た友奈の勇気も。

 ガイアとアグルも。

 ティガも。

 

 全て、敗北の結末に終わるのか?

 

 いや、まだ、終わっていない。友奈が最後に希望を残してくれた。

 

『ゼット……!』

 

「やはり、最後に残ったのはお前だったか」

 

 立ち上がるティガ。そのカラータイマーが、点滅を始める。

 

(本気で、底力まで、尽きてんな……)

 

 『ティガ』としての部分より、『竜胆』としての部分が危険信号を鳴らしている。

 エネルギーと共に、命が尽きようとしているのだ。

 もはやここまでくれば、両者互いに意地だけで立っているようなものである。

 

 もはや互いに余力はない。

 飛んだり跳ねたりして駆け引きをする余裕すらない。

 ティガもゼットも、その身に残された最後の力は、最後の一撃を撃つためにしか使えない。

 命を燃やすようにして……最後の最後の力を、振り絞る。

 

 ティガはティガブラストにチェンジ。

 『光流』ではなく『光弾』という、エネルギーをより一点に集中させられる必殺を選ぶ。

 

 ゼットは一本だけ残された腕を突き出し、握った拳に最後の力を充填する。

 他のゼットンとは違い、ゼットの最強技は『一兆度』ではなく、『光線』なのだ。

 

 二人はもはや、他に何もできない。

 他に何かをすれば、目の前の敵を倒すだけの余力が残らないからだ。

 巨人と怪獣の手に、なけなしの力が集められていく。

 チャージの間の僅かな数秒、僅か数秒の静寂、僅か数秒の平和が訪れる。

 

 何を思ったか、ゼットが口を開いた。

 

「お前は、人間を、愛しているのか」

 

『……ああ』

 

「私に愛はない。私には、お前の気持ちは分からない」

 

『もったいないな。大切なものがないのか、お前』

 

「いや、ある。私にとって大切なことは一つだけ……ウルトラマンを倒すことだ」

 

『じゃあ、そりゃ、夢だな』

 

「夢」

 

『お前の夢が、それなんだろ。俺にとっては最悪の、俺には否定しかできない夢』

 

「……これが、夢か」

 

『お前の夢は、終わらせる』

 

「いいや、終わらせるのは、私の方だ。私がお前を、必ず終わらせる」

 

 吸収器官も壊れ、バリアも一兆度も使えなくなり、瞬間移動は封じられ、槍は手元になく、体力もエネルギーも完全に尽きた。

 それでも、絞り出せる、想いの力があった。

 突き出した拳より、ゼットは光線を放つ。

 

 心に光を。

 その腕に絆を(アームドネクサス)

 偉大な人(グレート)の背中を追って、もっともっと力強く(パワード)に。

 朦朧とする意識の中で、竜胆はただ、勇者(しょうじょ)達の平穏と幸福を願った。

 腰だめに重ねた手から、居合斬りのように、右手の手刀を抜いて撃つ。

 

『―――ゼットおおおおおッ!!』

 

「―――ティガあああああッ!!」

 

 とても一途で、真っ直ぐな、光の矢が飛ぶ。

 

 心の光を固めた輝きの矢が、ゼットの放った光線を貫いていく。

 

 ランバルト光弾が、光線を切り裂き、ゼットの胸に着弾した、その瞬間。

 

 ゼットが微笑(わら)った―――そんな、気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 爆発を起こすゼットの最期に、竜胆が感じたのは達成感。そして、一つの終わりだった。

 

 ボブがゼットに殺された、あの時に始まった『何か』が今終わった、そんな気がした。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 ティガが変身を解除する。

 ゆっくりと巨人が消えていき、代わりに竜胆が現れた。

 ふらっ、と倒れそうになる竜胆を、ボロボロの杏と若葉が支えてくれる。

 

「お疲れ様です、りっくん先輩」

 

「よくやった竜胆。……色んなことがあったが、お前は本当によくやってくれた」

 

「お互い様だろ。皆、頑張った。皆、助けられた。そんなもんだよ」

 

 竜胆は二人にお礼を言って、二人から離れた。

 杏と若葉以上にボロボロな友奈に駆け寄り、出血が止まっていること、出血量の割に傷が深くないことを見てホッとする。

 

「勝ったぞ、友奈」

 

「知ってた」

 

「知ってたってなんだよ」

 

「なんとなくだけどね」

 

 傷付いた友奈を、竜胆が優しく横抱きに抱えた。

 お姫様抱っこだ、と友奈が言った。

 さっきまでヒーローやってたんだからタマにはお姫様やれ、と竜胆は言った。

 竜胆は丁寧に、優しく、友奈の傷が痛まないように友奈を抱えている。

 四人で探し、気絶していた千景も発見した。

 

「ちーちゃんって寝顔は無愛想じゃないんだな」

 

「起きてる時は無愛想って言ってるようなもんじゃないかな、それ……」

 

「いいんだ、無愛想な人の方が笑顔は可愛く見える。

 辛いカレーのそばに甘い飲み物が置かれてるのと同じことだ」

 

「えー……うーん……そうかも……」

 

「あ、悪い、前言撤回。無愛想じゃない人の笑顔も可愛く見えるからこの主張意味ないわ」

 

「えぇ……」

 

 友奈を抱えていた竜胆がそう言った意図は、言わずもがなである。

 若葉がゴミ袋を担ぐように、男らしく千景を肩上に担いだ。

 竜胆が「もうちょっと女の子らしく」とダブルの意味で言った。

 若葉が「ああ、この角度だと千景の下着が見えてしまうな」とスカートの位置を直す。

 「違う、そうじゃない」と思った竜胆だが、訂正する気力も無かった。

 女の子らしくない担ぎ方の若葉に、女の子らしくない担ぎ方をされた千景が運ばれていく。

 

「若ちゃん、ついてきてくれ。ウルトラマンガイアの人も回収しよう」

 

「分かった」

 

「杏、大社に連絡頼む。アグルの人も病院に連れてった方がいい」

 

「分かりました」

 

 ボロボロの人が、ボロボロの人を助け、助け合いながら仲間を回収していく。

 それはまさしく、"支え合う仲間達の姿"であった。

 

 もはや誰一人として、戦う力は残していない。

 もう残った力など無い。

 

 そこに『新たな敵』が現れた時の彼らの心を、なんと言おうか。

 

「……え」

 

 絶望以外の、なんと言おうか。

 

「―――」

 

 ゼットの切り離された首を持った黒い巨人が、そこにいた。

 ウルトラマンとは微妙に違うが、さりとてかけ離れているとも言い難い造形。

 ティガダークとどこか似た体色の、女性型の巨人。

 

 竜胆が友奈を優しく地面に置き、ブラックスパークレンスを握る。

 二連続変身、それがどれだけ危険なのかは、感覚的に分かる。

 負荷で死ぬかもしれない。

 されど竜胆は、それでも変身しなければ、倒さなければと思い、ブラックスパークレンスを強く握って―――その巨人の、名を呼んだ。

 

「『カミーラ』……?」

 

 何故俺は名前を知っているのかと、竜胆は勝手に動いた自分の口に触れる。

 周囲の仲間も、敵巨人と竜胆の両方に対し、驚愕と困惑をしている。

 対し女性型の巨人は、竜胆とブラックスパークレンスを見下ろして微笑んだ。

 

「体が覚えているのね、ティガ」

 

 竜胆と融合した、ティガの力。

 竜胆はそれが何かをほとんど知らない。

 だが、彼が知らないだけで……力以外の『ティガ』も、彼には継承されている。

 

 女性の巨人は、竜胆とその周りの少女達を見下ろす。

 そして、目を細めた。

 その瞬間、体を動かせる勇者達は身構える。

 竜胆は何も感じず、勇者達だけが感じた殺意。

 それは、"ティガの周りにいる女のみ"に向けられる殺意だった。

 本性を剥き出しにした、本意から来た、本心にして本望たる、本当の、本気の、本物の殺意。

 

「ああ、また、女」

 

『……?』

 

「また女ね、ティガ。

 三千万年前はユザレ。そして今も、そんな女どものために」

 

 竜胆には、その女巨人が何を言ってるのか分からない。

 その意図が読めない。

 だが、他人の気持ちに敏い友奈は、カミーラの視線の動き、言動、ニュアンスから、カミーラの内に満ちる感情を見て取った。

 

(これ……『嫉妬』……?)

 

 カミーラは、並々ならぬ『愛憎』と『嫉妬』を、ティガへと向けていた。

 

「ああ―――とても、とても、殺したい気分だわ。

 でも、ただ殺しただけじゃ、きっと何も伝わらず死ぬだけだろうから。

 ……私は後の方で、あなたが追い詰められてから存分に、あなたを虐めてあげる」

 

「お前は……」

 

「また会いましょう、リンドウ。

 本当の闇のティガとしてのあなたを、次は見られることを期待しているわ」

 

「待て!」

 

「本番はここからよ」

 

「え?」

 

「イフを倒した。

 ゼットを倒した。

 ブルトンもその内倒すのでしょう?

 そろそろあちらも本気を出すということよ」

 

「……本、気?」

 

「バーテックスの自動学習と自動進化に大半を任せるのも終わり。

 手を抜いていたわけではないでしょうけど、これまでがぬるかったことも事実」

 

 戦いは、次のステージへ。

 

「さようなら、ティガ。つまらないところで死なないようにね」

 

 ゼットの頭を抱えて、カミーラは結界の外へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 星屑の肉は、集めて変質させることで、極めて多様な存在を作ることができる。

 怪獣の概念記録と多量の星屑があれば、どんな怪獣でも再現することができたこれまでを考えれば、その汎用性の高さも窺える。

 時間さえかければ、星屑の量さえあれば、オリジナルとほぼ変わらない性能も出せる。

 

 だがゼットやイフのようなものを作るともなれば、途方もない時間がかかるだろう。

 コストからして一からの再生産が非現実的なものであり、また何らかの対処をされてしまうかもしれないリスクを犯してゼットやイフを作るのは、想定デメリットが想定メリットを上回ると考えられる。

 ゼットやイフの後継が出ることはないだろう。

 

 だが、再生産でなければ。

 例えば、完全に死に切っていないゼットの頭を、凝縮した星屑に植え付ければ。

 "十二星座という大個体の一部となる"ように、"怪獣を模した肉となる"ように、集めて凝縮した星屑の肉を新たな肉体として……ゼットを擬似的に蘇生することすら、可能である。

 カミーラは、密かに集めていた星屑を使って、それを実行に移していた。

 

「ふざけるな……ふざけるな!」

 

 ゼットが叫ぶ。

 

 復活しつつある自らの肉体を見て、カミーラに憎悪と憤怒の叫びを叩きつけていた。

 

「私の敗北に終わるとしても何ら構わん!

 何故あの『終焉』を下衆に汚した!

 あの美しい決着を奪うなど、他の誰でもなく、私が許さん!」

 

「あら、ゼットンらしくもないことを言うのね」

 

「お前には……分からんのか!

 あの人間とウルトラマンが見せたものが、何なのか!

 始まりのゼットンは……"あれにこそ"、負けたのだ!」

 

「人間とウルトラマンの絆……ね。

 でもいいじゃない。それを滅ぼすことこそが、あなたの存在意義なのでしょう?」

 

「黙れ。

 無様な生など求めた覚えはない。

 求めたものは勝利と終焉……それだけだ!」

 

「……自分の終焉までも肯定する、と」

 

「私は私の全てを出し切った!

 あそこで死ぬのなら悔いは無い……いや、違う!

 あの戦いで、あのウルトラマンどもに負けるなら! 悔いは無いと言っているのだ!」

 

「はいはい。少し、頭の中いじった方がいいかしら」

 

「……っ」

 

「もうあなたは、その綺麗な終わりを逃したのよ。

 死に損なったの。なら、新しく美しい終わりでも見つけるしかないわ」

 

「貴様ッ!」

 

「私の目的は天の神とは少し違うわ。天の神が生み出したものでこの身を作ってはいるけれど」

 

 黒き女巨人カミーラは、新たな手駒を一つ手に入れた。

 

「この地球に恐怖と絶望を。

 ティガに喪失と絶望を。

 闇に堕ちるなら良し。そうでないなら、そんな下等で無価値なティガは―――」

 

 それは、天の神が遣わすものの一つでありながら、天の神に忠を尽くさぬ者。

 

 忠ではなく、愛憎で動く者だった。

 

 

 




【原典とか混じえた解説】

●愛憎戦士 カミーラ
 人間の姿と巨人の姿を持つ、ティガと同族の闇の巨人。
 『ティガダーク』の昔の女。
 かつてのティガの恋人。
 要するに元カノ。
 三千万年前、"ある経緯"からティガに裏切られ、『ウルトラマンティガ』に倒された。
 金の体色、氷の鞭や雷撃の能力を持ち、『本来のウルトラマンティガ』が備えていた金の体色に雷撃や氷の能力は、おそらくこのカミーラの能力が由来となっているもの。

 かつて地球人のある女がティガダークを光に誘い、ティガが『ウルトラマンティガ』となり、闇の巨人である自分と敵対したことがトラウマ。
 ティガが闇であってほしいと願っている。
 ティガを光に誘う女を絶対に許さない。
 邪悪に歪んだ愛、闇に落ちた愛、正しき愛に負ける間違った愛を体現する。
 かつてティガを誰よりも愛し、ティガを誰よりも憎んだ女。ゆえに愛憎戦士。

 闇の巨人としての彼女の解説は、本登場したタイミングにて。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4

 ゼットとの決戦から、二週間以上が経った。季節は六月。

 

 碑とは、石に名を刻んだものだ。

 伝説を刻んだ石碑もそう。

 街角にあるような記念碑もそう。

 死者を慰める慰霊碑などもそう。

 墓石も、これの一種である。

 

 アナスタシアのために急遽用意された"それ"の前に、喪服のひなたと竜胆はいた。

 

「アナちゃんは、なんであんな選択を、してしまったんでしょうか」

 

 墓の下にアナスタシアの亡骸は無い。

 されど、ひなたは墓石の向こうにアナスタシアを見るように、空っぽの墓へとアナスタシアへの祈りを捧げる。

 

 アナスタシアが好きそうな花をひなたが選び、買って持ってきたそれを、供えた。

 アナスタシアが好きそうな饅頭を竜胆が選び、買って持ってきたそれを、供えた。

 

 ひなたはアナスタシアの選択に対し『なんで』『どうして』と繰り返し思う。

 それはアナスタシアのことを理解していないからではない。

 あの少女のことを分かっていないからではない。

 

 それは、別の言葉に変換されただけの"生きていてほしかった"という想いだ。

 人間は不条理を前にして、感情が理性の制御を超えてしまうと、『なんで』『どうして』といった単純な言葉を頭の中に並べ始める。

 それは、思考ですらない、感情の咆哮だ。

 その『なんで』『どうして』は、答えが出ないからこそ、苦悩という名前が付けられている。

 

「アナちゃんにも、まだしたいこと、たくさんあったはずなのに」

 

 アナスタシアはひなたを母のように慕い、ひなたはアナスタシアを妹のように愛でた。

 

 ひなたを納得させられる答えは、多くはないだろう。

 ナターシャの墓標の前で、竜胆はひなたの背中に悼むように言葉をかける。

 

「ずっと未来まで"生きたい"。

 幸せになって長生きしてから"死にたい"。

 他人を守って若くして死ぬような生き方で"生きたい"。

 生きているのが辛いから立派に"死にたい"。

 全部それぞれ似ていて、けれど全部違う。

 皆違う考えを持っていて、皆違う願いを持って生きているのが、人間だ」

 

 生と死。

 選択と人生。

 人は誰もが、そこに違う選択と、違う結論を持つ。

 

 竜胆ですら、生きたい理由、死にたい理由、生きなければならない理由、死ななければならない理由を、沢山持っていた。

 

「ナターシャはさ、自分の人生を何に使うか……その答えを見つけたんだ」

 

「答え……?」

 

「命の答えだ。

 何のために生まれてきたのか。

 何のために生きているのか。

 それを自分自身で見つけて、答えを定めて、未来のために笑ってその結末を選び取る」

 

 俺はあんなに綺麗に死ねるだろうか、と竜胆はアナスタシアを思い想う。

 

 今の俺にはきっとできない、と竜胆は確信を持って言える。

 

「俺にも、ゼットにも、できなかったことだ。

 与えられた意味を貫いたゼットにも……

 まだ、遠く先の自分が見えていない俺にも……」

 

「……」

 

「その選択を選んだことに、ナターシャは後悔してなかったと思う」

 

 アナスタシアの顔を最後に見たのは竜胆だ。

 だから彼は知っている。

 アナスタシアには、生きてしたいことも沢山あって、生きて仲良くしたい人もたくさんいて、けれど、それでも……その選択自体に、悔いは無かったのだと。

 

 ひなたは振り返り、凛とした様子で竜胆と向き合った。

 

「だから、アナちゃんの選択は、正しかったって言うんですか?」

 

 ひなたの語調が少しキツくなる。

 僅かに責めるような声色も混じっていた。

 アナスタシアの選択を、正しいことだなんて、ひなたは言えない。

 

 街は、尋常でない悲しみや不安に包まれていた。

 何せ一般人視点では、5月10日に結界をバーテックスが突破、非常事態宣言と避難。

 5月14日にケンとパワードの死亡の報が、四国の街各所の避難所に飛び。

 5月17日にアナスタシアの死亡の報が飛び、非常事態宣言解除と、事態の変化が異常なほどに速かったからだ。

 少し時間が経った今頃にようやく、民衆は戦士達の死を落ち着いて悲しむことができた。

 

 戦死に次ぐ戦死。

 結界の護りの突破。

 民衆の不安は、アナスタシアの死をきっかけに爆発してもおかしくはなかった。

 爆発しなかったのは、ガイアとアグルの帰還が人々に安心をもたらし、勇者やティガダークが敵を倒す姿が人々の記憶に強く残ったからだろう。

 

 更に大社が、死んだ者達を"世界のためにその身を犠牲にした英雄"として、全力で持ち上げる方針を選んだというのもある。

 そのおかげで、死んだ勇者や巨人への評価は向上しつつあった。

 アナスタシアも、英雄になった。

 死んだ英雄に。

 

 アナスタシアの選択を、大社が褒め称えている。

 自分を犠牲にして世界を守ったのだと、アナスタシアを民衆が皆褒め称えている。

 ありがとうと誰かが言った。

 あなたのおかげで私達は生きていますと、アナスタシアに感謝した。

 アナスタシアの自己犠牲を悲しみながらも、"全面的に肯定"していた。

 

 それは、死んだアナスタシアが"死んだ役立たず"と罵られるよりはマシなのかもしれない。

 

 だが、ひなたは、肯定的に受け入れることなどできなかった。

 

「私は……アナちゃんのあの選択を……正しいものだと思わないといけないんですか……?」

 

 竜胆の手が優しく、ひなたの肩に乗せられる。

 

「……その選択が正しいなんて言いたくないよな。だって、こんなに悲しいんだから」

 

 ひなたは自分の口調が思わず責めるようなものになっていたことに気付き、竜胆にそういう声をぶつけてしまったことに気付き、ハッとする。

 悲しんでいるのは、ひなた一人ではない。

 

「ごめんなさい、御守さん、私……」

 

「いいんだよ謝んなくて。

 ひーちゃんはそれでいい。

 でもさ……ナターシャのこの選択を、間違ってるだなんて思ってほしくないんだ。誰にも」

 

 ナターシャの選択は、正しくなかったと、そう言う者もいるだろう。

 

 だが竜胆は、「間違っていた」とだけは、言われたくなかった。

 

 特に、ひなたの口からは。

 

「ナターシャが守ったものがある。救ったものがあるんだ。君がここに生きている」

 

 竜胆とアナスタシアは、同じ物(ひなた)を守ろうとする二人だったと言える。

 かつて、球子は竜胆に"そう"言って、竜胆の『仲間』になってくれた。

 あの時の救われた気持ちを、竜胆は忘れない。

 

―――今日、思った。守りたいものは一緒なんじゃないか、って

―――立ち向かう敵が一緒で、守りたいものが同じなら、一緒に戦えるんじゃないか、って思った

 

 竜胆とナターシャはひなたを守ろうとした。

 二人の立ち向かう敵と守りたい人は同じだった。

 ナターシャは死に、ひなたは生き残った。

 なればこそ竜胆は"その言葉"を言わなければならない。

 

 "生き残った方の守る者"として。

 

 

 

「ひーちゃんが生きていてくれて、よかった」

 

 

 

 ひなたは、アナスタシアを死なせた上で自分が生き残っていることに罪悪感を覚えている。

 それでは駄目だ。

 それではアナスタシアの願いが叶わない。

 小さなあの子が願ったものは、ひなたの生存と幸福だったから。

 

「よくないです。私は生きていても、アナちゃんは、アナちゃんは……」

 

「よかったんだよ」

 

 強く、少年は言い切る。

 

「ナターシャがああなって、『よかった』と思えないのは分かる」

 

「……」

 

「だけどな、俺達は、君を守りたかったんだ。

 俺達にとって自分の死は敗北条件じゃなくて、ひーちゃんの死が敗北条件だった。

 俺達にとっての勝利条件は、ひーちゃんの命を守り、ひーちゃんの未来と幸福を守ること」

 

 ひなたを幸せにするのが、アナスタシアの願いを引き受けた、竜胆が果たすべき責任なのだ。

 

「悲しい。

 俺も、本当は悲しい。

 ナターシャが死んだ後に、『よかった』って思うたび、自分を否定しそうになる。

 ナターシャが死んだのに何が『よかった』だ、痴呆かよ俺は、って……」

 

「だったら」

 

「でもな、ひーちゃん」

 

 アナスタシアの代わりに、ひなたの未来と幸福を守ることが、竜胆が決めた生き方なのだ。

 

「悲しみで歪めちゃいけないものって、あるだろ」

 

「―――」

 

「よかった。よかったんだ。

 "ひーちゃんが死ななくてよかった"って、俺は何度でも言う。

 君が生きてくれていることが嬉しい。

 君を守れたことが嬉しい。

 この気持ちは、きっとナターシャの中にもあった気持ちだ。

 ナターシャはそのために……自分の人生を、自分が選んだ形で走り切ったんだ」

 

 その言葉を聞き、ひなたはようやく気付いた。

 

 竜胆はひなたのために"よかった"と、言っているのだ。

 本当はひなたのように、『なんで』『どうして』と言いながら、泣きたいに違いない。

 だが、そうはしない。

 アナの死を悲しむ顔ではなく、ひなたの生を喜ぶ顔を選んでいる。

 ひなたがアナスタシアの死を悲しむだけではなく、アナスタシアに救われた命を、いつか喜べるように……そう考えて、そうしている。

 

 君が死ななくてよかったと、竜胆は心の底からそう思い、そう口にしている。

 悲しみを、ぎゅっと抑え込みながら。

 "想われている"という実感に、ひなたは胸の奥が締め付けられる思いだった。

 

「だから俺は言う。君が生きていてくれて、よかった」

 

「……御守さん」

 

 竜胆は知っている。

 他の誰が否定しようとも、知っている。

 アナスタシアが残していったものは絶望の闇ではなく―――希望の光であることを。

 

 悲しみが死の全てではない。

 残された光もそこにある。

 竜胆は、ひなたに悲しむだけでなく、ナターシャが遺した光にも気付いてほしかった。

 "幸福を願われた"というその光に、気付いてほしかった。

 

「ナターシャは、誰にも殺されていない。

 ナターシャは、自分の選んだ道を進んだ。

 光を走り切った彼女の最期を……どうか、ただの悲劇にしないでくれ」

 

 アナスタシアの最期は、悲劇というと少し違う。

 残酷というのもまた違う。

 一言で表すならば、きっとそれは、『愛』だ。

 

―――この人のためなら、死んでもいいって、そう思えるのが……『愛』なんじゃないかな

 

 少女の愛が、ひなたの命を、皆の未来を守ったのである。

 

(私は……いつになっても、仲間の死に慣れませんね)

 

 ひなたは、心強き竜胆を見て、自分の心にある弱さを恥じた。

 

 仲間が死ねば死ぬほど辛くて、心の柔らかい部分が崩れていってしまう感覚がある。

 一人死ぬたび、自分が死ぬこと、仲間がこれ以上死ぬことが怖くなって、勇気ある決断や選択ができなくなってくる。

 思考の中に怯えが混じる。

 気を抜くとすぐに、乃木若葉が死なないか不安になってしまう。

 ひなたの心には、年相応の弱さがある。

 

 そんな中、仲間が死ぬたびに誰よりも明確に強くなり、誰よりも多くのものを死者から受け継ぎ、誰よりもその死を無駄にしない少年がいた。

 

 仲間が死に、その絶望で強くなる運命。

 仲間が死に、受け継いだ希望で強くなる心。

 この二つは竜胆の中にある、表裏一体の形質である。

 

 仲間の死に悲しむ者達は、受け継いで立ち上がる竜胆を見て思うのだ。

 『無意味に死んだものなどいない』、と。

 何も語らずとも、その在り方だけでそのメッセージを伝える竜胆/ティガの姿は、死の悲しみに膝を折っていた人達の心を立ち上がらせる。

 

「いつでも、どーんと寄りかかかって来い。一人で立てるまで、俺が傍に居てやるから」

 

 悲しみの中に居たひなたの前で、竜胆は強く胸を叩いた。

 

 竜胆の花の花言葉は、『正義』、『誠実』、そして『悲しんでいるあなたを愛する』。

 

「いえ」

 

 ひなたの表情に、自然と微笑みが浮かんだ。

 悲しみはまだそこにあり。

 死人は忘れられそうにない。

 けれど、それでも、笑って生きていくことだけは、できそうだった。

 

「私はもう、大丈夫です。ありがとうございます」

 

 ひなたは竜胆に感謝しながら、己の胸に手を当てる。

 その手に鼓動が伝わる。

 自分が今、ここに生きていることを……アナスタシアの願いに守られて、今もここに生きているということを、手に伝わる鼓動が伝えてくれていた。

 

「御守さんに甘えすぎると、くせになっちゃいそうですから」

 

 ひなたが笑う。

 冗談めかして言っていたが、半分くらいは本音だった。

 

「別にいいんだぞ。他人に甘えんのも、弱く在るのも、度を過ぎなければ」

 

 竜胆が「弱くてもいい」「弱いままでもいいんだぞ」と言うと。そう言った相手が不思議と強く成長していくということに、竜胆は気付いているのだろうか。

 

「人間がそれぞれ違うのはな、違うところで支え合うためだ。

 皆もっと弱くたっていいのさ。

 俺が代わりに強く在るから、ひーちゃんもどーんと頼ってくれればいい」

 

 ひなたはその言葉が嬉しかった。

 だからこそ、これ以上甘えることはない。

 

「なら、戦えない私ができる役目は、きっとこれなんだと思います」

 

 綺麗な顔に浮かべられる、可愛らしい笑み。

 ひなたはこれでいいのだろう。

 仲間の死に泣く弱さも、それを人前で見せない強さもあって。

 飄々としているようで、繊細で。

 強く見えるが、自分が弱いことを自分自身が一番良く知っている。

 

 彼女が待っている場所が、皆の帰る場所。

 巨人と勇者達が皆、戦いの中で切望する、帰る場所(にちじょう)なのだ。

 

 彼女が笑えなくなれば、皆の帰るべき日常に絶望が満ちる。

 彼女が笑って迎えてくれれば、皆はまた少しだけ、頑張れる。

 それでいい。

 それでいいのだ。

 戦えない彼女が要らないだなんて、誰も言わない。

 

「私の役目は、いつまでも泣いていないで……笑顔で皆を、迎えることです」

 

「ひーちゃん」

 

 『勇者の誰と比べてもひなたは落ち着きがあるように見えるし、一番に大人っぽく見える』。

 竜胆がかつて、ひなたに対して下した評価だ。

 

 ひなたは勇者の誰と比べても大人っぽいと、竜胆は思っている。

 周囲を振り回すこともあるが、それは子供らしさゆえの振り回しではない。

 だからこそ、彼女は丸亀城の少女達の中で一番に、"涙をこらえる大人"に近い者だった。

 

「御守さんが無事で、本当によかった」

 

 『よかった』に、『よかった』を返すひなた。

 竜胆がひなたに優しくした分、ひなたに優しくされ返された気がして、少年は頬を掻いた。

 

 ナターシャの繋いだ命は、今日も世界を生きている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三ノ輪大地。18歳。大学一年生相当。

 鷲尾海人。16歳。高校二年生相当。

 千景と竜胆が高校一年生相当なことを考えれば、三つ年上と一つ年上と見ればいい。

 

 大地はガッチリした筋肉質な体に、精悍な顔つき、染めたっぽい金髪の髪の男。

 っぽい、というのは、髪の毛の根元あたりが黒くなっているからだ。

 四国外での活動中に髪が伸びてしまったらしい。

 

 海人は意外に線が細く、肌が白い。

 垂れる細く黒い髪もどこか虚弱さを感じさせ、男版杏といった印象を受けた。

 要するに、インドアタイプの男に見える、ということだ。

 

 精密検査・治療・大社の事情聴取なども完了し、二人はようやく丸亀城の皆と合流してくれた。

 道場にて、竜胆は二人に改めて挨拶する。

 

「では改めて。

 御守竜胆、ティガダークです。

 お二人の留守の間に、戦線に加わってました。どうぞよろしくお願いします」

 

「固っ」

「固っ」

 

「えっ!?」

 

「なーにがどうぞよろしくお願いしますじゃ。

 背中は任せたぜ! くらいでいいんだぞ、後輩。ワシは許す」

 

「ノリが軽すぎる……俺後輩、お二人先輩、しかも年上なのに……」

 

「真面目で飯が食えるわけでもあるまい。その点、ワシとこのカイトは不真面目の極み」

 

「は? 大地パイセンと違ってオレは真面目キャラなんすけど」

 

「おおっと梯子外し。

 じゃがカイト、百歩譲ってお前を不真面目キャラじゃないとしよう。

 お前は真面目キャラじゃねえ、陰気キャラだ。身の程をわきまえな」

 

「なんですと!? よくも言ったなこの道着汗臭男!」

 

汗臭(あせくさ)とか言うな!」

 

「仲良いですね、三ノ輪さんも鷲尾さんも」

 

「「 当たり前だろ 」」

 

 ガイアとアグル。

 二つのウルトラマンは、対である。

 赤にして大地のウルトラマン、ガイア。

 青にして大海のウルトラマン、アグル。

 二つ合わせて、地球の全てを体現するものだ。

 

 大地と海人は地球に選ばれ、この光を得た。

 言うなれば、二人は地球によって"地球の代表者"に選ばれた者なのだ。

 地球に選ばれた、純地球産のウルトラマン。

 その力は、星の力である。

 

 二人は仲良くなれるかを考慮されて選ばれてはいない。

 馴れ合いのような仲の良さはなく、されとて仲は間違いなく良好だ。

 星に選ばれた人間は、星の命をそれぞれの形に愛し、近しい想いで守ろうとする。

 ぶつかり合いながらも気が合うのは、ある意味妥当なことなのかもしれない。

 

「気を付けろよ御守。

 大地パイセンは結構不良だからな。

 染められると未成年飲酒とかに付き合わされるぞ。

 幼少期に近所のジジイに変な喋りと悪い生き方を教わっちゃった人なんだ、この人は」

 

「……え!? だ、駄目ですよ! 未成年飲酒は体に悪影響が……」

 

「いうて司法も立法も行政も崩壊した日本でそんな硬いこと言われてもなぁ」

 

「三ノ輪さん!」

 

「法治が崩壊した地球で法律とかワシしーらねっ」

 

「俺は殴ってでも止めるぞ」

 

「うおっ、怖っ! まあ待て、ワシもたまーにじゃたまーに」

 

「たまにでも飲むなや! お酒はハタチになってから!」

 

 "若葉が一人増えた"と大地は思った。

 "いやあこういう真面目誠実タイプな奴好きだわ"と思考する大地は、ちょっと上機嫌になる。

 

「まあパイセンは真面目じゃないけど努力家だよ。

 戦闘力と、戦闘時で頼れるのは保証する。

 真面目じゃないだけで常識と倫理はあるから、仲間にしとく分には悪くない」

 

「そうなんですか……」

 

「ワシぁ仲間内からはドルオタのカイトよか不真面目に見られとるからな」

 

「おい」

 

「ああ、今は人当たりのいい顔しとるが、カイトのメッキはすぐに剥がれるぞ。

 その内素のカイトが見えてくる。それまで評価は待っておけ、御守。

 こいつは従順に言うこと聞いてくれそうな新人を見て、カッコつけてイキってるだけじゃ」

 

「言い方!」

 

 がっはっはっはっと笑って、大地は右手で海人の背中をバンバン叩いた。

 ゼット戦から今日まで、約二週間。

 その手の指は確か折れていたはずだったが、大丈夫なのだろうか。

 

「手の骨のヒビ、大丈夫ですか?」

 

「レントゲンで見る限りは大丈夫だったかな。

 ワシ、ウルトラマンになる前から回復力べらぼうに高かったもんよ。

 とはいえ小さいヒビが残ってる可能性もあるんで、叩きつけるとかはNGなのじゃ」

 

「へえ……ん? あれ? 今鷲尾さんの背中に叩きつけて」

 

「バーチャルリアリティじゃ」

 

「それで誤魔化せると思ってんなら俺はどれだけバカだと思われてんの? え? え?」

 

「しかし勇者からワシが聞いたところ、お前さんはバカの中のバカ、バカの神だと」

 

「天の神みたいに呼ばれると俺反応し辛いんだけど?」

 

「ワシは若葉の言うことは信じてるんだがな」

 

「ひっくり返してもバカワカバのあだ名復活させてやろうかあいつめ……」

 

「ところでワシワシ連呼されると、オレの名字の鷲尾とややこしいよな、どう思う?」

 

「なんで俺に言うんだよ!」

 

 若葉から竜胆の話を聞いたらしい三ノ輪大地。

 話に加わってこないで黙ってたくせに、唐突に話に入ってくる鷲尾海人。

 この二人の会話のテンポを掴むのは、普通の人だと骨が折れそうだ。

 

「ほー、ワシと身長同じくらいの年下とか初めて見たの」

 

「二人共でけーわ、オレとか乃木ちゃんに負けそうなくらいなのに」

 

「俺の場合は身体測定の度に伸びてるんですよね……いつの間にか180超えてましたし」

 

 体格で見れば、竜胆と大地は互角に見える。

 ロッキーと言えば強き格闘家の代名詞だが、二人の腕の太さはロッキーを思わせるほどに太く強大だった。

 ちなみにカイトはポッキーを思わせるほどに貧弱だった。

 

「がっはっはっは!

 四国の外をうろちょろしてる間に、ワシ浪人生になってしまった! 笑ってくれ!」

 

「いやまあ俺も中卒浪人みたいなもんですから、仲間ですよ」

 

「うむ、そうだな。

 そこで仲間の名乗りを挙げてくれたこと感謝する!

 これからも一緒に仲間として戦おう! よろしこじゃあ!」

 

「よろしこ……?」

 

「御守、検索かけたけどパイセンが言ってるのは多分これだ。

 西暦2001年にHEROというドラマがあって、それが元ネタなんだと……」

 

「俺まだ生まれてねえよ! 18年前じゃねえか!」

 

「ちなみにワシもその頃にはまだ生まれとらん」

 

「!?」

 

 話していると分かる。

 大地は大人と話してその話題に合わせてきた人で、海人はインターネットの話題に合わせてきた人だ。海人には検索癖もある。

 大地の話し方は陽的で快活、海人の話し方は陰的でおとなしめだ。

 だから、何か話を切り出す時は、基本的に大地が話を切り出していた。

 

「うむ、これでワシらも大体距離感が分かってきただろ。

 ちとな……聞きたいことがあるんだが、聞いてもいいだろうか」

 

「どうぞ。俺に答えられること、俺が知っていることなら」

 

「誰が死んだかとか。

 今の四国がどうなってるかとか。

 ワシらもその辺は大社から聞いてる。

 当事者として、君がここの戦線に加わってから何があったかの話を聞きたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜胆はこれまでの経緯を話した。

 思えば、大地と海人も大量虐殺犯・ティガのことを大なり小なり知っていたはずだ。

 その上で、一度も竜胆を不審に思わなかったのは、彼らが最初に見たティガの姿が『街と人々を背中にして戦う』ものだったからだろう。

 

 加え、二人は"ウルトラマンに選ばれるような者"であったから。

 自分の目で見て、肌で感じたものを信じる。

 なればこそ、ティガを疑うような思いを持ってはいなかった。

 竜胆が語った今日までの戦いを日々の話を、疑うことはなかった。

 

「……なるほど。ワシらがいない間、お前さんも相当苦労しとったんだな」

 

「いえ、苦労は俺達皆、等量だと思いますよ」

 

「よく頑張った。辛いことも多かったろう。皆を守ってくれて礼を言う」

 

「えー、パイセン、そこまで同情するようなもんかな」

 

「だーかーらお前は陰キャなんじゃカイト。はっ倒すぞ」

 

「陰キャ!? え、いや、だってさ、結構みんなこのくらい辛い想いしてると思うよ」

 

「不幸比べして他人の不幸を大したことないとか言う奴はクズじゃ。

 世界中の全員が不幸になったとしても、一つ一つの不幸の辛さは変わらん。

 つまりカイト、お前はクズじゃ。反省して謝れ」

 

「えー……」

 

「世の中にはな。

 自分の痛みを大声で言う奴と、痛みを小さく申告して『大丈夫』って言う奴がいる。

 前者は痛みで喚くので周りに心配され、優しくされる。

 後者は痛みに強いので、本当に完全に潰れるまで痛みを溜め込む。

 手遅れになるのは大体後者じゃ。

 前者がお前で、後者が御守。そこんとこなんとなく分かるだろ、おーけー?」

 

「ボロクソ言うなパイセン……!

 つか、家族亡くした人が山のようにいるこの世界で、そんな特別同情されるもんかなこれ」

 

 きっと、大地の方が情に厚いのだろう。

 海人はどこかドライだ。

 だが、そんな彼だからこそ、見せる姿勢というものもある。

 

「普通だよ普通。御守はかわいそうなやつじゃなくて、普通の奴だ」

 

「!」

 

「まあ、というわけで。

 オレは同情も憐憫もしない。

 多分同情で優しくもしない。

 あくまで普通の仲間だ、普通のな」

 

 海人は竜胆をかわいそうな人間扱いしない。

 人より辛く下等な人生を生きた人間扱いしない。

 同情していないから、見下さない。

 竜胆の人生を『かわいそうな人生』扱いすることだけは、絶対にしない。

 それが、鷲尾海人という少年だった。

 

「じゃ、それでよろしくお願いします。鷲尾さん」

 

「おうよ」

 

「……っと、そうだ。ワシもせにゃならん話があったんだった」

 

「話?」

 

「おう、まず、ワシらが四国から離れたところからだな。

 ワシらは地球を守るため、最大威力の光線を放ったものの、宇宙の断層に飲み込まれ……」

 

「あ、すみません、そこ本題ですか?」

 

「本題じゃないな、うむ。

 ではザックリ言おう。

 地球に帰還したワシらを助けてくれたのは、四国の外に生きる人間だった」

 

「!」

 

「北海道にワシは落ち、沖縄にカイトが落ちた。

 結論から言えば、北海道・沖縄・諏訪にはまだ人間と、『勇者』が生きていた」

 

「四国外の勇者……!?」

 

「ああ」

 

 四国の外の生き残り。

 それを守る三人の勇者。

 勇者が三人増えたところで、そこまで極端な戦力上昇は見込めないだろうが、それでも『合流できれば』という希望が湧いてくる。

 

「ワシらはそこに攻めて来ていた大量のバーテックスを片付けていてな。

 おかげで随分と帰るのに時間がかかり……随分と、友に無理をさせたようだ」

 

 希望を得た表情の竜胆とは対照的に、大地は分かり辛く悔やんでいるように見えた。

 四国の外で人を守り、帰ってみれば絆を結んだ仲間達の死屍累々。

 "あの時ああしていれば"という後悔で、胸の内が一杯になっているようだ。

 

「三ノ輪さん……」

 

「ただ、それも四国の守りという意味では、無駄じゃなかったんじゃろな」

 

「え? それって」

 

「ワシらが北海道・沖縄・諏訪で倒した分が、四国の攻撃には回ってなかったんだから」

 

「……あ」

 

 そうだ。

 四国の外三ヶ所で、勇者や巨人が戦っていたということは、その分だけ戦力が分散されていたということだ。

 神樹が存在し、多数の勇者と巨人が守る四国には、言うまでもなく最大戦力が集中していたことだろう。

 だが、カミーラの言葉を信じるのであれば、他三つの土地に向けられた戦力を『本気』で四国に向けてくる可能性が非常に高い。

 

 次回から投入される戦力は、質と量を総合的に見て最悪四倍近くに増加するということだ。

 

(そうか、そういうことになるのか……!)

 

「ワシらは、神樹と一体化し、これまで飛ばせない距離まで思念を飛ばしたアナの声を聞いた。

 それで、超特急で四国に戻って来たんじゃが……

 ……最適なタイミングであったようで何より。

 正直諏訪とか放置すんのちょっと怖かったのだ。

 が、この状況なら敵さんはほぼ全ての戦力を四国だけに向けてくることだろうな」

 

「デカい戦いになるってことですね」

 

「『大侵攻』だ」

 

「『大侵攻』……?」

 

「ワシらは戻る途中、四国の外、遥か北西にとんでもない戦力の結集を遠目に見た」

 

「!」

 

「ワシらはそれを大侵攻と名付けた。

 過去最大戦力による、全力の四国侵攻となるだろう。

 もう大社には報告しておる。

 がっはっはっは! ぶっちゃけるとやべーなって思ってる」

 

「ちょ、ちょっと!」

 

「が、希望もある。大侵攻の準備軍勢の中に、ブルトンが見えた」

 

「―――え?」

 

「パイセンは巨人化前から目が良くて、巨人化するともっと目が良いからなー」

 

「ブルトンを倒せば、結界強度にかなり余裕ができる。そうだろう?」

 

 ピンチはチャンス。よく言ったものだ。

 

「おそらくブルトンは、空間を歪めて、大量の軍勢を効率よく転送しようとする。

 そこで、だ。

 神樹サマに頼んで、大侵攻の大雑把なタイミングの未来を予知してもらう」

 

「……あ、なるほど」

 

「予知してもらうのは大侵攻の内容は要らん。

 タイミングだけでいい。

 その二週間前から一ヶ月前に、大侵攻の戦力にワシら先制攻撃を仕掛ける」

 

「それで敵の戦力を減らせれば……」

 

「うむ。それに、それでワシらでブルトンを倒せれば最高だ。

 結界防御に余裕が出来れば、他の土地の勇者達や住民を回収・合流できる。

 首尾よく合流し、戦力を増やせれば……巨人三人、勇者七人が揃う」

 

「いやパイセン、そんな希望的観測してても絶対上手く行かないよ」

 

「だぁっとれカイト。

 お前のネガティブ思考はまあ楽しい。

 悲観的でもあり現実的でもある。

 だがネガティブに低いハードルしか設定しないのなら、いつまでも低くしか飛べんぞ」

 

「へいへい」

 

「『大侵攻』がずっと先のことなら、その前に各地域の勇者住民回収してもいいんじゃが……」

 

「いやパイセンそれはないでしょあの様子じゃ」

 

「だろうなあ」

 

「俺達はこれから、四倍化した敵の侵攻を阻止。

 そして隙を見て大侵攻の準備戦力に奇襲を仕掛け、できればそこで大打撃を与える。

 ブルトンが討伐できたなら、四国の守りを結界に任せ、各地の勇者などを回収……

 つまり、こういうことですよね? もしかしたら、戦いに一区切りがつくかもしれない」

 

「ああ、そういうことだとも」

 

 日本で言うなら関ヶ原、世界規模で言うなら世界大戦にあたる、神と人との全力決戦。

 

 これまでにあったどれよりも()()()()()全力の攻勢が、近日に迫る。

 

「『大侵攻』は、人類と神の双方に取って初めての―――両者総力戦となりかねん」

 

 ガイアとアグルは、希望を持って来た。

 

 それと同じくらいに大きな、絶望も持って来た。

 

 いつから準備していたのかも分からない、ブルトンを中心とした『大侵攻』―――それがどれほど恐ろしいものであるか、正確に理解している者は、一人もいなかった。

 

 

 

 

 

 四国の外、遥か彼方の海上。

 東西南北どちらを見ても、1mmの隙間もないほどに敷き詰められた星屑が、海を覆っている。

 そこに、黒い雷が落ちた。

 雷は天の怒りと語られるもので、天の神の権能である。

 黒い雷の力が星屑に走り、星屑が集まって凝縮し、新たな大型バーテックスを生み出した。

 

 その怪獣型バーテックスの胸に、不思議な紋様が刻まれた。

 それは、天の神の紋。

 ()()()()()()沿()()()()()()()()()ことを絶対に許さない、天の神の祟り。

 同時に、天の神が『それ』に後付けの力を加えた証明となるものだった。

 

 今になってみれば、天の神にとって、ゼットは失敗作である。

 強くはあっても、それを最大効率で叩きつければ人類は滅びていたはずなのに、結局様々な矜持に縛られ人を滅ぼせなかった。

 ゼットン軍団を率いる最強のゼットンであったのに、ウルトラマンと自分の力でぶつかっていくことを選んでいた。

 その上で、"全てを一人で叩き潰す"ほどには力を持っていなかった。

 

 だからこそ、天の神は継ぎ足す。

 力を。

 (タタリ)を。

 天の神が禁じた行動を一切取らず、その力を更に強化した怪獣個体を。

 

 『大侵攻』の準備は、刻一刻と進められていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 丸亀城から見える街の景色が、竜胆は好きだ。

 友達の隣の空間が、千景は好きだ。

 だから二人は丸亀城の端、城壁の上で並んで座り、街と夕日を眺めている。

 アナスタシアが死んだ時のような、綺麗な夕日だった。

 

「いいの?」

 

 他人に優しくする方法を、千景は竜胆の真似・友奈の真似でしか、知らない。

 

「吐き出したいことがあるなら……聞くけど」

 

 竜胆への純粋な心配。

 "彼に弱みを見せてもらってもっと彼にとって特別な人になりたい"という打算。

 前者が七割で、後者が三割くらいだろうか。

 もしも仮に竜胆が千景に依存したなら、千景はそれはそれで嬉しかったりするのかもしれない。

 

「いや、いいよ。"これ"は俺の胸の中にしまっておく」

 

 けれど、生半可なことではそうはならないだろう。

 第一、千景が竜胆や友奈に対し"私なんかに依存はしない"と信じていた。

 

「俺は忘れない。一生忘れない。

 怖かったことも、辛かったことも、悲しかったことも、泣きたくなったことも」

 

 竜胆の人生には絶望が付き纏う。

 

「でもな、それが俺の人生の全てじゃないんだ。だから、いいんだよ」

 

 されどそれが全てでもなく。

 彼の人生に光は多くあり、もう仲間が死んでも、彼は泣かずに、男らしく強く在れる。

 

「ちーちゃんがいてくれて、本当に良かった。俺の光の一つだよ」

 

「……そう」

 

 その光の一つは、間違いなく千景である。

 千景は表情を見られないよう、顔を逸らした。

 街を眺めて、千景は呟く。

 

「歴史の授業を聞いてると、思うの」

 

「何を?」

 

「人はずっと、平和を目指していたんだな、って」

 

 いつの時代も、人は争ってきた。

 平和を作るには、強大な軍事力で周囲の国やコミュニティ全てを制圧し、力で圧して歪んだ平和を作る以外にはなかった。

 それでさえ、法律が未熟だった時代には、良い平和があったとは言い難い。

 

 人の歴史は、平和を求める歴史でもあった。

 平和のために法を発展させ。

 平和のために他国に戦争を仕掛け。

 平和のために兵器や城を作る。

 人はより長く続く、脅かされない平和を求め、戦うという矛盾を繰り返してきた。

 

 歴史は学べば学ぶほど、"時代が進むにつれ人間は進歩している"ということを実感することができる学問でもある。

 過去に自分なりの平和を求めた人間が、求めた平和を掴めずに何人死んでいったかを、実感することができる学問でもある。

 

「多分、平和って、当たり前のものじゃなくて……

 過去に、平和なんてない世界で、平和を求めた人が沢山居て……

 ……その人達が掴んで、後に残してくれた平和が、そこに残っていただけだったんだわ」

 

 自分の国を守ろうとした兵士。

 治安を求めて走った警官。

 より洗練された社会と法を目指した学者や法律家。

 その他、諸々。

 過去の様々な人達の積み重ねがあり、日本の平和は成立している。

 

 その平和の中に、西暦の人間達は生きていた。

 先人が命を懸けて作って遺したその平和を、空気のように感じていた。

 あって当然、ありがたみはないが、無くなるとなれば憤怒と悲鳴を爆発させる。

 

「私も、街の人間も、気付いてなかった。

 誰かが残してくれていた平和の中に生きてたことに、気付いてなかった。

 平和が当然のもので、平和な世界に生きることが当然の権利だと思ってる人達。

 平和が脅かされれば……平然と戦ってる人を罵倒する人達が、街には大勢いるのよ」

 

 千景は迂遠に何かを主張していたが、竜胆はそこに何かを見抜いた。

 

「お前またネットの変な掲示板見たな」

 

「……」

 

 千景の沈黙が、その指摘を肯定する。

 

「……ティガが……ティガが褒められて、皆に見直されてるって、そう思ったから……」

 

「こんなちょこっと、数分の頑張りだけで皆の意見が全部ひっくり返るなら、正気を疑うよ」

 

 ティガは頑張った。

 頑張ったけれども、民衆の評価を覆すには至らない。

 ティガに守られたという事実は四国の人々の心を揺らしていたが、インターネットにおいては、未だティガは叩き一色だった。

 インターネットにはたびたび、自分が攻撃していたものが悪でないということを、絶対に認められない人間が存在する。

 

 現実ならば名誉毀損を避けるため、誰かへの誹謗中傷を取り下げることもある。

 だが、匿名のインターネットなら話が別だ。

 "自分の非を認めない"こともネット上ならばノーリスクであるし、"無実の人間を攻撃した"罪に問われることもない。

 一度叩いたものをずっと叩き続ける権利が、匿名のネット上には存在している。

 それは自由という名の、醜悪な権利だった。

 

「俺は褒められたいんじゃなくて、認められたいんじゃなくて、守りたいんだよ」

 

「知ってる」

 

 今の千景を過去の千景が見たら、少し驚いていたかもしれない。

 

「知ってるから……悲しいのよ」

 

 『みんな』に愛されたくて勇者をやっていた千景が、『みんな』にティガを愛してもらいたいのにできなくて苦悩するなど、なんとも奇妙で皮肉な話だった。

 結局のところ、千景を苦悩させるのは"愛されない現実"であることに変わりはないらしい。

 そんな千景の苦悩を察しながらも、竜胆は苦笑する。

 千景が本気で心配してくれているというだけで、竜胆の心は満足だった。

 

「そう言ってくれるちーちゃんがいるだけで、俺は嬉しいんだ」

 

「知ってる」

 

 さっきの『知ってる』と比べると、随分優しい声色の『知ってる』であった。

 

「竜胆君は……」

 

 私が大好きだもんね、と、千景は言いかけて。

 

 それが真実である確信はあったけれども、なんだか言うのが恥ずかしくなって、口を閉じて言うのを辞めた。

 

 人が死んでも、死ななくても、今日も夕日は美しい。

 

 友と眺める夕日の街は、美しい。

 

 街の美しさは、そこに醜い心の者が住んでいようと、損なわれない。

 

 そこに美しい心の者が住んでいようと、美しさが増すこともない。街は静かに、そこに在る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜胆参戦時、丸亀城陣営暫定数。

 ウルトラマン六人、勇者五人、巫女一人。合計十二人。

 

 アナスタシア・神美死亡。

 

 ウルトラマン、残り三人。

 神樹の勇者達、残り四人。

 神樹の巫女、残り一人。

 

 残り、八人。

 

 

 

 




4/12

 本来第一部、第二部、みたいな区切りは考えてなかったんですが、感想欄の流れを見ていてあった方が分かりやすいかなと思って付けました。次回から第三部です


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三幕 死の章
前哨戦 -ブルトン-


 七月某日。

 それが、巫女・ひなたに予言として神託された、大侵攻の予想日となった。

 神というものは、本気で未来を見ようとすることはまずない。

 神話の中で神の予言が例外を除き必ず当たるように、神が見た未来は神の主観によって確定される。変わらない未来がやって来るのだ。

 自分が敗北する未来など、神の誰も見たくはない。

 

 微細な数的誤差により未来を正確に予言するのは絶対に無理、というのが、人間の科学が生み出したカオス理論だ。

 だが神の摂理において、人間の科学はいとも容易く超越される。

 僅かな変化を積み重ねて未来を変える、ということは不可能になるのである。

 

 すなわち七月某日というのは、『大侵攻の準備が丁度完了するタイミング』であり、『この世界戦における確定事象』であり、『天と地の神の合意で決まった』日ということである。

 

 アナスタシア/ネクサスとの一体化で、神樹の神としての神格は一気に上がった。

 能力もかなりブーストされている。

 何より、樹海化(メタフィールド)だ。

 これのおかげで四国エリア内における勇者と巨人はブーストされ、勇者ですらゼットに傷やダメージを重ねられるほどの強化が得られる……が。

 問題は、敵軍のブルトンだ。

 

 ブルトンについては、今分かっていることしか分かっていない。

 大侵攻の軍勢の中にブルトンが混じっていると想定すると、ブルトンが至近距離からメタフィールドを破壊し、樹海化を消し去ってしまう可能性がある。

 

 できれば、ブルトンは結界外にいる内に、先制攻撃で倒したい。

 敵が大侵攻の戦力を整える前に、出来るだけ早く奇襲を仕掛けてそうしたい。

 とはいえ、すぐには無理だ。

 ティガ・ガイア・アグルの連携があまりにも未熟過ぎる。

 

 せめて、四国外で攻撃を仕掛けた後、無事に全員が四国まで戻れるだけの連携は欲しい。

 大侵攻前の攻撃は一度で終わらせなくてもいい。

 何度敵戦力を削りに行ってもいいのだ。

 ならばそれを成立させるため、撤退ができるレベルの連携が必要となり、そこに求められる最低限の連携ラインというものがある。

 

 強い敵を倒すためにも、巨人間の連携訓練は必須だった。

 勇者・ガイア&アグル間と、勇者・ティガ間では連携ができているから尚更に。

 そういうわけで、竜胆と大地は、互いを知るための模擬戦を始めようとしていた。

 

「大地パイセンは強いぞー。

 世界崩壊後に鍛錬始めた他の奴らとは違う。

 ガキの頃から武道やってる本物だ。

 ま、どうせ負けるだろうけど、落ち込むなよ後輩」

 

 何故か海人が得意げな顔をしている。

 

「俺も大地先輩の胸を借りるつもりでいきますよ、海人先輩」

 

「負けたら三人分のジュース買ってこいよ。三人分の金やるから」

 

「おいカイト。虎の威を借る狐という言葉を知ってるか?」

 

「強い友達をバックにイキるのって気持ちいいんすよ。普段のオレじゃ絶対できないし」

 

「お、お前……」

 

 スネ夫とジャイアンみたいだな、と竜胆は思った。

 ちょっと違うのは、このジャイアンはスネ夫をいじめないし物を取り上げないし、スネ夫はジャイアンを最大に利用して盛大に粋がっているということか。

 

「パイセーン! かっこよく決めちゃってくださいねー!」

 

「全くあいつは……ん? その構え、ボブか」

 

「あ、分かる人には分かるんですね」

 

「そうか、ボブの弟子なのか、御守は……ヤバいちょっと泣きそう」

 

「ちょ、ちょっと、これから模擬戦ですよ」

 

「いや、な。ワシもボブには一度も勝てなかった身だ。

 複雑ではあるが、嬉しくもある。あの空手ともう一度戦えることができるとは」

 

「……そういうの聞くと、こっちも嬉しいです。

 ボブがやり残したことを、俺がやってあげられる、そう思えますから」

 

「かーっ、そういう思考、ワシは好きじゃな!」

 

「サクっと勝ってくれよパイセーン!」

 

 海人は大地の勝利を疑っていない。

 そんなこんなで、二人の戦いが始まったのだが。

 

「はい、っと」

 

「うおっ……ま、まいった」

 

「は?」

 

 あっさりと、竜胆が大地の攻撃を受け切り、防御を崩して、強烈な一打を大地の目の前でピタリと止めて、決着は付いた。

 怪我をさせたくない竜胆と、実力差を見切った大地との間で勝敗の合意が成されたとも言う。

 

 空手の正拳突きを放った竜胆の手を、大地が掴み取ろうとして、竜胆が中国拳法の太極拳と八卦掌で防御を崩し、空手の正拳上段突きを寸止めした流れは、目を疑うほどに流麗だった。

 

「ちょっとパイセン!

 そこは先輩として圧倒的に勝ってくださいよ!

 先輩が圧倒的に勝って

 『このウルトラマンガイアがいる限り四国は万全だ』

 ってドヤ顔で言いたかったオレの立つ瀬がないじゃないっすか!」

 

「がっはっはっは! 圧倒的に負けてしまったわ!」

 

「手合わせ、ありがとうございました」

 

「さっと終わってしまってワシも不完全燃焼じゃ。もう一本頼めるか」

 

「はい、いいですよ」

 

 先程の動きを頭に入れた上で、大地は懐深く構えた。

 腕を自然に前に伸ばす構えを懐が深いと言う。

 腕を畳んで顔や腹などに添えガードをガッチリ固める構えはその逆だ。

 敵の腕が前に伸ばされてると、距離を極端に詰め難くなり、敵に打ち込んだ拳などが叩き落とされやすくなる。

 

 要するに大地は、自分の前に"竜胆の拳を叩き落とすためのスペース"を広く取ったわけだ。

 顔や腹から少しでも遠いところで、拳を叩き落とすための構え。

 合理である。

 

 対し竜胆は、即座に戦闘スタイルをスイッチした。

 ベタっと地面に着いていたカカトが上がり、つま先立ちでトントンとステップを踏む。

 握っていた拳を手刀に変える。

 竜胆がステップワークで左右に素早く動くようになり、ハンドスピードが腕を掴めないほどに速くなったのを見て、大地は腕を畳んでガードを固めた。

 

(なんとまあ、ガラっと変える。

 ワシも対応力があって柔軟なスタイルだと思うんじゃが……

 もしや、三形態それぞれに最適な格闘技を練っているのか……?)

 

 先ほどがティガトルネードなら、今はティガブラストだ。

 掴みを基点とする柔術に対し、触れさせもしない立ち回りで動くスタイルは極めて相性がよろしくなかった。

 大地の手が竜胆を掴めなくなり、伸ばされた手は竜胆の手刀に軽やかに叩き落とされていく。

 

 そして、するりと竜胆の腕が滑り込んだ。

 手刀が大地の両脇を打ち、無防備な鳩尾を叩いた。

 ぐらりと体が傾き、大地が膝をつく。

 

「ぐっ」

 

「あ、今の致命打扱いでいいしょうか」

 

「ああ、お前の勝ちだ。悪い、もう一本頼む」

 

「いいですよ」

 

 少し休憩を入れて、大地の回復を待つ。

 竜胆は回復を待つ間、大地が見せた細かな動きの一つ一つを一人で真似ていた。

 

「あ、なるほど、こう投げるのか」

 

 そして、次の戦いで、竜胆は大地を投げ飛ばした。

 完全に奇襲。

 予想だにしない"柔術の投げ"が竜胆から飛んで来たことで、意表を突かれた大地は投げ飛ばされてしまった。

 海人が思わず声と手を上げる。

 

「い、一本! ……じゃねーっすよパイセン! なんで柔術で負けてんすか!?」

 

「がっはっは! 柔術で負けてしまった! しかも、ワシの技だな、これは」

 

「投げの"入り"と、投げた後の姿勢立て直しの速さが特徴的ですねこれ。

 集団戦でポイっと投げて崩すのを連続でやれそうなのが、凄くいい……」

 

 竜胆は大地の技を模倣し、その大地相手に披露してみせたようだ。

 大地の技を自分の中で噛み砕きながら、実戦的な柔術の技に感心している。

 

「あー、分かりました。

 大地先輩、柔術をバーテックス用に調整した技を使ってるんですね」

 

「お、分かるんか」

 

「分かりますよ。俺も技に組み込むことを一回考えました。

 でもやっぱりバーテックスは『服』を着てないってのが気になって……

 投げをちょっと組み込んだくらいで終わったんですよね。大地先輩も投げ主体ですか?」

 

「ああ、まったくもってその通りだ」

 

 柔術、柔道は、"強いからこそ"普及したものの一つだ。

 何故強いのか? 何が強いのか? その理由は『服』にある。

 服は、掴みやすいのだ。

 加え、服を掴んで投げると、ちゃんと体も一緒に投げられる。

 

 逆に言えば柔術使い相手に、服を着た人間が逃げ切るのはかなり難しい。

 屋外で一本背負いなんてされれば、柔らかいマットもないので、地面に背中を叩きつけられて背中の骨がボキっといくだろう。

 柔術は、服を着た人間相手にはめっぽう強いのだ。

 そして通常、服を着ていない人間などいない。

 

 ……が。

 三ノ輪大地の敵は、主に服なんて着ていないバーテックスである。

 当然、人間相手の柔術をそのまま用いても活きるわけがない。

 

 組み技も、バーテックス相手にどれほど役に立つものか。

 手足がたくさんあったり尻尾があったり、関節を固めても口から火を吹いたり、首を締めても窒息死しなかったり、外骨格だけで中に骨が無いものだっている。

 大地の柔術は、そういったバーテックスを相手にするために改良されているのだ。

 角を掴んで投げる、体の凹凸に指を引っ掛ける、手首や腰のくびれを上手く捉える、等々。

 竜胆の目には、それがとても斬新かつ、洗練されたものであるように見えた。

 

 怪獣をとにかく掴み、とにかく投げる。

 投げたらそこから踏むか、マウントを取って殴るか、光線を撃つ。

 "人間が人間相手に使うための柔術"を、"ウルトラマンが怪獣相手に使うための柔術"にしっかりと改良してあるのである。

 

「俺、大地先輩から学ぶこと多そうです」

 

「おお、そうか。んじゃもう一本やるか」

 

 竜胆の構えが変わった。

 大地の構えに似た、けれど似て非なる構え。

 三ノ輪大地の力をコピーするのではなく、学んで自分の中に取り込み、今まであった技術の中に織り込んで、更に成長していく。

 

 海人はゾッとした。

 海人は感覚的には、普通の少年のそれに近い。

 見ただけで技をパッと真似られる竜胆の規格外な天才っぷりを見て、ゾッとしたのだ。

 高度な技をコピーするのは、そんな簡単にできることではない。

 どんなレベルの天才であれば、それができるというのか。

 良くも悪くも寛容な者が多かったり、格闘技使いが過半数でもなかった丸亀城において、竜胆の才能にゾッとしたのは、彼が初めてだった。

 

 "遺伝子レベルで違う生物なんじゃないか"と思った海人の感想は、とても正しい。

 

(化物かよこいつ……数日あれば柔術一本でパイセンに勝てるんじゃねえの……?)

 

 頼もしさも、恐ろしさも感じられる。とんだ新人が来たものだと、海人は唸った。

 

 既に挑戦者は竜胆ではなく、大地に変わっている。

 竜胆は技抜きでも飛び抜けた戦闘者であり、多様な技術を吸収しながら今も成長している発展途上の格闘者。その上、大地の技も継続して吸収していた。

 当然ながら、大地に勝てる相手ではない。

 五連戦、五連勝。竜胆は危なげなく大地に勝ち続ける。

 十連戦、十連勝。危ういところもなく勝ち続ける。

 二十連戦、二十連勝。ちょっと話の流れが変になってきた。

 

「もう一本!」

 

「おかしいな、既視感があるぞこれ……!」

 

 ここまで来れば、竜胆も気付く。

 この"とことんまでやる"性根と、"努力鍛錬を苦にしない"気質。

 

(若ちゃんのご同類だ……!)

 

 若葉と同じ、竜胆が"とことんやりたい"と思ったその時、竜胆についていけるタイプ。

 

「一回ここで休憩がてら感想戦やろう。

 おいカイト! ワシらの分の飲み物買ってこい! ほれ財布だ」

 

「えー……パシリじゃないっすか」

 

「自分は後輩にやらせようとしていたのにそれか……ほら、駆け足!」

 

「へーい!」

 

 とことんまでやらず、模擬戦の合間には、流れの中でどこが良くてどこが悪かったかを考える感想戦もやっていく。

 海人が大地を"真面目ではないが努力家"と言っていた理由が、少し分かった。

 

「大地先輩、どこから感想戦します?」

 

「ぶっちゃけ、ワシのどの攻めが一番嫌だった?」

 

「大地先輩が積極的に手を攻撃して来た時ですね。カウンター当てましたけど」

 

「ああ、あのカウンター食らったあたりか」

 

「あの後の、防御固めた大地先輩の方がやりやすかったです。

 攻めて来ないって分かると、俺の方はかなり気持ち的に楽でしたので。

 逆に、捌けるとはいえ大地先輩が攻めて来てた時の方がプレッシャーがありました。

 かわせる自信があっても、腕を掴まれたらと思うと迂闊には受け攻めできませんでしたし」

 

「ああ、ワシの攻め手が控え目になったせいで、逆に楽させてしまったか」

 

「あとは、防御の崩しなんですけど―――」

 

「それなら、掴みの外し方が―――」

 

 感想戦をして、また戦い、改善点を探す。

 されど両者の間にある力の差が埋まっていくわけでもない。

 

 竜胆には、大地の治りたての片手を気遣う余裕があった。

 大地の右手を気遣い、そこをどこにもぶつけないように、大地を圧倒する。

 その気遣いが、力の差の証明であった。

 

「はぁ……はぁ……くははっ……強いんじゃな、御守は」

 

「強くなるしかなかったんですよ、俺は」

 

「そーじゃな。誰も彼もが、そうだった。うん。

 強くなりたかった者など、他者を傷付ける力が欲しかったものなど、何人いたことか……」

 

 二人は、互いに得るものがあるために手合わせを繰り返す。

 "強くなるしかなかった"の一言を通して、二人が感じる共感があった。

 あんまりそういう暑苦しいのが好きでない海人は、付き合っていられないと言わんばかりに、白けた目で二人を見ている。

 

(あー)

 

 ただ、何度も何度も大地が負けているのを見ている内に、海人はイライラしてきた。

 

(なんていうか)

 

 竜胆は全勝している。

 大地は諦めないガッツで食らいつき、対竜胆戦術を逐一練って様々な柔術を繰り出しているが、竜胆を出し抜くことができず、竜胆に技を吸収されながら負けている。

 それを見るたび、海人はイラっとしていた。

 

(面白くないな)

 

 また模擬戦、となったところで、海人は大地と肩を並べた。

 

「カイト?」

 

「オレ達は二人で一人っすよ。パイセン」

 

「……ああ、そうだったな、相棒」

 

「オレ達一人じゃ勝てない相手にも、オレらはいつも二人で勝ってきたじゃないっすか」

 

 大地と海人、ガイアとアグルが並び立ち、一人じゃ勝てない相手に立ち向かう。

 

 竜胆は苦笑し、二人に向けて構えた。

 

「お前強いんだから、オレ達の二対一を卑怯とか言うなよ?」

 

「……しょうがないなあ。さあ来い! ダブル先輩!」

 

「よっしゃ、行くぜ!」

 

 先手必勝、短期決戦。

 時間の経過は地力で勝る竜胆に味方する。

 大地と海人は絶妙に息を合わせ、竜胆に一気に接近した。

 

「!」

 

 海人には格闘技の心得があるというわけでもないようで、竜胆はまず海人の額に掌底をぶち込んで弾き飛ばそうとする。

 だが、弾かれた海人が根性で足元に食らいついてきた。

 一瞬竜胆の動きが止まり、ようやく竜胆の腕を大地が掴む。

 

 "互いの思考を完全に理解した動き"に竜胆は感心しながら、ぶん投げられて一本取られた。

 要するに、敗北である。

 

「……いや、油断してたわけじゃないんですけど。

 びっくりしました。なんかびっくりするくらい息合ってますね、二人共」

 

「おー、そじゃろそじゃろ」

 

「共闘は一番長いからな、オレ達」

 

「いやはや、負けました。連携は一人じゃ模倣できませんしね」

 

 なんとも、面白い話だ。

 三ノ輪大地……ウルトラマンガイアは、間違いなく強かった。

 竜胆・ウルトラマンティガはそれ以上に強かった。

 だが海人が参戦した途端、戦いの天秤が一気に逆転した。

 

 鷲尾と三ノ輪、ガイアとアグルのコンビは、いついかなる時でも強い。

 投げ転がした竜胆に大地が手を伸ばし、笑って竜胆を助け起こした。

 

仲間(チーム)は、強いだろ?」

 

「はい」

 

「今はワシらも仲間(チーム)だ」

 

 仲間との繋がりで、自分よりも強い敵を倒す。

 彼らもまた、間違いなくウルトラマンだ。

 そして大地は、竜胆と肩を組んで海人に向き直る。

 

「さて、次のチーム戦だ。ワシと竜胆チーム対、カイト!」

 

「え!?」

 

「海人先輩、お覚悟を」

 

「ばっかじゃねーの!? そうはならねーだろ!?

 多対一が許されるのはクソ強い一人がいる場合だけで、これただのリンチだろーが!

 ライブ会場でサイリウム振るオレと、平然と刀とか振ってそうなお前らを一緒にすんな!」

 

「カイト、お前は鍛え方が足りんのだ。ワシらで一度追い込んで、危機感を叩き込んでやる」

 

「あんたらが過剰に鍛えてるだけでオレも鍛えてるっつーの!

 筋肉と体力が付き辛い体質なだけなの! あ、近寄んな、にじり寄ってくんなー!」

 

 海人がろくに戦わず道場の中を追い立てられながら走り回ってる中、道場に若葉がやって来て、露骨に呆れた顔をした。

 

「昨日まで怪我人だった者達が何をやっている。

 特に大地、お前だ。

 お前の能力で他の者達の傷は治ったが、お前の拳の骨はそのままなんだぞ」

 

「お、若葉」

「あ、若ちゃん」

 

「オレ死ぬぅ……」

 

 後輩とパイセンに年齢的にも位置的にも挟み撃ちを喰らっていた海人が目で助けを求めたが、若葉は無視した。

 つらい……と海人は道場床に倒れ込む。

 

「第一体育会系と話は合わねえっつうんだよ……

 何でも体を動かしとけばどうとでもなると勘違いしてやがって……

 オレはインドア派なんだよ……

 物理マラソンクソくらえ、アニメマラソンレッツ挑戦……それがオレ……」

 

「ぐちぐちうるせえ」

 

「あいだぁー!?」

 

 ぐちぐちうじうじ言っている海人の後頭部を、大地がぺしっと叩いた。

 

「ワシらは自分を鍛えにゃならんのだ。

 自分の命を守るために。

 生きる世界を守るために。他の誰でもなく、まずは自分のためじゃ」

 

「分かってるよチクショー!」

 

 海人のそういった一面を見て、竜胆は球子との会話を思い出した。

 竜胆が『僕』から『俺』になった時の会話だ。

 

―――いやまあタマはウジウジしてる俺野郎も知ってるけどな。

 

 あれは、鷲尾海斗のことを指していたのかもしれないと、竜胆は思い至る。

 今思えば身内について語るような語調だった。

 球子は竜胆の一人称を変えさせ、竜胆を前向きにさせてやろうとした時、一人称オレの海人のことを思い出したのかもしれない。

 

「しかしなんだ、海人。

 四国の外で揉まれて少しはたくましくなったと思えば……

 根底の部分が全く変わっていないな。竜胆、もっとしごいてやっていいぞ」

 

「んー、若ちゃんが言うなら……」

 

「そんな殺生な! あ、しごくとかいやらしいこと言ってますねこのいやらし勇者はへへへ」

 

 話を有耶無耶にしようとする海人。

 若葉の木刀が海人の額を打った。

 有耶無耶化失敗。

 

「うごおおおおおおおお……!?」

 

「ったく、ケンに影響を受けたばっかりに……竜胆がこうならなくて本当に良かった」

 

「ワシの知らん間に若葉のお気に入りも増えてるな。御守は分からんでもないが」

 

「お気に入り……と表現すると変な気分になるな。

 私が気に入っていると言われれば、確かにそうなんだが……」

 

「これは若葉の親に報告せにゃならんか、このワシがっ……!」

 

「大地はすぐそういう話に持っていくな。私の親もいい加減聞き飽きたと思うぞ」

 

「そうか? がっはっは、気に入られてるようだぞ御守!」

 

「知ってますよ。その辺は疑ってないです」

 

「なんじゃお前も若葉がお気に入りか? 相思相愛か」

 

「「 すぐそういうのに絡めるのやめろ 」」

 

「うおっ、ハモった!?」

 

 竜胆は親も話題に出るような若葉と大地の距離感に驚き、大地は半年ほど四国を離れていた間に若葉にこんなに仲の良い仲間が出来ていたことに、驚いていた。

 

「大地先輩と若ちゃんは親ぐるみで知り合いなのか」

 

「ああ、大地はな、又従兄弟なんだ」

 

「又従兄弟! 親戚なのか」

 

「会う回数は多くなかったが、確か昔からああだ」

 

「若葉も昔からこうだったぞ。ワシが保証する。おむつにウンコしてた年頃からこうだ」

 

「そんなわけがあるかっ! それは赤ん坊の頃の話だろう!」

 

「へー」

 

 竜胆の目には、若葉と大地の間に独特の距離感があるように見えた。

 友達とも違う、仲間とも違う、戦友とも違う、相棒とも違う、恋人とも違う。

 "他人"と結ぶ関係性ではない、"親戚"の関係性。

 

「若葉のちっちゃい頃の恥ずかしい話とかワシから聞きたくないか、御守」

 

「えっ……聞いても大丈夫か? 若ちゃん」

 

「いいわけないだろう! ……ひなたに言いつけるぞ、大地」

 

「それだけはご勘弁を! ワシはまだここで終わりたくない! 勘弁してくれ!」

 

「え、何その力関係」

 

 ひなたは若葉の幼馴染。

 どうやら大地とも面識はあるらしいが、竜胆はなんとなく関係を聞くのが怖かった。

 

「若葉ちゃん、お水とタオル持ってきましたよ。……あ、御守さん、大地さん」

 

「リュウくーん! ちょっとやってみたい技が……あれ、いっぱいいるね。皆で特訓中?」

 

「……」

 

 ひなた・友奈・千景もやって来て、道場でよく鍛錬してる組が揃い始める。

 

「大地さん、御守さんに悪いことを教えたりしないでくださいね?」

 

「うおぅ、若葉のこと以外でこんなに露骨にひなたに釘刺されたの初めてじゃ……」

 

「大地さん、返事は?」

 

「あっはい、気を付けときます……」

 

 ひなたが微笑み、大地に釘を刺していた。

 露骨に二者間の力関係が窺える。

 一方、海人は友奈と話していた。

 

「大地パイセンと乃木ちゃんの同類が増えたの超ウケるぞ」

 

「ねー、なんだか楽しくなるよね。

 あれ、でも私はその仲間に入ってないんだ?

 私と若葉ちゃんとリュウくんは、よく一緒に訓練してるのに」

 

「高嶋さんは天使だから、あれの同類じゃないから良いんだ。可愛いからいいんだよ」

 

「あはは、ありがと」

 

「その"もう聞き慣れちゃったなあ"みたいな顔も素敵っすね高嶋さん」

 

 友奈から海人を引き剥がし、嫌そうな目で見る千景。

 

「ちょっと鷲尾さん、高嶋さんに変な絡み止めなさいって言ったでしょう」

 

「変な絡みなんてしてねーし、天使なのは事実だし……」

 

「これだからドルオタさんは……」

 

「いいんだよ、手に入らない遠くの美しく可愛いものを眺めるのがいいんだよ」

 

「気持ち悪い……あ、ごめんなさい、今のちょっと言い過ぎたかも」

 

「今素で気持ち悪いって言ったなお前。

 間違いなく心からの言葉だったな。でも言われ慣れてるからいいや」

 

「気持ちわr……ごめんなさい」

 

「お前さては、

 『仲間に言い過ぎたら謝らないと』

 っていう倫理はあるけど、

 『鷲尾さんに悪いこと言ったな』

 っていう罪悪感は無いな? ……ちょっと見ない間に図太くなってない?」

 

「さあ」

 

 半年ほど見ない間に随分と成長していた千景のメンタルが、海人に変な表情を浮かべさせた。

 千景は逆に、仲間であり年下の女の子である高嶋友奈を、"アイドル的に"神聖視している海人の変わらぬスタンスに、久しぶりの生理的嫌悪感を覚えていた。

 

「あなたはいつもそう。

 土居さんや高嶋さんの前では落ち着いた自分を演じたり、猫を被ったりして」

 

 球子であれば、"落ち着いた人"と海人を評価するだろう。

 球子相手には紳士的で、あまり多くは喋らない男だからだ。

 友奈であれば、"面白い人"とちょっと困り顔で海人を評価するだろう。

 友奈の前でまくしたてるように語る海人は、控え目に言って気持ち悪いが、友奈はちょっと気持ち悪いくらいではその人の悪口など言わない。

 ただし、千景は直球で気持ち悪さを感じるので、お近付きになろうとはしない。

 

 陰気。内気。他人との距離をあまり上手く測れず、毒舌が極めてストレート。

 あまり笑わず、だからか自分に笑いかけてくれる人が好き。ゆえに友奈が好き。

 周りの人に促されないと、あまり喋らず、暗い雰囲気や大人しい雰囲気を醸し出す。

 そういう意味で、海人は千景と同類であり、互いに同族嫌悪の対象だった。

 

「いや特に演じてるわけじゃないけど。

 オレは無愛想な女の子と笑いかけてくれる女の子なら後者を大事にするだけだよ」

 

「……」

 

「お前笑顔もなければ胸も無いじゃん」

 

「は?」

 

 鷲尾海人は走って逃げた。

 

 

 

 

 

 海人、千景、友奈が道場外を走っているのを見て、ひなたが微笑む。

 

(あら、仲が良いことで)

 

 ひなた視点、竜胆は常時千景を甘やかしていた。これでもかと大切にしていた。

 ありったけ優しくされていた千景が、千景の扱いが雑な海人と接した場合、何か問題が起きないだろうかと心配していたひなただが、(遠目には)仲良さそうに走り込みをしている三人を見てホッとしていた。

 

 ひなたが視線を道場内に戻すと、竜胆と若葉が切り合いをしていた。

 木刀の若葉、手刀の竜胆。

 なのに、真剣での切り合いもかくやという迫力がある。

 ひなたの横で、大地が感嘆の息を漏らしていた。

 

「この二人、いつもこんなことをしてるんか?」

 

「はい、そうですよ」

 

「なんとまあ……今の若葉相手じゃ、ワシは勝てんな」

 

「そんなにですか?」

 

「ああ。このレベルの高め合いを、ずっとしてたのか……そりゃ強くもなるな」

 

 大地は納得する。

 竜胆が強い、の一言で言えることではなく。

 若葉が強い、の一言で言えることでもなく。

 この二人は、互いを高め合ってきたのだろう、と。

 

「ひなたは見てて分からんか? この、二人の逢瀬のような戦いを」

 

「分かりますよ」

 

「じゃろな。互いが互いを深く理解し、ゆえに正確な先読みを繰り返し。

 互いの思考を理解した上で、相手の上を行こうとする。

 "自分のことを理解した相手を超える"には、まだ見せていない自分の一面を見せるしかない。

 理解されている部分では意表は突けんからな。

 それを繰り返すなら、戦うたび、相手の深いところまで理解していくということになる……」

 

「はい。なので二人共、本当によく互いのことを分かっていると思いますよ」

 

 ひなたは戦う二人を見て、口元をほころばせた。

 

「特に若葉ちゃんは……

 御守さんが仲間を一人も失っていない頃から、今日に至るまで、ずっと見てますから。

 仲間が死ぬたび変わっていく御守さんを、対面でずっと見てきたはずですから」

 

 誰よりも多く、竜胆と手合わせしてきたのが若葉だ。

 仲間が死ぬ前と後の竜胆の戦い方を、誰よりも正確に比べられるのも若葉だ。

 

「御守さんが死者からどれだけ受け継いできたかを、若葉ちゃんが一番よく知っています」

 

 竜胆が若葉の頭上を飛び越えながら、頭部を狙って肘から先を刀のように叩きつける。

 刃付き腕甲・アームドネクサスを装備したウルトラマンネクサスが得意とした、腕を刀のように使う、軽快な攻撃法だ。

 それがネクサスの技であることを、ネクサスとも共闘してきた若葉が見抜く。

 ネクサスのことをよく知るひなたが、こみ上げる涙が目に届く前に、抑え込む。

 

 ネクサスのそういった俊敏な戦いを、竜胆は見ていない。

 竜胆が参戦した時には既に、ネクサスはズタボロで、走ることすらできていなかったからだ。

 

 ボブのように、生前鍛えてもらったわけでもない。

 ケンのように、生前ずっと竜胆に戦い方を見られていたわけでもない。

 言葉で継いだわけでもなく、教えで継いだわけでもなく、残された書物や映像から継がれたわけでもない……ならば、それは、きっと。

 

 魂と共に、継がれたものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて、戦いの足音が近付いてくる。

 大侵攻の前、バーテックス側は大侵攻のため地球上全てのバーテックスを結集させ、地球全土を蹂躙した戦力を四国に集中する準備を整え始めていた。

 戦力結集完了まで後少し。

 その前に、大侵攻に用いる予定のない戦力を、先行して四国に投入していた。

 今行われているのが、その投入の第一回目。

 

 カミーラはゼットを連れ、結界の内まで見通す目で、それを遠目に眺めている。

 

「黙って見ていなさい、ゼット。最初の前哨戦が始まるわよ」

 

 大侵攻に使われない戦力とはいえ、バーテックスは十分に危険だ。

 忘れられがちだが、星屑にさえ勇者やティガダークの体を食い千切るパワーはある。

 怪獣型、十二星座ならば尚更に危険は増す。

 勇者の一人や二人なら、ポロッと殺すこともありえるだろう。

 

 カミーラは苦しむゼットを足蹴にしながら、その戦いを眺めていた。

 

「ふざけるな、貴様を殺して、その次は……ぐううううううッ」

 

 ゼットの胸に刻まれているのは、天の神を表す紋。

 まるで焼きごてで刻まれた奴隷の烙印のようだ。

 焦げたような色合いの紋と、その紋のふちの燃えるような色合いが合わさり、痛々しい。

 それがゼットに思うような行動を取らせない。

 カミーラに対する反逆を許さない。

 

「……ウルトラマンにしか興味が無いと、神に対する知識も疎かになるようね」

 

 カミーラは呆れたように鼻を鳴らした。

 

「そも、『祟り』とは何か?

 祟りとは、神や大怨霊などが、人に災いをもたらすもの。

 神の地を誰かが汚す。

 神に対する不敬を誰かが働く。

 禁じられた領域に誰かが足を踏み入れる。

 死した何者かに、生者がとてつもない恨みを抱かれる。

 そうして発現するのが、"タタリ"よ。

 『神の意にそぐわないことをした』者に、神は罰を与える」

 

 人間が悪行を成して、それを神が裁くことを『祟り』とは言わない。それは『天罰』だ。

 

 人間が悪行を成すのではなく、人間が神の禁じたことをしたり、神の癇に障ることをしたり、運悪く荒ぶる神の目に留まる。

 そうした時、人は神に祟られる。

 人間の道理や理屈など、そこには一切介入できない。ゆえに理不尽なのだ。

 

「これには、『抗う』ということそのものがズレているのよ。

 ひたすらに頭を下げ、謝り、祭り、供物をくべて、神に(ゆる)しを請う。

 神の怒り、怨霊の怨念が収まるまで、(ゆる)しを請う以外にできることはない。

 怒る人間を殴っても、怒りは止まらず、怒りは倍増するように。

 怨霊の恨みを、刀で切って、なかったことにすることなどできないように」

 

 そも、戦いというのは相手のことをよく知って、的確な対策を打ってこそ勝ち続けることができるものだ。

 神を知らぬ者に、神の力への対処はできない。

 

「『祟り』は"最も恐ろしいもの"として在るわ。

 その者にとって最も恐ろしい災として降りかかるのよ。

 祟りの対象が仲間想いなら、仲間を巻き込み最大の地獄を与えるものに。

 あなたのような一匹狼なら、無限の苦痛に耐えられる者が耐えられない苦痛を与えるものに。

 "末代まで祟る"という言葉が廃れてから、人間の世界でどれだけの時間が経ったのやら」

 

 タタリとは、その人間のみならず、その人間の子孫全てを地獄に叩き落すものであると、大昔の人間は知っていた。

 今の時代の人間は、そのほとんどが忘れている。

 

「『祟り』は『呪い』とは似て非なるものよ。

 『呪い』は主に人が人に向けるもの。

 呪い避けで避けることも、呪詛返しをすることもある。

 けれど『祟り』は祀り、崇め、鎮めるしかない。神に赦してもらうのを待つしかない」

 

 であるからこそ、恐ろしい。

 

「こんなものを完全に弾けるのは、遺伝子レベルで特別製で……

 ……そんな幼子を、名付けの段階から呪術的に"仕上げ"た存在か。

 あるいは、そういった存在と深くにまで一体化した者か……

 存在の位階を上げ、神か、それに近しいものになった者か……

 いずれにせよ、今のこの時代の人類がこの『祟り』に対応することなどできはしないわ」

 

 例えば幼少期から、本当の名前と仮の名前を付け、それを呪術的に計算して運用すれば、ただの人間でもあるいは呪いや祟りに耐性を持つ人間は作れるかもしれない。

 それでも天の神の祟りを完全に弾きたいのであればもう一つ、遺伝子レベルで何かが欲しい。

 例えば、竜胆が遺伝子に持つ、超古代の光の戦士の力のようなものが。

 

「幼少期に、別の名を付けておき妖魔から守る習慣。

 本当の名を隠す仮の名を普段から使う習慣。

 呪いを避けるため本当の名を隠す習慣。

 この時代の人間は、忘れるべきでなかったことを、いくつも忘れてしまったわ。

 言葉の力、名の力もね。

 (こと)(こと)

 古代において、名と言葉は事象そのものであり、同じ物として扱われていたのに。

 ヤマトタケルが"失言"によって神に祟られ、死んだことを何人が覚えているのかしら」

 

 カミーラが語り、ゼットは祟りに抵抗しながらも何もできず、苦しむ。

 

「古来、人間にとって神とは『祟るもの』だった。

 "タタリ"とは、神がそこに"立ちあり"という言葉がなまったもの。

 それが今のような認識になったのは、せいぜい西暦の六世紀以降の話。

 外国から、"人を救う神"の概念が入って来てからの話よ。

 神は理不尽なもの。

 神には抗えなくて当然。

 神は災害、理不尽、滅びの具現。

 なればこそ、その祟りは、神ならぬ身で"戦う強さ"で跳ね除けることなど絶対に不可能」

 

 ゼットは強さが全てだと竜胆に語った。

 力こそが彼の全てだった。

 ゆえに、力ではどうにもならないジャンルにおいて、彼は一切抗えない。

 

「神に正当性なんて無くていいのよ。

 神がそれを禁じたなら、禁忌を犯した者は罰される。

 神が、そこは神の土地だと言ったなら、そこに足を踏み入れた者は罰される。

 神の怒りに触れたなら、それがどんなに理不尽であろうと、神の罰は降りかかる」

 

 神とは何か。それは理不尽そのものだと、カミーラは語る。

 

「それが神。地球の神も、宇宙の神も、外宇宙の旧支配者も変わらないわ」

 

 神とは何か。カミーラはそれをよく知っている。

 

「……こんなことさえ忘れた文明が、『あの文明の次』だなんて、本当に笑わせるわね」

 

 "滅ぼしがいがなさそうだわ"と、鼻で笑うカミーラは思った。

 

 "笑うな"と、ゼットは歯を食いしばった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 六月の暑い日が続く。

 そんなある日、竜胆に杏が絡んでいるのを大地は見かけた。

 "タマ以外の奴に杏がああいう絡み方してるの初めて見たな"と思いつつ、黙って見やる。

 どうやら竜胆が手紙のようなものを持っていて、杏がそれを取ろうとしているようだ。

 喧嘩してるようなら仲裁するか、と考え、大地は二人に近付いていく。

 

「りっくん先輩、見せて!」

 

「やめろ! 離れろ杏! なんでそんな今日に限ってアクティブなんだお前!」

 

「なんじゃ、どうした? エロ本の話か? ちょっとワシに見せてみ」

 

「違いますよ! 杏、ステイ、ステイ!」

 

「そんなのじゃタマっち先輩だって止まらないよ!」

 

「ちぃっ犬には通じても猫と杏には通じないか!」

 

 大地がいまいち状況を読めずにいると、近くの木陰で千景が顔を上げた。

 千景が携帯ゲームをしていて、友奈が千景から教わった携帯ゲームで遊んでいて、若葉が本を読んでいた。

 どうやら三人でまったりしていたらしい。

 千景が竜胆に気付き、竜胆に助け舟を出そうと、浅い考えでとことこ歩いてきた。

 

「伊予島さん、何事?」

 

「千景さん、りっくん先輩がラブレター貰ってたんですよ! 中学生の女の子に!」

 

「!」

 

 竜胆に助け舟を出そうとしていた思考が消失した。

 

「カイト!」

 

「なんすかーパイセーン」

 

「囲め!」

 

「へーい」

 

 竜胆の正面を杏、後方を千景、左右を大地と、呼ばれたらすぐ来るパシリ気質の海人が固めた。

 四方からの絶対包囲。

 千景と杏が怖く、大地と海人が楽しげににじり寄ってくる。

 

「ほ、包囲された!」

 

「ちょっとでいいから……見せて、いいでしょう?」

「ディーフェンス! ディーフェンス!」

「でぃーふぇんす、でぃーふぇんす」

 

「アホか! 人から貰った手紙見せびらかすとかそんな恥知らずな真似できるか!

 必要性があるならともかく、普通の人の普通の手紙だぞ! 第一ラブレターじゃない!」

 

「……そうなの? 見せてくれないと、私達は納得しないけど」

 

「応援の手紙だ応援の手紙!

 ったく、さっきまでめっちゃ嬉しかったのに、気分がどっか行っちまったぞ」

 

「……あ」

 

 変わらないものなどなく、永遠なものなどない。

 善き者が、永遠に相応の扱いをされないことなどない。

 ティガの戦いは、ようやく幼い子供以外からも、応援の手紙を貰えるくらいの支持を得られるようになってきたようだ。

 世間の大半がティガを嫌っても、皆を守るティガの背中に何かを感じた者は、確かに居た。

 

「良い歳した先輩二人は、反省するように」

 

「じゃな、すまんかった」

「オレとばっちりじゃねこれ? わりーわりー」

 

「杏もちーちゃんもな」

 

「はい……ごめんなさい、りっくん先輩」

「……ごめんなさい」

 

 男二人がけろっとしていて、女子二人がしゅんとしているのは何故か。

 

 女子二人には自覚があるからだろう。

 "もし城の外に彼が大切な人を作ってしまったら"と、思った自覚が。

 竜胆が城の外に大切な人、例えば恋人などを作れば、そちらの方に気持ちや時間を割いて、丸亀城の仲間達に気持ちや時間を割かなくなるかもしれない。

 そんな想像と不安が、杏や千景の中にはあった。

 

 杏と千景は、勇者の中では二人だけ、初陣でバーテックスを恐れた二人であるという。

 不安に揺らされる二人なのだ、この二人は。

 もちろん、竜胆がどこかで恋人を作ったとして、二人はそこに色々と複雑な気持ちを抱きながらも、紆余曲折を経て竜胆を祝福するだろう。

 だが、それとこれとは話が別だ。

 

 自分が今よりも軽く扱われるかもしれない、蔑ろに扱われるかもしれない、これまでのように大切にされないかもしれない。

 一緒にいる時間、心通わす時間が減るかもしれない。

 そういう想像は、不安を呼ぶ。

 不安になるから、ラブレターの中身を確認したくなった。

 そんな少女らしい、馬鹿らしい、不安の話。それだけなのである。

 

 杏と千景は、自分の短慮を恥じる。

 そして、話の流れを聞いていたにもかかわらず、杏や千景ほどラブレター(仮称)の中身に食いついていなかった若葉と友奈に疑問を覚えた。

 

「……友奈さんと若葉さんは、あまり食いつきませんでしたね」

 

「ん? ああ、気になりはしたぞ。興味も持たなかったわけじゃない。……ただ、なあ」

 

「ただ?」

 

「所詮赤の他人だろう? 竜胆の性格を考えるとな」

 

「え?」

 

「見ず知らずの他人から、ラブレターを貰ったとして。

 竜胆が"こっち"より優先する姿が想像できん。

 求愛されたところで断るんじゃないか、と私は思った。

 思い上がりかもしれないが……

 竜胆は城外デートに誘われても、私との特訓の予定が先にあれば、こっちを優先すると思う」

 

「―――」

 

 若葉は言い切った。

 

「アンちゃん達は心配性だよね。

 でも、私も若葉ちゃんと同じ意見かなあ。

 リュウくんは可愛い子に城の外でデートに誘われても、ぐんちゃんとの予定を優先するよ。

 先にぐんちゃんとの予定が決まってたからーとかなんとか言って」

 

「―――」

 

 友奈も言い切った。

 

 "自分達とその人の間にはこれだけの強さの繋がりがある"という揺るぎなき信頼。

 竜胆がどんなに優れたラブレターを貰っても、どんなに可愛い子から求愛されても、丸亀城の仲間達よりそちらを優先しないという確信。

 生半可な恋愛感情如きで、竜胆の中の好意ランキングの上位が揺らぐことはないという事実を、二人は感覚的に理解している。

 

 若葉と友奈。

 自分の見てきたものを信じ、その信じる気持ちが揺らがない組。

 初めてのバーテックス戦で、バーテックスに果敢に立ち向かった二人。

 千景と杏。

 人間らしい不安を心のどこかに抱えていて、心揺らぎやすい組。

 初めてのバーテックス戦で、少女らしくバーテックスを恐れた二人。

 彼女らの違いは、二極化しているがために分かりやすい。

 

 前者二人はいつも竜胆と特訓している組で、後者二人は趣味がインドア組であるとも言う。

 

 大地が得意げな顔で竜胆の肩を叩き、親指を立てた。

 

「ワシもお前のこと……分かってるぜ……!」

 

「大地先輩? 俺達まだ一ヶ月も付き合いないですよ?」

 

「天使の高嶋ちゃんにこんな言葉貰ってるとか……御守死ねよ……」

 

「……海人先輩が援護サボれば、戦いの中で俺が死んだりするかもしれませんよ」

 

「は? お前が死んだら高嶋ちゃんが悲しむだろダボが……

 よく考えて発言と行動選べよ……お前は死んじゃいけねえんだよ……」

 

「おいどうしろってんだ」

 

 なんやかんやと話していたら、やがて、世界の空気が変わった。

 微細な結界の変化を、竜胆が感じ取る。

 世界の時間が、カチリと止まった。

 

「……戦いか」

 

 のんびりと楽しかった時間が終わり、戦士達の心が切り替わる。

 ここからは、戦いの時間だ。

 樹海化(メタフィールド)が時の止まった世界へと広がっていく。

 

「神樹様のお告げ通りじゃな。

 敵は大侵攻の日まで、大侵攻の日以外にもこまめに攻めてくる、と」

 

「めんどくせえっすなあ、パイセン」

 

 ウルトラマンの変身は原則一日一回。

 大侵攻の日までちょくちょく攻めて来られては、大侵攻の準備戦力に人間勢が先制攻撃を仕掛けるタイミングが掴み辛い。

 敵陣営にウルトラマンが攻め入っているタイミングで、あるいはウルトラマンがもうその日の変身権を使い切ったタイミングで、逆に四国に侵攻をかけられてはたまらないからだ。

 

 ゼットを倒したのでかなり融通は利くようになったが、やはり鬱陶しいことには変わりない。

 ……人間視点でそうなだけで、バーテックスからすればただの在庫処分でしかないのだが。

 

「竜胆、認証」

 

「ああ、今行く」

 

 竜胆が頭一つ分くらい身長差のある若葉に、首を差し出す。

 若葉が首輪に変身の許可を出す。

 若葉が一回許可を出すと一回分変身が許される、というこのシステムも、世論の変化に応じて外すことが検討されている。

 夏には外せるだろう、とのことだ。

 

 大地と海人もそういう話は聞いている……のだが、海人は二人を見ていると変な気持ちになってきた。

 竜胆が若葉に首を差し出す姿が、妙にサマになりすぎていたからだ。

 海人は"竜胆が若葉に首を預け慣れている"ことも、"竜胆が若葉に首を切られて礼を言った"過程のあれこれも、知らないのである。

 

「なんかちょっと変態的だな。お前らそういう趣味があったのか?」

 

「「 ない 」」

 

「そ、そんな目でオレを見るなよ、怖いだろ……」

 

 ふざけている間もなく、敵が結界外から侵入を始める。

 敵のメンツはソドム、ゴモラ、ガゾート、星屑。

 竜胆が少し懐かしさを覚えるようなメンツだった。

 

(なんだ、あれ……?)

 

 竜胆が気になったのは、それら全ての胸に、不思議な紋が刻まれていたことだった。

 時折、僅かに黒い雷のようなものが迸っている。

 その紋が天の神の祟りの具現であることを、竜胆は知らない。

 

「さて、行くか。大侵攻の前哨戦の始まりじゃあ!」

 

 竜胆がブラックスパークレンスを懐から抜く。

 大地は神樹から授けられた神器『エスプレンダー』を、海人も神樹から授けられた神器『アグレイター』を、腕に着ける。

 二人の神器は、ただ"光を中に入れておく"機能のみを持つもの。

 その中には、大地の光と大海の光が秘められている。

 

 一つの闇と二つの光が、樹海の空に向けて掲げられた。

 

「『ティガ』ァァァッ!!」

 

「『ガイア』ァァァッ!!」

 

「『アグル』ゥゥゥッ!!」

 

 黒き巨人。

 赤き巨人。

 青き巨人。

 色も違って、役割も違う。

 竜胆よりも率先して前に出るガイアと、変身してから一切前に出ず丸亀城を盾に使えるポジショニングを維持するアグルが、どうにも新鮮だった。

 

 

 

 

 

 若葉は大天狗、友奈は酒呑童子、千景は七人御先を展開。

 杏は雪女郎を温存し、アグルの傍で後方支援に。

 友奈と千景がガイアのカバーに付いて地上から攻撃を始め、ティガブラストと若葉が並び飛び、空中からの攻撃を開始した。

 

『並んで一緒に飛ぶのって、なんか悪くない気持ちだな』

 

「ああ、普通に生きていたらお前と一緒に飛ぶことなどなかっただろうな。私達は、人間だ」

 

『遅れるなよ!』

 

「誰に言ってんだ!」

 

 大地の帰還は、"継戦"においても、劇的な戦力向上をもたらした。

 戦闘中に死にさえしなければ、心の闇は竜胆が、体の傷は大地がどうにかすることができる。

 これはとても大きい。

 勇者は――特に格別負担が大きい若葉と友奈は――精霊の使用により肉体と精神に多大な負荷がかかるものの、事実上それをノーリスクにすることができるということだ。

 

 ティガと若葉に飛翔接近する三体のガゾート。

 

 若葉は遠慮なく大天狗の力を使い、空中で挑んでくるガゾート三体の顔に炎をぶちかます。

 その熱量に、ガゾート達が絶叫した。

 動きが止まったガゾート二体をティガの手刀が、一体を若葉の炎剣が、切り裂き落とす。

 

『スラップショット』

 

 両手の手刀に宿るは、光の斬撃スラップショットだ。

 ティガも若葉も、ウルトラマン三人を取り込んだ神樹のメタフィールドを受けている以上、もはや量産のガゾート程度に苦戦はしない。

 幾度となく戦ったおかげで、その動きも読めている。

 

「飛んでいるやつをまず、全て……落とすぞ!」

 

『応!』

 

 制空権を握り、頭上をティガと若葉で抑えて有利な戦況を作ろうという作戦のようだ。

 空を舞うティガと若葉を、アグルの正確な狙撃が援護する。

 アグルの射撃には無駄がない。

 "当てる"射撃は必ず当てるし、"当てない"射撃は空を飛ぶガゾートや星屑の動きを誘導し、最終的にティガと若葉に仕留めさせている。

 リキデイターの一発一発が、巧みな威力制御と精密性で援護射撃を成立させていた。

 

(カバーリングが本当に丁寧だな……)

 

 戦えば戦うほどに、竜胆は"純後衛型のウルトラマン"の援護の強さを実感する。

 

 ウルトラマンはバランス型が多い。

 勇者は脳筋気味が多く、前衛型が多い。

 西暦勇者は杏を除いた四人全員が前衛型。

 ウルトラマンは竜胆・ボブがバランス型寄りの前衛型、ケン・アナスタシアがバランス型、大地が純前衛型である。

 

 勇者と巨人を合わせた十一人の内、七人が前衛、後衛は二人。

 後衛はウルトラマンと勇者に一人ずつしか居ないのだ。

 

(やりやすい、戦いやすい)

 

 アグルの後衛からの援護のおかげで、あっという間にガゾートと星屑を全体撃墜し、空中を勇者と巨人が制圧した。

 

『御守! 前に言ってたあれやるぞ!』

 

 地上で大地が声を上げ、後衛の杏、空のティガが力を溜め、三人同時に解き放った。

 

『ティガフリーザー!』

 

『ガイアブリザード!』

 

「『雪女郎』!」

 

 三者同時の凍結攻撃が、ソドム達を飲み込んで、凍結させた。

 

『ワシらは天下無敵の凍結トリオ! そこのけそこのけ我らが通るぞ! がっはっは!』

 

 凍ったソドム達を、ガイアや友奈が粉砕していく。

 少々残っていた地上付近の星屑を七体分身の千景が殲滅し、これにて星屑は一匹残らず全滅と相成った。

 ティガはガイアと並び、残るゴモラとソドムに立ち向かう。

 戦いは順調に進んでいたが、竜胆は筆舌に尽くし難い疑問を覚える。

 

(勝てる、勝てるが……なんか動きが変だな。

 俺の気のせいか?

 前より生物的な無駄がなくなって、効率的になってるような)

 

 それが、"天の神の意にそぐわない行動が取れない"がための、効率的な戦闘スタイルであるということに、竜胆はまだ気付けない。

 天の神の祟りは、対象から行動と選択の自由を損なう。

 それが結果的に無駄を奪い、動物的な思考の怪獣には強化となることもある。

 

 竜胆が敵の動きに考察していると、壁の外から新たなソドム・ゴモラ・ガゾート・星屑が追加された。

 

『げっ、波状攻撃か……!』

 

 露骨に、活動制限のあるウルトラマンが嫌がる戦い方をしてきている。

 敵個体はそう強くはないが、時間が削りに削られていく。

 

「りっくん先輩! また次来たよ……来ました!」

 

『またかよ! あと杏、好きに話していいぞ! 横柄な話し方でも、俺は許す!』

 

「し、しないから! ……ああ、もうっ」

 

 やや、やり辛い。

 適宜戦力を継ぎ足されている感じだ。

 敵の一回毎の数は大したことがないのに、増援が逐一止まらない。

 

「竜胆君、壁の外の状況、これって……」

 

『! ちーちゃん、危ない!』

 

 増援、増援、また増援。

 そうして勇者と巨人の意識が壁側に向いた頃、ソドムの死体から何かが湧き出てきた。

 煙のような何か。

 半透明な何か。

 それが、千景の背後からこっそりと忍び寄る。

 

 ソドムの死体に潜んでいた、その戦略は完璧だった。

 増援連打で勇者と巨人の意識が壁に向かうまで待つ、その判断も完璧だった。

 その存在の名は『精神寄生体』。

 人間に取り憑き、その精神に寄生し、精神を暴走させ、怪獣化させる存在。

 千景という少女にとって、かなり相性の悪い存在であった。

 

 だが、千景を狙ったのが、ある意味で間違いだったのかもしれない。

 千景に取り憑こうとしたその瞬間―――唐突に振り向いたティガの手裏剣光弾(ハンドスラッシュ)が、千景の背後の精神寄生体を粉砕していた。

 千景には、小さな傷一つ無い。

 

「!? あ、ありがとう……」

 

『どういたしまして。油断も隙もありゃしないな……

 すみません、海人先輩!

 今の多分、手応えからして精神操作タイプの不定形の敵です!

 俺だけだと見落としあるかもしれないので、戦場全体の警戒お願いします!』

 

 竜胆は一度、千景がピスケス・サイコメザードにいいようにされた経験から、こういうものを最大限に警戒していた。

 ティガが千景をカバーできる位置にいる限り、この手の攻めはもうそう簡単には通じない。

 

『警戒は良いが……

 今郡ちゃんの後ろ見てから攻撃までの判断がめっちゃ速かったな……お前本当に人間かよ』

 

『ウルトラマンですよ』

 

『オレだってそうだよ! オレがビビるレベルだからそう言ってんの!』

 

 ティガが敵を視認してから攻撃を完了するまでが、信じられないほどに短い一瞬だった。

 海人は末恐ろしさと頼もしさを感じながら、壁の向こうから引き続き現れたゴモラなどを狙撃光弾(リキデイター)で片付けていく。

 そうこうしている内に、二分が経過し、ティガのカラータイマーが点滅を始めた。

 

『悪い、オレここまでだわ』

 

『えっ?』

 

 そして、海人が唐突にそんな事を言って、竜胆が素っ頓狂な声を出す。

 2分30秒が経過した頃、アグルが(竜胆視点で)唐突に変身を解除した。

 戦闘の爆音でティガは気付いていなかったが、どうやらライフゲージも1分30秒経過の時点で点滅していたようだ。

 つまりは、エネルギー切れである。

 

『ちょっ、まだ三分も経ってないのに……』

 

「ああ、言ってなかったっけ?

 オレ根本的に体力つかない体質でさ。

 その上光線技を連発するスタイルだから、大体2分30秒も保たねーの、変身」

 

『え゛っ』

 

「お前もあと30秒ちょいだろ? 活動時間。ま、頑張れ」

 

 ティガの肩に千景が乗り、竜胆に補足説明を行う。

 

「……ガイアとアグルは、三分間しか戦えないタイプじゃないのよ。

 胸のライフゲージというタイマーは、三分という時間制限を示すものじゃない。

 活動エネルギーの残量を示すものなの。

 理論上は、特別製のガイアとアグルだけは、三分以上だって戦えるとケンは言ってたわ」

 

『マジか……』

 

 遠い星から来たウルトラマンは、地球上では様々な理由で三分しか戦えない。

 だが、ガイアとアグルは違う。

 彼らにあるのは、エネルギー残量の概念のみ。

 

 『地球産』のガイアとアグルは、三分間の制限がない『特別』なウルトラマンなのだ。

 エネルギーが尽きない限り、胸のランプが点滅することはない。

 そしてガイアとアグルの力は、変身者が自分を鍛えることで力強くなる。

 

 アグルは光線技を連発するスタイルだ。

 ゆえに三分は保たない。

 ならば、逆にガイアはどうなのか。

 ガイアは投げを基点にしたスタイルであり、光線はあまり撃たない。ここまでの三分弱、ガイアはトドメを後衛アグルの光線にほとんど任せているくらいであった。

 

 つまりは、光線にエネルギーを割いていないというわけで。

 

(もうそろそろ三分なのに、カラータイマーが鳴りもしない)

 

 毎日たゆまず体力を鍛え、光線をあまり使わないスタイルで戦うガイアは、変身から三分経過が見えてきた今も、胸のライフゲージが点滅する気配すらなかった。

 

「私が覚えてる限りだと……

 一回消息不明になる前の、ガイアの最大活動時間は、七分だったわ」

 

『七分!?』

 

 "継戦能力"という一点において、ティガはガイアの足元にも及ばない。

 

 やがて、結界内の敵を何度目かの全滅させたところで、ティガの変身限界がきてしまった。

 

「くっ、俺も三分、これで限界か……」

 

『じゃあワシ、ちょっと結界の外で待機してる奴も一掃してくるから』

 

「気を付けて」

 

『がっはっは! 心配要らん! 三十秒で帰って来てやる!』

 

 ガイアが結界の外に飛び出して、強力な精霊持ちの若葉と友奈がその後に続く。

 千景と杏は最終防衛戦にて待機。

 竜胆は心配そうな表情で、彼らが飛び出していった壁を見つめる。

 

「……結界外の敵の掃討……ガイア一人と若ちゃん、友奈で、どうにかなるか……」

 

『すまん二十秒で終わったわ。ただいま』

 

「強いなこの人!」

 

 心配するまでもなく、瞬殺だった。

 

『お、樹海化解除が始まったか。これで全滅ってことでよさそーじゃ』

 

「お疲れ様です」

 

『おう、お疲れ様だな、御守』

 

 竜胆が一つ、これまで出会ってきたウルトラマンの全てに、感謝していることがある。

 

―――お前のせいでな! お前が最初に現れた巨人だったせいでな!

―――後から現れた巨人は皆苦労したんだ!

―――みんなみんな、お前のせいで悪者の仲間みたいに扱われて……!

―――ずっと皆苦労して、逆境の中で頑張って、長い時間をかけて信用を勝ち取ったんだぞ!

 

―――皆……皆! タマでも見てんのが辛いくらい、頑張ってたんだ!

 

―――お前、それでもウルトラマンかよ! ……しちゃいけないことって、あっただろ!

 

 かつて球子は、竜胆に罪を突きつけた。

 竜胆はその罪から逃げるつもりはない。

 忘れた時など一度もない。

 ティガダークが最初に現れたウルトラマンだったことで、ボブも、ケンも、アナスタシアも、大地も、海人も、皆偏見と敵意の中で戦わねばならなかった。

 

 にもかかわらず、結局誰一人として、そのことで竜胆を責めなかった。

 

 怒ったのは、球子だけだ。

 友達と仲間のために怒ってくれた、球子だけだ。

 球子が怒ってくれなければ、竜胆は彼らウルトラマン達が、どれほど寛容な優しさを竜胆に向けてくれていたかを、気付くことはなかっただろう。

 

 竜胆が出会ったウルトラマン達は全て優しく、献身的で、強かった。

 善き人達であり、良き人達であり、強き人達であった。

 彼らウルトラマンが皆、強く優しい者であってくれたことに、竜胆は感謝している。

 その強さが、優しさが、竜胆を闇から掬い上げてくれたものの一つだったから。

 

 敬意をもって、竜胆はガイアを見上げていた。

 

 だから、友奈が何か変なものを抱えていたことに、樹海化が終わるまで、気付けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、地球上のどの生物とも異なる形をしていた。

 可愛らしいが、間違いなく動物だった。

 少女が抱えられるサイズと重さという意味では、犬に近いものなのかもしれない。

 だが、犬には到底見えない。

 その頭に、変な角が二つ、ガッツリと生えていたからだ。

 

「友奈、捨ててこい」

 

「ええっ、かわいそうだよ!」

 

「見るからに怪獣だろこいつ!」

 

「こんなに小さくて可愛いからセーフ!」

 

「セーフじゃない! 危ないだろ!」

 

「まだ何もしてないのに危ないも何もないよ! まだ罪はないはず!」

 

「どうせ一人じゃ飼えないだろ! 元の場所に捨ててこい!」

 

「責任持って一人で飼うからー!」

 

「何か大惨事になった時にお前が責任取らされんのも俺は嫌だっつってんだよ!」

 

「でも、ほら! こんなに可愛い!」

 

「丸亀城に可愛いものとか十分足りてんだよ! 過剰供給だ!」

 

「わ、分からず屋ー!」

 

「こんな角の生えた謎生物の飼育なんて賛同できるか!」

 

 友奈が拾ってきた、どこから拾ってきたかも分からない謎生物。

 友奈が丸亀城での飼育を断固主張し、竜胆が断固反対していた。

 今はまだ犬程度のサイズだが、竜胆はこれがすくすく成長すれば怪獣になる、ということを理性的に予測していた。

 断じて、丸亀城での飼育など受け入れられない。

 

 そんな竜胆の肩を、海人が強く掴んだ。

 

「お前高嶋ちゃんの優しさが分かんねえのかよこのゲロカス野郎……」

 

「竜胆君、高嶋さんの優しさを尊重してあげた方が……」

 

「この高嶋大好きっ子どもめ、俺みたいな低学力がこんなに冷静に考えてるってのに……!」

 

「私は竜胆の方に賛成だな。ここは竜胆の味方をしたい」

 

「ワシも御守と若葉と同意見じゃなあ」

 

 友奈、海人、千景。竜胆、若葉、大地。

 何やら考え込んでいる杏を挟んで、これで三対三。

 そこに、ひなたが駆け込んでくる。

 

「御守さん! 神託です! 神樹様がOKを出しました! それと、"勇者が飼うべし"と!」

 

「ガバってんじゃないぞ神樹様ァ!

 こんな露骨に地球外生命体みたいなものを結界内に入れていいと本気で思ってるんですか!?」

 

 竜胆は匙を投げた。

 神樹の決定は基本的に絶対である。

 人間よりも神の方が見えているものが多い分、神様の判断の方が正しいことが多い。

 神樹がOKを出した以上、この奇天烈生命に危険性が無いという友奈の判断の方が、竜胆の判断よりも正しかったということだ。

 

「やったー! よかったね。

 君の名前は……名前は……『牛鬼』!

 牛みたいで、鬼みたいな角が生えてるから牛鬼!

 大社の人がリストアップしてた精霊の一つに、そういう精霊の名前があったんだよ?」

 

 友奈が牛鬼を優しく抱きしめ、その名を呼ぶと、牛鬼は可愛らしい鳴き声で応えた。

 

「よしよし、名前気に入ってくれたんだね。これからよろしくね、牛鬼!」

 

 疲れた顔で、竜胆は杏が座っているベンチに座り、杏の横に腰を下ろす。

 

「うーん……」

 

「どうした、杏。さっきから何か考え込んで」

 

「結界外から来た、というのなら……

 神樹様がこれを迎え入れたのには意味があると思うんだよね。

 そこにある意味を考えればいい。

 でも……そうじゃなかった場合、もしかしたら全然違う意味があるんじゃないかなって」

 

「全然違う意味……? 杏、それは一体」

 

「りっくん先輩、例えば、例えばだけど……」

 

 杏は少しだけ、周りの者達とは違う視点で、牛鬼を見ていた。

 

「これが『結界の外から来たものじゃない』としたら、どこから来たんだと思う?」

 

 もしも、神樹が牛鬼を受け入れろと神託したことに、意味があるとしたら。

 

 それを考え始めると、竜胆の目には牛鬼がもう、敵にも味方にも見えなくなってしまった。

 

 

 




 祝・勇者の章発売!
 特典ゲームによると天の神は死んでないみたいですね、勇者の章後も
 土地神は神樹として死んだ後、大地に還ったので消えてなくなったわけではない、みたいな感じなんでしょうかね

 あと、ゆゆゆいの巫女参戦。この作品のあそこに上手いこと組み込めないものか……なんて考えてたりしますが、今のところは純粋に嬉しいですね。小説のネタになるので

【原典とか混じえた解説】

●精神寄生体
 ピスケスと合体したサイコメザードのような『波動生命体』等と同じ、天の神・根源的破滅招来体の尖兵。
 人間の精神に寄生し、利用し、現実世界に怪獣となって現れることもある。
 精神に寄生するため、偏在して物理攻撃を回避する千景のようなタイプの場合、むしろ寄生行為の的が七倍に増える上、攻撃を回避しようともしないので極めて寄生されやすい。
 肉体まで寄生で同化されてしまうため、初期段階で寄生を防げないと、寄生された仲間を殺す以外になくなってしまう。
 "仲間割れを誘発する"ことが何よりも厄介な、心の侵略者。

●牛鬼
 こことは違う世界線で、神世紀の勇者・結城友奈に力を化した精霊、そのモデルの妖怪。
 牛の頭に、伝承によって異なるが、鬼の体や蜘蛛の体などを持つ、恐るべき化性。
 鬼や天狗ほどの知名度はないが、人を出会うだけで病気にし、人はその姿を見るだけで呪われ、家畜を喰らい、日本各地の伝承において数え切れないほどの人間を殺している。
 更には四国を始めとした日本各地の伝承において、神通力を持つとさえ、神のように人を祟るがために、神のように祀られている、神の如き妖魔。

 正確には『牛鬼』という始めの存在ありきではなく、牛をモデルにした日本各地の怪異譚が、後世の人間によって一つのカテゴリーに押し込められたもの、という説も強い。
 『遠野物語』の柳田國男は、これの一つを"牛鬼と貶められた金属の神"であるとも語った。

 また、日本では一部の神社が、牛鬼・牛頭天王・スサノオを同一視している。
 スサノオと牛頭天王は同一視される上、各地の伝承において人を殺す荒々しき妖魔として扱われた牛鬼は、荒々しき神であるスサノオと同一視されたから、という説がある。

 また、日本書紀におけるスサノオの新羅(朝鮮半島南東部)降臨の時、新羅のソシモリ(ソシモリは現地の言葉で牛頭の意)に降りたことから、牛頭とスサノオはかつてより関連付けられたものである、という説も存在する。
 八坂神社などの社伝においても、新羅の牛頭山でスサノオが祀られていた、と伝えられているからだ。

 和歌山には極めて珍しいことに、牛鬼が人を助ける伝承が存在する。
 伝承の名は『牛鬼淵(ぎゅうきがふち)』。
 その伝承によれば牛鬼は『人を助けた牛鬼は死ななければならない掟がある』という。
 ある男が道端で、腹を空かせていた美しい女を助けた。
 その女は、牛鬼の化身であった。
 ある時、洪水に流されたその男を、牛鬼の女は助ける。
 その代償として、牛鬼の女は全身から血を流して死んでいったという。
 「助けてもらったから助けるんだ」という、一人の女の自己犠牲の伝承である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

大侵攻開幕戦始まりますよー


「若ちゃんの誕生日の反省会をします」

 

 6月20日、14時50分。

 本日乃木若葉の誕生日。

 竜胆は若葉の誕生日に日清ラーメンセット(1000円)を持って来た大地、スポーツドリンク詰め合わせ(12本入り700円)を持って来た海人を、誕生日会の後道場に呼び出していた。

 

「誕生日プレゼントにあれはねーなと俺は思います」

 

「えー」

「えー」

 

「他の勇者の皆は普通にまともだったじゃないですか!

 だから先輩方のプレゼントことさらに浮いてたんですよ!」

 

「さーすがハイセンスなシャンプーとか石鹸とか贈った人は違うっすね、パイセン。

 けっ、どうせオレはローセンスだってのクソクソクソ……

 あーあ、高嶋ちゃんの誕生日の時だけハイセンスになる魔法とかねえかなー!

 あ、そうか。

 これはもしや、乃木ちゃんがその洗剤で体洗ってるとこ想像する御守の高度なプレイ……」

 

「なんて気持ち悪い発想じゃ、まるでカイトの発想じゃ!

 しかしそうなると、胸が無いわけじゃないが、若葉くらいの大きさが好みなんか御守。

 ワシはひなたくらいでっけー方が好きなんじゃがさぞ特殊な性癖をなさってることで……」

 

「違う! 息合わせておちょくってくんのやめろ!」

 

 ナチュラルに気持ち悪さを出してくる海人と、巨乳好きの大地が会話でコンビネーションを決めてくると、一瞬気を抜いただけで会話のペースを持って行かれかねない。

 

「そもそもどういう考えでああいう贈り物を選べたのか、ワシにはさっぱり分からん」

 

「例えば指輪とかネックレスは地味に重い贈り物だな、とか思いました。

 あとひーちゃんあたりと万が一被ったらどうしよう、とかも。

 調べたら贈り物の基本は失せ物とかあったので、また迷いました。

 どうしようかな……と悩んだので、結局花の香りのする洗剤セット買って。

 桔梗、姫百合、桜、彼岸花、紫羅欄花(ストック)の形の石鹸個別に買って。

 全部入れられるちょうどいい箱がなかったので、作って、入れて……」

 

「……意外過ぎる。竜胆らしくないぞ!」

 

「俺らしさってなんですか!?

 というか最近気付いたんですけど……

 相手が喜ぶものを想像するのと、デリカシーって別物ですね。

 デリカシーは細やかな気遣いの問題で、プレゼントは相手を理解してるかの問題ですし」

 

「お前……あとは異性感覚が芽生えりゃお前は完璧なんじゃが」

 

「やだなー、何言ってんですか、大地先輩。

 俺ももう高一相当の年齢ですよ? そういう感覚無いわけないじゃないですか。

 女の子と肩が触れ合うような距離ではちょっとドキドキしたりしますよ」

 

「小学生並みの感想……」

 

「海人先輩、今何か呟きました?」

 

「お前は言うことが時折小並感だなって」

 

「粉蜜柑……?」

 

 会う機会こそ多くは無かったが、親戚である大地は、若葉を幼少期から継続して見ている。

 彼はひなたほど若葉の色んな表情を見ているわけではないが、それでも赤の他人と比べれば、若葉のことを理解していた。

 

「若葉が贈り物貰ってああいう顔してるの見たの初めてじゃな、ワシは」

 

「皆もっと若ちゃんを相応に女の子らしく扱ってやればいいんですよ。そしたら毎日見れます」

 

「ちゃうわこのバカ。

 お前は普段若葉を頼りがいのある仲間、男の仲間のように扱ってるからだ。

 だからお前がたまーに女の子らしく扱うと、若葉はぐっと来るのだ。ワシにも分かる」

 

「ああ、若ちゃんが下ろした髪かき上げてるの見るとドキっとする、みたいな」

 

「おう、それこそがギャップパワーじゃ。

 お前はもしかすると、ひなたのハードルを超え、若葉を落とせる百年に一人の逸材かもしれん」

 

「は?」

 

「ワシの又従兄弟が嫁に行った時はよろしく頼むぞ、うっ、ううっ……」

 

「論理の飛躍っー!

 なんで若ちゃんの誕生日プレゼントに気合い入れただけでここまで言われんの!?」

 

「並の男ではあのゴリラは落とせん。

 というかむしろ、若葉は同性異性問わず若葉の方が落とすタイプじゃ。

 そこに加わるひなた防壁……あのやや鈍感で主人公気質なゴリラを落とせる者は多くない!」

 

「いい加減にしないと若ちゃんとひーちゃんの代わりに俺が怒りますよ」

 

「そこでひなた入れるあたりよく分かっとるのうお前。ワシ震えるわ」

 

「なんというか、大地先輩の若ちゃん評は半分くらい親戚風味というか……雑なので」

 

「がっはっは! 確かにその通り!」

 

「なのですみません、半分くらいは信じてないです。

 ただ、同性異性問わず若ちゃんの方が周りを落としてるってのは分かります」

 

「ほう」

 

「俺が若ちゃんに惚れ込んでるって言われたら、否定できませんから」

 

「……うひょー」

 

 竜胆が、あの地下から連れ出されて、最初に心動かされたことは、友達が出来て背も伸びた千景と再会した時の『安心』。

 次が、誰よりも先に手を差し伸べてきた友奈がくれた『暖かさ』。

 そして、丸亀城に向かって歩いていく途中で、石を投げる民衆から庇ってくれた若葉に感じた『感動』。

 あの時、投石から庇ってくれた若葉に対し抱いた感情を、竜胆が忘れることはない。

 

 竜胆が若葉の誕生日に気合いを入れないわけがないのだ。

 近しい人に竜胆が向ける揺るぎない"愛"に、大地は聞いていて少しこっ恥ずかしくなった。

 

「話を戻しますが、普通女の子に誕生日の贈り物ってなったら色々考えたりしませんか?」

 

「まあ、惚れた女の誕生日とかなら……」

「まあ、高嶋ちゃんの誕生日とかなら……」

 

「いやだって、女の子ですよ?」

 

「……」

「……」

 

「おい、若ちゃんも女の子だぞ」

 

「ダチの誕生日に贈るプレゼントなんて大体ウケ狙いじゃ」

「そうっすよねー」

 

「おい!」

 

 せめて九月の杏の誕生日には、と二人の意識改革を狙っていた竜胆だが、"これ絶対不毛だ"という確信がふつふつと湧いてきた。

 

「オレ愛媛県民だから香川県民が喜ぶものなんて知らねえしー」

 

「ワシは香川県民じゃがそういや若葉の好きなもんとかあまり知らんな」

 

「うどんと鶏肉好きみたいなので、せめて食べ物ならそちらにしましょう……」

 

「おお、サンキュー。あ、高嶋ちゃんだったらどうだ? 何が好きそう? 教えてくれよ」

 

「食べ物で好きなものなら肉系うどんとか……

 でも贈り物なら無難に可愛いタオルとかでも良いんじゃないですか?

 友奈はよく体動かしてますし、これから夏ですし、無駄にはならないかと。

 あとは純粋に友奈に喜んでもらえる物……格闘技のDVDとかどうでしょうか?」

 

「今の世界情勢じゃDVDなんてレア物にもほどがあるが……

 なるほど、参考になった。

 サンキューベリマッチ。うへへへ、これで好感度アップだぜ……」

 

「あ、ちなみにですね、今日から一番近い杏の誕生日ですけど、あいつの好みは……」

 

「オレは高嶋ちゃんの好きなものしか聞いてないぞ」

 

「……ひでえ」

 

 友奈の好きなもの以外に興味はなく、友奈の誕生日以外に気合いを入れる気がなく、けれど友奈以外の誕生日に何も贈らないわけではなく、誕生日を祝わないわけでもない。

 海人にとって、友奈以外の他人の誕生日はそういうものだった。

 

「海人先輩は、どうしてそんなに友奈を気に入ってるんですか?」

 

「お、聞くか? それ聞くか?

 あれはなんかもう戦いやだなーって思い始めた頃の話だ。

 初陣は上手く行ったがオレは命懸けの戦いなんて嫌だと思っていた。

 だがそんな時期、始まった勇者とウルトラマンの共闘!

 高嶋ちゃんの勇気! 勇猛果敢な突撃! 仲間を庇うその勇姿!

 ビビったね、ビビっときたね。オレは心底痺れたよ。

 あまりにもカッコいいもんだからオレもその後に続いちまった。

 戦いが終わった後に高嶋ちゃんが『大丈夫?』とか言ってきたもんだからオレもう崇拝よ。

 この女神なら信仰して良いなって思ってたら『震えてるように見えたから』とか言ってさ。

 そうしてオレはその時めっちゃビビってたってことをようやく自覚したわけだ。

 マジ天使。マジ女神。他人の心の痛みや恐れが分かる人が凡庸な子なわけないんだよなぁ……

 聞けば郡ちゃんとかも高嶋ちゃんにその心の恐れを振り払ってもらったとか。流石だぜ。

 自分を勇気で奮い立たせるだけじゃなく、他人を勇気で奮い立たせる者こそ勇者だわ。

 つまり本当の意味での勇者とか高嶋ちゃん以外には一人もいないんだよなぁ……うん。

 勇者の中の勇者とも言うべき高嶋ちゃんは一目連使っても酒天童子使っても素敵。

 勇者の衣装って精霊使うと変わるけど高嶋ちゃんの衣装変化の良さはその中でも群を抜く。

 かくいうオレも、高嶋ちゃんの一目連姿に勇気を貰い戦えるようになった奴だからな。

 高嶋ちゃんはキュートでクールでベリーベリースタイリッシュ。や、褒め言葉が足りねえな。

 その後の戦いでも、オレは高嶋ちゃんの勇姿と可愛さを存分に目に焼き付けて―――」

 

「カイトが友奈のことになると早口になるのクッソ気持ち悪いと思わんか?」

 

「やめましょうよ」

 

 ドルオタとは聞いていたが、ここまで偶像(アイドル)好きな一面を見てしまうとは思っていなかった竜胆が戦慄する。

 海人は友奈を実像の数倍は美化していた。

 しかも美化している自覚があるというのが恐ろしい。

 

 アイドルが理想的な人間であると、心の底から信じている人間はそう多くない。

 だがファンはアイドルを美化して見て、心のどこかで美化していることを自覚しながら、美化したアイドルを応援し、極大の好意を持ち続ける。

 海人が友奈を見る目もこれだ。

 彼は半ば自覚的に友奈を美化しながら、友奈の友達というより、ファンをやっている。

 

 友人をやるということは、相手の長所や短所を理解していくということだ。

 ファンをやるということは、相手の上っ面を信じ、短所を見なかったことにして、とことんまで美化して肯定していくということだ。

 短所も長所も含めて理解し愛するのが竜胆ならば、相手を理解することで"愛せなくなる短所"を見つけてしまわないように、理解の度合いを調整するのが海人のタイプのファンである。

 短所を知った上でファンをやるファンもいるが、海人はそういうタイプではないのだ。

 良い意味でも悪い意味でも、海人が友奈に幻滅することは絶対にない。

 

 こんなに癖があるのに友奈の戦友をやれている海人が凄いのか、ここまで癖がある男に好意的に接し友人として振る舞える寛容な友奈が凄いのか。

 竜胆は、海人を"落ち着いた感じの高校生"と評した球子の人物評価を、『もしかしてタマちゃんの前だとオタク気質で無口になってただけじゃないの?』と思い始めていた。

 

「つかカイトがこういうので饒舌になる理由の半分は、自分語りが好きだからなんじゃ」

 

「パイセーン! 変なイメージ植え付けないで!」

 

「ああ、普段の何十倍かってレベルでまくしたててましたからね……」

 

「……オレが黙ってる時ってそんな多く感じる?」

 

「まあ、ちょっとは。

 でも海人先輩、時々会話に加わるの完全放棄してスマホ弄ってますよね。

 あれちょっとどうかと思います。友奈だってああいうのは気にしますよ」

 

「あ、はい」

 

「がっはっは! カイトぉ、年下の後輩に正論言われとるぞ!」

 

「分かってますよ!」

 

 海人は頭を掻いて、竜胆の肩を叩いた。

 

「分かるかね御守君。オレは高嶋ちゃんにずっと綺麗なものでいてほしいんだ」

 

「は、はぁ」

 

「男の影とか無い存在で居てほしいんだ。

 直球で言うけどあんま仲良くしないでくれよな高嶋ちゃんと」

 

「ええと……海人先輩が友奈と恋人になりたいとか、そういう?」

 

「バカだな俺すら邪魔に決まってんだろ! 殺すぞ!

 男の影を高嶋ちゃんの周囲から一切排除したいんだよ!

 綺麗なものだけの園をそこに維持したいんだよ!

 分かんねえなら言ってやるが高嶋ちゃんにずっと処女でいてほしいんだよ!」

 

「気持ち悪っ」

 

「男の自慰の対象にはなるけど男が触れられない存在でいてほしいんだよ!」

 

「気持ち悪っ!」

 

「分からないのか!

 この地球上で高嶋さんが一番可愛い!

 そんな高嶋さんに男が出来るとか興奮と嫌悪を覚えて体の震えが止まらないんだ!」

 

「気持ち悪ッ! え、なんですか!?

 先輩って俺の参戦前からこういうキャラだったんですか!?」

 

「いや、流石に女性が目の前にいる時はこんなオープンじゃねえよ。

 今は男子会だからオレもこんなにオープンなだけで……あ、でも、そうか。

 高嶋さんに会えなかった半年近くの時間が、オレの愛をこんなにも膨れ上がらせていたんだな」

 

「もうやだ気持ち悪い! この人俺が出会ったことのない人種だ!」

 

 好きなものを病的に愛し、好きなものを語る時にとことん早口になる。

 行くところまで行った友奈愛。

 鷲尾という名字に、変なイメージを持ってしまいそうだった。

 

「しかしなぁ……友奈にも自由ってもんがあるんですよ、海人先輩。

 友奈の幸せを望むなら、友奈に彼氏が出来たら喜んでやるべきじゃないでしょうか」

 

「そんなおりこうさんの倫理知ったことか。

 "好きな人に好きな人が出来たら黙って身を引くのが愛"?

 かーっ、おこちゃまか!

 それじゃ他人にとって都合の良いだけの人間、幸福になれない人間にしかなれんわ!

 高嶋ちゃんに彼氏なんぞできるのはオレは絶対に許さんぞ! 断固抗議する!」

 

「そうしたら俺が止めますよ?」

 

「はっ、お前が止めに来たところで―――」

 

 ふっ、と竜胆の肘から先が消えた。

 前兆モーションが要らない、肩・肘・手首を回してスナップを利かせるだけの、超高速パンチが海人の前髪を打つ。

 海人の前髪が一本、ぷつりと切れてはらりと落ちた。

 竜胆は微笑んでいる。

 

「あっはっは、面白いこと言いますね。

 俺が仲間の幸せの邪魔する人を本気で殴れないと思ってるんですか?」

 

「……お、おう」

 

「実害が出ない内は海人先輩に干渉もしませんよ。

 海人先輩は『理想の友奈』を求めてればいいです。

 でも、それが何か実害を出すようであれば……

 俺は『友奈の幸福』のために何とだって戦いますよ?」

 

「この後輩やべーぞ……!」

 

「ところで話は変わりますけど、俺最近それなりの厚みの鉄板なら殴って凹ませられるんです」

 

「話が変わってない!」

 

 どうせこのチキン野郎に高嶋の恋人に何かする度胸なんてないぞ、と大地は思っていたが、流れが面白かったので何も言わなかった。

 

「まあ友奈は彼女にしたいと思う男多いじゃろ。ワシもアリだと思う」

 

「殺すぞ」

 

「うおっ」

 

「パイセンが昔結構女遊びしてたこと知ってるんだからな。

 高嶋さんに本当に手を出したら絶対に殺す。竜胆なら半殺しだが、あんたは全殺しだ」

 

「無敵のガイア&アグルコンビ解散の危機じゃあ……」

 

「こんなことで解散しないでください!

 って、なんで俺もしっかり話の仮定の対象に入ってんだ……!」

 

 竜胆はふと、大地の発言に疑問を持った。

 

「あれ? 大地先輩って巨乳好きなんじゃないんですか? 友奈は、その……」

 

「まあ平均以下じゃな」

 

「……え、ええ、まあ、そうですが」

 

 仲間の胸の大きさを改めて語るのが気恥ずかしくなったのか、竜胆は頬を掻く。

 

「ワシ、おっぱい好き。大きなおっぱい大好き。大きくないおっぱい普通に好き」

 

「あ、明け透けに! オープンに言っていいことじゃない!」

 

「へっ、素直になりな。ワシだけじゃない。お前もそうであるはずだ」

 

「俺は勇者全員にドキドキしたことがあるような人間なので……」

 

「……あっ、そういう?

 とまあ、ワシは胸が好きだ。外も内も、他の奴と違う奴が好きだ」

 

「外と内?」

 

「胸の内に輝く物があるか、胸の外にデカい物があるか、その二択!」

 

「ど……堂々と言い切った!」

 

「まあそれはそういうものが好きというだけの話!

 実際に恋人にするっちゅうわけでもないわけだ。

 胸の内の輝きはワシの心が惚れる、胸の外の膨らみはワシの股間が惚れる!」

 

「先輩二人はさぁ!」

 

 明け透けな、胸の内と外への好意。

 一言で言うなら、大地は"顔で女を選ばない男"だった。

 そう言うと立派な男であるように思えるが、実際は恐ろしくシンプルな思考によって動いている豪放磊落な男、というだけのことである。

 竜胆は、球子の大地評を思い出した。

 

―――三ノ輪さんは胸が大きい女の言うことなら大抵聞いちゃいそうな最低野郎だ

 

 なるほど、と竜胆は納得する。

 海人は相手によって対応を変えたり、素の自分を出せなくなってしまうようだが、大地にはそういう気質が一切見えない。

 誰に対しても同じような対応をしている姿しか想像できない。

 球子の人物評が海人に対しては正しくなく、大地に対しては正しい理由を竜胆は察し、色々教えてくれていた球子に心の中で感謝した。

 

 竜胆の心の中で、土居球子は永遠に特別枠な女の子である。

 

「じゃから発育いい杏も割と好き。心が打たれ弱いのはあんまりって感じじゃが」

 

「杏は成長してますよ」

 

「ん?」

 

「半年前の四国基準で語ってませんか、先輩?

 俺はあいつを信じて背中任せてますよ。伊予島杏は弱くたって強いんです」

 

「ほー。なるほど、なるほど」

 

 大地は、杏に対し"球子がいなくなったら終わり"という印象を持っていた。

 そうならなかったのには相応の理由があったのだろうと、竜胆を見て推し量る。

 

(確かに、ワシが知っている伊予島杏は、土井球子の死に耐えられるような女ではなかった)

 

 竜胆の指摘に、海人も頷いている。

 

「まーそうですね。

 オレとパイセンが居なかった数ヶ月で、皆結構成長した気がするっす。

 郡ちゃんとか頻繁にドブの底の腐った泥みたいな目してたのに、超ウケますね」

 

「海人先輩、表に出てください」

 

「おいその握った拳を下ろせ後輩」

 

「これこれ、脅すのはやめんか竜胆。

 海人は千景と同じ陰キャゆえに、同族嫌悪があるんじゃ」

 

「「 陰キャ!? 」」

 

「ちょっと待ってください!

 オレは郡ちゃんと違って割とメンタル強いですよ!

 ボソボソ何か言ってる郡ちゃんよりは陽キャで価値があるはずです!」

 

「あ、そういうこと言うんですか!?

 じゃあ俺も言いたいこと言いますけど!

 顔が可愛い分海人先輩よりちーちゃんの方が万倍価値ありますからね!」

 

「ぐあああっ反論し辛い言い方しやがってっ! 顔の出来を引き合いに出すな! 泣くぞ!」

 

「ワッシー蚊帳の外でも楽しいわ」

 

 一々何かを貶したりして相対的に何かを上げるタイプの海人と、とことん全方位に好意的な竜胆の主張は大体の場合噛み合わない。

 

「郡ちゃんは顔が良くても無愛想とか色々な要素で損なってるとオレは主張してみます」

 

「笑顔も性格も挙動も、正負合わせて全部可愛いから良いんですよ、ちーちゃんは」

 

「……オレも話に聞いただけだが。

 亜型ピスケスに洗脳された郡ちゃんは、お前に醜いところ沢山見せたそうじゃないか」

 

「醜いところだって可愛いもんですよ。

 だってそれはちーちゃんにしかない個性ってことでしょう?

 ちーちゃんの個性が好きってことは、そういう部分も好きってことなんですよ」

 

「個性って言うと大体その人のプラスの部分を語るもんだと思うがなあ……」

 

「他の人に無い欠点があるっていうのも十分に個性ですよ。

 愛おしいじゃないですか。

 ちょっと別の話になりますけど、俺にだって好きじゃない他人の欠点とかありますし」

 

「例えば?」

 

「海人先輩がナチュラルにちーちゃんに辛辣なとことかですね」

 

「おおっと、そこはしょうがないな。オレの優しさはお前と違って有限なんだ」

 

 竜胆と海人は、優しさの形も愛の形も違う。

 竜胆のそれは若葉や友奈のようなそれであり、海人のそれは千景のようなそれ。

 広く向けられる博愛が竜胆のそれなら、海人の愛の範囲は狭く重い。

 だからこそ竜胆と海人の間には、若葉と千景のような相性の悪さと、友奈と千景のような相性の良さが混在していた。

 

 "高嶋ちゃんと仲良くして羨ましいぞ"という羨望や敵意もあり。

 "こんなに自分を曝け出しても普通に受け入れてくれてるの嬉しい"という友情や喜びもあり。

 海人は友奈と仲の良い竜胆が嫌いであったが、嫌いなのと同じくらいには好きだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 若葉の誕生日であっても、バーテックスは変わらず攻めてくる。

 敵に人間の事情を慮る義務など無い。

 若葉の誕生日であることに気を使うのは、同じ人間だけだった。

 

『若ちゃんは休んでろ。今日くらいは、ゆっくりしてな!』

 

 ティガトルネードの電撃パンチが、ゴモラの胸を打ち、その内側を焼く。

 誕生日くらいは若葉をゆっくりさせてやろうと、ティガトルネードの拳が唸った。

 ゴモラのパワーも、パワー特化のティガの形態とは比ぶべくもない。

 張り切る竜胆を目にして、若葉は呆れたように表情を緩めた。

 

 軽やかに跳んで、ティガの肩に乗る。

 

「いらぬ気を使うな」

 

『……お、お前な。今日くらいは良いだろ』

 

「構わん、共に戦わせろ。その方が私は嬉しい。

 私の誕生日なら、少しくらい願いを聞いてくれてもいいだろう?」

 

『わかったよ』

 

 連携し、バーテックス軍団に挑む。

 日々怪獣の割合は減り、星屑の割合が増えてきた。

 今日に至っては、メインターゲットの一般人もいないというのにオコリンボールが投入されている始末。

 怪獣、星屑、オコリンボールの全てに、天の神の祟りの紋が刻まれていた。

 

(……あれ、なんだ?)

 

 戦いながら、竜胆は敵を分析する。

 

 刻まれたタタリの紋を見て、竜胆は怪訝に思う。

 紋を刻まれたバーテックス個体は、日々動きから無駄が減っていき、スペックが増していく。

 黒い天の雷の力(ダークサンダーエナジー)が時折、紋の表面を小さく走り、例えばゴモラならばパワーとスピード、ソドムならば熱量、ガゾートならば飛行速度を強化していく。

 昨日よりも今日の敵の方が強い。

 まだ対処できる怪獣だからいいが、本当に強い個体にこの紋が刻まれたならどうなるか。

 

 竜胆は横目に仲間達を見る。

 星屑やオコリンボールを相手にしている勇者達の表情に、余裕はない。

 "タタリをその身に刻まれた"星屑やオコリンボールは、数の驚異はそのままに、勇者の戦装束の守りを貫きかねない存在になってしまっていた。

 ティガは旋刃盤を投げ込んで蹴散らし、勇者達が追い込まれないよう、援護を継続する。

 

(なんだ……あの紋章みたいなのが強化要因……?

 バーテックスは毎日無駄が減り、スペックが上がって……だとしたら……

 何故、強い個体が出てこない?

 最近の戦場に出てこなくなったような怪獣ばかり出てくる?

 実験? テスト? それとも今投入されてるバーテックスが捨て石?

 怪獣は減っていても、投入される星屑の数が多いままなのは何か理由があるのか?)

 

 ティガブラストの目が、冷静に戦場を見渡す。

 ゴモラの死体から湧き、杏を狙う精神寄生体を発見したティガの光斬手刀(スラップショット)が精神寄生体を両断した。

 

(危ない、危ない。

 登録呼称(レジストコード)・精神寄生体が定期的に湧くが……

 精神干渉なら、ピスケスが一切出て来なくなったのはどういうことなんだ?)

 

 お礼を言う杏とティガの同時冷気攻撃が、低温に弱いソドムやゴモラを追い詰めていく。

 

(精神寄生体はピスケスの上位互換じゃない。

 視線を合わせたらすぐ幻覚洗脳できるピスケスとは住み分けできる。

 精神寄生体は触れて取り付くタイプのようだし……

 遠距離から幻覚を見せるピスケスと組み合わせた方が強いはずだ。

 なんで出て来ない?

 ゼットが余計なバーテックスの参戦を止めて一対一を作ってた状況ももう終わった。

 亜型十二星座は継続して何度も出てたし……大侵攻の戦力として温存されている……?)

 

 竜胆の考察は、知能の高さから来るものではない。

 言うなれば、戦闘者の嗅覚。

 "こういう理由があるからおかしさに気付く"という理性の思考ではなく、"なんかおかしい"という勘による前提ありきの推測。

 勘が気付いたものに、理性と思考が理屈を付けていく。

 

(だとしたら、こいつらは大侵攻には全く関係ない先遣隊とかか?

 先遣隊と、大侵攻の本隊を分けたとか……だとしたら、どのくらい戦力に余裕があるんだ?

 本隊は……どのくらい数が多いんだ……? 何か、嫌な予感がする……)

 

 今、巨人と勇者の中で一番に、"抱いている危機感と、大侵攻の正確な危険度の度合いが近い"のは、竜胆だった。

 

 竜胆は杏に――勇者の中では一番慎重で、臆病で、それを踏破する勇気も持つ杏に――この状況をどう見ているかを問いかける。

 

『杏、このこまめな侵攻をどう思う?』

 

「先遣隊、偵察、挑発……何でもあると思うかな。

 でも本気で潰す気が無いのは確かだと思う。

 だって神樹様に向かっていく個体が一つもいないもの」

 

『……あ、確かにそうだ』

 

 杏は竜胆と似た結論を既に出しつつ、竜胆の一歩先の推測を立てていた。

 

 樹海の中心には神樹が立ち、これにバーテックスが到達することが神樹の終わりであり、竜胆達の敗北である。

 バーテックスには基本的に人間を感知して狙う習性があり、だからこそ勇者や巨人とバーテックスが互いを狙う戦いが成立するのだが、戦術的に無視して樹海を狙うこともある。

 細かい星屑の殲滅は巨人より勇者の方が向いているので、樹海狙いのそういった星屑には勇者が対応することも多い。

 

 だが、大侵攻の事実が明らかになってからのバーテックス侵攻は、神樹狙いの侵攻が明らかに少なく……否、皆無になっていた。

 つまり、神樹を倒して勝つ気がない。

 竜胆たちの視点だと分からないが、これが大侵攻前の戦力整理と、あわよくば勇者の一人でも潰せれば、という目的のものである以上、それは当然のことだった。

 

 竜胆の中に、嫌な予感が積み重なっていく。

 過去最大に嫌な予感が積み重なっていく。

 ティガダークに初めて変身した日も、朝からこういった感覚を覚えていたが……その時とは比べ物にならないほどに、嫌な予感。

 ゼットを前にしても、彼がこれほどの悪寒を感じたことはなかった。

 

「……海人さん、まだ星屑に接近されると苦手なんだ……」

 

 杏がボソッと呟いた。

 ティガがそちらを見ると、アグルが数体の星屑に襲われていた。

 

『ええい潰せねえ……夏場の蚊かお前らは!』

 

 変身者補正を考慮しなければ、アグルの光単体の力は、ガイアの光単体の力より強い。

 なのでアグルの皮膚強度はガイアのそれより強く、星屑に食い破られるティガダークのような脆さは一切無い。星屑では歯が立たない。

 が、アグル自身の体術が未熟すぎて、飛び回る数体の星屑を叩き潰せていないようだ。

 海人のイライラが、巨人の巨体から伝わってくる。

 

『どっかいけや!』

 

 その時、アグルの手から光の剣が生えた。

 "アグルブレード"。

 必殺光線に等しいエネルギーを凝縮した、光を固めた剣である。

 それを一振りすると、やや油断していた星屑達が、あっという間に真っ二つになった。

 

『えっ、な、なんですかそれ』

 

『アグルブレード。オレの奥の手だ』

 

『か、カッコいい! え、なんですかそれ!?

 今まで見たウルトラマンの斬撃技の中で一番綺麗でカッコいいんですけど!』

 

『羨ましいだろ? ん?』

 

「竜胆、海人の剣技はヘタクソにも程がある。見るなら私の剣の方がいいぞ」

 

『あ、ひっで!』

 

「そう言われるのが嫌なら、剣の自主練も真面目にやっておけ。まったく」

 

『若ちゃんの剣筋は確かに綺麗だよなあ……海人先輩も教わってみたらどうですか』

 

『オレは射撃訓練だけで手一杯だっての』

 

 光の剣が消える。

 これは確かに、純後衛でスナイパーの海人にとって、使いたくない奥の手だろう。

 剣技にはちょっとうるさい若葉が面白くて、竜胆は心中でくすりと笑った。

 

『そうだ御守、せっかくだから前に話してた"あの技"、ここで試してみようぜ』

 

『え、ここでやるんですか?

 確かにこんなに余裕ある戦い、次にいつ出来るか分かりませんけど……』

 

『どうせ実戦の中でウルトラマンに変身してる時しか練習はできないんだ。

 イメージトレーニングで特訓繰り返すより、一発実戦で試しに撃って見た方がいいだろ』

 

『……ですね』

 

『今のアグルブレード見たろ?

 大丈夫だ、安心しろ。オレは光線制御なら一番上手いからな。

 新しい技を身に着けてオレを守ってくれ。痛いのも嫌なんだよオレは』

 

『分かりました。強くなって、俺が皆を守ります』

 

 ガイア・千景・若葉が押し留めている敵の中で、一体だけ突破して来たガゾートに狙いを定めたティガダークの肩に、アグルが手を置いた。

 

(オレの光をティガに流し込んで……

 赤と紫の光、これか。

 これをティガダークの状態でも少しは扱えるようにすればいい。

 ティガの体の中を、光をぐるぐる回す。

 光を腕に集めさせる。

 ティガダークの状態で、トルネードとブラストの光を引き出す感覚を覚えさせて……)

 

 光線系のエネルギーの制御において、鷲尾海人を超える者はいない。

 

『どうだ? この感覚、覚えとけ。次は一人で撃てるようにな』

 

『了解です。ありがとうございます、』

 

『へへっ、礼を言うほどのことじゃねえのさ。なんだかんだ言って、オレ達は仲間……』

 

「リュウくん、頑張れー!」

 

『何高嶋ちゃんから可愛い声援貰ってんだ殺すぞ』

 

『情緒不安定か! しっかりしてください!』

 

 ネガティブで湿っぽい発言だけは小声なのが、友奈の前でいい顔したい海人らしかった。

 迫るガゾート。

 ティガの両手の間に溜まる光のエネルギー。

 手と手の間で、光のスパークが弾け始めた。

 

『よし、撃て!』

 

『―――スペシウム光線ッ!!』

 

 其はウルトラマンの代名詞、"スペシウム光線"。

 

 真っ黒なスペシウム光線がガゾートに直撃し、その体を爆発四散させた。

 

『おお……』

 

『前に、グレートが俺達に教えてくれたんだよな』

 

 海人/アグルは得意げに腕を組む。

 

『基本的に、スペシウム光線を撃てないウルトラマンってのはいないらしい』

 

『そうなんですか!?』

 

 そういえば……と、竜胆はゼットに首をねじ切られそうになった時、パワードとグレートのダブル・スペシウム光線に助けられたことを思い出す。

 

 スペシウム光線は、基本中の基本の技だ。

 全てのウルトラマンの必殺光線の基礎にはこれがある、と言われることもある。

 ガイアやアグルも普段は使わないだけで、設定上はスペシウム光線を使用可能なのだ。

 なればこそ、ティガにこの基本の光線を教えることができた。

 

 それはティガが既に、"闇の巨人"の一言では言えない存在になっていることを意味していた。

 トルネードとブラストの光の獲得により、闇の巨人と光の巨人の間にある境界線を、光の巨人側に一歩分踏み越えているということを意味していた。

 

 ティガダークが、光線を撃った。

 それすなわち、闇を抱えながらも、竜胆の心と属性が新たなる光と成り始めていることの証明。

 

「……黒い、光……」

 

 ガゾートを粉砕する黒い光に、千景は安心と不安の両方を感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガイアとアグルの帰還から一ヶ月以上が経った。

 連携は十分なレベルに達し、四国外部を観測したところ、四国への侵攻も一区切りがついたと推測されている。

 今がチャンスだ。

 大侵攻が始まる前に、回数を分けて先制攻撃を仕掛け、敵戦力を削る時が来た。

 このチャンスは逃せない。

 

 とてつもなく忙しないことだが、若葉の誕生日である20日で、最初の先制攻撃の日が21日に決定した。

 今日片付けた敵の分が補充されてまた敵が攻めて来る前に、ということだ。

 

 この最初の先制攻撃で、せめてブルトンは倒しておきたい。

 ただでさえ敵が多いなら、ブルトンを倒して樹海の中に敵を引き込んで……それでようやく勝機がある、といったところだろう。

 数で負けているのなら、最低限ホームゲームで戦えなければ話にならない。

 

「それを伝えに来ただけっすか、正樹さん」

 

「そう思うか、鷲尾」

 

「いや、それならあんた丸亀城にすら来ないでしょ。

 上里ちゃんに何か伝えてハイ終わりってのがあんたのキャラでしょうね。

 丸亀城にわざわざあんたが来て伝えて、こんな別室でオレにだけ話っていうのは……」

 

「ああ、そうだ。他の者にはあまり聞かれたくない話だ」

 

「ほーらやっぱり」

 

 丸亀城に突然やって来て、明日の先制攻撃を通達し、海人を別室に呼び出して内緒話をしているこの男は、正樹(まさき)圭吾(けいご)

 以前、大社の運営方針について会議で強固な過激派主張を掲げていた男だ。

 

 偉い人なのに前に出ていた蛭川。

 現地で竜胆を助けてくれた万。

 大社本部で巫女としてあくせくしている安芸真鈴。

 そして、竜胆を犠牲にするやり方を肯定していた正樹。

 大社の人間達は竜胆の視点の物語にはあまり映らないが、いつも懸命に四国を守るため粉骨砕身で頑張っている。

 

「―――」

 

「―――!」

 

 正樹は海人に何かを頼み、頭を下げた。

 

 海人はいつも偉そうにしている正樹が頭を下げたことに驚き、その頼みの内容に眉を顰める。

 

「いや、普通に嫌だよ。正樹さんはむしろなんでオレがイエスって言うと思ったの?」

 

「……だろうな」

 

「正直、あんたの頼みを聞いてやりたい。

 気持ち分からないでもないからさ。

 でもなぁ……死ぬかもしれないのは流石に嫌だわ」

 

 海人に正樹が頼んだことは、海人の耳には"死ね"という頼みに聞こえた。

 

「あんたがオレに言ってることはさ。

 要するに"信じられるし死んでもいいウルトラマン"がオレだけだってことで。

 ティガは信じられないウルトラマンで、ガイアは死んでほしくないウルトラマンってことだろ」

 

「―――」

 

「命懸けの重要な作戦に、信じられない奴を投入したくないのは分かる。

 死なせたくない奴を投入したくないのは分かる。でもなあ、オレだって死にたくねえよ」

 

 海人は正樹が何歳なのかも、何ができるのかも、何が好きなのかも、どうやってその若さで大社という組織のトップ近くまで上り詰めたのかも知らない。

 だが、三ノ輪大地と正樹圭吾が"高校時代の友人"であることは知っている。

 

 三ノ輪大地が巨人として戦いながらも、大社に一度も文句を言わない男である理由は。

 正木圭吾が、大地がウルトラマンになった後に大社に入り、短期間で上り詰めた理由は。

 そこに、理由はあるのか?

 海人は知らない。

 聞いても二人が答えてくれたことは、一度も無いからだ。

 

 海人が知っていることは多くない、けれども。

 巨人として戦う者と、大社として戦う者。

 別々の戦場で戦う二人の間に、友情があることは知っている。

 

「あんたは万が一にも友達を死なせないために、オレに死ねと言うわけだ」

 

 死ぬかもしれない頼みとは、生贄になってくれと頼むのに等しい。

 

「まあそれを言うなら、神樹の勇者システムの開発起案の時から、ずっとそうだったんだよな」

 

 勇者もそう、巨人もそう。

 危険な場所に送り出し、危険な事柄を任せるということは、生贄の側面を持つ。

 だが海人は聖人でもなんでもないので、"生贄は嫌"とすっぱり言える男だった。

 

「でもやっぱ死にたくないから、駄目だ」

 

 正樹は気落ちした様子で、組んでいた指を組み替える。

 

「ああ、そうだな。

 私はティガを全く信じていない。

 ガイアを……三ノ輪を死なせたくない。

 君を選んで頼んだのは、最低な話だが、消去法だ」

 

「でっしょうねー。

 ん? そういえば、大社内でもティガって信用されてないんすか?」

 

「2/3はティガ支持、1/3が様子見と未だ怪しんでいる、といったところだ。

 これまでの戦いの実績から、大社の2/3はもう暴走しないと信用している。

 大社の巫女達は総じて、以前からずっと全面的にティガを信じているようだがな」

 

「え、何故巫女」

 

「上里と、安芸という巫女がいてな。

 上里はまあ時折こちらに来て、こちらの巫女と話をする程度だが……

 安芸という巫女の活動によって、巫女の間では前々からティガ支持が根強かったようだ」

 

「……へぇー」

 

「巫女は今や私達大社のギア、神樹に繋がる唯一のコネクターだ。

 そこが揺らがずティガを支持しているということは、君が思っている以上に大きい」

 

 竜胆の目に映らない場所にも、物語はある。

 

「正樹さんさ、オレに兄弟いるから家名も血脈も絶えない、だから死んでもいい……

 みたいなこと考えてねえ? オレ兄弟が残るとしても死ぬのは嫌っすよ」

 

「バカを言うな。それを言うなら、三ノ輪にだって兄弟は四人もいるだろう」

 

「マジで!? 長男?」

 

「君と同じ長男だ。君は弟二人で、あちらは弟四人だが」

 

「そっか、パイセンにそんな弟が……あ」

 

 話の拍子に、海人は『何か』を思い出した。

 

「―――あぁ、そういうことか」

 

 その気付きが、海人と、そしてそれ以外の全員の運命を、決定付けた。

 

「そうか、そうだったのか」

 

「鷲尾?」

 

「オレには、あいつのために命をかける理由があった」

 

 海人は納得したように頷く。

 

「やれるだけやって次の希望のきっかけ、掴んでくるっす。

 ただ生還第一でやりますんで、期待はしないでください」

 

「……どうした、急にやる気になって」

 

「まあ死ぬ"かもしれない"くらいなら別に良いかなって、そう思ったんすよ」

 

 死にたくはないので、海人はやるだけやって足掻くことを決めた。

 

「あー、死なないように頑張らねえとなー!」

 

 怯えて逃げるよりは、足掻いて戦い生き残ろうとする気概が、海人の内に湧いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこかに私の死に場所はあるのだろうか、と、ゼットは思った。

 

 その胸には刻まれた天の神の祟りの紋。

 苦しみながら、ゼットは大侵攻の部隊の最後尾にて腰を降ろしていた。

 

 天の神の意に沿うためには、大侵攻に参加しなければならない。

 だが戦う気はまるで見えない。

 苦虫を噛み潰すようにして、ゼットは大侵攻の軍勢を見回した。

 

「美しさの欠片もない。虫を踏み潰すような、当たり前の勝利を妥当にもたらすものだ」

 

 ゼットですら、そう言うほどの戦力。

 イフ、ゼットすらも跳ね除けた四国を潰すほどの恐るべき軍勢の群れ。

 それぞれが山程の星屑を凝縮して作られた恐るべき怪獣、恐ろしいバーテックスでありながら、一体一体が天の神の祟りという名の『強化』を受けていた。

 

(……私で反省を得たつもりか?)

 

 ゼットにもし、心から生まれる『余計』が無かったなら。

 そもそも、四国での初陣でゼットがグレートを倒した後、竜胆達も皆殺しにして神樹も倒してしまえば、その時点で全ては終わっていたのだ。

 グレートにゼットが敬意を払わなければ、あの時点で人は滅んでいた。

 

 天の神からすれば、矜持などという邪魔なものはバーテックスには要らない。

 叶うなら、何も考えない無機質なバーテックスこそが望ましい。

 だからこそ、"ゼットのように強い存在"を求めながらも、"ゼットのような不確定要素"を持たない個々の存在を作り上げた。

 それらを揃えて叩き込む、かつてない侵攻、ゆえに『大侵攻』。

 

 祟りを見た人間が、神地や首塚に対しバカにするような行動を一切取れなくなるように、大侵攻のバーテックスは全てが天の神の意に沿う存在である。

 祟りに込められたエネルギーによって、力も強化されている。

 加え、数自体も桁外れだった。

 人間は負けるだろうと、ゼットは予測する。

 

(いや)

 

 なのに、自分の予測を、自分で否定した。

 

(逆転がありえない、なんてことはありえないな。

 何故なら私がこうして負けている。あのウルトラマンと、人間どもならば、あるいは……)

 

 大侵攻の中核戦力の一つに、"ゼットン軍団"があった。

 ここではない世界においては、光の国の滅びを想像させるほどの戦力であったという、宇宙恐魔人ゼットのゼットン軍団。

 全てのゼットンの頂点に立つ能力を持つゼットは、それら全てを支配することができる。

 

 だが、ゼットは腰を降ろしたまま動かない。

 ゼットン軍団も石のように動いていなかった。

 限りなく、不動。

 ゼットはウルトラマンとも、人間とも、戦おうとしていない。

 ゼットン軍団もその意を反映してしまっている。

 大侵攻の中核戦力の一つが、完全に沈黙した形だ。

 

 当然それは天の神の意に沿わない行動であるため、ゼットの体に途方もない量の祟りが降り掛かっている。

 人間であれば、とっくの昔に発狂しているレベルの苦痛だ。

 ゼットの精神力をもってしても、耐えるので精一杯というレベルの地獄。

 

 命令無視ですらこのレベルの苦痛が走るのであれば、天の神に直接逆らいでもすれば、ゼットにとって最悪の形で―――ゼットは死ぬかもしれない。

 

「沈黙と無行動くらいは選ばせろ……! 私が戦う時と、相手は、私が選ぶ……!」

 

 ゼットは動かない。

 ゼットン達も動かない。

 苦悶の声を漏らすゼットが、その時突然、顔を上げた。

 

「来たか……ウルトラマン」

 

 光が、来る。

 

 遠くの空に飛翔するガイア、アグル、ティガブラストの姿が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 島根県北東部、出雲の地。

 天の神と敵対したスサノオが降り立った地であり、ヤマタノオロチが剣にて倒され、聖なる剣を取り出された地でもあり、地の神が国作りをした地でもあり。

 ……地の神が天の神に敗北した結果、天の神に国譲りをした地でもある。

 

 雲、すなわち天。

 天出づる天の神の地。

 無限にも思えるバーテックスの軍勢が、出雲の地に集結していた。

 星屑がうようよと居るせいで、出雲の地は地表すらまともに見えてこない。

 

『見えてきたな、大侵攻の軍勢』

 

 大進行前に敵戦力を削るには、攻撃した後撤退し、また再度攻撃を仕掛け、それを繰り返していくしかない。

 よって勇者全員を連れて行くと、最悪撤退に支障が出る。

 最大戦力をぶつけるのが重要なのではなく、撤退できる人数で行くことが重要なのだ。

 なので勇者は千景と杏が留守番、友奈と若葉のみが出撃。

 身体能力がバカみたいに上がる友奈と、空を高速で飛べる若葉が、ティガブラストの手に乗せられて一緒に飛んでいた。

 

『結構飛ばしてるが、寒くないか、二人共』

 

「私は大丈夫だ」

 

「ティガの手が暖かいから大丈夫だよ」

 

『今の俺の手は分厚いだけでそんなに暖かくもないと思うけどな……来るぞ!』

 

 出雲の地より、まだ総数も把握できていないバーテックス達が攻撃を始める。

 炎、雷、溶解液、振動波、ビーム、レーザー、水攻撃と、あまりの数と多様性の暴力に、ウルトラマン達は全力の回避行動を取る。

 

『さて、マジモンの大侵攻の前哨戦が始まる……と、言いたいところじゃが』

 

 ガイアが鼻の下を擦って敵の放つ弾幕の隙間を見極めようとした、が。

 

 突破して接近できるような隙間は一切なく、弾幕の密度は時間経過で増す一方だった。

 

『……何体居るんじゃこいつら……!』

 

 接近して、少しずつ見てくるようになると、分かる。

 出雲の空も、出雲の大地も、その向こうの出雲の海も。

 その全てが、バーテックスによって覆われていた。

 その時、早く帰りたくて帰りたくて仕方ない海人が目当てのものを見つける。

 

『あ、ブルトン! 今ブルトンが見えたぞ!』

 

 四国――正確には愛媛――から変身して飛んで来たため、ティガ達は南から北へと真っ直ぐに北上して来た形になる。

 そしてブルトンは、バーテックスの大軍勢の中でも南端近くに居た。

 敵戦力のほとんどは、前衛近くにいるブルトンを守れる位置にいない。

 

(ブルトンはかなり前衛寄りな位置に居るな。チャンスかも)

 

 竜胆はこの気を逃さぬよう、思念波の声を張り上げた。

 

『一掃しましょう。

 若ちゃん、友奈を頼む。

 俺と二人の先輩の光線で弾幕、空中の星屑、できれば数体大型も片付けます!』

 

『おう!』

 

『了解!』

 

「リュウくん達も気を付けて!」

 

 ティガが腕を十字に組む。

 ガイアが腕を十字に組み、L字に組み直す。

 アグルが光を両手で集め、両拳を揃えて突き出す。

 

『スペシウム光線ッ!!』

 

 放たれるは黒き光線。

 

『クァンタムストリーム!』

 

 放たれるは炎のような光線。

 

『リキデイター! 連射ぁ!』

 

 放たれるは青き光弾の高速連射。

 

 みるみる内に、空中にいた星屑達が消し飛んでいく。

 だが地表に群れ成す大型へと届く前に、光線と光弾は、五体の大型バーテックスに吸収されてしまった。

 

『ベムスター……!?』

 

 ティガの手足に光線と、なんでも食う大怪獣ベムスターが、三人の巨人の攻撃をシャットダウンしていた。

 そこに追加される、五体のバードン。

 合計十体の"恐るべき怪獣"達が、ティガ達を囲んだ。

 

 ガイアとアグルは、初見の敵を前にして慎重に対応した。

 ティガは前の戦いで間合いを見切っていたので、積極的に落としに行った。

 その差が、命取りになった。

 

(!? 前より早く、力強い!?)

 

 前回よりも速い飛行速度。

 前回よりも強いパワー。

 前回よりも無駄が減った動き。

 ベムスターとバードンの胸には、天の神の紋が刻まれていた。

 

『ぐっ……!』

 

「竜胆っ!」

 

 ティガが叩き落とされて、ベムスターがそれを追っていく。

 若葉は友奈を抱えたまま、ティガを援護すべくその後を追った。

 ガイアとアグルはバードンと空中戦のドッグファイトを繰り広げながら、なんとかブルトンを狙えそうな位置の地面に着地する。

 

『やっと地面に降りられたが……御守! 大丈夫か!』

 

『大丈夫です! そっちはそっちで気を付けてください!』

 

『気を付けろって言って……も……あれ……なんだ、あれ……?』

 

 地に落ちたガイアとアグルを出迎えたのは、()()()()()()()()()()だった。

 

 全長990m、体重9900万t。

 その敵は、あまりにもデカすぎた。

 あまりにも巨大過ぎる、鉄の馬のような、鉄の牛のような、何かだった。

 

 ウルトラマンガイアが50m、4.2万t。

 ウルトラマンアグルが52m、4.6万t。

 あまりにも、差がありすぎる。

 

 ガイアの20倍近い全長ということは、身長1.7mの人間から見た34mの人間に等しいということだ。

 ガイアの250倍近い体重ということは、体重60kgの人間から見た15tの人間に等しいということだ。

 これではまず、殴り合いが成立しない。

 

 もぞり、とその巨体が動く。

 その足が前に踏み出される。

 ただそれだけで、ガイアとアグルは踏み潰されそうになり、必死にその足をかわした。

 990mの身長があるということは、軽く足を踏み出すという一行為ですら、100m先の敵をワンアクションで踏み潰せるということなのだ。

 

 踏まれれば、最悪ウルトラマンでも致命傷。体重9900万tは伊達ではない。

 この怪獣の名は『ギガバーサーク改』。

 ウルトラマンの数十倍は大きく、ウルトラマンを踏み殺せる重さとパワーを持ち、ウルトラマンの光線が効かない装甲と、ウルトラマンを撃ち殺せる兵装を装備した、戦艦の如き怪獣だ。

 

『なんだこいつ、アリでも踏み潰すみたいに気軽な一歩で……!』

 

『カイト新手だ! 前を見ろ!』

 

『!?』

 

 そうして回避したガイアとアグルの前に、新たなる怪獣が立ち塞がる。

 アグルに襲いかかったのは、ファンタジーのドラゴンのような怪物だった。

 二足歩行で、腕の指がレーザー砲になっていて、首がキリンのように長い。

 あまりにも異質なそれに、アグルはリキデイターを抜き打ちで打ち込んだ。

 

 青い光弾が怪獣に命中し―――ダメージはなく、吸い込まれてしまった。

 

『!?』

 

 その名は『シラリー』。伝説宇宙怪獣、シラリー。

 "天空に追放された者"。

 ベムスターと同じく、エネルギー吸収捕食能力を持つ、ドラゴンの怪獣。

 その指先の銃口が、アグルへと突きつけられた。

 

 アグルを助けに行こうとするガイアの前に、水色の怪獣が立ち塞がった。

 

『どけ!』

 

 水色のトカゲをデブらせたらこうなるのだろうか、と思わされる怪獣。

 ぶよぶよと太った体に、ガチッとした爬虫類らしい強固な皮膚、両手の爪と口元の牙がとても大きい、そんな怪獣だった。

 ガイアが接近戦を吟じようとするが、水色の怪獣はそんなガイアをパンチ連打で圧倒する。

 

(!?)

 

 なんというハンドスピードか。

 遠目には肥満体に見えるのに、ハンドスピードは明らかにガイアよりも速い。

 大地の柔術がなければ、ガイアもいいパンチをもらってしまっていたかもしれない。

 

(真正面に立ってるとヤバい!)

 

 ガイアは水色の怪獣のパンチラッシュを受け流しながら、サイドステップで水色の怪獣の側面に回る。

 側面から脇腹に一発蹴りを入れ、怪獣をうめかせたところで、瞬時に構えてクァンタムストリームを叩き込んだ。

 

『邪魔だ!』

 

 ガイアはトドメの光線のつもりで撃った。

 それで殺すつもりで撃った。

 だから"その光線が水色の怪獣に吸収反射された"せいで、光線を胸にモロに喰らってしまい、息が止まるほどの衝撃を受ける。

 

『があッ……!?』

 

 この怪獣の名は『コダラー』。伝説深海怪獣、コダラー。

 "深海に閉ざされし者"。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()能力を持つ、水色の大怪獣である。

 

(くそっ、ワシが海人の援護に行くにはどうすれば……!)

 

 ドラゴンの如きシラリーの、指のレーザー砲が、アグルを滅多撃ちにする。

 アグルの遠距離攻撃は全てシラリーに吸収され、シラリーの遠距離攻撃は一方的にアグルを打ち据える。

 これでは勝てるわけがない。

 

 ふらふらと立ち上がったガイアが、コダラーの水色の腕に殴り飛ばされる。

 殴り飛ばされて吹っ飛んだガイアを、990mのギガバーサークが跳ね飛ばした。

 無残に地面に転がるガイア。

 

 そして、倒れたアグルとガイアの上に、新手が飛び降りて来た。

 

『がッ!?』

『ぐぅ……!?』

 

 ガイアとアグルを強く踏む、新手の二体。

 アグルを踏みつける怪獣の名は『ブリッツブロッツ』。

 天狗のような姿をした、破滅魔人ブリッツブロッツ。

 ガイアを踏みつける怪獣の名は『ゼブブ』。

 ハエのような姿をした、破滅魔人ゼブブ。

 

 ブリッツブロッツはアグルを踏みつけながら光弾をアグルに連発し、ゼブブはガイアを踏みつけながら電撃を叩き込む。

 

『があああああっ!』

 

『ぐっ、うっ、ぐぐっ……!』

 

 苦しむアグル、ガイア。

 

 日本の神話において、地の神である力自慢のタケミナカタは、天の神であるタケミカヅチに敗れ去る。

 それは、運命だ。

 

 タケミカヅチは刀の神と対になる雷神であり、雷神にして剣の神であると言われる。

 タケミナカタとの戦いの時、タケミカヅチは雷神としての力を使わず、その腕を刀に変化させてタケミナカタと戦ったという。

 

 破滅魔人ゼブブは『電撃を主武器とする』怪獣であり、『右腕が刀になっている』という、ハエの怪獣だ。

 ガイアは、地の神(ガイア)の名を持つウルトラマンだ。

 

 ガイアは()()()()()()()()()()

 ゼブブは()()()()()()()()()()()

 運命はするりと、未来を決定する流れへと入り込んでくる。

 神話から逃れること叶わず、神話はなぞられるだろう。

 

 

 

 

 

 ブリッツブロッツが光弾を叩き込みながら、アグルを何度も踏む。

 ゼブブが雷撃を叩き込みながら、ガイアを何度も蹴る。

 990mのギガバーサークが、歩み寄ってくる。

 アグルの光弾を吸収消化したことで、より元気になったシラリーが寄ってくる。

 ガイアとアグルの逃げ道を塞ぐように、水色体のコダラーが立つ。

 ベムスターが何体も飛んで来た。

 バードンがガイアとアグルの肉をついばみに、その上空へとやって来る。

 EXゴモラ達が、脇からガイアとアグルを突き殺すチャンスを窺っていた。

 ピスケス・サイコメザードが幻覚をかけるチャンスを窺っている。

 ジェミニ・レッドギラス&ブラッグギラスが、ガイアとアグルの隙を窺っている。

 キャンサー・ザニカが、ガイアの火系の技を消す泡を口の中に溜めていた。

 アクエリアス・アクエリウスが、強力な火力の銃口をガイアとアグルに向けている。

 

 その全てが、天の神の紋によって強化済み。

 

 それが、彼らの戦場だった。

 

 

 

 

 地面に叩き落とされたティガへと襲いかかったのは、レオ・アントラー。

 レオ・バーテックスに磁力怪獣アントラーを加えた中間体である。

 あの時の戦いの傷などまるでなかったかのような体で、炎球をティガに叩き込んできた。

 

(あの時の……!)

 

 ティガダークは何とか火球に耐えて、腕を十字に組む。

 

『スペシウム光線!』

 

 だが、レオの黒い表皮を貫ききれず、弾かれてしまう。

 接近してきたレオに対抗すべく、ティガトルネードに変身して構えた、が。

 その背中に、サソリの針が刺さった。

 

『ぐ、あっ……!?』

 

 その背中を刺したのは、スコーピオン・アンタレス。

 強力な怪獣アンタレスを要素に取り込んだスコーピオン・バーテックスだった。

 ティガの体に猛毒が流れる。

 レオにとってティガは自分を存分に破壊してくれた因縁の敵であり、ティガにとってスコーピオンは球子を殺した因縁の敵。

 優しい戦いになど、なるはずがなかった。

 

 そこに来た、かなりの高度からティガへと爆撃してくるヴァルゴ・アプラサール。

 あのヴァルゴにはホールド光波以外の全ての攻撃がすり抜けてしまうという、アプラサールの最悪の力があるのに、これだけ距離があるとまずホールド光波が当たらない。

 最悪の位置取りだった。

 ここは四国結界ではないので、結界の高さ上限が無いのである。

 

 そこで、空から若葉と友奈が来てくれた。

 毒でふらつく体に必死に鞭打ち、ティガは降りて来てくれた若葉と友奈に礼を言う。

 このピンチに仲間が居てくれることは、それだけで心強い。

 

『助かった、良かった合流できて。若ちゃん、友奈、敵は―――』

 

「竜胆! 偽物だ!」

 

『―――!?』

 

 "本物の若葉"が、上空で叫んだ。

 

 何度同じ手を使おうと、見破られない"悪辣な工夫"というものはある。

 ティガが猛毒で弱った瞬間を狙えば、"仲間に化ける"というタウラス・ドギューの戦術は、何度だって成功する。

 "若葉と友奈"に化けていたタウラスの角が、ティガトルネードの脇腹を刺し抉った。

 タウラスは嘲笑うように音響攻撃をかましながら逃げていく。

 

『野郎っ……!』

 

 ふらついたティガを一体の怪獣が掴み、もう一体の怪獣が殴る。

 

『!?』

 

 掴んだ怪獣はゼルガノイド。

 ウルトラマンの死体の成れの果て、エネルギー無限の人型怪獣。

 殴っている怪獣はキリエロイド。

 三形態に変身し、ティガを翻弄した人型怪獣。

 

 かつてコンビで当たってきた二大怪獣のみならず、星屑までもがティガに寄ってきて、その肉を貪ろうと群がってくる。

 竜胆はとっさに、最大威力の技を当てた。

 

『ウルトラヒートハッグッ!』

 

 ティガの全身から放たれた赤熱のエネルギーが、星屑達を爆散させ、ティガの体を巻き込んで爆散させる。

 スコーピオンの毒も体内から全て吹っ飛び、ティガは多大に消耗しながらも、なんとか体を再生させる。

 ゼルガノイドとキリエロイドはとっさに飛び退き、爆発から逃げ切った様子。

 

 ティガは再生終了後の体を動かし、反撃の狼煙を上げようとして―――その首が、落ちた。

 

「……え?」

 

 唐突に落ちたティガの首。

 否。

 ()()()()()()()()()()ティガの首が、転がる。

 

『―――!!』

 

 竜胆はパワードに地球一の天才と呼ばれた才覚で、あっという間に首から下を再生させる。

 首から下が再生したその頃には、残された胴体は、切れ味鋭い剣技にて細切れにされていた。

 

 その怪獣は、まるで閻魔大王のような服を着ていた。

 いや、体がウルトラマン級に大きくなければ、きっと誰もが人間の姿をした閻魔大王だと断言するだろう。

 それほどまでにそのバーテックスは、人間に似た形をしていた。

 右手には剣、左手には天秤型の盾を持っている。

 

 だが、違う。

 人間より優れた、人間を滅ぼすべく在るバーテックスが、人の姿に進化するわけがない。

 これは、恐れそのものだ。

 死を恐れる人間の恐れ、死後を恐れる人間の恐怖。

 死後の人間を『裁く』閻魔大王への恐れそのもの。

 生きた人間を『裁く』天の神とは似て非なるもの。

 

 この怪獣の名は『エンマーゴ』。えんま怪獣、エンマーゴ。

 罪を測る閻魔と、罪を測る天秤座の中間体。

 ここではない世界で、ウルトラマンのタロウの首を切り落とした怪獣だった。

 

『ぐっ、冷たっ―――』

 

 エンマーゴと相対するティガの体に、冷気がぶつかった。

 杏の雪女郎と同質……いや、完全に上位互換の吹雪が吹く。

 ティガの下半身は瞬時に凍結させられ、解凍の目処が立たないほどに凍りついていた。

 

 竜胆が遠くを見やれば、そこには吹雪を吐き出す怪獣がいた。

 ビッグフット・雪男・犬を混ぜたような、白い毛皮のバーテックス。

 其の名は『スノーゴン』。雪女怪獣、スノーゴン。

 その口から放たれる吹雪はウルトラマンを瞬く間に即死させ、氷像へと変えてしまう。

 吹雪の射程、実に半径100km。

 長距離狙撃も範囲攻撃も可能な、射手座とスノーゴンの中間体だ。

 

 竜胆はアグルという純後衛の頼もしさを最近実感した。

 純後衛の杏の吹雪の頼もしさは、何度感じたか分からない。

 そして今ここに、射手座とスノーゴンの中間体であり、アグルと杏のいいとこ取りをしたような純後衛型の敵が参加したという、この最悪。

 

『く、そっ!!』

 

 エンマーゴが、ティガの脳ごと頭を真っ二つにすべく、剣を振り上げる。

 解凍している時間はない。

 ティガは自分の腹に八つ裂き光輪を叩き込み、上半身と下半身を切り離した。

 凍ったのは下半身のみ。

 腹を両断すれば、上半身はごろりと落ちる。

 そうやって、ティガはエンマーゴの斬撃をかわした。

 

 エネルギーを多大に消費し、無理をしてティガは下半身をすぐさま直す。

 スノーゴンは、サジタリウス・バーテックスが得意とする矢の攻撃を、氷の矢に昇華させて連発してきた。

 ティガはティガブラストに瞬時にタイプチェンジし、サジタリウスの狙撃をかわしつつエンマーゴから距離を取る。

 

(何体いるんだ、このレベルの敵が……!?)

 

 そうして回避行動を取っていたティガに、背後から光線が当たった。

 

『え?』

 

 光線が当たった部分のティガの肉が、溶ける。

 両足と右脇腹が完全に溶解し、奇妙な形の溶けた肉へと変わった。

 

(再生しない!?)

 

 溶けた肉は再生しない。

 これは特殊な溶解だ。

 殺すための溶解ではない。

 溶解させてそのまま一気に食う溶解でもない。

 "獲物を全身溶解させてもなお生かし"、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、おぞましい捕食形態を持つ生物がここにいる。

 

 ティガの足は無くなったのではなく、溶けた状態でそこにくっついている。

 そのため、再生が行われないのだ。

 そうやってティガを生きたまま、意識があるままにドロドロに溶かし、ドロドロに溶けた状態で泣き叫ぶティガを食おうとしているバーテックスが居た。

 

 内臓と血管の一番気持ち悪いところだけを集めたかのようなその怪獣は、『ディーンツ』。

 現在の巨大怪獣としての名は『マザーディーンツ』。

 奇怪生命体・マザーディーンツだ。

 オコリンボールとどこか似た怪獣であり、グロテスクな本体に、グロテスクな分体が無数に融合して完成した、いわば『ウルトラマンを殺せるオコリンボール』である。

 

 その本質は増殖、捕食、そして合体。

 なればこそ、増殖能力を持つアリエス・バーテックスの片割れ足り得る。

 だからこそ、ディーンツとアリエスの中間体が、ここに成立していた。

 

 その光線を浴びれば、何でも溶ける。

 ウルトラマンでも。

 勇者でも。

 溶けた後は、マザーディーンツに食われる。

 ディーンツは食って、また増える。

 

 先程エンマーゴが首を切り落とした、ティガの首から下の体をディーンツはもぞもぞと食い、その体積を順調に増やし、更に増殖しようとしていた。

 ……ゴキブリが人間の死体を食っているのを見た人は、こういう気持ちになるのだろうかと、竜胆はおぞましい光景に舌打ちする。

 

『気持ち悪いな、こいつ……!』

 

 ティガはまだティガブラストだ。

 無事な両手をすっと構え、必殺のランバルト光弾を放つ。

 光の矢が最高の鋭さと最高の速さでディーンツへと飛んでいく。

 

 だがそれを、割り込んできた別の怪獣が、腹の器官で吸収してしまった。

 吸収されたランバルト光弾が、ふっと消える。

 

『……!?』

 

 ダメ押しとばかりに、参戦した最後の大型バーテックス。

 その名は『タイラント』。

 暴君怪獣、タイラント。

 海王星でゾフィーを倒し、天王星で初代ウルトラマンを倒し、土星でセブンを倒し、木星でジャックを倒し、火星でAを倒し、地球でようやくタロウに倒された恐るべき怪獣である。

 

 ベムスターを始めとした数々の怪獣を繋ぎ合わせているため、ベムスターなどの怪獣の長所をいいとこ取りした、合体怪獣。

 両手が武器になっているだけでなく、全身がトゲや刃だらけであり、体当りするだけで敵にダメージを与えることもできる、全身武器怪獣でもある。

 

 そして、地震を引き起こす能力を持つという、カプリコーン・バーテックスとの中間体。

 

 タイラントは単体でも、その素材に使われた怪獣の力によって、津波を操る能力を持つ。

 地震。

 津波。

 その二つの間にある密接な関係を、日本人で知らない者はほぼ居ないだろう。

 

 タイラントが地面を踏む。

 地震が地表の物の多くを粉砕し、出雲に存在する人間製の建物全てが倒壊していく。

 カプリコーンの力が、タイラントの全力によってスケールアップして行使されたのだ。

 

 ここが、出雲でよかった。

 このタイラントとの初戦が、樹海でなくて良かった。

 その地震攻撃は、樹海の中で使用していたなら、樹海の全てに傷を付け、樹海化解除後に四国を壊滅させるほどのダメージを与えていただろうから。

 

『ヤバ、い……!』

 

 そしてタイラントとカプリコーンの力の相乗により、発生した強烈な津波が、ティガを飲み込んでいく。

 ()()()()()()()()()()という、異常な津波。

 海岸線に無数の星屑を壁として並べておけば、狙った相手にだけ津波をぶつけることなど、造作もない。

 両足が溶けた状態でティガは押し流され、身動きが取れなくなる。

 

 更には、ライブラ・エンマーゴ、タウラス・ドギューまでもが攻撃を加える。

 ライブラ・バーテックスの能力は竜巻操作。

 タウラス・バーテックスの能力は音響攻撃。

 津波、台風、騒音が、ティガから抵抗する力を根こそぎ奪うべく襲いかかっていた。

 

『う、があああああああッ!?』

 

 動きが止まったその頭を、スコーピオン・アンタレスとライブラ・エンマーゴが狙う。

 前から迫るエンマーゴの剣。

 後ろから迫るアンタレスの針。

 もはやこれまでか、と思われたその時、やっと空から追いかけてきていた若葉と友奈が、間に合ってくれた。

 

 大天狗・若葉の剣技がエンマーゴの連続斬りを受け流し、酒呑童子・友奈の拳が迫る無数の毒刺を殴って弾く。

 頭を潰せば再生はない、というティガの攻略法を敵全員が共有していることに、若葉と友奈は寒気を覚えた。

 

「若葉ちゃん!」

 

「分かっている! ……だから、言うな! ティガを守れ!」

 

 大怪獣ベムスターがやって来た。

 怪鳥バードンもやって来た。

 キリエロイドが、戯れのように形態変化を繰り返す。

 ゼルガノイドのエネルギーは無限、ゆえに消耗もまだない。

 ヴァルゴ・アプラサールは空高くで爆撃準備を完了した。

 タウラス・ドギューは次に何に変身して人間をハメるかを考えている。

 スコーピオン・アンタレスは、また勇者を刺し殺す機会を窺っていた。

 アリエス・ディーンツはティガの体の残骸を食って、増殖を繰り返している

 ライブラ・エンマーゴは、いつでもティガの首を切り落とせる姿勢だ。

 サジタリウス・スノーゴンは、純後衛として杏のように立ち回っている。

 カプリコーン・タイラントに至っては、そこに居るだけで脆弱な者の心を折ってしまいそうなほどに、絶大な力を雰囲気に滲ませていた。

 そして十一体のバーテックスを従えるレオ・アントラーを加えて、十二体。

 

 ティガ達の前で吠えているのは、十二体の大型バーテックス達。

 その全てが、天の神の紋によって強化済み。

 それが、彼らの戦場だった。

 

 ガイア達の方で戦っている亜型四体と、ここで戦っている亜型八体。

 亜型十二星座は、これで出揃った。

 十二の星座は、ガイア、アグル、ティガの上げた顔の先で、絢爛に輝いている。

 怪獣の咆哮という形で、輝いている。

 

 空が見えないほどに、四方八方に星屑がひしめいている出雲の地にて、無数の怪獣達が、十二の星座達が、殺意の咆哮という形で輝いている。

 星屑(まっしろ)の空に輝く星座(かいじゅう)

 いつも人並みに恐れを感じていて、それを勇気で踏み越えている友奈の足が、小さく震える。

 若葉は叫んだ。

 

「これが……これが、四国に攻め入ってくるというのか!? 七月中にこの全てが!?」

 

 無理だ。

 この数と、この質は、何回か分けて攻撃して戦力を削る、なんて小細工が通じない。

 そんな小細工をやっていたら、その過程で勇者と巨人が全滅する。

 数だけならなんとかなった。

 質だけならなんとかなった。

 だがその両方が揃っていて、そのどちらもが過剰に飛び抜けている状況を、三人のウルトラマンと四人の勇者でどうしろと言うのか。

 ウルトラマンと勇者が十人ずつ居ても、普通に戦力不足で敵わない。

 

 せめてブルトンを倒せたらな、と想定して、先制攻撃に出て来たはずなのに。

 もう、ブルトンが今どこにいるかすら、分からなかった。

 

 友奈は周囲を見回して見る。

 周囲全てにバーテックスが多すぎて、遠くの景色が見えない。

 どちらが北なのかも分からない。

 どっちの方向に突破すれば四国に帰れるのかすらも分からない。

 退路が既に無いどころの話ではなく、どちらの方向に退路を作れば良いのかすら、分からなかった。

 

 

 




天の神「とりあえずこのくらい並べてみるか……」
※のわゆ原作で星屑百体投入して駄目だと判断したら、次回の戦いでとりあえず数を十倍にして千体以上投入して勇者をほぼ全員病院送りにした畜生。なおその次で更に増やした結果敵の数は千や二千どころでなく計測不能になった模様

 イフとゼットの同時投入で駄目だったので、その十倍以上の戦力をとりあえず投入した的な

 この後書き3700字もあるので、後書きの解説を読みながら頑張って本編を読んでくださっている原作未視聴の方には、めっちゃ負担になるというか、解説だけの文字列は負担になってると思います。すみません。


【原典とか混じえた解説】

▲ガイア・アグルサイド

●火山怪鳥 バードン
 ウルトラマンを『殺した』怪獣。

●宇宙大怪獣 ベムスター
 ウルトラマンに『勝った』怪獣。

●EXゴモラ
 ゼットンを倒した怪獣。

●亜型十二星座
 魚座のサイコメザード。幻覚使用者。
 双子座のレッドギラス&ブラックギラス。小型の高速戦闘タイプ。
 蟹座のザニカ。堅固な甲殻、複数の鋏、火を消す泡。
 水瓶座のアクエリウス。超獣と合体した火力特化。

●伝説深海怪獣 コダラー
 その名は滅亡(ほろび)。『深海に閉ざされし者』。
 シラリーの対たる怪獣。
 あらゆるエネルギーを吸収し、倍の威力で跳ね返す能力を持つ。
 原作ではグレートの必殺光線を吸収して跳ね返し、グレートが反射技でなんとか跳ね返した光線を更に跳ね返し……と繰り返すことで、反射合戦に耐えきれなくなったグレートを地上から消し去った。
 強力な電撃技を持つが、とてつもないハンドスピードと怪力から放たれるパンチのラッシュこそが脅威であり、正面から挑めばウルトラマンすら圧倒される。
 光線も吸収されるため、並のウルトラマンでは初見で一対一ならまず勝てない。
 本来ならば『地球の味方』の怪獣であり、天の神の敵に近い存在であるはずだが……
 原作でウルトラマングレートを打倒している。

●伝説宇宙怪獣 シラリー
 その名は滅亡(ほろび)。『天空に追放された者』。
 コダラーの対たる怪獣。
 あらゆるエネルギーを吸収し、体内に溜め込む能力を持つ。
 原作では地球の総力を上げた核ミサイルの一斉発射攻撃に平然と耐え、核ミサイル全てのエネルギーを吸収するというとてつもない規格外さを見せた。
 鋭利な嘴、高熱の火炎放射、生体レーザー砲になっている指などが武器。
 光線も吸収されるため、並のウルトラマンでは初見で一対一ならまず勝てない。
 本来ならば『地球の味方』の怪獣であり、天の神の敵に近い存在であるはずだが……

●機械獣 ギガバーサーク(改)
 この世界線において、洗脳された地下棲の知的生命体達が作り上げた最終兵器。
 全長990m、体重9900万tという化物の中の化物。
 東京タワーですらこの怪獣と比べれば1/3程度の大きさしかないというとてつもなさ。
 加え、天の神襲来前の地球全人口の体重を合計してようやく一億tになると言われていたことを考えれば、それでようやくこのスケールが実感できる。
 勇者が1.5m前後、ウルトラマンが50~60mと見ても、足元にも及ばないサイズである。
 サイズ、馬力、攻撃出力、強度、継戦能力、その他諸々全てにおいて"ウルトラマンでも足元にも及ばない"レベルに仕上がっているため、巨人の必殺技の直撃にすら平然と耐える。
 強力なウルトラマンであっても、一対一であれば勝ち目は薄い。
 原作でウルトラマンマックスを打倒している。

●破滅魔人 ブリッツブロッツ
 天の神の使徒・根源的破滅招来体が一端。
 若葉の大天狗にどこか似た、カラス天狗のような姿をした魔人。
 両手に鋭い爪、胸には光線を吸収して倍の威力で返す器官を備える。
 相手のカラータイマーに手を当て、破壊しながらエネルギーを強奪し、即座に変身解除に追い込む能力を持つ。
 強力なウルトラマンであっても、一対一であれば勝ち目は薄い。
 原作でウルトラマンアグルを打倒しており、ガイアも一人であれば勝ち目は薄かった。

●破滅魔人 ゼブブ
 天の神の使徒・根源的破滅招来体が一端。
 昆虫の頭、悪魔のような体、死神の意匠を併せ持つ。
 右腕の刀はウルトラマンの体を豆腐のように貫き、光弾や電流を攻撃手段として備える。
 特に電流は強力で、これを応用した電磁バリアはゼブブの全身を包み、格闘攻撃や光線などの攻撃を一切通さない無敵のバリアである。
 必殺の攻撃手段と無敵の防御手段を常時行使可能な、まさしく『矛盾』の死神。
 様々な理由から、"タケミカヅチ"にキャスティングされている。
 強力なウルトラマンであっても、一対一であれば勝ち目は薄い。
 原作でウルトラマンアグルを打倒しており、ガイアも一人であれば勝ち目は薄かった。



▲ティガサイド

●精神寄生体
 隙を見せれば憑依しに来る。

●炎魔戦士 キリエロイドII
 ウルトラマンに対応した、三形態を切り替える人型怪獣。

●超合成獣人 ゼルガノイド
 ウルトラマンの死体から作られた、人造兵器ウルトラマンの成れの果て。エネルギー無限。

●亜型十二星座
 乙女座のアプラサール。あらゆる物理攻撃が無効。
 牡牛座のドギュー。変身能力と音響攻撃。
 蠍座のアンタレス。球子を殺した毒針の使い手。
 獅子座のアントラー。強大なスペックと磁力使い。

●奇怪生命体 マザーディーンツ
 天の神の使徒。微生物の根源的破滅招来体、と言われている。
 人間の内臓に、その微生物が取り憑き融合変異した、無数の小型個体の集合怪獣。
 グロテスクな見た目は見るだけで生理的嫌悪感をもよおさせ、更には人間を言語でも形容し難いほどに醜悪な姿へと変える、光線や溶解液を放つ。
 この攻撃を受けた人間は生きた染み・溶けた肉塊・紫色の吐瀉物とでも表現されるおぞましい状態となり、死ぬこともできないまま、その醜悪な状態で放置されることとなる。
 紫色の肉状の吐瀉物の中で、人間の目玉だけが動いているのを想像すればいい。

 更にはディーンツが体を大きくするために人間の有機物を使うため、この状態で怪獣に捕食されていくことになる。まさに生き地獄。
 何よりも恐ろしいのは、この光線がウルトラマンにも有効であるという点だ。
 これを受けたウルトラマンガイアの足は、グロテスクに溶解した。
 子供番組ってこと忘れてない?

 原作のディーンツは医学のために博士が作ったクローン臓器を素材とし、発展を願う人類の祈りを嘲笑うものであったが、このディーンツは普通の人間の臓器を素材としている。
 つまり、どこかの生きた人間から引きずり出した、生きた臓器を素体に使用している。
 分裂増殖能力を持つ牡羊座と、分裂増殖能力を持つ怪獣の中間体。
 亜型アリエス・バーテックス。

●えんま怪獣 エンマーゴ
 タロウ世界において、江戸時代に街のほとんどと付近の山全てを崩壊させた怪獣。
 当時の者達が地蔵に祈り、地蔵が封印していた、閻魔大王を思わせる巨人の怪獣である。
 手に持つ盾は強力無比なストリウム光線を余裕で防ぎ、剣技は比類なき体術の強さを誇るタロウを圧倒し、鋭き剣の切れ味はタロウの首を刎ね飛ばした。
 なお、この怪獣が登場した回のタイトルは『タロウの首がすっ飛んだ!』。
 子供番組ってこと忘れてない?

 地蔵――すなわち"地に根付いた神"――の敵対者。
 罪を測る天秤の天秤座と、罪を裁く閻魔の怪獣の中間体。
 亜型ライブラ・バーテックス。

●雪女怪獣 スノーゴン
 雪女のような人間の姿と、雪男のような怪獣の姿を使い分ける、用心棒怪獣。
 恐るべきはその氷の息吹。
 射程は半径100km全てという規格外で、ウルトラマン相手でも収束すればあっという間に氷漬けにしてしまう。
 原作においてもウルトラマンジャックをあっという間に氷像にしてしまった。
 更にはTV放送実時間で30秒ほどジャックを延々と解体し、解体したパーツを投げ捨て、解体したウルトラマンの首を子供の前に投げ落としたという。
 子供番組ってこと忘れてない?

 雪女から雪男に変わる存在であり、精霊で言えば『雪女郎』に相当する。
 長距離攻撃&範囲攻撃に長けた射手座と、長距離攻撃&範囲攻撃にも長けた怪獣の中間体。
 亜型サジタリウス・バーテックス。

●暴君怪獣 タイラント
 無数の怪獣達が一つになった合体怪獣。
 ウルトラ兄弟達が地球を守る過程で、何年もの間絶え間なく倒し続けてきた怪獣の怨念が、海王星で凝縮・一体化して生まれた怪獣。ヤプールの同類かな?
 海王星でゾフィーを倒し、天王星で初代ウルトラマンを倒し、土星でセブンを倒し、木星でジャックを倒し、火星でAを倒し、地球でようやくタロウに倒された恐るべき怪獣。
 当時居たウルトラマン達が揃ってほぼ全滅させられており、ウルトラマンを倒して得られるトロフィーのコンプでも狙っているのかというレベルであった。
 全身武器のような出で立ちに加え、その腹は一説にはベムスター以上の吸収捕食能力を持つと言われ、振動波ですら食べてしまう。
 ウルトラマンを倒した怪獣、その代表格の一体。

 ティガとは『ウルトラマンギンガ 劇場スペシャル』で戦った因縁を持つ。
 光線を吸収するベムスターの力等を駆使し、一分未満でティガのカラータイマーを鳴らしエネルギーを枯渇させ、そのまま倒す……寸前まで行ったが、思わぬ援軍により逆転され敗北した。
 地震能力を持つ山羊座の力を加え、最強の直接戦闘力と災害能力を持つ怪獣を、厄災の国潰しに仕上げた中間体。
 亜型カプリコーン・バーテックス。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3

 睡眠量が全然足りてなくてやべーな今日は寝ようって思ってたんですがゆゆゆい生放送で
『亜耶参戦決定、キャラデザ公開』
『楠芽吹は勇者である参戦決定』
 とか見ちゃって目が冴えたので頑張って更新することにしましたまる


 大地と海人は、戦いの日々が始まってから、多くの時間と想い出を共有してきた。

 第一印象は、互いに最悪だったと言える。

 大地は髪を金髪に染めたヤンキー。

 海人はオドオドしていた元ひきこもり。

 互いにあまり良い印象はなかった。

 

 だが、海人がいじめによってひきこもりに追い込まれていた男だと知って同情し、大地が親戚の若葉やその親の髪色に憧れて髪を染めた男だと知って「バカか!」と叫び、一年が過ぎた頃には、互いがかけがえのない相棒になっていた。

 

 最初の作戦会議の時、大地と海人は大社の人間にこう問われた。

 

「二人で前衛と後衛を分担するとしたら、どちらがどちらをやる?」

 

 一も二もなく、大地と海人は手を上げ、同時に選ぶ声を出した。

 

「ワシが前衛で」

「後衛!」

 

 迷いもなく、大地は前衛を、海人は後衛を選んだ。

 

 海人はこの日に初めて、大地の勇気に敬意を覚えた。

 前衛とは一番危険な場所だ。

 だから安全そうな後衛を海人は選んだ。

 なのに、迷いなく、三ノ輪大地は一番危険な前衛を選んだ。

 それは"自分が体を張ってでも仲間を守る"という確固たる意思。

 すごいな、と、海人は素直に思うことができた。

 

 大地は逆に、"死にたくない"と全身で主張する海人に好感を覚えた。

 人として当たり前の"生きたい"を見て、大地は"守らなければ"と思った。

 人としての当たり前、『生きる権利』を守らなければと決意した。

 勇敢、ともすれば無謀や自己犠牲に走りやすい大地にとって、凡夫らしい臆病さを持ち合わせる海人の存在は、いい影響を与えてくれたと言えるだろう。

 

 大地は海人に『勇気』をくれた。

 海人は大地に『慎重』をくれた。

 そんな関係性。

 

 ある日、『責任』についての話をしていた時も、二人はそうだった。

 

「責任は後から取るもんじゃなかろう、先に負うものだ。

 失敗して何かが失われてから責任取りますー、じゃいけないんだ。

 ワシらは負けちゃならない。

 人を死なせた後にいくら責任を取っても駄目だ。

 先に責任を負って、人を死なせないという結果を出すことこそが、ワシらの責任と言える」

 

 がっはっは、と大地は笑う。

 責任という言葉を使う時だけ、大地と若葉は親戚に見えた。

 真面目な若葉も、真面目でない大地も、共に『自分達には人々を守る責任がある』という確固たる信念を持っている。

 そういう言葉を聞くたびに、海人は若葉や大地に白けた顔を向けるのだ。

 

「責任が重いって言うけど……

 命より重い責任なんて人類史には一個もねえと思うよ?

 オレらが"人を守る責任"なんてもんのために死ぬ必要なんて無いと思うけどなあ」

 

 大地は『人を守る責任』を果たすためなら、死んでも後悔はなく。

 海人は『人を守る責任』なんてもののためには、死ねない男だった。

 二人は対極だった。

 

 

 

 

 

 暴君怪獣タイラント。

 

 約四年前、グレートとパワードは、どこか遠くの宇宙からの"助けを求める声"を聞いた。

 それは星の声だったかもしれないし、神の声だったかもしれないし、人々の断末魔だったかもしれないし―――勇者である、誰かの悲嘆だったのかもしれない。

 声に導かれ、宇宙に空けられた穴を通り、彼らは別宇宙からやって来た。

 

 劣勢と見るや否や、グレートとパワードは『ウルトラサイン』を打ち上げる。

 ウルトラサインとは、光の国のウルトラマン達が持つ通信用の暗号信号だ。

 "助けてくれ"と応援を呼ぶこともあれば、"敵がいる気を付けろ"と警告のために打ち上げることもある。

 

 だが、ウルトラサインがウルトラの星まで届くことはなかった。

 

 タイラントには、"ウルトラサインを消す能力"がある。

 これは『ウルトラマンを各個撃破するための能力』と言っていいだろう。

 当時、まだ星屑の集合途中で未完成だったタイラントの手によって、ウルトラサインは消され、光の国から援軍が来る可能性はゼロになった。

 

 カプリコーン・タイラントは、ウルトラの星出身ウルトラマンが全滅した今、戦場で死んでも問題はない。

 ゆえに投入された。

 今からタイラントを殺しても、ウルトラの星に救援要請を届ける手立てはない。

 タイラントが、吠える。

 

 破滅魔人ゼブブ。

 

 その手は剣で、主武器は電流。

 ゆえにこそのタケミカヅチ。

 神話において、タケミカヅチは天鳥船神(あめのとりふねのかみ)なる大船の神性に乗ってやって来て、地の神と戦ったという。

 ゼブブにとってアメノトリフネは、990mのあの、ギガバーサーク改である。

 遠目には足の生えた宇宙戦艦のようにすら見えるあれが、ゼブブにとっての船なのだ。

 

 だが、天の神がゼブブの敵として想定していたのは、神話においてタケミカヅチによって服従させられた地の神と、タケミナカタに相当するウルトラマンガイアだけではなかった。

 

 『アマツミカボシ』、という神がいる。

 日本書紀の異伝にほんの少しだけ言及された"星の神"であり、"悪の神"だ。

 勘違いしてはならないのは、()()()()()()()()()として記述されている星の神、ということである。

 

 珍しいことに、アマテラスなどを始めとした『天の神』と、それ以外の『星の神』は、敵対関係であるように、日本書紀には記述されているのである。

 日輪と他の星は違う、ということなのだろう。

 それは今の世界であれば、こう解釈することができる。

 星の神とは、多くの星々で、時に神のように扱われてきた銀色の巨人……ウルトラの星のウルトラマンのことである、と。

 

 ある闇の者は、ウルトラマンを「輝く銀河の星、光の戦士」と呼んだ。

 アマツミカボシは、"輝く星の神"という意味そのままの名を持っている。

 天の神に従わない、遥か天上彼方の星の輝きこそが、アマツミカボシと呼ばれたのである。

 

 そして、神話においてこのアマツミカボシから全てを奪い服従させたのが、タケハヅチ、フツヌシ、そして―――タケミカヅチである。

 

 神話においてタケミカヅチはアマツミカボシの心を服従させることができず、アマツミカボシを服従させたのはタケハヅチであったが、アマツミカボシもまたタケミカヅチを倒すことはできず、タケミカヅチはアマツミカボシ以外の全てを服従させていたという。

 

 神話の()()()が起きるのであれば、タケミカヅチ/ゼブブと、アマツミカボシ/光の国のウルトラマンの戦いは、ウルトラマンだけが負けを認めないまま、全ての土地と人々が天の神に制圧されるということを意味する。

 タケミカヅチ/ゼブブが攻め入ることそのものが、アマツミカボシ/ウルトラマンの敗北と全喪失の運命を意味するのだ。

 

 タケミカヅチとして扱われるゼブブに求められた役割とは、星の神として崇められることも多いウルトラマンに、敗北の運命を押し付けることだった、というわけである。

 もっとも、ゼブブの投入前に、グレート・パワード・ネクサスというアマツミカボシ達は、戦場から消え去ってしまったわけなのだが。

 

 そしてこのアマツミカボシは、時にタケミナカタと同じ神として扱われる。

 ゆえにこそ、神話的には本当に、極端なまでにガイア特攻が成立してしまうのだ。

 ガイアは今、地の神の名を持つウルトラマンとして、腕っぷしに自信を持つ力自慢として、タケミカヅチに負けたタケミナカタに相当する位置にいる。

 

 そして、地球上の誰も知らないが、"アマツミカボシに対応する宇宙から来たウルトラマン"は、あと一人ここにいた。

 

 光の国のウルトラマンキラー、タイラント。

 日本神話におけるタケミナカタ殺しであり星神の敵、タケミカヅチをあてがわれたゼブブ。

 

 この二体だけでも、ティガ・ガイア・アグルはかなり苦戦していただろう。

 ここは出雲だ。

 メタフィールドも無い。

 現在のティガの強さは、メタフィールド無しなら"ゼットに瞬殺はされない"レベルであり、メタフィールド有りなら"三分制限がなければゼットと互角"というレベルである。

 当然ながら、竜胆のティガは大地のガイアや海人のアグルより強い。

 

 そのティガと、メタフィールドがない結界外のこの出雲でさえ、互角に戦えるバーテックスは存在しない。

 本当は、一対一で戦えさえすれば、タイプチェンジを駆使するティガを倒せる怪獣なんて一体もいないのだ。

 

 だが、数が多すぎる。

 前の敵を攻撃している内に、左右と後ろから攻撃される状況が続くという最悪。

 敵があまりにも多すぎて、ティガの視点からでは、ガイアとアグルの姿すら見えない。

 

 ガイアとアグル、ティガと若葉と友奈は、完全に分断されてしまっていた。

 

『ウルトラヒートハッグ!』

 

 ティガがベムスターとバードンに同時に抱きつき、爆発させ、自分の体も粉砕する。

 再生した足を見て、ティガはホッとした。

 どうやらディーンツの能力で溶解肉と化した体の一部も、自分で粉砕すれば再生させることができるようだ。

 

『ランバルト光弾ッ!』

 

 瞬時にタイプチェンジ、ティガブラストの光の矢が、マザーディーンツに直撃。

 その体を爆散させて、死に至らしめた。

 

 だが、消えない。マザーディーンツはまだ三体もいる。

 増殖能力を持つアリエスの中間体であるマザーディーンツは、本体をいくらでも増殖させられる上、分体をいくらでも作ることができる分裂特化。

 そして分裂増殖させた肉体の素材は、自爆や再生の過程で発生したティガの死体や、ティガが殺したバーテックスの残骸だ。

 生み出された小さなディーンツは肉を食う。

 そして増えて、合体して、大きくなる。

 一体一体がウルトラマンさえ溶かせる光線を撃てるのが、本当に厄介だった。

 

(迂闊に自爆や再生を繰り返すのはヤバい!)

 

 遠距離から、サジタリウスの矢をスノーゴンの力で仕上げた、収束吹雪狙撃が飛んで来る。

 若葉が大天狗の炎でそれを受け止めながら、ティガの背後で動いていた精神寄生体を切り捨て、無数に群がる星屑達を切り捨てた。

 

「竜胆! 打開策はあるか!」

 

『もうこりゃ撤退一択だろ!

 できればブルトンは片付けていきたいが、無理だ! 数で押されて、死人が出る!』

 

「だが、撤退するにしても……!」

 

 竜胆の旋刃盤が、スコーピオンが飛ばして来た針から若葉を守る。

 空のヴァルゴからの爆撃から、ティガを若葉の炎が守る。

 右を見ても左を見てもバーテックスの群れ。

 逃げ道が見当たらない。

 まるで、バーテックスで天井が少し空いたスタジアムを作っているかのようだ。

 

「諦めちゃ駄目だよ!」

 

 そんな中、ティガの首を狙うエンマーゴの斬撃をアッパーで弾き、レオ・アントラーの出した火球を殴り落として、友奈が叫んだ。

 

「私達は、帰るんだ! 生きて帰るんだ! こんなところで、終わりたくないはずだよ!」

 

 ティガは背中を預けている二人の仲間を見る。

 友奈が酒天童子をその身に宿すと、その衣装は変わり、腕には大きな腕甲が装着され、額には角の飾りが付く。

 若葉が大天狗をその身に宿すと、その衣装は修験者のようなものに変わり、刀も大きくなって、大きな黒翼がその背に生える。

 そういう、"体を大きく見せるもの"があるからだろうか。

 戦場で見る彼女らは、普段よりも大きく、頼りがいがあるように見えた。

 

『……そうだな、最後の手段だ』

 

「竜胆?」

 

 選べる選択肢は、多くはなかった。

 

 竜胆が、皆が生還する未来を掴みたいのであれば、僅かな"その可能性"に懸けるしかない。

 

『二人とも、俺から離れろ!

 ……隙を見て、先輩二人を連れて離脱しろ!

 最悪四国に帰れなくてもいい!

 県外にまで逃げてどこかで潜伏して、それから四国に帰るとかでもいい!

 俺のことは心配するな! 俺はしぶとい、なんとかする! 迷わず行け!』

 

「待ってリュウくん! 何を―――」

 

 かくして、竜胆は。

 

 二十四時間常に暴走しようと蠢いている己の闇から、一切の枷を取り払った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 よう、お帰り。やっぱり僕らはこれから離れられないな。

 

 僕もお前も、部位が違うだけで、同じ脳だっていうのに。

 

 脳の部位が違うだけで、主導権は僕じゃない。理不尽だよな。

 

 ボブも、タマちゃんも、ケンも、アナちゃんも。悲しかったんだ。

 

 絶望したんだよ、僕は。何が、光だけ残していった、だ。

 

 何、涙をこらえてんだ。全然かっこよくないよ。

 

 お前が悲しみを外に出さないなら、僕が悲しみを示してやる。

 

 お前が絶望しなかったとしても、僕は絶望したんだ。

 

 辛かったんだ! 苦しかったんだ! 悲しかったんだ!

 

 全て壊してやる!

 

 僕もお前だ! 分かるだろう! この気持ちはお前の中にもある!

 

 あの優しい人達が生きられなかった世界に―――意味なんてないんだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心の闇は消えない。

 光で抑え込んでいるだけだ。

 憎悪、恐怖、悲嘆、絶望。全ては竜胆の胸の奥にしまわれたまま、そこにある。

 

 ウルトラ新脳、と呼ばれた竜胆の新造脳。

 ティガダークの闇が憎悪で生み出した新しい脳を、竜胆はウルトラヒートハッグの強化と、自身の生存能力の強化に使った。

 だがこの脳はこの脳で、独自の意識を持ち始める。

 

 闇から生まれた脳は、竜胆の心の負の側面を凝縮したような思考を持っていた。

 自爆するたび、新造脳を基点にして再生するため、その脳は成長を遂げていく。

 負の感情、心の闇が、その脳を育ててきた。

 

 ネガティブ思考、破滅志向、破壊願望、殺人衝動、終焉信仰、幸福否定、傷害嗜好。

 竜胆の中にあった闇をどんどん吸い上げ、それは一つの確立された自我となる。

 これまで暴走していた竜胆が"狂気に呑まれた竜胆"ならば、これは『竜胆の心を食って成長し自我を得た狂気』。

 すなわち、人の心から生まれ、人の心を持たぬ者。

 竜胆であって竜胆でない心の側面。

 

 竜胆が、光で闇を抑えるのを完全に止めた瞬間―――それが、吹き出した。

 

『■■■ッ―――!!』

 

 ゼットが明言した、メタフィールド無し、タイプチェンジ無しで、ティガダークが一人でゼットと完全に互角の存在になるまでに必要な仲間の死人は九人。

 現在の仲間の死人は四人。

 竜胆の心の闇である"これ"は、四人の死全てに絶望を抱いていた。

 ゆえに、このティガダークは四度の超強化を果たしたに等しい力を持っている。

 

 ティガが、マッハ30で、大地を走った。

 

「きゃっ!?」

 

「掴まれ友奈!」

 

 爆発、と表現して差し支えない衝撃波が発生し、友奈と若葉が吹っ飛ばされそうになる。

 暴走状態に入ったティガは、もはや星屑が飛んでいられないほどの衝撃波を周囲に撒き散らしながら走り、右ストレートでバードンの頭を殴る。

 バードンの頭が炸裂し、吹っ飛んだ"首だったもの"が後ろのベムスターの胴体をぶち抜いた。

 

 ほとんどのバーテックスは、ティガのその速度に反応もできない。

 地球の重力を振り切るために必要な第二地球速度がマッハ32.9。

 こんな速度で街の中を走れば、衝撃波で即座に街がひっくり返るというレベルの速度であった。

 至近距離で見れば、こんな速度でジグザグに跳び回るティガは、瞬間移動しているのと何ら変わりがなく、目で追うことなどとてもできない。

 

 かなりの数が揃えられていたベムスターとバードンが、空で、大地で、片っ端から肉塊に変えられていく。

 鍛えられた肉体。

 狂気が体を動かしている状態でも使われる戦闘技。

 そして、とてつもないスペックを発揮する、力ある闇。

 今のティガは光の英雄戦士ではなく、まさしく闇の最強戦士。

 暴走する闇は、"御守竜胆の光の心"そのものを排除して、完全な闇の心を獲得してやろうとその力を高め、肉体の支配率を上昇させていた。

 

 それが成されようとするたび、ティガダークの体表で、抵抗するように燃える炎と赤色が輝く。

 炎の光が、竜胆の心を繋ぎ止める。

 ティガトルネードの時からずっと、竜胆の意識とは別のところで闇を抑えてくれていた光が、竜胆の心を今も繋ぎ留めてくれていた。

 

「友奈、あそこを見ろ。ガイアとアグルだ」

 

「! バーテックスが皆ティガの方を見てる……今の内に!」

 

 ティガ達を狙っていたバーテックスのみならず、ガイアとアグルを狙っていたバーテックスも軒並みティガを見ている。

 あまりにもティガの危険度が高すぎるために、大侵攻のバーテックス達はその全てが、ティガに集中攻撃を始めようとしていた。

 

 結果、ガイアとアグルは狙われなくなる。

 怪獣達のリンチを受けたガイアとアグルは、全身傷だらけで地面に転がっていた。

 友奈と若葉は決死の想いでガイアとアグルを助けに行こうとする。

 今、バーテックスのほぼ全ては、ティガダークだけを狙っていた。

 

「友奈、掴まれ! できるだけ低く飛ぶ!」

 

「ごめん、ありがとう若葉ちゃん!」

 

 なのに、ティガを狙って動くバーテックス達の攻撃の余波だけで、二人の勇者は傷付き、気を抜けば撃墜されそうになってしまう。

 ティガを狙って動く怪獣の波にぶつかれば、そのまま飲み込まれてしまいそうだ。

 仲間の下に駆けつける、ただそれだけで、ミンチになってしまいそうな危機感がある。

 

 されど二人はそこを突破し、ガイアとアグルの下へと辿り着いた。

 意識がハッキリしていない二人に声をかけ、頬を叩き、意識を何とか覚醒させる。

 

『うっ……ぐっ、いづづ、奴ら加減を知らんと見える。いや、加減する気がないのか』

 

「あまり動くな大地。お前が死ねば親が泣くぞ」

 

『親戚特有のぶっ刺さりワード言いやがって……! そういうお前も傷だらけだろうに』

 

 友奈は火傷だらけ。

 若葉は切り傷だらけ。

 ボロボロにされたガイアが言えた話ではないが、若葉の頬に付いた傷や友奈の足の大火傷などが痛々しい。

 どちらも自然治癒で傷跡が消えるようなものではなく、一生残る傷になることは明白だった。

 

 ガイアは力を振り絞り、アグル、友奈、若葉に傷を治す光線を放った。

 ガイアは自分を治せないが、三人の傷は綺麗に消える。

 

「ありがとう、大地」

 

「大地先輩、助かります!」

 

『サンキューパイセン。……で、どうする?』

 

『ワシがさっき見たものが正しければ……』

 

 ガイアが目を凝らす。

 大地は伊達に、四国にウルトラマン五人全員が揃っていた頃、ウルトラマン側のリーダー役を務めていた男ではない。

 遠くで動いた星屑の姿が、不自然にブレて見えた一瞬を、ガイアの目は見逃さなかった。

 

『やはり、ブルトンが空間を歪めてるんじゃ』

 

「え?」

 

『おそらく、この辺りの空間は、バーテックス以外には正常に見える。

 じゃが実際は、どこもかしこもグネグネに捻じ曲げられとるんじゃ。

 ワシらは敵に囲まれてると同時に、空間の歪みにも包囲されていると思え』

 

「待て大地、それは、つまり……」

 

『罠じゃ。ワシらを誘い込み、絶対に逃さないで殺す罠。

 一ヶ月前にワシらが見たブルトンは餌だったんだクソっ!

 手ぐすね引いて待ってたんだ……ここに"殺し間"を作って……!』

 

 ブルトンが空間を歪め、脱出困難な空間を作り、誘い込まれた勇者と巨人をバーテックスの壁と空間の壁で包囲、殲滅。

 その後悠々と四国を滅ぼす。

 今バーテックスは、いくつもある王将の一つ・ブルトンを囮にして人間の数少ない戦力を誘い込み、実質王手をかけた状態であるというわけだ。

 

『どうすりゃいいんですかパイセン!』

 

『ブルトンを倒す。

 そして南がどちらかを確認する。

 最後に南に向けて全火力を集中し、すたこら逃げる……これが全てじゃ』

 

『流石パイセン! で、具体的にどうすんの?』

 

『知らん』

 

『は?』

 

『気合い以外に使えるものが見当たらん。ワシらはとにかく頑張るしかない!』

 

 破滅魔人ブリッツブロッツが、ティガから目を離し、ガイア達の方に来る。

 ゼブブがハエなら、ブリッツブロッツは天狗だ。

 若葉の精霊と同じ、天狗。

 若葉が正面から切り込み、ボロボロのガイアと友奈が左右から周り、アグルが援護する。

 

 それで『ほぼ互角』であるという事実が、ブリッツブロッツ以上の敵が数え切れないほどいるこの状況の危険度を、如実に証明していた。

 

 

 

 

 

 暴走したティガの腕から、八つ裂き光輪が15、旋刃盤が15、発射される。

 切り裂く一撃と焼き尽くす一撃が、シラリーの全身を全方位から無数に攻め立て―――その全てを、シラリーが吸収した。

 

『■■■―――!?』

 

 シラリーの能力は、『あらゆるエネルギーを吸収し』、『体内に溜め込む能力』だ。

 ゆえに、どんなに切れ味があろうとも食らう。炎であろうと食らう。核爆弾が相手でも、爆発のエネルギーと爆焔の両方を残らず喰らえる。

 そこにはベムスターのような、体の正面でしかエネルギーを喰らえないなんて弱点は無い。

 

『■■■―――!!』

 

 ティガダークは吠え、跳び回る。

 ハイスピードに跳び回るティガが、バーテックス達の攻撃をかわしていく。

 そして、ティガは出雲の瓦礫を掴んだ。

 

 ここは樹海ではない。

 結界外の世界であり、街の残骸、建物の残骸は探せば存在するのである。

 ティガダークはそれらの残骸の一つを掴み、コダラーへと投げつける。

 猛烈な勢いで飛ぶ瓦礫。

 あまりの速度に、空気との摩擦で赤熱化し、溶け始める瓦礫。

 凄まじすぎる投擲速度の瓦礫が、コダラーの腹を直撃した。

 

 そして、倍の威力で、瓦礫は跳ね返された。

 

 跳ね返された瓦礫がティガダークの肩に当たり、肩から先を吹っ飛ばす。

 コダラーの能力は、『あらゆるエネルギーを吸収し』、『倍の威力で跳ね返す能力』だ。

 だから物理弾攻撃だって、倍の威力で跳ね返せる。それは当たり前のこと。

 エネルギー攻撃でなければ跳ね返されない、なんて浅い考えで倒せる怪獣ではないのである。

 

『■■■ッ!!』

 

 ずずず、とティガの腕が生え変わる。

 コダラーとシラリーのこの能力を、正面からの攻撃で突破するのは厳しい。

 ティガは空に飛び上が―――ろうとした、その時。

 50mほどの高さに到達した瞬間のティガに、ギガバーサーク改の体当たりが炸裂した。

 

『―――!?』

 

 990mの全長が生み出す攻撃範囲に、9900万tの体重が生む破壊力。

 その威力は重く、吹っ飛ばされたティガダークを、ギガバーサークは電撃チェーンで捕縛し、高圧電流を流しながら地面に叩きつけた。

 タケミカヅチ/ゼブブを乗せるアメノトリフネ/ギガバーサークに相応しく、そのパワーも電流も極めて強烈。

 

 地面に叩きつけられたティガダークが、焼け焦げの状態で立ち上がり―――ギガバーサークがその巨大過ぎる足で、ティガを踏みつけた。

 ビルよりも遥かに大きなサイズの足の踏みつけである。

 バーテックス達は、ティガの死を確信した。

 

『■■■■ッッ―――!!!』

 

 そして、ティガダークの恐ろしさを、改めて肌身に感じた。

 

 ぐっ、ぐぐぐっ、とギガバーサークの足が持ち上げられていく。

 踏み潰されたはずのティガダークが、足を押し上げているのだ。

 足ごとに体重が分散されているとはいえ、9900万tを持ち上げる?

 そんなことをやらかすのに、どれだけのパワーが要るというのか。

 地球人類が開発した最も重い船『Knock Nevis』ですら最大積載量は65万tである。

 

 まさしく、桁が違う。

 

 だからこそ、バーテックスはまともな一対一などしてくれない。

 

 ギガバーサークの足を少しずつ押し上げていくティガに、全方位から迫る影。

 ゼブブの右腕の刀が、ティガの右胸を。

 EXゴモラの尻尾が、ティガの腹を。

 キリエロイドの腕刀が、ティガの左胸を。

 それぞれ突き刺し、貫通した。

 

 一瞬の後、ティガを刺していた全員が飛び退き、ゼルガノイドの無限エネルギーによる光線、ライブラ・エンマーゴの斬撃がティガの脳を狙う。

 ティガダークはこれをなんとか両手の旋刃盤で防いだが、防御と足の押し上げを両立することなどできはしない。

 ギガバーサークの足が更に押し込まれる。

 

 ブチッ、と嫌な音がした。

 

 それは、ギガバーサークがティガの体を踏み潰した音だった。

 それは、ティガが自分の首を引き千切って投げた音だった。

 

 暴走したティガだからこそやれた、狂気の離脱行動。

 脳が体に"首を引きちぎって投げろ"と命令し、首が体から離れた後も体がその通りに動くかどうか分からないという、狂気の賭け。

 狂気の賭けにティガは勝利し、頭だけでもギガバーサークの足の下から逃がすことに成功した。

 

『■■■―――! ■■■ッ―――』

 

 首から下があっという間に生えてくる。咆哮するティガダーク。

 

 この戦いを四国の一般市民が見ていたら、きっとこう思うだろう。

 

 急所をちゃんと破壊されれば普通に死ぬバーテックスと、このティガダークの、どちらが化物なのか分かったものじゃない、と。

 

 バーテックスは、ただ殺すために。

 ティガダークは、ただ殺すために。

 今、この戦場にある。

 

 消えるが如きティガの高速移動、そして拳を、ゼブブは笑って胸で受け止めた。

 効かない。

 ティガが蹴る。

 効かない。

 手足の末端速度がマッハいくつであるかを考えるのが馬鹿らしくなるような、ティガの速く重い連撃が、ゼブブには一切通用しない。

 

 ゼブブはタケミカヅチの役をあてがわれた者に相応しく、その全身を電流による電磁バリアで隙間なく覆い、無敵のバリアを張ったまま、おかしそうに腹を叩いていた。

 笑っている。

 無敵のバリアを張っているゼブブに通じない攻撃を、狂気のままに繰り返すティガを、嘲笑(あざけわら)っている。

 このバリアは、力では突破できないが、今のティガには力押ししかない。

 

 無駄な攻撃を繰り返すティガへ、タウラス・ドギューが右から音響攻撃、ライブラ・エンマーゴが左から竜巻攻撃を仕掛けた。

 広範囲に攻撃効果を及ぼす、腕で殴っても本来どうにもならない攻撃。

 

『■■■ッ!!』

 

 それを、ティガは、殴って砕いた。

 

 殴られた空気が爆散し、とてつもない衝撃波が空気ごと音と竜巻を押し流す。

 空気の流れが竜巻であり、空気の振動が音であるなら、広範囲の空気をパンチ一発で砕ける最悪の規格外に、それがどうして通じようか。

 吠えて震える黒き巨人は、さながら万物を砕く悪魔のよう。

 

 なればこそ、その前に立つは同じく悪魔。

 タイラントがティガの前に立ちはだかり、地面を踏む。

 カプリコーンの力がタイラントの足より発され、地面が揺れた。

 その揺れは、震源地が地表であるのに、北海道まで届くほどの揺れ。

 ティガダークが立っていられないほどの揺れだった。

 

 ならば空へと飛び立とうとするティガダークだが、そこに山ほどの弾幕が飛んでくる。

 本当に、山ほどの弾幕だった。

 EXゴモラのEX超振動波、コダラーの電撃弾、シラリーの指のレーザー砲、ギガバーサークの巨大光弾、ゼブブの電撃、ピスケスの放電、アクエリアスのロケット。

 キリエロイドの獄炎弾、ゼルガノイドのソルジェント光線、マザーディーンツの溶解光線、ヴァルゴの爆撃、スコーピオンの毒針、レオの火球。

 

 "やりすぎだ"という感想を思わず抱いてしまうほどの弾幕が、ティガへと降り注ぐ。

 ティガは頭だけは、弾幕の隙間に滑り込ませることができた。

 逆に言えばマッハ30という速度で走れるティガダークが、そのスピードをもってしても、頭一つ分を滑り込ませるのがやっと、というレベルの弾幕であるということだった。

 

 ティガの頭以外の部分が、ほとんど穴だけになり、切り刻まれ、吹き飛ばされる。

 首から下、胴体の肉の1/3ほどだけを残して、それ以外が消し飛んだ状態のティガの体が再生を始める。

 だが、その瞬間。

 ティガの首から下を、サジタリウス・スノーゴンの吐く吹雪が、凍結させて氷塊に変えた。

 

『―――……!?』

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 傷口は全て氷に塞がれ、肉が再生していくスペースがなく、首から下の肉も全て細胞レベルで凍結させられてしまった。

 今やティガは、氷の塊の上に頭だけ乗せられているようにしか見えない。

 氷を使ったティガの再生対策……に、留まらず、吹雪によって氷は首筋を昇り、ティガダークの頭を包み込んでいく。

 頭の中まで氷漬けにして、破壊するために。

 

 もうティガダークは手も足も出ない。

 手も足もない。

 手も足も戻せない。

 

 竜胆自身が、自らの意志で闇を抑える枷の全てを外し、過去最強の状態で暴走したティガダークですら、この軍勢は倒せなかった。

 それは、現在の人類戦力では、"何を生贄に捧げても大侵攻に勝利することはできない"ということを意味する。

 今のティガダークを超える人類戦力は存在しない。

 竜胆は呻く。

 それは思うように目の前のものを壊せない獣の呻きであると同時に、自身の無力を嘆く人間の呻きでもあった。

 

 ティガに最後に残された頭部が凍っていく。その全てが凍った時、ティガは死に至る。

 

『―――』

 

 だからこそ、彼ら彼女らがそこに飛び込んできたのは、必然だった。

 

『感謝しろよ、このバカ』

 

 ティガへと放たれている吹雪を防ぐ、大天狗の大火炎。

 ティガへとトドメを刺そうとしたスコーピオンの針を弾く、酒呑童子の大拳。

 ティガを包囲する絶望的な包囲網へ、ティガを背中に立ち向かう、二人の巨人。

 

『お前、クッソ大切に思われてるぞ。

 ……お前をほっときゃ、皆、もうちょっと生き残る可能性はあったかもしれねえのに』

 

 鷲尾海人は、竜胆を助けに来たくせに、そんな風に竜胆に悪態をついていた。

 

 友奈が暴走状態にあるティガの首に近寄り、氷を殴り砕いて首を助け出し、暴走状態にあるティガの頬に手を添えて、そっと優しく呼びかけた。

 

「リュウくん、止まって。このままじゃ、リュウくん、死んじゃうよ」

 

 少しだけ竜胆の正気が戻り、竜胆がそこから一気に正常な状態を取り戻す。

 首から下の再生が終わる頃には、竜胆の精神状態はフラットに戻る。

 今回は"感情の奔流が大きすぎて望まずして暴走した"のではなく、"意図的に暴走した"ために、少しのきっかけで元に戻れたようだ。

 

『……うっ、ぐっ、くっ……ハァ、はぁ、はぁ……悪い。ここまで暴走するとは……』

 

「良かった……元のリュウくんだ」

 

 ティガダークの暴走によって、ベムスターとバードンは片付けられた。

 だが、それだけだ。

 ティガダークの出現当初は無双できていたティガダークも、途中からはバーテックス達の連携で対応され、結局はほぼ封殺されてしまった。

 

 ティガとアグルのカラータイマーが鳴り始める。

 ティガの残り活動時間、残り一分。

 

(どうする……?)

 

 若葉が天狗の魔人たるブリッツブロッツを睨みながら、剣を握る。

 打開策は見つからない。

 

(諦めない。絶対に諦めない。それだけ、まずは心に決めて)

 

 友奈が、津波を起こす角と地震を起こす角を掲げているタイラントを見て、拳を構える。

 心折れない友奈だが、その衣装の角の飾りは既に折れていた。

 

(仮にワシがこの包囲のどこかに特攻して、こいつらの逃げ道作ったとして……

 いや、駄目か。ブルトンの空間の歪みをどうにかしないと終わらん。

 仮にブルトンが居なくなったとしても、東西南北で四択……

 いや、八方向で八択くらいはあるか?

 ワシが特攻するにしても、せめて南の方向にこいつらは逃さないと……四国は遠いな)

 

 大地はクレバーに、皆を逃がすための策を考えている。

 既にこれが負け戦であることを大地は確信している。

 あとは、どれだけ被害を抑えて撤退できるか。彼の思考はそれだけだ。

 

 ここから一分もしない内に地獄が始まる。

 そう確信していた海人の目に―――()()()()()()()()

 大地が得た確信が敗北の確信であるならば、海人が得た確信はそれとはまるで違うもの。

 海人はため息を吐く。

 何を選んでもいい。その権利は、海人にあった。

 "それ"を選ぶ権利も。

 "それ"を選ばない権利も。

 一瞬の間に一生分は悩んだ海人の目に、友奈の背中が見える。

 

 勇気に満ち溢れた、その背中を見た者に勇気をくれる、そんな背中だった。

 

 鷲尾は、友奈の背中に、勇気を貰った。

 

『……ああ、もう、本当に、しょうがねえな』

 

 アグルはティガに、感情の見えない語り口で問いかけた。

 

『なあ、御守。オレがさ、愛媛県民だってのは覚えてるか?』

 

―――オレ愛媛県民だから香川県民が喜ぶものなんて知らねえしー

 

 覚えている。

 竜胆は覚えている。

 確かに、海人はそう言っていた。

 

『お前、過去に愛媛に居た時期のこと、覚えてるか?』

 

―――まね。この人、一時期アタシの小学校にも居たからさ。

―――ちなみに学年もクラスもおんなじ。

―――ご両親が事故で亡くなるまでは……同じ習い事にも通ってて。

―――ふざけて先輩後輩とか言ってたもんよ。ま、後々引っ越して行っちゃったんだけど

 

 覚えている。

 竜胆は、安芸の言葉と共に、幼い頃の想い出を思い出した。

 安芸真鈴、土居玉子、伊予島杏、鷲尾海人は同じく愛媛出身。

 竜胆も昔は、愛媛(そこ)にいた。

 

『お前、自殺しようとしてたいじめられた子を助けたこと、覚えてるか?』

 

―――屋上から飛び降りて自殺しようとした後輩を、窓から飛び出してキャッチした話。

―――雨水流すパイプ掴んで、後輩をキャッチしながら着地した話。

―――それで手の皮ビリビリになって、落ちて足が折れて、第一声が『大丈夫か!?』だった話。

―――血を流しながら心配してくれる御守くんに、なんか色々感じ入って号泣した後輩の話。

―――その後の御守くん先輩の説得で以後自殺しなくなった後輩の話。

―――その後来た救急車と御守先輩の超絶笑ったコント的やり取りの話、どれからしよう……

 

―――全部ひと繋がりの同じ話で僕の話じゃねえか……

 

―――あれはうちの小学校の伝説だもの

 

 覚えている。

 安芸が球子に語ったその言葉の通り、竜胆は助けたことを覚えている。

 

『お前が助けたの、オレの弟だ』

 

『……え?』

 

『オレが死んだら、あいつが鷲尾の家を守っていったりすんのかな……ま、それも仮定の話か』

 

 情けは人のためならず。

 情けは他人のためではなく、他人にした親切は回り回って自分に返って来る、という意味の言葉だ。

 竜胆がティガダークになる前にした親切は、とても長い道のりを経て、回り回って、竜胆の下へと帰って来た。

 

『ありがとうな。

 弟から、お前のこと聞いたの、ちょっとだけだったし、一回だけだったんだ。

 だから最近まで、弟の恩人と、お前が同一人物だと思ってなかったんだ。

 弟を助けてくれてありがとう。オレには、お前のために命をかける理由があった』

 

 弟との記憶の中から、海人は竜胆のために命をかける理由を見つけた。

 それは"守る責任"ではない。

 "守る義務"でもない。

 その心が決めた、守るという意志。

 

『……助けられたのがオレだったら、ちょっと迷ったんだけどな。

 助けられたのがオレの家族なら、仕方ない。そりゃ返さなくちゃならない恩だ』

 

 海人は凡人、凡俗、といったものに近い。

 竜胆の格闘を見て、心底化物だと思ってすらいた。

 そんな彼が、するりとティガダークを仲間だと認められるものなのだろうか?

 理由はいくつかあって、その中の一つは、安芸の言葉を思い出せば分かる。

 

―――やだなあもう、何か誤解とか誤報とかあったに決まってるじゃん。

―――事件の残酷さが御守パイセンのキャラと合ってなさすぎじゃない?

―――アタシは未だに"残虐非道の御守竜胆"とか非実在青少年だと思ってますよ

 

―――うちの学校の皆はニュースは絶対デマだって言ってたわよ。

―――いやだって、ありえねーわ、御守先輩の性格考えろっての。

―――できるわけないじゃんあんなこと。もうちょっと常識的なニュース流してほしいわ

 

 海人の周りには、"ティガダークを責める空気とコミュニティ"が一切存在しなかった。

 竜胆がずっと昔に優しくした子供達がいて、それが海人の周囲にも相応にティガダークに寛容な空気を作り、海人もその影響を受けていた。

 

 いつも、いつも、竜胆は過去に追いかけられてきた。

 何かある度に、虐殺の過去に追いつかれ、それを突きつけられてきた。

 そして今、また新たに一つの過去が追いついてきた。

 竜胆が迷いなく"正義の味方"をすることができていた、あの頃の過去が追いついて、海人に竜胆を助けさせる。

 

『オレは死ぬ気はない。だから安心して待ってろ。必ず戻る……約束(やくそく)だ』

 

 そしてアグルは、自分だけが見つけたブルトンに向け、飛翔した。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 正樹さんのオレへの頼みは、シンプルだった。

 

「酷なことを言っているのは分かっている。

 だが、最悪相打ちでもいい。必ず倒してくれ。

 ブルトンは……予想以上の最悪かもしれない」

 

 要するに、チャンスがあれば、相打ち狙いでもブルトンを倒してほしいとのこと。

 窮地でも撤退より、できればブルトンの抹殺を優先してほしいとのこと。

 死ねって言ってんのか。

 オレは嫌だぞ。

 

「ブルトンに新しい特性でも観測されたんですか? 正樹さん」

 

「無数の並行宇宙から、星屑を集めているようだ。宇宙の壁を越えて」

 

「!」

 

「まだ"確度の高い推測"でしかないが、これなら様々なことに説明がつく。

 一万の平行世界から一匹ずつ星屑を集めれば、あっという間に一万体だ。

 一億の平行世界なら、すぐに一億体。

 星屑の超高速調達……異常なまでの大型バーテックスの連打は、おそらくこれで作っている」

 

 大型バーテックスは(そうでないのもいるが)基本的に星屑を集め、それで肉体を作り、精霊同様に概念記録から『決まった形』に仕上げられている。

 なるほど。

 星屑自体を無限に補給できるなら、いくらでも大型が揃えられるのか。

 

 なんつーことを考えるんだ。

 出来るブルトンもヤバいが、思いついたやつはそれができることにさぞ驚いただろうな。

 ブルトンを倒さない限り、強力な大型はいくらでも作れるってことか。

 十二星座が星屑数百体で作れるとかそんなんだった気がする。

 正樹さんの言う通り一億体調達できるなら、そこから亜型十二星座は二十万体は作れるってことだ。

 ブルトンの星屑増産に限界や制限はあるかもしれないが、だとしたら本当に最悪だ。

 ブルトンは生かしておいちゃいけない。

 

 でも、死ぬのは嫌なんだよ。分かるだろ?

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 単身突っ込んだアグルの後を、ガイアとティガが追おうとする。

 だが、敵はあまりにも多すぎた。

 アグルがブルトンに向かって飛んで行ったルートはすぐに塞がれ、二人の巨人の行く手を無数のバーテックス達が阻む。

 

『どけ!』

 

 無茶に次ぐ無茶を繰り返し、カラータイマーの点滅が知らせる事実以上に、追い込まれた状態のティガトルネードが殴りかかる。

 迎撃するコダラーは、そんなティガトルネードを真正面から圧倒した。

 水色の体が跳ね、水色の腕がティガトルネードを滅多打ちにする。

 光線を倍にして返す能力のみならず、コダラーは格闘戦においても圧倒的に強い。

 

『どけえっ!』

 

 アグルの後を追おうとするガイアの前に立ちはだかるは、ゼブブ。

 ガイアが叩きつけようとした拳も、ゼブブの無敵のバリアが通さない。

 カウンターの切りつけが、ガイアの腹を浅く切り裂いた。

 

 ピンチのティガとガイアのカバーに、若葉と友奈が入る。

 

「くっ、二人共……!」

 

「若葉ちゃん、海人君が! あんなに遠くに!」

 

「ここから追いつくのは無理かっ……友奈! 目の前の戦いに集中しろ!」

 

 ティガは肉体が治っていてもそれ以外が致命的に摩耗していて、他人しか治せないガイアは傷のせいで体が動いてくれない。

 海人の後を追っていけない。

 

 そして、ブルトンを狙うアグルの体を―――スコーピオンの毒針が、十数本と貫いた。

 

『海人先輩ッ―――!!』

 

 竜胆の叫びが、虚しく響く。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 罪悪感しかなかった。

 オレは、大事な弟がカツアゲにあっていたから、カツアゲを止めただけだったんだ。

 だけど、オレの弟をカツアゲしてたそいつには、兄がいた。

 オレと同じ学校の、オレと同じクラスの、不良の兄が。

 

 そいつがオレをいじめ始めた。

 いじめられたオレは、不登校でひきこもりになった。

 今でも思う。

 なんでオレは、あんなに弱かったのか。

 なんでオレは、逃げたのか。

 

 いじめは弟の周りにも波及して、弟は自殺しようとした。

 オレが弱くなければ、逃げてなければ、ああはならなかったんだろうか。

 

 感謝しかない。

 御守には、感謝しかなかった。

 オレの弱さ、オレの間違いのせいで起こったことの、ケツを拭いてもらった。

 大事な家族の命を救ってくれた。未来に繋いでくれた。

 あの頃、弟にもっとよく"救ってくれた恩人"の話を聞いておくべきだった。

 もっと早く、それが御守だと気付いておくべきだった。

 

 ありがとう。

 それしか言えない。

 

 オレは死にたくない。

 死にたくなんてないんだ。

 だけど、捨てたくないこの命を―――命を懸けたって構わない、そんな奴がいる。

 

 高嶋ちゃんも、御守も、両方ともそうだ。

 生きていたい。

 死にたくない。

 けど。

 オレのこの命より、あの二人の命が軽いだなんて、思えない。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 全身に毒針を刺されたアグルの体に、毒が回っていく。

 ふらつく体。

 揺れる飛翔軌道。

 ブルトンに向かって真っ直ぐ飛んでいたアグルの体が、ブレる。

 

『海人先輩ッ―――!!』

 

 虚しく響いた竜胆の叫びが、アグルの耳に届いた。

 アグルの目が、強く光り輝く。

 穴だらけの体に力が入り、飛翔軌道は真っ直ぐに。

 ブルトンに向けて、更に加速して飛翔する。

 

(聞こえてるよ、バーカ)

 

 死にたくない。死にたくない。死にたくない。そう叫ぶ心を、ぐっと抑える。

 

(ああ、でも、こういう時に聞きたい声は――)

 

「海人君!」

 

(――応援の声が、聞きたかったんだけどなあ。高嶋ちゃんの声が聞けたのは、嬉しいのに)

 

 飛び上がったレッドギラス&ブラックギラスが、ふたご座らしい連携で、額の角をアグルの両足に刺す。

 アクエリアスのロケット砲が脇腹に直撃し、アグルの肉が削げた。

 ギガバーサークの発射した超火力の光弾がアグルの左肩に命中、アグルの左肩の肉が弾けて、左腕が取れそうな状態にまで追い込まれる。

 

 それでも前に、進み続けた。

 

 彼が逃げたい気持ちを抑え込み、成さねばならぬことを成さねば、生き残れない仲間がいた。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 友達だと呼んでくれた。

 高嶋ちゃんは、友達だと、呼んでくれたんだ。

 オレの性根を薄々理解してただろうに、高嶋ちゃんはあるがままにオレを受け入れてくれた。

 嬉しかった。

 嬉しかったんだ。

 

「海人君って呼んでもいいかな?」

 

 その問いに、一も二もなく頷いたことを覚えている。

 

 オレや郡ちゃんみたいなのは、きっと必ず、高嶋ちゃんみたいな人に憧れ惹かれる。

 だって自分が、そうなれないから。

 オレや郡ちゃんみたいなのは、自分が暗い存在だと、自覚しているから。

 まばゆく輝く彼女の光に、憧れた。

 何が光の巨人だ。

 何が光の戦士だ。

 本当の光っていうのは、他人を照らせるから光なんだ。

 ウルトラマンの俺より、彼女の方がずっと光だった。

 だから、思った。

 

 こんなに綺麗なものの友達になるのは、オレじゃ駄目だなって、そう思ったんだ。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 コダラーの凝縮した雷弾が、アグルの全身を撃つ。

 シラリーの連射したレーザー砲が、アグルの全身を撃つ。

 取れかけだったアグルの左腕が、肩口から吹っ飛んだ。

 一瞬揺れたアグルの精神の隙間に、精神寄生体が入り込む。

 アグルの視界に入り込んだピスケスが、トラウマを蘇らせる幻覚を叩き込んで来る。

 

 鷲尾海人は、かつていじめられた者としての記憶を想起させられ、偽物の記憶を叩き込まれ、精神をグチャグチャにされていく。

 

『うっ……あっ……があああああああッ!!』

 

 それでも止まらない。

 なおも進む。

 更に加速する。

 

『先輩ッ!!』

 

 竜胆/ティガの声が届いて、心配性な後輩に、海人は思わず口元をほころばせた。

 

 竜胆がいいやつでよかったと、海人は思う。

 世間の評判通りに性格が悪い奴であったなら、きっと今のオレは後悔していただろうから……そう思い、更に加速した。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 オレは、そうだ、面白いやつだなって、思ったんだ。

 御守と話してると楽しかった。

 本当のオレは、内気だ。

 本音なんて言えもしない。

 素の自分なんて見せられない。

 

 だから、素の自分をオレが見せた時、見下すでもなく見上げるでもなく、対等の目線で言い争ってくれたのが、嬉しかった。

 オレを偏見の目で見なかったよな、御守。

 いや、お前はずっと、オレに対して好意的に接してくれた。

 

 お前にとっちゃ郡ちゃんに対して辛辣なオレはあんま気分いい相手じゃなかっただろうに。

 これで、オレが誘った通りに、ドルオタにでもなってくれりゃ良かったのに。

 そんなにアイドルオタクは嫌か?

 アイドル歌手くらいは興味持ってくれよ、ったく。

 

 でも、まあ、そうだな。

 お前がアイドルのファンとかやる姿は思い浮かばないな。

 生まれ変わりでもしなきゃならない気がした。

 でも、お前がオレのことよく分かってくれたらな、なんて思うよ。

 こういうの、なんて言うんだろうな。

 もっと自分を分かってもらいたい、みたいなの。

 

 ……ああ、そうか。

 これが、あれか。

 『友情』って、やつなんだな。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 精神干渉で心がボロボロになったアグルに、ピスケスは幻覚のみならず、電撃を放出し叩き込んで来た。

 そこに合わせる、ゼブブの電撃、ギガバーサークのチェーンからの放電、コダラーの雷撃。

 桁違いの電流が流れ、アグルの体がみるみる内に消し炭になっていった。

 

 それでも、アグルは止まらない。

 

 ゼルガノイドが、無限のエネルギーをソルジェント光線に束ねて撃った。

 アグルの左足に命中し、アグルの足が弾け飛ぶ。

 多くのウルトラマンは足に飛行能力を備えているため、アグルの飛行が一瞬揺らいだ。

 キリエロイドの獄炎弾がそこで、足の断面に命中し、遥か高くからヴァルゴの落とした爆撃がアグルの背中を爆撃する。

 キリエロイドとヴァルゴによって、アグルの肉が深く抉れた。

 走る激痛は、いかばかりか。

 

 それでも、アグルは止まらない。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 オレはひきこもりだった。

 ずっと逃げてた。

 ずっと間違えてた。

 綺麗なものだけ見ていたくて、アイドルばかり見ていた。

 無価値と言えば、オレの代名詞でもある。

 

 でも、なんだ、そうだ。

 あれは、土居ちゃんを戦場で頑張って助けた時のことだったか。

 

「鷲尾さん、この前は助けてくれてありがとうございました!」

 

 土居ちゃんにお礼を言われて、何か嬉しかった。

 

よくやった(Good Job)

 

 ボブに男らしく褒められて、少しだけ自分に自信を持てるようになった。

 

「ホメラレルト、チョットキブンイイデショ?」

 

 微笑むケンは、"君はそれでいいんだ"って言ってくれてるようで、不安が消えた。

 

「タマおねーちゃんを助けてくれて、どうもありがとう」

 

 アナがペコリと頭を下げるのを見て、なんだかむずがゆくなったんだ。

 

 オレは頑張ってみた。

 頑張ると、皆が褒めてくれた。

 仲間を守ると、お礼が貰えて、嬉しかった。

 いつからか、仲間が無事であることが嬉しくて、皆で揃って戦いを終えるとホッとした。

 仲間として親しく声をかけてもらえるのが、嬉しかったんだ。

 

 土居ちゃんはこんなオレにも笑いかけてくれた。

 ボブはかっこよくて、変人だと思ったけど、本当にかっこいいと思った。

 ケンはいつもオレに優しかった。

 アナの小さな体を見るたび、オレが守らないとって、そう思った。

 

 でも、もう居ない。

 居ないんだ。

 嬉しかった。

 楽しかった。

 でも、もういない。

 オレには無理だ。

 この痛みを乗り越えられない。

 頑張っていつものオレみたいに振る舞ってるけど、バレてないかな。

 

 あの頃に帰りたい。

 皆で笑っていられたあの頃に。

 あの頃のように話したい。

 死んでしまった皆と、もう一度でいいから、楽しく話したい。

 でも無理だ。

 無理なんだよ。

 死んでしまったんだ、だから、無理なんだ。

 分かってる。

 時間の針は戻らない。

 だから、無理なんだ。

 どんなに悲しくても、悲しみで時間は戻らない。

 オレが守りたかった人達は、オレが四国の外で他人を見捨てられず、沖縄で人助けなんかをしてる間に、オレの見ていないところで死んだ。

 

 それはきっと、オレの選択が生んだ喪失で。

 オレが選んだ悲しみなんだ。

 泣く資格なんて、ねえよ。

 

 でも。

 でもさ。

 『ありがとう』って、ちゃんと言ってなかったんだ、

 土居ちゃんにも、アナにも、ボブにも、ケンにも。

 内気でウジウジしがちなオレは、『ありがとう』ってちゃんと言えてなかった。

 言う前に、皆、どこかに言ってしまった。

 

 なんでオレは言っておかなかったんだ。

 優しくしてくれたあの人達には、百回言っても、千回言っても、言い足りなかったのに。

 言っておかなくちゃ、いけなかったのに。

 

 郡ちゃんにお前はすごいやつだ、とかも言えてない。

 ふざけずに高嶋ちゃんを褒められてもない。

 土居ちゃんがああなったのに、伊予島ちゃんにロクな言葉もかけられてない。

 乃木ちゃんに剣教わろうって考えてたのに、まだ頼めてもいない。

 ああ、なんだ。

 今もそうか。

 今もオレは、言いたいこと言えてないのか。

 駄目だな、本当に。

 

 だけど、でも、そうだ。

 言えないって後悔があったから、御守の前で、ちょっと明け透けにやってやろうって思ったんだっけ、オレ。

 それでオレ、言いたいこと言ったんだ。

 御守がそれを自然体で受け止めてくれたことが、嬉しかったんだ。

 離れて行かないで、そのまんまのオレを受け入れて、仲間として見続けてくれる御守の目が、だから嬉しかったんだよな。

 

 なあ、パイセン。

 オレさ、いっつもあんたの前だと、自然体だったんだ。

 言いたいこと言えて、何も取り繕わなくて済んでたから、めっちゃ気楽だったんだ。

 あんたは凄い人だよ。

 頼りがいがあって、どこまでも広い心があって、安心して寄りかかれて、暖かくて。

 

 オレ、今でも信じてる。

 

 この星を救えるウルトラマンは、三ノ輪大地だって、信じてる。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 左腕と左足を奪われ、精神もグチャグチャなアグルが、ブルトンを射撃攻撃範囲に捉える。

 

 タウラスの音響攻撃が、電撃で黒焦げになっているアグルの体を粉砕していく。

 キリエロイドの獄炎弾が、アグルの腹を貫通し、腹に大穴を空けた。

 レオの火球がアグルの顔に命中し、顔の左半分をクレーターのように抉る。

 スノーゴンの吹雪が体を凍らせていき、凍傷で激痛と麻痺が同時に全身を襲う。

 

(まだ)

 

 ブルトンまで後少し。

 アグルは光線を撃たず、ブルトンを追いかけ始めた時からずっと溜めていた力を、右手の中で凝縮させる。

 

(まだだ、あと少し)

 

 あと少し、あと少し、あと少し。

 

(あと、少し―――!)

 

 そんな希望的観測にすがるアグルの上半身と下半身を、ライブラ・エンマーゴが両断した。

 アグルの上半身と、飛ぶ力を持つ下半身が、切り分けられる。

 飛べる部分が切り落とされ、アグルは落ちていく。

 

 ブルトンまであと少し。

 されど、飛ぶことも歩くこともできなくなった以上、その後"あと少し"の距離を移動するすべはなく。

 "あと少し"の距離は、無限の道のりに等しくなった。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 謝りたかった。

 皆にずっと謝りたかったんだ、オレは。

 皆と出会うまでオレはずっとひきこもりをやっていた。

 外の世界が怖かった。

 クズな人間に出会うのが怖かった。

 

 いじめなんてする最低野郎が世の中にたくさんいることを、オレは知った。

 なんで皆怖くないんだ?

 世の中の大半なんてほとんどクズだぞ?

 周りに流されて最悪なことをするクズだ。

 なのになんで、そんな世界で生きていけるんだ。

 ……なのに、なんで、そんな世界を懸命に守ろうだなんて思えるんだ?

 

 オレは死にたくない。

 死にたくないから、世界を守ってるだけだ。

 人間が上等だなんて思ってない。守る価値があるだなんて思ってない。

 守る価値がある人と出会っても、優しい人と出会っても、オレのこの考えは変わってない。

 

 だから、だからだ。

 だからオレは、バーテックスが来る前に、あんなことを考えちまったんだ。

 ごめん。

 皆、ごめん。

 バーテックスが来る前に、暗い部屋の中で一人、オレは神様に祈ったんだ。

 

 『こんな世界終わってしまえ』って。

 

 分かってる。

 オレなんかの願いを神様が聞いたなんてわけない。

 でも。

 でもな。

 思っちまうんだ。

 もし本当に、神様がオレの願いを聞き届けて、世界を終わらせようとしたんなら、って。

 

 バカだ、オレは。

 今はこんなにも世界に終わってほしくないのに。

 バーテックスが来る前は、本当に世界に終わってほしいと思ってたんだ。

 バーテックスのニュースを最初に見た時、オレは―――()()()()()

 最悪だ。

 これで今の世界が終わるな、なんて、喜んじまったんだ。

 

 そしてすぐに、死にたくないから足掻き始めた。

 皆と出会って、皆が生きる世界は滅んでほしくないな、って思った。

 なんでだ。

 なんでだよ。

 世界の滅びを喜んでたようなクズに、なんで地球は、ウルトラマンの力を与えた?

 オレより適任な人間なんて、いくらでもいただろ。

 

 なんでオレに、こんな力が与えられたんだ。

 なんでオレには、仲間を取り零さないだけの力がないんだ。

 なんでオレは、仲間に言うべきことを言えなかったんだ。

 なんでオレには、仲間に謝る勇気さえなかったんだ。

 なんで。

 なんで。

 なんで。

 

 だけど、悩んでなんていられない。

 

 オレには守りたいものがあって、オレにしか守れないものがあった。

 

 なら、悩むのはやめよう。

 

 もしもオレに、長所なんていうものがあるとしたら。

 

 それはきっと―――好きなものに、とことん真っ直ぐに在れるってこと、だけだろうから。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 上半身だけのアグルが、残された最後の右腕で、地面を押し、地面を跳ねる。

 最後に立ちはだかるはタイラント。

 右腕の刃を疾風のように突き出して来るのを見て、アグルはタイラントの右腕を"右腕で蹴って"更に高く飛び上がり、タイラントの頭上を越える。

 そして、タイラントの頭も右腕で押して跳ね、その向こうのブルトンへ。

 

 精神も肉体もグチャグチャで、顔は半分が焼け爛れ、下半身が切り離された上半身は毒と穴だらけという状態で、アグルは右手を高く掲げる。

 そこに、光の剣が現れた。

 竜胆が夢中になったアグルの光剣―――アグルブレード。

 

 ボロボロの海人の心から、徐々に色んなものが剥げていく。

 雑念が、まず剥がれた。

 まともな思考も剥がれていく。

 やがて、仲間へ抱いた山ほどの想いも、敵への複雑な憎悪も剥がれ落ちる。

 死にたくないという想いすら、剥がれて離れて。

 友奈から貰った勇気までもが、剥がれて消えて。

 

 最後に残った想いは、ただ一つ。

 

『奪うな』

 

 国を奪われ、平穏を奪われ、仲間を奪われた海人の心に、最後に残った一つの想い。

 

『もう、いいだろ。もう、奪うな』

 

 その想いを剣に込め、ブルトンへと飛びかかる。

 

 

 

『オレ達からこれ以上―――何も、奪うなッ!!』

 

 

 

 ブルトンに突き刺さるアグルブレード。

 地球上の七割を占める海の力、そこに生きる海の命の力、鷲尾海人に託された膨大な海の力が、アグルブレードから注ぎ込まれ、ブルトンを内側から膨張させていく。

 そして、規格外の時空エネルギーと光エネルギーが混ざり合い、大爆発を引き起こした。

 輝ける爆焔。

 広がる爆音。

 その大爆発は、鷲尾海人の命も同時に、かき消していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブルトンは死んだ。

 アグル/海人は死んだ。

 竜胆達を広く囲んでいた空間の歪みが消失する。

 

『バカ野郎』

 

 ずっとずっと、相棒としてやってきた大地が、歯を食いしばる。

 杏と球子。

 友奈と千景。

 若葉とひなた。

 それらの関係と似て非なる強い関係が、大地と海人の間にはあった。

 

『大切なものが他にいくらあったって―――一番大切なものは、お前の命だろうが!』

 

 希望は繋がれた、と、竜胆もまた、悲しみを噛み殺しながら、前を見る。

 アグルの光は地球の中に還っていった。

 それが殊更に、海人の死を皆に突きつける。

 

「海人君っ……!」

 

 友奈は口元を抑え、涙をこらえている。

 

「……まだだ、まだ終わっていない!

 ブルトンは倒した!

 海人の死を無駄にしないため、私達は足を止めてはならない!」

 

 若葉は心の痛みを踏み越え、海人の死を無駄にしないために、仲間の皆を叱咤した。

 

『ああ、そうだ。

 海人先輩の死を無駄にしちゃいけない。

 何が何でも生き残って切り抜けて、ブルトン討伐完了の報を四国に―――』

 

 そうして、ティガも立ち上がった、その時。

 

 ティガの目の前を、ブルトンが一体、転がっていった。

 

 思考が停止したティガの前を、もう一体のブルトンが転がっていった。

 

『―――え?』

 

 また一体。また一体。ブルトンがティガの前を転がっていく。

 

 思考停止した巨人や勇者達の周りに、何体もブルトンが転がっていく。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『え……あ……?』

 

 最初に始まりのブルトンありき。

 始まりのブルトンは、隣の宇宙のブルトンを呼ぶ。

 二体のブルトンが四体に、四体が八体に、八体が十六体に。

 それら全てに祟りの紋を埋め込めば、神の意に沿うブルトン軍団の出来上がり。

 全てのブルトンは、多元並行宇宙からかすめ取るように星屑を集め、最強最悪の生産体制を確立させた。

 

 なればこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 アナスタシアは毎日結界をアップデートしていて、それの限界が来たと言っていた。

 毎日ネクサスがアップデートしたのに、限界が来たのは何故か?

 "定期的にブルトンが増えていた"、と考えれば、そこにも納得がいく。

 ブルトンは四国に近付くことでも干渉を強化できるが、当然ながら頭数を増やすことで干渉を強化することもできるのだから。

 

『撤退じゃ!』

 

 ガイアが腕を十字に組み、L字に組み変えクァンタムストリームを全方位に放つ。

 燃えるような光線が無数に群れる星屑を蹴散らすが、どちらが南か分からない。

 敵を蹴散らして逃げるため、敵を蹴散らす光線を撃って南がどちらかを確かめようとしたのに、てんで足りない。

 ガイアの胸のライフゲージが点滅を始め、ティガがガイアに食って掛かった。

 

『大地先輩! ブルトンを、ブルトンを仕留めないと!』

 

『ワシの口から"それ"を言わせるのか!?』

 

 "皆の未来を繋ぐために特攻した"海人の捨て身の攻撃は、何かを残したか?

 

 何も残してはいない。せいぜい、包囲を作っていた空間の歪みを消した程度だ。

 

『―――カイトは無駄死にじゃ!

 ブルトンはそのまま、数も減ってない!

 状況は何も好転してないのに、カイトの命だけが散った!』

 

「―――」

 

『だからワシは! これ以上ここで、無駄死にする人間を増やさせるわけにはいかんのだ!』

 

 せめて、ブルトンが一体だけだったなら。

 この特攻で、大侵攻が攻略可能なものになっていたかもしれないのに。

 そうして大侵攻が止められていたなら、半年はバーテックスが大規模な攻撃を仕掛けられなくなっていたかもしれないのに。

 でも、そうはならなかった。

 だから、海人の特攻は、無駄死になのだ。

 

「……え?」

 

「友奈?」

 

「牛鬼が呼んでる……皆、こっち!」

 

 悲しみに浸る間もなく、世の無常を嘆く間もなく、皆は友奈に先導され、南に向けて一直線に逃走を始める。

 

『スペシウム光線ッ!!』

 

『クァンタムストリームッ!!』

 

 光線で雑魚を薙ぎ払い、大物を押しのけて、残った仲間全員でその先へ。

 囲みを抜けて決死の敗走を開始する。

 完膚なきまでに敗北し、無様に本距離へと逃げ帰るのだ。

 

 仲間一人失って、手に入れたのは"絶対に勝てないほど敵が強い"という情報のみ。

 ティガは完全暴走までして戦ったのに、敵の多くは仕留めること叶わず。

 ブルトンが大量に用意されている以上、もはや四国で樹海化(メタフィールド)を利用した絶対的に有利な戦場での戦いは、不可能であると断言できる。

 

 前哨戦はこれでおしまい。

 小手調べの戦いはおしまい。

 次からが本番。

 

 七月某日。予知された決戦が、大侵攻のその日が迫る。

 

 

 

 

 

 竜胆参戦時、丸亀城陣営暫定数。

 ウルトラマン六人、勇者五人、巫女一人。合計十二人。

 

 鷲尾海人死亡。

 

 ウルトラマン、残り二人。

 神樹の勇者達、残り四人。

 神樹の巫女、残り一人。

 

 残り、七人。

 

 

 




 5/12

 三百年前に、アイドル歌手とかにドハマりする海人と友達だった少年がいて
 三百年後に、犬吠埼樹を全力で応援する少年がいました
 そんなお話


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

祝福 -ハッピー・プレゼンツ-

 最近面白い夢を見ました
「もう重荷を背負わせないでくれ」
 と、重荷の袋を背負ったルシエド作品の主人公が言うんですよ
 そいつが重荷を降ろそうとするから、ルシエドは『ボブ』『球子』とか名前が書いてある釘で、重荷の袋を主人公の背中に打ち付けるんです
 そうすれば重荷は降ろせなくなりますから
「もうちょっとだから頑張れ」
 とルシエドが言うと、主人公は
「しょうがねえな」
 と言って、重荷を背負って歩き、ハッピーエンドというゴールに辿り着くわけです

 ハッピーエンドはお約束します(鉄の誓約)


 上里ひなたは巫女である。

 彼女に戦う力はなく、"自分に力があれば守れたはずなのに"と後悔する余地も、そうやって後悔する権利もない。

 彼女にできることは、日常の中で彼らを支えること、彼らが帰る場所を守ること、そして神樹の神託を仲間達に伝えること。

 それしかできない、と彼女は言うが、それは彼女にしかできないことでもある。

 

「……」

 

 大社に赴き、水垢離(みずごり)で身を清め、祝詞(のりと)を唱える多くの人間――何十人という神職と巫女――の作る道を、ひなたは一人で進む。

 異様な雰囲気の、人が作る道。

 この先に、神樹が居る。

 最高の巫女適性を持つひなたは、神樹から言葉を貰うことができる。

 十年前であれば神の実在も信じていなかった者達に、神の実在を信じさせるほどの異様な雰囲気が、ここにはあった。

 

 バーテックスの出現以来、ただの儀礼でしかなかった祝詞の一つ一つにすら、物理的・呪術的な力が宿るようになったと、ひなたは大社から聞かされている。

 しからば多くの神職、多くの巫女が祝詞を唱えるこの道は、まさに異界。

 "人の世界"と、"神の世界"の間に、"祝詞を唱える人間の道"を作って、ワンクッションを入れているのかもしれない。

 人の世界から、人が作った異界を通り、ひなたは神樹の前に辿り着いた。

 

 神樹はただそこに在るだけで、普通の人間に頭を垂れさせる。

 ひなたは頭を下げずにはいられず、自然と膝をつき、頭を垂れた。

 やがて神が頭を上げる"赦し"を出すと、それでようやくひなたは顔を上げられる。

 

 顔を上げたひなたが神樹に触れると、暖かかった。

 触れるだけで暖かい、どこか光を感じる樹木。

 それだけでこれがまともでない、植物も動物も超越した存在であることが分かる。

 ひなたは何度目かも分からない、神託の授受を行った。

 神樹がひなたに言葉を伝える―――その前に。

 

 神樹が、神樹の一部に微かに残っていた言葉を、ひなたに伝えた。

 それはひなたを通し、ある少年に伝えられることを望まれた言葉だった。

 

『オレはお前に助けられてない。

 オレ自身はお前に恩なんてない。

 だけどな、御守。

 お前に何かされてなくても、お前を命懸けで助けるやつがいてもいいと思わないか』

 

 聞き覚えのある声だった。

 声だけが残された、遺言だった。

 

『人を助けるってそういうことなんだろうな。

 乃木ちゃんやパイセンなら、知ってたのかな、これ。

 お前にとっては、無数の助けた人の一人かもしれないが……

 オレにとっては、この世でたった一人の、大切な弟だったんだ。

 死にたくなかったけど、まあ、命を懸ける理由は……オレにはあったんだよ』

 

 神樹の中に溶けて消える前に、海人が最後に遺した想い。

 

『御守、頑張れ。楽になれるところに辿り着くまで、頑張れ。

 お前は、さ……

 オレと違って、力がない頃から、人を助けて幸せにしてくれるやつだったんだから』

 

 伝えなければ、とひなたは思う。

 神樹の神託の前に渡された、この最後の想いを彼に届けなければ、と決意する。

 ありがとう鷲尾さん、とひなたは言おうとして、唇が震えた。

 何も、何も、言えなかった。

 こぼれそうになる涙を、神樹の前で必死に止めた。

 

 ウルトラマンが一人減って状況が悪化したとか、無駄死にとか、大侵攻が絶望的だとか、そういった大社の者達が気にしている悲しみと絶望の原因は、ひなたの頭の中に一つもなくて。

 

 ただ、よく知る人が死んでしまったことが、悲しかった。

 

 

 

 

 

 海人の死に特にダメージを受けたのは三人。

 海人の相棒である大地と、他人の気持ちを慮れる――他人の行動の理由を想像できる――友奈と竜胆の三人だ。

 

 大地はひたすら巻藁を殴り、蹴っていた。

 彼は鍛錬の男だ。

 鍛錬が無駄にならないことを知っている。

 激情は他人にぶつけるものではなく、鍛錬にぶつけるものだと自分を戒めている。

 

 彼は一番大人に近い年齢だ。

 ゆえに、自分一人で感情を処理することにも慣れているようだ。

 朝から晩まで鍛錬を行う日常と、大切な人が死んだ後に感情をぶつける鍛錬を、同じルーチンでこなし、湧き上がる感情を自省的に処理していく。

 

「カイト……」

 

 それでも、巻藁を殴る力、蹴る力が、普段よりずっと強いのは、気のせいではないだろう。

 

 三ノ輪大地は鍛錬の男だ。

 三歳の時には、近所の道場に遊びに行っていた。

 五歳の頃から、ずっと柔術を教えてもらってきた。

 六歳の頃から、大小あれど鍛錬を欠かした日は一度もない。

 髪を染めるようになってからも、近所の陽気な不良達に酒の味を教わって不良の仲間入りを果たしてからも、ウルトラマンになってからも、ずっとずっと鍛錬してきた。

 

 そんな男の拳でも、守れないものはとても多い。

 守れなかったという無力感は、大地が頑張ってきた過去に"無駄だったんじゃないか"という小さな疑問を抱かせる。

 ゼブブの嘲笑う声が、大地の耳に今でも残っていた。

 運命の配役で言うならば、タケミカヅチに無力を嘲笑われる、タケミナカタの構図。

 

「……お前が死に、意味も無かったとしても。お前が生きていたことは、無駄にしない」

 

 海人の死が、何の結果に繋がらなかったとしても。

 

「死の瞬間が、人の全てじゃない。ワシに任せて、安らかに眠ってろ」

 

 死の瞬間だけで人の価値全ては語れない。

 死の瞬間だけ無価値、無意味、それがどうしたのか。

 鷲尾海人は生きていたのだ。

 無駄死にしようが、それは何も変わらない。三ノ輪大地は、そう思う。

 

 皆が皆、各々の形で海人の死と向き合っていく。

 

 杏は悲しみ、海人が映っている皆の集合写真を抱きしめた。

 若葉は海人の仇を取るべく、大地と同じように、ひたすら鍛錬に打ち込んだ。

 海人と仲が悪かった千景は何も言わず、無言のまま、空を見上げた。

 

 他人の気持ちを慮れる――他人の行動の理由を想像できる――友奈と竜胆の二人は、海人の選択の理由が分かってしまう。

 ゆえに、自分を責めてしまっていた。

 

 海人が最後にあの選択を選んだのは、竜胆が過去に人を助けていたからであり、友奈が海人に勇気をくれていたからである。

 海人は竜胆のせい、友奈のせい、だなんて言葉は文字通り死んでも言わない男だった。

 だが、伝わるものは伝わっている。

 海人が竜胆や友奈を助けたかったからああした、ということを理解できないほど、竜胆も友奈も鈍感ではない。

 

 動機は竜胆が与え、勇気は友奈が与え、だからこそ自己犠牲から程遠い鷲尾海人という少年は、ああいう風に死んでいったのだ。

 

 竜胆と友奈は自分を責めながら、悩み、苦しみ、それでも立ち上がる。

 友奈は、分かりたくはなかった。

 "自分のためにアナスタシアが死んだ時のひなたの気持ち"など、分かりたくはなかった。

 でも、分かってしまった。

 彼の死に際に、それを感じてしまった。

 

 竜胆は、分かりたくはなかった。

 "家族の恩人のために命をかけて結局死ぬ者の気持ち"など、分かりたくはなかった。

 でも、分かってしまった。

 アナスタシアとの触れ合いで、妹への暖かな想いを明確に取り戻した竜胆は、その気持ちを理解できてしまった。

 

 

 

 

 

 竜胆が、夜の丸亀城を歩いている。

 月明かりが窓から差し込む、明るい夜だった。

 竜胆の目は、城の中がいくら暗くてもよく見える。

 

 闇を喰らい、闇の中に生きてきた三年間は、竜胆の肉体を相応に変質させ、今も竜胆を助けてくれていた。

 当たり前のように、夜闇の中でも視界は利く。

 だから竜胆は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ようになっていたことに、自覚を持てていなかった。

 

(杏あたりはもう寝てるかな、それとも、夜更かしして本でも読んでるかな)

 

 特に意味もなく、城の中を歩く。

 じっとしていられないのは、海人の件で心が少しざわめいているからだろうか。

 あてもなく歩く竜胆がその時、教室に落ちる月明かりに、影を見た。

 

(友奈)

 

 月明かりが差し込む教室に、友奈が居た。

 牛鬼を膝の上に乗せて撫でている。

 その視線は空の星を見上げていた。

 

 四国から見える空は、全て神樹が作った作り物だ。

 それでも空の星を見上げるのは―――"空の星になった人"に、思いを馳せているからか。

 

 友奈の死を悼む表情は、分かりやすい。

 それは普段の彼女が努めて笑顔であろうとしているから、いつも周りに笑顔を見せようとしているからだろう。

 友奈は空の星に、死した仲間達を見ていた。

 牛鬼が心地良さそうに声を漏らして、友奈が竜胆の存在に気付く。

 

「あれ?」

 

「よう、こんばんわ」

 

「リュウくん……」

 

 月光の中に友奈が居て、夜闇の中に竜胆がいる。

 月明かりに照らされる儚げな友奈を見て、竜胆は"綺麗だ"と思った。

 夜闇が似合う竜胆のしっかりした立ち姿に、友奈は"頼りがい"を感じた。

 竜胆が友奈に歩み寄り、闇の中から光の中へと進む。

 

「こんな時間に、どうしたの? リュウくんは夜に出歩いてるイメージなかったな」

 

「ひーちゃんに呼び出されてな。部屋でちょっと話してた」

 

「こんな時間に? ひなたちゃんの部屋で?」

 

「若ちゃんもいたぞ」

 

「こんな時間に? ひなたちゃんの部屋に?」

 

「……言われてみりゃそうだな。

 電気消えてたら、話しながら一緒に部屋で寝てんのかも。

 帰り際に窓とか見て、電気点いてるかだけチラっと見てみるか」

 

「こんな時間に? ひなたちゃんの部屋を?」

 

「……あれ、見るのマズいか。マズいかもな。デリカシー無い?」

 

「無いですねー」

 

「そうだなあ、女の子の部屋だし」

 

「うんうん。それで、どんな話をしてたの?」

 

 月明かりの下、遠くは見えない、月光だけが頼りの少し幻想的な世界。

 

 教室という日常の場所に、少しだけ差し込む非日常。

 

 二人だけのおしゃべりで、二人きりの密会だった。

 

「ひーちゃんは、伝言を伝えてくれたんだ」

 

「伝言?」

 

「友達からの、大事な伝言だ」

 

 海人の伝言は、ヒナタを通じて、確かに竜胆に伝えられた。

 

(ひーちゃんに

 『あの時人助けしなければよかった、だなんて、絶対に思わないでください』

 って言われちった。……地味にぐらっときた。心のどこかで思ってたんだな、俺)

 

 ひなたの大事な釘刺しと一緒に。彼女の忠告は、竜胆に本当によく刺さる。

 

(海人先輩の伝言、受け取った。もっと強く……強くなって、守らないとな)

 

 牛鬼を撫でている友奈が、ここにいる。

 鷲尾海人の家族が、まだ四国に生きている。

 海人が守りたかったものが―――竜胆が守らねばならないものが、まだ残っている。

 

(海人先輩の守りたかった人達は、まだこの世界に生きてるんだ)

 

 そんな竜胆を見て、牛鬼が何かを思って鳴き、友奈は微笑んでいた。

 

「明日、晴れるといいね」

 

「そうだな」

 

 なんでもないことを、二人で話した。

 

「友奈、体は大丈夫か?」

 

「うん。リュウくんは?」

 

「まあ、皆が知ってる以上の不調はないな。一番治りやすいしさ」

 

 竜胆は、海人の遺言を受け取ったことを友奈に言わなかった。

 友奈も竜胆も、海人のことを話題に出さなかった。

 海人の名前を避け、そこに触れないようにしている。

 

「友奈、珍しい色合いの桜の髪飾り付けてるな」

 

「あ、うん。昔ね、貰ったんだ」

 

「貰い物なのか」

 

「商店街のくじ引きで当てたけど自分は使わないから、って言われてね。似合ってる?」

 

「ああ、似合ってるよ。桜は桜でも……友奈の髪っぽい色だな」

 

「花札の桜なんだって」

 

 それは、海人のことを話したくないから、ということではなく。

 海人のことを思い出したくないから、ということでもなく。

 海人のことが嫌いだから、ということでもなく。

 

「あれ、リュウくん、変なところにマメ出来てるね?」

 

「お前本当に他人をよく見てんなあ……

 杏と同じ射撃練習器具借りてきて、今練習してるんだ。

 今まで格闘ばっかだったから、遠距離攻撃の精度をもっと上げようかなって」

 

「ふーん」

 

 単に二人は、"海人の名前を出していないだけ"だ。

 

「もう七月。こんな夏だと、海とか行きたいよね」

 

「いいな、海。楽しそうだ。皆で行きたいな」

 

「そうだね、皆で……」

 

 友奈と竜胆であれば。

 相手の気持ちが分かる、二人であるならば。

 海人の名前を出さないまま、海人のことを語らないまま、海人との想い出を言葉に滲ませ、死した彼へと思いを馳せることができる。

 

「友奈は一人っ子なのか」

 

「リュウくんは……あ、ごめんね」

 

「いいんだよ、気にすんな。今は一人っ子みたいなもんだ」

 

「兄弟って、どんな感じなのかな」

 

「さあな。大地先輩に聞いてみるか?」

 

「あの人は兄弟いるもんね。

 兄弟姉妹がいると、やっぱり負けられない気持ちが強くなるのかな」

 

「少なくとも俺はそうだぞ」

 

「……そうだったね。アナちゃんも、大事にされてたもんね。

 あー、私も妹になってみたいな、一回くらい。世話焼きなお姉ちゃんが欲しい」

 

「世話焼きなお兄ちゃんならここにいるぞ。

 家事はほとんどできないが、愛ならある! さあ来い!」

 

「おにいちゃーん!」

 

「妹よ!」

 

「……あはははっ! なんだか、今ちょっと楽しかったな」

 

「友奈は意外と妹キャラ合ってんのかもな」

 

「でも、相手がリュウくんなら、妹になるのはやだなあ」

 

「えっ」

 

「変な意味じゃないよ。

 リュウくんは、妹を背中で守るかもしれない。

 でも、安心して妹と背中を預け合うことはしないかなって思うんだ」

 

「……ああ、そりゃ、あるかもな」

 

「"妹止まり"じゃ、リュウくんの背中は守れないから。やっぱり戦友が一番だよね?」

 

「そうだな。妹に命は預けないが、戦友には命を預ける。その通りだ」

 

 二人は笑う。

 今、この教室が、月光に照らされ少し非現実的な空気に満ちているからだろうか。

 直接名前を出すのが無粋、というような空気が流れている。

 海人の名前を出さなくても、二人の心が一つになって、同じ人を想っていられる。

 

 "通じ合っている実感"が、なんだかむず痒いが、楽しい。

 一から十まで言わなくても、意思の疎通に齟齬がない。

 一を言えば、相手が十を分かってくれるひととき。

 こんな時間がいつまでも続けばいい、と、二人は揃って思っていた。

 

「私、ね」

 

 それが、友奈の口を滑らせた。弱音のような言葉が、友奈の口から漏れる。

 

「そんなに好かれること、してないはずなんだ」

 

 それが海人の友奈に対する熱狂的な好意を指しての言葉であることを、竜胆は察する。

 

「そう思ってるのは友奈だけかもしれない。友奈は周りに優しいからな」

 

「自分をあんまり出してないだけだよ」

 

 月明かりの角度の問題か、その時の友奈の表情は、いつもより少し暗く見えた。

 

「聞き上手、気遣い屋、なんて言われるけどね。

 本当は、強く自己主張できないだけなんだ。

 喧嘩したくないから。他の人と争いたくないから。

 自分を出さないようにして、周りに合わせて、自分を出して喧嘩になるのが怖くて……」

 

「ああ、お前は、そういう印象あるよ」

 

「……他人に好かれると、自分が好かれる理由が、全然分からないんだ」

 

「お前に分からないことでも、他人に分かることはある。

 勉強とかと同じだろ? その理由は、友奈以外の人はちゃんと分かってるもんなんだよ」

 

「……」

 

「友奈は、自分をもっと出したいのか? 自分のことをもっと知って欲しいのか?」

 

「……うん。リュウくんも、私のことはあんまり知らないもんね」

 

「いいや、それには断固反論させてもらう」

 

「え?」

 

「俺はお前の友人として、お前のことをよく知ってると主張させてもらう」

 

 友奈が、とても珍しい表情を見せた。

 それは、意地になっている男の子を見る、九割の呆れと一割の好感で出来た苦笑だった。

 

「私の血液型も知らないくせに」

 

「A型だろ」

 

「……え? なんで知ってるの?」

 

「もう誰にも死んでほしくない。

 ずっと、そう思ってる。

 そんなら最後の手段だが、"輸血"は絶対に欠かせない要素だろ。

 俺の血液型と合う奴、合わない奴、大社に頼んで教えてもらってたんだ」

 

「……ふふっ、リュウくんらしいね」

 

 少しでも仲間が助かる可能性を高められるなら、竜胆は何でもやる。何でも調べる。

 竜胆の知力はとても低い。

 直球で言えば頭が悪い。

 だが、考えることで手を抜いたことは一度もない。

 考えることでは仲間を頼り、自分でも考え、彼はいつも懸命に頑張っていた。

 

「もっとも、俺は体の変異があるからな……

 輸血には使える、って血液検査で結果は出たけど、不安はある。

 俺みたいな奴の血は汚そうだって嫌がる奴もいるだろうしなぁ」

 

「リュウくんの血が汚いなんて誰も言わないよ。ううん、私が誰にも言わせない」

 

 言い切る友奈に、竜胆は嬉しそうに笑んだ。

 

「個人的な私見を述べさせてもらうとだな。

 杏A型、ちーちゃんA型、友奈A型、若ちゃんA型ってなんだこれって思ったぞ俺」

 

「あははっ」

 

「今いる勇者全員A型で、俺の血液型もA型。大地先輩もA型なんだよなあ……」

 

「私達、誰かが"そう"なっても、お互いに輸血して助け合えるんだね」

 

「ああ、そうだ。

 友奈は一人じゃない。

 皆、友奈と一緒だ。皆、友奈と同じだ。

 出せない自分なんていくらでもあって、皆に見せてる自分もたくさんある」

 

 友奈は優しすぎる。

 だから自分を前に出していけない。

 自分の意見よりも相手の意見を優先してしまう。

 言いたいけど言えないことがある、という苦悩が、友奈の中にはあって。

 

 海人は内気だった。

 だから自分を前に出していけなかった。

 死者を想い、『ありがとう』すら伝えられなかったことを悔やんでいた。

 言いたかったのに言えなかった、という後悔が、海人の中にはあった。

 

 竜胆は、友奈と海人の関係性を外側から見ていたから、そんな二人の性情と関係性を感覚的に理解していた。

 内気ゆえに自分を"出せなかった"海人は、優しいがために自分を"出さなかった"友奈の眩しい笑顔に、何を感じていたのだろうか。

 竜胆は、海人から友奈に向けられたそれは、きっと『憧れ』なのだと思う。

 

(多分、だからこそ、海人先輩は……)

 

 鷲尾海人にとって、友奈が『光』であったことに、とことん美化されるようになったことに、理由はあったのだ。きっと。

 

 竜胆は、この点においては海人の後継者になれない。

 海人のように、友奈のファンにはなれない。

 海人のそのスタンスを継ぐことはできない。

 竜胆は、友奈の友達だから。

 

 "自分のことを友達にもっと知ってほしい"と思っている、一人の女の子の理解者だから。

 高嶋友奈を、偶像(アイドル)とは思えない。

 

「じゃあまず自己紹介から。俺は御守竜胆。血液型はA型。

 好きな食べ物は、今はうどん。

 好きな漫画はスポーツ漫画とかバトル漫画。……高嶋友奈の、友達だ」

 

 急に自分のことを語り始めた竜胆に、友奈は思わず、くすっと嬉しそうに微笑んだ。

 

「知ってる」

 

 友奈が、他人に気を使って自分をあまり出せない子であるのなら。

 

 彼女が自分を出せるよう、先に自分のことを話すのが、友達の役目である。

 

「お前のことも、もっと教えてくれ。友奈」

 

 これはきっと、始点にすぎない。

 

「私は高嶋友奈。山桜の勇者。リュウくんと同じA型だよ。

 出身は四国じゃなくて奈良。

 大社の人が、神様の土地って言ってたりするところだね。

 子供の頃は自然の中や、神社で遊んだり、神社のお掃除とかしてたんだ。

 趣味は武道で、よく格闘技のビデオを見てたりするかな。

 好きなものは格闘技のTVとか、うどんとか、それから、みんなのことがとっても―――」

 

  友奈は若葉、千景、ひなた、杏と、他の友達にも、これからもっと多く自分のことを話し、それをきっかけにまた絆を深めていくはずだ。

 友奈もまた、一歩を踏み出した。

 

 竜胆はいつも友奈に勇気を貰っている。

 けれどもこの時は、竜胆が友奈の背中を押し、彼女に勇気をあげていた。

 明日からは、友奈も時には、自分のことを友達に知ってもらおうとしていくことだろう。

 

 海人の死は傷を残した。

 竜胆も友奈も、"自分のせいで"という思いを拭いきれていない。

 友奈が漏らした弱音は、友奈の心に付いた傷から漏れたもの。

 海人一人だけではなく、多くの仲間達の死が付けた傷から漏れたもの。

 友達との語り合いは、友奈の心に付いた無数の傷を、ほんの少しだけ癒やしてくれる。

 

 友奈に撫でられている牛鬼が、そんな二人をじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 竜胆や友奈が見ていた月と同じ月を、その時千景も見上げていた。

 皆、同じ空の下でそれぞれの人生を生きている。

 千景は小難しいことが書いてある本を閉じ、眉間を揉んだ。

 思いを馳せるのは、友奈と竜胆のこと。

 

 こいついっつも友奈か竜胆のこと考えてんな。

 

(あの二人は、私が何かしなくても、きっと立ち上がる。だけど)

 

 海人の死が、大地、友奈、竜胆の心に特にダメージを与えたことは、千景も分かっている。

 

(辛さは、痛みは、そのまま残る。何かしてあげたい)

 

 何かをしてあげたい、とは思うが、何をすればいいのか。自分に何ができるのか。その一点で、千景は悩みに悩んでしまう。

 抱きしめてあげたい、なんて千景は思うが、それでは何も解決しない。

 竜胆と友奈はそれでも救われた気持ちになるだろう。

 心の傷も少し塞がり、気力も全回復するに違いない。

 そして千景にいい笑顔で「ありがとう」と言い、千景はとても嬉しい気持ちになるのだ。

 

 けれど、それで終わりだ。

 間近に迫る絶望は変わらずそこにあり、ティガと友奈の苦痛は続く。

 千景が二人を本当に救いたいのであれば―――()()()()()()()()()()()()

 

(私は、あの二人に何度も助けられてきたから……

 ……私と違って、仲間が死ぬ度に、死にそうなくらい辛い想いをしてるから。

 辛い想いをしてる二人に、これ以上重荷は背負わせられない。

 あの二人に、これ以上辛い想いをしてほしくない。

 私は……私は、あの二人に……報われてほしいから……だから……)

 

 もうひと頑張りしよう、と、千景は小難しいことが書いてある本を再度開いた。

 

(死にたくないし、死ねない。

 鷲尾さんみたいに、死ねない。

 友達を悲しませたくないから、私は死ねない。

 死なないで……生きて……二人と、皆と一緒に、生きていくんだ……!)

 

 奇跡の種は、どこに転がっているか分からない。

 けれども、それを探さない者にそれを見つけることはできない。

 奇跡の種を探し求める人間の前に、それは転がり落ちてくる。

 

(私にできること……それは……)

 

 千景は、奇跡を探す黙読を継続した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もはや大侵攻の戦力を削る、などと夢見がちなことを言っていられる段階は過ぎた。

 迂闊に攻めればブルトンの空間歪曲に絡め取られ、投入した人類戦力はそのまま潰される。

 海人の死から数日が経った今、大社は"二週間後の大侵攻迎撃に全てを懸ける"決断をした。

 

 地震対策、竜巻対策など、神樹に調整を施し樹海に様々な属性を後付けする。

 今回の大侵攻は、あまりにも災害級の能力が多い。

 気休め程度でも対策をしておかなければ、樹海の崩壊と四国の壊滅は目に見えていた。

 

 亜型十二星座になる前から、各十二星座は災害に類する能力持ちが多い。

 よって、地震を初めとするいくつかの能力に対しては、樹海に以前から耐性が備えられていたということだけは、不幸中の幸いだった。

 

 よって今回の最大の調整は、『メタフィールドの強化効果を残しつつ』、『樹海化という四国防御機構を極限までカットする』というものになる。

 

 ブルトンは、一言で言えば四国結界特攻である存在だ。

 どれもこれもと欲張れば、四国結界は必ず破綻する。

 ゆえに大社は樹海化という守りを捨て、巨人と勇者を強化するメタフィールド効果という攻めだけは、何がなんでも残そうと考えた。

 その調整が上手く行けば、大侵攻時の戦いは、メタフィールドの強化を受けながら四国結界内での市街地戦となるだろう。

 

 それは、何万人、何十万人という死人が街に出ることを前提とした、捨て身の策であった。

 

 大社と神樹の合意の上で行われている調整とはいえ、それほどまでに大規模な調整だ。

 大社の大半は休日すら取れない急ピッチの作業になるだろう。

 また四国全域で避難誘導が始まるなら、そこの負担も相当なものになる。

 だが、大社はやる。

 何人犠牲が出ようが、どれだけ負担がかかろうが、止まらない。

 やらなければ滅びる。

 やらなければ全員死ぬ。

 だからやる。

 それだけだ。

 

 それを大地と竜胆に伝えたのもまた、正樹圭吾、その人であった。

 

「正気ですか……!?」

 

 竜胆は、一般市民に出る被害を想像し、声を張り上げた。

 大地は、とても偉い立場にいる正樹が使いの者を出さずに自分一人で伝えに来たことに、彼なりの不器用な誠意を感じた。

 そして、正樹は犠牲を許容していても、竜胆と大地は全く許容していなかった。

 

「どれだけ死ぬと思ってるんですか!

 あの数と、あの質です!

 守りきれないとかそういうレベルじゃない! 人と街が何割残るかも分からない!」

 

「だろうな」

 

「―――っ」

 

「私は……鷲尾一人を犠牲にするのも、何万人犠牲にするのも、同じだと思っている」

 

「おい……おいっ!」

 

「鷲尾に、ブルトンを倒して死ねと無理強いしたのは私だ」

 

「―――!?」

 

「必要な犠牲、尊い犠牲だ。

 ……勇者とウルトラマンだけに犠牲を強いるつもりなどない。全ては勝つためだ!」

 

「死んだ人は! そんな理屈じゃ納得しないでしょう!」

 

 竜胆が正樹に掴みかかる。

 その目には、確かな怒りがあった。

 正樹の目が竜胆を捉える。

 その目にも、僅かな怒りが見えた。

 

「黙れ、御守」

 

「っ」

 

「お前が言うのか? お前に殺された人間の、誰が納得しているというんだ」

 

「―――」

 

「私は、今の地位に上り詰める前は、お前の過去の罪に関する工作をしていた。

 お前の罪を軽く見せ、世論を少しはお前に同情的なものに変える工作を、だ。

 私は、お前に殺された罪のない人は、さぞ無念だっただろうと思っている。

 お前に同情するところが多々あろうと、殺した現実に変わりはない。

 だからお前が嫌いだ。

 だが、だがな。

 人類にはお前が必要だった。これまでも、これからも。

 だから私は……()()()()()()()()()()()()()()()()()()と割り切って、お前を許した」

 

 その言葉は。

 今も自分を許していない竜胆には、言ってはならない言葉だった。

 必要な犠牲なんて言葉は、使ってはならなかった。

 竜胆が正樹の襟首を掴む力が、グンと増す。

 

「あんたはっ! 鷲尾先輩を死なせて、その上、あの人達まで―――!」

 

「必要な犠牲だった! 尊い犠牲だった!

 それを無駄にして……世界を終わらせてなるものか!

 何がなんでも、何を犠牲にしてでも、勝たなければ!

 先に死んでいった土居は、鷲尾は、何のために……!」

 

「分かる! 俺だってそれは分かる!

 だけどそれと、『これから意図的に沢山の犠牲を出す』ことは話が別だ!

 人が死んで得た悲しみで、人を守る決意を固めるのはいい!

 けれど、人が死んで得た悲しみを理由に、もっと人を死なせようとしてどうするんだ!」

 

「……勝てないのなら、全ての綺麗事は無意味だ!

 最悪のリスクを前提にティガダークを投入したのも、綺麗事を捨てて、勝つためだ!」

 

「……!」

 

「本当は……お前など……受け入れたくはなかった……!

 ウルトラマン達に謂れなき悪評を与えたお前など……!」

 

 身長180を超え筋肉もしっかり付いている竜胆に、襟首を掴み上げられ、その迫力に押されても、正樹は微塵も怯まない。

 

「最初は外国にいたボブやシェパードとは違う。

 鷲尾と三ノ輪は、最初から日本だった。

 ウルトラマンへのバッシングが最悪に濃厚だった日本から始めた。

 二人は悪評しかない状況から始め……ずっと、ずっと、戦ってきたんだ」

 

「……それ、は」

 

「悪評の原因は、お前だ……!

 そして、私は……

 大社に入って、地位を得ていったくせに……

 権力を使って二人を守ることすらできなかった、貴様と同類の最悪だ……!」

 

 正樹圭吾には、"世界と全体の人々の生存のためには家族ですら生贄に捧げられる"性質と、大切な人の喪失に苦痛と悲嘆と絶望を覚える当たり前の性質が同居している。

 それは、この時代の『大社』においては少数派の性質であり。

 アナスタシアが見た未来の、三百年後の『大赦』においては多数派である性質だった。

 

 ティガダークが生んだウルトラマンへの悪評から、ガイアとアグルを守りたかった。

 死んでいった鷲尾海人に、心底敬意を抱いていた。

 海人が断れるような頼み方で、海人に自己犠牲を頼んでいた。

 その全ては、矛盾しない。

 

「鷲尾のことで責められるべきだと言うなら、甘んじて受け入れてやる。

 だが!

 私と同じ、あいつを苦しめた側の貴様にだけは、何も言われたくない!」

 

 死なせたくない人間を生贄にしてでも全体を守ろうとする思考と、自分を含めた"三ノ輪と鷲尾を苦しめた人間"全てを嫌う思考は、矛盾しない。

 

「一般人を犠牲にすることに関して―――貴様にとやかく言われたくはない!」

 

「……そう、だよな」

 

 竜胆が正樹の襟首を掴む力は、いつしか緩んでいた。

 

「……御守、お前が、最初からずっとそう在れるウルトラマンであれば……」

 

「え?」

 

「何でもない。全ては納得してもらう。

 これから先、四国の大被害を前提とした大侵攻の迎撃も、だ」

 

  正樹は望んでアグルという犠牲を出しつつ、更に一般市民の途方もない犠牲も出そうという、見方によっては最悪の邪悪のような主張をしていた。

 それを"この状況じゃ仕方ない"と思う者もいるだろう。

 "ふざけるな"と思う者もいるだろう。

 竜胆は後者だった。

 後者だったが……自分を責めるように竜胆を責める正樹の姿を、竜胆の目は、単純な悪として見ることができなかった。

 

「私の命令を聞け、強要されろ。

 ……お前達は言われた通りにしただけで、それをしても、何も悪くはないんだ」

 

「……あんた、まさか」

 

 勇者が、ウルトラマンが、「四国の人間を犠牲にしてもいいから、樹海化をカットしてメタフィールドの強化だけ残して」なんて言えるだろうか?

 言えない。

 無理だ。

 そんなこと、提案どころか考慮することだってできないだろう。

 

 だからこそ必要だった。

 そんな最悪の作戦を、勇者とウルトラマンに強要する人間が。

 自覚的にそう在れる人間が必要だった。

 

 善き人間が善意の手段だけを選んでいては勝ち目なんてまるで見えない状況で、ほんの僅かでも勝ち目を作る、最低最悪の人間が必要だった。

 

 それでしか勝てないのなら。正樹は、犠牲を前提に、それを強要する。

 ()()()()()()()()()()()

 それは、可能性レベルの話であれば、大社の基軸として据えられ、何百年と続く組織の基本思考になるかもしれないほどに、この世界の状況とマッチした合理の思考だった。

 

「お前のせいで……私のせいで……だから、私は……」

 

 アグルのことを納得しながら――悔いながら――次の犠牲を出そうとする正樹に、竜胆は何も言えない。

 言うべきなのに言えない。

 されど、何も言えない竜胆の代わりに、横合いから大地が正樹の顔を思い切りぶん殴った。

 

「!?」

 

「御守、殴るべき時には、ちゃんと殴ってやれ。()()()()()()()なら、尚更に」

 

 殴られて、正樹が吹っ飛ぶ。

 頬が腫れ上がるほどの一撃だったにも関わらず、正樹は微塵も怒らない。

 尻もちをついた正樹は、それが当然だと言わんばかりの目で大地を見ている。

 

「自分を責めてりゃ他人を責めてもいい、なんてことはない。

 竜胆も責めるな。自分も責めるな。正樹先輩、あんたを責めるのはワシだ」

 

「三ノ輪……」

 

「ワシは、あんたは高校の時から全く変わってないと思ったんだがなあ」

 

 戦士を犠牲にして世界を守る大社と、自分が犠牲になってもいいから世界を守れと大社に望む戦士の、奇矯な関係性。

 

「あんたなら……ワシを捨て駒にしてでも、世界を守ってくれると信じてた」

 

「っ」

 

「まさか、ワシを生かそうとしてカイトを犠牲にしたとはな。失望した」

 

 正樹には、一つだけ、絶対的に責められるべき点がある。

 それは、大社としてどんなものでも犠牲にできる彼が、ブルトンを倒すための特攻要員の候補から、友である大地を露骨に外していたことだった。

 

 信用できる特攻要員なら、振り絞らなければ勇気が出せない海人より、平然と自分の命を懸けられる大地の方がずっと向いているに決まっている。

 海人がブルトン打倒に費やされたことを知った時点で、大地は正樹が"私情を挟んだ"ことを察していたのだ。

 

 正樹は、大地を死なせたくない。

 大地は、仲間が死ぬくらいなら自分が死ぬ。

 ゆえにこそ、正樹の選択を大地は許せない。

 何故カイトではなくワシに言わなかった、という怒りが湧き上がっていく。

 けれども。

 

「だけど、その選択を選んだのはカイトじゃ。あんたじゃない」

 

 大地は、正樹が鷲尾に"死ね"と強要できない男であることを知っていたし、海人が他人から強要された決死行などしない男であることを、知っていた。

 結局のところ、海人を殺したのはバーテックスであり、死に至らせた海人の選択である。

 

 だから、三ノ輪大地は、正樹圭吾に対してではなく、鷲尾海人に怒っているのだ。

 

「ワシが最悪だと思っとるのは、自分の命を投げ売ったあのカイト(バカ)だけじゃ」

 

 もしも、もしもだが、アグルがあの時、率先して命を投げ売っていなければ。

 全員生き残れたのか、全員死んでいたのか。

 それは誰にも分からない。

 だが、海人の死が、無駄死にと言われるものの一種だったことも事実。

 そして、海人が皆に"生きてほしい"と願ってその選択をしたことも、また事実なのだ。

 

 全て分かった上で、大地は正樹を殴り、海人に怒る。

 それは正樹の友であり、海人の相棒である彼にとっての、"人としてするべきこと"だった。

 

「……すまない」

 

 正樹が謝る。

 

 尻もちをついて、頬を腫らした正樹に、大地は手を差し伸べた。

 

「ここからもう一度、ワシはお前を信じたい。

 正樹先輩、ここからちゃんと、ワシの信頼に応えられるか?

 もしも誰かを犠牲にしなければならない時は、ワシを最初に犠牲にしろ。約束できるか?」

 

 それは、大地らしい言い草であり、同時に正樹に突き立てられた戒めの楔でもあった。

 大地を死なせる手段を、『友情』から選べないのであれば……もはや正樹は、露骨に勇者やウルトラマンを犠牲にする選択を取れなくなる。

 

 正樹は全員が生き残ろうとする考えを否定していない。

 ただ、犠牲無しには勝てないだろう、と確信しているだけで。

 大地は犠牲を前提にした救済を否定していない。

 ただ、自分が生きている限り犠牲は避けたいと、最初の犠牲は自分であるべきだと、そう思っているだけで。

 

 正樹は渋々、本当に厄介な生き方をしている大地の提案を受けた。

 

「……分かった」

 

「グッド。ワシも鼻が高い。あんたの頭の良さは信用しとるからな」

 

 正樹は大地の手を取ろうとする。

 すっと、そこに、もう一本差し伸ばされる手があった。

 大地の横で正樹に手を伸ばす竜胆を見て、正樹はたいそう驚いたようだ。

 

「……いいのか?」

 

「誰かに手を差し伸べるのに、理由は要らない……って、かっこよく言えたらいいんだけどな」

 

 そんな善いこと言える人間じゃないんですよ俺、と、竜胆は苦笑する。

 

 竜胆が、自分を嫌う人間のために手を伸ばすのは、本当にいつものことだったから。

 

「俺の思う正しさと、あなたの思う正しさは、違う。ただそれだけのことだと思うんです」

 

「……御守」

 

 竜胆は正樹の考え方には絶対に賛同できない。

 だが、それと正樹に手を差し伸べることは、竜胆の中では別問題だった。

 

「……」

 

 大地の手と竜胆の手が、正樹の手を掴み、引き起こす。

 

 初めて大社の上層部に、『御守竜胆個人を見てくれる明確な味方』が、出来た瞬間だった。

 

「御守、大社の偉い人じゃ。何かあったらこの人に相談してみるといい」

 

「は、はい」

 

「おい、三ノ輪……まあ、いいか」

 

 正樹はため息を吐き、懐から電子カードを取り出した。

 それを、竜胆の首元の首輪にかざす。

 

「動くなよ」

 

「え?」

 

 ピピピ、と音が鳴り、竜胆の自由な変身を制限していた爆弾首輪が、パッと外れた。

 

「えええっ!?」

 

「前々から大社では"外してやっていいんじゃないか"って声があった。

 ……今の大社の中での君の評価を考えれば、私が独断で外しても問題はない」

 

「え、あ、ありがとうございます。でもいいんですか?」

 

「リスクは私も計算している。君が考えるようなことじゃない。君は自制をすればいいだけだ」

 

 手錠はそのまま、耳の発信器ピアスもそのまま。

 だが首輪がなくなったことは大きい。

 これは竜胆が街中などで自由に変身することを絶対的に封じるもので、これがなければ竜胆は街を歩くことさえ許されてはいなかった。

 市民は、変身可能な竜胆が街を歩けば怯えるし、大社はそういった市民の当たり前の感情や竜胆の危険性を無視することはできなかった。

 

 されど、それも過去形の話。

 今の市民感情であれば、首輪を付けていない竜胆が街を歩くくらいなら、ギリギリ許容されるだろうと、正樹は判断した。

 ……ギリギリ許容されるはずだと、正樹は自分に言い聞かせていた。

 

 ティガに対する抑止力である首輪を、正樹が外したということは。

 三ノ輪大地の友人・正樹圭吾として、ずっとティガダークを嫌っていた彼が。

 クレバーな大社の人間・正樹圭吾として、ティガダークの危険性をずっと考慮していた彼が。

 ウルトラマン達への悪評を見てきた者として、ティガダークを許さなかった彼が。

 ―――竜胆(ティガ)を信じてくれたという、証であった。

 

(この信頼は、裏切れないな)

 

 首輪がなくとも、竜胆は街で人を傷付けることはないと、正樹は信じてくれたのだ。

 

「さて、各々言いたいこと言って、醜態晒したところで、だ。戦いの日の話をしようや」

 

 大地がニッと笑う。

 

 海人が海のように心揺れる男で、外部の圧力に合わせ形を変える心を持つ男なら。

 大地は大地のように心揺らがぬ男で、滅多にその心の形を変えない男であった。

 ドッシリ構えて、二週間後の大侵攻に備えを始める。

 

「ワシらのやるべきことは、『守る』こと。それが全てだと、もう一度思い出そう」

 

 人間としての先輩を大社に持ち、ウルトラマンとしての後輩を仲間に持つ大地は、あの絶望的な敵軍の全てを見た上で、何も諦めてはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてゼットは、苦しんでいた。

 

「ぐっ……うっ……!」

 

 天の神の思うように動かないゼットの命は、刻一刻と祟りに削られている。

 直接逆らっていないというのにこの重圧。

 ゼットですら抗えない、世界の理とは異なる神の理による力。

 神というものが何故恐ろしいのかが、ゼットを見ているだけでよく分かる。

 

「……奴らも、私の同類か」

 

 ゼットが見つめる先では、コダラーとシラリーもまた、祟りに抵抗して苦しんでいた。

 

 体が膨れた水色のトカゲのようなコダラー、首の長い竜のようなシラリーは、星屑を集めて作った怪獣ではない。

 彼らは地球の呼び声に応え、地球の味方として振る舞う存在であり、天の神が生み出したものとは違う『地球の味方』である。

 そういう意味では、ガイアとアグルの怪獣バージョンと言うこともできるだろう。

 

 コダラーは『深海に閉ざされし者』。

 海の底で眠り、地球のSOSを聞けば、立ちどころに地球の敵を倒す者だ。

 シラリーは『天空に追放された者』。

 地球のSOSを聞けば、宇宙の遥か彼方より飛来して敵を倒す、地球の守護者だ。

 

 ゆえにこそ、本来は天の神と敵対する者であり、地球の意志に沿って地球の命を守り戦おうとする怪獣である。

 なればこそ、祟りによって縛られていた。

 

 コダラーが天の神の意に反する行動を取ると、コダラーとシラリーに凄まじい苦痛が与えられ、度が過ぎればシラリーに物理的な害が及ぶ。

 シラリーが天の神の意に反する行動を取ると、コダラーとシラリーに凄まじい苦痛が与えられ、度が過ぎればコダラーに物理的な害が及ぶ。

 仲間を思うなら、人間を滅ぼす行軍に加担しなければならない。

 でなければ片割れが苦しむ。

 地球と敵対せず、されど人類とは敵対する、というのが、元来地球の使徒であるコダラーとシラリーが選んだ選択だった。

 

 祟りとは、その対象に"恐るべき不幸"をもたらすもの。

 仲間と共に戦う者に対し、『仲間を祟りの不幸に巻き込む』という祟りのカタチは、最高最大にして、最低最悪に効果を発揮する。

 一匹狼なゼットには、ゼットに一人に最大の地獄を与える形で発現しているが、この祟りの本来あるべき姿は、コダラーとシラリーに発現しているもののような形なのかもしれない。

 

「親交を持った仲間がいるということは……付け入られる隙があるということだ……」

 

 ゼットはゼットン軍団を道具のように使っているため、正確には仲間と呼べる者はいない。

 軍団を率いている事実が、仲間がいないという事実を際立たせる。

 彼はどこまでも一人で在る。

 なればこそ、この大侵攻によって"一騎打ちなど馬鹿らしい"とばかりに勝利が決まってしまう未来予想に、好感を持てないでいる。

 

 ゼットは苦しむ自分、苦しむコダラー、苦しむシラリーを順繰りに見る。

 死以外に、この祟りから逃れるすべは、無いように思えた。

 

「……負けるな、ウルトラマン、勇者。こんなものに、負けるなッ……!!」

 

 大侵攻の、日は迫る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜胆の首輪は取れたが、あまり顔を晒さない方がいいことには変わりない。

 竜胆は今日もフードを深くに被って、天恐患者のフリをして、空を見ないように街を歩く。

 そんな竜胆を先導するのが、伊予島杏。

 二人は私服で、街を遊び歩いていた。

 

「ここのジェラート、美味しいでしょう?」

 

「ああ、こりゃ美味いな。ベタなバニラでも美味しいって感じるのは相当だ」

 

「タマっち先輩もここ好きだったんだよ」

 

「……ああ、そうなのか」

 

「うん。タマっち先輩なら、りっくん先輩を絶対にここに連れてきたと思うんだ。

 アイスだから冬には連れて来れなかったけど、夏になったから、もういいかなって」

 

「ありがとな、杏」

 

「どういたしまして。さ、次はどこに行く?」

 

 竜胆と杏を遊びに行かせた場合、一見すると牽引力のある竜胆が、引っ込み思案な一面がある杏を引っ張っていくように思える。

 だが実際は、その数奇な生涯のせいで年齢不相応に"遊び"に疎い竜胆が、年齢相応に友達(なかま)と遊びに行っている杏に引っ張られる形になりやすい。

 

 なりやすい、とは言っても、竜胆と杏が二人きりで出かけたことなど、今日までほとんどなかったと言っていい。

 竜胆が甘受しても、杏の方が二人きりというものをちょっと恥ずかしがるからだ。

 なので竜胆はそこに違和感を持ち、杏がいつもの杏らしくない理由に心当たりを見つける。

 

「なあ、俺は、そんなに様子が変に見えたか?」

 

 つまり、"俺は気を使われてるんじゃ"ということだ。

 竜胆は周りを心配させるような振る舞いを自分がしていたのでは、と自分を省みる。

 そして杏が一瞬返答に迷ったのを見て、竜胆はそれを半ば確信していた。

 

「ううん、平気そうに見えるかな」

 

「そうか」

 

「りっくん先輩、無理してない?」

 

「無理はしてないよ。だけど、頑張ってることは否定しない。悲しくないとも言わない」

 

 だが、杏は竜胆が平気そうに見えるという。

 なのに"無理してない?"と聞いてくる。

 杏の返答はちぐはぐだった。

 

「なんで無理してる、なんて思ったんだ? 平気そうに見えるんだろ?」

 

「見える、見えるけど……

 りっくん先輩が辛くないわけない、って思ったから。

 目で見たものと、頭で疑ったものがあって、目で見たものが信じられなくなっちゃって」

 

 感性重視の勇者達の中で、唯一理性重視の杏らしい。

 頭で考えて辿り着いた不安から、竜胆の平然とした振る舞いの中に混じる嘘に、半信半疑ながらも気付いたというわけだ。

 

「私の杞憂ならいいんだ。

 それに越したことはないから。

 私の気のせいだったとしても、気晴らしはやって損になることないと思うしね」

 

 竜胆の心が辛いなら、少しはその癒やしになる。

 そうでないなら、ただ楽しく遊べばいい。

 それだけのことだ。

 

「りっくん先輩が実際に落ち込んでても、そうでなくても、どちらでもよし。

 複数の状況に対応できるように色々考えておくが、戦術……って、本に書いてあったんだよね」

 

「良い考え方だ」

 

「嘘つかないで答えてね。本当に大丈夫?」

 

「杏のその気持ちが嬉しい。それで十分だろ?」

 

「……うん」

 

 "嬉しい"だけでも、伝わるものはある。

 "ありがとう"という感謝と、"気を使わせて悪いな"という謝罪と、匂わせるだけの本音の吐露、そして"大丈夫だ"というメッセージ。

 

 杏の気遣いは正しかった。

 気遣いは優しさであり、竜胆の心に注がれる活力である。

 ケンのように、仲間が死んでも泣かずに踏ん張る強さを見せていた竜胆の心を、杏の想いが支えてくれる。

 

「次はどこに行く?」

 

「本屋に行きたいんだけど、りっくん先輩も付いて来てくれる?」

 

「ああ。本たくさん買うと重いだろ? 俺が持つよ」

 

「ん、ありがとう」

 

 現状、四国はどうしようもない。

 竜胆は毎日欠かさず特訓して自分を磨いているが、焼け石に水としか言えない。

 有効な打開策は一つも上がってこないまま、四国の皆と一緒に死刑台に向けて歩いていくような毎日が、竜胆の精神を僅かずつ擦り減らしていっている。

 

 竜胆の頭が悪いということは、すなわち知識を使った起死回生の策など思いつくことはなく、竜胆は考えても考えても疲れるだけだということだ。

 そんな竜胆の心を、杏の可愛らしい笑顔が癒やしてくれていた。

 

(ん?)

 

 竜胆の感覚が、何かを察知する。

 奇妙な感覚だった。

 それは遠くから聞こえるかすかな集団の足音や、その集団が発する異様な雰囲気。

 竜胆は音と空気だけで、以前見た丸亀城のデモのことを思い出していた。

 

「見つけた!」

 

 やがて、集団から先行していた一人が竜胆達を見つける。

 すると足音の間隔が速まり、早足で集団がやってきた。

 夜の街の隅っこにいそうなアウトローや、少しの大人も混じっていたが、全体的に不良とそうでない中学生~高校生が集まった集団だった。

 俯瞰すると、"学生運動"といった印象を受ける集団。

 ただの学生運動と違うのは、全員が金属バットや木の角材のような、武器を持っていることか。

 

 異様な雰囲気に、武装した市民。

 竜胆はとっさに杏を庇って立ち、杏は恐れを感じながらも声を上げた。

 

「な、なんですか、あなた達は」

 

「勇者だ」

「勇者の伊予島だ」

「ちょっと、邪魔だからどいてくださいよ」

 

「邪魔、って」

 

「おれ達はこれから、悪逆非道の男を排除するんですよ!」

「そいつが来てから、歯が抜けるように皆死んでいったんです!」

「有力な推測があるんですよ! そいつがやったっていう! 証拠もあります!」

「どけ! 御守竜胆を再起不能にしてやるんだ!」

 

「―――!?」

 

 それを、一言で言うのなら。

 

 『パニック』、あるいは『暴動』、あるいは『市民の暴走』と言った。

 

「りっくん先輩は私達の大事な仲間です!

 仲間も、街も、ずっと守ってきてくれました! それは誤解です!」

 

「騙されてるんだ!」

「私達は真実を知っている! 目を覚まして、勇者様!」

「そいつが諸悪の根源だ!」

「バーテックスと何も変わらない! 俺達でそいつの化けの皮を剥いでやるんだ!」

 

 集団が加熱する。

 

 ぱん、と音が鳴った。

 集団の高校生らしき集団が引き金を引いた、ガスガンの音である。

 時速300km以上で飛んだ弾が竜胆に何発も迫るが、奇襲にもかかわらず竜胆は悠々と反応し、余裕を持って全弾を掴み取った。

 

「ちょ、ちょっと、落ち着いてください」

 

「おい、おい、今の」

「ま、マジかよ」

「化物だな……」

「もっと撃て撃て!」

 

 集団が加熱する。

 

 竜胆の人間離れした動きに、民衆は恐怖を抱いた。

 排除しなければ、という生物的本能が励起し、人々を熱狂的に・攻撃的にさせていく。

 次に放たれたガスガンの弾の内いくつかが何故か、杏の方に飛んで行った。

 

(! 熱くなって照準ズレたのか?)

 

 竜胆はとっさに体を割り込ませ、いくつかの弾を掴むが、一発が左目に入ってしまう。

 一時的に、と頭につくが。

 竜胆の左目が、失明した。

 

「っ!」

 

「りっくんせんぱ―――」

 

「前に出るな杏! 皆、冷静じゃない!」

 

 集団が加熱する。

 

 血を見て興奮する、という生物的作用がある。

 それに限らないが、争いをする生物というものは、戦いに関わるきっかけによって精神を攻撃的なものに変容させたり、戦いの中の痛みを和らげる作用を生み出したりする。

 

 竜胆が傷付いたことで、集団は一線を越えた。

 心理学的に言えば、"自分達はまだ誰も傷付けていない"という状況での精神状態と、"自分達はもう他人を傷付けてしまった"という状況での精神状態は、一線を画する。

 知らず知らずの内に、集団は"何もせず帰る"という選択肢を喪失させられていた。

 

 更には、『悪』の象徴と見ている竜胆が痛み苦しむ姿に、感動を覚えた者もいた。

 自分達も戦えるんだ、と。

 悪に太刀打ちすることができるんだ、と。

 

 心理学の世界では『善が報われ悪が苦しむ世界』を、普通の人間はごく自然に求めるということが証明されている。

 例えば何も悪いことをしてないのに苦しんでいる人がいると、「何も悪いことをしてない人が苦しむ世界なんて嫌」「そんなのが現実であってほしくない」「じゃあこの人は悪い人なんだ」と思い、アラ探しを始めるということが、研究によって判明しているのだ。

 

 だから、皆、ある程度の気持ちよさを感じていた。

 悪が苦しんでいる。

 悪が傷付いている。

 因果応報、だから楽しい。だから嬉しい。

 

 人間には同じ人間を攻撃することを忌避する精神の作用もあるが、それは『悪の人間』への攻撃を止めさせるほど大きなものではない。

 正しさを掲げて悪を討つ気持ちよさに勝るものではない。

 それは、歴史が証明している。

 

「病院送りにしてやれ!」

「勇者やウルトラマンがこいつに全滅させられる前に!」

「騙されてる勇者達の代わりに!」

「バカな大社の代わりに!」

「いっそ殺しちまえ!」

「えっ、殺すって……」

「そうだ、殺せ!」

「こいつに殺された人達の仇を取るんだ!」

 

 バットを持った人達が襲いかかってくる。

 竜胆は何十人が相手だろうと、格闘でなら無双できる。

 素人なら四方八方から百人で襲いかかられても、竜胆は容易く制圧可能だろう。

 

 だが。

 竜胆は一般人を怪我させられず。

 竜胆の後ろには守るべき杏がいて。

 集団は全員が金属バットやガスガンなどで武装していて。

 集団の総数は、明らかに百人を超えていた。

 これでは竜胆一人では、文字通りに手が足りない。

 

 竜胆を狙って飛んで来る弾、振り下ろされる木刀、金属バット。

 竜胆は多人数相手でも巧みに受け流していったが、また竜胆の近くにいた杏に流れ弾のように金属バットが行き、竜胆の腕が杏を庇った。

 

「っ」

 

 ビキッ、と音が鳴る。

 竜胆の腕の骨が折れたが、バット越しではそれは分からない。

 バット越しに痛みは伝わらない。

 痛いのはバットで殴られた者だけだから、殴る方にバットで殴ることを躊躇う理由が生まれることはない。

 

 集団が加熱する。

 

 今、彼らは集団の一体感に酔っている。

 そして"人間を殺す悪の怪物へ反撃している"という状況に酔っている。

 "皆で力を合わせて勝つ"気持ちよさに酔っている。

 彼らはずっと虐げられてきた。

 ずっと攻撃されてきた。

 ずっと奪われ続けてきた。

 バーテックスに、地獄の中に落とされ続けてきたのだ。

 なればこそ、"御守竜胆という悪の怪物"に対する攻撃には、多大に"バーテックスという怪物"への憎悪や怒りが混ざり込んでいる。

 

 "人を沢山殺した怪物"を、『皆』は許さない。

 

「やめてっ!」

 

 そんな竜胆を、杏が体を張って守ろうとし。

 竜胆に向けて振り下ろされた金属バットは途中で止まらず、杏に振り下ろされ―――竜胆がそれも庇い、背中で受けた。

 何かが折れたような、音がした。

 

「あぐっ!」

 

「いいから! 私はいいから、だから、りっくん先輩っ……!」

 

「……いいわけねえだろっての」

 

 杏には傷一つ付いていない。

 もはや熱狂の渦は、熱意に動かされた人間を狂気の領域へと踏み入れさせていたが、狂乱の攻撃の一つたりとも、杏にはぶつけられていない。

 守ると言ったなら、守る。

 絶対に守ろうとする。

 約束は絶対に破らない。

 それが、御守竜胆の生き方だ。

 

「な、なあ、これ、いいのかな……」

「よっしゃ! 正義の鉄槌を下したぞ!」

「あの日の高知で、どれだけの人がお前に殺されたか……思い知れ!」

「良い人ぶって仲間を庇えば、僕らが騙されると思ったか!」

「……どれだけ他の人間をバカにして、甘く見てるんだ、お前は!」

「皆お前の本性を知ってるんだよ! 騙されるわけないだろ!」

 

 集団が加熱する。

 

 "仲間を庇うふりをして一般人を騙そうとしている悪辣な悪者の姿"に、集団の怒りは一気に加熱し、竜胆を許さないという気持ちが膨らんだ。

 

「やめて……やめてぇっ!」

 

「やれ、やれ!」

「いいぞ、もっとやれ!」

「殺人鬼がなんでまだのうのうと生きてるんだ!」

 

 杏の声は、皆の叫びに飲み込まれて誰にも届かない。

 バット、鉄パイプ、木刀、角材、ゴルフクラブと、多くのものが竜胆を叩いていく。

 竜胆は杏を抱きしめるように庇い、杏をあらゆる攻撃から守りきっていた。

 人々を守るために頑張ってきた竜胆に、人々は武器を持っての攻撃を返した。

 

(―――ふざけないでよっ!)

 

 杏は懐から端末を取り出す。

 後から何を言われてもいい。

 勇者失格だと言われてもいい。

 けれどもここで何もできないのなら、勇者である意味がないと、そう思った。

 

 変身し、武器を撃ち、全員の肝を冷やしてどかす。

 そう考えて、変身しようとするが……木製バットが端末をかすって、杏の手から落とされてしまった。

 

「痛っ」

 

 変身の前に端末が落ち、竜胆達を囲む集団の足元に落ちていってしまう。

 これでは変身ができない。

 杏は少し訓練をしただけの、ただの女子中学生のままだ。だから、何もできない。

 竜胆が痛みに声を漏らす。

 それが人々の加虐心を加速させる。

 

 集団が加熱する。

 

「なあ、勇者様に当てるのはマズいんじゃ……」

「足を狙え! 足を狙っておけば逃げられなくなるはずだ!」

「いいんだよ、勇者なんて無能の代名詞だろ」

「守ってくれもしないもんな、力を貰ってるくせに」

「こいつ傷すぐ治るんだな……本当にバケモノだ……」

「もっとボコボコにして、潰さないと、こいつには効かないんだ!」

「いいじゃん、勇者とか病院送りにしても。要らないだろ、弱い勇者なんて」

「街にまで攻め入られてたんだもんな」

 

「役立たずな勇者は再起不能になったら勇者が再選されるってウワサ聞いたけど」

「え、マジかよ! じゃあ役立たずは再起不能になってくれた方が得じゃん!」

「大社が勇者の入れ替えやんねーのなんでかって思ってたけどそういうことか」

「ちょ、ちょっと皆落ち着いた方が……」

「私達で大社の後押ししませんとね」

「そうだ、必要なのは最後の一押しだ!」

「戦場で死ぬくらいなら怪我させて病院に詰め込んでおく方が、勇者にとっても幸せだな」

「そうだそうだ! 次の勇者の選考はもっと民意を反映してほしいな」

「強いやつを勇者に据えてくれるなら嬉しいことだし……よし、やろう!」

「四国のために!」

 

 集団が加熱する。

 

「地球は人類自らの手でも守っていかないといけないんだ! そうだろ?」

 

 集団が加熱する。

 

「大社を騙して、猫を被って虎視眈々と虐殺の機会を待っている虐殺者を、排除しよう!」

 

 集団が加熱する。

 

「弱い勇者も病院送りにして、勇者の再考を大社に決断させてみよう」

 

 竜胆は杏に指一本触れさせず、竜胆の体に加速度的に傷が増え、集団が加熱する。

 

「今の体制を変えるんだ!

 このままじゃオレ達皆死ぬかもしれない!

 大社も、勇者も、ウルトラマンも、もう信じられるか!

 何もできずに敵に殺されてってるだけじゃないか!

 このままじゃいけない! 絶対にいけない! 何でもいいから、何か変えるんだ!」

 

 竜胆は攻撃に耐え、中学生と高校生を中心とした集団が加熱する。

 

「本当にさあ」

 

 竜胆を体で庇おうとする杏を抑え、皆に攻撃される竜胆の耳に、その言葉が届く。

 

「クソ野郎と無能しか居ないのかよ、勇者とウルトラマンって。何無駄に死んでんだ、カス」

 

 集団と、竜胆の頭の中と心が、加熱する。

 

 

 

 

 

 騒動は、四国各地で起こっていた。

 大社にて、正樹が大社職員の報告を受けて眉間を揉んでいる。

 

「四国各地で一気に問題噴出とは、どういうことだ?」

 

「分かりません。ただ、原因は分かります。ティガの支持率増加です」

 

「支持率増加?」

 

「ティガはこれまで、当たり前のように責められてきました。

 ティガが悪というのは、多くの人の中で常識だったんです。

 そこにティガを支持する人が現れたことで、人と人の間に軋轢が生じたんです」

 

「……そうか。

 息をするようにティガを罵倒する人と、それに反発する人間に分かれたのか。

 反発は人を時に意固地にさせる。

 ティガ擁護派が出現したことで、ティガ攻撃派が一気に過激な行動に出たんだな」

 

 人間は意外と、"日常"の中ではそこまで過激な行動に出ない。

 その日常に過激さが含まれていなければ、だが。

 ティガを皆で一緒に攻撃していた時は良かった。同じ物を皆で攻撃していた一体感があり、自分よりも下等なものを攻撃するという快楽があった。

 

 だが、そこに反論されるとなれば話が変わってくる。

 気持ちよくティガをバカにしていたような人は、そこに反論されれば不快感を覚え、自分に反論してきた人間に敵意を持つ。

 ティガを擁護する人間に攻撃を始めようとする者もいるだろう。

 更にティガへの敵意を膨らませる者もいるだろう。

 "論争"というものはとにかく、人の負の面を膨れ上がらせる。

 

 なら、その膨れ上がった負の面はどこに行くのか、という話だ。

 集団暴力事件にまで発展したのは香川の一箇所だけだったが、他の場所でもそうなりかねないような酷い論争が発生してしまっていた。

 

 ティガに守られた者は、ティガの擁護を絶対に止めない。

 ティガが嫌いな人は、ティガが邪悪であると言い続ける。

 ならば最後は、口が出るか手が出るかの違いがあるだけで、喧嘩になるしかない。

 そうして刺激されたティガアレルギーの者達の中には、ティガへのイライラを過剰に募らせた者もいるだろう。

 若ければ、そこから短慮にも走りやすい。

 バーテックスなんて欠片も存在しないのに、状況は最悪と言ってよかった。

 

 『ティガを皆が嫌っている』という状況は、見方を変えれば『皆の心が一つになっている』ということだ。

 皆の心が一つになっているということは、仲間割れがなく平和であるということだ。

 竜胆は、かつて自分をリンチしていた人達の姿に、それを見た。

 だがそれももうない。

 四国はひっそりと分裂しつつある。

 

 "彼を信じるかどうか"という一つの問題を投げかけられただけで、人々の意見は真っ二つに割れてしまい、それが相互に悪い影響を与え合ってしまっていた。

 SNSの意見分裂など、もはや見るに堪えないレベルに成り果てている。

 

「待て、情報操作と市民の観測はどうした?

 こんなになるまで気付かなかったのか? ありえないだろう」

 

「無理ですよ正樹さん。オコリンボールに何人殺されたと思ってるんですか」

 

「……そうだったな」

 

「このレベルになると、もう後から焼け石に水みたいな火消しをするしかないです」

 

「それでもどこまでやれるか問題だな……

 根本は『ティガをウルトラマンとして見るか』の市民間意見対立のようなものだ。

 ぶつかって、話をすり合わせて、互いに譲歩するなら良いが……

 今の四国でそれができるかどうか……ティガの擁護派はどのくらいの割合だ?」

 

「3~4割だと思います」

 

「ティガ排斥派が6~7割か。

 ……擁護派が7割を超えたあたりでこの騒動が起きていたなら、大社が後押しできたが。

 間が悪い……いや、違うか。擁護派が三割を超えた時点で、こうなったのは必然なのか?」

 

 正樹は、竜胆達のために大社を辞めていった蛭川が残していった言葉を思い出す。

 

―――まだやっていく気があるなら、覚えておけ正樹。

―――人間はな、"誰が悪いか"でも喧嘩するんだ。

―――"とりあえず他人に攻撃的な意見は攻撃しておく"人間というのもいるんだ。

―――俺、巨人、勇者、大社。"どれが悪いか"で人々の意見はネットでまた別れるだろう。

―――そして"誰が悪いか"という意見をぶつけ合い、互いに殴り合うだろうさ。そういうものだ

 

 今、ティガを責めている者の多くは、ティガを擁護する者まで殺人者扱いし、殺人者の味方をする者もまとめて責めていた。

 

(あなたの言った通りでしたよ、蛭川さん。

 "誰が悪者なのか"で四国は言い争い、喧嘩を始めました。

 バーテックスが悪い。

 ティガは死ね。

 無能は消えろ。

 無責任な言葉が山のように、海のように溢れている。

 それらの言葉に……ウルトラマンを、勇者を、ティガを好きな者が反論している。

 我々が良くも悪くも日本人で良かった。

 こういった時、国を二つに割って争おうとしたりしない人種でよかった。

 他の国の人種なら、国を二つに割っての対立まであったかもしれない……)

 

 かつての竜胆が、光の欠片も無い闇の巨人でありながら、やがて光と闇の入り交じる存在となっていったように。

 四国もまた、ティガに対しては闇そのものと言ってよかったが、今はティガに対し光と闇の入り交じる状態になっていた。

 善とも悪も言い切れず。

 光とも闇とも言い切れない。

 ゆえに、混沌。

 

「正樹さん、どうしますか?」

 

「勇者、巨人の現在位置を把握。

 御守竜胆は発信機で位置を常時特定し、騒ぎが収まるまで城に押し込んでおけ。

 丸亀城の警備人員数を三倍に増員しろ。他部署からいくら人を回してもいい」

 

「はっ」

 

 大社は、事実上、この四国の支配者である……ように、見える。

 

 だが違う。

 

 国の支配者は、いつだって国民だ。

 国民全てが生み出すうねりは、いつの時代も国を統べる者をひっくり返す。

 政府ですらない大社に、今できることは多くなかった。

 

 

 

 

 

 遠い、遠い昔。

 百年前も。

 千年前も。

 三千万年前も。

 人はこう願った。"平和が欲しい"と。

 

 平和を求めた人達は、精一杯頑張った。

 そうして西暦の時代に、色んな国に望まれた平和が訪れた。

 平和な日本を、退屈な日本だと言う者もいるかもしれない。

 だが、その日本で当たり前のように享受されている平和は、いつかどこかで誰かが切望した平和なのだ。

 

 誰もが、それを忘れていた。

 平和であることを当たり前であると思い、自分達の平和を守れなかった戦士には唾を吐き、日常を維持できない政府に悪口雑言を叩きつけた。

 これは特別なことではない。

 当たり前のことだ。

 生物は慣れる。大体のものには慣れる。

 慣れるということは、当たり前のものになるということだ。

 

 スマートフォンがある生活に慣れた人間が、50年前の世界に飛ばされれば、ありとあらゆることに不満を持つのと同じこと。

 人間は慣れた生活を、少しでも損なわれることに不快感を覚える。

 便利な生活も、平和な日常も、奪われれば誰かに文句を言いたくてたまらなくなるのだ。

 

 だから。

 

 "自分達の日常を守ってくれない役立たず"は、怒りと憎悪の対象になる。

 

 皆が平和の価値を忘れていた。

 皆で一丸になり、歯を食いしばって戦って、勝ち取らなければならないものであることを、忘れていた。

 空気と同じで、あって当たり前のものであると思っていた。

 平和すらくれない役立たずに価値はないと、そう考える者すらいた。

 

 彼らは心のどこかで、『平和はいつか戻る』『自分は死なない』と信じている。

 

 戦乱の時代には、誰もが『守られている自覚』を持っていた。

 平和が当たり前のものではなく、奇跡のようなひとときのものであることを知っていた。

 なればこそ、言えることがある。

 

 『僕らの平和は誰かがくれる』と思っている者達は。

 『あいつらが俺達の平和を守るのは義務』と思っている者達は。

 『私達は税金払ってるんだから守られる権利がある』と思っている者達は。

 『平和が欲しいけど特に自分は何もしない』者達は。

 『役立たずは入れ替えろ』と言える者達は。

 

 平和で幸福で自由な世界だからこそ、生まれる人間なのだ。

 

 

 

 

 

 ゆえに、それを見ていたカミーラは、微笑んだ。

 

「ティガ、あなたに、闇の祝福を」

 

 四国内部の騒動と、人の心の闇を煽りながら。

 

 

 

 

 

 カミーラが、四国結界を宇宙から見下ろしながら、たおやかな指を指揮棒(タクト)のように振る。

 

「さあ、もっと煽りなさい、ゾイガー」

 

 すると、四国内部でいくつもの人間が、カミーラの指示通りに動いた。

 

 竜胆が最初の戦いで、多くの人々と共に殺した紫の怪獣、『シビトゾイガー』。

 竜胆はそれを倒した時の記憶も曖昧で、大社にも曖昧な報告しかできていない。

 それが、()()姿()()四国内部で活動を行っていた。

 

 ある者は竜胆を殴り。

 ある者は竜胆の現在位置をネットで公表し、人の動きを煽り。

 ある者は大衆に紛れて竜胆とその仲間を追い詰める話や噂を垂れ流し。

 ある者はネットの論調、世論を操作し。

 ある者は竜胆を殴るふりをして、杏を殴ろうとし、竜胆に庇わせていた。

 

 シビトゾイガーの能力は擬態。

 "食べた人間を高度に模倣しなりすます"がゆえに、最悪足り得る。

 

 あの村での戦いで、竜胆は星屑とシビトゾイガーの全てを片付けた。

 それは確かだ。

 だけど、けれども。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 誰も、そんなことは言っていない。

 シビトゾイガーが居たのは高知だけではなく、それを送り込んだのは天の神ではない。

 

 そもそも、何故……

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 高知でシビトゾイガーが人間になりすましていたのなら。

 他の地域にもそれがいた、と考えるのが自然だ。

 シビトゾイガーは高知のティガダーク出現を受け、高知以外は襲撃せず、潜伏を選んだ。

 誰かを食って、姿・声・記憶を奪い、人間の世界に潜伏したのだ。

 

 天の神ではなく、カミーラによって送り込まれた者として。

 

 あの村でも、シビトゾイガーは竜胆と千景の攻撃を煽っていた。

 竜胆の影響で改心しそうになっていた人を引き止め、竜胆を見て罪悪感で止まりそうになっていた者の背中を押し、竜胆の味方になりそうな者を村のサイクルに引き戻した。

 そうしなければ、竜胆の光に照らされて、皆が改心してしまいそうだったから。

 

 あの村の人間は、シビトゾイガーから見ても、最高に悪質な者が多かった。

 だから煽るのは簡単だっただろう。

 煽って煽って、竜胆が守っている千景にも目をつけて、千景を利用して竜胆を闇に堕とせないかを考慮して……そして。

 ゾイガーはそうやって、竜胆の心の闇を覚醒させ、望み通りにティガダークを生み出した。

 

 全ては、村の悪意を利用した、カミーラの計画通り。

 

 今の四国もそうだ。

 四国全域で見ればシビトゾイガーの数は多くないが、100人の人間に1人のゾイガーが混ざっていれば十分すぎる。

 インターネットの炎上において、炎上を加速させる"積極的な人"は全体の0.5パーセントであるという研究結果も出ている。

 ほんの少しでいいのだ。

 全体の醜悪を煽り、意図的に加速させる、ほんの少しの声でいい。

 それだけで、"大多数の醜悪"を狙った方向に進ませるのには十分すぎる。

 

「ふふっ……感じる、感じるわ、リンドウ。あなたの闇が膨らんでいる。素敵よ」

 

 擬態したシビトゾイガーは人そのもの。

 神樹の感知にすら引っかからないよう、カミーラは細心の注意を払ってやってきた。

 そしてカミーラのゾイガー運用は、極めて的確だったと言える。

 

 勇者やウルトラマンが集められた丸亀城を中心として、香川に多くゾイガーを配置。

 更には人口密集地にもゾイガーを配置し、『集団の意見』を常に調整。

 四年がかりでゆっくり僅かずつ干渉し、カミーラにとって最高の環境、ティガにとって最悪な環境を地道に作り上げてきた。

 全ては、ティガを絶望させ、闇に堕とす、そのためだけに。

 

 大侵攻を前にした今、全ての者に余裕が無いこの瞬間に、カミーラは最悪の一手を打つ。

 誰も竜胆を救えない、竜胆が堕ちるしかない、その瞬間を作るために、カミーラは今日までの全てを積み上げて来たのだ。

 "ここでこそティガを完全な闇に堕とせる"と、カミーラは半ば確信していた。

 

「人間は本当に愚かね。

 誰か一人が暴力を提案した時……

 誰かが"竜胆を殴ろう"と言い出した時……

 誰かが"それはちょっと"と言う前に、"そうだそうだ"と言えばいい」

 

 カミーラは人間を嘲笑(あざけわら)う。

 

「攻撃意見を出して、即座に否定されたなら、それは霞と消える。

 でも、即座に複数人が肯定したなら……大なり小なり流れが出来る。

 ふふっ……愚かな人間の意見を、人外達が肯定してる光景は、実に滑稽だったわ」

 

 カミーラは醜い人間を見下し、その醜さが生み出すティガの闇に、心からの愛を向けた。

 

「私は仕込みをしただけよ。

 人類は私が何もしなくても、愚かに疑い合い、殺し合い、貶め合う。

 郡千景は、とても素敵な村に居たでしょう……? ふふふ。

 そこにそっと、毒を垂らした。私がしたことは、ほんの少しの方向の誘導」

 

 シビトゾイガーは煽っただけだ。

 本当にただ、煽っただけ。

 この四国に善良な人間だけが生きていたならば、シビトゾイガーはきっと、何もできなかった。

 

「例えば、怪物が人間に化けて残酷な行動を提案した時。

 そこに居る人間達が善良なら、その提案が全員に却下されて終わりでしょう?

 でも、もし、その人間達が全員揃ってその提案に賛成したとしたら?」

 

 カミーラは覚えている。

 "郡千景の皮膚に一生消えないインクで淫乱注意と書こう"とシビトゾイガーに提案させ、他のシビトゾイガーにすぐ賛成させた。

 調子に乗った子供達は、その意見を全員が揃って肯定し、賛成した。

 そうして子供達は動き―――ティガダークに、全員殺された。

 

 カミーラは人間の醜悪こそ原因だ、と言うだろう。

 その通り、カミーラとシビトゾイガーのせいとも言い切れない。

 さりとてカミーラとシビトゾイガーが、人の悪性を何倍にも、何十倍にも煽っていたこともまた事実である。

 煽られた悪性には、どれほどの罪があるのだろうか?

 

 民衆は悪くないだなどと、誰が言えようか。

 民衆が全て悪いと、誰が言い切れようか。

 今、シビトゾイガー混じりの衆愚と化した民衆が、竜胆をリンチしているというのに。

 

「この人間の醜悪は、そういうことよ」

 

 竜胆を殺せない程度の雑魚である民衆。

 されど()()()()()()()()()()()民衆。

 杏の端末も狙って落とさせた。

 もう殺すことに支障はない。

 民衆の手で、竜胆の目の前で、杏を嬲り殺す。

 これにて、カミーラの立てた作戦の第一段階は完了する。

 

「悪魔が"悪魔の誘惑をします"なんて宣言をすると思う?

 気付かずに悪魔の誘惑に乗っているだなんてこと、よくあることよ。

 周りに流されて、無実の人間を責めた。

 買ってはいけないものだと知らずに、騙されて何かを買わされた。

 言葉巧みに誘惑され、軽い気持ちで詐欺の網の中にいた。

 本物の悪魔というものは、誘惑された者に、誘惑されているという自覚を持たせない」

 

 本物の悪魔(シビトゾイガー)の誘惑に乗って、煽られて、乗せられて、作られた熱狂の渦に飲み込まれて、人々は罪を成す。

 世界の終焉の引き金は、人類自身が引くのだ。

 そして、人の醜さが生み出したティガダークが、人を滅ぼすだろう。

 

「だからこそ言いましょう。

 悪魔の誘惑に乗ったことに、今も気付いていない人間は、悪魔以下の畜生ではないかしら」

 

 カミーラの目には、竜胆達に群がる人間が、シビトゾイガー以下の無価値な命に見えた。

 

「だから、いいのよ。あなたは―――殺していいの」

 

 カミーラの与えた闇の祝福が、竜胆の心に、絶大なる闇をもたらす。

 

 

 

 

 

もういいだろ。―――殺していいんじゃないか?

 

 

 

 

 

 杏が竜胆から引き剥がされる。

 杏に対する攻撃が始まる。

 その時、竜胆の理性は半ば飛んでいた。

 

 死んでいった者達を侮辱された。

 今の仲間達に最悪な言葉を向けられた。

 身勝手な言葉をぶつけられた。

 それでも竜胆は耐えていた。

 胸の奥から湧き上がり、脳の一部が倍増させたその憎悪を、抑えていた。

 

 だが、杏に手を出されれば、もう止まらない。

 

―――お前は"他人は許せる"が、"自分は許せず"。"人は許せる"が、"怪物は許せず"。そして

―――『自分への攻撃』は許せても、『千景への攻撃』は許せなかったのだな

 

 若葉がかつて口にした言葉は、とても正しい。

 あの言葉は、竜胆の本質を綺麗に短文でまとめていた。

 今、あの時と同じことが、繰り返される。

 あの時と同じ想いが、竜胆を突き動かす。

 

「―――」

 

 抜き放たれるブラックスパークレンス。

 

 杏に群がる無数の中学生や高校生の群れ、振り上げられる金属バット。

 それを止められるなら、彼女を助けられるなら。

 どうなってもいいとさえ、思えた。

 

 季節は七月。

 

 

 

 夏空の下、ウルトラマンは、友をいじめた子供達を―――

 

 

 




 ではここでもう一度第一話の後書きの解説を掲載します
 ルシエドがうっかりミスして文章の構成が変になってたのを見落としてたとかない限り、第一話で『天の神由来』『天の神がもたらした』などの言葉は星屑に対してしか使ってません
 シビトゾイガーを遣わしたのは、正確には天の神ではありません
 シビトゾイガーが市井に混じっていることを四国の誰も知りません
 それらの事実に誰も気付いてはいません

●シビトゾイガー
 『真の闇』から生まれる怪物。
 当作においては地球のある海上を通過して異質変化した『星屑』。
 体長は2mと少しだが、武装した兵士程度では敵わない強さと、信じられない数の群れによってとてつもない脅威となる。
 そして何より、捕食した人間を模倣して化ける能力を持つ。
 "村で多くの人間が突然シビトゾイガーになった"というのは、つまり……



 さーてジャブは十分打ったので次話から大侵攻の始まりですよー


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

呪願 -ラブ・ブレイク・ラブ-

 祝いと呪いという字は似ておりますが、『呪願』は呪いの字が入っているのに「他人の幸福を祈る」という意味を持つ、とても珍しい言葉です


 カミーラが与えた『闇の祝福』が、ティガを追い詰めている。

 人には光と闇の側面がある。

 正義を掲げる者が、光であったり、闇であったりするのと同じように。

 宇宙に光と闇があるのと同じように。

 光のウルトラマンと、闇のウルトラマンがいるのと同じように。

 愛に、光と闇があるのと同じように。

 

 カミーラは闇こそが人間の本質であると考えている。

 人間の醜悪を煽り、巨人の闇を増幅させる。

 カミーラは"ウルトラマンと人間の繋がり"というものをよく知っているからだ。

 

 カミーラは大昔、ティガの恋人だった。

 闇の巨人ティガダークと共に、人を虐殺し、世界の多くを滅ぼし。

 光の巨人ウルトラマンティガに裏切られ、倒され、地上からその姿を消した。

 ティガダークは人を殺し、ウルトラマンティガは人を愛した。

 憎悪より始まり、愛に終わったティガを、カミーラはずっと見ていた。

 

 カミーラは最初のティガのことをよく知っている。

 最初のティガが人間の心の闇によってティガダークと成ったことも、人間の心の光に惹かれてウルトラマンティガと成っていったことも知っている。

 "ウルトラマンと人間の繋がり"は強い。

 『ウルトラマン』は人の心に呼応して、人の世界を滅ぼす闇にも、人の世界を救う光にもなる可能性を持つ。

 ティガはその体現者だ。

 

 だから、人間の醜悪を煽った。

 人々が希望を捨てず、光を目指して歩き、隣人に優しくし続ける世界なら、ティガはどんな道を歩もうと光に帰る。

 『皆』が光輝く者ではいけない。

 『皆』が他人の闇を引き出す者でなければならなかった。

 カミーラ一人では四国全域など見ていられないだろうが、シビトゾイガーをばら撒き、カミーラが指示を出し、大事件が起きた時以外はシビトゾイガーの独断に任せておけば、自然と四国には闇が生まれやすい土壌ができる。

 

 周りに流されるだけの者がいた。

 熱狂に熱狂を重ねても、竜胆達を殴れず躊躇う者がいた。

 竜胆を排除する気持ちはあっても、大怪我させるつもりはない者がいた。

 死にたくないから、無能な勇者に交代してもらいたくて必死な者がいた。

 

 怪我をさせることに躊躇いがある者がいた。

 ティガという悪なら怪我をさせても罪悪感のない者がいた。

 小学校低学年の頃からずっと、ティガは悪だと親に教えられて育ってきた中学生がいた。

 小学校高学年の頃からずっと、ティガは悪だと皆で話しながら育ってきた高校生がいた。

 その中に、シビトゾイガーが混じっていた。

 

 そんな皆が今、一つの生き物になっているような一体感で、シビトゾイガーが煽る一つの気持ちに沿って、"流されながらも自分の意志でそうしている"。

 

 竜胆を明確に殺そうとする者は、熱狂の中でもせいぜい三割程度で。

 杏を殺そうしている人間は、明確に一人もいなくて。

 けれどシビトゾイガーに煽られ、シビトゾイガーに煽られた他の人にも煽られて、皆は全力で武器を振り下ろしていく。

 自分が振り下ろした金属バットに、人を殺す威力が込められている自覚がない。

 "最悪怪我をさせるだけ"くらいの認識で、それらを振り下ろしているのだ。

 

 殺人事件で"殺すつもりはなかった"と言う人間は多い。

 それは事実だ。

 興奮状態にある人間は、力の加減が効かなくなる。

 自分の体が人を殺せるだけの筋力を込めてる自覚がなくなってしまうのだ。

 だから、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そうやって人を殺した人は、後になってこう言うのだ。

 

 「殺すつもりはなかったんだ」と。

 

 例えば杏を誰かが殴って殺したとしよう。

 殺した者によっては

「死んでしまうだなんて思わなかったんだ」

 と言うかもしれないし、

「肩を狙ったのに頭に当たってしまった」

 と言うかもしれないし、

「竜胆を狙ったはずなのに、勇者を傷つけるつもりなんてなかったのに」

 と言うかもしれない、

「僕は先輩に無理矢理連れて来られただけなんです、信じてください!」

 といった風に、罪悪感に潰されそうになりながらも、被害者ヅラする学生もいるだろう。

 

 杏を殺しておいて、

「周りの人に強要されて……僕は本当はやりたくなかったのに……!」

 と嘘をついて話を誇張して、集団の罪を重くし、四国に人間の醜悪を大々的に広めようとするシビトゾイガーもいるかもしれない。

 その場合、もちろんシビトゾイガーに強要した人間なんていないだろうし、シビトゾイガーはこっそり笑って杏を殴り殺していただろう。

 

 杏に対して殺意を持ってるのは、シビトゾイガーだけだ。

 人間の誰にも明確な殺意はない。

 だが、殺意が無いなら誰も杏を殺さない、なんてわけもない。

 殺意なんてなくても人は人を殺してしまえるものなのだから、集団の熱意と狂気を煽るだけのシビトゾイガーは楽なものである。

 隙を見てシビトゾイガーが杏を殺し、さっさと逃げてしまってもいいのだから。

 

 そうやって、竜胆の心の闇を煽ればいい。

 この暴走に乗り気な人間も、乗り気でない人間も、乗り気じゃなくてもバットを振っている者もいる。

 隣で仲間がしていることと、同じことをしよう。

 仲間と心を一つにしよう。

 人間の手で、少しでも現状をよくしよう。

 強い者に頼り切りでなく、人間の手で現状を少しでも改善しよう。

 人は皆、心を一つにできるのだ。

 

 だからカミーラは、人間を嘲笑った。

 

「ああ、この愚かしさには、愛する価値も無いわ。そうでしょう、ティガ」

 

 今竜胆と杏を攻撃している者達の多くは、これで現状が良くなると認識している。

 当たり前だ。

 現状を悪くしようとするなんて、そんな者がシビトゾイガー以外にいるわけもない。

 その意志は、人間が自分達の意志で自分達の世界を守ろうとする意志の負の側面。

 

 "悪"を排除し、"役立たず"を排除し、そうやって自分達の世界を守ろうとし……けれども、四国の外に出て行ってバーテックスを倒そうとはしない。

 絶対に倒せないバーテックスには立ち向かわないが、変身する前の巨人と勇者ならば倒せるので立ち向かえる、という至極当たり前の打算が込みの、自分達の世界を守る意志だ。

 

 勇者とは何か。

 それは強き者ではなく、自分よりも強き者に立ち向かう勇気を持つ者だ。

 なら、勇者に絶対に選ばれない、勇気なき者とは何か。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 普通の人間は、勇気がなければ、自分よりも強い者になど挑めない。

 

 今ここに集まっている者達は、端末やブラックスパークレンスを出せばすぐに叩き落とせば大丈夫だぞ、とシビトゾイガーが提案した作戦に乗っている。

 ゆえに巨人のことも勇者のことも一時的に、"自分よりも強い者"と見ていない。

 シビトゾイガーの仕込みは完璧だった。

 

 だから―――抜き放たれたブラックスパークレンスは、"待ってました"とばかりに、市民の木刀で叩き落とされる。

 ブラックスパークレンスを叩き落とした瞬間に、竜胆の手の骨を折ったことに、木刀を振った人は気付いてもいないようだ。

 熱狂が、それを気付かせない。

 

「いいのよ、それで」

 

 カミーラが微笑む。

 

「仲間が殺される前に変身させては駄目よ。

 万が一にも、彼の仲間が助かる可能性を残しては駄目。

 仲間が人間に殺され、人間に絶望し、怒りと憎悪のまま人間を殺す……そういう演出なのよ」

 

 シビトゾイガーがブラックスパークレンスを拾い、離れる。

 その手には杏の端末とブラックスパークレンスの両方が握られていた。

 もう杏には何もできない。

 ボロボロの竜胆にも何もできない。

 杏の名を呼び、袋叩きにされながら絶叫することしか、竜胆にはできない。

 

 何もできないまま目の前で大事な人がリンチ死していく絶望を、竜胆に味わわせる。

 それを想像し、カミーラは暗い喜びに身を震わせた。

 シビトゾイガーが杏を確実に殺すだろう。シビトゾイガーが竜胆を的確に叩いて自由に動かすことはないだろう。シビトゾイガーが、緻密に結末を確定させる。

 

「何もできない絶望と悲しみの果てに、闇の祝福は、黒き花を咲かせる」

 

 後は、杏が民衆に殺された後、竜胆の目の前にブラックスパークレンスを転がすだけだ。

 

 それで、全ては完結する。

 

「ティガに裏切られてから三千万年……長かったわ」

 

 うっとりとした表情で、カミーラは三千万年前の愛しき日々を思い出す。

 闇に堕ち、光を全て喪失したティガとの蜜月が始まる未来を想う。

 あの日、人間達の心の光によって奪われた恋人を、意趣返しとばかりに人間達の心の闇を利用して、今日取り戻すのだ。

 

 夏空の下、闇に呑まれるウルトラマン、いじめる子供達、傷付けられる立場にある少女。

 歴史は繰り返される。

 そう、歴史は、繰り返される。

 

「―――チッ」

 

 カミーラは、飛び込んで来たその少女の姿を見て、舌打ちした。

 三千万年前、闇の中にいたティガを、カミーラの手の中から奪い取ったのは、光に生きる一人の女性だった。

 歴史は繰り返される。

 

 勇気とは立ち向かうため、救うため、守るために振り絞られる。

 其は、人間を滅ぼすもの、人間を見下すものに突き立てられる銀の剣。

 心の中で輝いた。

 魂より抜き放たれ輝いた。

 誰の目にも映る形で輝いた。

 

 勇者の勇気は、絶大な悪と絶望の闇に突き立てられる剣となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放り込まれた煙幕とガスが、一気に広がっていく。

 

「な、なんだ!?」

「げほっ、げほっ、なんだこれ!?」

「な、涙が、うえっ」

「俺知ってる、これ催涙弾と煙幕ってやつ……ごほっ、め、目が!」

 

 催涙ガス筒S型。

 Sはスモークの略で、催涙ガスを吹き出す、日本の機動隊の装備として名が知られたものの一つだ。それが、素人の学生達をガスで飲み込む。

 むせ返る学生達の合間に、この程度のガスなど効かない勇者が飛び込んだ。

 

 郡千景の赤色は、ガスの中でも鮮烈に見える。

 竜胆の記憶に残って消えなくなりそうなほどに、凛とした勇者の姿であった。

 

 七人に分身した千景は密集していた人間達を、七人分の力であっという間に押しのけ、自分が通る道を作っていく。

 若葉や友奈の勇者の力であれば、力が強すぎて人々に怪我をさせていたかもしれない。

 杏の勇者の力では、手と力が足りていなかったかもしれない。

 だが、一般人を怪我させない程度に力強い体を七つ用意できる千景は、こういった暴徒を力づくで押し退けるのに向いている。

 

「竜胆君! 伊予島さん!」

 

 催涙ガスが竜胆と杏に届く前に、勇者の脚力で駆け抜けた千景二人が竜胆と杏を奪取し、千景一人が人間に化けたシビトゾイガーを殴って端末とブラックスパークレンスを取り返し、残り四人が人を突き飛ばし&殴り飛ばして道を作って、全員揃って逃走した。

 逃走の過程でやけに集団の子供達の顔を殴っている気がしたが、はてさて、意図的にやっているのかやっていないのか、謎である。

 完璧な連携による、完璧な救出。

 この"七つの体に七つの思考と一つの意思"という特性こそが、彼女の強み。

 

 竜胆達の救出を確認し、催涙ガスをぶち込んだ男達が動き始める。

 現役警官や元自衛隊に大社の人間を加えた、一般人が"警察"と呼ぶ、この時代のこの四国を守る治安維持組織の者達である。

 以前竜胆と二回顔を合わせていた(ばん)もいた。

 

「真っ直ぐ丸亀城に向かって帰れ。頼んだぞ」

 

「はい。ここはよろしくお願いします。竜胆君と伊予島さんは、私が」

 

「ああ、全員傷害で引っ張ってやる。直接の暴力行為にまで出るなら法の管轄だ」

 

 万は正樹から、全員捕まえろと言われていた。

 正樹はカンカンである(万主観)。

 大社の権力をガンガン使って、竜胆のリンチに参加した者を全員捕まえてやると言わんばかりの力の入れようであった。

 

 正樹曰く、全員捕まえて厳しく処断し、四国内の空気を引き締め、今起こってる混乱を抑える見せしめにしてやるのだとのことだ。

 だが、催涙ガスで無力化された百を超える参加者を次々捕まえていく内に、万は驚愕と困惑で表情を歪めていた。

 

(……!? 大半が未成年……?)

 

 中学生、高校生が大半。

 こういったデモや暴動に"いい歳したプロ市民"が中核になっているイメージを持っていた万は、一瞬対応に戸惑った。

 大人なら、全員厳しく処断してしまえばいい。

 だが『未成年』は、"少年法に守られた存在"は、マズい。

 

(そもそも刑事責任を問えないような年齢の子供が……こんなに……!?)

 

 今日の一件をそのまま報道に乗せたらどうなるか。

 子供達を暴挙に走らせたティガダークの恐怖と脅威、などと解釈されるか。

 未成年の短慮と暴挙、と解釈されるか。

 大規模な暴動になるレベルにティガは嫌われてるんだ、と"自分が多数派だという確信"を持つ者もいるかもしれない。

 こんなことをするなんてやっぱりティガをいつまでも嫌ってる奴は駄目だな、と嬉々としてティガが嫌いな人にマウントを取りに行く人もいるかもしれない。

 

(……暴動の見せしめにするとして、こんな子供を処罰?

 できるのか? 見せしめに? そうした場合、四国の人間の反発はどのくらい来る?)

 

 報道管制、処罰判決、情報操作。

 どれか一つミスしてもマズい。

 この加害者の子供の親が「うちの子は巻き込まれただけなのに理不尽に処罰されたんです!」などと涙ながらに民衆に訴え始めたら最悪だ。

 そこから「彼は普段は虫も殺さない子だったようです」なんて、加害者の子供の日常を取材したニュースでも流れればどうなるだろうか。

 

 事実がどうだったのか、ということに関わらず。

 加害者の子供は被害者で、厳しい処罰を決定した者達が全員悪と見られ、俗に言う"未成年への同情"が認識上の真実を歪める可能性がある。

 

 厳しい処罰がし辛い。

 正樹が狙っていた、厳しい処罰をして四国の空気を引き締めるということが難しい。

 最悪、ティガのへの集団暴行が曲解され、ティガが悪で集団の方が正しかったというデマまで広がれば最悪だ。

 ティガが悪、大社がその味方、という認識がされれば最悪だ。

 子供を厳しく処罰したことが、暴動や、ティガへの攻撃を加熱させかねない。

 かといって、やらかしたことがあまりにも大きすぎる。

 

 事実は一つだ。

 だが真実は、信じる人の数だけある。

 そして正義は、主張を掲げる人の数だけある。

 

 ティガが悪であり、ティガが悪いことをしたから集団がリンチしただけだ、という真実を誰かが信じたなら、それはその人にとっての真実になる。

 ティガを排除するのがその人にとっての正義なら、その人はその正義を掲げ続ける。

 事実は一つしか無いのに。

 真実や正義は、時に事実からかけ離れていく。

 

 万は―――()()()()()()()()()()()()()()()()()の存在を、想像した。

 

(黒幕でもいるのか……? 子供を煽ってぶつけた黒幕が……?

 未成年犯罪者の法的な扱いの難しさと、四国の窮地にある市民感情をよく知る奴が……

 ……いや。

 それだけできる頭脳を持ってる奴が、四国のことを分かってないはずがない。

 人類の仲間割れを誘発すれば滅びると分かってるはずだ。……考え過ぎか)

 

 人間にはそんなことをする理由がなく、四国全てと心中しようとするイカレキチガイでもなければ、そんな人間はありえない。

 人間にはそんなことをする合理がない。

 万は頭の中に浮かんだ嫌な想像を振り払った。

 

(正樹さんに報告しておこう。あの人ならまた別のことを考えるかもしれない)

 

 警察らしい手際の良さを横目に見ながら、万は余計なことを考えるのをやめ、暴徒と化し催涙ガスにむせこむ子供達を制圧していった。

 

 ここは四国。人類に残された最後の方舟。

 

 密閉された四国に詰め込まれ、日々バーテックスのせいで人が死んでいく、広大な死刑台。

 

 大衆の心の扱いを間違えれば、一気に全員を巻き込んで潰れる、地獄の一歩手前の大地だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千景は竜胆と杏を抱え、近くの建物屋上まで逃げ切った。

 追手の姿はない。

 勇者のこの機動を追える一般人がいるはずもない。

 千景は一旦休憩を入れ、すぐに丸亀城に向かうという過程を選択した。

 勇者になっている千景はともかく、普通の人間は雑に抱えられたまま運ばれ続けると、体のどこかを痛めかねない。

 

「伊予島さん、大丈夫?」

 

「だ、大丈夫、です……」

 

「竜胆君は……」

 

 千景は杏の体を気遣って、杏に端末を、竜胆にブラックスパークレンスを渡した。

 彼らの持ち物なのだから、それは当然のことだろう。

 竜胆はブラックスパークレンスをじっと見つめる。

 

これで終わりになんかしない。さあ、やるか

 

 建物の屋上から見える街。

 そこを行き交う人々。

 そして、少し離れた場所に見える、先程まで竜胆と杏を狙っていた集団。

 竜胆の思考と、脳/心の歪/闇は、溶け合うように一つになっていた。

 ブラックスパークレンスを握る力が増す。

 

 その手に、何もかも見透かしたような目をした千景が、小さな手を添えた。

 

 

 

「駄目よ」

 

 

 

 千景の手が添えられて、千景が大して手に力も入れていないのに、竜胆の手は動かず、ブラックスパークレンスは起動しない。

 ブラックスパークレンスは科学を超えた神器だ。

 竜胆の心に応じて起動する。

 それが動かないということは、千景の心が竜胆の心に優しく触れ、その心を押し留めているということを意味していた。

 

「……ちーちゃん」

 

「私を止めてくれたのは、竜胆君だったはず」

 

 そう、最初は竜胆だった。

 憎悪に駆られて殺人をしてしまいそうになった千景を、竜胆が止めたのだ。

 あの村で竜胆が千景を止め、そして今は千景が竜胆を止めている。

 

―――"それ"は、駄目だ。俺は"それ"で後悔した。

―――自分の意志でやるならともかく……『闇』に流されてちゃ、駄目だ

 

―――殺した人は、夢に出るよ。ずっと、ずっと

 

 あの日の言葉は、とても強い戒めとなって、千景を止めた。

 殺してはいけない。

 闇に突き動かされて、その大きな力をぶつけてはいけない。

 人殺しの実感がこもった竜胆の言葉は、あの日の千景を止めてくれたものだ。

 

 千景は竜胆の目を覗き込む。

 同じ目をしていた。あの日、千景のために誰も許せなかった竜胆と、同じ目をしていた。

 悲しそうで、辛そうで、何かを心底憎む竜胆の目。

 とても竜胆らしくない、優しさの欠片もない目だった。

 

「殺したら絶対に後悔するって……あなたが私を止めてくれた」

 

 竜胆があそこで変身して攻撃を開始しても、確実に過剰防衛扱いだっただろう。

 殺した数次第では、殺人罪の前科が増えていた。

 今こうして、危機を脱した後に変身して殺しに行けば、もうほとんど言い訳もきかない。

 今日まで頑張ってティガが回復した分の名誉は、消滅する。

 

 信頼というものは、築き上げていくことは難しいけれど、それが崩れてしまうことは怖いくらい簡単なものだからだ。

 

 だが、そういう話ではない。

 それも竜胆の未来を考えれば大事な話だが、千景がしているのは、そういう話ではない。

 "殺したら後悔する"という話だ。

 竜胆が幸福になるために、してはならない行為の話だ。

 

「私はあの時、殺さなくて良かったと思う。

 あの人達を殺しても、私は何も幸せになれなかった。

 殺していたら……きっと後悔して、ずっと引きずっていた。

 その後悔で、自分の過去に、決着がつけられなくなっていたと思う。

 殺さなかったから……今、私は……少しは、幸せを持ててるんだと思うから」

 

 千景は、何が竜胆を不幸にしたのか知っている。

 彼は周りに責められたからではなく。

 正義を失ったからではなく。

 法に罪人とされたからではなく。

 優しさが報われなかったからではなく。

 

 自分の手で人を殺したから、不幸になったのだ。

 

 だから千景は絶対に止める。

 竜胆が闇に突き動かされて人を殺しそうになれば、絶対に止める。

 殺した人間を全て夢に見るような少年に、人を殺させたりはしない。

 後悔からも、不幸からも、友達を守ると決めているから。

 

「私より優しいあなたが、私が思い留まれた過ちを、犯さないで」

 

「―――」

 

 竜胆に今、変身させないようにしていたのも。

 何故か暴動集団に対し、意味もなく顔面をぶん殴っていったのも。

 竜胆と杏を助けることを何よりも優先していたのも。

 千景の分かりやすい意思表示であり、決意の表れである。

 

 竜胆の心から溢れた黒い気持ちが、半分引っ込む。

 体の主導権を半ば握りつつあった心の闇と新脳が、抑え込まれていく。

 竜胆がブラックスパークレンスを持つ力が、すっと緩んだ。

 

「ちーちゃんが俺より優しくないなんて、冗談よせよ」

 

 あの村で、竜胆は千景にとってずっと光だった。

 今、この瞬間は違う。

 この瞬間は、千景こそが竜胆の光だった。

 

 人間は誰もが、自分自身の力で光になれるのだ。

 誰かにとっての光になれるのだ。

 少しずつ、少しずつ成長していく千景は、今や他人を照らせる人間になっていた。

 照らされるだけの人間のままではいられない。

 救われるだけの人間のままではいられない。

 郡千景は勇者である。

 

「りっくん先輩っ……!」

 

「うおっと、杏?」

 

 杏が泣きそうな顔で、竜胆に抱きついた。

 守れた、という実感が少年の体の内に湧いてくる。

 竜胆が心底安心した顔を見て、千景は"彼らしいなあ"と思うのだった。

 

 杏の体には目に見えるところに傷がない。

 竜胆は杏を守りきれたのだ、と言える。

 竜胆の想い出の中で、球子が笑ってくれた気がした。

 杏を守るのは、竜胆の意志であると同時に、球子に誓ったことでもある。

 

「よかった……よくないけど、よかった。無事でよかった……!」

 

「……心配かけて悪かった。

 あの状況で見てるだけなのは、辛かったろ。

 ごめんな……心までは守れなかった。

 でも、杏が無事で良かった。怪我とかないか?」

 

「ないけど……!」

 

 杏の瞳から涙がほろほろとこぼれ落ちる。

 

 竜胆はよしよしと、妹にそうしてやったように、杏の頭を撫でてやる。

 竜胆の心から溢れた黒い気持ちの残り半分が、引っ込んでくれた。

 

 四年前のあの日の惨劇は、二度と繰り返さないと誓った。

 だが、竜胆は自覚する。

 あの日の惨劇を繰り返しかねない気持ちが、心が、想いが……今も自分の中にあることを。

 もう首輪は無い。

 そして、竜胆は友のためなら変身を躊躇わない。

 

 自分の中に、いつ爆発するか分からない爆弾があるような気持ちを、竜胆は感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三人ですぐさま丸亀城に戻り、城を警備している大社の人達を見やる。

 どうやら今四国が不安定なのは事実なようで、丸亀城周辺に何人か不審な人物が見えた。

 

「お疲れ様です。いつも警備、ありがとうございます」

 

 竜胆が丁寧に頭を下げ、感謝の言葉を述べると、警備をしていた大社の中年男が笑顔になる。

 物腰柔らかで、竜胆にも好意的なように見えた。

 丸亀城は竜胆の家のようなもの。

 そこを警備している者達は、竜胆がどういう人間かをちゃんと知っている。

 ゆえに、いつも竜胆のことを応援している。

 

「御守君、君にお客さんだ」

 

「お客さん?」

 

「ああ」

 

 警備の人に連れられ、竜胆が丸亀城敷地内の警備員小屋に足を運ぶ。

 千景と杏は、今日のことの報告をしに丸亀城の方へと向かった。

 そこで竜胆を待っていたのは、一組の母子。

 母親のそばにいた男の子の方には、竜胆も見覚えがあった。

 

「君は……避難指示が出てた時に、抜け出して、お礼をくれた子か」

 

「ティガー!」

 

「どうもすみません、突然お邪魔してしまって」

 

 オコリンボールが市街地に突入したあの大きな戦いの後、"僕らのウルトラマン"と言ってくれた小さな子供達の一人だった。

 隣の女性はおそらくこの子の母親だろう。

 子供は飛びつくように抱きついてきて、竜胆が柔軟に受け止める。

 

「どうかしたのかな? 俺に何か用?」

 

「手紙!」

 

「……手紙?」

 

「休み時間で、みんなで書いたんだよ! ティガにありがとうと、頑張って、って!」

 

「―――」

 

「ぼくの学校だと、みんなティガが大好きだよ! ぼくたちも、先生も!」

 

「……ありがとう」

 

「? ぼくらがありがとうって言いにきたんだよ?」

 

「……ああ、そうだったな」

 

 母親に連れられてきたその子がくれたものは三つ。

 大きな袋に入れられた、たくさんの応援の手紙。

 応援する人がくれた、たくさんの想い。

 そして、ありがとうという言葉。

 その子がティガに向ける笑顔は、竜胆が守った笑顔だった。

 

 たくさんの応援の手紙を、竜胆は袋ごと抱きしめる。

 人間には、十人の内一人が応援してくれればポジティブになれる人も、十人の内一人に批判されると折れてしまうネガティブな人もいる。

 何を見るかは、人の自由だ。

 一人に褒められれば"皆に褒められている"気分になる人も、一人に非難されれば"皆に嫌われた"気分になる人もいる。

 人は、何を見てもいい。

 

 竜胆にも、何を見るか、選ぶ権利があった。

 善き人々を見て、『皆』を守ろうと思う権利。

 愚かな人々を見て、『皆』を守りたくないと思う権利。

 自分を応援してくれる人々を見て、心を奮い立たせる権利。

 自分を非難する人々を見て、守りたいという気持ちを萎えさせる権利。

 彼は、何を見ても良かった。

 

「竜胆」

 

「……え、若ちゃん?」

 

「撫でてやれ」

 

 最初から居たのか、途中から来たのか。

 そこにいた若葉の助言に従い、子供の頭を撫でてやる。

 子供は竜胆の優しい手付きに心地良さそうにして、竜胆に撫でられたことが誇らしいとばかりに胸を張っている。

 

「竜胆、お前を嫌いな者は多いな」

 

「……ん、まあ、そうだね」

 

「そんな中、お前を応援することを選んだ人達だ。

 "当たり前じゃないこと"を選んで、お前を選んだ人達の声だ」

 

 若葉の手が、ぽんとたくさんの手紙の入った袋を叩く。

 

「周りに流されたわけじゃない。

 他の誰でもない自分の意志でお前を応援したいと思った皆だ」

 

「……正直言うとさ、俺めっちゃ嬉しい」

 

「お前が嬉しいと、私も嬉しい」

 

「なんだよそれ、ははっ」

 

「いや、それだけじゃないな。

 お前が周りに認められているのを見るのが嬉しい」

 

「……若ちゃん」

 

 「あの」、と小声で、ちょこんと手を上げる母親らしき女性。

 他人のデートを邪魔して申し訳ない、みたいな表情をして、その女性は話に割り込んだ。

 

「あの、覚えていますか?」

 

「え……えーと、すみません、何がですか?」

 

「やっぱり覚えてませんか……私もこの子も、ビルから守ってもらったんです」

 

 そう言われて、竜胆は思い出した。

 レオが吐き出す火球。

 崩れるビル。

 ビルを止めて母子を守るティガ。

 『今度は守れた』と思ったことを、竜胆は思い出した。

 あれはもう、二ヶ月近く前のことだっただろうか。

 

「ああ、あの時の!」

 

「私はずっと忘れません。本当にありがとうございました」

 

 母親は、竜胆にぺこりと頭を下げる。

 

「うちの職場の人は皆、ティガを応援してます。

 体を張って守ってくれているあなたに、文句なんてありません。

 いつもどこかで、私達は感謝しています。

 あなたのことを何も分かってない人の声なんかに、負けないでください」

 

「……はい!」

 

 この母親は、ティガの擁護、ティガへの攻撃、その全てを分かった上で、竜胆を応援してくれているようだ。

 その言葉はどこか熱く、優しい暖かさに包まれていた。

 

 ただ、ここは丸亀城だ。

 正確には違うが、国防の軍事拠点に近いものである。

 部外者はあまり長居していられない。

 警備の人がやってきて、これ以上は話せないことを告げてきた。

 

「犬吠埼さん、御守君、そろそろ」

 

「……犬吠埼? 犬吠埼さんっていうんですか」

 

 竜胆がこの時初めて二人の名字を知り、母親はうっかり名を名乗ってなかったことに気付き、はっとする。

 

「あっ……す、すみません、名前も名乗らずに! 犬吠埼です、どうもすみません!」

 

「ああ、いいですよ、犬吠埼さん。改めて、御守竜胆。ティガやってます」

 

 竜胆は、拳を胸にこつんと当てて、頼りがいのある笑みを浮かべた。

 

「必ず、守ります。あなた達の平和を。何からでも……絶対に」

 

 母親も、息子も、笑って竜胆に頭を下げ、別れの言葉を口にする。

 何も疑っていなかった。

 母子はティガを、竜胆を、信じていた。

 人の心がウルトラマンに光を与え、ウルトラマンが人の心に光を与える、そんな関係。

 

「ありがとうございました、ウルトラマンティガさん」

 

「またねー!」

 

 犬吠埼親子を見送り、竜胆と若葉は、二人きりで敷地内を歩き始める。

 

「竜胆」

 

「何?」

 

「お前はもっと報われるべきだと思う」

 

「……ああ、今日の俺達の話、聞いたのか」

 

「守れなくてすまない」

 

「謝る必要なんてないって、しょうがないことだ。

 でもまあ確かに、若ちゃんがあそこにいたら、俺傷一つ付いてなかったかも。

 疑いもなくそう信じられるって、凄いことじゃないかと思うわけなんだよな」

 

「……」

 

「そういうこと考えると、俺はとても友人に恵まれてんじゃないかと思う」

 

 ティガを嫌い闇の巨人と見る子供もいれば、ティガを信じ光の巨人と見る子供もいる。

 大人だってそうだ。

 子供だから正しい、間違っている、光だ、悪だ、と語ることに意味はない。

 どんなものにも光と闇の側面はある。それだけだ。

 竜胆を傷付けたのも子供なら、竜胆の心に光をくれたのも子供だった。

 

「お前は何を選んでもいい。

 人間に失望したっていいし、人間に希望を持ってもいい。

 お前が何を選んでも、私はお前を信じている。お前の友で居続ける」

 

「若ちゃん……」

 

 "お前は何を選んでもいい"という優しさと、"お前自身が選ばなければならない"という厳しさの両方が詰まった、若葉らしい言葉だった。

 人間に希望を持つか。

 人間に失望するか。

 どちらでもいいと、若葉は言う。

 

 本音では、人を信じてほしいと、自分と一緒に同じものを目指して戦ってほしいと、そう思っているくせに。

 

「俺は人を守る。人を信じる」

 

「……竜胆」

 

「人から人を守って、バーテックスから人を守る。

 うん、それだ。それでいい。

 バーテックスだけからじゃなく、人からも人を守る。

 ……そうだ。警察官だったケンは、そう生きてたんだったな」

 

「人を嫌いにはならないか?」

 

「ああ、ならない」

 

 竜胆が、元警察のケン・シェパードから受け継いだものは、力だけではない。

 ケンの生き方は、ちゃんと竜胆に伝わっていた。

 

 人は殺さず。

 人を殺させず。

 悪いことをした人は、法に則って裁かせて。

 更生できるのであれば、悪に見える者にも反省と更生を促す。

 人でないものから人を守り、人からも人を守る。

 元警察官のケンは、そういう生き方を貫いていた。

 

 死してなお、あの頼りになる大人達は、竜胆を導いてくれている。

 

「よし、特訓するか」

 

「……だな。私達は、もっと強くならなければならない」

 

 竜胆と若葉の足が、道場に向かっていく。

 

 結局のところ、"正義の味方"というやつは、『人が愚かでいる権利』も守らないといけないのかもしれない。

 醜い人間を排除し、善良な人間を残し、善良を純粋培養しようとするような人間は、正義の味方とは認められないのかもしれない。

 それは正義の味方というよりは、管理社会(ディストピア)の管理者だ。

 

 何故、そういう人間が正義の味方としては認められ難く、醜悪な人間にも寛容な人間が正義の味方として認められ易いのか?

 なぜだろうか?

 それはおそらく、多くの人間は、自分がそんなに綺麗じゃないことを知っているからだ。

 本能的に、人間を選別して"いいもの"だけを残そうとする人間に、嫌悪感を覚えるということがある。

 ゆえに多くの創作物の場合、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、といった主張は―――正義の味方ではなく、悪が掲げる主張なのである。

 

 愚かで居てもいい権利を守ってくれる。

 間違っても生きていていい権利を守ってくれる。

 弱いままでいてもいい権利を守ってくれる。

 人の弱さや醜さを分かった上で、受け入れてくれる。

 だからこそ、大半の弱い人にとって、"寛容な正義の味方"は好ましいものなのだ。

 

 それゆえに、「正義の味方は嫌いじゃない」が、「裁いてほしいクズにも寛容な正義の味方は好きじゃない」という人種が発生することもある。

 「嫌いなやつの味方するやつは嫌い」という思考だ。

 そういう風に嫌われることもあるので、とにかく正義の味方は生き辛い。

 

 だが、どんな形であれ、力ある者が『寛容』『許し』を忘れれば、そこには地獄が出来る。

 

 法で罪を裁き贖罪に導くことと、気に入らない者を力で叩き潰し排除することは違う。

 

 『皆で善い人になっていこう』は良い。

 だが『悪い人はどんどん殺せ』は絶対に駄目だ。

 『望ましいものの推奨』は世界を良くするが、『望ましくないものの排除』を繰り返した先にあるのは、絶対的に地獄のような世界である。

 それは心に闇をもたらす、獣の理だ。

 

 そこに堕ちそうになっていた竜胆を、仲間が何度も引き止めてくれた。

 今日、決定的にそこに堕ちそうになっていた竜胆を、千景が踏み留まらせてくれた。

 

 ウルトラマンは、人が愚かでも弱くてもいい世界を守り、その成長を信じ。

 ウルトラマンの敵は、人の愚かさや弱さを利用し、邪悪な企みを成し。

 勇者は人間としてその勇気で、もたらされた闇を打ち砕く。

 

「若ちゃん」

 

「どうした?」

 

「俺は、ウルトラマンにはなれない。

 どこまでいっても闇の巨人だ。

 だけど、それでも。

 俺は……死んでいったウルトラマン達が果たせなかったことを、やり遂げると決めたんだ」

 

 闇の者は気に入らない人間を殺し、光の者は人々を導く輝きを魅せる。

 

 ずっと昔から、そうだった。

 

「タマちゃんを、滅びた種族の中の、無駄に抗って死んだ内の一人になんてしないと――」

 

 竜胆のその在り方は、闇ではなく光のもの。

 

「――決めたんだ、あの時に。この世界も、人々も、絶対に滅ぼさせたりはしない」

 

「ああ、戦おう。滅びてたまるか、滅ぼさせてたまるか」

 

 人間に対する愛もある。憎悪もある。

 竜胆の対人間感情は、まさしく光と闇が入り混じったそれ。

 人の美しさと醜さを知る竜胆が出した結論は変わらず、『守る』。

 

 カミーラの予想に反し、人間があれだけのことをしても、ティガは光の側に踏み留まったままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 竜胆は一通りの鍛錬を終わらせて、文献とインターネットから現状の打開策を探そうとしていたが、そこで大地に呼び出されていた。

 大社が何も見つけられていない以上、竜胆がにわか知識で打開策を見つけられる可能性は低かったため、"邪魔された"感はない。

 

 とはいえ、夜中の呼び出しとはなんなのだろうか。

 そう思って大地の部屋に赴いた竜胆が見たのは、安っぽい酒を浴びるように飲んでいる、ヤンキーというか飲んだくれ状態の大地であった。

 当然ながら、三ノ輪大地は未成年である。

 

「なっ……何やってんですか! 人呼び出しておいて!」

 

「酒は良い。

 飲んでる間は色んなことを忘れられる。

 結局、何も忘れられんし、悩みは明日に丸投げじゃが」

 

「俺達の年齢忘れてません?」

 

「ワシが一つ、良い事を教えてやろう」

 

「?」

 

「今の司法立法行政は全部大社じゃ」

 

「おい! おいコラ!」

 

 真面目、誠実、違法に厳しい。

 竜胆は根底にそういうところがあり、ひなたはたびたび若葉と似た部分を指摘している。

 当然ながら大地の飲酒を認めるわけがない。

 未成年者飲酒禁止法で殴りに来た竜胆を、大地はのんべんだらりといなした。

 

「気にすんな後輩」

 

「気にするわ先輩ッ!」

 

「知ってるか?

 未成年でも酒を飲んじゃいけないのは日本の話じゃ。

 日本人の未成年がフランスなどで酒を飲むなら、16歳飲酒でも合法なのだぜ」

 

「えっ、そうな……ってここは日本だ! よく考えたら何の言い訳にもなってない!」

 

「日本国は既に滅び、今残るは、四国という国のみよ……外国と言えなくもない」

 

「詭弁弄してるとこ悪いですけど、法律そんな変わってねーですからね、四国」

 

 はぁ、と竜胆が溜め息を吐く。

 

「なんで酒飲んでる不良さんもウルトラマンに選ばれるんでしょうね」

 

「ウルトラマンに選ばれた理由なんて、ワシもお前も知りたいが知らん、そんなもんだろ」

 

「まったくもっておっしゃる通りです」

 

 ガイアの光は、何故こういう男を選んだのか。

 竜胆にはちょっと判定基準が分からなかった。

 真面目で責任感があるのが若葉なら、不真面目で責任感があるのが大地である。

 言い方を変えれば、人を守るしルールや法律も守るのが若葉なら、人や街は守るがその他のどうでもいいものは一切守らないのが大地なのである。

 

「それにしても……」

 

 竜胆は大地の部屋の中を見回す。

 やけに大きな冷蔵庫、勉強机、トレーニング器材……そして、壁に立てかけられた無数の日本刀と銃器の数々。

 部屋の装飾品の七割が、日本刀と銃器という、とんでもない部屋であった。

 

「凄い部屋ですね」

 

「ワシが一つ良い事を教えてやろう」

 

「……今度は何ですか?」

 

「日本刀と銃器はかっこいい」

 

「知ってますよ!」

 

 がっはっはっは、と大地は笑った。

 いつもながら、豪快に笑う人である。

 酒が入っていても、いなくても、いつも大地は陽気で豪快な人だった。

 

「ほれ、お前も飲め」

 

「は? 俺は今も大地先輩の飲酒を止める気満々ですけど?」

 

「かーっ、ちっちゃい男じゃな」

 

「人間形態でも巨人形態でもあんたよりデカいわ、誤差レベルだけど」

 

「そういうこと言っとるんじゃないわ、真面目ちゃんめ、がっはっは」

 

「不良ロードに後輩を巻き込まないでください……」

 

「デカいに越したことはない。男のハートも、女のバストもな、うはは」

 

「あーもう息が酒臭い!」

 

 酒を勧めてくる大地。

 めんどくせーな! と声を上げる竜胆。

 大地は無理矢理に酒は勧めないが、ひたすら朗らかに笑っていた。

 

「忘れろ忘れろ。

 辛いことはパッと忘れろ。

 今日だけはお前も不良だ。

 悪い子だ。

 良い子でいる必要はない。

 現実から逃げるのはいかんが、一晩の間何もかも忘れる権利は、男の誰にもある」

 

「辛いこと忘れろ、って……」

 

「くくっ、これ、ワシが近所のジジイに言われた受け売り。

 良い子でいる必要はない、って言われて、すっごく救われた気になってなぁ……」

 

「……」

 

「ワシの生き方や喋り方は、大体近所の柔術のジジイと、不良の先輩由来じゃ。

 お前くらい変に真面目だと、テキトーに生きられんから生き苦しいこともあるじゃろ」

 

 真面目な人間は自殺しやすい。

 不真面目な人間は自殺しにくい。

 シンプルに竜胆と大地の性格の違いを言い表すなら、そういうことだ。

 

「一日くらい悪い子になってもええんじゃないかと、ワシは思うな」

 

「悪い子になったら何があるんです?」

 

「なーんもない。

 背負う者も、するべき役目も、正しくある責任も、笑って生きる義務もな。

 つまり楽、楽オブ楽ってわけだ。さあ、さあ、アルコールに浸るがいい」

 

 悪い不良が、良い子認定をされた真面目君を悪い道に誘う。

 真面目君は、きっぱり断った。

 

「じゃあ、いいです」

 

「む」

 

「悪い子にはなりません。そういうのいいです。好きでやってるんですよ、俺は」

 

 大地が手に持っている酒を断固突っぱね、竜胆は大地が最初に出してくれたジュースをグビッと飲む。

 

「まあお前のジュースには既にたっぷり酒が混ぜてあるわけだが」

 

「ぶふぉっ」

 

「結構飲んだなあ。いやあ、これでお前も悪い子ってわけじゃ」

 

「あ、あんたは……!」

 

「へっへっへ、毎日毎日良い子で居る御守も、ちょっとは肩の力抜いたらどうじゃ」

 

 仲間に対して脇が甘いなあ、と大地は微笑ましくなった。

 何してくれんだこの人、と竜胆は頭が痛くなる。

 心底呆れたと言わんばかりの表情を、竜胆は浮かべた。

 

「まったく、先輩はもう」

 

 世界が崩壊しても法を絶対に遵守させようとしている竜胆と、世界の崩壊に相応に自由に生きている大地と、この世界"らしい"十代の少年は、はたしてどちらの少年なのか。

 

 ただ、大地が竜胆に酒を飲ませようとした理由が、竜胆と杏に対する集団暴行のあの一件であることは間違いない。

 この一晩くらいは忘れちまえ、と言っているわけだ、この不良は。

 酒を入れて、大地は色んな話を始めた。

 

「御守お前好きな子とかいる?」

 

「いきなり恋バナですか」

 

「そーじゃそーじゃ。ワシはいるぞ。丸亀城にはいないが」

 

「え、そうなんですか!?」

 

「聞いてるのはワシなわけなんだが、好きな女の子いるん?」

 

「そういうのは特にいないですねえ。恋愛感情抜きというなら、たくさん」

 

「ふーむ。じゃあ好きな女の子のタイプは?」

 

「えー……じゃあ農業やってる人で」

 

「適当なこと言ってればワシを誤魔化せると思ったら大間違いだぞ」

 

「む、即バレ。

 まあなんというか、俺の婆ちゃんが農業やってたらしいので。

 あながち適当なこと言ってるってわけでもないんですけどねー……」

 

「ほほう……ん? いやそれは女性の好みじゃねえだろ」

 

「ぶっちゃけると笑顔が素敵な女性なら誰でも好きですよ」

 

「男版ビッチみたいな発言を……!」

 

「ん……? ああ、言い方間違えました。

 女性の好みは、笑顔が素敵な女性です、って言い変えさせてください」

 

「おお、竜胆っぽい言い回しになった……というか酔っとるなお前」

 

「そうでもないです」

 

 大地と話していると楽しい。

 良い子でいなくていいと言ってくれる。

 肩の力を抜いて話せる。

 一晩くらい何もかも考えなくていいだろ、と心に休息をくれる。

 そうして話していると、竜胆は気付いた。

 

(俺、この人のこと、男友達だと思ってるのかな)

 

 三ノ輪大地が、丸亀城で唯一の、男友達であることに。

 

「がっはっはっは、正直に言え! ひなたの胸とかつい見てしまうことあるだろ?」

 

「そりゃまあ、無いとは言いませんが」

 

「女の前じゃ言えんことでも、酒入った男同士! 心を暴露するのに何の憂いもない!」

 

「そりゃーそうですけどー」

 

「それと比べ千景や友奈の胸の小さなこと。

 触ってみて柔らかければサイズの不利は補えると言えるんじゃが」

 

「ぶっ殺すぞ」

 

「うおっ、言葉の切れ味」

 

 最後に男友達が出来たのはいつだったっけ、と、竜胆は思った。

 

 友達を自由に作る権利など、竜胆にはずっと許されていなかったから。

 

「ワシのコレクションの中ではの模造虎徹が一番美しい日本刀なんじゃ」

 

「おお……波紋が綺麗ですけど、俺が殴ったら折れそうですね」

 

「お前が殴って折れない日本刀なんてねえよ」

 

「俺が見た中で一番美しいのは若ちゃんの生太刀ですね。あれとっても綺麗です」

 

「あれはいいな。ワシから見てもかっこいい。お前が殴っても折れなそうだ」

 

「強度だけじゃなくて切れ味も凄いですよ。

 俺の首もかぼちゃの皮もスパスパ切れてましたし」

 

「その二つ並べてるお前頭おかしいわ」

 

 信頼できる男友達。

 それは、肩を並べて共に戦っていく仲間としては、最高の人種であるものの一つである。

 

「勇者の精霊ってエロ漫画とか、アニメみたいなもんだとワシ思う」

 

「……ん? え?」

 

「エロ漫画を読んでる奴は性犯罪をする。

 アニメ見てる人は犯罪者予備軍。

 声高にそう言ってる人がたくさん居たなあ、と思い出してな。

 つまりエロ漫画やアニメには人間の心に穢れを溜める効果があるんじゃろ」

 

「それそういうもんじゃないと俺思うなー!

 そういう意図で言われてたことじゃないと思うなー!」

 

 いつしか、集団暴行によって闇に寄っていた竜胆の精神状態は、かなりフラットに近い状態にまで戻っていた。

 

 翌朝、酒瓶に囲まれてグースカ寝ている竜胆と大地を、来訪した正樹圭吾が蹴り起こした。

 

「あぐっ」

「おふっ」

 

「最悪な不良共が……せめてお前らは法律を守れ……」

 

「あっ、おはようございます。酒の件は申し開きのしようもないです、すみません」

 

「飲酒の一回や二回でぐだぐだ言わないでくれい、先輩。

 どうせ正樹先輩の結婚祝いの席に便乗してワシも飲むんじゃ、多分」

 

 ピクッ、と、正樹圭吾の肩が動いた。

 

「え? 大地先輩、なんですかそれ」

 

「昨日ワシは聞いたんじゃ。正樹先輩が……結婚秒読みであることを!」

 

「チッ、どこから漏れた? 鷲尾さんか、楠さんか……」

 

「結婚!? おめでとうございます! 相手はどんな人なんですか!?」

 

「……まあ、隠すようなものでもないか。

 大社の同僚の三好という人の娘が相手だ。

 婿入りする形になるため、来月から私の名前は三好圭吾になる」

 

 三ノ輪がからからと笑って、三好になる男が眉間を揉んだ。

 

「半分は政略結婚のようなものだ。

 これで私の権力基盤は更に強くなる。

 多少の要望なら私を通せば通るだろうな」

 

「正樹さんと三好という人が繋がる、みたいな感じでしょうか……?」

 

「その認識で間違いはない」

 

 大社もまた、その上層で様々な思惑が動いているようだ。

 

 大侵攻が終わり、一通りの後始末が終わった頃には、正樹は三好になっている。

 

「こっちは戦いのことしか考えないから、後頼むぞ、正樹先輩。いや、三好先輩」

 

「ああ。後を頼まれた」

 

 三ノ輪が三好に後を任せる。

 竜胆と三ノ輪は、目の前の戦いに集中する。

 最後の戦いを前にして、男達三人は、それぞれの戦場で全力を費やす約束を交わしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 七月某日。

 来たるその日に、皆が備える。

 敵も味方も、その日が来るのを一日千秋の思いで待っていた。

 

 天の神も。

 地の神も。

 バーテックスも。

 勇者も。

 ウルトラマンも。

 カミーラも。

 その日が決戦であると知らされた、四国の力なき人々も。

 

 その日を恐怖、期待、緊張、希望、絶望、様々な想いで待ち続ける。

 

 そして、神に予知された決戦のその日がやって来た。

 

 神が見守る世界に、異様な空気が張り詰める。

 樹海化がカットされ、メタフィールドの強化効果が残された結界の中で、四国市民の避難誘導が完了する。

 大社が見守る中、勇者と巨人達が丸亀城を出立した。

 四国の周りを囲む壁に皆が辿り着き、壁の上――四国結界の境界線――に立ち、結界の外を揃って見据える。

 

 出雲より出立した大侵攻の大軍勢が、四国北方の海の向こうの、陸地に見えた。

 バーテックス達が海を越えて来る。

 サジタリウス・スノーゴンが海をことごとく凍らせてしまったことで、四国北部の海は全て氷の大地と化している。

 その上を堂々と進んで来るバーテックスは、心胆寒からしめる恐ろしさを持っていた。

 

 可能であれば、結界外で敵を止める。

 それが不可能であると判断された時点で、結界内での戦闘に移行する。

 これが、街に犠牲を出したくない竜胆の意見と、結界内で少しでも勝率を高めたい正樹圭吾の意見の折衝案だった。

 

 迫る敵。

 迫る死の予感。

 空も、大地も、海も、バーテックスに遮られて何も見えなくなっていく。

 

 戦いが、始まる。

 

 

 

 

 

 敵を睨み、変身を終えた千景が、鎌を握って深呼吸した。

 ここから千景は少し大きな賭けに出る。

 入念な準備はしてきた。

 それでも不安になる。

 小さな不安も命取りになると分かっているのに、不安を拭い去ることができない。

 

 心臓が破裂しそうなくらい脈打っている。

 緊張で心が穏やかにならない。

 頭の中を、不安がぐるぐると回っている。

 千景は、ちょっとだけヘタれた。

 

「高嶋さん、竜胆君、お願いがあるの」

 

「いいぞ」

「どうしたの、ぐんちゃん?」

 

「竜胆君は話の中身聞く前に即答するのはどうかと思う……」

 

「こんな戦いの直前だ、ちーちゃんの不安が消えるなら何でも言うこと聞いてやるよ」

 

「……ん」

 

 こほん、と千景は咳払い一つ。そして頼み事を口にした。

 

「私の手を、二人に握っていてほしいの」

 

「手を? どうして?」

 

「お願い。私の心は……その時が、一番強いと思うから」

 

「ああ、分かった。いいぞ」

 

 千景の右手を竜胆が、千景の左手を友奈が握った。

 握った手から伝わる体温が、千景の心に強さをくれる。

 近くに友達がいてくれれば、千景は何だってできそうな気がした。

 

(大丈夫、私はやれる、私はできる)

 

 心の中で、自分に言い聞かせるように、自分を信じる言葉を繰り返す。

 

(私はそれが、とても苦手だけれど―――自分を、信じよう)

 

 そうして千景は、()()()()()()をその身に宿した。

 

「ぐっ……うっ……!」

 

 二体目の精霊は、千景の体に宿りきらない。

 凡人の肉体の中には収まりきらない、あまりにも大きなスケールの精霊であるがために、千景の体にも完全に入りきってはいなかった。

 そのスケールは、酒呑童子や大天狗のそれに匹敵している。

 

 精霊が負荷をかけるのは、肉体と精神。

 その両方が負荷に耐えきれなければ、精霊を完全に宿すことは叶わない。

 体が痛む。

 心が痛む。

 体の各所に異常な圧力がかかり、心が急速に不安定になっていく。

 

「ぐんちゃん!」

 

 友奈がその名を呼んだ。

 心が少し、安定を取り戻す。

 だが足りない。

 

「ちーちゃん!」

 

 竜胆がその名を呼んだ。

 心が少し、安定を取り戻す。

 だが足りない。

 

 精霊の侵食で、加速度的に心の安定と形質を失っていく千景。

 千景が千景でなくなっていく。

 恐るべき精霊が、千景の体と心を乗っ取っていく。

 それを見ていた竜胆が、千景の心そのものに呼びかけるように、叫んだ。

 

「―――千景っ!!」

 

 呼び捨ての名呼び。

 

(そう、だ)

 

 それが、小さくない心の震えと、千景の自意識を呼び覚ます。

 

(私は千景、郡千景。勇者、郡千景。

 親がその名前をくれたことに感謝はないけど。

 ……仲間がその名前を呼んでくれることは……嫌いじゃない。ずっと、そうだった)

 

 千景は『自分』を確立し、制御を離れつつあった精霊の手綱を握る。

 精霊よりも確固たる自分。

 精霊の干渉を跳ね除ける程の強い心。

 精霊に耐えられる肉体。

 それこそが強力な精霊の行使に必要なものである。

 千景は心も体も、友奈や若葉ほど強くなく、ゆえにこそ危険性が高かった。

 

 だからこそ、言える。

 千景が"この精霊"を宿すことに成功したことは、もはや奇跡であり、偉業であると。

 

 

 

 

 

「恕すれ―――『玉藻前』!」

 

 

 

 

 

 日本三大妖怪、というものがある。

 20世紀に生まれた概念であり、一つは鬼・河童・天狗であるとされ、一つは酒呑童子・玉藻前・大獄丸であるとされる。

 前者は日本では知らない者がいないほどに有名な妖怪三種であり、後者は日本の中世京都において最も恐れられた妖怪三種であるとされる。

 

 ただし、現代の日本においては、日本三大妖怪と言えば酒呑童子・玉藻前・崇徳天皇(大天狗)である、とされることが度々ある。

 一言で言えば、これはデマだ。

 21世紀になってから、Wikipediaの玉藻前や酒呑童子のページに『日本三大悪妖怪』としてこの三つがセットであると記載した者がいた。

 そして、Wikipediaを参考にした商業書籍などが、この三つを日本三大悪妖怪であると書いて出版してしまった。

 そのため、日本三大悪妖怪などというものがあるという誤解が、急速に広まってしまった……という解釈が、現代では最有力である。

 削除されたWikipediaの該当部分以外にソースが無い、と言えばよく分かるだろう。

 

 だが、神樹にとって"明確なソース"など必要ない。

 全ては神樹に蓄積された概念記録……それが全てだ。

 人類史にそういう概念が存在した、それが全てだ。

 ゆえにこそ、この日本三大悪妖怪の概念は強く世界に発現する。

 

 三つの三大妖怪にまたがる概念、『酒呑童子』。

 二つの三大妖怪にまたがる概念であり、日本三大怨霊も内包する、『大天狗』。

 そして……大天狗と同じく、二つの概念に跨がる大妖怪、『玉藻前』。

 

 その『玉藻前』こそが、千景がその身に宿した新たなる精霊だった。

 

 玉藻前は、天の神の子孫とも言われる天皇家、鳥羽上皇の寵愛を受けた寵姫である。

 されどその正体は、いくつもの国を滅亡に導いた九尾の妖狐である、と語られた。

 人の心を操り、玉藻前を愛するよう魅了の呪いをかけ。

 毒の呪いを司り、周囲の者を死に至らしめるとされた。

 九尾の妖狐であることが判明した玉藻前は朝廷の討伐軍と交戦し、「生きたい」という気持ち一つでこれを撃退するものの、後に軍によって討ち取られたという。

 

 寵愛を得る呪術を操っていたとも語られた大妖怪。

 ゆえに、「愛されたい」化生である。

 呪いに関する伝承を多く持つ大妖怪。

 ゆえに、「他者を呪う」化生である。

 死にたくないがために、足掻きに足掻いた。

 ゆえに、「死を恐れる」化生である。

 

 だからこそ―――()()()()()()()()()()()()

 

 愛されたいという強烈な想いを持ち、嫉妬や不幸から他人を呪う気性を持ち、死を恐れる気持ちが勇者の中で一番強い千景と、玉藻前は強くシンクロする精霊なのだ。

 

 そして、もう一つ。

 日本に玉藻前として来る前、玉藻前は中国において、幽王の后・『褒姒』という傾国の美女であったとされる。

 

 褒姒は笑わない美女であったとされる。

 まるで、千景のように。

 幽王は、彼女を笑わせるためになんでもしたそうだ。

 まるで、出会った頃の友奈や竜胆のように。

 幽王は褒姒の笑顔を見て、その笑顔の虜になった、と言われている。

 まるで、かけがえのない友人となった、友奈や竜胆のように。

 

 そして褒姒の笑顔のために何でもして、加減を知らなくなった幽王の愚かさによって、国は滅びた。

 褒姒は日本に渡り、その後紆余曲折を経て玉藻前と名乗るようになった、と言われている。

 

 だからこそ本当に、千景との親和性が高いのだ。高すぎるほどに。

 

 酒呑童子が"最強の精霊"、大天狗が"天に仇なす精霊"であるならば、これは"愛憎の精霊"。

 愛を呪術で求め、憎しみのままに呪術で多くを呪った、九尾の妖狐。

 そして、この精霊は。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 愛憎戦士カミーラが居ない世界線においては、絶対に千景の手には渡らない。

 カミーラの愛憎が千景の人生に最悪の試練を課し、千景が相応の成長を遂げてそれを乗り越えた後でなければ、千景はこの精霊を制御できない。

 

 カミーラの愛憎、玉藻前の愛憎、そして千景の胸の奥にある愛憎。

 

―――この人のためなら、死んでもいいって、そう思えるのが……『愛』なんじゃないかな

 

 幾多の愛憎の中を生きている千景の脳裏に蘇るのは、アナスタシアが死の直前に残した言葉。

 とても小さな女の子の、とても純な愛。

 彼女が語った愛の形は、千景の心に小さくない影響を与えていた。

 

「私は」

 

 『七人御先』から。

 『九尾の狐』へと。

 彼女の宿す力の形が、変わっていく。

 

「私は、死にたくなかった。でも……

 私のために死んでくれそうな人が、私の近くにいてくれた」

 

 千景の服が、赤色の十二単(じゅうにひとえ)に変わる。

 千景の綺麗な黒髪がさらりと流れて服装に映え、純和風の日本美人を作り上げる。

 ちょこん、と、千景の頭に"狐の耳"が生えた。

 十二単の服の下から、生える尻尾は狐の九尾。

 

「それが『愛』なら―――私のこれも、きっと『愛』」

 

 カミーラの歪んだ愛は、絶望を生む環境を作り上げた。

 歪んだ愛は、竜胆をとことん追い込み、今も彼を闇に堕とそうとしている。

 計算外がなければ、全てはカミーラの計画通りに行っていたはずだった。

 歪んだ愛が、勝利していたはずだった。

 なればこそ、この『計算外』はカミーラの計画の全てを打ち砕く。

 

 歪んだ闇の愛は、真っ直ぐな光の愛には敵わない。

 

 不幸を与える女の闇の祝福は、幸福を願う女の光の呪願に打ち砕かれる。

 

 

 

 

 

 精霊・玉藻前の能力は、『呪力操作』。

 雑魚は瞬時に呪って殺す。

 強者も呪いでじわりと殺す。

 そして―――神の祟りにさえも、その力は届き得る。

 

 九尾の狐は、中国においては天界の神獣。

 その身には神通力が宿っている。

 天の神の絶大な力に真っ向から対抗できるほどのものではないが、強い力と強い意思にて祟りに抵抗している者ならば、その祟りから一時的に解放することは可能であった。

 

 現在の大侵攻の軍勢の中で、天の神の支配に明確に逆らう意思を持つ者は二体のみ。

 

 コダラー、シラリー。この二体である。

 

 その二体が、神の祟りより解放された。

 

「……なんてことだ」

 

 解放されたコダラーとシラリーは、大侵攻の軍勢に雷撃とレーザーを一発かまし、四国と人間達を守るように、四国結界を背にしてバーテックスに相対する。

 これ以上無いほどに明確な、竜胆達の味方に付いたという意思表示。

 

「味方が、増えた……!」

 

 変身したティガとガイアが、コダラーとシラリーと並び立つ。

 コダラーはティガを見て頷き、シラリーはガイアを見て頷いた。

 共に戦おう、と言わんばかりに。

 

『勝ち目、出てきたんじゃないですか、大地先輩』

 

『がっはっは、まだまだ劣勢! だが、希望は見えてきたな』

 

 ティガダーク。

 ウルトラマンガイア。

 コダラー。

 シラリー。

 星と人々を守る二人と二体。

 

 そして勇者達も彼らと並び立ち、四つの巨体と四人の勇者が勢揃いする。

 

『―――行くぞ、皆っ!!』

 

 これが現状の最大戦力。人の最後の方舟を守る、最終最後の防衛戦力。

 

 大侵攻を打ち砕くため、この星を守るため、皆で共にこの星の上で生きるため―――地球を守らんとする八の戦士が、その手に強く拳を握った。

 

 

 




 玉藻前。時拳時花世界線では引かなかった精霊ですね

【原典とか混じえた解説】

●玉藻前
 日本三大悪妖怪……という、ネット上の作られた定義において、酒呑童子と崇徳院(大天狗)に並び称される存在。
 日本三大妖怪という古い定義、日本三大悪妖怪という最新の定義、どちらにおいても名が挙がる最新にして最古の存在。
 その逸話にはとても呪いに関するものが多い、九尾の狐の大妖である。
 発現する能力は呪力干渉。
 神獣・九尾の狐と同一視されるがために、神通力としての側面も持つ。

 以下、乃木若葉が勇者であるの著者朱白あおい氏と原案タカヒロ氏特別対談より引用

「そうですね、もし千景が勇者として最終決戦まで生きていたなら、
 玉藻前を宿していたんじゃないかな、と思います。
 性格的にもピッタリ適合するでしょうし。
 僕自身としても、いつかその千景の勇姿を見てみたいですね」

 待ってても来ない、一年経ったぞ、しゃあねえ書くか! ができるのが二次創作のいいところ

●余談
 日本三大悪妖怪のページが出来たのが2009年8月1日で、日本三大妖怪のページが出来たのが2009年7月25日ってくらいなんですよね、Wikipedia。
 Wikipediaの玉藻前や酒呑童子のページに『日本三大悪妖怪』が記載されたのが2005年で、それより以前の書籍で『日本三大悪妖怪』の記載は発見されず、当時の研究によれば実在の書籍で『日本三大悪妖怪』と記載されたものは、最古でも2008年のものだったとか。
 当時の人達はよく研究して検証したなあ、って感嘆してしまいます。

 現代における"人間という集団"が生み出した幻想にして最新のファンタジー、って感じがして自分は好きです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大侵攻 -デッド・オア・アライブ-

 コダラーとシラリーって最低でも200万年前から生きてるんですよね
 原作グレートのエピソードではその時代の古代文明を滅ぼした設定なので
 ティガの力は三千万年前から地球に残っていて、度々誰かに力を貸しているもの
 ガイアの光やアグルの光も、地球がある限りいつの時代に存在してもおかしくないものです
 彼らは過去に面識があるかもしれませんし、面識はないかもしれません
 彼らは昔に共闘したことがあるかもしれませんし、ないかもしれません
 コダラーとシラリーが人にそれを教えてくれることはありません

 さて、大侵攻です。音楽でも聞きながらまったりどうぞ
https://www.youtube.com/watch?v=Q7ioLlRztKg


 天秤(ライブラ)の盾を片手に、切れ味鋭い剣を片手に、エンマーゴがティガブラストに切り込んだ。

 ティガトルネードの旋刃盤が、エンマーゴの剣を弾いて盾にて強打(シールドバッシュ)

 エンマーゴが盾にて防ぎ、盾と盾がぶつかるが、エンマーゴが力負けして一方的にその体を浮かされる。

 

 ティガブラストの光を纏った手刀連撃が、体の浮いたエンマーゴに向け放たれた。

 通常ならば、これで決まる。

 だがエンマーゴの剣技は異常なまでに卓越していた。

 体が浮いた状態で、肩と肘と手首だけで剣を振り、ティガブラストの両手手刀の剣戟を、十数回に渡って切り弾いていた。

 

 ここまでの攻防に要した時間は、普通の人間がまばたきを一度する時間の半分以下。

 エンマーゴの体が浮いて、重力に引かれて落ちるまでの一瞬の刹那。

 その刹那に、竜胆は手刀の中に凍結光線(ティガフリーザー)を織り交ぜた。

 巨人の手刀と、怪物の剣がぶつかり合う軌跡の合間を、光線が抜けていく。

 

『まず』

 

 エンマーゴの体が凍り、剣捌きが止まり、両手の手刀がエンマーゴの首をハサミのように挟み込む。

 

『一体!』

 

 エンマーゴの首が飛び、シールドバッシュで浮いていた体が地に落ちる。

 

『っ』

 

 だが一対一にだけ集中していられるほど、この戦場は生易しくはない。

 アクエリウス・アクエリアスのロケット攻撃、ブリッツブロッツの光弾、ゼブブの放電、ゼルガノイドの必殺光線が、四方からティガを狙った。

 必殺の包囲攻撃である。

 

 されど今は、かつてはいなかった仲間がいる。

 シラリーがその巨体と大翼で、ティガを包み込んだ。

 四方八方から飛んで来た攻撃も、吸収能力を持つシラリーに覆われたティガの体には届かない。

 

『ありがとう』

 

 ティガの感謝の言葉に、シラリーは頷いた。

 とても首の長い二足歩行のドラゴンたるシラリーが頷き、その首が動くと、それだけでかなりの迫力があった。

 

 タイラントが火を吹く。

 レオ・アントラーが火球を放つ。

 キリエロイドが獄炎弾を発射する。

 狙われたのは、四人の勇者達。

 

 その時、コダラーが吠え、勇者達を守るように飛び込んだ。

 

 全ての炎攻撃を吸収し、一点集中、倍の威力にして返す。

 タイラント、レオ、キリエロイドは必死にかわしたが、反射炎はそのまま直進、遥か彼方のサジタリウス・スノーゴンに向けて飛んで行った。

 大慌てで、吹雪をぶつけるスノーゴンだが、業火に吹雪は焼け石に水。

 抵抗にすらならず、業火に飲まれてあっという間に消し飛んでしまった。

 

 コダラーはエネルギーをそのまま反射するのではなく、一旦吸収し、反射をするかしないか・どう反射するかさえ自由自在だ。

 更には反射した時、その威力は倍になっている。

 これに耐えられるわけがない。

 

「……高嶋さん!」

 

「頼もしいね! さあ行こう、ぐんちゃん!」

 

 そうしてコダラーが盾になっている隙に、千景/玉藻前が右腕を掲げ、友奈/酒呑童子が右拳を握り締めて踏み込んだ。

 千景の右腕から放たれた『呪詛』がキリエロイドを蝕み、眉間の強度を引き下げる。

 間髪入れず叩き込まれた友奈の拳が、酒呑童子の力を一点集中で眉間に炸裂させ、叩き込まれた拳がその脳髄を破壊した。

 

 千景と友奈の息の合ったコンビネーションに、強大な精霊の二段重ねの破壊力は凄まじい。

 後衛砲台と後方支援が、玉藻前を宿した千景のポジションであり、それを酒呑童子の絶大な威力の拳に加えれば、まさに"鬼に金棒"である。

 アクエリアス・アクエリウスの水攻撃、ヴァルゴ・アプラサールの広範囲爆撃が飛んできたが、友奈が後方に跳ぶと、友奈と千景をまとめてコダラーの腕が守ってくれる。

 

「ありがとう!」

 

 友奈が可愛らしい笑顔でお礼を言えば、コダラーは厳つい顔で頷いて、ヴァルゴにエネルギーをそのまま反射したのだが、万物透過能力でスルー。

 ヴァルゴを仕留められなかったコダラーは、露骨にイラッとした顔をしていた。

 

 コダラーの足元で庇われている杏が、精霊をその身に宿して狙いを定める。

 彼女が狙える位置には、アンタレス・スコーピオンがいた。

 球子を殺した、杏にとっても因縁の的。

 なればこそ、ボウガンを握る手に力が入り、心は熱く、頭は冷える。

 

「……二度と、誰も、殺させない!」

 

 スコーピオンが勇者達を狙って撃った針を吹雪が逸らし、収束された吹雪がスコーピオンの足に集中して命中した。

 ここは四国から見て北方、海をスノーゴンが凍らせて作った氷の大地。

 その上に足を乗せているのなら、スコーピオンの足を地面に接着することなど、伊予島杏と雪女郎には朝飯前である。

 

 そうして、()()()()()()に、足を止められたスコーピオンは、唯一の遠距離攻撃手段である尻尾を前に出してくる。

 

「今です若葉さん!」

 

 その尻尾を、吹雪に紛れて接近していた若葉の大太刀が、切り上げにて切り飛ばした。

 スコーピオンの必殺の尻尾が宙を舞い、若葉がそれを抱きしめて飛び、大天狗の力で最高速度まで加速して、隕石の如くスコーピオンの頭へと体当たりした。

 

 大天狗の速度とパワーで、必殺の尻尾がスコーピオンの頭に突き刺さる。

 それが、スコーピオンを一撃にて絶命させていた。

 

「若葉さん後退を!」

 

「ああ!」

 

 50mのマザーディーンツ総勢五体が、若葉を問答無用で溶かす溶解光線を発射する。

 若葉は、人間の虫取り網をかわすトンボの動きを数十倍にまで加速したような機敏な動きで、その光線をかわしながら一気に後退。

 一定ラインまで下がったところで、コダラーが全ての光線を反射してくれた。

 

 他生物を強制的に溶解肉塊に変えるマザーディーンツが、光線をそのまま反射され、逆に五体全てが溶けた肉塊に変えられてしまう。

 大天狗が天上を焼いた火を放てば、ディーンツ達はその大半があっという間に燃え尽きた。

 

 やはり、シラリーもコダラーも強い。

 インファイトも十分過ぎるほどに強いが、あらゆるエネルギーを吸収して利用する能力が、他者との共闘においてあまりにも強すぎる。

 最強の盾と究極の盾が、自らの意志で人を守っているようなものだ。

 相互に助け合える位置取りを意識しておけば、コダラーとシラリーを使って敵を的確に追い込んでいけるかもしれない。

 

 問題は、今ガイアが一人で相手をしている、ギガバーサークなどであった。

 

(やはり、こいつはヤバい。ワシじゃ勝てん。

 ゼブブ、ブリッツブロッツ、ギガバーサーク、タイラント。

 このあたりは明らかに『量産』がされていない……力の入った強個体……!)

 

 あまりにも大きい。

 あまりにも硬い。

 あまりにも重い。

 あまりにもパワーが高い。

 だから殴っても、炎の必殺光線(クァンタムストリーム)を当てても、倒せるどころかビクともしない。

 それが、ギガバーサークという存在の恐ろしさであった。

 

 空中を飛び回り、ギガバーサークの放つ巨大光弾や高電圧が流れる鎖をかわしながら、ガイアは"残る敵はどのくらいだ"と思考し、周囲に視線を走らせる。

 そこで気付いた。

 ブルトンの姿が、一体も見えない。

 

『うおっ!?』

 

 空を飛んでいたガイアが、空間を捻じ曲げられ地面に叩き落とされる。

 ブルトンは居ないのではない。

 そこにいたが、空間が捻じ曲げられていたせいで、誰も視認できていなかったのだ。

 ガイアは両手の指で数え切れないほどのブルトンを見やり、そこで気付く。

 

(待てよ、これだけ空間が捻じ曲げられているのなら……怪獣の現在位置は……)

 

 ブルトンが、空間を捻じ曲げて、自分の姿を見せないようにしていたのなら……他の怪獣の一部の姿も同様に、見えなくなっているのでは?

 そう気付いた時には、時既に遅し。

 四国を囲む四国結界の壁を越え、カプリコーン・タイラントが、四国の領域へと足を踏み入れてしまっていた。

 

『しまった!』

 

 結界の外で市民を巻き込まず敵を倒すという机上の空論は弾けて砕け、四国の全ての人間が、大侵攻の軍勢を目にする次の段階がやって来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タイラントの結界侵入を皮切りに、次々とバーテックスが結界内に侵入を開始する。

 樹海化がカットされた四国結界は、多くのブルトンの干渉を受けながらもメタフィールド効果を発生させていたが、もはや戦いを市民から隠す効果を持てない。

 

 ある者は、悲鳴を上げた。

 ある者は、恐怖で半ば発狂した。

 ある者は、世界の終わりを見て諦めた。

 ある者は、「何してるんだ」と勇者や巨人に毒づいた。

 ある者は、「頑張って」と竜胆達の勝利を願った。

 正樹圭吾は、慌てず騒がず仕事をこなした。

 安芸真鈴は、神樹の神に皆の無事を祈った。

 上里ひなたは、勝利を信じ、手を合わせて瞳を閉じた。

 

 何体ものバーテックスが四国へと接近する中、結界外から飛び込んでくる一つの黒い影。

 

 バーテックス達が炎や雷で市街地への攻撃を開始したのと、ティガブラストがバーテックスと街の間に割って入ったのは、ほぼ同時であった。

 

『させねえよ、絶対に!』

 

 ティガブラストが、体を張って街を守る。

 超高速で飛び回り、光を宿した手刀にて敵の攻撃を斬撃一閃。

 街に傷一つ付けないままに、敵の攻撃の全てを切り落としていった。

 

 ギガバーサークの巨大光弾を切り落とせば、光弾の巨大さに飲み込まれる。

 タイラントが収束して吐き出した炎を切り落とせば、強力な炎に肌を焼かれる。

 アクエリウスのロケット攻撃を切り落とすと、必ずロケットの爆風にやられる。

 四国上空に来たヴァルゴの爆撃を全て叩き落とすには、爆撃を切り落としながらもその体で受け止めていかなければならなかった。

 

 それを延々と繰り返す。

 攻撃力と防御力を低下させ、スピードとテクニックを向上させるティガブラストは、確かに多くの攻撃から街を守るのには最適だった。

 だが、ティガが自分を守るという点で見れば、最悪だった。

 

 たった一人で街を守ることの代償は、敵の全ての攻撃を全てその身で受け止めること。

 人々が見上げる青い空を縦横無尽に飛び回り、ティガブラストは街を守る。

 青い光と紫の光が空に綺麗な軌跡を描き、二つが混じり合った青紫の竜胆色が、街に降り注ぐ柔らかな光の粒になっていく。

 その光の粒は、とても美しかったけれども。

 見ようによっては、ティガが流す血のしずくにも見えた。

 

 光の血を流しながら、ティガは街を守り続ける。

 勝つためではなく、倒すためでもなく、守るために飛び回る。

 そんなティガを見て、ある者は目を逸らした。

 ある者は目を逸らせなかった。

 ある者はその背中に見惚れた。

 超遠距離から空のティガへと放たれたEXゴモラのEX超振動波が、ティガの全身を余すことなく粉砕していく。

 

『ぐうううううっ……!!』

 

 体を文字通りにほとんどバラバラにしながら、ティガは海岸線に落ちていった。

 メタフィールドの強化効果のおかげでティガは街をまだ守れているんだな、とこの状況をプラスに捉えるべきなのか。

 メタフィールドの強化効果があってギリギリティガは死なずに済んでいるぞ、とこの状況をプラスに捉えるべきなのか。

 何にせよ、プラスに捉えるにも限界がある。

 

『負けっ……るっ……かッ……!!』

 

 ただただ、人を守るウルトラマン。

 ただただ、人を殺すバーテックス。

 

 人は醜い。

 だから滅ぼす。

 人は美しい。

 だから守る。

 

 結局のところその主張のぶつかり合いは、どちらも間違ってはいないのかもしれない。

 

 優しい人間達を殺すバーテックスは間違っている、と言うこともできる。

 あんな醜い人間達も守るウルトラマンは間違っている、と言うこともできる。

 物は言いようだ。

 最大の違いは、戦いの中で彼らが奮い立たせる心を覗いて見れば分かるだろう。

 竜胆の中には『愛』があり、バーテックスには『愛』がない。

 それが全てだ。

 ゆえにこそ、人を守る者(ウルトラマン)人を殺す者(バーテックス)に和平交渉などはなく、相争う。

 

『俺達の世界は……滅びたりしない!』

 

 海に移動を阻害されない飛行タイプのバーテックス……ヴァルゴ、タウラス、レオ、星屑、そしてブリッツブロッツが飛んで来るのが見えた。

 タウラスの音響攻撃とレオの火球攻撃を牽制光弾(ハンドスラッシュ)で封じながら飛び、ヴァルゴにティガ・ホールド光波を叩き込んで透過能力を封印し、星屑をハンドスラッシュで蹴散らして街を守り、最後にブリッツブロッツに―――対応は、間に合わなかった。

 

 当たり前だ。

 この数全てに的確な反撃と対応を叩き込むことなど、到底間に合うはずがない。

 強き個体は、片手間に対処して倒せるほどに弱くはないのだ。

 ブリッツブロッツの掌底が、ティガの胸に当たる。

 

『がっ―――』

 

 一瞬遅れ、苦し紛れのティガの手刀がブリッツブロッツの喉を浅く切り裂いた。

 喉を抑えて、ブリッツブロッツがティガから離れる。

 ブリッツブロッツの手が触れたティガの胸のあたりは、カラータイマーも含めてズタズタになっていた。

 

『―――う、ぐ、あ』

 

 破滅魔人ブリッツブロッツ。

 その最も恐ろしい能力は、相手のカラータイマーにその手で触れることで、カラータイマーをズタズタにしながら全てのエネルギーを抜き取ってしまう力だ。

 胸に触れられればほぼ、終わり。

 エネルギーは尽き、ウルトラマンは即座に消滅させられてしまう。

 

 ティガがそれを乗り切れたのは、竜胆が異常な反応速度で即座に反撃し、ブリッツブロッツを引き剥がしたからだ。

 エネルギーを吸われたのはほぼ一瞬。

 だがその一瞬で、ティガのエネルギーも随分吸われてしまった。

 

 総エネルギーの二割……活動時間に換算して36秒ほどを、削り取られた。

 残り時間が一気に30秒以上削られて、戦う力を抉られた倦怠感がティガの全身を包む。

 意識が薄れ、ティガが落ちていく。

 夢見るように、竜胆は過去の記憶の中へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 若葉には意外と知識があることを、付き合いの長い人は知っている。

 竜胆もまた、付き合う内にそういう彼女の一面を理解していった。

 例えるならば、若葉はポケモンで『四つの技を』『全部同じタイプの』『タイプ一致攻撃技』で埋めるタイプの子であるだけで、ポケモンの知識は十分にある子なのだ。

 日本や香川の伝統などに関しては、勇者の中で一番に知識があると言っても過言ではなかった。

 

 だから彼女は、竜胆の名字についても、竜胆以上に知っている。

 

「お前の名字は、よくよく人を守るという意味を持つな」

 

「? 俺の名字?」

 

 特訓の合間の、休憩の中の、若葉と竜胆の語り合いの一幕。

 

御守(みもり)御守(おまも)りは同じ漢字を持つ。

 御守りは災厄から人を守り、祟り神からも守るなどというものもあるんだ」

 

「へー……」

 

「それに、名字の『御守』なら、私の精霊とも因縁が浅くない逸話がある」

 

「精霊……って、義経とか、大天狗とか?」

 

「義経の方だ。

 平安時代、義経の兄・頼朝が敗走中の窮地に、頼朝を善意で守った者がいた。

 頼朝はいたく感激し、その者に『御守(おんもり)』の名字を与えたという。

 御守(おんもり)は転じて御守(みもり)となった。

 お前の名字は、おそらくだが、お前の先祖が人を守った結果貰ったものなのだろう」

 

「おお、そりゃすごい」

 

 ずっとずっと昔の、竜胆のご先祖様かもしれない、一人の男のエピソード。

 

「お前の名字が教えてくれる」

 

 名は体を表す、と言うが。

 親が付けてくれた名前がその人間の性質を表すこともあれば、先祖代々受け継がれた名字に、その人間の性質を見ることもできるだろう。

 

「竜胆の中に流れる血が大昔から、"人を守る者"のものであったということを、な」

 

 若葉に言われたことが、竜胆はなんだか、無性に嬉しくてたまらなかった。

 

「お前は血脈からして筋金入りだ。

 遺伝子レベルで人を守る人間なのだろうな。

 守るのと殺すのなら、お前は守ることの方が似合っている」

 

 お前は守っていいんだ、と言われた気がして。

 一緒に守ろう、と言われた気がして。

 何かを守ろうとした時、彼女はいつも力を貸してくれるのだと、そう思えた。

 

 

 

 

 

 気を失ったティガが墜落していき、ブリッツブロッツが追撃をかける。

 振り上げられる鋭い爪。

 されど、ティガの喉に突き立てられそうになっていたその爪を、割り込んだ剣が切って弾いた。

 

 天狗の爪を切って弾くは、天狗の剣。

 天狗の翼を羽ばたかせるブリッツブロッツの眼前を、天狗の翼を羽ばたかせた若葉が舞った。

 大太刀を構え、若葉は気を失ったティガを守る。

 

「この男は」

 

 戦闘力差は十倍か、百倍か、ひょっとしたらもっと大きいか。

 にもかかわらず、若葉の表情に怯えはない。その剣筋に迷いもない。

 突き出されるブリッツブロッツの爪の連打、放たれる光弾を、炎を纏った若葉の大太刀が的確な角度と力で切り弾いていった。

 

「この男は、お前達が殺していいほど、安い男ではない―――!!」

 

 力の差は歴然。

 なのに防御が成立しているのは、熟達した若葉の技と、的確な判断を可能とする動体視力と……何よりも、気合いの凄まじさだ。

 一瞬一瞬に自分の限界を越えていくような若葉の剣閃。

 それが、ブリッツブロッツの魔の手からティガを守りきっていく。

 

 ピッ、と、ブリッツブロッツの頬に小さな切り傷が一つ。

 すばしっこく飛び回っていた若葉の全力の反撃が、ブリッツブロッツの頬に小さな傷を付けたのだ。

 若葉は叫ぶ。

 

「起きろ、竜胆っ!」

 

 落ちていくティガ。

 一度ティガを狙うのをやめ、本気で若葉を狙い始めたブリッツブロッツ。

 ブリッツブロッツが本気を出して狙ってくれば、十秒と保たないと自覚している若葉。

 巨大な天狗の本気の魔手が、小さな天狗の命に迫る。

 

『う―――』

 

 なればこそ、竜胆が、こんな状況で寝ていられるわけもなく。

 

『―――あああああああッ!!』

 

 ティガブラストの光斬手刀(スラップショット)が、若葉に向け伸ばされたブリッツブロッツの左腕を深く切り裂き、若葉を救った。

 若葉とティガブラストが急降下し、飛べない仲間達との合流を目指す。

 

『!』

 

 そこに介入するは、ピスケス、キャンサー、ゴモラの三体。

 ピスケス・サイコメザードが放電し、ティガと若葉は回避した結果引き離されてしまう。

 孤立したティガへキャンサー・ザニカが泡を吐き、視界を塞ぐ。

 そして回りが見えなくなったティガへと、EXゴモラが伸縮自在の尾を伸ばした。

 EXゴモラの尾先は、並みのウルトラマンのバリア程度なら打ち貫く。

 

(この音、攻撃!? どこからだ!?)

 

 音でゴモラの尾の接近を知覚しても、尾が来る方向が分からない。

 ティガは焦り、ゴモラはよく狙ってティガの脳味噌を粉砕する軌道に尾を乗せ、殺害を確信したキャンサーがハサミを打ち鳴らし―――ゴモラが、転んだ。

 尾先が明後日の方向へと伸びていく。

 

「はあああああああっ!!」

 

 何が起きた、とバーテックス達が状況を把握する前に、ゴモラのカカトを殴って転ばせた友奈がキャンサーに殴りかかる。

 酒呑童子のパワーなら、カカトを殴って転ばせられる。

 全身が転べば、尻尾も一緒に巻き込まれる。

 ティガを助ける、友奈のインターセプトであった。

 

 友奈のパワーがEXゴモラのパワーを上回った……なんて、ことはないが。

 力をぶつける場所さえ間違えなければ、小石だって人間を転ばせることはできる。

 そしてキャンサーは、以前友奈に殴って粉砕されている。

 キャンサーからすれば、一番来てほしくない勇者であった。

 

 キャンサーが飛び道具を反射する反射板を展開する。

 ピスケスはキャンサーの援護をすべく、幻術準備。

 EXゴモラも必死に素早く立ち上がろうとしていた。

 

 その一瞬、竜胆、友奈、若葉の呼吸が完全に合う。

 

 キャンサーの反射板の合間を駆け抜け、友奈がキャンサーを殴り飛ばす。

 ピスケスの背後にティガが回って、ハイキックで蹴り飛ばす。

 EXゴモラの顔面を、若葉の炎が焼き尽くす。

 

 そうして、前が見えなくなったゴモラに、キャンサーとピスケスがぶつかった。

 

 仲間にぶつかり混乱したキャンサーの眉間に、若葉の剣が突き刺さる。

 ピスケスの肉体を、友奈の拳が真正面から粉砕する。

 前が見えないEXゴモラへと、デラシウム光流が叩き込まれる。

 

「「『 よし! 』」」

 

 三体のバーテックスが大爆発し、ティガ・友奈・若葉の声が揃った。

 呼吸も揃えて、声も揃えて。

 互いが互いの考えを、理解しながら行う連携。

 心の絆が生み出す力を、如実に見せつけるかのような三対三だった。

 

 だが、仲間を見捨てない連携が人間の強みなら、バーテックスには仲間をいくらでも見捨てられる連携の強みがある。

 仲間を犠牲にし、結果論の連携を成立させる悪辣な攻め手を選ぶことができる。

 

 "仲間達が死ぬのを待って"、精神寄生体達は動き始めた。

 敵を倒した一瞬の心の緩みを狙い、友奈や若葉の背後から迫る。

 精神に寄生し、同化し、操っての同士討ちを狙う。

 精神寄生体達は、このチャンスをずっと待っていた。

 

 そしてその蛮行を、郡千景は許さなかった。

 

「ここはもう、私の領域よ」

 

 精神寄生体達が、何かに阻まれ、友奈と若葉に辿り着けない。

 彼らは何もできぬまま、呪殺され消滅していった。

 これは、千景が展開した玉藻前の力の領域。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 玉藻前は人の心を操る九尾の妖狐。精神干渉系などお手の物である。

 千景がやろうと思えば、不意を打って竜胆と友奈を愛の奴隷にすることだってできるかもしれない。やらないだろうが。

 その呪術は心を呪う。ゆえに、心を守ることもできる。

 

 かつてピスケスに操られて竜胆を攻撃した苦い記憶が、千景に"そういったもの"を無効化し、仲間を守るための技を身に着けさせていた。

 

『ナイス、ちーちゃん! ありがとう!』

 

「感謝は行動で示して」

 

『ああ、戦いが終わった後にでもな!』

 

 残るは双子座、水瓶座、乙女座、牡牛座、獅子座。

 大小様々なアリエスのディーンツ、ゼルガノイド、ギガバーサーク。

 ブリッツブロッツ、ゼブブ、そしてカプリコーン・タイラント。

 加えて、星屑が二千体ほど。

 ……結構な時間とエネルギーを費やしたにもかかわらず、特に厄介な個体はそのまま残っている上、まだまだかなりの数の大型が残ってしまっている。

 

 ブリッツブロッツに活動時間を削られたティガのカラータイマーが、点滅を始めた。

 

(あと一分……!)

 

 レオ・アントラーは磁力を放射。

 タウラス・ドギューは音波攻撃を放射。

 アクエリアス・アクエリウスは、不定形の水の弾丸を発射。

 全員が、防御し辛い攻撃をした……の、だが。

 

 海棲生物であるコダラーが、ヴァルゴを殴り潰して、海を泳いですっ飛んでくる。

 飛行生物であるシラリーが、ディーンツ全てをレーザーで焼き払い、その翼ですっ飛んで来る。

 割り込んだコダラーとシラリーは、なんとも意味の分からないことに、『磁力も音波も水の弾丸も、全て吸収か反射してしまった』。

 コダラーが照準を合わせたタウラスが、粉々に吹っ飛んでいく。

 

『今日のMVPは本当にちーちゃんだな』

 

「あの二体の怪獣が強いだけよ」

 

『それを味方につけてくれたのがちーちゃんだろ!』

 

 ティガは一匹残らずレーザーで焼き尽くされたディーンツ達を踏み越えながら、四国に上陸し、地面を踏もうとするタイラントの足に組み付いた。

 

(あのレベルの地震なんて起こされたら街の人全員死ぬ……!)

 

 タイラントの足をティガトルネードで抱え、飛翔し、海の中に再び投げ込む。

 上陸を遅延させるだけの時間稼ぎだが、この状況では絶対に必要なことだった。

 

 もはやこのレベルの戦いになると、海で足止めできず四国に上陸された時点で、四国の人間を皆殺しにできるバーテックスがゴロゴロ出て来る。

 例えば、今上陸しかけていた地震と津波使いのタイラント。

 例えば、まだ上陸はしていない990mのギガバーサーク。

 例えば、四国全土を焦土にしてもエネルギーが切れないゼルガノイド。

 例えば……今、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(クソっ、かなり、かなり理想的に戦いを進められてるはずなのに)

 

 シラリーがギガバーサークを足止めしようとしているが、苦戦している。

 コダラーがブリッツブロッツ、ゼブブ、ゼルガノイドに囲まれ、殺されそうになっている。

 勇者達はコダラーの援護に向かっていた。

 

(それでも、手が足りない……!)

 

 竜胆が海の上を転がってくるブルトンに、ハンドスラッシュを連射する。

 だが駄目だ。

 空間が捻じ曲げられて、一発もブルトン達に当たらない。

 いや、当たったとしても倒せたかどうか怪しいものだ。

 ブルトンは徒党を組んで、津波のように海の上を転がってくる。

 他のバーテックス達も、小型大型問わず津波のように押し寄せてきて、竜胆達ではそれを押し返すことが敵わない。

 

 ()()()()()()。竜胆の心に、ほんの僅かな弱気が湧いた。

 

「りっくん先輩! 私達の背後には……沢山の人がいるんだよ!」

 

 その弱気を、杏の叫びが蹴り飛ばす。

 海を通って四国に上陸しようとするバーテックスを、片っ端から海ごと凍らせ、凍った海を用いてなんとか時間を稼ぐ。

 海の上を転がって来るブルトンを、凍った海に接着して進軍の邪魔をする。

 諦めない杏の頑張りが、また少しの希望をくれた。

 

『―――ああ、分かってる!』

 

 戦いの最中、ティガとガイアが肩を並べる。

 

『声、合わせろよ! 御守!』

『合わせるのは息でしょう!』

 

 二人は同時に、腰だめに構えた。

 

『ハンドスラッシュ!』

『ガイアスラッシュ!』

 

 二人の手から放たれた光弾が、双子座の小さなレッドギラス&ブラックギラスに命中、木っ端微塵に粉砕する。

 更に二人は跳び上がり、アクエリアス・アクエリウスへと飛びかかる。

 

『ティガフリーザー!』

『ガイアブリザード!』

 

 水を操る水瓶座へと、冷気攻撃を叩き込むという的確な戦法。

 アクエリアスはあっという間に氷漬けになり、ティガ&ガイアのダブル飛び蹴りがそこに炸裂、氷漬けになったバーテックスの体を粉砕した。

 時間が足りない。

 手が足りない。

 四国へと侵入を果たした星屑が、あと一秒で市街地へと突入してしまう。

 

『『 ダブル・スペシウム光線ッ!! 』』

 

 それを、アグルがティガに教えた光線と、ガイアの合体光線が阻止した。

 薙ぎ払われる星屑達。

 街は何とか守られたが、ティガとガイアが肩で息をし始める。

 

 敵を倒せば次の敵、倒せなくても次の敵。

 右を見ても左を見ても敵が居て、すぐ近くには人住む市街地。

 一体でも後ろに通してしまえば、大虐殺は目に見えている。

 

 ガイアが炎の必殺光線(クァンタムストリーム)でブルトン軍団を薙ぎ払おうとして、予想以上の耐久力に全体は倒しきれない事実に歯噛みし、あまりの疲労に膝をつく。

 

(いかん、ワシも、こんなに光線連発したのは初めてじゃ……)

 

 膝をついたガイアの胸に、ゼルガノイドの必殺技・ソルジェント光線が突き刺さった。

 

『ぐあっ……き、効いたっ……なんじゃこの威力……!』

 

『大地先輩!』

 

 ガイアの消耗とダメージが、とうとう胸のライフゲージを点滅させる。

 

 敵はまだ、数百体の星屑、十数体のブルトン。

 レオ・アントラー、ゼルガノイド。

 ギガバーサークに、ブリッツブロッツに、ゼブブに、カプリコーン・タイラント。

 

 ティガの残り活動時間も30秒を切っていた。

 

『―――フォトンエッジッ!!』

 

『―――デラシウム光流ッ!!』

 

 ゼルガノイドに向けて放たれたガイアの必殺・フォトンエッジは、無敵バリアを貼ったゼブブが割り込んで来たことで、笑い混じりに弾かれる。

 ギガバーサークに向けて放たれたティガの必殺・デラシウム光流は、ギガバーサークの装甲に当たって"ガンッ"という音を鳴らす。

 けれど、それだけ。

 装甲が傷付き凹みはしたが、ただそれだけで、いとも容易く弾かれてしまっていた。

 

『……ここまでやっても、ここまで味方に寝返らせても、駄目なのか……!』

 

 雑魚は多くを片付けた。

 だが、残った強い個体が、ウルトラマン達が一対一でも勝ち目の薄い強個体の軍勢が、どうやっても仕留めきれない。

 残り時間が足りない。

 エネルギーが足りない。

 手が足りない。

 戦力の質と数が、足りていない。

 

 ブリッツブロッツが天狗の羽を折りたたみ、強力な光弾をコダラーに向けて発射した。

 コダラーが受け止め、倍の威力にして反射する。

 反射されたそれを―――ブリッツブロッツの胸部器官が吸収し、倍の威力にして反射した。

 

 コダラーが受け止め、それを倍の威力にして返し。

 ブリッツブロッツはそれすら受け止め、倍の威力にして返す。

 コダラーが必死に受け止め、倍の威力にして返す。

 それすら受け止め、ブリッツブロッツは倍の威力にして返す。

 もう無理だ。

 次は受け止められない。

 次は返せない。

 64倍化した威力の光線を返すなんて不可能だ。

 光線の反射合戦は、祟りの紋によって底力を増していたブリッツブロッツに軍配が上がった。

 

 コダラーは反射された光線を、転がるように飛んでかわそうとする。

 だが、その一歩を踏み出す前に。

 コダラーは、自分がその光線を避けた場合、その光線が当たってしまう人間達の姿を見てしまった。地球が愛した命が、そこにいることに気付いてしまった。

 

 コダラーの後ろには、千景と友奈。

 

 だからコダラーは、動かなかった。避けられなかった。

 

 64倍化された光弾が、コダラーとブリッツブロッツが延々と強化した光弾が、コダラーの胸に直撃する。

 そして―――コダラーは、その体の内側から、爆散した。

 死体の原型が残らないほどに、木っ端微塵に爆散した。

 

「―――え」

 

 呆然とする勇者達をよそに、シラリーが吠える。

 獣の叫び。

 いや、竜の叫びか。

 コダラーの死に、シラリーがバーテックス達へと向けて咆哮する。

 

(お前……そうか、そういうことか。ワシにも……その気持ちは分かる)

 

 その咆哮に、ガイア/大地だけが、共感を覚えていた。

 

 水色の相棒を殺された、シラリーの叫びが。

 青色の相棒を殺された時のガイアの想いと、シンクロしていた。

 コダラーを、アグルを、片割れを殺されたがゆえの怒り。

 

 それは、人間と似て非なる怪獣が持つ感情であったが、生物として精神構造が違うだけで、きっと『友情』や『仲間意識』と呼ばれるものだった。

 許さない、と言わんばかりに、シラリーが立ちはだかるギガバーサークに立ち向かっていく。

 腕のレーザー砲でギガバーサークをいくら撃っても、その巨体の表面に僅かな焦げ目がつくだけであったが、シラリーは怒りのままに撃ち続けた。

 

 巨大光弾を連打するギガバーサーク。

 シラリーはそれを吸収しながら突撃する。

 だが、それは囮だった。

 

 光弾を隠れ蓑にして伸ばしていた電流チェーンで、空を舞うシラリーを捕らえ、雁字搦めにするギガバーサーク。

 チェーンを鞭のように振り、シラリーを地面に叩きつける。

 そして、9900万tの体重をかけ、踏み潰した。

 

 ブヂッ、と嫌な音が鳴る。

 1億トンの踏みつけなど、普通の生物が耐えられるようなものではない。

 コダラーの仇を取ろうとしたシラリーも、またやられてしまう。

 

 そんなシラリーを見て、ゼブブが腹を抱えて笑っていた。

 

『……てめえっ!!』

 

 ティガダークの腕が唸りを上げて、無敵バリアを展開中のゼブブへと殴りかかる。

 だが、無駄だ。

 このバリアは破れない。

 西暦の基準を遥かに超えた超科学技術による分析でもなければ、ゼブブのバリアの攻略法は分からない。

 攻略法が分からないということは、倒せないということだ。

 

 ティガダークのスペックは、また少し上がっていた。

 怪獣の仲間が死んでも悲しむ心優しい竜胆を見て、愚か者を嘲るようにゼブブは笑う。

 無敵のバリアを身に纏うゼブブは、竜胆が心底忌み嫌う、"他人を一方的に攻撃し続ける"卑劣漢そのものだった。

 

 スパンッ、と、ゼブブの腕の刀がティガの両腕を切り飛ばす。

 だが竜胆は一瞬たりとも怯むことなく、腕なしの体でハイキック。

 バリアは突破できないものの、ハイキックが終わる頃には生え変わった二本の腕で、間断なくゼブブへと攻撃を仕掛けていった。

 

『諦めるか!』

 

 ティガが叫ぶ。

 

 その力強い叫びを聞き、ゼルガノイドの無限必殺光線を回避し続けていた友奈が、花のような微笑みを浮かべた。

 

「諦めないで!」

 

 二人の声を聞き、ブリッツブロッツと一人で相対していた若葉が、剣を強く握り締める。

 

「諦めるものか!」

 

 星屑を呪殺し、タイラントの足止めをし、レオにも攻撃を飛ばす千景もまた、『仲間の中でも特に好きな三人』の叫びに、心震わせる。

 

「……諦めない!」

 

 海を凍らせ、ブルトン軍団を必死に足止めしていた杏の心に、皆の叫びが力をくれる。

 

「諦めるわけがない!」

 

 もはや全員がギリギリだった。

 頑張って、踏ん張って、されどピンチの後にピンチが続く、絶え間のないピンチの連続。

 仲間と共に支え合い、仲間がくれた勇気の光を掴み立ち、諦めずに立ち向かい続ける。

 その心は、絢爛だった。

 その魂は、無敵だった。

 誰もが市街地に到達するギリギリのラインで、頑張って、踏ん張って、皆の世界と皆の街を守ってくれていた。

 

『……ああ、そうだ』

 

 そんな皆の姿が、ウルトラマンガイアに、ギガバーサークに立ち向かう勇気をくれる。

 これ以上の進軍を許せば、ギガバーサークは市街地を蹂躙する。

 それを止められる位置に居るのは、もはやウルトラマンガイアだけだった。

 

『その程度でワシらを折れると思ったか、うぬぼれじゃな』

 

 "人を滅ぼす"という邪悪な願いの詰まった、990mの巨体を、ガイアが見上げる。

 

『ここからは、一歩も退()がらん』

 

 最後の力が枯れようとも、ガイアがそこから後退することはない。

 

『貴様は、ここから一歩も通さん』

 

 大切なものを守るためなら、ウルトラマンはどこまでだって戦える。

 

『何も守れないのなら! ワシらがウルトラマンに選ばれた意味が無いっ!!』

 

 力任せに人を潰そうとする邪悪な願いに、負けてたまるものか。

 

『そうだろう―――カイトぉッ!!』

 

 友の名を叫び、ガイアは構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだよ」

 

「オレ、今でも信じてる」

 

「この星を救えるウルトラマンは、三ノ輪大地だって、信じてる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤と青の光が入り混じった、崇高な光の柱が屹立する。

 ティガが、勇者が、バーテックスが、その光を見て目を見開いた。

 一般市民は、その光のあまりのまばゆさに、直視することすらできなかった。

 

 地球は、ウルトラマンガイアを選んだ。

 ガイアに全てを託した。

 未来を守るために必要な全てを、ガイアに任せた。

 ガイアが負けたら地球の負けでいい、というレベルの全賭けをした。

 

 地球には命があり、意思がある。

 それを、ウルトラマン達の世界では『ビクトリウム』と呼んでいる。

 

 地球の力があり。

 地球の光があり。

 地球の意志があるのなら。

 それはいつも、「地球の子らに滅びるべき罪などない」と優しく語りかけている。

 

 地球は、地球の滅びも、地球人の滅びも認めてなどいない。受け入れてなどいない。

 だからこそ、ウルトラマンに地球人を選ぶのだ。

 この星を守り、地球というものの在るべき姿を守ってくれと、祈りながら。

 そうして生まれたウルトラマンは、片や『ガイア』、片や『アグル』と言った。

 

 ビクトリウムのエネルギーは、扱うために必要なツール、あるいは扱うに相応しい命でなければ正しく使えない。

 だが正しく使えるのなら、"エネルギーは無限大"と評されるだけのエネルギーを自由自在に使うことが出来る。

 地球の大地の光であるガイアに、地球の命(ビクトリウム)の力が使えぬわけがない。

 

 この星に生きる生きとし生ける全ての命の母、地球。

 

 母なる星・地球は、ウルトラマンガイアを選んだ。

 

 そして地球の命の力、その無限のエネルギーの全てを、ウルトラマンガイアに託した。

 

 

 

 

 

 それはきっと、天の神も、地の神も、誰もが知らない奇跡であった。

 

 

 

 

 

 赤きウルトラマン、ガイア。

 青きウルトラマン、アグル。

 人々は、二人のウルトラマンをそう区別していた。

 だが赤と青の光の柱が消えた後、そこにいたのは、『そのどちらでもないガイア』だった。

 

 赤と青と銀の体、胸周りを縁取る金色、それらを際立たせる黒いカラー。

 

 まるで、()()()()()()()()()()()()()ような、アグルの体色を体の一部にあしらっている、これまでになかった形のウルトラマンガイア。

 

『……至高の形態(スプリーム・ヴァージョン)

 

 既に、ライフゲージすら点滅していない。

 否、このウルトラマンガイアに、胸のライフゲージが点滅するという概念は無い。

 

 大地と海の光を合わせた、地球そのものを体現する、ウルトラマンガイアの最強形態。

 

『―――ウルトラマンガイア・スプリームヴァージョン。この名を、地獄の底まで持っていけ』

 

 ウルトラマンガイアSV。

 地球が生み出せる力の中でも、最大最強のウルトラマン。

 ()()()()()の力と言ってなんら差し支えない、地球の光の巨人であった。

 

 決して諦めない人間達の想いに、母なる地球が応えてくれた、星を救うための力だった。

 

『とりあえず、邪魔じゃ!!』

 

 ガイアSVが跳び、殴る。

 ただそれだけで、ギガバーサークは横倒しに倒れてしまった。

 ギガバーサークの超重量の巨体が倒れたことで、四国全域の地面が揺れる。

 何という跳躍力。

 何という腕力。

 9900万tの巨体の安定感は、言うまでもない。

 これだけの重量を横倒しにするなど、ミサイルでも種類によっては不可能だろう。

 パンチ一発で、ガイアSVはその規格外さを知らしめた。

 

『次!』

 

 ガイアは一切の容赦をしない。

 自身の周囲に複数の円を描くように腕を回して、光を集め、重ねた手の中に圧縮する。

 そして、()()()()

 手と手をズラすと、膨大な光の圧力が、ズラした手の合間から膨大な光線を放出する。

 

 地球のバックアップを受けた"それ"は、竜胆が見てきた全ての光線――メガ・スペシウム光線も含む――の中で、最も強く、最も輝き、最も凄まじい光線であった。

 

 

『フォトンストリームッ!!』

 

 

 ガイアが狙うは海上のブルトン。

 ブルトン達は咄嗟に時空を捻じ曲げ、自分達の身を守った。

 時間が逆行し、加速し、空間は滅茶苦茶に捻じ曲がり、変なところと変なところの空間が繋がっている、異常な四次元空間が出来る。

 空間を真っ直ぐに進む光線では、この捻じ曲げられた空間を直進することはできず、ブルトンに光線が当たらないことは明白だった。

 

 

『―――知るかぁくたばれッ!!』

 

 

 そんな、捻じ曲がった四次元空間を。

 "知ったことか"とばかりに、フォトンストリームが粉砕していく。

 時間の捻じれも空間の歪みも粉砕し、海上を転がっていたブルトン十数体を、一瞬にして一匹残らず蒸発させた。

 一瞬。

 ほんの一瞬で、目に見える範囲のブルトンは一匹もいなくなる。

 

『なっ……なッ……!?』

 

 竜胆は、空いた口が塞がらない。

 なんという強さか。星の力を受けたガイアは、まさしく桁が違う。

 

 そんなガイアの前に立ちはだかるは、破滅魔人ゼブブ。

 ゼブブには無敵のバリアがある。

 光線も、物理攻撃も、何もかもを防ぐ電磁波のバリアだ。

 これが在る限り、無限のエネルギーを持つガイアとだってやり合える。

 

 そして、神話のなぞりが始まる。

 

 ガイアSVは、ウルトラマンガイアの最強形態。

 その身体能力の全てが強化されている。

 だが、最も強化されているものは『腕力』だ。

 腕力だけは頭二つほど抜けて極端に強化されている。

 タケミナカタが神話で腕っぷしを誇っていた神であることを考えれば、ここまでの流れすら、見ようによっては神話の"なぞり"であると見ることもできる。

 

 タケミカヅチは、タケミナカタを倒した。

 神話のなぞりが、始められようとしている。

 

『カイト』

 

 ゼブブは、ガイアの構えを見て怪訝な目をした。

 光を集め、渦を作り、手と手の間で光弾と成す。

 ガイアSVがその構えから放とうとしている技は、アグルの技"リキデイター"だ。

 

 それは、アグルの光と共に、地球から授かった海人の技。

 当然ながら、ガイアSVの他の技よりも威力は低い。

 ゼブブは自分のバリアを到底貫けなさそうな技を見て、鼻で笑った。

 

『世界の平和は、生きているワシらで成し遂げる。必ずだ。約束する』

 

 過剰なまでに光が凝縮されていくリキデイター。

 余裕ぶっているゼブブ。

 その時、ゼブブの足に何かが噛み付いた。

 

『―――必ずだッ!!』

 

 ガイアの手から、アグルの遺した一撃が放たれた、その瞬間。

 ゼブブの全身から、無敵の電磁波バリアが消えた。

 

 リキデイターが、ゼブブの胸に大穴を空ける。

 

 ゼブブの足に噛み付いたのは、瀕死のシラリーだった。

 体には潰れていない部分がなく、砕けていない部分を探す方が難しい。

 だがその状態で這うように動き、シラリーはゼブブに噛み付いて―――体に触れたありとあらゆるエネルギーを吸収する能力を、発動させたのだ。

 かくして、バリアはそのエネルギーを全て吸われてしまった、というわけである。

 

 今は亡き片割れの技を使い、弔うように撃ったガイア。

 今は亡き片割れを想い、最後の最後に意地を見せたシラリー。

 二つの力が重なって、天の神が用意した『タケミカヅチという悪意』は粉砕される。

 

 神話におけるガイア/タケミナカタはたった一人でゼブブ/タケミカヅチに挑み、敗北した。

 だが、ガイアは一人では挑まなかった。

 仮の仲間とはいえ、仲間に助けられ、そうして勝ったのだ。

 

 タケミナカタ/ウルトラマンガイアは、神話を塗り替えた。

 

 "天の神が勝つ"という神話のなぞりは、もはやもう起こることはないのかもしれない。

 

『御守』

 

『残り時間少ないですよ、俺』

 

『構わん。背中は任せたぞ』

 

『こっちの台詞です。さあ、もうひと踏ん張りだ!』

 

 未来を変える男、神話を塗り替えた男。

 人に託された男、星に託された男。

 最強の闇と呼ばれたティガと、究極の光と言っていいガイアが背中を合わせる。

 若葉が、剣を杖にして立ち上がった。

 友奈が拳を打ち合わせた。

 千景がほっと息を吐く。

 杏がボウガンを額に当てる。

 

 相対するは、大侵攻最後の戦力。人を滅ぼさんと走る者達。

 

『目ん玉ひん剝いて見さらせ―――これが! ワシらが掴んだ! 勇気の光じゃ!』

 

 ガイアSVの体表で、赤と青の光が輝いた。

 

 

 




https://www.youtube.com/watch?v=o3MYlijgGfo
BGM:フォトンストリーム

次回、大侵攻、決着

【原典とか混じえた解説】

●ウルトラマンガイア スプリームヴァージョン
 ガイアの大地の光、アグルの大海の光が一つになった、ガイア最強形態。
 ガイアの赤銀金の体色は、アグルの色を加えた赤青銀金黒の体色に変化し、全身の筋肉も隆起した筋肉質なものへと強化されている。
 全ての身体能力が強化されているが、特に筋力が強化されており、パワーの強化度合いは脅威の二倍以上。
 アグルが使えた技は全てガイアに継承されている上、各種光線技の威力もデタラメなレベルに跳ね上がっている。
 光線技の威力に至っては、設定上二倍どころではない強化がなされているという。

 大地と海の全ての命を一身に集めたかのような、地球の代表者にして地球の守護者。
 星を滅ぼす者に抗う、地球の守護神とも言えるもの。
 この星に生きる全ての命の諦めない想いが、今その身に結集している。

 "地球が持つ無限のエネルギー"である『ビクトリウム・コア』を地球のウルトラマンであるガイアが行使しているため、活動時間と使用可能エネルギーは無限。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

 土日が休日じゃない
+ぐっすり寝てた
+文字数が膨らんだ(今回また四万字行きそうになった)
という最悪の三連コンボ! おまたせしました


 素早き天狗ブリッツブロッツ。

 無限の光線ゼルガノイド。

 ガイアはギガバーサークを蹴りで浮かせて振り向いて、背中に迫る光弾と光線を凝視した。

 

『せいッ!』

 

 左手でバリアを張って攻撃を受け止めながら、右手で牽制光弾ガイアスラッシュを放ってブリッツブロッツの顔面にぶち当てる。

 昨日までのガイアのガイアスラッシュなら、ブリッツブロッツはかわしていただろう。

 当たっても少し怯んだだけだっただろう。

 ブリッツブロッツは、そういう風に調整されていた。

 

 だが、牽制の光弾であるというのに、それはブリッツブロッツの顔の表面を相当に破壊し、その体を後方に吹っ飛ばした。

 小技の一つ一つまでもが、天井知らずに強化されている。

 地球そのもののエネルギーを味方に付けた今のガイアに、怖いものなど何もない。

 

『アグルブレード』

 

 ガイアのバリアのエネルギーが折り畳まれ、アグルの光の剣へと変わる。

 ゼルガノイドのソルジェント光線から、海人のアグルブレードがガイアを守り、ガイアは光線を切り裂きながら一気に接近。

 ソルジェント光線を両断し、ゼルガノイドのバリアも切り裂き、ガイアとアグルの二人の力で、ガイアはゼルガノイドを両断した。

 

 剣を持つガイアを見て、レオに拳を叩き込んでいたティガトルネード/竜胆は思う。

 

(なんていうか、そう)

 

 剣の扱いは、若葉と比べれば拙い。

 それでも竜胆は、思うのだ。

 大地の剣の扱いはどことなく彼女に似ていると。

 

(……剣の使い方が、若ちゃんに似てるな。なんとなくだけど)

 

 若葉が剣でも指南して、剣を携えたガイアと若葉が共闘でもすれば、その光景はたいそう映えるだろうと、竜胆は思った。

 とはいえティガに、ガイアの方に集中を割いていられるほどの余裕はない。

 

『らぁッ!!』

 

 ティガトルネードのアッパーがレオ・アントラーの、クワガタムシのような大アゴの右一本を殴ってへし折った。

 

 同時に、ブリッツブロッツがガイアへと爪を突き立てんとしたが、猛回転しながら空に舞う。

 至高(スプリーム)の力が、ブリッツブロッツを投げ飛ばしたのだ。

 ブリッツブロッツはあまりにも鮮やかな投げに、一瞬自分がどうなったのか分からず、混乱を抑えながら空中で姿勢を整える。

 羽ばたき、空中で回転を止めたブリッツブロッツが見たのは。

 跳躍し、眼前に迫るガイアSV。

 

『首、貰った』

 

 するりと腕がブリッツブロッツの首を決め、跳躍の勢いのまま体をひねったガイアによって、ゴキンと首がへし折られた。

 

 ()()()()

 

 ガイアSVの身体能力に、神樹と地球による全力のバックアップ、三ノ輪大地の体術が加わった結果、何やらとんでもないものが生まれていた。

 投げて、投げた相手に跳躍で飛びつき、空中で首を折るというとんでもない技巧。

 挙動が独特すぎて、全くもって動きが読めない。

 竜胆ティガでも、初見で首を折られない自信が持てない……そんな格闘技であった。

 

 突撃するギガバーサーク。

 巨大な光弾を連射し、全身から高圧電流を放ちながら、電流チェーンをガイアにぶつける。

 光弾はガイアに殴り砕かれ、高圧電流はガイアの表皮に弾かれ、鎖は容易く千切られた。

 そして、9900万tの体当たりを、ガイアは空中で真っ向から受け止める。

 

 50mサイズのガイアが、990mのギガバーサークを簡単に止められているというこの光景が、既に何にも勝るファンタジーだった。

 

『仲間の光を受け継いでるんだ』

 

 ガイアSVの筋肉が、ぐぐっと隆起する。

 

 そのほとんどがスタイリッシュで細身なウルトラマンだが、その瞬間のガイアは、怪獣にも負けず劣らずに太い筋肉の腕をしていた。

 

『ワシが―――負けるわけがねえだろうがッ!!』

 

 そして、そのまま、ギガバーサークを投げた。

 

 ガイアの20倍近い全長に、ガイアの250倍近い体重のギガバーサーク。

 それを投げたことに、それを目にしていた杏や千景が絶句する。

 それは、身長1.7m体重60kgの人間が、34m15tの巨人を投げたに等しい体格差。

 見て驚かないなど、ありえない。

 結界端の四国の海へと、玩具のようにギガバーサークが投げ込まれた。

 

 空まで届かんとばかりに上がる水飛沫を、遥か遠くから人々が見つめていた。

 

「地面が揺れてる……」

 

「ガイア……ティガ……頑張れ……!」

 

「勇者様、どうか……!」

 

「ガイアー! 負けるなー!」

 

「……ティガ……ティガ! 勝てー!」

 

 ガイアを心底信じているが、ティガは全く信じられていない人。

 勇者こそを信じる人。

 戦う者達全員を応援する人。

 そして、ティガ一人に声援を送るもの。

 人は皆、各々の想いで戦う者に声と想いを送る。

 

「もう終わりだ……こんなところまで敵が来たなら……」

 

「おじいさん……四年も待たせてごめんなさいねえ。今、そちらに行きますよ」

 

「……ティガの奴、最初から今までずっと、他の誰よりも街を気遣って、街を守って……」

 

「今……僕らを守ったのか? ……いや、そんなわけない、だって、ティガは……」

 

 絶望する者。

 死を思う者。

 敵を倒すことより、街を守ることに集中するティガを見て、何かを感じる者。

 他人から聞いた話と、今自分が見ている光を心の中で比べている者。

 街の人々は、各々の心で違う想いを胸に抱く。

 

 何度でも、何度でも、ティガは街を守る。

 ティガは街を守り、ガイアは敵を倒し、勇者達は二人に足りない部分を補う。

 樹海化のせいで普段は人々の目に見えない戦いが、しっかりと皆の目に焼き付けられていく。

 

 レオ・アントラーが全力で射出した、広範囲に拡散する無数の炎弾。

 狙うは街。

 見るからに罠だが、ティガは体を張って守らざるを得ない。

 無数の炎弾を手刀で切り裂くティガブラスト。だがそれは案の定の罠で、低空に誘い込まれたティガブラストをタイラントの口から吐かれた爆焔が襲う。

 炎の柱の如くそれを、ティガは真っ向から受け止めた。

 彼の後ろには、街がある。

 

『ぐううううっ……!!』

 

 大社の作戦本部とでも言うべきところから、ひなたがティガの背中を見ていた。

 

「……御守さんは……」

 

 全身が焼け焦げたティガが、レオの連発する火球を全身を使ってでも受け止めている。

 その光景が、ひなたの目には、バーテックスが投げたものを体で止めているように見えた。

 投げられた物から、街の人々を守っているように見えた。

 

「自分が石を投げられても……

 自分に石を投げた人が石を投げられたら、守るんですね。

 石を投げられる痛みを、苦しみを、分かっているから……だから……」

 

 ひなたはその時、竜胆ただ一人のために祈り、若葉が彼を助けてくれることを願った。

 

 ティガの活動時間、残り十秒。

 

 

 

 

 

 レオ・アントラーとティガブラストが空を飛び回る。

 高々度、低空、東西南北と飛び回る、高速飛行者二体の激突だ。

 弾ける大気。

 吹き荒ぶ暴風。

 引っ張られた大気は烈風へと変わる。

 もはや四国の街にある空気は、一欠片でさえも停止することを許されてはいなかった。

 

 レオはティガを狙い、街を時々狙い、四国中心部にある神樹を狙う素振りを見せる。

 そうすることで戦いを有利に進めるが、あくまで狙いはティガだった。

 ティガを倒してこそ、人間を滅ぼすことができる。

 倒せなければ、滅ぼせない。そう確信してレオはティガを追い詰め続ける。

 胸のカラータイマーの点滅が止まるのを、レオは攻めながらひたすら待った。

 

 レオとティガが空を舞う。残り9秒。

 

 ティガは街を守り、神樹を守り、自分を守らずその分のリソースを攻撃に回す。

 ティガスラッシュを連射してレオと拮抗するが、レオ・バーテックスと磁力怪獣アントラーの組み合わせは、街の上空においては厄介すぎる。

 竜胆がランバルト光弾の光を溜めても、正面にいると磁力で光を拡散されてしまう。

 火球は連射できるくせに発射後の誘導も可能で、そういう意味でも街を守るのが難しい。

 されどティガは、街を守りきる。

 敵に傷一つ付けさせない。

 

 レオとティガが遥か高くで衝突する。残り8秒。

 

 狙いは悪くはないレオであったが、ティガは一人で戦っているのではない。

 レオの行く手を塞ぐように先回りし、若葉がその大太刀を振り下ろす。

 ティガの手刀が二、若葉の太刀が一。

 レオを囲む三本の閃光が、レオの手足を三本同時に切り落とした。

 

 だが、止まらない。

 捩じ込むように体を飛ばし、レオは更に加速し飛翔する。

 一対一の猛烈な空中戦は、二対一の壮絶な空中戦へと移行した。

 虫の羽とレオの火球さえあれば、どこまでだってこのバーテックスは戦える。

 

 残り7秒。

 

 ティガが飛ぶ。

 若葉が飛ぶ。

 レオが飛ぶ。

 恐るべきことに、この中でもっとも速いのはレオであった。

 数で勝るティガと若葉は追い込むが、命を削るようにして加速するレオを追い込み切れない。

 

 ティガと若葉の追い込みをかわし、レオはそこで一気に高度を下げ―――ティガと若葉に誘導された事実に、そこでようやく気付いた。

 高度を下げたレオを見据えて、千景が鎌を掲げた。

 

「私が止める!」

 

 千景の鎌は大葉刈。

 死の穢れの逸話を持つ鎌。

 玉藻前の呪詛が鎌を通して発射され、レオの背中の羽へと当たる。

 一秒間、羽が完全に動かなくなり、飛翔能力が失われた。

 

 空中で動きが止まるレオ。

 真下から回り込むティガ。

 真上から落ちるように突撃する若葉。

 

 残り6秒。

 

『ランバルト光弾ッ!!』

 

 真下からレオの喉にあたる部分に光弾が放たれ、真上からうなじに燃える剣が叩き込まれる。

 首に与えられた上下二撃の致命打が、レオ・アントラーの命を刈り取った。

 

 残り5秒。

 

 吹雪が津波を凍らせ、暴風で押し止める。

 振り下ろされる足を、酒呑童子の拳が殴って押し返す。

 『津波と地震』という、たった一体でも人の世界を滅ぼし得るカプリコーン・タイラントに、杏と友奈が決死の足止めを試みている。

 

「くっ……うっ……!」

 

「てやあああああっ!!」

 

 ラスト5秒。

 文字通りの1秒を競う戦いにおいて、0.1秒単位の時間稼ぎはまさしく勝敗を分ける。

 迫る津波に、ギガバーサークと戦っているガイアと、飛んで来てくれたティガの凍結光線が当たって、四国は津波から守られた。

 

「りっくん先輩! 三ノ輪さん!」

 

 残り4秒。

 

 飛来したティガの飛び蹴りがタイラントの顔面に命中し、頭に生えた角がバキッと折れた。

 山羊座(カプリコーン)の地震を起こす角と、タイラントの津波を引き起こす角の両方が、宙を舞う。

 クロスカウンター気味に腕の刃――手首から先の鎖鎌――を放っていたカプリコーン・タイラントだが、その刃もティガの喉に届く前に、若葉の剣に叩き落とされていた。

 

「『 だあらッ!! 』」

 

 友奈とティガブラストのダブルアッパーが、タイラントの顎を撃ち抜く。

 ことここに至っては、0.5秒を使ってしまうタイプチェンジに使っていられる時間もない。

 防ぎ難いほどに速いが力の下がったティガブラストのアッパーと、ティガブラストほどのスピードはないがパワーのある友奈のアッパー。

 その二つが僅かな時間差でタイラントの顎に当たり、向きの違う二つの衝撃が頭を揺らす。

 

 残り3秒。

 

 だがここに来てなんと、タイラントは新たなる技を出してきた。

 腹にあるベムスターの口から、冷気とガスを噴出してきたのだ。

 そこに口から吐く火炎も織り交ぜて、氷熱の攻撃をティガに叩き込む。

 

「!?」

 

 これは地球周辺で発生したタイラントの系列の力ではない。

 おそらくは、もっと別のタイラントの概念記録から引き出したもの。

 奇襲を受け、トドメに動いていたティガの動きが止まる。

 残り2秒。

 

「……っ!」

 

 その時。

 タイラントの業火と冷気の混沌の中で、ティガの耳が、仲間の声を聞いた。

 行け、と言われた。

 だから下がらない。

 手刀を構えて、前に踏み込む。

 

 千景の"口封じの呪詛"と、杏の腹を氷雪で凍らせ閉じる吹雪の二つが、タイラントの攻撃を的確に封じる。

 ティガの手刀が、一筋の閃光となった。

 タイラントが、最後の悪足掻きに、左腕のトゲ付きハンマーを振り上げる。

 残り1秒。

 

「―――スラップショット」

 

 振り下ろされるハンマー。

 横薙ぎに振るわれる手刀。

 

 体に残った全ての力を、ティガはその瞬間の手刀に込めた。

 叩き込む。

 切り裂く。

 皆と勝つ。

 純なる想いを込めた一閃。

 ランバルト光弾を筋力と体技で叩き込むような一撃が喉へと当たり、ティガとタイラントがすれ違った。

 

 タイラントの首が落ち、ティガの変身が解ける。

 変身が解けて落ちて来た竜胆を、空中で若葉がキャッチした。

 

「よくやった、竜胆」

 

「お互い様だろ、俺達」

 

 若葉は男らしさすら感じる凛とした表情にふと一瞬、女の子らしい笑みを浮かべた。

 これで残るは、ギガバーサークのみ。

 そちらの戦いも今、決着しようとしていた。

 

 投げる。

 投げる。

 ひたすら投げる。

 相手が人間サイズなら、関節を取って折るまでいけるが、ギガバーサークにそれは無理だ。

 地面に叩きつけるのも、ギガバーサークの体重のせいで四国に被害が積み重なってしまう。

 ガイアSVの"投げ"という強みを、ギガバーサークはほぼ潰している。

 

 ……だが、それでも。

 ガイア・スプリームヴァージョンの力は、圧倒的だった。

 

 ギガバーサークの尾を掴み、空中でジャイアントスイングをする。

 これならばどこかに叩きつけなくても、遠心力が十分な負荷となる。

 ド派手な攻撃方法に、町の人々から歓声が上がった。

 凄まじく勢いをつけ、海面に叩きつける。

 

 海面は、高さ15mから飛び降りれば、コンクリートに等しい硬さで人を迎える。

 30mの高さから海面に落ちた人間はまず助からないらしい。

 なればこそ、ガイアは1000mの高さから加速をつけ、990mのギガバーサークを、海面へと叩きつけたのだ。

 

 爆弾のような爆音。

 弾ける海水。

 飛び散る水飛沫。

 四国の上に、雨のように小さな海水の粒が降り注ぐ。

 

 津波すら起こす一撃を放ち、ガイアは海を凍らせ、津波を防ぐ。

 海の中で、ギガバーサークが海水を撒き散らしながら、フラフラと立ち上がった。

 海岸線に着陸したガイアが、光を(えが)いて腕を回し、光を溜める。

 揃えた手と手、その間に収束された、輝ける光。

 

 ズラされた手が、光を迸らせた。

 

『―――フォトンストリームッ!!』

 

 放たれる極大光線。

 耐えるギガバーサーク。

 更に力を入れるガイア。

 光線の規模と破壊力は一気に増すが、それさえもギガバーサークは耐える。

 

 なんという耐久力か。

 効いてはいるようだが、決めきれない。

 星のバックアップを身に着けたガイアでもなければ、倒し切ることは不可能だっただろう。

 

 ギガバーサーク"改"としての強化が、天の神の刻んだ黒き雷の祟りの紋(ダークサンダーエナジー)の強化が、ギガバーサークを『星よりも大きな剣』でも殺せないほどの存在にしている。

 星の力を受け取ったガイアでも、押し切れない。

 そんな大地のウルトラマン、ガイアの光を。

 

『輝け――』

 

 神樹様/大地の神々と、地球/星の大地の力が、一気に後押しした。

 

 星と神の力を乗せて、一気に押し切る。

 

『――光よォぉぉぉっッ!!!』

 

 姫百合の光、グレートの光、パワードの光、ネクサスの光、アグルの光が、混じった。

 極大規模の光線がギガバーサークを飲み込み、消し飛ばす。

 四国から怪獣の全てが消え去った。

 街の各所から、歓声が上がる。

 

『む』

 

 だがそこで、結界外から星屑とブルトンがなだれ込んできた。

 ガイアは反射的に腕を組み、クァンタムストリームで全体まとめて焼き払う。

 

『外にまだいるのか……よし。

 ワシが外に出て一掃してくる!

 若葉、仲間の指揮を取れ! 結界内の防御を頼んだぞ!』

 

「分かった!」

 

 ガイアがアグルブレードを抜き、若葉が生太刀を収め、二人は正反対の方向へ飛ぶ。

 若葉に街と、人々と、三分が過ぎた竜胆ら仲間達を任せ、ガイアは結界端に向かう。

 

(さて、大侵攻に投入された大型は50はいた。

 量産型じゃない大型も含めて50じゃ。

 十二星座全てが投入されて一掃された、そういうレベルの戦力投入……

 外には多くいるはずがないと思いたいが……ワシが楽観するわけにはいかんな)

 

 だが、壁の向こうから現れたその存在を見て、ガイアは思わず飛翔を止めていた。

 

『!』

 

 壁の向こうから現れたるは、黒き人型。

 

 空に立つガイア。空に立つ黒き人型。

 

 二つは張り詰めた空気の中、対峙する。

 

『お前、は……』

 

「タケミナカタの神話を越えたか、ウルトラマン」

 

『……生きていたのか』

 

「ああ、生き恥を晒している」

 

 最後の敵の名はゼット。宇宙恐魔人ゼット。倒したのだと思われていた、悪夢の具現。

 

「私は今勝者となったお前達に、敗者として挑もう。

 弱者として挑もう。今、私は……強者たるお前に挑む、挑戦者だ」

 

 大侵攻の最後に、未来を望む者達の前に立ちはだかった、最終最後の存在だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し、時間を巻き戻そう。

 

 速きゼットンがいた。

 強きゼットンがいた。

 大きなゼットン、頑丈なゼットン、固有の能力を持つゼットン。

 様々なゼットンが、ゼット率いるゼットン軍団の中にいた。

 

 その全てを、ゼットは、その手で打ち倒していた。

 死屍累々。ゼットン軍団はその全てが、ゼットの前に屍を晒している。

 カミーラが呆れた表情を浮かべている。

 

「仲間を倒して楽しい?」

 

「天の神が急ごしらえで作ったゼットンだ。生来のゼットンなどいない」

 

「そういうことを言っているんじゃないわ。分かるでしょう?」

 

「……」

 

「気に入った命も、仲間も、殺すことに躊躇いがない。闇の者の気質だわ」

 

 仲間を絶対に死なせられない者もいれば。

 理由があれば、殺せてしまう者もいる。

 

「私は負けた。私は弱い。

 弱者が強者に勝ちたいのなら、努力する以外にあるまい。

 私が強くなるのは戦いの中だけだ。"ゼットン"という強い存在は、それに相応しかった」

 

「ふぅん」

 

 ゼットは確かに強くなっていた。

 再現個体とはいえ、ハイパーゼットン、EXゼットン、マガゼットン、クローンゼットンファイナルなど、強力な個体を全てその身一つで倒しきったのである。

 時には通常ゼットン三体をまとめて蹴散らしたりと、技量とスペックの両方で以前とは比べ物にならないほどに鍛え直していたのだ。

 軍団全てが、ゼットの経験値になったというわけなのだろう。

 

 だがそれは、天の神の意に半ば反することだ。

 ゼットはそれを利用し、祟りの痛みをこらえて戦うすべを身につけたが、祟りによって命はどんどん削られて、長生きなど望めない体になっていっている。

 命を引き換えにして、僅かな強化を得た形だ。

 

 それでもゼットが生きているのは、"カミーラの意には反していない"からだろう。

 カミーラはゼットン軍団などどうでもいい。

 余計な要素、過剰な戦力は無いに限る、とすら思っているかもしれない。

 ゼットに対し、カミーラは敵意を持っていない。むしろ好意すら持っていた。

 

 仲間を容赦なく殺すような闇の存在は、カミーラの()()()()に合っているから。

 

(……ふふっ)

 

 カミーラは、三千万年前のことを思い出す。

 かつて、カミーラには三人の仲間がいた。

 

 愛憎戦士カミーラ。

 剛力戦士ダーラム。

 俊敏戦士ヒュドラ。

 そして、闇の最強戦士ティガ。

 四人全員が強力な闇の戦士であり、光を滅ぼす闇だった。

 

 裏切ったティガの手により、ダーラムは粉微塵にされ、ヒュドラは燃え尽き、カミーラは死体も残らぬほどに砕かれた。

 あの時のティガの姿を、カミーラは今も愛していた/憎んでいた。

 自分を砕いた光が羨ましかった/憎かった。

 光になっても自分達を容赦なく砕きに来るティガの姿に、惚れ惚れした/憎かった。

 ティガの本質は、変わっていないのだと/変わり果てたのだと確信した。

 

 "仲間を躊躇なく殺せる"在り方は、カミーラにとってとても好ましいものである。

 

(ああ、ティガ、もう少しよ。もう少し、来週には、闇のあなたを……)

 

 カミーラは、修練を越えたゼットを前にして、闇に堕ちたティガとの再会に胸踊らせた。

 

 そして今、ふてくされてやる気を無くしている。

 

「カミーラ」

 

「今の私に話しかけるな」

 

「……」

 

「忌々しい女どもが……郡、千景……!

 まあいい……その死と死体は、存分に使わせてもらうこととしましょう……」

 

「ふん」

 

「……何か言いたげね?」

 

「女はおぞましく、醜く、怖いものなのだな……と、思ったが」

 

 ゼットは鼻を鳴らした。

 カミーラの意に沿わない言動に、祟りがその身を蝕む。

 ゼットは眩しいものを見るような目で、カミーラの陰謀を跳ね除け、天の神の必勝の策・大侵攻を打ち砕いていく人間達を見ていた。

 そしてカミーラを、見下していた。

 

 ゼットが思い返すは、貧弱な人間の身で、ウルトラマンと共闘する少女達。

 "地球の防衛隊"というものは皆ああいうものなのだろうかと、ゼットはふと思う。

 ほとんどの地球において、ウルトラマンは防衛隊と共に戦っているということを、ゼットは知識のみでだが知っていた。

 

「お前よりも綺麗で、美しい女を、人間の中に見た。

 女だから醜いのではなく、お前が醜い。それだけの話なのだと、思ってな」

 

 カミーラの氷の鞭が、嗤うゼットの強固な皮膚をこそぎ取るように抉る。

 

「次に何か余計なことを言えば……」

 

 ゼットの皮膚を貫くとは、どんな攻撃力なのか。

 鞭に込められているのは単純なエネルギーだけではない。

 天井知らずに膨らむ憎悪がそのまま込められて、相手を傷付ける苦痛の刃と化している。

 

「……私に、あなたを生かしておく理由なんて無いのよ?」

 

「死を受け入れていた私を蘇らせておいて、よく言う」

 

 銃のような『殺すために無駄をとことん削った武器』の対極にあるような、『込められた力のほとんどが殺傷能力ではなく苦痛付与に使われている』鞭の攻撃。

 ゼットの傷口には、とてつもない痛みと苦しみが走っていた。

 

「美しい愛とは、強いのだ。無敵ではなくとも、愛醜き者よりは、きっと強い」

 

「何が言いたいの?」

 

「お前の愛は負ける、何度でも、必ず負ける。奴らの愛は強いからだ」

 

 鞭がゼットの額を割るが、ゼットは痛みの声を抑えて、鼻でカミーラを笑ってみせる。

 

 "千景(せんけい)を一緒に見に行こう"という約束を交わすような者達の、友情、信頼、親しみ、理解などの先にある『愛』。

 それに挑む資格を得るため、ゼットは槍を握った。

 

「―――なればこそ、私は"奴ら全ての強さ"に挑む。強さこそが、私の全てだ」

 

 ゼットが見据えるは結界周りの、出雲から四国へと進軍してきたバーテックス達。

 竜胆達と戦っていたギガバーサーク達と"ほぼ同格の戦力達"が、そこにいた。

 ギガバーサーク達より質では劣るが、数では圧倒的に勝っている。

 

 竜胆達が倒した戦力は、前半分でしかない。

 後ろ半分は、これから投入されるのだ。

 この数が投入されれば、ガイアSVの存在ももう認知されている以上、ガイアの力で死人を出さないというのも難しいだろう。

 

 ゼットは無数のバーテックス軍を見据え、額に何かを埋め込んだ。

 何かを額に埋め込んだゼットが、苦しみ始める。

 

「ぐっ、うっ、ぐっ……!」

 

「ゼット、あなた何を……」

 

 カミーラが怪訝な目でゼットを見ていると、ゼットの目から光が消える。

 機械的な動きに変化したゼットが槍を掲げ、空に吠えた。

 ゼットらしくない、動物的な叫び。

 ゼットらしくない、機械的な挙動。

 カミーラは目を剥き、ゼットから距離を取る。

 

 そうしてゼットは、結界外の後詰めたるバーテックス達に襲いかかった。

 

 嵐が砂を吹き飛ばすように、結界外のバーテックス達が吹き飛んでいく。

 一兆度、槍の強撃、破壊の光線。

 仲間だと認識していたゼットからの急襲に、四国へ攻め入ろうとしていた後詰めのバーテックス達は戸惑い、為す術もなくやられていった。

 ようやくゼットに反撃できるようになった頃には、既に部隊は半壊状態。

 

「……!?」

 

 カミーラは目を見開き、片っ端から消されていくバーテックス達と、機械的にそれらを消していくゼットの姿を、交互に見ていた。

 ありえない。

 祟りが気合いでどうにかなるなら、崇徳天皇も平将門も、あんなに人間社会を苦しめる大怨霊になれるはずがない。

 戦いすら成立しないはずなのだ。

 

 ゼットン軍団を修行に使い潰してしまうことすらギリギリなのに、大侵攻の戦力半分を敵に回して戦うなど、明らかに利敵行為だ。

 神の意に沿わぬ行為は、その度合いに比例して強くその存在を蝕む。

 今のゼットの行為は、明らかに人へと味方するもの。

 生きていられるはずがない。

 

 にもかかわらず、ゼットは戦いを続けている。

 止まる気配はどこにもない。

 加速度的に、結界外のバーテックスが消え去っていく。

 

「……祟りで身を蝕まれながらも、何故こんな……!?」

 

 やがて結界外のバーテックスは残らず消え去る。

 竜胆達は預かり知らぬことではあったが、ゼットを除いた大侵攻勢力の最後の一体を倒したのはガイアではなく、ゼットであった。

 大侵攻の軍勢を倒しきったゼットの目が、カミーラを捉える。

 

 ゾクリとするような、無機質な死の気配。

 悪くない感触に、カミーラは口角を上げた。

 襲いかかるゼットの割れた額を見やり、そこにねじ込まれた何かを狙って、鞭を振った。

 

(脳味噌ごと引きずり出してやろうかしら)

 

 頭の中身が吹き出しても構わない、くらいの気持ちでカミーラが鞭を額に叩き込む。

 そうして、ゼットの額に埋め込まれていた謎の機械を、カミーラの鞭先が掴み出した。

 謎の機械が排出された瞬間、ゼットは正気を取り戻し、膝をつく。

 

「これは一体何? ゼット」

 

「はぁ……はぁ……ハイパーゼットンデスサイスの、機構だ……」

 

「ハイパーゼットンデスサイス?」

 

 そういえばそんな個体がゼットン軍団の中に居たわね、とカミーラは思い出す。

 

「私を生み出したのは……バット星人という宇宙人だ」

 

「ええ、そう聞いているわ」

 

「バット星人は私に心を持たせた。

 だが、あくまで私のコンセプトは"一つの形の最強"であったらしい。

 私の前に作られた『最強のゼットン』は、むしろ心の要素を排していたと聞く」

 

「あら」

 

「その名は『ハイパーゼットン』。

 無機質で、機械的で、昆虫的で……

 基本的には、中に誰かが乗り込むことで運用する、そんなゼットンだ。

 聞くところによると、本家のゼットン星人までもが盗用したこともあり……

 ハイパーゼットンデスサイスという、改造型まで作られた。傑作中の傑作のゼットンだ」

 

「あなたのように余計な口を利かないなら、最高のゼットンなのでしょうね」

 

 有能なバット星人は、有能なゼットンメイカーでもある。

 ゼットの前にも、バット星人は最強のゼットンを生み出そうとしていた。

 

 それが、"滅亡の邪神"ハイパーゼットン。

 全平行宇宙に存在するありとあらゆるウルトラマンを対象にして、「ハイパーゼットンにウルトラマン一人分の力で勝てる者はほとんどいない」と言い切れるほどの存在だ。

 『最強のゼットンは何か?』と聞けば、必ず名前が挙がるほどに強いゼットンである。

 

 さて、そのハイパーゼットンだが。

 それの改造型のハイパーゼットンデスサイスは、更に機械的に、他者によって操作されることを想定されたフシがあるゼットンである。

 中に宇宙人が乗り込んで操作する機能をデフォルトで備えている他、外部から操作用腕輪で操作することが可能となっている。

 ここまで来ると、そんじょそこらの人型ロボットよりもそれらしい。

 

 更には、このデスサイスの操作腕輪だが、中に意識を入れておくことができる。

 ゼットン星人マドックはこれを利用し、他人に殺されても意識をこの腕輪に移しておき、腕輪を装着した少女の意識を乗っ取って、デスサイスを操作した。

 重要なのはただ一点。

 

 ハイパーゼットンデスサイスには、デフォルトの機構として、『意識を入れておく腕輪』『その腕輪で装着者の意識を乗っ取る』『腕輪でゼットンを操作する』という三つの流れが備わっているということだ。

 

「……呆れるわね」

 

 ゼットからここまで聞けば、カミーラにも分かる。

 

 ゼットはカミーラが割った額から、"その腕輪と似て非なるもの"を、自分の頭の中に力尽くでねじ込んでいたというわけだ。

 

「目の前のバーテックスを皆殺しにしようとする。

 けれど天の神に逆らう気もなく、逆らっている自覚もない。

 そういう意識を機械の中に作って、自分の頭の中に埋め込んだということかしら」

 

「そうだ」

 

「あなたの体を動かしていたのは、機械の意識。

 "天の神に逆らう意識"などないままに、天の神の手駒を一掃した。

 ……肉体と意識が完全に独立しているのなら、機械の内部の意識にまで祟りは及ばない」

 

 カミーラは心底呆れる。

 まるで、反抗心の塊のような男だ。

 どれだけ前からこの反逆を考えていたのか?

 大侵攻の最終段階にギリギリ作成を間に合わせるために、どれだけ心血を注いだのだろうか?

 

 気に入らないものへの攻撃性。

 何を気に入り、何を気に入らないかという信念の絶対性。

 どちらも異常なほどに強い。

 バット星人がゼットに何故心を入れたのか、カミーラは嫌々ながらに理解していた。

 

「でも、体への負担は大きかったでしょうに」

 

 されども、ゼットの目標は"大侵攻の戦力を皆殺しにする"ことのみだ。

 祟りは、"天の神に逆らう意識が無いのに逆らっている"という抜け道を使ったゼットの体を、極限まで蝕んでいた。

 でなければ、ゼットが今、膝をついている理由が説明できない。

 

 抜け道のおかげで、ゼットの命は尽きなかった。

 だが、随分と削れてしまったらしい。

 カミーラの目から見ても、あと一時間足らずの命。

 神の奇跡に等しい治癒を施したところで、一年は保ちそうになかった。

 

「愚かに命を削ったわね」

 

「命など、寿命など、いくら削れても構わん。三分の寿命が残れば十分だ」

 

「……三分?」

 

「奴らはいつも三分間の命を生きている。条件が対等になるだけの話でしかない」

 

 それはゼットの矜持であり、信念だった。

 

 大侵攻の後半の半分もまた、強くはあった。

 ゼットは奇襲を仕掛け一掃したが、そうでなければそれなりに時間はかかっていただろう。

 "天の神が人を滅ぼすために十分に用意した戦力"という敵を仕留め、戦闘経験を餌と喰らい、ゼットはまた強くなった。

 

「十分に戦い、経験値を積んだ。大侵攻の戦力と戦った記憶は、私の体に残っている」

 

 そして、空を見上げる。

 

「さあ、天の神よ」

 

 ゼットは、"天の神の側で戦ってくれる最後の一人"として立ち、神に呼びかけた。

 

「ここで人を滅ぼしたいのであれば―――()()()()()()()()()()()ぞ?」

 

 ゼットは、人間の味方をしたわけではない。

 天の神の敵になったのでもない。

 どこまで行っても、その目的は"ウルトラマンの打倒"ただ一つ。

 

 そして、ゼット以外の全員が死んだこの状況で、天の神の手駒はゼット一人だけ。

 

 妥協のような、苦渋の決断のような、そんな光が瞬いた。

 空から黒い雷の力(ダークサンダーエナジー)が降る。

 天雷は古来より、天の神の権能。

 大地に落ち、そこに新たなる命を降り注がせる、神の加護だ。

 

 ゼットの祟りの紋に力が注がれ、ゼットの消耗した体力が復活し、その力が増大する。

 祟り自体は発動しない。

 何故ならば、今、天の神とゼットの想いは一つだからだ。

 "ウルトラマンを必ず倒す"。

 ゼットの思考は、今この瞬間は、天の神の意に沿ったものとなった。

 

「さあ、行くぞ、ウルトラマン、勇者。

 お前達は地球と地の神の力を受けた。

 私は空の星と天の神の力を受けた。

 条件は対等だ。

 ……が、そんなことはどうでもいいだろう。

 私も、お前達も、神のために戦っているのではないと……そう信じる」

 

 バット星人は、ウルトラマンを『光の戦士』と呼ぶ。

 そしてゼットを、『全てのゼットンの頂点に立つ最強の戦士』と呼んだ。

 戦士と戦士が出会うなら、そこは戦場以外にありえない。

 

 ゼットはバット星人に―――全てのゼットンの頂点(バーテックス)たる存在として、生み出された者。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼットは横目に竜胆を見る。

 ぐったりした竜胆が、若葉に運ばれているのが見えた。

 既に三分を使い切ってしまった竜胆を見て、ゼットは心底残念そうにする。

 ブリッツブロッツが活動時間を削ってしまったせいで、ゼットの参戦は、ティガの変身時間の間に間に合わなかったようだ。

 

(外の戦いに時間をかけすぎたか。せめて後一分早ければ……まあいい)

 

 天の神の配下の代表者としてここに立つがゼットなら、その向かいにて、地球に生きる命の代表者として立っているのがウルトラマンガイア。

 星の未来を決める戦いは、両勢力が全ての戦力を投入した果てに、両勢力における最強の存在をぶつけ合う一騎打ちの様相を呈していた。

 

 ゼットがガイアの前で手を広げて見せると、そこに不思議な形の石のようなものがある。

 

「これが何か分かるか」

 

『? なんじゃそら、ゴミクズか?』

 

「この無機物のような有機物のような塊が、ブルトンの本体だ」

 

『!』

 

「最初に作られたブルトンだ。

 これが平行世界を利用して、ブルトンを呼び寄せている。

 これを潰さない限り、ブルトンも星屑も無限に流入する」

 

 地球に隠されていた、"最初のブルトン"。

 平行世界からかすめ取るように、ブルトンや星屑を流入させていた元凶。

 ゼットやイフ同様に、西暦の時代で決着をつけるという前提であれば、ブルトンの再生産は時間とコストがかかりすぎて現実的ではない、と言える。

 これが隠されていたということは、このブルトンだけは、絶対に潰されたくなかったということなのだろう。

 

 ウルトラマンの手に乗るサイズの、本体ブルトン。

 これが地球のどこかに隠されていたなら、人間やウルトラマンが何百年探しても見つからないという可能性は十分にあった。

 そんなブルトンを―――ゼットが、握り潰す。

 

「それも、過去形の話だがな」

 

『……お前、何を』

 

「喜べ、ウルトラマンガイア。

 大侵攻は地球上のバーテックスほぼ全てを使った『史上最大の侵略』だ。

 つまり現在、地球上には動いているバーテックスなどほとんど存在しない」

 

『!』

 

「そして今、補給も断った。

 再度バーテックスの数を揃えるにしても、相当に時間がかかるだろう。

 今、お前達を滅ぼす者として地上に立っているのは私だけだ」

 

 地球上の全てのバーテックスを集めた大侵攻の戦力の半分は竜胆達が、半分はゼットが殲滅し……なればこそ、今現在、ゼットこそが最後の一体。

 

 "今日までの戦い"という意味で言えば、これが間違いなく最終決戦。

 

「天の神に他地域を野放しにする気もあるまい。

 増産したバーテックスを各地域に分散させれば、密度は下がる。

 勇者数人で鼻歌交じりに片付けられる、その程度の存在でしかなかろう。ゆえに」

 

 ここで、ゼットを倒せたならば。

 

 天の神が四国に放り込めるバーテックスは、一時的に一体もいなくなる。

 

 巨人が拳を構え、恐魔人が槍を構えた。

 

「私に勝てれば、束の間とはいえ平和が来るぞ」

 

『……そいつはいいことを聞いた』

 

「勝てれば、の話だがな」

 

『勝つさ。負けられない。ゆえに負けるわけがない』

 

「良い答えだ……()()()()()()ッ!!」

 

 踏み込みは同時。

 拳が消える。

 槍が消える。

 もはや頂上にして超常の存在でなければ影も追えないほどの速度で、拳と槍が空を裂く。

 

 一瞬後、ゼットは地面を転がされていた。

 

「!?」

 

 ガイアには触れられていない。

 触れられた感触も残っていないから、それは確かなはずだ。

 なのにゼットは、間違いなくガイアに"転がされて"いた。

 瞬時に飛行能力も織り交ぜ、跳ねるようにして立ち上がる。

 

(投げ!? "槍を掴んで投げ転ばした"のか!? なんという……!)

 

 ゼットは一瞬で推測を立て、自らの推論の正しさを確かめるために槍を突く。

 槍の速さを上げて掴み辛くして、怒涛の連撃にて全身を狙った。

 

 ガイアはその全てを受け流す……なんて面倒なことはせず。

 最初の一突きを的確に掴む。

 そしてゼットの重心を見切り、ゼットが込めた力の流れを把握し、的確な向きと力加減で槍を引いた。

 槍にゼットの体が引かれ、ゼットの力が逆利用され、ガイアはほどほどな力でゼットの体を投げ転ばした。

 

 (やわら)という文字を体現するような、柔らかな技。

 

『大した槍術じゃ。ヒヤヒヤする』

 

「綺麗に受け流しておいてよく言う!」

 

 ゼットは空に飛び上がろうとする。

 ウルトラマンガイアのフォトンエッジなどは、大地のウルトラマンらしく、大地を踏み締めることで放つ光線だ。

 空中戦であれば別の強みで競えるだろう、という戦術である。

 

 だが、地上から100mほどのところで上昇は止まる。

 跳躍一跳び、ガイアがゼットの腕に組み付いて来たのだ。

 

「!」

 

 ガイアは槍の内に入り、ゼットの腕を関節技に極める。

 

(折られる!)

 

 ゼットは自分の腕関節を決めているガイアの腕の筋肉の厚み、伝わってくる感触から、腕を折られることを確信した。

 兎にも角にも関節を抜かなければならない。

 抑え込みや関節取りを外すのに必要なのは筋力ではない、技だ。

 

「!?」

 

 だが、そこからの一瞬の攻防はまさに目を疑いたくなるほどのものだった。

 

 ゼットが腕を押し、極められた腕の周りに僅かな隙間を作る。

 足を使い、体全体を跳ねさせるようにして、僅かに作った隙間を使って腕を滑らせるように引き抜こうとした……のだが。

 ガイアがそのタイミングで腕の極めを外し、ゼットが体を跳ねさせようとした力を使い、空中で投げたのである。

 ゼットの力とガイアの力が合わさって、ゼットの体が海岸に強烈に叩きつけられた。

 海岸が、目に見えて崩壊する。

 

「がはっ!?」

 

 絶大なガイアSVの力に、卓越した技量が合わさった、豪快にして精緻な投げ。

 ゼットは深くダメージを受け、仕切り直しに瞬間移動。

 ガイアから距離を取り、槍先をガイアに向けた。

 

「……分かっていたことだが、信じられん強化度合いだな、予想以上だ……!」

 

『地球が、いい目といい体をくれた。

 ようやく、ワシの技が力尽くで潰されない程度には身体能力の差が埋まったわけだ』

 

 ガイアが一気に接近する。

 ゼットは一兆度火球を連発するが、ガイアはバリアで受け止めながら一気に距離を詰め、殴りかかる。

 ガイアの拳を槍が受け、されどガイアは拳を広げて手首を返し、槍を掴む。

 そして足先をゼットのカカト辺りに引っ掛けて、転ばすように投げた。

 おそらくは、小内刈という技の変形型。

 投げられたゼットは、瞬間移動でなんとかそこからの追撃をかわす。

 

 移動先は当然ガイアの背後だ。

 ゼットはガイアの背中を狙い俊敏に槍を突く。

 槍先が僅かにガイアの肌に触れ―――されど食い込まず、ガイアは胴体を僅かに横にズラし、体を丸ごと回してひねって、胴体の表面を流すように槍を受け流した。

 

 "胴体をナイフで刺された時に胴を動かして刺突を流す"技術の応用。

 ロシアの武術、システマの応用である。

 友奈の話を参考に竜胆が身に着け、竜胆から大地に伝わった技であった。

 

(背後からの刺突を体術のみでいなすだと!?)

 

 回転して背後からの槍突きを受け流したガイアは、回転の勢いのまま裏拳をゼットのこめかみに叩き込む。

 続き掌底を鳩尾に叩き込み、流れるように背負い投げを繰り出した。

 投げ飛ばされたゼットが、飛行能力と体捌きでなんとか地面への衝突を回避する。

 

「まさか、ここまでのものとは……!」

 

 強化されたはずのゼットが、まるで相手になっていない。

 槍はガイアの胴体に確かな切り傷を付けてはいたが、"槍が命まで届く気がしない"という感覚もゼットは得ていた。

 今のウルトラマンガイアが致命傷を当てさせてくれる気がしないという、半ば確信に近い敗北の実感。

 

『技だけで見るなら、化け物じみた御守の才能の技の方が、ずっと怖かった』

 

「……! くくっ、全くだ。三ノ輪大地、あれと毎日特訓していたな?」

 

『ああ』

 

「動きの質が上がっているわけだ……これだから人間とウルトラマンは面白い」

 

 前回ゼットとガイアが戦ったのは二ヶ月近く前。

 ガイアSVのスペックアップも凄まじいものがあるが、その陰に隠れて確かに、大地自身の技や強さも鍛え上げられていたのだ。

 ゼットの目には、大地の動きの影に、竜胆の技の姿が見える。

 

「一ヶ月でここまでの成長を見せてくるからこその、短命の者の強さか」

 

『鍛錬相手が居ないぼっちとは違うんじゃ』

 

 鍛錬において、仲間と戦い殺して強くなってきたゼット。

 鍛錬において、仲間を殺させないために仲間と高め合ってきた大地。

 二人は対称だ。

 その結果、大地の方が強いとは、なんと皮肉なことか。

 

(私とガイアの技にそう差はない。

 現状はまだ私が上だが、技量の上下は状況次第であっさりと覆る。

 問題は天の神の後押しを受けた私ですら敵わない、このスペックの高さ……!)

 

 構えた槍をどこに突けば倒せるのか、そのイメージが湧いて来ない。

 

(剛力と技術が合わさり、最強。何と分かりやすい強さであることか)

 

 薙いだ槍は受け流され、突いた槍は掴まれる。

 ガイアは掴んだ槍ごと投げる……と見せかけて、投げに意識がいっていたゼットの手を取り、手首の関節を極めた。

 ゴキッ、とゼットの手首から嫌な音がする。

 

「ぐっ」

 

『"コツを掴む"という言葉がある』

 

 ゼットは極めを振り解き、手首を癒やす時間を得るためバリアを展開する。

 

 様々な宇宙で無敵と謳われたゼットンのバリアが、ガイアの強烈な掌底を受け止めた。

 構わず、ガイアは掌底を打ち続ける。

 打って、打って、打ちまくる。

 掌底が拳より優れたものである、と主張する者は多くいるが、その最たる理由は『硬いものを打っても拳と違って壊れない』からであるという。

 

 どんなに硬いバリアに繰り返し打ち込んでいっても、掌底ならば壊れない。

 

『元は"(こつ)を掴む"と書く。

 物事の芯、本質を掴むという意味じゃ。

 格闘技においては、動きの要領、技の拍子、間を掴む技術の習得などを言う。

 打撃においては……力を伝えるべき箇所に伝え、(こつ)まで徹すことなども言う』

 

 そして、ガイアSVの筋力はもはや、あらゆる常識が通じないレベルにあり―――繰り返し打ち込むことでバリアにヒビを入れ、やがて粉砕した。

 

 "無敵のバリアは頭を使って攻略する"などではない、"無敵のバリアが壊れるまで殴ればいい"の境地。恐ろしいまでの力技だった。

 

『お前の(コツ)、掴んだぞ』

 

「―――!」

 

 竜胆が使っていた歩法で一瞬にして距離を詰め、柔術の踏み込みで大地をしっかりと踏み締め、海人が使っていたアグルブレードを出し、若葉のように振る。

 竜胆のような天才でないため、その繋ぎは酷く拙い。

 技のキレもよくはない。

 だが、"仲間の力"は確かに大地の助けとなり、ゼットの体を深く切り裂いた。

 

「がっ―――!?」

 

 強い。

 圧倒的に強い。

 あれほどまでに強かったゼットが、まるで赤子扱いだ。

 相手があまりにも強いがために、圧倒しているガイアSVの強さが相対的に引き立つという、この光景。

 ゼットの強さを知っている者ほど、この光景が異常であることを理解できる。

 

 そしてその強さを一番に実感しているのは、ガイアと戦っているゼット自身だろう。

 

(―――素晴らしい)

 

 竜胆のティガと戦っていた時も、薄々感じていたことだ。

 ティガといい、ガイアといい、とことん距離を詰めた肉弾戦を得意としている。

 ゼットンには光線が効かない。

 それ以外の飛び道具もバリアに防がれる。

 それは、ウルトラマン殺しとして名の知られたゼットンの特徴のようなものだ。

 

 なのでゼットンを倒したウルトラマン達は、新規の武装を装備してみたり、格闘戦を極端に強力にしてみた者が多い。

 近接戦は、対ゼットン戦略としては有効なものの一つなのである。

 

(柔術、と言ったな)

 

 三ノ輪大地の技は、『人が人を壊さず勝利するために生み出された技』だ。

 柔術はそういった側面を常に持っている。

 警察官が使う柔道などはかなり有名なものだろう。

 大地の技は、それを『バーテックスを倒し人を守るための技』に改良したものだ。

 

 なればこそそれは、一から十まで、"人を守るためにある技"であった。

 

「ウルトラマンガイア」

 

『なんだ』

 

「私は、いい気分だ」

 

『……?』

 

「お前達ウルトラマンを滅ぼす存在として生まれたことが、こんなにも誇らしい」

 

『―――』

 

「お前達の価値を素直に認められる心を持って生まれたことが、私の幸運だった」

 

 右肩から左腰にかけて深く切り傷を刻まれても、ゼットは止まらない。

 

 ウルトラマンを見るゼットの目は輝いていて、その手の槍は止まらない。

 

「私は、お前達を滅ぼすために生まれてきた! その、輝ける光を滅ぼすために!」

 

『何のために生み出されたかとか、なぁにいつまでそんなこと気にしとんじゃ!』

 

 突き出されたゼットの槍を、ガイアが圧縮したバリアで受ける。

 

『スポーツマンの親が子供にプロになることを願う。

 よくあることじゃ。

 似たようなものもいっぱいある。

 だがそうした子供の大半は、プロスポーツ選手になどなれはしない!』

 

「くっ」

 

 バリアごと槍を一気に押し返せば、ゼットの体が背中側に倒れかけ、姿勢が崩れた。

 

『"生まれた時に何を望まれた"かなんて、世界で一番どうでもいいことの一つじゃ!』

 

「!」

 

『自分の生きる意味は! 生まれた瞬間に与えられるもんじゃなく、自分で勝ち取るものだ!』

 

 姿勢が崩れたゼットの足を、ガイアが持ってグイッと持ち上げていく。

 投げ倒しの技、朽木倒しだ。

 ゼットは背中から落ちそうになったが、ガイアに持たれなかった方の足でガイアを蹴り、後方宙返りして回避する。

 

『ウルトラマンもそうじゃ! パワードもグレートも言っていた!』

 

 ゼットのどこかを掴もうとするガイアの猛烈な手技の応酬を、ゼットの槍が必死に弾く。

 

『ウルトラマンは戦うために生まれてくるのではないんだとさ!

 人と同じく、愛の結果として生まれ、愛されて生まれてくるんだと!

 ワシはな、ちょっと感じ入るものがあったんじゃ!

 人間も、ウルトラマンも、同じで……愛から生まれた命で!

 同じように、他人を愛せるんだと知って!

 ウルトラマンは、人が人を愛するように、人を愛してくれてるんだと知ったからな!』

 

 だがあえなく、槍を掴んでいたゼットの手首が、ガイアの手に掴まれてしまう。

 

『そもそも"ウルトラマン"ってもんが偶然生まれたとか聞いた!

 偶然人工太陽から漏れた光線が、人間のようだったウルトラマンを巨人に変えたと!

 そんなもんじゃ。

 ウルトラマンみたいな特別な存在ですら、そうなんじゃ!

 生まれた意味なんて、もっとふわっと考えたっていいと、ワシは思うがなっ!』

 

「っ」

 

『生まれた意味など、生み出された意味など! 考えるだけ無駄じゃ無駄!』

 

「がっ!?」

 

 ガイアがゼットの防御を投げ崩し、地面に叩きつける。

 

 戦うだけなら、ただ無言で戦えばいい。

 だが彼らは、"力以外"もぶつけ始めた。

 自らの信念、考え方、心、意志、嗜好、人生の全てをぶつけ始めた。

 

「それはお前の考えでしかない」

 

 ゼットは距離を取り、一兆度火球を連発する遠距離戦へ。

 ガイアもそれを受けて立った。

 二人揃って、四国の上空へ。

 

「生まれた後に、自らに別の意味を見つけられた、恵まれた者の主張でしかない」

 

 一兆度の火球が十数個、様々な軌道で空を飛ぶ。

 

「バーテックス。

 頂点を意味する言葉。

 この名前を付けたものは、本当に本質をよく分かっている。

 ……いや、そうではないか。

 天の神の考えに対する解釈が、おそらく私ととても似通っている」

 

 海人の狙撃技(リキデイター)が、ガイアの手から放たれて、それを全弾撃ち落とす。

 

 空に太陽のような形の花火が、いくつも花開いた。

 

 ゼットはガイアに全力を出させるために。

 ガイアは街を守るために。

 戦うならば極力街を巻き込まないように、という無言の合意の下、戦っていた。

 

「お前達は、人間が自由で脅かされない世界を目指しているのだろう?」

 

『ああ、一言で言えばそうじゃな!』

 

「それはつまり、人間が頂点(バーテックス)である世界だということだ」

 

『―――は?』

 

 ゼットの言い草に、一瞬、大地は呆けた。

 

「人間が脅かされるということは、人間が生態系の頂点(バーテックス)でないということだ。

 人間を脅かす、勢力として人間より強大な、生態系の頂点(バーテックス)がいるということだ」

 

『……それは』

 

「神が用意したのはそれだ。

 人間という頂点(バーテックス)とは別の、生態系の頂点(バーテックス)

 他の生物をいくらでも喰らえる食物連鎖の頂点だった人間を、更に喰らう頂点(バーテックス)

 

 ゼットは語りながらも、攻撃の手を緩めない。

 

「何故今の人間には平和がない?

 何故今の人間には自由も安息もない?

 簡単な話だ、今の人類は生態系の頂点(バーテックス)ではないからだ。

 一番強い生物は、いつだって安心して生きていられる。安心して寝ていられる。

 だが弱い生物は、いつだって自分が食われることを恐れ、敵を警戒して生きている」

 

 ライオンはぐっすりと眠り、小動物は寝ていても小さな物音で飛び起き逃げ出すという。

 弱い生物は捕食の危険性が一生あるため、一生平和など得られない。

 下手な行動を取ればすぐさま捕食されるため、生涯に完全な自由もない。

 強い生物であるライオンですら、人間にはあっさりと狩り殺されてしまう。

 

 平和と自由と生存権が真に保証される生物というものは、生態系の頂点(バーテックス)しかいないのかもしれない。

 

『人間が弱い生物になっただけだと言いたいんか?』

 

「現状の一側面、というものだ。人間の弱さなど……言うまでもない!」

 

 巨大な一兆度の火球と、クァンタムストリームが空の高みで衝突する。

 

「人間の安心とは……()()()()()()()()()()()()()()にしかない! 違うか!」

 

『……否定はしないっ!』

 

「人間より強い生物勢力が存在しない世界でなければ、安心できない。

 人間より強い生物を駆逐しなければ平穏を得られない。

 ウルトラマンのような全面的に好意的な存在以外は受け入れられない。

 ……だからこそ! 愚かしいことに! 今でも、ティガダークを多くが忌み嫌っている!」

 

『―――』

 

「ティガに殺されるのでは、という恐怖からくる嫌悪で、多くの者が排除しようとしている!」

 

『がっはっは! ……まさか、こんなところで!

 ぶっ倒さんといかん忌まわしい敵の発言に、ちょっと共感することになろうとはな!』

 

「本当の頂点は神だ。人にそうであると許していただけだ。違うか?」

 

『知るか。お天道様が一番上にあります、だからどうした、知ったことか!』

 

 イスラム教におけるサタンは、神が人間を天使の上に置いたことに怒り、「天使が人間よりも劣っているはずがない」という考えから、神に反旗を翻し堕天したとされる。

 神話の世界の神と御使いですらそうなのだ。

 天使でさえ、神の下に新たなる頂点(バーテックス)が用意され、自分達が神の下の頂点(バーテックス)の座から転がり落ちることに耐えられなかった。

 

 もしも、幾多の神話にあるように、人間でさえ、神が作ったと仮定するならば。

 

「皮肉だろう? 神は()()()()()()()()()を用意しただけなのかもしれないというのは」

 

『答えは同じだ。知ったことか!』

 

 クァンタムストリームが巨大な火球を貫いて、ゼットに命中する。

 

「ぐあっ……!」

 

『この宇宙の全ての存在が、

 "人間は滅びろ"

 "お前達には罪がある"

 "思い上がりの罰を受けろ"

 と言おうが! ワシの言うことは一つじゃ!』

 

 怯んだゼットに、ガイアは急接近。そして叫ぶ。

 

『"うるせえ死ね"!』

 

 ゼットの体を肩に抱え、肩車という技の形で、大地に急降下。

 

『人間を滅ぼそうとしてる時点で逆にやられる覚悟を持っとけ、このスカタンどもがッ!』

 

 四国北東部最大の大橋・瀬戸大橋へと墜落した。

 

「がはっ……!」

 

 香川の名物・瀬戸大橋がひしゃげ、へし折れ、粉砕される。

 瀬戸大橋はその建材の関係上、ぶつけた際の瞬間的な威力であれば地面にぶつけるよりも威力が出る可能性が、十分にある。

 その上、四国の地盤に大きな揺れを発生させることもない。

 なればこそ、三ノ輪大地が選んだ処刑台であった。

 

『殴られたら、殴り返す! 殴られたままでいられるか! それだけの話じゃ!』

 

「……ウルトラマンらしさではなく、人間らしい、返答だなっ……!!」

 

 崩壊した瀬戸大橋の残骸が、海上にそれなり程度の足場を作る。

 ガイアSVはそこに悠然と立っており、ゼットはフラフラになりながらもそこに立ち上がった。

 今にも崩れそうな橋の残骸の上で、決着の時が近付いてくる。

 もはやゼットに長く戦う力はない。

 そしてガイアSVのライフゲージは点滅する気配すら見せていない。

 

 光が勝ち、闇は負ける。

 守護者は勝ち、破壊者は負ける。

 そんな、いつもの世界の形。

 

「……見えるか、ガイア。消えていっている、海に浮かぶ、無数のバーテックスの死体が」

 

『見えるが?』

 

「くくくっ……いくらでも代わりのいるバーテックス。

 私とて、いくらでも複製品でなら作れるだろう。

 ……死ねば代わりのいない人間やウルトラマンとは違う。葬式、とやらもないのだろうな」

 

 瀕死のゼットの口から言葉が零れ落ちる。

 無数のバーテックスが戦い、死に、その死体が消えていく。

 まだ消えていない死体を眺め、瀕死のゼットはポツリと呟いた。

 

「バーテックスも生きている」

 

『……だからワシに見逃せとでも言う気か?』

 

「違う。……バーテックスは生きている。

 人間を殺すためだけに生み出され、人間を殺すためだけに生きている。

 何も生み出さず。

 価値ある軌跡など、この世に何も残さず。

 価値あるものをすり潰すだけの害悪でしかない存在だが……生きている」

 

 一度、死んだ。

 ティガに負け、カミーラに末路を穢されてしまったが、一度終わりを迎えた。

 今、二度目を迎える。

 二度目の"自分の終わりの際"が近付くのを感じているゼットの心は、不思議と穏やかだった。

 

「天の神にとってはいくらでも代わりのいる存在。

 人間から見れば生まれたことそのものが悪。

 ……笑える話だ。

 バーテックスに『生きてほしい』と願ってくれる存在など、一人もいない。そうだろう」

 

『……』

 

「同様に、バーテックスが『生きてほしい』と願う相手など、一人もいないのだがな」

 

『……』

 

「死ぬべくして死ぬのだ。バーテックスは」

 

 死の際に、ゼットの目に映る大侵攻の死骸の群れは、酷く無様なものに見えた。

 

「―――こんなにも無価値で、哀れで、みじめな命が他に存在するか?」

 

 様になる、という言葉がある。

 様になる死に方は、多くの者が望むものだろう。

 だがゼットが見たバーテックスの死骸は、そのことごとくが無様だった。

 

「人間を殺す以外に、バーテックスは存在意義を果たせない。

 我らゼットンが、ウルトラマンを殺してこそ、その存在意義を果たせるのと同じように」

 

 『バーテックス』は、人を滅ぼすために生まれてきた。

 『ゼット』は、ウルトラマンを滅ぼすために生まれてきた。

 

「全てのバーテックスは、人を滅ぼすために生まれてきた。

 だが、人は滅びていない。

 ならば、バーテックスの全てが存在意義を果たせず死んでいったとも言える」

 

『当たり前じゃ。滅ぼさせてたまるか』

 

 迷いなく言い切るウルトラマンガイアを見て、ゼットはこれまでのバーテックス達が負けてきた理由を、改めて実感する。

 

「三ノ輪大地よ……一番哀れな生き物とは、なんだ?

 虫か?

 魚か?

 鳥か?

 滅ぼされる運命にある人間か?

 ……本当の意味で、この地球上で最も哀れな生き物は、バーテックスなのではないか?」

 

『……お前』

 

「信頼もなく、夢もなく、幸福もない。こんなみじめな生物が他に存在するのか?」

 

『……』

 

「幸せもない、笑顔もない、何も得られず、何も成せず、死んでいく。

 自分が死んでも、同じ存在がいくらでも生産される。こんなみじめなものが他にあるか?」

 

 ゼットの肉体は、変質した星屑で出来ている。

 性能は以前のままそのままだったとしても、事実上ゼットの今の肉体は、周りのバーテックス達と同じ作り方で作られた同じ物である。

 バーテックス達にゼットが今向ける感情に、名前を付けるなら。

 

 きっと『同情』『憐憫』という名前が付けられるだろう。

 

「慈愛の戦士と呼ばれるウルトラマンを、私は記録で知っている。

 そのウルトラマンなら、このバーテックス達にも同情し、愛を向けただろう」

 

『ワシらに慈悲をよこせと?』

 

「違う。お前達はお前達で、全力でバーテックスを滅ぼせばいい。

 だが……そうだ、そうだな。私は、想像もしていないお前達に、知ってほしかったんだろう」

 

 その瞬間、ガイアの目には、ゼットが無機質な殺戮者には見えなかった。

 

「この地球上で最もみじめで、哀れで、無価値で、人を殺すためだけに生まれてきた――」

 

 哀れなものを憐れむ、人間に見えた。

 

「――そんな、最底辺の生き物(バーテックス)のことを」

 

 カチリと、何かが動いた。

 

 

 

 

 

 バット星人は、ウルトラマンを『光の戦士』と呼ぶ。

 そしてゼットを、『全てのゼットンの頂点に立つ最強の戦士』と呼んだ。

 戦士と戦士が出会うなら、そこは戦場以外にありえない。

 

 ゼットはバット星人に―――全てのゼットンの頂点(バーテックス)たる存在として、生み出された者。

 

 

 

 

 

 倒され、殺され、砕け、死骸を晒し、消滅していったバーテックス達の残滓が、闇となってゼットの周りに集まっていく。

 光は無い。

 全てが闇だ。

 悪しき者は死の果てに闇へと還り、ゼットの周りに集まっていく。

 

「……そうか」

 

 ゼットの憐れみの言葉が、四国結界内部に充填された過剰なまでに大きなエネルギーが、バーテックスの残滓に僅かな作用と力を与えた。

 それらをトリガーとして、死したバーテックス達が瀬戸大橋跡地に集まっていく。

 上から見れば台風か何かにも見えるであろう、黒い瘴気の渦が生まれる。

 その中心点に立つは、宇宙恐魔人ゼット。

 

「まだ死ねないか、お前達も」

 

 ゼットは腕を広げ、闇を受け入れた。

 

 神の生み出した頂点(バーテックス)が、ゼットンの頂点(バーテックス)に殺到する。

 

「いいぞ、来い。利用してやる。

 お前たちが生まれた意味を、生まれた理由を……私が果たしてやろう!」

 

 ゼットはその全てを、全身で飲み込む。

 タイラントは、怪獣の怨念が集合して生まれた怪獣である。

 ゆえに、それが混ざった"これ"は、"そう"在れる。

 

 ゼットの"先輩"とも言えるハイパーゼットンは、様々な並行宇宙から採取した無数の怪獣を食わせることで進化を繰り返し、最強のゼットンとなったという。

 今のゼットも同じだ。

 概念記録から様々な宇宙の怪獣を再現し、大侵攻に加えた天の神の行動は今、ゼットをハイパーゼットンと同じ進化の過程に乗せていた。

 

 ゼットに殺されたゼットン達も、その渦の中に巻き込まれていく。

 ゼットン達はゼットに対して特に何も思っていない。

 今も変わらず、ゼットに味方し、ゼットに従う。

 "心を植え付けられていないゼットン"など、そんなものだった。

 

 かくして、ゼットは『次』に進んだ。

 

 

 

 

 

 全身に生えた、動きの邪魔にならない程度に大きな黒きトゲ。

 流れ落ちる水流を思わせる形状で、全身に走る黄色の発光体。

 黒と銀の体色のためか、遠くから見ると、黒い筋肉の上に銀の鎧が付いているように見えた。

 輝く青い目。

 鎌の刃のような形の、金色の触覚。

 そして胸には、カラータイマーのように赤く輝く宝石状の硬質器官。

 

 終焉は、形を変える。

 より強き終焉へと姿を変える。

 ゼットン軍団ではなく、バーテックスの残滓を率いる者へと。

 

 終焉の名は、『ハイパーゼット』。

 

 この宇宙、この平行世界、この世界線にしか誕生しなかった者。

 

 かつて存在した全てのゼットンを超越し、神の領域へと足を踏み入れた、黒き終焉であった。

 

 

 

 

 

 ゼットの言う通りだ。

 バーテックスは、救われない命である。

 人を滅ぼそうとして人に滅ぼされるか、人を滅ぼした後用済みになるか。

 そのどちらかでしかない。

 彼らにあるのは"人を滅ぼす"という、生み出された意味と意義のみ。

 それ以外には何も無い。

 それ以外の何かを得られる可能性も無い。

 

 人を終わらせるためだけに生み出され、殺し、人に終わらされるためだけに生きているかのような、頂点でありながら最下層の存在。

 その幸せの総量は、竜胆を遥かに下回るだろう。

 なればこそ、生きている間は何も思わなかったバーテックスですら、ゼットの言葉を聞き、死後に思ったのだ。

 

「今、私の下に、全ては一つとなった」

 

 このまま、消えて無くなってしまうなら、せめて、せめて―――

 

「我らの想いは一つ」

 

 ―――『自分が生まれた意味を果たしたい』という祈り。

 

「終われ、ウルトラマン。……滅びろ、人間!」

 

『……ふざけるな!』

 

 天の神、空の星、バーテックス。それらを背負い、ゼットが闇の槍を突き出す。

 地の神、地球、人間。それらを背負い、ウルトラマンガイアが光の拳を突き出す。

 二つは空中で衝突し、光と闇が喰らい合い、爆発した。

 

『御守風に言うなら、こうじゃ』

 

 槍か腕を掴み、投げる。

 それを目指して槍を捌き、前に踏み込む。

 だが、その手は届かない。

 槍の圧力が以前とは比べ物にならないほどに上昇していた。

 

『ワシらは滅びたりしない。絶対に!』

 

 されどガイアSVは、今や星を背負う者。

 この程度の強化であれば、圧倒はされない。

 逆に攻め手の圧力をぐんと引き上げ、槍が攻める余裕がないほどに、槍を使った防戦一方へと追い込んだ。

 

「ティガ風に言うなら、こうなるな」

 

 とにかく掴まれたら終わり、という意識で、ゼットは槍を振り続ける。

 この流れで防御は切り捨てられない。

 攻防どちらにも全力を込め、ひたすらもガイアSVと凌ぎを削る。

 突き殺す。

 掴み投げる。

 両者共に"強力な一発"を持っているがために、一瞬の隙すら見せられない、そんな攻防。

 

「全ての者の死を無駄にしない……いや、私の場合は違うか」

 

 皮肉にもほどがある話だ。

 ゼットの心は、日々成長し、変化し、様々な想いを獲得している。

 そうして今、ゼットの精神性は、"誰の死も無駄にしない"という竜胆の精神性と似て非なるものへとなりつつあった。

 ずっと戦ってきたティガという好敵手の精神性が、ゼットへ強い影響を与えていたのだ。

 

「その誕生を、意味の無いものにしない!

 バーテックスは、確かに生まれたのだ! この世界に!

 私と同じように生まれた! なればこそ! ―――その誕生を、意味のあるものにしよう!」

 

 戦いながら、ゼットは叫ぶ。

 

 "我らは生まれた意味を果たすのだ"と。

 "自分達は望まれて生まれてきたのだ"と。

 "倒されるためだけの怪物などではない"と。

 叫び、戦う。

 ゼットとして、バーテックスとして。

 

()()()()()()()()()()()()と、叫ばせてもらうぞ!」

 

『……その願いが! 人間を滅ぼしたいってもんじゃなけりゃ!

 願いの純粋さに感心して、肯定してやりたいところじゃ! だがな!』

 

 だが、そんな想いに負けてやるわけにはいかないのだ。

 ウルトラマンガイアには、守るべき命がある。

 守りたい人間達がいる。

 守らねばならない世界がある。

 全てを、星に託されたのだ。

 

『悪いが……一から十まで、全否定させてもらうッ!!』

 

 この世界における強者の戦いは、神話に喩えられる。

 山を砕き、海に穴を空け、雲を散らす。

 まさに神話の神々の権能だ。

 

 だが、この瞬間のゼットとガイアの戦いは違う。

 これはもはや、サイエンス・フィクションの世界の戦いだった。

 

 一撃一撃に、星を砕く威力がある。

 ガイアとゼットに地球を砕く意思がないために地球がまだ保っているだけであって、攻撃の向きを下に向ければ、即座に地球は崩壊する。

 両者の攻撃が速すぎて、重すぎて、人が容易に死ぬ余波がポンポンと発生している。

 

 ゼットの動きの中で最も速い瞬間を見て、その瞬間の槍の最先端の速度を計測してみれば、その速度に目眩がするだろう。

 現在の人類に残された速度計測機器では、その速度を計測することすら困難である。

 ここまでくればもう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そういうレベルの攻撃速度だった。

 

 空気が弾け、裂け、かまいたちやらソニックブームやらが宙を舞う。

 神樹が自らの意志で、寿命を削ってでも力を絞り出し、街を守る急場しのぎの力場を作った。

 だがその力場すら突破されかけている。

 ゼットが槍を振った瞬間に巻き起こる余波の風は、神樹の力場すら突破し、街の人々を惨殺してしまえるレベルにあった。

 

 そしてゼットは、そうやって巻き込まれる程度の人死になど、気にしなかった。

 

「ぐんちゃん!」

 

「大丈夫、振り向かないで!」

 

 友奈は振り向かず、一目連にて嵐を纏う。

 そんな友奈を、後方から千景と玉藻前が支える。

 友奈と千景のコンビネーションが、四国をゼットの攻撃余波から守り切る。

 街を襲うのが衝撃波(暴風)であるのなら、友奈を軸にしたこのコンビネーションで、いくらでも相殺が可能である。

 

「やっぱりぐんちゃんは頼りになるね!」

 

「……そう?」

 

「リュウくんが抜けた分、頑張ろっ」

 

「ええ」

 

 二人きりで四国を守り、やがて杏が戻ってくる。

 

「壁の外、見てきました! 外に敵はいません、ゼットが最後です!」

 

 杏は精霊の負担で顔を青くしながらも、有用な情報を持って帰ってきてくれた。

 もう精霊の使用に耐えられる状態ではないが、それでも彼女は勇者。できることはある。

 杏が状況確認、友奈と千景が防衛に動いている間、若葉は"今敵に最も狙われやすい"変身解除後の竜胆を、後方に置きにいっていた。

 

 ティガは厄介だが、今の竜胆は変身どころか立っていられるかさえ怪しく、殺しやすい。

 敵が狙う前に、仲間に預けておく必要があった。

 

「ひなた、竜胆を頼む」

 

「若葉ちゃん」

 

「お前にしか預けられない。信頼して任せるとしたら、私はお前を選ぶ」

 

「……分かりました。任せてください! 御守さんは私がちゃんと守ります!」

 

「頼んだぞ」

 

「若ちゃん、気を付けて。あと、しにくいだろうけど……ガイアの援護を頼む」

 

 竜胆の台詞は、ガイアの勝利を信じていた若葉の心に波紋を起こす一石としては、十分すぎた。

 

「お前がそう言うということは……援護しなければガイアは負けるのか?」

 

「正直、五分五分だと思う。どっちが勝つか分からない」

 

 竜胆は勇者などの要素を加味して考えて、勝率50%と推測する。

 

「だけど、単純な強さを比べるなら、多分……」

 

 仲間がいるガイアSVと、仲間がいないゼットが五分五分ということは、つまり―――

 

 

 

 

 

 ガリッ、と音が鳴る。

 ゼットの槍がガイアの手の肉を切り裂き、その奥の骨を削り取った。

 

(なんちゅうこった)

 

 どちらが勝つかも分からない接戦。

 されど大地の視点から見れば、力の差ははっきりと分かった。

 

(―――今のワシより、ゼットの方が、強い)

 

 一定以下の速度で戦っている時はいい。

 千景の呪力攻撃や、若葉の炎が援護してくれる。

 そうしている時は、明確に優位を保てる。

 だが、速度を上げるともう無理だ。

 仲間の援護がなくなれば、ガイアSVは途端に不利になる。

 

 このまま戦っていても、ジリ貧は確実。

 ガイアは踏み込み、賭けに出た。

 

『喰らえ―――!』

 

「隙だらけだぞ!」

 

 踏み込んだガイアの無防備な腹に槍を突き出しながら、ゼットはガイアの伸ばした手が当たらないよう、間合いを見切る。

 槍と腕。

 両者が同時にそれを突き出したなら、槍だけが当たるのは明白である。

 

 かくして、ゼットの二股の槍がガイアの腹に深々と刺さり。

 柔術の基本の初手、相手を掴もうとする手に見せかけた右腕から、生成されたアグルブレードがゼットの右肩に突き刺さった。

 

『!』

 

 これまでさんざん見せてきた、柔術の腕の動き。

 まず掴む手の動き。

 それらを十分にゼットの目に焼き付けてからの、フェイント・アグルブレード。

 ゼットの右肩に刺したアグルブレードを捻り、振る。

 

 ガイアの一閃が、ゼットの右腕を空に舞わせた。

 

「……ぐっ、うっ……! 誘い込まれたのは私の方か……!」

 

『がっ、がっはっは……腹の穴二つで、腕一本か……』

 

 腹に穴が空きながらもガイアは立ち上がり、ゼットは左腕一本で槍を持つ。

 

「天の神は"これ"を無価値、傲慢、不遜と断じたのか」

 

 ゼットはガイアを見る。ガイアを助けようとする勇者達を見る。

 『人間』を、真っ直ぐに見る。

 

「天の神は"これ"を滅ぼすべきものだと断じたのか」

 

 そして、呟くように想いを口にする。

 

「信じられん」

 

『……人間、知った気になっとるな。ワシとしちゃあ、なんと応えたものやら』

 

「この強さ、この輝き。これのどこに滅ぼされる謂れがある?」

 

 ゼットは、ガイアの強さが想いから来るものであることを理解していた。

 

 守ろうという想い。

 他者を愛する想い。

 世界を守り、救い、未来に繋ごうとする想い。

 そして、ウルトラマンガイア/三ノ輪大地に、皆が向ける想い。

 

 死して神樹に溶けた者達も。

 街の力無き人達も。

 勇者達も。

 この星も。

 皆が皆、ガイアを信じ、彼に全てを託していた。

 

「命とは……想いで、この領域まで来れるものなのか……」

 

『なんだ、羨ましいのか?』

 

「……」

 

 大地にはゼットの内心が分からず、ゼットもまた、自分の中の感情に名前が付けられない。

 

「そうか」

 

 だが、一つだけ、ゼットにも出せた答えがあった。

 

「そうか―――これが、これが『光』か!」

 

 それは、今この瞬間にガイアを最強足らしめているものが何かという答え。

 

「"これ"こそが、ゼットンに必然の敗北を、人とウルトラマンに奇跡の勝利を約束したもの!」

 

 心を得たゼットンは、これまでのどのゼットンも理解することができなかった『ゼットンが敗北してきた理由』を、身に染みて理解する。

 

「私はお前に……いや、お前達に勝とう。ウルトラマン! 勇者! ―――人間っ!」

 

『負けるかぁ! ワシらの明日は、お前になどやらん!』

 

 腹に穴が空いたまま、片腕を失ったまま、二人は近接戦を吟じる。

 ダメージのせいで動きが随分と悪くなっているが、それでも桁外れに強いままだ。

 ハイパーゼット。

 ウルトラマンガイア・スプリームヴァージョン。

 この二人ほどに強ければ、腹の穴も、片腕の喪失も、二人を弱者の位置まで落とさない。

 

 だが神は、それを唯一無二の好機と見たようだ。

 

「『 ! 』」

 

 空から、四国結界を貫いて、黄金の雷が落ちて来る。

 

 神にも届き得る領域の力を手に入れたガイアSVなら、防ぐ可能性はあった。

 腹に、穴さえ空いていなければの話だが。

 今の状態のガイアには、それを防ぐのも回避するのも間に合わない。

 

『がああああっ!?』

 

 古来より、雷に撃たれて死んだ人間は、たびたび"天の神の怒りに触れて殺された者"として扱われる。

 ガイアは死ななかった。

 だが、死ななかっただけで、全身が黒焦げになるほどに焼かれてしまっていた。

 

『ぐ……かぁーっ、効かん効かん! ワシには屁でもないわ!』

 

 空を見上げるガイアとゼット。

 空には、異質さと神聖さを感じさせる銅鏡のようなものが浮かんでいた。

 その鏡こそ、天の神の化身。

 天に連なる神々の中心に座す、日輪そのものである神性が、自らの力を扱える一端として送り込んだものであった。

 

 将棋で言えば、綺麗な詰み。チェスで言えば、完璧なチェックメイトの流れ。

 大侵攻は全くと言っていいほど計画通りにいかなかったが、結果論で見れば、これで予定通りの結果に終わると言えるだろう。

 あとは、天の神の化身とゼットがガイアを倒し、人を滅ぼし、神樹を折ってそれで終わり。

 

 それで終わる、はずだったのに。

 

「『 失せろッ!! 』」

 

 クァンタムストリームと一兆度火球が、何故か同時に、空の化身へと叩き込まれた。

 

 もはや神の領域にある二者の全力同時攻撃は、化身に抵抗すら許さず、消滅させる。

 

 ガイアとゼットは向き合い、互いの目を見て、ふっと笑った。

 想いは同じ。

 敵同士で、分かり合うこともなく、手を取り合うこともなかったが―――今の一瞬、間違いなく二人の想いは、一つだった。

 

「くっ、が、がががっ、ぎぃっ……!!」

 

『!?』

 

「くっ、くくくっ……今のは、流石に、祟りのことを考えれば、最悪か……!」

 

 だが、天の神の祟りは、勿論の今の行動にも容赦なく作用する。

 ゼットの命が加速度的に削られ、呪死するには十分過ぎるほどの祟りがゼットを襲う。

 皮肉にも、ゼットを即死させなかったのは、ゼットを後押しするために天の神が注ぎ込んだ神通力であり、天の神に未だ従順なバーテックス達の生命力だった。

 

 全身を黒焦げにされたガイア同様に、ゼットもまた、命残り少ない体で膝をつく。

 

『なんで、今、ワシを助けた』

 

「お前達を助けた覚えなどない」

 

『……』

 

「お前も、お前達も、私が滅ぼす。

 天の神ではない、私が滅ぼすのだ。

 お前達は、無価値ゆえに滅ぼされるのではない。

 思い上がったがために滅ぼされるのではない。

 神の怒りに触れたがために、神の正義に滅ぼされるのでもない。……私に、滅ぼされるのだ」

 

 ゼットは、人間に生きる価値が無いとも、滅ぼされるべき存在であるとも言わない。

 人間は生きるべきだとも言わず、人間の死が悲劇であるとも言わない。

 それが、全てだった。

 

「忘れるな。

 私は、お前達ウルトラマンの滅びと、ついでに人間の滅びにしか、興味はない。

 お前達のような正義は……私にはない。

 お前達の価値は認めよう。

 だが、価値がある者を生かそうとする善性など、私の中にはこれっぽっちも無いのだ」

 

『そうか』

 

「御守竜胆が教えてくれた。

 お前達を滅ぼし、生み出された意味を完遂する……それが、私の『夢』なのだ」

 

 焼け焦げた体で、ガイアが拳を握り締める。

 祟りに蝕まれた体で、ゼットが槍を握り締める。

 

『なら……ワシはお前にだけは負けられんなぁっ!!』

 

 叩きつけられたガイアSVの剛拳が、ゼットの槍をへし折った。

 

「……!」

 

『その夢は、ここで終わりじゃぁっ!!』

 

 始まる肉弾戦。

 二人の命が尽きる瞬間が、すぐそこまで迫っている。

 それが先に尽きた方が、この戦いの敗者だろう。

 

 殴る、殴る、殴る、殴る。

 

 命は尽きかけであろうとも、神々を初めとする多くの者から得た力は、まだ両者の体の中に漲っている。

 命尽きることはあっても、力尽きることはないという異様な構図。

 そして心が折れることもまた、ありえない。

 大地とゼットは、体より先に心がくたばるような軟弱な心の構造をしていない。

 

 蹴る、蹴る、蹴る、蹴る。

 

 攻撃されればその痛みで意識が飛びかけ、攻撃すれば手足に返って来た反動だけで意識が消えかける。

 もはや二人共、全身で傷んでいない箇所、痛んでいない箇所が無い。

 殴り合いをすればするほど全員が痛み、命が吹き飛んでいく実感がある。

 それでも、手は止めない。

 

 ゼットを投げて、手刀をガイアに刺して、勇者が援護してくれて、ゼットが一人で跳ね除けて。

 

 ボロボロになりながら、両者はひたすらにぶつかり合う。

 ゼットの反撃が若葉を、友奈を、千景を、杏を傷付ける。

 仲間を傷付けられたことに怒り、ガイアの投げ関節技がゼットの足を折る。

 構わず反撃したゼットの一撃が、ガイアの目を抉る。

 どちらかが死ぬまで止まることはなく、互いに勝つまで死を受け入れない、しぶとさの塊。

 

「ふ、ふふ……」

 

『なに、笑ってんじゃ、こら……』

 

「ここでお前に負けて、終わっても。悔いはないが……ああ、そうだ」

 

 ゼットは、ふっと笑った。

 

「負けたくない。お前に……お前達に、勝ちたい」

 

『そうかい。ワシはな、死にたくないぞ』

 

 町の人間がずっと見守る戦いも、終わりが近い。終焉はすぐそこにまで来ている。

 

「それでいいのだろうな。

 お前は終わりを嫌い、終わりを倒そうとすればいい。

 終わりを拒絶し、足掻くものにこそ、私は終焉をもたらそう」

 

『黙ってろ終焉キチガイが。……終わりなど、受け入れてたまるか!』

 

「私が、お前の終わりだ」

 

『終わらん!』

 

 ゼットは戦いながら、ふと思う。

 ガイアと戦っていて、思った。

 ティガと戦った時も、思った。

 与えられた"生まれた意味"とは違う、"自分が生まれてきた意味"を、ガイアやティガと戦っている時に、感じる。

 

(―――私は、この者達と戦うために、生まれてきたのだと思うのは、幻想か)

 

 終わりをもたらす。

 終わりを越える。

 二人の心は唯一つの目標に向かい、まっすぐに進んでいく。

 

(ワシが、あいつらを守ってやらないと)

 

 ここで終わりではない。

 ここから始まるのだ。

 三ノ輪大地は、ここから先も、長く続く戦いの中で、自分よりも年下の子供達を守って、皆の世界を救わなければならない。

 天の神を倒すまでの長い道のりは、まだ始まったばかりなのだ。

 人類は地球という自分達の陣地すら、取り戻せてはいない。

 

 だから、こんなところで負けていられるわけがない。

 

(―――生まれた意味なんぞいらん。

 ワシがこう在ることに、生まれのああだこうだは一切関係がない。

 ワシが守りたいと思った。だから守る。それが全てじゃ。生まれた意味なんぞ必要ない)

 

 攻撃し、防御し、回避し、その繰り返しの果てに、秒単位の隙間ができる。

 どう動いてもいい、両者にとっての絶好のチャンス。

 その好機に、ガイアとゼットは同時に足を止め、両者同時に力を溜めた。

 莫大なエネルギーが、二人を中心にして収束していく。

 

(ただ、この胸の奥に、"守る"という燃える意志があればいい!)

 

 腕を大きく回し、光を集めるガイアSV。

 腕を絞るように捻り、腕先に作った火球に闇を注いで、闇を薪のように使うゼット。

 光が、炎が、強く強く世界を照らす。

 そして、光線と火球が、同時に放たれた。

 

 

 

『―――フォトンストリームッ!!』

 

「―――ハンドレッド・トリリオンメテオッ!!」

 

 

 

 アグルから受け継いだ光を混ぜて、初めて使えるようになった、最強光線。

 ゼットン軍団の一体が使っていた100トリリオンメテオという技の応用、百兆度火球。

 二つがぶつかれば、拮抗することは間違いなかった。

 

 だからこそ、大地は驚愕する。

 百兆度火球が"途中で軌道を曲げて"、光線を避けたからだ。

 

「―――!?」

 

 ゼットは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 言い換えるならば……この瞬間に光線と火球がぶつかったとしても、ウルトラマンがゼットンに力負けすることはないと、信じていた。

 ゼットの最強光線を切り裂くランバルト光弾の輝きを、ゼットは今も覚えている。

 

 だからこそ、その瞬間のゼットの選択の要を、あえてこう言おう。『勇気』だと。

 

 火球は光線を避け、カーブしながら飛翔する。

 直進したフォトンストリームが、ゼットの胴を貫通した。

 光線を避けた火球が、ガイアの胴体を貫通した。

 

 ゼットは首だけになった状態から蘇生した。

 ゆえに、胴の肉の2/3は綺麗に消し飛んでいたが……死んではいない。

 ガイアのカラータイマー周りに、大穴が空いている。

 誰がどう見ても、致命傷。

 ゼットは死なず、ガイアの死は確定した。

 なればこそ、この結末は……"ガイアの敗北"と、そう言うのだろう。

 

「が……はっ……!」

 

『私の……』

 

 ゼットは一度、全力を尽くした上でウルトラマン達に負けた。

 負けて、そこから這い上がった。

 ゼットはウルトラマン達を信じていた。

 その強さに敵としての信頼を向けていた。

 この結末を招いたのは、ゼットがウルトラマンから貰った強さであり、ゼットがウルトラマンを信じたがゆえの決断だ。

 

『私の……勝ちだ……!』

 

 だからこそ得られた―――宇宙恐魔人ゼットの、勝利であった。

 

 

 

 

 

 ウルトラマンは、心で強くなる。

 人間は、心で強くなる。

 だからこそ、自分達よりも強いゼットンにだって勝ってきた。

 

 心こそが強さをくれる。それは、ゼットという存在においても同じこと。

 

 タケミナカタがタケミカヅチに負けるという"日本の始まりの神話"は覆された。

 ウルトラマンがゼットンに負けるという"伝説の始まりの神話"は、なぞられる。

 

 

 

 

 

 ゼットは、胸に大穴が空いたガイアを前にして、拳を解いた。

 

「最後に残す言葉はあるか」

 

『ゼット、お前……』

 

「遺言を残すなら早くしろ。

 お前に残された時間は多くなく……天の神がまた来たなら、私も時間を多くは稼げない」

 

『……悪いな』

 

「お前を殺した男に何を言う。お前には、私を罵倒する権利があるのだ」

 

『要らない権利じゃな。それじゃ、長くて三分で……終わらせてくる』

 

 ガイアが街を飛ぶ。

 街の中に漂うは、困惑、焦燥、悲嘆、憤怒、不安、そして絶望。

 誰もが、ほどなくして死ぬガイアと、ガイアを倒したゼットの姿を見ていた。

 胸に大穴が空いた死に体の状態で、大地はふらふらと飛び、竜胆の前に降りる。

 

 竜胆もひなたが抱きしめるようにして支えなければ、立っていられないような状態だった。

 だが、今の竜胆には自分も、周りも見えていない。

 見えているのは、死が確定したガイアの肉体。

 ……いや、もしかしたら星の光が支えているだけで、もう大地の体と命はとっくのとうに死んでいるのかもしれない。

 

「大地先輩……そんなっ……!」

 

『託したくないんだがな……お前、ちょっと重荷を背負い過ぎだから。

 じゃが、なんつーか、ワシが信じて全部任せられるの、お前しかいない気がしてな』

 

「大地先輩!」

 

『がっはっは! ……あー、なんだ。お前がいてくれて、良かった』

 

 安心して任せられる、と、大地は言う。

 

 

 

『竜胆。優しさを失わないでくれ』

 

 

 

 三ノ輪大地の、最後の願い。

 

『その優しさが裏切られたなら、優しさを捨てて好きに生きたっていい。

 だが、叶うなら、優しさを捨てなくていい未来に行ってくれ。

 優しさを捨てなくていい人生を生きてくれ。

 皆が死んだらワシは悲しいが……お前が優しさを捨てることになったとしても、ワシは悲しい』

 

 大地は竜胆に力ではなく、優しさを求めた。

 竜胆に強き者としての価値ではなく、優しき者としての価値を見た。

 強い竜胆ではなく、優しい竜胆こそが全てを救うと、そう期待した。

 

『優しいお前になら、ワシは自分の大切なものの全てを、安心して託せる』

 

「先輩! 待て……待って!」

 

『友奈。お前に柔術の投げ教えてやるって約束、ろくに果たせず悪かった』

 

 大地は一人一人、遠くの仲間へと遺言を残していく。

 

『杏。

 ちょっと四国出てる間にお前が迎えていた成長、実は、自分のことのように嬉しかった。

 だけどそいつが球子の死によるものなんだと分かって、自分のことのように辛かった。頑張れ』

 

 言葉を紡ぐのも億劫なのか、絞り出すような声色で、大地は言葉を思念波に乗せる。

 

『千景。

 ワシもカイトも、お前を素晴らしい仲間だと思っていた。

 カイトの奴はどうせ何も言ってなかっただろうし、ま、言っておく』

 

 これが最後だ。言いたいことを言う。けれど、多くを語る余裕はない。

 

『ひなた。若葉を頼む』

 

 言うべきことを言って、別れを告げていく。

 

『若葉。……竜胆には優しさを求めたが。

 ワシは、お前には強さを求める。ウルトラマンと同じくらいには強くなれ。必ず守れよ』

 

 だがそこで、正樹圭吾が駆けてきた。

 若葉がひなたに竜胆を預けたということは、ひなたが守られていた大社の作戦本部近くということであり、そこに正樹が居たのは必然である。

 

「馬鹿野郎! こらえろ三ノ輪! 死ぬ気で生きろ! ()()()はどうするんだ!」

 

「―――え?」

 

 正樹の叫びに、ひなたの思考は止まり、竜胆の思考は一瞬で高速回転した。

 記憶の中から、過去の大地の発言が掘り返される。

 

―――まあ、惚れた女の誕生日とかなら……

 

 誕生日を祝うような、惚れた女の話を出していた。

 

―――御守お前好きな子とかいる?

 

―――そーじゃそーじゃ。ワシはいるぞ。丸亀城にはいないが

 

 丸亀城の外に、惚れた女がいる話を、大地は酒の勢いで口に出していた。

 連鎖的に、海人が言っていたことも思い出す。

 

―――パイセンが昔結構女遊びしてたこと知ってるんだからな。

 

 昔女遊びをしていた、ということは、今はそうではないということ。

 女遊びを辞めた理由があったとしたら?

 今現在惚れた腫れたの関係にある女性がいるのに、海人が女遊びをしていない判定なのは、何故なのか。

 

 大地は、正樹にこう言っていた。

 

―――あんたなら……ワシを捨て駒にしてでも、世界を守ってくれると信じてた

 

 もしもその言葉の裏に、竜胆も知らないような意味があったとしたら。

 その裏に、隠された意味があったとしたら。

 友情だけを理由に、大地を死なせたくないと思う正樹が、"友情以外の理由"で大地を死なせたくない理由が、あったとしたら。

 

「親なし子と未亡人を生み出す気か馬鹿野郎! 生きろ! ……生きてくれ、三ノ輪っ!」

 

『そこは本当に意見が噛み合わんな、ワシらは。

 正樹先輩は、妻と子供のために父親は生きろと言い。

 ワシは、この命を使い切ってでも、妻と子供が生きる未来を勝ち取りたかった……』

 

「お前が死ぬ必要なんてない! 代わりが死ねばいいんだ! お前は家族のために―――」

 

『正樹先輩のそういう本音を持っているところ、ワシは好きでもあるし、嫌いでもある』

 

 大地を想い、大地の家族を想い、生存を望む正樹圭吾/三好圭吾という男がいた。

 不良らしく酒を飲み、若くしてさっさと結婚し、20歳になる前に子作りを成して、今妻と子供を残して死んでいく、三ノ輪大地という男がいた。

 

 "仲間にそれを教えなかった理由"も、竜胆は理解できてしまう。

 

『……ああ、でも』

 

 大地は命を軽率に投げ出したわけではない。

 

 彼はただ、こんな地獄のような世界で、自分の子供が育っていくことに、異を唱えたのだ。

 

『ワシの子供が生まれて来る前に、この世界を平和にしたかった。

 ささやかな願いだったんじゃ。……それが成せなかったのが、本当に心残りじゃな』

 

「―――っ」

 

 それはきっと、鷲尾海人以外の誰にも教えていなかった、大地の抱えたささやかな願い。

 自分の命と引き換えにしてでも、これから生まれて来る子供に未来をあげたいという祈り。

 自分の子供は、最悪な世界に生まれるのではなく、平和になった世界に生まれてきてほしいという、この世界ではどう足掻いても叶わぬ望み。

 

 正樹と大地、どちらの考えが正しいのだろうか。

 妻と子を持つ者は、家族のために何を犠牲にしてでも、何が何でも生き残るべきなのか。

 妻と子の未来のために、そして多くの人々や仲間の命のために、家族を残して死ぬことも覚悟の上で、命を懸けるべきなのか。

 正しいとすれば、どちらなのか。

 

『未来が欲しかった。ワシの、ではなく、ワシの家族の未来が。

 ……ワシに幸運があるとすれば、後を託す仲間に恵まれたことか』

 

「大地先輩!」

「三ノ輪ぁ!」

 

『ゼット! 聞け!

 ワシは、自分が死ぬ未来が無いと思ったことはない!

 戦いに参加したその日には、十中八九死ぬだろうと思ってはいた!』

 

 大地が、ゼットに向けて叫ぶ。

 

『だがワシが勝利する未来を疑ったことはない!

 ワシは死ぬが! ワシは勝つ! ……『ワシ達』が、勝つ!

 人はいっぱい死ぬが! 人は勝つ!

 神はたくさん殺すだろうが、それでも神は負ける! ワシは、信じている!』

 

 ウルトラマンガイアの体が、光になって消えていく。

 

『"ワシが信じたもの"は―――神にも、悪にも、理不尽にも負けはしない!』

 

 その言葉の数々が、御守竜胆の心に染みていった。

 消えない色として、竜胆の心の一部を染めていく。

 完全に消えてしまう前に、光に包まれたガイアが振り向き、竜胆達に小さく手を振る。

 

『またね、なんて言えないな』

 

 街の各所から、嘆きの悲鳴が上がる。

 

 竜胆の口からは、もう声すら出ない。

 

『あばよ』

 

 そうして、地球最後の希望・ウルトラマンガイアは、消えていった。

 

 星が託した、最後の力と共に、光になって消えていった。

 

 町の人々が見た希望と共に、消えていった。

 

 

 

 

 

 悲鳴。

 絶望。

 激怒。

 街のいたるところから、人々が各々の感情を込め、それぞれ違う叫びを上げる。

 

「偉大な戦士の偉大な勇姿と、偉大な死に様だ。

 本質的に死をも恐れぬその最期―――なんと美しい」

 

 ウルトラマンが負けた、と誰かがうつむいた。

 ふざけるな、と誰かが叫んだ。

 こんなの見たくなかった、と誰かが泣いて座り込んだ。

 各々の感情に差異はあれど、四国の者達が一斉に絶望を抱いたのは事実である。

 

 ゼットンがウルトラマンを抹殺し、それを見ていた人間達は絶望する。

 過去にあった、伝説の一幕の繰り返し。

 喪失と絶望のリピート・エンド。

 皆の希望を背負ったウルトラマンがゼットンに負ける、という結末の形。

 

「そうだ、私は……見る者の心を動かす"この光景"を生み出すために、生まれて来たのだ」

 

 民衆が抱くその絶望こそ、初代ゼットンが初代ウルトラマンを倒し、人々に与えた感情だ。

 

「生き残るべき正義が、勝つべきでない悪に負け、人の心を動かす。

 これこそが、私の生まれた意味の一つ。かつてゼットンが望まれたもの……」

 

 ウルトラマンが倒されたのを見た民衆の絶望こそが、ゼットが正しくウルトラマンの神話をなぞったことの証明となる。

 

「私は今、正しく―――『ゼットン』となった」

 

 そして、"ウルトラマンを倒したゼットンには、人間が最後の一撃を加える"。

 その一撃が致命打となる。

 定められた運命、と言うとまた違うだろう。

 諦めない人間がいるのなら。

 ウルトラマンがやられても、自分達でどうにかしようとする人間がいるのなら。

 

 ウルトラマンがゼットンにやられた後に、ゼットンを倒してウルトラマンの仇を取ってくれる者が現れるのは、必然である。

 

「―――!」

 

 超高速で飛翔し接近した乃木若葉が、ゼットの胸に大太刀を刺していた。

 剣先から膨大な炎が注ぎ込まれ、体内を焼く。

 ゼットが痛みに苦しんで、しゃにむに若葉を掴み、海に投げ捨てる。

 巨大な水柱が上がって、ゼットは胸を抑えてふらついた。

 

「……人間の、意地、か。やってくれる……!」

 

 今の一差しが、最後のトリガーとなった。

 ゼットの体が崩壊を始める。

 ゼットの体に最後に残されていた余力が、全て消える。

 若葉が見せた最後の意地が、ゼットから戦えるだけの力を根こそぎ刈り取っていってしまった。

 

(あの勇者は、いい目をしていた)

 

 ゼットは今の一瞬に見た、若葉の目を思い出す。

 惚れ惚れするほどに熱い感情が燃えていた、燃える炎を宿す目だった。

 あれは何度でも挑んでくるだろうという、不思議な確信があった。

 

 若葉の勇気の一太刀は、ゼットが今日人を滅ぼす権利を綺麗に切り捨てた。

 今日のところはもうゼットに、戦闘関連で何かできることはない。

 だが、それ以外のことになら、ある。

 

 自らの内のバーテックス達に。

 遠く彼方のカミーラに。

 天に座す日輪の神に。

 まとめて、言い放つ。

 

「ここは私の矜持を通させてもらう」

 

 ボロボロの肉体で、ゼットは四国の全域に届くような声を、思念波に乗せて拡散した。

 

「聞け!」

 

 街の多くの者は、ガイアの死を見て、ウルトラマン達が負けたのだと確信していた。

 もう自分達は守られないのだと思い込んでいた。

 だからこそ、ゼットを見上げながら、死刑宣告を聞いている死刑囚のような表情で、ゼットの言葉を黙って聞いていた。

 

「もはや四国に残された巨人はティガダークのみ。

 御守竜胆とその仲間だけが、私を倒すことができるだろう。

 次の戦い、御守竜胆達が負ければ、私はそのまま世界を滅ぼす。せいぜい勝利を祈るがいい」

 

 ゼットは本気だ。

 次の戦いで勝利したなら、そのまま世界を滅ぼすことを本気で宣誓している。

 抜き身の殺意を肌に受け、四国の住民全ての背筋に嫌な汗が流れていく。

 

「もはやお前達は他人事ではいられない。当事者だ。

 いつまでも弱いまま、醜いまま、そのままでいられるとは思うな」

 

 一つの終わりは、一つの始まり。

 

 戦いの終わりは、次の戦いの始まり。

 

「私は、守ってもらっておいて、他人事のようにウルトラマンを見る者を許さん」

 

 ゼットは、四国の者達の心を侮蔑し、叱咤し、『次』があることを明言した。

 

「信じるがいい! 私が貴様達を滅ぼす未来を!」

 

 人の未来。

 

「信じるがいい! ただ一人残った最後のウルトラマンが、奇跡を起こす僅かな可能性を!」

 

 世界の未来。

 

「天はいつでも―――貴様らを見ているぞ!」

 

 戦う者達の未来。

 

 全ての未来は未だ未確定ながら、絶望の色に彩られている。

 

 地球と地の神のバックアップを受けたウルトラマンガイアでも勝てなかった、"ハイパーゼット"―――それに勝てる存在など、この地球のどこにいるというのか?

 いるわけがない。

 そんなものは今の地球のどこにもいない。

 可能性レベルの話で、もしも、そんな存在がいると仮定するならば。

 

 大切な人を全て失い、絶望に堕ちたティガダーク……それ以外には、ありえないだろう。

 

 滅びは。

 終わりは。

 絶望は。

 幾度となくこの世界に、人々に、子供達に、降り注ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜胆参戦時、丸亀城陣営暫定数。

 ウルトラマン六人、勇者五人、巫女一人。合計十二人。

 

 三ノ輪大地死亡。

 

 ウルトラマン、残り一人。

 神樹の勇者達、残り四人。

 神樹の巫女、残り一人。

 

 残り、六人。

 

 

 




 6/12

 個人的にゼットの『貴様』は敵意寄り、『お前』は好意寄りで書き分けてます
 その時々によって色々塩梅が変わったりしますが


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3

 お昼に手直し終わらせて更新更新


 俺は、当たり前のことを言おう。

 何度だって言おう。

 胸を張って言える。

 

 優しくされたから好きになる。

 それの何が悪いんだ?

 優しい人を守りたいと思った。

 そりゃ当然のことじゃないのか?

 

 詐欺師が他人に優しくする理由がよく分かる。

 優しくする理由がないのに優しくしてくれる人=詐欺師とか、そういう風に言う人も居るけど、それはちょっと違うと思う。

 詐欺師は、有効だから優しくするんだろう。

 "優しくする"って行為が、一番簡単に他人に好かれ、他人を癒やし、他人の心の傷を癒やして、その心の疲れを消して、絆を作る。

 そういうことを知ってるから、優しさってやつを悪用するんだ。

 誰でも使えて、大抵の人の心を救えるから、優しさってやつは便利なんだろう。

 

 俺は、優しくしてもらった。優しい人に優しくしてもらって、救われた。

 

 だから思った。

 何度も思った。

 "全てを成し遂げた後の『日々の未来』でこの人と共に笑っていたい"と。

 色んな人に、そう思った。

 

 ボブにも、タマちゃんにも、ナターシャにも、ケンにも、海人先輩にも、大地先輩にも。

 そう思い、そう願った。

 

 俺の幸せを願ってくれた人達だから。

 俺が平和な世界で幸せになった姿を見せて、安心させてあげたかった。

 その人達が平和な世界で幸せになっていく姿を見たかった。

 

 なあ。

 そんな大それた願いだったか?

 ささやかだろ。

 ささやなかなことしか願ってないだろ。

 なのになんで、許されないんだ?

 

 "全てを成し遂げた後の『日々の未来』でこの人と共に笑っていたい"って願いは、敵がそんなに目くじら立てて潰しにくるほど、許されない願いだっていうのか?

 

 なんで、こんなに。

 俺が願った、日々の未来は。

 否定されて、砕かれて、奪われて―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友奈の拳が、地を叩いた。

 

「大地さん……!」

 

 大地は友奈に柔術を教えるという約束を果たせなかった、そのことを気にしていたが、友奈の方はそんなことなどどうでもよかった。

 ただ、仲間の死が、悲しかった。

 

「……っ」

 

 仲間の死が、杏の集中を切らして、膝を折らせる。

 気力だけで保っていたのに、もう立っていられない。

 精霊の使用で体にかけられた負荷は、もう体を治せるガイアがいない以上、すぐに治すことなんてできるはずもない。

 

「……私が……私が、玉藻前を得たのは、仲間を……」

 

 千景は、いつも無愛想で。

 友奈くらいにしか、素直に普通の好意を見せられなくて。

 だから、誰も気付かないけれど。

 仲間をとても大切に思っていて、仲間を死なせる度に、心の底で苦しんでいる。

 

「はぁ……はぁ……はぁっ……ぐぅぅぅっ……!」

 

 海に投げ落とされた若葉も、ふらふらとした足取りで海から上がる。

 ガイアの死が、若葉の心に苦痛を与えていた。

 何人死んでも、仲間の死に慣れることはない。

 しかも今回は親戚だ。

 若葉が物心ついた時には、面倒を見てくれていた、親戚のお兄さんだ。

 

 若葉の脳裏に、大地の笑顔の記憶が蘇る。

 もう、それを見られることもない。

 

「大地……! 馬鹿者がっ……! 死んでは、死んでは、何も……!」

 

 勇者達も軒並み戦闘力を喪失したその頃に、歩いて結界の外に出ていくことすらできないレベルに力尽きていたゼットを、カミーラが迎えに来た。

 

「カミーラか」

 

「闇の者の勝利。とりあえずは、よくやったと言っておきましょう」

 

「……ふん」

 

「さて、どうしようかしら。あなたを回収して、後は何もやる気は無かったんだけど……」

 

 カミーラは気怠げだ。

 やる気がまるで無さそうに見える。

 ティガダークの完全闇化に失敗したカミーラは、完全に熱意を失っていた。

 

 愛憎戦士、という二つ名らしいと言えばらしい。

 愛こそが彼女の最も強い行動原理。

 だからこそ、だからこそ、だ。

 カミーラを強く動かすものは、愛でないなら、憎悪である。

 

 その目が、郡千景の姿を捉えた。

 

「一人くらいは、殺しておこうかしら」

 

「!」

 

 若葉が千景を守るため飛ぼうとして、天狗の羽が、折れて落ちる。

 杏がクロスボウを構えようとしたが、その手から力なく武器が落ちる。

 友奈が千景を庇うように立ったが、その手は疲労とダメージで震えていた。

 

 勇者だけでなく。しまいには、ゼットまでもがカミーラの前に立ちはだかる。

 歩いただけで余力を使い果たしたゼットは、棒立ちになっているしかない。

 

「貴様は結末を穢すのが趣味なのか? 下衆の極みだな」

 

「そんな体で止められると思っているの? 男は馬鹿ね」

 

「そうか。好きに言うがいい。だが私は、お前を見て"女は醜い"だなどとは思わん」

 

「……」

 

「醜いのは貴様の愛だ」

 

 カミーラの鞭がゼットを掴み、結界外へと投げ捨てた。

 その一瞬に、おぞましい女の情念が感じられる。

 

 止められる者はもういない。

 カミーラは千景を殺すだろう。

 特に意味はない。

 竜胆が絶望するかもとは思っているが、主目的ではない。

 

 ただ、カミーラは。

 自分が執着している男と仲の良い女が嫌いなだけだ。

 男に影響を与える女に死んでほしいだけだ。

 自分好みの男に変えようとしているのに、正反対の男に変える女を殺したいだけだ。

 ティガを光に導く女に、最大限の苦痛と絶対の死を与えたいだけだ。

 

 愛した男の隣にいる女は自分一人でいいと、カミーラは考えている。

 千景を殺して竜胆に恨まれようが、どうでもいい。

 殺したいだけだから。

 愛した男に愛されるより、その男に言い寄る女を殺す方が優先事項。

 男の愛がほんの一部であっても、他の女の方に行くことに耐えられない。

 だから殺す。

 竜胆に恨まれようが、カミーラはそれすら闇落ちの材料として利用するだろう。

 

 カミーラはここで千景を殺すことで、自分が損をしようと構わない。

 "この女が生きていることが許せない"という情念が、カミーラを支配している。

 だから、殺すのだ。

 

 その愛憎は止まらない。

 

 

 

 

 

 だが、愛憎とはなんだろうか。

 愛の薄い、他人をどうでもいいと思っている人間は、仲間を殺されてもそれを理由に敵を強烈に憎むことなどないだろう。

 仲間を愛しているがために、仲間や大切な人を殺された時、殺した者を憎むのだ。

 憎悪は愛より生まれる。

 カミーラが、惚れた男への愛からより強い憎悪に目覚めたように。

 

 ならば、仲間を愛した者は?

 仲間を愛し、敵に奪われた者は?

 仲間が敵に殺されるたび、敵に憎悪をぶつける者は?

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 ならば、そう。見方を変えれば、竜胆の『それ』も"愛憎"と言えるのかもしれない。

 

 竜胆の中に、愛憎の闇を含む力がまた、育っていた。

 

 

 

 

 

 大地がゼットに殺された。

 頭の内側で、もう一つの脳が叫ぶ。

 許すなと、殺せと、闇に飲み込めと。

 暴れるな、落ち着けと、理性と光がそれを抑え込む。

 

 だが、千景をカミーラが狙い始めたその時、心の闇と光は同じ方向を向いた。

 闇は、カミーラを殺せと言い。

 光は、千景を守れと叫んだ。

 

「あああああああッ!!」

 

 抜き放たれるブラックスパークレンス。

 竜胆を抱きしめるようにして支えていたひなたが、咄嗟にそれを取り上げる。

 前しか見ていない竜胆は、もはや自分のそばにいるひなたすら意識の外だった。

 

「何を……何をしようとしているんですか! 死んでしまいますよ!?」

 

 再変身は命にかかわる。

 竜胆はもう今日の三分を使い切っているのだ、

 もう一度変身すれば、命にすら影響が出てもおかしくない。

 だが、ひなたは手に走った痛みに、ブラックスパークレンスを取り落としてしまう。

 

「痛っ」

 

 ひなたの手からブラックスパークレンスが落ち、草地の上に落ちた。

 ブラックスパークレンスの周りに、闇が纏わりついている。

 見ていて怖気が走るほどに濃い闇だ。

 

 それが、触れた草地を枯らしていく。

 半径100m規模で草地が枯れ、木々から緑が消えていき、地面の中の虫や微生物が死んでいく。

 人間ならば"痛い"で済んだ。

 だが小さな生命力の生物は、あっという間に闇に命を食われていってしまう。

 

 それは竜胆から僅かに注ぎ込まれた闇が、ブラックスパークレンスから漏れたもの。

 ひなたは見ているだけでゾッとしてしまう、おぞましい殺意の塊だった。

 

「なんですか、これ……」

 

 竜胆の二面性は、ひなたも分かっているはずだった。

 光と闇の二面性。

 人間の二極性を体現したような、破壊と守護の二つの性質。

 分かっていた、はずだった。

 なのに、その光景に息を呑む。

 

 草木が枯れ、腐り落ちていく。

 命が闇に触れただけで消えていく。

 細菌や微生物が活動した結果ではなく、闇に蝕まれた結果としての腐敗。

 

 ひなたは拾った枝で拾い上げてみようとするが、触れた枝先が黒く染まってボロっと崩れた。

 

(だめ、これじゃ私が触れない、御守さんに拾われてしまう!)

 

 ブラックスパークレンスは、もはや尋常な者では処理にすら困るものになっていた。

 いや、変わったのはブラックスパークレンスではない。

 それを扱う竜胆の状態だろう。

 

 12人の丸亀城の仲間達も、もう6人死んだ。

 戦闘員という点で見れば11人中6人が死に半分を切っている。

 強がる竜胆の心の奥に、闇は育まれる。

 死んでいった者達から光を受け取る意識と、そこに絶望を感じて闇を育む意識の両方が、竜胆の内にはある。

 

 "スパークレンス"は、人間を巨人に変えるアイテムだ。

 人間を『光』に変えるには、このアイテムの機構が必要になる。

 それが闇に染まったものが、ブラックスパークレンスである。

 巨人としての竜胆の光も闇も、ここから生まれる。

 

 だから、()()()()()()()()()()は、"人体を一切光に変換しなかった"。

 

「―――!?」

 

 竜胆の体が、ブラックスパークレンスを通さず巨人化する。

 

 ティガダークになった……と、思いきや。

 体の輪郭が不安定で、肉体が完全に具現化していない。

 ティガダークそのままなのは、体にみなぎる闇のパワーだけだ。

 肉体だけではなく精神も不安定な状態のようで、暴走状態の如くに叫ぶ。

 

「■■■ッ!!」

 

 そして、咆哮と共に、黒く染まった闇を放った。

 

 闇がカミーラに迫り、カミーラが氷の鞭を氷の剣に変え、受け止める。

 

 剣は砕かれ、闇がカミーラを襲い、その腕の肉を貪った。

 

「っ!?」

 

 咄嗟に跳んでかわすカミーラ。

 貪る闇はカミーラの腕を穴だらけにするが、その命にまでは届かない。

 "スパークレンス"無しに、より強く大きな闇を目覚めさせることで巨人となった竜胆に、カミーラは思わず声を漏らしていた。

 口角が、醜悪に上がる。

 

「ふっ、ふふふっ……」

 

 朦朧輪郭のティガダークに、赤い光が巻き付く。

 球子の想いが残した、ティガトルネードの赤い光だ。

 それが"止まれ"とばかりに、ティガダークの体に巻き付き始める。

 青紫の光もまた、ティガダークの体に巻き付き始める。

 

 それらの光がティガの闇を抑え―――られない。

 

 光は闇に飲み込まれつつあった。

 今日まで真紅の光、青紫の光は、竜胆の闇を抑えて暴走を抑えてくれていた。

 だが天の神、バーテックス、カミーラ、ゼット、四国の民衆、仲間の死が竜胆に絶え間なく与えるものが、彼の闇を膨れ上がらせる。

 そうして、成長した闇は。

 仲間がくれた光を飲み込み、闇で塗り潰せるほどのレベルにまで到達していたのだ。

 

 あと少し。

 あと少しで。

 竜胆の心の主導権は、闇の側が握るだろう。

 

「……すてき」

 

 カミーラの萎えていた気持ちが戻って来た。

 熱意が戻る。

 愛が滾る。

 カミーラへ直球の憎悪を向けてくるティガダークの、闇に落ちていく感覚が心地良い。

 

(ああ、ティガ、ティガ)

 

 闇に飲み込まれつつある、真紅と青紫の光。

 それを見ているカミーラが、うっとりと頬に手を当てる。

 闇一色としてのティガが自分を選んでくれるより、ティガが光と闇の間で揺れながらも闇と自分を選んでくれる方が、きっとカミーラは歓喜するだろう。

 

 ティガの闇が、今、ティガの光に勝とうとしている。

 闇は光に負けじと、光は闇に負けじと高め合う。

 あとひと押し。

 だがひと押しするなら、より深くにまで堕とすひと押しをしたいところだろう。

 完全に闇の底にまで堕ちたはずなのに、光の側に戻っていったティガの姿は、カミーラの目に複数焼き付いている。

 

 今度こそ、絶対に、二度と光の側に戻らない闇のティガを作る。

 

 そのためには、今勇者や人々を殺すのは得策ではなかった。

 必要なのは演出だ。

 今までカミーラがそうしていたように、ティガの心を闇に落とすためには、演出がいる。

 シビトゾイガーで演出したあの村のように。

 インターネットの醜悪のように。

 街で起きたリンチのように。

 もっと死なせて、もっと失望させて……()()()()()()()()()()()()()()()

 

 演出はそう難しくはない。

 何故なら、カミーラが作った絶望は、一つも失敗はしていないからだ。

 その絶望が狙った結果に辿り着けなかっただけである。

 カミーラの与えた心の闇は積み重なったまま消えず、シビトゾイガーは存在すら認識されないまま、状況は推移している。

 

「また会いましょう……?」

 

 カミーラは"次の仕込み"を始めるべく、その場から消えていった。

 

 そして"カミーラが予想していた通り"、まだブラックスパークレンス抜きでは巨人体を維持できない竜胆は、巨人体を崩壊させて地面に落ちた。

 

「退却した……? 御守さん!」

 

 ひなたが竜胆に駆け寄る。

 

 竜胆の闇は最初、傷を塞ぐ肉体変化を発生させた。

 次に生存のために新しい内臓、新しい脳を生み出した。

 戦いの中で腕を増やすことすらもした。

 闇は状況に適応する。

 人間の肉体を変化させる。

 

 "次はブラックスパークレンスを叩き落とされても杏を攻撃する民衆を殺せるように"と、心の闇の願いに沿った形へと、竜胆の肉体は変質し始めていた。

 

 もう、次は。

 

 怒り憎めば、止まらない。止まれない。敵も味方も全員殺して、おしまいだ。

 

 

 

 

 

 2019年、7月。

 

 夏空の下、『ウルトラマン』のいない四国ができた。

 

 残る巨人はティガダークのみ。『ウルトラマン』は、もういないのだ。

 

 

 

 

 

 広がる絶望。

 満ちる悲しみ。

 四国で明るい空気がある場所など、もうどこにもないように思える。

 

 本当は、最初からずっとそうだった。

 世界には絶望しかなく。

 四国の外に逃げ場はない。

 滅ぼされるまでの秒読みを、一つ一つ数えていく毎日。

 ただ、全ては大社によって隠されていただけだ。

 

 だからこそ、間近に迫った絶望の危機は、"普通の弱い人々"を大混乱に陥れる。

 

 もはや、勇者達が守りたかった幸福と平和の日常は、四国のどこにもない。

 恐怖に駆られた人間が、平穏なこれまでの毎日を継続できるわけがない。

 日常は失われた。

 これから人々は、俯いて生きていくことだろう。

 恐怖に飲まれ、幸福を忘れることだろう。

 隣人にも攻撃的になるだろう。

 

 大社はこれを恐れていた。

 全体を生かすために全員が協力する、ということを揺らがず継続して行い続けられるのは、虫や機械の歯車などにしか無理だ。

 人間にはできない。

 何故か?

 人間には、『個』があるからだ。

 

 人間だって、細胞の一つ一つは協力している。

 内臓は相互に助け合い、時には体の一部を犠牲にしたり、入れ替えにしたりする。

 だが人間が集まると、総体として協力するのが一気に難しくなる。

 何故か?

 自分という『個』を否定する他の『個』の存在を、許容できないからだ。

 

 自然権、というものがある。

 日本人なら"基本的人権に近いもの"と言えば分かりやすいだろう。

 要するに、人間が自然に持っている権利、というものだ。

 

 生きる権利。

 自由である権利。

 平等である権利。

 人間が当たり前のように持っている、それらの権利。

 竜胆は今日までの日々の中で、それら全てを肯定していた。

 

 政治哲学の祖の一人、『トマス・ホッブズ』は、政府が強権をもってこれらの自然権を制限しない限り、人間は各々が持つ自然権を最大限に行使し、最悪の状態をもたらすと考えた。

 

 自然権とは、生きる権利でもある。

 トマスはこれを行使することに善悪はなく、暴力であろうと肯定されるのだと言った。

 "生きるための行動"は、それだけで肯定されるべきことなのだ、と。

 

 例えば四国の食料が残り少なくなったとしよう。

 近くの人間を殺して食料を奪うことは、善悪以前に肯定される、ということである。

 空腹に背中を押され、食料が無くなる未来を恐れて正気を削られ、"生きる権利"を行使して他人を殺しに行く。

 襲われた方も"生きる権利"を行使して反撃する。

 

 これを、『万人の万人に対する闘争』と言う。全員が、全員の敵になるのだ。

 

 トマスは、人間は余計に未来のことまで考えてしまう生き物であるために、他の動物がしないような愚行もしてしまうのだと考えた。

 ティガダークを見れば分かる。

 人間がその瞬間のことだけを考えているなら、戦いのたびにティガダークに縋り、自分達を守ってくれる彼に媚びるだろう。

 

 ―――だが、そうはならなかった。

 

 人々は虐殺者ティガダークのいる未来に、何が起こるかを想像し、シビトゾイガーに煽られ、未来を恐れ、愚行に走る。

 生きる権利を行使するため、自分を殺すかもしれない怪物を排除しようとする。

 勇者の交代要望のような、正気とは思えない行動も選択する。

 シビトゾイガーが「人間を殺せば天の神が味方と見て許してくれるかもしれない」という噂を流したなら、殺人もしてしまいそうな人さえ、いくらかはいるだろう。

 溺れる者は藁をも掴む。

 (わら)にさえ、人はすがるのだ。

 愚かしくも。

 生きるために。

 

 それは善と言い切ることも、悪と言い切ることもできない。

 ただ醜悪で、愚かなだけなのだ。

 トマスの考え方では、と頭に付くが。

 

 ―――ただし、一つだけこの話に、付け加えておくべき話がある。

 

 東京帝国大学助教授、倫理学者の友枝高彦は、トマス・ホッブズのこの主張を真っ向から否定していった。

 論理的に否定したわけではない。

 ただ、"利己的見地からくる考え"と反論した。

 人は自然な状態で他者と協同も親和もするものである、と。

 友枝が人間に『ある』と言ったものは二つ。

 

 『正義』と、『人類愛』である。

 

 いつの時代も変わらない。

 人の愚かさを語る者へと、反論する者が信じるものは、正義と愛なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界(しこく)が混沌と混乱に飲み込まれつつある中。

 

 三ノ輪大地の葬儀が行われた。

 

(……いいのかな、俺がこんなところにいて)

 

 竜胆が、心の底から感謝し、心の芯から困惑していたことがあった。

 鷲尾の家も。

 三ノ輪の家も。

 身内のみの葬式を行い、そこに竜胆を呼んでくれたということだ。

 

 鷲尾の家は、地位のある大社職員もいる家だった。

 だから竜胆の味方をしてくれるのは、まだ分かる。

 けれども三ノ輪家がそんなに好意的な理由が分からない。

 だが、両方の家の人に聞いてみたところ、悲しみと寂しさと感謝の気持ちを顔に浮かべて、同じようなことを言ってきた。

 

「海人が、君の話をしてくれた」

 

「うちの息子が君の話をしてくれていたからね」

 

「―――」

 

 それだけだ。

 大それた理由など無い。

 海人も大地も、頼れる仲間のことを家族に隠してはいなかった。

 明け透けに全て語っていて……だからこそ、両家の家族は竜胆を嫌っていない。

 

 そして、海人と大地のことを、家族であればよく知っている。

 だからこそ、竜胆が海人という面倒臭い少年にとって数少ない友人であることも、大地が竜胆に最後に何かを託していったことも、察している。

 海人も大地も、ずっと竜胆のことを好意的に話していて。

 ティガダークは、二人亡き今、最後に残された巨人なのだから。

 

「あの、俺――」

 

 守れなくてすみませんでした、と、竜胆は言おうとして。

 

「――二人の冥福を、祈らせてください」

 

 言えなかった。言わなかった。

 

 遺族に、これ以上の負担をかけたくなかった。

 遺族に、自分に気を遣わせたくなかった。

 二人を、最高のヒーローのままにしておきたかった。

 

 守れなかった、なんて言ってしまったら。

 "御守竜胆が頑張れば守れた"と聞こえてしまう。

 "二人は竜胆に守られる存在だった"と聞こえてしまう。

 それがなんだか、嫌だった。

 

 球子が死んだ時の竜胆だったなら、"守れなくてすみませんでした"と言っていたかもしれない。

 けれど、今は違う。

 

(違う)

 

 ゼットと一対一で戦っていた、あの時。

 空から降るようにやって来て、大量の土砂を巻き上げながら現れたガイアとアグル。

 あの時の英雄的な二人の姿を、竜胆が忘れるわけがない。

 

 守れなかった、なんて言葉を口にすることに躊躇いが出る。

 けれど、"そう"言うことに躊躇いはなかった。

 

「俺は海人先輩と大地先輩に守られていました。

 体とか、命とか、そういう物理的なものだけじゃなく。

 ……一緒にいると、楽しかったんです。心が明るくなったんです」

 

 心も守ってくれていたんです、と、竜胆は言う。

 ゼットに共に立ち向かってくれる巨人がいるだけで、大侵攻に共に立ち向かってくれる巨人がいるだけで、竜胆は本当に心強い気持ちを感じていた。

 最後のガイア・スプリームヴァージョンなど、感動さえ覚えた。

 

 彼らが生きたこと、死の瞬間まで志したこと、命を懸けてまで守ろうとしたもの、竜胆は全てを抱えたまま前に進む。

 

「今日からは俺が、海人先輩と大地先輩の大切なものを守ります。絶対に」

 

 人の死に泣く者がいた。

 人の死に憤る者がいた。

 人の死に絶望する者がいた。

 どれもこれもが、人を"安心"させることはない。

 

 だからこそ、竜胆の在り方は、遺族や葬式の参列者に"安心"を与える。

 死の悲しみや絶望に晒された人の心は脆くなり、弱くなり、揺れやすくなる。

 ガイアとアグルの死は、悲しみだけでなく、"これからどうなってしまうんだ"という不安も生み出していた。

 

 そこに"安心"を与えるには、悲しみの中でも強く在れる人間が必要なのだ。

 若葉のような。

 竜胆のような。

 不安、恐怖、絶望に膝を折られて当たり前の状況で、毅然と在る人間が必要なのだ。

 今のところは遺族相手にだけだが、竜胆は安心を贈っている。

 

 安心させよう、とわざと強い者として振る舞う竜胆の姿に、二つの家の遺族は、海人と大地の姿を重ねたようだ。

 その在り方に、『ウルトラマン』を見たようだ。

 よく知った家族が一番かっこいい時の姿と、今の竜胆の姿が幾度となく重なる。

 

 だから、鷲尾家と三ノ輪家の者達は、誰一人として疑っていない。

 

 御守竜胆が、ティガダークが、『ウルトラマン』であることを。

 

「御守さん、少しお時間をいただいてもいいでしょうか」

 

「? はい、いいですけど」

 

「あなたに会ってもらいたい人……話してほしい人がいます」

 

 大地の葬式の終わり際、竜胆は大地の父親に連れられ、葬儀場の一室に連れていかれた。

 そこにいたのは、喪服の美女。

 お腹が膨らんだ美女が、そこにいた。

 

―――ワシの子供が生まれて来る前に、この世界を平和にしたかった。

―――ささやかな願いだったんじゃ。……それが成せなかったのが、本当に心残りじゃな

 

 大地の最期の言葉が、竜胆にもしやと予測を立たせる。

 

「あなたは……」

 

「大地のお嫁さんやってました」

 

「!」

 

「そんなに申し訳ない顔をしないでください。

 大地の言っていた通りの人ですね。

 余計な罪悪感を背負いがちで、悪い子になれない人だと」

 

 大地の妻、と聞き、思わずポーカーフェイスでも隠しきれないほどの罪悪感と申し訳無さを顔に浮かべてしまった竜胆。

 そんな竜胆を見て、大地の妻は穏やかな笑みをこぼした。

 

「大地の人を見る目を疑ったことはありませんけど、本当に彼の言う通りでした」

 

 微笑む女性の笑顔は美しい。

 胸も大きかった。

 胸も大きかった。

 "どうだワシの選んだ女はいい女だろ、がっはっは"という大地の声が聞こえてきた気がして、竜胆の肩の力がすっと抜ける。

 

(なんでだろうな。すごく、大地先輩の奥さん、って感じがする)

 

 大地の妻の笑い方は美しいが朗らかで、どこか大地の笑顔を思い出させるものだった。

 竜胆の表情も、自然と柔らかいものになる。

 

 大地の妻は、大きなお腹を抱えて、竜胆に頭を下げた。

 

「ごめんなさい、御守さん」

 

「え……なんで、謝るんですか」

 

「大地は、最後まで黙っているつもりでいたんです。

 私の存在を隠すつもりでいたんです。

 "そんなことを言えば仲間がワシを優先して守って死ぬじゃろ"と言っていました」

 

「!」

 

「大地は、仲間が自分を過剰に守って死ぬことを、恐れていたんです」

 

 大地が結婚の事実、子供の事実を口にすれば、仲間達はこぞって大地を守っていただろう。

 だが、海人の時のことを思い出せば、大地がそうなることをどれだけ嫌がるかは想像するに難くない。

 大地は自分が他人のために死ぬのは許容する。

 だがその逆は、絶対に許容しない。

 彼は根本からしてヒーローだからだ。

 

 だから、結婚しても皆には黙っていた。

 子供のことは誰にも話さなかった。

 その上で、仲間達を守り、世界を守るため、命を懸けて戦い続けていた。

 

 守るべき対象の中には、もちろん竜胆も入っている。

 大地は妻と子供を残して死ぬわけにはいかないと自覚した上で、何がなんでも生きようと覚悟していたその上で、竜胆のために命を懸けることを躊躇っていなかった。

 ……正樹があれだけ生存に気遣っていたのも、納得というものである。

 

「知ってます?

 大地が四国の外にずっといて、帰ってきた時。

 あの人ったら、『正樹先輩はどのくらい気を使ってた?』なんて言ったんですよ。

 心配もしてたんでしょうけど、正樹さんが私を厳重に守ると確信もしてたんです」

 

「……あはは」

 

「正樹さんも正樹さんで、立派な土地とお家をぽんとくれちゃって。

 "泥棒なんて入る余地もない"だなんて言ってくれたんですよ。

 大社の偉い人が貰える、身の安全を保証される家なんだそうです。

 それをぽんとくれたんですよ、正樹さんが。

 『私は職場に寝泊まりしているからああいうものは必要無い』だなんて言って」

 

 聞けば聞くほど、明るい話題が心に光を差すと同時に、助けられなかった後悔が湧き、竜胆の心がそれを"今度こそ守る"という覚悟に変えていく。

 

 大地と正樹の間には、一言では言えない友情があり。

 正樹の中には、誰も知らなかった、大地を守る理由があり。

 不器用な男二人を見守る、大地の妻の姿もあったのだ。

 ……ただ、竜胆が知らなかっただけで、そこにずっとあったのだ。

 

 この四国に住まう四百万弱の人間達の全てに、そういった細かな物語がある。

 

 ティガを好ましく思う人間にも、ティガを嫌う人間にも、それはあるのだ。

 

「お子さんの名前はもう決まってるんですか?」

 

「……ふふっ」

 

「?」

 

「ええ、もう決まっていますよ。大地が提案して、二人で選んで決めました」

 

 子供の名前を聞いた竜胆に、大地の妻は微笑みを見せる。

 

 

 

「『美森』。三ノ輪美森です」

 

「―――え」

 

「大地は言ってました。

 "ワシの仲間の中で一番に、他人を幸せにする才能があるやつの名前から音を貰った"と」

 

「―――」

 

 

 

 それは、竜胆の心に、不意打ちのように突き刺さった。

 

「私、昔から他人を名前で呼ぶ人間なんです。

 大地とも、出会った頃からずっと名前で呼んでいました。

 でもこの子が生まれるまでは、あなたのことを"御守さん"って呼ばせてもらいます」

 

 竜胆は、思ったこともなかったのだ。

 自分が、子供の名付けに使われるような、そんな人間であるだなんてことは、想像したことすらもなかった。

 けれど、三ノ輪大地はそう思っていなかった。

 彼は竜胆のことを、竜胆自身以上に評価してくれていたから。

 

 若葉に救われた人間が、この四国で赤ん坊に"若葉"と名付けているという話もある。

 名付けは、願いだ。

 親が子にかけた願い。

 ゼットという名付けが、終焉を望まれたものであるように。

 若葉という名付けが、乃木若葉のように強く凛々しい子に育ってほしいという、願いであるように。

 

 『美森』という名が、三ノ輪大地が我が子に付けた、祈りの一つであるように。

 

「大地は言ってました。御守は信じられる、と。

 こんな短い付き合いで、こんなに信頼できたのはカイト以来だ、と。

 でも仲間としての信頼以上に、他人を幸せにする才能の方を見ていたみたいですね」

 

「……そんな……そんなの……」

 

 竜胆の心の中はぐちゃぐちゃだ。

 本当は、大地が妻と子供を残して死んだという事実だけで、いっぱいいっぱいだった。

 その子供に自分の名前が付けられているというだけで、悲しみは一気に加速した。

 妻から聞いた大地の竜胆評が、悲しみを更に加速させた。

 

 泣くことが許されるのなら、竜胆は泣き出したくてたまらなかった。

 そんな竜胆に泣くなと戒めているのが、竜胆自身の心だった。

 

―――竜胆。優しさを失わないでくれ

 

 何故大地は、竜胆に"それ"を求めたのだろうか。

 

―――その優しさが裏切られたなら、優しさを捨てて好きに生きたっていい。

―――だが、叶うなら、優しさを捨てなくていい未来に行ってくれ。

―――優しさを捨てなくていい人生を生きてくれ。

―――皆が死んだらワシは悲しいが……お前が優しさを捨てることになったとしても、ワシは悲しい

 

 大地が言う"優しさ"とは、きっと、他人を幸せにする心遣いのことで。

 

―――優しいお前になら、ワシは自分の大切なものの全てを、安心して託せる

 

 大地が()()()()()の正体を、竜胆は腹の膨らんだ彼女を見て、ようやく理解する。

 

「……っ」

 

 "守ってほしい"と、大地はそう願ったのだ。

 

 その優しさで、他人を幸せにできる、御守竜胆に。

 

「バカじゃ……バカじゃないんですか……

 俺の、どこを見て、そんなこと、思ったんですか……

 いつも、いつも、他人を不幸にしてばかりの俺に……

 そんな才能……あるわけないじゃないですか……!」

 

 竜胆は大地の残した言葉を、素直に受け止められない。

 

「ありますよ」

 

「……え」

 

「大地があると言ったら、あるんです」

 

「無いですよ! そんな才能は! 俺には!」

 

「さっきも言ったでしょう? 私は大地の人を見る目を疑ったことは、一度も無いんです」

 

「―――」

 

「あなたは大地の知る人の中で、一番に、他人を幸せにする才能がある人なんですよ」

 

 揺るぎなく、大地の妻は言い切る。

 

「触ってみますか?」

 

 そして微笑み、竜胆を手招きした。

 

 竜胆は恐る恐る、膨らんだ腹に触れる。

 触れた腹の向こう側に、命がある。

 手の平に感じる暖かさは、はたして一人分のものだろうか。

 腹の中で何かが動いた、僅かな感触。

 中で赤子が母親の腹を蹴ったのだろう。

 僅かに感じられる感触が、竜胆にその命の存在を実感させる。

 

(命)

 

 感じられたものは、命の鼓動。

 今そこにある、まだ生まれていない命の存在。

 この地獄のような世界に、"生まれてやるぞ"と言わんばかりに、蠢いている一つの命。

 

 ()()()()()()()()()()()()()という当たり前のルールを、何も知らないはずの赤子が、色んなことを知っている竜胆に教えてくれていた。

 

(……光)

 

 竜胆はそこに、光を見た。

 

 他人に優しくする者の心の光ではない。

 絶望に挑む勇者の勇気の輝きとも違う。

 絶えない希望から生まれる煌めきとも異なる。

 竜胆は赤子に光を見た理由を、上手く自分の中で言語化出来ない。

 

 だがその瞬間確かに、その赤子は、竜胆にとっての光だった。

 この女性にとっても、死んだ三ノ輪大地にとっても、きっと光だっただろう。

 

「生きてる……」

 

「そうですよ。私のこのお腹の中に、大地と私の子供がいるんです」

 

「……これから生まれて、来るんだ」

 

「はい」

 

 今、四国には神樹への信仰からか、樹木にあやかった名前が増えつつあるという。

 『美森』という名前も、もしかしたら付けられる機会が増えるかもしれない。

 英雄ガイアが子供に付けた名前だ、真似する親も出て来ないとは言い切れない。

 そうやって、世界は『次』に繋がっていくのだ。

 

「他人のために強くなる。他人のせいで弱くなる。

 他人のために不幸になる。他人との触れ合いで幸福を得る。

 他人こそが自らの幸福の基準であり、叶うなら皆が幸せであることを望む。

 ……私の知っているウルトラマンさん達は、皆そうでした。

 だから今、私はあなたに、生きる理由と、強くなる理由と、死ねない理由をあげます」

 

 大地の妻は、彼女にしかできないことをする。

 彼女がするべきこと……かもしれない、ことをする。

 その実、彼女はしたいことをして、言いたいことを言っているだけだった。

 

「もしも、あなたが大地に、恩義を感じているのなら」

 

「はい」

 

「この子が大きくなるまで、生きてください。

 この子があなたとちゃんと話ができる頃になれば、あなたもきっと大人になっています。

 大人になるまで、生きてください。

 そしてこの子に話を聞かせてあげてください。

 『君の父親はこんなに立派だったんだぞ』、って。あなただからこそ、頼みたいんです」

 

「―――」

 

 目元が熱くなるのを、竜胆は感じた。

 

「……分かり、ました」

 

 他の誰でもなく竜胆自身が、その腹の中の子に教えてあげたかったのだ。

 

 あの瞬間、人々を守る心優しい宇宙最強だった、ウルトラマンガイアの勇姿を。

 

「約束します……いつか……いつか、必ず……!」

 

 視界がぼやける。

 

 自分の目から何かが零れ落ちているのを、竜胆は感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カミーラは上機嫌に次なる策謀を始めた。

 ゼットの体はボロボロで、ガイアSVの全力攻撃によるダメージは、見かけ以上にゼットの体を摩耗させている。

 ゼットの再生には時間がかかり、カミーラはしばらく攻撃の手を休め、四国とティガの動向を見張ることにした。

 

 そんなカミーラが見張る四国の中では、人目につかないよう動いていた牛鬼が、ブルトンの肉を探し出し、食っていた。

 

「もっきゅ」

 

 牛鬼は脳天気である。

 カミーラのような面倒臭いことは考えていない。

 ゼットのような物騒なことも考えていない。

 竜胆のような小難しいことも考えていない。

 

 美味しいおやつでも食えればいいや、と考えているのが関の山といったところだ。

 

「もきゅ」

 

 そんな彼だが、食いたくないものもある。

 辛気臭い飯だ。

 味はともかく、辛気臭い空気で出された飯は食いたくないものである。

 今の丸亀城で出されるご飯が、まさにそれだった。

 こんなもの、食ってられるか! ここ最近ずっと、牛鬼はそう言わんばかりの様子であった。

 

 なので大地の戦死後直後は、戦場に行ってまだ消滅していないバーテックス等も食べていた。

 その後は消えないコダラーとシラリーの肉も食べ、彼らの無念の想いを受け継ぎ、四国結界の外に出て遠出し、誕生前の星屑の卵をまとめて潰す。

 だが帰ってきた頃には、大社の手でコダラーとシラリーの死体は丁重に埋葬されており、もうその肉を食べられなくなってしょんぼりしてしまった。

 

 なので仕方なく、ゼットが握り潰したブルトンを捜索。

 もう他に死体が残っているバーテックスなどいない。

 星屑で大型を作ると、大抵の場合倒した後に死体は消えていってしまう。

 牛鬼は他宇宙から呼び出された、星屑で出来ていないブルトンの死体をとことん探す。

 

 そうして見つけて、美味しそうにブルトンをもぐもぐと食べているようだ。

 

「きゅっ」

 

 牛鬼は友奈が大好きだ。

 くれるご飯は美味しいし、その笑顔は可愛らしい。

 けれど人前ではいつも笑顔の友奈が、一人で居る時や、牛鬼の前では、泣きそうな顔や辛そうな顔を見せてくるのが辛く感じる。

 

 牛鬼は実は竜胆がそんな好きではない。

 友奈は竜胆と話している時、牛鬼を撫でている最中でも、牛鬼の方をほとんど見なくなってしまうからだ。

 それだけを理由に、牛鬼は竜胆のことがあまり好きではない。

 

 ただ、牛鬼は竜胆が嫌いというわけではない。

 撫でる手は優しく、くれるおやつはいつも美味しい。

 牛鬼をペット扱いではなく、一人の仲間扱いもしてくれる。

 それに何より、竜胆と話している時の友奈が牛鬼を撫でる手付きは、いつもよりずっと優しくて心地が良いと、牛鬼はそこを評価している。

 竜胆と友奈が話している時のまったりとしていて楽しげな空気も、牛鬼は好きだ。

 

 だから、友奈は大好きで、竜胆のことはあまり好きではない。

 そんなバランスで、牛鬼は生きている。

 

「もきゅぃ」

 

 ふらっと四国結界の外に出て、辺りを見回す。

 星屑がいた。

 ほんの僅かな生き残りがいたらしい。

 牛鬼は溜め息を吐く。

 

 最近、丸亀城は辛気臭い。

 竜胆も友奈も、仲間を失って辛い想いをしている。

 今敵が来れば、辛い想いを抱えながらも戦わなければならない。

 だから牛鬼は思うのだ。

 

 いや今は来るなよ、と。

 

 空気読めないやつめ、とでも言いたげに、牛鬼は星屑に跳んで体当たり。

 星屑をミンチにしてさしあげた。

 そのまま星屑もモリモリ食べて、これを今日のお昼ご飯とする。

 食いではあったが、味はイマイチだった。

 

 大地の死から少しの日時が経っていたが、その間ずっと、牛鬼は結界の周辺をうろちょろしていた。

 理由の半分は、辛気臭い丸亀城に丸一日居たくなかったから。

 もう半分は、『子供達に悲しむ時間すら与えようとしない星屑』を問答無用で倒すため。

 だから今日も四国は、敵が襲来して来ていない、仮初の平和を続けて行けている。

 

 ただ、ここ数日は、丸亀城の空気も少しは良くなってきた。

 友奈や竜胆が、努めて城の空気を明るくしようとしてくれている。

 空気は少しずつ改善され、皆の心は前を向き始めている。

 

 本当は年単位の時間をかけて癒やすべき傷を、皆頑張ってすぐにでも乗り越えようとしている。

 それは"普通"ではないことだったが、必要なことでもあった。

 牛鬼は星屑を食い切って、丸亀城へと戻る。

 

「あれ? 牛鬼、どこに行ってたの?」

 

 唯一無二の主と決めた友奈に連れられ、抱きかかえられ、運ばれていく。

 

「ほら、一緒にリュウくんのお見送り行こうね」

 

 友奈に運ばれた先で、牛鬼は旅支度をした竜胆・若葉・千景の姿を見る。

 

 牛鬼は友奈を"頑張り屋"と思い、大好きという気持ちを向けつつ、頑張りすぎないか心配している……のだが。

 実は竜胆に対しては"自殺屋"と思っており、友奈に対する心配以上に、竜胆のことを心配していた。

 

 

 

 

 

 大地と海人は、多くのものを竜胆達に残してくれた。

 想い。

 技。

 そして、未来に繋がる可能性。

 あの時彼らが来てくれなければ、その後も共闘してくれていなければ、絶対に大侵攻は乗り越えられなかっただろう。

 ナターシャの予知は、最悪の未来に繋がってしまっていたはずだ。

 

 何よりも大きなものは、情報だ。

 四国外で活動していた彼らの情報は、とても大きい。

 

―――北海道にワシは落ち、沖縄にカイトが落ちた。

―――結論から言えば、北海道・沖縄・諏訪にはまだ人間と、『勇者』が生きていた

 

 二ヶ月前、2019年5月時点で人類と勇者の生存が確認されたのは、とても大きい。

 初めてブルトンの話をした時、若葉は竜胆にこう言っていた。

 

―――私の知る限り、今の世界で人間が生きていると確認されているのは四国と諏訪のみ。

―――可能性レベルで話しても、北海道と南西の諸島くらいしかないそうだ。

 

 球子も、こう言っていた。

 

―――四国以外で残ってる勢力なんて諏訪しか確認できてない。

―――北海道と沖縄には生存者居るかも? って話はタマーに聞くな。

 

 ブルトン出現以降、四国外部の時空は微細に捻じれた。

 そのため、それまで諏訪と連絡が取れていたのに、それ以後ずっと連絡が取れていなかった。

 それまで四国と通信できていた諏訪はまだ"連絡が取れない"レベルだったが、そもそも沖縄と北海道とは連絡が取れたことすらない。

 

 だが、今現在、そこにこそ希望が持てる状況が出来ていた。

 

 ここ二ヶ月、バーテックスのほぼ全戦力が大侵攻に集められていたはずだ。

 ならばこの三箇所がすぐに落ちている、という可能性はそう高くはないだろう。

 むしろ、三箇所全部が残っている可能性の方が高い。

 まだそこには人と、勇者が残っていると思われる。

 

 連携してもいい。

 リスクもあるが、四国に住民を避難誘導することもできる。

 まだブルトンが起こした空間異常が残っているため、通常の観測手段や通信手段では遠方の状況が把握できないが、それなら人員を直接派遣すればいい。

 

 『まず目指すは諏訪』。

 

 大社は、勇者と竜胆にそう言ってきた。

 諏訪は信州、長野県にある神の地である。

 北海道に落とされた大地が、四国に戻る前に守っていた地でもあり、『タケミナカタの神地』でもある。

 ガイアがタケミナカタと同一視されたことから考えても、三ノ輪大地と因縁浅からぬ地だ。

 

「若ちゃん、知り合いがいるのか? 諏訪に」

 

「ああ。諏訪の勇者、『白鳥(しらとり)歌野(うたの)』は……

 私とよく、無線を通して話していた。

 意味の無いことを多く語り、励まし合い……いや、それは違うな。

 今思えば、私は彼女から、勇者としての心構えを多く教わっていたのだと思う」

 

「……そうなのか」

 

「味方に付けられたなら、あれほど頼りになる勇者はいない。

 諏訪の神に選ばれ、勇者システムも無しにもう四年も諏訪を守り続けている――」

 

 若葉は、"白鳥歌野"という勇者を手放しで褒め、評価している。

 

「――『タケミナカタの勇者』だ」

 

 竜胆は、若葉の言からも、その人物の有能さをひしひしと感じていた。

 

 今回、諏訪に派遣されるのは、竜胆・若葉・千景の三人だ。

 大侵攻でバーテックスが全滅状態とはいえ、流石に全員を外に出すとリスクが生まれる。

 カミーラが居る以上、迂闊な隙は見せられない。

 

 実は下からの報告を聞いた正樹圭吾が、心底怪しんで四国全体を見張っているせいで、シビトゾイガーは迂闊な動きができない状態にあった。

 カミーラもやり辛い思いをしていることだろう。

 ここで侵攻を防ぐ念の為の勇者も残しておけたなら、四国はかなり万全である。

 そこで、派遣三人、居残り二人、というバランスになった。

 

「RPGのパーティー分けみたいね。どちらか片方が弱すぎると詰む、みたいな」

 

「ちーちゃんらしい言い方だな……」

 

「私の主人公パーティーに前衛の乃木さん、切り札の竜胆君……あとは、高嶋さんも……」

 

「杏一人残し提案はやめろ、ゲーマーならバランスの重要性分かるだろ?」

 

「……むぅ」

 

「友奈と杏で居残り。居残りはもっと増やしてもいいくらいだ」

 

 現在の勇者は前衛二人、後衛二人。

 そこから『器用で強い者』が一人ずつ選抜され、ティガの随伴に据えられた。

 それが若葉と千景である。

 

「竜胆君、どういうルートで行くの?」

 

「ちょっと待て、杏に色々教わったんだ……

 ええと、俺達は、徳島の大鳴門橋から出立する。

 そこから神戸、大阪、京都、名古屋を通って、中央自動車道を通って諏訪に行く。

 ざっくり言うと"北東の諏訪に向かって大きな道を選んで走ろう"ってことだな」

 

「なるほど」

 

「四国から諏訪までは直線距離で400km。

 単純距離で500kmってとこか。

 ティガブラストで全力一直線に飛んだら……40秒くらいだな」

 

「勇者が竜胆君を抱えていくなら……

 体力の消耗を抑えて、道なりに進むとして……一時間から二時間といったところかしら」

 

「移動は基本、勇者任せになると思う。頼むよ」

 

 諏訪がどうなっているかは分からない。

 最悪のパターンなら、いくらでも考えられる。

 万が一竜胆達が外に出ている時に四国に何かあっても、四国から通信の送信と信号弾の打ち上げで危機を知らせることができれば、ティガブラストですぐに戻って来れるだろう。

 最長40秒で帰還できるというのは、本当に速い。

 

 今、人類は未曾有のチャンスにある。

 現在の地球上の星屑密度は非常に低い。

 大規模な人員の移動を数百km単位で、かつ徒歩で実行しても、成功する可能性は十分ある。

 フットワークの速いティガと勇者で、早めに状況を確認しておくべきなのだ。

 

「よし、行こう」

 

 フォーメーションは、身体能力に優れた若葉が竜胆を背負って走り、千景がその随伴として走っていく形になる。

 若葉ならば瞬時に精霊を宿して機動力を確保、竜胆を守ることもできる。

 分身の七人御先と呪術の玉藻前を選べる千景も、随伴のサポートとしては最適だ。

 竜胆を背負って、竜胆が若葉にしっかり抱きつくと、若葉は変な顔をした。

 

「……おい、変なところに触るな」

 

「若ちゃんに変なところとかないだろ」

 

「そういうことを言ってるんじゃない!」

 

 竜胆は神妙な顔をする。

 そう、今こそ。

 勇者に背負われて諏訪まで走っていくぞ、というこの時こそ。

 普段鍛えたデリカシーの発揮し時だ。

 

「最大限に気を使ってるんだが……

 いや、不快にさせたならごめん。そこは謝る。

 でも触っちゃいけないところとか、言ってくれたら次から気を付けられるからさ」

 

「……お前の息が、私の耳に」

 

「ああ、俺の息が耳に触ってて……って言われなきゃ分かんねえよ!」

 

「分かったならもういいだろう! 文句があるなら降ろすぞ!」

 

 デリカシー発動、微妙に失敗。

 どうやら若葉は、耳が敏感で弱いらしい。

 友達(ライバル)に知られたくなかった弱点だったらしいが、背負われた竜胆の視点から見える若葉の耳が赤くなっていることは、気のせいではないだろう。

 

 竜胆の方からは若葉の表情は見えないが、若葉の表情が見えている千景は、じとっとした目で若葉をじっと見つめている。

 こういうデリカシーが要される案件はちょっと避けたいな、と思った竜胆は、次善を求めた。

 

「ちーちゃんに背負ってもらおうかな」

 

「……え」

 

 別に千景に運んでもらっても、多少のリスク変動がある程度のことでしかない。

 竜胆からすればどっちでもいいのだ。

 が、千景は突然そういう話を振られて、盛大にうろたえ――要するにキョドり――何故か自分の体を腕で隠し、おどおどと上目使いで竜胆の様子を伺い始めた。

 

 "異性に体に触れられたくない"という羞恥心が目に見える。

 男を体に抱きつかせるくらいならさして気にしない、男よりも男らしい若葉が変なのであって、千景の反応は至極まっとうだった。

 

「……の、乃木さんでいいんじゃないの? 私は、その……」

 

「思春期だな、ちーちゃん……」

 

「!?」

 

「一足先に大人になった俺は娘の成長を見るようで、嬉しいやら寂しいやら」

 

「は?」

 

 竜胆のその台詞だけは、聞き流せなかった。

 千景はそれだけは聞き流せない。

 竜胆が大人ぶって千景を子供扱いするその言動に、千景は至極イラっときた。

 すっ、と千景の細い手が竜胆の頬に触れる。

 竜胆がちょっとドキッとしたのが、千景には手に取るように分かった。

 

「あなたは……大人になったんじゃなくて……今でも子供……なんじゃないの?」

 

「や、やめようなそういうの」

 

「……ふん」

 

 千景が"勝った"と言わんばかりに、得意げな顔をする。

 精霊とは心にも大なり小なり影響するもの。

 男を手玉に取る稀代の悪女・玉藻前の影響は、ほんの僅かにであっても千景の中に残っているのかもしれない。

 使い手の千景がその手のジャンルでポンコツな子でなければ、日常生活の中でも効果的に活かせたのかもしれない。

 ポンコツでなければ。

 

「若ちゃん、頼んだ」

 

「いや、今の流れなら千景に頼んでもいけたのでは……」

 

「若ちゃんほど安心して体を預けられるやつがいるか。

 頼む、乃木タイプ若葉号。お前が今一番信頼できるレースマシンなんだ」

 

「誰がレースマシンだ。千景に抱きつくのが恥ずかしくなったんだろう、思春期め」

 

「……はっはっは」

 

「笑って誤魔化すな」

 

「女の子女の子してる柔らかい体より、若ちゃんのちょっと筋肉ある体の方が落ち着くんだ」

 

「お前な!」

 

 千景の誘惑(笑)で変に意識する状態になってしまった竜胆には、若葉の筋肉による癒やしの方が心地良い。

 今は女性らしさより、筋肉の方が竜胆の癒やしになってくれていた。

 

 その時、何かが竜胆の鼻孔をくすぐる。

 それが花の香りであると、嗅覚が判別する。

 嗅いだ覚えのある香りだった。

 竜胆が誕生日に贈ったシャンプーの香りだと気付いた時、竜胆はぐっとくる。

 "誕生日に貰ったものは使ってるぞ"と、こういうところで言葉無く伝えてくる若葉に、竜胆は途方もないイケメン力を感じた。

 

 贈ったものがちゃんと使われているということは、単純に嬉しいものだ。

 竜胆の中の対若葉好感度が、また上がった。

 そして気恥ずかしくなった竜胆が、"女の子の匂いを嗅がないように"と無言で自分の鼻を若葉から離す。

 当然ながら、若葉はそういうことを敏感に察する。

 

「……お前なぁ」

 

 苦笑してから、若葉はどこか好意的な表情を浮かべていた。

 

 出発直前、そこにひなた、杏、牛鬼を抱えた友奈がやってくる。

 

「忘れ物はありませんか?」

 

 ひなたがチェックしてくれた荷物は万全だ。

 野宿も難しくはない装備が備えられている。

 ……本当は、こういう野宿も見越した結界外活動は、サバイバル趣味の球子こそが向いているのだが、いない人のことを言っても仕方ない。

 

「頑張ってください! ……無茶はしない程度に、ですよ?」

 

 杏は応援して、それから竜胆と地理の知識のチェックを始めた。

 杏も心配で心配で仕方ないに違いない。

 竜胆に知識を叩き込み、今もチェックしていることからも窺える。

 どこをどう見ても、杏は"成果"ではなく、"無事"を求めていた。

 

 そして、最後に友奈が。

 

「いってらっしゃい! 若葉ちゃん、ぐんちゃん、リュウくん!」

 

 シンプルな声を、三人にかけた。

 

「ああ。留守を頼んだぞ」

 

「……いってきます」

 

 若葉が堂々と、千景が照れ気味な物言いをして。

 

「友奈」

 

 竜胆が、片手を上げて。

 友奈がその意図を無言で察する。

 

 笑顔の友奈と、笑顔の竜胆で、いってきますのハイタッチ。

 

 そうして彼らは、諏訪に向けて旅立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブルトンによって歪められた時空の残滓、微細な空間歪曲は、時間経過で消えていく。

 竜胆達が四国を出立した後、若葉が使っていた通信機が音を立てる。

 使われていない無線機のはずだった。

 諏訪との通信が途絶えて以来、電源だけは入っていたものの、四国の外からの通信など一切入ってこない無用の長物であるはずだった。

 

『あれ? 繋がった? もしかして繋がってる?』

 

 そこから、少女の声が響く。

 

『誰か、そこにいますか?

 いるのなら、誰か分かる人に話を繋いでください!

 私は白鳥、諏訪の白鳥歌野です! 諏訪の勇者が話があると、誰かに伝えてください!』

 

 遠くの地より、竜胆達と入れ違いになるように、四国へと届く声。

 

『今の諏訪は大ピンチです!

 諏訪の神様が、四国に救援を要請しろと!

 今の四国には、諏訪を助ける理由があると、神様はおっしゃられています!』

 

 それは助けを求める声であり、同時に、救援を引き出す交渉のようでもあった。

 

『諏訪の神様が、ウルトラマンティガの仲間に、渡したいものがあると言っています!』

 

 諏訪の地に、何かがある。

 諏訪の地で、何かが起こっている。

 

 神と星の力を束ねたウルトラマンガイアSVすら倒したゼットがいる以上、人類の終焉はもはや覆し難い決定事項。最悪の絶望である。

 それを覆すものなど、そうそうあるわけがない。

 だが、"何か"が諏訪にあることは間違いない。

 

『どうか、諏訪の皆を助けてください! ……希望を、次に繋げてください!』

 

 次なる出会いと、次なる希望、未だ来ていない絶望が、竜胆を待っている。

 

 良くも悪くも、生きてさえいれば『次』はある。

 

 彼らの未来は、まだ決まりきってはいなかった。

 

 

 




 次話から最終章です。
 正直ここから先の話は最終回まで一箇所を除いてひと繋がりの上、基本的にグッチャグッチャのドロッドロなので、最終章に入る区切り線はどこに置くか迷いました。
 話の流れ自体は変わらなくて、章区切りをどこにおいても良かったからです。
 でもここに置くことに決めました。最終章が一番長く感じる話仕立てが一番いいと思うので。

 ゆゆゆいによると香川の讃州中学勇者部から愛媛(のどこか)まで10分だそうなので、たぶん原作の神世紀勇者の走行速度は大雑把に分速10kmってとこだと思われます。
 戦闘速度ではないですが、移動速度は時速600kmくらいってことですね、大雑把な上仮定だらけですが。
 ちなみに一切旋回や消耗を考えないティガブラストの直線全力飛行がマッハ30弱。秒速10km。
 時拳時花の冒頭の飛行戦速度がマッハ10、秒速3.4kmです。
 ハイパーゼットより飛行速度が遅い原作ハイパーゼットンはマッハ33ですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四幕 愛憎の章
諏訪 -エンカウンター-


 ある事柄に対する個人的な呟きですが、突風(ブラスト)竜巻(トルネード)の名を見るに、ダイゴティガには受け継がれなかっただけで、オリジンのティガは風属性のウルトラマンだったんじゃないかなと思うことがあります。
 風光属性→闇属性→三タイプ光属性になった、みたいな。
 まあ想像です。

 では、長い最終章の始まりですー。


 白鳥(しらとり)歌野(うたの)は勇者である。

 

 2015年の夏、ティガが闇に魅入られ、他の勇者達が選ばれた時期に、歌野も同様に選ばれた。

 彼女を選んだのはタケミナカタ。

 天の神に敗北した地の神が一柱。

 タケミカヅチに敗北したタケミナカタは諏訪の地に逃げ込み、そこで天の神々に敗北を認め、諏訪の地の守護神となったという。

 

「うたのん、ちょっといい?」

 

 そんな彼女に、諏訪の巫女である藤森(ふじもり)水都(みと)が話しかけた。

 

「どうしたの、みーちゃん?」

 

 太陽のような笑みで、農作業中の歌野が答える。

 彼女は戦いの中でも凛々しく、雄々しく、美しい。

 だが歌野を知る者達は、歌野が戦う時の姿を見たことがある者でさえ、『彼女は戦っている時よりも農作業をしている時の方がずっとそれらしい』と言う。

 農作業がよく似合う、そんな少女だった。

 

「土地神様が、また結界の範囲を狭めて、結界の強度を引き上げないと危険かもだって」

 

「……そっか。うん、分かった。準備しておくわね」

 

「いいの? それだけ?

 今の土地でもギリギリなのに、これ以上結界を狭めたら、皆の生活が……」

 

「でも、しょうがないでしょう?」

 

 諏訪の土地もまた、四国同様、土地神の結界によって守られている。

 以前は諏訪湖周辺全体を包む規模の結界があった。

 だが、今はもう無い。

 

 諏訪の結界は、神が立てた御柱(おんばしら)に沿って結界が展開され、柱が壊れない限り結界も壊れないというもの。

 バーテックスはこれを壊そうとし、勇者歌野がこれを守る。

 四国が神樹を守るタワーディフェンスならば、諏訪はこの御柱達を守るタワーディフェンスであると言えるだろう。

 

 だが、勇者一人に守りきれるものではなく、バーテックスの襲撃規模が増してくれば、結界強度も足りなくなってくる。

 土地神は結界の範囲を縮小して強度を上げることを繰り返し、なんとかバーテックスの襲撃に耐え続けていた。

 

 結界内の人々が暮らせる範囲は日々減り、そのたびに居住区や農地などを放棄する繰り返し。

 諏訪湖周辺一帯に暮らせていたのももはや数年前の話であり、人々が暮らせるのは、もはや諏訪湖南東の一部のみとなっていた。

 

「でも、また手放さないといけない農地が……」

 

「それは確かに惜しい、惜しいけど……!

 また耕して、新しく作ればいいだけの話。

 農地は逃げないんだから、後で取り返せばいいのよ!」

 

「……うたのんらしいなあ」

 

 また結界を縮小しなければならない。

 そうすれば、多くの居住地や農地を放棄することになるだろう。

 諏訪の地において、四国と最大に違う点が一つある。

 

 それは、自活を求められていること。

 食料ですら、自分達で作っていかなければならないということだ。

 

 諏訪の神に、神樹ほどの力はない。

 そもそも、"日本の八百万の土地神の結集体"が神樹である。

 数こそが力。その総出力は他の神と比べても抜きん出ていた。

 天の神の干渉やバーテックスを弾く四国結界、時空に干渉する樹海化、四国のインフラ維持や食料・酸素を初めとする供給。全てを賄っている神樹が規格外級なだけなのである。

 

 そんな四国ですら、たびたびバーテックスとの戦いで力不足が露呈しているのだから、諏訪の方が地獄のような困窮に遭うのは、当然のことなのだ。

 

 農地が減れば食料の供給も減る。

 新しい農地を開拓していかなければいずれ餓死する。

 居住地が減ったなら、住む場所にもやがて問題が出てくるだろう。

 

 『衣食住』と言うが、今の諏訪には衣を作れる者も設備もなく、食を安定して供給するあてもなく、住を確保できるほどの土地もない。

 そしてこの結界縮小は、また何度でも起こる可能性があるのだ。

 いずれは、今テントを立てて居住区にしているような土地も、居住区ではなく農地として使わなければならなくなるだろう。

 住を捨て、食を取らなければ、人が死ぬからだ。

 

 こんな状況で、もう四年。

 諏訪は夏の昼には30度以上まで気温が上がり、冬の夜はマイナス5度まで気温が下がる。

 今の諏訪だと、次の冬は凍死者が出てもおかしくはなかった。

 ……それ以前の話で、次の農地の用意と食料の生産が間に合うか、冬まで保つのか……というレベルの状況ではあるのだが。

 

 四国も地獄だったと言える。

 だが諏訪は、それとは別ベクトルに地獄だった。

 

「ほら、そんな顔しないで、みーちゃん」

 

 そんな中、白鳥歌野は、いつも太陽のように笑っている。

 

「ポジティブ、ポジティブ! 俯いてたって、何も変わらないんだから!」

 

「うたのん……」

 

 歌野はポジティブ。水都はネガティブ。

 だがそんな一言だけでは言い表せないほどに、歌野は強く、前向きだった。

 

 四年前。

 バーテックスが襲撃し、諏訪湖周辺に結界が張られたあの日。

 歌野は神に選ばれた時、結界の中に居た。

 他の勇者達は大なり小なり、その身に危険が迫っていて、自分が生きるため、周りの人を守るため、そのために武器を取った側面があった。

 

 球子や若葉のような、自分を守ることを度外視して他人を助けるために動いた者もいたが、歌野だけは、勇者になったその瞬間、安全圏にいた。

 だから、歌野は選べたはずなのだ。

 結界の中でじっとしていることを。

 けれど、そうしなかった。

 結界の外で、襲われている人を見たから。

 迷いなく"安全"を投げ捨て、歌野は僅かな神の力を頼りに結界の外へと飛び出し、多くの人を結界の中にまで逃げ込ませてみせた。

 

 そうして歌野に助けられた、"助からないはずだった者"の一人が、藤森水都である。

 

「そうだね。私もうたのんを見習わないと」

 

「みーちゃんはみーちゃんのままでいいと思うけど、前向きなのはいいことね!」

 

「うん」

 

 四年前。

 諏訪には絶望しかなかった。

 

 天から舞い降りて、人を喰らい、その恐怖で人の心を壊す化物。

 四国の1/100もない結界内の面積。

 止まるラジオ。映らないテレビ。

 断絶した電気。流れるはずもない水道。食料のあてもなく、逃げ場もない。

 そして、戦える者は小学生の勇者のみ、神の言葉を聞ける巫女も小学生の少女が一人。

 これで絶望しないわけがない。

 

 諏訪でも人間同士の諍いや争いは起きたが、それも四国と比べればずっと小規模だった。

 何故か? 理由は明白だ。

 内輪揉めができるほど、人に余裕が無かった。

 大規模な争いができるほど、多く人が生き残っていなかった。

 

 他人を蹴落としてまで生きようとする人がいないほどに、皆絶望し、諦めていた。

 

 トマスの自然権についての話を思い出せば分かる。

 人間が他人を蹴落とそうとするのは、未来にしたいことがあるからだ。

 他人を犠牲にしようとするのは、生きたいからだ。

 生きることを、諦めていないからだ。

 四国の人間は諦めず"生きたい"と叫ぶ醜悪であり、かつての諏訪の人間は諦めた虚無だった。

 

 醜悪と虚無。

 どちらが悪いのか、という判断は、人によって分かれるだろう。

 だが諦めと虚無の中、かつての歌野は、こう叫んだ。

 

―――諦めてはいけません!

 

 歌野は言った。

 生きるために、自活が必要だと。

 魚を獲って、畑を耕し、生きるために必要なものを作っていかなければならない、と。

 

―――私達はまだ、生き抜けるはずです! 立ち上がれるはずです!

 

 皆諦めていた。

 誰も歌野の言葉に応えなかった。

 白けた顔で無視をして。

 何もしないまま鼻を鳴らして。

 歌野を罵倒するものすらいた。

 

―――どんな災害に遭っても、人は生き抜いてきました、だから、今度だって!

 

 白鳥歌野は諦めない。

 何一つとして諦めない。

 朝に起き、農家の娘でも無いのに、勉強して畑を耕す。

 農業に息を切らしていたところに、バーテックスの襲来警報。

 バーテックスと命がけで戦って、ボロボロになって帰って来る。

 傷の手当てを終えたなら、昼からまた畑を耕す。

 諏訪湖の魚を取ろうとして、漁師の娘でもないので、悪戦苦闘して、釣果はゼロ。

 畑に種を撒いた頃には夕方で、ヘトヘトになって家に帰る。

 そして戦ったこともない彼女は、家に帰ってからも武器を握って、武器の扱いを練習しないと、バーテックスとは戦えない。

 夜になったら訓練をして、農地を作る勉強もする。

 

 ずっと、ずっと、一人でやっていた。

 たった一人で畑を耕し続け、たった一人で戦い続けた。

 一人で食べるものを確保し、皆に分け与え、皆の住む場所を守り続けた。

 誰も彼女の助けにはなれなかった。

 誰も彼女の救いにはなれなかった。

 そうして一年。

 一年間、ずっと孤独な戦いが続いた。

 

 なのに。

 

 白鳥歌野は、一度も弱音を吐かなかった。

 白鳥歌野は、一人の犠牲も出さなかった。

 白鳥歌野は、いつも笑顔だった。

 

―――前を向きましょう!

 

 強く、眩しく、周りを照らす心。

 彼女の在り方は、"本物の太陽"だった。

 その心には、誰よりも強い、他人の心を照らす輝きがあった。

 各神話に存在する太陽の神ですら、彼女の心の太陽には敵わない。

 

 一年を過ぎた頃、ある女性が申し出た。

 私も手伝うよ、と。

 

 その女性に、別の男の子が続いた。

 僕も何かできることあるかな、と。

 

 一人、また一人と、希望を捨てない歌野に皆が手を貸し始める。

 ある者は畑を耕した。

 ある者は魚を獲るようになった。

 ある者は生活に使える物を作り始めた。

 

 やがて、人々の顔に笑顔が戻り始めた。

 自分にできることをする。

 頑張っている白鳥歌野がくれた想いに応える。

 前を向いて歩き続ける。

 

 希望を捨てない歌野の姿が。

 希望を、信念を、在り方を、どんな時でも揺らがせない彼女の在り方が。

 "他人を変えよう"だなんてことは一度もしないままに、周りの人達を変えていた。

 

―――どんなに辛くても、人は必ず立ち上がれます!

 

 『どんなにつらい目にあっても、人は必ず立ち上がれる』。

 

 歌野が呼びかけたその言葉が、諏訪の人々にとっての合言葉になっていた。

 

 2019年現在。

 諏訪湖周辺全域を囲んでいた結界も、もう諏訪湖南東の一部だけしか囲んでいない。

 諏訪の人に残された土地の面積は、もう四国の1/500も無いだろう。

 定期的に迫り来る結界の壁が、自分達を押し潰しに来ているようにすら見えるだろう。

 土地もなく、食料もなく、結界の縮小のたびに手をかけた住居や農地が失われる。

 

 けれど、諏訪の民は誰も弱音を吐かなかった。

 皆、頑張って笑顔を浮かべていた。

 一生懸命、今日を生きるために頑張っていた。

 

 『俺達が諦める時はあの子が諦める時だ』と、諏訪の全員が、歌野を見て思っていた。

 

「ボブさん、大地さん。元気にやってるかなあ」

 

「きっと元気にやってるはずよ。みーちゃんは心配性ね」

 

「心配するよ。一番危険な場所を選んでそこに行ってる人達なんだから。

 前の時、お礼言いそびれちゃったから、今度会えたらちゃんとお礼できたらいいな……」

 

「うん、そうね。私もまた、大地さん達と再会できる日まで頑張らないと」

 

 歌野は目を閉じ、この土地を守るのに手を貸してくれたウルトラマン達に、思いを馳せた。

 

 

 

 

 

 竜胆参戦時、四国にはウルトラマンが結集していた。

 それは四国に、最大の神性存在と、最大規模の人類の安全圏と、最大数の生存者が固まっていたからだ。

 だが、最初からそうだったわけではない。

 最初は、ウルトラマン達は日本の各所を守っていた。

 

 アナスタシアは北海道、時々東北。

 パワードが中国・九州。

 ガイアとアグルが四国。

 グレートが関西・中部・関東周辺だ。

 これらの個々の守護範囲はかなり流動的に変動していたが、大まかにはこうである。

 

 だが、そうして見ると分かる。

 広い。広すぎるのだ。

 結界も無いのにこの範囲は、一人が守り切るには広すぎる。

 ウルトラマンであれば"守る"ことだけはできるのかもしれないが、それは必然的に、ウルトラマン達に無理をさせることを意味する。

 

 日本各地は次第に陥落していき、ウルトラマン達は四国に結集、バーテックス達も戦力の多くを四国に集中するようになり、四国が主戦場となっていった。

 

 今の諏訪はこうだが、昔は違った。

 始まりの出会いは、諏訪がバーテックスとの戦いを始めてから一年が経った頃、歌野と諏訪の皆が手を取り合って少し時間が経ってからのこと。

 初めて、怪獣型バーテックスが諏訪を襲った時のことだった。

 

 襲撃する50m規模の敵。

 敵わぬ歌野。

 迫る星屑。

 ヒビの入る結界。

 もはやこれまでかと思われた、その時。

 

はじめましてと言っておくか(Nice to meet you)

 

 空の彼方より、銀色の巨人がやって来た。

 

 名を、ウルトラマングレート/ボブ・ザ・グレートと名乗った男は、陽気に笑って諏訪を窮地から救ってくれた。

 銀と白の巨人は諏訪の人々に歓迎され、諏訪に一時期腰を据えていた。

 

 ボブの話によれば、壊滅した中部の生存者を探しているのだという。

 そこで、生存が先に確認できた諏訪に先に来たのだそうだ。

 四国から来たボブは、諏訪を活動拠点とし、中部の生存者を探し、滅多にいない諏訪を狙う怪獣型も倒していってくれた。

 中部に生存者は見つからなかったが、英雄的な彼の活躍を、諏訪を守ってくれた恩を、諏訪の者達は忘れない。

 

 力強い戦い方。

 空手の技。

 その巨体から放たれる光線。

 グレートを通して、諏訪の者達は『ウルトラマン』を知ったのだ。

 

 ボブ自身も頼りがいのある男であったことで、諏訪の者達は全面的にグレートとボブを信じていたと言えるだろう。

 短い間だったが、確かな窮地を、ボブのおかげで彼らは乗り越えたのだ。

 

また会おう(See you again)

 

「はい、また会いましょう!

 次に会った時には、別の季節の自慢の野菜を、ボブさんに差し上げます!」

 

「HAHAHA」

 

 グレートは四国に帰って行った。

 そこからはまた、歌野一人での防衛戦。

 四国のように怪獣型や十二星座が来ることもなかったが、星屑相手にも綱渡りの連続であり、バーテックス達はここをその内落とせる弱小の一つとしか見ていなかったらしい。

 バーテックスが、諏訪に本腰を入れることはなかった。

 

 白鳥歌野の勇者の力は、最初期型勇者システムにすら圧倒的に劣る。

 自動で変身する機能もない。

 武器は神の力が宿った武器一つ、服はやや動きづらい神の力が宿った衣服のみ。

 戦いを察知して、勇者の服に一々着替えて、武器を持って戦いに挑む。

 精霊は無い。

 仲間も無い。

 樹海化もなく、戦闘時の神樹のバックアップもない。

 勇者に選ばれたのが歌野でなければ、初陣で星屑に食われて死亡すらありえただろう。

 

 選ばれたのが歌野だったからこそ、諏訪の人々を誰も死なせず、戦い抜くことができたのだ。

 

 だが、それも薄氷の平和である。

 強い力を叩きつけられれば壊れてしまう平和である。

 とうとうある日、諏訪に怪獣型と大戦力がまた襲来してしまう。

 歌野一人では耐えきれない。

 諏訪の人々の半分は迫り来る死を覚悟し、残り半分はグレートが来る奇跡を信じ。

 そして、諏訪に住まう人間の全てが、歌野を信じ、彼女と命運を共にする覚悟を決めていた。

 

「まだ……まだ! 諦めない!」

 

 そんな人々だからこそ、歌野は懸命に守ろうとしていた。

 全力で戦い、死力を尽くし、命を懸ける。

 それでも届かない。

 力の差は絶対だ。

 気合いで覆せない力の差、想いで埋められない出力差というものはある。

 

 歌野の勇者の力では、絶対に大型は倒せない。

 単機で怪獣型を倒せる今の四国勇者が強すぎるだけで、これが勇者のデフォルトだ。

 巨大な怪獣が、諏訪の世界を踏み潰さんと迫る。

 

「ぐっ……!」

 

 力はない。

 民衆に、戦える力はない。

 白鳥歌野に、この敵から皆を守れる力はない。

 だが、無いのは力だけ。

 誰一人として、諦めてはいなかった。

 

 人間が持つ諦めない心の引力が、いつの時代も、ウルトラマンを呼ぶ。

 

『おう、ウルトラマンがほしいか。なら来たぞ、今来たぞ、待望のもんが』

 

 だからこそ、北海道から四国へ向かう途中だったウルトラマンガイアは、ここに来た。

 

『よく踏ん張った! よく頑張った!

 ワシが間に合ったのは、お前らの頑張りのおかげじゃ!』

 

 二人目の来訪、二人目による救い、二人目との出会い。

 諏訪は普段からウルトラマンに守られていたわけでもないのに、これですっかりウルトラマン達を信用していた。

 それでも、ウルトラマンと歌野であれば、歌野の方を信用すると言い切れるというのが、なんとも微笑ましい。

 

 ティガダークの悪行は、バーテックス侵攻最初期段階で一気に全国的に話題になった。

 それからほどなくして日本全土が緊張状態に突入したものの、『ウルトラマン』への悪評は広まりきっていたと言っていいだろう。

 それは諏訪も同様である。

 ウルトラマンへの悪評は、ここにもあった。

 あった、だ。

 過去形である。

 

 諏訪において、ウルトラマンへの悪評はもう無いと言っていい。

 グレートとガイアが、それを払拭してくれていた。

 

 ガイアのその力強い戦いに、人々は武神タケミナカタの姿を重ねた。

 諏訪において、タケミナカタは守護神である。

 タケミナカタは土着神だった洩矢神と戦い、洩矢神の武器である鉄の輪を藤の蔓で打ち、鉄の輪を腐り落として勝利し、洩矢神を従えたという。

 

 歌野の持っている武器もこれだ。

 彼女の装備は藤の蔓、要するに鞭であり、叩いたものを腐食させる力を持っている。

 タケミナカタの加護を受ける彼女は、タケミナカタからこの武器を受け継いでいた。

 諏訪の勇者もまた、タケミナカタの偉業を体現する者。

 なればこそ、ウルトラマンガイアを"タケミナカタの如し"と評価することに意味がある。

 

 タケミナカタとの一種の同一視は、諏訪の人々にとって最大の敬意の現れでもあった。

 

『大丈夫じゃ。誰も見捨てやせんよ、この土地を、この人々を』

 

 そう言って、ガイアはこの地を去っていった。

 アナスタシアが神樹と一体化し、広範囲に助けを求めたからである。

 諏訪にそれなりに長居して傷を癒やしていた大地は、諏訪の人々からもその旅立ちを惜しまれたが、大地の一番大切な人は四国にいるのである。

 日々諏訪を守り、四国に襲来しようとしているバーテックス群を奇襲して減らすにしても、滞在の長期化には限度があった。

 帰還を優先するのは、当然である。

 

 ―――ただし。懸念が一つ。

 

 今の諏訪の人々にとって生命線である水源、諏訪湖。

 その端に、一つの氷塊が浮かんでいた。

 氷塊の大きさは高さ50m規模をゆうに超え、もはや氷山というレベルである。

 夏の太陽が当たっても、何故か一向に溶ける気配がない。

 そしてその中には、黒いトカゲのような巨大なバーテックスが閉じ込められていた。

 

「みーちゃん、あれどう思う? どう見える?」

 

「えっ……氷漬けの怪獣に見えるかな。うたのんは別の物に見えるの?」

 

「私にも氷漬けのゴジラに見えるわね」

 

「う、うたのん!」

 

「氷漬けのゴジラに見えるわ!」

 

「ゴジラじゃないよバーテックスだよ!」

 

「なーんでまたゴジラなのか……」

 

「ゴジラじゃ……もういいよ。

 でも、そうだね。おもちゃのゴジラみたいな形をしてる」

 

「あれが動いて襲ってくるとか、どんだけサプラーイズだって話よね……」

 

 五月に、ガイアは諏訪を離れて四国に駆けつけた。

 が、アナスタシアがガイアを呼んだタイミングで、ガイアが何もしていなかったわけもない。

 その時ちょうど、戦いが始まったばかりだったのだ。

 

 ガイア/大地はガイアブリザードで大型バーテックスを仕留め、星屑を一層し、急いで四国に駆けつけた。

 その時ガイアが凍結した大型バーテックスは、氷塊に包まれ今も諏訪湖の端に浮かんでいる。

 二ヶ月ずっと、溶ける気配すらないままに。

 氷の巨大さもあって、通常手段ではまるで溶かせる気がしなかった。

 

「うたのんは何が心配なの?

 氷漬けになってるんだから、普通に死んでるはずだよ。

 あそこから蘇るなんて漫画じゃないんだからありえないでしょ」

 

「いや、蘇る気がするのよね、あれ」

 

「……勘?」

 

「そう、勘」

 

「……うたのんの勘って外れたことほとんどないよね」

 

「外れることもあるわよ?

 ただ、私が勘の内容を他人に話す時は、当たるだろうなって思ったことだけ言うだけで」

 

「じゃあ当たるんじゃない!

 あ、あれ、また蘇るの? ……あ、今が七月で暑いから……?」

 

「んー、あの氷はそういう普通のことじゃ溶けない気がするな」

 

 歌野が見上げる先で、巨大な氷塊が夏の日差しで煌めいている。

 ガイアの生み出した氷の表面は乾燥し、近くにいてもあまりひんやりとはしていない。

 あんな氷を、どうやれば溶かせるというのか。

 そうでなくとも、あんな氷に包まれれば普通どんな生物だって死ぬ。

 

 歌野は人並み外れた勘の良さを持つが、勘だけで全知になれるわけもない。

 未来を予測するには知識が足りない。

 彼女の勘をもっと活かせる仲間がいないことは、彼女の不運であった。

 

「四国と通信が繋がってたなら、乃木さんあたりに色々聞けたかもしれないのになあ」

 

 歌野は少し悩ましそうにする。

 今はブルトンの影響で繋がっていないが、歌野と若葉は、距離の離れた勇者の同志――きっともう半ば友達――である。

 

 そんな歌野を見ていると、水都は自分があまり歌野の役に立てない劣等感やら、歌野に頼りにされている若葉への嫉妬やらで混ぜこぜな気持ちになる。

 そして、そんな気持ちを口にする度胸もなく。

 湧き上がった感情をぐっと飲み込んで、曖昧に笑うしかなくなるのだ。

 

「とにかくみーちゃん、皆に知らせておいて。あの氷に近付かないように」

 

「うん、分かった。行ってくるね」

 

 歌野の警告を、手空きの水都が皆に伝えにいく。

 農作業を再開しながら、歌野は諏訪湖の氷漬けの怪獣を見た。

 

(……あの氷を私が割れるか、といえば絶対に割れない)

 

 氷塊は大きく、分厚い。

 ウルトラマンか怪獣でもなければ、割れそうにない。

 諏訪はどこも海に面しておらず、周囲に山の多い内陸地である。

 だが小さな山と比べても見劣りしないほどに、その氷塊は大きかった。

 

(でも、もし、あれを割れる存在がいるのなら―――)

 

 歌野は自らの感覚に問う。

 あれを壊せるものは来るとしたらどこからだろう、と。

 歌野の視線は自然と氷山から逸れ、山を見ず、そのずっと向こうの海へと意識が向く。

 何故かその時、歌野は特に理由もなくこう思った。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

 何故かふと、そう思った。

 

 北海道も、沖縄も、四国も、海に面している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歌野が四国に救援を要請したその時には、竜胆達は四国を出立していた。

 それは、奇跡のような幸運だったと言っていい。

 アナスタシアが生きていたら、「若葉おねーちゃんと竜胆おにーちゃん、未来を変えられる二人だよ? そりゃもう、必然だよそれ」と言っていたかもしれない。

 

 諏訪は今、危機的状況にあった。

 出立後にスマホで大社から諏訪の危機を受け取った竜胆達は、一気に加速して諏訪を目指す。

 だが、そんな彼らが間に合うか怪しいレベルで、諏訪は危機的状況にあった。

 

「何あれ……何あれ……!?」

 

 水都が口に手を当て、悲鳴を抑え、結界内から空を見上げる。

 そこに、飛翔する怪物がいた。

 

 赤紫と白の皮膚、皮膚に付いた気持ちの悪い黒いブツブツ、サイケデリックな色合いの翼。

 爬虫類のようで、鳥類のようで、鋭い歯が生え揃ったクチバシがそのどちらでもないことを人間に知らしめる。

 怪物は巨大な体を飛翔させ、結界への体当たりを繰り返す。

 

 怪物の名は『ゾイガー』。

 超古代尖兵怪獣 ゾイガー。

 遠き海より飛んで来たりて、今の諏訪を襲う者だった。

 

「うたのん、無理はしないでっ……!」

 

 水都が、結界の外で一人戦う歌野を思い、祈った。

 

 ゾイガーは突然に諏訪に襲来し、諏訪湖の怪獣の氷塊を砕いた。

 割れた氷から抜け出したバーテックスは、歌野の勘通り再度活動を開始する。

 勘は歌野が正しかった。

 だが感性は水都の方が正しかったと言える。

 "おもちゃのゴジラみたい"と言った水都の感想は正しかった。

 

 それは、人間の子供が落としたおもちゃがバーテックスとなったもの。

 『内部が空洞のものであればなんでも怪獣に出来る』という特殊物質をバーテックスが再現し、子供が落としたゴジラのおもちゃを怪獣型バーテックスに変えたものだった。

 

 四年前、ある子供が、親と一緒にバーテックスに襲われ、ゴジラのおもちゃに祈った。

 助けて、と。

 祈りはどこにも届かない。

 そして親と一緒に食われ、おもちゃだけが地面に転がった。

 四年前には、世界各地でありふれていた悲劇。

 

 そうして、名も無き子供が「助けて」と祈ったおもちゃがバーテックスに改造され、今、諏訪の人間を殺し尽くす怪獣として利用されている。

 怪獣の名は『コダイゴン』。

 魔神怪獣 コダイゴン。

 大怪獣ゴジラのおもちゃを利用した、ゴジラの形をしたバーテックスであった。

 

「っ、まさか、映画やロードショーで見たこともないゴジラさんと戦う日が来ようとは!」

 

 コダイゴンが火を吹き、歌野がそれを回避し、結界が火に炙られる。

 

 歌野はとても器用に立ち回っていた。

 踏み潰されず、ゴジラの尻尾振りが当たらず、飛べば火炎を回避できる位置取り。

 常に位置取りを間違えず、コダイゴンが攻撃しようとしたその瞬間には、もう先読みで動き始めている。

 スペックは低いが、とにかく判断が的確で、判断ミスの無い最適解を極めた動きであった。

 

 しかし、歌野は"個人として強い"だけだった。

 彼女だけが生き残るなら、いくらでも道はあっただろう。

 だが、彼女は諏訪を守らなければならないのだ。

 

 根本的に使用する戦闘システムの性能が足りていなければ、どうにもならない。

 今の歌野は、プレイヤーが最強のゲーマーなのに、ゲームキャラのステータス設定数値が低すぎるようなものだ。

 生き残るだけならまだしも、拠点防衛は絶対的に不可能である。

 

 諏訪の結界が、ゾイガーの攻撃に耐えきれず、砕ける。

 コダイゴンの吐き出した火炎が、結界の基点である御柱と神の社を、焼き尽くした。

 

「! あっ、ああっ……!」

 

 諏訪という、人類安全圏が、消失した。

 

 もうここには人が住めない。

 神樹のように結界基点がイコールで神の命そのものではないため、神は死んでおらず、歌野の勇者の力は失われていないが、それだけだ。

 虐殺が始まる。

 結界が消えた途端、どこからともなく星屑も湧いて来ていた。

 

 "結界を壊す前に歌野に星屑の数を減らさせない"という、バーテックスの的確な戦術に、歌野は歯噛みしかできない。

 星屑が、諏訪の皆の下へと迫る。

 

「皆、逃げて下さい!」

 

 歌野は逃げろと言った。

 だが、諏訪の者達は逃げない。

 自分達が逃げれば、歌野がそれを守ろうとすることを知っていたから。

 バラバラに逃げた自分達を守ろうとすれば、歌野が確実に死ぬことを分かっていたから。

 もう、助からないだろうと、覚悟を決めていたから。

 だから。

 少しでも"白鳥歌野が生き残る確率を上げる選択"を、彼らはした。

 

 それが、今日までずっと白鳥歌野に守られてきた、諏訪の人間としての意地だった。

 

「俺達のことはいい! 存分に戦え!」

「私達を庇わなくていいの!」

「いっそお前だけでも逃げろ白鳥! お前一人なら四国まで逃げられるはずだ!」

 

 皆が一箇所に集まっていれば、歌野の視線や集中が四方八方に散ることもない。

 皆が一箇所に集まっていれば、死ぬ時もきっと一瞬だ。

 足手まとい(じぶんたち)がさっさといなくなれば、歌野は皆の思いを無駄にしないため、一人で生存のために戦うことを選ぶはずだ。

 諏訪の人々は、自分達のヒーローのことを、よく分かっていた。

 

 誰一人として自殺志願者などいない。

 生きることを諦めるような弱者など一人もいない。

 ただ、彼らは醜く生き足掻く強さではなく、生を捨て死を受け入れる強さを見せただけだ。

 

 全てが失われる運命なら。

 けれど、"一人"残せる可能性があるのなら。

 皆が皆、その選択を選ぶ。

 使命がどうとか、責任がどうとか、そんな小難しい理由は無い。

 

 ただ皆、今日まで自分達を守ってくれていた白鳥歌野のことが、好きだったから。

 その選択に、後悔は無かった。

 

「皆っ……!」

 

 そんな皆のことが、白鳥歌野は好きだったから。

 傷だらけの体で鞭を構え、皆を庇うようにして立つ。

 だが歌野の勇者としてのスペックでは、星屑だけを相手にしても守り切ることは不可能。

 そこに怪獣型二体が加われば、もはや抵抗すら敵わない。

 

 守れない。

 救えない。

 終わる。

 ここで終わる。

 全部終わる。

 白鳥歌野が全てを一人でやって皆を守り、次第に皆が力を貸して、今は一丸となって助け合う集団となった諏訪の全てが、ここで終わる。

 

 人が虫を潰すように、あっさりと、全てが潰える。

 

(神様、どうか)

 

 先行する星屑を、鞭で打つ。

 打たれた星屑が腐食し、原型を留めなくなって消えていく。

 コダイゴンやゾイガーには、おそらく傷一つ付けられないが、星屑ならば倒すことができる。

 だが、それだけだ。

 

 器用に立ち回って戦うならともかく、足を止めて皆を守るため鞭を振るうのであれば、星屑の殲滅など望めようはずもない。

 歌野は星屑に対し、圧倒的格上ではない。

 立ち回りと工夫で補って初めて、星屑達を圧倒できる、技巧の戦士である。

 

 力や出力で明確に圧倒的に敵の上を行けたことなどない。

 足を止めれば死ぬ。

 足を止めれば勝てない。

 けれど、動き回れば後ろの人達を守れない。

 

 皆が皆、仲間を思うがために足を引っ張り、自滅の道を一直線に進んでいく。

 四国の民衆とティガダークのそれと異なるようでどこか似る、自滅の道。

 

(人間は、人間の手で守るべき。

 それは分かっています。

 今日まで私達はずっとそうしてきました)

 

 それでも歌野は何も諦めず、神様に祈りながら、今の自分にできることに全力を尽くし、鞭を振るい続ける。

 

(でも、どうか、一度だけでいいんです。

 その一度の奇跡をここに持って来て下さい。

 どうか、あの人達を救える奇跡を。私はどうなってもいいです。だから―――)

 

 諏訪の守護のため弱りきった神様は応えない。応えられない。応えるすべを何も持たない。

 

 だからこそ、その祈りを聞き届けるは神にあらず。

 

 

 

 

 

 諏訪に、流星が降った。

 

 

 

 

 

 千景を置いて、大天狗を宿した若葉が超高速で上空を飛翔する。

 その腕の中には竜胆がいる。

 諏訪の窮地を察知した二人は、二人だけで先行していた。

 

 互いの顔すら見たこともないが、歌野と繰り返し言葉を交わした同志である若葉。

 何かに惹かれるように、諏訪に導かれる竜胆。

 二人は上空で切り返し、一気に急降下。

 天狗の翼で加速しながら落ちてくる二人を、ゾイガーが迎撃する。

 

「!」

 

 竜胆と若葉は、互いを信頼し、互いに任せるべき部分を任せ合った。

 

「若ちゃん頼んだ!」

 

「ああ!」

 

 若葉が竜胆の体を離し、大太刀を握る。

 大天狗の少女がゾイガーへと切りかかり、竜胆は諏訪の大地に向け真っ直ぐに落ちていった。

 

「どいてろ邪魔だ!」

 

 竜胆は落ちながら、空に浮いている星屑、自分に噛みつこうとする星屑を蹴る。

 蹴って、跳び、落ちていく。

 星屑を蹴って軌道を変えつつ加速して、星屑に落下ルートを遮られないよう調整し、星屑の噛みつきをかわしながらジグザグに空を落ちていく。

 

 星屑を蹴りながら、落ち来る人々の希望の流星。

 

 その視線が、ゴジラのコダイゴンを見据えた。

 ゴジラのコダイゴンや、地上付近の星屑もまた、竜胆の存在に気付き、見上げる。

 歌野が、水都が、諏訪の人々もまた、バーテックスにつられて空を見上げる。

 竜胆と歌野の目が合った。

 綺麗な目をした人だ、と、歌野は直感的に思う。

 

 人々が見上げたその先には、希望があった。

 

 その希望を、コダイゴンは潰そうとする。

 口を開き、そこから火炎放射器の如く炎を吐き出す。

 空から落ちて来た竜胆の体が、炎に飲み込まれていく。

 最適な迎撃。

 だがその迎撃は、ほんの一秒ほど遅かった。

 

 

 

「『ティガ』ァァァァァッ!!」

 

 

 

 叫びが闇を放出させ、少年の体を一瞬にして巨人に変える。

 変身のエフェクトが巨人の周囲に竜巻(トルネード)を、突風(ブラスト)を巻き起こす。

 それがコダイゴンの炎を吹き散らし、消し飛ばしていた。

 落下の勢いのままに、黒い巨人は拳をハンマーのようにして、ゴジラのコダイゴンの脳天へと叩き込む。

 

「―――風?」

 

 一拍おいて、しん、と人々の間に沈黙が流れる。

 されど一瞬の後には、人々の間に驚愕と歓喜の感情が流れ始めた。

 グレート、ガイア、二人に続く『三人目』。

 

「ウルトラマン……黒いウルトラマンだ!」

 

 バーテックス達は、もはや諏訪の人々など眼中にない。

 最大の脅威を前にして、一丸となってティガダークへと襲いかかった。

 ティガも身に着けた格闘技で、全方位からの攻撃に動揺もなく反撃を開始する。

 

「……あれ、ティガダークって」

 

 だが、ティガダークはティガダークだ。

 ニュースや本でその悪行を見た覚えがある者も多いだろう。

 他のウルトラマンはともかく、ティガダークは別格である。

 皆が不信感を持つには十分なほどの悪行を、竜胆は過去に行っている。

 

 殺人の罪は一生消えない。

 殺人をしたが最後、死ぬまで一生殺人犯としてしか見られなかった日本人も、歴史の中には何人もいる。

 周りの人間の偏見の目は、一生続くのが当たり前だ。

 

「いや……違う」

 

 なのに、諏訪の人々は。

 

 ティガの戦う姿を見て、諏訪を離れた二人のウルトラマンのことを、自分達を守ってくれた二人のウルトラマンのことを、思い出していた。

 

 別れが悲しかった、とても頼りになった二人のウルトラマンへの恩を、思い出していた。

 

「―――ウルトラマンが、帰ってきた」

 

 戦うティガの背中に、ボブ/グレートの背中を、大地/ガイアの背中を、皆が重ねていた。

 いつも、そうだった。

 ウルトラマンは人々を守り戦うがために、いつだって力無き人々に、その背中を見せ続けるものなのだ。

 ティガダークの背中は、諏訪の人々の目にはちゃんと、ウルトラマンの背中に見えていた。

 

「ウルトラマンが、帰って来た!」

 

 皆がティガを信じた理由、グレートやガイアとティガを重ねた理由はもう一つある。

 単純明快。

 『諏訪の人達が信じたウルトラマンの動き』を、ティガが身に着けていたからだ。

 竜胆が戦いの中で何か一つ技を見せるたび、そこにボブや大地の動きが垣間見える。

 人々はそれを心で感じ取り、ティガを信じる。

 かつてボブと大地がここで勝ち取った信頼が、竜胆を助けてくれている。

 

 ボブが竜胆に残してくれたものが、ティガダークへの悪評に打ち勝ったと言っても、過言ではないだろう。

 

「ウルトラマン……」

 

「うたのん大丈夫!?」

 

「大丈夫よみーちゃん。それより、他の皆も大丈夫?」

 

「うん、多分、大丈夫なはずだよ」

 

 疾風怒濤のティガの連撃がコダイゴンを打ち据えるのを、歌野の目がしっかりと見ていた。

 

 ティガトルネードの強烈なローキック。

 極真空手の流れを汲む、足を奪う強烈な一撃だ。

 

 足へのダメージで上体が揺れたところで、右手の掌底がコダイゴンの顎をかち上げる。

 間髪入れず、"押して飛ばすような"左手の掌底がコダイゴンを浮かし、後方に飛ばした。

 

 すかさずタイプチェンジ。

 飛び上がるティガブラストが、コダイゴンの頭上を飛び越えるようにして、すれ違いざまにその頭部に手刀を叩き込む。

 ナターシャのネクサスのような紫色が空に映え、その動きはたとえようもなく美しい。

 

 怯んだコダイゴンを後回しにして、ティガブラストの牽制光弾(ハンドスラッシュ)が、諏訪の人々を襲いかねない位置に居た星屑を、精密に撃ち砕く。

 "精密な狙撃"と言っても何ら過言でない射撃であった。

 

 そして狙撃を終えたティガは、背後から迫るゴジラの動きを肌で感じ、振り向きもしないままバックステップし、背中でコダイゴンにぶつかっていく。

 そして怯んだコダイゴンの首を腕でがっつり掴み、そのまま首を使っての一本背負いで、コダイゴンを地面に投げつけた。

 

 万トン単位のバーテックスが地面に投げつけられたことで、地面が揺れる。

 

(なんて多様で綺麗な連携。ボブ的に言えば、めっさグレート……)

 

 まるで、一つの体を複数人で使っているかのような、先の読めない多様な攻撃。

 それでいて、複数人の連携攻撃ではありえない、継ぎ目の無い流れるような連続攻撃。

 ティガの動きは、天才肌の歌野をして驚嘆せざるを得ないもの。

 

(強い……!)

 

 歌野は過去にグレート、ガイアの戦いを見たことがある。

 彼女はその上で言い切れる。

 そのどちらよりも、この黒い巨人は強い、と。

 竜胆にそう言えば、歌野が知らないガイアの最強の状態を知っているがために、きっぱりと違うと言うのだろうが。

 

 コダイゴンが、火を吹いた。

 その射線の先には、歌野や諏訪の人々がいた。

 ティガは迷わず、屈むようにして自分の体を盾にし、人々を守る。

 

「……いやはや」

 

 そしてすぐさまタイプチェンジ。

 ティガトルネードとなり、火炎耐性を上昇させる。

 コダイゴンが息切れして火を吹くのをやめ、ティガトルネードが平然と立ち上がる。

 ティガが庇った人々もまた、無傷であった。

 

 歌野は今の一行動に、ティガ/竜胆の本質を見た。

 一瞬も迷わず庇いに来たティガの姿は、彼女の信頼を勝ち取るのには十分すぎる。

 

「百の言葉より一の行動。グッドと言わざるをえないわね」

 

「うたのん、この巨人、味方なのかな……?」

 

「ええ、味方よ。間違いなく! 全力でビリーブしてオーケー!」

 

 諏訪の勇者がそう言えば、諏訪の者達も自然とティガを信じられる。

 ティガを見る皆の視線から、小さな疑いも消え失せていった。

 

 激しい空中戦を繰り広げた若葉とゾイガーは、ほぼ同時に着地した。

 ゾイガーはコダイゴンの横に。

 若葉は歌野の横に。

 それぞれが守るべき仲間の横に、着地した。

 

「あなたが……もしや、白鳥さんか?」

 

「え? どうして私の名前を? あなたも勇者?」

 

「乃木だ。こうして顔を合わせるのは初めてだな」

 

「え……えええええ!?」

 

 四国と諏訪。

 平和な世界であればいつでも会えた遠い距離。

 今の時代では永遠に会うことすらできなかったであろう遠い距離。

 那由多に等しい"絶望"という名の距離を越え、二人は出会った。

 

 以前はずっと、互いに勇者として頑張ろうと励まし合い、互いに支えになっていた関係。

 歌野は四国の勇者の存在を心の支えとし、若葉は地獄の日々を送っていた歌野から勇者の心構えをいくつも聞き、そうして互いに強さを与え合っていた関係。

 その関係が、今変わる。

 今日からは、戦場を同じくする戦友だ。

 

「四国の代表として、諏訪の人々を助けに来た。……間に合ってよかった、白鳥さん」

 

「乃木さん……」

 

 感極まった歌野だが、その気分をゾイガーの叫びが台無しにする。

 気分が悪くなりそうなほどに、気持ちの悪い鳴き声であった。

 

 叫ぶゾイガーが、空からティガトルネードへ飛びかかる。

 だが竜胆はその動きを的確に見切り飛びつきながら、ゾイガーの腕関節を極める。

 ()()()()

 最後の戦いでガイアが見せたそれを、竜胆は早くも自己流にアレンジして取り込んでいた。

 

 関節技の痛みにゾイガーが落ち、ティガは器用に二人分の体重をかけ、落下の衝撃と二人分の体重でゴキリとゾイガーの腕を折った。

 痛みに悶え苦しむゾイガー。

 すかさずティガトルネードはゾイガーの足を極める。

 関節技というものは、相手の関節をよく理解し、術理をちゃんと把握していれば、立ったままでもかけられる。足だけでもかけられる。

 

 ティガは立ったまま、転がされたゾイガーの足関節を極め、その動きを封じたのだ。

 そしてティガダークにタイプチェンジ。

 腕に光を溜め、足でゾイガーを極め押さえたまま、コダイゴンを光線のターゲットとして狙いを定めた。

 一連の器用な流れに、歌野が唸る。

 

「うわっ、なんて器用な」

 

 走るコダイゴン。

 構えるティガ。

 接近する怪獣を、巨人が光線で迎え撃つ。

 

『スペシウム光線ッ!!』

 

 あらゆるウルトラマンの光線の基礎にある必殺光線が、黒き光となって解き放たれた。

 コダイゴンがゴジラの小さめな腕で、光線を受け止めながら進む。

 腕は消し飛んだがコダイゴンは死なず、止まらず、前進を続けた。

 距離が縮まる。

 

『もう一発っ!』

 

 一発で止まらないなら、もう一発。

 二発目のスペシウム光線がコダイゴンの胸を穿つが、止まらない。

 ゴジラのコダイゴンは止まらない。

 胸を深く抉られながらも、前進を続ける。スペシウム二発では止まらない。

 距離が縮まる。

 ティガにその牙が届くまで、もう少し。

 

『―――もう一発だッ!!』

 

 だがそこに、掟破りのスペシウム光線三連射。

 流石に三発目は耐えられなかったのか、コダイゴンの前進が止まり、その体をスペシウムが貫通していく。

 コダイゴンの体が大爆発し、爆発の衝撃で少し体が揺らいだティガの隙を突き、関節極めからゾイガーが脱出した。

 

「ご、ゴリ押しの三連射……!」

 

「やだ、クールねあのウルトラマン……」

 

 水都は恐ろしいほどの直球勝負ゴリ押しに呆気に取られ、歌野はそこに感じられる男らしさに惚れ惚れとしていた。

 気付けば、若葉もいつの間にか歌野の横から、ティガの横にまで移動している。

 片腕を潰されたゾイガーの周りを、ティガブラストと大天狗若葉が動き回っていた。

 

 片腕が折られているということは、体の片側は常に死角になっているということだ。

 竜胆と若葉は対角線を意識して、常に二方向からゾイガーを攻める。

 片腕しか動かせないゾイガーは片方にしか対応できない。

 片方の攻撃は常に直撃を食らってしまう。

 二人の完璧なコンビネーションに、ゾイガーはたまらず空に飛び上がろうとした。

 

 その翼を、()()()()()()が固める。

 

「や、やっと……追いついたわ……」

 

 スピード上昇タイプの精霊を持たない千景が、遅れ馳せながらもこのタイミングで参戦。

 遅刻しながらも、最高のタイミングで間に合ってくれた。

 少しだけ飛び上がったタイミングで翼を固められたゾイガーは、姿勢を崩して慌てふためきながら落下。

 

 ゾイガーが地に落ちるその前に、ティガブラストのスラップショットと、若葉の全力炎斬撃が、ゾイガーの両翼を切り落としていた。

 

 絶叫し、不安定な姿勢で地面に落ちるゾイガー。

 自分の体重がそのまま落下ダメージとなり、ふらふらと立ち上がる。

 立ち上がるゾイガーが見たのは、腰だめに手を構えるティガブラストの姿。

 

「―――ランバルト光弾ッ!!」

 

 若葉の抜刀術の如き動きが、杏の武具のそれを思わせる光の矢を放つ。

 

 それがゾイガーの額に命中し、貫き、その全身を爆散させる。

 

 星屑、コダイゴン、ゾイガーの殲滅を完了した巨人と勇者に、人々は歓声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 諏訪は結界が消え、もう安全圏でもなんでもない。

 かといってすぐに何かできる状態でもない。

 生存者確認などの作業を諏訪の人々がしている間、竜胆達は歌野の家に招かれていた。

 頬に絆創膏を貼った歌野がとっておきのお茶菓子を探して並べ、水都が在庫も心もとないお茶を淹れて竜胆達の前に出す。

 

「白鳥歌野です。私達を助けていただいて、本当にありがとうございました」

 

「藤森水都です。今日ばかりは、本当に駄目だと思って……皆さんのおかげです」

 

「乃木若葉だ。こうして会うのは今日が初めてになるな」

 

「郡千景」

 

「こら、ちーちゃんそんな無愛想な……

 あ、御守竜胆です。手錠は気にしないでください。皆さんの助けになったなら幸いです」

 

 互いに頭を下げて、情報のすり合わせが始まった。

 

「諏訪は今どういう状況なんですか?」

 

「諏訪は今―――」

 

 諏訪の状況、四国の状況、お互いどういう状態かを教え合い、これからどうするかを話し合っていく。

 ここからどうするかを考えるには、絶対に必要なことだ。

 話している内に打ち解け合い、自然に敬語などもなくなっていく。

 竜胆、若葉、歌野の三人は特に会話のリズムが合うようで、会話も弾んでいった。

 千景はスマホを弄り始めた。

 ネガティブで嫉妬癖がある水都は、歌野に仲の良い人が増えるのがちょっと複雑そうだ。

 水都を見ていた千景が共感を表情に浮かべていた。

 竜胆は的確な情報交換を優先しているため、普段ならするような千景への話題振りを今日はあまりしてくれない。

 千景は少し拗ねた。

 

「あ、そういえば。ボブと大地さんはそっちで元気にやってるかしら?」

 

「―――」

 

 だが、情報交換をするということは、悲しみを伴うことを伝えなければならないということでもある。

 竜胆は歌野達に、グレートとガイアの死を伝えた。

 歌野は一瞬顔に途方もない悲しみを浮かべ、その感情をぐっと噛み殺す。

 水都はもっと露骨に傷つき、悲しみ、絶望した表情を浮かべた。

 二人の繊細さと打たれ強さは対照的で、ゆえに水都はその知らせに耐えきれない。

 

「……嘘」

 

 耐えきれなかった水都の瞳から、涙が溢れそうになっていた。

 

「ご、ごめんなさい……すみません、ちょっと、失礼します」

 

 水都が"自分のせいで話を中断させてはいけない"と思い、"ここで泣いてはいけない"と考えて、部屋を退出する。

 繊細な水都の『当たり前の反応』は、仲間を何人も失った後の四国勢に、様々な感情を湧き起こさせた。

 

 泣くべきはあの子よりも仲間だった私であるべきだったのに、と千景は仲間のために涙を多く流さなかった自分を恥じる。

 若葉は、仲間が死ぬ度にそれを乗り越えることに慣れていく自分に、けれど仲間の死の痛みに慣れない自分を、心中で自嘲した。

 そして竜胆は、水都の反応に仲間の死の痛みを思い出しながら、水都を気遣った。

 

「歌野、行ってやれ」

 

「え」

 

「泣いてる友達がいるんだ、お前の友達だろ? 行ってやれ」

 

「……気遣いの人みたいね、竜胆さん。

 でもいいの。みーちゃんは今、一人で居たい気分だろうから」

 

「む……余計なお世話だったか」

 

「余計だなんてとんでもない。

 気遣いの人はいい人だと、私は思うわ。

 みーちゃんのことを気遣ってくれてありがとう」

 

 藤森水都に対する理解なら、きっと白鳥歌野が一番だろう。

 彼女が言うなら、きっとそれで間違いはない。

 それにだ。今彼らが話すべきことは、水都についてではない。

 

「そろそろ一番聞きたいこと聞いていいか?

 ……諏訪の神様が、ティガの仲間に渡したいものって一体何だ?」

 

 謎に包まれた"それ"のことを話さない、なんて選択肢はありえない。

 

「諏訪大社には実は、秘伝の口伝の伝承があったそうなの。

 なんでもそれは、『三千万年前』から続く伝承。

 諏訪の土地神様が、()()()()()()()()()()()()()()()話らしいわ」

 

「!? さ、三千万年続いた口伝!?」

 

「信じられないでしょう? でも本当らしいの。凄い話よね」

 

 口伝には、人から人へと伝わる際に、伝言ゲームの如く内容が変化してしまう可能性がある、という致命的な欠点がある。

 だが、もしも正確に、内容が変化しないように気を付け、綿密に伝えられたなら?

 

 磁気ディスクが情報を残しておけるのはせいぜい10年。

 いい紙なら1000年。

 竹簡が2000年。

 粘土板が1万年

 石版なら3万年だ。

 だが、三千万年情報を記録しておくとなると、SF的な魔法の如き機械でも使わなければ、到底無理である。

 

 だが、それをアナログかつ、原始的な技術レベルでも保全しておく方法はある。

 それが口伝だ。

 三千万年間だろうと、人類が絶えない限り、子孫が作られ続ける限り、口伝は永遠の人の間に途切れることなく残り続ける。

 

 "人間と人間の繋がり"という、三千万年経とうがこの世界から無くなることはない情報媒体を使った、三千万年ものの記録情報だった。

 

「口伝が正しいことは、みーちゃんが神託で神様から教えてもらってるわ。

 みーちゃん曰く。

 ティガのことを話してる時の神様は、友達のことを話してるみたいだったんだって」

 

「友達……? ティガと神様が……?」

 

「みーちゃんの所感だけどね」

 

「……三千万年前か。スケールデカいな……」

 

「でも神様だったら、人間と違って、三千万年前の友情も鮮明に覚えてそうだと思わない?」

 

 竜胆は頷いた。

 神様ならそういうこともあり得ると、そう思える。

 人間は数百年あれば色んなことを忘れてしまうが、神様ともなれば三千万年前の約束だって忘れることはない、のかもしれない。

 

「口伝の内容は?」

 

「武器について。諏訪の神様は、ティガの当代の仲間にそれを託したいみたい」

 

「武器……」

 

「口伝によれば『天地揺らがす光と闇ぶつかりし時、この武の封印は解かれる』……だそうよ」

 

「天地揺らがす光と闇……? あ」

 

 ガイアとゼットだ。

 おそらくその武器とやらの封印は、『最終決戦でのみ使える』という想定であり、最強の光と最強の闇がぶつかったことを封印解除のトリガーに設定していたのだろう。

 だが、少し想定違いなことをトリガーに封印が解けてしまった。

 竜胆達からすれば、嬉しい想定外というやつである。

 

「場所は?」

 

「口伝を参考にみーちゃんが候補を絞り込んでくれたわ。

 多分、この近辺にいくつかある祠のどれか。

 諏訪の皆が落ち着いたら、早速確保しに行きましょう」

 

「オッケー、分かった。……しかし、ティガの仲間に託された神話の武器、か」

 

 日本神話の武器なのかな、と竜胆は思うが、知識があるわけでもない竜胆ではどんな武器かも想像がつかない。

 それが今の人類の窮状をどうにかしてくれる武器であると、ありがたいのだが。

 

「……あ。ああ、そうそう!

 みーちゃんが貰った神託はこれだけじゃなかったわ。

 私、土地神様にグレートから聞いていた話をあなたにするように言われてたんだった」

 

「グレート……ん? もしかして、ボブじゃなくてグレート?」

 

「そう、ボブじゃなくてグレートから聞いた話ね。

 多分あれだと思うの、"初代ウルトラマンがゼットンにリベンジした"話」

 

「!」

 

「光線吸収とバリアがあるゼットンが、ウルトラマンの新しい光線に一発でやられて……」

 

「―――!? そ、その話、詳しく頼む!」

 

「はいはい、お任せあれ。そのゼットンを倒した光線の名前は―――」

 

 昔、昔のことだ。

 ほとんど観測もされない、ある平行世界でのこと。

 初代ウルトラマンがゼットンに倒され、死に至った一ヶ月後のことである。

 これ以上強くなれないことに苦しみ、スランプに陥った初代ウルトラマン。

 だがそこに、日本全土を襲うような、怪獣の大軍勢が侵攻する。

 

 ウルトラマンは平然とエネルギーの大量消耗や身体能力低下といった欠点も無しに、日本を守りきれる数に分身するというとんでもないことをし、分身を使って日本各地で戦いを始めた。

 そうやって、日本各地を一人で守り切るウルトラマン。

 だが、再来するゼットン。

 ウルトラマンはまたしてもゼットンには敵わない。

 そこで人間の仲間がウルトラマンに撃ち込んだ回復のカプセルが、ウルトラマンを回復させ、ウルトラマンは金色の光に包まれる。

 

 そして初代ウルトラマンは、仲間の力もその身に受けて、『虹色』の"これまでにない光線"を撃ち放ち、ゼットンを粉砕したという。

 その虹色の光線の、名は。

 

「―――『マリンスペシウム光線』、って言うらしいわ」

 

 初代ウルトラマンが習得したという、()()()()()()

 "人間の仲間がいなければ撃てない虹色の光線"。

 一つの想いで撃つものでないからこその、七色。

 

 奇跡のような話であった。

 グレートの死後でないと、ティガトルネードは身に付かず、パワードの死後でないと、ティガブラストは身に付かない。

 そして、トルネードとブラストを身に付けた後でないと、スペシウム光線は使えない。

 マリンスペシウム光線のことを知っているのは光の国出身のグレートとパワードだけであり、二人が生きている間、ティガがスペシウム光線を使えるようになることはない。

 なのに、二人の死後に今は亡きアグルがティガへとスペシウム光線を伝え、グレートからマリンスペシウム光線の話を聞いていた歌野が、竜胆にそれを教える。

 天才の竜胆なら、その話だけで再現できる可能性は十分にあるだろう。

 

 何か一つボタンがかけ違えば、竜胆には絶対に伝わることのなかった必殺技。

 奇跡のような繋がりの連続が、竜胆に新たな技の可能性を伝授する。

 それは、希望と言って差し支えないものだ。

 

 竜胆達が救援に来た諏訪には、打開策を生み出す希望が、いくつもあった。

 

 

 




 戦闘の才能(戦闘力ではない)だと、超古代戦士の遺伝子持ちで地球人類の理論上限界値にいる竜胆と、神世紀トップの園子、西暦トップの歌野、で三トップくらいのイメージで書いてます
 将棋初めてやらせたのに「相手の攻めてくるところと相手の弱いところがうっすら見える」とか言って強烈な一手を打ってくるうたのん怖すぎる



 ゴジラのソフビ人形から作られたコダイゴン!

【原典とか混じえた解説】

●超古代尖兵怪獣 ゾイガー
 クトゥルフ神話における旧支配者、『邪悪なる神』ロイガー。
 三千万年前の地球において、『地を焼き払う悪しき翼』と呼ばれた者。
 『海の底の邪神の眷属』。
 一体一体がウルトラマン級の力を持ち、55mというティガより大きな体を持ちながら、シビトゾイガー同様に圧倒的な数による人間社会への侵略を行う。
 原作ウルトラマンティガにおいて、世界各国の都市を焼き払い、ウルトラマンより速い飛行速度を実現した最新鋭機を多数配備した防衛隊を壊滅させ、地球規模の絶望的大被害を生み出した。
 原作のティガもまた、飛行特化の形態でないと空中戦で勝てず、格闘特化の形態でないと地上戦で勝てないというゾイガーのスペックに苦戦させられている。
 シビトゾイガーの同族。
 海の底より来たる脅威。

●魔神怪獣 コダイゴン・ゴッドジラース
 原作における、『月に咆えた魔神』。
 グロテス星人が生成する特殊物質・グロテスセルは、内部が空洞のものであれば何でも怪獣にしてしまう。
 そうして作られた怪獣が、『コダイゴン』である。
 素体が玩具や人形でも、ウルトラマンを苦戦させるレベルの怪獣に仕立て上げることが可能。
 よって、正攻法で倒そうとするとかなり苦労する。
 帰ってきたウルトラマン本編では、諏訪で祀られていた御神体をグロテス星人がコダイゴンに変え、諏訪湖を舞台に大暴れさせていた。

 帰マン本編の『コダイゴン』が一体分のグロテスセル。
 メビウス本編で登場した『コダイゴンジアザー』が約三体分のグロテスセル。
 前作・時拳時花の『コダイゴン・アナザーワン』が二体分のグロテスセル。
 『コダイゴン・ゴッドジラース』のグロテスセルは一体分のはずなのだが、妙な化学反応でも起こしたのか、グロテスセル一体分以上のパワーを発している。

※余談
 ウルトラマンを知らない人は、『ジラース』というウルトラ怪獣の名前を検索してみるとよく分かる。
 アレに似てますね、ゴジラースさん。
 ……実は似た事例は他にもある、あの時代から許された荒業であった。
 ゴジラのスーツを持ってきて、襟巻きを付けて、少し色を塗って、「これがエリ巻恐竜・ジラースです!」と言い張る勇気! 現在では絶対にイエスが出ない荒業である。
 ちなみにジラースの鳴き声はゴジラの鳴き声を早回しにしたもの。
 スーツアクターも当時のゴジラの中の人を連れて来て、演技レベルでゴジラにしていたという。

 まず最初に作られたゴジラのスーツがあり、それがウルトラシリーズで古代怪獣ゴメスに改造され、ゴメスのスーツはまたゴジラに改造され、そのゴジラのスーツがジラースのスーツに改造され、またゴジラに改造し直されてゴジラの映画に出演した、と言われている。目まぐるしい。
 改造でなくなったり、経年劣化でなくなったりしたことで、現在使用に耐え得るジラースの現存スーツは一種類のみ、2014年のウルトラマンギンガ・仮面ライダー鎧武・トッキュウジャーの『三大特撮ヒーローフェスティバル』に合わせて新造したと推測された、一種類のみだと思われる。
 ちなみに、その翌年のウルトラマンフェスティバル。
 ジラースはゴジラのテーマを流しながら、初代ウルトラマンと一騎打ちをしていました。
 味を占めたな円谷!

 あ、その時のステージではグリッドマンなどが平然とサイバーウルトラマン・ウルトラマンXと共闘しておりました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

 竜胆は諏訪から、四国へと連絡を送る。

 歌野が四国へ連絡を送ってくれたおかげで、ブルトンの影響が通信可能なレベルにまで薄まったことは確認済みだ。

 若葉と歌野が使っていた通信機を使って、四国に事細かに状況を伝えていく。

 

「―――というわけで、諏訪の人達の準備完了次第、すぐ四国に出発する。

 諏訪はもう結界無いから、大至急四国に避難させないとヤバい。

 予定通りの帰還にはならないと思う。大社はどうだ、ひーちゃん」

 

『受け入れに関する問題点を散々言われちゃいました。

 でも、受け入れに関しては大丈夫みたいですよ。五百人と少しなんですよね?』

 

「ああ、そのくらいだ。とにかく土地が狭かったからな」

 

『気を付けて帰って来て下さい。バーテックスが出たというならなおさらに』

 

「おう」

 

『御守さん達が無事に帰って来ること以上のことは、望みませんから』

 

 ひなたは竜胆達の身を案じている様子。

 ちゃんと無事に帰らないとな、と竜胆は自分に言い聞かせる。

 

『リュウくん、お腹空いてない? 大丈夫?』

 

「インスタントのうどん食ったけどこれ美味いな」

 

『インスタントで満足してちゃ駄目だよー。

 今はリュウくんも香川県民だから、本場の味を求めないと!』

 

「雑な味も良いもんだぞ」

 

『リュウくんの奥さんになる人は料理に気合いの入れ甲斐がなさそう……

 いやそうでもないか。美味しい美味しいってリアクションはするからなぁ……』

 

「変な仮定で変な想像をするんじゃない」

 

『あはは』

 

 通信機越しに、友奈の笑い声や牛鬼の鳴き声が聞こえた。

 

『御守、聞こえるか』

 

「あれ……その語調、もしかして正樹さ……三好さんですか?」

 

『ああ。帰還ルートはどういう道を考えている?』

 

「基本的には来たルートを逆回しにするつもりです。

 ただ、星屑は街や街路の多くを破壊していたようです。

 勇者の脚力じゃないと越えられない道がいくつかあったので、そこは避けます。

 500kmと少しってとこですね。迂回込みで600kmを超えることはないと思ってます。

 移動手段は途中で確保することも考えて、食料と応相談です。

 万が一の時は若ちゃんが先に帰って、四国から食料を持って行くということも考えて……」

 

『……ふむ。その考え自体は悪くない、悪くないが……』

 

 元正樹、現三好が通信機の向こうで悩むのが伝わってくる。

 どうしたんだろう、と竜胆は首を傾げた。

 

『すみません、三好さん、ちょっといいですか?

 りっくん先輩、杏です。少し聞いてもいいかな?』

 

「どした、杏」

 

 通信機の向こうに、入れ替わりに杏が来たのが分かった。

 

『多分だけど、りっくん先輩は車をどこかで確保できたら、って思ってると思うんだ』

 

「まあ……そうだな。なんでもいいんだけど」

 

『ガソリンは腐るよ?』

 

「……え?」

 

『ガソリンは密閉されたタンクの中でも、半年で腐っちゃうんだよ。

 動く車なんかあるはずないでしょ?

 長期保存用の缶詰ガソリンでも三年が限界。

 バーテックス襲来から四年が経った今、普通に考えたら……』

 

「……どこを探しても車を動かせるガソリンなんかない、か。まいったな」

 

『五百人分の自転車とか、そういうのだってそれこそ現実的じゃないよね。

 それだと皆で歩いて四国まで移動しないといけないと思うんだけど……』

 

「キツいな、遠い。どのくらいかかるか……」

 

『徒歩旅行の本だと、"一日30km"が合言葉だったかな。

 軍隊の本だと、"装備を持った大部隊は一日24kmの移動を標準とする"って書いてた。

 食料や生活に必要なものも、皆が持っていかないといけないだろうから……

 二週間以上は絶対にかかると思う。それも、最高に理想的な形で、と頭に付いての話で』

 

「……そうだな。

 毎日何時間も歩かせてたら、子供や老人が足を痛める可能性もある。

 食料だって、それだけの日数を保たせる量が諏訪にあるかどうか。

 運ぶ食料と水の量が増えたら、それだけ荷物の重量と負担が増えるし……

 何よりバーテックスだ。襲来されると、そこから状況がどう転がるか分からん」

 

『諏訪の人達は弱ってそうなのかな?

 徒歩旅行の本は、一日八時間の徒歩っていう前提だったよ。

 軍隊の本も、移動で体力を使い果たさない前提だったはず。

 移動だけを考えられる諏訪の人達は、もう少し無理をさせることもできると思う』

 

「皆農作業とかやってるから体力はありそうだ。

 でも焼け石に水じゃねえかな……日数かかるのは変わらなそうだし」

 

 竜胆に足りない部分、特に知力は、仲間(あんず)が補っている。

 

「杏、何か良い案はないか?」

 

『うーん……』

 

「頼む、今頼れそうなのは杏だけなんだ」

 

『……私だけ。うん……そっか、私だけなんだ……』

 

 通信機の向こうで、杏が考え込んでいるのが伝わってくる。

 

『そうだ、りっくん先輩の旋刃盤、炎を出さないようにすれば、人を乗せられないかな?』

 

「え? そりゃ乗せられるが」

 

『確か全身を守るくらいの大きさにまでできてたよね、旋刃盤。

 ということは直径50m以上の円だったはず。

 すると最低でも25m×25m×3.14=1962.5平方m。

 1m×1mの範囲に一人立たせるとしても、500人と少しなら余裕で乗せられるよね?』

 

「……ああ、なるほど!」

 

『飛行する時に旋刃盤に乗っている人を、振動や衝撃波から守らないといけないけど……』

 

「それなら大丈夫だ。俺ができる」

 

『うん、よかった。大丈夫そうだね』

 

「サンキュー杏。杏は頼りになるな」

 

『ふふっ』

 

「帰ったらまた何か礼するよ。お菓子とかうどんで」

 

『期待しないで待ってるね』

 

 数百人程度なら、ティガで運搬できる。

 ウルトラマンを運搬力のみに使うという、四国全体で見てもコロンブス的発想。

 皆が戦闘に使うことを考え、三分しか使えないというネックにばかり注目する中、"三分で目的を達成する"という思考から生まれた、ウルトラマンの力の新しい使い方だ。

 この発想は、球子が生きていた頃から、竜胆と杏の会話の中でその片鱗を見せていた。

 

■■■■■■■■■■

 

「でも、危険な結界外での活動か……荷物とかあんまり持って行けなさそうだな」

 

「御守さんがいるじゃないですか」

 

「?」

 

「巨人なら、テント一式に数カ月分の食料だって運べます。

 三分が過ぎたら、その後の潜伏や戦闘は勇者が担当すれば良いんです。

 24時間に1回の変身でも、その3分が24時間の価値を一気に高められるんです」

 

「!」

 

「結界内で敵を迎え撃つ戦いが一区切りついても、私達の戦いはまだ先がありますからね」

 

■■■■■■■■■■

 

 "三分間の超効率輸送"。

 以前杏と話していたことを、竜胆が実行に移せばいい。

 とはいえ、それも明日になるだろうが。

 

「ひーちゃん、留守を頼む。

 友奈、杏、四国を守ってくれよ。

 三好さん、大社としてのサポートをお願いします」

 

 各々が思い思いに最後の言葉を口にして、通信は切れた。

 

「ふぅ」

 

 巨人への変身は一日一回。

 それ以上は体がどうなってしまうか分からない。

 今日の分の変身はもう使ってしまっている。

 移動するにしても、明日だ。

 

(……一番嫌なのは移動中に襲撃されることだな。若ちゃん達と話詰めとくか)

 

 思えば、今日までの戦いは全てが拠点防衛。

 移動する一般人達を護衛しながら、敵の勢力圏を抜けるという戦いは、竜胆にとっても四国の勇者にとっても初めてだ。

 四国以外は全て敵の勢力圏。

 諏訪ですら安全圏ですらなくなった以上、最大限に頭を使っていかなければ負ける。

 

 そんな竜胆を、部屋の外から若葉と歌野が見つめていた。

 

「竜胆の話は終わったようだな」

 

「はー、仲間が多いというのはグッドなものね。

 こんなに離れてても、連携と助け合いができるものだとは」

 

「ああ、竜胆はな。彼は頼るし、頼られる、そういう男だ」

 

 くすり、と歌野が笑む。

 

「こうして顔を突き合わせていると、なんだか変な感じ。

 本当は会えると期待してなかったから。

 会えないまま死別してしまうかも、なんて思ってたわ」

 

「会えて嬉しい。諏訪の勇者、白鳥歌野」

 

「ええ、私も嬉しいわ。四国の勇者、乃木若葉さん」

 

 通信機を通し、歌野はかしこまった話し方を心がけていて、若葉は自然で自分らしい話し方を選んでいた。

 実際に会うことで、二人は"イメージの中の彼女"と、目の前の人の実像をすり合わせる。

 

「実は、白鳥さんには姿勢正しく礼節を重んじる人間というイメージを持っていた。

 ……少しばかり私のイメージとは違ったが……大まかにはイメージ通りだったな」

 

 通信機越しの歌野は丁寧な話し方だったが、実際はかなりロックな話し方だった。

 無意味に英字混じりの話し方をする歌野のキャラ付けに少し戸惑いはあったが、歌野は自分の性格を偽っていたわけでもなかったので、大まかなイメージは崩れない。

 

「私は乃木さんは武士のような人だと思ってたわね。

 うん、イメージ通り……ううん、イメージ以上にクールだったわ」

 

 そして歌野の中の若葉評に至っては、ほんの僅かな変化すらない。

 実際に会ってみた若葉の姿は、歌野の中のイメージそのままの少女であった。

 

「歌野と呼んでいいだろうか?」

 

「ええ、私も若葉と呼ぶわ。いいでしょう?」

 

「ああ、もちろん。今日からは共に戦う仲間だからな」

 

 こつん、と若葉と歌野の拳がぶつかる。

 

 竜胆は二人を横目に見ながら、スマホを操作して千景に電話をかけた。

 バーテックスが破壊したものの中で特に重いものの一つが、"通信網"だ。

 中継局も全滅。

 電話線も全滅。

 有線無線問わず多くの通信網は断絶し、人類の最たる発明の一つ『電気と電波の通信網』は完全に全滅してしまったと言える。

 

 これを解決したのが神樹の力と、大社の弛まぬ技術開発だ。

 神の力を織り交ぜた通信技術により、中継局も全滅したこの世界においても、勇者達は相互に連絡・四国と連絡を取り合うことができる。

 竜胆にも"そういうスマホ"が渡されていた。

 手錠があるせいでスマホを耳まで持っていくと時々鎖が顔に当たるのだが、それはもうしょうがないとしか言えない。

 

「どうちーちゃん、見つかった? 武器」

 

『古いものはいくつか見つかったけど、武器はまだ見つかってないわ』

 

「そっか」

 

 今千景は、水都と共に先行して近隣の土地の祠を捜索していた。

 竜胆・若葉・歌野が合流し、本格的に探す前に、二人で先に探してくれていたようだ。

 されど先行した二人はまだ、めぼしいものを見つけられていない様子。

 

「周りに気を付けて。

 まだバーテックスが出て来る可能性もある。

 ちーちゃんの身の安全が第一だけど、万一の時はちーちゃんが周りの人を守ってな」

 

『信頼の言葉として受け取っておくわ……きゃっ!?』

 

「!? どうした!? 大丈夫か!? ちーちゃん、ちーちゃん!」

 

『……コケで滑って転んだだけよ』

 

「人騒がせなっ……!」

 

『あなたが私のことを心配し過ぎなだけよ。

 大事にしすぎ……もうちょっと粗末に扱ったって、私は文句言わないわ』

 

「粗末に扱うとか無理に決まってんだろ」

 

『……』

 

 電話越しだと、表情は見えない。

 

『それにしても』

 

 千景は話を逸らした。

 

『ゼットは嘘つきだったわ』

 

「ああ、バーテックスのことか」

 

 竜胆は、ゼットの言い草を思い出す。

 

■■■■■■■■■■

 

「喜べ、ウルトラマンガイア。

 大侵攻は地球上のバーテックスほぼ全てを使った『史上最大の侵略』だ。

 つまり現在、地球上には動いているバーテックスなどほとんど存在しない」

 

「そして今、補給も断った。

 再度バーテックスの数を揃えるにしても、相当に時間がかかるだろう。

 今、お前達を滅ぼす者として地上に立っているのは私だけだ」

 

「天の神に他地域を野放しにする気もあるまい。

 増産したバーテックスを各地域に分散させれば、密度は下がる。

 勇者数人で鼻歌交じりに片付けられる、その程度の存在でしかなかろう。ゆえに」

 

「私に勝てれば、束の間とはいえ平和が来るぞ」

 

■■■■■■■■■■

 

 バーテックスはもうしばらく来ないはずだと、地球上のバーテックスはほぼ全て倒されたはずだと、ゼットの言葉から竜胆はそう認識していた。

 だが、現実はどうか。

 氷の中に封じられていたコダイゴンはともかく、あのゾイガーは明らかにこの地球上で生存していた存在だ。

 

 ならばおかしい。

 ゼットの言葉と矛盾が生じる。

 "天の神の配下のバーテックスは全て大侵攻に投じられたはずなのに"。

 大型をもう一度作れるほどの日数も、星屑の在庫も、天の神にはなかったはずだ。

 ならば、何故?

 ゼットが嘘をついていたのか? 皆ゼットに騙されたのか?

 

 竜胆は、そうは思えなかった。

 

「あいつが嘘を言っていたとは思えないんだよな。

 ゼットが騙されていたか、ゼットも勘違いをしていたか……」

 

『敵よ?』

 

「敵だよ。

 だけどあいつは、殺すことは躊躇わないが、そういう嘘はつかない。

 俺達に対して残虐だが、誠実だ。

 人を殺す邪悪さを躊躇いなく実行するが、嘘で騙す醜悪は見せないと思う」

 

『……』

 

「あいつは悪だが、悪を裏切ることはあっても、善を裏切ることはない」

 

 ゼットはただひたすらに、『終焉』だった。

 竜胆はそこを疑うことはない。

 ……たとえ、心の底で、仲間達を何人もその手にかけたゼットを、憎んでいても、だ。

 千景の村の人間を憎みながらも、憎い者達の幸を願った竜胆が、憎しみでその瞳を曇らせることはありえなかった。

 

「何かトリックか、見落としがあるのかも。

 あの紫の鳥みたいなやつは、どこから来たのか……」

 

 四国に帰ってから、色々と調べなければならなそうなことが増えてきた。

 

「とにかく気を付けて。

 俺達も後から行くけど、どうせ一日はここにいるんだ。急ぐ必要はないからさ」

 

『はい、はい。……またコケを踏んで転ばないように気を付けるわ』

 

 一拍、会話に間が空いて。

 

『コケで滑ってコケそうに……なんでもないわ』

 

「え、なんだって?」

 

『……』

 

「ごめん、今よく聞こえなかった、なんだって?」

 

『……』

 

「なあちーちゃん今なんて」

 

 通話が切れた。

 

 竜胆はスマホを見て、ボソっと呟く。

 

「あいつホント可愛いな……」

 

 千景達に合流する前に、やるべきことがある。

 明日の出発のための準備というやつだ。

 歌野が始めたそれに、若葉と竜胆は自然と手伝いの名乗りを上げていた。

 微笑む歌野が感謝して、手伝いの提案を受け入れる。

 

「ではまずそちらの野菜を私と一緒に洗ってくれると嬉しいわ。

 あ、そちらに並んでる野菜は洗わないでね。洗うと長持ちしなくなるから」

 

「ん? 洗った方が綺麗になって長持ちするんじゃないのか?」

 

「竜胆さんは鶏の卵を洗った方が長持ちすると考えるタイプね」

 

「え……そりゃそうなんじゃないのか?」

 

「いいえ、鶏の卵は洗うと表面のクチクラ層が剥がれてしまうの。

 そうすると菌が入りやすくなって腐りやすくなってしまうのよ」

 

「へぇ……洗うと駄目なのか」

 

「鶏の卵の表面には、呼吸のための小さな穴が空いているのは知ってる?

 そこから洗った時の水と一緒に菌も入ってしまうから、更に腐りやすくなってしまうの」

 

「ほぉー」

 

「根菜の一部は、その卵と同じイメージを持てばいいわ。

 泥や土が付いたままの方が長持ちする、なんて言われているの。

 それは新聞紙に包んで袋に入れて持っていきましょう。それが一番だから」

 

 歌野の知識に、竜胆だけでなく、若葉も感心している様子だ。

 

「詳しいな、歌野」

 

「ふふ、若葉にもその内分かるわ。農業と畜産の深い関係の歴史がね……!」

 

「い、いや、それは分からないままで一向に構わないのだが」

 

「ええっ、四国に農作業の相棒たる家畜はいないの……?」

 

「いるが、私はそういうことに詳しくない。興味も無い。それだけだ」

 

「自分達の食べるものを作る方法に興味も無いとか、変わってるわねー」

 

 ここまで農業が似合うお前が変わってるんだ、と思い、若葉と竜胆は苦笑した。

 

 歌野の頭には麦わら帽。

 ポケットには引っ掛けられた、泥だらけの軍手。

 足には土が染み込んで取れなくなったスニーカー。

 服は上から下まで、土と汗が染み込んだ芋っぽいジャージ。

 ジャージの内の肌着のシャツには、でかでかと刻まれた『農業王』の文字。

 

 色気の欠片もない。

 女を捨てていると言われれば納得してしまいそうだ。

 だが"農業に従事する者"としてみれば、本当に農地にマッチした姿だと言えよう。

 

 何より、野菜に触れている時の歌野は、本当に楽しそうだ。

 その笑顔は太陽である。

 花咲くような笑顔、という表現があるが。

 彼女の笑顔は人の心の内にある蕾を花開かせる太陽であると、そう言っても何ら誇張表現にはならないだろう。

 

 心に光がなくとも、1から光を作り、努めて周りを照らそうとするのが友奈なら。

 自然と周りを照らし、己の心に生まれる小さな陰りを頑張って消していくのが、歌野である。

 友奈と歌野の違いは、根本にあるメンタリティの絶対的強度か。

 

「竜胆さん、才能あるわね」

 

「野菜洗いの才能か? あんま嬉しくないな」

 

「いやいや、私の見立てでは、農業全体への才能があると見た!」

 

「は?」

 

「よく鍛えられた肉体。

 丁寧な野菜の扱い。

 何より、大地に立つその立ち姿。

 農地の大地が似合う人というのはそうそういないのよ……」

 

「すげえ、わけが分からん」

 

「農業貴族の称号をあげるので、バーテックスの件が片付いたらうちの農地に来ない?」

 

「……え」

 

 ごく自然に"戦いの後"のことを語る歌野の言葉に、"戦いの後どう生きるか"に期待も希望も展望も持っていなかった竜胆の心が、揺れた。

 

「何を隠そう、私はいずれ農業王になる女!」

 

「ガンダム知らない人に突然ガンダムの専門用語出すような真似やめない? 農業王って何?」

 

「農業王の上には農業大王。

 農業大王の上には農業神。

 果てしなく続く農業ロード……

 けれど、農業王となった私の下に、農業貴族になったあなたがいれば……!」

 

「待て、待て待て! 流石に野菜洗ってるところを見ただけで過大評価しすぎだ!」

 

「でも、竜胆さんはなんとなく農業の匂いがするの」

 

「うっ、心当たりが無いでもないのが憎い……」

 

 竜胆と最も付き合いが長い土地神は、千景の守護神、阿遅鉏高日子根神。

 雷神にして、農業神である。

 だからこそ元は農具である鎌が千景に与えられたのだ。

 更に言えば、竜胆の祖母は農業をやっていた人間である。

 

「あなたの中に農の血が流れてる気がするのよね……」

 

「農の血ってなんだよ!」

 

 竜胆は、闇化した体の化物っぷりに言及されたことはあっても、農の血(理解不能)について言及されたことはなかった。

 

「やべーぞ若ちゃん、こいつ凄い奴だ多分」

 

「そうだな。今お前が歌野に感じている気持ちが、私が最初お前に感じた気持ちだ」

 

「え゛っ」

 

 若葉から見れば、どちらも変わらない。

 竜胆も、歌野も、常人には見えない何かを感じ取り、只人には見えない何かを見て、人間とは思えないような凄まじい何かを成し遂げる『天才の中の天才』である。

 よくある話だ。

 飛び抜けた天才は、何かよく分からないものを見ているというアレ。

 竜胆の視点は戦闘に突き抜けすぎているために共感を得られず、歌野の今の視点は農に突き抜けすぎているために共感を得られない、それだけのこと。

 

 若葉視点、二人は同類だった。

 

「さ、野菜を洗うのを続けましょう。

 何かあれば、道中でこの食料が生命線だもの。

 何かなくても、四国の皆さんにお近付きの印にと振る舞ってあげるから!」

 

「ブレねえなあ」

 

 例えば、歴史を見てみると、国は政治や金を優先して食料という一番大事なところが疎かになることがある。飢餓輸出やら、人為的要因飢饉というやつだ。

 また、内政より軍事に予算を割きすぎて国内が荒れる、ということも往々にしてある。

 そういうものは、"バランスを欠いている"と言えるだろう。

 

 軍事や戦いのような、『しなくても生きられること』に力を注がないといけない状況というものは結構多い。

 だがそういったものに力を注ぎすぎた結果、食料などの『生きるために必要なこと』を疎かにしてしまうこともままあることも事実。

 この時代、そういったことがいくら起きてもおかしくはない。

 

 戦いにのめり込みすぎると、人は当たり前のことすら忘れてしまう。

 だが歌野は、いかなる時も"当たり前"を忘れない、強い心の持ち主だった。

 

 生きるということ。

 食べるということ。

 作るということ。

 

 白鳥歌野の生き方は、いつも地に足がついている。

 大地(ガイア)に根を張る植物や木々のようだ。

 彼女は、人類の歴史が、食べ物を作る歴史と、それを食べて生きてきた歴史であったことを、本能的に理解している。

 人が食べ物を作るという行為から、一度も離れられなかったことを知っている。

 

 古い土地を離れないといけなくなっても、めげることはない。

 新しい土地で畑を耕し、種を蒔き、水を撒き、また食べるものを作っていけばいい。

 そうすれば、人は生きていける。

 大地とささやかな恵みさえあれば、人はどこでも生きていける。

 白鳥歌野は、そう思う。

 

 だから、諏訪の結界が破壊された大ピンチの現在も揺らがず、野菜を洗って、最後のお別れとばかりに農地を耕して、次の土地で蒔く野菜の種を握り締め、上を向いていられるのだ、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜胆の変身が可能になる時まで、やれることをやる。

 竜胆と若葉は、地図を見ながら諏訪の祠を捜索していた。

 竜胆達はチームを分けていくつもある祠を探しているものの、中々目当てのもの――神様の言っていた武器――は見つからない。

 明日にも見つからないようなら、千景の分身手分け捜索も考慮する段階になってきた。

 

「駄目だ、ここにも無いな」

 

「もうちょっと深く探してみよう、若ちゃん。隠されてるものとかあるかも」

 

「そうだな……戸棚の裏にはお菓子があるものだ」

 

「若ちゃんのお菓子の隠し場所は聞いてねえ……

 ……いや、昔の人も今の人も、もしかしたら物を隠す場所は同じか?」

 

 二人は会話しながらも、手足を動かすのを止めない。

 祠の中と周りを入念に調べ上げていく。

 並列思考(マルチタスク)も鍛え上げ、本気の模擬戦の中でも会話できるようなこの二人に、この程度はお茶の子さいさいといったところだろう。

 

「みーちゃんって子さ、いるじゃん」

 

「ああ、いるな。実は少し驚いている。

 千景は初対面の相手と二人きりでの探索を嫌がると思っていたんだが」

 

「あんま社交的じゃないからな、ちーちゃん。

 ただなんというか、ちーちゃんとみーちゃんは、根っこの部分が少し似てそうな気がした」

 

「……言われてみるとそんな気がしてくるな」

 

「一人でいると、とことんネガティブになる子らだろうな」

 

 郡千景と藤森水都、二人揃って内向的。

 どちらにもネガティブ思考の資質あり。

 見方を変えれば二人揃って後ろ向き、とも言える。

 

 だが千景の内側には"幸せになりたい"というエネルギーがあり、水都の中には"どうせ私なんか"という負のエネルギーがある。

 つまり千景は「好かれるために頑張る」という考え方をする資質があり、水都の中には「皆に好かれてるけどどうせ私なんか」という考え方をする資質があるわけだ。

 周囲の人間に恵まれていない状況から何かを勝ち取ろうとしていく資質と、周囲の人間に恵まれていてもネガティブになる資質、と言い換えても良い。

 ゆえに二人は似て非なる。

 

 友奈と千景の関係と、歌野と水都の関係は、少し似ている。

 

 千景は友奈と一緒に居ると心地良くて、水都は歌野と一緒に居ると心地良い。

 そういう性格タイプなので、千景と水都は一緒に居ても心地良くはないだろう。

 だが、ある意味では似た者同士だ。

 

 竜胆の見立てでは、相性が悪いということはない。

 心地良くはなくとも、互いが互いの劣等感を刺激しない、優しい関係にはなれるだろう。

 互いに対して踏み込みすぎると、ネガティブ思考の相乗効果を起こしそうなところは、怖いところであるが。

 

「そうか、それでか。水都も千景も、他人の心に光を見て、見上げた者だったのだな」

 

「ああ、そう言うのが正しいのかも」

 

「私も見習いたいものだ。

 友奈や歌野には、希望の光を見せる力があるんだろうな」

 

「はははっ、何言ってんだ。それなら若ちゃんにだって十分あるっての。光だろ?」

 

 互いの会話の呼吸を知る二人の会話が、一瞬止まった。

 武器を探す手を止めないままに、若葉の口が、少しの間止まったのだ。

 竜胆も何かを察したのか、若葉の次の言葉を待つ。

 

「竜胆は光と闇の狭間で、よく頑張っていると思う」

 

「ん? ああ、ありがとう」

 

「憎しみに身を任せて戦うのは楽だった。

 今振り返ると、私はそう思う。

 憎い者、嫌いな者のことだけ考えて、ひたすら切り捨てていくだけで良かった。

 敵を倒すこと、仲間を守ること、人々を救うこと、戦友と連携すること……

 色んなことを考えながら戦う方が、ずっと難しく、ずっと苦労して、ずっと辛かった」

 

「……」

 

「人間は何故、こんなにも、憎しみに引きずられやすい心を持っているんだろうな」

 

「そこは、"堕ちる"って言うしな」

 

「……堕ちる」

 

「俺も分かるよ。登るのは辛いが、落ちるのは一瞬。崖を登るようなもんだ」

 

 静かな共感と相互理解が、二人の間に横たえられている。

 

「前に竜胆は、昔の自分の話をしてくれたな。

 周りに嫌われることも恐れずに。

 つまらない話だが、私も私の話をしよう。

 ……情けない話だが、私の醜態の話だ。嫌われるのを恐れ、ずっと話せずにいた」

 

 竜胆は、以前ひなたとした会話を思い出す。

 

■■■■■■■■■■

 

「植物も、人も、光だけで大きくなるわけではありませんよ。

 若葉ちゃんにだって闇はあって、憎悪や復讐心に囚われていたことはありました」

 

「あいつが?」

 

「若葉ちゃんもいつか話すと思います。良い仲間で、良いお友達みたいですから」

 

「そっか……じゃあ、待つかな。話してくれるのを」

 

「植物の種を発芽させるのに、光が求められる時も、闇が求められる時もあります。

 好光性種子や嫌光性種子と言われるものですね。

 人も同じです。光だけでも、闇だけでも、それだけで良いというわけではないと思います。

 私が見た限りでは……

 自分の闇を乗り越えた時の若葉ちゃんは、生涯で一番に、大きな成長を遂げていましたから」

 

「……光と闇か」

 

「光と闇が、大きな花を咲かせる。そこは、人も植物も同じですね」

 

■■■■■■■■■■

 

 諏訪の風が二人を撫でる。

 どこか混沌としていて、どこにも光や闇がありそうな四国の空気とは違う、開放的で明るげな諏訪の空気が、若葉の口を少しだけ軽くさせていた。

 諏訪の空気が、若葉の背中を押してくれていた。

 空気の違いは、住民の性質の違いゆえのもの、なのだろうか?

 

「四年前、私のクラスメイトは、私の目の前で食い殺された。

 友達ではなかった。

 友達になれたかもしれなかった。

 友達になれなかったかもしれなかった。

 全ては分からない。

 未来にどうなっていたかなんて分からない。

 分かったことは一つだけ。

 私の目の前で、『未来』が奪われ、命が食い潰されたということだけだった」

 

 それは、勇者乃木若葉の始まりの夜(ビギンズナイト)の物語。

 

「その時だった。生太刀が、神が私を選んだのは」

 

「戦ったんだな」

 

「ああ。それが私の初陣。

 "許せない"という心のままに、無我夢中で刀を振るった。

 巫女として目覚めたひなたの導きに従い、生き残りを従え、私は敵から逃げ切った」

 

「許せない……そうだよな」

 

「……ああ。

 死んだ人はそれだけではなかった。

 逃げる途中、多くの死体を見た。

 四国の安全圏まで逃げ延びても、次から次へと死のニュースが流れ込んできた。

 人が死んでいったんだ。無念のままに、理不尽に襲われ、悲しみの中、沢山の人が……」

 

 人々の苦痛を、若葉は自分のことのように感じ、自分のことのように怒ることができる。

 

 その在り方はまさしく、英雄譚の勇者のよう。

 

「何の罪もない人が殺されるなど、私は許せなかった。

 人を殺すバーテックスが憎かった。

 世界の理不尽に怒っていた。

 ……お前と同じだ、竜胆。

 お前がいつも口にしていた想いは、私が抱いていたものと同じだった」

 

「若ちゃん」

 

「私はずっと、お前に自分を重ねていたんだ。

 憎しみに突き動かされ、泣き叫ぶように、心の闇を周囲にぶつけるお前に」

 

 最初からずっと、若葉は竜胆のことが他人のように思えなかった。

 いつも共感があり。

 いつも理解があった。

 竜胆が想いを叫ぶたび、同意してやりたい気持ちでいっぱいになっていた。

 

「痛みを。

 苦しみを。

 絶望を。

 死を。

 一方的に人間に与えるバーテックスが、どうしても許せなかった……」

 

 だが、若葉も、竜胆も、その気持ちが"間違い"に繋がるものであることを知っている。

 二人は同じ気持ちを抱きながら、同じようにその気持ちを克服したものだだったから。

 

「仲間が出来てもそれは変わらなかった。

 私は一人バーテックスに切り込むようになり……

 戦いの度に、防御は疎かに、攻撃は苛烈になっていった、らしい。

 後になってから千景に聞いた話だがな。

 無茶を重ねれば重ねるほど、当然私の危険度は増し、そして―――」

 

 もう、年単位で前のこと。

 憎悪と応報に心を囚われた若葉は、バーテックスを斬る。

 斬る。

 斬る。

 斬る。

 そして、そんな無謀な日々の果てに。

 

「―――バーテックスの攻撃から私を庇った友奈の胴に、大穴が空いた」

 

「!」

 

「致命傷……致命傷だった、と思う。

 その時の記憶は、曖昧なんだ。曖昧だが、きっと一生忘れることはない」

 

 若葉の愚かしさのツケは、()()()()()()()()

 

 それが、仲間と共に戦うということだ。

 自分の愚かしさが、自分の死だけで終わらない。

 愚かしい行動の結果は、仲間にまで波及する。

 

「……心臓が、止まるかと思った。

 いや、違う。

 あの時……私のせいで……友奈の心臓が、止まりかけたんだ」

 

 それは、一生消えることのない、後悔だった。

 

「私はその時のことを覚えていない。

 だが、大地が友奈の傷を治してくれたのだと聞いた。

 その時まで回復の技を持っていなかった大地が、土壇場で回復の技を編み出したらしい」

 

「……ホント、土壇場に強いし、かっけえなあ、大地先輩は……」

 

 だが、取り返しのつかないことにはならなかった。

 大地が例の回復の技を編み出し、友奈を治したのだ。

 結果から見れば……憎悪に駆られた若葉の愚行のツケは、友奈と大地の二人が払い、帳消しになったと言えるだろう。

 

 しかし。帳消しになったと思わない者もいる。

 友奈のこととなれば烈火の如く怒る、千景がまさにそうだった。

 

「千景には随分責められたものだ。

 復讐のために戦っているから、仲間が見えないのだと。

 敵を殺すために戦っているから、仲間を守れないのだと。

 自分を守ることさえしていないから……仲間に庇わせて仲間を死なせるのだと」

 

「それは……」

 

「その通りだ、と私は思い。死ぬほどの後悔に蝕まれた」

 

 若葉は、千景が"責めてくれた"ことも、今となっては幸運に思える。

 仲間達は、若葉に気を使っていたから。

 若葉に気を使わない千景の口撃が、いっそ救いですらあった。

 

「だがな、何よりも後悔したのは、病院に見舞いに行った時のことだ。

 精密検査から戻って来た友奈は、ベッドに腰掛け、私を見て、満面の笑みでこう言った」

 

 千景だけが、若葉をちゃんと責めてくれた。

 友奈ですら、若葉を責めることはなく……むしろ、若葉を見て、喜んだのだ。

 

「『よかった、若葉ちゃんは無事だったんだね』と―――友奈は言った」

 

「……友奈らしいな」

 

「胸が張り裂けそうだった。"私はなんということをしてしまったのか"と……」

 

 諏訪の風が、優しく二人を撫でる。

 辛い記憶の想起が、若葉に拳をぎゅっと握らせた。

 

「私は、誰も死なせたくなかったのだ。

 誰も殺させたくなかったのだ。

 だから敵を憎み、仇に怒り、自らを責めた。

 ……そうして、そんな気持ちに支配され、仲間を傷付けてしまったんだ」

 

 そんな若葉を、失意の若葉を、仲間達が助けてくれた。そんな想い出。

 

「どん底に落ちた私を助けてくれたのも、仲間だった。

 球子はぶっきらぼうに励ましてくれた。

 杏は気分転換に街に連れ出してくれた。多くのものを見せてくれた。

 千景はゲームに誘ってくれた。

 アナスタシアはおこづかいでアイスを買ってきてくれたな。

 ボブは私のためだけに一曲作って、弾いて、プレゼントしてくれた。

 ケンは穏やかに、暖かに、時におどけて接してくれた。

 海人は、よく分からないことをもごもご言っていたが、励ましの気持ちは伝わった。

 大地は……あいつらしい褒め言葉をくれたよ。

 ひなたは優しく、厳しく、私を突き放してくれた。甘やかさないでくれた。

 みんな、みんな……私にとってかけがえのない、愛すべき、大切な仲間達だった」

 

 そんな仲間達も、もう半分いない。

 

「竜胆なら、私の気持ちを分かってくれると思う」

 

「……ああ。分かる。俺も……皆のおかげで立ち上がれたから」

 

 そう、若葉が皆の心から貰ったそれは。

 竜胆が皆の心から貰ったものと、違うようで同じもの。

 竜胆と若葉が仲間達にしてもらったことは、細かに見れば全然違うことであったが、貰った想いの暖かさは同じであった。

 差し伸べられた手は、同じであった。

 

 仲間達から多くを貰い、多くの仲間を失い、今ここに立っている。

 そういう意味でも、若葉と竜胆は同類である。

 

「……バーテックスに奪われたことが、許せなかった。

 だから武器を取った。だから戦った。けれど、戦えば戦うほど失ったものは増えていく」

 

 四国から遠く離れたこの地で、若葉はこれまでの戦いを振り返り、その凄惨さに反吐が出そうな想いとなる。

 

「私達の戦いに、終わりはあると思うか? 竜胆」

 

「ある」

 

 若葉の問いに、竜胆は言い切った。

 

「無いなら、俺達で作るんだ、若ちゃん。この戦いの終わりってやつを」

 

「―――」

 

 戦う力においても、戦いに向かう心においても、二人は互いに影響を与え合い、高め合う。

 

 ふっ、と、若葉が笑んだ。

 

「お前がいなければ、私はここまで来れなかった気がする」

 

「俺がいなくても、若ちゃんはどこまでだって行けただろうさ。君は強いから」

 

「いや」

 

 若葉が振り向き、竜胆もつられて振り向く。

 祠のある高台から、諏訪の土地とその向こうの諏訪湖が一望できた。

 風景の多くはバーテックスに破壊されていたが、バーテックスが手を出すことのなかった美しい自然が、神々に愛された美しい景色を彩っている。

 

 空の青。

 湖の青。

 山の緑。

 それらが入り混じる風景は、とても美しい。

 

 ナターシャが予言した若葉の死は6月2日。

 ナターシャが予言した四国だけが残る人類の敗北が6月末。

 まだ人が生きている諏訪を、こうして若葉が見下ろしていることが、既に奇跡だった。

 

「こうして諏訪(ここ)に立っていることが、奇跡のように感じられてならない」

 

 若葉の感覚は、至極正しい。

 

「竜胆、今日からは若葉と呼べ」

 

「……なんで?」

 

「お前が女子を呼び捨てで呼ぶ枠と、愛称で呼ぶ枠、その違いが分かってきたからだ」

 

「……」

 

「正直に言ってもらいたいが、名前を呼び捨てにしたことのある女子、何人いる?」

 

「……あー、片手で数えられるくらいだな」

 

「だろうな。そうだと思った」

 

 人間の目は、鏡がなければ自分の顔を見ることもできない。

 自分のことで、自分が知らないこともある。

 竜胆のことを、竜胆以上に他人が理解していることもある。

 

「深読みしてるとこ悪いが、呼び分けにそんな深い意味はねえよ、『若葉』」

 

 呼び方をあっさり変えた竜胆だが、声はほんの僅かに上ずっていて、気恥ずかしさが見えた。

 

「いいや、意味はある。きっとな」

 

「ないって」

 

「お前は……最後の最後の戦いに、愛称で呼んでいる者は、連れていかないタイプだ」

 

 一瞬の呼吸の間。竜胆は、若葉の指摘をきっぱりと否定する。

 

「……ないっての、そういうのは」

 

 ボブは一貫して呼び捨てだった。

 ケンは一貫して呼び捨てだった。

 大地と海人は、先輩付けだったが愛称ではなかった。

 ナターシャに対しては、一貫して愛称だった。

 友奈と杏は呼び捨てで、千景は愛称だった。

 そして今、あっさりと若葉を呼び捨てにした。

 

 竜胆が他人に使う呼称は、竜胆がその人間に対し抱く感情を、如実に証明する。

 

「……」

 

 そんな竜胆の肩を、若葉が軽く叩く。

 

「気張るな。『私達の最後のウルトラマン』」

 

「―――」

 

「お前が最後のウルトラマンとして気負っていることは分かっている。それは私だけじゃない」

 

 若葉は竜胆に、話したくないことまで話した。

 自分の思い出したくない過去を、見せたくない恥部を晒した。

 "お前と似た者はここにいるぞ"と言わんばかりに。

 "私はお前を見捨てない"と言わんばかりに。

 "お前はひとりじゃない"と言わんばかりに。

 

 その上で、竜胆を引っ張っていく。

 

「信じろ。応えてやる」

 

 諏訪の風の中、乃木若葉は凛々しく、輝かしく在った。

 

 竜胆は誰にも聞こえない声量で、ぼそりと呟く。

 

「……ほんっとうに、骨の髄まで勇者だなぁ。惚れそうだ」

 

 また祠の周りを調べ始めた若葉に、竜胆は歩み寄っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜になった。

 が。

 武器とやらは、どこにも見つからなかった。

 

「今日はうちに泊まっていってね、最高のお野菜晩御飯をご馳走するから!」

 

 竜胆、若葉、千景は歌野の家――諏訪がこの状況になってからあてがわれた家――に招かれ、そこで一晩を過ごすことになった。

 

「お泊りか……」

 

「どした、ちーちゃん」

 

「私……他の勇者の家に止まるのは初めて。私達は丸亀城の寄宿舎暮らしだから」

 

「ああ、そっか。実家まで行く機会無さそうだもんな、ああいう状況だと」

 

「でも……正直言うと、お泊まり会して夜通しスマブラ、みたいなのには憧れる……」

 

「ないと思うぞスマブラ」

 

「まあ、そうなんだけど」

 

 千景は友達の家に泊まったことすらないだろう。

 あの村での状況と家庭環境を考えれば、自分の家に誰かが遊びに来たことも、誰かの家に遊びに行ったことがあるかも疑わしい。

 千景を優しく迎えてくれた家屋など、四年前、まだ惨劇が起きてなかった時の、竜胆と花梨の仮の住まいだけしかないと言い切れる。

 千景の家ですら、千景を歓迎はしていなかったから。

 

「どうぞ、濃厚な味わいのナスを麺つゆに浮かべ、他野菜も並べた至高の麺!

 麺類の王者、信州そばですとも! どうぞご賞味あれ、よ! さあさ食べて食べて!」

 

「ん?」

「ん?」

「いただきます!」

 

 "麺類の王者"という言及に、若葉と千景の内に根付いた香川の魂が反応した。

 竜胆は特に気にしてもいない。

 太陽の笑顔の歌野が出した、彼女の愛する信州そばを、三人はすするように口に運ぶ。

 美味。

 それ以外の表現が陳腐な程に、美味であった。

 

 やや熱めの麺つゆに、ご飯のおかずにできそうなほどに濃厚な味を放つナスが浮かべられ、そこにすっと蕎麦を通すだけでも美味い。

 ナスと蕎麦を一緒に食べる、他の野菜を麺つゆに浮かべるなど、無限の可能性を感じさせる野菜盛り沢山蕎麦であった。

 野菜そのものの味わいが嫌味がなく濃厚なため、味に飽きも来ない。

 

「美味しい、とても美味しいな。だが麺類の王者ではない」

 

「ええ、そうね。乃木さんの言う通りよ。

 これはとても美味しい。私の食べたことのある蕎麦の中で一番。でも、麺類の王者ではない」

 

「なんですって!?」

 

 だがやはり、香川の魂が、若葉と千景にこれを"麺類の王者"とは認めさせなかった。

 

「―――王者はうどんだ」

 

「またそれ!? 至高は諏訪の蕎麦なのよ!」

 

「いいや、香川のうどんに勝るものなどない!」

 

「歌野、おかわり。美味しいなこれ」

 

「あっはい、ちょっとお待ちを」

 

 論争の最中も竜胆は黙々と蕎麦と野菜を食べ、さっさと食べ終わり、おかわりを要求した。

 

 そんな竜胆に、歌野は嬉しそうにして、若葉と千景は非難するような目を向ける。

 

「いや同じくらい美味しいんじゃないかなって俺は思―――」

 

「竜胆……うどん派閥を裏切る気か?」

「竜胆君、言葉には気を付けた方がいいわ」

 

「うっわめんどくせー気配!」

 

 竜胆は闇さえ周りにあれば、それを食べて生きていける。

 蕎麦もうどんも娯楽、生の楽しみでしかない。

 しかしながらそうして食べ物の世界に戻って来てしまったことで、食べ物論争という至極くだらない争いにも巻き込まれるようになってしまったのである。

 

 喧嘩(けんか)にはならないが、喧喧囂囂(けんけんごうごう)にも侃侃諤諤(かんかんがくがく)にもなるかもしれない。

 

 歌野は戦場で鍛え上げた洞察力をフル回転。

 若葉、千景が不動のうどん派であることを察知。

 ここで竜胆を味方に付けねば、という的確な判断をした。

 

「二対二にするにはこれしかない! さあ竜胆さん! 蕎麦に永遠の忠誠を誓って!」

 

「うるせえ静かに食べさせろッ!」

 

 諏訪の夜は更けていく。

 

 

 

 

 

 詩人は、たびたび"夜が長い"という表現を使う。

 秋の夜長、などという言葉は、人類史の中で何度使われてきただろうか。

 

 その日の夜は、諏訪の誰もが長く感じた夜だっただろう。

 諏訪の結界は無い。

 もう何も諏訪を守ってはくれない。

 

 バーテックスが来ても誰も気付けないかもしれない。

 寝床の傍で火を焚けばバーテックスに見つけられてしまうかもしれない。

 だから見張り役を立て、その傍でだけ火を焚き、バーテックスの襲来を警戒する。

 ほとんどの者は自分の近くに明かりを灯すことすら許されない。

 少しでもバーテックスに見つかる確率を減らすため、彼らは闇の中で震えていた。

 

 七月のこの時期の、長野の日没時刻は大まかに19:10、日出時刻は大まかに4:40。

 夜の時間は九時間半、と言えるだろう。

 

 安眠などできようはずもない九時間半。

 無力な人間が交代しながら見張りに立つ九時間半。

 無力な諏訪の人々は、早く終わってくれ、早く終わってくれと夜に祈るも、人々の祈りで時計の針が速く進むはずもない。

 

 喉にナイフの先が突きつけられているような気持ちを、全ての人間が感じていた。

 

 竜胆は月を眺めて家の中を歩いている。

 夜闇の中の方が、竜胆は調子が良い。そういう生物だからだ。

 寝る前にふらふらと歩いていた竜胆は、家の門前で鞭を握り、勇者の衣装を身に纏った歌野を見つける。

 

(何やってんだか)

 

 家を出て、歌野の傍に行く。

 

「よ」

 

「あ、竜胆さん」

 

「夜更かしは趣味か?」

 

「そんなわけないじゃない。早寝早起きが農業の基本よ?」

 

「だよな」

 

 月光の下、大地の上、夜風の脇。

 二人は並び立ち、穏やかに会話を始める。

 

「怖いか?」

 

 竜胆は問う。

 

「何がかな?」

 

「俺が死んで、諏訪の人達が全員助かる可能性がぐっと下がるのが」

 

「……うん、そうね。それは怖い。今の私を見ただけで分かっちゃうもんなのね」

 

「俺達を守ろうとしてくれたんだな。夜通し、徹夜してでも」

 

 歌野が起きている理由も、臨戦態勢でそこに立っている理由も、単純明快。

 竜胆/ティガを、諏訪の皆が助かるまでは、何が何でも生かすためだ。

 夜闇に紛れて襲来するバーテックスの一体さえも見逃さない、とばかりに、歌野は気合いを入れている。

 

「皆を守るのは、私の役目だから。

 戦えない全ての人の代わりに、私が戦わないと。

 皆の希望が絶えてしまったら台無しでしょう?

 だから私は、念には念を入れて、希望が絶えないよう気を使っておかないとね」

 

 歌野と交わした言葉の数々。

 そこから読み取れた歌野の性情。

 判断材料としては、十分過ぎる。

 竜胆はこの諏訪における歌野が背負っていた役割を理解し、それを一言でまとめた。

 

「お前は全ての人を守らなくてはならなくて、お前を守る人は一人もいなかったのか」

 

「―――」

 

「ずっと、そうだったんだな」

 

 竜胆の言葉には、悲惨な境遇の少女に向けられる同情ではなく、気高い使命をやり遂げた少女に対する尊敬がにじみ出ていた。

 

「少し羨ましいよ。それがお前の誇りだったんだな」

 

「……え」

 

「お前は皆を守る。

 皆はお前に守られる。

 お前の背中を誰も守らなかった。

 それでも、歌野が戦い続けられたのは……

 頑張ろうと思えるくらい、周りがいい人で、守り甲斐がある人達だったからなんだろ?」

 

 すとん、と、その言葉が歌野の胸に落ちる。

 

 その言葉はとても的確で、歌野の中で言語化できていなかった気持ちを、歌野の代わりに綺麗に言語化してくれたものだった。

 だからこそ、なめらかに歌野の心に受け入れられる。

 

 最初の一年は、周りの反応は良いとは言えなかった。

 だが一年を過ぎた頃、皆が助けてくれるようになった。

 そんな皆を大切に思うようになったからこそ歌野は、二年目、三年目と、心も体も摩耗していく中でも、頑張ってこれたのだ。

 

 歌野は頑張った。

 周りの皆はその頑張りに応えてくれた。

 だから戦い抜くことができた。

 歌野は今日までの皆との日々を、戦いの日々を、胸を張って誇ることができる。

 

「歌野の仲間は、無力ではあっても、善良だった。

 力ではないものでお前を支えてくれていた。

 話を聞いてると、俺にはそうとしか思えない。

 お前が一人でも戦えたこと……それ自体が、俺にはとても素晴らしいものに見える」

 

「……竜胆さん」

 

「お前の心が弱くても駄目だった。

 お前が頑張らなくても駄目だった。

 周りが善良じゃなければ駄目だった。

 周りも頑張ってなければ駄目だった。そういうもんであったように見える」

 

 竜胆は歌野個人への称賛を滲ませながらも、"諏訪"という括りで称賛してもいる。

 

 『歌野一人』ではなく、『皆』への敬意を見せる竜胆に、歌野は素直な好感を持った。

 

「うん、そうだな。よく頑張った。お前はよく頑張った。

 だから俺達の力を借りて、仲間に任せて楽して、これからは報われていいんだ」

 

 ずっと一人だった。

 最初は、訓練も、戦闘も、農業も、漁業も、全部一人だった。

 途中からは一人ではなくなった。

 そして今日、知らず知らずの内に歌野に課せられていた"諏訪唯一の希望"という重荷が、すっと消えていく。

 

「……ああ、なんでかな。

 今、私すっごく報われた気がする。

 今の一言で、今日まで頑張って走ってきたのが報われた、そんなアトモスフィア」

 

「お疲れ様。そして、明日からはどうぞよろしく」

 

「うん、まっかせなさい!」

 

 もう歌野は、一人ではない。一人で戦う必要もない。

 そう思うだけで、歌野の気持ちは小気味よく跳ねる。

 ニッコリ笑って、歌野は諏訪に伝わる口伝の話をした。

 

「気のせいかもしれないけど。

 竜胆さんは出会ったばかりの人に、

 『この人といると安らぐなぁ』

 って思ったりしたことはある?」

 

「ん……あったかもしれない。ハッキリとは言えないけど」

 

「遺伝子はね、記憶を保存するんだって。

 ずっと昔のことでも、三千万年前のことでも、覚えてることはあるんだってさ」

 

 竜胆は、カミーラとの初遭遇の時、カミーラの名前を何故か知っていた自分を思い出す。

 何故自分がカミーラのことを知っていたのか、竜胆自身にも分かっていなかった。

 その理由も今、判明する。

 

 竜胆の遺伝子は、三千万年前のことを覚えている。

 カミーラのおぞましさを覚えている。

 もしかしたら……三千万年前以外の時代のことも、遺伝子は覚えているかもしれない。

 

「もしかしたら、私達のご先祖様が、どこかで一緒に戦ってたりするかもしれないわね」

 

「そりゃまた、夢のある話だ。先祖も子孫も助け合ってるなんてな」

 

「ふふっ」

 

 歌野は夢のような話をする。

 何の根拠もない、夢のある話をする。

 夢見るように夢想を語る。

 それは歌野が現実逃避を好むことではなく、歌野が素敵な話を好むことの、証明であった。

 

「何十年前か、何百年前か、何千年前か、何万年前か。そういうことがあったら……」

 

 そんな歌野の話を。

 

 無粋な闇の襲来が、中断させる。

 

「―――来やがった」

 

 誰よりも早く、見張りよりも早く、歌野よりも早く、竜胆の感覚がそれを察知した。

 

 咄嗟に取り出したブラックスパークレンスに、力が溜まらない。

 

(駄目だ、まだ変身できない……!)

 

 命が惜しくないのであれば、再変身すればいい。

 どうなるかは分からない。

 "あとひと押しで闇落ちする"とカミーラが判断したティガが無理をすれば、十中八九暴走し闇へと堕ちるだろう。

 自分が死ぬか、闇落ちして仲間を殺すかの二択。

 変身したいのであれば、好きな方を選べばいい。

 

 そんなティガを嘲笑うように、遥か遠き海より来たりて、怪物達は嬌声を上げた。

 

 

 

 

 

 空より舞い降りる、赤紫の怪鳥の怪獣、ゾイガー。

 邪悪なる神ロイガーと、かつて地球人に呼ばれたその身を唸らせて、超古代尖兵怪獣 ゾイガーが『四体』、諏訪に舞い降りる。

 

 魚に手足を生やしておぞましくすればこうなるのだろうか、と思わせる、新顔の怪獣型バーテックスが現れる。

 半人半魚(インスマス)をもっと魚に寄せ、巨大化させればこうなるのだろうか?

 二足歩行の魚の怪物が、諏訪湖の中央に陣取る。

 その名は『ボクラグ』。大怪魔の二つ名を持つ者。

 かつて地球人に邪悪なる神ボクルグと呼ばれたその巨体を、諏訪湖にて震わせている。

 

 更には大型と小型の中間、中型バーテックスとでも言うべき存在が現れる。

 それは虫か魚か判別できない姿で、鳥のように空を飛んでいた。

 "昆虫的なトビウオ"とでも言うべき巨体で、星屑と共に諏訪の力無き人々を狙っている。

 その名は『バイアクヘー』。

 根源破滅飛行魚 バイアクヘー。

 かつて地球人に奉仕種族ビヤーキーと呼ばれた通りに、大きなバーテックスにとことん従い、奉仕する存在。

 

 あえて、神話をなぞる天の神のそれに倣い、神話"らしい"呼び方をしよう。

 

 旧支配者、邪神ロイガー/ゾイガー四体。

 旧支配者、邪神ボクラグ/ボクルグ一体。

 奉仕種族、神話生物バイアクヘー/ビヤーキー二十体。

 そして、星屑五十体。

 

 ゾイガー四体が、口を開く。

 "文明殺し"たる光球がその口より放たれ、山々へと衝突する。

 

 諏訪南部にそびえ立つ大きな山々―――守屋山と入笠山が、まとめて、跡形も無く消し飛んだ。

 

 山を消し飛ばすほどのバーテックス達が、叫び声を上げ、人間を殺すべく殺到する。

 手加減などない。

 容赦などない。

 慈悲などない。

 殺到するバーテックス達の目的は、唯一つ。

 

 人間の、絶滅だ。

 

 

 




【原典とか混じえた解説】

●大海魔 ボクラグ
 クトゥルフ神話における旧支配者、『邪悪なる神』ボクルグ。
 原作ウルトラマンガイアにおいては、根源的破滅招来体(天の神)に起こされた怪獣の一体であり、ガイアである主人公・高山我夢の生まれ故郷を襲撃した。
 体が海水と同じ成分で出来ている。
 そのため、海に潜るとセンサーの類に一切引っかからなくなってしまう。
 更には体構造も構成成分に準ずるため、光の巨人が切り刻もうが、ミサイルを打ち込もうが、頭を蹴りで粉砕されようが、死ぬことはない。
 水分さえ補給できれば、再生のための体組織に困窮することもない。
 腕に備わったハサミの飛び抜けた切れ味、エネルギー吸収能力、放電攻撃などが武器。

●根源破滅飛行魚 バイアクヘー
 クトゥルフ神話における化生、『邪神に仕える奉仕種族』。
 Byakhee/ビヤーキーと書くと、見覚えのある人も多いかもしれない。
 群体として海を泳ぎ、空を舞う、おぞましい形のトビウオ。
 組み付いた相手からエネルギーを吸う能力、鎌状の刃などが武器。
 だが、体長18mと半端な大きさであるため、ウルトラマンからすれば"面倒臭い小さな敵"で、勇者からすれば"面倒臭い大きな敵"である。

 バイアクヘーは本来、海の底に潜む神、『根源破滅海神 ガクゾム』に仕えるとされている。
 ガクゾムは"神"と、そして"根源的破滅招来体の一体"の両方の呼称を持つ。
 原作の時点で"神であり根源的破滅招来体"として扱われているものは珍しい。
 原作の関係からして、バイアクヘーの主ガクゾムは、クトゥルフ神話におけるハスターに相当すると考えられる。

 星屑が、天の神によって、遣わされるものならば。
 バイアクヘーが、『海の底の神』によって、遣わされるものならば―――


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

聖剣 -オーブ・オリジン-

 これは時拳時花世界線で最高の奇跡と成果を掴み取ってくれた西暦勇者の話なんですが……ガタノゾーアって自分が滅びると眷属も全てまとめて同時に滅びるって特性があるんですよね。

 さて、今日は若葉ちゃんの誕生日。間に合って良かったです。


 『ウルトラマン』という巨人がウルトラの星の光の国に誕生したのは、この時代から見て27万年前だと言われている。

 とてつもない昔だ。

 人類は種の歴史で十万年、文明の歴史で一万年、なんてことも言われたりする。

 そう考えれば、現在の人類文明の歴史など足元にも及ばないレベルの昔だ。

 が。

 日本の神話基準で見れば、かなり近年であると言える。

 ごく一部を切り取っても、日本の神話には『~から179万年』という数字が出てくるからだ。

 

 そして、『ウルトラマン』がウルトラの星に誕生するよりもずっと以前から存在する、摩訶不思議なウルトラマンもいる。

 もはや、ウルトラマンと言っていいのかすら定かではない光の巨人達。

 

 たとえば、30万年を生きるウルトラマンキング。

 一つの宇宙の全知にして、奇跡を操る光の国のウルトラマン達の神王。

 たとえば、35万年以上を生きるウルトラマンノア。

 ネクサスの本来の姿にして、神秘を極めしウルトラマン達の神。

 そして―――『ウルトラマンティガ』。

 3000万年前の超古代に地球に飛来し、人類に危機が迫るたび、地球の守護神として復活してきた光の巨人。

 

 その歴史の古さと時間のスケールにおいては、他のウルトラマンの追随を許さない。

 まさしく()()()()()()()()()である。

 

 人間の世代交代のサイクルは、虫や動物と比べれば長いが、神々や光の巨人から見れば一瞬に見えるほどに早い。

 口伝や書き残しなどでしか、記憶を後世に伝えていく手段はない。

 それですら、大昔の人が知らなかった事実を知ることはできない。

 

 諏訪に秘されていた口伝の伝承の一部を聞いた夜、若葉は顎に手を当てた。

 

―――遠き、遠き昔。

―――星に、空の彼方より、『闇』が来訪した。

―――闇は怪物を生み出し、人々は神の罰だと嘆き、星は絶望に包まれた。

 

―――その時。空の彼方より、『光』が来訪した。

―――『光』は人と一つになり、世界に一時の平和をもたらした。

―――人に光の力を残し、『光』は去って行った。

―――その力が。

―――心に闇があれば、闇の巨人へと堕ちるその力が、人を狂わせた。

 

―――闇に堕ちた巨人は四人。

―――光の巨人と闇の巨人は戦い、闇が勝ち。

―――闇の巨人の内、光の心を取り戻した一人が、他三人を討ち滅ぼし、平和を取り戻した。

―――ゆめ忘れることなかれ。

―――人の心から闇が消え去ることはない。

―――人の心から光が消え去ることもない。

 

―――旧き人の文明は、今の人の文明が生まれし前に、滅びた。

 

 もう寝る時間だ。

 それは分かっているが、若葉はどうにも眠れない。考え込んでしまう。

 若葉のそんな様子を見て、寝る前に歯を磨いていた千景が溜め息を吐く。

 

「ティガのルーツは、大体分かったかもしれないわね、乃木さん。

 遠い遠い昔、グレート達と似た宇宙人が残した、ウルトラマンの光の力」

 

「……ああ」

 

「でも、そんな考え込んでもしょうがないんじゃないかしら」

 

「……」

 

「その……一人で考え込んでても、答えは出ないから。

 出ない時は出ないし、出る時は出るから……もう少し、楽にしていいと思う」

 

 笑えそうなくらいにヘタな、千景のフォローであった。

 諏訪大社秘伝の口伝は、確かにこの時代の勇者と巨人に伝わった。

 それが若葉を考え込ませている。

 歌野の家にてさっさと寝ようとしていた千景は、すぐに寝る気配のない若葉にむっとした。

 

 千景はゲームがあればいくらでも夜更かしができる。

 だがゲームが無いと夜更かしをしない。

 することがなくなってさっさと寝てしまうタイプだ。

 夜通し友達と意味もなく語り合う、といった経験や嗜好もほぼない。

 友達と夜通しゲームするならまあ……とか思ってしまうタイプである。

 

 なので若葉にはさっさと寝てほしいのだ。切実に。

 竜胆ならともかく、目の前に起きている若葉がいるなら、千景は寝れない。

 "乃木さんに寝顔を見られるのが嫌"という思考が千景を就寝させず、若葉をさっさと寝かせようという思考が走り始める。

 

 その理由が"若葉が嫌いだから"というものではないというのが、千景の中々に面倒臭い性格を表していた。

 

「千景は、大昔から続くというあの口伝を聞いて、何か不安に思わなかったのか?」

 

「いえ……特には」

 

「空の彼方から絶望が来た。

 光が来て、助けてくれた。

 怪物と光が戦った。

 闇に堕ちた巨人が、光の心を取り戻し、人を守った。

 ……この西暦に起きたことと、全く同じだ。作為か、運命かは、分からないが――」

 

 超古代の、超越者達の戦い。人はそれを、『神話』と呼ぶのだ。

 

「――この時代は、超古代の出来事……神話をなぞっている」

 

「!」

 

「歌野は、口伝は大昔の滅びた『前の』文明のことじゃないかと言っていたな。

 もしも、もしもだ。

 この時代の流れも……大昔の滅びた者達と同じ運命の上を進んでいるのだとしたら……」

 

「……考えすぎよ」

 

 天津神/天の神は勝ち、国津神/地の神は負けた。

 超古代の文明は滅びた。

 ウルトラマンは、ゼットンに負けた。

 神話をなぞる数多くの運命が、彼ら彼女らの周りにはある。

 

「だって、乃木さん」

 

 千景は、若葉が口にしている不安要素を痛いほど分かっていたが、それでも首を横に振った。

 

「その時代の口伝が残ってるということは、人は滅びず、闇は負けたってことでしょう」

 

「―――」

 

 生き残った人間がいなければ、超古代の神話は口伝になど残らない。

 

「心配する必要なんてないわよ。

 最後に生き残る人間が十人ぐらいだって構いはしない。

 どうせ私が生きててほしいと強く願う人間だって、もう十人も居ないくらいだもの」

 

 神話がなぞられると決まったわけでもないし、と千景は言い切る。

 

 すっぱりとした割り切りは、いっそ清々しさすら感じさせた。

 

「竜胆君は言った。

 人類は絶対に滅びたりしないって。

 私はそれを信じてる。

 竜胆君を手伝って、その言葉を真実にして、彼を嘘つきになんかしない。

 いつか皆で、平和な世界の千景(せんけい)を見に行く……それで良いんじゃないかしら」

 

「……そうだな。ああ、千景の言う通りだ」

 

 若葉の不安を、千景の断言が取り除く。

 なんとも面白い構図だった。

 この構図の面白いところは、心強い者が心弱い者を諭したというわけではない、ということだ。

 

 若葉には心の強さがある。

 だから最近の絶望的な状況の中でも、鋼の心で常の自分の精神状態を保ち、新しい情報にも想像を巡らせ真っ向からぶつかり、色んな想像をした。

 千景には心の弱さがある。

 だから余計なことを考えて絶望したくないし、一度そうなればズブズブネガティブになる自分も自覚しているから、余計なことを考えず、今この時代に全力を尽くそうとしている。

 

 千景はネガティブだからこそ未来(まえ)を見ようとしていて、若葉はポジティブだからこそ過去(うしろ)を見たという、なんとも面白いこの構図。

 

「私は乃木さんと違うから。

 乃木さんみたいな、暗い想像はできる限りしたくない。

 乃木さんみたいに、暗い想像をしても戦っていける人とは違うのよ」

 

 違うからこそ支え合える。助け合える。ゆえにこそ仲間。

 

「千景はクールだな」

 

「あなたがホットすぎるのよ」

 

 若葉がホットな時は千景がクールで、千景がホットな時は若葉がクール。

 周りの者達はこの二人の関係を遠目に見ていると、なんとなくそう思うことがあるらしい。

 周りに見せる感情の熱さが普段0で極稀に100な千景と、大体50から70くらいな若葉だと相対的にそうなる、ということなのかもしれないが。

 

 この二人はベタベタしないまま、心の距離を近付けないまま、互いのことを理解し合うようになった、そんな二人。

 

「……でも、乃木さんのそういうところが必要なこともある。竜胆君と何か話した?」

 

「少しな」

 

「……」

 

 千景は、竜胆の様子から、若葉と竜胆が何か大事な話をして、また少し関係性を変化させたことを察していた。

 だからか、少し不機嫌そうな表情になっている。

 

「こう言うのは、とても悔しくて、口にしたくもないことだけれど」

 

 千景は本当に嫌そうに、羨ましそうに、ちょっとの敵意さえ感じさせる言い草で言う。

 

「……あなたが……羨ましい。高嶋さんも、竜胆君も、あなたのことを本当に頼りにしてる」

 

「千景も頼りにされているだろう。私も千景が羨ましくなる時はある」

 

「嫉妬? あなたが? 冗談はよして」

 

「心外だな。私にだって妬ましいという気持ちはある。

 友奈も竜胆も、私に見せず、千景にだけ見せる表情は多くあるんだぞ?」

 

「……」

 

 千景にだってそんなことは分かっている。

 が。

 妬ましいという気持ちに変わりはない。

 若葉を見上げるように見ている千景は、その気持ちを自分の中で否定できない。

 

「それにだ。何より、ここにいる私が、千景のことを本当に頼りにしている」

 

「……ふん」

 

 千景にだってそんなことは分かっている。

 が。

 素直に"嬉しい"と言えず、喜んだ顔も若葉には見せられず、かといってその気持ちも消せず。

 若葉を見上げるように見ている千景は、その気持ちを自分の中で否定できない。

 

 顔を隠すようにして、千景は布団に潜り込んだ。

 

「それなら、つまらない大昔の話を信じるより、仲間でも信じてみたらどう?」

 

 千景の言葉に若葉が微笑み、布団に入る。

 若葉にはもう考え込んでいる様子もない。

 千景が若葉にくれたものは、発想の転換や、新たな見地でもなんでもない。

 "この仲間とならどんな運命でも越えられる"という確信。

 若葉の強い心を、もっと強くしてくれる後押しだった。

 

「ああ、そうだな。千景が正しい」

 

 もう寝よう、と、部屋の電灯を消し、ウトウトとし始めた二人。

 

 そんな二人の耳へと、届く声。

 

 

 

「若葉! ちーちゃん! ―――戦闘態勢ッ!」

 

 

 

 一瞬。

 まさに一瞬だった。

 その一瞬で二人は武器を取り、端末を握り、一瞬で変身を完了させる。

 一瞬の躊躇いすらなく、一瞬の戸惑いすらもない。

 竜胆という個人とその言葉を信じ切っているがゆえの、迷い無き選択と行動だった。

 

 二人が窓から飛び出した直後、ゾイガーの攻撃が守屋山と入笠山を跡形もなく吹き飛ばす。

 山が崩れる轟音が止むのと、勇者二人が竜胆の下に駆けつけたのは、ほぼ同時。

 一瞬で変身するシステムを持たない歌野は、竜胆の近くにいるものの、彼の力にも彼女らの力にもなれはしない。

 

「頼む! まだ俺の変身は無理だ!」

 

 若葉と千景、二人は力強く頷く。

 

 新顔含む大型が五体。ウルトラマンは無し。

 状況は絶望的であったが、若葉と千景の二人の顔に、絶望はなかった。

 

「千景!

 登録呼称(レジストコード)・ゾイガーと、湖の大型は私が引き受ける!

 私の援護と諏訪住民の守護はお前が担当しろ! 頼んだぞ!」

 

「……っ! 無茶な振り分けだけど、それしかないようね!

 いつも言ってくれる人がいないから私が言うけど、無理はしないで乃木さん!」

 

「ああ!」

 

 大型の巨体、中型の猛威、小型の脅威が一斉に迫り来る。

 若葉は四体のゾイガーの視線を引きつけるように飛びながら、諏訪の皆が住んでいる区域の北、諏訪湖のど真ん中に陣取るボクラグを狙う。

 星屑の群れ、バイアクヘーの群れに呪術を叩き込みながら、ゾイガーにも牽制攻撃を入れてくれる千景の援護のおかげで、苦もなくボクラグへと接近できた。

 

「さあ、挨拶代わりだ!」

 

 大太刀より、巨大な炎を生み出し、剣ごとボクラグへと叩きつける。

 大天狗の伝承における、天上世界を焼き尽くした炎。

 崇徳天皇の怨念が多大に込められた、神殺しの側面も持つ炎である。

 なればこそ、普通の生物が耐えられるはずもない。

 

 だというのに、ボクラグは痛みに絶叫こそしたが、死ぬ気配は微塵も見せず、それどころかその体はあっという間に再生してしまった。

 

(海を切ったような感覚……

 海に火を叩き込んだかのような感覚……なんだこいつは!)

 

 ボクラグの体は海水と同じ組成で出来ている。

 要するに、ほぼ水で出来ているのだ。

 諏訪湖に陣取ったボクラグは、水を無限に補給できる。

 西暦2019年現在、諏訪湖の貯水量は6000万トン。

 ボクラグの体重は4.4万トン。

 事実上、全身再生を千回繰り返してもお釣りが来るというわけだ。

 

(全身を一瞬で消し飛ばさないとダメなタイプか? だが……)

 

 倒し切るのに全身を一瞬で蒸発させるだけのエネルギーが要るとして、大天狗でもそれだけのパワーは捻出できない。

 4.4万トンの水を蒸発させるには、単純計算で9万9308ギガジュールのパワーがいる。

 ちなみに広島原爆の核出力が5万5000ギガジュール、と言われる。

 そこに怪獣の頑強さも加わるのだ。

 尋常な攻撃で消し飛ばせないことは、明白だった。

 

「くっ」

 

 ボクラグは諏訪の人間を狙っている。

 陸地に上がるのも時間の問題だろう。

 そうなれば、水も補給できなくなる。

 倒せる目も出てくるはずだ。

 

 だが、若葉がボクラグを一旦後回しにしたのは、そういった打算があったからではない。

 ゾイガー四体が、若葉に殺到してきたからだ。

 

(ゾイガー……この戦闘力でこの数、厄介な!)

 

 ここではない宇宙において、ウルトラマンティガと戦ったゾイガーは、大気圏内最高速度マッハ8.5、宇宙最高速度マッハ65.3という化物実験機『スノーホワイト』ですら追いつけない速度を見せた。

 大気圏内最高速度マッハ6、宇宙最高速度マッハ54という『ガッツウイングブルートルネード』では、小隊を組んでもあっという間にゾイガーに全滅させられたという。

 

 ちなみに、公開されている範囲で、と頭に付くが。

 日本の航空自衛隊の戦闘機達の最高速度は、速い順にマッハ2.5、マッハ2.2、マッハ2、マッハ1.6である。

 

 ならば、そんなゾイガーが、編隊を組めばどうなるのか。

 

(目が回りそうな速さだ……!)

 

 若葉を囲むソイガーが、目まぐるしく飛び回る。

 四体で若葉を囲み、跳び回り、ゾイガーは一斉に攻撃を仕掛けた。

 

 舌打ちする暇さえないような、超高速の飛翔から来る全方位攻撃。

 空中にただの生身の人間が入れば、ソニックブームでひき肉になってしまいそうなほどの衝撃波の乱気流。

 若葉にとっては即死の爪。

 即死の光弾。

 視界に捉えられるゾイガーは良くて二体、時には視界から全てのゾイガーが消え去り、最速の連携攻撃を叩き込んでくる。

 

 受け流すだけで精一杯、否、受け流せていることが奇跡。そう言い切れる化物だった。

 

「せああああああッ!!」

 

 つくづく、この速さのゾイガーに跳びかかり、関節を極め、地面に落とすという流れを平然とやってのけた竜胆が化物であると思い知る。

 

(流石だ、竜胆。やはりお前は、とてつもない男だ)

 

 逆にゾイガーもまた、圧倒しているのに仕留めきれないこの状況に、乃木若葉が生来持つとてつもない粘り強さを思い知る。

 若葉は、追い詰めてからが強い。

 追い込まれてから想い一つで粘り、想いが生む爆発力で、窮地のチャンスを探し出すのだ。

 

「乃木さん!」

 

 そこに仲間の援護が加われば、たとえ戦力比が百倍以上であっても、若葉は粘れる。

 

 千景の援護は心強く、ゾイガーの翼の動きを度々止めてくれていた。

 玉藻前の呪術は流石と言ったところか。

 もしも、千景と二人でゾイガー四体に挑んでいたなら、僅かなものであっても"勝機"はあったかもしれない。

 

 だが、たった四体しか同時に相手していない若葉と比べれば、諏訪の住民を守りながら七十体のバーテックスを相手にしている千景の負担は、異様に大きい。

 若葉は小さなミスが自らの絶命に繋がり、千景は小さなミスが他人の絶命に繋がる状況。

 若葉への援護を増やせば、その分諏訪の皆を守る手が疎かになるのは必定である。

 住民達の間から、悲鳴が上がった。

 

「千景! 私はいい! 諏訪の人達を守れ!」

 

「そんなことできるわけないでしょう!」

 

 若葉は援護がなければ一瞬で殺される。

 だが千景が援護を継続すれば民衆の守りが足りなくなる。

 薄くなった呪術の守りの隙間を抜けて、星屑が三体、諏訪の人々に襲いかかった。

 

「『七人御先』!」

 

 されど千景は、瞬時に精霊をスイッチ。

 七人に分身し、分身を一瞬で星屑の傍に出現させ、諏訪の人々を守る防衛戦を維持しながら、間近に迫る星屑三体を切り捨てた。

 更に瞬時に精霊をスイッチ。

 

「『玉藻前』ッ!」

 

 若葉の支援、星屑とバイアクヘーの迎撃、防衛戦の立て直しを行う。

 忙しいにもほどがあるが、千景がサボれば人が死ぬ。

 人が死ぬと、竜胆が悲しむ。

 あまり来てほしくない未来であった。

 

(精霊の負荷が、重いっ……!)

 

 友奈の精霊は『とにかく殴ると強い』系統、若葉の精霊は『移動速度が速い』系統で一貫しているが、千景の場合、二つの精霊を使い分けると戦闘タイプがガラリと変わる。

 ここまで状況に合わせてガラリと変わるスタイルを使い分けられる者は、他にいない。

 だがそれは、千景に相応の負担をかけていた。

 

 酒呑童子・大天狗と同格の玉藻前は、千景の細い体から容赦なく体力を奪っていく。

 フラついた千景の体が、一瞬倒れそうになった。

 

 そんな千景を、不安そうに諏訪の者達が見ていた。

 彼らは歌野は信じている。

 だが『勇者』を信じているわけではない。だから不安になる。

 けれど、『勇者』が頑張って自分達を守ってくれていることも分かっている。

 だから何も言わない。

 不安も、不満も、恐怖も、口にしない。

 千景を信じていないのに、千景のことを思って行動を選んでいる。

 とても優しい無言だった。

 

 千景は諏訪の皆を庇うように立ち、玉藻前の和服をなびかせ、鎌を構える。

 

「私達を……勇者を、信じて」

 

 不安を取り除こうとする千景の一言に、短くも不器用な気遣いを感じ、諏訪で歌野に守られていた小さな女の子の一人が、千景の背に声をぶつけた。

 

「がんばれー!」

 

 千景は、大好きな人達が生きていればいい。

 多くの人が犠牲になっても、本当に大切な人さえ生きていればいい、そう思う少女だ。

 けれど、そう思うだけ。

 こうして人の声を受けると、"守らないと"と強く思ってしまう。

 主張がブレているように見えるが、千景の性格自体はずっと一貫している。

 

 結局のところ郡千景は、スレていただけで心の根底から優しい少女であり。

 魂の髄まで、『勇者』な少女であった。

 

「さあ、目に焼き付けなさい!」

 

 眼前の敵、後方の人達、どちらにも向けて千景は叫ぶ。

 

「これが私達……四国の勇者だ!」

 

 ゾイガー、ボクラグ、バイアクヘー、星屑。

 全ての敵を牽制し、仲間を援護し、全てから人の命を守る。

 

 それが『全滅に至るまでの時間稼ぎ』に過ぎないと分かっていても、敵を全て打ち倒せるビジョンが見えないとしても、千景は全力で人を守った。

 その瞬間、諏訪の人々の目には、千景が勇敢な勇者に見えていた。

 勇敢で、優しく、人々を守る気高い勇者に、見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無理をするのは、無理をしないと成し遂げられないから。

 けれど、無理をすればほころびが出る。

 千景が一人で作る防衛ラインにも、次第にほころびが増えてくる。

 ボクラグは千景から見て北方の諏訪湖から上陸し、南下しながら圧力をかけてくる。

 空にはゾイガー。

 そして東西南北から諏訪の民衆を囲むように、星屑とバイアクヘーが攻撃してきている。

 

 逃げ道はない。

 そういうものができないよう、バーテックス達は立ち回っている。

 東西南北どちらにも移動できないまま、千景の体力と気力がゴリゴリと削られていた。

 

 星屑やバイアクヘーは人々を攻める姿勢を見せる。

 実際に特攻じみた攻撃を仕掛ける必要はない。

 攻める気配を見せるだけで、千景は牽制してそれを足止めしなければならなくなってしまう。

 そうして、星屑やバイアクヘーは千景の攻撃殺傷圏内に踏み込まないまま、千景が対処しないといけない案件を爆発的に増やしていく。

 

 小型の星屑、中型のバイアクヘーはサポートだ。

 そうやって千景のリソースを削り、ボクラグ・ゾイガーが若葉を潰してくれるのを待つ。

 チャンスがあれば人間も殺していけばいい。

 勇者を殺すのは大型に任せ、地道な嫌がらせを繰り返していけば、それで勝てるのだ。

 

「くぅっ……!」

 

 千景の守りに揺さぶりがかけられれば、ゾイガーの光弾の流れ弾、突撃してきた星屑などが、自然と諏訪の人々の足元近くに着弾し始める。

 "運が悪ければ人に直撃する"状況になってくる。

 

「うわっ!?」

「あ、危ねえ」

「……四国の勇者の人! 神経質にならなくていい! 多少の被害は、我々も覚悟している!」

 

「気楽に……言わないで……! そんな覚悟、私の方には無いのよ!」

 

 人々に死ぬ覚悟はあっても。

 千景に死なせる覚悟はない。

 見捨てることも、犠牲にすることもできない。

 

 諏訪の人々の心は強くて、千景の心は弱かった。

 弱い千景は、強い人達を見捨てることなどできなかった。

 玉藻前の力が気合いで一瞬防衛戦を押し返すも、すぐにまた押し込まれる。

 

 今は夜。

 頼りになる明かりなど、敵の光弾、若葉の炎、空に浮かぶ月の光くらいのものだ。

 バーテックスの攻撃など、常人にはほぼ見えていない。

 せいぜい、弾けた地面くらいしか見えていないはずだ。

 見えていたところで回避などできないだろうが、バーテックスの即死級の攻撃が夜闇の中から突然に飛んで来るのは、一般人にはさぞかしストレスとなっていることだろう。

 じりじりと。

 じわじわと。

 一般人の神経が削られていく。

 年齢二桁にもなっていないような幼い女の子が一人、神経が削られていく感覚に必死に耐えて、歯を強く食いしばっている。

 

 そんな中。

 千景自身に、強烈なバーテックスの一撃が命中した。

 

「あっ、ぐっ、あああああっ!?」

 

「っ!」

 

 ボクラグの能力には、霧の放出と、雷撃の放出がある。

 夜の闇は皆の視界を阻害するもの。ボクラグは夜の闇に紛れさせ、霧を千景の下にまで届け、そこに電流を流したのだ。

 霧を電線代わりにして電流は流れ、千景に直撃。

 雷神の加護がある千景は即死こそしなかったが、膝をついてしまう。

 

 そして千景の体を越えて僅かに流れた電流が、背後の子供の腕に当たった。

 走る激痛。

 耐えに耐えていた幼い女の子だが、そのせいで閾値を越えてしまったらしい。

 

「わああああああっ!」

 

 叫びながら走り出し、千景が守っていた範囲から出ていってしまう子供。

 このままでは星屑のいい餌だ。

 千景は助けてやりたいと思うが、体が上手く電流で動かない。

 それに、何より。

 千景が子供一人を助けに行けば、その隙を突いて諏訪の人間を皆殺しにしてやろう、と虎視眈々と狙う星屑とバイアクヘーが、あまりにもいやらしかった。

 

(なんてこと……!

 どうすれば……高嶋さん、竜胆君、私、私、どうしたら……!)

 

 だから、千景は動けず。

 

 だから、動いたのは水都だった。

 

「―――!」

 

 迷いはなかった。

 躊躇いはなかった。

 後悔はあった。

 恐れもあった。

 

 泣きそうな顔を必死に抑えて、藤森水都はただの巫女でしかないその身で、走って逃げた子供に追いつく。

 追いついて、抱きしめて、その頭を撫でて、幼い女の子の心を落ち着かせてやっていく。

 

「大丈夫、大丈夫だから、落ち着いて、ね?」

 

「みとおねーちゃ……」

 

「大丈夫。いつものように、勇者を信じて。戻ろうね?」

 

 幼い女の子が、こくりと頷いた。

 水都は顔を上げ、千景と諏訪の住民達の方を見る。

 千景と水都の間には、多くのバーテックスとバイアクヘーが(たむろ)していた。

 最悪の流れで、最悪に分断され、水都と子供は孤立してしまった。

 

 もう戻れない。

 この道を戻れば待つのは死だけだ。

 かといってここで立ち止まっていても待つのは死。

 ここから逃げても、星屑が一体来ただけで水都と子供は死ぬだろう。

 

 何をどう選んでも死しか待っていない、最悪の状況。

 水都は絶望に顔色を青ざめさせ、背筋には冷たい汗が流れている。

 だが、子供を優しく抱きしめ、優しい言葉をかけ続ける。

 

「大丈夫だから、お姉ちゃんを信じて、落ち着いて行動してね」

 

 怯えと勇気の両方を見せる水都の姿は、強いとも、弱いとも言い切れないものだった。

 

(本当は、怖い)

 

 子供を抱きかかえ、水都は走る。

 その後をバーテックスが追う。

 千景の手は届かず、若葉はゾイガー四体とボクラグの足止めで手が回らない。

 怖くて、怖くて、水都は泣きそうだった。

 でも、走った。

 

(なんでこんなに怖いのに、私は気絶してないんだろう。

 喉は今にも泣き叫びそうで、目は気を抜いたら泣き出してしまいそうで……

 怖くて、怖くて、足が竦んでるはずなのに、なんで私の足は動いてるんだろう)

 

 バーテックスを見るだけで、怖くて媚びてしまいそうだった。

 子供の重さに、子供を捨てたい気持ちすら湧き始めていた。

 けれど、そうしなかった。

 敵に背を向け、子供を頑張って抱きしめて、細い足で走りに走る。

 その心は、弱いはずなのに。

 

(怖いよ。なんで私、こんなところにいるんだろう。

 なんでこんな怖い思いをしてるんだろう。

 怖いのに、怖いのに、なんで―――『助けて』って言ってないんだろう)

 

 どんなに自分が弱くても、どんなにバーテックスが怖くても、どんなに世界が絶望的でも。

 それは、子供を見捨てる理由にはならない。

 

 だから水都は諦めないし、見捨てない。

 なのにそんな自分の強さに、彼女はとことん無自覚だ。

 ゆえに自分が今そうしている理由が、自分自身で分からなくなってしまっている。

 弱くても、弱くても、人を助けるその"弱者の勇気"こそが、白鳥歌野を支えてきた最も大きな勇気であることを、水都は自覚していない。

 歌野に照らされている水都は、自分が歌野を照らしていることにも無自覚なのだ。

 

 その輝きを、バーテックスが手折ろうとしている。

 いつものように。

 価値ある人間を無価値に殺すのが、彼らの生に与えられた使命。

 

(自分で自分が分からないよ。けど、けど……)

 

 だから彼女は、その絶望の中で"理由"を叫ぶのだ。

 

「うたのんなら、この子は絶対に見捨てないから、だから!」

 

 そんな"理由"がなくたって、彼女は他人を助けられる人であるというのに。

 藤森水都が、歌野と出会う前からずっと、他人を命がけで助けるような人間であったことを、歌野も諏訪の住民達も、皆知っている。

 

 だから誰もが、諏訪の巫女・水都のことを大切に思っていた。

 

 だから誰もが、星屑に水都が食われるその刹那に、絶望した。

 

「四国の勇者様! 私達はいいから、水都ちゃんを助けてやってくれ!」

「死んじゃいけないんだあの子は! あの子には、まだ未来が必要なんだ!」

「頼む……頼むから……あの子の方を助けてくれ! 一生のお願いだ!」

 

「ダメ……無理よ! 間に合わない!」

 

 間に合わない。

 星屑の歯が、女の子と水都に迫る。

 水都は女の子を突き飛ばした。

 泣きそうな顔で、死にたくないという気持ちが伝わる所作で、けれど自分ではなく、幼い女の子を生かすために、突き飛ばした。

 

 女の子は安全な位置まで転がり、水都の体に星屑の歯が迫る。

 咀嚼の歯が迫る。

 水都は昔はよく見た"星屑に食い散らかされた人間の死体"を思い出し、自分もそうなる未来に思いを馳せて、身震いした。

 絶望が、悲しみが、身の内に満ちる。

 

 一瞬がとても長く感じられるのは、走馬灯というものだろう。

 ゆっくり、ゆっくりと、水都は自分に迫る星屑の歯を見ていた。

 絶望がゆっくりと、心に染みていく。

 水都は子供を助けた。

 弱い心に鞭打って、子供を助けるため、精一杯全力を尽くした。

 

 そういう風に頑張った人が報われないのはおかしいと、いつも何度でも、竜胆は思うのだ。

 

「馬鹿野郎……って言いたいんだけど、そういう気合いは、嫌いじゃないんだよな……!」

 

「―――えっ?」

 

 水都を、飛び込んできた竜胆が突き飛ばす。

 そうして、彼女の代わりに、竜胆の右肩が噛みつかれる。

 "腕が千切れる"などというレベルではなく、右肺の断面が見えるレベルで、右腕が根こそぎ食いちぎられていた。

 星屑が、食らった竜胆の骨肉と腕を咀嚼する。

 

「あ、ああっ……! な、なんてこと……わ、私を庇って……!」

 

「ぐっ……気にすんな。かすり傷だ」

 

「かすり傷なんかじゃ!」

 

「! 油断するな! 次が来るぞ!」

 

 竜胆は残った左腕で水都を抱え、横に飛ぶ。

 一瞬前まで二人がいた場所を、星屑の歯が通過した。

 竜胆はステップを踏み、プロの格闘家でも首を折ってしまうような威力で、ハイキックを叩き込む。だが、星屑には効かない。

 その程度では効かないのだ。

 

 竜胆は出血も止めないまま、息を止めて、肺までかじられた今の自分の全力を出す。

 叩きつけられるバイアクヘーの尾をかわして、星屑二体の噛みつきもかわし、幼い女の子を回収して水都の横にまで戻ってくる。

 怪我を思わせない軽快な走行に水都は息を呑んだが、彼女は戻って来た竜胆の体の右側を見て、もっと仰天した。

 

(え?)

 

 星屑にかじられたはずの傷跡が、綺麗さっぱり消えていたのである。

 竜胆の体から生えていて、自由自在に動いているその右腕が、水都に"これ夢なんじゃ"という思考を一瞬だけ思わせる。

 だが夢ではない。

 現実だ。

 カミーラによる四国住民によるリンチは心の闇を膨らませ、竜胆をより人間離れした生命力を持つ生命体へと、その体を昇華させてくれていた。

 この桁外れの再生力は、まごうことなく現実である。

 

「え……え、えっ……!?」

 

「だから言ったろ、かすり傷だって。相対的に腕吹っ飛ぶくらいはかすり傷だ」

 

「ど、どうなってるんですかその体!?」

 

「基本無敵だ。皆が信じてくれる限りは……なっ!」

 

 竜胆が女の子と水都を抱えて跳ぶ。

 だが流石に二人抱えたまま跳んでは、竜胆の跳躍力でも無理が出る。

 かわしきれなかった星屑の噛み付きが、竜胆の右足を噛みちぎっていった。

 

 竜胆は激痛と無力感に歯噛みする。

 女の子二人を地面にぶつけないようにして、無様に地面に転がるも、すぐに足を再生させて立ち上がる。

 攻撃力が足りない。

 防御力が足りない。

 移動力が足りない。

 

(つか、何もかもが足りない!)

 

 生身一つで立ち向かう星屑がここまで恐ろしいとは。

 げに恐ろしきは、バーテックスの基本性能であるといったところか。

 世界のほぼ全てを滅亡させるのに、星屑だけで十分事足りたことだろう。

 更には、彼らを襲うメンツにはバイアクヘーもいる。

 

「ぐっ、くっ、そっ!」

 

 空から突撃を仕掛けてきたバイアクヘーに、竜胆が力強い飛び蹴りを当て、軌道を変えて水都と女の子を守った。

 だが、バイアクヘーは体長18m、体重3800t。

 身長182cm、体重84kgの竜胆が正面からぶつかっても勝ち目はない。

 竜胆の体は地面に叩きつけられ、バウンドし、空中でまたバイアクヘーに跳ね飛ばされた。

 

 最初の衝突、地面でのバウンド、二回目の衝突。

 そのどれもで太い骨が折れた嫌な音がする。

 バキバキになった体を無理に動かし、体を再生しながら水都と女の子のカバーに入った。

 

「御守さん!」

「ティガ!」

 

「だい、じょうぶ、だっ……!」

 

 星屑とバイアクヘーが、竜胆達を取り囲み、その周りをゆったりと飛翔しながら、隙を見つけ次第襲いかかろうとしている。

 獲物をチクチクと攻め、獲物が弱るのを待ち、チャンスを見つければそれを決して無駄にしないスタンスは、ハイエナの狩りを思わせた。

 

 邪神の眷属、バイアクヘー。

 天の神の使徒、星屑。

 せめて、もう少し、竜胆が攻撃力で何か工夫できる余地があれば。

 

「武器はないか武器!」

 

「だ、ダマスカスなんとかっていう包丁があります! 未使用の最後の一本です!」

 

「包丁!? 贅沢は言ってられないか、くれ!」

 

 水都が背負っていた小さなバッグの中から、独特の波紋の包丁を取り出し、竜胆に手渡した。

 武器、というにはあまりにも心もとない一本の刃。

 それを抱えて、竜胆はバイアクヘーの前に"わざと隙だらけ"に跳んだ。

 

 竜胆は時たまこういうことをする。

 わざと隙を作り、敵の攻撃を誘い、それを避けたり受けたりする。

 だがこれは違う。竜胆は攻撃を誘い、()()()()()()()()のだ。

 バイアクヘーはあまり使わない口を開け、竜胆を捕食し、口の中でグチャグチャ、ボキボキと、丹念に噛み潰していく。

 

「み……御守さん!?」

 

 驚愕する水都の視線の先で、バイアクヘーの動きが止まる。

 飛んでいたバイアクヘーが地面に落ち、苦しみ悶え始めた。

 心配と驚愕が入り混じったわけの分からない感情を抱く水都の見つめる先で、バイアクヘーの頭を内側から切り裂き、そこから血まみれの竜胆が飛び出してきた。

 

「―――!?」

 

 何も考えず噛み殺しに来るような敵に、わざわざ噛み殺されてやるほど、竜胆は間抜けでも阿呆でもない。

 食われたふりをして、体の粉砕率を八割前後にまで抑え、体内で再生を完了、内側から頭の中身をかっさばいてみせたのだ。

 なんということか、竜胆はその身一つで中型バーテックスを倒してみせたのである。

 巨人でなくても、希望を守ることはできる。

 

 竜胆は口に入ったバイアクヘーの血をペッと吐き出した。

 

「泥臭い戦いの方が、俺の本領だな」

 

 あまりにグロテスクな光景に、水都は反射的に左手で子供の目を隠し、右手で自分の口を覆う。

 吐き気を抑えるので精一杯。

 悲鳴を上げないでいるのが精一杯。

 水都が竜胆を見る目は、人間が化物を見るそれだった。

 

 竜胆はその目に、"人外への恐怖"を見て取る。

 しょうがないよな、とばかりに、血まみれの竜胆は苦笑した。

 

「ああ、すまん。女の子にはショッキングだよな、こういうの。気遣いが足らなくて悪い」

 

 血まみれで、敵の肉片だらけで、傷なんてすぐ治る、そんな人間。

 それを人間として見ろ、という方が無理筋だ。

 だが竜胆は足を止めず、水都に襲いかかる星屑の突撃を見切り、その額に包丁を刺した。

 星屑の額に刃先をぶっ刺し、刃をするりと肉筋に合わせて走らせ、魚を捌くように解体する。

 

 本当ならばよく切れる刃があったところで、星屑は人間に倒せる存在ではない。

 竜胆の体術によってとても簡単に倒したように見えるだけだ。

 勇者ですら、戦いの初期段階では星屑相手にもかなり危ないところはあった。

 

 水都は星屑をいつもポンポンと倒している歌野の姿を思い出す。

 竜胆の泥臭い戦いと、歌野の戦いを比べ、歌野の強さを再認識し―――そこで、気付く。

 

(御守さん、バーテックスを倒してる……? でも、バーテックスって)

 

 何故、普通の人間が、普通の包丁で、バーテックスを倒せているのか?

 自衛隊員が対物ライフルを星屑に撃っても、ダメージどころか怯みすら与えられなかったという実証例がある。

 バーテックスには、通常兵器の攻撃は一切通じないのだ。

 例外は、勇者やウルトラマンくらいのもの。

 

(原則、()()()()()()()()()()()()()()()()()はずじゃ……)

 

 水都の知識と頭脳では理解できない。

 推測も立てられない。

 だがその目には、"竜胆の血に濡れた包丁"が、しかと映っていた。

 

「あんま動くなよ、みーちゃん。

 体力は取っておけ。今、俺が文字通りの血路を開くから……」

 

「待ってください、御守さんの体のことは詳しく知りませんけど、少し休んだ方が……」

 

「痛くないから大丈夫だ」

 

「痛くないわけがないです! 平気なわけないです! こんな、こんな痛そうで……!」

 

 水都に対し大人しいイメージを持っていた竜胆は、竜胆の言葉を真っ向否定してグイッと来た水都の姿に、水都に対するイメージを改めた。

 勇者や巫女に選ばれる人というのはどいつもこいつも、と心中で苦笑する。

 

 人の痛みを自分のことのように感じられる感受性。

 人間離れした竜胆の怪物性を見ながらも、その痛みを想像できる繊細で敏感な心の感覚。

 感覚は竜胆の怪物性に怯え、理性は竜胆に守ってもらったことに感謝し、心の中で拮抗する二つの気持ちを、"優しい意志"で律しているその精神性。

 水都はとても高い感受性を持っており、他人の痛みや、人を傷付ける危機に敏感だった。

 

 繊細であるという彼女の欠点は、欠点であると同時に、細かな危機や脅威も明確に感じられるという長所でもある。

 だから竜胆も恐れてしまう。

 彼は、控え目に言っても化物の類だから。

 竜胆の中にある闇、暴力性、殺人衝動などを、彼の戦う姿から水都は感じ取ってしまう。

 

「ごめんな、怖いよな。怖がらせてごめん」

 

「―――」

 

 竜胆は心底申し訳なくなって、謝った。

 彼女を怯えさせたことに。

 彼女を恐れさせたことに。

 彼女を不安にさせてしまったことに。

 謝って、"守ってる人を不安にさせるのは落第点極めてるな"と、失敗してしまった自分を心底悔やむ。

 心も命も守りたいのなら、安心させてあげることが第一だったのに、と悔やむ。

 

 大きいけれど無力な体で、血まみれになってまで、竜胆は水都と子供を守る。

 彼はその中で、至らぬ部分を謝った。

 謝った瞬間、竜胆が一瞬だけ見せた表情が、水都の目に焼き付いている。

 竜胆を化物のように見る水都に対し、"怖がらせてごめん"と言った時の竜胆の表情は、筆舌に尽くし難いものがあった。

 

 だからだろうか。

 怯えながらも、水都の手が、血まみれの竜胆の手を握ったのは。

 血に汚れた竜胆の手を、普段はちょっとした虫に触れることも嫌がるような水都が、しっかりと掴む。

 

「こ……怖く、ないです。だ、だから、そんな顔、しないでください」

 

 震える唇。

 おぼつかない指の動き。

 悪い顔色。

 竜胆の目を真っ直ぐに見れないその視線。

 水都の全てが、"竜胆を怖がっている"と言っているようなものだった。

 

 されど水都は、勇気を振り絞って"怖くない"と竜胆に言う。

 普通の人の普通の勇気、優しさから絞り出した勇気が、竜胆の胸にことさらに響く。

 その気持ちが、とても嬉しかった。

 

「怖くないです。本当です!」

 

「……みーちゃん」

 

 戦うための勇気ばかり見ていると、ついつい忘れそうになってしまう、他人に踏み込む勇気や、他人の心を救うための勇気。

 こうした"優しい勇気"を見るたびに、竜胆は心を震わせる。

 守らなければと、強く思う。

 

「ありがとう」

 

 敵は巨大。人は矮小。手にした刃はちっぽけに過ぎる。

 竜胆の気分はさしずめ、姫を守るため針の剣で鬼に立ち向かったという、一寸法師か。

 ……つまり。

 絶望などなく、勝って守る気満々ということだ。

 

「その勇気が、俺の力だ」

 

「……!」

 

 幼い女の子に、水都に、寄り添うようにして刃を構える。

 次にバーテックスが攻撃してくるのは一秒後か、五秒後か、十秒後か。

 その瞬間に、命運は決まる。

 

「歌野には及ばないが、今は俺が君達を守る。君達にとっての怖いもの、全部から」

 

「……御守さん、絶対うたのんと気が合いますよ」

 

「そうか?」

 

 しかれども、皆の運命を決めるのは、怪物に非ず。

 

 

 

「ならば私は、私の親友を守ってくれたヒーローを守りましょう!」

 

 

 

 二人を守る竜胆を、更に守らんとする諏訪の誇り、金糸梅の勇者。

 黄と白の勇者衣装を身に纏った白鳥歌野が、ここで皆を守るべく、参戦した。

 空を走る、一筋の閃光。

 縦横無尽に振るわれた歌野の鞭が星屑を片っ端から叩いてゆき、星屑を無残な腐食死体へと変えていく。

 

 "叩いたものを腐らせる"。

 それこそが、タケミナカタが歌野に与えた神の武器、その権能だった。

 星屑の数を一気に減らして、歌野は水都を守るように立つ竜胆を、更に守るように立つ。

 

「何故なら私は、勇者だから!」

 

「うたのん!」

 

「ごめんみーちゃん、遅くなった!」

 

 バーテックス襲来から現在まで、せいぜい二分と少し。

 歌野の勇者スペックでは、敵を蹴散らして戦場を移動することすら困難だっただろう。

 にもかかわらず、歌野は星屑とバイアクヘーの数を減らしながら、たったの二分で主戦場まで切り込んで来たのである。

 それも、この戦場における最適解を選び取りながら。

 

「若葉! 千景さん! 竜胆さん!

 ここから南にかけてのバーテックスを一掃しました!

 南方向に退路が確保できてます! 諏訪の皆さんをこっちに逃して下さい!」

 

「―――!」

 

 そう、たった二分で、歌野は皆の退路を確保してみせたのだ。

 あとはその退路を敵に塞がせないようにして、そこから諏訪の人々を逃がせばいい。

 白鳥歌野は本当に、"戦闘が上手い"少女である。

 それは、直接戦闘力なんて小さなスケールに収まるようなものではない。

 

 竜胆を守るため、勇者衣装と武器を持って家の前に立っていなければ、歌野は勇者衣装と勇者武器を取りに行っている間に、どこかで星屑に食い殺されていたかもしれない。

 そういう意味では、『戦闘における豪運』すら、歌野は持ち合わせていると言えた。

 

「自己犠牲のヒーローとか今時流行らないわよ!

 さあさエブリバディ、気合いを入れて、今日も全員で生き残りましょう!

 誰かが辛い想いをすると、勝ってもすっきりしないものね! どうせ勝つならすっきりと!」

 

 ガチン、ガチン、ガチンと、バイアクヘー達が翼を鎌状の刃へと変える。

 バイアクヘー達が本気になった証だ。

 千景に嫌がらせを仕掛けていた時ですら、竜胆が立ちはだかった時ですら、本気になっていなかったバイアクヘーが、弱い勇者であるはずの歌野を前にして、本気の形態へ移行する。

 

 星屑とバイアクヘーが、空の津波となって殺到した。

 

 ひゅん、と鞭が唸る。

 それがバイアクヘーの一体を掴み、僅かに軌道を変えさせる。

 飛行軌道を変えられたバイアクヘーは、刃になった自分の翼で、仲間を切り裂いてしまった。

 バイアクヘーの編隊に、一瞬の戸惑いが生まれ、星屑だけが先行する。

 

 そうして先行した星屑を鞭で叩き、特に先行していた星屑を腐食抹殺していく。

 バイアクヘーの足止めをして、その僅かな時間で星屑の数を一気に減らす。

 合理性の塊のような戦術であった。

 

 同士討ちをしない陣形で再度突撃してきたバイアクヘーを鞭で打ち、歌野は位置を調整して……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ゾイガーの光弾が当たったバイアクヘーは燃え尽き、歌野には傷一つ付いていない。

 

 殺到する星屑の攻撃を、遠くの木に鞭を巻き付け、鞭を引きながら跳躍することで、低いスペック不相応な長距離跳躍回避をする、なんて技巧まで見せていた。

 

「……強い。凄いな、歌野……スペックは間違いなく低いが……()()()

 

 竜胆は感嘆する。

 

 歌野は、とにかく視界が広い。

 戦場全てをよく見て、利用できるものを利用している。

 更には判断も速く、的確だ。

 今の自分にある能力を完全に把握し、それを使いこなし、最大限に応用して戦場の流れをコントロールしている。

 

「しかも、戦い方がなんというか、綺麗だ。あんなに色々やって、忙しく戦ってるのに……」

 

 千景が好きな、スマブラタイプのアクションバトルゲームで例えよう。

 決闘が強いゲーマーは、アイテム無し、特別なルールなし、地形も障害物もないただの平地、いわゆる終点ステージでの決闘が強いゲーマーだろう。

 だがこれは、所詮決闘が強いゲーマーでしかない。

 

 歌野はこういうゲームをやらせた場合、地形を最大限に利用し、特別ルールを悪用し、アイテムを最大限に活用し、障害物を多用し、敵の武器を借用するだろう。

 そうなれば、手が付けられないほどに強いはずだ。

 『何でもありの実戦で強い』。

 歌野の強さは、この一言に尽きる。

 

 星屑の噛み付きを、大木を盾にしてかわしている歌野を見れば、痛感させられるだろう。

 直感で敵の先を読み、敵味方地形含めた戦場にあるもの全てを利用し、敵と戦う。

 これが、四年間諏訪にただ一人の死者も出さなかった、諏訪の勇者の持つ強さ。

 

「鞭ってのは扱い辛く、見切り辛い。

 ちーちゃんの鎌と同じ、"凡人が使う武器としては失格"だから主流にならなかった武器。

 剣や槍のような、凡人が使っても一定に強く、多様性のある使い方ができる武器じゃない。

 なのに……ここまで、このレベルにまで、多様性と応用性のあるスタイルだとは……」

 

「うたのんは、凄いでしょ?」

 

「ああ、凄い。文句なしだ。これが諏訪を一人で守り続けてきた、勇者の力と才覚か」

 

 バイアクヘーの首に鞭を巻き付け、バイアクヘーの背中に登る歌野。

 空いた手でバイアクヘーのうなじあたりをガシッと掴み、そこから周囲のバイアクヘーと星屑へと鞭を振るう。

 同士討ちを恐れるならば、歌野に激しい攻撃はできない。

 敵の背の上というセーフゾーンに陣取って、歌野は敵を減らしていく。

 

 竜胆は歯噛みする。

 歌野の強さを見れば見るほどに―――諏訪の勇者の力が四国と比べて格段に弱いという事実が、不安要素として目立っているのが、よく目に見えていた。

 

「……こういう戦場じゃなければ、最高に信頼できるってのに」

 

 諏訪湖でたっぷりと水分を溜め込み、南下していたボクラグが、とうとう諏訪の者達がいるラインにまで南下してきてしまっていた。

 千景の呪術。

 歌野の鞭撃。

 二つがボクラグの体を打つが、ただの水でしかない体は呪われても大した影響は出ず、鞭で何リットル分の体を砕かれようが屁でもない。

 

 ボクラグが両腕のハサミから放った雷撃が、バイアクヘーごと歌野を撃ち貫いた。

 

「きゃっ!?」

 

「うたのん!」

 

 歌野は咄嗟に跳んで直撃を回避し、鞭の先で木を掴むことで、自分の体に流れ込んできた余波の電流をそこに逃した。

 電化製品で言うアース、というやつである。

 ほとんどダメージは無かったが、歌野の体には痛みとしびれが残っていた。

 

「あづづ、バッドもバッドね、デカい奴とのタイマンは久しぶりだわ……」

 

 歌野は視線を動かし、一瞬で戦場全体を把握する。

 

 若葉は大ピンチ。ゾイガー四体を足止めしているがもう限界だ。

 星屑は残り20、バイアクヘーは残り8といったところか。

 千景の負担はかなり軽くなっていたが、若葉のピンチのせいで、若葉の援護のためそちらの方にかなり注力して立ち回らないといけなくなっている。

 ボクラグは歌野と対峙中。

 諏訪の人々は南方に移動を開始。

 

 あまり良い状況とは言えない。歌野だけでなく竜胆も状況のマズさを把握していた。

 竜胆は特攻玉砕万歳なんてアホなことは考えず、頭を使って、この状況をどうにかしようと考えていた。……いい案は、ほとんど浮かんでいなかったが。

 

「焼け石に水だろうが、俺も援護に行ってくる。

 みーちゃん、この子を頼んだぞ。

 ちーちゃんのカバー範囲を意識して、南への避難誘導も頼む」

 

「え……で、でも! 今度こそ、死んでしまうかも……」

 

「死なせないために行くんだよ。もう歌野を一人で戦わせたりするか」

 

「―――」

 

「もう仲間なんだ。一緒に頑張って、歌野の大切なものを、一緒に守ってやらないとな」

 

 この戦場で一番弱い、未完成もいいところな勇者のシステムの使用者。

 巨人になる力さえも残っていないウルトラマン。

 二人合わせても、四国の勇者一人相当の火力を出すことすらできないだろう。

 それでも、仲間同士足りないものを埋め合うことで、その先にある奇跡を掴める可能性を、信じて戦うしかないのだ。

 

「今俺に出来る歌野の援護は……背後を狙って気を引くか。よし」

 

 竜胆がバーテックス達の動向を窺い、駆け出すタイミングを測っている。

 水都はもう真っ当な目で歌野も竜胆も見ていられない。

 目を離したら、次の瞬間には二人共死んでしまいそうだと、そう思えるほどの状況だった。

 竜胆が駆け出してしまえば。

 次の、ボクラグと歌野の攻防が始まってしまえば。

 ……最悪そこで、一人死ぬ。

 若葉も千景も歌野達以上にいっぱいいっぱいであることは一目見れば明白であり、助けなど求められる状況ではなかった。

 

(何か、何か、私にできること! 何かできることは……!)

 

 水都の視線がぐるりと辺りを見回す。

 近くのもの、遠くのもの、味方、敵、友達、守ってくれた(ひと)、腕の中の幼い女の子、なんでもかんでも片っ端から注視していく。

 そして、"小さなことを気にする"彼女の感性が、『それ』を見つけた。

 

 ゾイガー達が人間達を恐怖のどん底に陥れるため、最初に吹き飛ばした守屋山の跡地に、『それ』はあった。

 

(―――)

 

 水都の小さな手が、竜胆の血まみれの手をまた掴む。

 

「待って御守さん!」

 

「ん?」

 

「こっちに! もしかしたら、希望があるのはあそこかもしれない!」

 

 水都に手を引かれ、水都が指差す先にあるものを見て、竜胆は目を見開いた。

 

「一発逆転の鍵は、きっとあそこに!」

 

 水都が何を言いたいかを竜胆は理解する。

 だが瞬きほどの間に、仲間を放っておいていいのか、仲間を直接助けた方がいいのでは、という思考の迷いが生じてしまう。

 されど、その迷いも、若葉が墜落していくのが見えた瞬間に吹っ切れた。

 

 ゾイガー四体がフリーになった。

 諏訪の民衆にゾイガー達が狙いを定める。

 もう、奇跡に賭ける以外の何かをしていられる余裕はない。

 

「……賭けるしかないのか!」

 

 水都と竜胆が走る。

 神様が『ティガの仲間』に託そうとした武器は、きっと『そこ』にある。

 

「私達人間なら、一年は長いけど! 神様にとっては、そうじゃない!」

 

 今日ずっと、竜胆達はあらゆる祠を探し、けれど何も見つけられなかった。

 それも当然だ。

 『人間のスケール』と『神様のスケール』は違うがために、人間には見つけられず、神様には何故見つけられないか分からない、そういう場所に、『それ』はあった。

 

「祠は埋まっちゃってたんだ……三千万年の間に!

 三千万年もあれば、祠の上に山の一つや二つは出来ても不思議じゃないよ!」

 

 人間から見れば"動いていない"ように見えるゆっくりとしたペースで、地面は動いている。

 それが地震を起こし、陸地のスケールを変えていく。

 現生人類の文明の歴史は、定義にもよるが一万年程度。

 『三千万年』というスケールで見れば、それこそ一般人ではイメージすらできないようなとてつもない事象を、時の流れが発生させるのだ。

 

 百万年前、日本は四国も沖縄も北海道も全部本州とひと繋がりであり、大陸と地続きだったと言われている。

 三千万年前ともなれば、日本が島は島に見える形ですらなく、日本海すら存在しない時代であったことだろう。

 

 日本が島のように見える形になったのは、150万年以上前。

 長野県・諏訪の山脈である日本アルプスもまた、この時代に発生を始めた山脈だ。

 日本の大地は捻じれ、曲がり、回転し。

 東北が大地ではなく、島々になり、また大地に戻ったり。

 四国や沖縄が大陸の広大な大地の一部な時期に、本州が小さな島の集まりになっていたり。

 氷河期で海面が下降し、また全てが大陸とひと繋がりになったりもした。

 

 三千万年あれば、日本が日本でなくなる程度の地殻変動は容易に起こる。

 現在の諏訪湖ですら、300万年前は確実に存在しなかっただろう、というのが定説である。

 大昔に諏訪に湖があり、それが干上がり、痕跡もなくなって、新しい諏訪湖が出来て、それを何度も繰り返して……そんな歴史がありえるのが、三千万年という歳月なのだ。

 

「だから、きっと、あそこに……!」

 

 昔、昔。

 三千万年前のこと。

 そこには、銀の祠が在った。

 だが時の流れは地形を変え、大地を山に変え、祠を飲み込んでいった。

 

 その祠の有する能力は"特定の神器の回収"。

 その時代において役目を終えた、あるいはふさわしい持ち主がいないまま長過ぎる時が経った神器を、祠の中に回収する機能を持っていた。

 作られてから、もう三千万年が経過している。

 なればこそ、神も、人間も、バーテックスも、触れずに久しい祠であった。

 

 山の下にあったその銀色の祠が、今竜胆達の目の前にある。

 

(何か入ってるのかこれ……!)

 

 竜胆が触れると、バチンと何かの音がして、祠の扉が開く。

 どうやら"ティガかティガの仲間"が触れることで開くセーフティがあったようだ。

 水都と竜胆は扉を開き、その奥に収められた武器を目にする。

 そこにあったのは、石の大剣。

 何故か、どんな黄金よりも華美で、どんな純銀よりも清浄で、どんな鋼鉄よりも頑丈そうに見える、不思議な石の大剣だった。

 

 目にしただけで、勇者やバーテックスと似て非なる、大きな力が伝わってくる。

 

「剣っ……御守さん! 武器です!」

 

「ああ、剣なら……若ちゃんだろ!」

 

 若葉は今、ゾイガーに落とされた。

 だが、竜胆は信じている。

 一度負けたくらいで、乃木若葉は負けない。

 一度落としたくらいで、乃木若葉は落とせない。

 最後には必ず勝つ人であると、竜胆は彼女を信じている。

 

 矛盾の域に突っ込みかけているレベルの絶大な信頼が、この剣を託す相手を選ばせた。

 竜胆は剣を握り、若葉が落ちた辺りに見当をつけ、振りかぶる。

 そして、全力で投げた。

 

「信じて任せる! 信じて託す! いつだって信じてる―――受け取れ、乃木若葉ぁっ!!」

 

 大剣は真っ直ぐに空を飛び、剣が自ら飛んでいるかのように落下の兆候すら見せず、若葉めがけて飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昔昔、あるところに。

 

 天を追放された、天の神の弟・スサノオという神がいた。

 暴れ回る神獣、ヤマタノオロチという怪物がいた。

 オロチに食われる運命にある、クシナダヒメという神がいた。

 

 スサノオはオロチを倒し、クシナダヒメを助け、姫を妻に娶る。

 その時オロチの尾から見つかった剣が、日本における絶対王権を示す三種の神器が一つ……天叢雲剣だ。日本一有名な刀だろう。

 『勇者が悪しき竜を倒し姫を救って結ばれる』という、原初の英雄譚の一つである。

 そうしてスサノオとクシナダヒメの間に生まれた子の子孫が、地の神の王・大国主である。

 

 このスサノオが一体化しているのが、土着神の集合体。

 すなわち神樹。

 

 このヤマタノオロチの子が、酒天童子。

 友奈を守る精霊である。

 この大国主の息子の一人が、事代主。

 友奈を勇者に選んだ神である。

 

 大国主の別の息子が、阿遅鉏高日子根神。

 千景を勇者に選んだ神である。

 大国主の別の息子が、建御名方神。

 歌野を勇者に選んだ神である。

 

 大国主の妻が神屋楯比売命。

 球子を勇者に選んだ神である。

 死んだ大国主を蘇生し救ったことがあるのが、支佐加比売。

 杏を勇者に選んだ神である。

 

 そして地の神の王・大国主が勇者に選んだ者こそ、乃木若葉。

 彼女の手に握られる生太刀とは、本来は栄華を約束され、地に満ちる命の頂点に立つ者が握るべき神刀なのだ。

 

 全ての事象は、どこかで繋がっている。

 神々の間の繋がりも、時代の繋がりも、人と人との繋がりも、そうなのだ。

 かつて対立した系譜の者達ですら、"天の神から人の子らを守るため"に、力を合わせて人を助けてくれている。それが神樹という存在なのである。

 

 魔は剣が討つ。

 王権は剣と共にある。

 剣は時に魔を討ち、神を狩り、天地を裂く。

 『剣』ほどに、神話を象徴する武器などありはしないだろう。

 

 なればこそ、それは『剣』だった。刀でもなく、『剣』だった。

 

 

 

 

 

 若葉は、ゾイガーに叩きのめされ、地に落ちた。

 意識は薄れ、力は尽きかけ、もはや刀を力強く握ることすらできない。

 地に落ちた後、立ち上がることすら億劫だった。

 

(流石に……この質と数は、無理があったか……)

 

 体の力はとっくに尽きていた。

 精霊の負荷で外側も内側も傷が多い。

 なのに、遠くで彼が叫ぶのだ。

 

「信じて任せる! 信じて託す! いつだって信じてる―――受け取れ、乃木若葉ぁっ!!」

 

 なら、もう、しょうがないではないか。

 

(立ち上がるしかないじゃないか)

 

 心の力だけで立ち上がる。

 だがそれはもう、無意識の内に立っていたというレベルで、若葉には既にまともな意識が残ってはいなかった。

 竜胆の声に無意識レベルで応えただけで、若葉は夢の中にいた。

 

 若葉は、夢を見ている。

 見ている夢は、祖母の夢。

 若葉が大好きだった祖母は、若葉に大切な生き方を教えてくれた。

 

―――若葉

―――乃木として生きなさい

―――『何事にも報いを』。この言葉を、忘れぬように

―――恩義や情けには報いを、攻撃されたら報復を。そう生きなさい

 

 記憶の中の祖母が、記憶の中の幼い若葉に語りかけている。

 

―――今は本当の意味では分からなくても、この言葉を心に刻みなさい

―――報いは、とても大切なこと

 

 若葉の生き方は、祖母から伝えられ、教わったもの。

 

―――悪い人には罰が、善い人には幸福があってほしいものでしょう

―――悪い人が報いを受けず、のうのうと生きる世界

―――善い人が報われず、悲しみ苦しみ続ける世界

―――それを、地獄と言うのです

―――あなたはそれを許さない気持ちを、ずっと持ち続けなければならない

―――『報い』とは、『当たり前』とも言い変えられる。だからこそ、絶対に忘れないように

 

 悪い人が報いを受けるのも、善い人が報われるのも、『当たり前のこと』だと、祖母は若葉に言い続けた。

 そして、世界がそんな風に理想的に回ってはいないことも、幼い若葉に教えてくれた。

 

―――あなたの幸福を害する者を討つために

―――あなたが好きになれた人を、あなた自身が幸せにするために

―――『報い』の在り方を、応報の生き方を、絶対に忘れてはなりません

 

 祖母はただひたすらに、真っ直ぐに、若葉を育てた。

 

―――他者に施した善行は、巡り巡って自分に返って来るもの

 

 祖母は若葉の幸福を願い、若葉を育てた。

 

―――それが必ず……あなた自身を、幸せにしてくれるから

 

 そして若葉の祖母が願った通りに、若葉は真っ直ぐで強い子に育ち、若葉が助けたどこかの誰かが、若葉を助けてくれるサイクルができた。

 若葉が皆を助け、皆が若葉を助ける。

 若葉は友を信じ、友は若葉を信じる。

 そして、この時代のティガはカミーラのような女を選ぶことなく、乃木若葉を選んだ。

 

「……っ、くっ、あああああッ!」

 

 叫び、若葉が意識を取り戻す。

 

 そして、竜胆が投げ込んだその剣を、心赴くままに掴み取った。

 

 

 

 

 

 其はウルトラマンではなく、人間の手に握られるべき、聖なる剣。

 日本の神話のみならず、人類史の各神話にて、人と神の未来を決定付けてきた『聖剣』という名の最強のカテゴリー。

 遠き昔に、"巨大なオロチの尾の中から見つけられた"と、伝えられる光の剣。

 

 輝けるその剣の名は、『闇薙(やみなぎ)(つるぎ)』。

 

 遥か遠き昔に、"人間が振るいウルトラマンティガを助けた"と伝えられる聖剣であった。

 

 

 

 

 

 その輝きは、夜明けの光。闇の終わりを告げる光。

 

 フランス語ではその光を、『Aube(オーブ)』―――『夜明け(オーブ)』と呼ぶ。

 

 なればこそそれは、遥けき過去に存在した、神話の始まりより在りし夜明けの原点。

 

 絶望に満ちた夜闇の終わりを告げる、聖剣の『始原の夜明け(オーブ・オリジン)』である。

 

 

 

 

 

 叫ぶ若葉が、剣を振る。

 

「これが―――人間の、力だッ!!」

 

 ただそれだけで―――『夜が終わった』。

 

 聖剣・闇薙の剣から、夜を終わらせるほどの光が放たれる。

 人間の眼球を焼くことはない、人間にとって優しい光。

 されど邪悪なる者の眷属にとっては、地獄の業火が生温く感じるレベルの光。

 それが諏訪を飲み込み、人間には傷一つ付けぬまま、生命力の低い星屑とバイアクヘーを、残骸すら残さず消滅させていった。

 

「な……何だあの剣の力!?」

 

 竜胆が驚愕の声を上げる。

 勇者の力。

 聖剣の力。

 乃木若葉の心の光。

 それらが相乗効果を起こし、文字通りに"神がかった力"を外部に放出している。

 若葉が握った闇薙の剣は、常に柔らかで淡い光を発していた。

 

「とてもよく、手に馴染む。それにこの光……私には、とても優しく、暖かく感じられる」

 

 ゾイガー四体とボクラグが並び、光弾と雷撃を全力発射する。狙いは若葉だ。

 クトゥルフ神話において邪悪なる神として語られる、文明すら滅ぼす五体が、その全力を一つに束ねた合体攻撃。

 若葉はそれを―――剣の一振りで()()()()()()()()

 

「はっ!!」

 

 跳ね返された光弾と雷撃が、ゾイガーの一体をあっという間に消し炭に変えた。

 

「持った瞬間に理解した。

 この剣に宿る神通力は……()()()()()()()()()()()()()()()()のだ」

 

 闇薙の剣は、邪なる者の力を反射する。

 それが光の技であってもだ。

 なればこそ、闇を打ち払う光の剣足り得ると言える。

 

「―――この剣の過去の持ち主は、ティガと共に在ったのか。

 いや、そうだな。ウルトラマンと人間は……助け合い、共に戦うものだからな」

 

 この剣の特徴は三つ。

 光を放つこと。

 邪悪な者の力を跳ね返すこと。

 そして、ティガを導くこと。

 超古代の者達は、何かを想って、この剣を鍛え打ち上げた。

 

「見るがいい、諏訪を飲み込まんとした闇の化生ども!」

 

 右手に生太刀。

 左手に闇薙の剣。

 神刀と聖剣の二刀流。

 ゾイガー達が後ずさりながら放つ光弾を悠然と切り捨てながら、若葉は突撃した。

 

「光が闇に負けることはない!」

 

 若葉の流派は居合道。

 居合で刀を扱うのみならず、鞘も扱い疑似二刀も見せる剣術流派である。

 竜胆は初めて見た戦いでそれを活用していたのを見ていたし、鍛錬でも使っているのを見たことがある上、その鞘で殴られたこともある。

 鞘の感覚で片方を使えば、ぶっつけ本番二刀流でも、滑らかに二刀を操ることは難しくない。

 

「お前達がどんなに強大で、恐ろしい存在だとしても―――」

 

 疾風の如く飛び、閃光の如く剣と刀を、敵のそっ首へと振るう。

 

 ゾイガー達と若葉がすれ違った、次の瞬間。残り三体の内、二体のゾイガーの首が落ちた。

 

「―――人間(わたしたち)が、希望を捨てることはないからだッ!!」

 

 光り輝く聖剣が、若葉の勇者としての力すら増大させている。

 輝く光は、生き残ったボクラグとゾイガーを苦しめ、二体は全力での撤退を選択した。

 かくして諏訪から全てのバーテックスは一掃され、若葉の手には聖剣が残る。

 諏訪の誰かが、光を纏い聖剣を携える若葉を見て、ふと呟く。

 

 

 

「『聖剣の勇者』……」

 

 

 

 若葉は神に選ばれ、神刀を携え、今また聖剣をその手に得た。

 信心深い者ほど、彼女を見ているだけで運命のようなものを感じずにはいられない。

 

 ナターシャは、未来を変えられる人間を二人見つけた。

 ゆえに二人に託した。

 ナターシャが見た二人とは、御守竜胆と乃木若葉。

 二人が肩を並べて前に進む時、未来は変えられるものとなる。

 他の者では、闇薙の剣からここまでの力を引き出すことはできなかっただろう。

 

 ナターシャの感覚は、この上ないほどに正しかったと言える。

 若葉は刀を鞘に収め、聖剣を地に突き立て、竜胆に拳を突き出した。

 

「私はお前の信頼に、相応に応えられているか?」

 

 竜胆は笑って、拳を突き出す。

 

 二人の拳が、二人の間で、軽くコツンとぶつかり合った。

 

「応えすぎだよ、バカ。最高だ」

 

 『乃木若葉は勇者である』。

 

 そんな最高の現実を、竜胆は今日という日にまた強烈に、肌身に染みて実感していた。

 

 最高の仲間の存在を、竜胆は肌身に染みて実感していた。

 

 

 




https://www.youtube.com/watch?v=24CX4FyQ1m4
すき

【原典とか混じえた解説】

闇薙(やみなぎ)(つるぎ)
 『ウルトラマンティガ外伝 古代に蘇る巨人』に登場する聖なる剣。
 邪悪の力を問答無用で反射する能力を持つ。
 ウルトラシリーズでは珍しい、"人間が手持ち武器として使う伝説の武器"であり、"怪獣にも通用する人間の手持ち剣"である。
 また、剣自らの意志で光り輝き、所有者にティガの変身者を導かせようともする。
 日本の神話が好きな人、ウルトラマンオーブが好きな人のどちらも唸る、『クラヤミノオロチという怪獣の尻尾から取り出された』聖剣。
 諏訪の神域(祠)に収められていた超古代の秘宝。

※余談
 『ウルトラマンティガ外伝 古代に蘇る巨人』は五千年前の地球が舞台。
 西暦ティガの先祖の一人である一人の女剣士(ヒロイン)が、五千年前のティガ変身者(主人公)をこの剣で助け、怪獣を切ったりしていた。
 要するにヒロイン専用の剣。
 この外伝では西暦にウルトラマンティガ・ダイナ・ガイアと共に戦った者達と、同じ顔の戦士達も多くおり、ファンには"彼らは生まれ変わっても共に戦っている"と解釈する者もいる。
 ちなみにこの外伝でヒロインの女剣士は主人公に『真の勇者』と呼ばれ、ヒロインも主人公に「真の勇者はお前だ」と言い、村を守る戦士は『防人』と呼ばれ、預言に従いティガの覚醒を助けた女性は『巫女』と呼ばれている。

 余談の余談だが、ウルトラマンオーブが初めて地球を訪れ、マガガタノゾーアとの決戦に挑んだのもオーブ本編開始の五千年前。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

お昼に更新お昼に更新
最近ちょっと遊んだらクスっときた診断(時拳時花ネタあるので未読の人は注意)
https://i.imgur.com/thoSIG9.jpg
https://i.imgur.com/96IHxwR.jpg
この二つが連続で来たので「君うちの作品既読じゃない?」ってなったんですよね


 ゾイガーやボクラグの襲撃があった、その次の日の朝。

 若葉はいつものように早起きし、日課の鍛錬を行っていた。

 右手に神刀、左手に聖剣を持っての二刀流。

 一般人の目で見れば、大きな二つの剣を手足のように扱う若葉の姿に、頼もしさと凛々しさしか感じないだろう。

 

(振れなくはないが、少し重いな)

 

 だが戦闘経験豊富な若葉は、この聖剣が片手で扱うには少し重いことを感じていた。

 勇者の筋力であれば問題なく使える。

 されど振れればそれでいいというものでもないのだ、武器というものは。

 例えばの話だが、若葉の筋力がどんなに強くても、若葉の全体重よりも重い剣を触れば、若葉の体はひっくり返ってしまうだろう。

 こういうところで、数万tの体重のウルトラマンと、数十kgの体重の人間には細かな違いとネックが出て来てしまう

 

(少しは体が流れるか。

 だとしたら、それも考えて……

 小振りに使うと逆に扱いが悪くなる。

 適宜二刀流と両手一刀持ちを切り替え、遠心力を連撃に逆に利用して……)

 

 若葉は大きな剣の二刀流、という見るからに使い辛そうなスタイルを確立していた。

 もう少し修練と習熟が必要だろうが、戦えば戦うほどに、大型バーテックス殺しに特化した戦闘技巧を完成に近付けていくことだろう。

 

 七月になっても咲き誇っている赤いサツキの花が、若葉の剣が巻き起こす風に揺らされている。

 サツキの赤色を揺らすほどの剣風。

 昨日手に入れたはずの剣を若葉はもう使いこなしている……というより。

 何故か、"剣の方が若葉に合わせている"、そんな印象を受ける剣舞であった。

 

(神刀で攻め、聖剣で守る。……悪くない。

 私は最初は近接一辺倒で、大天狗を得てからは飛び道具も得た。

 速さと攻撃力はあり、無いのは球子のような仲間を守る防御力だけだった。

 だがこれがあれば、球子のように防御に専念してさえ私には果たせる役割がある)

 

 邪悪なる敵の攻撃を全て反射する闇薙の剣は、防御に徹しても十分強い。

 若葉がティガの後ろに立っているだけで、ティガの背後の守りは鉄壁となるだろう。

 勇者専用の『守りの力』を得て、若葉は守れなかった友のことを思い出す。

 友としても、仲間としても、好感を持てた少女のことを。

 

(球子。見ているか?

 お前のことを思い出すたび、その代わりはできないと思い知るが……

 ほんの少しは……お前がやれていたことを、私もやっていけそうだぞ)

 

 死んでいった仲間のことを、若葉が忘れるものか。

 

 そして、若葉同様、死んでいった仲間のことを一瞬たりとも忘れていなさそうな少年が起きて来た。

 

「おはよう、若葉」

 

「おはよう、竜胆。いい朝だな」

 

「ああ。晴れて良かった……のかは分からないけどな」

 

「いいことだ。

 竜胆はあまり知らないだろうが、四年前の襲撃の時、空は闇に覆われていた。

 空が闇に覆われた状態での移動は、普通の人の心を容赦なく蝕み、不安を掻き立てた」

 

「……そりゃ、嫌そうだ」

 

「四国の天蓋が神造のものであるのにも、天空恐怖症候群にも、相応の理由はある」

 

 襲撃初期に大暴れしてすぐ切り倒された竜胆の記憶は、彼がその時の周囲の状況を明確に記憶していなかったのもあって、四年前の事態については若葉の記憶のそれに劣っていた。

 竜胆は、星屑を見て発狂し、天空恐怖症候群を起こす一般人の姿すら見ていないし、覚えていない。

 若葉は刀を鞘に収め、聖剣を地に突き立て、竜胆のコンディションを確認する。

 

「変身はできそうか?」

 

「おう、バッチリだ。三分間、変身は間違いなく維持できる」

 

「丸一日の経過と言うには少し早いが……」

 

「睡眠時間と休憩時間は十分に取ったから大丈夫……だとは思う。まあ任せとけ」

 

 前回の変身から24時間は経っていないが、今変身しても、無理というほどではない。

 一日は経過した、と言えるラインである。

 あとは変身して、諏訪の皆を一分以内に四国まで運び込めばいい。

 とにもかくにも移動だ。

 結界が完全に潰れた諏訪に長居することは、あまりにも危険過ぎる。

 

「聖剣は扱えそうか? 若葉が扱えないならもう誰も使えない気がするけど……」

 

「出力を上げると苦しいな。

 昨晩のような使い方は考えてやらないと、すぐバテる。

 何も考えずに使えば十数秒で体力全部持って行かれる可能性もあるだろう」

 

「若葉の体力でそうなのか? そりゃまた凄い」

 

「ただ、闇を切って払うことや、敵の力の反射にはほぼ力は使わない。

 ……この剣自体が備えている力の量そのものが桁違いなんだ。とてつもない」

 

 なるほど、と竜胆は頷く。

 

「攻撃には向いてないんだな、その聖剣」

 

 竜胆の指摘に、若葉は目をパチクリさせて、納得した様子で剣を見た。

 

「……そうか、攻撃に使おうとすると消耗が大きいのか、この剣は」

 

「?」

 

「握った時に伝わってきた想いを素直に受け取るべきだったか。

 この剣は破邪の剣であり、守りの剣。

 誰かを守るためにある剣。

 勇者の力を通して無理に攻撃に転用することが間違いだったんだな」

 

 若葉が大国主より与えられた生太刀は、その名から生命を象徴する武器だと言われている。

 神話の中でスサノオは、「敵対する神々を打ち倒すための力」として大国主にこの刀の所有権を与えた、と描写されている。

 由来からして攻撃の剣なのだ、この神刀は。

 なればこそ、闇薙の剣とは役割分担がハッキリしている。

 

 守るためにこそ、この剣はあるのだから。

 

「諏訪の人達は皆早起きだぜ、若葉」

 

「そのようだな。皆、農業に従事する内にそうなったのだろう」

 

「諏訪では夜更かしできるほど、夜に光を確保するのが難しかったってのもあるんじゃないか?」

 

「世知辛いな。夜更かしもできない困窮の状況か。

 四国との通信で一度も弱音を吐かなかった歌野の強さを痛感する」

 

「それも今日で終わりだ。さて、皆の荷造りの手伝いでもしようかな」

 

「私も行こう。朝の内に、四国にまで全員を到達させる」

 

 今諏訪にいる全員を運ぶ役目を請け負う竜胆と、竜胆に運ばれなくても問題がない――自分で飛べる――唯一の存在である若葉にとっては、四国も"ひとっ飛び"の範囲。

 なればこそ、彼らの目に見えている問題点は『距離』ではない。

 二人は、諏訪の皆の荷造りを手伝い始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人間の武器は連携である。

 原人がマンモスを狩っていた頃からずっとそうだ。

 バーテックスがその武器を奪いつつあるのがいやらしいが、それでも連携はいつの時代も強力な人間の武器である。

 竜胆は、歌野と水都とその辺の打ち合わせをしていた。

 若葉と千景にはあまり要らない。それだけの関係性がある。

 

「―――というわけで、だ。

 ちょっとした敵なら、ティガブラストと大天狗で蹴散らせるからそのまま進行。

 この場合は空中戦だけだから歌野達の出番はなし。

 敵が結構なもんだったら、一回諏訪の人達は全員降ろして、敵を全滅させるまで戦闘だ」

 

「うん、分かったわ」

 

「その場合はうたのんが戦線に入って、私は避難誘導かな……」

 

「四国が近かったら、四国に諏訪住民を逃げ込ませてくれ。

 四国が遠かったら、散開せず一塊になって南下。

 皆が散ったら守れないからな。

 俺、若葉、ちーちゃん、歌野で分担して守りながら敵を殲滅するから」

 

 拠点防衛でないため、竜胆達も住民を守りながらのこの手の戦いの経験はほぼなく、相当に手探りでやっていると見ていいだろう。

 実際、竜胆も戦術に苦心している。

 だが竜胆には、スマホで連絡が取れる外付け脳……伊予島杏(ブレイン)がいた。

 なので事前に相談しておけば、それなりにそつなくこなせるのである。

 

「敵の襲撃中に、四国に諏訪の皆を逃げ込ませて大丈夫なの?

 私のニュービーな素人考えだけど、敵も一緒に結界の中に入って行っちゃわない?」

 

「四国の結界ってのはさ、根本的に強固なんだよ。

 神樹様はそこに弱い部分を一箇所だけ作って、香川に敵を誘導してくれてるんだ。

 結界そのものは、時空に干渉する規格外の化物でもないと干渉すらできない。

 だから敵さんも結界の弱い部分を狙ってそこから侵攻する。

 皆が通るのは徳島の大鳴門橋を通るルートだろうから、多分大丈夫……じゃないかな」

 

「それはどういう意味での大丈夫?」

 

「大鳴門橋まで敵に追われたとしても、大鳴門橋を越えれば安全ってことだ」

 

「なるほど……なるほど?」

 

「分かってねえなこれ……

 ……うーん。

 調理前に野菜を塩揉みするだろ?

 野菜の半透膜は塩を通さないから、野菜の水分だけが半透膜を抜けて、塩に吸われるだろ?

 これと同じ。

 塩がバーテックス、水分が人間、結界が半透膜。結界を抜けられるのは人間だけだ」

 

「理解したわ! 魂で!」

 

「そりゃ良かった」

 

「や、野菜を例に使ってうたのんに小難しい話を一発で理解させた!?」

 

 結界内に逃げ込めば安全、というのは正しい。

 正しいのだが。

 大侵攻の時に、あまりにも『不安要素』と『例外』が増えすぎていた。

 絶望的な想像をしようとすれば、いくらでもそれをすることができる。

 

 ハッキリ言って、状況だけ見れば、人類は完全に詰みと言っていい状況だ。

 

(今のところ結界を力任せに越えて来たのは……天の神の雷だけ。神の権能だけだ)

 

 戦士は半分死に。

 天の神は堂々と四国結界を撃ち抜き。

 星は全ての力をガイアに懸け、負け。

 ティガでは足元にも及ばないほどに強かったガイアを倒したゼットは、未だ健在。

 カミーラだって無傷のまま。

 四国の民衆の精神状態は絶望を極めていて、何が起こっても不思議ではないという最悪。

 

 絶望の理由を挙げていてば、本当に枚挙にいとまがない。

 

(そんな来るものじゃない、とは思うけど。天の神の雷は警戒しておくか。

 あとはカミーラとゼット。ゼットの傷はどのくらい治ったんだ?

 ゾイガーとかが来てる以上、十二星座の類や、過去に出て来た敵が出て来る可能性も……)

 

 "結界を壊しそうな敵"に、竜胆は心当たりがありすぎた。

 

 本当は、四国に逃げ込めば安全なんて理屈は、この世界のどこにも存在しないのだ。

 

(いや、でも、そうだな。

 色々考えられる。

 敵がここから沢山出て来ても、出て来なくても、判断材料にはなる。

 今は初めて、人間(おれたち)が日本の状況の主導権を握れてるとも言えるし……

 考えることがややこしくなってきたら、その辺は杏に丸投げしとけばいいか。うん)

 

 だが、四国が世界の希望、最後の方舟であることに変わりはない。

 諏訪が逃げ込めそうな安全圏はそこしかないから、選択肢など無いに等しい。

 竜胆は歌野の表情を覗く。

 選択肢など無いに等しい諏訪の代表者の顔色を伺う。

 

 歌野の感情を読み取ろうとした竜胆は、歌野が何やら妙な表情をしていることに気が付いた。

 嫌な気持ちにさせただろうか、と竜胆は少々不安げになる。

 

「歌野、どうかしたか?」

 

「いや、なんというか」

 

 ただ、心に闇を常に抱えている竜胆が、思っているほどには……

 

「作戦会議っていいな、って思ったの。

 あはは、何言ってるんだろって笑ってくれていいわよ」

 

「―――」

 

 歌野は竜胆達や四国に対し、小難しいことを考えてはいなかった。

 彼女はシンプルだった。

 ただ単純に、大好きな諏訪の人々を自分以外の人も守ってくれることが、諏訪の明日が繋がってくれたことが、嬉しくてたまらないという顔をしていた。

 

 歌野が戦友と作戦会議なんて、したことはなかったのだろう。

 共に戦う者はいない。

 参謀に相当する者もいない。

 連携する相手がいないのだから、そんなものも考えなくていい、そんな毎日。

 だから作戦会議をするだけで歌野は嬉しい気持ちになって、竜胆と水都に笑顔を見せている。

 

 希望に満ちた太陽の笑顔は、一瞬だけ、竜胆に『絶望』の全てを忘れさせた。

 

「笑わねえよ」

 

 竜胆はきっぱり言い切る。

 笑ってくれていいと言われても、誰がその笑顔の理由を笑えようか。

 

「他人を笑わせるなら、方法は選ぼうな。

 歌野ならいくらでも手段は選べるだろうしさ」

 

「……あら、私の好きな感じの言い草だわ。素敵」

 

「歌野に諏訪の笑顔だけじゃなく、四国の笑顔も任せようとしてる仲間の戯言だよ」

 

 竜胆は歌野と話していると、四国とは別の形で追い詰められていた諏訪の状況を痛感し、そのたびに胸が痛くなる。

 対し水都は、歌野の周りの状況がどんどん良くなっていることを実感し、微笑んでいた。

 

「うたのんも早く慣れるといいね。

 戦友がいる作戦会議に、嬉しさを感じないくらい、当たり前になるといいね」

 

「あらみーちゃん、これに慣れちゃうのはちょーっとどうかと思うわ。

 できるならこの嬉しさをずっと感じて、ずっと忘れずにいたいわね。そう、フォーエバー!」

 

「あははっ」

 

 諏訪の出立準備は、竜胆がびっくりするくらい速く進んでいった。

 何故なら、誰もが私物を多く持って行こうとしなかったからだ。

 

 四年前の襲来時、諏訪の皆が多くの私物を失った、というのもある。

 だがそれ以上に、諏訪の者達の心構えが誠実だった。

 竜胆達の迷惑にならないよう、最低限の私物以外は何も持っていこうとしなかったのだ。

 それはきっと、"本当に大事なものが何か分かっている"からだろう。

 だから、誰もが余計なものは持たなかった。

 

 少しでも速く出立の準備を終えて、少しでも軽い体で運んでもらおうとする。

 竜胆が頼む前からそうしてくれた諏訪の住民達の誠実な善意に、竜胆は言葉もなく、ただ感じ入っていた。

 

「冬にまたここに来れたらいいわね、竜胆さん。

 あ、ベリーグッドなのは世界の平和を取り戻した後の冬に戻って来ることだけど」

 

「冬?」

 

「ふっふっふ、諏訪の名物『御神渡り』よ!

 諏訪湖はね、冬に綺麗に凍るの。

 そして氷が割れて、北の神社と南の神社の間を、ピキピキって割れ目が走るの。

 諏訪ではこれを、神様が湖の氷の上を通っていったものなんだって伝えているのよ!」

 

「へー……面白いな」

 

「毎年必ず起こるってわけじゃないんだけどね。

 湖がちゃんと凍ってくれないと駄目だから。

 ……あ、でも最近はなんでか起こりやすいって聞いたような……」

 

 地球温暖化が進む世界線の地球において、御神渡りという現象は、地球温暖化のせいで発生率が下がっている、とまことしやかに語られている。

 ただしそれも、地球温暖化が進んでいる地球のみの話だ。

 

 天の神の視点を拝借し、人間らしい言い草で表現するならば。

 『酸素を吸って二酸化炭素を吐き、自然を破壊し、熱を出す害獣を七十億体以上駆除した』この地球において、地球温暖化が進む理由はない。

 四年が経ち、湖もよく冷えるようになった。

 歌野が竜胆に御神渡りを見ようと思えば、いつの年度でもそれは可能だろう。

 

「俺達にとっちゃ、いつかの未来の話だな」

 

「そうね。だから約束しておきましょう。いつかの冬に、私は必ず御神渡りを見せる!」

 

「そんな気負わんでも」

 

「いーや、絶対に見せるわ!

 だって竜胆さんには、諏訪のいいところまだ全然見せてないもの!」

 

 竜胆は笑った。

 

「もう十分見てるよ」

 

 竜胆の目は、笑っている歌野と水都を、そして周りで忙しく動いている諏訪の人々を見ていた。

 

「もう十分、俺は諏訪を好きになってるんだ」

 

 歌野がきょとんとして、水都が言葉の意図を察して頬を掻く。

 

 やがて移動の準備は完了し、人々の足は、諏訪の地を離れた。

 

 

 

 

 

 ティガトルネードで頑丈で大きな直径50m以上の旋刃盤を作り、ティガブラストで力場を作って力場で旋刃盤を持つ。

 この程度の小細工ができなければ、ティガは飛行時の衝撃波で人の一人や二人は殺してしまっているだろう。

 デラシウム光流の光の収束発射などで多用している細かな力場の操作は、ティガがいくら速く飛んでも、旋刃盤の上に乗った者達にそよ風すら感じさせない。

 

 飛翔するティガ。

 大天狗でティガと並走するように飛ぶ若葉。

 旋刃盤の中央で待機する千景。

 その周りに集まる諏訪の住民。

 歌野と水都は、旋刃盤の先端付近で、ティガに変身した竜胆と話していた。

 

「いやはや、そういえばうんとベイビーだった頃、鳥みたいに飛ぶのが夢だったっけ」

 

 旋刃盤の先端から見える景色は、壮観だった。

 いかな極超音速機でも追いつけないような速度が生む、景色の移り変わり。

 風すら追い越し、雲も置き去りにする高速の実感。

 ふわり、ふわりと、重力すら些末に感じさせる適度な浮遊感が、歌野と水都に"飛んでいる"という体感を与えていた。

 

「ちっちゃい子供なら結構ありきたりな夢だけど、夢が叶っちゃったなあ」

 

『小さい頃からの夢だったのか?』

 

「ノンノン。私の夢はもっと大きい! それは既に過去の夢よ! だよねみーちゃん!」

 

「うたのんは、うん、その、ねぇ?」

 

「私の夢は農業王! 私の作った野菜を、より多くの人に食べてもらうことよ!」

 

『凄いな、子供らしい夢だったのが一気に農の気配が濃くなってきた……』

 

「農と濃いって字、似てるわね……」

 

『うん、そうだな、それで?』

 

「それだけよ?」

 

『なーんでお前は農が絡むと急激に知能指数が下がるかなもう!』

 

「これがうたのんなんです……」

 

 夢が空から大地に移ったというのが、なんとも歌野らしい。

 子供らしい夢から、彼女らしい夢に。それを、人は成長と言うのだろう。

 だがそうだとしても、空を飛ぶという幼い夢を叶えた歌野は、確かに嬉しそうだった。

 

『というかなるほど、お前の夢は、空よりでっかくなったんだな』

 

「あ、その表現いただき。そういう言い方好きだな、私」

 

 空より大きな大地の夢。

 地に足ついた歌野の夢は、竜胆の心にも好ましく感じられた。

 

「でもね、私の夢より、みーちゃんの夢の方が遥かにビッグでエクセレントなの!」

 

『ほー』

 

「え、ええ!? ちょっとうたのん!」

 

 そんな歌野が、自分より大きな夢を持っていると太鼓判を押す水都。

 竜胆は俄然興味を持った。

 けれども内向的な水都は歌野ほど夢をおおっぴらに話せない。

 "恥ずかしい"という気持ちが先行してしまう。

 

 水都のそういう後ろ向きで内向きなところが、竜胆に千景を思い起こさせるから、竜胆が水都に向ける声は肉声だろうと思念波だろうと、自然と優しくなる。

 竜胆自身はそう意識していないのに、その語調はとても柔らかかった。

 

『聞かせてくれよ。笑わないから』

 

「……」

 

 水都は語り出しすら躊躇い、沈黙を続けるが、やがてその口は開く。

 昨日今日出会ったばかりの竜胆に、内気な彼女がやや踏み込んだ話ができたのは、短期間で竜胆が確かな信頼を得ていたから、なのか。それとも。

 出発前の会話で、竜胆が"笑わねえよ"ときっぱり言った姿を、水都が見ていたからだろうか。

 

「……宅配屋さん、です」

 

『へえ、宅配屋さんか。良いな』

 

「そ、そんなたいそうなものじゃ……」

 

「良いでしょ?

 みーちゃんの凄いとこはね、そこだけで留まらないところなの。

 私の作った野菜を世界中に届けるのが夢って言ってくれたの!

 ブラボーよね、グレートよね!

 しかもね、私より夢のスケールが大きいのに、詳細の想像が的確だったの。これはもう―――」

 

「う、うたのん!」

 

『おっまえみーちゃんのことめっちゃ好きだな……』

 

「そりゃもう!」

 

「うたのん!」

 

『でもいい夢だな。応援するよ』

 

 水都が照れて、恥ずかしそうに顔を横に向けた。

 歌野がからからと笑っている。

 野菜を作る歌野の夢。

 野菜を作る人を支えたいと思い、なりたい自分を見つけた水都の夢。

 二人は前を見ていて、遠くを見ていた。

 この未来が閉じた世界で、先の見えない世界で、夢を語る二人は眩しかった。

 

「竜胆さんの夢は?」

 

『俺? 俺は……』

 

「農家? 農家になりたいのね? この私の問いにイエスか農家(ノーか)で答えて?」

 

『さらっと選択権取り上げるのやめろ』

 

 夢、と言えるようなものは、今の竜胆の内に、何があっただろうか。

 

―――俺がなりたいのは、只人(ただびと)が倒せない悲しみを、終わらせられる巨人

 

 竜胆の過去の発言から的確なものを探しても、せいぜいがこれくらい。

 未来にすべきことはある。

 未来に約束したものもある。

 死んだ人に誓った未来の形だってある。

 だが、それを夢というのはまた何か違う気がすると、今の竜胆は思ってしまう。

 

 悲惨さや悲痛さが一切混じっていない二人の夢、未来を純粋に期待する二人の夢は、夢叶った時二人を後腐れなく幸せにしてくれるだろう。

 だが。

 竜胆は、幸福な未来を夢に抱く自分を、許せるのだろうか?

 人を殺したことをずっと夢に見るような男が、それを許せるのだろうか?

 

『俺の夢は……普通の人が終わらせられない悲しみを、終わらせられる巨人になることだよ』

 

「私が聞きたかったのは、他人のための夢じゃなくて、自分のための夢だったんだけど」

 

『え?』

 

「ま、いっか」

 

 言葉とは、交わすたびに互いを理解させるものである。

 真実なら直接的に、虚飾であれば時間をかけて理解させる。

 彼らが理解し合うようになるのは、まだまだこれからだ。

 歌野はうんうんと頷き、水都は竜胆の言葉を額面通りに受け取っていた。

 

「悲しみを終わらせる巨人……

 うたのん、御守さんも手伝ってあげたら?

 ほら、前に私とした花言葉の話、覚えてる?」

 

「え、なんだっけ? ごめん、覚えてないやみーちゃん」

 

「ううん、いいんだようたのん。

 あの時のうたのん、戦いの後で疲れてたもんね」

 

「ほんっとごめん! で、何の話だったの?」

 

「そんな重要な話ってわけでもないよ。

 御守さん、うたのんの勇者衣装は『金糸梅』の形を元にしてるんです。

 金糸梅は丈夫な花で、綺麗な黄色の花を咲かせて、その花言葉は……」

 

 白鳥歌野が、金糸梅の衣装を神より与えられたことには、ちゃんと意味がある。

 

「『きらめき』、『魔除け』、『太陽の輝き』、そして―――『悲しみを止める』です」

 

『―――ああ、そういうことか』

 

 その意味は、花言葉の中にあるのだ。

 

『みーちゃんは花の知識とか一定以上はありそうだな。

 俺の名前の花言葉とかも、把握してたりするのかもしや』

 

「うん」

 

『……そりゃまた、嬉しいこと言ってくれたもんだ。うん、ありがとう』

 

 桔梗の花言葉は"誠実"で、竜胆の花言葉も"誠実"。

 金糸梅の花言葉は"悲しみを止める"で、竜胆の花言葉は"悲しんでいるあなたを愛する"。

 

 竜胆と若葉の関係性が、互いに対し誠実であるものならば。

 竜胆と歌野の花言葉に、水都は何を見たのだろうか。

 ……いや、"何を期待した"のだろうか。

 

「うん、大体分かったわ」

 

 歌野が竜胆の花言葉も知らないままに頷いている。

 

『フィーリングで生きてるなあ、歌野は』

 

「小難しい理由がなくても人助けなんて感情でいいと思わない?」

 

『思う』

 

「ほら見なさいみーちゃん。どうせ私とこの人は助け合ったりするから心配は要らないのよ」

 

「なんだか少しずつ、御守さんが農家似合いそうって話に納得し始めてるよ私……」

 

『おい』

 

 気が合ってるなあ、と水都は益体もなく思った。

 現在飛行開始から50秒。

 あまり急がず飛んでいるので、あと少しで四国に着く、くらいの進行度合い。

 歌野は旋刃盤の先端に立ち、背伸びをする。

 

「竜胆さんは初めて会った時から、色んな意味で夢のない人生送ってそうな印象があって……」

 

『お前ストレートに言ってくるな』

 

「だからほっとけないなあ、って気はしてたの!」

 

 歌野の"夢のない人生"という一言は、ものの見事に、本当に的確に、竜胆の人生を一言にまとめ上げていた。

 そこから"ほっとけない"に繋がるのが、歌野らしい。

 白鳥歌野は揺らがない自分を持って、自分を貫き、自分らしく生きている。

 

『苦労してるだろ、みーちゃん』

 

「あはは……でも、楽しいですよ、うたのんの近くは」

 

「そこは否定してほしかったなぁみーちゃんっ! このこのー!」

 

「わっ、ちょっと、やめてようたのーん!」

 

 大抵の者が望む終わりは、"自分が幸福なまま眠るように終わる"ものであるが。

 

 竜胆が望む理想的な終わりは、"全ての約束を果たし全ての罪を償って死ぬ"というものである。

 

 竜胆は矛盾だらけである。

 死ななければ償えない罪があり。

 死ねば果たせない約束があった。

 死者への償いを想えば若くして死ぬべきであるし、生者との約束を想えば早くに死ねない。

 生きたくて、死にたい。

 光と闇のように、矛盾する感情はいつも食い合っている。

 

 周りの人がくれた約束が、竜胆を縛り付け、自由を奪い、彼を安易な死に走らせない。

 約束が彼を生かし続ける。

 竜胆を縛る約束という名の鎖は、優しい暖かさに満ちていた。

 

 感覚派の歌野はその鎖の存在になんとなく気付いていたし、竜胆が周りに想われていることを、ちゃんと分かってくれていた。

 竜胆が死ぬ可能性と不幸になる可能性を、歌野はそこにいるだけでガリガリ削ってくれる。

 

(―――)

 

 四国と、四国結界と、その周りの海が見えてくる。

 竜胆はそこに"それら"を見て、少し飛翔速度を下げた。

 

『もうちょっと話してたいところだが、そうもいかなくなったな』

 

「え?」

 

『敵だ。大型は播磨灘に一体、大阪湾に一体、紀伊水道に一体。要するに――』

 

 飛翔するティガを見て、バーテックス達が咆哮する。

 播磨灘の海で、ボクラグが身を捩らせた。

 大阪湾で、ゾイガーが翼を羽ばたかせ、海を吹き砕いた。

 紀伊水道で、"見たこともない大型バーテックス"が、その身に力を滾らせていた。

 星屑とバイアクヘーもまた、うようよといる。

 

『――四国の北東部の海、ガッツリ敵に抑えられてるぞ!』

 

 ボクラグの放電。

 ゾイガーの光弾。

 そして新顔の大型の放つ光弾。

 ティガへの集中砲火が飛んで、若葉が闇薙の剣にてそれを跳ね返す。

 

 四国近海に跳ね返された攻撃が着弾し、一瞬海底が見えるほどの規模で、海水が蒸発した。

 

『サンキュー若葉!』

 

「これで終わりにはならないだろう。ここからだ、竜胆!」

 

『……また新顔もいるな。一旦降ろすぞ! 皆、とりあえず打ち合わせ通りに!』

 

 すぐそこに四国があるというのに、バーテックス達は四国の方を向いてすらいない。

 その全てが、ティガ達の方を向き、一斉に攻撃を仕掛けていた。

 

 ティガブラストは自分の体を盾にして諏訪住民達を守り、本州と四国の間にある島、淡路島の上空に突っ込む。

 海と空から、バーテックス達が絶え間ない攻撃を仕掛けてきた。

 ティガが抱えた旋刃盤の上で、千景が叫ぶ。

 

「竜胆君、早く降ろして! じゃないとあなたも戦えな……竜胆君!?」

 

 だがティガは皆を中々降ろさない。

 皆を抱えたままなせいで、ロクに防御も反撃もできていない。

 

「竜胆! 早く皆を降ろせ!」

 

 若葉が竜胆を守りながら叫ぶ。

 彼女の守りがなければ、ティガの体の何割が失われていたか分からない。

 それほどまでに苛烈な攻撃の中、ティガは猛然と突き進み、淡路島の南端近く……つまり、少し歩いて橋を渡ればそこは四国、というくらいの位置にて、皆を降ろした。

 旋刃盤から降りた千景が、七人御先でティガに群がる星屑やバイアクヘーを蹴散らしつつ、心配そうにティガに駆け寄る。

 

「なんでこんな無茶を……本州の橋の前で降ろしたってよかったのに」

 

『いや、それは駄目だろ』

 

 諏訪から四国に一直線に進んだ場合、淡路島という島を通るルートが一番短い。

 イメージとしては、本州と四国の間に淡路島が一つあり、本州・淡路島・四国を繋ぐようにして二つの橋があるイメージを持てば問題ない。

 

■■□

■○□

△●●

 

 一度、こうして図にしてみよう。

 ■が播磨灘海域。

 □が大阪湾海域。

 ●が紀伊水道海域。

 ○が淡路島。

 △が四国北東部である。

 

 北側の橋が明石海峡大橋、■と□の間を通る、本州と淡路島を繋ぐ橋。

 南側の橋が大鳴門橋、■と●の間を通る、淡路島と四国を繋ぐ橋。

 

 淡路島の北から西にかけての海域が播磨灘。

 淡路島の北から東にかけての海域が大阪湾。

 淡路島の東から南にかけての海域が紀伊水道。

 そして淡路島の西から南にかけては、四国の大地がある。

 

 本州から"明石海峡大橋"を使って淡路島へ。

 淡路島から"大鳴門橋"を通って四国へ行く。

 このルートなら歩いてだって四国へ行ける。

 が。

 

『勇者の脚力基準で考えるな。本州から四国まで二つの橋と一つの島で、60km以上あるんだ』

 

「……あ」

 

『普通の人が60km移動するのにどのくらい時間がかかると思う? しかも、橋だ』

 

 竜胆はさきほど、播磨灘、大阪湾、紀伊水道に一体ずつ大型がいると言った。

 地図を見てみれば分かる。

 本州と淡路島を繋ぐ明石海峡大橋は、播磨灘(北西海)と大阪湾(北東海)に挟まれている。

 淡路島と四国を繋ぐ大鳴門橋は、播磨灘(西海)と紀伊水道(南海)に挟まれている。

 

 この状況で橋を皆で渡ったらどうなるか?

 前後にしか逃げ場のない橋の上で、左右からバーテックスの攻撃を受けたらどうなるか?

 

 言うまでもない。

 全滅だ。

 三体の大型バーテックスは、最高の位置取りをしているのである。

 

「……竜胆君、もしかしてバーテックスのあれ、最悪な陣取りなんじゃ」

 

『そうだよ』

 

 ついでに言えば、当然ながら淡路島は播磨灘、大阪湾、紀伊水道に囲まれている。

 というか島なので、この三つに触れていない海岸線が存在しない。

 諏訪住民を地面に降ろし、四国まで走らせるなら、淡路島のどこかに降ろすのが最適解だ。

 本州で降ろせば四国が遠すぎる。

 四国で降ろそうと飛翔しても、降ろす前に確実にティガが落とされてしまう。

 

 淡路島の陸の上で、極力四国に近い場所に皆を降ろす、それしかなかったのだ。

 諏訪の人達が四国内に一分でいけるくらいの位置には、降ろさないといけなかった。

 歌野はティガに声をかける。

 

「迂回しましょう、竜胆さん」

 

『歌野』

 

「何も相手が待ち伏せてるところに行く必要はないもの。一旦下がって迂回すべきよ」

 

『見えないのか?』

 

「え?」

 

『結界の周りの、あの闇が……いや、そうか。

 俺の体だから見える、そういうものだったのか』

 

 ティガがハンドスラッシュを、四国結界の側面に撃ち込む。

 

 その瞬間、空気が揺れて、世界が変わった。

 

 ティガのハンドスラッシュが、"闇の表面に施されていた偽装"を剥がす。

 四国結界の周辺。

 近辺全ての空。

 そして、四国四方の海。

 それら全てが、濃厚な闇に飲み込まれ、包まれ、汚染されていた。

 

 四国結界も汚染はされていないものの闇に包み込まれており、人間が通れそうな場所は、四国北東と淡路島西南を繋ぐ大鳴門橋のみ。

 "ここしか通れないぞ"と言わんばかりだ。

 四国がいつもやっている『結界に一箇所穴を空けて敵をそこに誘導する』という戦術を、バーテックス達は理解し、剽窃(ひょうせつ)して使い始めたのである。

 

 竜胆の目にしか、偽装された闇は見えていなかった。

 もしこのルート以外の道から四国結界の壁を越えようとしていたら……この闇は、無防備に等しい諏訪の住民の命を、容赦なく奪い取っていただろう。

 

「罠……!? 闇の罠!?」

 

 北西からボクラグが迫り来る。

 東からゾイガーが飛翔して来る。

 そして、南では、今日初めての戦いとなる新顔の大型が、大量の闇を吐き出していた。

 

(この闇を出してるのはアイツか……)

 

 新たなる大型の名は、『ガクゾム』。

 根源破滅海神 ガクゾム。

 神の名を持つ根源的破滅招来体。

 天に作られ、海にて堕ちた者。

 

 この存在はクトゥルフ神話におけるハスターに相当する。

 クトゥルフ神話のハスターは、ロイガーとビヤーキー……すなわち、ゾイガーとバイアクヘーを従えると語られた風の旧支配者である。

 その力は神の名にふさわしい。

 現に、その闇の持つ"触れた者を蝕みそのエネルギーを奪う"能力は、竜胆達の行動の選択肢を極限にまで制限してしまっている。

 

 乃木若葉は覚えている。

 この闇が、四年前、地球全てを包んでいたことを覚えている。

 

「四年前の夜と同じだ。あの時見た暗闇と同じだ」

 

『若葉?』

 

「四年前の夜、バーテックスが襲来した時、空を包み星明りを消していた絶望の暗闇……」

 

『……じゃあ、あいつが』

 

「ああ、そうだ。私は初めて見るが……あれは、四年前から、ずっと地球にいたものだ」

 

 海の邪神ガクゾムは、放っておけば、また再び地球を闇で包み込むだろう。

 

 その闇が次に晴れるのは、一ヶ月後か、一年後か、十年後か、百年後か。

 

『四年前にはもう居た……特別個体の類』

 

 冷静に、竜胆は状況を把握する。

 

(もうとっくに残り二分を切ってる。活動時間は半分と少し)

 

 残り時間も多くはない。

 無理をしない最高速度で飛んで来たせいで、移動に一分も使ってしまった。

 ガクゾムから倒したいところだが、ボクラグやゾイガーとは違い何ができるか分からないガクゾムを先に倒そうとするのはリスクが高い。

 ボクラグとゾイガーを先に倒すべきか、少し悩むところだ。

 

『皆さん、四国へ! 走ってください! 皆さんの脚力が頼りです!』

 

 戦闘思考をしながらも、竜胆は皆に声をかける。

 水都が上手い具合に誘導して、諏訪の皆が大鳴門橋を渡り始めた。

 それも、竜胆の予想を遥かに超える脚力とスピードで。

 

「任せろ!」

「農家の脚力見せてやる!」

「わしゃあ今年で米寿(88歳)じゃが若いもんには負けんわ!」

 

 四国に少しでも早く辿り着けるならここで体力の全てを使い果たしてもいい、と言わんばかりのペースで、諏訪の者達は走る走る。

 ここでもたつけば勇者達の迷惑になると分かっているからだろう。

 

 助けられる側も一生懸命でいてくれることが、こんなにも頼もしく楽なことであると、竜胆は知りもしなかった。

 なればこそそれを、新鮮な気持ちで痛感する。

 

 ティガは大鳴門橋の側面南東側の海に立ち橋を守る。

 若葉、千景、歌野の三人の勇者は、大鳴門橋の側面北西側の欄干に立ち橋を守る。

 北西の海からボクラグ。

 南東の海からガクゾム。

 空からはゾイガー、星屑、バイアクヘーが迫る。

 橋を落とされたら、そこで終わりだ。諏訪の皆と一緒に海に落ちてしまう。

 

 千景が鴨撃ちの如く星屑を撃ち落としながら、仲間に敵の動きの意図を問う。

 

「竜胆君、乃木さん、どう思う?」

 

 仲間になって日も経っていない、ほぼ赤の他人の歌野にまで呼びかけようとするには、郡千景のコミュ力はちょっと足りていなかった。

 

『狙いは俺達だな』

 

「四国は狙っていなさそうに見える。

 何より、四国内から連絡が来ない。

 つまり四国内部は、この状況を把握してすらないのかもしれない」

 

『四国内部に連絡をさっき入れたよな?

 友奈と杏が来てくれれば随分楽だ。

 まず諏訪の人達を四国内部に逃げ込ませて……

 ……最悪、結界内に引き込んで展開した樹海(メタフィールド)の中で倒す』

 

「それがいいかもな」

 

「ええ」

 

『俺、若葉、ちーちゃんで大型を潰す! ノルマは一人一体で!

 歌野は皆について四国まで護衛! 打ち漏らしの小型中型から諏訪の人を守ってくれ!』

 

 全身海水のボクラグは若葉が。

 空を舞う猛禽ゾイガーは千景が。

 一番ヤバそうな海神ガクゾムは竜胆が引き受け、一番弱い敵を歌野にあてがう。

 その判断は悪くない。

 

 大天狗、玉藻前、闇薙の剣。

 これだけ揃っていれば、大型二体を任せても問題はない―――そんな、予測があった。

 だが、この戦場には、最大の誤算が存在した。

 

 闇に飲み込まれた海という環境下で、最大の力を発揮可能となった、バイアクヘーである。

 

『!?』

 

 バイアクヘーが、ガクゾム、ボクラグ、ゾイガーと融合していく。

 

 海に漂う膨大な闇、辺りにいる星屑の全ても巻き込んで、三体の大型と融合していく。

 

『強化合体……レオやキリエロイドやゼルガノイドがやってた、あれと同じ……!』

 

 竜胆が最初に見たのは、他十二星座を喰らったレオ・スタークラスターだった。

 次に見たのは、十二星座を取り込むキリエロイドやゼルガノイドだった。

 形こそ違うが、ゼットのハイパーゼット化も同じ系列に位置している。

 今見ているのも、それらと同じ。

 

 ガクゾム、ゾイガー、ボクラグ。

 三体の『旧支配者』に類する者達に、信じられない数のバイアクヘーと星屑が融合していく。

 海の神の眷属、奉仕種族バイアクヘー。

 天の神の眷属、殺人生物・星屑。

 二種の異なる神の力が混ざり込み、三体の怪獣の力を跳ね上げていく。

 

 日本の神話において、"三貴神"と呼ばれる神がいる。

 日輪の神アマテラス。月と夜の神ツクヨミ。そして、海の神スサノオ。

 そこに、地の神というカテゴリはない。

 日本の神話体系においては、天と海こそが『三貴』を構築する要素なのである。

 

 だから、その強化は必然だった。

 海と天の力は混ざり、飛躍的な強化をもたらす。

 巨大な三体の怪獣は海にその体を浸しながらも、どこか邪悪な『星の光』を思わせた。

 

 うごめく触手が、三体全てに生えている。

 びくんびくんと脈打つ肉塊が、体の各所から飛び出している。

 汚液が全身のいたるところから吹き出している。

 全体像で見れば、ガクゾム、ゾイガー、バイアクヘーなのは分かる。

 

 だが、細かな部分を見れば、正気が削れるほどにおぞましい造形をしていることが分かる。

 『名状し難い』。

 名状し難いのだ、今の三体の大型バーテックスの形状は。

 おぞましすぎて、人間の言葉ではそのおぞましさを説明しきれず、理解しきれない。

 

 だが、千景は、海の邪悪と神聖さに星の光が混ざったようなその姿を、一言で表す言葉を知っていた。

 ゲームで類似の存在を見た覚えがあるからだ。

 星の信仰に使う専門用語の単語を転用したと言われる、この怪物達を一言で表すのに最も相応しい言葉とは、すなわち。

 

 

 

「―――星辰(せいしん)

 

 

 

 それは、()()()()()()

 星でないのに、星であるもの。

 邪神であるのに、星に例えられるもの。

 "クトゥルフ神話"という物語において、宇宙の彼方から飛来した存在であると同時に、海の底に潜むものであるとも語られる者達。

 人間達が抗わねばならない、空と海の悪意を内に秘める『次』の悪夢。

 

 『星屑のバーテックス』を巻き込んだ異形の進化、『星辰のバーテックス』。

 

 バン、とガクゾム、ゾイガー、ボクラグの頭が弾けた。

 ぎょっとする竜胆達の目の前で、新しい頭が生えてくる。

 星屑だ。

 星屑の頭がおぞましく変形したような黒い頭が生えてきた。

 ガチ、ガチ、ガチと、上機嫌そうに星屑の頭が大きな歯を打ち鳴らす。

 その歯の音ですらおぞましい。

 

 テケリ・リ、テケリ・リ、と奇妙な鳴き声を上げ、聴覚と視覚の両方に訴えかけるおぞましさで周囲の人間の正気を削ぎ取っていく。

 

「あっ、ああっ……」

 

 その三体の姿を見て、強いはずの諏訪の人々の心が揺れる。

 四年前に刻まれた星屑への恐怖、絶望が、蘇っていく。

 

「あれは、あれは、あれはっ……!」

 

 それは、四年前の再来だった。

 四年前、世界中の人々が星屑を見て、恐怖に心を折ってしまった。

 専門家が"精神に干渉する未知の毒素か電波がある"と提唱するほどに、星屑は異常なペースで人々の心を狂気と精神障害で汚染していった。

 その事象は、現在『天空恐怖症候群』と呼ばれている。

 

 星屑が天空恐怖症候群を起こすメカニズムは、結局解明されていない。

 西暦で解明される運命にはなく、ナターシャが見た西暦の未来でも、結局解明はされることがなかった。

 当たり前だ。

 それは、常識で理解しようとする限り、絶対に理解できないものだったから。

 

 四年前、星屑を見た者は、正気/Sanityの強さを測られた。

 勇者のように強い心を持ち神に守られているようなものでもない、ただの一般人にとって、それは死刑宣告に近い。

 正気度(SAN)チェックに失敗した者は心が壊れ、そうでなくとも狂気に陥る。

 神が作った邪悪な生物を前にして、常人は正気ではいられない。

 それがルール。

 

 千景の母もかかってしまった、『天空恐怖症候群』とは。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()者達の総称とも言えるのだ。

 

 星辰(せいしん)精神(せいしん)を折る。

 

『しっかりしろ! 足を止めるな! 四国まで逃げろ!』

 

「皆さん急いで! 私達の新しい農地、四国はすぐそこですよ!」

 

 だが、だからこそ、光るものもあった。

 竜胆が叫び、歌野が声を張り上げ、諏訪の者達はハッとする。

 そして気を取り直し、脇目も振らず四国結界の内に駆け込んでいく。

 

 なんと強い精神力か。

 一度完全に心が折れ、何もかも諦め、そこから立ち上がったからこそ、彼らは強い。

 『星屑』を見ても心折れた後立ち上がり、今『星辰』を見ても心折れることすらなかった。

 諏訪の者達の心は強い。

 白鳥歌野という心の支えが在る限り、彼らの心の太陽たる少女がいる限り、彼らの心が絶望に折れることも、心の闇に飲まれることもないだろう。

 

 水都や諏訪の者達の四国内への避難が今、完了した。

 だが、敵の脅威は依然変わらずそこにある。

 

「竜胆!」

 

 若葉が聖剣を一振りすれば、なんと一瞬で周囲の闇が吹き散らされる。

 闇薙の剣ある限り、戦場が闇一色に染まることはない。

 やはりこの剣は強力だ。

 だが、切り払えるのは闇だけであって、狂気を直接切り裂くことは難しい。

 

「これを四国に侵攻させるな! これは……文字通りに()()()だっ!」

 

『……ああ! 歌野! 悪いが、諏訪の避難は完了してるが、もう少し付き合ってくれ!』

 

「ええ、もちろん! 皆を置いてなんて行かないわよ!」

 

 見る者の正気を揺らがす、四年前の惨劇に耐えた者達の心すら壊しかねない、星屑頭の星辰バーテックス達。

 交通事故で車に踏み潰された犬猫の内臓をかき集めて、怪獣の形に整形しても、ここまでおぞましくグロテスクな形にはならないだろう。

 その威容を見て、千景は鎌を握り締める。

 

 天空恐怖症候群で頭が壊れた母親の姿を思い出し、地面を踏み締める。

 勇者の中で千景だけが、"正気を失う"ということがどれだけ恐ろしいことかを、正確にイメージできていた。

 

「これを四国の中に入れれば……私の母親と同じような人達が、増える……」

 

 千景は母親の頭が壊れても、悲しむことはなく、そのみじめな姿を憐れんだ。

 けれど見ず知らずの人達が発狂することは、到底許容できない。

 それは、彼女の心に勇者の資質があるからであり。

 血の繋がった母親を、見ず知らずの他人よりも無価値に見ているという、彼女の幼少期の歪みがそのまま表出した精神性であった。

 

『一体減らす! サポート頼んだ!』

 

 若葉が強化されたゾイガーの前を飛び、歌野の鞭がゾイガーの眼球を打ち、千景の呪術がゾイガーの足を一瞬止める。

 仲間の作った隙を突き、竜胆はボクラグのレーザーやガクゾムのビームの合間をかいくぐって抱きつき密着。流れるように、その体を赤熱化させた。

 

『ウルトラヒートハッグッ!』

 

 激烈、炸裂、爆熱。

 ティガダークの体から放射されたエネルギーが、ゾイガー強化体の体を爆発させる。

 あまりの爆発力にティガの体が爆発四散するが、あっという間に再生を終える。

 

 ティガのカラータイマーが点滅を始めた。残り活動時間、一分。

 

 倒した、と竜胆は思った

 倒せていない、と若葉がいち早く察知した。

 ゾイガーの巨体が倒れず、その目がティガを睨み、至近距離から破壊光弾を放つ。

 

『……何!?』

 

 割り込んだ若葉の聖剣が、放たれた光弾を空に弾いた。

 

「気を抜くな竜胆! こいつ、何か……!?」

 

 追撃のゾイガーの爪を、瞬時にティガトルネードにタイプチェンジし、若葉と共に必死に受け流しつつ捌く。

 切れ味鋭い金色の爪が、ティガの脇腹を深く裂いた。

 跳んで後退するティガ、若葉。

 ゾイガーの爪に付着したティガの脇腹の肉を、ゾイガーの首に生えた肉塊状の星屑の頭が、ペロペロと舐めていた。

 

『ぐっ……!』

 

「……リアクティブアーマー!?」

 

 今、何故必殺のウルトラヒートハッグが効かなかったのか、千景には理解できている。

 

『りあくてぃぶあーまー? おいちーちゃん、なんだそれ!』

 

爆発反応装甲(リアクティブアーマー)……

 戦車の装甲を一発で撃ち抜くような弾丸が当たった瞬間、爆発する装甲。

 自分で自分の装甲を爆発させることで、装甲を守る、そういう仕組み。

 ゲームではロボットゲームなんかで多用されてる装甲よ、でも……!」

 

 今のガクゾム、ゾイガー、ボクラグの体表には、星屑とバイアクヘーで出来た疑似多重装甲があり、ウルトラヒートハッグを受けた瞬間にパージ・爆裂する仕組みになっている。

 皮膚にしか見えないが、ウルトラヒートハッグに対してはほぼ無敵だ。

 敵の体を爆発させるウルトラヒートハッグと、体の一部を切り離し爆裂させるこの仕組みは、あまりにも極端に相性が悪い。

 

 一度見れば実感できる。これは明らかに、ティガ対策だ。

 

「でも、バーテックスが、星屑で作ったリアクティブアーマーを……!?」

 

 バイアクヘーの面白いところは、"合体後は鎧と武器のように変質する"ということだ。

 しからばそれは、応用でリアクティブアーマーのように使うこともできるだろう。

 

 ガクゾムは装甲が増え、両腕に鎌のような大刃が備わった。

 ゾイガーは全身が鎧のようになり、爪が長く鋭くなった。

 ボクラグは両手のハサミが巨大化し、全員が水と金属の両方の性質を持つ頑丈で再生しやすい体に変化した。

 

 合体に使われたバイアクヘーと星屑のリソースが尽きるまで、バイアクヘーは合体対象の体を守る鎧となり、スペックを引き上げる刃と成り続ける。

 

 人間が昔から他生物より優位に立つために使ってきた、いくつかのとても強い武器。

 『連携』。『技術』。『数』。『進化と発展』。

 全てにおいて、神の作りしもの(バーテックス)は人間の上位互換と成り得るだろう。

 

 ゼットが嘆いたのも分かるというものだ。

 バーテックスはこんなにも優れているのに―――『人間を殺す』以外の存在意義を持たず、生まれた意味を持たず、生きる意味を持たないのだ。

 その優秀さを、他の用途に一切転用できないのだ。

 笑顔にもなれず、幸福にもなれないのだ。

 

 こんなに下等な生物が、他にいるわけがない。

 

「竜胆さん、後ろから一体来てるわ!」

 

 ゾイガーと相対しているティガの背後に、ガクゾムが迫る。

 竜胆は舌打ちし、ゾイガーに背を向け、ゾイガーの対処を勇者三人に任せる。

 瞬時にティガブラストにタイプチェンジし、ボクラグにハンドスラッシュで牽制を入れつつ、ガクゾムの両手の鎌刃を両手の手刀で迎え撃つ。

 

 疾風怒濤のガクゾムの連撃。

 肘から先全てが刃になっている、鎌状の刃腕。

 豪快なパワー。

 見た目以上に速い攻撃速度。

 技では圧倒的にティガの方が上回っているが、ガクゾム強化体は力と速さと切れ味でそれを上回っている。

 

 光を纏ったティガの手刀と、金色のガクゾムの刃腕がぶつかると、必ずティガの手が深く切り裂かれてしまう。

 腕の刃が、基本性能負けしてしまっているのだ。

 

『ぐっ……!』

 

 競り負けそうになったティガの援護に、収束された呪術がビームのように飛ぶ。

 ガクゾムの首に小さな穴が空き、そこに毒の呪術が流れ込んだ。

 玉藻前、と言えば、その伝説において毒の呪いを撒いたと言われる大化生。

 ガクゾムの巨体すら調子を悪くさせる猛毒の呪いが、ティガを助けた。

 バック転の連続で、的を散らしながらティガが下がる。

 

『ありがとうちーちゃん、助かった』

 

「強いわ。合体前とは、比べ物にならないくらい……」

 

『ああ、全くだ』

 

 先程から、皆海で戦っている。

 巨人やバーテックスは海の中に立てばいいが、海神にルーツを持つ三体の大型バーテックスと比べると、海に足を取られているティガの動きは地味に悪い。

 勇者も自由に動き回れているのは若葉のみ。

 千景と歌野は橋がなければ立ち回りも難しいというのが現実だ。

 

 どうにかして、橋を守りながら、敵の数を減らしていかなければ。

 竜胆はティガトルネードにタイプチェンジし、旋刃盤をガクゾムに投げ込み、闇の八つ裂き光輪をゾイガーに投げ込み。

 それを、"そのまま吸収反射"された。

 

 更にそれと同時のタイミングで、さきほどボクラグに牽制に撃っていたハンドスラッシュ――一見すると硬い皮膚に弾かれたように見えていた――も、反射されてしまう。

 

『!』

 

 自分が撃った技を三種同時に跳ね返され、ティガは遮二無二跳んでかわした。

 直撃していたら、頭まで吹っ飛んでいた可能性が高かった、三方向同時反射攻撃。

 

『……全員光線吸収能力とかふざけんな! 何考えてやがる!』

 

「竜胆君大丈夫!?」

 

『皆、気を付けろ! どこまで攻撃を吸収できてどこまで反射できるのか分からない!』

 

 バイアクヘーは合体した相手に、光線吸収反射能力を与える。

 ゆえにガクゾムにも、ゾイガーにも、ボクラグにも、もう正面からの光線は通用しない。

 全員がゼットンになったようなものだ。

 

()()()()()()()()、か)

 

 天の神/根源的破滅招来体。

 それが切り札として使う怪獣個体には、大抵、対ウルトラマンに特化した能力が備わっている。

 破滅魔人ブリッツブロッツなら光線吸収反射能力、対ウルトラマンの即死攻撃。

 破滅魔人ゼブブなら光線も格闘も弾く無敵バリア、ウルトラマン殺しの刀。

 バイアクヘーならウルトラマンのエネルギーを吸収する能力と……他怪獣と合体することで、その怪獣を飛躍的に強化し光線吸収反射能力を与える、合体強化能力。

 

 そしてガクゾムには、バイアクヘーとの合体で得られる光線吸収反射能力と、体を闇と実体の二種に切り替えられる能力、他者の光を闇で奪う能力に、ガクゾム一体で地球全体を覆い尽くせるほどの闇展開能力。

 

 ()()()()()()()()()という分かりやすい脅威が、ずらりと並んでいる。

 

(……落ち着け。大丈夫だ。俺のスタイルは基本格闘。

 拳で殴り殺しても、手刀で斬り殺してもいい……動揺したらそこで終わりだ)

 

 心を落ち着かせていく竜胆の視界の端に、あまりにもスペックが足りない勇者の力で頑張っている歌野の姿が見える。

 

―――私の夢は農業王! 私の作った野菜を、より多くの人に食べてもらうことよ!

 

 その背中を見ていると、歌野の夢の話を思い出す。

 

―――……宅配屋さん、です

 

 歌野が死んだら悲しむ一人の少女の、夢の話を思い出す。

 夢を明確に持ってる勇者か、と、心の中で独り言ちた。

 

(俺に夢は無い。真っ当な夢を持つことが許される日も、きっと無い)

 

 二人の夢はシンプルで、分かりやすくて、綺麗だった。

 

(でも、それでいい。俺はそれでいいんだ)

 

 竜胆には、二人の夢が、儚くも美しい花のように感じられた。

 それが自分の中に無いと、そういうものが得られることは永遠にないと、竜胆は確信している。

 彼の心の中の、夢を入れておくべき場所には、もう"罪悪感"が入ってしまっていた。

 

(花が綺麗に咲くべきものであるように。

 花を風雨から守る壁が、いくら汚れても良い、頑丈なものであるように。

 俺達にはそれぞれにはそれぞれの役割と、貫くべき在り方ってもんがある)

 

 空から飛びかかるゾイガーに、空手の拳が強烈に叩き込まれる。

 ティガトルネードのその拳は、もはや爆発のようなものだった。

 ゾイガーの体が吹っ飛び、離れた場所のガクゾムにぶち当たり、二体まとめて倒れて海に巨大な水柱を屹立させる。

 

 ティガの残り活動時間は少ない。少ないが、諦めることはない。

 

『この(ゆめ)を散らすことは、俺が許さない。来るなら来い、皆殺しだ』

 

 竜胆の心に、その仲間の心に、心の光が絶えることはなかった。

 

 

 

 

 

 カミーラの心に、心の闇が絶えることはなかった。

 

「そういう綺麗な言葉や想いは、あまり要らないの」

 

 突然に橋の上に現れた、人間サイズの黒き巨人。

 思わせぶりな態度と、身の危険しか感じさせない危うい雰囲気で、竜胆達の記憶に印象深く残っていた"ティガの同族"たる、黒きウルトラマン。

 ティガと同じ、闇の巨人。

 

『カミーラ!?』

 

「あと一分もないのね。こんなに短いと、楽しみ甲斐がないわ」

 

 点滅するティガのカラータイマーを見て、カミーラは溜め息を吐いた。

 だが"それはそれで"と、頭の中で予定していた流れを修正する。

 ティガは三体の大型バーテックスが動きを止めているのに気付き、カミーラに拳を向けた。

 大型が動きを止めた理由は間違いなくカミーラだ。

 だが、だとしたら、そこにはどんな理由があるというのか。

 

『何をしに来た』

 

「ふふっ、あなたを絶望させる下準備が出来たのよ。

 前準備に随分手間がかかってしまったわ。

 だからその絶望の前に、前菜程度の絶望を届けてあげようと思っただけ」

 

『前菜……?』

 

 カミーラの横に、ふっと人間が現れる。

 それはカミーラの悪辣の証明。

 カミーラが四国内で工作が可能であるということの証明。

 四国内から密かに連れてきた、演出用の人質。

 大社が警護していなかった人間の中で、容易に連れて来ることが可能で、カミーラ好みの演出が可能な人間ということで選ばれた、一人の男であった。

 

「さあ、楽しみなさいな。この一分一秒を」

 

『―――』

 

 その顔に、竜胆と千景だけは、見覚えがあった。

 

「ち……千景……御守くん……」

 

「……お父さん?」

 

『ちーちゃんの……お父さん……』

 

 郡千景の父が、そこに居た。

 

 人間サイズの闇の巨人状態を維持しているカミーラは、千景の父の首に氷の鞭を巻きつける。

 バーテックスの首を豆腐のように切断可能な氷の鞭は、ただの人間の首など容易に切断してしまうだろう。

 千景の父、と聞き、若葉と歌野の手足も止まった。

 

 カミーラが、千景の父の首に巻き付けた鞭を指先でなぞる。

 

「全員、その場から動かないように。

 ティガは変身が解けるまで。勇者は、死ぬまで。

 動けばこの人間の首が飛ぶと思いなさい。ふふっ」

 

「―――」

 

「た、たす、助けて……」

 

 時間が無い。

 余裕が無い。

 勝機が無い。

 誰も見捨てられず、誰も逆らえず、カミーラに隙は無く、されどカミーラの言う通りにすれば間違いなく一分と経たずに全滅する。

 若葉は怒りの声を叩きつけた。

 

「貴様、卑怯な!」

 

「あら、心外ね。

 私は何も脅迫していないわ。

 何も強要もしていないわ。

 単に人質を見捨てられないあなた達が悪いだけでしょう」

 

「それを卑劣と、外道と言うのだ!」

 

「いいえ、善の愚かさ、光の弱さ、負け犬の常道と言うのよ、こういうものは」

 

 カミーラは視線を動かす。

 気配を消し、背景と一体化し、すり足で動き隙を突こうとしていた歌野が、カミーラの視線だけで押し留められてしまう。

 ここは橋の上。

 歌野のホームである自然がないため、背景に溶け込もうとしても効果は薄い。

 しょうがないので、歌野は悪態を吐いてカミーラの意識を引いた。

 歌野始点でも、カミーラの挙動には隙がない。

 

「いやー、同じ鞭使いとして、ちょっーと引くわ……」

 

「あら、そう」

 

「人と野菜の好き嫌いはあんまないんだけど、あなたは好きになれそうにないわね」

 

「結構よ。私のティガに群がる淫売に好かれようとは思わないから」

 

 淫売と言われ、歌野は嫌な顔をする。

 単純にカミーラに対する敵意と嫌悪を抱いた、というだけではない。

 言葉の節々から感じられる"ティガへの厄介な感情"が、ティガを大事な仲間と認識する歌野に、とんでもなく嫌な顔をさせていた。

 

『カミーラ! おま―――』

 

「動けばこの男を殺すわよ、リンドウ。

 あなたの大事な誰かさんのお父さんを、あなたの大事なその人の前で」

 

『―――っ』

 

 動けない。

 付け入る隙もない。

 千景に対する感情があればあるほど、迂闊に動けなくなっていく。

 ティガの変身時間が削られていく。

 大型バーテックスが、動けない勇者達にじわりじわりと近付いて来る。

 

「ああ、そうそう、乃木若葉。

 その忌まわしい剣をこっちに投げ捨てなさい。

 嫌いなのよ、その剣。正当な持ち主が持っているならなおさらにね」

 

「……分かった」

 

 更に、丹念に逆転の目を潰していく。

 若葉が放り投げた聖剣が、橋の上、カミーラの足元に転がる。

 このままだと待っているのは大型怪獣によるリンチ死だ。

 そうなるくらいなら千景の父を見捨てた方がいい。

 だが、そうだと分かっていても見捨てられないヒーロー気質が多すぎる。

 

 若葉は刀を握り、隙を窺うが、カミーラには全く隙がない。

 首に鞭を巻き付けているのもいやらしい。

 剣先や銃口を突きつけているのとはわけが違う危険度だ。

 少なくとも、カミーラに攻撃を当てて吹っ飛ばせばいい、なんて単純な話にはならない。

 

(なんとか……なんとかならないのか!?

 この状況を覆すには、人質を救うには、カミーラを倒して打開するには―――)

 

 ゆえに状況は、カミーラが想定した流れの一つに乗った。

 

 千景が皆を手で制し、動くなと言われたはずなのに、鎌を握って動き始める。

 

「ごめんなさい……それと、ありがとう」

 

 千景は仲間に謝り、感謝した。

 親には謝らず、感謝もしなかった。

 最後に親に謝ったのはいつだろう、最後に親に感謝したのはいつだろう、と千景は記憶を探って見る。

 

 ……記憶にない。

 どれもこれもがおぼろげだ。

 親に謝った記憶も、親に感謝した記憶もパッと思い出せない時点で、もう"終わっている"のだと千景は思い知って、息を吐く。

 

「でも、もういいわ。皆、少し待ってて」

 

 もう、終わっているのだ。

 

 ここからやり直す未来はない。

 

 ここから愛し合う幸せな家族になれる可能性はない。

 

 だから、千景は鎌の先を父の首へと向ける。

 

「……人質がいなくなれば、何も問題は無いはず」

 

「―――え?」

 

「この人質を殺せるのは、娘の私しかいない」

 

「……ち、千景? 冗談だよな?」

 

 カミーラは驚く様子すら見せず無言のまま。

 千景の父は、信じられないものを見るような目で千景を見る。

 そして、踏み込み、鎌を振った。

 

 カミーラは動かない。

 刃の先が父の首元へと迫る。

 千景が振ったその鎌を、割り込んできた若葉の刀が切って弾いた。

 

「何をやっている千景! 父親だぞ!?」

 

「邪魔……しないで! 乃木さん!」

 

 思わず体が動いてしまった千景だが、カミーラはアウト判定にしない。

 このまま見ていた方が面白そうだ、と言わんばかりに、若葉と千景の論争に口を挟むことすらしなかった。

 千景が父を殺すために鎌を振り、若葉がその鎌を切り弾く。

 

 若葉と千景の間には何の確執も無いというのに、敵意ないまま、二人は神の刃にて切り結ぶ。

 

「私達は、何のために戦ってきたの!?

 何のために戦ってるの!?

 ここで終わるためじゃない!

 こんなところで終わるためじゃない!

 命をかけて戦ってきたのは……皆で生きて、明日に生きたいからだったはずよ!」

 

「その『皆』から、自分の家族を除くんじゃない!」

 

「そうしなければ、『皆』終わってしまうのよ! 今日! ここで!」

 

 橋上の決闘。

 若葉は殺させないために。

 千景は殺すために。

 目の前の少女を、極力傷付けないように無力化しようとしている。

 

 神の鎌と神の刃は、互いの気迫の差もあって、互角に近い拮抗をしていた。

 

「それでも……それでも、お前の親だ! 千景!」

 

「分かってる!」

 

「今のお前は冷静じゃない!」

 

「血の繋がった親を殺すとなって……冷静でいられる人間がいると思う!?」

 

「―――」

 

「だから、どいて! この気持ちが……萎えてしまう前に!」

 

 カミーラがこの構図を楽しんでいる理由は二つ。

 

 一つは、若葉と千景の間に何の敵意もないのに、二人が刃で戦っているということ。

 そしてもう一つは、千景が本当は『血の繋がった親に愛されたい』という願望を捨てきれていないということ。

 悲痛で悲惨で、『私のティガ』にちょっかいを出していた千景の苦しむ姿に、カミーラはたいそうご満悦のようだ。

 

「私の仲間には! いい人しかいないから!」

 

 千景が叫び、鎌を叩きつける。

 

「仲間の……友達の親を殺せる人なんていないから! 私がやるしかないのよ!」

 

「千景、お前は、お前はっ―――千景ッ!」

 

 皆、千景を大切にしてくれているから。

 千景は、自分を大切にしてくれる仲間が好きだから。

 千景を大切にしてくれる皆は、千景の父を殺すことなんてできないから。

 皆のために、千景は人質に取られた父を、その手で殺すのだ。

 

「私達の戦ってきた意味が!

 みんなが、死んでいった意味が!

 ()()()()()のせいで、なくなってしまう前に!」

 

 千景の気迫と覚悟が、技量で明確に勝る若葉との差を少しばかり埋めてくれる。

 若葉の防御も完全には間に合わず、鎌の刃が父親の頬をかすった。

 父親の顔色がさっと青くなり、その口が動き始める。

 

「千景! お前を育てたのは私だぞ!?

 お前の食べるもの、着るもの、学費、生活費!

 誰がずっと出してきたと思ってる!?

 少ない収入の中、必死にやりくりして、金も稼げない子供のお前を養ってたのは私だ!」

 

 千景の表情に一瞬、申し訳無さと憎悪が並立して浮かんだ。

 育ててくれた父親を、という罪悪感。

 どの口でそんなことを言う、という憎悪。

 どちらも人間らしい感情だった。

 

「……私を『私』にしてくれたのは、あなたじゃない!」

 

 千景を育てたのは、親なのだろうか。

 確かに一定の年齢までは親が育てたのだろう。

 だが、今の千景を作ったものは、違う。

 あの日竜胆が手を差し伸べてくれた瞬間こそが、今の千景の本当の始まり。

 

「私を『私』にしてくれたのは、丸亀城の家族だった! 友達だった! 仲間だった!

 ボブはお兄さんみたいで、ケンはお父さんみたいで!

 アナは妹みたいで、三ノ輪さんはいつも笑顔で笑いかけてくれて!

 鷲尾さんは喧嘩しても、私を嫌いにならないでいてくれて!

 上里さんも、伊予島さんも、土居さんも、乃木さんも、大事な仲間で友達で……

 高嶋さんと竜胆君が、私の一番欲しかったものをくれて、私を救ってくれた……!」

 

 生きている人の名前を言うと、自然と笑顔になりそうで。

 死んでしまった人の名前を言うと、思わず泣いてしまいそうで。

 二つの相反する感情を、千景は無愛想な表情の下へと隠す。

 

「私を……私を愛してくれた家族は! 私の大切な人は! あなたじゃない!」

 

「なっ……なんてことを……!」

 

 育てた恩があるはずだと主張する親。

 そんなものはないと言い切る子。

 だから、二人の間で、憎悪は際限なく膨らんでいく。

 千景の攻撃に込められた殺意は衰えぬまま、若葉の守りを突破して父を殺すべく、どこまでも鋭く細く尖っていく。

 

「大事な仲間を……

 私を愛してくれた人を守れるのなら……

 幸せを感じられる時間が続いてくれるのなら……

 何の罪も無い人でも、家族でも、私は殺せる……殺せるっ……!」

 

「な……何言ってるんだ?

 私はお前の父親だぞ?

 人殺しなんて大罪だぞ?

 そんな恐ろしいこと、まともな人間にできるわけが……」

 

「……殺せる……誰だって……」

 

 もう、きっと、人だって殺せる千景と。

 どこまでいっても凡愚であり、人を殺せない父は。

 互いが互いを見下し、貶め、罵倒し合う。

 居心地の良い場所を守るためなら殺人もできる――した後、後悔するだろうが――千景は、父親の目にはもう怪物にしか見えていなかった。

 

「―――狂ってる。千景、お前、頭がおかしいぞ」

 

 父には娘の行動原理が、狂人の理屈にしか見えなかった。

 

 この親子の間にあったはずの愛は、もうとっくに終わっている。

 

「お前なんて……お前なんて……生まれて来なければ良かったんだ! 千景っ!」

 

「―――」

 

「親の重荷にしかならなかったお前が!

 親孝行なんて一つもしなかったお前が!

 今度は親殺しか! ……お前みたいなクズが、なんで私達の子に生まれたんだっ……!」

 

 竜胆は、千景が生まれてきてくれたことを祝い。

 千景父は、千景が生まれてしまったことを呪った。

 恩知らずな娘を、父親失格の父を、互いが互いに罵倒する。

 

「ふざけないで……ふざけないでよ! 言うに事欠いてそれ!?」

 

「ふざけてなんていない! この恩知らずが! 死んでしまえクズ娘!」

 

「恩なんて感じたことない! 愛さえ無かった! ずっとあなたが憎かった!」

 

「―――ふざけるなッ!

 お前が子供の頃着ていた服は誰の金で買った!?

 靴は!? ゲームは!? 教科書は!? 食べ物は!?

 お前が毎日のように遊んでいたゲームを買ったのは誰の金だ!?

 私が……親が汗水垂らして、一日中働いて稼いだ金で買ったものだろう!」

 

「ゲームを買って与えてれば、愛も与えなくていいと思ったんでしょう!?」

 

「親と話そうともせず、ゲームの世界に逃げ込んでばかりいたお前が言うのか!?

 家で私が話しかけても! お前はゲームの世界に逃げ込んで何度も無視をした!

 うちの家計に余裕なんてなかったのに……

 高いゲーム本体、ゲームソフト、お前はいくつもいくつも買って、その世界に逃げた!」

 

「私とお母さんから逃げたのはお父さんの方よ!」

 

「お前が逃げてなかったとでも言うのか!?

 お前は、お前はっ……!

 お前の母さんが天恐になって、心が壊れて!

 介護が必要になっても、お前は手伝う意志の欠片すら見せなかった……!

 私は村で蔑まれながら、お前という重荷を背負って、お前を育てて……!

 バーテックスが来てからは、心が壊れた母さんという重荷を押しつけられて!

 母さんが天恐のステージ3に進むまで、自由に生きることすらできなかった!

 何故お前が……被害者みたいな顔をして、私がお前にしてやったことを、全て否定するんだ!」

 

「……っ! あなたが、そんなだから! お父さんが、そんなだから!

 自分の妻も娘も、重荷って、平然と言うお父さんだから!

 家族のために苦労することが苦痛だと、平気で言ってしまえるお父さんだから!」

 

「父親は神様じゃない!

 家族のための負担を何もかも受け入れられる聖人君子になんてなれるか!

 働いて稼いだ数少ない金が、お前のために大部分費やされることを、許容なんて……!」

 

「何もかも受け入れてなんて言ってない!

 私も、お母さんも!

 ……『ちゃんと愛して』としか言ってないのに……お父さんは、してくれないから……!」

 

 鎌と太刀がぶつかり合う。

 面白そうに、カミーラは戦いの流れを見ていた。

 千景は必死に父を殺そうとし、その攻撃を冷静に若葉が受ける。

 

 仲間のために殺す、などという意識はもう半ばまで失われている。

 目の前の父が憎い。

 目の前の娘が憎い。

 二人の思考はただそれだけ。

 憎いから殺すし、憎いから罵倒する。

 ただそれだけ。

 仲間の生存も、自分の生存もそっちのけで、二人は『長年に渡って自分に不快な思いをさせてきた大嫌いな家族』への憎悪をぶつけ合う。

 

 千景が七人御先まで使用し、一人では守りきれない状況を作り出した時点で、千景の家庭環境を知らない歌野ですら、この状況の最悪っぷりと千景の本気っぷりを把握した。

 

「落ち着け……落ち着け千景!

 あなたも、娘を煽るな! やめろ! 止まれ!」

 

「あーもう! どうすりゃいいってのよ!」

 

 若葉同様二人の間に割って入り、仲裁する歌野。

 ふたりいればなんとかなるか、という意識で千景を抑え込みにかかるが、体を七つに分けた千景を制圧できる技能など、二人は持っていない。

 もちろんそんな特殊能力も持っていない。

 

「お前は生まれたことが間違いだった!」

 

「……私に、『私』を生んでくれたのは! お父さんじゃない! 思い上がらないで!」

 

 なので必死に頑張るしかない。

 歌野は目でそちらを見ないようにしながら、千景と戦いつつカミーラの様子を窺う。

 隙あらばぶっ殺してやるつもりである。

 が、相変わらず隙が無い。

 誰かが見ているわけでもないのに、カミーラには隙がなかった。

 戦闘時のみならず、息をするように隙が無い立ち姿。

 それがいっそう不気味だった。

 

 娘を罵倒する親。

 親を罵倒する娘。

 論争を止めようとする若葉と歌野。

 動くなと言われ、動けずにいるウルトラマン。

 ……そんな中。

 

 同士討ちをする勇者達の戦いと、罵倒し合う血の繋がった親子の憎悪と罵倒合戦を見て、カミーラはバカを見る目で彼らを見つめ、鼻で笑っていた。

 ティガ/竜胆が叫ぶ。

 

『カミーラああああああああッ!!!』

 

「あら、リンドウ。怒る相手が違うんじゃないの?」

 

 とぼけた様子で、カミーラはティガの糾弾をさらりと回避する。

 

「子を想わない醜い親と、私情で親を殺す親殺しの屑。

 自分の心地良い世界を守りたいだけの親子。

 自分さえ良ければ家族のことなんてどうでもいい最低の親子。

 醜い醜い人間がそこにいるのよ? ……怒るなら、そこに怒りなさいな」

 

『―――お前だけは、俺がこの手で絶対に殺す』

 

「ああ、なんて素敵な殺気。素敵な憎悪。素敵な闇」

 

 本気の殺意。

 竜胆の中の闇が膨らみ、カミーラがゾクゾクする量の殺意がカミーラに向けられる。

 それすら、カミーラ相手では、ゾクゾクさせる程度にしか効かなかった。

 もっと、もっと、闇に堕とせば。

 竜胆の優しさは失われ、カミーラの望んだティガが戻って来る。

 

「こんな些末な前菜で、こんなにも、

 『光の巨人らしくない』

 表情と言葉を見せてくれるなんて、なんて嬉しいことかしら。期待が高まってしまうわ」

 

 ティガの残り変身時間もあと少し。

 強力な大型バーテックスが三体、そしてカミーラ、合わせて四体。

 『星辰』のバーテックスは、容赦なく人間をその狙いに定めている。

 人類滅亡の危機、最悪の大ピンチだ。

 だと、いうのに。

 

 郡の家の親子二人は、バーテックスよりも、目の前の肉親を憎んでいた。

 人が人を憎み、争っていた。

 そうして憎み合う親子の姿もまた、竜胆を闇と憎悪へ誘導する、カミーラが用意した闇堕ち誘引材料の一つであった。

 ……カミーラが、わざわざ頼まなくとも。

 彼女らは竜胆に人の醜さを見せつけ、竜胆の罪悪感を膨らませ、竜胆の心にある多くの負の感情を掻き立ててくれるのである。

 

 世界の終わりが近付いて来る、足音がした。

 

 

 




 現実世界だと、2013年の後は2018年まで起こらず、地球温暖化のせいでもう起こらねえかもって言ってる人までいた御神渡りくん

【原典とか混じえた解説】

●星辰
 星、星座、などの意を持つ単語。
 "星に神性を重ねる"という細かいニュアンスを含むこともあるので、特定の界隈ではそういうニュアンスを出すためにこの単語を使うこともある。
 クトゥルフ神話においては『星の配列』という意味で使われた。
 つまり星辰とは、星座などの並びによる、夜空全体・宇宙全体の星の並びのことを言う。

 星屑が集まれば星となり、星が集まれば十二星座となり、星座が集まれば星辰となる。
 太古の昔、人はそれらの星々に神の姿を見た。

●根源破滅海神 ガクゾム
 クトゥルフ神話における旧支配者、『黄衣の王』ハスター。
 クトゥルフ神話における邪神ハスター/ガクゾムは、ロイガー/ゾイガーや、ビヤーキー/バイアクヘーを従えているとされている。
 頭部や腕から強力な破壊光弾を放つ能力を持っている。
 バイアクヘーとの合体前は強化状態のアグル一人でも打倒可能な程度の強さだが、合体後は強化されたアグルとガイアを単体で圧倒するほどの強さを持つ。
 特に合体後に獲得する光線吸収反射能力は、脅威の一言。
 合体後に得られる腕の刃も主兵装として十分な強さを持っている。

 本来、根源的破滅招来体は天の神の眷属である。
 ゆえに、"天の神以外の神"の眷属ではない。
 例えば『海の神』とは味方関係ではなく、敵対関係に成り得る者だろう。
 クトゥルフ神話においても、ハスターは海の邪神とは敵対関係にあるとされている。
 日本神話において海の神であるとされるスサノオとも、ガクゾムは関係が悪いはずである。
 だが、ならば。
 何故この海神は、海から来た邪悪なる者達と、共に在ったのであろうか?

●バイアクヘー 追記
 バイアクヘーが合体したガクゾムには、光線の吸収反射能力が備わる描写がある。
 また、合体後のガクゾムは近接戦闘などにおいても、"とてつもない"と頭に付くほどにとてつもない強化を果たした。
 現在の合体対象は、ガクゾム、ゾイガー、ボクラグ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3

 昼手直し投稿
 「もしかして『土日はぐっすり寝ていいんだ』という打ち破るべき固定観念こそが土日周りの更新を遅くしているのでは?」
 ルシエドは訝しんだ

 それはそれとして今話4万3千字超えちゃったんですが「4日で4万字なら投稿ペース的にはまあ抑えめだな」くらいに思っておいてくださいてへぺろ


 千景の見立ては正しい。

 千景以外の誰も、千景の父を見捨てることはできない。

 千景にしか、千景の父を殺す決断は下せない。

 誰もが皆、郡千景のことを嫌っていなかったからだ。

 

 仲間に対する千景の見立てはとても正しい。

 だが、彼女は一つだけ計算違いをしてしまっていた。

 "千景のためなら許せることさえ許せなくなってしまう"男が、"千景のためなら自分を曲げる"男が、四年前も千景のために自分らしさを捨て、全てを破壊したというのに。

 

 千景に親殺しの罪を背負わせるくらいなら、千景との関係がギクシャクしてしまうことすら覚悟の上で、自分の手で殺す。

 竜胆は、そういう覚悟ができる男だった。

 

 ……千景の父が、カミーラに誘拐されただけの、被害者でしかないと分かっていても。

 殺人の罪を自ら望んで一つ増やすということを、分かっていても。

 言い訳のしようがないくらい、私情を理由に、千景のために殺すのだと自覚していても。

 彼は殺すだろう。

 それがどれだけ醜悪で罪深いか、竜胆はちゃんと分かっている。

 

 戦いの結果として出てしまった犠牲、ではない。

 戦いに負けないために、ここで人類を終わらせないために、自らの意志で人を殺すのだ。

 まるで、生贄を捧げるように。

 戦争前の儀式で勝利のために祈り、満開の花を散華させるように。

 

(ちーちゃん)

 

 殺したくなんかない。

 傷付けたくなんかない。

 今生きているなら、これからも生きていてほしい。

 竜胆は本質的には、他の生き物を殴ることすら嫌がるような人間である。

 最近は何故かそう思うことも完全になくなったようだが、それでも竜胆は、人の命の重みを子供の頃からちゃんと分かっている子であり、人殺しの罪をよく分かっている人間だった。

 

 千景の父を、竜胆は嫌っている。

 それはもう嫌っている。

 その理由は十割、千景に対する仕打ちである。

 千景と父が口論していれば、竜胆は必ず千景の味方に付くだろうし、状況次第では千景の代わりに父親をぶん殴るくらいはするかもしれない。

 

 だが、そうだとしても。

 竜胆は千景の父に、死など望んでいない。

 生きること、幸せになること、笑顔で過ごすこと、そして……千景とできる限り顔を合わせないことと、千景をもう不幸にしないことを望むはずだ。

 そのくらいしか、望まないはずだ。

 御守竜胆は、そういう男だから。

 

 そんな男が今、千景の父を手に掛けようとしている。

 苦渋の決断などという生温いものではない、地獄の選択だ。

 この殺人を、竜胆は一生引きずることだろう。

 

(ごめん)

 

 ハンドスラッシュを腰に構えるティガ。

 カミーラはティガの方を見ていない。

 千載一遇のチャンスだと竜胆は認識していた。

 カミーラが、千載一遇のチャンスを認識させていた。

 

(あら……そちらに転んだのね)

 

 カミーラはどう転がっても良かったのである。

 

 千景が父親を殺してもいい。

 一生親殺しの自分と折り合いをつけなければならなくなった顔を見るのもいい。

 若葉が千景の父を殺してもいい。

 "あの剣"に選ばれた人間の苦しみは、カミーラにとっての喜びだ。

 竜胆が親友の父を殺したなら最高だ。

 シビトゾイガーも上手く使っていけば、竜胆を罪悪感で潰し、闇に堕とすのがぐっと楽になる。何よりカミーラからすれば、見ていて楽しい展開になる。

 

(愛してるわ、ティガ。

 ……私が一番望んでいた展開に行ってくれるなんて、本当に嬉しい。

 愛してるわ。だから苦しんで、不幸になって。

 宇宙で一番に絶望した存在になって……全ての命を、絶望させてちょうだい)

 

 "悪辣である"とはこういうことだ。

 "性格が悪い"と言い換えてもいい。

 ひとりぼっちで三千万年間、一度も停止することなく熟成され続けた愛憎は、もはや歪んでいるとか、腐っているとか、そういう表現が一切的確ではない。

 重すぎる愛憎が完全に重力崩壊を起こしている。

 もはや関わること自体が悪手、というレベルの存在に成り果てている。

 

 ティガが他人の絶望を楽しめる存在になって初めて、カミーラはティガに幸福と愉悦を与える存在になるのだろう。

 人、それを最悪の結末と言う。

 

 全ての巨人、全ての勇者の動きを把握し、シビトゾイガー達で大社ですら後手後手に回してしまうカミーラに、怖いものなど何もない。

 人類側、バーテックス側、どちらのコントロールも達成した。

 今のカミーラは、チェスで対戦している二人の両方を操作して、盤面をコントロールしているようなものだ。

 予想外の要素は無い。

 駒は誰も盤の外まで出られない。

 

(さあ、私が彩る絶望の序章を、彩りなさい)

 

 なら、チェス盤にサッカーボールでもぶち込めばいい。

 平然とそういうことをしてきた者がいた。

 

 叩き込まれたサッカーボール……牛鬼が、ポンと現れ、ピョンと跳躍した。

 

「―――え?」

 

 突然の出現。

 カミーラは瞬時に、反射的に、雷で牛鬼を迎撃していた。

 どこから出て来た……なんて思考することすら時間のロスだと言わんばかりに、完璧な奇襲に対し反応速度0.01秒以内という神業じみた迎撃速度を見せる。

 それが牛鬼であると認識する前に迎撃していたというレベルだ。

 なんと凄まじいことか。

 

 まあ、その迎撃の雷は空中で牛鬼が食べてしまったので、意味の無いハイレベル迎撃披露になってしまったのだが。

 

「もっきゅ」

 

「!?」

 

 牛鬼は雷を食い、そのままカミーラの鞭へと噛み付く。

 生ゴミ以下のもん食べさせやがって、と言わんばかりの顔で、牛鬼はカミーラの氷の鞭を食い千切り、咀嚼した。

 カミーラは、その鞭をほとんどの勇者の攻撃で破壊できないよう計算し、過剰なほどにその鞭を強靭にしていたはずだったのに。

 

 そしてカミーラと千景父を結ぶ鞭の線が切れ、カミーラと千景父の体が離れる。

 牛鬼は"死ね"と言わんばかりの表情で、千景の父の足と、カミーラの足に唾を吐いた。

 

「接近する気配が無かった……何者だ、お前は!」

 

 カミーラの手に残っていた鞭の断片が、氷の剣に形を変える。

 牛鬼に攻撃を仕掛けるのはいい。

 牛鬼の方を見るのはいい。

 だが牛鬼に注意を払うのは、このタイミングでは一手遅く、かつ最悪のタイミングだった。

 

「勇者ぁっ――」

 

「―――!?」

 

「――パーンチッ!!」

 

 声に振り返ったカミーラの顔面ど真ん中に、山桜の勇者の拳が突き刺さる。

 人間サイズになっていたことが仇となり、カミーラの体が浮いて吹っ飛ばされた。

 

「ぐっ、あっ、お前はっ……!」

 

「私は勇者! 高嶋友奈ッ!」

 

 更に追撃。

 一目連を身に纏った友奈が拳を握り、カミーラの顔面ど真ん中に、嵐の拳が突き刺さる。

 二連続で痛みの声を上げ、乱入者高嶋友奈に反撃しようとしたカミーラは、見た。

 酒天童子をその身に宿し、至近距離にまで接近して来ていた、高嶋友奈の振り上げし拳を。

 

「リュウくんとぐんちゃんの―――友達だああああああああッ!!」

 

 そして、カミーラの顔面ど真ん中に酒天童子の拳が突き刺さり、カミーラは盛大に吹っ飛んだ。

 

 執拗なまでの顔面攻め。

 一見すればカミーラのような性格の悪さがそうさせた、ようにも見える。

 その実、あまりにも真っ直ぐすぎる友奈の性格がもたらした、最初に狙った目標をひたすらに拳で打つという、直球怒涛の三連打。

 カミーラは雷の如き速度で海面に叩きつけられ、巨大な水柱が立ち上がった。

 

『ゆ……友奈!』

 

「ごめんリュウくん! 遅くなっちゃった!」

 

「結果論ですが、手遅れになる前に間に合ってよかったです!」

 

『杏!』

 

 伊予島杏、高嶋友奈、参戦。

 

 カミーラの身体能力と悪辣な企みは、ちょっと奇襲を仕掛けたくらいでは覆せない。

 ならばそこには種がある。

 それを理解するには、少し時間を巻き戻して、二人と牛鬼の動向を見る必要があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ティガが移動に使った時間が一分、そこからカミーラの参戦まで一分と少し。

 友奈と杏は香川在住なのに、連絡が来てから一分程度で徳島と淡路島を繋ぐ大鳴門橋まで助けに来てくれた。丸亀城から橋まで直線距離で70kmと、かなりの距離である。

 当然ながら丸亀城から一分で来れるわけもない。

 

 ならば、ここから分かることがある。

 友奈と杏は、徳島で待っていてくれたのだ。

 諏訪の人達を暖かく迎え入れるため。

 そして何より、仲間が帰って来たところに"おかえり"と言って、出迎えてあげるために。

 

 だからこそ援軍は一分以内に間に合った。

 小さな優しさが後の勝機に繋がるというのが、なんとも彼女ららしい。

 友奈と杏が徳島から橋に移動し、諏訪の者達とすれ違い、到着した頃にはカミーラがいた。

 

「助けないと!」

 

「ゆ、友奈さんストップです!」

 

「ぐえっ」

 

「あっ」

 

 友奈の勇者服の後ろ襟を杏が引っ張り、止める。

 咄嗟の行動が、友奈の首をキュッと締めてぐえっとさせる。

 

「ご、ごめんなさい! でも、今行くのは悪手だと思うんです」

 

「悪手?」

 

「私達はまだ存在を気付かれていません。

 私達の存在は、以前顔を合わせているのでカミーラも知っているはずですが……

 それでも、今ここに私達がいることを気付かれていない。それが最大の武器になります」

 

「何か思いついたんだね? わかったよアンちゃん。私は何をすればいい?」

 

「まずは……」

 

 杏は、友奈の後ろで"気配も足音もなく"歩いていた牛鬼を、ひょいと持ち上げた。

 

「この勝手について来ていた牛鬼君の力を借りましょう」

 

「え? ……あ、牛鬼! もー、勝手について来ちゃ駄目じゃない!」

 

「前に雑談で話した覚えありますけど、牛鬼ってとっても頭良いですよね。人と同じくらい」

 

「うん。私達の言葉も分かってるみたい」

 

「牛鬼と友奈さんは、大鳴門橋の下部をこっそり進んで、牛鬼を先に放してください。

 足音も気配もない牛鬼は、突然現れて走るだけでいいんです。

 それだけでカミーラの注意を引けるはずです。

 牛鬼の方にカミーラが気を引かれたら、その隙に友奈さんが急襲。人質を奪取してください」

 

「橋の下部?」

 

「大鳴門橋は上下二層構造なんです。

 上が皆さんがよく見てる普通の橋の道路部分。

 その下に鉄道が敷設できる空間が通路として確保されてるんですよ。

 その左右には遊歩道もあって、昔はよく使われていたんだそうです。本に書いてありました」

 

「へー、知らなかった。アンちゃんは物知りだね」

 

「いえ、本の受け売りなので。

 友奈さんと牛鬼なら問題なくそこを走っていけると思います」

 

「うん、大丈夫だと思う」

 

 昔々、1973年頃、本州と淡路島を繋ぐ明石海峡大橋を作り、淡路島と四国を繋ぐ大鳴門橋を作って、それぞれ鉄道を設置して線路を敷こう! という話があった。

 が、明石海峡大橋の方は、金がなく、技術がなく、要される強度の地盤がない、ということでさっさと鉄道を諦めてしまったのであった。

 大鳴門橋の方はもう線路を敷く準備をしていたというのに、である。

 

 その後も色んな話が挙がったが、結局どれも形にならず、大鳴門橋下部の『鉄道が入るはずだった空間』は空っぽのまま、放置を食らっている。

 その左右に遊歩道が設置されたものの、そこが線路のための空間であるということを知る者は、そこまで多くはないだろう。

 

 線路用の空間の左右に遊歩道が設置されてから、もう十九年以上が経った。

 その遊歩道を人が逃げ、星屑が人ごと遊歩道を破壊し、人の死体や持ち物、遊歩道の残骸がそこに詰まって、人の死体は腐って海に落ち……それから四年近くが経った。

 ガクゾムの闇もまだ橋周辺に残っている。

 破壊された遊歩道跡に挟まれた元線路敷設予定空間は、外からは見えない。

 残骸が詰まった遊歩道跡が隠蔽の壁代わりとなる。

 

 朝ながらに移動中の友奈達は見つかり難く、橋の上のカミーラからは橋の下の友奈達はまず見えないだろう。

 

 人間の知は、時に現状打破の工夫の余地を引き寄せる。

 

「牛鬼、お願い。できる?」

 

「きゅ」

 

 牛鬼は力強く頷いてくれた。

 少し遠くを友奈が見れば、拳を握り締めるティガの姿、人質を取るカミーラの姿、苦悶の表情で戦う若葉と千景の姿が見えた。

 見ているだけで、胸が痛む。

 千景を苦しめ、ティガを言葉で煽りながら制しているカミーラを見据え、友奈もまた、その優しい拳を握り込んだ。

 

「大丈夫かな、アンちゃん。これちゃんと成功するかな?

 あのカミーラって人、悪巧みが得意そうで頭良さそうだけど……」

 

 友奈の問いかけに、杏は首を縦に振って応えた。

 確実にカミーラの意表を突くなら、成功率が高くかつカミーラが想定していない奇襲を選ぶべきだと、伊予島杏は考える。

 

「世界各国の兵法には、たびたびこんな話があります。『頭が良いのと陰謀家なのは別』」

 

「? ええと、どういうこと?」

 

「他人を悪辣な方法で陥れるのは、実はバカでもできるということです。

 例えば陰謀家は他人の善意をどう理解し、どう騙し、どう陥れていくか、という存在。

 必要とされるのは頭の良さよりも、罪悪感を感じない性格の悪さなんだと思います」

 

「あ、なるほど」

 

「詐欺師がチェスや将棋をやっても別に強いわけじゃないですよね」

 

「確かに!」

 

 勘違いしてはならない。

 『他人を騙すのが得意な人』も、『知識が豊富な人』も、『頭が良い人』も、『策略が巧みな人』も、全部別なのだ。

 そして杏が見たところ、カミーラは『人の悪意を演出・利用するのが得意』なタイプ。

 それ以上にも、それ以下にも見えなかった。

 

「私が最近読んだ恋愛小説の台詞を引用するのなら……」

 

 加え、『冷静な思考』より、『身の内に湧き上がる激情』を優先する女に見えた。

 そういう人間の知略は、案外怖くはない。

 杏からすれば、カミーラが力押しをしてくる方がよほど怖かった。

 

「"恋愛感情は視野を狭くすることはあるがその逆はない"というやつです。友奈さん」

 

 杏はその時、ちょっとばかり得意げな顔をしていた。

 

 かくして、若葉も歌野も竜胆も手が出せないほどに隙がなかったカミーラを、杏が立てた作品が見事に出し抜き、カミーラは吹っ飛ぶ。

 カミーラの思考の隙間を縫うような一手。

 カミーラの視界の隙間を縫うような牛鬼の派遣。

 友奈の一撃で決めきれなければ、橋の端から自分が狙撃するつもりだったという徹底ぶり。

 

 夢中で恋愛小説を読み耽ることも多く、王子様に憧れ、彼氏も居たことがない伊予島杏。

 三千万年前に自分を捨てた男をみじめったらしく今でも求めているカミーラ。

 皮肉なことに、前者の方が恋愛的な意味でもそれ以外の意味でも、視野が広い。

 だからカミーラの『完璧な盤上の流れ作り』も、杏はあっさりと崩せてしまうことがある。

 

 この皮肉を、当然のものと言っていいものなのだろうか。

 伊予島杏は王子様に憧れるような夢見がちな女の子だが、自分の理想の王子様像を他人に押しつけたことなど、一度も無い。

 カミーラは竜胆を塗り潰してでも理想の王子様(ティガ)を作ろうとする。

 愛憎に浸る前のカミーラの恋愛観にはあったはずのもの、今のカミーラには無いものが、伊予島杏の中にあった。

 

 

 

 

 

 杏からすれば、策謀において最も恐ろしいものは『完璧』だ。

 『悪辣』ではない。

 性格が悪い者の企みより、頭が良い者の企みの方がどうしようもない。

 杏は比較的頭が良いが、それだけだ。頭脳において天才というわけではない。

 

 それでも杏がカミーラを出し抜けたのは、カミーラが牛鬼という存在を根本から見誤っていたからなのだろう。

 杏は、それを曖昧にだが察していたようだ。

 

 結局のところ、カミーラは『惚れた男』と、『惚れた男の周りの女』しか見ていない。

 もっと言えば、"ティガのことしか考えていない"。

 杏は人間だけが知る鳴門大橋の特殊構造などを利用し、その弱点を的確に突いた。

 カミーラは突かれた。

 だからこそ怒る。友奈、杏、牛鬼に対して。上手くいっていた流れを邪魔され、怒る。

 

 海から空へと浮かび上がる海水濡れのカミーラが、その身に紫電を走らせた。

 

「やってくれる」

 

 カミーラの怒りに呼応するように、強化体のガクゾム、ゾイガー、ボクラグが咆えた。

 

「小賢しい人間どもめっ……!」

 

 カミーラが人間サイズから、ウルトラマンと同じ巨人のサイズへと変貌し、海に落ち、海は巨人の巨体を飲み込めぬまま、落下の衝撃で巨人の周りに海水の水飛沫を撒き散らした。

 

 一方、橋の上では杏が歌野に『端末』を渡していた。

 

「大社から預かってきました。白鳥さん専用の端末です」

 

「え? 私専用? もしかして四国勢と同じ仕様のデラックスなやつ?」

 

「そうらしいです。

 五月にガイアとアグルが帰って来た時、四国の近況も伝えられて……

 いつか来る諏訪との合流の日のために、急ピッチで仕上げたと聞きました。

 諏訪の土地神様達も既に神樹様の中に合流してるらしいです。すぐに使えるはずですよ」

 

「よっし、ラッキー! 来たれパワー、唸れ新しい私の端末! 変身!」

 

 邪魔な千景父を牛鬼が戦場の端にズリズリと引きずっていったり、友奈が俯いている千景に声をかけたりする中、歌野が『初めての端末』をやや高揚した気持ちで操作する。

 今まで装備していた勇者衣装がほどけて、四国勇者のフォーマットに沿った勇者の衣装と神様の武器が、歌野のその体に備わっていた。

 

「おおっ、力が漲ってくる!」

 

 時間がない。

 秒単位で敵も味方も目まぐるしく動いている。

 千景の父を蹴っている牛鬼なんて見ている暇はない。

 杏は若葉が投げ捨てさせられた聖剣を拾い、勇者の筋力で若葉に投げ渡した。

 

「若葉さん、剣を!」

 

「ああ! 感謝する、杏!」

 

 その一瞬。一秒あったかないか、という一瞬。

 闇薙の剣が杏に反応し、鈍い光を漏らした。

 聖剣が漏らしたその光を、カミーラは見逃さない。

 

「―――」

 

 カミーラが()()()()()()()、杏を見る。

 カミーラに従う三体のバーテックス達が、本能的に思わず、カミーラから一歩分距離を取る。

 カラータイマーが点滅するティガにさえ、カミーラは一瞥すらしない。

 その目は杏を凝視していた。

 憎悪、敵視、殺意。ありとあらゆる物騒な感情がにじみ出ている、そんな視線。

 

「―――貴様……貴様、貴様、貴様、まさかっ!」

 

 カミーラとどこか似た性情を持ちティガの傍にいる千景より、光の聖剣に選ばれた若葉より、今さっき強烈にカミーラを殴り飛ばした友奈より、強烈に杏に殺意を抱いている。

 途方もない殺意だ。

 尋常でない憎しみがカミーラから吹き出している。

 杏自身には、そこまで憎まれ敵意を抱かれる理由がまるで分からない。

 ゆえに戸惑う。

 

 戸惑う杏に声を叩きつけるように、カミーラは叫んだ。

 

「『ユザレ』の……あの女の、子孫!

 ティガを口車に乗せ、光の道にいざなったあの女! ユザレの!

 地球星警備団の団長……光のユザレの血脈ッ! まだ絶えていなかったなんて……!」

 

 カミーラの頭の中身が、憎悪と憤怒で沸騰する。

 三千万年前の記憶と、今見えている現実の光景が、混濁する。

 

 カミーラはあの女を、三千万年前に見た。

 白く長い髪をなびかせ、銀をあしらった白い衣装に身を包んだ『ユザレ』を。

 カミーラは今、橋の上の少女を見ている。

 陽の当たる角度次第で、真っ白にも色有りにも見えるクリーム色の髪に、真っ白な勇者衣装を身に纏っている、『伊予島杏』を。

 

 三千万年前に見た。

 闇/カミーラではなく、光/ユザレを選んだティガを。

 今見ている。

 カミーラを敵視し構え、杏を守ろうとするティガを。

 

 三千万年前。

 ユザレはカミーラの愛と企みを打ち砕き、ティガを光に変えた。

 今。

 伊予島杏は自分自身は特別な力を何も使わぬまま、推察と知略のみで、、カミーラの歪んだ愛による企みを粉砕した。

 

 三千万年前に誓った。他の何でもなく、自分の心に。

 あの白い女を、必ず殺すと。

 今も誓える。他の何でもなく、愛憎渦巻くこの心に。

 あの白い女を、必ず殺すと。

 

 ティガを愛しているから/憎んでいるからブレない。

 憎んでいるユザレ/杏がそこにいるからブレない。

 三千万年前を思い出したカミーラの心が。

 この時代に忌まわしいものを見たカミーラの心が。

 狂気の混じった憎悪を、言葉の節々ににじませていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和59年発行『愛媛県史 民族 下』などの郷土研究書には、様々な研究が乗っている。

 その中でも目につくのが、愛媛の方言でも独自的かつ代表的なものであるとされる、『伊予ことば』についての記述である。

 『伊予ことば』は神に捧げる言葉、儀式儀礼に使われる言葉、日々の中で感謝を伝える言葉、人々の中で秘密とされたものなど、多くのものを内包している。

 そして、伊予ことばは、海の向こうから来た人間の話し方や言葉なども取り入れつつ、独自性を保っていた、というのが愛媛史研究の通説である。

 

 そんな愛媛の西側海沿いに、『ユザレ』という方言がある。

 現在は"夜一晩中"という意味であると伝えられており、研究によれば『夜去れ』という言葉の変形前後の一つなのではないか、と言われている。

 夜去れが夜の意味になり、一晩中という意味になった、ということだ。

 

 だが、本当のところは誰も知らない。

 何故『夜よ去れ』を『ユザレ』と言うのか。

 ユザレという言葉が、夜よ去れという意味合いの言葉に何故あてがわれたのか。

 もしも他に意味があったとしても……誰も、知らない。

 

 愛媛にある、少し珍しい音の方言の話。

 

 

 

 

 

 聖剣に杏が触れるまで、杏が"そう"であることに、カミーラは全く気が付いていなかった。

 三千万年は長すぎる。

 遺伝子の割合で見れば、海に一滴のジュースを流すようなものだ。

 ここまで遺伝子が希薄化してしまえば、三千万年前の仇敵の子孫が目の前に現れようが、気付くことなど不可能であると言い切れる。

 だが、気付いてしまった。

 ならばもう、その血筋は見逃されない。

 

「またティガを口車に乗せ、心を光に寄せようとするか……ユザレっ……!」

 

 聞き覚えの無い名前に、身に覚えのない殺意の投射、杏は戸惑うしかない。

 

「ユザレって……?」

 

「とぼけるな!

 お前が覚えていなくとも、遺伝子が覚えているはずだ!

 三千万年前、私からティガを奪っていった……忌まわしい泥棒猫の子孫がッ!」

 

「えっ」

 

 忌まわしい女の子孫へカミーラが叩きつけた言葉に、周りの勇者達が一斉に杏を見る。

 

「アンちゃん泥棒猫なんだ……」

 

「ち、違いますよ! 友奈さん変な受け取り方しないで!」

 

「泥棒猫……」

 

「千景さんっ!?」

 

「あ、はじめましてです泥棒猫と呼ばれてる人!

 白鳥歌野と言います、あなたのお名前なんですか?」

 

「だから、もーっ! 伊予島杏です!」

 

「三千万年前の杏のご先祖か……ウルトラマンの愛憎話とは、変な気持ちになるな」

 

 巨人の愛憎劇などあまり心地良くは感じられない。

 が、人の心を持つ以上そういうこともあるのだろう、と若葉は納得する。

 されど、大昔のティガと今のティガを同一視するカミーラの主張には、納得できなかった。

 

「だが、竜胆はそんな昔から生きてはいない。ティガでも、人違いのはずだ!」

 

「いいえ、間違いなくティガよ……その女が、ユザレの子孫であることが間違いないように!」

 

 若葉の指摘などどこ吹く風の馬耳東風。

 キラリとカミーラの指先が光ると、そこから飛ぶは氷の槍。

 厚さ十mの鉄板だろうと砂糖菓子のように粉砕できる氷の槍は、音速の数倍という速度で杏に向け放たれ、杏の前でティガトルネードの手によって掴み止められていた。

 

『正確な事情は読めないが、杏を洒落にならないレベルで憎んでるな』

 

「先祖の話で殺されるなんてたまったもんじゃないよ!?」

 

 続き二発目、三発目と氷の槍が発射されるが、ティガトルネードの豪快な手さばきが氷の槍を掴み止める。

 ティガには到底真似できない威力の氷の槍であったが、掴み止めることはできた。

 橋の上の杏を庇い立つティガの姿が、カミーラの目に映る。

 

「……ああ、そう」

 

 その構図が、とてつもなくカミーラの癇に障った。

 カミーラの声のトーンが落ちて、背筋が寒くなるほどに底冷えした声に変わる。

 杏を守るティガのカラータイマーは、ほどなく止まりそうなほど早く点滅していた。

 残り時間は、十秒かそこらか。

 

「でも、そんな尽きかけの力で何ができるのかしら?」

 

『奥の手はある。こいつだ!』

 

 だが、この近辺には闇がある。

 ガクゾムがばら撒いた闇だ。

 

 恐ろしいことに、ガクゾムは強化前でも地球程度の星は闇に包み込むことができる。

 ゆえに、その闇は絶大だ。

 星間戦闘可能規模程度の兵器では、打ち払うことも難しいほどに。

 

 その闇が、海に立つティガの体に吸われていく。

 『闇を光に変えて取り込む』、ティガがその身に備える力だ。

 精霊の穢れという概念を用いて、千景と球子の闇からティガトルネードを、若葉と杏の闇からティガブラストを得てきた。

 そして今、闇から単純に活動エネルギーを得ようとしている。

 

「闇の力を光に変える……三千万年前と同じ……」

 

 カミーラが少し驚いた様子を見せ、されどそれも一瞬で、ティガを見てほくそ笑んでいた。

 

 吸い込まれる闇。

 闇が変換された光。

 それがティガの体に染み込んでいき―――海の中で、ティガが膝をついた。

 水飛沫が上がり、海に体を浸したティガは、上半身をフラつかせたまま立ち上がれていない。

 

『うっ……重い……体調悪っ……な、なんだこの闇……?』

 

「リュウくん!?」

 

 ティガの体に一度は取り込まれた光が一部排出され、一部は体内に留まる。

 体外に排出された光が、すぐに闇に戻った。

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()かのように。

 

「『由来の格』が違うのよ。

 私達の闇は、元は光の巨人の力であった闇。

 勇者の闇でも、それは元は勇者の光の力。

 その闇は文字通りに"桁が違う"……あなたでも変換しきれなかったようね、リンドウ」

 

『うっ……ぐっ……!』

 

「活動時間は少し戻ったようだけど……

 懐かしい感覚が蘇るでしょう? ティガ。

 三千万年前、あなたがその身を浸らせていた、闇の中の闇。神の闇よ」

 

 海に体を浸しながら、海に溶ける闇の侵食に、竜胆は苦しむ。

 この闇は人体に有害だ。

 光の巨人に対しても有害だろう。

 この闇に苦しんでいることが、今のティガの立ち位置を示している。

 

 その闇の中、ガクゾム、ゾイガー、ボクラグ、カミーラは心地良さそうにしている。

 ティガの苦しみも、闇に蝕まれているから苦しいのではない。

 "そちら側に転んでしまいそうな自分"を抑えようとしているからこそ、苦しんでいるのだ。

 

 カミーラはティガに歩み寄り、その頬に手を当てようとする。

 今の闇に堕ちようとしているティガの姿が、愛おしくて愛おしくてたまらなかった。

 愛おしい相手の体に触れたいという、誰の中にもある気持ち。

 

「海の底の神域……ルルイエの闇は、私達の体に染み込んでいる。今は、あなたの体にも」

 

 ティガに向け伸ばされたその手の先を、若葉が斬る。

 怯んだカミーラの眉間に、杏のクロスボウの矢が突き刺さった。

 

 今現在、カミーラの前に立てるのは――海上での直接戦闘ができるのは――飛べる若葉のみ。

 天狗の翼を広げ、カミーラの手を切った聖剣を構える。

 握った剣は守りの剣。

 ティガを庇う若葉が聖剣を輝かせ、その光がカミーラの中にふつふつと怒りを沸かせていた。

 

(けが)らわしい手で、私の仲間に(さわ)るな」

 

「……」

 

(きたな)らしい気持ちで、竜胆に(ふれ)れるな!」

 

 聖剣持ちの若葉。

 遠くでカミーラを睨む杏。

 カミーラの怒りが更に加熱する。

 

『はぁ、はぁ、ハァッ……!』

 

「竜胆!」

 

『まだ、まだ、大丈夫だ……キツいけどな……!』

 

 だが、光に変換しきれなかった闇が、取り込んだティガの体の中身を侵しているのを見て、カミーラは心落ち着ける。

 今日は前座、前菜だ。

 100%成功する本番を150%成功する本番にするため、色々と仕込みに来ただけだ。

 竜胆に闇を染み込ませるのもそうだが、この後に始める本番のため、人間陣営に探りを入れつつ計画を修正するため、軽くひと当てしに来たにすぎない。

 千景の父を持ってきたのも、余興程度のものでしかないのだ。

 

 そんなカミーラから冷静さを奪う、若葉の剣と、杏の血筋。

 闇に染まっていくティガを見て心落ち着けようとも、奪われた冷静さは完全には戻らない。

 

「その闇、()()()()()()()()()()

 

 カミーラの発言から、竜胆はこれが単純にガクゾムの吐き出した闇ではなく、カミーラが準備した特別な意味を持つ闇であると推測する。

 

 海に触れている部分のティガの肌すら、海から侵食しようとしているその闇に、竜胆はカミーラの意図を朧気ながらに察し始めていた。

 

『あいにく、苦しいだけだ。俺の肌には合わねえな』

 

「あら、そう……でも、その闇があなたを導いてくれるはずよ。より深みに、より暗く……」

 

 闇がティガを蝕み、カミーラの表情に徐々に喜悦が浮かんでいく。

 怒りと憎悪に飲まれつつあったカミーラの内なる表情が、妖艶な微笑みになりそうになったまさにその瞬間。

 若葉が聖剣を振り、光を当て、ティガの体内を蝕んでいた闇を選択的に抹消する。

 カミーラの表情の動きが止まった。

 

『……ら、楽になった?』

 

「なるほど、こういう使い方もできるのか」

 

『サンキュー若葉! まだ戦える! いけるぞ!』

 

 無言のまま、カミーラの内に新たな怒りが湧いてくる。

 怒りに震えるカミーラが何か言おうとしたその瞬間、カミーラの眉間を、連続して引き金を引いた杏の矢がまた撃ち抜いた。

 余計なこと言われるとまたりっくん先輩が曇るし……という無言の合理的判断である。

 

「どいつも、こいつも!」

 

「『 こっちの台詞だッ! 』」

 

 叫ぶ竜胆と若葉。ごもっともである。

 

「……光、光光光! 忌まわしい光がっ……!」

 

 カミーラに向けて踏み込むティガトルネード。

 これまでに見たカミーラの武器は氷の鞭、氷の剣、氷の槍、雷の四種。

 それらを警戒しながら、勇者の援護を受けて距離を詰める。

 

 カミーラは一歩も動かない。

 一歩も動かないが、一指は動かし……カミーラが振った指に合わせて、三体の大型が動いた。

 

「!」

 

 カミーラの背後から駆けるガクゾム。

 船の如く"海上を滑るように高速移動する"のではなく、人間のあらゆる移動手段に該当しない、"海水を左右にかき分け滑るように高速移動する"異様な移動。

 振り下ろされたガクゾムの腕の刃を、ティガトルネードが懸命に掴み止めた。

 

 だが、海中を通ってきたボクラグがその背中を、空から舞い降りたゾイガーがその頭上を狙い、ガクゾムも合わせ三方向からの同時攻撃を敢行する。

 一体一体が強化体。

 ティガであれば一対一で互角、二対一であれば勝機はない、そんなレベルの敵であった。

 

 ゆえにその瞬間、誰よりも早く踏み出したのは前衛の二人。

 

「「 させるか! 」」

 

 大天狗の翼が羽ばたく。

 酒天童子の足が動く。

 若葉と友奈が、その一瞬に間に合わせるべく跳ぶ。

 それに合わせて千景は精霊を切り替え、玉藻前を身に宿し、竜胆を助けようとして―――視界の端に、牛鬼に運ばれている父を見た。

 

「―――」

 

 今なら、竜胆を援護する前に一手で殺せる。

 ここであの父親を殺しておけば、もう二度とこんなことは起こらない。

 例えば千景の父に警護を付けるなどして、今回のようなことを起こさないために手を尽くそうが、万が一ということはある。

 それに何より。

 そんな理屈を抜きにしても、父が嫌いで、憎かった。

 "自分の家族のことで二度と仲間に迷惑をかけたくない"という想いが、千景の中に殺意を発生させる。

 父親の言葉の記憶が、更に殺意を煽る。

 

―――狂ってる。千景、お前、頭がおかしいぞ

―――お前なんて……お前なんて……生まれて来なければ良かったんだ! 千景っ!

―――この恩知らずが! 死んでしまえクズ娘!

 

 "何故私がそんなことを言われなければならないのか"という当たり前の想いが、言葉の数だけ殺意を倍加させていく。

 

―――殺した人は、夢に出るよ。ずっと、ずっと

 

 だが、かつて竜胆がくれたその言葉が、殺意を止めた。

 

 あの時は、千景がいて、竜胆がいて、若葉がいて。

 

■■■■■■■■■■

 

「竜胆。

 誇りを奪い踏み躙るものに従うこと、それを何と言うか知ってるか? 隷属だ。

 誇りを踏み躙るものに良いように使われることを何と言うか知ってるか? 奴隷だ。

 だからこそ、人は……誇りを汚した相手には、いつの時代も報復を返してきたんだ!」

 

「殴り返して良かったんだ、お前は!

 あんな罵倒を受け入れなくてよかったんだ、お前は!

 ……そうしたら私は、お前が皆に袋叩きに合いそうになっても、お前を―――」

 

■■■■■■■■■■

 

 若葉が正論を言い、竜胆が願いを口にして返した。

 

■■■■■■■■■■

 

「俺は殴られる人をなくしたかったんだよ。

 強い側が弱い側を一方的に攻撃するのが嫌だった。

 人が暴力で傷付くのが嫌だった。

 人が死ぬのが嫌だった。

 俺みたいな奴に殺される人間を、俺みたいな奴から守りたかったんだ」

 

「……っ!」

 

「"それ"を、俺は許さない。だから俺は俺も許さない。同じ事を繰り返すつもりもない」

 

■■■■■■■■■■

 

 そのくせ、竜胆は千景の復讐を否定したことはない。

 以前いじめっ子を前にして、選択を迷った時も、千景はこの時の言葉を思い出している。

 あの時と同じと言うべきか。

 似て非なると言うべきか。

 あの時千景が向き合ったのは、"学校の子供達にいじめられていた過去"。

 そして今向き合うは、"愛のない父と過ごした過去"。

 

 選択の権利は、千景の手の中にある。

 

■■■■■■■■■■

 

「あの村の奴らに……千景が復讐を望んだら止めるのか」

 

「止めないよ。

 止められない。

 それはちーちゃんの権利だ。俺はそこに何を思っても、止める権利はない」

 

「……」

 

「でも、悲しくは思う。

 ちーちゃんには何の罪もなく、幸せのある方向に、歩いて行ってほしいから」

 

■■■■■■■■■■

 

 千景は竜胆のことをよく分かっている。

 だから、ほんの一瞬であっても、よく考えれば、彼女は答えに到れるのだ。

 

 人が死ねば、竜胆は悲しむ。

 もしも、最悪の悪党が生きる価値の無い人間を人質に取ったとする。

 もしも、罪の無い人を人質に取ったとする。

 人質を殺してしまうのが最適解だったとする。

 人質を殺すのが最高の選択なのか?

 違う。

 最高の選択は、その"最悪の悪党"を殺し、人質を解放することだ。

 最適解と最高の選択は、時に食い違う。

 最高の選択は、時に荒唐無稽なほどに理想を追う選択になるからだ。

 

 どんな人間が人質であろうと、変わらない。

 御守竜胆を笑顔にしたいなら、彼の心を傷付けないまま、彼を幸せにしたいなら……『人質なんて取る悪党をぶっ倒し』て、人質を救うのが一番なのだ。

 彼の笑顔が欲しいなら、選択していくべき道は一つ。

 

(いつか殺す時は、私が殺そう。

 その重荷は誰にも背負わせない。

 でも……今ここで、私が憎しみを理由に殺すのは、きっと良くない)

 

 千景は瞬時に竜胆を選び、竜胆を見て、ティガの援護に動いた。

 父ではなく、彼を選んだ。

 親と過ごした十年以上の時間(おもい)より、彼と過ごした一年未満の時間(おもい)を選んだ。

 家族ではなく、男を選んだ。

 それはある意味、千景が嫌った母――家族ではなく男を選び夜逃げし千景のいじめの原因になった母――とどこか似て非なる、遺伝子に沿いながらも運命に抗う選択だった。

 

 一秒にも満たない千景の葛藤が終わり、千景の頭で狐の耳がぴくりと揺れて、呪術砲撃の反動が千景の和服衣装をふわりと揺らす。

 千景の呪術砲撃と、杏の凍結攻撃が、敵へと同時に放たれた。

 

「「 間に合えっ! 」」

 

 呪術の砲撃がゾイガーの翼を、氷雪の砲撃がボクラグの胸へと当たる。

 皮膚の表面すら砕けない。

 それほどまでに、融合により昇華された二体の強化体は強い。

 だが、十分だった。

 ゾイガーの翼の動きが呪いで止まり、ボクラグの体表が凍りつく。

 

 竜胆がガクゾムの腕の刃を掴むのを離し、ガクゾムに蹴りを入れ、空中のゾイガーに飛びつく。

 飛べない人間の体術の歴史には一切同一のものが存在しない、空中で扱うための柔術が、ゾイガーをボクラグへと投げつけた。

 

 ゾイガーを投げたティガの背中を狙うガクゾム。

 腕の刃と、頭部から放つ破壊光弾をティガに当て殺さんとする。

 だがその腕の刃は友奈に殴り弾かれ、光弾は若葉の聖剣に跳ね返された。

 跳ね返された光弾が頭部に当たり、痛みに悶えるガクゾムの足を、ティガトルネードが連続ローキックで痛めつける。

 

 程良いところでガクゾムの足削りを切り上げ、振り向いたティガの冷凍光線・ティガフリーザーと杏の吹雪が、ボクラグへと命中した。

 

「『 凍れっ!! 』」

 

 この戦場の敵は、カミーラ以外全てが光線の類を吸収するゼットンじみた能力を持っている。

 だが、それならそれで手の打ちようはあるのだ。

 

 ティガフリーザーは、敵の頭上で光線を爆発させ、降り注がせた冷気で敵をカチコチに凍らせてしまうことも出来る技。

 杏の精霊も、基本は吹雪を吹かせるものだ。

 なればこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ボクラグの全身を二人がかりであっという間に氷に変えて、ティガと杏は幾度となく二人で合体技(氷)を撃ってきた連携の練度、何度も一緒に撃ってきたがゆえの威力を見せつける。

 四国の勇者と巨人の連携、その一連の流れを見て、歌野は口笛を吹いた。

 巨人と勇者五人のチームが、歌野の目にはまるで一つの生き物のようにすら見える。

 

(ほんの一瞬の攻撃タイミングの差があれば、順繰りに対応できるティガ。

 無理はせず、"ティガには一瞬あれば十分"と理解し、必要なだけの時間を稼ぐ仲間。

 痺れるほどグッドでベストね。なんてエクセレントな相互理解と連携! 好きねこういうの!)

 

 だが、だからこそ、歌野は一歩引いて戦場全体を見ていた。

 彼らの完璧な連携の和を乱さないために。

 四国勢が一つの生き物に見えるからこそ、彼らを一つの生き物に見立てた死角があるのでは、と推測したがために。

 

 歌野の洞察、直感、感覚はそれこそ勇者でも最優レベルと言って良いものだった。

 だからこそ、見逃さない。

 四人の四国勇者と一人の巨人の視界と感覚、全ての隙間をすり抜けて、杏の首を刎ねるために弾丸の如く飛ぶ、透明な氷の槍――透明過ぎてほとんど見えない槍――を。

 

 歌野の鞭がその氷の槍を掴み、腐食粉砕した。

 鞭の腐食力も上がっていることに歌野が喜び、カミーラが少し驚いた目で歌野を見る。

 

 若葉は聖剣を持っているため、警戒しながら全力で殺そうとしていた。

 千景は男女関係的な意味で警戒しながら、全力で殺そうとしていた。

 杏は血統ゆえに警戒しながら、全力で殺そうとしていた。

 友奈は女の命である顔を凄まじい威力で殴ってきたため、その恨みから警戒しながら全力で殺そうとしていた。

 カミーラは、歌野を比較的軽視していたのだ。

 

 そんな歌野が、確実に成功すると踏んでいた今の奇襲攻撃を防いだ。

 カミーラが少し驚くのも、無理はない。

 

「……何故、今の私の動きが読めたのかしら?」

 

「勘よ、勘」

 

「勘だけではないはずよ。

 前兆を隠していた私相手に、勘だけでそこまで分かるはずがないでしょう?

 私の攻撃の意志、攻撃の対象、攻撃のタイミングまでは先読みできないはず」

 

「あら、これはテラーでサプライズな洞察ですこと。そうね、強いて言うなら……」

 

 歌野は警戒を新たにする。

 この巨人の洞察力……恐ろしいのは、愛憎だけではない。

 

 カミーラは歌野に対する警戒レベルを一気に引き上げる。

 今の氷の槍を防いだ歌野の動きは、明らかに"何か"があった。

 

「性格の悪さや考えてることって、本人が思ってる以上に滲み出てるものなのよ?」

 

「それは挑発かしら」

 

「いーえ、露骨な悪口よ。私、私の友達をいじめる人ってあんまり好かないのよね」

 

 悪口とは言ってるが、露骨な挑発だった。

 

 一瞬の沈黙。

 

 歌野とカミーラが対峙し、両者が神の鞭と氷の鞭を同時に構える。

 そして、同時に振った。

 カミーラの方に合わせる気はない。

 合わせたのは歌野の方だ。

 

 凄まじい速度で振るわれた、人間の目では影を追うことすらできないカミーラの鞭の先に、歌野は自分の鞭先を合わせる。

 振るうタイミングすらも、完璧に合わせて。

 巨人の鞭が、小さな勇者の鞭に弾かれていく。

 

「だー、かー、らー!

 一番自由にしちゃいけないあなたは、私がパーフェクトに抑えておきましょう!」

 

「できるものなら、やってみせるがいい!」

 

 見る者が目を疑うような、鞭と鞭の激突だった。

 例えるならば、カミーラの鞭は核爆弾。

 一つの国だけを綺麗に焼き尽くすよう的確に制御された、極大威力の核爆弾だ。

 対し、歌野の鞭は超長距離を撃ち抜ける大口径の対物ライフル。

 間違いなく威力はあるが、その威力は核には及ばず、されどミリ単位で精密に目標を打つ。

 歌野がやっているのは、これで遥か遠くの核ミサイルを撃ち、僅かに軌道を逸らすことで、結果的に目標の国を守るような、そんな精密かつ豪快な防御なのだ。

 

 それを、何度も、何度も、幾度となく繰り返す。

 

 カミーラは、今現在、この戦場で最も強い。

 三体の大型バーテックスよりも、ティガよりも強い。

 誰よりも強いはずだった。

 なのにカミーラの攻撃は、歌野の防御を越えられない。

 歌野の向こうの杏などを狙っているのに、鞭先は狙った相手に一発たりとも届かない。

 

 戦力比はざっと一対一万。

 身長差なら三十倍。

 体重差なら百万倍近くの差があるだろう。

 まともに打ち合って勝負になるわけがない。

 

 なのに、歌野の柔軟で流れるような鞭の防御を、カミーラの桁違いの威力の鞭はいつまで経っても突破できないでいる。

 

「……やはり、種がある。()()()()()()()()()()()()()のでしょう?」

 

「ベストアンサーは、敵の私に聞いても応えないわよミスカミーラ!」

 

 鞭と鞭が衝突し、空気が裂け、また裂け砕け、その繰り返し。

 

 鞭というものは、恐ろしい特性を多く持つ。

 例えば、"ちゃんと振るえば一般人でもその先端は音速を超える"などの特性がそうだ。

 

 鞭の手元は、腕が振られる速度と等速である。

 だが先端に近くなればなるほどその速度は増し、鞭の長さや鞭を振る腕の長さによって、その速度は指数関数的に上昇していく。

 カミーラの身長とパワーがあれば、鞭に込められるパワーと速度も、鞭の長さも、常識から外れたレベルのものになる。

 

 先端速度で言えば、実に音速の数十倍以上。

 やろうと思えば、街を衝撃波で薙ぎ払いひっくり返せるレベルのものだ。

 しかもカミーラの鞭は闇で作った氷の鞭。

 鞭にありがちな『先端が軽いために重いものや硬いものを壊せない』といった弱点を完全に克服しており、硬いウルトラマンの表皮も容易に切り裂いてしまう。

 

 だからこそなおさらに、それを鞭で弾き続ける歌野の凄まじさが目についていた。

 

(この勇者、私の知るどの精霊も使っていない。一体何を……?)

 

 歌野の衣装は、既に精霊を宿している。

 ややコミカルな、動物的な衣装の変化。

 歌野が精霊の切り札を使用しているのは分かるのだが、カミーラにはその精霊が何であるかまでは分からない。

 

 カミーラが鞭を武器に使っている理由は二つ。

 軌道の読み辛さと、加虐だ。

 

 鞭の軌道は、対人の王道武器に慣れている者ほど、鞭を見慣れていない者ほど読み辛い。

 弧を描き、武器で受け止めてもしなって体に当たることがあり、先端は速すぎて見切ることも難しく、カミーラは氷で作っているので鞭を切断しても意味はない。

 つまり、怪獣と違って頭で考えて武器を避ける人間に対し、鞭というのはかなり有効なものなのである。対ウルトラマン武器の一種と言ってもいい。

 カミーラはこれに武器として優秀な氷の剣などを加え、バランスの良い強さを身に着けていた。

 

 そして加虐。

 鞭は『痛い』。

 だからこそ、敵を殺さず痛めつけるという目的があるなら、最高に近い武器と言える。

 カミーラの悪趣味な心に極めて適した武器、それが鞭だった。

 "そんなカミーラの内心が"、歌野を嫌な気持ちにさせる。

 

「あなた本当に性格悪いわね。

 なんというか……凄く煮詰まってる感じ」

 

「……?」

 

 歌野は笑む。

 敵に対しても、味方に対しても向けられる、太陽の笑み。

 それは戦いの中で平常心を保つための笑み。

 

 またしてもカミーラの鞭を弾いた歌野を見て、その何もかも見透かすような目を見て、カミーラは自分の動きが完全に読まれている理由に、一つの推測を立てた。

 

「まさか……()()()()()()()()()とでもいうの!?」

 

「うわっ、意外と早くバレちゃったわね」

 

 歌野が四国勇者システムの獲得により、その身に宿した精霊、それは。

 

「神樹様から貰った私の精霊、(さとり)ちゃんよ」

 

「―――」

 

 日本を代表する読心妖怪、『(さとり)』。

 人間の心を読み、考えていることを言い当て、怖がった人間が考えることを放棄したなら、その身をパクリと食べてしまう妖怪である。

 有する能力は『読心』。

 なればこそ、カミーラの思考の表層は隅々まで読み取られてしまっているのだ。

 

「お前はッ!」

 

 カミーラが鞭を振る。

 山を切り飛ばして宙に舞わせることすらも可能であろう、桁違いの威力の一撃。

 

 その威力、速度、攻撃のタイミング、鞭の軌道、連続攻撃の組み立てにいたるまで、全てを歌野は読み取り、最小限の力で受け流してしまう。

 素人は自分が振る鞭の軌道なんて理解できないが、カミーラは鞭の達人だ。

 達人だからこそ、自分が振った鞭の軌道を精密に頭で理解できている。

 

 ならば歌野は、精霊の力で、目を瞑りながらでもカミーラの鞭を弾けるということだ。

 

(覚。私に適した精霊がこの精霊で、本当にラッキーだったわ)

 

 万の力を、心を読んで、一の力で最適な形に受け流す。

 

(心が読める範囲は状況によってかなり変動する。

 半径80~140mくらい? もっと狭くも、もっと広くもなる。

 頭の中を直接覗けるわけでもなく、読み取れるのは表層意識のみ。

 ……それでも重い。

 カミーラ一人でも頭がパンクしそうだわ。

 半径100m範囲の中に、敵も味方も一人か二人しか入れないようにしないと)

 

 仲間と連携するなら使えない精霊。

 一人で戦うにしても思考する敵が沢山周りにいると使えない精霊。

 そもそも、まともに思考していない動物的な怪獣が相手なら、価値の無い精霊。

 スペックも上がらないため、防御力が高い相手にも苦戦は必至。

 

 だが、歌野が使えば、とてつもなく強い。

 優秀な眼、人間離れした勘の良さ、先読みを成す戦闘センス、そして読心の精霊。

 今の歌野が防御に徹すれば、それを超えるのは並大抵の難易度ではない。

 闇の巨人カミーラが押し切れていない時点で、大抵のウルトラマンでも攻略は難しいだろう。

 心を読んで最適な立ち回りをする歌野が、あまりにも厄介過ぎる。

 

 攻撃力も、防御力も、機動力も上がらない精霊。

 されど、歌野が使うのであればまず無敵。

 七人御先同様に、スペックアップがほとんどないのに、極めて強力で個性的な能力を持つため、結果的にバーテックス側の脅威になるというこの構図。

 

「あれ? あなた……()()()()()()()()()()()()()のに、竜胆さんが好きなのね」

 

「―――」

 

 更には言葉での揺さぶりも織り混ぜることで、敵が平常心でいることすらも許さない。

 

「私の頭を―――勝手に覗くなッ!」

 

 カミーラの思考にティガへの妄執、杏への殺意が浮かばなくなり、目の前の歌野への殺意と怒りだけがカミーラの意識を支配していく。

 仲間を守るために囮となり、カミーラを引きつけている歌野からすれば、最高の流れだ。

 歌野は橋の上を跳び回り、氷の鞭を的確に海や空に向け弾いている。

 

 もはや海は、カミーラの氷の鞭が何度も当たったせいで、見える範囲が半ば凍りついているという、見ていて恐ろしいことになっていた。

 

「ねえ、あなたは何を企んでいるのかしら?」

 

 歌野が、唐突に問う。

 殺意と怒りに支配されていたカミーラがハッとするが、もう遅い。

 歌野に冷静さを剥ぎ取られたところに、歌野にそう問いかけられてしまったことで、カミーラは極秘に進めていた計画の一部を、思考の表層に浮かべてしまった。

 カミーラは瞬時に思考を止めて無心の状態になるも、既に全ては手遅れであった。

 

「―――シビトゾイガー? 星辰? 魔王獣?」

 

「ッ!!」

 

「……うわっ、これ、酷い……

 ちょっとクレイジーレディ。

 あなたどれだけ企みを沢山用意してるの? 読み取りきれな―――」

 

「勝手に覗くなと……言ったはずよ!!」

 

 カミーラは極秘中の極秘の計画の二割ほどを、歌野にかすめ取られてしまった。

 

 やはり、白鳥歌野は優秀だ。

 これまでの四国に居なかったタイプの勇者。

 かつ、その勇猛さ、強さ、戦場で果たせる役割の大きさは、乃木若葉に匹敵する。

 勇者一人増えたところで戦力はそう変わらない―――そう大社は踏んでいたようだが、この増員はあまりにも大きいと言えよう。

 

 怒りのまま振るったカミーラの鞭が、歌野の鞭の"叩いたものを腐らせる"力によって耐久限界を迎え、カミーラの意図しない形で砕け散る。

 砕けた鞭の破片は、想わぬ奇襲として機能した。

 大きな破片を見切ってかわし、勇者の戦装束で受けられる小さな破片は無理せず受ける。

 そうして、後ろに飛び、破片に押された歌野の読心範囲が―――ティガを捉えてしまう。

 

「―――」

 

 思わず、歌野は精霊・覚の使用を強制的にカットする。

 

『おい、大丈夫か? 無理はするなよ』

 

「お気遣いありがとう。

 正直言ってそういう台詞はハイエンドに嬉しいわね。

 でも、ま、もうちょっと頑張らせて。今は……戦友の背中を守るのが新鮮で、楽しいから!」

 

 ティガから離れ、カミーラに接近し、再び覚をその身に宿す歌野。

 

(カミーラの自分本位の愛憎はまだ大丈夫だけど……

 竜胆さんの他人本位の愛憎は危険だわ。気が付いたら飲み込まれてしまいそう)

 

 カミーラの情念は凄まじい。

 何せ、三千万年もの間こじらせていた愛憎だ。

 普通の人間が覚でその心を読み取れば、一瞬にして心を汚染されるだろう。

 これを読み取って耐えている歌野がおかしいだけだ。

 三千万年の愛憎はまさしく桁違いである。

 

 だが、そんな歌野をして、"カミーラよりも竜胆の心の方が怖かった"。

 カミーラの感情は自らに帰結し、竜胆の感情は他者に帰結する。

 『他人を想っている』からこそ、竜胆の感情が流れ込んでくることの方が歌野は怖い。

 

 "想われているという実感"で、クラっとしてしまいそうになる。

 竜胆を苦しめた者を皆殺しにしてやりたくなる。

 民衆を殺したくなる。

 竜胆の好意と気持ちに気恥ずかしさを覚え、応えたくなる。

 彼に寄り添ってやりたくなる。

 恐ろしいことに、心が触れると、竜胆がどれだけ他人を思っているか、仲間を大切に思っているか、歌野に好感を持っているかが伝わってきて、流されそうになってしまうのだ。

 

 心の接触は一瞬だったというのに、流されかけたというのが恐ろしい。

 竜胆は心の闇が常に暴走しそうな人間であり、そこに常に仲間への想いを垂れ流すことで抑えているので、心の中は絶望に希望、憎悪や仲間への想いと、二極的な感情が常に暴力的に流れているのだ。

 これを読心し続ければ、歌野の精神力ですら危険域に到達する。

 

 繰り返すが、歌野の精神力は現在の人類の中でも間違いなくぶっちぎりのトップ級である。

 

(そういえば諏訪で若葉に、精霊は心を魔導に堕とすと聞いていたわね。

 ……これもその一種かしら。怖い怖い。

 竜胆さんに好意や信頼を持つことは別に嫌じゃない。

 でも、精霊の影響でそうなるってのは嫌よね。

 どうせなら精霊とは関係無しに、普通の触れ合いの中で好きになっていきたいもの)

 

 精霊・覚が強力であるにもかかわらず、歌野にしか与えられなかった理由が、分かるというものだった。

 

「私、さっきまでカミーラ(あなた)に一片の好意もなかったけど……今は少し、同情するわ」

 

 カミーラの意識の表層から思考を拾い上げ、想いを読み取り、同情的な言葉を漏らす。

 そんな歌野の"分かった風"な振る舞いに、カミーラは激怒した。

 

「私の心を読めようが……お前には分からない! 分かるものかッ!」

 

 鞭の圧力が、一気に増した。

 

「『今のティガ』にも、分かるものか!

 失った大切な者を、心の中で想える者に……

 "愛した者が愛したままの姿と心で死んでいってくれた"者に!

 "愛した者が嫌いな姿に変わり果てていく"姿を見ていた私の気持ちなど、分かるものかッ!」

 

「!」

 

「光に穢れたティガなど、見たくはなかった!

 愛した人の変わり果てた姿など、見たくはなかった!

 そんなティガが今も私の目の前にいるのよ!

 許せない……許せるものか!

 それならばティガが闇のまま死に、そのまま永遠に消えてくれた方が良かった!」

 

 氷の鞭が、あまりにも大きすぎる憎悪のせいで、黒々とした闇に染まっていく。

 

「愛した人が!

 自分の愛したその人のまま死んでくれたなら! 消えてくれたなら!

 "私の心の中で生きている"と言うことだってできる!

 だけど、生きたまま変わり果ててしまったなら……!

 想い出は汚され、もう、想い出の中にすら生きてはいないのよ! ティガは!」

 

 両親も、妹も、ボブも、球子も、ケンも、ナターシャも、海人も、大地も、竜胆の心の中に生きている。

 だが、カミーラは違う。

 ティガは闇を捨て、光に移り、カミーラを裏切り、世界の人々のためにカミーラを殺した。

 

 カミーラが愛した男はもういない。

 裏切られた愛は報われない。

 愛の日々の想い出は、全て色あせ、無価値になった。

 ティガがカミーラに囁いた愛の言葉は全て嘘と成り果て、カミーラの愛は行き場を失う。

 カミーラが愛した残虐非道の闇のティガは、もうこの宇宙のどこにもいない。

 

 だから。

 いないなら、創るしかなかったのだ。

 

「私達を捨て、一人だけ光当たる場所に戻ったティガなんて―――ティガなんて―――!」

 

 光を憎み、光のティガを憎み、ティガを光に誘う女のことごとくを憎むカミーラのその言葉に、憧れに似た感情が混じっていることに、カミーラは気付かない。

 だが、歌野は読心で気付いていた。

 

「だから私は、取り戻すのよ、私はっ―――必ずッ―――!!」

 

 カミーラの感情の高ぶりが、カミーラの姿を変える。

 海に染み込んでいた三千万年ものの闇が、カミーラの体に吸い上げられていく。

 ティガは力に変えられなかった闇。

 カミーラは力に変えられる闇。

 闇を光に変えて取り込むティガとは対照的に、カミーラはそれらの闇をそのまま取り込む。

 

 そして、獣に変貌した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歌野が一番強く一番厄介な敵を抑えてくれたことで、竜胆達の方には少し余裕ができた。

 ガクゾムにティガトルネードがローキックを繰り返し、足の力を奪ってアッパー。

 敵の体を浮かせ、飛んで来たゾイガーの横槍突撃がきたところで、勇者の援護を受け勇者の下まで後退する。

 逃げ際にハンドスラッシュを撃ったが、それも光線だ。

 ゾイガーの背中に当たったハンドスラッシュは吸収され、反射され、ティガはかわそうとしたが肩に痛打をもらってしまう。

 

「っ」

 

 敵はこの数、この質だ。

 一分も残っていない活動時間で倒し切るには、吸収されないように光線を当てていかなければ間に合わないのだが、カミーラ以外の全員が光線吸収能力を持っている。

 更に問題なのは、星屑とバイアクヘーの同時合体により、その吸収能力が全身のほとんどで発動できるという点にあった。

 

 ベムスターに対して使ったような、二方向からの同時攻撃が有効でない。

 天と海の神の力が混ざった存在は、生半可な対策など真っ向から踏み潰せる化物だった。

 

『杏! 何か思いつかないか?』

 

 ティガトルネードのフルコンタクト空手ベースの豪快な格闘技で、強打の圧力を繰り返し押し留めているものの、押し切られるのは目に見えている。

 竜胆がここで頼るのは、当然チームの頭脳・杏である。

 杏は戦場を見渡し、状況を把握し、賭けに出る以外の選択肢全てが悪手であることを察する。

 

「皆さん、少しりっくん先輩と作戦会議をさせてもらえませんか?」

 

「策があるのか?」

 

「ありません。でも、希望はあります」

 

「……分かった。だが、そう長くは無理だと思ってくれ」

 

 杏は仲間達に、時間稼ぎと壁を頼んだ。

 若葉は杏の頼みを引き受けたが、その表情はあまり明るくない。

 何かの気配を察知し、振り向いた若葉が見たその先で、『凍りついたボクラグ』を、『凍っていないボクラグ』が捕食していた。

 

「えっ……」

 

「時間は、敵に味方するようだ」

 

「あ、あそこで凍ってるのに、もう一体!?」

 

 種は簡単だ。

 

 全身を凍らされたボクラグだが、海に接していた部分は海によって溶けていた。

 今は七月。

 海には一定量の熱がある。

 溶けた量はせいぜい500g弱、ボクラグの体積からすれば全体の0.001%というレベルだったが、ボクラグはここから本体にあたる部位を逃がすことに成功した。

 

 そして、海水で体を再構築。

 地球には、ボクラグを300兆回以上余裕で再生できる海水がある。

 この海水量が、そのままボクラグの再生可能回数だ。

 更に元の肉体を捕食すれば、またバイアクヘーと星屑との合体状態にまで戻れる。

 

 見ているだけで倒せる気が無くなってくるほどに恐ろしい光景であったが、微塵の恐れも見せない友奈の勇気に、引きずられるように千景も勇気を見せる。

 

「さあ行こうぐんちゃん! 私達で、アンちゃんとリュウくんを守らないと!」

 

「ええ、そうね」

 

 若葉、友奈、千景による、ガクゾム、ボクラグ、ゾイガーの足止め。

 

 橋が軋む。橋が砕ける。足場に使われている大鳴門橋も、どれだけ保つか分からない。

 

 朝だというのに海も空も闇に染まりつつあり、その間を不格好に太陽の光が通っている。

 ガクゾムの吐き出す闇と、若葉が聖剣から発する光が、光と闇が潰し合う陣取り合戦の様相を成し始めていた。

 

「ミステーイクッ!」

 

 そこに歌野まで吹っ飛ばされてきて、収集がつかなくなってくる。

 ティガは咄嗟に、優しく柔らかく歌野をキャッチした。

 歌野も学習したのか、既に覚は身に宿していない。

 

『大丈夫か?』

 

「ありがとう、優しい巨人さん。

 気を付けて。あいつ、姿を変えてスーパーデラックスに強くなるわよ」

 

『……強化形態か』

 

 カミーラは歌野を吹っ飛ばした時点で、元の姿に戻っていた。

 だが、読心状態の歌野を吹っ飛ばせるところまで行ったのであれば、それは何かしらの形で『異常』極まりないものであることは間違いない。

 ゼットのハイパーゼットのような何かを、カミーラは切り札として隠し持っている―――そういうわけだ。

 

「こっちにも一人勇者割いてくれると嬉しいかな。

 ちょっーとあれ、私一人で抑え込むにはテリブルだわ」

 

「なら、私が行こう」

 

 若葉が共闘を名乗り出る。

 その名乗りに、歌野が少し楽しそうにした。

 通信機で少し戦闘スタイルについて語り合った程度の二人だが、上等な連携は望めなくとも、きっと強い連携くらいは見せられる。

 

 本来、人々を守るための戦いで共闘することなど叶わなかったはずの二人が、武器を握って並び立つ。

 

「"天狗になる"くらい、調子に乗るに相応な、強い強い若葉の力。期待するわ」

 

「なら、少し疲れていた私だが、疲れた体に鞭打ってもう少し頑張るとしよう」

 

 そして、カミーラに立ち向かった。

 

 鋭角、直角、キレのある空戦機動にて飛ぶ若葉。

 その移動と攻撃は、最速の直進である。

 敵に向かう最短距離を、最速で飛び、一直線の突撃にて切り込むが若葉だ。

 

 対し、歌野は曲線を描く攻撃でカミーラを打つ。

 敵を中心にした円を描くように左右に回って、曲線的にカミーラを攻める。

 海はカミーラの氷の鞭のせいでもうすっかり、勇者達が飛び回れるだけの氷の足場で埋め尽くされてしまっている。歌野はそこを、滑るように駆け回っていた。

 氷が滑ることを利用した移動を行いながらも、滑って転ぶ気配は微塵も無いのがまた凄い。

 

「ティガに群がる女狐共が……予定より早く、ここで潰してやる!」

 

 怪獣三体には千景と友奈。

 カミーラには若葉と歌野。

 それぞれを足止めしてくれている間に、竜胆が橋の上の杏に寄る。

 

『杏、俺はどうすればいい? 何でも言うこと聞くぞ』

 

「え、なんでも? ……って、そんなこと言ってる場合じゃなかった。

 単刀直入に言うけど、通信機越しに言ってたあのマリンスペシウム光線を撃って!」

 

『え゛……いやいや無理に決まってんだろ!

 まだ杏の女心を完璧に理解する方が簡単に見えるレベルだ!』

 

「りっくん先輩はデリカシーは赤点でも戦いは本当に頼りになるから、それはないよ」

 

『おい』

 

「大丈夫、りっくん先輩は戦いだと本当強いから! デリカシーは無いけど!」

 

『言い方変えてなんで同じこと言った!』

 

 杏曰く。

 

 通信機で竜胆が伝えた情報の中にあった"マリンスペシウム光線"について、大社や杏や友奈なども動いていてくれたらしい。

 よくよく考えてみれば当然のことだ。

 "マリンスペシウム光線"の存在が発覚したのは、歌野が伝えたから。

 だが、ボブやケンからマリンスペシウム光線の話を断片的にでも聞いた人間が、他にいないとは限らない。

 

 ボブ/グレートは、ケン/パワードは、ずっと四国で生きてきた。

 そこに生きている人達と触れ合い、絆を紡いできた。

 ボブが死んだ時、ティガのせいだと思い込んでしまった人達がいたのも。

 シビトゾイガーが操りやすい民衆であったことも。

 全ては、ボブやケンが四国の地で愛されたことの証明である。

 

 だからこそ、ティガが再変身可能になるまでの一日の時間で、杏達はボブが四国での友人に少しだけ話していたマリンスペシウム光線の話を、見つけることができたのである。

 その男は、丸亀城を警備していた男の一人。

 ボブとグレートという偉大なウルトラマンとの会話を、その人はよく覚えていた。

 

「マリンスペシウム光線は……

 初代ウルトラマンが、『ゼットンを真似した光線』でもあるんだって」

 

『ゼットンを真似した……?』

 

「皆から聞いた話を混ぜこぜにして、推測するね。

 初代ウルトラマンの人は、ゼットンに負けた。

 そしてゼットンの強みを研究して、新技に活かしたんだと思う。

 ゼットンと、その後再戦して……

 人間の仲間からエネルギーを受け取って、そのエネルギーでマリンスペシウム光線を撃った」

 

『……仲間から力を、受け取った』

 

「ウルトラマンにはゼットンと同じ能力がないから。

 だから、仲間がくれた力を利用するしかなかったんだと思うんだ」

 

 情報が足りない部分は推測で埋めていたが、杏の推測はおおまかに正しい。

 

 マリンスペシウムは、絆で撃つのだ。

 

「私が撃つ。

 りっくん先輩が受け止めて、自分の技に巻き込む。そうして撃つのが、多分……」

 

『それが、マリンスペシウム?』

 

「うん。それにりっくん先輩には、他人の攻撃を受け止めて跳ね返す技がもうあるはず」

 

『……ホールド光波か!』

 

 竜胆の技で唯一、()()()()()()()()()()()()()()

 

 敵の力を光波で受け止め、跳ね返す。

 ゼットンのようなことを、今日まで彼は何度もしてきた。

 パワードの光線を受け止めて跳ね返し、敵に当てたことだってある。

 技術の下地はあるのだ。

 あと必要なものは気合と、根性と、僅かな可能性に懸ける意志と、奇跡。

 

 友奈と近接戦で競り合っているゾイガーを見つめ、狙いを定め、両の拳を腰だめに構えた。

 

『運と気合が相当必要だな……腹括るか』

 

 竜胆は精神統一し、両の拳に光がチャージされていく。

 

『杏の占いの本だと、今月の俺の運勢最悪だったなそういえば……』

 

「りっくん先輩が最悪だったのは先月の話だよ。今は特に関係無いんじゃないかなあ」

 

『そっか。それなら今月、俺の運が最高潮だったとしてもおかしくはないな』

 

「それにしても、占い信じてるとは思わなかったかな。男の子なのに」

 

『妹が好きだったんだよ、占い。

 今言うのもなんだけど、お前女の子らしく占い好きなのはいいが……

 占いの道具使うの微妙にヘタクソだったな。こう、なんか普通な感じで』

 

「私は人並み程度に占い好きなだけだからいいの!」

 

 ティガが腕に光を溜め、杏が神器を改造したクロスボウに力を溜める。

 そんな中、会話に出た占いの話に、杏は本で読んだことを思い出した。

 

「占い……占星術、か」

 

 今の竜胆に必要な意識は何か。

 

 そう考えた杏の思考に浮かんだ単語、それが『オーブ』。

 

「りっくん先輩、『オーブ』って、知ってる?」

 

 それは、ちょっとした豆知識だった。

 

 

 

 

 

 杏とティガが、氷上を駆ける。

 彼らの戦場は淡路島と、四国・淡路島間にかかる大鳴門橋、そして淡路島と四国の間にある海全域である。

 海は凍り、踏み砕かれ、そしてまた凍り、大量の氷と海水で出来たフィールドが海上に広々と広がっていた。

 

 その氷上を、ティガと杏が走る。

 常人では立っていることもできないような氷上でも、巨人と勇者にはそれができる。

 ティガは目立つ。

 ゆえに、走るティガの方に敵は皆目を向ける。

 

 そんな中、杏はしっかりと浮かんでいる氷塊の上に、音楽端末を置いていく。

 杏を凝視していないと置いたことにすら気付かないほどに、こっそりと。

 音楽端末にはタイマーが設定されており、杏が狙ったタイミングで、ハーモニカのメロディが流れる仕組みだ。

 竜胆や千景が時に見ていた、杏が演奏するハーモニカのメロディ。

 ボブが杏に教えた、かの演奏である。

 

 杏の計算通り、ゾイガーが着地したタイミングで、その足元でメロディが鳴り始めた。

 走っているティガを見ていたゾイガーは、急に流れた音楽に戸惑い、足元に人間がいるのではと至極当然に判断し、足元を探し始める。

 だがすぐに見つかるわけがない。

 人間が持つ音楽端末など、人間の四十倍近い怪獣の視点から見てしまえば、人間にとって2mm~3mmの大きさのものに相当する。

 

 "杏が計算した通り"、この海水と泥と氷が渦巻く海上で、流石にこれをすぐに見つけることはできない。

 カミーラは『光の者が好むタイプのハーモニカの音楽』に、眉を顰める。

 

「このメロディは……」

 

 お膳立ては整った。

 ゾイガーは着地したまま飛び立たない。

 下を向いているため、ティガからも視線は外れている。

 ボクラグは千景、ガクゾムは友奈、カミーラは若葉と歌野が足止めしてくれている。

 

 杏は流れるように、"ティガが光線で仕留める"には最高の状況を作り出す。

 

「『オーブ』を意識して、上手い感じに! りっくん先輩ならできるはず!」

 

『ああクソ、結局最後は気合いか! 分かった、行くぞ!』

 

 "占い用語のオーブ"の名前を再度出して、杏はティガに向けて神器を構える。

 引き金に指をかけ、カラータイマーを狙って、深呼吸。

 

「受け止めて!」

 

 雪女郎の力を束ねて、できる限り破壊力を下げ、されど込める力は引き上げ、『傷付けないでエネルギーを渡す』ことに特化させた吹雪の砲撃を解き放つ。

 力の流れで杏とティガが繋がった、その瞬間。

 聖剣に触れたことにより励起した、杏の中のほんの僅かな遺伝子の欠片が、杏の中に超古代の記憶を蘇らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フラッシュバックのように甦る記憶。

 自分のものでない記憶を、杏は自らの内に見る。

 

「戦いは終わりました、ウルトラマンティガ」

 

「お疲れ様、ユザレ」

 

 『ユザレ』と自分が呼ばれている記憶に、杏は戸惑う。

 自分のもののようで、自分のもののようでない記憶。

 記憶の中で、杏は誰かに謝っていた。

 

「ごめんなさい」

 

「君が謝る必要なんてどこにもないだろう」

 

「あなたに、そんな顔をさせてしまった」

 

 記憶の中の、その人の顔はぼやけている。

 ユザレと呼ばれていた女性と、その人は、二人きりで廃墟の中にいた。

 

 悲しみが記憶から伝わってくる。

 戦いの終わりに悲しみを抱いているのではない。

 廃墟に悲しみを見ているのではない。

 ユザレと呼ばれたその女性は、目の前にいる誰かの表情を見て、悲しんでいた。

 

「私は……私は……

 人類の未来を、より安全なものにすることより……

 あなたが幸せになっていける道筋を、選ぶべきだったのに……」

 

「それは違う」

 

「……」

 

「君は正しかった。僕がそれを保証する。地球の最後のウルトラマンとして」

 

 その人が、ユザレを励ましている。

 自分を責める人を放っておけない優しい人なんだろう、と杏は思った。

 

「でも」

 

 だが、ユザレと呼ばれたその女性は、自分を責め続ける。

 

「私は、あなたを幸せにしたいなら、あなたに人を殺させてはいけなかったのに……」

 

「いいんだ。そういうものを得る資格は、僕にはもう無い。

 僕はティガダークの時に沢山殺した。

 光に戻っても過去は変わらない。

 死んだ人は蘇らない。それに……仲間だった人も、愛した人も、殺してしまった」

 

「それは、皆を守るためで」

 

「大義名分があったってさ、殺したことが肯定されるかっていうと、違うと思う」

 

「……」

 

「ましてや僕は、守るためだけに殺したんじゃない。

 自分の心に従って、感情に突き動かされて、罪の無い人も沢山殺したんだから」

 

 杏にとっては、どこかで聞いたような、そんな台詞だった。

 

「毅然とするんだ、ユザレ。

 時には弱音も吐くけど、君は毅然とした凛々しい女性だった。

 皆のリーダーとしてやっていける、強い女性の理想像。

 君みたいな女性が、僕を引き戻してくれたからこそ、僕は光へ戻れたんだ」

 

「……私は」

 

「感謝してる。

 君がいなければ、きっと僕は駄目だった。

 君の剣は相応しい人間が継いで、これからの世界を守るだろう」

 

 何もかもが終わった。そんな実感が、記憶から伝わってくる。

 戦いが終わり。

 関係が終わった。

 ティガと呼ばれたその人と、ユザレの関係も、そこで終わったのだと、杏は理解する。

 

 戦いだけで繋がっていた者達は、戦いが終われば別れるしかない。

 

「ギジェラは地上に出ている分は全部焼き尽くした。

 邪神は海の底に封印した。

 闇の巨人も全員殺した。

 外宇宙から来そうなものももういない。

 未来に残ってしまいそうな不安要素は全て潰した。

 ……これでやっと、皆は平和な世界を取り戻したんだ」

 

「ありがとう、ウルトラマンティガ。本当にあなたのおかげよ」

 

「……神様の時代は終わりだ。人はここから、一から歩き出して行くんだろうな」

 

 これは、"前の戦いの終わり"の記憶。

 

「長かった。

 空から闇が来訪したあの日から。

 海の神の理不尽が、皆の平和を奪ったあの日から。

 数えきれない人が殺され……

 文明は、僕のような邪悪な存在に壊されて……

 それでも……滅びてたまるかと、言い続けたことは、無駄じゃなかった」

 

 ティガと呼ばれた男の声を聞き、酷い声だと、杏は思った。

 

「なんて言うんだろうな、これ」

 

 こんなに摩耗した人間の声を、杏は聞いたことがなかった。

 

「……ああ、そうか。疲れたんだ、僕は」

 

「―――」

 

 その声が。

 

 声色は全然似ていないのに、竜胆とどこか似ていると感じられたのが、本当に嫌だった。

 

「もう行くよ。ここでお別れだ」

 

 記憶が杏に教えてくれる。

 

 この別れに覚えた"痛みすら刻む想い"が、この記憶を、とても長い間残るものにしてしまったのだと。

 

「あなたはどこに?」

 

「さあ、どこに行こうかな。ユザレは?」

 

伊予之二名島(いよのふたなのしま)に」

 

「ああ……伊予の島か。元気でやれよ、応援してる」

 

 杏は予備知識があるから知っている。

 それは日本の国産みの神話において、二番目に作られた大地のことだ。

 もっと分かりやすく言えば、『四国』のことだ。

 

 創生の神話において、まず最初に、淡路島が生み出された。

 次に、伊予之二名島……四国が生み出された。

 九州や本州はずっと後である。

 伊予之二名島は四つの頭と一つの体を持つ神としての側面も持ち、その中でも最初に語られるものは、その名を愛比売(えひめ)と言う。

 愛比売(えひめ)を大昔、人は伊予の国と呼んでいた。

 伊予国……つまり、伊予島杏の出身地の愛媛のことである。

 

 愛比売(えひめ)の名を体現するように、愛媛出身の球子と杏は、この世界の勇者でたった二人だけの、比売(ひめ)の名を持つ神の加護を持つ勇者である。

 もしも、その地に、ユザレが足を運んでいたのだとしたら。

 

 杏が少し思案を巡らせている間に、記憶は最後の光景に移る。

 

 ユザレは最後の別れに、最大限の礼を尽くしていた。

 頭を下げ、手を取り、ティガの男を送り出す。

 

「想っています。これまでも、これからも。ずっと……だから、またいつか……」

 

「ああ。またいつか、どこかで」

 

 記憶に付随する感情を読み取った杏には、もう分かっている。

 ここには悲しみしかない。

 ここには後悔しかない。

 幸せに終わった記憶が、こんな風になるわけがない。

 

 ユザレとティガは、この後死ぬまで、二度と再会することはなかったのだ。

 

「もしも……『次』があるのなら……その時は、その時こそは……」

 

 ユザレが拳を握り、何かを悔いる。

 何かを決意する。

 その後悔も、その決意も、ユザレが生きている間は、結局どこにも届かなかった。

 

 杏は、その記憶から把握する。

 

 ティガも、カミーラも、ユザレも。結局、誰も幸せにはなれなかったのだ、と。

 

 

 

 

 

 遺伝子の記憶から、杏が帰還する。

 一瞬にも満たない時間であったがために、何も問題なく現実は続く。

 杏の力がティガへとぶつけられている、その真っ最中であった。

 

(今のは……? いや、今は、そんなことよりも!)

 

 注ぎ込まれる杏の力を、ティガの体が受け止める。

 

 奇跡と強引を山ほど積み上げるような起死回生のその一発を、御守竜胆の地球最高の才能を大雑把にかつ最大限に活用して、一つの形に成立させる。

 笑えるくらいに、竜胆の才能頼り。

 だが、それで成功するのであれば。

 それは、杏の作戦が正しいということの証明となる。

 

『"オーブ"……だった、よな!』

 

 西洋の占星術や天文学には、『オーブ』という専門用語がある。

 宝玉という意味ではない。

 夜明けという意味ではない。

 "一つの結果を出すための許容範囲"のことだ。

 専門家は、占いにも使うこのオーブという単語を「『受け容れる』の意」であると説明する。

 

 許容(オーブ)始点(オリジン)を作り、受け容れる強さを光線に成す。

 

 仲間が居なければ撃てず。

 仲間を受け入れられない者には撃てず。

 仲間の力をその身に受けてこそ撃てる。

 許容(オーブ)始点(オリジン)なくして撃てない、虹色の光線。

 

 ―――初代ウルトラマンが編み出した『最強の光線』が、今、ティガの手に形を結んだ。

 

 

 

「『 マリンスペシウム光線ッ! 』」

 

 

 

 二人の息と声を合わせて、力を合わせて解き放つ。

 氷雪を纏う虹色のスペシウム光線が、ゾイガーに直撃。

 ゾイガーは光線吸収能力を発動し―――けれど、発動した能力を完全に無視して、虹色の氷雪光線はその体をぶち抜いた。

 体を撃ち抜かれたゾイガーの体が、原型すら残さず爆発四散する。

 吸収という行為すら許さない、圧倒的な一撃だった。

 

「よし!」

 

『……すげえ、なんて威力だ』

 

 (マリン)

 海の(マリン)スペシウム光線。

 技の発動に海が関わらないことから、一説には「カラータイマーの海のような青色」を技の名前に使ったのでは、とも考察される。

 

 彼らが海の邪神なら、ティガは海の必殺光線を身に付けた。

 海のウルトラマン・アグルから教わったスペシウム光線を、マリンスペシウム光線へと昇華させたのだ。

 邪悪なる海の闇を撃ち砕く力は、海の巨人の光より与えられたのである。

 

(海人先輩。……俺は、先輩が無駄死にだったなんて、誰にも言わせません。

 先輩がくれた力で、教えてくれたスペシウム光線で……

 絶対に、必ず、あなたが守りたかった大切なものも、守ってみせます!)

 

 この光線は、『無敵のバリア』『光線吸収』二つの力を持つゼットンを倒した技だ。

 そこには当然、"こういう特性"も付いている。

 ()()()()()()()()()()()という、防御無視に等しい光線特性。

 かの宇宙恐魔人を倒すには、最高と言っていい性質を持つ技だった。

 

 これでティガには瞬間移動、バリア、光線吸収を無効化する技が備わったことになる。

 基礎出力にはまだまだ絶対的な差があるが、もしかしたら、勝負になるかもしれない。

 ゼットが『ウルトラマン殺し』なら、竜胆ティガはもはや『ゼットン殺し』と言っていい。

 

 ―――その二つがぶつかったら、どうなるか。それはまだ、誰にも分からない。

 

 勇者の力を、仮想的に光と扱い、スペシウム光線に混ぜ込むという方式を竜胆は選んだ。

 闇だけでなく、光をも取り込む力。

 それは三千万年前のティガ、三千万年前にこの光の力に選ばれた者ともまた違う、御守竜胆が掴みかけている"もう一つの方向性"だった。

 

「りっくん先輩、次は若葉さんとボクラグを!」

 

『ああ!』

 

 ゾイガーが倒れ、手が空いた杏が、カミーラと戦っている歌野の援護に入り、入れ替わりに若葉が抜けて竜胆に炎を叩き込む。

 ボクラグの足止めをしていた友奈が、射線を空けて横に飛んだ。

 友奈は流れるようにガクゾムの足止めへと回る。

 

「歯を食いしばって受け止めろ!」

 

『熱いやつ、頼むぜ!』

 

 若葉の炎がティガへと当たり、ティガがそれをスペシウムへと巻き込んでいく。

 軍を指揮する司令官がそうするように、敵へ向けて若葉が剣を振り下ろしたタイミングに合わせて、解き放つ。

 

「『 マリンスペシウム光線ッ! 』」

 

 炎を纏う、虹色の光線。

 それがボクラグを飲み込み、吸収すら許さずに、海水で出来た体を蒸発させていく。

 だが、ボクラグの体の構造は単純だ。

 海水さえあれば無尽蔵に再生できる。

 だから、ボクラグは足元から海水を吸い上げようとして―――吸い上げられないことに気付く。

 

 結局、ボクラグが、その光線の危険度を把握したのは。

 ボクラグも、ボクラグ周囲の海水も、纏めて蒸発・消滅させるほどの超火力広範囲光線であったのだということに、手遅れになってから気付いた後だった。

 

 焼滅したボクラグが蘇ってこないのを見て、杏は次の采配を出す。

 

「友奈さんと、次を!」

 

「リュウくん!」

 

『キレのいいやつ、頼んだ!』

 

 友奈がガクゾムの足止めをやめ、ティガの傍まで後退し、入れ替わりに前に出た若葉がガクゾムの動きを止めに行く。

 ティガが突き出した拳と、友奈が突き出した拳がぶつかる。

 拳を伝い、力が伝わる。

 

 友奈が肩に乗るのを横目に見ながら、ティガは三度目の十字を組む。

 

「『 マリンスペシウム光線ッ! 』」

 

 突き抜ける一撃。

 光線でありながらも、光波というより粒子としての性質が強い、打撃同様の物理的衝撃を伴う形の虹色必殺光線。それは、まるで友奈の拳のよう。

 虹色の光線が叩き潰すようにして、ガクゾムの胸を粉砕し、胸部を粉々にしながら光線が突き抜けていく。

 

 アグルから受け継いだ光線が、ガクゾムを倒した。

 竜胆が"自分一人で倒せた"などと思い上がることはない。

 この光線が、数多くのウルトラマンと人間達の繋がりが生んだ、"皆の絆"を体現する最強の必殺光線である限り。

 

 五人の勇者、一人の巨人が、カミーラへと立ち向かう。

 

『杏、次どうする?』

 

「陣形を組んで、詰めていこう。奥の手があるかもしれないから、気を付けて」

 

『世が世なら、杏隊長とでも呼びたいところだ。頼むぞ指揮官』

 

「そうしたらりっくん先輩にリーダーを押し付けるよ?」

 

『隊長とリーダーが別とかそんな変なチームがあるか!』

 

 勝機はある。

 マリンスペシウム光線は極めて強力だった。

 強力過ぎた。

 エネルギーの節約など叶わず、カラータイマーが点滅した状態でマリンスペシウムを三連発してしまえば、エネルギーの枯渇が目に見えてくるほどに。

 そのエネルギー消費は、通常のスペシウム光線よりも大きい。

 

(もうちょっと、もうちょっとだけ、りっくん先輩が保ってくれれば)

 

 ティガがふらつき、海に膝をつくような状態でなければ、杏もその勝機を素直に信じることができたのに。

 

『くっ……!』

 

 ティガと違い、カミーラのカラータイマーは点滅もしていない。

 

 以前、ティガが暴走し、完全な闇の巨人になりかけた時もそうだった。

 完全な闇の巨人は、三分の制限から解放される。

 カミーラが三分で力尽きることはないのだ。

 ティガの残り活動時間は、もうほんの僅かにしか残っていないというのに。

 

『根性、見せねえと……』

 

(でも、『無理して』、なんて言えない……!)

 

 杏は歯噛みする。

 バイアクヘーによる強化体も、カミーラも、生半可な威力の技で倒せる敵ではなかった。

 ティガのエネルギー残量を考えれば、取りこぼしが出る可能性は分かっていた。

 ……だがそれでも、奇跡を信じたのだ。

 

 そして、今でも信じている。

 まだ杏も諦めてはいない。

 そんな中、仲間を効果範囲に捉えないように、カミーラを読心の範囲に捉えていた歌野が、ティガを見ていたカミーラの頭から思考を拾う。

 

「……ん?」

 

 歌野が、何かに気付いて、苦虫を噛み潰したような表情になったが、すぐに表情を取り繕う。

 

(さて、誰から無残に殺して、ティガの心を闇に煽るか……)

 

 思案するカミーラに、歌野が呼びかける。

 

「ねえ、カミーラ」

 

「問答は無用よ」

 

「今ティガを見てあなたの頭に浮かんだ一言、バラされたくないと思わない?」

 

「―――」

 

「ティガには聞かれたくない言葉じゃないかしら」

 

 読心の精霊、覚。

 獣相手にはさして強くもない。

 だが、特定状況下では"脅迫"を成立させることもできる、そんな精霊だった。

 

「ほんの一言でティガには全部伝わるんだから。

 そんなに短時間で私達を全滅させるの、無理だとは思わない?」

 

「……何が目的?」

 

「今日は帰ってくれたら嬉しいなーって」

 

「……」

 

「一回だけ、一回きりよ、敵にこんなお願いするのは。

 この一回のお願いを聞いてくれるなら、今見たあなたの心のことは忘れてあげる」

 

「敵の言うことを信じろと?」

 

「ええ」

 

 歌野はこの要求が通ることを確信していた。

 

 カミーラは女のように振る舞う醜悪ではなく、醜悪に成り果てた乙女であることを、その心から理解していたから。

 

「私はあなたと違って、約束を守る女だもの」

 

 歌野のそれは、挑発でも悪口でもない。

 ただの事実の再確認であり、カミーラを煽る意図の無いものだった。

 歌野が約束を破らない人間であることも、自分が約束を破る人間であることも、カミーラはよく分かっている。

 

「ええ、そうね。あなたは私と違って、約束を守る女だわ」

 

 カミーラは、手に発生させていた氷の鞭を、消失させた。

 

「……殺してやりたいくらいに、篤実。

 鞭の使い方一つ見たって、その性格は窺えたわ。

 いいでしょう、白鳥歌野。今日は見逃してあげるけれど……」

 

「はい。今、白鳥歌野の頭からフォーゲット。これでいいかしら?」

 

 歌野がそう言った瞬間、カミーラは巨人体でも分かりやすいほどに、露骨にほっとしていた。

 

「素直で結構。殺す時は、苦しまないように殺してあげるわ」

 

「この精霊持ってると、"ティガの周りの女は皆殺し"って思考が本気なのが分かって嫌ね」

 

「次は何があっても見逃さない。それを覚えておきなさい」

 

 ふふふ、と笑う歌野に対し、カミーラが敗北感を覚えたのは、自然なことだった。

 カミーラの方が明確に強い。

 強いはずなのだが。

 今現在、精神的に優位に立っているのは、間違いなく歌野である。

 

 竜胆はこっそり、歌野から今の話を聞き出そうとする。

 

『歌野、今カミーラから読み取ったのって……』

 

「うっ、急性の痴呆が……」

 

『おいこら』

 

「戦いには関わらない乙女の秘密ってやつよ。

 知っても特に役に立たないものだから、私を信じてスルーしてくださいな」

 

『……しょうがないなあ』

 

 竜胆もまた、カミーラと同程度には手玉に取られてしまう。

 にこやかな笑みでこう言われると、竜胆もあまり強く踏み込めない。

 

(……カミーラには、俺の知らない精神的な急所でもあるのか?)

 

 竜胆は考えるが、考えるだけ無駄だ。

 

 結局のところ彼には、女心というものがあんまり分かっていないのだから。

 

「前菜は、私が想定した形で楽しんではもらえなかったようだけど……」

 

 カミーラは忌まわしい者達を順番に見回す。

 おそらくは最も難敵であると認定した歌野。

 カミーラの顔面殴打数最多の友奈。

 聖剣の若葉。

 ユザレの杏。

 そして、ティガとの関係性から憎んでいる千景。

 最後にティガ。

 

「次が最後よ。その時……『あなたを迎えに行くわ』、ティガ」

 

 その言葉に、"闇に堕ちたティガを迎えに行く"というニュアンスがあることに、気付かない者はいなかった。

 

 これが前菜というのなら、次にカミーラがぶつけてくる仕掛けこそが、年単位での仕込みを続けてきたカミーラの本命。

 カミーラの綿密な計画にはとてつもない予想外要素(イレギュラー)がいくつも降り掛かったが、それらを加味して計画を修正し、次にこそ本命を叩き込んでくるだろう。

 カミーラが消えていく。

 だが、竜胆の心に安息はない。

 これで終わりだなどとは、誰も思ってはいなかった。

 

 けれども、皆の頑張りのおかげで、今日の窮地を乗り越え、誰も死なせないまま諏訪の避難を完了させられたこともまた事実。

 目標達成もしたことだし、今日のところは完全勝利だ。

 ティガの変身が解ける。

 人間体に戻った竜胆は、はーっと深く息を吐いている歌野に歩み寄り、その肩を叩いた。

 

「歌野」

 

「なーにかしら?」

 

「お前本当、頼りになるな。あとでちょっと高いメシ奢るよ」

 

「エクセレンツ!」

 

 嬉々とした様子で、竜胆にVサインを見せる白鳥歌野。

 竜胆もつられて、同じように嬉しい気持ちになってしまう。

 

 空の上での会話で、竜胆は歌野の夢を聞き、特別な気持ちになった。

 夢を持っている彼女を守らないと、と思っていたのに。

 彼女の綺麗な夢を汚させたくない、と思っていたのに。

 夢を持ち、未来を諦めず、将来のためにひたむきに進み続ける歌野に逆に守られてしまったというのが、"なっさけねえなあ俺"という気持ちを呼び起こさせて、竜胆を苦笑させていた。

 

 

 

 

 

 大鳴門橋はなんとか原型を保っていた。

 ただ、近日中に、危険を承知で直しにいかなければ崩壊も時間の問題だろう。

 四国が四国外に多くのものを運んでいける大きな橋の道は、三つしかない。

 瀬戸大橋はゼット戦で既に砕けている。

 これ大鳴門橋まで砕けてしまえば、2/3が壊滅状態という最悪一歩手前の状況に陥ってしまう。

 

 いずれは直さなければならないだろう。

 そんな大鳴門橋の上で、牛鬼に端っこまで引っ張られていた千景の父と、竜胆が向き合う。

 今はとりあえず、牛鬼の方は今は気にしないことにする。

 竜胆は、千景の父に手を差し伸べた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「……ああ」

 

「一応病院を手配します。四国に戻りましょう。立てますか?」

 

 千景の父は、竜胆が差し伸べた手を無言で握り、立ち上がる。

 竜胆は、四年前の記憶の中の彼と、今の彼を見比べていた。

 

 痩せたな、と竜胆は思う。

 四年前の竜胆は何とも思わなかったが、今の竜胆が四年前の記憶を見つめてみると、四年前の千景の父は本当に危険な状態だった。

 四年前の千景父は、目の下のクマも濃く、肌色も悪く、どこか危うい雰囲気があった。

 四年前ほどの危うさはないが、四年前より痩せている、と竜胆は感じる。

 

「お前の悪い影響を、千景は受けすぎたんだ」

 

 複雑そうな表情で、千景父は竜胆にそう言った。

 竜胆が横目で友奈を見て、千景が父親の言葉に怒りを滲ませ鎌を握り、竜胆がアイコンタクトで頼んだ友奈が千景を止める。

 竜胆と千景父の会話は続いた。

 

「そうでしょうね、きっと」

 

「人殺しの、お前の、影響を……」

 

「……かもしれません。俺は所詮、人殺しですから」

 

「……ここまで恩知らずな娘じゃなかった!」

 

「いやそれはねえよ。……んんっ、ちーちゃんは恩は忘れない子ですよ」

 

「何?」

 

 一瞬攻撃的になりそうになった自分を抑え、竜胆は咳払い一つ。

 "育てた恩"を語る千景の父に、落ち着いた口調で語りかけ続ける。

 

「恩っていうのは、受け手側が決めるものです」

 

「……受け手側?」

 

 千景の父が、父親としての責任を果たさなかったことも事実。

 千景の父が、十年以上千景が育つための金を払ってきたことも事実。

 

 だが竜胆は、千景の主張とも、千景の父の主張ともまた違う視点を口にしていた。

 

「若葉は、友奈は、杏は、ちーちゃんは、よく言うんです。

 "そんなに大したことしてない"って。

 で、俺は、皆がしてくれたことに対して、こう言うんです。

 "俺にとっては大したことだった"って。だから、皆、俺の恩人なんです」

 

 皆が『恩』だと思っていないようなことでも、竜胆は『恩』だと感じ、その『恩』を返そうとする。

 それが、『恩は受け手側が決める』ということだ。

 

「俺が皆を守っても。

 それが皆にとって恩になるかどうかは、皆が決めるんです。

 だから、人々が街で俺の悪口を沢山言うこともある。

 俺を嫌う人々が……俺をリンチすることもある。恩は、受け手側が決めるものだから」

 

「―――」

 

 千景の父は十年以上千景を食わせて育ててきたが、千景はそれを恩とは思わなかった。

 民衆はティガに守られていたが、民衆はそれを恩とは思わなかった。

 同じだ。

 恩かどうかは、受け手側が決めること。

 受け手が恩に感じていないのならば、それは恩ではなくなってしまうのだ。

 

 "俺はお前を助けたんだからお前はそれを恩に感じろ"という押しつけは、罪にすらなる。

 竜胆が言っても、千景の父が言ってもだ。

 だから二人の違いは、如実に目に見える。

 

 竜胆は見返りを求めず助け、助けた人達が恩知らずにリンチを仕掛けてきても、その人達の日常を守るために戦い続ける。

 千景の父は、千景が恩を感じていないと知ったなら、娘を罵倒する。

 二人は対だ。

 『助けた恩』に関するスタンスが、本当に間逆なのだ。

 

 民衆は『竜胆がそうしていなければ今ここには生きていなかった』のに、千景は『親が食わせてくれていなければ今ここには生きていなかった』のに。

 カミーラが"殺すべき状況と流れ"を演出すれば、彼らは刃を手に取ってしまうのである。

 

 カミーラの企みを心の成長で真に脱した者など、父を殺せる状況で父を殺さず、竜胆の方を助けに行った、先程の千景くらいのものだろう。

 

「『育てた恩』など、ほんの僅かにすら無いと……そう言うのか……?」

 

「それを決めるのは、親じゃないんです。

 『育てた恩』を親が語って、子に何かを強制するのは、何か違う気がするんです。

 ……その言葉って、親に恩を感じた子供の方が口にするから、価値があるんじゃないかな」

 

 間違いなく、千景を育てたのは彼だ。

 彼が汗水たらして働いて稼いだ金が、千景を十年以上育てた。

 千景に言葉や倫理、基本的な精神性を教えて育てたのも親である両親である。

 

 千景の父のような状況になると、生活苦から娘を殺す人間は珍しくない。

 千景と千景父の苦境の原因は、根本的な原因で言えば千景父の性格であるが、直接的な原因で言えば母親の夜逃げである。

 そういう"他人のせい"だと思える状況は、状況を最悪に転がす。

 千景父の性格次第では、千景が親に殺されたり、無理矢理に心中させられる可能性は十分にあった。

 母親が新しい男を作って夜逃げしたというだけで、父親も娘もまとめて地獄に叩き込んでいたあの村で、そうなる可能性は十分にあった。

 

 だが、この父親はそうしなかった。

 人殺しすらできないありきたりな人間で、小物で、凡人で、凡愚だった。

 

「だから、俺があなたの言葉の中で絶対的に受け入れられないのは、たった一つ」

 

 『善き人』にも『まともな父親』にもなれず、『子殺し』にも『犯罪者』にもなれず、『父親失格』のまま、千景に言って当然の醜悪な罵倒を叩きつけた千景の父親。

 その罵倒の中で、竜胆が許容できないものが、一つあった。

 

「『生まれて来なければ良かった』なんて言うな! 親が言うな!」

 

「っ」

 

「それだけは絶対に否定する!

 その言葉だけは俺は絶対に否定する!

 誰が言おうと、どこで言おうと、いつ言おうと、それだけは何度でも否定する!」

 

 がしっ、と竜胆は千景の父の服を掴む。

 

「俺は何度でも言う! 『生まれてきてくれてありがとう』って!」

 

 千景が構えようとしていた武器を降ろした。

 どんなに強くなっても、何を失っても、御守竜胆の根っこの部分はずっと変わらない。

 彼の根底にある優しさに触れた気持ちになって、千景は竜胆が同じことを言っていた、あの日のことを思い出す。

 

 

■■■■■■■■■■

 

「誕生日、おめでとう」

 

「―――」

 

「生まれてきてくれてありがとう。君が生まれたこの日を、俺にも祝福させて欲しい」

 

■■■■■■■■■■

 

 

 十回以上あったどの誕生日のお祝いよりも、嬉しかった。

 千景はその嬉しさを覚えている。

 十年以上育ててくれた父親よりも、一年間一緒に過ごしてすらいない男友達の方が、自分にとって重い存在になっていた。

 その理由を、千景はちゃんと覚えている。

 

「俺はあなたの言葉をかき消すくらいの声の大きさで、この言葉を言い続ける!」

 

 生みの親は、千景の生を否定した。

 だから生みの親が否定するよりも強く、千景の生を肯定し続ける。

 

「だからもう、恩の押しつけはやめてください。

 ちーちゃんはあなたの望んだ反応なんて返しません。互いに苦しくなるだけです」

 

「押しつけ……これは……押しつけか……?

 私は、自分がしてやったことを、言っただけだというのに」

 

「……ちーちゃんを育ててくれて、ありがとうございます。

 おかげで、俺はあの日あの時あの場所で、ちーちゃんと出会えましたから」

 

 『恩の決定権は受け手側にある』という竜胆の主張を、千景はどこかで聞いた覚えがあった。

 

 

■■■■■■■■■■

 

「幸福を当たり前だと思わず、常に幸福の価値を感じている君は。

 あって当然の幸せを、あって当然だと慢心せず、守ろうと思える君は。

 とても綺麗だ。咲く前に険しい風雨に耐えて、風雨の後に綺麗に咲いた花みたいに」

 

『私は……私は……』

 

「君には君の価値がある。

 君が愛されるかどうかに、本当は君に原因なんて無いんだ。

 だって君が愛されるかどうかは、本当は周りが決めることなんだから。

 君が完全無欠の人間になったとしよう。

 愛されるに相応しい人間になったとしよう。

 でも、君を愛するか愛さないかの選択は、周りの人に決める権利があるんだよ」

 

『わたし……わたしっ……!』

 

「君は悪くない。

 何も悪くないんだ。

 愛されなかったことの原因は、君の中にはない。

 強いて言うなら、君に愛の無いことをした周りが悪い。

 愛する対象の好き嫌いで、君を選ばなかった周りが悪い。

 愛するべきだったのに君を愛さなかった親が悪い。

 世界は広いんだ。

 村の外に出たら、君をちゃんと愛してくれる人達は、ちゃんと周りに居ただろう?」

 

『……りんどう……くんっ……!』

 

「思い出して。君をちゃんと愛してくれる人は、君の周りにちゃんといるはずだ」

 

■■■■■■■■■■

 

 

 ああ、あの時の言葉だ、と千景は思い出す。

 竜胆のこの主張は、かつて竜胆が言っていた、愛の決定権と似たものだ。

 

 愛されようとしても、愛されないことはある。

 恩をやったと思っていても、恩に思われていないことはある。

 "罪の無い人が傷付けられるのは間違っている"と思っていても、罪の無い人が殺されて当然の世界は継続していく。

 

 千景も、千景の父も、竜胆の生き方や言葉には何かを感じ入ってしまう。

 そこには、血縁が感じられた。

 

「触れると傷付け合うしかないなら、いっそ触れないようにしましょう。

 ……もうできるかぎり、ちーちゃんとあなたは、顔を合わせない方がいいです」

 

「……」

 

「俺、間違ったこと言ってますか?」

 

「……いや」

 

 不安を少し滲ませた竜胆を、千景の父は、肯定した。

 

「君が、正しい」

 

 事実上終わっていた郡親子の繋がりを、嫌な形でまだ残っていた親子の繋がりを、竜胆は途方もない大きさの罪悪感を覚えながら、ここで断ち切ろうとする。

 

「元々、ほとんど会っていなかったが……

 そうだな、もう……もう、終わりか。

 私はもう、何があっても、千景を娘として扱えそうにない」

 

「……お父さん」

 

 千景が、憎しみなのか、軽蔑なのか、失望なのか、寂しさなのか、喪失感なのか……竜胆でも感情が読みきれないような、複雑な表情を浮かべる。

 

 千景と千景の父は、もう手遅れだ。

 この二人が分かり合うことも、許し合うことも、手を取り合うことも、もうありえない。

 近寄れば傷付け合うだけ。

 触れれば不幸にし合うだけだ。

 

 だから、二人が笑顔でいるには、二人が幸福になるには、もう一生顔を合わせない以外に選べる道はない。

 世の中の大人の多くは、そうしている。

 いや、意識的にそうしているわけではないだけで、子供だってそうしている。

 苦手な人、嫌いな人、どうしても分かり合えない人がいるから、好きな人とだけつるんで、嫌いな人と距離を取り、笑顔になって、幸福になる。

 

 嫌いな人がいる! 攻撃しないと! となるような人間は、四六時中攻撃して攻撃されてを繰り返し、結局のところまともに幸せになどなれはしない。

 皆ほどほどに割り切って、住み分けている。

 そうやって社会は出来ているのだ。

 

 けれどそうやって住み分けるから、結局のところ一つになれず、世界から争いはなくならない。

 住み分けた個々の集団が、どこかで殴り合うからだ。

 もしも世界中の人間の心を一つにできたなら、それを成した人間は、きっと人類史の頂点を争えるレベルの偉人と言っていいだろう。

 

 そのくらいには、難しいことなのだ。

 

「……」

 

 嫌いな人、分かり合えない人と、距離を取って傷付け合わないようにする。

 それを、人によっては"大人になる"と言うらしい。

 皆で笑って生きていくためには、皆が幸せになるためには。

 嫌いな人だからといって攻撃はせず、静かに距離をとって触れないようにすることが大切。

 嫌いな人がそこで息をしていることを、許すことが大切なのだ。

 

(ちーちゃんのお父さんが、ちーちゃんを嫌っても。

 ちーちゃんが、お父さんを嫌っていても。

 せめて二人が、お互いのことを、"この世界のどこかに生きていていい"って思えたら……

 嫌いな家族がそこで息をしていることが許せたら、いいな。それだけあれば十分だ)

 

 竜胆が望む理想の世界は『皆が幸せな世界』『皆が笑顔の世界』『誰も争わなくていい世界』だが、それは『皆が同じ人間になった世界』ではない。

 皆が同じ人間になれば、竜胆が見てきた人の醜悪の大半は、きっとなくなるころだろう。

 だって、皆自分なのだから。

 自分と違う者を攻撃する醜悪な事件など、起こりようはずもない。

 

 でも、それは駄目だ。

 

 人は、皆違う。

 強い者、弱い者、美しい者、醜い者。

 それぞれが違って、それぞれに好きなものと嫌いなものがあって、受け入れられるものと受け入れられないものがある。

 

 "分かり合い心一つする"ということは、皆が同じラーメンを好きになるということではない。

 ラーメンを好きな人と、カレーを好きな人と、ハンバーグを好きな人が、自分の好みを押し付けることなく、互いを尊重し合うということだ。

 それができないという人もいるだろう。

 だが、それならそれでいい。

 嫌いなものとは、距離を取って住み分ければいい。

 千景と千景父のように、互いを傷付けあい罵り合うよりはよっぽどマシだ。

 

 誰もが、竜胆のように他者を受け入れられる人間にはなれない。

 優しさとは、『自分と違う者を受け容れる強さ』でもある。

 

(あー、ちーちゃんの味方をしたい!

 全面的にちーちゃんの味方だけしていたい!

 でも、しょうがないか。それはきっと、あんま正しいことじゃないもんな)

 

 竜胆は、千景と千景の父の縁を明確に切った。

 元々距離が離れていた二人だが、これで親子が顔を合わせることももうないだろう。

 それもまた、竜胆の優しさだった。

 親子の縁を切ったことに竜胆は大きな罪悪感を覚えるが、これはきっと、誰かがしなければならないことだった。

 

(竜胆君……お父さん……)

 

 父を殺さないことを選んだ、あの瞬間に。

 千景の中にあった『父への憎しみ』に、一つの区切りと、一つの決着がついた。

 そして今、親子の関係も一つの終わりを迎える。

 

 千景はまた、自分の中にあった因縁と歪みの一つと決着をつけたのだ。

 

「乗って下さい。敵の攻撃を受けたんですから、病院まで運びます」

 

 竜胆は、千景の父を背負った。

 千景父を優しく背負う竜胆。

 気遣いが、触れた背中から伝わってくるような背負い方だった。

 

「首、痛みませんか?」

 

「あ、ああ」

 

「よかった」

 

 竜胆が人を助けることに、人の体を気遣うことに、理由はいらない。

 千景父が目に見えて怪我をしていないことに、竜胆は分かりやすくほっとする。

 

「死ななくて、本当によかったです」

 

「―――」

 

 "この少年は自分の生存を本当に喜んでくれている"と、千景父は実感する。

 

 本当にみじめで、哀れで、情けないことに。

 他人に"まともに優しくされる"のは。

 千景の父にとっても、数年ぶりのことだった。

 

 千景の人生には竜胆がいた。

 千景の父の人生には竜胆がいなかった。

 

 "家族をちゃんと愛せなかった"という罪一つで、何年もの間、自業自得の地獄の中を彼は生き、誰も助けてはくれなかった。

 千景が勇者になったことで、少しはマシな生活になった。

 だが、優しさや親しみなど、周囲から貰えるはずもなく。

 

 千景に父として優しく接することができなかった罰を与えられるがごとくに、千景の父は誰にも優しくされない人生を送ってきた。

 竜胆の真っ直ぐな優しさと気遣いが、千景の父の胸に染みていく。

 

「……すまなかった」

 

 その一言で、千景父は色んなことをまとめて、竜胆に謝った。

 色んな謝罪が混ぜこぜになった、重みのある謝罪だった。

 だが、謝られた竜胆は複雑な表情になる。

 

(この人がちーちゃんに謝ることは……もう一生無い気がする)

 

 竜胆には謝った。

 千景には謝っていない。

 ここで竜胆に謝れて、妻にも娘にも謝れないのであれば、家族の仲が修復されることはもう永遠にないとだろうと、そう言い切れる。

 父が娘に歩み寄ることは、もうありえないのだ。

 

 竜胆は"自分に謝ってほしい"と思ったことなんて、一度もなかったのに。

 "千景に謝ってほしい"としか、思っていなかったのに。

 竜胆の願いは、望んだ形に身を結んではくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千景の父を背負って、仲間と共に四国内に帰還した竜胆を、橋の前で屯していた三好圭吾と諏訪の人達が出迎えた。

 

「おー、帰って来た帰って来た」

「誰も欠けてないな、よし」

「お疲れー!」

 

 わいわいと、帰って来た竜胆達を諏訪の人達が暖かに迎える。

 男は竜胆の背中をポンポン叩き、子供はキラキラとした目で寄って来て、おばあちゃんがタオルを持って汗を拭きに来る。

 初めての経験に、竜胆達は戸惑い、歌野だけが平然と皆の輪の中に加わっていった。

 

「え、三好さん、皆なんで橋の前に……」

 

「……戦いが終わってお前達が戻って来るまでここで待つと。

 お前達を迎えてやるんだと。

 そりゃもう、一人残らず頑固に主張してな。全く、面倒臭い」

 

 大社もちょっと困っていたらしく、三好は呆れた顔をしていた。

 

「諏訪の難民や郡の父親に関しては、こちらで上手いことやっておく」

 

「ありがとうございます……何食べてるんですか?」

 

「煮干し」

 

 千景父は車両に乗せて病院に運搬、念の為の精密検査。

 竜胆達もこの場で軽く負傷状態をチェックし、後に病院に運ばれて検査されることになる。

 特に24時間と経っていないのに、強力な精霊を使っての三連戦――しかもその内の一回はウルトラマン無し勇者のみの戦闘――をした若葉と千景は要注意だ。

 精霊の穢れが生む心への悪影響は、竜胆が処理できる。

 だが体への負荷と損壊を治せるガイアは、もういないのだ。

 

 勇者達の血圧などが簡易に測られているのを、竜胆がぼんやりと見ている。

 

「あの、竜胆君」

 

「ん?」

 

「……なんでもないわ」

 

 千景が何か言いかけたが、何も言わない。

 

 何も言わずにふらっとどこかに行った千景に、竜胆は優しい表情を向けていた。

 そんな竜胆の背中を、友奈がぽんぽんと叩いた。

 "今日はよくやった"と言わんばかりの笑顔である。

 

「なんだよ」

 

「なんでもない」

 

 千景が言いかけて言わなかったお礼や嬉しさを、親友の友奈は分かっているから。

 友奈はふにゃっとした笑顔で、"私が同じ立場でもああいうこと言ってくれるんだろうなあ"だとか思いながら、千景の明日の笑顔が守られたことに、嬉しさを感じるのだ。

 人質になっていた千景父を助けたのは友奈なのに、それを棚に上げて他の友達に感謝したりしているのが、本当に友奈らしい。

 

 友奈と同じように、歩み寄ってきた杏が竜胆の背中をぽんぽんと叩いた。

 

「なんだ?」

 

「なんでもないよ」

 

 戦いの中で見た記憶に、杏は少し引きずられている。

 ティガに仲間がいて、ティガが笑えていて、ティガが人の輪の中にいる。

 それが何故だか杏には、とても嬉しいことのように感じられていた。

 

 ベシッと若葉の手の平が、いい音をさせて竜胆の背中を叩く。

 

「おい、なんだよ」

 

「いや、私は流れに乗っただけだ。本当に何の意味もない」

 

「お前に至っては本当になんだ!」

 

 周りを大切にし、好意の想いをちゃんと伝え、愛を言動と行動をもって証明する。

 そんな彼が、皆、大好きだから。

 各々抱く思いは違えど、彼の傍にいる。

 

 『違う』からこそ関係の距離を取るのが正解なこともあれば、『違う』のに近くに寄り添い合う関係もあるのだ。

 

「千景」

 

「……何? 乃木さん」

 

「ありがとう」

 

「……」

 

「親を殺してでも守りたいという、仲間への想い。

 確かに受け取った。

 今日と同じことがあれば、私は何度でもお前を止めるだろう。

 ……だが、お前が叫んでいた仲間への想い。私は嬉しく思う」

 

「……」

 

 千景は若葉から顔を逸らした。

 が、顔を逸らした先には、既に友奈が回り込んでいた。

 

「ぐんちゃんはあんまり想いを口に出さないだけだもんね!」

 

「た、高嶋さんっ」

 

「そーれ、撫でてあげる! 家族みたいなものだから、いいでしょ?」

 

「ああ、そういえばそうだったな、うん。千景、逃げるんじゃないぞ」

 

「そ、そんなにみんなを家族のように見ていたわけじゃないわ!」

 

 若葉と友奈に挟まれ、千景が父に向けて叫んだ言葉をネタに、千景が弄られ始める。

 千景は丸亀城で共に戦った皆を、友達と言い、大事な仲間と言い、家族とまで言った。

 千景の複雑な家庭環境について、皆思うところはある。

 だが、千景が家族のように思ってくれていたことに、嬉しく思う気持ちもあった。

 

「りっくん先輩は行かないの?」

 

「……ちょっと、疲れてきたから、少し座って休んでるよ」

 

「そっか。お疲れ様、ゆっくり休んでね」

 

 竜胆はベンチに座ったままで、杏は竜胆にひと声かけてから、千景弄りに加わっていく。

 

(なんか、ダルいな……体が重い)

 

 邪神の闇の流入。

 マリンスペシウムの習得。

 陰陽極端な二つの事象が、竜胆の内側で進んでいた変化を、一気に進めていた。

 

「隣、座ってもいいかしら?」

 

「歌野……断らなくていいぞ、そんなことくらい」

 

「では、お言葉に甘えて」

 

 調子の悪さを隠す竜胆の横に、歌野が座る。

 歌野は今も微笑んでいた。

 この表情が絶望に染まった場合の表情を、竜胆は想像することすらできない。

 似合う似合わないの問題ですらなく、歌野が絶望の表情を浮かべるというのが、まず想像できなかったのだ。

 手をかけた畑が全焼でもすれば、絶望の表情は見れるかもしれないが、それはそれとして。

 

「四国チームだと、竜胆さんが仲間の心を照らしているのね」

 

「気のせいだ。照らされてるとしたら、闇の巨人の俺の方だよ」

 

「そのあたりは、竜胆さんが言っていた"誰が恩かどうかを決めるのか"と同じ話ね」

 

「ん?」

 

「ふふっ」

 

 ある意味、ティガが『ウルトラマン』であるかどうかですら、決めるのはティガではない。

 それは、周りの皆が決めることでもある。

 

「後で話すけど、カミーラの企みの一部、私の精霊が読み取ってくれたのよ」

 

「!」

 

「超超超デンジャラスよ。

 なんでこれまでの企みが上手くいってなかったんだろう、って思うくらい」

 

「……それは、分かるな。

 なんていうか、"体が分かってる"んだ。

 あいつの企みをこれまで覆せてきたのは、奇跡みたいなもんだって」

 

 竜胆の遺伝子は、竜胆以上にカミーラのことを知っている。

 

「はいここでクエスチョン、なんでカミーラの企みは上手くいかないんだと思う?」

 

「え? ……なんだろうな、カミーラの脇が甘いわけでもないし」

 

 皆が頑張ったからだろうか、と竜胆は考える。

 微笑む歌野が求めている答えは、もっと根本的なものだというのに。

 

「カミーラが何をやっても上手くいかない最たる理由、それは……」

 

 歌野の指先が、ピッと竜胆を指差した。

 

「あなたを選んでしまったことなのよ、きっと」

 

「俺?」

 

「闇の巨人なのに光の人間のままなんだもの、そりゃミステイクにもほどがあるわ」

 

 カミーラが百点満点の悪巧みをしても、ティガは闇に堕としきれず。

 百点満点以上の悪巧みをしないと闇に堕とせそうにない、それが御守竜胆。

 カミーラが選んだ、ティガの巨人と成れるティガの子孫が、これほどまでに『光』であったことこそが、カミーラ最大の誤算であった。

 

「カミーラは悪女でしょう?」

 

「……悪女だなあ」

 

「だから、シンプルイズザベストに言うなら、こう!」

 

 竜胆は、罪人にはなれても、悪人にはなりきれない。

 闇に堕ちても、悪には成れない。

 昔も今も、ずっとそう。

 

「闇に堕ちても、絶対に悪にはなれない人と! 悪女の相性がベストマッチなわけもなし!」

 

「うっわすげえドヤ顔!」

 

 偶然じゃないか、と言われれば、そうではあるが。

 竜胆の周りには、悪女に類する女性は一人も居なかった。

 

 悪の逆は正義だが、悪女の逆を正義女とは言わない。

 正義を掲げる女と、悪女が対になるわけではない。

 何故だか、昔から。

 悪女の対義語は『いい女』だと、そう人々は言うのだ。

 

 勇者が皆『いい女』であることが、竜胆の生涯最大の幸運であると言っても、それはきっと過言ではない。

 

 『ティガの女運』は良いのか悪いのか、言い切るのにちょっと迷いたいところであった。

 

 

 




 ゆゆゆいで精霊を後付けされた組全体的に強い印象あります
 もしもまかり間違ってこの世界線のカミーラさんが時拳時花世界線見たら、樹とか『友奈』とか『乃木』とか見て、更には『人間の由来の精霊しか使わない』上に『二刀流』で『ティガの精霊』まで使う『情熱の赤の勇者』を見て発狂するやつですねこれは……

 繰り返しになりますが、『愛媛の方言・伊予ことばのユザレ』はマジでありますし、参考にした文献群でもカタカナで『ユザレ』の三文字が並んでます。マジです

【原典とか混じえた解説】

●ユザレ
 三千万年前、ティガダークを光へいざない、ウルトラマンティガへと立ち戻らせた張本人。
 地球星警備団の団長にして、光の美女。
 その髪は綺麗な白色である。着ている服も質感に差はあるが基本的に白。

 ユザレの遺伝子は現在の日本人の誰かの中に混じっており、ゆえにユザレの子孫がこの日本のどこかに存在する。
 ユザレ本人は日本人離れした白髪や、邪悪なウルトラマンを封印する絶大な超能力を持つが、子孫には髪の色やその能力が完全に継承されていないことが多い。
 三千万年はあまりにも長かった。

 だが、ティガが復活する時代において、ティガに変身する運命にある者とユザレの子孫は引かれ合うように必ず出会う。
 出会ったユザレの子孫は時にティガを覚醒に導き、時に共に戦う。
 ユザレの白い髪がほんの僅かにすら遺伝しなくなるほどに遠い子孫であっても、魂が輪廻転生を何万回と繰り返すほどの長い時が経った三千万年後の今でも、それは変わらない。
 どんな大仰な表現をしても過剰な表現にはならない、"遺伝子の運命の出会い"がそこにある。

 地球星警備団団長・ユザレ。
 古代のティガにとっては、自分を光へと引き戻してくれた運命の女。
 カミーラにとっては、ティガを自分から奪った憎んでも憎み足りない怨敵。
 伊予島杏にとっては、髪の色に少し遺伝が見られる程度の、存在も知らないような遠い遠いご先祖様。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

終局 -オール・エンド・スタート-

 調べる場所によっても違うんですが、全国バストランキングは香川1位、高知2位、愛媛5位、徳島14位という結果が出たこともあって四国すげーってなります
 なお長野(諏訪)は33位だった模様


「ティガって、悪い奴なのかな」

 

 香川の街を歩いていた一人の男の子が、突然そんなことを言い出した。

 一緒に歩いていた二人の男の子二人が、首をかしげる。

 

「皆そう言ってるし、そうだろ」

「何言ってんの?」

 

「んー、でもさー、悪者っぽくないじゃん」

 

「どうだか」

 

 子供の想像力では、"どっちでもいい"という気持ちすら、ややあった。

 ティガに守られている今が当たり前で、ティガが悪い奴だったらもう守ってもらえない、という不安さえ子供達は持っていない。

 良い言い方をすれば、誰もティガを疑ってはいなかった。

 

 ティガに対する個人的嫌悪もなく、恐怖もなく。

 "周りがそうしている当たり前"だから、ティガを悪者と定義する子供達。

 

 今の四国の人々の状態は、動乱の極みにあった。

 ティガを支持する者、嫌う者、少数だがバーテックスとティガが組んでいる説を提唱する者や、その説を支持する者までいた。

 それほどまでに多様に、皆が皆思い思いに、ゼットの言葉を解釈していた。

 

 

■■■■■■■■■■

 

「聞け!」

 

「もはや四国に残された巨人はティガダークのみ。

 御守竜胆とその仲間だけが、私を倒すことができるだろう。

 次の戦い、御守竜胆達が負ければ、私はそのまま世界を滅ぼす。せいぜい勝利を祈るがいい」

 

「もはやお前達は他人事ではいられない。当事者だ。

 いつまでも弱いまま、醜いまま、そのままでいられるとは思うな」

 

「私は、守ってもらっておいて、他人事のようにウルトラマンを見る者を許さん」

 

「信じるがいい! 私が貴様達を滅ぼす未来を!」

 

「信じるがいい! ただ一人残った最後のウルトラマンが、奇跡を起こす僅かな可能性を!」

 

「天はいつでも―――貴様らを見ているぞ!」

 

■■■■■■■■■■

 

 

 人々が信じたウルトラマンは、皆死んだ。

 残った巨人はウルトラマンに非ず、ティガダークのみ。

 四国の人々の不安は推して知るべし。

 ティガ擁護も、ティガ叩きも、一気にその熱を加熱させていた。

 

 ある者は言った。

 もうティガを信じるしかないはずだ、と。

 ある者は言った。

 ティガが最後に残ったのも不自然、バーテックスがティガを人々が支持するよう仕向けるようなことを言っているのも不自然だ、と。

 

 ある人は、手の平を返してティガ排除の考えをやめ、ティガを応援することにした。

 ある人は、自分が攻撃されるのは嫌だから、ティガを応援も非難もしなかった。

 ある人は、ティガを応援しない奴はクズだと周りを罵倒し始めた。

 ある人は、そういった人間を見て、ティガとそれに味方する人間もまとめて悪と見る気持ちを大きくしていった。

 

 それぞれにティガを信じる理由があり。

 それぞれにティガを信じない理由があった。

 

 最悪なのは、ティガが嫌われる理由の多くが今や、ティガと直接関係ないという点にあった。

 

 ティガの過去の、ティガの悪性を盲信する者。

 当時の報道が正しいと思い込もうとする者。

 周りに合わせるためにティガへの非難を継続する者。

 引っ込みがつかなくなった者。

 そして『ティガ信者が嫌いだから』という理由でティガを嫌う者。

 

 今現在、かなり多くの人間が、『こういう理由でティガを嫌っている』というだけでなく、『前言を撤回したくない』『自分が間違っていると認めたくない』『だからティガには悪人でいてほしい』という思考から、『ティガが悪という結論ありきで、悪である理屈を探していた』。

 なのでティガが悪であるという理屈には一部無理があるのだが、それを指摘したところで、そんな大人達が心改めるということはないだろう。

 彼らは結論ありきで見つけた理由を盲信しているからだ。

 

 ティガを嫌うという結論ありきで、ティガを嫌って当然、と言い切る理屈を探している。

 

 ただ、これを異常と言うのは少し違う。

 "自分の心を守るため"の結論を探すのも人間として普通の心理。

 そのために結論ありきで理屈を探すのもよくあることだ。

 どこにでもある普通の醜悪である。

 牽強付会、漱石枕流といった四字熟語は、こうした人間が昔からずっといるということを証明しているようなものだろう。

 

 更に言えば、今の四国にはシビトゾイガーがいる。

 世間が乱れれば乱れるほどに、シビトゾイガーによる話題誘導は効力を増す。

 世間はカミーラの望んだ通りにしか動かなくなっていく。

 

 だが子供は、そういった醜悪を持つ大人のような生き物には、なれない。

 色んな意味で未熟で、色んな意味で頑なになりきれていない。

 だからたびたび揺らぐのだ。

 ティガは悪い人なのかな、と。

 

「でも……おれ達の味方だと思いたいよな。ティガ」

 

「ん」

 

 四国は今、最大の危機を突きつけられ、とんでもない混乱と動乱の中にあり、ティガを非難する者と肯定する者のどちらが多いかすら分からない。

 毎日毎日、違う意見の人間達が罵倒し合い、人間同士の憎しみや確執が加速しているというのが現状だ。

 シビトゾイガーは、四国の人類総数から見れば圧倒的少数である。

 シビトゾイガーが適度に煽っていくだけで、人は勝手に、バーテックスに対する敵意よりも急激に、違う意見の人間に対する敵意を膨らませていく。

 

 なんとも奇妙な話だが。

 彼らは仲間割れがしたいわけでもないのに、人間同士で争い合いたいわけでもないのに、『あいつらが俺達の方に絡んで来るんだ』という意識を()()()持ったまま、言い争っている。

 自分の主張の正しさを疑っておらず、自分が他人を不快にさせていることに無自覚で、自分が言い争いの原因になっても気付かない。

 シビトゾイガーが煽るには、格好の状況が出来上がっていた。

 

 この子供達はそういった人の輪から少し外れた、子供達のコミュニティの中に生きている。

 

「いいやつだったらいいよね、ティガ」

 

「んだね」

 

 彼らは、そんなに難しいこと考えずに、日々を生きている。

 

「かっこいいしな、ティガダーク」

 

「かっこいいしね」

 

「かっこいいもんね」

 

 昔から、特撮番組で"悪役が子供に大人気になる"ということは、かなり多いらしい。

 子供はその人が悪いことをしていようが、強くてかっこよければ好きになるからだ。

 だから子供達はティガも好きだった。

 かっこいいからだ。

 黒に染まったティガダークは、男の子達を魅了する。

 

 子供達が大人ほどに、ティガが正義か悪かを気にしていない理由は単純だ。

 かっこいいから、どっちだろうと好きになる。

 正義だろうと悪だろうと、かっこよくて守ってくれるならそれでいい。

 それだけなのである。

 『ヒーロー』も『ダークヒーロー』も、子供達は好きなものなのだ。

 

「どうなんだろうなあ、本当の話は。おれさ、遠目に見たことあるんだよな、人間のティガ」

 

「マジ?」

 

「マジマジ。ふつーのあんちゃんだったよ。体でかかったけど。

 なんか人殺しには全然見えなくて、その時はそれが逆に怖かったなぁ」

 

 分かりやすく悪人な殺人犯と、一見していい人に見える殺人犯と、怖いのはどちらだろうか。

 この子供に関しては、後者の方が怖く感じたようだ。

 

「いい人なのかな」

 

「一番大事なのはいい人かどうかではないのよ」

 

「?」

 

 そんな子供達に声をかける少女がいた。

 

「一番大事なのは、いい人だと信じられるかどうか、なの。

 本当にいい人であるかどうかなんて、中々確かめられないもの。

 実際にいい人でも、周りがいい人だと信じられない人じゃ意味がないわ。

 だからこそ……"周りに信じられてる人"ってのは、価値があるんだから」

 

「誰この人?」

「知り合い?」

「おれは知らん」

 

 その少女は、唐突に湧いてきた農夫であった。

 

 その少女の手に握られるは大きなショウガ。

 ショウガの花言葉は『信頼』である。

 

「心に従いなさい。

 信頼は頭じゃなくて、胸の奥から湧いてくるの。

 その人が信じられるかどうかは、あなたの心だけが知っているのよ」

 

「あなたは一体……?」

 

 ふっ、と少女は笑み、鼻先に付いた泥を指先で拭った。

 

「ファーマー・ザ・キング―――白鳥歌野」

 

 この場にツッコミは不在である。

 

「ふぁ……ファーマー・ザ・キング……!?」

 

「ファーマー・ザ・キング……まさか……!」

 

「知っているのかよっちゃん!?」

 

「いや別に。特に意味もなく『まさか』って言っただけだけど」

 

「紛らわしいんだよォ!」

 

 ファーマー・ザ・キングは子供達に背を向け、去っていく。

 

「私はティガを信じてる。あなた達も自分の心に従ってみなさい」

 

 四国という閉じた空間の外からやってきた諏訪の者達は、四国に"ティガにとっては良い"新しい風を吹き込んで、子供を中心に小さな変革をもたらし始めていた。

 ファーマー・ザ・キングが去った後にも、子供達の胸の内に残るものはある。

 

「農家のお姉さん……」

「農家……でいいんだよな多分」

「……自分の心に従え、か」

 

 愚民を導いてこその王。

 

 

 

 

 

 農業王はもののついでに子供達を諭し、当初の予定通り飲み物を買って畑に帰る。

 畑では歌野がいない間もせっせと畑を耕していた竜胆が、汗をタオルで拭いていた。

 その手には手錠がない。

 その手に握られているのは鍬である。

 首輪に続き、大社は手錠も外してくれたようだ。

 これでもう、耳に付いた発信機くらいしか、彼の体に取り付けられた抑止力はない。

 

「おかえりー」

 

「ただいまー」

 

 歌野が望めば、農地を手配するくらいの度量が大社にはあったし、歌野が頼めば、一緒に農地を耕してくれるくらいの寛容が竜胆にはあった。

 

「ティガって四国だと評判よくないのね」

 

「まあな」

 

 竜胆が苦笑する。

 言い換えれば、"苦笑で済ませてしまっている"。

 苦笑で終わらせて、民衆への仕返しも罰も与えようとはしていない。

 

 一瞬であっても、精霊・覚でその心を覗いたことがある歌野には、その苦笑から目に見えるもの以上のものを感じ取れる。

 竜胆は人の愚かさに何も感じないほど聖人でもなく、かといって自分に都合の悪い大衆意見を変えようとするほど支配的にもなれず。

 "みんなの願い"を尊重する竜胆は、とてもウルトラマンらしかった。

 

「そういう意味であんまアトモスフィアよくないな、って言ったら不快に思う?」

 

「思わんよ。素直でよろしい」

 

 歌野からすれば、今の四国の空気には、どこか懐かしいものすら感じられる。

 嫌に思いはするものの、驚きはない。

 既に一度諏訪で似た嫌な空気を感じたことがあるからだ。

 "そういう空気はあるものだ"と、割り切れる。

 

「シビトゾイガーさんがいるにしたって、ちょっと気分が悪くなるわ」

 

「歌野が教えてくれた情報、本当助かったよ。

 おかげで俺は、人間に失望しきらなくて済んだ気がする」

 

「シビトゾイガーのせいだと思えるからかしら?」

 

「ああ。……まったく、諜報戦でバーテックスに負けてるなんて怖い話だな」

 

 "シビトゾイガー"の存在を露見させたこと、これは現状歌野の最大の功績と言っていいかもしれない。それほどまでに大きなものだった。

 

 シビトゾイガーの存在は、通常露見しない。シビトゾイガーはある理由から変質した星屑だが、こんな諜報戦を行えるバーテックスなど、類似するものが他にいないからだ。

 カミーラの頭の中を覗くことでシビトゾイガーの存在を知覚できたことは、治安を維持する大社などにとっても、望外の幸運であったと言えるだろう。

 

 だが、即座に何もかも解決するという話でもなかった。

 

 シビトゾイガーの存在が発覚したのはいい。

 既知と未知では雲泥の差だ。

 だが、普通の人間とシビトゾイガーの見分けはつかない。

 しかも、他の人間を食ってその人間に化けているということは、戸籍調査や家族への聞き込みをしてすら判別は不可能だということだ。

 

 それだけでなく、シビトゾイガーの存在を大々的に公表すれば、絶対にパニックになる。

 人が人を疑い、最悪殺し合いに発展するだろう。

 ティガの支持者は、シビトゾイガーの企みだったんだ! と主張する。

 ティガの非難者は、シビトゾイガーがティガを擁護して陰謀を企んでいる! と主張する。

 おそらくは、そうなるだろう。

 お手軽に貼れるレッテルは、人と人の対立を確実に加速させる。

 

 そして事実、現在の四国には、ティガ・勇者・大社を擁護して持ち上げ、対立する意見を過激に攻撃するシビトゾイガーが居た。

 ティガ・勇者・大社を非難して"一般人の不満"を口にし、対立する意見を過激に攻撃するシビトゾイガーが居た。

 シビトゾイガーの存在の公表は、事態を最悪な方向にしか転がさない。

 

 そこで大社は一計を案じた。

 

 "天空恐怖症候群の新たな症状が発見された"と称して、『ありえないデマを流し、他人を混乱させる嗜好を得てしまう』というものを発表したのである。

 

 もちろん、これは大嘘だ。

 そんな症状などありはしない。

 だがこれで人々は、他人の話に『デマかもしれない』と多少身構えて接するようになった。

 

 また、シビトゾイガーが煽ろうとして流した噂の多くに対し、"どうせデマだろ"とレッテルを貼って話す人間の数も、これで一気に増えた。

 大社の工作で『これまでに流れたデマまとめwiki』といった風のサイトも作られ、過去にシビトゾイガーが実際に流したデマなどが、証拠や検証付きで否定され、サイトにまとめられ、拡散されていった。

 三好圭吾を中心とした大社の活動的な者達による、情報工作の賜物である。

 マスコミや報道なども上手くコントロールされ、シビトゾイガーの活動の効果は抑制されていった。

 

 『大社の嘘と偽装』。

 それが、バーテックス側の戦術に綺麗に突き刺さっていた。

 

 ティガを嫌うものはまだ多く。

 四国は全体的に、絶望、恐怖、諦観に包まれていて。

 人々を守る巨人や勇者に対する非難は、ネットを見ればそこかしこに蔓延している。

 だがまだ皆、踏ん張っていた。諦めていなかった。

 巨人も、勇者も、巫女も、大社も。

 

「ねえ、竜胆さん」

 

 歌野は竜胆に提案する。

 

「全部終わったら諏訪に来ない?」

 

「諏訪に?」

 

「四国に居ても居辛いでしょ、これじゃ」

 

「……」

 

「戦いが全部終わったら、私達は諏訪に帰る。

 諏訪は復興しないといけないから、戦いの後もベリーハードよ!

 でもね、諏訪の人で、あなたが嫌いな人って一人もいないと思うの。守ってくれたしね」

 

 それは、全てが終わった後の未来で、竜胆が何の後腐れもなく幸せになることができる、一つの道の提示だった。

 戦いの後の未来設計をあまり明確に考えられていない竜胆に示された、明るく幸せな未来の可能性だった。

 

「……嬉しいこと言ってくれるな。ありがとう、歌野」

 

 それが、竜胆はただ嬉しくて。ただ喜ばしくて。

 

「考えておくよ」

 

 だからこそ、少し考える時間が欲しかった。

 

 "自分のような罪人が幸せになる"ことを受け入れるには、抱えた苦悩に対し何か答えを出す必要があったが、竜胆はまだその答えを出せていなかったから。

 

「竜胆さんはかぼちゃみたいな人ね」

 

「かぼちゃ? いや何故野菜で例える……」

 

「カチコチで、頑丈で、重くどっしりと構えてる。

 岩にぶつかっても砕けない!

 それでいて、『強い外側』と『甘い中身』のベストマッチ!」

 

「お前の前でそんな甘いことばっか言ってたりはしてなかったはずだろ!」

 

「ふっふっふ、甘ちゃんと他人に言われる人は、大抵グレートな人なのよ?」

 

 諏訪の人達はいつでも、"他人に甘いウルトラマン"を愛し、受け入れてくれる。

 過去に何をしたかなんて関係ない。

 今ここにいる、人を守るために頑張れるウルトラマンを、諏訪の人達は見てくれていた。

 

 

 

 

 

 諏訪の勇者がそうであるように、諏訪の巫女もそうであった。

 畑仕事を終えた竜胆が、歌野がした話をすると、話を聞いていた水都がくすくすと笑う。

 竜胆と水都は机の上に並べた本をペラペラとめくりながら、言葉を交わしていた。

 水都の膝の上では、牛鬼がくてっとしている。

 

「うたのんらしいなあ」

 

「でもな、嬉しかったんだ。

 俺のこの嬉しさ、あんま伝わってないかもしれないが」

 

「ううん、伝わってるよ。御守さんはその気持ち、ちゃんと顔に出してますから」

 

「そっか」

 

 友奈から一時的に預かっている牛鬼の頭を、水都が撫でる。

 心地良さそうな声を、牛鬼が漏らした。

 

「御守さんが諏訪にいたら、それはそれで楽しそうかな」

 

「農業をひたすらやらされそうだ」

 

「あはは、うたのんですから」

 

 諏訪の二人が丸亀城の仲間に加わってから、未来のことを話す時間が増えた。

 未来のことを考える時間が増えた。

 それはきっと、竜胆にとってはいいことだったのだろう。

 

 竜胆の視線が、水都の膝の上の牛鬼に向けられる。

 なんとも不思議な存在だった。

 普通ではないことをする存在で、まだどこから来たのかすら分かっていない存在で、誰もこの存在がなんであるかを知っていない。

 確かなことは、神樹が牛鬼を認めていることと、竜胆達の味方であることくらいのものだ。

 

「牛鬼……こいつなんなんだろうな」

 

「なんというか、妖怪というより……貴船神社の貴布祢雙紙(きふねぞうし)の牛鬼みたいですね」

 

「きふねぞうし?」

 

「貴船神社の秘伝の書です。

 昔は見れる人間が限られた、秘密の書だったとか。

 ……あ、海を隔てた四国より、諏訪の方が地続きの分話が伝わりやすかったのかな」

 

 でも貴船神社は京都だから四国の方が近いのかな? なんて色々と考える水都だが、余計な思考は脇に置いておいて、話を続ける。

 

「昔、昔。

 貴船明神が全ての人を救うために、天上からこの世界に降りてきました。

 そのお供をしたのが『仏国童子』……『牛鬼』だったのだそうです。

 ところがこの牛鬼、饒舌で自分勝手なもので、神に見放され追放されてしまったのだとか」

 

「それは……なんというか、妖怪の牛鬼とは、全然違うんだな」

 

「天から地上に来た。

 神に仕えていたが、見放され、追放された。

 天から来たけれども、一時は鬼を従え天と神に反抗していた。

 それが貴船神社の伝承における牛鬼なんです。

 この牛鬼は、妖怪の牛鬼のような恐ろしいものより、それに近いかなって」

 

「まあ、なんというか、イメージ的にはそっちの方が近そうだが……」

 

 沢山本を抱えたひなたが、そこにやって来る。

 

「そういう意味では、友奈さんに一番に懐いているのも、納得かもしれませんね」

 

「ひーちゃん」

 

「友奈さんの武器は、『天ノ逆手』ですから」

 

 高嶋友奈が神より授かった武器は、唯一神話において()()()()()()()()

 天の神に地の神が負け、事代主がタケミカヅチに国譲りを迫られた時、打った特殊な手打ちであったと言われるものだ。

 

「御守さんは、前に私が天ノ逆手に関してした説明を覚えていますか?」

 

「……メモした内容はまだ大事に取ってある」

 

「……忘れちゃったんですね。

 御守さんらしいです。水都さんも居ますし、少しおさらいをしておきましょうか」

 

 天の逆手。

 これは国を奪われた大国主の息子・事代主が打ったものであるため、一部の書籍では"天を呪う所作である"と書かれることもある。

 が、実際に神話でそういう意味で使われたかというと、そうでもない。

 なので例えば、2010年発行の『古事記と日本書紀』では「この行為は呪詛ともいわれるが、はっきりしない」とすぱっと切り込んでいたりする。

 この辺に疑問符を打つ書籍は、結構多いのだ。

 

 ならば何故、天の逆手が呪詛の行為として認識されたのか。

 これは平安初期に成立した歌物語『伊勢物語』の九十六段で、他者を呪う行為として、『天の逆手を打つ』という言い回しが使われたからである。

 これが転じて、事代主が打った天の逆手に呪いの意味が付随し、事代主が天を呪った……という解釈が生まれたというわけだ。

 

 ところがこの『天の逆手は呪いである』説、現代でこそ論じられることはほとんどないが、江戸時代の論争に関する書籍を紐解くと、当時ですら色々と言われた記録が残っている。

 

 例えば1790年発行の『古事記伝』の十四巻で国学者・本居宣長は、「逆手は吉兆両方の意味で打つものである」と主張している。

 橘守部は『鐘のひびき』で「いや逆手(さかて)栄手(さかて)の意だよ文脈から見てわかんねーのか」と煽り。

 伊勢貞丈は子孫への案内書『貞丈雑記』にて、1763年に「天の逆手に呪いの意味を持たせたのは伊勢物語が本文に合わせて勝手に創作しただけだろ」とぶっちゃけている。

 

 友奈の手に宿っているのは、"そういうもの"だ。

 

 呪いでもあり、祝いでもあり。

 闇と言うことも、光と言うこともできる。

 人へ向けられた呪いの伝承が、天へ向けられた呪いであると解釈されたもの。

 なればこそ、使い手である友奈次第で、『どんな意味の逆手にもできる』。

 他者を殴る拳にも、他人に差し伸べられる手の平にもなる。

 神はその『手』を、友奈に託した。

 

 勇者の武器の中で唯一、天への反逆の意を込められた武器というものは、神に逆らい追放され鬼を率いてヤンチャしていた『牛鬼』という存在と、神話的に相性が良いのかもしれない。

 

「ひーちゃんの爪の垢でも煎じて飲めば俺の頭もマシになるかね……あ、これセクハラになる?」

 

「なりませんよ、もう」

 

 ひなたが分かりやすくまとめた神話の情報のおさらいに、水都はひなたの分かりやすい語り口への感心と、知識豊富な彼女への尊敬の両方の感情を覚えた。

 竜胆もまた、おさらいで知識を再定着させる。

 ひなたが神話に関する勉強をしたのは、若葉達のためだ。

 精霊をよりよく定着させるためだ。

 彼女が分かりやすくまとめた神話のお話は、勇者の精霊の定着率をぐんと上げている。

 

 そんなひなたを見る水都の目に、尊敬の念がこもるのは当然のことだった。

 

(ひなたさん、凄いなぁ……

 まだ全部の勇者とウルトラマンとの絡みを見たわけじゃないけど……

 皆がひなたさんを信頼してるのがよく分かる。

 私みたいにうたのんに頼りきりになってる関係じゃない。

 ひなたさんは巫女として、皆と対等で、助け合う関係を作ってる人なんだ……)

 

 水都は何もできないタイプの巫女だ。

 運動、勉強、特筆して何もできない。

 何もできない自分を恥じ、自分を嫌い、ひなたのような巫女に憧れ、尊敬する。

 が、水都は何もできないなりに頑張っていて、無力であっても人を助けようとする。

 彼女は徹底した弱者であり、彼女が振り絞る"弱者の勇気"が、周りの皆を強くするタイプ。

 

 対しひなたは、自分にできることをして、目に見える形で勇者達を支え、分かりやすく勇者達を助けている。

 神話を噛み砕いて解説し、精霊と勇者の親和性を引き上げたり、常に彼らが帰る場所を守り続けることなどがそうだ。

 そして何より、精神の安定度が水都とは段違いである。

 常に「あらあら」と言って微笑んでいそうな雰囲気がある。

 上里ひなたは、藤森水都の理想の巫女のイメージに、結構近い人なのであった。

 

「また髪伸びてきたみたいですね。切りましょうか?」

 

「うん、近い内に頼む。ひーちゃんの手付きは優しくてうっかり寝そうなくらいなんだよな」

 

「ふふふ。褒めても何も出ませんよ」

 

 良い信頼関係があるんだな、と、水都は思う。

 

「その代わりと言ってはなんですが、若葉ちゃんの新しい写真何か撮れませんか?

 できれば私では絶対に取れない、御守さんにだけ見せる表情がいいんですけど……」

 

「ひーちゃんならともかく、俺だとな……

 若葉も変に恥ずかしがるというか……女の子らしい反応で反撃してくるというか……」

 

「ああ、若葉ちゃん、男の子にそんな反応する若葉ちゃんも愛らしいです……!」

 

「ひーちゃんは若葉の話になると本当無敵の人だわ、うん」

 

「そんなに褒めないでください。照れちゃいます」

 

 良い信頼関係って言って良いのかな……? と、水都は思った。

 

「あ、ちょっと失礼します」

 

「あ、こっちもだ。ごめんなさい」

 

 その時、ひなたと水都のスマホのLINEに、一報が入った。

 二人はスマホの画面を操作し、ひなたは若葉の、水都は歌野のメッセージを見る。

 

『竜胆と子作りをすることになって―――』

 

 ひなたの心臓が一瞬止まった。

 

『竜胆さんと子作りをすることになって―――』

 

 水都の心臓が一瞬止まった。

 

「「 なっんですっかねえッこれッ!? 」」

 

「ええええっ!?」

 

 二人の巫女が我も忘れて竜胆に跳びかかり、掴みかかる。

 危うく三人まとめて転びそうになったが、竜胆が抱きとめ、三人分の体重を支えてなんとか事なきを得た。

 

「御守さんも! 若葉ちゃんも! そういうこと私に隠さない人だと思っていたのに!」

 

「確かにそうかもしれないけど俺達にどういうイメージ持ってんだお前!」

 

「なんで私に断りもなしにそういうことするんですか!?」

 

「落ち着け!」

 

 お前に許可取れば良いのかよ、と竜胆は思ったが、どういう返答が返って来ても凄く怖いことになりそうだったので、口にはしなかった。

 

「あの、あの、うたのんは私の唯一の友達で……

 ……他に親しい人なんていなくて……幸せにするのはいいけど、取らないで……」

 

「ああ、大丈夫、大丈夫、みーちゃん達の仲が疎遠になるとか天地が逆転してもないって」

 

「……私、私みたいなのは、まともに友達も作れなくて。だから、だから……」

 

「落ち着け。それと自分に自信を持て、な?」

 

 水都は歌野が自分の近くに"いてくれている"と思っていて、歌野が自分の物だとも思っていないし、自分が歌野の友達に相応しいとすら思っていないが、歌野が自分と少しでも疎遠になりそうなことは恐れてしまう。そんな子だった。

 

「待て、待て、落ち着け。

 俺は何も知らない。

 ノットギルティ、ノットギルティだ」

 

「ノットギルティ……?」

「ノットギルティ……?」

 

「確かに俺は女心が分かってないとか女の子の考えてることが分かってないとか言われるが……」

 

「ギルティ」

「ギルティ」

 

「流石にここまで何も察せてないなんてことはない!

 俺の察しが悪くて俺だけ何も気付いてないってことないから!

 俺が気付いてないだけで進行してた案件ってことはまずないからな!」

 

 その時、ひなたと水都のスマホが振動する。新しいメッセージが届いたようだ。

 

『すまないひなた、打ち間違い、消し間違いだ。今のやつは"お菓子作り"の間違いだな』

 

 すっ、とひなたの表情から混乱と興奮と憤怒が消える。

 

『ソーリィ、変なとこ消したまま送信しちゃってたわ。今のは"案山子(かかし)作り"の間違いね』

 

 すっ、と水都の表情から困惑と恐怖と絶望が消えた。

 

「勘違いでよかったですね、御守さん」

 

「ご、ごめんなさい、御守さん……」

 

「……いや、いいよ、いいけどさ」

 

 スマホの向こう側で"しまったしまった"と頭を掻いてそうな若葉と歌野の表情を想像し、空を見上げ、思いっきり息を吸い、長いセリフを一息に吐き出した。

 

「機械に堪能なイメージは確かに若葉にも歌野にもねえよ!

 でもこんなミラクル十年に一度も無いってレベルだよ!

 なんでこんな余計なとこで強敵を打ち倒すに等しいミラクル起こしてんだよ!」

 

「ごもっともです」

「た、確かに……」

 

 はぁ、と溜め息一つ。

 必要な資料と本は、三人が持ち寄ったことで今、ここに揃った。

 ぼちぼち余計なことを話していないで、本題を進めなければならない。

 

「そろそろ本題に入ろう」

 

 二人の巫女が姿勢を正す。

 

「俺と歌野が四国防衛。

 友奈が北海道援軍。

 杏が沖縄援軍。

 それぞれに動くことの是非と、そうするならどう動くか、という話について」

 

 竜胆達は、"次の作戦"に向けての準備を始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 諏訪の救出は終わった。

 さて次は北海道、沖縄、いきたいところであったが。

 そこでひなたと水都に、神樹の神々からのお告げがあった。

 

「北海道と沖縄の結界は既に崩壊した」

「現在、両地域からの避難民がこちらに向かっている」

「彼らを救出せよ」

 

 との、神託である。

 驚かなかった者はいなかった。

 北海道と沖縄の生き残りが全滅すれば、今度こそ本当に四国以外の人類は全滅だ。

 

 救援に行くのはいいが、また敵地を突っ切ることを考えれば、リスクはあまりにも大きい。

 しかも現在、若葉と千景は諏訪救出戦の反動が肉体に来てしまったせいで、すぐには出撃できない状態だ。

 動かせるのは竜胆・友奈・杏・歌野のみ。

 その歌野も、四国勇者システムを歌野の体に合わせて調節しないといけないことを考えれば、四国から離れた場所に行かせたくはない。

 

 そういうわけで、ティガと歌野を四国防衛に、友奈を北海道脱出組の救援に、杏を沖縄脱出組の救援に送ることとなった。

 神樹曰く、「この救援で敵が待ち伏せていたりすることはない」とのこと。

 それに加えて「間に合うかは分からない」とのこと。

 つまりタイミングによっては、全滅した避難民達の死体を見に行くだけに終わるかもしれない、ということだ。

 

 友奈と杏の安全は確保されている……とは言うが、念には念を。

 四国で竜胆が待機していれば、状況への対応力に幅が出る。

 友奈か杏に、何かがあったとする。

 友奈か杏が、スマホで四国に連絡を入れる。

 竜胆がティガに変身し、数十秒で駆けつける……そういう事が可能なのだ。

 ある程度の距離まで来てくれれば、竜胆が旋刃盤に皆を乗せて回収、という諏訪の人々に対して使った手段だって使えるだろう。

 

 一切旋回や消耗を考えないティガブラストの直線全力飛行がマッハ30弱。秒速10km。

 四国から北海道北東端まで直線距離で1400km。

 北海道南端までなら1000kmもない。

 ティガ活動時間180秒の内、100秒から140秒を使えばすぐに行ける、ということだ。

 

 逆に沖縄なら、四国から那覇まで850km。

 85秒しか使わないので、往復で170秒、ティガの力なら無理をすれば沖縄の生き残りを乗せて往復することも不可能ではない。

 

 が。

 リスクは大きい。

 四国の防衛戦力をこんなに分散し、一日一回しか変身できない竜胆を贅沢に使う作戦を立てるなど、四国を守るという観点から見れば論外と言っていいレベルの愚策だ。

 それでも助けに行くことが決まったのは、神託の中の一節が無視できなかったからである。

 

「闇薙の剣は回収された。残るものは北海道の勇者が一つ、沖縄の勇者が一つ持つ」

「三千万年越しに、今こそ三つを一つの場所に」

「ティガの下に」

 

 闇薙の剣と同じ格の扱いのものが、あと二つ。

 ならば見逃せるわけがない。

 ただでさえ、今の四国は半ば詰んでいるのだ。

 ゼットが傷を癒やして戻って来たなら、その時点で詰む。

 ならば多少の危険は承知の上で、北海道と沖縄の秘宝を回収しなければならない。

 

 勇者の数を増やし、秘宝がもたらす何らかの強化を得られれば、もしかしたら奇跡のように勝機を掴み取れるかもしれない。

 マリンスペシウムといい、今は小さな勝利の可能性を積み上げていくしかないのだ。

 あとは、決戦の時が来た瞬間に、巨人と勇者が勝利を掴み取れるかどうか、である。

 

 その瞬間の勝利の可能性を上げるため、今は皆が危険な領域に足を踏み入れるべきなのだ。

 

 

 

 

 

 友奈と杏の出立の日、竜胆は牛鬼に頼み込んでいた。

 

「なあ、お前も友奈か杏について行ってくれよ。

 焼け石に水かもしれないけど、一体分の戦力があるのとないのとじゃ全然違うだろ」

 

「もきゅ」

 

「……話聞く気がねーなお前」

 

「きゅ」

 

 よく分からない生物だが、牛鬼が友奈に好意的なのも、一定の戦闘能力(?)を持っていることもまた事実である。

 友奈達にできればついて行ってもらいたいところなのだが、そうそう上手い話はないらしい。

 この気まぐれさがあるから、牛鬼を戦力として数えられないのだ。

 

「ビーフジャーキーやるからさ、な?」

 

「もっきゅ」

 

 竜胆がちょっと高そうなビーフジャーキーを、一袋開け、牛鬼の前に置く。

 牛鬼はもそもそとビーフジャーキーを食べ始めたが、竜胆の言うことを聞いてくれそうな気配はまるでない。

 言葉なくとも、やる気の無さがひしひしと伝わってきた。

 

「……駄目か。悪かったな、無茶言って」

 

 竜胆は牛鬼の頭を優しく一撫でして、杏と友奈の見送りに向かう。

 

 バーテックスの支配地域において、ヘリや船は使えない。

 使えばバーテックスに群がられて戦闘と消耗が頻発してしまう、というのが大社の見解だ。

 なので四国外での移動は、陸路を超人的な体力で走ることが基本である。

 が。

 それで沖縄まで行けというのは、無理にもほどがあるというものだ。

 

 友奈と杏は今日出発するが、巫女達の尽力により神託の授受をギリギリまで粘ることで、ギリギリまで情報を集めることができた。

 神樹曰く、沖縄の人間達は船で続々脱出するとのこと。

 それなら、四国の方から船を出す必要はない。

 杏だけ応援に出して、合流してもらえばいい。

 その後は船で四国に直行してもいいし、船を捨てて陸路をこっそり四国まで戻ってきてもいい。

 

 友奈の場合は青森まで行って、青函トンネルを通って北海道まで徒歩で行くルートだ。

 いずれにせよ、友奈も杏も、避難している最中の人達を見つけなければ話にならない。

 

 本州の北端と南端まで行くだけなら、勇者の脚力なら一日で終わる。

 問題はどのくらいの時間で、避難民達を見つけられるか。

 見つけた後、避難する人間達をどのくらいの時間で四国まで連れていけるか。

 安全と時間の勝負になるだろう。

 いざとなればティガが回収に行くか行かないかの判断も迫られるだろうし、臨機応変な対応が求められる。

 

 走力に勝る友奈が北海道の側にあてられ、いざとなれば島と島・本州と島・船と陸地の間にある海水を凍らせて橋に出来る杏が沖縄の側にあてられた。

 大侵攻という最大の綱渡りは終わったものの、各々が全力を尽くす綱渡りは、未だ継続して続いている。

 

「友奈、杏、準備は出来たか?」

 

「バッチリ! いつでもばっちこい、って感じだね!」

 

「うん、大丈夫。ただ、いくら準備をしても、どう転がるかが分からないのが不安かな」

 

 友奈は元気に、杏は少し不安そうに返答する。

 暗い空気が嫌いで、内心怖くても元気な自分を演じる友奈。

 臆病で、慎重で、怖がりながらも、怖がる自分を無理して隠さずとも戦える杏。

 二人の返答の違いは、表向きの性格の違いだろう。

 が、不安を抱いていることに変わりはなく。

 

 不安を抱いている二人に、竜胆は地面に還るプラスチックで出来た箱に、輪ゴムで割り箸を留めたものを、手渡した。

 

「ほれ」

 

「? リュウくん、なにこれ?」

 

「二人に弁当。

 形見分けでケンの料理の本とか結構貰ってさ。

 実はこそこそ影で色々練習してたんだ。まあ独学なんだが」

 

「「 ! 」」

 

「流石にうどんは入れられなかったが、普通の出来にはなったと思うから。道中食べてくれ」

 

 ケンの死が五月。

 今が七月。

 強くなるため、戦いに勝つため、時間の多くを割いてきた竜胆は、レシピをなぞるようにして料理を作って、特筆するほど美味しいわけでもない料理を作るのに、二ヶ月もかかってしまった。

 集中力もあって努力も苦にしない彼らしくもない。

 牛歩のような成長だった。

 

 友奈と杏は、弁当箱をちょっと開けて中身を見てみる。

 不揃いな野菜。微妙な色合いの唐揚げ。

 "少し教えたら何でもこなしてしまう天才"のイメージと、"何教えても覚えない頭の悪い少年"の二つのイメージがあった二人は、思わず吹き出してしまう。

 格闘と比べたら、あまりにも才能がなくて。

 けれども、頑張った跡は確かに見えて。

 

 しかも白米の上に海苔で可愛らしい友奈の顔、杏の顔がデザインされていた上、「がんばれ!」の文字まで海苔で書かれていたものだから、友奈と杏はほんわかした気分になってしまう。

 

「リュウくんはかわいいなあ」

 

「!? いや待て、その感想はおかしくねえか!」

 

「りっくん先輩は可愛いなあ」

 

「おい……おい!」

 

「だって……ねえ? アンちゃん」

「ですよね、友奈さん」

 

「いや、おかしいだろ!

 ケンだって弁当はこんな感じに作ってたし!

 父さんだって母さんだって弁当はこういう風に作ってた!

 弁当の中身自体にそんなこと言われる理由はないはずだ!」

 

「ねー」

「ねー」

 

「おいコラ!」

 

 友奈も杏も、思わず笑顔になってしまう。

 "周りの男の子"からではなく、"周りの大人"から『どう在るべきか』を学んできた竜胆は、ところどころが普通の男の子からズレていて、それがなんだかおかしかった。

 男の子が女の子に初めて作るお弁当の中身としては、この弁当は少し可愛らしすぎた。

 

「帰ったら皆で料理とかしようよ。きっと楽しいよ?

 リュウくん一人で作ってるよりも、ずっとね。たぶん!」

 

「あ、いいですね、それ! 皆でお食事会とかしたら、もっと素敵になりそうです」

 

「……分かった、分かった、帰ったらな。

 でもその時は、俺の弁当で笑った理由、教えてくれよ」

 

「うん。その約束守るため、ちゃんと無事に帰ってくるね」

 

「ですね。まずは無事に帰って来ること。私も、友奈さんも」

 

 竜胆はスマホを取り出し、二人に見せる。

 

「危なくなったらすぐに連絡しろよ。

 杏も、友奈も、俺にとっちゃ何よりも大事な、かけがえのない人だ。

 何にも優先して、全速力で飛んで行って必ず助ける。だから、必ず連絡しろ」

 

 頷く少女二人。

 連絡すれば最速で来てくれるということを、二人は疑いもしていない。

 

「うん。信じてる」

 

 まず、杏が結界の外に出て行った。

 続いて友奈も結界の外に出て……行く前に、竜胆の耳元に口を寄せ、囁くように言う。

 

「リュウくんがピンチの時は、絶対に私が駆けつける。絶対、絶対にだよ」

 

 四国の外で友奈がピンチになったら竜胆が助けに行く、という話だけでなく、四国で竜胆がピンチになったら、友奈が助けに来るなんて話もし始めて。

 

「私が泣いてると、一緒に泣いてくれる友達なんて、あんまりいないもんねっ」

 

 そんなことを言い捨てて、にこやかに笑って、友奈は結界の外に出て行った。

 

「……一緒にちゃんと泣いたことがあるのが、俺だけだっただけで。

 そういう友達はお前の周りにいっぱい居ると思うぞ、友奈。まったく」

 

 友奈はあんまりいないと言い、竜胆はいっぱいいると言った。

 

 そんな関係。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友奈、杏が出立してから戻って来るまでの間に、八月に入った。

 元より、最短でも数日という話であったが、流石に数日も会っていないと、竜胆の胸の内に心配する気持ちが湧いてくる。

 

 友奈達の連絡は、大社が受け取っている。

 丸亀城の仲間同士で連絡し合うと、余計な心配や余計な影響を与え合ったり、長電話をして充電もできないのにスマホの電力を過剰に消耗してしまう可能性があるから、という話だった。

 まあ一理はある。

 竜胆達は友奈達の現状を知らないまま、友奈達の遠隔サポートを、大社に任せていた。

 

 三好圭吾。

 彼が大社に居る以上、"そういうペテン"はないと竜胆は信じられるのだ。

 生前、三好圭吾が正樹圭吾だった頃、三ノ輪大地と話していた内容も、竜胆は覚えている。

 アグルが死んだ後の三好圭吾の言動も、竜胆は覚えている。

 そして、大地の妻と、竜胆の間で結ばれた、"子供に大地のことを竜胆の口から教える"という、あの約束。

 

 あの約束がある限り、三好は竜胆をあらゆる意味で裏切らない。

 三好が三ノ輪に対する友情を失わない限り、三好は竜胆を裏切らない。

 竜胆の中に、そんな確信があった。

 

「あ、また負けちった」

 

 汗を流す鍛錬を一通りこなした後、夜に千景の部屋に集まり、竜胆・若葉・千景での対戦ゲーム大会が開かれていた。

 笑えるくらいの千景無双。

 竜胆と若葉が組まなければ到底千景には敵わない。

 

 なのに、何故か千景は若葉と竜胆がチームを組むことを許さない。

 竜胆と若葉が組んで、二人で息を合わせて自分に立ち向かってくるというシチュエーションを、何故か断固として許さない。

 なので一対一対一のまま、千景がひたすら勝ち続ける感じになっていた。

 

「俺が見送りに行く前に皆見送り済ませていなくなってたとか、寂しかったんだよなあの時」

 

「なんだ、そんなことで寂しさを感じるのか? 情けない。

 日本男児たるもの、その程度のことで揺らがない鋼鉄の心が要される。

 私の祖母など、乃木の家に迎える婿の選定基準が特に厳しいことで有名で……」

 

「乃木さん、自分語りの類とか、そういうのいいから。

 でも、そうね。

 私ももうちょっと見送りに残ってれば、もう少し長く話せたかしら……」

 

「ちーちゃんには何か話したいことあったのか?」

 

「え?」

 

「え?」

 

「話したいことがなくても、話したいって思うものじゃないの?

 何か話したいことがあるから話しかける、って決められてるわけでもないし。

 話してるだけで楽しい人なら、何話しても楽しいじゃない。高嶋さんとも、竜胆君とも」

 

「……確かに、そりゃそうだ。

 よし、今晩は一晩中だって付き合うぞ。

 存分に話しかけてこい。存分に話し相手になってやる。

 今日は友奈が居ない分、二倍増量でお相手してやるぜ、ちーちゃん」

 

「ふふっ、ゲームの相手と話し相手、それでもう十分に二人分よ。でも、ありがとう」

 

「……」

 

「……乃木さん? その表情は何? 黙ってないで何か言ったらどう?」

 

「ん、いや、そうだな。

 変な間違いが起こらないよう、私も付き合って二人を見守ろう」

 

「……起こるわけないでしょ」

 

 千景は継続して圧倒的だったが、反射神経と体力で勝る二人は時間経過で徐々に有利になっていき、ゲームに慣れてきた二人と眠くなってきた千景が互角になってきた頃には、三人の内の誰かが代わる代わるうとうとするようになってしまっていた。

 訓練疲れもあり、その内三人揃って寝落ち。

 翌朝早朝、真っ先に起きた竜胆は、周囲の惨状を見て眉を顰めた。

 

「うっ……いかん、いつの間に寝てたんだ、俺は」

 

 とりあえず、まずは自分の目を手で覆って視界を半分ほど塞ぎながら、ゲームの途中で寝落ちしたことでR16くらいの格好になっている二人の服やらスカートやらを整える。

 続き、しまいっぱなしの布団を敷く。

 千景を、細いガラス細工でも扱うように丁寧に抱え、ベッドに寝かせる。

 若葉を、細い花を扱うように丁寧に抱え、布団に寝かせる。

 風邪を引かないように二人のお腹あたりにシーツを掛けて、開けっ放しだった窓を少し閉め、朝の気温に合わせた風通しにする。

 

 ゲームの電源を切り、ゲームをしまい、部屋を片付け、軽く箒とちりとりで綺麗にする。

 ゴミ箱のゴミ袋を取り出し、新しいゴミ袋をゴミ箱に詰め、取り出したゴミ袋は口を縛って外に出しておく。

 水の入ったペットボトルを千景と若葉の枕元に一本ずつ置き、竜胆は部屋の外に出て、千景の部屋産のゴミ袋をゴミ出しに行った。

 

 誰に言われるでもなく、自ら望んでやっていく。

 細かなところに、仲間への確かな愛が感じられる行動の数々であった。

 

「……?」

 

 そして、その途中で見てしまう。

 

「……やべえ、寝ぼけてるな」

 

 

 

 丸亀城前で泣きそうな顔でうずくまっている、『身長40mの藤森水都』を。

 

 

 

「ん? んんん? 夢じゃない? 現実? ウッソだろ……」

 

 竜胆は常人離れした速度の脚力で駆け、水都に駆け寄る。

 泣きそうな顔をしていた水都が、頼りになる人を見つけたと言わんばかりに、その表情を明るくさせた。

 

「みーちゃん! おいどうした!」

 

「み、御守さん! 分かんないです、朝起きたらこうなってて……」

 

「せ、成長期……」

 

「ジョーク飛ばしてる場合ですか!?」

 

「す、すまん。ジョーク飛ばしたつもりはなかったんだが。

 ……常識的に考えたら、天地どっちかの神か、バーテックスが原因だろうが……」

 

 妥当な思考である。

 竜胆は木を蹴って、反対側の家の壁を蹴って、また別の建物を蹴って跳び、相対的に六階建ての建物程度の高さの塀の上まで軽快に跳び上がる。

 そこから遠くまで見渡してみるが、結界内に異常はなかった。

 結界自体にも揺らぎは見えない。

 

 ただ、早朝とはいえ街に人は皆無ではないようで、水都を見た人達が徐々に街にざわめきを生み出していた。

 

(樹海化の気配も無いな……)

 

 しからば、結界内に怪獣はいない。

 いや、シビトゾイガーはいるのだろうが、神樹が感知している範囲ではバーテックスは一体も居ないということだ。

 

「どうしよう、どうしたら……」

 

「みーちゃん、立ち上がるな。あと歩き回るのも駄目」

 

「で、でも!」

 

「パンツ見えてるぞ」

 

「―――!?」

 

「服も一緒に巨大化してるのは不幸中の幸いか……」

 

 竜胆と水都の顔色が、一気に変わった。

 バーテックスの企みにより――シビトゾイガーの企みのいくつかよりも遥かに大きく――竜胆の心が揺らされてしまった瞬間であった。

 

「……大丈夫、平常心、平常心、俺ももう高校生相当の年齢、女子のパンツごときで……」

 

「……見ました?」

 

「やめろ、思い出させるな。思考が乱れる」

 

「……うわぁーん、見られたぁー!」

 

「巨大化云々で動揺してるのは分かるが落ち着け!

 まずは落ち着け! パンツ隠して……って、違う、まずは俺が落ち着けっ……!」

 

 『巨大フジモリ』という超弩級のインパクト。

 竜胆の精神に叩き込まれた予想外のショック。

 水都の女の子メンタルに響いた結構なダメージ。

 竜胆は呼吸を整え、呼吸がもたらす精神安定作用にて平常心を取り戻す。

 

(若葉とちーちゃんは……

 医者はある程度大丈夫だって言ってたが、あまり出したくないな。

 歌野は万全だ。

 早起き農家だし、みーちゃんがこうなってる以上、もうこっちに向かってるはず。

 俺は? 三分をどこで使うかだな。

 とりあえず変身を温存して、仲間に連絡入れて、仲間と連携しながら結界外を調査しよう)

 

 竜胆は水都をなだめつつ、最適解を考えていく。

 

(だが、なんだ?)

 

 水都が巨大化しただけでも驚きだ。

 ここからどう転がるか全く読めない。

 竜胆の胸中に一抹の不安と……よく分からない違和感が芽生える。

 どこか。

 何か。

 巨大化した水都とは別のところに、何か嫌なものを感じる。

 常人では気付けず、竜胆程度に化物ならうっすらと何かを察し、けれど竜胆程度の"外れ具合"では明確に知覚できない『それ』。

 

(なんか、気持ち悪い)

 

 それは、闇に敏感な竜胆の感覚をすり抜ける、微細な光の感覚。

 

 

 

 

 

 何か、不可視のものが四国結界を通り抜けて、四国の中へと染み込んできていた。

 

 四国結界は優秀だ。

 それは土着の神、国津神、そして神樹の中に還っていった数々のウルトラマンの全ての力が合わさって作り上げられた、多重多層防御結界。

 たとえ世界を焼き尽くす炎が放たれたとしても、世界を塗り替えるような大偉業が成されたとしても、この結界の内側に変化はない。

 

 だというのに、その何かは、結界を越えてきた。

 

 それは結界にその威力の99%以上を削がれ、1%以下のエネルギーと影響力にて、四国内部に浸透していく。

 四国結界が急場しのぎに強まる。

 それでも、0.5%程度は通ってしまう。

 

 貫通したそれは、『電磁波』だった。

 

 異常なまでの出力だが、結界を越えられた理由はそれだけではない。

 その電磁波には、"次元を超える"という特性があった。

 なればこそ、空間と時間を操作して人間を守る四国結界のシステムとは、相性が悪い。

 時間を止める樹海化は事実上、強大なだけのエネルギーを概念的にシャットアウトできる究極の守りであるが、ブルトンの例を見れば分かるように、時空や次元を操る能力を前にすれば、ただの力比べになってしまう。

 

 結界の壁を越えた電磁波は、キラキラと邪悪に輝いていた。

 

 光も電波も同じく電磁波。なればこそそれは、光り輝く電波のようなものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 元自衛隊の武装船団が、丸亀城前の海域に現れる。

 嫌な予感がした竜胆が、ブラックスパークレンスを懐から抜く。

 

 武装船団の砲塔が、一斉に水都の方を向く。

 瞬間的に、竜胆が時計回りに腕を回して、高速でブラックスパークレンスを掲げる。

 

 元自衛隊の武装船団が、一斉に砲火を放つ。狙いは水都。

 瞬時に、最短最速で変身したティガが、自衛隊の砲火の全てを体で受け止めた。

 身体強度が低下しがちなティガダークの体に、痛みが走る。

 

 人を守るためだけに作られた自衛隊の兵器が、人を守るために自衛隊に入った人達の敵意が、体が大きくなっただけの無力な少女に、その火力を向けていた。

 

『……おい。何してる!』

 

 繰り返される海上自衛隊の砲撃から、ティガが体を張って水都を守る。

 ティガの体に弾かれた砲弾の欠片が、水都の頬をピッと切り裂き、その頬に切り傷を付けてしまっていた。

 

「ひっ、ひぃっ、きゃっ!?」

 

『ぐっ……!』

 

 そして同時刻。

 四国の多くの場所で、ティガと水都に向けて、殺意を向ける人達が現れていた。

 

「殺せ!」

「殺せ!」

「殺せ! まとめてだ!」

 

 それだけでない。

 街のいたるところで口喧嘩を始める人達が現れ、その人達が殴り合いを始め、一部の人間は殺し合いまで始めようとしているのだ。

 ただ、目の前の人間を傷付ける。

 ただ、目の前の人間を攻撃する。

 目障りな人間を排除する。

 不快な人間を排除しようとする。

 人間の本能の中にある、凶暴性という名の獣に従って。

 

「殺す!」

「殺してやる!」

「死ね!」

「くたばれ!」

 

『な……なんだ!? 何が起こってる!?』

 

 竜胆は海上自衛隊の攻撃から水都を守りながら、四国の人々の殺し合いを止めようとするが、そこで今度は水都が街を破壊し始めた。

 水都の巨大化した腕が、その体重を活かし、街のビルを破壊する。

 

『!? バカ、何してる!』

 

「か、体が勝手に!」

 

 そして、街を破壊した水都に対し、街の人々の怒りと憎悪が噴出する。

 

「街を壊したぞ!」

「殺せ!」

「あいつも結界の外の化物の仲間なんだ!」

「大きいぞ!」

「ずっと人間のふりをしてたんだ!」

 

 その手に包丁、金属バット、多種多様な様々な武器、人によっては『人間の肌にかけてはいけない危険な薬剤』を持った者までもが、水都を狙って走ってくる。

 一人一人が、水都への明確な殺意を持っていた。

 全員が、水都を殺したくてたまらないという顔をしていた。

 

 その様相は、まるで水都という蝶に群れでたかろうとするアリのようだ。

 彼らは体のサイズ差をまるで気にせず、水都に対する攻撃衝動に突き動かされ、水都を殺害せんとしている。

 普通の女の子よりも"こういうもの"に弱い水都は、青ざめた顔で後ずさった。

 

『これ一体、何が起こって……うっ』

 

 ティガの手が空を走る。

 その手は海上自衛隊の砲撃から水都を守り、民衆を足止めし水都を守る光弾を放ち―――水都の首を、刎ねようとした。

 

「え?」

 

 水都の首を刎ねようとした右腕を、ティガは咄嗟に左腕で切り飛ばす。

 それでなんとか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『―――今の、は、ヤバかった』

 

「み、御守さん……?」

 

『悪い。お前を守ってやりたいが……』

 

 何かが笑っている。

 結界の外で笑っている。

 遠く離れた場所から笑っている。

 "それ"は笑って、民衆や自衛隊やティガの体を、最悪な方向に操っていた。

 

『俺がみーちゃんを殺す可能性、0じゃない』

 

 電磁波を通して皆に叩き込まれた指令は、ただ一つ。

 

 "近くの物から順に、大切な物から順に、全てを破壊せよ"であった。

 

 

 




 四国には元自衛隊の武装船団が残っていて、国も自衛隊もなくなった今になっても、勇者に守護者の座を取って代わられた今になっても、人類を守るため戦ってくれている……っていうのわゆの設定、どっかでしっかり使いたかったんですよね

【原典とか混じえた解説】

●巨大フジ隊員
 初代ウルトラマンの仲間、科学特捜隊のフジ・アキコ隊員が、メフィラス星人の企みによって巨大化させられてしまったもの。
 「言葉も記憶も全て喪失しロボットのように動かされている」と推察された。
 耐久力は上がっているようだが、戦闘力が特に上がっているというわけでもなく、少し街を破壊したくらいで目立った活躍もないまま元の大きさに戻された。
 要するに、用途は100%特定人物への煽り目的である。
 基本的には、巨大化させた人間の身内に対する精神攻撃くらいにしか使えない。
 巨大フジモリ・ミトの身体強度はさほど引き上げられておらず、流れ弾の小さな破片が肌に当たっただけでも大変なことになりかねない。

 ちなみに初代ウルトラマンでメインヒロイン・フジ隊員を演じた桜井浩子さんの身長は155cm、水都の身長は152cmなので、ガタイの差を度外視すれば『怪獣としての規格』はほぼ同格であると思われる。



●魔王獣
 『あるもの』が宇宙から飛来し、そのエネルギーが地球の六種属性エレメントと結びついた結果生まれた、極めて強力でデタラメな能力を持った怪獣達の総称。
 恐ろしい力を持ち、結びついたエレメントによっては外宇宙の生物を模した大怪獣、宇宙恐竜の強化型、果ては邪神の類すら生み出してしまう。
 守護者としての地球の化身がガイア、アグル。
 邪悪としての地球の化身が魔王獣。

 『あるもの』が宇宙から飛来したその地球には、天にも、地にも、海にも、神がいた。
 古来より続く神の力の混ざった自然が、その地球にはあった。
 魔王獣は、そこから生まれた。

 宇宙の彼方から飛来して、地球に根付き大怪獣と成る、空の星であり邪神たりえる者。
 ゆえに星辰。
 地球を滅ぼす地球の化身。
 『勇者』の物語の最後に立ちはだかるならば、それは『魔王』以外にはありえない。

●光ノ魔王獣 マガエノメナ
・魔神 エノメナ
 光の星辰。
 原作における、『異次元の魔神』。
 三千万年前にこの地球上で倒された、異次元の魔神の残滓が、『ある存在』の影響で怪獣化したもの。
 地球の光のエレメントを捻じ曲げ、心歪める波動として周囲に絶え間なく放散する存在。

 エノメナが放つ紫光を伴う異常な電磁波は、人間の脳内に恐怖ホルモンの一種を作り出す。
 このホルモンは攻撃衝動、殺人衝動を引き起こし、人間は最初は地獄の苦しみを味わうが、やがて発狂した様子で街を破壊し、互いに殺し合うようになる。
 そして人間の脳のあらゆる部分が破壊される、と原作において説明された。
 この醜い光景が、エノメナを楽しませる最高の娯楽。
 マガエノメナにもこの習性は受け継がれている。

 しかもこの電磁波は、()()()()()()()()()()というありえないほどに強力なもの。
 エノメナは電磁波を撒くだけ撒いて、敵が来るとさっさと異次元に逃げる。
 撒いた電磁波は放置していても広がる上、エノメナ自身は異次元から醜く殺し合う人間達を眺めていても、何ら問題はないからだ。
 また、雷撃を纏う爪、青色の破壊光弾、瞬間移動能力と、戦闘においても強力な能力が備わっている。
 原作においては
「悪魔」
「魔神は指一本動かさずに……人類を滅ぼすことができる」
 と語られた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

 とじみこコラボで神樹は異世界の神を取り込んでパワー補強してるみたいな話が出て、なんかちょっとウルトラマン取り込んで補強してるうちの作品思い出したり。
 新作のドラマCDで芽吹の部屋は防人達のたまり場になってるという話が出て、これ絶対同じ境遇で話が合うから竜児と頻繁に飲みに行ったり相談しあってるやつだ、と思ったり。
 最近の新情報は楽しいですねえ……

 RPGで言うところの『ラスボス皇帝の前に主人公に立ちはだかる四天王』くらいのパートに入りました。
 ソシャゲのゆゆゆいで棗&水都のハッピーバースデーイベントが始まりましたね。いえ、だからどうっていう話ではないんですが。
 『オール・エンド・スタート』は最後まで読んでいただけると嬉しいです。featの『立花響のラブコール』とかでも同じこと言ってたな自分……


 友奈は北海道から逃げて来た者を見つけた。

 山間の、真っ直ぐ伸びる道の端に、その人を見つけた。

 杏は沖縄から逃げて来た者達を見つけた。

 海沿いの、海岸に並ぶ船の前に、その人達を見つけた。

 

 友奈が見たのは、勇者以外の全員が殺された後の光景だった。

 杏が見たのは、勇者が殺され、けれどそれ以外の全員が生きている光景だった。

 友奈と杏の視界には、無数の星屑が転がっていて、ここで戦闘があったことは明白だった。

 

 北海道の勇者は、全力で戦った。

 死力を尽くした。皆を守ろうとした。

 けれど、自分以外の何も守れなかったのだ。

 

 沖縄の勇者は、全力で戦った。

 死力を尽くした。皆を守った。

 けれど、自分だけは守れなかったのだ。

 

 だから北海道の勇者だけが生き残った光景と、沖縄の勇者だけが死んだ光景が出来た。

 

 北海道の勇者の名は、秋原(あきはら)雪花(せっか)

 沖縄の勇者の名は、古波蔵(こはぐら)(なつめ)

 歌野同様、四国の如く自分達の土地の人々を孤独に守り続けてきた強き勇者達。

 その戦いが、今ここに、終わろうとしていた。

 

 雪花は、守るべきものを全て殺されてしまったから。

 棗は、守るために自分の命を使い切ってしまったから。

 戦って、戦って、群がってきた星屑を全て倒して、力尽きかけた二人は、最後の僅かな攻防で、自分を守るか、人々を守るかの二択を迫られた。

 そして、雪花と棗は、違う選択肢を選んだのだ。

 

「大丈夫!?」

 

「大丈夫ですか!?」

 

 友奈が血まみれの雪花を抱き起こす。

 全身傷だらけで、服には血が染み込んでいた。

 どのくらい頑張って人を守ってきたのか、その体を見ればひと目で分かる。

 他人のためにすり減らしてきた、細く儚い少女の体であった。

 

 その体を、友奈が優しく抱いている。

 雪花は友奈の顔を見ようとするが、見えない。

 短めに切り揃えた茶の髪の前髪が、血でべっとりと眼鏡にはり付いていて、雪花は眼鏡に貼り付いた髪を取り、血を拭って、友奈の顔を見た。

 

「……あー、誰?」

 

「四国の勇者、高嶋友奈! 神樹様に言われて、助けに来たんだよ!」

 

「助け……助け、か。要らなかったなあ」

 

「え?」

 

「私が助けてほしかった人達はさ、そこに死体になって転がってるわけよ」

 

「……あ」

 

「皆が生きてたら、嬉しかったんだけどなあ……でも、ほら、もう、間に合ってないから……」

 

「そんな……」

 

「……結局私は、自分さえよければいいやつなのか。守れないと、やんなるね……」

 

 死屍累々。

 もはや北海道の一般人に生き残りはいない。

 生き残ったのは雪花のみ。

 

 後悔にまみれた雪花とは対照的に、棗はどこか満足そうだった。

 死が怖くないわけがない。

 生きたくないわけがない。

 けれども、守りたかったものは守れた。だからどこか、満足そうだった。

 

「しっかりしてください!」

 

「……あなた、誰?」

 

「伊予島杏と言います。神様からの伝言で、沖縄の皆さんを助けようと……」

 

「……ああ……よかった。私が……命がけで戦ってきたことは……無駄じゃ、なかった……」

 

「そんな、遺言みたいなこと言わないで!」

 

「……みんなを、お願い。

 私が守りたかった人を……お願い。

 安全な場所まで……連れて行って……」

 

 雪花は"この先"を生きる気が、折れてしまっていたから。

 棗は、"もう自分は死ぬ"ことを自覚していたから。

 北海道と沖縄でずっとずっと守られてきた『それ』を、雪花と棗が託された『それ』を、四国の二人の勇者に託す。

 

「私はいいから、この秘宝を、ティガに届けて」

 

「私はいいから、この秘宝を、ティガに届けて」

 

 友奈と杏が二人から受け取った『それ』は、格で言えば若葉の闇薙の剣と、同格と言っていいレベルの力を秘めた神器であった。

 

「―――希望を」

 

「―――希望を」

 

 友奈と杏が、神器を受け取る。

 そしてその手が、雪花と棗の手を掴んだ。

 諦めるなと、死ぬなと、想いを込めて雪花と棗の手を掴む。

 

 友奈の手は雪花の命を掬い上げ、杏の手は既に手遅れだった。

 友奈が暖かな手を握り、杏の手が既に冷たくなった棗の手を握る。

 間に合った手と、間に合わなかった手。

 人生の最期に棗が杏に何かを囁こうとして、雪花が戸惑いの目で友奈を見る。

 

「まだ、終わりじゃないよ。北海道の勇者さん」

 

「……置いていきなよ、どうせ、こんな弱い勇者じゃ役に立つことも……」

 

「役に立つとか、立たないとか、そういうことじゃない!

 私は目の前で困ってる人、泣いてる人がいたら、絶対助ける! それだけだから!」

 

「―――」

 

 友奈は雪花に微笑みかける。

 絶望した雪花の手に伝わる友奈の手の温度は、暖かった。

 

 杏の耳が、棗のかすれた声を拾っていく。

 

「これだけ、聞いて、伊予島杏さん……」

 

「喋ったら傷が」

 

「いいから聞いて。()()()()()()()()()()()()は、四国を『ルルイエ』に変えるつもり」

 

「―――え?」

 

 友奈の優しさに何も言えなくなった雪花とは対照的に、棗は命を絞り出すように言葉を紡ぐ。

 

「最初のルルイエは海の底。

 二番目のルルイエにするのに狙われたのは沖縄。

 三番目が、四国。次のルルイエにするために狙われた島。……四国は、狙われている」

 

「ま、待って下さい! あ、頭が追いつかない……」

 

「私達は、沖縄が奴らに利用される前に、沖縄を爆弾に変換させて奴らに叩き込んだ。

 沖縄の土着の神には、沖縄を創った、創造の神もいた。

 奴らに利用されるくらいなら、沖縄を爆弾にして叩き込んだ方がマシだった……」

 

「!?」

 

「だから……今の、奴らの一部は……ダメージを負っているはず……チャンス……」

 

 三千万年前、超古代の戦士達と、世界を滅ぼそうとする化物達が戦っていた超古代の都市―――名を、『ルルイエ』と言う。

 ここに海の邪神は封印され、粉砕されたカミーラの残骸と怨念は転がっていた。

 オリジナルルルイエは三千万年前のティガに封印され、今は海の底に沈んでいる。

 

 敵は沖縄を、第二のルルイエに改造し、何かに利用しようとした。

 だが沖縄の神々と人々の決死の特攻作戦により、沖縄本島は丸ごと爆弾に変換され、海より来たる敵へとぶつけられたというのだ。

 沖縄爆弾は、棗の言い草から見るに、それなりの効果を発揮したらしい。

 

 棗の説明の文字列からしておかしい沖縄だが、そも神樹を構成する国津神等の土着神とは違い、沖縄には独自の太陽神やその配下の創造神もいて、独自の神話体系を構築している。

 沖縄では"女性は皆巫女であり神である素質を持っている"と信じられており、兄弟を持つ女性は全てその兄弟の守護神である、とされる『ヲナリ神信仰』というものまである。

 沖縄においては女性は皆神であり、巫女なのだ。

 

 古波蔵棗もまた、勇者でありながら、海の神の声を聞く巫女であり、変身することで髪の色が異様なまでに変化する勇者でもある。

 それらの神話と勇者の特殊性が、特殊な反撃を成立させたのだろう。

 

 それも、もう終わりだ。

 沖縄の神々も、沖縄の土地も、沖縄の勇者も、全て潰えた。

 それは四国の未来の姿でもある。

 何もしなければ、四国もそうして滅びゆく定めなのである。

 

「みんなを……沖縄の皆を……おねがいする……」

 

 古波蔵棗は、そうして最後に残った人々を、杏に託した。

 何もかも失ったかもしれない……それでも、守りたかった人達は、守れたから。

 最後に残ったものを託して、棗は瞳を閉じる。

 

「……っ」

 

 棗はもう微笑むことはない。

 杏の手に伝わる棗の手の温度は、冷たかった。

 

「背中に乗って。超特急で、四国まで一直線に行くから!」

 

 雪花を背負い、走り出す友奈。

 

「……皆さん、私の言う通りに移動して下さい。四国まで、私が皆さんをお守りします!」

 

 沖縄の人々を先導し、四国を目指す杏。

 

 北の地の友奈も、南の地の杏も、四国の現状を知らぬまま、四国へと一直線に動き出す。

 

 彼女らの手には、手渡された希望が握られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マガエノメナの電波は、あっという間に人間を発狂状態に導き、人間達を"人間の意志"で同士討ちの殺し合いに導くことができる。

 電波は脳細胞を破壊するため、大半の治療手段や回復手段も意味が無い。

 しかも電波によって正気を失った人々が互いに殺し合い、死者が出始めれば、本当に取り返しのつかないことになる。

 

 不幸中の幸いは、四国結界が電波の99.5%をカットしてくれていたということだ。

 土着神とウルトラマン達のパワーを取り込んだ神樹の力が、電波から人々を守ってくれた。

 おかげで本格的に暴走したのは、四国住民の全体の三割程度、といったところ。

 神樹は最高のセーブをしてくれた、と言えるだろう。

 

 三割の暴徒に、一部の大社職員は胸を撫で下ろし、一部の大社職員は眉間に皺を寄せた。

 

「よかった、まだ三割なら……」

 

「馬鹿者! 三割が襲撃者になっているということは!

 最悪、他三割の人が襲われてるということだ!

 そうなれば、最低でも四国全域の六割は機能不全だということだ!

 半分以上が暴徒とパニックに陥った被害者なら、残り半分もすぐに呑まれる……!」

 

「!」

 

 四国総人口、約400万人。

 その三割なら、暴徒は約120万人。

 

 一例を挙げると、誰でも"名前だけなら聞いたことがある"と答える有名な『ノルマンディー上陸作戦』がある。

 人類史上最大規模の上陸作戦、と言われるものだ。

 これはイギリス・アメリカ・カナダ・フランス・ポーランド・オーストラリア・ベルギー・ニュージーランド・オランダ・ノルウェー・チェコスロバキア・ギリシャの連合軍による、極大規模の上陸作戦である。

 15万6千人を投入して交戦開始。

 最終的に連合軍は133万2000人を投入して決着したという。

 『120万人』というのは、そういうレベルの規模のものなのだ。

 

 顔を青ざめさせている大社職員の方が正しい。

 今現在、各地の大社に関わる者達が暴動を鎮圧・沈静化させるために頑張っている。

 だが、駄目だ。

 人数も武装も、全く足りていない。

 と、いうか、大社の人間の一部までもが破壊活動に加わってしまっていた。

 大社という組織は、マガエノメナの電波で既に、その一部に機能不全を起こしてしまっているのである。

 

 しかもこの120万人の暴徒は怪我や死を恐れない。

 何故なら、彼らは脳がぶっ壊れているからだ。

 自分の体の安全など考えていないからだ。

 正気の警官に足を撃たれても、おそらく彼らは止まらない。

 

 しかも暴走しているだけで、彼らは罪の無い一般市民でしかないのだ。

 暴れ回る彼らを力任せに捕まえようとすれば、怪我をさせてしまう可能性、最悪事故が起きて死なせてしまう可能性もある。

 男も暴れている。

 女も暴れている。

 90代の老人も脳を破壊され、暴れさせられている。

 幼稚園児ですら脳を破壊され、ハサミ片手に親に襲いかかっている。

 状況は最悪だった。

 

「樹海化、始まりませんね」

 

「敵が結界の中にいないからだろう」

 

「それに加えて、長時間の樹海化は神樹様に多大な負荷をかけます。

 今から樹海化を始めていたら、最悪の場合一日二日展開しっぱなしになりますよ。

 そうなったら、樹海化解除後に神樹様に負荷が来て、食料やインフラの供給が破綻します」

 

 結界の中の人を守るため、結界の外の敵を倒さねばならない。

 時間を止めて人々を守るのは、本当に最後の最後の手段になる。

 

「自衛隊の人達が海から攻撃して、ティガが街と仲間を守ってる……なんてことだ」

 

「藤森さんが巨大化してますね。何故?」

 

「各地からの救援要請が止まりません! これ、絶対どこかでもう死人出てますよ!」

 

「分析班から仮説検証上がってきました!

 人の頭を狂わせているのは特殊な電磁波で確定です!

 心の弱い人、他人に対して攻撃的な人ほど、電磁波の影響を受けやすいそうです!

 現地から報告!

 以前ティガ排斥デモに参加していた者達の多くが現在暴走している可能性あり、とのこと!」

 

「怪我人が運び込めてないぞ!

 病院でも暴徒が暴れてる! これをまず誰か止めろ!

 救急車が一部暴走して人を撥ねてる!

 つか、道路が暴徒に埋められててまともな救急車も通れてない!

 頭がおかしくなった怪我人は救急車に乗せると暴れて、救急隊員にも危険が及ぶぞ!」

 

「避難所のバリケードが壊されました!

 避難所に逃していた人達が危険です! どうしますか!?」

 

 大社に、何もできない無力感に満ちた大人達の声が響く。

 

 大社は、嘘つきだ。

 彼らは情報操作を行い、真実を隠し……人間から自由や、知る権利、自分の未来を自分で選ぶ権利を徐々に奪っていった。

 他人を罵倒する権利を奪い。

 真実を知った人間が愚かしい行動を取る権利を奪い。

 悲観的・暴力的になった人間が、最悪の未来を選ぶ権利を奪ってきた。

 

 彼らの嘘は、既得権益や私腹を肥やすためではなく、全て未来を守るためにあった。

 余計な加害や人間からの攻撃から、勇者達を守るためにあった。

 

 だが、それもここではもう役には立たない。

 『嘘』では『力』には勝てない。

 

「あれ?」

 

「どうした?」

 

「いえ、分析班が仮説を挙げてきて……

 これからしっかり検証するそうなんですが……

 謎の現象での人間の凶暴化ですが、暴走しにくい人間がいるようなんです」

 

「! なんだ!? どういう人間だ!?」

 

 されど。

 

「―――ティガに守られて、ティガを信じていた人達です」

 

「な……に……?」

 

 『力』に勝る『信』がある。

 

「心弱い者は暴走しにくいと分析されていたな。

 なら、信じられるものがあれば……

 ティガを信じる気持ちが心を強くし、抵抗力となったのか? いや、それとも……」

 

 その事象に、明確な理屈と理由など、本当にあるのかも分からない。

 

「正樹……じゃなかった、三好さん。どうしますか?」

 

「最優先で各地の被害状況、暴動状況を調べろ。

 それをマッピングして、暴動の密度の偏りを調べ上げてくれ」

 

「暴動の偏り……ですか? 分かりました」

 

 三好圭吾は頭を抱える。

 頭の中の細胞が壊れていくのが、なんとなく分かる。

 自分の中の攻撃衝動が膨らんでいくのが、なんとなく分かる。

 "他の人もそうなのだろう"と推察し、三好は眉間に皺を寄せる。

 勇者も、巨人も、巫女も、大社も。皆、脳を破壊される過程にあった。

 

「それと、今日の元自衛隊武装船団の移動ルートを調べろ。

 彼らはプロだ、事前に何時何分にどこにいるかまで綿密に事前申請しているはずだ」

 

「分かりました。

 担当の部署に問い合わせておきます。

 これで何か分かるんですか? 三好さん」

 

「段階的にでも情報が出てくれば分かる」

 

 デジタルに表示された四国全域の地図に、暴動が起きた場所……つまり、暴徒が一定数以上現れたことが報告された場所が、赤い点で表示される。

 地図に落ちた赤い点が、まるで暴動で流れた血のようだった。

 

「これは……

 香川と愛媛の境界での暴動率が最も高く、そこから遠いとそうでもない?

 まるで電波の減衰のような……かなり曖昧ですが、これは、もしかして……」

 

「そうだ。この、人をおかしくしている謎の電磁波……

 これがどこから来ているか、大雑把な手がかりになるものだ」

 

「!」

 

 三好は何よりも優先して、暴徒と暴動の位置をマッピングした。

 結果、香川と愛媛の県境から少し香川寄りな位置が一番暴徒と暴動が多く、そこから離れるにつれ暴徒と暴動が減っていることが判明した。

 人を狂わせているのは電磁波。

 電波は発信源から広がるもの。

 

 心弱い人間、攻撃的な人間がこれを受けて発狂するなら、それらがより多く発生する場所は、電波の発信源により近い場所であるということになる。

 三好は地図の香川と愛媛の県境から、広島の方に指を動かす。

 

「この方向にあるのは出雲。

 大侵攻の時、バーテックス戦力が集結していた出雲の方向だ」

 

「それは、つまり……!」

 

「敵は大侵攻と同じ方向から来ているんだ。

 出雲か……あるいは、この方向の海のどこからか、四国へ電磁波を飛ばしてきている」

 

 三好に元自衛隊がどの時刻、どの海域を見回っていたかのデータが届けられる。

 地図の上に、三好がそれを記していく。

 

「電磁波が飛んで来たのがこの方向。

 戦闘直前の時刻、武装船団が通っていた場所が、予定通りならこの場所。

 電波が通ってきた経路の予想エリアと、武装船団の位置を地図の上で塗り潰せば……」

 

「……重なった!」

 

「決まりだな。

 これなら、フェイントの可能性も低い。

 敵は確実にこの辺り、この方向から、この海上を通して発狂電磁波を飛ばしてきている!」

 

「いけますね、これなら」

 

「まあ、当然のことだ」

 

「え?」

 

「心の弱い者、攻撃的な者。

 ……どちらも、自衛隊の者達には当てはまらない。

 少なくとも、私はそう信じている。

 そしてこの電磁波は発信源に近い者の方が強い影響を受けている。

 ならば、そう……彼らは()()()()()()()()()()()()()()()()ということだ」

 

「!」

 

「この仮説が正しいのなら……

 敵がまだ移動していないのなら……

 敵はほぼ確実に、武装船団が動いていた海上のこの位置にいる!」

 

 暴徒、暴動の位置から敵のいる方向を見極め。

 自衛隊を判断材料として、敵の位置を特定する。

 特別な能力ではなく、人らしい知恵で、確実とは言えないものの、現状最も有力な仮説を立てる三好圭吾。

 普通の人間にできるのは、ここまでだ。

 

「動ける勇者に……いや、飛べる乃木若葉に一報を入れろ!」

 

 あとは、勇者と巨人がなんとかしてくれることを祈るのみ。

 

「これは―――敵の毒牙にかかった自衛隊が、最後に残してくれた情報だ!」

 

 大社は、希望を戦士に託した。

 

 

 

 

 

 しょうがねえなと、牛鬼は思った。

 

「きゅい」

 

 街はいたるところが混乱の極みにある。

 攻撃衝動、破壊衝動が全てになった人間は、人口の一割程度でも社会を崩壊させてしまいかねない危険な存在であった。

 しかも、その人数はどんどん増えている。

 

 仕組みを理解していれば、それは当然のことだと分かるだろう。

 この電磁波は脳のいたるところを破壊する。

 今は平気な人も、まだ脳が破壊しつくされていないというだけの話だ。

 いずれは脳の破壊が積み重なり、四国全土の人間全員が発狂するだろう。

 

 ウルトラマンも、勇者も、である。

 

 ゆえに、牛鬼は立ち上がった。

 牛鬼からすれば、助けてやってもいいし、助けてやらなくてもいい。

 そのあたりの判断は全て牛鬼に一任されている。

 ビーフジャーキー一袋分くらいは、あのウルトラマンを助けてやろうと、そう思ったのだ。

 

「きゅっ」

 

 牛鬼が地面を踏み、結界内の空間を踏む。

 様々な怪獣・バーテックスを食らって来た牛鬼のエネルギーが、結界全体に染み込むようにふわりと広がっていった。

 結界のフィルタリング能力が向上する。

 電磁波を遮り、濾過して、人々への電磁波の影響を軽減していく。

 

 くてっ、と牛鬼は倒れた。

 脳が破壊された人は戻らない。

 牛鬼にできることは、脳の破壊速度を遅くすることだけ。

 それですら、四国全域への大規模干渉は、牛鬼が指一本動かせなくなるほどの消耗を生んだ。

 

「きゅ……」

 

 力尽き、牛鬼は昼寝を始める。

 

 牛鬼は、希望を戦士に託した。

 

 

 

 

 

 脳が壊れる。

 攻撃的になるよう心を改造される。

 破壊的になるよう脳を弄られる。

 そうなった人達は、自らの意志で周囲の全てを破壊する。

 

 近くにある建物の窓を割る。

 コンビニのガラス張りに車を突っ込ませる。

 家族を探して、家族を殺しに行く。

 とりあえず目についた人間を、石ブロックで殴りに行く。

 

 心弱き者は皆流される。

 臆病な者も。

 優しい者も。

 人を信じられない弱さ、人を傷付けてしまう弱さ、ティガを受け入れられない弱さ、戦いを嫌ってしまう弱さ、全てにマガエノメナの電磁波はつけ込んでしまう。

 

 攻撃的な者は皆流される。

 殺人鬼以外には辛辣な言葉すら言えないような者も。

 毎日、ニュースやネットで"叩いてもいい誰か"を探しているような者も。

 嫌いな人に対し、目障りな人に対し、鬱陶しい人に対し、自分と違う意見の人に対し、"つい"攻撃的になってしまう人は軒並みおかしくなってしまう。

 

 脳が、どんどん壊れていく。

 

 壊れた脳で、皆が皆、自らの意志で隣人を攻撃する。

 

「お前、前にティガの排斥デモに参加してたよなあ!」

 

 ティガを支持するある者は、ティガを非難していた友人の一人を、金属バットで叩いた。

 骨が折れる音がする。

 

「俺達みたいな弱い人間はよぉ! ティガに守ってもらわないと死んじまうんだよ!」

 

 ティガを支持する言葉を吐き、"ティガは殺人鬼だから信用できない"と常日頃から公言して憚らないその友人へと、金属バットを振り下ろし続ける。

 

「俺は死にたくねえんだよ、お前らみたいなバカのためになんてなぁ!」

 

 脳は更に壊れていく。

 

「ティガに味方しない奴なら、死んでいいぞ!」

 

 だが、金属バットに殴られながらも、殴られている方は反撃すらしなかった。

 

「うるさい」

 

 その人は、叩き折られた腕をだらりと下げて、歯噛みする。

 嫌いで嫌いで仕方がなかった。

 大量殺人鬼ティガも。

 その信者も。

 ()()()()()()()()()()()()()()と、その人は脳をマガエノメナに破壊されながらも、一切反撃することはなかった。

 誰も、傷付けたくはなかったからだ。

 

「他人を傷付ける奴、殺す奴が嫌いだ……それの何が悪い!」

 

 ティガという免罪符を掲げて人を傷付ける者と、ティガもこの暴徒も等しく嫌う者。

 

「だから"お前達"が、嫌いなんだ! 私達は!」

 

 ティガを『悪』だと思い、『人殺しは許されない』と言い、『ティガは信じられない』と声高に叫んでいる人の中にも、強い心で人を傷付けることを拒む者はいる。

 ティガを『善』だと言い、『俺達はティガに守ってもらっているんだ』と言い、『ティガの悪口を言う奴は皆死ねばいいじゃん』と言う人も居る。

 

 心の善性が強いからこそ、ティガを嫌い、今被害者になっている人がいて。

 心の悪性が強いからこそ、ティガを応援し、ティガを嫌う人を軒並み嫌い、今加害者になってしまっている人がいた。

 

 その光景は、ただひたすらに皮肉だった。

 

 ゆえにこそ、彼女らはそこに飛び込んだ。

 

「白鳥さんは、あっちを任せるわ」

 

「分かった。郡さんも街を頼んだわ!」

 

 郡千景と、白鳥歌野。

 二人が飛び込み、歌野は水都とティガの下へと向かい、千景は街に火まで放ち始めた暴徒達の下へと向かう。

 

 千景は、怒りを顔に滲ませた。

 『民衆』には色んな人がいる。

 ティガが好きな善い人も。

 ティガが好きな悪い人も。

 ティガが嫌いな善い人も。

 ティガが嫌いな悪い人も。

 それぞれの主張があって、考えがあって、好き嫌いがあって。

 

 それでも、千景はこう思わずにはいられない。

 

「ティガを好きに叩けるサンドバッグにした後は……

 "他人を叩くための都合のいい棒"として、ティガを使うのね」

 

 理不尽にティガを攻撃した後は、ティガを攻撃していい理由を探し、今また他人を攻撃する理由に『ティガ』を使っている民衆に。

 千景は、腸が煮えくり返りそうなほどの怒りを覚えた。

 

「いいわ、好きにしなさい。

 あなた達の考えなんて知らない。

 私は竜胆君の味方で―――人を傷付けて竜胆君を泣かせる者は、全て私の敵だ!」

 

 その怒りが、玉藻前から、過剰なまでに力を引き出した。

 

 

 

「掲げた敵意はその身に返れ。人を呪わば穴二つ―――『呪詛返し』」

 

 

 

 ごぽっ、と、重いものが海に沈んだような音がした。

 玉藻前の呪力が四国全域に広がり……暴徒になっていた人間達が、バタバタと倒れていく。

 正確には"他者に過剰な害意をぶつけていた者達"が一人残らず倒れていた。

 

 "人を呪わば穴二つ"。

 呪いとは元来、他者への怒りや憎しみなどの害意が力を持ったもの、とされる。

 それを返すのが呪詛返し。

 玉藻前の時代における日本でも、盛んに研究されたものである。

 しからば、玉藻前が呪詛返しを仕損じるわけがない。

 

 脳を破壊された四国の人々は、過剰に生成されたホルモンのせいで他人に過剰な害意を向け、それを全て自分自身へと返されてしまった。

 結果、全員その場で気絶してしまったのである。

 

 今の四国の暴徒が全員、ただの人間であるがためにできた、そんな荒業であった。

 

 通常の精霊である雪女郎ですら、無理せずとも丸亀市一つを丸ごと飲み込めるだけの広範囲攻撃は可能であるという。

 ならば酒呑童子、大天狗と同格の玉藻前ならば、千景が無理をすることで四国全域に呪術を展開することは可能だろう。

 相手が一般人なら、呪術の濃度も薄くていい。

 

(うっ……負荷が重っ……でも、これで何とか……

 状況は全く理解できないけど、これで暴走した瞬間にその人が気絶する状況は出来た!)

 

 もう二度とやりたくない、と千景が思うほどの大負荷。

 だがその呪術が四国を包んでいる間は、マガエノメナの電磁波は事実上無力化される。

 また新たに一人暴走し、暴走した瞬間に千景の呪術で気絶する。

 

 千景が四国全域を一人で支えるが如く無茶をしている間に、歌野は水都を守って武装船団に良いようにされているティガの下まで辿り着く。

 歌野の手の鞭が唸り、武装船団の砲弾全てが叩き落とされた。

 

「みーちゃんを守るのは私の役目、かつ私の専売特許!」

 

『歌野!』

 

「うたのん!」

 

 ティガと水都を守る歌野へと、水都がその巨大な手を振り下ろす。

 歌野はひょいと跳び、それをかわした。

 空振った手がビルの屋上にぶち当たり、ビルが揺れる。

 

「おおっと。嫌な予感がしたから跳んでみたけどドンピシャ。

 この位置取りだとちょーっと覚が使いづらいのが難点ね……」

 

「う、うたのん! ごめんなさい!

 でも、変なの! さっきから体が勝手に動いて……」

 

「あらあら、私の親友の体を勝手に操作するなんて、お行儀がなってない人もいたものね」

 

 武装船団は攻撃的にさせられている。

 ティガも電磁波の影響を少しずつだが受けている。

 水都に至っては、巨大化させられた肉体を時折操作されていた。

 

 もっと最悪なのは、歌野の脳もどんどん破壊され、攻撃衝動を継続して膨らまされているという現在の状況にあった。

 

「みーちゃん! 気合で耐えて! 体が動きそうになっても気合いで耐えて!」

 

「ええええええ!? ぐ、具体的な対策とかは!?」

 

「無いわ!

 でも流石の私も、みーちゃんが意識してないのに動く肉体は対応できないの!

 みーちゃんは自分の腕がどう動くか分かってないから!

 多分これ仕込んだ性格悪いカミなんとかさんはそれも狙ってるんだと思うわ!」

 

「で、でもっ」

 

「信じてる! みーちゃんは本当は強いから、できるって信じてる!」

 

「―――」

 

 水都が歌野に向けて右手を振り上げそうになるが、水都が自由に動く左手でそれを掴んで必死に抑える。

 どこまで効果があるか、どこまで止めていられるかは分からないが、水都は自らの意志で歌野を守ってみせたのだ。気力一つで。

 

「が、頑張ってみる……!」

 

「その意気よ!」

 

 安心はしていられない。

 これだけ不安要素を抱えている戦いを、長々と続けてなんていられない。

 "短期決戦"以外の選択肢はありえなかった。

 

「竜胆さん! みーちゃんと武装船団の対処は私に任せて! 結界の外に!」

 

『……分かった!』

 

 歌野が武装船団の処理と水都の護衛に周り、群がる民衆、飛んで来る砲撃、その両方を鞭で巧みに処理していく。

 

 まるで魔法のように、歌野は怪我人の一人も出さないまま、綺麗に民衆と自衛隊を処理しきっていく。

 

「うーん、何度やっても楽しいわね。

 持ち場を他人に任せられる。

 仲間の役目を自分が引き受けて、仲間を別の場所に送れる。

 ……そうやって助け合えるのはとてもグッドだわ。色々できるから、何でもできそう」

 

 すっ、とその身に精霊・覚が宿る。

 どこもかしこも人間ならば、この精霊ほど有用なものはない。

 脳を壊されて攻撃的になっている――別の言い方をするなら、思考が単純化している――人間の思考を読むのは、大した負担にもならなかった。

 

「うたのん、大丈夫?」

 

「ええ。後は……若葉と竜胆さんを、信じるだけ!」

 

 ありったけ伸ばした鞭で武装船団のスクリューを腐食破壊しながら、歌野は水都を民衆の攻撃から守り、跳び回る。

 

 同時刻。

 

 自衛隊の犠牲が伝えてくれた情報と、かき集めた各地の情報から、大社が推測した敵の現在位置へと、若葉が飛ぶ。

 元自衛隊の武装船団が頭を壊されてから、まだ五分も経っていない。

 だというのに、若葉はもう、海に立つマガエノメナの前にいた。

 あまりにも速い対応に、マガエノメナは危機察知も逃走もできなかった。

 

 疾風の如く接近し、閃光と火炎を叩きつける。

 神刀と聖剣の圧力が、一瞬マガエノメナの体を浮かせた。

 そこに、いいタイミングでティガが加勢する。

 

『若葉!』

 

「いいタイミングで来てくれたな、竜胆! 合わせろ!」

 

 若葉が囮になってティガが攻める、と見せかけて、ティガがハンドスラッシュをマガエノメナの顔に撃ち込み、ティガが囮になることで若葉が決めに行く。

 聖剣と神刀を同時に喉に叩き込もうとする若葉の殺意たっぷりの斬撃を、マガエノメナは海に向かって転ぶようにして回避した。

 

 転がったマガエノメナの体に、飛翔中のティガブラストのキックが突き刺さる。

 だがなんとここで、マガエノメナは咄嗟に蹴りを合わせてきた。

 ティガダーク以下の耐久力しかないティガブラストにカウンターが叩き込まれ、そのせいで蹴りのダメージも半減してしまう。

 

『ぐっ……!』

 

 マガエノメナの体が浮き、ティガの体が後方に流れる。

 だが、ティガは瞬時にタイプチェンジ。

 背中側に旋刃盤を発生させ、それに背中をぶつけるようにして空中で静止し、旋刃盤に背中を預けたまま、必殺光線を撃ち込んだ。

 

『デラシウム光流!』

 

 炎と光の奔流が、マガエノメナに直撃し、その体を押し―――四国結界の内部にまで、マガエノメナを押し込んでいった。

 ティガと若葉も、飛んでその後を追う。

 

 樹海化でマガエノメナを迎えた四国結界内部では、マガエノメナがフラフラとしながらも、ダメージはそこそこといった様子で、立ち上がっていた。

 

『デラシウムで死なないのか……なんつーやつだ』

 

「だが、十分だ。作戦の目的は達成された」

 

 四国内部は樹海化が完了した。

 これで、街の人間がこれ以上暴走することもない。

 樹海化を長時間展開した結果世界が滅亡する、なんてこともない。

 あとは、戦いを長引かせないようにしてマガエノメナを倒すだけだ。

 

 何故か勇者だけでなく巨人化した水都まで樹海化に巻き込まれていたが、今の水都は控えめに言っても普通の人間ではない。そこは仕方ないことだろう。

 水都をマガエノメナから守りながら、マガエノメナを倒す。

 攻守を分担して仕留めきる。

 今の彼らなら、それができるだけの実力と絆があった。

 

『行くぞ皆! この三分で片付ける! 見せてやろうぜ、俺達の勇気を!』

 

「応!」

「ええ」

「やってやりましょうね!」

 

 ティガトルネードの足が振るわれる。

 極真空手の流れを汲むローキックは、かわし難い足狙いの一撃だ。

 マガエノメナは、それを"瞬間移動"にてかわす。

 

『!』

 

 ティガの背後を取るマガエノメナ。

 だが、瞬時に反応したティガが振り向きつつ、抜き撃ちのハンドスラッシュを放った。

 それすらも、マガエノメナは連続瞬間移動で回避する。

 

 瞬間移動時の僅かな気配の動きを感知し、背後に回られても瞬時に見切る竜胆が化物なのか。

 連続瞬間移動ができるマガエノメナが化物なのか。

 一概には言い切れないのが恐ろしい。

 彼らの戦いは、既に神話の領域にある。

 

『瞬間移動か……皆、背後に気を付けろ!

 マガエノメナが視界から消えたら振り向くことを心がけて!』

 

 マガエノメナが瞬間移動を連続して発動し、樹海のいたる所にて出現と消失を繰り返す。

 的が絞れない。

 接近できない。

 

「そっちにムーブしてるわ!」

 

 巨人と勇者達は互いが互いの背中を守れる陣形を組み、マガエノメナの現在位置を互いに教え合うことで死角を塞ぎ、マガエノメナの奇襲を抑制する。

 特に、マガエノメナの瞬間移動に完璧に対応しているティガと歌野がいることで、布陣の隙は極限まで削られていた。

 

(ゼットほど瞬間移動の『入り』と『終わり』に丁寧に気配を消してない……)

 

 右にマガエノメナが現れた。

 と思ったら消えて、頭上に現れ、そこで光弾を発射してくる。

 光弾を竜胆がティガ・ホールド光波の光ネットで受け止めて反射しようとするが、光弾が受け止められる前には、マガエノメナはティガの側面を狙える位置に瞬間移動していた。

 頭上からの光弾を受けていれば回避が間に合わないタイミングで、マガエノメナはティガの側面へと光弾を放つ。

 

 大天狗の大火炎、千景の大呪術が頭上からの光弾を受け止め、勇者と巨人が一緒に横っ飛びに跳び、頭上からの光弾と側面からの光弾を必死に回避する。

 諏訪に行った時の連戦の負荷がまだ体に残っている若葉と千景が、大威力攻撃の発動の負荷で、表情を顰めた。

 

(……だけど、十分に脅威ッ!)

 

 そうして勇者と巨人が回避した隙に、マガエノメナは再度瞬間移動。

 水都を狙える位置に移動して、容赦なく水都を狙い撃つ。

 

「みーちゃん!」

 

 そこで歌野が、腐食能力をカットした鞭を伸ばし、水都の襟首を掴んで引っ張った。

 歌野に巨人を押して助けられるほどの筋力はない。

 だが人体は構造上、服の襟を不意打ちで引っ張って転ばせるのであれば、かなり少ない力で引っ転ばせることができる。

 

 とはいえ、"これから転ばせるよ"と言っておくと妙に抵抗されて上手く行かず、何も言わず引っ張って転ばせると、変な転び方をして怪我をさせてしまう可能性がある。

 歌野は立っていた水都に声をかけつつ転ばせることで、抵抗させずに最小限の力で後ろに体を倒させつつ、水都に受け身を取らせるという絶妙な塩梅を成立させていた。

 

 水都が尻もちをつき、光弾は命中せず通り過ぎていく。

 

「あ、ありがとう、うたのん。私、いつも助けられっぱなしで……」

 

 お礼を言いながら、水都は歌野に拳を振り下ろした。

 巨大な拳は威力があると言えるし、水都のもやし腕ではそんなに威力が無いとも言える、けれど間違いなく人は死ぬ威力の攻撃を、歌野は横に跳んで回避する。

 

「あっ……」

 

「お礼は嬉しいけど、気は抜かないでねみーちゃん!」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 続きエノメナが連発してきた光弾を、割って入ったティガブラストが手刀で切り落としていく。

 が、エノメナの光弾は弾速も速く、かつ一発一発が十分な威力を持っていた。

 真っ当に力技で受け止めず、手刀に纏わせた光の刃でスパッと切ったはずなのに、手が衝突の衝撃で痺れてしまう。

 

『ぐっ……速く重い……!』

 

 マガエノメナはまた高速で瞬間移動を繰り返し、離れた場所からの光弾攻撃を続けてくる。

 ランバルト光弾も、デラシウム光流も、スペシウム光線も、この距離では当たらない。

 ホールド光波を当てれば、ゼット同様に瞬間移動は封じられる可能性は高い。

 だがそれを警戒しているのか、マガエノメナはかなり距離を取って光弾を連発し、ティガの動きを特に注視しているようだった。

 

 ティガの肩に、若葉が降りる。

 

「地味に厄介だな。瞬間移動を多用する遠距離火力タイプか」

 

『どうする若葉? この手合いは地味に厄介だぞ』

 

「奴の認知範囲からの攻撃は一切通じないだろう」

 

『だよな』

 

「ならば、意識外からの攻撃を叩き込む。それが一番だ」

 

 若葉が囁き、竜胆が頷く。

 

『歌野、みーちゃんの護衛に専念してくれ』

 

「ラジャー・ザッツ・ライト! まっかせて!」

 

 仲間に指示を出す竜胆。

 水都の護衛に歌野、後方バックアップに千景、前衛の攻め手はティガと若葉が務める。

 

『ちーちゃん、バックアップ頼む』

 

「任せて」

 

『頼りにしてるぜ』

 

「知ってる」

 

 玉藻前の殺生石伝承に基づく毒の呪いが、霧のようにぶわっと広がっていく。

 マガエノメナはそれを避けるように瞬間移動を繰り返したが、そこにティガダークの闇の八つ裂き光輪が飛んで来る。

 弾速と切れ味に特化させた、誘導もクソもない直進弾、闇の切断技である。

 

『油断したら、真っ二つだ。分かるだろっ!』

 

 しかも、連射速度が速い。

 心の闇の成長は、そのまま闇の技の成長に直結する。

 威力、弾速、連射速度全てをハイエンドにまで高めた闇の八つ裂き光輪は、怖気がするほどに闇と殺意が込められていた。

 マガエノメナが先程の光弾を十数発連射しても、闇の光輪一つで全部切り裂かれてしまう。

 

 さしもの光ノ魔王獣も、こんな闇の光輪は受けていられない。

 瞬間移動を連発するマガエノメナに対し、ティガは闇の光輪の連射速度を引き上げた。

 敵が消え、現れ、八つ裂き光輪が絶え間なく放たれ、結界の外に突き抜けていく。

 

 マガエノメナは巧みに八つ裂き光輪をかわし、時に反撃も織り交ぜながらティガの一挙一動に注視し、小さな動きや予備動作も見逃さない。

 ティガが何か小細工を仕掛ければ、それを一つも見逃さない、そんな姿勢であった。

 

 だが、だからこそ。

 正面から飛んで来た八つ裂き光輪の全てを、マガエノメナは回避したが。

 異様なタイミングで、異様な軌道で、その背中を襲った八つ裂き光輪の直撃を受ける。

 悶え声を出すマガエノメナの後方で、若葉が剣を構えていた。

 

「知らなかったのか?」

 

 ティガが攻撃し、攻撃し、マガエノメナの注意を最大限まで引いて―――マガエノメナの注意がティガ以外の皆から逸れたその一瞬に、若葉は聖剣で闇の光輪を受け止めた。

 

「この剣は、()()()()()()()()んだ」

 

 そして反射し、マガエノメナの背中に当てたのだ。

 

 攻撃が成立したことを喜ぶべきか……ティガの闇が"聖剣が跳ね返すべき邪悪"として判定されていることに、不安を覚えるべきか。

 余計な思考を後回しにして、若葉はマガエノメナの目を狙って火炎をぶつける。

 痛そうに目を押さえるマガエノメナに、ティガのホールド光波が直撃した。

 

『これでお前はもう、瞬間移動できない!』

 

 電磁波汚染。

 瞬間移動。

 共に最悪な能力だが、竜胆達に対処できないものではない。

 

 地獄なら、いくつも越えてきた。

 最強となら、何度でも戦ってきた。

 ただ厄介で強いだけの敵など、もはや彼らの敵ではない。

 

『ちーちゃん! 頼む!』

 

「……」

 

『ちーちゃん?』

 

「なんか、こう……

 マリンスペシウムに必要なのは分かってるけど……

 竜胆君を攻撃するのは嫌……なんだか凄く嫌……」

 

『……頼むから!』

 

「……ええいっ!」

 

 千景の呪術を、腕に溜めた光と光をぶつけて生んだスパークにて、受け止める。

 溜めた光に、千景の力が混ざる。

 破壊の光線と破壊の呪術が混じった、物理と概念の同時破壊エネルギー。

 十字に組まれたその腕から、混ざりに混ざった最高の一撃が解き放たれる。

 

 竜胆と千景の絆を形にしたそれが、過去のマリンスペシウム光線のどれよりも強い力を発しているように見えるのは、きっと気のせいではない。

 

『これで決まりだ!』

 

 呪を練り込んで、光を放つ。

 

『―――マリンスペシウム光線ッ!!』

 

 十字を組んで狙った敵に、光り輝く必殺技の贈り物。

 

 天の太陽神、海の邪神の力を併せ持っている、最強最悪のカテゴリと言っていい"星辰の魔王獣"ですら、マリンスペシウム光線は単体では防げない。

 絶殺。

 必殺。

 確殺。

 闇の者達からすれば、悪夢のような必殺光線であった。

 

 なのに。

 

(吐き気がする)

 

 竜胆は、何か、違和感を抱いていた。

 

(なんだ、この感覚)

 

 何か、とてつもないことを、やらかしてしまったような。

 

 マガエノメナが光弾発射能力と雷爪能力を組み合わせ、光と雷が混じった爪でマリンスペシウム光線を受け止める。

 だが、マリンスペシウムはそんな急場しのぎの防御では受け止められない。

 二つの神の力を受けた魔王獣バーテックスにも受けきれない。

 爪が、手が、溶けていく。

 

 だがそこに、『闇』が湧いてきた。

 

 あまりにも濃く、どこから湧いてきたかも分からない闇。

 それがマリンスペシウム光線の光を削り、急速にマガエノメナの体を修復していく。

 が。

 命中したマリンスペシウム光線は、『闇』とマガエノメナの両方が全力で抵抗しているというのに、容赦なくマガエノメナの腕をドロドロに溶かし、マガエノメナを殺すべくぶつかり続ける。

 

「マリンスペシウム光線。

 良い技ね……敵に回すなら、あんな恐ろしい技はないわ。

 事実上、防御も吸収も不可能な技。

 三千万年前のティガにそんな技はなかったはずよ。

 あなたは与えられた力を使うだけでなく、仲間の力で伝説を塗り替えた」

 

『! この声、カミーラ!?』

 

 その闇を操っているのは、カミーラだった。

 

「―――だから、それを奪おうとするのは、当然のことよね」

 

 ふっ、と闇のエネルギーが転換される。

 マガエノメナの防御エネルギー。

 マリンスペシウム光線のエネルギー。

 そして、闇が吸い上げたマリンスペシウム光線のエネルギーと、闇自体のエネルギー。

 混ぜてはいけない薬品の如くそれらが混ざり、閃光を主とする大爆発を起こした。

 閃光が、勇者と巨人の目を焼く。

 

 カミーラの計算により、巨人と勇者の目を焼き、その視界を完全に奪うのに十分な閃光が発せられたのだ。

 

「うわっ!」

「きゃっ!?」

 

 マガエノメナをカミーラが助け、そして、"もう一体"が参戦する。

 

「お初にお目にかかる。最も、私が生まれたのは最近のことだがなぁ」

 

 "三体目"は流暢に、煽るように喋りながら、勇者達に手を向け、空気を伝って何かを放った。

 空気を伝ってその何かが、"三体目"に近い順に……若葉と千景に、浸透していく。

 

「私の名は『マガヒッポリト』。

 土ノ魔王獣、マガヒッポリトだ。どうぞよろしく……存分に泣き喚くがよろしい」

 

 ()は、地球の地のエレメントと結びつき生まれた魔王。

 地に根付く神々の一柱。

 神であり、魔王であり、星辰であり、バーテックスであるもの。

 土の星辰、星辰ノ魔王獣。

 

 三体目の敵……"土ノ魔王獣・マガヒッポリト"。

 

 有する能力は――

 

「え―――あ、え?」

 

 ―――『対象をブロンズ像化させ、生命活動を停止させる能力』である。

 

 生命活動の停止……つまり、『即死』だ。

 

 千景と若葉が足先から順に、"空気を媒介にしてブロンズ化能力を発動した"ヒッポリトの力によって、強制的にブロンズ化させられていく。

 

「体が固まっ……嘘っ……」

 

 歌野は目も見えていないのに、"嫌な予感がした"というだけで後方に跳んで回避していた。

 更には立ち上がっていた水都の体を鞭で引っ張り、今度は"怪我をしてもいい"くらいの意識で全力で転ばせ、ヒッポリトの青銅化攻撃を回避させる。

 だが、若葉と千景は、間に合わない。

 

 カミーラは目が完全に潰れているのに回避した歌野を見て、ため息を吐きつつ、どこか納得した様子だった。

 

「でしょうね、白鳥歌野。

 あなたはそうする。あなたならそれができる。

 だから私のティガを手にするためには……あなたをこうして、封じるしかなかった」

 

「カミーラ……あなたはまさか、最初からこの悪辣なストラテジーのために!?」

 

「ええ」

 

 歌野は、心が読めるから。

 知性がある存在を存在を元に作られた星辰のバーテックスであるマガエノメナとマガヒッポリトを効果範囲に捉えてしまえば、完全な奇襲も先読みしてしまう。

 カミーラの悪辣な企みも全て見抜いてしまう。

 

 だから、水都を使った。

 水都を"攻撃しやすく守りにくい大きな的"にした。

 歌野を自由に動き回れない位置に固定した。

 水都がいたせいで、歌野は結界外に出て行くことも、結界内に来たばかりのカミーラやマガヒッポリトから情報を速攻で引き抜くこともできなかった。

 

 水都に対する一手は、白鳥歌野を完封するためにあった。

 精霊・覚がその脅威を発揮するのを、封じ込めるためにあった。

 "マガヒッポリトが何かやらかす前に歌野がその企みを見抜く"という1%はあった勝機が、奇跡が起こる余地が、カミーラの手で念入りに潰されていた。

 

「心が読めるあなたをどうやって処理するか。

 どうやって私の盤上で、私の思う通りに動く駒にするか。考えるのに、少し難儀したわ」

 

 奇跡は起こらないから奇跡、と言う者もいる。

 奇跡は起こったことがあるから奇跡、と言う物もいる。

 だが、カミーラは違う。

 奇跡は"光の巨人なら起こして当然のもの"であるからこそ奇跡であり、"自分の手で潰せるからこそ"の奇跡なのだ。カミーラにとっては。

 

 奇跡は潰れる。

 

 若葉と千景の体が、ブロンズ化し、死に至っていく。

 

「くっ……あっ……体、がっ……」

 

「くるっ、苦しいっ……!」

 

 ティガは苦しがっている仲間達の声を聞き、いてもたってもいられなくなり、自分の目を自分の手で抉り取った。

 高速回復の条件を満たし、高速で目を回復し、仲間達の状態を見る。

 

 ……この行動は、正解ではなかったかもしれない。

 だって、ティガには何もできないのだから。

 救うことも、助けることもできないのだから。

 なのに、ブロンズ化して苦しむ仲間達の姿を見て、トラウマとして心に刻んでしまう。

 

 何もできないのなら、せめてその姿だけは、見ない方が良かった。

 

『若葉! ちーちゃん!』

 

 竜胆が手を伸ばす中、二人の即死とブロンズ化が、完了する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頼りになる男だった。

 信じられる男だった。

 不思議な男だった。

 

 私はそう思っていたが、ひなたは、どう思っていただろうか。

 友奈は、千景は、杏は、歌野は、あいつをどう思っているのだろうか。

 

 最初の印象は良くはなかったが、話し合い、助け合い、守り合う内に、そんな最初の印象はどこかに行ってしまった。

 暴力と秩序が入り混じっている。

 光と闇が入り混じっている。

 個人の正義と、全体の正義、どちらにも偏りきれず雁字搦めになってしまっている。

 相反する二極を抱え込み、生きている人間。

 なのに。

 『善と悪が入り混じっている』とだけは、思えなかった。

 

 なんでだろうか。

 なんで私は、あいつを悪と思えないのだろうか。

 ちょっとくらいは、あいつに悪いところがあったと言えるはずなのに。

 いつから私は、あいつを一欠片も悪だと思えなくなってしまったんだろうか。

 

 報われてほしい。

 あいつに、報われてほしい。

 『報い』こそが乃木の生き方だと、祖母から教わった私だ。

 

 頑張った者に報われてほしいと思うのは、当然のことだろう?

 ……いや、違うか。

 そういうのとは関係なしに。

 私は、あいつ個人に、報われてほしいんだろうな。

 昔辛い思いをした分、いい思いをしてほしいんだろう。甘い考えかもしれないが。

 

 頼っているし、頼られている。

 助けているし、助けられている。

 あいつが私を成長させて、私があいつを成長させている。

 私はあいつを大事に思っているが、私と同じくらいにはあいつも、私のことを思ってくれていると信じている。

 

 それは思い上がりじゃない、確かな事実だ。

 私とあいつは対等だ。

 これまでも、これからも。

 

 だから。

 助けないと。

 守らないと。

 止まってなんていられるものか。

 

 頑張った人達に、報われる未来をあげられていない。

 バーテックスに、報いの滅びを与えてやれていない。

 何より、あいつが報われていない。

 

 まだだ。

 だから、まだだ。

 まだ止まれない。

 こんなところで終われない。

 

 死にたくない。

 まだやりたいことがある。

 だが、そんなことはどうでもいい。

 そんなことは些事だ。

 私のことより、あいつのことだ。

 

 なんて顔をしてるんだ、あいつは。

 そんなに心配そうな顔をするな。

 大丈夫だ。

 今、私がまた、お前を守りに飛んで行くから。

 

 任せろひなた。

 お前の幼馴染は、お前が誇れる乃木若葉のままでいる。

 戦えないお前の代わりに、お前がしたいことを私が果たしていこう。

 まずは、あんな風になっている竜胆を落ち着かせることからだな。

 

 ―――安心―――させて―――やらないと―――

 

 

 

 

 

 私は村で、何も悪いことをしてないのに悪いことをされてきた。

 そんな思いが、ずっと自分の中にあった。

 私は無価値だと、ずっと思ってきた。

 皆がそう言ってる気がして、ずっとそう感じていた。

 だから、生きているのが辛かった。

 

 "楽しい"をくれて、世界を変えてくれた人がいた。

 竜胆君は、あの地獄のような世界の中で、私に笑顔と、小さな幸せをくれた。

 

 竜胆君は何も悪いことをしてないのに、"私に"悪いことをされた。

 私は最悪だった。

 なのに、竜胆君は、一度も。

 ただの、一度も。

 私を大きな声で罵らなかった。

 私を責めなかった。

 私のせいだとは、言わなかった。

 

 だから、そう。

 幸せになってもらいたかったんだ。竜胆君に。

 竜胆君を一人にしたくないって、そう思ったんだ。

 世界の全てを敵に回してでも、竜胆君の横にいようと思ったんだ。

 

 その願いが、空高くに在る星に触れるくらいに無理なものなら、私だって諦めていた。

 でも、そうじゃなかった。

 高いところにある願い、ではあったけど。

 それでも頑張れば、届かない高さにあるものじゃないと、そう信じて、頑張った。

 

 だって、そうだ。

 竜胆君は私が微笑みかけると、嬉しそうにする。

 私が無事だと知ると、とても安心した顔をする。

 私が幸せそうだと、竜胆君も幸せそうだ。

 どのくらいかは分からないけど……竜胆君は間違いなく、私のことが大好きだから。

 

 私はその分、大好きを返さないと……いけないけれど、気恥ずかしくて、何もできない。

 優しくしてもらった分だけ、優しくし返せない。

 高嶋さんに対してもそうだ。

 私は私の想いを、私の外に出していけない。

 

 それでも、竜胆君も高嶋さんも、優しくて寛容だから。

 そんな私に無言のまま"ゆっくりでいいんだよ"と言ってくれている。

 "ぐんちゃんのペースでいいんだよ"って、接し方で伝えてくれている。

 それに甘えて、私は私のペースで、ここまで来てしまった。

 

 まだ、全部、返せていないのに。

 二人に救ってもらった分、二人を救い返せていないのに。

 

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 

 なんで私はいつも、いつも、こんなに―――手遅れになってから―――願いを―――

 

 ―――私はまだ―――泣いてしまう―――竜胆君―――泣かせたくない―――

 

 ―――嫌―――消えたくない―――抱きしめて―――愛して―――助けて―――

 

―――竜胆君を―――誰か―――助けてあげて―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「想いだけで奇跡が起こるなら、苦労はないでしょう?」

 

 完全にブロンズ像化した千景と若葉を、カミーラが踏んで粉砕する。

 二人に向けて手を伸ばしたティガの目の前で、二人のブロンズ像を粉砕する。

 欠片になっても踏み続ける。

 原型が何も残らないように、徹底的に。

 

「ふふ、ふふっ……あははははははっ!!」

 

 ブロンズ像が、『千景だったもの』と、『若葉だったもの』に変わる。

 

「ああ、私のティガに群がる薄汚い雌豚共が、ようやく少し死んでくれたわ」

 

 ティガの全身から闇が吹き出す。

 絶望。無力感。現実逃避。自己嫌悪。そして……憎悪。

 ティガの全身から吹き出した闇を真紅の光、青紫の光が、"止まれ"とばかりに拘束するが、光はあっという間に闇に飲み込まれていった。

 カミーラもまた、その全身を己が闇に飲み込ませていく。

 

『カミーラあああああああああッ!!!』

 

「―――素敵な憎悪」

 

 飛びかかるティガ。

 狙うはカミーラ。

 もはや竜胆は、カミーラがこの地上に生きていることを許さない。

 

 そしてカミーラは一瞬で、その身を"変身"させていた。

 それは先日、心が読める歌野に対し見せた、『今のカミーラの真の姿』。

 

「改めて名乗りましょうか」

 

 強化変身を遂げたカミーラはティガの突撃をひらりとかわし、カミーラの手がティガのカラータイマーに触れる。

 その瞬間、ティガの胸で闇が弾けて、ティガのカラータイマーの光が消えた。

 

 破滅魔人ブリッツブロッツが使っていたのと同じ、『対ウルトラマンの即死技』。

 手でカラータイマーに触れることで、相手の体内の光を0にしてしまう最悪のスキル。

 

「闇ノ魔王獣『マガカミーラ』。

 それが今の私の名。

 ティガ、あなたに殺され、原型も残らないほどに体を粉砕された女よ」

 

 魚のような鱗。巻き貝のような甲殻、タコのような異質な肉、歪んだ顔の造形。

 先程まで曲がりなりにも"闇のウルトラマン"と言うべき姿だったカミーラは、闇ノ魔王獣と化すことで、完全に"ウルトラマンだった怪獣"と言うべき姿に成り果ててしまっていた。

 

 変身が解けた竜胆が地に落ち、その手からブラックスパークレンスが転がり落ちる。

 

 マガカミーラの手から放たれた氷の槍が、ブラックスパークレンスを粉砕した。

 

「これで、第一段階は終了」

 

 竜胆の体を光に変換する機能を持った『スパークレンス』が失われた以上、もはやティガが光の巨人になることはできない。

 仲間から受け継いだ光はもう使えない。

 使える力はもはや、純然たる闇の力のみ。

 

 千景は死んだ。

 マガエノメナの電磁波への呪術的対処はもはや不可能。

 若葉は死んだ。

 ティガが失われ若葉が死んだ以上、飛翔できる戦闘要員はもう存在せず、四国の外をマガエノメナが動き回っていても、それに対処できる移動方法を持つ者はいない。

 海上の敵には、もう手が出せない。

 

 御守竜胆が最も頼りにした勇者と、最も頼りにされたかった勇者が、終わりを迎えた。

 それは、希望の終わりでもある。

 

「ちーちゃ……わかば……」

 

「あら、リンドウ。

 この期に及んで他の女の名前?

 悲しいわ、悔しいわ、妬ましいわ―――ふふっ、まだ周りの女の死が足りない?」

 

「……っ!」

 

「追加してあげましょうか?」

 

 大切なもの重みは、失ってから実感するもの。

 大切なものの喪失の痛みは、失った後の地獄の日々が叩きつけるもの。

 カミーラは竜胆にトドメを刺さない。

 "大切な人を失ってからの地獄の日々"を、プレゼントする。

 

 ―――とても長く、とても短い、最後の地獄の日々が、開幕を告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無様に樹海に転がる竜胆を見下ろし、マガヒッポリトは鼻で笑った。

 

「終わりだな、『星の戦士』」

 

「ヒッポリト、次にティガをその名で呼べば―――殺すわ」

 

「……む」

 

 『星の戦士』。

 それはクトゥルフ神話に語られる、(ふる)き神。

 炎、あるいは光で出来た肉体を持ち、赤い火の玉となって宇宙の彼方から地球に飛来する。

 悪を察知してはそれを素手で叩きのめし、死の光線を撃ち放って邪神を打ち倒し、海の底に封印すると言われている存在だ。

 善なる神であり、人によっては星の戦士を"人にとって唯一の味方である神"とすら言う。

 共通点は、ある。

 

 星の戦士は、オリオン座から飛来すると言われている。

 オリオン座には『M78星雲』という星雲がある。

 三千万年前の『大本のティガ』は、空の彼方からやって来て世界に平和をもたらし、地球にティガの光を残し、故郷の宇宙の彼方へと帰って行った……と、伝えられている。

 共通点は、ある。

 

 初出の"潜伏するもの"では、邪神とその信奉者に抗う人間達の思いに応え、星の戦士が降臨し、世界を滅ぼさんとしたロイガー/ゾイガー達とその信奉者達を光線にて焼滅。

 "ハスターの帰還"では、復活した海の邪神とハスター/ガクゾムが戦っているところに星の戦士が現れ、二体まとめて叩きのめし、投げ飛ばし、再封印したと描かれている。

 共通点は、ある。

 

 マガヒッポリトは、ティガを星の戦士と呼んだ。

 宇宙の彼方から飛来し、光線を撃ち、三千万年前に海の邪神を封印したティガを、星の戦士と呼び、蔑んだ。

 "そんな姿に成り果てた"光の巨人を、マガヒッポリトは鼻で笑った。

 

(ブザマなものだ。かつては邪神を封印したと語られる、善なる星の守護神がこれか)

 

 もはや戦えるのは歌野のみ。

 歌野は既に気軽に立ち回れない状況下にあった。

 ここからカミーラが何をするにしても、歌野以外の人間の誰もが戦闘力を持っていない。

 この状況では軽挙妄動など許されないのだ。

 

 カミーラは歌野が大人しくしていることを確認し、歌野や水都が余計なことをしないよう一瞬たりとも目を離さず、魔王獣達に指示を出す。

 

「さあ、始めましょう」

 

 マガエノメナが動く。

 マガヒッポリトが動く。

 そして、結界外から()()()()()()()()()()()()()

 

 三体の魔王獣は沖縄爆弾の影響で負傷している。

 だが、動くこと自体に問題はなさそうだった。

 沖縄爆弾はこの三体の魔王獣の参戦を遅らせてくれたものの、倒すまでは至らなかったらしい。

 

 そのおかげで、四国が六体の魔王獣に蹂躙されて確定敗北する未来は回避された。

 だがそれも、延命に過ぎなかったのかもしれない。

 

「北に光ノ魔王獣。

 東北東に風ノ魔王獣。

 西北西に土ノ魔王獣。

 南南東に水ノ魔王獣。

 南南西に火の魔王獣。

 そして中央に私……闇ノ魔王獣、マガカミーラ」

 

 魔王獣の総数は六体。

 カミーラが中央に立ち、樹海化した四国に立つ他五体の魔王獣が、星の形を作り上げる。

 中心のカミーラが手を掲げると、歪んだ星と、その真ん中に浮かぶ目の意匠が見えた。

 

 竜胆の遺伝子は、それがなんであるかを覚えている。

 

「……エルダー……サイン……」

 

 クトゥルフ神話において海の邪神を封印した『星の戦士』は、旧神と呼ばれる存在である。

 旧神は、邪神を封じた存在であると語られている。

 この旧神の力を宿した印が、"エルダーサイン"と呼ばれるものである。

 

 エルダーサインは、旧神による封印の証。

 その形状は、五つの頂点を持つ星と、その中央の目であると言われる。

 カミーラは六体の魔王獣を用いて、中央の目と五つの頂点による星を作り上げた。

 そして、そこに邪悪な力を循環させたのである。

 

 それは、"海の底の邪神を封じている"エルダーサインの逆位相。

 海の底の邪神を封じるエルダーサインを右回転だと例えるなら、これは左回転の逆エルダーサインとでも言うべきもの。

 これで、海の底の封印は解ける。

 四国もまた、一気に汚染される。

 神樹は闇に飲み込まれ、四国は人類最後の方舟から一気に、"人が怪物の餌となる地獄"に変わり果てるだろう。おそらく、一瞬にして。

 

 四国人口・四百万人は海の邪神に捧げられた生贄となり、四国は新たなるルルイエと化し、邪神の生み出す地獄が蘇る。

 星は、邪神に食い尽くされるだろう。

 

 

 

「今ここに、完全なる形で我らが主―――魔王邪神『マガタノゾーア』の復活を!」

 

 

 

 世界が終わる。

 けれど、竜胆にとっては、もはやそんなことはどうでもよかった。

 カミーラが、ずっと千景と若葉の残骸を踏んでいる光景が見えていたから。

 燃え盛る怒りと、煮え滾る憎悪以外の何もかもが、竜胆の頭から消え去っていた。

 

「二人を、二人を―――汚え足で踏むんじゃねええええええええッ!!!」

 

 爆発的な感情の本流が、スパークレンス抜きで竜胆を闇の巨人に変える。

 竜胆の感情が。心の光が。希望が。明るい思い出が。

 闇に呑まれて、消えていく。

 光の混じっていない最高純度のティガダークが、憎悪によって顕現する。

 

「どのくらい()()()()()()、確かめてあげましょう」

 

 カミーラはそんなティガを見て、優雅に微笑んだ。

 

 

 

 

 

 歌野参戦時、丸亀城陣営暫定数。

 ウルトラマン一人、勇者五人、巫女二人。合計八人。

 

 乃木若葉、郡千景死亡。

 

 ウルトラマン、残り一人。

 勇者、残り三人。

 巫女、残り二人。

 

 残り、六人。

 

 

 




6/14


 ゼットの言葉を覚えているでしょうか?
 グレート死亡時点で「あと八人死ねば私と互角になるな」と言っていたあれです
 はい、あと一人死ねば、あの時ゼットが言及した数字に届きます

【原典とか混じえた解説】

●闇ノ魔王獣 マガカミーラ
・愛憎戦士 カミーラ
 闇の星辰。
 原作における、『邪神の闇すら歪んだ愛で従えた者』。
 クトゥルフ神話における、邪神クトゥルフの愛娘、旧支配者クティーラ。
 クティーラの命と肉体は、海底に封印されたより恐ろしく強大な邪神を蘇らせる、とクトゥルフ神話においては語られている。
 また、その名から美しき美女・吸血鬼カーミラの逸話とも同一視された。

 武器は氷の鞭カミーラウィップ、それを変化させたアイゾード。
 氷を槍として放つ連射可能なデモンジャバー、それを凝縮し数十倍レベルの連射速度で放ち、遠目には光線のようにしか見えなくなるジャブラッシュ。
 また、人間形態においてすら使用可能な雷撃能力も持つ。
 それぞれが、ティガを絶命させるには十分な威力を持っている。

 肉体を失いながらもその愛憎だけで三千万年を生き延びたカミーラが、天の神、『海の底の邪神』、『魔王の獣』の力の一端と、ルルイエに蓄積された膨大な闇と一体化して変じたもの。
 まごうことなく、"地球の闇"。
 地球で生まれた闇のエレメント。
 地球に生まれ心持つ存在ならば、誰もが心に持つ可能性のある、『愛憎の闇』の化身。
 原作ティガとの対峙において原作カミーラは、人間の心の闇を否定するティガを前にして、
「何故闇の力を否定する」
「それが人間の本質だというのに!」
 と、憎しみを募らせた。

 三千万年前、彼女の(あい)を光に変えて、ウルトラマンティガは完成した。
 原作におけるティガがパワータイプで使用する雷撃や、スカイタイプで使用する氷撃は、カミーラの使用する雷と氷であると推測されることもある。

●土ノ魔王獣 マガヒッポリト
・地獄星人 ヒッポリト星人
 土の星辰。
 "ウルトラマンSTORY0"における、『人を騙し神として崇められた宇宙人』。
 すなわち、地球の地に根付く天候神としてのヒッポリト星人。
 生物を強制的にブロンズ像化させ、即死させる能力を持つ。
 マガヒッポリトが最も好むのは、"ブロンズを空気感染させる"技。
 青銅(ブロンズ)にする能力をもってして、地球の地のエレメントを体現する。

 オリジナルのヒッポリト星人は、当時地球を守っていたウルトラマンエースをブロンズ化し、救援に来たウルトラマン、セブン、ジャック、ゾフィーのウルトラマン四人もブロンズ化、防衛隊の戦闘機も全滅、更に助けに来たウルトラの父をも倒してしまった。
 近接戦闘力も悪くはないが、真に恐るべきはその知略。
 丁寧に罠を準備し、的確な場所に仕掛け、最適なタイミングで使用、敵の弱みを見逃さない。
 そのため、知略を尽くして"自分より強く多い敵を倒す"ことにとことん向いた存在であるとも言える。

 また、ウルトラの星の強さの頂点・ウルトラ兄弟だが、11人中9人がヒッポリト星人にブロンズ化され負けたことがあるという。
 TV主役経験者だと8人中7人。
 ……多い!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3

 神世紀勇者は星屑の噛みつきも、オコリンボールの吸血も、ソドムの高熱空気も、亜型ピスケスの幻覚も、亜型アクエリウスの毒霧も、亜型アリエスの溶解液も、亜型レオの磁力引き寄せも、ヒッポリトの青銅攻撃も、マガエノメナの電磁波も、全部精霊バリアで弾いちゃうんですよね
 神世紀の火力と防御力の天上人っぷりたるや


 安芸真鈴は、大社の病室で目を覚ました。

 妙に頭が痛む。

 何故自分が寝ていて、今ここで起きたのか、まるで分からない。

 

「あ……安芸さん、目が覚めたんですね」

 

「上里ちゃん?」

 

 目覚めた安芸の目に、ひなたの姿が映った。

 周りを見ると、安芸同様にベッドに寝かされていた――怪我をした状態で眠っていた――人達が何人も見える。

 だが、安芸は自分の現状より、周りの意識が戻っていない怪我人達より、目の前の憔悴した弱々しい雰囲気のひなたの方が気になった。

 

(……上里ちゃんは、こんなに弱々しい雰囲気を見せる子じゃなかったはず)

 

 上里ひなたは、いつもどこか芯の強さを感じさせる少女だった。

 芯があるから、どんなにふらふらふわふわしているように見えても、基本的な行動と基本的な考え方が一切ぶれない少女だった。

 そんなひなたに、今は全く芯の強さが感じられない。

 "柱が全て引き抜かれた後の家"というのは、こういうものなのかもしれないと、安芸は思った。

 

「大丈夫ですか? 意識はハッキリしていますか?」

 

「うん、大丈夫。ねえこれ、何があったの?

 アタシなんでここにいるのかすら、ちょっと分からないんだけど」

 

「……それは」

 

 ひなたは言い淀む。

 だが、隠しても仕方がないことであり、安芸も知らなければならないことだった。

 

「ここから少し……地獄のような話をします。心して聞いて下さい」

 

「……うん」

 

 今の四国は最悪だ。

 絶望の理由を一つずつ挙げていけば山のように積み上がり、されど『地獄』の一言で説明を終えることができる。

 ……そんな、状況だった。

 

登録呼称(レジストコード)・マガエノメナという敵が現れました。

 この敵の電磁波は、人間の脳を破壊し、異常なほど攻撃的にしてしまうそうです。

 安芸さんはそれで暴徒化した人に頭を殴られて、数日意識がなかったんですよ?」

 

「あー、それで記憶が飛んでたんだ……」

 

「とても、とても、心配しました。安芸さんまで、いってしまうんじゃないかと……」

 

「……順を追って、全部説明してもらえる?」

 

 "安芸さんまで"という言葉に、安芸は嫌な予感を覚えずにはいられなかった。

 

「安芸さんがここに運び込まれた時点で、四国内部の暴徒は120万人前後だったと聞きます」

 

「ひゃくにじゅうま……!?」

 

「彼らは千景さんの一撃で、ほぼ一日気絶した状態だったそうです。

 そこで、戦いから帰ってきた白鳥歌野さんが、素早く全員の拘束に動きました。

 大社もその後に続いたそうです。

 歌野さんの奮闘、市民の協力もあって、奇跡的に120万人の一斉拘束に成功したらしいです」

 

「え? 白鳥さんだけ?」

 

「……」

 

「他の勇者は……」

 

 語調がどんどん"恐る恐る"といった風になっていく安芸に、ひなたは感情を噛み殺すような表情で、できるかぎり感情を抑えるように努めて語る。

 

「若葉ちゃん、千景さんは戦死。

 友奈さん、杏さんは、天の神の祟りでいつ死ぬか分からない、絶対安静の状態です」

 

「―――え」

 

 安芸の思考が、真っ白になった。

 

「若葉ちゃん、千景ちゃんが戦死し……

 御守さんが、変身の神器抜きで変身、暴走。

 魔王獣個体と呼ばれる個体六体と交戦し、撤退させたそうです。

 その強さは圧倒的で……その戦いを見てしまった水都さんが、カウンセリングを要したとか」

 

 魔王獣は、一体でもティガを凌駕する力を持ち、カミーラに至っては強化変身前からティガよりも強いほどであった。

 マガエノメナですら、正面からティガと一対一で戦えば、九割がたティガには勝てる、そういうスキル構成をしている。

 

 それを六体同時に相手にして、ティガは撤退に追い込んだ。

 すなわちそれは、魔王獣六体でも"今のティガの暴走状態"は容易に潰せる相手ではないことの証明であり、"カミーラが満足した"ということの証明でもあった。

 魔王獣はティガを殺せず。

 ティガもまた、魔王獣を殺せなかった。

 

 竜胆が若葉を大切に思う気持ちと、それが転じた絶望、憎悪、絶叫。

 竜胆が千景を大切に思う気持ちと、それが転じた絶望、憎悪、絶叫。

 その二つが生んだ、過去最強クラスの心の闇が、ティガダークを更に強くした。

 

 そこに、魔王獣三体に与えられていた、沖縄爆弾のダメージ。

 ティガの死ではなく、闇堕ちを望むカミーラ。

 様々な要因が絡まって、魔王獣を撤退に追い込めたと言える。

 だが。

 魔王獣が撤退したなら、次は仲間に攻撃を始める。それが暴走状態のティガだ。

 

「御守さんは次に、歌野さんと水都さんを襲おうとし……

 けれども、最後の一線を越える前に、仲間を思い踏み留まり。

 辛うじて、自分の首を自分で貫くことで、止まることができたと歌野さんは言っていました」

 

「……友奈ちゃんと、杏ちゃんは?」

 

「その後、彼女らが帰還しました。

 ですが……歌野さん曰く、カミーラが罠を仕掛けていたようです。

 帰還した友奈さんと杏さんを、天の神の黒い雷の力が襲ってしまいました」

 

「!」

 

「無事に戻って来た人の証言によれば……

 友奈さんは、北海道の勇者を庇い。

 杏さんは、沖縄の勇者に託された人々を庇い。

 天の神の呪いを受けて……今もずっと、生死の境を彷徨っています」

 

「……杏ちゃんまで……そんな……!」

 

 四国外縁にカミーラが用意していた、天の神の雷が襲うという罠。

 天の神の側に付いていないにも関わらず、時折天の神と共同で動いていたカミーラだからこそ仕込めた罠だと言えるだろう。

 ティガが魔王獣を撃退する過程で、精霊を使いカミーラから情報をこっそりいくつか引き抜いていた歌野だが、この罠の情報は間に合わなかった。

 友奈達が帰って来たのは、魔王獣撤退の直後だったのである。

 

 あるいは、カミーラはそのあたりまで計算していたのかもしれない。

 

「くっ……!」

 

「! 無理をしては駄目です!」

 

 安芸は愛媛の巫女である。

 球子を導き、杏を導き、球子が死に……これで杏まで死んでしまえば、その絶望は計り知れないものとなるだろう。

 無理をしてベッドから降りようとする安芸が、頭を抱えて蹲る。

 

「頭の怪我なんです。治療はもう済んでいますが、大事を取って……」

 

「……球子に、死んでほしくなかったんだ、アタシ」

 

「―――」

 

「御守くんにも、杏ちゃんにも……だからっ……! うっ……」

 

「安芸さん!」

 

 動ける体じゃないにも関わらず、安芸は昔からの友人と、心配で心配でしょうがない一人の勇者のことを想い、その下に行こうとする。

 だが、無理なのだ。

 安芸が無傷な状態だったとしても、丸亀城で治療中の杏や、竜胆に会いに行くことはできない。

 

「駄目です。今は、護衛三人以上が付いてなければ丸亀城まで行けません」

 

「そんなに、街は危険なことになってんの……?」

 

「はい、大変危険です。

 マガエノメナは電磁波を今も継続して結界内に投射中。

 皆、継続して脳を破壊されています。

 さっきまで普通だった人が突然凶暴化する可能性もあるんです……大社の人も」

 

「……うわぁ」

 

 だから、"護衛は三人以上"と明言されているわけだ。

 大社が護衛を一人付けても、その一人が暴走する可能性がある。

 ゆえに一人が暴走しても二人で抑え込める、三人という数。

 三人は必要最低限の人数でしかなく、安全を期するならもっと多くの人数が要るが、もはや大社も、この三人の護衛を捻出することすら難しいほどに追い詰められていた。

 

「暴走した人は片っ端から捕まえて、収容しています。

 放っておけば暴走した人で殺し合いが始まってしまうからです。

 避難させた普通の人も、時間が経てば脳が壊れて暴走を始めてしまうので……

 常に後手後手です。誰かが暴走したら捕まえ、収容する、その繰り返し……」

 

「それ……もう、手遅れなんじゃないの? 四国……」

 

「諏訪の勇者と、北海道の勇者、そして御守さんが動いてくれてます。

 大きな問題が起きたら通報が行って、とても強い三人が抑えてくれているんです」

 

「え? 警察とかは?」

 

「……銃を持った警察官が暴走し、市民を撃つ事件が昨日、ありました」

 

「!」

 

「銃を持った暴徒がいつどこに発生するか分からないんです。今の四国は……」

 

 信頼できる者など、どこにもいない。

 友達も。

 家族も。

 勇者も。

 巨人も。

 次の瞬間、脳が壊れて暴走する可能性はあるのだ。

 

「諏訪と北海道の勇者は西に東に大忙し。

 御守さんにいたっては、この数日全く寝ていないそうです」

 

「え……御守くん先輩、それ体大丈夫じゃないでしょ?

 暴徒との戦闘あるんだから、休まなきゃ、体が持つわけが……」

 

「『眠らなくて良いように脳と体を改造しておいた』と、本人は言っていました」

 

「……それ」

 

 安芸真鈴は、その一言からまたいくつか理由を察する。

 今の竜胆が、どれだけヤバい状態であるか。

 上里ひなたが、何故こんなにも憔悴しているのか。

 新造脳を作った時と同じ過程を経て、『闇』は竜胆の肉体を、"破壊と殺戮のための最高の肉体"に仕上げようとしているのだ。

 

「それ、絶対ダメなやつでしょ」

 

「私もそう思います。でも……止められませんでした」

 

 今、ひなたが見ている地獄は、いかほどのものであろうか。

 

「『それ以外に皆を守る代案があるなら聞く』と、押し切られてしまいました」

 

「あら、意外。

 御守くんは上里ちゃんにそんなに強く出られたの?

 こういう話だと、上里ちゃんが押し切るイメージちょっとあったけど」

 

「……ふふ、そうですね」

 

 自らを(あざけ)る、自嘲の笑みがひなたの口元に浮かぶ。

 

「でも、今の御守さんが、誰かの言葉を聞いて意志を変えるとは思えません。悲しいことに」

 

「うへぇ、話の続きを聞くのが怖い……」

 

 安芸視点、今のひなたは竜胆の手綱を握れているようには見えないし、若葉の死を乗り越えられているように見えなかった。

 

「それに、今の四国は、シビトゾイガー……

 人間に化けていた化物が情報操作をしていたということで、最悪のパニック状態です」

 

「え!?」

 

「人間に化けていたバーテックスがいたことが、全土に知られてしまったんです。

 大社の人の話によると、潜伏していたシビトゾイガーが自ら発覚させたのだとか」

 

「え、なにそれ意味分かんない。黙ってて人間の中に潜伏してた方がよくない?」

 

「……人間による、人間に対する、シビトゾイガー狩りが始まりました」

 

「……え」

 

「人は皆、隣の人間が信じられなくなったんです。

 "シビトゾイガーがいる"という情報を耳にして。

 ……平時だったなら、まだ立て直しは効いたかもしれません。

 でも、今は駄目でした。

 このタイミングは、最悪でした。

 他人に対する攻撃衝動と破壊衝動を引き出されている街の人達は……」

 

「他の人間を、正気のまま襲い始めたっていうの?」

 

「……この電磁波は、効く効かないの二択ではないそうです。

 全ての人間の脳が均等に破壊され、大きく効くか小さく効くか、の二択。

 周りの人を殺そうとするほどでなくても、皆攻撃的になっていて……」

 

 本物のシビトゾイガーは殺されない。

 けれど、人間が人間をシビトゾイガーだと疑い、ゴルフクラブや包丁で狙うようになる。

 

「私、知りませんでした。

 疑心暗鬼に陥った人間は、ただの人間も怪物に見えていて……

 普通に振る舞っているつもりでも、周りから怪物に見られる人はいて……

 そして本物の怪物は、ちゃんと他人に怪しまれない振る舞いができる、だなんてこと」

 

 シビトゾイガーが、立ち回りや言動を失敗することはない。

 だってシビトゾイガーには、人間とシビトゾイガーの見分けが付くのだから。

 誰が怪物で誰が人間か分かっているのだから、言動で失敗することもなく、人間であることを疑われることもない。

 十人の集団の内五人をシビトゾイガーで占められれば、『皆があいつが怪物みたいで怪しいって言ってる!』といった集団意見すら作り、人間を公開処刑することもできる。

 

 なのに人間は、怪物と人間の見分けが付かない。

 ただオドオドしているだけの人間を、怪物だと思って攻撃を始める。

 少し記憶違いをしただけで、"発言に矛盾がある"と思い、怪物だと確信する。

 容姿や服装だけを理由に"シビトゾイガーなんじゃ"と疑うことすらする。

 

 ただの人間を「シビトゾイガーだ!」と思い込み、口撃を続け、そのせいで「こんなにただの人間をシビトゾイガーだとレッテル貼りするこいつこそがシビトゾイガーなんじゃ」と思われてしまったりもする。

 そうなれば、互いが互いをシビトゾイガーだと思い込んでの殺し合いしかなくなる。

 

 武器を持っていないと安心できない。

 武器を持っている人を見ると、本能的に脅威を感じ、「こいつは怪しいかも」と思い始める。

 「武器を持たないと不安」という気持ちと、「あそこにいるあいつはやましい気持ちがあるから武器を持ってるんじゃないか?」という気持ちを併せ持つ人間までいた。

 

 意図的にこの混乱を起こし、コントロールしているシビトゾイガー。

 混乱させられ、愚かさを引き出され、コントロールされている人間。

 後者が死ぬことはあっても、前者が殺されることはない。

 主導権は、シビトゾイガーの側にあるからだ。

 

「今の人間を殺しかねないものは四つあります。

 一つ、結界外のバーテックス。

 一つ、結界内のシビトゾイガー。

 一つ、マガエノメナに頭を壊された人達。

 そして……いいように操られている、普通の人達です」

 

「待って、もしかして御守くん先輩達、そっちにも回ってる?」

 

「……はい」

 

「じゃあ、相手は120万じゃなくて400万でしょ実質!

 いや、数が少なくたって、守るべき人達に本気で襲いかかられるなんて、心が……!」

 

「……」

 

「なんとかならないの!?」

 

「私には……私には、分かりません……」

 

 ひなたは知っている。

 人々が大変なことになっていることも。

 狂気の表情で竜胆に襲いかかっていることも。

 守るべき人達に攻撃され、竜胆が心痛めていることも。

 

 ひなたは知っている。

 自分が無力なことも。

 自分には何もできないことも。

 

 ひなたは知っている。

 自分の心が、もう折れていることも。

 

「それと、大社の人は、この部屋にも監視カメラを付けているようでして……」

 

「え? 上里ちゃん、どういうこと?」

 

「大社の人間の何人かがこの混乱に乗じて、シビトゾイガーに入れ替わられてる疑惑があります」

 

「!」

 

「大社の機密情報の一部が……

 ティガの過去についての凄惨な情報が、漏れているようなんです。

 おそらく一部は既に。シビトゾイガーの能力を考えれば、怪我をした被害者の中にも……」

 

「ちょ、ちょ!

 それじゃアタシも上里ちゃんを、上里ちゃんもアタシを、信じられないってことじゃ!」

 

「それでは話が進まないので、半信半疑、ということでお願いします」

 

 シビトゾイガーが奪ったものは、シンプルに一つ。

 『信頼』だ。

 

 どの情報、誰の話を信じていいか分からない。

 誰を信じていいのか分からない。

 信じられるウルトラマンがいない。

 信じていた勇者も死んだ。

 だから、すがりつける光がない。

 

 信頼が、ティガに力を与えたように。

 今人間は、信頼を奪われることで、いとも容易く滅ぼされようとしている。

 

 誰も、隣人を信じられていない。

 誰も、未来を信じられていない。

 自分達が滅びる未来を、信じ始めている。

 

「魔王獣の数は減っていません。

 また襲撃してくるかもしれません。

 いや、むしろ……そうならなかった場合の方が怖いと思います。

 今の私達には、結界外のマガエノメナの位置を特定する手段が無いんですから」

 

「上里ちゃん……本当の話……なんだよね?」

 

「はい」

 

 勇者二人が死んだ。

 カミーラが仕込んだ即効性の祟りで、友奈と杏もあと一日か二日で死ぬだろう。

 四国の住民が同士討ちで全滅するのが先か、全員の脳が壊れるのが先か……あるいは、バーテックスの襲来と、四国ルルイエ化の完遂で、人類は全滅するだろう。

 どうなるにせよ、先は無い。

 

「このままいけば、私達は、何もできないまま同士討ちで全滅します」

 

「……っ!」

 

 北海道も、諏訪も、沖縄も、もう生存者はいない。

 そして最後に残った人類の砦は完璧に詰まされた状態で、カミーラの玩具にされている。

 どう殺すも、どう演出するも、カミーラの勝手だ。

 それを止めるには―――竜胆が完全に闇に堕ち、力を手に入れる以外の道がない。

 

 平時のひなたなら、何がなんでも止めようとしただろう。

 止められないにしても、何かしら楔になる言葉は投げかけられたはずだ。

 それができないのは、きっと。

 

「私は……私は……」

 

 乃木若葉の死を聞いて、心が折れて、わんわん泣いて、色んなことがどうでもよくなって……ひなたらしくない心の状態へと、陥っているからだろう。

 

「なんでまだ、生きてるんでしょうね……

 若葉ちゃんのことを聞いた時……もう生きる意味なんてないと、思っていたくせに……」

 

 乾いた笑い。

 "もしかして"、と安芸は気付く。

 ひなたが、安芸をシビトゾイガーかそうでないか疑っていなかったのは。

 "どうでもよかったから"なのではないか、と。

 

 今のひなたには、悲嘆、諦観、厭世観がよく見て取れる。

 

「先も、未来もなさそうなこんな状況で……

 ……若葉ちゃんもいないこんな世界に、私は、なんで……」

 

「……上里ちゃん」

 

 まだ、世界も、人類も、終わってはいないのに。

 

 どこか、何かが、致命的なまでに手遅れだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウルトラマンガイアSVは、ゼットの生涯において最大最強の敵だった。

 その光線はゼットの体に、見かけ以上のダメージを与えた。

 肉体を星屑で補填しても、傷はいつまで経っても治らない。

 八月に入ってようやく、ゼットの体は完治しかけている、といった段階に足を踏み入れていた。

 

 そんなゼットに――神話や祟りにあまりに無知なゼットに――気まぐれを起こしたカミーラが、神話や祟りの基礎知識の手ほどきをしてやっていた。

 

「天津神は、天の神。天照大神とそれに連なる神族群。

 国津神は、地の神。大国主とそれに連なる神族群。

 別天津神は、天の神とは別系統の宇宙の神。宇宙の彼方より来たる者。

 天津甕星は星の神。空より来たりて、その土地に根を下ろした、土着の神の一端。

 旧支配者は旧き怪物。海に根付いた邪神達は、全てこれの類。

 そして旧神は、それら旧支配者と敵対した……人間の味方もする神々のカテゴリー」

 

 完治直前のゼットが、カミーラの教導を受ける。

 

 ゼットはカミーラに"ティガが絡むと吐瀉物と排泄物が混ざったもの以下"というイメージを持っていただけに、ティガが絡まない時の彼女の振る舞いに、違和感すら覚えてしまう。

 ティガが絡まない話をしていると、ひしひしと感じる。

 カミーラは本来、理知的な女性である、ということを。

 

「仮に、遠い宇宙の彼方から、ティガの同族が来たなら、それはどこに入るかしら?」

 

「別天津神だろう。神としては、その時点では天の神ならざる天の神だ」

 

「それがこの地球に来て何年も過ごしていたなら?」

 

「それなら、天津甕星の枠に入る。パワードやグレートと同じだな」

 

「超古代から旧支配者と敵対していたなら?」

 

「それなら旧神……なるほど、こうやって"神話のなぞり"は判別されるのか」

 

「その通り」

 

 ゼットには、カミーラが気まぐれを起こして自分を教導してくれた理由が分からない。

 

「だが、何のつもりだ?

 神話に対する解釈が甘い私に、手を貸すようなマネをするとは」

 

「手慰みよ。もう少しで、全てが終わりそうだから……余興というやつね」

 

 ゼットの心は未だ未熟で成長しきっておらず、他者への共感性も未だ発展途上であるがために、カミーラのその内心が分からない。

 と、いうか、カミーラ自身にすら分かってはいない。

 

 "どんなに悪に落ちても、心のどこかで光に惹かれる"。

 カミーラはそういう男こそを好むのだと、カミーラ自身にすら自覚がない。

 誰よりも深い闇に堕ちるがために、誰よりも強い光と成る男。

 誰よりも光であるがために、誰よりも強く恐ろしい闇と成る男。

 そういう男を、カミーラは好むのだ。

 

「貴様、過去に一体何があった?

 男女の愛とはいえ、異常だ。

 気に食わん。返答次第では、ここで相討つ終わりになるとしても、貴様を討つ」

 

 ゼットは率直に問う。

 

「小難しい話じゃないわ」

 

 率直な問いは、カミーラから飾り気の無い言葉を引き出した。

 

「三千万年前、ティガは私に言ったのよ。

 まだ光であった私に、あの人は言った。

 『君が欲しい。僕と同じところに堕ちてくれ』と」

 

「……」

 

「私は喜んでその手を取ったわ。

 善も、仲間も、過去も、信念も、光も、全て捨て……

 人を守ることに喜びを感じる心も捨てて。

 命を踏み躙ることに快楽を感じる、この素晴らしい心を得たの」

 

 この地球において。

 先に闇に堕ちたのは、ティガだった。

 カミーラはその誘いに乗っただけだった。

 ……愛していたから、その手を取っただけだった。

 

 けれど、始点がどんな形だったとしても、カミーラがその時から一切の善性を捨てた最悪の魔人と化したことに変わりはない。

 

「ティガが求めてくれたのよ。私を。

 嬉しかった……とても、嬉しかった。

 彼はね……

 愛ゆえに、人間の世界で歪みと闇を得て……

 誰よりも貴き光であったために、誰よりも深き闇に堕ちた。とても、素敵にね」

 

 カミーラが、うっとりとした表情で愛を語り。

 

「でも、愛で生きていたから―――力無き人々への愛で、光に戻ったのよ」

 

 表情に浮かんでいたその愛が、一瞬で憎悪にスライドする。

 

「私を置いて」

 

 愛憎が混じる。

 

「私に、闇から這い上がれる力なんてあるわけがないでしょう!」

 

 ティガは光から闇に堕ち、杏の先祖たる美女・ユザレの導きで、光に戻った。

 だが、カミーラは光になど戻れなかった。

 闇に堕ちた時にカミーラが捨てたものを、カミーラは取り戻すことができなかった。

 

 一度大人になってしまった人間が、子供に戻れないのと同様に、カミーラにとってそれは不可能と言い切れるほどの難行だった。

 

「ああ、なんて、なんて……なんて、目障りな。

 闇に堕ちかけようとも、常に光である乃木若葉。

 正も負も抱え、抱きしめ、前に進んでいける高嶋友奈。

 震える足で、怯えながら、不可能にも思える恐怖の踏破を行う伊予島杏。

 自分のため、他者のため、誰よりも心強く在る白鳥歌野。

 無様を晒しながらも、最後の一線は越えない、郡千景。

 ……あの女どもの強さの、一部でも、私にあれば……私にあれば……」

 

 憎悪なのか、嫉妬なのか、羨望なのか。

 カミーラが絞り出すその言葉からは、読み取ることができなかった。

 

「『()()()()()()()()()()()()()()()()()』なんて、生かしておけるわけがない」

 

「……カミーラ、貴様」

 

「闇に堕ちても這い上がることができる女なんて、一人も生かしてはおけないのよ」

 

 もう、カミーラの在り方には『悪』しかないのだ。

 カミーラが欲しいものは、『ティガ』しかないのだ。

 カミーラの内には『闇』しかないのだ。

 他は全部捨ててきた。

 光も、善も、信念も、正義も、かつて自分が信じたものも、光の仲間も、闇の仲間も。

 全部全部失って、全部全部捨ててきた。

 もう彼女には本当に、『ティガ』以外の何も残されていないのである。

 

 ゼットの瞳に、僅かな哀れみと、僅かな同情と、大きな嫌悪感が浮かぶ。

 

「ティガが欲しいのに手に入らない。

 光が欲しいのに手に入らない。

 貴様の醜さは、そこから湧いて来るものだったのか」

 

 何よりも愛しているということは、何よりも憎んでいるということ。

 何よりも憎んでいるということは、何よりも愛しているということ。

 

 カミーラは光を憎み、ティガを愛している。三千万年前からずっと。

 逆に言えば、三千万年の時間をかけても、彼女が光に戻ることはできなかった。

 その心は、既に手遅れである。

 不可逆に、壊れに壊れている。

 

「手に入らないのなら、憎むしかないでしょう?

 憎んで、蔑んで、見下して、踏み躙って、無価値だと言い切るしかないでしょう?」

 

 愛憎こそが彼女の力だ。

 愛と、それを失った時の憎しみが、ティガダークを強くしてきたのと同じように。

 

「ティガ……ああ、ティガ!

 ずっと私を愛してくれると……約束したじゃない!

 あなたは約束を破らない人だと信じていたのに!」

 

 愛ゆえに狂う。

 愛ゆえに醜悪。

 もしもカミーラが、人間の恐怖と絶望を好み、自ら望んで人間を虐殺するような闇の巨人でなければ、闇から這い上がれない弱く残酷な魔人でなければ、何かは違っていただろうか?

 いや、そんなことは、考える意味すら無い。

 そんなもしもは、考える意義がない。

 

「でも、他の無知蒙昧が何を言おうと私は惑わされない!

 私は知っているのよ! ティガは私に嘘なんてつかないことを!

 私はティガを信じている! 彼は仲間との約束を破るような男ではないのよ!」

 

 主張は破綻し、心は壊れている。

 彼女はいつの日か滅びるその時まで、闇の底から這い上がることなどできない。

 光を求める心がそこにあろうとも、ティガを求める心がそこにあろうとも、そんなものが無いに等しいと言えるほどに、大きな闇の心がある。

 

 三千万年前のティガも、ユザレも、カミーラも。

 結局、誰も幸せにはなれなかった。

 

「落ち着け」

 

「……」

 

「貴様の理由は、よく分かった。十分だ」

 

 ゼットは今でもカミーラを好きにはなれない。

 というか、反吐が出るほど大嫌いだ。

 だが、それでも……まともに共闘してやってもいいと思うくらいには、カミーラのことを受け入れていた。

 

 カミーラのことが反吐が出るほど嫌いであり、その願いなど全て叶わない方がいいと思っているゼットであるが、彼女に対する哀れみや同情も、0ではなかった。

 普通のゼットンなら、するはずもない選択。

 それを人間は、"心が情に流された"と言う。

 

「だが、私と共闘するからには、貴様のその悪性を少しは抑えてもらう必要がある」

 

 ゼットという最強のユニットを、反抗しない手駒として扱うことは、カミーラにとってこの上ないアドバンテージだろう。

 だがそれと引き換えに、ゼットは条件を提示する。

 

「陰謀ではなく。

 悪辣でもなく。

 工作さえなく。

 強者として、戦いの中で奴らを潰せ。貴様の卑を極めたやり口はうんざりだ」

 

 それは実質、『次の戦いはゼットの言う通りにする』『次の戦いでは卑怯な策略は使わない』『次の戦いで人類の滅亡を確定させる』という、誓約を立てるに等しかった。

 

「人間より強い生命体ならば、その強さに沿った振る舞いをしたらどうだ」

 

「私に風格ある振る舞いでも求めるというの?」

 

「無意味に心まで踏み躙るなと言っている。力で圧し、そのまま殺す。それで十分なはずだ」

 

「……」

 

「ティガに対して以外は、それでいいはずだろう」

 

 カミーラはティガの周りの女を殺す。積極的に殺す。可能なら苦しめて殺そうとしている。

 ゼットはそれが気に入らない。

 彼は戦いを楽しむが、残酷や加虐を楽しむ嗜好は、どうにも肌に合わないのだ。

 

「その条件さえ飲むのなら、次の戦いは望み通り、私も貴様に手を貸してやる」

 

 カミーラにとってもゼットは馬が合わない戦闘狂だが、その戦力が、今は必要なのだ。

 

「前回のティガダークが、予想以上に強すぎたのだろう?

 だから、暴走したティガダークを対処する駒が必要になった。

 貴様の計画を、貴様の望み通りに進めるために。

 暴走したティガダークに魔王獣をぶつければ、六体ぶつけて何体かは死ぬと貴様は読んだ」

 

「ええ」

 

 "今のティガ"を相手にすれば、魔王獣に脱落者が出かねない。

 そうなれば四国のルルイエ化と、完全な状態でのガタノゾーア復活が叶わなくなる。

 逆式エルダーサインを作るには、六体の魔王獣が必要なのだ。

 

 ティガダークは、かつて闇の最強戦士と呼ばれたほどの巨人。

 その力の増大速度は、カミーラの予想さえも超えつつあった。

 カミーラが、新たに安全策を打とうとする程度には。

 

「だが私が手を抜くことなどありえん。

 ティガとの戦いは真剣勝負だ。貴様の意に反し、ティガを殺しても文句は言うなよ」

 

「分かったわ、好きになさい」

 

 女狐と言うべきか、狸と言うべきか。

 カミーラのその言葉ほど信用できないものは、他にないというレベルだった。

 ゼットはカミーラの言葉を鵜呑みにせず。

 カミーラもまた、鵜呑みにされていないことを分かっている。

 

 竜胆達と違い、この仲間関係に信頼はなく、根本的に支え合いや助け合いがない。

 必要ないのだ。

 仲間との絆で奇跡を起こす必要性が、彼らにはない。

 人間が奇跡を起こしても既にひっくり返せないほどの形勢が、既に確立してしまっている。

 

 カミーラは憎い女どもを苦しませながら殺し、人間を恐怖と絶望の中死に至らせながらルルイエの生贄として捧げ、その過程でティガを闇に堕とすつもりでいた。

 ゼットは、尋常な戦いの結果として人を滅ぼすつもりでいた。

 

 もはや敵は、人類をどう終わらせるかを選ぶ余裕があるほどに、人類を詰ませていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 秋原雪花は、メンタル面で言えば、相当に崖っぷちの状態だった。

 何せ、彼女は故郷も、守ってきた人達も、全て失ってしまったのだ。

 最後の一人にいたるまで、目の前でバーテックスに殺し尽くされてしまっていた。

 その精神状態は、"仲間も四国の人間も皆殺しにされた後の竜胆"に等しい。

 

 それでもまだ、彼女が立っていられる理由は単純明快。

 雪花の心が、本当に強かったこと。

 そして、雪花以外の皆が、雪花以上にズタボロだったというところにあった。

 

「友奈、大丈夫?」

 

「……ん……へーき……へーき……朝よりは……マシになったから……」

 

 丸亀城の医務室のベッドに寝かされた友奈は、弱々しく笑顔を作った。

 そんな命の恩人を、雪花が心配そうに見つめている。

 

 負傷し絶望していた雪花を背負って四国まで運んでくれた上、雪花を庇って呪いの雷までその体に受けてくれた。

 友奈は雪花の命の恩人だ。

 助けたいと、雪花は心の底から願う。

 けれど、何もできない。

 雪花にできることは何もない。

 

 友奈はベッドで点滴を受けつつ、酸素マスクに緊急用除細動器のセットなど、命を繋ぐためのものをこれでもかと用意されている。

 顔は青く、肌色は全体的に悪い。

 呼吸は浅いのに遅く、脈も安定していない。

 

 一度むせ返れば、呼吸さえ止まってしまいそうで。

 胸を叩けば、心臓すら止まってしまいそうで。

 目を閉じたなら、二度とその目が開かれない気がした。

 

 もう少しで自発的な呼吸ができなくなる、と医者に太鼓判を押されている、そういう状態だ。

 死ぬのは今日か、明日か。

 友奈の衰弱スピードを考えれば、おそらく数日は保たないだろう。

 その祟りは、ごく普通の人間に耐えられるものではなかった。

 

 おそらくは、体のほとんどを神の力で作った"神造人間"の類であっても、少し耐えるのが精一杯で無効化などできようはずもない侵食。

 明日死んでもおかしくないから、余命宣告ができない、そんな状態。

 

「何かしてほしいことはある? 雪花さんにお任せだよ」

 

「……」

 

 友奈は呼吸を整えて、残り少ない体の力を集めて、言葉を紡ぐ。

 

「やくそく……あってね……」

 

「約束?」

 

「リュウくんを、守るって、約束……」

 

「……そんなんになっても友達の心配? 筋金入りだね、友奈は」

 

「……それに……それに、ぐんちゃんとの、約束も、あるから……」

 

 友奈の脳裏に蘇るは、ボブが死んだ直後に千景とした会話、そして交わした約束。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

「高嶋さん。一つ、残酷なお願いを聞いてほしいの」

 

「……残酷なお願い?」

 

「私が死んだら……その時は、竜胆君をお願い。高嶋さん、私の代わりを、お願いします」

 

「!」

 

 

 

「え……な、何言ってるのぐんちゃん!」

 

「私は死ぬ気は無い。死にたくもない。でも……怖い。

 ボブが居なくなって、思ったのよ。

 私も死ぬかもしれない。いつか死んでしまうかもしれない。

 怖くて、とても怖くて……

 それで、気付いたの。

 私が死んだ後……彼は、竜胆君は……どうなってしまうのかって……」

 

「っ」

 

「多分……今だと、私が一番……正確にそれを想像できてる気がするわ」

 

 

 

「なんで私なの? 若葉ちゃんとかじゃ駄目なの?」

 

「高嶋さんは……不思議と、困難をどうにかしてくれそうな気がするから。

 高嶋さんは、辛い思いをしている人にとっては救いだと思うから。

 それと、竜胆君の心の一番弱いところには、高嶋さんが一番効くと思うから」

 

「そうかな……?」

 

「うん。竜胆君はそういう人で、高嶋さんはそういう人」

 

 

 

「あと、高嶋さんよりしぶとく生き残りそうでも、乃木さんに頼むのは、心底嫌だから」

 

「ええっ!? なんで!?」

 

「乃木さんに竜胆君を任せるくらいなら野良犬に頼むわ……」

 

「ぐんちゃん、ぐんちゃん、なんてこと言うの」

 

「高嶋さんに任せるのならギリギリ許せる……そういう話なの」

 

 

 

「お願い、高嶋さん。

 私はこの問題で安心できないと、心穏やかに戦えそうにないの」

 

 

 

「分かった。分かったけど……ぐんちゃんも、どうか死なないで。

 泣くのは私だけじゃないよ。皆悲しむよ。リュウくんなんて、どうなるか……」

 

「分かってるわ」

 

 

 

「私は死なない。死ねない。死にたくない。だから……大丈夫よ」

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 約束があった。

 あったのに。

 友奈には、何もできない。

 

 自分の知らないところで大親友が死に。

 千景との約束を守ろうとしても、体が動かない。

 千景の死が悲しくて。

 修羅と化した竜胆が辛い。

 泣きそうな心を懸命に抑え込んで、雪花のために笑顔を作っても、その笑顔の儚さが雪花の胸を締め付ける。

 

 何人も、何人も、仲間が死んできた。

 仲間が死ぬたびにこらえきれずに泣いてきた友奈も、昔と比べれば少しは涙をこらえられるようになった。

 それは成長と言うべきか、変化と言うべきか、摩耗と言うべきか。

 

 優しい友奈が、その涙をこらえられるようになってしまったことが、既に間違いであり、あってはならないことだったというのに。

 

「もしかしたら……もう私にできることって……何もないのかな……」

 

「変なこと言わないの。

 ま、私は大体のことは器用にこなせちゃう勇者だから。

 今は私に任せて、ゆっくり休んでおきなさいな。すぐ治るよ、こんなの」

 

 嘘だった。

 天の神の祟りは、天の神を倒しでもしなければ解けないと、大社から明言されている。

 治す方法はない。

 それでも雪花は、友奈が取り除けない呪詛に蝕まれ、治らないという絶望に蝕まれて死んでいくなんていう結末は、嫌だった。

 

(ここまで徹底して先が無いと、本当にね……)

 

 本当は、治す方法は、無いわけではなかった。

 千景が生きていれば……()()()()()()()()()()()()千景さえ生きていれば、天の神の祟りから、コダラーとシラリーのように救える可能性もあったのだ。

 少しでも祟りの効果を退けられたなら、打てる手はあったかもしれなかった。

 

 だが、友奈と杏を祟りから助けるには、絶対に千景が必要で。

 千景の命を助けるには、歌野がフリーな状態で、カミーラ達の誰かから思考と企みを読心していなければならなくて。

 歌野がフリーな状態になるには、水都が巨人化していては駄目で。

 シビトゾイガーが街を密かに掌握している四国の状態で、水都の巨人化を止められた可能性は完全に0だった。

 

 カミーラの計画は完璧だ。

 若葉と千景を、竜胆の目の前で無惨に殺す。

 そして四国勇者の残り二人は、竜胆の前でじわじわ弱り、苦しみながら死んでいく姿を見せていくために使う。

 急性の死の絶望二つ。

 慢性の死の絶望二つ。

 "四国勇者四人の命を最大限に上手く使う"計画を立て、四人の死に様を無理なく計画に組み込んで流麗に使い、竜胆をティガダークとして完成させる流れを仕上げた。

 

「ごめんね……ごめんね、ぐんちゃん……ごめんね、リュウくん……」

 

 どこか遠くを見て謝る友奈を見て、雪花は思う。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

「大丈夫。大丈夫だからさ、安心して寝てなよ、友奈。

 あなたの約束は、願いは、私が嘘になんかしない。だから今は、おとなしくしてなさいな」

 

「……せっちゃん」

 

「ま、私に任せときなさいって。

 私の座右の銘はギブアンドテイク。

 友奈に助けてもらった分くらいは、友奈の願いを叶えてあげるから」

 

 雪花が友奈の傍を離れ、手を振りながら病室を出て行く。

 

「行ってくるよ。二人分くらいは、頑張ってくる」

 

「……いってらっしゃい」

 

 そうして、病室から出たところで。

 

「あ」

 

「……」

 

 袋を抱えた竜胆が、そこにやってきた。

 友奈は竜胆が病室前の廊下に来ていることに、気付いていない。

 というか、今の友奈の状態では、耳も意識も竜胆の接近に気付くことができない。

 

 雪花は、竜胆のこの目があまり好きではなかった。

 すり減って、叩き潰されて、汚濁しきって、周りの人間を"この人が死んだらどうする"といった目で見ている目。

 周りの人間の生存を、一切信じていない目。

 周りの人の強さを、信じられなくなった、周りの人間の死に怯える目。

 

 竜胆はそんな目で雪花を見て、雪花に袋を手渡した。

 

「病室出てきたところ悪い。これ、友奈に渡しといてくれ」

 

「何これ?」

 

「呪術的な薬、だそうだ。

 何の解決にもならないが、僅かな延命にはなるかもしれない……らしい」

 

「自分で渡しなよ」

 

「友奈に会う気はない」

 

「あーもうこれだから頑固な男は……ちょっとツラ貸して。少し、話をしましょう」

 

 友奈と顔を合わせようともしない竜胆を引き連れ、雪花は話し声が友奈の病室に届かない程度に距離を取った廊下に佇む。

 竜胆の前で、雪花は手の中の『端末』をくるりと回した。

 

「私もさ、四国勇者システムを手に入れたわけよ。

 強くなったの。

 ね、ここ数日本当に一睡もせず走りっぱなしのウルトラマンさん?

 少しは歌野や私の方に重荷投げて、友奈とかの見舞いに一回しっかり行くべくきじゃない?」

 

「重荷の分割はいらない。お前達には、暴徒の鎮圧以上のことは期待してない」

 

「……あ、そう」

 

 むっとする雪花。

 竜胆と付き合いのない雪花には実感できなかったが、これはとても"竜胆らしくない"言い回しだった。

 言葉の選び方が、三年間地下に幽閉され、解放された直後の竜胆と同じ……いや、ひょっとするとあの時以上に悪くなっている。

 

「あまり気負うな。殺しも、破壊も、俺がやる。大きなことは期待していない」

 

 言葉の裏には、竜胆の本音がある。昔も、今もだ。

 

 "長生きできないなこの人"と、雪花は思う。

 

「あんたが今するべきことって、戦うこと? 壊すこと? 殺すこと?

 自分でも甘ちゃんなこと言ってる自覚あるけどさ……友達の隣にいるべきだと思わないの?」

 

「思う」

 

「なら、ちょっとくらい傍にいてやろうとか思わないの?」

 

「友奈の親友を守れなかった、俺がか? 守れたはずの位置にいた俺がか?」

 

「―――」

 

「バーテックスも、カミーラも、俺も、俺は殺してやりたくてたまらない。

 だから全部殺してやるよ。

 許せるわけがないだろうが……ちーちゃんと若葉を守れなかったゴミ野郎のことなんてよ」

 

 言葉をぶつける雪花。

 だが、もう、手遅れだった。

 誰の言葉も、竜胆の心には届かない。

 

「……友奈に、顔見せて、心の支えになってはくれないわけね」

 

「君がなってやってくれ。友奈のこと気遣ってくれて、感謝する」

 

「……」

 

 そこでお礼を言えるようなあなたがなんでそんな、と言おうとして、雪花は言おうとした言葉を噛み潰す。

 そう言って、"みんな死んだからだ"と返されるのが怖かった。

 "まだみんなを守らないといけないからだ"と言い切られるのが、怖かった。

 

「他の人の話の中で出る御守先輩と、現実の御守先輩、違いすぎて戸惑うわ」

 

「変わらないでいられたなら、どんなに幸せだったことか」

 

 変わりたくなどなかっただろう、誰もが。

 友奈だって、友達が死ねばすぐ泣いてしまう自分のままでいたかったはずだ。

 大親友の死でも、数日経てば泣かないでいられる自分になど、なりたくなかったはずだ。

 竜胆も、他者を殴る自分になんてなりたくなかったはずだ。

 あの村ですら、竜胆は一度も殴り返さなかったのだから。

 

 けれど友奈は、擦り切れる寸前で。

 竜胆は、全てを壊し、全てを殺してでも、残ったものを守る覚悟を決めている。

 

「だが、大丈夫だ。

 心配するな。

 お前らの名誉も命も尊厳も、全て俺が守る。

 だから、無理はするな……お前達を殺そうとする全てのものは、俺が殺す」

 

 竜胆が、その場を去っていく。

 

「そうだ、全部、殺す」

 

 去っていく竜胆を見て、雪花は思う。

 もう、友奈が望んだ"竜胆の未来の結末"は、二度と得られることはないんじゃないか、と。

 

「……間に合うのか、ありゃもう駄目なのか、分かんないな……」

 

 自分を見失いつつある竜胆の姿が、雪花に自分を省みさせた。

 

 北海道の人々、協力してくれた仲間、家族。全て死んだ。全て守れなかった。

 何もかも失って、かつてあった"北海道を守る"という信念と目標も消え去った。

 惰性で四国に来て、惰性で戦って。

 そんな中、友奈の願いを叶えてやろう、だとか。四国を守ろう、だとか。

 当座の目標を見つけて、その目標にすがりつくように毎日を戦っている。

 

 戦う相手は人間。

 怪物相手には、現状勝機なし。

 未来に希望などはなく、世界はとうに詰んでいる。

 今この瞬間も、四国に注がれているマガエノメナの電波が、友奈や雪花の脳細胞を破壊して、心にイライラや攻撃衝動を溜め込ませている。

 先が、見えない。

 

 それでも諦められないのは―――彼女が、勇者だからだろうか。

 

「……っ」

 

 それとも、単純に―――彼女が、『死にたくない』と心で叫んでいるからだろうか。

 

「私は生きるよ。どんな手を使っても……それが、悪いことだとは思わない」

 

 だって、このまま死んでしまったら。

 

 北海道からずっと守ってきた、北海道の人達と引き換えにしたも同然のこの命が、バカみたいじゃないか……雪花は、そう思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここ数日、水都は大社を手伝い、よく眠れないくらいに毎日頑張って仕事をしていた。

 その疲れがたたったのか、まだ陽がある内に、うとうとしてしまう。

 そうして、夢を見始めた水都の心の、その奥で。

 悪夢を見て、水都が目覚める。

 

「うあっ!? ……ゆ、夢……」

 

 ティガダークを、夢に見た。

 あの日六体の魔王獣を圧倒した暴走ティガダークは、ブラックスパークレンスを介さない変身であったからか、異常なまでの純度の闇の暴威を見せつけていた。

 

 天の神のバーテックスや、海の邪神の作り上げた怪物などを混ぜて作るという製法は、星辰の魔王獣も星辰のバーテックスも同様である。

 魔王獣の場合は、天の神の力、海の神の力、星のエレメントなども混ぜ合わされた、まさしく神の如き存在だ。

 本来、自然災害さえも超越した存在で、人間では太刀打ちすらできない存在である。

 

 それを六体まとめて、完全暴走したティガダークが圧倒していた――ように見えた――姿は……水都のトラウマになってしまっていた。

 

「ひっ」

 

 思い出すだけで、普通の女の子な水都の口から悲鳴が漏れる。

 あまりにも力強く。

 あまりにも素早く。

 あまりにもおぞましかった。

 

 全ての命を無価値とみなすかのような暴虐。

 大洪水と土石流が目の前にまで迫ったアリは、きっとこういう気持ちなのだろうと、水都はその時思ってしまった。

 それほどまでに、強すぎるティガダークは恐ろしかった。

 

「落ち着いて……落ち着いて……御守さんは、私達を傷付けなかった……だから……」

 

 全ての敵を片付けた後、ティガダークは歌野と水都にも襲いかかってきた。

 伸ばされた黒い腕が迫り来る光景を、その手が目の前で止まる瞬間を、水都は覚えている。

 ティガダークに対する恐ろしさと、"それでも手を止めてくれた"という理性の理解の両方が、水都の頭の中をぐるぐる回っていた。

 

「……」

 

 水都は、元のサイズに戻った手の平を見る。

 ティガが暴走を止め、樹海化が解除された後、水都の体も元に戻った。

 "ティガの闇が一時的に体の巨大化作用を停止させたのだろう"とは、解析した大社の言である。

 

 大社の分析班によると、水都の体内に京個単位のナノロボットが注入されているらしい。

 シビトゾイガーが注入したのでは、というのが大社の推測だ。

 今は止まっているが、外部からまた指令信号でも飛んでくれば、また水都の体を巨大化させ、その体を操ってしまうらしい。

 

 水都は現在、いつ敵の手に落ちるかも分からない状態であるということだ。

 しかも大社曰く、"次に巨大化して自我が残るかは分からない"という。

 次の巨大化は、水都の心の死と、水都の手による殺人行為を意味するのである。

 水都の心に渦巻く絶望、焦燥、恐怖は、いかばかりか。

 

 既に現段階で、攻撃性を引き出された民衆によって、街を破壊した巨人である水都へのバッシングが始まっている。

 藤森水都は、打たれ弱い心しか持ち合わせていないのに、人類の敵になりつつあるのだ。

 

「御守さん……」

 

 水都は今、世界が怖くて、自分が怖くて、竜胆が怖い。怖くて怖くてたまらない。

 

 水都の長所は、危険なものを察知する感受性だ。

 それは打たれ弱さの裏返しでもあるが、見たものの危険度を敏感に察知してしまう。

 だからこそ、水都は他の何よりも、ティガダークを恐れていた。

 

 ティガダークは、ゲームで言えばゲーム機本体のリセットボタンのようなもの。

 発動した瞬間、敵も味方も、全てが壊れる。

 それを押せば勝負の負けは無かったことになるだろう。

 だが同時に、勝利も無くなる。

 

 そのリセットボタンを押させないようにしていたのが勇者達で、そのリセットボタンを完成させて自分のものにしたがっているのがカミーラだった。

 

「? あれ、牛鬼……」

 

 目覚めた水都が少し歩くと、そこに転がっている牛鬼がいた。

 酷く弱っているようで、水都は慌てて水とビーフジャーキーを持って来る。

 

「大丈夫?」

 

「もきゅ」

 

 牛鬼はこの数日、ずっとずっと結界の強化を維持していた。

 結界の初期強化ですら倒れるほどの消耗を背負ってしまっていたのに、それから数日、そのとてつもない負担をその身に受け続けていたのだ。

 

 全ては、"四国を手遅れにしないため"。

 大好きな飼い主である友奈の未来を繋ぐため。

 無理をして、無理をして、無理をして……牛鬼は、竜胆が勝ってこの状況が終わることを信じ、命を削るようにして結界を強化し続ける。

 おかげで、四国内部への電磁波の影響は、劇的に軽減されていた。

 それでもなお、四国内部が崩壊に向かっているのは、シビトゾイガーが悪意を煽っているからだろう。

 

 牛鬼は竜胆が好きではない。

 嫌いではないが、大好きな飼い主の友奈が竜胆を見ているとイラッとするので、竜胆のことは本当に好きではない。

 けれど。

 好きではないが、信じてはいた。

 

 牛鬼の力が尽きた時、四国は本格的に電磁波を防ぐ手段を失い、樹海化で全ての時間を止め、人類最後の十数分を迎えることとなるだろう。

 

「……そっか、君は……ううん、君も、御守さんを信じてるんだね」

 

「きゅっ」

 

 水都は牛鬼を抱き上げ、抱き締める。

 

 若葉の死、千景の死は、竜胆を最強の位階へと押し上げた。

 それすなわち、竜胆が若葉と千景をどれだけ大切に思っていたか、その証明でもある。

 

 ウルトラマンティガの三千万年前の異名は、"光の英雄戦士"。

 ティガダークの三千万年前の異名は、"闇の最強戦士"。

 英雄は人々を笑顔にし、自分よりも強い敵に勝利し、努力によって奇跡を起こす。

 最強は人々を恐れさせ、誰よりも強いがゆえに負けず、弱者の奇跡を踏み潰す。

 

 竜胆は過去の罪に苦しみ。

 これまでの戦いの中の、数々の喪失に苦しみ。

 そして、これからも苦しんでいく。

 

 そして竜胆が重ねた罪が、絶望が、悲嘆が、苦痛が。この世界の希望となる。

 彼の強さが、世界の存続に繋がる希望になる。

 竜胆の絶望が、皆の希望。

 竜胆の不幸が、皆の幸福を掴む。

 

 もっと絶望すれば、もしかしたら、絶望の果ての奇跡は起こるかもしれない。

 希望の果ての奇跡?

 そもそも、希望なんてどこにもないではないか。

 

 彼が罪を重ねていなければ、その奇跡はなく。

 彼が絶望してくれなければ、この世界に明日はない。

 

 死んでは駄目だ。

 生きて、生きて、生き延びて、生きながら延々と絶望し苦しまなければならない。

 

 でなければ、勝てない。

 勝たなければ、未来がない。

 

 子供の頃の竜胆の考えは、大まかに正しかったと言えるだろう。

 理不尽な苦しみ、理不尽な殺戮は、苦痛と地獄しか産まない。

 他の命を攻撃する行為は、幸福なんて生み出してくれない。

 幼い頃の竜胆が嫌った暴力の世界は、暴力の世界に身を浸した竜胆を、しっかりと不幸にしてくれた。

 

 けれど、仲間を傷付けないのであれば、竜胆は"それでいい"と思える。

 水都も、牛鬼も。

 そんな竜胆が勝つことを信じ……そんな竜胆が、幸福になることを、願っていた。

 

「大変だ!」

 

 牛鬼を抱き上げ、抱きしめている水都の耳に、遠くから届く声。

 

「伊予島様が!」

「心臓が止まってるぞ!」

「AED! AEDを持って来い!」

「……駄目だ! 心臓が動かない!」

 

 水都が、何か手伝えることはないかと思い、走り出す。

 

 色んなことが、色んなものが、どんどん手遅れになりつつあった。

 

 既にもう、数え切れないほど多くのものが、手遅れだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四国全体で、人と人が争い合い、殺し合い、勇者や竜胆に止められている。

 

 ある者は絶望から。

 ある者は疑惑から。

 ある者は恐怖から。

 

 "もう世界は終わりだ"という気持ちが、強姦未遂事件や盗難事件などを頻発させ、この数日で傷害致死の件数も一つや二つでなく発生してしまっていた。

 マガエノメナとシビトゾイガーが、それを更に加速させる。

 人間同士が殺し合う。

 世界が終わっていく。

 混乱が混乱を呼び、秩序はもう戻って来ない。

 

 治安維持のためには荒っぽいことをせざるを得ないため、勇者や大社など、暴走した人々を取り押さえている者達に対しても、非難が積み重なりつつあった。

 非難の声の数は多くない。

 だが、暴漢を暴力や武器で取り押さえた者に対し、苦言を呈する者はいた。

 平和に慣れた人間達にとっては、血が流れるのを見ただけでもショックであるし……何よりもう四国に、脳を破壊されていない人間など、一人もいなかったから。

 攻撃性を引き出された人間は、勇者や大社への反感も強めていく。

 

 そんな中、竜胆は致死量の精神安定剤を飲み、TVやラジオに一斉に放送を流せるスタジオに立っていた。

 

「んぐっ」

 

 竜胆の体は再生する。

 致死量の精神安定剤を飲んでも、死にはしない。

 むしろ普通の人間が死ぬ量の精神安定剤を服用しなければ、まともに言語を紡いでいくこともできないくらい、今の竜胆の精神状態は危険だった。

 

全て殺せ、全て壊せ

 

 頭の中の衝動を、薬の力で強引に抑える。

 

 暴徒、暴走、暴動、暴虐。

 それらが満ちる街へと、ラジオとTVを通して大社の者の声が届く。

 竜胆が何かを語る前に、大社の人間が前振りを語り、"ティガから皆へ話がある"というメッセージを伝える。

 

 人々の耳が自分へと向けられているのを感じ、竜胆はマイクを持つ。

 人々の感情が、肌で感じられる。

 普通の人間が感じられないそれを感じることができてしまうことが、()()()()()()()()()()()()()()のようなものだった。

 

「か……」

 

 マイクに、言おうとしていたことを、言おうとして。

 躊躇う。何も言えなくなるくらいに、大きく躊躇う。

 だがその躊躇いを振り切って、竜胆は言おうとしていたことを、強く言い切った。

 

「彼ら彼女らが戦死したのは、弱かったからだ! ウルトラマンも! 勇者も!」

 

 四国全土から、殺意と敵意が向けられているのを、肌で感じる。

 今、竜胆は、四国全土の『勇者とウルトラマンを信じ、応援し、好きだった』者達全てを敵に回した。

 ティガを応援していた者達の心も、離れ始める。

 

「弱かったから死んだ! 弱かったから守れなかった! 戦士の恥晒しだ!」

 

 攻撃的になった人間、破壊衝動に呑まれた人間の敵意・憎悪が、竜胆一人に向けられる。

 目の前の家や建物を壊そうという想い、近くの人間や大切な人間を殺そうという想いが、全て竜胆を壊そう殺そうという方向性へと変わる。

 脳が壊れた人間は単純な思考で動くが、その思考はその脳から生まれるもの。

 

 皆が信じたウルトラマンが、皆が託した勇者が、ティガに侮辱されている。

 怒るのは当然だ。

 その怒りは、身を裂く烈火の如く。

 竜胆は、皆の善性を信じた。

 信じた勇者とウルトラマンを侮辱されれば皆の善性がそれを許さないと、信じていた。

 暴徒のほとんど全てが……脳が壊れてなお、ボブ達ウルトラマンと、若葉達勇者を、信じ愛していた。

 

 ゆえにこそ、ティガを憎んだ。胸の痛みを無視しながら、竜胆は言葉を続ける。

 

「だが、俺は違う! 悪逆非道! 残酷無比! だが最強だ!」

 

 皆を弱いと言い、俺は強いと言い切る竜胆。

 

 けれど、その本心は違う。

 竜胆は、自分が一番弱い戦士だと認識している。

 死んでいった皆を、本当に強かったと思っている。

 "誰かを守る強さ"で、死んでいった彼らに自分が勝っているだなどと、竜胆は一度たりとも思えていない。

 

「だから俺は今も生き残っている! 強い者が生き残る、当たり前だ!」

 

 弱いからあいつらは死んだ、俺は強いから生き残った、と言いながら、竜胆は張り裂けそうな胸の痛みから目を逸らす。

 

 そんなわけがない。

 皆が守ってくれたから、皆が助けてくれたから、竜胆はここに生きている。

 皆が死んだ理由は、弱かったから、なんてものじゃない。

 

「反論があるか? まあいい、強さなど、好きに考えていればいい。

 お前達がそう思うのなら、お前達の中では、その巨人か勇者が最強なんだろう」

 

 だが、今の最強は紛うことなく俺だ、と竜胆は怖気のする声色で言う。

 

「俺が守ってやる」

 

 傲慢で暴力的な竜胆の言動に、四国各地から反感と憎悪が湧き上がっているのが、感じられる。

 ティガを光の巨人として信じていた人間が、何人か、心離れていくのが感じられる。

 

「俺を存分に嫌え。俺を存分に頼れ。

 俺の性格がどうだろうと、俺が世界を救うならお前らは文句ないだろ?」

 

 今や、四国の多くの人間が、竜胆に負の感情を向けていた。

 

 マガエノメナによって攻撃的になった人間の想いは、肌に突き刺さるような感触を生む。

 

「黙って見てろ。雑魚なら雑魚なりに前に出ずじっとしてろ。ちゃんと救ってやる」

 

 人々は竜胆に怒り、竜胆を憎み……竜胆を、()()()()()

 

「ただし、騒いで余計な煩わしさを生み出す奴は―――踏み潰す」

 

 心胆を寒からしめる、TV画面越し、ラジオ機器越しに伝わる、ドスの利いた声だった。

 

 これは、恐怖という名の抑制。

 暴走する人間の心に引っかかり、暴力の前に思い留まらせるストッパー。

 マガエノメナの電磁波は、発狂した人とそうでない人に二極化するのではない。

 他人を殴っている人にも大なり小なり理性や思考が残っているし、暴走していない人にも大なり小なり脳が壊れた影響は出ている。

 

 だからこそ、『人間を沢山殺してきた殺人鬼ティガダーク』の脅しは、『これは脅しじゃない』という実感をもって、人々の心に浸透する。

 

 他の誰でもできなかっただろう。

 本当に虐殺を実行し、それを自分の意志でやったと常日頃から認めている竜胆だからこそ、この脅しは強い制約となって機能する。

 人々の頭に、無理矢理恐怖という名の新しいストッパーをかける、大社と組んで竜胆が立案した作戦は、ものの見事に成功した。

 

 これに関しては、例えばシビトゾイガーが「竜胆は人を殺せない、はったりだ」といった噂を流しても、完全に無駄である。

 それほどまでに、一時期バーテックスの一種とすら思われていた、虐殺者ティガのネームバリューは強い。

 

 放送が終了する。

 三好圭吾が、竜胆に話しかけてきた。

 

「いいのか、御守」

 

「どれのことですか?」

 

「お前……もう一生、まともな人間として見られることはないぞ。

 時間をかければ、お前の名誉を回復する方法はあったんだ。それを……」

 

「それに関しちゃ、残念だとは思いますけどしょうがないですよ」

 

 竜胆は、四国全域から向けられる憎しみや恐怖を、その身に受け止めていた。

 最高の結果と言えるだろう。

 竜胆の未来を犠牲にしただけで、四国の脳が破壊された全ての人達が、その攻撃性を竜胆にだけ向けている。

 それでいて、ティガを恐れて何もしていない。

 この理想的な敵意誘引状態がいつまで続くかは分からないが、竜胆は今、四国住民皆にとっての共通の敵となった。

 

 この戦いがどんな形で終わろうとも、戦いが終わった後の世界に、彼が生きる場所はない。

 これは不退転の決意でもあった。

 同時に、()()()()()()()()()()()()力を得ようとするという、最悪の選択でもあった。

 

「お前は、これで、本当によかったのか」

 

 竜胆の心変わりを期待し、今からでも前言撤回と、今の放送を無かったことにする決断を期待する三好圭吾を見て、竜胆は儚く笑う。

 

「大地先輩が、三好さんになんでああいうこと言ってたのか、分かりました」

 

 思い返されるのは、三ノ輪大地の言葉。

 

―――ワシは、あんたは高校の時から全く変わってないと思ったんだがなあ

―――あんたなら……ワシを捨て駒にしてでも、世界を守ってくれると信じてた

―――まさか、ワシを生かそうとしてカイトを犠牲にしたとはな。失望した

 

 こういう立場になって、三好が仲間として接してくれるのを見て初めて、竜胆はあの頃の三ノ輪大地の心情を理解する。

 心優しく、甘さも残る勇者達に囲まれていると、こういう男がいてくれることが、とても、とても心強く感じられた。

 

「信じてます。大地先輩の時みたいに、変に日和ったりはしないでくださいね」

 

「……」

 

「三好さん」

 

「……ああ、分かった」

 

 三好は、苦虫を噛み潰したような表情で頷く。

 ブラックスパークレンス無しで変身ができた竜胆は、もう手遅れだ。

 そう分かっていても、三好は嫌そうな顔を隠しきれていない。

 

 変身アイテムもなしに巨人に変身できるということは……もうその体は、普通の人間には戻れないほどに、完全に変質しきってしまった、ということだ。

 竜胆はもう、人間ではない。

 若葉と千景の死の絶望が、彼の心の闇を昇華させ、竜胆に完全に人間を辞めさせた。

 かの二人が、竜胆を人間ではなくしてしまったのだ。

 

 竜胆の体は、竜胆の衝動に従い、心の闇によって幾度となく改造されている。

 その体を今一度、"ある形"を目指して、非人間的に改変させた。

 竜胆の体は今、四国全域からの憎悪や恐怖を受け、『別のもの』に変異しつつあった。

 

「御守さん!」

 

 そこに飛び込んでくる、上里ひなた。

 

「ひーちゃんが一番乗りか。意外……じゃないな」

 

 若葉と千景は死に、友奈と杏は瀕死の状態。

 四国組、丸亀城組という枠で見れば、もうひなた以外の誰が一番乗りするというのだろうか。

 

「なんてことを……なんてことを!」

 

「落ち着けよ」

 

「御守さん!」

 

「信じられなくちゃいけなかったんだ。

 信じるってのは重要だ。

 相手に投げかけた言葉も、信がなければスルーされるからな。

 人々に信じられなければ、人々を落ち着かせることなんてできないんだ」

 

「でも!」

 

「俺の場合は、さ」

 

 竜胆は、自分のことも、自分がどう見られているかも、よく分かっていた。

 

「俺の善性なんて誰も信じてない。……だけどな。

 俺が悪人だってことは、皆信じてるはずだ。

 俺が悪だということを皆信じてる。誰も疑わない。だからこそ俺の言葉は、皆を動かした」

 

「―――」

 

 ティガを昔から信じていない人は「ほらやっぱり」と思ったことだろう。

 ティガを現在信じていた人達は「信じてたのに」とティガの傲慢な言動に失望しただろう。

 半信半疑だった人は、「ティガ疑ってる人の方が正しかったのかな」と思い始めただろう。

 

 御守竜胆の場合は、民衆に信じてもらうより、民衆に信じられない方が楽だった。

 信頼を積み上げるより、小さく積み上げていた信頼を崩してしまう方が楽だった。

 信じられるより。

 恐れられる方が楽だった。

 

(違う!)

 

 違う、とひなたは言いたかった。

 けれど、竜胆が言っていることの本質を理解してしまうと、もう何も言えない。

 

 竜胆が正義の味方だという認識は、何ヶ月経っても広がりきらず、浸透しきらず、民衆の中に対立と論争を生むだけだった。

 だが竜胆が悪を演じれば、それはストンと皆に受け止められる。

 ティガが悪というのは、少し前までの皆の常識だったからだ。

 

 正義であることはこんなにも辛くて。

 善であることはこんなにも困難で。

 光であることはこんなにも苦しくて。

 闇に堕ちることは、悪だと認識されることは、こんなにも楽だった。

 

 社会とはそういうものだ。

 いい人に見られることは難しい。

 一度やらかせば一生いい人に見られないこともある。

 だが、犯罪行為でもすれば、いとも容易く悪人だと認識してもらうことができる。

 悪い人に見られることは、とても簡単なのだ。

 

 幸せになれる人生を作ることはとても大変だが、幸せになれない人生を作ることは、とても簡単なことなのだ。

 竜胆は、"そうした"。

 

「皆は、俺を残虐非道の悪だと信じ、おとなしくなってくれた。

 皆に信じられ、皆を落ち着かせ、皆に望まれた結果を出す。

 それが―――最後に一人生き残った巨人として、俺が最後に果たすべき使命だ」

 

「最後なんて……最後なんてっ……言わないでくださいっ……!」

 

 竜胆は苦笑して、手の平を上に向ける。

 そこの『光』が消えた。

 跡形も無く、空間に穴が空いたかのように、ごっそり消えた。

 それだけではない。

 周囲の光がどんどん消えていく。

 竜胆の手の上に光が吸われて、消えて、周囲が真っ昼間なのにどんどん暗くなっていく。

 

 竜胆は手の上で玩具を転がすような感覚で、周囲の光全てを玩具にしていた。

 

「……え?」

 

「俺は全部を壊し、全部を救う。

 全部を殺して、全部を生かす。

 これでようやく……皆を守れるかもしれないな」

 

 それはもはや、神話の中の神が行使するような、闇の権能であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本における、人間が神となる道筋は二つ。

 

 一つは『英雄神』。

 人との戦争、化生の討伐、その他諸々の偉業を残した何者かが、褒め称えられ、社にて祀られ、"優れた人間としての神"となるもの。

 外国で言えば、ヘラクレスなどがこれにあたる。

 

 そして、もう一つ。

 人や国を祟る神―――『祟り神』。

 人々に恐れられ、人々を虐殺し、大災厄をもたらす、荒ぶる神。

 それでいて、人々が祀ることで、人々を守る守護神と成る神。

 日本以外にはあまり見られないタイプの神だ。

 

 虐殺という大災厄をもたらし、人々に邪神の如く恐れられたものならば、そう『成る』資格は十分にある。きっと、誰にでも。

 

 

 

 

 

 『日本三大怨霊』というものがある。

 崇徳天皇、菅原道真、平将門の三人のことだ。

 

 崇徳天皇は、政争に負け流刑にあい、落ちぶれに落ちぶれ失意の中、天/天皇家への呪詛を残して死に、幾多の呪いにより人々を苦しめ、皇室を没落させたとも語られる大怨霊。

 菅原道真は学者出身の身で大出世し、メンツや嫉妬で動いた貴族達の陰謀に陥れられ、絶望の中死に至り、世に大災厄をもたらしたと言われる大怨霊。

 平将門は、反逆者として討ち取られた者であり、討ち取られた後幾多の厄災をもたらしたと言われる大怨霊だ。

 

 三大怨霊のどれもこれもが、天変地異をもたらした逸話、呪いをもたらし因縁の人間を呪い殺した逸話、原因不明の事故が頻発したという噂などに事欠かない。

 21世紀に突入した現在になっても、三大怨霊の呪いの存在を信じている人間は少なくない。

 

 後に、崇徳天皇は四国の守護神や、スポーツの守護神などに。

 菅原道真は学問の神、学ぶ者の守護神に。

 平将門は、江戸や人々の守護神として扱われることとなる。

 日本三大怨霊は、怨霊であるにもかかわらず、祭神として扱う神社も多い。

 

 だが、これはよくよく考えてみれば、どこかおかしい。

 

 ありえないのだ、そんなことは。

 祀られただけで怒りが収まる?

 それまで怨念で蹂躙していた人々まで守る守護神となる?

 なんだそれは。

 人間の心は、そんなに都合良くは出来ていない。

 

 崇徳天皇という人間は、菅原道真という人間は、平将門という人間は、「ごめんなさい」と謝ったくらいで、絶望しながら死んでいったことを全て許してくれる、寛容な人間だったのか?

 そんな人間がいるものなのか?

 違う。

 何かが、違う。

 

 つまりそれは、こう言い変えることもできる。

 「人間は怨念を忘れない」。

 「人間は謝ったくらいじゃ許してくれない」。

 「()()()」。

 「()()()()()」。

 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」。

 

 そういうことだ。

 

 神話の神など、現実の人間と比べれば、よっぽど温情的だ。

 だって、謝れば許してくれるのだから。

 祀れば、怒りを収めてくれるのだから。

 人間はそんなことでは許さない。

 人間はそこまで寛容にはなれない。

 

 だから昔からずっと人間は、大怨霊を祀って神に仕立て上げることで、自分達が酷いことをした人間から強制的に許しを引き出すということをしてきたのだ。

 

 若葉の持ち精霊であった義経も、大天狗/崇徳天皇もそうだった。

 義経は、義経を事実上抹殺した兄・頼朝に。

 崇徳天皇は、後白河天皇に。

 社を立てられ、"さあ祀ったぞ許してくれ"とでも言わんばかりに、祀られた。

 

 舐めた態度にすら見えるが、これで神の如く祀られた怨霊達は抑え込まれてしまう。

 祀られたなら許さなければならない。

 それがルール。

 このルールを超えて災厄をもたらし続けている神など、それこそ天の神くらいのものだ。

 

 祀られた怨霊は、時に人を守る守護神とならなければならない。

 それがルール。

 怨霊神、祟り神は、恐怖・憎悪・怨念の中から生まれてくる。

 そして、人々にとって都合のいい存在となる。

 怨念で動く恐ろしい存在は、人々にとって都合のいい加護をもたらす存在へと変えられる。

 

 人々は祟り神を恐れながら、怪物や怨霊の魔の手から、祟り神に守ってもらうのだ。

 恐れながら守ってもらうその関係は、日本という国に大昔からあったものだった。

 まるで、ティガダークと四国の人々の関係のようである。

 

 竜胆は、その領域に至る。

 人々に恐れられ、嫌われ、恐れ混じりの祀りを受け、人々を守る。

 極限まで変質した竜胆の闇の肉体は、祟り神や邪神に似た性質を持っており、そこに全人類からの恐怖と憎悪がぶつけられたことで、竜胆は完成した。

 

 竜胆は、民衆にとって都合のいい存在になった。

 恐怖と憎悪をぶつけられながら、人を守る存在となった。

 祟り神に、幸福な未来などありえない。

 怨念に突き動かされ、思うまま望むまま災害をもたらすだけだった大怨霊が、人々に都合のいい加護を振りまく守護神に変えられてしまったのと、同じように。

 

 もう、人間には戻れない。

 

 天の神、海の邪神を倒すために―――御守竜胆は、祟り神の一種へと成り果てたのであった。

 

 

 

 

 

 竜胆の口から全てを知ったひなたが、泣き崩れる。

 どんどん皆死んでいく。

 どんどん皆自分を犠牲にしていく。

 もう、見ていられない。

 

「なんで……なんで……若葉ちゃんも……御守さんも……!」

 

 祟り神は、日本の神道解釈においては、『荒御魂』とも言う。荒ぶる神のことだ。

 

 祀られ、恐れられ、憎まれ、その上で人間を守護する『憎しみの神』。

 そんな荒御魂に、竜胆は成り果てた。

 神を倒すために、神に成り果てたのだ。

 人間が成れる数少ない神―――怨霊神と成り堕ちた。

 

 もう、その体は人間のそれではない。

 だが、彼の体は以前からずっと、化物のような人間ではあった。

 それは、人間のような化物の体になっただけである。

 闇に寄った彼の体は、祟り神として再構築するのには、最高の資質を持っていた。

 

「代償を支払ったのは、俺だけだ。だからいいんだよ」

 

 竜胆の頬を、力なくぺちりと、ひなたの平手が叩く。

 

「よくない……いいわけがないです……!」

 

 ひなたが、無機質な竜胆の瞳を覗く。

 周りの人を見る竜胆の優しい目が、もうそこにはない。

 今の竜胆には、かつての優しさが何割残っているのかも、分からない。

 ひなたの瞳から、涙が溢れる。

 

「私は……私は……私は! 若葉ちゃんだけじゃなくて、あなたにも、あなたにだって……!」

 

「……よく分かんねえけど、泣かせて、ごめんな」

 

 涙が、更に溢れる。

 

 想い出を削り、想いを削り、心を削り。

 優しさを捨て、思いやりを捨て、愛を捨て。

 未来を失い、幸福を失い、自分自身すら失い。

 "いつもの暴走のその先"へと、我を捨て、到達する。

 人間の先の領域へと到達する。

 

 そうでなければ、人々に求められた領域まで到達できない。

 人々に求められた"平和と未来を"という願いを、祟り神・ティガは叶えられない。

 それでは駄目だ。

 人々の願いを叶えなければ。

 元々祟り神として、憎んだ敵を民衆ごと災厄で襲っていただけの存在だった……今は人にとって都合のいい守護神と使われてしまっている、先輩の祟り神達と同じように。

 

 カミーラを憎み、人に恐れられる祟り神と成り。

 祀られて、人間に都合の良い神様になっていけばいい。

 人らしい部分など、どんどん切り落としていけばいい。

 人々の笑顔と幸福を守る神様に成っていくのなら、人間としての部分など不要だ。

 

 竜胆の頭に、色んな人との約束が浮かんでくる。神になれば、果たせない約束だ。

 

 だが竜胆は、全ての約束、全ての希望、全ての未来を切り捨てた。

 

 憎悪(ちから)で、敵の全てを破壊し尽くすために。

 

 そうやって、皆の未来を自分の命と引き換えにでも勝ち取るために。

 

憎悪の純度を下げるな

 

若葉達を守れなかった自分を憎んでもいいが、今の僕らにはそれすら余計だ

 

敵だけを憎め。憎悪の純度を保て。全身全霊で憎め

 

肉体、精神、魂、全てで敵を憎め。憎む以外の機能はいらない

 

余計な思考も、余計な仲間も、余計に力を割く部分などいらない

 

さあ、終焉だ。海の邪神も、天の神も、諸共に滅ぼそうか

 

 もう、完全に手遅れだ。

 

 御守竜胆は『神』になった。

 

 命を滅ぼし、人に崇められ、怨念に突き動かされているのに、人間にとって都合のいい存在としてしか在れない『荒御魂』となった。

 

 もはや彼は憎しみと災厄の具現としてしか在れない、邪神の類である。

 同時に、人にとって都合のいい存在としてしか在れない、世界最新の神である。

 

 恵みを与えることはない。

 幸福をもたらすこともない。

 笑顔からも縁遠い。

 ただ、壊すことと殺すことで、人々に未来を与える荒御魂。

 そして一つ、これに類似する神性を持つ神がいる。

 

 農耕の破壊神。

 何かを生み出すのではなく、今ある何かを破壊する荒ぶる神。

 オロチを殺すことで少女の未来を守る神。

 『天の神の弟』にして、天の神を恐れさせた暴神、神樹の核たる神の一柱―――スサノオ。

 

 神樹の中から、そのスサノオが、強くなるための最短の道を進んでいる竜胆を――間違った道に進んでいるティガを――その目で見つめていた。

 

 

 

 

 

 竜胆の戦いは、若葉と千景が死んで絶望しても、途切れることはない。休みもない。

 彼は戦い続けなければならない。

 かつて大勢の人間を殺し、贖罪のために人を守ることを決めたなら、天の神に勝利するその時まで戦い続けなければならない。

 

 まだ戦えるのに膝を折ることは許されない。

 楽になることなど許されない。

 自分が楽になるために戦いから逃げることなど許されない。

 戦い続けなければならない。

 

 たとえ、全てを失っても。

 たとえ、最後の一人になっても。

 たとえ、荒御魂と成り果てても。

 まだ、世界は終わっていないから。

 御守竜胆は、戦い続けなければならない。

 

 

 




 希望が無いなら強化イベントを迎えればいいじゃない


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4

 素敵な日、七夕。
 みーちゃん誕生日おめでとさんです。誕生日からして女子力高いなあ……

 ちなみに今日は『時に拳を、時には花を』のOP歌詞で有名なウルトラマンコスモスの放映開始日でもあります。
 そして特撮の神様・円谷英二の誕生日でもあります。
 のわゆとウルトラマンの記念日がクロスした、このクロスオーバー二次にとっても重要なクロスの日なのです。

 ここにウルトラマンR/B放映開始日まで重なるという!


 優れた人間が、神と成る。

 祟った人間が、神と成る。

 大まかに分けて、人間が神と成るのはこの二パターンだ。

 

 "雷は天の神の権能である"。

 それは、世界中の神話に共通するルールだ。

 神成(かみな)り、ゆえに(かみなり)と見る説も多く、雷に打たれたことで神の類に成る神話も多い。

 

 また、ゼットとガイアの決戦の時に現れた天の神の化身は鏡であったが、鏡は神道的解釈をすれば『我を抜くことで神と成る』ものである。

 カガミからガを抜けばカミとなる。

 "無我の境地"と言うように、人間が究極に向かうなら、その過程で我を捨て去る道がある。

 祟り神としての純度を上げるために、竜胆は『自分/我』を削り取る必要があった。

 

 そうやって、自分の力を高め……竜胆の手が、眠る杏の頬に触れる。

 

 今日一度、杏の心臓は止まったらしい。

 大社の医療班のみならず、呪術研究班まで総動員で、奇跡的に杏の心臓を再度動かすことに成功したのだと、竜胆は聞いていた。

 まだ、杏は生きている。

 もはやペースメーカーでもなければ心臓の状態が維持できず、されど衰弱しすぎで手術に耐えられないために、ペースメーカーの埋め込みなどは検討さえされていない……そんな状態の杏に触れるが、竜胆の力では何もできない。

 

 祟り神の一部は、雷神だ。

 祟り神が引き起こす落雷などの災いが、そういった属性を付けたと言われている。

 神成(かみな)りを経て雷神となった祟り神は、雷の権能を持つ。

 

 だから竜胆は、"できるかもしれない"と思ったのだ。

 黒い雷による、天の神のタタリを、どうにかできると思ったのだ。

 同じ神になったなら、できるかもしれないと、そう思ったのだ。

 けれど、できなくて。

 友奈からも、杏からも、黒い雷を介した祟りの呪詛は引き抜けなかった。

 

 一つの神話体系の主神である天の神と、ぽっと出の祟り神でしか無い矮小な荒御魂である竜胆が同格であろうはずもない。

 

「駄目か」

 

 助けられない。

 

「駄目なのか……」

 

 杏は眠り姫のまま。

 もしかしたらこのまま、死ぬまで目を覚ますことはないかもしれない。

 起きたとしても、苦しみながら残り少ない余命を数えていくような目覚めの時間に、果たして救いはあるのだろうか。

 

「神になってすら無能なら……俺にできることって、なんなんだよ……」

 

 助けたくて伸ばした手は、杏の頬に触れるだけ。

 触れたかったのではなく、救いたかったのに。

 竜胆の願いは叶わない。

 彼は祟り神となり、人々の願いを聞き届ける存在となったが、彼自身の願いを叶えてくれる神様なんてものは、どこにもいやしない。

 

 "杏を自分の手で助けられないこと"を悲しみ、悔い、自己嫌悪する心が残っていても。

 杏の生存と幸福を願う心が残っていても。

 『杏の心臓が一度止まったけれどそこから助かったことを喜ぶ心』は、もう彼の中に残ってはいなかった。

 

 だから、「助かってよかった」という言葉を、竜胆が口にすることはなかった。

 

 

 

 

 

 誰もが、変わりたくはなかった。

 友奈は、友人が死ねばわんわんと泣いてしまう自分のままでいたかっただろう。

 竜胆だって、誰かを殴る必要のない、泣いている人に手を差し伸べるだけの自分のままでいたかっただろう。

 

 けれど、誰もがそのままでは、いられなくて。

 

 

 

 

 

 人知れず、丸亀城の片隅で、竜胆は蹲り、頭を抱え、胸を掻き毟り、額を叩いて、地面を転がり反吐を吐く。

 

「ぐっ……あっ……ああああっ……!」

 

 酷い車酔いを数万倍にしたような気持ちの悪さ。

 全身を毛虫が這い回っているかのような不快感。

 肉にも骨にも、焼けた鉄の棒を突っ込まれているかのような激痛。

 祟り神への変異は、相応の苦痛を竜胆にもたらしていた。

 

 人間でなくなる、という過程がもたらす身体的苦痛。

 だが、頑張る理由があるなら、耐えられる。

 心の中で、祟り神になってでも守りたかったもの、大切なものへの想いを、一つ一つ数えながら思い浮かべていく。

 

(あれ)

 

 想いを数え終わって、竜胆は違和感を持つ。

 

(俺が頑張る理由って……こんなに少なかったっけ……)

 

 思い出せない、大切なものがあった。

 失われた大切な想いがあり、"大切なものでなくなった"ものがあった。

 大事な人間だと思えなくなった人がいた。

 想い出が歯抜けになった、大切な人がいた。

 

 球子との想い出など、もう半分も残っていない。

 

「うっ……ぎっ……!」

 

 想い出が削れて、正気が消え、生まれた心の隙間に狂気が流れ込む。

 

 人間としての心。

 祟り神としての形質。

 新造脳を基点とした、暴走時の精神。

 全てが入り混じって、もうわけが分からなくなっていく。

 

 だから、竜胆を探してそこに来たひなたに、竜胆が襲いかかったのは、ある意味必然と言っていいことだった。

 

「きゃっ!?」

 

 竜胆の左手がひなたの腕を取り、右手がひなたの首を掴む。

 竜胆の握力であればひなたは窒息……いや、首の骨が折れても、何らおかしくはなかった。

 

 ひなたの首に指が食い込む。

 竜胆は明確な殺害行動を取りながらも、目の前の人間がひなたであると認識できてもいない。

 彼の理性は、ひなたを殺そうとなんてしていない。

 だがもはや、厄災を撒き散らす神になりつつある彼は、"罪なき人を理不尽に災禍で殺す"存在としての側面をその身に備えてしまっている。

 

「御守、さ……」

 

 ひなたの弱々しく痛々しい声を聞いても、竜胆は何の反応も示さない。

 呻き声を上げ、ひなたの首を握る右手に込めた力を増す。

 

 首が折れる。

 竜胆がもう少し力を込めれば、ひなたの細い首は容易に折れる。

 正気に戻った竜胆は、自分の手で殺したひなたの死体を前にして、何を思うだろうか。

 

 ひなたが振り解こうとしても、竜胆の腕の力は強すぎる。

 今にも殺されそうなその状況で、ひなたは竜胆に微笑みかけた。

 

 恨み言を言うのも、恨みがましい顔をするのもいけない。

 それは竜胆の心の傷になるからだ。

 ひなたは、ただ竜胆への思いやり一つで、竜胆に微笑みかける。

 気にしてない、と言わんばかりに。

 若葉が死んで、この世への未練がほとんどなくなったひなたは今、『竜胆に笑顔でいてほしい』という想いが『死の恐怖』に勝っていた。

 

「正気に戻っても……気に病まないで……ください……」

 

 竜胆は大切なものを失った果てに、自分も失い。

 ひなたは一番大切なものを失ってなお、ひなたらしかった。

 

「巫女は……代わりがいて……

 でも……勇者や……ウルトラマンには……代わりがいなくて……

 あなたに代わりはいなくて……だから……あなたが苦しいのなら……」

 

 勇者や巨人に、代わりはいない。

 だが数が限られているそれらと違い、神の声を聞ける巫女ならば、いくらでもいる。

 合理性で見るなら、巫女は何人か生贄に捧げたっていいくらいにはいるのだ。

 ひなたのその言葉の根底には、"自分なんて生きていてもいなくても変わらない"という、若葉の死によって生まれた無力感と厭世観があった。

 

「私と……違って……

 みんなを……守れる……強いあなたに……代わりはいませんから……」

 

 首を絞められながらも必死に竜胆のために言葉を紡ぐ、上里ひなた。

 

「いえ……そうじゃないですね……そういうの、抜きにしても……御守さんは……」

 

 理屈を組み立て、竜胆に何か言葉をかけようとするひなたの思考は回っていない。

 首を締められていることで、脳に血が行っていないのだ。

 だからひなたは朦朧とした状態で、頭に思い浮かんだ言葉を、そのまま口から出している。

 ゆえにこそ、その言葉は、彼女の心からそのまま飛び出した真実の言葉である。

 

「ただの人間としての御守さんが……

 皆にとっても、私にとっても、代わりがいない、かけがえのない、大切な……」

 

 首を締められながら、苦しそうにしながらも微笑み、ひなたは自分の苦しみを消すためではなく―――竜胆の苦しみを消すために、言葉を選んだ。

 

「だから……私が死んだことを理由に……泣いたりなんて……しないでくださいね……」

 

「―――」

 

 ずっと付き合ってきた心の闇も、祟り神としての性質もねじ伏せて、竜胆の目に正気の光が戻って来る。

 いや、戻って来た、と言うのは違う。

 ひなたが、引き戻したのだ。

 闇の中から光の中へ、竜胆を引き戻してくれたのである。

 

 竜胆の手がひなたを離し、ふらりと倒れたひなたを竜胆が抱きとめる。

 

「……代わりなんているか!」

 

「げほっ、けほっ……みもり、さ……」

 

「巫女にだって、君の代わりなんているはずない!」

 

 ひなたの自分の命すら投げうつような献身の言葉が、祟り神へと成り果てた竜胆を、辛うじて人間の世界に引き戻してくれた。

 彼女が醜く暴れていたなら、こうはならなかっただろう。

 掴んできた腕を引き剥がすことに体力を使っていたら、こうはならなかっただろう。

 竜胆が後悔しないようにと、首を締められてもなお竜胆を思いやったその優しさが、竜胆の心を救ってくれたのである。

 

「ごめん、ごめんな、大丈夫か?」

 

「へーき、です。大丈夫です……」

 

「俺が……俺のこの手が君を……」

 

 ひなたの首を締めていた手を見つめ、竜胆が歯を食いしばる。

 

「御守さんを責めていいのは、被害者の私だけ。

 そうだとは思いませんか? そして私は、あなたを責めません」

 

「……ひーちゃん」

 

「若葉ちゃんがああなって……生きる意味なんて、ほとんどなくなって。

 でも私がまだ生きている理由。まだ自死を選んでいない理由。それが、分かりました」

 

 竜胆も、ひなたも。

 本当に大切なものを失ってなお、踏ん張っている。

 絶望してなお、優しさからか、周りの人を見捨てられないでいる。

 

「あなたのことが、放っておけないんです。心配で、心配で、しょうがないんです」

 

 ひなたが、竜胆をこちら側に引き戻したように、竜胆の存在もまた、若葉が死んで絶望し自死を選ぶ可能性もあったひなたを、引き止めてくれた存在だった。

 

 ひなたはともすれば、頼りがいのある若葉に対して以上に、竜胆に対して心配していたのかもしれない。

 

「だから、辛くても、まだここに生きています」

 

「……ありがとう。

 でももう、自分に代わりがいるとか、言わないでくれ。

 今みたいに死を受け入れて、俺に語りかけることだけするとか、やめてくれ。

 俺にとって、ひーちゃんの代わりなんていない。俺にとって、君は本当に大切な人なんだ」

 

 ひなたが微笑み、直球で言われた"本当に大切な人"という言葉への照れを誤魔化す。

 

「若葉が……若葉がああなった今。

 俺は君の未来と幸福に、責任を持たないといけないんだ」

 

 ひなたも。

 竜胆も。

 『若葉』と口にするだけで、嘔吐しそうなほどに苦しんでいる。

 そのくせ、『若葉』の名前を出さずして、互いに誠実に向き合えない。

 若葉という存在を脇に置いておいて、話すことができない。

 

 若葉が抜けた竜胆とひなたの関係性は、球子が抜けた直後の竜胆と杏の関係性とどこか似て、どこか歪んでいた。

 

「それなら」

 

 もしも、竜胆が、人間のままでいてくれたなら。

 別の関係性に発展していく可能性も、あったのだろうか。

 

「それなら、普通の人間として寄り添ってほしかったですね。私はそこが、本当に悲しいです」

 

 ひなたは竜胆のことを、仲間相応に理解していた。

 いつもの竜胆なら、ここで「ひーちゃんは優しいな」とかなんとか言って、ひなたが竜胆のことを理解していることに、どこか嬉しそうな顔をしたはずだった。

 

「俺のことが嫌いになったか?

 悪かった、嫌われるようなこと、するつもりはなかったんだ」

 

 けれども、竜胆のひなたに対する理解は、どこかズレていた。

 ひなたが今更、竜胆のことを嫌うことなどあるはずもないのに。

 "どうして若葉ちゃんを守ってくれなかったんですか"という言葉を、絶対に言わないと心に決めている時点で、ひなたが竜胆を嫌うことなど、ありえないはずなのに。

 

「……話せば話すほど、御守さんらしさが減っていっているように、感じます」

 

「え?」

 

「"御守さんってこの流れでこういうこと言う人だったかな"って思うと、もう……」

 

 自分自身を切り捨て、自分の心を削り落として、己の想いも捨て置いて、竜胆はどんどん『違うもの』になっていっている。

 

 どんなに絶望しても、闇に堕ちることのなかった竜胆の心が、闇に染められつつあった。

 

「以前の御守さんは、私の理解者の一人だったと思います。

 私のことも、皆のことも、よく分かってくれていたと思います。でも」

 

 変わりゆく竜胆を、悲しい目で見つめるひなた。

 『大切な人が死んでしまう苦しみ』ではなく、『大切な人が変わり果てていく苦しみ』。

 今の竜胆を見て、ひなたが感じている苦しみは、三千万年前のカミーラがティガを見て感じていた苦しみと同じものだった。

 

「あなたが"それ"を捧げてまで強くなってしまったことが、悲しいんです」

 

 ひなたが言う"それ"が何を指しているか分からなかったようで、竜胆が曖昧な表情をする。

 

 代名詞を使って会話が成立するのは、深い相互理解の証だ。

 だが、逆に言えば。

 意味が通じると思って使った代名詞の意味が通じず、相手に首を傾げられてしまったなら、それはそこに相互理解がないことの証明である。

 ひなたと竜胆は互いを想いながらも、以前ほどの相互理解は、既に二人の間には存在していなかった。

 

 

 

 

 

 変わりたいという想いがあった。

 変わりたくないという想いがあった。

 けれど、誰もがそのままでは、いられなくて。

 

 

 

 

 

 二人の勇者と祟り神は、今の四国の治安維持の要である。

 警察官等は怪我、消耗、果てはマガエノメナの電磁波による裏切りで、もう多くが戦線を離脱してしまっていた。

 愛媛に行ってそのまま休みなく半日以上愛媛で鎮圧活動をしていた、なんてこともザラだ。

 

 移動手段は大社の車、大社のヘリ、距離によっては勇者はその足で走って現場にまで向かっていく。終われば一端丸亀城に帰投だ。

 あくまで勇者と巨人は対バーテックス用防衛戦力である、という点を重視している。

 

 竜胆と歌野は、ヘリで帰路についていた。ヘリの座席で隣同士に座っている。

 人外になった竜胆はともかく、歌野は丸一日治安維持活動に参加していてもケロリとしていて、雪花が「どんな体力してんのよ」と驚くほどだった。

 今も竜胆の隣で、疲労の欠片も見せていない。

 それどころか、丸亀城に帰還したならすぐに農園に手を入れる気満々だ。

 毎日農業をやってきた歌野の体力は、本当に底知れないところがある。

 

「そうだ歌野、ちょっと頼んでいいか」

 

「なーに? えっちなこと以外なら大体聞いてあげたいところだけど」

 

「しねえよそんなお願い」

 

 竜胆は今朝あったひなたとのことを、かいつまんで歌野に話した。

 

「……ってわけで、歌野の方からフォロー入れといてくれないか」

 

「別にいいけど、竜胆さんが自分で何かしら慰め入れればいいんじゃないの?」

 

「正直言って、俺は多分、ひーちゃんの気持ちを半分くらいしか理解してないと思う」

 

「え」

 

 ひなたが怒った理由、悲しんだ理由、竜胆にああいうことを言った理由。

 ()()()()()()()()()、竜胆はその半分程度しか理解していない。

 そこに自覚を持てている分、今の竜胆はまだマシだろう。

 祟り神化が進行し、こういったものに自覚すら持てなくなった時、彼は『殺される人の痛み』すら分からなくなっているに違いない。

 

「他人が考えてることが、よく分からなくなってきたんだ」

 

「……」

 

「いや、なんだろうかな……

 相手の気持ちになって考えれば、前は自然にできてたんだ。

 なんか、相手の気持ちになって考えるというか……人間の気持ちが分からなくなってきた」

 

 ヘリの窓から街を見下ろし、竜胆は呟く。

 

「なあ、なんで人間は、こんなに愚かなんだ?」

 

「―――」

 

 竜胆らしくない物言いは、竜胆の仲間の心を削る。

 

「はぁ」

 

「? どうした?」

 

「いえ、なんでもないの。ノープロブレムとは口が裂けても言えないけどね」

 

 今の街を見れば、そういう感想が出てくるのは当たり前だ。

 当たり前だが……歌野は、竜胆の口からそんな台詞を聞きたくなかった。

 

 こうなってしまった竜胆を見て、初めて歌野は実感する。

 普段の竜胆がどれだけ人々に対し寛容だったか。

 普段の竜胆がどれだけ民衆に愛を向けていたか。

 普段の竜胆がどれだけ人の愚かさを許していたか。

 

 "人間は愚かだ"という台詞は、竜胆にはとても似合っていなかった。

 そんな台詞が似合わない竜胆のことを、歌野はずっと好ましく思ってきたのだ。

 

「最近の竜胆さん、会うたびに人間性が削れてるみたいで、あんまり好きじゃないわ」

 

「ずばっと言うな」

 

「ソーリー。でも、オブラートに包む方があなたのためにならないと思ったから」

 

 竜胆は若葉と千景を失ったあの戦いの後から、酷い顔しかしなくなった。

 祟り神になってからは、もっと酷くなった。

 転がり落ちるように闇に堕ちていく竜胆の姿が、『どれだけ千景を大切に思っていたか』『どれだけ若葉を大切に思っていたか』を証明する。

 

「前の話、覚えてる? あれ、今でも有効だからフォーゲットしちゃ駄目よ」

 

「前の話?」

 

「戦いが終わったら諏訪に来れば、って話」

 

「……え」

 

 竜胆はきょとんとする。

 今でもその話が有効だとは思っていなかった。

 いや、それ以上に、歌野が今の竜胆にもその誘いをしてくれたことに、彼は驚いていた。

 

「すごいことにね、諏訪の皆、まだ頭がおかしくなってる人一人も出てないのよ」

 

「……それは凄いな。いや、お世辞抜きに凄い」

 

「大社の人は皆心の支えがあるから酷い暴走をせずにいられてるんだって言ってたわ」

 

 それは歌野のことだろうと、竜胆は思う。

 

「そして皆、まだ竜胆さんのことを受け入れる気満々なのよね」

 

「……俺は、ああいう放送したぞ。冗談だろ」

 

「ああ、諏訪の皆さん、あの放送の内容全然信じてないのよ」

 

「!?」

 

「何か作戦でも考えてるんだろう、シビトゾイガーでも騙そうとしてるんじゃないか、って」

 

「いや、んなバカな。そんな信じられるようなこと、俺はあの人達に何も……」

 

 誰の言葉でも揺らがない、祟り神となった竜胆の心。

 

「皆、あなたのことを『守ってくれたウルトラマン』だと思ってるからでしょう?」

 

「―――」

 

「理由なんて、そのくらいで十分なんじゃないかな」

 

 その心に、ほんの小さなさざ波が立った。

 

「ははっ」

 

 竜胆は自嘲の笑みを浮かべる。

 

 人々を守る正義の戦士として戦っていた時は、竜胆を悪だと疑い信じなかった人がいて。

 今の四国には、悪を演じた竜胆を、悪だと信じない人がいた。

 "ティガは悪なんかじゃない"と言い切っている人の数は、ほんの僅かで、四百万という総人口から見れば無視していいほどに少ない。

 けれど、それでも。

 諏訪の人達は、その全員が、竜胆/ティガを信じていた。

 

「なんか俺、信じてもらいたいのにいっつも、『みんな』に信じてもらえてねえな……」

 

 自嘲もするというものだ。

 

「私もみーちゃんも信じてなかったもの。

 だって、悪者っぽすぎるでしょ、放送のあれ。

 他に信じてない人がメニーメニーいても、おかしくはないと私は思うわ」

 

 諏訪の者以外にも、ティガをまだ信じている者はいるに違いない。

 

 少しではあるが、ティガの言葉を信じなかった者達がいた。

 ティガが傲慢であるとも、暴力的であるとも、悪だとも信じなかった者達がいた。

 竜胆を信じていたから、竜胆の言うことを信じなかった者達がいた。

 

「自分の目で見たものだけを信じてるんだな、歌野達は」

 

「頑張ってる人を信じてるのよ、私達は」

 

 微笑む歌野。

 竜胆が見せる強さが苦痛に耐える強さなら、彼女のこの微笑みは、どんな強さから生まれるものなのか。少なくとも、耐えるだけの人間からはこの微笑みは生まれない。

 歌野のこの微笑みと、絶望の中でも決して折れない強さを見続けてきた諏訪の住民は、ティガに対する接し方一つ見ても、何か、どこかが違った。

 

「間違えるあなたもひっくるめて信じてる。

 あなたの間違いもひっくるめて受け入れている。

 でもね、それはあなたが間違った時、何もしないってことじゃないわ」

 

 ああ、これは俺の選択に怒ってるんだな、と竜胆は察する。

 

 けれど竜胆は、自分の選択の何が歌野を怒らせてしまったのか、分からなかった。

 

「後戻りできないとは思わないで。アンダースタン?」

 

「後戻りってなんだよ」

 

「一人でアクティブに、皆から離れた遠いところに行かないってことよ」

 

 歌野は心を読めるから、竜胆に一番効果のありそうな言葉を選んでいるのに。

 竜胆の心は微塵も揺らがない。

 "いくら言葉をかけても無駄だ"と、心を読める歌野には分かってしまう。

 負荷に耐えながら竜胆の心を読んだ時に、竜胆の心を何も変えられていないことを、理解できてしまうのだ。

 

 それがことさらに、歌野の心に嫌な絶望感を味わわせていた。

 

 

 

 

 

 こんな幸せな日々が続いてほしいという、少年少女の願いがあった。

 その少年少女達の幸せな日々が、苦痛と凄惨に終わってほしいという願いがあった。

 誰もがそのままでは、いられなくて。

 

 

 

 

 

 竜胆が放送を行ってから、まだ一日も経っていない。

 だが竜胆は、放送の後もずっと四国中を飛び回り、夜もずっと人々を守り続け、朝になっても守ることを止めず、朝にはひなた、次には歌野と接し、ずっとずっと動き続け、人々に敵意と恐怖を向けられながら、完全発狂に至った人間達を鎮圧し続けた。

 

 竜胆の放送はとても効果があったようで、理性が完全に吹っ飛ぶ段階までいった人間以外はほぼ全員、竜胆/ティガに明確な反抗を行わなかった。

 戦って、戦って、戦って。

 一人丸亀城に戻って来た竜胆は、ひなたを見つける。

 

「ひーちゃ―――」

 

 その瞬間を、どう言葉で表現すれば、正確なものになるのだろうか。

 

 竜胆の腹に、深々と、ひなたが手にした包丁が突き刺さっていた。

 

「―――え」

 

 竜胆の人間性がどんなに削れようと、そこにはひなたへの信頼があった。

 ひなたへの信頼があったから、竜胆は無防備だった。

 無防備だったから、素人相手に簡単に刺されてしまった。

 それは、竜胆がひなたの全てを受け入れ、彼女を信じ切っていたという証明。

 

「どうして若葉ちゃんを守ってくれなかったんですか……どうして! どうして!」

 

 マガエノメナの電磁波は、攻撃衝動を引き出し、脳を破壊する。

 ひなたの脳の"御守さんは悪くない、私が支えないと"と考える部分は破壊されてしまった。

 "御守さんが若葉ちゃんを守っていれば"という小さな想いが、もはや抑え込まれることなく、竜胆への攻撃衝動として転換される。

 

 朝、竜胆に微笑みかけ、竜胆を思いやっていた少女が今、竜胆を殺したくて殺したくてたまらない顔をしているという最悪。

 

 マガエノメナの電磁波は、心を自由自在に操るものではない。

 ただ、頭で考える全ての物事の結論を『攻撃』『殺害』『破壊』に帰結させるだけのものだ。

 ひなたの中の自制心や理性は、もうとっくに吹っ飛んでいる。

 若葉という大切な人を失った気持ちを捻じ曲げて、竜胆という大切な人を攻撃させる。

 この電磁波には、そんな残酷を可能とさせる力があった。

 

「あなたは私と違って強くて!

 私と違って、若葉ちゃんを守れる場所にいたはずなのに! どうして!」

 

「ひ、ちゃ、んっ……!」

 

「何か、手を抜いていたり、気を抜いていたりしていたんじゃないんですか!?」

 

 竜胆の腹に突き刺された包丁を、ひなたがひねって、腹を裂くように横にスライドさせて、卵をかき混ぜるような手付きで、竜胆の腹の中を包丁でかき回す。

 ()()()()()()()()()()()

 

 竜胆は激痛に表情を歪めた。

 腹は包丁に刺されている。

 心は言葉に突き刺されている。

 腹と心を同時に刺され、竜胆は更に追い詰められていく。

 

 心の方が、ずっと痛かった。

 

「ひーちゃん」

 

 竜胆は腹を刺されながらも、ひなたを抱き締める。

 

「ごめんな。無力で、無能で、何もできない俺で……本当にごめん」

 

 ひなたが包丁で更に腹の中身をかき回す。

 腹をかき混ぜ終えて、包丁ごと腕を腹の中に突っ込み、竜胆のアバラの内側まで包丁でかき混ぜ始める。

 ()()()()()()()()()()()

 

「君は俺を引き戻してくれたのに……俺は君を、引き戻してやれない」

 

 竜胆は、無力を嘆く。無能を謝る。

 ひなたの親友を守れなかったこと、ひなたを今救えないことを嘆き、謝る。

 その声色は、今にも泣きそうで。

 ひなたを抱き締める腕は、とても優しくて。

 

 竜胆の体の中身をかき混ぜる包丁の動きが、止まった。

 

「君を助けられなくて……若葉を守ってやれなくて……本当に、ごめん」

 

「―――」

 

 ひなたの手と包丁が引き抜かれ、包丁が地面に落ちる。

 ひなたの血まみれの手が自らの頭を抱え、ひなたは勢いよく、自らの頭を、地面に強烈に打ち付けた。

 まるで、他人への攻撃衝動を、自分自身に向けたかのように。

 

「ひーちゃ……ひーちゃん!?」

 

 最後に微笑み、倒れるひなた。

 青ざめた顔で、ひなたに駆け寄る竜胆。

 額から血を流すひなたを、竜胆は必死に医務室へと運び込む。

 

 医務室で大社の人間に説明されるまで、竜胆はひなたが何故そんなことをしたのか、まるで理解していなかった。

 

 電磁波で破壊されたひなたの脳は脆くなっており、地面に打ち付けたことで元に戻らないくらいに破壊されてしまっていたこと。

 ひなたがそうして、竜胆を守ってくれたこと。

 僅かに残った意志で、自らの頭を壊してまで、竜胆を守ってくれたこと。

 自分の脳を自分で壊したひなたは、もう二度と目覚めることはないこと。

 事実上、ひなたは『自殺』で竜胆を救ってくれたのだ、ということを。

 

 竜胆は大社の人に説明されるまで、何一つ理解していなかった。

 ひなたが最後の瞬間に見せた微笑みの意味すら、竜胆は理解していなかったのだ。

 

 見れば分かるようなそんなことすら、分からなくなっている竜胆は……もうきっと、『人の心』というものすら失いかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひなたの病室の前で項垂れていた竜胆に、届く出撃命令。

 戦わなければならない。

 戦い続けなければならない。

 戦いはまだ何も終わっていない。

 竜胆に落ち込んでいる時間など許されていない。

 

 項垂れていた竜胆を見て、秋原雪花は躊躇い、同情を顔に浮かべ、嫌な気持ちを噛み締めて、竜胆の手を引き無理矢理に車に乗せた。

 

「戦える?」

 

「問題ない」

 

 会うたびに、人間性が消えていくような竜胆の表情に、雪花は嫌なものを感じる。

 竜胆のこの表情が、雪花は嫌いで嫌いで仕方なかった。

 

「怖くないの?」

 

 移動中の車の中での雪花の問いかけに、竜胆が雪花に顔を向ける。

 

「報われないまま、皆に嫌われながら死んでしまうの、怖くないの?」

 

「怖くないわけないだろ」

 

「なら」

 

「もっと怖いものはたくさんある」

 

「……」

 

「ひーちゃんの、この案件の方が……そうやって死ぬことより、ずっと怖かったことだ」

 

 マガエノメナの電磁波は、皆を攻撃的にし、皆の脳を壊す。例外はない。

 勇者も。

 巫女も。

 巨人も。

 均等に、全てが加害者兼被害者になる可能性があった。

 

「皆に笑顔でいてほしい。

 皆に幸せでいてほしい。

 皆に生きていてほしい。

 こんな簡単で強い願いも、俺の中から消えていってしまいそうで、それも怖い」

 

「自分が自分でなくなること、か。私もそれは怖いわぁ、やんなっちゃう」

 

「約束があったんだ。雪花は知らないだろうけど」

 

「約束?」

 

「ナターシャって子が、ひーちゃんの死を予言して……

 俺達は、その予言を覆すため、全力を尽くして……

 俺は、ひーちゃんを守ると約束して……未来を変えて、ひーちゃんを守って……」

 

 涙を流すひなたの命を、竜胆は守ると誓ったのだ。

 いつでも、どこでも、何からでも。

 

「ナターシャが命を捧げてまでひーちゃんを守りたいと思った想いは、無駄だったのか?」

 

 ボブが死んで、ボブと仲の良かった球子も死んだ。

 ケンが死んで、ケンが料理を教えていた杏も瀕死。

 大地が死んで、大地が守ろうとしていた従姉妹の若葉も死んで。

 海人が死んで、海人にとって至上の女性である友奈ももう死にそうで。

 

 今日、死んだアナスタシアが母のように慕っていたひなたが、事実上死亡した。

 

「なんで俺は、こんなに平気なんだ……?

 絶対にありえない。ありえないんだ。

 頭が言ってる。

 俺は、ひーちゃんが死んだら、我慢できず泣き叫ぶ人間だって。

 なのに、心が全然、震えない。頭が泣いてて、心が全然泣いてない……」

 

「御守先輩……」

 

「なのに心は、静かに絶望してて、激情もないのに、何故か闇に沈んでるんだ」

 

 竜胆はもう人間ではない。

 祟り神、災厄神だ。

 だから、どんどん"人間らしく悲しむ"ことができなくなっていく。

 仲間が死んで、泣けないのに、絶望だけは感じて、心の闇が膨らんでいく。

 

 彼の悲しみと怒りは、バーテックスを前にした時、真の意味で発揮されることだろう。

 それが祟り神だ。

 祟り神の激情は、真に祟る相手にぶつけられる時にこそ発現される。

 

 めそめそ泣くことなど許されない。

 祟り神は怨念を叩きつけるために在る。

 仲間が死んだ悲しみで何かをすることは許されず、仲間が殺された復讐をして、バーテックスを皆殺しにしてやらねばならない。

 

 祟り神に求められるのは、悪い意味での人間らしさ。良い意味での人間らしさは必要ない。

 要らない人間らしさは、自然に竜胆から削ぎ落とされていく。

 

「ひーちゃんは、脳が壊れたからもう目覚めることはないってさ。

 つまりは、死だ。

 なあ、俺って、友達が死んでこんな平然としてるようなやつだったっけ?」

 

 竜胆は加速度的に自分を見失なっていく。

 そして雪花は、竜胆のことを多くは知らない。

 所詮彼女は新参だからだ。

 竜胆のことをよく知る者は、竜胆に"竜胆らしさ"を語れる者は、もうほとんどいない。

 

 雪花が、友奈への恩から"友奈の友人を助けてやろう"と思おうと、竜胆への同情から"助けてやりたい"と思おうと、雪花にできることなどない。

 

「悪い雪花、何か気にかかることがあったら、すぐ言ってくれ。

 俺はそういうの、言われないと分からないんだ。

 雪花を仲間として頼らせてもらう。

 もう俺は、他の人間の助けがないと、人間性ってものが分からなくなってきてるんだ」

 

「……ん、分かった。まー、私程度じゃ仲間には、不十分かもしれないけどね」

 

「不十分だなんて思わないって」

 

 竜胆の言い切りに、世辞の意図はない。

 

「数日だけど、一緒に人間相手に戦ってきただろ。俺にも分かることはあった」

 

「んー、そんなに分かりやすいことなんかしたっけかなー」

 

「人を守って、人と戦う。その姿を見て、分かることは多かった」

 

 竜胆の断言に、誇張はない。

 

「人を守るために頑張ってくれてる雪花を信じてる。

 なんていうか、そうだな。

 お前、歌野と同じくらい頼りがいがあるんだよ。フィーリングだけど」

 

「あら、高評価。嬉しいもんですな」

 

「一人で戦ってきた奴は、やっぱ強いよな……尊敬する。俺は、真似できそうにない」

 

 それは『皆』と一緒だったからこそ戦ってこれた竜胆が口にした、諏訪で、北海道で、四年近く戦ってきた勇者に対する、本気の尊敬だった。

 紛うことなく、竜胆の本音。

 いつか神化の過程で消える、竜胆の残り少ない人間らしさだった。

 

「一緒に戦ってきた四国の勇者が皆いなくなっただけで、もう駄目だ。

 なんか駄目だ。俺はどっかしら駄目になってる。

 俺は間違ってる気がするんだけど、そう言ってくれる仲間も、もういなくて。

 でもこれしか方法がないし、皆を守るためにはこの道しかないから、なんていうか……」

 

 この本音も、いつかは消える。

 

「……俺が、俺でなくなっていく。俺が俺を忘れていく。

 俺のことを知ってる人達がいなくなっていく。

 "俺はどういう人間だったっけ"って聞ける人がいなくなっていく。

 俺が俺のことを忘れて、俺のことをよく知っている人が、皆死んでいって、俺が忘れられて」

 

 人間らしさを失うことを恐れる気持ちも、いつかは消える。

 

「きっと最後に『ティガ』は残るけど、『御守竜胆』は残らない」

 

「!」

 

 日本三大怨霊達は、守護神である祟り神という名の『偶像』だけが残って、伝承にある『本人』の性格などは、めったに語られない。

 人間の時の性格なんて無視されて、人々がイメージする『人々を守る怨霊神』の性格こそが本物となる。

 それがルールだ。

 

 「他人を神格化するな」という言葉は、人類史で幾度となく使われてきた言葉だ。

 他人の性格を過剰に上等に見るな、という意味である。

 つまり、本物の性格と、神格化された性格というものは、全然違うものであり。

 "神格化された性格"というものは、『本物と全然違う性格』という意味を内包している。

 

 ゆえに『神格化した竜胆』は、『本物と全然違う性格』になりつつあった。

 

 今の竜胆は荒御魂。

 荒ぶる神と成り果てる者。

 いずれは神話の神のように、人間の死に眉一つ動かさなくなる可能性もあった。

 

「だったらさ。

 まだ、『御守竜胆』が残ってる内に……

 『御守竜胆が信じた人』を、一人でも多く残しておきたいじゃないか」

 

「……っ」

 

「雪花が頼れる奴で良かった。

 雪花が信じられる奴で良かった。

 『御守竜胆が信じた人』を、幸運にも一人増やせた」

 

 だから、竜胆のその台詞はもう、半ば遺言のようなものだった。

 今の自分が消える前に、一人でも多く信じられる人を作っておきたいという、自らの死を前提とした悲痛な願いだった。

 "竜胆が信じた人"が増えるということは、竜胆の死後、竜胆の大切な人達を守ってくれるかもしれない人が、増えるということでもあったから。

 

「御守先輩」

 

 雪花の信条はギブアンドテイク。

 効率・合理・利己を求める珍しいタイプの勇者が、彼女だ。

 されど彼女も間違いなく、無垢なる少女を愛する神に選ばれた勇者である。

 

 その心の根底には、損得抜きで他人を見捨てられない性情があった。

 

「生きたいとは思わないの? そんなお綺麗な在り方に、私ゃ共感はできないかなー」

 

「生きたいさ」

 

「じゃあ、生きるために色々すればいいんじゃない?

 で、余計なことはしないようにすればいいんじゃない?

 生きるためなら何したっていいんじゃないかな。私はそれが悪いことだとは思わない」

 

「生きるために、か」

 

 雪花には彼が生きたいのか、そうでないのか、判別がつかなかった。

 

「頭の良い雪花なら分かるか?

 一人殺した罪は、何人救えば帳消しになる?

 一人守れなかった罪は、何人守れば帳消しになる?」

 

「……え」

 

「俺には分からない。

 計算式が分からない。

 どう計算すれば良いのか分からない。

 考えれば考えるほど、時間の経過が、俺の中の俺を削っていって、もっと分からなくなる」

 

 色んな意味で、若葉と千景の死は、竜胆に対する"トドメ"になっていた。

 

「何億人守ったら、俺は若葉とちーちゃんを死なせた自分を許せるんだ?」

 

「―――」

 

「何億人救っても……俺は……自分が生きていることを許せない、気がする……」

 

 若葉の命一つが、千景の命一つが、何億人という命に匹敵するほど、竜胆の中で大切なものであったなら。

 

 それを守れなかったという罪悪感は―――どう拭い去れば、いいというのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大社の通信機が鳴り響く。

 弱者の足掻きは、少しばかりの成果を上げていた。

 なんと勇者でもウルトラマンでもない大社職員の尽力により、先手を取って四国外の魔王獣を先に見つけることに成功したのである。

 

「三好さん! 鷲尾さんから連絡です! 結界外に魔王獣を確認したと!」

 

「……来たか!」

 

 ほとんど不可能だと諦められかけていた、先制攻撃、あるいは体勢を整えてからの待ち伏せのチャンス。

 四国周辺を哨戒してくれる元自衛隊の武装船団が事実上の全滅状態にある今、結界外の敵を先に見つけられたのは、誇張抜きで奇跡であった。

 

「しかしどうやって見つけたんだ?

 今の四国結界の外は地獄だ。

 マガエノメナの電磁波が満ちている。

 結界外に出られない以上、まともな方法では結界外の調査はできなかったはずだが」

 

「めっちゃ長い望遠鏡をチームで手早く自作して使ったそうです。

 結界内から結界外まで余裕で届く10mくらいまで延長できる長さのやつを」

 

「おおっと予想以上にアナログだが効果的な手法の返答来たな……」

 

 結界の外は発狂電磁波で満ちている。

 ドローンの類を飛ばそうにも、結界の壁がある上、結界外の密度が高すぎる電磁波が電波を阻害してしまうため、操作ができない。

 そこでとんでもなく長い望遠鏡を作って、結界内から結界外まで伸ばし、外を覗くというかなりアナログな手段が採択されていた。

 

 今の四国の資源、使える人材、使える時間が限られていたとはいえ、平時では絶対にやらないようなとんでも手段である。

 これで四国の周囲をぐるりと回りながら、四国周辺を望遠鏡でくまなくチェックしたという熱意と労力は褒められてしかるべきだろう。

 

「あ、続報が……ま、魔王獣が移動開始! 四国を目指して進軍中との知らせが!」

 

「ルートは? いつもと同じく香川方面か?」

 

「はい!」

 

「よし……一々丸亀城に勇者と竜胆を戻すスタンスでやっていたのが功を奏したな」

 

「白鳥歌野、秋原雪花、御守竜胆の三名は丸亀城に待機中です。いけます」

 

「十分に休憩を取らせておけ。万全の準備と心構えをさせた上で、迎え撃たせるぞ」

 

「結界に入って来なかったらどうしますか? 三好さん」

 

「御守を中心に先制攻撃をかまさせる。それができると、奴は言った」

 

 先に敵の位置を確認できたというだけで、作戦の構築はぐっと楽になる。

 三好は胸を撫で下ろしたが、他の職員は少し不安げだった。

 

「でも、ティガは暴走するんじゃ……」

 

「そうならないために、御守は人間を捨てたんだ」

 

「え」

 

「今のあいつは、正しく祟り神だ……祟る相手は、間違えない」

 

 今のティガダークは、過去最強の状態にある。

 かつ、バーテックスを殺すためだけに存在する、祟り神でもあった。

 

「鷲尾さんに確認してもらってくれ。マガエノメナはいるか?」

 

「はい、少々お待ちを……駄目です、三好さん、マガエノメナはいないそうです」

 

「……一々采配に隙がないな、あちらは」

 

 マガエノメナを前に出さない的確な采配。

 マガエノメナが来ていたなら、結界の中にマガエノメナが来た瞬間に、光線でその命を吹き飛ばす作戦を立てたってよかったというのに。

 

「え……嘘」

 

「どうした?」

 

「鷲尾さんの連絡によると、敵は二体……その片方が……ゼットだそうです!」

 

「―――!」

 

 マガエノメナは来ていない。

 なのに、ゼットは来るという。

 一刻も早くマガエノメナを倒さなければならず、それ以外の敵など相手にしたくない人間勢からすれば、本当に嫌な采配だった。

 

 ただでさえゼットは最悪の強敵だというのに、ゼットを倒しても四国の状況は何も改善しないというのが、戦う前から戦意を擦り削ってくる。

 

「勝てよ、御守」

 

 三好圭吾は、画面の向こうの丸亀城に向けて静かなエールを送る。

 

「三ノ輪に続き、お前まで奴に殺されるなんてことは……絶対に許さないぞ……」

 

 多くのものを失ってきた御守竜胆が、自分自身すら切り捨てて、皆を守るため変容して得た祟り神の力。

 それが負ける未来など、三好は想像することすらしたくなかった。

 勝てるはずだ、と三好は自分に言い聞かせる。

 勝ってくれ、と三好は竜胆に対し祈る。

 

 人が祈り、神が叶える。

 竜胆という祟り神と人間の関係は、加速度的に"らしく"なりつつあった。

 

 

 

 

 

 三好の祈りは、ちゃんと竜胆のもとへと届いていた。

 今の竜胆は神である。

 四国全土から届けられる憎悪、恐怖、祈り、その全てを竜胆は受け止めていた。

 良くも、悪くも。

 

 そんな竜胆、背伸びをしている歌野と共に、雪花は丸亀城の塀の上で待機していた。

 何気なく深呼吸して、心を落ち着ける。

 仲間との接触と会話を避けるように離れた場所にいる竜胆と、近くにいてくれている歌野を交互に見て、雪花は昔故郷で聞いた北海道の神話の話を思い出していた。

 

人間臭い神(アイヌラックル)……そんな話もあったなあ」

 

「アイヌラックル?」

 

「アイヌの神話で、地上で一番最初に生まれた神様のこと。

 アイヌラックルには『人間みたいな神』『人間臭い神』って意味があるんですわ」

 

「北海道の神様なんだ」

 

 歌野は興味津々、といった風に話を聞いている。

 雪花が竜胆を見ながら"人間臭い神"と言っていることに気付くと、少し苦笑していた。

 

「……人間臭い神、ね」

 

「ん、そういうことだよ」

 

「雪花さんが思い出すわけだわ、うん」

 

 今の竜胆は、普通の人間と言うには人間性が薄すぎる。

 かといって、普通の神と言うには人間味がありすぎる。

 アイヌの神話における"人間臭い神"アイヌラックルを雪花が連想して思い出したのは、当然のことだった。

 

「アイヌラックルはね、雷の神様が一目惚れした木の女神に雷を落として生まれたの。

 まあ雷神が雷を落としたもんだから、落雷と同時に出産、出産した女神は焼滅するんだけど」

 

「うわっ、酷い」

 

「まー神話だからね。

 アイヌラックルはその後、女神に愛されて育てられるの。

 人間の子供達と遊んで育って、人間らしく育っていくわけね」

 

 アイヌラックルは、人と親しむ神である。

 

「大山場の序章にて、立ちはだかる悪い魔女。

 そして悪しき神にその使徒、魔物! 更には暗黒の国の魔王!

 アイヌラックルは愛する姫を奪われ、視力まで奪われてしまうのです。

 女神の助けで視力を取り戻し、聖なる剣を授かるアイヌラックル。

 強固な防具を身に着け、目指すは姫をさらった魔女や悪しき神の座す、暗黒の国!」

 

「おお……キングロードね!

 なんだか現代のゲームでも十分やっていけそう。

 アイヌの神話がそんなにワクワクドキドキなものだったなんて、知らなかったわ」

 

 戦いを前にしているというのに、歌野も雪花も自然体だ。

 益体もない話をして、互いの緊張を解きほぐしている。

 戦闘経験豊富なこの二人でなければ、こうはならないだろう。

 

「で、アイヌラックルはどうなるの?」

 

「魔女も、悪しき神も、魔王も、全員ぶち殺してから暗黒の国を焼き払うわけですよ」

 

「うわっ、予想をオーバーに超えてきた!?」

 

「炎は12日間燃え続け、暗黒の国の全てを灰にしたんだって。

 悪は国ごと全部燃えて消えて、世界は平和になりましたとさ。やー、怖いねー」

 

「凄いアングリーね、姫に手を出されたことがよっぽど腹に据えかねたのかしら」

 

 アイヌラックルはそうして、魔王も魔神も魔女も皆殺しにし、人の世界に平和をもたらしたというアイヌの英雄神である。

 

「アイヌラックルは、人間を導き、争いを引き起こす人間を裁く神……

 一言で言っちゃうと、『平和の神』なんだってさ。

 地上で一番最初に生まれた神様が平和の神って、なんか無性に好きなのよ」

 

「うんうん、私から見てもベリーグーよ」

 

「でもアイヌラックルは醜くなっていく人間に失望して、地上を去ってしまうんだなこれが」

 

「あら」

 

「なんつーか、アレね。

 神様っていうのは、人間の醜さとかに、打ちのめされる運命にあるのかも。

 で、失望して、何かこじらせて……何か変な結論出しちゃう。

 人間を愛してる神様ほどそういうもんなのかなーって、私は思っちゃうかな」

 

 雪花の視線は、離れた場所で佇んでいる竜胆の方を向いていた。

 

「そのアイヌラックルも……

 人間に失望して、人間を見捨てていったわけだけど……

 "善良な人間は見捨てきれずにいる"って語られてるから、本当にね……」

 

「あ、もしかしてバーテックス襲来の時も、そのアイヌラックルが手を貸してくれてたり?」

 

「みたいだねー。全く、お人好しな神様もいるもんだよ、北海道には」

 

 うんうん、と歌野が頷いている。

 

「なるほどなるほど、人間臭い神、だから連想してしまったと……」

 

「え、何言ってんの。歌野も連想の原因の一人よ」

 

「ワッツ?」

 

「アイヌラックルが愛した、妻になったその姫が、『白鳥姫』っていう女神だったからね」

 

 白鳥歌野はちょっとした不意打ちに少々動揺し、頬を掻いた。

 

「……あ、あー、えー、なんか意味深? どうなのそこんとこ」

 

「そんなに深い意味はありゃしませんよー。

 ただ、人間臭い神と白鳥が揃ってると、私としては色々思い出しちゃうわけね」

 

 適度な距離感で会話し、互いの精神状態をいい塩梅に持っていく雪花と歌野。

 

 そんな二人に、やって来た水都が話しかけ、激励の言葉を送って、二人の次には竜胆に声をかけてくる。

 

「これから戦いなんですよね、頑張ってください、御守さん」

 

「……?」

 

 竜胆は、曖昧な表情をした。

 感受性の強い水都は、その時点で嫌な予感を覚える。

 

「ごめん、君の名前なんだっけ」

 

「―――」

 

 人間性が失われれば失われるほどに。

 人間としての竜胆が失われれば失われるほどに。

 竜胆は祟り神としての純度を増し、ティガダークは強くなる。

 

 竜胆の言動から、水都は多くを察した。

 泣きそうになって、けれどこらえて頑張って、せめて竜胆が生きて帰って来れることを祈り、純に願う。

 

「藤森水都です。御守さんの……お友達です。

 だから、友達として、ここでずっと、御守さんの無事を祈ってます」

 

 水都の真摯な言葉が、切なる想いが、竜胆の心のどこかを動かす。

 

「ああ、思い出した。俺は、君を守りたかったんだよ、確かそうだった」

 

「……っ」

 

「見送りありがとうね"水都さん"。それじゃ」

 

 思い出した、とは言うけれど。

 『あの子を守れ』という想い以外には、竜胆は何も思い出してはいなかった。

 水都に対し何もかもを忘れていても、『あの子を守れ』という想いだけは失っていなかった。

 それは竜胆が水都に対して抱いていた想いの中で、それが一番強いものであったから、それ以外に理由はないだろう。

 

 これこそがきっと、カミーラにとって最も目障りなものである。

 

 記憶を失おうと。

 心がすり潰されようと。

 竜胆が竜胆であるために必要な、精神的構成要素の全てが燃え尽きようと。

 

 『それを守ろう』という竜胆の光の意志は、最後まで残る。

 

 カミーラはこれを折ろうとしていて、ゼットはこれこそを尊んでいる。

 一言で言えば、それこそが竜胆の『心の芯』だ。

 これが折れれば、ティガは邪悪なる神の如き闇の巨人に成り果て、これが残れば守護神たる祟り神として在り続けることができるだろう。

 

 普通の人間に戻る分岐路?

 そんなものはない。

 彼の人生に残された最後の分岐点は、これだけだ。

 邪神の如き闇の巨人に成るか、祟り神として完成するかの二つに一つ。

 

「……来る。歌野、雪花、準備を」

 

 やがて、竜胆の感覚が敵の侵攻を捉える。

 このタイミングでの魔王獣達の侵攻の理由は一つ。

 歌野と雪花の抹殺である。

 

 カミーラは竜胆に僅かな希望さえも残さないつもりだ。

 全ての勇者を多様に殺し、竜胆に希望を与える者を全滅させようとしている。

 歌野と雪花が勇者として竜胆を立ち直らせてしまうという、僅かな希望の可能性すら、カミーラは見逃す気が無いのだ。

 

 二体の大型バーテックスが結界内に踏み込み、結界内が樹海化現象に飲み込まれていく。

 

 希望を摘み取るカミーラの使徒は、ゼットとマガヒッポリト。

 ゼットは尋常な勝負の結果、この日に人類の絶滅を確定させるため。

 マガヒッポリトは、ゼットの強さを利用しつつも、ゼットを出し抜いてティガを闇に堕とすためのシチュエーションを完了させるため。

 違う目的を抱え、この戦場に立っている。

 

「久しぶりだな、ティガ。少しは強くなったか?」

 

「……ゼット」

 

「お前には時間を与えた。

 人間どもには問いを投げかけた。

 お前達が答えを出す時がきた。

 誰一人として他人事ではいられなくなった今こそ、私はお前達に問いかけよう」

 

 ゼットはヒッポリトが余計なことをしないよう槍で制しながら、手招きして竜胆を挑発する。

 

「―――『滅びを拒絶する理由』。お前達の、魂が発する叫びを聞かせろ」

 

 ゼットが問いかけ、竜胆が答える。

 

「『生きたい』んだよ、皆、皆! 誰だって、死にたくねえんだ! 未来に生きたいんだ!」

 

 息を吸い、竜胆は胸に手を当て、叫ぶ。

 

「―――ティガアアアアアアアアアッッッ!!!」

 

 叫ぶ人間体の肉の内側で、何かが膨らむ。

 それが人間体を内側から破裂させつつも、膨張は止まらず、痛々しい竜胆の叫びと共に膨らみ続け、53mになったところで停止する。

 人間体の内側で膨らみ、人間体を破裂させながら現れたそれこそ、ティガダーク。

 ブラックスパークレンス無しでの変身は、グロテスクな光景と共にあった。

 

 獣の咆哮の如き叫び声を上げ、ティガの指がゼットを指差した。

 

『皆、生きていきたいんだ!』

 

「他人事のような叫びだな、ティガ」

 

『―――』

 

「"俺は生きたいんだ"という叫びの方が、まだまっすぐだ」

 

 「俺以外の皆は生きていたいんだ」と、「俺も皆も生きていたいんだ」は全く違う。

 竜胆は、前者であった。

 ゼットの『他人事』という指摘が痛烈に刺さる。

 

「結局……本当の意味では、ウルトラマンになれないままか」

 

『……俺は、ウルトラマンになれるような人間じゃない! これまでも、これからも!』

 

 光の巨人を期待したゼットの望みとは正反対に、竜胆は闇の道に進んで行った。

 

『駄目だった……俺は、あの人達みたいなものには、なれなかった……!』

 

 苦悩するティガ。だがその苦しみも、心の闇の糧となり、彼の力を増大させる。

 

『だが、構わない!

 なりたかったものになれなくてもいい!

 目的を果たせるものに成り果てることができるなら、それでいい!

 ―――お前達を一体残らず皆殺しにできる力が得られるなら、何に成ろうが構わない!』

 

 これが、光の巨人に憧れ、光を貰い、その背中を追った闇の巨人の少年の末路。

 

『俺がどうなろうとも、構わない!』

 

 ティガのカラータイマーは、もう二分で点滅、三分で止まるということもなくなった。

 何故ならもう、ティガは光の力を一切使っていないからだ。

 カミーラ然り、完成された闇の巨人は三分制限を持たぬもの。

 竜胆は強がって反抗心を見せてはいるが、その体はカミーラの狙い通りの変容を遂げている。

 

 鳴らなくなったカラータイマーを見て、竜胆はふと、球子がくれた言葉を思い出した。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

「カラータイマー。知ってるか?」

 

「タマはアレ、"ピンチだから助けてくれ"って仲間に知らせるためのもんだと思ってる」

 

「"お、ウルトラマンがピンチだ!"って、アレ見れば仲間はひと目で分かるだろ?」

 

「巨人は人間よりもずっとずっと、"仲間を信じて一緒に戦う"前提の奴らなんだ」

 

「ピンチに助けてって素直に言わない奴でもカラータイマーは素直だからなー」

 

「お前のカラータイマーが鳴った時は、タマとか千景とかが助けに来るさ。

 あ、暴走してなければ、の話だぞ?

 だからお前は頑張って暴走しないようにすること!

 お前はまだタマの信用を全く勝ち取ってないんだからな。分かったか?」

 

「うむ、よろしい。

 お前が頑張ればタマも頑張ろう。

 周りが見えなくなりそうな時も、お前の背中はタマに任せタマえ!」

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 ああ、そうだったなと思考して、竜胆は仲間の存在を意識しながら構える。

 

 頼むぜタマちゃん、と竜胆は思って。

 あれ、タマちゃんいないな、と思って。

 なんでいないんだっけ、と思って。

 タマちゃんって誰だっけ、と思って。

 俺はタマちゃんのこと大好きだったんだよな、と思って。

 だからタマちゃんって誰だよ、と思って。

 

 ふと、全てを思い出して。

 

 タマちゃんが死んでしまったことを思い出して、心で泣いた。

 

 心の涙は、闇に溶けて消えていく。

 彼のカラータイマーは、仲間に助けを求める機能を喪失した。

 

「……グレートはお前に、そんな姿になることを、望んでいたわけではなかっただろうに」

 

 ボブ/グレートを殺したゼットがそんなことを言うものだから、竜胆は心底激怒した。

 

『殺したお前が! テメエが、それを! 言うなぁぁぁぁぁッ!!』

 

 闇雲に飛びかかったティガの巨体を、ハイパー化もしていない通常の状態で殴り、力の向きを変えることで受け流すゼット。

 

『ぐあっ……!』

 

「これで私とお前の一騎打ちも最後だ。

 勘だが、分かる。

 今日この日が……私とお前の最後の決着の日になるだろう」

 

 これが、最後になる。

 

「悪辣な女の企みの結果ではなく。

 神の玩具にされるが如き終わりでもなく。

 人間としての意地と矜持を見せ、華々しく散れ。価値ある終わりを迎えるがいい」

 

『断る』

 

 最後に勝つのは、正義の味方か、それとも敵か。

 

『どんなに醜くても、情けなくても、往生際が悪くても……滅びたくねえんだよ』

 

「だがお前は、自分が滅びる分にはよいのだろう」

 

『……』

 

「自分の命がどうでもいいと思えるほど摩耗しながらも、それでも人間が大事か」

 

 ゼットは問いかける。

 

「それほどまでに、人間が愛おしいか」

 

『……ああ』

 

 竜胆は、今日までの自分の人生に、一つの答えを出した。

 

『俺は自分が大嫌いで、人間が大好きだ。人間を愛してる。醜さも、美しさも、ひっくるめて』

 

 心が美しい人も、心が醜い人もいた。

 竜胆を応援する一般人がいて、竜胆をリンチした一般人がいた。

 竜胆はあれは好き、これも好き、それは嫌いと、人の好き嫌いを明確に持っていた。

 けれども結局、好きな人間も嫌いな人間も一緒くたにして受け入れて、その人達全ての笑顔と幸福を願った。

 

 しからばそれは、『愛』としか言えない。

 

 もし、竜胆が自分を人間と思っているなら、こんな台詞は出て来ない。

 自分は嫌いで人間が大好き、なんて対比は行わない。

 竜胆は自分の頭の中で、自分を人間のカテゴリの中に入れてはいなかった。

 

「それは、自分を人間だと思っている者の口からは、絶対に聞けない言葉だろうな」

 

 ゼットは首を回し、コキリと音を鳴らす。

 

「ティガ。御守竜胆。お前を見ていると、つくづく思う」

 

 ゼットの槍が、空を裂く。

 

「私はカミーラの愛憎は嫌いだが、お前の愛憎は好ましく思っているらしい」

 

『……違いが分からねえよ』

 

「他者愛が基本の愛憎と、自己愛が基本の愛憎は、きっと違うのだ」

 

 ティガを見て、カミーラを見て、ゼットの発展途上の心は"愛憎"を学んだ。

 

「お前のその愛が伝わらない人類に、存続する価値はない。ゆえに滅ぼそう」

 

『愛、ね』

 

「カミーラを見ていて、一つ思ったことがある。

 ……どんな形であれ、愛を裏切ることは、罪深いことなのだろう?」

 

『人によるな』

 

「お前の愛は、人間に十分に裏切られている」

 

 竜胆が四国の皆を愛していても、四国の皆は竜胆を愛していない。

 過半数がティガに好意的だったことすら、一度もない。

 

「私は、人に終焉をもたらそう」

 

 されど竜胆は、そんな理由で人が滅ぼされることは許さない。

 

『なら俺は、愛するものを守る。

 滅んでほしくないから。

 叶うなら、皆未来に生きてほしいから。

 何を代価に支払うとしても、俺は全てを守りきる』

 

 自分の中の大切なものを支払ってでも、竜胆は人々の命と未来を守り続けるだろう。

 

『―――俺が、俺でいられる内は』

 

 人間性を切り捨て続ける中で、自分が自分でいられる内は、ずっと。

 

 大切な人を何人も、何人も失った竜胆の心は、罪悪感と無力感でもう止まれない。

 自分自身をどれだけ切り捨てようと、もう戦いをやめることなどありえない。

 "これだけの犠牲を出したのに平和を勝ち取れなかったなんて許されない"という強迫観念さえ、彼の胸の内には生まれてしまっている。

 

 

 

 マガヒッポリトが隙を窺う。

 歌野と雪花が援護に動く。

 ティガとゼットが対峙する。

 

 因縁の二人がぶつかる最後の戦いが、樹海の中央にて幕を上げた。

 

 

 

 

 

 雪花参戦時、丸亀城陣営暫定数。

 ウルトラマン一人、勇者四人、巫女二人。合計七人。

 

 ウルトラマン、残り一人。

 勇者、残り四人。

 巫女、残り一人。

 

 残り、六人。

 

 

 




 6/15

 九人。かつてのゼットの指定数に到達


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5

 ゆゆゆいの雪花ちゃんの精霊は創作においてものっそく燃える展開に使える精霊なんだと周知していきたい。
 先日、今回の豪雨で丸亀城一部崩落してて笑っちゃいました。

 さて、今日は『ウルトラマンの日』です。
 日本で初めて、世界で初めて、ウルトラマンがお茶の間のTVに映った日なのです。
 始まりのウルトラマンの日です。
 日本記念日協会にも認可されている、立派な記念日なんですよ。
 なのでサービスとしてこの日のため、後書き含めて5万4千字用意しました。
 じっくり楽しんでくださいませ。


 荒ぶる神、荒御魂。

 今のティガダークをカテゴライズすれば、間違いなく荒御魂となるだろう。

 その戦いはまさしく、荒々しさを具現化したものだった。

 

『うおおおおおおッ!!』

 

 日本の荒ぶる神の代表格、スサノオは嵐の神である。

 嵐は荒々しき神であり、荒々しき神は嵐そのもの。

 そういった同一視を体現するかのように、竜胆の両拳は嵐を作った。

 

 攻める竜胆、攻められるゼットの間から、空気が消える。

 あまりにも高速で連打された左右交互の正拳突きが、両者の間の空気を殴って吹き飛ばし、一種の真空状態を作り出したのだ。

 ゼットはその真空や、真空に自分の体が引っ張られるのを気にもせず、竜胆の拳撃と同速度で槍を振るって攻撃を切り弾く。

 ティガの腕を切り裂いた感触はあったが、ティガの腕は止まらない。

 切られても、切られても、止まらない。

 

 肉の体で生きている人間を辞め、精"神"の比重が上がった竜胆ティガは、そんなものでは止まらない。

 怒り。

 憎しみ。

 怨念。

 全てを拳に込め、怒涛の連打を浴びせていく。

 

 ティガとゼットが戦う横で、マガヒッポリトは歌野と雪花に襲いかかっていった。

 

「さて、貴様らのブロンズをカミーラ様の下へと届けようか!」

 

 マガヒッポリトの役目は、歌野と雪花の排除と抹殺。

 カミーラの指示を形にすべく、マガヒッポリトは指を振る。

 歌野と雪花の頭上の"空気"がブロンズ化し、二人を押し潰す超重塊となった。

 

(空気をブロンズ化させた!?)

 

 歌野と雪花は左右に跳んで、それを回避。

 瞬時の判断の速さはまさしく一流の勇者のそれであったが、敵もさるもの。

 回避直後の歌野を狙い、マガヒッポリトは空気を媒体にしたブロンズ化攻撃を仕掛けた―――のだが、歌野は空から落ちて来たブロンズ塊を盾にして、それを悠々と回避した。

 

「やーね、怖い怖い」

 

「精霊・覚か……」

 

「これ以上の不意打ちストラテジーは……あんまないか。よかったよかった」

 

 マガヒッポリトの心を読み、これ以上の悪巧みが無いことを確認する歌野。

 こうした情報戦で歌野は常に優位に立てる。

 敵を効果範囲に捉えられるのであれば、奇襲も9割がた防げる。

 更に言えば、空気を媒介にした攻撃も先読み可能なため、回避は容易であった。

 

 いいなあ精霊、と雪花は羨ましそうに見る。

 雪花はまだ、自分の精霊・切り札を一度も使ったことがなかった。

 

「精霊、精霊ね。一度も使ったことないけど……こうでいいのかな」

 

 それを今切り、感覚で行使する。

 

「―――『コシンプ』!」

 

 感覚で切られた切り札は、通常の精霊のように使用者と一体化せず、かといって敵に向かっていくでもなく、ティガへ向かって飛んで行った。

 そして、ティガの肉体と融合。

 ゼットと戦っていたティガのスペックが、急速に上昇する。

 

『!?』

 

 急激な攻速の上昇は竜胆とゼットの両方を驚かせ、ティガの拳がゼットの頬を殴り抜ける。

 ふらり、とよろめくゼットが後退した。

 

「一本取られた、といったところか」

 

『これは、一体……?』

 

 四国の勇者システムの特徴の一つ、精霊システム。

 精霊の使用には、勇者個人の個性が出るものだ。

 雪花が引き当てた精霊、名を『コシンプ』という。

 北海道や樺太に伝わる伝説の精霊だ。

 伝承に残る、その能力は。

 

『自分の体ではなく、他人の体に取り憑かせる精霊?』

 

「後で消せるとしても、自分の体に精霊の穢れ溜めるとかそういうのは嫌だしね」

 

 "他人の体への憑依"である。

 精霊は、基本的に使用者である勇者の肉体に憑依する。

 そのおかげで精霊は固有の能力だけでなく、身体能力の上昇などの効果ももたらすのだが、反面精霊の穢れの蓄積などのデメリットも発生してしまうものだ。

 

 雪花が引き当てたのは、その中でも異端の精霊。

 北海道において、人間に惚れた動物が人間に憑依するという、精霊の一種である。

 

 コシンプは、人間に憑依する動物霊の総称。

 多くの場合、メスの動物が人間の男に惚れたことによって発生する。

 コシンプは絶世の美女となって男の前に現れ、男に憑くのだ。

 オスのコシンプが女性に憑いた場合不幸と死しかもたらさないが、女性のコシンプが男に憑依した場合、その男を良い運命に導くという。

 

 一言で言えば、"好ましく思う男を強化する"精霊。

 雪花が『その男のことをどれだけ好きか』が強化度合いに反映される、そんな精霊である。

 

 そりゃそうだ。

 この精霊は、そもそも惚れた男に憑依させる精霊なのだ。

 友情、信頼、恋慕、憐憫。

 なんであれ、雪花自身が向ける感情の大きさがそのまま強さになる。

 竜胆と雪花の付き合いはまだ数日しかなく、されど雪花が竜胆に向ける感情は、数日の付き合いにしては随分と大きかった。

 

「やっちゃえ、御守先輩!」

 

『……感謝する!』

 

 スペックアップしたティガダークの力は、技は、今、ゼットを超える。

 

「数々の絶望の踏破。

 祟り神への成り果て。

 精霊の付与。

 メタフィールドの強化。

 そして、数々の戦いの経験と、無数の努力」

 

 ティガが放つローキックを、ゼットがスネで受ける。

 竜胆は蹴り足から対角線コンビネーションに繋ぎ、左右の拳を連打。

 受けに回ったゼットの槍を掴み、上手い具合に柔術で投げ飛ばす。

 ゼットはその力を上手く利用し、投げられている途中でティガの体を蹴り、跳んで一気に距離を取った。

 

「なるほど、強い」

 

 ティガダークは、攻撃の一発一発が重く、速い。

 打撃、投げ、極め、どれも高水準だ。

 ただ、その攻撃の破壊力が怨嗟から生まれているということだけが、ゼットにとっては少し不満なところである。

 

「勇者が、困難と絶望に立ち向かう勇気の体現なら……

 さしずめお前は、天の神とバーテックスに殺された者の恐怖と怨念による応報者か」

 

 ティガダークの向こうに、70億人の人間の無念と怨念が見えるかのようだった。

 殺されてきた人々の存在が、ティガダークに力を与えている。

 友を殺され。

 先輩を殺され。

 大切な人を殺され。

 ()()()()

 ティガダークは、最強と成ったのだ。

 

『殺されてきたんだ。踏み躙られてきたんだ』

 

「ああ、そうだ」

 

『俺の大切な人が殺されたように、色んな人が大切な人を殺されて……

 俺と違って、力のない人は、きっと復讐を誓ってもそのまま無残に殺されて……!』

 

「そうだ」

 

『友達を殺された男が!

 恋人を殺された女が!

 親を殺された子が!

 子を殺された親が!

 俺だけじゃない―――殺されて、絶望した人が、たくさん、たくさん―――!』

 

「そうだ! 私達バーテックスが殺した!

 お前達人間には、私達を恨み、憎み、祟る権利がある!」

 

『殺してやるッ! 一匹残らず! 俺の何を代価に捧げても、皆殺しにしてやるッ!』

 

「だが……甘んじて殺されるかどうかは、私達が決めることだ!」

 

 タイプチェンジ能力は、もう無い。

 されどティガダークは、ティガブラストより速く踏み込み、ティガトルネードよりも力強く回し蹴りを叩き込む。

 ゼットが槍にて、その蹴りを柔らかく受け止めた。

 

「祟り神と成り果て、恩讐に全てを投げ打ち!」

 

 蹴り足を槍で押し返し、薙いでティガの頭を打とうとするも、ティガの腕に受けられる。

 返しの上段蹴りを肩で受け、突いた槍をはたき落としで流される。

 一瞬の内に完了していく、神速の攻防。

 

「それはそれで、よかろう!

 光の意志の代行者がいるのなら、闇の意志の代行者がいてもいい! 存分に祟れ!」

 

 祟り神として成立する、人類からバーテックス達へと向かう恨み・怒り・祟りの代行者。

 

「だが、ウルトラマンであるとは認めん!」

 

『ああ、それでいい!』

 

 怨みで戦い、人々に恐怖され、人間性を切り捨てながら心の闇で戦う巨人。

 

 それのどこがウルトラマンであるというのか?

 違う。

 そんなものは、竜胆が見てきたどのウルトラマンとも違う。

 彼が見てきたウルトラマンは、もっと優しくて、もっと暖かくて、もっと輝いていた。

 

『こんな穢らわしいものが、あの人達と同じものであってたまるか!』

 

 闇を纏ったティガの拳が、ゼットの喉に突き刺さる。

 ゼットの破壊力のある蹴りが、ティガの腹に突き刺さる。

 自己を否定し、他者を否定し、全てを壊す黒き魔人は今、黒きゼットンを超えんとする。

 

『俺が、俺みたいな何も守れないクズが―――ウルトラマンであってたまるかッ!』

 

 泣きながらもがくが如く、拳を叩きつけるティガダーク。

 

『あの人達の力は、人の未来を守るためのもので……!

 俺のこの力は、お前達の未来を全て消し去るためのものだ!』

 

「殺意の残虐性が随分と増したな、ティガッ!」

 

 ゼットの槍がティガの顔面をガリガリガリ、と切り抉るが、同時にティガの蹴りがメリメリメリとゼットの腹へとめり込む。

 

 この状態での戦いは、僅かにティガダークが有利。

 

「ぐ……互いにウォーミングアップは終わりだ。全力で行かせてもらうぞ!」

 

 ゼットがその身を、一気に変化させる。

 強化変身・ハイパーゼットだ。

 戦いの中で戦意を高め、取り込んだバーテックス達の力を一気に覚醒させる。

 桁違いのパワーとスピードに、ティガはあっという間に防戦一方となった。

 

『俺は! みんなのために!』

 

「お前が本当に守りたかった"みんな"などもう死んでいるだろう!」

 

『―――っ!』

 

「絶望から逃げるように戦うのであれば、お前は私には勝てん!」

 

 必死に、ゼットが突き出した槍を両手で掴んで止める。

 力負けしているせいか、槍はどんどん押し込まれていき、ティガの腹に食い込んでいく。

 

「今のお前になど負けるものか」

 

『ぐっ……!』

 

「お前が強かった理由が! お前の横から消えている!

 お前が強かった理由は、お前とお前の仲間の間にこそあったのだ!」

 

 ティガが勝てる理由が、ゼットが負ける理由が、理由になってくれる人が、皆死んでいて。

 

 何もかも見透かすようなゼットの物言いに、竜胆は激昂する。

 

『―――知ってんだよッ! そんなことはッ!!』

 

 ティガとゼットの姿がかき消える。

 両者共に、超高速移動戦闘に突入した。

 ゼットは瞬間移動を駆使し、瞬間移動なしでも超高速での飛行を織り混ぜる。

 ティガはただガムシャラに飛ぶ。

 

 瞬間移動能力はティガにはなく、飛行速度でもハイパーゼットには負けている。

 それでもセンスと才能、加えてずば抜けた精神力で、ティガはゼットに食らいつく。

 放たれるホールド光波。

 迎え撃つ一兆度火球。

 

 超高速で戦う両者は衝撃波を撒き散らし、その攻防の余波はマガヒッポリトと二人の勇者を巻き込みかけ、爆発と衝撃で歌野達を吹き飛ばしかけていた。

 

「雪花さん伏せて!」

 

「うわきゃっ!?」

 

 歌野がなんとか雪花の頭を押し下げて、二人揃って伏せることで爆発と衝撃波をかわす。

 マガヒッポリトは巨体ゆえか、かわしきれず尻もちをついていた。

 それは、幻想の光景。

 それは、神話の戦い。

 初速から音速の数十倍というレベルの戦いで、ティガとゼットは互いの命を削り合う。

 

 強さで言えば、ゼットが圧倒し。

 執念で言えば、ティガが圧倒していた。

 

 超高速の戦いは、上を見上げた雪花の目ではとても追いきれない。

 辛うじてその動きの残影を追うので精一杯だ。

 だが自分に精霊を宿している歌野は、元々目がいいのもあって、ちゃんと追えている様子。

 流れ星のように、軌跡だけを残して飛び回っている両者をちゃんと目で追いつつ、雪花の身を的確に伏せさせて衝撃波を回避させていた。

 

「何これ……」

 

「雪花さん、雪花さん、また伏せて」

 

「あ、うん。ありがとね、歌野」

 

「気を付けて。雪花さんがやられたら、ティガの精霊強化も消えてしまうんだから」

 

「うん、分かってる。だけど……」

 

 雪花はティガの軌跡を見上げ、見惚れるようにそれらを見つめる。

 

「光が戦場の中飛び回って、流星を互いに撃ちまくって、雷を置き去りにしてるみたいな―――」

 

 詩的に、感激を、言葉にして述べる。

 

 雪花は空に見惚れていた。

 樹海の作り物の空に、爆発と攻撃の軌跡が、作り物の流星を刻み込んでいる。

 攻撃するたび、防御するたび、ティガとゼットの間に生まれるエネルギーの炸裂が、空に輝く絢爛な星のよう。

 

 ゼットは悪のはずだ。

 ティガも闇のはずだ。

 なのにその戦いが生む光の光景は、人の心を奪うほどにとても綺麗で。

 雪花は、ゼットは敵だと分かっているのに、竜胆は闇に堕ちていると分かっているのに……「あの二人の心ってこんな綺麗だったりするのかな」と、ふと、思ってしまった。

 

 歌野は覚をその身に宿して、ティガの戦いを目で追いながら、チャンスを待つ。

 

(なんて次元の戦い)

 

 飛べる勇者は乃木若葉しかいない……歌野はそう聞いていたが、こうして見ていると、この次元の戦いに若葉がついていくため、どれだけ頑張っていたか、歌野にもよく分かる。

 

 大天狗を得てから、若葉はどれだけ鍛錬を重ねていたのだろう。

 どれほど飛行の鍛錬を重ねていたのだろう。

 本来飛べないはずの人間の体で、どれだけ頑張っていたのだろう。

 ティガと高度な空中戦連携を見せていた若葉の姿を、歌野はよく覚えているから、今更に若葉の存在の大きさを再認識する。

 

(若葉は、本当に頑張ってたのね。

 置いていかれないように、ついていけるように、竜胆さんを一人にしないために……)

 

 若葉が死んでしまったことへの悲しみと、若葉への尊敬が混ぜこぜになって、歌野は何度も「ここに若葉がいてくれたら」と思う。

 空の竜胆を援護する手段を、歌野は持っていない。

 マガヒッポリトもティガとゼットの戦いに巻き込まれないよう、樹海に伏せていた。

 

 何かする時間はある。

 何かする余裕もある。

 だが、何ができるだろうか。

 

(なら、若葉がいなくなってしまった今、私がすべきことは―――)

 

 歌野は思考する。

 感覚的に優れた彼女が意識して戦術を考えた時、それは時に常軌を逸した最適解となる。

 

 音ですら置いていかれる、極超音速の戦場。

 速すぎて歌野には手が出せない。

 声を出して連携しようとしても、音なんていう遅いものでは今のティガに追いつけない。

 と、いうか、大抵のウルトラマンの飛行速度は音速を超えているものである。

 

 歌野は期を見出し、その身に宿した覚の感覚を研ぎ澄ます。

 読心の範囲を絞り、細長く上方に伸ばすイメージで、上方向に集中させる。

 チャンスは一度。

 低空で衝突し、鎬を削りながら飛んで来たゼットとティガを見て、歌野はゼットだけを読心範囲に捉えて叫んだ。

 

「顔狙い、槍突き!」

 

『―――』

 

 音よりも速く飛ぶティガに、声などという遅いもので呼びかける。

 速いティガに、狙いをつけて、遅い音を当てる。

 ゴム鉄砲で銃弾を狙って撃ち落とすようなものだったが、歌野はそれをやってのけた。

 

 歌野が読んだゼットの心が、歌野が読んだ通りの攻撃を繰り出す。

 それを歌野のおかげで巧みに回避し、ティガはゼットの顔を猛烈に殴った。

 闇がこもった一撃が、ゼットの顔面にて特大のエネルギー爆発を起こす。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()吹き飛ばされたハイパーゼットが、地面を転がり、間を置かずに立ち上がった。

 

「空中戦で私がお前に当てた攻撃回数十二。私が喰らった攻撃、一」

 

 ハイパーゼットの力は、強化変身前と比べれば雲泥と言えるほどに強化されている。

 ウルトラマン四人・土着の神々・地球のフルパワーバックアップを受けたガイアSVすら凌駕したハイパーゼットに、スペックで追いすがれるわけもない。

 だから、ティガの攻撃が当たるわけがなかった。

 なのに、当たった。

 圧倒されていたティガが一発だけ当てた、逆襲の一撃。

 

「奇跡のような一だ。そして」

 

 ゼットの攻撃十二回分の傷とダメージはティガの体から消え失せ、ゼットの体にだけ傷とダメージが残る。

 結果だけ見れば、ティガの優勢に見えさえする、そんな結果。

 

 ゼットは笑みを零した。

 怨念だけで戦うティガなど、怖くはなかった。

 ハイパーゼットに当てられたティガの攻撃は、やはり絆の一撃だった。

 

 どんなに闇に堕ちようと"そう"である竜胆達に、ゼットは胸踊らずにはいられない。

 

「これだから、お前達との戦いは面白い……!

 私の方が強いはずだというのに! 私はいつも、勝利を確信することができないッ!」

 

『そうかよ!』

 

 ハイパーゼットの槍の一撃と、投げ込まれた闇の八つ裂き光輪が衝突する。

 衝撃。

 轟音。

 粉砕する槍撃と、切り刻む一撃がぶつかりあう。

 闇の八つ裂き光輪が粉砕されたと同時に、"樹海化が解除"された。

 

『!? 樹海化が!?』

 

「無理をしすぎたようだな」

 

 物理法則を無視して、海上に立つゼット。

 海岸線に立つティガダーク。

 四国の街が攻撃に巻き込まれて人が大勢死ぬデッドラインは、すぐそこに。

 

「神樹の疲労限界だ。

 人間どもを守るために、結界のフィルタリング能力を上げすぎたのだ。

 もはや樹海化を展開するための余力すら残っていないのだろう」

 

『そんな……!』

 

「私はあえて街を狙いはしないが、マガヒッポリトまでは止められんぞ」

 

 マガヒッポリトが街の人間を狙おうとし、それを歌野と雪花が止めに行く。

 歌野はカミーラ相手にも足止めをした、思考持つ者の天敵だ。

 だが勇者を既に二人抹殺しているマガヒッポリト相手に、どこまで戦えるのか。

 

(……メタフィールドの強化効果は辛うじて残ってる。だけど、消えるのも時間の問題か)

 

 ゼットが放つ一兆度火球。

 避ければ、余波だけで街に被害が出る。

 牽制の一撃だと分かっていた。

 これをかわしてからの攻防が本番だと、分かっていた。

 

(俺は)

 

 分かっていても。

 

(街を見捨てて、敵を、倒して……人を見捨てて……見捨てて……)

 

 避けられなかった。

 街を守るようにして、ティガがクロスした腕で一兆度を受け止める。

 両腕が肩まで巻き込み吹っ飛んで、激痛と自己嫌悪で竜胆は歯を食いしばる。

 両腕は瞬時に再生し、ゼットに向けて構えられた。

 

(見捨て、られないっ……!)

 

 こんな甘いことをしていてはゼットに勝てない、そう分かっているのに、街を守ろうとする自分を捨てきれていない。

 

 勝つためには人間性と優しさをもっともっと捨てなければならないというのに。

 

 御守竜胆はまだ、祟り神としての純度が足りていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ティガが参戦してから勇者や巨人が死に始めたことで、自分では論理的な思考ができていると信じている人は、ティガを怪しんでいた。

 殺人を忌避する人は、ずっとティガを嫌っていた。

 中立的だった人ですら、今やティガを非難する側に立っていた。

 

 攻撃的、破壊的にさせられてしまった脳に、竜胆が悪役を演じる放送をしたことで、四国中から憎悪と恐怖がティガへと向けられている。

 ティガはそれらを背中で受けながら、街を庇いつつ、ゼットと戦っていた。

 

 絶対的格上に対し、街という足手まといを抱えながら戦う。

 普通、そうなればあっという間に押し切られてしまうだろう。

 なのに、ティガは食い下がっている。

 まだ負けていない。

 まだ押し切られていない。

 奇跡のように、まだ十数秒だが、街に被害を出さずにゼットに食い下がっている。

 

 "人を守って"明らかに実力以上の強さを絞り出しているティガに、ゼットは人知れず笑み、人々はその背中を見つめた。

 

 ティガの姿を見て、戸惑う人が現れ始めた。

 ある者は、オコリンボールが街を襲ったあの日の、人々を守っていたティガの姿を思い出し。

 ある者は、ティガの放送を思い出し、敵意と好感の間で揺れ。

 ある者は、人を守るティガの背中に見惚れ。

 ある者は、ティガを悪だと思う気持ちが薄れていく自分に戸惑っていた。

 

 悪だと言われているティガが、放送で自分が悪だと言っていたのに、何故その言葉を、盲信できないのだろうか。

 

(なんで、俺は)

 

 ティガを信じる気持ちとは、どこにあるのだろう。

 

 諏訪の人達はティガの善性を信じ、悪性を信じなかった。

 四国の一部の人間はティガの善性を信じず、悪性を信じた。

 ティガの何もかもを信じない人がいて。

 ティガの何を信じればいいのか分からなくなっている人がいた。

 

(なんで、私は)

 

 強くなければ街を守れない。

 強さを得るにはもっと人間性を捨てないといけない。

 人間性を捨てていけばいつかは街を守る気も失せる。

 光と闇の矛盾といい、ティガは矛盾だらけだ。

 

(なんで、僕は)

 

 矛盾を抱えて苦しみながらも戦うティガを見て、人々は何かを思う。

 

(このティガの方が……『本当のティガだ』って……思ってるんだろう……)

 

 心で何かを感じ、心が感じた何かに、人々は戸惑う。

 

(なんでこの背中を、嫌いになれないんだろう)

 

 ハイパーゼットの槍の振り下ろしが、ティガの左肩から両足の間までを切り抜け、左腕と胴体の左下半分と左足が切り落とされる。

 ティガの体が、倒れる。

 

「ああ、ティガっ!」

 

 だが瞬時に再生し、再生した足で踏ん張った。

 "絶対に倒れない"という鉄の意志で、ティガは怪物と人の間に立ち続ける。

 ゼットに一方的にやられながらも、全身全霊でゼットに立ち向かい、ティガは戦い続ける。

 

 人々は"なんてことを"と思い、ゼットへと敵意を向けていく。

 ティガへの敵意がゼットへの敵意へと置き換わっていく。

 殺人をしても平気な者、他人を傷付けて平気な者を嫌うのが、ティガを非難する者達の主流層である。

 街を守るティガではなく、そちらに敵意が向かうのは当然の話であった。

 

 ティガを非難していた一部の者は、言葉で非難するのは言論の自由だが、物理的に傷付けるのは本当に嫌いであるため、本気でゼットを嫌う。

 普段はティガを非難していたのに、いざティガが物理的に痛めつけられると嫌悪感が湧いてきてしまい、ティガに「さっさと反撃して倒しちまえ」と思う者までいた。

 「お前ならバーテックスも人間も簡単に皆殺しにできるはずだろ、なにやってんだ」と歪んだ信頼をティガに向けるものまでいた。

 

 攻撃的になった彼らの意識が、ゼットを始めとした天の神側の全てに向いていく。

 

『うらああああああッ!!』

 

「遅い」

 

 ティガの猛攻がゼットの動きを抑え込むが、一瞬の隙を突いて放たれた槍の一撃が、ティガの両足と下半身を粉砕する。

 だが、瞬時に再生し、再度ティガは猛攻を繰り返す。

 防御を捨て、全てを攻撃のために使い、攻撃の圧力で街に飛んでいきそうな攻撃を弾き、防御を捨てているがために頭以外の全身を何度も破壊されている。

 防御を捨て、攻撃に集中し、負傷は瞬間再生で補うというあまりにも捨て身なスタイル。

 

 街を庇う前の戦いからずっと、ティガは頭以外の部分の、全ての防御を捨てていた。

 

「ここまで、防御を捨てられるとはな」

 

『守りたいものがあった。守りたいものができたから、守りの技を覚えた』

 

 攻めて、攻めて、攻めて、攻めて。

 街を結果的に守るが、自分は欠片も守らない。

 

『俺の守りは! 俺を守るためじゃなく! 俺の大切なものを守るためにあった!』

 

 竜胆の脳裏に浮かぶ、ボブと球子が笑い合っていた光景。

 杏にケンが料理を教えている厨房での姿。

 従兄弟同士ということで、競うように鍛え合っていた大地と若葉の姿。

 照れている友奈と、褒めている海人。

 抱きしめているひなたと、抱きしめられているアナスタシア。

 もう見ることもできない……千景の微笑み。

 

 守りたかった。

 守ると誓った。

 皆は優しくしてくれたから、皆を守りたかった。

 そのために、竜胆は頑張って強くなってきたのに。

 

 結局何も、守れなかった。

 

『守りなんてもう必要ない! 俺が本当に守りたかったものは、もう……もうっ!』

 

 失いたくないと願うからこそ、失えば失うほど強くなる、それがティガダーク。

 

『海人先輩は最期に叫んでた!

 "オレ達からこれ以上何も奪うな!"って!

 あの人の叫びは……俺達皆の叫びだったんだ!』

 

 竜胆の絶望が、皆の希望になる。

 

 彼の叫びは、滅びの運命を覆し、人々の未来に希望と幸福をもたらすかもしれないもの。

 

 けれども、竜胆自身の未来に希望と幸福をもたらすことはない。

 

『たくさん背負ってきた。

 重いものを、大切なものを、たくさん背負って、走ってきた。

 荒れ地を、上り坂を、苦難の道を走ってきた。

 俺が大事に背負ってきた全てのものを―――お前達が、奪ったから』

 

 大切なものを守り続ける日々は、少し重荷ではあっただろう。

 仲間を気遣い、仲間を守るために思考を割き、常に仲間を守るために頑張る。

 大切なものの重さを感じながら、困難という坂道を登り続けるような日々だった。

 

 大切なものの重みは、もうほとんど感じられていない。

 重荷を全て下ろした方が、速くは走れる。

 心配する仲間が少ない方が、集中力は一つの事柄に集中できる。

 庇う仲間が少ない分、戦闘には集中できる。

 

 悲しすぎる重荷降ろし。

 

『今の俺は、過去最高に身軽で、過去最強に強い』

 

 神速の踏み込み、神速の突撃、神速の体当たり。

 

 体に突き刺さる槍には目もくれず、ティガダークの体当たりが、ゼットを結界端まで吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 大社はもうてんてこ舞いである。

 まだ正気な人の避難誘導。

 捕まえて収容していた百数十万人の人間の運搬と避難先での再収容。

 ゼットとティガの戦いも危険域だが、それ以上にマガヒッポリトと歌野&雪花の戦いの方が危険になっている。

 

「逃げ遅れた人がブロンズ化されました! 現在、被害総数8人!」

 

「勇者の援護を最優先! まずは避難だ! 一般人が残ってるとまともに戦えないぞ!」

 

 マガヒッポリトの進軍は、もはや香川市街地に食い込んでいる。

 マガヒッポリトはもう街の中に侵入しており、一般人のブロンズ化が始まっていた。

 カミーラの要望で、四国の人間の大半は残すようにマガヒッポリトは動いているが、土ノ魔王獣の魔の手は"ちょっとつまみ食い"程度の感覚で人を殺していく。

 

「くそ、好き放題やりやがって……!」

 

 大社の人員的リソースはもう限界だ。

 そんな中、通信機を通して、どこかの避難所から大きな声が飛んで来る。

 

『頑張れ、ティガ!』

 

『負けんなー! 頑張れー!』

 

『無茶すんじゃねえぞー! 死ぬなよー!』

 

『歌野ちゃーん! 北海道の勇者さーん! 頑張るぇッー!!』

 

 四国の片隅で、たった五百人だが、確かに声を上げる者達がいる。

 ティガを信じて、勇者を信じて、脳がどんどん壊れているのに、まっすぐな気持ちを竜胆達に届けている者達がいる。

 

「……諏訪の人達は元気ですね」

 

「……ああ、負けてられないな。四国の意地を見せてやるぞ!」

 

 忙しく動き回る者達の中心で、三好圭吾はモニターを見つめ、祈った。

 

「頼む、運命の女神とやらが、天の神と地の神以外にいるのなら、どうか叶えてくれ」

 

 画面の向こうのティガに、祈りを届ける。

 

「戦える奴だけに、責任を全部を押し付けるんじゃなく」

 

 その無事を、その勝利を、その未来に幸あらんことを願う。

 

「一度くらいは私達にも、責任を取らせてくれ……!」

 

 助けられるものなら、助けてやりたかった。

 助けられる力があるなら、力を貸してやりたかった。

 だが大社の人間でしかない彼は、どこまで行っても無力だった。

 

 

 

 

 

 諏訪の人間の声が遠くから響いてきて、それを聞いた雪花は苦笑してしまった。

 

「ちょっと怪しく思ってたけど、結構愛されてんじゃん、御守先輩」

 

 槍を手の中で生成し、槍をマガヒッポリトに投げつける。

 目を狙って投げられた投槍を、マガヒッポリトは忌まわしそうに腕で弾いた。

 

「こんなに愛されてんのに、あんな放送で切り捨てんの、よろしくないと私は思うな」

 

 続き槍を生成し、投げつける。

 四国勇者は全て、"武器に選ばれた勇者"達だ。

 どこかの神社に奉納されていた武器に呼ばれ、神がそこに"霊力として"神の武器を宿し、成立した神の武器を掴んだ少女。それが四国の勇者である。

 よって、武器は基本的に使い捨てられない。

 

 だが、雪花は違う。

 雪花の武器は"投げ槍"だ。

 幾度となく槍を生成し、幾度となく槍を投げつけることで、飛び道具の圧力で敵を近付かせないタイプの戦闘者。

 広大な北海道を守り抜くため、投げ槍による弾幕スタイルという、世にも奇妙なスタイルを雪花は身に付けていた。

 神に選ばれ勇者になり、その力で武器を作る雪花は、武器の喪失という弱点が一切存在しない。

 

 中衛バランス型の歌野と後衛火力型の雪花が、マガヒッポリトに攻撃の連打を浴びせていく……が、マガヒッポリトを止められない。

 ダメージすら蓄積してはいなかった。

 天の神、海の神、星の力。三位一体の魔王獣の表皮は硬い。

 

「無駄、無駄よ。勇者の力などでは歯が立たない……ゆえにこその、星辰の魔王獣!」

 

 戦線が押し込まれていく。

 人々が恐怖し、敵意を時にヒッポリトに向け、時に"しっかり戦ってくれよ"という怒りを勇者やティガに向ける。

 脳が壊れている人々の敵意だが、雪花はこういうのにも慣れていた。

 

(ま、いつものことだしね)

 

 小さな沖縄を守っていた古波蔵棗とは違う。

 四国程度の範囲を、皆で守っていた竜胆とも違う。

 北海道という広大な範囲を、最終的に一人で守っていたのが雪花だ。

 守れなかったものの数も、守れなかったことで罵られた数も、雪花はそれこそ桁違いに多い。

 

 誰かが死に、どこかで負け、侵略された地域が増える度に響く罵声。

 誰かを守るために命をかけられる人間から順に死んでいって、罪のない人を平気で囮にできる人ばかりが生き残って、北海道の生き残りはどんどん醜悪化していった。

 他人を平気で殺せる人間は生き残り、他人を殴れない優しい人間はそういった人間に殺され、食料や住む家を奪われた。

 それが、末期の北海道だった。

 

 雪花は社交的な人間だ。

 竜胆がこんなになっても会話はしっかりしていたし、歌野とも連携ができる程度には会話して親交を深めていた。

 だからか、勇者になる前から友人も多かった。

 そんな友人達が、いつからか自分を良いように利用しかしてないと、雪花が気付いたのはいつのことだっただろうか。

 

 戦いの初期に、人々は雪花を讃え、おだて、守ってもらおうとした。

 中期には次第に犠牲が出始め、雪花は利用されることで自分の価値を示し、人々は雪花を戦闘力でしか見なくなった。

 末期には、広大だった北海道も、550万弱いた生存者も、そのほとんどが失われ。

 雪花は家族も、守りたかった人も、居場所も、諸共に全て失っていた。

 

 罵声なんぞ慣れたもの。

 人間はそういうものであり、善悪は状況によって出たり引っ込んだりするものであることを、雪花はよく知っている。

 バカみたいな話をするし、雨の日に野良犬を助けるくらい優しくて、いじめを止めるくらい正義感のある友人が、自分を利用し、守ってもらおうとしていた姿も、雪花は見てきたから。

 人間は黒でも白でもない灰色だと、雪花はよく分かっている。

 

「駄目だ、やっぱティガじゃ……」

「あの放送は本当なのか……ちくしょう、分かんねえよ、ティガ……」

「ティガが自分で言ってたことなんだ。

 あの振る舞いは真実のはずなんだ……なのに、私はなんでまだ、ティガを信じて……」

 

 だが、なぜだろうか。

 今の四国の人達を、雪花は放っておけなかった。

 いや、違う。

 四国の人達から竜胆へと向かう気持ちを、放っておけなかった。

 

「大丈夫、信じて!」

 

「あ、あれは」

「北海道の勇者?」

「確か、秋原雪花っていう……」

 

「"怪しいな"って思ってる時は、心の中で信じる気持ちより疑う気持ちが大きな時!

 "信じていいのか"って思ってる時は、信じる気持ちが大きくなってる時!

 私はそう思うな!

 そこから理性で何を選択するのは人の自由だけど、信じるかどうかは心で決めたっていい!」

 

 雪花の叫びが、人々の心にまた僅かな変化をもたらす。

 叫びつつも手は止めず、雪花は空から降り注ぐ大量のブロンズ塊を飛んで回避し、飛んで来たブロンズ化カプセルを蹴ってかわした。

 

(なんだかにゃー。半信半疑で皆に見られてる先輩と、自分が重なって見えたからかな)

 

 マガヒッポリトは、どの攻撃も勇者にとっては即死攻撃。

 一発ももらってはいけない、と覚悟して回避しつつ、槍を投げてマガヒッポリトの足止めもする雪花の脳裏に、自分を省みる思考が流れた。

 

(本当に、何言ってんだかなぁ、私は。

 頑張っても信じてもらえないってこと、分かってるのに……

 頑張ったことは、認められる理由にはならないって知ってるのに……)

 

 利用されて戦うだけの毎日の中、色んなことを諦めてきたはずだったのに。

 

(……頑張ったのに、信じてもらえなかったこと、今でも引きずってんのかな、私)

 

 雪花は、ありえる竜胆の未来の一つ、と見ることもできる。

 頑張って、守って、走り続けたけど、『みんな』に信じてもらうことはできず、利用され、守りきれず、全てを失った。

 その後悔が、四国をずっと守ってきた戦士達の最後の一人であるティガに対し、とても大きな共感を呼ぶ。

 

 雪花の竜胆に対する好意が膨らみ、コシンプがその分ティガを強化する。

 

(なっさけないなあ。

 御守先輩と自分をこんな情けない理由で重ねてるとか。

 でも……うん。先輩に報われてほしいってのは、昔叶わなかった私の願いでもあるんだ)

 

 顔を狙って槍を投げ、注意を引きつけ、マガヒッポリトのつま先に投槍を当てる。

 ヒッポリトが痛みに足を抑えて、進軍が止まった。

 飛び回っていた雪花は、歌野と共に止まり、呼吸を整える。

 

「生きる気とか、あんまなかったんだけどね」

 

 精神を集中し、神樹に繋がる。

 沖縄の神も北海道の神も合流した今の神樹の概念記録から、精霊の力を選択する。

 コシンプでのティガの強化も続けながら、新たな精霊を探し当てる。

 

(擦り切れても頑張ってそうな、あのバカ先輩が……ちゃんと報われるまで)

 

 そうして、雪花は"二体目の精霊"を引き当てて。

 

(友奈が願った未来が、あいつに訪れるまで)

 

 続けて、"三体目の精霊"まで引き当てた。

 

「私みたいな『守ろうとしたもの全滅』にならないよう、私が頑張んなくちゃね!」

 

「貴様……このマガヒッポリトを見ず、どこの誰に語りかけている!」

 

 マガヒッポリトが空の空気をブロンズ化し、それを落として街の多くを巻き込みながら、雪花を押し潰さんとする。

 

「さあね、想像してみなさいな!」

 

 更には街が粉砕したことで巻き上がった土煙等を目くらましとし、空気を媒介として、ブロンズ化攻撃を仕掛けた。

 この攻撃は見切れない。

 見切れない、はずだった。

 

「雪花さん! 攻撃来てるわ!」

 

「分かってる! 『角盥漱(つのはんぞう)!』」

 

 角盥漱(つのはんぞう)は、角盥(つのだらい)が妖怪化したと言われるもの。

 要するに、固有の逸話すら存在しない、無数の付喪神の内の一体だ。

 鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』において、小野小町が洗面器具の角盥を使った逸話を元に創作された付喪神の妖怪、であると説明されている。

 

 かつて、偉い人が小野小町の歌をパクって自分のものとして発表した。

 小野小町はそれが自分のものであることを証明するため、角盥で偉い人の歌の紙を洗うと、嘘にまみれた文字は流れ落ち、真実が判明した。

 これが、角盥の逸話である。

 角盥漱は、これが妖怪化した付喪神だった。

 

 有する能力は、この精霊を憑けた対象に、"真実を見抜く"能力を付与すること。

 角盥漱を体に付けた雪花は、視認不可状態になったはずの空気媒介ブロンズ化攻撃を見切り、跳んでかわす。

 

「なんだと!?」

 

「続けて、『桂蔵坊(けいぞうぼう)!』」

 

 角盥漱を解除して、次は桂蔵坊。

 桂蔵坊は人間に化け、殿様に可愛がられていた、人間に愛された狐である。

 軽功の術の類を持ち、長距離をかなり短い時間で移動することができたという。

 

 精霊としての能力は、"少ない負荷で大きな加速を得られる"というもの。

 若葉の義経ほどの最高速度も、加減速能力もない。

 だが、消耗と加速の費用対効果で言えば義経よりも遥かに優れ、長時間継続して加速を得るという点では極めて優秀な精霊であった。

 

「精霊を新たに二体!? グレートオブグレートじゃない、雪花さん!」

 

「コシンプは私の体に負担かかんないみたいだからねー。

 ま、やや弱めな精霊を複数集めて状況に合わせて使う方が、私の性に合ってますわ」

 

 雪花は器用だ。

 目立って飛び抜けた能力はない。

 歌野のように、目に見えて凄まじい戦士であるわけでもない。

 攻撃力、防御力、速度、読心などの特殊能力、どれを見ても他の勇者の上には行っていない。

 

 だが、器用だった。

 頭も良く、身体能力も悪くない。

 あっという間に精霊を三体獲得し、それらを使い回すことで自己強化と仲間の強化を並行し、投槍の援護も十分過ぎるほどに強い。

 

 速い足で長時間安定して敵を接近させず、距離を取って槍を投げ続ける。

 精霊込みの戦闘スタイルも、合理性の塊だった。

 コシンプや角盥漱で仲間の強化もできるため、彼女一人の働きだけで、チームメンバーの総戦闘力が飛躍的に上昇するタイプ。

 

 単体として笑えるくらいに強い歌野と組ませることで、星辰の魔王獣を倒すことはできないとしても、足止めするくらいはできる。

 

 マガヒッポリトの侵攻をとうとう止めた勇者達の姿が、人々の心にまた変化を迎えさせた。

 

「負けるな」

 

 逃げながらも、せめて応援をと、声を張り上げる。

 

「頑張れ、勇者!」

 

 それは、戦いを見ていた、ほんの少数の人間のものではあったが。

 

「負けんな、頑張れ、ティガ!」

 

 確かな信頼と、応援だった。

 

「……自分でも本当なんでかと思うけど、酷いところを見ても、見捨てるのは嫌なのよね」

 

「あら、雪花さんもそういうこと思う人なのね。分かるわ」

 

「『も』って……歌野もそういう経験あったの?」

 

「まーね。諏訪も最初はよろしくなかったから。

 そういうことなら話は速い。互いの気持ちが分かる同士、トゥギャザーしましょう!」

 

「共闘はするけどトゥギャザーはいいやー」

 

 この世界では誰もが、各々の苦しみに、似たような苦しみを感じていた。

 誰もがそのままでは、いられなかった。

 けれど、それだけでもなかった。

 

「じゃあ、この気持ちを分かる三人目を、ちゃんと四国のヒーローにしてやりましょうか!」

 

「それは楽しそうね! トゥモローから……いいえ、トゥデイからトゥギャザーしましょう!」

 

 勇者は前を向く。

 

 竜胆とは違い、歯を食いしばって、前を向いていく。

 

 

 

 

 

 ティガの弱点は、頭だ。

 竜胆にたびたび悪意を囁いている頭の中の新造脳こそが、再生の核である。

 このウルトラ新脳が破壊されない限りティガは即死せず、敵対者はティガの全身を砕きながら、地道にティガにダメージと消耗を与えていき、そのエネルギーが尽きるのを待つしかない。

 全身を破壊するほどの大規模攻撃もいいが、ティガは首を自分で切り離して自分で投げ、そういった攻撃を回避したことすらある。

 

 狙うならば、頭なのだ。

 

(―――あ、死んだ)

 

 ハイパーゼットの神速の突きがティガの全ての防御を崩し、額に向かった。

 竜胆一人の力ではどうにもならない一撃。

 それがティガの額の中央を貫く―――ことは、なく。

 横合いから当てられた収束吹雪が、槍を弾いた。

 音速の数十倍クラスの速度の突きは、吹雪という名の強大な『空気抵抗』にぶつかることで、強烈に弾かれてしまったのだ。

 

 その吹雪を撃った少女の、計算通りに。

 

『……杏?』

 

「はぁ、はぁっ、えうっ、げほっ、こほっ」

 

『バカお前……そんな体で!』

 

 杏は勇者の戦装束を身に纏い、死体と変わらない顔色で、竜胆を助けにきた。

 しかも、精霊も使ってしまっている。

 精霊を撃った瞬間など、明確に心臓が止まっていたというくらい、ありえない……やってはならない無茶だった。

 ビルの屋上にへたり込み、立ち上がれなくなり、むせこむ杏。

 

 それでも、杏は助けたかったのだ。

 竜胆の悲しみの声が、彼の涙が落ちる音が、聞こえた気がしたから。

 

 一瞬心臓が止まって、一瞬心臓が動く。

 そんな危うい繰り返し。

 精霊を撃った彼女の体は、もういつ心臓が止まってしまってもおかしくはない。

 全身が死の一歩手前の苦しみに包まれていて、エネルギーも酸素も足りていない全身の細胞が、不規則な脈の中で悲鳴を上げている。

 

 マガヒッポリトが杏を見る。

 カミーラが"本気で殺したい者"の一人である、三千万年前にカミーラからティガを奪った者……マガヒッポリトが、目を細めた。

 

「祟りで動くことすら敵わんはずだが、ユザレの遺伝子か。

 流石に光の遺伝子はしぶとい……

 が。カミーラ様の計画だと、貴様は既に死んでいるはず。計画は修正しなければ」

 

 マガヒッポリトは歌野と雪花の妨害を受けながらも、ビルの屋上で孤立している杏を狙い、走った。

 その手にもブロンズ化能力は宿っており、触れた者を即死はさせないものの、ブロンズ化させることで実質即死させることができる。

 

 攻撃一回で杏は屋上にへたり込み、立ち上がれなくなってしまっていた。

 マガヒッポリトからは逃げられない。

 伸ばされたマガヒッポリトの手が、杏の体に影を落とした。

 

『させるか』

 

「!」

 

『―――殺すぞ』

 

 杏に手を伸ばされたヒッポリトの手を、横合いからティガが掴む。

 そして、殴った。

 単純に最強クラスの速さと、最強クラスの力強さを込め、殴った。

 マガヒッポリトの巨体が吹っ飛び、ビルを飛び越え、街を飛び越え、広場に落ちる。

 

 昔オコリンボールが街を襲った時、レオ・アントラーがもたらした破壊の跡地を整地した結果出来上がった、香川の土地的空白部分だ。

 マガヒッポリトは混乱している。

 ティガはゼットが抑えているから、自分は安全なはずなのに、と困惑している。

 なのに何故、ティガが自由になっているのか。

 

 マガヒッポリトがゼットの方を見ると、ゼットは地面に槍を突き刺し、その槍に寄っかかって何もせずに戦いを見守っていた。

 

「おいゼット、何をやっている!」

 

「私はティガと尋常に戦えればいい。ティガの心残りが減るならそれでいいのだ」

 

「矜持に拘泥する役立たずめが!」

 

 ゼットの行動がちぐはぐなのは天の神の祟りが存在の芯に組み込まれているからなので、祟りに行動を強制されない限り、ゼットは常に自己判断で動く。

 ゼットはマガヒッポリトが倒された後、ティガとまたタイマンで戦うつもりでいた。

 だから、何もしていない。

 ゼットはティガの敗北を、想像さえしていなかった。

 

「だが―――貴様の力など必要ない!」

 

 マガヒッポリトが両手を巧みに動かし、攻め立てる。

 手で触れることで強制ブロンズ化させる技は、まだティガには見せていない。

 手で触れればそれで勝てるというのは、最悪と言っていい初見殺しであった。

 

 なのに、当たらない。

 ティガは足の動きをボクシング系の細かく刻むものに変え、総合格闘技系の側面にとにかく回り込む動きをして、上半身を振ってマガヒッポリトの手をかわす。

 細かい体の動き、目線の動き、腕の構えの変化によるフェイントをこまめに入れ、小刻みなステップで動き回りつつマガヒッポリトの側面を取り、脇腹に蹴りを入れて呻かせたりして、その手に触れられないようにする。

 

 初見殺しのはずなのに、見られていないはずなのに、何故かヒッポリトは手で触れられない。

 

「何故、分かる!」

 

『勘だ。昔から、本当にヤバいもんは感覚で分かる。

 後はまあ……"触れればいい"って思考の人間の動きは、見りゃ分かる。

 空手は拳を十分勢い付けて叩きつける。

 柔道は触れればいい、掴めればいいから、独特の動きになる。

 お前の手は叩きつける動きじゃない。掴みの動きでもない。触ればいい、そういう動きだ』

 

 過去は無くならない。

 悲しい過去も、嬉しい過去も。

 ボブや友奈に大地と、過去に触れ合ってきた格闘技経験者達との想い出が、竜胆に敵の動きを見切る力をくれる。

 

 仲間との想い出がもう半分ほど消えている。

 感覚で分かる。

 でも、感覚でしか分からない。

 どの想い出が消えたのか、分からない。

 

 想い出が力をくれるのに、強くなればなるほど、消えていく想い出があって。

 

「だが、分かったからといって何ができる!」

 

 マガヒッポリトは空気を媒介にしたブロンズ化を発動し、ティガは後退。

 ハンドスラッシュでブロンズを"感染させる空気"を焼き散らして、攻撃的に舌打ちした。

 

『チッ』

 

 ブロンズ攻撃は防げず、治せない。受けたら終わりだ。

 なのに。

 なのに。

 ヒッポリトの視線が下を向きティガの視線がそちらを向く。

 以前助けた子供―――犬吠埼という名前の小さな子が、そこにいた。

 

 ブロンズ攻撃は防げず、治せない。受けたら終わりだ。

 なのに。

 

 なのに。

 

「ほら、助けるがいい、"ウルトラマン"」

 

『―――』

 

 何故、竜胆は……祟りでもなく。怨念でもなく。復讐でもなく。

 

 人に向け、手を伸ばしてしまうのか。

 

(助けないと)

 

 杏がビルの屋上で立ち上がる。

 マガヒッポリトが何を考えているかは分からない。

 カミーラから、ティガだけは殺すなと言われているはずだ。

 けれど、何をしてくるか分からない。何が起こるか分からない。それが戦場だ。

 

 何かしなければ、何とかしなければ。

 そう思うのに、立ち上がるだけで力は尽きてしまう。

 もう指一本動かせない。

 

(動いて、動いて、私の体、じゃないと……)

 

 球子が死んだ時の光景が、瞼の裏に蘇る。

 杏の心に刻まれた、消えない傷だ。

 竜胆に励まされ、それでなんとか乗り越えた傷だ。

 

 杏は球子に向けて放たれたサソリの針を弾けなかった。

 球子は杏に向けて放たれた針を弾き、杏を守った。

 あの時の光景も、想いも、死にたくなるほどの絶望も、杏は死ぬまで忘れないだろう。

 

 だからこそ沸き立つ、"今度こそ"という想い。

 

(また、失ってしまう。私の……大切な人を……!)

 

 誰も彼もが神話の領域の力を行使し、人が成った祟り神がいて、神たる神樹は限界を迎え、人は神の祟りに苦しめられる、神話の世界。

 その戦場は、生も死も、この世か死後の世界かさえも曖昧になっているかのような世界になっていて、何より杏が生と死の境を彷徨っている。

 

(いやだ……死なないで……もう、お別れなんて、嫌……!)

 

 一瞬死に、一瞬生き、心臓が止まったり動いたりを繰り返す臨死状態。

 杏はそんな中でも、竜胆を助けるため、クロスボウの引き金に指をかけた。

 狙うは、ティガに向けて手を伸ばすマガヒッポリト。

 自らの生死すらも後回しにし、精霊を武器に宿そうとした瞬間、杏の肉体は死に――

 

 

 

 

 

「―――撃て、あんず。大丈夫だ、自分自身を信じろ。タマは信じてる」

 

 

 

 

 

 ――死んだ肉体が、また生の領域に戻って来た。

 

 誰かの声が聞こえた、気がした。

 懐かしい声だった、気がした。

 その声が大好きだった、気がした。

 いつもその声を求めていた、気がした。

 

 気がしただけで、気のせいだったのかもしれない。

 ただの幻聴だったかもしれない。

 杏の願望が耳に届かせた、頭の中だけの声だったかもしれない。

 ひょっとしたら、死の世界に片足を突っ込んだから聞こえたものだったのかもしれない。

 

 それでも、嬉しかった。だから、杏にとっては、十分だった。

 

 

 

「『雪女郎』―――『輪入道』ッ!!」

 

 

 

 自分を信じて、"精霊二体"を同時に二体宿し、撃つ。

 精霊は一体しか宿せないと、二体以上宿しても宿しきれない上に体が壊れると、杏達は大社から厳重に注意されていた。

 なのに何故か二体同時に宿せた上、体にかかる負担は限りなく0に近かった。

 

(なんだろう―――体から―――よく分からない力が湧いて来て―――それが使える―――)

 

 "遺伝子の覚醒"。

 杏にすら何がなんだか分からない内に、その肉体が精霊二体を問題なく制御させる。

 それは"精霊を二体同時にノーリスクで扱える"という、他の地球人類の誰もが持たない、彼女だけの異能だった。

 

「当たれッ!」

 

 放たれた攻撃は、雪女郎の氷雪と輪入道の炎の二重奏。

 西暦勇者チームで最初から範囲攻撃を持たされていたのは、球子と杏の二人だけ。

 その二人の相反する範囲攻撃を束ね、収束砲撃としてマガヒッポリトに叩き込んだ。

 

「……!? なんだ、この力は!?」

 

 そしてマガヒッポリトは―――結界外にまで、一瞬で吹っ飛ばされた。

 

「!?」

 

 氷雪と火炎は混じり合い、概念的矛盾と相反するエネルギーの衝突により、破壊力を伴わない大爆発を起こして、マガヒッポリトの七万トンはある巨体を吹っ飛ばしたのだ。

 "吹き飛ばす力"。

 それが、相反する力をその身に備えた杏の新たなる力。

 杏と球子の力を高度に融合させた、『どんなに硬い敵にもとりあえず効果はある』技である。

 

 どんなに固くて倒せない敵が何体襲いかかってこようと、この技でとりあえず吹っ飛ばせる。

 吹き飛ばせなくとも、ゲーム的に言えば被弾後退(ノックバック)は免れないだろう。

 例えば、魔王獣が六体同時にティガに襲いかかっても、杏が五人にノックバック弾を連射して、その間にティガが一体を相手にして倒すだけで、六体順番に倒すことが可能である。

 

 後衛に杏が一人いるだけで、どんなに数と質で勝ろうと、バーテックス側は多対一の状況を作ることが難しくなる。

 "どんな攻撃でもダメージを受けない敵がティガにトドメを刺そうとしている"という状況ですら射撃一発で解決できる、ティガに今一番必要だった、バックアップノックバッカー。

 

 友奈も、若葉も、千景も、基本は"アタッカー"である。

 杏ほど"攻撃的サポーター"、あるいは"後衛ブロッカー"に特化した勇者は、かつて居なかった。

 呪術後衛の千景の多様性、器用に色んなことができる後衛の雪花とも違う、一芸だけで様々な役割を果たすことができる、球子の戦闘スタイルにも似た特性である。

 

 それはかつて、勇者として杏と球子に求められた役目の兼任であった。

 杏は後衛射撃を求められ、球子は仲間を守ることを求められた。

 後衛から敵を撃って倒すのではなく、後衛から敵を吹っ飛ばして仲間を守る力。

 『撃つことで皆を守る防衛ラインを作る』という、後衛から全員のための盾役をすることができる今の杏は、ティガにとっては最高の盾役だった。

 

 ―――その覚醒が、もう少し早ければ、どこかで何かが違ったかもしれないのに。

 

 祟りが削った杏の命がとうとう限界を迎え、倒れていく杏を、ティガの大きな手の平が受け止める。

 そのままそっと、公園のベンチの上に杏を寝かせる。

 精霊二体を行使した杏は強かった。

 が。

 もう指一本動かせないほどに命が尽きかけているのなら、その強さも意味がない。

 

 ティガは犬吠埼少年を逃し、杏に呼びかける。

 呼びかけなければ、杏の意識が消えてしまいそうだったから。

 

『おい杏! 大丈夫か!? 意識はあるか!?』

 

「特別な遺伝子とやらで……ちょっとは、大丈夫だった、みたい……」

 

『バカ、なんて無茶を!』

 

 ユザレの遺伝子が、杏に少しの異能と、少しの祟り耐性を与えてくれていた。

 仮にも三千万年前、ティガと戦った子孫だ。

 少々の特別性はあってしかるべきだが……それも既に、薄れた血。

 杏に少しの無茶を可能とさせるも、杏はその少しの無茶で、長めに見てもあと一時間は生きられない体になってしまっていた。

 

「りっくん先輩、辛い?」

 

『ああ、辛いに決まってんだろ』

 

「私が苦しくて……苦しい……?」

 

『ああ、苦しい。ちくしょう、なんて顔色で頑張ってんだ、お前は……』

 

「私にこんな無茶、してほしくなかった……?」

 

『ああ!』

 

 杏は、優しい子だ。

 

「それが……さっきまでのりっくん先輩を見てた、私の気持ち……」

 

『―――』

 

「私ね……りっくん先輩が無理してると……いつも……胸の奥がキュってなって……」

 

 だからその言葉は、刃の如く竜胆の心に刺さった。

 

『じゃあどうすりゃ良かったってんだよ』

 

 分かる。

 竜胆は、何故こんなことを言われているのか、ちゃんと分かっている。

 そして人間性が削れているから、仲間に向かって"そう"叫んでしまう。

 

『他に、どんな道があったっていうんだよ!』

 

 無茶をするなと言うのなら、代案を出してほしかった。

 その言葉に優しさがあるのは分かっていても、代案が無いなら黙っていてほしかった。

 他に皆を守る方法があるなら、教えてほしかった。

 死んだ人を今からでも救える手段があるなら、教えてほしかった。

 

 けれど、そんなものは、どこにもなくて。

 

『ごめん……本当に、ごめんな。

 でも、俺は。杏の未来を勝ち取れるなら、死んだっていいんだ』

 

「……そういうの……そういうところは……あなたの、そういうところが……」

 

『生きてくれ』

 

 杏が弱々しく声を漏らし、竜胆は力強くその生を願う。

 

『俺は人を愛してるけど……杏はその中でも特別愛してるくらいなんだ。大切な友達なんだ』

 

「……うれしい……」

 

『だから、杏も』

 

「……」

 

『杏?』

 

 杏の口が開かなくなった。

 杏の目が開かなくなった。

 杏が動かなくなった。

 心臓と呼吸が、完全な停止に向かう。

 

『生きてくれよ、頼むから』

 

 祟りによる命の減少と、死の成立。

 その瞬間が来るのは、数分後か、数十分後か。

 少なくとも、一時間保つことはありえない。

 

『俺が死んでも……君が生きて……生きていてくれれば……』

 

 杏の勇者衣装が消え、杏のスマホの勇者アプリがエラーを吐いた。

 かつん、と地面にスマホが落ちる音がする。

 "もうこの使用者は勇者になれない"と、端末が判断したのだ。

 精神的に不安定だったり、敵に対して怯えを抱く勇者が、勇者システムに弾かれて変身できないのと同様に、今ここに、勇者の資格不十分とみなされる者が出た。

 

 "体に傷はなくてもこんなにも命が尽きている者は駄目だ"という、判定。

 それは神々の感覚が、『伊予島杏はもう終わりだ』と判定したということに他ならない。

 

 杏がこの先も生きていけるなら、この先も勇者として戦っていけるなら、端末が杏を拒絶するわけもない。

 ゆえにこれは、神の感覚による死の宣告だった。

 

(いや、まだだ、まだ……まだ!

 あと数分で、ゼットも魔王獣もカミーラも、天の神も全員殺す!

 祟りはそれで不成立になる! そうすれば、まだ杏は助かるはずだ!)

 

 会話が終わるまで待っていたゼットが、市街地のティガに向けて足を踏み出す。

 その前に立ちはだからんとする、二人の勇者。

 ゼットの前で、雪花と歌野が武器を手に構えていた。

 

「お前はいい仲間と出会う幸運には恵まれているな。そこだけは断言できる」

 

 静かに、されど堂々と、ゼットはティガの背中に語りかける。

 

「だが、仲間に向けるその言い草はなんだ。

 お前も巨人なら、言い切ってしまえばよかったのだ」

 

 "自分が死んでも君が生きていてくれれば"といった風味の竜胆の発言が、ゼットは心底気に入らなかった。

 

「『俺達全員で生き残ろう』、と。

 それだからお前は……ウルトラマンに成りきれないのだ」

 

『お前を相手にして、そんな甘い幻想抱けるわけねえだろ』

 

「違う」

 

 普通の人の目には、竜胆は人間性を切り捨てているように見えただろう。

 だがゼットの目には、"ウルトラマンらしさ"も一緒に切り捨てられているように見えた。

 輝かしいものが切り捨てられ、醜怪な祟り神に成っていくように、見えた。

 

「美しい大団円を目指すのではなく、美しい自己犠牲を選ぶから、お前は光の巨人でないのだ」

 

 美しい大団円と、美しい自己犠牲。

 どちらが美しいか、などという判断基準はない。

 それに優劣をつける指標は存在しない。

 だがそんなことは知ったことじゃないと言わんばかりに、ゼットは美しい大団円を目指す心意気の方を持ち上げていた。

 

「以前戦った時のお前なら……美しい大団円を目指していた。

 そう思うのは私の勝手な思い込みか? 私は、お前を過大評価していただけなのか?」

 

 大団円か、と竜胆は胸の奥で呟く。

 

 確かに俺はそういうの目指す気持ちはあったな、と竜胆は思う。

 最初に虐殺から始まったから、最初はそういうものを目指していなかったのは確実。

 仲間が死ぬ度に、そういうものを目指す気持ちが薄れていったのも事実。

 ならそういう気持ちはいつからあって、いつからなくなったんだろうと、竜胆は考える。

 

 そもそも、大団円なんてものはこの世界にあったんだろうかと、ふと思った。

 

『大団円を目指すには、大切な人が死にすぎた。それだけなんだよ、ゼット』

 

 死にすぎた後の大団円など無いと、竜胆は言い切った。

 

 ゼットはそこで、竜胆に対し何か失望した様子を見せる。

 無言の失望だった。

 今のティガの力を認めながらも、ゼットは何か失望していた。

 

 そんなティガの背後から、誰かが狙う。

 音もなく飛んで来たブロンズ化カプセルを、歌野の鞭と雪花の槍が粉砕した。

 

「やーな心ってのはね、私の精霊に引っかかるもんなのよ」

 

「……!」

 

 結界の外まで吹っ飛ばされたことを逆利用して、結界の外を移動し、密かに結界に侵入してティガを背後から狙う。

 マガヒッポリトの狙いは悪くはなかったが、姑息であり、歌野がいる戦場では通じるはずもない奇襲であった。

 苛立たしげに、マガヒッポリトはゼットに罵声を浴びせる。

 

「ゼット貴様、何故悠長にティガと話をしている!

 貴様が戦いでティガを止めている間に、私がカミーラ様が満足する十分な準備をせねば……」

 

「黙っていろ。吐き気がする」

 

「っ」

 

 マガヒッポリトに二の句を継がせない、槍のように鋭い一言。

 

「相手をどう苦しめて倒すかを考える貴様らには、常にうんざりしている。ゆえに、黙れ」

 

 カミーラとその配下の玩具になるくらいなら、勇者も巨人も人間達もいっそここで全員殺してやろうと、ゼットは考えてしまう。

 それほどまでに、ゼットはカミーラも魔王獣も、心底嫌っていた。

 

「私に力をくれた無数の意志無きバーテックス達の方が、意志無き分まだマシに見える」

 

 ゼットはティガを見る。

 不思議な一瞥だった。

 どこか、不思議な共感があった。

 

 あるいは、"民衆の愚かしさに苦しめられているティガ"を、"仲間の醜さに辟易している自分"と重ねたのかもしれない。

 仲間を、味方を、選べないのはティガもゼットもお互い様で。

 共に戦う者は、"誰と出会うか"に左右されてしまっていて。

 だからこそ、ゼットは先程『お前はいい仲間と出会う幸運には恵まれているな』と言ったのかもしれない。

 竜胆に対する少しの羨ましさが、そこにはあったのかもしれない。

 

「これ以上萎える前に終わりにしよう、ティガ。

 私もお前も、次の一撃で敗北しようと、消滅しようと、悔いはあるまい」

 

 最大の一撃を放つべく、ゼットが力を溜め始める。

 ティガもまた、雪花の精霊コシンプの強化を受けつつも、仲間を離れさせ、闇を溜める。

 こうして相対するのは約三ヶ月ぶりだ。

 前の戦いは、ティガブラストのお披露目戦であり、途中でアナスタシアが自決して、途中でガイアとアグルが参戦して、最後にティガが決めて、そうして決着した。

 

 あの時のゼットは光線を撃ち、あの時の竜胆はランバルト光弾を撃った。

 そして、ティガが撃ち勝った。

 まごうことなく、ティガは勝者で、ゼットは敗者だった。

 カミーラに結末を穢されたあの日の戦いの続きが、今始まろうとしている。

 

 そして、今、終わろうとしている。

 

『皆、この世界で生きていて、笑っていて、幸せで、明日に期待して、大切な人がいて』

 

「バーテックスは誰も彼もが意志もなく、笑わず、幸福もなく、未来も大切な人もなかった」

 

 ティガは語り、ゼットは語る。

 

『全て、奪われた』

 

「何も、価値あるものを生み出せない生物として生み出された」

 

 御守竜胆は、殺された全ての人の代行者として、復讐と怨恨を祟りとして成すために。

 ゼットは、自分をかつて倒した、この世で最も敬意を払える巨人に勝つために。

 その一撃に、全てを込める。

 

『だから、許さない』

 

「だから、勝つ」

 

 このまま人が滅びれば、全ての死は無為になるから。

 それは、嫌だから。

 讃えられるべき強き光の巨人を打ち倒さなければ、自らの命の価値を証明できないから。

 それは、嫌だから。

 

 ティガは敵を(たた)り、ゼットは敵を(たた)え、絶対に負けられない理由を叫んだ。

 

『全ての死を―――無駄にしないために!』

 

「生まれてきた意味はあったのだと―――言うために!」

 

 ティガは手を十字に組む。

 ゼットは拳を突き出す。

 そこから放たれるであろうものは、ティガの黒き光線と、ゼットの赤紫色の光線。

 

 構えてから光線を撃つまでのほんの一瞬に、ゼットはふと思考する。

 自分のこの光線には、ウルトラマン達のような、光線の名前がないと。

 

(名もなき光線に、名を付けよう。

 あの時ティガに負けた自分に決別するために。

 彼らウルトラマンを超え、ウルトラマンの全てを終わらせる、その意志を光線の名に込める)

 

 ゼットは葬送の言葉を選ぶようにして、自らの最強光線に名を付ける。

 その光線こそが、ハイパーゼット最強の必殺技。

 

(殺す、殺す、殺す―――先に殺さないと、じゃなきゃ、また殺される!)

 

 真に絆で結ばれた仲間を全て失い、四国の共闘者の全てを失った竜胆は。

 

 もう、マリンスペシウム光線を撃つことができる"人の心"さえも、失っていた。

 

 心通じた最高の仲間達を失った彼に、人と繋がり受け入れる心を失った彼に―――撃ち放つことができる虹など、無かった。

 

『おおおおおおッ!』

 

 叫び、高めた闇を、黒き光線として撃ち放つ。

 静かに、百兆度級のエネルギーを、赤紫の光線として撃ち放つ。

 

 

 

『―――スペシウム光線ッ!!』

 

「―――ゼットシウム光線ッ!!」

 

 

 

 ウルトラマンの代名詞、スペシウム光線。

 その名に敬意を払い、ゼットンだからこその名を付けた、ゼットシウム光線。

 二つが空中でぶつかり、一方的にゼットシウム光線が押し始めた。

 

 竜胆は、『全て奪われた』と言った。

 だが、違う。

 まだ彼には大切なものがあり、守りたいものがある。

 ベッドに寝かされている仲間が、この戦場で助けてくれる仲間が、死んでほしくないと思う街の人間達がいる。

 残されたものがあり、それらを守りたいという気持ちが胸の中にある。

 その分だけ、想いの純度は下がり、この一撃に一途になれない。

 

 だが、ゼットは違う。

 ゼットは一途で真っ直ぐだ。

 ティガを前にすれば、ティガの全力とどうぶつかり、どう攻略して、どう倒すかしか考えていない。ティガのことしか見ていない。

 他の余計なことは一切考えず、精一杯、一心不乱にティガに立ち向かっている。

 

 スペシウム光線を一方的に押し切る、ゼットシウム光線。

 想いと力の両方で、ゼットはティガを上回った。

 

 ゆえに、ゼットシウム光線は、ティガの胸を深くにまで貫く。

 身体の再生などという能力が成立しないほどに、魂まで響く衝撃。

 物理破壊などという概念では語れないほどの破壊が、ティガの胸部を貫いた。

 

「終わりだな。見事な奮闘だった、ティガよ」

 

 ウルトラマンがスペシウム光線を撃ち、ウルトラマンはゼットンに敗北した。

 

 神話はまた、繰り返されたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 変身が解けた竜胆は、胸に大穴が空いた状態で大地に放り出されていた。

 だが、動きは止まっていない。

 祟り神として自分を固定化した竜胆は、この程度では死なない。

 胸の大穴から血すら流れない。

 立ち上がろうとする竜胆は、"まだ戦える"と言わんばかりであった。

 

 そう叫んでいないということは、もう戦える力の全ても、叫ぶだけの力も、今ゼットに粉々に砕かれてしまったということだ。

 

「竜胆さん!」

 

「あーもう! ……世話が焼ける!」

 

 歌野と雪花が援護に向かう。

 ゼットはここで、尊厳ある戦死を全員に与えるだろう。

 その手に槍を持ち、ゼットがそれを振り上げる。

 

「さあ、終焉だ。お前達もここで―――」

 

 そんなゼットの背後に、瞬間移動でマガエノメナが現れた。

 ゼットが反応する前に、ゼットと、ゼットを羽交い締めにしたマガエノメナが消える。

 そして、マガエノメナだけが戻ってきた。

 雪花が戸惑い、歌野が目を細める。

 

「な、何事?」

 

「ご苦労さま、マガエノメナ。

 予定通り異次元にゼットを捨ててきたようね。

 これでゼットはしばらくは地球まで戻って来れない」

 

「!」

 

「私の目的が果たせるわ」

 

 そして、もう一体。

 マガエノメナとマガヒッポリトが跪くようなその存在が、現れる。

 おぞましき、怪物としか言えない姿の、その闇の巨人は。

 

「マガカミーラ……!」

 

「また会ったわね、白鳥歌野。その顔を見るのも、今日で最後になるのかしら? ふふ」

 

 雪花は冷静に目を走らせ、歌野に疑問を耳打ちした。

 

「歌野、他三体は? 来てない?」

 

「火、風、水の魔王獣ね。

 前回の戦いで暴走ティガのアタックを食らってたけど、もしかしたらそれで……」

 

 カミーラが醜悪に微笑んだ。

 その微笑みは、魔王獣三体が負傷していることを肯定するもの。

 

「沖縄、ティガダークと予想外が続いて、今は三体に大事を取らせてるけど……

 私を含めて星辰の魔王獣が三体もいれば、あなた達ごときには十分すぎるでしょう?」

 

「っ」

 

 口調は、一見歌野と雪花を甘く見ているように見える。

 だがその実、まったくもって逆だ。

 ただの人間の勇者二人を相手取るならば、星辰の魔王獣三体は明らかに過剰戦力である。

 この布陣は、カミーラが歌野と雪花――特に歌野――を警戒していることの証明だった。

 

 カミーラがティガに手を伸ばし、歌野と雪花がそれを止めようとするが、そこに飛んで来るマガヒッポリトの破壊光線、マガエノメナの破壊光弾。

 攻撃を回避した二人だが、分断され、歌野はマガヒッポリト、雪花はマガエノメナとの一対一に持ち込まれてしまう。

 マガヒッポリトが笑った。

 

「お前達の相手は、私達だ」

 

「くっ、邪魔よ!」

 

 雪花は舌打ちする。マガエノメナもまた、笑っていた。

 

「やな流れね、ホント」

 

 連携できなければ、質で劣る人間側に勝ち目はない。

 これは"万が一の敗北"を徹底して避ける戦術手腕と言えるだろう。

 そうして、フリーになったカミーラは、悠々と地表の竜胆に歩み寄る。

 カミーラは竜胆に手を向け、空中に闇の川を作るが如く、竜胆の体に闇を注ぎ込んだ。

 今の竜胆には、走って避ける程度の体力も残っていない。

 

「が、あ、ア、ウガアアアアァッ!?」

 

「さあ、この闇を受け入れて。

 私の闇を受け入れて。

 私の闇に染まって。

 ……真のティガダークの誕生よ」

 

 闇なら変換できる、そう思い、竜胆は歯を食いしばった。

 だが、変換できない。

 竜胆/ティガに備わっている闇を光に変える力が、上手く作用しない。

 カミーラの闇を、光に変えられないのだ。

 

 竜胆の中に注がれた闇が、カミーラが望む方向へと竜胆を変質させていく。

 『人間性』を削り、純粋な祟り神へと進む方向性が。

 『竜胆』を削り、素晴らしきティガダークを成立させる方向性へと変えられていく。

 竜胆が皆のために自分を消し去る道筋が、カミーラのために竜胆が消し去られる道筋へと、変えられていく。

 

(変換、できる、気配がない! 間違いなく闇であるはずなのに!)

 

 ただの闇なら変換は可能だっただろう。

 そうでないということは、これはただの闇ではないということだ。

 

 そう、それは、超高純度の愛。

 混じりっけなしの純粋な黒い愛。

 歪み以外の何も無い、そんな愛だった。

 

 能力だけでどうこうできるかと言えば、ノー。

 闇を光に変える力などでは歯が立たない、同量以上の正方向の純粋な愛でもなければ、そもそもまずぶつかり合いですら成立しない、歪んだ闇の愛。

 そんな(あい)が、竜胆の中に注がれていく。

 

「ぐ、が、がっ……!」

 

「祟り神止まりのつまらない存在になんてならないでね、ティガ。ふふ、ふふふっ……」

 

 マガエノメナと戦いながら、マガエノメナの電磁波を近い距離で受け、脳が加速度的に壊れていくのを感じ取りつつ、雪花は槍を投げる。

 投げた槍が、カミーラと竜胆の間に突き刺さった。

 

 ゆったりと、雪花の方を見るカミーラ。

 ティガに憑けていたが外れてしまっていた精霊・コシンプを憑け直し、"雪花から竜胆への好感"で、竜胆を強化する。

 焼け石に水程度の効能ではあったが、竜胆の抵抗力を強化し、カミーラの闇に抵抗する力をブーストさせていた。

 

「あなた何がしたいのかなー? 話聞いてる限りだと頭おかしいとしか思えないんだけど」

 

 それはマガエノメナの相手をしながら、カミーラの注意も引き、竜胆を守るような行為。

 はっきり言えば、自殺行為であった。

 一匹のアリがライオンと戦いながら、仲間のアリを守るために、仲間のアリを襲っている虎を挑発するような愚行。

 

 滑稽すぎて、カミーラは思わず嘲笑ってしまった。

 マガヒッポリトの目を狙わないとダメージを狙えないような雪花が、体格差を埋めるような飛び抜けた技能やスペックを持たない雪花が、無理に無茶をして背伸びをしている。

 無力な下等生物の足掻きを、カミーラは嘲笑していた。

 

「本当のティガは、虫一匹殺せないような優しい人だったのよ。本当に優しい人だったの」

 

「はーん、惚気かな?

 でもそういうの、御守先輩とは関係ないからさ。

 よそでやっててくんないかな。できれば私達に一生関わらないところで」

 

「ティガはティガよ。乳臭い小娘が何も知らずに口を出していい関係じゃないの」

 

「ババ臭い女の粘着質な妄執よりはフレッシュでいいんじゃないかなー」

 

 雪花はおそらく、この世代の勇者で一番口喧嘩が強いだろう。

 一番悪意に強く、口が回り、他人がぶつけてきた悪意に微笑みながらさらりと皮肉混じりの返答を返すのが上手いタイプ。

 その上で、仲間とは口喧嘩をしないタイプだ。

 

 雪花は口が悪いのではない。悪い奴相手に口を使うのである。

 そんな彼女が、狙わずして、カミーラの内にある新たな一面を引き出していた。

 

「虫一匹殺せないようなティガ……そんな人が、私を殺してくれた!

 死体の原型が残らないくらいに、徹底的に!

 光の巨人として、闇の巨人である私が二度と蘇らないよう、ちゃんと殺してくれたの!

 それはティガにとって私が特別であるという証明の一つ。

 慈悲と優しさに溢れたあのティガが、私を殺したことが、嬉しくて、苦しくて、辛くて――」

 

 闇に苦しむ御守竜胆を前にして、カミーラは恍惚とした表情を浮かべていたが、その表情が一瞬で切り替わる。

 

「――憎い。そう、憎いのよ。

 愛していたのに! 返って来たのは、愛ではなく殺意!

 ああ、憎い。何故私を愛さない。愛してくれない。こんなに愛しているのに!

 愛しているのなら! 光よりも、ユザレよりも、私を選んでほしかったのに!」

 

 歪み、壊れ、色んな人を死の内側に巻き込んでいく愛憎。

 そう、これが三千万年前ティガが封印や説得の道を諦め、カミーラを殺した理由だ。

 

「だから作りましょう。

 ティガを。私が失ったティガを。

 私が愛した、私を愛するティガを! そのための生贄なら四国に山のようにある!」

 

 人々の平和と安全を守るには、未来の罪無き人間の日々を守るためには、()()()()()を生かしておくわけにはいかなかったのだ。

 ティガがカミーラをどう思っていようが、()()()()()はみんなのために、殺しておかなければならなかったのだ。

 

 どんな過去があろうと、どんな愛が基点にあろうと、結論を変えてはいけない。

 カミーラに同情するのもいい。謝罪するのもいい。だが、受け入れてはいけない。

 だから、三千万年前のティガはカミーラを受け入れなかった。

 ティガですら侵し、竜胆でも光に変換できず、世界を喰らう歪みの愛。

 世界でさえも殺す毒。

 

「あっきれた」

 

 "それ"を、雪花は心底呆れた顔で、一言で切り捨てた。

 瞬間移動高火力という殺人的なマガエノメナの攻勢を、桂蔵坊による高速移動で紙一重でかわしつつ、雪花はカミーラに言葉を叩きつける。

 

「こんなに"素敵な恋愛"をする『才能』が無い人、初めて見たわ」

 

「―――」

 

「私も異性との恋愛経験なんて無いけどさ。

 ま、好きな男に夢見るのはいいよ。

 でもさ、現実のその人見ないで、夢押し付けんのはどうなのかな。

 この世に"カミーラの夢を叶えるために生まれてきた"人間なんていないんだからさぁ」

 

 雪花はよく回る口で、カミーラに言うだけ言いつつ。

 

「愛は、他人を変えて好きな人を作るもんじゃなくて……

 好きな人のために、ちょっとでいいから自分を変えるもんじゃないの?」

 

 カミーラに言いたいこと言うためとはいえ、愛を語ってる自分がなんだか恥ずかしくなって、雪花の声に照れが入った。

 対し、カミーラは馬耳東風。その愛憎は、ティガ以外の誰にも変えられない。

 

「一万年も生きていない小娘が愛を語るな! 片腹痛いわ!」

 

「小娘に否定されちゃうような愛掲げてる方が悪いんじゃないか、なんて思うんだけどなぁ!」

 

 そうして、カミーラは挑発してくる雪花に氷槍を発射し―――雪花はそれを避けて、マガエノメナに当てようとした。

 マガエノメナは咄嗟にギリギリで、氷槍をかわす瞬間移動回避を成功させる。

 

「!」

 

「む、上手く行かなかったか」

 

 カミーラを挑発し、攻撃させ、それをマガエノメナに当てさせて倒させる策略。

 言うなれば、弱者の工夫。

 横目に見ていた歌野の口角が上がった。

 

「いやはや、雪花さんはかっこいいわ!

 寒い地方から来ただけあって、冷静(クール)瀟洒(クール)ね!」

 

 マガヒッポリトの攻撃力は、かすっただけで歌野を即死させる。

 歌野の攻撃力では、マガヒッポリトの皮膚は千回叩いても貫けない。

 だから歌野は、心を読んでひたすら打っていた。

 打つ。

 打つ。

 マガヒッポリトの胸部下部辺りを狙い、寸前違わず同じ場所を狙い撃ち続ける。

 

 歌野の武器に宿る腐食の力を用いても、十回同じところを叩いても傷すらつかない。

 だが百回を超えたあたりで、胸の一ヶ所に跡が残り始めた。

 五百回を超えたあたりで、薄皮一枚分の腐食が始まった。

 恐ろしい速度で鞭による攻撃サイクルを加速回転させ、歌野の連続攻撃はどんどん攻撃間隔を狭めていった。

 

(やはり、今はこの女が一番危険……!

 強さの数値以上の危険度がある!

 白鳥歌野だけは、カミーラ様に近付けた時、万が一がありかねん!)

 

 だからこそマガヒッポリトも、無理はしない。

 焦りから最悪の選択は選ばない。

 マガヒッポリトが攻撃に一気に注力すれば、歌野は90%の確率であっという間に死ぬ。

 だが、残り一割ほどの可能性で、攻撃に回ったマガヒッポリトの隙を突き、竜胆の救援に駆けつけることができてしまう。

 

 マガヒッポリトは無理をせず、歌野の封殺に努め、役割を果たした。

 それは、マガエノメナも同様だった。

 

 歌野も、雪花も、闇を注ぎ込まれた竜胆の下に一秒でも早く駆けつけたいのに。

 

(行けない……!)

 

(越えられない……!)

 

 カミーラから竜胆を助けたい勇者二人。

 カミーラが竜胆を闇に堕としきるまで、勇者二人を止めて完全な詰みに持っていく魔王獣。

 部下を使い、集団戦というものを理解し、徹底して可能性を摘み取るカミーラ。

 

 人、それをチームプレイと言う。

 カミーラは昔からずっと、単独で戦う者ではない。

 闇の巨人四人で戦い、司令塔として闇の巨人四人の共闘を成立させる者だった。

 

 "あの頃が一番楽しかった"と思っている者だった。

 "あの頃に戻りたい"と心のどこかで思いながら、握り潰した人間の悲鳴を恍惚と思い出すような者だった。

 "もしも取り戻せるならば"と思い、あの頃のティガを想う者だった。

 ティガに仲間二人と自分自身を殺された時点で、もうどうしようもなく手遅れだというのに。

 

「くっ、ぎぃぃぃぃぃ、頭、頭ン中、がッ……!」

 

「抵抗せず受け入れなさい、リンドウ。

 その苦しみは最後に残ったあなたの光を捨てる苦しみ。

 抵抗するから苦しいのよ。

 光が残っているから苦しいの。

 闇を受け入れ、まだ残っていた僅かな光を、完全に捨て去ってしまいなさい……」

 

 優しく、カミーラが語りかける。

 

 あまりにも醜悪な優しさだった。

 

「?」

 

 その時、風が吹く。

 

 カミーラが言葉に乗せた醜悪な優しさを吹き散らすような、優しい風だった。

 

「よかった、間に合った」

 

 弱々しい足取りで、その少女はやって来る。

 

「……友……奈……?」

 

「……リュウくん、私と同じくらい、苦しい感じになってるね」

 

 注ぎ込まれた(あい)に苦しむ竜胆に、土気色の顔をした友奈が寄り添う。

 

 杏と同様の祟りを受けているはずだ。

 杏と違い、遺伝子の守りもないはずだ。

 友奈は普通の家の生まれの、特別なものなど何も持っていない普通の少女でしかないはずだ。

 その命は底をついていて、今死んでいないのが不思議な状態であるはずだ。

 歩く余裕などないはずだ。

 

 それでも友奈は、病院から友達のため、一歩歩く度に命を削って、駆けつけてくれた。

 

「今更役立たずな死にかけが一人増えたところで、何ができるというの?」

 

 カミーラが鼻で笑う。

 杏がそうだったように、天の神の祟りに蝕まれた人間は命を削られ、仮に何かしらの覚醒を迎えたとしても、何もできない。

 無力な友奈を、カミーラは妥当に見下していた。

 だが友奈は、竜胆だけを見ていて、カミーラの言葉に反応すらしていなかった。

 

「リュウくんさ、タマちゃんから勇気を貰ってから、時々言ってたよね」

 

―――見せてやる、俺達の勇気を!

 

「リュウくんが時々言ってたあの台詞。私も……ぐんちゃんも好きだったよ」

 

 傷付き、命は尽きかけ、心は涙を流し。されど、友奈は折れず、投げ出さず、諦めない。

 

 友を想い、前に進み続ける。

 

「皆で勇気を出してる……そんな感じがしててね……」

 

「待て、友奈、病院にっ……戻れっ……

 俺がお前の命が尽きる前に、全てを倒して、お前の命もっ……!」

 

「皆、ひとりじゃない。リュウくんはいつも……けほっ、けほっ、そう叫んでて……」

 

 苦しむ竜胆を庇うように、守るように、その前に立つ友奈。

 立って睨むは闇ノ魔王獣・マガカミーラ。

 これ以上竜胆に闇を注ぎ込むことは、高嶋友奈が許さない。

 

「リュウくんが皆と作った勇気、ずっと見てたよ。だから見てて」

 

 弱々しく、端末を持っているだけでも震えるほどに弱りきった手で、友奈は端末を握った。

 

「今度は……私の勇気を」

 

 そんな友奈を嘲笑し、カミーラは手先から小さな電気を放つ。

 大気を走った電気の力が、友奈の手の中の端末をいとも容易く破壊した。

 ガゾートのEMP攻撃があったために、大社が死ぬ気ですぐさま対電処置を施し、大抵の電気攻撃は効かないよう加工されていたはずだったのに。

 

「!?」

 

「雷を操る私の前で、電子機器に頼る者が変身できるわけがない。

 スパークレンスが優れた変身アイテムであるのは、そういうことでもあるのよ」

 

「……!」

 

 恐るべきは、マガカミーラの力。

 人類の小賢しい工夫などものともしない、恐るべき固有技能をいくつも持っている。

 これで友奈は変身できない。

 それどころか、僅かな電流の刺激だけで、残り少ない命が一気に半減してしまっていた。

 

「こほっ、ごほっ、ゲホッ」

 

 むせこむ友奈。

 口を抑える手の内側を、吐血が赤く染めていた。

 あまりにも悪すぎる顔色に、あまりにも色が悪い血の色が全く映えていない。

 

 竜胆は友奈を庇おうとするが、竜胆の体は友奈以上に動かない。

 友奈を助けられる者が誰も居ない。

 そして、カミーラは、ティガの周りにいる女を殺害することに何の躊躇もない女だった。

 

「端末もなく、そんな体で何ができるというの?」

 

「ここで友達を見捨てるような奴は、勇者じゃないよ」

 

「そう……じゃあ、死になさい」

 

 端末もない。

 神の力も、勇者の力もほとんどない。

 あるものと言えば、その手に装着された"天ノ逆手"くらいのもの。

 それさえも、今の弱りきった友奈には心強い武器ではなく、ただ重いだけで捨てたくてたまらない手甲でしかなかった。

 

 カミーラの指先が、友奈の胸に向けられる。

 

「嫌なんだ。誰かが傷付くこと、辛い思いをすること。

 友達がそんな思いをするくらいなら―――私が、頑張る!」

 

 弾丸の如く放たれる、必殺の氷槍(デモンジャバー)

 防御力が高いウルトラマンの表皮ですらも貫く邪神の一撃が、ただの人間でしかない友奈に向けて放たれる。

 かわせない。

 防げない。

 高嶋友奈は、ここで死ぬ。

 竜胆は叫び、友奈を何が何でも救わんとして、手を伸ばした。

 

「友奈っ!!」

 

 

 

 そして、勇気に溢れた友奈の右拳が、氷の槍にぶつかり。

 

 氷の槍に叩き込まれた右拳が、山桜の様な光に包まれ、勇者のそれに変わった。

 

 

 

「……何!?」

 

 友奈の右拳に弾かれた氷槍が、その場でふわりと僅かに浮く。

 

 友奈が右足を踏み込む。

 右足が勇者のそれに変わった。

 後ろの蹴り足である、左足で強く地面を踏む。

 左足が勇者のそれに変わった。

 

 振り上げた左腕までもが、勇者のそれに変わる。

 僅かに浮いた氷槍に左拳を叩きつけた瞬間にはもう、友奈の全身は勇者のそれに変わっていた。

 

「―――変わった!? 端末もなしに!?」

 

 高嶋友奈は勇者である。

 勇気持つからこその勇者。

 神が未来を託したからの勇者。

 その心で奇跡を起こすからこその、勇者である。

 

 拳の二連打で打ち返された氷槍が、カミーラの眉間に命中する。

 氷の槍は深くにまでは刺さらなかったが、その切れ味で眉間を浅く切り、カミーラの眉間に切り傷を刻み込んでいた。

 

「ぐっ、くっ……!」

 

「私は友奈! 高嶋友奈! 勇者、高嶋友奈だっ!!」

 

 命尽きる寸前に起こした奇跡。

 それは、燃え尽きる寸前のロウソクが強く輝くようなものなのだろうか。

 されど、そう思うには……友奈の心が放つ輝きは、あまりにも眩しかった。

 

「たとえ、端末がなくたって!

 この勇気だけが、私が勇者に選ばれた理由だから!」

 

 カミーラが忌々しげに追撃に放った雷も、友奈の拳が殴って砕く。

 

「この勇気は―――何にも、負けないッ!」

 

 命が尽きかけているはずなのに、平時の友奈よりも拳が力強い。

 どこか、何かが、神がかった動き。

 臨死状態が可能とさせた、無我の境地とでも言うのだろうか。

 追い込まれた状況においても友奈は強い。

 

 ピンチの中、窮地の中、絶望の中でこそ、友奈という少女の輝きは際立って見える。

 

「ぐあ、あああ、あああっ……!!」

 

「! リュウくん!?」

 

「でも、もう手遅れよ。ティガの闇の覚醒は……この私の手で、次の段階へ進む!」

 

 カミーラの闇の侵食が、竜胆の体内で最終段階に入った。

 少年の皮膚が、心が、魂が、白紙に墨汁を垂らしたように一気に黒く染まっていく。

 苦しむ竜胆。

 高笑いするカミーラ。

 雷を殴り砕く友奈。

 誰も何もできないその空間の中、竜胆の手を取る少女がいた。

 

「りっくん先輩、しっかり」

 

 駆けつけた杏の顔色の悪さ、焦点のあってない目、元気のない声に、竜胆は一瞬、死体になってしまっているのではとすら、思ってしまった。

 杏が触れた部分から、竜胆の皮膚を走る闇が消えていく。

 手を握ったことで、少年のその手から闇が消えていく。

 

「あん、ず……」

 

 ユザレの遺伝子の、光の力。

 命も体力も完全に尽きた杏にできることなど、遺伝子が宿す力を触れることで作用させることくらいしかない。

 幸い、カミーラの闇はユザレの光をゴキブリのように嫌っていた。

 カミーラ本体の意に反し、杏の手に触れないように、ゴキブリから逃げるようにその部分から離れ、竜胆の心臓や脳の方を先に侵食完了させようとする。

 

「友奈さん、りっくん先輩の手を! 友奈さんのポケットの中にあるものも一緒に!」

 

「え!? なんでアンちゃんこれがここにあるって知ってるの!?」

 

「分かりません! 勘です! でも、何となく分かるんです!」

 

 杏に呼ばれ、後退した友奈が雪花から託された神器を手の中で握る。

 それは、菱形の石だった。

 少し青みがかった透明な石。

 ティガの額にあるクリスタルと、同じ形の石だった。

 友奈が握り込むと、その石は僅かに光の点滅を始める。

 

「手を……」

 

 友奈は左手で神器を握り、右手で杏が握っていた竜胆の手を握る。

 杏が闇をどけてくれた竜胆の手を握った瞬間、友奈の手の中の神器が光の瞬きの強さを増し、光が友奈と竜胆を包んでいく。

 

「……リュウくん」

 

 させるか、とばかりにカミーラと魔王獣二体が竜胆に近付こうとするが。

 

「お二人が友達を助ける時間くらいは、私達二人で稼いでみせますとも」

 

「グッドな気合いね雪花さん! 嫌いじゃないわ!」

 

 三体の魔王獣が竜胆に気を取られた瞬間、歌野と雪花は上手く立ち回り、竜胆達を守る立ち位置を取って魔王獣の前に立ちはだかった。

 

「その光は―――その光はまさか―――!!」

 

 カミーラが叫ぶと同時、竜胆の体から吹き出した闇と光が、竜胆と友奈を飲み込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友奈が最初に覚えた感覚は、嘔吐感だった。

 

「うっ……こ、ここ、どこ?」

 

 気持ちが悪い。

 どこもかしこも闇、だけど僅かに光も混じっている不思議な空間。

 だが、それだけでなく、生理的嫌悪感を覚える空気で満ちていた。

 

 空気が闇で、空気が腐っていて、空気が粘着質。

 そんな印象すら受ける。まるで、空気そのものがヘドロになってしまっているかのようだ。

 

「考えたくないけど……」

 

 そう、これが。

 

「これが……リュウくんの、今の心の世界……?」

 

 最悪の人生を生き、シビトゾイガーに煽られた民衆によってどんどん悪化していき、人の死によって傷付き打ちのめされ、祟り神化と闇のティガ化の進行が進んでいる竜胆の心である。

 

 心は焼け付き。

 溶け。

 腐食し。

 煮立ち。

 切り刻まれ。

 食い散らかされ。

 汚染されていた。

 

 よく見れば心のそこかしこで、腐った肉が延々と自殺を続けていた。

 かと思えば、肉塊Aが肉塊Bを殺している。

 殺した肉塊Aが、肉塊C・D・Eに「殺人をしたな」「許されない」「許されるわけがない」と責められ、公開処刑された。

 そして殺した肉塊C・D・Eが「殺人をしたな」「許されない」「許されるわけがない」と更に多くの肉塊に囲まれ、更に公開処刑されていく。

 

 飛び散った血、砕けた肉がまた新たな肉塊となり、これの繰り返し。

 

「うっ」

 

 他の仲間の心がこうだったなら、友奈は混乱し、疑問に思っていただろう。

 何故こんな闇を抱えて、人間の味方ができるのか。

 何故こんな闇を抱えて、他の生物との共生ができるのか。

 せいぜい15年程度の人生で、何をやればこんな闇が育めるのか。

 どんな環境で、どれだけ憎めば、何をどう憎めば、こんな闇を創り上げられるのか。

 わけが分からなくて、戸惑ってしまっていただろう。

 

「リュウくんなら……そうだよね」

 

 『疑問』ではなく、得たのは『納得』。

 この心の状態を見て『納得』してしまうことが、本当に悲しかった。

 彼ならそうだろうと思ってしまう自分が、彼の心がこうなることを止められなかった自分が、悔しくて悔しくてたまらなかった。

 

「……これを」

 

 友奈の左手には、まだ神器が握られている。

 聖石の神器は、友奈の手の中でまばゆく点滅していた。

 この聖石の光が竜胆の心に光を与えてくれるということは、なんとなく感覚で分かる。

 そういうものであるらしかった。

 

「リュウくんの心の一番奥にまで、届けないと」

 

 友奈が闇の中を進んでいく。

 進んでいく途中、闇に飲み込まれた竜胆の記憶や人間性が、闇の中に浮かんでいるのが見えた。

 闇は今も、竜胆の大切な何かを喰らい続けている。

 

―――嫌いだ

 

「これ……リュウくんの声?」

 

―――周りに優しくできない人が、嫌いだ

 

「心の声……心の断片……?」

 

―――なんでだ。簡単なことだろ。皆が皆に優しくなればいい、それだけじゃないか

 

「……リュウくん」

 

―――嫌いな人からは離れればいい。距離でも取ればそれでいいじゃないか

―――どうしても優しくできない人からは離れればいいじゃないか

―――皆、優しくされたいんだろ

―――攻撃なんてされたくないだろ

―――優しくされるだけの人生を望んでるんだろ

―――じゃあ、周りの人には、優しくだけしていてくれよ

 

「……」

 

―――なんで傷付け合う

―――なんでいじめを始める

―――なんで四六時中、叩きのめしていいサンドバッグをインターネットで探してる

―――なんで家族にすら、悪態をつくんだ

―――家族ですら、憎み合うのは、なんでなんだよ

―――俺は

―――もう、会いたくても、父さんにも母さんにも、妹にも、会えないのに

 

「……なんで、だろうね」

 

―――嫌いだ

―――愛してるけど

―――同じくらい、みんな嫌いだ

 

「リュウくんは……酷いことされてたことも、多いもんね」

 

―――嫌いだ

―――俺が守りたい人達の中に、俺が嫌いな、人の愚かさがあって

―――愚かさがない人なんて、本当はいなくて

―――俺は、ちーちゃんが持っていた醜さを、愛おしく思って

―――皆が分からない

―――俺が分からない

―――なんで俺は、愛してるのに、嫌いなんだ

 

「嫌いな人でも愛せる人は、生きてるの、本当に辛そうだ……」

 

 闇の中を進みながら、友奈は竜胆の心を受け止め、噛み締めていく。

 

「リュウくんが苦しいのは……

 自分が一番悪者だと、思ってるから。

 どんな人でも、沢山殺した自分よりは悪者じゃないと、思ってるから」

 

 山のように積み上がっている、竜胆の心を苦しめている理由。

 その一つ一つを、友奈は見つめていく。

 

「でも、それが全てじゃない。私は、リュウくんが悪者だなんて思わない」

 

 闇を踏破し、心の奥の奥へと進む。

 友奈はそこで、幼い竜胆を見つけた。

 闇の奥、心の奥、誰にも触れられるはずのない場所で、幼い竜胆の姿をした心が無言でうずくまっている。

 幼い竜胆の年頃は、小学六年生程度。

 つまり、千景と出会い、別れた頃の、あの頃の竜胆の姿をしていた。

 

 竜胆の心の奥にあった、静止した心の一部。

 あの日からずっと時間が止まったままの竜胆の心を、友奈は見つけた。

 

「リュウくん」

 

 友奈が呼びかけると、幼い竜胆が顔を上げる。

 

「要らなかった

 要らなかったんだ!

 神様も、怪物も、ウルトラマンも!

 何もかも要らなかった!

 歩くだけで人を踏んで殺せてしまう生き物なんて、要らなかった!

 俺は要らなかった!

 居るべきじゃなかった!

 生まれてこなければよかった!

 生きていなければよかった! 生きたい気持ちだなんて、最初に捨てておけばよかった!」

 

 竜胆は友奈に対し、いつも思っていた。

 友奈は竜胆に対し、いつも思っていた。

 "辛い時でも笑顔なこの人は、とても強くて尊敬できる人なんだ"と。

 "この人が何の憂いもなく笑える日が来るといいな"と。

 

 ずっと、ずっと、竜胆の笑顔の下には、『これ』があった。

 友奈はそれが悲しくて、それが悔しくて、抱きしめたくて、けれど手を伸ばしても、何かに阻まれて手は届かなくて。

 

「人を殺して笑う闇の巨人なんて!

 村で、人を握り潰して上機嫌で!

 人を踏み潰して咆哮して!

 家族すら殺して!

 力はあるのに、いつも守れなくて!

 殺せるのは、罪のない人か、力のない人ばかりで!

 なんだよ!

 なんだよそれは!

 大好きな人と明日、また会いたい! そんな願いですら過分だって言うのかよ!」

 

 幼い竜胆は、泣いていた。

 四年前の村の虐殺の時からずっと、泣いていた。

 

「心を、制御できてないから。

 闇で暴走するような俺だから、誰も守れないのかな」

 

 友奈は歯を食いしばって、前に踏み出す。

 距離は縮まらない。

 幼い竜胆に手は届かない。

 それでも、前に踏み出し続けた。放ってなんておけなかった。

 

「俺は、人の世界に、いちゃいけなかったんだ。

 癇癪を起こして、腕を振るえば、人が死ぬ。

 そんな子供は、生きてちゃいけなかったんだ。それが全ての間違いだったんだ……」

 

 闇の力に心を暴走させられた子供の癇癪だから仕方ない、なんて理由で、大量殺人を正当化できるものなのだろうか?

 少なくとも竜胆は、できないと思っている。

 だが、それがどうしたというのか。

 それは友奈が、竜胆に救いの手を伸ばすことを、止める理由にはならない。

 

「違うよ」

 

 友奈が心の力を振り絞って踏み出せば、その手の中の聖石が光り輝く。

 

「リュウくんには、生きる権利も、幸せになる権利もある。何も間違いなんかじゃない」

 

 神器としての光を放つ聖石が、闇の妨害を祓う。

 一歩、また一歩と、友奈が竜胆に近付いていく。

 

「だから私は、ここに来たんだ」

 

 幼い竜胆が、泣きながら、くしゃっと微笑んだ。

 

「そんな友奈が、大好きで、けれど、最初の頃は苦手だった。君は、眩しすぎたから」

 

 子供の頃からずっとずっと優しさを捨てられず、ゆえに苦しむ竜胆を見て、友奈は三ノ輪大地の最後の言葉を思い出す。

 

■■■■■■■■■■

 

『竜胆。優しさを失わないでくれ』

 

『その優しさが裏切られたなら、優しさを捨てて好きに生きたっていい。

 だが、叶うなら、優しさを捨てなくていい未来に行ってくれ。

 優しさを捨てなくていい人生を生きてくれ。

 皆が死んだらワシは悲しいが……お前が優しさを捨てることになったとしても、ワシは悲しい』

 

『優しいお前になら、ワシは自分の大切なものの全てを、安心して託せる』

 

■■■■■■■■■■

 

 

 竜胆は、本当に優しくて。

 優しいからこその後悔があって、それゆえに自分を否定して。

 三ノ輪大地は、その心をずっと見ていてくれたのだ。

 

 大地には、いつか竜胆が優しさを捨ててしまうかもしれない可能性が、見えていたのかもしれない。

 大地が祟り神化のことを予想していたわけがない。

 だが、竜胆が大切なものを守るために優しさを捨てて力を得ようとして、捨てきれずあがきもがき苦しむ人間であることは、大地にも分かっていたということだ。

 

 今、竜胆は、大地が危惧した優しさを失う過程にある。

 その失われゆく優しさを繋ぎ止められるかもしれないのは、友奈一人だけだった。

 

「もう、俺は、これ以上頑張れない。もう嫌だ。限界だ。これ以上頑張れない」

 

「うん、リュウくんがこれ以上無理をする必要なんて……」

 

「でも、もっと頑張らないと」

 

「え?」

 

「もっと頑張らないと、皆が幸せになれない。

 皆の笑顔を守れない。だから、だから、もっと頑張らないと。そうだ、頑張りが足りない」

 

「リュウくんっ……!」

 

 手を伸ばす。手を伸ばす。手を伸ばす。けれど、届かない。

 助けたいといくら願っても、友奈の手は届かない。

 届くのは言葉くらいのもので、想いが届いているかは分からない。

 

「いいんだよ。

 もう、いいんだ。

 周りを見て。

 私は、あなたにもっと頑張れ、なんて言ってない。

 仲間の皆も、あなたに頑張りが足りてないだなんて言ってないよ」

 

「だけど……だけど……」

 

「よく頑張ったね」

 

 頑張ってきた竜胆に、『よく頑張った』という言葉は、よく響いた。

 

「リュウくんが頑張ってたから、みんなリュウくんのことを好きになったんだよ。

 リュウくんが頑張ってたから、みんなリュウくんに託したんだよ。

 リュウくんは、もう十分に頑張ったんだ。

 だから、『これ以上頑張っちゃ駄目』。

 人間の限界以上に頑張るために……神様になんて、なったりしないで、リュウくん」

 

 ぐらり、と幼い竜胆の体が揺れる。

 

「違う。

 僕が。

 俺が。

 俺の頑張りが、足りなかったから。

 死んだ、死んだ……みんな、死んだ。

 もっと僕が頑張ってれば……僕の大好きな人は、誰も死ななくて済んだはずなのに……!」

 

「リュウくん!」

 

「俺は!

 頑張らなかったから失って!

 頑張りが足りなかったから、こんなにも、泣きたいんだ!

 でもな、泣いてるような弱さが邪魔だ!

 だからケンから貰ったんだ! 涙をこらえる強さを!

 その強さのおかげで……こんなにも泣きたいけど、泣かないで頑張っていられてるんだ!」

 

「っ」

 

「だから、もっと頑張るんだよ! この泣きたい気持ちが消えてくれるように!」

 

 頑張れば、全てを守れて、悲しい気持ちも苦しい気持ちも泣きたい気持ちも消えてくれるはずだと、幼い竜胆の心が叫ぶ。

 本当は、球子の母との会話のおかげで、"そんなわけがない"と分かっているのに。

 心の奥底にいた幼い竜胆は、こんな子供らしい叫びを上げてしまう。

 

 もっと頑張れば、悲しくなくなるはずだと。

 

「リュウくんは、頑張ったから泣きたいんだよ」

 

「―――」

 

「リュウくんの頑張りが足りなかったなんて、リュウくんにだって言わせない」

 

 違う、頑張ったから悲しいんだよと、友奈は言い切る。

 竜胆はもう十分に頑張っていて、神様になってまで、人間の限界を超えて頑張らなくていいんだと言ってやる。

 

「頑張った後に駄目だったら、泣いていいんだよ」

 

 幼い竜胆の目から溢れる涙は、今日までの日々の中、ずっと溜め込まれていた感情の濁流。

 

「だって、私は!

 リュウくんにも笑ってほしくて!

 その笑顔が見たくて!

 ずっとずっと、頑張ってきたんだから!」

 

 闇の中、踏み出す。

 距離が縮まらない。それでも懸命に踏み出し続ける。

 少しずつ、少しずつ、友奈が伸ばした救いの手が、竜胆の心に近付いていく。

 

「一緒に泣いてくれたリュウくんの傍にいるために!

 またいつかどこかで、リュウくんと一緒に泣いてあげるために!

 楽しいことは共有して、辛いことは半分こして、それが友達だと思うから!」

 

 あと少し。

 あと少し。

 泣いている友達に向けて友奈が伸ばしたその手が、幼い竜胆の手に近付いていく。

 

「だから!」

 

 けれど届かない。

 あと少し、あと少しなのに。

 竜胆の手に、もう少しで届かない。

 が、友奈が諦めるわけもなく。

 

「私は、リュウくんを―――諦めないッ!!」

 

 左手に握られていた神器が輝き、友奈が伸ばしていた右手に光が宿る。

 友奈に加護を与えていた神が、ほんの少しの手助けをする。

 

 友奈の右手に、酒呑童子の腕甲が現出した。

 友奈の右手に沿って具現化するものでありながら、友奈の胴体にも匹敵するサイズを誇るそれが現れたことで、友奈の手が結果的に"伸びる"。

 伸びた分、遠くまで届かせられる。

 

 酒呑童子の力が宿った神器・天ノ逆手は、友奈が必死に伸ばした手は、そうしてようやく、幼い竜胆の小さな手を掴んだ。

 

「何もかも失ったような顔をしないで。私はまだいるから。私が、そばにいるから」

 

「友、奈」

 

 掴んだ手を引き寄せて、友奈は幼い竜胆の体を抱き締める。

 

「私の手。神様から貰った手――」

 

 天ノ逆手は、天への呪いと解釈することも、祝であると解釈することもできる、伝承からしてあやふやなもの。

 これが何であるかを決めるのは、与えられた友奈自身。

 

 友達の手を掴んだ友奈の手を、どんなものからも守る腕甲を、神様が与えてくれた。

 生身の手では届かなくても、この腕甲なら届くかもしれない。そういう手を、神様はくれた。

 友奈は、そう思う。

 

「――きっとこうして、友達の手を掴むために、神様がくれたものだったんだね」

 

 友奈は泣いている竜胆を抱き締めて、離さない。

 

「あなたが特別な人間だから友達だと思うようになったんじゃない」

 

 千景もこうして抱きしめられて、友奈に癒やされたことがあった。

 友奈に抱きしめられ、竜胆は柔らかさと、暖かさと、優しさを感じる。

 とても優しい、抱きしめ方だった。

 

「友達だと思ってるから、特別なんだよ」

 

 強いからだとか、凄い天才だからとか、超古代の遺伝子を持っているからだとか、ティガだからとか、昔の恋人の子孫だからだとか、そういう理由は一切なくて。

 友奈は竜胆という一人の少年を見て、その心を見て、友達になってくれた。

 友達だから特別なんだと、言ってくれた。

 それが、竜胆の心には、この上ない救いとなる。

 

「辛かった、辛かったんだ」

 

「うん。よく頑張ったね」

 

「助けてほしかったんだ」

 

「私がいつでも、助けに行くよ」

 

「ああ、くそ。俺もしかしたら、今友奈のことが一番、好きかもしんない」

 

「……へ? あ、ああ、そうなの……そうなんだー……」

 

 二人揃って、なんだか照れながら、笑い合う。

 

 三千万年前ティガは、ティガダークからティガトルネード、そしてティガブラストの力を得て、ウルトラマンティガへと戻り至ったという。

 竜巻(トルネード)

 突風(ブラスト)

 この名の共通項は偶然か?

 否、違う。

 

 "オリジナルのティガ"は、()()()()()()()()()()()()()だったのだ。

 

 友奈が最初に手に入れた精霊は『一目連』。暴風にして嵐の精霊。

 竜胆が初めに得た光が、竜巻(トルネード)

 次に得た光が、突風(ブラスト)

 そして今ここに、最後の……"三つ目の光の風"が、友奈と一目連から彼に託される。

 

 光の風が、竜胆と友奈を包み込み、心に満ちていた闇を晴らした。

 竜胆の心の中に、光が満ちていく。

 友奈の真っ直ぐな友への愛が、二人の間の繋がりが、カミーラの歪んだ愛そのものである注がれた闇を片っ端から光に変えていく。

 

「もう、大丈夫?」

 

「ああ、少しは大丈夫になった」

 

 微笑む友奈に、見惚れる竜胆。この子が友達でいてくれてよかったと、竜胆は心底思う。

 

 高嶋友奈は、山桜の勇者。

 

 山桜の花言葉は―――『貴方に微笑む』。

 

 その微笑みを、いつまでも守りたいと、竜胆は思った。

 

 

 

 

 

 人生とは、向かい風の中走り続けるようなものだ。

 

 向かい風に向かって行ってもいい。

 風に流されて楽をしてもいい。

 向かい風に無理して立ち向かわなくても、少し足を止めて考えて、向かい風に立ち向かわないで進んで行く道を探してもいい。

 

 竜胆は見えない今日の向かい風に立ち向かっていく。

 これまでも。

 これからも。

 友の微笑みを見て、いつまでも守りたいと、その微笑みが好きなんだと、そう思ったなら。

 

 逃げてはならない竜巻(トルネード)や、突風(ブラスト)に立ち向かわなければならない日が、いつの日かきっと来る。

 その日は、一度ならず、きっと何度もやって来る。

 けれども立ち向かい、越えていかなければならない。

 

 その微笑みを、守りたいと思ったのなら。

 

 

 

 

 

 

「覚えてる? 竜胆おにーちゃん」

 

 ナターシャ、と竜胆は呟いた。

 

「光は絆。

 誰かに受け継がれ、再び輝く。

 光はね、いつだって、誰かとの絆から貰うものなんだよ」

 

 そうだったな、と竜胆は呟いた。

 

「こういうの、言っていいのか分かんないけど。

 幸せにならなかったら、許さないからね、兄貴!」

 

 『妹』が、『二人同時』に、言葉をくれた、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 そして、もうひとり。

 

「タマはいつだって傍にいるぞ。近くにいるけど、二度と会えないだけだ」

 

「だから、頑張れ」

 

「かっこいい先輩の姿、タマに見せ続けてくれ」

 

 誰かが近くにいてくれている、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 竜胆の心の中から二人は帰還し、二人を飲み込んでいた光と闇も消えていく。

 

「俺さ、希望も、友奈も好きだ。

 どっちも眩しくて、暖かくて、導いてくれるから、大好きだ。

 自分勝手な言い草だよなって思うけど……ずっと近くにいてほしいなって思う二つなんだ」

 

 友奈が頬を掻き、照れた様子で微笑む。

 竜胆の中ではもう、希望と友奈が同列であるらしい。

 

「リュウくんがリュウくんのままで居る限り、きっと皆、ずっと近くにいてくれるよ」

 

 誰もが、そのままではいられなかった。

 

 変われないという嘆きがあった。変わりたいという願いがあった。

 

 その願いが、叶う時がきた。

 

「友奈の勇気、見せてもらった」

 

―――リュウくんが皆と作った勇気、ずっと見てたよ。だから見てて

―――今度は……私の勇気を

 

 他人の心に踏み込み、友達の心にぶつかっていく勇気。

 嫌われることを恐れず、本気で友達にぶつかっていく勇気。

 それは、かつての友奈にはなかった勇気。

 今日、竜胆を救うため、高島友奈が振り絞った勇気だった。

 

―――聞き上手、気遣い屋、なんて言われるけどね。

―――本当は、強く自己主張できないだけなんだ。

―――喧嘩したくないから。他の人と争いたくないから。

―――自分を出さないようにして、周りに合わせて、自分を出して喧嘩になるのが怖くて……

 

 月明かりの教室での会話を、竜胆はちゃんと覚えている。

 友奈は他人に対し、踏み込むことを恐れる子だった。

 自分を出してぶつかっていって、その結果として嫌われることを恐れる少女だった。

 他人との距離を常に測り続け、踏み込みすぎないよう注意している女の子であった。

 

 でも、あの日に、竜胆が友奈の心を少し柔らかくしてくれたから、今日の友奈は竜胆の心の中に踏み込んでいって、思いっきりぶつかっていくことができた。

 友達は助け合うものだ。

 そこに上下はない。

 昨日助けて、明日助けられて、その繰り返し。

 

 友奈は竜胆の成長を喜び、竜胆は"嫌われる恐怖を飛び越える友奈の勇気"を見て、友奈の成長を喜んだ。

 そんな二人の関係。

 

「今度は、俺が友奈に勇気を見せる番だ」

 

「リュウくん」

 

 勇者に恥じない勇気を見せたい。そう思う彼の心は、とても男の子らしかった。

 

「だから見ていてくれ、俺の勇気を」

 

 光と闇の濁流が消え、悠然と立つティガを見て、カミーラが顔色を変える。

 

 それは、ありえてはならない希望を見てしまったがゆえの、絶望の表情だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本神道の解釈において、神は荒御魂(あらみたま)和御魂(にぎみたま)の二つの側面を持つとされる。

 そしてこの和御魂(にぎみたま)もまた、幸御魂(さきみたま)奇御魂(くしみたま)の二つの側面を持つという。

 この四つの総称を、四魂と言う。

 

 荒御魂(あらみたま)は、今の竜胆のことだ。

 祟る神。災いの神。荒ぶる神である。

 ……そして。

 ()()()()()()()()()は、()()()()()()

 荒御魂(あらみたま)は、人の中にもある前に進む力である、と解釈されることもある。

 

 荒御魂(あらみたま)とは、神が示す『勇気』そのものでもあるのだ。

 

 和御魂(にぎみたま)はその逆だ。

 優しさ、慈しみ、愛を与える、(なご)ませる神。

 攻撃的な祟り神の逆、人を愛し救う守り神としての神である。

 

 和御魂(にぎみたま)を構成するものは、幸御魂(さきみたま)奇御魂(くしみたま)

 幸御魂(さきみたま)は他人を思いやり、相互理解を求め、人を愛し育てる側面。

 奇御魂(くしみたま)は物事を学び、目の前の現実を理解し分析する知性の側面。

 この二つの側面が合わさり和御魂(にぎみたま)となる。

 

 和御魂(にぎみたま)の特性は、人と(なご)やかに話し、親しく交わり、平和をもたらすというものだ。

 

 だからこそ、この概念はこうまとめられている。

 『荒御魂は勇、和御魂は親、幸御魂は愛、奇御魂は智』。

 

 他人を思いやり、相互理解を求め、人を愛し育てる高嶋友奈が、ここにいる。

 物事を学び、目の前の現実を理解し分析する知性を持つ伊予島杏が、ここにいる。

 荒御魂である御守竜胆が、ここにいる。

 二人が助け、光を導いたことで、竜胆は闇の中より帰還した。

 

 竜胆が勇。

 友奈が愛。

 杏が智。

 少女二人の救済行為にて、親。

 勇、親、愛、智は、ここに揃っている。

 

 荒御魂のみが突出した神などを曲霊(まがひ)と言い、これは暴走する邪悪な状態の神である、とされる。

 そして上記の四魂バランスを整え元の状態に戻ったものを、直霊(なおひ)と言う。

 

 直霊(なおひ)が司る機能は『省』。そして『良心』。

 "過去の行為を省みる"ことと、"その結果として良心を獲得する"こと。

 それが、直霊(なおひ)の表すものだ。

 

 荒ぶる勇気から始まり、友奈の愛と杏の智にて、二人の少女に親にして手を引かれ、自らの過去を省みて―――大きな一歩で、全てを乗り越える。

 二人から色んなものを受け取って、乗り越える。

 

 今の数分の間に、神としての竜胆が『荒御魂』から『直霊』と成った道筋は、竜胆の人生全てを総括するようなものだった。

 

 

 

 

 

 ここではない世界において、カミーラの歪んだ愛は、ティガとその恋人の愛によって浄化され、光に変換され、ティガダークは完全にウルトラマンティガとなった。

 カミーラの(あい)は、正しい愛にぶつかることで、(あい)へと変換される。

 闇の愛は、光の愛に負ける。

 そんな運命にある。

 

 竜胆は、誰よりも多くの者に笑顔を向け、誰よりも多くの者を大切にし、誰よりも多くの人間を心に想う友奈の愛こそが、誰よりも大きな愛であると思っていた。

 彼女の心は普通の少女のそれであったが、その勇気と、優しさと、愛こそが、どんな人間にも勝るものだと、竜胆は心の底から信じていた。

 友奈の愛を、信じていた。

 

 ―――御守竜胆を闇の中から救ってくれたのは、『高嶋友奈の愛』だった。

 

 

 

 

 

 カミーラは、自分に近い性格の千景を警戒していた。

 次に、聖剣に選ばれた若葉をもっと警戒した。

 その若葉以上に、ユザレの子孫である杏を警戒した。

 歌野もまた、その精霊で一気に警戒度を引き上げられたと言える。

 

 だが本当は、一番に警戒すべきは、高嶋友奈だったのだ。

 『友奈』以上に愛が深く大きな勇者など、他にはいなかったのだから。

 

「リュウくん」

 

 雪花が友奈に託した神器は、『ティグの紋章』。

 ティガの覚醒を導き、光の目覚めを誘発させる聖石の神器。

 それが今、友奈から竜胆に手渡される。

 

「りっくん先輩」

 

 棗が杏に託した神器は、『青銅のスパークレンス』。

 大昔作られた、青銅製のスパークレンス。金属器として作られた神器。

 それが今、杏から竜胆に手渡される。

 

「また、勇者に勇気を貰っちまったな」

 

 何一つとして、無駄ではなかった。

 諏訪の奮闘も。

 北海道の奮闘も。

 沖縄の奮闘も。

 今、ここに繋がっている。

 

 竜胆/ティガがここで終わらせなければ、ここから先へも、繋がっていく。

 

「俺になかった勇気。それは……

 どんな時でも、『ウルトラマンを名乗る勇気』だ」

 

 名乗れば、その瞬間に不退転となる。

 

 もう二度と闇に堕ちることは許されず、情けないことをすることも許されない。

 正しいことをしていくことを約束し、義を裏切らないことを誓い、正義を胸の中に秘め、光の戦士として戦っていかなければならない。

 

 ウルトラマンの名を名乗れば、新たに背負う重荷がある。

 投げ捨ててはならない責任を得る。

 貫くべき在り方がある。

 

 "自分なんかがウルトラマンを名乗ることが許せない"という気持ちを越えられなければ、どんな者もその名を名乗ることはできやしない。

 

 竜胆は思い出す。

 ボブを思い出す。

 ケンを思い出す。

 ナターシャを思い出す。

 海人を思い出す。

 大地を思い出す。

 一つ、一つ、それぞれ違う形の『ウルトラマン』を思い出す。

 

 万人に認められなくてもいい。

 でも、彼らの後に続く者として恥じない自分になろうと、そう心に決める。

 

「俺はもう二度と、闇には支配されない。

 光だけに焦がれない。

 皆がくれた勇気で―――過去の全てを、乗り越えてみせるッ!!」

 

 叫び、掲げた青銅のスパークレンスが起動する。

 青銅を塗り潰す光。

 青銅であったはずのスパークレンスが、『竜胆色のスパークレンス』に塗り替わっていく。

 

 カミーラの(あい)が、友奈の愛で変換された、友を想う(あい)がそこにあった。

 

「―――光よぉぉぉぉぉッ!!」

 

 闇に包まれるティガダークへの変身プロセスとは真逆の、光に包まれる変身プロセス。

 

 光の柱が、地より伸びて天を衝く。

 

 その光景を、何もできぬままただ呆然と、カミーラは見つめていた。

 

「光が上がっていく……もっと、もっと高く……もっと高く(TAKE ME HIGHER)……」

 

 『嵐が丘』を手癖で『ワザリングハイツ』と綴ってしまう癖があるような杏の口から、ごく自然と、言葉が漏れる。

 立ち上る光に、誰もが見惚れていた。

 勇者も。

 四国も。

 魔王獣も。

 カミーラでさえ、恋する乙女の瞳と、怨敵を見る殺人者の瞳が入り混じった目でそれを見る。

 

 杏は弱りきった体で、拳を突き上げ、叫ぶ。

 

「天の神よりも、もっと高く。もっと貴く。行って、私達の『ウルトラマン』!」

 

 光の柱が消えた時、そこには、虹の光と黄金の光に包まれた、闇の気配など微塵も感じさせない『光の巨人』が立っていた。

 

 闇など欠片も無いというのに。

 光があまりにも大きすぎて、体色すら見えないというのに。

 これまでの彼と、あまりにも違う姿であったというのに。

 誰もがその姿を見て、「ティガだ」と疑いもしていなかった。

 

 

 

 

 

 カミーラが震える。

 三千万年前、カミーラを粉砕した光と、似た光の波動を感じる。

 そう、これこそが、三千万年前に世界を救った光の巨人。

 

 闇の巨人として、三千万年前の文明のほとんどを消滅させ、当時の光の巨人全てを皆殺しにし、その後カミーラ達三人を一人で撃滅したことで、世界を救った光の巨人。

 邪神を討つ、"神殺しのウルトラマン"。

 

「この、光は……!」

 

 カミーラの声は震えていた。

 

『いつもより皆を近くに感じる……"ウルトラオーバーラッピング"ッ!!』

 

 叫び、ティガが光を爆発させる。

 神樹が放った幾多の光が、ティガの全身に結合した。

 何か。今、とてつもない何かが起こった。

 

 ティガが空に向けて手を回すと、腕の軌跡に炎が走り、炎の円が出来上がる。

 それを投げ、魔王獣へと叩きつけた。

 

(オーブ)……タマっち先輩……?」

 

 紅蓮の炎がマガカミーラ、マガヒッポリト、マガエノメナを包み込む。

 炎は敵へ纏わりつき、その動きを完全に封じた。

 その炎は、間違いなく精霊・輪入道の力。

 敵の動きを止めたティガが、空へと腕を掲げる。

 その手の先で、精霊・一目連が実体を形成する。

 

「あれは輪入道……あっちは、一目連!」

 

 友奈は知っている。

 ウルトラマンでありながらも、精霊の力を使える存在のことを。

 ウルトラマンの肉体で、精霊を使える少女のことを。

 今のティガの動きは、戦いの時のあの子の動きにそっくりだった。

 

「アナちゃんの、力だ……!」

 

「りっくん先輩と、一緒に戦っている……?」

 

 友奈の精霊・一目連は、鍛冶神の力を持つ。

 球子が死ぬ戦いの前、アナスタシアが一目連の力を使って、粉砕された球子の旋刃盤を直していたのは記憶に新しいだろう。

 金属の全ては、鍛冶神の力に司られる。

 金属であれば、鍛冶神はいくらでも直すことができる。

 

 だからこそ、その力の行使は、マガヒッポリトを驚愕させた。

 

「!? 粉砕したはずの、乃木若葉と郡千景の破片が……!?」

 

 ブロンズ化された?

 ブロンズ化された後に粉砕された?

 結構。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 金属(ブロンズ)なのだから。

 

 生身であれば、治す方法はなかっただろう。

 だがブロンズになって粉砕された、それだけだ。

 友奈ですら一目連から引き出せない鍛冶神の力を、"アナスタシアのように"引き出し、手も触れずに破片を集め、元の人型に再構築する。

 

 そうして完成したブロンズ像完成品二体に、ティガはビームを撃った。

 

『セルチェンジビーム』

 

 ブロンズ化していた細胞の一つ一つを、丁寧に、かつ一瞬で元の細胞に還元していく。

 ヒッポリトのブロンズ化は一瞬で生命活動を停止させ、一瞬で肉体をブロンズ化させるため、全身の細胞一つ一つが完全に無傷なまま死んでいる、という状態になっていた。

 ブロンズ化を解いても、止まった生命活動は蘇らない。

 

 だが、医学を知る者ならば、こんな苦境でも諦めることはないだろう。

 肉体の損傷が少ないならば、心臓や脳が止まって"死んで"も、そこから蘇生することはある。

 二人の肉体の損傷は0、ゆえにティガには打てる手があった。

 

『クリスタルパワー!』

 

 ティガの額から光が放たれ、ティガの生命エネルギーを変換した光が、生身に戻った若葉と千景に注ぎ込まれた。

 

 それはかつて、どこかの宇宙で、クィーンモネラという怪獣の力によって倒され、"生命活動を停止した"と明記されたウルトラマンダイナを、蘇生させた技。

 "停止させられた生命活動を再開させる技"である。

 死者蘇生? 否。

 あくまで、エネルギーを注いで停止した活動を再開させる、それだけの技だ。

 

 なればこそ、"対象の生命活動を停止させる"と明記されたヒッポリトの天敵。

 この技は大怪我で死んだ人間には何の効果もないが、マガヒッポリトのブロンズ化で死んだ人間に対しては、成功確定の蘇生魔法に等しかった。

 

「む……む? なんだ、これは。神刀と聖剣は……あるな」

 

「ふわぁ……ね、寝ぼけてないわよ。あれ? ここどこ? 竜胆君や高嶋さんは……あ、いた」

 

 蘇る、乃木若葉と郡千景。

 

 笑えるくらいに能力相性が突き刺さった、ウルトラCのちゃぶ台返し。

 

「ば、バカな! ありえん! 私のブロンズ化が!

 精霊行使に、細胞還元光線に、生命エネルギーの譲渡だと!?」

 

 輪入道、一目連をアナスタシアレベルで行使。

 細胞を還元するセルチェンジビーム。

 生命エネルギー譲渡による、生命活動停止状態の者の蘇生。

 どれもこれもが、これまでのティガにはなかった能力だ。

 

 黄金と虹の光に包まれているティガは、未だその姿すらまともに見えない。

 

「……マガヒッポリト! マガエノメナ! 手加減は無用よ!」

 

 マガカミーラの、憤怒と絶望の声が響く。

 

 マガエノメナが全力で発狂電磁波を、マガヒッポリトが全力でブロンズ化する空気を拡散し、ティガを飲み込まんとする。

 だが、足りない。

 あまりにも、力が足りなかった。

 ティガが、空手の構えで、裂帛の気合いを放つ。

 

『はあああああッ!!!』

 

(!? 私とマガエノメナの特殊能力が―――ただの光に、押し返されている―――!?)

 

 ティガの光が、気合いでティガの体から広がっていっただけの光が、マガヒッポリトとマガエノメナの特殊攻撃を全て押し返していく。

 それだけではない。

 四国内部に満ちていた発狂電磁波もその全てが押しやられ、消し去られ、四国内部にほんの僅かな残留電磁波もないレベルで、駆逐していった。

 

「おい、この光……」

 

「ああ……」

 

「ティガの心の光だ……触れると分かる……ティガの心が、伝わってくる……」

 

 その光は、四国の隅々にまで広がっていく。

 ティガが自己再生の度に使っている治癒能力を上乗せしているため、四国全土の脳を破壊された全ての人達が、破壊された脳を治されていった。

 

 更に、祟り神として完成しなかったものの、その存在は光の側の神として完成。

 闇を浄化し、闇を光に変える力も同時に拡散されたことで、友奈と杏の体を蝕む祟りも消える。

 そう。

 今この瞬間、『ティガ』は『天の神』と同格の『光もたらす神』となったのだ。

 

「……俺、もしかしたら、ティガのこと、とんでもない勘違いを……」

 

「そうか……あの放送は……私達のためについた、真っ赤なウソで……」

 

「痛い、痛い、なんだこれ……こんな痛みに耐えて、戦ってたってのか……?」

 

 伝わる気持ち。

 伝わる感情。

 伝わる心。

 竜胆の記憶がそのまま流れ込んでいるわけではない。

 だが、皆が皆、光を通して、御守竜胆の心に触れていった。

 

「僕は……僕は信じないぞ! あいつは悪者だ! ずっと、皆、そう言ってきたじゃないか!」

 

 頑なに認めない者もいる。

 

「だって……だって!

 それを認めたら!

 こんなに頑張ってくれてた子供を!

 こんなに悲しくて、辛い想いをしてた子供を!

 折れたっていいのに、諦めないで、僕らを守ってくれた彼を!

 僕達は……僕達は……ずっと、なんてことを……なんて言葉を……!」

 

 認められない者が、いる。

 

「信じるか! 信じられるか! トリックかなにかで、偽装か、欺瞞で……だから……!」

 

 けれど、その者も膝は折れ、地面に拳を叩きつける。

 

「……分かってる! 伝わってるよ! 御守竜胆の心が、光を通して伝わってくる……!」

 

 民衆に攻撃された時の竜胆の悲しみ、痛み、怒り、憎しみ。

 民衆に攻撃された時の竜胆の辛さ、自己嫌悪、苛立ち、絶望。

 それら全てが伝わってくるのに―――同時に、竜胆が民衆の皆の笑顔、幸福、平和な日常を願っていることも、伝わってきて。

 幾多の人達が、自らを責めて涙を流していた。

 自らの罪を悔いていた。

 

 なんてことをしてしまったんだ、と。

 それは奇しくも、大量虐殺をした後の竜胆が自分の罪を悔いていた時に思っていた言葉と、同一の言葉であった。

 

「ちくしょう、ちくしょう……

 なんでこんなに優しいのに……!

 なんでこんなに暖かいのに……!

 お前は何で、人を殺して……何の言い訳もしないんだ……しろよ……バカ野郎……!」

 

 四国に満ちるティガの光は暖かく、優しい。それが罪悪感を倍加させる。

 

「なんでそんなんで……自分が悪いだなんて思っちゃうんだよ、ウルトラマンっ……!」

 

 ティガを心底嫌う者は、この瞬間に、四国全土で0となった。

 

 シビトゾイガーも消えていく。

 ティガの光が四国内部に満ちたことで、闇の生物であるシビトゾイガーは即座に消滅。

 この四国から、消えていく。

 どうやらこの光の中では、弱い闇は消滅するしかないらしい。

 

 そして水都は、そんな四国を大社から見回しながら、自分の手を見る。

 

「……体が、治った?」

 

 水都の体内に入れられていた、合図一つで水都を巨人化させ、自我を喪失させ、街を破壊する巨人にしてしまう京個単位のナノロボット。

 その全てが、活動を止めていた。

 治癒能力と同様に、四国に満ちるこの光にはセルチェンジビームが僅かに混合されており、それがナノロボットを変質させてしまったのである。

 

 もう、水都が巨人化させられることはない。

 もう、ナノロボットは無いに等しい。

 ティガがやってくれたのだ。

 光を通して竜胆の心と繋がっている水都には、それが分かる。

 

 水都は遠くのティガを見て、四国に満ちる光に触れ、それを通してティガの心に触れる。

 竜胆の心から、水都を弱虫なんかじゃないと本気で思っていることが伝わってきて、水都の強さを認める心が伝わってきて、なんだかそれが、嬉しかった。

 

「御守さん……私、あなたを信じてます。うたのんだって、諏訪の皆だって、絶対に信じてます」

 

 信じる心を、光に乗せてティガに届ける。

 

 水都同様に、頭に包帯を巻いたひなたもまた、光に乗せて想いを届ける。

 

「私が願うことは、いつも一つです」

 

 勝てとか。

 平和を勝ち取れとか。

 厄介な敵は殺してくれとか。

 そんな大きなことを、ひなたは望まない。

 

 ただ、自分の腹を刺したような女友達でさえ後回しにせず、むしろ最優先で脳を治して起こしてしまうような、あのお人好しな少年が。

 乃木若葉と一緒に、無事で、笑顔で帰って来ることだけを願う。

 

「どうか無事に、帰って来てください。叶うなら、若葉ちゃんと一緒に」

 

 避難所からは、安芸真鈴が想いを送り。

 

「頑張れ、マイフレンド」

 

 黙って念じれば想いは届くのに、何故かついつい叫んで想いを届けようとする、大社の三好圭吾の姿もあって。

 

「勝て、俺達のウルトラマン!!」

 

 皆の想いを受けたティガは、更にその全身を光り輝かせる。

 

「は……ははっ、あはははっ!」

 

 合理思考が基本の雪花は、もう笑うしかない。

 もうむちゃくちゃだ。

 何もかもを一切合切蹴っ飛ばして、全部まとめて強引に解決してしまった。

 何というパワー、何というゴリ押しか。

 "皆の幸せのためなら奇跡なんていくらでも起こしてやる"と言い、実際に奇跡をありったけぶち撒けたような奇跡のオンパレード。光の大行進。

 

 合理性やら計算やらをしていた自分があまりにもバカに見えて、雪花は腹を抱えて笑う。

 ひーひー言って、息ができないくらい笑ってしまう。

 嫌いじゃなかった。

 合理性を重んじる雪花だが、こんな奇跡は、嫌いじゃなかった。

 

 特に悪党のリーダーと見ているマガカミーラが、広がる光を見て呆然としているのが痛快で、とても気持ちが良くて、ついつい竜胆をもっと好きになってしまいそうだった。

 こんな奇跡を見せてくれる男なら、まぁ満点だよ、と雪花は想う。

 

「人間って、こんな、光になれるんだ」

 

 雪花は、思い出す。

 北海道に一時いて、一時共に戦ってくれていたウルトラマンガイアのことを。

 何故だは分からないが、雪花の目には、ティガとガイアの背中が、重なって見えた。

 

「また見れるなんて、思ってなかった。人間を守る、光の巨人……」

 

 四国全てを救ってみせた光の巨人のその偉業に、雪花は笑い、マガヒッポリトは狼狽した。

 

「バカな……ありえない!

 それは、普通のウルトラマンにできることではない!

 四国全土の、多様な問題を全て一挙に解決する、広域干渉技だと!? ありえん!」

 

 マガヒッポリトの叫びに交じる、現実逃避気味の感情の色。

 

 仲間の力を受け継ぎ、使う。

 セルチェンジビームで、細胞を元の形に戻す。

 クリスタルパワーで、生命活動の停止を再開させる。

 治癒能力で傷を癒やす。

 全て、多様性に富む『ウルトラマンティガ』が本来得意としていた技の数々だ。

 

 ならば、今ここにいるのは? ティガダークではないなら、ここにいるのは?

 ()()()()()()を発揮している、この巨人はなんなのか?

 

『返してもらうぞ。俺達の、明日を!』

 

 光り輝くティガの体周りから光が消えていく。

 ティガの体の中に、体を覆っていた光が収納されていく。

 膨大なエネルギーを、ティガ自身が制御できるようになってきた証拠だ。

 

 光が消え、体色があらわになったティガを見て、マガヒッポリトは目を剥いた。

 更に、接近してきた『真紅のティガ』が、ティガトルネードのスペックをあらゆる点で凌駕していたがために、驚愕の隙を突かれたことで、一方的に追い込まれてしまう。

 真紅のティガが、力を溜める。

 

「黒く、ない。ティガが―――黒く―――ない―――!?」

 

 体色に、真紅はある。銀もある。だが、『黒』が無かった。

 それはまさしく、闇の混ざらない光の形態である証明である。

 驚愕するマガヒッポリトを一気に追い込み、真紅のティガは溜めたエネルギーを至近距離から叩き込んだ。

 

『デラシウム光流』

 

 マガヒッポリトが死に、消滅したのを見て、マガカミーラとマガエノメナは一気に心の余裕を失った。

 マガエノメナが瞬間移動でティガの背後に回るも、動きは既に読まれている。

 

『遅い!』

 

 『黒』無き、青紫のティガ。

 体色から黒を抜いたティガブラストの如きその形態は、ティガブラストの完全上位互換。

 そのスピードは、もはや瞬間移動でも容易に対応できるものではない。

 

 真紅、青紫とタイプチェンジしたティガはマガエノメナの腕を掴んだまま、タイプチェンジ。

 かくして、"漆黒の形態"にチェンジする。

 漆黒の形態は、そっくりそのままティガダークであった。

 

『俺を信じてくれた人がいた。俺を、大事にしてくれた人が居た。俺の、友達が、仲間が……』

 

 だが、パワーは段違い。

 マガエノメナの腕を掴んだまま、もう片方の腕をマガエノメナの胸に叩き込む。

 その腕の一撃が、マガエノメナの胸部を背中まで貫通し、胸に巨大な大穴を空けていた。

 ティガはマガエノメナを空に投げ、黒いスペシウム光線で残った体を消し飛ばす。

 

『……もう二度と! 壊させてたまるか! 奪わせてたまるか! 俺達の、明日のために!』

 

 最初にティガが使っていたバランスのタイプ。

 マガヒッポリトを殺したパワータイプ。

 マガエノメナを処理したスピードタイプ。

 そして、ティガダークそのままである闇のタイプ。

 

 組み合わされ、用途に応じて使い回されるは四つの形態。

 

「そうか……ティガを基点とした、疑似ウルトラマン六体合体……!」

 

 カミーラはその力のタネを、見抜きつつあった。

 

 

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

『ああ、それでいい!』

 

『こんな穢らわしいものが、あの人達と同じものであってたまるか!』

 

『俺が、俺みたいな何も守れないクズが―――ウルトラマンであってたまるかッ!』

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 

 

 自分がウルトラマンであることを否定していた竜胆だが、今の彼をウルトラマンではないと否定する者などどこにも、誰一人としていまい。

 

 己を信じる勇気を持つ者。

 それこそが、勇者。

 ウルトラマンと名乗る勇気を持ち、その名に恥じない生き方をする覚悟を決めた者。

 それこそが、ウルトラマン。

 

「私、覚えてる。この光の暖かさ…この心の輝きと、暖かさ……覚えてる……」

 

 千景は威風堂々とする今のティガを見て、「僕が君を守ることは絶対に正しいことなんだ」と言い切っていた頃の、竜胆の背中を思い出す。

 あの日、虐殺をしてしまってから。

 竜胆はずっと、あの頃のような"正義語り"を、しなくなってしまっていたから。

 

「これ、本当の、竜胆君だ。

 私と出会ってすぐの頃の……

 『正義』を胸に抱いて。

 いつも『誠実』で。

 『悲しんでいるあなたを愛する』を体現していて。光の中にいた、あの頃の……」

 

 勇者の中で、千景だけが見たことのあるその姿。

 千景以外の誰も知らない、闇に堕ちる前の、陰りなき光の心持つ竜胆。

 竜胆ですら見失い、忘れていた最初の自分。本当の自分。

 誰も彼もが見失っていた最初の御守竜胆を、友奈が見つけ、引き上げてくれた。

 

 竜胆はようやく、最初の自分(オリジン)を取り戻したのだ。

 

 闇の中に埋まっていて、見つけ出したものの名は、正義。

 自分の正義と、自分が光の巨人・ウルトラマンであることを認めるために、必要なもの。

 悪を討ち、善を守り、弱者の未来を創るために掲げられるべき光の刃。それが正義。

 あの日竜胆が虐殺を行った日に、竜胆の胸の内から失われたもの。それが正義。

 

 人を救い、人に優しくし、人を守る自分の行動に『正義』が宿ることを、頑なに認めなかった竜胆はようやく、自分の行動に宿る『正義』を認めることができた。

 自分が生きる価値のない悪であるという認識を、ようやく乗り越えることができた。

 

 カミーラがシビトゾイガーを用いて竜胆から奪った、カミーラにとって何よりも目障りなもの、『竜胆が光の巨人となるために必要なもの』だった。

 

 

 

『これが―――本当の俺だ!』

 

 

 

 真紅のパワーの力。

 青紫のスカイの力。

 漆黒のダークの力。

 そして、その三つが均等に混ざった基本形態、マルチの力。

 今のティガが持つ力は、基本四形態。

 

 『マルチタイプ』を見上げ、若葉は特異なその体色に、全てを察する。

 

「ガイアSVの体色は、赤金銀に青と黒が加わったものだった。

 そして、今のティガは……

 剛力の真紅、俊敏の青紫、巨人の銀に、光の金、闇の黒……」

 

「若葉ちゃん、それって」

 

「―――至高の(スプリーム)ティガ、か」

 

 使っている色だけで見れば、今のティガ・マルチタイプは、ウルトラマンガイア・スプリームヴァージョンとほぼ同じ。

 間違いなく、ガイアSVが、大地が竜胆に力を貸している。

 体色からその事実が伝わってきて、若葉は思わず、涙が出そうになってしまった。

 

 対し、カミーラは触手の髪を振り乱す。

 光のティガが現れただけでも発狂ものだというのに、そのティガが明らかに()()()()()()()()()

 カミーラにとって、それは受け入れがたい事実だった。

 

「そんな……バカな!

 ティガは、闇の巨人か光の巨人かのどちらかのはず!

 両方を持ち合わせた状態のティガなんてありえない!

 そんなティガが……『闇を受け入れる光のティガ』なんてものがいるはずがない!」

 

『いるさ、ここに。

 皆のおかげで。

 皆のために。

 今ここに、"この形の俺"は、形を成した』

 

 かくして竜胆は、"俺みたいな悪が名乗ってはいけない"という想いから、今まで一度も使ったことのなかった、その名乗りを上げる。

 

 

 

「俺はティガ。『ウルトラマンティガ』!」

 

 高らかに名乗れ。今や君は、闇を受け入れた光の巨人。

 

 ()は、幾多の絶望を越え、闇夜を照らす光の戦士。

 

「―――闇を照らして、悪を撃つ!」

 

 君の名は、『ウルトラマン』。

 

 

 

 蘇る起源(RE:ROOTS)。『ウルトラマンティガ リ・ルーツ』。

 

 ()は、超古代の始原のティガ。光にも闇にも転じ得る、風纏う光の巨人。

 

 今日までの奇跡は、時に砕かれ、時に敗北し、時に積み重ねられてきた奇跡は。

 

 死んでいった大切な仲間達が、後に残った仲間達に、竜胆に多くのものを託していったのは。

 

 全て、この一瞬のためにあった。

 

 

 




BGM:TAKE ME HIGHER Remix Version
https://www.youtube.com/watch?v=qT5OhMP4bb0
 山場最終決戦。愛、勇気、足りてなかった二つは今、どちらも足りてます

 劇場版ティガパンフ等から引用すると、ティガトルネードは闇の巨人の攻撃、ティガブラストも闇の巨人の攻撃を光に変換することで、形態獲得してるんです。
 でも最後に"ウルトラマンティガ"になるための過程は、『主人公とヒロインの純粋な愛でカミーラの歪んだ愛を光に変えた』って表現されてるんですよね。
 ティガは、最後に愛を変換した光を得て完成するんです。
 愛がなきゃウルトラマンじゃないってことでもあるんでしょうね。
 『愛がなければ完成しないウルトラマン』なんです、ウルトラマンティガは。

 今月始めのアリオジードトークイベントで
質問BOX「兄と弟どっちが欲しい?」
リク「弟かな、一緒にドンシャイン見てドンシャインオタクに育てたい」
 とかいう一幕があったので、時拳時花の劇場版の展開もちょっと変わりました。さーていつ書こうかな……ルシエドのハートを打ったんですよ、こんなありきたりな一言が。


【原典とか混じえた解説】

■主人公

●ウルトラマンティガ リ・ルーツ
 RE:ROOTS。
 始まりのティガ。
 最新にして最古の形。
 究極の先祖返り。
 最初のティガは三千万年前、地球にやってきた『光』が与えた力そのもの。
 ゆえに変身者の心次第で、光にも闇にもなってしまうものであった。
 "光と闇のどちらにもなれる力"こそが、『始原のティガ』の証明である。
 『光にも闇にもなれる巨人』という意味でこれは最古のティガであり、『過去のティガが使った光の形態と闇の形態全てを使える』という意味では最新のティガでもある。

 心の闇、心の光、どちらも力として出力可能な巨人。
 マドカ・ダイゴのティガが『人間は皆自分自身の力で光になれる』ことを証明する巨人であるならば、このティガは『誰の心にも光があり闇がある』ことを認める巨人。
 その上で、『闇があっても生きていていいんだ』と伝える優しさと寛容の巨人。
 人間の美しさを愛し、人間の醜さを嫌い、美しく在れない人間を排除しようとする者達に立ち向かい、己の弱さと醜さを嘆く人達に寄り添う、御守竜胆の"他者を愛し受け入れる心"を力に変えた無敵の光の巨人。

・マルチタイプ
 全ての力が均等に混ざったバランス形態。
 体色は真紅、青紫、漆黒、銀、金。
 光の力を器用に、かつ多様に扱うのに長ける。
 闇を照らして悪を撃つ、至高の多様形態(スプリームマルチタイプ)

・パワータイプ
 筋力、攻撃力、耐久力に特化した真紅の形態。
 水中戦を得意とする。
 紅に燃える、至高の剛力形態(スプリームパワータイプ)

・スカイタイプ
 速度、器用さ、飛行に特化した青紫の形態。
 空中戦を得意とする。
 光を越えて闇を斬る、至高の瞬速形態(スプリームスカイタイプ)

・ダークタイプ
 暴走、暴虐、暴威に特化した漆黒の形態。
 地上戦を得意とする。
 心の成長で苦難を乗り越えても、悲しみは消えない。憎しみは消えない。恨みは消えない。
 制御ができるようになっただけで、闇はいつもそこにある。
 だが、敵に向けられるその憎しみの大きさこそが、竜胆がかつての仲間へ向けた愛の大きさを証明する。
 闇を抱いて光となる、至高の暴乱形態(スプリームダークタイプ)



■使用アイテム

●闇薙の剣
 『ウルトラマンティガ外伝 古代に蘇る巨人』に登場する聖なる剣。
 諏訪の神域に収められていた三千万年前の秘宝。
 【剣】。

●ティグの紋章
 『ウルトラマンティガ外伝 古代に蘇る巨人』に登場する聖なる石。
 ティガの額にある光エネルギーを蓄積するクリスタルと同じ形のもの。
 ウルトラマンティガへ変身可能な者の覚醒を促し、光り輝き明滅し、選ばれし者を導く聖石。
 北海道のアイヌ達が守ってきた三千万年前の秘宝。
 【宝珠】。

●青銅のスパークレンス
 『ウルトラマンティガ外伝 古代に蘇る巨人』に登場する聖なる神器。
 いわゆる"変身できるようになったらいつの間にか懐にあったアイテム"とは異なる、現実に存在する物。
 そのため、その時代にティガが存在するか、ティガの変身者が存在するかにかかわらず、この地球に青銅のスパークレンスとして存在している。
 使用者の内なる光を引き出し、光の遺伝子を変換、その体を光の巨人へと変える。

 スパークレンスは単体で光を生み出すことはできず、光持つ者が扱わなければ光を発しない。
 0から光を生み出すことはできないがために、使用者の光を増幅して反射すことで使用者自身を光へと変える、『鏡』としての側面を持つ光の反応変換器。
 沖縄の聖地にて聖職の女性と獅子聖獣達に守られてきた三千万年前の秘宝。
 【鏡】。



■使用技

●ウルトラオーバーラッピング
 別名、ウルトラ・シックス・イン・ワン。
 光の国の英雄たる存在、ウルトラ六兄弟という者達がいる。
 ウルトラマン、セブン、ジャック、エース、タロウ、ゾフィーの六人だ。
 そんな六兄弟の力を束ね、ウルトラマンタロウが編み出した究極の技。
 『六人の力を一つに束ねて爆発的な力を得る』という合体技法。
 使用者はウルトラマンタロウ、ウルトラマンメビウス。
 また、設定レベルの話ではあるが、ウルトラマンオーブのオーブリングにメビウスカードとウルトラ六兄弟のカードをリードすることでも、ウルトラオーバーラッピングは発動する。

 グレート、パワード、ネクサス、ガイア、アグル、ティガの力が高度に融合している。

●セルチェンジビーム
 設定上は、細胞を還元させる光線。マルチタイプが使っていた技。
 還元するということは、元に戻すということ。
 これまでは主に竜胆の肉体変異として発現していた。

●治癒能力
 自らの肉体を治す能力。スカイタイプが使っていた技。
 竜胆がこれまで自爆の度に使用していた技。
 自分しか治せないティガの治癒能力と、他人しか治せないガイアの治癒能力が合わさることで、ようやく完全な治癒能力として完成した。

●クリスタルパワー
 劇場版『光の星の戦士たち』で生命活動が停止し、物言わぬ死体となったダイナにエネルギーを注ぎ込み、一気に復活させた技。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

貴方に微笑む -ラブ・フォウ・ユー-

 主人公の覚醒に合わせてタイトル命名法則も変更

 連日更新のつもりがリアル事情で長引いてしまいましたぜはっはっは


 『ウルトラマン』がウルトラの星に誕生するよりもずっと以前から存在する、摩訶不思議なウルトラマン達。

 もはや、ウルトラマンと言っていいのかすら定かではない光の巨人達。

 神秘を極めた、多元宇宙の中にも多くはいないその巨人達。

 

 たとえば、30万年を生きるウルトラマンキング。

 光の国の頂点に立つ、ウルトラの星の光の巨人達を導く輝きの王。

 たとえば、35万年以上を生きるウルトラマンノア。

 ネクサスの本来の姿にして、あらゆる神秘を凌駕する巨人の神。

 そして、ウルトラマンティガ。

 3000万年前の超古代に地球に飛来し、今と同じく"理不尽に地球と人類を滅ぼそうとした神"が天の彼方からやって来た時、その邪悪なる神を海に封印し勝利したウルトラマンの今の姿。

 

 その歴史の古さと時間のスケールにおいては、他のウルトラマンの追随を許さない。

 まさしく、神話のウルトラマンにして、神殺しのウルトラマン。

 

 新たな力で、マガヒッポリト、マガエノメナを瞬殺する。

 それは言うは易し、行うは難しだろう。

 ティガブラストではスピードが少し、パワーが大幅に足りない。

 ティガトルネードではパワーが少し、スピードが大幅に足りない。

 何より、瞬殺できるほどの至近距離まで距離を詰めれば、マガヒッポリトの近遠対応可能なブロンズ化能力、マガエノメナには距離が近いほど効果が増す発狂電波と瞬間移動がある。

 

 弱い力の干渉、小型の闇の存在であれば、もはや体から放つ光だけで消滅させられるほどの存在となった、ウルトラマンティガ リ・ルーツでなければ到底不可能だった。

 ティガの力を、彼の心に沿って具現化したカタチ。

 その姿はカミーラが愛した者と憎んだ者、その両方の姿が一つとなったものである。

 

 星がガイアに託し、ガイアが敗北した時に霧散しかけた力。

 土着の神々の力。

 散っていったウルトラマンの力。

 散った勇者の力。

 全てが、今のティガのその身に結集している。

 

 ゆえにこそ、カミーラの心を逆撫でする。

 だからこそ、星と人を救う救世主足り得る。

 『神話のなぞり』として見るならば、ウルトラマンティガこそが、『人類を滅ぼす神をウルトラマンが打倒し世界を救う』という、『三千万年前の神話』を再現する運命の者。

 

「忌々しい……光がぁッ!!」

 

 カミーラは右手に氷の剣・アイゾードを具現化して斬りかかる。

 ティガの近接攻撃手段は、ティガダークは腕に八つ裂き光輪、ティガトルネードは拳と蹴り、ティガブラストは手刀が主体。

 鞭を変形させた長剣アイゾードは、かなりのリーチがあり、ティガの攻撃手段の多くを封殺することも可能……な、はずだった。

 

『光は絆。"アグルブレード"ッ!』

 

 ティガの右手から生えた光の長剣が、カミーラの氷の長剣とぶつかり合う。

 氷の剣と海の剣。

 二つはぶつかり合い、アグルブレードが押し勝った。

 

「!? 海のウルトラマンの力……!?」

 

 だが押し負けてもカミーラは素早く立て直し、追撃に振るわれた斬撃を受け流し、素早くカウンター。そこから火花散る、刃鳴り散らす戦いへと持ち込んでいく。

 剣と剣での競り合い、気持ちのぶつかり合い。

 剣の技量ではカミーラが勝っていた。

 反応速度では竜胆が勝っていた。

 

 三千万年前から生きている戦闘者と、本気で剣を学んではいない竜胆。

 才能では埋めきれない差が発生し、カミーラが剣の勝負を押し切る。

 格闘に優れた竜胆を剣の勝負に持ち込んだ時点で、一定の優位を得ることはできていた。

 

「だが、付け焼き刃の技量如きで!」

 

 アグルブレードとアイゾードが鍔迫り合いになり、カミーラは角度を変えて下から押しつつ、力加減でティガの体のバランスを崩しながら押し上げ、一気にアグルブレードを上に跳ね上げる。

 そして、空いた胴体に剣を突き刺さんとした。

 

『光は絆。"グレートスライサー"!』

 

「!?」

 

 だが、それを、ティガの左手から生えた光の剣が弾く。

 右手にアグルの光剣。

 左手にグレートの光剣。

 それはこれまでティガブラストの手刀でやって来た"両手に光の剣"の延長でありながら、これまでのティガにはなかったもの。

 

 ティガの二刀流をかわしつつカミーラが後ろに下がると、ティガの両手の剣が消え、青い光の八つ裂き光輪がその手に宿る。

 

『光は絆。"パワードスラッシュ"ッ!』

 

 氷の剣で受けて流すカミーラだが、予想以上の威力に顔を顰める。

 

(重いッ……!)

 

 斜めに受け流したものの、氷の剣は刀身が半ばほどまで削られていた。

 カミーラは舌打ちし、氷の剣を再構築する。

 当たりどころによっては、即座に剣が折られていた、そういうレベルの威力。

 

「……他のウルトラマンとの、疑似融合……!」

 

『これが、ウルトラオーバーラッピング。

 ウルトラ・シックス・イン・ワン。

 樹海の中にいる限り、俺は皆に力と技を貸してもらうことができる』

 

 神樹と一つとなったウルトラマン達五人、神樹に還った勇者、そしてウルトラマンティガが、結界の中で擬似的に一つとなっている。

 

『もう会うことはない。

 二度と、彼らと言葉を交わせない。

 でも、それはきっと……彼らが俺の傍にいないってことじゃないんだ』

 

「戯言を!」

 

『いつか見た勇気と!

 この胸の勇気で!

 見せてやる! 俺達の勇気を!』

 

 カミーラの全身から触手が伸びる。

 星辰の魔王獣として、"ウルトラマン"からかけ離れた『怪物』としての彼女が身につけた触手・デモンフィーラーだ。

 敵の体に、闇に染まった者以外には毒となる、侵食する(あい)を注ぎ込む触手。

 本数666。触手速度・秒速666m。

 

『光は絆! "ガイアブリザード"! ティガフリーザー!!』

 

 瞬間、タイプチェンジ。

 ティガの全身が青紫に染まり、俊敏形態・スカイタイプへとチェンジした。

 迫る触手攻撃の全てを、ティガは冷凍攻撃にて粉砕する。

 右手からは、杏より継承したティガの氷攻撃、左手からはガイアの冷凍攻撃。

 二つの力を束ね、全ての触手を凍らせ砕く。

 

 スカイタイプは、速かった。

 とにかく速かった。

 砕け散った触手が街の路面に落ちる前には、カミーラの至近距離にまで接近。

 瞬時にタイプチェンジし、剛力形態・パワータイプになり、カミーラの両手を掴んで抑える。

 

 真紅の腕に、強大なパワー。

 振りほどけないカミーラの目に映るは、ティガの胸部で光り輝くプロテクター。

 

「くっ、離しなさい!」

 

『やだね』

 

 1秒と待たず、プロテクターが光り輝き、溜め込まれた光が至近距離から放たれた。

 

『光は絆ぁ! "コアインパルス"ッ!』

 

 ウルトラマンネクサスが得意とする光線・コアインパルスが、カミーラの胸部に直撃し、その体を吹っ飛ばしていく。

 ティガが放った光は黄金色に輝いて、まさにカミーラの嫌う光そのものだった。

 

「ぐ、あ、アッ……!」

 

 結界端の海上にまで、カミーラは吹っ飛ばされる。

 コアインパルスに焼かれた胸は相当に痛そうで、焼けただれたその部分を抑え、カミーラはよろめきフラついている。

 

(上がっているのは単純な身体能力だけではない……タイプチェンジ速度も……!)

 

 ティガのタイプチェンジに要する時間は、設定上0.5秒。

 一瞬と言っていいものだが、それでも先程のカミーラの触手なら、タイプチェンジ完了までに333mは伸ばせてしまう。

 それではタイプチェンジと迎撃が間に合うわけがない。

 

 ならば、答えは決まっている。

 ウルトラオーバーラッピングの効果により、タイプチェンジの速度でさえも、この神樹の世界が加速させているのだ。

 

 光の戦士は、自分よりも強い敵との戦いでこそ強い。

 闇の戦士は、自分よりも弱い命を蹂躙し虐殺することに強い。

 しからば今のティガは、自分より強い敵にも、自分より弱い敵にも強いということ。

 攻めている時や有利な時にも強く、攻められている時や不利な時にも強い。

 

 攻め手を合わせたことで、カミーラは今のティガが内包する強みを理解する。

 それは光の英雄戦士としての強さと、闇の最強戦士としての強さを両立している証明だった。

 

「―――ああ、おぞましい」

 

 光を纏い、海上のカミーラに飛んで近付いて来るティガ・パワータイプ。

 

 光の力を多様に使うティガを見て、カミーラは苛立ち、憎悪にその身を任せた。

 

「光をそんなに……ティガ……ああ、憎い、憎い……!」

 

 カミーラの体の肉が、膨れ上がる。

 

『!?』

 

「憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い!」

 

 体の肉が膨れ上がったカミーラは、筋骨隆々とした怪物へと変貌した。

 筋肉量、骨密度が数倍数十倍というレベルになり、真正面からパワーでティガ・パワータイプに掴みかかり、がっつり組み合う。

 

(パワーで……俺に勝ってる!?)

 

 カミーラの恐ろしく太い腕がティガを海面に叩きつける。大量に舞い上がる水飛沫。

 ティガは海面に叩きつけられた瞬間、瞬時にタイプチェンジ。

 スカイタイプに変わり、大量に舞い上がった水飛沫をかき分けて、超高速で空へと舞い上がって行った。

 

『やっぱ、"そう"ついて来るかっ……!!』

 

 その後を追うカミーラ。

 筋骨隆々とした肉体は消え失せ、流線型のスラッとした肉体に、ブースターの如く闇を吹き出す体の各部分の突起物。背中に広がる黒一色の悪魔の翼。

 間違いない。

 カミーラは、ティガと同じ力を備えてきたのだ。

 力強き剛力形態と、空舞う俊敏形態の二つを。

 

(しかも、こっちも俺より速い!)

 

 先に飛び上がったのはティガの方だというのに、カミーラはすぐに追いつき、追い越し、その頭上から強烈な踵落とし。

 ティガの巨体を、またしても海に叩きつけた。

 

『ぎっ……!』

 

「これが星辰の魔王獣としての私の力……

 ティガ! あなたへの愛憎が、私の力となる!

 あなたへの愛憎が大きくなる度に、私は無限に進化する!」

 

 星辰の魔王獣は、何かしらの極端な個性を持つ。

 光ノ魔王獣マガエノメナは、対文明クラスの脳破壊攻撃。『発狂』。

 土ノ魔王獣マガヒッポリトは、最悪を極めた複数種のブロンズ化攻撃。『青銅』。

 そしてカミーラは、『愛憎』。

 

 心の闇を地球のエレメントとして扱う魔王獣である闇ノ魔王獣・マガカミーラは、愛憎で力を発揮する。

 歌野との戦いで指摘され爆発した愛憎がキーとなり、つい魔王獣としての姿を晒してしまった理由が、まさにこれだ。

 

 愛憎がある限り、彼女の力は上限なく無限に強くなっていく。

 望めば、フォームチェンジの能力だって生える。

 ティガを愛する気持ちが、ティガを憎む気持ちが、天井知らずにカミーラの力を強めていくのである。

 それはある意味、心の力で覚醒した竜胆ティガの正反対に位置する力だった。

 

「力に限界はあろうとも、愛憎に限界はない……ふっ、ふふふっ、ふふふふ……」

 

 海水を振り払いながら立ち上がるティガ、舞い降りるカミーラ俊敏体。

 俊敏体は瞬時に剛力体に切り替わり、力強く頑強な姿となったカミーラが、海に落ちた。

 海水に起こる波が、体重も体格も激しく変化した今のカミーラの重さを示している。

 

「分かる? ティガ。

 この剛力はダーラムの力!

 この飛翔はヒュドラの力!

 この闇は私、カミーラの力!

 あなたが三千万年前に殺した、三人の仲間の力よ!」

 

『―――!』

 

「覚えている?

 遺伝子は覚えているでしょう?

 ヒュドラはあなたの仲間で、ダーラムはあなたの親友で……どちらも、あなたが殺した!」

 

『……ああ。この遺伝子が覚えている。俺は仲間と、親友と、恋人だったやつを殺した』

 

 剛力戦士ダーラム。

 俊敏戦士ヒュドラ。

 三千万年前、闇のティガとカミーラの仲間だった者の名であり、クトゥルフ神話における知的生命体の始祖たる邪神『父なるダゴンと母なるハイドラ』に相当する者達。

 かつて、カミーラと共にティガに殺された二人。

 そして、闇の残滓となった後、カミーラに闇として貪られた二人。

 

 今、ティガの目の前にいるカミーラは、三つの力が一つとなった存在。

 三千万年前のティガが殺した三人の力を、カミーラの妄執が操っている、闇の坩堝。

 

「あなたを闇に堕とし、あなたをもう一度迎えてあげる!

 闇に堕ちるのなら、あなたを許し、もう一度仲間に迎えてあげる!

 そのために、その忌々しい光の全てを削ぎ落とす! もう一度皆で始めましょう?」

 

 カミーラは、再始を望む。

 ティガとやり直すことを。『皆』とやり直すことを。

 闇のティガとまた愛し合う日々をやり直すことを。

 御守竜胆という個人から余計なものを削ぎ落とし、必要な分の闇を充填し、絶望と憎悪の底に堕としてしまえば、失ったものを取り戻せると考えていた。

 

 終わってしまったものを見つめて、カミーラはやり直しを求めた。

 

 その点も、竜胆とは対極であると言える。

 虐殺の日には戻れない。

 あの日をやり直せるとも、無かったことにしてまた始められるとも、竜胆は思っていない。

 

 終わってしまったものを見つめて、竜胆は繰り返さないことを誓った。

 

「あなたの光を消し去り……この地球に恐怖と絶望を! あなたに果てなき闇を!」

 

 だからこそ、カミーラはかつて失ったものを永遠に取り戻すこと、叶わず。

 だからこそ、諦めない竜胆の想いが奇跡を掴み、"手遅れだったはずの"若葉や千景に他の皆も救うことができたのだ。

 カミーラは過去を求め、竜胆は未来を求めた。

 

 ダーラムとヒュドラを喰った過去を、今ようやく愛憎としてカタチにすることに成功したカミーラは、夢見るようにティガに手を差し伸べる。

 もう、手遅れなのに。

 カミーラが愛したティガも、カミーラが信じたダーラムも、カミーラが背中を預けたヒュドラも既に死んでいる。この世にいない。

 取り戻すことなど、できない。

 カミーラは決まりきった永遠の孤独に背を向け、子供のように逃げ続ける。

 

 逃げ続けるために人を殺し続けるカミーラに、ティガは立ち向かう。

 

『熱いお誘い悪いが、ごめんだね』

 

 ティガの拒絶の一言に、カミーラが放つはデモンジャバー。

 氷の槍の連続発射に、ティガ・スカイは両手を銃の形にした。

 一瞬で深呼吸を終え、なぞる動きはグレートのそれ。

 

『光は絆ぁ! "フィンガービーム"ッ!』

 

 両手を銃の形にし、親指の撃鉄を起こし、撃つ。

 グレートが得意としていた、両の手を銃口と化す二丁拳銃。

 氷の槍には一発一発の威力では負ける、だからこそ一つの槍に二発三発と当て、連射速度と射撃精度で上を行き、カミーラの攻撃を相殺していく。

 

 やがて、ティガの手の中に溜めた光が尽きる。

 手首を回してガチャン、と弾丸再装填(リローデッド)

 右手と左手のリロードタイミングを僅かにズラすことで隙無く、射撃に隙間無く、指の銃口から光弾を連射する。

 

 光弾が氷の槍の連射を押し切り、カミーラが怯んだ隙を突き、ティガ・スカイは悠々と空に飛び上がった。

 空中に陣取り、カミーラ剛力体の周囲を円を描いて飛びながら、その全身の急所・関節を狙って絶え間なくフィンガービームを打ち込んでいく。

 

「っ、味なマネを……!」

 

 カミーラも防戦一方ではいられない。

 無理をしながら俊敏体に変身し、フィンガービームで体を削られながら空中戦に持ち込んだ。

 

(上を―――)

 

 だが、カミーラの動きを読み、先んじてティガが右手から伸ばしていた光の鞭が、カミーラの左手を捉え、掴んでいた。

 

『光は絆ッ! "セービングビュート"ッ!』

 

 ネクサスが使う、光の鞭。

 鞭使いのカミーラに対する最大の意趣返しと言えよう。

 

 ティガ・スカイよりカミーラ俊敏体の方が飛行速度は速いのだろう。

 だが、両者が光の鞭で繋がっているのなら話は別だ。

 そうなれば、後は引っ張り合う力と技の勝負である。

 

 パワータイプにタイプチェンジしたティガに、空中で引っ張られては、カミーラもタイプチェンジや対応が追いつかない。

 ティガ・パワーは空中で柔術を極め、カミーラの腕関節を折りながら柔術で投げた。

 腕を折りながら海岸線へと叩きつけ、土砂を派手に巻き上げる。

 地面に叩きつけられたことで、衝撃のダメージも大きかった。

 

(何をやっても、上を、行かれる―――!!)

 

 カミーラは忌々しげに歯噛みした。

 

 普通の人は、こうはいかない。

 『ウルトラマンティガ』は、多様性の塊だ。

 他五人のウルトラマンの誰よりも、多様性に長けている。

 

 だが、そこに他五人のウルトラマン、精霊の行使者であるアナスタシアの技能、死亡済み勇者の能力が追加されればどうなるか。

 多すぎる技が、かえってどう戦えばいいのかを分からなくしてしまう。

 突然与えられた技をどう使えばいいのか分からず、技もロクに使いこなせず、技の多様さに振り回されて負けてしまうだろう。

 

 全ての技を高度に使う天才である御守竜胆だからこそ、強いのだ。

 力を与えれば与えるだけ、技を与えれば与えるだけ、想いを託せば託すだけ、強くなる。

 底無しの器に、地球最強の才能。

 それはこの地球を覆い尽くさんとする絶望の雲を、切り裂く光の心である。

 

 そして、カミーラが苦し紛れに放った氷の槍弾幕(デモンジャバー)を全て見切り、全て掴み取りながら、ダークタイプになったティガが地面に降りて来た。

 カミーラが、その動きの質に目を剥く。

 

「……!」

 

『ようやく、実践の中でしっくりくるレベルに技が仕上がってきたな』

 

 信じられない、とばかりに、カミーラが再度氷の槍を連射する。

 その全てを、ティガ・ダークは余裕綽々にキャッチした。

 カミーラは愕然とし、竜胆は上手い具合に掴み止められたことにホッとする。

 

「槍を掴み止めたところで!」

 

 氷の槍を投げ捨てたティガに間髪入れずカミーラの氷の鞭が迫る。

 鞭の先端は、特に肉体を鍛えていない普通の人間ですら音速を超える。

 人間では掴めない、見切れない。それが条理。

 ティガはその鞭をバックステップで回避し、マルチタイプにチェンジ。

 

 飛んで来た追撃の鞭の先を、素早くその手で掴み取った。

 

「……な、に」

 

『やっぱり、鞭は速いな。使用タイプによっては、きっと見切れもしない』

 

「っ……!」

 

 カッとなったカミーラが鞭をそのまま剣に変化させて振るうも、ティガは斬撃を的確に見切り、素早く巧い立ち回りにてそれらを回避していった。

 

 御守竜胆/ウルトラマンティガは、"人間を辞めた自分の部分"を、良い意味で最大限に活用していた。

 闇に支配されていない自分の体を、安定性と制御率が極めて向上している能力を、光り輝く己の瞳を、ティガはなぞる。

 

『よく見える。暴走の感覚もなく、自分を完璧に制御できてる感覚……新鮮だな』

 

「何故……何故、私の攻撃を……!」

 

『経験と、知識と、記憶があった。

 俺は今のこの体をちゃんと使えるようになるため、"慣らし"が必要だった。

 俺の頭の中で想定していたあんたの強さと、実像の強さを、すりあわせる必要があった』

 

「何を言っているの……?」

 

『俺が一番一緒に修行したのは、若葉だった。

 後から加わった勇者の中で、最初に加わった勇者は、鞭使いの歌野だった。

 最後に加わった四国外の勇者は、投げ槍使いの雪花だった。分かるだろ』

 

「―――あ」

 

『運命、って言う人もいそうなもんだ』

 

 カミーラの名前付きの技は実質四つ。

 氷の鞭カミーラウィップ。

 氷の剣アイゾード。

 氷の連射槍デモンジャバー。

 遠目にはビームに見えるほどの密度と速度で氷槍を連射する、ジャブラッシュ。

 これに触手や雷撃をサブウェポンとして備え、カミーラの戦闘スタイルは完成している。

 

 剣なら、若葉との訓練で数え切れないほど見てきた。

 鞭は歌野が、投槍は雪花が使っているのを見せてもらった。

 

 剣に関しての知識は、若葉から耳にタコができるほど聞いている。

 鞭と投槍の強みも、暴徒鎮圧前の移動時間などに、歌野と雪花から色々と聞いていた。

 

 武器の強みを聞き、武器の強みの活かし方を聞き、その武器の有効な使い方を聞き、その武器を使った有効な攻め手を聞いてきた。

 鞭の専門家・歌野と投槍の専門家・雪花から、十分過ぎるほどに武器の術理は伝えられていた。

 

 そこから実戦を経て、カミーラの封殺を完成させるとは、どれほどの天賦の才なのか。

 そして、こんなにも"カミーラと同じ武器"を使う勇者が綺麗に揃うとは、いかな運命なのか。

 どこかで誰かが諦めて、何かが一つ失われていたなら、きっと結実しなかった奇跡。

 

『座って待ってたら来てくれた運命、とかじゃない。

 皆が諦めなかったから! 皆が戦い続けてくれたから!

 そこにいる人達を、皆が守ろうとし続けてくれたから!

 繋がるものが繋がって、繋がらないものまで繋がって、偶然は全部奇跡になった!』

 

 多くの偶然と、多くの必然で縫製し、紡ぎ上げられた一つの奇跡の形。

 

『俺達の奇跡は! 全部、俺達の軌跡から生まれたものなんだ!』

 

 もはやこの時点で、カミーラのほぼ全ての技が、通用する可能性を失っていた。

 カミーラが唇を震わせ、闇を奮わせる。

 怒りに、絶望に、憎悪に、身をふるわせている。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 それが、カミーラの女としての本能を刺激する。

 竜胆は若葉、歌野、雪花とカミーラを常に比べ、その攻撃を注視していた。

 "若葉と比べれば技が綺麗じゃないな"だとか、"雪花と比べると意外にまっすぐな使い方だ"といった風に、カミーラを他の女と比べている。

 

 愛しい男が自分を他の女と比べている現実が、カミーラにまた歪んだ愛憎を沸き立たせた。

 

「ティガ……ティガ、ティガ、ティガ、ティガ! どうして、いつもいつもいつもッ!!」

 

 運命までもが敵。

 歌野と雪花が四国に辿り着けてしまった事実に対し、カミーラはそう思う。

 例えば雪花が死に、その代わりに沖縄の勇者・古波蔵棗が生き残っていたら、また別の奇跡が繋がっていたというのに。この奇跡の本質は、諦めない心にこそあるというのに。

 カミーラは、運命の巡り合わせを呪った。

 

「私に、ここで負けろと。ここで終われと。そう言うか、運命―――!!!」

 

 カミーラは詰んでいる。

 剛力体、俊敏体、どちらでも氷剣・氷槍・氷鞭の全てを完封されかねないこの状況で、押し切ることができるような攻撃の組み立ては無理だ。

 

「ふざけるなああああああッッッ!!!」

 

 カミーラが叫ぶ。

 ティガの周りの女への嫉妬と、運命への憎悪さえもが、カミーラを更に強化した。

 迸る闇が、四国全てを飲み込まんとする。

 カミーラの全身から放たれた闇は、ユーラシアを飲み込んであまりある規模の、膨大な闇の洪水であった。

 

『っ、タイマーフラッシュスペシャル!』

 

 ティガのカラータイマーから光が走り、その全身から爆発的に光が広がった。

 先程、四国全域を包み込んだ光の放射と同種のもの。

 それが、カミーラの放った闇の洪水を吹き払い、四国を守る。

 

 だが、既にティガに粉砕されたマガエノメナとマガヒッポリト、光に触れて霧散消滅したシビトゾイガーの残滓が、闇の端に触れていた。

 そこから、闇が全てを喰らう。

 カミーラの闇は、カミーラの捕食口に等しかった。

 

『! 他魔王獣個体を吸収した!? いや……()()()のか!』

 

 "皆と共に戦う"が竜胆のティガ。

 "全てのバーテックスの生まれた意味を一人で証明する"がハイパーゼット。

 "自分本位に他者を喰って己の中に取り込んでしまう"のがカミーラ。

 

 愛憎に限界はない。

 愛憎に天井はない。

 愛憎に不可はない。

 

 そんな無茶苦茶な理屈を体現するカミーラが、二体の星辰をその身に取り込んだ。

 ダーラム、ヒュドラと同様に、一切の人格を無視し、自らを強化する一要素として捕食する恐ろしい吸収行動。

 その真の恐ろしさを竜胆が体感したのは、カミーラが『瞬間移動』をして、ティガの防御的死角を取り、至近距離から『ブロンズ化させる手』を叩きつけてきた瞬間だった。

 

『!』

 

 発動するウルトラマンネクサスの能力・マッハムーブ。

 それは、"足を一歩も動かさないまま地面の上を超高速で移動する技"である。

 思っただけで発動するそれが、ティガをカミーラの攻撃圏内から離脱させ、ブロンズ化を回避させてくれた。

 

「ティガ……ティガぁぁぁぁ……」

 

『こりゃ、まともに戦っててもキリないな……やべえッ』

 

 ティガは横目で仲間達を見る。

 ハイスピードの世界でのティガとカミーラの攻防が始まってから数十秒。

 若葉、千景への状況説明も完全に完了し、ブロンズから復帰した勇者二人、祟りから復帰した勇者二人、最初から出ずっぱりの勇者二人、合計六人。

 横目に見る限りでは全員が戦闘可能な状況であり、飛び回っているティガとカミーラが援護できる状況になれば、すぐにでも援護してくれるだろう。

 今はまだ、距離が遠い上、戦闘速度の関係で援護が来ていない。

 

 竜胆が連携の流れを考えていると、カミーラは一瞬にして街の直上に瞬間移動した。

 マガエノメナの瞬間移動能力で移動し、両手からデモンジャバーを発射せんとする。

 ミサイルにも迫る威力のデモンジャバーを、空から街に雨あられと降らせられれば、一体どうなってしまうのか?

 

 少なくとも、百万人は死者が出る。

 

(! また瞬間移動、マズい、神樹様はまだ樹海化できる余裕が無い!

 このままじゃ守りのない街がカミーラに全部破壊されちまう―――!!)

 

 だが、街とカミーラの間に割って入るには時間が足りない。

 カミーラのデモンジャバーに、そこまで溜めの時間はない。

 撃つ、と思えば次の瞬間には撃っている使い勝手の良い技である。

 

 瞬間移動直後に街への攻撃を放つカミーラに対し、打てる有効手など多くはなかった。

 

 

 

 

 

 一方、これより少し前の時刻の大社。

 

「ふん、神樹様が消耗を回復し、再度樹海化する前に畳み掛けてきたか」

 

「三好さん。三好さんが完成させた光遺伝子コンバーター、組み込み完了です。

 これで特定の人間の肉体を転換転送(コンバート)するシステムは動きます……多分」

 

「よし。準備しろ」

 

「成功しますかね? ぶっちゃけ今朝に仮実装したシステムでテストもしてないですよこれ」

 

「知らないな。だが、犠牲を出したくないなら、やるべき無謀だ」

 

(……三好さんこんな博打する人だったかなあ)

 

「私が作ったコンバーターを信じたまえ。よし、稼働開始! やれっ!」

 

 それは、システマチックに制御された神の御業。

 神樹がデフォルトで備える力の行使。

 局所戦だけをやっていられた勇者達には必要がなかった、樹海化が行えているなら必要がなかったはずの能力。

 けれど、四国全域を戦場にすることも増えてきたここ最近の戦いにおいては、絶対的に必要になってきたシステム。

 

 "四国のどの場所の暴徒も鎮圧できるように"と、無理にデスクワークの人員を突っ込み突貫で仕上げられた、大社人員の睡眠時間と、三好圭吾の才能と、神樹のリソース少しを費やして組み上げられた新システム。

 

「『カガミブネ』、起動!」

 

 神樹の力にして勇者システムの一部たるそれが、未完成ながらも無謀な試みと、巨人と勇者なら気合いで何とかするという信頼によって、今、世に解き放たれた。

 

 

 

 

 

 ウルトラマンティガは、"ワープした"。

 ワープしたティガがカミーラと街の間に割って入り、全ての氷槍を全て掴んで投げ捨てる。

 

「!?」

 

『お、おお? ……間に合った?』

 

 カミーラは己の目を疑う。

 

 カミーラの予想を片っ端から飛び越えていくティガは今度は、ほぼノータイム、溜めなしの瞬間移動をかましてきたのだ。

 だがそれは、ティガが凄いのではない。

 根本的にティガと、ティガの周りの女しか見ていなかったカミーラには、"ティガ以外の力"というこの現象の正解に辿り着くことができていなかった。

 

「瞬間……移動……!?」

 

『これ、前にどっかで三好さんから聞いてたやつか。間に合ったのか!』

 

 カミーラは再度瞬間移動。

 今度は徳島上空から市民を狙うが、またしても瞬間移動して来たティガ・スカイの手刀が振るわれ、空中でそれをなんとかかわす。

 徳島への攻撃は、実行できない。

 

(連続で瞬間移動……!? マガエノメナやゼットと同じ、最上位能力を、何故!?)

 

 しかも今度は、ティガと同時に高嶋友奈までもが瞬間移動して来ていた。

 

「くっ……!」

 

『友奈!』

 

「はいさっ!」

 

「!?」

 

 巨人だけでなく、勇者までもが行う瞬間移動。

 ありえない。

 何かがおかしい。

 ティガ・スカイの手刀をカミーラがかわし、かわした先でティガの体を足場にした酒呑童子友奈の拳がカミーラの顎をかち上げ、カミーラは必死に追撃のティガの飛び蹴りをかわす。

 

「勇者まで……いや、ありえないわ! そう簡単に、誰も彼もが身に着けられる技じゃない!」

 

 カミーラは更に瞬間移動。

 しかし、またしてもティガが瞬間移動し、今度は友奈ではなく若葉が瞬間移動して来た。

 カミーラは歯噛みして、空気を媒介にしてブロンズ化能力を発動した。

 だが、目潰しのような確実に当てるための前振りがなければ、高速飛翔タイプのスカイタイプと大天狗若葉を空中で捉えることなどできはしない。

 

『若葉!』

 

「分かっている!」

 

 弧を描き、鋭角に切り返し、二人は近付いたり離れたりしながら、縦横無尽に空を駆ける。

 

『また若葉とこうして飛べて、嬉しい!

 ……本当に嬉しい! 失ってから気付いた!

 俺、自分が思ってる以上に、若葉のこと好きだったみたいだ!』

 

「そういうことは戦いの後に言え! ……不覚を取って、心配させて、悪かった!」

 

 そして、カミーラは二人と熾烈な空中戦を繰り広げながら、気付く。

 

(巫女?)

 

 地上に、不思議な力の流れが出来ている。

 先程まではなかった、神の力の僅かな流れ。

 カミーラがその流れに目を凝らすと、四国各地の避難所で空を見上げ祈る無数の巫女達と無数の土地の間に、人間の目には見えない力の経路があるのが見て取れた。

 

(瞬間移動の移動開始地点と、移動終了地点に巫女……まさか)

 

 これが、『カガミブネ』。

 神樹が元来備える力。

 システマチックに制御された、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 『巫女がいる場所から登録地点まで勇者を瞬間移動させる』神樹の力である。

 

(巫女が力の経路を作って、それを使って瞬間移動している!?)

 

 ひなたが竜胆に首を締められ、殺されかけたあの時。

 ひなたは巫女に代わりはいくらでもいると言っていた。

 安芸真鈴然り、丸亀城に詰めていないだけで、大社預かりの巫女自体はたくさんいる。

 それこそ、数人生贄に捧げるくらいなら問題にならないほどに。

 

 オコリンボールの襲撃後の、安芸真鈴の避難先変更の件を、覚えているだろうか。

 オコリンボールの襲撃によって、リスク分散のため、大社の人間や各巫女は()()()()()()()()()分散されて避難させられている。

 だからこそ、ティガブラストの初陣の時、安芸真鈴は民間人が避難している避難所に避難させられていたのだから。

 

 カガミブネは、地の神の王・大国主に協力した神、少彦名(すくなびこな)の権能。

 勇者を運ぶ不可視なりし船の具象化。

 四国各地に巫女が散っているということは、どこにカガミブネで飛んでも直後に再度転移が可能であるということであり、"四国のどこからでもどこへでも一瞬でいける"ということだ。

 

「うたのん!」

 

 巫女・水都が、街の一角で叫ぶ。

 

 瞬間、ティガと若葉に挟まれていたカミーラの頭上に、歌野が瞬間移動した。

 

「グレートに手助けに来たわ! 若葉、竜胆さん、次氷槍来るわよ! 数16!」

 

「!」

 

「『 分かった! 』」

 

 歌野の読心がティガと若葉に氷槍を容易に回避させ、スカイタイプのアグルブレードと若葉の大天狗火炎剣がカミーラを前後から切り裂いた。

 

「っ……!」

 

 瞬間移動して逃げたカミーラだが、その先で。

 

「ここで、このタイミングで、ここに来ると思いました」

 

「―――」

 

 動きを完全に先読みしていた杏の、雪女郎と輪入道を一体化させた"吹き飛ばす一撃"が、カミーラを地面に向けて吹き飛ばし、地面に叩きつけた。

 

「くっ、あっ、はっ、アアアア……! おのれっ……!」

 

 四国各地の巫女、全てが移動端末となる。

 ゆえに、四国全ての巫女が、勇者と、巨人と、共に戦うことができる。

 

 歌野を助けられない自分を嫌っていた水都も、歌野を助けられる。

 球子の死で涙を流し絶望し、杏を気遣っている安芸も、杏を助けられる。

 ひなたもまた、皆を待つだけでなく、若葉や皆を助けられる。

 皆が、ティガを助けられる。

 

 それ、すなわち―――()()()()()()()()()()()()()システムであった。

 

「失せろ、雌豚共ッ!!」

 

 カミーラは香川の端、四国の中心近くに瞬間移動。

 そこから先程の闇の大洪水を解き放たんとして―――精霊制御サポートのため千景を肩に乗せ、"七人に分身した"ティガ・パワーが、カミーラを空へと蹴り飛ばした。

 ナターシャ/ネクサスが持っていた、精霊行使能力による攻撃だ。

 七人で蹴る、ゆえに威力は七倍。

 

「がふっ!?」

 

「『 七人御先 』」

 

 蹴り上げて、追撃に飛び上がろうとする真紅のティガだが、ふらりとよろめき、膝をつく。

 七人御先が、過度に竜胆に負荷をかけている。

 千景なら自由に扱えた。

 ナターシャなら自由に扱えた。

 だが竜胆は、千景ではなく、ナターシャでもない。

 戦う天才であっても、ナターシャのような神と繋がる天才ではない。

 

『うっ……この精霊、俺とあんま相性良くないな』

 

「私が触れて調整していても? 相当ね。一人では使わない方がいいわ。

 ……アナスタシアは、平然と使いこなしていたけど、個人差があるのかしらね」

 

『俺は、ちーちゃんやナターシャのようにはなれないな。やっぱり』

 

 七人御先を解除し、二度と使わないことを誓う。

 勇者は体に精霊を宿す関係上、それぞれ自分に向いている精霊というものがあったが、竜胆も例に漏れないようであった。

 ふと、竜胆は肩に乗っている千景の頭を、人差し指で撫でる。

 

「ちょ、ちょっと、何?」

 

『……無性に抱きしめたいけど、今はこれで我慢する』

 

「え? え? え?」

 

『元気なちーちゃんの姿が、俺のパワーだ。いつまでも健やかにな』

 

「……ドラマで見る父親みたいなことを言って、もう」

 

 空に蹴り上げられたカミーラに向かって、ティガが千景を優しく、かつ強烈に蹴り上げる。

 蹴り上げられた千景は七人に分身し、回避困難・迎撃困難・殺害困難な弾丸としてカミーラの体を切り裂いた。

 メタフィールドのバックアップを受けても、千景と七人御先の攻撃力では僅かなかすり傷程度しか付けられない。

 

 されど、十分だった。

 千景の目的と役割は囮。

 "ティガの隣で気心知れた仲間として愛されている千景"は、カミーラの敵意と愛憎を十分に引きつけてくれる。

 そして、瞬間移動にて空中に飛んだティガと雪花のコンビネーションで、決定打。

 そうなるはずだった。

 

『決めるぞ、雪花! 合わせろ!』

 

 タイミングを合わせて、旋刃盤と投槍で同時攻撃。

 カミーラの喉に突き刺された投槍を、真紅のティガの足が蹴り込んで喉を貫き痛打……といった流れを竜胆は想定していた、のだが。

 雪花の攻撃がスカり、竜胆の旋刃盤の打撃だけが命中し、大したダメージを与えきれずに、カミーラは吹っ飛んでいった。

 

 "合わせろ"の一言で竜胆に合わせてくれる勇者が特別なだけなのだ。

 長々と言わなくても竜胆の意を汲んでくれる勇者が特別なだけなのだ。

 新参の雪花では、まあそんなこと無理なわけで。

 

『あれっ』

 

「そんなすぐさま息が合うわけないでしょうが! これだから仲良い組はもう!」

 

『……悪い! この戦いが終わったら、しっかり連携訓練やっておこう!』

 

「もう!」

 

 大したダメージも与えられなかったせいで、カミーラはすぐさま瞬間移動し、海まで後退して距離を取ってしまった。

 竜胆は当たれば儲け、当たらなければ次手、くらいのつもりで、マルチにタイプチェンジし地面に降りて腕を十字に組む。

 

「ティガ……ティガ……ティガ……」

 

『スペシウム光線!』

 

 ビルの合間の巨人から、海のカミーラへ放たれる白色の光線。

 これまでは黒かったスペシウム。

 けれど、今は真っ白なスペシウム。

 竜胆の変化をそのまま表す光の破壊光線が、カミーラに向けて直進する。

 

 

 

「愛してる」

 

 

 

 そしてまた、カミーラは一段上に進化した。

 闇の量が倍になる。

 カミーラの体表で膨らみ、密度を増した闇が、スペシウム光線を飲み込んでいく。

 竜胆は、思わず息を呑んだ。

 

『! この防御力は……!』

 

 スペシウム光線が飲み込まれていく。

 それだけでなく、カミーラの闇が攻撃を開始した。

 ブロンズ化させる大気。

 マガエノメナの光弾。

 電撃に、氷槍。

 スペシウム光線を発射した直後のティガを、四種の攻撃が一斉に襲う。

 

 その攻撃の全てを、若葉が聖剣の一振りにて跳ね返した。

 

「攻撃に専念しろ! お前は私達で守る!」

 

 邪悪なる者の攻撃を全て跳ね返すことが可能である乃木若葉だが、彼女一人では守りきれない怒涛の攻勢。

 

「勇者、パーンチ!」

 

「高嶋さん、守るだけでいいのよ」

 

 だが、勇者三人ならば。

 

「……あづっ、あだだ! あーもう、心読んでると頭痛い!

 あ、雪花さん、杏さん、あのへんに攻撃お願い。カーブする奇襲攻撃が来るわ」

 

「はいはいよ。雪花ちゃんにおまかせあれ、ってね」

 

「狙って、狙って……撃つ!」

 

 勇者六人ならば、ティガを守る防衛線は構築できる。

 ティガは落ち着いて力を溜め、しっかりと狙いを付け、全力でカミーラを撃ち抜く時間と、余裕を貰った。

 

『……ありがとう!』

 

 竜胆は、自分の内側に、カミーラのこの防御を抜く一撃を探す。

 あるはずだ、と。

 光のティガならあるはずだ、と。

 溜めのないスペシウム光線とは違う、溜めることで極限まで威力を高められる技を探し、それを見つける。

 

 

 

「愛してる」

 

 

 

 カミーラはまた、女と絡むティガを見て、女達への嫉妬と憎悪で強大化する。

 闇の量はまた倍になった。

 闇ノ魔王獣の名に恥じない底無しかつ青天井の闇が、一秒ごとに強化されていく。

 

 ティガの光は、そういう成長はしていない。

 今ある全力、全てをぶつける。それが今できる最良のこと。

 

 両の拳を腰辺りで引き、ぐっと力を溜める。

 胸の前に突き出した手の平が交差すると、光のエフェクトが眩く輝いた。

 左右に腕を開くと、竜胆色の淡い青紫が混じった白光が綺麗に走る。

 光。

 風。

 ティガの力が体内を渦巻き、それが両手に収束していく。

 

 かくして、ティガは腕を十字ではなく、L字に組んで光線を撃った。

 

『―――ゼペリオン光線ッ!!』

 

 基礎技であるスペシウムとは比べ物にならないほどの光の奔流が、組まれたL字から放出され、余波だけでカミーラが立つ海水の表面を蒸発させていく。

 それは、文字通りの必殺技。

 三千万年前、カミーラの全身を粉砕し、彼女を死に至らしめた技だった。

 竜胆の遺伝子は、この技であればカミーラを殺せるということを、知っていた。

 

 

 

「愛してる」

 

 

 

 だからこそ、目を疑った。

 

「!」

 

 竜胆を構成する遺伝子達が、目の前の現実に驚愕していた。

 カミーラが、ゼペリオン光線に耐えている。

 全身から吹き出す闇でゼペリオン光線を減衰させ、強靭な皮膚で耐えている。

 ゼペリオン光線では、闇ノ魔王獣と化したカミーラを殺しきれない。

 

 それどころではなく、カミーラは勇者に弾かれる攻撃を続けながら、闇をティガに向けて伸ばして、ゼペリオン光線を押し返し始めた。

 ティガが渾身の力を込めて光線を強めるも、闇に押し込まれる速度が下がっただけで、闇に押し込まれることに変化はない。

 

 押し込まれる。

 カミーラは他の攻撃も継続していて、勇者がそちらの攻撃を迎撃するのをやめれば、ティガにそれらの攻撃が当たり、それこそ一気に押し込まれてしまう。

 勇者は手が打てない。

 ティガは、押し返せない。

 

(威力が足らない……! もっと、もっと―――!)

 

 ゼペリオン光線が、闇に押し込まれていく。

 

 カミーラは、戦いが始まった時、ここまで強くなかった。

 ダーラムやヒュドラの残滓を喰らったことはあっても、タイプチェンジ能力もなかった。

 ティガが基本四形態を使い回せば、それだけで圧倒が可能な程度の魔王獣でしかなかった。

 なのに、もう手が付けられない。

 『愛憎』以外に強い理由が存在しないのに、『愛憎』だけで無限に強くなっていく。

 

 それは、星よりも大きな愛。それは、星をも犯す愛。

 

「愛してる、愛してる、愛してる、愛してる」

 

 ゼペリオン光線を押し切りながら伸びる闇は、ティガを求めるカミーラの心で、ティガを闇に染め直そうとするカミーラの欲望である。

 

「愛してる! 愛してる! 愛してる! 愛してる! 愛してるッ!」

 

 この宇宙で最も強いものは、愛。

 神ではない。

 力でもない。

 愛は強いのだ。その愛が、どんなに歪んでいようとも、純粋なる愛は強い。

 

 純粋な(あい)は世界を飲み込んで余りある。

 

 

 

「―――だから、愛して」

 

 

 

 けれど、その愛は、もう根底から間違っていて。

 

■■■■■■■■■■

 

「それほどまでに、人間が愛おしいか」

 

『……ああ』

 

 

『俺は自分が大嫌いで、人間が大好きだ。人間を愛してる。醜さも、美しさも、ひっくるめて』

 

■■■■■■■■■■

 

 カミーラは、竜胆の愛のことを、ゼットよりも分かっていなかった。

 

『俺に愛してほしいわけじゃないだろう。あなたは』

 

「―――」

 

『ごめん。俺に、あなたは救えない』

 

 それは竜胆のカミーラに対する突き放しであり、彼のカミーラに対する優しさだった。

 

 ぷつん、と何かが切れる。

 闇の勢いが倍加する。

 闇の量が倍になる。

 闇の密度が倍になる。

 カミーラの心が、またどこか、壊れた。

 

「―――私は、取り戻す―――あの頃を―――ティガを―――愛を―――!!」

 

 ゼペリオンが押し切られる。

 闇がティガの体に迫り、その体を飲み込まんとする。

 良くて、上半身消滅と即死。

 最悪、また闇を注ぎ込まれていいように侵食される。

 竜胆は歯を食いしばり、闇の侵食に耐え、暴走だけはしてたまるものかと覚悟を決める。

 

 だが、眼前に迫る闇の強大さに、思わず唾を飲んだ。

 目と鼻の先にまで迫った闇を見て、"これを生きて乗り切れるのか?"という思考が、竜胆の脳内を支配する。

 

(駄目かっ―――!?)

 

 ティガがやられる。

 

 誰もがそう思った瞬間、ティガの姿がかき消え、カミーラと同じ海上に移動した。

 

「!?」

 

 カミーラ、勇者、ティガは驚愕の後、ティガが消えたその場所にいた、頭に包帯をぐるぐる巻きにした少女の姿を見つける。

 

「ひなた!?」

 

『ひーちゃん!?』

 

 病院を抜け出し、額の包帯に血を滲ませながらここまで来て、カガミブネでティガを飛ばしてくれた。彼女が、ティガを助けてくれたのだ。

 

「ふふっ、うろたえ若葉ちゃんも可愛いです。……御守さんが、取り戻してくれたんですね」

 

 ひなたはとても嬉しそうに、心底感謝した表情で、ティガを見る。

 ティガとひなたの目が合った。

 

 その一瞬。

 二人の間に、謝罪が行き交い。

 二人の間で、信頼が行き交い。

 ひなたからティガへと、応援が送られた。

 目と目だけで二人は通じ合う。

 

 ティガは無言でひなたに頷いて見せ、カミーラとまた相対した。

 ひなたがカガミブネで送れば、勇者達もまた同様にティガのいる位置へと送られて、ティガの周辺で防御陣形を構築する。

 

(もっと)

 

 ゼペリオンでも駄目だった。

 だが、諦めるという選択肢はない。

 信じられている。だから勝つ。

 しからば自分の限界を超える一撃が、伝説も神話も塗り替えるような一撃が、必要だった。

 

(もっと、凄まじい一撃を。最強の一撃を! 三千万年前にはなかったような一撃を!)

 

 体の中に光を溜める。

 またカミーラが先程のような闇を撃つ準備を整える前に。

 勇者が守ってくれている間に。

 自分自身と向き合って、自分自身の最強を生み出す。

 

 "御守竜胆だけ"の最強を。

 

(異なる力を一つに。

 皆の想いを一つに。

 二つを一つにするくらいなら、今まで散々やってきた!)

 

 集中して、集中して、集中して。

 竜胆の肩に力が入って。

 遠くに、ティガと若葉を信頼しきった、上里ひなたの微笑みが見えた。

 

 竜胆の肩の力が抜けた。

 スペシウム光線とゼペリオン光線が、腕の中で穏やかに混じる。

 流麗に入り混じった二つの光線が足し算ではなく掛け算で威力を爆発的に増加させ、L字に組んだその腕から、合体光線として放たれた。

 

 

 

『―――スペリオン光線ッ!!』

 

 

 

 アグルから教わった絆の光線。

 ティガの身に宿る必殺の光線。

 そこに星の力、巨人の力、勇者の力、地の神の力、全てを一緒くたにして混ぜこぜにして、全てまとめて叩き込む。

 全ての光が引き立て合い、高め合い、マガカミーラの闇を突き抜けながら直撃する。

 

「光……ひかりっ……ヒカリッ……私の、私は、私が……消えろ消えろ、光ッ……!」

 

 そして、その肉体を貫き、内側からの大爆発を引き起こさせる。

 

 カミーラの全身は粉々になり、千々に砕け、残骸全ては光となって消滅していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カミーラの肉体は、細胞一つ残さず消滅したと言える。

 

「やったね、リュウくん!」

 

『いや、やってない』

 

「え?」

 

 だがそれは、カミーラの完全消滅を意味しなかった。

 

「うっ、ああああっ……あああっ……ティぃぃぃガぁぁぁぁ……」

 

「な、なにこれ……」

 

『……カミーラ』

 

 細胞一つ残さず消滅したのに、カミーラはこの世から消え去ってはいなかった。

 医学的、物理的に見れば、間違いなく死んでいる。

 だが肉体を失ってなお、カミーラの妄執は消え去ってはいなかった。

 

 これが、三千万年前にカミーラが生き残った理由。

 肉体は死んでも、愛憎と執念だけで亡霊のように現世にへばりつき、憎悪と怨念から闇の力を無制限に高めていく。

 かつてこれが地球のエレメントとして扱われ、闇ノ魔王獣は完成した。

 

「終わらない……この愛は終わらない……私は終わらないっ……!」

 

 力で砕けるのは、カミーラの肉体までだ。

 怨念は残り、愛憎がその残滓を突き動かし、いつか必ず復活する。

 通常の手段でカミーラを倒すことはできない。

 それこそ、あらゆる闇を消し去るような光線技であろうと、カミーラのこの(あい)を消し去ることはできないだろう。

 人の心から、闇が消え去ることがないのと同じように。

 

「……この愛が報われないなんて、許さない……!」

 

 愛憎は、物理攻撃では砕けない。

 

「邪魔だ」

 

「―――!?」

 

 その怨念が、吹き散らされた。

 

 黒い霧のようになっていたカミーラが、一兆度の火球に吹き飛ばされる。

 

「失せろ。私の番が来た」

 

『……ゼット』

 

 まるで、空がガラスのようにひび割れて、砕けて穴が空く。

 その穴から這い出してきたゼットが、いかな技術を凝らしたのか、カミーラの残滓を一兆度で吹き散らしたのだ。

 カミーラは消滅してはいないのだろうが、少なくともこの場からは消え去った。

 

「待たせたな」

 

『待ってねえ、帰れ』

 

 ゼットはふっと笑った。

 

「そう言うな。もう私も、お前と同じ、三分とない命だ」

 

『え?』

 

「この身の内には、命を削る天の神の祟りがある。

 あの性悪女の仕込みで、私は天の神にもあの女にも逆らえない。

 逆らえば命が削れる。だから今、あの邪魔な女を攻撃でどけたことで、もう命は底をついた」

 

『!』

 

「私もお前も、残り時間はあと二分。これが全てだ」

 

 あの大侵攻の日に、ゼットは大侵攻の戦力の半分を倒し、その強さを経験値としてその身に取り込み、自分を"最後のバーテックス"とすることで天の神の強化を引き出し、その代価として命と寿命の多くを支払った。

 今日、カミーラに攻撃したことで、それがトドメとなった。

 

 ティガはあと二分しか地上に存在できない。

 ゼットはあと二分しか生きていることができない。

 勝者は一人。

 敗者は全てを否定される。

 

「これで対等だ」

 

『バカじゃないのか』

 

「私の生涯にとって何が大切かは、私が決める」

 

『……お前』

 

「高嶋友奈。面白い女だな。

 お前も、お前自身を諦めていた。

 私も、『ウルトラマンティガ』を心のどこかで諦めていた。

 だがあの少女は、何も諦めてはいなかった。感謝しなければならないだろうな」

 

 じり、と二人の足が地表を踏む。

 緩やかに、二人は対峙しながら横方向への歩みを始め、避難が完了した街を歩く。

 ゼットに街を壊す意図はなく。

 ティガには街を壊させたくないという意志があり。

 二人は、互いの隙を伺いながら歩く。

 

「お前を、ウルトラマンにしてくれたことに」

 

 沈黙。

 静寂。

 無音。

 歩いていた二人はやがて止まり、開けた場所で対峙する。

 

 その瞬間、世界が息を飲んだ。

 

 ティガ、ゼットが同時に瞬間移動。

 愛媛上空にて激突を開始した。

 次の瞬間には徳島沖の海で二人はぶつかっていて、瞬きの間にまた香川へと戻って来る。

 

 瞬間移動合戦は互角……否、ほんの僅かに、ゼットが速い。

 

『っと』

 

「私に等しい力を備えてきたか!」

 

 瞬間移動しつつ、ティガはダークタイプにタイプチェンジ。

 荒々しくゼットの攻撃に対抗し、危うくハイパーゼットに競り負けそうになるが、瞬間移動した友奈の援護で事なきを得た。

 

『さっきの戦いじゃ、ロクにホールド光波当たらなかったからな!』

 

「賢明だ! 競う選択としては、悪くない!」

 

 ならばスピードで勝負だと、スカイタイプに変わってまた瞬間移動合戦。

 速さと技で拮抗するものの、力負けしてやられそうになり、瞬間移動した杏の援護射撃に助けられ、事なきを得た。

 

『うらァッ!!』

 

 パワータイプならば、力では戦えるが、技と速さで競えない。

 だが歌野と雪花が援護に入ってくれたことで、パワータイプは地上戦にてハイパーゼット相手にさえも競り勝った。

 

「ほう」

 

 そして、マルチタイプと若葉、千景が、瞬間移動を織り交ぜてぶつかる。

 

「『大天狗』!」

 

「『玉藻前』!」

 

 ゼットは全力で防御するも、防御に使った槍を持つ手が、軽く痺れた。

 

 スペックや数字で見れば、今のティガはあの時のガイアSVよりも確実に弱い。

 あの時ガイアの身に宿っていた地球の力は、ゼットに負けて死んだことでかなりの量が霧散してしまった。

 残った力の一部はガイアと共に神樹と同化してティガの強化に使われているが、それでも純スペックで言えばあの時のガイアSVには届かない。

 

 だが、"それを補って余りあるもの"が、ティガにはあった。

 

 ゼットが攻めては、若葉と友奈と歌野が援護に入る。

 ゼットが受けては、千景と杏と雪花が援護に入ってくる。

 そして事あるごとに、大社が運用し、巫女が起動するカガミブネが瞬間移動で的確なサポートを入れてくる。

 人類が一丸になっているかのような強さ。

 あの時のガイアには無かった強さ。

 

 醜く、弱く、自分勝手で、流されやすい人間達が皆揃って、ティガと同じ方を向いている。

 踏みつけられても、叩きのめされても、罵られても、人に悪意を返さず愛し続けたティガの心は全て人々へと伝わり、人類に変革の第一歩を踏み出させた。

 そうして一丸となった人々の想いもまた、今のウルトラマンティガを後押ししていた。

 

 "これこそがティガの強さなのだ"と、ゼットはティガの光を噛み締める。

 

「悪くない。ようやく、少しはまともな人類になったな!」

 

『採点官かお前は! お前に人類の価値を決める権利なんてねえよ!』

 

「人類に対する評価と採点が甘すぎるお前よりはずっとマシだ!」

 

 人類全てが一丸となり、その意志がゼットに立ち向かう。

 そもそも、ティガが悪だという認識が絶対的にそこにあったからこそ、ティガという巨悪に立ち向かい攻撃を行う勇気ある人間が発生していたのだ。

 ティガが善と認識されたなら。

 ゼットという悪が認識されたなら。

 臆することなく、ティガの味方として、どんなに恐ろしい敵にも立ち向かう人々はいる。

 

(まだガタガタではある、が。まがりなりにも一つになったか、人類め)

 

 ダークタイプの派手な蹴りで顔面を蹴り飛ばされ、地面に叩きつけられるゼット。

 土煙の中、よろめきながら立ち上がるゼットの脳裏に、何かの言葉が走る。

 

(なんだ?)

 

 違和感を覚え、自らの内に意識を向ける。

 小さな声があった。

 それは、ゼットに取り込まれ、ゼットと一つになったことで、ゼットの心の影響を受けたバーテックス達の心の声。

 小さな心が芽生えたバーテックス達の声。

 

 彼らの心の声は小さい。

 それは、彼らに芽生えた心が小さいからだ。

 だが、彼らは声を張り上げ、ゼットにも聞こえるような大きさの心の声で、叫んだ。

 

 "共に戦おう"と。

 

(……お前達は)

 

 ゼットの心が伝染(うつ)って、心なき生物達に、小さな心が芽生えた。

 我らが生まれた意味を果たそう、と。

 君が生まれた意味を果たそう、と。

 バーテックス達は天の神から与えられた"人類を滅ぼす"という使命を果たすため、そしてゼットの生まれた意味である"全てのウルトラマンを倒す"という使命を果たさせるため。

 

 "共に戦おう"と、繰り返し叫んでいた。

 

「いいだろう」

 

 離れた場所に着地し、ゼットに遠距離攻撃を仕掛けてようとしているティガ・マルチを見つつ、ゼットは己の内を見つめる。

 ゼットに倒されたバーテックスがいた。

 ウルトラマンに倒されたバーテックスがいた。

 勇者に倒されたバーテックスがいた。

 

 全員が揃って、"お前を勝たせてやる"と偉そうに言っていた。

 この偉そうな心は誰に似たんだかな、と、ゼットは一人笑む。

 

「私達にとっては、これが最後の戦い、最後の決着でいい。

 我らがこの世界に生まれた意味を、今ここで、果たそう。

 『殺す』という役割を果たそう。

 今日、この日、この時、この場所で……私達全てと、人類全てで、決戦だっ!!」

 

 その瞬間。

 ゼットの全身から、無数のバーテックス達が飛び出した。

 

 幾千、幾万の星屑。

 亜型ではない、本来の姿を取り戻した十二星座達。

 全てがゼットの体より再生・生産され、ゼットを勝者にするために、"人類絶滅"の使命を果たすために、四国へと襲来した。

 

『なんて奴だ……一人で軍勢を生み出せる能力まで!?』

 

「こちらも全力で行かせてもらうぞ! 私の全力―――いや、私達の全力で!」

 

 ティガは一瞬迷った。

 守るために"何"に立ち向かうのか。

 バーテックスの軍勢と、ティガ以外の誰も止められないゼットを見比べて、竜胆はひとつの決断を迫られる。

 

 "信じて振り返らず全てを任せる"か、そうでないかを。

 

『―――任せたッ!!』

 

 そして、信じることを決めた。皆を心の底から信じ、皆に全力で任せることを決めた。

 

「「「 任せろ! 」」」

 

 若葉、友奈、歌野の感覚派達が、反射神経全開で、ノータイムで叫んで返し。

 

「「「 任せて! 」」」

 

 千景、杏、雪花の考えてから動く派が、ほんの少しだけ遅れて叫んで返した。

 

 軍勢の合間をすり抜けるようにスカイタイプで飛び、ゼットの前に降りるティガ。

 不思議なことに、バーテックス達は一体たりとも、ゼットの下へ向かうティガに攻撃を仕掛けることはなかった。

 まるで、"そのタイマンを邪魔する気はない"とでも言わんばかりに。

 

 かくして、ティガとゼットは対峙し、勇者がバーテックス達に立ち向かい、どこかで人間の誰かが負ければそれだけで人類が滅びそうな、ゼットとの因縁の決戦が幕を上げた。

 

「ここから先、お前は仲間の援護を一切受けられない。お前の強みは消える」

 

 ハイパーゼットが、地面に槍を突き刺し、指をコキコキと鳴らす。

 

 仲間が、ティガから強さの源を引き剥がしてくれた。だから、ゼットは負けられない。

 

『俺がお前から全てを守るから、皆は世界を守る。それだけだ』

 

 ウルトラマンティガが、胸の前で拳を打ち合わせる。

 

 仲間が、世界を守ってくれている。だから、ティガは負けられない。

 

『戦いの後、俺が帰る日常の世界は、皆が絶対に守ってくれる。信じてる』

 

 帰る場所が要らないゼット。

 帰る場所を託したティガ。

 

 この戦いで燃え尽きてもいいゼット。

 この戦いの後も生きていきたいティガ。

 

 殺すために生きてきたゼット。

 殺させないために生きているティガ。

 

「敵を倒して世界を救う。敵から日々の世界を守る。役割分担は容易、というわけか」

 

 黒き巨人ゼット。

 銀の巨人ティガ。

 

 闇の怪獣ゼット。

 光の巨人ティガ。

 

 その全ては、自分達バーテックスが生まれたことの意味を、証明するために。

 その生涯は、死んでいった全ての人達の死に、意味があったことを証明するために。

 

 天の神の側に立って。

 地の神の側に立って。

 

 今、光を知った彼は、成長を得たその心で、絶滅を与えんとする。

 今、光を取り戻した彼は、成長を重ねたその心で、生存を勝ち取らんとする。

 

「お前らしい。いや、私は……お前がそう選択すると、心のどこかで信じていたのかもしれない」

 

 無言の間。

 

「……」

 

『……』

 

 何度も、何度も、戦った。全力をぶつけ合い、命を賭して戦った。

 ゆえにこそ、宿命の二人。

 二人の手が、口が、同時に動く。

 

「ティガァァァァッ!!」

 

『ゼットォォォォッ!!』

 

 突き出されるゼットンの両拳。

 L字に組まれるウルトラマンの両手。

 互いが放つは、互いが持ち得る最強光線にして必殺光線。

 

「ゼットシウム光線ッ!」

 

『スペリオン光線ッ!』

 

 赤紫のゼットシウムと、竜胆の如き色合いの青紫のスペリオン。

 

 二つが衝突し、相殺され、大爆発。

 

 二人の最後の決戦は、最強光線の威力が完全に互角という、どちらが勝つかまるで読めない開幕から始まった。

 

 

 




 ゼットとの、最後の決戦

 ゼットは『ウルトラマンを倒す』という夢を抱き、ティガは『皆で生きていく未来』を夢見た
 バーテックスは、勇者は、その夢に懸けた


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

ここでぴったり50話
そして今日は専門書籍で『ウルトラ元年の日』と書かれている日です
ウルトラマン第一話放送が7/17で、設定上初代ウルトラマンが地球にやって来た作品内の日付も7/17なのですよ

今回も四万字超えたので更新ペース遅くなっててすみません


 御守竜胆は、初めからとても強い子だったのだろうか。

 いや、違う。

 最強の戦士は、人より少しだけ優しくて、人より少しだけ我慢強いだけの子供だった。

 

 きっかけは、両親の事故死だった。

 御守の両親は二人の子供を置いて、先に行ってしまった。

 当時小学生だった竜胆は、泣かなかった。

 自分よりもっと幼い妹が泣いていたから、泣かなかった。

 彼にとっての"死"の始点は、ここだったのだろう。

 

 彼は『変わろう』とした。他の誰でもなく、妹のために。

 

 ただの小学生でしかなかった彼は、幼い体で、家族のために強くなることを決意した。

 

 当時、竜胆と友人だった安芸真鈴は、その一連の流れを見ていた。

 習い事の先輩だからと、ふざけて先輩と呼んでいた頃は、まだ竜胆も人助けを迷わない勇気と優しさを持つ少年だった。

 だが、両親をなくしてからは、そこに強さも備わった。

 

 強さに、優しさに、勇気。

 正しさと義も掲げるようになって、竜胆少年は立派な自分、進むべき道や選んではならない人生を妹に見せることを考えるようになった。

 両親が自分の名『竜胆』に込めた願いを体現するため、今は亡き両親の想いを受け継ぎ、その花言葉に沿って生きることを心がけるようになった。

 だからあの時、竜胆は、千景に迷わず手を差し伸べられたのだ。

 

 一人の少年が、人より少しだけ優しくて、人より少しだけ我慢強いだけの自分に鞭打って、立派な兄になろうとした日々を、安芸真鈴はちゃんと見ていた。

 

 兄妹を見ていた真鈴曰く。

 なんだかちょっと、笑えたらしい。

 兄妹が考えることは同じで、"自分が助けて支えないと"と互いに対して思ったようだ。

 兄は妹の手を引き、間違ったことを間違っていると言える兄に。

 妹は脇の甘い兄を支え、兄よりしっかりした妹になっていった。

 

 兄よりしっかりした妹を見て、安芸はついつい笑ってしまったこともある。

 あの兄妹はずっと仲良く暮らしていくんだろうと、安芸は信じていた。

 信じたかった。

 

 ある日のこと。御守兄妹が高知で千景と出会うしばらく前の、夏の日のことだった。

 

 台風が近付いていた風の強い日で、妹の花梨(かりん)は大切にしていたペンダントを風に吹かれて落としてしまい、ペンダントは橋の上から川の中にぽちゃんと落ちてしまった。

 花梨はたいそう悲しみ、兄はその顔を見て、迷わず川の中に踏み出した。

 

「ちょっと待ってて。取ってくるから」

 

「あ、兄貴」

 

 妹は何度も止めたが、竜胆は大丈夫大丈夫と言って川の中に踏み込んでいく。

 落ちた場所はちゃんと見ていた。

 水流でどの程度流れたかの見当もついていた。

 だから、彼には川からペンダントを見つける自信があったのである。

 

 とはいえ、川というものは水底に足を取る藻混じりの泥があり、足は沈むは足は取られるわと最悪な上に、ぬるっと滑る要素の塊である。

 川で滑って転んで頭を打って死んだ人間など、過去事例の枚挙に暇がない。

 水底は整地なんてされていないので、子供の足を簡単に切ったり貫通したりするガラスの破片・金属の欠片・尖った石などでいっぱいだ。

 観光地でもなんでもない川に素足で踏み込むことは、足が傷だらけになり、そこから悪い菌などに侵入されたりすることを前提とした、相当に愚かな行為なのである。

 

「お、あった。花梨ー! あったぞー!」

 

 兄は、どのくらい探していたのだろうか。

 ただ、短い時間でないことだけは、確かだった。

 妹が見守る中、竜胆は一度の休憩も取らず、賢明に川の底をさらっていた。

 生まれた時からずっと兄と一緒にいる妹から見ても、もう呆れるしかない優しさ。賢明さ。一途さ。……困っている人間を助けるという、心の基本姿勢。

 

 帰って来た竜胆は、手も足も切り傷だらけで、歩いた後には足裏の傷から流れる血の跡がしっかりと残っているくらいであった。

 本人は気付いていなかったようだが、竜胆の足の端は川で踏んだ釘が貫通していて、下から上に突き抜けた血塗れの釘が痛々しかった。

 けれども竜胆は、満足そうに、嬉しそうに、笑っていた。

 

「どうして、こんな……」

 

「妹にとって大切なものは、お兄ちゃんにとっても大切なものなんだよ」

 

 笑顔で、竜胆は見つけ出したペンダントを妹に手渡す。

 

「んー、いや、これだとちょっとニュアンスが違うか。

 僕にとって大切な人が大切にしている物は、僕も大切にしたいんだよ。

 立場逆にして考えてみれば、なんとなく分からないか?

 "自分の大切な人が自分の大切な物を蔑ろにしてる"って普通に嫌だろ」

 

 花梨にとって、彼は理想の兄だったと言える。

 竜胆はいつも、優しい選択を好んでいたから、"妹のお手本としての兄"の観点で見るならば、竜胆は百点満点の少年だった。

 人によって大切なものは違う。

 思い出の品、信念、居場所、友人。

 譲れない大切なものが異なれば、あるいは大切なものが同じなら、人は大切なものを理由にして争い合うこともある。

 

 本当に大事なことは、他人の大切なものを尊重すること。

 そして、他人の大切なものを見下したりバカにしたりせず、できれば自分も大切にしてあげることである。

 言うは易しだが、実際にやるとなると結構難しい。

 

「兄貴はホント、兄貴だよね」

 

 花梨はペンダントを受け取った時、兄の手を見る。

 他人の大切なもののためなら傷だらけになることも厭わない、小さなヒーローの手。

 "自分が傷付いたら周りの人が悲しむ"ということを重く扱わない、バカの手。

 小学生の内からこんな性格な兄を見て、花梨はとても大きな心配と、同じくらいの大きな誇らしさを感じていた。

 

 あたしこういう兄貴が好きなんだなあ、なんて思いながら。

 

「兄貴はさ、皆の笑顔のためなら最強になれるってこと、あたしは知ってる」

 

「そんな大げさな」

 

「大げさじゃないってば」

 

 最強でない彼が最強と成る瞬間を、妹は知っていた。

 "千景の笑顔のために頑張っていた"竜胆が最初の変身で暴走し、たった一人の家族である妹を殺したあの瞬間に、花梨は何を思ったのだろうか

 へへへ、とはにかむ兄が、妹に笑いかける。

 

「じゃあ僕が一番強くなる時は知ってるか?」

 

「知らない。何?」

 

「愛する妹のために頑張ってる時だよ。おーいてて」

 

「……ばーか」

 

 ふんっ、と笑みをこぼす花梨。

 竜胆は自分の足を貫いている釘を抜こうとしていたが、抜けない様子。

 

「痛い痛い痛い! 花梨どうしよう!」

 

「えー、そりゃ痛いでしょ……なんでさっきまで平気そうな顔してたの……」

 

「目的に向かってる最中の痛みは必要経費だろ!」

 

「……それで我慢できるなら今ももうちょっと我慢しなさいよ!」

 

 他人のために何かやっている時は、痛みを無視できる。

 けれど、痛みに鈍いわけではなく、本当は人並みの痛みにしか耐えられない。

 そんな子供。

 彼はずっと我慢しながら、妹のペンダントを探していた。

 

 さっき"愛する妹"と恥ずかしげもなく言われたのを思い出して、少し照れた様子で花梨は頬をかき、背伸びをする。照れをごまかすように。

 

「あーあ、兄貴があたしより大切な女の子の一人や二人、さっさと作ったりしないかなー」

 

「そんなポンポン大切に思える子なんて作れるもんか。

 女の子と仲良くなるのだって結構難しいぞ。同性の方が楽楽、楽ってもんだよ」

 

 にっ、と花梨は笑う。

 

「そしたらさ、兄貴は最強で無敵になるんじゃないかな、なんてあたしは思うんだよね」

 

「えー、そうかな」

 

「そうに決まってる!

 だってさ、女の子を守る時無敵な男の子の方が、かっこいいじゃん!」

 

「願望じゃねえか!」

 

 願望、の一言では片付けられない。

 花梨はそれを信じていた。

 兄は、人の笑顔のためなら最強だと。

 本当に大切な人が出来たら、きっと無敵だと。

 自分の兄はヒーローであると、そう信じていた。

 

 この兄が、この妹を殺した事実は、きっと永久に消えることはなくて。

 二人の兄妹が歩んでいく未来は、もうどこにもなくて。

 

 だが、だからこそ勇者達が御守竜胆を救った事実は、偶然必然で語ることが無粋に成り果ててしまうほどの『奇跡』であると言えた。

 竜胆に幸福を受け入れさせた軌跡は、奇跡としか言いようがなかった。

 

 

 

 

 

 ゼットは初めから強い存在だったのだろうか。

 そう、初めから強い存在だった。

 

 彼はゼットンメイカー、バット星人によって生み出された最強のゼットンだ。

 竜胆のように涙を流したり、揺らいだり、弱さを見せたりするような心など、その身には最初から備わっていなかった。

 戦闘力も、努力せずとも最強クラス。

 

 強かったから、本当は仲間は必要なかった。

 強かったから、本当は努力も必要なかった。

 強かったから、想いも覚悟も必要なかった。

 

「お前は最強だ。初めから最強として創り上げた」

 

 バット星人は、そう言った。

 

「今までのゼットンも、最強だった。

 負ける要素などどこにも無かったのだ。

 だが、負けた。

 弱い方の人間とウルトラマンが、勝利した。

 何故か?

 ゼットンに心がなかったからだ。

 ゆえに、ゼット。お前には邪悪な心を植え付けた」

 

 そう言って、バット星人はゼットの体を仕上げていった。

 

「思うがまま振る舞うがいい。

 その心は、お前が最強で在り続けるためにある。

 蹂躙し、抹殺し、超越しろ。その虐殺を止められる者など、どこにも居はしない」

 

 けれど結局、ゼットはバット星人の手でロールアウトされることはなかった。

 その前に、バット星人が別宇宙にてウルトラ戦士と交戦、敗北してしまったからだ。

 ウルトラマンのいないこの宇宙に、ゼットは一人残された。

 完成することもなく。

 生み出されることもなく。

 一人、孤独に、時間を重ねた。

 

 何も起きない、何も成されない、バット星人の研究所にて、ゼットは一人の時間を過ごす。

 その時間を苦痛に感じなかったのは、彼の心が竜胆のそれとは違い、孤独に対しても強いものだったからなのだろうか。

 

(ウルトラマン、ウルトラマンか)

 

 ゼットは生まれる前の状態で、夢見るようにウルトラマンを想った。

 

(どんな者達なのだろうか。

 データはある。だが、この目では見ていない。

 不可能を可能とする者達。

 心の力で、自分よりも強い者に勝つ光の巨人……)

 

 初代ウルトラマン。ウルトラ兄弟。

 グレートに、パワードに、ネオスに、ナイスに、マックスに、ゼロ。

 ウルトラの父に、ウルトラマンキングに、ウルトラマンノア。

 ティガに、ダイナに、ガイア。

 コスモスに、ネクサスに、ベリアル。

 ギンガ、X、ウルトラマンサーガにウルトラマンレジェンドも。

 

 他にも様々なウルトラマンの情報がインプットされており、ゼットには最初からバット星人が持つ全てのウルトラマンの情報が注ぎ込まれていた。

 技だけしか情報のないウルトラマンも、容姿以外何の情報もないウルトラマンもいた。

 バット星人が知っていることしかゼットは知ることができなかったが、それでも情報量は膨大であり、それだけで十分だった。

 

 ウルトラマンの歴史は長く、多く、深い。

 初代ウルトラマンからウルトラマンメビウスまでの、十人のウルトラ兄弟達と地球人の物語だけを拾っても、40年だ。

 ゼットはバット星人から与えられたウルトラの歴史、ウルトラマンの知識を頭の中で繰り返し、いつの日か戦うことを夢に見た。

 

 ずっと、ずっと。

 何年も、何年も。

 生まれることすらできず、体も心もまともに発生しきっていない状態で、カプセルの保存液の中でゆらゆらと揺れながら、想っては忘れて、願っては忘れて、夢見ては忘れて、来るかどうかすらも分からない未来を思って、ゼットはウルトラマン達を想っていた。

 

 『ウルトラマン』だけが、風の中のロウソクに等しかったゼットの命を、想いによって繋いでくれていた。

 

 それがゼットの記憶に残る、原初の記憶。

 彼が生まれる前の、羊水の中の赤ん坊の記憶に等しい、僅かに残された記憶。

 今はもう、ほとんど忘れ去られた記憶。

 

(会ってみたい。戦ってみたい。私が思う通りの、強い者達なのだろうか)

 

 戦いたい。それだけを夢見て、死にゆく未完成な自らの命を繋ぎ留めていた。

 

(それとも、私が思う以上に強く、凄い者達なのだろうか。できれば、そうであってほしい)

 

 勝ちたい。それだけを願う命だった。

 

(勝ちたい。勝ってみたい。いや、勝つのだ。それが私の生まれた意味なのだから)

 

 最強の生命は、生まれる前に放置され、生まれぬまま朽ちていき、されど願い続ける。

 

(いつか、私の予想も、期待も、力も、努力も、その全ての上を行くウルトラマンに会えたなら)

 

 いつの日か、"生まれてきてよかった"と思わせてくれる、最高の好敵手(ウルトラマン)と出会うために。

 いつか来るその日を、夢見続ける。

 

(この宇宙の誰もが倒せないようなウルトラマンに。

 この私が勝てたなら。

 その時点で、きっともう、私の中に……心残りはないはずだ。命の意味を、果たせるはずだ)

 

 そんなゼットの想いを、祈りを、天の神が拾った。

 神とは、聞き届けるもの。

 祈りを聞き、時にそれを叶えるもの。

 

 ゼットの祈りは、宇宙を照らす星の神の一柱に、聞き届けられた。

 

(なんだ?)

 

 そこからは、さして特筆すべき事はない。

 天の神の力で、まだ生まれていなかったゼットは、ようやく世界に産み落とされた。

 最初に作った者・バット星人が与えた使命は、『全てのウルトラマンを倒せ』。

 生み出した神が与えた使命は、『人を滅ぼせ』。

 

 ゼットは好きにした。

 強制されて何かを決めることはしなかった。

 ただ、自分が好きなように選んで、好きなように目的を選択した。

 だからこそ、"いかなる手段を用いてもウルトラマンを滅ぼせ"というバット星人の意図にも、"いかなる手段を用いても人を滅ぼせ"という天の神の意図にも、従わなかった。

 

「戦ってはやる。だが、覚えておけ。私は誰の指図も受けん」

 

 強かったから、本当は仲間は必要なかった。

 だが、ゼットン軍団を率いた。今も、バーテックスの軍隊を率いている。

 一人でよかったのに、一人ではなくなっていた。

 

 強かったから、本当は努力も必要なかった。

 だが、自らを鍛えた。

 多くのウルトラマンを仮想敵に捉え、その全てを倒すため、自らを鍛え続けた。

 ゼットは最初から最強だったが、"最強程度ではウルトラマンには負けてしまう"ことを、『ゼットン』である彼は十分に理解していた。

 

 強かったから、想いも覚悟も必要なかった。

 だが、自然とそれは備わっていた。

 勝とうとする想い。

 負けて死ぬ覚悟。

 必要な分の心は最初から備わっており、後は成長を待つだけだった。

 

「ウルトラマンにとってかけがえのない星、地球。

 そして、人間の勇気と戦力の象徴、勇者か……くくっ」

 

 初めて地球を見た時。

 

 とても楽しそうに、ゼットは笑った。

 

「数々のゼットンを倒してきた、人間とウルトラマンの絆か。

 データにあった特殊戦闘機の類はないようだが……まあいい。

 五人の勇者に六人のウルトラマン。心躍る私は、幼稚か?

 だが……ここまで戦う相手に恵まれたゼットンは、私以外にはそういないだろうな」

 

 この時のゼットはまだ、幼稚に無邪気に信じていた。

 全てのウルトラマンが、全ての勇者が、全ての人類が、心一つにして自分という脅威に立ち向かってくることを。

 

 だからだろう。

 逸る気持ちを抑えきれず、未完成な体で地球に降り、多様な精霊を使いこなすウルトラマンネクサスに戦いを挑み、未完成な体のままネクサスの腹に大穴を空けてしまったのは。

 彼は未完成な体にて、気持ちに突き動かされるようにして、地球に降りていく。

 

「さあ、開幕だ。この星を、あの戦士達を―――私が、砕く」

 

 そうして、地球に降りたゼットが見たものは。

 予想を遥かに超えた力弱きウルトラマンと、醜い人間と、唾棄すべき人々の仲間割れと。

 期待を遥かに超えた心強きウルトラマンと、美しい人間と、尊ぶべき人々の絆だった。

 

 

 

 

 

 結局、ティガは人間を虐殺したが、ゼットは人間を一度も虐殺しなかった。

 ティガはずっと殺すことに罪悪感を覚え躊躇ったが、ゼットにそういうものは一切なかった。

 竜胆は悪行を成した人間でも殺すことを拒否したが、ゼットにそんな気持ちは全くなかった。

 

 ティガは他人のために虐殺し、他人のために戦うことを決めた。

 ゼットは自分のために強くなり、自分のために戦場に身を投じた。

 ティガは心ある存在が心を失い暴走し、心の人間性を削り、けれど最後に原点に帰った。

 ゼットは心を一から育て、どこにあるかも分からない心のゴールを目指した。

 

 何を失おうとも、ウルトラマンに勝てればよかったゼット。

 失うたびに、もう失いたくないと心で叫んだティガ。

 力こそが全てだったゼット。

 力は幸福と笑顔を守る道具でしかなかったティガ。

 

 ティガには大切なものがたくさんあって、ゼットにはたった一つの大切な夢があった。

 

 ゼットは光の強者(ウルトラマン)を倒す勝利を夢見て、ティガは光の未来を夢見た。

 

 ゼットはティガに同族が殺されたことを、ほとんど気にしておらず。

 ティガはゼットに殺された仲間のことを、きっと一生忘れることはない。

 

 今日に至るまでの二人の運命は、どこまでも反対方向に向かっている。

 

 

 

 

 

 だからこそ。

 二人は戦う。

 所属勢力が違う、目的が違う、守るものが違う、目指すものが違う、等々幾多の理由はある。

 だが、それ以上に。

 

 "こいつにだけは負けられない"という灼熱の意志が、両者の中にはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、大気を嵐のようにかき混ぜる豪快さと、針の穴を通すような精密性を併せ持つ斬撃だった。

 両者同時に瞬間移動、瞬間移動、そして瞬間移動の直後に槍と手刀の斬撃。

 

『スラップショット!』

 

「はっ!」

 

 同レベルの速度、威力、切断力を持った、マルチタイプの手刀とゼットの槍斬撃が衝突する。

 だが、速度、威力、切断力、全てにおいてゼットが少しずつ上回っていた。

 ティガの手刀が切り裂かれ、強烈に腕ごと弾かれる。

 

『っ』

 

「どうした! そんなものか! ティガ!」

 

『まだまだ!』

 

 二人は四国外縁の海岸線、海上、空中とめまぐるしく戦場を変えながらぶつかり合っていく。

 四国は今、ほぼ全域で勇者とバーテックスが戦闘中だ。

 飛び回るバーテックス達を、瞬間移動を繰り返す勇者達が迎撃している。

 だが、ゼットもティガも、そちらに目を向けることすらしていなかった。

 

 ゼットは仲間を信じていない。

 だから、仲間が勇者に皆やられても、きっと動揺すらしないだろう。

 仲間に期待をしていない。

 だから仲間に失望も落胆もしない。

 たとえ、何も成せずにバーテックス達が全滅しても、"よくやった"と一言だけ言って、バーテックス達の努力と敗戦の内容にも目を向けず、無条件でバーテックス達を受け入れるだろう。

 

 バーテックスの奮闘も敗戦も、ゼットにはきっと影響を与えない。

 

 ティガは仲間を信じている。

 だから、勇者達がバーテックスにやられば、かなり動揺するだろう。

 仲間に期待をしている。

 だから、仲間の敗北が心を直接揺さぶってしまう。

 されどそれが、"仲間を信じる心"という名の力を生んで、ティガの力をブーストしている。

 

 勇者の奮闘も敗戦も、全てがティガの力に影響を与えてしまう。

 

 ゼットは信じておらず、期待もしていないため、仲間を見ない。

 ティガは仲間を信じ、極力自分の動揺を抑えるため、仲間を見ない。

 仲間を見ない理由まで、二人は対極だった。

 

「来い!」

 

『言われなくても行ってやる!』

 

 地に足着けて踏み込んで、二人は交錯した。

 精霊行使はどうにも竜胆との相性が悪い。

 パワータイプに切り替えて、竜胆は攻撃を組み立てる。

 まず撃ち放つは、パワータイプの豪腕四連撃。

 

「!」

 

 ゼットは上半身と顔を狙う四連撃を槍で弾くが、それは本命であると同時に囮。

 上半身への連撃がゼットの意識をそこに引きつけ、五連撃目のパワータイプの拳の側面から、ゼットの右足へ向かってネクサスの光の鞭(セービングビュート)が飛んだ。

 五発目の拳を槍が弾いて、ティガが弾かれた拳を引けば、ゼットは足を取られて転びかける。

 

 拳は突き出された後、引き戻される。

 当然のモーションが、当然でない体勢崩しへと変わる。

 崩されたゼットの体勢。

 

 そこに、パワータイプの空手技・三日月蹴りが飛んだ。

 

『!』

 

 だがゼットは、右足を引っ張られて体勢を崩された状態で、左足一本で柔らかに跳び、ティガの蹴り足に片腕で"乗った"。

 蹴りを受けず、蹴りに乗るという異端の防御。

 突然体勢を崩されたにもかかわらず、針の先ほどの動揺も見せず、柔らかで正確な跳躍と対応を見せるという異常性。

 ゼットは片手でティガの足に乗り、片手でそのまま槍を突き出してきた。

 

 瞬きほどの時間も無い、刹那の一瞬。

 ティガはゼット同様片足で跳び、"ありえないほどの跳躍"にて槍の一撃をかわした。

 それはまごうことなく"跳躍"を強化する精霊の効能。

 反射的に踏み出した回避の一歩を、確定の回避に変える力。

 

「精霊義経か」

 

『うぷっ……』

 

 回避はできた、が、ティガは気分悪そうにふらついてしまう。

 精霊を使えば使うほど体に溜まる倦怠感、体力の消耗、体組織の摩耗。

 今日ティガが行使した中でほとんど消耗がなかったのは、輪入道だけだった。

 

 その理由は分かっている。

 輪入道だけが特別だから、その理由はよく分かる。

 分かっているけど、考えない。

 考えたら、少し泣いてしまいそうだったから。

 

(ぐっ、クソ、輪入道以外の精霊はやっぱ重い……使えば使うほど体力が抉られる……)

 

 ティガはダークタイプにタイプチェンジ。

 マルチタイプよりも速く力強い、スペックの総合値であれば最強である黒色のティガとなり、速く重い連打を野生的に浴びせかける。

 対し、ゼットは流れるように槍を振るい、柔軟で(まろ)やかな防御でそれを受け流す。

 

 ティガ・ダークの猛攻は、例えるならば暴風。

 ゼットの防御は、例えるならば流水だった。

 

 ティガの攻撃は、全てが風だ。

 全てが、風を思わせるものになった。

 マルチは精緻な西風。

 スカイは素早き突風。

 パワーは力で持っていく竜巻。

 そして、ダークは全てを破壊する暴風。

 

 "風になった"ティガの攻撃は、ゼットにとっては美しくも恐ろしかった。

 

 二人の目が、先程までの互いの動きを分析する。

 

(攻撃位置の調整による綺麗な意識誘導。

 上を攻めて、足を取る戦術。

 ティガの動きは全てが流動的に、本命と囮を入れ替える。

 本命だったはずの攻撃が、次の瞬間には囮の攻撃になっている)

 

(崩しが完璧に決まったのに、そこから追撃を許さず平然と立て直してくる難敵)

 

 スカイタイプの素早い手さばきが、流麗にゼットの槍の防御の内側、手首を掴む。

 瞬時にパワータイプに切り替えたティガは、流れるようにゼットを投げた。

 地面に叩きつけられる寸前に、ゼットは瞬間移動で回避。

 逃がすか、とばかりに、ティガが巫女のカガミブネの援護を受けて追撃に入る。

 

(! こいつ、私の速さに対応し、更に速度と技のキレを上げてきている……!?)

 

 されど、その追撃はゼットに届かず。

 (やわら)の技にて、槍がティガの追撃の蹴りを受け流す。

 

(なんてやつだ、ありえねえ。

 技の工夫を増やしたわけでもない、俺の動きをより深くまで見切ってきたわけでもない。

 ただ、俺への対抗心と、精神的な高揚で進化して、更に速く力強くなってやがる……!)

 

 互いが互いを高める拮抗。

 互いが互いを認める拮抗。

 まず敵を認め、敵の強さを把握し、それを理解しなければ勝てない。

 理解した上で、その上を行かなければ越えられない。

 

(マルチタイプだと全能力で負ける!

 スカイタイプだとパワーが足りない!

 パワータイプだとスピードが足りない!

 ダークタイプだとパワーもスピードも足りるが、技が荒くなってそこを突かれる!)

 

 四形態のどれもが半ば攻略されている状態で、ティガは歯噛みし、四形態を流れるように切り替えながら攻め立て続ける。

 

(やり辛いな。

 ダークタイプはこれまでのティガダークの強さを、高度に制御している。

 スカイタイプの速さ、パワータイプの力強さを散らされると対応が辛い。

 マルチタイプに至ってはバランスよく何でもできるがために、先が読めん)

 

 ゼットもまた、四形態それぞれの対応策を見つけているというのに、ティガが四形態をポンポン切り替えるものだから、四形態それぞれへの対応策が全く有効に使えていない現状に少し苛立ち、苛立ちを意識して消して、心落ち着かせていた。

 

(強い)

(強い)

 

(だけどそんなことは、ずっと前から分かっていることだ)

(だけどそんなことは、ずっと前から分かっていることだ)

 

(こいつの力が誰よりも強いことなど、俺が一番よく知っている)

(こいつの心が誰よりも強いことなど、私が一番よく知っている)

 

 瞬間移動。瞬間移動。瞬間移動。

 そこに超音速の飛行が加わり、もはや常人では影も追えない領域の戦いに至る。

 だがそうしてしのぎを削り合う中で、ゼットは違和感に気付く。

 

 予想以上に、ティガの消耗が激しい。

 攻防を繰り返すたび、ゼットはそれを実感する。

 今のティガは、あの時のガイアSVほどではないにしろ、光エネルギーが限りなく無尽蔵に近い状態であるはずだ。

 少なくとも、光がこんなに目に見えて急速に消耗していくはずがない。

 

『はぁ、はぁ、まだまだ!』

 

「私の推測では、ティガ、お前はもう少し強く……いや、待て」

 

 空中でティガの肩の肉を槍で抉りながら、ゼットは観察と推察を終える。

 

「もしや、お前は―――」

 

 そう、ティガは。

 

 勝つために、とても大きな遠回りと、迂遠な強化を経て戦っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人間には、色んな人がいた。

 

 ある小学生の男の子は、クラス替えのたびにいじめられることを恐れるような、クラスでいつも立場が弱い子供だった。

 でも、周りに合わせていれば、いじめられなかった。

 皆と一緒に悪者のティガを攻撃していれば、仲間だと認めてもらえた。

 それが嬉しかった。

 だから今日まで、"そう"していた。

 

 ある中学生の女の子は、家で両親にずっと無関心に育てられてきた。

 愛の無い過程で育ち、愛に飢えていた。

 でも、学校で皆と一緒に悪者のティガの悪口を言っていれば、暖かい友達の輪に迎えられた。

 家族の輪のような暖かさ。それがなければ、少女は生きていられなかった。

 だから今日まで、"そう"していた。

 

 ある大学生の女性は、星屑襲来時に四国外から四国内に逃げ込んできた女性だった。

 彼女は、よそ者だった。外から逃げ込んで来たよそ者でしかなかった。

 周りの人との間には微妙な距離があって、彼女はそれが心底嫌だった。

 でも、嫌いな者、悪者に対して一緒に陰口を叩いている時だけは、その距離感がなかった。

 嫌いなものが同じであれば、『よそ者』ではなく、『同じ思いを持つ仲間』として見てもらえる……それが、喜ばしかった。

 だから今日まで、"そう"していた。

 

 ある社会人は、星屑の襲来で、親も、妻も、娘も食い殺された男だった。

 だが四国の勤務先にて、会社の皆の優しさに支えられ、自殺を思い留まり、何度も挫けながらも立ち上がった男だった。

 けれど、会社の人達は皆、ティガを非難する側の人間で。

 男はティガのことがどちらかと言えば好きだったが、会社の皆は心底大好きだったから、皆に合わせてティガを非難する側に回っていた。

 自分の考え、自分の主張など捨てて、集団の意見を尊重することが、自分を救ってくれた集団への恩返しになることであると、信じていた。

 だから今日まで、"そう"していた。

 

 四国に満ちる光を通じて、それらの想いはティガに届いている。

 そして、ティガがそれらの想いに対して、同じように想いを返した。

 

『それならそれでいいんじゃないかな。

 あなた達がそれで、何かの形で救われたなら、俺もちょっとは嬉しく思える』

 

 まず、竜胆の意志が光に乗って伝わっていく。

 

『でもやっぱり、悪口を言われるのは、辛いかな』

 

 そして、竜胆の心の底にあった痛みと苦しみが、伝わっていった。

 

 竜胆の強く輝く意志と、その隙間に見える弱く脆い本音の両方が、人の心を打つ。

 許そうとする心。痛みに涙を流す心。

 どちらも竜胆で、どちらも彼の心である。

 その上で寛容と許しを見せる竜胆の在り方は、人々に罪悪感を呼び起こすものだった。

 

 ほとんどの人は完全な善にも、完全な悪にも成りきれない。

 善と悪とが入り混じった存在だ。

 聖人も、極悪人も、社会にはほんの僅かにしか発生しない希少種だ。

 人間はそういう風に出来ている。

 だからもう、竜胆の心を知ってしまったら、彼が皆に向ける愛と優しさを知ってしまったら、彼がそこで必死に生きている一人の人間だと知ってしまったら、もう駄目だ。

 

 もう、何かの理由があっても、その少年の幸福を踏み躙ることなど、できなかった。

 

 竜胆が光の散布で変えたのは、多くはない。

 『ティガダークという悪を見る目』を、『御守竜胆という少年を見る目』に変えた。

 けれども、それだけできっと十分だったのだ。

 ただそれだけで、多くの者は自省した。

 

 赤の他人を殺せる人でも、友達や家族を殺すことは躊躇する。

 "知る"ということは、殺意や害意を大きく削り取ってしまうのだ。

 皆が、竜胆を知った。

 皆が、ティガに対する認識を改めた。

 光が、皆の心とティガの心を繋げてくれた。

 

 光は、心を繋げただけだ。

 皆が竜胆に歩み寄ってくれたのは、竜胆の心が、皆に歩み寄られるものであったから。

 彼の心がゼットのように強かったなら、こんなにも多くの人は歩み寄ってくれなかっただろう。

 竜胆の心が光だけだったなら、離れる人も居たはずだ。

 竜胆の心が闇だけだったなら、人々は誰も竜胆を見直さなかったはずだ。

 

 竜胆の心と繋がった者達の感想は、十人十色。

 その中でも最も多かった感想が、これだ。

 

 

 

『ただ、強がって頑張ってるだけの、子供じゃないか』

 

 

 

 四国の民衆の中で、一番最初にティガを信じたのは、子供だった。

 それからティガを信じ始めた者達もまた、子供が中心だった。

 

 けれど、竜胆の心と繋がり、竜胆の想いと在り方に心打たれた者は、子供より大人の方が圧倒的に多かった。

 

「十二星座、三体目!」

 

 個人撃破三体目の十二星座、ピスケスを両断した若葉が叫ぶ。

 

「千景! 残りは何体だ!」

 

「もう半分残ってないわ! ……全部倒しきるまで、こっちの体力が保つかの勝負よ!」

 

 亜型ではない十二星座と、無数の星屑が四国の空を覆っていた。

 若葉が三体、歌野が一体、友奈が一体、千景が一体、杏が一体、既に十二星座を討っている。

 だが、当初の想定以上に、彼女らの消耗が大きかった。

 

 四国全土にカガミブネで跳び回り、戦いに次ぐ戦いの、一秒の休憩も許されない連戦。

 一人の犠牲も出してはならない、瀬戸際の極限の戦い。

 単純に勇者の数千倍はいる頭数。

 そして、勇者全員がフルに精霊を使わねばならないという前提。

 勇者の勇姿は民衆を勇気付けていたが、同時にどうしようもないほどの劣勢と窮地であるという現状を、どうしようもなく知らしめる。

 

 そして、カガミブネが使用不能になれば、崖っぷちで踏み留まっている戦いの均衡は、一気に崩れてしまう。

 ゆえに星屑達は、目についた巫女を優先的に襲い始めた。

 名もなき巫女の一人と、空中の星屑の目が合った。合ってしまった。

 

「あ」

 

 噛み殺さんと、巫女を狙って飛びつく星屑。

 そこに体ごと跳びつき、巫女を抱えて転がるようにして避ける人間の姿があった。

 

「おい、大丈夫か!?」

 

「は、はい」

 

 それは、かつてティガ排斥のデモにも参加していた男性だった。

 "人殺しが大嫌いな人間"の一人だった。

 悪だと思った者に立ち向かえるから、ティガダークにだって立ち向かえて、星屑にだって立ち向かえる男性だった。

 今は、ティガに謝りたい気持ちでいっぱいになっていた男性だった。

 その気持ちは光を通して、ちゃんとティガに伝わっていく。

 

 最初の噛み付きで巫女を仕留められなかった時点で、その星屑に命運はなく。

 瞬間移動してきた雪花の投槍が、その星屑を貫いていた。

 

「よし、セーフ!」

 

 貫かれた星屑が落ちた路面のその横を、爆走する車が駆け抜けていく。

 

 運転席には、竜胆が何度か会っていた大社職員・万。

 その隣の助手席には同様に大社職員である楠という男が乗っていた。

 

「ば、万、ちょっと車これ速いんじゃ」

 

「情けないこと言わないでください楠さん!

 今四国でまともに動かせる車両なんて大社のものくらいしかないんですよ!」

 

 戦闘の余波で逃げられなくなった人、瓦礫に閉じ込められた人、変な位置に取り残されてしまった巫女。

 それらに調整を入れ、勇者が戦いやすい街の状況を作りつつ、カガミブネを安定して使用できる巫女の分散度合いを維持できるのは、戦場全体が見える大社だけだ。

 

 巫女を回収し、運搬し、星屑から逃げ惑う巫女を再配置してカガミブネの効力を維持すべく走り続ける大社の車両を、数匹の星屑が追ってくる。

 

「! 星屑が追って来て―――」

 

「無視してください楠さん! 大社(こっち)の仕事は、そっちを気にすることじゃないです!」

 

 そして、追って来る星屑に振り向きもしない万の頭上をクロスボウの矢が飛んでいった。

 矢は一発も外れることなく、数匹の星屑を正確無比に撃ち抜いた。

 大社の車と、撃った杏がすれ違い、万と同乗していた楠は目をぱちくりさせる。

 

「我々と彼女らは、自分にできることをする! 自分達の役目を果たす!

 全員が自分達のするべきことをしないと、ささっと全員死にますよ!」

 

「……ええい、頭が痛くなるな!」

 

 力なき人は、巫女を庇い。

 できることが多くない人は、車を走らせ、巫女を移動させてカガミブネを維持し。

 できることがほとんど無いような子供ですら、隣で転んだ大人に「大丈夫?」と言い、手を差し伸べていた。

 

 大量の星屑を酒呑童子の一撃で吹っ飛ばしながら、高嶋友奈は、ゼットとの一騎打ちに集中しているティガの背中を見る。

 

(リュウくん)

 

 ティガは振り向かない。

 この光は可変の、想いの一方通行だ。

 ティガの心は伝わっていくが、他の人がそれを望まないのであれば、皆の想いはティガへと伝わらないようにできている。

 望まなければ心は双方向で繋がらない。

 

 なればこそ。

 容易に想いは伝わってしまう、ということでもある。

 民衆の恐怖、勇者の不安も、相応にティガに伝わってしまっていることだろう。

 

 されどもティガは、一度も不安がる様子を見せなかった。

 勇者に四国を任せるという前言を、一切撤回しなかった。

 

(私のこの心も、この光を通して、伝わってるのかな。皆、頑張ってるよ)

 

 友奈は意識が飛びそうなくらいに苦しい。

 けれど、休んでいる暇はない。

 A地点の敵を片付けたらすぐB地点に転移して戦い、B地点の敵が片付けたらC地点、次はD地点、という終わりも休みもない連戦。

 勇者で連携して休みつつ交互に出撃する、なんてことが許されないほどに、同時に処理しなければならない敵が多い。

 

 けれど心は、不思議と充実していた。

 右を見ても、左を見ても、共に戦う勇者の姿が遠くの空に見える。

 前を見ても、後ろを見ても、自分なりのやり方で立ち向かう人々が見える。

 上を見ればお日様と、時々見えるティガとゼットの姿。

 

 見れば見るだけ、友奈の心に力が湧いて来る。

 

(一度も振り向かないで私達に任せてくれてるリュウくんの想いに、皆応えてる)

 

 巫女を一般人が助けた時、雪花は何故間に合ったのか?

 杏の援護射撃は、何故都合よく大社の車両を助けることが出来たのか?

 

 今四国で誰かが「助けて」と思えば、それはその人が望む限り、光を通してティガに伝わる。

 想いが伝わった瞬間、ティガの心は反射的に「助けないと」と思う。

 文字通りに"竜胆に対し心を開いている者"は、その想いをダイレクトに受け取り、どこで誰が助けを求めているかを瞬時に把握し、助けに行くことができる。

 カガミブネがある以上、救援にかかる時間は一瞬だ。

 

 だからこそ、今の四国で()()()()()()()()()()()()()()という事象はありえない。

 勇者が諦めない限り、勇者が力尽きるまで、誰も死ぬことはない。

 バーテックスにとっては、悪夢のような事実であった。

 

 「助けて」という声を聞けば、「助けないと」と反射的に思ってしまう竜胆の性格があって初めて成立する、緊急救助ネットワーク。

 おそらくは竜胆本人ですら想定していなかった、奇跡の救援システム。

 優しさのみで成立する究極の守り。

 そう、この日、彼らバーテックスは。

 彼らがこれまでずっと踏み躙ってきた、『ただの優しさ』に、敗北するのだ。

 

 竜胆が今の優しさを持ち続ける限り、この守りは破られない。

 

―――竜胆。優しさを失わないでくれ

―――優しいお前になら、ワシは自分の大切なものの全てを、安心して託せる

 

 大地が残した願いは、大地が思っていた以上の形で、叶ってくれたのかもしれない。

 

 御守花梨が大好きだった兄の優しさは、彼女が最強だと信じていた兄の心の在り方は、今この四国で、目に見える形を成していた。

 技術や意識の持ちようで、これは真似できない。

 心の底からお人好しで、闇落ちしてもお人好し、そんな人間でなければ無理だ。

 

 友奈の口元に、笑みがこぼれる。

 

「リュウくんが言ってた『俺達の勇気』って、まさにこれだよね」

 

 友奈の見回す四国の大地の上で、街の人達皆がそれぞれ、違う形の勇気を見せていた。

 

 ハッキリ言って、四国の人々の心は全く一つになっていない。

 例えば一般人の一人とティガの心は繋がっているし、ティガと友奈も繋がっているが、その一般人と友奈の心は全く繋がっていない。

 ティガを中間地点にしているだけだ。

 それぞれの心は、相も変わらずバラバラである。

 仲の悪い二人が出会えば口喧嘩が始まる、今まで通りの人間のままである。

 

 だが、バラバラなまま、皆が皆、同じ想いを抱いていた。

 すなわち、「死んでたまるか」「頑張れティガ」「頑張れ勇者」「くたばれバーテックス」である。想いは極めて超シンプル。

 心は全く一つになっていない。

 なのに、想いは一つになっている。

 

 全く違う目的の者達が、違う心をぶつけ合う状態のまま、同じ方向を向いて戦う。

 それはまるで、かつての丸亀城のチームのようだった。

 

 優しい友奈と、復讐に囚われた若葉と、承認欲求で戦っていた千景が共闘していた頃の、丸亀城のチームのような。

 問題児だった闇のティガすら受け入れ、共に戦った、丸亀城のチームのような。

 心が一つになっていないまま、皆で互いの違いを認め、デコボコな絆を作って共に戦った、丸亀城のチームのような。

 

 心がバラバラのまま一緒に戦う皆の勇気を握りしめ、友奈は空のヴァルゴ・バーテックスに向けて一直線に飛び上がる。

 

「みんなの勇気で……勇者! パーンチっ!!」

 

 繰り出される酒呑童子の拳が、ヴァルゴを真っ正面から粉砕した。

 残り十二星座、四体。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四国広域にこれだけの光を維持するのは、それこそ神樹が毎度展開している樹海化や、三分間でネクサスの命を使い切ってしまうメタフィールドに近しい消耗がある。

 体力、エネルギーのみならず、根本的な生命力まで削る消耗だ。

 "人間であれば"、深刻な消耗になっていたかもしれない。

 

「やはりか。四国全域にこの光の領域を維持するため……大量のエネルギーを消耗していたと」

 

『言っておくが、お前との戦いで手なんて抜いてねえ。ただ、これしか無かったんだ』

 

 ティガはゼットとの戦いと並行して、ティガを経由して擬似的に情報交換を行えるようにすることで、人間があらゆる面で有利になれる光の領域を維持していた。

 ともすれば、ゼットとの戦いに集中していなかった、と見ることもできる。

 だが、竜胆にそんなつもりはなく、ゼットもまた、竜胆はそんな半端はしていないだろうと思っていた。

 

『俺一人じゃお前に勝てない。

 大地先輩が教えてくれた。

 地球は、お前に勝てない。

 神様も、お前に勝てない。

 巨人と地球と神様で力を合わせても、お前に勝つことはできなかった』

 

 ガイア・スプリームヴァージョンは、あの瞬間間違いなく、地球最強戦力だった。

 星も神も、全てをガイアに懸けていた。

 けれど、負けた。

 ゼットには負けてしまった。

 

 ならば、あの力ではゼットには勝てないということだ。

 もっと別の力、それでいて星と神の力を超える力が必要だった。

 竜胆が選んだ力は、たった一つ。

 星の力にも、神の力にも勝る力だと竜胆が信じたその力は、最初からそこにあったもの。

 

『だから俺は! "人間みんなの力"で! お前に勝つ! この想いを、全部束ねて!』

 

 大幅に消耗したとしても、人々と心を繋げ、心繋げた者達から想いを受け取ることで、消耗前の自分よりも強くなる、という奇策中の奇策。

 人々の想いをその身に受けて、少しだけスペックが上がったティガ・マルチが、ゼットに猛然と殴りかかる。

 瞬間移動を織り混ぜるティガの機動に、ゼットも瞬間移動で応えた。

 

「予想もしていなかった戦術だ。ならば、その戦術が正しいかどうか!」

 

『!』

 

 ティガの奇策に、ゼットもまた奇策で応える。

 なんと、一本しか持っていない槍を、ティガの攻撃タイミングで投げつけてきたのだ。

 ティガは槍を殴って弾くが、その一瞬の隙を突かれ、腕を捕まれ投げられてしまう。

 投げつけられて、地面と衝突。

 四国全域が揺れるほどの大地震が発生。

 

 そして、ティガを地面に叩きつけた瞬間に瞬間移動し槍を回収。

 地面に叩きつけられたティガが立ち上がろうとした瞬間、その胴体を貫き、串刺しにすることで地面に槍で縫い付けた。

 

「私に勝って、証明してみせるがいい!」

 

『ぐあああっ!!』

 

 肉体を再生しようと、体が貫かれたままでは意味が無い。動けない。

 ゼットの槍は二股の槍であるため、貫かれれば固定力も相当なものだ。

 脱出のための最適解は、自分の胴体を八つ裂き光輪で切り裂き、槍を抜くこと。

 

 が。

 それには少しではあるが時間が必要で、ゼットはそんな時間を許してくれない。

 飛び上がったゼットが高高度からの飛び蹴りの構えを見せた瞬間、竜胆は全てが間に合わないことに気付いた。

 

(防御を!)

 

 それは、"もし恐竜を絶滅させた隕石があるならこのレベルだろう"と数々の研究者が想定した隕石の威力を、万倍単位で昇華させたに等しい威力の一撃。

 星が砕ける。

 受けを間違えれば、地球が真っ二つになる。

 ティガは自分に向かって一直線に飛んで来るゼットの流星キックに対し、シールドを作る。

 

『ウルトラシール――』

 

 まさに、その時。

 

 ティガの視界の端に、球子の母と、球子の母を狙うスコーピオン・バーテックスと、スコーピオンを撃ち抜く杏の姿が見えた。

 

(―――)

 

 他の戦闘音が激しくて、杏と球子の母が何か話しているようだが、竜胆には聞こえない。

 だが、杏が球子の母をスコーピオンから守り、スコーピオンを倒したことだけは、目で見て分かった。

 そして、ゼットの流星キックを下手な受け方をしてしまえば、杏と球子の母が衝撃波に巻き込まれてしまうであろうことも、見て分かった。

 

 ティガは、全力で光の盾(シールド)で受けるのを止める。

 力の半分をシールドに、もう半分は周囲を覆う光の壁と化す。

 ティガの光盾に、ガイアの光壁。

 

『――ウルトラバリヤー!』

 

 それを展開した瞬間は、まさにゼットの流星キックが着弾する、その瞬間だった。

 ティガの光盾でゼットの蹴りを受け、ガイアの光壁でゼットとティガを包み込む。

 そうしてティガは、全力の半分の力でゼットの蹴りを受け止めて、残り半分の力で激突の衝撃から地球と街を守らんとした。

 

 ゼットの飛び上がってからの全力流星キックの威力は、絶大。

 地球を粉砕するための物理衝撃は、仮定する者にもよるが、マッハ33で火星の六倍の質量を地球にぶつければいい、という。

 ゼットは体内のエネルギーの大半を使い、猛烈に加速し、それに等しい威力を込めた。

 

 ゼットでも軽い気持ちでは打てない、彼の格闘技最強の一撃。

 流星が、ティガの下へ落ちる。

 

(守れたんだな、杏)

 

 砕けていく光盾。

 砕けていくティガの腕。

 盾は威力を削ぎ落とすも、ゼットの流星キックは止まらず、地面に槍で縫い付けられたティガの胸に蹴りが突き刺さる。

 ゼット脚部に集められた膨大なエネルギーは、魂を削ぎ落とすような破壊を生み出した。

 

(お前、か弱いとか、可愛いとか言われること多いだろうけど、今のお前はかっこい―――)

 

 絶大な威力の嵐に飲み込まれながら、ティガは衝撃波が外に漏れないよう、光壁に全集中力を懸ける。

 杏と球子の母が、この余波に巻き込まれないように。

 

 杏はあの時、スコーピオンから球子を守れなかったことを、ずっと悔いていた。

 本当は、球子が庇ってくれたから杏が助かったんだなんてことは、分からない。

 あの時、杏が球子を助けられたかどうかなんて、分からない。

 それは杏が個人的に抱いている、捨てられない後悔である。

 

 今日、球子の母をスコーピオンから救えたことで、杏の心が少しでも救われたなら―――そう思いながら、ティガの全身は粉砕されていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼットの一撃が、四国を揺らす。

 

「っ、蹴り一発で大地震か……」

 

 四国の大地は揺れ、根が太くない木は倒れた。

 土の詰まった植木鉢が台座をスキップし、植木鉢らしく人に当たるか当たらないかも気にしないまま、地面にポンポン落ちていく。

 古い建物は縦に揺れ、横に揺れ、どんどんヒビが入ったり倒壊していった。

 

「た、大変です! カガミブネを成立させる基幹サーバーが、今の一撃でぶっ壊れました!」

 

「!? 戦況報告! 瞬間移動ができないぞ! 各勇者の位置と敵戦力確認!」

 

 その影響は、突貫工事かつぶっつけ本番でカガミブネ機能を実装した大社の脆い部分に、最悪の形で直撃した。

 

「十二星座残り二、星屑三百弱!

 香川に郡千景、秋原雪花!

 徳島に乃木若葉!

 愛媛に伊予島杏!

 高知に高嶋友奈、白鳥歌野!

 四国各地で、建物の倒壊に巻き込まれた一般人もかなり発生しています!」

 

「どうにか……なるかならないか、微妙なところだな……」

 

「カガミブネはまだ使えるそうです。

 担当の人が無理にコードを繋げてギリギリ時間を捻出してみせる、と言ってます!

 その場合の稼働時間は限定して10秒! あと10秒は使えます! 連絡を回してください!」

 

「たった10秒か……連絡回せ! 巫女と勇者の端末には最優先にだ!」

 

 ゼットの一撃は、ティガの全身を粉砕し、四国を揺らし、カガミブネまでもを破壊していた。

 

「観測班から報告! 急に海水面が上昇したとのこと!」

 

「海水面が上昇? ……いや、待て。

 大鳴門橋と徳島の接地面を調べろ! ズレがあればすぐ報告させろ!」

 

 海水面が上昇、というだけの情報から、三好圭吾は正解を導き出す。

 異端の発想、異端の推理。されどこの状況で"そういう推論"を組み立てられる人間が居てくれたことは、大社にとって最高の幸運だった。

 徳島と淡路島、ひいては本島を繋ぐ橋の、徳島側の根本を三好は調べさせる。

 

 結果、恐るべきことが判明した。

 

「三好さん、これは……こんなバカなことがあるんですか……?」

 

「……上手く受け止めてくれたティガに感謝するしかないな。

 海面が上昇したんじゃない。"四国の地面が下がった"んだ。今の蹴りに押し込まれて……」

 

 本来ならば、ありえない事態。

 

 地盤ごと、異常な威力で、地球の内へと叩いて押し込まれたという現実。

 

「宇宙恐魔人ゼット……星を……地球の表面を、蹴って、凹ませるとは……!」

 

 戦慄と恐怖と絶望が、皆の背筋を伝う。

 

 宇宙恐魔人・ゼット。

 

 地球が全てを託したガイアを倒したのは伊達ではなく、その一撃は星殺しの域にあり、威力は紛うことなき星砕きであった。

 

 

 

 

 

 

 

 土煙が、宙を舞っている。

 ゼットがあまりにも速く飛んで蹴り込んだがために、巻き起こした暴風は木々からほとんど全ての枝葉をもぎ取り、重さの足りない木々や建物は簡単に宙を舞ってしまった。

 流星キックの着弾は、ティガの全身を粉砕し、地面にクレーターを作った。

 余剰破壊力は地面を赤熱化させ、ゼットの体と触れ合っていた空気は摩擦熱で少しばかり焼け焦げた匂いすらする。

 

 だが。

 ティガが構築した光壁が破壊範囲を最小限に抑えきった。

 破壊半径は、細かな破壊を除外すれば、おそらく30mに満たないだろう。

 ゼットの飛び蹴りが粉砕したのは、ティガとティガを縫い付けていた地面のみ。

 

「ここで街を守ってしまうお前の弱さを、単純に弱さと言い切っていいものか、少し迷うな」

 

 ティガの死体すら残らなかったクレーターの中心で、ゼットは独り言ちる。

 

 凹みに凹んだクレーターから、ゼットは街を見上げる。

 

「だが、一つだけ言えることがある」

 

 そこに、ゼットから街を守るべく悠然と立つ、ウルトラマンティガの姿があった。

 

「守るものと敵の間に立ち、何度でも立ち上がるお前は、間違いなく強い」

 

『守るものがなきゃ立ち上がれねえんだ。弱いと笑ってくれて構わない』

 

 何度倒れても立ち上がる。

 何度粉砕されようが復活する。

 何度打ちのめされようが蘇る。

 悪の前に立ち塞がり、命を守らんとする彼の心は、全く折れていなかった。

 

 だが、あの流星キックは心だけで乗り越えられるようなものではなかった。

 

 再生するティガは頭を狙って砕くか、全身を粉微塵にすれば殺すことができる。

 仮に、ティガ・マルチの全身を粉微塵にするために必要な威力が100であるとする。

 ゼットの流星キックの威力が500。

 ティガが貼ったシールドの出力が200、街を守る光の壁の出力が200といったところだろう。

 

 100で死ぬのに、300のダメージが打ち込まれたことになる。

 ティガダークより硬いティガマルチに対し、耐久限界の三倍、である。

 当然、生きていられるわけがない。

 ならば、何故ティガが生き残ることができたのか?

 

「……コシンプか」

 

『ああ』

 

 コシンプは北海道の精霊。

 "惚れた男に取り付く動物霊"であり。

 "メスが男に付けたコシンプのみ、その男に大きな幸運をもたらす"精霊である。

 

 憑けられた男性のステータスの上昇具合は、使役者からその男性への好感度に依存する上、まず真っ先に『幸運値』が上昇する。

 コシンプに取り憑かれたティガの耐久度は上昇し、流星キックに頭までは砕かれない耐久度を獲得しつつ、"幸運にも"頭だけ無事にクレーターの外まで吹っ飛んでいったというわけだ。

 

 惚れた男に幸運をもたらすがコシンプの真骨頂。

 残念ながら、雪花は竜胆に好いた惚れたの感情を今現在全く持っていないので、その真骨頂がほとんど発揮されていないのは少し残念なところだ。

 遠方で、雪花がいたずらっぽく笑っている。

 

「四国は御守先輩に任せられたけどさー。

 私はゼットのこと先輩に任せた、なんて言った覚えないんだよねぇ。

 こんぐらいの手助けは許してくださいな。もうひと頑張り、欲しいトコだよ」

 

『わかってる。助けてくれて、ありがとう!』

 

「どういたしまして!」

 

 雪花はコシンプをティガに憑けたまま、更に遠方に駆けて行った。

 使役者が雪花であるためか、体に精霊を宿しているのに輪入道並みに負荷が少ない。

 だが、雪花が彼に憑けたまま遠くに行ったということは、星屑や十二星座から街を守る戦いとティガの援護は未だ並行できない、ということだ。

 

 雪花でさえも、助けなくともティガは勝利する、と信じているということだ。

 

 今の攻防でゼットはエネルギーを、ティガは体力を大きく消耗した。

 ティガは魂の芯まで響くようなダメージを、ゼットはその一撃に相応の消耗を受けた。

 攻防を繰り返し、互いの手の内も粗方読めた。

 二人の残り時間も、あと一分と少し。

 戦いは佳境を迎える。

 

「ティガ……御守竜胆」

 

 流星キックの余波で吹っ飛んでいた槍を拾い上げ、息を整えつつ、ゼットは語りかける。

 

「理由は違うが、私達は同じだ。

 自分が自分であるために、負けられない。

 自分のためだけでなく、他の命の想いも背負い、負けられない。

 ……だが結局のところ、私もお前も、自分が負けたくないから、負けられないのだ」

 

『……』

 

「周りの者全てが

 『負けていいぞ』

 と言おうと、私も、お前も、負けるための戦いなどまっぴらごめんだと突っぱねるだろう」

 

 もしも、勇者や民衆が、"もう私達を守らなくていいよ、楽になって"と言ったとしても。

 竜胆は戦いを止めることも、彼女らの命を諦めることも、喪失の敗北を受け入れることもないだろう。それは、絶対だ。

 

「敗北で失われるものは、私とお前で、違うだろう。だが、負けたくないという想いは同じ」

 

 想いを吐き出して、吐き出して、吐き出して、焦がれた好敵手と向かい合う。

 

「これは私の片思いか?」

 

『……片思いじゃないさ。俺も、お前を倒したい。お前に勝ちたい。

 もう二度と、何も失わないために……! 負けたくねえんだよッ!!』

 

「……ああ。感謝するぞ、ウルトラマンティガ!

 こんなにも熱く、こんなにも力強く、全力で応えてくれたことに!」

 

 殺意と敵意と敬意と戦意の両思い。

 

 ダークタイプにチェンジしたティガが、再生の遅くなった体で踏み込む。

 息を切らせたゼットが、踏み込みながら槍を突き出す。

 ティガの手刀がゼットの右肩に突き刺さり、ゼットの槍がティガの腹に大穴を空けた。

 

「ぐっ……ウルトラマンは人間に輝きを見せ、ゼットンに負ける!

 それこそが心動かす美しき終焉! その運命を、受け入れろ!」

 

 腹から槍を引き抜き、ティガの頭を潰す軌道で槍を振り下ろす。

 

『未来を変えるって、約束したんだよ! 今は居ない、大切な仲間に!』

 

 ティガは真横に素早く一歩踏み出し、体をひねって振り下ろしを回避。

 回避の時の体のひねりをそのまま活かし、回し蹴りをゼットに叩き込んだ。

 

「ぐっ……!」

 

『良い未来を目指してたんだ! 死んだ人達は!

 良い未来を目指してるんだ! 今生きてる人達も!

 だから、俺は! 最悪の未来をもたらす運命は、全部残らず変えてみせる!』

 

 追撃で振るわれるティガ・ダークの豪腕に、ゼットがカウンターを合わせ、ティガの左拳とゼットの右拳が正面衝突。

 拳同士が衝突した瞬間、ゼットの拳から一兆度の火球が放たれ、ぶつかっていたティガの左腕が丸ごと焼滅、消し去られてしまった。

 

『ぐあっ!?』

 

「そんなお前だからこそ! 死力を尽くして超える意味がある!」

 

 すぐさま再生した腕も、ゼットの槍に切り飛ばされてしまう。

 魂の芯、精神の核にまで届いていそうなゼットの恐るべき豪快な連撃に、ティガの体の再生スピードはどんどん遅くなっていった。

 だが同時に、ゼットの体にもティガに刻まれた傷が増えていく。

 

「思い悩むウルトラマンよ!

 ウルトラマンティガよ!

 愚問であろうが、聞こう!

 ……思い悩んだ先に、答えはあったか!」

 

 ゼットの槍を紙一重でかわしたティガ・パワーの拳が、ゼットの顔面ど真ん中を打ち抜いた。

 

「がッ!」

 

『……自分のことながら、情けない限りだ!

 誰も正解を教えてはくれなかった。

 "ウルトラマンの正解"なんて、どこを探してもなかった。

 俺以外のウルトラマンは誰も俺みたいに悩んでないみたいで……

 俺はずっと、ウルトラマンを名乗ることすらできていなかった!』

 

 ティガのボディーブローがゼットの腹を強打し、ゼットの槍刺突がティガの左足を膝あたりから切り飛ばす。

 

『友奈が、俺の弱さを許して、愛で救ってくれた!

 ……俺にないものを持ってた友達が、俺を救ってくれたんだ!』

 

「ウルトラマンっ……ティガッ……!」

 

『これが答えだ! 今の俺の在り方が……俺の見つけた、答えだッ!!』

 

 瞬時にタイプチェンジし、ダークタイプでワン、ツーと殴り、パワータイプに変身して遠くの山にゼットの巨体を投げつける。

 山に投げつけられ、体を強打した痛みに耐えつつ、ゼットは山間に立ち上がる。

 

「私も、お前と同じだ。私も、『ウルトラマン』を知らなかった」

 

 ゼットが"本当の意味でウルトラマンを知った"のは、この地球で光の巨人達と戦った時。

 ティガが"本当の意味でウルトラマンを知った"のは、初めて自分がウルトラマンであると名乗りを上げた時。

 

「私は種族としてのウルトラマンを学び。

 ウルトラマンがどんな歴史を歩んできたかを学び。

 この星に降り立ち、そしてようやく、本物のウルトラマンと相対した」

 

 ティガの胸で、カラータイマーが点滅を始める。

 

「お前達は、本物のウルトラマンだった。

 闇に支配されている時のお前は、ウルトラマンではなかった。

 私は、お前達を見て、何がウルトラマンで、何がウルトラマンでないかを学んだ」

 

 ゼットの体を走る発光体のラインが、弱々しく点滅を始める。

 

「そしてお前に、夢なるものを教えてもらった」

 

 残り一分。

 泣いても笑っても、最後の一分。

 因縁が終わる。

 一つの戦いが終わる。

 あの日、地球に降り立った時から始まった、ゼットのウルトラマンを倒すための生涯が。

 ゼットと初めて出会った日、竜胆が初めての仲間を失った日から始まった因縁が。

 

 今、終わりを迎えようとしている。

 

「未来など要らん。この瞬間、お前に勝てさえすれば、私の人生全てに意味はあった!」

 

『……そうかよ。だけどな、俺は、皆が笑っていける未来が欲しい!』

 

 素早く溜め、素早く撃つ。

 

 敵の体を打ち砕くための、互いが手に持つ最強光線。

 

『スペリオン光線ッ!!』

 

「ゼットシウム光線ッ!!」

 

 二度目の衝突、二度目の拮抗。

 ティガとゼットが持つ最強の光線は、威力において完全に互角、撃ち合っていても、消耗はすれど勝機はなかった。

 赤紫のゼットシウムと、青紫のスペリオンが拮抗する。

 

(どうする)

 

 カガミブネは流星キック着弾の直後から使えない。

 対し、ゼットはいつでも瞬間移動を使える。

 ゼットならともかく、ハイパーゼットにホールド光波を当てるのは骨だ。

 

(必要なのは発想の転換だ。

 俺の技も大量に増えた。

 それらを組み合わせれば……ゼット相手に通じる何か……何か……)

 

 考えに考える。

 思考に何秒も使ってなんていられない。

 一秒間に、今の自分が使える技の数々を一つ一つ数えていって、今の自分の力を見直して――

 

『そうか』

 

 ――竜胆は、"スペリオンが見せた可能性"に気が付いた。

 

『そういうことか!』

 

 そこからの攻防は、一瞬だった。

 ティガが最初に光線を切り、横っ飛びにゼットシウムを回避する。

 次の瞬間、瞬間移動でティガの背後を取らんとするゼット。

 瞬間移動で対抗できないティガに打つ手はない、かに見えた。

 

 

 

『―――融合神花(フュージョンアップ)ッ!!』

 

 

 

 だが、次の瞬間、攻撃していたのはティガで、攻撃を喰らっていたのはゼットだった。

 発動前の気配もなく、発動直後の知覚も困難な、完璧だったハイパーゼットの瞬間移動は見切られ、抜き撃ち気味のホールド光波がゼットを直撃。

 ホールド光波の効果によって、ゼットは瞬間移動を封じられてしまった。

 

 何が起こったのか、ゼットには分からない。

 だが今の一瞬、かなり大きな力が、とても滑らかな力の流れに沿って流れたことだけは、感覚的に理解できていた。

 

「……!? 今、貴様、どうやって私に当てた!?」

 

『一瞬だけ心を読み、一瞬だけ先読みして、当てた。

 今のはそれだけの技だが……ここから、本番行くぞ!』

 

 覚とホールド光波を同時に使ったのか? とあたりをつけるゼットだが、その直感が「いや、それだけじゃない」と囁いている。

 ゼットの本能が、今のティガがしようとしていることに、過去最大の警鐘を鳴らしていた。

 

(―――何か、とてつもないものが来る。なんだ!? 先手を取らなければ!)

 

 先手を取り、ゼットはゼットンとしての自分が最も得意とする飛び道具、一兆度火球を最大速度の弾速で撃った。

 

「見極めさせてもらうぞ、ウルトラマンティガ!」

 

 超高速の一兆度が、構えたティガ・マルチタイプを襲う。

 

『ああ。存分に見ていけよ、バーテックス』

 

 スペリオン光線が"スペシウムとゼペリオンの融合技"なら、それと同じ要領で、勇者とウルトラマンの技を合わせた"勇者と巨人の融合技"だってできる。

 

 ゆえにこそ、これは御守竜胆の才能が編み出した、彼だけのフュージョン・アップ。

 

『光は絆! "輪入道"! マグナムシュートッ!!』

 

 思い返されるは、ボブがギターを弾いていて、彼に音楽を教わったタマがその隣でカスタネットを叩いていた光景の記憶。

 今はもう、どこにもない、失われた幸せの形。

 

 旋刃盤を掲げる勇者の盾であった球子の力と、自らの命を捨て仲間達全員を守りきったグレートの反射の力が、一つに混ざって昇華される。

 

 想い出を噛み締め、竜胆は一兆度の火球を受け止めて、そこに輪入道の熱量とパワーも上乗せした上で反射した。

 

「!」

 

 "一兆度以上の火球"になったそれを、ゼットが遮二無二横っ飛びにかわす。

 彼がそれをかわせたのは、グレートとの戦いで反射技をモロにくらい、体の半分を吹き飛ばされた経験がその身に生きているからだろう。

 が、ティガは横っ飛びにかわした隙だらけのゼットを見逃さない。

 

『光は絆! "雪女郎"! メガ・スペシウム光線ッ!!』

 

 思い返されるは、実の娘を見るように愛の込もった視線で杏を見るケンと、そんなケンに厨房で料理を教わっていた杏の姿の記憶。

 今はもう、どこにもない、失われた幸せの形。

 

 一億度という最上級の熱と、雪女郎の絶対零度が混ざり合い、究極の破壊の嵐を纏う光線が、ゼットが咄嗟に張ったバリアに叩き込まれた。

 堅牢無比なゼットのバリアによる防御を、竜胆は想い出の力をひたすら注ぎ込み、パワー任せにゴリ押していく。

 

「精霊……勇者の力と巨人の力の、融合行使だと!?」

 

 これが、竜胆の融合神花(フュージョンアップ)

 神に例えられる巨人の力に、神の花たる勇者の力を融合させ、もう一つ上の段階に持っていく。

 いつかどこかにあった幸福と、絆と、笑顔を、一つの技に仕立てて撃つ。

 

 雪女郎を混ぜたメガ・スペシウム光線は、ハイパーゼットのデタラメに強固なバリアに対してさえ、容易くヒビを入れていく。

 精霊と巨人の力が、恐ろしいほどにその力を高め合っていた。

 

(後少しで……バリアを……押し切れる……!)

 

 バリアのヒビが大きくなっていく。

 ゼットの生体バリア発生器官に、火花が散っていく。

 このまま押していければ、ゼットのバリアは粉砕できる。そのはずなのに。

 

(後少し……)

 

 ティガの光線は止まり、その場で膝をついてしまう。

 

(後少し、なのに!)

 

 勇者達と同じ、いや勇者達以上に目に見えて強烈に作用している、精霊の行使負荷。

 

 精霊とウルトラマンの力の同時行使は極めて強力な技であったが、その負荷は威力相応に極めて大きく、我慢強いはずのティガですら光線発射状態を長時間維持できないほどのものだった。

 

『はぁ……ハァッ……くそっ……!』

 

「……やはりお前は、"ウルトラマン"だ。巫女でもなく、勇者でもなく」

 

 ウルトラマンの枠を越えた無茶が、ティガに膝をつかせてしまったのだ。

 ゼットは情け容赦無く、膝をついたティガに一兆度の火球を投げ込んだ。

 

 ティガはかわせない。防げない。

 精霊の反動から立ち直れておらず、立ち上がれていない。

 

 なればこそ、ティガを助けようとする者が、三者居た。

 

 一人は三好圭吾。

 選ばれた人間ではないが、タイミングの見極めは昔から上手かった男。

 三好は応急処置で得たカガミブネを使うことができるたった10秒を、ティガを助けるそのためだけに、この一瞬に費やした。

 

 一人は上里ひなた。

 大怪我を押して戦場まで来るほどの少女で、一度こうと決めたら頑固な若葉以上に頑固で、心の芯が強い少女。

 いつも浮かべられているその微笑みは、彼女が秘めた心の強さの証。

 

 一人はナターシャ。アナスタシア・神美。

 竜胆にネクサスの力と、精霊を使う最上級の巫女の技能を貸している少女。

 死した少女の、神樹の中の、かすかな残滓。

 

 立ち上がることすらできないティガを、ひなたが救う。

 ゼットが知覚できたのは、ひなたの手でティガが瞬間移動し、火球を回避したことだけだった。

 

「―――!?」

 

 消えたティガを、ゼットの視点が見失う。

 ひなたの助力でゼットの背後を取って、アナスタシアの光線の構えを取る竜胆。

 

 思い返されるは、実の母親に対しそうするようにひなたに甘えていたアナスタシアの姿と、実の妹にそうするようにアナスタシアを大切にしていたひなたの、大切にし合う二人の姿。

 今はもう、どこにもない、失われた幸せの形。

 

『ストライクレイ・シュトロームッ!』

 

 ティガの現在位置にゼットが気付いた時には、もう遅く。

 ヒビの入ったバリアを再展開するも、ヒビの入ったバリアでは、"万物を分解する"という能力を持ったウルトラマンネクサスの必殺光線は防げない。

 

 バリアが砕ける。

 ゼットのバリア発生器官が砕ける。

 光線とバリアを巻き込んだ爆発が、ゼットを吹き飛ばした。

 

「ぐああっ!」

 

 ゼットが立ち上がってくるまでの僅かな時間に、竜胆はひなたを安全な場所に逃がす。

 だがひなたは、逃げる前に、竜胆に問いかける。

 

「御守さん……お腹、大丈夫ですか?」

 

 それは『自分の意志で大切な仲間を言葉責めにし、腹を包丁で刺した』記憶が残っているひなたの心的外傷の表出だった。

 本当に申し訳なさそうに、心底辛そうに、ひなたはティガの腹を見ている。

 竜胆は努めて明るい声色を作って、思念波に乗せてひなたに届けた。

 

『大丈夫だ。気にしなくていい。

 か弱い女の子に刺されたくらいでどうにかなるような、ヤワな鍛え方してないよ』

 

「そんな、かっこつけの言葉ではなくて」

 

『大丈夫だ。かっこつけさせてくれ』

 

 許しの巨人は、努めて明るく、軽い声色を作って、彼女の罪悪感を拭い去る。

 

 そして、四国全域に散らした光では治しきれていなかったひなたの頭部に、ガイアから受け継いだ治癒の光を当てる。

 優しい光が傷跡を消し去り、跡も残さず綺麗に傷を治癒していった。

 

『うん、よかった。女の子の顔に傷なんて残ってたら、一大事だ』

 

「ちょっとは、責めたっていいんですよ?

 私は……私は、御守さんに、とても酷いことを……」

 

『俺が痛くなかったからひーちゃんは悪くない。全然悪くない。これでどうだ?』

 

「……もう、御守さんは本当に、本当にもう」

 

 心も体も、痛くなかったはずがないというのに。

 

 ひなたを安全な場所に逃し、ティガは再びゼットに向き合う。

 カガミブネの最後の10秒も使い切り、カラータイマーは早鐘を打つ。

 されどあと一分も立っていられないのは、ゼットもまた同様である。

 

『皆……あと少しだ、あと少し、力を貸してくれ!』

 

 先程まで立ち上がることすらできていなかったティガの体が、不自然なまでに力強く立つ。

 

 四国の皆と、今の竜胆の心は繋がっている。

 頑張れ、負けるな、という声がそこかしこから届けられている。

 それが竜胆に力を与える。

 星の力でも、神の力でも敵わなかった、ゼットを超えられる可能性のある力を。

 

(……私やバーテックスは持てない、人の力、か。

 超えられるか? いや、超えてみせる。

 人を信じ、人の力を信じるウルトラマン、ウルトラマンティガ……!)

 

 両者は同時に、限界を超えた。

 

『ああああああああッ!!』

 

「うおおおおおおおッ!!」

 

 叫ぶ。全身の疲労、痛み、倦怠感、全てを無視するために。

 

『光は絆ッ! "酒呑童子"! リキデイターッ!!』

 

「ガトリング・トリリオンメテオッ!」

 

 思い返されるは、頬を掻いて照れたり困った顔をしたりする友奈と、そんな友奈をアイドルのように褒めちぎって幸せそうにしている海人の、奇妙だけれど楽しげな光景の記憶。

 今はもう、どこにもない、失われた幸せの形。

 

 酒呑童子は一撃必殺の拳を連打する精霊。

 鷲尾海人/ウルトラマンアグルの必殺狙撃光弾・リキデイターと合わさることで、威力・精度・連射力の全てが突き抜けた光弾を連射することができる。

 ゼットが同じ威力・精度・連射力で一兆度の火球を連射して迎撃を行ってきたのは、もはや笑うしかない。

 ここまでやっても、なお互角だ。

 

 光弾、光弾、光弾。

 火球、火球、火球。

 両者はこれでもかと威力を引き上げ、これでもかと連射力を引き上げる。

 それどころか、リキデイターと一兆度を連射しながら、敵を仕留めるべく距離を詰めていくという、恐ろしいことまで始めていた。

 

『ま、け、る、かあああああああッ!!』

 

「わ、た、し、があああああああッ!!」

 

 一歩、また一歩と、距離を詰めていく。

 光弾と火球の威力と連射速度は変わっていない。

 "毎秒自分の至近距離で打ち上げ花火が十数個爆発している"に等しい爆発と破壊の空間の中、ティガとゼットは勝つために、前に踏み込み続ける。

 

 ここで前に踏み込めないようでは、この敵には勝てない。

 二人揃って、そう確信していた。

 

 ゼットの心は、生まれつき強いがために。

 竜胆の心には、勇者から貰った勇気があるために。

 踏み込むことに、躊躇いはない。

 

『「 勝つッ!! 」』

 

 その一瞬、偶然攻撃が()()()

 打ち合わせたわけでもなく、ティガとゼットの中間地点で、十数個のリキデイターと十数個の一兆度火球が衝突。

 目も眩むような閃光と、大爆発が発生した。

 

 二人は、同時に踏み込む。申し合わせたように、同時に踏み込む。

 

 閃光が消えた一瞬の後、ティガとゼットは、互いが互いの命に手を届かせられる位置にいた。

 

『スペリオン光輪ッ!』

 

「ハンドレッド・トリリオンメテオッ!」

 

 ゼットが拳と共に、100兆度の火球をティガの胸に叩き込む。

 ティガが過去最強の八つ裂き光輪を、殴るようにして叩き込む。

 

「ぐぅ―――!?」

 

『がッ―――!?』

 

 ティガの体がバラバラになり、ゼットの胴体が左脇からみぞおちにかけて切断される。

 

 ティガの体が数秒かけて再生し、ゼットが切り裂かれた胴体を炎で焼いて接着する。

 そして、二人同時に立ち上がり。

 二人同時に、互いに向けてまた攻撃を再開した。

 

『まだまだあああああッ!!』

 

「はああああああああッ!!」

 

 もはや一兆度の熱も絞り出せないゼットの拳が、炎を纏う。

 もはや腕を上げることすら億劫なティガの拳が、雷を纏う。

 ゼットの拳がティガの頬を、パワータイプの拳がゼットの頬を同時に打ち抜き、両者は正反対の方向に吹っ飛ばされ、転がっていった。

 

『ぐ……あ……あああっ……!』

 

「くうっ……はぁっ……ぐ……!」

 

 先に立ち上がったのは、ティガの方だった。

 雷撃パンチは真紅のティガの得意技。

 両者同時に拳をぶつけ合う展開と見たティガが、一々パワータイプにタイプチェンジして耐久力とパワーを引き上げていたのが、功を奏していたらしい。

 

 竜胆は力を絞り出す。

 四国の皆の声援を受け、心から力を絞り出す。

 真紅のティガに、赤き大地のウルトラマンの力が宿る。

 

『光は絆ッ! "大天狗"! フォトンストリームッ!』

 

 思い返されるは、親戚同士気を許し合い、武術の鍛錬を楽しげに一緒にやっていた、三ノ輪大地と若葉の姿。

 十数年の付き合いがあるイトコ同士というものは、本当に気心知れた関係で、竜胆はそれがちょっと羨ましくて。

 今はもう、どこにもない、失われた幸せの形。

 

 天上を焼く神殺しの炎が、ガイアの最強光線に混じって解き放たれる。

 真紅のティガ、赤き大地のウルトラマン、大天狗の赤き炎の力が、今一つになった。

 ゼットは強化フォトンストリームを、決死の想いで槍にて受け止める。

 

「ぐ、くっ……があああああああッ!!」

 

『これで終われええええええええッ!!』

 

 規格外の強者二人の戦闘にも耐えていたゼットの剛槍が、ここで折れる。

 

「!」

 

 フォトンストリームを、ゼットはクロスした腕で受け止めるも、その全身が光となって消滅していく。

 光線吸収能力は発動している。

 本来、ゼットンに光線は効かない。

 効かないはずなのに、効いている。

 

 光線吸収能力が毎秒あたりの吸収上限を遥かに超えている上、ハイパーゼットのキャパシティをもってしても、吸収しきれないほどの膨大な光の奔流だった。

 吸収完了は不可能で、ゼットン特有の光線吸収器官は、あっという間にショートする。

 

(吸収しきれん! これは今の私の器には収まりきらない……! 駄目、か……!)

 

 腕が、体が、溶けていく。

 光の中に消えていく。

 これが死か、と、ゼットはゆっくり消えていく自分の体を見つめていた。

 

「……?」

 

 その体に、何かが流れ込んで来る。

 少しばかり、懐かしい感覚だった。

 ゼットがハイパーゼットになった時の感覚。

 死したバーテックス達の残滓が流れ込む感覚だった。

 

「もう、全員がやられたのか」

 

 感覚で分かる。

 十二星座と星屑は、既に一匹残らず全滅していた。

 人類絶滅の使命は勇者の手によって阻止されて、全てのバーテックスが再び打倒されていた。

 

 そして、打倒されたバーテックス達は。

 以前は心無いまま死に、ゼットに引き寄せれられて一体化したバーテックス達は。

 今度は心を持ったまま死に、死後には迷わず、ゼットと再び一体化することを望んでいた。

 

 全てのバーテックスが、勇者に倒された後、ゼットとの同化を望んだのだ。

 消えていったゼットの肉が、バーテックスの残滓との融合によって補填され、消し去られた分の肉が蘇っていく。

 

「馬鹿が。助けてくれだなどと、誰が言った」

 

 ゼットは、真剣勝負のつもりだった。

 タイマン、というものにこだわったつもりはない。

 だからティガを秋原雪花が助けた時も、特に気にはしなかった。

 けれども、ゼットはティガがどれだけ仲間に助けられようとも、自分が仲間に助けを求める気などさらさらなかった。

 

 バーテックスの仲間を根本的に信じていない。期待していない。頼っていない。

 だから、仲間を頼る気などなかった。

 そんなゼットが、仲間のバーテックスに助けられている。

 

「……まだだ! まだ何も終わっていない! お前達も、私も!」

 

 残虐を。虐殺を。絶滅を。まだ、何も成し遂げられていない。だから、負けられない。

 

「ここからでも、この地球の人類全ては滅ぼせる! ―――諦めるなッ!」

 

 人を滅ぼす悪魔達の、純粋な仲間意識と繋がる絆。

 絆をもって奇跡を起こし、未来を変えられるのは、ティガや若葉だけではない。

 不可能を可能にし、人類の絶滅と絶望の未来という運命を掴み取らんとする者はいる。

 

「くあっ、ガッ……ああああああああッ!!!」

 

 ゼットは叫び、体内のエネルギーを噴出させ、裂帛の気合いでフォトンストリームを粉砕した。

 

『……なっ』

 

 その現実を受け入れるのに、竜胆はたっぷり一秒の時間を要する。

 フォトンストリームは、ガイアSV最強の光線だった。

 スペリオン光線すら上回る最強の光線。

 フィニッシュに頼るならばこれ以外には無い、というレベルの光線だった。

 

 事実、仲間との絆でその身を強めたゼットも、ギリギリまで追い詰められていた。

 強力な技相応の反動と消耗は、ティガにその場で膝をつかせる。

 もう一度フォトンストリームを撃てと言われても、竜胆は絶対に無理だと断言できる。

 撃った方も、撃たれた方も、もはや満身創痍である。

 

 足が震える。

 手が上手く動かない。

 ウルトラマンティガは、これ以上の長期戦に耐えられる状況ではなく、そのカラータイマーも今にも止まりそうなほど速く赤く点滅していた。

 

 追い詰められるティガを見て、四国の人々は一部が絶望し、一部が必死に応援する。

 その想いがティガを強くするが、それはもはやティガの専売特許ではなかった。

 人類の想いを力に変える巨人は今、バーテックスの願いを力に変える怪物に、努力の甲斐無く打ち倒されようとしている。

 

『くそっ……ざっけんなっ……!』

 

「ふざけてなどいるものか……私の! 私達の! 勝ちだ!」

 

 ティガ頑張れ、お前を信じてる、と四国の人間や諏訪の人間がごちゃごちゃになったエールを心に受け、限界を超えに超えてティガは立ち上がる。

 だが、手をかざすゼットを前にしても、回避行動すら取れない。

 ゼットがその手から火球でも撃てば、ティガはそれで終わるだろう。

 

 力が、もう、足りない。

 エネルギーはまだあっても、それ以外の力がもう尽きている。

 皆と繋がって、皆の心に支えてもらって、それで立つのが精一杯。

 

(まだだ、まだ、負けてたまるか―――!)

 

 ティガの目はまだ死んでいない。けれども余力はほぼなく。

 ゼットは油断なくティガを見ている。反撃を警戒しているが、その警戒は杞憂である。

 

 だからこそ。

 ゼットの足を止めたのは、ティガの反撃ではなく、割って入った一人の勇者だった。

 

「良かった、間に合った……」

 

『……ちーちゃん?』

 

「私と秋原さんしか香川にはいなかったから……だから、私が、一番乗り」

 

 ゼットにバーテックスが合流し、ゼットは力を増した。

 そうなったのは、勇者が全てのバーテックスを倒したから。

 全てのバーテックスが倒されたということは、勇者もティガに合流可能になったということだ。

 

 先程ゼットを仲間のバーテックスが助け、強化して逆転した意趣返しをするように、今度はティガが勇者に助けられ、逆転をするという構図。

 "逆転されてたまるか"と、ゼットの内のバーテックスの一体が呟いた。

 

「私の精霊は速さがないから、間に合うことは多くない。だけど、あの日に、誓ったのよ」

 

 今日の戦いは、千景の今日までの戦いの中でも屈指の激戦だった。

 休憩なしに空間転移を連続で行い、人々を星屑達から守り続ける過剰な連戦。

 三大妖怪という負荷が大きいものを使っていただけに、千景の負荷も既に危険域だ。

 

 ティガも、千景も、決定的な一撃を撃つ余力さえも残っていない。

 竜胆は、人々を守るために。

 千景は、竜胆を守るために。

 余力もクソもない疲弊した体で、ここに立っているだけである。

 

 けれども。一人では撃てなくても、二人なら?

 

「他の誰が間に合わなくても、私だけは間に合わせてみせると。

 世界の全部が竜胆君の敵になっても……私だけは彼を守り続けると」

 

 ウルトラマンが世界を守るから、そのウルトラマンは友達が守る。

 

 ゼットは固唾を飲み込んだ。

 一瞬前まで、ティガには敗北しかなかったはずだ。ゼットには勝利しかなかったはずだ。

 なのに、力尽きる寸前の郡千景一人が駆けつけた、ただそれだけで、ゼットはもう勝利の確信を失ってしまっていた。

 

(そうだ、この感触だ)

 

 その絆を見ていると、勝てるか分からなくなってくる。

 物理的な力以上の何かが感じられて、勝てると断言できなくなってくる。

 

 その感覚を、ゼットは心のどこかで喜ばしく感じていた。

 

(強い。御守竜胆は、ティガは、間違いなく強いのだ。

 だが、こうしてティガと勇者が揃うとまるで違う。

 強い、弱い、を超越した迫力がある。最強が、無敵になったかのような―――)

 

 かつてのゼットでは、本当の意味では理解できなかった。

 今のハイパーゼットであるからこそ、本当の意味で理解できる。

 竜胆と仲間達の絆は強い。

 それこそ、ゼット達が持つような急造の絆では到底敵わぬほどに。

 

 絆を得た者だからこそ理解できる、本当に強い絆の力があった。

 

『力、貸してくれ』

 

「……うん」

 

 紆余曲折があった。

 あの日出会い、あの日別れ、再会し、今日まで共に戦ってきた、奇縁の絆の二人。

 二人の勇者としての物語、ウルトラマンとしての物語は、二人が出会ったことから始まった。

 

 物語の始まりにいたシビトゾイガーも、もういない。

 全ての真実は明らかになり、竜胆も千景も、もうあの頃押し付けられていた苦痛を、今押し付けられても自分で跳ね除けられるほどに、大きな成長を遂げていた。

 あの日、竜胆と千景の二人から始まった。

 あの日、竜胆と千景の物語は一度終わった。

 けれどまた出会い、苦難を乗り越え、また二人は二人の物語を始められた。

 

 二人は、何度も始まり、何度も終わり、何度も立ち上がってきた。

 だから決着を求める一撃も、二人で撃つ。

 高嶋友奈に心を救われた、同じ想いを胸に抱く、竜胆と千景の二人で撃つ。

 思い合う絆の二人で撃つ。

 

「一緒に……」『―――一緒に!』

 

 "平成の始まり"と呼ばれたこともあるウルトラマン、ウルトラマンティガ。

 物語の始まりの二人、竜胆と千景。

 その勝利を願う力なき者達の祈りが彼らに届き、その祈りが光に変えられていく。

 

「バーテックスども。

 私達は、挑戦者だ。

 いつの時代も勝ち続けるウルトラマンと人間に立ち向かう挑戦者だ。

 勝つぞ。

 終わらせるぞ。

 終わらせるために生み出されたお前達と、終わらせるために生まれた私の、全ての力で!」

 

 終わりの名を持つ者、ゼット。

 頂点の名を持つ者、バーテックス。

 ゼットンの頂点と語られる者、生物の頂点と語られる者達が、心を一つにする。

 

 向き合い、構える、始まりの者と終わりの者。

 

 集中する力と力。

 ティガを支える千景、ゼットを支える十二星座。

 僅かであってもティガに力を送る力なき人々、小さな力をゼットに注ぎ込む星屑達。

 周囲に迸る両者の光、放たれる瞬間を今か今かと待つ光線。

 これが最後の光線になると、両者は共に本能的に理解していた。

 

 未来のために勝利を求める少年と。

 勝利のためなら未来も捨てられる怪獣が。

 その一瞬に、全てを懸ける。

 

 

 

「『―――マリンっ! スペリオン光線ッ!!』」

 

「マリン―――ゼットシウム光線ッ!!」

 

 

 

 マリンスペシウムのその先へ。

 ゼットシウムのその先へ。

 二人が到達したのは同時で、奇しくも到達した形もほぼ同じ。

 

 今までの積み重ねを束ねて重ねるティガと、好敵手に敬意を払い観察してきたがために真似ることを可能としたゼット。

 二人の光線は、またしても互角……かと、思いきや。

 マリンスペリオン光線の方が、押していた。

 

『押し切れッ!!』

 

「負けるかッ!!」

 

 初めてだったのだ。

 ティガとゼットが"絆の強さを競う土俵"に一緒に上がったのは。

 だからこそ、マリンスペリオンが勝つ。

 されど、ゼットも意地を見せる。

 

 光線そのものの威力は互角で、絆の強さのみが差に繋がった。

 なればこそ、マリンスペリオンは押し勝ってゼットの左肩ごと左腕を吹っ飛ばし、胸の中央から腹のど真ん中にかけてを跡形もなく吹き飛ばした。

 マリンゼットシウムは押し負け弾かれたものの、ティガの左腕にかすり、わずかにかすっただけで腕を巻き込み吹っ飛ばした。

 

『がっ―――!?』

 

「ぐっ―――!?」

 

 エネルギーを使い切り、吹っ飛ばされた左腕を治す余裕すら失い、四つん這いになるティガ。

 胸も腹も左肩も吹き飛ばされながら、ゼットはフォトンストリームに折られた槍を拾い、真っ二つになりかけた体に杭のように突き刺し、上半身と下半身を繋ぎ留める。

 

「まだだ……! まだここでは終わらん……! 私が……勝つ……!」

 

 絆では竜胆が勝った。

 だが、勝とうとする気持ちの純粋さでは、ゼットが勝っていた。

 

 再生もできず、四つん這いで顔も上げられないティガ。

 体を槍の柄で突き刺し繋ぎ留め、ティガにトドメを刺さんとするゼット。

 大切なものがたくさんあって、想っているものがたくさんある竜胆とは違う。

 ウルトラマンに勝つことだけをゼットは想い、その純粋さで一途に真っ直ぐに歩き続ける。

 

 体を起こすことすら敵わぬティガの頭を、ゼットの右手が掴む。

 頭部に指が食い込み、皮膚を貫き、骨と肉をギチギチギチと握り潰していく。

 ゼットも体力に余裕はない。

 絞り出すように力を出して、捻出した力を腕に集めて、ティガの頭を握り潰さんとする。

 

「これが、私の……私達の、最後の力だ、ティガ……!」

 

「竜胆君!」

 

 もはや喋る余裕もなくなったティガはされるがままに頭を潰されていく。

 

 だが、その耳に、千景の叫びが届いたその瞬間。

 

(―――ちか、げ―――千景―――)

 

 竜胆の心に、火が灯る。

 

「頑張って! ……私も、あなたを守るから!」

 

 精霊も使えないほど消耗した状態で、千景が竜胆の頭を掴むゼットの腕を斬りつける。

 

「くっ、痛っ……どこまで行っても、諦めない者どもだ!」

 

「あぐうっ!?」

 

 片腕を失い、片腕でティガの頭を掴むゼットは、頭突きで千景を叩き落とした。

 

 叩き落とされた千景は路面を砕きながら地面に埋まり、動かなくなる。

 

『ああああああああッ!!』

 

 全力を尽くして、死力を尽くして、何もかもを費やした果て。

 ティガもゼットも、自分が持つ全ての力を使い果たしたその果てに。

 最後の最後に現れた、"勝敗を分けた差と違い"。

 

 それはきっと、大切な女の子(ヒロイン)の有無。

 男の子が、最後の最後に、踏ん張る理由。負けるな、という友の声援。

 大切な女の子を守ろうとする、男の奮起。

 そして、守ろうとした女の子を傷付けられた怒り。

 

『ちーちゃんに何―――やってんだ―――お前ッ―――!!!』

 

 正義の怒りが光を強め、敵への憎悪が闇を強める。

 全ての力を使い果たした竜胆に湧く、最後の最後のラストの力。

 先の一撃に全身全霊、自分の中にある全ての力を込めた竜胆が、"自分の外側の力"を得て、その力を最後の一撃に込める。

 

「なんだと!?」

 

 伸ばされるは、ティガに残った最後の右腕。

 ティガの右手はゼットの頭をしかと掴み、ゼットが首を振って逃げようとするも逃げられない。

 片手だけ、五本の指だけで行われる、死の抱擁。

 

「ティガ、どこにそんな力が……!?」

 

『それが、俺の"ティガとしての始まり"だからだ!』

 

 ゼットは、最強の終焉だった。

 全てのウルトラマンに終焉をもたらせる可能性を持つ存在だった。

 終焉は、あらゆる光を砕くに相応しい強さを持つ存在だった。

 

『ちーちゃんをいじめる奴は、絶対に許さねえ!』

 

 ゆえにこそ、"終焉"は、"始まり"に粉砕される。

 

 始まりの想いで、初めて習得した大技で、ウルトラマンはその終焉を打ち砕く。

 

『ウルトラッ!!』

 

 それは、片手だけの抱擁から行われる、片手だけの自爆。

 

『―――ヒートハッグッ!!』

 

 ゼットの頭と、竜胆の最後の腕が、赤熱と爆発に飲み込まれて、砕け散る。

 

 最強の強敵・ゼットにトドメを刺したのは結局、最強の光線でもなんでもなく。

 

 "他人を一方的に傷付けるのはよくないことだ"という彼の心を具現化させた、彼が巨人として最初に手に入れた、自爆の必殺技だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 変身が解けた竜胆は、再生速度が牛歩になっている体を押して、地面に叩きつけられた千景に歩み寄る。

 千景は気絶してはいるが、まだ死んではいないようだった。

 

「げぼっ」

 

 治癒能力を発動し、反動で一回血を吐いて、改めて治癒能力を発動。

 体に欠損がある状態で、自分の体を再生する分の力を千景の体に注ぎ込む。

 千景の体の傷はみるみる内に治っていったが、竜胆はまだ少し不安がっていった。

 その不安は、千景を大切に思う気持ちの裏返しである。

 

「外傷は見当たらないが、一応病院に連れて行かないと……」

 

 竜胆はゼットだったものの残骸を見る。

 残骸は消え始めており、もう少し立てば消え去ることは明白だった。

 四国全域で「勝ったティガを褒め称える声」が上がっていて、「バーテックス・ゼットを馬鹿にしたり罵ったりする声」も僅かに聞こえる。

 それが何故か、悲しかった。

 それが何故か、申し訳なかった。

 

「ゼット……」

 

 浮かない顔で、竜胆はゼットの残骸を見つめる。

 

「驚いたな。お前は……

 小さいとはいえ、私を殺したことにすら、罪悪感を抱くのか」

 

「! ゼット?」

 

「安心しろ。私の命は既に消え、この意志もほどなく消える。亡霊の戯言だ」

 

「……」

 

「読み違えていた……いや、勘違いをしていたようだ。

 お前は戦士に向いていない。きっと、誰よりもだ。闇に一度堕ちてすら、そうなのだからな」

 

「余計なお世話だ。そんなの俺の勝手だろ」

 

 喜べば良いのやら、怒れば良いのやら。

 ゼットの友人でもなんでもない竜胆には、ゼットが純粋に褒めているのか皮肉で言っているのか、その判別もつきやしない。

 

「ティガ、お前の心の主張を借りるなら……

 私は、人殺しという許されざる罪を望んで犯し……

 誰が見ても悪である存在として、消えるのだ……お前が何かを思う必要はない……」

 

「……本当に、余計なお世話だな」

 

 グレートを手に掛けた敵だった。

 ガイアを手に掛けた敵だった。

 他の時だって、仲間の死の遠因になった敵だった。

 なのに何故か、竜胆は悲しい。

 仲間の敵を撃てた達成感や、ちょっとしたざまあみろという気持ちもあるのに、何故かゼットの死を悲しんでいた。

 

 命の価値を知り、かつては他の生物を殴ることも躊躇う人間だった竜胆は、ゼットの死すら悲しみ、ゼットを殺したことに罪悪感を覚えている。

 『悩んで足を止める罪を重ねない人間』にも、『他者を殺すことに罪悪感を感じない人間』にもなれない、光と闇の間で揺らめく竜胆を見ていると、ゼットは何故か誇らしい気持ちになる。

 こいつが私に勝った人間なんだぞ、と誇りたい気持ちになる。

 ゼットの理性は竜胆に呆れていたのに、ゼットの心は竜胆に"それでいい"と言っていた。

 

「お前は本当に……殺し合う才能が無い男だな……」

 

 ゼットの声はゆっくりと、けれど確実に小さくなっていく。

 死がゼットの意思を消していく。

 そうしてゼットは、竜胆が一度も聞いたことのないような、心底悔しそうな声を出した。

 

「ああ、くそ、お前に勝ちたかった。

 だが、そうだな。お前にもう一度挑もう、とは思わない。

 それほどまでに、私はこの戦いで全てを出し切ってしまった……」

 

「……」

 

「もう一度お前と戦って、この戦いの想い出を汚してしまうことの方が、怖い」

 

 悔しさがあり、爽快な気持ちがあり。

 戦いの結果に満足する気持ちがあり、負けたことを後悔する気持ちがあり。

 二律背反の気持ちに振り回されながらも、ゼットは今抱いている気持ちを全て噛みしめる。

 

 ゼットの残骸は、もうほとんど消えていて。

 地表に僅かに、消えていない肉が残っている程度のものとなっていた。

 

「だが、本当に悔しいな。

 本当に勝ちたかった。

 お前達を滅ぼし……我々が生まれた意味を、証明したかった」

 

「お前達が生まれたことに意味が無かった、なんて誰にも言わせない。

 人間にも、天の神にもだ。

 お前達は良い意味でも悪い意味でも、生まれた意味はあったよ。

 絶対に無価値なんかじゃない。

 俺はお前達のこと、一生忘れない。俺の大切な人を殺した、誇り高い戦士のことを」

 

「―――」

 

 竜胆はゼットに大切な人を殺されたことを、許すことはないだろう。

 けれど、彼らに生まれた意味が無かったなんて誰にも言わせない。

 けれど、彼らに生きた意味が無かったなんて誰にも言わせない。

 彼らが人類との敵対を完全に止められるのであれば、彼らが戦いから離れることで辞められるのであれば、どこかで生きてどこかで幸せになることくらいは、竜胆は許せただろう。

 

 ゼットですら、忘れていた。

 ウルトラマンの歴史をたくさん見てきた彼は知っていたはずなのに、忘れていた。

 ウルトラマンは『殺す者』なのではない。

 『守る者』であり、『救う者』なのだ。

 

 ゼットを通して小さくとも心を得たバーテックス達が、ゼットの中で泣いていた。

 

 天の神は、バーテックスが生まれても祝福しない。死んでも何も思わない。

 人類を滅ぼせなかったとしても失望や罵倒すらくれず、人類を滅ぼせたとしてもねぎらいの言葉などかけることもないだろう。

 天の神は、バーテックスという命に心など与えなかったから。

 心無きバーテックスは、無機物の道具程度にしか扱われない。

 他の誰でもない、生み出した天の神自身が、バーテックスという命に"人類を滅ぼす道具"以外の何の意味も与えていなかった。

 

 そんな彼らに、『ウルトラマン』が、救いの言葉をくれた。

 ティガの敵だったはずなのに。

 ティガにとっては、仲間を殺した憎い相手のはずなのに。

 無意味でも、無価値でもないという肯定は、怪物達に最後の救いをくれた。

 

「くくく……ああ、そうか。

 お前は、そうだったな。

 "無意味に死んだやつなんかいない"が、お前の信念だったか。

 ああ、なんだろうな。このお人好しめ。私達が死ぬことになったら、これか……」

 

 この世で、たった一人だけれど。

 

 "バーテックスほど無価値でみじめな命はいない"というゼットの叫びを聞き届けてくれた、少年がいた。

 

 あの言葉は、無意味なだけのものには終わらなかった。

 

「敵の死に際に優しさを添えてどうする、ティガ。葬送の花にしては、華やかすぎるぞ」

 

 人間を殺しておいて、人間を滅ぼそうとしておいて、なんて虫のいい話だろうかと、ゼットもバーテックス達も救われた気持ちになっている自分を自嘲した。

 それでも、竜胆が敵にも向けた優しさは、彼らの心をぐらつかせる。

 「そういえば優しくされたのは生まれて初めてだ」と、彼らは思った。

 

 ゼットの胸に去来するのは、安らぎと敗北感。

 ああ、終わったのだ、と消えていく肉体が実感させる。

 力でも負け、心でも負けた。

 "救われた"と思ってしまった瞬間に、ゼットは心でも竜胆に負けてしまったのだ。

 心で負けた敗北の実感は、悔しいのに何故か心地良い。

 

「ああ、そうだ。お前達人間が奪われ、もう失った文化……

 スポーツの大会とやらでも、敗者の人間は、こういう気持ちだったのだろうかな」

 

「スポーツの、大会?」

 

「夢破れ、人生全てを懸けた勝負に負け、泣きたくて、悔しくて、敗者として勝者を見上げ」

 

 大会にて、全力を尽くして敗北したスポーツマンと、今のゼットの心境には、どこか何か似通うものがあった。

 

「心底悔しく思い、お前達を憎らしく思い、それでも、お前を見上げ、心はこう思う」

 

 負けて、悔しくて、悔しくて、でも、それだけではなくて。

 

「―――必ず勝て。私達に勝ったんだ。負けたなら、承知しない」

 

 自分に勝ったその人が、最後まで勝ち残ることを、願う気持ち。

 

「……ああ。必ず勝つ」

 

 ゼットが声だけで、ふっと笑った。

 

 ゼットも、その内側のバーテックスも、天の神側の存在であるはずなのに。

 人間の肩を持つ理由など、何も無いはずなのに。

 生まれた時に与えられた使命は、無くなっていないはずなのに。

 "もう死ぬんだから最後くらい良いだろう"と言わんばかりに、人間達を応援していた。

 

「不思議と、心残りはない。

 最後に残る勝者がお前達なら、私達に悔いは無い。

 だが、なんだろうな。

 なんだか、おかしい。

 私達―――バーテックスが―――人類が天の神に勝つことを―――望むなど―――」

 

 声が消える。

 存在が消える。

 彼の命のロスタイムもこれにて終わり。

 黄泉路を行かなければならない時が来た。

 

「御守竜胆。また正義と向き合えるようになったお前に。宇宙一、臭いセリフを言わせろ」

 

 因縁の決着、死という名の別れ。

 

「―――正義は、必ず勝つ」

 

 最後に、そんな似合わない言葉を残して、ゼットの残滓は消えていった。

 

 

 

 

 

 気絶から目覚めた千景は、ゼットと竜胆の会話の最後の部分だけは、聞くことができた。

 

「まったく、正義の道ってのは、進んで行くのが大変なものだってのに……」

 

 竜胆がそんなことを言っているのが、千景はなんだか嬉しかった。

 出会った頃の竜胆は、時折正義が何かを語っていた。

 再会した後の竜胆は、ずっと自分を悪だと言い続けていた。

 人を殺した罪悪感が、彼をずっと地獄に縛り付けていた。

 

 "俺に正義なんて無理だ"なんて言っていない竜胆が、なんだかとても嬉しかった。

 思い出されるは、四年前の竜胆が語っていた正義の論理。

 千景は正義というものがそんなに好きというわけでもないが、竜胆があの時語っていた正義の理屈は、結構好きだった。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

「正義ってのは、人によって違うこともある。

 傷付け合いながらぶつかり合うこともある。

 人の数だけ正義があるから戦争なんてものもなくならない」

 

「でもその代わり。

 一つだけの正義が、全てを支配することもない。

 各々の正義が、同じ方向を向くことも、違う方向を見ることもできる。

 正義にはそれぞれに守るものがあって、それぞれに味方するものがある。

 皆が思うまま望むままに、山ほどある正義の中から好きなものを選んでいいんだ」

 

「この村にある全部の正義が君を攻撃しても、僕の正義はそうしない」

 

「僕の正義はいじめを止めること。

 そして、何も悪いことをしていない君を助けることだ。

 こいつは間違いなく正しいことで、人の義に沿ったものだと信じてる」

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 郡千景は、彼があの時語った正義が、好きだったから。

 

 彼が自分を悪だと言わなくなったことが。

 彼が正義だと呼ばれたことが。

 千景は、とても嬉しかった。

 あの正義に心を救われたことを、千景は一生忘れない。

 

 竜胆が転校して来て、最初に顔を合わせた時もそうだった。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

「はじめまして! 御守竜胆です! 得意なのはサッカー、苦手なのは頭を使うこと!」

 

「竜胆の花言葉は『正義』『誠実』!

 そして『悲しんでいるあなたを愛する』!

 親にそう願われたんでその通りに生きてます!」

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 彼は、自分の名前に込められた親の願いをちゃんと分かっていた。

 事故死した親の願いを叶えるために。

 たった一人の家族である、幼い妹に手本を見せられる兄になるために。

 ずっと、『正義』も大切にしてきた。

 『正義』で間違えないようにしてきた。

 何が『正義』で何が『正義』でないかを、子供なりに一生懸命考え続ける子供だった。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

「なるほど、僕がここでやるべきことは見えた」

 

 

「大丈夫? 黒い髪がキレーだね。君、名前は?」

 

「こ……郡、千景」

 

「よっしゃ、ちーちゃんだな」

 

 

「僕が君の味方だ。この手を取れ。僕が僕の名前の由来ってやつを見せてやる」

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 あの日、あの時、あの村にいた彼が、涙を流す人を助けてくれる正義のヒーローであることを、千景は知っていて。

 あの日、虐殺した瞬間、それが死んでしまったことも、千景は知っていて。

 それが友奈のおかげで蘇ったことを理解できるのもまた、千景だけだった。

 

「竜胆君……」

 

「! ちーちゃん、大丈夫か?」

 

「平気。叩きつけられたから、頭がまだぐわんぐわんして、立てないけど」

 

「そりゃ大変だ。背中に乗ってくれ、背負って病院まで運―――」

 

 千景を背負おうとして、竜胆は千景の前で屈んで。

 

「ごぼっ」

 

 屈んで腹が圧迫されたせいか、1リットルほど内臓混じりの血――血のような何かの液体――を吐き出した。

 

「ちょ、ちょっと!?」

 

「気のせいだ、ちーちゃん」

 

「待って、まだ私何も言ってない」

 

「お前が見たものは気のせいだ。さ、病院まで運ぶから、背中に乗って」

 

「駄目よ、今の見る限り私よりそっちの方が重傷に見えるし、私が背負って……」

 

「今立てないって言ってたばっかだろうが」

 

 心配する千景の視線をよそに、竜胆はその場で軽く飛んだり跳ねたりしてみる。

 再生能力で腕はもう生えている、が。

 逆に言えば、再生しても完全に回復しないくらいには、深くにまでダメージが通っているということだろう。

 

「ほら、乗って」

 

「もう」

 

 何度も言い合い、最終的に千景が根負けする。

 根負けした千景を背負い、竜胆はフラフラと歩き出した。

 明らかに足元がおぼつかない状態なのに、頑張って竜胆は千景を運んでいく。

 

「……無理しないで、竜胆君」

 

「ちーちゃんは軽いから無理なんてしてないって」

 

「私の重さを心配したわけじゃないわよ……」

 

 そうこうしていると、高知でバーテックスを殲滅し、その後は香川に一直線に走って来ていた友奈が、一番乗りにやって来た。

 

「ぐんちゃん、リュウくん!」

 

「友奈!」

「高嶋さん!」

 

 次に来るのは雪花あたりかな、と思っていた竜胆は、少し驚く。

 

「聞いて高嶋さん。竜胆君が強情な上に無理をしているの。実は……」

 

「あ、ちーちゃんお前」

 

 チクったなこんにゃろー、と竜胆が苦笑して、千景が淡々と竜胆の強情さと無茶を語る。

 友奈は"強情に自分が背負って運ぶことにこだわっている"という事情を理解した。

 

「じゃあ、これで解決だね!」

 

「うおっ」

 

 そして、めんどくさい! と言わんばかりに、さっさと背負う。

 千景を背負う竜胆を背負う。

 元から身体能力が高い上、前衛型勇者として強化された友奈の体力であれば、この二人を背負って病院まで走っていくことなど造作もあるまい。

 

「マジかお前友奈お前!」

 

「しゅっぱつしんこー! しっかり掴まっててね!」

 

 千景を背負った竜胆を背負って、友奈は振り落とさない程度の速さで駆け出した。

 

「二人とも、お疲れ様!」

 

 友奈は振り返って、二人に微笑みかける。

 横顔しか見えないような微笑みであったが、それが竜胆と千景の心を癒やしてくれた。

 

「お前のおかげだ、友奈」

 

「えっ、今日はそんな活躍してないような……」

 

「後で何でも言ってくれ。お礼に何でもしてやりたい」

 

「ほほう、何でも? 二言はない?」

 

「無いぞ。何でも言ってくれ」

 

 友奈を見る竜胆の目を見て、千景は少し嫉妬した。同時に、友奈に感謝もした。

 あの状態の竜胆をこう救うことは、千景には絶対にできないことだっただろう。

 千景には救えない友達がいて、その友達を救ってしまった親友がいて。

 だから嫉妬して、だから感謝する。

 

 友奈が千景より優れているとか、友奈の方が社交的だとか、そういう話ではなくて、竜胆の心をああ救うのは友奈にしかできないことだった。

 

 叶うなら私がしたかったな、なんて思って。辛く思って。

 私じゃ無理だっただろうな、なんて思って。自分を省みて。

 高嶋友奈の輝きに救われた竜胆が、自分と同じ想いを抱いたはずだと考えると、友達同士お揃いだなと思って、少し嬉しくなる。

 

 千景からすれば、友奈の一番大切な友人になりたい。

 竜胆の一番大切な友人になりたい。

 けれどもどちらの一番になれそうにもなくて、竜胆の一番大切な友人は今のところ友奈なのだということが分かって、とても複雑な気持ちになる。

 

(でも、高嶋さんならいいかな)

 

 竜胆と同じものを守って。

 同じ戦場で戦って。

 同じ未来を目指して、頑張って。

 同じ人を一番大切な親友に思えているというこの状態が、ちょっと楽しくて、少し心躍った。

 

 昔からの大切な友達が、同じものを同じように好ましく思ってくれることが、なんだか心が一つになっているかのようで、嬉しかった。

 

(ーん……でも……やっぱり高嶋さんと竜胆君の一番にも、なりたいな……)

 

 戦いは終わった。

 彼らにもようやく休息の日が訪れる。

 カミーラも、海の神も、天の神も、まだ滅ぼすことも消し去ることもできてはいないけれど。

 今は、ゆっくりと休めばいい。

 

 千景は背負われたまま、竜胆と友奈をまとめてギュッと抱きしめた。

 

 

 




 人を守りたいという夢
 人に、ウルトラマンに、勝利し滅ぼしたいという夢
 叶う夢は一つだけ。敗者の夢は叶わず散って、勝者の夢が最後に残る


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3

 はえー、間に合わなかった。
 更新止まっててすみません。理由は活動報告の方に書いてあります。
 しかも文字数もかなり少なくてすみません、一万五千字無いです。

 7/30は原作乃木若葉は勇者であるの始まりの日です。
 2018年7月30日、丸亀城本丸石垣の上に立つ若葉が海を見つめるところから物語は始まります。

 体調の問題で話の切り目が小刻みになり、これからも平均文字数が少なくなって、完結までに予定していた話数が増える可能性もあります。ご了承ください。


 千景を背負った竜胆を背負って、友奈は走った。

 やがて病院が見えてくる。

 特に患者が殺到している、ということもなかった。

 マガエノメナの侵略開始から考えれば、四国にはもはや被害の無い地域が存在しないというレベルであったが、最後にティガが四国に満たした光の効果が大きかった。

 

 自分しか治せないティガと、他人しか治せないガイアの合わせ技。

 四国全域の人間の脳の損傷、体の怪我は既に治されているため、誰も病院に行っていないのである。

 むしろ暴徒にぶっ壊された街の方が、治されていないので直さないといけないので、一番の重傷だったと言えるかもしれない。

 

 なにはともあれ。

 シビトゾイガーは消えた。

 カミーラの干渉も事実上消えた。

 魔王獣も撃破数3、残りも3。カミーラが復活したとしても残りは4。

 その他諸々、四国が抱えていた無数の内憂問題は一気に片付いたと言えるだろう。

 外患はそのまま残っているが。

 

 心が繋がったことで、ティガの記憶は伝わらずとも、心は伝わった。

 かつての虐殺が事実であったことも。

 ティガが悪ではないことも。

 おかげで、ティガに関する報道が全て事実無根だったと考えていたティガの称賛者も、ティガを悪だと非難していた非難者もごっそり消えた。

 ティガが無実だと言う者も、ティガを悪だと信じる者も消えた。

 ただ、何か事情があったのだろうと、皆その心で察している。

 

 だって、触れた心が暖かったから。

 繋がった心が優しかったから。

 それを悪だと思うことなど、誰にもできなかった。

 

 ウルトラマンティガの光のおかげで、混乱も怪我人もなくなった道を進み、誰も運び込まれてくる様子のない病院に友奈は向かう。

 が。

 ゼットが能力で生み出した――あるいは、蘇らせた――星屑は幾千幾万という数であり、同時に生み出された十二星座も十二体。

 酒呑童子でそれらを一掃するだけのパワーをコンスタントに出し続けることは、友奈にとっても軽い負担ではなかったようだ。

 

「あ」

 

 病院まであと200m、というところでふらついて、その上瓦礫を踏んでしまう。

 

「わっ、わわわっ」

 

 このままでは転んで三人同時に地面と衝突だ、といったところで、友奈を支える勇者の影。

 いいタイミングでいい感じに現れたその少女は、秋原雪花であった。

 竜胆と千景をまとめて背負う友奈を見て、"雪花を見捨てず四国まで背負い運んだ"友奈の姿を思い出して、雪花は眩しいものを見るような目をしていた。

 

「だいじょぶ?」

 

「あ……せっちゃん!」

 

「こういうとこで小さい借りも返しとかないと、不良債権積み上げちゃいそうだからねえ」

 

 カガミブネ停止時点で香川にいたのは、雪花と千景のみ。

 千景が真っ先に駆けつけティガを助け、高知の北端部(香川南端近辺)にいた友奈が全速力で駆けて次に駆けつけて二人を背負い、香川東端にいた雪花がその次に駆けつけた形。

 例えば丸亀城なら、香川東端より高知北端の方が近かったりする。

 

 そうして、雪花は転びそうになった友奈を助け、三人を無傷に抑えてくれた。

 つくづく、エースにはならないがいぶし銀な活躍を続けるクレバーな勇者であった。

 四番ピッチャーにはならないが二番セカンドで高打率ホームラン無しというタイプ。

 

「先輩、友奈千景サンドとか良い目見てるねー」

 

「雪花、今の俺は割とお疲れなんでからかうのは……」

 

「美少女サンドはやわっこくない?」

 

「お前なー!」

 

 けらけら、と雪花が笑う。

 

「おつかれ、ウルトラマンティガ。最高にクールだったよ」

 

「お前もな。あそこでのコシンプ、最高にクールだった」

 

「あはは、今日のMVPにそう言われると悪い気はしないね。頑張る気も湧いてくるよ」

 

「メガネかけてるだけあるな」

 

「……ん、んん?」

 

「メガネ掛けてると知的だし、頭いい感じがする。立ち回りが知的なんだ、雪花は」

 

「その発言は最高に頭悪いと思うなー私は」

 

 眼鏡にどういう信仰を持っているのか。

 雪花は呆れた顔で笑う。

 四国に来てからずっと、雪花は竜胆の鬱々としたところ、悲惨な表情、立派な立ち姿ばかりを見ていたため、年相応でバカっぽいところが随分新鮮に見えた。

 闇に心染めた竜胆より、今の明るい竜胆の方が、雪花には好ましく感じられる。

 

「あら、コシンプ剥がしに来たのにもう剥がれてる」

 

「? そうだったのか。変身解除か自爆で剥がれたりすんのかな」

 

「え゛っ、ちょっと待って自爆が何指してんのか分からないんで説明プリーズ」

 

 竜胆に憑けていた精霊を外そう、と思ったものの、既に外れていたので「取り越し苦労だったかな」……と思う雪花の耳に入って来る、何やら聞き慣れない単語。

 雪花は新参。

 そもそも自爆を前提とした技があると知らない子であった。

 

「まず、電子レンジに卵を入れるのを想像してみてくれ」

 

「いいよそういう説明は!」

 

 ウルトラヒートハッグ。

 全身を赤熱化させて抱きつき、発した熱線で敵の体を内側から爆発させ、自分の体もろとも敵を破壊する捨て身の技。

 竜胆は威力を引き上げすぎたせいで自分の体も爆散させてしまう技。

 

 技の説明を聞き終わった雪花は、「バカじゃないの」とただ一言言って、空を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いの後の入院期間も相応のものとなった。

 若葉と千景は一度ブロンズ化された上で粉砕。

 友奈と杏は一度寿命が限りなく0になるまで天の神の呪いに侵食。

 歌野と雪花はまだ本人達のための端末最適化調整をあまりしていなかったのに、数日ぶっ続けで戦闘、その最後に四国全域を飛び回っての全力戦闘である。

 

 "あ、なんか運悪く心臓止まっちゃいました"がありえるレベルだ。

 ティガ リ・ルーツが体の不具合を治し、体の損傷を復元し、体を蝕む祟りなどを光で浄化して、命のエネルギーを与えた……とはいっても、念には念を入れての精密検査は必須である。

 "竜胆君がうっかり心臓近くの血管一本修復ミスってました"など洒落にならない。

 

 そして一番わけが分からない状態であり、一番精密検査が必要とされた体であり、一番調査結果がよく分からないことになったのが竜胆だった。

 

 何せ、一度祟り神化、そこから完全暴走の闇の巨人を経て、四国全てに恵みをもたらす一種の光の神と化したのだ。

 元怨霊の守護神。

 人々を恨んだ怨霊が守護神に転じる流れに似た、死後の存在としての属性の反転。

 ウルトラマンティガという名の神は、今多くの運命を覆し、されどまだ覆せていない運命に立ち向かわんとしていた。

 

 ここではない宇宙では、ティガの存在はこう伝えられている。

 

―――人々の願いに光が応え、この地上に遺わす地球の守護神であり、全ての人の中にも宿る神聖なる魂の光。

―――その人の光と石像の巨人が一体となり、光の巨人は誕生する。

 

 平将門をはじめとする怨霊が守護神になった幾多の逸話に沿って、『ティガダーク』という災厄成す悪夢は『ウルトラマンティガ』という守護神となった。

 ティガとは、人であり、神であり、光であり、巨人である。

 その本質は、誰の中にもある心の光。

 ティガの変身者が、その光を本当の意味で見失うことはない。

 

 さて、そんなこんなで、闇から光へと移り変わった神の一種である竜胆だが。

 

 採血しようとしても、注射器で血が吸えない。

 手で触れると暖かいのに、通常の体温計で計っても体温が測定されない。

 本人の体重はそのままなのに、皮膚片や爪片を採取すると、それらに質量が観測されない。

 人間の体でも常時周囲に思念波の一種を垂れ流している、等々、人間ではありえないような身体的特徴がいくつも発見された。

 医者は、今の竜胆の体をこう表現する。

 

『これはもう……細胞レベル、いや分子レベルで普通の人間ではありませんね』

 

 医療は病んだ部分を治すものだ。

 あるいは、壊れた部分を直すものだ。

 変わり果てた体のパーツを人間に置き換え直す、となるとかなり判断が難しくなる。

 ましてや今の竜胆を人間に戻すには、全身の細胞を入れ替えなければならないので、事実上治療は不可能と言えてしまうものであった。

 

「まあ、大丈夫ですよ。気にしないでくださいね。

 俺に割く時間とかそんな要らないので、他の業務に回してください、お医者様」

 

 けれど気にした様子もなく、竜胆は柔らかな微笑みを浮かべていた。

 医者やら看護師やらが申し訳なさそうにすればフォローして、病院に缶詰にされて精密に検査されていた数日の間、病院の中を歩き回って他病人などに話しかけ、柔和な笑みと快活な社交力でコミュニティを広げていく。

 治せそうな病気は、医者に断ってから光の巨人の治癒能力で治していった。

 

 老齢のおじいさんは竜胆を孫のように可愛がってくれた。

 ティーンの少年は竜胆の友人になってくれた。

 年齢一桁の女の子は、竜胆によく懐いていた。

 数日で病院を自分の庭のようにしてしまったので、見ていた若葉はたいそう驚いたという。

 

 一足先に病院から開放された千景は毎日見舞いに来ていたが、毎日竜胆のそういう姿を見ていたため、毎日"あーあの頃の竜胆君だ"という感想を抱いていた。

 小学生のあの頃そのままの竜胆、ではなく。

 成長した竜胆が、あの頃の竜胆を思わせる明るさや振る舞いを取り戻していたのだ。

 

 一番酷い状態だったはずの若葉と千景は、体に傷一つ無いということで真っ先に退院。

 友奈と杏も然り。天の神の祟りが穴だらけにしていた二人の命も、ティガが拡散した光に含まれていた技・命の充填(クリスタルパワー)の力で過不足無く修復されていたという。

 雪花はクレバーに"命を賭けて戦いつつも体への負荷を計算して立ち回っていた"らしく、ほどなく病院からフラっと出て行った。

 

 数日後、病室には竜胆と歌野くらいしか残されてはいなかった。

 

「あー、私の作ったお野菜食べたい。

 農地に触りたい。畑の土に触れたい。

 うぐぐ、うぐぐぅ、禁断症状が……農業ぅ……」

 

「俺が治せそうにもない頭の病気を見せてくんのやめい」

 

「これは頭の病気じゃないわ、宿命……運命よ!

 杏さんや竜胆さんと同じ、時を超えたその血の運命(さだめ)

 多分私のご先祖様は三千万年前から農業をやってたのね、私の血がそう言ってるわ」

 

「ご先祖様から受け継いだ血の代弁を勝手にするんじゃない……

 というかなんだよその農家、三千万年前からの戦士の系譜に平然と混ざるな」

 

「戦国時代だと農民は全国的に、敗戦の武士を狩って奪った鎧や刀を売り払ってたそうだけど」

 

「嘘だろ!?」

 

「トラストミー、トラストミー」

 

 本当である。

 戦争に負けて逃げている途中、農民に殺され、鎧や刀を奪われて売り払われた武士はそれこそ数え切れないほど存在したという。

 農民は強いのだ。

 時に戦士より強いのだ。

 農業王はもっと強い。

 

「おう、ウルトラマン」

「あ、竜胆お兄ちゃん」

「また女の子か。刺されんなヨー」

 

「はいはい、皆さんこれから検診でしょう。寄り道しないでさっさと行ってください」

 

 通りすがりの子供やら大人やらが、扉が開け放たれている竜胆の病室前を通るたび、竜胆にあったかい声をかけていくので、歌野も思わずほっこりしてしまう。

 先日までの四国全体でのティガの扱いを、歌野はよく覚えていた。

 

「残念だなー、と良かったなー、って気持ちがダブルでカムインしてきた感じね」

 

「?」

 

「もう四国に永住で良さそうだもの。

 いやはや、これはこれでハッピーで良かったわ。

 でももう諏訪に誘っても来てくれそうにないから、そこだけ残念ね」

 

 歌野が竜胆の先のことを心配してやる必要は、もうないのだ。

 それが歌野にはとても嬉しくて、少し寂しい。

 

「まだ分かんないんじゃないか? 俺が諏訪に行くか行かないかは」

 

「もう期待してないわよ。竜胆さんの夜逃げ先候補くらいにしかならないわ」

 

「夜逃げ……」

 

「何もかも面倒臭くなったら諏訪にどうぞ、ってアトモスフィアで、ね?」

 

 竜胆はきっと、四国に骨を埋めるだろう。歌野はそう思っている。

 歌野は心の勇者。

 その心は誰よりも強く、敵味方全ての心を見通し、人の心を守るために戦う。

 

 ゆえに、竜胆以上に竜胆の心のことを分かってくれている。

 竜胆が思っている以上に分かってくれている。

 だから、竜胆は歌野がなんでここまで言い切っているのか、いまいちピンと来ない。

 竜胆の大切な人達の中には、四国に骨を埋めるであろう人が多すぎる。

 彼がここを離れていくことはないだろうと、歌野は思っていた。

 

「俺が今ここに居るのは、お前が優しい言葉をかけてくれたからでもある。

 ありがとな、歌野。

 諏訪に来るよう誘ってくれたの、嬉しかった。

 お前のおかげで俺の心のどこかには希望があって、救いがあって、だから勝てたんだ」

 

 けれども、歌野の優しい言葉が人を救ったことも、また事実。

 竜胆が諏訪に行かなかったとしても、歌野が竜胆を諏訪に誘ったことが、竜胆の心に"逃げ道"や"未来"を見せてくれた。救いをくれたのだ。

 逃げてもいい、迎えてくれる場所はある、という優しい言葉が、竜胆の張り詰めた心に与えてくれた救いは計り知れない。

 

 心を読まなくても伝わってくる真っ直ぐな感謝に、歌野は思わず頬を掻いた。

 『光の巨人』になってから、竜胆の微笑みから影が消えた。

 その微笑みが、なんだか歌野の調子を狂わせるのだ。

 

「どういたしまして」

 

 暇になったなら、二人は益体もない話を始める。

 二人が出す話題は年相応、友人相応の話題であり、軽快に心地よく話を転がすことができた。

 たとえば、食べ物の話題。

 好きな食べ物の話。

 そして、野菜の美味しい調理法の話などなど。

 

「夏場なら野菜カレーもいいわね。

 お肉たくさん入れてもいいけど、野菜だけでも十分に旨味は出るのよ」

 

「へー」

 

「冬ならやっぱり野菜スープが一番だわ。塩コショウで味を整えるだけで十分に最高ね」

 

「いいなあ、美味そうだ」

 

「ふっふっふ。四国のグッドな土地を借りられたことは感謝してるわ。

 冬になったらモリモリ野菜使って、夏野菜に慣れた舌にサプライズをお届けするの!」

 

「そりゃ楽しみだ。でもできれば、冬が来る前に戦いに決着つけたいところだな」

 

「冬?」

 

「まあほら……色々とな。それに、戦いを長引かせると、弊害も出て来る」

 

 四国に人間が押し込められて、虜囚の辱めに等しい苦痛と閉塞感を与えられて三年以上。

 シビトゾイガーが民衆を操るのに苦労しなかったのは、四国に閉じ込められた状態でバーテックスに脅かされる日々が年単位で続いていた、という前提があったからだ。

 追い詰められた人の心は、短慮に走らせやすい。

 いい加減、人々の心は限界なのである。

 もうそろそろ、決着に向けて動き出さなければまたどこかで破綻しかねない。

 

 いや、見方を変えれば、シビトゾイガーやマガエノメナが無理矢理に爆発させた形になっただけで、人々の心はもうとっくに爆発する段階に足を踏み入れていたとも言える。

 ティガの光が人々の心に想いを伝えたことで、限界点は先延ばしにされた。

 次に来る限界はいつの日になるだろうか。

 できれば、その日が来る前に世界を平和にしたいということなのだろう。

 

「ああ、そうだ。あの時食べさせてもらった野菜信州そば、上手かったよ。また食いたい」

 

「おおっ、嬉しいこと言ってくれるじゃない」

 

「歌野はいいお嫁さんにもいい母親にもなるぞ、うん。

 俺の母親も料理が上手い人だった。父さんはそんな母さんが好きだったんだよなぁ」

 

 以前の竜胆では言わないようなことも言うようになった。

 以前の竜胆がよく言っていたことを言わなくなった。

 その変化を、成長を、歌野は好ましく思う。

 時々気恥ずかしさを覚える言い草には、いつまで経っても慣れる気がしないけれども。

 

「……ねえやっぱり諏訪に来ない?

 あなたはやっぱり、うどん派閥に対抗できる蕎麦派閥の希望……!」

 

「俺うどんも好きだからちょっと……」

 

「ちっ」

 

 軽口叩いて話せる友人の距離感は、それだけで心地良い。

 

「へー、みーちゃんが作った野菜ねえ。俺は……食べたことないな」

 

「あんまり作ってないけど、とっても美味しいのよ。迷わずドラムスタンプを押せるわ!」

 

「ドラムスタ……? ああ、太鼓判か! 歌野の太鼓判なら信用できるな」

 

「やっぱり野菜は愛情よ、みーちゃんは愛深い子だもの」

 

「へー」

 

「野菜を食べればね、その味で作った人がどれだけの愛を野菜に込めたか分かるの。

 その点みーちゃんはもうちょっとね。みーちゃんの性格なら、もっと愛を込められるはず……」

 

「みーちゃんは愛を人に対して向けるごく普通の女の子だからじゃねえかなと俺は思う」

 

「そんな、まるで私がイリーガルな女の子みたいじゃない。野菜に愛を向けるのは普通よ?」

 

「……愛、愛ってなんだ」

 

「自由なものよ。カミーラおばさんを見れば分かるでしょ?

 たぶんね、あの人が今この地球上で一番他人の迷惑顧みず、自由な愛を振り回してる人よ」

 

「やめろよネタにしにくい奴を堂々とかつサラっとネタにしていくの!

 お前の常時ブレイバーなその胆力は俺から見てもちょっとこえーんだよ!」

 

 竜胆に、歌野のちょっと変な喋り方がちょっと感染(うつ)ってたりもしていた。

 

「うたのーん、御守さーん、体調はどう?」

 

 そこにやってくる水都。

 水都の貴重な手作り野菜の噂をすれば影、といったところか。

 歌野と竜胆の目が、しゅっと水都の方を向く。

 

「あ、みーちゃん! 竜胆さんが食べたいって、お願いしたいって!」

 

「ええっ!?」

 

「ああ、是非お願いしたい」

 

「ちょ、ちょっと待って! 最初から説明して!」

 

 食べる(意味深)の誤解を解くのに一分とかからなかったとかなんとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、神樹の神託が降り、しばらく戦闘がないということが判明した。

 となれば、休暇、休暇である。

 今日という日まで大侵攻前哨戦、大侵攻、直後の諏訪・北海道・沖縄救援作戦に、その後のカミーラゼット魔王獣のフルコース。皆疲弊の極みである。

 大社が課した訓練ノルマも一旦撤廃され、勇者もウルトラマンも皆しっかり休暇を取らされることになったのである。

 

 そして、勇者とウルトラマンは全員、大型バスに詰め込まれて海へ向かっていた。

 

 大型バスの中には大社の人間も大勢詰め込まれていて、とにかく人が多い。

 この大社の人間が皆、休暇兼竜胆達が海で心置きなく遊べるよう人払いをするための人達、というのがなんとも恐ろしい。

 良くも悪くも、勇者とウルトラマンの知名度は最高なのである。

 どこの海に行くか、どう海で遊ぶかもよく考えないとやっていけない。

 そんな中、歌野はかなりテンションが上がっていた。

 

「オーシャン・ザ・トラベル! オーシャン! うーみー!」

 

「わあ、うたのんのテンションが上がってる……」

 

「海がない長野民のテンションの上がり方はすげえなあ」

 

「えっ、あの、私も長野民なんだけど……」

 

「うみーちゃんも私と一緒に野生を開放するのよ! ハリーハリー!」

 

「うみーちゃん!? ちょっと変なあだ名増やさないでうたのん!」

 

「歌野と水都の頭文字で海になるのちょっと面白いなぁ。

 みーちゃん、危ないから走ってるバスの中で立ち上がるんじゃないぞ」

 

「御守さーん!」

 

 テンションが高い歌野の封じ込めを竜胆に期待した水都だが、アロハシャツ麦わら帽グラサンにウクレレという浮かれきった竜胆の姿を見て諦める。

 明らかに夏の魔力にやられている。

 ガイのウクレレ……ではなく、ボブのウクレレを装備した竜胆のテンションに向かうところ敵なし。彼の心は完全に海に向かっていた。

 

「一番、秋原雪花!

 こじらせてこっ恥ずかしい台詞を言ってた竜胆パイセンのモノマネします!

 "何億人守ったら、俺は若葉とちーちゃんを死なせた自分を許せるんだ?"

 "何億人救っても……俺は……自分が生きていることを許せない、気がする……"」

 

「わー」

「似てる似てる!」

「笑えないことなんだけどなんか笑っちゃう」

 

「続きましてこじらせたパイセンの告白みたいなこっ恥ずかしい台詞のモノマネ第二弾!」

 

「雪花ァ!」

 

 海に向かっていた意識が引き剥がされ、大社の大人の皆さんをモノマネ一発芸で盛り上げていた雪花に竜胆が飛びかかっていった。

 

「楽しみだね、ぐんちゃん!」

 

「……そうね、高嶋さん」

 

「肌の露出は少ないけど、ぐんちゃんの水着可愛いから! いけるよ!」

 

「何が?」

 

「いけるよ!」

 

「何が?」

 

「悩殺だよ!」

 

「何が?」

 

 友奈は分かっていた。千景は分かっていないフリをした。

 

「ひなた、神託は本当にそれだけだったのか?」

 

「……若葉ちゃんにはそんなに隠し事できませんね」

 

「ひなたとの付き合いも長い。隠し事はまあ、なんとなくな。それで、どうなんだ?」

 

「次の神託で、ほとんどはっきりすると思います。だから、少し待っていてください」

 

 若葉は分かっていた。ひなたは話が確定するまで説明をしなかった。

 

「あの、真鈴さん? どこを見てるんですか?」

 

「……杏、また胸大きくなった?」

 

「背はちょっと伸びました」

 

「いや、背じゃなくて」

 

「背はちょっと伸びました」

 

「むn」

 

「背が伸びました!」

 

 安芸真鈴は分かっていた。杏は誤魔化した。

 

 竜胆は大社の人達に飴を貰ってコロコロ口の中で転がしながら、バスの前の方で何か機械をいじくっている三好圭吾に歩み寄った。

 

「何やってんですか?」

 

「……まったく、本当に無知な子供なんだな、お前は。

 いいだろう。この三好圭吾が教えてあげよう。

 バスの移動と言えば、バスの天井近くに付いてるテレビでドラえもんを流すものなんだ」

 

「えっ」

 

「まあ移動中にドラえもん一本全部見れることはないが……ドラビアンナイトで行くかな」

 

「手際いいっすね……」

 

「ああ、最新作の『新・のび太の日本誕生』はないぞ。

 日本誕生リメイクの告知が公式で来たのが2015年7月10日。

 で、映画の公開予定が2016年3月5日だったからな。

 バーテックスの初襲来が2015年7月30日だからそのままポシャったんだ」

 

「俺が見たことあるのって親が生きてた頃の鉄人兵団リメイクくらいですよ」

 

「……じゃあ、それにするか」

 

「え、いいんですか?」

 

「いいんだよ。ドラえもんは家族と一緒に見たり、家族の思い出と一緒に見るものだ」

 

「しかしドラえもんに詳しいですね三好さん」

 

「天才だからね」

 

「天才だとドラえもんに詳しくなるんですか……?」

 

 旧・正樹圭吾、現・三好圭吾は天才だ。

 若くして大社のトップ層にまで駆け上がる才能に、いざとなれば勇者やウルトラマンを切り捨てられる合理性と冷徹さ、豊富な知識と優秀な発明力を持つクールで近寄り難い天才。

 無能を嫌い、有能を好む合理の者である。

 天才ゆえにドラえもんの過去作全てが頭にインプットされており、劇中の全ての台詞を暗記しているほどの優秀な知識を備えている。

 

 人情味を捨てた口論を展開することも可能なため、三好圭吾と「どのドラえもん劇場版が一番傑作か」で口論した人間は、その全てが反論の余地なく三好に叩きのめされてしまう。

 『のび太の宇宙漂流記が一番好き』と言って身内認定されない限り、三好圭吾とのドラえもん劇場版No.1論争で敗者となる運命は回避できないだろう。

 

「ん?」

 

 席に戻ろうかな、と考えた竜胆だが、竜胆が先程まで座っていた席の周辺の席順が、ガラッと変わってしまっていた。

 女子特有の席移動。

 竜胆がちょっと勇者の下を離れて大社の人達と話している間に、あっちこっちに皆が席を思い思いに移動したため、竜胆の元の席も、その周辺の席も全て埋まってしまっていた。

 若葉は友奈と格闘技の動画を見ていた。

 千景と水都は穏やかに話している。

 雪花と杏は戦術の話をしているようだ。

 歌野と真鈴はちょっとしんみりした雰囲気で、歌野が会ったことのない、球子の話をしている。

 

 空いている席は、ひなたの隣だけだった。

 

「ここ、座っていいか?」

 

「どうぞ。お茶、飲みますか?」

 

「ありがとう。いただくよ」

 

 ひなたは相変わらずだ。

 マイペースなように見えるし、ほわっとした微笑みを浮かべているし、大人びた雰囲気には落ち着きがあり、表情を変えないままはっちゃけることもある。

 精神的に一番強く見える少女。

 だがその実、過去のトラウマ、未来への不安、竜胆の腹を刺した時の鮮明な記憶と、心の中で戦う気丈な少女である。

 竜胆も、そのあたりはちゃんと察していた。

 女心という未知領域でなければ察せるのだ、彼は。

 

「お疲れ様です。改めて、その労をねぎらわせてください」

 

「ひーちゃん達のおかげだ。

 支えてもらっていたから、俺は勝てたんだ。

 俺一人じゃできることなんてたかが知れてるってこと、俺が一番よく知ってる」

 

「人が一人の力で、その身に余る大偉業を成そうとする……

 そこには必ず、犠牲と悲劇が伴います。御守さんが止まってくれて良かったです」

 

 一人の怨霊神として敵を叩き潰そうとする、個のティガダーク。

 皆と共に戦う、群のウルトラマンティガ。

 戦いの中で起こった闇から光、個から群、闇の巨人からウルトラマンへの移り変わりは、ひなたの心に安心をもたらした。

 

 だが、竜胆の腹を見るひなたの目には、竜胆の腹を刺した罪悪感がまだ残っていた。

 それはひなたにとって、乗り越えなければならない刺突の記憶。

 そして竜胆にとっては、自分の許しによって笑い話にしてやらねばならない、友達の苦しみの記憶であった。

 ひなたはその記憶を忘れてはならないと考えるし、竜胆は忘れさせてやらないとと考える。

 

「その、お腹は」

 

「いつまで気にしてんだ。

 傷も残ってないから心配しなくていいんだよ。

 ひーちゃんは何も悪くない。俺も全然平気だった。

 むしろなんだ、俺の心の痛みを取り除いてくれた功労者と言っても……」

 

「嘘ですね」

 

 嘘である。

 竜胆は肉体も精神も両方ひなたに痛めつけられた。

 ひなたを大切に思っていたがために、物理的に刺されたことで肉体は痛み、心をひなたの罵倒に刺された痛みは肉体の激痛を上回った。

 本当は、ひなたにこれでもかと傷付けられた痛みは、まだ鮮明に思い出せてしまうほどだ。

 だから、竜胆はなんでもないことのように話し、軽い口調で話し、ひなたの内心の重荷を軽くしようとする。

 

 が、竜胆が軽い印象を受ける話し方で話しているのに、ひなたはそれを嘘と断じる。

 竜胆は分かっていなかった。

 ひなたが抱えるその重荷は、軽くしてもいいが、軽くしなくてもいいものだったのである。

 

 上里ひなたにはその重荷を抱えていく自由も、その重荷を捨てる自由もあり、彼女の心には、その重荷を背負っていけるかもしれない強さがあった。

 ひなたは、ただ。

 これから先もずっと、竜胆を傷付ける者を許さないために、竜胆が傷付けられることは当たり前じゃないと言い続けるために、あの時の腹を刺した感触を忘れないことを決めたのだ。

 竜胆を傷付けたものがなあなあで許されることに、ひなたは抵抗を見せたのである。

 

「もう、なんでそういう嘘つくんですか?」

 

「いや、待て待て、別に嘘ってわけじゃ……」

 

「御守さんは今、一種の光の神です。そして私達は、神の声を聞く巫女です」

 

「……ん?」

 

「時々、御守さんの感情の類が思念波に乗って漏れてるんです。

 御守さんの神託……と言えば聞こえは良いですが、そんな上等なものでもないですね」

 

「えっ」

 

 竜胆の嘘は、もうひなたには通じない。

 というか、おそらく一定以上の能力がある巫女全員にもう通じない。

 

 巫女とは、神の声を聞く者だ。

 神道的には、そこには"神の言葉を人々に伝える"という役目があると言える。

 神様が教えてくれる『正解』を人々に伝える。

 神様の言葉を正しく伝え、神様の言葉を誤解なく理解させ、神様の精神性を人々に誤解させないようにする。

 これまでは、人に味方する神は土着の神と神樹だけだった。

 だが、今は違う。

 

 神様初心者の竜胆の思念は、一部周囲の巫女に神託として受信されてしまう。

 要するに、思考や感情を時々読み取られてしまうのである。

 "神にとっての巫女"を、『理解者』と言い換えるなら。

 "竜胆にとってのひなた"も、今や理解者と言えるだろう。

 

 基本的には善人でありながらも完全な悪人と誤解されてきた竜胆。

 前回の戦いの以後の四国の巫女達は皆、"竜胆を周りの人間に誤解させない"という役目を与えられたと言えるだろう。

 巫女達は皆、竜胆の心を受信できるようになったのだから。

 

 ひなたは自分がちょっと表情を曇らせただけで、「ひーちゃんを笑顔にするにはどうすれば」とあれこれ考え始める竜胆を、ここ数日何度も見てきた。

 それを見るたびに、ひなたの中で罪悪感よりも「この人の前では笑顔でいないと」という奮起とやる気が湧いて来る。

 ひなたが笑顔を見せるだけで竜胆が無邪気に喜んでいるのが伝わってくるものだから、巫女としての能力が高いひなたは結構照れくさい気持ちになっていた。

 

「御守さん、私のこと好きすぎじゃないですか……?」

 

「!?!?!?!」

 

 ひなたが若葉のことを1000くらい好きだとする。

 ひなたが、竜胆がひなたのことを100くらい好きだと想像していたとする。

 神様になった竜胆が垂れ流す思念波から読み取れた事実は、竜胆がひなたのことを1000くらいには好きだったという事実だった。

 竜胆は皆が好きで、皆を愛している。

 その中でも、ひなたは上から数えて五人の中に入っている程度には、特別だった。

 

 照れているのはひなたのはずだ。

 好感度を直球で叩き込まれたひなたのはずだ。

 が。

 表情がいつも通りなのはひなただけで、竜胆は口をパクパクさせて顔を赤くしている。

 会話の中で優位なのもまた、ひなただけだった。

 

「こんなに思われていたなんて、実感していなかったので困ります……」

 

「待て待て待て! 誤解を招くことを言うな!」

 

「真実ですよ?」

 

「いや真実かもしれねーけどさ!」

 

「でも私にとっての一番は若葉ちゃんなので、御守さんのお世話まではできないんです……」

 

「しなくていいんだよ! 大丈夫だからそういうのは!」

 

 ひなたはちょっと、ほんのちょっとだけ、竜胆に酷いことを言ってみたくなった。

 酷いことや悪口を言っても、竜胆から自分への好感が全く変わらないなら、自分の何もかもが受け入れられている気がして、嬉しい気持ちになれる気がしたから。

 が、そうはしなかった。

 悪口を言って竜胆が傷付いてしまったらと思うと、ひなたはそういうことは言えなかった。

 

 なら逆に褒めて好かれてみようかな、ともひなたは思った。

 ちょっと褒めたらどんどん好きになってもらえそう、と思ってしまう。

 それは楽しいだろうな、と思いつつも、ひなたはこれも言わなかった。

 ありのままの上里ひなたを、御守竜胆はしっかりと見て、その上で好感を抱いてくれている。

 変に自分側が取り繕ったりすれば、"ありのままの自分が好かれている"という嬉しさがどこかに行ってしまいそうだと、ひなたは思った。

 

 これまで人と人という関係性だったひなたと竜胆が、神と巫女という関係性に変貌したことで、ただでさえひなたに勝てそうになかった竜胆が更に勝ち目を失っていた。

 

「こうなって初めて知ったんですよ?

 『御守さんって私の笑顔こんなに好きだったんだな』って」

 

「……いや、それは、なんだ、その」

 

「あなたが皆の笑顔をどれだけ好いてるか。それが分かるのは巫女の特権で、少し嬉しいです」

 

「ひーちゃんお前、俺のことからかってない?」

 

「いえいえ、からかってませんよ?」

 

 ふふふ、とひなた。

 ぐぬぬ、と竜胆。

 竜胆が親しい友に対し抱く親愛は大きい。

 周囲の人間が想像しているものよりも遥かに大きい。

 

「ただ、御守さんはこんなに私のこと好きだったんだな、って」

 

「からかってんじゃねーか!」

 

 ひなたは新たな関係性を得たことで、ひなたに腹を刺されてもひなたを抱きしめた時の竜胆の心の動きを正確に理解していた。理解してしまっていた。

 それは竜胆の羞恥心的には、悪夢も悪夢である。

 過大評価も過小評価もなく好感を理解されてしまうというのは、盛大な羞恥を伴うのだ。

 

 そんな竜胆とひなたを、反対側のバスの席から、千景と水都が見つめていた。

 

「どういうことなの、あれ……?」

 

「いや、あれは……

 ひなたさんがわざと御守さんが恥ずかしがる言い方をしてるんじゃないかな……」

 

「……? あ、なるほど。藤森さんも巫女だから、竜胆君の心が聞こえるのかしら……?」

 

「私はひなたさんほど巫女の能力は高くないからおぼろげだけどね。

 それでも御守さんの心はなんとなく分かるよ。

 上手く言えないんだけど……

 巫女にしか感じられない御守さんの優しさ思念みたいなものが、周りの人皆に向いてるんだ」

 

「それは、なんというか、納得するしかないわね」

 

「いつも皆の幸せを願ってるんだよ、あの人」

 

「知ってるわ」

 

「うん、だよね」

 

 竜胆からひなたへの好感はトップクラスに大きい。

 竜胆から水都への好感は結構大きい。

 だからひなたはからかいのネタにしながらも嬉しそうだし、水都は意外に大切に思われていることに驚きつつも、四国組の誰よりも自分が軽い存在であることを再認識する。

 竜胆にとってやはり四国の仲間達は特別で、歌野・水都・雪花はそれに一段劣っていた。

 

 "昔からの仲間を大切にする"。

 竜胆のそういった一面を再認識し、水都はなんだかほっとする。

 自分が予想以上に竜胆に好かれていたことに嬉しさはあるが、それよりも何よりも、竜胆が昔からの仲間をとても大事にする人物であったことが再認識できたことの方が嬉しかった。

 「感情移入しちゃってるなあ」と小声で呟いて、水都は四国で昔から戦ってきた勇者達とウルトラマンを見る。

 

(でも、なんというか……

 意外だな。ひなたさんはなんで『それ』を話題に出さないんだろう?

 ひなたさんにとっては意外なことじゃなかったのかな。

 竜胆さんにとって一番特別な女の子って、土居球子さんって人なのかなこれ)

 

 見えない思念が、土居球子という少女に関する思念が、竜胆から水都に伝わっている。

 "ちょっとでも蔑ろにしてはならない"という鉄の意志が感じられる。

 "誰にも侮辱させない"という鋼の意思が感じられる。

 "彼女の死を無駄にしない"という絶対の決意が感じられる。

 既に死んでいる、というこの上ないほどの特別性。

 

 仮に竜胆がこの先の生涯で『一番大切な女の子』を作ったとしても、彼の中の球子の位置に滑り込むことはできないだろう。

 だって、『一番大切な女の子』が出来たところで、『一番特別な女の子』が入れ替わるわけがないのだから。

 

「私にも巫女の力があったら、なんて思って、羨ましくなるわね……」

 

 竜胆の思念を頭の中で噛み砕いている水都の横で、千景が小声でそんなことを言う。

 

「どうして?」

 

「それなら、竜胆君の気持ちが分かるから。

 口では優しいことを言っていても、竜胆君の本心がどうなのかは分からない。

 ……分かる時もあるけど、竜胆君は、本心を頑として隠す時もあるから」

 

「心配?」

 

「ええ、時々ね。巫女のあなた達が羨ましい」

 

 神様の心の声を聴く力。

 神様の力を借りて戦う力。

 どちらの能力が上等なのか、というものはない。

 本来、巫女と勇者の能力は神様に選ばれたという意味で同格で、こういったちょっとしたきっかけがあれば、勇者でも巫女を羨んだりするものなのだ。

 水都は、くすりと微笑む。

 

「でも巫女は巫女で、皆きっと、勇者の皆の戦える力が羨ましかったりするんだよ」

 

「……隣の芝生でしかないのかしらね」

 

「うん。皆違う、皆できることとできないことがある。

 だから助け合うんだ、って御守先輩なら言うんじゃないかな」

 

「言いそうだわ……うん、絶対言う」

 

 水都は歌野という光に、千景は友奈という光に惹かれた者。

 であればこそ、"嫉妬"に共感もするし、"羨ましい"という気持ちに理解を示し合える。

 奇妙な形に、助け合うこともできる。

 

「もしどうしても御守さんの心が知りたいなら、私に聞けばいいよ。

 プライバシーまではバラせないけど……

 必要な時は、私が神様の声を伝える巫女みたいに、その心を伝えられるから」

 

「ありがとう、藤森さん。ちなみに今、竜胆君は何を考えてるのか分かる?」

 

「え゛っ」

 

「……え? な、なにその反応」

 

「……聞きたい? 本当に?」

 

「そういう言い方されて聞かなかったら夜も眠れないんだけど……え? どういうこと?」

 

 水都が複雑そうな、嫌そうな、悩ましいような表情になる。

 口元をもごもごさせ、何か言おうとして言わない。

 いや、言おうとしている、けれど言わない、の以前に、言いたくない、といった顔だ。

 

 だがやがて、苦悩の果てに水都は口を開き、竜胆の心から漏れた声をそのまま伝えた。

 私しーらないっと言わんばかりに。

 千景に嘘をつかない水都の友情ゆえの誠実さが、竜胆を遠回しに追い詰める、そんな一幕。

 

「『しかし海で水着のひーちゃんとちーちゃんが並んだら胸が……

  いくらなんでも残酷すぎる……

  俺が気遣って乳の暴力から守らないと。俺は全ての暴力からあの子を守る』……だそうです」

 

 千景は椅子を殴った。

 

 ひなたは平然と微笑んだままだった。

 

 

 




 御守竜胆は郡千景の絶対的な味方である
 心も体も守ろうとするよ!
 胸を守る、胸を盛る、一字しか違わないというのにそこには竜胆にとって可能と不可能の絶対的な壁がある……あ、次回はちょっとですが水着回とサッカー回です(恒例感)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

間章 Interval Odyssey
あなたを思うと胸が痛む-リメンバー・ユゥ-


 三千万年前、この地球には現在の地球を遥かに超える理想郷があった。

 高度に発達した文明は永遠の栄華を約束し、人々に不安はなく、全ての自然的滅亡要因を克服したことで、人々は幸せだけを享受することが可能となっていた。

 それは、神すらも認めた文明。

 自然と調和し、星と共に歩み、神と滑らかな共存を実現した、人類が成す文明の理想形……その一つに、もう少しで届こうかというほどのものだった。

 

 ただ、一つ。

 この文明には、超越できていないものがあった。

 

 人は人である限り、絶対的に異分子を生み出す。

 それは『流行病に耐性を持つ突然変異』であったり、『通常のコミュニケーションができないおかしな人間』であった、『過剰に善性を持たない者』であったりする。

 これが人間に多様性を生む。

 だが同時に、人々が一つになれない理由を生み、不和を成す。

 太古の昔、それは原罪という名を付けられていたという。

 研究の結果、超古代文明はそれを、遺伝子に起因するものであると判明させていた。

 

 周りに迷惑をかけ続けるだけの自分を自覚していても、自分を変えられない。

 まともに働くということができず、犯罪になることでしか生きる糧を得られない。

 生まれつき反社会性や他者への攻撃性を強く持ち、それを楽しむ。

 ただただ怠惰に生き、他者に寄生し、他人の破滅のみを愉悦とする。

 ちょっとしたことで他人を恨み、妬み、憎み、記憶と自認識を書き換えて自分を正当化し、何もかも他者のせいにする。

 

 そういった多種多様な、大まか『悪性』と呼ばれる性質を、多様な遺伝子のごく一部が発生させるものだと判明させたのである。

 かつての人類はこういった悪性を基本的に法で排絶し、されどある程度の余裕を持たせ、ある程度の人格的悪性はそれぞれの個人の判断に任せる形で社会から排除していった。

 

 自己からそういった悪性を無くしていくことができる、あるいは無くすことができなくても抑えることができることを、人は社会性と言った。

 逆にそういった悪性を正当化し、社会の中でも悪性を貫き他者に迷惑をかけ続け、その悪性で社会の負担となる、あるいは社会を破綻させることを、人は反社会性と言った。

 社会性はほぼ全ての人に求められるものであり、反社会性は逆にほぼ全ての人が改善を求められるものであったと言える。

 

 悪性と反社会性は極めて類似したものであり、これらを総合的に人間の中から排除していくことで、人は次のステージに進むことができる。

 この時代の人間は、皆がそう信じていた。

 人間から人間性を奪う、とまで極端な話ではない。

 人間が悪であってはいけない、とまで極端な話でもない。

 

 宇宙の遥か彼方、ウルトラの星の光の国のウルトラマンたちは40万年に通常の犯罪者を一人も出さなかったという。

 人間に心がある限り犯罪がなくならないなどと、この時代の地球人は思っていた。

 ある程度発展した社会は進化を続けることで、殺人件数も年々減少していくもの。

 社会性の促進と反社会性の排除、善性をより強く悪性をより小さく。

 その果てに、あるいは―――『ウルトラマン』という、地球人から見れば神にも見える領域の精神性を持つ、高次の生き物の心があるのかもしれない。

 遺伝子の中にある"元凶"を見つけたことは、人類にとって間違いなく朗報だった。

 

 『闇の遺伝子』。いつしかそれは、市民に通俗的にそう呼ばれるようになっていた。

 

 

 

 

 

 しかし、そこからが長かった。

 善は堅苦しく、嫌だと言う者。

 自由を主張するがその実、己の悪性を社会に許容させたい者。

 他人を悪口で自殺に追い込んでなお、他人の悪口を自由に言い続けたいと思う者。

 普通に働く能力がなく、窃盗でしか生きていけない者。

 殺人や動物の虐待を嗜好し、他人の悲鳴無くては生きていけない者。

 他人をバカにし続けることでしか自尊心を保てない者。

 自身の悪性ゆえの人生の不具合を、全て政府のせいにしてきた者。

 優しさを嫌う者。

 慈しみを厭う者。

 社会の仕組みそのものに反する者。

 

 様々な者が、自己の正当化のため、あるいは遺伝子の中の逃れられない証拠により悪性から逃げられなくなった者達のため、地球統一政権に反旗を翻した。

 そうして、星は二つに分かれる。

 善へと向かう者達。善になりたい者達。悪を許せぬ者達。優しくなりたい者達。

 悪で居たい者達。他者に悪を行いたい者達。醜悪なまま他人に迷惑な自分で居たい者達。

 二つはまるで、光と闇のように綺麗に分かれる。

 誰かは言った。

 

「これは、この星最後の内戦になるかもしれない」

 

 長い戦いが行われた。

 善は多く、悪は少なく。

 善は慈悲をもってあたり、悪はとにかく卑劣に食い下がる。

 いつの時代も悪は負け、悪は絶えない。

 "悪"とは、反社会性によって定義されやすい。

 社会に沿う存在は強く、多く、群れの強さを持つ。

 社会に反する存在は弱く、少なく、群れの強さを損ないやすい。

 

 その戦いは、世界を良くすることなどできない悪が、『皆』が望むもっとよりよい世界の形を提示することもできず、ただ今ある世界の形に反抗するだけの戦いに終わった。

 悪の中からも改心、あるいは成長した者達が現れ、そういった者達が自然と善の側に移り、自分勝手な『反社会性』と『悪性』の者達は劣勢になるにつれ、同士討ちを始める。

 勝敗は、ごく自然に決定した。

 悪なる者達は、大陸の東端の島国の、一つの島に押し込められる。

 そこは"シノクニ"と呼ばれる島。

 同士討ちを繰り返した悪なる者達はそこで四つのコミュニティに分かれ、四の国を打ち立て、時間をかけて善なる者達の慈悲により融和路線へと転身していった。

 しかし大きな戦いは、そこに偏見と、世界の傷を残した。

 

 内戦は終わり、星は一つにまとまってゆき、地球人類は次の段階に進んでいく。

 そして、また長い時間が経った。

 

 

 

 

 

 カミーラはそんな時代の、シノクニに生まれた。

 善悪戦争と呼ばれた時代ももはやはるか昔。

 カミーラは大昔の戦争で負けた悪い人達が自分の先祖で、自分はその子孫だからシノクニを出れば侮蔑されて当然……そんな認識で、子供の頃からずっと生きてきた。

 シノクニの外の人達は、悪い人にはなりにくいのだと。

 シノクニの人間は、悪い人にはなるのが当たり前なのだと。

 他の誰でもなく、シノクニの大人達皆に言われながら、自尊心無く生きてきた。

 

 少しだけ特別なことがあるとすれば、母親の浮気がきっかけで両親が離婚しかけていて、カミーラは『淫売の子』と呼ばれていたことくらいだろうか。

 シノクニで離婚は珍しくない。

 本土の人間達はよく相手を見て、よく相手を知って、しっかりと分かり合ってから結婚し、互いを思いやりながら一生を共に歩いていく。

 対し、シノクニでは無責任な性交や、何も考えない選択、盲目と無理解の先に結婚があり、結婚してからの破綻が極めて多かった。

 

 結婚という契約を重んじていれば、目の前の人と真に向き合う心さえあれば、隣の人を思いやる生き方があれば、離婚などという契約の破綻には至らない。

 少なくとも、この時代の常識としてはそうだった。

 だから、シノクニ以外での離婚率はほぼ0であり、シノクニで離婚は珍しくなかった。

 それでもカミーラが『淫売の子』としていじめられていたのは単に、それが娯楽だったから。

 分かりやすい破綻。

 分かりやすい醜悪。

 分かりやすい下等。

 分かりやすい非人。

 親の因果が子に報う、親の無倫理が子の人生を破綻させる、どこにだってよくある構図。

 

 『他人を見下してる場合じゃないくらい下等な人間が、余裕をもって見下せる人間』。

 『どんなにみじめな落ちこぼれにも優越感を与える人間』。

 『あまりにも酷い悪口でも、その人間に言う分には許される人間』。

 それが、カミーラだった。

 

 カミーラの父親に幼児性は無かったが、ただ共感性が低かった。

 他人の痛みがあまりわからない人間だった。

 カミーラの母親は実際淫売と言われる人間では無かったが、シノクニの外の人間にも中の人間にも一般的に嫌われるタイプの男を、恋愛的に好いてしまう悪癖があった。

 誰からも嫌われる男を見捨てられず、誰からも見下される男と駆け落ちしたカミーラの母親を、シノクニの誰もが嘲笑した。

 親の因果は子に報う。

 

 カミーラは周囲が自分をどう見ているかを、よくわかっていた。

 無邪気ではいられなかった。

 無理解ではいられなかった。

 無自覚ではいられなかった。

 だから心を凍てつかせ、心を死なせて日々を過ごしていた。

 涙をこぼすこともあった。

 それでも耐えた。

 逃げ場なんてない。

 どこにも行けるところなんてない。

 

 父はカミーラを愛さない。

 母もカミーラを愛さない。

 他の人もそう。

 誰もが彼女を加虐し、その人生から幸せを奪っていった。

 善なる者達の中から弾き出された悪性持ちの集団の中で、権威を握ることもできなかった弱い悪性持ちの中で、更に弾き出された弱者。

 少女の形をしたサンドバッグ。

 それ以外に何の表現のしようもなく、救いのある形容ができるはずもない。

 弱き悪性の郡の中で被害者以外の何にもなれないほどに、カミーラは良かった。

 弱き郡の中ですら、最弱だった。

 

 氷の心で日々に耐える。

 けれど、氷の心は強くない。

 氷の心はすぐ割れる。

 ただ心冷たくして耐えているだけでも、心はヒビ割れていく。

 

 カミーラはいつも一人だった。

 人の中でも、一人で居る時でも。

 誰も彼女の味方をせず、ゆえに彼女は一人だった。

 誰かに見つかれば酷いことしかしてこない。

 だからカミーラは泣きそうになった時、誰も居ないところ――森の中の日差し差し込む花畑――まで逃げて、そこで泣いていた。

 

 物心ついた時から、現在に至るまで、カミーラはずっと泣いていた。

 

「……うっ……」

 

 花畑で泣いて、泣いて、泣いて、涙が土に落ちて消える。

 八つ当たり気味に咲いていた彼岸花を力任せに抜き、投げ捨てるカミーラ。

 花に八つ当たりする乱暴さがあり、花にしか八つ当たりできない弱さがあった。

 

 彼岸花は、別名『曼珠沙華』。

 天上の花の意の名を持つ。

 天の神と地の人の距離がまだ近かった神話の時代から、それは咲き続けてきた。

 

「ううっ、うううっ……!」

 

 カミーラの遺伝子に潜む悪性も。

 カミーラをいじめている皆の悪性も。

 とっくの昔に、科学的に証明されている。

 「私の心は親とは関係ない」といくら言おうと、その体には『闇の遺伝子』が刻まれている。

 他人からは逃げられても、自分からは逃げられない。

 

 善なる者達はカミーラをいじめない。

 そんな醜悪なことはしない。

 非生産的ないじめなど、闇の遺伝子を持たない者は絶対にしない。

 善なる者達はカミーラが泣いている今も、どこかで誰かを助けていたり、自分を幸せにしながら他人を幸せにする道を進んでいたりするのだろう。

 カミーラと村八分のいじめを知れば、慈悲深い者は助けに来ることすらあるかもしれない。

 

 だから、この郡の者達はそれが郡の外には伝わらないようにしていた。

 隠蔽と言うには拙すぎて、隠し事と言うには邪悪すぎる。

 よって、誰も助けには来ない。

 シノクニの外の人類はいじめやインターネットリンチといったものをとっくの昔に卒業していたが、シノクニにはまだ当たり前のように残っている。

 それを人間らしさだと彼らは言う。

 醜さも人間らしさだと彼らは言う。

 間違いを繰り返していくのが人間で、それがない世界は人間らしさが無いと彼らは言う。

 

 そして、ずっと繰り返す。その遺伝子が受け継がれる限り、きっと永遠に。

 

「……けて」

 

 こぼれる涙と共に、言葉がこぼれる。

 それはカミーラの本音。

 誰にも言えない本音。

 どこにも届かない本音。

 カミーラ本人すらも救われるのを諦めた果てに、涙と共にこぼれてしまった、心からの言葉。

 

「誰か……誰でもいいから……助けて……ここから…」

 

 助けて、と心は叫ぶ。

 けれど、違う。

 心は助けてほしがっている。

 けれど、違う。

 カミーラの魂は、もっと強くて、もっと惨めで、もっと救いようない本音を、叫んでいる。

 

 

 

「私を……私の一生に一人でいいから……私を好きになってください……」

 

 

 

 その時。

 カミーラは、草を踏む音を聞いた。

 

「!」

 

 急いで涙を拭き、赤くなった顔を隠すカミーラ。

 

 子供の頃から、ずっと言われてきた。

 弱みは見せるなと。

 外に悪人はいないが、シノクニには弱みを見せるとつけ込んでくる人間がまだ要るのだと。

 電子の海では自衛できない人間が悪く、人生を終わらされても文句は言えないと。

 この地は悪性を科学に証明された人間しか居ないのだと。

 

 だから、カミーラは反射的に弱さを隠した。

 弱く在ってはいけない。弱さを見せてはいけない。

 弱さを見て「助けよう」と思う人がいるだなんて期待してはいけない。

 カミーラの人生において、カミーラの弱さを見て助けようとしてくれた人は誰も居なかった。

 彼女の人生で出会ってきた人間は皆、カミーラの弱さにつけ込もうとする人間ばかり。

 泣いていたことに気付かれる前に、逃げてしまうのが最善だ。

 

 それでも。

 なぜか。

 カミーラは。

 その声から、逃げられなかった。

 逃げようと思うこともできなかった。

 その声に強制された、というわけでもなく。

 カミーラはただ、その声に惹かれていた。

 

 一目惚れではない。

 一目惚れですらない。

 一目見る前から、その優しい声に惹かれていた。

 

「誰かいるかい」

 

 その声を聞くと落ち着く。

 その声を聞くと安心する。

 その声を聞くだけで、優しい人だと思える。

 抑揚があっても激しくはなく、少年らしい声であっても子供らしい不快感はなく、丁寧語ではないのに失礼さを感じる部分がなくて、穏やかさの中に他者を気遣う響きがある。

 

「ここから助けを求める声が聞こえた。僕で不足でないのなら、僕を呼んでくれ」

 

 "助けに来てくれたんだ"と、カミーラは何の理由もなく思った。

 

 それは事実である。

 

 その少年はこの地上に生きるどこかの誰かの、救いを求める声を聞き届ける力を持っていた。

 

 

 

「君を助けたいんだ」

 

 

 

 カミーラは、息を呑んだ。

 毎日毎日、村の人間に痛めつけられる毎日。

 学び舎では同年代にいじめられ、家に帰っても家族は味方してくれない。

 生まれた時から幸薄く、物心ついた時には底辺で、きっと死ぬまでそうなんだろうと……そう思っていた。

 疑うこともなかった。

 信じ切っていた。

 きっと自分には、一生いいことなんて無いまま死ぬのだろうと。

 自分はこの世の誰よりも不幸なまま死ぬのだと、揺るぎなく信じていた。

 

 なのに。

 

「……あ」

 

 カミーラの胸の奥に暖かい気持ちが生まれ、それが熱くなっていく。

 信じていた。自分の不幸を。暗い未来を。幸せなどないまま迎える死を。

 ずっとずっと、信じていた。

 なのに。

 

 『君を助けたい』と言うその声を―――信じてみたいと、思ってしまった。

 

 その声の主を信じてみたいと思ってしまった。

 救ってほしいと思ってしまった。

 幸せになりたいと思ってしまった。

 "助けて"と言えば、もしかしたらと……思ってしまった。

 優しい声が、カミーラに希望を持たせていく。

 

 希望が無いまま死ぬことより、希望を持ってから全てを奪われる方がずっと辛いのだと、この頃のカミーラは知る由も無かった。

 

「う……」

 

 この日、自分が口にした言葉を、彼が口にした言葉を、カミーラは全て覚えている。

 幸せの絶頂の中にあっても。

 地獄の底の絶望の中にあっても。

 一字一句、忘れることはなかった。

 その日の想い出が、ずっと彼女の心の支えになっていた。

 

 

 

「助、けて」

 

「わかった」

 

「―――」

 

 

 

 かつて、生命の起源が海の中に現れ、それが進化し、陸上に上がった瞬間、その命は『地球で初めて太陽を目にした生命』となった。

 神の如く太陽を見上げ、海に遮られて一度も目にしたことがなかった太陽を目に留めた。

 そこにあったのは感動だったか、恐怖だったか、無感であったか。誰も知らない。

 ただおそらく、この地球においては『感動』だったのだろう。

 生まれて初めて太陽を見た生命は、『感動』のあまりに言葉を失った。

 

 今、カミーラが、その少年に対して『感動』に言葉を失ったのと、同じように。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、カミーラにとって、永遠の太陽だった。

 

「泥がついてるね。ちょっと失礼。綺麗な顔が台無しだよ」

 

 その少年はまるで、御伽噺の中で怪物を打ち払う聖剣のような、綺麗な白銀の髪をしていた。

 カミーラも聞いたことがある。

 光の遺伝子の中でも、特に強い力を持つ一族のことを。

 遠い昔に人の中に現れた、強い力と気高い正義の心を持つ者達は、ごく普通の人々と家族を作り子孫を残し、その子孫は稀に白い髪をしていたという。

 その中でも更にごく一部の者だけが、陽光と高め合う白銀の髪をしているのだと……まともな教育を受けていないカミーラですら、知っていた。

 それは神話の髪色である。

 

 カミーラの色は黒。

 薄汚い黒。

 どんなに汚れようと目立たない穢れの黒。

 自分の髪と彼の髪を比べ、おどおどと自信の無い挙動で視線を彷徨わせる自分、自信に溢れどこまでも優しい声色な少年を比べ、カミーラは嫉妬すら抱かなかった。

 ただただ、光を見上げるように、少女は彼を見ていた。

 

「僕はティガ。ティガ・ゲンティアだ」

 

「……カミーラ。カミーラ・チィグリス……」

 

「そっか。チィ……チィちゃんでいいかな。可愛い名前だね」

 

「か、かわ……お世辞が上手いわね……」

 

 照れたカミーラの頬が赤く染まり、少年が雲のような微笑みを浮かべる。

 ふわふわとした印象で、何にも縛られて居なくて、この上ないほどに柔らかで、どんな相手とぶつかっても相手を傷付けそうにない、そんな微笑み。

 雲の微笑みを浮かべ、少年は手を差し出す。

 

「君、僕の友達になってくれないかな? 来たばかりで、全然友達が居ないんだ」

 

「う……うん……」

 

「ありがとう! 仲良くしてくれると嬉しい。僕人付き合いってやつが苦手だからさ」

 

「が、頑張る」

 

 "カミーラの自尊心を立てながらカミーラに助け舟を出していた"のだと、カミーラがこの時のティガの意図に気付いたのは、これから数年の後の話であった。

 

 もう一つ、森の草木を踏み歩く音が増える。

 ティガの背後の空間から、まだ幼い顔立ちの、しかし将来美人になることに疑いの余地がない少女が現れた。

 ティガのような聖性すら感じる白銀ではなく、しかし間違いなく白銀の髪。

 されど人種が少し違うように見えるので、ティガと近い血縁にはあまり見えない。

 ティガのそれと比べれば、幾分か人間らしい印象を受ける少女だった。

 

「先輩。ティガ先輩ー。もうどこに……あ、いた!」

 

 将来美人になることに疑いがなく、今の時点で幼い美少女であるのに、森の木の葉や木の枝・土埃まみれになってしまっている少女を見て、カミーラは気付く。

 この少年……ティガも、森の中を通ってきたはずだ。

 木々の中を通り、見えない不安定な足場を歩き、ここまでやって来たはずだ。

 なのにティガの身体には、小さな埃一つ付いていない。

 『特別』なのだと、カミーラは確信に近い推察を得た。

 

「あ、ユザ島。温かい食べ物どのくらい残ってたっけ?

 残ってなかったら俺の分この子にあげといて。三日くらいなら俺も食わなくて平気だから」

 

「ユザ島じゃないです! ユザレ!

 もう、変な言い回しばかり友達から学んで……

 と、いうか、あなたの食事を抜くなんて評議会が許しませんよ!」

 

 ユザレと呼ばれた少女は、ティガと呼ばれた少年に歩み寄ろうとするが、絡みつく背の高い草に足を取られる。

 眉を顰めて、少女は腰に吊るしていた長剣を振るった。

 少女の体格と比較すると幾分大きすぎるそれは、斬撃の軌道に沿って光を放つ。

 周りの人間も、カミーラの足元の花々も、花につく虫すらも傷一つ付けぬまま。『聖剣の光』は周辺一帯の無駄な雑草を切り落としていった。

 

「鬱陶しい……これだから未管理地域は」

 

「おお、怖い」

 

 聖剣を鞘に収める少女を見て、少年はからからと笑っていた。

 呆気に取られるカミーラは、現実を咀嚼するのに時間がかかる。

 明らかに常識から外れた少年少女。年齢はおそらくカミーラと同年代の12、13歳に見えるが、明らかに何かどこかが違う。

 カミーラとは、何かどこかが違う世界に生きている。

 ティガとユザレの瞳を見るだけで、卑屈なカミーラの瞳とはまるで違う、『揺るがなく信じるものがある者の瞳』に、カミーラは僅かな劣等感を覚えた。

 

 だが、カミーラが目の前の現実を咀嚼する前に、事態は一転する。

 地面が揺れ、雲が震え、大きな影が地を覆う。

 60mを超える巨竜―――大いなる怪しき獣が、森を踏み潰しながら現れ、咆哮した。

 

「え」

 

 巨竜の名は『ゴルザ』。

 宇宙(そら)の果てより飛来せし邪神の尖兵、海の底に蠢く闇の神の使徒。

 地の神は人を使徒とし、天の神は星の屑を使徒とし、海の神は巨大なる獣を使徒とする……そんな神話の構成要素。

 獣の悪魔が一歩、また一歩と踏み出し、歩いていく。

 それだけで小山は潰れ、森は粉微塵となり、大地は大きく揺れていた。

 

「な……なに、あれ」

 

 カミーラは知らない。こんな巨大生物の存在は知らない。

 いや、そもそも、こんな巨大生物が居るだなんて話は聞いたこともない。

 なのに、居る。そこに居る。

 夢かと思って頬を抓っても、痛いだけで現実を思い知らされるだけ。

 『怪獣』―――世間知らずのカミーラでも分かる、異端の生命。

 

「その子を頼む、ユザレ」

 

 その巨体の猛威に臆することなく、ティガは立ち向かう。

 

「本題、というか任務。忘れていませんよね、先輩」

 

 敵に対する危機感より眼の前の少女

 ただ、そこには呆れはあっても、軽蔑はない。

 ユザレの"先輩"には、確かな好感と尊敬が込められていた。

 

「任務より使命。

 怪物退治より人助け、だ。だろ?

 大丈夫、本題も忘れてないって。

 地球星警備団本部に連絡を入れな、ユザレ。『怪獣は一瞬で倒されました』って」

 

 そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、ティガは余裕綽々に振る舞う。

 背後のカミーラを気遣っているティガを見て、ユザレは真面目くさった応対を返す。

 

「倒してから報告します。事前報告は規律違反です」

 

「まじめ……」

 

 ここは森の中だ。

 懐から青銅で出来た棒状のもの――青銅のスパークレンス――を引き抜き、怪獣に向かっていくティガの足元にも、小さな虫や小動物がいる。

 それらを踏まないよう、触れないよう、ともすれば驚かさないように足の踏み場を選び、ティガは怪獣に向かい走っていく。

 

 無駄な殺生をしない性情。

 虫一匹殺さない優しさ。

 大きな怪物に挑む勇気に、小さな生物を慈しむ優しさが伴っている。

 少し遅れて、カミーラは理解する。

 先程ユザレが聖剣で雑草を刈った時、虫すらも気遣ったのは、おそらくティガの流儀に合わせていたのだ。

 ティガとユザレは、幼いながらに確かに分かり合っている。

 

 そこに僅かにもやもやとした感情を覚えていたカミーラだが、突然ユザレがカミーラの手を引いて避難を始めたので、直前まで何を考えていたのか、一瞬で頭からすっ飛んでしまった。

 コミュ障を通り越してコミュ無、コミュニケーション経験の虚無に生きてきたカミーラは、突然他人に手を握られることに慣れていない。

 他人の体温を感じることに慣れていない。

 親ですら、彼女の手を握ってくれたことは、数えられるほどしかなかった。

 

「はじめまして。私の名はユザレ。ユザレ・ナイトリーブ……あなたは?」

 

「か、カミーラ……って、そんなことを話してる場合じゃ!」

 

「彼なら大丈夫よ、カミーラ。心配は必要ないでしょう」

 

 その瞬間。

 大気が震え。

 大地が震え。

 大海が震えた。

 大いなる光の柱が、世界に立った。

 

 立ち上がる光の巨人を眺め、ユザレは謳うように祝詞を述べる。

 

「空の彼方の光に選ばれし者。

 始まりの天神、天之御中主(あめのみなかぬし)に選ばれし子。

 天の神々が戦士として選び出した、人類史一番目の()()

 神話の王道、『少年英雄』の世界で最も新しい形。

 ゆえにこれより、この地上から闇の尽くを消し去る光の御子。

 ―――『ウルトラマンティガ』。大いなる力を纏う時の彼は、そう呼びなさい」

 

 まるで、光の巨人という神を祀る巫女のようだと、カミーラは思った。

 

 銀色の巫女に祀られる、銀色の巨人。

 

 何よりも崇高に見える光に包まれた巨人の姿は、カミーラの目には、この世の全てに祝福されている気高い光に見えた。

 

「……ウルトラマン……ティガ……」

 

 銀色の巨人が纏うは風。

 紫電の疾風。

 光り輝く風が巨人の周囲を巡り、怪獣が後ずさったのが見えた。

 突撃する怪獣を光の巨人は受け止めて、細心の注意を払って立ち回り、巨人と怪獣が森の中の生き物を踏み潰さないようにする。

 その上で、掌を起点とする巧みな体術を繰り出し、ゴルザに何もさせないまま圧倒していく。

 

 光は何よりも強いのに、光の巨人の立ち回りはどこまでも優しくて。

 

「ああ、なんて、優しい光……」

 

 カミーラは熱に浮かされた表情で、その戦いを見る。

 

 光に見惚れた。それが欲しいと思った。それになりたいと思った。その隣に居たいと思った。

 

 それは遠い未来の郡千景が、竜胆を欲しいと思い、若葉のようになりたいと思い、友奈の隣に居たいと思った気持ちと、どこか似ていて。

 

 けれど、決定的に違っていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2

現在の作品表紙は碑文つかささんからいただいたものを使っております
https://twitter.com/aitrust2517/status/1220892694005735425
https://www.pixiv.net/artworks/79082696


 ある日、『闇』が落ちてきた。

 自壊する要素を尽く廃絶してきた地球人類にとって、それは数万年ぶりに訪れた、『人類を終わらせるかもしれないもの』だった。

 『闇』の正体は依然知れず、されど人は立ち向かう。

 だが、『闇』は強大だった。

 西暦が一万年を過ぎても追いつけそうにないほどの高度な文明をもってしても、『闇』に太刀打ちすることは不可能だった。

 

 無限の闇。

 無数の獣。

 二つは『闇』より生まれ、ありえない速度で星を侵略し始めた。

 それこそ、田舎者では事態に気付いてもいないほどに、速攻だった。

 星は怪獣に蹂躙され、闇が世界を覆う……かに、見えた。

 

 そこに、『光』が落ちてきた。

 

 『光』は戦士を選び、それぞれと同化した。

 伝承に曰く、『光』が与えたものは三つ。

 勇気と、希望と、力。

 『光』と一体化した戦士達は光の巨人となり、『闇』との闘争に身を投じた。

 そうして『光』に選ばれた一人がティガ・ゲンティア……ウルトラマンティガであった。

 

 『光』は『闇』に並び称されるほどに強力で、地球という星の上で光と闇は拮抗する。

 かくして、闇が星を覆うことはなく、されど光は闇を追い出せない、光と闇の大戦争は始まったのだった。

 宇宙(そら)の外から飛来した邪神は神であり、支配者であり、獣である。

 それは地球に根付いていたどの神性の在り方とも違い、また、どの神性にとっても絶対的に相容れない星の外敵であった。

 

 三千万年前の神々――現代ではほとんど生き残っていない神々――は星の外敵を前にして、基本的に不干渉だった人類に全面的に協力した。

 鬼神神群の代表、スクナ鬼。

 動物神群の期待の若手、ガーディー。

 地に属する神々の母にして植物神、神樹ギジェラ。

 始まりの天神の一人、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

 三千万年前とは神話の更に前の時代。神々と人間の距離がまだ近かった時代であり、神々の多くがその姿と名をありのままに人間に認知されていた。

 星の理そのものが別物であった時代であり、神と人の関係性が別物だった時代と言える。

 

 そうした神に認められ、選ばれ、力の後押しを受けた人間を、神々は勇者と呼んだ。

 この時代は勇者も、巫女も、英雄も、何もかもが区別されていなかった。

 遠い未来の西暦の時代とは、世界を構築する理そのものが違う時代。

 天照大神すらまだ生まれたばかりであり、天の神々も地の神々も西暦と比べると、まるで顔ぶれが違っていたほどであった。

 

 光の巨人。

 闇の怪獣。

 神の勇者。

 全てが入り乱れる原初の混沌。

 人間カミーラは、巨人ティガ、勇者ユザレ、そしてその仲間達と出会い、彼らに同行した。

 それは事情を知ったティガが哀れみから少女を保護したということであったが、カミーラは同情であっても、救ってもらったことが嬉しかった。

 彼の隣に入れたらなんだって嬉しかった。

 なんでもいいから彼に「ありがとう」と言われたら、それだけで嬉しかった。

 『地球星警備団』なる組織の飯炊き女になって、生活が良くなったところはあっても、悪くなったところは何一つなかった。

 問題があったとすれば、ただ一つ。

 

「……お話したい時に、どうやって話しかけたらいいんだろう……」

 

 内弁慶だったカミーラが友好的なティガやユザレと話せるようになるまでは一年ほどかかり、出会ってから一年が経って初めて、カミーラはティガが同い年の13歳であること、ユザレが一つ年下の12歳のくせにバリバリタメ口だったことに気付いたのだった。

 

 

 

 

 

 纏うは風。

 紫電の疾風。

 銀色の巨人ウルトラマンティガが風を纏えば、いかなる怪獣も相手ではなく、また犠牲になる人間が出ることもなかった。

 幼くして神と光に選ばれたのは伊達ではなく、他の警備団の戦士達も、守られている人々も、口々にティガを讃えていた。

 

『ティガ一人がその気になれば文明は滅ぶ。

 また文明を滅ぼすほどの敵であっても、ティガ一人にも敵わないだろう』

 

 神をも殺す領域の強さ。

 他の巨人とは隔絶した強さ。

 文明の存亡を一人で決定できるほどの強さ。

 そして、それほどの強さを持ちながらも、弱き人々に受け入れられる善性。

 無限に怪獣を吐き出す名状し難き邪神相手に戦線を維持できていたのは、ティガが小学生相当の年齢からずっと戦い人を守っていたというのが大きかった。

 ゆえに皆、彼を信じている。

 

 そういうのとは特に関係なく、ほぼ一目惚れに近い出会いをし、それから毎日ティガの優しさに好感度が爆発的に上がり続け、ティガ好き好き信じてる状態になっていたカミーラは、ティガと並んでベンチに座り『小さな神』の頭を撫でていた。

 くすぐったそうに、生まれたばかりの神は身を捩る。

 

「神って、増えるのね」

 

「そりゃ、増えるとも。神だって結婚するし子供も作るんだから」

 

「新しい神……まだまだ生まれてくるのかしら。天体や自然の擬人化、いや擬神化……ね」

 

 牛なのか鬼なのか外見的には判別がつかない神を撫でながら、カミーラはぽつりと呟く。

 世界の形は変わりつつあった。

 光が生まれ、神が降り、人と中から選ばれし者達が戦いに向かい、理想郷は瞬く間に絶え間なき戦乱に飲み込まれる。

 多くの人にとって、それは不幸でしかなかっただろう。

 だが、カミーラにとってそれは福音と成るものでしかなかった。

 彼と出会って、彼に救われて、カミーラの人生は幸せでいっぱいになっていたから。

 

「これから生まれてくる天の神も居るさ。

 そして、その神々にも人間を選ぶ権利はある。

 好きにすればいいんだよ。

 皆好きになったやつの味方をすればいい。僕がチィちゃんの味方をしたように」

 

「! ……そ、そうよね……うん。何を好きになるかは自由だわ。うん」

 

 生まれた時から、誰にも味方してもらえなかった。誰にも褒められてこなかった。誰にも好きになってもらえなかった。

 そんなカミーラに、彼はいつだって欲しいものをくれる。

 カミーラがずっと欲しかったものも、カミーラ自身が『自分が欲しがっているもの』だと気付いていなかったものも、すぐにくれる。

 それはきっと、彼が()()()()であるからだと、カミーラは思っていた。

 ()()()の対極の存在であるからだと、思っていた。

 

「あ、そうだ。

 チィちゃん、いつも美味しいご飯をありがとう。

 ごめんね、忙しくて最近言おうと思っても言えなかったんだ」

 

「!! そ、そのくらいのこと……私は守ってもらってるんだから、このくらいは……」

 

「それを言うなら君の美味しいご飯のおかげでもあるよ。

 僕らもご飯を食べないと数日で確実に戦えなくなるからね。

 君が食べる人のことを考えてご飯を作ってくれてるから、僕らは強いんだ」

 

「……あ、あの……その……ティガは、何か好きな食べ物はある……?」

 

「お蕎麦かな。あ、もしかして作ってくれるのかい? わぁ、素直に嬉しいな」

 

「う、うん。頑張る」

 

「ありがとうね、チィちゃん」

 

 カミーラは頬を赤く染めて俯く。

 ティガに見えないように頬をぱんぱんと叩いて冷やして、いつも無愛想な自分が変な顔を彼に見せていないか気にしながら、彼と向き合う。

 

 幸せにする天才なのね、とカミーラは思っていた。

 話すたび、言葉を交わすたび、楽しくなっていく気持ちがあったから。

 彼が自分に微笑んでくれるたび、心臓が跳ねて、口元が変な動きをし始めるから。

 ティガと向き合っているだけで、幸せになっていく自分を、カミーラは嬉しく思っていた。

 

 それにはふさわしい名前がある。

 誰もが知っている。

 思春期に気になる異性ができたら、誰だって知る。

 一文字で終わる、簡潔で素敵な名前がある。

 けれどこれまで誰もがカミーラに『その名前』を教えてこなかったから、カミーラはその気持ちに与えられた、その名前を知らなかった。

 

「君は新しい環境に必死に適応しようとしてる。

 そして人を助けられる仕事を選んだ。

 今君が真摯に過ごしている毎日の全てが、君の素晴らしさだよ」

 

「そんな……人助けなら、ティガのほうが凄いし……」

 

「いやいやいや!

 凄いよ! 僕なんて家が厳しいところだったからね。

 大昔に貴族だったとかで、貴人の責務がどうたらこうたら。

 今じゃ普通の家だっていうのに、時代錯誤にもほどがある。

 僕は自分の意志じゃなくて実家の意思で人助け始めた人間だからさ。

 酷い環境で生きてて、自分から人助けしようと動けるチィちゃんは凄いよ。尊敬する」

 

「……そうかな?」

 

「君に僕が嘘をついたことはないだろ? 尊敬してるよ」

 

「……えへへ」

 

 カミーラがはにかんで、ティガが微笑む。

 

 ティガは地球星警備団最前線構築部隊の隊員。

 カミーラは随伴兵糧部隊志願兵チーム見習い。

 地球単位の危険に対し、地球レベルの案件を処理する部隊が動く。その中には前線で戦う戦士も居れば、戦地の後方で食事を用意する者達も居る。

 カミーラは無口無愛想コミュ障の三重苦がありつつも、周囲の人間の誰も彼もが寛容な善性の者達であったことで、失敗続きながらもなんとかティガの助けになれていた。

 皆、カミーラを怒らないが、カミーラにちゃんと指導はしてくれる。

 そして上手く行ったら褒めてくれる。

 だからカミーラは今が楽しい。

 それはきっと、ティガの役に立てているから……というだけではないのだろう。

 

「本当に、他人に教わったことは一度は疑うべきだね」

 

「?」

 

「子供の頃から教わってたんだ。シノクニには鬼が棲む、って」

 

「ああ」

 

「シノクニから特定の遺伝子を持たない、"乗り越えた"者が出たら受け入れる。

 シノクニの者が何かをやらかしても、限りなく人道的な処置を。

 遠くない内に消えていくシノクニの者達の最後を、安らかに……

 これが常識だと教わってきた。

 シノクニに居る人間は、遺伝子的にも別物だから、そう思えと。

 善人であることを期待してはいけない、でも同じ人間のように扱えと。

 年間統計や遺伝子の研究データを見せられてきたんだ。

 そうして僕は、"シノクニには救えない人間しかいない"という話を信じていた」

 

「ええ、そうね」

 

「気を悪くしたらごめんね、チィちゃん」

 

「? 事実だと思うわ。そういう土地だと思う」

 

「……」

 

「そして……私は……そこの出の人間。

 ティガの後押しがなかったら。

 私がどこかで一度でも適当な仕事をしていたら。

 周りの人達は私に、きっと今みたいに接してはくれなかった」

 

 カミーラは特に気にした様子もなくそう言う。

 シノクニの内と外の両方を見て、カミーラは外の人間の善良さと、命を慈しむ善良さがありながら他者の安寧のために怪獣を倒そうとすることができる強さを見た。

 カミーラは明確に地元の人間を過小評価していたが、それを差し引いてもシノクニの内側と外側には明確な民度の差が存在していた。

 

 ティガは偏見を恥じ、カミーラは偏見を肯定している。

 外の人間なのに内の人間を肯定するティガ。

 内の人間なのに内の人間を否定するカミーラ。

 不思議な逆転に、カミーラは首を傾げていた。

 ティガの語り口に混ざるなんらかの意図が、カミーラにはよくわからない。

 

「その偏見を……僕の瞼にかかる闇を晴らしてくれたのは君だ」

 

「え?」

 

「正直に言えば、僕も本心では君にあまり期待はしてなかったと思う。

 だから君に何をして欲しいとも僕は言わなかった。

 そうしたら君は自分から進んで人の助けになることを始めた。

 危険もある僕らの戦いに付いて来てくれた。

 皆の未来のために。

 一日二日で飽きるでもない。

 ずっとそれを真摯に続けてきた。

 君は皆に認められる素晴らしい女の子で、僕はそれに感動を覚えたんだ」

 

「え、あ、いや、その……そうね」

 

「今でも昔の僕と同様の偏見を持った人間は多い。

 遺伝子に絶対の悪性と反社会性があるんだ、ってね。

 でも違う。

 君は違うんだ。

 君は遺伝子が定める運命(GEEN DESTINY)をひっくり返したんだと思う。凄いよ」

 

「……そういう私が、好ましい?」

 

「もちろん」

 

「ふふふ……そうね……よし……頑張らないと」

 

「無理は駄目だよ」

 

「ん」

 

 "できるだけあなたの近くに居たかっただけ"なんて、今更言えやしない。

 カミーラはティガに褒められるのが嬉しいから、そのちょっとの勘違いは正さない。

 

「君が教えてくれたんだ。人間は誰だって、自分自身の力で光になれるって」

 

「そ……そんなこと……別に……」

 

「そんなことあるって! あるある!」

 

 真っ直ぐなティガの目を見ていられなくて、頬を紅潮させたカミーラが目を逸らす。

 

「……私は。

 何も、何も持ってなくて。

 何もできなくて。

 何の価値もない女で。

 ずっと、そう言われてて。

 今でも、そう思ってて。

 でも……その……ティガが……

 ティガが、褒めて、信じてくれるから、頑張れて……

 いつも頑張ってるティガに、何かしてあげたくなるの。

 だから私が頑張れるのは、それはティガのおかげで……

 ええと、つまり……いつもありがとう。うん、いつも優しくしてくれて、ありがとう」

 

 その言葉はたどたどしくて、口を開く前に言いたいことが何も整理できていなくて、相手を褒めたいのについ自虐に走ってしまう悪癖が出ていて、声量が小さく発音がハッキリしないためところどころが擁護できないほどに聞き取り辛い。

 それでも、伝わるものはある。

 ティガは急かさず、茶化さず、聞き返さずに一言一句を正確に聞き取り、雲の微笑みをそこに湛える。

 

「ありがとう。チィちゃんのおかげで、僕はいつだって光になれる」

 

「う、うん。うん、うん……」

 

 褒められれば褒められるだけ、大好きが止められなくなりそうになる。

 彼の気持ちを受け止めるたび、指先まで血が巡ってぽかぽかとした気持ちになる。

 彼がいればもう他に何も要らないと思えるくらいに、カミーラはティガが好きだった。

 

 ふと、カミーラは気付いた。

 カミーラが出会ってからしばらくしてから、彼の偏見が拭われたというのなら。

 出会った時、まだティガの中に偏見が残っていたというのなら。

 何故あの日、彼はシノクニのどこかの声を聞き届け、助けを求めるシノクニの人間を迷いなく助けに来て、偏見があったにもかかわらず、カミーラという少女を救い、連れて行ったのか。

 

 まあ今が幸せだからいいか、とカミーラは思考を投げ捨てた。

 ティガが好き過ぎるカミーラからすれば、ティガをどんな形であれ疑うということ自体精神衛生上よくなかったのである。

 

「少し歩こうか。このへんの街はチィちゃんもあまり慣れてないだろうし」

 

「ん……一人で外出とか、しないから」

 

「そっか。じゃあ、女の子に必要なところ……服屋さんから行こう!」

 

 ティガは忙しい中でも時間を作って、カミーラに会いに来てくれた。

 この時代の大英雄の筆頭であるティガの一秒は、カミーラの一秒より遥かに重い。

 されどそんなことをきちんと理解せずとも、カミーラは彼との一分一秒を宝石の如く扱った。

 彼が特別な地位を持つ存在だから、共に過ごす時間に価値があったのではない。

 彼がカミーラにとって特別だったから、共に過ごす時間が全て特別だったから、全ての時間が宝石だった。

 

 二人で服屋に行って、カミーラに似合う服を選んでみた。

 同じ味のアイスクリームを買って、同じ味に違う感想を言い合って、公園を歩いた。

 海を二人で眺めて、砂浜を走る甲殻類を捕まえた。

 森の中、日差しが差すベンチの下、なんでもないことを語り合った。

 月夜の下、互いのことを教え合って、笑い合って、歩み寄った。

 戦いの後、廃墟になった街で俯くティガの手を引いて、カミーラは不器用に日の当たる場所へと歩いて行った。

 

 そんなことを、世界を守りながら、一年くらい繰り返していた。

 

 ティガはいつだって時間を作って、カミーラと一緒の時間を過ごしてくれていた。

 

 春風の中、花が踊る景色を見て、冗談を投げ合った。

 夕立の中、傘を鳴らす雨を見つめて、二人で一つの傘の下にいた。

 街路樹が赤に染まる中、カミーラが紅葉よりもずっと赤い顔で少年の手を握っていた。

 綿雪が降り積もる中、すくい上げた雪を丸めて、二人と仲間達で雪合戦をした。

 

 戦いは終わりの気配も無いまま、二人は14歳になっていた。

 今日もまた、二人は戦いの合間の僅かな時間に心を通わせる。

 

「僕の名前は接尾系のアナグラムなんだよね。

 ゲンティア家はリンドウ花を家紋とする。

 リンドウ(Gentia)の頭文字を後ろに回して『TIGA』。

 ティガ・ゲンティアです。どうぞよろしく、カミーラさん……というわけですな」

 

「い……いい、名前だと思うわ」

 

「ありがとう。チィちゃんの名前も可愛くてかっこよくて好きだよ」

 

「んっ」

 

 ティガの言動に、カミーラは慣れない。

 というか、"好き"が日々大きくなって、どんどん平気じゃなくなっていた。

 『勘違いしちゃ駄目』『彼は誰にだって優しい』とカミーラは何度も何度も自分に言い聞かせるも、それでもなお心がふらふらと揺れてしまう。

 懸命に平静を保って、カミーラは彼が振った話題に乗る。

 

「私、自分の名前が好きじゃなかったわ」

 

 そうなんだ、とティガは相槌を打つ。

 

「好きでもないし嫌いでもない。

 記号でしかないと思ってた。

 個人を識別する記号、それだけのものだと思ってた」

 

「うん。それも間違ってない」

 

「……名前を使ってバカにする人は好きじゃなかった。

 バカミーラとか言われてる内は、まだマシだったから。

 名前を呼ばれて嬉しかったことなんてなかった。

 でも、今は。なんだろう。うん。……名前を呼ばれて、嬉しい時があるわ」

 

「うん」

 

「きっとね、誰に呼ばれるかが大事だったの。

 どんな気持ちで呼ばれるかが大事だったの。

 私を好きになってくれる人。

 好意を込めて私の名前を呼んでくれる人。

 私の名前を呼んで、私という個人を認めてくれている人。

 そういう人達が、私の名前を呼んでくれて……私の名前に価値をくれたんだと、思う」

 

 ティガは、とても優しい微笑みを浮かべる。

 雲の微笑みは、カミーラの前でとても優しい色を帯びる。

 その微笑みはティガの美点だとカミーラは思っているが、実際のところ、彼からその微笑みを引き出しているのはカミーラだった。

 

「君はまた、光を見つけたんだね」

 

「そ、そんなこと……」

 

「素敵なことだ。

 君が見つけた光を、僕もまた道標にできる。

 君が素敵な人だから見つけられるのかもしれないね」

 

「……うぅ」

 

 普段、クールな美女という体で振る舞っているカミーラは、ティガの前だといつもこうして無愛想の仮面を引き剥がされてしまう。

 カミーラが顔を逸らして遠くを見て頬の火照りをごまかしていると、そこにいつものように光の者――現代で言う巫女にして勇者――たる、ユザレが迎えに来る。

 

「ティガ先輩、カミっち先輩、そろそろ会議に集合です」

 

「あ、もうそんな時間か。ここまでだね、チィちゃん」

 

「……」

 

 いつもユザレは、カミーラの楽しい時間を終わらせに来る。

 ユザレは優れた知性・飛び抜けた異能・神々とも繋がる才能をもって、多くの巨人、特にウルトラマンティガの手綱を握っている。

 13歳にして次代の地球星警備団団長に推挙されているほどだ。

 生真面目な彼女に手綱を握られることを、ティガも悪く思っていないように感じられる。

 カミーラはユザレが嫌いなわけでも、憎いわけでもない。

 尊敬もしているし、優しい娘であるがためにむしろ好きだ。

 

 ただカミーラは、ティガとユザレが話しているのを見ると、ほんの少しだけ妬ましかったし、ほんの少しだけ怖かった。

 

「あの、ユザレ。ちょっと今更だけど。

 私にまで先輩と付けなくていいんじゃないかしら。

 私よりユザレの方が先に地球星警備団に居たわけだし……」

 

「先輩はまだ14歳だわ。

 皆さんにとっては子供だけど、私にとっては一つ年上の人。カミっち先輩もそう」

 

「それは、そうだけど」

 

「ティガ先輩は地球星警備団の先輩だけども……

 私にとっての人生の先輩は皆先輩だから。そう心がけているわ」

 

「まじめ……」

 

「……ティガ先輩が感染ってない?」

 

 そんな目で見られているとは露知らず、ユザレはティガの影響を受けてきたカミーラを見て呆れつつ、同時に嬉しいという気持ちも抱いていた。

 カミーラが日々明るくなっていくことを、友人として素直に喜んでいた。

 その心こそ、光の者の気質。

 そんなユザレだからこそ、カミーラは友人だと思えたし、妬ましく思っていた。

 

「先輩お二方も油断召されぬよう。

 邪神、ガタノゾーア。

 無限の闇と無限の獣を生み出す、海の底の神。

 未だその姿を表す気配はありませんが……

 最前線のルルイエが落ちたら終わりだと思ってください」

 

「ああ」

「ええ」

 

 ユザレの聖剣が腰元でカチャリと音を立て、ティガがポケットの中の青銅のスパークレンスを握りしめ、カミーラが拳を握ってふんすと気を引き締める。

 

 巨人の戦士。

 人間の戦士。

 人間の少女。

 皆それぞれすべきことは違うが、向かう先は同じ。

 望む未来は同じだ。

 闇を打ち払い、この世界に平和と未来を取り戻す。

 

「ティガ先輩、道すがら読んでおいてください。次回の作戦の叩き台を作っておきました」

 

「信頼してるよ、ユザ島」

 

「ユザレ! ユザレと呼んでくださいと! 何度も!」

 

「わかったわかった、ユザレ。打ち合わせしよ、ね?」

 

 三人で歩き、ユザレとティガの掛け合いを、カミーラは少し後ろから無言で眺めている。

 二人で居る時は、赤面しながらあんなにも自然に話せていたのに。

 ユザレが来ると途端に、カミーラは二人の会話に入れなくなってしまう。

 

「何回私が先輩の無理無茶無謀の尻拭いをしてるのか、数えてほしいくらいですね」

 

「ごめん、ごめんて、ユザレ」

 

「デート一回でチャラにしてあげますよ? もちろん先輩が全部奢りで」

 

「そりゃお安い。安くない女筆頭ユザレにしては珍しいね」

 

「そんな日もありますよ。ふふっ」

 

 カミーラは自分の髪を手ですくう。

 黒髪だった。

 穢れ果てたように見える黒髪だった。

 

 楽しげに話し前を歩く二人を見る。

 陽の光を受けて輝く、白銀の髪だった。

 穢れ一つないように見える、光の髪だった。

 

 二人は天の神々、そして空の果てから飛来した光に選ばれた、光の人間。

 カミーラとは違う。

 カミーラとは違って、二人はお揃いで、お似合いだ。

 カミーラですらそう思ってしまう。

 

 ぼそりと、カミーラは呟く。

 

「……欲しいな……私も……光……」

 

 空を見上げ、カミーラは羨む。

 

 日々空から光が訪れ、一人、また一人とウルトラマンになっていく。

 光に選ばれる者達が現れ、地球星警備団に加わっていく中、カミーラはただの人間のまま。

 誰も、彼女を選ばない。

 

 昔はそうではなかった。

 救われたいだけだった。

 助かりたいだけだった。

 誰かに手を差し伸べてほしかっただけだった。

 

 そんなカミーラが今は、選ばれたいと思っている。

 

 光にも、ティガにも。

 

 それは本当に些細な、乙女心と言って差し支えない、カミーラの中に生じた生まれて初めての『願い』だった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3

 『光』は何も言わず、何も伝えず、ただ人間の味方であり、人類に口出しをしなかった。

 どんな未来であっても、人類が皆で話し合い、皆で決めた未来こそが人類の望ましい未来であるという考えから、希望と、勇気と、力だけを与えていた。

 それぞれの『光』は、それぞれが最も波長の合う人間を選んでいく。

 ゆえに、『光』はこの地球にとってあまり望ましくない人間を光の巨人にすることもあった。

 

 ある時。シノクニ送りになってもおかしくないような人間が二人、『光』に選ばれた。

 地球政府はその処遇に悩む。

 人格的に信じられない人間を、光の巨人として最前線に投入していいものか。

 問題児二人は既に変身して散発的な侵入怪獣と戦闘していたが、その結果として「他の光の巨人との共闘は不可能。市民も巻き込みかねない」―――そう結論付けられていたのである。

 

 そも、何故光はそんな二人を選んだのか。

 『光』といい、神といい、皆人間とは違う倫理で動いている。

 その思考を人間が本質的に理解することはできない。

 しかし何かしらの光との親和性、光が彼らを選んだ理由があるはずだ。

 それを人間がまだ文字による理屈に落とし込めていないだけで。

 

 そんな彼らに、ティガ・ゲンティアは語りかける。

 

「僕に任せてもらえないでしょうか」

 

 その主張を通せるのが、今の人類圏における彼の立ち位置を証明していた。

 

 ティガが問題児二人を引き取り、ティガが責任を持って率いる。

 

 『できない』と思った者はおらず、『ティガの手に余る』と思った者もおらず、『ティガが負担で戦力低下する』と思った者も居なかった。

 

 

 

 

 

 『ヒュドラ』は、善性の親から生まれた青年である。

 ティガの二つ年上の、この時代では珍しいモヒカンヘアーの神経質そうな男性だ。

 その髪型は彼の反社会性の表れであり、その外見相応に悪性の類を持っていた。

 しかし、遺伝子に反社会性・悪性の原因と考えられているものは見られない。

 ティガが勧誘に赴いた一人目のウルトラマンは、この世界の常識――あるいは生物学的常識――から考えれば、明らかに異常な存在だった。

 

 結論から言えば、ヒュドラは運が悪かった。

 

 ただただ、運が悪かった。

 

 邪神の闇とは、どういうものなのか?

 一般市民の多くはそれを甘く見ていたと言っていい。

 外宇宙からの侵略者が撒き散らしている、光を遮断するもの……皆、そう認識していた。

 そんな認識では、邪神の闇の恐ろしさの1%も理解できていなかったというのに。

 

 邪神の闇は、それ自体が無限に膨張を続ける神の一部である。

 人間の常識的判断では、闇は個別の意思を持ち命に食らいつく捕食生命体に見えるだろう。

 しかし、神の視点から見れば、この闇と生命は遠いにもほどがある。

 邪神の闇は、まだ星の表面にへばりついて生きているレベルの人間では、理解不能であるがために生命体にしか見えない。

 

 闇は光線銃や大砲を撃っても散らすことはできず、逆に闇に食われてしまう。

 その闇を見るだけで心弱き者は発狂し、心が如何に強くともただの人間である限り全ての希望を剥奪されてしまう。

 そして触れれば、死ぬ。

 運が良ければ即死。

 運が悪ければ……その体は形なき化物と成り、ガタノゾーアの末端に成り果てる。

 ウルトラマンであっても弱き個体であれば、この闇の中に入るだけでダメージを受け死に至る可能性があるというほどだ。

 

 ティガの頼みを聞き研究者が出てこれない最前線で闇を調べ、研究してきたユザレ曰く。

 

「この闇は光を喰らうんですよ。

 物理的な光だけじゃなく、心理的な光も。

 そして、生物の成長や生涯の軌跡までもを陵辱して消し去ってしまう。

 ……生物種を進化に誘う『進化の光』と言うべきものすら、食らってるような……」

 

 青かった海は、闇で黒く染まった。

 邪神の勢力圏内では、空までもが闇に覆われている。

 闇に覆われた空からは日光が届かず、永遠の夜が続き、植物は枯れ果てた。

 空気はあるのに、光を生む全てが存在を許されず、炎すら燃えることができない。

 領域内では生物が次々死に絶え、死体が変異し、新たなる怪獣へと育っていく。

 土や石すら、時間をかければ邪神の尖兵になるかもしれない。

 そして無限に闇は膨らみ、無制限に怪獣を吐き出していくのだ。

 

 これは光を遮るだけの闇ではない。世界そのものを侵す闇の陵辱だ。

 

 邪神の『闇の世界で既存世界を塗り潰す力』に対し、天の神群は『燃える世界で既存世界を塗り潰す力』で対抗したが、それでも押し返すこと叶わず。

 邪神の闇が最も強い大陸においては、世界を塗り潰すほどの炎の力をもってしても、人の世界を囲って守る、炎の結界を作り上げることが精一杯であった。

 邪神の影響が強い地域と人間の生息圏は、神が作り上げた炎の壁と、光の巨人が作り上げた光の領域によって分かたれている。

 

 そして、その闇の影響は、多くの動植物に小さくない影響を与えてしまった。

 

 星の何割かを覆う闇は、大規模な気候変動を引き起こし、多くの農作物を潰してしまった。

 奇形化した動物達は家畜を襲い、既存の地球生物を駆逐しようとし始める。

 巨大化した虫による人間捕食報告、人間への寄生産卵報告まで出始めていた。

 当然ながら、人間が口にするものへの影響も少なくはなかった。

 

 この時代の科学力は桁違いに高く、被害は最小限に抑えられたと言える。

 それでもなお被害は多岐に渡り……ヒュドラが受けた被害は、『水産物の毒物化』であった。

 海の底に陣取る邪神の影響は、海の生物に対して特に大きく働く。

 水生生物の多くが死滅し、闇に触れていなかったはずの魚に、未知の毒素が蓄積されていたと判明したのは、当時多くの若者が食中毒死してからであった。

 

 多くの犠牲者の中で、生還したのはヒュドラ一人。

 それも元通りになれたわけではなく、毒素は未知の化合物として人体内で反応を起こし、特殊な神経毒として機能し、ヒュドラの中の『何か』を壊していってしまった。

 常時の高揚。攻撃性の増大。情緒不安定に猜疑心。

 じっとしていられず貧乏ゆすりを繰り返す癖も、本人の意識で治せるものではなく、頭蓋の内側にあった枷がいくつか壊れているからであった。

 

 善人として生きられるかもしれなかった、壊れた人間。

 シノクニの人間に近い二人のウルトラマンの一人。

 それがヒュドラ……ウルトラマンヒュドラである。

 

「で、オレに仲間になれと」

 

「そうだ」

 

「若き大英雄様が……ねえ」

 

 ユザレに道案内を頼み、ティガはヒュドラの勧誘を始めていた。

 ヒュドラの外見は、現代で言う派手なモヒカンが豪快で粗雑な印象を与えるのに、それを除けばやや線の細い神経質な青年という印象を与える。

 声はどこかおちゃらけていて、その根底にうっすらとした狂気が感じられ、けれど狂人というよりは、幼児性が強い大人という印象が先行する男だった。

 

「来い。君の力が必要だ。生きとし生けるもの全てを守るため、君の速さが要る」

 

「……ハッ! 物好きな野郎だな。

 いいぜ、試してやるよ。ヒュドラ・ワシリスクだ。テメエに現実を見せる男の名だぜ」

 

「ティガ・ゲンティアだ。……試す?」

 

「くっせえ風だ。今日は風向きが良いな。これなら分かる……来るぜ」

 

 ティガの人間離れした視力が動き、空の彼方に飛翔する怪獣が見えた。

 それは群れ。

 空を駆ける怪獣の群れ。

 両手の指で数え切れないほどの『メルバ』――空を担う邪神の尖兵――が、人類の生存圏を守る防衛網をくぐり抜けて来たようだ。

 

 人類の戦力は有限。

 対し、海の邪神は無限に見える規模。

 戦略的に怪獣が動けば、洪水が堤防に穴を空けるように、防衛網の隙間をすり抜けてくることもある……といったところか。

 

 空を切り裂く悪夢を目にした人々が、悲鳴を上げ始める。

 

 その恐怖と絶望のことごとくを打ち払うために自分は生まれて来たのだ、と―――ティガは初心を再び肝に銘じた。

 

「警戒網を抜けてきた怪獣か……多いな。ヒュドラ、行こう」

 

 使命感に溢れるティガを鼻で笑い、ヒュドラはティガにゲームを持ちかける。

 

 誰よりも強い使命感で正義を成すのがティガであるならば、ヒュドラは一応正義に属しているだけの、誰よりも使命感の無いウルトラマンであった。

 

「じゃあよ、勝負と行こうぜ」

 

「勝負?」

 

「どっちが多く怪獣を倒せるか、だ。

 勝った方が命令して、負けた方が言いなりでどうだ?

 クヒヒッ、オレを仲間にしたいならオレに勝ってみろ。無理だろうけどな」

 

「なるほど、そういうことか。

 でも第一は人々を守ることだ。

 防衛を疎かにしないように気を付けて」

 

「ハァ? じゃあ勝手に守ってろよ。

 だがよ、オレがその流儀に合わせる必要はねえよな?

 オレは守らねえぜ。

 市民とか守りたいと思ったこともねえ。

 オレはオレがお前に勝つために、怪獣だけ倒させてもらうさ。構わねぇよなぁ?」

 

「いいよ。じゃあ僕は街を守りながら怪獣を倒す。

 君はそのまま怪獣を倒す。

 倒した数が多かったほうが勝ち。

 僕が勝ったら君は僕と共に、最前線で世界を救う戦いに身を投じてもらう」

 

 ピクリ、とヒュドラの眉が動く。

 

「……舐めてんのか?」

 

「舐めてなんかないよ。

 君の実力は把握してる。

 君の力が必要だと思ったから僕はここにいる。

 全てを守り、君に勝ち、君の力を世界を守るために借りたいんだ」

 

「わっけわかんね……が、まあいい。勝ちゃいいんだ勝ちゃ、ヒヒッ」

 

 ユザレに避難誘導を任せ、二人は懐からスパークレンスを引き抜く。

 

 ヒュドラは既にティガを見下していた。

 甘っちょろい判断、現実が見えていない無謀。

 噂に聞いていたウルトラマンティガがどれほどのものかと思っていたらこれ。

 ヒュドラがどういう視点で見ても、足元が見えていないお子様にしか見えなかった。

 負ける気がまるでしなかった。

 そんなヒュドラに、ティガはよく通る声で語りかける。

 

「行こう。僕と君は、この星でたった二人の"風のウルトラマン"なんだから」

 

 ただ、何故か。その言葉は、やけに心地よく胸の奥に響いていた。

 

 二人が光に包まれると、ティガは地に降り、ヒュドラは空に舞った。

 

 ヒュドラは青紫の体に、波打つような銀色が走るウルトラマンであった。

 その属性はティガと同じ希少属性、風。

 光の中では光に照らされた青紫が深い青に見え、闇の中ではぼんやりと漏れる肌身の光が青紫を鮮やかな青に魅せる、紫の溶けた青の巨人。

 大地に足をつけて戦うことを嫌い、空中戦を得意とする、空を風で制する制空の覇者である……そう、ティガは聞いていた。

 

 ヒュドラは自分の力に絶対の自信を持っていた。

 『光』に選ばれた者はよくそうなるという。

 神に迫る力を得た全能感が、その者に揺らがぬ自信を与えるのだ。

 ヒュドラは現世代のウルトラマンの中でも、空中戦・高速戦闘においては間違いなくトップクラスであり、ヒュドラもその才能に自覚的である。

 

 誰もがヒュドラにはついていけず、ヒュドラと競い勝つことなどできなかった。

 街の人間が何人死のうがヒュドラは気にしないし、街を守る気も全く無い。

 けれどヒュドラが最速で怪獣を一掃することで、結果的に街に犠牲が出ないまま戦いが終わる……ウルトラマンヒュドラは、そういうウルトラマンであった。

 誰からも嫌われるが、誰よりも犠牲を抑えるウルトラマンであった。

 

 負ける気はしなかった。

 どう勝つかを考えていた。

 どう華麗に終わらせるかを考えていた。

 勝った後に何を命令するかを考えていた。

 いつものように誰も彼もを置き去りにして、一人で敵を全てぶちのめす。

 そして、ウルトラマンヒュドラの力を世界に見せつけ、心地の良い羨望と嫉妬の視線を自分に集める。ヒュドラは、そんなことばかり考えていた。

 噂のウルトラマンティガを前にしても、「こんなものか」としか思わなかった。

 

 

 

 そして、『上には上が居る』ことを知った。

 

 この日からずっと、ウルトラマンヒュドラの『永遠に追いつけない目標を追い続ける人生』と、『追いつけない自分を責める人生』と、『憧れた光を妬み続ける人生』が始まった。

 

 憧れるのに届かない。

 追いかけても追いつけない。

 なりたいのにそうなれない。

 見つけてしまった『理想の自分の形をした他人』に、心を引きずられる。

 その気持ちは、郡千景が乃木若葉と向き合うたびに抱いていた気持ちと、酷く似ていた。

 

 

 

 終わってみれば、数を比較する必要すらなかった。

 襲来した怪獣の八割はティガが倒し、街の人々にも建物にも傷一つなく、流れ弾の一発一発に至るまで綺麗にティガが処理していた。

 ティガの全身から放射される光は怪獣の撒き散らす毒素を消し去り、異常生物を消滅させ、腐り始めていた農作物を健全な状態に回帰させ、人々の心に『闇』が与えた悪影響を微塵も残さず吹き飛ばしていった。

 

 ただ、そこにあるだけで人々を救う光の巨人。

 その在り方の全てが他人を救うためにある光の巨人。

 誰よりも強く、その強さを他者救済のためにのみ振るう優しき巨人。

 いつもヒュドラが傲慢に助けても、感謝の言葉もまともに言わなかった地元の人間達が、皆揃ってとても素直にティガに感謝の言葉を口にしているのを見て、ヒュドラの内に燃える炎のような対抗心が芽生えていった。

 

「さて。これで仲間になってくれるかな、ヒュドラ」

 

 ティガが語りかけ、ヒュドラが嘲笑を顔に浮かべる。

 そうして、ティガへの対抗心を燃やし続ける。

 そうしていないと、『負けるか』と思う前に、『こいつには勝てない』と思ってしまいそうだったから。

 

「お……オレが、約束を守る義理もねえだろ? ヒヒッ」

 

 約束を守らないポーズを取ることで、ティガの目的がすんなり達成できないようにして、そこに僅かな達成感を覚えようとするヒュドラ。

 それはとても情けない対抗心の発露であったが同時に、ヒュドラがティガという存在を、ヒュドラの中のとても高いところに置いたということでもあった。

 ティガはヒュドラの思った通りに困った顔をして、ヒュドラは達成感を覚える。

 

「それは……うーん、どうだろう。

 道義的には約束は守るのが大事だと言いたいんだよね。

 でも、命懸けの戦場に君を連れていくって話でもあるから。

 君が自分の命を大切にしようとする気持ちも分かる。強制はしたくないかな」

 

「アア!? オレがビビってるって言いてぇのか!?」

 

「あ、いや、そういうわけでは」

 

「頭下げろ頭!

 ありったけ頭下げろ光の勇者様!

 オレの気分が納得いかねえんだよ!

 頼み事してえならその分無様になりやがれ!」

 

「そうだね。僕は頼み事をする立場だ。ウルトラマンヒュドラ……どうか、僕に力を貸してくれ」

 

 少しは気が晴れると思って、ヒュドラはそう言った。

 少しはこの劣等感が和らぐだろうと、そう思って言ったのだ。

 なのに頭を下げるティガを見て、劣等感はますます膨らんでいく。

 プライドよりも大切なものがあり、そのためなら迷いなく頭を下げられるティガに、ヒュドラは尊敬と、親しみと、嫉妬と、羨望を覚える。

 

 生半可なプライドとなけなしの自尊心を守るための態度と言動を選んでいるヒュドラでは、きっと一生こんな風にはなれない。

 堂々と胸を張って生きているティガが、あまりにも眩しかった。

 勝負よりも大切なものを守りきって勝負にも勝つティガが、あまりにも輝いて見えた。

 だからだろうか。

 ヒュドラが、ティガの申し出を受けてやろうという気分になってしまったのは。

 

「チッ。あーあー、お綺麗なこって。

 オレみたいなカスが何しても気にしねえってか?

 余裕があると人生違うんかねえ? ヒッヒッヒ」

 

「どうだろう。よく分かんないや。僕が頭下げるくらいならいくらでもやるよ」

 

「ケッ」

 

「どうかなヒュドラ。力を貸してくれるかい?」

 

「いーやだね。次は土下座だ土下座だ。誠心誠意オレの前で額を地面に擦りつけぶべらっ!?」

 

 ティガに言いつけられていた『絶対口喧嘩になるからユザ島は彼の前ではしばらく喋らないように』『ユザ島ではなく!』という約束を守り、無言のまま、ユザレは思いっきりヒュドラの頬をグーパンした。

 

 大地を嫌う青の巨人。ヒュドラの力は、大いにティガを助けたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『ダーラム』は、誰よりも戦士であり、同時に狂戦士でもあった。

 彼は孤児だった。

 孤児だった彼は、孤児院に資金支援をする代わりに孤児院から志願者を募る地球星警備団の誘いを受け、恵まれた体格で戦闘訓練を受け始めた。

 生まれたからには、己の価値を証明したい。

 戦いに身を投じ、そこで己の生きる意味を証明したい。

 当たり前の願いを抱え、彼は拳を握った。

 そして二度、非常に不運な事故により、戦闘訓練中に強力な攻撃を頭に受けてしまったことで、ダーラムの脳機能にその影響が表れてしまった。

 その影響を、ダーラムは『飢え』と名付けた。

 

 痛みを感じにくい。

 相手の痛みを想像しにくい。

 戦意の高揚を至上の娯楽と捉える。

 戦いの中でこそ生きる実感を得られる。

 勝利して始めて、自分が生きている意味を感じられる。

 そういう人間に、ダーラムはなっていった。

 

 だからこそ、現在の社会の『普通の人達』の中にダーラムは混じることができない。

 絶対的に、もう根本が違うからだ。

 

 人々は他人に優しくしようとして生きているが、脳の故障をこれ幸いと利用して『なりたい自分』に成り果ててしまったダーラムは、他者と闘争以外の手段で繋がれなくなっていた。

 会話の仕方を忘れかけた。

 人付き合いの仕方は完全に忘れた。

 目の前の人間と、模擬戦以外で交流ができない。

 ダーラムは戦いを好む人間になると同時に、戦い以外の手段を失った人間になってしまった。

 

 そういう形で、ずっと満たされない飢えを満たしてきた。

 相手に与える鋭い痛みで。

 相手から与えられる鈍い痛みで。

 埋まらない心の穴を、拭い去れない飢えを、埋め続ける。

 頭のどこかが壊れていて、壊れているから戦いを求めていて、壊れているから満足することがなく、無限に戦いを探し続けていた。

 

『―――』

 

 ダーラムに悪性・反社会性の遺伝子は無く、後天的に獲得した形質によって、彼は善人を雛形とした修羅と化してしまった。

 正義を知り、悪を憎む心はまだ残っている。

 しかしいざ戦いとなれば、善人も悪人も等しく迷いなく殺すことができてしまった。

 悪性はなく、反社会性も薄い。

 されど人間性も薄く、それが戦いであるならば、戦いを楽しむことを優先してしまい、結果的に悪性・反社会性に類する行動を取ってしまうこともあった。

 

 模擬戦でつい手加減をしてしまうということがなく、仲間に全力の攻撃を仕掛け傷を負わせてしまうこともあった。

 怪獣の赤ん坊に手控えるウルトラマン達の目の前で、特に何も思わないままに怪獣の赤ん坊を八つ裂きにしてしまったこともあった。

 全力で戦いを楽しみ、全力で勝利を目指すため、その過程で一般市民を巻き込みかけたことすらあったという。

 

 『血と戦いを好む』。

 『他人を常に傷付ける』。

 『傷付けても自分を改められない』。

 『何の罪もない人をつい熱が入って大怪我させてしまう』。

 ダーラムのそれは絶対的に善性ではなく、かといって悪性と言い切ってしまうと少し違う、言うなれば"獣性"とでも言うべきものだった。

 ウルトラマンダーラムはすなわち、後天的に獣になることを望んだウルトラマンである。

 

 彼は尊い人間になる気などなかった。

 最初からずっと、ただただ強い獣になりたかった。

 ダーラムはそういう特異なウルトラマンであったのだ。

 

 だからこそ、その日。

 

「組手の相手を探してるなら僕が相手になろうか?

 あ、僕の名前はティガ・ゲンティア。後でちょっと時間を割いてくれないかい?」

 

 その少年との出会いは、ダーラムの人生の全てを変えた。

 

「大丈夫、僕は君が全力を出しても壊れないよ」

 

 それは、ダーラムにとって生まれて初めての感覚だった。

 

 まるで雲を殴っているような感覚。

 全力を出してぶつかっているのに、その少年に汗一つかかせることもできず、息一つ切らせることもできない。

 何をしても上手く流され、徹底して実力差を理解させられてしまう。

 おそらく互いに変身しても自分が負けるだろう、と、ダーラムは確信に近い想像をしていた。

 

「うん、強い。やはり君の力が必要だ」

 

「……?」

 

「ダーラム。君の力が借りたい。最も危険な戦場で、僕の背中を守ってほしいんだ」

 

 一も二もなく、ダーラムは頷いた。

 断る理由はない。元より戦場を求めるのがダーラムの性だ。

 だがそれ以上に、ダーラムはこの少年に興味があった。

 今まで出会ってきたどの人間よりも強く、どの人間よりも『負けが遠く』見える戦士。

 それが、ダーラムの心を惹き付ける。

 

 戦いたい。

 殺し合いたい。

 全身全霊で全力でぶつかり合いたい。

 ダーラムは獣性の欲求のまま、ティガに何度も何度も模擬戦を挑み、ティガも時間が許す限りそれに応えていく。

 毎日のように戦い、毎日のようにティガがダーラムの上をいき、ダーラムは毎日のように『満足』を得ていった。

 

 ダーラムの方が四つは年上であるはずなのに、ダーラムの方が子供に見える不思議な光景が、ティガの優しさゆえに毎日のように続いていた。

 ダーラムが無言のまま願い、欲しがり、ティガがそれに応えてあげている。

 お菓子をねだる子供と、無制限にあげ続ける大人のような関係だった。

 ダーラムは子供のように戦闘をねだり、ティガは求められる限り応え続ける。

 そうして、少しの時間が過ぎた。

 

 

 

 

 

 気付けばダーラムは、戦い以外の時間も彼らと共に過ごすようになっていた。

 

 己が戦い以外の他者との交流を繰り返していることに、気付きの周回遅れで気付く。

 

「ユザ島ユザ島! 見てあれすっごい変なツボ! 顔が書いてある! お土産にしたい!」

 

「こら先輩! 無駄遣いは禁止です! そんな我儘な子に育てた覚えはありませんよ!」

 

「育てられた覚えもないなぁ」

 

「あとユザ島ではないです」

 

 買い物をしながら楽しげに会話を交わすティガとユザレ。

 二人を少し後ろから眺めながら、ダーラムは買い物袋を持てるだけ持つ。

 大柄なダーラムの体は、こういう時に役に立つものだ。

 だが、昔のダーラムはこういう形で役に立てたことはなかった。

 いつだってその巨躯を、彼は戦いにのみ使っていたから。

 

 買い物袋の重みを感じつつ、これでティガ達の買い物に付き合ったのが何回目かも思い出せない自分を振り返り、ダーラムは自分の中に生まれた変化に自覚的になっていった。

 

 ティガの気遣いであることは、途中からダーラムも気付いていた。

 途中までは何も気付いていなかったが、気付いた頃にはもう、ダーラムは戦いの中以外に自分の居場所を与えられていた。

 気付くまで、これまで通りの自分で居られていると思っていた。

 気付いたら、もうかつての自分ではなくなっていることを自覚してしまった。

 

 戦い以外を楽しく思っている自分を理解して、ダーラムは戸惑い、思案し、自省し、かつての自分と今の自分と向き合って……そして、受け入れた。

 

「ダーラム、サンドバッグってこのくらいのサイズでいいかな?」

 

「……」

 

「ティガ先輩、予算予算。地球星警備団の予算は有限ですよ」

 

「それは大変だ。ユザ島ユザ島、僕のお小遣いも増えないかな。DX聖剣欲しい」

 

「お給料をお小遣いと言わないでください。

 私の名前をユザ島と言わないでください。

 私の聖剣を回る光る音が鳴る感じの名前で呼ばないでくさい。以上!」

 

 笑い合うティガとユザレを見ている内に、ダーラムの口角が自然と上がる。

 

 いつからか、飢えがほんの少しだけ和らいでいた。

 ティガに欲求の全てをぶつけ、欲求不満になることはなくなっていった。

 少しだけ丸くなった狂戦士に、腫れ物扱いで近寄ることもなかった地球星警備団のウルトラマン達が歩み寄ってくれた。

 戦いが全てだったはずのダーラムに、戦いの充足よりも大事なものが生まれていた。

 闘争に自らの価値を探し求めながらも、闘争の無い日々に他人の価値を認めていった。

 

 戦闘嗜好は変わらず、戦闘に夢中になって何もかも忘れてしまうこともあり、戦闘中に共闘できるのは飛び抜けて優秀なティガしか居らず。

 それでも。

 戦いが無い日々の中で、誰かにしてやろうと思えることが、少しずつ増えていった。

 

「ダーラムは買い揃える備品はこっちの方が良いって。うん、僕も同意かな」

 

「何も言ってないのに、ティガ先輩はよくわかりますね……」

 

「目線の動きとかそのへんでね。眼球は思考と反射で動くものだからさ」

 

 ダーラムは戦いの中に身を投じ、己の価値を戦いの中に見出し、戦わない己を無価値と見る。

 そんな自分に普通に語りかけてきて、普通に友人として扱ってくれる者が居た。

 不器用な彼にはどう応じれば分からなくて、そんな彼にティガは笑顔で接してくれた。

 そしていつからか、戦いとは関係のないところで自分の価値が認められている気がして、戦いの外側に自分の生きる場所ができて、なんだか悪い気がしなくて。

 そこで友と語り合う日々に、生まれて初めての『幸福』を覚え、いつしか大切な友を守りたいという気持ちが芽生えていった。

 その気持ちは、郡千景が高嶋友奈に抱いていた気持ちと、酷く似ていた。

 

「ティガ。待て(Stay)

 

「ん? 珍しいね。ダーラムが自分から話しかけて来るの」

 

「お前のおかげで俺はここに居られる。

 俺がここにいる意味がある。

 お前がくれたものと同じ重さのものを、一つずつ返していこう。

 ダーラム・クリミノワはお前の願いのために戦う。親愛なる我が友よ(Dear My Friend)

 

「「 !? 」」

 

「ユザ島!」

「ティガ先!」

 

「ダーラムがこんな喋ってるの初めて見た! 嬉しい!」

 

「ユザ島ではないですが! 私もです! 嬉しい!」

 

「いや今君の僕の呼び方もちょっと変だったな?」

 

 そんな日常を少し過ごしては、日常の何倍もの戦いを駆け抜けていった。

 

 ダーラムがひとたび変身すれば、その格闘者向けの巨躯は更に大きな巨体へ変じる。

 ルビーと鋼で作ったかのような透明感と光沢がある体表は鎧のようで、体の最外部が皮膚ではなく鎧になっているウルトラマン、すなわち赤き鎧の『鎧の巨人』だ。

 極めて高い筋力と耐久力をもって怪獣軍団を叩き潰し、その戦い様は剛腕無双。

 他のウルトラマンのほとんどが一旦後退するような猛攻の中を平然と歩き、他のウルトラマンの何倍も強い腕力で怪獣を引き裂き、ダーラムに殴られた怪獣は爆散し、爆散した怪獣の破片がその向こうの怪獣の体を貫通していくほどだった。

 特にダーラムが最も得意とする水中戦において、彼に勝てた怪獣は存在しなかったという。

 

 そんなダーラムですら、ティガに勝つ可能性は砂粒一つほどもなかった。

 

 戦いの中で高揚したダーラムは、何度もティガを見て興奮していた。

 圧倒的な強者。

 全力を出しても壊れない男。

 無敵にして最強の光。

 気が昂ぶれば昂ぶるほど、ダーラムはティガと全力で戦いたくなってしまい、ティガを人間的に好きになった日々のことを忘れて、つい本気の殺意で攻撃を仕掛けてしまう。

 何度も何度も、ダーラムはティガが背中を向けた時、その無防備な背中につい全力の一撃を打ち込んでいた。

 

『ごめんねダーラム、後でね』

 

 なのに、一度も当たったことはなかった。

 体術で流され、背中に目があるかのようにかわされ、バリアで防がれ、ある時はダーラム自身も何をされたのか分からない技でダーラムの一撃は流された。

 戦いの喜びに暴走するダーラムを余裕綽々にあしらいながら、ティガは怪獣を倒しつつ、街もさらりと守ってしまう。

 かの日も、あの日も、その日も、ダーラムは怪獣そっちのけでティガに襲いかかったが、ティガは一撃も貰わず、市民に傷一つとして付けられることはなかった。

 

 「もういいかげんにしろ!」と他のウルトラマンがダーラムに激怒した。

 「まあまあ被害出なかったからいいじゃないですか」とティガがなだめ、ダーラムを守った。

 そんな繰り返し。

 ティガは人々を守り、ダーラムの心も守った。

 平坦な道ではなく、平易にできることではない。

 しかしティガは頑張り、その二つを両立した。

 そんなティガがダーラムを庇っているのだから、他の仲間達もそれ以上強くは言えない。

 怪獣から人々を守ったのも、ダーラムに攻撃されているのも、ティガなのだから。

 

 だからティガは弱音を吐けない。吐かない。

 少し思ったことも口に出さずに飲み込む。

 強い英雄であること、全てを背負い全ての仲間を受け入れること、どんなに困難でも目の前で誰一人として死なせないこと、どんな強敵にも絶対に圧倒的に勝つこと、そして仲間を許すこと。

 全てが、ウルトラマンティガに求められている。

 全てが、この勇者が果たすべき責任になっている。

 ティガはその全てを、望んで抱え込んでいた。

 

 ティガ抱えている責任も、ティガの責任が大きすぎるがゆえに生まれている過剰な負担も、ダーラムは分かっている。

 分かっているので、尊敬している。

 分かっているのに、自分を止められない。

 心が昂りティガの強さを感じると、ついつい戦いを挑んでしまう。

 昨日も、今日も、おそらく明日も。

 

 その日もダーラムはティガの自宅に押しかけ……門の前でユザレに足を止められた。

 

「今日は先輩がお休みの日です」

 

 やんわりとたしなめるユザレに対し、ダーラムは言葉少なに押し通ろうとする。

 

 が、ユザレに止められる。

 

「今日は先輩はお休みの日よ」

 

 言葉遣いが少しキツく、語調が少し厳しくなった。

 

 それでもダーラムは押し通ろうとするが、ダーラムは無言で押し通ろうとする。

 

「今日は先輩をようやくゆっくり休ませてあげられる日。つまり、失せて?」

 

 最後通告……否、死刑宣告のような言い草であった。

 ダーラムはユザレを押しのけてティガと戦おうとする。

 

 ティガに言いつけられていた『ユザ島、ダーラムと喧嘩はしないようにね』『ユザ島ではなく!』という約束を守り、無言のまま、ユザレは流れるような体術でダーラムを一方的に転がし、縄で縛り上げてそのまま海に投げ込んだ。

 

 海を愛する赤き巨人。ダーラムの力は、大いにティガを助けたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局生身だとユザレが一番強いんじゃ……と、話を聞いて、カミーラは思った。

 

「僕もそう思うよ」

 

「ティガ、顔から心を読まないで」

 

「チィちゃんの表情は読みやすいからね」

 

 カミーラは肩に乗った桜の花びらをつまみ、そっと捨てる。

 ここはティガが住んでいる、ささやかな建物と広い庭で構成される一軒家。

 庭には遺伝子改良によって一年中咲き続ける山桜が立ち並んでいた。

 

 この桜は満開と散華を繰り返し、一年中ずっと咲き続ける、"春の始まりと共に終わる"という桜の運命を乗り越えた桜である。

 永遠を体現する桜。

 散らないのではなく、花が一つ散るたびに、花が一つ咲く桜。

 無数の刹那が寄り添うことで作られる永遠だ。

 西暦の人間であれば、神話の中でしか見られない、絵の中にしか見られない桜だろう。

 

 西暦の人間が見れば感動する花や植物種は、かつては数え切れないほどこの文明に存在していた……が、この時期には今はもう既にその何割かが絶滅し、永久に失われている。

 多くの素晴らしきものが、『闇』に飲み込まれていた。

 闇に飲み込まれて消えたものを取り戻すことはできない。

 闇に触れて変質したものを元には戻せない。

 もうそういう結論が出るくらいには、この時期の闇の研究は進んでいた。

 

 ティガは戦うことでこの土地を守り、暇な時に手入れをして、この山桜の並木庭の美しさを保っている。いや、守っているようだ。

 そんな山桜の下で、舞い散る桜色の中で、カミーラはぼうっとしていた。

 

「ティガは山桜が好きなの?」

 

「桜は儚くて、豪華絢爛でなく、添えた人の心を引き立てる。

 本当に優しい人は、山桜の傍で語り合えばすぐ分かる。

 だから恋人にしたり妻にするのは桜が似合う人になさい……ってのがばあちゃんの口癖」

 

「……恋人」

 

「チィちゃんにもよく似合ってるよ」

 

「え、あ、う……お世辞が上手ね。ティガらしいわ」

 

「お世辞じゃないのに」

 

 照れたカミーラは、桜の陰に隠れてしまった。

 ティガの雲のような微笑みに、暖かみが宿る。

 ウルトラマンとしてのティガではなく、人間としてのティガが持つ個性の話だが、彼にとって桜は『愛おしいもの』の特徴だった。

 祖母が桜が好きだったために、物心つく前からずっとそうだった。

 

 桜の枝落としで落とした一本を、ティガがカミーラに手渡す。

 照れ、恥じらい、喜びが混ざった表情でそれを受け取るカミーラ。

 ティガが柔らかに微笑む。

 二人の間に強い強い絆があることを、もう疑うものは居ないだろう。

 

 約束の時間が来て、そこにヒュドラとダーラムがやってきた。

 

「ようやくチームで動くんだって聞いたぜ? ヒッヒヒッ」

 

「……」

 

「ああ。実は人類滅亡の危機でね。

 強い怪獣が今までの百倍くらい来ててちょっと余裕が無いんだ。

 僕らで怪獣側の大将を速攻で潰して怪獣軍団を全滅させていくことになってるんだ」

 

「ヒィッ……ファーストミッションから殺しにくるな殺しにくるな!」

 

 ヒュドラとティガが話し、ダーラムが無言を守り、任務の話になったので、カミーラが後ろに下がる。

 

「というわけで移動しながら話そう。まず最初に決めることがある」

 

「おう、なんだぁ? ポジションか? オレは危ねえから後ろに置いてくれよなぁ」

 

「チーム名だよ」

 

「は?」

 

「このウルトラマントライアングルにかっこいい名前が欲しい」

 

「……年相応なガキみてえなこと言いやがってよぉ。なぁ、ダーラム?」

 

「……」

 

「いやなんか返事しろよ」

 

すまん(Sorry)

 

 にこにこしているティガ。

 バカにするような表情を一貫するヒュドラ。

 沈黙を保つダーラム。

 "またティガが気を使ってムードメーカーやってる……"とカミーラは思っていた。

 

「三人だから……トライ……トライスター?」

 

「ダッサ、仲間抜けるわ。ここはヒュドラトリニティだろ?」

 

「僕前から思ってたんだけどヒュドラはさらっとセンター取ろうとするよね」

 

「……ウルトラ三兄弟」

 

「「 ダーラム!? 」」

 

 お前こういうのに積極的に参加するタイプだったのか……と、ティガとヒュドラは揃って驚愕していた。

 

「……ああメンドくせ、お優しい奴の気遣いは鳥肌が立つな。

 ヒヒッ、あーうぜぇ。ティガ様の言うことなんて聞く気がしねーわ」

 

「頼むよヒュドラ。僕一人の力ではどうにかなりそうにないんだ」

 

「誰の命令でも気に食わねえが、テメエの命令はもっと気に食わねえ。そんだけだ」

 

「むぅ」

 

「オレ達は好きにやるだけだ。ヒィヒヒ。なあ、ダーラム」

 

 ダーラムは首を縦にも横にも振らなかった。

 ティガのことを思えば、ダーラムもティガに従ってやりたい。

 だがダーラムは自分を知っている。

 土壇場になれば、自分がどう動くかを分かっていた。

 

 ヒュドラはティガへの限りない尊敬と嫉妬ゆえに自信を持っていなくて、それが言動に出る。

 ダーラムは己の性を知るがゆえに自信を持っていなくて、それが言動に出る。

 出来る限りティガの戦いに助力し、ティガを襲わないでいようとダーラムは考えているが、そう言い切れるほどダーラムは自分を信じていない。

 

 ダーラムも、ヒュドラも、カミーラも、それぞれの形で自分を全く信じていない。

 だからこそ、揺るぎなく自分を信じているティガの光に心が惹かれる。

 そして、それゆえにティガに負担を背負わせる者達だった。

 

「困ったな……僕も直せるところがあれば直していくよ。どうか頼めないだろうか」

 

「おう困れ困れ! 何もかも上手く行ってるお前なんか見ても腹が立つってーの、ヒヒッ」

 

「うーん本当に困った。どうしようかな。君達の本気の助力が必要なんだけど……」

 

 そして。

 カミーラはティガが大好きな少女だった。

 カミーラはティガを支えたい人間だった。

 カミーラはティガを困らせる者を無条件で許さない限定的単細胞だった。

 カミーラは、ヒュドラの前に立ち、冷たさすら感じる表情で、鋭い目でヒュドラを睨む。

 ビビったヒュドラが一歩後ずさった。

 

「ティガに意見するのはいいけど、ティガが正しいのに無駄に絡むのは許さないわ」

 

「へぇ……許さないってんなら、どうするってんだ? ヒャヒャヒャ!」

 

「まずは一週間ご飯抜きね」

 

「!? ま、待て! まず!? 飯抜き!? まず!?

 そんな権限お前みたいな小娘にあるわけねえだろ! ねえよな?

 いや待てよ、その背負ったリュック……まさか食料……独立部隊行動……あっ」

 

「戦地で私が出したご飯以外に食べられるものはないの、知ってるでしょう」

 

「今初めて聞いたわ! いや汚染区域ではそういうのが普通だけど!

 おいティガ、こんな横暴を許すのか!? 飯事で!? 答えろよ!」

 

 ティガはにこにことしていて、ヒュドラは共に過ごす内にいつからか『ティガは頼めば聞いてくれる』という無自覚の甘えを持っていたが、残念無念、ティガの中ではカミーラ>ヒュドラの優先順位が絶対不動で存在していた。

 

「いいわよね? ティガ」

 

「チィちゃんの頼みなら断れないかな。いいよ」

 

「ということよ、ヒュドラとやら。

 餓え死にしたくなければ、下手な反抗心は起こさないことね」

 

「テメェらさてはデキてんなぁ!? きぃぃぃ!! このクソ情無し仏頂面女!」

 

「……デキてないわよ」

 

 カミーラは冷たい表情を崩さない。

 不意打ちで少し揺れた心を表には出さない。

 この手の人種に弱みを握られたくない、という至極当然ながらも賢明な思考は、シノクニで生きる中で培われたものだった。

 カミーラはヒュドラを制し、続いてダーラムにも声をかける。

 

「あなたもよ。

 ティガの指示に従いなさい。

 大丈夫。敵を見て、全てをぶつけ、仲間と自分を信じなさい。

 ティガの隣でティガの指示で戦えば、きっとそこが一番刺激のある戦場だから」

 

「……」

 

 ダーラムは返答しなかったが、『心の持ち様の一つの正解』を何気なく語られ、それを肝に銘じつつ思案に入る。

 

 カミーラはウルトラマンではない。

 光は彼女を選んでいない。

 偉そうなことを言う権利はない。

 彼女は守られるだけの人間で、ユザレのように神に選ばれ聖剣を与えられてもいないのだ。

 カミーラはただの人間だ。

 悪性も反社会性もある、次世代に進化していく人種にもなれない、ただの人間だ。

 それでも。

 

「ティガに余計な苦労をかけないで。

 規範になれとまでは言わないから、最低限の生き方は守って。

 光に選ばれた人達が力を合わせればできないことなんてない。

 あなた達は私と違って……『光に選ばれたウルトラマン』なんでしょう?」

 

 落ち着いた語調の奥に、確かに感じられる感情の熱。

 ただの人間だからこそ言葉に宿すことができる熱は、ウルトラマンの心を動かした。

 彼女は人間。

 ただの人間だ。

 だからこそ、ただの人間としてウルトラマン達を見てきた。

 ただの人間の一人として、ウルトラマン達を信じている。

 

 ヒュドラがバツが悪そうに、子供にかっこ悪いところを見せてしまったヒーローが反省するように、頭を掻いてぼやく。

 

「好きで選ばれたわけじゃねえんだけどなぁ」

 

 その横で、ダーラムも力強く頷いていた。

 

「おいティガ。オレとダーラムはどうする? 言えよ」

 

 ヒュドラが素直にティガの指示を仰ぎ始めた。

 もう大丈夫だ。何かが違う。これで戦える。誰もがそう思っていた。

 

「今、僕が最も信頼する後輩が結界を張って耐えてる。

 そこに僕らが突っ込んで、結界を解除して戦闘開始。

 僕らは連携で互いの背中を守りながら総数不明の怪獣群を突破。

 リーダー格の怪獣を1分以内に討伐し、混乱する怪獣を1分以内に掃討する。

 残党は残り僅かな待機人員で処理、それで終わりになると思う。

 僕らの活動時間は等しく3分だ。時間には余裕をもって、余力を残して勝とう」

 

「……ハッ! イカれた提案しやがって! いいぜ、乗ってやらぁ!」

 

「敵の規模からして数日間は生身でも巨人でも戦い続きになるから覚悟はしておいてね」

 

「ヒィッ……なんてこともないみたいに言いやがって……イカレてる……」

 

 ティガの思った通りに――カミーラのおかげでティガが思っていた以上に――会話によるチームのまとめ上げは成功し、三人のウルトラマンは作戦の細かいところを詰めていく。

 移動しつつ、あらかた話し終わったところで、ヒュドラは笑った。

 

「ヒヒッ、しっかしよう。

 癖の強いウルトラマン三人をただの人間がまとめるとか、おかしなこともあるもんだな?」

 

「そうかな? 僕は当たり前のことだと思うよ。

 チィちゃんは昔からずっと、本当の光を見つけられる人だったし、それに……」

 

「それに?」

 

「僕らウルトラマンは皆、人間の輝きに惹かれる。

 人が持つ光を見失っていないから、僕らは人として在れる。

 それを見失ったら、きっと光の巨人ですらないものになってしまう……気がする。

 チィちゃんの必死な言葉をバカにせず耳を傾けたのは、僕らが皆、ウルトラマンだからだ」

 

「……」

 

 ティガが何気なく言う言葉は、ウルトラマン達に何かを考えさせる。

 彼はおそらく、この地上で最もウルトラマンの本質に近き者。

 彼の言葉とカミーラの言葉が合わさることで、他のウルトラマンに何か、とても大切な考え方が伝わっていくような感覚がある……そう、ダーラムは思考する。。

 ヒュドラはティガとカミーラの二人に、何か特別なものを感じていた。

 

「信じてみない? この出会いが、僕らの光ある未来を創ってくれる、ってさ」

 

「ケッ」

 

「しばらくは僕ら四人で駆け回る。この四人が此処に集まったのは、きっと運命だよ」

 

 四人は、海が見える公園に辿り着く。

 海はもう前哨戦が始まっていた。

 結界が多くの闇と怪獣を止め、遠くの海上でウルトラマンと怪獣が戦っている。

 公園の向こうに行って変身すれば、もうそこが戦場だ。

 この向こうに戦いが在る。

 

 まず、ティガが手を前に出す。

 その手の上に、カミーラが無言で手を重ねる。

 ダーラムもまた、無言のままカミーラに倣って手を乗せる。

 ヒュドラも内心を隠しつつ、嫌そうにしながら、その手を乗せた。

 重なり合うは四人の手。

 人間一人とウルトラマン三人の、四人で一つの世界の希望。

 

「生まれた世界は違っていても、共に目指す未来は一つ」

 

 気が乗ってないようなふりをしながら、真っ先にヒュドラが口にする。

 

我らはひとつ(We are Friends)

 

 ダーラムも珍しく、口を開く。

 

「永遠の絆と共に」

 

 カミーラも自然と、名乗りに加わる。

 

「この星に光と平和を取り戻すまで! 僕達が、全てを守る光の使者になろう!」

 

 ティガがそう言い、四人揃って声を上げ、その声が重なった。

 

 そこに見て取れる強い絆はない。まだここにチームを結ぶ絆はない。

 

 けれど、『絆のスタートライン』は誰が見ても見えるくらい明確に、そこにあった。

 

「ここから戦場だ。カミーラは下がって、僕らは戦闘準備を!」

 

「どうか無事で、ティガ。そしてダーラム、ヒュドラ」

 

「もちろん!」

 

 人間離れした速度で、ティガ、ダーラム、ヒュドラが前線に駆けつける。

 そこには聖剣を地面に突き立てるユザレが居た。

 この地球上でユザレだけが使いこなせる絶技、地面に聖剣を突き立てて『樹』に見立てることで『領域』を作り出す神の業だ。

 『樹が生えている周辺の領域』は結界に覆われ、たとえ世界が闇に飲まれようと、世界が炎に飲み込まれようと、『樹』の周りの世界は人が生きられる世界のままになる。

 

 それで耐えていたユザレの横を、ティガが駆け抜けていく。

 負担の苦痛に耐えていたユザレの表情が、少し嬉しそうなものへと変わった。

 

「先輩! 時間稼いだんですから、期待に応えてくださいね!」

 

「ああ! 400%で応えてみせるとも!」

 

 光が立つ。

 銀色の光、赤き光、青き光。

 ティガの銀光が世界を照らし、ダーラムがその光を浴びながらルビーの如く赤く輝き、ヒュドラがその光を受けて青紫に浮かぶ青色を空に刻んでいく。

 

 神速のヒュドラ。

 その風は無数の怪獣を切り刻んでいく。

 100を超える怪獣の合間をすり抜けて飛んで行ったヒュドラが、全ての怪獣とすれ違った後に指を鳴らせば、全ての怪獣は切り刻まれた肉片になった。

 

 剛鉄のダーラム。

 全ての攻撃を受けた上で、堂々たる歩みで進み、全ての怪獣を殴り潰していく。

 歩く、殴る、歩く、殴る、歩く、殴る。

 それだけで全ての敵に勝利していく、無骨の極み。

 

 全身から膨大な光が迸るウルトラマンティガに、闇は傷一つ付けることができない。

 黒き光線は弾かれる。

 吐かれた炎は吹き散らされる。

 噛み付いた怪獣の牙が折れ、叩きつけられた爪が砕けた。

 ティガの全身が輝くと、その周辺に居た陸海空の闇と怪獣その全てが消滅した。

 

 強すぎる。あまりにも。

 今地球を守っている大量のウルトラマン達の中でも、彼らは突出して強かった。

 

 こんな光を手に入れれば、誰もが永遠に手放そうとはしないだろう。

 その光は既に神の領域にある。

 何と引き換えにしてでも、きっと誰もが、この光を手放そうとはしないはずだ。

 『ウルトラマン』とは即ち、この力を正しく使える可能性を持つ者達を指す。その資質は、その心に宿っているのだ。

 

 地を踏むティガ。

 空を舞うヒュドラ。

 海に立つダーラム。

 三者三様に互いをカバーし、全ての領域を制圧し、怪獣を滅殺してゆく。

 

 絶望をもたらす闇の怪獣軍団にとって、それは絶望に絶望をもたらすもの。

 希望と希望の掛け算にして、カミーラの言葉でまとまった光の三連星。

 目も眩むような、輝ける栄光と勇気の巨人たち。

 なんてことのない少女の、「力を合わせて戦って」という願いを、誰もが無下にしなかった。

 

『遅れんなよティガァ! ヒャハッ!』

 

『ヒュドラ! 突出するな!』

 

『……やれやれ(Well,Well)

 

 過去最大の侵攻であった。

 大侵攻と呼ばれる海の邪神の乾坤一擲の攻勢であった。

 まごうことな、人類滅亡の危機であった。

 しかし、過去最大の闇は、過去最大の光でいとも容易く打ち破られる。

 

 風の道化、俊敏戦士ヒュドラ。

 力の闘士、剛力戦士ダーラム。

 光の勇者、英雄戦士ティガ。

 

 そうして彼らは、市井にも語られるような、今を生きる光の伝説となった。

 

 

 




 ガタノゾーアの闇の設定は小説版などから引用しています


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4

 ヒュドラは百人中百人がキレるレベルでイキり、調子に乗り、超絶上機嫌でふんぞり返って『ウルトラマン特集』と書かれた記事のページを見せつけていた。

 

 その内後頭部が床にぶつかりそうだと思えるくらい、盛大にふんぞり返っていた。

 

「ヒヒヒヒヒッ!

 いやー、悪いなティガ!

 道化ってのは気に入らんが!

 『風』の異名はオレが頂いちまったみたいだなー! ヒュヒヒッ!」

 

 ティガは苦笑いしながらうんうんと頷いている。

 カミーラは皆の夕飯を作っているので聞いていない。

 ユザレが冷めた目で見ている。

 ダーラムは五時間ほどずっと重りを背負って腕立て伏せをしているので聞いていない。

 

 ティガとヒュドラは、この地上でただ二人の風のウルトラマンである。

 最大の違いを挙げるとすれば、ティガが光を風に乗せて運ぶウルトラマンであり、ヒュドラが風に乗って戦うウルトラマンであるということだろうか。

 それがまた、ヒュドラの劣等感と対抗心を増大させきた。

 なのでヒュドラは超喜んでいた。

 

 ダーラムが力の闘士、ティガが光の勇者、ヒュドラが風の道化……皆が呼ぶ異名の『風』をヒュドラが勝ち取った。対抗馬がティガだったというのに。

 "実質勝ったな!"と、ヒュドラは欺瞞全開で内心思いまくる。

 そしてヒュドラはたいそう喜んだ。それはもう喜んだ。

 周りが引くくらいに喜んでいた。

 

 そんなヒュドラが余計なストレスをティガにかける前に、この大体笑って許してしまう先輩の精神的平和を守らねばと、ユザレが動いた。

 

「イキリかっこ悪いわよ、ヒュドラ。

 皆の光として最上位の名を与えられたティガ先輩と、風だけが取り柄の貴方の違いでしょう」

 

「ぐぎゃあああああああああああ!!!!!」

 

 ふんぞり返り過ぎたヒュドラが転倒して後頭部が床に激突、ユザレの言葉と激突の衝撃によるダメージでヒュドラが動かなくなった。

 

「し、死んでる……」

 

自業自得だな(Reap what you sow)

 

「風の道化はちょっと正統派を外して風属性乗せた感じで超かっこいいって僕は思うよ」

 

 物音を聞いて飛び出してきたカミーラが状況を理解できずうろたえ、ダーラムが腕立て伏せからスクワットに移行し、ティガが無駄なフォローを入れる。

 不思議な空気があった。

 本当に追い詰められた時、胸の奥から自然と湧き上がり、ウルトラマン達の力になってくれる想い出が生まれる、そんな空気があった。

 

 ダーラムはこの繋がりを、友と呼ぶ。

 カミーラはこの繋がりを、光と呼ぶ。

 ユザレはこの繋がりを、同志と呼ぶ。

 ヒュドラはこの繋がりを腐れ縁や慣れ合いと、嘘つきなその口で呼んでいる。

 

 ティガは誰に聞かれても、この繋がりを『かけがえのない仲間』と呼ぶだろう。

 

「あれ、火が急に着かなく―――あっ」

 

 ティガがダーラムに誘われて一緒にトレーニングを始め、背中にユザレを座らせながら腕立て伏せを始めて数分が経った、その時。

 カミーラの人並み外れて低い幸運値が奇跡を起こした。

 携帯コンロが奇跡的に故障し、爆発したのだ。

 

 このコンロは太陽光からエネルギーを得て大気からガスを合成する、太陽光と空気さえあれば何も補給しなくてもずっと動くものであり、技術力の高さゆえに爆発力も凄まじかった。

 人一人を即死させてしまう程度に。

 カミーラが1000年に1度あるかないかという奇跡によって死―――ぬ、ことはなく。

 事実上の零時間移動によってカミーラを救ったユザレが、カミーラを抱えてふわりと爆発の余波をかわしていた。

 

「ふぅ。まったく、最近は工場がいくつも壊されたからか工業製品の質が悪いわね……無事?」

 

「あ、ありがとう」

 

「気にしないで。お友達でしょう?」

 

「……ええ。私とあなた、カミーラとユザレはお友達。次は私が助けるわね」

 

「あら素敵。明日の朝食に私とティガ先輩の好物が出てしまうかもしれないわね?」

 

「はいはい。喜んで、とっても美味しいの作って見せるわ」

 

 少女二人がふふふ、と笑い合う。

 共に過ごした時間も長くなってきた。

 二人の間には確かな友情が生まれつつある。

 

 カミーラを地面に降ろしたユザレに、ティガが雲の微笑みで礼を言う。

 

「ありがとう、ユザレ」

 

「ティガ先輩の大切なものは私の大切なものですから。

 ……はぁ。こういう時ばっかりふざけないでお礼言うんだから、もう……」

 

 深い理解が互いに向けられているティガとユザレ。

 二人を見ていて不安になったカミーラが、ティガの右手の服の裾をつまんで引っ張った。

 何かを伝えたかったわけではない。

 何かを求めたわけではない。

 ただ不安になったから、カミーラは半ば反射的にティガの裾を引いていた。

 

 ティガとユザレが苦笑する。

 ティガが裾をつまんでいるカミーラの手を優しく握って、カミーラがぎょっとして一時停止、五秒後に再起動して顔を真っ赤にして俯いた。

 ユザレとティガが無言で目を合わせ、互いの思考なんて全部分かっているかのように笑い合い、指でジェスチャーをして何やら会話をし始める。

 決して手の届かない遠く夜空に輝く星を見るように、ユザレはカミーラとティガを見ていた。

 

 ヒュドラは寝っ転がってそんな三人を見ている。

 

「聖剣抜いてない時でも化物みたいな動きしやがる……神に選ばれた勇者、ねえ」

 

もう熟練の技巧者だな(Be skilled craftworker)

 

「ヒヒッ。神の声を聞き、神の力を受ける人間か。

 オレなら不安で不安で仕方ないけどな。

 戦場で神に勝手に力を奪われたらどうする?

 死ぬしかなくねえか? 神の力なんて胡乱なもんオレなら使わねーな、ヒャハハ」

 

 ユザレはティガに向けていた"絶対にヒュドラに向けない表情"を消し、ヒュドラに"絶対にティガに向けない表情"を向けた。

 それを見るだけで、ヒュドラの軽口が止まる。

 怖くてしゅんとなってしまう。

 ダーラムは心底呆れた。

 強い怪獣は恐れないくせに、怒っている女子にはすぐビビるヒュドラが、ダーラムには理解できなくて、だからこそ面白い仲間だと思えて……でもやっぱり、ダーラムは呆れてしまうのだった。

 

 ユザレは神の力が乗せられた聖剣を指先で叩いてかちんっ、と鳴らし、断言する。

 

「神と人間の絆は永遠よ。

 大丈夫。神は人を守る。

 人は神を崇める。

 自然と人の関係性のように、神と人の関係性もある。

 人がそれを忘れることはなく、神がそれを忘れることもないわ。

 人と神は永遠の戦友。未来永劫助け合って、共に生きていけるはず」

 

「あー知ってる知ってる。冗談だっての」

 

 それは神話の時代の理。この時代にはまだ色濃く残る神世代のルール。

 

 人間が間違えない限り、神は人間を害することはなく、恵みのみを与えていく。

 

 この時代の人間は誰もが、その常識を知っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紫電の疾風。三千万年前の星で、誰もがそれを希望の象徴に見ていた。

 

 紫電とは、研ぎ上げた刀の反射光を示す言葉。

 元来紫でもなく、雷でもない。

 銀色の光を指す言葉だ。

 ウルトラマンティガという銀色の巨人が一度戦えば、そこには銀色の閃光が軌跡を残す。

 紫電の疾風とは、すなわち希望を乗せて吹き荒ぶ光の風に他ならない。

 

 ティガが率いるウルトラマンチーム(まだ毎日議論しているのでチーム名未決定)は、その希望を更に大きくするものだった。

 いかなる大規模戦でも連戦連勝、結成以来完全に無敗。

 ウルトラマンティガも初陣以来無敗であったが、それをチームレベルで体現できているというのが凄まじかった。

 加え、ティガはその功績を"仲間のおかげ"と公言してはばからない。

 必然的にティガに向けられていた称賛や尊敬が、その仲間達にも広がっていく。

 

 ヒュドラは捨てられていた犬に投げ当てて苦しめてやるためのドッグフードを近場の店で買った帰りに、他のウルトラマン達が自分達のことを話しているのを見つけ、つい隠れてしまった。

 雨上がりの昼、地面がぐじゅぐじゅと濡れていた頃のこと。

 

「やるなヒュドラは」

「いやあダーラムも中々」

「夢を操り異空間を創造し、それとよく噛み合う風の飛翔戦士とはね」

「ダーラムのあの力は驚いたな。水中戦が得意とは知っていたが、陸を海に変換できるとは」

「ティガが仲間に選んだのも納得よ」

「陸海空隙がない。連携も見事だ。まだティガの方が合わせているきらいがあるが」

「いや、彼らの連携は戦いの度に進化している。三日合わざれば認識を改めた方がいいぞ」

「ヒュドラ達に謝らないとね。私達は随分偏見を持ってたみたい」

「うむ。一人一人が英雄の器だ」

「ぼくらではなくティガの判断が正しかったわけだ。いやはや、頼りになるチームだね」

 

 素直にヒュドラ達を褒めているウルトラマン達の言葉は、ヒュドラの背中をむず痒くさせるものだった。

 彼らは至極素直に個人もチームも褒めている。

 それが他人をあまり素直に褒められないヒュドラの肌に合わない。

 と、いうか、どうにも"ティガが一番凄いことは前提として話している"気がして、それがまたヒュドラの心に小骨のように引っかかる。

 

 誰も悪意で言っていないことはヒュドラにも分かっている。

 ただ、共感ができないのだ。

 ティガに劣る自分を素直に受け入れられる気持ちが。

 ティガに勝てない自分のままで納得できてしまう気持ちが。

 ティガが一番凄いで終わらせてしまえる気持ちが。

 ティガを嫉妬も嫉妬もなくティガを褒め続けられる気持ちが。

 共感できない。

 "オレはあいつに劣ってなんかいねえ"という気持ちで走り続けているヒュドラは、「彼は彼で自分は自分」と簡単に割り切れてしまう他のウルトラマンに、全く共感が湧かないのだ。

 

 嫉妬に狂う可能性が0で、他人の凄いところを素直に褒め、凄い奴に助けられたら純粋に感謝の気持ちを抱く人間のほうが、まともで善人ではあるのだろう。

 嫉妬でイライラしているヒュドラの方が、社会的倫理の面から見れば劣等だ。

 分かっている。

 どちらが上等かなんて。

 嫉妬に狂わない人間の方がずっとまともに決まっている。

 それでもヒュドラは"オレだけはティガに負けてるだなんて思わねえ"と思い続ける。

 

「しかし、そうだな、それでも不思議だ」

「まあな。彼らは我々の思っていた以上に使命を重んじる戦士であったが……」

「ティガが固定の仲間として彼ら二人を選んだのは不思議に思えてならないですよね」

「ユザレは分かる。しかしあの二人は未だ不安定だな。我々でフォローせねば」

「あのティガだもの。理解はできないが深謀遠慮があると思うべきよ」

「性情に難があると言えど、ダーラムとヒュドラには守ってもらった。尊敬できる二人さ」

 

 会話を最後まで聞かず、ヒュドラはその場を離れた。

 

 ヒュドラが欲しい称賛は、ヒュドラが実力で大活躍して、ティガにその活躍を認めさせ、ティガが心から口にする称賛だけだ。

 それだけが承認欲求を満たしてくれる。

 ティガに追いつき認められたいヒュドラの気持ちは、どこか若葉に追いつき認められたい千景の気持ちに似る。

 

 ヒュドラはああいう有象無象からの称賛はあんまり嬉しくないどころか、ティガの人格者っぷりと人気っぷりを思い知らされる気がして、なんか嫌になってしまうのである。

 認めて欲しい人にこそ認められたいのだ、ヒュドラは。

 

「あーあ気分悪ィ。どいつもこいつもいい子ちゃんだぜ。外れもんには居心地が悪ィんだ」

 

 買ってきたドッグフードを痩せ細った犬に投げつけ、八つ当たりし、野良犬の家族達の感謝の鳴き声も最後まで聞くことなく、ヒュドラは帰った。

 今の彼らの活動拠点は、永遠の山桜が咲き続けるティガの家である。

 ヒュドラが階段を上がりながら門を見上げると、門の横で逆立ち腕立て伏せをしているダーラムと、門の前の枯れ葉を箒で掃いているティガが居た。

 

 開いた門の合間に太陽が見える。

 その太陽が、ティガと重なっている。

 天の光がティガの後光のようにすら見える。

 偶然だ。

 この建物、この門、この日差しがありえる季節、この時間帯、このタイミングという前提があって、ヒュドラが帰ってくるそのタイミングで、偶然ティガがそこに居たに過ぎない。

 偶然以外の何かではない。

 されどヒュドラは理解している。

 ここぞという時、そういう偶然の全てが味方し、あるいはそれを必然として起こす行動が起こせるからこそ、ウルトラマンティガは『風の道化』ではなく『光の勇者』なのであると。

 

「あ、おかえり。早かったね」

 

 無言で逆立ち腕立てを「フッフッ」と繰り返しているダーラムを無視して、ヒュドラは溜め息を吐き、心の中で何かの整理を終えて、ティガに話しかける。

 

「なあ、オイ」

 

「なにかな、ヒュドラ」

 

「オレ達に遠慮してんならいらねえぞ。

 仲間入れたきゃ好きに入れろ。

 っていうか……仲間の入れ替えだって別にいい。

 テメエが思ってるほどオレ達も繊細じゃねえ。

 テメエはテメエの思う最強チーム作ってそれで戦えばいいんだよ」

 

 とても、とても珍しい……『ティガのためにヒュドラが口にした言葉』であった。

 

 ティガはきょとんとして、ヒュドラの言葉の意味を咀嚼して、苦笑いする。

 

「僕は君達二人がいいと思ったし、今でも思ってる。

 一緒に戦う中でその気持ちは大きくなっていったよ。

 杞憂だよヒュドラ。君が考えているような問題は、本当はないんだ」

 

「ハッ、どうだか」

 

「うーん……そうだね。僕の家の家紋の話はしたっけ?」

 

「あ? ヒャハハッ、聞いたことねえな! お前んちの家紋に興味なんてねえよ!」

 

「僕の家の家紋はリンドウ。青紫の花だ。

 没落するずっと前、家紋に使う花には一つ条件が出されたらしい。『虹の端であれ』と」

 

「虹の端……?」

 

 ティガが彼方を眺めると、雨上がりの空に虹が見える。

 一番外側に赤、そこから順に橙、黄、緑、青、藍、一番内側に紫。

 外端は赤色で、内端は紫色。そう見えるのは、人間が知る『光』の範囲はそこまでしかないからだ。長波長の限界が赤で、短波長の限界が青紫。

 だからたとえば、短波長の光が吸収される地球の夕陽は赤く見え、長波長の光が吸収される火星の夕陽は青く見える……そういった、光の仕組みがある。

 

「見える光と見えない光の境界、赤と紫。

 見える優しさと見えない優しさがあるように、全てには可視と不可視がある。

 だからこの世で一番大事なことは、その境界にある。

 ……っていうのが、うちの家訓なんだよね。

 見える光にこそ価値がある。

 見えないものの価値は下がる。

 可視と不可視の光の境界、赤と紫を越えて、見えない価値を見えるものにする……」

 

 『赤き者』と、『紫の者』は、彼にとっては特別だった。

 個人の考えとしてではなく、家に連綿と受け継がれてきた考えの上で特別だった。

 ティガは輝く虹を見る度に思い出す。

 どのウルトラマンよりも"外れている"ダーラムとヒュドラが、だからこそ世界を救う光の巨人の一人であると、そう思った過去の自分を。

 

「"虹の端光"。

 君達の光の色は、とても特別なんだ。

 赤のウルトラマンに、紫のウルトラマン。

 君達は外れ者ゆえに、僕には絶対にできないことができる。

 ウルトラマンティガが思いつけないことを思い付ける。

 僕はいつだってそう信じて、君達に背中を預けてるんだ。覚えておいてほしい」

 

「―――」

 

「僕にとって誰より特別な仲間達を入れ替えたくなんてないんだよ、ヒュドラ」

 

 ヒュドラは息を呑み、何かを言おうとして、その言葉を噛み潰し、飲み込み、うなりながら何かを深く深く考えて、そして。

 

「チッ」

 

 舌打ちして、それ以上は何も言わなかった。

 

 逆立ち腕立てをしていたダーラムが二人の間に割って入る。

 ダーラムが何か言う前からヒュドラは察していた。

 こいつ、ティガの言葉がめっちゃ嬉しかったんだな……と。

 

いいじゃないか我が友よ(Good taste,My Friends)

 

「うるせえな」

 

 ヒュドラがそっぽを向き、ダーラムがティガを見て力強く頷き、ティガが微笑む。

 

 そして彼らの端末が鳴り響き、空気が一変する。

 

 邪神の闇に包まれて全てのセンサーに引っかからないようにされた『怪獣入りの隕石』が、114個同時に地球に飛来した。

 

 

 

 

 

 西暦のクトゥルフ神話に描かれた物語の通りに、宇宙の果てよりやって来た旧支配者の一部は、隕石に乗ってやってくる。

 天の神、地の神、海の神は揃って『この後の惨劇』を確信し、それをいとも容易くウルトラマンティガは覆した。

 

『―――ゼペリオン光線ッ!!』

 

 神業という表現すら過小表現になる対処が、そこにあった。

 変身開始と同時に、変身過程を10に分割、並行同時に成立させることで変身時間を圧縮。

 光線発射前のエネルギーチャージを体内エネルギーの純倍加で所要時間0に。

 ティガに加護を与えている天の神の長・天之御中主神の持つ力を一瞬強力に引き出し、爆発的に行使して、爆弾の爆発の反作用で自分を吹き飛ばすようにして時間流の正順の流れに逆行した。

 結果。

 "ティガが変身を始める一秒前にはウルトラマンティガが光線を撃っていた"という、神業という表現すら過小表現になる奇跡が、成立していた。

 どうやっても一秒足りないはずだった状況を、人の意志と力が覆す。

 

 しかしそれでも、半分を撃ち落とすのが精一杯だった。

 地上に落ちた隕石は50を超える。

 海の底からの呼び声に呼ばれた怪獣達は次々と隕石から這い出て、あるいは小さな卵から数秒で巨大な生体まで成長し、人が生きる世界を踏み潰しにかかる。

 世界の多くで、絶望の声が漏れ落ちた。

 

『くっ……!』

 

 ティガでは手が足りない。

 一人でどうにかできる気がしない。

 普通ならば絶滅確定と言える最悪の襲来だ。

 しかしティガなら、ある程度の犠牲を飲み込めば勝ててしまう。

 初撃で運命を揺らがせた以上、数万人の死を許容すれば必敗の戦いに勝ててしまう。

 神の予想を覆す奇跡を一人で起こしたのだ、と言えよう。

 

 けれど。

 それでも。

 ティガは迷った。

 誰にも犠牲になってほしくないという願いがあった。

 皆に幸せであってほしいという願いがあった。

 全員で生きて明日に行きたいという願いがあった。

 それは、カミーラが彼の中に見た光。カミーラが彼を好きになった理由の根源。

 

 ティガは誰よりも強く、ティガだけに決定権があり、だからこそ人々を犠牲にする選択肢を、その選択を選びたくないティガ自身が選ばなければならない。

 その横顔には苦悩が滲み、地獄の苦しみがティガを苛む。

 それでも、選ばねばならない。

 彼はウルトラマンティガなのだから。

 

 ティガの横顔を見て、ヒュドラとダーラムは、自分が『光』に選ばれた意味に気付く。

 それは錯覚だったかもしれない。

 しかしそれでもいいと思えた。

 "この意味"のために戦おうと、赤と紫の二人は思えたのだから。

 

 ヒュドラがティガの手を引き、飛び上がる。

 

『飛ぶぞティガ!』

 

『ヒュドラ……!?』

 

『犠牲が出そうなところから順に回っていきゃいいだろ!

 倒せるところから行くんじゃねえ!

 守れるところから行く!

 その場しのぎの対症療法だが仕方ねえ! そのまま勝つぞ!』

 

『―――!』

 

『テメエが耳にタコができるほど言ってきたんだろうが! 人を守るのがウルトラマンだと!』

 

 ティガは冷静な判断ができる。

 周りの人間と自分の人間の能力を計算し、最適な判断を下すことができる。

 彼はいつも最適な判断を見つけることができ、他人には無理のない"できる"指示を出し、時にはユザレに判断を任せて戦闘に集中するなどして、勝機を必ず掴み取る。

 

 ただし、いつも無理をさせるのは自分だけだ。

 ティガは他人に"できない"ことを強要しない。

 だから負けてこなかった。

 だから当然のように勝ってきた。

 ヒュドラの性格をよく知っているがゆえに、ティガはその可能性を、その選択肢を、最初から頭の中から除外してしまっていた。

 

『テメエの我儘に! 全員守る戦いに! オレを付き合わせろ、ウルトラマンティガ!』

 

 けれど、人は成長する。誰もがそうだ。彼もそう。昨日と明日で、違う自分になっていく。

 

 ティガの『できない』を、ヒュドラの『できる』が覆す。

 

『Foo……なら、一際デカい司令塔のようなアレは俺が抑えよう。

 総体が戦略的な行動を取れなくなればやりやすいはずだ。

 他のウルトラマンと連携して局所的な勝利を積み重ねていけばいい』

 

『『 ダーラムがまた喋った!? 』』

 

『……』

 

 ダーラムが海へと踏み込む。

 向かう先には200mを超える大怪獣。

 果たすべき責務は、世界のための時間稼ぎ。

 ティガに戦いを挑みたい気持ちを、今は抑えられた。

 

 ティガとヒュドラが一つの風となって、限界を越えた速度で飛ぶ。

 向かう先には隕石の落下を防いで壊れた防錆施設、怯える人々が生きる街、そして各地に落ちた怪獣達。

 果たすべき責務は、全ての人の守護と、全ての怪獣を一掃すること。

 ヒュドラはティガが嫌いで嫌いで仕方なかったが、ティガの願いが"こんなもの"に踏み潰されるところなど、見たくはなかった。

 

 ヒュドラとダーラムは肌身に感じる。

 自分の性よりも大事なものを見つけられたこと。

 無理をしながら、我慢しながら、ティガの流儀に合わせること。

 勝ち目なんてない戦いに理想を掲げて挑むこと。

 それが、こんなにも心地良い。

 それが、こんなにも誇らしい。

 

 ウルトラマン達が立ち上がる。

 人々が避難誘導し、戦える人が子供達を逃がすために武器を取る。

 ユザレが加わり、地球星警備団の総力戦が始まる。

 怪獣達が撒き散らす闇をティガが消し、ヒュドラが飛び、ダーラムが殴る。

 

 全ての敵を打ち倒した後、怪我人は居るが死人は0という報告を聞き、三人は笑って、拳を思いっきり突き合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ティガの家まで辿り着き、ティガとダーラムとヒュドラは庭に寝っ転がった。

 もう家の中まで歩く気力も体力も残っていない。

 家の中では先に帰っていたユザレが動いてるらしき物音はするが、カミーラは今日の皆のご飯のための買い出しに行っていて今は居ないようだ。

 永遠の山桜は今日も咲き誇っていて、庭は桜の花びらでふわふわとしている。

 

 ベッドの上で休んでいるような心持ちでティガが休んでいると、ダーラムが起きてスクワットを始め、ヒュドラが上体を起こしてティガに語りかけてきた。

 

「おい、ティガ」

 

「どうしたんだい? あ、今日は格別良かったね。

 ヒュドラのおかげで犠牲者が出なかったところは絶対にあるよ」

 

「……チッ」

 

「伝えたいことがあるなら聞くよ。後でもいいけど」

 

「いや、言う気無くなったわ。お前に聞こうとしてたこともあったが忘れちまった」

 

「ええ……」

 

 ティガは真っすぐで素直な少年だ。

 だからヒュドラといくら絆を深めても、分からないところは分からない。

 ヒュドラがその感情を隠そうとすれば、なおさら分からない。

 

 ヒュドラはティガに言いたいことがあった。

 伝えたいことがあった。

 その上で言ってやりたい悪口があった。

 けど、途中でどうでもよくなってしまった。

 今日くらいはティガがいい気分で居られりゃいいと、そんな気の迷いを起こしてしまった。

 

 そして誤魔化しに、ずっと自分が考えていたことを口にする。

 

「ヒャハハハッ!

 こんな戦いはここで終わりにしてやらねえとなぁ?

 そんでカスの闇を一掃して、何か勘違いしたバカ共がオレ達を歴史に刻むのさ。

 『無駄な戦いを終わらせた寄せ集め英雄達、その姿』

 とか補足があると悪くねぇ。

 こんな得る物の無い戦いで一般人に感謝なんかされてんだ、そんくらいが妥当だよなぁ」

 

「いいね。そういうのもいいんじゃないかな」

 

「ハッハァ! 悪くねえ気分だ。

 ……オレ達が勝てば、これが人類最後の"死人が出る戦い"ってわけだ。本当に悪くねぇ」

 

 そうなりゃいいなと、ヒュドラは思った。

 

 そうなればいいなと、ティガも思った。

 

 ダーラムも言葉にはしていないが、同じ気持ちだった。

 

「こんなキッツい戦い、後の時代の奴らに残してやるわけにはいかねえよ。なぁ」

 

 ヒュドラの願いが叶えば、この時代で戦いは終わる。

 西暦、あるいは西暦が終わった後の時代からも、戦いは無くなる。

 この星には平和がやってきて、皆戦わなくてもよくなる。

 人生という限りある時間を、戦いなんてものではなく、幸せになるためだけに使っていくことができるだろう。

 

 粗野で、陰湿で、卑怯で、無神経で、ひねくれ者なヒュドラなのに。

 彼が願った未来の形は、西暦も、西暦が終わった後も、人が死ぬ戦いなどない世界だった。

 ティガは雲のように微笑み、ヒュドラの言葉に受けた感銘を口にする。

 

「ヒュドラ、かっこいいじゃん」

 

「は? オレは常にテメエより誰よりかっこいい風のウルトラマン様だが……」

 

 たまらず、ダーラムは二人を担ぎ上げた。

 信頼できる仲間のヒュドラを右肩に、何よりも大切な親友であるティガを左肩に乗せ、ダーラムはパワフルに立ち上がる。

 このまま進んでいければ、どんな不可能だって可能にできる。

 ダーラムは、そう信じられた。

 

「うわっ」

「うおっ」

 

親愛なる我が友達だ(Dear my Friends)

 

「バカクソカス降ろせ! 不安定だろ!」

 

「あ、チィちゃん帰って来てる。おーい」

 

 そうして、その日もまた、世界は守られた。

 

 

 

 

 

 この時点で地球上には、1000をゆうに超える数のウルトラマンが居た。

 空からの『光』は本当に多く、このウルトラマン達全てが倒され石像の破片と化したなら、巨大な都市を埋め尽くすほどの石片が生まれることが想像できるほどだった。

 それでも、押されていた。

 ティガが守る地域のウルトラマンの数を減らして他の地域のウルトラマン密度を上げても、他の地域でのウルトラマン達の敗北率は日々増加しており、無敗のままの地域はティガの目が届いている地域だけになりつつあった。

 星の数割は闇に覆われたまま、光が戻る気配もない。

 

 最前線にて戦うウルトラマン達は、誰もが分かっていた。

 戦いは勝利に向かっていない。

 勝利のための積み上げが存在していない。

 勝利を確信できるだけの勝機を見た覚えがない。

 今人類は、敗北を先送りにするだけの戦いを繰り返しているのだと。

 規格外をぶつけることで、絶滅の運命をその場しのぎにひっくり返しているだけだと。

 

 ウルトラマンティガが、彼らが絶望に転落することを防ぐ留め具になっていた。

 

 

 

 

 

「お、ユザレも来たぞ。ヒッヒッヒ」

 

「ティガ先輩。

 カミっち先輩。

 ダーラム先輩。

 ヒュドラ。

 今日も無事に帰って来れたようで何よりです」

 

「おいコラァ! おま……お前!? お前、もう一度オレ達全員呼んでみろ!」

 

「ティガ先輩。

 カミっち先輩。

 ダーラム先輩。

 今日も無事に帰って来れたようで何よりです」

 

「とうとう呼ばなくなったわね……」

(weed)

「コラァァァァァァ!!!」

 

「ユザ島はさあ」

 

「ユザ島ではなく」

 

 たとえ、この先に何が待っていたとしても。

 

 どんな結末があったとしても。

 

 彼らはこの時、懸命に生きていた。

 

 皆で幸せを掴む未来を信じていた。

 

 三千万年前も。西暦も。人々は抗いようのない『滅び』を前にして、折れることはなかった。

 

 世界を取り戻す切望の未来に向かって、ずっと手を伸ばしていた。

 

 

 

 

 

 桜舞う中、庭の大岩の後ろに、人影があった。

 

「あれ? 誰?」

 

「知らない子だ」

 

 カミーラが気付いて声をかけるが、大岩の陰に隠れた子が出てきても、皆見覚えがない。

 ティガ達全員が知らない子であった。

 容姿を文字に起こそうとすればできそうだが、それになぜか労力がかかりそうで、上手くやらないとぼんやりとした印象になりそうな気がしてしまう。

 外見の年齢は8歳か9歳程度に見える、そんな少女だった。

 

 ティガはひと目で、それが『神性』であることに気付いた。

 人間の領域は神の領域ではない。

 神の領域で生まれ育ち人間の領域に来たばかりの神は、存在の定義と具体化に慣れておらず、こういう印象の外見になりやすい。

 天之御中主神の名代とも言えるティガは、その少女が天神の一種であることも見抜く。

 

「ここ千年で生まれたばかりの神の子かな。名前は?」

 

「……あまてらす」

 

「うん、知らない神様だ。ダーラム、失礼なヒュドラが喋らないよう抑えておいて」

 

任せろ(Yes)

 

「オイ」

 

 ティガは神に対する最大限の礼儀を取り、その少女の前に跪く。

 

「ようこそ、新たな神様。

 貴方様の来訪を心から歓迎致します。

 この地上の人間は尽く貴方を敬い、貴方と共に在る。

 どうかその慈悲で、我々と共に歩む者となってくださいますよう、願う次第です」

 

 対し、少女も礼儀正しい所作にて、言葉を返す。

 

『常日頃の献身 懸命 健闘 その誠実に 感謝します』

 

 あまてらすと名乗った少女はティガにそう言って、礼をした。

 その一礼はとても恭しく、卑屈さがなく、自分を相手の下に置いて相手を立てるための礼節ではなく、互いの偉業を偉業として対等に認め合うための礼節であった。

 神の礼儀、と言ってもいい。

 着物の裾をつまみ持ち上げ、丁寧に礼をするその姿には、常に人間の上位者として在る自然神の感謝と、常に無理をして天地を守ってくれる男に対する少女の感謝が混ざりに混ざっていた。

 

 少女が指を鳴らすと、桜の花びらと芝生に覆われていたはずの庭に、一瞬で小さな花畑が生え揃う。単一の花で構成された花畑であった。

 

「わっ、わっ」

 

「これは……」

 

「チグリジアだ。チィちゃんの名前の花……」

 

『ウルトラマンティガは その少女の喜びを 何よりも大きな報酬と考えます』

 

「……まいったな」

 

 花畑を作って、少女の神は感情の読めない表情のまま、ティガの後ろに隠れる。

 ティガを岩戸のように使って、周りの人間から隠れる。

 天之御中主神は天の神群の祖、であればこの少女の祖でもある。

 かの神に選ばれたティガに懐くのは当然か。

 あるいは、個人的に気に入っている理由があるのか。

 

 ユザレは新顔の無名な神様、一見して少女にしか見えない神様を見て、それに懐かれているティガを見て、ちょっと笑ってしまう。

 まだこの神様には崇められるだけの威厳が薄く、愛らしさはあっても恐ろしさはなくて、ティガに懐いている内は、きっとまっとうな神様にはなれそうにもなかったから。

 こうして見ていると、ティガとあまてらすは兄妹にしか見えなかった。

 

「神様に愛される人間で居続けるのも、人間の使命の一つですよ、先輩」

 

「いや本当にまいったな」

 

 ティガが頬を掻く。

 カミーラが無言で少女をティガから引き剥がそうとする。

 少女が更に強くティガに抱きつく。

 カミーラと少女がにらみ合う。

 ヒュドラがティガの写真を撮ってロリコンだと拡散しようとしたので、ユザレがヒュドラの携帯電話を奪って踏み潰す。

 ダーラムはスクワットを始めた。

 

 

 




・チグリ
 古代ペルシア語。
 チグリス、チィグリス、ティグリス、そしてティガーなどの各単語の語源となった。
 主に『虎』の意で解釈される。

・チグリジア
 西暦においては『ティガリディア(Tigridia)』とも。
 チグリスを語源とする花。
 花言葉は『私を愛して』、『私を助けて』。

・ティグリス
 ウルトラマンガイアにおいて重要な役割を果たし、ガイアと共闘し天より来たる破滅に立ち向かった地球の怪獣。
 もしくはその語源となった地球最古の文明を流れる河で、最古の文明の代名詞。……三千万年前の文明を除いて最古、と頭に付くが。
 チグリス、チィグリスの発音違い。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5

 森があった。

 木々はない。草もなく獣も虫も居ない。

 緑の欠片もない、無数に蠢く触手の森があった。

 

 2mほどの触手が地面から生え、人間や動物を捕食しようと蠢いている。

 50mほどの触手が海の底から生え、ウルトラマンを捕食しようと蠢いている。

 空を流れ、大気に満ちる闇を土壌とし、空中の何も無いはずの場所から触手が群立する。

 それは侵略する闇の世界。

 外宇宙の理そのもの。

 世界を侵す、世界を陵辱する暗黒の法則。

 それが森のように見えるだけのものだった。

 

 風が吹くと、触手の合間や触手の穴を通り過ぎ、音が鳴る。

 ただの音のはずだ。

 それが声に聞こえてくる。

 正気であればあるほどただの音に、狂気の側に近付けば近付くほど声に聞こえる、風の音。

 

『いあ いあ いあ いあ いあ』

 

 その合間に、何かが見える。

 空を飛ぶ肉の球塊。

 目玉が17個ある虫。

 貝殻のような甲殻でその身を包んだ強酸のスライムのようなもの。

 かつて人間の死体であったはずの、溶けた肉と固形化した体液の異形。

 

 それらが踊っている。

 人間には絶対に理解できない"楽しい"を表すように踊っている。

 踊って、踊って、踊って、踊って。

 踊る度に肉が潰れる。

 踊る度に闇が吹き出す。

 踊る度に肉と肉が溶けて混じり合い、大きくなり、巨大な獣になっていく。

 

 その体の節々から音が鳴り、それが声に聞こえてくる。

 肉が潰れる音、肉が溶け合う音、奇形生物が鳴らす羽音、全てが声に聞こえてくる。

 正気であればあるほどただの音に、狂気の側に近付けば近付くほど声に聞こえる、風の音。

 

『いあ いあ いあ いあ いあ いあ いあ いあ いあ いあ』

 

 闇の中から、巨体が這い出る。

 地に這い出るは『ゴルザ』。

 空に這い出るは『メルバ』。

 やがて新型の、地球の鉱物を取り込んだ超高硬度怪獣『ガルラ』まで混じり出す。

 それらの合間を、疾走する、あるいは飛翔する『ゾイガー』が埋める。

 その更に残った僅かな隙間を、無限の闇が埋めていく。

 

 怪獣の洪水だった。

 闇の洪水だった。

 雲の上から地面までひと繋がりで、地平線の右から左までひと繋がり、そのくらいの巨大な闇の壁……いや、壁に見えるだけの闇と怪獣の大洪水。

 大陸すら容易に飲み込むであろう、星喰らいの闇だ。

 闇は超高密度の破滅的エネルギーであり、その中に怪獣がぎっしりと詰まっている。

 星一つ程度の総力では敵うはずもない、宇宙規模の邪神の脅威が在る。

 

 地球星警備団の現地防衛戦力がそれに対抗する。

 空中に滞空する空中戦艦、空中要塞が数え切れないほどの荷電粒子砲を放った。

 それは闇に飲まれ、闇の表面を剥がすことすら叶わない。

 

 地上に並べられた千を超えるレールガンが火を吹き、一つ一つが精密狙撃という前提の、虎の子のレアメタル弾頭を一斉に発射した。

 ゴルザが破壊超音波を、メルバが破壊光線を、ガルラが消滅光線を放ち、それらを消す。

 怪獣は闇を撒き散らし、闇が怪獣を強化し、相互にそれらは高め合い、この星の全ての光を消し去らんと進んでいく。

 

 ここまでの攻撃を陽動とし、人間達は空間転移装置で闇の中に反物質爆弾を出現させた。

 威力は原子力爆弾の数万倍。それが十数個、闇の中で起爆する。

 その瞬間、それら全てを、闇の中で何かが食べた。

 指揮官級の怪獣か。怪獣を超えた何かか。それが、起爆した反物質爆弾の光を捕食する。

 ケタケタケタと、歯が打ち鳴らされる音がした。

 

 音がする。

 声のように聞こえる音が。

 声ではないはずの音が。

 声に、聞こえる。

 

「くそったれが」

 

 攻撃を指揮していた男……名もなき軍人のリーダーは歯噛みする。

 平和な時代になったはずだったのに。

 この星はずっと皆が笑える世界になっていたはずだったのに。

 戦争も紛争も卒業して、人間同士で争うこともなくなって、皆で手を取り合って、次の時代に進んで行けるはずだったのに。

 そこに、この『闇』が降ってきた。

 

 存在価値の無い軍として、ずっと訓練をしてきた。

 仕事ねーな、と皆で笑い合った。

 でもいつかどこかで守るための力が要るかもしれない、と頑張ってきた。

 その結果がこれだ。

 闇に対して何もできない。

 何一つ歯が立たない。

 彼らがずっとずっと積み上げてきた何もかもが、無価値になっていく。

 闇に無価値にされていく。

 彼らの人生にあったはずのあらゆる光が、闇によって消し去られていく。

 

 彼方より来たる闇を見た人間の、心が次々と折れていく。

 

 されど。彼方より来たのは、闇だけではない。

 光を纏った無数の巨人が、空の果てより飛来した。

 巨人達が解き放った光が一瞬、闇の洪水をその場に留める。

 その一瞬で地の神、天の神が動いた。

 闇の侵攻方向に、神樹ギジェラが無数の光の樹を立て、そこに天之御中主神が光の炎を灯し、天地の神の力によって光の防衛ラインが構築される。

 

 光が、来たのだ。

 

『通常戦力部隊は下がれ!』

 

「……ウルトラマン!」

 

 それは数え切れないほどのウルトラマン達。

 光の巨人。

 希望の光。

 ざっと数えても50は超えていて、それぞれが膨大な光を持っていた。

 神の闇が怪獣群を強化するように、神の光は巨人達を強化する。

 彼らが一斉に腕を十字に組むと、そこから星を貫通する威力の光線が放たれ、闇の洪水の先端――全体の1%弱、1000平方メートルほどの範囲――が吹き飛ぶ。

 そして、怪獣達の姿がようやく露わになる。

 

 「瓶にぎゅうぎゅうに詰められた虫のようだ」と、軍人がつぶやいた。

 

 ウルトラマン達が立ち向かう。

 光線がメルバを撃ち抜き、墜落させ、約5万tの墜落に大地が揺れる。

 ゴルザの豪腕に押されたウルトラマンの腕が折れた。

 ティガを真似したウルトラマンの必殺光線が、地球の鉱石を奪い変質させたガルラの強固な表皮に弾かれる。

 人々を守るため相打ち狙いのウルトラマンが捨て身の攻撃を仕掛け、ゾイガー一体を倒すもその場で動けなくなるが、その周囲を無傷のゾイガー五体が囲む。

 怪獣が死に、ウルトラマンが倒れ、空中の戦艦が落ちていく。

 

 あっという間に、戦えるウルトラマンの数が減っていく。

 

『撤退だ! 撤退! ウルトラマンが援護してくれる! 市民を収容しつつ撤退!』

 

 ウルトラマンが負傷したウルトラマンや、人間を助けながら撤退する。

 軍人達もそれをサポートしつつ、ウルトラマンの巨体が見逃しがちな瓦礫の合間の怪我人などを見つけ、救助していく。

 撤退していくウルトラマン達の代わりに数十体の新たなウルトラマン達が参戦したが、そのウルトラマン達も時間稼ぎにしかならない。

 

 そうしてまず、一つの街が飲み込まれた。

 草も虫も獣も死んでいく。

 木々が屍肉が、異形に変わっていく。

 建物が踏み潰され、公園の遊具が、子供達が笑い合っていた学校が、友達と歩いた通学路が、家族との思い出のある家が、父に貰った自転車が……誰かにとって大切なものがなくなっていく。

 怪獣に踏み潰され、怪音波に砕かれ、闇に飲まれて消えていく。

 

 それら全てが、人間に光をもたらすものであるがゆえに。

 

 ウルトラマンの一人が、泣きそうな声を漏らした。

 

『クソッ、私達の街を……私の育った街を……!』

 

 今の地上に溢れている、特筆することもない、なんてことのない日常の一幕だった。

 

 

 

 

 

 そして、いつものように、ティガ達はその戦場へ駆けつける。

 地球の裏側であった戦いの援護に行って、そこで勝って、現文明の最速機に乗り返す刀で地球を半周して駆けつけたのである。

 休みはない。いや、あるにはあるし、ティガは休んだと言うだろうが、それは常識的に見れば休息だなんて言えない程度の短時間でしかなかった。

 それでも戦うしかない。

 それでも勝つしかない。

 誰も彼もが戦っている。

 彼らは希望なのだから。

 

 ティガ達より休んでいない戦士など何千人もいる。

 戦ったことのない人間すら、隣に生きる誰かのために戦っている。

 シノクニを除けば、誰も彼もが今の戦いを他人事だと思っていなくて、自分達の世界を皆の力で守ろうとしている。

 休んでなんていられるわけがない。

 

 ティガは臨時作成前線基地とも言えるテントの集まりの一つの内で、神の光を浴びていた。

 少女の姿をした神の名は、天照大神(あまてらすおおかみ)

 最近ティガも正式な名前を覚えた、現在天の神群において最新参にカテゴライズされる神であり……時代の神々の筆頭候補であるという。

 

 アマテラスは太陽神。

 多くの神話体系において主神に数えられる神性である。

 その権能の多くは『照らす』ことであり、神罰の象徴である雷や大火なども使えなくはないが、その本質は恵みをもたらす陽光だ。

 その光に当てられれば、心臓に穴が空いた人間すら立ちどころに傷一つなくなるだろう。

 アマテラスの本質は破壊ではなく祝福であり、宗教において人間の信仰を集める主神に求められるもの―――『人間を救う何かを与える』というものなのである。

 

 そう、つまり。

 神の恵み以外の応急処置がもう何もかも効果を見込めないほどに、ティガはボロボロだった。

 体の内も、外も、あるいはもっと奥にあるものすらも、ボロボロだった。

 

『これでおそらく少しは マシになります』

 

「ありがとう、アマテラス。どうか後方に下がっていてください」

 

『うん』

 

 アマテラスが消え、ティガはテントの中で深呼吸を何度か繰り返す。

 

 そこに、カミーラが入って来た。

 

「食事を作ってきたわ」

 

「お、ありがとう……わぁ……蕎麦! 鴨のお肉とネギが入ってる! でっかい!」

 

「一番頑張ってる人には暖かいご飯を食べてもらわないといけないもの」

 

 がつがつと蕎麦を食べ始めるティガを見て、カミーラは安心したように息を吐く。

 

「……よかった、気のせいだったみたい」

 

「もぐもぐもぐ……ん、にゃにが?」

 

「今日のティガが一瞬、なんだかとても弱々しく見えた時があったから、心配だったの」

 

「ふっふっふ。僕は無敵のウルトラマンだからね。安心して待ってていいよ」

 

「そうみたいね。だって、ティガだもんね。ティガはいつも強いから」

 

「照れるなー。チィちゃんにはかっこいいところしか見せたくなくなっちゃうよ」

 

「大丈夫よ。ティガにはかっこいいところしかないもの」

 

 ふふふ、あはは、と二人は笑い合う。

 空気が柔らかく、暖かかった。

 ティガの負けられない理由、カミーラの頑張る理由がそこにあった。

 その笑顔のためなら、なんだってできる気がした。

 

 ティガは食べ終わり、立ち上がり、そして。

 

「ごちそうさま。よし」

 

「―――え」

 

 カミーラを、抱きしめた。

 

 10秒か、20秒か、そのままそうしていた。

 

 ティガは何も言わず、カミーラは思考のブレーカーが落ちている、そんな沈黙の時間。

 

 抱きしめていたカミーラを、ティガは優しく突き放し、離れる。

 

「よっし、エネルギー満タンだ。ありがとうチィちゃん。これでまた三分戦える」

 

「ひゃ、ひゃい」

 

「じゃ、行ってくるね」

 

「……いってらっしゃい! 無事に帰って来てね!」

 

 ティガはいつも光だった。

 カミーラはそれに照らされるだけ。

 みんなみんなティガを頼り、どうしようもなくなってからティガに任せ、世界の命運をティガに預けていく。

 そんなティガをダーラムとヒュドラが助けていく。

 カミーラはその脇役で、大切なたった一人も、優しくしてくれる仲間にも、何もできない。

 傷だらけになって帰って来る彼らを待ち、美味しいご飯を出すことくらいしかできない。

 

 光が欲しいと、カミーラは思った。

 

 自分のためではなく、彼のために。

 

 

 

 

 

 カミーラを置いてテントを出て、少し歩いたところの物陰で、ティガは倒れた。

 いや、倒れかけた。

 倒れたティガを、左右から二人の男が支える。

 

「ヒヒッ、楽しそうじゃねえか? ああ?」

 

「……」

 

「……ヒュドラ。ダーラム。ありがとう」

 

 抱き止めてくれた二人を、ティガは力強く突き放し離れる。

 それが戦士同士の信頼の証だと思うから。

 ヒュドラは両腕に包帯がぐるぐると巻かれていて、ダーラムは頭に包帯が巻かれていて首が固定具と包帯で処置されている。

 先程までのティガと比べれば比較にならないほど軽症だが、それでも病院で手当してもらうのが妥当なレベルの負傷だ。

 だが、二人の眼光に陰りはない。

 ただただ、戦士のそれである。

 

 ダーラムは止めない。

 ヒュドラは止めない。

 ティガの負担が一番大きいことなど分かっている。

 戦場で背中を預け合っている彼らが気付かないわけがない。

 それでも止めない。

 止めても聞かないことなどとうに理解している。

 いつか死ぬとしても、その時は戦場で共に死にたいと、願っている。

 ウルトラマンティガは負けはしないと、信じている。

 "俺達で世界を救おう"と、誓っている。

 だから止めない。お互いに。

 

 そうして彼らは、地と天の間に在る物ことごとくを飲み込む闇を目にした。

 

「負担は大きいけど、短時間とはいえ休みは入れた。二人共、行けるね?」

 

「ヒャハハッ! 誰に言ってやがる!」

 

問題はない(No problem)

 

 松葉杖をつき歩いて来る者。

 傷だらけで上体を起こす者。

 今援軍に来たばかりの者。

 血が漏れ落ちる包帯を抑え、手当の途中に無理に出て来た者。

 

 それら全員の手の中に、それぞれの色のスパークレンスがあった。

 

 絶望がにじむ彼らの前で、ティガが声を張り上げる。

 

「さあみんな! 顔を上げよう! 大逆転の時間だ!」

 

 それは、希望だった。

 誰もが指針とする光だった。

 夜空に輝き、旅人を導く空の星だった。

 誰の心にも響き、誰の魂にも染み込む、心に希望をもたらす演説だった。

 

「光は闇に負けはしない!

 いつだって光は闇に勝ってきた!

 僕ら人間は光だ!

 これまでも、これからも!

 闇を乗り越え、光として勝つ!

 皆の頑張りがここまで保たせてくれた!

 僕達が駆けつけるのが間に合った!

 だから先に言わせてもらうよ! 皆のおかげで勝てた、ありがとう!!」

 

 ティガが変身し、ダーラムが、ヒュドラが続く。

 

 自然と皆も続いていた。ウルトラマン達がごく自然に、どこから湧いてきたかも分からない力と光を振り絞る。

 

 その光に。

 その背中に。

 その勇気に。

 見ていた誰もが、心から不安を無くしていた。

 

「―――ウルトラマン―――ティガ―――?」

 

 誰かがそう呟いた、その時には、ティガは闇の中に突っ込んでいた。

 

 風速を超えた光速。爆発的な加速で怪獣に反応すらさせずに闇の中に入り込む。

 

『タイマーフラッシュスペシャルッ!!』

 

 そして、光が炸裂した。

 

 宇宙から地球を観測していた古代文明の衛星が故障する。

 地球の何割かを光が照らし出す。

 闇が消え去る。一つ残らず。

 全ての命を傷付けず、全ての闇を消し去る慈悲の光が闇が広がる海へも伸び、後の時代のユーラシア大陸程度のサイズまで広がっていく。

 かくして、闇が優位の戦場は、世界を飲み込む闇と共に消滅した。

 

 しかし、消耗が大きいようだ。

 その上、ティガの優しさは全ての命を傷付けず……怪獣もまた、倒してはいなかった。

 肩で息をして膝をついているティガを狙い、怪獣達が殺到する。

 その先鋒を、空を舞うヒュドラが切り刻んで肉片へと変えた。

 もういい加減、ここ最近の敵の攻勢にはうんざりのヒュドラである。溜まりに溜まったストレスを、思い切り怪獣にぶつけていった。

 

『あークソしんどいしんどい。ヒャハハハッ! 週に12回も死にに来てんじゃねーよ!』

 

 ダーラムが地面を叩き、地面を海へと変える。

 海になった地面の中で怪獣達は溺死し、地面に戻った地球で溺死していく。

 ティガが立ち上がり、ヒュドラ、ダーラムと背中を預け合う。

 

これで終わりか?(Ends with it?) ……砕けろ、邪悪』

 

 途方も無い数の怪獣が、疲弊している三人に殺到した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴルザとメルバが合体した怪獣が次々と生え、戦線が押されていく。

 崩壊した戦線を、ティガ達が支えていく。

 崩壊は目に見えていた。

 もう余裕はない。時間もない。戦力もない。

 ここで負ければ、人類絶滅が急速に近付くことだろう。

 

 遠目に皆の無事を祈るカミーラの目に、ティガ達を援護するべく生身で切り込んだユザレの姿が見えた。

 そこに、カミーラは嫉妬を覚える。

 自分と違う、神に選ばれた子。勇者として並べる女。

 けれどすぐに嫉妬よりも大きな心配を抱き、ユザレの無事も願い始めた。

 既に無数に立っていた神の樹は腐り、神の炎は錆びて朽ち果てていた。

 

 カミーラはただ、皆の無事を祈る。そして、自分にできることを探す。

 

「光が」

 

 もうできることは何もない。

 それでも探さずには居られない。

 あそこに駆けつけて皆を助けたいと……そう思う自分を止められない。

 

「光が欲しい」

 

 ティガが傷付くのをもう見ていたくない。

 彼を近くで守りたい。

 大切な人を傷付ける戦いを終わらせたい。

 人を救う光の近くで寄り添いたい。

 この闇を許せない。

 ティガの影響で彼女の中に芽生えた光の欲求が、どんどん大きくなっていく。

 

「私を照らしてくれた人に、光を返したい……そのくらいの光でいいから、あれば……」

 

 そして。

 

 『光』は、彼女を選んだ。

 

「お、おい!」

「見ろあれ!」

「『光』だ……」

「嘘だろ、このタイミングで!?」

「記録装置回せ!」

「生まれるぞ……『新しいウルトラマン』が!」

 

 宇宙の彼方から飛来した大きな光が、眩しくもなく目を焼きもしない滑らかな光が、カミーラの目の前で静止した。

 その光は黄金。

 白銀のティガと対になる光。

 

「え……あ、あなたは……」

 

『私は光。今よりはあなた。此れよりは希望』

 

「え」

 

『あなたを見ていた。

 あなたは強き者ではない。

 強きは男、強きは巨人、強きは怪物。

 それがこの星のルール。

 しかし、あなたは弱い。

 十代半ばに届くか届かぬかという少女。

 されどいつだって、神に見初められるのは無垢なる少女であると言う』

 

 記録していた者達は少し驚く。同化の際、ここまで饒舌だった『光』は例がなかったから。

 

『だから、あなたを選んだ。

 ……こんな少女の想いが大切な人と世界を救ってしまうなんて、素敵じゃないですか?』

 

 『光』の口調が、少し砕けて。

 

『少女が勇者に相応しい、なんて思ってませんけど。

 少女が勇者であれば、巨人であれば、とは思います。

 ……どうかその想いを真っ直ぐに。

 いえ、間違ってもいい。

 どうか、最後まで後悔しない選択を。その短い命を走り切ってください』

 

 カミーラの中に、溶けていった。

 

 

 

 

 

 その時。

 ティガを囲む怪獣を倒し、ティガを助けたのは、ヒュドラでもダーラムでもなかった。

 白い体皮に黄金のラインが走る、誰も知らないウルトラマンだった。

 

『……チィちゃん?』

 

 ティガのその言葉に、そのウルトラマン――ウルトラウーマン――は、嬉しそうにする。

 

『あなたはいつも、私を誰より速く見つけてくれる』

 

 ヒュドラが察し、ダーラムも察した。

 最前線で、四人のウルトラマンが並び立つ。

 あの日三人と一人で交わした誓いを、今此処に。

 三人と一人で……否、四人で。

 世界に平和をもたらす光と成らんとする。

 

『……愛の力ってやつかぁ? ヒヒヒ。たまげんねえ。いや、すげーわ、ヒヒッ』

 

最高だな(Very Good)

 

 カミーラが氷のような光を振りまくと、それが戦場で追い込まれていたウルトラマン達に、ガラスに降った雪のように張り付いていく。

 皆に張り付き終わってから数秒後、戦線が押し上げられ始めた。

 

『こいつは……他者強化!? 他人に自分の光を取り憑かせて強化してんのか!』

 

『光を通して指示を出すわ。

 ティガの思考から私が指示として皆に伝える。

 皆、ティガに合わせて! 一番強い戦士を最大限に活かして、勝つのよ!』

 

 一も二もなくウルトラマン達は頷いて、カミーラの指揮に従い始めた。

 

 カミーラは自己評価が低く、ティガと出会い、ティガを見て光に至った。

 彼女は自分のことだけを考えるということがない。

 むしろ自分以外の者のことばかり考えている。

 あのウルトラマンは猪突猛進、あのウルトラマンは優しく防衛に長ける、ヒュドラは最速、ダーラムが最硬……一人一人の個性をよく見て、それを重んじた指揮ができる子だ。

 誰かの長所を光と見て、自分と比べてその長所を明確に見ることができるカミーラは、自己評価の低さゆえに他人を活かすすべに長ける。

 

 『誰よりも他人を愛する才能』。

 それこそが、地上最強の光であったティガが「僕を光にしてくれる女の子」であると、カミーラを手放しに称賛してきた理由だ。

 自分を愛するのではなく、他人を愛する。それによって己を定義する。

 他人を愛する才能が誰よりもあるカミーラは、不器用で無愛想だけれども誰より献身的になることができて、誰よりも他人を使う才能があった。

 

 ゆえに、戦場の味方全てを操ることで、ティガの戦力を10倍にも100倍にもできる。

 頭が良いからではなく、他人を愛しているがゆえに、最高の采配者となれる女。

 ティガの仲間に必要だった、最後の一人。

 彼の白銀を輝かせる黄金だった。

 

 敵側の、ゴルザとメルバとガルラが融合した怪獣が、口を開く。

 周囲の闇がその口に集まっていく。

 攻撃に使われた闇を集めて撃つ、環境利用収束攻撃の一種のようだ。

 ティガが叫ぶ。

 

『あれを撃たせるな! さっきはあれで大勢やられたんだ!』

 

 カミーラは頷き、"できる"がゆえに、それと同じことをした。

 周囲の光、ティガが使い終わった光の残滓を集める。

 最強のウルトラマンの光を集めて、自分の中に溜め、融合し、昇華させ、強大な一つの光の塊にしていく。

 集めて、集めて、集めて、集めて……そして、放った。

 敵よりも一瞬速く撃ち、発射直前の口に命中、膨大な光と闇を怪獣体内で爆発させ、合体怪獣を体内から爆発させた。

 

 ティガはぽかんとして、思わず笑ってしまう。

 そして、思い知るのだ。

 もうカミーラ・チィグリスは、自分が守ってあげるだけの女の子じゃないのだと。

 

『周囲の光を集めて、利用する力……

 他人の力を継承する能力のロジック……

 他人の光と自分の光を合わせる力……

 ははっ、僕よりチィちゃんの方が、ずっと英雄……いや、勇者っぽいや』

 

『そんなことはないわ。私のヒーローは……ずっとあなただから』

 

『……こりゃかっこ悪いところ見せられないな。行こう!』

 

『ええ』

 

 白銀のティガを白銀の光が包み、カミーラの白を黄金の光が包む。

 放たれた二人の合体光線が、また数体の怪獣を消し飛ばした。

 

 カミーラがウルトラマンの光を得た時点で、もうこの戦場の勝敗は決していた。

 戦いの天秤は一気に傾き、ティガ、カミーラ、ダーラム、ヒュドラが更にそれを傾ける。

 今日もまた、光が勝利するようだ。

 

 少し離れたところで怪獣を切り倒していたユザレが、ぐっと拳を握る。

 カミーラに"よかったね"と心中で賛辞を送る。

 そして、気付いた。

 何気なく、気付いてしまった。

 

「……ホワイトカミーラ?」

 

 白いカミーラを見て。

 

「ホワイトカミーラの花言葉は……『危険な恋』、だったっけ」

 

 少女は何気なく。

 

 『運命の中身』を、口にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで打ち上げである。

 全員ボロボロだ。

 最後に参戦し、ティガに守られていたカミーラだけが軽傷である。

 全員が最前線で戦い、絶望的な戦いに勝ったのだ。

 こうもなるだろう。

 されどそれと引き換えに、今日も世界は守られて、今日も彼らは笑っている。

 

「「「 乾杯! 」」」

 

 やんややんやと皆で騒ぐ、ダーラムが持ってきた豚の肉のバーベキューが始まった。

 

 わいわいとくっちゃべりながら、ユザレはティガに大事な話題を振っていく。

 

「正式に私達がウルトラマンの小隊として認められました。権限大分増えましたよ」

 

「そうなんだ。書類よくわかんないからユザ島に任せていいかな」

 

「ユザ島ではないですがいいですよ。あ、正式にチーム名は決めないといけないそうです」

 

「名前かあ……まだ決まってないんだよね……僕らのチーム……」

 

「じゃ、私が案を出してもいいですか?」

 

 いいよ、とティガが言い、では、とユザレが名前案を出す。

 

「ダーラム(Durham)からRを抜く。

 ヒュドラ(Hýdrā)からRを抜く。

 カミーラ(Camela)からEを抜く

 ティガ(TIGA)に三つの文字を合わせて……

 TRIGER(トリガー)なんてどうですか。『チーム・トリガー』で」

 

「スペル揃ってねえぞ。ヒヒッ」

 

「そのくらいの個性はある方がいいわ。どうです? ティガ先輩」

 

 うんうんと、ティガが"それすき"と言いたげな顔で頷いている。

 それをカミーラがじーっと見ている。

 どうやらティガの好みに対する理解においては、まだユザレが一番のようだ。

 

「ユザ島のセンス好き……採用!」

 

「知ってました。ユザ島ではないですが。

 採用者がティガ先輩で提案者が私な時点で出来レースでしたね、ふふん」

 

「ヒャハハ! 無効ー! 贔屓は無効だぁー!」

 

黙ってろ(Be quiet)

 

「ダーラムくん!? オレに辛辣じゃねぇ!?」

 

 手を重ねる。

 ティガが手を出し、カミーラが重ねて、ダーラムが重ねて、ユザレが重ねて、ヒュドラが重ねて……今度は、五人で。

 五人の勇者で世界を救う誓いを立てる。

 その筆頭は、光の勇者ウルトラマンティガ。

 されどユザレはティガだけでなく、この場の全員を信じている。

 

「世界を救う引き金はあなた達が引くと信じます。

 あなた達ならできると、心から信じられます。

 未来を任せます。

 全員で帰って来てください。

 一応言っておきますけど……

 世界を救うために死んだりとかしないでくださいね。

 皆さんが命をかけて戦う理由は……またここで、皆で、笑顔で会うために」

 

 皆で、思い思いの言葉を返した。

 

 皆で、改めて誓いを立てた。

 

 より良き未来を、この手に取り戻すために。

 

「じゃー本題始めますか」

「Oh」

「そうだな」

「ティガ先輩はせっかちですね」

 

「え?」

 

 他四人が示し合わせたように頷いて、カミーラが首を傾げる。

 そして、笑った。

 

「誕生日おめでとう! チィちゃん!」

 

「……え?」

 

「シノクニの戸籍調べてきたんだ。君の誕生日なんだよ、今日は」

 

「た、誕生日……? わ、私祝われたことなくて……

 祝われたことがないからいつかなんて私も知らなくて……」

 

「2の節の3の句。それが君の誕生日なんだよ、チィちゃん」

 

「わ……私……その……嬉し……嬉しいどころじゃなくて、ええと……!」

 

「ヒャハハ。オイ、ユザレ、ケーキ持ってこいよ。ダッシュでな」

 

「ヒュドラ。取ってきなさい。あなた速さしか褒められるところないんだから」

 

「あ、はい、すみません」

 

 ユザレの凄みを食らいダッシュでケーキを取りに行ったヒュドラが戻ってきた頃、パーティーの第二部が始まった。

 光に包まれたパーティーだった。

 "楽しい"しか無くて、"幸せ"しかない時間だった。

 

「これ私から。ドレスを何着か、カミーラのサイズには合ってると思う」

 

「いいの? 高そうだけど」

 

「いいのいいの。私が友達に上げたかっただけだから」

 

「……ありがとう。ずっと大事にするわ、ユザレ」

 

 ユザレはプレゼントに、センスのいい華美なドレスを何着か。

 

「ダーラム……?

 ちょっと、何か言って?

 もしかしてバーベキューのために豚を一頭取ってきたの?

 プレゼントは牛一頭ということなの?

 待ってなんで丸ごと一頭焼こうとしてるの、食べろということ!?」

 

 ダーラムは打ち上げの食事用に豚一頭、カミーラへのプレゼントに牛一頭。

 

「これなんだったかしら……切れた時に願いが叶う手首の紐飾り、よね? ヒュドラ」

 

「そーそー」

 

「いやこれ超高分子融体紐じゃ……

 量子技術で作られた分子の重なってる素材よね?

 分子と分子結合が重なってるから物理的に切れないっていう。

 こんなものに願いをかけたら私の願いが一生叶わないわよね……?」

 

「そういうことだよヒャハハハッ! ヒャッハハッ!」

 

「ちょっと……この男……私の誕生日に願いの妨害を……?」

 

「ユザ島」

「ティガ先輩が出るまでもありません、ここは私が。ユザ島は訂正しておいてください」

 

 口では皆最低なヒュドラにあれこれ言っていたが、皆本当は分かっていた。

 そのミサンガのような紐飾りは、白と黒の紐で編まれていた。

 言うまでもなく、髪を連想させる紐で二色を編むことで、ティガとカミーラの髪をモチーフにしているのだろう。

 ティガの白の髪。カミーラの黒の髪。

 絶対に切れない、一生離れない白と黒。

 

「僕からはこれ」

 

「……白銀のティアラ?」

 

「うん。似合うかなって思って」

 

「ありがとう。嬉しい。とっても嬉しい。私……幸せ、みたい」

 

「喜んでもらえてよかった。あ、付けてあげるね。ちょっと髪に触れるけど、失礼して……」

 

「……んっ」

 

 白銀のティアラで額を覆って、カミーラはとても幸せそうな笑顔を浮かべる。

 

 ただそれだけで、彼女のためになんだってできそうだと―――ティガは思える。

 

「生まれてきてくれてありがとう、チィちゃん。君と出会えてよかった。」

 

 ティガが素直な気持ちを口にする。

 

「誕生日おめでとう。来年も祝おうね」

 

 ユザレが友達らしいことを言って。

 

「お前が生まれた日を祝う。それもまた悪くない。俺は自分の意志でそうし続けよう」

 

 ダーラムが珍しく長台詞を言って、皆が驚いて。

 

「あー知らん知らん知らねぇ! ティガみてえな臭いこと言えるかバーカ!」

 

 そして、照れたヒュドラが逃げ出して、皆が笑って。

 

 笑顔の中にカミーラはいた。

 

 幸せの中にカミーラはいた。

 

 こんな日々がいつまでも続いていって欲しいという気持ちと、こんな戦いの日々は終わって欲しいという気持ちの両方が、皆の中にあって。

 

 カミーラを幸せにしたいという気持ちが、ティガの中に確かに根付いていた。

 

 

 




 光を集めて自分の中で融合・昇華させる力が反転すると、ガタノゾーアの闇を取り込んでデモンゾーアになるスキルになります


・ホワイトカミーラ
 ディフェンバキアという観葉植物の一種。
 ディフェンバキア・カミーラという呼称が使われることが多い。
 葉に光差すような白色の模様があるのが特徴。
 しかし光差すような模様をしているものの、『光に弱く』、直射日光に当たると変色して光の模様が失われてしまう。
 より強い光に当たると光ではなくなってしまう光模様の草。
 また、そのままであれば無害だが、内液に毒性があるため、カミーラを傷付けた者はその毒で傷付くことになる。
 近似種の名は『トロピック・スノー』など、その模様を雪にたとえられている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6

 小規模で散発的な戦いは常時続いていた。

 しかしチーム・トリガーは強く、強いだけに留まらず加速度的に多様性を増し、無数のフォーメーションと連携を獲得していった。

 その一つが変身の継投。

 邪神側が戦力の逐次投入で戦闘を長期化させ、逐次投入を波状攻撃と化し、ウルトラマンの三分を潰しに来る戦略に対する対策であった。

 

 カミーラ、ダーラム、ヒュドラが誰か変身し、誰かの三分が切れたなら次のウルトラマンが変身する。

 それぞれのウルトラマンには通常戦力や他のウルトラマンもつけ、怪獣戦力にぶつける。

 怪獣を小出しにして時間稼ぎをしてくるならば、これで押し切れる。

 戦力が足りないようであればウルトラマンも逐次追加すればいい。

 

 ウルトラマン達に押し切られれば、天地の神の樹と火によって領域を光に制圧される。

 それを嫌がって怪獣を更に多く出せば、逐次投入が継続できなくなり、ウルトラマンの三分を使い切らせる前に怪獣の在庫が尽きてしまう、というわけである。

 計画的に動けば四桁のウルトラマンを容易に動員できる現文明のウルトラマン達は、戦術と戦略という人間の強みを、神と巨人の力を乗せて最大限に押し付けることができるのだ。

 

 ましてここには、ティガが居る。

 ティガを初手で戦わせるのは簡単だ。

 しかしティガを温存しておけば、怪獣側はそれを警戒した進軍にならざるを得ない。

 どんなに怪獣側が有利でもティガが出てくればひっくり返る。

 ダーラムとヒュドラに追い詰められた怪獣側がクトゥルフ系の新顔を奥の手として出しても、ティガが出てくれば即座に負ける。

 奥の手を二体用意しても、カミーラの目、あるいは超古代技術の観測機によって存在がバレてしまえばティガを温存され、先の一体をダーラムとヒュドラ、後の一体をティガに倒される。

 ティガはすぐには出てこないとだろうと油断していたところに、虚を突く形でいきなりティガが出てくればそこで終わりだ。

 

 ウルトラマンティガが居る。

 ただそれだけで、最近指揮官役がすっかり板についてきたカミーラは、いとも容易く戦術的優位を取り、戦う前から戦略的勝利を勝ち取ることができた。

 居るだけで勝てる。

 なればこそ象徴。

 ゆえに光。

 太陽がそこにあるだけで全てを照らすように、彼はそこにいるだけで勝利をもたらすのだ。

 

 ……もっとも、根本的に勢力の戦力差がありすぎて、小規模で散発的な戦いとは言っても人類は楽勝と言える戦力差を作れず、ティガが戦いに出ないことはほとんどなかった。

 多くの戦いは、最後にティガが死闘を繰り広げての勝利となることがほとんどだった。

 それでも、カミーラの指揮のおかげでティガが比較的楽になったことは事実であったが。

 

 桜が、咲いていた。

 

 戦場に咲いていた桜があった。

 綺麗な花を咲かせるまでに30年はかかる桜が何百本と咲き誇っていた。

 それらが蹴られ、踏まれ、散華していく。

 無事に残った桜も真っ黒に染まっていく。

 光を照り返し淡い色を魅せるはずの桜が、闇によって光を奪われ、人々の心を明るくする力を喰われ、真っ黒になって枯れていく。

 

 そんな光景を、まだ戦闘に参加していないユザレとティガが見ていた。

 桜にすら同情と共感を覚え、痛めつけられる桜を見ながら歯を食い縛るティガの横で、ユザレはティガのその顔を見ないようにしてあげていた。

 

「今日もややギリギリですが勝てそうですね」

 

「そうだね」

 

「なんだか、まだ戦いは先が長そうですよね。ティガ先輩もそう思いません?」

 

 ユザレの問いかけに、ティガは真面目な表情で少し考え込む。

 二人きりなら雲のような微笑みを見せる必要のない相手というのは居て、取り繕わなくてもいい相手というのは居て、そういう相手にだけ漏れる言葉もある。

 たとえばおぼろげな、直感が囁く"何か"の予感などがそうだった。

 

「本当に、終わる気配はないのか?」

 

「え?」

 

「こう感じてるのは僕だけかな。

 勝機が見えてないだけで。

 もうとっくに、盤面は終盤に入ってるんじゃ……」

 

「ティガ先輩?」

 

「……いや、冗談だよ。ふっふっふ。仮に冗談で無いとしても気のせいだって」

 

「大丈夫ですか? 疲れてませんか? 休んでも……」

 

「休んで良くなったら休むよ。安心するが良い、ユザ島よ」

 

「ユザレ! ……あのですね。

 不安は後生大事に抱え込むものではなく、吐き出して整理をつけるものなんですよ」

 

「……んにゃ。そうするね」

 

「本当にかっこつけたがりなんですから」

 

 ティガが何気なく漏らした不安を聞くのはこれは初めてではなかった。

 その不安を消し去ってやるのも初めてではなかった。

 不安を拭い去ったティガが、他人のために最悪の事態を独力で覆したのも何度も見てきた。

 その前提を踏まえた上で、ユザレは知っている。

 ティガの嫌な予感は、ほぼ確実に当たるということを。

 

「何かあったら私が助けに行きますよ。約束です」

 

「ユザ島……」

 

「Not ユザ島」

 

 ユザレは呆れた表情で頭を掻く。

 

 そうしてその日も、鬼神じみた無双を見せたティガにより、本隊と伏兵のゾイガー達による完璧な奇襲は、より完璧な対応に粉砕された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダーラムはルルイエの街を歩いていた。

 彼は根っからの戦闘者である。

 殺害よりも戦闘を好み、全力の攻撃の結果として殺害があるタイプである。

 仕事は戦闘で趣味は鍛錬。今は平日も休日も殺し合い、その合間に鍛錬ばかり。

 あまり器用に生きられていない自覚はあった。

 

 そんなダーラムだが、世界最高の発展と言われる街、ルルイエにチームの拠点を移したことで仲間から街のことを聞く機会が増え、話題合わせのために珍しく街に降りてきていた。

 どうせダーラムはノリのいい会話などできない。

 これは気持ちの問題である。

 仲間に合わせようとする気持ちくらい、ダーラムにもあった。

 ダーラムが何も喋らなくても内心を悟って会話してくれるティガ、最近はティガ同様の察しを見せてくれるユザレがいるから、なおさらに。

 しかし現在のダーラムの様子は、たいそう失敗の雰囲気を漂わせていた。

 

 海は黒い。闇に汚染され、生きている通常の生物など誰も居ない。

 空は明るいが、それはルルイエが小山のような島の中にあり、岩の鎧に覆われた岩中都市だからである。

 島の内部では光を放つ真菌の一種が壁の内側にびっしりと貼られ、太陽の代わりを務めている。これらは光を放つ過程で電力を産み街に流す、永久機関じみた人工生命だった。

 しかし島の外側の空はいつも薄暗い。

 この地域は『闇』の端の端に触れており、空に雲が浮かぶことはなく、真っ昼間でももう太陽が照らし切ることが難しくなっていた。

 明るいのは、この街のようなシェルター型の街だけだ。

 その違和感のせいで、ダーラムにはこの街がどうにも不自然に感じてしまう。

 

 地球の一部地域はとうとう完全無生物地帯や、完全無酸素地帯が出来ているというのに、この街だけは"これまで通りの日常の景色を"というこだわりをもって、踏ん張っているのが分かった。

 

 街の人々にはあまり活気がない。

 修行相手になる野生動物もほとんど見ない。

 疲れ切った戦士達を見ると戦いを挑む気にもならない。

 辛うじて熱意のある街の住人や、ウルトラマン達が頑張って笑うようにしているようだ。

 戦闘基準でしか街を見ることができないダーラムにとっては、ティガ達のように、この街のいいところをたくさん見つけることは難しかった。

 あるのは分かる。

 だが見つけられない。

 ダーラムは自分には戦いしかないということを改めて思い知り、暗い寂しさを覚えていた。

 

「……?」

 

 ぶらぶらと歩いていたところ、ダーラムは見知った少女の背中を見つける。

 それはかの神、天照大神であった。

 アマテラスは何かを見ていて、その視線を追うと、視線の先にはティガとカミーラが居た。

 どうやらデート中のようで、デートをしている二人をアマテラスが見張っているようだ。

 ダーラムは納得するが、すぐにその納得が疑問に変わる。

 

 神は千里眼を持つ。

 神の世界『高天原』からでも、見ようと思えば地上は見れる。もちろんデートもだ。

 『闇』に邪魔されない普通の人間のデートなど、神の眼をもってすれば未来まで含めて一瞬で全てを視聴完了できるだろう。

 神の本体がここに来る理由など何も無い。

 自分の目でデートを見に来る理由など、人間的思考で考える分には、妥当な理由が何一つ思い浮かばないのである。

 

 自分で来た理由が、その目で見に来た以外に思いつかない。

 ならば、"その目で確かめる"という気概で何かを見に来たということなのだろうか。

 首を傾げるダーラムを、アマテラスは振り向かないまま当然のように知覚していた。

 

『力の闘士 ダーラム』

 

 距離を無視して届く神の声―――天啓の一種がダーラムの耳に届く。

 

『あなたも 来ますか』

 

 ダーラムはよく分からなかったが、頷いた。

 二人してこそこそと、デート中の二人の後をつける。

 

 ティガとカミーラがカフェに入り、ティガが椅子を引いてあげるなどの紳士的行動を何気なくいくつも取るのを見て、ダーラムは"やるな"と思う。

 カフェに慣れていないカミーラがメニューを見て、四苦八苦して"ああティガを待たせてしまう"となる前に、ティガが「そういえば……」と自然と話を振り、カミーラが迷いなく好きな味を選べるよう自然に誘導しているのを見て、ダーラムは"流石だ"と思う。

 最終的にケーキをあーんしてカミーラの顔を真っ赤にさせているティガを見て、"強いな……"と思いつつ腕を組んで頷くダーラムであった。

 

『ティガ・ゲンティアこそはこの時代を象徴する存在

 偶然この時代に生まれ

 必然この時代の代表となった

 生きとし生けるもの皆が選んだ人類の総意の代行者

 天之御中主神は判断しました

 人間はこの戦いを経て 悪性を脱ぎ捨て 我々神を超えゆく 善良なるものとなると』

 

 色んな花が並ぶ植物園にティガとカミーラは移動し、花にたとえてカミーラをずっと褒めるティガ、ティガに褒められて褒め返そうとして上手く行かないカミーラを見つつ、アマテラスはダーラムにそんなことを言い出した。

 

『人はあと少しで 種族として到達します

 次の段階 次の人類の形へと

 人が悪と定義するものは

 総体と社会としての人類 その阻害となるもの

 殺人 傷害 窃盗 不義 裏切 終わり 消えゆくもの

 シノクニの人間が眠るように終わる時 その頃にはもう移行は終わるはず』

 

 神々がティガを評価していることは、ダーラムも知っていた。

 幼い神とは言え、その口から出るのは現在の文明への称賛……そして、それに結び付けられたティガへの称賛だった。

 個人と文明への称賛・評価の同義化。

 おそらくは、このアマテラスなる神は、文明への高評価がティガへの高評価にもなり、ティガを好ましく思っているからこそ文明も好ましく思うのだろう。

 まさしく、神の判断基準。

 人間の価値観の外側にある考え方だ。

 素晴らしき個人が人間の価値を見せつければ、そのまま許せなかった文明も許してしまいそうな同一化・同義化がある。

 ゆえにこそ、多大なる称賛。

 

 ダーラムはそれを、()()()()()()と思う。

 ティガはもっと凄いやつだぞと思う。

 そして植物園で転んだカミーラを咄嗟に腰抱きに抱きかかえたティガを見て、"そこだ!"と思いながら立ち上がり、"口づけしろ!"と思いながら拳を握り、何も無かったので無言でそのまま座ってまた隠れた。

 

『私はティガを見守ってきました ずっと』

 

 そうだったのか、とダーラムは思う。

 

『光を操る異能 光との親和性 戦闘の才

 生まれた時から神の知覚に触れる存在の規模

 彼は生まれた時から特別でした

 私は生まれた時から今に至るまで 彼の生涯を見守ってきたのです』

 

 生まれた時から??? とダーラムは思う。

 

『その生涯は平凡にして閃光

 倒すべき"闇"が現れるからこそ生まれたのか

 "闇"が来ずとも生まれたのか

 彼は星が生み出した存在なのか

 それはわかりません しかし

 平凡な時代に生まれたとしても 皆の光だったことは確か

 皆に必要とされる存在として生まれてきたことは確かです

 いえ いずれ主神となるとされる私にこそ 必要だったのかもしれない』

 

 普通に怖いなこの女神、とダーラムは思った。

 

『神とは自然 自然の化身 あるいは信仰の先に立つ者

 人はそれを崇める存在であり また自然の一部である

 人間の中に神の如き者が生まれることもある

 私は天神の最新参 彼は人類最新の現人神

 その光は優しく 強く 穏やかで 救うためだけにあり

 太陽の神として生まれた私は 神としての光しか持たぬがゆえ

 私が持たない光を持つ彼を見守りながら その光に学びを得ていった』

 

 話を聞きつつ"カミーラ……お前……自分からティガの手を握って……成長したな……"とダーラムは感動で口元を抑えていた。

 

『ティガが神々に好かれるのは

 彼が神々にとって望ましい人間の倫理を持っているから

 それを周りにも伝染させていくから

 人が神を敬い 神が人を救い

 人は神を軽視せず 神も人を侮蔑してはならない

 神と人は車輪の両輪であり 天地の上下があるのみ

 彼は神を友と扱い しかし軽視せず 軽んじない

 神に不躾な命令も申し出もせず 礼節をもって神に接し

 されど彼の中の最上の尊敬であり好意である 友情をもって接してもいる』

 

 動物園に入りきゃっきゃと哺乳類を撫でているティガとカミーラを追いかけ、アマテラスとダーラムも動物園に入っていく。

 

『そして私が間違った時 彼がおそらくそれを止める

 人間として それが人間の責任でもある

 彼は神殺しにだって到れる どんな神にも手が届く

 神を殴って止めてあげることができる人間だから

 その拳がきっと 神の思考において間違えた 私を正道に戻してくれる

 私は人の標の光の神 彼が私の標である光の人

 そう 私は 彼に崇められることで 彼に認められることで 神として在れるのです』

 

 ティガとカミーラが二人で密着し、一匹の馬のようなものに乗って牧場を走り始めたので、アマテラスを肩に乗せたダーラムが全力で走ってその後を追った。

 木々で体を隠しつつ、とにかく全力で走る。

 

『そう 私は

 人類が神の庇護を必要とする最後の時代に生まれた

 人を見送るための神 人に最後の光を与えるもの

 原始の時代がとうに終わった後の時代の太陽神

 もう 私を崇めることで 生きていく人間はいない

 彼こそが私に 私が見たい最後の光景を見せてくれる

 私はティガ・ゲンティアが世界を救うその瞬間を

 この目で見届けるために 生まれてきたのかもしれません』

 

 動物園を出てゲームセンターに入る二人を……正確にはカミーラを見て、アマテラスはすっと目を細める。

 

『しかしカミーラという あの女性 彼女を伴侶に選んだのはいただけない』

 

 ダーラムは突然のdisrespect(ディスり)にかなりびっくりしてしまった。

 アマテラスはいつもの表情がよく見えない存在不明瞭のまま、淡々とした語りを続ける。

 

『御覧ください 来ました ユザレです』

 

 アマテラスとダーラムが見る先で、ティガとカミーラがばったりユザレと出会う。

 ティガとユザレが気安いやり取りをして、カミーラに気を使ったユザレがそそくさと消えて、ティガの後ろで服の背中を掴んでいたカミーラが、羨ましそうにユザレを見ていた。

 

『あれは愛憎だというものなのだそうです

 愛する 憎む その二つが分けられない

 愛ゆえに生まれる闇

 愛を光としてのみ扱えない欠陥

 人間がもって生まれた善の機能すら闇に繋げてしまう悪の癖

 嫉妬 劣等感 自己嫌悪 それらに繋がり増やすもの

 それは今の人間が捨て去ろうとしているもののはず なぜそんなものを持つ者を 彼は』

 

 神は不可解なものを見る目で、カミーラに景品の可愛い人形を取ってあげているティガを見ている。

 生まれた時からティガを見守ってきた神だからこそ出る言葉。

 生まれて間もない幼き神だからこそ言う言葉。

 きっとアマテラスから見れば、ずっと優等生だった息子が初めて連れてきた彼女がめっちゃ黒ギャルだったりした気分か。

 あるいは、幼馴染の男がクソビッチを彼女として紹介してきた女幼馴染の気分かもしれない。

 神の感情を人でたとえても正確な例示にはならないのだが。

 ダーラムはゆっくりと、力強く、口を開いた。

 

「そういうものだ。それが人だ。

 好ましいという気持ちを止めることはできん。

 人は魂の叫びを無視できない。

 カミーラはティガが好きで……ティガもまた、カミーラが好きなのだろう」

 

 その時。

 ダーラムは初めて、神が表情に浮かべた感情を、おぼろげながら見た気がした。

 理解は出来ない神の感情を、神性の陽炎の向こうに見た気がした。

 人の"愛"とは、神が尊重するものでありながら、神には無いものなのかもしれない。

 

『私のティガは そのように理解できないものではありません

 その行動は倫理と論理に即し

 決して不合理な間違いをすることはない

 この時代の象徴 人々の希望 神々の寵児

 弱きを知り 弱きを理解し ゆえに強く 強さを学ぶ者

 光を体現し 人が神の先へ 神と並び立つ以上の 次の人の時代を創る者』

 

 ダーラムは首を横に振る。

 

『もっと相応しい相手がいます

 彼にはもっと

 彼の献身に見合うような

 彼の偉大さが似合うような

 彼が頑張った報酬に見合うような

 彼の光に見合うだけの光がある そんな人が』

 

 ダーラムは首を横に振る。

 

『私が』

 

 アマテラスはティガとカミーラを見る。"好き"なるものに焦点を当てる。

 

『私が まだ未熟だから分からないのですか

 愛を知らぬから

 彼女が知るものも知らぬから

 ユザレへの妬みも捨てられない あんなものに なぜ惹かれるのか』

 

 ダーラムは頷く。視線の先で、ティガがカミーラに何かを囁いて、カミーラが赤い顔でこくこくと頷いているのが見えた。

 

『愛憎

 弱き人に 芽生える光

 その弱き人の 闇ではなく

 弱さと闇より 生まれる強さ そして光を駆逐するもの』

 

 アマテラスからすれば、二人の関係は随分と一方的に見える。

 

『それはもうなくなるもの。カミーラもなくなっていくものの一つ』

 

 ティガが照らし、カミーラが照らされている。

 ティガが与え、カミーラが受け取っている。

 ティガが幸せにしていて、カミーラが幸せにしてもらっている。

 アマテラスは一方的な関係を助け合いの関係だとは思わなかった。

 しかし、ダーラムは一方的な関係だとは思わない。

 

 こんな、悪が絶え、善が満ち、それを闇が喰らおうとしている時代だというのに。

 そんな中でカミーラがティガに見つけられ、ティガに愛され、二人で未来に歩んでいくことが……とても奇跡的なことだと、ダーラムは思うのだ。

 

『私は 今の人間が好きです』

 

 本音だろうと、ダーラムは思う。

 神の思考は分からない。

 こうして話してみてなお、神の倫理には理解が及ばない。

 人が頑張れば大枠で理解することはできるかもしれないが、感覚的な共感が無いため本質的に理解することは不可能だ。

 

 三千万年前。それは神話の時代。

 神と人がもっと近かった時代。

 そんな時代でも、神はまだ人の理解が及ばぬ上位の次元の生命体。

 ただし、互いの言葉が届くがゆえに、西暦と比べれば少しだけ意思が通じ合ってはいた。

 

『今の人が好きだから 滅びてほしくないのです

 隣人に優しくすること

 弱者をいじめないこと

 相手を思いやり愛すること

 無意味な争いをやめること

 人間以外の命と共存すること

 得た大きな力を他の生命種のためにも使うこと

 全て出来ている

 全ては神々の夢

 遠き日に人を見て 期待し 見た夢でした

 神の夢は人が叶える 人は正しく歩めば自然とそれを叶えている

 それが摂理

 人は変わりました 長き年月をかけて

 ならば 私も ティガを信じるべきなのでしょうか

 奇跡を掴み 不可能を超え カミーラの運命も 彼ならば変えていけるのだと』

 

 神が穏やかに笑った、ような気がした。ダーラムは、そう感じた。だから笑ったのだと、そう信じることにした。

 

『この時代に生まれてよかった

 私は神々が長らく望んでいた世界の実現を

 きっとこの目で見ることができます

 人が作り上げる

 哀しみなんてない世界を

 微笑みを繋いでいける世界を

 この人類ならきっと いや 必ず それが神々の信頼です』

 

 それは、何万年の悲願なのか。

 何万年の期待なのか。

 何万年の信頼なのか。

 人とはスケールが大きすぎて、人に対してどんな感情を抱いているか、想いの方向性は分かってもその重みと中身が分からない。

 

 だからダーラムは、大雑把に信じてみることにした。

 今も、未来も。

 この人間を愛してくれる神が、人間に寄り添ってくれることを。人間を愛してくれることを。

 今の人間だけでなく、未来の人間もまた、この神様に応えられる人間であることを。

 

『ティガはきっと そんな人達を守るために生まれてきた 運命の光の勇者』

 

 ダーラムは小難しいことなんて考えられないから、神は大雑把に崇めてるし、人間は大雑把に大切にしている。神への不敬などそこにはない。

 そして今また、神への好意の理由が一つ増えた。

 

俺が誇りに思う友だ(My proud friend)

 

 同じ人間のことが好きなら、男も女神も、人間も神も関係がない。

 

 きっと、戦友になっていける。

 

 バカみたいな思考で、ダーラムはアマテラスというよくわからんものを友とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、戦いの日が来る。

 チーム・トリガーが出撃しないわけがない。

 彼ら抜きで守りきれるほど、この世界の守りは盤石でないのだ。

 全身揃ったチーム・トリガーを、大岩の後ろからまたアマテラスが覗いている。

 

 そんな彼女にティガが手招きをした。

 

「アマテラス。どうぞこちらへおいでください」

 

 アマテラスが不思議そうにして、彼らの下に行く。

 するとティガとその仲間達が、一斉に跪き、所作をした。

 それはこれまでティガとユザレしか習得していなかったはずの、神への最大の敬意を表す儀礼であった。

 五人が同様の儀礼を行い、ティガが全種暗記している祝詞を読み上げ、また儀礼に則った所作を行う。

 

 神はアマテラス。

 祭礼者は五人の戦士。

 その形は、まさしく。

 

『崇神祭式』

 

「そうです」

 

 神に無事を願う儀礼。

 神に勝利を祈る儀礼。

 神に加護を請う儀礼。

 古今東西過去未来、どの時代にもどの地方にも存在する、大きな戦いの前に神に祈り、あるいは神に誓う儀礼作法。

 アマテラスにとって、生まれて初めての、自分が崇められる儀であった。

 ティガが万の言葉でアマテラスを褒めるより、遥かに大きな喜びをアマテラスが包む。

 アマテラスは、神の倫理で動くがゆえに。

 

 アマテラスはそれぞれの前に立ち、頭を上げない彼ら五人それぞれに、"言葉の刻銘"による加護を与えていく。

 

『灰雪の勇者』

 

 ユザレに、一つ。

 

『紫風の勇者』

 

 ヒュドラに、一つ。

 

『赤海の勇者』

 

 ダーラムに、一つ。

 

『黄金の勇者』

 

 カミーラに、一つ。

 

『白銀の勇者』

 

 ティガにはこっそりと、一つに重ねて三つ。

 

『その矮小にして気高き命を 勇者と認める 其方らは我が希望を託した 五人の勇者』

 

 その加護は、今の戦場においては気休め程度にしかならないもの。

 生存率を一割も上げることはないだろう。

 けれど、それでも。

 アマテラスは精一杯の力で、自分への敬意を表する彼らに、生存の加護を刻んだ。

 

『我が力は未だ微微なれど

 この僅かな力が 其方らを助けることを願います

 勝利を約束はできなくとも 生還を約束し それぞれのその未来へ幸を』

 

 そして言葉を切り、アマテラスは手を前に差し出した。

 

 儀礼はここまでで終わり。

 人は神を尊重した。その後は神が人を尊重する。それがルール。

 人が神のやり方に歩み寄ったがために、神も人のやり方に歩み寄る。

 

『手を』

 

 アマテラスが前に差し出した手の意味に気付き、驚き、ティガは笑う。

 そうして、ティガがアマテラスの手の上に己の手を重ねた。

 次にカミーラが。ユザレが。ヒュドラが、ダーラムが、手を重ねる。

 重ねた手に力を込めて、皆で誓いの声を上げる。

 

「「「「「 またここで、全員で、笑顔で会うために! 」」」」」

 

 そして、彼方の闇を見つめ。

 

 四つのスパークレンスと、一つの聖剣が引き抜かれた。

 

「チーム・トリガー! Sally Go!」

 

 ティガの掛け声に合わせ、全員が各々の声を上げた。

 

 敵は開幕から全力だ。闇の全力に合わせ、光もまた全力をぶつけていく。

 

 闇を切り裂く銀色の光が、敵味方全ての目に焼き付いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、彼らは負けた。

 

 決定的に。

 

 絶対的に。

 

 言い訳のしようもないほどに負けた。

 

 ウルトラマンティガ、初の敗戦。

 ……いや、ティガにだけは、誰も勝てなかった。

 ティガ以外の全員が脱落し、全ては壊され、一つの国が闇に飲み込まれた。

 ウルトラマンティガだけが無敗のまま、ウルトラマンティガは敗戦を迎える。

 

 防衛は失敗し、街は放棄され―――ティガの両親含む500名が死亡。『闇』により肉塊化。

 

 その肉塊は後日、別地域で幼い子供達を捕食しているところを発見された。

 

 次世代の主神の祝福により、チーム・トリガーは全員生還したと……記録されている。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7

こういうの久しぶりですね……すみません


 三千万年前は現代地質学的な分類においては、新生代・漸新世・ルペリアンに分類される。

 細かい時代ごとの詳細は流石に判別が難しく、新しい学術的根拠が発掘される度に見解がひっくり返ることも珍しくはないが、一つ確かなことが言える。

 新生代は陸上では恐竜の生き残りが絶滅し、海中ではアンモナイトや海生爬虫類などが絶滅し、地球の生態系が一変した時代であるということだ。

 

 漸新世は大まか3400万年前から2300万年前を指すが、前半部(ルペリアン)において、地球の環境激変が起こったと考えられている。

 気温が急激に下がっていき、約2900万年前には海面が150mも下がったのだとか。

 前時代にメタンハイドレートの大量放出があったと考えられていることもあり、大気の組成までもが影響を受けていたらしい。

 

 当然ながら、数え切れないほどの生物種がこの時代に滅亡したと考えられている。

 虎や狼、ライオンのような強い大型哺乳類の祖先が登場し、しかし同時に植物食性の哺乳類が大型小型を問わず絶滅していった。

 クジラの祖先のほとんどが絶滅し、生き残ったごく一部が現代のクジラの祖先となった。

 多くの動物が絶滅する中、霊長類は環境に適応し、猿が世界中で大きな進化を遂げていく。

 突然変異じみた生物も、この時代多く生まれたという。

 この時代の大量絶滅は、地球史の中でも相当に目立つものの一つであり、その原因として考えられているものが一つある。

 

 『地球外原因説』である。

 

 隕石や彗星、あるいはもっと別の―――()()()()()()()()()()()()()()が、この時代に地球に落ちてきたのではないかという考えだ。

 この説を唱えている者は本当に多いが、肯定材料も否定材料も決定的なものがないために、主流説にもトンデモ説にもなれていないというのが現状である。

 

 たとえば三千万年前に、地球を闇で覆い、気温を下げた何かが居たなら?

 環境を激変させ、海面を150mも下げるほどの何かが、海に居たなら?

 陸と海で数え切れないほどの生物を絶滅させた何かが……空から降ってきて居たなら?

 その規格外が地層の堆積すら滅茶苦茶にして何の痕跡も残していかなかったのなら、もはや西暦の時代の人間では影を踏むことも敵わないだろう。

 気付けばまた、"それ"に滅ぼされる。それだけだ。

 

 この星は三千万年前にあたる漸新世に、何かが決定的に変わってしまった。

 

 ほぼ全ての命は闇を恐れる本能を獲得し、それが子孫に継承されていった。

 

 星と神だけがそれを記憶したまま、海の底で何かが眠ったまま、未来に至っている。

 

 

 

 

 

 象徴の敗北は、一敗ではなく百敗、あるいは千敗にも匹敵する。

 三分しか戦えないウルトラマンを順次出す継投だってそうだ。

 "ウルトラマンティガがまだ居る"という気持ちが希望になり、力になる。

 "ウルトラマンティガは誰にも負けない"という気持ちが不安を消し、弱さを無くす。

 人々と一体化した『光』は『心を力の形にするもの』であったのだからなおさらだ。

 心の光がそのままウルトラマンの光の強さになり、闇を相殺する力になるのであれば、この時代のウルトラマンの光は絶望や悪徳などによって弱くなる。

 

 そういう意味では、ティガは負けてはならなかった。

 

 彼の敗北は、万の敗北にも匹敵していたのだから。

 

 分かっていたから、ティガは腐敗を貫き、皆の前で誰よりも強い無敵の戦士を演じてきた。

 

 けれど負けてしまった。決定的に、どうしようもなく負けてしまった。

 

 だからもう、保たない。

 

 

 

 

 

 通常の生物の多くが絶滅する中、劣勢に入れば止まらない。

 自然の化身たる自然神達の中でも力が弱い神々は、あっという間に消滅した。

 天の神と呼ばれる天体神達は天体と地球を分断しながら飲み込んでいく闇に力を削がれ、地の神と呼ばれる神の力の源である地上の自然も死に絶えていく。

 独立した神性は闇の力で消滅を迎え、あるいは汚染されて狂っていった。

 神話の時代に君臨する外宇宙の邪神に、神々は一柱、また一柱と朽ちていく。

 

 鬼神・スクナ鬼は寡黙な神であり、古い在り方の神だった。

 人に一切何も与えず、人に何も求めない。

 無言なままにただ其処にある神。戦闘のみを権能とする戦闘の神である。

 戦闘が得意であるがゆえに、他の神に請われてティガに戦闘指南を行い、万年の鍛錬を息を吐くようにこなす神の武術を叩き込んだ。

 乗り気ではなかったスクナであったが、飲み込みの早いティガへの指導に徐々にのめり込み、最後には"ゼペリオン"を伝授し、免許皆伝の証として神々の力を宿した紋章を渡した。

 

 だが魂も肉も陵辱する闇に触れ、狂い、壊れ、染まり、狂える二面鬼・宿那鬼と化した。

 穢れし荒御魂となった彼を、ティガはゼペリオン光線で殺した。

 多くの戦神を失った鬼神神群の長は次代の鬼神が継ぎ、地の神群に加わったという。

 

 動物神群の期待の若手ガーディーは、犬の形で顕現した神であり、ティガをよく援護してくれるウルトラマンと仲が良かった。親友だったと言ってもいい。

 そのウルトラマンとガーディーは共に戦場を駆け、ティガ達ほどでないにしろ戦場で活躍し、また巨人と神々の友好の橋渡しになっていた。

 また変身していない時は人間と子犬サイズにまで戻るため、平時は仲良くしている人間と子犬にしか見えず、ティガともかなり仲の良い友人だった。

 そのウルトラマンに許可を貰って、ティガは何度かガーディーを撫でたこともある。

 

 ある日の、戦闘終了後。

 地中から、戦闘中に闇に飲まれていたそのウルトラマンとガーディーが見つかった。

 全身からミミズのような寄生虫が這い出ていて、全身と捕まえている触手が一体化して一つの肉になっていて、もうその一人と一匹が助かる可能性がないのは明白だった。

 食い荒らされている、としか言えない惨状。

 責任を取り――それが彼の取るべき責任だったかは大いに議論の余地があるが――ティガは二人を、セルチェンジゼペリオンで痛みなく殺した。

 

 神樹ギジェラは、地の神の筆頭であった。

 神々を生む地母神にして、この星に永らく存在し続ける植物と夢の神。

 どの神よりも慈悲深いと評されたギジェラは、人々を守る神の樹であった。

 人に幸せを与える力を持ち、心を癒やす夢をもたらすことができ、地上を強大な光で照らす、誰よりも人の幸せを願う地の神だった。

 いっそ人間らしさすら感じる"人の幸せを理解しそれを願う神"は、ティガの尊敬と親愛を一身に受けていて、ティガからの好感が最も大きな神だった。

 

 撤退戦で殿を務め海に引きずり込まれたギジェラは、深海から帰還した頃にはもう、全ての善性を失っていた。

 人々を脅かすかつての神。慈悲は反転し無慈悲となって、されどその本質は変わらず、ギジェラは狂った善意で全ての人間と神々を幸せな地獄へ運ぼうとする。

 ティガの未来がどうなってもいいという覚悟で全ての神々の力をティガに集約し、ギジェラの多くを焼き払うことで、人類はなんとか生き残ることができた。

 

 居なくなって、居なくなって、居なくなって、居なくなって。

 

 命懸けの戦いを奇跡的にくぐり抜け、闇が空を覆う夜を越え。

 

 また、夜が来る。

 

 

 

 

 

 若き神々を高天原に残し戦いには参加させず、戦場に赴き人とウルトラマンに力を化していた天の神々は、三柱しか残らなかった。

 天之御中主(あめのみなかぬし)高御産巣日(たかみむすひ)神産巣日(かむむすひ)―――後の時代に、おぼろげな伝承から造化の三神と呼ばれた神々である。

 神々はもはや人類の生存圏全体の防衛に回れるほどの数も余力もなく、ここに来てティガの体と命を考え実行に移さなかった手段を取った。

 『ウルトラオーバーラッピング』である。

 

 ウルトラオーバーラッピングとは、光が持ち込んだ技術。

 カミーラと一体化した光は多弁相応に多くの智慧をカミーラに与えており、その中にあったのが多くの力をウルトラマンに束ねる技術であった。

 神々の力を加護として与えていてももうおっつかない。

 ティガを主体に力を一体にする必要がある。

 

 しかしながら、それはティガの命を失いかねないものであった。

 大きな力は命への負担が大きい。

 やれば成功するか死ぬかのどちらかであり、中間はない。

 よほどの戦闘の才がなければ不可能と言い切れるものであった。

 造化の三神は手法に吟味に吟味を重ね、アマテラスが彼に与えた三つの加護に目をつけ、そこを基点にできる限り絞った最小の力を注ぎ込んだ。

 その甲斐あって、ティガはなんとかギリギリ細い綱を渡り切る。

 

 そして得た力こそが、()()()()()()()()()()

 一戦闘に一度、マルチに戦えるタイプ、力を活かせるタイプ、速さを高めたタイプへの切り替えができるようにした。

 個人レベルで見れば気休め程度の強化であったが、戦略的に見ればティガの戦略的柔軟性と生存率が高まることには大いに意味があった。

 ティガの命を懸けた強化であったが、これのおかげでまた世界は延命する。

 

 だがそれは同時に、ティガが果たすべき役割が爆発的に増えることも意味していた。

 しかししょうがない。

 他にその役割を振れる存在が居ないのだ。

 英雄神も、人の英雄も、もう残ってなどいない。

 ティガがやるしかない。やるしかないのだ。彼がやらなければ、世界は滅びる。

 そしてティガは勝ち続けて……けれど、ティガ以外は振り落とされていく。

 

 人が死んで、死んで、死んで。

 神が消え、自然が消え、星が穢れ。

 何が来ても、ティガは負けない。

 戦争で負けても、戦闘で負けない。

 敵味方の全てが負けても、ティガだけは一度も負けないまま、最強のままだった。

 

 

 

 

 

 

 日本神話の特徴の一つとして、"神話の初期が薄い"、"始まりの神の描写が少ない"という指摘がされることがある。

 神話は世界が何故存在するかの理由付けや、権力者の箔付けに使われるため、始まりにあった神の描写や世界創世のくだりをしっかりとする傾向がある。

 しかしながら日本神話はそのあたりの描写がかなり少ないのだ。

 

 最初に降臨した天之御中主神などはほとんど描写がなく、それとほぼ同時にあったという天地開闢もほとんど語られない。

 描写が一気に増えるのはイザナギ、イザナミの世代に入ってから。

 相対的に見れば、アマテラスの父であるイザナギの世代に入るまでの描写は不自然なほどに少ないと言える。

 

 これに関しては日本神話が各地の文献や伝承を当時まとめたものだから、つまり断片的な情報を想像で補って繋ぎ合わせたからだと言われている。

 だから伝承が多い神の記述部分だけが膨らんでいる、というわけだ。

 アマテラスが皇室の祖として扱われ、時の権力者の権威付けに使われたのも、このあたりの描写の多さ・信仰の強さなどに源流がある。

 ただし、その他にも理由があった。

 

 天之御中主神の時代に生きた神とそのほとんどは……()()()()()()()()()のだ。

 

 神は居ない。

 記録もない。

 誰にも覚えられていない。

 誰も覚えていない自然の形があって、その自然の神を誰もが覚えていなかった。

 

 誰にも覚えられていないのなら、生まれなかったのと同じなのではないだろうか。

 

 神は忘れない。

 人のような忘却の悪癖を持たない。

 いつまでも、いつまでも、覚えている。

 

 神が人を覚えていてくれるなら、誰が神を覚えていてくれるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意志ある闇が、"北極大陸"を捕食した。

 かつてそこにあった氷雪の大陸が、そこに築かれていた美しい漆黒の王国が、人々が積み上げていた文明が、ウルトラマンと神に祈っていた人々が、消し去られる。

 それを見て、ティガは泣きそうになった。

 いずれこの領域がまた極点の寒さによって氷に覆われようとも、ここに北極大陸が戻ることはなく、また文明が蘇ることもないだろう。

 

 そして大陸を飲み込んだ闇が、それを倒そうとしていたティガ達の方を向く。

 次の標的はカラータイマーが点滅しているウルトラマン。そしてそれを支える神々。

 ティガは咄嗟に前に出て、放出された膨大な闇の奔流を相殺し、後方のウルトラマンや戦艦の人間達を守りきった。

 しかし周囲全てが闇に包まれ、何もかも見えなくなってしまう。

 闇の中からは千や万では収まらないほどの数の、怪獣の笑い声が響いていた。

 

『くっ』

 

 もはや声すら通らない、音すら響かぬ"闇に侵された"世界の中で、ティガは声を張り上げる。

 

『ダーラム! ヒュドラ! 他のウルトラマンを守りながら下がれ!』

 

 思念波に乗せた声は届くが、命令を聞いてはもらえない。

 

『そういうところが嫌いなんだよ! 黙ってろ! 死ね! 敵を道連れに死にやがれぇ!』

 

 ヒュドラが多くの怪獣を吹き飛ばしながら闇を突き抜け、ティガの隣に辿り着く。

 その足はもう取れかけていて、それを見たティガの心が痛む。

 彼をここに誘ったのはティガだから。

 一緒に戦ってくれと願ったのはティガだから。

 その傷は、ティガのせいでもあるから。

 

 だがヒュドラはそんなことは全く気にしていないようで、ティガと背中合わせに構える。

 互いの背中を守りながら、互いが互いを守りながら、息を整える。

 無数の怪獣が殺到してくる。

 ティガは全身傷だらけで、ヒュドラは足がもげそうなだけでなく、よく見ると内臓にも届きそうなほど深い切り傷が背中にあった。

 二人共活動時間は残り一分も無く、あといくつか傷が増えれば命の喪失に届き得る。

 それでも戦う。

 

 今は、まだ、隣に友が居るから。

 

『カミーラと一緒に生きて帰るって約束してんだろうが!

 裏切るのか!? ああ!?

 それでお行儀のいいウルトラマンティガ様は平気かって聞いてんだよ!』

 

 ヒュドラの叫びには、命を絞り出すような響きがあった。

 

 ヒュドラの風が怪獣を切り裂き、闇を吹き散らす。

 その隙間にティガの光線がねじ込まれ、怪獣を爆散させながら光が散らばる。

 周囲の闇が光に押され、遠巻きに闇の中でも目立つティガの光を見たウルトラマン達が、僅かに希望を取り戻した。

 ティガさえ居れば希望はある。

 ティガさえ。

 ティガさえ、生存していれば。

 そんな思考が、常識のようにそこにある。

 

 けれど、ヒュドラはそんなことを考えないで戦っていた。

 女との約束くらい守れと、二人の風を合わせながら叫ぶ。

 

『オレは他人を裏切るのは気にせずやるが、他人の裏切りは許さねえんだよ! クソ野郎!』

 

 そして、合流に成功する。

 

『行くぞ、ティガ、ヒュドラ……我が友達よ(My Friends)

 

『遅れたわ。逆転しましょう』

 

「ティガ先輩、ユザレです、ここまで近付いたら聞こえますか?

 南東の守りが薄いです。

 ここを突破しつつ他のウルトラマンを誘導してください。

 一旦闇を抜けてから残存戦力を再構築、この闇が他の大陸に行く前に消さないと……!」

 

 腕にも腹にも穴がいくつも空いているダーラム。

 体の色んなところが焼け焦げているカミーラ。

 血まみれの体を包帯でどうにか覆っているユザレ。

 全員が満身創痍だが、もはや負ける気がしなかった。

 ……もう、守る戦いは負けで決まっているとしても。

 倒す戦いでまでは負けられない。見逃してやるには、この闇は大きすぎる。

 

『ヒィーハァッ! いいぜぇ、ノッてきたぜぇ!』

 

『……皆、死ぬなよ! ゼペリオン―――光線ッ!!』

 

 光が、闇を貫いていく。

 

 神すらも脱落していく無限の戦禍があった。

 

 昨日も、今日も、明日も、こんな戦いばかり。

 最悪な日には、雨粒の数と怪獣の数がさして変わらない日すらあった。

 ゾイガーが空を埋め尽くすことで作られた曇り空があった。

 地中の無数のゴルザにより、地盤ごとマグマに沈んでいった首都があった。

 新型の怪獣による環境汚染で国家レベルで食料が尽き、餓死していった国があった。

 一つの街の死体全てが、踊りながら邪神を称える肉人形に変えられた。

 明日も、明後日も、その先もそんな戦いばかりになるだろう。

 

 だから、そこには孤独が出来る。

 

 誰もがその横に並べない英雄は、一人になるしかない。

 

 まずユザレとカミーラがついていけなくなり、他のウルトラマン達と共に振り落とされた。

 

 ダーラムとヒュドラは、心の力一つで食らいつく。

 他のウルトラマン達が全員脱落してもなお、ティガの奮闘に助力する。

 銀色の光を、虹の端の光二つが追いかけていく。

 一人にさせてたまるかと、心の底で吠えながら、ティガの死闘についていく。

 

 それでもなお、最後まで立っているのは、ウルトラマンティガだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ティガは微睡みの中にあった。

 そこにバシャリ、と音が鳴る。

 水から何かが上がるような水音だった。

 それを、他人事のように、夢の中の音を聞くように、ティガが遠い音として聞いている。

 

「……ん」

 

 ティガの頬をぺちぺちと叩く、誰かの手の感触。

 それでティガは目を覚ます。

 目を覚ましたティガはずぶ濡れで、夜の砂浜の上に横たわっていた。

 眼前にはティガ同様ずぶ濡れのアマテラスが居て、ティガの頬を叩きながらじっと見ている。

 

 ティガはぼんやりと、寝起きに近い頭で思い出す。

 海上で戦い、全力を尽くして。

 三分を使い切ってしまったので、アマテラスの力を受けて無理矢理生命力の限界点を越えて、命を燃やす20秒を得て。

 それで無数の怪獣を内包する闇の塊とぶつかって……おそらくは、気絶して、海に落ちた。海に落ちたティガをアマテラスが海から引き上げてくれたのだろう。

 

 そこまで思い至ったところで、ティガはハッとして、アマテラスに礼節を示しつつ、戦いの結末を聞く。

 

「……アマテラ、ス。……! 結果はどうなりました!? 僕はやつを倒しましたか!?」

 

『……』

 

「アマテラス?」

 

『倒しました 今日もまた あなたのおかげで 世界は救われました ありがとう』

 

「……そっか。ああ、よかった……」

 

『……』

 

 ほっとするティガは、アマテラスの視線の意味に気付かない。

 

『あなたは 本当に よくやっています』

 

「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」

 

『他の地域と見比べれば

 尚更に分かります

 あなたは素晴らしい

 あなたの影響を受けた者も素晴らしい

 此処が一番戦えている 他の所は もう気概がない もう保たない』

 

「失礼ながら、それは違うと思います」

 

『なぜ』

 

「皆頑張ってます。

 皆懸命です。

 だから僕は戦えるんです。

 僕はたまたま、皆の助けになれる人間に生まれただけ。

 この時代の皆の頑張りを無駄にしないために、僕は生まれたんだと思っています。

 皆頑張ったから、皆一生懸命だから、未来を掴めたんだと……そう言いたいんです」

 

『ふむ なるほど 理解しました 皆 頑張っている……』

 

「そうですとも」

 

 アマテラスは神の服の袖で、海水に濡れたティガを拭こうとする。

 少し拭いたところで、陽光で乾かせばいいことに気付き、光で互いの服を乾かした。

 感謝の言葉を述べるティガを見て、アマテラスは少し得意げに胸を張っているように見えた。

 

「そういえば、前の戦い……

 あれ、なんだったか分かりましたか?

 なんというか……急に何もかも上手く行かなくなったみたいな」

 

『わかりません

 明らかに何かがおかしい

 おかしいのですが 神の目をもってしても わからないのです』

 

「闇の特性……ですね」

 

『闇とは見通せぬもの

 その向こうが見えぬもの

 隠すものでもあり

 見えないからこそ 恐怖を生み出すものです

 邪神は 闇に覆われた領域のどこかにいます

 しかし 見つかりません

 見つかったならば ティガをぶつければ それで勝てるのに』

 

「勝てるかは分かりませんが、勝ちますよ。

 場所さえ分かれば勝ってきます。

 僕、他人との約束破るの苦手なんです。あはは」

 

『信じます あなた自身はきっと どんな絶望にも負けはしない』

 

「ありがとうございます。その信頼に応えてみせます」

 

 ティガは立ち上がり帰ろうとするが、立てない。

 足に力が入らない。

 体を支える腕がもうこれ以上動かない。

 指が震えて、指をこれ以上曲げる力も残っていない。

 深く呼吸をするのが難しくて、浅く早い呼吸を繰り返すしかなくなっている。

 この状態のティガが海に放置されていたら、ティガは無敗を維持したまま、海で溺死していたことは間違いないだろう。

 

「本当にありがとうございます、アマテラス。

 あなたのおかげで僕は生きて帰れます。

 皆で生きて帰るという約束を守れる。

 何より、チィちゃんの下に帰るという約束を守れる。

 あの子を一人にしないであげられる……また、あの子の笑顔を見られる……」

 

 カミーラのことを語るティガの言葉に、アマテラスは穏やかな声色で反応する。

 

『それが愛 ですか』

 

「……そうかもしれません」

 

『最近 正式に恋人になったと ユザレから聞きましたが』

 

「……………………………………はい。

 ええと、その、アマテラスからすれば、シノクニの子は気に入らなかったりしますか?」

 

『いえ』

 

 言いにくそうにするティガに対し、アマテラスは淀みなく、本心からの言葉を告げる。

 

『あなたが愛しているなら まあ いいのではないでしょうか』

 

「!」

 

 まあ、いいか、と。

 

 今日までずっと、ティガを必死に守り、ティガを一途に愛し、ティガを懸命に幸せにしようとするカミーラを見てきたアマテラスは、そう思えるようになっていた。

 

『結婚するなら 神前式で 私の前で どうぞ』

 

「それ天照大御神様に愛を誓うやつではないですか?」

 

『その通りです』

 

「……よく人間を学ばれたようですね。日々成長を感じられます」

 

『神の前に愛を誓えば その愛は永遠

 片割れが不慮の事故を迎えても

 神はその誓約を見届けています

 神が見届けた誓約は 永遠に人の愛に勝る

 あなたが仮にどこかで死んでも 私が代わりに彼女を見守ります』

 

「まだ結婚とかそういう話をする段階ではないので、後でお願いします、はい」

 

 神の倫理はよくわからない。

 が、人が神に求めるものが神のルールであるとも言える。

 アマテラスは神の倫理の上で、最大限の好意を表明していた。

 体が動かないティガを、アマテラスが癒やしの光でゆっくりと治していると、そこに小型の飛行船が飛んでくるのが遠目に見えた。

 それを見て、ティガは雲の微笑みを浮かべる。

 

「そろそろ来ると思ってたよ、ユザレ」

 

『見なくても 分かるのですね』

 

「わかりますよ。こんなに速く僕を見つけて来てくれるなら間違いなくユザレです」

 

 その言葉からは、揺らがない確かな信頼が感じられた。

 彼の感情の塩梅を、天照は正確に理解することができない。

 

 人が神を理解することは難しい。

 同時に、神が人を理解することも難しい。

 両者の間には常に感覚的な不理解がある。

 ティガのカミーラへの感情と、ティガのユザレへの感情は、アマテラスから見ればひどく見分けがつかなくて、パっと見ただけでは違いが分かりそうになかった。

 

 ダーラムやヒュドラなら、『全然違う』と言うだろう。

 されど未熟な神にはまだ分からない。

 ティガから二人の少女への信頼、友情、愛情、親愛、尊敬、責任感、罪悪感、相互理解……全ての度合いが違うというのに、それらが混ざり合い神の目から見てもどれがどれだか分からない。

 ティガがカミーラを選んでユザレを選ばなかった理由も、アマテラスには分からない。

 それはもしかしたら、ティガ自身にも分からないことなのかもしれないが。

 

 飛行船が降りて来て、そこから人影が飛び出して来るのをティガは見た。

 

「ユザ島、今日もありが……」

 

「ティガ!」

 

「チィちゃん!?」

 

 しかし飛び出してきた人影は、ユザレではなくカミーラだった。

 

 カミーラは勢いよく飛び出して、立ち上がれないティガに飛びつくように抱きついて、その胸に顔を埋める。

 

 ティガが無事で無かったらそのまま自殺していたかもしれない、とすら思わせる勢いだった。

 

 それは、ティガが決して死ねない理由の一つ。

 

「心配……心配した……」

 

「ごめんね、心配かけて。

 でもほら、約束したでしょ。

 君と無事に帰るって。

 何があっても君のところに帰るって。

 どんな時でも君のピンチには駆けつけるって」

 

「うん」

 

「僕は君を置いて行かないよ。だからほら、ちょっと離れて……」

 

「いや」

 

 苦笑するティガが、離れようとしないカミーラの髪を優しく撫でている。

 

 二人の"愛"を尊重して、アマテラスの横でユザレがそれを眺めていた。

 

「あれは今夜カミーラと先輩、キスくらいするかもしれませんね、アマテラス様」

 

『下品』

 

「あ、すみません……」

 

『私のティガは無責任な婚前交渉なんてしない』

 

「この女神圧が強い」

 

 ユザレは立ち上がれもしないティガからカミーラを引き剥がし、ティガを背負って船に乗せ、ダーラムとヒュドラが待つ本拠地に帰還した。

 ティガが礼を言って、「ユザ島じゃないんですが」とユザレが返す。

 カミーラが羨ましそうにそれを見ている。

 それを見ていたアマテラスは、ますますティガがカミーラを選んだ理由が分からなかった。

 

 邪神による地球掌握率、58%。

 

 

 

 

 

 その次の日も。

 その次の日も。

 その次の日も、その次の日も、その次の日も。

 ティガは戦った。

 まだ傷の癒えない仲間達を置いて、続く戦いでまた負傷した仲間達を置いて、戦場でついていけなくなった仲間達を置いて、一人きりで戦った。

 ティガは仲間を頼り、仲間を信じ、仲間の力を借り、けれど本当の窮地にはティガに誰もついていくことができず、ティガは一人で戦った。

 

 その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も、その次の日も。

 ティガは戦っていた。たった一人で。

 

 仲間達が全身揃って戦線に復帰した頃には、百人を超えるウルトラマンが死んでいて。

 邪神の闇は地球の七割に及んでおり。

 空間圧縮技術が無ければ、とうの昔に人類は残り少ない土地で圧死していただろう。

 1000億を超えていた人口は、既に700億を切っている。

 カミーラ達が戦場に赴いた時、そこには小山よりも大きな、積み上げられた無数の怪獣の死体があって。

 

 そして、ティガがいつものようにそこに居た。

 死の数歩手前の体で、負傷と疲労が他人に見えることだけは絶対に避ける小細工をして、元気に溢れた立ち姿で仲間を迎え、雲のように微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒュドラは虚ろな目で、天井を見上げていた。

 体を預けているソファーがなんとも頼りない。

 だらりと全身から力を抜いて、ヒュドラはソファーに全身を預ける。

 

 ダーラムは全身の傷がまだ塞がっていないのに、包帯まみれでダンベルを上下させている。

 ユザレは皆の分のお茶を入れ直している。

 カミーラは不安からティガに次々と不安と恐怖の言葉を漏らして、カミーラに膝枕をしているティガがそれを聞いてあげている。

 カミーラが一つ不安を漏らすたび、ティガが勇気の言葉でその不安を拭ってやっていた。

 

 いつもの光景だった。

 少し前まで、日常ではなかった光景だった。

 ヒュドラは立ち上がり、舌打ちし、近くにあったゴミ箱を蹴り飛ばす。

 

「クソが」

 

 空っぽのゴミ箱が転がり、壁に当たり、カミーラがビクッと反応した。

 叱ろうとしたユザレを手で制し、ティガが立ち上がる。

 

 ヒュドラとティガが向き合うと、傷だらけのヒュドラと、傷一つない無傷のティガの対比がよく目に入る。

 ……その無傷が、神の加護による視覚的幻惑による見かけ上のものでしかないことを、ヒュドラは知っている。

 

「ヒュドラ、どうかしたのかい? 物にあたるのはあまりよくないよ」

 

「あ? うるせえな、鬱陶しい。話しかけて来んなよ。

 馴れ合ってて忘れたのか? オレがテメエを嫌ってることを」

 

 嘘だ。

 もうヒュドラはティガを嫌ってなんかいない。

 ただ対抗心が混ざった尊敬があって、ティガと共に戦っていきたいという使命感がある。

 だからこそ、ヒュドラは彼の隣で戦えない今の自分を嫌っていた。

 

 嫌いなのはティガではなく自分だ。

 それをティガが嫌いという言葉に置き換えて口にしている。

 本当に嫌いなのは、普段は偉そうな口を叩いているくせに、最後まで仲間と共に戦えない弱い自分なのに。

 素直にそう言えば、ティガに気を使わせてしまう。

 ティガの隣がもっと遠ざかる。

 だから言えない。

 言えるわけがない。

 傷は癒えず、想いは言えず、ただ自分に対する憎しみだけが募っていく。

 戦場でティガが数え切れないほど自分を助けてくれていることに感謝しているのに、それを言えばまたティガの横が遠ざかるから、それも言えない。

 

 罪悪感と、無力感と、劣等感と、感謝と、そして自責。

 

 そんなヒュドラを前にして、ティガはいつも揺るぎなく、雲の微笑みを見せる。

 

「さあ、どうだろう。

 そんなこともあったような気がするね。

 でも僕は、ヒュドラが僕をどう思ってくれてるか、それを勘違いしてるつもりはないよ」

 

 その言葉に、ヒュドラは嬉しさを感じた。

 そして一瞬で、嬉しさが悔しさと怒りに変わる。

 ひねくれたヒュドラのことを理解していなければ言えないセリフ。

 ねじくれたヒュドラに感謝していなければ言えないセリフ。

 

 ヒュドラがティガを嫌っていないことを分かってくれていて、"嫌い"という言葉すら流してくれるティガに、ヒュドラは嬉しくて、悔しくて、自分が情けなくて、「なんでオレはこいつと同じになれないんだ」と、「なんでオレはこいつと対等になってやれないんだ」と思って、体が持つ攻撃性の欠陥が抑えられなくなってしまって。

 

 ヒュドラは思い切り、目の前のティガの頬を殴った。

 衝動的にそうしてしまった。

 我慢なんてできなかった。

 カミーラが息を飲み、ダーラムとユザレが反射的に取り押さえようとして、ティガが二人を手で制して止める。

 

「ヒュドラ!」「……」

 

「大丈夫、皆座ってて」

 

 ティガはまた、ヒュドラに微笑みかける。

 自分に居場所をくれた大切な友のその微笑みに、ヒュドラは耐えられない。

 

 怒ってほしかった。

 役立たずと罵ってほしかった。

 自分と本音を出し合って喧嘩をしてほしかった。

 何もかも我慢して何もかも許すのではなく、抱えたものを吐き出してほしかった。

 ティガを助けてやれない役立たずのヒュドラというウルトラマンを、その力で叩きのめして、かつての思い上がりを粉微塵に砕いてほしかった。

 

 ヒュドラは、ティガの両親が殺されその死すら侮辱されたあの戦いですら自分を罵倒しなかったティガに、自分を罵倒してほしかった。

 

 自分を許し、何もかも抱えながら走っていくティガの痛ましさに、耐えられない。

 ティガの微笑みに、それを向けられる価値などないと思ってしまい、苦しみが増す。

 だから殴ってしまった。

 なのに。

 ティガは微笑んで、ヒュドラを許してしまう。

 

 ティガはヒュドラを大切に思っているから。

 大切な友だと、大切な仲間だと認めているから。

 だから許す。

 それがヒュドラには耐えられない。

 ここまで自分を救ってくれる友に、自分が何ができたのか―――そう思うだけで、ヒュドラは死にたくなってしまう。

 

「ははは、ヒュドラだってそんな日もあるさ」

 

「……っ」

 

「うん、まあ、ほらね。

 皆疲れてるんだよ。

 皆よく頑張ってくれてるから、その証さ。

 ありがとう、いつも皆のおかげで、僕はたくさん助かってる」

 

 その微笑みが。

 その許しが。

 ヒュドラを苛立たせる。

 何もできない。ヒュドラには何もできない。

 自分の敗北のせいで両親が殺され、あんなことになったティガに、『泣きゃいいだろ』と言ってやることすらできない。

 

 だってティガが泣けば、誰もが崩れる。

 辛うじて維持できている戦線も間違いなく崩壊する。

 さっきまでティガが堂々と励ますことで心の安定を得ていたカミーラなんて、ティガが弱音を吐いてしまえば、どうなるかも分からない。

 今、ティガへの信心とカミーラの指揮が失われれば、皆死ぬ。

 それでは本末転倒だ。

 

 だからもう、ヒュドラに言えることはない。

 出来ることもなにもない。

 戦場でいつものように戦うのが精一杯だ。

 

 ヒュドラが弱いから、遅いから、何もできないから、ヒュドラは言ってやりたいことを何も言ってやることができない。

 ティガに親が殺された悲しみを吐き出させることしかできない。

 親が死んでも象徴としての姿しか他人に見せられないこの少年に。

 15歳の誕生日を戦場で迎え、そんな余裕がないため誰にも祝われないまま連日の戦いを続け、二ヶ月後にようやくユザレに祝われていたようなこの少年に。

 報いる方法を、ヒュドラは知らない。

 

 女の子を元気付けるためにいつだって格好良く在れる男と、そんな男に八つ当たりした自分の差が、あまりにも情けなくて情けなくて、歯を噛み砕きそうになってしまう。

 

「頼りにしてるよ、最速のウルトラマン。

 昨日の戦いはヒュドラのおかげで助かった。

 君の最速の救援がウルトラマンを20人は救ったんだ。

 これは大きいと思うよ? 僕もとても助けになったと思ってる」

 

「―――」

 

 けれど、それでも。

 もうこれ以上八つ当たりなんてしてられない。

 ティガを傷付けることなどもってのほかだ。

 情けない自分はここで終わらせねばならない。

 こんなにも自分を見てくれている男を前にして、情けない自分をこんなにも必要としてくれてる男を前にして、ヒュドラはひねくれた雑魚のままでは居られない。

 

「クソッ」

 

 ティガに背を向け、ヒュドラはどこぞへと去っていく。

 

「このオレをこんなにもみじめな気持ちにさせるのはテメエだけだ! 見てろよ……!」

 

「ああ、見てるよ。いつも」

 

 ティガの期待が重かった。

 ヒュドラはその期待に押し潰されそうになる。

 その期待をもう何度か裏切ってしまっていることも、分かっていた。

 

 それでも、ティガが背負わされている期待の重さを考えれば―――綿毛のような軽さだと、そう思えた。

 

 

 

 

 

 戦って、戦って、戦って。

 今日もヒュドラは戦う。

 彼はウルトラマンヒュドラ。

 ウルトラマンカミーラが操る両翼、ウルトラマンダーラムの相棒、ウルトラマンティガを支えるチーム・トリガーが一人。

 

「ありがとうございます、ありがとうございます!」

 

 シノクニ防衛戦で虹色のメッシュが入った髪の男を、百人ほどの人間とまとめて助けて。

 

「あ……ウルトラマン! ありがとー!」

 

 似たような虹色のメッシュの髪の子供と、他の子供達がたくさん入っているバスを抱えて、怪獣から距離を取って救う。

 

「ありがとうございます、ヒュドラ様……!」

 

「ありがとー! ウルトラマーン!」

 

 そして逃した先で父娘が再会するのを見て、改めて感謝されて、それに悪い気がしない。

 

『へっ、シノクニの人間も礼が言えるんだな……

 ……いや、カミーラみたいなやつが多いならそれも当然か』

 

 次の日も、次の日も、次の日も、そうして戦っていく。

 

 随分とオレも変わったな、とヒュドラは思う。

 救えた命を一つ一つ数えていく。

 救えなかった命を数えるのはもうやめた。

 それはもう、とっくの昔にキリが無くなっていたから。

 今はただ、ティガの僅かな救いになるかもしれない、そしてヒュドラの心の支えになる、救われた人の数を数えていく。

 

 人を救い、怪獣と戦い、二人の風を起源とするウルトラマンは戦っていく。

 ダーラムの援護に入ったところで、ティガが何気なく声をかけた。

 

『ヒュドラ、もうちょっと頑張ってみようよ。

 今諦めるには残ってるものが多すぎる。

 僕らが諦めることで失われるものが多すぎる。だから、ね』

 

 守れた命を数えながら、まだ生きている人の数を数えながら、ティガは嘯く。

 家族を守れなかった少年がそんなことを言う。

 ヒュドラの胸は軋み、されど怒りに似た力が湧いてくる。

 

『テメエが言うのかよ、それを』

 

 ヒュドラの横で、ダーラムが力強く頷き、ティガが嬉しそうに頷き返していた。

 

 ダーラムは無言ながらに、いつもティガと通じ合っている。

 だからこそティガの親友なのだと、事あるごとにヒュドラは肌身に染みて理解するのだ。

 言葉なくとも、その意志は自分と同じであるだろうと、ヒュドラは分かっている。

 

『だよな、ダーラム。

 ……いいぜ、付き合ってやる、最後まで。

 待ってろよ。すぐ追いついて並んでやる。死ぬ時は全員一緒で前のめりだ』

 

『いいや、僕が目指すのは全員生きて未来に行くことだ。訂正しなよ、ヒュドラ』

 

『どっちだって同じなんだよ! ヒャハハッハァッ!』

 

 そして、三人はまた戦場に身を投げた。

 

 今日のところは、カミーラを除いて。

 

 

 

 

 

 

 現在の戦闘はシノクニ防衛戦から転じて、本土東北の沿岸部へと転戦していた。

 邪神の怪獣は次々と新型を投入しており、現在は海の水がある限り不死の怪獣、他の怪獣の装備怪獣になる怪獣、光線を吸収し反射する怪獣などが跋扈している。

 それが海の底で無制限に増殖しており、おそらくは海の底に邪神の端末が存在しているのだと考えられている。

 ティガ達は連日連夜それと戦い続け、どうしようもないほどに疲弊していた。

 質、量、頻度を並立させる海岸線からの攻撃は、根底を絶たなければ勝ち目がない。本丸の端末を潰さなければいつかは負ける。

 

「おいティガよ、早く本丸見つけられねえのか?」

 

「もう少し食い止められれば、本丸を見つけてみせると技術開発部は言ってる」

 

 数日前。

 ティガは迷っていた。

 どうにかして戦場という気の張り詰める場所から自分以外のウルトラマンを離脱させ、普通の休息をそれなりに取らせ、抜本的に疲れを取らなければならない。

 疲労で皆のパフォーマンスが落ちすぎている。

 これでは勝てる戦いも勝てなくなってしまう。

 決定権はティガに与えられていたが、ティガはそこに僅かな私情を混ぜるかどうか、心底迷っていた。

 皆疲れている。

 ならば最初に街に帰して休息を取らせたウルトラマンの生存率がもっとも高くなるだろう。

 だが、それは、少し悩ましい。

 

 悩むティガに、ダーラムが親友らしく必要な言葉を投げかける。

 

「言え。無理をしろと。

 俺は受ける。承諾する。

 そして言え。

 カミーラを一旦帰らせ、休ませると」

 

 ティガはダーラムらしくもない長台詞にびっくりするが、それが気遣いだと理解し、その気遣いを受け取るか迷う。

 

「チッ……おい! オレの休みを後に回すなら、その分長くしろよ!」

 

 ヒュドラの遠回しな承諾に、思わず素直に微笑んでしまうティガ。

 二人の後押しを受け、ティガは恋愛感情に起因する、ほんの少しの贔屓をした。

 

「交代交代でちゃんと休もう。

 いくらなんでも毎日激戦すぎる。

 ぼ……皆このままじゃ体が保たないだろうから」

 

 "僕はともかく"と言いかけて、それを言わないことで、周りが自分にかける心配の言葉を生み出さないようにする少年が居た。

 言いかけた一文字だけで、それを察した二人の男が居た。

 あえて突っ込まないでいてやる優しさが、二人にもあった。

 少し、眉根を寄せはしたが。

 

 カミーラが帰還することが決定し、順次ウルトラマン達が休息を取るスケジュールが組まれていき、ティガと一緒に休めないことが不満そうなカミーラを、ティガがなだめすかして送り出す。

 指揮官たるカミーラの疲れを取るのは、贔屓を抜きにしても重要だ。

 戦略的・戦術的な勝率が天地ほどに違ってくる。

 それでもカミーラは、ティガと一緒に休みたかったようで、ちょっとばかりむすっとしていた。

 

「いつでも呼んで。もう私もウルトラマンよ。

 私は、確かに……

 いつもティガの助けを期待してた。

 ティガがいつも来てくれると信じてた。

 でももう昔の私じゃないわ。

 今度は私が助ける番だから。

 ティガが困ってたら、今度は私が駆けつけるから……だから、またね」

 

 そんなことを言っていたカミーラだったが、別れ際に抱きしめられ、顔を真っ赤にしていた。

 

「もう……もう!」

 

「あはは。もう夏だから、抱きしめるのは流石に暑いね」

 

「誰のせいだと……! ……ティガは本当に、もう……嫌いになれないんだから……」

 

 カミーラはまだまだ、ティガ相手に恋愛的優位を取れる日が遠いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、終焉の音が鳴る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつての戦争に負けた者達は、代々子孫にまで教育をほどこした。

 自分達は正常だと。

 人間は悪性があってこその人間だと。

 悪性を克服した人間など人間ではないと。

 悪いこともしてしまう自分達こそが人間らしい人間で、いつだって隣の人に優しくしようとするシノクニの外の人間は、もう普通の人間なんかじゃないのだと。

 善悪あってこその人間であり、我々こそが正しい意味で人間なのだと。

 そうしてできた、悪性の塊のような武装集団が在った。

 

 悪性の遺伝子は、歪んだ思考の源泉である。

 

 善人の子孫も悪になる。

 善人だった人間も環境と不運で悪になる。

 どんな人間も教育を用いれば悪性に純化される。

 ウルトラの星の光の国のウルトラマン達のように、悪性を完全に乗り越え、40万年無犯罪の国を作る段階まで行かなかれば、永遠に悪は一定数の派閥を作り続けてしまう。

 

 恨みは思想になる。

 教育は常識になる。

 悪性は邪悪になる。

 

 それを、心に作用する邪神の闇が強化し、狂化し、教化していく。

 世界中の人々が攻撃的になり、悪意的になり、短慮に走り反社会性を持ちやすくなっていく。

 真っ先に効果が強く現れたのは、当然ながらシノクニだった。

 

 邪神の闇は見通せぬもの。

 神の目からすら隠し切るもの。

 邪神の加護を得た者達は『邪神カルト』となり、善良な全ての人類と神々に気付かれぬまま、シノクニでずっと準備をしてきた。

 反乱の準備である。

 邪神がけしかけた無制限の怪獣による攻撃で、ウルトラマン達がほとんど動けないタイミングを狙って、邪神カルトは善良なる人々の街を襲った。

 

 地の神に守られていた人間が天の神を崇めるカルトに走った、などではなく。

 天地の神とウルトラマンに守られていたシノクニの中で生まれた、海の神を崇める邪神信奉者のカルトであった。

 

 善良なるこの時代の人々は、シノクニの人間達にも慈悲深く接していた。

 悪性が証明されていても同じ人間だと扱い、支援を欠かさなかった。

 怠け者達が生活保護を求めるのが絶えないシノクニの財政を維持していたのは、誰もが勤勉だったシノクニの外の人間達の税金だった。

 余計なことにこだわり効率化できないシノクニの人間の食料を提供していたのは、余計なこだわりや執着を我慢して捨てられる、シノクニの外の人間達の食糧生産地だった。

 頑張っているから豊かなシノクニの外と、悪性や反社会性ゆえに無駄が多いシノクニの平等を求める人権活動家の主張に譲歩し、シノクニとの平等を測った。

 犯罪がなくならないシノクニに対し、犯罪がなくなりつつあったシノクニの外の人々は、警官の派遣などでシノクニの治安向上にも貢献していた。

 

 過激派達が決起した時、その後に続いたシノクニの人間達は、「彼らが優しいから生かしてくれている」だなんて思っていなかった。

 

 「あいつらが何もかもを独占しているから俺達は幸せになれないんだ」と思っていた。

 異常な教育を施された『司祭』達に追従した『愚民』たちは、今この世界を守っている光の者達を全員殺せば、自分達が幸せになれると思ったのだ。

 

 仕事の中で失敗失敗、毎日叱られ、それを「自分にはもっと相応しい職業がありそれをあいつらが独占してるから、俺はシノクニで不幸になってるんだ」と思い込もうとした者が居た。

 衝動的に他人を殴り、それゆえ刑罰を受けた者が、「あいつらが善人気取りのルールを押し付けてきてるからだ」と逆恨みを抱いていた。

 「ウルトラマンも怪獣もデマ、ペテン、富の独占の偽装」と信じ切っている者が居た。

 「本来が俺達の民族が世界を自分の物としていて、奴らはそれを奪った盗人だ」と、誰かが創作した話を信じ、自分の生まれを信じて疑わない者が居た。

 

 「いつか僕は報われる、だって僕はこんなにも真面目で頑張ってるんだから」と、特に頑張ったこともないまま信じ込んでいる者が居た。

 「幸せな奴らが破滅するのが見たい」という衝動を持つだけの者が居た。

 誰かが「ようやく私の時代が来た」と叫んだ。

 どこかで「愚かだねえ」と誰かが呟いた。

 「やめろ」と誰かが止めた。

 

 「俺達が苦しいのは世界が悪いんだ」と。

 「だって僕は頑張ってるもん」と。

 「私は何も悪いことをしていない、だから誰かが悪いに決まってる」と。

 「儂の不幸は幸せそうな奴、成功した奴らのせいに違いない」と。

 「今の世界を壊せば、政権を変えれば、全てが良くなるはずだ」と。

 闇に煽られ、人に煽られ、邪神カルトに煽られて、人々は熱狂に飲み込まれながら、『隣の人が殺してるから私もできる』くらいの状態に陥れられていく。

 

 『司祭』に連れられ、シノクニの人々は善良なる人々の街に攻め込んだ。

 

 人間の正義をそこにもたらすために。正しい平等をもたらすために。……"嫉妬"、ゆえに。

 

 そうして、街一つ丸ごと全員が惨殺された街に、休息をしにきたカミーラがやって来た。

 

「え……なに、これ……」

 

 死体が並んでいる。

 まるで、花畑のように。

 死体で作った花畑が、街いっぱいに広がっていた。

 死体はそれぞれ別の加工を施され、あたかも色とりどりの花が咲き乱れる美麗の風景のようで、けれど決定的にそれの真逆だった。

 

 殺された人達が棒で突き刺され捧げられている。

 一人は生で、一人は焼かれ、一人は内側から爆裂し、一人は折りたたまれ、一人は石化し。

 死体が街路に沿って並べられ、咲き乱れている。

 

 溶けた死体が街を流れている。

 生きたままオブジェにされた人達が、悲鳴を上げ続ける演奏機に改造されいる。

 手足を切り落とされ全身の皮膚から虫の幼虫のような触手が生えた人間が何十人も、泣きながら街を転がっている。

 

 共食いをする肉塊の中に、虹色のメッシュが見える。

 善良な人間だけではない。

 邪神カルトはシノクニの同胞すらも『生贄』にしていた。

 

 ウルトラマン達が逃した人間を丸ごとさらい、怪獣の餌にし。

 ヒュドラが助けた人間をさらって、怪物に改造し。

 ダーラムが守った人間の脳を改造し、潜入員とし。

 ティガが愛した人間達を、邪神の手下に成れ果てさせた。

 そんなことを、彼らの奮闘の裏でずっと繰り返していた。

 

 ずっと、ずっと、ずっと。

 ウルトラマンに守ってもらいながら、ウルトラマンにありがとうと声を上げながら、その裏で、ずっと、この日のための準備をしてきた。

 

 いあ、いあ、いあ、と音がする。

 いあ、いあ、いあ、という声に聞こえる。

 火が放たれ、善良な人々が愛したものが次々燃え尽きていく街の中で、善良な人々だったはずのものが肉塊となって踊っている。

 

「うっ」

 

 カミーラが凄惨な光景に吐き気を覚え、口元を抑える。

 まだ邪神の加護はある。

 邪神の闇は全てを隠し、神にもウルトラマンにも気付かせない。

 ゆえに、カミーラは、この世界のウルトラマンで初めて気付いた者となった。

 

「まさ、か」

 

 最悪の手品の、種明かしに。

 

 

 

()()()()()……()()()()()()()()()()……?」

 

 

 

 邪神の闇は見通せぬもの。

 神の目からすら隠し切るもの。

 邪神の加護を得た者達は『邪神カルト』となり、善良な全ての人類と神々に気付かれぬまま、シノクニでずっと準備をしてきた。

 『邪神召喚の準備』である。

 

 今は邪神カルトと呼べる彼らは、気の遠くなるほどの長い間、一発逆転を狙っていた。

 もうこの世界は善と光の勝利で終わりかけている。

 善良なる人々には付け入る隙はなく、そのまま次の世代の人類へと進化していくことに疑いようはなかった。

 そしてシノクニの人間は、昔は普通の人間と呼ばれていたもの、今は次世代の人間に進化できなかった出来損ないとして、永遠に負け犬になる。

 

 善良な人々はそうは思わないだろう。

 彼らはそんな醜悪さはとうに卒業している。

 そう思うのは、シノクニの人間だ。

 遺伝子の悪性が残っているから、劣等感に支配され、自分達の方が生命として劣っているという事実に狂い、優れた者の破滅を願い、その足を引っ張ろうとする。

 シノクニの人間だけが、シノクニの人間を負け犬だと言い切って、シノクニの人間は負け犬だと思われることに激怒してしまう。

 

 シノクニの人間が見下し、シノクニの人間が怒り、シノクニの人間が行動を起こす。

 

 旧時代の人間としてはあまりにも自然な、あまりにも普通の醜悪。

 

 だから呼んだのだ。

 全てを壊し、全てを滅ぼす、宇宙の彼方の邪神を。

 

 『司祭』達はこのまま終わるのでなければどうでもよかった。

 あの幸せそうなやつらが不幸になればそれでよかった。

 あの楽しそうなやつらが滅びればそれでよかった。

 神に祝福されたやつらが苦しめばそれでよかった。

 順当に神を超えた善良な次世代生命体になるはずだったやつらが、泣き叫びここまでの生涯を後悔し、自分達を見下したことを後悔すればそれでよかった。

 このままいけば自分達は負け、善良な彼らが勝って終わるだけ。

 だから、どんな博打でも打つことに迷いはなかった。

 そのまま負け犬として終わってしまうより、ずっと良かったから。

 

 邪神も自分を呼んだ者達のことなどどうでもよかった。

 まとめて滅ぼす対象でしかなかった。

 『司祭』達は儀式で邪神に餌場の位置を示しただけ。

 邪神は儀式を見て、『司祭』達に加護を与え、その星にある光全てを消し去りに来ただけ。

 全ての光を消し去ることのみを生態としつつ、訪れたその星々で闇の使徒を作り出す生態も持つ邪神は、『司祭』達に加護を与え"闇の者"としたのである。

 

 この世界は。

 

 理不尽な邪神の到来によって滅びが始まったのではない。

 

 どこにでもいるどこかの誰か、旧世代で"普通の人"と呼ばれた人間達によって。

 

 人の心の消え去ることのない闇によって、滅び始めたのだ。

 

 ティガが幸せになることを許さないのは、邪神でもなく、神でもなく、人間だった。

 

 自分が幸せになれないから、自分以外の誰かの幸せがなくなることを願う人間だった。

 

「ティガに知らせないと……!」

 

 カミーラが踵を返し、街を出ようとする。

 しかし遅かった。

 カミーラの周囲に、多くの人間達が居た。

 その誰もが笑っていて、理性を失った雰囲気を身に纏い、全員が『今日の戦闘でもう変身しているカミーラはもう今日は無力』であると知っていた。

 

 それでも反射的にスパークレンスを抜いたカミーラの手を殴り、落ちたスパークレンスを男達が取り上げる。

 誰も彼もが闇と悪に染まっている悪徳の街で、誰の助けも来ない状況で、カミーラを男達がジリジリと追い詰め、囲んでいく。

 

「えっ、あっ……くっ」

 

 カミーラは美しかった。

 少女の頃から容姿が優れてはいたが、成長していくにつれてどんどん美しくなっていき、着飾って街を歩けば振り向かない男はいなかった。

 ティガ相手には恋する乙女だが、それ以外の人間に対しては無愛想で、めったに笑顔も見せないクールなふるまいの氷の女。

 飛び抜けた容姿と冷たい振る舞いに恋する者も多かったが、カミーラがティガを愛していると知った時点で、誰もが"敵わない"と思って諦めていた。

 

 そんなカミーラが、男達に怯えて、後ずさって、壁に背をぶつけている。

 

 男達の中には、シノクニの同郷が居て、幼少期のカミーラをいじめていた者達も居た。

 カミーラを沼に蹴り落とし、木の棒で殴り、淫売の子と罵って、階段から突き落として笑って、小便をかけて家に帰らせた男の子達も、もう随分と大人になってきていた。

 かつていじめた女が。

 見目麗しい美女になって。

 自分達を見下せる偉人、光の巨人という強者となり。

 にもかかわらず、自分達にまだビクビクしていて。

 脅せば好きにできそうな様子でいる、その姿は。

 とても、"そそった"らしい。

 彼らがしようと考えたことは、情欲に従った至極自然なものだった。

 

 カミーラの視界に映るのは、邪神の闇の影響で、狂気に飲まれた人間達。

 

 女が好きな男が居た。

 傷付く人間の悲鳴が好きな男が居た。

 殺人嗜好に目覚めた男が居た。

 心を読み、傷を癒やすことができる『司祭』が居た。

 外見を見ただけでカミーラに恋していた男が居た。

 皆に褒められているティガが苦しむならなんでもいいという男が居た。

 年を取って皺が増えた妻の代わりの愛人が欲しい男が居た。

 折を見て劣等感を刺激する美人の顔を潰してやろうという女が居た。

 強い力を持つ女の心を取り返しがつかないくらいに折るのが好きな男が居た。

 

 ティガが初めて敗戦を迎えた戦いの時の司令部と、邪神カルトの幹部と、この愚かな民衆の中に、()()()()()()()()()()()()()()ことに、誰も彼もが、最後まで気付かなかった。

 彼らは人の横で、人の欲望と醜悪をずっと肯定する台詞を吐いていた、が。

 全てが終わるまで、誰も気付きはしなかった。

 

「やめて……来ないで……近寄らないで……私を……私を……」

 

 カミーラは幸せだった。

 ティガと出会えて幸せになれた。

 幸せになれるだなんて思っていなかった彼女を、ティガが幸せにしてくれた。

 だから。

 

「私を……いじめないで……」

 

 "幸せじゃなくなれ"と、闇の中で誰かが言った。

 

 助けて、とカミーラは言った。

 

 誰も助けには来なかった。

 

 

 

 

 

 数日後。

 いつも"他人が見る自分を取り繕う"ティガが、全身血まみれで、怪我だらけで、どのウルトラマンも手に入らない激戦を処理して、駆けつけた時。

 そこには。

 カミーラと、それを囲む人間達と、『絶対に許せない光景』があった。

 

 

 

 

 

「―――あ」

 

 

 

 

 

 その日、人類の未来を照らしていた、ただ一つの太陽が、沈んだ。

 

 

 

 

 

「……今度は遅かったね、ティガ」

 

 

 

 

 

 ただ一言。

 その一言が。

 カミーラには傷付ける意図などなかったその一言が。

 

 『光の勇者』としてのウルトラマンティガを、決定的に終わらせた。

 

 

 

「やっぱり私は……絶対に……幸せになっちゃいけなかったのかしら……」

 

 

 

「みんな良い人だから……私みたいな闇の遺伝子がある人間は……生きていることが罪で……」

 

 

 

「……生まれて来なければよかった。生まれてなんて、来なければ……」

 

 

 

 茹で上がりそうな夏空の下、守りきれなかった、虐めの果ての地獄に落ちた友が居た。

 

 今にも落ちてきそうな夏空の下、ティガはその者達を虐殺した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てが終わった後の更地に駆けつけた軍人とウルトラマン達は、口元を抑えて呻いた。

 

 全てがなくなっていた。

 全てが消しされれていた。

 善も悪も、光も闇も、そこにはなかった。

 ただただ、ガラス化した大地だけが残されていた。

 先行調査隊から聞き事態を全て把握していたウルトラマン達だが、それでも驚きは隠せない。

 100万人を超えていたはずの大都市は、もう何も残っていなかった。

 

 空気が重い。

 雰囲気の話ではない。

 圧倒的圧力、絶対的規模のエネルギー。

 神が降臨した時、普通の人間は頭を垂れたまま、頭を上げることすらできない。

 ここにあるのは、それだ。

 

 その発生源はティガ。

 あの柔らかな光はもうどこにも無い。

 あの優しげな風はどこにも吹いていない。

 ティガに見える何かが、間違いなくティガである何かが……ティガでない何かとなって、そこに在る。

 もうかつてのティガは存在しないのだと、誰もが本能で理解していて、けれど誰もがティガのことを大好きで、誰もがティガのことを信じていたから、理性がそれを否定する。

 

 ティガはカミーラを優しく地面に置き、光の者達に向き直る。

 

 その髪は黒く染まっていた。

 見るものの気が狂いそうなほどに穢れきった黒だった。

 もはやそこに、光はない。

 

「止まれ! ティガ!」

「なんだ……黒い!?」

「そこを退いてください。カミーラさん……カミーラは、もう手遅れです!」

「計測値が、なんだこれ!?」

「ティガ……計測スカラー値はそのまま、光が闇に……」

「大丈夫だ、あのティガだぞ? 話せば分かるはずだ。皆軽挙はやめろ」

「ティガさん、カミーラを引き渡してください。彼女には闇の遺伝子が大いにあります」

「今回の惨劇を見て、政府は苦渋の決断を下しました」

「ようやくですが、抹殺による遺伝子の排除が決定しました」

「こんな事は言いたくないが、彼女は生きていてはいけない」

「子を残すだけで危険だ」

「こんな悲劇をもう残してはいけない」

「我々が手を汚さねばならないんだ、ティガ」

「待て、皆焦るな、ティガの気持ちも……」

「残しておいてはならない遺伝子だったんだ! 彼女が悪いのではなく、遺伝子が悪い!」

「……これ、本当に、正しいの……?」

「私がやります。他の人にやらせるには、罪が重すぎる」

「カミーラ。ティガを思うなら、そこで自らの命を絶ってくれ。頼む」

「結果が示してしまった。カミーラ、貴様は生きていてはいけない」

「あーもうガサツな男どもはうるさいわね! カミーラとティガの気持ちになりなさいよ!」

「おいあまり時間がないぞ。政府決定は……」

「市民の不安が大きすぎる」

「せめて明確で確実な再発防止策を目に見える形にしなくては」

「犠牲者が多すぎる。それに闇に負けかけてる今また反乱されたら世界が終わるぞ」

「大昔に慈悲を見せて彼らを生かしておいたことが間違いだったというのか?」

「遺伝子の運命に打ち勝つことはできないのか」

「無理だろ、もうどうしたって市民感情がこの遺伝子を持つ人間の生を許せない」

「こんなことに時間かけてられないぞ! 邪神の侵攻はすぐそこまで来てるんだ!」

「説得に使ってられる時間は一秒も無いが、それは分かるが、しかし彼らの心情は……」

「なんでこんなことになっちゃったんだろう。なんで、なんで……」

 

 彼らの言葉を聞き、全ての光を失い空っぽになったティガの胸に、闇の炎がそろりと宿る。

 

 ティガは気付いてしまった。

 あるいは、思い込んでしまった。

 

 この世界は人類が次の段階に進化しようとする過度期。

 善と悪が人の中で分かれつつある時代だ。

 分かたれた善の中ではカミーラは"排除すべきもの"になる。

 分かたれた悪の中ではカミーラは"食い物にされる者"になる。

 カミーラは善の中でも、悪の中でも、幸せにはなれない。

 

 この時代の光も闇も、潜在的にカミーラを傷付ける性質を持っていた。

 ティガという光がカミーラを守り続けていたがゆえに、大して視覚化されなかっただけで。

 だから、こうなった。

 守りたかった女の子は、こうなってしまった。

 ティガがどんなに頑張っても、カミーラの幸せすら守ってやることはできなかった。

 

 『闇』は空から落ち、カミーラをいつか殺す獣の群れ。

 『光』は人が選んだ選択を尊重するがゆえに、カミーラの排除に力を貸す。

 『善』は世界と平和と未来、そして人々のため、闇の遺伝子を駆逐しようとしている。

 『悪』はもはや語るまでもなく、カミーラを害することしかしない。

 

 ……ティガですら、カミーラが生き残ってしまえば、子供を残してしまえば、この善なる者達の理想郷で起きた惨劇が繰り返されることを、分かっていた。

 ティガ自身ですら、目の前のウルトラマン達の主張の正しさを認めていた。

 だって。

 今日カミーラを地獄に落としたのは、闇の遺伝子を持つ普通の人間達だったから。

 

 悪性の遺伝子さえ根絶してれば、こんな悲劇は起こらなかったのだから。

 遺伝子の善性だけを残そうとする判断は、正しかったのだと言えるから。

 今日の地獄を起こした人間を根幹から否定することは、回り回ってカミーラを遺伝子ごと否定することに繋がってしまうから。

 全て分かっている。全て理解できている。その正しさを肯定する心がティガにはある。

 

 そんな自分が、ティガは憎くて憎くてたまらなかった。

 カミーラを守るための、カミーラのためだけの思考を持てない自分が。

 カミーラを傷付ける思考を欠片でも持ってしまう今の自分が、心底憎かった。

 ティガは己を憎む。

 ずっと自分を憎みたかった。

 憎む理由は無数にあった。

 けれど、光だったから、そんな闇を持たないよう心がけていた。

 

 ティガが優しく地面に置いたカミーラが、ぼそりと呟く。

 

 

 

「……ごめんね……ティガ……私……あなたを……好きになって……ごめんなさい……」

 

 

 

 カミーラの言葉が、どんな刃よりも鋭く刺さり、ティガの心を切り刻んでいく。

 

 ティガの足元のガラス化した地面が、ティガは指一本動かしていないというのに、半径1km弱に渡って粉々に割れた。

 

 目には見えない力の圧が、相対しているウルトラマンの一人の呼吸を止め、膝をつかせる。

 

「言わせたくなかった」

 

 ティガが手を開くと、そこに闇が集まる。

 集まって、集まって、集まって。

 地球の七割を覆っていた邪神の闇の、地球の表面三割にあたる闇が、一瞬で手の中に集まり。

 ()()()()

 喰われた闇はそのまま凝固化し、ティガの手の中で黒きスパークレンス―――ブラックスパークレンスへと形を帰る。

 

 その時、全てが恐怖した。

 全ての人間が。

 全ての怪獣が。

 全ての神が。

 この星そのものが。

 喉元にナイフの先を突きつけられ、少し差し込まれた瞬間のような、絶対的な死の確信を得る。

 

 それは、終わりの始まりを告げる鐘の音。

 

「チィちゃんにだけは、そんなことを、言わせたくなかった。ずっと幸せでいてほしかった」

 

 

 

「この世界が。

 善なる人々が。

 悪なる全てが。

 カミーラは生きていてはいけないと言うのなら。

 カミーラの遺伝子が悪性だから、カミーラを殺せというのなら」

 

 

 

「俺が、この世界を滅ぼす。―――全て、死ね。天地の間にあるもの、全て」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、『ティガダーク』は生まれた。全ての未来を、踏み潰しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはきっと、一言で言うならば、『力に溺れた』と表現するのが正しい闇堕ちだった。

 

 許せないことがあった。

 消しされない憎しみがあった。

 殺せる力があった。

 殺すことに躊躇いはなかった。

 だから殺した。

 殺して、殺して、殺して、殺して。

 殺してしまった。

 街を一つ丸ごと殺した。カミーラを苛んだ街一つ、全てを殺した。

 カミーラを悪と、闇に成るものだと定義し、処刑しようとする光の巨人達も殺した。

 ティガとウルトラマン達を敵対させるために軍人に混じって煽っていたシビトゾイガーも、シビトゾイガーだと気付かないまま、人間だと思ったまま殺した。

 罪有る人も、罪無き人も。全て殺した。

 

 この世界におけるウルトラマンの力は心の反映。

 激情一つで光と闇は切り替わる。

 そうなればもう、後は心に宿る闇に引きずられていくしかない。

 スイッチがカチッ、と右から左へ動くように、光の英雄戦士は闇の最強戦士へと変じた。

 

 誰もが気付いていなかった。

 誰よりも闇と戦っているということは、誰よりも多くの闇に触れているのだということに。

 皆を闇から守るということは、皆の代わりに闇を引き受けているのだということに。

 何よりも純粋だった銀色は、誰よりも透き通った善性は、いつの間にか、きっかけ一つで闇に落ちてしまうほどに、濁っていた。

 

 ティガの心の芯地の色は、ずっと前から神より邪神に近いものに近付いていた。

 アマテラスが地上に降り、光を当て続けられる人の世界に居たのはそのためだった。

 それでもずっと焼け石に水。

 アマテラスの信頼は裏切られ、ティガの闇が全てを殺す時代が始まる。

 

 ティガは全てを殺し、闇の中へ飛び去った。

 

 この時、カミーラを闇の側へ誘わなかったことが、彼の心に残った最後の光の一欠片だったことに、カミーラはついぞ気付かなかった。

 

 

 




■共生関係
 劇場版ウルトラマンティガパンフレット『超古代の設定』に記載されている内容。
 邪神ガタノゾーアは闇の巨人(傘下の人間)にシビトゾイガーなど含む力を与え、闇の巨人の歪んだ闇の心によって強大になっていく、とされる。
 人間らしい協力関係ではない。
 人間が想像する従属関係でもない。
 宇宙生命の底辺と頂点、原始生物と神が形成する共生関係である。

 たとえば、闇の巨人がガタノゾーアを倒そうとしていたとしても、ガタノゾーアはそれを特に気にすることはない。
 闇の巨人の心の闇は全てガタノゾーアの力となるため、本質的に闇の巨人がガタノゾーアを倒すことは不可能に近い困難な事柄であるからである。
 闇の巨人が強ければ強いほど、ガタノゾーアもまた強い。
 闇の巨人の心の闇こそが、ガタノゾーアを強くする。
 同時に、ガタノゾーアがその気になれば、地上の人間の闇・悪性の総量を自分に加算することができるかもしれない……と、解釈することもできる。

 地球においてもアリとアブラムシの共生関係は"最低二億年以上"続いていると見られており、『共生』概念とは人類史とは比較にならないほど古来から続けられてきた、神話の時代からの理であると言えるものである。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8

 夢を見た。

 遠い夢。

 懐かしい夢を、ユザレは見た。

 

 

 

 ヒュドラが部屋に入ってきて、きょろきょろと周りを見る。

 部屋には掃除をしているユザレしかいない。

 小気味いい音がするので窓から外を見れば、サンドバッグをダーラムが叩いていた。

 ティガとカミーラが居ないのを不思議に思い、ヒュドラは顎を擦る。

 

「おいユザレ、あいつらどこ行ったんだ」

 

「買い物」

 

「へー、また一緒に行ったのか

 ヒヒヒヒヒヒ、あいつら付き合ってんじゃねえ?」

 

 ヒュドラは無礼千万な所作で、ソファーに落ちるように腰を下ろす。

 

「あの二人最近付き合い始めたわよ」

 

「ほげえええええええええ!?!?!?!?」

 

 そしてソファーごとひっくり返った。

 後方に倒れたソファーがヒュドラを射出し、ヒュドラが床を転がっていく。

 立ち上がったヒュドラがユザレに掴みかかろうとしたが、ティガ以外の男に気安いボディタッチを許したことのないユザレの、超速ビンタパリィがヒュドラの手をはたき落とす。

 

「ちょっと、掃除中に埃を巻き上げないで」

 

「えっ、はっ!? いや……ん!? いつから!? いやそうじゃなくて……は!?」

 

「ヒュドラはカミーラのことが好きだったものね。自覚が無かっただけで」

 

「ばっ……お前っ……んなわけねぇだろ! オレがんなアホな人間なわけあるか!」

 

「どうだか」

 

 ヒュドラが窓から体を乗り出し、速くではなく重くサンドバッグを殴り続けるダーラムに大声で呼びかけた。

 

「おいダーラム! ティガとカミーラが付き合っ……ダーラム!」

 

知ってるが(I know)

 

「んなああああああああああ!?!?!?!?!」

 

 ヒュドラが窓から落下し、地面に激突する。

 どうやらヒュドラ以外は全員知っていたようだ。

 鬼気迫る表情で、ヒュドラはユザレに怒鳴りつけた。

 

「なんでオレにだけ知らせてねえんだよ!」

 

「え……ティガ先輩に絶対ウザ絡みする人に私が教える義理ないし……」

 

「クソが!」

 

 当人のティガとカミーラが言い触らさないのはいいとして、ユザレとダーラムが黙っていたのは完全にヒュドラ除けで間違いない。

 ちょっと害虫か何かみたいな扱いに、ヒュドラは傷付く。

 そして"許せねえ……ティガの奴……いつだってお前はオレの理想の道を行きやがる……!"とティガに対する怒りを湧き上がらせた。

 が、すぐに"こんなんだからオレはダメなのか……?"と冷静になった。

 しょぼしょぼしてきたヒュドラは土まみれの顔を拭って、ユザレに語りかける。

 

「っていうか、お前はいいのかよ。お前だってティガのやつのこと……」

 

 ヒュドラは何気なく、無神経に問いかけた。

 ヒュドラの後方でダーラムが渋い顔をして、少々責めるような目でヒュドラを見る。

 無神経なヒュドラの言葉の裏には、デリカシーのない気遣いがあるのだが、イマイチそれは誰にも伝わらないものだった。

 ユザレはヒュドラの問いかけに曖昧な表情で返す。

 微笑んでいるようで、微笑んでいるようには見えない、色んな感情が混ざった顔。

 ティガの前ではしない顔。

 とても曖昧で、儚くて、春に降り積もった雪のような表情だった。

 

 ユザレはいつも凛々しく毅然としている。

 ティガの横に居る時やカミーラと遊んでいる時だけ少女の顔をする子であった。

 ほとんどのウルトラマンはユザレを美しくも超然とした勇者と見ているだろう。

 だからユザレがこういう表情をしているのを見るのはヒュドラもダーラムも初めてで、ヒュドラは内心困惑し、ダーラムは開きかけた口を閉じた。

 

 曖昧な顔で、ユザレは言い切る。

 

「いいに決まってるでしょう? この上なくお似合いよ。素敵な少年と、素敵な少女で」

 

 その言葉に嘘はなく、その言葉に迷いはなかった。

 間違いなく本心からの言葉だろう。

 ダーラムは"自分の幸せより他人の幸せ"を基本に生きているユザレを見て、その姿がティガと重なり、またその不器用な仲間達を守る意思を固めた。

 ヒュドラは"一番好きな男が一番好きな女とくっつくのを応援し続けてきた"ユザレに、複雑な感情を抱きながらも、その清廉な献身に憧れに近い感情を抱いていた。

 

「……お前がいいならいい。オレも知ったこっちゃねーしな、ヒヒ」

 

 ヒュドラはふっと笑んで、ユザレの選択を褒める。

 

 ことはしないで、めっちゃ笑って煽りを始めた。

 

「いややっぱ煽るわ! ヒッヒッヒ! ざまぁ見ろ! 次はいい恋するんだなぁ!」

 

「子供か……」

 

「聞こえんな~? ヒャッヒャッヒャ、ま、ティガで目が肥えたお前じゃこの先……」

 

 ヒュドラが調子に乗って長い舌をぺらぺらと回し、ユザレが呆れた顔で聞き流す。

 と、その時。

 ヒュドラの肩に手が置かれて、ヒュドラが振り返る。

 

「おいヒュドラ、今この辺でユザレを傷付けるようなこと言ってなかったか?」

 

 そこに、いつの間にか湧いて出たティガが居た。

 

「ヒィッ! ホラー!」

 

 ヒュドラの肩を掴むティガの手の力は強くないはずなのに、ヒュドラが全力で逃げようとしてもまるで逃げられない。

 手付きが優しく痛みを与えないようにしているのが逆に怖かった。

 ティガはいつもの雲の微笑でみで、声は子猫を撫でるように優しい肌触りのままなのに。

 

「質問に答えろ」

 

「あ、はい。神に誓ってオレは何も言ってないが?」

 

「いいんだな? 神に確認取るからな?」

 

「言ったが何か? ヒャヒヒッ!

 オレより遥かに恵まれてる女のくせにウジウジしてんのが気に入ら―――」

 

「……」

 

「お、オイオイ、なんか言えよ」

 

「……」

 

「……悪かったって」

 

「言う相手が違うんじゃないかな?

 僕は怒ってないし、怒らないよ。

 でもね、ヒュドラ。僕はユザレの味方なんだよ、いつもね」

 

「う……」

 

 ヒュドラは調子に乗ってついつい言ってしまった内容を反省し、バツが悪そうに頭を掻く。

 

「まあ、何言ったのか知らないけど。

 あんまりユザレに好き勝手言わないようにね。

 ユザレは君にお仕置きしてるだけで、気にしてないようにも見えるけど……

 素の性格が結構乙女だから、皆気付いてないところで傷付いたりしてる子なんだよ」

 

 先輩がそれを言えるかなあ、と、ユザレは誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。

 

「……もう二度とこのネタは言わねえよ。それでいいだろ。いいよなユザレ」

 

「結局謝らないのがヒュドラらしいわね。

 ティガ先輩、話してあげてください。

 私は傷付いてもないし怒ってもいないですから」

 

「そっか。ごめんねヒュドラ、勘違いだったみたいだ」

 

「なんなんお前ら……」

 

 ヒュドラは土をはたいて落とし、庭の隅っこで買ってきた物の荷解きをしているカミーラを一瞬遠目に視界に入れつつ、ティガに嫌味な声色で語りかけた。

 

「はぁ。ったくよぉ、ユザレと比べたらオレの扱いが軽すぎんだろ」

 

「ヒュドラのことあんまりにも酷く言ってる人が居たら、その時の僕も同じ気持ちになるよ」

 

「……けっ」

 

 ヒュドラは照れくさそうに、けれどその照れを隠すように、ティガから顔を逸らした。

 

 ティガは微笑み、「あっ」と何か思い出した様子でユザレの方に行く。

 

「ユザ島、なんか僕の靴下片方だけ無くなったのが四セット目に入ったんだけど知らない?」

 

「ユザレ! もう……部屋で探しててください。後から行きます」

 

「おっけ。助かるよ」

 

 そのまま自分の部屋に行ったティガを見送り、ユザレはとても優しい微笑みを浮かべる。

 

 ユザレの誰にも向けてない言葉を、ヒュドラだけが聞いていた。

 

「ああいう人なのよ、ティガ先輩は。

 私なんかじゃもったいなくて釣り合わないわ」

 

「あんなだらしねーところのどこに何があるんだよ」

 

「普段かっこいい人の可愛げ」

 

「あーはいはい」

 

 ヒュドラも元は善人であり、善人の輪の中に居たはずだ。

 今の自分はもうそこに気楽に馴染めない、と前は考えていた。

 "こういうもの"を見るたびに、おかしくなったヒュドラの頭は違和感を覚える。

 ここは自分の居場所じゃない、と。

 オレはこんな善人の輪には馴染めない、と。

 善の世界に対する忌避感は、常にヒュドラの内にあった。

 

 けれど今は、"こういうもの"の中に居られることに幸せを感じていて、それは周りの仲間達にも伝わっている。

 だからユザレは、ちょっとした失言くらいは許してやるのである。

 

「アホらし。煽らねえと楽しめもしねえや。

 どいつもこいつも我慢しっぱなし、ハッ。

 つまんねえ上に苦労しかしねえ生き方だ。なあ、ダーラム!」

 

お前はクソ野郎だがな(You c*nt)

 

「ダーラムくん!?」

 

 くすくす笑って、ユザレはティガの部屋に向かった。

 

 ティガのなくした靴下の場所にあたりをつけて、すぐにユザレはそこら中を探していく。

 

 二つ目の靴下を見つけたあたりで、ユザレは話し声を耳にした。

 

「ユザレが戦ってるのは、僕のせいなんだ」

 

 咄嗟に物陰に隠れて、こっそりと覗き見る。

 

 屋外ベンチに並んで座るティガとダーラムが、ユザレについて話しているようだった。

 

 普段は盗み聞きなどという行儀の悪いことをユザレはしない。

 

 でも、ティガが自分のことを話していると知れば、ちょっとだけ悪い子になってしまうのがユザレという女の子であった。

 

「昔ね、諸事情あって僕はユザレの家にお世話になってたことがあるんだよ。

 昔のユザレは今ほど心が強くなくて、怯えがちで……

 戦いが向いてないけど優しい女の子だった。よく覚えてる。ああ、その頃から可愛かったよ」

 

 自分の居ない所で自分の話をしているティガ。

 自分が居る時にはしないような話をしているティガ。

 それを盗み聞きしていると、ユザレはなんだかむず痒い気持ちになってしまう。

 

「ユザレは……

 ええと……

 そうだね、文学少女だったんだ。

 遺伝的な問題らしくてね。

 ユザレは祖先も子孫も一定の確率で病弱になりやすくなるんだって。

 意外かな? まあ今はダーラムにも腕相撲で勝ってるもんね。

 子供の頃ユザレの家に行っても、ユザレは僕そっちのけで本にばっかり夢中だったよ」

 

 ユザレは顔を手で覆う。

 あれは先輩に好かれる話をしたくて、先輩に嫌われたくなくて、どう話しかければいいのか分からなくて、本を読むふりして先輩のことチラチラ見てただけです……と言えない状況があった。

 

「すごく女の子らしい女の子だったと思うよ。

 正統派の美少女の理想解、ってくらい。

 ご両親にも周りの人にも愛されてたなあ。

 うん、なんていうか、理想の家族がいる理想の美少女、みたいな」

 

ベタ褒めだな(Fawn all over)

 

「うーん、久々だからかな。

 ユザレが思春期になってからこういう言葉あんま受け取ってくれなくなっちゃったからね」

 

 頬を掻くユザレ。

 そういうの面と向かって言ってほしいな、という気持ちと、そういうの面と向かって言われたら耐えられないな、という気持ちがあった。

 

「まだ『光』が空から来てなかった頃。

 神様と、聖剣に選ばれたユザレが人を守っていたよね。

 あの時に僕を守ってくれていたのがユザレだったんだ。

 彼女は僕の恩人。

 今僕がここにあるのは彼女が居たから。

 彼女の家族からユザレを一人にしないでやってくれって言われて……

 ついていった僕が、空から飛来した『光』に選ばれた。それが始まり」

 

最初からいい相棒だったわけだ(From the beginning , It's a good BUDDY)

 

「うん、ユザレもそう思ってくれてると思う」

 

 思ってますよ、何を今更、とユザレは内心で思う。

 

「だから彼女が戦わないで良い世界を作れるなら、って。

 最初はそういう気持ちで変身して頑張ってたなあ。

 辛くて泣いちゃった時も、そう思ったら頑張れた。

 最初の頃は僕も子供で、戦う理由が目に見えてないと戦えなかったしさ」

 

泣いたのか(Did you cry)

 

「……あっ。今の話内緒ね。

 昔の僕が泣いてたとかそういう話、今広まるのはあんまよくないから」

 

分かっている(I know it)

 

 ティガは気を許しているユザレや、親友のダーラムとの会話では、本音がぽろっと零れやすい。それはユザレも知っていた。

 知っていたが、こういう本音を改めて聞くと、嬉しさと申し訳無さが心に浮かんでしまう。

 

「さばさばしてて、凛々しい剣士だと皆に思われてる。

 でも本当は今でもそんなに根っこは変わってない気もするんだ。

 ユザレは今でもインドア趣味だし。

 本が好きで、恋に興味があって、頭が良くて、優しい……

 ……そんなユザレのまま、ユザレは頑張ってるんじゃないかって、僕は思うんだよ」

 

 ユザレは胸の奥がきゅっとなって、ほぅと息を吐く。深呼吸すると、心が少し落ち着いた。

 

「いつも感謝してるんだ。

 ユザレはいつも僕が本音を吐き出しやすいように振る舞ってる。

 僕が気楽に話せる話し方を心がけてくれてる。

 本当にはもっとたおやかで、女の子らしいんだよ。

 ……僕は。

 あの子が戦わなくていい未来をあげたいんだ。

 あの子が気楽に、本を読んで、女の子らしく生きられるように、そう……思った」

 

 ティガの語り口を受け、ダーラムは思ったことを口にする。

 

「初恋か」

 

「そこまでのものじゃないと思うよ。

 ユザレに抱きしめたいとか思ったことないしね、僕。

 チィちゃんに抱いた感情とは明確に別だと思う。

 うん、違う、だけど……とても大事な人であることに変わりはないんだ」

 

「そうか」

 

 知っている。

 ティガとユザレは、誰よりも互いのことを知っているから。

 互いが互いをどう見ているかもほとんど知っている。

 そして少しだけ、知らない。

 

 ティガはユザレの一部を知らず、ユザレはティガの一部を知らない。

 

「僕、思うんだよね。

 聖剣に選ばれる人の条件って何だろう……ってさ。

 思うに、"未来を諦めない人"。

 そして、"決して堕ちない人"。

 最後に、"皆の希望になる人"。

 そんな感じだと思うんだ。

 そういう人が最後にちゃんと幸せになれたら、最高じゃない?」

 

 それでも、互いが互いの幸せを願っていることだけ分かっていれば、十分だった。

 

 

 

 

 

 そして、ユザレは目を覚ます。

 いい夢だった。

 もう戻れない過去だった。

 大切な人の記憶を思い出し、ユザレは寝床から体を起こす。

 

「先輩」

 

 寝間着を脱いで、体の各部の状態を確認。

 大きい胸を固定する下着を付けて、万が一の時のための生命保護術式を刻み直す。

 ここ数年女性らしい成長が続いている体に合わせて、装着は緩やかに。

 服を着て、ボタンとベルトを一つずつ止めていき、防護機能が万全かどうかを確認する。

 戦闘服の状態のチェックが終われば、マントのようにローブを肩に掛け、普通の人間であれば一瞬で絶命する闇の中でも生きられる光の加護が健在であることを再確認。

 ティガに昔誕生日プレゼントとして貰った革靴を履いて、外に出ていく。

 

 一つ一つの過程をゆっくりとこなし、一つずつ、心の覚悟をちゃんと決めていく。

 

 ユザレは全ての報告を受けており、全ての事情を把握している。

 

「責めるつもりはない。

 誰も先輩を責める権利はない。

 それでも責めてほしいなら責めるけど……

 今はそれは後回しにしましょう。もっと大事なことがある」

 

 そして、集合予定地に集まった皆の先頭に、ユザレは立った。

 

「ウルトラマンティガを止めます。皆さん、覚悟を決めてください」

 

 最低最悪の、希望を繋ぐ戦いに臨むために。

 

 

 

 

 

 ティガの闇落ちは、世界中に激震を走らせた。

 その影響はまだ未知数であり、加速度的に増大している。

 影響が収まるまで待ってなどいられない。

 大きすぎる影響の波及を防ぐため、人類は打って出ることを決めた。

 

 ティガは説得に応じるのか。

 止められるのか。

 殺してでも止めないといけないのか。

 そもそも、殺せるのか。

 誰も彼もがこの先の未来に仄暗い不安を持ちながら、それでも世界の未来のため、自分達が生きる明日のために参戦していた。

 その不安を、対ティガの戦いに参加を拒絶したヒュドラ、ダーラム、カミーラの三人の不在が補強する。

 

 ユザレはアマテラスからの言葉―――信託を受けている。

 

『神々は 高天原と人の世界の間に天岩戸を置きました

 まだ確かな話ではありませんが

 今戦っている 神が消えれば もう援軍の神は来ないと 思ってください』

 

「……え」

 

『すぐに 分かります 今が どうなっているのか』

 

 こんなにも光のないアマテラスを、ユザレは見たことがなかった。

 元気がなく、希望がなく、威厳がない。

 もう何かが致命的に終わってしまった実感は、ユザレの中にもある。

 それでも諦めることなどできない。

 神が諦めても、人は諦めない。

 ユザレは未来もティガも、どちらも諦めてはいなかった。

 

『あなたを頼りにします

 私にはまだ 人間が分かっていない

 少しは分かったつもりになっていました

 でも ティガがああなって 私はもう 人間を理解できる自信がない

 人間の善き部分を信じられない

 人間の些細な悪性が 以前より目につくようになってしまった

 もう 人間を どう見ればいいのか どう分かれば良いのか 分からない』

 

 ユザレはアマテラスの現状に胸が痛くなる。

 神の倫理には、神の信頼がある。

 神と人との契約は、古今東西侵してはならないもの。

 破ることは許されない。

 ウルトラマンティガが闇に堕ちたことは、光の太陽神であるアマテラスの神の心に、入れてはならないヒビを入れていた。

 

『ティガが信じたあなただけが 希望です』

 

「最善を尽くします。アマテラス様」

 

『…… そう言ったティガも 結局は ……』

 

「……私は先輩を信じています。今もです」

 

 皆が力を合わせ、心を合わせ、ある街の城壁に並び、遠く彼方の闇を見る。

 

 そして、地獄の蓋が開いた。

 

 

 

 

 

 肉が舞っていた。

 ウルトラマンの肉が。

 命と光が形になった肉が、宙を舞っていた。

 雨のように、ウルトラマンの肉片が降り注いでいた。

 

 ここに来るまで、ティガダークは進行ルート上に存在する闇を片っ端から喰らい、その力を爆発的に増やしながら、全ての怪獣を爆散させていた。

 胸のカラータイマーに光はない。

 活動時間に制限がない。

 遅延戦術すら取れなかった怪獣達は、あっという間に粉微塵にさせられていた。

 邪神の闇がもう、ティガの力を増すためのブーストにしかなっていない。

 

 そのまま街に突っ込んだティガを、ウルトラマン達が迎え撃った。

 いや、迎え撃とうとした、というのが正しい。

 出会い頭に放たれた無数の八つ裂き光輪により、まずウルトラマンが三十人ほど消し飛んだ。

 

 光線の精密射撃で迎え撃ったウルトラマンがいた。

 光線を切り裂いた八つ裂き光輪に両断された。

 バリアを張って仲間ごと守ろうとしたウルトラマンがいた。

 バリアごと、仲間ごと、全員切り刻まれた。

 大地を操り、大要塞一つ分のサイズと合金の強度を持つ壁を作ったウルトラマンがいた。

 無数の八つ裂き光輪に壁は解体され、中のウルトラマン達もまた解体された。

 

 一瞬で"恐怖"を植え付けたティガを見て、思わずウルトラマンの一人が笑った。

 

『―――あ、はっ、ははっ』

 

 皆分かっていたはずだった。

 ティガの強さを。

 その最強を。

 無敵になるまで鍛え上げたその力と技の全てを。

 分かっていたけど、分かっていなかった。

 

 ティガが()()()()()()()()()()()()なんて。

 

 ()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()だなんて。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だなんて。

 

 誰も、想像していなかったのだ。

 

『うわああああああああああ!!!!』

 

 二十を超えるウルトラマンが、ティガを包囲し、光線を撃とうとする。

 それを目にして、ティガは片手を上げ、全身を赤熱化させる。

 そうした、次の瞬間。

 ティガを包囲していた二十のウルトラマンの体が、内側から爆発した。

 

 闇に堕ちる前にティガが使っていた"ヒートハッグ"を、より高みに押し上げた技。

 体を赤熱化させ、周囲全ての敵へのエネルギーラインを作り、そこに膨大なエネルギーを流し込むことで爆発させる。

 ()()()()()()()()()()()()()であった。

 ウルトラマン達が全員、肉片となって飛び散っていく。

 

「おいおい」

 

 誰かが言った。

 

「誰だよ……あいつを……ティガを止められるなんて言った奴……」

 

 もうダメだ、と。

 

「人が神になるには二つ。

 英雄神か、怨霊神。

 崇められてそうなるか、恐れられてそうなるか。

 英雄が反転した果てに……ここまで冥府魔道に落ちることができるのか……」

 

 残るウルトラマン達は100も居ない。

 ティガは全身に力を入れ、吠えた。

 瞬間、ティガの全身から闇の弾が無数に撃たれた。

 撃たれた弾は一瞬にして空へと舞い上がり、一つ一つが小隕石の激突をはるかに超える威力で街に降り注いで行く。

 

 上がる悲鳴。

 救いを求める声が千切れ飛ぶ。

 命乞いをする人々が肉片になっていく。

 ティガを憎み責める声が、爆発音に飲まれて消えた。

 庇い合う親子を潰し、泣く赤ん坊を消し、祈る老婆をバラバラにして、誰も彼もを殺して、殺して、殺して、殺していく。

 

 今、ティガが殺した地球人口の総数は、ちょうど100億人を超えた。

 

 西暦の時代の地球であれば、とっくに全人類が絶滅に至る殺害数。

 

 地球の現人口が600億を切っても、ティガの虐殺は止まらない。まだ、まだ、止まらない。

 

『―――街を守れッ―――!!!』

 

 一人のウルトラマンが叫び、ウルトラマン達が、神々が、一斉に前に出た。

 広域干渉が得意なウルトラマンが街を守る。

 自分の体を守れるサイズのシールドしか作れないウルトラマンが、シールドを張りながら超高速で空を飛ぶ。

 神々もまた、自ら降臨して人々を守る盾となる。

 地上ではウルトラマン達と連携している軍人達が、街の生き残りを避難させようと懸命に車両で人を運んでいる。

 人と、神と、ウルトラマンが、それぞれの使命感と責任感から完璧な連携を行い、力なき人々を救って回っていた。

 

『そう、それでいい』

 

 そう、ティガが呟いた、その瞬間。

 ウルトラマンの首が十個ほど、体から離れて落ちた。

 落下していく首と体が街に衝突し、数万トンの重量が高所から落下したことで、街は壊れ、多くの人間が死んでいく。

 悲鳴が上がる街の上空で、ティガがまた一つウルトラマンの首を切り落とした。

 

 街を守るウルトラマンや神々を、ティガが背後から襲ったのだ。

 完全に意識の隙を突いた、反応すら許さない殺戮技巧。

 誰よりも人助けが得意なウルトラマンティガが反転すれば、それは誰よりも虐殺が得意なティガダークへと変じる。

 ティガは一瞬で街の人間を消し飛ばすこともできた。

 そうしなかったのは、こうした方が効率がいいと考えたからだ。

 人も神も、人を見捨てることはできない。

 だからこうすれば、一番効率良く全部殺せる。

 

 街の外に逃げ出すことに成功した人間に光線を撃って念入りに殺し、空からの闇の弾丸を防いで人を守るウルトラマンを八つ裂き光輪で切り裂いて、ティガは無言のまま知らしめる。

 一人も逃さないと。

 生存など許さないと。

 全員、殺すと。

 

 戦慄したウルトラマンの一人が、震える口で言葉を漏らす。

 

『……最悪、だ』

 

 まだ空から降り注ぐ闇の弾丸の脅威は続いている。

 十以上のウルトラマンが消えたことで空いた防衛の穴から降り注ぐそれらが、泣き叫ぶ子供を、その子供を助けようとしていた地上の軍人を消し飛ばす。

 選択肢はない。

 神々とウルトラマンは残った面々で人々を守りながら、数体の神を抽出し、ティガダークを包囲して一撃の下に無力化せんとする。

 

 神が攻撃する、その一種に、ティガは体を闇に変える。

 0質量の闇になったティガは光と同等の速度で神二柱の背後に周り、闇を纏った両腕で神の胸部を背後から貫いた。

 まるで砂の城に水を流した時のように、流し込まれた闇が神の体をぐずぐずに崩し、その神性ごと崩壊させていく。

 

『え あ う』

『あ え…… おっ』

 

『神の殺し方はもうコツを掴んだ。世界に神が存在できる存在の枠を潰せばいいだけだ』

 

 バラバラになった神の残骸を闇に巻き込んで、ティガは腕を振る。

 近場に居たウルトラマンが五人、強制的に爆発させられ、その肉片が街に降り注ぐ。

 響く悲鳴。

 絶望の声。

 折れる心。

 生きて逃げることなどできようもない人々が、空のティガを見上げて恐れていた。

 

 もはやこの地上のどの神よりも恐れられ、憎まれ、嫌われる、光を消し去る黒き神。

 

「クソッ……ウルトラマン達を援護しろ!」

 

『ティガ、お前どうしちゃったんだよ!』

 

『優しい心を取り戻してくれ! 君はそんな者ではなかったはずだ!』

 

『待ってくれよ……ボクまだ、ティガに命を助けられて"ありがとう"って言ってないんだよ!』

 

『止まれ、止まってくれ、止まってくれよ、私だってまだ伝えてない感謝がいっぱい―――』

 

 全て、潰した。

 全て、消し去った。

 話しかけてくる全てを。

 邪魔してくる全てを。

 立ちはだかる全てを。

 無情に、無慈悲に、無理解に、ティガダークは消し飛ばす。

 

 最前線でティガが邪神とその手先から受け続けた闇。

 無理をし続けたティガの心に蓄積していた闇。

 そして、カミーラへの蛮行が生み出した、何よりも大きな闇。

 自分を憎み、全ての人間を憎み、世界を憎み、運命を憎み、何もかもを憎む今のティガダークは闇の純度で全ての悪を上回る。

 誰よりも強い光は、人々にとって誰よりも頼れる仲間だった。

 誰よりも強い闇となり、人々にとって誰よりも恐ろしい敵となった。

 全ては、反転している。

 

 心は闇に染まり、暴走する。

 感情は常に爆発し、もうどうやっても止まれない。

 記憶は欠落し、大切なことは忘れ、ただただ心の闇だけがティガダークを突き動かしていく。

 歪んだ思考がティガを動かし、ティガの大切なものを全て壊していくようになる。

 

 そんなティガを、空から光が照らした。

 アマテラスの光、人を導く陽光だ。

 光に照らされたティガの動きが止まり、アマテラスがティガの前に現れる。

 

『ティガ 光を あなたの心の光を思い出して どうか』

 

 ティガの心が少しだけ動き、目の前の少女の形をした神が、何故か泣いているように見えて―――ティガは自分でも理解できない感情に、首を傾げる。

 

『私の 家族を 仲間を 殺さないでください お願いします』

 

 神は死んだ。

 今も死んでいる。

 ティガに殺された天の神はもう、この短期間で数え切れない。

 アマテラスの懇願は神なりの悲痛さに満ちたものだった。

 多くの神が居た。

 今はもう居ない。

 既に海の邪神より多くの神々がティガに殺されており、このまま行けば天地の神は全て、あるいは海の邪神すらも、ティガに皆殺しにされてしまいかねない。

 闇の力を得て、完全に闇に堕ちきったティガには、それができる力がある。

 

 ティガが手を伸ばしてきたのを見て、アマテラスは嬉しそうに笑んだ。

 この所作には覚えがある。

 アマテラスが覚えている数少ない人間の所作だ。

 昔、アマテラスはこうしてティガに握手を求められて、ティガに敬意と友情の両方を向けられ、ティガならいつまでも信じられると、そう思えた。

 その時からずっと、ティガを一人の人間として信じてきた。

 

 ティガが伸ばしてきた手に、アマテラスも手を伸ばし返して。

 

『邪魔だ、どけ』

 

 ティガがその手で、アマテラスを握り潰す。手の中に闇を放出して、念入りに磨り潰す。

 

『あ あ……』

 

 そして、地面に叩きつけた。

 

 地面に叩きつけたアマテラスを踏み、ティガは最後の光線を撃つ。

 

 それが最後のウルトラマンと、最後の街の生き残りを消し飛ばし、ティガは嘲笑った。

 

 楽しそうに、嘲笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨が降っている。

 ティガの力が引き起こした気象異常、闇色の雲から降る雨だ。

 その雨の中、変身を解除したティガの前に、一人の少女が立ちはだかった。

 

「先輩」

 

 血まみれのユザレを見ても、もうティガの心は動かない。

 ユザレが呼びかけても、もうティガは返答を返さない。

 奇跡的に生き残ったユザレを見ても、もうティガは喜ばない。

 こんなにも濁った瞳のティガを、ユザレは一度も見たことがなかった。

 

「いつもの先輩は、どこに行ったんですか、ねえ」

 

 ユザレが無理矢理に笑って、ティガをその場に引き留めようとした。

 

「覚えてますか?

 私が幼い頃、本を読んでて。

 先輩が私を楽しませようとしてて。

 家に、アリが入って来て。

 私はびっくりして潰そうとして。

 先輩が『かわいそうだよ』って言って。

 手に乗せて逃がそうとして、失敗して。

 外に誘導しようとして上手く行かなくて。

 四苦八苦しながら、あれやこれや試して……

 先輩を見て、私、とっても優しい人だなって思ってて。

 先輩が笑うと可愛いなって思ってて。

 先輩が笑っていれば……それだけで私……頑張れるなって……」

 

 泣いているような声で、ユザレは笑っていた。

 

 ざぁざぁと、雨が降っている。

 

 ユザレの涙と、雨が混じっている。

 

「なんで先輩、いつもみたいに笑ってないんですか? ねえ、先輩……ねえ……」

 

 そんなユザレの腹を、ティガは迷いなく蹴り上げた。

 

「ぐっ……あうっ……痛っ……」

 

「どけ」

 

 体が折れたユザレの顔を狙って、もう一度ティガは蹴り上げる。

 

 空中で一回転して瓦礫の山に突っ込んだユザレに目もくれず、ティガはどこかへ去っていく。

 

 ざぁざぁと雨が降っている。

 

 ユザレの涙と雨が混じっている。

 

「うううっ……うううううう……あああああ……」

 

 雨音の中に、泣き声が混じっていく。

 

「ああああああ……ああああああああっ!!」

 

 何度も何度も、地面を殴る音がする。

 

「なんで……なんで……なんでなんでなんでっ!!」

 

 悲鳴じみた叫びが、雨音の中に溶けていく。

 

「ああああああああああああああああああああっ!!!」

 

 ユザレがいくら泣いても、いくら叫んでも。

 

 失われたものは、戻っては来なかった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9

 かつて、ウルトラマントレギアというウルトラマンが居た。

 『40万年犯罪者が出なかったため警察が廃止された』と語られる、グレートとパワードの故郷、ウルトラの星の光の国で闇に堕ちたウルトラマンである。

 トレギアは多くのウルトラマンに対し劣等感を持っていたが、自分が遠く及ばない天才であり自分の上司であるウルトラマンヒカリが堕ちたのを見て、思ってしまった。

 

 『彼ですら堕ちるなら、もう……』と。

 

 光のウルトラマン達の多くは、心に"留め金"を持っている。

 それは幼少期の経験であったり、ヒーローに救われた記憶であったり、死んでしまった家族の残した言葉であったり、いつか得た信念であったり、仲間との絆であったりする。

 闇に落ちそうになった時、ウルトラマンは留め金によって踏み留まる。

 それこそが心の堕墜を止めてくれるのだ。

 

 ティガこそがこの時代の留め具であり、もうその留め具は壊れている。

 

 闇に堕ちようとしていたのは、一人や二人ではない。

 多くのウルトラマンが闇に転びかけ、多くの人間が自暴自棄に陥りかけた。

 それでも彼らは"遺伝子の欠陥"を乗り越えつつある種族、新時代に進もうとする人間達だ。

 各々が各々の乗り越え方をして、光の側に踏み留まり、絶望的な戦いの中でも闇に落ちることなく戦い続けた。

 

 けれど、そう在れない者もいた。

 

 ダーラムとヒュドラは元より、この善性の世界に生まれた異端個体であり、シノクニの外で生まれ育った者の中でも特別闇に近かった。

 ヒュドラには猜疑心、攻撃性、情緒不安定、嫉妬心、劣等感、嘲笑の悪癖があり。

 ダーラムは凶暴性、殺害癖、戦闘狂、血を求める性情があり、他者への殺傷を躊躇わない。

 そしてどちらにも、ティガを一人で戦わせ、一人に多くを背負わせ、一人闇落ちさせてしまったという、途方も無い無力感と罪悪感があった。

 

 もっとオレが速ければ、とヒュドラは思わずにはいられない。

 もっと俺が強ければ、とダーラムは思わずにはいられない。

 あんな邪神が、怪獣が、現れさえしなければ、と二人は思わずにはいられない。

 と、同時に、怪獣が現れなければ、ティガにもユザレにもカミーラにも出会わず、出来損ないの善者として生涯を終えていただろう……と、二人は苦々しげに理解している。

 拭い去れない思考の淀み。

 無くすことのできない二律背反。

 ティガを助けられるほどの強者であるがゆえに自らの弱さに苦しみ、ティガを苦しめる敵が現れてくれたからこそティガ達と出会えたという、矛盾じみた苦悩の構図。

 

 その苦悩は、村の人間が敵だったからこそ竜胆が救いに来てくれた千景や、バーテックスが人々を襲い始めたからこそ竜胆と出会えた仲間達にも無関係なものではない。

 絶望が在れば闇が生まれる。

 闇はそれまでの人生の過程から生まれる。

 生まれた闇に飲まれれば、同一人物のまま正反対の別人が出来上がる。

 仲間すらも殺そうとした竜胆のティガダークのように。

 

 ティガに強く照らされた分だけ、光の反対側に濃い影ができて、それが闇になる。

 

 ティガとカミーラが思っているよりもずっと、ダーラムとヒュドラは悪性を持っていた。

 ティガが思っているよりもずっと、ダーラムとヒュドラはティガのことが好きだった。

 カミーラが思っているよりもずっと、ダーラムとヒュドラはカミーラのことが好きだった。

 二人に"悪"がしたことと、"光"がカミーラの生を許さなかったことを知れば、悪に落ちることに躊躇いがなくなる程度には、『絆』があった。

 

 何よりも強い絆の光が反転すれば、それは何よりもおぞましい悪逆となる。

 

 

 

 

 

 ティガがヒュドラとまた会った時、ヒュドラは闇に堕ちかけていた。

 殺す必要はない、とティガは判断する。

 服についた小虫を見るような目で、ティガはヒュドラを見ていた。

 

 "今のティガ"を見たヒュドラは、必死に何かを噛み殺すような表情で、叫び出したい気持ちを必死に抑え込んでいた。

 もう何もかもが終わり果てている実感があって、ヒュドラが何を叫ぼうと、ティガには届かないという確信があった。

 もうあの頃のティガはどこにも居ないのだという理解があった。

 

「ティガ……お前……」

 

 何せ、怖いのだ。

 ヒュドラは今のティガが怖い。

 怖くて怖くてたまらない。

 正気で向き合えない。

 狂気が無くば目も見れない。

 「道を正してやらないと」だとか、「救ってやらないと」だとか、「止めてやらないと」だとか……そういった仲間らしい感情が、全く湧いてこない。

 闇に染まっていくティガが、ただただ恐ろしい。

 無情に殺しに来そうなティガの目が恐ろしい。

 ずっと見てきた優しさや暖かさの欠片もない、ただ冷たい殺意の具現がそこにいる。

 

 耐えきれずヒュドラが闇に身を委ねようとすると、正気が狂気に置き換わって、これまでのヒュドラが新しいヒュドラに成っていき、少しだけ気持ちが楽になる。

 心はそちらに流れて、どんどん狂気がヒュドラの内側を侵食していく。

 狂気は何者も恐れない。

 何も見えない闇の中に長期間放り込まれた人間は狂う。それが命の基本だ。

 闇の中で恐れから逃げるには、狂うしかない。

 

 ヒュドラはティガを恐れる自分を、恐れない自分に置き換えていく。

 ティガを恐れないようにしようとする仲間意識で、ティガを好きだった理由を忘れていく。

 ただティガの目の前に立っているだけで、自分が闇の底に落ちていくような感覚があった。

 

 そこに存在するだけで全ての人間に希望の光を見せる人間は、闇に反転することで、そこに存在するだけで全ての人間の心を折り絶望の闇に堕とす存在となった。

 

「テメエを信じたオレがバカだった、それで終わる話か」

 

 ヒュドラはティガをバカにするような語調と、ティガをバカにするような言葉を選ぶ。

 

「……なんでオレは、お前ならどんなことがあっても平気だと、信じ切ってたんだろうな……」

 

 けれど、その裏にあるのは、途方も無い後悔。

 "お前を信じた俺がバカだった"という言葉を、他者への罵倒のように口にしてその実、己への罵倒として口にしている。

 ウルトラマンティガを追いかけるヒュドラの旅路は、こうして終わった。

 

 もうヒュドラの中に、光は何も残っていない。

 

「ああ、分かってる、分かってるっての。

 俺ぁゲスだ。

 最初からお前らの光になんか並べると思ってねえよ。

 どうせこうなるだろうと……いや……

 ……俺が悪党になる想像はしてたが、お前がそうなるのは、毛の先ほども思ってなかったな」

 

 ティガの心の、どこかが軋む音がした。

 

「だからそんな目で見るんじゃねえ……

 その目で見るな!

 お前だけが、オレを対等に見る。

 オレより上等なお前が俺を対等に見てると、こんなクソなオレが嫌になる……

 テメエが一番、オレをみじめな気分にさせる!

 テメエと同じ目でオレを見ることがねえあのクソ聖人どもを、殺したくなるんだよ!」

 

 ヒュドラが闇に染まれば、ヒュドラが最後まで馴染めなかった『人間の善』ことごとくを殺し尽くす殺戮者が完成する。

 

「テメエはもう、オレを見ねえだろうが……」

 

 心が軋む音がした。

 

「そういうのありなら、俺もそうするさ。ヒヒッ」

 

 そう言い切るヒュドラの中に、善性は欠片も残っていなかった。

 

 光が一つ、闇に堕ちる。

 

 

 

 

 

 ティガがダーラムとまた会った時、ダーラムは闇に堕ちかけていた。

 殺す必要はない、とティガは判断する。

 服についた小虫を見るような目で、ティガはダーラムを見ていた。

 

 今のティガを見ても、ダーラムは何も思わない。

 結局、人はそういうものなのだな……と、心に割り切りが一つ増えるだけ。

 

 ダーラムには己を恥じる気持ちがあった。

 戦いを好む自分。

 血を好む自分。

 傷害にも殺害にも何の躊躇いもない。

 戦いの中で赤ん坊をその手で殺しても、何の後悔も抱かなかった。

 戦いに夢中になって仲間を攻撃し殺しかけても、自分を何も変えられない。

 そんな彼にとって、己を恥じる気持ちとはティガから貰うものであった。

 

 彼を見るたび、そこから外れた自分を見つめることになる。

 戦いに生きる気概以外何も興味を持っていなかったダーラムは、仲間と出会い、仲間と過ごし、仲間に合わせるために倫理を身に着けてきた。

 だがそれももう、過去の話。

 ティガの絶望も、カミーラが味わった絶望も、ダーラムには痛いほど分かってしまう。

 それはティガ達と過ごしてきた時間がダーラムに与えた、豊かな人間性が感じさせたものだ。

 

 だから、堕ちる。

 人間性を得たがゆえに人間らしい闇を得て、闇と引き換えに人間性を捨ててしまった。

 ダーラムには既に闇に堕ちる躊躇はなく、その心は闇に染まっている。

 そして、獣性が顔を出し、それが闇を引き寄せる。

 

「血と戦いを好む俺の居場所は光の側にはない。

 こちらにいれば光の戦士達とも戦える。

 何より……お前が居る。親愛なる我が友よ(Dear My Friend)

 

 もうダーラムの中に、光は何も残っていない。

 

「この心は人よりも怪獣に近いと、ずっと思っていた。俺はずっと獣だった」

 

 ティガの心の、どこかが軋む音がした。

 

「俺はようやく、怪獣になれるのかもしれない。

 人を殺しても当然で。

 物を壊しても当然で。

 戦いのことだけを考えていればよく。

 日常の中で人間らしく生きる必要もない。

 ティガを助けてやれないことに苦しむ必要もない。

 目の前の敵に全力でぶつかればいいだけの、獣になれる。

 愛さず、救わず、助けず、殺すだけでいい闇の獣のなんと楽なことか」

 

 心が軋む音がした。

 

「上手く使え。俺はお前とカミーラを傷付けた全てを滅ぼす、怪獣だ」

 

 そう言い切るダーラムの中に、善性は欠片も残っていなかった。

 

 光が一つ、闇に堕ちる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ティガがカミーラとまた会った時、カミーラは闇に堕ちかけていた。

 殺す必要はない、とティガは判断する。

 愛おしい宝石を見る目で、ティガはカミーラを見ていた。

 一つ、他の二人と違ったのは、カミーラはティガを止めるために来ていたということだった。

 

『ティガ』

 

「カミーラか」

 

『……っ。ユザレが場所を教えてくれたのよ』

 

「そうか、ユザレ……ユザレって誰……ああ、ユザレか」

 

『―――』

 

 何故カミーラが泣きそうなのか、ティガにはもう分からない。

 何故自分が泣きそうなカミーラに駆け寄ろうとしたのか、ティガにはもう分からない。

 何を忘れてもカミーラのことだけは忘れない自分が何故そんな自分であるのか、ティガにはもう分からなかった。

 

 カミーラが巨人体で、ティガはまだ人間体のままであるというのに、ティガはカミーラに臆する様子をまるで見せない。

 むしろ怯えはカミーラの方に見て取れた。

 絶対的強者への恐怖、ティガが纏う闇の雰囲気への恐怖、そして何より、変わり果てた愛する人と戦うかもしれないという恐怖が、カミーラを支配している。

 

 ティガは眩しいものを見るような目でカミーラを見上げる。

 カミーラの心は壊れている。

 改めて話して確認するでもなく、相対すればそれが分かる。

 カミーラはまだ光の側だ。

 "あれだけのこと"をされてなお、カミーラは光の中にいる。

 心が力の形を左右するウルトラマンは、あの時のカミーラほど絶望していれば間違いなく闇に堕ちているはずだ。

 なのに、そうなっていない。

 

 カミーラは希望が何一つない幼少期を過ごしてきた。

 絶対的な絶望は彼女にとって、いつも近くにあった空気と変わらないものでもあった。

 希望が最初から無いという絶望と、希望を突然取り上げられる絶望は全くもって別種のものだったが、カミーラはそのどちらにも耐えたのである。

 効かなかったのではない。

 耐えたのだ。

 心を壊しながら。

 あの幼少期のように、カミーラは心を砕きながら、絶望に懸命に耐えていた。

 そして、光で在り続けたのだ。

 ティガが闇に堕ちた今になっても、カミーラは光だった。

 

『あなたは光の側にいなきゃダメなのよ』

 

 あまりにも酷い仕打ちは、幸せの中に居た少女を地獄に突き落とし、心を壊した。

 それでもまだカミーラは闇に堕ちない。

 もうその心も力もだいぶ闇に寄っているはずなのに。

 光の側に居続けて、光の側にティガを引き戻そうとする。

 

 "彼女が居るから僕は光でいられるんだ"と―――ティガは今でも、心のどこかで思っていた。

 

 人間は誰もが光になれることを証明する少女。

 カミーラがただ生きているだけで、ティガはその在り方に心惹かれ、目を引かれる。

 ティガが光であれたのは、心が強いわけでもなく、生まれに恵まれていたわけでもない、ただ誰よりも"頑張って光に向かおうとしている"だけの、この少女が隣に居てくれたから。

 

 それももう、昔の話だ。

 

『私は知ってる。

 あなたに照らされていたから知ってる。

 あなたは光よ。

 今のあなたは本当のあなたじゃない。

 本当のあなたは皆の希望で、誰が見ても光である人。

 誰よりも輝いているあなたを、皆大好きで、皆待ってるの』

 

 いつも全力で信じてくれるカミーラのことが好きだった。

 

 その気持ちはまだ、昔の話になっていない。

 

『世界中があなたを待ってる! だから!』

 

 傷付き壊れた心が治らないまま、あるいは一生消えない心の傷を抱えながら、自分の心の痛みもそっちのけで"ティガのため"に、ティガを必死に光に引き戻そうとしている。

 カミーラが泣きそうなのは、自分の痛みよりも大きな悲しみを感じているから。ティガの現状に悲しみが溢れているから。

 自分が泣くことすら後回しにして、ただティガの未来のために、大好きなティガのために、壊れた心で無理をして頑張っている。

 いつものカミーラなら、もう少し冷静な手段だって選べたはずなのに、もうカミーラにはそれを考えるだけの余裕もない。

 

 心が軋む音がした。

 

「じゃあ世界中を殺せば、ようやく誰も俺を待ってない世界ができるのか」

 

『―――え』

 

「悪くないな」

 

 ティガが飛ぶ。

 人間体、そのままで。

 高さ40m、直線距離にして100mを越える距離を一瞬にして詰めたティガは、心が闇に寄っていることで力を失いつつあるカミーラを、思い切り手の平で叩いた。

 ガードしたはずのカミーラがよろめき倒れ、地面に強く背中を打つ。

 

 ウルトラマン――ウルトラウーマン――の巨体を凌駕する膂力。いや、闇の力か。それが人間体の時点で発揮されている。

 闇に完全に身を浸しているティガは既に、光を失いつつあるカミーラ相手であれば、変身すらせずとも圧倒できるだけの力を持っていた。

 カミーラが手に光を集めて放とうとするが、放つ前にティガが操る闇によって四散する。

 

「極めたウルトラマンは人間体でも力を使える。知ってるよな」

 

『うっ、くっ……!』

 

 カミーラの胸の上にティガが軽く乗ると、それだけでカミーラは動けなくなってしまう。

 闇の力は強い。

 この星における光の巨人と闇の巨人の平均値を取れば、ティガを除外して算出しても、闇の巨人が圧倒的に強いだろう。

 規格があまりにも違いすぎる。

 闇の力を短期間で極めたティガは、もはや触れるだけでウルトラマンを金縛りにできてしまう。

 

 カミーラを見つめて、ティガは優しげな声をかけた。

 

「寂しいな。君のために闇に堕ちたのに」

 

『……え……』

 

「見逃してあげようか? 逃げたいなら逃げてもいいよ」

 

 露骨にカミーラを特別扱いする言葉。

 カミーラはそこに戸惑いと嬉しさを覚える。

 意図が読めなくとも、カミーラはいつだってティガの優しさを嬉しく感じてしまうから。

 

「カミーラは特別だからね」

 

 心がぐらつく。

 ティガの言葉に耳を傾けたくなってしまう。

 けれど"カミーラ"と呼ぶその声が、カミーラに最後の一線を越えることを躊躇わさせる。

 カミーラは僅かな希望を頼りに、けれどそれにすがることなく、ティガに問いかけた。

 

『ねえ、ティガ、あなたは何がしたいの……?

 闇に堕ちて、それから……何がしたいの……?』

 

「全部殺したいんだよ。とりあえず生きてるのは全部ね。生きてるなら殺したい」

 

 自分の心が割れる音を、カミーラは聞いた気がした。

 

 あんなにも優しかったティガが、全ての命を愛おしんでいたティガが、こんなにも醜く醜悪に堕ちてしまっている。

 

 それがカミーラには悲しくて、辛くて、苦しくて……()()()()()

 

 そこに幸せを感じていた。

 ティガは世界を救う英雄である。

 世界の全ての人を守るため、光の側に居続けた巨人の勇者である。

 彼の光は世界のためにあり、世界中の人々が彼の光を求めていた。

 その光の全てを捨てて闇に堕ちたのだ。彼は。カミーラのために。カミーラのせいで。

 "カミーラのせい"と彼は絶対に言わないけれど、カミーラは自分のせいだと分かっていて、それがたまらなく嬉しくて、幸せで、心が満たされる思いだった。

 

 あんなにも輝かしいものを全て捨てて闇に堕ちるほど、ティガはカミーラを愛していた。

 

 だから、心の闇は囁いた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 愛されている証明。

 自分の愛が報われていた証明。

 ティガの闇の大きさが、そのままティガのカミーラへの愛を証明する。

 土居球子が殺された時のティガダークが、竜胆の球子への愛を証明したように。

 

 あんなにも貴く輝かしかったものが、自分のためにここまで堕ちてきてくれた。

 

 カミーラは嘆き悲しみながらも、それが嬉しくてたまらない。

 

 光と闇が拮抗しているカミーラの心は、明らかに二律背反を発生させていた。

 

「全部殺すんだよ。

 人も。

 神も。

 邪神も。

 怪獣も。

 巨人も。

 光も闇も善も悪も。

 そして闇で世界を満たすんだ。

 どんな光も存在できない醜い闇で覆うんだ。

 俺と、君と、君に優しい仲間以外、全部全部殺すんだ」

 

 ティガはもうとっくの昔に狂っている。

 外なる神、クトゥルフ神話体系の邪神に関わった人間の末路など、そのほとんどが正気を失い狂気に落ちて終わるものだと相場が決まっているものだ。

 彼の言葉に正気はない。

 耳を傾ける意味はない。

 その思考は既に破綻していて、いつ真逆のことを言い出すかも分からない。

 カミーラだって分かっている。

 今の彼の言葉に意味を見出しても破滅しかないと。

 分かっている。分かっているのに。

 

「そうしたらその世界で、君が一番輝く光か、一番綺麗な闇の人になれる」

 

『―――』

 

「もう誰も、君を傷付けたりしないんだよ」

 

 ティガの言葉に、カミーラの頭の芯が痺れて、思考が動かない。

 "嬉しい"で頭が染まる。

 "幸せ"で頭が染まる。

 光の中に居た時も。闇に堕ちた今もなお。ティガは、カミーラを愛してくれている。

 それが嬉しくて、嬉しくて、たまらなくなってしまう。

 

 愛ゆえに、悪人を許容するなら。悪行を肯定するなら。悪に加担するなら。

 それすなわち、悪である。

 悪を行う自分をそのまま肯定すること、それそのものが闇となる。

 悪性、反社会性とも言えるそれは、"普通の人達"が持つ遺伝子のどれにも存在している。

 カミーラはもう止まれない。

 

「俺は君に強要できない。

 君が光でも闇でも俺は構わない。

 でもできるなら、俺は君にも同じになってほしい。

 光でも闇でも、俺は君を嫌うことはないけれど。

 叶うなら、俺の隣で、俺と同じ道をいつまでも歩んでいてほしい」

 

 だって、本当は、カミーラは人々の安寧なんてどうでもよかったから。

 善が満ちる世界の未来を守るだなんて、どうでもよかったから。

 彼女はずっと、自分を救ってくれた一人の少年だけを追いかけて、ここまで来たのだ。

 

 過去は光。今は闇。ティガのそのどちらにも、カミーラは強く魅了された。

 

 

 

「君が欲しい。僕と同じところに堕ちてくれ」

 

 

 

 もうカミーラの中に、光は何も残っていない。

 

「おいで。

 辛いこと全て忘れさせてあげる。

 全てを覚えて背負っていくのが光なら。

 忘れて見えなくしてしまうのが闇だ。

 君のための闇だよ。

 君は辛いことを全部忘れて、幸せになるんだ」

 

 カミーラは自ら望んで、その手を取って。

 

 光が一つ、闇に堕ちる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「力こそ全てだ。この力で全てを壊す。そして、そして―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悲鳴が響く。

 悲鳴に悲鳴が重なり、奏でられるは世界に響く大合唱。

 子供が逃げ惑い、大人が子供を助けようとして、まとめて轢き潰される。

 人の命が米粒よりも軽い世界が、それまでの世界を塗り潰していった。

 

 燃える街に悲鳴が響く。

 

『ヒャアアアアア! 気ィ持ちィィィィ!! 人間の悲鳴! 最っ高じゃねぇかぁ!』

 

 ヒュドラが持つ夢幻空間・ルマージョンが展開され、引きずり込まれた人間達がルマージョンの真空の中、苦悶の表情で窒息死していく。

 窒息死した死体を現実の街にばらまいて、真空の刃で切り刻んで死臭を街に彩っていく。

 人々を守ることをティガに教わった男は、人々を虐殺することを楽しむ男になっていた。

 街を飛び回り殺して回るヒュドラは、救いを求める子供を見つける。

 

「助けて……助けて……ウルトラマン……」

 

 そこで、ヒュドラはわざわざ自分に群がってきたウルトラマンを真ん中で真っ二つに両断し、子供の前に落として見せた。

 子供の顔から血の気が引いて、絶望の表情に涙が浮かぶ。

 

『よぉ、楽しんでるか?』

 

「ひっ……助けて……たすけてぇ……ウルトラマンっ……ティガぁ……!」

 

 途中まで楽しんでいたヒュドラは、子供が漏らした一言を聞いて、嫉妬に多くの感情がまぜこぜになった顔になる。

 一瞬心が冷えたヒュドラは、指先を弾いて子供の首をもぎ取った。

 涙が流れる子供の首が、綺麗な放物線を描いて宙を舞う。

 

 不可逆の変化を迎えたヒュドラの心は、この光景をたまらなく楽しんでいた。

 一瞬前に抱いた複雑極まりない感情を、ヒュドラはもう忘れている。

 

『ヒャヒャヒャ、助けてやったぞ?

 生きててもいいことなんてないからよぉ。

 殺して救ってやったぜぇ! ヒャハハハぁ!!』

 

 その横で、ダーラムが人を踏み潰していた。

 近くにいる人間を一人ずつ丁寧に踏み潰し、踏み潰す度に含み笑いを漏らしている。

 広範囲に人間が散っていったのを見ると、ダーラムはおもむろに地面を殴った。

 その瞬間、地面が全て海になり、人々が地面だった海に飲まれ、溺れ死んでいく。

 弱者をいたぶりながら殺すことに、ダーラムは至上の快楽を覚えていた。

 

最高だな(Very good)

 

 ダーラムは街を練り歩き、強者など探しもせず、悲鳴を上げる一般人を探して回る。

 そして店に隠れていたカップルを見つけ、両手に一人ずつ持った。

 愛し合う男女が互いを庇い始めるのを、ダーラムは静かに待つ。

 

「この人だけは……この女性だけは助けてください! お願いします!」

 

「やめて! この人を殺さないで! わたしなんでもします! なんでもするから……!」

 

 そして二人の愛の言葉をしっかり聞いてから、二人の体を押し付け合う。

 重ねた二人の体を、両手でぎゅうぎゅうと、ぎゅうぎゅうと、力強く押していく。

 

「やめ……やめ……この人だけは……僕の心を救ってくれた……! ぐぁぁっ……」

 

「やめてぇ……この人が潰れちゃ……痛い痛い痛い痛いぃ……!」

 

 ぶじゅっ、と音が鳴って。

 声が止まる。

 一つになった肉塊をゴミのように捨て、ダーラムは心底楽しそうに笑う。

 不可逆の変化を迎えたダーラムは、これがおかしくてたまらない。

 先程まで愛の言葉で互いを庇い合っていた人間が、より大きな力に理不尽に負け、もう愛の言葉を囁くこともできなくなったのが、最高に滑稽に見え、最高に笑えてしまうのだ。

 

『愛し合う二人は永遠に一緒であるのが望ましい……そうだろう?』

 

 親子を探し、子の前で親をつまみ上げ、助けに来たウルトラマンに投げつけてぶつけて殺し、子とウルトラマンの反応を見る遊びをダーラムは始める。

 

 その横でカミーラの氷の鞭がウルトラマン数人の首を掴み、その首をへし折っていた。

 

『本当にみじめね、光の巨人。こんなにも弱くて何かが守れるとでも?』

 

 カミーラの冷たい心がそのまま形になったかのような氷の槍が放たれ、人々を守ろうとするウルトラマン達を次々と穴だらけにしていく。

 かつてカミーラの敵だった怪獣達がカミーラに従い、街を闊歩する。

 その指揮が、僅かな光の勝機を潰していく。

 闇に堕ちた巨人達は、邪神の闇をも取り込んでいた。

 それが更に心をおかしくさせるが、彼らは誰も気にしない。

 

 邪神の闇を取り込んだ闇の巨人達は怪獣を操る力も獲得しており、この時シビトゾイガーの存在も知り、シビトゾイガーを操ることで人類の全戦線を崩壊させていた。

 シビトゾイガーは神の結界を容易く抜ける。

 神の目でも見つけられない。

 人が判別する手段はない。

 そうして詰ませた各戦線を、カミーラは巧みな指揮で皆殺しに持っていく。

 

 光を集め、束ねる、他者愛のウルトラマンだった女は、変わり果て。

 闇を集め、束ねる、自己愛のウルトラマンに成り果てていた。

 

『あら』

 

 そしてカミーラがウルトラマンを皆殺しにし、気まぐれに海を見れば、そこには無数の神をこの世界から消し飛ばす黒き巨人が飛んでいた。

 もはや黒き神としか言えない威容。

 全ての神を蹂躙する黒き神が、空を鋭利に切り裂いている。

 

 ティガは全てを滅ぼそうとしていた。

 善人も、悪人も。

 善神も、邪神も。

 だから時折海を探している。

 海の底に蠢く邪神を見つけるために。

 

 邪神は地上に上がってこない。

 海上に痕跡を見せることもない。

 邪神の目的は光を消すこと……ならば、ティガ達がそれらを消している現状、自らが姿を見せるまでもないということなのか。

 現状で満足ということなのか。

 

 あるいは、ティガとぶつかった時、どちらが勝つか邪神にも自信が無いからなのか。

 

 ティガが吠え、闇が弾ける。

 八つ当たりじみた咆哮で、大きな島が二つ三つ、まとめて消滅させられていた。

 

『……素敵』

 

 その光景を、カミーラがうっとりと見つめていた。

 

 

 

 

 

 ウルトラマンヒュドラ。その本質は『間に合わない最速』。

 ウルトラマンダーラム。その本質は『無力な剛力』。

 ウルトラマンティガ。その本質は『最強』。

 ウルトラマンカミーラ。その本質は『絆』。

 

 かつてはそうだった。

 

 今はもう、変わり果てた別の何かになっている。

 

 軽薄なひねくれ者だったヒュドラは、残忍な悲鳴嗜好者に。

 言葉少なで友情と戦闘のみを愛したダーラムは、殺戮戦闘をを嗜好する男に。

 不器用だが他人想いで愛深き女だったカミーラは、もはや自己愛とティガへの愛しか持たない、他者への愛を持たない女に。

 誰よりも貴き光であったウルトラマンティガは、誰よりも深き闇に堕ちた。

 

 

 

 

 

 邪神の到来前、1000億はいた人口は既に1万人を切っていた。

 健在であるウルトラマンは0。

 四人の闇の巨人を除けば、全てのウルトラマンが死に果てていた。

 軍事兵器の残存戦力もなく、軍人の生存者も0で、神々も数えるほどしか残っていない。

 人工衛星も、空中都市も、宇宙都市も、地上の都市も、シェルターさえもが全て壊れた。

 原始的な村すら、数えるほどしか残されてはいなかった。

 

 病院に数人のウルトラマンが入院し今も手術中だが、それもおそらく明日までに半分以上は死に至るだろう。

 残る1万人の人間も、無傷の人間を数えれば、おそらく100人居るか居ないかというところだ。

 文明は既に壊れている。

 元に戻せる目は完全に消えてなくなった。

 

 神々はもはや人類存続のための一手を打つしか無く、逃げるように新たな手を打つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ここは 安全です』

 

「ありがとうございますアマテラス様、ですがここは……?」

 

『ここは 高天原 隔離された異次元

 あなた達 生き残りの人間のため

 神の世界の一部を切り取り ここに置いています

 ブラックホールを越え

 特異点を越え

 世界を隔絶する障壁 天岩戸を越えなければ

 絶対に辿り着くことができない

 作り上げた安全な世界

 残る神々も此処に集まってくれました

 このままでは人類は滅びる

 僅かでも ここで人類の命脈を繋ぎ

 あの厄災が終わった後 地球に戻り 再び繁栄するのです』

 

「厄災……あの闇の巨人達のことか……」

「助かった……のか?」

「よかったぁ、本当によかったぁ」

「ありがとうございます、ありがとうございます、天にまします神様……!」

「パパ、だいじょうぶなの?」

「ああ、そうだよ。ママはダメだったけど、パパとお前は助かったんだ」

「凄いな神様。ブラックホールの向こうに世界を作れるのか」

 

『神々は人を見捨てません

 天より見守り 人をその手で守ります

 人と 神の 信頼が ある限り

 いつの日かまた あなたたちが 光を―――』

 

「ヒィッ……ああああああ……てぃ、ティガだ! アレを見ろ! あいつが来てる!」

 

『あ……』

 

「ブラックホールを引き裂いて……天岩戸を引きちぎって……!」

「……そうだよな。そんなうまい話はないよなぁ」

「皆殺されちゃったんだもん。私達だけ、生き残れるわけないか」

「嫌だぁ! 嫌だ嫌だ! 死にたくない! 誰か助けてくれえ!」

「ママが、ママが助けてくれたんだもん、生き残らないと、生き残らないと」

「美しいな。ああ、美しい。あれが、世界を終わらせる黒い神か」

「ああ、ダメだ、神様達が紙切れみたいに……」

「もう終わりだ、終わり、ははは……」

「オレ達、何か悪いことしたっけ」

「……どっかで生きてた普通の少年に、全部任せてたバチが当たったんだろうさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ティガ ティガ ティガ ティガ ティガぁ……!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界終焉の引き金が、一つ、一つ、引かれていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見渡す限りの灰色の砂漠があった。

 全てが燃え尽きた灰色の砂漠があった。

 砂ではない、灰の砂漠。

 世界の多くは焼き尽くされ、宙を舞うはずの塵と灰は闇に色を奪われて、付着した闇の重さで地表に堆積している。

 灰の砂漠を一人歩く女が居た。

 その歩みに迷いはない。

 腰に光り輝く剣を携え、女は真っ直ぐに目的地へと歩いていく。

 

 今日、彼が此処に一人で居ることを、彼女は知っていた。

 

「久しぶり。酷い顔ね、ティガ」

 

「……ユザレ」

 

 灰の砂漠の中心で、死体のような表情で、ティガは世界を見つめていた。

 死体のような生気の無さで、無気力にティガは立ち上がる。

 変わり果てたティガを見て、ユザレは泣きながら彼に抱きつきたかったが、ぐっとこらえて、不敵な表情で聖剣の柄に手をかけた。

 ティガが手で触れることすら必要とせず、彼の前にブラックスパークレンスが浮き上がる。

 

「死にに来たのか」

 

 虚無の殺意であった。

 無気力な殺害宣言であった。

 そう言ったなら言った通りにティガはユザレを殺しにかかるだろう。

 そこに疑いはない。

 されどユザレは、現在の地球最強を目の前にしても、なお一向に揺るぎない。

 

「それも良いと思ったこともある。

 でも、ね。

 ふと思っちゃったんだ。

 このまま行けばカミーラは幸せ。

 でもティガはそうじゃない。

 このままだとティガは絶対に幸せになれない。

 永遠に後悔したまま闇の中で揺蕩い続ける。

 だから戦えるくらいに傷が治ってすぐに、ここに来た」

 

「ユザレ、何を……」

 

「知ってる?

 私がティガとカミーラが恋人になるのを推してた理由。

 それはね、ティガが一番幸せになれそうだったから、それだけ」

 

 ユザレは深呼吸を一つして、聖剣を抜く。

 別に、自分がティガを幸せにする自信がなかったわけではない。

 ティガに負い目があったわけでもない。

 ティガはカミーラと付き合うのが一番幸せだろうと思った、それだけ。

 ティガが一番幸せになれる未来をいつも考えていたユザレは、だから当然のようにそうした。

 結局、それは大失敗に終わってしまったけれど。

 悔いはあるけど、悔いはない。

 ティガを不幸にしてしまったことだけが後悔で、ティガの一番の幸せを考えてきたことに後悔はなかった。たとえ、そのティガ自身に裏切られたとしても。

 

 "愛してるから後悔はない"と―――心の中でなら、ユザレは無限に言い続けられる。

 

「カミーラが幸せでも、ティガが幸せになれないなら、私が肯定する理由がない」

 

「俺が何故幸せになれないって? 闇の力で殺戮するのはこんなに楽しいのに?」

 

「あなたがいつも誠実で。

 どこかの誰かの正義の味方で。

 悲しんでいる誰かの味方で在り続けたことを、私は覚えてるから」

 

「―――」

 

「この先、どんな未来を迎えるとしても。

 ティガ・ゲンティアが闇に堕ちたまま後悔したまま終わるよりは、ずっとマシなのよ」

 

 "愛してるから知っている"と、幾度となく思っても、口に出せたことはない。

 

「だってあなたは、いつだって、誰かの花咲く笑顔を守りたかった人なんだから」

 

 一人の少女を愛し、その愛のために狂い、たった一人のために世界さえ滅ぼしてしまうティガ・ゲンティアだから―――ユザレ・ナイトリーブは、ずっとずっと大好きだった。

 

「天神よ。ここに対価を捧げます。どうかその御力をお貸しください」

 

 ユザレが天の神の加護を受け、地を駆ける流星となる。

 

 ティガダークが大きく固めた闇を投げつけ、それが炸裂する。

 

 ユザレが死んだ―――そう、ティガの軋む心が思った瞬間。

 

 奇跡の光が、闇を切り裂いた。

 

 

 

 

 

 全ての闇を弾く聖剣の力。

 それはティガも知っている。

 邪神とその眷属に対する絶対的な特攻剣。

 星の中心核を星に分けて貰い、神々が力を込めて鍛え上げた、邪悪を滅ぼす光の剣だ。

 

 だが今日までの戦いで、この聖剣はそれなりにしか活躍していなかった。

 出力が足りていなかったのだ。

 使い手がただの人間でしかない以上、聖剣は聖剣単品の力を不十分に放出するのみ。

 それでは怪獣相手にすら力不足で、闇の巨人相手には全く歯が立たない。

 使い手の基礎出力値が高まらない限り、聖剣は本当に力を解放できない。

 普通の人間には過ぎた武器であり、なのに人間にしか使えない。

 聖剣は子の時代において、拭い去れない欠陥を抱えていた。

 

 ならば何故今、聖剣はティガの闇を切り裂いているのか。

 

『その……姿は……?』

 

 闇を切り裂き、ユザレはティガダークを見下ろせる高さまで飛び上がる。

 

 その背中には、天狗のような、烏の翼が生えていた。

 

「『大天魔』」

 

 ユザレが振るった聖剣に炎が宿り、それが斬撃として射出される。

 ティガはそれを殴り壊し、いつものように"他者だけを強制自爆させる力"によって、ユザレを体内から爆発させんとする。

 僅かな所作からそれを見切ったユザレが、その両手に『真紅の手甲』を生やした。

 見えないはずのエネルギーラインを、赤き手が掴んで握り、そのまま潰す。

 

「『大鬼神』」

 

 追撃にティガが放った闇を飛翔でくぐり抜けながら、ユザレの頭に狐の耳が生えた。

 

「『玉藻命』」

 

 ティガの闇には呪詛がある。

 世界を呪う呪詛がある。

 人間らしい呪いがある。

 呪いを操る力を手にしたユザレは、ティガの放った闇を容易に捻じ曲げ、圧倒的実力差を無視して攻撃を逸らすことができるようになっていた。

 

 ティガは困惑する。

 こんなもの、見た覚えがない。

 こんなもの、これまではなかったはずだ。

 ユザレの力なら勇者の力であるはず。

 勇者の力であるはずなのに、ティガが知っている力が何一つとしてない。

 似ているものなら知っている。

 しかし、決定的に違う。

 ()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()技術体系など―――ティガは今日まで、見たことがなかった。

 

『人を超えた存在を人がその身に憑ける……なんだそれは……なんだ……!?』

 

 それはウルトラオーバーラッピングの模倣。

 貼り付ける(ラッピング)力を、ウルトラマンではなく人と神で行う技法。

 かつて神の力を纏う最強の光であったティガの存在を人に落とし込んだもの。

 その模造品。

 ゆえに、最強の模造。

 人の力で至ることができる究極の限界点。

 心体が穢れに汚染されることもいとわず、神や妖魔を体に宿すという、世界最新にして世界最高の勇者の戦闘形態(バトル・スタイル)

 

 "人ならざるものをその身に憑ける無垢なる少女の戦士"こそを、『勇者』と呼ぶ神の理―――その初代。神の力と精霊をもって世界を救う勇者の初代だ。

 

「ティガのためなら私もこれだけ絞り出せる……光だあああああああっ!!!!」

 

 『大天魔(だいてんま)』。

 欲界の最高位、他化自在天が神性、そして全ての神々と聖性の大敵である大魔王。

 後の時代に『大天狗』と呼ばれるそれは、ユザレに神の刀、烏の翼、神殺しの炎を授ける。

 その力は世界の終末に最も大きくなるという。

 

 『大鬼神(だいきじん)』。

 神であり鬼である神群、ティガの師であったスクナの同族が一体。

 神と鬼、二つの属性の力を拳に宿すことができ、その拳の威力は絶大。

 その手は見えない攻撃、あるいは堕ちた友の手を掴むためにある。

 伊吹大明神の兄にあたる西暦の記録にない神であり、血縁上は酒呑童子の叔父にあたる。

 

 『玉藻命(たまものみこと)』。

 西暦の記録のほとんどには残っていない、アマテラスの分御魂が変じた新興の神。

 西暦においては古義真言宗の一派、東寺真言宗において「狐のダキニ天はアマテラスと同種の存在である」と語られる程度にしかその痕跡を認知されていない神。

 後に名を変え、変わり果てた存在として地上に降りる、呪術に特化した狐の神性。

 

 それは、ユザレの心に応じた神々。

 闇に堕ちた男を救わんとする、少女の祈りに応えた力。

 世界の始まりに数えられる造化の三神とは違う、『最も貴き神』と呼ばれる天照ら三貴神とも違う、神に繋がる三つの魔。

 勇者が纏う希望の蕾だ。

 

「ティガあああああああッ!!!」

 

『ユザレ……くっ……なんでそんなに……ああああああッ!!!』

 

 それは、受け継がれる光の絆。

 

 絆ある限り、希望ある限り、この三つの魔はそれを繋ぐ。

 

 今はただ―――ティガとユザレの絆のために。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10

 もののけがこの世に現るるは 事の道理なり
 されど そのもののけを打ち破らんとする心
 それさえあれば 百戦して危うからず
 つわものは常に孤独
 つわものは勝ち続けねばならない
 そのために 孤独になる

 ―――耐えられるかな?

【ウルトラマンティガ16話 錦田小十郎景竜】


 天狗の翼、鬼の手甲、狐の尾耳。

 三つの神魔の力をもって、ユザレは立ち向かう。

 大天魔の炎は闇を照らす篝火となり、鬼の手は友へと伸ばされる少女の手を守り、呪術は世界を呪う怨嗟の声を消し去っていく。

 

 ティガに力では勝てない。

 この存在は最強だ。

 もはやこの黒き神を殺せる力など存在しない。

 けれどユザレは止まらない。

 倒す気などない。

 殺す気などない。

 ただ、救いたかった。

 これまでも、これからも、ただ幸せに笑っていてほしかった。

 

「はあああああッ!!」

 

 ユザレは、最初からずっと彼を分かっていた。

 人々を虐殺するティガを見て、少し揺らいだ。

 そして、アマテラスとユザレが生き残ったことで、ユザレは確信した。してしまった。

 

 ティガは自分を憎んでる。

 事ここに至らせた自分を憎んでいる。

 消えてなくなれ、消えてなくなれと、自分を憎んで憎んで憎みきって、それが心の闇を増幅、最強の闇の巨人としての力を確固たるものとしてる。

 己を憎む心こそが、闇の巨人を完成させ、究極の戦闘力を与える最後のピース。

 

 そこまで自分を憎んでも、ティガは自分自身を全て捨て切ることができなかった。

 ダーラムとヒュドラを仲間として迎え入れ、カミーラへの愛は濁り切ってもそこにあり、アマテラスもユザレも殺せなかった。

 堕ちても堕ちても、捨てられない。

 自分からは逃げられない。

 優しかった過去の自分を捨てられず、優しいだけで救えなかった自分から逃げられない。

 闇で目を覆い何も見えないようにしてもなお、自分自身から目を逸らすことが許されない。

 

 あの日、ティガに蹴り飛ばされたユザレが感じたのは、大切な人に痛めつけられた悲しみと、変わり果てた大切な人に感じた絶望と―――それでも自分(ユザレ)を殺すことができない、ティガに対する憐憫だった。

 

『ユザ、レ……!』

 

 今のティガを見ていると、ユザレは泣きそうになる。

 天地の間に生きる全てを殺そうとしているのに、殺せない者達がいる。

 最強の力を得ても、闇の力では邪神を見つけられず、延々と海上を彷徨っている。

 人をいくら殺しても殺しても嘲笑うだけで満たされず、何も幸せそうではない。

 多くを忘れつつあるカミーラを幸せにできても、自分だけは幸せにできない。

 

 それでいて、世界中の幸せを願って戦った果てに、世界中の幸せを守れないことで苦悩し、闇に堕ちた果てに多くを忘れ、世界中の笑顔も苦痛も希望も絶望も消し去ることで、誰も笑わず誰も苦しんでいない空っぽの世界を作り上げ、そこに歪んだ安らぎを感じてもいた。

 

 かつての世界には、ティガが救えた人間もティガが救えなかった人間もいた。

 救えなかった人間の家族も、救われてもずっと泣いたままの人間もいた。

 いつだってティガは守れなかった笑顔を数えて、胸を痛めていた。

 ここにはもう何も無い。

 灰の砂漠があるだけだ。

 誰も泣いていない。誰も苦しんでいない。誰も助けを求めていない。

 全てが殺されたから、笑顔を奪われた人間が一人もいない、一人ぼっちの理想郷。

 使命も責任も願いも忘れ、カミーラを大切に思いながら、歪んだ安らぎに身を浸し続ける。

 その歪んだ安らぎが永遠の苦しみをティガに与えていることすらも、自分が見えなくなった今のティガにはもう分からない。

 

 ダーラムも、ヒュドラも、カミーラも、アマテラスも、ユザレも、まだ生きている。

 "私達は生かされている"と―――気付かぬ間抜けがどこに居ようか。

 カミーラの事件を割り切って光に留まることもできなかった。

 カミーラの事件でかつての大切なものを全て捨て去ることもできなかった。

 

 神のように、いつまでも光り輝く存在で居続けることもできなかった。

 邪神のように、光を消し去り続けるだけの生に至上の満足を得る迷い無き存在で居続けることもできなかった。

 彼は人間だった。

 強くも弱い、ただの人間だった。

 自分で自分を止められない、ただ誰かを愛していただけの、あの日幼いユザレを笑顔にしてくれた頃から根っこは何も変わっていない、ただの人間だった。

 

「ティガ!」

 

 ティガに追いつける翼で。

 ティガを照らす炎を纏って。

 ティガの闇を呪術で逸らし。

 ティガの強制自爆を手甲で握り潰して。

 白雪のような髪が切り飛ばされても気にもせず。

 傷だらけのユザレが突っ込み、聖剣を盾として、友へと向ける手を伸ばす。

 

 それはいつかの未来に、ティガダークへと向けられる、若葉の翼、球子の篝火、千景の呪術、友奈の手、杏の遺伝子へと想いが受け継がれる光の絆。

 願うは一つ。

 手を伸ばしたその先で、苦しみ続ける人の幸。

 

「―――その心の夜よ! 去れ!」

 

 聖剣の全力を拳に込めて、"勇者のパンチ"を、ユザレはカラータイマーに叩き込む。

 

 ティガダークの光なき胸に、光が宿った。

 

 

 

 

 

 ティガを闇に堕とした最大の外的要因は、邪神の闇である。

 闇の巨人は皆、邪神と共生関係にある。

 邪神が闇の巨人に力を与え、闇の巨人の心が邪神に力を与え、世界が闇に染まれば染まるほど邪神も闇の巨人も強くなっていく。

 これこそが、邪神を無敵たらしめるサイクルである。

 

 聖剣の真の力を引き出すことができる今のユザレなら、他者が注いだ闇を消し去れる。

 三千万年後、若葉が竜胆に注がれたカミーラの闇を消したように。

 ティガダークは空っぽになった。

 闇が消し去られたティガダークの動きは止まり、心が揺れ動いている。

 揺れ動く心に合わせて、胸のカラータイマーに宿った光が揺れていた。

 

 胸の光が消えた時、またティガの心は闇に満ち、ティガダークはユザレを殺すだろう。

 

「闇は祓った。ティガ。私はユザレ。あなたの永遠の友達。聞こえる?」

 

 光が揺れる。

 声は届いている。

 ならば、試されているのはティガではない。

 ユザレだ。

 攻撃しても倒すのは無理だろう。

 届けるべきは言葉である。

 ユザレがティガのことを理解していないなら、何もできない。

 ティガのことを理解していなければ、彼の心に響く言葉は紡げない。

 

 ティガの求める言葉をどれだけ言えるかではなく、ティガのことをどれだけ理解しているかを運命に試されている。

 戦いの場所は、その心の中にあるがゆえに。

 

「カミーラのことは聞いた。

 ……私もその場にいたら何をしていたか分からない。

 怒りで多くの人を斬り殺していたかもしれない。

 私にとっても、カミーラは大事な友達だから。

 私も……不器用だけど一生懸命なカミーラが大好きだから。

 初めて見た時から気付いてた。

 ああ、この子は、ティガが好きなんだなって。

 戦場で見えないティガのいいところに気付いて、愛してくれる人なんだなって」

 

 ユザレは一番大好きな人をずっと見てきた。

 その人が色んな人を救ってきたことも。

 その人が救ってきた人の中で、カミーラだけが特別になれたことを。

 その人がカミーラと居るだけで幸せそうにしていたことを。

 一番大好きな人が幸せになれる確信を得て、ユザレはずっと幸せだった。

 

 それももう、昔の話。

 

「カミーラがあんなことをされる謂れはなかった。

 私もその場にいたら、カミーラの涙の代価を支払わせてやったと思う。

 そこで何も思わなかったらティガじゃない。

 こうなったのも、ティガらしくないけどティガらしいって思った。

 罪のない人が傷付けられた時。

 そこに涙を流す人がいた時。

 迷わず助けに行くのがあなただから。

 いつだってあなたは、悲しんでいる誰かの味方で、だからカミーラのためにそうなって」

 

 ユザレは感情を抑えて話そうとした。

 でも、話せば話すほど、心が熱くなってしまう。

 思い出せば思い出すほど、想いが止められなくなってしまう。

 幸せだった記憶が。

 辛い今が。

 心の中で対比されて、言葉の熱を止められない。

 

「罪の無い、涙を流す人を救いたいのなら―――なんで他の人は救わないの!?」

 

 胸の光が、強く揺れた。

 

 世界中でカミーラと同等……あるいは、カミーラよりも不幸な人間が数え切れないほど生まれ、そしてそのまま死んでいった。

 かつてのティガがなくしたいと思っていた、救いたいと思っていた"涙を流す人達"が、ティガの手で数え切れないほどに生み出され、そのままティガに殺されていった。

 先程までのティガなら分かっていて無視できただろう。

 心の苦痛を無視しながら闇の快楽に染まって殺し続けることができただろう。

 なんとも思わない自分で居続けることができただろう。

 だが、今の彼にはできない。

 

「今のあなたは、カミーラを地獄に落とした人間達と同じよ!

 心は違うのに行動は同じ!

 あなたがカミーラを救いたいと思ったのは!

 理不尽に踏みつけにされるカミーラを見て、守りたいと思ったからでしょう!?」

 

 ユザレだけが覚えている。

 

 あの日々を。

 

 あの幸せを。

 

 ティガとカミーラがどんな日々の中、相手のどんな美点を愛したかを。

 

 ユザレだけが、覚えている。

 

「あなたが好きだったカミーラは!

 あなたが優しかったから!

 誰もを助けようとするあなただから出会えた!

 優しさが二人を出会わせた!

 優しいあなたをカミーラは好きになった!

 あなたを見て光になるカミーラをあなたは愛した!

 だからずっと、ずっとずっとずっと! 私は応援して来たの!」

 

 カミーラすらもう、自分がどんなティガを好きだったのか忘れつつある。

 ティガですらどんなティガであったかを忘れかけている。

 カミーラはティガを愛していたことだけは覚えていて、ティガはカミーラを愛していたことだけは覚えている。

 ティガはもうかつてのティガではなくて、カミーラはもうかつてのカミーラではないのに。

 

 カミーラが愛したティガの光は失われている。

 ティガが愛した光になれるカミーラの美点は失われている。

 かつては無垢で純粋だった二人の恋も、輝いていた二人の愛も、闇で穢れきったものだけがここに残されている。

 もう、あの日のように愛し合える未来はない。

 邪神カルトが引き金となり、とっくの昔に、それは闇と悪に滅ぼされてしまっている。

 

「今のあなたは、カミーラが愛したあなたじゃない!

 カミーラですらそれを忘れかけてる!

 今なら間に合う、思い出して!

 カミーラを救った時のあなたを!

 カミーラが大好きになったあなたを!

 ……あの子が愛した、あの日のあなたを!

 思い出して!

 あなたはティガ!

 ウルトラマンティガ!

 誰よりも優しくて、誰よりも格好良い……皆が信じる、ヒーローなんだから!」

 

 ユザレは根底にごく普通の少女としての自分がある。

 自分が誰にどう見られているか意識しているし、ティガの前では特に、自分がティガにどう見られているかを意識している。

 だから彼女はいつだって凛々しく、美しい。

 いつだってティガに一番綺麗な自分を見せてきた。

 そんな彼女は今、自分がどう見られているか、どう見えているかを意識していない。

 彼の目に見える自分の存在を忘れている。

 

 ただただ、彼だけを見ている。

 彼の事だけを考えている。

 彼がこれまでどれだけの罪を犯してきたのか。

 彼がどれほど皆から恐れられ憎まれているのか。

 彼が如何程に苦しんでいるのか。

 彼がカミーラをどんなに愛していたのか。

 彼が大切な記憶をどのくらいに忘れてしまっているのか。

 彼を幸せにするには、どうしたらいいのか。

 

 目の前の人が今の自分の全てになるくらい、強く、強く、彼を想う。

 

 だからユザレは、自分が泣いていることにさえ気付いていなかった。

 

「……ティガ」

 

 胸に宿った光が点滅し、ティガダークの胸のカラータイマーに溶けていく。

 

 ユザレが気付かぬ内に流していた涙が滑り落ち、灰の砂漠に吸い込まれていく。

 

 今のユザレがティガだけを見ているように、今のティガはユザレだけを見ている。

 

「お願いです、どうか」

 

 ユザレはティガと戦った。力をぶつけた。光を叩き込んだ。

 けれど、最後は懇願した。

 心からの言葉を絞り出して口にした。

 こんなにも必死に、懸命に、心からの言葉を絞り出すのはユザレにとって、久しぶりで。

 

―――ティガくん、わたしと、ずっとおともだちでいてくださいっ

 

―――いいよ! じゃあともだちのゆざちゃんは、ぼくがずっとまもるね!

 

 十数年ぶりだと、ユザレの頭の片隅が、ぼんやりと思った。

 

 懐かしい気持ちが蘇って、家族とティガと遊んでいた記憶が蘇って。

 

 ティガに罪悪感を背負わせないために、今日までずっと言わないようにしていた、一度も口にしなかった言葉が、心に浮かび、雨垂れが落ちるように、ユザレの口から零れ落ちた。

 

 滴り落ちる、涙と共に。

 

「もう、私のお父さんと、お母さんと、お姉ちゃんみたいに、みんなを殺さないで……」

 

 そして、光は弾けた。

 

 

 

 

 

 ティガの心の核は、暗闇の中に居た。

 延々と外へと広がり、同時に内側に超高圧度をかけ、中心のティガに圧を掛け続ける闇。

 気体の鉄というものがあるならこういうものなのか、というほどに息苦しい闇の中、邪神の闇に永遠に貪られていた。

 海の中で死ぬことも許されないまま永遠に溺れ続けるような苦痛。

 全身を肉食の虫に喰われ続けるような苦痛。

 そして、自分が自分でないものになくなっていく苦痛。

 

 無限の苦痛に苛まれながら、表層意識はその苦痛を明確に自覚することすらできず、苦痛を感じながら苦痛を倍加させる行動を取り続けた。

 全てはティガの意志である。

 誰かに強制されたわけでも指示されたわけでもない。

 闇に染まったティガの心は、歪みながらも本心の赴くまま選択を繰り返してきた。

 殺戮を、繰り返してきた。

 

 ティガはずっと、自分の心がそう動くのを、特等席で見続けてきた。

 自分はそういう人間なのだと見せ続けられた。

 自分はおそましい人間なのだと思い知らされ続けた。

 自分は許されないのだと、ティガの心がティガに何度も言い続けた。

 もう二度とあの頃の光には戻れないほどに、徹底的に。

 

 邪神の闇は徹底的にティガの心を壊しにかかっていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 心を折り、叩き潰し、引き裂き、切り刻み、磨り潰して、またそれを繰り返す。

 

 そんな闇が、いつの間にか消えていた。

 ティガの内に満ちていた闇が、いつの間にか消えている。

 意識と無意識の狭間で、ティガは光を見た。

 優しい光だ。

 その光に見覚えがあった気がして、手を伸ばす。

 

 されどそのティガに周囲の闇が噛み付いていく。

 逃がすか、と言わんばかりに。

 しかしティガは目もくれず、光に手を伸ばし、光に向かって歩き続ける。

 空っぽになった心の中で、ティガが求めたのは、闇ではなく光だった。

 

 行かなければと、心が叫んでいた。

 見捨てられないと、魂が叫んでいた。

 あの日のように。

 カミーラと初めて出会った時のように。

 ティガの魂は、泣いている誰かの声を聞き届ける。

 そして、たった一人でも駆けつける。誰よりも早く駆けつける。

 

 そんなティガ・ゲンティアだからこそ、カミーラ・チィグリスは愛したのだ。

 

 悲しんでいる誰かを決して見捨てない。

 それこそが、人が捨ててはならない正義だから。

 目の前の人間に誠実に接するということは、そういうことだから。

 たとえ、ティガにもう正義を語る資格はなく、この世で最も誠実でない人間と成り果て、悲しんでいる誰かに寄り添う資格が無くとも。

 闇を祓われたティガは、『光』を選び、そちらへ行った。

 

 カミーラの絶望から生れ出でた闇を、ユザレの絶望をそこで止めるための光で振り切る。

 カミーラのために、光では居られなかった。

 だからああなった。

 ユザレのために、闇では居られなかった。

 だからこうなった。

 

 皆が感謝し、信頼し、愛したウルトラマンティガは、そうして帰還する。

 

「ティガ……」

 

「……ごめんね。ごめん。ユザレ。ごめん……ダーラム、ヒュドラ、カミーラ、皆……」

 

「……ティガ……」

 

 止まるも地獄。

 止まらぬも地獄。

 何を選んでも地獄しか無い分かれ道。

 彼は、止まってしまった。

 振り返り、道を戻ってしまった。

 自分のための地獄ではなく、皆のための地獄を選んでしまった。

 それが正解だったのか、間違いだったのか、神ですら知ることはない。

 

 何を選んでも、ティガは加害者にしかなれない。

 もう全てが手遅れだ。

 それぞれの人間にできることなど、少しだけマシだと思える方を選び、その選択の罪を背負うことしかできない。

 誰も裏切らない生き方をしてきた少年は、誰を裏切るかしか選べなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ティガの自傷を、ユザレは見逃し、終わるたびに治癒の術を掛け続けた。

 繰り返される自傷。

 岸壁に叩きつけられる拳。

 鉄柱にぶつけられる頭。

 切り刻まれる肌。

 痛みを自罰にせずには居られないほどの罪悪感と後悔が、ティガの心を圧し潰す。

 

 死んでしまいたい気持ちが常に一番大きな気持ちとして在る。

 死んでしまえと常に自分が自分に言い聞かせている。

 死んだところで全く償いにはならないと思うたび、苦しみ悶える。

 いっそまた闇に転がり堕ちてしまおうかとすら考えて、力がそれを助長する。

 

 それでも。もう、光から闇には戻れない。

 

 強い倫理観を持つ者ほど、自らの罪を強く自覚する。

 それこそ、自殺を選びかねないほどに。

 強い責任感を持つ者ほど、自殺を選んで全てを投げ出すほど無責任にはなれない。

 ゆえに、苦しみながら生きるしかなくなる。

 ティガは光に戻ったものの、闇に居た時以上に苦しむ様子を見せ、闇に居た時も感じていたはずの苦しみに正しく向き合っていた。

 苦しみの量は変わっていない……それどころか邪神の闇を祓った分減っているが、向き合ったことで、善良なる彼に戻ったことで、その心が追い詰められている。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()自分に絶望し、悲嘆し、怒り、狂う。

 

 今のティガは、時たまそうなる。

 "どうすればこうならなかったんだろう"と思うたび、ティガは「あの時僕がああしていなければ」と悔いる。

 だが、それは諸刃の剣だ。

 ティガはこの地上で最も多くの命を救った救世主。

 ティガが自己否定に走り、行動を否定することはすなわち、『過去に誰かが助かったことを否定する』ということになる。

 

 あの時カミーラを救わなければ、こんなことにはならなかった。

 本当にそうか?

 無理をして前に出て皆の代わりに闇を受け続けなければ、こんなことにはならなかった。

 本当にそうか?

 シノクニの人間を何度か守った戦いで、シノクニの人間を見捨てていればこんなことにはならなかった。

 本当にそうか?

 ヒュドラとダーラムを仲間に誘っていなければこんなことにはならなかった。

 本当にそうか?

 

 過去の光に溢れた行動の全て、救えた行動の全てが、色褪せて見える。

 

 誰よりも輝かしい過去だからこそ、多くの人達の栄光と幸福に直結した過去だからこそ、ティガは己を否定できない。

 自分の全てを否定できない。

 したいのに、できない。

 ティガだけは、"自分が生まれて来なければよかった"という言葉を吐けない。

 それを吐いた、吐く権利を持っていたのは、過去に何も持っていなかったカミーラだけだ。

 

「ぐっ……ううっ……」

 

 希望の光は消えて失せた。

 絶望の闇がティガを支配した。

 そして今、絶望の光がティガを突き動かしている。

 

 ティガにはもう絶望しかない。

 その絶望は増えることはあっても減ることはないだろう。

 しかし絶望に耐え前に進めば、まだ少しはマシにできるかもしれない。

 ティガが絶望に包まれていても、僅かな生き残りが希望を抱けるかもしれない。

 彼は今、自分に光が在るからではなく、皆の光のためにウルトラマンとして戻ったのだ。

 

 だから今のティガは光の側の、最弱の闇の巨人である。

 光の力など欠片も残っていない。

 在るのはかすかな闇の残り香のみ。

 巨人化はできるが、その力はこの地球の歴代ウルトラマンの中でも間違いなく最弱だろう。

 光の側の心が、闇の力を打ち消してしまっている。

 カミーラ達はおろか、カミーラ達が十把一絡げに一掃していた有象無象のウルトラマン達の一体と比べてすら、そのスペックは劣っている。

 

 心は狂乱。

 力は最弱。

 ティガは光の側に戻ったものの、希望はまだまだか細く弱い。

 自分を痛めつけ、痛めつけ、痛めつけ……そこから"何か"を掴んでそのまま泥のように眠りについたティガは、目覚めた時、自分の頭を膝に乗せているユザレに気付く。

 互いに何も言わないまま、そっと離れた。

 ユザレは寂しげな口調で、何かを語り始める。

 

「光は光。

 闇は闇。

 交わることはなく、交われば純度が下がる。

 その先にあるのは悲劇しかない……なんて、今になって思う」

 

「……ユザレ」

 

「人の心から闇が消え去ることがないなら、地球人が本当の意味で救われることなんて……」

 

 希望を捨てていない少女の、絶望の混じった呟き。

 

「……永遠に、無いかもしれないでしょう?」

 

 神のように、光で在り続けられれば。

 あるいは邪神のように、闇で在り続けられれば。

 こんな苦しみはなかったかもしれない。

 それでも、彼らは人なのだ。

 光でもあり、闇でもある。

 その心次第でどちらにもなる。

 きっと誰もが、どちらにもなれる。

 絶望のためにティガダークは生まれ、希望のためにティガはユザレの横に戻った。

 

「たとえ人の心から闇が消えることがなくても、僕は信じる」

 

 だから、ティガは。

 

「人間は、自分自身の力で光になれるはずだって」

 

 今でも信じてるのだ。

 

「……教えて、もらったんだ。大切な人に」

 

 大好きなあの子が教えてくれた希望を信じる。

 "誰もが光になれる"という、ティガの人生を支えてくれた真理を信じる。

 まだ終わっていない。

 あの三人も、ティガのように戻れるかもしれない。

 ティガとユザレが信じるのは、本当にか細いかすかな希望。

 

 立ち上がったティガが、ブラックスパークレンスを握り締め、歩き出す。

 

「行くのね」

 

「行くよ」

 

「大丈夫? 情に流されない?」

 

「大丈夫だよ。光と闇を行き来してコツは掴んだ。

 相対して目を見れば、光に戻れるか戻れないかはひと目で分かる」

 

 ユザレはもう戦えない。

 ティガが聞いても誤魔化すが、"勇者が大きな神の力を使うには何かの形で代価が必要"らしく、多くを支払ったユザレはもう戦えないらしい。

 ここからはティガ一人の戦い。

 そして、ティガ最後の戦いとなるだろう。

 

 ティガダークによって、人も、神も、怪獣も、ほとんど生き残ってはいない。

 残るは闇の巨人が三人、邪神が一柱、天地の神が数える程度。

 ティガを警戒しているのか、逆に何とも思っていないのかも不明だが、浮上して来ない邪神を後回しにすれば、対処すべきは闇の三巨人しか居ない。

 

「……戻れないと分かったら、どうするの? 封印?」

 

 ユザレは最後の一線を越える心持ちで、その問いを口にする。

 

 一拍おいて、ティガは答えた。

 

「殺すよ。ダーラムも、ヒュドラも、カミーラも」

 

「―――」

 

「そうでなきゃ……僕は……自分がやったことの責任すら取れないんだ」

 

 一度闇に堕ちれば、もう這い上がれないのが当然。

 闇から光に戻るなど、神の奇跡でもそうそうない。

 ましてや、幾度となく繰り返されることがないからこその奇跡である。

 ティガが光に戻れただけでも、神の奇跡を超える奇跡。奇跡の中の奇跡だった。

 二度目はあるのか。ないのか。

 いずれにせよ、分かりきっていることがある。

 

 ティガに、因果は応報する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ティガは灰の砂漠を越え、血の荒野に辿り着いた。

 死体がそこかしこにあり、変色した血液が染み込んだ荒野が広がっている。

 死体がそこかしこにあるのに腐敗が控え目で、死体を苗床に虫が繁殖していないのは、『闇』が最近も微生物もその大半を殺し尽くしてしまったから。

 無菌室の腐らない肉のように、死体は消え去ることもないまま、長い時間この血の荒野に晒し者にされている。

 無念の表情で死んだ死体が草木のように生い茂る、死体の草原であるとも言える。

 

 闇に堕ちたカミーラ達は、こういう風景が好きだった。

 闇に堕ちていた時のティガも、この血の荒野に美しさを感じていた記憶がある。

 だが、今はもうない。

 ティガがこの風景に感じるのは、おぞましさだけだ。

 

 血の荒野を越え、闇に染まった黒海を越え、ティガは廃墟になった街に辿り着く。

 

 廃墟の名はルルイエ。かつては絢爛だった街の成れの果て。

 

 もうここに闇の巨人以外の住人は居らず、人間は皆死に、ウルトラマンも皆殺された。

 広大な街には壊れた建物と、石となり粉々になったウルトラマンの残骸だけが在る。

 見渡す限り全てが廃墟とウルトラマンの死体という地獄。

 ここを、闇の巨人は本拠としていた。

 

 数え切れないほどの死が、この廃墟に埋まっている。

 命乞いをしてヒュドラに踏み潰された幼い子供も。

 ダーラムに八つ裂きにされたティガの恩人であるウルトラマンも。

 カミーラを止めようとしてカミーラに焼き殺されたカミーラの親も。

 ここに満ちる膨大な死の前では、無数の内に混じる一、忘れられた塵芥に過ぎなかった。

 

 

 

 

 

 高い塔の上で、ダーラムとヒュドラは酒盛りをしていた。

 ティガは二人の前に姿を現し、先んじて二人の目を見る。

 "光には戻れない"と、ティガは瞬時に理解した。

 苦悩があった。

 苦痛があった。

 絶望があった。

 されど、ティガは一秒の迷いも見せはしなかった。

 二人の目を見ながら、二人にゆったりと距離を詰める。

 

「遅かったじゃねえか、何してたんだ? ヒッヒッヒ」

 

 ヒュドラは気付かなかった。

 いつもそうだ。

 ヒュドラはティガに憧れて、尊敬していても、ティガの本質にまで理解が及ばない。

 彼はいつだって早いのに、いつだって間に合わない。

 

「……お前」

 

 ダーラムはヒュドラと違い気付いていた。

 しかし、どうすればいいかに思考が至らず、後手に回った。

 いつもそうだ。

 ダーラムはどんなに自分を鍛えても、いついかなる時も無力である。

 彼は誰よりも力強いのに、誰よりも無力なまま終わる。

 

 ティガはゆったりとした動き――に、見えるだけの素早い動き――で距離を詰め、袖口に隠したナイフに光と闇のエネルギーを詰め、ヒュドラの首を刺す。

 そして、塔からヒュドラを蹴り落とした。

 

「―――は?」

 

 まともに戦えば勝てない敵を、まず一人。

 光らしくない戦法であるが、闇の者相手に使うがゆえに相対的に光の一手となる。

 ティガは光の側に戻ったが、光の力と心の多くはまだ失われたままで……まだどこか、闇に寄っている。

 闇の手も使える、光の陣営最後にして最弱のウルトラマン。

 それが今のティガだった。

 

 ティガとダーラムが、黒く染まったスパークレンスを抜く。

 

「光に……戻ったのか」

 

「そうだ」

 

「カミーラは、もういいのか」

 

「―――」

 

「まあいい。どうでもいい。……お前と本気で殺し合う時が来た、というわけだ」

 

 親友を殺す時が来た。ただそれだけのことを噛み締める。

 

我が友よ(My Friend)

 

 二人の変身は一瞬で完了し、ウルトラマンダーラムとティガダークが相対した。

 

 世界を侵している闇がダーラムを強化し、ティガの心の光がティガダークを弱くする。

 

来い(C'MON)

 

 ダーラムはどっしりと構え、ティガの攻撃を受けに入る。

 スペック差は圧倒的だ。

 この時代において、ダーラムは文明殺しの格に相応しい力を持っている。

 ティガダークの百倍程度のスペック差で収まればいい方だろう。

 攻撃、防御、どちらであってもダーラムに戦いの天秤が傾けば、ティガは一瞬で死に至る。

 ダーラムも眼前のティガから感じる力を見て取り、それを確信している。

 

 だからもう、この時点で勝敗は決していた。

 

 ティガが腕を振るって攻撃し、ダーラムが受け、ダーラムの両腕が弾け飛ぶ。

 

『!?』

 

『闇の力を、光に変える』

 

 ティガは曲がりなりにも無敗を貫いてきた光の巨人。

 いかなる戦闘においても、最低でも自分だけは勝利してきた。

 勝つべくして勝ち、勝つための準備を怠らず、正確に戦いの流れを予測し、絶対に勝つ道筋を作り上げ、その道筋を外れさせず、どんなに強い相手にも勝ってきた。

 

 これは()()()()()()()()の応用。

 ティガは己の内に眠る力に気付き、自傷による瀕死状態を経て覚醒、それを自分の物とした。

 その力をもってダーラムの腕の闇を光に変換、反発作用で腕を内部から爆発させたのだ。

 

 どうしようもない初見殺し。

 光と闇の対立構造で戦っているこの星において、反則中の反則である。

 ダーラムが受けに入った時点で、ティガの一方的な勝利は確定していた。

 いや。

 この状況に入る前から、ティガは言葉を選び、距離を選び、立ち位置を選び、目線や細かな動きを選んで、ダーラムがこの穴に落ちるように誘導していたのだ。

 

 もっと穏便なやり方も、ティガは考えていた。

 ダーラムが光線を撃つのを待ち、それを吸収して力に変え、封印に持っていくこともできた。

 だけど、それでは"確実に殺せる自信"がなかった。

 ティガはもう決めている。

 全てのツケを支払うべく、光に戻れなかった巨人を、この手で殺すことを。

 

『僕は……僕は、君を殺す。ダーラム』

 

 この時代最後の光の巨人は、闇を光に変えるという全ての根底をひっくり返す異能を編み上げ、それを明確な殺意で行使する、最弱にして無双の存在だった。

 

 ティガの手刀がダーラムの胸に刺さり、ダーラムの闇を光に変え、奪い去る。

 

 と、同時に、ダーラムの体内の闇が一斉に光に変換され、反発し―――ダーラムの首を残して、その全身が爆発四散した。

 

 まごうことなく、死に至らしめる傷である。

 

『……最後に言い残す言葉はないか、ダーラム』

 

 ティガはウルトラマンの鉄面皮で表情を隠し、今にも泣き出しそうな声で問いかける。

 

『そんなものはない。心に浮かんだ言葉は全部その時に言ってきた』

 

 対し、ダーラムは首だけになっても飛び上がり、光の巨人だった頃には無かった肉体変成によって――まるで怪獣のような――口と牙を生やし、ティガの首を噛み千切らんとする。

 ティガは余裕をもってそれを見切り、殴って地面に叩きつけ、潰す。

 

『最後まで戦いか。ダーラムらしい』

 

 ダーラムの首も、石の残骸に変わっていく。

 

 ダーラムの体から闇が抜け、光が抜け……そしてそこに、人としての心が残った。

 

 ダーラムはつらつらと、何かの想いを零し始める。

 

『不思議だ』

 

 先程まであった気持ち悪さはもうなくて、かつてティガ達と笑い合っていた頃のダーラムが、徐々に、徐々に戻ってきていた。

 手遅れになってからの回帰。

 闇の巨人は、死の間際に人としての心を取り戻すのだと……ティガはここで、遅まきに知る。

 

『お前が憎くない。お前のせいだと思えない。何故だ、お前は敵なのに』

 

『―――ダーラム。ダーラム……僕は……僕は……』

 

 ダーラムは学びの少ない男であった。

 戦場の経験で自分を満たす男であった。

 彼は出会い、繋がり、仲間のために何かを学んでいった男だった。

 もう、そんな自分も、学んできたことも、彼は忘れてしまっている。

 

 覚えているのは、ティガという親友が、修羅の生を選んだ自分に、人間らしい幸せの光をくれたということだけだった。

 

『ティガ……お前なら……何故俺がお前を憎んでいないのか、分かるのか……?』

 

 ティガは答えない。

 答えられない。

 ティガはその答えを知っている。

 ダーラムにそれを教えることができる。

 

 けれどこの世界でただ一人、ティガだけは、それを教える権利を持たなかった。

 友情を踏み躙った者が、どうしてその友情を語れようか。

 ダーラムのこの輝きを踏み躙ったのは、闇の誘惑に負けたティガの選択だというのに。

 

『俺は言える。言い切れる。お前という友を得たこれまでの全てに、悔い一つ無し』

 

『……っ』

 

 何も言えない。

 ティガは何も言ってはいけない。

 ダーラムの友情に応える資格を、ティガは全て失っている。

 

『別れの時だ……親愛なる(Dear)……我が友よ(My Friend)……』

 

 そうして、ダーラムは消えた。

 

 彼と共に在った絆も、そうして消えた。

 

 ティガの心に罅が入った音がする。

 

 

 

 

 

 悲しみに膝をつきそうなティガを、背後からヒュドラが襲った。

 

『この裏切者があああああああああああッ!!!』

 

『!』

 

 背後からの完璧な奇襲、風を纏った突撃を、ティガは流れるような体術で受け流し、無傷で乗り切った。

 

 闇に汚染された彼らは、もう人間ではない。

 ウルトラマンがどうとかいう話ではなく、変身前から既に変質しきっており、首を刺されて塔から落ちて潰れた程度では死なない命になっているのである。

 邪神は闇の巨人に力を与える。

 闇の巨人は邪神に力を与える。

 この共生関係を、邪神は半強制的に続けさせている。

 この時代において、闇の巨人の変身者達は、通常手段では殺害しきれないのだ。

 

 もう彼らは人間ではない。

 闇に落ち、光に戻れなくなった時点で、邪神が遊ぶ遊戯人形に成り果てている。

 『光』から生まれたウルトラマンの力でなければ、彼らは殺せない。

 

 怪物に成り果て、ウルトラマンに変身してなおおぞましい気配を纏うヒュドラに、ティガは地獄のような苦しみを覚える。

 

『いいぜ、テメエが裏切るなら殺してやる! この! オレが! ここでなぁ!』

 

『ヒュドラ……』

 

 ティガがヒュドラを変身前に狙った理由は簡単だ。

 ヒュドラが上手いこと対処して、その速さで撤退し、"ティガの裏切りが露見した状態で仕切り直し"になることだけをティガは恐れていた。

 ティガの裏切りが露見した状態で3対1にされた場合、ティガはどうやっても勝てない。

 ティガは冷たい計算と打算で立ち回りを考え、まずヒュドラを刺した。

 それにヒュドラが気付けば、ヒュドラはまずカミーラと合流し、ティガの勝ち目を冷静に潰すことができただろう。

 

 だが、そうしない。

 ヒュドラは声を荒げ、途方も無い怒りを帯びて、ティガにまっすぐに向かってくる。

 ティガだけを見て、冷静さの欠片もない猛攻を仕掛けてきている。

 "そうなるだろう"と分かっていたティガは、冷静にヒュドラの攻撃を捌いていく。

 

『テメエの正しさが!

 テメエに追いつけねえ現実が!

 テメエみたいに慣れないオレが!

 何もかもがオレをここに追いやった! だが! 一番デケえのは!』

 

 ヒュドラの闇の風をこっそりと、光に変えて吸い上げていく。

 ティガとヒュドラの間には文字通りの桁違いのスペック差があったが、ティガは最高効率の体捌きによって、ヒュドラの風を飲み込んでいく。

 

『お前の正しさが、オレを苛立たせるんだよ!』

 

『っ』

 

 技量で見ればティガはヒュドラを圧倒しているのに、その心は今にも窒息死してしまいそうなほどの苦しみにまみれている。

 

『お前の背中を追いかけて、お前が間違った時、オレはどうすりゃいいんだよ』

 

 ヒュドラの猛攻が勢いを増す中、言葉は静かになっていく。

 

『お前に正しくないって否定されたら、オレはどうすりゃいいんだよ』

 

 凪のような言葉に、ティガの心が揺れた。

 

『あ……僕は……ヒュドラ……それは……』

 

 けれども。

 ヒュドラのそんな言葉は、闇に浮かんだ、かつてのヒュドラの心の欠片に過ぎない。

 

『ヒャハハハハハッ! ヒャ、ヒャァッ! ヒィーヒャァッ!!』

 

 突如高笑いを始めたヒュドラが、一気に数倍の加速を始める。

 

 それと引き換えに、先程まで"戦士のヒュドラ"が徹底していた隙の無さが、消え失せた。

 

『絶対に許さねえ!

 てめえだけは絶対に許さねえ!

 何もかも裏切って!

 何もかも殺す!

 最悪の裏切り者がぁっ!!

 俺は最悪のゲスって自覚があるが、てめえはそれ以下だ!

 てめえを仲間だと思ってた……オレがバカだった!

 絶対に絶対、テメエを嘲笑いながら、カミーラの前で殺してや―――』

 

 カチン、と、何かが打ち据えられる音がした。

 

 ヒュドラが腕の刃を当てようとした、その瞬間、ティガダークがタイプチェンジ。

 俊敏形態ティガブラストへと代わり、一瞬の加速でヒュドラとの位置を入れ替え、掴む。

 ヒュドラを掴んだまま、剛力形態ティガトルネードにタイプチェンジ。

 関節を手早く折り、そのまま地面に蹴り込み、ノータイムでデラシウム光流を撃ち込んだ。

 

『―――あ、え?』

 

 初見殺しのタイプチェンジ二連。

 意表を突かれ、目も慣れていなかったヒュドラは一瞬、戦闘の主導権を完全にティガに握られてしまい、そのまま墜落した形。

 燃え上がるヒュドラの体が、瞬く間に灰になっていく。

 初見殺しで殺せてしまうならそれでいい。

 それで勝ってしまえばいい。

 だから、トドメを刺せる瞬間までタイプチェンジを温存していた。それだけの戦術。

 しかしながら、実戦においては悪魔的に有効な戦術だった。

 

『……ヒュドラ』

 

『なあ』

 

 炎の中から、ヒュドラの声がする。

 死の間際に、あの頃のような語り口で語り始める。

 

『知ってるか』

 

 燃え尽きる前のその言葉は、まるで遺言のようで。

 

 友の遺言に応える言葉も、応える資格も、ティガは持たない。

 

『オレも、ダーラムも、カミーラも』

 

 ヒュドラでさえ最後の言葉が自分を責めていないことに気付き、ティガの心はもう、ヒュドラを焼く炎よりも熱い地獄の炎で炙られている。

 

『光も闇もどうでもよくて、お前と一緒に居たかっただけだったんだぜ』

 

 そうして、ヒュドラは燃え尽きた。

 

 彼と共に在った絆も、そうして消えた。

 

 ティガの心に罅が入った音がする。

 

 

 

 

 

 二人を殺して少しの間を置き、カミーラが戦場に現れた。

 カミーラの目を見れば、光に戻れるか戻れないかひと目で分かる。

 けれど、ティガはカミーラの目を見るのを一瞬躊躇った。

 しかし逡巡は一瞬で、すぐに目を見て……心にまた、罅が入る。

 

 そうだと分かれば、すぐに殺してやるつもりだった。

 即時殺せるだけのプランと技能が彼にはあった。

 なのに、できなかった。

 殺せなかった。

 カミーラを殺したくないという気持ちが、ティガが事前に決めてきた全ての覚悟を粉砕し、カミーラを生かしたいという気持ちが暴走しかける。

 

 ティガの心はまだ、光と闇の境界に在るということだ。

 

 カミーラは変身し、互いに巨人となっての語り合いをしようとする。

 

『来てくれたのね、ティガ』

 

『……僕は、ダーラムとヒュドラを殺したよ』

 

 思うより先に口が動いていた。

 カミーラに謝罪しようとする心が動いていた。

 仲間殺しの自白。

 カミーラに嫌われるのも覚悟の上で、それを告げる。

 いつだってティガは、カミーラに対して誠実でありたいと思っているから、言ってしまった。

 

 けれどカミーラは、あっけらかんとそれを流す。

 

『ああ、あんなのはどうでもいいのよ。

 ティガが気にする必要はないわ。

 私とティガ以外が何人死んだって同じよ。

 私はティガだけを愛しているし、ティガは私だけを愛してくれている。それでいいでしょ?』

 

『―――』

 

『それより、ユザレよね。

 また何か企んでティガを探しているみたいだわ。

 あの女の口車に乗ってないわよね?

 あなたが乗るわけないわよね?

 あんな女の言葉を聞く必要なんてないのよ?

 聞いたら……ティガでも、許せないかも。

 ああ、忌々しい。

 光の女。

 おぞましい女。

 闇を見下し、闇に染まらず、闇に堕ちる気配もない。

 私に何も与えないくせに、私の邪魔ばかり、私のティガを奪いにかかる泥棒猫……!』

 

 カミーラは、もう。

 

 仲間との絆も覚えていない。

 

 自分が着ているドレスが、ユザレがくれたものであることも、友達からのプレゼントであるそれを闇に堕ちてなお大切にしていたことも覚えていない。

 

 この女はもうとっくに、カミーラであってカミーラでないものへと変わり果てている。

 

 ティガが愛したカミーラは、あの日もう死んでいたのだ。ティガが目を逸らしていただけで。

 

『どうしたのティガ? どうし―――』

 

 カミーラはいつだってティガを信じている。

 光の時も。

 闇の時も。

 ティガを信じ、いつだって無防備にティガに寄り添っている。

 世界中の全てが敵になっても、ティガは味方で居てくれると信じている。

 自分がどんなに間違っても、ティガは許してくれると信じている。

 いつでも、どこでも、誰が相手でも、ティガが守ってくれると信じている。

 あの街で邪神カルト達に襲われた時にもうその信頼は裏切られているというのに、都合の悪いことは皆忘れて、目を逸らして、ティガを盲信しきっている。

 ティガと二人きりの世界でもいいと思うくらいに、カミーラはティガのことが好きだ。

 

 だからティガにとっては、彼の生涯で最も楽な討伐目標だったと言える。

 

 一秒と少しで、カミーラの闇を光に変え、カミーラに致命傷を与える攻撃は完了した。

 

 

 

 

 

 致命傷を受けたカミーラの前で、ティガは口を開かない。

 

『ねえ』

 

 ティガは何も言わない。

 

『なんで……ねえ、なんで』

 

 ティガは何も言わない。

 

『ね、ねえ……何で何も言ってくれないの……?』

 

 ティガは何も言わない。

 

『わ、私、ティガの言うことなら何でも聞くわ。いつもそうなの、ずっとそうなの』

 

 ティガは何も言わない。

 

『ほ、ほら見て、人間の頭蓋骨を繋げたアクセサリー。ティガにあげようって思ってて……』

 

 ティガは何も言わない。

 

『何を怒ってるの?

 お……怒らないで。

 私、怒られるの苦手。

 それに……ティガだけには怒られたくない……嫌われたくない……』

 

 ティガは何も言わない。

 

『ティガは私の味方でしょう?

 ティガは私のことが好きでしょう?

 愛してくれたよね? 信じてくれたよね?

 いつも私のそばにいてくれるって言ったよね?

 ねえ、ねえ、なんとか言ってよ……ティガ……ねえ……』

 

 ティガは何も言わない。

 

『ダメなところがあったら直すから。足りないところがあったら頑張るから……』

 

 ティガは何も言わない。

 

『だから、だから……お願いだから……嫌いにならないで……お願い……』

 

 ティガは何も言わない。

 

『お願いです……私を嫌わないでください……

 ……お願いだから……私を好きでいてください……』

 

 罅の入ったティガの心が、割れる音がした。

 

『嫌いになんてなってない。これは僕の……果たすべき、けじめだ』

 

 二人分の涙が、零れ落ちていた。

 

『けじ、め? まさ、か……ユザレユザレユザレユザレ! あの女、殺し―――』

 

 光線が、カミーラの首を切り落とす。

 追撃の光線が、カミーラを死体も残らないほどに砕き切る。

 光の粒子になって消えていくカミーラを見送って、ティガは変身を解いた。

 後はもう、出てこない海の底の邪神だけ。

 他はもう全て倒しきった。

 

 人類も、文明も、天の神も、地の神も、光の巨人も、闇の巨人も、海の邪神の眷属たる怪獣達も……ほぼ全て、ウルトラマンティガが殺しきった。

 全てを平にして、最強を証明した。

 なのに。

 その胸に満ちるのは、虚無感のみ。

 

 瓦礫に腰を下ろして、深く深く、息を吐くティガ。

 

「僕が……僕が、間違っていた。

 なんてことをしたんだ、僕は。

 何人殺した?

 何人死なせた?

 守りたかった人も……この手で。

 あんな小さな子供も。

 子供の親も。

 優しげな老人も。

 罪のない人も。

 善良な光の巨人達も。

 大切な仲間も。

 愛したカミーラまで巻き込んで。

 ああ、なんで、僕は、僕は……

 ……()()()()()()()()()()()()()、思ってしまったんだ?

 ()()()()()()()()()()()()()()()、思ってしまったんだ?

 人々の未来のために、僕の大切な人を殺すだなんて……なんで、今更……」

 

 終わりを迎えた。

 

 後悔の終わりを。

 

「ああ」

 

 誰も隣に居ないこの虚無こそが、ティガ・ゲンティアに与えられた罰。

 

 愛したものは、ほとんど全て彼の手の中から零れ落ちていった。

 

「僕に最初から」

 

 誰よりも強いから、誰よりも救われない最後の結末に、彼は一人残される。

 

「人々の幸せを諦める勇気か。

 カミーラの幸せを諦める勇気が。

 あったら、よかったのに。そうしたら、そうしたら―――」

 

 彼が持つ力が、光と闇を行き来する力で無ければ、何かが違ったのだろうか。

 

 けれど、全ては『もしも』の話。もうとっくの昔に終わった話。

 

 ティガはルルイエを抜け、空を見上げ、かつてないほどに真摯に神へと祈る。

 

「お願いします……神様……たった一つだけ……叶えてください……」

 

 彼は最強だったから、いつだって自分の力でなんとかしてきた。

 願いは自分で叶えるものだと考えてきた。

 足りない力は仲間と支え合い、補い合うものだと考えてきた。

 だから神頼みなんてしない。

 願いが叶う人間の尽力の結果であるべきだと思っていたから。

 

 そんな彼が、みじめに、無様に、哀れなほどに、縋る姿勢で神に祈る。

 

「ユザレだけは……

 ユザレだけは幸せにしてあげてください……

 あいつは何も悪いことしてないんです……

 どうか、どうか、あいつだけは、幸せにしてやってください……

 僕が支払えるものなら何でも捧げます……

 お願いします……お願いします……あいつを……幸せに……」

 

 いつもティガがこうして祈れば、神々は応えてくれた。

 ティガの願いもちょっとしたことなら叶えてくれた。

 その光景こそが、人と神との共存、そして神の悲願である人類の次代への進化の先駆けだと―――そんなことを言う人が居た時代もあった。

 

 けれど、それももう昔の話。

 神は誰も応えない。

 神は誰も叶えてやらない。

 神は誰もがその願いを蹴り捨てた。

 

「う……ううううぅ……」

 

 神殺しの罪人であるウルトラマンティガの願いなど、叶える神はもう誰も居ない。

 

 ティガを愛した神々は全員、ティガがその手で殺したのだから。

 

 

 




 助けを求める遠くの声を聞き届ける能力は常時発動ではないものの、ティガの子孫に継承された能力であるようです。
 原作ティガではヘルメットで頭と耳を覆い、走行中の車という雑音のある密閉空間の中で、遠くの路地裏の奥の悲鳴をダイゴ(当代ティガ)が聞き、そこで襲われた女を助けるのが間に合ったというシーンがあります。
 クレナイ・ガイことウルトラマンオーブも似た能力を持っていたので、そういう面でもティガとオーブは親和性が高かったのかもしれません。
 まあダイゴはそうして助けた女性を目の前で射殺され、その娘の死体は爆散するんですが。
 歴代ティガの宿命ですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11

 カミーラ、と呼びかけてくれる貴方の声が好きだった。

 愛してくれるあなたが好きだった。

 光が似合わないはずの私を、いつも肯定してくれる貴方が好きだった。

 

 罪の無い人が傷付けられることを許せなかったあなたが好きだった。

 皆の笑顔を守ろうとするあなたが好きだった。

 あの日、森の中で、私を救いに来てくれたあなたが好きだった。

 

 貴方が闇に落ちても、私はあなたが好きだった。

 

 でも、貴方は光に戻った。

 

 何故、私は貴方が好きな理由が貴方から無くなったのに、貴方が好きだったのだろう。

 

 何故、貴方は私を置いて、光の側に戻ったんだろう。

 ……理由なんて分かりきってる。

 私が、光の側に戻れない女だったから。

 絶対に戻れない女だったから。

 一度堕ちたら、戻れない女だったから。

 私はもう、とっくの昔に、悲しんでいる人じゃなくて、幸せな人になっていたから。

 

 あなたが幸せをくれたから。

 

 私はずっと、あなたのおかげで幸せだった。

 

 ああ、でも、口が動かない。

 

 それを伝えられない。

 

 さよなら、ティガ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダーラム、ヒュドラ、カミーラの力を光に変換し、ティガは光の巨人としての力の規格を取り戻すことに成功した。

 光の側にも闇の側にも振り切ることができない今のティガは、強大な神性とぶつかって打ち勝てるほどの存在ではない。

 しかし、光と闇の極致を行き来したことで、巨人の目を見れば戻れるかどうかが分かるように、海を見ればどこに海の神が居るのかが分かるようになった。

 

 ティガはルルイエに邪神を誘導し、ルルイエに残っていた最後の設備を利用、命を削る渾身の力でルルイエごと封印することに成功した。

 邪神単体で永続的な封印を行うのではなく、ルルイエごと封印する、虫カゴごと虫を土に埋めるような封印を行ったのである。

 できれば邪神も仕留めておきたかった。

 闇の三巨人に対してそうしたように、後の時代に憂いを残さないために倒しておきたかった。

 しかし、それには力がもう足りない。

 邪神がティガの弱体に気付く前に畳み掛けねばならない。

 邪神が勝てたはずの戦いで勝ちを逃してしまったことに気付いたのは、ティガの手によって光の封印を受け、海の底に沈められてからだった。

 

 戦いは終わったのだ。

 

 三千万年後に続く、いくつかの禍根を残して。

 

 

 

 

 

 ティガは灰の砂漠に足を取られている牛の鬼のような生物を見つけた。

 サイズは子犬程度の奇っ怪な生物。

 ティガはその動物……否、動物という括りには入れておけない、通常生物を超越した上位生命体に見覚えがあった。

 カミーラがいつも膝の上に乗せて、その頭を撫でていたのを覚えていたから。

 

「君はチィちゃんがいつも可愛がってた若い神の……そうか、生き残ってたのか」

 

 ティガが牛鬼を抱きかかえようとするが、その手はその神に叩き落される。

 その目には確かな敵意があった。

 ティガはぎゅっと拳を握り、罪悪感に表情を歪める。

 この神がティガに殺されたのは、友であった神か、親であった神か、あるいはティガ同様に……愛する人を、失ったのか。

 怒りには相応の理由があるはずだ。

 

「……ごめんね」

 

 ティガは手を引き、頭を下げて謝る。

 牛の鬼は落ち込んでいるティガを見て複雑な表情をして、ティガの足元に歩み寄り、ティガの足をぺちぺちと叩く。

 "元気出せよ"とでも言いたげに。

 

「……。ありがとう」

 

 二人で灰の砂漠の外縁を歩き、廃墟に足を踏み入れ、一人と一匹は歩く。

 終わった世界の二人旅。

 多くの生物が絶滅し、人類もまた絶滅しかけている世界を、二人が歩いて行く。

 ティガは牛の鬼に合わせて歩幅を少し狭め、牛の鬼はティガに合わせてせっせこ歩いていた。

 

 人類は生存数から見て、絶滅してもおかしくないほどの数まで減ってしまった。

 数千万年残る物を作れていた文明ももう、多くの物が壊されたことで永遠を失い、百万年後にはほぼ全ての物が風化して消え去るだろうと推測されている。

 この時代の文明は死んだ。

 殺された、と言い換えても良い。

 現在の人類には、最新技術を習得している人間も、人類の最新技術を保存しておく方法も、最新技術で何かを作っておけるだけの資源も無いのだ。

 

「ここから……世界は……立て直せるんだろうか……」

 

 神は答えない。

 ティガの不安は、不安であって不安でない。

 もうとっくに世界が立て直せないことは確定している。

 それでもティガは、そう言わずにはいられなかった。

 このまま何も残せず終わるなどということだけは、避けなければならなかった。

 

 不安に苛まれるティガの足を、牛の鬼の角がぐりぐりと押す。

 どうやら元気付けようとしてくれているようだ。

 雨が降る前の雲のような微笑みで、ティガは神に微笑みを返す。

 

「ありがとうね」

 

 ティガが優しげにお礼を言っても、牛の鬼はぷいとよそを向いて無愛想。

 

 加害者と被害者、人と神、巨人と牛鬼、子供と子供。奇妙な相方との珍道中を進んでいく。

 

 ほとんど一日歩き、ティガは目的地に辿り着いた。

 

「待ったぞ、ティガ」

 

「全然待ってないよ~」

 

「行きましょうか」

 

 そこで待っていたのは、三人の人間。

 二人はウルトラマン。

 片方は松葉杖をついていて、片方は車椅子に乗っている。

 松葉杖をついている方は強気な成人男性で、車椅子に乗っている方はのんびりとした青年。

 

 一人はカミーラと同部隊でウルトラマン達の食事を作っていた女性。

 壊れかけの車をカチャカチャといじっていたが、顔を上げてティガに笑いかけていた。

 

 ティガとユザレを除けば、地球星警備団最後の生き残り。

 最後の五人の内の三人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう地球上に動いている機械は多くなかった。

 闇は光の全てを否定するがため、人の進化の光の産物とも言える機械をことごとく破壊し、技術者がほぼ全滅した人類はそれを直す手段がなかった。

 闇の破壊を免れたものもティガの攻撃、あるいはティガの闇落ち以降の戦闘によって保護加工を喪失し、現在ではことごとくが破壊されてしまっている。

 

 もうこの地球上で動いているのは、ボロボロの壊れかけの車一台だけだ。

 旧世代の、化石燃料を燃やして走る車。美術館に飾られていた一品である。

 美術館の崩落に巻き込まれていたこれは、四人しか乗れないのにドアも左後ろの一つしかなく、またエンジンもガタガタなので頻繁に止まる。

 タイヤのゴムは穴だらけだったものを無理矢理穴を修繕して使用し、ブレーキは宇宙戦艦のパーツの一部だった慣性制御システムをそのまま車の上に乗せ、代用とした。

 使わないでいいなら使いたくないポンコツである。

 

 しかしながら闇の巨人がもう居ない今、ウルトラマンには三分の制限があるため、長距離移動となれば車は必須である。

 ティガと、ティガを待っていた三人の内一人の女性は、たびたび止まる車をその都度修理しながら、四人と一匹が乗る車を走らせていった。

 

 彼女は実家の仕事の関係で、ある程度機械に強いらしい。

 それでも旧世代の車に触れたのは初めてだったらしいが。

 ティガ、ウルトラマン二人、人間一人、神一柱の間に会話はそんなにない。

 彼らは多くの時間を沈黙を保ったまま、目的地に辿り着いた。

 

「ここだ、ティガ。目立たない山中が一番だろ」

 

 気の強そうな松葉杖の男は、松葉杖でティガに場所を指し示す。

 

「分かった」

 

 ティガは頷き、木の棒で地面に術式の下地を書き、儀礼を行うことで"神域"の疑似領域を作り上げ、そして青銅のスパークレンスを掲げる。

 スパークレンスが光を放ち、光がピラミッドを作り上げていく。

 悪しき者では触れることもできない領域。

 光の者が招き寄せられる領域。

 神とウルトラマンのための神域を、光の力でピラミッドとして作り上げていく。

 

 そんな彼の背中を、牛の鬼がじっと見ていた。

 

「うわっ……すっげ……流石ウルトラマンティガ……」

「ですね……」

「こんなに簡単に……」

 

「太陽光を吸って光に変える仕組みを組み込んだよ。

 細かな不具合はピラミッドが自分で直してくれる。

 三千万年は邪神でも見つけられない……と、思う。

 エラーもおそらく一億年くらいは起きないかな。

 いつか光を必要とする戦士の子孫が現れた時、このピラミッドは応えるはずだ」

 

 光のピラミッドを見て、最後の三人のウルトラマンは目配せする。

 そして、『光』がくれたスパークレンスを空に掲げると……それぞれの手の中で、スパークレンスが光の砂になって消えていく。

 もう闇の脅威は去った。

 この星で光が果たすべき使命はない。

 そう。

 別れの時が来た、ということだ。

 

 三人の体から『光』が離れ、『光』はこの星で戦うために使っていた肉体を、石像としてピラミッドの中に鎮座させた。

 

「これまで……ありがとうございました」

 

 ティガ達が四者四様に頭を下げると、光はティガ以外の傷付いた巨人変身者に光を当て、傷を持っていく。

 松葉杖も車椅子も必要がなくなり、二人は普通に立って歩けるようになった。

 

「傷が……」

「消えた?」

「おお……ありがとうございます。この星を救いに来てもらって、こんな……」

 

 光は何も言わず、瞬いて、宇宙の彼方に去っていく。

 かくして、光は去っていった。

 遠い未来に、この星の誰かが、闇と戦うための力を残して。

 最後まで何の見返りも求めず、人間達に自らの未来を選択する力を与えるのみで何も言わず、星の向こうへと帰っていった。

 

「よし、後は、周辺の土地の再確認と、地脈の精査と、それから……」

 

 やや過剰に細かいところを詰めていこうとするティガだが、ふらりとその体が揺れ、脱力した体が横に倒れる。

 咄嗟に飛び込み、左右から元ウルトラマンの二人がその体を支える。

 少し大きな力を使いすぎたようだ。ティガの顔色はだいぶ悪い。

 強気な表情の男も、のんびりした表情の男も、ティガの体調を心配する表情になっていた。

 

「働きすぎだ。少し休め、私たちは急かさない」

 

「でも……万が一闇の罠があったら……闇は、なんでもありだから……」

 

 ティガを支える二人の体が、触れているティガにも気付かれない程度に、少し強張る。

 

 いつだってそうだった。

 ティガは他人よりちょっとだけ、時には他人とは比べ物にほどに多く頑張ってきた。

 他人より頑張ることで他人が求める結果を出してきた。

 今も、昔も、ティガは無理をすることで他人の希望を繋ごうとしている。

 

 これまでずっとこの二人も、ティガに無理をさせてきた。

 望んでそうしてきたわけではない。

 無理をさせないでいいならそうしたかった。

 自分達の助力でどうにかできるならそうしたかった。

 環境がそれを許さなかった。

 弱さがそれを叶えなかった。

 

 そして、ティガがそうさせなかった。

 「信じて待ってて」とティガが言えば、不思議とティガを信じられる気がして、この二人はずっとティガの無理を許容してきた。

 ティガなら大丈夫だと。

 ティガならなんとかしてくれると。

 ティガを助けられるほど……自分達は、強くないと。

 そう思いながら、そう割り切りながら、ティガと共闘もできない弱者の脇役として、世界のどこかで人々を守るために戦ってきた。

 その結果が、あの結末である。

 

 悔いているのはティガだけではない。

 この元ウルトラマンの二人もまた、胸の奥に後悔を抱えている。

 

 だから二人の選択は、"無理をさせない"に帰結した。

 

「急いでるわけじゃないんだ。後でいい。休むぞ、ティガ」

 

「だよね~」

 

 二人がティガを折りたたみの椅子に座らせ、三人の元ウルトラマンをにこにこ見守っていた元食担部隊の女性が、折りたたみのテーブルをのそのそと置く。

 

「わたし、お蕎麦持ってきたので作っちゃいますね。

 ティガさんこれ好きでしたよね、確か。

 これも食べきっちゃうとネクスト同じ味を味わえるのはいつになるか分かりませんが……」

 

「……ありがとう」

 

 強気そうな男がテーブルを拭く。

 のんびりした男が飲み物をコップに入れていく。

 にこにこした女性が即席の蕎麦を作っていく。

 ティガは手伝おうとするが、倦怠感のせいかふらついてしまい、座らされたままだった。

 

「……」

 

 蕎麦が出てきても、ティガは周りのやんわりとした扱いに戸惑った風で、女性から促されるまで自分が食事を始めないまま固まっていることにも自覚がなかった。

 

「ティガさん、いただきますですよ、いただきます」

 

「あ、ああ。いただきます」

 

 ちょっとの休憩の食事に、四人は蕎麦を啜り始めた。

 

 うどんの原料である小麦は人類最後の作物の一つと言われているが、蕎麦も小麦に並ぶほど昔から人類に食されてきたものである。

 西暦2010年代時点での研究では、最古の蕎麦栽培種が食されていた証拠は日本……それも、高知で発見されていた。

 もっと古くから食べていた地方もあったかもしれないが、少なくとも証拠が出ている分には、最低でも9000年以上前から蕎麦を食べていた高地が最古の地である。

 

 世界最古の蕎麦の地は、高知なのだ。

 中国の方で育っていた原種が、日本本土のどこかを通って四国に辿り着き、高知で誰かが食べていた……学術的にはそう考えざるを得ない。

 

 シノクニとは、三千万年後の四国のこと。

 カミーラの生まれは、ティガが一番好きな蕎麦が平地一面に広がる、高知であった。

 この蕎麦もまたシノクニの高知地域に僅かに残されていたものであり、カミーラの故郷の味であり、ティガの好きな味でもあった。

 

 ティガはとても美味しそうに蕎麦を口に運び、ふと思い出す。

 

「……ああ。そういえば、いつもは……」

 

 "チィちゃんがいただきますって最初に言って、僕はその後に続いて言ってただけだったっけ"……と、言いかけて、ティガの口が止まる。

 

 ティガの思考を察せるほど、ここに集まった面々はティガを理解していない。

 ティガと長時間共に一緒に居たのも今日が初めてだ。

 それでも、分かることはある。

 彼らはティガとカミーラの仲睦まじさは知っていた。

 二人がいつも一緒に食事を取って談笑していたのも知っていた。

 そして今、ティガから笑顔が消えて泣きそうな顔を隠すように俯いたのだから、ある程度察しがよければ推測は立つ。

 

 かつて、ティガが好きだった者達は皆、ティガを尊敬していた者達は皆、ティガに感謝していた者達は皆、ティガを信頼していた者達は皆、期待していたのだから。

 ティガとカミーラの相思相愛が結ばれ、彼らが互いに幸せにし合うことを。

 善良なる彼らは皆、ティガとカミーラのよき未来を、心の底から願っていた。

 それももう、昔の話。

 

「食いながらでも少し話を進めておくか」

 

 要らなくなった松葉杖を遠くに放り投げ、強気そうな男が話を変える。

 

 やや荒っぽいが、ティガを気遣っていることに疑いはなかった。

 

「ティガの石像はかなり状態がいいな。

 だが、私達二人の石像……

 というより、巨人の体はもう駄目かもしれない。

 ダメージが大きすぎる。長く見ても千年は保たなそうだ」

 

「ティガの力しか残らないかもね~」

 

「……十分だろ。次代がティガほど才気に溢れてるかは分からんが」

 

「だね~」

 

 強気な彼も、のんびりした彼も、自分と一体化していたウルトラマンの力がそんなに長くは後世に残らないだろうと考えていた。

 星の命運すら決定する激戦が残した傷は大きい。

 永い永い時が経てば、傷が深い二つの石像は滅び、ティガの石像だけが残るかもしれない。

 それでも次代に何かを残しておくべきだと考えたから、彼ら四人は此処に居る。

 

 ティガもまた、何かを後に残すために此処に居る。

 ポケットの中を探り、ティガは二人の元ウルトラマンに、今はただの人間になっている二人に、二つの宝物を差し出した。

 

「これを」

 

 それは、青銅のスパークレンスと、ティグの紋章であった。

 

「ティガの……神から戴いた紋章とスパークレンスか。いいのか?」

 

「元より、僕がしたことの後始末をしたら誰かに返上するつもりだったから」

 

「……」

 

 青銅のスパークレンスは、人の手によって作られた人造のスパークレンス。

 この時代の最先端技術を用いて作られた『光』の神器のレプリカである。

 本物と同格以上の光変換能力を持ち、頑強さに重きを置いているため、数千万年が経とうと現実に存在し続けるだろう。

 ティガを信じ、ティガに全てを託した、人々の希望の象徴だ。

 

 ティグの紋章は、ティガを鍛え上げた鬼の神が免許皆伝に与えた菱形の宝珠。

 科学技術では再現不可能な神の力の結晶体であり、内包された神々の力がティガのために光り輝いている。副次効果として、"ティガを導く"という力を宿していた。

 永遠を生きる神の力が宿されているだけあり、内包されたその光も永遠に近い。

 ティガを信じ、ティガに全てを託した、神々の希望の象徴だ。

 

 気の強い方がティグの紋章を受け取り、のんびりした方が青銅のスパークレンスを受け取る。

 

「……本当に戦いが終わったんだなあ、って感じがしますね」

 

 その三人を見つめつつ、盆を持った女性がぽつりと呟く。

 ここに居る四人の内三人は元ウルトラマンだ。

 終始ただの人間であり、カミーラの同僚の友人Dくらいの立ち位置であった彼女は、ティガが全てを手渡す光景に、何か感じ入るものがあったらしい。

 

 盆を置いたその手が、車の後部座席に置かれた『聖剣』を撫でた。

 それは軽い封印を施されたユザレの聖剣。

 ユザレが手放し、どこかの地に封印してもらうため、この女性に預けられたものだった。

 聖剣が使い手の手を離れているその事実が、重ねて証明する。

 もう、この時代の戦いは全て終わりを迎えたのだと。

 

 全て終わらせて安堵しきった、今にも死にそうな表情をやつれた顔に浮かべるティガを見て、気の強そうな男は思わず口を開いた。

 

「ティガ、お前……カミーラに……いや、それはなんでもねえ、忘れろ。私が言いたいのは」

 

 そしてつい言いかけた言葉を引っ込める。

 ティガに対する気遣いがあった。

 皆が言わないようにしている内容があった。

 それはティガも察していて、心中で周りの三人に感謝していた。

 あんなにも最低最悪なことをした自分を気遣ってくれる優しい三人の行く末に幸あれと、心の中でずっと祈っていた。

 

 言うべきことがある。

 触れるべきでないことがある。

 気の強い男は、言葉と伝える内容を選びに選び、言うべきことをティガに言った。

 

「お前、許されないぞ。多分ずっと。分かってるのか?」

 

 それは誰かが言わなければならないことだった。

 

 元ウルトラマンとして、彼が言わなければならないことだった。

 

 ティガはショックを受けた様子もなく、憔悴した顔で迷いなく頷く。

 

「うん、分かってる」

 

 頷いてほしくなかった、と思ったのは、この中の誰だったか。

 四人の間に沈黙が流れる。

 心地良くない沈黙だった。

 居心地の悪い静寂だった。

 

 ここに居る三人は皆、ティガに多かれ少なかれ"許されるべきではない"という気持ちを持っている。ティガがしたことは、それだけ大きな罪だった。

 この先何千万年経とうと、1000億人鏖殺に加担した罪を超える生命体は出てきまい。

 それでも。

 ここに居る三人は皆、ティガに"許されてほしくない"と思ったことはなかった。

 

 沈黙を切り裂き、のんびりとした男がティガに話しかける。

 

「ね、ティガ~。三年前、ぼくを怪獣から救ってくれてありがとう」

 

「え?」

 

「ティガは覚えてないかもしれないけど、ぼくは覚えてるよ」

 

「……僕は、お礼を言われるような人間じゃない」

 

「許されない人相手でも、『ありがとう』を言うくらいはいいんじゃないかな~」

 

 のんびりと、彼は言葉を続ける。

 恨みの言葉でもなく、責める言葉でもなく、感謝の言葉を彼は選んだ。

 ティガに救われた感謝が込められているその言葉は、安易にティガを責める言葉よりもずっと重く、安易にティガを慰める言葉よりもずっと優しかった。

 

「ね、言わせてよティガ、ありがとうって。きっとこれが最後なんだから」

 

「……僕に」

 

「うん?」

 

「僕に、褒められる、権利なんて……」

 

「違うよ。これはぼくがお礼を言う権利なんだ。君の自罰は関係ないんだよ」

 

「……」

 

「カミーラと君もそうだったんじゃないかな。

 カミーラがいくら自分を卑下しても、君がいつまでも感謝と称賛を続けてたこと。

 ぼくは覚えてる。だって、そんな君を信じようと思った気持ちは、無くなったりしないから」

 

「―――」

 

「君がカミーラに前を向いてほしかったように、ぼくも君に前を向いてほしいんだ」

 

 強気な男が触れなかった部分に、のんびりした男は迷いなく踏み込んだ。

 

 いつかの日に、ティガはそうして、光の側にカミーラを連れて行った。

 

 目の前の男の気遣いが、優しさが、嬉しくて、有り難くて、辛くて、痛い。

 

 ぐっと拳を握り締めるティガに、気の強そうな男が腫れ物に触れるような声で語りかける。

 

「なあ、ティガ。お前……何がしたかったんだ?」

 

 ティガの表情が動く。

 

 口が動いて、心が漏れ落ちる。

 

「……何が、したかったんだろうね」

 

 その表情を見て、気の強そうな男は腹を決めた。

 

「ちょっと立て、私の前に、そうだ」

 

「?」

 

 ティガを立たせ、男は深く深く深呼吸。

 そして思い切り腕を振り上げ、ティガを殴った。

 ティガの鍛え上げられた体幹は反射的に身体を柔軟に動かし、本能的にパンチの威力を軽減したため、渾身の一撃であったのにティガは倒れるどころか膝を折りすらもしない。

 ただ、頬に鈍い痛みだけが残った。

 

「っ」

 

「こいつで私の分だけはチャラにしといてやる。

 ありがとうよ、ウルトラマンティガ。

 お前が守ってくれたことを覚えてる。だから……困ったことがあったら呼べよ」

 

「……え?」

 

 ティガを殴って、強気な男はそのままぐっと抱き締める。

 熱い抱擁だった。

 優しさなんて欠片もない。

 抱き締められている方が苦しいだけの抱擁。

 とても不器用で男らしい、戦友に気持ちを伝える方法だった。

 愛情表現が下手な父が息子にするような抱擁だった。

 

 強く抱き締め、まだ少年から青年になる過程の成長途中の背中を、ぽんぽんと叩いてやる。

 

「私が行くかもしれない。

 私の後継が行くかもしれない。

 今はまだ出会ってない仲間が行くかもしれない。

 だけど必ず誰かが行く。

 こいつを持って、必ずお前を助けに行く。待ってろ」

 

 ティガの眼前にティグの紋章を突きつけ、男はそう言った。

 

「じゃあ、ぼくもそうしてみようかな。

 ぼくかぼくの意思を継いだ誰かが行くかもしれないから、待っててね~」

 

 青銅のスパークレンスを手の中で転がし、のんびりと男がそう言った。

 

「わたしは何もできない普通人ですので、応援してます。あ、聖剣は届けに行くかもですね」

 

 ティガの横で聖剣を抱きかかえ、にこにこ微笑む女性が言う。

 

 ティガはもう、自分は世界の全てに否定されていると思っていた。

 事実、ティガが許されるべきだと思っている人も神も全くいない。

 あまりにも大きな罪は、ティガを擁護する者すら根絶させた。

 けれど、それでも。

 誰からも許されないティガの事情を理解し、ティガが困った時にはティガの味方になってやろうとする『慈悲深き光の者達』こそが、この時代の人々の中心だったから。

 

 眩しい光の優しさに、ティガは"もう自分はそちら側ではない"ことを強く自覚する。

 

 この場に人間は一人。

 ウルトラマンだった者が三人。

 それぞれが"助け合い"の約束を誓ってくれている。

 ティガは少し、何かを思い出しそうになってしまって。

 こぼれそうな涙を、歯を食いしばってなんとかこらえた。

 

「……そんな日が来ないのが、一番だけどね」

 

 千切れた雲のような微笑みを、ティガは浮かべる。

 

 ティガは胸が痛くて、苦しくて、辛くて、嬉しくて、ほんの少しだけ救われた気になる。

 もう大切なものは何も取り戻せないけれど、それでも、少しだけ救われていた。

 にこにこと微笑みかける女性が、複雑な心境のティガの肩を叩く。

 

「そんなに落ち込まないでください。

 カミちゃんだって貴方が笑えなくなってしまったら、落ち込んじゃいますよ」

 

「うん」

 

「うう、良いこと言えない何もできないパンピーのわたしがバッド……

 いつか、本当にいつか、この聖剣と一緒に誰かがあなたを助けます。

 イッツァワードが目印です。

 私の友達か仲間の目印です。

 ディア・マイ・フレンドー、って、助けに言ってトゥギャザーするんですよ」

 

「あはは。ありがとう。僕には……過分すぎる言葉だよ」

 

 冗談めかして話している女性の口調を耳にして、ティガは気付いた。

 

 "こういう特殊な喋り方をする地方がある"ということを、ダーラムから聞いた覚えがある。

 

「君、もしかして」

 

「ダーラムの親戚です。アイアムレラティブ。意外でしたか?」

 

「いや……似てる、かもね」

 

「私を殴ったりあんまり好きじゃない親戚の兄だったので、ドントマインドですよ」

 

「……」

 

「ティガさんが引きずってる方が気になります。立ち直ってほしいというのが本音です」

 

 二つの原語が混じり合う喋り方。

 この女性はどうやらダーラムと同郷の親戚だったようだ。

 ティガが殺した男の親族の登場に、ティガの表情は曇る。

 その女性は、そうなってほしかったわけではなかった。

 ティガに前を向いてほしかった。

 ゆえにダーラムの親戚として、その唯一無二の立場からティガの幸福を願う。

 

 その言葉は少しだけティガに届いて、少しだけ心を動かす力が足りなかった。

 

「だから……だからちゃんと、カミちゃんの分までハッピーになってくださいね」

 

 その言葉に、ティガは頷くことができなかった。

 

 ティガから受け取った青銅のスパークレンスを持ち、男は南へ。

 遠い未来に沖縄と呼ばれる地に到着し、そこで生き残りを集め、沖縄の神々と繋がった。

 沖縄の神々は海に近しく、常に邪神を見張る者となった。

 

 ティガから受け取ったティグの紋章を持ち、男は北へ。

 遠い未来に北海道と呼ばれる地に到着し、神威の神々に後を託し自然の再生に一生を捧げた。

 北海道の神々は新たに生まれてきた地の神々に、古き歴史を語り継ぎ続けた。

 

 ユザレから受け取った聖剣を持ち、女は内陸の山間へ。

 できるだけ海から遠い山間を選び、遠い未来に諏訪と呼ばれる地に到着し、そこで神々と共に三千万年越しの口伝を語り継ぐ集落を作った。

 三千万年前後、諏訪大社には一字一句違わない口伝が残されており、それは白鳥歌野と藤森水都を通して御守竜胆・乃木若葉に受け渡されることとなる。

 

 遠い未来に受け継がれた光の戦士の遺伝子は、ティガとユザレのもののみだけであったが、約束の残滓は三千万年経った今も受け継がれている。

 いつまでも、いつまでも。

 彼らの意思は受け継がれ、たった一つの約束を守らんとする。

 

 後始末は、これで終わり。

 

 そしてティガは、太陽に背を向け、光に背を向け、一人どこかへと歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後の後始末を終え、帰還したティガを、ユザレが出迎えた。

 

 長き戦いの終わりに相応しく、ユザレは正装で恭しくティガへと頭を下げる。

 

「戦いは終わりました、ウルトラマンティガ」

 

「お疲れ様、ユザレ」

 

 全て終わった。

 終わったのだ。

 そして、願いは叶わなかった。

 ユザレはずっとティガの幸福を願い。

 ティガは最後にユザレの幸福を願った。

 しかしもう、その願いは叶わない。

 目の前の人が幸せなら少しだけ自分も幸せになれるのに、目の前の人が幸せでないから、互いにもうどうしようもなく幸せになれない。

 

「ごめんなさい」

 

「君が謝る必要なんてどこにもないだろう」

 

「あなたに、そんな顔をさせてしまった」

 

 あのままで良かったわけがない。

 闇に堕ちたまま全てを滅ぼし、最悪の地獄と絶望の中を生き、"カミーラのため"などという最悪のフレーズを繰り返すティガダークになるよりは、ずっとマシだった。

 ほんの少しだけ救いのある終わりにできたのだから、それで十分であるはずだ。

 

 けれど、逆に言えば、救いは少ししか無かった。

 どうしようもなく救われない結末を、少しの救済で僅かに希釈しただけ。

 少しはマシな結末であっても、幸福に笑える結末ではない。

 ユザレはティガを救って幸せにしてあげたかったのに、救うことはできても、幸せになれるところまで連れて行くことはできなかった。

 

「私は……私は……

 人類の未来を、より安全なものにすることより……

 あなたが幸せになっていける道筋を、選ぶべきだったのに……」

 

「それは違う」

 

「……」

 

「君は正しかった。僕がそれを保証する。地球の最後のウルトラマンとして」

 

「でも」

 

 二人の会話を、牛の鬼が見ている。

 カミーラに可愛がられてきた神が見ている。

 幸せになれなかった二人を見ている。

 世界の無情をじっと見ている。

 その時、"悲劇的な結末など面白くもなんともない"という人間の義憤に似た感情が、牛の鬼の中に目覚めていた。

 

「私は、あなたを幸せにしたいなら、あなたに人を殺させてはいけなかったのに……」

 

 ただ、ただ、牛の鬼は憤りを覚える。

 悲しむユザレに。乾いた微笑みを浮かべるティガに。こうなってしまった運命に。

 目の前の少女の幸福を願うことの何が間違いだったのか。

 目の前の少年の幸福を願うことの何が間違いだったのか。

 間違いで無かったのなら―――何故、そんなささやかな願いすら敵わないのか。

 

 ユザレとティガの、互いに対して口に出さない気持ちが、互いの内にある幸福を願う想いが、それが何の実も結ばない現実が、牛の鬼の内側に確かな信念を構築していく。

 

「いいんだ。そういうものを得る資格は、僕にはもう無い。

 僕はティガダークの時に沢山殺した。

 光に戻っても過去は変わらない。

 死んだ人は蘇らない。それに……仲間だった人も、愛した人も、殺してしまった」

 

「それは、皆を守るためで」

 

「大義名分があったってさ、殺したことが肯定されるかっていうと、違うと思う」

 

「……」

 

「ましてや僕は、守るためだけに殺したんじゃない。

 自分の心に従って、感情に突き動かされて、罪の無い人も沢山殺したんだから」

 

 牛の鬼は神である。

 アマテラス同様新しき神であり、この文明の終わりを見届ける最後の時代に生まれてきた。

 神であるがゆえに、その存在意義は自然を体現し、人に崇められ、人を救い、神の威光であまねく全てを照らすことにある。

 全能、ないし万能の力で神は人に恵みをもたらし、人から崇められてこそ生きられるのだ。

 

 なのに、何もできない。

 何も倒せない。

 何も照らせない。

 ティガもユザレも救えない。

 大事に扱ってくれたカミーラも救えなかった。

 最初から最後まで、この牛の鬼は無力なまま、何もできなかった。

 

 ただ普通に生きていただけの少年は最強で、最強なのに誰も幸せにできなくて。

 この神も神として生まれ強大な力を持っていたはずなのに、どこまでも無力で、誰も幸せにできない。

 同じ虚無がそこにある。

 なのに、違う。

 ティガと神は何かが違う。

 ユザレへの向き合い方一つとっても違う。

 幸福の何もかもを失ってなお、他人のために戦い、ユザレのための言葉を選んでいるティガの背中に、神は『人が持ち神が持たない光』を見出す。

 それにこそ、守る価値があるのだと。

 

 それは奇しくも、かつてアマテラスがティガに見た光であり、今はティガ本人諸共見限り、失望の底に沈ませてしまった光であった、

 

「毅然とするんだ、ユザレ。

 時には弱音も吐くけど、君は毅然とした凛々しい女性だった。

 皆のリーダーとしてやっていける、強い女性の理想像。

 君みたいな女性が、僕を引き戻してくれたからこそ、僕は光へ戻れたんだ」

 

「……私は」

 

「感謝してる。

 君がいなければ、きっと僕は駄目だった。

 君の剣は相応しい人間が継いで、これからの世界を守るだろう」

 

 ユザレはただティガに謝罪したいのだと、牛の鬼は理解した。

 ティガはただユザレに感謝したいのだと、牛の鬼は理解した。

 謝罪と感謝。

 思い合う二人の気持ちは、似て非なる想いにて絡み合う。

 少年の言葉が少女を救おうとしているように見え、牛の鬼はぎゅっと己の手を握る。

 

「ギジェラは地上に出ている分は全部焼き尽くした。

 邪神は海の底に封印した。

 闇の巨人も全員殺した。

 外宇宙から来そうなものももういない。

 未来に残ってしまいそうな不安要素は全て潰した。

 ……これでやっと、皆は平和な世界を取り戻したんだ」

 

「ありがとう、ウルトラマンティガ。本当にあなたのおかげよ」

 

「……神様の時代は終わりだ。人はここから、一から歩き出して行くんだろうな」

 

 ユザレはずっとティガに幸せになってほしかった。

 始まりの願いが一貫している。

 "どうかティガを"と、幸せを願っている。

 

 対し、ティガの願いのほとんどは折れている。

 "せめてユザレは"と、幸せを願っている。

 折れて折れて、最後に残った願いだけがそこにある。

 

 牛の鬼は会話の流れを追っているが、肝心な部分に気付いていない。

 

「長かった。

 空から闇が来訪したあの日から。

 海の神の理不尽が、皆の平和を奪ったあの日から。

 数えきれない人が殺され……

 文明は、僕のような邪悪な存在に壊されて……

 それでも……滅びてたまるかと、言い続けたことは、無駄じゃなかった」

 

 発言こそユザレの方が弱気で、ティガがひたすら褒めと励ましを口にしているように見える。

 

 けれど、それは言葉の表面だけを見た場合の話だ。

 

 牛の鬼は本質を理解していない。まだ人間というものへの理解が及んでいない。

 

 互いが互いの幸福を願っている二人であるならば、逆だ。

 牛の鬼の認知は逆なのだ。

 泣きそうになっている方の反対が大丈夫ではなくて、終わりの言葉と感謝の言葉を述べている方の反対がもっとずっと相手に感謝している。

 逆なのだ。

 ユザレはティガの現状を見て、感謝よりも強く、自分を責める。

 そしてティガは、ユザレよりずっと大丈夫ではないのに、ユザレのための言葉を絞り出し、絞り出し……もう、限界だった。

 

「なんて言うんだろうな、これ」

 

 こんなに摩耗した人間の声を、ユザレは聞いたことがなかった。

 

「……ああ、そうか。疲れたんだ、僕は」

 

「―――」

 

「もう行くよ。ここでお別れだ」

 

 

 

 三千万年消えることのない後悔が、遺伝子に刻まれた瞬間だった。

 

 

 

「あなたはどこに?」

 

「さあ、どこに行こうかな。ユザレは?」

 

「伊予之二名島に」

 

「ああ……伊予の島か。元気でやれよ、応援してる」

 

 ユザレは最後の別れに、最大限の礼を尽くしていた。

 

 頭を下げ、手を取り、ティガを送り出す。

 

 ユザレはティガと別の道を行くことを決めたが、別れたくはなかった。

 本当はずっと一緒にいたかった。

 ずっと彼の隣にいたかった。

 彼の傍に居られるだけで幸せだった。

 自分の手で彼を幸せにしたかった。

 けれど、その選択肢を自ら捨てる。

 

 ティガとユザレは、カミーラ達と共に過ごしすぎた。

 ティガはカミーラの愛する人で、ユザレはカミーラの親友だった。

 互いが互いを見る度に、あの日々のことを思い出してしまう。

 つい死んだあの仲間達のことを話題に出しそうになってしまう。

 お互いに望まないまま互いを傷付ける話題を口にしてしまい、自分が相手の傷をほじくり返してしまったことに傷付き、延々と互いに傷付けあってしまう。

 

 もう、駄目なのだ。

 傷が消えてなくなるまで、この二人は一緒に居られない。

 あの気安い関係は、楽しい時間は、もうどこにも無い。

 あの日のように語り合うことはもうできない。

 少なくとも傷がなくなるまでは、互いが互いを傷付けるだけ。

 だからユザレは、彼から遠く離れることを決めたのだ。

 彼のことが好きだから、彼と二度と会わないことを決めたのだ。

 

 愛する人の顔をもう二度と見ないこと。

 愛する人ともう二度と触れ合わないこと。

 愛する人を自分が幸せにできないことを受け入れること。

 それだけが今のユザレにできる、最後の愛の証明だった。

 

 ユザレは彼の手を握り、少しだけ、自分の内の想いを口にする。

 

「想っています。これまでも、これからも。ずっと……だから、またいつか……」

 

「ああ。またいつか、どこかで」

 

 去っていくティガの背中を見つめ、もう無い次を口にする。

 

 いつか、彼の心の傷が癒えればまた会うこともできるかもしれない。

 

 それがありえないことだと分かっていながらも、ユザレはその日を待ち続ける。

 

「もしも……『次』があるのなら……その時は、その時こそは……」

 

 そうして。

 

 彼と彼女の二人の物語も、終わりを迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ティガは世界を歩いた。

 生き残った人を助けるため。

 壊れた世界を少しでも直すため。

 償いきれない罪を、ほんの少しでも償っていくために。

 

 各地を歩いて回るティガの横には、牛の鬼の姿をした小さな神様が居たという。

 

「さあ、行こうか。僕の自己満足にしかならないかもしれないけれど」

 

 人類は絶滅寸前。

 動物も複数種が絶滅。

 植物も絶滅したものが多く、自然環境は無茶苦茶なことになっていた。

 再生も保全も、今の人類では難しい。

 ティガにできることは、増やした植物の種を撒き、荒野になった地上を直すことくらいのものだった。

 壊すのは簡単なのに、直すことは難しいのだと、改めて実感していく。

 

「ひぃ」

「ティガだ」

「やめて……来ないで……」

「……悪いが出ていってくれんかね。皆、あんたに怯えてる」

「殺されたって私達は……お前のやったことを忘れないぞ」

 

 行く先々で人を助けても、ティガに向けられるのは恐怖と憎悪のみ。

 誰にとっても、ティガは自分の大切な人や居場所を奪った敵だった。

 敵意を幾度となく向けられ、しかし善良な者に染まった文明の生き残りであるためか、誰もがティガを怪我させないし殺さない。

 包丁の一本でも持ってくれば、ティガは死を受け入れて殺されただろうに。

 

 その生き様が既に罰。

 残る人生全てが罰。

 もはやどう生きようとも、その人生には罰しか無い。

 この世界の全てを傷付けた彼は、この世界の全てに否定されている。

 

「牛の……鬼の神様? まあいいか。

 付き合ってくれてありがとうね。

 君のおかげで僕もひとりじゃない。それに随分救われてるよ」

 

 ティガの素直な感謝に、照れた様子で牛の鬼は顔を背ける。

 

「あ、海だ。

 すっかり闇も抜けたみたいだね。

 ……ああ、そういえば。

 闇に染まってない海って、青かったんだっけ……

 もうすっかり忘れてたな……そうだ、空も海も、青かったんだ」

 

 一人と一匹が、海辺を歩いていく。

 

 ユザレとティガがまた出会うには、ティガが胸の痛みを過去にするしかない。

 ダーラムを、ヒュドラを、カミーラを忘れていくしかない。

 ティガもそれは分かっている。

 ユザレの気遣いを理解している。

 どんなものと比べてもユザレの幸福が一番であったなら、そうしていただろう。

 今を生きるユザレのため、あるいは今を生きる自分のため、過去を振り切って痛みを乗り越え、未来に生きることを選ぶことができただろう。

 

 それでもティガは、カミーラのことを忘れるなんてできなかった。

 カミーラのことを過去にするなんて、できるわけがなかった。

 

 痛くても、苦しくても、辛くても、一生幸せになれなくても、カミーラのことを覚えていたかったのだ。

 

 旅の途中、様々な場所を彼らは訪れる。

 そのたび、ティガは牛の鬼に何かの思い出を話した。

 今のティガを形作っている記憶を話した。

 忘れられない過去を話した。

 一つ一つに、もうこの世には居ない、ティガの愛する人の姿があった。

 

「海で釣りをしてたんだ。

 ここの海……じゃなかったかな。

 シノクニのどこかだったと思う。

 チィちゃんは虫におっかなびっくりしてて、餌が付けられなくてさ。

 僕が付けてあげて、二人でのんびりと釣りをして話して……

 ……何か話してたけど、何話してたんだっけ。なんでもないことを話してたのかなぁ」

 

 海を一人と一匹が往き。

 

「ここで野営してたんだ。

 ……ああ。

 もう皆の名前を書いた岩とか、残ってないか。

 色んな人や、ウルトラマンや、神がここに居たんだよ。

 僕やチィちゃんもそうだった。

 食べて、飲んで、歌って、騒いで……

 ああ、そうだ。

 チィちゃんは皆に愛されてたなあ。

 僕なんかよりずっとまっとうに愛されてた。

 チィちゃんは優しくて、気配りができて……いつだって、他人のいいところが言えたんだ」

 

 荒野を一人と一匹が往き。

 

「これも壊れてるか……

 ああ、これはね、遺伝子から人を作り出す機械だよ。

 元は外宇宙開発用の機械なんだ。

 何も無い星に僕らの子孫を広げるためのね。

 遺伝子があれば子供を作れる、みたいなものかな。

 ……あのね。

 そんなことしないよ。

 確かに僕とチィちゃんの子供だって残せる。

 僕やユザレの遺伝子だって登録されてるしね。

 でも、それだけはしない。

 やっちゃいけないんだよ、そういうことは。

 ……君も神なら、分かってほしい。僕はこれ以上、愛を踏み躙りたくないんだ」

 

 復旧できそうな技術を探し。

 

「ああ。懐かしい森だ。

 ここのキャンプで何日か過ごしたことがあったんだよね。

 ダーラムが鍋をひっくり返して。

 ヒュドラが夜の見張り番サボったって報告が来て。

 ユザレが僕のご飯持ってきてくれて。

 僕はヒュドラを探して、皆と話したりしてた。

 チィちゃんは皆のご飯を作って、明日への活力を作ってくれてたりしたなぁ」

 

 近道をするため、森に入り。

 

「チィちゃんはいつもどこか、僕を見上げてた。

 本当な僕が彼女を見上げてたんだけどね。

 僕なんてそんな大したもんじゃなかったのに。

 ……戦う力に、何の意味があるんだろう。

 戦いが強いからって何になるんだろう。

 もっと価値のあるものがあったはずなのに。

 段々そういうものの価値が下がっていった気がする。

 戦う力への評価とか信頼とか?

 そういうものが膨らんで、僕らも気付かないまま何かを間違えていて、そのままで……」

 

 草木をかき分け、猛獣の多くが絶滅した世界の夜を歩く。

 

「僕なんかよりも価値のあるものがあったはずだ。

 強さより価値のあるものがあったはずだ。

 力は、強さは、それを守るためにあったはずだ。

 僕は僕より価値のあるものを守りたかったんだから。

 僕なんかより……彼女の方が……

 ……誰かが戦死した時、それを知って、誰も居ない所で泣いて居た彼女の方がずっと……」

 

 木々の合間の夜空を見上げて、一人と一匹は道なき道をゆく。

 

「いや……そうじゃないか。

 チィちゃんは特別だったけど特別じゃなかった。

 僕以外の人にとってはそんなに特別じゃなかった。

 チィちゃんより価値のある人なんていくらでもいたんだ。

 だからそうじゃない。

 チィちゃんが誰から見ても特別だったとか、そういうことじゃない。

 客観的な価値があったとかそういうことじゃない。

 僕が……僕には……僕にだけあった……チィちゃんが特別だった理由……それは……」

 

 その旅路は、ティガが自分に向き合うための旅路でもあり、牛の鬼がティガ・ゲンティアを知るための旅路でもあった。

 

 彼らはぐるりと一周りして、ずっと前に、ティガの家だった場所にやって来る。

 

 大戦争の終盤にはもう誰も帰っていなくて、空っぽになった家だ。

 

 今はもう、闇の巨人達の攻撃の余波により崩壊しており、街だった廃墟の一部になっている。

 

「ここも、そんなに残ってないか」

 

 後から来るかもしれない人のため、廃墟にある程度人が通れる道を整備しつつ、ティガはかつて自分が住んでいた家に向かっていく。

 昔は、ここに永遠の桜が無数に咲き誇っていた。

 それももうない。

 あんなにも美しかった桜が"もののついで"で根こそぎ折られてしまうほどに、かの戦いは広く大きく激しかったから。

 

 元々期待していなかったティガだが、そこで予想外のものを見る。

 桜が一本だけ咲き誇っていたのだ。

 かつての皆との思い出が蘇り、悲しみと懐かしさに浸るティガは、そこに引き寄せられるように足を運んでいた。

 

「あ……一本だけ、残ってる」

 

 ティガの足を気安くつんつんとつっつく牛の鬼。

 どうやら構ってほしいらしい。

 そういうところばかりカミーラに似てしまった神に、ティガは苦笑する。

 牛の鬼にティガが歩幅を合わせ、神は早足でティガに歩幅を合わせ、二人は桜を目指してゆっくりと歩いていく。

 

「君も、好きな子は桜が似合う子にしておくといい。

 ばあちゃんの受け売りだけどね。

 桜は儚くて、豪華絢爛でなく、添えた人の心を引き立てる。

 本当に優しい人は、山桜の傍で語り合えばすぐ分かる。

 だから恋人にしたり妻にするのは桜が似合う人になさい……って……」

 

 そして、待ち受ける必然の運命と、彼らは出会った。

 

 そこには、桜の似合う少女がいた。

 

 今のティガには、今の彼女の顔がハッキリと見える。

 

 表情も。感情も。意思も。怨恨も。失望も。絶望も。あるいは全てがへし折れた後の、ティガへと向けられていた特別な感情の残骸も。全てがハッキリと見えていた。

 

「ありがとうございます。介錯しに来てくれたのですか、アマテラス」

 

 ティガは神の前にて拝礼をする人間の儀礼を、完璧にこなす。

 失礼があってはならない。

 これから降りるは神の沙汰。

 法も国も裁けなかったティガ・ゲンティアを、神が裁きに来て、ここで待っていたのだ。

 

 それは神の全知による未来予知ではなく、ティガは必ずここに戻ってくるという、アマテラスとティガ達が共に過ごした時間が生み出した、とても人間的な予想によるものだった。

 

 次の世代の天神の代表―――太陽の神格、天照大神。

 天の神のほとんどが死した今、事実上の今代の天神主神格。

 それが今、たった一人の人間を裁くために、この地上に降りて来ているという事実。

 

 それは「罪人に神が神罰を下しに来た」のか。

 「見ていられない哀れな生の者を終わらせてやろうと来た」のか。

 あるいは、「もっと特別で私的な感情で来た」のか。

 神の時間感覚においてまだ幼年期を終えていない女神は、既に現時点で多くの神話の主神格を凌駕するほどの力をもって、永遠の桜の下に君臨している。

 ティガが与えた多くの絶望が、彼女を鍛え上げたのかもしれない。

 

 それは通常の神話の逆位相。

 普通の神話は、神が人に試練を与える。

 人はそれを乗り越え、大きな成長を遂げる。

 しかしアマテラスの場合は、ティガがアマテラスに意図せず試練を与えた形だ。

 人が与えた最大最悪の試練を乗り越えた神であるアマテラスは、現時点で天地の全ての神を凌駕するほどの力を、その精神から組み上げることができるようになっていた。

 

 アマテラスは、ティガを殺すだろう。

 

 そうでなければ、神の論理のつじつまが合わない。

 

「人に謝ってきた。

 世界に謝ってきた。

 神であるあなたに謝り、あなたに殺される。

 償うならば……僕は、そうしなければなりませんよね」

 

 裁きを受け入れるティガの前に、牛の鬼が立ちはだかる。

 

 死を受け入れたティガを庇って、小さな体でそこに立つ。

 

 アマテラスの顔が、また新たな神の感情で歪んだ。

 

『どきなさい 我が弟

 その男は

 許されない

 報われない

 幸せにはなれない

 生きているべきではない

 我らは神の身

 世界に生きる人間のほとんどが

 いえ 世界に生きる命のほとんど全てが

 望んでいるのです その男の 死を 我らはそれを叶えてやらねばならない』

 

 アマテラスと牛の鬼から膨大な力が吹き出し、ぶつかり合う。

 ぶつかり合う神の力がバチバチと音を立て、その余波だけでティガは転ばされてしまう。

 ティガにもうかつての力はない。

 今の彼はただの人間だ。

 アマテラスの殺意に対し、それを受け入れるか、嫌がるか、どちらにしろ死ぬ選択肢しか存在していない。

 牛の鬼の力では、どう工夫しても太刀打ちできないことは明白だった。

 

「いいんだ」

 

 ティガは牛の鬼に優しく語りかける。

 ティガに己の背中を向け、天地の全てにおいて最強の太陽神に歯向かうことは、最悪全ての神性が保証された永劫不滅を脅かされる事態に繋がりかねない。

 そこまでされて守ってもらうほど、ティガは自分が生きる意味を見出していなかった。

 

「これは、僕が受けるべき罰であると思うから」

 

 牛の鬼は見ていられなかった。

 善良だった。

 他人のために生きてきた少年だった。

 頑張る理由がいつも他人の幸せな少年だった。

 大切な人が幸せであれば幸せな少年だった。

 それだけの少年だと、この旅路で知った。

 ならば見捨てられるわけがない。『幸せになれるかもしれない次』に賭けて、牛の鬼は命すら賭してアマテラスへと突貫する。

 

 それが容易く跳ね除けられ、牛の鬼は地面を転がった。

 アマテラスは不快げに、ティガに対する無言を貫きつつ、牛の鬼には一瞥もしない。

 ティガは転がされた牛の鬼を、優しげな手付きで抱きかかえ、空に上った天照を見上げながら、牛の鬼を桜の下に置いてやる。

 

「もし、君の気が向いたら。

 もし、君がいつか、人間と繋がりを持ったら。

 その時、少しだけ思い出してほしい。

 目の前の人間を見て、ちょっとだけ思い出してほしい。

 人間は、皆……自分自身の力で光になれる。そう、信じてあげてほしいんだ」

 

 そして、牛の鬼を巻き込まないために、"桜の木が巻き込まれなかったらいいな"と思いながら、桜の木から離れていく。

 

「僕はここまでみたいだから」

 

 牛の鬼が手を伸ばす。

 けれどもう届かない。

 体はもう動かない。

 "こんな終わりは嫌だ"という気持ちがあった。

 "せめてもう少しでいいから救いをくれ"という願いがあった。

 神の力があっても彼を救う奇跡は起こせず、神ですらただ見届けることしかできない。

 空には、太陽と同熱量の炎が現れ、アマテラスの手の中でどんどんその熱量を膨らませていっている。

 

「……気に病まないで。君はいい神だ。君との旅、楽しかったよ」

 

 牛の鬼が咆哮する。

 しかし体は動かない。

 無慈悲に人を殺さんとする天の神を、牛の鬼は見上げることしかできない。

 力の差は歴然だ。三千万年経ってすら、そうだった。

 

 ティガの携帯端末が鳴り響く。

 中継局も端末もほぼ全滅した現在の世界でティガに連絡を取れる者は多くない。

 端末を操作し、ティガは自分を殺さんとする太陽の炎を見上げ、電話を取った。

 

『今いいですか? 突然大きな神の力が感じられて……

 あなたに何かあったなら助けに行きます。何かありましたか?』

 

 声だけで分かる。

 内容だけで分かる。

 いつだってユザレは、ティガのことを考えて、心配してくれる子だったから。

 

「こっちは何も起きてないかな

 

『ああ、良かった。なんだかとても心配になってしまって』

 

「あの、さ」

 

『はい?』

 

「ユザレは……ちょっとでも、幸せになれたのかな」

 

 数秒、会話が止まる。

 少しだけ考えて、ユザレは本音を口にした。

 混ざりっ気のない、嘘一つ無い本音を言った。

 

『……幸せだったけど、幸せじゃなくなってしまった。それは確かです。それでも』

 

 言葉にしなければ、伝わらないこともある。

 

 言葉にすることで、伝わる真実がある。

 

『あなたに出会わず15年を生きるよりずっと幸せでした。それだけは、言い切れます』

 

「―――」

 

 人間にとって大切なことは、大切な人の中にある。

 

『また会えたら、うんと伝えたいことがあるんです。……また会えたらいいですね』

 

「そうだね。また、出会えたら」

 

 ティガはそう言い、通話を切った。

 

 空の炎が落ちて来る。もう誰にも止められない。

 

「また出会えたら、か」

 

 瞼を下ろせば、そこで人生が終わる予感があった。

 

 ゆっくりと、これまでの人生に別れを告げて、瞳を降ろす。

 

 これまでのことが一つ一つ瞼の裏に浮かんできて、ティガは微笑む。

 

「ああ」

 

 後悔の微笑みだった。

 

「なんだか、後悔するばかりの人生だった、気がする……」

 

 炎に飲まれて、その微笑みが焼けて落ちた。

 

 

 

 

 

 そして、思い出す。

 

 死の間際の走馬灯が、彼に最初の気持ちを、最初の決断の理由を思い出させる。

 

 これまでのティガの選択の全ての源泉、ユザレ以外は誰も本当の意味では理解していなかった原初の気持ちが生まれた瞬間が、瞼の裏に再現される。

 

 あの日。

 

 薄暗い森の中で。

 足元には彼岸花が咲いていて。

 闇の中に溶けるような黒髪があって。

 葉と葉の間から、僅かな光がこぼれ落ちていて。

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 ティガ・ゲンティアは、この子を幸せにしたいと、そう思った。

 

 ずっとずっと幸せでいてほしいと、そう思った。

 

 一目見た時から、少年は少女のことが、ずっと好きだった。

 

 きっと少女が少年を好きになるよりも先に、少年は少女を好きになった。

 

 けれど、もう。

 ティガに正義はなく。

 この星の全ての人間に対し、誠実で無い裏切りをして。

 悲しんでいるカミーラを愛し、その味方で在り続けることもできなくて。

 

 生き続けることが罰になってしまった少年を、神の慈悲の炎が灼き尽くす。

 

 まるで、太古の昔に宗教として連綿と続いていた、『神がその罪を裁き禊げば、その罪は消える』という地上世界の神のルールを、そこに形にするように。

 

 燃え尽きる。

 体も。

 心も。

 魂も。

 罪も。

 あの日から二人で重ねてきた、ティガとカミーラの想い出も。

 何一つ残さぬよう、神の炎が灼き尽くす。

 神の炎は罪を焼き、灰燼に至らせ、無という名の許しへと至らせる。

 

 死の間際、少年は二つの言葉を吐いた。

 一つは謝罪。

 一つは感謝。

 自分があまりにも酷いことをして、殺してしまった少女に謝罪を。

 今日までずっと、自分を幸せにしてくれた少女に感謝を。

 一人の少女に、一つの謝罪と、一つの感謝を告げる。

 

 そして。

 

「……ああ……ごめん……泣かないで……チィちゃん……」

 

 やがて、天の座に座る神が、少女の姿で泣いているのを、ティガは最後に見ていた。

 

 今、泣いているのがアマテラスでも。

 

 あの日泣いていて、ティガが愛したのは、あの日のカミーラだったから。

 

 最後の最後に、ティガはカミーラの涙だけを想い―――消滅した。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 流れ落ちる涙が。

 地に落ち染み込む涙が。

 拭えなかった涙が。

 今でも、彼の心に残っていた。

 

 

 




挿絵はめりっと様にいただきました。ありがとうございます


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12

 人類が次の時代に進もうとしている今
 光となる力は再び求められている
 けれどあなたは一人ではない
 人間達が力を合わせなくては次の時代へ進むことはできない
 私達の種族が、絶えてしまったように

【ウルトラマンティガ20話 ユザレ】



 ふざけないで、やめて―――天の神は、何度もそう叫んだ。

 

 

 

 

 

 ティガが燃え尽き、もう二度と転生することができないほどに念入りに魂まで焼滅して、アマテラスは去っていった。

 それから数分後、全てが灰になった領域から、永遠に咲き続ける桜が現れる。

 桜と分離した牛の鬼が、その場で膝をついた。

 

 牛の鬼は桜の木を周辺の空間ごと飲み込み、不可視の領域にその身を変化させ、アマテラスから守りきったのである。

 それでも、守れたのは木一本。

 本当に守りたかったものは守れなかった。

 

 先程までティガが居たはずの場所に足を運び、牛の鬼は地面に触れる。

 そこにはもう何も残っていなかった。

 "二度と転生すらしないように"徹底的に焼き尽くされたティガ・ゲンティアは、灰の分子一つ残さず消滅していた。

 そこには何もない。

 彼が生きていた痕跡は何も残っていない。

 何も、何も、何も。その神には、ただ、悲しみだけが残っているように感じられた。

 

 牛の鬼の姿をした神、その名は『スサノオ』。

 素戔嗚命(すさのおのみこと)

 後の時代に牛頭天王(ごずてんのう)という名でも呼ばれた、アマテラスの弟が一人。

 日本神話における破壊神。

 仏教における釈迦の伝説の森の木を守る守護神。

 天に(ましま)す神々の代表格、三貴神の一柱と成る三兄妹神の一角であった。

 

 スサノオは桜の木に触れ、永遠の桜を己の内なる世界に格納する。

 もう二度と、ティガ・ゲンティアが愛したものが奪われないように。

 ティガが大切に思っていたものの最後の一つが、この世界から失われないように。

 スサノオは人を愛するものの象徴を樹とし、地に足を着け歩き出す。

 人を焼く天には成るまいと誓って。

 人を愛し許せる地に成ろうと誓って。

 人から遠く離れた天の炎ではなく、地に足を着け人に寄り添う樹に成るのだと誓う。

 

 遠い未来に、スサノオはその心を認めた地の神の王に『生太刀』という神刀を委ね、地の神の王はその神刀を『光の勇者』であると認めた少女に託したという。

 

 スサノオは強く、雄々しく振る舞った。

 かつてのティガダークのように荒々しく在れるように。

 かつてのウルトラマンティガのように正しく強く在れるように。

 ティガが優しく善良なだけの人間だったと、後の神が勘違いしてしまわないように。

 ティガが残酷で邪悪なだけの人間だったと、後の神が勘違いしてしまわないように。

 破壊神であり守護神でもあるスサノオが、新興の神にウルトラマンティガを語る時、誰もが正しくティガ・ゲンティアのことを理解していった。

 

 天神の意向によりティガ・ゲンティアの神話は西暦の人間の誰からも忘れられ、けれどスサノオがそう望んだ通りに、スサノオの神話に取り込まれ、誰もがティガを忘れることはなくなった。

 黒き暴君。

 少女を怪物から救う者。

 天の岩戸の向こうに天照大神を逃げ込ませた強者。

 

 それは、神の倫理における慈悲。

 人の倫理とは違う神の倫理における友情。

 神話の永遠の中に、スサノオの物語の中に、ティガは宝物のようにひっそりと飾られている。

 

 彼は今でも待っている。

 

 運命が覆されることを。神話のなぞりが終わることを。未来が過去を超えることを。

 

 地に満ちる人間の心が、天の神の炎すらも越え、いつか光り輝く未来を掴むことを。

 

 神樹の内に秘められた奥の奥の世界、神樹の最奥に咲き続ける永遠の桜の下で、スサノオは今もずっと待っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カリ、カリ、と擦れる音がしている。

 男が一人、煙を吹いて動かなくなった機械の横で、紙にペンで計算式を書き綴っていた。

 その計算式を、後ろからユザレが覗き込む。

 男は大して気にしていない様子でペンを動かすのを止めた。

 

「ヌーク、最近ずっと何か研究しているみたいだけど何してるの?

 ほとんどの技術が失われて蘇らせる見込みもないのに、意味ないと思うけど」

 

「そうでもない」

 

 男の名はヌーク。

 娘のテラと共に地球外に脱出することで人類を存続させようとした者であり、使おうとしていた宇宙船をティガに破壊されたことで地上に残された男である。

 ユザレとは全ての戦いが終わってから初めて知り合った仲だったが、ユザレが生き残りの総指揮を執っているのもあり、多少の交流を持っていた。

 

 彼は機械神学に精通しており、機械と神の力の融合に精通していた。

 地母神ギジェラのエキスとサイボーグ手術による不老不死の実現は、彼の研究で最も有名なものであり、何事もなければ人類に不老不死をもたらした偉人になっていただろうと言われている。

 しかし、それも昔の話。

 機械のほとんどが滅びた現在、彼ができることはあまりない。

 紙にペンを走らせているのも、パソコンによる計算ができなくなったからだろう。

 

 なのに、ヌークは熱心に紙にペンを走らせている。

 まるで、自分が最後に果たすべき責任がそれであると言わんばかりに。

 

「記録は無理だろう。

 研究を後の時代に残る媒体も残っていない。

 しかしだね、ユザレ。

 後の時代に何かを伝える方法はいくらでもある。

 たとえば地の神に技術を覚えていてもらい、後の時代に渡してもらうなどができる」

 

「……なるほど」

 

「最後にこれだけは効率化した基幹技術を残しておきたい。

 神の力と機械の制御は最も優れたる組み合わせだ。

 ギジェラという神から不老不死を実現する方法は見つけた。

 ならばそれの変形があればいい。

 どんな神の力でも、機械的に制御する……

 それまで一般人だった者でも、戦えるくらいに強化する……

 ユザレのように、精霊を装備することを前提に……

 完成には程遠いだろう。

 あくまで基幹技術を残すに過ぎん。

 しかし、だ。

 人類が人類であるならば。

 進歩する心を持ち続けたならば。

 未来には独自の技術ができるだろう。

 それがこの技術を取り込んでくれればいい。

 小さな端末で大きな神の力を総べ、いつか世界すらも救ってくれるはずだ」

 

 ユザレは少し、曖昧な表情を浮かべる。

 

 ヌークは、未来に凄惨な戦いが起こるであろうことを、揺るぎなく信じていた。

 

「それは……必要なものなのかな」

 

「いつか必要になるさ。

 機械と神の力を合わせたものが必要になる時が。

 勇者の役目はまだまだ終わるまいよ。

 我ら人間は、倒さねばならない海の邪神を倒してはいないのだから」

 

「……」

 

「最後の最後まで死なない勇者が必要なのだ、きっとな」

 

 "終わった"と思っている者が居る。

 

 "終わっていない"と思っている者が居る。

 

 人は皆、人それぞれの考えの元、未来に対する備えを行っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ティガやユザレ、地球星警備団の皆が寿命を迎えた頃。

 天の神の心が悲痛な声を上げ、天の神は再び地に降りた。

 そこはシノクニ。ティガとカミーラが出会った地。

 

 アマテラスは光神であり、光を信じていた。

 神の光と人の光を知る神だった。

 されどティガを信じ、ティガに裏切られ、心のどこかが折れていた。

 神は神の倫理で生きている。

 神の人を愛する義務、人の神に愛される人で居続ける義務、人と神の誓約を裏切られたことは人が想像している以上の傷をアマテラスの心に残していた。

 

 アマテラスはもう地上に降りる気はなかった。

 人に干渉するにしても、何らかの使徒を通して干渉するつもりだった。

 つもりだった、のに。

 激情に駆られ、アマテラスは我を忘れて地上に降りた。

 

「ほらもっとしっかり働けー」

「今日の飯やらないぞ」

「お前達は機械から生まれた賤民なんだ、奉仕することで生きることを許されている」

「人の肚から生まれていないお前達は、人間じゃない。忘れるなよ」

「人間様の役に立って初めてお前達は生きられるんだ」

 

 アマテラスが降りたそこには、奴隷が居た。

 大いに見覚えのある、けれど少しだけ見覚えのない顔の、似た顔の奴隷達が居た。

 

 世界は崩壊し、人々はかつての生活を失った。

 旧時代の生活を続けることはできない。

 まともな人間達は、歯を食いしばって原始人のような原初の文明からの再スタートをした。

 しかし、そうでない人間もいた。

 

 僅かに残った資源を食い潰しつつ、原始時代への回帰に僅かでも抵抗し、かつてのような楽な生活を続けたいと願う人間もいた。

 人は一度利便性を覚えれば、原始への回帰を拒絶する。それは普通のことだから。

 

 人類史は、その過程で必然的に奴隷制を生み出す。

 奴隷制が廃止されたのは社会的に廃止が合理的かつ人道的であったからであり、奴隷制が生まれたのもまた合理的であったからであり、時代によっては人道的目的から奴隷制が生まれたという奇妙なこともあった。

 奴隷とは、常に合理によって存在の可否が決定される。

 何もかもが壊れたこの時代で、旧世代の人間達が昔の生活を少しでも取り戻そうとするならば、奴隷という手段は悪くないものであった。

 

 奴隷に食料を作らせる。

 奴隷に食事を作らせる。

 奴隷に衣服を作らせる。

 奴隷に住居を作らせる。

 奴隷に崩壊した地の資源回収、瓦礫の撤去、開拓を命じる。

 奴隷に危険な動物、大型動物、変異した動物の狩猟を命じる。

 その他諸々。

 奴隷を最高効率で使いこなせば、原始時代に回帰した生活の中で苦労せずとも、少しばかりは"これまで通り"の生活を送ることができる。

 

 しかし問題があった。

 奴隷の質、量、そして根幹的問題である。

 奴隷のレベルが低ければ、奴隷を使う人間の生活レベルは上がらない。

 奴隷の量が足りなければ、何もかも手が回らない。

 そして根幹的問題として、誰もが奴隷などやりたがらない。

 初期段階であればある程度教育などでどうにかできるかもしれないが、どこからか人を定期的にさらって教育的な洗脳を施しても、人はいつか反乱する。

 奴隷は、いつか必ず主に逆らうのだ。

 

 特殊な手段が必要だった。

 生活の礎とするための、質が高く安定した量を確保でき、従順で反乱を起こす可能性も低い、そして()()()()()()()存在が。

 皆が気持ちよく使える人間が。

 古代ローマのそれよりも遥かに高効率の奴隷が。

 皆の幸せのために、必要だった。

 ごく普通の生活を、ささやかな幸せを彼らが得るために、必要だった。

 

 そして、彼らはかの機械を発見し。

 

 『ティガの遺伝子から無数の奴隷を作成』した。

 

 反対者は、居なかった。

 

 ティガの遺伝子から作られた人間は、赤ん坊同然の頭に機械から不動の忠誠心を植え付けられ、生み出した者に忠実な奴隷となる。

 ティガは誰よりも有能だった。

 作られた奴隷もまた、そうである。

 元々が自分の幸せより他人の幸せを優先する男だ。

 作られた奴隷にもそういった気質は受け継がれている。

 男女どちらの個体も作れる。

 大量生産も問題ない。

 質が高く決して裏切らない奴隷を、機械が動く限り作り続けることは難しくなかった。

 

 世界中の全てから憎まれていたティガ・ゲンティアは、死してなお許されることはない。

 

 遺伝子の悪性が駆逐されていない、普通の人間ばかりのこの地であればなおさらに。

 

 しかも、素材は地球史全体で見ても最悪の虐殺者の遺伝子である。

 償っても償いきれない罪人から生み出されたものである。

 罪悪感は限りなく薄かった。

 

 ティガへの怒りが冷めやらぬ者は、ティガの名を呼びながら奴隷を殴った。

 性的な欲求が満たされていない者は、ティガの遺伝子から作られた女性個体が何を要求されても拒まないことに気付き、"そう"することを始めた。

 ティガという英雄が褒められるたびに劣等感を覚えていた小市民は、ティガという雲上人の複製を自由に使えることに愉悦を覚え、何体も過労で死ぬまで使い潰した。

 ティガに似た顔を見るだけで恐怖で身が竦む者は、シノクニの方針についていけず、遠く離れた地に引っ越していった。

 

 無論同じ人間として見て、ティガの複製個体に優しく接する者も居たが、ティガへの怒りや憎しみに支配される者、奴隷で生活を維持したい者が主流である今、それに何の意味も無かった。

 全てが悪でもなく、全てが善でもなかったが、遺恨と困窮は善悪の割合を偏らせる。

 

 人類史において、罪人の子孫は差別されてきた。

 三千万年後も、三千万年前もそうだった。

 遺伝子の悪性は、罪人の血族への差別を人類にごく自然に行わさせる。

 罪人には罰を。罪人の血族にも罰を。罪人の家族の開き直りは許さない。

 

 罪人の家族は身の程を知り、頭を下げ、遺族に謝り、責める周りに反論してはならず、贖罪を求められたら応えなければならない、でなければ反省の色が無い……そう、人間は考えるもの。

 

 だから、()()()()()()()()()()()()()()

 

 過去、現在、未来、どの時代の奴隷と比べても、これ以上に人道的な奴隷は存在しないのだと……そう、解釈されていた。

 

 だが、神はそれを許さない。

 

 アマテラスが降りた地上には、奴隷が居た。

 大いに見覚えのある、けれど少しだけ見覚えのない顔の、似た顔の奴隷達が居た。

 アマテラスがかつて愛した人間の残した残骸(スプリンター)を、アマテラスがかつて嫌った悪性を持つ人間が、奴隷として酷使している。

 

『ふざけるな』

 

 "壊れた切れ端"を意味する、スプリンターという言葉がある。

 元は木の切れ端を意味する言葉であったが、西暦の軍事用語においては戦闘で発生する金属片を指す言葉として使われている。

 目標にぶつかった銃弾の破片や、仲間を守るために砕け散った装甲の破片、それらをスプリンターと呼ぶのである。

 戦いの後には、スプリンターが残る。

 それが闘争の理だ。

 

 今、この時代のこの地上には、神の目を盗んで量産された、ティガのスプリンターたる奴隷が無数に存在していた。

 

 ティガの命の残骸(ティガ・スプリンター)は、ティガの罪の証明だった。

 ティガを憎み、償わせたいと願い、永遠に許さない人々の意思表明だった。

 ティガという存在が安らかに眠ることを認めない人々の選択があった。

 

 生まれた時から幸せになれない存在として生み出され、幸せになれないまま一生を過ごし、幸せを知らないまま一生を終える、ティガ・スプリンター達の群れ。

 

 それを見て、アマテラスはもう、止まれなかった。

 もうアマテラスを慈悲で導くティガ・ゲンティアは、どこにもいない。

 残骸だけが在り、それがずっと貪られている。

 

『ふざけるな 人間』

 

 炎が、降った。

 

 全てを灼き尽くす炎が降った。

 

 シノクニに由来する遺伝子は、この日、一つ残らず焼滅した。

 

 元よりアマテラスは善良なる者達こそを愛し、守りたいと思ってきた神だ。

 シノクニの人間にいい顔をしたことはなく、ティガに愛されるカミーラに対してもしばらくいい感情は持っていなかった。

 シノクニの人間達は自覚がなかったが、シノクニの人々の価値と可能性を信じていたのがティガであり、アマテラスはそれを尊重していたに過ぎない。

 ティガが死んだ後、アマテラスが彼らを生かしておく理由は一つもなく、邪神を呼ぶなどという蛮行まで行ってしまった彼らは、すぐ地上から消されていてもおかしくなかった。

 

 なのに、彼らは今日まで誰も神に消されていなかった。

 なぜならアマテラスには、神らしくない執着がまだ僅かに残されていたからだ。

 シノクニの人間の可能性を信じた()()()()()()を覚えていたから。

 ()()()()()()()()()を、アマテラスは忘れていなかったから。

 無意識の内に、アマテラスは人類の汚点と呼ばれたものの浄化を避けていたのである。

 

 ティガが、人間は誰もが光になれると言っていた時の表情が、アマテラスは好きだったから。

 

 無意識の内に、それらを消すことを避けていた。

 

 そんな過去の自分を、アマテラスは後悔し、嫌い、激しく自省する。

 

 アマテラスの中には、何もかもが憎くて憎くてたまらなくなってしまったティガがくれたもの、そのほんの一部が残されていて、アマテラスはそれを無自覚なまま大切にしていた。

 それを今日この日、捨てたのだ。

 何度も何度も繰り返し、運命はアマテラスに教え込む。

 人は、光になどなれないのだと。

 ティガの言葉の全ては、間違っていたのだと。

 

『私の 私の光は

 太陽よりも優しい彼の光は

 私が未来を託し 私を裏切った あの人は

 ティガは お前達を 人間を 欠陥のある人間でも

 愛があったから 彼は 正しく 間違えて

 違う こんなのは こんなものは

 ティガが信じたものは 彼が諦めるしかなかったものは

 こんな こんな こんな こんなものが こんな未来は―――』

 

 炎は加速度的に勢いを増し、シノクニの善良な人間も邪悪なる人間もまとめて燃やし、思い上がった人間を全て灰に変え、灰さえ残さぬほどに加熱していく。

 一つの大きな島が、文字通りの死の国に変わっていく。

 "旧時代の普通の人間が生きていた最後の土地"から、人間が消えていく。

 

 "許さない神"―――あるいは、"許せない神"としての神の側面が、天照大神の中に育ち、確かな神性の一面として確立していく。

 

 神の倫理における正しさを突き詰めれば突き詰めるほど、アマテラスは人間の倫理からかけ離れたものになっていき、純粋な神の光になっていく。

 

 慈悲を失えば失うほど、神としては正しくても、人間から見たアマテラスという神性は、邪神のそれと同じく見えるようになっていく。

 

 燃え尽きた四国から全ての人間が消え……ては、いなかった。

 奴隷以外の人間は全て燃え尽きた。

 シノクニの人間が盾にした奴隷、アマテラスが来た時点で衰弱しきっていた奴隷を始めとして、ほとんどの奴隷も燃え尽きていた。

 なのにまだ、少しばかり生き残りがいる。

 ふと手控えてしまったアマテラスの炎が届かなかった奴隷の子供達が居た。

 誰も彼もが、大なり小なりティガに似ている。

 

 これは、あまり望ましいことではなかった。

 ティガに似た顔の子供達を見て、アマテラスの胸の奥に湧き上がる最も大きな気持ちは、人には理解できない永遠の憎悪だ。

 空に太陽が輝く限り、永遠に消えることのない憎悪だ。

 ティガの残した断片(スプリンター)など残しておくべきではない。

 あの最強が子孫からまた生まれる可能性など最悪だ。

 闇に堕ちた子孫がまた現れれば世界が今度こそ終わりかねない。

 ティガの子孫は根絶すべきだ。

 世に残っていてはいけない。

 醜い人間も、光の神々も、ティガの子孫が後世に残って幸せになっていくことを許していないという点では、意見が合致していた。

 

 アマテラスの手に、また炎が宿る。

 光の勇者が消え、黒き神が消え、邪神も消えた今、アマテラスの一撃を防げる者はいない。

 放てば消せる。

 撃てば殺せる。

 それだけのことで後顧の憂いは消えてくれる。

 アマテラスは何故か何も考えないようにしている自分の頭を無理矢理に動かし、炎を圧縮し、目標の子供達を見て、そして。

 

 子供達は"自分を救ってくれた優しい神様"を、純粋な感謝と尊敬の目で見て、神様に向けてありったけの『ありがとう』と『だいすき』がこもった言葉を、口にした。

 

 

 

「ありがとう、かみさま!」

 

『  ―――  』

 

 

 

 そうして。

 

 アマテラスは、ティガの遺伝子を引き継いだ子供達を、殺せなかった。

 

 他の神々が気付かぬ内に彼らは生まれ、アマテラスに見逃されて生き延び、世界のどこかで命を繋いでいき―――三千万年後の、子孫に繋がる。

 

『ああ』

 

 人に対して徹底して無慈悲な神のままで居られたら、どんなによかったか。

 人を決して認めない神のままで居られたら、どんなによかったか。

 人を受け入れられる神のままで居られたら、どんなによかったか。

 

 何も許せないなら前に進めない。

 何も忘れられないなら前に進めない。

 何もやり直せないなら、何も蘇らせられないなら、後戻りして大切だったあの人達にもう一度出会うこともできない。

 

 どうすればいいのか。

 どこへ行けばいいのか。

 何を選べばいいのか。

 アマテラスには分からない。

 太陽(アマテラス)を照らし導く太陽(ティガ)は、もうどこにも居ないのだ。

 

『ティガ あの日のままの 私で居られたら よかったのに 私は』

 

 慈悲と残酷の合間を、太陽神は常に揺れている。

 

 誰よりも残酷な人類の敵でありながら、誰よりも光り輝く人間を、待っている。

 

 

 

 

 

 三千万年近くの間、『人間』が生まれることはなかった。

 猿ばかりが跋扈し、『人』が生まれる気配はずっと無い。

 アマテラスはぼんやりと、そんな世界を見守り続けていた。

 

 ティガの子孫がいることは分かっていた。

 あの機械によるものか、結婚したのかは分からないが、ユザレの子孫がいることも。

 奇跡的に残っていた壊れかけのコールドスリープ装置などで、次世代の知的生命体が超古代文明の技術水準に追いつき、旧世代の人類を復活させられる時代になるまで個体を残そうと話していたのも見ていた。

 普通に地に足つけて未来まで種を残そう、と言っている人間も見えていた。

 ぼんやりとアマテラスはそれを見守り、長い長い時間が流れていく。

 

『まだ』

 

 自然から生まれた神の多くは、邪神の汚染とティガの破壊によって自然を失い、自分を生み出した自然の消失によって消滅を迎え、世界を循環するエネルギーに還っていった。

 また、人の想念や概念に根付き、そこから生まれた神々もまた、人類が1億分の1以下まで減少したことで存在を保てなくなり、世界を循環するエネルギーに還っていった。

 神が還ったエネルギーで星はある程度活力を取り戻したが、それでも傷は深く、星が元の生命力を取り戻すまでにはまだ相当な時間がかかるだろう。

 

 猿にすら神として崇められる太陽の化身たるアマテラスの存在は、揺らぎもしない。

 

『まだ』

 

 そんな中、神の一部の存在を支えるものがあった。

 ティガが各地を回って再生させた自然や、彼が撒いた種が芽吹いた緑地である。

 文明の滅亡を迎えた後の世界で、自然に根付く神々のことを考えてくれていた人間は、ティガ・ゲンティア以外誰もいなかった。

 

 ティガが撒いた種が芽吹く。

 ティガが整えた自然環境から、衰退した自然が蘇る。

 ティガが生き残った神一柱一柱に、微力ながら信仰を捧げる。

 ティガがしていたことを無垢な子供達が真似して、自然を整え、神を崇める。

 そこから力を得ていった神の一部は、それでなんとか消滅を免れていた。

 

 アマテラスは、全て燃やしてやりたかった。

 

 見るだけでティガを思い出す。

 ティガに感謝してしまいたくなる。

 許せないのに、許してしまいたくなる。

 全て燃やしてしまいたかった。

 

 けれど、今の神々はティガが生み出したそれに救われている。

 アマテラスはそれを燃やしたくても燃やすわけにはいかなかった。

 天体に神性の基盤を持つ天の神々にそこまでの影響はなかったが、地に満ちる自然に神性の基盤を持つ神々の多くは、ティガに感謝した。

 同情もあり、ティガを許す地の神々も多かったという。

 

『まだ』

 

 邪神に滅ぼされた神がいて、ティガに滅ぼされた神がいて、その後の虚無の三千万年に呑み込まれて滅びた神がいた。

 しかしそれ以外にも、どうにもならない神はいた。

 ギジェラなどを初めとする、狂った神、壊れた神、侵された神である。

 元の形を保てず、かといって消滅することができない荒御魂と化した彼らを、アマテラスは一つ一つ丁寧に砕き、その身に取り込むことで穏便に消化していった。

 

 アマテラスほどの神ともなれば、取り込んだ神の汚染をそのまま取り込むことはない。

 神の力を細かく最小単位まで分解し、太陽神としての特性で全てを光に変換し、己に取り込み消化することで力の循環に還元していく。

 そうしてアマテラスは力を高め、神としての純度を高め、誰も敵わない最高神として……いつか来るであろう邪神の決戦に備える。

 邪神は封印されただけ。

 決戦は先送りになっただけ。

 次の戦いにはもうウルトラマンも居ない。

 アマテラスがやるしかないのだ。たとえ、最後の一人になっても。

 

『まだ』

 

 もうティガは居ない。

 そう思うだけで神の手は震える。

 ティガは一人で世界を滅ぼした。

 そう思うだけで憎悪が手の震えを止める。

 ティガは一人で世界を救った。

 そう思うだけで神は勇気が湧いてくる。

 

 たった一人でもやり遂げて見せると、少女の神は決意する。

 何度も、何度も。

 たった一柱でも邪神を倒し、世界を救う。それが己の責務であると思うから。

 

 そして壊れた神々を吸収し、天体からの力を受け、自らの格を上げていく。

 忘れたいことがあった。

 忘れられないことがあった。

 神は何も忘れられない。

 忘れられないまま、変わっていく。

 天照大神という神格が、現代では名も残っていない他の神格を取り込むたび、かつてアマテラスであった部分の純度は下がっていき、神としての純度は上がっていった。

 

『まだ』

 

 善良なる者達の生き残りが増えるかもしれない。

 新しくもっと善良な人間が生まれてくるかもしれない。

 予想を超えてもっと素敵な知的生命体が生まれてくるかもしれない。

 そう思って、アマテラスは待つ。

 待ち続ける。

 神の時間感覚で待ち続ける。

 

 ティガを殺して、一年待った。

 十年待った。

 狂おしいほどに百年待った。

 何も期待に応えてもらえないまま千年が経った。

 神の心が不安になる頃、一万年が経った。

 全ての命が相争う原始的な世界にしかならないまま、十万年が経った。

 "まだなのかな"と弱音を吐いてしまい、弱音を吐いてしまった自分に嫌悪してもなお、百万年は経っていなかった。

 一千万が年経ってもなお、猿しか地上を跋扈しない。

 二千万年が経った頃、類人猿のヒトとゴリラが分かれ、ほんの少しの希望が湧いた。

 三千万年が経った頃、現在のヒトの祖先であるホモ・サピエンスが隆盛した。

 

 少しずつ、少しずつ、気の遠くなるような長い年月の中で、本当に少しずつ、アマテラスは希望を手にしていく。

 

 そして。

 出来上がった人類は。

 アマテラスの目に映る人類は。

 どちらかと言えば、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 人間であれば、百年を超えたところで絶対に壊れるだけの年月、神は待った。待ってしまった。待ててしまうから神なのだ。

 

『天照 諦めろ 諦めるべきだ そうでなければ 君は―――』

 

 三千万年という途方も無い時間に飲まれて消えていく神々がいた。

 彼らはこぞってアマテラスに忠告した。

 しかし、聞かない。

 アマテラスがそんな言葉に耳を貸すことは一度もなかった。

 

 神は忘れない。

 世代交代すれば忘れる人間とは違う。

 闇に飲まれれば忘れる人間とは違う。

 幸せになるため忘れる人間とは違う。

 アマテラスは忘れない。

 何もかもを忘れない。

 

『まだ』

 

 何も来ない。

 相応のものが現れない。

 価値のあるものが登場しない。

 世界の輝きが最上を超えてくれない。

 ただただ、価値の低い世界と、価値の低い人間が、アマテラスの前に現れ続ける。

 三千万年前"よりも"と言えるものが、何も生まれてくれないまま、時間だけが流れ、悪性を孕んだままの人間が、環境や他の生物を食い物にして伸長していく。

 

 それは当然だ。

 三千万年前の人間達も、かつては皆シノクニの人間と同じだったのだから。

 その中から遺伝子的に善良なものを集めたにすぎない。

 アマテラスが誕生した頃には古代文明は既に悪性や反社会性の卒業に入っており、次の世代に移りつつあったが、そこに至るまでにかかった時間は相当に長かったと言える。

 自然発生の人間がシノクニの人間に近くなるのは当然のことだ。

 

 だからアマテラスも気長に待った。

 愛した人間達が戻ってくるのを千年、万年、千万年と待った。

 新人類の文明が成熟していくのも待った。

 だが、新世代の人間は三千万年前と比べて見ると、やはり見劣って見えてしまう。

 

 愚かさを払拭できず、醜悪もまだ色濃く残る。

 カミーラやティガを追い詰めたものがそのままあるように見える。

 科学の発展に従い、徐々に文明単位での傲慢と自信を得ていっている。

 海の底に在るものが目覚めればすぐに終わることにも気付いていない。

 神への畏敬を忘れ、神と人の間にあった信頼を忘れ、神の実在そのものを忘れていく。

 

 "光になれなくてもいいじゃないか"という妥協の進化の文明。

 "人間は誰もが光になれる"とティガが声を張り上げていた、人が真に次の世代に移るあの時代の文明をなぞる気配がまるでない。

 『人間は少しずつでも改善し良いものになっていこう』という思考は当然のものにならず。

 『人間はそういうものなんだからいいじゃないか』という人類の自己弁護のような自己肯定が蔓延していく。

 それは人にとっては許しの言葉。

 しかし神には、悪性をそのまま持ち続けようとする開き直りにしか聞こえなかった。

 

 アマテラスの脳裏に、「自分さえよければ他人が不幸になってもいい」という思考から動いて全てを終わらせた、あの時代の邪神カルトの姿がチラついてくる。

 アマテラスの思考は、徐々に許容の限界に近付いていった。

 

 まだ、生まれてこない。

 あの日大好きだった人と同じ人が、生まれてこない。

 あの日心の底から信じられたティガのような人が生まれてこない。

 誰も彼もがティガ・ゲンティアのようになれる気がしない。

 

 違う。

 何もかもが違う。

 文明も、善悪の天秤も、生まれてくる人間の傾向も、何もかもが違う。

 ユザレのような一片の曇りもない光になれる人間が、全く生まれてこない。

 光と闇が混ざった半端な人間しか生まれてこなくて、誰もが強い闇にも強い光にもなれないままぼんやりと時代が進んでいく。

 

『まだ』

 

 思い上がり傲慢に神を忘れた進歩をしていく人類を見て、天の神群から少しずつ、現行人類を滅ぼすべきではないかという意見が出始めた。

 

 賛同する神が居た。

 反対する神が居た。

 アマテラスは、無言を貫く。

 

 全て消し去ってしまえば、何度も何度も新しい人類の誕生と発展を迎えれば、いつかは同じ文明が誕生するかもしれない。

 

 いつかはあの時代のような人類が来るかもしれない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()。―――そう、少女の神は思う。想ってしまう。

 

 似たような誰かでも、会えるかもしれないなら、そうしたいという気持ちがあった。

 

 大いなる赦しを受け入れないティガを許し、ティガに一片の救いを与えるため、二度と転生できないほどに魂を焼滅させたアマテラスには、もう転生したティガに会う道筋すらなかったから。

 

 それはもはや、人間には理解不能な規模と規格の思考だった。

 人間であれば狂っていて、神であれば至極まっとうな思考だった。

 その思考は、インド神話体系において神々が生み出した世界観であり、誕生・発展・破滅を繰り返す世界観、"大いなるユガ"のそれに近い。

 数万年だろうと数億年だろうと()()()()()()()()()()()()()()()()

 とても、とても、神らしい思考だった。

 

 神が人類に対する許容値を超えたその時、バーテックスは人類を滅ぼしにかかるだろう。

 

『まだ』

 

 何もかもが、相応ではなかった。

 

 アマテラスの脳裏で、数多くの思考が混ざっていく。

 まだ終わっていない。

 まだ始まっていない。

 まだ報われていない。

 まだ出会えていない。

 まだ見合っていない。

 

『まだ』

 

 いい未来が来ると信じていた。

 来てくれなければ困ると、アマテラスは切実に願っていた。

 

 あんなにも沢山のものが失われた。

 あんなにも価値あるものが奪われた。

 あんなにも辛かった。

 あんなにも悲しかった。

 だから、それが見合うだけの素晴らしい未来があるはずだと思っていた。

 神ですら、そう信じたかった。そう信じなければ、三千万年もの間、希望を持ち続けて世界を守り続けることなど、できなかった。

 全てが終わった後の地球という墓標を見守る墓守りなど、誰がしたいと思うものか。

 

『まだ』

 

 犠牲に見合った未来が来るはずだ。

 悲劇に見合った未来が来るはずだ。

 ティガの犠牲に見合った未来が来るはずだ。

 そう信じて見守る世界は、いつまで経っても悪性を乗り越えることがなく、いつまで経ってもカミーラと似たような地獄をどこかで再生産していく。

 

 ティガが犠牲になった甲斐があった世界が来るはずだ。

 カミーラの絶望が無価値ではなかったことを証明する世界ができるはずだ。

 ユザレの献身が繋がる希望の世界が現れるはずだ。

 ヒュドラが、ダーラムが、アマテラスを愛してくれた神々が、アマテラスが愛した人間達が、希望をもって信じた輝ける世界が来るはずだ。

 そう信じるアマテラスの見守る世界が、環境破壊で自然を壊し、人に恩恵を与える神を忘れ、人がこんなにも多く居るのに、神々がまた消え始める。

 

『まだ』

 

 アマテラスの『希望』は消え去らない。あるはずだ。この先に。これまでの犠牲に見合うだけの結末が。あの過去に見合うだけの未来が。納得できる結末があるはずだ。

 

 ティガの最期に納得できる未来が来るはずだと。

 カミーラの最期に納得できる未来が来るはずだと。

 ユザレの最期に納得できる未来が来るはずだと。

 ヒュドラの最期に納得できる未来が来るはずだと。

 ダーラムの最期に納得できる未来が来るはずだと。

 信じて、信じて、信じ続ける。

 ティガが人を信じることを教えてくれたから、人を信じて、人の成長を待って。

 

 そして、ティガとアマテラスが笑い合った夏空と同じ空の下、笑ういじめっ子と、泣きながら自殺するいじめられっ子を見た。

 

 何も変わらず、人の世界は繰り返す。

 

 戦争すらなくならない世界に、アマテラスの失望は日々絶えずに積み上がっていく。

 

『まだ』

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだと―――神の倫理で、少女の無垢さで、真摯な想いで、アマテラスは思い続けている。

 自覚のないその想いに従い、ずっと未来に向き合い続けている。

 神の責任感とは、何億年をも続く、神の生き方に嵌る枷だ。

 

 こんな未来は、報いにならない。

 こんな世界は、納得できない。

 アマテラスはもう耐えられなかった。

 人間の醜さに。

 思い上がりに。

 傲慢に。

 この結末に。

 この未来に。

 この世界に。

 アマテラスが待ち続けた果てに、"ティガが夢見た悲しみなどない世界"を、この人類が実現することはないと、分かってしまった。

 

『もう もう 私は 私は』

 

 ―――かくして、終わる。

 

 それは人間が持つ、暖かな絆への親しみではない。

 神のみが持つ、絆という神への信仰だった。

 神が信仰する神、その名は絆。

 神は絆を信仰した。

 人が人として生きていこうとする意思の源泉、神に頼らずとも人と人が助け合って生きていこうとする心の証、他者の存在を前提とするがゆえに人の増長と傲慢を防ぐもの。

 神の言葉を聞く人間の時代を終わらせ、絆を結んだ大切な人の言葉を聞く時代を始める、新時代の人間の証明と言えるもの。

 それが絆。

 

 誰よりも強くいと高き嵩天は、自分を導いてくれるたった一人の少年が闇に堕ちたあの日から、『自分だけの太陽』を―――ずっと、見失っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三千万年もの間、カミーラはずっとずっと海の底で、一人だった。

 一人ぼっちで、怨念と憎悪を膨らませ続けた。

 誰も居ない。

 光もない。

 光の届かない海の底で、ずっと一人。

 粉微塵に砕かれた状態で、物質的な肉体の全てを失ってなお死を拒絶し、ティガのことだけを想い続けた。

 

「ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ……」

 

 憎い。

 憎い。

 憎い。

 愛してる。

 愛してる。

 愛してる。

 ティガだけを想い、思いを積み重ねること三千万年。

 その恋も愛も、憎悪も怨念も、増すことはあっても減ることはなかった。

 

 長い長い時間が流れ、カーミラという個人は擦り切れていく。

 忘れていったことがあった。

 決して忘れないことがあった。

 薄れた恋があった。

 消えない愛があった。

 色んなことがどうでもよくなって。

 絶対に譲れないものが心と想いの中にあった。

 

 それこそが、愛憎戦士カミーラという存在の骨格となった。

 

「ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ……」

 

 存在を保つため、周囲の全てを喰らっていく。

 邪神の闇を。

 ダーラムを。

 ヒュドラを。

 怪獣の肉を。

 何もかもを喰らっていき、闇を膨らませていく。

 肉体さえ失った状態で、カミーラという闇は膨張し、脳すら欠損した状態でなお、ティガとの思い出を忘れないよう、必死に魂に刻み続ける。

 

 カミーラが死んで忘れてしまえば、その時本当に、ティガとカミーラの愛は消えて無くなってしまう―――そんな初志の想いすら忘れながら、カミーラは生にしがみつく。

 

「ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ……」

 

 それは、カミーラと言えるものなのか。

 カミーラの残骸と言うべきものなのか。

 ティガ・ゲンティアが愛したものを何一つ持たない彼女を、そう呼んでいいのか。

 カミーラ・チィグリス自身にすら、もう分からなくなっていた。

 

「ティガ。あなたが憎い。

 憎い、憎い、憎い。

 でも、憎いのと同じくらい……あなたのことを愛してる」

 

 根底まで狂いきった女を、邪神は次の『司祭』として認めた。

 

 封印の中で、闇が踊る。

 いあ、いあ、いあ、と音が鳴る。

 声にも聞こえるそれが、いあ、いあ、いあ、と響く。

 

 闇の中、カミーラは邪神の巫女として選ばれた。

 地の神が最たる巫女として選んだ、上里ひなたのように。

 そして、邪神の代行者として大きな力を与えられた。

 地の神が勇者として選んだ、乃木若葉達のように。

 

 海の神は、天の神が選んだ人間に力を与えて『勇者』としたのを模倣し、巫女にして勇者である存在として、カミーラの残骸をカミーラに成形したのである。

 後の時代に生まれる、ハイブリッド―――『救世主』と呼ばれる者達の、対存在として。

 

「ふふふ」

 

 そして、人が邪神を呼び込んだように、邪神もまた獣を呼び込んだ。

 

 魔王獣の祖、『マガタノオロチ』は"クトゥルフの呼び声"により、地球に飛来する。

 

 そして邪神の封印に衝突し、その内部で邪神と魔王は溶け合った。

 

 その影響は、救世主の対存在たる闇の勇者にして闇の巫女、カミーラにも波及する。

 

「私は海の神の巫女。

 邪神に選ばれた勇者の対存在。

 闇の神の勇者、その名は魔王の名を冠する獣―――『魔王獣』」

 

 この地上で最強だったのは、間違いなくティガダークだ。

 相性問題で絶対有利であったはずの邪神さえ、魔王たるマガタノオロチとの融合前の状態では、ティガダークに勝てる確証はなかった。

 そんなティガダークを、力によるものでないとはいえ、唯一倒した……あるいは、唯一止められたのが、ユザレ・ナイトリーブである。

 誰もが、その輝きの強さを認めていたと言っていい。

 精霊にカテゴライズされる神魔を身に纏う少女は強く、儚く、されど眩しく、オーバーラッピングを次の技能段階に進めたものの強さがあった。

 

 当然ながら、勇者達の対存在として成形されたマガカミーラもまた、それを身に纏うことを望まれていた。

 かくして、紆余曲折を経て『星辰の魔王獣』は誕生したのだ。

 

 『神魔の勇者』の対存在、『星辰の魔王獣』。

 

 天神に選ばれし勇者の対として用意され、地神に選ばれし勇者の敵となる者。

 

 魔王を倒して世界を救うのであれば、勇者以外にはありえない。

 勇者を倒して世界を壊すのであれば、魔王以外にはありえない。

 それは神話的運命。

 存在的宿命の帰結。

 神の使徒たる彼らは皆、運命の道筋、神話のなぞりに縛られている。

 それを覆すことは、神自身にすら困難なことだった。

 

 ティガの結界は強力だから恐ろしいのではなく、緻密だから恐ろしい。

 西暦に突入して2000年以上が経ってなお、そこに綻びは表れなかった。

 しかし、ティガはカミーラが生存していることを知らなかった。

 生存と言えるほどまともでない形で、邪神がカミーラを使徒として復活させ、マガカミーラとして使うことを想定していなかった。

 

 邪神を閉じ込める結界を、カミーラは這い出るように抜け出していく。

 邪神が望んだ通りの役割をカミーラはそうして果たし、『邪神が憎かった気持ちすら程よく忘れ』、邪神復活に向けて動き始める。

 ティガの結界は強固だが、21世紀のピラミッドの隠蔽機能にはもう揺らぎが生じており、ティガと同族のウルトラマンだったカミーラであれば、『ピラミッドの力を引き出せるところで竜胆を追い詰める』ということは難しくもなかった。

 

 自分の愛のためだけに動いているカミーラは、自覚なく邪神復活のために動き、邪神のためだけにかつての愛を利用され続ける。

 その生は既に操り人形。

 邪神の糸で吊られたマリオネットだ。

 

 そして、天より見下ろす天の神の視線と、海から見上げるカミーラの視線が合った。

 

 『今のカミーラ』を見て、天の神の筆頭たる天照大神が、何故泣きそうな顔をしていたのか……カミーラにはもう、分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天の神が居た。

 地の神が居た。

 天の神は人を滅ぼすことを決めた。

 地の神は人を守ることを決めた。

 神と神は対立する。

 

 そんな中、海にも神が居た。

 西暦の人間には、いつからいたのかも分からない。

 西暦の人間には、何故そこに居たのかも分からない。

 もしかしたら、対応次第ではいつまでも目覚めなかったかもしれない。

 それは海の底に眠る邪神。

 邪悪にして神なる者。

 海の底にて眠っていた闇の権化。

 名状しがたきその邪神こそが、ルルイエに眠る闇の支配者である。

 

 心弱き者が見れば一瞬で正気を失いかねないほどに、おぞましい邪神が、海底で蠢く。

 心強き者でも、存在を知覚するだけで徐々に絶望するおぞましき邪神が、海底で眠る。

 『それ』を見た天の神は、その影響を受けはしなかった。

 だが、『それ』を見たことが、天の神の戦略という歯車に僅かな変化をもたらした。

 

 ティガが復活するその時代に、天の神とカミーラが再会してはならなかったのに。

 

 互いが互いに"思い出したくないこと"を思い出させ合うことが、盤面を狂わせていく。

 

 神が邪神を見ても心が狂うことはない。

 だが神が邪神を見て得たものはあった。

 邪の神が天の神に与えた影響があった。

 この世界は、狂っていく。

 

 あるいは、三千万年前から狂っていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結ばれた約束があった。

 信じられた約束があった。

 疑われることすらなかった約束があった。

 

 破られた約束があった。

 守られなかった約束があった。

 裏切りたくなかった気持ちを裏切らせてしまった、約束の残骸があった。

 

 "いつだって君を助けに行く"という約束を信じて、待って、待って、待って……いつまでも来てくれないティガに『失望』した時、カミーラの心に大きな罅が入った。

 

 ティガが約束を破ったから、カミーラの心は狂い始めたのではない。

 ティガに失望した自分に絶望し、カミーラの心は狂い始めたのだ。

 絶望の仕打ちを繰り返し受けさせられる中、心の支えに罅が入ったことで、カミーラは何もかもが耐えられなくなってしまった。

 カミーラは、ずっとティガを信じていたかった。

 ずっとティガを大好きでいたかった。

 ずっとティガを傷付けない自分でいたかった。

 

 ティガに約束を破られたと思い、一瞬でもティガに失望し、ティガを信じられなくなってしまった果てに、何気ない言葉でティガを傷付けてしまったことで、カミーラのどこかが折れた。

 折れてしまった。

 約束があった。

 ずっとそれを信じていたかった。

 すっとそれを守ってほしかった。

 約束を守ってくれたティガに「ありがとう」と言いたかった。

 けれど、そうはならなかったから、今のカミーラがある。

 

 歪んだ人間の悪行によって、人の綺麗な想いは簡単に壊されてしまうこともある。

 

 約束が破られたことで、連鎖的に砕けてしまう想いもある。

 

 よく見えない夢をカミーラは見ていた、ような気がした。

 覚えていない覚えている記憶を思い出すように忘れている、ような気がした。

 大切なことを思い出しながら大切じゃない記憶にしている、ような気がした。

 気がした。気がした。気がした、だけで終わる思案。

 カミーラは術式を組み、結界内部のシビトゾイガーと一時的に視界を共有し、結界内のある光景を見つめていた。

 

 『それ』を見つめながら、意識が飛び飛びになり、夢見るような心地になり、現実と夢想の区別がつかなくなり、思い出したり忘れたりしながら、カミーラは『それ』を見つめ続ける。

 

 その横には、この時期にはティガとの最終決戦もまだずっと先であり、まだリ・ルーツに倒されていない宇宙恐魔人ゼットが居た。

 

「おい。おい……聞こえているのか? 愛憎戦士カミーラ、貴様に問いかけている」

 

 話しかけても中々反応しないカミーラに、ゼットは繰り返し呼びかける。

 カミーラは反応せず、少し経ってから、壊れたブリキの人形のような非人間的で滑らかさの欠片もない挙動で、ゼットに振り向く。

 

「……私、今、何か言っていた?」

 

「……」

 

 ゼットはカミーラの全てに、途方も無い嫌悪感を抱いていた。

 

「『幸せそうでよかった』……では、ないのか?」

 

 その言葉が、カミーラの中の何かのスイッチを入れ、何かのスイッチを切った。

 

 まるで、フリーズした電子機器を再起動するような挙動だった。

 入力されたコマンドを処理しないためにフリーズし、再起動して、入力された内容と発生した思考全てをリセットする挙動。

 カミーラは自分の中に生まれた感情を見ないため、認めないため、それについて考えないため、一瞬生んだ思考を消した。

 そして、邪神の巫女に相応しい思考で頭の中を塗り潰す。

 そうすることで、カミーラは魔王獣マガカミーラとして在り続けることができるのだ。

 

「今のティガを見てそんなことを私が言うわけないでしょう。愚かね」

 

「……フン」

 

 愚かなのはどっちだろうな、という言葉をゼットは口にしなかった

 

 今のカミーラはきっと、愚かしさを歪んだ目でしか見分けられないだろうから。

 

「お前のような者を、私は最も軽蔑する。愛の残骸、愛憎戦士カミーラよ」

 

「その自己矛盾に気付いている? 闇に生まれ、闇に生き、光に焦がれる宇宙恐魔人」

 

「気付いている。私は多くの光に挑み、今ようやくにそんな自分と向き合っている」

 

「……」

 

 胸を張り言い切るゼット。

 卑屈な笑みを妖艶な笑みで隠すカミーラ。

 会話の一瞬一瞬に、この二人の全てがある。

 カミーラの事情を何も知らないまま、カミーラの本質迫るゼットは、威風堂々たる振る舞いでカミーラへと言い放つ。

 

「欲しい物が永遠に手に入らないまま永劫を生きる醜悪よ。貴様は私が終わらせてやる」

 

 ゼットは終わりをもたらすもの。終焉の化身。

 美しい終わりにこそこだわる魔人である。

 敵も自分もその終わりが美しく在ることを望み、そのために戦っている。

 全てを滅ぼす終焉にこそ宿る美しさがあると信じ、ゼットは全てを殺さんとする。

 

 しからばカミーラは、そのゼットと運命のように対極だった。

 彼女は、『美しい終焉を逃した者』であったから。

 

 どこかの戦いでティガと一緒に戦死していれば、彼女の物語はそれはそれで美しい終焉で終わっていたはずだ。

 ティガに殺されたところで終わっていても、辛い悲劇で終わっていたはずだ。

 極論、ティガに救われずにシノクニの人間にいじめ殺されていても、カミーラはここまでの地獄を味わうことはなかっただろう。

 

 カミーラが邪神の走狗として延々と醜態を晒し続けているのは、多少はマシな終わりをことごとく逃し、終焉を迎えることができなかったところに要因がある。

 

 綺麗に終われなかった。

 美しい終焉に辿り着けなかった。

 誰よりも強かったせいで最後まで残ってしまい、最後まで最大の地獄を味わわされたティガと同じ道を、カミーラは変則的に辿っているのである。

 なまじ生き残ってしまったがために苦しんだのは、ティガもカミーラも同様だった。

 

 終わることが許されず延々と醜悪と苦痛に浸され続けているカミーラは、ゼットが本能的にもっとも嫌悪する存在である。

 それはカミーラ個人にのみ向けられているものではない。

 マガカミーラというものを生み出した世界の全て、運命の全て、巡り合わせの全てに対しゼットが感じるも、その全てに付随する嫌悪感と敵意であった。

 

 カミーラに"()()()()()()()"という、カミーラが最も望んでいる言葉の一つを口にしたゼットに、カミーラはどこか嬉しそうに妖艶な笑みを向ける。

 

「楽しみに待っていてあげるわ。終焉」

 

 信念で悪になったことなど一度もないカミーラが、信念によって悪で在り続けるゼットと繋がりを持ったことで、そこには不思議な交流が生まれていた。

 好意など欠片もない交流であったが、そこには特別な何かがあった。

 約束を交わした時、カミーラがどこか救いを感じていたのも間違いないだろう。

 

 そして、ゼットも帰っては来なかった。

 

 誰も彼もがカミーラとの約束を守らない。

 カミーラが自覚している希望、自覚していなかった期待を、踏み躙っていく。

 破られた約束はカミーラの内に無自覚の昏い(おり)となって沈殿し、カミーラの心を更に淀んだ深き所へと運んでいく。

 カミーラ・チィグリスがかつてどんな人間であったかなど、本人ですら覚えていない。

 

 誰も、カミーラを覚えていない。

 誰も、カミーラを救えない。

 誰も、カミーラとの約束を守らない。

 

 

 

 

 

 カミーラの居場所はもう闇の中にしかない。

 闇の中にしか安息がない。

 闇の中で微睡んで、カミーラは夢を見る。

 死んでしまった人達が会いに来てくれる夢だった。

 

 ダーラムが居た。

 ヒュドラが居た。

 ティガが居た。

 ユザレが居た。

 

「……あ」

 

 カミーラはまた触れ合いたくて手を伸ばす。

 されどその手は何にも触れず、皆は先に行ってしまう。

 必死に追いつこうとカミーラはもがくが、体が先に進むことはなく、やがて闇の中で転んでしまい、皆を見失ってしまう。

 皆にまた触れ合いたかったのに、また一人ぼっちの暗闇に引き戻されて、カミーラの心の奥がきゅっと締め付けられるように痛む。

 

 目覚めて、夢を見て、目覚めて、夢を見て。

 夢と現実の区別がつかなくなっていく。

 過去と現在の区別がつかなくなっていく。

 過去のティガと今のティガの区別がついているつもりで、過去と今のティガが頭の中で混線し始める。

 

 "あの頃に戻りたい"という願望が、"闇のティガを取り戻すことができればあの頃に戻れる"という妄想へとすり替わっていく。

 もう取り戻せない愛したティガを"取り戻せる"と、狂気の錯覚に飲まれていく。

 

「あ……あ……あ……」

 

 そして気付くと、現実で悪行を働いている。

 間違いなく自分の意志で、自身の全能力をもって全力で、御守竜胆とその仲間を絶望に落とすべく、手加減なしの悪辣によって彼らを追い込んでいく。

 自身が邪悪に成り果てている自覚くらいは、カミーラにもあった。

 

 しかし、本人は覚えていない。

 自覚すら持てていない。

 カミーラは過去に自分が憎悪し、恨み、この世から消し去ろうとしたものを……無自覚に、無意識に、この世に再現していっている。

 郡千景への加虐。

 彼女を守ろうとする竜胆に与える絶望。

 人間の悪性の煽動。

 大切なものを奪われたティガの闇堕ちの進行。

 全てが再現。

 全てが再演。

 皮肉にもそれは、親に虐待された子供が親になった時、高確率で子供を虐待していく光景に、少し似ていた。

 

「ああ……ああ……ティガ……ティガ……」

 

 カミーラはなぞる。

 天の神と神樹が神話の時代をなぞるように、三千万年前の神話をなぞる。

 そして、狂気の笑みに喜びを浮かべ、破綻した憎悪に苛立ちを混ぜる。

 今の彼女の本質は『愛憎』。

 一つの事柄に愛おしさと憎悪の両方を感じてしまう、狂気の闇の巨人。

 

 カミーラは繰り返す都度歓喜する。

 だって、()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()

 カミーラは繰り返す都度絶望する。

 だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 カミーラの絶望は何度も弾ける。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 カミーラの心の闇は膨らんでいく。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 『ああ、ティガ、そうよ、それでいいの』と思い。

 『なんでそうなるの、ティガ』と思いながら。

 『それでこそティガ』と感じ。

 『やめて、私以外を愛さないで』となる。

 

 意識と思考はティガを闇に落とすために全力を尽くしながら、感覚と恋慕は闇に落ちそうなティガがそれを跳ね除けることを期待している。

 

「愛してる……憎い……愛してる……憎い……許せない……許したい……」

 

 それは矛盾だ。

 ぶつかり合わない矛盾。

 邪神が自身に都合よく成形した結果生まれてしまった、愛情と憎悪が矛盾しながら矛盾しない、とても人間らしい二律背反。

 相反する光と闇を持つがゆえの力の究極に辿り着いたのが竜胆のティガなら、相反する愛と憎しみが闇の究極に迫りつつあるのがマガカミーラであった。

 

 闇の巨人の歪んだ心の闇は、全て邪神を強化する。

 

 御守竜胆の物語の全てを通して、カミーラは邪神に栄養を送り続けた。

 

 御守竜胆の幸福も、不幸も、希望も、絶望も、光も、闇も、全てがカミーラを愉悦混じりの苦痛と絶望に落ち込ませ―――その全てが、邪神を際限なく強くする。

 ティガダークの闇もまた、邪神を上限なく強くする。

 二人の闇の巨人の全てが、邪神を強くする強化要素として利用されていた。

 

 だから西暦の現在において、天照大神はどうあがいても海の底の邪神には勝てない。

 

 アマテラスが三千万年前かけて積み上げてきた強化を、邪神は竜胆とカミーラが生み出す心の闇をたった数年喰らうだけで、あっという間に凌駕してしまっていた。

 天神と邪神の力の差は、三千万年前より遥かに大きく開いている。

 アマテラスがそれを身をもって知れば、その絶望すらも邪神を強くするだろう。

 

 カミーラ・チィグリスは、ティガ・ゲンティアを知っている。

 最高のヒーローを知っているということは、ヒーローがくぐり抜けた最大の窮地を知っているということだ。

 至高の善人を知っているということは、至高の善人しか許せなかったものを知っているということだ。

 ティガを知っているということは。

 ティガが何を愛し、何を守り、何のために強くなれるかを知っているということだ。

 ティガをどう闇に落とせばいいかを知っているということだ。

 

 だから、カミーラには再現できる。

 

 邪神の意向を九割以上叶えて、ほんの少しだけ自分の中の微かな願望を混じえて、三千万年前と似て非なる路線を引くことができる。

 

 村八分が嫌だった。

 だから、再現した。

 一人泣いている少女がどんな気持ちか知っていた。

 だから、再現した。

 ティガの遺伝子を引く者が、どう動くかを分かっていた。

 だから、再現した。

 恐るべき闇を前にして、ウルトラマンティガが素晴らしき英雄であることを理解していた。

 だから、再現した。

 

 カミーラは全力でティガを闇に落とそうとしている。

 手加減などない。

 ティガが光を得れば苛立ち、闇に染まれば歓喜した。

 そこに嘘はない。

 邪神の意向に無自覚に従順で、自らの愛の証明を行うべく、ティガを闇に落とすことだけを考えていた。

 それもまた事実。

 ただ、全力で闇に落とそうとしたティガが『光』を見せる度、カミーラが単純な敵意や憎悪ではない感情を見せてきたこともまた事実だった。

 

 カミーラは邪神がそう望む通りに、光のティガの全てを否定する。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということが、この決定的な矛盾しない矛盾の存在を証明している。

 

「ティガ……ティガ……ティガ……ティガ……」

 

 かくして、カミーラはティガを闇に落とし続けたいという邪神の願いを叶えようとした。

 今もなお邪神は光のティガ・ゲンティアの脅威を覚えていて、避けようとしていたから。

 光のティガを愛した気持ちはほとんど消えて失せている。

 闇のティガを愛した記憶だけは何も消えずに、むしろ増幅されて残っている。

 自分の中の光の記憶が不自然なほど消され、闇の感情が不自然なほどに増幅されていても、カミーラはそれを自覚できない。

 

 アマテラスは邪神の所業にも似た70億虐殺を行い、カミーラは邪神の利のために目を覆うような悪行を繰り返す。

 

 カミーラもアマテラスも、人間の命をかけがえの無い無二の価値と見るならば、それを最悪な思考で奪い続ける絶対の邪悪である。

 カミーラとアマテラスに奪われた罪無き命は多すぎる。

 老若男女区別なく、数え切れないほどの善人を含んだ70億の虐殺を二人は導いた。

 最悪も最悪だ。

 まともな人間であれば真似しようと思うことすらないだろう。

 アマテラスとカミーラのせいで大切な人を奪われた人間は、きっと死ぬまでこの二者を許すことはない。

 世界最大クラスの悪に数えられてもおかしくない存在だ。

 

 だから。

 それに立ち向かう『ウルトラマンティガ』は、どこまでも強く光り輝いていく。

 間違えたはずの二人が間違え続けているのに。

 どこかが歪んだ女神と女が、歪んだまま殺し続けているのに。

 人類の敵となった女神と、人類の敵となったウルトラマンが、全力で潰しに行っているのに。

 そのティガに、容赦などしていないのに。

 ティガが、負けない。

 人の世界を終わらせないよう、たった一人でも歯を食いしばって立っている。

 

 そんなティガこそが、三千万年前、アマテラスとカミーラが何より愛した輝きだった。

 

 ティガが闇に堕ち切らない。

 ずっとずっと踏み留まっている。

 絶望しても。

 喪失しても。

 何度折れかけても、決して諦めない。

 アマテラスとカミーラの見る竜胆のティガは、二人の心のどこかを刺激する。

 三千万年前と比べれば見る影もないほどに変わり果てた二人に、何かが響く。

 神の倫理で冷たく裁きを下していたアマテラスも、壊れた心で全てを冷笑していたカミーラも、加速度的に冷静さを失い、無自覚に熱くなっていく。

 

 闇に落ちてすぐに悪人になったティガ・ゲンティアが居た。

 闇に落ちても決して心の光を手放さず、悪人に成り果てることなく、全ての光を守るティガダークになった御守竜胆が居た。

 アマテラスもカミーラも知らない太陽(ひかり)が、そこに在った。

 三千万年待った二人の前に現れた光は、いつも傷だらけで、他人をいたわっていた。

 

「ティガ。ああ、ティガ。ティガ」

 

 天の神の計画も、邪神の計画も、カミーラの計画も、全ての歯車を御守竜胆が狂わせていく。

 いや、その表現ですら的確ではないだろう。

 狂った計画を狂わせていったのは、出会いだ。

 竜胆が出会った全ての人々が竜胆に与えた影響が、竜胆を通して計画を狂わせ、竜胆が仲間に与えた影響もまた、計画を破綻に近付けていく。

 

 運命か、宿命か、必然か。

 竜胆が出会った者達の光が、悪辣なる企みを壊していくのを、カミーラは見ていた。

 

 グレートとパワード。

 善良なる光の国の住人、たった二十数万年前に生まれたばかりのウルトラ族。

 この星の地球人が到達できなかった悪性の克服を成し遂げ、ウルトラマンベリアルを除けば40万年間無犯罪で警察が廃止されたという驚異の星のウルトラマン達。

 "間違えなかった三千万年の人達のIF"を、見せつけてくるようなウルトラマンが来た。

 グレートとパワードは、どんな仕打ちを受けたとしても、闇に堕ちる気配さえも無い。

 

 ガイアとアグル。

 この星の光そのものが形になったウルトラマン。

 星のエレメントを素材に創られた怪獣である魔王獣へのカウンター。

 星そのものの化身であるそれは、人を愛し、人を守り、人の未来を作るため、人の敵となったアマテラスとカミーラを討つ使命を受けていた。

 ガイアとアグルとティガが並び立つ姿は、三千万年前のティガとダーラムとヒュドラが共に戦っていた時の姿と、否応なしに重なった。

 

 ウルトラマンノア。今はウルトラマンネクサス。

 ウルトラマンにとっての神。絆をそのまま力にする特異なウルトラマン。

 人にとっての神であるアマテラス、かつては絆のウルトラマンであったカミーラから人々を守るべく、遠い宇宙から駆けつけた神の中の神。

 ネクサスとティガが並び立つ姿は、三千万年前の神とティガが共闘していた時の光景と、どこか似たものがあった。

 

 三千万年前の約束を知らずして果たし、紋章を届けに来た秋原雪花がいる。

 いきなり三体の精霊を同時に引き出し身に纏うのは、あの日ユザレが起こした、ユザレくらいにしかできないはずの奇跡だった。

 先輩の精神的負担を減らすために意識的におちゃらけた言い回しを多用しているのを見ると、どうしてもユザレが頭にちらついてしまう。

 

 カミーラの友でありダーラムの親戚だったあの女性が行った諏訪で、白鳥歌野と藤森水都が、ティガを友達だとまだ思ってくれている神様と共に待っていた。

 歌野の喋り方がカミーラの友とダーラムのことを思い出させる。水都の容姿はカミーラの友だった女性にそっくりだった。

 聖剣を相応しい勇者に渡し、歌野はカミーラを理解する精霊・覚の力を手に入れていく。

 

 土居球子はいつだって篝火だった。

 あの日のユザレの炎に一番近い色合いの炎を身に纏い、最初に竜胆を光に導いた。

 ユザレと球子の炎が、ティガダークの闇の中でも竜胆/ティガを導くことを、アマテラスもカミーラもよく知っている。

 

 伊予島杏は奇跡の結晶、ユザレの子孫。

 三千万年経とうとも、ユザレの子孫はティガの子孫の隣りにいて、少しだけ色彩が変わった『善良なる光の者の証』である髪をなびかせていた。

 文学少女であるユザレ/杏が、ティガ/竜胆が安心してすやすやと寝ている横で、音を立てないように静かに本を読んでいる姿を、何度もカミーラは見た覚えがあった。

 それはアマテラスには郷愁を、カミーラには絶望と狂気を呼び起こす。

 

 上里ひなたは、ウルトラマンになる前のカミーラの役割を思い出させる。

 戦う力がなく、皆の帰りを待っていて、皆の好きなご飯を作ってあげて、いつだって日常の中で皆の帰る場所で在り続けた。

 そういう普通の人間にしかできないことで、普通の人間であるカミーラが見せる価値を、ティガが愛していたことを、アマテラスもカミーラも覚えている。

 戦いと闇に傾倒してカミーラが失い、アマテラスが忘れていたティガが愛した"それ"を、そのままの形で持っていたのがひなただった。

 

 乃木若葉は、ユザレの聖剣に選ばれた。

 血筋ではなくその心を見て、聖剣は今代の使い手を選んだのだ。

 その心の光は、あの頃のユザレに最も近く、"ティガ"から向けられる信頼もまたあの頃のユザレに最も近い。

 若葉に憧れる千景を見ていると、カミーラはかつてユザレの凛々しさと強さに憧れていた頃を思い出してしまう。

 若葉に嫉妬しながら若葉に好感を抱く千景を見ると、カミーラはユザレに嫉妬してユザレが好きだったことも思い出しかけてしまい、必死に自分を憎悪で塗り潰すしかなくなってしまう。

 

 高嶋友奈の愛は、堕ちる前のカミーラをなぞるようで、どこかが決定的に違っていた。

 皆を繋ぐ優しさ。絆をティガに届ける絆の勇者。"ティガ"から本当の光であると見られていて、"ティガ"が戦い以外の何かに光を見た少女。

 カミーラがティガに愛された理由を丸々持ちながら、カミーラがティガと共に在れなかった理由を持たず、カミーラがティガを救うのに必要だったものを全て持ち合わせている少女。

 普通の女の子だったカミーラを誰もが甘く見ていたのと同じように、カミーラもまた普通の女の子に見えた高嶋友奈を甘く見て、その愛に最後の奇跡を起こされてしまった。

 

 千景は、カミーラとは何の関係もない少女だった。

 何の繋がりも無い少女だった。

 それでいて、もう一人のカミーラにも思えるような少女だった。

 千景の失敗は、かつてカミーラがした失敗。

 千景が抱く心の闇は、かつてカミーラが抱いた心の闇。

 なのに行く道は違う。

 千景が幸せだとカミーラはそれを自分のことにように嬉しく感じ、すぐさま嫉妬に塗り潰されてしまい、カミーラはかつて自分が欲しかったものを千景から奪おうとする。

 千景が不幸だとカミーラは愉悦に笑い、すぐに自分でも分からない不快感に襲われ、ティガに救ってもらう千景を見て嫉妬に狂う。

 愛おしくも憎らしい分身として、千景は数え切れないほどの数の複雑な感情を、カミーラの内側に呼び起こしていった。

 

 カミーラはずっと見ていた。

 

 時には自分の目で、時にはシビトゾイガーの目で、時には術式の視界で、ずっと見ていた。

 

 仲間に囲まれるティガ、御守竜胆の姿を、その苦悩を、その笑顔を、ずっと見ていた。

 

 仲間達の全てを継承していくティガは、一人ではなかった。

 三千万年前のティガと違って、ずっと一人ではなかった。

 一人で頑張ることはあっても、気付けば誰かが隣にいた。

 誰もがティガを一人ぼっちにしなかった。

 誰もがティガ一人に背負わせることをしなかった。

 

 全てを見つめ、カミーラは喜び、妬み、安心し、怒り、泣き、反吐を吐き、祝福し、呪い、そんなティガが存在することが、許せなかった/喜んでいた。

 

「ティガ? ティガ……? ティガ……ティガ……ティガの……『光』……」

 

 四国に春が訪れていた。

 桜が爛漫に咲いている。

 あの日ティガとカミーラが眺めていた永遠の桜とは色合いが少しだけ違う、されど刹那に咲いて散るがゆえに美しい、刹那の桜がめいっぱいに咲いていた。

 眩しいものを見たかのように、覗き見をするカミーラの目が細まる。

 

 桜の中に、少年と少女が居るのが見える。

 御守竜胆と郡千景が二人で楽しげに話している。

 とりとめのないことを語り合いながら、笑い合っている。

 竜胆が笑って、驚いて、考え込んで、何かを言って。

 千景が何かを言って、無愛想な顔を動かして、慌てて、笑って。

 とても幸せそうに、いつまでもいつまでも、二人きりで話している。

 

 ずっと、ずっと、ずっと。

 

 頭蓋の裏で、何かが重なる。

 

 竜胆と千景が語り合うその光景が、頭の中で何かと重なる。

 

 今目に映る現実が、ずっと昔の、忘れきった何かと重なる。

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 ずっと。

 

 笑い合う竜胆と千景の姿が。

 

 無いはずの記憶と、有ったはずの記憶と、重なる。

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 何と何が重なっているのかカミーラは自覚できないまま、それを見つめ続ける。

 

 「よかったね」と、「なんで」と、「許さない」が、喉の奥で重なって、潰れた。

 

 何故千景が救われると自分が絶望しているのか。

 何故千景が救われると自分もどこか救われているのか。

 カミーラはもう、何も思い出せない。

 もう忘れてしまったから。

 思い出すことを邪神が許していないから。

 

「ティガ、が、幸せそう、で、よかった」

 

 またゼットが話しかけて来るまで、カミーラは自分の口が何か言葉を発していることさえ、自覚することはなかった。

 

 

 

 

 

 誰よりも強い力で、ウルトラマンの光と闇を行き来したのがティガ・ゲンティアならば。

 誰よりも数奇な運命で、人間の光と闇を行き来したのがカミーラ・チィグリスである。

 ティガは光の力と闇の力の極致に辿り着き、カミーラは人間の愛情と憎悪の極致に到達した。

 

 何よりも強い光とは、何よりも暗き物語と凄惨な闇の環境から生まれ出で、強き闇を生み出す環境とは、同時に強き光を生み出す環境である。

 歴史に名を残す英雄も、犯罪史に名を連ねる最悪の犯罪者も、『どうしようもない窮地』から生まれる―――光と闇とは、表裏一体なのだ。

 ティガとカミーラのように。

 ティガ・ゲンティアの光闇がカミーラの愛憎を産み、カミーラの闇の愛憎が御守竜胆を強き光へと回帰させた。

 

 ゆえに、カミーラは必然の帰結として、光の英雄戦士か闇の最強戦士を生み出す運命の女(ファム・ファタール)としての属性を強く持っている。

 "その少女を救うため"、ティガは強い光となり、また強い闇へと落ちる。

 カミーラはそういう女として生まれ、そういう女になるよう育ってきた。

 郡千景も大なり小なりその属性を持っている。

 おそらくは、誰も知らぬまま、誰も望まぬままに。

 

「あ、あ、あ」

 

 カミーラは自覚的な行動、無自覚的な選択、その両方によって三千万年前の再現(リプレイ)を行う。

 

「あ……あああああああああ! 愛してる! 愛してる! 愛してる!」

 

 カミーラが誰からも憎まれる敵として振る舞い、千景が追い詰められて涙を流し、それを竜胆が救いに来た時、そこにはカミーラが愛したティガ・ゲンティアが居る。

 居なくても居る。

 竜胆の中にいつだって、ティガ・ゲンティアは居てくれている。

 そう、カミーラには見えている。

 

 それは千切れた残骸(スプリンター)の一つであって、ティガ・ゲンティアはもういないのに。

 

「だから愛して……ティガ……もう一度……もう一度でいいから……」

 

―――俺に愛してほしいわけじゃないだろう。あなたは

 

―――ごめん。俺に、あなたは救えない

 

「あああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 女は叫ぶ。砕け散った魂をかき集めながら、バラバラになった心と記憶を繋ぎ合わせながら。

 

 女の名はカミーラ。ウルトラマンティガの神話が残した()(かげ)

 

 もう咲けず、身を成せず、種も残せぬ、永遠の徒花。散華の後の花の残骸。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして、御守竜胆は原初に還り、運命を塗り替える最新最高の光と成った。

 

 

 

「俺はティガ。『ウルトラマンティガ』! ―――闇を照らして、悪を撃つ!」

 

 

 

 三千万年前から生きる者で、そこに何も思わなかった者は、一人も居なかった。

 

 神話は最後のページに向かう。

 

 全ての運命を覆した光が、誰も彼もに未知を与え、未来を全て不確定なものに変えながら。

 

 光も闇も、善も悪も、人も神も、全てを一つに巻き込みながら。

 

 物語は、最後の章へ。

 

 

 




1クール分の話数お疲れ様でした。次から現代に戻ります
挿絵はめりっと様からいただきました。ありがとうございます


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。