BotW短編集『ハイラル・ドキュメンツ』 (ほいれんで・くー)
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『サイハテノ漂流奇譚』前編

◆編者前書き
 
 ここに取り上げるのは、約100年前に書かれた手記である。著者は城下町の商人で、名はオルト。その内容は、若い頃に海の彼方のサイハテノ島で体験した出来事について書かれている。にわかには信じかねるものだが、どこか真実味があり、収録する価値があると私は判断した。原題は単なる『手記』である。『サイハテノ漂流奇譚』という題名は、編者による命名である。

 なお、友人のカンギスがこの手記を廃墟から見つけ出し、編者にもたらしてくれた。この場を借りて礼を申し上げる。


 よく生き残ったものだと我ながら思う。

 

 その年、私は十八歳になった。学校卒業の一ヶ月前に誕生日を迎えた。同級生たちが、それまでに学んだ修辞学の技法を凝らして、祝っているのだか祝っていないのだか今ひとつ分からない、長ったらしい詩を贈ってくれたのをよく覚えている。

 

 卒業後の進路は、人それぞれだった。商館の勘定係として、あるいは商工会議所の書記として、もしくは下級官吏として、同級生たちは各々就職していったが、私はというと、特にこれといった道も見い出せず、卒業証書を片手に、ハイラル城下町南の歓楽街をぶらぶらしていた。

 

 在学中から、寮監や友人たちは私の将来設計の無計画さを危惧して、あれやこれやと話を持って来てくれていたのだが、私自身はどうにも真剣になれず、またどの話にも特に魅力を感じられず、いつも適当な理由をつけては断ったり、はぐらかしたりしていた。

 

「いつ本気になるんだ、君は? 私たちが耳元で怒鳴ってもちっとも腰を上げやしないじゃないか。とっくにケツに火が着いてなきゃおかしな時期なのに! この分じゃデスマウンテンが大爆発しても君は動かなさそうだな」

 

 五年間世話になった寮監は呆れ顔にこう言ったものだった。

 

 私自身は、こう言い訳をしていた。なに、商館の店員や書記なんてものは誰にでもできる仕事だろうさ。せっかくの一度きりの人生だ、それじゃつまらねぇ。俺が本気になるのは、誰もやったことのないようなことだ。それこそ勇者様でもやったことのないような、どデカイことを一発ぶちあげてやりたい……

 

 途方もないことをやってみたいと考えながら、その具体的な内容については一切考えていない私だった。野心だけが先行していて、それを実現させる努力はまったくしていなかった。勉強はまあまあできたし、成績も悪くはなかったから今まで誤魔化されてきたが、どうやら私は生来の怠け者だったらしい。

 

 ある友人は、私についてこう言った。

 

「お前って、空っぽだよな。野心だけがオクタ風船のように膨れ上がっていて、中身はスカスカのがらんどうみたいで……」

 

 そんな若い活力を持て余した青年が、無為に街をぶらついていたらどうなるか。結果は単純明解。酒と女と、賭博である。あらゆるいけない遊びに首を突っ込み、耽溺した。

 

 酒と女はさして面白くもないと思った私だったが、その反動のように、博打には熱中した。特に、サイコロ博打にのめり込んだ。

 

 博打を始めたきっかけはごく単純だ。ぶらぶらと手持ち無沙汰に裏路地を歩いていたところを、ガラの悪そうな兄ちゃんの呼び込みに会い、文句に乗せられてホイホイと誘われ、10ルピー賭け50ルピー賭け、三日目には100ルピー賭けるのが普通になっていた。

 

 言うのも恥ずかしい話だが、当然、私は身を持ち崩した。

 

 父と母が決して楽ではない生活をさらに切り詰め、血を絞るような思いをして私に送ってくる仕送り。そのほとんどは、私の生存に必要な費用を除けば、すべて賭場の闇の彼方へと消えて行ったのだ。カラカラという、サイコロが転がる乾いた音とともに。

 

 典型的なカモだったわけだが、私はそれに気づかなかった。博打は今まで経験したことがないほど刺激的だったし、何より「何か大きなことをしている」という感覚は、満たされない野心に身が灼かれるようだった私にとって、たまらなく心地よいものだったからだ。

 

 それまで少ない仕送りをやりくりし、つまらない内職をしてコツコツと貯めていたルピーは、あっという間に底をついた。

 

 宿の一室で空の財布の中身をあらため、あたふたと柳行李をひっくり返し、また財布を上下逆さまにし、パンパンと叩いて中身をあらためても、何も出てこない。

 

 隣のベッドのゴロン族は、そんな私を不思議そうに見ていた。

 

「何してるゴロ? おまじないゴロ?」

「違うよ。ルピーがない。一ルピーたりとてないんだ。ついにシーカー族の聖者様みたいになっちまった」

 

 そのゴロンはなおも不思議そうな顔をして言った。

 

「ルピーがないゴロ? それなら働けば良いゴロ。オラの知ってる採掘場なら一日で100ルピーは稼げるゴロ。紹介してやろうかゴロ?」

 

 とんでもない、コツコツ働くなんて! しかも採掘などという泥臭い重労働を、ゴロンに混じってやるなど、できるものか! 俺はそんなつまらない人間じゃないぞ! それに、一日にたったの100ルピーだって? サイコロなら上手くやればその10倍は軽く稼げる! 

 

 それで、私は働かずに軍資金を得ることに躍起になった。つまり借金である。こんなことにだけは本気になれた私は、実家に手紙を書き、城下町の遠縁の親戚のところへ出向き、友人に無心し、宿のおかみからも少なくない額を恵んでもらった。

 

 仕送りに添えられた母の手紙の内容を、今になっても思い出す。

 

「お前が本代にも事欠いているとのことで、母さんはとても気の毒に思いました。結婚式の時に着けたブローチを売り払って、そのルピーをお前に送ることにします。どうかこのお金で高くて立派な本を買って、たくさん勉強をしてください、そして、どうか良い職場を得られますように……」

 

 そのうち返済が滞り、かつ私の博打癖が知れ渡るようになると、当然ながら誰も金を貸してくれなくなった。両親にも、誰か告げ口をした者がいたらしい。いくら手紙を書いても、返事は一切来なくなった。

 

 困った私は、ついに怪しげな連中の店に出入りするようになった。いわゆる、闇金というやつだ。店主の名は、サコンと言ったか。博打の世話役から紹介されたのだ。

 

 ルピーが無いから博打を打てないという私に、世話役は、何でも俺は知っているというような顔をして、馴れ馴れしい態度で話しかけたものだ。

 

「兄ちゃん、アンタは博徒の素養があるよ。そりゃ初心者のうちはカモられることもあるさ。でもアンタは学校出だろう? そんなら分かるだろうが、今はいわば勉強期間さ。学校だったら授業料は要るし、教科書代とか、他にもいろいろ金を使うだろ? この業界だって同じさ。勉強するには金が要るのさ。かけた金の分だけ賢くなって、将来的にはそれ以上に取り戻せるようになるよ。それを今、金がなくなったからってやめちまうのは、なんとも勿体無い話さ。学校を途中でやめちまうようなもんだよ。俺が低金利で金を借りられるところを紹介してやるから、もう少しこの道を極めてみなよ……」

 

 そんな馬鹿な話をなぜ聞いたのか、本当に愚かだったと思うが、当時の私にとってこれほどありがたい話はなかった。紹介された店はいくら借りても嫌な顔一つしなかったし、煩わしい督促も一切しなかった。私は最初はおずおずと、そのうち大胆になって、借金の額を膨らませていった。

 

 そんな生活を一年あまり続けた。友情も信義も、両親への愛すらも消え果てていた。絶対に捨ててはならないものを、全部自分からかなぐり捨てていたわけだが、当時の私はそれをなんとも思っていなかった。恐るべき悪徳と退廃の生活を送り、長い年月をかけて勉強した学問の数々も忘れ果てて、私は毎日遊び呆けていた。

 

 決着が一思いについたのは、ある意味で幸運だったかもしれない。

 

 その日の早朝も、私は無精ヒゲも伸ばしっぱなしにし、洗っていない髪を脂でゴワゴワさせて、安宿の寝床に横になっていた。頭の中は、遠い土地にいる父と母の健康のことではなく、どうやったら今日の博打に勝てるかだけを考えていた。

 

 そろそろ東の空が白んでくる頃、夢想することに疲れた私はうつらうつらとしていた。その時だった。私の部屋のドアが静かに開いたかと思うと、三人の男が音もなく入ってきた。いずれも黒い覆面をしていた。

 

 あっ、と思う間もなく、そいつらは私に近づき、私の口に猿轡を噛ませ、頭に麻袋を被せ、手足を荒縄で縛り上げると、三人がかりで持ち上げて部屋から運んで行ってしまった。

 

 半分夢の世界にいた私はろくに声もあげられず、抵抗もできずに連れて行かれた。そのうち気を失ってしまったのか、途中の記憶はまったくない。

 

 目が覚めた時には、見たこともないどこかの平原にいた。幌のついた大型馬車が一台、周りには虚ろな目をした男たち。若いのもいれば年をとったのもいる。中にはチラホラと、賭場で見知った顔もいる。全員一箇所に集められ、その四隅には短剣を持った男たちが立っている。

 

 痩せぎすの、顔に一筋の傷がある男が、馬車からのっそりと出てきた。ドスの効いた低い声で私達を怒鳴りつける。

 

「テメェら、このクソ債務者が! 人のルピーでのうのうと博打三昧をしてきた人非人が! いつになったらルピーを返す気だ? 俺たちは待ちに待ったぞ、テメェらのおふくろよりも忍耐強く待ってやった! それなのにテメェらは返す素振りすら見せねぇ! 借りたものを返さねぇやつは、ドロボーだ! ドロボーってのは、縛り首がお似合いだ! 本当ならお上に頼んでテメェらを片っ端から絞首台に送り込んでやるところだ! だが、俺達の親分は優しい。親分は、ボコブリンのクソより劣るテメェらがちゃんと更生して、まっとうな人生を歩めるようにと、チャンスを恵んでくれるってよ! ありがたく思え!」

 

 男は顔色一つ変えずに一気に捲し立てた。カタギの人間には決して出せないその迫力に、隣にいた気弱そうなメガネがビクリと体を震わせたのをよく覚えている。

 

 それからのことは詳述する必要もないだろう。要するに、私達債務者は全員「オクタ部屋」に入れられたのだ。馬車に乗せられてハイラル中のあちこちを行ったり来たりして、穴を掘ったり埋めたり、トンネル工事をしたり、銅の採掘をしたり、さる富裕商人の別荘の土台作りをしたり、沼の埋め立てをしたり、とにかく重労働の毎日だった。日が昇る前から働き始め、日が暮れると作業終了だが、その間は食事時間以外一切休みがない。

 

 食事は、塩味だけの具無しの薄いスープに、おがくず混じりの硬いパン一きれ。いや、それもあったらまだ良いほうで、何も食べられない日も多かった。

 

 私達をあえて空腹状態にしておくことで、頭を働かなくさせ、脱走や反抗などのつまらない余計なことを考えさせないつもりだったのだろう。

 

 どうしても空腹でやりきれない時は地虫を掘り出して食べたし、バッタやヤンマも生のまま食べた。カエルなどは貴重なタンパク源だったし、魔物だって、チュチュなんかが出た日には、皆で寄って集って叩き殺し、チュチュゼリーを奪い合うようにして啜ったものだ。

 

 そんな傍から見れば生き地獄そのもののような生活でも、渦中の当人にとっては、不思議なことにさほど辛いとは感じられなかった。他の連中が落盤で圧し潰されたり、栄養失調で死んだり、魔物に食われたりしたら、私も気の毒に思ったし、状況の過酷さを思い知って暗然たる気持ちになったが、それ以上に、私は心のどこかでホッとしていた。

 

 今は野心に灼かれることがない!

 

 野心ばかり先行していたあの頃は、それと同時に堪えきれないほどの焦燥感をも覚えていた。だが、今はその苦しみから解放されている。

 

 この安堵の気持ちは、その状況に実際に身を置いた人間以外にはなかなか分かるまい。とにかく、当時の私が、空腹を抱えて重いモッコやツルハシを担ぎながらも、一種の安らぎを覚えていたことは確かだ。以前ならば「重労働など!」と息巻いていた私が。

 

 あるいは、そういう心境にさせるのも、債権者と監視者たちの悪辣な目論見だったのかもしれない。事実、私達の中で、反抗をしたり、脱走をしたりしようとする者はほとんどいなかった。

 

 やろうとする者がいたとしても、それは労働開始数日後から数週間後の「若い」奴らで、数カ月経った「老人」の中にはまったくいなかった。反抗者は拳を振り回して精一杯の抵抗を示すのだが、すぐに監視者に顔面を殴られ、腹を蹴られ、短剣で脅されて、涙ながらにすごすごと帰っていくものだった。

 

 こうして皆、ハテノウシのように大人しく、無害な生き物として飼い馴らされていったのだ。

 

 眠れぬ夜を焦燥と共に過ごすよりも、醒めない悪夢を見続けているほうが良い。私達は皆、いわば眠りに取り憑かれた病人だった。

 

 

 転機になったのは、何年の何月だったのだろうか。おそらく私は二十歳になっていたと思うのだが、正確な日時など今となっては分かるはずもない。

 

 私達は、硫黄の採掘に従事していた。今となっては、その場所は奥アッカレのカザーナ裂谷にあるドクロ池付近だったのだろうと思われるが、当時の私達はいつもと同じように、言われたとおりに動き、言われなくとも動いていた。

 

 重い硫黄の入った粗末な籠と、大気を満たす重苦しい火山性ガス。フラフラとおぼつかない足取りで、私達は黙々と作業に従事した。真っ赤に固まった硫黄の塊を見て、あたかもそれは大地から吹き出た血膿のようだと私は感じたが、次の瞬間には、そんな詩にもならない詩的な表現が、かつての学校時代の残滓であることに思い至って、舌下にほろ苦いものを覚えるのだった。

 

 硫黄採掘に従事したのは一ヶ月か、それとも二ヶ月か。あるいは数週間だったのかもしれないし、一年に渡ったのかもしれない。風景に変化がなく、地熱により気温も一定なため、時間の変化を感じることはできなかった。

 

 だが、転機は確かに訪れたのだ。

 

 来た時よりも幾分か減った人数を馬車に詰め込み、私達は硫黄採掘場を後にした。次に向かうのはどうやら南のフィローネ地方らしかった。いつもは口を閉ざしている御者と監視役の男が、その時に限ってなぜか饒舌で、次の目的地についておしゃべりしているのが聞こえたのだ。

 

「で、このヒツジさんたちは次にどこへ行くんだい」

「フィローネだとさ。あそこで新しく水銀が採れる所が見つかったらしい。で、需要はあるが人手が足りない。人手は欲しいが金は掛けたくない。まあ、いつものことさ。安い労働力が欲しいんだよ」

「水銀か。バアさまから聞いたが、水銀ってのは猛毒らしいな」

「俺のバアさまの意見はまったくの正反対だったな。水銀ってのは不老長寿の妙薬らしいぞ」

「なんだそりゃ。どういうことだ」

「知るもんかよ。とにかくルピーになるから事業になるんだろ」

「しかしここからフィローネまでえらく遠いぞ。こんなボロの馬車でノロノロ行ってたら王女様だってバアさまになっちまう」

「キタッカレ海岸に船が来てるらしい。俺たちはそこまでヒツジ共を運べば良いだけさ」

「なんだ、楽な仕事じゃないか……」

 

 男たちの言ったとおり、私達「ヒツジ」は、とあるどこかの海岸で馬車から降ろされ、そのまま小型の帆船に移された。家畜の飼料や屑鉄を運ぶような、およそ人を積荷として想定していない、ボロボロの中古の帆船だった。

 

 帆船は私達を収容するやすぐに出帆し、一路南へと舳先を向けて、海面をノロノロと進み始めた。といっても、船底にいた私がその様子を直接見れたわけではない。私も皆と同じように押し黙ったまま、フナムシが蔓延る船底をじっと見つめていたのだから。今になって当時の状況を思い起こし、おそらく船はそういう状態で進んでいたのだろうと想像するだけだ。

 

 夜になると(これも無論想像だ。時計の類はなかったのだから)、帆船では何よりも貴重な真水が、バケツ一杯分だけ上から運ばれてきた。あとは、一人あたり半欠片のビスケット。水は清潔だったが、ビスケットには蛆が湧いている。食事はたったそれだけである。飢えた男たちにはまったく足りていない。

 

 それでも、何も問題はないのだ。ヒツジたちは魂が擦り切れるほど疲れ切っていて、食事の内容に不満を表明して抗議をするなど思いもよらない。そのことを甲板上の男たちはよく承知している。

 

 なに、海水でないだけマシさ。蛆だって、よく噛んで食べてしまえば栄養になる。

 

 ハイリア人が根っこから善良に出来ているのか(そうであるならハイリア人が同じハイリア人を虐待しているという、この状況は説明できないが)、それとも同病相憐れむというやつか、はたまた単なる無気力か。薄暗がりの中で、私達はバケツの水を静かに回し飲みし、ボソボソと蛆ごとビスケットを食べた。

 

 三文小説のありがちな展開では、この水を巡ってひと悶着起きるものだが、私達は王侯貴族のお茶会にひけをとらないほど上品に、言葉少なく、そしてそれ以上に満足して「食事」を終えた。そしてそれが終われば、また長い忍耐と沈黙である。

 

 ゴトゴト、ゴトゴトと、波が船体を叩く音以外は、何も聞こえない。甲板の上の音も聞こえない。隣にいるはずの人間の息遣いすら聞こえない。

 

 私はいつしか、夢を見ていた。これは、いつかの時の誕生日だ。私は上等な新しい上着と、糊のきいたシャツを着ていて、行儀良く座っている。目の前には両親。そして、私の大好物であるイチゴのフルーツケーキがテーブルにのっている。

 

 父がにこやかな表情を浮かべている。母も歯を見せて笑っている。二人が穏やかに話しかけてくる。

 

「オルト、誕生日おめでとう。学校も無事に卒業して、良い就職先を見つけたな。これからの人生は順風満帆だな。父さんも安心して隠居生活ができるってものだ」

「お父さん、まだ残ってることがありますよ。オルトの結婚がまだですわ。孫の顔を見ないうちから隠居だなんて……」

「おお、そうだった、そうだった。あとはお前の結婚だけだったな!」

「さ、オルト。お前の大好きなイチゴのフルーツケーキですよ。好きなだけおあがりなさい」

 

「ありがとう。いただきます」

 

 母に促されて、私はナイフをケーキに入れる。生クリームを切る、フワフワとした感触。漂うイチゴの香り。フォークで一角を削り、たっぷりと口へ運ぶ。

 

 ガリッ。味わう前に、何か硬い感触を歯で覚えた。思わず、ぺっと吐き出す。

 

 出てきたものは、サイコロだった。オオツノサイの犀角で出来た、正六面体の白いサイコロ。それがケーキの残骸とともに私の口から吐き出されて、紅色のテーブルクロスに黒い染みを作っている。

 

 母が驚きの声をあげる。

 

「あら、まあ!」

 

 私は、今度は喉に違和感を覚えた。ムズムズと何かが引っ掛かっているような、それでいて無理やり這い出てくるような、例えようもない不快感。

 

「むぐっ!」

 

 それは突然こみ上げてきた。深酒をした日の翌朝のように、私は堪える間もなく吐き散らした。

 

「なんと、これは!」

「オルト、お前!」

 

 父と母の叫ぶ声が聞こえる。だが、私はもはや両親を見ていなかった。私は、私自身が吐き出したものを見ていた。

 

 ザラザラと乾いた音を立てて吐き出されたのは、大量のサイコロだった。

 

 次の瞬間、視点が私の背後に移っていた。目の前の私は、なおもサイコロを吐き出し続けている。次第に口からだけではなく、鼻から、耳から、目から、サイコロが溢れ出した。

 

 その時、なんとなくだが、私は自分の中身が実はサイコロだったのだと思った。

 

 吐き終えた私は、皮だけになっていた。白いサイコロの山に覆い被さるように落ちている、だらりとした黄色い皮膚。ちょんちょんと、ルーレットボールのようにコロコロとした目玉が二つ、その頂点に転がっている。

 

 周囲は暗黒に包まれている。父も母も、もういなかった。

 

 どこからともなく声が聞こえてくる。

 

「お前には何も残されていない…… お前には何も残されていない……」

 

 バリッ、という鈍い亀裂音が、私の意識を現実へと引き戻した。私は元の通り船底に腰を下ろしていたが、夢を見ている間に状況は一変していた。

 

 船は大揺れに揺れていて、いわゆるピッチングを繰り返していた。それは次第に大きくなり、ついには船底の私達は座を保っていることができなくなった。

 

 強い波の衝撃を受けて、老朽化した船体のあちこちから部材の軋む音が聞こえ、時たま嫌な響きを立てて亀裂音が走る。

 

 そして、恐れていた事態が起こった。後方にいる誰かが、ギャッと叫ぶ。

 

「水だ! 水だ! 浸水してるぞ!」

 

 その声を聞いて、今まで静かに船の激しい動揺に耐えていた男たちは、一斉にわめき声を上げ始めた。

 

「何だと、浸水!?」

「本当だ! 床が濡れてるぞ!」

「おい、上のやつらを呼べ! 浸水だ! 浸水してるぞ!」

 

 何しろ灯り一つない暗闇の船底である。上への出口は外から固く錠で閉鎖されていて、逃げ場はどこにもない。そこへヒタヒタと浸水してくる海水は冷たく、男たちの恐怖心を極度に煽った。

 

 私も、このままでは下手をすると溺死だと感じ、腰を上げて手探りで昇降口へ行くと(船が大変な勢いで揺れ動いているので、並大抵のことではなかった)、扉をドンドンと拳で叩いて外へ呼びかけた。

 

「おい、おい! 船底に浸水だぞ! ここを開けて出してくれ! おい! 俺たちこのままだと溺れ死んじまう! おい、開けろ!」

 

 こんなことをやったならば、普段は扉が開くと同時に鞭が飛んできて、「ヒツジごときが口を利くな!」とばかりに折檻を加えられ、沈黙を強要されるのだが、このときは何も返事がなかった。

 

 私は、連中が私達のことを忘れ去っていて、どこか船の別のところに固まっているのかと思い、それならさらに大声を立てて騒がなければと、一層激しく喚いた。

 

「おい! おい! 開けろ! 畜生め、開けろ! おい!」

 

 意外なことが起こった。ドンッ、と一際強く扉を叩くと、なんとそれはあっさり開いたのだ。鍵が壊れていたのか、それとも何らかの理由で鍵が掛けられていなかったのか。今となっては分からない。

 

 様子を見ていた男たちが口々に言う。

 

「開いた! 開いたぞ!」

「早く外に出ようぜ!」

「オルトさん、アンタが最初に外に出てくれよ!」

 

 私は身を乗り出して、一番最初に甲板上へ出た。そこには、なんということだろうか、私の想像もしていない光景が広がっていた。

 

 空は紫色をしていて、黒雲は渦を巻いている。生暖かい烈風が吹き荒び、無数の緑色の稲妻は轟音と共に空を駆け、大粒の雨は世界全土を水没させんとばかりに天から降り注いでいる。

 

 甲板上に、私達の監視者は一人もいなかった。船員もいなかった。船底の私達以外、人間は誰もいなかった。

 

 しかし、そんなことよりも私の心に怪訝の念を起こさせたのは、船の上部構造物が軒並み破壊されていたということだった。メインマストは中程からへし折れ、キャビンは粉砕されており、ボートも残らず破壊されていた。

 

 特に、ボートがおかしい。私は、船員たちと監視者たちはこの嵐に遭遇して、このオンボロの帆船では沈没は免れないと、早々に船を(そして私達を見殺しにして)捨てたのかとはじめは思った。しかし、そうであるならば、ボートが残されていて、しかも破壊されているのは辻褄が合わない。

 

 私が考えに耽っている間に、船底の男たちはゾロゾロと甲板上に上がってきた。

 

「なんだ、なんだ!? 誰もいねーぞ!」

「なに!? どういうことだ!?」

「いない、誰もいないぞ!」

 

 突然得た思わぬ自由に、男たちは浮かれたように騒ぎ始めたが、私は怒鳴りつけてそれを静止した。

 

「お前ら落ち着け! 何かよく分からんことが起きたみたいだが、これはチャンスだ。俺たちで船を動かして逃げ出すんだ! おい、だれか船に詳しい奴は……」

 

 動悸が激しい。おかしな話だ。厳重な監視下で重労働をさせられていた時は安逸を覚えていて、いざ逃げられるとなったらこんなにも早く心臓が脈打つなんて。

 

 しかし私の言葉と思考は、そこで中断せざるを得なかった。というのは、息をするのも忘れるほどの壮絶な光景が、突如として嵐の海面上に現出したからである。

 

 帆船の左舷前方に、それはヌラリと現れた。

 

 それは、紫色の血管の走る、白くて太い、数え切れないほどの吸盤がついた、長い触手だった。それが一本、次に二本目が程なくして海面下から生えてきて、垂直にそそり立った。

 

 その二本の触手の根本から、海水を白く泡立てて、渦巻きが発生した。あっという間にそれは直径を長くして、私達の帆船はいとも容易くそれに巻き込まれた。船はぐるぐると渦巻きに沿って流され始めた。

 

 男たちは言葉もなく、その光景をただ見ていることしかできなかった。

 

 そしてついに、私達の前に触手の本体が現れた。

 

 それは、巨大なイカだった。大きさは、中型のコルベット艦ほどはあるかもしれない。無数の黄色い目をギョロつかせて、甲板上の私達一人ひとりを、その目一つひとつで凝視している。

 

 誰かが放心したように言った。

 

「ダイオクタだ……」

 

 ダイオクタ! 私も学校で習ったことがあった。海に棲む伝説上の怪物で、巨大なイカやオクタのような姿をしている。普段は海中深くに潜んでいて、時たま腹を空かせると海上へ浮上し、嵐を呼び起こし、獲物をたらふく喰ったあとは、また海中深くへ帰っていくという。

 

 あくまで伝説上の存在であり、本当にいるかは疑問視されていた。近年の徹底的な海洋調査の結果、少なくとも近海で存在は確認できなかったと、王立アカデミーが報告していたはずである。

 

 それが、確かに目の前にいる!

 

「あっ」

 

 誰かが、声を上げた。ふと後ろを振り返ると、あまりパッとしない茶髪の新入りが、いつの間にか白い触手に捕まっていた。

 

 触手はビュンと力強く茶髪の新入りを天高く持ち上げると、そのまま本体の口元へ勢いよく運んでいった。

 

 茶髪の断末魔が途切れ途切れに聞こえてくる。

 

「うわああぁぁぁぁ……!」

 

 彼は、海面下へ姿を消した。食われたのだ。今まで上甲板にいた船員や監視者たちも、彼と同じように食われたのだ。

  

 悲鳴にならない悲鳴が、あちこちで漏れる。

 

「ひっ……」

「う、うわぁあああ……」

 

 次に、パニックが起こった。甲高い悲鳴をあげる者、喚き散らす者、奇妙な笑い声と共にへたりこむ者。

 

「ひっ、ひぃいいいいい!!!」

「逃げろ、逃げろぉおおおお!」

「うへ、へへ、へへへ……」

 

 甲板上を男たちがなすすべなく右往左往しているその間にも、ダイオクタは次々と触手を伸ばしてきては、着実に獲物を捕まえた。

 

「落ち着け、落ち着け…… どうすれば良い、どうすれば……」

 

 私は、考えた。甲板にいる限り、ダイオクタの餌食となることは免れない。船底に逃げ込めば、あるいは触手からは助かるかもしれないが、この嵐の様子ではいずれ船そのものが沈没し、結局は溺死するだけだろう。

 

 状況を分析している最中にも、心臓の鼓動はますます激しくなり、呼吸も荒々しくなる。混乱した頭脳では、最善の選択肢というものがどうしても思いつかなかった。

 

 しかし、もはや猶予はならない。直感が体を動かしていた。私は渦巻く漆黒の海面へ、思い切って身を投げた。

 

 ダイオクタは帆船に夢中で、海に飛び込んだ私など眼中にないようだった。したがって、触手は一本たりとて来なかったのだが、私の方は体をなんとか浮かせるのに必死で、それに安堵している暇などなかった。

 

 激浪が頭と体を揺さぶる。浮きつ沈みつを繰り返し、海水をガブガブと飲んだ私は、次第に意識がぼんやりと希薄になってきた。もとから重労働と栄養失調で衰弱していた肉体である。体力など、飛び込む前から底をついていた。

 

「グギャゴォオオオオオオオオッ!!!」

 

 突如、海面上に咆哮が響いた。ダイオクタの鳴き声だ。怪物は帆船に泳いで近寄ると、触手を何本もその古びた船体に巻き付けて、力いっぱい締め上げ、空中に持ち上げた。

 

 伝説では大型の戦列艦すら沈め得る怪力とされている。そんなものに中古の帆船が耐えられるわけがない。数秒も経たずして、あたかも穴の空いた古樽を粉砕するように、ダイオクタは帆船を空中でバラバラにした。

 

 中身がこぼれ落ちてくる。船底へ逃げ込んでいた男たちが、無数の破片とともに海面へ落下していくのを、私は確かに見た。

 

 帆船を完全に破壊したダイオクタ。では、次に興味を持つのは、海面を漂う私であろうか? だが、ありがたいことに幸運が私に味方した。

 

「グォオオオオ!!!」

 

 ダイオクタは、食事と破壊に満足すると、短い咆哮を上げて、暗い海中へと帰って行ったのである。後に残されたのは白いあぶくだけだった。

 

 これで捕食される心配だけはしなくて良くなったわけだが、小山のように大きかった怪物がいなくなったからと言って、海の嵐はまだまだ止まなかった。むしろ、これからが本番だと言わんばかりに風雨と雷はその威力をますます強めた。

 

 波を被り、海中に押し込まれ、もみくちゃにされながら流され続ける。私は既に限界を超えていた。グッタリとして、指一本たりとも動かせない。視界はぼやけて、耳も良く音を拾えない。ブクブク、ゴボゴボと、たまに泡の音が聞こえた時に、ああ今は海中にいるんだな、とぼんやりと思った。

 

 ここで再度の幸運に恵まれなければ、私は無残にも海底に屍を沈め、魚たちの思わぬご馳走となり果てていただろう。

 

 その幸運は、小さな樽という形で現れた。帆船に積まれていたそれは、ダイオクタによる破壊を免れて、なんの因果か私のそばへ流されてきたのだ。

 

 私は樽を見つけると、最後の力を振り絞って、両手でそれを捕まえた。腹と二本の腕でがっちりと小さな樽を抱え込む。強力な浮力を得た体は、以前よりも沈まなくなった。

 

 ここで、私の気力は遂に尽きてしまった。意識を失えば、この樽を手放してしまうだろう。そうなれば、死だ。でも、死か。どうでも良い。今は眠い、ただひたすら眠い。どうか眠らせてくれ……

 

 

 よく生き残ったものだと我ながら思う。

 

 ザザザ、ザザザと波が打ち寄せる音がする。体に、波がかかっている。日光の温かみを背中に感じる。冷たい砂の感触を、顔面で感じる。私はうつ伏せで倒れていた。

 

 声が聞こえる。甲高いが、女の声ではない。若い盛りを過ぎた、男の声がする。

 

「生きてるかな? 死んでるかな? それともそのどっちもかな?」

 

 つんつんと、何か棒のようなもので、体を突かれている気がする。

 

「むむ、これは妖精さんにお知らせしないとなのだ! 早速……っと、おお?」

 

 私の意識は、ここで現世に戻ってきた。

 

 首を上げて薄目を開け、目の前を見る。そこには、人がいた。強い日光があたりを白く染め上げている中、その人物の姿だけは、やけにはっきりと認識することができた。

 

「ワォ! 目が覚めたのだ!」

 

 その男は、妙に小さな体格をしていた。学校に入る前の子供と同じか、もしくはそれよりやや大きい程度。

 

「大丈夫? 大丈夫? あ、大丈夫ではないかぁ」

 

 だが、問題なのは背丈の高さではなかった。男の格好が、まさに奇妙奇天烈なのが問題だった。

 

 全身を緑色のピッタリとしたタイツで包み、赤色のパンツを履いている。その道化師じみた格好とは裏腹に、顔の作りは醜悪そのものだった。真っ赤な鼻はブツブツとしていて、まるで腐りかけのイチゴのよう。あごひげは綺麗に整えられているが、それが却って顔全体の醜悪な印象を増している。

 

 この珍妙な男は、そのクリクリとしたガラス玉のような目で私を見つめていたが、突然妙なことを言い始めた。

 

「あ、そうか! 元気が足りないんだな! じゃあここで秘密の呪文を一発、いっちゃうか!」

 

 こう言うと男は、どこから取り出したのか紙吹雪を辺りに舞い散らせ、独特のアクセントともに呪文を唱えた。

 

「チンクル〜チンクル〜、クルリンパッ! 元気になぁれ!」

 

 唱え終わると同時にポーズをとる男。そして、なぜか背後で起こるピンク色の爆発。舞い散る色とりどりの紙吹雪。

 

「ニッヒッヒッヒ……」

 

 ニンマリとこちらへ笑みを浮かべる男。

 

「今のはチンクルの秘密の呪文。真似すんなよ!」

 

 気色悪い。そう思っていると、今度は別の声がした。

 

「……おーい! おーい! チンクルさーん!」

 

 遠くの方から、誰かが駆けてくるようだ。可愛らしい、鈴を転がしたような声。どうやら少女のようだが……

 

「おーい、チンクルさーん! 今の爆発音は何なのー! って、誰か倒れてる! 助けてあげないと……!」

 

 私の精神力は、そこでまたもや尽きた。駆け寄ってくる新たな人影を確認する間もなく、私は再び意識を失ってしまった。

 

 ぼんやりとだが、次のような会話を聞いた気もする。

 

「あれ? また気を失っちゃったのだ」

「ええっ!? 大変! どこかに運んで手当をしなきゃ! チンクルさんも手伝って!」

「力仕事は妖精さんの役割なのだ! チンクルの仕事は応援だけ! ハッ、ヨッ! クルリンパッ! 力持ちになぁれ!」

「そんな呪文なんて効果ないよ! それにわたしは妖精さんじゃなくてリンクルだって、何回言ったら分かるの……」

 

 ともあれ、こうして私は九死に一生を得たのであった。



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『フードファイター・ベショル』前編

 ゴロンシティはいつものように暑かった。赤い大気は血液のように粘つく熱気で満たされていた。火の粉が羽虫のように舞い、灰が微風に踊っていた。巨大な褐色の岩が折り重なり、その隙間には目に鮮やかな、しかしどこか暗さを感じさせる溶岩が流れていた。

 

 ハイラル北東部のオルディン地方の中心に、峨々(がが)たるデスマウンテンがあった。デスマウンテンは天空を割るようにそこに(そび)え立っていた。ゴロンシティはその五合目に位置していた。

 

 その日も、ゴロン族たちはシティで仕事をしていた。その仕事ぶりはあまり活発とはいえなかった。力仕事を好むゴロン族たちは、シティでのちまちまとした仕事は好きではなかった。彼らといえども、店の中、家屋の中でまでツルハシやシャベルを振るうわけにはいかなかった。その事実が、彼らを一種の窮屈な気持ちに押し込めていた。

 

 だが、ベショルは、そのちまちまとした仕事をこなしていた。彼の仕事は、宝石の選別だった。

 

 それは、コハクやオパール、ルビー、サファイア、トパーズ、それにダイヤといった宝石を、大・中・小の大まかなサイズに分けるという、至極単純な仕事だった。それはつまらないうえに、生産性も低く、なにより大変な辛抱を強いられる仕事だった。そして、それは誰からも尊敬されない仕事だった。こんな仕事はイシロックにだってできるとゴロン族のみんなが思っていた。もちろん、ベショル自身もそう思っていた。

 

 ベショルはまだ若かった。彼の頭は丸く、皮膚は輝いていて、筋肉は岩以上に堅かった。彼にはその若さに見合うだけの体力もあった。もし彼が採掘場で働けば、一日で荷車十杯分は稼ぐことができるはずだった。しかし、彼の顔は暗かった。暗さが彼の若さを隠蔽していた。彼は若者であったが、今、彼が纏う雰囲気は老人のそれと同じであった。ひび割れ、緑色に変色し、もはや自分がゴロン族に貢献することはできまいと諦めきっているような、そういう老人と彼はそっくりだった。

 

 おれには、この仕事が一番ふさわしいんだゴロ。作業をしながら、ベショルはそう自分に言い聞かせていた。おれには、みんなと混ざって採掘場でツルハシを振るう資格なんてないんだゴロ。

 

 おれは、敗者だから。敗者だから、みんなと一緒に働く資格なんてないんだゴロ。ベショルは自分を責め続けた。彼がそんなふうにして自分を責めているのは、もちろん彼の責任感によるものであったが、それ以上に、そうしているといつの間にか時間が経つからでもあった。

 

 ベショルは物差しを使い、中なのか大なのか微妙なサイズのトパーズを選別した。彼はそれを「大」の山に投げた。その時、ゴロンゴロンという鐘の音が外から聞こえてきた。

 

 それは夕暮れを告げる鐘の音だった。デスマウンテンの頂上の一角を削って作られたその岩製の鐘は、一万年前からシティに時を告げる役目を果たしてきたものだった。

 

 ベショルは気怠そうに立ち上がった。今日も終わったゴロ。彼は箱の中を見た。宝石は半分以上減っていた。今日の仕事の具合もまあまあだったゴロ。まあまあ。それを咎めるやつなどいない。

 

 仕事が終わったのだから、ベショルは食事に行かねばならなかった。腹が減っているからでも、肉体が欲しているからでもなく、ただ彼の身に染みついた習慣が食事を要求しているのであった。だから彼はひたすら気怠かった。

 

 ベショルは選別室から出て、道を歩いて公共食堂へ向かった。夕暮れになっても、相変わらずゴロンシティは暑かった。

 

 早くも採掘場からあがってきた数人のゴロン族が、陽気な声でおしゃべりをしながら溶岩風呂の方へ歩いていった。ベショルは彼らの会話を聞いた。「今日もよく働いたゴロ!」「まずひとっ風呂浴びて、それから相撲を見に行くゴロ!」「今日は千秋楽(せんしゅうらく)ゴロ!」「楽しみゴロ!」 ベショルは彼らから顔を(そむ)けた。

 

 道を行く途中で、ベショルは見慣れぬ風体をした人間たちとすれ違った。それは一般的なハイリア人と服装も顔つきも異なっていた。彼らはゆったりとした白っぽい上着を身に纏っていて、髪の毛を独特な形に結い上げていた。彼らはシーカー族だった。ベショルはぼんやりとシーカー族を見た。シーカー族は五人ほどいた。

 

 シーカー族は静かな、それでいて熱気のこもった口調で会話をしていた。「大まかな目星がついたな」「祠はニカカ島で間違いないだろう」「十年前に神獣を発掘した時はこれほど簡単じゃなかった」「しかし通常の方法では……」「ゴロン族に協力を要請するしかない」「とりあえず中央へ報告を……」 シーカー族たちは足早に宿屋へ向かって歩いていった。

 

 そういえばここ最近、シーカー族がシティによく来るゴロ。ベショルは思った。そういえば十年ほど前にもやつらはシティにやって来て、「シンジュー」とかいう大きなものを発掘していたゴロ。

 

 聞いた話によると、あいつらは技術者らしいゴロ。彼にはその話がどうしても疑わしいものにしか思えなかった。あんなに細くてツルハシも振れなさそうな連中が技術者とは? 岩一つ満足に砕けないで、どうして技術者といえるゴロ? シーカー族はなにやらいろんなものを「発掘する」ためにシティに来ているらしいが、それならばもっと体格が大きくなければ話が合わないゴロ。体力も筋力もないやつが、「発掘」なんてできるわけがないゴロ。

 

 そう、食欲もないやつがフードファイトすることができないのと同じゴロ。そのように考えた瞬間、ベショルは身震いをした。

 

 考えつつ、考えないようにしているうちに、ベショルは公共食堂に辿り着いていた。公共食堂の名は「お腹いっぱい」といった。しかし、この食堂でお腹いっぱいになるまで食べるゴロンはごく稀だった。お腹いっぱいになるまで食べたくなるような料理をこの食堂は提供できなかった。

 

 ベショルはカウンターに行くと小さな石の食券を差し出した。ねじり鉢巻きをした料理人は無言で食券を受け取ると、じっくりとそれを眺めた。やがて料理人は食券を放り投げた。それから、重ねられている大きな石のボウルを一つ手に取ると、料理人はそこへ真っ赤なスープをなみなみと注いだ。

 

 それは溶岩のスープだった。安く、量があり、滋養に富んでいるが、味はあまり良くない料理だった。次に料理人は、二個の焼き岩をベショルに渡そうとした。だが、ベショルは手を前にやってそれを断った。

 

 ベショルはスープのボウルを受け取ると、席を探した。公共食堂はいつも半分食い詰めたような貧乏ゴロンたちでいっぱいで、普段は席を探すのに苦労をする。だが、彼は運よく空いている席を見つけることができた。

 

 丸い岩の椅子に腰を下ろすと、彼は溶岩のスープを(すす)り始めた。今日のスープはちょっと薄いゴロ、と彼は思った。こんなスープは飲みたくない。それでも苦労して彼はスープを飲み続けた。しかし中身はなかなか減らなかった。

 

 ふと、ベショルは肩を叩かれているのを感じた。彼は振り返った。そこには、にやけた笑みを浮かべた一人の若いゴロンが立っていた。

 

 ベショルは言った。

 

「ダーローか」

 

 ダーローと呼ばれた若いゴロンは、ドンと拳で胸を一つ叩き、大きな声で言った。

 

「久しぶりゴロス、ベショル! いつの間にゴロンシティに帰ってきたんでゴロス? 元気にしていたでゴロスか?」

 

 ベショルは小さな声で答えた。

 

「うん、まあ、そうゴロ」

 

 ダーローは笑みを浮かべつつも、どこか戸惑ったような顔をした。

 

「あれ? なんだかテンション低いゴロスね。どうしたでゴロス? 病気ゴロスか?」

 

 ベショルは首を左右に振った。

 

「別に、病気とかではないゴロ」

 

 そう言うなり、ベショルはまたスープを啜り始めた。ダーローは首を(かし)げて言った。

 

「お前、なんかおかしいゴロス。やっぱりテンションが低いでゴロス」

 

 ダーローはベショルが飲んでいるものに目をやった。彼は驚いたように言った。

 

「あれ、スープしかないゴロスか!? お前、焼き岩はどうしたゴロス!?」

 

 食券一枚でスープ一杯と焼き岩二個を受け取ることができるはずだった。しかし、ベショルはスープしか受け取っていなかった。それは異常だった。

 

 ベショルはダーローに言った。

 

「焼き岩なんていらないゴロ」

 

 彼は重ねて言った。

 

「食べられないゴロ」

 

 ダーローが尋ねた。

 

「二日酔いゴロスか? ちょっと火山性ガス吸引をやり過ぎたゴロスか?」

 

 ベショルは面倒そうに答えた。

 

「二日酔いではないゴロ。食欲がないんだゴロ」

 

 ダーローは目を見開いた。ベショルに、食欲がないだと!? ダーローの心の中は驚愕の感情で満ちていた。ベショルはゴロンシティでも有数の大食漢で、前回の大食い大会では大戦士ダルケルを抑えて優勝した。彼は一晩で山一つを食らい尽くしたこともある。そんなベショルに、食欲がないとは!?

 

 久しぶりに会った友人に、なにやら尋常ではない事態が発生しているのをダーローは見てとった。

 

 ダーローの動きは素早かった。彼はベショルのボウルを奪い取ると、一気に中身を飲み干した。これにはベショルもムッとした。

 

「おい、なにするゴロ?」

 

 ダーローは叩きつけるようにしてボウルをテーブルに置くと、ベショルの肩を掴んで言った。

 

「さっさと立つでゴロス! 行くでゴロス!」

 

 ベショルは無言で抵抗した。ダーローは無言でベショルを引っ張った。ベショルは耐えようとした。無言の攻防が続いた。次第に、周りのゴロンたちもなにごとかという視線を二人に向け始めた。

 

 カウンターに立っている料理人が、一声(ひとこえ)叫んだ。

 

「おい! 相撲なら余所(よそ)でやれゴロ! ここは食堂だゴロ! 土俵じゃねーゴロ!」

 

 ベショルは抵抗をやめた。彼はダーローに引きずられて外へ出ていった。

 

 外に出てもなお、ダーローはベショルを引きずったままだった。ダーローは言った。

 

「今から焼き岩屋に行くでゴロス。焼き岩屋の『じょじょじょ苑』ゴロス」

 

 彼はさらに言った。

 

「ちょっと一杯ガスをひっかけながら高級焼き岩のにおいを嗅いだら、きっと食欲が戻るでゴロス」

 

 ベショルは口を開いた。

 

「いや、おれは……おれは別に……」

 

 それに被せるようにダーローがまた言った。

 

「心配するなでゴロス。ルピーはおれが払うでゴロス」

 

 ダーローはベショルにニッコリと笑いかけた。こうなってはベショルとしても致し方なかった。ベショルは引きずられるのをやめて、自分の足で歩き始めた。やがて、二人は目的地に辿り着いた。

 

 焼き岩屋「じょじょじょ苑」はあまり混んでいなかった。

 

 その日は平日だった。「へい、らっしゃい……」と言いかけた店員は、入ってきた二人のゴロンがあのベショルとダーローであることに気付いて一瞬顔を強張らせた。それでも、訓練された営業スマイルを浮かべて、店員は二人を席へと案内した。

 

 店員は叫んだ。

 

「二名様ご案内ゴロ!」

 

 席に着くと、ダーローは二人分の火山性ガスと焼き岩を注文した。ほどなくして料理が運ばれてきた。分厚いガラスの容器の中に、上質な火山性ガスが充満していた。

 

 ダーローは管を鼻に突っ込むと、思いきりガスを吸引し、それから焼き岩にかぶりついた。岩は上カルビ岩だった。安い上に美味く、量がこなせる食岩(しょくがん)だった。

 

 ボリボリという固い咀嚼音が響いた。ダーローは至福の表情を浮かべた。彼は言った。

 

「やっぱり、火山性ガスと焼き岩のコンボは最高でゴロス!」

 

 それに対して、ベショルはまったく動かなかった。彼は何も吸わなかったし、何も食べなかった。ダーローはおれのことを心配してここに連れてきてくれたようだが、本当はおれを口実にして平日の夜から火山性ガスと焼き岩をやりたかっただけじゃないかゴロ? ベショルはそう思った。

 

 ダーローは盛んにガスを吸い、岩を齧り、店員を呼んで追加を注文していた。ダーローもまた、ゴロンシティにおいて大食漢として有名であった。その食欲は留まるところを知らなかった。テーブルに来る店員の顔が引き攣っていた。このままだと、店の在庫が全部食われちまうゴロ。そんなふうに店員は思っているようだった。

 

 だが、ダーローにも節度というものがあったようだった。あるいは、その懐中にあるルピーのことが気になったのかもしれなかった。ダーローは食事を終えた。彼は上カルビ岩の最後の一切れを飲み込んだ。

 

 ダーローはベショルに向かって、なにごともなかったかのように口を開いた。

 

「それで、ベショルは最近何をしているのでゴロスか? そういえば最近、ベショルは南採掘場にいないゴロスね」

 

 ベショルは会話をしたくなかった。まったくそういう気分ではなかった。しかしその一方で、友人の気遣いを無駄にしたくもなかった。しぶしぶながら、彼は答えた。

 

「……選別室で、おれは働いているゴロ。最近は選別室で、宝石の仕分けをしているゴロ」

 

 ダーローが言った。不思議そうな顔をしていた。

 

「また、何かヘマでもして組長から懲罰でも食らったゴロスか?」

 

 ベショルは答えた。

 

「いや、自分から志願してやってるんだゴロ」

 

 ダーローが大きな溜息をついた。彼は言った。

 

「ああ、お前、やっぱり病気ゴロス! そんな仕事を自分からやるなんて!」

 

 しばらくの間、二人は沈黙した。ベショルはやや俯いて、コンクリート製の黒い床を見つめていた。ダーローは静かにガスを吸っていた。やがて、ダーローが言った。

 

「お前、いったい何があったでゴロスか? お前、しばらく見ないうちに、まるで別の岩になっちまったみたいでゴロス」

 

 ダーローの言葉を聞いて、ベショルは少しだけ目線を上げた。そこには、いかにも心配そうな顔をしている彼の友人がいた。ダーローはさらに言った。

 

「ガスも吸わないし、焼き岩も食べない。そんなのベショルじゃないでゴロス。前は、頼まれもしないのに食ってばかりだったのに。一人で貯蔵庫の食岩(しょくがん)を全部食っちまって、組長からめちゃくちゃ折檻(せっかん)されたのに、その間も笑いながら岩を貪り食ってたベショルはいったいどこに消えちまったでゴロスか? 今のお前からは、まったく覇気が感じられないでゴロス。お前、中身がそっくりそのままどっかの岩と入れ代わっちまったみたいでゴロス!」

 

 ベショルは答えた。

 

「お前の言うとおり、入れ替わっちまったのかもしれないゴロ」

 

 ベショルはさらに言った。

 

「おれは、おれの中身を全部落っことしてしまって、空っぽになった体に別の誰かが入り込んだのかもしれないゴロ」

 

 いかにも深刻な口ぶりだった。ダーローは言った。

 

「話すんだゴロス。一応、おれはお前の友人でゴロス。いやそれ以上に、お前の好敵手(ライバル)でゴロス。お前に何があったのかを知る権利が、おれにはあるでゴロス」

 

 ダーローの言葉には、優しさが含まれていた。ベショルは口を開きかけた。しかし、彼はまた口を閉じた。

 

 ダーローは、ベショルが今、何を必要としているのかが分かった。彼は店員を呼び、とびきり濃いガスを注文した。ガスが運ばれてくると、ダーローはそれをベショルに差し出した。ベショルはしばし逡巡するようだったが、思いきったように管を鼻に突っ込んで中身を吸い始めた。数秒後に、容器は空になった。ベショルの顔は、ほんの少しだけ明るくなった。

 

 ダーローはまたガスを注文した。店員は気を利かせて、何も言われていないのにガスを三つも持ってきた。ベショルはそれらを立て続けに吸ってしまった。

 

 ようやく、ベショルの顔に酩酊者(めいていしゃ)特有の開け放したような表情が浮かんだ。ベショルは口を開くと、語り始めた。

 

「そんじゃ、まあ、話そうかな……ダーロー、お前は、おれがムシャムシャ修行……じゃない、武者修行の旅に出たのは知ってるゴロ?」

 

 ダーローは頷いた。

 

「当然ゴロス。他ならぬおれが、お前が旅に出るのを見送ったゴロンでゴロス」

 

 それは、今からだいたい二ヶ月ほど前の話であった。その頃のベショルは気力と意気に溢れていた。その顔は輝いており、その目は宝石のようだった。それも当然といえば当然だった。彼はその頃、チャンピオンだったからであった。

 

 ベショルはフードファイト・チャンピオンだった。数ヶ月前に(おこな)われた大食い大会で、彼は大戦士ダルケルと歴史に残る大激闘を繰り広げた。わずか焼き岩一個分だけ競り勝って、ベショルは名実ともにゴロン族のフードファイト・チャンピオンとなったのだった。

 

 ダルケルはベショルの背中を思いきり叩くと、言った。

 

「大したやつだ、おめえは! 本当に大したチャンピオンだ!」

 

 それは彼なりの祝意の表し方だった。だが、その叩き方はあまりにも強かった。その衝撃で、あやうくベショルは食べたものをすべて吐き出してしまうところだった。ダルケルは顔を赤くしたり青くしたりしているベショルに言った。

 

「だがな、『谷のドドンゴは山のドドンゴを知らない』とも言うぜ。チャンピオンっていうのは、チャンピオンの座に安住するのではなく、さらに上を目指し続けるからチャンピオンなんだ。負けた俺が言うのもなんだがな、おめえはこれからも、もっともっと上を目指せよ……!」

 

 ベショルはダーローに言った。

 

「確かに、ゴロン族でおれはチャンピオンになったゴロ。でも、大戦士ダルケルのいうとおり、『谷のドドンゴは山のドドンゴを知らない』ゴロ。おれはデスマウンテンだけじゃなく、外の世界でもおれのフードファイトが通用するか試してみたくなったんだゴロ」

 

 ダーローが答えた。

 

「その話も聞いたでゴロス。そもそも旅に出ることをお前に提案したのは、他ならぬおれでゴロス。お前が『もっと実力を試してみたい』というから、おれが旅に出たらどうかと言ったんだゴロス」

 

「そうだった」とベショルは答えた。彼はまたガスを吸った。そして、語り始めた。

 

「おれは旅に出たゴロ。長い長い旅になったゴロ」

 

 ダーローは言った。

 

「これは、随分と長い話になりそうでゴロス」

 

 ダーローは居ずまいを正した。

 

 ベショルは言った。

 

「まず、おれは山をくだって、それからゾーラの里へ向かったゴロ。道中はそこらへんの石を拾って食べたゴロ。それでけっこう空腹をごまかすことができたゴロ。なにせ、この世で石がない場所なんてほとんどないゴロからな。それでもべーレ谷のあたりにきた時は、本当に腹が減って動けなくなったゴロ。たまたまイワロックがいて、それをぶちのめして食うことができたから助かったゴロが、あの時は本当にピンチだったゴロ」

 

 ダーローは尋ねた。

 

「それで、そのイワロックは美味かったでゴロスか?」

 

 ベショルは頷いた。

 

「まあまあ、悪くはなかったゴロ。そんで、おれはどんどん道を進んでいって、ようやくゾーラ川に辿り着いたゴロ。川をどんどん遡っていくとゾーラの里についたゴロ。途中で何度か水の中に落ちそうになって、そのたびに本当にひやひやしたゴロなぁ……そんで、まあ、おれは里の広場に行って、そこのど真ん中で叫んでやったゴロ。『おれはゴロン族のフードファイト・チャンピオン、ベショルだゴロ! おれとフードファイトをしろゴロ!』」

 

 ダーローは尋ねた。

 

「ゾーラ族はお前の挑戦に応じたでゴロスか?」

 

 ベショルは頷いた。

 

「ああ、応じたゴロ。ものすげえたくさんのフードファイターが集まってきたゴロ。旅に出る前、お前は『どこの土地、どんな種族でも、大食いのやつは必ずいるでゴロス。お前は敵に不足することはないでゴロス』と言ったゴロ。あれは正しかったゴロ。おれはゾーラ族たちとフードファイトをすることになったゴロ。ありがたいことに、フードファイトはゾーラ王のシンシン……いや、リンシン……じゃない、親臨(シンリン)(たまわ)ったゴロ。王様だけじゃない、ゾーラ族の小さなお姫様ともっと小さな王子様もいたゴロ。二人とも可愛かったゴロなぁ……」

 

 ベショルは遠い目をした。ダーローは先を促した。

 

「で、何を食べたんでゴロス?」

 

 ベショルは言った。

 

「川で獲れた魚ゴロ。ハイラルバスとか、ガンバリバスとか、コイとか、マスとか……おれは、それまでの人生で食岩(しょくがん)以外の食べ物を食べたことはなかったゴロ。でも、まあ、たぶん魚でもなんでも食べられると思ったから、特に心配はしなかったゴロ。事実、おれは問題なく魚を食べることができたゴロ。腹を下すようなこともなかったゴロな」

 

 その時、ベショルは割と重要なことを口にしていたのだが、そのことについてベショルもダーローもまったく意識していなかった。ゴロン族は岩以外のものも食べられるのか? ベショルは、事実として岩以外のものも食べられた。それで良かった。

 

 ダーローは尋ねた。

 

「それで、その魚の味はどうだったでゴロス?」

 

 ベショルは静かに首を左右に振った。

 

「食べられたというだけでもありがたいと思うべきゴロ」

 

 ダーローは頷いた。

 

「そうか。そうでゴロスな」

 

 ベショルは話を続けた。

 

「おれの前には、次から次へと木の(おけ)に入れられた魚が運ばれてきたゴロ。最初、おれは手づかみでそれを食っていたゴロ。でも、なんだかそのうち面倒くさくなってきて、途中からは(おけ)ごと食ってやったんだゴロ。ゾーラ族の大食いたち、仰天してやがったゴロ。王様が『ジャブフフフッ!』と笑ってくれたゴロなぁ。お姫様も王子様も目を見開いて……あれは痛快だったゴロ。結局、おれは(おけ)にして五十杯ほどを食ってやったゴロ。ゾーラ族の大食いたちも頑張ったゴロが、まあおれの敵じゃなかったゴロ」

 

 ダーローが羨ましそうな顔をした。

 

「いいなぁ。おれもゾーラ族と大食い勝負してみたいでゴロス」

 

 ベショルは話を続けた。

 

「ゾーラ族の王様は、おれにお褒めの言葉をかけてくださったゴロ。『ソナタは実に大したフード・ファイターであるゾヨ』 そう言って王様はおれに二千ルピーを下賜されたゴロ。『さらに研鑽の旅を続けるが良いゾヨ。そのルピーは路銀の足しにするが良いゾヨ』と、王様は親しげにおれに向かっておっしゃったんだゴロ」

 

 ダーローは言った。

 

「良いじゃないかでゴロス。順調そのものじゃないかでゴロス」

 

 ベショルは言った。

 

「それが、その後に王様が言った言葉が良くなかったんだゴロ」

 

 ベショルはさらに言った。

 

「王様はおれに、『しかし惜しいゾヨ』と残念そうにおっしゃったゴロ。どういう意味か、おれは尋ねたゴロ。そうしたら、王様が答えてくださったゴロ。『ワシの知っているハイリア人は、ソナタに負けぬほどによく食べることができるのだ。いや、もしかすると、ソナタ以上に食べるかもしれぬ。本当に、大した健啖家(けんたんか)なのだ。もし彼がこの場にいたら、ソナタと彼、どちらがよく食べるか、比べることができたのだが……』 その言葉を聞いた瞬間、おれの中で負けん気が溶岩みたいに燃え上がったゴロ。そいつはなんという名前で、今どこにいるのかとおれは尋ねたゴロ。王様は『彼の名はリンクという。ハイラル王国の近衛騎士であるゾヨ』と言ったゴロ」

 

 ダーローは首を(かし)げた。

 

「リンクでゴロスか。聞いたことのない名前でゴロス」

 

 ダーローの言葉に構わず、ベショルは先を続けた。

 

「去り際に、ゾーラ族のお姫様がおれに胃薬をくれたゴロ。『もし、彼と戦うことがあっても』とお姫様が言ったゴロ。『絶対に無理をしないでね』 お姫様はとても優しい笑顔をしていたゴロ。おれは里を出て、今度はカカリコ村へ向かったゴロ。そこのシーカー族と大食い勝負をするつもりだったんだゴロ。歩いている最中、おれは必ずそのリンクとかいうハイリア人を見つけ出して、フードファイトで倒してやろうと決意したゴロ」

 

 ダーローが尋ねた。

 

「それで、カカリコ村でそいつを見つけることはできたんでゴロスか?」

 

 問いに対して、ベショルは手を振って否と示した。

 

「カカリコ村でもフードファイトをすることができたゴロ。『おにぎり』というハイリア米でできた食べ物を、どれだけたくさん食べられるか競ったゴロ。ちょうど大きさはそこらの小石みたいなもんで、形は三角形をしていたゴロ。おれは食べに食べたゴロ。三百個くらいは食べてやったゴロ。そしたら、他のシーカー族のフードファイターたちがギブアップしたゴロ。他愛のないやつらだったゴロ」

 

 ここでベショルは言葉を切ると、ガスを思いきり吸い込んだ。少しむせてから、彼はまた言った。

 

「おれをもてなして、フードファイトをセッティングしてくれたのはインパって名前のシーカー族だったゴロ。インパはちょうど王宮勤めから休暇のために帰ってきたところだったんだゴロ。おれが帰るその時まで、インパはずっと丁寧だったゴロ。でも、おれに向かってこう言ったんだゴロ。『それにしてもすごいですね! あれほど食べられる人は、あなた以外には一人しかいないと思います!』」

 

 ベショルの話を、ダーローは岩を齧りながら聞いていた。ダーローは言った。

 

「ほほーでゴロス。一人しかいないとは、それはおれのことでゴロスか?」

 

 ベショルはダーローの言葉を無視して、言った。

 

「おれは嫌な予感がしたゴロ。おれはその名前を尋ねたゴロ。インパは『リンクという人です。すごい人なんですよ。鍋蓋(なべぶた)でビームを弾き返してお姫様を守ったり、ハイラル王国史上最年少で近衛騎士に昇格したり、大食い大会で優勝したり……』 インパは他にもなんかいろいろと言っていたゴロが、おれはまたしてもリンクという名前を聞いて、強い闘志がゴロゴロっと湧いたゴロ。なんとしてもそいつを見つけ出して、フードファイトで叩きのめしてやると、おれは改めて決意したゴロ。俺はカカリコ村を出て、ハイラル城下町へ行くことにしたんだゴロ」

 

 ダーローは言った。

 

「それで、城下町でそのリンクとかいうやつは見つかったでゴロスか?」

 

 さっさと先を聞きたがるダーローを視線で制しつつ、ベショルは言った。

 

「話を急がないで欲しいゴロ。順を追って話してやるゴロ。おれはカカリコ村を出ると城下町へ向かったゴロ。途中、大きな宿場町を通ったゴロ。そこではちょうどゲルド族とかいう、背が高くて髪が赤くて筋肉ゴリゴリの人間たちがたくさん(とま)っていたゴロ。おれはそいつらにもフードファイトを挑んだゴロ。いろんな種類の果物をできるだけ多く食べる勝負だったゴロ。やっぱりおれは圧勝したゴロ。戦いが終わったら、ゲルド族の族長の……なんて名前だったゴロか……ボサボサ……ウルゴサ……いや、違うな……そう、ウルボザという名前だったゴロ! ウルボザって名前の族長がおれに声をかけてきたゴロ。で、族長はおれに……」

 

 ダーローが被せるように言った。

 

「どうせウルボザが、『大したやつだよ、あんたは! うちの大食い連中を全部倒してしまうんだから!』と言ったとか、そんな話に決まってるゴロス。それで、『あんたはリンクの次によく食べるやつだよ』とか、そういうことを言われたとか、そんな話に決まってるゴロス」

 

 ベショルは少しムッとした表情をした。

 

「そう、族長はおれに『リンクには及ばない』という趣旨のことを言ったんだゴロ。おれは決意を新たにしたゴロ。城下町で正々堂々とやつに大食い勝負を挑んで、『どっちの山が高いか』はっきりさせてやることにしたゴロ。おれはゲルド族たちと別れて、先へ進んだゴロ……」

 

 そう言うと、ベショルはいったん沈黙した。ダーローは店員を呼び、さらにガスを注文した。いつの間にか周りの客はいなくなっていた。店内にはベショルとダーローの二人だけが残っていた。

 

 ベショルは話を続けた。

 

「おれは城下町への道を急いだゴロ。途中で『闘技場にリト族の戦士団が来ている』という話を聞いたゴロ。おれはもっけの幸いだと思ったゴロ。リト族の住むタバンタ地方までは遠いゴロからな。おれは闘技場へ急いだゴロ。リト族の戦士団はまだそこにいて、空中戦の演武を披露(ひろう)していたゴロ。おれは戦士団に大食い勝負を挑んだゴロ。戦士団はすぐにおれの挑戦に乗ったゴロ。食べたものは、大量の焼肉だったゴロ。シカの肉とか、ヤギの肉とか、ウシの肉とか、トリの肉だったゴロ。やっぱりおれは圧勝したゴロ」

 

 ダーローは言った。

 

「それで、またリンクという名前が出てきて憤激(ふんげき)したとか、そういう話でゴロスか?」

 

 ダーローの言葉にベショルは「そうゴロ」と答えた。彼はさらに言った。

 

「まあ、憤激というところまではいかなかったゴロが。フードファイトの後で、リト族の戦士団のリーダーがおれに言葉をかけてきたゴロ。そのリーダーは、たしか……そう、リーバルという名前だったゴロ。リーバルはちょっとぶっきらぼうな口調でおれに言ったゴロ。『すごいじゃないか。これだけ食べられる君ならば、きっとアイツの鼻っ柱もへし折ってやることができると思うが……そう、もし君がその気ならね』」

 

 ベショルはガスを大きく吸い込み、鼻から息を吐いた。そして彼はまた言った。

 

「おれは『もしかしてそのアイツっていうのは、リンクという名前かゴロ?』とこちらから尋ねたゴロ。リーバルは驚いた顔をして言ったゴロ。『おや、どうして分かったんだい? そうか。アイツはゴロン族にも大食いで知られているのかな。ご自慢の剣術ではなくて、大食いで……』 そう言うとリーバルは『ハハハ』と大きな声で笑って、去っていったゴロ。俺は城下町へ急ぐことにしたゴロ。『もう、こうなったらそのリンクというやつと戦うのはおれの宿命だ』と思ったゴロ」

 

 突然、店員が二人に声をかけてきた。

 

「あの、お客さん。そろそろラストオーダーのお時間なんだゴロ。なんか頼みますかゴロ?」

 

 ダーローが即座に答えた。

 

「ガスをもう二つ、追加ゴロス。それでおしまいゴロス」

 

 店員は頷いた。店員が去ってから、ベショルはまた口を開いた。

 

「ついに、おれは城下町に辿り着いたゴロ。デスマウンテンを出てから一ヶ月以上が経っていたゴロ。長旅だったゴロが、おれは休まずにリンクとかいうやつを探したゴロ。でも、城下町は流石に広くて人が多かったゴロ。なかなかリンクは見つからなかったゴロ。でも、そのうち上手くことが運んで、こちらがリンクを探す必要はなくなったんだゴロ」

 

 ダーローは尋ねた。

 

「そりゃ、いったいどうしてゴロスか?」

 

 ベショルは答えた。

 

「シン・ブンキ・シャとかいうのがおれのところに来たんだゴロ。シン・ブンキ・シャは『いかがですか、ゴロン族から見て、この城下町はどう思われますか?』なんて、つまらない質問を色々とおれにするんだゴロ。受け答えをしている間におれは、『自分はゴロン族のフードファイト・チャンピオンで、これまでゾーラ族とシーカー族とゲルド族とリト族に勝った』という話をしてやったんだゴロ。そしたら、そいつは目の色を変えてメモを取り始めたんだゴロ。おれは話し続けたゴロ。最後におれは、『今はリンクというやつを探しているゴロ。やつはハイラル最強のフードファイターと聞いているゴロ。でもそれは間違ってるゴロ。ハイラル最強のフードファイターはこのおれゴロ!』と言ってやったゴロ。そしたらそのシン・ブンキ・シャは『ぜひ、そのフードファイトのセッティングは私たちにやらせてください!』と言ったんだゴロ」

 

 店員がガスの容器を持ってきた。その日最後のガスだった。二人はしばらくそれを吸った。ベショルは言った。

 

「それからゴンゴロ拍子に話が進んで、一週間後におれとリンクとのフードファイトが行われることになったゴロ。決戦の場所は、王城の大食堂ということになったゴロ。おれはその日まで絶食して待つことにしたゴロ」

 

 話し終えると、ベショルは一つ身震いをした。彼は、なにか恐ろしいことを思い出したようだった。

 

 ベショルは、(かす)かに震えを帯びた声で言った。

 

「それで、あの日がついにやって来たんだゴロ」




※『サイハテノ漂流奇譚』の後編も現在執筆中です。もう少しだけお待ちください。
※後編は三日後に公開されます。
※ベショルたちが吸っている火山性ガスについては「シーシャ(水タバコ)」のようなものをイメージしています。


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『フードファイター・ベショル』後編

 ベショルは俯いたまま、なかなか口を開こうとしなかった。ダーローはベショルがまた何か言うのを辛抱強く待った。もともとダーローは能天気な性格をしていた。彼には忍耐を忍耐とも思わないおおらかさがあった。幾分か神経質な性格をしているベショルの友人として、ダーローはうってつけといえた。

 

 すでにラストオーダーの時間は過ぎており、食べ物もガスも追加注文することはできなかった。それでもダーローは待った。時間だけが過ぎていった。

 

 どうやらベショルは、何やら恐ろしいことを口に出そうとしているようだった。心に秘めている何かを口に出すというのは、単純なようで難しい。比較的単純な思考回路しか持たないゴロン族にとって、それはなおさらだった。ベショルは低く唸っていた。それは彼が苦しんでいる(あかし)だった。

 

 やろうと思えば、ダーローはいつまでも待つことができた。だが、店側としてはそういう訳にもいかなかった。そろそろ店を閉めなければならない時間が迫っていた。店員がやってきて、申し訳なさそうに二人に言った。

 

「あの……もう閉店時間なんだゴロ。今日はまだ平日ゴロ。二人とも明日はまだ仕事があるゴロ? もうおうちに帰ったほうが良いゴロ。夜更かしすると明日の仕事に差し障りが出るゴロ」

 

 ベショルはなおも俯いたままだった。放置していたら、デスマウンテンが爆発して地上から完全に姿を消してしまうまで、同じ姿勢を取り続けるかもしれない。うん、帰るでゴロス。ダーローはそう思った。彼はベショルを促して、店から出ることにした。彼は石の伝票を手にしてから、ベショルに対して言った。

 

「ほら、行くでゴロス。続きはお前の家で聞くゴロス。店員さん、会計ゴロス」

 

 店員は頷いた。

 

「はいゴロ」

 

 代金は高くついた。ダーローは金色のルピーを二つも財布から出さねばならなかった。しかし、ダーローもまたゴロン族のフードファイターであった。彼は食事にかかる費用に関してまったく頓着(とんちゃく)しなかった。むしろ彼は、それだけのルピーを食事に費やすことができたことに、密かに誇りを覚えていた。

 

 店を出た二人は道を歩いて、ベショルの家へと向かった。夜になってもゴロンシティは暑かった。鉄板で舗装された道のすぐ脇で、灼熱の溶岩が音を立てて流れていた。

 

 溶岩の中から、何かが顔を出した。それはマグッポと呼ばれる魔物だった。マグッポは風船とカエルを足して二で割ったような外見をしていた。近頃は岩オクタの勢力伸長が著しく、マグッポはその生息数を急速に減らしていた。だが、ゴロンシティの中ではいまだにその魔物を目にすることができた。

 

 マグッポは道を行く二人に溶岩を吐きかけようとした。ダーローは叫んだ。

 

「マグッポめ、あっちに行くでゴロス!」

 

 ダーローは石を拾うと、素晴らしい投球フォームでそれを投げた。石はマグッポの飛び出した目と目の間に命中した。マグッポは奇妙な叫び声を上げて、溶岩の中に姿を消した。二人はしばらく、マグッポが消えた後の溶岩をぼんやりと見つめた。それから二人は、また歩き出した。

 

 二人は宿屋の前を通った。二人は食料品店の裏手を回った。二人は黙々と、シティ郊外にあるベショルの家へと歩いた。彼らの他に歩いているゴロン族はいなかった。すでに時刻は深更(しんこう)に達しようとしていた。

 

 道中でも、ベショルは何も喋らなかった。だが、彼の沈黙は恐怖を前にして足踏みをしているからではなく、次に噴火させるべき言葉を注意深く選んでいるがゆえのものであった。少なくとも、友人であるダーローにはそのように思われた。おそらく、家に着いたらこちらが促さなくても勝手に喋り始めるだろう。ダーローはそう思った。

 

 やがて、二人はベショルの家に辿り着いた。ベショルの家は小さくも大きくもなかった。家はシティにおいてちょうど中くらいの規模のものだった。家はベショルがこれまでのフードファイトで得たルピーをこつこつと貯めて、数年前に購入したものだった。一部屋しかない家の中には、ほとんど何もなかった。平たい石のベッドと、石製の什器(じゅうき)類と、中古の石のデスクがあるだけだった。

 

 二人は部屋の中央にどっかりと腰を下ろすと、向かい合って座った。

 

 ダーローは言った。

 

「さあ、ベショル。続きを話すでゴロス。おれは続きを知りたくてたまらないんでゴロス。その、ハイリア人のリンクとかいうやつと、いったいどんなフードファイトを繰り広げたんでゴロスか?」

 

 そう言われても、ベショルはなかなか口を開かなかった。ベショルは腕を組み、しばらく室内を見回していた。やがて、彼は静かに口を開いた。

 

「……ついにその日がやって来て、朝、おれは宿屋から出たんだゴロ。宿屋から王城までは、そのシン・ブンキ・シャが案内してくれたゴロ。行く道では、いろんな人がおれに声をかけてきたゴロ。みんなその日のフードファイトを見たがっていたゴロ。おれの後ろを、大勢の人間たちが付いてきたゴロ。おれは、なんだか自分が偉くなったような気がしたゴロ。『もうこの勝負はいただきだゴロ』と思ったりもしたゴロ。それに、その時のおれは腹が減っていたゴロ。なにしろその日の勝負のために、一週間は断食をしていたゴロからな。今ならマグロックだって十体は軽く食っちまえると思ったゴロ」

 

 ダーローが先を促した。

 

「それで、それで? 王城はどんな様子だったでゴロスか?」

 

 ベショルは言った。

 

「王城は大きかったゴロ。このゴロンシティがすっぽりと全部収まっちまうくらい大きかったゴロ。おれは、人間がこんなものを作れるとは到底思えなかったゴロ。『きっと神様かなんかが手慰みにこの城を作ったんだゴロ』と思ったゴロ。城門には一枚成型された分厚い鋼鉄の扉があって、おれがその前に来ると音を立てて開いたゴロ。シン・ブンキ・シャがおれに向かって、『この城門を作ったのはあなた方のご先祖ですよ』と言ったゴロ。やつはなんだか誇らしげな顔をしていたゴロが、なんで自分が作ったわけでもないのにあんな顔ができるのか、おれには不思議だったゴロ……」

 

 ダーローがベショルの話に割り込んだ。

 

「まあ、食べられもしない鉄の城門の話なんかはどうでも良いでゴロス。さっさと続きを話すでゴロス」

 

 ダーローはおおらかな性格で、待つということのできる男であったが、いったん話が始まるとすぐに続きを知りたがるという悪癖があった。そしてベショルは、そんなダーローを相手にしてもマイペースに話を続けられるという長所があった。ベショルはまた口を開いた。

 

「城門をくぐった時、空から爆発音が何回かしたゴロ。おれは空を見上げたゴロ。空にはいくつかの白い煙の輪が広がっていたゴロ。シン・ブンキ・シャが『あれは花火ですよ。今日の歴史的なフードファイトのために、わざわざ王城が打ち上げてくれたんですよ』と半笑いをして言ったゴロ。もちろん、おれだってゴロンシティに住む文化的なゴロン族ゴロ。花火くらいは知っていたゴロ。おれが不思議だったのは、どうしてハイリア人たちは火薬を岩を吹っ飛ばして鉱石をとるのに使わないで、空で無意味に爆発させるのかってことだったゴロ。火薬だって、そう安いもんじゃないゴロ。おれは、『もしかして、ハイリア人ってやつらはそんなに頭が良くないな』と思ったゴロ。だから、おれは今回もリンクとかいうやつに楽勝するだろうなと思ったゴロ」

 

 ダーローが言った。

 

「まあ、食べられもしない花火の話なんかはどうでも良いでゴロス。さっさと続きを……」

 

 ダーローが促すのを待つまでもなく、ベショルは先を続けた。

 

「王城の見た目は大きかったゴロが、その中もやっぱり広かったゴロ。通路がどこまでもうねうねと続いていたゴロ。もし案内をしてくれる人間がいなかったら、おれはきっと迷って餓死していたと思うゴロ。城の中には大勢の人間がいたゴロ。いろんな格好をしていて、匂いも大きさも年齢も違っていたゴロ。もう何分歩いたのか分からなかったゴロが、おれはようやく大食堂に辿り着いたゴロ。そこにも大勢の人間がいたゴロ。でもそれ以上におれは、そこにたくさんのにおいが漂っていることが気になったゴロ。ごちそうのにおいが火山ガスみたいに充満していたゴロ。おれの腹がゴロゴロと鳴ったゴロ。もちろんそれは、空腹のせいで鳴ったんだゴロ」

 

 ダーローが言った。

 

「もったいぶらないでさっさと続きを……」

 

 友人の言葉が終わるのを待たず、ベショルはさらに言った。

 

「大食堂は広かったゴロ。見たこともないほど大きな木のテーブルが置かれていたゴロ。その前にものすごく強そうな雰囲気をもった、歳をとった人間が座っていたゴロ。すげえ威厳だったゴロ。(いかめ)しい顔をしていたゴロが、その目は宝石みたいに輝いていたゴロ。案内をしていた人間がおれに小声で言ったゴロ。『国王陛下です。挨拶なさい』 おれは大きな声で名乗ったゴロ。『おれはゴロンシティのフードファイト・チャンピオン、ベショル! 国王陛下、今日はこのような場を設けてくださって感謝しますゴロ! このお城の食べ物を全部食らい尽くしてやるから、覚悟するゴロよ!』 周りの人間たちはおれの名乗りを聞いて、ざわついたゴロ。でも国王陛下はゆっくりとおれに頷いて、こう言ったゴロ。『遠い地からやってきたゴロン族の客人よ。そなたの底なしの胃袋を満たすにはこの王城のすべての食糧を(もっ)てしても足りぬかもしれぬが、今日は存分に食事を楽しんでいくが良い』」

 

 ダーローが溜息をついてから言った。

 

「流石は国王陛下ゴロス。大した気前の良さゴロス」

 

 ダーローの言葉にベショルも頷いた。ベショルは言った。

 

「シン・ブンキ・シャがおれに言ったゴロ。『今日の催しにはハイリア人とゴロン族との友好関係をさらに深めるという目的があります。こんなご時世ですからね。国王陛下が仰せになったように、思う存分食べてください。それが友好関係を深めることになるんです。そう、こんなご時世ですからね』 そんなことを言われなくてもおれは食べてやるつもりだったゴロ。『ご時世』っていうのがなんなのかは分からなかったが、俺はとてつもなく腹が減っていたゴロからな」

 

 ダーローが言った。

 

「それでそれで?」

 

 ベショルはまた口を開いた。

 

「おれは、おれの対戦相手がどこにいるか、探したゴロ。見ると、国王陛下の隣に、青い服を着た綺麗な金髪の人間がいたゴロ。その人間はおれのことをじっと見ていたゴロ。あんまりこっちを見つめてるものだから、おれはひょっとしたらその人間が例のリンクじゃないかと思ったゴロ。思っていたよりも小さかったゴロが、髪の毛も金色だったゴロからな。おれはリンクというやつが金色の髪の毛であることを前もって聞いていたゴロ。だから、おれはそいつを見つめ返して、それから言ってやったゴロ。『おい、リンクとかいうやつ! ちゃんと腹を空かせてきたゴロか!? もし腹が減ってないんだったら、おれがお前の分まで食ってやるゴロ!』 その人間はびくりと体を震わせたゴロ。それから、笑い始めたゴロ。とても可愛らしい笑い声だったゴロ。その人間だけじゃなくて、周りの人間もみんな笑い始めたゴロ。国王陛下も微妙に肩を震わせていたゴロ。表情は変わっていなかったゴロが、あれは絶対に笑っていたゴロ」

 

 ダーローが首を(かし)げた。

 

「よく分からんゴロス。どういうことなんでゴロス? その金髪の人間はリンクじゃなかったゴロスか?」

 

 ダーローの問いに対して、ベショルは頭をかいて答えた。

 

「そうだったんだゴロ。それはリンクじゃなくて、なんとハイラル王国のお姫様だったんだゴロ。おれはとんだ恥をかいたゴロ。おれはお姫様に謝ったゴロ。謝りながら、『なんか今日はしっくり来ねぇなゴロ』と思っていたゴロ。笑いが収まった後、国王陛下がお付きの人間に尋ねたゴロ。『して、(とう)の対戦者である騎士リンクはいずこにいるのか? まだ来ないのか?』 お付きの人間が答えたゴロ。『はっ、少し準備をしなければならないとのことでありまして……しかし、そろそろ姿を現す頃合かと思われますが……』 その言葉が終わるか終わらないかの時に、そいつが来たゴロ」

 

 ダーローが言った。

 

「どんなやつだったでゴロス?」

 

 ベショルは言った。

 

「想像していた以上に、やつは小さかったゴロ。おれは、リンクというやつはそれほどまでに大食いなのだから、もしかしたらデスマウンテンより大きなやつかもしれないと思っていたゴロ。でも、違ったゴロ。やつは小柄だったゴロ。縦も横も、国王陛下の半分くらいしかなかったゴロ。やつはお姫様と同じように、綺麗な金髪をしていたゴロ。やつはひざまずいて国王陛下とお姫様に礼をすると、おれの隣に来て椅子に座ったゴロ。おれは、こんな小さなやつに負けるはずがないと思ったゴロ。でも、なんだか、なんというか……」

 

 ベショルはいったん言葉をきった。ダーローが口を開いた。

 

「なんでゴロス?」

 

 ベショルは身震いをした。彼は言った。

 

「なんというか……やつからは得体の知れない空気を感じたんだゴロ。おれは深い谷を覗いた時のような気持ちがしたゴロ。そう、底が見えない感じがしたんだゴロ。おれは、自分を奮い立たせる意味も込めて、隣に座るリンクに言ってやったんだゴロ。『おれはベショル! ゴロンのフードファイターゴロ! ゴロン族の名誉と誇りにかけて、今日はお前に勝つゴロ!』 やつはおれに対して無言で頷いたゴロ。その様子がまた底知れない感じだったゴロ。ほどなくして、勝負が始まったゴロ」

 

 ダーローが言った。

 

「それで、最初に何を食べたんでゴロスか?」

 

 ベショルは言った。

 

「初めに運ばれてきたのは、魚だったゴロ。丸い木桶(きおけ)に入った魚が何杯も運ばれてきて、それがおれたちの前に積み重ねられたゴロ。魚は丸々と太っていて、青色の鱗をしていたゴロ。頭に白い帽子を被っていて、白い前掛けをしている『シェフ』とかいう名前の人間が言ったゴロ。『最初にお二人に食していただくのは、ラネール地方の特産であるマックスバスです。特に生きの良い新鮮なマックスバスを、獲ったその場でアイスロッドで瞬間凍結したものでございまして、それによって鮮度を確保するのと同時に、川魚に特有の寄生虫を除去することが可能となりました……』 おれはシェフの言うことを最後まで聞かなかったゴロ。おれは猛然とそのマックスバスを食べ始めたゴロ」

 

 ダーローが言った。

 

「マックスバスはどんな味だったでゴロスか?」

 

 ダーローは口の端からよだれを垂らしていた。さぞかし美味かったに違いないと彼は思っていた。ベショルは答えた。

 

「ああ、あれは美味(うま)かったゴロ。流石に特上ロース岩とは比べ物にならなかったゴロが、やはり美味かったゴロ。おれたちの前で、国王陛下とお姫様もマックスバスを召し上がっていたゴロ。国王陛下は一匹を全部食べたゴロが、お姫様はお皿に綺麗に盛りつけられた小さな切り身を少しだけ食べていたゴロ。その間にもおれたちはマックスバスを食べ続けたゴロ。この程度は『オードブル』に過ぎなかったゴロ。数分もしないうちに、おれは目の前に積まれた桶の中身を全部食ったゴロ。隣を見ると、リンクもちょうど全部食べ終えたところだったゴロ。やつの顔は平然としていたゴロ。おれの中で闘志が炎のように燃え上がったゴロ。間髪を入れずに次の料理が来たゴロ」

 

 ダーローが言った。

 

「うらやましいでゴロス。次に食べたのはなんだったでゴロスか?」

 

 ベショルはまた言った。

 

「次は、お口直しということでたくさんの果物が運ばれてきたゴロ。イチゴとか、メロンとか、ドリアンとか、ビリビリフルーツとか……とにかく何でもあったゴロ。果物そのままというのもあれば、ケーキとか煮込みとかに料理されているものもあったゴロ。シェフが言ったゴロ。『これらの果物はゲルド地方から取り寄せたものでございまして、特にイチゴはゲルド高地の奥また奥、多数のクマが棲息する危険地帯として有名なエメラル台地にてゲルド族の戦士たちが……』 おれはシェフの言うことを最後まで聞かなかったゴロ。おれは猛然と果物を食べ始めたゴロ」

 

 先ほどよりもさらに口中の唾液の量を増したダーローが尋ねた。

 

「どんな味だったでゴロスか?」

 

 ベショルは答えた。

 

「ああ、あれは美味かったゴロ。流石に上ハラミ岩ほどというわけにはいかなかったゴロが、やはり美味かったゴロ。国王陛下はビリビリフルーツを食べていて、お姫様は小さなケーキを食べていたゴロ。お姫様の目は輝いていたゴロ。たぶんケーキが大好物だったんだろうなぁ……おれとリンクは次々と皿を空っぽにしていったゴロ。木箱何個分の果物を食べたのかは分からなかったゴロが、相当な量をこなしたのは間違いないゴロ」

 

 ダーローは言った。

 

「その時、ベショルはまだ余裕だったでゴロスか?」

 

 問いに対してベショルは頷いた。

 

「余裕だったゴロ。さすがに空腹という状態ではなくなっていたゴロが、まだまだ食べられるという気がしていたゴロ。隣のリンクの様子を見ても、おれと似たような感じだったゴロ。勝負はここからだという感じだったゴロ。次に運ばれてきたのは、大量のおにぎりだったゴロ。皿の上におにぎりが山積みにされていたゴロ。シェフが言ったゴロ。『このおにぎりはシーカー族の里であるカカリコ村周辺で収穫されたハイラル米を用いたものです。ハイラル米の味には水の質が大きく影響しますが、この米は特に地下深くから汲み上げた清潔でミネラル分の多い井戸水を……』 おれはシェフの言うことを最後まで聞かなかったゴロ。おれは猛然とおにぎりを食べ始めたゴロ」

 

 話を聞いていたダーローの口の中はすでに唾液によって洪水状態になっていた。彼は言った。

 

「どんな味だったでゴロスか?」

 

 ベショルは答えた。

 

「ああ、あれは美味(うま)かったゴロ。流石に特撰カルビ岩というわけにはいかなかったゴロが、やはり美味かったゴロ。国王陛下とお姫様も一個ずつおにぎりを召し上がったゴロ。二人とも表情は変えなかったゴロが、美味しいと思っているのはこちらにも分かったゴロ。おれは食ってやったゴロ。食って食って、食ってやったゴロ。でも、さっきまでとは違って、おにぎりは際限なく来たんだゴロ。シェフが言ったゴロ。『おにぎりはまだまだたくさんありますので、どうぞお気兼ねなくお召し上がりください』 おれはさらに十五分くらいおにぎりを食べ続けたゴロ。食べ終えた時、少しだけ胃がもたれる感じがして、おれはちょっと不安に思ったゴロ」

 

 ダーローが少し呆れたように言った。

 

「お前がそんなふうになるなんて、いったいどれだけ食べたんでゴロスか」

 

 ベショルは静かに首を左右に振った。彼は言った。

 

「でも、おれはまだ大丈夫だと思ったんだゴロ。それに、これなら勝てるという気もしていたゴロ。隣のリンクを見ると、やつはちょっと顔色が蒼ざめていたんだゴロ。周りの人間もリンクを見てざわついていたゴロ。『騎士リンクの様子がおかしいぞ』『おかしい、この程度の量でどうにかなる騎士リンクではないはずだが』とかなんとか言う声も聞こえたゴロ。もしかしたら、案外すぐに決着がつくかもしれないとおれは思ったゴロ……」

 

 いったん言葉をきって息をつくと、ベショルはまた話し始めた。

 

「そうこうしているうちに、次の料理が運ばれてきたんだゴロ。次は、大量の焼肉だったゴロ。骨付きのケモノ肉がゴロンゴロンと皿に載せられていたゴロ。シェフが言ったゴロ。『メインディッシュは極上ケモノ肉のステーキです。ステーキにはよく煮詰めたハイラル草のソースがかけてあります。このケモノ肉はリト族の戦士たちが雪深いヘブラ地方で狩りをして得たものでありまして、牧場で飼育したウシよりも遥かに野性(ワイルド)()のある濃厚な……』 おれはシェフの言うことを最後まで聞かなかったゴロ。おれは猛然とケモノ肉を食べ始めたゴロ。いや、『猛然と』というわけにはいかなかったゴロ。なんか変なげっぷがお腹の底からこみあげてくるのを感じたから、それを我慢するのに必死だったんだゴロ。流石に国王陛下とお姫様の前でげっぷをするわけにはいかないゴロからな。でもまあ、なんとか食べ始めたんだゴロ」

 

 ダーローの口の周りは漏れだした唾液でべしょべしょになっていた。彼は言った。

 

「どんな味だったでゴロスか?」

 

 ベショルは言った。

 

「ああ、あれは美味(うま)かったゴロ。流石に特上サーロイン岩ほどというわけではなかったゴロが、とにかく美味かったゴロ。でも、その頃になると、おれの心の中に『限界』という言葉がちらつくようになっていたゴロ。『まさか、そんなはずは』と思ったゴロ。まだまだおれは食べられるはずだったんゴロ。冷静になって考えてみると、その時までに食べた量はゴロンシティの大会で大戦士ダルケルを倒した時よりも多くなっていたゴロが、おれはあえて、しきりにちらつく『限界』という言葉を無視して食べ続けたんだゴロ。でも、無視しようとすればするほど『限界』という言葉は大きくなってきたんだゴロ。どんどん苦しくなってきたゴロ。あんな苦しみは初めてだったゴロ。もしかしたらげっぷを我慢していたせいだったかもしれないゴロが、仮にげっぷができたとしてもきっと苦しいのには変わらなかったと思うゴロ」

 

 ダーローが大きな声で言った。

 

「ああ、ベショルがそこまで追い詰められるなんて信じられないゴロス! で、どうなったでゴロスか?」

 

 ベショルはしばらく沈黙した。いよいよ話はクライマックスに差し掛かっているようだった。ややあって、彼はまた口を開いた。

 

「おれは頑張って食べ続けたゴロ。途中で焼肉にかかっているソースが鼻につくようになって、一切れを食べ終えるのにも苦労するようになったゴロが、それでも頑張って食べたゴロ。国王陛下とお姫様も焼肉を食べていたゴロが、流石にお姫様はもうお腹いっぱいだったみたいで、半分だけ食べて後は残していたゴロ。隣のリンクを見ると、蒼い顔がさらに蒼くなっていて、今にも限界という感じだったゴロ。おれはここでやつにプレッシャーを与えてやろうと思って、お姫様に言ったんだゴロ。『お姫様! お残しになった焼肉はおれが食べてやるゴロ!』 お姫様は『まあ!』と言ったゴロ。おれは手を伸ばしてそれを食べたゴロ。手を伸ばしたことで体のバランスが変わって、途端に満腹感がこみあげて来たんだゴロ。お姫様のお残しを食べている最中は『余計なことをしなければ良かったゴロ』と思えてならなかったゴロ。そんなこんなで、おれはついに焼肉を食べ終えたゴロ」

 

 ダーローが言った。

 

「メインディッシュが終わったら、最後はデザートでゴロスな。何を食べたんでゴロスか?」

 

 ベショルは言った。

 

「シェフが言ったんだゴロ。『ここまでお二人ともまさに互角の勝負を繰り広げてこられました。しかし、考えてみれば騎士リンクがこの王城をホームとしているのに対して、挑戦者ベショルは完全なるアウェイです。そのハンデを埋めなければなりません。そこで、最後にこのようなものをデザートとしてご用意いたしました』……」

 

 ベショルは言葉をきった。彼は大きく溜息をついた。地の底まで響きそうなほどに大きな溜息だった。やがて、彼はダーローに向かって言った。

 

「なあ、ダーロー。その時、おれの前へ何が運ばれてきたとお前は思うゴロ?」

 

 ダーローは首を傾げた。

 

「何ゴロ? 見当もつかんゴロ」

 

 物分かりの悪い友人に対して、ベショルは半ば憤りが込められた声で言った。

 

「分からないゴロか? 運ばれてきたのは、特上ロース岩だったんだゴロ!」

 

 ダーローは「ああ!」と言った。「それならお前の大好物でゴロス! 最後の最後に素晴らしいごちそうが来たゴロスな!」

 

 しかし、ベショルは悲しげな目をして言った。

 

「そうゴロ。それはおれの大好物だったんだゴロ。でもダーロー、お前には分からないかもしれないゴロが、大好物というのはお腹が減っている時だけ大好物なんだゴロ。その時になって、初めておれはそのことを知ったんだゴロ。真っ赤に熱されて、アツアツになった特上ロース岩が鉄板に載せられて運ばれてきたのを見た時、おれは、ほんの一瞬だったゴロが、『食べたくない』と思ってしまったんだゴロ。おれは、自分で自分が信じられなかったゴロ。まさか、このおれが、特上ロース岩を食べたくないなんて、そんなことはあり得なかったゴロ。でも事実として、特上ロース岩はおれの食欲をそそらなかったんだゴロ。でもおれは、『これは戦いなんだゴロ』と思い直したゴロ。ここで負けたらゴロン族の名誉に灰を被せることになるゴロ。おれは特上ロース岩を手にして、かぶりついたゴロ」

 

 ベショルの話を聞いていたダーローの口から、唾液が滝のように流れ落ちていた。特上ロース岩は、全ゴロン族のあこがれの料理である。それは「一生に一度は食べてみたいもの」の筆頭であった。ダーローは言った。

 

「特上ロース岩は、どんな味だったでゴロスか?」

 

 ベショルは、()(ひし)がれたような声で答えた。

 

「それが……それが、美味(おい)しくなかったんだゴロ。まったく美味しくなかったんだゴロ。まるでチュチュゼリーを噛むような感じだったんだゴロ。お前、分かるかゴロ? 満腹の時に大好物を食べないといけないというのは、拷問そのものなんだゴロ。おれは本当に苦労して、一口ひとくちをよく噛んで食べ進めていったんだゴロ。もはや、おれの心は上の空だったゴロ。現実感が消え失せていて、この世にはおれと、おれが食べている特上ロース岩しかないような感じがしていたゴロ。そしたら、急に周りがざわついているのが聞こえたんだゴロ。はっとして、おれは思わず隣を見たんだゴロ」

 

 ダーローは言った。

 

「そうでゴロス。隣はどうなっていたでゴロス? そのリンクとかいう人間はどうなっていたでゴロス?」

 

 その光景を思い出したのか、ベショルは身震いをした。彼は言った。

 

「リンクは……あの人間は……やつは、相変わらず蒼い顔をしていたゴロが、なんと手づかみで特上ロース岩を食っていたんだゴロ!」

 

 ダーローが叫んだ。

 

「ありえねえでゴロス! ただの人間が岩を食うなんて、そんなことはありえねえでゴロス!」

 

 ベショルは首を左右に振った。それはダーローの言葉を否定しようとするためではなく、むしろあの時に目撃した光景を頭の中から追い払おうとするためであった。彼は言った。

 

「食っていたゴロ。やつは岩を食っていたゴロ。バリンボリンと音を立てて食っていたゴロ。食べる気がなくなっているおれよりも、その食べるスピードは早かったゴロ。あっという間にリンクは、岩を一個食っちまったゴロ。おれは焦ってまた岩を食べ始めたゴロ。でも、おれが一個を食べ終えた時にはやつは二個、おれが三個を食べ終えた時にはやつは五個食ってしまっていたゴロ。おれはもう限界だったゴロ。とっくの昔に胃袋はパンパンになっていたゴロが、それ以上に『もうやつに追いつくことは絶対にできないゴロ』と絶望してしまったゴロ。それが決定的だったんだゴロ。それでもおれは『ギブアップ』と言うか、言うまいか迷っていたゴロ……」

 

 ベショルはいったん言葉をきり、そしてまた言った。

 

「迷っているうちに、体の方が先に()を上げたゴロ。おれは後ろにぶっ倒れてしまったゴロ。もうなにも食べられなかったゴロ。倒れたおれのすぐそばに、国王陛下とお姫様がやってきたゴロ。国王陛下は、おれに向かって、その宝石みたいな目で『ギブか?』と訊いてきたゴロ。おれは頷いたゴロ。国王陛下が『勝者、リンク!』と言って、戦いは終わったゴロ……」

 

 しばらく沈黙があたりを包んだ。いつの間にか窓の外から、うっすらとした白い光が差し込んでいた。どうやらそろそろ夜が明けるようだった。

 

 ダーローが沈黙を破った。

 

「……しかし、たった一回の敗北で、お前ほどの(ごう)のゴロンがすごすごと引き下がるとは思えないゴロス。当然リターンマッチをしたんでゴロス?」

 

 ベショルは答えた。

 

「いや、とてもリターンマッチなんてできなかったゴロ」

 

 ダーローが言った。

 

「そりゃまた、なぜでゴロス!? まさか、『心を折られた』とか言うつもりじゃないでゴロスな!? ゴロンの心臓はイワロックよりも固いゴロス! たった一回の敗北で心が折れるなど……」

 

 ダーローの言葉が終わるのを待つことなく、ベショルは言った。

 

「心を折られたんだゴロ。決定的に、ボキッと折られたゴロ」

 

 ダーローは責めるような眼差しで、そんなことを言うベショルを見つめた。彼は(まく)し立てるように言った。

 

「いったい、何がお前の心を折ったんでゴロス? 話を聞いた限りでは、お前は正々堂々と真正面から戦ったはずでゴロス。恥じるところは何もないはずでゴロス。確かにリンクは強敵だったと思うでゴロス。お前以上のフードファイターだったと思うゴロス。でも、『強いドドンゴには、さらに強いドドンゴがいる』というのは当然の話ゴロス。たった一回の敗北がなんでゴロスか。これからは、もっと練習を積んで、またやつよりも強いドドンゴになるようにすれば……」

 

 近所一帯に響き渡るような大きな声で、ベショルは答えた。

 

「そういう話じゃないんだゴロ!」

 

 ダーローは口を閉じた。ベショルは震えた声で言った。

 

「あのリンクは……あのハイリア人は……最後の最後に、とてつもなく恐ろしいことを言ったんだゴロ。その言葉を聞いて、おれは決して手を出してはいけない相手に勝負を挑んでしまったことを悟ったんだゴロ……」

 

 ダーローは答えた。彼の声も震えていた。

 

「……何を、リンクは言ったんでゴロス?」

 

 ベショルは一度大きく息を吸い込み、また吐いた。それを何回か繰り返した後に、彼は言った。

 

「倒れているおれの隣で、お姫様がリンクに何か()いているのが聞こえたんだゴロ。『そういえば、いつもは時間を厳守しているあなたが、今日に限って遅れたのはどうしてですか?』 お姫様はまた、他にもなにか()いていたゴロ。『それに、食べている途中からずいぶんとあなたの顔色が悪くなっていましたが、それもどうしてですか? もしかして、体調が悪いのに無理をしたのですか?』 おれはもう腹がはちきれそうで、呼吸するのもやっとだったゴロが、隣の会話をしっかりと聞いていたゴロ。そして、リンクは、お姫様に対してこともなげに言ったんだゴロ」

 

 ベショルはいったん言葉を切り、数秒の間を置いて、また口を開いた。

 

「『いいえ、姫殿下。姫殿下のご懸念されていることは、なにひとつございません。ただ、大食いのゴロン族と同じだけの量を食べられるか少し不安に思いましたので、勝負の前に厨房に寄って、同じものを同じ量だけ食べて、試してきただけでございます』……」

 

 また、ベショルは沈黙した。ややあって、ベショルは苦痛に満ちた声で言った。

 

「なあ、ダーロー。おれの心が折れた理由が、これで分かったゴロ?」

 

 ダーローは頷いた。

 

「ああ……」

 

 もはや、二人の間で交わすべき会話はなかった。夜は明けていた。窓の外には朝の光が満ちていた。

 

 ほどなくして岩の鐘が鳴り、夜明けを告げた。仕事場へ、あるいは朝風呂へ、または食堂へ向かっていくゴロンたちの声が聞こえてきた。いつもどおりの朝だった。

 

 二人は、まだ黙り込んでいた。二人とも俯いていた。

 

 やがて、ベショルが言った。戸惑うような口調だった。

 

「……なんか、話すだけ話したら……」

 

 ダーローは顔を上げた。彼はベショルに問いかけた。

 

「話すだけ話したら、どうしたでゴロス?」

 

 ダーローはベショルの顔を見た。ベショルは、少し恥ずかしそうな顔をしていた。ベショルは口を開いたり、閉じたりしていた。

 

 そして、重大なことを告白するかのような口ぶりでベショルは言った。

 

「……なんか、話すだけ話したら……腹が減ったゴロ」

 

 ダーローは言った。

 

「腹が、減ったでゴロスか?」

 

 ベショルは頷いた。

 

「ああ、そうゴロ」

 

 ベショルはダーローの顔を見た。ダーローは笑顔を浮かべていた。ベショルはちょっと()ねたような顔をしてみた。彼は言った。

 

「おかしいかゴロ?」

 

 ダーローは首を左右に振った。

 

「おかしくないゴロス」

 

 ダーローはそう言うと、少しだけ黙り、そしてまた言った。

 

「本当に、お腹が減ったゴロスか?」

 

 ベショルは頷いた。

 

「ああ、腹が減ったゴロ」

 

 ダーローも頷いた。

 

「そうか。腹が減ったゴロスか。じゃあ、朝飯に行くでゴロスか?」

 

 ベショルは答えた。

 

「行くゴロか」

 

 ダーローが言った。

 

「ああ、行くでゴロス」

 

 そして二人は、しばらく無言で肩を震わせた。二人はおかしくてたまらなかったが、ここで笑うわけにはいかなかった。笑ってはいけないということが二人の無言の笑いを助長した。

 

 やがて、二人は立ち上がると、肩を並べて家の外へ出ていった。

 

 二人の顔は、柔らかな朝の陽ざしを受けて、明るく輝いていた。

 

(おわり)




 これにて「フードファイター・ベショル」はおわりです。ゴロン族は書いていてとても楽しい種族であることがわかりました。これからも、もう何編か書くかもしれません。「サイハテノ漂流奇譚」の後編も現在執筆中です。いましばらくお待ちください。


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『ウツシエ師ロコーの話』前編

「ようこそ、よくぞこのようなヒガッカレの僻地(へきち)まで遠路はるばるおこしくださいました。私から話を聞きたいとの思し召しでしたから、いろいろとノートなりメモなりを整理してお待ちしていたのです」

 

「それにしてもあなたのお手紙をいただいた時には驚きました。はたして私のようなただの老人に語るべきことがあるのか、私自身にしても疑問だったのです。疑問に思いつつもメモを書いている間に、そういえばこのようなことがあったとか、思い返せばあれはああだったとか、そういうことが鎖を手繰るように自然と思い出されてきて、これならば少なくともあなたを退屈させることはあるまいと、ようやく自分を納得させることができた次第です」

 

「その包みは? ああ、今日のために持ってきてくださったのですか……ほうほう、ずいぶんと珍しいものですね。いったいどこでそれを手に入れたのですか……なるほど、古物商から。何ルピーを払ったのですか? そうですか、五百ルピーも払ったのですか。私からすると、その価格は少し信じがたいものがあります。いえいえ、なにもあなたの金銭感覚が信じがたいと言っているわけではありません。御不快な思いをさせてしまったのならば謝ります。私が信じられないのは、それが五百ルピーもの価値を持つまでに時代が変化してしまったことです。私が気付かない間に、どうやらかなり長い時が経ったようですね。私も老いたわけです。もう七十歳を超えましたからね」

 

「ご存じでしょうが、それは『写し絵(ウツシエ)の箱』というものです。少し見せてもらっても良いですか……ほう、これは軍用のウツシエの箱ですね。部隊の指揮官向けに作られた製品のひとつでしょう。ほら、ここに王家の紋章が刻まれている。頑丈で実用性のある、良い品ですよ。当時の兵士たちはウツシエの箱を用いて偵察を行ったものです。しかし、これが五百ルピー……私の記憶している限りでは、この品は新品で二百ルピー、中古で百五十ルピーといったところでした。それが今では五百ルピーですか……そうでしょうね。今ではこれだけの技術が詰まったものを作るなど、夢のまた夢です。あの大厄災で、すべてが失われてしまった……」

 

「このウツシエの箱ですが、残念ながら機能は失われているようです。もうウツシエを撮ることはできないでしょう。えっ? 私ならばこれを修理できるのではないかですって? ご期待に背くようでまことに心苦しいのですが、今の私にはできません。確かに、あなたもご存じであるように、私はウツシエの箱に関して詳しい知識を持っています。しかしそれは私がウツシエの箱を作る職人だったからではなく、ウツシエの箱を使ってウツシエを撮る、いわゆるウツシエ師だったからです」

 

「それも、職業としてのウツシエ師ではありません。私はいわば、趣味として楽しむだけの、アマチュアのウツシエ師でした。簡単なメンテナンスとか、あまり技術を要さない小修理ならばできます。しかし、中身がここまで壊れてしまったウツシエの箱を直すのはとても不可能です。もしかしたら、この広いハイラル世界のことですから、今もどこかにウツシエの箱職人が生き残っているかもしれません。その人ならば修理ができるでしょうが……」

 

「改めて名乗らせていただきます。私の名前はロコ―と言います」

 

「あの大厄災のちょうど二十年前に、私は生まれました。城下町で小さくもなく大きくもない店を経営している家に生まれましてね。あの頃は本当に豊かな時代でしたよ。周りにはものが溢れていました。食べ物に困ることもなかったし、魔物に脅かされることもなかった。休日には馬車を仕立てて家族でハイラル平原にピクニックに行ったりしましたね。今では信じられないでしょうが……そう、到底無理な話です。ハイラル平原でピクニックなんていうのは。なにせそこらじゅうに魔物がいますし、その上あの恐ろしいガーディンがうようよしていますからね」

 

「私の家は牛乳店でした。近郷近在の牧場から牛乳を買って、それを城下町の人たちに売るんです。買うだけではなくて、店の裏の敷地で牛を飼っていて、自分たちで牛乳を絞るようなこともしていました。バターやクリーム、チーズなんかも自分たちで加工して売っていました。従業員は十人いましたね。店は繁盛していました。それはそうでしょう、城下町にはたくさんの人々が住んでいましたから、牛乳はいくらでも売れました。貴族の邸宅に牛乳を卸すような、そういう高級な店ではありませんでしたが、それでも城下町で父の店の名前を知らない人はいませんでした。それくらい有名な店だったんです」

 

「父は実直な性格をしていて、儲けてはいてもそれを浪費するようなことは一切しませんでした。経営状態は常に安定していましたよ。借金をして事業を拡大することもできたはずですが、父はそのようなことはしませんでした。もしも破産したら、家族と従業員が路頭に迷うことになる。それを恐れていたのでしょう。父はそういう優しい性格をしていました。私も怒鳴られたり、手を上げられたりしたことは記憶している限りでは一度もありません」

 

「そんな父にも、欠点のようなものがありました。それは、『ウツシエ』が大好きだったことです。いえ、大好きなどという言葉を使うべきではありませんね。本当に父は『ウツシエ』狂いでした。『ウツシエ』に関係するものならルピーに糸目を付けず、なんでも買い込んでいました」

 

「父の部屋は『ウツシエ』で溢れていました。額に収められたウツシエが壁をびっしりと覆っていましたし、棚には各種のウツシエの箱がぎっしりと収められていました。机の上には常に分解されたウツシエの箱が置かれていました。父は自分でウツシエの箱を修理することができたんです。職人顔負けの腕前でした。今、もし父がここにいたら、きっとあなたが持ってきてくださったそのウツシエの箱もたちどころに修理してしまうでしょう」

 

「母は父を尊敬していましたが、このウツシエ趣味だけにはいつも文句を言っていました。それも無理のないことでした。父はいつも、どんな時でもウツシエの箱を持ってきて、ウツシエを撮るのです。母が新しい服を買ったら、そのウツシエを撮る。私がドブに落ちて泣いて帰ってきたら、まずはその様子をウツシエに撮る。ピクニックに行ったら、とりあえずウツシエを撮る。ちょっと度が過ぎたほどの入れ込みようでしたね。ある日、父が無断で三千ルピーもするウツシエの箱を買っていたことが判明した時などは、母は激怒しました。もちろん父はそのルピーを自分の小遣いから払ったのですが、なんにせよ相談の一言くらいはあって良かったのではないかと母は言うのです。私もそう思います。なにせ、三千ルピーですからね」

 

「子は親を見て育つものです。そうですよ、子は親の言葉を聞いて育つのでありません。子は親の姿を見て育つのです。私もウツシエに没頭する父の姿を見て育ちました。そして、やっぱりそれに影響されたのです。私が初めてウツシエを撮ったのは、確か七歳の頃だったと思います。店の裏で飼育されている雌牛を撮ったのです。私はその時、ウツシエの箱を父の部屋の棚から勝手に無許可で持ち出したのですが、父は怒るどころか私を褒めてくれました。私はその後もウツシエを撮るようになりました。撮ったウツシエを見るたびに、父は『この子は天才だ!』と大きな声で言うんです。私は誇らしい気持ちになるのと同時に、『親というのは思ったよりもあまり頭が良くないのかもしれない』と思いました。だって、父は私が道に落ちている馬糞のウツシエを撮っても『この子は天才だ!』というのですから……」

 

「やはり母は苦い顔をしていました。母は決して私に『ウツシエなんか撮るな』と言いませんでしたが、内心では私がウツシエの趣味を覚えていくのを嫌がっていたのだと思います。そういう顔をよくしていましたから。母はよく私に言いました。『ロコー、良い? アンタは牛乳店を継ぐんだからね。牛乳店を継いで、城下町の人に新鮮な牛乳を届けるのがアンタの将来の仕事なんだからね』」

 

「明らかに母はあることを懸念していたようです。つまり、私が父と同じくウツシエ狂いになって、いえ父以上のウツシエ狂いになって、家業の牛乳販売を放りだし、プロのウツシエ師になるなどと言い出しはしまいか。そのようなことを懸念していたようです。母は父よりも賢明でした。というのは事実、幼い頃の私は『牛乳屋さんになるよりも、ウツシエ屋さんになりたい』と本気で思っていたからです」

 

「私は六歳の頃から牛乳店の仕事を手伝うようになっていましたが、朝は日が昇る前に起きて牛乳を配達し、夜は遅くまでバターやチーズやクリームの加工をしなければならない業務の過酷さをすでに知っていました。牛乳屋よりも、ウツシエ師の方が面白そうだし、楽そうだ。そのように思ったのです」

 

「ですが、そのうち私も牛乳店の仕事にやりがいを感じるようになっていきました。街を歩いていると、見知らぬ人からよく声をかけられるんです。『ダインファーさんのところの坊やだね? いつも美味しい牛乳をありがとう』と。ええ、父の名前はダインファーでした。そうやって声をかけられることが重なると、私は牛乳運びの仕事が楽しくてたまらなくなりました。バターやチーズの味を褒められると、よし次はもっと良いものを作ってやるぞという気にもなります」

 

「いつしか、私は自分から仕事に精を出すようになり、十四歳になる頃には一通りの仕事をこなせるようになっていました。もちろん、店全体の経営や流通のことに関してはまだ何も知りませんでしたが、それでも新人の従業員に基本的なことを教えられるくらいにはなっていました」

 

「母は安心したようです。これで店が潰れることはないと。私が立派に後を継いでくれるだろうと、そう思ったようです。私もその気でした。私はすっかり牛乳屋の仕事に惚れこんでいました。しかし、父はどこか不満そうでした。どうやら父は、同好の士が失われたことにそれなりに心を痛めていたようです。歳をとるにつれて、父はますますウツシエ趣味に没頭するようになりました。店のルピーに手を付けるような真似は絶対にしませんでしたが、あまり仕事をすることがなくなって、昼日なかからウツシエの箱を弄るようになっていました。きっと、私が仕事を覚えたので安心したのだと思います。安心というか、弛緩というか……本当に重要な決断をしなければならない時だけ、父は動くようになりました。今から思うと、それはそれでけっこうだったのではないかとも思います」

 

「父は私という同好の士を失ったことを嘆いていたのですが、実のところを言うと、そのようなことはありませんでした。私はその時もまだウツシエの趣味を捨ててはいなかったからです。牛乳の仕事が忙しく、また楽しかったため、一時的にウツシエから遠ざかってはいましたが、私はまだまだウツシエに興味を持っていました。店の経営にも部分的に関与するようになり、いよいよ一人前とみなされるようになったのは十六歳の頃でしたが、またその頃から私はウツシエを撮り始めました。父はそんな私を見て大変喜びました」

 

「私が好んだのは、人物のウツシエでした。父は写せるものならなんでも写すというタイプでしたが、私は『どうせ撮るなら人物のウツシエを撮りたい』と思っていました。あなたはご存じないでしょうが、ウツシエというのは不思議なものです。それはまるで現実をそのまま切り取ったようなものなのです。どんなに優れた画家でも、ウツシエのように描くことはできません。現実をそのまま切り取るというのはつまり、その時、その瞬間を大いなる『時間』という流れの中から取り出して、固定するということです。人はどんどん歳をとっていきます。ですが、ウツシエの中の人は永久に年老いることがありません。そうです、彼らは決して歳をとらないのです。私はそのことに心を惹かれました。だからこそ、私は人のウツシエを撮ることに夢中になったのです」

 

「趣味を再開してから何度か、練習がてら店の人間を撮った後、私は初めて本格的なウツシエを撮ることにしました。撮ったのは、近所でも評判の美人の娘でした。私よりも二歳年上だったと記憶しています。小さな頃はよく一緒に遊んでもらったものでした。たしか彼女の家は服飾店を営んでいたと記憶しています。着ているものは美しかったし、彼女の顔も素晴らしかった。私は是非、彼女を撮りたいと思った」

 

「ある休日、思い立ってウツシエの箱を持って尋ねていくと、ちょうど彼女とその一家は着飾って郊外の庭園へ遊びに行くところでした。私が声をかけると、彼女たちはウツシエを撮ることに同意してくれました。しかし、私は彼女ひとりだけを写したかったのに、彼女の家族全員が彼女と一緒に写り込もうとするんです。私はそれとなく『彼女だけを撮りたい』と言ったのですが、結局こちらの真意は通じませんでした。私はウツシエを撮りました。良いウツシエが撮れましたよ。彼女と、彼女の母と、彼女の父、それから彼女の二人の弟が写っていました。全員がほがらかな、楽しそうな笑みを浮かべていました。彼女は弟たちの両肩に手を乗せていました」

 

「数日後、現像ができたウツシエを彼女の家へ持っていきました。そうそう、当時、女性と近づきになりたい人にとって、ウツシエは最良の口実でした。ウツシエを撮る時に一回と、現像したウツシエを持っていく時にもう一回というわけで、最低でも二回は意中の人と会えるのですからね。いえいえ、私は彼女にそういう気持ちを持っていたわけではありませんよ。ただ、当時ウツシエを趣味にしている男の中には、そういう不純な動機を持っていた者がけっこういたということを言っているだけです」

 

「私は彼女にウツシエを見せました。一度も経験したことがないほどに心臓が高鳴ったのを今でも覚えています。なにせ、家族と従業員以外の人間に初めて自分の作品を見せるのですからね。私がどきどきしている一方で、彼女は面白そうにウツシエを見ていました。やがて彼女は言いました。『どうもありがとう、ウツシエってこんなに素敵なものなのね』」

 

「そうです、今とは比べ物にならないくらい栄えていた当時のハイラル王国でも、ウツシエはやはり貴重なものでした。ウツシエの箱そのものが高価なもので一般人にはなかなか手に入れられないものでしたし、ウツシエを専門の職業としている人もごく少数でした」

 

「なにより、ウツシエは貴重でありつつもどことなく怪しげなものとして思われていたというのもあります。現実を切り取り、時間を固定するというその機能が、なんとなく自然に反するもの、時の女神を冒涜するものと思われていたのでしょう。信心深いハイラルの人間にとって、ウツシエはあまりにも扱いづらい存在だったのです」

 

「そう、その彼女にしても、それまでウツシエに撮られたことがなかったのです。彼女の言葉を聞いて、私は天にも昇る心地でしたが、次に彼女が言ったことを聞いて途端に落胆しました」

 

「彼女は言いました。『でも、これ白黒なのね』と。『てっきり色が着いているものだと思ってたわ。だって、白と黒だけの絵なんて『絵』とは言えないじゃない?』 私は彼女にウツシエとはそういうものなんだとかなんとか言い訳をしました。彼女は笑いました。『知ってるわよ、ウツシエが白黒であることくらい。意地悪を言ってごめんね』 私は彼女にそのウツシエをあげて、それから家に帰りました」

 

「家に帰ってからも、私は彼女の言ったことがずっと頭の片隅に引っかかっていました。『てっきり色が着いているものだと思っていたわ』 彼女の言うとおりです。ウツシエは完璧にその時、その瞬間を切り取ることができますが、しかし色は着いていない。白と黒だけです。それはやはり絵ではありませんでした。どんなに下手な画家であっても、白と黒以外の色を塗ることはできます。ウツシエは、限りなく完璧でありながら限りなく不完全なものだったのです。少なくとも、当時の私にはそう思われました。

 

「『色の着いたウツシエを撮ることはできないだろうか』と私は思いました。『それができたら、ウツシエは本当の意味で絵になるのだが』 それはごく幼稚な考えでした。私は若かったし、勉強不足でした。ウツシエは好きでしたが、ウツシエのことは何も知らないのと同然だったのです」

 

「私はその後も暇を見つけてはウツシエを撮り続けました。近所の人みんなのウツシエを撮ってしまうと隣町まで行き、隣町でも撮ってしまうとまたその隣町へ行きました。一年も経たず、私は城下町のほとんどすべての人々のウツシエを撮ってしまいました。みんな私のウツシエを褒めてくれましたし、喜んで私のウツシエを受け取ってくれました。しかし、そうやって褒められれば褒められるだけ『色の着いたウツシエを撮ってみたい』という願望がますます膨らみました」

 

「別にそれで名声を得ようとか、ルピーを得ようとかと思ったわけではありません。私は純粋に、技術的な意味で着色されたウツシエを撮ってみたかったのです。私も父と同じく凝り性だったのでしょうね。しかし、それは到底私の手に負えるものではありませんでした」

 

「もちろん、父に相談してみました。初めて父に『着色済みのウツシエ』について打ち明けた時、珍しいことに父は『うーん』と唸りました。父は私に言いました。『これまで数多くのウツシエ師たちが着色済みのウツシエを撮ろうとしてきたが、成功したという話は聞いたことがない』 やはりそうだろうと私は思いました。父はさらに言いました。『怪しげな噂話ならあるんだが……』 ウツシエに関してはいつも直截的(ちょくせつてき)な言い方をする父が、その時に限っては妙に思わせぶりな口調をしました。私は父に『それは何か』と訊こうとしましたが、その時、母が部屋に入ってきたので、父は私に目配せをして話を打ち切らせました。その後しばらく、父とウツシエについて会話をすることができませんでした」

 

「ウツシエに凝るのと並行する形で、私は順調に商人として成長をしていました。さして自分の頭が良いものとは思いませんが、趣味の面でも仕事の面でもあれほどまでに上手くいき、成長を続けることができたのは、おそらく単に私が若かったからでしょう。若さは、もし若者がそれを自覚しさえすれば、ありとあらゆるものをもたらします。富も、名声も、愛も……そして、若い時は決してその恩恵に気付くことがないために、若さとは常に『若かった』という過去形で呼ばれる宿命を負っているのです。とにかく、私は若かった。若かったので、仕事の上でちょっと自分の力を試してみたくなったのです」

 

「商人として自分の力を試すというのは実に単純なことで、つまり新たな販路を開き、新たな顧客を得て、売り上げを増すということに尽きます。私には父から受け継いだ店があります。店は母によってよく監督されていて、従業員は全員が経験豊富な働き者たち、顧客からの信頼は厚く、よっぽど下手なことをしない限り得意先を失うことはありません。私なしでも店は充分に成り立つのです。だからこそ、私は自分の手で何かしらをしてみたかった。自分の手で店を拡大してみたかったのです。そのためには何をするべきか? 何を狙うべきか? 私は私なりのそのことを考えました」

 

「その頃の城下町の牛乳店の間では、一種の迷信のようなものがありました。迷信というか、共有されたイメージというか……それはこういうものでした。『王城と取引をした牛乳店は潰れる』 その理由はわかりません。理由がないから迷信なのだとも言えます。しかし事実、城下町の牛乳店で王城と直接取引をしている店は一軒もありませんでした。もし王城で商売をすることができれば、それこそ莫大な利益を得ることができます。王城にはたくさんの人たちが暮らしていましたからね。体を作るために牛乳を好んで飲む兵士や騎士も大勢いました。それなのに、城下町の牛乳店は王城と商売をしようとしない。すべてはその迷信のせいでした」

 

「私は母に尋ねました。なんでそんな迷信を未だに信じているのかと。母は迷信の由来について話してくれました。大昔、それこそ一万年以上も前の話ですが、当時のハイラルに牧場はひとつしかなく、したがって王城に牛乳を卸す業者もその牧場しかなかった。その牧場、ロンロン牧場は王城で牛乳を売り、ルピーをたくさん儲けていた。牧場は次第に王城以外の相手には商売をしなくなり、庶民たちには牛乳を売らなくなってしまった。ある日、ゲルド族の反乱が起きて王国があっけなく滅んでしまった。牧場は突然商売相手を失って、慌てて他の人たちに牛乳を売り始めたが、人々はすでに自分たちの手で牛を育てて牛乳を得るようになっていたので、牧場の牛乳はまったく売れなかった。こうして牧場は滅んでしまった……というのです。おそらく、事実をそのまま伝えた話ではないでしょう」

 

「迷信というものは不思議な力を持っていて、それを信じようが信じまいが人を拘束します。城下町のどの牛乳店もその迷信を信じてはいなかったはずですが、結果としてはその迷信に従っている形になっていました」

 

「私はその迷信を破ってみたくなりました。私は母に相談しました。『王城を相手にして牛乳を売ってみるのはどうだろう』と母に言うと、母はしばらく考えました。母は言いました。『良い案だとは思うけど、こういうのは面倒な話だからね』 そうです、母の言うとおりでした。こういうのはとても面倒な話なのです。固定された市場においてひとつの店だけが抜け駆けのようなことをすると、他の店から反感を買って孤立してしまいます。そうなると店を畳まざるを得ません。自由競争などというのは、少なくとも私たちの業界においては無縁な話でした」

 

「母は言いました。『父さんにも相談してみようか』 店に関しては何事でも慎重で堅実な方針を採る母が、どうして私の向こう見ずで、若気の至りとしか思えない提案にそこまで真剣になってくれたのか今になっても不思議です。きっと、母は店のためというよりも、私のためを思ってくれたのでしょう。私がさらに成長するためには、王城への販路拡大という新しくて難しい仕事をやらせてみるのが一番だ。母はそういう一回り大きな枠組みでの思考ができる人でした。相談を受けて、父は言いました。『こういうのは周到に根回ししないといけない。俺がみんなに声をかけてみよう』」

 

「父はウツシエ狂いでしたが、やはり私たちの店の主人でもありました。父は情熱をもって根回しを行いました。他の牛乳店を訪問して、とにかく話をするのです。いきなり本題を切り出すようなことは父はしません。最初はなにも関係のないことから話を始めるのです。父は話術が巧みでしたし、なによりウツシエという趣味がありましたから、徐々に、しかし確実に、相手の関心を誘導することができました。おだて、聞き、共感を示し、ウツシエを撮って贈る。そして本題へと徐々に導いていく。相手はこちらに誘導されているとは思わないで、最後にはまるで自分たちの方が『王城での牛乳販売』を思いついたかのように考えてしまうのです。父は私を根回しの場へと連れていってくれました。私は実地で父の話術を学び、商売人としての考え方と口の利き方を習得しました。母と同じく、父も私を成長させようとしてくれていたのです」

 

「根回しが終わってからは、会議が何回も開かれました。そして最終的には、市場調査という名目で、私たちの店が王城で試験的に牛乳を販売することになりました。すべては父と母の考えたとおりでした。私の発案とも言えないような思い付きを母が拾い上げ、母が父に検討するように促し、父がそれを形にしたのです」

 

「最初、他の誰からも手を借りないで、自分の手で店を大きくしたいと私は思っていました。ですが、それは思い上がりだったと言わざるを得ません。店は、店に属する者たち全員が互いに協力し、持てるものを出し合って初めて利益をあげることができるのです。さきほどまでの話では触れませんでしたが、根回しや会議では父だけではなく、従業員たちも一生懸命に働いてくれました。従業員たちもみんな、私の思いつきに賛成していました」

 

「ですが、それでおしまいではもちろんありません。むしろ、ようやくスタートラインに立ったというべきでした。王城での私たちの商売如何によって、城下町のすべての牛乳店の未来が変わってきます。父は、私を王城の担当として任命しました。『自分で荷馬車に牛乳缶を積んで、王城に行って売ってくるんだ』と父は言いました。『まあ実際に荷馬車を動かすのは、下準備が終わってからだがな』」

 

「そう、下準備が必要でした。王城の食糧担当者と話をしなければならないのはもちろんでしたし、ただ話を聞くだけではなく、どういった人間がどのような乳製品を欲しがっているかを自分自身で調べなければなりませんでした。そうです、ウツシエと同じですね。ウツシエだってその一枚を撮るのにかかる時間は、シャッターボタンを押す一瞬だけのように思ってしまいますが、実際には大気の温度、湿度、光線量を測定しておかねばなりませんし、被写体と構図とのバランスを最適なものにするには撮影場所そのものについて詳しく知っておかねばなりませんから」

 

「まあ、このようなわけで、私の大冒険が始まったのです」




前中後編に分かれております。すべて予約投稿されているのでご安心ください。つづきをお楽しみに。


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『ウツシエ師ロコーの話』中編

「私は大きな肩掛けカバンに試供品の牛乳瓶や、チーズの包み、クリームの壺などを入れて、王城へと向かいました。そして地道な市場調査を始めたのです」

 

「最初は王城の構造と地理を把握するだけでも大変でした。ハイラル城は本当に巨大な城で、高い城壁と深い堀が何重にも本丸を幾重に取り巻いているのです。高い塔が連なっていて、その下には必ず武器庫と哨所を兼ねた建物があります。どれも似通った見た目をしていて、判別するのには苦労しました。本丸の中も、非常に複雑で広大でした。謁見の間や王の執務室、図書館、大食堂、武器庫、訓練所、無数の居住室に隠し扉、隠し部屋……本丸だけではなく、二の丸や三の丸まであるのです」

 

「本当にしょっちゅう、私は城の中で迷いました。初日はありがたいことに王城側が案内の人間を寄越してくれたので、その人に従えば問題なく城の中を歩くことができたのですが、次の日からは誰も来てくれません。私は城の中を延々と彷徨(さまよ)うことになりました。地図がなかったのか、ですって? ははは、そのようなものはありませんでした。王城というのは王と姫君、そして宮廷貴族たちの住処であるのと同時に、戦争のための拠点でもありましたからね。地図などという機密情報の塊のようなものを、一介の牛乳屋に過ぎない私が手に入れることなどあり得ませんでした」

 

「しかし私も若く、愚かでした。あまりにも王城で迷うことが続いたので、ある日『地図がないのならば自分で地図を作れば良いじゃないか』と思ったのです。私は手帳に経路を描き入れ、それを目印にして歩くようにしました。これで迷うことはなくなったのですが……」

 

「数日後のことです。私はその日も手帳を開いては新しい順路を描き入れていたのですが、突然、背後から誰かに肩を掴まれました。はっとして振り返ると、そこには私と同い年くらいの青年が立っていて、鋭い目で私を睨んでいるのです」

 

「青年は美しかったです。まるで図鑑の中にしかいない猛獣のようでした。彼は目の覚めるような青い服を着ていました。青い服は何やら白い紋様で縁取りがされていました。背中には大きくて長い剣を背負っています。彼が騎士の一人であることは、私にはすぐに分かりました。その割には彼は小柄でしたけれども、全身から漂う気迫と緊張感は明らかに一般人のそれとは異なっていました。綺麗な金髪が印象的でした。服に負けないほどに青い目はサファイアのように輝いていました。ぼんやりとしていた私は、その時になっても『この人をウツシエに撮ったらきっと面白いだろうなぁ』などと、のんきなことを考えていました」

 

「彼は私の肩を掴んだままでした。そして、素早い動きで私の手から手帳を取りました。手帳に描かれているものを一瞥すると、彼は短く『ちょっと来い』と言いました。凛々しい、涼やかな声でした。それでも私はやっぱり愚かでしたから、彼に『手帳を返してください』と言ってしまったのです。彼は『ダメだ』と言いました。そしてまた『ちょっと来い』と言うのです。ようやく、私も自分の置かれている事態が飲み込めてきました。私はスパイだと疑われていたのです」

 

「それも当然と言えば当然でした。私がやっていることは、スパイがやることとまったく同じでしたから。王城の中を歩き回って、要所要所で手帳を開いて順路を記録する。これがスパイでなくてなんなのでしょう。折しも当時の王国ではイーガ団という謎の武装集団が暗躍していました。私はそんなことにはまったく無頓着で、というよりも無邪気すぎました。おそらく、私は少し前から青年に目を付けられていたのでしょう。青年は私の後をつけて、私が変なことをしたその瞬間を抑えるつもりだった。そして私はいかにもそれらしく手帳を開いてしまった。そういう流れだったのだと思います」

 

「騎士たちの詰所へと私は連れていかれました。その途中で、さすがに私も事態がどうなっているのかを理解しましたから、恐ろしさでブルブルと体が震えました。青年は私に部屋の中へ入るよう促しました。部屋の中には青年の同僚と思しき騎士たちが何人か、談笑していました。彼らは私たちが入ってきたのを見るとおしゃべりをやめて近寄ってきました。私は椅子に座らされました。私の前には青年が座り、じっとこちらを見てきます。騎士たちは私を取り囲むようにして立ちました。嫌な沈黙があたりに満ち、私はただ冷や汗を流して震えてばかりいました」

 

「青年は手で私になにごとかを示しました。一瞬、なんのことか分かりませんでしたが、すぐに彼が私の通行証を求めていることを理解しました。私は彼に通行証を出しました。彼はしばらくそれを見ていました。やがて青年が口を開きました。尋問が始まりました。『名前は?』『年齢は?』『住所は?』『出生地は?』 青年の声は冷たく、しかし力がありました。私は震えた声でそれらの問いに答えました。『職業は?』と訊かれたので、私は自分が牛乳屋であり、この王城には市場調査のために来ていると言うと、青年は軽く頷きました」

 

「青年は次に、『そのカバンの中身は?』と問いました。私はカバンを開けると牛乳やチーズ、クリームを取り出しました。恥ずかしい話なのですが、気が動転していた私はそこで商品の説明を始めてしまったのです。『ダインファー牛乳店のミルクは新方式の低温殺菌法によって処理されており、風味を損なうことなく長期保存をすることが可能です。また、この商品は添加物がいっさい含まれておりません。絞った直後のナチュラルな味わいをいつでも楽しむことができます……』 青年も騎士たちも、何も言いませんでした。その沈黙が怖ろしくなって、私はそのうち話すのをやめてしまいました」

 

「しかし、私が口を閉じると、青年は目で『もっと言え』と促してくるのです。私はさらにミルクの紹介をしました。ミルクの紹介が終わったら、次はチーズの説明をしました。チーズが終わると、最後はクリームです。私は一生懸命でした。ここで失敗するわけにはいかないという思いでいっぱいでした。商品を説明することがどうして私の身の潔白を証明することになるのかは分かりませんが、とにかくそれが突破口になると思ったのです」

 

「クリームの説明が終わって、もう紹介するものがなくなった時でした。青年は、また何か私に言おうと口を開きかけました。そこで、私の後ろに立っていた年配の騎士が青年に声をかけました。『もう良かろう、リンク。この兄ちゃんは間違いなく牛乳屋さんだ。イーガ団が化けているだけなら、こんなに詳しく牛乳や商品の説明はできないだろうよ。バナナの説明なら上手くやるかもしれないがな。それに、この通行証は本物だ』 青年は開きかけていた口を閉じました」

 

「年配の騎士は優しく私に言いました。『牛乳屋さん、さぞや怖い思いをしただろう。だが悪く思わんでくれ。今この王城はちょっとピリピリしてるんだ。少し前に悪い奴が侵入してな。ちょうど警戒態勢を強化しているところだったんだ。それに、あんたを捕まえたこのリンクはちょっと特殊な任務に就いていてな、そのせいで余計に警戒心が強くなってるんだ。まあ、許してやってくれよ』 私は、とんでもないことです、私が手帳に地図を描くなんていう紛らわしいことをしたせいです、私のせいなんです、と謝りました。みんな笑って許してくれました。青年はまったく表情を緩めませんでしたが、それでもどことなく明るい雰囲気を発していました」

 

「年配の騎士は私に言いました。『これも何かの縁ってやつだ。これから俺たちがあんたのところの牛乳を買うことにするよ。さっきの説明によれば、あんたのところの牛乳は随分と美味しいらしいからな』 私は感激しました。『(わざわい)を転じて福と為す』というシーカー族のことわざがあるそうですが、まさにそういうことが起こったのです。こうして私は近衛騎士団に牛乳を卸すことになりました。スパイと間違われたことで、結果として私は早々に王城で大口の顧客を獲得することに成功したのです。本当に幸運に恵まれたわけです」

 

「その日、家に帰って父と母にこのことを話すと笑われました。そして褒められました。私はさっそく、その翌日の早朝から王城へ牛乳を運びました。前日の別れ際に、近衛騎士たちは日が昇る前に起き、まだ空が暗い中でトレーニングをして、ようやく朝日が姿を見せた頃に朝食をとると私は聞いていました。私は騎士たちがトレーニングを終えた頃を見計らって牛乳を運び入れました。騎士たちは挙って私の牛乳を求めました。彼らは『牛乳が冷たくて美味い』と言ってくれました。これは私があらかじめ計算していたことです。体を動かした後は冷たいものが欲しくなりますからね。白チュチュゼリーを用いて、特に保冷に気を遣って牛乳を持っていったのです」

 

「騎士たちはものすごい勢いで私の持ってきた牛乳をすべて飲んでしまいました。特に、私を捕まえたあのリンクという青年騎士は、牛乳屋である私もほれぼれとするほどの良い飲みっぷりでした。他の騎士の飲む量の軽く二倍は飲んでいたと思います。『明日はもっとたくさん持ってきてくれ』と言われながら、私は王城の騎士訓練所を後にしました。私のサイフは雌牛(めうし)の乳房のように膨れていました」

 

「それからも私は毎日毎朝、牛乳を運びました。そのうち、私は近衛騎士たちとどんどん仲良くなっていきました。私の趣味がウツシエであることを知ると、騎士たちは私にウツシエを撮ってくれと頼むようになりました。『無理ですよ、王城はウツシエ撮影が禁止されていますから』と私は言いました。『もしウツシエを撮ったらまた捕まってしまいますよ』  騎士たちは大笑いしました。騎士長が私に撮影許可証を出してくれました。私はそれから毎日騎士たちを撮影しました。それだけでなく、前日に撮影したウツシエを現像して持っていくようになりました。みんなとても喜んでくれました」

 

「父に撮影を許可された話をすると、とても羨ましがられました。『超一流のウツシエ師でも、王城での撮影は許されていないんだ』と父は私に言いました。父はにやけた顔をして、『お前、上手いことやったな』と言いました。父は私の撮影した騎士たちのウツシエを興味深そうに見ていました。父は『みんな強そうだなぁ』と感慨深そうに言いました。そして、『騎士だけじゃなくて、王城で暮らしている他の人たちのウツシエも撮れないのか?』と訊いてきました。私は、『撮影することができるのは騎士訓練所の中だけで、騎士を相手にする場合だけだよ』と答えました。父は残念そうに首を振りました。『それはもったいないなぁ』と父は言いました。『こんなご時世なんだから、何が起こってもおかしくない。王城の人たちをウツシエに撮って記録として残しておくのは、きっと意味のあることだと思うんだが……』 父は溜息をつきながらそう言うのです」

 

「その時の私は父が何を考えているのか、今一つ分かりかねました。父の口ぶりからすると、王国はいつ滅んでもおかしくないようでした。そんなことはあり得ないと私は信じていました。一万年以上の歴史を誇るハイラル王国が、まさか私の生きている今、この時代に滅亡するなど……確かに、その頃はハイラルの各地で戦いが頻発していました。何が原因か分かりませんが、魔物の数が増えていて、町や村がよく襲われていたのです。私はたまに父と一緒に馬車に乗って近郊の牧場へ行くことがありましたが、その時も魔物への備えとして用心棒を一人は馬車に同乗させたものでした。まさか、こんなにも王城と城下町に近いところで魔物など出るわけがないと私は思っていましたが、父は『万が一に備えるのが商人としての心構えだ』と言うのです。しばらくしてから、別の店の馬車が牧場からの帰りに魔物に襲われるという事件が起こりました。私は父の言っていることの正しさを知りました。それでも、王国そのものが滅びるなどということはあり得ないと思っていました」

 

「毎日私は王城へ通っていましたから、私はこの目でしっかりと王国の軍備を見ていたのです。王城にはたくさんの兵士がいましたし、武器も大量に備蓄されていました。私の友人たちである、近衛騎士たちもいます。それにいつの頃からか、見たこともない黒々とした機械が塔や城壁に設置されるようになりました。縄目のような紋様がうねうねと表面に走っている奇妙なその機械は、実はビームを撃つ兵器でした。全自動で敵を攻撃するというものらしいのです。名前は『ガーディアン』といいます。初めてその名前を聞いた時、私は本当に頼もしく思ったものです。まさに王国を守護するものだと感じました。これだけの備えがあるならば、きっと王国は大丈夫だろうと……」

 

「ええ、私たちのような一般庶民でも厄災復活に関してはよく議論していました。もし厄災が復活したら、この王国はどうなってしまうのか? 大戦争が起こったらどうなるのか? しかし、大方の意見は『これだけ入念な準備を重ねているのだからきっと大丈夫だろう』というものでした。それに、あまり厄災のことばかりを考えているわけにもいきませんでした。確かに、当時は今と比べれば遥かに豊かな時代でした。それでも、懸命に働かなければ食べることができないというのは今と同じだったのです。みんな日々の仕事をこなして毎日の糧を得るのに必死でした。『厄災とか、戦争とか、政治とか、そういう難しいことは偉い人たちに任せてしまえば良い。国王陛下ならば、きっと私たちを守ってくださる』と、私たちはそう考えていました」

 

「私は、仕事も趣味も順調そのものでした。毎日が楽しく、充実していました。ある朝、騎士長が私に言いました。『今度、近衛騎士団の全員が集まっているウツシエを撮って欲しいんだ』 私は快諾しました。騎士長は言いました。『ありがとう。このところ、戦いもだんだん激しさを増しているからな。近衛騎士団のメンバー全員が元気でいるところを、いまのうちにウツシエで保存しておきたいんだ』 その言葉を聞いて、私ははっとしました」

 

「気持ちが表情に出ていたのでしょうか、騎士長は親しげに私の背中を叩いて言いました。『ほら、もし魔物との最終決戦が起こって、それに勝った後の祝勝会でよ、食べ過ぎて腹を壊すやつが出るかもしれんからな! そうなったら、そいつだけウツシエに撮れなくなる! それじゃ可哀想だろ!』 騎士長は、リンクという青年騎士に目を向けながらそう言いました。他の騎士が騎士長に言いました。『騎士長、リンクだけは何をどれだけ食べても絶対に腹を壊しませんよ』」

 

「その数日後に、騎士訓練場に騎士たちが記念撮影のために集まりました。出動していたり怪我や病気で入院している騎士を除いて、全部で二十人いたと記憶しています。彼らには横二列に並んでもらいました。前列の中央に騎士長が、その左隣にリンクが立っていました。彼らは全員が精悍な体つきをしていて、筋骨隆々で、そして自信に溢れた顔つきをしていました。全員が近衛騎士のあの有名な濃紺の制服を身に纏っていて、紋章のあしらわれた平たい円形の帽子を被っていました。私は二枚のウツシエを撮りました。すでに一枚目で会心の出来だと確信していたのですが、念のためにもう一枚撮ったのです。撮り終えると、騎士長と騎士たちは口々に私にお礼を言ってくれました」

 

「重要な仕事を終え、はやく帰ってウツシエを現像しようと思っていた、その時でした。リンクが呼び止めてきたのです。彼は『例の件について、これから会わせたい人がいる』と言います。例の件というのは、あの着色済みのウツシエに関することでした」

 

「話はちょっと遡りますが、私が騎士たちのウツシエを撮り始めた時、彼らから『色付きのウツシエはないのか』と尋ねられたのです。私は、現代の技術では着色済みのウツシエを撮ることはできないのだと答えました。彼らは『残念だ。俺たちの煌びやかな武装をそのままの姿で撮ってもらえると思ったのだが』と言いました。私は彼らのために着色済みのウツシエを撮ることができないのを非常に残念に思いましたし、悔しくも思いました」

 

「私は騎士団の中でも、特に私と同年代のリンクとよく話す仲になっていましたので、彼にそのことを話しました。よく話す仲と言っても、彼は大変寡黙でほとんど自分から口を開くことはありませんでしたから、一方的に私が彼へ向かって話しかけていただけだったのですが、まあとにかく、彼に『着色済みのウツシエが撮れないのは残念だ』と話したのです。私は彼に『実は、着色済みのウツシエを撮る方法については調べがついている』とも言いました。そうです、私はその頃、その方法に関しては知っていたのです」

 

「私と父は空いた時間を使って、着色済みのウツシエについて調査を進めていました。ほうぼうから文献を取り寄せたり、城下町にやってきたウツシエ師に話を聞いたりして、私たちはようやく『着色済みのウツシエを撮るには、ある生き物が必要だ』ということを突き止めたのです」

 

「その生き物とは『虹色に光るホタル』でした。別名『森のホタル』とも呼ばれるそのホタルを、専用に設計されたウツシエの箱に入れることで、着色済みのウツシエを撮ることができる。そして、その『森のホタル』は、その名の示すとおり森にいると言われている。そう、王城の北にある、広大なハイラル大森林です。ハイラル大森林にはいくつかの湖があるらしいのですが、その湖に森のホタルはいて、虹色に輝いているという話なのです」

 

「しかし、森のホタルを得ることなど、ほとんど不可能でした。というのも、ハイラル大森林は王家によって一般人の立ち入りが禁止されていたからです。王家の人間から特別な許可が下りない限り、一般人は一歩たりとも森へ足を踏み入れることはできませんでした。それに、たとえ許可が下りたとしても、ホタルを手に入れることなど無理でした。ハイラル大森林はまたの名を『迷いの森』といい、一度入ったら最後、二度と外に出ることはできないと噂されていたからです。父は私に『いくらウツシエのためとは言っても、命を捨てることはできないなぁ』と言いました。私もそう思いました」

 

「私はそのことを以前リンクへ話していたのです。リンクは『ついて来てくれ』と私に言います。突然の話に私は呆気に取られていましたが、その様子を肯定だと受け取ったのか、リンクは私の腕を掴んでぐいぐいと引っ張り始めました。ものすごい力でした。別に断る必要もありませんでしたから、私はリンクに付いていくことにしました。私とリンクは王城内の階段を上ったり下りたり、長い廊下を歩いたり、部屋を何個もくぐり抜けたりしました。その間、私はずっと考えていました。いったい、私がこれから会うことになっているのはどういう人なのだろうかと」

 

「やがて、私とリンクはとある一室の前に辿り着きました。リンクは扉から少し離れたところで私を待たせて、部屋の中に向かってなにやら了承を求めました。そして、彼は扉を開けて、私をその部屋の中へ案内しました。その時でも、私は『きっと中にいるのは王城専門のウツシエ師か誰かだろう』と思い込んでいたのです。だから、緊張はしていましたけれども、それよりも好奇心の方が優っていました」

 

「ああ! 私は自分の言葉がどうしても貧弱なものになってしまうのが歯痒い! 見たままのこと、聞いたままのことを言葉で再現するのに、どうしてこれほどまでに苦労をしなければならないのでしょうか。私がその時受けた衝撃、その時に感じた激しい感情、それを言葉で言い表すことなど到底できません。言葉はウツシエではないのですから」

 

「誰だったと思いますか? 私自身、今でも信じられないのです。部屋の中にいたのは、()()()()()()()()()()。そう、ハイラル王国の王女、国王陛下の一人娘であるゼルダ姫が部屋の中心に立っていて、私を待っていました。私は呆然としました。リンクがそれとなく手を動かしてこちらを促したので、ようやく最敬礼の姿勢をとることができたほどです。私は(ひざまず)いて(こうべ)を垂れました。そんな私に、姫様は優しい口調で『顔をあげてください』と言いました。私は即座に顔をあげて姫様を見ました。もちろん、直視はしませんでした。それは礼を失する行為だからです。しかし、まともに見ないでも姫様の美しさは充分に分かりました」

 

「目の覚めるような青いお召し物は、高貴ながらも機能性に富んだデザインをしていました。黄金から紡ぎ出したような長い金髪は伝説の龍のように流麗で、お顔は凛々しく知的で、その両方の御眼(おんまなこ)には深い慈愛と、それ以上に強い好奇心が込められていました。その時、姫様は十七歳の誕生日を間近に控えられていたはずです。ですが、私は姫様のことをどうしても年下の少女であるとは思えなかった。姫様には、何か私を圧倒するものがありました。ああ、もどかしい! 口に出せば出すほど、私はその時に受けた衝撃と感動を汚しているような気がしてなりません」

 

「電気に痺れたように、私はなにも言い出せないままでした。姫様も何も言いません。すると、リンクが小声で私に言いました。『自己紹介をして、例の件を話すんだ』 リンクの言葉に合わせるように、姫様も言いました。『はじめまして。私はハイラル国王ロームが娘、ゼルダ。この国の王女です』 そして、私に声をかけました。『あなたのお名前を伺ってもよろしいですか』 私はしどろもどろながらに自己紹介をしました。私が牛乳屋であることを述べると、姫様は小首を傾げられました。リンクがまた小声で私に言いました。『君のことはウツシエ師として姫様に報告してある』 私は大急ぎで、趣味としてウツシエを嗜んでいると申し上げました」

 

「すると、姫様は驚かれました。『まあ、あれほどまでに素晴らしいウツシエを撮るのだから、私はてっきりあなたのことを専門のウツシエ師だと思っていました』 そのようにもったいなくもありがたいお言葉をおっしゃるのです。しかし、その時の私には何が何やら分かりませんでした。『あれほどまでに素晴らしいウツシエを』? なぜ? 私が姫様にお会いしたのは今回が初めてで、それに私は自分の作品を姫様にお見せしたことはないのに?」

 

「私が疑問の表情を浮かべているのを見て、姫様はすぐに思いやり深くもお言葉をかけてくださいました。『騎士リンクが、あなたの撮ったウツシエを私によく見せてくれるのです。今までたくさんの近衛騎士たちのウツシエを撮ってくださったこと、心からお礼を申します』 それでようやく私は得心がいきました。そして、少しだけリンクのことを恨めしく思いました。リンクめ、俺の了解をとってから姫様に見せれば良いものを……と」

 

「姫様は続けて言いました。『実は、私もウツシエを少々嗜んでいるのです。どうでしょうか、今ここで少し見てもらえませんか?』 そう言って姫様は私の傍に歩み寄られました。私は緊張して、凍った牛乳のように全身がコチコチになっていました。姫様からは得も言われぬほどの良い香りが漂ってきました。それでも、姫様がそのお手にウツシエの箱はおろか、ウツシエを一枚も持っておられないのが私には気になりました。姫様の持ち物らしきものはただ一つ、そのお腰につけた一枚の黒い石板だけだったからです」

 

「その石板こそ、姫様のウツシエでした。姫様は石板を手に取ると、つるつるした表面を軽く撫でました。すると、何か聞き慣れない軽い音がして、表面が光ったのです。信じられない光景でした。姫様は私を安心させるかのように言いました。『これはシーカーストーン。古代の遺物のひとつです』 そう言われても、私はなかなか理解することができませんでした。私にとって古代の遺物といえば、あの大きくて足が何本も生えているガーディアンのことでしたから」

 

「姫様は何度か表面を撫でました。そして『これを見ていただけますか』と言って、私に石板を示しました。もう何度目の驚きか分からないほどその日は驚いてばかりでしたが、今度ばかりは腰が抜けるかと思えるほどに私は驚きました」

 

「そこには、着色済みのウツシエがあったのです!」

 

「それは夕暮れ時の砂漠の風景を撮影したウツシエでした。中央部には泉があり、周りに背の高いヤシの木が立っていて、中央寄りの左手には不格好な建物があります。どうやらゲルド砂漠のオアシスを写したもののようでした。沈みゆく砂漠の太陽が青々としたヤシの木に残光を投げかけていて、砂の地面に伸びた長い影は生命の名残のようでした。たとえそれが白黒であったとしても、きっと美しいウツシエであっただろうと思います。それはまさに私の理想、私の実現したいと思っている形、ウツシエの究極的な形態でした」

 

「貪るように私はそれを見ていました。ふと視線をあげると、姫様は私のことをじっとお見つめになっておられました。そして、そのお顔にふっとほほ笑みが浮かびました。弾かれたように私は話し始めました。素晴らしいウツシエです。構図も、光線量も、被写体も、色彩も、そのすべてが水準を軽く凌駕している。姫様以上のウツシエ師は、このハイラル王国にも数えるほどしかいないでしょう……私は若かったのです。選ぶべき言葉遣いなど何も考慮せず、ただその着色済みのウツシエを見た、見てしまったという衝撃のまま、私は喋りまくりました」

 

「姫様は私が話すたびに、嬉しそうな顔をして頷かれました。姫様は石板の表面を撫でると、他のウツシエも見せてくれました。そのすべてが、やはり着色済みの素晴らしいものでした。雨の日のハイリア大橋、双子山を遠くに収めた池、騎士叙任式会場、王城内のとある一角……私は感激し、感動のままにさらに話しました。姫様も次第によくお話になるようになりました。このウツシエを撮った時はこういうことがあった、このウツシエを撮る時は騎士リンクに協力してもらった、植物や動物、魔物たちの観察記録を取る時にウツシエは便利だった、など……その時、私は自分が一介の牛乳屋であることを忘れ、また相手がこのハイラル王国において最も尊い方であることも忘れて、ただひたすらにウツシエの話に興じておりました」

 

「ですが、私には一つだけ残念なことがありました。私がうっかりそのことを口に出すと、姫様が『どの点が残念なのですか?』とお尋ねになります。私は後悔しました。言おうか、言うまいか、そもそもそんなことを口に出さねば良かったと思いました。迷っていると、私の背後に立っていたリンクが、ブーツのつま先で私の踵を軽く蹴って言いました。『正直に全部話すんだ』 私は姫様に言いました。『姫様は大変素晴らしい風景のウツシエを御撮影になられます。おそらく、風景を撮影する腕前ならば、姫様はハイラル一の実力をお持ちでしょう。ですが、ウツシエはやはり人物をとってこそではないかと私は思うのです。拝見した限り、姫様は誰一人として人物を御撮りになっておられない。それが残念だと私は思ったのです』」

 

「私の不遜な言葉に、姫様はどのような返事をなされたか? ちょっとお茶を飲んで休憩してから、その後のことをお話ししましょう」




後編は明日の同時刻に公開されます。次回もおたのしみに!


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『ウツシエ師ロコーの話』後編

「姫様は、私の言葉を聞いて頷かれました。そして言いました。『あなたのおっしゃるとおりです。私も、できることならば、周りの人々のウツシエをたくさん撮りたいと思っています。ですが、その……』 姫様は少し言葉を濁しました。視線があっちにいったり、こっちにいったりして、その様子を見て初めて私は姫様も一人の女の子なのだと実感しました」

 

「やがて、姫様は言いました。『私が人をウツシエで撮ると、オバケ(ポゥ)みたいになってしまうのです……』 そう言って、姫様は両手で石板を持って掲げると、何かボタンのようなものを押しました。ウツシエの箱のシャッター音と同じような音がした後、姫様はすぐに私にそれを見せてくれました」

 

「そこに写っていたのは、まさしくオバケ(ポゥ)でした。撮影からすぐにウツシエが現像できるという石板の驚異の性能がどうでもよくなるほどに、それはオバケ(ポゥ)でした。私と、私の背後に立っているはずのリンクは、あたかも夏日を受けて溶けてしまったバターのようになっていました。豪奢な内装の室内の様子はしっかりと撮影できているのにです」

 

「姫様は恥ずかしそうな御顔をして言いました。『この遺物に精巧な色付きのウツシエを撮る機能があることを知った時、私はさっそく父のウツシエを撮ってみたのです。父はウツシエを見て、「お前は今度もウツシエを撮っても構わぬが、ただ、決して人間のウツシエだけは撮るなよ」と言いました。どうやら、私には人物を撮る才能がないようなのです……』」

 

「そして姫様は、付け加えるように言いました。『そう、私には才能がない……』 消え入るような、まるで妖精の羽音のように小さな声でしたが、私にははっきりと聞こえました」

 

「そうおっしゃった時の姫様の表情と身振りを、あなたにどうやったら伝えることができるのか。あの時、姫様は悲しんでおられたのです。『才能がない』とおっしゃった時、姫様がぎゅっと握りこぶしを作るのを私は確かに見ました。私はそれを見ないことにしました。ええ、言うまでもないでしょう。私たち庶民たちですら姫様が宮中でどのような悪口を言われているか、うっすらながらも知っていたのですよ。『無才の姫』という、言うのすらおぞましい誹謗と中傷に、姫様は孤独に耐えておられたのです」

 

「その時になって、私は初めて姫様の凛々しい表情の下から、重苦しいまでの疲労感が滲んでいるのに気づきました。人を対象としてウツシエを撮るうちに身についた、ごく微妙な表情の変化を読み取るという自分の力が、その時ばかりは恨めしく思われました。ウツシエという、ほんの些細なことでも自分の才能について考えずにはいられないほどに疲れ切った姫様、楽しい話をしている最中でもつい己の責務を思い出してしまうほどに生真面目な姫様……」

 

「私は思わず、声を上げていました。『姫様、そのようなことはありません』と。姫様はびっくりしたような顔をして、私を見ました。私はさらに言いました。『姫様、お見受けしたところ、たしかに姫様には人のウツシエを撮る才能はまったくないようです。ですが、姫様には誰にも負けないほどの美しい風景のウツシエを撮ることができます。しかも着色済みのものを、です! あまり御自分を卑下なさってはいけません! 弱点や短所に目を向けるのではなく、ご自分の長所をどうか活かしてください!』 不敬ながらも私がそう言ったのは、それが私の本心だったからです」

 

「……ええ、嫌な若者だったと思います。私は嫌な若者でした。『誰にでも短所もあれば長所もある』『短所は気にしないのが一番』『長所に目を向けてそれを活かせば良い』……こういった言葉はすべて、恵まれた環境にいて、己の長所を見つめてそれを伸ばせるだけの豊かさを享受しているからこそ言えるものなんですよ。私は恵まれていて、そして嫌な若者でした。本心から言っていたのです。ハイラル王国において最も恵まれた環境におられるはずの姫様が、実はどれだけ不幸な方であるのか、当時の私はまったく分かっていなかった……」

 

「それでも、私の思い過ごしでなければ、姫様は私の言葉を聞いて少し表情を明るくされました。しかし、大方(おおかた)は寂しげな、そして疲れたような御様子でした。姫様は言いました。『ごめんなさい。あなたは私のウツシエの才能を褒めてくださいましたけど、これはこの石板の機能と能力に頼る部分がほとんどなのです。もし私が、あなた方のように一般的なウツシエの箱を用いて撮影をしたら、きっと見るに()えないものができあがるでしょう』 私は『そのようなことはありません』と言おうとしましたが、結局何も言えないままでした。姫様はまた先へと話をお続けになりました」

 

「姫様はおっしゃいました。『私は個人的な趣味も兼ねて、この古代遺物の研究の一貫としてウツシエを撮っています。ですが、いくら私がこの石板でウツシエを撮ったとしても、それでこのハイラル王国全体のウツシエの技術水準が上がるわけではありません。私はもっともっと、この王国全体にウツシエが根付いて欲しいと願っています。ちょっと怪しげで薄暗いイメージを纏った今のウツシエが、次第にひとつの芸術となって、最後には文化となって民たちの間に定着する。そんな未来を私は望んでいるのです』」

 

「姫様がそこまでウツシエのことを評価しているとは私は知りませんでしたから、お言葉を聞いて深く感動しました。姫様はさらに話を続けました。ウツシエで正確なスケッチを残すことができれば学術研究は大いに進展するだろうし、遠隔地での情報を間違いなく伝えることも可能になる、民たちの美意識も変化するだろうし、芸術家たちも新たな刺激を受けて新しい活動をはじめるかもしれない……」

 

「『ウツシエで、ハイラルの民はより豊かに、そしてより賢明になれるのです』 そのように姫様はおっしゃって話を終えられました。私には到底考えつくことができないほど、姫様はウツシエの未来について思いを馳せておいででした。いえ、むしろ、姫様はウツシエを通じて未来を見ておいでだったのでしょう。それは私たちのような凡百(ぼんびゃく)のウツシエ師には到底及ぶところではありませんでした。私は、話が終わる頃には、すっかり姫様とそのお考えに心酔していました」

 

「ですが、私はここに来た経緯を忘れてはいませんでした。姫様のお話が一段落したのを見計らって、私は尋ねました。『それでは、姫様はどうして私をここへお呼びになったのですか? 私は姫様のお考えを聞いて、今ではウツシエがどれだけこの世界にとって大切であるかが分かったような気がしています。そうであるからこそ、いっそう分からないのです。そのような重大な任務に、私のような未熟者に何かできることがあるとは思えません』」

 

「姫様は答えました。『騎士リンクから話を聞いたのですが、あなたは着色されたウツシエを撮る方法を知っているとのことですね? ハイラル大森林に棲息していると言われている『森のホタル』、それを用いれば着色されたウツシエを撮ることができるのではないかと……』 私は『はい、そのとおりでございます、姫様』と答えました」

 

「姫様は頷いて、また言いました。『実は、あなたに『森のホタル』を探してもらいたいのです』」

 

「思いがけない言葉に私はしばらく何も答えられないままでした。そんな私に、姫様は納得させるようにまた言葉を続けました。『ハイラル大森林はこのハイラルの大地に住まうすべての生命の源、犯すべからざる王家の霊地……そのように言われています。不思議な力で守られていて、森に選ばれた人間でないと入口から奥へと進むことすらままならない。魔力の込められた霧が侵入者を阻むのです。しかしながら、ここに数少ない例外がいます』」

 

「姫様はそう言って、私の背後へと視線を投げかけました。私は振り向きました。そこにはリンクが、いつもながらの真面目腐った顔をして立っていました。姫様は言いました。『騎士リンクは、森を抜けることができます』 そして、少し苦しそうな声で、付け加えるように姫様は言いました。『彼は選ばれた人間だからです』 なおも姫様は話を続けました。『彼に従って森を行けば、きっとあなたは『森のホタル』を見つけることができるのではないか……私はそう考えます』」

 

「それにしても不可解なお話でした。たしかに、着色されたウツシエが一般人でも手軽に撮ることができるようになれば、ハイラルのウツシエ文化はよりいっそう発展するでしょう。そのために『森のホタル』を捕まえることは絶対に必要です。しかし、それならば私を伴わずとも、騎士リンクに命じて『森のホタル』を探しに行かせれば良いだけの話です。私はそのように抗弁しました」

 

「すると姫様は、にっこりと笑って言うのです。『私は、あなたのようなウツシエ師に『森のホタル』を見つけてもらいたいのです』 そう言ってから、姫様はやや視線を上に上げて、認めたくないことを認めるかのような口調で、また言葉を続けました。『あなたのおっしゃるとおり、騎士リンクならば簡単に『森のホタル』を見つけることができるでしょう。彼にはそういう能力があります』」

 

「そこまで言ってから姫様はまた視線を戻して、言いました。『でも、騎士リンクは心の底から『森のホタル』を望んでいるわけではない。私に命じられたから『森のホタル』を探し、そして見つけるだけです。それは、ハイラルのウツシエの歴史においては、幸せな出来事というより、むしろ不幸な事件として記憶されるのではないでしょうか?』」

 

「姫様は、お話を締めくくるようにおっしゃいました。『あなたは心の底から『森のホタル』を望んでいる。私にはそのことがよく分かります。だからこそ、私はあなたに新しいウツシエの歴史を切り開いてもらいたいのです。騎士リンクの導きがあっても、あなたが『森のホタル』を見つけるのには時間がかかるかもしれません。森があなたという人間を見定めるのに、私たち人間には想像もできないほど長い時間をかけるという可能性はあります。ですが、純粋な願いを持っている者すら排除するほど、ハイラル大森林は狭いわけではありません』」

 

「姫様は、じっと私を見つめて言いました。『あなたならばきっと、『森のホタル』を見つけられます』」

 

「そこまで言われては私としてもこれ以上断るわけにはいきませんでした。私は姫様に、この身に代えてでも、きっと森のホタルを見つけてみせますと答えました。すると姫様は狼狽したような顔をして、戸惑ったような口調で言うのです。『いえ、この身に代えられては困ります! いつでも命だけは大切にしてください』と……」

 

「最後に、ひとつだけ私は姫様に訊きました。どうして私のウツシエをそこまで高く評価してくださるのですか、と。すると姫様は意外そうな顔をしました。姫様は書き物机のそばまで行き、その上に置いてあった小箱を開くと、中から一枚の紙を取り出されました。それを私に見せて言うのです。『これほどまでに素晴らしいウツシエが撮れる方が、どうして優秀ではないと言えるのでしょう?』 それにはリンクが写っていました。訓練を終えた後、椅子に座って休んでいるリンクです。ちょっと俯いていて、でも視線だけはちらっとこちらに向いている。それは私が近衛騎士たちのところへ牛乳を運び始めてから、一週間後に撮ったウツシエでした」

 

「姫様はおっしゃいます。『ウツシエに撮られるとなると、人は必ず緊張するものです。でも、このウツシエのリンクはどこまでも自然体で、力んだところがまったくない。どこも無理をしていないし、心も体もリラックスしているのが伝わってきます。私はこういうリンクを初めて見ました。ウツシエには人のまだ知られていない姿、ありのままの姿を写し取る力がある。そのことを私は知りました。だから、私はあなたを評価するのです』」

 

「急に、私はリンクが羨ましくなりました。姫様は随分とリンクのことを見ているようです。お付きの騎士だからそれも当然だったのでしょうが、それにしても私は彼が羨ましかった。それほどまでに姫様に見てもらえるとは! 私は、冗談半分に姫様へ『リンクは幸せな男ですね』と言いました。私の言葉に、姫様は疑問の色を顔に浮かべました。『そうでしょうか? そうかもしれませんね』と姫様は言いました。あれほどまでに聡明な方が、私の言葉の言外の意味を読み取れないのは、今思い返しても面白いですね」

 

「やがて、私とリンクは姫様の部屋から出ました。リンクは『すまないが、今は少し忙しい。時期が来たらこちらから声をかける。いつでも出られるように準備をしておいてくれ』と簡潔に言いました。私は承諾し、感謝の意を伝え、その日は満足しきって家に帰りました。今日の出来事を話すと、両親は大変喜びました。しかし、最後に母が言いました。『それで、アンタはちゃんと姫様にうちの牛乳を売り込んだんでしょうね?』 ええ、怒られましたよ。父は笑っていましたがね。それはまたの機会に、ということになりました」

 

「……これが面白おかしい物語ならば、この後、私はリンクに連れられて森へ行き、大冒険の果てに森のホタルを見つけて、紆余曲折あってそれを捕獲し、それからまた父と一緒に苦労をして新型のウツシエの箱を開発して、着色済みのウツシエを撮って、姫様にそれを献上して、私は王国一のウツシエ師として名を馳せて……というところになるのでしょうか。物語にしてはあまりにも芸がありませんが、芸がないからこそ物語として語り得るということなのでしょう。しかし、残念ながらそういうことにはならなかったのです」

 

「ええ、そういうことにはならなかったのですよ」

 

「あの日のことは今でも忘れていません……忘れられるものですか! ハイラル王国が一撃で滅んでしまったのですから。大厄災が起こったあの日、私はその日に限って王城へ行かなかったのです。その少し前に、私はハイラル平原の中央部にあるメーベの町に出張していました。町の近くにある牧場との取り引きのため、それからメーベの町の町長夫妻のウツシエを撮るためでした。その帰り道に季節外れの激しい雨が降りましてね、風邪を引いてしまったんです。幸い、肺炎になるようなことはありませんでしたが、しばらく寝台から離れられませんでした」

 

「その日の午前中は、暖かい牛乳のスープを飲んで横になっていました。午後に入り、ようやく体が動くようになって、あまり寝てばかりいても健康に良くないだろうと思ったので、離れにある暗室へと向かったのです。現像しなければならない原板がたくさん溜まっていたので。まず家から出て、裏手にある牛小屋に寄って牛たちの様子を見ました。いつもよりも牛たちに落ち着きがないのが気になりましたが、また嵐でも近づいているのだろうと気にしませんでした。牛小屋の隣りにある暗室へ足を踏み入れ、一枚の原板を現像し終えた、その時でした」

 

「それは猛烈な地震でした。天地がひっくり返るかと思えるほどの強烈な揺れでした。四方八方から突風が吹くような得体のしれない轟音が聞こえてきます。悲鳴も聞こえてきましたが、次第に聞こえなくなりました。下から突き上げられ、揺さぶられ、簡単な木造だった暗室の小屋は耐えきれずに、ほどなくして崩れ落ちました。私はすぐに小屋から飛び出したので、なんとか下敷きにならずに済みました。私はじっと地面に伏せて、揺れが収まるのを待っていたのですが、なかなか終わりません」

 

「揺れがおさまってくると、私は顔を上げました。ああ、その時の怖ろしい光景と言ったら! それまで真っ青だった空は怪しく赤紫色に変わり、緑と黄色の電流が渦を巻くようにして走っています。雷鳴が響いていました。大気は魔力でも含んでいたのか、空を飛ぶ鳥たちが力を失い、地面へ向けて紙切れのように落ちてきました。私は周囲に目をやりました。建物が倒壊し、瓦礫が散らばっていて、路面が割れて水道管が破裂していました。助けを求める声、苦痛の呻き声、悲鳴、子どもの泣き声、いろんな声が満ちていました」

 

「私は思わず、城の方へと目をやりました。すると、見たこともないほどに巨大な塔が、四つの塔が、いつの間にか城の周りに立っているではありませんか! 塔は大気と同じ色に輝いていました。心臓の鼓動のように、呼吸をするように、塔の表面に刻まれた巨大な円形の紋様が明滅しています。私は息を呑んで、その塔を見ていました。よく見ると、塔には同じような円形の紋様が無数にありました。その紋様から、なにか小さな丸いものが次々と吐き出されているのです。この距離から見ると小さいだけで、実際はもっと大きいのでしょう。明らかに不吉な光景でした」

 

「私たちの家と店は無事でした。母と父の行動は素早かったです。城下町に家族のいる従業員はさっさと家に帰らせて、独り身の従業員たちと一緒に速やかに避難することにしました。母に命じられて、私は牛小屋の鍵を破壊し、扉を開け放って、牛たちが逃げられるようにしてやりました。でも、牛たちも心細いのか、いつまでも鳴いて私を引き留めようとするのです。私は彼女たちを置いていかざるを得ませんでした」

 

「私たちが最低限の身の回りの品を牛乳運搬車に載せた頃には、城下町の各所で大きな火災が発生していました。のみならず、それよりもはるかに怖ろしいことが起こり始めていたのです。そう、ガーディアンたちが、私たちを守り、王国を守り、復活すると言われている厄災を封じ込めるはずのあのガーディアンたちが、町を襲い始めていたのです」

 

「信じられない光景でした。ガーディアンたちは生き物のようにその白い多脚を蠢かせ、黒い頭部を振り回し、逃げ惑う人々を追いかけ追い詰め、ビームを放って一瞬のうちに灰にしていきました。瓦礫の下敷きになっている家族を助けようとしている人々、消火活動に当たっている兵士たち、怪我人を手当てしている医者、私たちのように町の外へ避難しようとしている人たち、そのすべてが無差別に攻撃されました」

 

「私たちは馬車に乗ると、全力で町の外へ向けて走らせました。しかし、地面はどこもかしこも亀裂が走っていて、とてもではありませんが馬車が走ることなどできません。父が『馬車から下りて走るんだ!』と叫びました。私は母の手を引きました。私たちは一番近い城門へ向かって走りましたが、その間にもガーディアンたちは続々と数を増していて、飽きることなく殺戮を繰り返していました。真っ白な光線が飛び交い、爆発音がし、人体が四散して瞬時にして燃え尽きる……」

 

「途中で母が転んで、足を(くじ)いてしまいました。私は母を背負って走りました。母は『私を置いてさっさと逃げろ』と叫んでいますが、今度ばかりは私は母の言葉を無視しました。父とはいつの間にかはぐれていました。あともう少しで城門に辿り着くという、まさにその時でした。前を走っていた私の店の従業員のターバが、突然右手から現れたガーディアンに撃たれて、あっという間もなく消滅しました」

 

「そのガーディアンは、私と母を次の目標として定めました。何か赤い点が私の額に合わさっていて、仄かな暖かみを伝えてきました。狩人が獲物に弓矢を向けて、弦を引き絞っている。まるでそのような感じでした。私は死を予感しました。私は母を遠くに投げ出すと、両手を広げてガーディアンに向かって叫びました。『俺を撃て!』と。母を救いたい気持ちでいっぱいだったのです」

 

「ガーディアンの魔物のような単眼に、白い光が収束していきました。それが終わった瞬間、私の命は終わる。私の思考は完全に停止していました。何も考えられませんでした。ですが、その次の瞬間でした。何かが飛んできてガーディアンの単眼に突き刺さり、のけ反らせたのです。何が起こったのか理解できないままそこに立ち尽くしている私に、誰かが大きな声をかけてきました。『おい、牛乳屋さん! はやく逃げるんだ!』」

 

「それは私のよく知っている人でした。近衛騎士団の騎士長が、大勢の部下を連れてそこに立っていたのです。騎士長は言いました。『ハイラル平原で演習をしていたらこんなことが起こってしまって、本当に不覚だった。王国の一大事の時に近衛騎士団が国王陛下と王女殿下の傍にいないとは!』」

 

「騎士長はさらに言いました。『ここで俺たちが時間を稼ぐ。牛乳屋さんはさっさと逃げるんだ!』 私は『騎士長!』と叫びました。私たちが短い会話をしている最中にも、周りで近衛騎士たちは民を助けるために戦っていました。いえ、それは戦いにすらなっていませんでした。ガーディアンたちはあまりにも強く、そして数が多すぎたんです。死んでいった近衛騎士たちは、みんな私のよく知っている人たちでした。騎士長は怒ったように言いました。『さっさと行け! 行くんだ!』 私は母を背負うと、そのまま走り出しました。私の背後から騎士長の声が響きました。『またウツシエを撮ってくれよ! 牛乳屋さん!』」

 

「……その後のことですか? ええ、私と母はなんとか城下町の外へと出ることができました。父とは合流できませんでした。今でも行方不明のままです。きっと、城下町で死んだのだろうと思います。従業員たちも、あの大厄災の時にほとんどが死んでしまいました。今、こうしてお話をしている段階で生きているのは私だけです。私だけが生き残ってしまった……」

 

「母を背負って城下町から脱出した私は、とりあえず唄ドリの平原を抜けて、その南部にあるハイラル軍駐屯地へと向かうことにしました。そこならば避難民の受け入れをしているだろうと思ったからです。ですが、ガーディアンはすでにハイラル平原の全域に出現するようになっていました。街道は危険でした。ガーディアンは避難民の馬車の車列を優先的に攻撃していましたから」

 

「私は道なき道を行かざるを得ませんでしたが、何も装備を持っていない私たちにとって逃避行はあまりにも危険で、無謀でした。食糧もなく、防寒具もなく、寝具すらもない状態だったのです。夜になると気温が下がり、凍えるように寒くなりました。私は母と抱き合ってなんとか寒さを凌ごうとしましたが、日が経つにつれて母はみるみるうちに衰弱していきました」

 

「私は乏しい食糧を母に与えて、なんとか駐屯地にまで辿り着くまで頑張ってくれと声をかけ続けました。ですが、母は言うのです。『店は無くなってしまって、父さんも死んでしまった。店のみんなもきっと全員死んでしまった。でも、今はアンタだけが残っている。アンタだけが私の最後の希望なんだよ。私はもう、ここでいい。ここでいいよ』と……母は明らかに生きる気力を失っていました。城下町を出てから五日後の明け方、私は抱き合っている母が冷たくなっているのに気づきました。母は満足そうな顔をしていました……」

 

「その後、私は駐屯地に辿り着きました。ここはまだ平和な状況でした。駐屯地では避難者のために炊き出しが行われていて、宿泊用のテントまで設けられていました。駐屯地の軍は義勇兵を募っていました。ガーディアンと魔物の群れに反撃し、王国を奪還するために戦うのだと。もちろん、私も志願をしました。逃げることもできたのですが、私は私なりに敵に対して怒りを抱いていたのです。家族は死に、店はなくなり、近衛騎士団は全滅して、きっと国王陛下も、そしてあの優しくて聡明な姫様も、それにリンクも、みんな死んでしまったに違いない。どうせこのまま死ぬのならば、何か仕返しをしてから死んでやろう。そう思ったんです」

 

「ウツシエが撮れるということを申告すると、指揮官は私に軍用のウツシエの箱を渡して、『これで偵察に行ってきてくれないか』と言いました。危険な任務でしたが、私は喜んでそれを引き受けました。ガーディアンの群れが北のグスタフ山の麓に集結していて、この駐屯地の襲撃を計画しているようだという避難民からの報告が入っていたので、それを実際にウツシエに撮って確認して来いということでした」

 

「その場所までは、何の問題もなく行くことができました。話の通り、ガーディアンたちはその場に何体も、何十体も集まっていました。私はより正確な情報が持ち帰れるように、もっと近づいてウツシエを撮ろうと思いました。こういう状況下でも、手の抜いた仕事をしたくなかったのです。あともう少しで絶好の位置に着けるというところで、私はガーディアンたちに気づかれてしまいました。空を飛ぶ『飛行型ガーディアン』に見つかってしまったのです」

 

「散水機から水が吐き出されるように、ビームが私に向かって降り注ぎました。私は走って逃げましたが、何とかして、一枚だけでもウツシエを撮ろうとしたのです。頃合いを見て振り返って、ウツシエを撮ろうとした、その瞬間でした。横合いからビームが飛んできて、ウツシエの箱を持っている私の両手を一瞬のうちに手首の先から焼き切ってしまいました。痛みはありませんでしたが、とにかく傷口が熱かった。居ても立っても居られないほどの熱さでした。血は出ませんでした。高熱のビームが血管の出口を焼き潰していたからでしょう」

 

「私は走って、とにかく走って、これ以上走れなくなるまで走りました。どこに行くとか、どこへ逃げるとか、そういうことをまったく考えず、とにかく生き残るために走り続けました。ガーディアンたちはどこまでも追ってきました。私は川に入り、対岸へと泳ぎ渡り、また走り続けました」

 

「いつの間にか夜になっていて、私は深い森の中に入っていました」

 

「ガーディアンはどこにもいませんでした。私はあの殺戮兵器を振り切ることができたのです。急に疲労感が湧き、そして両手に激痛を覚えました。私は痛みをごまかすためにまた歩いて、森の中にある水辺へと辿り着きました。水辺というより、そこは湖のようでした。水面にミルクのような濃い霧が漂っていました。手がなくなっているので、私は動物のように跪いて、泥と砂の混ざった水を飲みました。ああ、あの水の美味かったことといったら! 悔しい話ですが、それは私がそれまでに売ってきたどの牛乳よりも美味しかったのです」

 

「水を飲んだら、すべてがどうでも良くなってしまいました。明らかに、私は生きる気力を失っていました。私は地面に横になりました。死ぬという気はありませんでしたが、死が迫っているのだろうとは思いました。私はただ、ぼんやりとしていました。なにもできず、なにも考えられませんでした」

 

「やがて、夜が深まっていきました。私の意識は次第に、夢と思い出と、妄想と現実が入り混じったものになっていきました。すぐそばの木陰で、父がウツシエの箱を整備していました。母が作業着を着て、牛たちの乳を絞っています。従業員たちは汗を流してバターの攪拌をしていて、馬車に牛乳缶を積んだり、チーズの包みを積み上げたりしています。着飾った人たちが、森にやってきて、森の向こうへと消えていきます。みんな、かつて私がウツシエにとった人たちです。近衛騎士たちが牛乳を飲んでいます。騎士長が私に言いました。『またウツシエを撮ってくれよ、牛乳屋さん!』」

 

「リンクがいました。難しい顔をしてそこに立っています。リンクは姫様を守っていました。姫様が、疲れた寂しそうな顔に微笑みを浮かべて、私に向かって言いました。『あなたならばきっと、『森のホタル』を見つけられます』」

 

「突然、幻影がすべて消えました。しっとりとした夜の闇が満ちているあたりには、緑色の燐光が舞い踊っていました。それはシズカホタルたちでした。シズカホタルたちは私の周りを飛び交い、水面に静かに舞い降りて水を飲んでいました。美しい光景でした。この世のものとは思えないほどに幻想的な光景で、きっと姫様ならばこの光景を上手くウツシエに撮れるだろうと思いました」

 

「私はその時、初めて涙が出ました。『このまま死んでしまいたい』 そう思いました。本心からそう思ったのです」

 

「すると、ただ一匹だけ、不思議な(いろどり)の光を放つホタルが、乱舞するホタルたちの中心に現れたのです。それは空にかかるあの七色の虹と、まったく同じ光でした。虹色のホタルは悠然と飛び続け、横たわっている私の上に差し掛かると高度を落とし、私の胸の上に降り立ちました。その時でも、そのホタルの腹部は七色に輝き続けているのです」

 

「森のホタルだ。私はそう言おうとしましたが、声は出ませんでした」

 

「息を止めて、私はそのホタルをずっと見ていました。ホタルもまた、私を見つめていたと思います。見つめ合って、どれだけ時間が経ったのでしょうか。やがて、森のホタルは飛び立ちました。まるで魔法のように、色とりどりの光の玉を降り散らしながら、森のホタルは星々の煌めく夜空の彼方へと飛んでいきました」

 

「私はいつの間にか意識を失っていました。目が覚めた時には、私はまだその場に横になったままでした。死にたいという気持ちは消えていました。なんとか起ち上がってそこを歩き出すと、すぐに森の出口へと出ました。出口には警告の看板がありました。『王家の許可なき者、森への立ち入りを禁ずる』」

 

「ええ、私はハイラル大森林にいたのですよ」

 

「不思議そうな顔をしておられますね。あるいは疑っているのでしょうか。無理もないことです。私にしても信じられないことなのですから。グスタフ山からハイラル大森林まで大変な距離があります。足の速い馬に乗っても丸二昼夜はかかる距離です。ハイラル城の外堀を泳ぎ渡り、エルム丘陵かラウル丘陵を抜け、またハイラル大森林をぐるりと取り巻いている湖を越えなければならない」

 

「両手を失うという重傷を負い、ただ逃げ惑うだけだった男が、それだけの難所を突破してハイラル大森林に辿り着くことができたのか? それに、なぜ許可のない男が森に排除されることなくその場へと行くことができたのか? すべては謎のままです。端的に言えば、あり得ない話なのです」

 

「あるいは、私の記憶がおかしくなっているのかもしれません。森のホタルを見たというのは瀕死の状態だった私の見た幻覚で、目覚めた後にハイラル大森林にいたというのも私の記憶違いで、本当はまったく別の場所で、別のことが起こっていたのかもしれません。私はまったく別の場所で、単に断末魔の妄想に苦しめられていただけなのかもしれません。しかし、今となってはどうでも良いことです。時の女神は、時を切り刻むウツシエ師に復讐をしたのでしょう。私の記憶は長い時の力によって、どこまでも不確かなものとなってしまったのです」

 

「それでも、きっと私はどれだけ時が経っても、あの時に見た森のホタルを決して忘れないでしょう。私は姫様がお命じになられたことを果たすことができました。『あなたならばきっと、『森のホタル』を見つけられます』 残念ながら捕まえることはできませんでしたが……私は満足しています。心からの満足というわけではありませんが、今日まで生き続けられるだけの満足ならば得ました」

 

「私はその後、アッカレ地方へとやってきました。両手を失っていたので、牛の乳を絞ったり、ヤギやヒツジの世話をしたりということは難しかったのですが、シーカー族の偉い学者の人がちょうどアッカレ地方へと引っ越してきたところで、その人に簡単な義手を作ってもらいました。すっかり元のとおりというわけではありませんでしたが、それでまた仕事ができるようになったので、今ではこの馬宿に雇ってもらって動物たちの世話をして過ごしているわけです」

 

「その後、ウツシエは撮らなかったのか、ですって? いいえ、ウツシエを撮ることはしませんでした。ウツシエは、私にとってあまりにも辛い思い出と結びついていましたから……」

 

「でも、今日ここであなたにお話をしたことで、なんだか心の中で決着がついたような気がします。決着というよりは、整理がついたというか……こんな僻地のヒガッカレにまで機能を保ったままのウツシエの箱がやってくるか分かりませんが、またウツシエを撮りたいと今は思っています。森のホタルをもう一度見つけることはできないでしょうが、それでも構いません。白黒のウツシエでも大したものなのですよ」

 

「ほら、これをご覧ください。私が今でも持っている、最後の二枚のウツシエです。こちらは私の両親のもの。そしてこれが……ゼルダ姫のものです」

 

「あの日、部屋を去る前に、私は姫様に頼んで一枚のウツシエを撮っていました。大厄災が起こるその直前に暗室で現像できたのが、この姫様のウツシエだったのです。私の最高傑作だと思っています。できることならば、この手で直接、あの優しい姫様にお渡ししたかったのですが……」

 

「どこまでも美しくて、それでいて疲れていて、どこか寂しそうなお顔をしているでしょう? このウツシエで、私は姫様を笑顔にしてあげたかった。もし私に心残りがあるとすれば、それだけですね」

 

「さて、私のお話は以上になります。なにかご質問はありますか?」

 

(おわり)




これにて『ウツシエ師ロコーのお話』はおしまいです。最後までお付き合いいただきありがとうございました。去年の5月から書き始めていた物語だったのですが、完成させるのに妙に時間がかかってしまいました。なお、最後まで「写し絵」と表記するか「ウツシエ」と表記するかで迷ったことをここに付記しておきます。
次回もお楽しみに!(リンクとゼルダ書くの楽しかった!)


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