隣の席の太眉乙女 (桟橋)
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1部
学校1


 俺の隣の席の神谷さんが最近学校を休みがちなのは、アイドルになったかららしい。というのは友だちのドルオタからの情報だ。

 彼が言うには、神谷さんは346プロダクションという大手芸能事務所に所属していて、イベントやライブなんかに出演している。現在は知る人ぞ知る、ぐらいの知名度なんだそうだ。

 

 

「でも、俺がこないだ休んだ分のプリント渡したときには何も言ってなかったぞ」

 

「それはお前、察しろよ。普段普通に接してるやつにアイドルだって知られたら気恥ずかしいだろう?」

 

 

 確かに、アイドルやってますなんてクラスメイトに知られたら、そんなに目立つタイプじゃない神谷さんとしてはやりづらいのかもしれない。

 しかし、アイドルなんてやる様に見えなかったからかなり意外だ。

 まだそこまで有名じゃないとはいえ、自分でも聞いたことのあるような大手事務所に所属している芸能人なんだ、と思うとかなり気になる。

 ぜひぜひ芸能界の裏側なんて教えてほしいな。

 なんて考えながら今日も空いている隣の席を見た。

 

 

 

 翌日の朝、なんとか今日も学校にたどり着き、一息ついていると神谷さんが登校してきた。

 

 

「おっ、今日は来たんだ。っはよー」

 

「おはよ。昨日はありがとな、プリント机に入れといてくれて」

 

 

 神谷さんは休んだ日の次の日は必ずプリントのお礼を言ってくれる。律儀だ。

 

 

「いやいや、どうってことないよ。サボりならまだしも働いてるんでしょ?」

 

「 え え ッ ! ?」

 

 

 突然の大声にクラス中が俺たちの方に目を向ける。なんだなんだ、と注目がこちらに集まってくるのを感じた。

 

 

「シーッ。声が大きいって。落ち着いてってば」

 

 

 自分の発言がそもそもの原因なのを棚に上げ、人差し指を口元に持っていき声量を絞ってとアピールするも、神谷さんはまだ驚きで二の句が継げないのか 「な、な、な、」 と口を開いたまま繰り返している。こちらを遠巻きに見ていたクラスメイトたちは、言い争いではなさそうだと興味を失ったのか各々の友だちとの会話に戻ったようだ。

 

 

「ごめんごめん……神谷さんがアイドルをやってるって松下から聞いてさ。そんなに驚くとは思わなかったよ」

 

「な、ななななんでお前が、というかアイツが知ってんだよ! ……って! もしかしてお前、昨日見てたのか!?」

 

「昨日?いや、俺はアイドルやってるって聞いただけで、見たことはないけど」

 

「ほ、ホントか!? それなら良かった……いや! 良くない! バレたのはもう良いけど、絶対見るなよ! ……は、恥ずかしいんだから……」

 

 

 想像してた通り、いい反応が返ってきた。やはり自分がアイドルをしていると知られるのは神谷さんにとって恥ずかしいと感じるみたいだ。そこまで必死に絶対見るなと言われると、こう、興味が湧いてくるというか。

 

 

「でも神谷さんが有名になったら、どうしても見ることになると思うけど」

 

「ま、まぁ……たしかにそうだけど。いやでも、恥ずかしいし……やっぱりダメだ!」

 

「俺以外の他の人にもバレるときはバレるし、きっと時間の問題だろうなぁ〜」

 

「うぅ〜っ! やっぱりスカウトなんかにホイホイついていくんじゃなかった……」

 

 

 自分からアイドルをやりたがるキャラではないと思ったけど、スカウトされてたのか。去年の文化祭のときに着ていたメイド姿には自分も光るものを感じたが、有能なスカウトマンもいるじゃないか。

 顔を赤くしながら、こちらを見ないように机に突っ伏してる神谷さんを見てそう思った。

 

 

 

【1コマ目 現代文】

 

「近代と現代、西洋と東洋の文化や思想の違いは気候の差異から生まれる〜」

 

 

 現代文のおじさん先生の間延びした声がクラス中を眠りに誘う……。もちろんその対象は俺も例外ではなく、なんだか意識が遠のいてい……く……。

 

 

「お……い…………起きろってっ」

 

 

 うわっ!?気がついたら自分に当てられていたらしい。神谷さんが椅子を軽く蹴って起こしてくれた。

 急いで黒板を確認すると、当てられた問題はどうやら選択のようだ。先生が読み上げたところを全く聞いていなかったので、キーワードを探すために急いで文章を読む……見かねた神谷さんが 「聞いてなかったのかよ! 2だよ、2!」 と横から小声で正解を伝えてくれた。

 

 

「え、と……2です。」

 

「ん、正解だ。朝だから眠いのもわかるがちゃんと聞いておくように」

 

「はい……すいません。

 

 神谷さん、ほんと助かったよ。ありがとう」

 

「いやいや、いいっていいって。あたしも、さっき起きたしな」

 

 

 危うく答えられずに叱られる所を救ってもらって、神谷さんには感謝感謝だ。昨日はゲームしてて寝不足だったとはいえ、完全に寝落ちしてしまうとは。

 その後はうつらうつらと船を漕ぎながらも、なんとか授業を乗り切った。ふと横を見ると神谷さんが沈没している。あぁ……とにかく起こしてあげよう。

 

 

「いやーさっきは助かったよ! ありがと」

 

「ほんとに気にしなくていいって。あたしも起きてたのはたまたまだし、その後結局寝ちゃったからな」

 

「やっぱ朝から現代文の授業はきついよな〜。昨日は遅くまでゲームに熱中してたから、特に今の授業が辛く感じたな」

 

「なんだ、高橋って結構ゲーマーなのか?」

 

「人並みだと思うよ。女子はあんまりゲームとかやらないだろうけど、LINEの男子グループとかは結構ゲームの話してから」

 

「へぇ、そうなのか。あたしはゲームにはあんまり詳しくないなぁ……」

 

「そう?ゲームのキャラの名前とかに時々反応してるのを見るけどな」

 

「え゛。いやいやそんな事無いぞ!? ない……はず。うん」

 

 

 ゲームに詳しいと思われるのは恥ずかしいのか、少し焦って取り繕うのを見て、これ以上追求するのはやめとくかと思い適当に相槌を打って次の授業の準備をした。

 

 

 

【2コマ目 古典】

 

「花の色は うつりにけりな いたづらに

   わが身世にふる ながめせしまに

 小野小町はその美貌が衰えていくのが耐えられず自ら命を絶ったと言われますが……」

 

 

 現代人の感覚とはズレていることが多いのでまったくもって和歌の鑑賞は得意ではないが、女性が年老いていきかつての美貌を失うというのを恐れる心はいつの時代も変わらないのか、クラスの女子は皆一様に先生の話に耳を傾けている。

 俺の方は相も変わらず現在も眠気と格闘している最中だけれども。神谷さんも意外と乙女なのか先生の話をきいて、自らの想像に思いを馳せているようだ……。

 しばらく見ていると、自分の妄想から我に返って恥ずかしくなったのか、突然頭を振って机に突っ伏した……一人でも幸せそうだ。

 

 

 

【3、4コマ目 英語表現】

 

「ペアワークをするので隣同士でこのテーマについて話し合ってください」

 

 

 同列の前の席から、トークテーマと振り返りのレビューを書くためのプリントが回ってくる。

 この英表の時間はちゃんと話し合っておかないと、あとからALT(外国語指導助手)に発表を促されて恥をかく事になるので、のんきに寝てもいられない。正直かなり面倒だ。

 

『あー、今日のテーマは……2030年までに実現されそうな技術だって』

 

『技術ぅ? 全く想像もつかないな……』

 

『俺は……なんだかんだやっぱり、ゲームが進歩してると嬉しいかな。VRが今よりもっと普及してると思う』

 

『おっ!それってさ、最近のあのアニメみたいだな!』

 

『あーなんだっけ、あれだよね。金曜の夜にやってる……』

 

『そうそうそれだっ! 高橋も観てるのか?』

 

『いや、俺は観てないけど……』「というか、神谷さんってアニメ好きなの?」

 

「う゛。い、いやーあたしはそんなに……その、事務所で観てる人がいるから話は聞いてるって感じで? べ、べつにそんな興味とか無いからな!」

 

『そこ! キープトーキングの時間は英語で話しなさい!』

 

「いっ! スイマセン!!」

 

 

 神谷さんからアニメの話が出たので聞きたかった事について追求すると、予想外にうろたえて大きな声を出してしまい先生から注意されてしまった。シュン……としてしまっている。 なんだか必死にごまかしているような口ぶりだったけど、実は結構なアニメ好きなのだろうか。

 

 

「あーっと、ごめんね。トークテーマから話を急に変えちゃって」

 

「あーうん、いや。大声出して怒られたのはあたしだからな、ごめん。」

 

「えっと……事務所にアニメを観てる人がいるって言ってたけど、同じアイドルの人?」

 

「そ、そうそうっ。あたしじゃなくて先輩のアイドルがなっ!」

 

「そ、そうなんだ。」

 

 アニメ好きだと思われたくないのか、相当な勢いでを主張してくる神谷さんにタジタジになる。でも、焦って動いているからか髪がフワフワ揺れていて全く凄みはないかな。なんて失礼なことを考えながら神谷さんを見ていると、「何だよ、その目は!疑ってるなっ!」と詰め寄られてしまった。

 

 その後、先輩から聞いたというそのアニメの魅力を延々と語っていたので、テーマの話し合いを全くしていなかったおらずALTに発表を当てられてしどろもどろになっている神谷さんがいた。




更新予定はいつも未定です。
誤字報告ありがとうございます。


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学校2

【5、6コマ目 数学】

 

「ベクトルを習う前は解法の流れを覚えて置かなければならなかった証明問題も、ベクトルですべて表して地道に計算すれば、暗記不要で解くことができるようになるので〜」

 

 

 数学は嫌いではないけど得意でもない。見つかった法則やそれを使うことで何ができるようになったとか、学者の生い立ちがどうとかなどの数学史的な事にはとても興味があるので、その時だけは集中して授業を聞いているがもちろんそんな部分はテストには出ない。全くもって無駄ってわけだ。

 話を聞くのは好きだけど、実際に問題を解くとなると頭が痛くなるので余り考えたくない……。

 神谷さんは数学が苦手みたいで、よく授業中に頭を抱えているところを見る。もともと女子の中で数学が得意っていう人は余り多くないし、特に空間把握能力については性差があるので図形問題を苦手にしている人も多いので、別段変なことではないが。

 とか言いながら俺自身も図形問題は毛嫌いしてるんだけど。

 図形問題は嫌いでも、解こうとしてう〜ん……と可愛くうなっている神谷さんを見るのは嫌いじゃないので、トレードオフかな。

 

 

「だっ〜! 結局これで何をしたら良いんだ?全然わかんないってー!」

 

「その問題なら、まず始点を決めて、それを基準に位置ベクトルを定めて、どんどん式で表していけば解けると思うよ」

 

「位置ベクトルぅ?それってあたしが休んでたときにやったのか? 習った記憶ないぞ。」

 

「あー、休んでたんだっけ。その授業のプリント持ってきてるから、後で写していいよ。えっと、位置ベクトルっていうのはね……」

 

 

 このまま神谷さんが困り続けてるのを眺めているわけにもいかないので、手がかりを教えてあげようと思ったら、ベクトルの初回の授業に欠席していたようでまずはベクトルの基礎知識からだった……。

 数学は普段からあまり真面目に受けてないとはいえ、神谷さんが休みだったのを忘れていたとは。

 数学が得意ではないみたいだし、休んで授業が飛び飛びになると理解に苦しむ所もあるだろうから、休んだ分のプリントはちゃんと見せてあげよう。

 

 

 

【7コマ目 世界史】

 

「このとき、まだローマは共和制で元老院が大きな力を持っていたんだが、軍事、政治、富豪と、それぞれの面で人気があったカエサル、ポンペイウス、クラッススが協力して寡頭政治を敷いたんだ。これが第一回三頭政治だな」

 

 

 世界史の時間は数ある学校の授業の中でも天国と言える。授業自体がそこそこ面白いのもあるが、寝てても起こされないから貴重な睡眠時間に充てられるのが最大の理由だ。かくいう自分もフマジメな生徒なので仮眠をとる。夜遅くまでゲームをしていたのもあり、普段よりも一段と強烈な眠気に襲われているからだ。

 この睡魔に耐えてそこそこ好きな世界史の話を聞くか、それとも部活に備えて体力を補充しておくべきか、それが問題だ。……ぐぅ。

 

 

「んっ……」

 

 

 隣からふと、悩ましげな声が聞こえてきたので横を向くと、昨日のお仕事?の疲れがあったのか、それとも今日の最後の授業で気が抜けたのか。眠りに落ちている神谷さんの横顔があった。完全に安心しきってゆるゆるだ。髪がかかって見えづらいけど、めちゃくちゃカワイイな……。スマホに手が伸びるところだったが、流石にそれは自制した。犯罪に手を染めるのは良くない、寝顔を撮るなんて完全に盗撮だから。

 興奮して眠気が吹っ飛んでしまったが、なんだか今は授業を聞く気にもなれないので、熟睡してる神谷さんを眺めていると授業終了のチャイムが鳴ってしまった。

 

 

「んっ……? って!? あ、あたし寝ちゃってたのか?な、なんで起こしてくれなかったんだよっ!」

 

「いや、すっごく気持ちよそうに寝てたから起こすのも忍びなくって」

 

「な、なんだよそれ…くぅ……。なんて恥ずかしいんだっ!」

 

 

 先生の話はほとんど耳に入らなかったが、とても満足度の高い授業だった。

 

 

 

・放課後

 

「ちはーっす」

 

 

 適当な挨拶をしながら体育館へ来ると、先に来ていた先輩たちやクラスメイトが床で寝っ転がったまま返事をした。相変わらずこの部活はやる気が微塵も感じられないな。去年も思ったが夏合宿だけ本気出すなんてスタイルはやめるべきなんじゃないだろうか。

 市でそこそこいい成績を残せる実力があるのに、なんてもったいない。

 

 

「あー、コートの用意しといてくれ」

 

「分かりました」

 

 

 バドミントン部なので、コートの用意と言ってもポール立ててネットを掛けてモップでワックスをかけるだけだが、これがなかなか面倒くさい。今は二年生の自分たちの仕事だが、後輩が入ってきたら何よりもまずコートの準備を教えてさっさと押し付けよう。

 

 

「よし、今日も2年生は仮入部の相手しといてくれ。メニューはこれな」

 

 

 部長がノートの切れ端を渡してくる。なになに……あんまり部員はいらないからキツめで数減らしをしてくれ? それしか書いてないのか。本当にやる気ないなこの部活。

 結局その日は新入生をコートに入れずに、近くの公園で延々と走り込むだけだった。

 この前は部活の何時も通りのメニューをこなさせたから、楽な部活だと思われて今日たくさん仮入部が来てしまい焦ったのだろう。急にハードな練習をさせれば人も減るだろうとは、なんて短絡的な……。

 受験期の間にろくに運動をしていなかった新入生たちは足が攣って動けなくなる子が続出してしまい、保健室から嫌味を言われてしまった。

 

 

 

・帰宅

 

「ふうっ〜」

 

 

 家に帰ってきて完全に気が抜けた俺は、さっさと制服を脱ぎ捨て部屋着になってからベッドに倒れ込んだ。入部の希望者を減らすためとはいえ、睡眠不足の自分にはすこしきつい部活だった。

 すこしベッドの上でまどろんでいると、ふと神谷さんの仕事のことを思い出す。見るなって言っていたけど、そう言われると気になってしまうのは人間の性である。昨日の、とは何だったのか。名前で検索したらヒットするだろうか。

 

 そう思いたち、手元にあったスマホで【神谷奈緒】と検索すると【新人アイドルがイベントで圧巻のパフォーマンス!】という記事がヒットした。

 昨日の、と言っていたのはおそらくこれの事だろう。

 記事を開いてさっと流し読みするが、神谷奈緒という名前は出てこない。と思っていたら最後の写真のキャプションで【バックダンサーの神谷奈緒さん】と書いてあった。

 これだと、彼女を目的として探そうとしなければおそらく見つからないだろう。

 というか松下はこんな所まで目を通してるのか、とんだアイドルフリークだな。

 

 松下のアイドルに対する執念にちょっと驚きながら、他にも記事かなにかあるかも知れないと検索をかけていると珍しい相手からLINEの通知があった。

 

 

【突然ごめんな。神谷だけど。】

 

 

 ちょうど今探していた名前が突然ポップアップ通知で画面に表示され思わずタップしそうになる。が、秒で既読をつけるのも気持ち悪いだろう。内容は気になるけどご飯を食べて風呂に入ってからでも遅くないだろうと考え直し、携帯を机の上においてリビングに向かった。




こんなに早く投稿するつもりはありませんでした。


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学校3

毎回授業もしてられない。


 部屋に戻って携帯を確認してみると、いつものように面白いネタを共有してきた友だちのメッセージの他に、神谷さんから何件かメッセージが来ていた。

 

 

『なぁ、隣のクラスの松下ってアイドルオタクなんだよな?』

『あたし、その、今度仕事でバックダンサーやるんだけど』

『その関係で、ライブの結構いい席の招待チケットをもらっちゃって』

『でも親は来られないみたいで……』

『無駄にしちゃうのももったいないし、転売するなんてなおさらあり得ないだろ?』

『いろんなアイドルも出演するし、せっかくだから松下に譲ってあげようと思って』

『明日そのチケットを渡すから、松下に渡してくれないか?』

 

 

 神谷さん的には、アイドルとして仕事してるところを見られたくないんじゃなかったんだろうか。いや、もうバレてるから今更だし、自分がメインじゃないんだったらまだ許せるってところだろうか?

 アイドルのライブなんて申込みの倍率がべらぼうに高そうだし、チケットはかなり貴重なんだろう。ムダにするのはもったいないという感覚はわかる……よく知らないけど。

 松下なら確かにめちゃくちゃ喜ぶだろうし、都合が悪くて行けないとしても、他にもアイドルオタクの友だちがいるだろう。

 

 これからメッセージで説明するのは面倒くさいし、事情を伝えて渡すのは明日の学校で良いだろうなんて思いながら、明日の準備をして床に就いた。

 

 

 

 ・翌日

 

 

「チュンチュン」

 

 う〜ん、今日も良い目覚めだ。なんだか今日は良いことが起きそうな気がするな! 自分の部屋を出て顔を洗い食卓へついた。ん……? いつもニュース番組を観ながら会社に行きたくない〜とごねている父さんがいない。

 

 

「母さん、父さんってまだ起きて来てないの?」

 

「え? お父さんなら、大事な会議でプレゼンをしなきゃならないから帰らないって昨日言ってたじゃない」

 

「そうだっけ」

 

「そうよ。昔に比べたらお父さんの仕事熱も落ち着いたと思ったんだけど、やっぱり人は変わらないわね」

 

 

 父さん自身仕事熱心な人だが、あまり家に帰ってこられないのは職業のせいもあるだろう。休日に疲れからか死んだ目をしながら家族サービスをしてる父さんを見て、こんな風には絶対にならないぞと誓ったのを思い出した。

 

 朝ごはんを平らげたあとは、部屋に戻り制服に着替えてからカバンを持って急いで家を出た。何時も通りの時間だ。駅まで8分電車が来るのは9分後、小走りで行こう。

 

 電車に揺られながらスマホでニュースをチェックしていると、【346プロの大型ライブ、チケット即完売】という記事があった。おそらく神谷さんがチケットを譲ってくれるというのはこのライブのことだろう。

 相当な人気みたいだな。もしかしたら松下も抽選に漏れてしまってるかも知れない。そうしたらとんでもなく大きな借りになるだろう、夏休みの宿題でもやらせようか。

 取らぬチケットの皮算用、もとい神谷さんの威を借る俺だ。

 

 

・HR前

 

 電車の遅延もなく、何時も通りに学校にたどり着き教室に行くと、神谷さんは自分より前に来たみたいで既に着席していた。

 

 

「おはよっ」

 

「おっ来たな。

 

 ……早速だけど、昨日言ったやつはコレな。渡しといてくれ。あたしはあんま松下のこと知らないから」

 

「オッケー。後で渡しに行くよ」

 

 挨拶もそこそこにチケットが入ってるだろう封筒を手渡された。渡す時に事情も説明したいから、松下に渡すのは時間に余裕のある昼休みにしよう。それまでになくしたら大変だから、バッグのたいせつなものポケットにしまい込んだ。

 

 

・昼休み

 

 毎度のことながら寝落ちしたり、起こしてもらったり、逆にうとうとしてる神谷さんの肩をたたいてヽ(;゚д゚)ノビクッ!!とさせたり、「なんだよぉ……」って照れてる神谷さんを見たりしていたら、あっという間に昼休みになっていた。

 神谷さんはそっぽ向いてしまってこっちを向いてくれないが、約束は果たさなければなるまい。さっそく隣のクラスへ赴いた。

 

 

「おーい松下いるかー?」

 

「いるけどなんだ?」

 

 

 入り口で声を掛けると後ろからよく知っている声が聞こえた。というか松下だった。

 授業が終わってすぐに食堂までダッシュしたのだろうか、その手には食堂のおばちゃん特製ヒレカツ弁当があった。

 

 

「おぉ! びっくりするから急に近くに立つなって」

 

「そんなにびっくりすることはないだろ? ……んで、なんか用か?」

 

「おう。今度はお前が驚く番だぞ、ほれ。コレなんだと思う?」

 

 

 そういって大事に懐にしまっていた封筒を松下の前に出し手渡す。松下は訝しげにそれを受け取り中を確認した。その瞬間、松下の顔が一変する。

 

 

「コレは!?」

 

「そうだろう、そうだろう。驚くよな?」

 

「お前、俺が抽選で落ちたの知ってたのか!?」

 

「いや、別にそれは知らないけどな。なんか神谷さんが、かくかくしかじかってことで」

 

「ほ、本当なのか……。コレを譲ってもらえるなんて。俺はもう神谷さんに足を向けて寝れないな」

 

 

 どうやら本当に抽選に漏れていたらしく、チケットを取れていなかったらしい。本当に感激したのか、膝から崩れ落ちてしまった。どうでも良いけどココは出入り口だからどいたほうが良いと思うぞ。

 

 

「ありがてぇありがてぇ。持つべきものはアイドルと知り合いの友だな」

 

「そんな簡単に当てはまる条件じゃないけどな」

 

「ところでこの封筒、チケットが2枚入ってるんだがこれはお前の分か?」

 

「え」

 

 

 聞いてないぞ、チケットが二枚入ってるなんて……いや、父親と母親の分で二枚なのか? LINEでは親としか言ってなかったから全然気づかなかった。

 

 

「違うのか? 俺はてっきりお前にもアイドルへの興味が出てきたのかと思ったんだが」

 

 

 アイドルに興味があるかと言われたら、神谷さんのアイドル姿にはちょっと興味があると答えるけども。松下に渡せとだけしか言われてないけれど、実は俺の分なのだろうか。

 

「まぁ、もらえるものはもらっとけって。超貴重だぜ?このチケットは」

 

 

 頭の中で思案していたら、松下に封筒と一緒に返されてしまった。思わず俺が手に取ると、「俺は一枚だけもらっとくよ。ホントありがとうって伝えといてくれ」なんて言いながら松下は自分の席に戻ってヒレカツ弁当を食い始めてしまっていた。

 

 

 教室に戻って席につくと、隣から神谷さんが「チケット渡せたか?」と聞いてきたので、松下が感動して膝から崩れ落ちたことを伝えると「お、大げさなやつだな……傍から見ると危ない奴にしか見えないぞそれ……」と、若干引き気味だった。

 実は俺もチケットを持ってる事は自分のちょっとしたいたずら心で神谷さんに伝えなかったが、結局神谷さんは封筒にチケットが二枚入っていたことについて特に言及しなかった。

 アイドルとして仕事している姿を見るなよって俺には言ってたけど、ライブに行くのはセーフなんだろうか。

 

 なんて考えていたら授業も全然耳に入って来ず、午後の間ずっと上の空だった。



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ライブ1

全然奈緒をモフモフするまでたどり着けない


・月末

 

 神谷さんからもらったチケットの席は隣同士であり、また自分はアイドルのライブなんてものには行ったことが無かったため松下と一緒に行動することにした。

 松下が言うには、チケットを用意してもらったからには他に必要なものは全部そろえてやろうとの事らしい。

 普段はアイドルの話しかしてこないが、こういう時になると、とても頼りになる。約束の時間に送れないようにさっさと待ち合わせ場所へ向かおう。

 

 

「お、来たか」

 

「よう、てかなんだそれ」

 

 

 待ち合わせ場所につくと、前後にリュックを背負った松下が立っていた。明らかに周りから浮いていたので声をかけるのを躊躇していたところを見つかってしまった。

 

 

「お前のことだからきっとろくに調べて来ないだろうと思って、お前の分の荷物も持ってきてやったんだよ」

 

「それはありがたいけど背負ってないで下に置いとけば良かったんじゃないか?」

 

「ほれ、そこそこ重かったんだから受け取れ」

 

 

 俺が入れたツッコミには反応せずそこそこの重さのあるリュックをこちらによこしてきた。中を見ると、Tシャツ、タオル、サイリウム?、飲み物が入っている。

 

 

「すっげぇ汗かくからTシャツに着替えとけよ。飲み物はサービスだから」

 

 

 なんて気が利くやつ。俺が何も調べずに来ることを見越していたかのような用意の良さだ。予想外に松下が頼れそうで安心したので感謝を告げてさっさと会場に行くことにしよう。

 

 

 

・会場

 

 会場に着いたはいいが、案内人のはずの松下が写真だ物販だ挨拶だとあちこちを回っているので結局一人になってしまった。早く席について開演を待っているのも退屈なので、時間が来るまで会場の周りをブラブラすることにしよう。

 

 

 すっごく人が多いな……。さいたまにあるアリーナは大きいとは聞いていたけど、そこにあふれるほど人が来るから、今までの人生でもなかなか無いぐらいの混雑だ。人混みを歩くのはそこまで得意ではないから気をつけないとぶつかってしまいそうだ……。

 

 

「あっ、ゴメンナサイ!」

 

 

  注意していたつもりだったが、横から出てきた女の子を避けられずに肩があたってしまった。よくよく見るとすっごくカワイイ子だ。今どきはこんな可愛い子もアイドルの追っかけなんかしてライブに行くんだろうか。

 

 

「すいません、ちょっと友だちとはぐれちゃって、探しながら歩いてたんですけどよく前を見てなくて…」

 

「あー自分は別に軽くあたっただけなんで大丈夫ですよ。ケガとかしてないですか?」

 

「はいっ。ケガはしてないです! 心配してもらってすいません」

 

「そうですか、良かったです。あ、でもそこにいると人通りが……あっ」

 

 

 すごく丁寧に謝ってくれて嬉しいけど、結構な人が通行してる道の往来で話し合っていたら、通りたい人の妨げになってしまうのでは……と思っていた所、案の定後ろを通ろうとした人に背中を押されて女の子の方へツッコむ形になってしまった。

 

 

「きゃあっ」「うわっ」

 

 

 とっさに片腕を出して女の子が倒れないように支える……これって傍から見たらちょっとまずい状況なんじゃないだろうか。女の子の方はきゃぁなんて悲鳴あげてるし。

 なんて周りの目を気にして冷や汗をかいていると、横から自分を糾弾する声が聞こえた。

 

 

「ちょっと、卯月から離れなよ」

 

「り、凛ちゃん!? ……あの、す、すいません。離してもらっていいですか?」

 

 

 卯月っていうのがこの子の名前で、凛ちゃんって言う子が探してた友だちなんだろうか、なんて考えていると、未だに勘違いされるような体勢になっていることに女の子の声で思い至り、促されるまま手を離した。

 そのまま凛ちゃん? の方に駆け出して行ってなにかを話している。ちょっと離れているが、忙しそうな身振り手振りでなんとなく誤解を解いてくれようとしているのが分かる。

 俺も自分の弁明をしに2人が話しているところまで近づいた。

 

 

「凛ちゃん、あの人は悪気があったわけじゃなくて!むしろ原因は初めにぶつかっちゃった私にあるというか……」

 

「そうなの?私はてっきり卯月があの男に襲われてるのかと……」

 

「お、襲われるなんてそんな!あれは事故というか、」

 

「えっと、凛さん?でいいかな。紛らわしい体勢になってたのは認めるけど、あれは人にぶつかって倒れ込んじゃっただけの事故で、やましい気持ちは全く無いから」

 

「ふーん。……まぁ卯月がそう言うなら、信じてあげるけど……」

 

 

 凛さん的には俺が言うことは信用できず、あくまで卯月さんが言うから信じてもらえるらしい。警戒心が相当強いみたいだ。確かに、卯月さんみたいにカワイイ子だとゲスな目的で近づく人もいるだろうし、凛さん自身もキレイ系な美人だからそんな経験があるんだろう。

 

 

「あー、取り敢えず。卯月さんが友だちと合流できたみたいなら良かったよ。今度はぶつからないように気をつけてね」

 

「あ、はいっ!ありがとうございました!えっと……」

 

「あぁ、高橋っていうんだ。まぁ、もう会うことはないだろうけど」

 

「高橋さんですね!本当にすみませんでした。私は島村卯月って言います。こっちが私の友だちの渋谷凛ちゃんです!」

 

「ちょっと卯月、名前まで教えなくていいのに…」

 

「島村さんと渋谷さんね、紹介ありがとう。えっと、それじゃあ」

 

「はいっ!ありがとうございました!」

 

 

 島村さんは目的の友達探しができたみたいなので、お互いに軽く名前を伝えて別れた。予想外に早く友だちが見つかって嬉しかったのか、こちらに笑顔で手を振ってくれている。渋谷さんも軽く会釈をしてくれ、こちらからも手を振って返す。

 

 神谷さんのアイドル姿を見に来たはずなのに、他にもアイドル級にカワイイ子に会えるとは思わなかった。もちろんこれから見るステージには本物のアイドルが登るんだけど。

 なにか得をした気分になりながら、ライブ会場をブラブラして開演までの時間を潰した。




誤字報告ありがとうございます。


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ライブ2

後書き追加(5/15)


 ライブの開演時間が近くなってきたので自分の席に戻ると、もうすでに知り合いへの挨拶周りを終えたのか一足先に席についている松下がいた。

 高揚感からか、いつもより表情がニヤついているような気がする。ウザさ3割増だ。

 

 

「同僚とか言ってた人たちへの挨拶はし終わったのか?」

 

「おう。Twitterで交流ある人で、今日会場に来れた人にはざっと挨拶して回ったし、初めて知り合った人もたくさんいて始まる前から大満足だぜ」

 

「ライブ見に来たのにそれで満足しちゃうのかよ」

 

「こういうのもライブの醍醐味なんだよ。お前こそさっきより機嫌が良そうじゃないか。なにかいいことあったのか?」

 

 

 うぇ、確かに機嫌は良かったがそんなに露骨に顔に出ていたとは思わなかった。俺もライブなんて初めての経験で舞い上がっちゃってるんだろうか。さっきあったことの経緯を簡単に松下に話した。

 

 

「アイドル級にカワイイ女の子がいて二人組だった〜?馬鹿だな−お前めったにいないカワイイ子だからアイドルなんだぞ?そんなホイホイ可愛い女の子が居てたまるか」

 

 

 確かに信じられない気持ちはわかるし、実際にあった自分でも相当レアな体験をしたと思うが、かなり言い方がムカつくな。普段は良いやつなのにことアイドルとなると拘りがあるのか無意味に頑固だ。

 

 

「そうだ、名前は聞かなかったのか?そんなに可愛い子なら、もしかしたら本当にアイドルなのかも知れない」

 

 

「えーっと、島村卯月さんと渋谷凛さんって名乗ってたはず」

 

「はぁ?お前本気で言ってるのか?からかうにしたって適当に調べたアイドルいうだけじゃ俺はだまされないぞ?その二人は確か仕事の関係でライブはおろか会場にさえ来れるはずもないんだが」

 

「知り合いのアイドルの応援に来たとかじゃないのか?それで休みが取れるのかは知らないけど」

 

「まぁなんにせよ、それが本当だったらお前めちゃくちゃツイてるな。単純に羨ましい」

 

「まぁまぁこれからステージで確実に本物を見れるんだから」

 

 

 まさか本当にアイドルだったかも知れないなんて予想外だ。松下が言うにはスケジュールの関係で会場には居るはずがないそうだが、もしかしたらライブ中にサプライズ出演とかがあるのかも知れない。

 サプライズだとしたら、致命的なネタバレを食らっていることになるが、他の人が知らないことを知っているという優越感もあるし……なんだか複雑な気持ちになりながら開演時間を迎えた。

 

 

 

 会場全体が真っ暗に暗転する。周りの観客は小さな声で「ついに始まるな」なんてささやきあっている。松下はもうすでにサイリウムを指に挟んで準備万端だ。

 モニターに今日のライブに出演するアイドルたちの映像が流れ始め、会場中からウオオオオという野太い歓声が上がった。

 曲が流れ始めると次第にライトが点灯し、ステージを眩く輝かせる。

 奥、左右、せり上がる床からアイドルたちの影が現れ、綺麗に揃ったダンスを踊り始めた。

 

 観客席から挙がるコールの声と同時に、会場全体には星のように瞬くサイリウムの光が浮かび、波の様に大きなうねりが起きている。

 歓声に応えるように歌声は重なって力を増し、一列に並んだ迫力のダンスはキレを増していく。

 

 息苦しいほどの熱気が会場中を包み込んだ。

 

 

「お前も声を出せって!言わなくてもわかるだろ?どうすれば良いか!」

 

 

 松下があっけにとられて唖然としたままの俺に声を出すように促してくる。完全に空気に飲まれてしまった俺は頭が真っ白のまま、適当に手にサイリウムを掴むと、響き渡る歓声と同調した。

 

 

 

 一曲目のパフォーマンスが終わって会場が少し落ち着きを取り戻すと、MCパートに入るのかアイドルたちの自己紹介が始まった。神谷さんはバックダンサーをすると言っていたけど、メインで曲を歌わないだけでアイドルの一員として出ているのだろう、最後の方ではあるが神谷さんも自己紹介をしていた。

 

 俺は興奮冷めやらぬ中、聞き覚えのある名前が聞こえてきて余計混乱したが、松下の方はさっきまでの興奮は何だったのか今は冷静に聞くモードになっている。

 どういう精神構造をしてたらそんなすぐに興奮冷静を一瞬で切り替えられるのか、これが分からない。

 

 ステージの方は、各自の紹介が終わるとすぐに二曲目のメンバーを残して準備を整えている。

 所詮アイドルのライブなんだろうと考えていた自分を反省し、また歓声とコールにノレるようにサイリウムを掴み直した。

 

 

 

 今が何曲目だろうか、それともまだ数曲なのだろうか。時間の感覚が麻痺するほど必死に声を出し続けている中、アイドルたちも歌って踊って、ステージを所狭しと走り回っている。神谷さんも、昂ぶっているのか近くの観客にマイクアピールなんかしたりしながら縦横無尽に動いている。

 学校では絶対に見ることのできない輝いたその表情を見て、なんだか胸が高鳴るのと同時に、遠くへ行ってしまったように感じて胸にチクリとした痛みを覚えた。

 

 

 

 一旦パフォーマンスは小休止に入り、またMCパートに入った。

 どうやらいくつかのチームに分かれてクイズを出すらしい。さっきまでの派手なパフォーマンスとは打って変わって、気の抜けたゆるい雰囲気にすこし安心した。

 早押し勝負で得点を競うらしく、各チーム一進一退を繰り返しながら最終問題になった。

 

「問:花の色は うつりにけりな いたづらに

   わが身世にふる ながめせしまに というのは平安時代の歌人小野小町の詠んだ歌ですが、その醜く衰えた姿を描いた能の曲目はなんという…」

 

「わ、わかったぞ!ハイ!」

 

 神谷さんが、他の回答者が悩んでいるうちに手元のボタンを押した。これに正解すれば、某クイズ番組のような陣取りパネルで、他のチームの陣地を一気に奪うことができる。

 

「えーっと…卒塔婆小町!であってるか?」

 

「正解です!奈緒ちゃん、よく覚えてましたね」

 

 チームのアイドルたちと、観客が歓声を上げる。地道に稼いだパネルが効果を発揮し、陣地の形勢が完全に変わった。そのパネルを見る限り、どうやら神谷さんの居るクールチームが優勝ということらしい。

 

「あー、なんというか、ついこないだやったんだよな。授業で。たまたま覚えてたっていうか」

 

「そうなんですか!すごい偶然ですね〜」

 

 

 どうやらごく最近習ったようだ。いつの間に。同じ授業を受けているはずなのに、自分には全く聞き覚えがない知識を覚えているのはどういうことなのだろうか。まぁ古典の時間は結構な高確率で寝てしまって、神谷さんに起こしてもらうことがしょっちゅうだが。

 アイドルのライブにきて、普段の授業態度の反省をするとは全く予想していなかった。





「すごく良いライブでした〜!」
「そうだね。奈緒も加蓮もメインじゃなかったけど、すごくいい表情してた。」
「美穂ちゃんも響子ちゃんも、この間一緒にライブしたときよりダンスが上手になってました!」
「未央のことは見てなかったの?」
「ええっ!?もちろん見てましたよ!」
「未央に言っちゃおうかな。卯月が話題にもあげなかったって。」
「そんな〜。ゆるしてください〜。」


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ライブ3〜学校4

早い代わりに短いですね。


 山あり谷ありなクイズの展開に盛り上がる会場とは対照的に、なんだかちょっと自分の不勉強を指摘されているような気がして少し凹む。それでも、ライブパートに移って分からないなりに、必死に声援を送っているとそんなことはどうでも良くなってきた。

 とにかく俺はステージ上で輝くアイドルたちに向けて、アホみたいに声を出しながらサイリウムを振り続けた。

 

 アイドルたちが、モニター前にある横長のステージから、細長い通路を駆けてセンターステージへ移動して来る。ステージの方へ手を伸ばせばこの手が届くんじゃないかと錯覚するような距離だ。だが、必死さ、切なさ、喜びと様々な感情を演出していくアイドルたちは、物理的な距離とは裏腹に一般人とはかけ離れて見える。

 

 それは神谷さんも例外ではなく、今日一番近い距離まで近づいて感じたその遠さは、自分の手では到底詰められるものでは無い様に思えた。

 

 

 

 

「いやー凄かったなぁ。なぁ。おいって。ボーッとしてどうしたんだよ」

 

 

 松下が自分に呼びかける声で夢見心地から我に返った。頭を空っぽに声を出していたら、ライブはいつの間にか終わっていたらしい。

 

 

「えっ。ああ、ごめん。気が抜けてて」

 

「おいおい、大丈夫かよ。まぁ、気持ちはわかるけどな。俺も初めてライブとか見に行ったときは呆気にとられたし。それでもこんなおっきい会場じゃなかったけどな」

 

 

 今の自分とだいたい同じような経験をしたことがあるのか、松下はそれ以上特になにも言ってこなかった。このあとは、どうやら知り合いたちと外食に行くようで、俺は話題についていけないので帰宅することにした。

 

 アイドルなんてテレビでちらっと見かけるぐらいしか知らなくて、どんなものか想像できなかったが、自分の予想を遥かに超える熱量に完全に圧倒された。

 なんて感想を神谷さんにLINEで送ったが、そのメッセージを見るのはあのアイドルの神谷奈緒だと思うと、うまく言葉が出て来ず、今日の感動を表現できたか自信がない。

 学校で面と向かってだったら言えるだろうか。そんな事を考えながら、疲れ果てた体に鞭打って帰路についた。

 

 

 

 

『凄かったって!?見てたのか!?チケットは松下に渡してくれたはずじゃ…』

『も、もしかしなくてもドレスとかみたよな!?くっ…は、恥ずかしい…忘れてくれっ!!』

 

 家にたどり着き、かいた汗を流すために入ったシャワーから戻ると、メッセージがの通知が来ていた。 アプリ上では教室で見るいつもの神谷さんに戻ったみたいだ。

 メッセージを見るに、どうやら神谷さんは封筒にチケットが2枚入っていたことを忘れていたらしい。それと、ドレスの衣装を着ているところについて松下にも見られていることを指摘すると、あまり交流が無いから松下は別にいいらしい。

 仲のいい知り合いとかに見られるのは恥ずかしいそうだ。

 仲がいいってことは、友だちみたいに思っていいの?って聞くと、

『べっ、別にそう思うなら否定しないっていうか……か、勘違いすんなよっ!』

 なんて返信が来た。かわいい。

 『友だちだったら下の名前で呼んでも良い?』と茶化していたら、『調子に乗んなっ!』と言われて返信が来なくなってしまった。調子に乗りすぎたな、反省しよう。

 

 

 

 

 

 月曜日、憂鬱になりながらも電車にゆられ学校に向かう。学校につくと神谷さんは先に登校してきていて、席に座ってスマホを見ている。

 後ろから何時も通り声をかけた。

 

 

「おはよう、神谷さん」

 

 

 すると、いつもよりぎこちなく振り返りながら、「お、おはよう……」と返事をするので、元気が無いけど一体どうしたのかと聞くと、「あ、当たり前だろっ……なんでお前はいつもどおりなんだよっ」と言われてしまった。

 

 そんなにアイドルやってるとこを見られるのが恥ずかしかったんだろうか、いつもより格段にしおらしい。

 ……そうだ!今なら名前で呼んでみても怒られないかもしれない!

 

 

「どういうこと?……奈緒さん」

 

 

 神谷さんが完全に硬直してしまった。あ~、やっぱりマズかったのか。からかおうとつい、調子に乗ってしまったみたいだ。こちらを向こうと回る首の動きはぎこちなく、ギッギッギッという音が聞こえてくるようだった。

 

 

「なっ、ななななななにを言ってるんだよっ!気持ち悪いからやめろよなっ!」

 

 

 アチャー、明らかにやりすぎた……。今のは自分でも気持ち悪かったと思う。完全に機嫌を損ねてしまったようで、結局この日の間はずっと口を利いてくれなくなってしまった。からかうのはいいが、これからは越えちゃいけないラインを弁えようと胸に刻み込み、自責の念を抱えながら1日を過ごした。

 

 

 

 

・翌日

 

 昨日のことがあって、今日の俺は心を入れ替えた。からかっているだけのつもりが、限度をわからずに相手に嫌われてしまうような自分とは決別しよう。

 

 昨日は授業の合間の休みに神谷さんと話せず、無言で居る事にいたたまれなくなってしまい、クラスの他の友人に話しかけに行ってその時間を凌いでいた。でも、このままではいけない!今日中になんとしてでも神谷さんの機嫌を戻し、今までのように気軽におしゃべりする仲を取り戻すんだ。

 

情けない決意を胸に、具体的にこれからどうやって神谷さんの機嫌をとろうか、頭の中で作戦を練った。



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学校5

・お菓子をあげてみよう

 

 女の子は甘いものをもらえたら喜ぶと聞いたことがある。というか女の子でなくても美味しいものをもらえたら嬉しいはず。神谷さんもきっと例外ではないはずだ。

 今日の朝登校してくる途中に買った、この新発売のチョコレート菓子。さり気なく興味を惹いて、それとなく一つ食べないか聞いてみよう。

 

 

「あの、神谷さん?」

 

「……なんだよ」

 

「この、チョコレート。美味しかったから一つどうかな? って思って」

 

「あー悪いな、あたしもう持ってるんだ。事務所で流行っててさ」

 

 

 そ、そんな!?いきなり出鼻をくじかれるなんて...いや、アイドルたるもの流行り物をしっかり抑えておく程度の女子力は備えているぞ、ということなんだろうか。

 仕方ない、切り替えていこう。次だ次。

 

 

 

・ライブの感想をちゃんと伝えよう

 

 これでいこう。当日にLINEで送ったメッセージではきっと感動の3分の1も伝えきれていないだろう。今、直接面と向かってだったら、あの時感じた思いを分かってもらえるかも知れない。

 

 

「あのさ、神谷さん」

 

「……なんだよっ」

 

「この前のライブのことなんだけどさ」

 

「……それがどうしたんだよ」

 

 

 やっぱり神谷さん的には触れてほしくない話題なのか、ジト目でこちらを見てくる。

 それでもファンとして、自分がもらった感動とそれに対しての感謝の気持ちは絶対に伝えたい。目が離せず虜になった経験なんて今までは無かったんだ。

 

 

「ライブを見て、本当に衝撃を受けたんだ。衣装や照明じゃなく、ステージで歌って踊ってる神谷さん自身が、キラキラ輝いててさ。体全体から楽しいって喜びが伝わってきて。感動したっていうか……。一瞬でファンになったんだ。なんか変だけど、あのライブを見せてもらって本当に感謝してる」

 

 

 言いたいことを全て言い終わって満足した。あんな体験は人生でも数えるほどしか無いぐらい衝撃的だった、ということを少しでも伝えられただろうか。

 神谷さんは意外にも真剣に俺の言うことを聞いているみたいだった。嬉しいと思ってくれているのか、ちょっと表情が緩んだように見える。すこし耳が赤い。

 

 

「っ、その、そんなに真剣に見てたとは思わなかったというか、いきなりそんなこと言われたら恥ずかしいというか……と、とにかくありがとなっ。すごくうれしい……うん」

 

 

 よくよく考えると、俺がさっき言ったことはとんでもなく気持ち悪い口説き文句だったかもしれないが、神谷さんは真面目に受け止めてくれて本当に良かった。

 お互い照れてしまって、さっきまでとは違った意味で話づらいくなってしまったが、神谷さんもこちらのことを憎からず思っているはず……結果オーライということにしよう。

 他になにか、話が盛り上がる共通の話題なんてあっただろうか。

 勉強のことなんて考えたくないし、もっとこう明るくてポップで楽しくなるような話題は……。

 そういえば神谷さんはアニメの話題に食いつきが良かったような?

 

 

・アニメの話をしてみよう

 

 

「ねぇねぇ、神谷さん」

 

「な、なんだよ」

 

「こないだ話してたアニメのことなんだけど、先週の、見た?」

 

「……あぁ!アレな!あたしも見たぞっ!なかなか熱い展開だったよな!主人公が敵の正体を突き止めたところで、そのままフェードアウトしてエンディングに入るなんてなっ!次の話が早く知りたくなって原作の本も買っちゃったしさ……ハッ」

 

「はは……すごく楽しみにしてるんだね」

 

 

 話を振った途端に神谷さんがパッと笑顔になり、先週の展開を饒舌に語ってくれた後、アニメの原作であるライトノベルを購入したことを教えてくれたが……本人的には喋りすぎたと思ったらしい。うっ……と言葉に詰まって停止したあと、顔を伏せてしまった。

 

 

「ちがっ、これはちがくて……その、そんなふうに事務所の先輩が話してたっていうか……」

 

「えーっと、前に言ってたアニメ好きの先輩だっけ?一度話してみたいなー。俺はアニメからしか知らないから、原作との違いとか是非教えてもらいたいや」

 

「え゛。そ、そうなのか?あぁ〜うんと、つ、伝えておくよ……その、先輩に」

 

 

 自分の話をしていることがバレバレなのに、どうしても取り繕おうとする所が、滑稽で可愛かったので話に乗ってあげる。まさかうまくいくとは思っていなかったのだろうか、なんだか微妙な顔をして頷いていた。

 アニメの話を振ってみると、興奮して語り出す神谷さん、自分の失敗に気づいて焦る神谷さん、いろいろな反応が見られるからやっぱり面白いな。機会があれば積極的に振ってみちゃおう。

 

 

「なぁ、さっきからあたしにやたら話しかけてくるけど、なにか言いたいことでも有るのか?あ、別に言いづらいならムリに言わなくてもいいけどな」

 

 

 なんてアホなことを考えていたら、流石にしつこく話しかけすぎたのか、不審に思った神谷さんが一体どういうつもりなのかを聞いてきた。

 昨日の不用意な発言を謝るとしたら今だろう。昨日は神谷さんと雑談ができなくて、寂しく思ったことも正直に伝えようか。

 

 

「言いづらいって訳ではないんだけど、いつ昨日の事を謝ろうかなって考えてて。昨日は本当にごめん。あの後、神谷さんに口を聞いてもらえなくなって寂しかったから、本当に反省したんだ。」

 

「……昨日の事はあたしも過剰に反応したなって家に帰ってから思い直したんだ。だから、お互い様ってことにしよう。てっ、てか、話せなくて寂しかったってなんだよっ……」

 

「それは、神谷さんともっと仲良くしたいなぁって思ってるから」

 

「か、からかってんのか!?」

 

「からかってないよ、本気で」

 

「えぇ……な、なんだ、その、距離感!距離感が大事だから!な!適度に友だちとしてというか……」

 

「じゃあ友だちとして雑談しよう」

 

「そ、そういうことなのかぁ??」

 

 

 煮え切らない口ぶりで人差し指と人差し指をツンツンしている。かと思えば、心底驚いた顔をしてリアクションをとったり、目まぐるしく表情が変わったが、最終的に和解して友だちということに落ち着いた。

 頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら、「友だちってこういうもんか??」とつぶやく神谷さんを見て、一先ず雑談が出来る関係まで許されて本当に良かった、とほっと胸をなでおろした。




総選挙お疲れ様です。


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学校6

・金曜日の午後

 

 今日最後の授業である漢文の授業をいつもの睡眠の構えで過ごしていると、神谷さんがチョップで小突いてきた。

 

 

「なぁ、高橋って週末暇か?」

 

「え?暇だけど……なんかあるの?」

 

「いやさ、その……あ、アニメが好きな先輩が居てさっ」

 

「あぁ、よく話に出てくる」

 

「その先輩が、今週末どっちも外せない予定があるのに欲しいグッズが販売されるイベントがあるみたいで」

 

「それを頼まれたけど、今週は自分も予定があっていけないってこと?」

 

「そうなんだよ!ずっと欲しいと思ってたのに……いや、その、とりあえず!どっちかの日の暇な時に買ってほしいんだ。駄目……か?」

 

 

 神谷さんが申し訳なさそうに上目遣いでこちらを見てくる……別に買ってきてあげる義理はないけど、幸い今週末の日曜は部活の予定もはいってないしすることもないから買いに行ってあげてもいいだろう。

 決して美人の上目遣いに屈したわけではないと、自分に理由をつけながら了承の返事をした。

 

 

「ほ、本当か!その先輩もすっごく喜ぶと思う!ありがとなっ!」

 

 

 神谷さんはすごく感激してくれているのか、こちらの手を握ってブンブン上下に振ってくる。ちょっと恥ずかしいし、授業中なんだけど……。

 先生がガッツリこっちを見てるし……あ、だんだん近づいてきてる。俺たちの席は教室の角っこだけど、やっぱり授業中にこんな事してると見つかってしまうか……。

 流石に先生の接近に気づいたのか、神谷さんが慌てて手を離す。いやもう手遅れだ。

 

 

「仲がいいのはわかったが、そういうのは放課後にしろ」

 

 

 パンッという乾いた音が教室に響く。先生が読み上げているテキストで軽く俺の頭をはたいて言った。頭というか、みんなの視線が痛いな……神谷さんはうつむいて顔が見れないが、耳が赤い。

 

 

「すいません。放課後にします」

 

「節度を持てよ」

 

「うっす」

 

 

 クラスの半分以上が眠気に負けて落ちていたので、突然誰かが頭を叩かれた事に起きて困惑しているみたいだが、真面目に授業を受けていた一部は事の顛末を見ていたのかヒソヒソ話している。

 先生の読み上げは再開したが、神谷さんはなんだかちっちゃくなってるし、周りはヒソヒソ小声でささやきあっていてとても居づらく感じる。それでも仲のいいやつらが軒並み、状況を理解できずに入眠の体勢をとったことは不幸中の幸いだろうか。

 

 

 しばらくしてチャイムが鳴り、授業が終わると先生はササッと号令をかけさせて教科準備室に戻っていった。

 神谷さんはあとでノートに写すためか、黒板を写真で撮影し教科書類をまとめると廊下にある自分のロッカーへ仕舞いに行った。が、後ろからニヨニヨと気持ち悪い笑みを浮かべた女子の一団があとを追いかけていく。……ウワッ ナンダヨ ヤメロ−……遠くから神谷さんが犠牲になる声が聞こえる……。R.I.P.

 

 

 俺の方はというと、寝てた奴らが起きてきて俺の方に集まったが、ナンデお前叩かれてんの、お前神谷さんにアタックしてたろ、マジか!抜け駆けかよ〜と頭の悪い会話を頭上で繰り広げているのを聞きながら帰りの準備をしていた。

 

 

「お前らバカだな。戦争ってあるだろ?じゃんけんの。あれで握手してたんだよ」

 

「はぁ!?授業中にするほうが馬鹿だろ」「それでどっちが勝ったんだ?」「俺、女子の手とかココ十年触ってない……」「小学生かって」

 

「うるせーな。俺は部活行くからついてくんなよ」「チョ・マテヨ」「説明責任を果たせ!」「有罪じゃないか?」「処す?処す?」

 

 

 苦し紛れの説明では納得しなかったのかしつこく追求してくるが、荷物をまとめて机を下げ、さっさとラケットを取りに部室に向かった。

 

 

 

・帰宅

 

 放課後の部活は、結局ラケットを取りに行ったのにもかかわらず新入生歓迎メニューだとかなんだと部長が騒ぎ、サッカー部からボールを借りてきたかと思えば近くの公園に移動し、学年対抗でドッジボール対決をして終わった。

 3年生は引退試合も近いのに一体何がしたいんだこの部活は……もう手遅れなのか。

 熱中する余り、大事な利き手の指を突き指する人が出て解散になったが、あの調子だとトラブルがなければ最終下校時刻まで続けていただろう。

 

 駅のホームに降りた瞬間に急行が出発するのをみて、ついてないなぁと思いながらポケットからイヤホンを取り出して耳にかけ、おすすめの曲を再生した。

 ストリーミングサービスは、普段よく聞く曲からおすすめを再生してくれるので聞く曲を選ぶ煩わしさがなくて良い。テンポの早いトランス系の曲から、ゆったりとしたジャズ、スウィング、オルタナなどなどその日の気分でおすすめのプレイリストを作ってくれる。

 有名なサービスは新譜の追加も頻繁で、世間の流行にも取り残されないので重宝している。今日は部活の件もあって、なんだか不完全燃焼だからBPM高めな曲が選ばれたプレイリストを選ぼう。

 

 

 

 最寄り駅で降り、毎日見る家路を歩いて帰る。アップテンポな曲は自然と足の回転数が上がってしまう。いつもより2、3分は早く家についたようだ。

 

 

「ただいま〜」

 

「おかえり〜」

 

 

 母親の間の伸びた声がリビングから聞こえる。晩御飯の準備をしているのか食器を用意していた。父親はいつも夜遅くに帰ってくるので普段は2人分の食器しか出され無いのに、今日は3人分の食器が用意されている

 

 

「あれ、今日って父さん早いの?」

 

「そうなのよ。いつも夕食に間に合う時間に帰ってきてくれれば、家族揃って食べられるのにね」

 

「そうだね」

 

 

 母さんとしてはやはり家族で一緒にご飯を食べたいのか、今日は嬉しいけど……と複雑な顔をしている。父と母は仕事の関係で出会ったと聞いたが、母は余り父の仕事をよく思っていないのだろうか。

 

 

「おーい帰ったぞー」

 

「おかえりなさい、もうすぐご飯できますよ」

 

 

 自分の部屋に戻り、カバンを置いてブレザーを脱ぎ一息ついていると父親が帰ってくる声がした。もうすぐご飯ができるらしいので、リビングに出ていくと父がコップに麦茶を注いで一気飲みしている。

 

 

「早かったね、おかえり」

 

「プハァ〜。おう、今日は明後日のイベントの準備だけだったからな」

 

 

 そこそこ名のしれたCDショップの店長をしている父は、よくショップ内でやるライブの企画をしているので特に珍しくはないが、丸々1日を設営に掛けたとは聞いたことが無い。

 

 

「今日はそれだけだったの?」

 

「あぁ、結構豪華だから人が集中して混乱しないように、店内の片付けをする関係で今日は閉めてたんだよ」

 

「へぇ、そんなすごいアーティストが来るんだ」

 

「今大人気のアイドルがユニットで来るらしくてな。ん、そういえばお前こないだアイドルのライブに言ったんだって?興味あるか?」

 

「それはチケットを友だちからもらったからだけど……。興味があるとなんかあるの?」

 

「実はな、普段店舗は4人ぐらいで回してるんだけど、明後日は盛況が予想されてておそらく人手が足りなくなるんだ。日雇いでバイトを入れるわけにもいかないし……お前が良ければ手伝いで出てくれないか?」

 

「俺が?」

 

「頼むよ、店が回らないと困るんだ。制服も貸すし、働いた分の給料は出してやろう。」

 

 

 どうしようか、今週末は神谷さんのお使いに行かなければならないけど……神谷さんからいつ何処に向かえば良いのかあとでLINEが来るだろうから、それを見た後のほうが……まぁでも最悪土曜日の部活を休めば大丈夫か。

 

 

「いいよ、レジ担当ぐらいなら任せて」

 

「本当か!いや〜良かったよ。なんか欲しいものがあれば割引で買わせてやるからな!」

 

 

 それは職権乱用では?と思ったが、母親はもう夕食の準備を済ませて座っているし、父親は食べる気満々で席につきこちらを催促してくるように見てくるし、追求するのもめんどくさくなったので素直に食卓に向かい、晩飯を食べ始めた。




日間ランキングに少しの間載っていたみたいで、評価や感想ありがとうございます。


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イベント1

・土曜日

 

 朝日の眩しさで目が覚める。布団の心地よさにまどろんでいると、枕元に置いていた携帯が震えた。

 

 

『おはよう、朝早くゴメンな。昨日話した事なんだけど、場所と時間とを詳しく書いたメモがこれな!』

 

 ―画像が送信されました

 

 

 どうやら、メッセージで神谷さんからお願いの詳細が送られて来たようだ。ルーズリーフに、癖のある丸っこい綺麗な字で日時と場所の簡単な地図、手に入れてほしいものが書かれている。右下の余白にはなんのゆるキャラだろうか、たのむっ!と言いながらこちらに手を合わせているヒトガタが描かれていた。

 

 メモの内容をよく読んでみると、やはり今日は部活とイベントの時間が被ってしまっている。明日は父親の店の手伝いをするのが優先だし、余り行く気のなかった部活をサボるか。

 そう結論をだしたので、さっそくグループLINEを開いて適当に理由をつけ欠席の旨を連絡すると、他にすることもないので連絡された時間には余裕があるものの外出の準備を始めた。

 

 イベント……コラボグッズの販売があるということだったけど、どれぐらいの集客があるかわからないなぁ……混雑するかも知れないし軽い服装で行くか。指定されたグッズも対してかさばらないだろうし斜めがけのカバンでも足りるだろう。

 幸い、場所は余り家から遠くなく自転車でも迎える距離なので、朝昼のご飯をあわせてブランチとして食べてさっさと向かうことにしよう。

 

 

 

 家から自転車を飛ばして30分ほど、メモに書かれた時間より10分ぐらい早めに着いたようだ。近場の駐輪場に自転車を停めると、目当ての建物に向かった。

 

 入り口に置かれた掲示物によると、このビルの1フロア丸々使ってイベントをやるらしい。すごい力の入れようだな……なんて思いながらエレベーターに向かうと、『5Fのイベントにお越しの方は左奥の階段をご利用ください』とはり紙が貼ってある。

 左奥……?エレベーターの前を通り過ぎて覗いて見ると、1階まで並んでいるのだろうか、行列が見えた。

 嘘だろ……さっさと買って帰ろうと考えていたがどうやら長期戦になりそうだ。持ってきた水をのみながら行列の後ろに加わった。

 

 

 

 

「スイマセン、ちょっと通してもらっていいっスか」

 

「失礼するじぇ」

 

「えっ?ああ、どうぞ」

 

 

 行列を眺めながらイベントの始まりを待っていると、今日のイベントに出る人だろうか、いかにも芸能人が変装していますと言ったような格好の2人が、脇を通り抜けて階段を駆け上がっていった。遅延でもあったのだろうか、ひどく焦っていたが。

 ん……?なんかのアニメのキーホルダーが落ちてる……。さっきの人たちのものだろう。後で届けてあげるか。

 それからしばらくして、ようやく行列が動き始めたことでイベントが始まったことがわかった。

 

 

 少しして目的のフロアにたどり着くと、想像以上の人の数と熱気でうへぇ、とあっけにとられたが、なるべく速くこの空間を抜け出すために頼まれた品々を次々に手にとって会計に向かった。

 

 

「お会計――――円です」

 

「えっーと、はい、お願いします」

 

「――――円ちょうどのお預かりですね。ありがとうございました。出口でキャストの方のサインが貰えるので、よろしければ是非ご利用ください」

 

 

 すばやく支払いを済ませてようやく帰れると一息ついた所、店員さんいわく出演者のサインがもらえるらしい。神谷さんもサインがあったら喜ぶだろうし、せっかくだったらもらってあげよう。出口のところに居るみたいだけど……。

 

 

「まだ帰っちゃ駄目っスよー」

 

「コッチだじぇ」

 

 

 俺が一番始めに帰る客なのか、いそいそと机と椅子を用意して座った2人組がこちらへ声をかけてきた。というか声から察するにさっき通り過ぎていった2人組だ。危うくキーホルダーを渡し忘れて帰るところだった、あぶないあぶない。

 忘れないうちに渡しておこう。

 

 

「あのー。これ落としませんでした?階段のとこにあったんですけど」

 

「あああああっ!それはユリユリのアクキーだじぇ!」

 

「急いでで落としちゃったんスかね」

 

「コレなくしてたら生きていけなかったじぇ……命の恩人だわ!」

 

「良かったっスね、ユリユリ」

 

 

 どうやら大切なものだったようでひどく感謝してくれているようだ。こんなに感謝されると、忘れて帰るところだったことが申し訳なくなってくる。

 気合い入れてサインしてあげるじぇ!と言いながら俺が買ったものを渡してとアピールしてきたので素直に手渡すと、コレは……チョイスが玄人っスね……と隣の子が分析している。

 自分で選んだものではないが、そういうふうに言われると少し恥ずかしく感じる。

 

 

「名前も書いてあげるんで、教えてもらっていいっスか?」

 

 

 名前か……神谷さんは作品の大ファンみたいだし、自分の名前を書いてもらえたら喜ぶかなと思い、正直に自分がお使いに来たことを伝えて奈緒ちゃんへ、と書いて欲しいと頼んだ。

 

 

「奈緒ちゃんへ、だじぇ」

 

「喜んでもらえると良いっスけど」

 

「多分喜ぶと思いますよ、ありがとうございました」

 

「こちらこそお買い上げありがとうございますっス」

 

「ありがと〜!」

 

 

 

 与えられた任務をすべて果たせたことを、家に帰り着いてから証拠画像と共に神谷さんへ送ると、もう仕事が終わっていたのかすぐに感謝の返信が帰ってきた。

 週明けに学校で渡すことを約束すると、なぞのゆるキャラが小躍りしているスタンプも送られてきたので、そうとうテンションが上っているようだ。

 

 神谷さんは明日も仕事ということなので、頑張ってねというやり取りをして、土曜日を終えた。

 




・数日後の事務所で


「うわっ!荒木さんと大西さんですよね!はじめまして!あたし神谷奈緒って言います!いつもアニメ見てます!漫画も読んでます!」
「奈緒ちゃんっスね。はじめましてっス。嬉しいけど照れるっスね。」
「奈緒ちゃんも原作ファンなの!?どんなカップリングが好きなんだじぇ?」
「い、いや〜!あたしはカップリングとかそういうのはあんまり考えたこと無いっていうか〜……あ、でも好きなキャラは○○です!グッズも持ってます!」
「あれ、それってあたしたちのサインがはいってるスけど、こないだのイベント来てたっスか?」
「……っ!!今、ユリユリの恋愛レーダーが反応したじぇ!もしかして彼氏が来てたの!?」
「ええっ!アイツはそんな関係じゃ!」
「友達以上恋人未満ってことっスかね……本のネタにしたいんで詳しく教えて欲しいっス!」
「いやいやいやいやっ!ほんとにたまたまお願いしただけで!そんなんじゃなくって!」
「ふふふ……腐っても乙女、このユリユリの勘はごまかされないんだじぇ!」



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バイト1

・日曜日

 

 前日に父から朝早く家を出ると聞いていたので、6時にセットしたアラームで飛び起きると、さっさと寝巻きから着替えてリビングに出ていった。

 

 ……?電気すらついてないけどまだ起きなくて良いのか?よくわからないけど、父さんが起きてこないってことはまだ時間に余裕があるってことだろう。顔洗ってご飯食べるか。

 トースターで焼いたパンにマーガリンを塗り、フライパンで焼いた目玉焼きを載せたものを食べたあと、歯磨きやトイレを済ませて、荒ぶる寝癖を直していると、両親の寝室からドタンバタン慌てている音がした。

 

 

「スマン!寝坊したっ!」

 

「えぇ……。間に合うの?」

 

 

 部屋からドタバタ音がしていたのは急いで身支度をしている音だったのか、慌てて着替えましたというように着崩れた父がリビングに出てきた。

 

 

「悪いけど先に向かってくれないか?話は伝えてあるから、行けばわかるはずだ」

 

「分かったけど……勝手がわからないから早く来てくれよ」

 

「あぁ、あぁ。取り敢えず急いでくれ!」

 

 

 父は自分はもう間に合わないと考えたのか、俺だけ先に店舗に向かうように頼んできた。

 場所は知っているから別にいいけど、いきなり知らない人たちの中に行くのは気が重いなぁ……なるべく裏方でレジとかの仕事を回してもらうように頼もう。

 最低限の荷物を準備し、父親を置いて家を出た。

 

 

 

 1回ほど電車を乗り換え父の職場にたどり着くと、入り口から数人がせわしなく動いている様子が見える。やはり人手が足りないのだろう、ただでさえ家のダメおやじは寝坊していないんだし。

 自分が来ることは伝わっているはずだから、さっさと名乗り出て業務を手伝おう。

 そう考え、入り口に小走りで向かった。

 

 

「すいませ〜ん高橋ですけど〜。手伝いに来ました〜」

 

 

 入り口からそこそこの声量で声を掛けると、動いている人の中で一番仕事ができそうな人が近づいてきて応対してくれた。

 

 

「君が店長の息子さんか!話は聞いてるよ、副店長の佐野です」

 

「佐野さん、今日はよろしくおねがいします」

 

「わからないことがあれば何でも聞いてくれて大丈夫だから、気軽に声をかけてね」

 

 

 爽やかな笑顔で握手を求めてきたので、自然に自分からも握手の手が伸びる。言動から有能さが滲み出ているように感じて、父と比べてしまい敗北感を覚えた。

 佐野さんに挨拶をしたあとは、せわしなく動いていた残りの二人も一旦手を止めて挨拶に来てくれた。スラッとした長身でメガネを掛けているのが松木さん、茶髪で身長はあまり高くないが明るく気さくな雰囲気の人が永井さんだ。

 

 全員に挨拶を終えると、佐野さんから会場の整備は俺達がやるから、アイドルの人たちの案内をして欲しいと仕事を任された。

 芸能人と直接接する仕事に気後れし、そういうのはベテランとか偉い人がやるんじゃないんですか?と聞くと、そんな事はなくその場で空いている人が任されるらしい。

 設営の方は勝手がわからない人に動かされると却って困るらしく、いちいち指示を出すのも非効率的なのだそうだ。

 

 バックヤードに設けた控室に出演する人たちが居るらしいので、今日の流れの確認をして店内ステージまで来てもらうよう、案内するようにとのことだ。

 全員に配っている今日のタイムテーブルを、俺にも渡す分用意していたとのことで松木さんが渡してくれた。基本的にはそこに書いてあることを読み上げて確認を取れば問題ないそう。

 

 渡されたテキストを見ると、角ばった几帳面そうな字で結構な文量の注釈がある。松木さんに聞くと、そのままだと分かりづらいことがあるだろうと前日に用意してくれたそうだ。ぶっきらぼうに話す松木さんを、最初は人付き合いが悪い人なのかと思っていたが、すごく優しい人みたいだ。

 

 

「お父さんは少し遅れてくるみたいです」

 

「またっすか!?」

 

 

 父が寝坊して遅れることを伝えると、永井さんが呆れたような声を上げる。今日だけかと思ったけど普段からだらしないのか……思わぬところで父親のがっかりする面を知りげんなりした。

 

 

 

 控室に向かうと、スーツ姿の男性が今日はよろしくおねがいします、とこちらへ挨拶をしてきた。一瞬この人がアイドル!?と思ったが、その後すぐに名刺を渡されそこにプロデューサーと書いてあるのを見て勘違いだとわかった。

 ずいぶん若そうなのにプロデューサー……一族経営なんだろうか。芸能界に関することはよくわからないが、礼儀正しい好青年という感じだし人柄的には結構好印象だ。

 

 出演者するアイドルの方々に今日の流れを説明して、今からリハーサルしてもらうために来たと伝えると、もうすぐ衣装に着替え終わるだろうし呼んできますとのことなので、その場で立って待つことにした。

 

 

 

「ねぇ、プロデューサー、どう?似合ってるでしょ?」

 

「あ、ああ。その…綺麗だと思うぞ?」

 

「加蓮、そうやってプロデューサーをからかうのやめなよ」

 

「えぇ〜だって反応が面白いんだもん。奈緒も別に気にしないよね?」

 

「仕事なのに緊張感が感じられないことが意味わからないって!」

 

「ほら、凛。奈緒も気にしないって言ってるよ」

 

「屁理屈言わないで」

 

「お、お前らなぁ〜……」

 

 

 少し経ち、先程のプロデューサーさんと華麗なステージ衣装を身にまとった3人の女の子がこちらへ向かってきた。勘違いじゃなければその内の2人の声と顔を自分は知っている。特に、特徴のある眉毛をした気の強そうな女の子は見覚えがあった。というか顔なじみだ。参ったな……。そういえばイベント出演の仕事だと言ってたっけ。

 

 

「こちらが今日のイベントに出演させていただくアイドルの渋谷、北条、神谷です。よろしくおねがいします。ほら、挨拶をして」

 

 

 プロデューサーさんが3人に挨拶を促すと、言い争いをやめこちらに向き直った。渋谷さんは何かに気づいたのか、奥歯に物が挟まったようなもどかしそうな表情を、北条さんは仕事へのやる気を感じさせる引き締まった表情を、神谷さんは……こちらを指差し、大きく開けた口をパクパクさせている。

 

 

「あああああああああ!?」

 

 

 神谷さんの絶叫が店中に響いた。

 北条さんはそれを見て、スッと、神谷さんを俺の視線から遮るように移動し、こちらを睨みつけている。

 

 

「アンタ、奈緒になんかしたの?」

 

 

 渋谷さんは、何か思い出そうとしているのか腕を組んだままこちらを見ている。

 プロデューサーさんは突然の事態に頭が追いついていないのか、視線がこちらと北条さんとを行ったり来たりしていた。

 

 騒ぎを聞きつけたのか会場の整備をしていた3人も駆けつけてくる。

 ちょうどその時、ようやく何かを思い出したのかハッとした顔でこちらを指差し言った。

 

 

「思い出した、卯月に抱きついてたセクハラ男!」

 

 

 駆けつけてきた3人の足音が止まり、北条さんからの睨みはより一層強くなった。

 神谷さんに始めの誤解を解いてもらおうにも、俺の不祥事を聞きショックを受けている。

 

 完全に詰んだ……。自分の置かれた状況に絶望しながら、すこし冷静な自分が客観的にそう思った。




ラブコメであるあるな展開。
バイト3まで一気にお読みください。

誤字報告ありがとうございます。


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バイト2

「すいません、確認したいんですけど、うちの渋谷が言っていることは本当にあったことですか?」

 

 

 一番先に平静を取り戻したのはプロデューサーさんのようで、落ち着いて事実確認をしてくれた。こういう時は誤解が生まれやすい状況であったことは認めた上で、渋谷さんが言っていることは勘違いだと伝えることが大事だろう。

 人混みで押されて倒れかかってしまったときの状況を端的に説明した。

 

 

「そうですか。説明ありがとうございます。

  凛、卯月が説明した事と今の説明は食い違うところはないか?」

 

「食い違うことは無いけど……でも卯月は優しいから、本当の事言えてるとは限らな「凛!」」

 

 

 渋谷さんはまだ俺に不信感を抱いているのか、島村さんが俺に言わされていたんじゃないかと疑念を話そうとしたその時、今まで怒涛の展開にアワアワしていた神谷さんが話を遮った。

 

 

「高橋は、そんな事するやつじゃないって!こんなところで会うとは思ってなかったから驚いただけで、悪いやつじゃないって知ってるから!」

 

「え、なに、奈緒の知り合いなの?」

 

「し、知り合いというか、同じ学校の友だちって感じ……。」

 

 

 庇ってたはずの後ろから大きな声が聞こえて、状況が整理できないのかキョトンとした北条さんが神谷さんに問いかける。

 神谷さんは急に大きな声を出した自分が恥ずかしくなったのか、返答が尻すぼみになってしまっているが、その場の誤解を解こうと自分と俺との関係を説明してくれている。

 

 

「た、高橋は、授業態度は真面目じゃないけどあたしが休んだときとかにプリント見せてくれたり、あたしが疲れてウトウトしちゃったときに起こしてくれたり……優しいやつなんだよ」

 

 

 神谷さんから弁護してもらい周りからの疑いが弱まるのを感じた俺は、少し話し合いの時間をもらえるか佐野さんに質問した。

 

 

「そうだな……まぁリハーサルの時間は長めにとってるし、このままではお互いに最高の仕事ができないだろう。いいよ。向こうのプロデューサーさんにお願いしてみるよ」

 

 

 佐野さんがプロデューサーさんに確認を取りに行き少し時間をとってもいいという話になったので、一旦お店側の3人は設営に戻り、俺とアイドルの子たちの4人で話す事になった。

 松木さん、永井さんは俺たちも話し合いに残ろうか?と提案してくれたが、イベントが時間どおり始められなくなっては全て台無しなので、大丈夫ですと伝えて戻ってもらった。俺1人だけが弁明するならまだしも、神谷さんもコッチ側なので2人もこうなった事情をわかってくれるだろう。

 

 

 

「じゃあ奈緒はクラスメイトがいた事にびっくりして大声を上げたってこと?」

 

「な、何回も言うなよぉ……うぅ、ごめんな高橋。ややこしくしちゃって」

 

「奈緒は悪くないって、早とちりしたあたしが良くなかったんだから。えっと、ゴメンね?高橋くん」

 

「いやいや、自分もすぐ神谷さんにココに居る事情を説明できてれば、ここまで拗れなかったかもしれないし」

 

 

 粗方お互いの勘違いの原因を説明すると、北条さんが申し訳なさそうに両手を合わせてこちらに謝罪してきた。軽い調子だったが、こちらも大した被害を被ったわけではないのでこんなものだろう。リハーサルの時間が削れてしまっていることが一番の被害と言えるが、佐野さんの判断によれば特に問題はなさそうだ。

 

 一方、渋谷さんは自分の勘違いでこちらを糾弾してしまったことを重く受け止めているのか、どう謝ったらいいのか分からないといった感じでうつむいてしまっている。

 

 

「その、凛も悪いと思ってるんだ。なんて言えば良いのかわからないだけで」

 

 

 見かねて神谷さんがそう言った。俺としては、多少傷ついただけで本当に気にしてないから、渋谷さんもそんなに重く考えてほしくはないんだけど……。

 

 

「えっと、渋谷さん。真剣に考えてもらえるのは嬉しいんだけど、自分はむしろ渋谷さんのパフォーマンスに影響がないか心配なぐらいで……」

 

 

 俺がそう伝えると、何かが渋谷さんの琴線に触れたのか、バッと伏せていた顔を上げるとこちらをしっかりと見てもう一度頭を深く下げた。

 

 

「本当にごめんなさい。謝って済むわけじゃないのはわかってるけど」

 

 そのまま、自分にできることはライブをすることしか無いから、絶対に手を抜かず全力のパフォーマンスをしてみせるから、償いになるかはわからないけど見ていて欲しい、と告げられた。

 

 

 頭を下げている状態なので、顔を見ることはできないが言葉の端々から渋谷さんの真剣さが伝わってくる。分かりました、と俺が言うと、渋谷さんはリハーサルするからとプロデューサーを連れて表へ向かってしまった。

 

 

「行っちゃったね……分かりづらくてゴメンね?あれが凛なりの謝罪みたいだから」

 

「いや、申し訳ないって気持ちはちゃんと伝わってるんで、大丈夫です」

 

「あの……怒ってないか?」

 

「すぐ誤解を解いてくれなかった神谷さんは頼りないなぁと思ったけど、別に怒ってないよ」

 

「やっぱり怒ってるじゃないかぁ!!」

 

 

 つい、いつもどおり神谷さんをいじって自分の平静を保っていると、そんな様子をみて北条さんがニヨニヨという擬音が合うような意地の悪い笑みを浮かべていた。

 

 

「な〜んか、ずいぶん仲いいみたいだけど、ほんとに友だちってだけなの〜?」

 

「べ、別にただの友だちだって!からかうなよぉ!」

 

「そういえば言う機会がなかったんだけど、その衣装すごく可愛いね。ドレスがこう、お姫様みたいな。」

 

「えええっ!な、なんだよ急に!」

 

「なんかただの友だちっぽくないけど〜?」

 

「やめろぉ!ツンツンするなって!た、高橋も見るなぁ〜」

 

「神谷さんがカワイイのがよくないって」

 

「ひ、ヒィィィッ!気持ち悪いこと言うなぁ!」

 

 

 北条さんと俺の2人で神谷さんをどんどん追い詰めていくと、しだいに神谷さんがうわぁ!とかやめろぉ!としか言わなくなってしまったので、ちょっとやりすぎたなぁとすこし反省した。

 北条さんはいじけてしまった神谷さんにごめんって、ゆるしてよ〜なお〜とやっぱり軽い調子で謝っている。最初はとっつきにくそうだと思っていたがなかなかどうして気が合うかもしれないと、神谷さんをつつきながら謝る北条さんをみて思った。

 

 少しして、もうからかわないことを条件に許しを得た北条さんが、神谷さんを連れてリハーサルに向かったが、去り際にこちらを向いていたずらっぽく笑ったのを見て、これからも神谷さんはいじられ続けることを確信した。

 

 

 始めはどうなるかと思ったが、無事?仲直りできてよかった……と一息ついたところで、今日の予定を伝達し確認するという仕事を全く果たせてないことに気づき、慌ててリハーサルを行うステージに向かった。

 

 

 

 ステージではプロデューサーさんとアイドルの4人が店員の3人と照明や曲のかかるタイミングなどを細かく確認していて、その気迫に目が話せなくなっていると、後ろから父親の声が聞こえた。

 

 

「おぉ、リハーサル中かぁ。ちゃんとやってるか?」

 

「父さん!……やけに遅くない?」

 

「いや〜道中で道に迷ってる美人な人が居てな〜」

 

「母さんに伝えとくよ」

 

「それだけは勘弁してくれ!」

 

 

 フザけた理由でさらに遅刻してきた父だが、流石に仕事モードに入ると普段の情けない様子から一変し、佐野さんから業務を引き継ぐとプロデューサーさんとアイドルたちへ挨拶を済まし、少し押していたリハーサルを巻きに巻いて予定の時刻に間に合わせた。

 

 

「それじゃあ本番もこの調子でおねがいします」

 

「「「「「「「「はいっ!」」」」」」」」

 

 

 指示を飛ばしていた父さんの締めの言葉に全員で返事をしてリハーサルを終え、開店準備へ移った。

 確認漏れも気の緩みもなく、本当にいい状態だと思う。この分だとイベントも成功させられそうだ。割り振られた持ち場に付きながらそう思った。




いつもよりも更に気合の入った渋谷凛はカッコよく、
なにかを気にして恥ずかしがる神谷奈緒はより一層キュートだったと
とある雑誌の取材に北条加蓮は語った。


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バイト3

 ステージでのライブが終わってお客さんが物販に流れて来たことで、スタッフ5人は全員で販促にあたることになり、もちろん俺も忙しくなった。

 もともとそこまで大きな店舗ではないのに、大人数が押しかけたことで完全にレジがパンクしてしまっている。2人しか同時に受け付けることができないので、残りは列の整理ぐらいしかすることはないが、それでレジの回転が上がるわけでもなく長蛇の列ができてしまった。

 

 どうしたものか……すでに商品を選び終えて列に並んでしまっている人がどんどん増えていて、店内にいる人数が全員捌けるまでは時間単位で掛かりそうだけど……。

 

 並び始めた行列を整理しながら思案していると、控室から出てきたプロデューサーさんが声をかけてきた。

 

 

「机と椅子をお借りしてもいいですか?」

 

 

 それを用意して何をするのか聞いた所、即席の握手会を開こうと思っているらしい。レジの処理能力を越えた行列を見て、なんとか混雑を解消したいと思い立ったそうだ。

 控室から一番近かった俺に声を掛けてきたが、自分の裁量で決められる範囲を超えているので同じく行列の整理をしている父親に許可を取りに行くと、願ったり叶ったりだと言うことで快諾してもらえた。

 

 レジに残った2人以外で、プロデューサーさんと一緒に長机とパイプ椅子を数脚用意し、まだ衣装のままの神谷さんたち3人に座って貰って、行列に声を掛けた。

 

 

「こちらで握手会も行っております、お会計前の方もぜひお並びください!」

 

「え、握手会もやってるんだ〜」「まだ進まなさそうだし先にそっちに行かない?」「同意」

 

 

 並ぼうとしていた人達も含め行列の半分以上の人が3人の方に並び始め、一箇所に集中していた人が分散してレジの負担がかなり軽減されたようだ。

 渋谷さんは少しぎこちなさの残る笑顔で丁寧に対応し、北条さんは弾けるような笑顔でお客さんと雑談している。神谷さんは……表情が固くぶっきらぼうな口調だが、お客さんにカワイイと褒められると照れながらお礼を言い握手をしている。

 

 ステージでパフォーマンスをしている輝くアイドルの姿から、年相応の女の子のような表情をしている神谷さんを見て、自分の知らない顔でファンの人と触れ合っている姿に胸の奥が少し苦しくなった。

 少しの間放心しながら見つめていたが、レジ担当の交代で会計をしなければならなくなり全く集中できないまま接客をしていた。

 

 

 

 数時間後、お客さんが全て捌けたところでイベントは終了となり店を閉め片付けに移った。朝とは違って、俺も会場の解体や棚の移動を手伝いに奔走していると父に呼ばれた。

 神谷さんたちがイベント前のことを改めて謝りたいとの事らしい。別に良いんだけどな……なんて思いながら、それでもこのキツイ作業を抜けられるならラッキーなんて考えて控室へ行くと、衣装から普段着に着替えた3人と相変わらずスーツのプロデューサーさんが居た。

 

 俺が入ってくるのを見て真っ先に動いたのは渋谷さんで、本当に悪いことをした、申し訳ないということだった。

 プロデューサーさんと北条さんからも謝罪が入ったので、場の雰囲気が重くなることに耐えきれなくなり、話を遮ってこちらから今日のライブの感想を伝える。

 以前にアイドルのライブを見たことはあるが、こんなに間近で見るのは初めてであり、その迫力に圧倒されたこと。陳腐な言葉だが素晴らしいステージで、見られたのが本当に幸運だっと思うと伝えると、何を言われるのかと硬くなっていた3人の表情も緩んだ。

 

 これからも頑張ってください、ファンとして応援していますと挨拶して控室を出ようとすると、神谷さんから名前を呼ばれた。

 

 

「ちょっとまってくれ、高橋っ」

 

「え?」

 

 

 立ち止まって振り返ると、神谷さんがこちらへ近づいて話しだした。

 

 

「あたしも感謝したいことがある。」

 

「実は即席の握手会はあたしがプロデューサーさんに提案したことなんだ。」

 

「高橋が一生懸命仕事している所を見て、あたしもなにかできることはないかと思ったんだ。」

 

 

 そんなに必死に働いていただろうか……とよくよく考えると声を出して行列の誘導をしてたっけ。かなりの混雑をなんとかしなきゃと動き回っていたけど、それを見られていたとはなんだか恥ずかしい。

 

 

「結果は大成功で、ファンの人たちに直接感謝を伝えられて本当に良かった」

 

「でも、感謝を伝えられてないファンが一人いるから」

 

 

 近づいてきた神谷さんに手を取られ握られる。

 

 

「その、ありがとなっ」

 

 

 眼の前の神谷さんは真っ赤な顔をしているが、俺もそれに負けず劣らず真っ赤だろう。顔がカアッと熱くなった。

 というか他の3人が見てる前でしなくても……驚きに目を丸くしている3人の視線が痛い。

 

 

「え、ええと、こちらこそありがとう。握手会も、助かったよ。」

 

 

 手を握り返してこちらからも感謝を伝えると、互いに無言になり黙りこくってしまう。

 しばらくして、恥ずかしさに耐えられなくなったのか

 

 

「い、いつまで握ってるんだよっ!もう戻れって!」

 

 

 と手を離され、ドアまで押し出されてしまった。

 自分もここに居づらかったので、奥の三人にも軽く会釈をし部屋から出る。

 

 なんだかとんでもなくうれし恥ずかしな経験をしたような……。

 手のひらに温かさが残ったまま、作業に戻った。





1部は完結です。


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2部
デパート1


「いや〜ホント、今日は助かったよ」

 

 

 手伝いを要請しておきながらとんでもない遅刻をしてきた父親が、今日のバイト代を手渡してくれた。イベントの時間は数時間だったが、準備片付けと8時間フルに働いたからな。どれどれ……8000円! なかなか実入りのいいバイトだったな。想定外の臨時収入にホクホク顔になる。

 

 コレだったら明日発売するゲームが買えるじゃないか。毎月のお小遣いだと貯めるのに結構な時間がかかるので諦めていたけど、発売当日に買えるなんて……! いつもは家でくたびれている姿しか見ない父が輝いて見える。威厳のない父が今日ばかりは後ろから光が差しているのように眩しく見えた。

 

 

「なんだよジロジロ見て……ハゲてきてるか?」

 

 

 年相応に薄くなってきた頭を心配そうにかく父に、適当な感謝を伝えて自室の財布にお金を仕舞いにいった。

 

 

 

 騒がしい外の音で目が覚める。そういえば昨日は寝苦しくて窓を開けてたんだっけ。目当てのゲームの情報を調べていて、興奮して寝付けなかったんだった。

 部屋を出て顔を洗い朝食を食べハミガキ、何時も通りの作業も、楽しみなことがあるとなんだか新鮮に思える。ワクワクが顔に出ていたのか、母親から訝しげに「ニヤニヤして気持ち悪いんだけど」と言われて少し傷ついたが、今の俺はそんなものは気にしない……一応鏡を見ると軽薄そうなニヤケ面が写った。うわっ……。

 

 自分の顔を指で直して家を出る。いや〜代わり映えしない通学路も楽しみがあればなんのその。月曜日の少し空いた電車に揺られていつもの駅で降り、相変わらず急な山道になっている通学路を登った。

 

 学校につくと神谷さんはすでに席についてスマホの画面を見ていた。昨日のことがあって少し照れくさいが「おはよう」と声を掛ける。

 神谷さんが画面から目を外しながら、こちらへ振り返って挨拶を返してくれる。心なしか動きがぎこちない。

 

 

「お、おはよ。……って! どんな顔してんだよ!!」

 

 

 !? いきなり顔を非難されるとは思わなかった。生まれてこの方親から受け継いだこの顔でやってきたけれど怒られるような人相だろうか……?

 

 

「ま、まりも○こりみたいな顔してるぞ……急にどうしたんだ?」

 

「えぇ!? そんなスケベな目を!?」

 

 

 慌ててスマホのインカメラで顔を写すと、緩みきった広角と目尻のだらしない顔がそこにあった。ゲーム買えるぐらいで喜び過ぎじゃない?楽しみなことがあるだけでこんなに顔に出てしまうと、将来的な社会生活に問題が出るような……。

 神谷さんの誤解を解くために楽しみなことがあるから喜びが顔に出ていることを正直に説明した。

 

 

「ゲーム……?それってあれか!アクションのやつ!」

 

「そうそう!神谷さんも知ってるんだ?」

 

「ハッ……う、う〜ん。事務所の先輩が!そういえば言ってたな〜って」

 

 

 心当たりを見つけて上がったテンションを、墓穴を掘って帳消しにしてしまったみたいだ。話に出てくる事務所の先輩はごまかしってことが分かってるんだけど……目線を横に向けて下手な口笛を吹く神谷さんを見ながらそう思う。あ、音外した。

 神谷さんがアニメを好きなのはもう知ってるし、いまさらゲームをやるぐらいで見る目は変わらないんだけど……。

 

 

「じゃ、じゃあ学校が終わったらそのゲームを買いに行くのか?」

 

「え、まぁそのつもりでいるけど。でもかなり人気のゲームだから、急いでいかないと売り切れちゃうんじゃないかな」

 

「そ、そうか?へ、へぇ〜」

 

 

 神谷さんもそのソフトを買うつもりなのだろうか、売り切れるかも知れないと言ったのに目が反応していた。品薄になるのは確実だから、もしかしたら神谷さんもライバルになるかも知れない……俺も神谷さんも無事ソフトが入手できますように……神様に願った。

 

 

 

 結局、この日一日顔がもとに戻らなかったようで、授業をしている先生にやたら当てられるわ、弁当を食べているだけなのにクラスメイトにたかられるわで散々な目にあった。

 それでもSHRが終わり下校の時間になればテンションが上がる。部活にも行かないことを決めた今の自分は誰にも止められないだろう。帰りの挨拶をしてすぐにダッシュで教室を飛び出て、最寄り駅の傍にあるデパートへ向かう。おそらく今日、全校の誰よりも早く校門をくぐっただろう。

 

 デパートに辿り着き、目的のフロアまで小走りで向かった。周りの人の迷惑になってはいけない。

 フロアに到着、目的のブツを目視で確認。当日販売はのこり2つ!? あぁ、他校の生徒だろうか、2つの内1つを手にとってレジに持っていく。のこり1つ……走らない程度に全力でパッケージに手を伸ばす……間に合っ…た!

 

 

「あぁ!?」

 

 

 その時、背後からなんだか聞き覚えのある声が聞こえ振り返った。

 うちの学校の女子の制服を着ている……白いマスクと野暮ったい眼鏡……絵に描いたような変装セットだ。

 確実に神谷さんだ……同じ店に狙いをつけていたとは。確かに入荷数はこの店が一番多いだろうし狙いが被るのは不思議じゃないけれど……この店の最後の1本は手元にあるコレだ。

 

 

「ちょ、ちょっとまってくれ!……高橋ぃ!」

 

 

 レジにケースを持っていこうとするも、名前を呼ばれては非情に成り切れずその場で足を止める。俺とは対照的に神谷さんはつかつかと歩を進め、俺の前まで来た。

 

 

「そ、それをゆ、譲ってくれないか……? いくらでも……出すから? ……な?」

 

 

 悪いけど、お金の問題じゃないんだ。そう告げてレジへ向かおうとするも、神谷さんに腕を掴まれて止められた。

 

 

「わ、分かった!じ、事務所で一緒にやろう!!な!?」

 

 

 自分でも何を言っているのか分からないのだろう、腕をとった恥ずかしさもあるのか完全に混乱状態へ陥った神谷さんの目は据わっていて、気づいたらその圧力に押され首を縦に振ってしまっていた。

 

 

「じ、事務所ならゲーム機もあるし!2人でやればどっちも発売日に遊べたことになるから!」

 

 

 もう引っ込みがつかなくなってしまったのか、ナゾの理論を掲げ固まってしまった俺の背中を押してレジまで進ませる神谷さん。気がつけば俺は流されるまま会計を済ませ、事務所に向かう神谷さんに腕を引かれ同行していた。神谷さんも緊張しているのか、俺の手首を掴む手のひらからジトッとした水分が感じられる。

 

 なんて大胆な…………前を歩く神谷さんの背中をドギマギしながら見つめていた。





今回のように強引に展開を進めることがこれからも多々あると思います。
不快な描写がありましたら、これまで通り感想やメッセージでご指摘ください。
指摘の他にも感想や評価待ってます!


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事務所1

「ちょ、ちょっとタンマ!ストップ!」

 

 

 神谷さんに腕を引かれたままデパートを出るところで、流石に流されるままで居るわけにも行かず立ち止まって声を掛ける。腕を引っ張る力は男を1人引きずるほどではないので、神谷さんもつられて足を止めた。

 

 

「な、なんだよ……ま、まさか断らないよな!?」

 

「えっと……ゲームを神谷さんもやりたいっていうのはわかったけど、事務所?なんで急に」

 

 

 2人でもできるゲームなので、一緒にやろうと言われたところで別に嫌がりもしないが場所が場所だけにホイホイついていくわけにも行かないだろう。そもそもアイドルの事務所にクラスメイトというだけのほぼ無関係者が立ち入って良いんだろうか……。

 

 

「普通に家に帰ってゲームしたいんだけど……」

 

「い、家!?そんな、ムリムリ無理だって!!……お、男は狼なんだぞ!?」

 

「いや、ゲームするんじゃないの!?」

 

「と、とにかく家は駄目だ……まだ早いっ!事務所なら……警備員さんとプロデューサーさんに、友人だといえば通るから、なっ」

 

 

 心配の仕方がアイドルとしてより女子としてなのが気になるけど、事務所であれば神谷さんが安心できると言うなら別にいいか。RPGみたいに、買ったらすぐやり込みたいものじゃないから。

 

 

「まぁ……神谷さんが大丈夫って言うなら俺もそれでいいけど」

 

「ホントか!事務所はすぐそこだから、ちょっとついてきてくれ」

 

 

 すぐそこって、電車に乗るんじゃないのか?と思いながら神谷さんの後ろを着いていく。デパートから出て大きな通りを1つ渡ったところに林立しているビル群。どうやらその1つに向かっているようだ。

 

 

「ここなんだ」

 

 

 神谷さんがビルの前で立ち止まりこちらへ振り返る。驚いたなぁ……何階建てだろう、事務所が学校の最寄り駅の近くにあることも知らなかったが、ここまで大きな建物だとは想像もしていなかった。事務所、という言葉の響きから道路沿いのちっちゃなビルをイメージしていたが、眼の前の建物は周辺の環境も含め大学のキャンパスのような一つの施設レベルの大きさだ。

 

 

「えぇ〜。……うっそだぁ」

 

「なんでワザワザ連れてきて嘘つくんだよっ! ホントだって!」

 

 

 そういって神谷さんはスタスタとエントランスの方へ向かっていく。にわかには信じられないけど、特に緊張した様子もなく歩いていく神谷さんに今はついていくしかない。おっかなびっくり後に続いた。

 

 警備員とも顔なじみなのか、当たり前だが止められることもなく神谷さんが入口を抜け、その口利きで俺も通り抜けできた。警備員も抵抗がないみたいだし、もしかしたら所属しているアイドルたちも友人を連れてきたりしているのかもしれないな……。

 お城のような内装が珍しく辺りをキョロキョロして落ち着きなくしていると、神谷さんが苦笑いで子供みたいだな、と言ってくる。

 それってゲームがやりたくて連れてきた神谷さんが言うセリフじゃなくない?……早歩きになってしまった。

 

 

「ここだ!」

 

 

 神谷さんがドアの前で立ち止まる。ぐるりと周囲を見回し、中腰の体勢で扉へ近づいていく。扉を背にしもう一度キョロキョロとあたりを見回した後、振り返ってドアをゆっくり開けて中を覗いている。

 

 

「何かあるの?」

 

「うわぁっ!!」

 

 

 その動きの余りの不審さに後ろから声を掛けると、慌てて扉を閉じようとしたのか、体を抜く前に腕が動き体が挟まった。潰されたカエルのように情けない声を出しながら扉から脱出した。

 

 

「ぐぇ……」

 

「本当に何してるの……」

 

「ち、違うんだよ!もし事務所に連れ込んでいるのを加蓮とか凛に見られたら……なんて言われるか!わかるだろ!?」

 

「いや、それは何となく分かるけど……動きが完全に不審者というか……」

 

「何してやがりますかー?」

 

 

 バッという効果音が聞こえてくるほどのスピードで扉の方へ振り向く神谷さん。きぐるみを着た小さな女の子と快活そうなショートカットの女の子が扉を開けてこちらを見ている。

 

 

「に、仁奈!?薫もいつの間に……」

 

「せんせぇが来るまで仁奈ちゃんと遊んでたんだー!」

 

「ウサギさんでごぜーますよー?」

 

「そ、そうか……あたしはこれからテレビでゲームするから、一緒に遊んでてくれな」

 

 

 神谷さんが2人の頭を軽くなでて部屋に戻るように促す。せんせぇ?ここは託児所も設けられているのだろうか。もしかして所属しているアイドルの妹さんかな。

 

 

「ゲームですかー?仁奈もやりてーです!」

 

「ゲーム!?かおるもー!」

 

「うっ……そうだな……」

 

 

 ゲームのことを言ってしまった為に、ニナちゃんとカオルちゃん?が興味を持ったようだ。目を輝かせて神谷さんに詰め寄る。純粋な目で見られて断りづらいのか、助けを求めてこちらを見ている。

 

 

「え〜っと、4人でもできるよ?」

 

「「ほんと〜!」でござーますか!」

 

 

 こんな小さい子を悲しませることは出来ない……任侠道のヒゲオだから、人数分のコントローラーさえ有れば全員でプレイできるだろう。4人でもできると伝えると、喜んだ2人は早速ゲームの準備をしに行ったのか部屋へ戻って行った。

 

 

「その、あたしたちも入るか」

 

 

 なんだか力が抜けた神谷さんが部屋に入っていくので、伴って入った。

 室内はシックな色合いの落ち着いた雰囲気で、大画面のテレビとコの字に配置されたソファ、真ん中に机が置かれていた。先に部屋に入っていた2人がゲーム機の電源をつけている。

 

 

「おにーさん、ゲームってどれでごぜーますかー?」

 

「えーっと、コレだけど……」

 

「わー!ヒゲオだー!薫、やってみたかったんだー!」

 

 

 パッケージを爪で開けディスクを取り出して渡すと、小走りでゲーム機まで駆けていき本体に入れた。危なっかしい動きに注目していると、横からコントローラーを手渡された。

 

 

「おにーさんはコレでおねがいしまー!」

 

「奈緒おねーさんはコレでいいでごぜーますかー?」

 

 

「あ、ありがとう」

 

 

 思わず受け取ると、ソファーまで戻り準備完了といった目でこちらを見てくる。ゲーム画面には『超ヒゲのおっさん世界』とタイトルが表示されていた。

 ポンっと肩に手を置かれる。振り向くと神谷さんはこちらを見てうなずき、2人と同じ様にソファーに座った。……やるか。3人の座っていない面のソファーに座り4人でゲームを始めた。

 

 

「あぁ!奈緒おねーさんずりーです!」

 

「悪いな、仁奈。アイテムは早いものがちだから!」

 

「あーっ、かおる、おいてかれてるー!」

 

 

 ステージ早々に残機が尽きてしまい、応援に徹する。滞空できるアイテムを取って調子に乗ってしまった神谷さんもすぐに落ち、結局ゴールできたのは2人だけだった。

 無事ゴールして「「やったー!」」と手を合わせ喜ぶ2人は微笑ましかったが、情けない2人の間に流れる空気は冷たい……。

 

 

「た、たまたまだからな!もう一回やるぞ!」

 

「どんどん行くでごぜーますよー!」

 

「やりまー!」

 

「次こそは……」

 

 

 4人は時間を忘れてゲームに熱中していった。




千葉県出身なのに、学校の近くに事務所があるわけないですよね……。
家の都合で高校から都内に引っ越してきたということで……宜しくおねがいします。


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事務所2

「こんにちは〜。あ、ヒゲオやってるじゃん」

 

「うげっ!?加蓮!!」

 

「わ〜加蓮おねえちゃんだー!」

 

「凛お姉ちゃんもいるでごぜーます!」

 

「うわわっ……ふふっ元気いっぱいだね」

 

 1時間ほど、4人でゲームをしていると背後にあるドアがひらき聞き覚えのある声が聞こえた。神谷さんは声で察したのか、振り返らずにゲーム画面を見ながら体を硬直させる。仁奈ちゃんと薫ちゃんはコントローラーを置いて、今来た2人のもとへ駆けていってしまったのでゲームを一時中断させる。

 振り返ると、渋谷さんと北条さんに向かって2人が飛びかかっているところだった。優しい表情で受け止められ、4人ともいい笑顔をしていた。

 対照的に引きつった表情のままの神谷さんはギギギ……と油を差し忘れたブリキのおもちゃのような動きで振り返る。

 

 

「な、なんで2人が!?今の時間はレッスンって聞いてたのに!」

 

「それ、プロデューサーの伝達ミスみたいだよ?いきなりオフって言われたけど、もう事務所に来ちゃったからせっかくだし遊びに来たんだ」

 

「奈緒が居るかもって理由で、帰ろうとしてた私も無理やり連れてきたのは誰だっけ?」

 

「あれ、そうだっけ?でも凛も乗り気だったでしょ〜」

 

「それは……まぁそうだけど」

 

「くそ〜なんて運の悪い!よりにもよってこの2人に見られるなんて……」

 

 

 来るはずが無かったのにこの部屋に来ていることに驚いているのもそうだが、神谷さんにとってはこの2人に、という所がしくじりポイントのようだ。

 

 

「凛おねーさんたちはヒゲオやらねーですか?」

 

「一緒にやろうよ!」

 

「あれ、アタシたちも混ざっていいの?」

 

「えっとね〜、おにーさん!みんなでやってもいいよねー?」

 

 

 こちらへ振り返った2人が確認をとろうと聞いてくる。神谷さんではなく俺に確認をとっているのは察されているのだろうか。

 

 

「あぁ、大人数でやるほうが楽しいと思うし、交代でならいいよ」

 

「やったーでごぜーます!!」

 

「おねーちゃんたちも一緒に座ってやろっ!」

 

「わ、私も?」

 

 

 2人に背中を押されて、渋谷さんと北条さんがソファーの方へ来る。神谷さんの居る側の面へ座ると、北条さんがいたずらっぽく笑って神谷さんをこちらへ押し出した。

 

 

「ここ3人じゃ狭いから奈緒はそっちね〜?」

 

「うわっ!?」

 

 

 急に持ち上げられてこちらへ放り出された神谷さんが倒れかかってくる。思わず受け止めるが、抱える形になり神谷さんの頬に赤みがさす。覗き込む形のこちらも気恥ずかしくなり、すぐに下ろして体勢を立て直してあげる。もう少し抱えてても良かったかも……ちょっと後悔した。

 ふと視線を感じその主である北条さんをみると、こちらの様子を見て先程よりも笑みを深めている。しまったな、いけない人に弱みを握られてしまったかも知れない……。

 

 

「ちょ、ちょっと加蓮。何やってるの」

 

「え〜、いいじゃん。わざわざ事務所に男の子呼ぶなんてやっぱりそういう関係なんじゃないの?」

 

「ちっ、ちが――」

 

「ねーねー!ゲームやらないの?」

 

 

 追い詰められた神谷さんが弱々しく否定の声をあげようとした所で、待ちきれないのか薫ちゃんがこちらへ詰め寄ってくる。

 

 

「あー、俺ゲームオーバーになっちゃったから交代していいよ」

 

「ほんとー?じゃあ凛おねーちゃん!どーぞ」

 

「え、私?……ありがとう」

 

「え〜凛ずるーい。アタシの分ないのー?」

 

「だったら奈緒おねーさんもゲームオーバーだから加蓮おねーさんが代わりにやるでござーます!」

 

 薫ちゃんからコントローラーを受け取った渋谷さんを見て、北条さんが神谷さんを見つめてゴネる。仁奈ちゃんがその間に入り机に置かれたままのコントローラーを北条さんへ渡した。

 

 

「えぇ!私も休みなのか!?」

 

「そこの2人は存分にイチャイチャしてていいよ〜」

 

「な、奈緒。節度ある付き合いが大事だから!」

 

「凛もやめろよ!そんなんじゃないって!」

 

「奈緒お姉ちゃんとお兄さん付き合ってるのー?」

 

「ぜんぜん違うから!……はっ」

 

 

 ありとあらゆる方向から責められてあわあわしている神谷さんは面白いが、そこまで必死に否定されると若干の自尊心が傷つく……神谷さんも言ってから気づいたのか、「あぁ!全然そんなつもりじゃなくて!」と手を振って誤解を解こうとしてくれている。分かってるから大丈夫、と伝えると少し落ち着いたようだ。

 

 

「2人はほっといてゲーム始めちゃおっか?」

 

「負けないでごぜーますよー」

 

「かおるも!けっこう上手いんだよ?」

 

「い、良いのかな……えっと、負けないよ」

 

「なんだ、凛も結構乗り気じゃん」

 

「ち、違うって」

 

 

 そんなやり取りをしている俺たちを尻目に、4人はしれっとゲームに戻っていた。4人の中で一番うまいのは

 北条さんで、次に同じくらいの腕前の子供組。渋谷さんは余り得意ではないのか、操作に手こずって3人に置いていかれてる。……あっ落ちた。

 

 

「あー凛落ちたから交代してね」

 

「1回やられるごとに交代?ふーん……次はやられないから」

 

 

 渋谷さんは結構な負けず嫌いのようで、コントローラーは手放したものの他の3人のプレイをじっくり見ている。意外と子供っぽい一面もあるんだ。

 それからは相変わらず操作が下手な俺と神谷さんと渋谷さんでどんどんコントローラーが周り、結果的に俺たちの操作していたキャラのゲームオーバー数がえらいことになっていた。

 

 

「ふぅ〜。結構熱中しちゃったな」

 

「すっごい楽しかったー!」

 

「またやりたいでごぜーます!」

 

「わ、悪くなかったかな……」

 

「結局大してプレイできなかった……」

 

 

 その後2、3時間ほどゲームをプレイして今日はお開きということになった。年少組はそれぞれ担当のプロデューサーが家に送り届けてくれるようで、営業から帰ってくるのを待つそうだ。高校生組は自分で家まで帰るので、小学生組にさよならをして事務所を出た。

 

 

「ゲーム楽しかったよ〜ありがとね。またねー」

 

「私からも、その、ありがとう」

 

 

 北条さんと渋谷さんはこちらへお礼を言い、一足先に駅の方へ向かった。事務所の入口に2人で残された。

 神谷さんがこちらを向いてなにか話そうとしている。

 

 

「そのさ、高橋」

 

「えっ?」

 

「こないだはファンって言ったけど、やっぱりあたしはもっと身近というか、これからも友だちでいたいんだ」

 

「そっか。俺としては嬉しい限りだけど」

 

「本当か?だったら、また今日みたいに遊んでくれるか……?」

 

「もちろん。俺の方からもよろしく」

 

「良かった……アイドルとしての姿を見られたら、もうこんな気軽に話せなくなると思ってたから……」

 

 

 すこし伏せていた顔を上げ、こちらを見上げて目を合わせ、可愛らしくはにかんだ。

 

 

「今日はありがとう……これからもよろしくな!」

 

 

 そのまま恥ずかしくなったのか、振り返って駅の方まで走り去ってしまう。

 その場に残された俺は、幸せな気分のまま帰路についた。



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カフェ1

「なぁ、今日の放課後って暇か?」

 

「え?今日は……部活も定休日だから暇だけど」

 

 

 昼休みに食堂から帰ってくると、神谷さんが声をかけてきた。放課後……この前みたいに事務所でゲームでもしようってことだろうか。

 

 

「ほんとか!あのさ、あたしたちって友だちだろ?」

 

「一緒にゲームするぐらいの仲だね」

 

「だったらさ、一緒にスイーツ食べに行ったりするよな!?」

 

 

 スイーツ……食べたい物があるけど一人で行くのが恥ずかしいとかだろうか。友だち同士で行った〜なんてインスタにあげているクラスメイトは居るけれど、男女のペアで行くのはちょっと気恥ずかしいような……。

 

 

「俺はあんまり聞かないけど、仲が良ければあるんじゃない?」

 

「だ、だよな!実はさ、今事務所で流行ってるお店があるんだけど……」

 

「だけど?」

 

「あ、あたしはそういうところに行くようなキャラじゃないけど、なんか、みんなの話についていけないのは寂しいじゃんか……」

 

「北条さんとかに一緒に行こうって頼んだりしなかったの?」

 

「だ、ダメだ!加蓮は……あたしがうろたえてる所を動画に撮ってた前科があるし、凛にはついこないだ他の人と行ったからって断られたんだ」

 

「それで俺?」

 

「た、高橋ならあたしのことからかわないって思ったから…………ダメか?」

 

 

 どうやら神谷さんに結構信頼されているみたいだ。せっかく誘ってもらえたんだから、2人で行く気恥ずかしさには少し目をつぶってスイーツを食べに行こう。甘いものは好きな方だけど、こういう機会でもなければそういう店に行くこともないだろうし。

 

 

「大丈夫大丈夫、からかったりしないって。ただちょっと恥ずかしいなって思っただけで」

 

「は、恥ずかしい?なにがだ?」

 

「え、だって2人で行くんだよね?それって実際はともかく、傍から見たらカップルに見えると思って」

 

「か、カップルー!?そ、そんなんじゃ!ただあたしは、高橋だったら一緒に行ってもいいかなって思っただけで!」

 

 

 うっ……ずいぶん恥ずかしいことを大きな声で……。焦りで赤くなる神谷さんの顔と同じ様に、自分の顔も暑くなるのを感じた。ちがうちがう!ちがうんだって!と自分の発言に気づいた神谷さんの首振りは、チャイムの音が聞こえてくるまで続いた。

 

 

 

 

 やたら思想の強い授業をする現代社会の先生に、毎度のことではあるが辟易としながら授業を聞き流していると終業のチャイムが鳴った。今日の授業はコレで終わりだ。テキパキと机の上の教材をロッカーに片して帰る準備をする。

 俺の部活が定休日なことを知っている友だちの2、3人が帰りにゲーセンに行かないかと誘ってきたが、今日は大事な用があるといって断る。甘い物の1つや2つチラつかせていたら釣れていたかも知れないが、今日優先すべきは神谷さんである。

 

 

「おーい高橋ー」

 

 

 気がつくと神谷さんはカバンを持ってドアのところに立っていた。はやっ。相当上機嫌なのか、普段では余り見られない貴重な笑顔だ。呼ばれているし早く行こうとそちらへ向かうと、女子のクラスメイトに表情を指摘されて慌てて戻してしまっていた。なんて余計なことを……。

 

 

「ごめんごめん、えっと、場所が……原宿!?うわっ初めて行くなぁ」

 

「じ、実はあたしも初めてなんだ……殺されたりしないよなっ!?」

 

「はははっ、原宿をなんだと思ってるの。人が多くて死んじゃうんだったらあり得るかもだけど」

 

「そういう子になんとなく心当たりがあるな……」

 

「冗談で言ったんだけど本当に居るんだ!?なんだか生きづらそうな子だな」

 

「やる時はやる子なんだけどなぁ……」

 

 

 これから向かう場所の話を聞きながら駅に2人で歩いて行く。友だちとしてではあるけど、女子と2人で下校するなんて……と内心ドキドキしながら駅まで向かった。

 駅に着き、原宿まで向かうために初めて利用する路線の改札を抜ける。電車に乗り込むと、まだ夕方で帰宅ラッシュには早いというのにかなり混雑していて、向き合う形で押し込められる。

 か、顔が近い……先程まで交わしていた軽口が途絶え、互いに目のやり場もなく気まずい時間が流れた。

 目的の駅に着いて降車し、2人で人の流れに押し出されるまま改札を抜けた。

 

 

「うわー!人が多いな!」

 

「ずっと先まで人がひしめき合ってるから、どこにどのお店があるのかわかんないな」

 

「それなら大丈夫だ!事務所で聞き耳立てて場所はきっちり抑えてきたからな!」

 

 

 そう言って神谷さんはドンドン先に進んでいく。このレベルの人混みには馴れているのか、スムーズに人を避けて歩いていった。自分も必死についていくが、人混みの中を歩くのは苦手な方なので少しずつ神谷さんから遅れていく。

 

 

「うわっ……人が、おおいな……ちょ、ちょっと神谷さんストップ!」

 

「え?わわっ……ダメだっ離れるなって……えいっ!」

 

「ええっ!?えっと、それっ!」

 

 

 必死に声を掛けると、振り返って俺が流されかけていることに気づいたのか、慌てて歩を緩めてくれた。それでも少しづつ神谷さんに遅れ、距離が離れていくのに焦ったのか思いっきりこちらへ手を伸ばしてくれた。予想外の腕に少しびっくりしながらも、ここで流されて迷子になるよりは……!と思い切ってその手をつないだ。

 キュッと思いの外強く握り返され、そのまま神谷さんに引っ張られて人混みの中を進んでいった。

 

 

「ここだ!」

 

 

 神谷さんについていくこと十数分、ようやく目的地に着いたようで人の流れから横へ抜けお店の前に出た。

 ポヨンポヨンプリンカフェ……?黄色くファンシーな雰囲気の外装にあっけにとられる。可愛いゆるキャラのようなものがいたる所に飾られていた。

 人生で初めて来た店の外見に面食らっていると、神谷さんが消え入りそうな小さな声で呼びかけてきた。

 

 

「おい……おいって、い、いつまで手握ってるんだよっ……」

 

「あっ、ゴメンっ!」

 

 

 人混みを抜けて我に返ったのか、神谷さんがゆでダコのように真っ赤になっていた。少しばかり名残惜しさを感じながら神谷さんの手を離すと、「いや、良いんだキニシナイで。トモダチだから……」と自分に言い聞かせているのか若干カタコトな口調になっていた。

 腕をつないだこともそうだけど、一番気になるお店のことを尋ねようとするも「は、早く入らないと席が埋まっちゃうから!」と背中を押され店に押し込まれた。

 

 

「あ、あたしはこのチョコバナナパフェで!」

 

「えーと、じゃあ俺はモンブランプリンで」

 

「ドリンクはどうなされますか?」

 

「ドリンク……このマンゴーソーダでお願いします!」

 

「俺は……いらないです」

 

「……はい、かしこまりました。チョコバナナパフェとモンブランプリン、ドリンクはマンゴーソーダですね。只今お持ちしますので、少々お待ち下さい」

 

 

 流されるまま席に着き、なんとなくメニューを流し見して注文した。ドリンクはプリンだしなくてもいいだろうという思いつけない……想像よりも値段が高くて怖じ気着いたのもあるけれど。

 神谷さんは、入店してすぐはおっかなびっくりという感じだったが、椅子に座ってしばらくすると相当楽しみだったのか店内を見回してウキウキしだした。可愛いキャラでいっぱいの店内にテンションが上っているところを見ると、アイドルをやっている神谷さんも可愛いもの好きな1人の女の子だなと感じる。

 

 

「チョコバナナパフェ、モンブランプリン、マンゴーソーダです」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

 注文した品物が運ばれてきた。キャラの装飾があしらわれた大きなパフェ、プリンは値段相応のボリュームで圧倒される。なんだか興奮してきたな。さっと写真を撮り、スプーンをとって早速食べ始めようとすると、ドリンクを飲もうとした神谷さんが声を上げた。

 

 

「こ、コレって!?」

 

 

 持つ手が少し震えていて見えづらいが、ドリンクを飲む為のストローのようだ。ハートをかたどってあり、吸い口が両端に1つずつある。漫画とかアニメでカップルが1つの飲み物をシェアするストロー!

 この世に実在していたのか……と驚きと共に見つめていると、そのストローと俺を交互に見る神谷さんの動きが止まった。

 

 ……ショートしてる?固まって動かなくなってしまった。

 

 

「あ、あれ?神谷さん?」

 

「…………む、むりだ……み、みるな……」

 

 

 今にも消えそうな声で神谷さんがつぶやいた。



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メイド喫茶1

「へぇ〜それで北条さんには自慢できたの?」

 

「あぁ!バッチリだったぞ。”奈緒はこういう店行ったことないよね〜”なんて言いながら、写真を見せびらかしてくるからあたしもこの間のパフェの写真出してやったんだ」

 

「どんな顔してた?」

 

「それがさ、聞いて驚くなよ。あたしがその写真を見せた瞬間に顔真っ白にして、”そんな……アタシの奈緒を返してよ!!”とか言っちゃってさ、あたしのことなんだと思ってるんだ!」

 

 

 先日のカフェは、可愛いモノ好きの神谷さんにはどストライクだったようで、あの後もしばしば足を運んでいるらしい。事務所で大流行している事と、神谷さんが可愛いものを好きなのに恥ずかしがって行けないキャラである事を理解している北条さんは、お店の売りであるパフェの写真を見せつけてきたそうだ。

 自分1人では行けなかった事を棚に上げて、北条さんに対して頬を膨らませてプリプリ怒る神谷さんはいつもより子供っぽく見える。

 

 

「それで、今度はどこに行きたいんだっけ」

 

「そうそう、それだ!今日の放課後空いてるんだよな……?だったらその……メイド喫茶、に行ってみたいんだけど……だめか?」

 

「えぇ……メイド喫茶?それまたどうして……」

 

「あ、あのな?この前アニメのイベントに行ってもらったじゃないか」

 

「あぁ、あれね。覚えてるけど」

 

「そのアニメがメイドカフェとコラボして、オリジナルグッズが付いたメニューを出すんだ。

 

  でも、いわゆるメイド喫茶なんて女子1人で行っても浮くだろ!?ファンとして逃すわけにはいかないのに、あたし1人では絶対に行けない……」

 

「そこで友だちである俺に、白羽の矢が立ったと」

 

「と、トモダチ…………そう!高橋ならアニメにも理解があるし、きっと受けてくれると思ってさ!」

 

 

「お願いだ、一緒に行ってくれ!」と頭を下げてこちらに頼んでくる神谷さんに、とりあえず顔を上げてもらって承諾の返事を伝える。人が多いところが得意ではなかったのでこの前のイベントではいの一番に店を出たが、メイド喫茶のキャパなんてたかが知れているだろう。俺もこのアニメは好きだし、何より神谷さんと一緒に行けるならこちらからお願いしたいほどだ。

 

 

「よ、良かった…………断られたら男装して行くしかないって絶望してて……加蓮は男装してるなら一緒に行ってあげるとか言うんだ!」

 

「ははは、男装かー。俺もちょっと見たいけどね。きっと可愛いだろうし」

 

「かわっ……褒めたって、絶対見せないからなっ!」

 

 

 むむっ、また調子に乗ってしまったな。でも絶対似合うと思うんだけどな、アイドルのときのキリッとした表情でモデルとかやってほしい。この間のプロデューサーさんに名刺をもらっているから、直接連絡して頼んでみようか、なんて。

 

 

 

 今日の時間割の最後、英語表現の時間だ。神谷さんは今日行くカフェのことが頭から離れないのか、キープトーキングの時間中ずっと「なぁなぁ、メイドさんってやっぱりフリフリの衣装着てるのかなぁ?」とか「お帰りなさいませ、ご主人様っ!とかやるんだよな?あああっ!むりむりむり、絶対あたしには出来ない!」と1人で想像しては、その妄想が恥ずしくなって、赤い顔で頭を振るなんてことを繰り返していた。

 結局、今日のお題の話はロクにせずに妄想を続ける神谷さんを見てなんとなく嫌な予感を覚えていると、案の定今日もALTの先生に当てられてしまった。

 

 

「はいっ!……あっ、えっとえっと……」

 

 

 神谷さんの奇行を注意するわけでもなく見続けていた俺が、気の利いたアシストなど当然出せるわけもなく2人してALTに軽くお叱りを受けてしまった。

 少し涙目で、こちらに「悪い……」と謝ってくれる神谷さんを見て心が痛む。本当に悪いのは可愛いなぁと思って見てるだけだった俺なんだ……。

 

 

 最後の授業で失態を晒しながらも、きょう1日をなんとか乗り切ってSHRを終える。来週は掃除当番か。明日の連絡事項を聞きながら、さっさと教科書類をしまい下校の準備を整えた。

 さよならと号令をかけ、皆が放課後各々の活動に移動していく。相変わらず暇な男友達が集まってゲーセンに行かないか、と誘ってきた。

 こないだの様に先約があるから、と断ると友だちの誘いを断るのか!と無駄に粘ってくる。そんな友だちは知らないな、と冗談めかして言うと、そんな……ひどい……と気色悪い声を出しながら去っていった。余計な詮索をしないで、こちらの意を汲んでくれる気のいい奴らだ。

 

 

「おっ、話し合いは終わったか?さっそく行くか!」

 

 

 一連の流れを見届けていた神谷さんが、こちらへ近づいてきて下校を促す。楽しみで仕方ないのだろうか、喜びで少し震えている姿に、尻尾をはちきれんばかりに振る犬の姿を幻視する。

 早く早く!と背中を押してくる仕草が余計ワンコのようだ。 撫でたら噛みつかれるだろうか、なんて馬鹿なことを考えながら下駄箱に向かった。

 

 

「いや〜楽しみだなぁ!オムライスとか頼んだら、ケチャップで大好きとか書くのかなぁ!」

 

「そういうイメージはあるよね」

 

「だよなぁ!メイドさんと一緒に愛情注入とかやるんだろうな!うぅ〜恥ずかしいっ」

 

「あ〜、神谷さんに俺のもお願いしようかな」

 

「何言ってるんだよ!…………そんな目で見られても、や、やらないからなっ」

 

 

 変にテンションの高い神谷さんと一緒に、目的地である秋葉原に向かう。以前、パソコンを友だちに見繕ってもらったとき以来だけど、まさかこんな形で再訪するとは思っていなかったな。

 押しに弱そうな神谷さんの説得を、車内で試みながら目的の駅に向かった。

 

 

「いや〜ようやく着いたな!けど、やっぱり人が多いなぁ……」

 

「うへぇ……すごい人混み」

 

 

 秋葉原で電車を降り、改札を抜ける。構内から出て周りを見回すが、以前訪れたときと同様に人で溢れていた。原宿に行ったとはいえ、結局人混みに馴れたわけではなくため息をついた。

 そんな俺の様子を心配そうに見ていた神谷さんが、なにか閃いたのか、そうだっ!と大きな声を出してこちらへ振り向く。

 

 

「は、初めから手を繋いでたら、絶対にはぐれないから!」

 

 

 パシッ。えっ? 突然手を取られ、驚いて神谷さんを見る。しかし神谷さんはすでに進行方向に向き直り、足を進めようとしていた。

 

 

「え、ちょっと、わっ……」

 

 

 突然引っ張られ足がもつれそうになるが、握られた手に引かれズルズルと引きずられるように進む。前を歩く神谷さんの背中に頼れる大型犬の影を見ながら、人混みの間をずるずるずるずる……と通り抜けた。

 

 

「ここだ!」

 

 

 しばらく道なりに進み、途中で路地の方へ抜け神谷さんが足を止める。と同時に、握られていた手も離された。かすかに感触の残った手のひらに一抹の寂しさを感じながらも、こちらを見ずにズンズンと店に向かっていく神谷さんを急いで追いかける。

 恥ずかしがっているのだろうか、こちらを全く見てくれない。

 

 ようやく止まってくれたのは店のドアの前だった。急に動きの力強さがなくなる。 入店する踏ん切りがつかないのか、ドアの前をぐるぐるした後にこちらへ帰ってくる。

 

 

「だ、だめだぁ……先に入ってくれ……」

 

 

 恥ずかしさと情けなさからか、か細い声でそう言った。



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メイド喫茶2

 特に気負いもなく目の前のドアを開ける。むしろ初体験なのでワクワクしているぐらいだ。すると店の奥から入り口までメイド服姿の店員さんが向かってきた。ものすごい美人だが無表情だ。頭についている猫耳と腰から伸びている尻尾がなんというか、絶妙に合ってないような……。

 

 

「……お帰りなさいませ、ご主人様……にゃん。お一人でのお帰りですか……にゃん」

 

「えっ……あー、後ろにもう1人居ます」

 

「……お二人ですね……にゃん。…………こちらのテーブルへどうぞ……にゃん。」

 

「あ、はい。ありがとうございます」

 

「……のあさんだよな、絶対。何でこんなところで……あっ、待ってくれよっ」

 

 

 大人の落ち着きを感じる、というか感情が込められていない声と、無理やりさを感じるやっつけな語尾に違和感を覚える……が、その異質感も含めて人気がありそうな店員さんだ。神谷さんはなにか心当たりがあるのか、小声でつぶやき首を傾げているが店員さんが歩きだしてしまい聞くことが出来なかった。

 背中に回り込んで小さくなっている神谷さんを引っ張り出し、案内されたテーブルへ座る。この前のカフェのときと同様に、浮世離れしたファンシーな内装の店内にまだ落ち着かないのか辺りをキョロキョロ見回していた。

 

 

「うわぁ……あたし、本当に来たんだな。メイドさんが一杯で夢みたいだ……」

 

「メイドさんは逃げないから、先に注文を済ませちゃおうよ。もう頼みたいのは決まってるんだっけ」

 

「そうだなっ、来る前にちゃんと調べてきたからバッチリだぞ。あたしはコレと、コレな!」

 

 

 机に視線を戻し、メニューをさっと眺めてゆびを指した。スイーツとパンケーキのプレートに、パフェとドリンク……本当に食べ切れるのか?甘いものは別腹だなんて話を聞くけれど、その人の限界以上の量は食べられないだろう。神谷さんがこの成人男性並の量を食べるのは想像ができない。俺は抑えめにして置こうかな。

 

 

「あっ、なんだよその目は!疑ってるのか?自分の頼んだものは責任をとって全部食べるぞ!」

 

「はいはい。俺はこのパフェでいいかな。すいませーん」

 

「は〜いっス。ご注文はお決まりですか?……っス」

 

 

 注文を伝えようと店員さんに呼びかける。これまた特徴的な語尾の店員さんがテーブルまで来た。少し気の抜けた声になんだか聞き覚えがあり、ついマジマジと顔を見てしまう。

 

 

「ど、どうしたっスか?顔になにか付いてるっスか?……あれ、お兄さん最近見たことあるような」

 

「ひ、比奈さん……」

 

「んっ?あれ、奈緒ちゃんじゃないっスか。奇遇っスね。……あ、もしかしてデートっスか!」

 

「い、いやいやっ!デートなんかじゃないって!」

 

「えぇ〜怪しいっスね〜。あっ思い出したっス。この間イベントに来てたお兄さんじゃないっスか。」

 

「あぁ、あの時の!2人は知り合いなんですか?」

 

「この間のイベントの後に知り合ったっス。ユリユリとも一緒にアニメについて語ったっスよ」

 

「へぇ〜」

 

 

 以前イベントでグッズにサインしてもらった人のようだ。神谷さんとあの後知り合っていた事は意外だったが、このメイド喫茶がコラボしているアニメの出演者だからこの場にいることはそこまで不思議でもない。この間のイベントと同様、ゲストとして働いているのだろうか。

 

 

「あっ、とりあえず注文っスね」

 

「あーはい。コレとコレと、コレで。」

 

「承りましたっス。ごゆっくり〜」

 

「あぁ、そんな目で見ないでくれっ!」

 

 

 とりあえず注文を済ませると、伝票に書き取った店員さん……確か荒木さんが神谷さんを優しい目で見て「大丈夫、加蓮ちゃんには秘密にしておくっスよ」と小声で言う。うーん、人の口に戸は立てられぬと言うし、なんだかんだ北条さんの耳に入ってしまうんじゃ……複雑な表情ながらも、「ほ、本当かっ?」と安心している神谷さんを見ると、とてもじゃないがそんな事は言えなかった。

 

 

 

 

「こちら、ご注文のプレートセット……にゃん」

 

 

 しばらくして、入店したときにテーブルへ案内してくれた店員さんが、神谷さんの注文したプレートセットを運んできてくれる。心なしか神谷さんの顔が引き攣っているような……。

 持ってきたお皿を神谷さんの前に置き、少しかがんで目線を合わせるとケチャップでオムライスに文字を書き始めた。

 

【分かっているわ……にゃん】

 

 

「いやっ!何がだって!」

 

 

 文字でも語尾がつくのか……。神谷さんがなんのことか分からず焦った表情でツッコむと、少し口角が上がっていたずらっぽい表情になったような気がする。完全に手玉に取られてるな。

 

 

「美味しくするための呪文……いっしょに言って欲しい……にゃん」

 

「えぇ!のあさんがやるのか!?」

 

「私だと……ダメ?……にゃん」

 

 

 ぱっと見ではわからないが、少し眉根を寄せて寂しそうな表情になった。近くで見ていた神谷さんもそれに気づいたのか、うっ……と気まずそうな表情をしている。

 

 

「わ、分かったから!やるよっ!」

 

「萌え萌えにゃん……一緒に……にゃん」

 

「あーもう!やれば良いんだろ!も、萌え萌えにゃん!……うぅ……」

 

 

 手でハートを作り胸に一度近づけ、そこからオムライスの方へ伸ばす。神谷さんは恥ずかしさからか、きゅっと目をつぶっていた。限りなく無表情に近い店員さんと全く対照的だ。

 

 

「ありがとう……奈緒。……ちなみに、今のは録画されているわ……にゃん」

 

 

 気づかなかったが、取材が入っていたのだろうか。ビデオカメラが神谷さんと店員さんの一連の流れを撮影していた。言われて気づいたのか神谷さんがカメラの方を勢いよく向く。

 そこで、店員さんが特大の爆弾を落とした。

 

 

「ちなみに、今の動画は……ホームページに載せるわ……にゃん」

 

「ええええええっ!?聞いてないぞっ!!」

 

「入り口のドア……書いてある……にゃん」

 

「うわあああ!見てなかったっ!」

 

「この事は加蓮にも連絡済み……にゃん」

 

「の、のあさん!?」

 

 

 確かに荒木さんは北条さんに伝えないと言っていたが、この店員さんは何も言っていなかったな……。

 ダメ押しで、動画掲載の許可は事務所からも取れていると伝える店員さんは、表情こそ変わっていないが確実にこの状況を楽しんでいるように見えた。

 うーん、ご愁傷様です。

 

 

 

 

 後日、北条さんから『この奈緒が可愛すぎて生きるのが辛い』とメッセージが届いた。一緒に送信されていた動画には、北条さんがサイトに載っている動画を事務所のテレビに表示させていて、それをテレビの前で体を広げて隠している神谷さんが映されていた。

 ……非の打ち所のない可愛さだ。




この話を書いてて思ったんですが、奈緒って154cmでかなりちっちゃいんですね。


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学校7

そういえば9/16が誕生日なので、奈緒は本作中では16歳なんですね。


「クラスの出し物決めまーす」

 

「調理、食品販売は早めに締め切りがとってあるので、急いで下さいね」

 

 

 学級委員の2人が教壇の上に立ち、出し物の案を聞いていく。1人が黒板に板書して、もう1人が挙手をした人を当てている。二年目とあって去年やりたかったことや出来なかったことを中心に、クラスメイトが活発に発案してくれていた。テキパキと話し合いをまとめる学級委員と、以前の反省を活かした意見を積極的に発言するクラスメイトが合わさって最強に見える。

 

 楽しみではあるけれど特にやりたいこともないので、話し合いが拗れないうちは傍観と決め込むことにしよう。

 劇、縁日、喫茶、お化け屋敷など定番の出し物から、占いの館、スタンプラリー、クイズ、自主映像制作など変わり種な案もドンドン出されて黒板に書き加えられていく。神谷さんもアレやコレや挙手して意見を言っていた。喫茶とかやるんだったら、それだけじゃインパクトが弱いから仮装しようだなんて言っているけど、言い出しっぺの法則を分かっているのだろうか。

 

 1人が意見を出さないぐらいでクラスの話し合いには影響はなく、つつがなく進行した結果、一先ず期限の迫る調理団体の抽選には神谷さんの出した仮装喫茶で申し込みをすることになった。抽選に漏れた場合には、また話し合いの場を設け娯楽団体の残っている案から多数決で決めるそう。

 抽選に行くのは各クラスの文化祭実行委員なので、クラスの期待を一身に背負ってくじを引いてくれるのだろう。彼の幸運を祈る。

 

 

「いや〜去年はそもそも一年生で許可されてなかったから、今年はできると良いなぁ」

 

「あぁ、そういえば調理・食販団体って二年生からだって言われたんだっけ」

 

「そうそう、去年は案を出したけど却下されちゃってさ。でも文化祭といえばカフェってところあるだろ?アニメとかでも定番だしな!」

 

「へぇ、いろんなアニメでよく見ると」

 

「そうだな!今期だとアレとアレでもあったし、ちょっと古いけどアレも有名だよなっ」

 

 

 今までも幾度となくボロを出していたが、今回もテンションが上っていたのか口が滑ってしまっている。そのまま気づかずにアニメの文化祭回あるあるを語って満足げな表情だ。本人が幸せそうなので指摘しないであげようか迷っていると、ようやく気がついたのか目を泳がせて「〜って比奈さんに聞いたんだよなっ」とごまかしにかかった。こちらの反応が薄いのを見てさらにテンパっているのか目がぐるぐるとギャグ漫画のように激しく泳ぎだす。

 

 

「なんか、話を聞くと見たくなってくるな」

 

「ほっ本当か!?……だったらオススメがあるんだけど、こ、今度貸そうか?」

 

「え、じゃあ借りようかな……あの、ちょっと近いかな」

 

「ん?うわぁ!!わ、悪いっ」

 

 

 神谷さんの話に興味を持ったことを伝えると、焦りの表情から一転して明るくなる。話題の共有ができる仲間が増やせると感じたのか、ぱぁぁ……と表情が輝き出した。

 語気にも力が入り、据わっていた椅子ごとこちらへ近づいて身を乗り出してきた。

 軽い出来心で発した言葉でここまで反応してもらえると思っておらず、嬉しいという気持ちよりも先に日和ってしまう。距離のことを伝えると、神谷さんも自覚したのかすぐに飛び退いて離れてしまった。

 盛り上がっていた勢いを急激に失ってしまい、「今度オススメのアニメのDVDを持ってくるから……」という事でその話は終わってしまった。

 

 

 

 今日の放課後はいつも通り部活に行って練習をする。新入生も入部して少し経ち、ある程度勝手を覚えたのか率先して準備や手伝いができるようになっていた。

 相変わらずダラダラと練習をしていると、部長から「なんだかお前を久しぶりに見た気がするな」と言われた。「別に普段から休んでるわけじゃないですけど、自分も久しぶりに見た気がします」と返す。何がとは言わないが、具体的に言うと一ヶ月弱ぶりだ。

 

 部活が終われば駅が同じ方面の仲間でグダグダ話しながら帰り、自分一人だけ違う路線なので最寄り駅で別れる。電車に乗り込んだらイヤホンをつけ、音楽を聞きながら明日の単語テストの範囲を確認する。

 近頃今までにない経験ばかりで、普通の放課後が逆に珍しく感じた。

 

 家に帰ればご飯にお風呂。明日の時間割に合わせて持ち物をカバンに詰め、少し早めに就寝した。

 

 

 

 

 翌日、いつもどおり始業の五分前に着席するよう登校すると、カバンから何かを取り出し手渡してきた。渡された紙袋の中を見ると、プラスチックの縦長なケースが3,4枚入っている。

 なんだこれ。取り出してよく見ようとすると、慌てた神谷さんに制止された。

 

 

「わわっ、こんな所で出すなって!」

 

「えっ?いや、何か分からないから見ようと思ったんだけど。……もしかして、人前に出せないやつとか?」

 

「ばっ、バカ!そんなもん持ってくるかよっ!……ほら、昨日言ったろ?オススメのアニメ貸すって」

 

 

 そう言われてようやく合点がいく。そうか、DVDのケースね。見てみたいとは言ったけれど、まさかこんなに早く持ってくるとは。周りにあんまり見られたくなさそうなので、カバンに押し込んで周りから見えないようにパッケージを見た。

 

 ふむふむ、文化祭の話が出るってことで当たり前だけど学校が舞台か。説明を読むに、主人公はやれやれとか言いそうなあまり活発的でなさそうな男の子で、ヒロインはなかなか素直になれない強気な女の子。

 ひょんなことから、主人公はヒロインがアイドルをやっていることを知ってしまい、自分も気づかないうちに恋心を募らせる。ヒロインは、たまたま主人公が野良猫を交通事故から身を挺して助けた所を目撃し、気になりだしてつい目で追ってしまう存在に。

 互いを意識し始めたた2人、学年が上がり新学期から同じクラスの隣の席に……!

 

 いや、コレって……。説明を読み終えて神谷さんの方を向くと、うっ、とバツの悪そうな顔をした。

 

 

「ち、違うんだって!本当にいい作品だから見てほしいだけで、わざとじゃないんだ!」

 

「いや、……ほんとに〜?」

 

 

 尚も疑いの目を向けるが、たまたま自分たちと似通っているところがあるだけと、どうやら折れる様子がない。まぁ似ていると言っても恋心なんて大層なものは、少なくとも自分にはあまりないし、俺は神谷さんがアイドルな事を知っているけど、轢かれかけた猫を助けても居ない。せいぜい、通学路に居る猫を寄ってきたときに撫でるぐらいだ。

 

 せっかくおすすめされたからにはちゃんと見ようじゃないか。見たら感想を伝えると神谷さんに言うと、心底嬉しそうな表情で、「楽しみにしてるなっ!」と言われた。

 この顔が見れるなら、設定が多少自分たちに似ているだけで敬遠するなんてとんでもない。帰ったらすぐ見よう。

 そう思いながら、とりあえず一コマ目の準備を始めた。




他の作者さんの作品を読むのが楽しくて、自作を書くための2時間の捻出に困ってます。


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学校8

2ndSIDEの雨上がりRemixをCDが届いてからずっとヘビロテしてます。


「調理団体の抽選が通ったので、役割分担をしまーす」

 

 

 この前と同じ様に学級委員が取り仕切って話し合いを始める。抽選の結果が知らされておらず、今日の話し合いで娯楽団体の案の候補を絞ると思っていたため、クラスが若干ざわついた。

 

 

「その前に一つ悲しいお知らせがあります。申込みは喫茶ということなんですけど、調理は教室で行えません!調理場は野外で、教室まで料理を運んでくることになります」

 

 

 あー、なんとなく気になっていたけどやっぱり教室で調理はできないか。神谷さんに借りたアニメではそこんとこ有耶無耶になっていたけど、今の時代に教室でガスを使わせて良い道理はなかった。そもそも教室は大して広くないし。

 

 サプライズのおかげで上げられていたテンションが少し冷え込んだ気がしたが、それでも第一案が通ったことが嬉しいのか必要になるであろう役割をポンポンと上げていく。

 調理器具、食材の手配、内装の飾り付け、目玉となる仮装の調達。ある程度割り振るべき役目が決まると、そこからはアレがやりたいコレがやりたいとワイワイそれぞれの主張をしあって役割を決めた。

 

 俺は何をやろうかな……楽そうなのは実働が文化祭の前日準備からの飾り付けとかか?いや、飾りは各自家で作ってくるようにとか言って実は楽ではないパターンだな。

 一番華やかで楽しそうな仮装の調達は、すでに大部分が女子の立候補で占められていて、自分が名乗りを上げると明らかに浮いてしまう。

 そうすると必然的に器具、食材の準備か……男女比も半々でやりやすそうだし、器具はレンタルで揃える予定だからトラブルがなければかなり楽ができる部類だろう。なにより、食材の買い出しとしてみんなで買い物に行くという文化祭の醍醐味が体験できるはずだ!

 希望をとって回っている学級委員に、器具と食材の調達係をやりたいと伝えた。

 

 神谷さんの方は、女子の友だちに仮装衣装の調達係のグループへ引っ張られていこうとしていた。まぁ、仮装喫茶の案を出していたのは神谷さんだし、可愛いものも好きだろうから衣装を探すのも楽しめそうだ。

 一緒の係になれないのは少し心残りだけど、同じクラスなんだから接点がないわけがない。

 そう思いながら、学級委員が神谷さんの方へ希望を取りに行くのを眺めていると、神谷さんがまとわりつく女子たちの手を抜け出してこちらへ近づいてきた。

 

 

「なぁ、高橋はどの係にしたんだ?」

 

「え、俺?器具と食材の調達だけど」

 

「へぇ、意外だな。わかったよ。ありがとなっ」

 

 

 聞くだけ聞いて満足したのか女子たちの方へ戻っていってしまった。意外って言っても俺が女子だらけの衣装調達に行く訳がないのは分かるだろうし、飾りなんて作るような手先の器用さも期待されていないだろう。俺歴17年の俺が見ても全く納得の選択なんだけどな……。

 

 神谷さんを見ると、ちょうど学級委員から希望を取られているところだった。彼は少しおどろいたがメモを取り、また他の人のもとへ希望を取りに行った。

 ちらっと神谷さんがこちらを向き、目が合う。ニッ、といたずらっぽく笑いかけられた。

 そのままこちらへ歩いてきた。

 

 

「やっぱり、あたしも高橋と一緒にやりたいなって思ってさ。よろしくな!」

 

 

 うぐっ……。真正面から向けられる純度100パーセントの笑顔に、深刻なダメージを受けて膝が折れた。その場に崩れ落ちる。

 

 

「お、オイっ!」

 

 

 神谷さんが慌てて近づき支えてくれる。あぁ、会心の一撃だ……!思わず頬が緩み顔がにやけた所をバッチリ神谷さんに見られてしまった。

 

 

「な、なんだよっ!急に倒れそうになって心配したのに!……え?うれしい……?勘違いすんなっ!」

 

 

 周囲からの生暖かい視線が痛い。見られている事に気づいた神谷さんは、慌てて俺を離して肩を怒らせたまま同じ係の集まりへ向かってしまった。生暖かい視線がより嫌にぬるくなった気がする。別にフラレたわけじゃないわ!

 

 

 

 

 

 あの後、また機嫌を直してもらうためいつかのようにお菓子を渡したりするも、食べられるだけ食べられて無駄になってしまった。が、結局アニメの話をすると、またいつも通り目を輝かせて語りだした。

 

 ふむふむ、なるほどなるほど。聞いていないようで聞いている、やっぱりちょっと聞いていないスタイルで話を聞いていると、この前貸したアニメがどうだったのか感想を求められた。

 そうか、ひと通り見終わって返した時はすっごく面白かったぐらいしか言わなかったんだっけ。

 

 それでも神谷さんはめちゃくちゃ喜んでくれて、オススメのアニメを選んでまた貸してもらうという約束をした。今回貸してもらったアニメが気に入ったから、次回も学校が舞台の物がいいって頼んだのだった。

 

 肝心の感想だけど、2人が付き合うだけかと思っていたら、アイドルに恋愛はご法度!とか言いながらヒロインの髪の毛を刈ろうとしてくる敵キャラが現れ、ヒロインを守るために主人公が山ごもりして修行パートが始まったかと思えば、主人公が変身を習得すると颯爽とバイクで現れヒロインを連れ駆け落ちしてしまうという驚愕の展開で、いい意味でも悪い意味でも飽きなかったとしか言えない。

 

 アニメを見るのに初心者とか言うものなのかは知らないけれど、少なくとも自分だったらコレは勧めないだろう。子供の頃は、前の週で滅びた世界が次の週で特に説明もなく復活しているアニメに心躍らせたりしていたが。

 人に勧められないからといって楽しめなかったわけではないので、気に入った点をかいつまんで神谷さんに感想を伝えた。

 

 

「だよなっ!面白かったよな!……いや〜あたしもリアルタイムで追っかけて見ていた時は、なんだこれ無茶苦茶すぎるだろって思いながら見てたけどさ、全部見終わった後はなんだか寂しくなっちゃうんだよな〜」

 

「確かに。話の展開は恐ろしく雑だったけどそれぞれキャラが立ってたし、なにより健気なヒロインが気になってついつい応援しちゃってたな」

 

「そーなんだよ!主人公も好意に気づいてるのに、自分はヒロインに相応しくないとか言って山にこもっちゃうし。早く付き合えっての!」

 

「う〜ん。全くおんなじこと考えてたな。最初の頃こそ切ないすれ違いもあったけど、終盤には誰の前でもイチャイチャしてて腹がたったし」

 

「そうなんだよ!人前で抱きつくなんてもうカップルみたいなものだって!」

 

 

 頭が悪いのかと思うほど要素が詰め込んである割に、各話の恋愛描写も抜かりなく入れてくる脚本には脱帽だった。なんてアニメの感想を語り合っているとコマ毎の休み時間では全く足りず、気がつけば放課後に事務所までお邪魔して、ゲームをやりながらずっとあーだこーだ言い合っていた。

 

 相変わらずゲームの腕前は下手としか言えない有様だったが、プロデューサーを待っていた子供組と遊んでやったり、北条さんと神谷さんをいじったり、大満足の一日だった。

 何故か事務所においてあった、神谷さんの私物のアニメを借りてまた今度感想を伝えることになっている。アニメ熱が高まっている今のまま、家に帰ったら一気見してやろうと息巻いて帰宅した。




気が付けば20話です。


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買い出し1

日曜日、主人公たちは必要な食材の下見のため業務用スーパーへ。


「おはよー」

 

「お、来たなっ。」

 

「ちょっと遅いんじゃないか?時間ギリギリだぞ」

 

「それをついさっき来たアンタが言うわけ?」

 

「うっ…………悪い」

 

 

 集合場所として指定された駅前につくと、今日一緒に行動する予定の3人はもう既に集まっていた。

 文化祭の同じ係で、隣の席の神谷さん、お調子者の川原、強気な木下さんだ。

 

 食材などの様々な必要なものを用意するには学校から支給されるお金が必要であり、かかる費用を予め予算として申請しなければならないのである。ついでに言えば、なるべく安価で賄おうとしている団体へ優先的に予算が承認されるようなので、係が3つの班に分けそれぞれ異なる場所の業務用スーパーを下見することになった。

 

 それぞれの場所で予算をまとめ、比較して一番安く食材を購入できる予算を組もうということである。まぁ、品物の値段は日によって多少変わるが問題ないだろうということだ。

 

 

「えっと、ここから歩いて行くんだっけ」

 

「そうそう。10分もかからないから、さっさと行って終わらせちゃいましょう」

 

 

 木下さんはあまりこの下見に乗り気じゃないのか、スタスタと目的地の方へ進んでいってしまう。

 

 

「はぁ〜!ああいう協調性のないやつが居ると困るよな〜!待ってろ、俺が足並み揃わせてやる」

 

 

 川原の方は木下さんとは対照的に、みんなで楽しむのが一番だと考えているようで、ずいぶん先の方に見える木下さんの方へ走って向かってしまった。

 先に行っているとは言っても、木下さんは歩いているので、当然走っている川原がすぐに追いつき横から声をかけていた。

 

 木下さんの足が止まる。川原がヘラヘラ笑いかけながら前に回り込みジリジリと距離を詰める。木下さんが一歩後退した。それでも川原は気にせず尚も近づいていく。何かを木下さんにつぶやきながら両手を上げ捕獲の姿勢に入った。

 たまらず木下さんはこちらへ振り向きダッシュで駆けてくる。川原の方は決して追いつきはしないスピードだが、後ろにピッタリとくっつきながら何かを木下さんに話しかけ続けている。

 

 

「ちょっと!コイツ何とかしなさいよ!……いやっ!来ないでよっ!」

 

 

 逃げ惑う女子高生の後ろに近づきながら、何かを話しかけ続け両手を掲げて今にも襲いかかろうとしている男の図。マズイ、通報されても何も言えないぞ。完全に変質者だ!

 

 どうにか場を修めなきゃと焦る自分の横で、指をさしながら大笑いしている神谷さん。涙がでるほど笑っている顔はとても素敵だけど、できれば今じゃない場面で見たかった……!

 

 とにかくこちらに向かっている2人を止めようと、手を広げて2人の前に立ちはだかった。

 木下さんはとっさにかがんで俺の横を通り過ぎる。その先で神谷さんに飛び込んだ。

 川原の方はどうにか止まろうとしたのだろうか、足でブレーキをかけ減速するも、スピードは殺しきれずにそのまま俺の広げた手に首を引っ掛け、その場に崩れ落ちた。

「「ぐぇ」」横と後ろからカエルが潰れたような声が上がった。

 

 

 

 

「ほんとにごめんなさいっ!悪気はなかったの!」

 

「いやいや、ほんと大丈夫だって。ほら、ケガとかないしピンピンしてるから」

 

 

 隣から木下さんが神谷さんに謝る声が聞こえる。俺の(図らずしもなってしまった)ラリアットを躱した後、勢いよく神谷さんを押し倒してしまったらしい。幸い特にケガはなかったが、木下さんはずっと気にしているようだ。

 

 本来なら全ての原因である川原こそ謝るべきなのだが、倒れたときに尻をしたたかに打ち付けたとかで、今は俺が背負っている。何が悲しくて休日に男をおんぶしなければならないのか。

 打った尻が痛むのか、後ろからシクシク、シクシクさめざめと涙を流す声が聞こえる。泣きたいのはコッチもだよシクシク。

 

 取り敢えずスーパーに行かなければならないので、周りから変な目を向けられようともくじけずに目的のスーパーを目指して歩いた。途中で俺の首をコントローラーのようにグリグリ回す川原を置いていったが、先にスーパーへ行けばそのうち追いついてくるだろう。

「いやー!捨てないでよー!」と叫びながら尻をさすっている姿には流石にドン引きした。

 

 

 

 

 目的地につくと木下さんから二手に分かれて探そうと言い出したので、じゃんけんでペアを分けた。

 神谷さんと俺でカレーと飲み物、木下さんが焼きそば、とそれぞれ必要な食材や調味料を探して回ることに。

 

 

「なぁなぁ!キロ単位で買うんだよなっ!いや〜とんでもない量だなぁ!」

 

「水も2lのを何本か用意しなきゃいけなくて。ソフトドリンクも必要だな」

 

「いや〜!数百人分の材料なんて人生でそうそうないよなっ!今からすっごいワクワクするなー」

 

 

 普段利用するようなスーパーではなかなか見ない単位で品物が置かれているのを見て、テンションが上がりっぱなしの神谷さんはあっちこっちをキョロキョロしながら忙しなく動き回っている。

 分量と値段をメモしていると、面白いものを見つけたのか腕を引っ張って連れ回され、最低限必要なものをメモした後は2人で面白いもの探しのようになってしまった。

 

 

「コレって食べれる肉だよな……?」

 

「そういうお肉は暴力団に消された人で出来てるんだよ」

 

「ヒィィッ!や、やめろよ!」

 

 

 数キロ単位で置いてある謎の肉を、不思議そうに眺めている神谷さんに冗談を言ってからかったりしていると、いつの間に合流したのか川原と木下さんが2人でこちらに来ていた。

 

 

「私達はもう調べたから帰れるけど、そっちはどう?」

 

「なんだお前ら、ずいぶん仲良さそうにしてるじゃんか」

 

「あぁ、実はコッチも結構前に調べはついたから終わりにするよ」

 

「そう?じゃあ一旦店を出て、他の班にメッセージを送ったら帰りましょうか」

 

「それでいいと思う」

 

「なぁ無視ってひどくないか!?」

 

 

 木下さんの方も調査が終わっていたみたいなので、業務用スーパーから取り敢えず出て文化祭の係グループにメモの写真付きでメッセージを送る。ぼちぼち他の班も調べ終わっていたみたいで続々とグループにメッセージが来ていた。

 

 届いたメッセージを確認し、4人で来た道を戻り駅へ向かう。神谷さんが20kgはあるだろう米袋を持ち上げようとして腕を挟み抜けなくなった話や、川原が腰をさすりながら歩いているとおばあさんから湿布を貼ってもらった話など、雑談をしながらだと10分程度はあっという間で、気がつけば駅に着いていた。

 

 

「また集まるのは、文化祭の前日準備の時だな!それじゃ!」

 

「アンタは学校に行かないつもりなの?また会うでしょ!……またね」

 

「あぁ、また」

 

「学校でな!」

 

 

 帰る方向が同じ2人が先に別れを告げて同じ路線の方へ向かっていった。残されたのは、俺と神谷さんの2人だ。

 

 

「今日は楽しかったな!ああいうとこ初めて行ったし、文化祭に向けて動いてるって感じで」

 

「ほんと、楽しかったよ。神谷さんが子供みたいにはしゃいでたし」

 

「な、なんだよ!せっかくなのに楽しまないほうが間抜けだろ!」

 

「だから楽しかったんだって。一緒になって遊んじゃったし。今日はほんとありがとう」

 

「え、その……。うん。こっちこそありがとな」

 

「じゃあ!また!明日学校で」

 

「そうだな……また!」

 

 

 このまま続けるとお互いにありがとうを言い合う、ありがとう合戦になってしまいそうなので無理やり挨拶をして今日乗ってきた路線のホームへ向かう。

 神谷さんと別れる時はいっつも変な空気になっちゃうな……。もしかしたら神谷さんも、同じ様に思っているだろうか。

 なんて考えながら電車に乗り込んだ。



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相合い傘1

「いよいよ明日だな!文化祭!」

 

「そーだね。レンタルした器具も届いたし、買ってきた食材は冷蔵庫に入ったから、ようやく準備完了って感じか」

 

「野外で調理してくれって言われた時はどうしようと思ってたけど、正門の横の駐車場を取れたから宣伝もできそうだしな!」

 

「あと、不安材料があるとしたら明日の天気がどうなるかだけど……」

 

「午前中に降るか、もしかしたら今日の夜中に雨になるかだな」

 

 

 前日準備を最終下刻時間まで念入りに行い、クラスで円陣を組んで成功祈願をした後、定時制に紛れて残る文化祭実行委員以外は急いで下校する中神谷さんと2人で話しながら昇降口へ向かう。

 

 食材と調理器具を担当する俺たちの班は、午前中は飾り付け班の設営を手伝い、午後からは目をつけていたスーパーを回り食材を購入し学校に用意されたそこそこ大きい冷蔵庫に入れ、無事準備を終わらせた。

 下準備が必要な食材は明日の朝早めに登校し、調理係総出で行う予定である。

 

 

 一つ想定外だったのは仮装を用意する係で、安価なパーティーセットを購入して済ませるだけでなく、生地を購入して衣装の自作を行ったことだ。自宅まで持ち帰りかなり早くから必死に準備を行った結果、相当完成度の高いドレス衣装が出来上がっていた。

 数を多くは用意できなかったそうだが、2,3着あれば教室で接客を担当する係の人には行き届くそう。接客担当は係関係なく女子が交代で行うことになっているので、神谷さんも2日間の内のどちらかで必ず着ることになるだろう。

 

 さすがにライブやイベントできていた衣装と比べるとクオリティは下がるが、それでも学生が作ったとは思えないレベルである。衣装作りを監督した野口さん曰く、黒と紫を基調とし派手すぎないが眼を引く衣装作りを目指したそうだ。

 何人か試着していたが、高校生の子供っぽさがなくなりクールな大人っぽさが際立つ良い衣装だった。今から本番が楽しみになる。

 

 

「げっ、雨降ってる!明日か夜中からだと思ってたから傘持ってきてないな……」

 

 

 靴を履き替え昇降口を出ると、どうやら雨がポツポツと降り出しているようだった。今はまだ本降りではなく小雨程度だが、今日明日の天気予報を考えるとこれから次第に強さを増すだろう。

 幸い、普段からリュックのサイドポケットに折り畳み傘を入れているので、それを差せば雨に濡れることはなさそうだけど……。

 

 ポッケから傘を取り出し、少し考える。ここで神谷さんに傘を貸して、自分は近くのコンビニまで走って行けばカッコイイかもしれない。今ならまだ小雨だし、全力で走ればコンビニまで3,4分でつくだろう。多少制服は濡れてしまうだろうが、文化祭はクラスTシャツで過ごすから特に問題はない。

 そう頭の中で決断を下すと、手に持った折り畳み傘を神谷さんに差し出した。

 

 

「あー俺さ、ちょっとそこのコンビニまで走るから傘使っていいよ。今ならそんなに濡れないだろうし」

 

 

 神谷さんは差し出された傘を見て、驚いた顔でこちらを向く。

 

 

「い、良いのか?」

 

「良いって良いって。ほら、こないだ借りたアニメにもこんな展開があったでしょ?一度やってみたかったんだよ」

 

「た、確かにあったけど……」

 

 

 なかなか受け取ろうとしない神谷さんの手を取り、すこし強引に傘を握らせる。くそぅ、もっとスマートに渡して爽やかに去りたかったんだけど……そう思い通りにはならない。

 ともかく、神谷さんがしっかり傘を手にとったのを確認した俺は外へ向き直して走り出そうとした――

 

 

「ま、待ってくれ!」

 

 

 ところで、神谷さんに左手を取られる。えっ。踏み出した足が止まった。

 

 

「2人で傘に入ればどっちも濡れないだろ!?傘を忘れたのはあたしなんだし、高橋だけ濡らして帰らせる訳には行かないって!」

 

 

 相合い傘の提案だった。左腕が握られる手の強さから神谷さんの緊張が伝わってくる。……あ、相合い傘!?

 

 

「そ、それは……嬉しいけど、誰かに見られたら困るんじゃないかな……ほら、神谷さんアイドルなんだし?」

 

「傘で隠れるし、もうすぐ暗くなるから見えなくなるはずだ!他の生徒は急いで帰ったから、通学路にはあたしたち以外いないはずだしっ!」

 

「う、うーん」

 

 

 そう言われると言い返せない。正直断っているのは恥ずかしいからだし、本音を言えば神谷さんと相合い傘で帰れるなんて願ったり叶ったりだ。

 その場で葛藤していると――「ほらっ!」――こちらの煮えきれない態度に業を煮やしたのか、腕を引っ張って外へ出ていってしまった。

 

 

「濡れるから早く入れって!」

 

 

 ギュッと引き寄せられ同じ傘の下に2人きりになる。傘を持っているのが背の低い神谷さんなので相当縮こまってスペースに入る。

 

 真横の位置だと入り切らないので、半身を前後にずらして横に並ぶ。神谷さんの肘がちょうど自分の胸の前にあった。

 

 ポツポツと小さな音を立てる雨に対して、ドッドッドッと激しさを増す自分の心音が恥ずかしくなる。おそらく完全に伝わってしまっているのだろう。歩みを進める神谷さんの動きも少しぎこちなくなった。

 

 

「お、俺が傘持つから!」

 

 

 無言に耐えきれなくなり、奪うようにして神谷さんの手から傘を取り顔の横まで手を持っていく。

 傘の高さが先程より高くなり、すこしスペースが広がった。前後に重なっていた互いの位置が真横に変わった。

 

 

「あ、ありがとな。ちょ、ちょうど腕が疲れてきてたから」

 

「そ、そう?なら良かった」

 

 

 少し無理やりだったが余り気にしていないようで良かった。腕が疲れたというのは……こちらを気遣っての方便だろう。こちらの心音が直に神谷さんに伝わっていたはずなので、自分が恥ずかしさに耐えられなかったがための行動だと気づいていそうだ。

 

 

「そ、そういえば、加蓮がさっ!この間行ったメイド喫茶での動画を事務所でモニターに映してて、ほ、ほんと恥ずかしくて……」

 

 

 空気を変えようと思ったのか、神谷さんがいつもの雑談を始めてくれる。ありがたい。いつも通り落ち着いて返事をしよう。

 

 

「あ、あぁ!その動画なら北条さんから送られて来たな、神谷さんがモニターの前でぴょんぴょん跳ねてて可愛かったよ」

 

「かわっ!…………」

 

 

 あぁしまった!つい正直に答えてしまった……。予想外の口撃をくらった神谷さんはすこしうつむいて黙り込んでしまう。何も言えない空気のまま、駅まで向かった。

 

 

 

 

「えっと、あたしはコッチだから……その、傘。ありがとな、じゃ……」

 

「いや、全然気にしないでいいよ。ま、また明日!」

 

 

 結局何も話せないまま駅まで着いてしまい、そのまま別れた。

 

 途中、段差で躓いた神谷さんをとっさに出した腕で支えたり、傘の端から垂れる水滴が外側の肩に当たり、驚いた神谷さんが内側に詰めてきたおかげで空いていた距離がゼロになり肩が触れ合ったりもしたが、余計に何も言えなくなってしまった。

 

 相合い傘なんてもう二度とないかも知れないのに……!自分の不甲斐なさを呪った。





積極的 な なおかわ


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文化祭1

長め。


 待ちに待った文化祭当日。前日の夕方から降っていた雨は夜中の間に止み、雨雲一つ残さない快晴になった。この分だと校庭を使う各部活も無事に発表をできるだろう。

 我がバトミントン部の出し物は、シャトルを投げて模造紙に開けられた穴を通すだけの簡単なもので、裏庭に回されているため校庭が使えなくてもなんともないが。

 

 クラスの方は、調理係はまだ食材の準備があるので校門が開く7時に集合する事になっている。学校まで1時間近くかかるから……30分で支度しなければ。急いで身支度を済ませ、持ち物を確認する。クラスTシャツ、事前に購入した金券、買い増し用の現金、携帯、定期。よし、全部持ったな。

 

 いつもは家で一番に起きてくる母親がちょうど寝室から出てきた頃に、朝の挨拶をして家の玄関を出た。

 既に太陽は上がって日が差しているが、時刻が早いため人の姿もまばらだ。サラリーマンだろうか、スーツを着たおじさんが大口を開けてあくびをしているのを見て、自分も眠気を催す。朝早いからなぁ……。

 

 っと、いけないいけない、このままだと電車で寝過ごしてしまいそうだ。ぼんやりした頭を覚醒させるため最寄り駅まで軽く走りながら向かった。

 

 

 

 

「おはよう!」

 

「おっ、来たか。もうそろそろ開くところだぞ。」

 

「5分前に着いたんだからいいだろ?川原たちが早すぎるんだって」

 

「どうだろうな?多分高橋がクラスの中で一番遅いぞ?」

 

「クラス?」

 

 

 正門に掲げられたアーチの前に出来ている人だかりの中に、同じ係のクラスメイトを見つけて声を掛ける。話を聞くと30分前からここで待機していたらしく、門が開くのを今までずっと待っていたらしい。アホだ。

 俺が着いたのはちょうど門が開くタイミングで、川原と話しながら門をくぐりその脇の駐車場に立ててあるタープテントへ向かう。あ、神谷さんだ。手を振ると、昨日の帰りを思い出してちょっと気まずいのか控えめに手が振り返された。それはともかく集合場所のテントにつくと、そこには集まる予定のない他の係のクラスメイトも含め、クラス全員が居た。

 

 彼らによると、前日準備であらかた準備を済ませたが、家に帰るとまだやり残したことや新たに追加したい部分が出てきたため、早めに集まるという連絡を送ったのだそうだ。「せっかく来たんだし僕らも手伝うよ」と爽やかに言ってのける会場準備,仮装作りのメンバーに思わずうるっとくる。良いクラスメイトを持ったものだ!

 

 優しいクラスメイトに感動している俺を尻目に、どんどん周りが自分たちの仕事に向かいだしたので慌てて食材を取りに行く。冷蔵庫から必要なソフトドリンクや痛みやすい食材などを用意したクーラーボックスに移す作業と、相当量のご飯を炊く作業をしなくては。こんな重労働を女子にさせてはならない。

 

 急いで動き出すと、周囲の男子たちも同じ気持ちだったのか、「私も行くよ!」という女子を抑えて我先にと走り出していた。皆一様にキザな表情で柄にもなくカッコつけているみたいだが、少し冷静になって振り返ると置いていかれた女子が「男子っていつもこうなんだから」と言わんばかりの冷たい目でこちらを見ていた。

 うっ……。多少傷ついたがそれでも神谷さんが見ていると思うと、ついついカッコいいところを見せようと張り切ってしまう。悲しき男の性である。

 

 

「持ってきたぞ〜」

 

「ありがとう!ご飯は炊くからそっちで、具材は切るからそっちに置いて!」

 

「了解っと」

 

 

 必要な食材を持ってきたらそのまま調理に取り掛かる。人が入って混雑するのは昼前からになるとは言え、その時までにある程度数を揃えて置かなければならない。ある程度料理の心得があるものと全く出来ないものでペアを組み、片方が居なくなっても同じ作業ができるようにやるべきことを教えていく。

 幸い、壊滅的な料理下手は居なかったようで、仕込みが終わる頃には全員がそれなりに作業を行えるようになっていた。

 

 仕込みを終えると、ちょうど衣装の装飾の追加が終わったのか仮装用意係から女子と一部の男子に声がかかる。残りの男子だけで調理は回せるようになっていたので快く衣装合わせに送り出した。

 ドナドナ運ばれていく数人の男子は抵抗を諦め死んだ目をしてこちらを見ていた。すまない……断ると女子が怖いんだ……。

 

 しばらくして見事に仮装を着飾った男子が帰ってきた。メイクをされ、カツラを被り、足や腕の毛は長い手袋とソックスで隠されていて、パッと見では完全に女子だ。

「物珍しいから校内を回る宣伝係にされたよ……」看板を持ち力なく掲げる姿は、なんとなく哀愁が漂っていた。

 

 

 

 

「カレー3つ持ってって!」

「ドリンク入れる用のコップをすぐに洗ってってさ!」

「焼きそば6つ急いで!」

 

 

 9時に文化祭が一般開放され続々とお客さんが入る……なんてことはなく、校内を回る女装に引っかかった人や教室で接客をする女子目当ての人以外は、ご飯時でもないので余り人が入らずに調理側ものんびりとしていた。

 が、時刻は11時を回り、ご飯が食べられるところは混雑するから早めに入ろうということなのか、途端に客足が増え接客も調理も運搬もてんてこ舞いである。

 

 実行委員会から調理したものの運搬に対して配慮してもらい、1階の教室を割り振られたといってもかなりの混雑で、人混みの中をカレーや焼きそば、焼き鳥その他諸々を持ちながらダッシュするわけにもいかず、常にテントと教室を行ったり来たりしていた。もちろん調理も大忙しで運搬と時間交代で行っているがどちらも休むことは出来ない。

 

 朝の早い間はかなり余裕があり、接客担当の女子たちが直接調理場まで料理を取りに来てくれていたのに……。とにかく今はこの地獄を何とか乗り切ろうと、必死で手足を動かし時間を気にする余裕すら無く3時間。

 ようやく1日目分の食材が尽きる。業者から買って多めに用意していたアイスからなくなり、最後にはドリンクしかメニューの中で出せるものがなくなってしまった。

 それでも人が入るのは宣伝が有能なのか、それとも店員が人気なのか。後者であると信じたい。

 

 

「もう出せるものなくなったし、売り切れって事でお店を閉めるか」

 

「あー、実行委員から机と椅子は出しといて休憩スペースとして開放してだってさ」

 

「なるほど。とりあえずもう片付け班が終わったら全員この後はフリーなのか?」

 

「いや、一応何かあったときの為に1人か2人教室に置いてほしいらしい」

 

「へぇ、どうやって決めるんだ?」

 

「ここにクラス全員の名前が書かれたあみだくじがある」

 

 

 模擬店として提供できるものがいよいよなくなり、店を閉めることにしたところでクラスの文化祭実行委員である国木田から待ったがかかった。店は閉めてもいいが場所は開放してもらいたいらしい。いつの間にそんな話しが?と聞くと、ついさっき運営本部から連絡があったそう。

 教室に残さなければならない人を決めるために急遽あみだくじを作り、クラスのグループに運営から送られた内容を説明するメッセージを送ったそうだ。

 

 

「ちょうど良いから高橋くん、選んでくれよ」

 

「俺で良いのか?えっと、2人だよな。じゃあ……ココとココで」

 

 

 クラスの人数分伸びている線の先を、適当に2箇所指差す。なになに、……高橋。うげっ、今係が終わったばかりなのにまたしばらくシフトに入らなくちゃいけないのか。

 国木田のこちらを見る、可哀想にという視線に腹が立つ。それで相方は誰だろうか。1時間も一緒に居ることになるんだから会話が続く人が良いんだけど。

 指したもう一つの箇所から指を線に沿って下ろしていくと、神谷と書かれていた。

 

 

 

 

「それで、今2人でこうして店番みたいな事をしている訳なのか」

 

「いや〜悪いね。神谷さんも文化祭回りたいだろうに、あみだくじで当てちゃって」

 

「そんな、気にするなって!あたしは別に、高橋と一緒だったら1時間ぐらいどうってことないし」

 

 

 言い終わってから自分の発言に気づき、慌てて「そういうんじゃないからな!」と否定する。

 あぁ、文化祭だけどいつもの神谷さんだな。焦りで変な動きをしている神谷さんをみながらそう思った。

 1時間教室に残れと言われた時はどうなることかと思ったが、その一緒に居る相手が神谷さんとは不幸中の幸い、というかむしろ幸運である。

 

 普段と変わらぬ雑談をして、そこそこの時間を過ごした。そろそろ1時間が経つので交代になる。次のペアは国木田があみだくじで決めているそうで、連絡がいっているからその2人が来たら交代できるそうだ。

 あぁ、あっという間の1時間だった……。少し別れを惜しんでいると、突然ひらめいた。

 

 そうだ、神谷さんを一緒に回らないか誘ってみよう!急遽この1時間の店番が入ったから、もともと一緒に回る予定だった人はもうすでに回っているはず。自分も松下を含めた仲のいいグループで回るはずが、俺だけ店番ってことで置いていかれたんだった。

 

 

「か、神谷さん。この後、一緒に回れないかな?」

 

「えっ、一緒に!?この後か?」

 

 

 意を決して神谷さんに声を掛ける。もうすぐ次の店番ペアが来てしまうから、今、このタイミングが絶好の機会だ。神谷さんは声を掛けられた内容に驚いてはいるが、嫌がっているようには見えない。いけるか……?

 

 

「あっ!奈緒!店番終わったんだよね〜!早く回りに行こ!

 

 あれ?高橋くんじゃん。もしかして奈緒のこと誘ってた?ごめんね?奈緒は私のモノだから!」

 

 

 突如現れた北条さんが神谷さんの腕を取り、教室を出ようと促す。神谷さんは突然の登場に驚いた顔をしたが、すぐにこちらを向いて申し訳なさそうに北条さんと回ることになっていたのを伝えてくれた。

 

 

「そういう訳だから、今日の奈緒は私のモノなんだ。じゃーねー!」

 

「わわっ!ちょっ!引っ張るなって!!」

 

 

 なんだ、先約があるなら仕方がないか……。急展開に頭がついていかないが、もし先に誘っていたらと後悔してもしょうがない。前から約束していた仲間にメッセージを送って入れてもらおう。

 

 合流した友だち達に「なんか元気ないけど、どうかしたのか?」と心配され、なんとなく原因を察した松下が無理やりその場を盛り上げようとしてくれたのが胸に来た。

 いい友達を持ったな……!

 結局男グループで馬鹿騒ぎをして文化祭1日目を過ごした。




フラれる主人公。明日があるさ……!
キリが悪かったので1日目を1話にまとめたところ4000文字を超えてしまいました。
2日目からがなおかわの本番です。


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文化祭2

5000文字オーバー


 文化祭の初日を終え、模擬店を出していた教室にクラス全員で集まり帰りのホームルームを行う。学級委員から今日の収益と集客人数が発表され、めでたく黒字のお祝いをした。多少ぼったくりな値段で、かつ人件費を度外視しているとは言えなかなかできることじゃないと担任からもお墨付きを貰えた。

 明日もこの調子で頼むぞ、という言葉でホームルームを終え一応放課後ということになるが、まだ文化祭のテンションの高まりは収まらずに最終下校時刻まで残って明日の準備をすることになった。

 

 調理場から教室への運搬や、食べ終わった後に机に残る紙皿紙コップの廃棄などの反省すべき点は多く残っているので、明日はより良いサービスを提供するために反省会を開いた。

 作業の効率化はどうしても限界があるので、混雑によるお客さんの待機時間を減らすことを目標にする。

 教室の入口に只今の待機時間札を置き、なるべく同じ時間帯に人が集中しないようにすること。待機列を廊下ではなく教壇に呼び込み、予めメニューや注意を書いた黒板に目を通してもらうこと。

 

 みんなで意見を出し合って改善点をまとめた後、人の出入りで壊れたり外れたりしてしまった飾り付けを全員で直して周り、ついでに空いた人員で食材,食器の在庫補充をし下校時刻になったので解散する。

 部活の出し物の準備があるメンバーも、そちらが終われば全員がクラスの出し物の準備に駆けつけ協力しあっていた。クラス一丸となった雰囲気に、準備の時間も文化祭だということを強く実感する。

 明日も頑張ろう、全員でまた円陣を組んで下校した。

 

 

「あ、高橋!ちょっとまってくれ」

 

 

 教室を出て下駄箱で靴を履き替えていると、神谷さんが声を掛けてきた。一緒に帰ろうとしていた友だちが何かを察したような顔をして、「俺たちは先に校門の方行ってるから」と気を利かせたのかその場から居なくなってしまう。本気で言っているのか判別できないが、今はそんな気遣いがありがたい。少し感謝しながら急いで靴を履き替え神谷さんの方を向いた。

 

 

「どうしたの?」

 

 

 神谷さんも友だちを待たせているのか、先に行っててと手で合図してからこちらを向き少し呼吸を整えてからこう言った。

 

 

「あのさ、今日なんだけど。加蓮が先に約束してて、一緒に回れなかっただろ?でも、明日はあたし、クラスの模擬店が終わったらフリーなんだ」

 

「へえ、そうなんだ」

 

「そう、そうなんだよ!終わってからはフリーなんだけどな〜」

 

 

 その言い方からなんとなく意図を察したが、素直に誘いにのってしまうのも面白くないのでワンクッション置き、あえて泳がせてみる。神谷さんは俺のことを相当鈍いやつだと思ったのか、露骨に午後の予定がないことをアピールしてくれる。ドンドン目が回りだした……。しっかり目を合わせると慌てて視線をそらされてしまった。

 

 

「じゃあ、クラスの仕事が終わったら一緒に回らない?」

 

「そ、そう!!それだよ!」

 

「それ?」

 

「あっ!ちが!いや、違うじゃなくて、えと、こちらこそよろしく……うん」

 

 

 流石にこれ以上スルーするのは、善意から言ってくれている神谷さんに酷いので一緒に回る事を提案する。不安から開放された神谷さんはいつもの調子を取り戻し、思っていたことを口から滑らせた……あと苦しくごまかす。

 その様子がおかしくて笑うと、こちらがからかっていたことに気づいたのか、顔を赤くして怒り出してしまった。

 

 

「ふ、ふざけんな!明日一緒に回らないぞ!」

 

「それは困るな。せっかく勇気を出して誘ったんだし」

 

「ほ、ほんとか……?」

 

「冗談かも」

 

「や、やっぱりやめだ!1人で回れよー!」

 

「あぁ、待って待って」

 

「わ、うわっ……!」

 

 

 こちらの調子に憤慨して去ってしまいそうな神谷さんを、腕を掴んで引き止めてなだめる。原因はこちらにあるというのに、腕を掴まれてから借りてきた猫のようにしおらしくなってしまった。何を言ってもうん、うんとしか相槌を返してくれなくなった神谷さんに、友だちを待たせているからと言ってその場を立ち去る。

 なにかとても酷いことをしてしまったような、罪悪感を感じながら門で待っていた友だちと合流して帰宅する。

 神谷さん……さすがに明日もあのままじゃないと良いけど。

 

 

 

 

 

 いよいよやってきた文化祭2日目。今日も門が開く7時に集まっているクラスメイトたち。昨日で大体の要領がわかっているので、すばやく手早く用意を完了させ手が空いた人から他の係の手伝いに向かっている。

 どうせ着せられるからと既に衣装を着込んでいる数人は、傍目から見ると嫌がっているよりもずいぶんノリノリに見えた。女装は癖になると抜けられないとよく言うが、彼らは味をしめてしまったのだろうか。一部の男子の将来に一抹の不安を感じながらも、準備自体は滞りなく進んでいった。

 

 そして、文化祭が一般開放される9時になる。しばらくは教室も調理場も暇で下準備も終わって雑談できるぐらいの緩さだった。それから11時頃まで少しずつ客足が増え始め、時刻が正午を回る頃には教室の中へ回していた待機列が廊下まで伸びるほどの混雑になる。

 

 昨日までの経験を活かして、ヒイヒイ言いながらも何とか注文を捌いていくと13時ごろから少しづつ人が減っていき、14時には出せる品物がなくなったということで閉店,休憩所として開放という事になった。

 今日も厳正公平にあみだくじで店番を決める。もちろん昨日も使っていたあみだくじなので、今日もう一度当番が当たることはない。

 

 さっさと最低限の片付けをし、神谷さんを連れて文化祭を楽しもう!14時を過ぎて残り3時間しか残されていない、効率良く回らなきゃな。周りたい場所を地図を確認しながらリストアップしていると、神谷さんが声を掛けてきた。

 

 

「わ、悪いっ。待たせたか?」

 

 

 声のした方へ会場マップから顔をあげると、そこには接客用のドレス衣装を着た神谷さんが居た。髪型もいつものお団子ではなく、ライブのときのように解いて下ろしている。か、可愛い……けど一体どうしたのだろうか。

 

 

「……もしかして北条さんが来てる?」

 

「ち、違うだろっ!こういう時は普通褒めたりするんだっ」

 

「いや、てっきり着せられているのかと思ったんだけど。でも本当に似合ってるよ」

 

「う、うるさい……本当に言うなっ……」

 

 

 照れからか、若干めんどくさいモードに入っている神谷さんから事情を聞く。どうやら最後に接客担当だった数人は衣装を着たままなんだそうだ。休憩スペースがあることの宣伝もついでにして欲しいとのことで、多少目立つのは仕方ないらしい。

 

 

「あ、あたしはこれ着てると目立っちゃうから、ヤなんだけど……」

 

「それを着替えるなんてとんでもない!……あっ、いや、ホント似合ってて可愛いから」

 

「可愛い……うぅ、早く着替えたい……」

 

 

 そう言って神谷さんは両腕を組み、自分の胸を抱くようにして縮こまってしまった。参ったな……。このままだとこの場を動けなくなっちゃうぞ。一緒に文化祭を回れるなんていう大チャンスを、この間の相合い傘のときみたいにふいにしたくは無い。勇気を出して神谷さんの腕をとった。

 

 

「とにかく、色々回ろう」

 

「え?って、ちょっと待てって!」

 

 

 神谷さんはその場を動きたくないようだったが、多少強引に手を引き校内を回る。まずは外に出てお腹を満たそう。

 昼時を過ぎ並ぶ人が少なくなった出店でソーセージを買う。メニューにはじゃがバターやポテトもあったが、なんとなく選ばなかった

 

 

「えぇ!ソーセージ?あたしに?あ、ありがとう……」

 

 

 ちょっと待てよ〜と言いながらここまで引っ張られてきた神谷さんに、ソーセージを食べておとなしくなってもらう。「あ、アツっ……ふーふー」思惑通り、熱々のソーセージを食べることに夢中のようだ。

 次は隣の焼き鳥だ!これまた人の少なくなっていた出店から2,3本串を買ってきて神谷さんに渡す。

「い、いいのふぁ?」まだソーセージが口に入ったまま促されるままに焼き鳥を受け取り、ソーセージと一緒に急いで食べ始める。

 

 

「んん……うまいっ!」

 

 

 お腹が満たされて笑顔になった所で、そのまま腕を引き初日から行きたいと思っていたコーヒーカップへ。本来は4人乗りだが、融通を利かせてもらい2人で1つのカップに乗せてもらう。

 カップの中の手すりを掴むように言われ、2人でその指示に従うと周りの人たちが棒のようなものを持ってぐるぐる回り始めた。

 

 

「お、おぉ!結構早いな!」

 

 

 コーヒーカップと聞いて大して期待していなかった神谷さんは、予想外のそのスピードに驚きで目を丸くしていた。俺も想定以上のスピードに驚きつつも、どんな仕掛けで回っているのか中心の仕掛けを覗き込もうとしたときに、突然視界が栗色に染まる。

 

 

「わぷっ」

 

 

 な、なんだ!?前が見えないし、なんだかちょっといい匂いにがするような……?突然の事態にパニックになっていると、少しづつカップが減速していき止まった。次第に視界を塞いでいたモノの正体がわかった。

 髪か……!恥ずかしそうにしている神谷さんを尻目に、一生にそう何度も起こりえないだろうレアな体験に心が沸いていた。

 

 次は定番のお化け屋敷迷路だ、とそのまま神谷さんを引っ張っていくと「ここ、昨日も来たんだけどな」と神谷さんが呟いた。北条さんと考えが被ったか、少し残念に思いながらも自分は行ってないのでお願いして一緒に入ってもらった。

 

 

「や、やっぱり暗いよな……」

 

 

 一度体験済のハズの神谷さんだが意外に怖がりなのか、引っ張ってきたときに繋がれていた手が逆に神谷さんの方から強く握り返されている。暗幕が降ろされ、真っ暗で先の見えない教室を恐る恐る進んでいた。

 

 たまに曲がり角から人が飛び出してくるのを、声に出さずこちらの手を強く握って驚きを表す神谷さんに和みながら、ようやく出口付近に到達する。握られている手から、心底ホッとしたという神谷さんの感情が伝わってきた所で、空いている右手を後ろから回して背中を突く。

 

 

「うわわわわわっ!!」

 

 

 大きな声を出して手をつないだまま、出口に向かって走り出してしまった。

 

 

「い、今!後ろに誰か居たよな!?」

 

「え?そう?見なかったけど」

 

 

 全く気づかなかった、と惚けると神谷さんは相当怖かったのか、「そ、外に出よう外!」と言い、手を引いて校舎から出てしまった。ベンチの置いてある中庭まで来ると、疲れ切った様子で座り込んでしまう。

 ちょっと休ませてくれとの事なので、じゃあ飲み物を買ってくると伝えタピオカジュースを買いに行った。

 

 

 

 

 

 戻ってくると、神谷さんは中庭にある池を見ながら1人黄昏れていた。

 一体どうしたのか、聞くと神谷さんが話し始めた。

 

 

「その、一緒に回るのはすごく楽しかったんだけど、あたしはこういう所で一緒に話すほうが楽しいなって思ってさ。

 

 もちろん、せっかくの文化祭なんだからいろんな出し物みて回るのも楽しみたいんだけどな?ただ、ちょっと疲れたから、いつもみたいに高橋と2人でゆっくりしたいな、なんて……」

 

 

 茶化す雰囲気ではないことを察して、静かに隣に座る。持ってきたタピオカジュースを渡すと、落ち着いた声で「ありがとう」と言われた。

 こちらが隣りに座ったのを見て、また神谷さんが話し出す。

 

 

「いつもと違う、こんな空気じゃないと言えないから、今日が終わったら忘れて欲しいんだけどさ」

 

「あたしって、そんなに男の友だちが居るわけじゃなくて。でも、高橋は今、結構仲良く遊んだりしてるだろ?」

 

「事務所で一緒にゲームしたり、放課後にカフェとか遊びに行ったり、教室でアニメの話をしたり……たまに意地悪だけどな?」

 

「こんなこと、今までになくて。今が一番楽しいんだ。」

 

「これがどういう気持ちなのか、私にはまだ分からないけど……。とにかく、高橋と話したり遊んだり、出かけてる時間は悪くないなって思う。」

 

「普段はこんなこと恥ずかしくて言えないけど、今なら言えるかなって思ってさ」

 

「…………悪い、急に変だよな。こんなこと言って。やっぱり忘れてくれっ」

 

 

 それっきり、神谷さんは黙り込んでしまった。こんなこと、急に言われてなんて返せば良いのだろう。考え込むだけで時間が過ぎていってしまう。校舎の方から聞こえる、騒がしい声がやけに大きく響くように感じた。

 

 

「俺は、神谷さんが今言ったことを忘れてくれって言うなら、そうするけど」

 

「でも、俺も神谷さんと同じで、一緒にいると楽しいって思ってるから」

 

「もし、神谷さんが今日のことを忘れてほしくないって。そう思ってくれるようになった時に、また思い出せるようにさ」

 

「写真。撮ろうよ」

 

 

 少しの間、黙り込んで考えていた神谷さんは、軽く頷いて携帯を取り出した。

 近寄って肩を合わせ、腕を伸ばして画面に2人が写るようにする。シャッターを切ると、嬉しいような恥ずかしいような、微妙な表情をしている顔が写っていた。

 

 

「プッ……」

 

 

 そんな2人の表情が滑稽に見えて、耐えきれずに笑う。釣られて神谷さんも笑いだした。

 

 

「た、高橋って、こんな変な顔だったか?」

 

「うるさいな、神谷さんだって、トマトみたいな色になってる癖に」

 

「そ、それは……!お互い様だろっ!」

 

 

 しょうもない言い合いに2人で顔を見合わせて笑い合う。この日はそのまま、文化祭が終わる時刻になるまで、ベンチに座ってくだらない雑談をしあった。




2部も完結です。


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3部
事務所3〜ファミレス1


活動報告でアンケートしてます。気が向いた時にでもよろしくおねがいします。


「えいっえいっ。う〜ん、なかなかクリアできないなぁ」

 

「2人でやっても進まなそうだし、誰か助っ人で呼ぶ?今空いてる人誰か居るでしょ?」

 

「そりゃ事務所だし、居るとは思うけどな……いや、2人でやろう。今日は誰も来ないしなっ!」

 

 

 コントローラーを持った神谷さんがこちらにいたずらっぽい笑みを向ける。いつの間にか、照れた顔だけでは無く純粋に嬉しそうな素の表情を向けてくれることが増えた気がする。不意にされる、警戒を解いた猫が撫でられた時のようなにへらっとした笑顔も増えていて、嬉しい半面急にドキッとさせられることも多くなった。

 

 今日は事務所にお邪魔させてもらい、神谷さんと2人でゲームを遊んでいる。平日の部活がない曜日はこうして神谷さんと2人で遊ぶことが習慣のようになってきていて、大抵は事務所でゲームをして遊ぶか、神谷さんが一人では行きづらいというカフェなどに一緒について行ったり。

 

 意外とその時間に2人きりになるということは珍しく、事務所でゲームをしていると小中学生の子が真っ先に入ってきて、気づいたらローテーションを組んでかわりばんこにプレイしている事が多々あり、事務所以外のお店に行ってもその大半は事務所で流行っているから行きたいという場所なので大体いつも誰かに会ってしまう。

 

 学校でも周りに人がいる以上どうしても軽い雑談になってしまうので、こうして2人でゆったりゲームをしているのは結構貴重な時間だったりする。神谷さんも嬉しく思ってくれているのか、自然に同じソファに腰掛けていつもより距離感が更に近い。

 言っていることも、聞き様によってはかなり危険な発言なのだけど……本人は気にせずにテレビに向き直ってゲームをプレイし始めようとしていた。

 

 神谷さんが鈍いのか、それとも自分が信頼されているのか。できれば後者であれば嬉しいな、と思っていると神谷さんが不思議そうにこちらを見つめてきた。

 一体どうしたのかという思いを込めて見つめ返すと、次第に顔が赤くなっていき耐えられなくなったのか目線をそらされてしまう。よく分からないが勝ったな、と勝ち誇っていると手で顔を隠した神谷さんが怒りながら言ってきた。

 

 

「あ、アタシじゃなくて、画面を見てコントローラーを動かせよなっ!」

 

「ごめん、見とれてた」

 

「う、う、う、うるさいっ!」

 

 

 そっぽを向いてゲームを再開してしまった。

 色々魅力的な表情があるけど、やっぱりイジられた時の照れた顔だよなぁ……神谷さんをからかい続ける仕事に就けないだろうか。そしたら競合他社になるのは北条さんか、手強い。

 バカな考えを口に出して神谷さんに話すと、渋谷さんにいじめられたと言いつけるぞっと脅されてしまった。

 うっ……それは困る。あのジト目で見られたら悪いことをして無くても反省したくなってしまう。

 

 

「アタシをからかうのは悪いことにはいるんだっ!」

 

 

 ペチペチパンチが飛んできたので甘んじて受け、勝手にゲームを再開する。「あーっ!」神谷さんを持ち上げゴールまで運ぶと拗ねてしまったのか、「やっぱりアニメにするっ!」とゲームのディスクを取り出してしまった。

 

 

 

 

 

「そういえば再来週からテストなんだよなぁ〜」

 

「えっ」

 

「何だ、年間予定見てないのか?……アタシもまだ勉強始めてないけど、休んだ分の穴埋めから始めなきゃな〜」

 

「考えたくもないかな……」

 

「じゃあ誰が休んだ分教えてくれるんだよっ」

 

「え〜、先生とか?」

 

「あほっ」

 

 

 軽くこづかれる。全く痛くはないが少しムッとしたので脇腹をつつき返すと、「ヒィィィ……」と情けない声を出しながら遠ざかってしまった。面白くなったので、追いかけてつつき続けると、「やめろぉ!……やめろぉ!あっ……やめっ……」出す声が悩ましく、艶めかしくなり始めたので慌てて止める。

 

 これ以上は洒落にならないので止めるとして、おそらく言いたかったのは勉強会をしようってことだろう。いつもは一週間前ぐらいからノートやプリントを見返し始めるだけだったが、頑張って良い点が取れたら神谷さんにカッコイイ所を見せられるかも知れない。

 

 

「来週は部活無くなっていつでも空いてるから、神谷さんのレッスンがない日に勉強会しよっか」

 

「……!いいな!憧れてたんだ、友だちと集まって勉強会!」

 

「場所は……家は流石にマズイだろうから、ファミレスとかどう?」

 

「そうだなっ!ココは何かと誘惑が多いからな……邪魔してきそうなやつも居るし、一緒になってからかうやつが現れるそうだし」

 

「い、嫌だな〜人聞きの悪い。むしろ止めてる方だと思うけど?」

 

「確かに、高橋よりは凛のほうがアタシをイジってくることは多いかも知れない……アタシのほうがお姉ちゃんなのに」

 

 

 そうとう鬱憤が溜まっていたようで、「年上の威厳がー!」と騒ぎ出してしまった。渋谷さんが神谷さんをイジるのは渋谷さんなりの愛情表現というか、単純に甘えているように見えるのだけれど神谷さん的には許せないらしい。

 

 それはそうと、勉強会については来週のお仕事やレッスンの無い日の放課後に行うことで決定し、場所は学校から一番近いファミレス……だと他の生徒しかりアイドルしかり誰かに見つかってしまいそうなので、話し合って互いの家の中間にあるファミレスにすることになった。

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませ。何名様ですか?」

 

「2人で」

 

「2名様ですね、こちらのお席へどうぞ」

 

「ありがとうございます」

 

「ごゆっくりどうぞ」

 

 

 テスト前1週間になり、神谷さんのレッスンが無いみたいなので勉強会を行うつもりでファミレスに来た。食事を目的とせずにファミレスに来る事に罪悪感があるのか、神谷さんは少し落ち着かない様子で案内された席に座る。

 

 

「ドリンクバーだけ頼む?」

 

「え、流石にそれで居座るのはマズイんじゃないか?」

 

「だったら、晩ごはんの時間帯に他のもの追加で頼もう」

 

「あぁ、それならいいかな。家に連絡入れとけばいいし」

 

「じゃあ取り敢えずドリンクバーだけで。ボタン押すよ」

 

 

 店員さんを呼び注文をとってもらう。ドリンクバーと、小腹が空いたのでポテトを頼んだ。「只今お持ちします、少々お待ちください」という店員さんの声でふと我に返る。

 あれ、ドリンクバーだけ頼むつもりだったのに当然のようにポテトをオーダーしていた……!?

 神谷さんが、何か恐ろしいものを見たような表情でこちらを見ている。ち、違う……俺は正常なんだ……!

 2人で目を合わせて小芝居をしていると、ポテトを持ってきてくれた店員さんに変な目で見られてしまった。

 

 一気に頭が冷え、恥ずかしくなったのでドリンクバーを取りに行く。何気なくコーラとメロンソーダを混ぜると、「そうだよな!やっぱり混ぜてこそだよなっ!」と神谷さんがやたらハイテンションになっていたが、誰かに否定された事があるのだろうか。何を入れるのかを見ていると、やたら嬉しそうにメロンソーダと烏龍茶を混ぜていた。えぇ……。

 

 テーブルに戻って勉強道具を広げると、プリントを見せながら教える関係で同じ側に座る事になる。教科書やノートを2人で覗き込むのでどんどん距離が近づき、近くなるほどに気恥ずかしさで口数が少なくなっていく。気がつけば無言で問題を解き続け、しゃべるのは同時に消しゴムを取ろうとして手が重なったときぐらいだった。

 

 

「え〜勉強よりギター教えてよなつきちー。せっかく教わりにわざわざ来たのにさー」

 

「テスト期間だからってレッスンサボって来るようなやつには教えられないな」

 

「うぐっ。だ、だって〜勉強もしないでサボるなんてロックじゃんか!」

 

「あのなぁ、だりー。勉強もレッスンもギターも、全部できたほうがロックだと思わないか?」

 

「た、確かに……でも、だったらギターを教えてよ!」

 

「ダメだ。勉強するって休んだんだから、ちゃんとやって貰うからな。アタシも見てやるから」

 

「う〜。こんなはずじゃなかったのにー」

 

 

 そこそこ空いていて静かな店内に、新しく入ってきた2人組の声が響く。それまで順調に動いていた神谷さんの腕が止まった。

 

 

「……知り合い?」

 

「……同じ事務所だ」

 

 

 346プロ所属のアイドルは神出鬼没だなぁと感心していると、どうしても見つかりたくないのか、きゅっと見を縮めて周りの席から見えないように隠れてしまった。

 上体を折りたたんで背を低くしているので、上手くバランスが取れないのかこちらにもたれかかってくる。あまりにも大胆な行動に驚きつつも、なんとしても見つかりたくないという気持ちを感じ取りなるべく冷静であるように努めた。

 

 隣の席に案内されてしまったようだが、後ろを振り返って確認するとこちらと同じ様に片側に2人で座り、ちょうど背中合わせのような状態になっていたので、小声で神谷さんに大丈夫だと伝える。

 恐る恐る神谷さんが上体を起こし、元の高さに戻る。バレていないことを確認するため、そのまま後ろを振り返った。

 

 

「あれ?……何やってんだ?」

 

 

 後ろの物音が気になったのか、ちょうどそのタイミングでなつきちと呼ばれていた女性が振り返り、神谷さんと目が合う。急に後ろを振り返ったのが気になったのか、だりーと呼ばれていた子もこちらへ振り返ってしまった。

 

 

「あああっ!」






知らなかったのか…? 346プロのアイドルからは逃げられない…!!!


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事務所4

イチャイチャ幕間回。


「で、テストはどうだったんだ?」

 

「いや、全然手応え無かったよ」

 

「出たな〜!勉強しなかったとか言いながら高得点取るマン!」

 

「勉強はしたから埋めたけど自信がないな」

 

「アタシも埋められたけど全然合ってる気がしないんだよな〜」

 

 

 テスト期間なので午前中で学校が終わり、時間を持て余した俺達は神谷さんのレッスンが始まるまでの暇潰しとして、事務所にお邪魔しいつも通りゲームをしていた。

 

 この間のファミレスの勉強会は多田さんによって事務所に伝わり話が広まるも、自分と神谷さんの関係を知っている人は特に驚きもしなかったようで、唯一言われたことと言えばプロデューサーさんのスキャンダルに気をつけてくださいという小言だけだ。

 

 一応、神谷さんもアイドルなのでいつどこでゴシップ誌に写真を撮られるかわからない、最近はジョニーズ事務所も不祥事で揺れているので346も気を引き締めていこうとのことで、勉強会を行うなら事務所でという取り決めが出来てしまった。

 

 丁度どこの学校もテスト期間に入り、事務所は様々な年齢の学生アイドルたちの自習室になっているらしく、中高生だけではなく便乗して課題に取り組んでいる大学生も居るそう。

 2人で勉強会がしたかったのにな……と少し拗ねている神谷さんを微笑ましく思った。

 

 

 

 

 

「う〜ん、ゲームも詰まっちゃったな」

 

「どうしようか、勉強する?」

 

「うっ、さっきまでテスト受けてたのに、どんな思考回路してるんだ……勉強なら先週散々やっただろ?」

 

「なんだ、せっかく2人だけだから付きっきりで教えてあげるのに」

 

「つ、付きっきり……って!学力は対して変わらないだろっ!」

 

「まぁまぁ。じゃあアニメ見ようアニメ。この前事務所にオススメのが置いてあるって言ってたよね」

 

「あぁ!それが良いな。時間は……3時間くらいあるから結構見られるなっ!」

 

 

 ウキウキでソファから立ち上がり、TVラックに並んでいるDVDのパッケージを中腰で選別していく神谷さん。

 制服のスカートを腰の所で折り曲げてすこし短くしているのか、なかなか危ない角度になっていてもう少し視線が下になれば何がとは言わないが見えそうだ……。

 

 何を選ぼうか迷っている神谷さんの体が左右に揺れる。目が離せなくなり、だんだん体がソファからずり落ちていく……ズリズリズリ……み、見え……。

 座っているとはとてもじゃないが言えない体勢までずり落ちた所で、見せたいものを選び終えたのか神谷さんがこちらへ振り返った。

 背もたれに首しか付いていない姿をバッチリ目撃される。

 

 

「み、見たなっ!?」

 

 

 手でスカートを抑え内股になった神谷さんが詰め寄ってくる。ぐっ、かつてないプレッシャーだ。

 見たのか見てないのかを、肩を強く揺さぶられながら問いただされる。凄まじい勢いで口を開くことも出来ず、何とか首を横に振ることで見てないことを主張することしか出来ない。

 

 

「うううう〜〜!……はっ、悪いっ。やりすぎたっ……」

 

 

 恥ずかしさと怒りで目を回しながら肩を揺さぶり続けていた神谷さんが、必死に首を振る俺の姿を見て正気に戻ったのか慌てて肩から腕を離した。

 深呼吸して息を整えはっきりと見てないことを伝えると、安心したのか「なら良いけどな……」とDVDのパッケージを持ち隣りに座った。何とか誤魔化せたか、間一髪だったな……。

 

 

「って、ちょっと待てよ。そもそも覗き込もうとしてなかったか?」

 

「い、いや〜気のせいじゃない?それよりアニメ、アニメ見ようよ」

 

 

 流石に見てないの一点張りじゃ言い訳に無理があり、神谷さんが真実に辿り着こうとしてしまった。なるべく動揺を隠してアニメを見ようと促すが、神谷さんは顔を赤くしてうつむいてしまった。

 参ったな、動かなくなっちゃったぞ。非は完全にこちら側にあるので、なるべく神谷さんを刺激して爆発させないように慎重に顔を覗き込んだ。

 

 

「……へんたいっ……」

 

 

 至近距離で涙目の神谷さんと目が合い、ささやくような声で責められる。罪悪感に居たたまれなくなり、ソファから立ち上がって机においてある適当なDVDをプレーヤーに入れる。すぐに読み込みが始まり、1話から再生された。

 

 

 

 

 

 再生されたDVDは神谷さんの私物ではないらしく、気づけばうつむいていた神谷さんも顔を上げ食い入るように画面を見つめていた。

 内容は、オタクな主人公がネットを通して知り合った女の子とコミケ?という祭りで出会い、意気投合して次第に仲良くなっていくという展開で、ほのぼのした日常系アニメだった。

 数話を見終わりディスクを入れ替える所で気になったことを神谷さんに聞いてみる。

 

 

「コミケって言うのが何となく色んな人が集まるイベントって事はわかったんだけど、結局何をするイベントなの?」

 

「コミケか!具体的に何をって言われたら、自作の本……同人誌を作って売る場所で――」

 

 

 質問をした途端、神谷さんが水を得た魚のようにイキイキ語りだしコミケについて詳しい説明をしてくれる。

 要約すると同人誌を売り買いするイベントで、アニメ・マンガの二次創作やオリジナルなど何でも有りなため大変間口が広く、大量に人が集まる年2回開催されるビッグイベントということだった。

 

 神谷さんは勇気が出ず今まで参加したことは無いが、事務所の先輩である大西さんと荒木さんにアドバイスを聞いて今年こそはと意気込んでいるらしい。

 少し不安げにこちらを見つめ、「高橋もアニメとか、興味あるよな?」と聞かれてしまっては頷くことしか出来なかった。つい安請け合いしてしまったことに若干後悔したが、神谷さんの弾けるような笑顔を見るとこれで良かったと思えてしまうから不思議だ。

 

 テンションが上った神谷さんが、俺の持っていたパッケージをとって既にディスクを入れ替えていた。

 レッスンの時間になるまでもう少し、神谷さんとアニメを観ていられそうだ。

 

 

 

 

 

 アニメを更に数話見終え夏の終わりが近づき物語が佳境に入った所で、もうすぐレッスンの時間だということになりアニメ鑑賞会はお開きとなった。

 コミケ、海・プール、祭り、キャンプ、バーベキューなどなど、夏のイベント盛りだくさんのアニメを見てテンションが上がっているのか、しきりにスマホをいじって調べ物をしている。

 

 時折、何かを想像しているのか目を閉じて動かなくなったと思えば、頭を振るといった奇行を繰り返すので不審に思いどうしたのかと聞くと、「た、高橋……その、夏休み……や、やっぱりダメだー!」と叫んで部屋から出ていってしまった。

 

 その様子と直前まで見ていた内容から何となく言いたいことは分かったが、照れてしまって言い出せない神谷さんの様子が可愛らしいので自分からは言い出さないようにしよう。

 今年の夏は楽しくなりそうだと、アニメを片しながら1人思った。

 

 

「着替え忘れたっ!」

 

 

 部屋に忘れ物を取りに来た神谷さんに帰るけどレッスン頑張ってと伝え、事務所を後にした。





2,3日に1度更新になると思います(なるべく早く更新できるようガンバリマスが)。


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学校9〜事務所5〜デパート2

ジョジョの方を書いてたら遅れました。まだ幕間回?


「え〜明日から夏休みに入りますがー、世の中には思わぬところに危険が沢山潜んでいます。皆さんは、高校生らしく、節度を保ってこの夏を満喫してください。」

 

「あ、それと、一年生の皆さんは〜」

 

 

 校長先生のお仕事は、定期的に行われる全校集会に置いて話を聞くすべての生徒を眠らせることなのではないだろうか。一度〆に入ったはずの話が、またスタートに戻って延々と繰り返されるのを聞いている。

 そこまで広いわけでもない体育館に1000人以上が詰め込まれ、ドアは開かれているものの入り込んでくる風はじっとりと外の熱を伝えてくれる。

 うだるような暑さに、やたら高い湿度。脱水で朦朧とし始めそうだ。

 

 短髪の自分でさえ、首元にじっとりと不快な汗が出てきているのだから、長髪の女子なんかは熱が逃げずにサウナ状態になっているのだろう。

 数人前で体育座りをしている、神谷さんの後ろ姿はほぼ髪の毛で、うなだれた頭からは湯気が上っているように見えた。

 いや、気の所為ではないだろう。顔を上げれば、全員の頭上がゆらゆら揺れていて校長の姿さえも、その陽炎でゆらゆらと蠢いていた……。

 

 

 

 

 

 

「……お……い!……大丈夫か!?」

 

 

 神谷さんの声に突然目覚める。気づけば神谷さんに上から覗き込まれていた。

 

 

「うわぁ!」

 

 

 焦って体を起こすと、避けきれなかった神谷さんの頭と自分の頭が正面衝突した。「い、痛てて……」神谷さんがぶつけた箇所を手で擦っている。

 

 

「あっ、ゴメン。……あれ?保健室?」

 

 

 取り敢えず神谷さんに謝り、周囲を見回すと校内の保健室で有ることがわかった。ふと、脇の下に違和感を覚え手で探ると、棒状のようなものがポロシャツの裾から落ちてきた。

 

 

「あぁ、熱測ってたんだよな……37.3度。う〜ん脱水で体温が上がってるのかなぁ……」

 

 

 それを取り上げて表示を見ながら神谷さんがつぶやく。熱、脱水……?未だによく状況を飲み込めていない様子の俺を見て、神谷さんが詳しい説明をしてくれた。

 

 

「高橋が、集会の途中で倒れちゃってさ。保健委員のあたしと川崎で運んできたんだけど、川崎は担任の先生に様子を伝えに行って、保健室の先生はいま経口補水液?っていうのを取りに行ってる。熱中症らしいってさ」

 

 

 熱中症……確かに最後の記憶に残っている視界は酷く歪んでいた気がする。朝から水分は摂っていなかったし、昨日の夜は熱帯夜で汗を多量にかいていたのかもしれない。

 

 

「本当に大丈夫か?顔がリンゴみたいに赤くなってる……」

 

 

 少しうつむいて心当たりを探っていると、神谷さんの手のひらが頬に添えられ、顔を神谷さんの方へ向き直させられた。心配そうな神谷さんが見つめている。瞳の中にはキョトンとした表情の自分が居た。

 

 

「入るわよー?」

 

 

 入り口から保健室の先生の声がして弾けるように離れる。丁度入ってきた先生は、2人の変な空気を不思議に思ったのか、首を傾げながらも急いでベッドまで来て飲み物を渡してくれた。

 

 

 

 

 

 

「そうね、微熱はあるけれど意識ははっきりしているようだし、氷嚢あげるから首を冷やして、教室に戻ってもいいわよ」

 

 

 先生から大丈夫とお墨付きを貰い、神谷さんと2人で教室に戻ることになった。集会が終わって、どこのクラスもホームルームをしているのだろう、廊下には誰の気配もない。

 心配そうに寄り添ってくれている神谷さんがナチュラルに手を繋いでいるが、誰にも見られなければ恥ずかしくないのだ……きっと。

 

 保健室のある1棟から教室のある2棟へ渡り廊下を通っている途中で、バタバタと足音がする。階段を走って降りたのか、曲がり角から飛び出てきた川崎は肩で息をしていた。

 

 

「おおっ、起きたのか!いやーどうなるかと思ったぜ。神谷はテンパっちゃって離れたくないとか言い出すからさ、俺が担任の先生に連絡しに行って」

 

 

 人の物音がしてから手を離して距離を開けていた神谷さんが、恥ずかしそうにうつむく。そんなに心配してもらってたのか……。

 

 

「まぁ、起きて歩けてるなら大丈夫なんだろ?ゆっくりで良いから教室行こうぜ」

 

 

 笑顔の川崎が近くに寄ってきて肩を貸してくれる。別に足を負傷したわけじゃないから歩けるんだけど……悪い気持ちはしないので素直にサポートされたまま教室へ向かった。

 

 神谷さんは、川崎から見えない様に俺の反対側の手を握っていた。

 

 

 

 

 

 

「起立、礼、さよなら」

 

 

 教室に戻り、心配されて声を掛けられるも大丈夫なことを伝え、担任にも保健室の先生からの連絡を渡したので、無事ホームルームに復帰した。

 その後、夏期講習についての説明や休み明けに提出になる宿題の配布がされ、今日の学校は終わりということになる。

 

 夏休み明けは水曜日のハズなのに、夏期講習として月曜日から午前授業があるのは校長の陰謀だろうかと恨みながらも、待ちに待った長期休暇に胸を躍らせる。

 高校2年生の夏、部活に遊びに大忙しになるだろう。あわよくば、神谷さんと遊びに行って今以上に仲良くなれればいいなぁなんて思った。

 

 

「なぁ、高橋は今日部活免除なんだよな?」

 

 

 掃除担当の為に机を下げていると、神谷さんに声を掛けられる。その様子を見てなんとなく用件を察した。

 

 

「放課後の予定は空いてるよ」

 

「だったら、今日も事務所でいいよなっ」

 

 

 実際はすこぶる元気なので、断る理由も無く一緒に下校した。

 

 

 

 

 

 

「実はさ、先月に海で撮影があったんだけど」

 

「へぇ、先月?まだ気が早いんじゃない?」

 

「ちょうど夏真っ盛りの時に出せるように前から準備するんだってさ」

 

「はぁ〜なるほど。……それでどうかしたの」

 

「それでな、ぜひまた来てくださいってことで招待券もらったんだ。スタッフさん達も全員分!」

 

「全員分?すごい太っ腹だね」

 

「で、自分は海には行かないからあげるって貰ったチケットがここに2枚!」

 

「一緒に行こうと」

 

「そういうことっ!」

 

 

 神谷さんが見せてくれたチケットには、余り聞いたことのない海水浴場の名前が書かれていた。

 神谷さんの話によると、入場券が必要なビーチなので人も少なく、治安もかなり良い穴場らしい。

 こんな所を張っている週刊誌なども無いだろうとの事で、プロデューサーさんからも許可が取れたそうだ。

 テンションの高い神谷さんと日取りの話をしながら、何時も通り事務所に向かった。

 

 

「ところで、このチケットって誰から貰ったの?」

 

「プロデューサーさん」

 

「あっ……」

 

 

 

 

 

 

 事務所につき、学校が終わって既に事務所で遊んでいた子供組とゲームをしながらダラダラと時間を過ごす。1,2時間ほどで、レッスンを終えた神谷さんと子どもたちが入れ替わりになった。ゲームを中断し、アニメとディスクを交換する。

 レッスンを終えてシャワーを浴びてきたのか、なんだかいい香りが鼻腔をくすぐった。

 

 

「そう言えば高橋って、水泳の授業取って無かったけど水着持ってるのか?」

 

「いや、中学生の時の海パンしか持ってないな。ん〜、海行くまでに買わなきゃなぁ。というか、神谷さんだって水泳の授業取って無かったよね」

 

「あたしは、髪が邪魔になるからな。水着なら、撮影で使ったの使い回しとかしないからあげるって言われて、貰ってきたのがあるぞ」

 

「へぇ。撮影に使ったのを。へぇ」

 

「な、なんだよ!ふ、普通の……競泳水着みたいなやつだって」

 

「競泳水着で!?神谷さんも買ったほうが良いんじゃない?」

 

「……確かに」

 

 

 結局、2人共帰り道にあるデパートでそれぞれ水着を探し、買って帰ることになった。

 自分の海パンは、特にこだわりもなくシンプルなものを選んだのですぐに決められたが、神谷さんはそういう訳にもいかず、手にとっては戻しとっては戻しを繰り返しているようだった。

 

 

「これとか良いんじゃない?」

 

「ん……確かに色が落ち着いてて派手じゃなくて良いなぁ……」

 

 

 置かれた鏡を見ながら自分の体に当てて、来た時の様子を確かめている。黒色とオレンジの水着はぱっと見はクールな、神谷さんによく似合っていた。

 

 

「露出が気になるなら、ラッシュガード着てても良いと思うな」

 

「はぁ、確かにな……下に着てるのは落ち着いた色だし、淡い色合いのこれとかが良いかなぁ」

 

「ああ、よく似合ってると思うよ」

 

「ホントか!?じゃあこれにしちゃおうかな……ありがとなっ」

 

 

 こちらにお礼を言ってレジに向かう神谷さん。だんだんその姿が小さくなっていき……途中で振り返り、こちらに走って帰ってきた。

 

 

「って、なんで高橋が居るんだよっ!」

 

 

 恥ずかしさと怒りで顔が赤く染まっていた。全く違和感に気づいていなかった自分が悔しいのか、なんとも言えない表情だ。

 

 

「俺はすぐ選び終わっちゃったから暇になったんだけど、神谷さんはずいぶん悩んでるみたいだったからね」

 

「うっ、でも……恥ずかしいし……」

 

 

 手に持った水着を体の後ろに隠す神谷さん。その場から動かなくなってしまったので、体を回してレジの方へ向け、背中を押して進ませてあげる。

 わっわっわっと小さな声を上げながらレジに着いた神谷さんは、結局手に持った水着を購入していた。

 

 

「結局海では見るんだし、それがちょっと早まっただけだって」

 

「それでも心の準備ってあるだろっ!その、見せるんだったら、当日に見て驚いてほしかったし……」

 

 

 ちょっと不機嫌な神谷さんと一緒に駅まで帰った。




てれなおかわ。


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海水浴場1

海です。


「いや〜、もうすぐ着くみたいだなっ!」

 

「楽しみだね」

 

 

 様々な路線が乗り入れるターミナル駅で朝から待ち合わせをし、そこから人の少ないローカル路線で電車に揺られて一時間弱、窓に流れる景色を神谷さんと見ながら会話をしていた。

 

 この車両には自分たち2人しか乗っておらず、停車した駅にもほとんど人影は見当たらない。他人の視線がないと神谷さんはいつもより少し大胆で、隣りに座っていた時から握っていた手は離さずに繋いだまま電車を降りた。

 

 海岸までの道に出ると、ポツポツと同じ様に海を目指して歩いている家族連れの人影が現れる。楽しそうに会話する親子の姿を見て、なんとなく温かい気持ちになりながら2人で歩いた。

 

 砂浜に着き、小さな小屋でチケットを見せた後はそれぞれ更衣室で着替える事になった。

 特に恥ずかしがることもないので、ささっと着替えを済ませて外に出る。神谷さんが着替え終わる前に砂浜に荷物置き場を作っておこうと、レジャーシートを敷いて持ってきたパラソルを立てておく。

 一通り準備を終えて日陰に入っていると、小屋から着替えを終えて出てきた神谷さんがこちらへ向かってきた。

 

 

「ど、どう……だ……?ヘンじゃないよな……」

 

 

 恥ずかしそうに体の前で腕を組む神谷さんを、頭から足まで見て率直に感想を伝える。前から思ってたけど、神谷さんってスタイル良いなぁ。

 

 

「ちょっ、何考えてるんだよッ!へんたいっ!」

 

「すっごくよく似合ってるって。思ったとおりだ」

 

「ほ、ホントに……?」

 

「こんな時に嘘つかないって。ちょっと回ってみせてよ」

 

「こ、こうか?」

 

「……!」

 

 いつもと違って下ろした髪がふわっと優しく上がって、また元の位置に戻る。前で留められていなかったラッシュガードが少しはだけ、胸元とお腹がちらっと覗き、健康的な肌色が目の毒だった。

 刺激の強い映像を直視して、顔が赤くなるのを感じ反射的に目をそらす。

 

 そんな様子に気づいた神谷さんが、意地の悪そうな笑顔を浮かべまた2,3度その場で回転をする。完全に前が開いたラッシュガードを、邪魔だと言わんばかりに押し上げて自らの存在を主張する胸、健康的に引き締まっておへそまで丸見えのお腹。

 

 そんなものを見て無反応でいられるほど枯れていないのでしっかり顔の色で反応を示してしまうと、更にいじわるな笑みを深めた神谷さんがクルクルと見せつけるように、こちら近づきながら回転をする。

 

 

「あっ……!」

 

 

 調子に乗りすぎたのか、砂に足を取られた神谷さんがこちらに倒れ込んできた。座った姿勢で倒れ込む人1人を支えることも出来ず、抵抗できないまませめて顔だけ動かして押し倒された。

 

 

「いてて……」

 

 

 ビニールシートの上に仰向けに倒れた自分の上に、完全にうつ伏せで倒れ込んだ神谷さん。人の体重と落下の加速分の衝撃をそのまま受けた背中が鈍い痛みを訴えるが、そんな事を気にしてもいられない事態を体の前面で感じていた。

 

 水着という布面積の少ない服装で、ラッシュガードを羽織っているとはいえ前のはだけた神谷さんが自分にのしかかっている。みぞおちの辺りに柔らかいお山が押し付けられて潰れる感触、そこ以外にも全身に神谷さんが乗っかって圧迫されている感触があった。

 

 顔をなんとか横に向けて頭突きの正面衝突を躱した為に、横に流れた神谷さんの髪がかかる。シャンプーの香りだろうか、なんだかいい匂いがした。

 

 視界が塞がれていてもなんとなく状況を把握してくると、お互いの早まる心音がダイレクトに伝わり、それを意識してまた心拍が早まる……際限なく加速するかの様に感じた。

 

 

「ご、ごめんっ」

 

 

 自分の上で全く動かない神谷さんを、なんとか腕で支えて謝りながら自分の横に倒す。重力に則って垂れ下がり神谷さんの顔を隠している髪を手でどけると、真っ赤になった神谷さんと2人で横になった状態で目が合った。

 

 

「え、えっと……その、大丈夫?ケガとかしてないよね?」

 

 ――コクリッ

 

「急に倒れてきたから支えきれなくて、どこも打ち付けてないよね?」

 

 ――コクリッ

 

「…………俺のこと好き?」

 

 ――コクリッ

 

 

 目の焦点が定まっておらず、聞かれた質問に対して赤べこのようにうなずき返すマシーンと化してしまった神谷さん。とりあえず正気に引き戻すため持参した凍結ペットボトルを首後ろ、うなじにそっと当ててみる。

 

 

「うわぁぁ!?」

 

 

 瞳にハイライトを取り戻した神谷さんが慌てて飛び起きた。状況が飲み込めず驚いた表情をしながら、冷たいペットボトルが当てられた首を抑えてこちらへ振り返る。

 その必死の表情と、周囲を確認するための高速首振りに思わず笑ってしまった。

 

 

「……?なに笑ってるんだ?」

 

「いや、別に?」

 

「……ヘンなの。まっいいか!」

 

「そうそう気にしないで。ちょっと調子に乗った神谷さんがつまづいてコケただけだから」

 

「え゛っ……そういえば回ってたらコケたんだっけ……。うぅ、恥ずかしいぃ」

 

 

 思い出した自分の失態を、顔を抑えて恥ずかしがる神谷さん。その姿を見ると、その直後に更に恥ずかしい事があったとはとても言えなかった。

 

 ガックリしてうなだれる神谷さんを横目に、改めて砂浜と海を見渡す。陸の方には小さな海の家のようなものが有り、店の前に出されているメニューが書かれた看板が飲食の出来るお店だと主張していた。砂浜は全長100mほどで緩やかに湾曲しており、立てられている十数基のテント、タープの殆ど全てが家族連れのように見えた。

 海はそこそこキレイでゴミも浮いて居ないように見えた。以前行った大人気の海水浴場は、海水から既に淀んだ色をしていて泳ぐ気が全く起きなかったが、ここの海水はちゃんと透き通っていてかなり綺麗に思える。

 

 

「せっかく来たんだから、海に入ろうよ」

 

「うぅ……そうだな。いつもなら失敗をいじってくるヤツも、今日はいないし。遊びまくるぞ〜!」

 

 

 未だにあうあう言いながら先程の失態を後悔していた神谷さんに、海に入りに行こうと声を掛ける。それで本来の目的を思い出したのか、うだうだモードから気持ちを切り替えてはしゃぐモードになったようだ。

 立ち上がって波打ち際まで走り出した神谷さんを、急いで追いかける。

 こちらが波打ち際まで着く頃には既に腰のあたりまで海につかった神谷さんが、こっちへ水しぶきを手で飛ばしてきた。

 

 

「はははっ。高橋も悔しかったらこっちまで来いよー!」

 

 

 顔に飛んでくる冷たい海水に驚き、突然立ち止まろうとしてたたらを踏む様子を見て自分が優位に立ったと思っているのか、こちらに水しぶきを飛ばす手は緩めないままどんどん深い方へ泳いでいってしまった。

 

 回転し続けて砂浜に足を取られてコケるような、おっちょこちょいの神谷さんに煽られて黙っていられるだろうか。いや、黙ってはいられない。なんとかして神谷さんに、土、ならぬ水をつけてやらなければ。

 

 そう意気込んで必死に逃げる神谷さんを追いかけ回し、水の掛け合いをしていると気づけばお昼になり、お腹がすいたのでご飯を食べようという話になった。

 

 

「お昼、海の家みたいなお店あるし、そこで食べようか?」

 

 

 この浜で唯一のお店であろう、海の家風の小屋を指さして神谷さんに聞く。神谷さんは、待ってましたと言わんばかりのドヤ顔でこちらを向いた。

 

 

「あたし、サンドイッチ持ってきてるから!」

 

「な、なんだってー!!?」

 

「2人で、一緒に食べられるからな?」

 

 

 2人で、の部分を強調しながら荷物の置いてあるパラソルの方へ歩いて行く神谷さん。背中しか見えないので表情を窺うことは出来ないが、なんとなく満足げなように見える。

 そもそも待ち合わせから出発の時点で、何となく神谷さんの荷物が多い事には気づいていたけれど、聞かなくて正解だったみたいだった。

 

 

 

 

 

 

「おいしいっ!」

 

「そうか?うまそうに食ってもらうと、準備した甲斐があるなぁ」

 

 

 大きな箱にぎっしり入ったサンドイッチを、2人で海を見ながら一緒に食べる。砂浜にいた人たちは殆どが海の家に行ったようで、今は驚くほど静かだった。

 

 サンドイッチを完食し、お腹がいっぱいになったので少し動かずに海を見る。海に入って少し冷えた体が乾いてポカポカに温まり、静かな環境と満たされたお腹が眠気を増幅させた。

 

 何となく眠たそうにしている事を察したのか、神谷さんは寝ても良いからと言って自分の膝を叩いて見せた。

 さすがに戸惑い、躊躇していると、良いから頭を貸せっと言って強引に自分の膝枕に俺の頭をつけた。

 

 柔らかさと温かさ、そして見上げると幸せな視界に、ドキドキして眠れないんじゃないかと思っていても、体は自分の欲望に正直なものですぐに眠りについてしまった。

 

 曖昧な意識の中で、顔を撫でる手がなんだかやけに心地よかった。

 

 

 

 

 

 

 夕方、オレンジ色の夕陽が差し込む電車内で、2人。隣り合いながら座っていた。

 あの後、俺が少しして起きてからは互いに砂浜で埋めあったり、持ってきたビーチボールを膨らませてバレーをして遊んだり、たっぷり海を満喫した後暗くなる前に帰ることになった。

 

 荷物を片付けて、シャワーを浴びて海水を流し水着から元の服に着替える。散々遊んだはずなのに今日はもう終わりだと思うと、急に寂しさが襲ってくるがそれもまた夏休みの醍醐味かな、なんて感じた。

 

 その後2人で駅まで戻り、丁度来た帰りの方向の電車に乗り込んだ。神谷さんは相当はしゃいで疲れていたのか、だんだん会話の反応が鈍くなり、気づけばこちらの方へ完全に頭を預けていた。

 

 すぅすぅと、穏やかな寝息を立てる神谷さんを起こさないようにしながら、こちらからも少し体重を預けて目を閉じた。





更新が遅くなりました、すみません。忙しくて体力が無いと、どうも書けないですね。


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宿題1

短いです。


 夏休み、学生は遊びに色恋など様々なものに頭を悩ませる事になる。中でも取り分け悩みのタネとなる、学生である以上夏休みから切っても切り離せないモノがある。宿題だ。

 

 うちの学校には芸能科なんてものはないので、アイドルをやっている神谷さんも例外ではなく大量の宿題を課されていた。もちろん、同じ学校に通う自分にも同量の課題が存在している。いや正確に言えば、いた。

 

 夏休みを迎えるにあたって、宿題なんてものは順次発表されていくものである。普段の授業態度は決して真面目とは言えない自分だが、こと休みが掛かっているのなら話は別であった。

 

 課題の範囲が出された教科から順に、その日の内に進められる分量を最大限コツコツ進めておけば何ということはない。机に向かいたくはないというモチベーションの問題も、いざ夏休み本番を迎えた時に遊びまくれる事を思えばなんのその。テスト前なんかよりも勉強が捗るのである。

 

 

「頼むっ、宿題を手伝ってくれ!」

 

「神谷さんは、まだ終わってなかったんだ」

 

「まだって、一週間しか経ってないのに終わってる方がおかしいだろっ!」

 

 

 どうやら神谷さんは夏休み前に宿題を終わらせて置く派では無いようで、自分が既に終わらせたことを伝えると一緒にやってくれないか、と頼み込んできた。

 夏こそテレビにイベントに引っ張りだこな346プロの面々で、早めに宿題をなんとかしよう週間が行われているらしく、事務所に来て一緒にゲームをする時間を神谷さんの宿題消化に当てたいとのことだった。

 

 宿題をなんとかしよう週間では、仕事やレッスンがある時間を除いた全ての時間を拘束され、宿題が終わるまでは永遠に開放されないそうだ。

 モチベーションを考慮して、事務所内外のお友達も助っ人として呼んで良い事になっているらしく、元々誘う気ではあったと言う。その時に、他に人は居ても2人で一緒に勉強できたらな……と思っていたが、まさかの俺はもう終わっている宣言で、それじゃあ時間を取って悪いけど手伝って欲しいと頼んだとのこと。

 

 部活も体育館の使用権の関係で1日に3時間程度しか無く、特にやろうと思っている短期バイトも無い。さらに言えば、悲しいことになぜだか学校の男友達から遊びに誘われることが減った。理由を問いただしてみても自分で考えろボケとやけに辛辣である。全くもって不思議だ。

 そんなこんなで意外とヒマしている夏休み、神谷さんの宿題がピンチなら手伝ってあげようそうしよう。

 

 

「そしたら神谷さんと一緒にいられるしね」

 

「ばっ、バカッ!急に何言ってるんだよっ!?」

 

「あ、宿題手伝うのは良いけど、それが終わったら神谷さんを1日自由にできる権利が欲しいな」

 

「1日、自由にできる、権利!? な、何考えてるんだよっ! うぅ……でも勉強に付き合ってもらうわけだし……」

 

「あ〜あ〜、大事な夏休みの時間を、宿題が終わってるのにな〜」

 

「ううぅ……分かったってばっ! あ、あたしを自由にしてもいいって!」

 

「えぇ〜奈緒ってば、だいたーん!」

 

「奈緒、高校生らしい付き合いをしなきゃダメだよ」

 

「なぁ!?」

 

 

 神谷さんがこちらの要求を呑んで問題発言をした所で、丁度ドアを開けて入ってきた北条さんと渋谷さん。

 からかうような笑顔を浮かべて神谷さんに話しかける北条さんは、大体の経緯を察したのかいいネタを掴んだと言わんばかりの意地悪な表情をしている。

 対して、渋谷さんはかなり深刻そうな真剣な表情で、神谷さんの肩に手を置き語りかけていた。

 

 いや、渋谷さんもよくよく見ると口元がヒクヒクと震えている。完全に故意犯だ。

 おそらく最も見られたくなかったであろう2人に見つかった神谷さんは、自身の脇腹をつつきながらすり寄ってくる北条さんと、笑いをこらえた引き攣った表情で凄んでくる渋谷さんを何とか手で押しのけながら、涙目でこちらに助けを求めている。

 

 た・す・け・て、と動いた口、その真剣な眼差しと、何とか2人を押し止めようとする震えた手。

 流石に放って置く訳にもいかず、2人の圧迫感に押される神谷さんに近づいて声を掛けた。

 

 

「なんでも自由にしていいって、録音したから」

 

「やめろォ!!」

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……終わったああぁぁ……」

 

「思ったより早く終わったね、後は自由課題だけか」

 

「いやー! 高橋のおかげだなっ! 一週間丸々かけるつもりで居たけど、なんだかんだ3日で終わったからなぁ」

 

「単純作業は分担してやったから、普通よりかなり早く終わったと思うよ」

 

「ほんとありがとな!」

 

「いいっていいって。こっちにも3日付き合ってもらうから」

 

「えええええ!? 3日も好き放題されちゃうのか?!」

 

 

 目をまんまるにして驚く神谷さんのリアクションを心地よく思いながら、好き放題することもないし3日というのも冗談だと伝える。

 こちらの話を聞いてホッと胸をなでおろした神谷さんだが、同じ部屋に居る学生アイドル組からの視線に慌てて誤解を解こうと話しだした。

 

 

「奈緒ちゃん…………えっと、ロックだねっ!」

 

「りーなちゃん……それしか言えないのかにゃ」

 

「ああっ! アタシの奈緒が高橋くんにあんなことやこんなことを!」

 

「なおおねーさん、どうなるでごぜーますかー?」

 

「ち、千枝にはよくわからないですっ」

 

「あああ! 違うんだって! 説明するから聞いてくれぇっ!!」

 

 

 分かっている人、分かっていない人、よく分からないけどノリで話している人それぞれの誤解を解こうと奔走する神谷さんを見ながら、神谷さんに付き合ってもらう1日をどうしようか考えていた。

 

 レジャーに出かけるのはどうだろうか、この間は海に行ったから山なんて良いかも知れない。

 いや、高校生の男女2人が山登りをして盛り上がる様子が想像できないな。変に外して考えずに定番の場所が良いだろう。

 

 定番……遊園地とか?そう言えばこの間見たアニメが、近くの遊園地のお化け屋敷とコラボするとかなんとかニュースが有ったよな……。そうだ! アニメと言えば、神谷さんが好きなあのアニメの映画がもう公開しているはず……。

 

 午前中に映画を見て、見終わった後はその周りでご飯を食べ、午後は遊園地を軽く回る。神谷さんは1日好きにする権利をかなり心配しているだろうけど、この分だとかなりマトモな、というか典型的なデートプランになりそうだ。

 

 誤解を解くために話し続けていたので息の乱れた神谷さんを、取り敢えず落ち着かせ事務所の自習スペースから一緒に抜け出しながら頭の中で当日の予定を練る。

 

 少し上の空になってしまい、話しかける神谷さんに対しての返答がおざなりになってしまったが、上の空なのは神谷さんも同じなようで、どんな事をされてしまうのか考えては否定するために頭を振る神谷さんは可愛い。

 

 耳を赤くしながらナニかを想像して勢いよく頭を振る神谷さんに、少し頭を下げて耳元に口を寄せ、小声で囁きかける。

 

 

「なに考えてるの?」

 

「んっ!?」

 

 

 ピンクな妄想をしていたのか、それとも吐息が耳にあたってくすぐったかったのか、色っぽい声を驚いた拍子に出す神谷さんにこちらもドギマギしながら、神谷さんを置いていつもの部屋まで走った。

 

 

「ちょ、ちょっと待てって! な、なんなんだよッ! も〜!」

 

 

 

 

 

 

 その後、すぐ捕まえられて今のはなんなんだよっと問い詰められるも、神谷さんがなにを考えていたのか教えてくれたら話すというと、拗ねて沈黙してしまった。

 

 そっぽを向いて自分の向かい側のソファに座ってしまったが、それでもこの前見ていたアニメの続きを再生すると、いつのまにか隣に来ていた神谷さんはツンデレな猫のようで、ついその様子に笑みをこぼすと不思議そうにこちらを見るのが可愛かった。





・活動報告のアンケートについて
コミケは経験が無いので、想像だけでは書けないかも知れないです。
体育祭は、主人公の性格的に盛り上がる要素がなさそうなのでカットをしようと考えています。
プールは参考にして海回を書かせていただきました。
その他展開の提案等も参考にさせてもらう事があります。
取り敢えず次回はデート回、その後1,2回挟んで修学旅行に入れればと思います。


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デート1

「わ、悪いっ! 待ったか?」

 

「いや、いま来てちょうど連絡しようとしてたトコ」

 

「そ、そっか? 良かった……はぁはぁ……」

 

 慌てた様子でこちらへ駆け寄ってくる神谷さんに、自分もいま来た所であると伝える。

 今日は、神谷さんの宿題に手伝った対価で神谷さんの自由な日を貰い、そこそこ大きな駅の時計の下で待ち合わせをしていた。時計の表示を見ると、待ち合わせの時間丁度から5分ほど過ぎている。このぐらいなら待った内に入らないし、嘘はついてないだろう。

 

 膝に手をついて荒い息を整えている神谷さんを少し待って、声を掛ける。

 

 

「まだ目的の時間までちょっとあるから、どっかに入って休憩しよう」

 

「ふぅ〜……まだ時間あるのか? じゃあ、あれ行こう! 抹茶フラペチーノって飲んでみたかったんだ!」

 

 

 カフェに入って神谷さんは目的のフラペチーノ、自分はカフェモカのショートを注文する。それぞれ頼んだものを受け取って横並びに座った。

 神谷さんが美味しそうにストローを咥えてる様子を見ながら、下ろしたボディバッグから神谷さんの分の映画のチケットを渡す。

 

 

「共通券だから、映画館いって神谷さんが見たいのがあったらそれを見ようか」

 

「映画っ! だからこの駅で待ち合わせだったのか! 見る映画が決まってないなら早く行った方がいいよな?」

 

「まだ8時過ぎで、どの映画も9時くらいだからあんまり急がなくてもいいよ」

 

「そっか、だったらゆっくりコレを飲もうかな」

 

 

 そういってフラペチーノに夢中になる神谷さんを、カフェモカを飲みながら眺める。白のTシャツに軽めの色調の紫パーカー、薄茶色の短パンをといった服装で、結構歩くから動きやすい服装でと言っていたのを気にしてくれていたようだ。

 

 小さめのカフェモカを少しずつ飲んでいると、獲物を見つめる猛禽類のような目をした神谷さんと目が合う。

 こちらが首をかしげると、座高の関係で見上げるような体勢の神谷さんが咥えていたストローを離し、手に持ったカップを差し出してきた。

 

 

「なぁ、こうかんこしないか?」

 

 

 交換! やけに見てくるから飲みたいのかと思ってはいたけれど、間接キスとか気にしないのだろうか。ダメ……だよな、と固まったこちらの反応をみて残念そうな神谷さんに、慌てて否定をしカップを差し出す。

 それを見て顔を輝かせた神谷さんが、こっちも飲めとばかりにフラペチーノのカップに刺さったストローを差し出してきた。

 

 横並びとは言えそこそこ距離があるので、互いに差し出した手に向かって顔を近づけてお互いの頼んだものを飲む。顔が触れ会うほど急接近し、さすがに照れて恥ずかしくなったのか神谷さんが目をぎゅっと閉じてカフェモカのカップに口をつけた。

 

 時間の流れが止まってしまったかのように長く感じる時間も、実際はほんの数秒だったのだろうか、フラペチーノの抹茶味を感じる前に急いで離れた。

 

 同じ様に、こちらの差し出したカップから口を離して元の体勢に戻った神谷さんの口元には、カフェモカにのったクリームが白いヒゲの様に着いていた。

 ドキドキするような甘酸っぱい空気が消え去り、思わず吹き出しそうになるのをこらえて懐からスマホを取り出した。

 

 

「神谷さん、もう少しそのままで」

 

 

 キョトンとする神谷さんを置いてけぼりに、手早くカメラを起動してシャッターを切った。

 

 一拍置いて、写真を撮ろうとしているに気づいた神谷さんが慌てて顔を隠した。そこで自分の口元に着いたクリームに気づき慌てて口を拭う神谷さんを続けて撮影する。

 

 ぱしゃ、ぱしゃっと小さな音がスマホから鳴った。

 

 

「やめっ、と〜る〜な〜よ〜っお!」

 

 

 休日朝のカフェに、神谷さんの大きな声が響いた。

 

 

 

 

 

 

「美味しそうなカフェモカに負けてひどい目にあった!」

 

「まぁまぁ、神谷さんの好きな映画見て良いから」

 

「そんなことより写真消せって!」

 

「だめだよ可愛かったから」

 

「えっ……って誤魔化されるか!」

 

「ははは……ほら、映画館着いたよ」

 

 

 駅から歩いて5分ほど、目的の映画館までたどり着いた。ちなみに、消せと言われていた写真は既に北条さんの手に渡っている……というか送信してあるので、この端末の中の写真を消されても流出は免れないのだ。

 

 道中ずっとプンプン怒っていた神谷さんも、いざ映画館まで来るとワクワクが隠しきれないようで、飾ってあるポスターを見ながらどれを見ようかな、なんて呟いていた。ちょろい。

 

 窓口に表示されている上演予定を見ながら、時間が近くて神谷さんの興味がありそうな映画をチェックする。

 笑いあり涙ありのミュージカル、感動の実話恋愛ストーリー、日曜の朝の時間帯にやっていそうな変身少女アニメ、スリルショックサスペンス、パニックホラー……などなど。

 どれも盛んに広告がうたれているので、余り映画に詳しくなくても名前は聞いたことがあるものばかりだ。

 

 一度ポスターが目に入ってからそちらの方を見ようともしないホラーは止めておくとして、かなり暴力要素の強そうなサスペンスも止めておくのが吉だろう。少し手を握る力が強くなった。

 恋愛モノに関しては、なんとなくむず痒そうな顔をしていたのでそれも止めておく。

 

 一番反応が良かったのはミュージカル映画だったが、変身少女アニメのポスターを見た時に浮かべた、頑張って反応しないようにとでも言うかのような無表情が気になる。

 もしかして、アニメが好きなのはバレてるから良いとして、流石に高校生が子供向けなアニメまで見てるのは恥ずかしいという事ではないだろうか。

 

 

「あ〜、一番時間が近いのがアニメみたいだけど、どうしようか?」

 

「そっ、そうだな!? あ、あたしは別に気にしないけど!」

 

「き、気にしない……?え、えっと、神谷さんがそう言うなら見るのはそれにしよっか」

 

「い、良いのか? いや、時間が近いからなっ! 決してあたしが見たいってわけじゃ……」

 

「まだ変えられるけど?」

 

「いやっ! 大丈夫だって!」

 

 

 苦しい言い訳をする神谷さんの意向を汲み、変身少女アニメの劇場版をみる事で決定した。席は前後左右からど真ん中、一番見やすい席だろう。もしかしなくても周りは家族連れだらけになりそうだが、大丈夫なんだろうか。

 

 鼻息荒く早く行こうと急かす神谷さんを宥めながら、劇場内の売店でポップコーンとドリンクを買い、指定されたシアターに向かった。

 入り口で渡された小さなペンライトをしげしげと見つめる神谷さんを今度は急かしながら、目的の席がある列を見つけて自分たちの数字を探す。やはり、ど真ん中だった。

 

 

 

 携帯の電源をお切りくださいなど、様々な注意事項を纏めたムービーが流れる中、ふと神谷さんの方を向くと必死に目をつぶっている。どうしたのか小声で聞くと、小さい頃に見た海賊版は犯罪ですというムービーがトラウマで、未だに本編前の時間が怖いらしい。

 

 ギュッと力強く座席の手すりを掴んでいる様子から分かる通り、相当苦手なようだ。

 からかうつもりで自分の手を、強く握られた神谷さんの手に重ねると、少しピクッと動き驚いた反応はあったものの、逆に手を繋ぎ帰されてこちらが驚く。結局この時から上映が終わるまで、ずっと手は繋がれたままだった。

 

 

 

 映画の本編が始まり、主人公の女の子、その友だちとアニメにも出ているおそらくお馴染みのキャラクターたちが出てくる度に、神谷さんが小さく反応する。

 ちらっと顔を見ると澄ました顔だが、場面が盛り上がる度に隠しきれないのか繋がれた手から、小さく反応が伝わってきていた。

 

 物語の中盤、強い敵が出てくる辺りからハラハラした表情に変わり、終盤、歴代の仲間が現れる所で手に持ったペンライトで応援するようキャラクターから求められると、葛藤からか視線が手元のペンライトと画面とを行ったり来たりしている。

 

 子どもたちに混ざって声をだすのを恥ずかしがっていると察したので、自分の持っていたペンライトを繋がれた手に差し込み、声を出しながらスクリーンの方へかざす。

 

 神谷さんは自分の手を急に動かされ、かつ声を出している事に驚きながらも、今度は自分から繋がれた手を動かし応援するために声を出した。

 

 果たして、ヒロインたちが悪役を懲らしめ、世界には平和が戻った。

 

 

 

 

 

 

「いい映画だったなぁ!」

 

「神谷さんが楽しめたなら良かったよ」

 

「うっ……言えなかったけど、一番見たかったのはコレだったんだ」

 

「それは何となく察してたけどね」

 

「うぅ……ダメだよな、素直に言えないままじゃ……」

 

「えっ?」

 

 

 突然立ち止まった神谷さんに、繋がれていた手が引っ張られる。

 

 

「その、今日は楽しかった! これは……あたしの、素直な気持ちだからっ」

 

 

 振り向くと神谷さんの飾り気のない、きれいな笑顔が向いていた。

 

 

「えっと……この状況で言いづらいんだけど、これからまだ予定あるよ?」

 

「えっ」

 

 

 即座に神谷さんの顔が真っ赤に染まった。




更新遅れました。次回は今回の続きです。なるべく明日か、遅くとも月曜には上げます。


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デート2

「なぁ、結局今どこに向かってるんだ?」

 

「う〜ん、もう少ししたら分かるから待ってて」

 

「待ったら分かるってどういうことなんだ?」

 

「まぁまぁ、楽しみにしててよ」

 

「高橋がそうやって言うなら待ってるけどさ……昼ごはんはそこで食べるつもりなんだよな?」

 

「そ。何か食べたいものとかあった?」

 

「いや、特に無いけど……まぁ、美味しいものがいいな」

 

「はいはい」

 

 

 映画を見終えた後、今日の予定は終わりだと勘違いした神谷さんの素直にならなきゃ発言から少しして、恥ずかしさに居たたまれなくなった神谷さんが帰ろうとするのを引き止めながら、次の目的地である遊園地へ向かう電車に乗り込んだ。

 

 最初は、もうダメだお家に帰りたいと言い続けていた神谷さんだが、これからも行く目的地についてや、さっき見た映画の感想を話している内にいつもの調子を取り戻していた。

 

 9時から映画を見て2時間、その後に移動で40分と、もうすぐお昼時なのでお腹が減ったのだろう、気づけば話が食欲の話題にシフトしている。

 朝飲んだフラペチーノもカフェモカも美味しかったけれど、どこかの誰かのせいで味わうどころじゃなかった、なんて不満を言う神谷さんに、自分は2人で飲んでいたから美味しく感じたけど? と言うと本気で言ってるのかコイツみたいな顔で引かれてしまった。

 

 

「人の飲み物を物欲しそうに見つめていたのは、神谷さんの方じゃ無かったっけ?」

 

「う。飲みたいとは思ってたけど、おねだりなんてしてないだろ!」

 

「おねだり! そうか、思いつかなかったな。今度から何か分けてあげる時は、神谷さんからおねだりしてもらってからにしよう」

 

「ぜ、絶対やめろよ! それ! フリじゃないからなっ!」

 

 

 電車内の会話でちょくちょく神谷さんをイジりながら楽しい時間を過ごしていると、目的の駅に着いたので立ちあがり神谷さんの手を引いて降りる。

 駅名で目的地の察しがついた神谷さんは、さらにニコニコの笑顔で改札を通り抜ける。早足の神谷さんに急かされるように自分も改札を抜けた。

 

 

「遊園地か! 高校に入ってからは色々忙しくて行ってないな〜。あ、加蓮とかは仕事で来てたっけ」

 

「へぇ、イベントとかあるんだ」

 

「そうそう。そういえば加蓮のヤツ、デートしちゃった〜なんてプロデューサーさんとの2ショット写真送ってきてたっけ」

 

「やり返せば? こっちはデートしてるんだし。2人で自撮りして送っちゃおう」

 

「で、デート!? た、確かに傍から見たらそうとしか見えないよな……」

 

「しっかり手繋いでるしね」

 

「それは! そっちから繋いできたんだろっ!」

 

「じゃあ離しちゃおっか?」

 

「ま、待ってくれ! 別に嫌じゃないからっ!」

 

「へぇ〜」

 

「はっ!?」

 

 

 自分の失言にワンテンポ遅れて気づいた神谷さんが、こちらの追求の眼から逃れようと身体を捩って逃げようとする。

 なんとか目線を合わせないように頑張る神谷さんだが、残念ながら腕がつながっているので逃げられず、少し腕を引っ張ると逆の方向を向いていた足がもつれて、こちらの方に倒れかかって来る。慌てて受け止めた。

 

 片手をこちらの胸に置いてもたれかかってくる神谷さんが倒れないように、繋いでいない方の片手で支える。

 

 

「っとと、…………大丈夫?」

 

「あわわわわ、あ、あたし先に行くからっ!」

 

「え? ちょっと待ってって」

 

 テンパった様子の神谷さんは、自力で体を起こしたあと、繋いでいた手を離して目的の遊園地がある方向へ駆け出してしまった。自分も見失わない程度に神谷さんの向かった方向へ追いかける。

 割と本気で走っていたであろう神谷さんは、1つ目の交差点を直進し、2つ目のY字路で両方の道をしばらく見比べた後、こちらへ振り返った。

 

 

「……これ、どっちか分かんない」

 

 

 その場で動かず足を止めた神谷さんを確保し、一緒に遊園地まで向かった。

 

 

 

 

 

 

「おぉ、ウマそうだっ!」

 

「遊園地の中にも、結構美味しそうなレストランあるんだね」

 

「夢の国みたいに割高なヤツを想像してたから、これぐらいだと安心するよな」

 

「入場料もそこそこしたから、ここまで搾り取られたら学生は辛いよ」

 

「あ、映画のチケットは払ってもらっちゃったけど、他は割り勘だからな!」

 

「分かったって」

 

 

 遊園地まで駅から歩いて10分ほど、到着したのが丁度12時ごろになったので入ってすぐご飯を食べることにした。入り口でもらったマップを見て、良さげなレストランがあることを見つけたので早速入り注文する。

 夏休みとはいえ、まだお盆前で社会人は休みではないため園内はそこまで混雑しては居なかった。

 レストランも人は多いがまだ席は空いていたようで、すぐに席に座って注文した料理が届くまでマップを広げながらどのアトラクションに乗るか話し込んだ。

 

 

「ジェットコースターはやっぱり定番だよな〜! さっきちらっと見た限りだと、思ったより並んでなかったし」

 

「いいね。空いてると言えば、ゴーカートはあんまり人が居なかったよ。食べたら行ってみよっか」

 

「ゴーカートかー!ちっちゃい時に乗せて貰った以来だな〜。空いてるんだったら行ってみるか!」

 

「そうしよう。他に神谷さんが行きたい所ある?」

 

「他に〜? そうだな…………あっ!?」

 

 

 広げたマップを折り返しながら、どんなアトラクションがあるのか探していた神谷さんの目が一点で止まる。

 どうやら見つけたようだ。

 

 

「ここのお化け屋敷って、あのアニメとコラボしてるのか!? すごいっ、絶対行かなきゃだ!」

 

「気づいた……? 元々遊園地に行こうとは思ってたんだけど、調べてたらコラボするって記事があってさ。すごい偶然でしょ」

 

「いや〜! 映画を見た後に、コラボしたアトラクションまで行けるなんて思わなかった! ……って、もしかしてあたしがあの映画を見たいって分かってたのか?」

 

「事務所の子と話してるのを聞いたことがあってさ」

 

「うっ、壁に耳あり障子に目ありだな。そんなこと聞かれてるなんて」

 

「いつか使えるぞって思ってね」

 

「どういう意味なんだそれっ!」

 

 

 そんな話をしていると、注文していたオムライスとラーメンが運ばれて来たので、一旦料理に舌鼓を打つことに。

 食べるためにマップをしまってからも、行きたい場所を話しながら料理を食べきった。

 

 

 

 

 

 

「ゴーカートは只今待ち時間なし!」

 

「すぐ乗れそうだね」

 

「4台まででレースも出来るらしいぞっ」

 

「1つのカートに二人乗りも出来るみたいだけど」

 

「え。う、う〜ん……ふ、二人乗り……なんて……」

 

「後ろに並んでる人も居ないし、折角だからレースやろっか?」

 

「えっ……そ、そうだよな! ……ふたりのり……いやっなんでもない!」

 

 

 待機列用の柵を乗り越え、係員さんの方へ向かう。神谷さんには聞こえないように気をつけながら、二人乗りで乗せてもらえるように頼んだ。

 そんなことを露程も知らない神谷さんは、開き直ってやるからには勝つぞー! と気合を入れていた。

 

 すぐにカートが来て、乗り込むよう係員さんに促される。俺が運転席に乗り込んですぐ、係員さんは神谷さんも乗るように促して、よく状況を理解できていない神谷さんを助手席に押し込んだ。

 

 え?え?えっ?とハテナを浮かべている神谷さんを尻目に、係員さんは馴れた口調で注意事項の説明をしている。神谷さんは、わけも分からず一通り説明を聞いてシートベルトをつけていた。

 

 

「それではいってらっしゃ~い」

 

「え、ちょっとまってアレ?」

 

 

 係員さんの合図で、困惑している神谷さんを置いてけぼりのまま、アクセルを思いっきり踏み込んだ。

 

 

「うわあああああああ!?」

 

 

 なるべくスピードを落とさないように粗目の運転を心がける。カーブの度に小さく悲鳴をあげ、寄りかかってくる神谷さんが可愛らしく、ついつい調子に乗りすぎてしまった。





長くなったのでここで分割します。

気になっていた奈緒の一人称を、過去話も含めて”あたし”に統一しました。
元々、ひらがなだとどうしても目が滑ると思ってカタカナに変えていたのですが、ずっと違和感があったので原作に則って直すことにしました。


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デート3

なおかわマシマシなおマシマシカラメたかはし。



「前から思ってたけど、高橋ってイジワルだよなっ」

 

「気のせいじゃないかな」

 

「そんな訳無いだろ! さっきだって、競争しようって言ってたのに気づいたら二人乗りさせられてたし!」

 

「でも、すっごく楽しそうだったけどな〜。ほら、コレ見てよ」

 

「え?」

 

 

 ゴーカートでコースをぐるっと一周堪能した後、お化け屋敷に向かって歩きながら神谷さんと会話をする。

 ゴーカートで暴走運転をしてからかいすぎたのがお気に召さなかった口ぶりだが、アトラクションの後に係員さんから貰った写真では、カーブに差し掛かって楽しそうにこちらへ寄りかかっている、笑顔の神谷さんが写っていた。

 普段なかなか見ることのない角度で上がった口角を見れば、どれぐらい神谷さんがゴーカートを楽しんでくれたかが分かるだろう。

 

 最後の直線のところにもカメラが有ったらしく、その場所で撮影された写真も貰っていたが、そこにはカーブでもないのにこちらの方へ頭を寄せた神谷さんが、視線の先にゴールを見つけてなんだか寂しそうな表情をしている様子が写っている。

 自動で撮影されたものだけれど、カメラマンいい仕事するねぇと思わず褒めたくなるぐらい、どちらも神谷さんの素の表情を捉えたいい写真だった。

 

 

「な、なんだこれ!? あ、あたし、こんな顔してないって!」

 

「え〜、よく撮れてると思うし、どっちの神谷さんも可愛いけどな」

 

「顔の写りじゃなくて、表情の話だっ!」

 

「そっか。うーん、どっちかあげようと思ったけど、気に入らないなら両方共もらおっかな」

 

「そ、それもだめだっ! こ、こんなだらしない表情してるの……こっちはあたしが貰うからなっ」

 

「あぁ! 俺の神谷さん返してよ」

 

「あたしを見ればいいだろぉ!?」

 

「じゃあその写真と同じ顔してよ」

 

「やだっ!」

 

 

 

 

 

 

 夏休みで学生、とりわけカップルの多い場内の雰囲気に流され、いつもより大胆なやり取りを交わしながら目的のお化け屋敷までたどり着いた。

 

 入り口には、午前中に見た映画にも出てきていた変身する魔法少女の立て看板が置かれていて、お化け屋敷のはずなのになんだか明るくポップな雰囲気になっている。一応、お化け屋敷として成立する様に、お化けの代わりにアニメの敵が出てくるようになっているのか、少女たちの絵の後ろにおどろおどろしいタッチの怪物がいたる所に描かれた建物があった。

 

 時折、耳をすませば聞こえる程度の音量で建物の中から叫び声が聞こえる通り、意外と立派にお化け屋敷をしているのだろう。神谷さんはそんな事を気にせず、立て看板の方に夢中になっていたが。

 

 

「入る前に写真撮ろっか」

 

「いいのか!? 悪いな、ちょっと撮ってくる……」

 

 

 そう言って、そそくさと気持ち急ぎ足で向かっていく神谷さんを後ろからスマホで録画しながら、満足して列に帰ってくるのを待っていた。

 アニメの名場面だろうか、いくつかバリエーションが別れている立て看板をそれぞれ撮影した後、変身後の少女たちの隣に顔が抜かれている女の子が同じような衣装で描かれているパネルを見つけ、周囲の目を気にしながらそれに近づいていく神谷さんを観察する。

 

 キョロキョロと周りを見渡してから、その看板に近づき裏側へ回った……。

 

 慌ててスマホを構え、その看板を撮影する。動画を撮影しながら待っていると、恥ずかしそうに笑顔を浮かべた神谷さんが、穴から顔を出した!

 

 犯行現場をバッチリ押さえた後、神谷さんに気付かれないようにすぐにスマホを下ろす。一瞬だけ顔を出した神谷さんは、やはり恥ずかしかったのかその後すぐに列へ戻ってきた。

 良いものが撮れたな……満足気に頷いていると、神谷さんが訝しげな表情でこちらを見てきたため、慌ててごまかす。

 うん。これなら、北条さん秘蔵の神谷さんコレクションとも交換してもらえそうだ。神谷さんに怪しまれないようにほくそ笑んだ。

 

 

 あまり長くなかった列は、大体20分程で自分たちの番が来た。入り口のファンシーさからは想像もつかないような雰囲気の暗さである。先に入ったであろうお客さんが上げる叫び声がより一層恐怖を煽っていた。

 

 子供だましと侮っていたが暗ければどんな物もだいたい怖くなるもので、ビックリさせるような仕掛けには堪らず声を上げてしまう。よくよく見ればおもちゃのようなデザインの人形で、これで大きな声を出してしまうなんて、神谷さんに笑われないだろうかと考え、静かな神谷さんの方を見ようとした――

 

 瞬間に自分の手に温度を持った柔らかいものが触れる。ひっ、と出かけた悲鳴を何とか押さえながら見ると、きゅっと目を閉じた神谷さんが震える手でこちらの手を掴んでいた。

 人間、どんなに怖がりでも自分より怖がっている人を見れば冷静になるもので、そこそこ驚いていた自分を棚に上げ神谷さんを見て笑ってしまった。

 

 突然進まなくなり、気になるが目は開けたくないのか、お〜い、おいって! と小声で呼びかける神谷さんを無視してガンガン残りの道を進んでいく。

 最初は軽く握るだけだった手が、次第にガッシリと掴まれるようになり、最後には腕全体に抱きついてるような形でゴールした。

 

 うぅ……たかはしぃ……と小声でつぶやき続ける神谷さんに、もう外に出たよと声を掛けてあげる。恐る恐る目を開け、俺のことをペタペタと触って確かめる神谷さんを見て、また少しやりすぎた事を反省した。

 

 例によって、ゴール付近に仕掛けられたカメラで撮影された写真を受け取る。目を閉じて必死にこちらへしがみついている神谷さんはともかく、だらしなくにやけている自分の顔が見るに堪えず、神谷さんから隠すように懐へしまった。

 

 

 建物から外の明るいところへ出て、ようやくいつもの調子に戻った神谷さんが次はジェットコースター! と言いながら手を引っ張って走り出してしまった。思わずつんのめりそうになりながらも、遅れないように走り出す。

 お化け屋敷の中から繋がれていた手は、ずっとそのままだった。

 

 

「近くから見てもでっかいなぁ!」

 

「あれ、足がすくんでるけど高橋って絶叫系ダメなんだっけか」

 

「い、いや? まぁあんまり乗った記憶はないけど何とかなるって」

 

「そうか。空いてるみたいだし、平気だったら何回か乗ってもいいよな?」

 

 

 入場した時から見えていたジェットコースターのレールの、その高さに少し怖じ気着いていると不思議そうな顔をした神谷さんにそう聞かれる。思わず強がってしまうと、その様子を見て察したのか、神谷さんがニヤッと笑って悪魔の提案をしてきた。

 まさか……いくら待ち時間が殆どないと言っても、ジェットコースターにそう何回も乗るなんてありえない……。

 そうこうしている内に、自分たちの番が回ってきて1回目の乗車をすることになる。

 

 怖すぎる……人間の乗り物ではないぞこれっ……!

 カーブや落下でかかるプラスマイナスのGに恐れおののきながら、神谷さんと繋いだ手を握りしめて目をつぶっていた。

 

 恐怖の数分間をなんとか乗り切った後、上機嫌な神谷さんが素晴らしい笑顔でもう一回乗りたいと言い出す。

 その笑顔を見て、NOと言うことは出来なかった。

 

 ヒィィィィ……!

 

 

「あー悪い。調子に乗りすぎちゃったな。どっかで休むか」

 

 

 少しバツの悪そうな表情で神谷さんがそう言う。4回目の走行を終え、完全にグロッキー状態になってしまった俺はフラフラと、神谷さんが指さしたベンチに向かっていた。

 

 

「その、ちょっと横になっててもいいぞ。……ほら」

 

 

 少し逡巡した後、軽く自分の膝をたたきながら神谷さんがそう言った。もちろん、ありがたく膝を枕にさせていただく。腰に当たる木の板の硬さと対照的に、程よく首を押し返す感触が心地よかった。

 

 

「少し、寝ててもいいから」

 

 

 ウトウトしていると、優しい声色でそう語りかけられ、お言葉に甘えて少し眠ることにした。

 眠りに落ちる寸前、小さな声でなにか聞こえたような気がしたが、なんて言ったのかはっきりとは聞こえなかった。

 

 

 

 

 

 

「んんっ……」

 

「あ、悪いな。起こしちゃったか?」

 

 

 頭を優しく撫でられるような、くすぐったい感覚で目が覚める。俺が起きた事に気づいた神谷さんは動かしていた手を止めてしまった。

 

 少し口惜しいが、膝枕のお礼を言ってゆっくり体を起こす。ジェットコースター4連続で感じていた疲れは全て吹っ飛んでいた。

 軽く伸びをしてあたりを見回すと、もう夕方で日がだんだんと落ちて空がオレンジ色に染まっている。ちょっと寝すぎたか……そう思っていると、神谷さんが観覧車に乗ろうと言い出した。

 この夕焼けを上から見てみたいらしい。

 

 幸いだんだん人も少なくなってきているので、急げば日が落ちる前に頂点まで行けるだろう。

 ベンチから立ち上がって観覧車の方へ向かおうとする。どちらともなく、差し出した手が繋がった。

 

 

「次の方、どうぞー」

 

 

 係員さんの誘導に応じて観覧車に乗り込んだ。二面ある椅子のそれぞれに座り、少しづつ高くなっていく外の景色を見る。陽はさっきよりも少し落ちて、丁度被った雲が赤紫に光っていた。

 

 

「ここから見ると、赤、橙、紫、青のグラデーションがキレイに見えるよ」

 

「ホントか? あたしにも見せてくれっ」

 

 

 その景色を指差すと、こちら側のシートに神谷さんもやってきて隣に座った。体の側面が密着し、急に意識しだしてしまう。ドクンドクンと激しい心音は、自分か神谷さんか、どちらのものか分からなくなってしまった。

 

 

「どこらへんだ?」

 

「分かるかな、ここの辺りが――」

 

 

 指で窓を指して、場所を説明する。頭の中ではそれどころではなかったが、頑張って平静を装い律儀に答えていた。

 

 ――不意に、頬に柔らかい感触があった。

 

 2人しか居ない静かな環境にやけに大きくリップ音が響く。

 

 

「こっちは、見ないでくれっ」

 

 

 絞り出すような神谷さんの声に、逆らうことが出来ず、2人で向き合うことのないまま窓を眺めて、観覧車は一周した。

 

 

 

 

 

 

「楽しかった?」

 

「うん……また、来たいな……」

 

「そっか。……良かった。」

 

 

 観覧車から降りて、閉園までの時間は僅か。そのアナウンスを聞きながら、特に何かに乗るわけでもなく2人で歩いていた。

 まだ、互いの顔を見ることは出来なかった。繋がれた手は嫌という程相手の存在を意識させてくる。

 無難な会話を2人でしながら、今日の昼、入ってきた出入り口へ向かった。

 

 どうしても今、言わなければいけない。そんな気持ちになり、出口へ向かう足を止め神谷さんの方を向く。足を止めた自分に引っ張られ、少し先に進んだ神谷さんがこちらを振り向いた。

 

 

「今度。次はさ。俺の方からちゃんと、言葉にして伝えるから」

 

 

 思わず口から飛び出したその言葉を、神谷さんは唖然としながらもゆっくり噛み締め、そして笑顔を浮かべた。

 

 

「ちゃんと、待ってるからな」



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事務所6

「それで、その後は何もなくバイバイ?」

 

「何もって……何かあったらマズイだろ! アイドルなんだぞ!」

 

「え〜、奈緒の意気地なし」

 

「意気地なしって……度胸のある加蓮には彼氏がいるのかよ」

 

「いないよ? もし彼氏がいたら奈緒が嫉妬しちゃうでしょ? あたしの加蓮を返せーって」

 

「するかっ!」

 

 

 夏休みも中盤に差し掛かり、8月に入っても相変わらず事務所に遊びに来ていた。北条さん達も自然にゲームに混ざってきたり、気がつけば事務所に居ることに随分慣れたような気がしている。

 

 変わらないものと言えば神谷さんのいじられ方で、昨日行ったデートのこともうまく誘導されながら、大体の内容を自分から話してしまっていた。神谷さんが騙されやすいのか、それとも北条さんのあしらい方が上手すぎるのか……会話を聞いていると後者のような気がする。

 

 

「してくれないのー? アタシは奈緒のことこんなに好きなのに……片思いだったんだね……」

 

「だーっ! あたしも加蓮のことが好きだってー!!」

 

「……ホント? ……もう一回言ってくれたら、信じられるかも……」

 

「あーもうっ!」

 

 

 神谷さんが覚悟を決めた表情で、息を吸い込んでいる。ここまで見え透いた罠に引っかかる人が居て良いのだろうか……この後起きる神谷さんの不幸を思って目を閉じ、項垂れた。悪いけど、北条さんの魔の手から神谷さんを救うことは出来そうにない……。

 

 

「好きだーーッ!!」

 

「はい、録音完了」

 

「うわぁ!? まっ、待て! 消せよそれっ! よこせって!!」

 

「だーめ。後で使うんだから」

 

「使うって何にだよっ?!」

 

「営業かける時にサンプルボイスとして使うから録ってこいって、プロデューサーさんに頼まれたんだ。これで好きだーは録れたから、次は甘える声……やっちゃおっか?」

 

「やっちゃわない!」

 

 

 必死に否定する神谷さんは本気で嫌そうだけれど、神谷さんを乗せるのが上手い北条さんなら、ナンダカンダ頼まれた声素材を全て手に入れられるのだろう。

 こちらにイジりの矛先が向く前に離れようかな……そう考えてソファーを移りテレビに近づいたのが良くなかったようで、北条さんがこちらを向いて目を光らせた。

 

 

「あっ! 奈緒、カレシが離れちゃったよ? こっちに来てってお願いしなきゃ!」

 

「か、カレシ!? ……まだ違うって! っていうか高橋も何で離れるんだよっ」

 

「まだ……? 時間の問題だよね。というか、違うよ奈緒。『来てっ……』って甘えなきゃ」

 

「誰がそんな事言えるかっ!」

 

 

 目を潤ませ吐息混じりに来てとささやくのは、甘えていてカワイイというよりかは、甘えていてイケナイような気がした。ほんとにこんな依頼をあのプロデューサーさんがするだろうか……北条さんがICレコーダーではなく自分のスマホに持ち替えたのを見逃さなかった。

 

 結局、一向に折れない神谷さんに妥協した北条さんが、懐から取り出した台本のような紙を神谷さんに渡し、それを読み上げている所を録音していた。

 演技をし始めると熱中するタイプなのか、どんどん乗ってきた神谷さんが、台本に差し込まれていた「来てっ……」というセリフを勢いのままに読んでしまい、ちょっとピンクな空気になったが、神谷さんは気づいていないようでその調子のまま全てのセリフを読み切った。

 

 満足げな顔をしている神谷さんの耳元に、そっとICレコーダーを近づけた北条さんはニヤけながら音声を再生する……神谷さんの顔が真っ赤になった。

 

 

 

 

 

 

「なぁ、来週花火大会あるの知ってるか?」

 

 

 ボイスレコーダーをプロデューサーに届けてくると言って、北条さんが部屋を出ていってからしばらくして、ゲームをやりながら平静を取り戻した神谷さんがそう切り出した。

 花火大会……近くにそんなのあったっけ……。何とか思い出そうと考えていると、神谷さんが少しづつヒントを出してくれた。

 

 

「ほら、横浜の……」

 

「横浜……? 海に面してる?」

 

「そうそう、有名なアレがある……」

 

「もしかして、水族館がある……?」

 

「そう! 分かったっぽいなっ! 八景島で花火大会があるんだ」

 

 

 どんな人でも当ててくれるランプの魔人のような問答を交わした後、正解にたどり着くと神谷さんは嬉しそうに笑い、上機嫌に来週の予定が空いているか聞いてきた。夏休み中、特に予定が詰まっていることもないのでもちろんOKを返すと、飛び跳ねんばかりに喜んでいる。

 

 

「やった、やった! 昨日の、その……でーとみたいなのも憧れてたけど、やっぱり花火大会も行かなきゃだよな!」

 

「確かにね。そうだ、暗くなるまでは時間が結構あるから、ついでにデートもしちゃおう」

 

「ま、また……そんなにデートばっかりしてたら、浮かれ過ぎちゃうだろっ」

 

「ダメだった?」

 

「…………ダメじゃない」

 

 

 恥ずかしそうに目線をそらした神谷さんの、口角が少し上がっていて……何も言わない代わりにもたれ掛かってきた。

 

 

 

 

 

 

 北条さんが録音していった営業用のサンプルボイスは、オーディションを開いていたお偉いさんの耳に留まり、神谷さんは念願のアニメ出演を果たしたらしい。神谷さんが見事射止めた役は、素直になれないツンデレ少女で、放送がある度に、翌日事務所で北条さんらにいじられているそうだ。

 

 アタシにツンはあってもデレはないだろっ!? と言うのが神谷さんの主張だけど……。

 ……そうかな。





読んでいただきありがとうございます。


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水族館1

しんげき3期楽しみですね。


 少し早めに家を出たつもりだったけれど、遅延が重なり乗り換えに失敗して遅刻気味になってしまった。時間にルーズだとは思われたくないな、そう考えながら早足で改札に向かう。

 駅での待ち合わせは9時だったが、その頃はまだ電車に揺られて一駅前を通過していた。

 電車の中で五分ほど遅れるとメッセージを送ったが、返事はまだ帰ってきてなかった。

 

 急いで改札を抜けようとする自分の前で、女の子が小走りで改札に突っ込み弾き出された。後ろ姿で分かる、神谷さんだ。

 あわわ、ごめんなさいっと後ろの人に謝りながら再度ICカードをタッチして、今度は無事抜けられたみたいだ。

 それからまた少し駆け足で券売機の方へ向かい、柱にもたれ掛かって一息ついている。

 

 なんだ、神谷さんも遅れ気味だったのか。

 神谷さんはしきりに腕時計を確認してあたりを見回している。約束の時間を過ぎているのにそれらしき人影が無くて心配なのだろう。

 神谷さんがスマホでメッセージを確認する前に送信を取り消して、『先に行っちゃったよ』とメッセージを送ったらさぞ慌てるだろう。……やってみた。

 

 メッセージを送信すると同時に、携帯の通知に気づいた神谷さんがスマホを取り出す。画面を見て慌てだした。

 少し距離があるのでなんて言ってるかは分からないが、混乱していることは分かる。

 携帯と周囲の間を目線が激しく動きながら、キョロキョロするスピードが早くなってきたので、何だか可哀想になり神谷さんのもとへ駆け寄った。

 

 

「ゴメン! 遅れちゃった。待った?」

 

 

 携帯でこちらに送るメッセージを打ち込んでいた神谷さんが、突然声を掛けられ驚きながら目線を上げる。ちょっと涙目かもしれない。携帯と俺を見比べながら、口をパクパクさせていた。

 

 

「なーんて、実はそこで神谷さんが改札通るとこ見ちゃってさ。神谷さんも遅れてるならからかっちゃおうと思って。」

 

「ば、バカだろおまえっ! す、すっごい不安だったんだからな!」

 

「えぇっ、そんなに」

 

「二度と逃げられないようにしてやるっ」

 

 

 ようやく声を出した神谷さんは、怒りを顕にして叱りだす……が、腕をすごい力で掴まれて引き寄せられた。

 

「ちょっと、歩きづらくない?」

 

 思わずそう言うと、

 

「反省するまでこのままだからなっ」

 

 と返されてしまった。

 

「じゃあ一生反省できないかな」

 

 そう考えが声に漏れると、しがみつくような状態から少しだけ距離が開いて、神谷さんの顔が赤くなった。

 

「……ずるい」

 

 

 

「あ、ワンピース似合ってるよ」

 

「……あたしじゃなくて、海を見ろよ」

 

「海に嫉妬しちゃうから……」

 

「しないっ!」

 

 

 駅から海沿いの道を少し歩いて水族館の方へ向かう。家族連れが多い道で、流石に人目が気になったのか手を繋ぐだけの体勢に移行した神谷さんだった。

 服装髪型をどんどん褒めてから、言葉では嫌がりながらも態度が軟化する神谷さんが面白くて調子に乗っていると、段々と神谷さんが恥ずかしさからか早歩きになっていくので次第に駆け足になり、完全に悪目立ちしてしまった。

 逃げようとするのに手を離さない神谷さんサイドにも問題があると言うと、もとに戻ったはずの歩く速度が加速し始めたので、慌てて素直に謝る。

 満足げな表情の神谷さんは、褒めてとねだる子犬みたいだった。思わず撫でるとへそを曲げられてしまったけれど。

 

 

 

「高校生2人ですね。はい、こちら入場券です」

 

「ありがとうございます」

 

 

 入り口で入場券を買い、お目当ての水族館へ入る。その時、しきりに売店の方を見る神谷さんの目線を追うと、一メートルはありそうな巨大なシャチのぬいぐるみを食い入る様に見つめていた。

 なるほど、どうしても気になるのなら買ってもいいけど……

 

 

「食べられないよ?」

 

「誰が食べるんだよっ」

 

 

 キレのあるツッコミ、慣れてるねと返すと誰かさんのお蔭でなっ、と言われてしまった。北条さんかな?

 

 

「……クシュンっ」

 

 

 後ろに並んでいるお客さんがくしゃみをして、なぜだか気になってそちらを向こうとしたが水族館にはしゃぐ神谷さんに引っ張られ、よく見ることが出来なかった。

 

 

 

 イワシ、クラゲ、カニ、サメ……覗き込むような小さな水槽から、開けた空間にある大きな水槽まで1つも見逃さないように見て回る神谷さんに連れられ、隅から隅まで水族館を堪能する。

 見たこと無い魚や、面白い生態が書かれたパネルを見る度に感嘆の声をあげる神谷さんが子供みたいで、これがスゴイあれがスゴイと声を掛けてくる神谷さんの事を見ていた。

 

 ギョギョっと言うのが口癖の海洋学者の先生は、水族館にいる魚の殆どを食べたことがあると聞いたけれど、実際この水槽の中の何割が食べられるのだろうか、なんて考えているとたまらなくお腹が空いてしまい、その事を神谷さんに訴えると、なんて不謹慎なっという顔をされてしまった。

 ただ、時間はちょうどお昼。神谷さんもお腹が空いているのは同じだったので、水族館内のレストランに入ることになった。

 

 

「おぉ、やっぱり水族館で魚を出すわけないよなっ!」

 

「このオムライスの形は完全にエビだけどね」

 

「それとこれとは別だろ? さっきまで見てた魚が犠牲になったわけじゃないんだし」

 

「なるほど、別物だしね。……決めた、マグロ丼で」

 

「えええッ!?」

 

 

 メニューに出すほうがおかしい、でも美味しいから気にせず食べる。そう言い切ってネギトロ丼を食べ始めた俺を、神谷さんは信じられないものを見るような目で見ていたが、自分もエビ型のオムライスの皮をはぎ、頭えぐり出しているのはどうなんだろう。

 笑顔の神谷さんが嬉しそうに食べるので、深くは考えるのは辞めた。

 それよりも、水族館に入ってからやたら視線を感じるのだけど……。

 ご飯を食べ終わった神谷さんが、もうすぐイルカショーが始まるからと急かすので慌てて会計を済ませて店を出た。

 

 

 

 着いたのは開演10分前、前から3,4列目になんとか座る事ができ無事にイルカショーを見ることが出来た。

 飼育員の合図をしっかり聞いて、見て? 輪っかをくぐり抜けたりジャンプをしたり、水をかけてきたり、大暴れのイルカに隣に座る神谷さんも大はしゃぎだった。

 自分としては、もっとイルカさんには頑張ってもらってこの列までビショビショにしてほしかったんだけどな……そう神谷さんにこぼすと、顔を真っ赤にした神谷さんが「し、下着が見えちゃうから……こんな所じゃ、だめだっ!」と言うので、どこなら良いのかと追求するも逃げられてしまった。

 

 

 

 夕方になるまで水族館内をくまなく探索仕切り、そろそろ花火を見に向かおうかと言う時間になった。

 最後に、出入り口のおみやげ屋さんでちっちゃなシャチのぬいぐるみを買い、神谷さんに手渡す。

 喜ぶ神谷さんの笑顔で、自分も笑顔になった。




感想・評価、誤字報告も、本当にありがとうございます。


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花火1

 夕暮れ、空がオレンジ色になっていき、人の動きもだんだんと海の方に向かっているようだった。

 水族館に、近くの遊園地からも少なくない人数が花火の見える位置へ動き始めていて、自分たちも遅れないように移動し始める。

 自然公園のような場所を抜け、海が一望できる開けた場所まで来ると、陸の方からせり出したコンクリートの道にポツポツと人が座り込んでいるのが見えた。

 

 

「花火が上がり始めるまで一時間ぐらいあるけど、意外と人がいるもんだなぁ」

 

 

 神谷さんがその様子を見て、驚いた表情でそう言う。自分としては、最悪のケースでこの道が歩けないほど人で一杯になるのを想像していたので、むしろ人が少なくて驚いているぐらいだけれど。

 

 

「花火は近くで見たいけど、あんまり人が多いのは……やだから、隅っこの方に行くか」

 

「そうだね、あそことか。周りからは見えづらいけど花火は真正面で上がるはず」

 

「おっ、ほんとだ。よく見つけるなぁ」

 

 

 俺の手を引いて神谷さんが、指を差した方へ歩いていく。手を繋いでいるのは同じだけれど、引っ張られて転けそうになることが無くなったのは、お互いの歩幅が何となく分かってきたからだろうか。

 どんどんカップルみたいになってきてるな。そう思って笑うと、神谷さんが怪訝そうな目でこっちを見てきた。

 

 

「何をそんなにニヤニヤしてるんだ?」

 

「いや、別に? なんでもないよ」

 

「怪しい……ほんとに何でもないのか?」

 

 

 自分の考えていることが何だか恥ずかしくて、つい誤魔化してしまったのが裏目に出たようで、神谷さんは尚も不審そうにこちらを見つめる。

 耐えきれなくて目をそらすと、神谷さんは原因を探そうとしているのか同じ方向を向いた。目線の先には女の子が浴衣姿のカップルが数組。手を握る力が強くなった。

 

 

「へぇ〜、浴衣姿の女の子見てニヤニヤしてたのか」

 

「いや、ちが――」

 

「悪かったな! 普通の服でっ」

 

 

 悪い方向に勘違いしてしまった神谷さんが、その考えを否定する前にむくれて、手を離して早足で歩き出してしまった。あちゃー、そんなつもりはなかったんだけど。

 たまたま向いた方向に浴衣の子がいただけで、決してやましい思いは無かった。そう誤解を解かなければ。

 

 追いかけてこないので不安になったのか、チラチラと足を止め後ろを振り返る神谷さん。

 コチラが追いかける足を緩めると、更に不安そうな表情で後ろをチラチラする回数が増え、対して距離は離れていなかった。

 

 

「誤解、誤解だから!」

 

 

 腕を掴んで、逃げようとするのを止めると、少し嬉しそうな顔をして動きが止まったので、畳み掛けるように説明をした。言いたいことを全部言い切って、一息に話した事で乱れた息を整えていると、やっぱりちょっと不服そうな顔の神谷さんが聞いてきた。

 

 

「でも、浴衣のほうが良いって思ってるだろ?」

 

 

 どうしても気になっているみたいだ。う〜ん、神谷さんはそのままでも充分過ぎるぐらい可愛らしいんだけどな……そうだ、そのまま伝えてあげようか。悪い考えが頭に浮かび、実行することに決めた。

 

 

「そりゃ、花火大会だし多少思うけど……神谷さんが浴衣着たら絶対可愛いからな〜」

 

「かわっ!?」

 

「神谷さんから目が離せなくなって、花火が見られなくなっちゃうかもね」

 

「そ、……そんなことあるかっ!」

 

「あるって。見てよほら、神谷さんのことしか見えてないでしょ?」

 

 

 恥ずかしさとからかいを天秤にかけ、からかう方を取った俺は顔が熱くなるのを感じながら、顔を近づけ目を合わせた。きっと、瞳に写り込んでる自分を、神谷さんは見ているだろう。

 

 

「なぁっ……!?」

 

「うん、……ほら、浴衣なんか無くても可愛い」

 

「ひぃっ!」

 

 

 困惑してるのか、恥ずかしいのか、口を引きつらせて顔を真っ赤にし、見上げてくる神谷さんの顔を両手で優しく触ると、いよいよ混乱が極まったようで、顔を伏せてこちらに突撃してきた。

 逃げ場がなくなって、なんとかして視線から外れようとしたみたいだ。

 

 

「うぅ……こっち見るなよっ」

 

 

 胸に顔を埋めながら喋ったせいでモゴモゴと聞こえたが、なんと言っているかはだいたい分かったので真下にある神谷さんから目線をそらす。相当神谷さんを追い詰めてしまったみたいで、小さくうめき声を上げ続けていた。

 

 右手には海が広がり、左手には自然公園の木々、その脇にはスマホを構えた女の子と、コチラの様子をじっと見つめ続けている女の子の2人組が居た。

 

 

「加蓮、マズイって! 目が合ってるってば!」

 

「ダメだよ、今回のデートの映像はあとで奈緒にプレゼントするんだから、余すとこなく撮影しなきゃ……!」

 

 

 距離が離れていて何を話しているのかは分からないが、黒髪で長髪の女の子が、スマホをこちらに向けて構えたまま動こうとしない女の子を必死に説得しているようだ。

 ただ、茶髪の女の子の方は手を止める気配がないばかりか、こちらにジリジリと詰め寄ってきている。

 

 顔を埋めたままの神谷さんを懐に抱えたまま動かないコチラに、顔がハッキリと見える距離まで近づいてきた女の子……北条さんは、以前ライブで見たときのような、満面の笑みだった。

 

 

「ちょっ、ホントに隠れなきゃだって、加蓮!」

 

 

 北条さんの進行を押し留めようと必死に抑える渋谷さんも、ズルズルと北条さんに引きずられ声がハッキリと聞こえる位置まで来てしまっていた。

 

 にわかに騒がしくなった周囲に、流石に気づいた神谷さんが顔を上げると周りには見知った顔。

 悪魔の笑顔を浮かべ、スマホを構える北条さんの様子でおおよその状況を飲み込んだ神谷さんは逃走を選んだ。

 

 

「うわあぁぁ!? 何だお前ら! 来るなあぁぁぁっ!」

 

 

 叫びながら飛び出していく神谷さんに、呆然としていると北条さんが叫んだ。

 

 

「あっ逃げた! 凛ッ! 捕まえて!」

 

「えっえっ? わ、分かった!」

 

 

 北条さんの指令に、驚きながらもすぐに動き出した渋谷さんは、神谷さんの方へ走っていった。

 

 

「何やってるの!? 高橋くんも早くッ!」

 

「えっ、捕まえるの?」

 

「当たり前だからっ! ほら走って!」

 

 

 スマホから目を離して、こちらを向いた北条さんに急き立てられ自分も走り出すことになる。結局、道の端っこまで追い詰められ、無抵抗になった神谷さんを撮影されながら捕獲することになった。




「撮るなよっ! 来るなってっ!」
「フフフ……奈緒、観念しなよ……」
「か、加蓮……悪役みたいになってる」
「あー神谷さん、悪いけど捕まえなきゃいけないみたいだから」
「いや助けろよぉ!」


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花火2

最終回。


「じゃあ、今日一日あたしたちの事を追ってたっていうのかよ!?」

 

「そうだよー? 楽しかったなぁ〜」

 

「私は……加蓮に誘われただけで」

 

 

 神谷さんを確保したまま、北条さんと渋谷さんはずっと尾けていたことを告白した。渋谷さんの方は少しだけ申し訳なさそうにしているが、北条さんはダメなの? と言わんばかりの表情だ。

 俺なら分かってくれるだろうと思ったのか、良いでしょ? と聞いてきたので、取り敢えず撮影した動画の出来で判断するから、あとで送ってほしいと返した。

 

 

「バカじゃないのか!? あ、あ〜んとかも撮られてるんだぞ!?」

 

「あぁ、したっけ」

 

 

 神谷さんのエビオムライスを凝視していたところ、俺が食べたくて見てるんだと勘違いした神谷さんが一口食べるか? と聞いてきたのでそのまま口を開けて待っていたのを思い出した。や、やるわけ無いだろっ……と言いながらも、口を開けた姿勢のまま待ち続けて居ること数分、根負けした神谷さんがあ〜ん、となんだかんだやってくれたのだ。

 もぐもぐ美味しく食べていると、してやったのに、お返しはないのかと神谷さんが若干すね気味だったのでもちろんあ〜ん返しをしてあげたんだっけな。

 

 

「したっけじゃないだろっ! 周りのお客さんの視線がずっと気になってたんだからなっ」

 

「安心して、バッチリ撮ったよ〜。凛が」

 

「か、加蓮! なんでバラすの!」

 

「良いじゃん、自分だってノリノリだったくせに〜」

 

「おまっ、やっぱり凛もそっち側じゃないか!」

 

 

 憤りを顕にする神谷さんは、2人をにらみつけているが正直に言ってしまえば全く迫力がない。渋谷さんは少し潤んだ目の神谷さんを見て恍惚とした表情になっていて、隣の北条さんに、これ、良いかも……なんて危ないセリフを囁いていた。

 

 

「というか、いつまで抱きしめてるんだよ!」

 

 

 周りに味方がいないのを察して諦めたのか、今度は捕獲した時のままずっと抱きしめた状態の俺に対して抗議の声をあげてきた。一応、逃げようと思って暴れればすぐに抜け出せるぐらいの力で抱きとめているのだが、むしろ体の前に回った手を握っているのは神谷さんの方で、一向に逃げる様子はなかった。

 

 

「またまた〜、顔が緩みきってるよ〜?」

 

「んなっ!」

 

「奈緒、証拠もあるから言い逃れできないよ」

 

「んぇっ!」

 

 

 ノリ出した渋谷さんが構えていたスマホの画面をコチラに向け、撮影した動画を見せてくる。そこには、えへへ……と言いそうな緩んだ笑顔で俺の手を掴んでいる神谷さんが写っていた。

 

 

「うああああぁぁぁ!? い、いつの間に!?」

 

「奈緒が加蓮の撮影を問い詰めてる時」

 

「ついさっきだね」

 

「お前やっぱりノリノリだったろぉぉぉ!」

 

 

 憤慨する神谷さんは、抱きかかえられた状態から抜け出し元々目指すはずだった場所の方に走って行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

「あちゃ〜、やりすぎたかー」

 

「あの、ごめんなさい。ホントは出ていく気なかったんだけど……」

 

「ほんとゴメンね? せっかくのデートなのに邪魔しちゃって」

 

 

 腰ほどの高さの段差を越え、ドンドン先に行ってしまう神谷さんの後ろ姿を見ながら、北条さんと渋谷さんが申し訳なさそうにコチラへ謝ってきた。まぁ、一緒になって悪乗りしたし、同罪だから気にしないでよと返す。

 

 

「俺も良い思いしたし、神谷さんは本当に嫌な時はダメって言ってくれるからね」

 

 

 そう俺が言うと、北条さんがウンウン……としきりにうなずき始めた。いつもみたいにふざけているような、でも少し真面目な顔で、こちらに向かって話かける。

 

 

「よしっ、決めたっ。高橋くんなら奈緒をあげてもいいよ」

 

「えっ?」

 

「ちょっと、加蓮。何言ってるの?」

 

 

 吹っ切れたような清々しい顔をしているが、突然そんなことを言い出した理由も、言っている内容も訳が分からず聞き返す。すると、北条さんがどれだけ神谷さんを好きなのか語り始めた。

 

 いつも自分のことを心配してくれて、付き合ってくれて、張り合ってくれる、そんな神谷さんが大好きだからついからかってしまう。

 それで、やりすぎたと思っても結局なんだかんだで許してくれる。そんな神谷さんを、北条さんはやっぱり大好きだ。

 

 でも、いつも遊んでくれる神谷さんが、最近はなんだか様子がおかしく、話には高橋という男友達が頻繁に出てくるようになった。

 

 

「あたしの奈緒を、どこの馬の骨とも知らないヤツに取られちゃう……そう思ってたんだけど」

 

「だけど……?」

 

「今日一日奈緒の事追っかけて、動画を撮ってて、気づいたんだ。アタシの前でも見せたことないぐらい、奈緒が嬉しそうにしてること」

 

「加蓮……」

 

 

 北条さんが浮かべる笑顔は、寂しそうで、悔しさが混じっているようだった。

 

 

「アタシも、偉そうだけど、今日で心の整理がついたんだ。奈緒の事を一番幸せに出来るのが高橋くんなんじゃないかなって」

 

 

 そう言って北条さんは近づいてくる。俺の手を握って、顔を見上げた。

 

 

「奈緒を、よろしくね?」

 

 

 笑顔の北条さんの目から、涙が零れた。

 

 

 

「あ、あれ?…… 泣かないって思ってたんだけどな……」

 

「か、加蓮!」

 

「なに?……あ、 凛の話が出なくて嫉妬しちゃった? 大丈夫だよ、奈緒と同じくらい凛のことも好きだから」

 

「そうじゃないって!」

 

 

 堰を切ったように涙を流す北条さんを、見ていられなくなったのか、すこし離れていた渋谷さんが、北条さんの方へ近づいてきた。俺の前に立っている北条さんの、隣に来て手を取る。

 

 

「えっと……高橋さん。私の分も、加蓮の分も、奈緒の事をよろしくお願いします」

 

「……分かったよ」

 

「加蓮、お願いしたから、もう帰ろう?」

 

「凛…………。うん、そうしよっか」

 

 

 繋がれていない方の手で目元を拭い、俯いていた顔をあげた北条さんはコチラへ軽く会釈をして、渋谷さんの方を向いた。帰ることにしたのだろう。

 

 

「……言い忘れてた!」

 

 

 こちらに背を向けて駅の方へ帰ろうとした北条さんが、思い出したと言ってこちらへ向き直る。

 

 

「ほら、奈緒が待ってるから急いで行ってあげてよ! 時間取っちゃってゴメンね?」

 

「その、よろしくお願いします」

 

 

 いつもの調子を取り戻したように明るい表情の北条さんがそう言う。それを見て、安心したような表情の渋谷さんも、少し頭を下げて別れを告げた。

 

 

 

 

 

 

 2人と別れた後、急いで神谷さんの走った方へ向かうと、体育座りで座り込んでいた神谷さんが居た。

 俺が走ってきたのに気づくと、立ち上がり少し怒りながら遅いぞっ、と言っていたが、後ろに2人が居ないことに気づき、またなにか企んでいるのかと不安そうな顔をした。

 

 

「いや、なんか2人は神谷さんのことを頼むって言って帰っちゃったよ?」

 

「あたしを? 変なやつらだな……やっぱりまだからかってるんじゃないか?」

 

「いやいや、真剣な感じで」

 

「へぇー。よく分からないけど、2人は帰ったんだよな? ……ふ、二人きりだよな……」

 

「……そうだね」

 

 

 一悶着あったことは特に話さず、帰ったということだけ伝えると、不審がりながらも今の二人だけという状況の方が気になるみたいだった。

 

 階段のようになっている段差に隣り合って腰掛ける。辺りはすっかり暗くなっていた。

 

 

「もうすぐだね」

 

「あぁ、そうだな」

 

 

 海上に、おそらく花火を打ち上げる為の船が浮かんでいるのが見えた。

 もうすぐ花火大会が始まるのだろう。岸の方を見れば、花火を見に集まってきた人だかりが出来ていた。

 

 もたれ掛かってきた神谷さんの肩に手を回す。神谷さんはこちらの肩へ頭をあずけてきた。

 ヒュロロロと、間の抜けた音がして大きな花火が夜空を照らす。少し遅れて、炸裂音がした。

 

 

「あのさ」

 

「どうしたの?」

 

「夏休みはまだ結構あるんだけど、もう予定は殆ど仕事で埋まっちゃってるんだ」

 

「それは……残念だね」

 

「だろ? ……ホントはもっと、高橋と一緒に遊びに行きたかったんだけどなぁ……」

 

 

 花火を見上げる神谷さんの顔も、寂しそうだった。返す言葉が見つからず、ついからかうような言葉が出てしまう。

 

 

「あれ? デートしすぎたら胸が持たないって言ってなかったっけ?」

 

「う、うるさいなっ! それは、そうだけど……あたしたちって……その……」

 

 

 二人の関係、あえて今まで言葉にして、明確にしてこなかったものに言及しようとするも、神谷さんが言い淀む。耐えきれず、言葉が口を飛び出した。

 

 

「恋人。でしょ?」

 

 

 ハッと息を呑む音が隣から聞こえる。花火から目線を外し神谷さんの方を向くと、互いに見つめ合う形になった。

 

 

「やっと言えたよ。もしかして、違う?」

 

「そ、そんなこと……ないっ!」

 

 

 強い口調で否定した神谷さんが、こちらを見つめる。

 その綺麗な瞳を見つめ返すと、無言のまま、お互いの顔が近づいていった。

 

 一際大きな花火の音に紛れて、互いにしか聞こえないほど小さく、唇が合わさる音がする。

 

 軽く、触れるだけのキスだけれど、心臓ははちきれんばかりに脈打ち、顔は燃えるように熱かった。

 

 

「しちゃったな……キス」

 

 

 暗闇でも分かるほど顔が真っ赤な神谷さんが、そうつぶやく。

 夢じゃないよな……? そう不安げに言う神谷さんに、もう一度。互いを確かめるように、口を合わせた。

 

 

 

 

 

 

 携帯の高い通知音。神谷さんの携帯と、自分の携帯からだ。

 無視しようと思ったが、立て続けに3回の通知で、切っておこうとスマホを取り出す。

 通知をオフにするため開いたメッセージアプリの画面には、北条さんから、二枚の写真とメッセージが届いていた。

 

 大きな花火を背景に、顔を合わせるカップルの人影。

 メッセージには、『お幸せに、お2人さん』と書かれていた。

 

 画面から目線をあげ、神谷さんと互いに顔を見合わせる。どうやら、同じ内容が届いていたようだ。

 

 2人で辺りを見回すと、少し離れた腰ほどの高さの段差に、人影が2つ。あの2人は帰ってなかったのだ。

 

 

「おいっ! 待てってばっ!」

 

 

 発見されたことを悟った人影が逃げ出すのを見て、神谷さんが立ち上がり追いかけ始める。

 先程までの、ロマンチックな雰囲気は霧散してしまい、やっぱりこうなるのか……と、ため息を付いた。

 

 逃げる北条さんと渋谷さん、追いかける神谷さんを見失わないよう、走り出した。




第三部、本編完結です。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
修学旅行のお話などは、番外編として投稿したいと思います。
またしばらく、よろしくお願いします。


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