二代目海賊王に捧ぐ (コタツ蜜柑)
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諸説明

※ここの項目は特に予告も報告も無く増減する場合があります。


  ●いちばんだいじなこと

 

 本文でも以下の項目でも散々愛だの大好きだの言ってますが、この話はBLではありません。

 むしろ恋愛要素がどこにもありません。

 必須タグ不備で運営様に通報はしないでください。

 

 

 

  ●この話におけるトラファルガー・ロー(生前)のキャラクター解釈

 

   ▼一行で

 

 ヤンデレと“D”と理屈屋をこじらせた、死にたがりのSAN値ゼロ狂人だよ!

 

 

   ▼詳しく

 

 基礎となる本性はルフィと同等の【自分勝手】野郎かつ【頑固】者。“D”だから仕方ないね。

 しかしそんな息子の将来を心配した両親は、自分たちが息子に向ける“愛”を引き合いに出しながら、他者との共存について念入りに教え込む。これによりローはそれなりの社会性と、弊害として過大な【愛情至上主義】、本性を抑制するための【自己欺瞞】を発達させていった。社会に適応するために好んで使うロジックは、【因果応報】と【医者としての誇り】である。

 そして社会から弾き出された後、海賊としての在り方は、逆立ちしても【ドフラミンゴの教育】から抜け出せない。

 

 故郷を滅ぼされた事で、それまでの価値観は崩壊するどころか逆に聖域と化し、ローの信念そのものとなった。

 間違っているのは己ではなく世界の方。だから間違った世界は壊れるべきだ――間違って生き残ってしまった自分もろとも。全ての“愛”を奪われ、生きる意味を見失ったローは、かつての“愛”に縋って残りの命を捧げる事しか思いつかなかった。

 

 一度はコラソンという新たな“愛”に、幸せな未来を見出しもした。だが手を伸ばした途端にまたしてもその“愛”は奪われ、より深まった絶望は最早、ローに二度と生への期待を取り戻させる事はなかったのである(※この時点でSAN値ゼロに)。

 

 それからのローは『死に方を選ぶ』ためだけに生き足掻いていたが、ルフィを巻き込んだ結果、勢い余って生き延びてしまう。コラソンの本懐に殉じる死に方こそ最良と考えていたローには想定外の事態であり、もしかするとローが己の『生き方』を改める最後の機会かもしれなかった。

 

 進むべき道に迷うローにとって、目の前のルフィは指針であった。けれど示された方向に、その文字盤に何と記すかはローの自由。

 一つはこれまでと変わらぬ“死”。いずれ世界を引っくり返すだろうこの男の覇道の礎となるならば、それは有意義な『死に方』だ。

 もう一つは三度目の“愛(※友愛だよBLじゃないよ)”。両親が産み育ててくれたように、コラソンが命をくれたように、死ぬしかないと思っていた己にこれからの人生を繋いでくれたルフィは、『愛=命=人生』という愛情至上主義を掲げるローにとって『愛をくれた』相手。その相手が共に生きようと望んでくれるなら、いつか夢見た未来を再び描く事も叶うだろう。

 

 このローが選んだのは――“死”の方であった。

 ルフィはあまりにも『都合が良すぎた』。コラソンがこだわった“D”であり、世界を引っくり返してくれる希望であり、ローの命を救ってくれた恩人であり……加えて、いつ死に瀕してもおかしくない無鉄砲さ。彼の道行きの傍らには常に死が見えており、ローはその死を肩代わりする手段を持っていた。

 世界のため、コラさんのため、恩返しのため――幾つもの大義名分のもと、何はばかる事なく自殺できる。こんなに意義のある『死に方』はない、こんなに『都合の良い』相手はほかにいない!

 そんな誘惑に抗えぬまま、このローは“愛”ならぬ打算によって、ルフィと進路を共にした。

 このローがルフィへ真の“愛”を向けたのは、ロー自身の死後(※一回死んだので永久的狂気解除)。霊魂の状態でルフィの中から、その偉大なる生涯を見守るうち自然に湧きあがった想いだった(※ルフィの暴走を「見てるだけ」するうちに原作読者(おれら)視点になりルフィ厨へ進化)。

 

 そしてローの霊魂は並行世界へと流転し、そこで幼きモンキー・D・ルフィの精神の残滓を取り込んで変容する――。

 

 

   ▼そんなローに対して何か一言

 

 ルフィ「トラ男は『仲間』だぞ! でも一発殴らせろ!」

 ゾロ「男の死に様に対して他人が口を出すなんざ野暮ってもんだ」

 ナミ「トラ男のバカアアァァァ!! ルフィのこと任せろって言っといて、あんたも生きて戻んなきゃ意味無いでしょ!?」

 ウソップ「ほらァ! このおれのウソつきの勘が、あいつなんかやべーって言ってたんだよ!」

 サンジ「ローお前よォ……そりゃ無いだろ……」

 チョッパー「う゛あああぁぁ!! どらお、ごめんなぁ!! どらお゛の…こごろのビョーキ、おれわがんながっだ……!」

 ロビン「そう……あなたはもう戻れなかったのね。私は間に合ったけれど、あなたは……」

 フランキー「それがお前の選んだ道なんだろうが、ここまで人を巻き込んどいて挨拶の一つも無しとは、水臭ェ野郎だ」

 ブルック「見えている穴に落ちるのを防げなかった……ルフィさんの信頼に応えられなかったのは私の力不足を痛感しますね……」

 ジンベエ「わしにとっても恩人だが……遠慮などせず、一度正面からぶつかり合うべきだったのかもしれん」

 ハートのクルー「なんでそこで! よりによって麦わら選んじゃったかなあぁぁ!! だいたいキャプテンは本当に(以下略)」

 

 

   ▼一言でおさまらないハートのクルーたちとの関わり

 

 通常の海賊団における船長とクルーの関係と言うより、傍から見るとアイドルとファンクラブのような軽いノリの集団。……が、それは団内でメンタルケアを担当するシャチが発案した偽装であり、実際はローを何よりも優先する狂信者の群れである。

 団立ち上げ時の二人と一匹は、その中でもローの少年期から見守ってきた『家族』。ほかのクルーたちはローが「おれの為に死ねる様(byドフラミンゴ流海賊団運営術)」になりそうな境遇の者のみを拾って集めた。必然的にSAN値やばい奴らばかりだったので、シャチとベポが頑張って精神分析した(その結果クルー総ロー信者化という洗脳状態に移行したとも言う)。

 

 加入から日が浅いジャンバール含め、全員がローのためなら命を惜しまないが、ローが最も忌避しているのが自分たちが死ぬ事だと理解しているため、無理はしない。

 ローを愛しているし、ローに愛されている事を知っていた。けれどロー自身がそれを認める事を拒否していたのも分かっていたし、下手につつくと衝動的に自殺に走られかねなかった。

 ドフラミンゴとの対決は本当なら回避させたかったが、それなくしてはローが永遠に“死”の誘惑から抜け出す事もない(永久的狂気が解除されない)と理解していた。渋々ローの単独行動を了承した、準備段階でしかなかったはずのパンクハザードで海賊同盟が結ばれて、一気に詰みに入ったのは大誤算だった。

 誤算が回り回ってドフラミンゴ打倒のロー生還というミラクルを達成したのにはクルー全員諸手を上げて喜んだ。

 そのままローが自分たちの“愛”を認めてくれれば大団円だったのだが、センゴクの言葉に揺さぶられたローが事もあろうにルフィを標的に自己欺瞞&自殺願望続行してしまったので、上げた手を床につけてorzとなった。

 

 その後はとにかくルフィが致命傷を負わないよう祈りながら同盟としての協力を続ける。

 ……祈りむなしく、ラフテルはローの最期の、本人にとってのみ最高の舞台となったのだが。

 死と“愛”に焦がれ続けたローを知っているからこそ、「何故死んだ」でなく、「何故自分たちでなく麦わらの方を選んだ」という点を、最後の別れで責めてしまった。

 

 

   ▼ついでに可哀想()なドフラミンゴ

 

 幼少のローの昏い瞳に、自身の過去を重ね見た。ただイエスマンとして傍に置くファミリーの者たちとは違い、完全なる自分の理解者としての在り方を求めて、自分のコピーとするべくローを育てる。

 ところが順調だった教育は実弟の裏切りにより破綻。そしてそのコラソンを殺害した事で、自らの手でローの最後のSAN値を削り切ってしまったのがケチのつき始めであった。

 加えてローは自己欺瞞からなる擬態が異様にうまく、特定のトリガーを引かない限りは全く正常にしか見えなかった。ローが既に狂っている事を見抜けなかったのが、ドフラミンゴが敗北した原因の一つである。

 

 ローの狂人の理屈ではこうだ。

 ローと“愛”を交わした相手は死んでしまう。ドフラミンゴはローに“愛(居場所や生きる術、つまり命)”を与えた相手であり、ローが“愛”を返して通じ合ってしまうと、ドフラミンゴは死んでしまう。だからローはドフラミンゴを生かすために、ドフラミンゴに反抗し続けなくてはならない。

 どうせ誰とも生きて“愛”を交わせないのだから死にたいけれど、コラさんにもらった“愛(命)”を無駄にはできない。じゃあ無駄じゃない事に使って死ねばいい。必ず死ねる、無駄じゃない事。そうだコラさんの遺志を継いでドフラミンゴを邪魔しよう!

 ドフラミンゴは裏切りを許さないから、ローを殺してくれる。ローが何をしても敵わないくらい強いから、ガンマナイフ叩き込んだって平気だし、麦わら一味と同盟して袋叩きにしたって大丈夫。ドレスローザの支配も解けたしコラさんに命をもらった成果は十分、さあそろそろおれを殺してくれ。

 ……こんな矛盾まみれの斜め下思考を想像しろとか無理である。

 

 ドフラミンゴはローが狂人であるとは最後まで理解できなかったくせに、ローにドフラミンゴへの本気の殺意も憎しみも無い事だけは察してしまっていた。なまじ幼少時の優秀さを知るだけに、話が通じる相手だと思い込んでもいた。

 それが最後までローの殺害をためらわせ、再び手元に呼び戻せるという期待を捨てさせなかった。

 そして、損切りを決意した時には、既に遅かったのである。

 

 

 

  ●世界観や用語に関する捏造設定とか独自解釈とか

 

   ▼“D”について

 

 血によって遺伝する資質。

 性格は自分勝手で頑固なのが基本。

 人だったり事件だったり、何かしらを引き付ける性質を持っている。複数の“D”が居合わせた場合、吸引力もどんどん累積する。

 危機に陥っても『“天”運』に救われるが、“D”同士が対立した時には効果は相殺してしまう。

 



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狭間にて

おかしい、ルビとか傍点とか振りたくてついでにちょこっと修正するだけのつもりだったのに……。
pixiv版からあまりにも雰囲気が変わり過ぎた冒頭のみ、こちらの第一話として抽出しています。


 ――()は夢を見ていた。

 それは一人の男が駆け抜けた、偉大なる半生の夢。仲間とともに巨悪を倒し、理不尽に満ちた世界を引っくり返して、希望溢れる新時代の道標となった、かの男の生涯。

 無論平坦な道のりではなかった。男の仲間が、あるいは稀なれど、男自身が危機に陥る事もあった。そんな折に彼は、夢と分かっていながらも男への激励や助言を呟いた。不思議と、夢の登場人物であるはずの男は、彼の声を聞き取って反応していたようだった。己の言葉が男の力となって状況を切り拓いてゆく様は、彼に大いなる喜びをもたらした。

 

 男は最期、多くの人々の涙と感謝に見送られながら、自ら放った炎に包まれた。

 彼の夢もこれで終わる。素晴らしい夢であったと、この上なく満足した心持ちでいたその時だった。

 炎に飲まれた男が、にぃ、と歯を剥いて笑った。ずっと自分を見ていた、彼の存在に気付いているとでも言うように。

 ……彼は確かに感じ取った。燃え盛る赤の向こう、既に溶けて形を失ったあの真っ黒い瞳が、己を獲物と見定めたのを。

 

 

   --------------------

 

 

「――…ッ!!? ……ッぁ、ぐほッ、ごほ! …はぁっ――」

 

 仰向けの姿勢から飛び起きるなり、彼は盛大にむせた。長きにわたる夢の住人となり、自ら呼吸する感覚を忘れていた弊害だろうか。

 息が落ち着いた後も、しばらくは放心して動けなかった。直前に見た、あの光景のせいである。

 いい夢だと思ったのに。このまま昇天しても悔いはないというくらいの、極上の物語だったはずなのに。

 それが最後の最後で、いきなりホラーになるとは何事だ。舞い上がっていた気分が、すっかり地の底へ沈められてしまった。

 よって彼が周りを見る余裕を取り戻したのは、自失を脱し、ひとしきり憤慨もし終えた後の事であった。

 

 ゴウンゴウンと、大型機械の作動音と思しき騒音が響いている。

 彼が座り込んでいたのは、冷たい金属の感触をもった床だった。ぐるりと見回した周囲も、何の温かみも無い武骨な鋼の壁で覆われている。広さも決して十分ではなく、牢獄さながらの印象を与えるその部屋は、しかし彼を不快にさせなかった。

 彼はゆっくりと部屋を歩き、置かれたデスクや棚、ベッド等の家具を検分して回る。照明に浮かび上がるそれらの一つ一つが、実に彼好みの風合いを持っている。

 棚の大半を埋めている書籍は医学書ばかりで、冒頭少しずつ摘まんだ感じでは、どれも彼が読んだ覚えのあるものだった。気紛れにベッドに寝転んでみれば、それなりに上背のある彼でも足がはみ出ない丁度良いサイズだ。

 

 この部屋の主はよほど彼と趣味が合うに違いない。すっかり機嫌を直して、起き上がった彼が次に目をつけたのはデスクの抽斗。

 鍵は掛かっていない。すらりと開いた中は一見空っぽであった。が、ふと思い付いた彼が内側に手を差し入れ、デスクの天板の裏にあたる部分を探ると――大当たり、何かがテープで貼り付けてある。

 容易に剥がれたそれを取り出し、目の前にかざしてみれば、正体は飾り気の無い真っ白な封筒。表面には宛名も署名も見当たらない。

 見知らぬ他人のプライバシーなどまるで頓着しない彼は、好奇心の赴くままに開封した。

 中身は質の良さそうな便箋一枚きりだ。記された文章に軽く目を通すと、どうやら遺書であるらしい。普通そういうものは厳重に保管されているか、誰にでも見られるようにしてあるかの二択だと思う。それを抽斗の天井に貼り付けるなどという半端な隠し方をするあたりに、執筆者かつこの部屋の主と思われる人間の、複雑な心境が垣間見える。

 

「見つけてほしかったのか、それとも見つけられたくなかったのか……」

 

 どちらにしろ、彼には関わりの無い事である。だが少しばかり興味を惹かれた彼は、さらに詳しく遺書の内容を精査してみた。

 大部分は、執筆者の死後の財産分与について書かれていた。執筆者は海賊団の船長で、この部屋はそいつの乗る潜水艦の船長室だったのだ。どうりで狭いし、金属製なわけである。目覚めた時から止まない騒音は、今まさに艦が潜航中であるのを示している。若干湾曲した片側の壁には十字格子の入った丸窓が付いており、分厚いガラス越しに真っ暗な深海が覗いていた。

 続きを読むと、銀行の裏口座やら、どこそこの島に隠したお宝だのと、分配可能な動産が列挙されている。これだけ儲けている海賊団となると、結構有名どころなのではなかろうか。

 たださすがに潜水艦を分ける事はできないので、それについては細かく指示がなされていた。

 曰く、クルー全員の同意が得られる場合に限り、自分亡き後も■■■の海賊団の存続を許す。その際は船長を■■■■■■とし、副船長を■■■■とする。しかし一人でも辞めたいと希望する者がいた場合、団は解散、■■■■■■■号は売却しその他の動産同様にクルー全員に等分に分配する事……。

 

「……? 何だ、…」

 

 何故か、文中に読めない部分が複数ある。字が汚いとか潰れているというわけではないのに、意味のある単語として認識できない。

 ぱちぱちと瞬きして、もう一度同じ文を検めるが結果は同じ。

 おかしい。己は何か、脳に損傷でも受けているのだろうか。

 にわかに湧き上がった不安を脇に置き、遺書を最後まで読み進める。読めない部分はほかに二、三箇所で、そう多くなかった。

 そして末尾、これを書いた海賊団船長の署名と思われるものを見た彼は――

 

「――っぐ、…ぅ……ッ!!」

 

 頭をがつんと、殴られたような衝撃が走った。唇の隙間から、殺しきれない呻きがもれる。

 遺書を取り落とし、そのまま床に蹲った彼の脳裏を、幾つもの声がよぎり、重なってゆく。

 声たちは口々に彼を呼ぶ、――“船長(キャプテン)”と!

 

 体感で、数分は経ったであろうか。

 彼への呼びかけは、もう静まっている。額を押さえてじっとしているうち、指の下で感じる脈拍も、次第に平常に戻ってきた。

 固まった姿勢を解き、緩慢な動きで彼は遺書を拾い上げた。

 再び視線を落とした署名の部分は、己の知覚の一部が欠けてしまったかのように、どうしても読めない。

 彼にショックをもたらしたのは、認識できぬ人名などではなかった。その横に描かれた、一つのシンボルこそが原因だ。

 虚ろな眼窩は残したまま、円に詰め込まれたせいで髑髏の面影を無くしたスマイルマーク。中心から放射状に伸びた六本のT字が、その背後を飾っている。

 この奇抜なジョリーロジャーは、たしかに彼が考案したものだった。

 この潜水艦は、彼の船だった。未だ名を思い出せぬ海賊団の、彼は船長であったのだ。

 

「なんで、忘れてたんだ……!」

 

 絞り出した声は苦渋にまみれていた。

 彼にとって、己のクルーたちは家族同然だった。愛していた、愛されていた。血縁も庇護者も全てを失った彼にとって、唯一甘えられるような存在だった。それをどうして、今まで平然と忘れていられたのだろう。

 無意識に力がこもったか、手の内にあった便箋には皺が寄る。そんな些末事に構いはせぬとばかり、彼は勢い付けて立ち上がった。

 思い出さなければ。失われた記憶を、必ず取り戻さねばならぬ。

 それは己のものだ、誰にも渡せぬ己だけの宝なのだ。

 誰かに奪われたというのなら、奪い返してやる。海賊の流儀は、不本意ながら()に叩き込まれている。

 

 いきり立ち、手掛かりを求めて三度、整然と並ぶ文章に目を落として。そこで彼は気付いてしまった。

 これは遺書だ。己がこの手で書いた遺書。

 これが自室にあるのならば、己は死を覚悟して艦を離れ、そのまま戻らなかったという事だ。

 その事実が、何を意味しているのか? 分からぬふりはできない。もう誤魔化せない、ああ、――ああ、そうだ! 己は、

 

「おれは――もう、死んでるのか……」

 

 意図せずこぼれ落ちた言葉は、彼に現実を知らしめる。

 彼は既に死んでいる。死したる者に、現世への未練など不要。

 だから忘れたのだ。己が作り上げた海賊団の存在も、家族と思うクルーたちの事も、己自身の名ですらも。

 己が拠って立つ全てを失った事を理解した彼は、しばし呆然とその場に立ち竦んでいた。

 

 

 

 それからどれほど時を浪費したものか。いや、そもそも死後の世で時間という概念は意味が無いのかもしれない。

 彼は胸の内を満たす空虚そのままに、何をするでもなく俯いて棒立ちになっていた。

 全てがどうでもいい。死者たる己には、現世で何が起ころうともそこへ干渉する事は叶わない。それに、たとえ天国や地獄があるとして、背負うものを無くしこの身一つ――いや魂一つか?――となった己がどうなろうと、ただの自業自得と言うやつである。

 そのように自暴自棄となっていた彼だが、ほんの一瞬、何かに意識を惹かれた。

 

「………? 今…」

 

 鈍った思考のまま、部屋の中を見回す。

 当然ながら、誰もいない。けれど今し方、誰かに呼ばれた気がしたのだ。

 クルーたちの声ではなかった。「船長(キャプテン)」ではなく、別の名前で呼び掛けられたような……。

 

「……分からない。だが、」

 

 彼はゆるゆると頭を打ち振り、久方ぶりに足を動かした。

 手にしたままだった遺書をデスクの上に置き、壁際に歩み寄ると窓から外を眺める。潜水艦は未だ深海を航行中だ。黒一色の中、まれに不自然な発光体が浮かび上がってくるのが見える。

 己とて深海の生物全てを把握しているわけではないが、あれはおそらく生き物ではない。直感では、己と同じく死を迎えて何処かへ旅立とうとする、誰かの霊魂といったところか。人の形をしておらぬそれらは、既に自分が何者であったかも忘れているのだろう。

 それらと己を比べた彼は、この現状に改めて疑問を抱く。

 

「何故おれは、思い出したんだろうな……いや、思い出すようにお膳立てされた、と言うべきか」

 

 現世への未練を残さぬために死者の思い出が失われるのなら、どうしてわざわざ彼の記憶を刺激するようなものを置いておくのか。彼が目覚めたここは、何故彼の船を模しているのか。

 ……逆であれば、説明が付くのである。

 彼はとっくに未練を昇華し、己が何者であるかも忘れ、死の先へと旅立つところであった。今も艦の外を浮遊する、誰のものとも知れぬ霊魂と同様に。

 しかし何かが彼の魂を引き留めようとして、彼の記憶を蘇らせるために、この状況を用意した。

 

「まさかと思うが、おれを生き返らせようなんてバカなこと考えてる奴がいるのか? 死者蘇生なんざ、いくら悪魔の実でもそうそうできるもんじゃねェぞ……」

 

 一度死んだ者を現世に返すなんてインチキが可能なのは、彼が知る限りヨミヨミの実くらいしか無い。それとても、死者本人が生前に予め実を食べていなければ無理だ。

 だがほかに、己の記憶を復活させる意味があるのか? そもそも何が、誰がこんな真似をしたのだ?

 その疑問に答えを出すためには、さらに思い出す必要がある。それこそが、現状を仕立てた者の狙いだと分かっていても。

 

 幾分かはっきりしてきた頭で、今一度室内を漁ってみる。されど己は艦を出る時に身辺整理していったらしく、情報を得られそうなものは特に見当たらなかった。

 艦内の別の場所はどうだろうか。――いや、どうせ無駄足になる。己の性格からして、自室以外に何かを残していくとも思えない。

 使えるかどうかの確認も兼ねて、試しに見聞色の覇気を発動してみたところ、艦内は全くの無人だった。潜水艦は、誰が操作しているわけでもなく独りでに動いていた。

 物証は無し、目撃者もいない。さてどうするか、と腕組みして思索にふけろうとした時である。

 

   ――……、■■■!――

 

「っ! 誰だ、さっきからおれを呼んでるのはてめェか……!」

 

 咄嗟に顔を上げて眼光鋭く周囲を睨みつけるものの、もちろん誰の姿も無ければ、異変の兆候も見られず。

 不可解な事ばかりでいい加減苛立ちが溜まってきたのを、がしがしと髪をかき混ぜる仕草で頭から散らす。気に入りの帽子が手元に無いのも、落ち着かない原因の一つだ。

 努めて肩の力を抜き、深呼吸を数回。焦ったところでどうにもならない、冷静になれ。

 室内にある物以外で、何か手掛かりは無いのか? 物ではない、……そう言えば。

 

「あの夢……アレは結局何だったんだ?」

 

 呟いた声は苦い。

 何故か最後でホラーになった夢。そこまではごく普通に、一人の男の英雄譚といった内容だった。王道ゆえに奇をてらわぬ、万人に好まれる類の美しい物語だったのに。

 とは言え……今考えてみると前兆はあった。主人公の男は、物語を外から眺めているはずの彼の声が聞こえている様子だった。それがまるで、彼自身が物語の中に入り込み、男の仲間としてともに冒険しているような気分にさせてくれたのだが。

 

   ――…■■■、……! ……!!――

 

「うるせェ、今考えてるんだよ黙ってろ! ったくてめェは、いつも――」

 

 また聞こえた呼び声に無意識に叫び返した彼は、はたと気づいた。

 己の口から出た、「いつも」という言葉。それは声の主と己が、それなりに親しい間柄でなければ出てこない言い方ではないか?

 クルーたち以外で、己が気安い呼び掛けを許し、纏わりつかれてもさしたる不快を覚えぬ人間。そんな相手がたしかにいた気がする。

 いつも、の続きは何と言おうとしたのだろう。その相手は、いったい誰だった?

 目を瞑り記憶を追いかけると、ぼんやりとだが浮かんでくるイメージがある。常に冒険を求めて飛び出し、いつも余計なトラブルに首を突っ込んでいく――何度も繕われた麦わら帽子――大きく歯を剥いた笑み……

 ……その笑みが、細められた真っ黒の瞳が、夢の男の最期の笑みと重なって。

 それらの要素が同一人物であることを理解してしまった彼は、ざっ、と血の気が引くような寒々しい感情に駆られた。

 

   ――■■■! …ぃかげ…、…も…だ……!――

 

「……おまっ! …てめェ、夢のアイツかよ!! 何なんだ、なんで夢が現実になってんだ!」

 

 絶妙のタイミングでさらなる呼び声が届き、反射的に叫んだ声に震えが混じる。

 その醜態を情けないと恥じる思いが、かえって己を律する切っ掛けとなった。

 落ち着け、考えろ。そもそもあれは、本当に夢だったのか? 死者である己が、夢など見るものか?

 夢でなければ何だ――現実だ! 己が先ほど無意識に返事をしたように、事実として声の主は己の知人なのだ。生前の己は声の主と親しかった。夢と思っていたのは生前の記憶であり、声の主にして夢の主人公たる男とは、実際に仲間としてともに冒険した……

 

「……待て。じゃあおれは、いつ死んだんだ?」

 

 男が炎に飲まれて死んだ後か? 己に向けられたあの笑みの衝撃で、記憶の再生は中断してしまったから分からない。

 ああ、だが……おかしい。腑に落ちぬ点がいくつもある。

 己は一海賊団の船長だったのだ。それが何十年もクルーたちを放り出して、男の下につき暢気に冒険などするものだろうか? 男以外は己を認識していなかったのだって妙だ。透明人間などになった覚えは無いのだから。

 やはり己はあの物語が始まる前に、既に死んでいた? 男は幽霊となった己の声を聴いていたのか?

 ……分からない、分からない、分からない!

 己はいつ、どうやって死んだのだ! 親しいはずの男が、最期に己に向けた獰猛な笑みの理由は何だ!

 掴めそうで掴めぬ真実に、感情は激しく波打つ。そこにとどめを刺すように、ひときわ明瞭に男の声が響き渡る。

 

   ――■■■! …まえ、勝手に………ぃて、忘れてんじゃねェ!!

 

 

   --------------------

 

 

「――お前、勝手だぞ!! なんでこんなことしたんだ! なんで……!!」

 

 眠りの淵に吸い寄せられる意識が、間近に叫ばれた男の怒声で呼び戻された。

 こっちは一世一代の大仕事を終えて、休もうとしているところなのに。まったく――

 

「……うるせェな。静かに寝かせろ、もう思い残すことも無ェ……」

 

 己が言おうとした事と一字一句同じ台詞が()()()()聞こえて、思わずその発生源を凝視する。

 そこに、――()()がいた。

 戦塵に薄汚れてはいるが、大きな怪我も無くただ地面に横たわっているだけに見える。けれど、……分かる。この()()には、生き物として最も重要なものが欠けている。謂わばこれは、“抜け殻”だ。

 

「ふざけんな!! お前の仲間は、お前を待ってるんだぞ! お前が絶対帰ってくるって、信じてるんだ!」

「ああ……そう言や遺書のありかを伝えてなかったな、おれの部屋の抽斗の裏だ……」

「……ッ、■■■ォ…!!」

 

 己の手が独りでに動いて、()()の胸ぐらを掴み上げる。

 ()()は僅かに眉をひそめたが、されるがままで脱力していた。

 

「おれはッ! もう誰も死なせねェために、強くなるって決めたんだ!! なのにお前が! ■■■はおれの話なんて聞かねェで、勝手に、――っ」

 

 相当な力がこもっているのか、()()を掴む己の拳はぶるぶると震えている。

 その様子を鼻で笑った()()が、下りようとする目蓋を懸命に持ち上げながら、最期の言葉を口にする。

 

「バカが……おれに、命令するなと…言っただろ。……おれはここで、終いだが……満足だ」

「ッ、■■■! おい、寝るな!! 起きろよ!」

「へへ……。せいぜい長生きしろよ、■■■■……。ドレスローザでの、命の借り……確かに返したぞ……」

 

 ついに()()の目が閉ざされる、その間際。半ば曇りかけた()()の瞳に、対峙する己の姿が映っているのが見えた。

 麦わら帽子の似合う素朴な顔立ちに、左目の下の傷跡。常日頃陽気な笑顔をたたえているそれが、今は憤怒に歪んでいて――

 

 

   --------------------

 

 

   ――…■■■!! ■■■、答えろよ! ■■■!!

 

「――、…ぁ、」

 

 声が喉に貼り付いたように、うまく喋れない。

 己は今何か、白昼夢のようなものを見た気がしたが……よく思い出せない。

 ふらふらと、壁に手をつく。

 現実と夢、生と死の区別がつかない。己は今、果たして正気なのだろうか?

 

   ――聞こえてんだろ? ■■■! お前が思い出すまで、おれ諦めねェからな!

 

 男の呼び掛けは、もう彼の呼び名と思しき部分以外は完全に聞き取れていた。

 姿は見えないのに、近くで叫ばれているようだった。息遣いすら感じられそうな、何なら今まさに背後をとられていてもおかしくなさそうな……。

 そんな妄想が実体化したかのごとく、耳元すぐから、情念をにじませた男の低い声が、

 

   ――覚悟しろよ、■■■

 

「…――ッ!!」

 

 ぞわりと、背筋を悪寒が通り抜けた。

 無様をさらすまいとする意識を裏切り、震える唇が開いてゆき。身も世もなく、恐怖の叫びを上げる直前で――

 

 ……何の前触れもなく艦を襲った強烈な揺れにより、彼は悲鳴ごと息を呑み込んだ。

 

「!! ……な、にが、」

 

 壁に寄り掛かったままだったので、転倒は免れていた。

 状況を把握できずにいる彼の耳に、艦内放送で流れる激しい警告音が飛び込んでくる。生前一度も聞かずに済んだそれは、音が漏れるのを心配している場合でないほどに、艦体が深刻な損傷を受けた事を意味する。

 艦内には彼以外誰もいないし、彼は既に死人である。特に問題無いのでは、と一瞬錯覚した。

 しかしよく考えると、現状はまるで生きているように感覚があるのだから、溺れる苦痛も忠実に再現されてしまう可能性が大だ。溺死はかなり苦しいと聞くし、彼に被虐趣味は無いので、好き好んで体験したいとは思わない。

 

 独りでに動く艦だ、隔壁も自動で下りているだろう。あとは穴の開いた場所次第だが、……どうやら、彼は生前で悪運を使い切ってしまったようだ。通路と繋がる扉の下から、チョロチョロと水が漏れ出してきた。穴は隔壁のこちら側だ。

 これはもう無理だな、と溜息をつく。忘れている記憶の中に、この状況を脱する方法もありそうな気はするものの、悠長に考え込んでいる時間は無い。

 早々に諦めた彼は、遠い目で窓の外を眺めた。外は相変わらず真っ暗で、深海の域を脱していない。溺れるより先に、水圧で押し潰される事になりそうだ。

 やがて通路の過半を満たした海水が、扉を破って猛烈な勢いで室内へ流れ込んできた。

 水流に呑まれた彼の意識は、どこぞに頭でもぶつけたか、一時そこで途絶した。

 

 

 

 次に気が付いた時、彼は真っ黒な空間に浮かんでいた。

 光などどこにも無いのに、己の姿だけは見えている。手足を動かすのに僅かな抵抗を感じる事から、水中にいるのかとも思ったが、それにしては苦しくない。息ができているというよりは、呼吸を必要としていない、と表現するのが近い。

 

 意識を失う前の出来事は覚えている。しかしあれは、現実に体験した事なのだろうか。全て己の、妄想ではないのか?

 この暗い場所でただ一人、いつまで続くとも知れぬ孤独に飽いた、己の独り遊び。

 独りは嫌いではない、と思っていた。騒がしい連中のペースに振り回されるのは疲れるし、趣味に没頭する時間は他人に邪魔されたくないものであるから。

 けれどいざ、誰の存在も感じられなくなってみると、己の内を冷たい風が吹き抜けていくような心地になる。このままどんどん熱を奪われ、いずれ己は凍えて固まり、意思の無い人型の置物にでもなるのかもしれない。

 そんな馬鹿な事を考えるうち、彼はあの潜水艦と男の声の行方が気になってきた。

 

 己の妄想であれば構わない。だが本当にあった事だとしたら、男はどうなったのだろう。

 最後に聞いた声からして、姿は見えねども、男は彼の至近にいたはずだ。ならば彼と同じく、水に呑まれてしまったのではないか。

 悲鳴を上げそうになるほど恐怖を覚えた相手を心配するなど、おかしな話だ。しかし彼は、それでもあの男自身を嫌いだとは思えなかった。獲物を狩り立てる凶暴な笑みでなく、太陽のように朗らかな笑顔こそがその本質であると知っているからだ。

 

 ……あの男は助かっただろうか。夢だか記憶だかはっきりしない一連の物語が事実だとするなら、男も既に死者であるのだが。

 けれど己同様にこのわけの分からない空間に漂っているとしても、己と違ってあの男は独りではないだろう。生前の男は、自らを慕う幾人もの仲間たちにいつも囲まれていたものだ。

 思い出そうとすればすぐ、脳裏に光景が浮かび上がってきた。見覚えのある面々の中心で、男は何やら楽しげに談笑している。

 こちらに気付いた男が、屈託の無い笑顔を浮かべつつ手を差し出してくる。

 これは己の願望なのかもしれない。でも、所詮想像なのだから己の好きにしたっていいはずだ。

 

 彼はゆっくりと持ち上げた腕を、前方へ伸ばす。

 男は笑っている。ためらいつつも、その手のひらに己が手を重ねようとして。刹那、――男の方から先に、こちらの手を掴んできた。

 己の手を握り締めた、その手の肉感がやけにリアルで。

 彼は、はっと()()()()()

 

 

 

 目前に、男の笑顔があった。

 にま、と三日月に曲げた唇は、その男にしては珍しい。だが細められた黒い瞳に宿る光は穏やかだ。

 しっかりと握られた手は、彼の逃走を許さぬと言わんばかりであるものの、久々に感じた他者の体温は彼を思いのほか安らがせた。

 水面から漏れる陽光を背負い、美しいオーシャンブルーに抱かれた男。

 その名を呼びたくて、彼は口を開きかけ。ごぼりと泡になった吐息に、慌てて再び唇を引き結ぶ。……ここは普通に、海の中だったらしい。

 

 彼に釣られたのか、男まで口を開けてしまって、より派手に泡を吐き出している。

 何をやっているんだ。己を棚に上げて呆れた目を向けると、不服そうに唇を突き出した男は、彼の身体をぐいと引き寄せて脇の下へ抱え込んでしまった。

 彼は抗議のために腕に力をこめようとして、それが叶わない事に気が付いた。腕だけでない、全身脱力してしまっている。

 そう言えば己は生前、悪魔の実の能力者であった、と彼は思い出す。死んでからもその呪いは続いているらしい。

 しかし同じく能力者であったはずの男はこの通り、水中で元気に動き回っている。もっとも男は能力者になる前からカナヅチであったようで、闇雲に手足をばたつかせるばかりで、ほとんど浮上できていないのだが。

 

 幸いにして仰向けの状態で抱えられているので、彼は状況を観察できた。

 深海から海面近くまで、一瞬にして移動したのは謎だが、おかげで圧死せずに――既に死んだ身ではあるが――済んだのだから、気にしない事にする。

 明るさから言って、洋上の天候は快晴。海面までの距離も、そう長くはない。水面には小振りな木の板が一枚、ゆらゆらと漂っているのが見えた。

 今はただもがいているだけの男も、運動神経は保証済みなのだし、完全に溺れる前には泳げるようになるだろう。

 ――問題は一つだ。あの板切れ一枚では、鍛えられた筋肉の成人男性二人を支える事などできまい。まして片方は、海の悪魔の呪い付きである。

 辛うじて動かせる首をめぐらせて周囲を見渡した限り、ほかに漂流物は無い。近くに都合良く島や船があるわけでもない。

 

 彼は、己自身に問う。この状況で、望む事は何だ?

 決まっている。――あの男の、生存だ。

 そもそも己も男も既に死んでいるというのは野暮な指摘だ。これが死後の世界だろうが己の妄想だろうが、どうせもう何も背負うものは無いのだ。やりたいようにやって何が悪い。

 彼は男の生き様に憧れた。己がその人生の一助となれる事を幸福と思った。

 だから今からする事も、自己犠牲なんて殊勝なものではない。己は己の望みのために、この方法を選ぶのだ。

 

 決意した彼が脱力した四肢を意地で動かし、男の意識が逸れるタイミングを見計らっていたその時。

 不意にもがくのをやめた男が、脇に抱えていた彼を自らの正面へ持ってきて、がっぷり抱きついた。……いや抱きつくなんて生易しいものではない、締まっている。

 ベアハッグか、やめろ。■■だってもう少し加減は知っている――などとくだらない事を考えるうちに、次なる衝撃が来た。

 猛烈な力で足を引っ張られるような感覚。間髪入れず、視界がぐるりと回る。そのまま回転は止まらない。

 抱きついている男ごと、彼は渦を巻く水流に取り込まれていた。まるで水の竜巻だ。

 こうなっては男を引き剥がしたところで、容易に脱出させる事はできない。

 締められたせいでまた空気を吐いてしまったし、酸欠で次第に思考が鈍ってきた。男の腕の力も緩まない。

 ぐるぐると回りながら、彼と男は水竜巻の発生源と思しき方向へひたすら流されてゆく。最後に目に映ったのは、自分たちと同様に巻き込まれたらしき、深海で見た発光体。

 力尽き、目蓋を閉ざした彼の意識は急速に闇に沈む。その終わりまで彼は、決して離さぬと言わんばかりの男の執念を感じていた。

 

 




推しキャラのSAN値を削るのは性癖です。
これ本文中で一時的狂気入ってるんじゃないかな。


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命の飴玉

前回のあらすじ:SAN値削れた。

……ええと。今回以降はpixiv版と内容はほぼ同じになります。
前回との整合性をとる必要がある部分の加筆修正、そのほかは細々とした表現の修正のみです。


 子供の泣く、声がする。

 

 ――ああ、泣くな……お前に泣かれると、どうしていいか分からないんだ。やっぱりおれは男だから、女のお前とはちょっと考える事も違うんだよ。

 困ったな、母様がいればいいんだが……父様じゃあ役に立たないしな。

 ほら、おれのおやつをやるから。もう泣きやんでくれ。なあ、

 

「――…泣くな、■■……」

 

 己の口から出た声の低さに、はっと現実を意識する。

 馬鹿な事を言ってしまった。■■はもういないのに。

 ……確かに己で口にしたはずの名は、掴もうとすれば水面に映る月のように消えてしまった。

 

 耳に届く泣き声は子供のものではあるが、よく聞けばあの子の声とは違う。

 死んだはずの己は何故か潜水艦の中で目を覚まし、あの男に捕らわれたまま、渦を巻く水流に呑まれて。息ができるという事は、ここは陸上。運良くどこかの島にでも流れ着いたか。

 現在に至るまでの経過を脳裏で反芻しつつ、彼は目を開けてむくりと身を起こした。

 一瞬ブレた視界は、ピントを合わせるようにすぐに鮮明になり、目を灼くような赤がいっぱいに広がる。

 

 そこはどこかの砂浜だった。狭い入り江のような地形で、中央を細い川が通っている。川の流れてくる方向には建物が見え、人里があるようだ。

 少し離れたあたりには小舟が繋いであるが、外海へ出るのに耐えるとは思えぬ小ささである。あれでは大人一人すら乗れるか怪しい。

 時刻は黄昏、水平線の上にじりじりと落ちてゆく太陽がある。

 砂を払って立ち上がり、海から吹く風に髪を弄られながら、彼は赤く染まった世界へ一歩を踏み出した。

 

 歩く先に、泣き声の主らしき幼子と、その傍らにしゃがんでいる男の姿が見える。

 砂の上に膝を抱えて蹲る幼子は、見た目からすると四、五歳の男児。そして男の方は、潜水艦で散々彼を脅かしてくれた奴である。

 時間を置き、落ち着いて考えてみれば、この男にあれほど恐怖を覚えたのが不可解かつ理不尽な事に思えてきた。これは一言文句を言ってやらねばと足を早めるうち、男と幼子のやり取りが聞こえてくる。

 

「お前さァもう泣くなよ。目ン玉溶けっちまうぞ」

「ぅえ…だっで……!! おれ、…おれ……まだあっぢいぎだくないのに……!!!」

「じゃあ逝かなきゃいいじゃねーか」

「もどれねえんだよォォ!! うわああああ!!」

 

 ……全く慰めになってない。さらに泣かせてどうするのだ。

 いや、そもそもあの男ほど気遣いやらデリカシーとかって単語と無縁の人間はいない。子供相手だろうとそれは同じだろう。

 彼もさすがに幼子が哀れになり、「おい…」と声を掛けて歩み寄る。すると男だけでなく幼子もこちらに顔を向けたのだが、並んだ二つの顔を同時に見比べて判明した事実に、彼はぎょっとして足を止めた。

 続くはずだった台詞がどこかへ行ってしまい、代わりに飛び出したのはこんな言葉である。

 

「お前……女に興味無ェふりしてたが、ヤることはヤってたんだな。隠し子がいたとは知らなかったぜ」

「ん? お前何言ってんだ。おれに子供なんていねーぞ」

「いやだが、どう見てもお前の血縁者だろう、そのガキは。まるでお前をそのまま小さくしたようなナリだ」

「そりゃそーだろ。だってコイツおれだし」

「はァ?」

 

 こいつまた何か変な事言いだした。そんな内心が表情に出てしまったのか、男に「ウソじゃねェ!」と睨まれる。

 理解はできないが、この男に詳細な説明を求めても無駄だろう。彼は頭を振って、気を取り直し話を進める事にした。

 

「……そのガキがお前だと言ったな。ならお前、分裂したのか? “新世界”特有の現象か何かか?」

「おれはおれのまんまだぞ。そーじゃなくて、コイツはおれじゃねェおれなんだ」

「意味が分からない……。よしお前ら、…お前もだガキ。自分の名前言ってみろ」

「モンキー・D・ルフィだ!」「……ひっぐ、…モンキー・D・ルフィ、だ……」

 

 威勢良く立ち上がって叫ばれた男の名と、座り込んだまま涙声で紡がれた幼子の名は、同じ響きを発する。

 その名を耳にした瞬間――彼の頭の中で歯抜け状になっていた記憶の幾分かがまとめて蘇った。

 衝撃に眉を顰めるとともに呻き声がもれてしまい、聞き咎めた男に「大丈夫か!」と顔を覗き込まれる。彼はそれに答えず、男と己の間を手で遮る事で無用の心配を退け、拙速に情報の抽出に取り掛かった。

 これで全てを思い出したわけではない上に、潜水艦で目覚める前の夢だか記憶だかについては、逆に詳細がぼやけてしまっている。しかしこの男に関しては――

 

 ……そうだ。この男の名はモンキー・D・ルフィ。彼の同盟者であり、とんでもないトラブルメーカーであり、彼の死後に海賊王となったであろう男。その男が目の前にいるという事は、意味するところは一つだ。

 

「何も分からないままだが一つだけ理解した。てめェまた厄介なことにおれを巻き込みやがったな麦わら屋」

「おれのせいじゃねーぞ! ……んん? あ、でも()()に流されたのは多分おれがいたからだな!」

「自覚あるんじゃねェか……あァ、もういい。おれはおれで勝手にやらせてもらう」

 

 口振りからして、男――ルフィが事態の真相に近い何かを知っているのは間違いなさそうだった。

 しかし生前ルフィの言動に散々振りまわされた彼としては、『麦わら語』の解読に頭を悩ませるより先に、幾ばくかなりとも判断材料を得るべきだろうと思った。

 

 まずは自身の状態である。既に死んだ身で何をとも思うが、水に溺れる身体があるのだから生前とそう変わらない感覚だ。

 服装は生前好んで身に着けていたもので、けれど帽子は潜水艦で気がついた時から持っていなかった。己なら最期まで手離さぬであろうはずの刀、鬼哭もここには無い。

 彼は徒手空拳も多少は使うものの、やはり武器が無いのは心許ない。何か、と考えた途端、左胸のポケットに僅か重量が増した感じがあった。まるで今突然、中身がそこに現れたような不自然さだ。

 やや用心しつつもそれを手に取ってみれば、正体は刃が剥き出しのままの手術用メスだった。いくら己が医者でも、医療用具そのものを暗器にした覚えは無いのだが。ひとしきり訝った後、とりあえず無害なようなので、刃に気を付けて別のポケットにしまいなおす。

 

 メスをしまったポケットには、古びたライターが入っていた。こちらも己で入れた記憶は無かったが、よく観察するとその形に見覚えがある。

 特にブランド物ではない量産品だが頑丈で、いつも()()()が煙草に火を点けるのに使っていたもの。ああ、あの人の名前がまだ思い出せない――

 

「――なあ、なァって! 聞いてねェのか?」

「……っ、うるせェ……なんだ、麦わら屋」

「だから、これでメリー彫ってくれよ! ヘッドのとこ! お前器用だもんな、できるだろ?」

 

 ……この男がいる前で悠長に考え事などできるわけがなかった。

 たしかに外科を主体とする己が不器用だと思った事は無いが、だからといって医者に彫刻をさせるのはどうなのだろう。

 彼はため息をついて、人の腕ほどの太い木材を抱えたルフィを見やる。浜に流れ着いていたのなら、あれは船の竜骨か何かの残骸か。

 こちらの事情などお構いなしに一方的な要望を口にする事も多い男ではあるが、子供よりも子供のようにきらきら期待で輝く目を向けられると、あまり無下にもできない。勢いに押されて木材を受け取ってしまった後の彼は、言い訳のように言葉を並べる。

 

「……もう日が沈む。見えなきゃ手元が狂うし、木を彫れるような道具も持ってねェ」

「たき火の用意ならおれがやるぞ、火を出すのは得意――…あーそっかもう能力使えねェんだったな」

「使えてたら、たかがたき火一つのために、この辺り一帯吹っ飛ばしたのかよ」

 

 ゴムゴムの能力で火が出るものとなると、彼が把握している中では、火拳銃(レッドホーク)とか言う極めて高威力の正拳突きぐらいしかない。

 そんなものを使うつもりだったのか、と呆れ混じりに見やれば、ルフィは不思議そうに首を傾げるだけだ。

 

「別にそんな大技じゃねェぞ? ……おっ、じゃあそのライター貸してくれ! それと道具な、道具は――なんだ、いねェと思ったらお前んとこに行ってたのか」

「おれの所に? 誰が……いや、人じゃなくて道具の話をしてるんだ」

「うん、だからお前のポケットに()()ぞ」

「言い方がおかしい。だいたいおれのポケットに入ってるのはこれだぞ、メスだ。メスで彫刻しろってのか、よ……?」

 

 これ、と言ってメスが入っているはずのポケットを軽く叩いた瞬間、そこが重くなった。

 増えるばかりの謎現象に眉間の皺も深まるものの、二回目となると無駄に構えたりはしない。見下ろせば、ポケットからややはみ出す形で、作業に丁度よさそうな小振りのナイフがそこへ鎮座している。メスの方は無くなっており、メスがナイフに変わったとしか言いようがない状況だ。

 視線でどういう事だとルフィに問うが、あちらはまるで疑問に思っていないようで、それが当然のような顔をしている。溜息をついてライターを渡すと、「ありがとな!」と言って火を熾す材料を探しにすっ飛んでいってしまった。

 

 太陽は既にその頭を隠し、残照もほどなく消える。ルフィがすぐに戻って来るとは限らないので、作業を始めた方がよさそうだ。

 ルフィの言うメリーとは、『ミニメリー2号』と名付けられた蒸気機関外輪船の事だろう。そのヘッドは、愛嬌のある羊の頭を象られていた。正直細かい所は覚えていないので、それっぽい雰囲気で誤魔化されてくれればいいのだが。

 角と頭は別のパーツとして後で組み合わせた方がいい。ざっくりとあたりを付け、ナイフを木材に沿わせていると、近くでぐすんと鼻をすする音がした。

 彼はそちらに目をやらぬまま、相手が口を開くのを待つ。

 

「………。――おれ、…でっかくなれたら、……アイツになったのかなぁ」

「……さァな。アイツがそう言ったんならそうなんじゃねェか」

「でっかく、なりてェよ……ぼうけん、したかった。もっともっと、いきたかったっ……!! おれまだ、なんにもできてねェ…おれ、おれ……っ」

 

 四歳程度にしては存外に弁達者な幼子がぽつぽつと落とす言葉からは、本能的に“死”を理解している様子が伝わってきた。幼子自身が今まさに、その淵にいるらしき事も。

 幼子の外見からは負傷や病の気配は見られない。しかしそれを言うなら死者である彼がこうしてぴんぴんしているのもおかしな話で、おそらくはこの場所自体が現実でなく、生と死の狭間にある夢のようなものなのだろう。

 

 弱ェ奴は死に方も選べねェ、とはかつての彼の発言であるが、今となっては()の受け売りをそのまま口にした黒歴史だ。だいたい、強い弱いの前にまず運が無ければどうしようもないのが、世の中というものだったりする。

 幼くとも“麦わらのルフィ”に運が無いとは考えにくいが、人生は何が起こるか分からない。

 

 とはいえ、彼には今一つこの幼子がルフィであるという実感が湧かなかった。

 確かに見目は瓜二つである。しかし彼の知るあの男は、自分の命を惜しんで泣く事など無かった。男が自分のために涙を流したのは、兄を亡くした悲しみに我を失っていたあの一時――それとて彼は声を聞いただけで直接目にしてはいない――のみ。

 自分の生をただ自分自身の選択にのみ委ね、たとえ死にゆく時ですらも笑って逝ったのだろうと確信させるあの男。

 目の前でただ泣き伏すばかりの幼子が、その前身であるとは、いやはや。

 

「あの麦わら屋も、小せェ時は人の子だったってことか?」

「う゛ーーー! なんか、…なんかひでェこといわれてるきがする……!!」

「安心しろ、お前のことじゃねェ」

 

 意味を理解していないくせに妙なところだけ勘のいい幼子に、ニヤリと笑いかけてやる。昔馴染みの白熊にまで「キャプテンって小児科向いてなさそうだよね」と言われた凶悪面だ。それに怯みもしないのだから、この幼子にも度胸だけはあるらしい。

 己の態度が少々大人げないものであるとは自覚している彼は、遅れ馳せながら幼子の意図を考えた。

 述べた通り、彼は一見して子供に好かれるような容姿はしていない。一人残されるのが寂しかったにしても、己とあの男なら十人中十人の子供があちらへついていくはずのところ、何故こちらへ寄ってきたのだろう。

 慰めの言葉を期待しているというのなら見当外れだ。あの男ほどではないが、己とて別に気の利いた事は言えない。

 けれどじっとこちらを見つめてくる深い黒目はやはりあの男と似ていて、気付けば口を開いていた。

 

「……自分を哀れんで泣いてる暇があったら、動くんだな」

「! …だ、だってもう……」

「『もう』、なんだって? 『もう』って言って納得できねェからグズグズ愚痴ってんだろが。だったら今からだってやれること全部やってみりゃいいんだ。力尽きるまで突っ走って、それで倒れるなら同じ死ぬんでも今よりはスッキリするだろうさ」

 

 突っ走った結果、同盟という言葉で破天荒なあの男を釣り上げて、最終的に目的が叶った上に生還まで果たしたのが己である。

 しかしたとえ生きて戻れなかったとしても、最期の最後まで己は足掻き続けただろう。無様と嗤われようとも、無駄だと切り捨てられようとも、ただ己の心が走るままに。

 結局は、自分がそれでいいと思えるかどうかだ。

 

「だが、お前みてェなガキには難しかったか。ガキだからな、仕方ねェ」

「が、ガキガキいうな! この……。この…――ヒゲ!!」

「ああ、いいだろう気に入ってるんだこのヒゲ。剃っちまうと迫力が無くてな、雑魚にナメられる」

「くっそおォォ!!」

 

 必死に考えたであろう罵りを呆気なくかわされ、地団太を踏む幼子。

 ひっきりなしにこみ上げていた涙は止まったようである。今やはっきりと彼を睨み、何か反撃の糸口は無いかと少ない知恵を絞っているのが見てとれる。

 やがて、ぐっと引き結ばれていたその唇が大きく開かれた。

 

「――あ、アイツ! …かいぞくおう、ってやつなんだろ!」

「まァ、そうだな」

「じゃあ! ……じゃあおれは、アイツにかつ!!」

「……何?」

「アイツにかって、おれ、かいぞくおうにかったおとこになる!! そしたらおまえよりすげーんだからな!」

 

 指を突き付けてくる幼子の顔は、未だ涙の跡と鼻水にまみれてはいるものの、目は爛々と光っていた。死への嘆きはどこへやら、あれほど泣いていたくせに、やたらと切り替えが早いのはあの男らしい気がした。

 付き合いの長い者にしか気付けぬ程度に弾んだ声で、彼は続きを促す。

 

「へェ。で、どうやって勝つんだ?」

「それはこれからかんがえる!」

「そうか。なら、イイコト教えてやろう。アイツはな、……カナヅチだ」

「かいぞくおうになったのに、カナヅチのまんまなのかっ!?」

「悪魔の実の能力者だったからな、海に嫌われちまってたのさ。あとついでに言うと、おれも泳げねェ」

「おまえもなのか! そっか……よォし!」

 

 すっかりその気になったらしい幼子は、ししっ、と彼のよく知るあの笑い方をして拳を握った。

 それはいいのだが、もうとっぷりと日の暮れて目印の一つも無い暗い海へ、考えなしに飛び込んでいこうとするのには彼も困った。下手をすると方角を見失って沖に流され、浜へ戻れなくなる恐れもあるのにだ。

 どうにか言いくるめて準備体操をやらせたところへ、大きい方のルフィが戻ってくる。

 

「お? なんだお前ら、仲良くなったのか!」

「なかよくなんかねェ! みてろよ、おまえもコイツもおれがブッたおしてやるからな!」

「戻ったか麦わら屋。よし、もう行っていいぞ、……小さい麦わら屋。今から火を焚くから、あんまり遠くまでは離れるなよ。ああそれと砂浜だから大丈夫だと思うが、岩なんかには気をつけて――」

「ちいさいっていうな!! いちいちうるせェぞ、おまえはおれのかあちゃんか! ほっとけ!」

 

 幼子はぷりぷり怒って、服や靴を点々と脱ぎ棄てながら海へ走っていった。彼が軽く肩をすくめてそれらを拾い集めていると、大きいルフィは「かあちゃんかーたしかにそれっぽいな!」と笑う。誰のせいでこんな口うるさくなったと思っているのやら。彼が一睨みすれば自分のやる事を思い出したようで、手早く火の用意を始めたが。

 彼は回収した諸々を一つ所に纏めて置き、波を蹴立てる音に耳を澄ませる。浅い場所で躊躇しているように聞こえるので、意気込みはあってもやはり簡単にはいかなさそうだった。

 

「アイツよー、海に落ちた時に岩で頭打ったらしいんだ」

「頭を打った? ……それで死にかけてんのか」

「おれは小せェ時そういうケガしたことねェからさー。やっぱアイツはおれじゃないおれなんだ」

 

 自分でやると言っただけあって、ルフィは慣れた手付きで焚火を熾した。その片手間に話された内容から、彼は己が不用意な提案をしてしまった事を知る。

 海で死にかけた相手に、海で泳げるようになれとそそのかしたのだ。もしかしたらトラウマになっている可能性もあるのに。

 フラッシュバックを起こした場合、足の着く深さでもパニックになって溺れるかもしれない。

 今し方、彼の言葉に怒って遮ったのだって、岩というキーワードに過剰に反応したからではないか。

 

「……別の方法を…」

「ほっとけよ。アイツだってそう言ったろ。いーからさ、お前はメリー彫っててくれって」

 

 ルフィはどかりと火の前に腰を落ち着け、動くつもりはなさそうだ。貸したライターを手持無沙汰にカチカチ鳴らしている。

 多少の差異があるにしても、同一人物の言う事である。他人の自分がこれ以上口を挟むのもと、彼は最後に一度海の方を見てから、火を挟んでルフィの正面に座り直した。

 

 

 

 慣れない作業に集中していると、時間感覚が鈍る。星の動きを見た感じでは、木材を彫り始めて二時間ほどだろう。

 新月なのか、月は見えない。彼は星座の配置から、ここが現実であれば“東の海(イーストブルー)”のどこかだと踏んだ。

 常の騒がしさを忘れて奇妙なほどに沈黙を保っている男に焦燥を煽られ、彼から水を向けてみる。

 

「……確か、お前は“東の海(イーストブルー)”出身なんだったな。ここがどこかわかるのか?」

「ん? ふしぎ村だぞ! フーシャ村にそっくりだけど、ホントにフーシャ村の浜だったら海に向かって日が沈んだりしねェし」

「フーシャ村」

「風車のいっぱいある、おれの故郷だ! アイツにとっては今住んでるとこだな」

 

 言われてみると、遠く低くうなるような音が聞こえてくる気がする。風車の羽が風を切る音なのだろうか。

 周囲を把握する事を後回しにしていたのは、何故かこの場所に全く警戒心が湧かなかったからだ。

 ルフィの故郷に似た村。そんなところで、己は一体何をやっているのだろう。死人は死人らしく、さっさと逝くべきだ。思い出した限りの記憶の中にも、未練らしい未練は無い。己自身に心当たりが無いのだから、現状はやはり誰かが己の魂を引き留めようとして――

 物思いに沈みかける彼を、幼子の甲高い叫び声が引き戻す。

 

「――あーーーーーッ!! うまくいかねえェェ!!」

 

 ややして、ばたばたと砂を巻き上げながら走ってくる小さな影。まだ遠い焚火の明かりで僅かに照らされたその顔は、歯を剥き出して憤懣遣る方無しといった様子である。

 

「……アイツまさかずっと海に浸かってたわけじゃねェだろうな。体冷やすぞ」

「あの海あったけェから大丈夫だ! 人肌くらい? だったぞ」

「人肌? それは海なのか……?」

 

 体温と同じ温度だというなら、確かに長々と浸かっていてもそう冷えはしないだろうが。

 ふと彼は、人間の羊水と海水の成分がほぼ同じであるという話を思い浮かべた。死に瀕した者がそこへ入っていくのは、ワノ国の死後の言い伝えと併せると……。

 もしかすると、あの幼子の向かう先は、もう既に定まっているのかもしれない。

 

「なァ、思い出したか?」

「は、」

「早く思い出せよー。お前が思い出してなきゃ意味ねェからさ、おれも逝けねェんだよなー」

 

 また唐突に変わった話題についていけず、彼は間の抜けた声を漏らして目を瞬かせた。

 内容を理解するうち、脳裏に蘇る男の声。そう言えばたしかに、潜水艦で。

 

   ――お前が思い出すまで、おれ諦めねェからな!

 

 とてつもない執念を感じたあの声。正体を知った今も、あまり触れたくない話題なのだが。

 何故かわくわくとこちらの答えを待っている男を、無視するわけにもいかない。仕方なく話に乗ってやる。

 

「……おれが何かを忘れているから、お前は死にぞこなってると言いたいのか? なんでそうなる」

「いや死んだは死んだんだけどよー。やっぱ一発お前ぶん殴らねーと気がすまねェから、まだ逝けねェなって」

「待て、どうしておれが殴られなきゃなんねェ!」

「だからーそれをお前が忘れてんだよー。なんで忘れっちまうんだよ、お前が死んだ時のことだぞ?」

 

 ちぇー、と唇を突き出してむくれるルフィへの返事もそこそこに、記憶の未だ霞がかっている部分を必死に掻き分ける。何せ海賊王になった男の拳だ、ちょっと殴らせろと言われて殴られてやるには殺意が高すぎるだろう。可能ならば説得で回避したい。

 思い出せ、己の死に様だ。己に生への未練が無い以上、そう酷い死に方をしたとも思えない。思い出した途端に無様に取り乱すような事にはならないはずだ。

 己はいつ死んだ? 何故死んだ? 思い出すんだ、さあ――

 

   ――お前、勝手だぞ!! なんでこんなことしたんだ!

   ――静かに寝かせろ、もう思い残すことも無ェ

   ――おれはッ! もう誰も死なせねェために、強くなるって決めたんだ!! なのにお前が!

   ――へへ……。せいぜい長生きしろよ、麦わら屋……

 

「……駄目だ。会話の断片しか思い出せねェ」

 

 しかも、肝心なところが抜けている気がする。

 思い出した限りで分かるのは、己の死に際にルフィが付き添っていた事。己にはやはり未練は無く、むしろ非常に清々しい気分で黄泉路へ旅立ったと思われる事。

 ……あと、明らかに何かやらかしたらしい事。ルフィに対して。

 

 困った。どうにもこちらに非があるような印象だ。これでは海賊王の全力パンチを回避できない。

 悶々と頭を抱えていると、横からすっかり存在を無視された幼子の声が割り込んでくる。

 

「おまえら、もうしんでんのか?」

「おー、死んだ死んだ。まァおれは十分生きたし、あとはコイツを一発ぶん殴って礼言ったら満足だ!」

「ぶん殴る気なのに礼ってなんだ…おれは本当に何をやった……」

「だから早く思い出せよな、■■■!」

 

 ころっと表情を変えてもう笑っているルフィの、その口が発した最後の一節が聞こえない。

 文脈的に、それは彼の名を示しているはずだ。唇の形から、母音は『お』『あ』『お』。

 それだけ情報は出ているのに、何故か彼には答えが分からない。死に際にしでかした事と同じく、どうしても思い出せないのだ。

 彼の苦い顔を見て、ルフィは首を傾げる。

 

「自分の名前、分かんねェのか? やっぱ自分の体なくして長いこと経ってっから、頭で何か考えるってできなくなってんのかな。お前頭イイはずなのになァ」

「てめェに考えなしと言われる日が来るとは思わなかったぜ……」

「んん……そーなるとよ、体無ェとお前色々忘れたまんまってことだよな。困ったなー」

 

 大して困ってなさそうなあっけらかんとした声で、ルフィは困った困ったと繰り返す。

 しかしこの男の直感は結構な的中率を誇るので、体が必要というのも本当かもしれない。そうであれば、記憶の回復は絶望的だ。

 ついには謎のメロディをつけてこまったーこまったーと歌いながら横になってしまったルフィは、もう会話に飽きたのだろう。

 同じく飽きたらしい幼子は、また立ち上がって海へ入るようだ。だがこのまま闇雲に水中でもがいていては、いつ泳げるようになるのやら。その背に向けて、彼は思い付いた助言を投げる。人肌と同じ水温の『海』だから、本当の海ではない“海”だから言える事を。

 

「怖がるな。大丈夫だ、()()()はお前を害するものじゃねェ……気を楽にしろ。力を抜いて、体を伸ばして水面に浮くんだ」

「べ、べつにこわくねェ! だいたい、おまえだっておよげねェくせに……」

「今はな。悪魔の実を食う前は泳げたさ。お前と同じくらいガキの頃の話だ」

「なんだそれずりぃぞ! ……おまえのガキのころよりはやく、およげるようになったらおれのかちだからな!」

 

 振り返った幼子は舌を出して「べー」と声にした後、一目散に海へ突っ込んでいった。

 笑みの気配に彼がルフィを見やると、寝転んだまま小枝を持って焚火の火を調整していた。

 

「■■■はやっぱいい奴だな! おれもゴムゴムの実食う前にお前のアドバイス聞いてたら、泳げたかもなー」

「そのいい奴をお前はぶん殴ると宣言してるわけだが」

「ぶん殴るぞ! だってあれは■■■が悪いからな!」

 

 どうにか海賊王パンチを回避したいがゆえの悪あがきは、爽やかな笑顔で切って捨てられる。

 これ以上の問答は無駄と判断し、彼は彫刻を再開した。

 うろ覚えなりに、それらしい形はできてきている。見ているルフィが何も言わないので、大きく間違ってはいないはずだ。

 船首像であれば取り付ける船と接合部を合わせる必要があるが、この場に船など玩具のような小舟一艘だけ。ボートと呼ぶにもみすぼらしいその舳先にこの大きさの船首像を設置したら、完全にバランスが崩壊する。

 ひとまず接合部は後回しにして、黙々と作業を続ける。

 ルフィの方からは、とうとう寝息が聞こえてきた。

 

 それから、また時を置いて。

 

 

 

「っぃやったああァァァ!!!! およげたぞおおォォ!!」

 

 歓喜の雄叫びが暗闇を切り裂く。比喩でなく、幼子が叫ぶと同時に太陽が顔を覗かせたのだ。

 ……()()()()()から。

 

「もうなんでだと言うのにも疲れてきたぞ……沈んだ日が同じとこからまた昇ってきやがった……」

「――…んがっ! お、おお? もう朝か?」

 

 鼻提灯が破裂したルフィが、起き上がってきょろきょろと周囲を見回す。

 そこへ勢いよく駆け寄る幼子。まっすぐと、ルフィに――いや。ルフィではなくて……

 彼は慌ててナイフを放り出した。直後、胸に感じる軽い衝撃。

 

「ぅおっと。おい、危ねェだろ。刃物持ってんだぞ」

「やったぞ!! おれ、およげたぞ! こわくなかったぞ! おまえのいったとおりだった!」

「聞けよ…いや、無駄か。麦わら屋だもんな。……まァいい、ならやって見せてくれるんだろう」

「おう! みてくれ、はやくはやく!」

 

 しがみ付くのをやめた幼子だが、待ちきれないとばかりに彼の手を両手で握って引っ張ろうとする。ついさっきまでナイフを握っていた手を、そして生前は刀を握り幾つもの命を散らしてきた手をだ。

 一瞬、死を刻み込んだその手を掴む小さな両の手が、遥か昔に亡くした妹のものに見えた気がした。

 けれど視線を上げれば、そこにいるのは性別さえ異なる、何よりあの厄介な男の幼少期の姿だ。こちらを見つめる瞳は、星のようにきらめいていて。

 彼は感傷を振り切り、握られた手をそのままに立ち上がった。もう片手に持った、ほぼ完成した船首像を脇に置く。

 拾ったナイフをしまい直し、幼子に手を引かれて海へと足を向けるうち、後ろから「おお! すげェ、あとくっつけるだけだな!」とはしゃいだ声がした。すぐに本人も追ってきて、加減なしに彼の背中に飛びついたあたり、喜び方が大小で同じである。予想できたので今度は踏ん張りがきいた。

 

「サンキューな■■■! なァ最後おれが組み立てていいか?」

「構わねェが、結局そいつはどうするんだ。あの小舟じゃ取り付けただけで転覆するぞ」

「っしし! 任せろ!」

 

 離れる体温に、彼は少々の違和感を覚えて理由を探した。

 思い当たったのは、ルフィがゴムゴムの能力を使わないという事だった。今も、船首像を取るために、腕を伸ばすのではなく自分の足で焚火の傍まで引き返していったのだ。生前ならば、このくらいの距離の物を取る時はよく腕だけを伸ばしていた。

 要するにルフィと言えばゴムで、その印象が強すぎるあまりの錯覚というわけだ。

 悪魔の実の能力は()()()()肉体に宿る。ならば死後の霊魂となった自分たちが、能力を使えないのも自明の理ではある。そもそもこれは焚火の材料を探しに行く前、ルフィが既に触れた話だし、能力を失ったあの男はここに流れ着く前も海中で元気に動き回っていた。

 己とて、オペオペの能力を失っている――

 ……いや待て、本当に?

 

 何故だろう。己はまだ、能力が使えるような気でいる。己を小脇に抱えたルフィが水中で存分に手足をばたつかせられるのに、己は全身脱力して指先一つ動かすのも苦労した理不尽を根に持っているせいだろうか。

 ポケットの中の、ナイフが存在感を増す。幼子に掴まれているのとは反対の手をそこへやると、鉄でできているはずのそれが体温以上の熱を持っており、独りでに震えた。まるで、正解だ、と訴えるように。

 長年連れ添った伴侶のごとく彼の考えに反応する、意思持つ刃。最初はメスだった、これの正体は。

 

「おしっ! そこでみててくれよな!」

「……あァ。期待してる」

 

 思索を中断し、幼子に言葉を返す。

 その場で何度か両足跳びをした幼子は、気負う様子もなく海へ入っていく。腰の上まで浸かる深さで止まり、そこで一度こちらに向けて手を振ると、上体を倒すようにして水に身を委ねた。

 無駄な力の入っていない、水面に対して平行な姿勢。交互に振り出される腕はぴんと伸び、バタ足で飛び散る水も控えめだ。逆光でわかりづらいが、息継ぎだってしっかりしているように見える。

 一つ一つの要素がここまで良くできているというのは、以前から練習を重ねていた証だ。あとは本当に、水に対する恐怖心だけだったのだろう。それはこの海ならざる“海”がもたらす本能的な安らぎによって打ち消された。

 

「どうなんだ? アイツ」

「見事なもんだ。むしろ何で今までできなかったか疑問に思うレベルだな」

「ああ~……それな。たぶん、じいちゃんのしごきが原因だ……」

「お前の爺さんってガープだろ。ガキにも容赦ねェのか……」

 

 視線は小さなルフィからそらさぬまま、彼は船首像を持って戻ってきたルフィと話す。

 やがて泳ぐのを止めた幼子は、その場で大きく拳を振り上げて快哉を叫んだ。彼もまた軽く手を挙げて応えてやれば、ざぶざぶと波をかき分けて海から上がってくる。

 駆け寄る幼子はやはりまっすぐに彼の方へ飛び込んだ。

 

「なあなあ! どうだった? おれちゃんとおよげただろ! みてたよな!」

「見てたぞ。すげェじゃねェか。これまでしっかり練習してたんだな、だからこんなすぐに泳げるようになったんだ。……お前のやってきたことは、無駄じゃなかったんだぜ」

「……うん! むだじゃなかった…おれ、――ちゃんといままでいきてきた!!」

 

 幼子は一瞬、また泣き出しそうな顔をして、それから満面の笑みをこぼした。

 その様を見て、大きいルフィが口を開く。ここまで幼子に向けようとしなかった、太陽のような輝く笑顔で。

 

「……お前、すげェな!! おれ結局死ぬまで泳げなかったけど、お前は泳げるようになったんだな!」

 

 いきなり大声で話し掛けられた小さい方はぴゃっと飛び上がった。

 若干の不審を滲ませて大きい方を見上げ、けれどその顔に浮かんでいるのが確かな笑顔である事に目を丸くして。認められたのだという実感がようやく出てきたのか、はにかむように小声でニシシと笑った。

 

「――っそうだろ! おれ、おまえにかったぞ! かいぞくおうにかったおとこになったんだ!」

「ああ! お前は海賊王に勝った男だ! 宴して祝ってやりてェけど、ここ肉ねェしな。代わりにプレゼントやるよ!」

「プレゼント? ほんとか!? なにくれるんだ?」

「まァついて来いって!」

 

 警戒を解いた途端、物に釣られてホイホイとそちらへ寄っていく幼子。

 ちなみにその単純さは成長しても変わらなかった。ルフィのクルーたちがそれでしょっちゅう苦労していたのを彼は知っている。閑話休題だ。

 子供へのプレゼントなど、あの男は持っていただろうか――彼が様子を見守っていると、ルフィは例の玩具のようなボートの前で立ち止まった。そして組み上げた船首像の顔の部分と自分の額をくっつけ、目を閉じ何事か呟いている。

 

 やがて船首像から溢れ出す、やわらかな光。朝日を受けるのではなく、自ら発光するその木像をルフィはそっとボートの舳先へと載せた。

 接合部だけは未完成の、取り付けられるはずのない船首像は、ルフィの手を離れても浜へ転がり落ちる事は無かった。半ば宙に浮いたままその場に留まり続け、ルフィが数歩後退するのを待って一際強い光を放つ。光は膨張し、ぽかんと見ていて飲み込まれそうになる幼子を大きいルフィが回収してさらに下がった。

 一辺二十メートルほどの範囲にまで膨らんだ光の塊は、そこから次第に放つ輝きがおさまっていって。

 光が消えた後、波打ち際に残されたものは――。

 

「すっげーーーー!! かいぞくせんだァ!!」

「ゴーイングメリー号だ! 海賊王の船だぞ!」

 

 彼が想像していたサイズを大きく上回る、けれど船首に鎮座する羊の頭だけは同じ、麦わら帽子の海賊旗を掲げた船。

 どうやら根本的に勘違いしていたらしい。ルフィがメリーと言っていたのは、ミニメリー2号ではなかった。彼も乗船した事のあるサウザンドサニー号以前に、麦わらの一味が使っていたというキャラベル船の事だったのだ。

 なので正確には、これは海賊王でなくいずれ海賊王になる男の船であるわけだが、そんな細かい話で幼子の感動に水を差すのも無粋であろう。

 それに、そう考えればこの幼き“モンキー・D・ルフィ”を乗せるのにこれ以上相応しい船もあるまい。

 涙の跡を海水で洗い流され、船とその向こうの遥か水平線の彼方を決然と見据える幼子は、ルフィの『プレゼント』の意味をもうわかっているのだ。

 幼子を抱え上げたまま、ルフィは一転して真摯な声で語りかける。

 

「……逝くんだろ。でも、寂しくなんかねェさ。手前までは、メリーが送ってってくれる」

「メリー……このふね?」

「そうだ。“声”、聞こえるだろ?」

「……――! うん、きこえる……」

 

 彼には何も聞こえなかったが、二人のルフィには船の“声”がわかるようだ。

 目を閉じてじっと耳を澄ませ、聞こえる“声”に対して何事か答える幼子。時折口を挟む大きい方。

 語らう彼らをその場に残し、彼は焚火の傍へ置いていた幼子の服を取りに行く。旅立つ者へのはなむけとばかり、なるべく丁寧に砂を払い、ポケットの中まで綺麗にしてやってからルフィたちの元へ戻った。

 

 船の前では話し終わったらしいルフィたちが彼を待っていた。小さい方はもう大きい方の腕から下りて、こちらをじっと見ている。

 物言いたげだが僅かに迷いの残るその視線に、ならば先にと畳んだ服と靴を差し出しかけて、彼はふと気付く。

 

「まだ結構濡れてんな……。おい麦わら屋、あの船の中にはタオルとかあるのか?」

「あるぞ。取ってくるか?」

「頼む」

 

 渡そうとした服を一旦手元に戻し、大きい方が勝手知ったる様子で船に乗り込むのを見送る。靴だけ幼子の足元に置いてやり、さて待つかといったところで、小さな手がずいと伸ばされた。

 

「ズボンだけくれ」

「? ああ」

 

 意図がよくわからないまま、彼は要求通りにしてやる。

 幼子は受け取ったズボンのポケットをごそごそと探り、何かを取り出した。彼が確認した時には、ポケットの中は空だったはずなのだが、この空間で起こる現象に理由を求めても無駄であろう。

 幼子は暫し、握り締めたそれを拳の上から凝視していた。

 浜へ打ち寄せる波の音が幾度か過ぎていって。やがて静かに顔を上げた幼子は、心を決めた目をしていた。

 

「これ、やる」

「……おれにか?」

「おまえにやる。おれの、だいじなものだけど……おれはもう、もってられねェから」

 

 彼は逡巡した。果たしてそれを、己が譲り受けてよいものか、判断がつかなかったのだ。

 これは、自分ではなくあの男こそが得るべきものなのではないか――そんな天啓に似た思いが彼の胸に広がる。

 しかし幼子は既に決断してしまっており、翻意を促すのは容易ではなさそうだ。

 彼がいつまでも手を出さないのを見ると、幼子は「ん!」と口を結んで、握ったままの拳を彼の腿あたりへ叩きつけた。

 背が届かないのだなと思うものの、屈んでやれば受け取らずにはいられまい。彼が棒のように突っ立っていると、次第に幼子の勢いがしぼんでいく。

 

「……いらねェのかよ…おれの、……」

「……それはおれが受け取るべきものじゃねェ気がする。おれじゃなく、アイツに――」

「おまえにやるっていってるだろ!! アイツじゃねえ、おまえじゃなきゃいみねェんだ! おまえ、いしゃなんだろ!!」

「確かにおれは医者だが、それが……いや、悪かった。お前の決意をないがしろにするつもりじゃなかったんだ」

 

 悲痛の色の滲む叫びとともにぽかぽかと足を叩かれれば、さすがに彼も罪悪感のようなものを覚えた。ゆるく両手を掲げて降参の意を示し、膝を折って幼子と目線を合わせる。

 若干涙に潤んだ瞳で、幼子はそれでもまっすぐに彼を射抜く。

 改めて突き出された拳を、今度こそ彼は拒めなかった。その下に、そっと手のひらを差し出す。

 力んでいた幼子の手から、ゆっくりと強張りが解けてゆく。指の隙間が開いて、彼の手のひらに一つ落ちる、軽い感触。

 幼子が腕を引く。彼の手の内に残されたのは、赤い、――溶けかけの、飴玉。

 普通なら価値があるとは思えぬそれ。けれど本当に大切にしていたであろう事は、手放した今もそれから目を逸らせずにいる幼子の姿が何より雄弁に語っている。

 彼は無意識に、空いたもう片方の手を幼子の頭に触れさせた。まだ水を含んでしんなりとした手触りを、二度三度と撫でさする。

 

「お前の大事なもんくれて、ありがとうよ」

「……おまえ、すっげェいしゃなんだってきいた。だから…おまえなら……」

「よくわからねェが……医者だってことに、何か意味が――」

「――おーい! タオル取ってきたぞー」

 

 医者であるという事へのこだわりに疑問を感じた彼だが、戻ってきたルフィの声に遮られる形で口を噤む。

 ルフィは彼の方をちらりと見て、得心したように笑った。そして持ち帰ったタオルを彼に渡さずに、自分で幼子の身体を拭ってやる事にしたようだ。慣れていないのか、少々手付きが荒いのは仕方があるまい。

 じゃれ合っている二人のルフィを眺めながら、彼は貰い物の飴玉をしまい込んだ。何となく、ナイフを入れているのとは別のポケットへ。溶けかけといっても、表面が一度溶けてからまた固まった状態なので、ベタついているわけではなかった。

 やがて水気を拭き取られた幼子に残りの服も返し、幼子がすっかりと身繕いを整えれば、いよいよ別れの時だ。

 

「うしっ! んじゃ、乗るか」

「おう! ……あのな、いろいろ…ありがとう、ございました!!」

「礼を言われるようなことはしてねェよ。お前が自分で得た答えだ」

「しししっ。■■■は照れ屋だからな! お前のこと、結構好きみたいだぞ!」

「チッ……達者でな」

 

 余計な事を言う大きい方に舌打ちして、顔を隠す帽子が無い彼は視線を背ける。幼子まで大きいのの発言を真に受けてニシシと笑うものだから、居たたまれない。

 また大きい方に抱えられて船に乗り込む幼子を横目で見守っていれば、気付いたのか顔だけこちらへ向けて手を振ってくる。

 彼は少々複雑な心情のままに息を吐き出すと、唇を緩めて片手を上げる事で応えてやった。

 

 やがて船から大きい方だけが飛び降りた。

 すると、帆に描かれた麦わら帽の髑髏が形を変えてゆく。帽子は無くなり、髑髏自体も剥き出しの歯がより大きく強調されたデザインに変化した。黒目にも見える眼窩は三日月に細められ、笑っているようだ。

 ひょっこりと船の欄干から顔を出した幼子が、晴れ晴れとした笑顔を浮かべている。その白い歯も眩しい様は、出来上がった新たなジョリーロジャーにそっくりだった。

 

「……あ、メリー浜に乗り上げたままだった! なァ■■■押すから手伝ってくれ!」

「馬鹿言えキャラベル一隻だぞ、何トンあると思ってんだ。押すよか()()()のが早い」

 

 今更な事で騒ぐ大きいルフィを制し、彼は久々の感触を引き出すために目を閉じた。

 すうっと片腕を船の方へと伸ばし、「“ROOM”」と呟けばたちまち自身の知覚が広く引き伸ばされていくような心地になる。

 目蓋を上げれば、船を含む彼の周囲半径百メートルほどが薄青い半球の膜のようなもので包まれていた。

 できるとは思っていたが、実際に能力が発動した事に人知れず安堵して、彼は続けて声を発する。

 

「“タクト”」

「お……おォ!? う、ういてるーー!!」

「おー! よかった、能力の使い方は思い出したんだな■■■!」

 

 本来の重量をものともせず宙に浮かび上がった船に、乗っている幼子は欄干にしがみ付いて戦々恐々としていた。しかしすぐに楽しくなってきたのか、身を乗り出して下を覗き込む。転げ落ちても彼が浮かせるとはいえ、危機感の無い子供である。

 彼はそのまま空中を滑らせた船を、座礁の心配が無さそうなあたりで海へと降ろした。同時に青い膜が消え去り、ざぶりと船の下から波が立つ。

 仕事は終わったと腕を組む彼に、大きいルフィは礼を言って波打ち際へ駆けていった。

 

「おォーーーい!! 元気でなー! メリー、そいつのこと頼んだぞー!」

「――…!! ――ぁ……とな、……! ■■■も、また…ったら、……だちに……って…るか――!!」

「ああ、きっと大丈夫だぞー! がんばれよーーー!!」

 

 大きいルフィの叫び声に、小さい方も答え返しているが子供の甲高い声は聞き取りづらい。同一人物ゆえにか、大きい方は内容を理解しているようだから良しとしよう。

 しばらくすると、船が独りでに沖へと進みだした。船尾からこちらへ手を振っている幼子の姿も、次第に小さくなる。

 彼は大きいルフィのように、ぶんぶんと腕を振り返してやりはしない。

 ただ、その影が水平線の向こう、ここではない次の世界へと去ってゆくまで、目を逸らさずに見つめ続けていた。

 

 

 

「――逝っちまったなァ」

「ああ」

「おれじゃねェおれだけど、ありがとな■■■。お前がいなかったらアイツ、笑って逝けなかったからさ」

「別に……。お前と同じ顔のガキが泣きわめいてんのにうんざりしたんだよ。おれが言いたいこと言っただけだ」

 

 何の気なしにそう答えてから、彼は気づく。これではまるで、目の前の男が泣くのが嫌だと言っているようではないか。

 ああ本当に、どうしてここに帽子が無いのだろう! 分かっているとでも言いたげに、にんまり笑う男の態度にまた舌打ちがもれる。

 

「……それよりもだ! お前、…いつまでフラフラしてるつもりだ。お前の直感じゃ、体が無けりゃおれは思い出せねェんだろ。なら待ってたって無駄だ」

「大丈夫だ! ついさっき、解決法が見つかった!」

「は? バカなこと言うな、おれはとっくに死んでるんだぞ。しかも、さっきってのはどういう意味だ」

「んー、■■■が分かるまで説明してる時間あっかなァ。あっち見てみろよ」

「あっち……?」

 

 ルフィが視線で示した先を辿ってみれば、確かに先ほどまでと何かが違う気がする。

 一見すれば普通の砂浜の光景だ。太陽の位置は多少高くなったし、波打ち際に乗り上げていたキャラベル船は出航済みだが……いや、それだ。波打ち際。ついさっきまで、波はこれほど近くへは来ていなかった。

 

「……潮が満ちてきている? しかし、こりゃ尋常な速さじゃねェな」

「そのうちここら全部海に呑まれると思うんだよ。たき火の材料取ってくる時に村の方行ってみたんだけどさ、何か見えねェ壁みてーのがあってそれ以上先に進めなかったし」

「海に呑まれたらどうなる?」

「また溺れるな!」

 

 口ではそう言いつつも、不安の欠片も感じさせないルフィの様子にさらに疑問が募る。

 追求しようとする彼に先んじて、ルフィは話題を蒸し返してきた。

 

「だからその前に、■■■が新しい体に入りゃいいんだ!」

「……どうやってだよ。新しい体なんてどこにあるんだ」

 

 当然の問いだというのに、ルフィは首を傾げている。まるで、そんな事も分かんねェのか、とでも言いたげだ。腹立たしいが、彼は話を先に進めるためにぐっとこらえた。

 ルフィはその後しばし言葉を探して唸っていたが、面倒になったのか、全く関係無さそうに思える話を始めた。

 

「お前、アイツから飴玉もらったろ。食えよ」

「いきなり話変わったな。今そんな場合じゃねェだろ」

「食えって。そしたら何とかなるからさ」

「はァ……人の話聞かねェ奴だ。だったらお前が食えばいい。おれよりも、お前が食った方が――、……ッ!!!!」

 

 ――お前が食えと。その言葉を唇に乗せた瞬間、彼は全身の毛が逆立つような悪寒に襲われた。

 ぶるぶると、勝手に身体が震えだす。これには勝てないと、本能で理解する。

 己に向けられているのは、これまで感じた事もないほどの強大な威圧感だ。覇王色の覇気。それも“四皇”クラス、いやそれ以上。

 ルフィが海賊王になる前に死んだ、ルフィの同盟者であった彼には知る機会が無かった。これが、これこそが王たる男の気迫――!

 

 だがわからない、何故ルフィがこれほどに憤っているのか。覇王色が漏れ出るほど、タガを外すほどの怒りを何故己が向けられねばならないのか。

 直前までしていたのは、ただの飴玉の話だ。確かに飴をもらったのは彼だが、貰い物を他人にやるのが失礼だとかそんな理由でここまで怒るわけはないだろう。

 では何故、何がルフィの逆鱗に触れたのだ?

 

「ぐッ…! ……!!」

「……そうやって、()()おれに渡そうとするんだ。おれの話なんて聞かずに……! お前、ほんと勝手だぞ!!」

 

 呼吸さえ圧迫する覇気の中、必死にルフィの発言の意味を考える。

 また、とは過去にも彼が似たような何かをしてルフィを怒らせたという事だろうか。これほど激怒されるような悪事に、心当たりは無いのだが。

 ほかに引っかかる言葉は――お前、勝手、……己は直近で、そんな台詞を思い出さなかったか?

 

   ――お前、勝手だぞ!! なんでこんなことしたんだ!

 

 そうだ、これは、己の死に際の……。

 ルフィは彼の死を看取っていた。彼はルフィの前で、何か明らかにルフィを怒らせるだろう事をやらかして死んだ。身勝手に、独りで決めて。ルフィが思い出せと言っている、彼を殴りたい理由がそれだ。

 なんだ? 己は一体何を仕出かした?

 ルフィの言の中で、今回新しく出たキーワードが一つある。「渡そうとする」――『渡す』……。

 

 ……彼は、ルフィに何かを渡した。何かを譲渡して、死んだ。

 死に際に渡せるものとは何だ? そもそも己は何故死んだ? ……違う、順番が逆なのだ。

 

 死ぬ前に渡した、ではなく、()()()()()()()()

 

 思い出せたわけではない。己がその時何を思ってそれを為したのかは覚えていない。

 けれど彼は知識として知っている。そうなる理由を。()()()()()その状況になるのかを。

 はくはくと、息に詰まりながら彼はその答えを口にする――。

 

「…おれ、は……! おれは、…ハァッ、……やったんだな、お前に……!」

「………」

「『不老手術』をッ……! おれは、やっちまったんだなッ……!?」

 

 瞬間、ぶわりとさらに膨れ上がった覇気。

 耐え切れず後方へ傾ぐ身体を、無理矢理に前へと引き戻される。霞む視界は、こちらの胸ぐらを掴んで拳を構える、ルフィの憤怒の形相を刹那に捉えた。

 殴られる。衝撃に備え、歯を食いしばる彼だったが、……痛みはいつまでも訪れなかった。

 

 ルフィの構えた拳は震えていた。殴りたいという衝動を、必死に抑え込んでいるように見える。

 あの、気に入らない相手はノータイムでぶん殴るルフィが、我慢しているのだ。

 獣のように呼気を荒げながらも、未だ無意識に武装色すら纏っている拳を、ゆっくりと、本当にゆっくりと、下げてゆく。その角度が完全に垂直に戻って、もう片手に掴まれていた彼の上着も解放された。たたらを踏んで、膝をつく彼。

 直後、血を吐くような咆哮とともに、ルフィの腕が地に叩きつけられる。

 

「……ッぁあああああァァァ!!!!」

 

 盛大に巻き上がった砂は一時空を覆い、やがて雨のように降り注いだ。

 直撃してはいないが、至近でその衝撃を浴びた彼もその場から吹き飛ばされている。受け身は取ったものの、遅れて降りかかった土砂からは逃げられず、あわや生き埋めかといった惨状だ。

 どうにか脱出し、若干吸ってしまった砂を吐き出して咳き込んでいるところへ、ずんずんと歩み寄ってくるルフィ。

 立ち上がれずにいる彼に、構わず向けられる怒気。

 

「もう二度と!! おれの代わりに死ぬなんて!! するな!!!!」

「――ゲホッ! ……ハァ、ハ…ッ。……おれを、殴るんじゃ…なかったのかよ……」

「お前、まだ思い出してねェ!! お前が死んでお前の仲間がどんだけ泣いたかも! そいつらからの最後の言葉も……! おれだって! すげェ悲しかった!!」

「………」

「なのに、お前、■■■ッ! すっかり忘れて、また同じことしようとしやがって! この、バカヤローがッ……!!」

 

 ひとしきり叫んで、彼の不実をなじったルフィは、しばらく俯いたまま息を整えていた。

 まき散らされていた覇気も既におさまり、圧迫感から解き放たれた彼だが何を言えばいいのかわからない。

 

 ただわかったのは、彼が受け取ってしまった飴玉が、幼きモンキー・D・ルフィの命であった事。

 理解した途端、あの赤い飴玉が血を噴き出す子供の心臓であるような気がして、彼は咄嗟にポケットへ手をやった。

 ポケットの表面を、手で触れて――気付く。

 布地が、本当に濡れている。見下ろせば、触れた手にべったりと纏わりつく鮮紅色……血の色。

 

「…あ……」

「……あ? …んん!? やべェ、飴溶け始めてるじゃねーか! 本気で時間無ェぞ!」

 

 呆然と漏れた声に反応し、ルフィが顔を上げ彼の視線の先へ注目する。その手を濡らす赤の正体を言い当て、慌てて駆け寄ってくる姿には今し方までの激情の名残は見えない。

 ルフィの足元を、追うようにじわりと波が迫ってくる。

 

「全部後でいい! とにかくお前は飴食え!」

「だが……」

「ゴチャゴチャ言うな!! だいたい、おれが食ったってどうにもなんねェ! アイツ死にかけだったんだぞ? 死にかけの体もらったって、医者じゃねェおれに治せるわけねェだろが!」

 

 彼は思わずまじまじとルフィの顔を見た。ここへ来ての全くの正論であった。

 なるほど幼子が医者にこだわるわけだ。しかし、たとえ医者でも死にかけの身で自分自身を治療する事は普通できない。それができるのは、オペオペの能力者で――「すっげェいしゃ」である彼をおいてほかにいないのだ。

 

 ルフィに急かされ、彼はポケットから小さくなった飴を取り出した。もう随分と溶けていて、とてもだが美味そうには見えない。

 色々とありすぎて、一周回って冷静になった彼の頭は、それを口にする前に医師としての所見を弾き出す。

 ルフィの言っていた幼子の状況から想定されるのは、頭部の外傷を発端とする重篤な脳神経疾患。外傷自体によるものか、その後に血腫等が生じた事によるものかは不明だが、脳組織が損傷して機能不全を起こしている。

 現在進行形で治療が行われているという可能性は除外する。それで助かるなら今飴が――命が溶け続けている理由が無いし、手術中だとしても既に執刀担当者の手に余る容体なのだろう。

 正直、その状態の身体と感覚が繋がったとして、意識を保てるかは彼ですら五分五分だ。末期珀鉛病の激痛を耐えて己を手術した実績を信じるしかない。

 

 早く早くと焦るルフィを脇目に、覚悟を決めた彼は一度深呼吸して、小指の爪ほどまで体積を減らした飴玉を口に含む。

 舌に乗せたそれは、すぐに形を崩して蜜のように溶けた。一息に飲み込み、喉を通ったそれが胃の腑まで落ちてゆき――。

 

 不気味な沈黙が過ぎた後、その衝撃は一気に来た。

 

「………――ッが、…っあ、あァッ!!?」

 

 痛いとか気持ち悪いとか、もうそういう次元ではなかった。

 彼が医者として知るあらゆる病の症状を全部足したような……さらにドロドロになるまでじっくり煮詰めて、しまいに熱いままのそれを鋸でごりごり割り開いた頭に流し込まれたような……とにかく酷いとしか言いようのない体験だった。

 繋がった感覚が、瞬時に切り離された。むしろ手放さなければ、この場でひたすらのたうちまわり、治療どころか何もできないまま時間切れで力尽きていただろう。

 気付けば息絶え絶えのまま倒れていたようで、上から不安げに覗き込んでくるルフィの顔が見える。

 

「■■■ッ! 大丈夫か!?」

「…ハァ、ハァッ……どうにか、な……」

「……お前でも、やっぱ無理なのか?」

「ハッ……誰に、物言ってやがる……!」

 

 医師としてのプライドを刺激され、彼はルフィを睨んで起き上がった。

 確かに、今なお脳機能を損ない続けている幼子の肉体を動かして手術に及ぶのは不可能に近い。

 だが、彼ならばその状態からでもやりようはある――“覚醒”したオペオペの能力を用いれば。

 

「一瞬だが、繋がった……小せェお前の、体がある“座標”は把握した。あとはここから、直接『手術』と行こうじゃねェか」

 

 死にかけとは言え、再び命を得た影響か。忘却していた記憶の幾らかが、彼の手元に戻ってきた。

 特にこの場で重要なのが、能力の使い方だ。生前、彼はオペオペの実の能力を“覚醒”段階まで昇華させていた。

 死んだはずの彼が未だ能力を使用できるのは、それが理由だった。“覚醒”したオペオペの能力は、能力者の肉体から霊魂へとその宿主を替える。能力者の死後、その霊魂が完全に自我を喪失するまで消える事がないのだ。

 そして“覚醒”したオペオペの能力の影響範囲は、現世の物理的領域に留まらず、ここのような生と死の狭間――霊的領域をも同時にカバーしている。逆に言えば、能力者自身が霊的領域に存在している場合でも、現世の患者に対して能力を行使する事が可能だ。

 ただしそれには、患者がどこの誰なのか、つまり患者の肉体が存在する現世の“座標”と患者自身の名前を知る必要がある。

 

「患者は『モンキー・D・ルフィ』、四歳六ヶ月。“東の海(イーストブルー)”ゴア王国フーシャ村、村長宅のベッドの上にて昏睡状態……」

 

 張りのある声で読み上げられた自分の名前に、大人のルフィはむず痒そうに身じろぎした。

 彼はそちらに構わず「“ROOM”」と呟くと、出現した青い半球を大きく広げてゆく。拡大した範囲は遥か水平線の彼方まで届き、領域の境目を越えて現世まで到達した事だろう。

 支配下に置いた世界の中心で、一息つく間もなく彼は次なる行動に移る。

 先ほどからうるさいほどに存在を主張する刃物を、ポケットから取り出して手のひらに乗せる。その腕をまっすぐ前方へと突き出して語りかける相手は。

 

「死んだ後まで憑いてくるとはお前も律儀な奴だ。望み通り、存分に使い倒してやるよ――『鬼哭』!」

 

 手の上の刃物、最初はメスで今はナイフの形をしているそれが、光を放つ。

 視界を灼かれぬよう目蓋を閉ざせば、フワリと質量を無くしたのも束の間。すぐに確かな鋼の重さをもって、再び手の内へと戻ってきたものを、揺るぎもせずに彼は受け止めた。

 白十字を連ねた鞘、気に入りの白いファー付きの鍔。鯉口を切れば、無念の嘆きではなく再会の喜びに鳴き声を上げる。

 

「何だ、おれが寝てる間に随分浮かれた性格になりやがって……さてはお前、麦わら屋の(ソウル)も喰ってたな?」

「えェー! おれ食われてたのか!?」

「おれの形見のつもりだったのか知らねェが、妖刀を常に傍に置きゃそうなる。……安心しろ、美味かったってよ」

「そっかならよかった! ……んん? いや、全然よくねェぞ!?」

 

 持ち主の(ソウル)を喰らう妖刀が美味いと感じるならば、それは“(ソウル)の格”が高いという事。

 “(ソウル)の格”が高ければ、霊的な抵抗力も強い。そんな持ち主からは、妖刀とて大量に(ソウル)を奪う事はできないのである。

 心身ともに健康であれば、(ソウル)(たましい)から無限に生み出され続けるものだ。喰われるよりも回復する方が多ければ妖刀に喰い殺される心配はない。

 ――というような話を、きっと同じく妖刀の主であるゾロから教えられただろうが、こいつは絶対に忘れている。

 彼が今言ってもどうせ覚えないので、「とにかくお前は平気だったってことだ」とおざなりに返すにとどめた。

 

 小気味よい音をたてて鞘走らせた刃を、完全に引き抜く。

 持ち替えて切っ先を下に、垂直に立てた刀身を、もう片手を添えて右から左へと滑らせた。

 

「“スキャン”」

 

 刀身の移動に伴い、空間内を同じく右から左へと横切ってゆく、可視化された波動。

 それが通り過ぎた後から、世界が変容する。およそ現実ではありえない、これまでとは全く違う異様な光景へと。

 

 空にも大地にも、細いものから太いものまで幾つもの血管が走り、生き物のように脈打っている。

 砂浜だったはずの地面はぶよぶよとした感触の肉色の何かに変わり、海は赤黒いどろりとした液体になってしまった。これぞまさに血の海、などと考える余裕すらある彼と比べ、足元を見ながらぴょんぴょん飛び跳ねるルフィの狼狽ぶりが目立つ。

 

「ぎゃああぁ!! 気持ち悪ィ! ■■■、何だコレ!?」

「あんまり暴れるんじゃねェぞ。“スキャン”で読み取った小せェお前の脳を模式化してこの空間に投影している。ここで余計なことしたらそのまま小せェのの脳も傷付くからな」

「お、おお……わかった! 暴れねェぞ!」

 

 直立不動になり、息すら潜めるように両手で口を塞ぐルフィ。

 彼はその脇を通り過ぎて、血の海に相対する。

 “スキャン”で得た情報から彼が幼きモンキー・D・ルフィの肉体に対して下した診断は、急性硬膜外血腫。あの血の海は子供の脳を圧迫する血腫であり、今なお出血点からの増大を続けている。

 

「さァて……まずは頭蓋の切開と血腫の除去だな」

「■■■、何かおれにできることあるか……?」

「そのまま治療が終わるまで動かず静かにしててくれ」

 

 背後から遠慮気味に掛けられた声に、一瞥すらせずそう告げて。

 彼は赤黒い海の上を覆う白濁した空へ向け、敵を斬る姿勢で、両手に鬼哭を構える。

 

「任せておけ。――病を斬るのは、医者の領分だ」

 

 ニヤリと笑む彼に、手の中の鬼哭も応えるように熱を持った。

 

 



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三十余年越しの拳 (2019/2/2加筆修正)

ガープの口調がおれとわしでブレてるのは意図的な表現で、誤字ではありません。

2019/2/2 に13000字くらい加筆修正。
追加した内容は、ローが死後交わしたハートのクルーたちとの別れと、ローの生き方についての懺悔(キャラ改悪に近いので注意)。
もうこれ以上は変えない……と思います。
うう、次の話も修正しないと……。


 

 ――顔の分からぬ女の、唇が動いて何かを告げる。

 彼我の距離が随分と近くて。頭から腰まで全身まるごとを支える温かさに、己は女に抱き上げられているのだと知る。まるで、赤ん坊のように。

 

 ぱっと一瞬で女が消えて。次に現れたのも顔の分からぬ、今度は男だ。

 こちらも同じように何かを、いや、まったく同じ形に唇を動かしている。その大きな手が、己の頭を慈しむように撫でて。

 

 次は、どことなく見覚えのある初老の男。豪快に笑い、やはり同じ言葉を掛けてくる。

 言葉というよりも、特定の単語。……いや、人の名前かもしれない。

 

 その後も、幾つもの姿が入れかわり立ちかわり、現れては同じ名を呼んで消えてゆく。

 既視感があったのは、三番目の初老の男だけだった。ほかは皆、知らぬ顔ばかりが百近くは過ぎていっただろうか。

 皆が一様に己に向かって呼ぶ名前。けれど、己の名はそれではない。

 己の名は。祖より引き継がれた姓と二つの伏せられし名、そして両親から贈られた己だけの名は――。

 

「おれは……。おれは、――『トラファルガー・D・ワーテル・ロー』だ」

 

 宣言と同時、しゃぼんが弾けるような音がして、ローは目を開いた。

 ……たった今目を開けたというのなら、先ほどまで視えていたのは何だったのだろう。名を呼ばれていた人物の記憶、だろうか。

 不可思議な現象に気を取られていたが、ふと視線を下げれば誰かが立っている。ローの半分少々の背丈の子供だ。

 子供は歯を剥いて快活に笑い、ローに向けてまだふっくりとした手を差し出した。

 握手を求めているようなその仕草に、何の疑問も抱かずローは応えた。そうするのが当然であるかのごとく、身を折って腕を伸べ、子供の小さな手を軽く握る。

 子供はその幼さにしては強い力でローの手を握り返し、口を開いた。

 

「おれのぶんまで、いきてくれ!」

 

 ローが言葉を返そうとするが、前方から吹いた突風に遮られる。思わず目をつぶると、握っていたはずの子供の手の感触が空気に溶けるように消えてゆく。

 同時に流れ込んできた何かに一瞬身を固くし、しかしすぐに弛緩する。

 悪いものではない。むしろ温かい、いや、熱いほどのエネルギーの奔流が、子供と触れていた手から腕を通って胸へと伝わる。

 

 欠けていたものが、別の新しいもので補填される。

 急速に修復される自我。その内には、継ぎ足された熱によって相対的に薄れてゆく冷たい何かも含まれている。

 けれど、冷たいだけではなかったから。芯から凍りついた心を、解かそうとしてくれた奴らの顔を思い出せたから。

 今度こそ忘れない。この魂が『トラファルガー・ロー』であるうちは、死んでも。

 

 決意を胸に回想するは、仲間たちとの最後の邂逅――。

 

 

   --------------------

 

 

   ――…ぃ、……とーに大丈夫なんだろうな!?

 

 ……初めに認識したのは、焦りを滲ませる男の声。

 自分はもうずっと、春島の優しい日差しに抱かれるような心地で眠っていた。起きる必要なんて欠片も感じないのに、突然周囲を取り巻いた騒がしい気配が二度寝の邪魔をする。

 

   ――だから何度も言ってんだろ。今更ルフィを乗っ取るつもりなら、そもそもトラ男は死んじゃいねェ

   ――ゾロお前さぁ!! 知ってて黙ってたとか! おれお前に相談したのに、なんであん時言わねェんだよ!?

   ――男がてめェで決めた死に様に、他人が口を挟むのが野暮以外の何だってんだ

   ――落ち着いてくださいウソップさん。それに、トラ男さんの真意に気付いていたのは私も同じです

 

「ちょっと外野! うるさいんだけど!? 今おれたちがキャプテンと話すんだから、黙っててよね!」

「お前が静かにしろベポ。……聞こえてますか、キャプテン?」

「……全然反応しないぜ。これ、成功してんのか?」

「失礼な奴だな! 私の能力を疑うのか!?」

 

 より近い距離、ほぼ目の前と思しき位置からさらに明瞭な声が届く。

 先の三つは自分の仲間だ。残る一つは女の声だが、聞いた事がない。誰だろうか……いや、どうでもいい。眠い……。

 無視して寝入ろうとした時、そっと頬に添えられる誰かの手を感じた。

 その触れ方が、懐かしくて。続く言葉が、まるで日常の延長だったから、

 

「………。いい加減起きてください、また徹夜で本読んでたんですか?」

「――……うるせェな……メシまで寝かせろ、ペンギン……」

 

 不機嫌にそう返して、薄目を開けて相手を睨んだ。

 相手が、頭頂部にペンギンのマスコットが付いた帽子の男が、ハッと息を呑むのが見えた。その背後でサングラスを掛けた男と、大きな白熊も動揺の声を上げて。

 やがて三者が、同時に口を開いた。

 

「「「……キャプテン?」」」

「なんだ? 揃いも揃って間抜け面晒してんじゃ………ん? 妙だな、おれの声、高くねェか……」

「……キャ…」

「ギャ……!」

「「「ぎゃぷでーーーーーん!!!!」」」

「――グフッ!!? …どけ、重い……!」

 

 涙と鼻水を垂れ流す成人男性二人と熊一匹に抱きつかれ、地面に押し倒された。こんな真似をされて、普段なら力ずくで振りほどいてベポ以外能力でバラしてやるところだが、何か違和感を覚えて言葉での抗議のみにとどめる。

 どうにか引き抜いた片手で、泣きわめく一人の顔を押しのける。と、そこで違和感がさらに鮮明になった。

 ……眼前に見える自分の手の甲に、刺青が無い。

 

「おいお前らいつまで泣いてんだ、時間無ェって話しただろ」

「うわーん、ぎゃぷでーん!!」「離せー!」「キャプテンー!!」

「ハイハイちょっとお先に失礼しますよー。トラ男さんまずこれ見てください、鏡」

 

 何が起こっているのかと混乱するうちに、男二人と熊は、上から降ってきた機械の手で引き剥がされていった。

 その空いた空間ににゅっと顔を出した骸骨が、持っている手鏡をこちらへ向けてくる。

 そこに映った自分の顔は、……驚きに見開いた黒目と、左目の下の雑な傷跡は――

 

「なッ……むぎ、わら…や?」

「お忘れのようですから手短にご説明しますね! トラ男さんは瀕死のルフィさんに『不老手術』して死んじゃいました! でもトラ男さんの霊魂は、手術の効果を維持するためのエネルギー源として、ルフィさんの体の中に残ってるんですねー。そこで今回、こちらのホロホロの実の能力者である、ペローナさんにご協力願いまして」

「私がペローナだ! ありがたく敬え!」

「トラ男さんの霊体をちょびっとだけ引っ張り出して、一時的にトラ男さんがルフィさんの体を使えるようにしたんです。ちなみにこの方法が使えるのはこれっきり、加えて残り時間もそんなにありません」

「むむむむむ……あと三分だな! こいつやる気なさすぎるぞ!」

「三分ってあんまりじゃないですか!? トラ男さんもっと頑張って! ――それはともかくまあそんなワケでして、ご理解いただけました?」

「……あ、ああ……どうにか」

 

 怒涛の勢いで話された内容を、実感は湧かないが何とか噛み砕く。やる気とか頑張れというのは意味も分からなかった。

 こちらが呆然としつつも身を起こして頷いたのを見た骸骨は、一息入れる間もなく次の話題に移る。

 

「優先事項から確認していきましょう。まずトラ男さん、あなた――生き返る気、あります?」

「……は」

「あなたの体自体は無傷ですし、(ソウル)が完全に抜けきる前に、私が黄泉の冷気を使って冷凍保存しました。ルフィさんの体も今は回復してますから、あなたの霊魂が出ていってもいきなり死んだりはしません。あなたが生き返りたいと言えば、私たち麦わらの一味、そしてあなたのお仲間は皆、全力でその方法を探し出して見せましょう」

「………」

「あなたはどうしたいですか、トラ男さん」

 

 考える。死に際の記憶は曖昧ながら、今の自分の姿がルフィである以上、骸骨の話は事実なのだろう。

 しかし瀕死の相手に対して行使したと言うのなら、それはおそらく通常の『不老手術』ではない。自分が独自に改変した、不老効果を不完全にする代わりに短時間の超再生力を付与する術式に違いない。

 資料を漁ったところで、それを解除する方法などどこにも載っていない。どんなに東奔西走しようと、無駄足にしかならないのだ。

 

 ……いや。言い訳を並べるのはやめよう。

 こちらをひたと見据える暗い洞を、静かに見つめ返した。

 相手はそれだけで察したのか、既に肉も皮も無い骨の面から、微かな落胆の気配が漂う。

 

「折角だが、遠慮する」

「……やはり、受け入れてはもらえませんか」

「死んだ時のことは忘れたが、今のおれには、生に対する未練も執着も無い。それが答えだ」

「あなたのお仲間が、泣いて引き留めてもですか?」

「キャプテン……」「キャプテン!」「逝っちゃやだよ! キャプテン!」

 

 骸骨が身体をずらし、その背後に押しやられていた自分の仲間たちの姿が見えた。

 哀切に訴える彼らの声をもっても結論を変えられない、自身の冷淡さを少しばかり申し訳なく思う。

 

「悪いな、お前ら」

「ううぅ~……! イヤだよ、キャプテン……!」

「………。よせ、ベポ。……分かってたことだろ」

「……ハァ~……ダメかぁ。ベポが泣けばワンチャンあると思ったんだけど、やっぱキャプテンだよな。頑固さは麦わら超えるわ」

 

 白熊はまだ泣いているが、あとの二人は先ほどまでの人情劇が茶番とばかりにあっさり引いた。

 まあ当然だ。彼らは自分のクルーであり、半生を共にした『家族』なのだから。

 自分の望みなどとうに理解した上で、それでも傍にいる事を選んだ時点で、覚悟はできていただろう。

 

「……そうさ、分かってた。覚悟だってしてた。だけど気持ちがそれでおさまるかって言ったら、それは別の話だ。……音楽家」

「どうぞどうぞ」

「キャプテン――……ロー。これは、おれたちお前の『家族』全員の気持ちだ」

 

 そう言って進み出たペンギン帽子の男は、座っているこちらに合わせるように片膝をつく。

 帽子の下から覗くまっすぐな視線が、こちらの身動きを縫い留めて。そうしてヒュッと風を切りながら、平手が飛んできた。

 したたかに頬を打ったはずのその衝撃はしかし、自分が間借りしている身体がゴム人間のものであるためか。物理的な痛みはほとんど無く、ただ高らかな音だけを奏でて、外野の賑わいを再燃させた。

 

   ――おいそれルフィの体だぞ!

   ――どうせゴムだから効いてねェよ

   ――好きにさせてやらんか。トラファルガー君が拒んだ以上、わしらにできることはもう何も無い

   ――そうね。残りの時間は、全部彼らにあげましょう

 

「……バカ。バカ、ロー……! なんで、どうしておれたちを選んでくれなかった……!!」

「………」

「おれたちがお前を愛してることなんて、知ってただろ! お前だっておれたちを愛してた! だからドフラミンゴから遠ざけたんだって分かってる、おれたちの誰か一人でも死んだら、お前自身が耐えられなかったってことも! でも……でもさぁ! ドフラミンゴは倒したんだから、それまで見ないふりしてた“愛”に、目を向けたってよかっただろ!? なんでそこで麦わらなんだよ!」

 

 はたから聞けば痴情のもつれのような台詞だ。実際はどこまでも親愛や家族愛の域を出ず、色恋など欠片も含まぬ情なのだが。

 若干飛んだ思考を引きずり戻し、何故と問われた事への答えを考える。

 

「……ドフラミンゴが倒れた後。コラさんの本懐を遂げるって目標がなくなって、おれは新しい目的を探してた。そこをセンゴクに呼び出され叱咤されて……つい、手近なものに縋っちまったんだろう。麦わら屋に命の借りができたのも確かだったしな」

「センゴクって元海軍元帥のかよ!? キャプテン下手したらその場でコラさん後追いしてたかもしれねェのか、本気で海軍ロクなことしねェ……そう考えると麦わらに行ったのは猶予期間が延びたって意味では良かった? ……いや、けど……」

「……本当に、お前らはおれのことよく分かってるよ」

 

 これだけの状況説明から、瞬時に後追いという単語を出してくる。いっそ小憎らしいほどの理解の深さだ。

 センゴクの言葉は『正しい』。だが正しさが人を生かす訳ではないのだ。

 仲間たちは、こんな歪な自分を無暗に正そうとはしなかった。一触即発の爆弾に触れる愚を冒さず、経年劣化も考慮しながら虎視眈々と処理の機会を待ち続けた。そこを処理の最終段階で横やりが入ったとなれば、やり切れない気分にもなるか。

 

 数秒間ぶつぶつと何か呟いていたペンギン帽子の男は、やがて大きくため息を落として顔を上げた。

 先ほど見せつけられた激昂は、既に影も無い。内心まだ狂乱の風が吹いているとしても、一切表には出さず隠しきったのだろう。これまでと同じように。

 ――これが最後だから、きっとなおさらに。

 

 持続していた意識が、濁り始めるのを感じる。

 瞬きの頻度を増やしたこちらの様子に、ペンギン帽子の男は一度、ぐっと唇を引き結んで。それから大声で、後方に揃った十八人と一匹へ呼び掛ける。

 

「――お前ら! キャプテンに、敬礼!!」

「うおおぉぉ、キャプテーン!!」「せんちょおー!」「ぎゃぶでーん……!! グスッ」

「いいか、合わせろよ!? 三ッ、二、一ッ――」

 

『死んでも愛してますッ、キャプテン!!!!』

 

 ………ああ。

 ああ、嗚呼、分かってる。

 そして今更だ、改めて言ったところで意味は無い、いや、これからも生きていく彼らのためを思うなら、告げない方がいい……。

 ……分かってる、のに。

 

「………。おれも――愛してるぜ、お前ら!!」

 

 気付けばそう、叫んでしまっていた。

 視界が滲むのが忌々しい、彼らの顔を最後まで見ていたいのに。コラさんのあのぶっさいくな笑顔と同じ、泣き顔を無理矢理に曲げて作った下手くそな、それでも最後に記憶してほしいと願っての――。

 ……駄目だ、眠気が迫ってくる。

 目蓋が落ちるのを止められない。抗いがたい睡魔に襲われ、もう指一本動かす力も無い。

 肉体の感覚が急速に遠のく。仲間たちの顔が、声が、離れてゆく……。

 

 眠りに落ちる間際、何故か唯一はっきりと感じられたのは。

 覚えてろよ、とでも言うがごとく、あの場にいなかった誰かに強く背中を叩かれたような衝撃だった。

 

 

   --------------------

 

 

 大切な記憶を反芻し終え、再び目蓋を開くロー。

 そして、ぎょっとする。

 そこには目をつぶる前までいた幼子と違う、非常によく見知った容姿の少年が佇んでいた。

 ローは呆然として、少年を見つめる。

 

「お前は……」

「よう、()()

 

 軽い調子で挨拶するのは、背格好からして十年ほど前の、ロー本人の姿をした何かだった。

 あの毛足の長いボーラーハットをかぶり、腕組みしてこちらを観察している。

 

「あちこち穴だらけじゃねェか。我ながら、よくここまで復元できたぜ。……ご苦労さん、あとは任せとけ」

「……!」

 

 少年のローが勝気に笑んでこちらに手を伸ばすのを、咄嗟に背後へ下がって避ける。

 すると相手は不可解なものを見るように真顔になり、ややあって溜息をついた。

 

「わけが分からねェってツラだな、思考能力自体も落ちてんのか? 状況を説明するなら、もう(からだ)の再構築は終わって、あとは霊体(おまえ)を修復するだけって段階だ。精神(おれ)で上書きすることになるが、まァ本来の主従はそういう形だからな。受け入れろ」

 

 上書き。それは、今こうして思考している己が消えるという事だろうか。

 目の前の若い自分と全く同様であろう無表情で沈黙していると、向こうはまるで聞き分けの無い子供を相手にするように声をやわらげる。

 

「精神と霊体が合致しないままじゃ、一つの生物として安定しねェんだよ。……と言うかだな、そもそもおれは壊れかけのお前から必要な情報を転写して再構成したもんだ。おれ、イコール、お前。何か別の妙なモノになっちまうわけじゃねェ」

「……ならなんでお前はその歳なんだ」

「そりゃ四歳児の脳に詰め込める情報には限りがあるからな。大人のお前の記憶、知識、丸ごと持っていけるはずもねェ。ましてや器はあの麦わら屋だぞ?」

「なるほど。ここまでで一番説得力のある説明を聞いた気がする」

 

 言われてみればもっともである。己が知るのは既に十分成長した姿だが、あの男の軽そうな頭は食と冒険の事だけで満杯で、仲間たちに何度叱られたって話をころっと忘れてしまうのだ。

 若い自分もしみじみと頷いている。眉も下がり、少し困ったように言葉を続ける。

 

「……これでもかなり無茶してるんだ。おそらく、致命的じゃねェが何らかの身体機能に関する不安は抱え込む事になる。脳のグルコース消費がデカいのは確実だから……まず低血糖への備えは必要だろうな」

「そんなにか」

「オペオペの“覚醒”状態を維持するための医療知識と、それを支える基本的な教養を一切削れねェのが痛い。ガキの頃の思い出なんかも人格の基礎になってるから、圧縮はできるが完全に消しちまうわけにはいかねェ。それに――」

 

 若い自分はそこでふと言葉を切り、何かを得心したように「そうか」と呟いてこちらと目を合わせた。

 そうしておもむろに自身の上衣の裾に手を掛けたと思うと、一気に首元まで引き上げる。

 あらわになった上半身、その発達の余地を残す筋肉の表面に、踊る黒い曲線――ハートの、刺青。

 この歳の、成長期の終わっていない己にはまだ刻んでいなかったはずの。

 今の己を形作る大切な()()()、……コラさん、の、遺志を忘れぬための……。

 

「大丈夫だ。……大事な記憶(ひと)は、全部持っていく。絶対に、取りこぼしたりなんかしない」

「………。そう、だな。……お前が、…おれが、コラさんを捨てるわけがないんだ」

「もう文句は無いな? なら、手ェ出せ」

 

 服を直し、不敵に唇を歪める若い自分に従って、手を伸ばす。

 相手が、伸べられた手をしかと掴む。視界が一瞬にして白く染まっていって。そのまま――

 

 

 

「――……これで、完了。……ああ、結構消えたな……」

 

 ひとりになったローは、自らの内側が完全に一致しているのを確かめた。

 さっきまでぐずぐずと渋っていた大人の己も、それに苛立ちつつ説明していた自分も、同じ()()だという感覚がある。

 

 死の文字が刻まれた、自らの両手を宙にかざす。ここからこぼれ落ちた記憶は、もう二度と戻ってこない。

 たとえば、ドフラミンゴのもとで学んだ戦い方。もとのトラファルガー・ローの体格に合わせた身体感覚は、覚えていると逆に混乱を来たす可能性もあるので、やむなき事ではある。技術や知識は所詮、また学べばいいだけの話だ。

 ……けれど思い出は、自らの内にしか無い。

 成長して人格がほぼ固定された後の体験は、どうしても優先度を低くせざるをえなかった。圧縮と分割を行い脳の様々な部位へ収納する事で、可能な限りは保存を試みたのだ。それでも、失われてしまったものはある。

 ともに笑いともに苦しんだであろう、あのツナギを着た仲間たちとの旅路の足跡は、いたるところが虫食い状になっている。そんな中でもそれぞれとの出会いと、最後の別れだけは、一切の欠けなく詰め込めたのが慰めだった。

 

「……許せよ」

 

 暫し目を閉じ、自らがローであり続けるために手放したものたちへ黙祷する。

 

 本当のところ、一度死んだローには、トラファルガー・ローで居続ける事にこだわる特段の理由は無い。

 死は死だ。ましてやこの上なく満足して死んだ自らが、もう一度人生やり直せと言われて手放しに喜べるものでもない。

 生前常に自らを苛んでいた『失う恐怖』からようやく解放され、隠し持ち続けた“愛”を抱きしめて、心安らかに死ねたのだ。そのまま目覚めさせず、死なせておいてほしかったのが本音である。いっその事『前世』なぞ一切忘れて、まっさらな子供として生まれ変わる方が幾らかましにすら思える。

 それでもローがトラファルガー・ローとしての自意識を遮二無二組み立て直したのは、自らのせいでルフィの死後を迷わせてしまったという負い目があるからだ。

 

 あの男は自分がどうでもいいと判断した内容は瞬きの間に忘れるが、譲れぬと決めた事については何があっても諦めない。

 しかしその意思の強さが、災いとなってしまった。トラファルガー・ローをぶん殴るという望みは、悔いなき生涯を遂げたはずの男にとっておそらく唯一残った心のしこりであり、死してなお(たましい)を彼岸へと渡らせぬ枷なのだ。

 それを思えばローの閉ざしたままの目蓋に力がこもり、眉根に大いに皺が寄る。

 下ろした手の片方をそのまま額へあて、深々とため息をついた。

 

「ハァ……死んでまであのバカの尻拭いをする羽目になるとは。だが元をただせば、おれの身から出た錆とも言える。不本意極まりないが、一発殴らせてやって送り出すか……」

 

 自らの死の理由、『不老手術』を行った当時の心境を顧みれば、粛々と制裁を受け入れて然るべきなのだろう。

 あれが純然たる好意からであれば、きっとルフィもああまで憤りはしなかった。ローの身勝手が引き起こした事態なのだから、ローがけじめをつけるのが道理だ。

 

 ルフィを見送った、その後についてはまだ分からない。

 ただ少なくとも、受け取った命は今度こそ長く大切にしなくてはならない。

 贈り主たる幼子は、自分の分まで生きてくれと言ったのだから。

 ……“自由”に生きろ、ではなく。

 

 正面を向き眼を開くほんの刹那。背後から、呼び止められた気がする。結局最期まで改められる事のなかった、あの珍妙なあだ名で。

 誰も見ていないはずなのに、ローは思わず帽子を目深にかぶり直した。

 

「うるせェよ。てめェはさっさと、次の冒険にでも行っちまえ!」

 

 ふんと鼻を鳴らし、ローは歩き出す。

 行く先には光がある。あれをくぐり抜ければ、新たな生が自らを待っている。

 もう引き返す道などどこにも無い。受け継いだもの全てを飲み込んで、進むしかないのだ。ただ、前へと。

 

 

   ++++++++++++++++++++

 

 

 ウープ・スラップは目の前の子供用ベッドに寝かされた、旧友から預かっている養い子を見つめた。

 今は穏やかに眠っているように見えるが、一時は白目を剥いて泡を吹き、全身がくがくと痙攣を始め、これはもう助からぬと覚悟を決めたものである。

 

 しかしほんの三十分ほど前の事だ。子供の容体が急激に悪化し、スラップが普段はさして信じてもおらぬ神に祈ったあたりで、唐突にその奇妙な現象が起きた。

 子供の周囲が、謎の薄青い膜のようなもので覆われたのだ。子供の身体の内側から展開されたように見えるそれは、子供を中心として球状の空間を囲っていた。

 スラップが何が起きているのかわからず呆然とする間に、子供の頭に巻かれていた包帯が独りでに千切れ飛んだ。間髪置かず、その下の傷口から血が噴き出す。これまたおかしな事に、その傷口というのが包帯を巻く前に見たのと違い、鋭い刃物で一直線に切り裂かれたような有様だったのだ。

 我に返る頃には、傷口から流れ出る血はほぼ止まっていた。というか、切り裂かれたような傷自体が消えていた。だがベッドにできた赤い染みの上に、半ば固まった血塊がぽつぽつと散っている光景が、夢ではなかった事を物語っている。

 やがて、あの青い膜も僅かな揺らぎとともに空気へ溶けて。スラップが包帯を巻きなおした段になっては、子供から聞こえるのは安らかな寝息に変わっていた。

 

「まさか本当に、神に祈りが届いたとでも言うのか……」

 

 ぽつりと落とした独り言。誰に聞かせるでもなかったそれに、ぴくりと子供の目蓋が震える。

 スラップは身を乗り出し、子供の名を呼んだ。

 

「ルフィ? ルフィ……! わしがわかるか? ルフィ!」

 

 呼びかけに反応してか、子供は目を開けてスラップの方へ視線をよこす。

 その眼差しは未だ茫洋としており、完全に意識が回復したかは判断できない。

 

「ルフィ……覚えておるか? お前は倒れたんじゃ。一時はどうなることかと思ったが……どうだ、気分は悪くないか?」

「……口ん中、気持ち悪ィ」

「泡吹いとったからな……待っとれ、今水を持ってきてやる」

 

 返された言葉は、存外にしっかりしていた。この分であれば、じきに子供らしい元気も取り戻すだろう。

 ほっと気を抜いたスラップは、長く座り込んでいた椅子を立って、水を汲みに台所へ向かった。

 

 スラップが子供部屋へ戻った時、ベッドの主は身を起こして両手の指を一本ずつ確かめるように動かしていた。

 水の入ったコップと空の桶を渡せば、礼を言って口をすすぐ。

 さっぱりして満足げに息をついた子供は、そこで珍しく遠慮がちに「…ところで」と切り出した。

 

「あんた……誰だっけ?」

「!? な、何と! ルフィ、わからんのか!? わしだ、お前の育て親のスラップじゃぞ!」

「悪いが、覚えてねェ。自分の名前が『モンキー・D・ルフィ』だって以外は、何もわからねェんだ」

「お、おお……何てことだ。記憶喪失とは…いやしかし、死ぬよりは何だってましには変わらん……」

 

 発覚した残酷な事実に項垂れるものの、先ほどまでの生きるか死ぬかの瀬戸際を見ていればこの結果も致し方ない。

 幸いにして、ルフィは今四歳だ。過去を忘れたとしても、これから幾らでも新しい人生の喜びを積み重ねて行けるだろう。

 スラップは己を奮い立たせ、ルフィの両肩に手を置き目を合わせた。

 

「心配はいらん。たとえお前がわしらを覚えておらんでも、わしらは――このフーシャ村の大人たちは、皆お前の親のようなものだ。安心して、元気に育っておくれ」

「そりゃ、どうも……で、おれには肉親はいないってことでいいのか?」

「む…いや、祖父はおるが……うむ、今のお前と会わせるのは少々、まずいような気がするのう……」

 

 何せあの旧友は、やる事なす事が大胆を通り越して大雑把なのだ。

 たまにふらっと村へ帰ってきては、鍛えると言って、幼い孫に対してどう見ても過酷すぎる訓練を強いている。

 これまでは何だかんだと、孫の方も生来の丈夫さに飽かせて切り抜けてきた。しかし今回ばかりは、養い親としての責任をもって、抗議しなくてはなるまい。

 

「……そうか。だがもう、遅いな」

 

 ルフィはまるで壁の向こうを見通すかのように、子供部屋の扉ではなく家の玄関にあたる方向を眺めている。

 不思議に思っていると、外から重いものが倒れる大きな音がした。それから、廊下を駆けてくる荒い足音も。

 何事かとルフィを庇うようにベッドの前に立ちはだかった次の瞬間には、扉が乱暴に開かれて、大音量の叫びが部屋を満たした。

 

「ルフィィィィィ!!!! じいちゃんが来たぞォォ!!」

「貴様かガープ!! 叫ぶな近所迷惑じゃ!」

「どっちもうるせェ……」

 

 構わずずんずんと歩み寄ってきたガープは、いつになく真剣な表情をしていた。孫が明日をも知れぬ重体であると連絡を受ければ、さすがに余計な事を考える隙も無かったようだ。

 これなら大丈夫かとスラップが場所を譲ると、ガープはルフィの頭から爪先まで検分し、抑えた声音で無事を訊ねる。

 

「何じゃ。スラップの奴が今にもお前が死にそうだと言うから駆け付けてみたが……割と元気そうじゃのう」

「……まァな」

「拗ねとるのか? これでも仕事放り出してとんぼ返り――………。……いや、――ルフィ……?」

「………」

 

 途中で言葉を切ったガープが、目を眇めてルフィを注視する。

 ルフィはただ黙って、その視線を見返している。

 血の繋がった家族の邂逅だというのに、どこか不穏な静寂が夜の子供部屋に落ちた。

 スラップが何か言うべきかと口を開きかけたその時、突然にガープが激発した。

 

「――違う。貴様、ルフィではないな……!!」

「………」

「おれの目を誤魔化せると思ったか! 答えろ、ルフィは…おれの孫はどうした!!」

「! やめんか、ガープ!」

 

 わけのわからない事を言いだしてルフィの肩を揺さぶるガープに、それが病み上がりの孫にする仕打ちかと諌め、背後から組み付く。

 だが現役海軍将校たる男には蚊に刺されたほどにも感じぬようで、緩まぬ拘束に次第にルフィの顔色も悪くなる。

 

「何の能力者か知らんが、貴様が狙ったのはこの“ゲンコツのガープ”の孫だ! ただで済むとは思わんことだな……!!」

「ッいい加減にせんかガープ!! お前は孫を殺す気なのか!?」

 

 ここに至ってはスラップも頭に血が上り、横手にまわると力いっぱいガープの頬をぶん殴る。

 老齢の、さして鍛えてもいない男の拳だ。ダメージという点では何の意味も為さなかったが、そこにこめた感情は僅かなりとも相手を正気に返す事に成功したようだった。

 ぐらぐらと揺らされ続けたルフィの頭は、不意の解放に惑いながらもまっすぐとガープを見据えている。

 ガープは未だ目を血走らせ、息を荒げたままスラップを睨む。

 

「下がっていろスラップ! そいつはルフィではない!」

「馬鹿を言うなっ!! ルフィにはワシがずっとついておった! すり替わるなど不可能だ!」

 

 喧々囂々と、平行線を辿る言い合いを続けているうちに、沈黙を守っていたルフィがぼそりと何かを呟いた。

 話にならないガープを脇に置き、スラップが内容を聞き返す。

 

「どうした、ルフィ!? この分からず屋に何か言いたいことがあるのか?」

「……いねェ」

「何だって?」

「そいつの孫は、もういない。……逝っちまったよ」

「……は、…何を……ルフィ? お前までふざけておるのか?」

 

 ルフィの口から出た言葉に、ぽかんと呆けるしかないスラップ。

 その身体を押しのけて、さらに激昂した様子のガープがルフィの胸ぐらを掴む。

 

「貴様……!! 覚悟はできておろうな!」

 

 ガープに締め上げられながらも、ルフィの姿をした何者かは、不気味なほどの静けさを保っていた。

 

 

   ++++++++++++++++++++

 

 

 ――面倒な事になった。

 鬼の形相でこちらに掴みかかった海軍将校を前に、ローはこの場を切り抜ける方策を探す。

 

 この身体の看病をしていたらしき老人は、記憶喪失というていでどうにか誤魔化せそうだった。

 誤算だったのは、未だ周囲の状況も把握できないままに、モンキー・D・ルフィの祖父であるガープと顔を合わせてしまった事。さすがに肉親の目は欺けず、こうして手荒く詰問される羽目になっている。

 こうなっては下手に嘘をついたところで相手を逆撫でするだけだ。やむをえず、ローは事実を語る事にした。

 

「――急性硬膜外血腫って分かるか。脳の外側に血が溜まって、すぐに手術しなきゃ死ぬ病だ。お前の孫はそれにかかってた」

「何……?」

 

 孫の容体について口にすれば、若干勢いを削がれたガープが訝しげに聞き返す。

 ローはなるべく淡々とした説明を心掛ける。患者の家族に死病の宣告をする医者の態度としてはどうかと思うが、「お気の毒です」なんて常套句を言える雰囲気でもなかった。

 

「おれが危害を加えたわけじゃない。お前の孫は、自分がもう助からないと悟って死を受け入れたんだ。おれはその抜け殻をもらって、自分のものになった体を自分で手術した」

「……自分で自分を手術? そんな事が……」

 

 信じられないとばかりに口を挟んできた老人に視線を向ける。

 看病のために傍についていたなら、恐らく“ROOM”が広がる光景も目にしていたはずだ。

 

「お前、ずっと看病してたんならこの体を青い膜が覆ったのを見なかったか」

「! では、あれはお前が……? 本当に、お前がルフィの病気を治したのか?」

 

 ローはそこで、一度躊躇った。この札を開示するには、かなりのリスクを伴う。

 だが、じっとこちらを睨んでいるガープを思えば、やはり隠し通すのには無理があるだろう。

 吐息を落とし、若干の諦観とともに重ねて答える。

 

「……ああ。おれの能力――オペオペの実の力を使って治した」

「悪魔の実か! 確かにアレらはどんな奇跡を起こしても不思議ではないが、しかし……」

「記憶喪失を装ったのは悪かったよ。悪魔の実の能力についてよく知らない人間には、いきなり別人だと言うよりも納得しやすいだろうと思ってのことだ。現に、お前はまだ信じきれてないようだしな」

「むう……ガープ」

「………」

 

 老人はガープの名を呼んで判断を委ねた。

 ガープは険しい表情のままローを見つめていたが、やがて巌のごとき声を響かせて告げる。

 

「――ウソはついていないようだな」

「!! ならば……本当に? おおルフィ…本当に、本当に死んでしまったのか……あんなに元気だったのに……!」

 

 ガープとロー、双方の間で忙しく視線を行き交わせながら、老人の身体はわなわなと震える。自分が看病をしていたという事で、養い子の死に自責の念を覚えているのかもしれない。

 ローは少しばかり老人が哀れになり、医師として遺族への慰めの言葉を掛けた。

 

「言っただろう、すぐに――意識障害が発生してからじゃ、ほんの二、三時間で生命維持に支障が出るほど重篤化する場合もある病だ。外科手術をこなせる医者が近くにいなきゃ、どうしようもない。お前は何も、悪くねェよ」

「医者が…医者がこの村にまだおってくれたら……! ルフィ、すまん! 許しておくれ……」

 

 老人はさらに嘆く。そういえば、この“座標”はフーシャ村、村長宅であるはずだ。この老人が村長であると言うのなら、村に医者がいない現状に責任を感じるのも当然かもしれない。

 感傷に呑まれて、よく考えもせずにものを言ってしまった。ローは気まずげに、老人から目をそらす。

 そらした先に――今にも爆発しそうな、ガープの激憤の表情があった。

 

「ルフィ……じいちゃんより先に死ぬとは何事じゃ……!! わしは、わしはお前をそんな軟弱に育てた覚えは無いぞォォォ!!」

 

 その高ぶりきった感情の矛先が、拳に乗って子供部屋の壁へとぶつけられた。

 軋む暇すらなく、一瞬で破壊、粉砕される壁材。またしても近所迷惑な騒音だが、誰も駆けつけてこないところを見るとこの村ではこれが普通なのだろうか。嫌すぎる。

 

 まだまだ収まらぬ憤りのままこちらを睥睨するガープに、ローは不測の事態に対応できるよう緊張を高める。医者をしていると、こういう事は稀にあるのだ。

 どんなに手を尽くしても助からぬ患者というものはいて、それは技術を磨こうがオペオペの能力を使おうがどうしようもない。けれど遺された者がそれに納得するかは別の話だ。何で助けてくれなかったんだ、と涙ながらに糾弾されたのは一度ではない。

 気持ちが分からないとは言わない。やるせない思いを、どこかに、誰かにぶつけたいという衝動も理解できる。一般人が取り縋ってきた程度なら、ローとて好きにさせてやる程度の思慮はある。

 

 ……が、こと今回に限っては、相手が相手なのである。

 ぶっちゃけよう。覇気を垂れ流す目の前の海兵に感情のままに暴れられたら、ローの二度目の人生はここで終了してしまう。

 

「何故だァ!! 治すことができるのなら、何でルフィをそのまま返さなかった!!」

「オペオペの実と言えど、万能じゃねェ。治すためには、おれ自身がこの体の持ち主になる必要があった。その時にはもうお前の孫は逝っちまった後だ」

「それは本当だろうな!? 貴様がルフィの体を乗っ取るために、ルフィを騙してわざと殺したんじゃないのか!?」

 

 ――ルフィの体を乗っ取るためにわざと殺した。

 その突き抜けた暴言は、もともと削られ気味だったローの冷静さを吹っ飛ばした。

 それはローの医師としての矜持を、真っ向から踏みにじる言葉。

 さらには『トラファルガー・D・ワーテル・ロー』としての生き様を、死に様を否定される事と同義でもある。

 

「てめェ……このおれにそれを言うのか。おれが自分の欲のために“モンキー・D・ルフィ”を殺してすり替わり、のうのうと生き返ったと言いたいのか……!!」

「そうだ!!」

「ふざけんな!! あいつの代わりに死ぬために、おれはあいつについてったんだ!! あいつを殺すくらいなら、おれが死ぬ!! それがあいつに救われた、おれのケジメだ!!」

 

 ガープの方へと身を乗り出し、逆にその服へ掴みかかりながらローは吼えた。

 一方のガープは、ローの憤慨など気にした様子もない。しかし言われた内容については、しっかり聞いていたようだ。

 

「あいつに救われた、だと? それに生き返った、か。妙な話だ、貴様幽霊だとでも言うのか?」

「! ……チッ、喋りすぎたか」

「貴様の指すあいつというのは、本当におれの孫のルフィのことか? どうも別人と取り違えているようだな……」

「………」

 

 これ以上余計な事を言うまいと口を噤むローをしばらく観察していたガープだが、やがてその掴み続けていた襟首を放した。

 ローは解放される理由がわからず、警戒もあらわにガープを見上げる。ガープの纏う雰囲気からは、先ほどまでの激しい敵意は消えている。

 

「まあ、いい。これでお前がどんな人間かは、だいたい分かった」

「……はァ? まさか、さっきまでのがおれから情報を引き出すための演技だったとでも言うつもりかよ」

「九割本気だ」

「残りの一割で事態を冷静に見てるってか……食えねェ爺だ」

「爺ではない! じいちゃんと呼べ!」

「おれはてめェの孫じゃねェよ!」

 

 敵意を収めたと思ったらこれとは、本当に爺孫そろって切り替えの早すぎる一家だ。

 何故か胸を張って宣言したガープに、思わず孫の方に対するのと同じに返してしまい、ローははっと気を引き締める。

 こいつらのペースに乗せられてはいけない。

 ローの方もガープの服を放し、心なしか距離を取るようにベッドの上を移動した。

 ガープはもう何事も無かったかのように、普通に話し掛けてくる。

 

「しかし、ルフィがそんな難病にかかっとったとは。わしに似て、超! 健康優良児だったはずなんじゃがな」

「……原因はこの包帯の下にあった外傷だ。傷を負った直後はすぐ回復したように見えたかもしれねェ。意識清明期ってやつだ。だが脳の硬膜と頭蓋骨の間の血管が損傷してて、元気に見えても血腫が広がり続けてた」

 

 包帯の巻かれた側頭部に手を置いて答える。

 ガープは難しい顔をしている。この説明で分からなかったのだろうか?

 孫の方の理解力を思い出しつつ、もっと簡単な言葉を選んでいると、蚊帳の外に置かれていた老人が気遣わしげにガープを呼ぶ。

 

「ガープ……」

「その怪我の、せいなのか……」

「分かってるんじゃねェか。……ああ、言っとくがこれが誰かの関わった結果だとして、そいつに孫を殺したとか難癖付けんのはやめとけよ。中身が変わってたとしても、外から見りゃ『モンキー・D・ルフィ』は死んでねェんだ」

「……わしだ」

「何だって?」

「ルフィがその怪我を負ったのは、わしのせいじゃ……。わしが船の上からルフィを海に投げ込む時、高波の揺れで手元が狂った……目測を外れてルフィの落ちた真下に、ちょうど岩があったのだ」

 

 ローは一瞬、自分の耳がおかしくなったのかと考えた。そうでなければ、ガープの方が孫を失った悲しみで狂ったのか。

 だって普通思わないだろう。どこの世界に、四歳児の孫を船から海へ突き落とす祖父がいる?

 たっぷりの沈黙を置き、嘘だと言ってほしいと願いながら、ローは聞き返す。

 

「………今、意味不明な幻聴を聞いた気がするんだが」

「そうか……ルフィ! ルフィ、じいちゃんがあの時手を滑らせなかったら……おおルフィ、じいちゃんが悪かったァァァ!!」

「いやそこじゃねェだろ!? まず何で孫を船から海に投げ込むんだよ虐待か!? 虐待なのか!!」

「虐待とは何じゃ!! 強くなりたい孫を鍛えてやろうという、わしの愛だぞ!」

「やり方がおかしい!!!!」

 

 ひとしきり叫んでから、ローはまた我に返った。……ダメだ、こいつらモンキー家に常識は通じない。

 ちなみにこの件に関してだけは孫の方にも、一括りにされたくないという言い分があるのだが、ローにはそんな事はわからない。

 

「クッソ……で、どうするんだよ」

「あん? 何をだ」

「……てめェの孫の体に入ってるおれを、どうするつもりだって――」

「じいちゃんをてめェとは何じゃ!!」

「ッ!!」

 

 理不尽な言いがかりとともに眼前に迫る拳を、避けようと――いや、間に合わない。何となく側頭部に置いたままだった手を、かろうじて前に動かして防御する。

 びりびりと、痺れが残るほどの衝撃が腕を襲った。

 

「――いってェ…術後の患部殴ろうとするとか馬鹿か!?」

「ほう! 反応は鈍っとらんのう」

「てめェ本気でいい加減にしろよ!? おれがただの医者だったら今の普通にくらってたからな! それとも殺すつもりでやってるのか!? だったら先に言え、拳じゃなく口で言え!!」

「何でわしが孫を殺さなきゃならん。これからも鍛え甲斐がありそうでじいちゃん嬉しいわい」

「だ、か、らッ……誰が! 孫で!! じいちゃんだ!! おれはルフィじゃねェっつってるだろ!!」

「関係ないわ!! ルフィの体でいる以上、お前もこれからわしの孫じゃ! じいちゃんに口答えは許さんぞ!」

「はああァァ!!?」

 

 あまりの話の通じなさに、宇宙人と会話している気になってくる。孫の方よりなお酷い、酷すぎる。

 何なら孫の方に同情すら湧いてくる。こんなんに育てられればあの破天荒な性格も、そりゃ仕方ないというものである。

 思わず助けを求めるように、この場で最も常識人であろう――ローは一応自分が常識人と言うには微妙な事を理解している――老人に水を向けた。

 

「なあこいつ何言ってんだ!?」

「ガープじゃから……」

「その遠い目やめろ」

「い、いつもはこんなんじゃないぞ? 今はちょっとあれだが、いつもはもっと、もっと……いつもは…その……」

「いい。無理しなくていい……どうしようもねェこと聞いたおれが悪かった……」

 

 どうにかフォローできる部分を探して結局何も思い浮かばないらしい老人に、ローはこいつも被害者なのだと悟った。

 重い疲労感を覚え、深々とため息をつく。まさか新たな生を得て早々にこんな事態になるとは思っていなかった。

 唯一の収穫と言えば、ガープは今のところローを害する気を無くしたらしいという点くらいか。ただしこれはガープ流の判断基準であって、一般的には充分に危害を与えられている部類なのだが……。

 

「とりあえず、今夜はもうこれで終わっていいか。一応この体は病み上がりなんだ……」

「む! そうじゃな、寝る子は育つと言うし、グッスリ休め!」

「明け方まで後三時間ほどか……わしも休ませてもらうかの。ああ、ベッドシーツは取り換えんといかんか」

「それも明日でいい、とにかく寝かせてくれ……」

「ぶわっはっはっ! お前はわしに付き合え、スラップ!」

 

 哀れな生贄がガープに捕まった気配を察したが、本気で疲れていたローは心中で十字を切りつつ、爺どもに背を向けてベッドに横たわる。睡眠を諦めた老人は、コップと桶を回収してガープとともに出て行った。

 喧噪の元が去り、静寂を取り戻した室内はがらんとして肌寒さを感じさせる。

 ……いや、気のせいではなく、普通に寒い。隙間風どころでない寒風が吹いている。

 ローがごろりと体勢を変えれば、すぐにその原因が目に入った。ガープが八つ当たりに開けた壁の大穴である。

 

「あの爺、迷惑さ加減じゃ麦わら屋以上じゃねェか……」

 

 穴の向こうに広がる夜の野原を眺めつつ、うんざりと呟いた。

 室内を見回せど、補修用の壁材など子供部屋に常備されているはずもない。かと言ってこんな大穴開いた部屋で寝るなど気分的にも嫌である。

 

「まァ、ついでだし試すか……“ROOM”」

 

 身を起こしていつものキーワードを唱えれば、右手から広がる青い領域。

 オペオペの能力が宿っているのは変わらずローの霊魂だが、現世の肉体を通して能力を発動するのだから、削られるのは基本的にこの身体の体力だ。ガープのようにいきなり想定外の強敵に出くわすという状況も否定できない以上、早急に負担の程度を知っておく必要がある。

 

「意外と軽いな……ガキの頃でも麦わら屋の体力は底なしだったのか?」

 

 広げた空間は部屋の外までは届かない範囲とは言え、思ったよりも負担が少ない。

 続けて扉の傍にあった本棚を、浮かせて穴の前に移動させてみる。これもほぼ気にならない程度だ。

 ――何だこのハイスペック。ローの認識の中で、もともと最強に近かったルフィの実力評価がさらに膨れ上がった。

 

 無事に穴が塞がれたので能力を解き、ローは寝転がると布団をかぶった。能力を使う前から疲れていたのは確かなので、すぐに眠気が襲ってくる。

 ひとまず、当面の危機は凌いだ。完全に味方と判断するのは早計だが、ガープの強さは本物なので、もし別件で何かあっても対処してくれるだろう。

 今はただ、身体を休める時だ。訪れた睡魔に逆らわず、ローは静かに目を閉じた。

 

 

   --------------------

 

 

「――トラ男!! 起きろーーーっ!!」

「……!!? 麦わら屋ッ……?」

 

 反射的に、がばりと身を起こす。地につけた手のひらには短い草の、芝生の感触がある。

 まさかと周囲に目を走らせれば、自分が転がっていたのは予想通り、あの同盟相手の愉快な船の甲板だ。

 そして先ほど自分の口から出た声も、聞きなれたトラファルガー・ローのものだったのだ。立ち上がって爪先から肩まで確認しても、やはりその身体はローの、それも大人ではなく十六歳前後の頃のもの。幼きモンキー・D・ルフィの身体ではない。

 

「どういうことだ…おれはさっきまで確かに――いや、これは夢か?」

「夢だぞ!」

「ッ、麦わら屋!」

 

 独り言のつもりで落とした疑問に、返る声。

 振り向くと、穏やかな青い海を背景に、両手を腰に置いて立つ無邪気な男の笑みがあった。

 男はさくさくと芝生を踏みながら近づいてきた。ローの目の前で立ち止まったかと思えば、物珍しげにしげしげとこちらを見て――微妙にだが、見下ろしてくる。

 

「しっしっしっ、おれより小っせェトラ男とかおもしれー!」

「あァ!? こんなの誤差だろ! だいたいおれはここから伸びたんだよ、一年もすりゃてめェなんぞ余裕で追い抜く!」

「そうかァ? まあそれは別にいいや、で……トラ男、思い出したよな?」

「……あ?」

 

 何を、と言いかけて、ローはそれがあの黄昏と暁の空間で繰り広げられた問答である事に思い当たった。

 ルフィは何度も、思い出せ、思い出したらぶん殴る、と言っていた。

 そして今、ローは完全に覚えている。自分の死に際も、その後しばらくルフィの中で眠っていて、一度だけ呼び覚まされた時にハートのクルーたちと交わした最後の言葉も。

 

 自覚して、今一度目の前のルフィの顔を見る。

 ルフィはいつの間にか笑みを消し、全ての感情を削ぎ落としたかのような無表情でローを見つめていた。

 ぞっと、怖気が走る。ローはこんなルフィの顔を見た事は無い。怒るなら怒る、笑うなら笑うで、いつも分かりやすく感情表現の激しい男だったのだ。それが、今は。

 

「思い出したんだろ?」

「……あ、ああ…それは、」

「三度目だ」

「……何?」

「『あいつを殺すくらいなら、おれが死ぬ』。お前、また言ったな」

「! 何で知って――いや、違う! それは売り言葉買い言葉というやつで、本当にやるつもりじゃ――」

「うるせェ黙れ!! おれはもう、我慢しねェぞ!!!!」

 

 何の前触れもなく噴火した火山のごとく、ルフィの全身から爆発的に覇気が迸った。

 先ほどまでの無表情は、限界までため込んだ憤りを自身の内へとどめておくためだったのだろう。万が一、ローがまだ思い出せていないという場合を想定して。

 だがロー本人に確認し、怒りを抑える理由は無くなった。

 その上、何故かローが現世でガープと交わした問答についても知っており、その内容にさらに逆上している。

 

「トラ男ォォ!! 歯ァ食いしばれェ!!」

 

 助走のために大きく距離を取って後ろへ跳んだルフィが、片足を引き、体勢を低くして構える。身体の後ろ側へ引き付けて力を溜めた拳は、襟ぐりから覗く肩のあたりまで武装色の黒に覆われて鈍く光っている。

 血管を浮かせた憤怒の表情は、こちらが何を言っても無駄だという事を端的に表していた。こうなればもう、ルフィの気が済むまで止まらない。

 

 ……しかしそもそもにして、ローがこの二度目の生を受け入れたのはルフィのためである。

 ルフィに一発ぶん殴られてやる事でその最後の心残りを解消させ、(たましい)を来世へ向かわせるため。

 だからこれは遅かれ早かれ必要な、いや、早ければ早いほどいい話で、ただこんなに早いとは思わなかったのでこちらとしても少々覚悟が必要と言うか何と言うか――

 

「……ああクソッ!! 仕方ねェ、来やがれ!」

 

 やぶれかぶれにそう叫び返し、少しでもダメージが軽くなるようこちらも覇気を纏う。ルフィがどこを狙ってくるか分からないが、ローは見聞色でそれを探るよりも、攻撃された瞬間にその部位へ武装色を一点集中して防御する心積もりだった。

 ……が、結局それは意味の無い算段でしかなかった。

 何せ、駄目押しのようにルフィから発せられた強烈すぎる覇王色によって、意識ごと覇気も散らされてしまったからだ。

 

 飛びかけた意識。そして気付けば身体も宙を飛んでいた。いつ攻撃されたかも既によくわからない。痛みと言うよりもただ、衝撃ばかりがわんわんと頭に響いている。

 視界を舞っているのは折れた自分の歯だろうか。だとすると殴られたのは頬かもしれない。

 夢の中で折れた歯は再生するのか否か――益体も無い事をぼうっと考えつつ、船から遥か沖合までブッ飛ばされたローは、そのまま派手な水しぶきを立てて海中へ没したのだった。

 

 

   --------------------

 

 

「――…!!!! ……あの野郎、殺す気か!!」

 

 夢の中でと同様に、がばりと起き上がった身体は、今度こそ正しく幼子のものであった。

 しばらくは夢の余韻か息も荒かったが、やがて落ち着いて時計を見れば、寝入ってから一時間も経っていない。

 大きな声を上げた割に、誰も様子を見に来ないのは少し妙だった。ローは水を飲む名目で、家人の気を辿って屋内を探る事にした。

 

 この幼きモンキー・D・ルフィの身体は、四歳児としては異常なほど鋭敏な感覚を備えていた。覇気を使っているわけでもないのに、生き物の発する息遣いや足音といった、僅かな気配を容易に捉える事ができる。屋外にいたガープの存在すら「なんとなく」感じ取れたあたり、既に第六感の域、それこそ見聞色の僅か手前まで辿り着いていると言っていい。

 正直、過敏すぎて今のローでは気疲れしてしまう。覇気ではないので、オンオフの切り替えがうまくできないのだ。

 幼きルフィ本人にとっては信頼できる相手しかいなかっただろう村の中は、ローにとってはまだ味方と言い切れぬ人間に囲まれている状況である。早く慣れなければ、不眠や鬱といった症状に発展しそうだ。

 

 子供部屋を出て、すぐ隣の部屋は無人。その向かいとさらに隣の部屋は誰か寝ているようだが、ガープでも、スラップと名乗った老人でもない。

 廊下を曲がり、玄関を通り過ぎてさらに角を折れた先に、灯りの漏れる部屋があった。扉でなくアーチ形の入り口二ヶ所で常に解放されている大部屋で、食堂ではないかと推察される。

 足を忍ばせて入り口から覗き込むと、中には見知った背中が二つ並んでいる。長テーブルの上には、空の酒瓶。

 一般人である老人はともかく、ガープの方も酔っているからか、潜んでいるローに気付いた感じはない。

 ローはそこで、つい老人たちの会話を盗み聞きする事を選んでしまった。

 

「ガープ……なあ、気を落とすなとは言わん。しかし、あの子には……」

「……分かっているんだ、スラップ。あれは悪い人間じゃない。真っすぐな気持ちのいい奴だ、ルフィのことではないにしろ、誰かのために本気で自分の命を投げ出せるんだからな」

「なら」

「だから、だ。おれに噛みついてきたその顔が、ルフィと同じで……ルフィが、…ルフィはまだ、ここにいるんだと思ってしまった。別人というのは単なる頭の病で、これはルフィなんだと。そう、思いたかった。……思い込んだ」

「………」

「だがそんなものは、おれの弱さでしかなかった…! ルフィを殺したのは、おれだったんだ!! その現実を認めたくないばかりに、おれはあれをルフィとして扱った!」

 

 ガラスの砕ける音がする。出所はガープの持っていたグラスだろう。おそらく力を込めすぎて握りつぶしたのだ。

 ちゃんと処置をしなければ、傷の中に破片が残りかねない。そう思いはしても、ローはその場に出て行く事ができなかった。

 

「ガープ、手当しなければ……」

「……なあスラップ。老いとは嫌なものだな。自分の過ちを、認められなくなる……。おれも、老いたよ……」

「……あの子はきっとわかってくれるさ。お前が心を開いて、話し合えばな」

「ああ……あいつが目を覚ましたら、また話をする。今度は、腹を割ってな……」

 

 そこまで聞いたローは、気取られぬようにゆっくりと、その場を立ち去った。猜疑心に駆られた自らを恥じながら。

 あの背を丸めて涙声で懺悔する老爺が、海賊の間では悪名高き“海軍の英雄”モンキー・D・ガープ。

 先ほどまではただ滅茶苦茶な奴としか思えなかったが、結局あの男も、当たり前に弱さを抱える一人の人間であるのだ。

 能天気に馬鹿をやらかすだけの輩なら、こちらも適度に相手をしたり無視したりすればよかった。

 だが、孫を失いこれほど弱っている老爺を、突き放していいのだろうか? あれは、「麦わら屋の身内」なのに。

 悶々とした気分のまま、ローは部屋に戻って再び眠りに就いたのだった。

 

 

   --------------------

 

 

「――トラ男! おはようだ!」

「………何でてめェがまだいやがる」

 

 ローはまたしても芝生の上に仰向けに転がっていた。

 頭の上から覗き込んでくる能天気なさかさまの笑顔を遮ろうと、腕で目を覆う。しかしルフィは一向に気にする事なく、なあなあとしつこく絡んでくる。

 

「……っうるせェ!! お前、おれを一発殴って満足したんだろ! 早く逝けよ!!」

「まだ逝かねェぞ? 殴っただけでお礼言ってねェしよ」

「ならさっさと言え! そして逝け!!」

「トラ男はせっかちだなァ」

 

 この野郎、と苛立ちのままにローが振り上げた手を、捕らえられてそのまま引き起こされる。

 互いに芝生に座り込んで対面する形となり、ルフィの力が緩んだところで掴まれていた手を振り払った。

 ルフィは変わらずニコニコしている。その顔を見ていると、ローも苛立ちを持続できないのだった。

 

「チッ……わかった、ちゃんと聞いてやる。お前とも今生の別れだ」

「じゃあ言うぞ! まずおれの分な。勝手に『不老手術』やられたのはすげーイヤだった!! けどトラ男の仲間以外はみんな、たしかにあの時はそれが『一番マシ』な方法だったって……」

「そりゃそうだ、おれだってほかに手がありゃ好き好んで自殺みてェな真似するかよ。だが味方は分断済み、退路無し、これ以上の援軍も無しで、旗頭のお前が致命傷ってもう詰んでただろ。何か逆転の一発をかまさなきゃジリ貧、だったら切れるうちにカードを切っとくのが当然だ」

 

 ローは当時の情勢を思い出す。

 ルフィが首を振らないので、カイドウを破った後もなし崩しに続いたハートと麦わらの海賊同盟。個として強大な敵を相手取る場合にロー以外のハートのクルーたちはほぼ戦力外だったが、麦わら傘下の大船団まで巻き込む――あちらから勝手に巻き込まれに来るとも言う――ような多対多の戦いにおいては、前線で動ける医療従事者として重宝されていた。

 

 ついに辿り着いた伝説の地『ラフテル』を舞台とした、海賊王の座を巡る黒ひげとの最終決戦は、まさにそんな総力戦だった。

 海はルフィを王に望む者たちと、黒ひげの下で暴虐のままに振舞う事を望む者たちとで、血で血を洗う様相を呈した。ローを除くハートの海賊団は、その中で一人でも多くの味方を救うため奔走していた。

 一方のラフテル上陸組には、ルフィたち麦わらの一味に加えロー本人が参加していた。

 しかし先んじてラフテルへ着いていた黒ひげは、ルフィを完膚なきまでに打ちのめすべく、周到かつ悪意にまみれた仕掛けを用意していたのである。どこから知識を得たのか、黒ひげはラフテルの各所に存在する防御機構を把握し、自身が有利になるような状況で起動させていた。その結果麦わらの一味は二、三人ずつに分断され、各個に黒ひげ海賊団の幹部たちと対峙する事を余儀なくされた。

 島の中枢へ至り、敵の頭目たる黒ひげと相対したのは、ルフィとローの二人だけ……。一味の仲間ではなく、あくまで同盟相手でしかないローがルフィの同伴者になるよう仕組むあたり、黒ひげの思惑が透けて見えて不快であった。

 

 黒ひげはルフィに、一対一での対決を切り出した。あからさまな罠の気配に、ローは答えようとするルフィを遮って、二人がかりで戦うべきだと忠告したのだ。

 だがここで黒ひげが持ち出してきたのが、映像電伝虫だ。それは世界各国、主要都市に中継を繋ぎ、今まさにこの光景が大衆の視線にさらされているのだと言う。

 一対一、『正々堂々』の勝負を提案した黒ひげに対し、数に物を言わせる『卑怯』なやり方で返すルフィを、大衆がどう見るか? そんな男を新たな海賊王として称えるか? ――黒ひげは暗に、そう告げたのだ。海賊でありながら、一般の民衆からも期待され、王に推されるルフィ。その人望を、剥ぎ取ってやろうと。

 支持基盤の破壊。それはここまで麦わらの一味を影ながら助けてきた力が損なわれる事を意味する。傘下からも、不満を抱き不穏分子となる者が現れかねない。海賊王の座に就いても、常に背後を警戒しなくてはならなくなる。

 自分の提案を受ければ良し、受けなければ後々までの禍根をプレゼント。とても嫌らしい、見事な作戦だ。

 歯噛みして対応策を考えるローを尻目に、ルフィは「どうでもいいよ」と言い切った。自分は別に人に良く思われたくて動いているわけではないし、自分を見限るもついてくるもそいつの自由だと。

 その上で、宣言した。黒ひげとは自分一人でやりたい、初めからそのつもりだったのだ、と。

 

 現在の罠と未来の毒、迷ったローはルフィの意向を黙認した。もはやこの男の強さを信じるしか術はなかった。

 その帰結として――ルフィは、意識すら朦朧とするほどの致命傷を負った。

 黒ひげではなく、奴がここに至るまで存在自体を伏せていた“切り札”、十二人目の仲間の攻撃によって。

 ローの助けの手は、間に合わなかった。“シャンブルズ”でルフィの位置を入れ替えるには、あらかじめ“ROOM”を展開しておく必要がある。ローが能力を発動する前に、ルフィは降り注ぐ破壊の嵐に呑まれたのだ。

 ローの叫び声と、黒ひげの嘲笑が、正反対の色をなして高らかに響き渡った。

 ――そこまでは、黒ひげの思い通り。

 そして、

 

「なんだっけ……結果的に、トラ男がおれたちの、“切り札(ジョーカー)”だった? ってサボが言ってた」

「あの瞬間の黒ひげの顔は見ものだったぜ。奴にとっておれは、絶対に切られるはずのない札だったわけだ。何せ『残忍』な『狂気の男』である“死の外科医”が誰かのために望んで命を捧げるなんて、想像もしてなかっただろうからな。本来は七武海に加入するためにばら撒いた悪名だったが、最後に実にいい仕事をしてくれた」

 

 ローがくつくつと低く笑い声をもらせば、ルフィは口を突き出して酸っぱいものを食べたような顔をした。殴って鬱憤は晴らしたが、納得はまだしていないという事か。

 しかし、ルフィはやおら両手で自分の頬を強く叩いたかと思うと、真顔でローと目を合わせ告げる。

 

「たぶん、この先もずっと納得はできねェ。けど、お前からもらった命でおれはずっと長く生きて、仲間と一緒に冒険して、生きてやりたいこと全部やり切れた。だから――」

 

 そこで一度言葉を切ったルフィは、緩く唇を歪めて笑みを象った。僅かに細められた目蓋から、慈愛のような、許しのような、不思議で穏やかな光が覗く。これも、ローが見たことのない、ルフィの表情だった。

 

「――だから、トラ男。おれに命をくれて、ありがとう。本当に、感謝してる」

「……ああ。お前、なんか…大人になったな」

「そりゃー五十五歳まで生きたからな! ほとんどおれん中で寝てたトラ男より、ずっと大人だぞ!」

 

 にしし、といつもの笑い方に戻ってルフィは胸を張る。

 夢の中ではいつまでも少年の姿の――いや、効果をやわらげたとは言え不老手術をした以上、五十代程度なら現実でもこの姿のままだったであろうルフィ。

 けれどその心は、確かな年月を重ね円熟したものとなっている。

 翻って、二十六歳で時を止めたローの心。それをさらに、四歳児の脳に収めるために再構成した今のロー。

 年季が違うとはこの事で、先ほどから手玉に取られてばかりなのも、むべなるかな、である。

 

「んで、次はナミからの分な! んーと確か、」

「っ待て、礼ってお前だけじゃねェのか?」

「いっぱいいたぞ! でもおれが覚えられる分しか覚えてねーから、おれの仲間と、サボと、……あっマルコとかもだな!」

 

 ――ルフィと一緒にいられる時間をくれてありがとう。

 ルフィが嬉々として伝えてくる彼の仲間たちからの言葉は、それぞれに個性が出ていたが、この内容だけは皆共通していた。

 ローが不老手術をしたあの戦いの前、チョッパーの見立てでは既に、ルフィの寿命は後五年残っていなかったそうだ。

 

「寿命が延びたのはよかったんだけどよ、なんかおれ完全な『不老不死』になったとかで、何やっても死ねないのは困ったなー。最期はゾロとブルックに頼むことになっちまった。“大剣豪”と“ソウルキング”が二十年の…ケンサン? の末に辿り着いた、人生最高の一閃ってやつだ!」

「……待て、軽く流せないような単語が今聞こえた気がするんだが。不老『不死』って言ったか? 単なる不老じゃなくて?」

「んん? トラ男、おれん中に入ってた時のことは忘れちまったのか?」

「ホロホロの能力者の女に一回だけ呼び出されて、お前の口を借りてクルーと喋ったのは覚えてる。ほかは全部消した、小せェお前の脳に入りきらなかったからな」

 

 ローは自らの知識を改めて掘り起こす。オペオペの“覚醒”状態が維持されている以上、再構成により欠けた部分は無いはずだが。

 

 まず前提として不老手術の効果とは、現状以上に劣化――老化のほかに病の発生と進行も含む――せぬよう、被術者の肉体を維持するだけだ。怪我に対する自然治癒力も多少は向上するものの、若返らせたり、殺されても死なないような身体に作り変えるものではない。

 本来ならばあの状況で、ルフィの負った致命傷を即座に『回復させる』効果だって無いのだ。

 それを可能にしたのは、能力を“覚醒”した時にローの頭に流し込まれた、生命の仕組みに関する知識。加えて能力者たるロー自身が備えた、一発勝負の土壇場で術式を独自に改変するだけの度胸とセンスだ。

 

「……つまりおれが改変した術式があだとなって、お前を回復させるだけにとどまらず、不死の体にしちまったってことか」

「なんかそのへんの説明、すげー面倒なんだよ。『あんたのことでしょ!』ってナミに殴られっから一応覚えたけど。おれとトラ男の、霊的相性ってのがめちゃくちゃピッタリらしいんだ。おれの体に入ったトラ男の霊魂と、もともとあるおれの霊魂が『共振』して、(ソウル)を作りまくってどばーっと溢れてるんだってホロホロのが言ってた」

「事故じゃねェか!」

 

 人と人との霊的相性などというものを外部から観測できるのは、それこそ霊体を操れるホロホロの能力者くらいだろう。

 霊魂同士の共振という現象は、たしかにオペオペの能力によりもたらされた知識の中にあった。が、それが発現するのは極めて稀なはずであり、不老手術の際に影響してくるなんて前例は当然ながら存在しなかった。あらかじめそんなレアケースを想定した術式を組むなんて、さすがにローでもケアしきれない。

 

「だがまァ、だいたい話は見えてきた。共振で大量生産された(ソウル)が、おれの改変した不老手術の作用を限りなく増幅し、常にお前の体を回復させ続ける。だから死ねねェ。それで共振を止めるために、ゾロ屋と骨屋で協力して、おれとお前の霊魂の接合点を断ち斬ったってワケだな」

「たぶんそんな感じだ!」

「お前が死なずに、おれの霊魂だけを取り出すことはできなかったのか? 五十五なんて半端なトシじゃなく、もっと生きたってよかったじゃねェか」

「みんなが世界中まわって方法を探してくれたけど、ダメだった。おれとお前あわせた分の“(ソウル)の格”が高すぎて、ほかの奴が外からいじんのは無理なんだってよ」

「……その問題があったか」

 

 “(ソウル)の格”は、外部からの霊的干渉に対する防御力のような役割を果たす。

 その人物が持つ“縁”の量であり、多ければ多いほど格が高いという事になる。そこに良縁悪縁は問わず、さらには生者死者の別も無い。一方的に寄せられる畏怖や思慕といったものもカウントされるため、“四皇”などのネームバリューはそれ自体が“(ソウル)の格”を強化する。

 さて、では“海賊王”モンキー・D・ルフィに向けられる人々の想いの総量とはいかほどか? そこへ加えて、その海賊王の命を救うために己を犠牲にした姿を、全世界に映像電伝虫で中継されたトラファルガー・ローが得た称賛は?

 ……これらが併さっただけの“(ソウル)の格”を上回るのは、何人にも不可能と言っていいだろう。

 

 そう考えると、この上なく堅固な“(ソウル)の格”の壁を突き破ってルフィに死を与える事ができた一閃というのも、使用者に対してかなりのリスクを伴うものであったのではないかと思えてくる。

 ゾロとブルック……二人とも、おそらく寿命の幾らかは削ったのではないか? 特に、既に常人よりも長く現世に留まっていた、ブルックの方はもしかすると……。

 良かれと思い行った自らの所業の結果が、知人の命を損なった可能性に気付いたローは、彼らの船長であり、ローよりもよほど苦悩を覚えたであろうルフィ本人の顔色を窺う。

 ルフィはローの疑問を分かっているようだが、答えずにただ笑むだけだった。

 

「まー死なねェって悪いことばっかじゃなかったけどな。色んな悪魔の実を食ったりもできたし! 最初に黒ひげの仲間だったやつに別の実食わされて、ゴムゴムの能力なくした時は落ち込んだけどさー。その後は何の実食ったんだっけな、いっぱい試しすぎて覚えてねーや」

「二つ目の悪魔の実を食うと体が破裂して死ぬんだったか。……そうか、大技じゃない火を出す能力ってのは」

「ああ! 最後に食ったのは、メラメラの実だ。……サボは、おれより十年くらい早く死んだからさ。世界を引っくり返すまでに、命を削り過ぎたんだって。チョッパーも、治せなくてごめんなって泣いて謝ってくれた……」

 

 ――ルフィはその後も、思い出せる限りのローへの伝言を語ってくれた。

 全てを聞き終えた時には、ローのささくれ立っていた心中はすっかり凪いでいた。むしろ、あまりに真っすぐな感謝の言葉の数々に、ローの方が多少の申し訳なさを覚えるほどだった。

 ローは誰かに感謝されたくて不老手術をしたわけではない。あれはあくまでもローが自ら望んでやった事であって、言わば究極の自己満足なのだ。命を捧げた当人であるルフィからあれだけ――今思い出しても殺意に溢れる拳であった――強烈に否定されても、当然だろうとしか言えないほどの。

 そうして黙り込んでしまったローの心の内などお見通しだとばかりに、一息ついたルフィが柔らかく問うてくる。

 

「なァトラ男。トラ男からおれに、言いたいこともあるんじゃねェか?」

「………。おれは、別に――」

 

 何も無い、と続けようとしたローだったが、ルフィが身を乗り出しぐっと顔を近づけてきた事で言葉に詰まった。

 間近から覗き込む大きな黒目は、こちらの躊躇いも嘘も、全てを暴き出す。それでいて糾弾の色も無く、ゆるく三日月を描く口元のままに「ん?」と先を促されると、まるで何もかも許されたかのような気持ちにさせられて。

 

 ――ローは、前世において生涯、この男にだけは告げるつもりのなかった『懺悔』を口にしていた。

 

「……麦わら屋」

「おう、なんだ?」

「一つ、訂正しなきゃならねェことがある。おれはさっき『好き好んで自殺みてェな真似するか』と言ったが。……悪いな、あれはたしかに――自殺だった」

「……うん」

 

 分かってた、とは言わずルフィはただ短く首肯した。

 その気遣いに甘え、ローは先を続ける。

 

「今、おれの中にある『前世』の記憶は大部分が圧縮されてる。すぐ取り出せるのは、付随する感情を極力排して事実だけを並べ立てた『記録』――要するに人生のダイジェストだな。だからこそ、『トラファルガー・ロー』って人間を客観的に振り返れる」

「ふーん?」

「お前とは違った意味で、おれは徹頭徹尾“自由”だった。ドフラミンゴを倒すための十三年だって、おれ自身の意思でそうするって決めたんだ。選択の自由は、いつだっておれの手にあった――まァお前にしてみたら『選ばされる』ってだけでも窮屈に感じるのかもしれねェけどな」

 

 ふ、と吐息をもらすように笑ってローは斜め後ろへ左手を突く。あぐらを崩して右膝を立て、そこへ右腕を乗せて空間を確保する事でルフィの顔を遠ざけた。

 さっきまでは近すぎて輪郭がぼやけるほどだったので、これで丁度いい。

 

「だが、おれにはその程度の“自由”でよかったんだ。おれは両親から、他者との共存にこそ“愛”があると教わった。自分本位ではなく、相手のために何かをしてこそなんだと。父様…んん゛、……父さんに何度も『お前のためなんだ』って抱き締められて我儘をたしなめられるうちに、自然と受け入れられたよ」

「トラ男今でも結構ワガママだぞ?」

「お前に言われたくはねェ。……ほんのガキの頃はもっと酷かった。それこそお前レベルだ。“D”の性質とは言え、あのまま矯正されず育ってたらと思うと我ながら怖気が走る」

 

 肩をすくめるローは、内心では父親の呼び方を誤魔化した方を突っ込まれなかった事に安堵している。

 幼い頃の思い出は聖域だが、ローのイメージするあるべき海賊像としては、『御育ちの良さ』は表に出さないものだ。これもまた、ドフラミンゴによる教育の残滓かもしれない。

 

「ともかく両親からよく躾けられたガキのおれにとっては、“愛”か“自由”かと問われれば“愛”を取るのが当たり前だった。“愛”こそが至高で、それなくして生きる意味なんて無いんだと。ただ本性はお前といい勝負の自分勝手さだからな、なんやかや理由をつけて我儘を通すことも結構あった。それが高じて自己欺瞞やら屁理屈ばかり上手くなっちまったよ」

「んー……? トラ男はウソつきだったってことか? ウソップと同じだな!」

「アイツと一緒にすんな。……鼻屋の方でも不本意だろう、こんな自分のためにしか嘘をつけねェ男と並べられるのは」

 

 自嘲に唇を歪め、ルフィの応答を待たずに続ける。

 

「故郷を襲った悲劇は、そんなガキのおれの全てを奪い去った。なのにおれから何もかもを奪った奴らは、のうのうと幸福を謳歌している。……そんなのは不公平だと思った」

「不公平……」

「ああ。おれが常々、義理にこだわるのもその思いが根底にあるのかもな。たしかワノ国に、ぴったりな言葉があった……『因果応報』だったか。人はそれぞれの行いに応じた報いがもたらされるべきだと、ガキの頃のおれは信じてたんだ。あまりに徹底的に奪われたせいで、逆にそれこそが神聖不可侵、絶対の概念として、おれの一生に影響していたような気がする」

「いん…おーほー? ……??」

「……たとえばお前が人に頼まれて、畑を荒らす猪を倒したとする。『いい事』したお前は頼んだ相手に感謝されて、その猪肉で作ってもらった美味いメシを食えたっていう『いい事』がある。逆にお前がキッチンから盗み食いっていう『悪い事』したら、黒足屋に蹴られるっていう『悪い事』がある。分かるか?」

「おお、すげー分かるぞ!」

「因果応報ってのはそういう考え方だ。まァ現実には海賊なんかが『いい事』したところで、それを逆手に取られ自滅するのが関の山だがな……」

 

 ワノ国でルフィの起こした『事件』の一部を回想してため息をつきつつ、そこからさらに繋げる。

 

「ガキのおれにとっては、自分が絶対と定めた因果応報の考え方に沿わない現実、不公平な世界こそが『間違っている』ものだった。既におれが“愛”した優しく『正しい』ものは全て失われ、残ってるのは腐りきったゴミだけだ。そんな間違った世界は壊れるべきだ――同じく『間違って』生き残っちまったおれも諸共に」

「何言ってんだ、トラ男が生きてんのはなんも悪くねェぞ!!」

「両親、妹、友達……みんなみんな死んだのに、おれだけが生き残ってるのは『不公平』だし間違ってる。だからおれは自分ごと間違った世界を壊そうと考えて、ドンキホーテファミリーに――ドフラミンゴのもとへ身を寄せたんだ。……まあ、サバイバーズギルトも多分にあったと思うが」

「……鯖? なんだ?」

「サバイバーズギルト、生き残りの罪悪感だ。お前には――いや、何でもねェ」

 

 首を振って、言葉を切る。

 ルフィに大規模な災害や虐殺に巻き込まれた過去があるとは聞いた事がない。

 ただ頂上戦争でルフィが心身に傷を負った原因については、治療に必要になるかもしれない情報として、ローは手術後にジンベエから聴取していた。とは言えローも精神科は専門外なので、ジンベエの説得のみでルフィがおとなしくなってくれたのは幸いであったが。

 話によれば、ルフィの兄であるエースはルフィを庇って死んでいる。術後に目覚め、兄の姿を求めて自傷ともとれる暴れっぷりを見せた当時のルフィが、兄を犠牲に自分が生き残ってしまったという罪悪感に苦しんだのは想像するに容易い。

 今となっては乗り越えた古傷であっても、無遠慮にほじくり返すには気がひけて、ローは口を噤んだのだった。その傷跡を再度ぶち抜いたのが、ほかならぬロー自身の死であった事を脇に置いて。

 

「そんなワケで、故郷を失った後のおれには、自分が死ぬべき人間だっていう思いが常に心の片隅にあった。だけど、一度はそれを忘れて前向きに生きてみようと思えたんだ。あの人が、コラさんがおれに新しい“愛”をくれたから」

「トラ男の恩人の『大好きな人』だな!」

「ああ。ドフラミンゴのコピーになりかけてたおれは、コラさんのおかげで人の心を思い出せた。あの人に“愛”をもらって、おれもあの人に“愛”を返す……病で残り僅かな生であっても、そんな幸福な未来を想像できたんだ」

 

 なるべく感情的にならぬよう努めてはいたが、コラさんの事に言及するにあたってはやはり少々熱が入る。

 ローは目蓋を下ろして一息置き、冷静を保てている自分を確かめてから、改めてルフィと目を合わせた。

 

「だが、その“愛”もまた奪われた。……おれが、手を伸ばした途端に」

「……トラ男は、自分のせいだって思ってるのか」

「事実そうだ。おれがいなければ、コラさんはオペオペの実にこだわらなかったはずだ。いやそれ以前に、ドフラミンゴに疑われること自体なかった可能性もある。……おれがいなければ、コラさんは死なずに済んだのかもしれない」

「………」

「その思いが決定打だった。それからのおれは、もう二度と……生への期待を取り戻すことはなかった」

 

 場に沈黙が満ちる。

 全てを話し切ったと言うにはまだ足りないが、自分の内になおわだかまる感情をどう言葉にすればいいか、ローは逡巡していた。

 この夢の世界に存在するものは、果ての見えない海とサニー号と、ルフィとローの二人だけ。空に鳥が鳴く事もなければ、あるいは海中を泳ぐ魚すらいないのかもしれない。

 どことも知れぬ場所を目指して進む船が奏でる、波の音だけが響く中で、先に口を開いたのはルフィの方だった。

 

「コラさんが死んだ時のトラ男には、もう何も残ってなかったんだな」

「………」

「エースが死んだ時、おれにはまだ仲間がいた。でもトラ男には、誰もいなかったんだな」

 

 静かに落とされたのは、問いかけではなく純粋な思考の述懐である。

 ルフィとローは互いとも、自分が経験した喪失の過去を相手に重ね見ていたらしい。

 事実を告げられただけなのに、そこに憐憫の情を垣間見た気がして。にわかに沸き立った対抗心のまま、ローはすうっと息を吸い。

 

「――ドフラミンゴが、」

「……ミンゴが?」

「いや、……ああそうか、…そう、だったんだな。おれは、どこまでも身勝手にあいつを……」

 

 人生のダイジェストを、一つの物語として俯瞰する事でようやく見えたもの、気付いた事。

 帽子のつばを引き下げて、ローはかつての自分の矛盾を吐き捨てる。

 

「どうやら地獄で土下座しなきゃならねェ相手が増えちまった。あれほど義理にこだわってたおれ自身が、一番不義理だった」

「ん? どういうことだ?」

「おれにとって“愛”は命で人生で、生きる意味そのものだ。……本当は分かってたはずなんだ、故郷を失ったおれに最初に“愛”を与えたのが誰なのか。そいつに手を差し伸べられなければ、きっとそこでおれの人生はとうに終わってた。『愛してる』なんてストレートな言葉は無くたって、自分の『右腕』って将来図を渡してありとあらゆる生きる術を叩き込んでくれた時点で、それはおれの価値観に照らし合わせれば確かな“愛”だったはずなのに……!」

「……ミンゴも、トラ男の恩人だったんだな?」

「そうだ、なのにおれは目の前に分かりやすくぶら下げられた飴に飛び付いて、その代償にこれまで自分を包んでくれてた毛布を手放したことに気付かずに……毛布がいつまでもそこにあると思い込んだまま……」

「………」

「自分で捨てたくせに、いざドフラミンゴに『おれの為に死ねる様教育する』って言われてみたら、右腕にするって言ったのに、結局おれはただの捨て駒だったのか、なんて的外れな怒りを燃やして……。挙句の果てに『死んでいい理由』に仕立て上げて、あいつの手でおれを殺させようとした。あいつからしてみりゃ本当に、裏切りの上にやつあたりもいいところだったな……」

 

 一瞬激情に呑まれかけたローだが、ルフィの落ち着いた声に促されて平静に戻った。

 区切りのいいあたりまで話して、二、三度深呼吸する。

 

「……『死んでいい理由』って、なんだ?」

「コラさんを亡くして、おれは自分が誰かと“愛”を交わすことが相手の死を招くという恐怖に憑りつかれた。バカみてェな妄想だが、もともとあったサバイバーズギルトと併せて、それは強固な思い込みになっておれを縛った」

「けどトラ男にとっては、その“愛”が生きる意味だった、かァ……」

「そういうことだ。生きる意味を、見つけたそばからまた失うのに、この先どうして生きようと思う? むしろ相手を殺しちまうだけなら、おれはさっさと死んだ方がいい」

「………」

「だが……コラさんは自分の命を引き換えにして、おれが生きることを望んでくれた。おれが無為な自殺を選んだら、コラさんはただの犬死にになっちまう。それだけはしちゃならねェと思った……」

 

 両膝を抱え込むような姿勢で俯く。ところどころ詰まりながらも、話は止めずに。

 

「どうすれば死んでも許される? 考えた末におれは、『意義のある死に方をする』ことにした。それがコラさんの本懐を遂げるという目標であり、必ずおれを殺してくれるはずのドフラミンゴに相対する言い訳だった。『死に方を選ぶ』ためだけに、おれは十三年生き足掻いた……それだけやれば十分だろう?」

「………」

「ところがどっこい、ここで大誤算。ドフラミンゴはなかなかおれを殺さないし、終いにはお前に倒される始末だ。おれは結局生き延びちまった。こうなったら新しい『死に方』を考えなきゃならねェ」

「………」

「ドフラミンゴ以外にコラさんがこだわってたものがもう一つある。“D”――そう、おれやお前が血とともに継いできた名前だ。折良く現れた元海軍元帥のセンゴクは、コラさんにとって父親同然の相手だった。おれは奴に“D”について尋ねた」

 

 応答が無い事に若干の不安がよぎり、ローは帽子のつばの下からちらとルフィの様子を見やる。

 最悪寝ているのでは、と思った相手は真顔でローを凝視していた。バチリと物理的な音すら聞こえそうな視線の衝突に、狼狽したローは咄嗟に目を逸らしてしまった。

 けれどこれから話す一連の内容こそが、この男に対する最大の告解である。

 腹を決めてもう一度しっかりと顔を上げれば、変わらぬ黒い瞳がローの言葉を待っていた。

 

「……年の功ってやつか。センゴクはおれの、不穏な思惑を見抜いたみたいでな。“D”に関する質問には答えず、コラさんならきっと自由に生きろと言う、と念押ししてきた。『受けた愛に理由などつけるな』だとさ……奴なりの、息子と思う男の養い子に対する激励だったんだろう」

「………」

「だが、おれは……突き放されたと感じたんだ。何の標も無く、独りきりで大海に放り出されたようだった。コラさんの遺志を継ぐって名目で、おれはなくした“愛”にどうにか縋り付いて生きてきたのに。ドフラミンゴを倒しちまって、その目標は『殺してもらう』という真の望みごと失った。コラさんの代弁者とでも言うべき相手には、縋ること自体を否定された……。もうどうすればいいか、分からなかった」

 

 嘲りに歪む口角とあべこべに、眉は情けなく垂れているだろう表情を自覚する。

 乾いた喉に唾を飲み、続きを唇に乗せた。

 

「――そんな時に、おれの目の前にいたのがお前だった」

「……おれ?」

「頭ん中グチャグチャだった当時のおれにとって、お前は実に……この上なく、『都合の良い』相手に見えた。まず、死ぬつもりだったおれの内心はどうであれ、事実としてお前がドフラミンゴを倒しておれの命を繋いだ恩人だってことは揺るがない。加えてコラさんがこだわってた“D”でもあり、いずれは『間違った』世界を盛大に引っくり返してくれそうな期待まで持てるときた。そして……最も重要なのは、お前がいつ死にかけてもおかしくない無鉄砲な冒険野郎だって部分だ」

「まァな!」

「最後は褒めてねェぞ。……とにかく、命の恩がある、託せる願いもある。おれがお前に心酔したように装って、ついてったところで不自然に思われる要素は無ェ。その上で、おれには『不老手術』っていう、お前の死を肩代わりする手段があった」

「………」

「大義名分は揃ってた。ラフテルで、お前のピンチにおれは大手を振って自殺を敢行し、最高に意義のある『死に方』をした。おれは念願叶って万歳、お前の仲間や傘下の連中はお前が助かって万歳、みんな得して万々歳だ。――お前の気持ちを除いては」

「……んー……」

「分かるだろ、おれはお前を利用したんだ。お前の言った通り、勝手極まりない自己中野郎だよ。そのくせ今でも後悔なんて微塵も無い……我ながら救えねェな」

 

 これで話は終わりだと、深く吐息を落とす。下される審判の声を想像しながら、目蓋を閉じて。

 

「……なァトラ男、お前が話したいことって本当にこれで全部か?」

「………は、」

 

 想定外の返しに、思わず間抜けな声を漏らした。

 目をみはった先で、男が珍しく筋道立った弁舌を振るう。

 

「お前がなんで死にたかったのかとか、ミンゴを本当はどう思ってたかとかは今聞いたけどさー。お前が死にたがりだったのはゾロもブルックも気付いてたし、おれたちもお前が死んだ後で聞いたし」

「ゾロ屋と…ホネ屋が?」

「ウソつきってか、言ってることとやってることが結構違うのは、面白ェからみんな分かってて黙ってたし。おれのこと最悪とかついていけないとか言うくせに、何だかんだ絶対見捨てねェし毎回きっちり叱りに来たよな」

「……ッ、だからそれは、お前を利用するために!」

「利用する意味なんて無くなった、死んだ後まで、おれん中から説教とかアドバイスとか散々しといてか?」

「死んでからのことは消したから覚えてねェっつったろ! いい加減に――」

「トラ男。おれの目、見ろよ」

 

 俊敏に伸ばされた両手に頭を左右から挟まれて、微妙に反らしていた視線を強制的に正面へ固定される。

 吸い込まれそうな黒が、心の底にこびり付いた何もかも、一欠片残らずここでぶちまけろとばかりに促してくる。

 

 焦りと困惑に、思考はぐるぐる廻る。その中で次第に大きくなる声。

 ――伝えて、いいのだろうか?

 ……いや、本当はこれをこそ言いたかった。

 けれどそれは、前世の記憶をさらってもまるで根拠になるものが無くて。言ったところで、苦し紛れの言い訳にしか聞こえないだろう内容で。

 

「言えよ。トラ男」

「ッ――……おれ、は、」

 

 信じてもらえないのが怖い?

 なら考えろ。得意じゃないか。それらしい理屈を、相手を信じさせる論理を、即興で組み立てるのは。

 ずっとそうしてきた。人を丸め込んで、自分を騙して――

 

「トラ男」

 

 ――……だけど。…きっとこの男は、そんな虚飾などすぐに見抜くから。

 何よりも、自分が今。この心を、偽りたくはないから。

 

 震える唇を、開く。

 

「………おれは、お前を利用した。それは変わらない事実で、悪いとは思っても後悔はしてない」

「ん」

「そんなおれが、今更こんなこと言ったって虫のいい話で、何言ってんだって憤慨されるのが関の山だろうと思う。おれ自身、なんでそう思うのか明確な理由が分からない。だが、どんなに否定してみても、結局答えは同じなんだ」

 

 未だ頭を挟まれたままの、不格好な状態。せめてもの意思表示として、己の胸に手を置いた。

 目の前の男に捧げた、この心臓に誓って宣言する。

 

「麦わら屋。今おれは、お前のことをコラさんと同じくらい『大好き』だと思ってる。……この気持ちだけは、嘘じゃない」

 

 双方ともに真顔で見詰め合っていたのは、せいぜい数秒だ。

 やがてローを覗き込む瞳にキラキラと星が散り、かつて見慣れた太陽のような笑顔があらわれる。

 

「おう!! 知ってる!」

「……疑わないんだな」

「トラ男が忘れてもおれは覚えてるしな! お前の仲間とちゃんとお別れ言った後から、お前寝言多くなってさァ。おれが“聞こえる”だけだから話したりはできなかったけど、さっき言ったみてェに説教とか、宝のヒントとかよく喋ってたんだ」

「そうか……」

「そのうちそれが、おれがなんかやるたんびに喜んだり褒めたりになってよー。トラ男おれ大好きだな! ってすげーよく分かった! なんか最後の方もうロメ男みてェな感じで――」

「待てそれは言い過ぎじゃねェか!?」

 

 飛び出したとんでもない名前に、即座に撤回を要求する。

 さすがにアレと一緒くたにされるのは我慢ならなかった。もう添えられているだけの両手を叩き落として文句をまくし立てるが、相手は笑うだけで一向に聞き入れない。

 先ほどまでのなんだかしんみりした空気は、跡形もなく散逸していた。

 そうして生前お馴染みであった、ローの抗議をルフィが生返事で聞き流すという情景が展開された後。

 

「……もういい……そうだ、お前はこういう奴だった……」

「お、トラ男話終わったか?」

「聞いてなかったのかよ! …ああっクソ、分かっちまった。死んでからお前のやること喜んでたって話、死んでる自分はもう関係無ェって、お前を主人公にした芝居でも見てる気分でいたからだな!? 自分が横で巻き込まれてて、暢気に笑ってられるワケねェ!」

 

 納得いってしまう嫌な結論に辿り着き、されど長きに亘って培われた感情を一朝一夕に覆せるものでもなく。むしろ元となる記憶を不自然に消してしまったせいで、逆に動かせなくなった『大好き』という想いにローは頭を抱えた。

 そんなローの姿を見て、不老手術の件は完全に溜飲が下がったのかもしれない。なっはっはっは、と大口開けて笑ったルフィが、立って話を締めにかかる。

 

「おっし! これでお互い、言いたいこと全部言ったな!」

「ハァ……そうだな。おれはいいが、お前はどうなんだ。本当にもう、思い残すことは無ェか?」

「一発ぶん殴ったからいいや。みんなからの、トラ男叱ってこいって言われた分もこめたし!」

「……やっぱり感謝だけじゃなく文句もあったか」

 

 妙に褒め殺されるよりは、そちらの方がずっといい。

 そんな感想を抱いて肩をすくめつつ、ローも立ち上がった。

 そうして、ルフィの宣告を待つ。

 

「トラ男。おれ、そろそろ逝くな」

 

 予想に違わず、何の気負いも無い笑顔で告げられたその言葉に、平静を装った声で答える。

 

「ああ…その、……次の世でも、幸運を祈る」

 

 無意識にか伸ばしかけた手を、帽子を目深に直す仕草に変えて誤魔化した。

 馬鹿か、引き留めてどうするのだ。自分が『トラファルガー・ロー』のまま蘇ったのは、この男を送り出すためだというのに。

 ローから離れて芝生を歩いていったルフィが、こちらの僅かな心の揺れに気付いたように足を止める。

 振り返った男は大人の顔をして、遺されるローへの最大の置き土産を口にした。

 

「なあトラ男。お前一回死んで満足したんだからさ、今度の冒険はもっと自由に楽しめよ。ガキのおれだっておれだから、きっとお前に命やった代わりに何かしろなんて思ってねェよ」

「……『おれのぶんまでいきてくれ』とは言われたような気がするが」

「そりゃそーだ、『大好き』なやつには“幸せ”に生きてほしいからな!」

「……!」

 

 言外に、大人のルフィにもまた、ローを『大好き』であると言われて。

 ……ローを愛してくれたコラさんも、きっと同じくローに、自分の分まで“幸せ”に生きてほしいと願っただろう事を今更思って。

 何も言えなくなったローの視線の先で、やがてルフィの身体が内側から発光を始めた。

 まばゆく白い光は、見る間にルフィの全身を覆ってしまう。

 

「じゃあな、トラ男! 長生きしろよ!」

「……ッ、麦わら屋! おれは、――お前と、出会えてよかった!!」

 

 光の粒子になって分解されゆくルフィのシルエット。そこから掛けられた最後の声に、そう答えた。

 本当はもっと、一緒にいたい。今度こそ『大好き』な人と一緒に生きてゆきたい、けれど。

 それは、願ってはいけないから。

 だから過去形にする。この返事をもって、ルフィの旅立ちを見送る意思を示す。

 

 潤んでぼやけた視界の中で、次第に光の粒が少なくなっていく。

 ああ、これでお別れだ。あの光の粒が完全に消えたら、そこにはもう誰もいない――

 

 ………いな、い…る、……いる?

 

「………」

「……んん? ――あれ? なんでおれまだいるんだ?」

「なんで、はこっちの台詞だ……」

 

 二度とまみえぬと覚悟したはずが、何故かそうならなかった事で、一気に力が抜けた。

 ローはくずおれるように芝生に座り込んだ。

 ルフィは「おっかしーなー」と呟いては手を握ったり足を叩いたりしている。それから宙を見上げて考え込んでいたが、やがて何か思い出したらしく、ぽんと手を打った。

 

「あ! そういやおれ、あのふしぎ竜巻に飲まれた時に、トラ男のことぜってェ離すもんかって思ったんだ!」

「……ああ、ガキのお前の夢に流れ着く前な」

「だから、またおれとトラ男()()()()()()()()んだと思う!」

 

 結論を出してすっきりしたのか、ルフィは笑って頷いている。

 ローにとっては、色々と問題ありすぎて笑うどころではない。

 

「またくっつい……ッて、はあァァ!? おま、それ、ゾロ屋とホネ屋の二十年!!」

「いやー、やっちまったな! 多分これ、トラ男が普通に死ぬまでこのまんまだ!」

「ふっざけんな!! 返せ! 色々と返しやがれこの馬鹿野郎ォォ!!」

 

 ローは雑に目尻を拭って、自分でもぐちゃぐちゃな感情のままに叫ぶ。

 ……正直に言えば、安堵している。それ以上に歓喜している。求めてはならぬと自らに禁じた願いが、叶ってしまったのだから。

 

 けれどそれを目の前のお気楽野郎に言うのは、何だかとっても癪だったので。

 ローは無言でルフィに歩み寄り、もうゴムではなくなったその頬を、両手で思い切り外側へ引っ張ってやったのだった。

 

 



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『ロフィ』 (2019/5/4大幅改稿)

2019/5/4に全体の七割くらい書き直した……もう本当に修正これっきりにしたい……。
あと、作中の医療知識は適当なので信じないでください。


 

「――…ッ!! ハァッ! …ハッ、は…!」

 

 衝撃に、カッと目を見開く。叫ぶ声はかすれてどこにも届かない。

 口は意識が覚醒する前から既に開いていたようで、苦鳴と唾液をだらだらとこぼしていた。

 溺れた人間のように、大きく喘いで酸素を取り入れる。合間に何か喋ろうとするが、舌が鈍って呂律が回らない。

 

「…ハッ! ハァッ……クソ、やべェ…ッ!」

 

 前例からすれば飛び起きてもおかしくない強烈な目覚めであったが、そこまで身体を動かす体力も無かったか。

 ベッドから転がり落ちるようにして床へ下りたローは、そのまま這って扉の前まで来た。どうにか腕を伸ばして取っ手を掴み、開いた隙間に身を滑り込ませる。廊下に出てからは壁を支えにして、震える足で一歩ずつ前へと進んでいく。

 

 言うまでもなく、体調は最悪だ。動悸、冷や汗、頭痛に眩暈。早く処置をしなければ、昏倒する恐れもある。そして医者のいないこの村で、自分以外に正しい治療法を知る人間はいない。

 昨夜は難なく辿りつけた食堂が遠い。おそらく“薬”はそこにあるのに。

 それでも入り口まであと数歩という所へ来て、焦りから足をすべらせて前のめりに倒れる。手をつこうとしたが、身体が言う事を聞かず、べしゃりと顔面を打ちつけた。

 

「……ッ!」

「なんじゃ…――! ルフィ!?」

 

 不本意ながら無様な転び方が功を奏して、物音を気にした人物が廊下へ顔を出す。

 台所を出てこちらへ駆け寄ってきたのは、スラップだ。

 スラップは倒れ伏したままのローを抱き起こし、その明らかに異常な様子に狼狽える。

 

「ルフィ! こ、これは一体どうしたことじゃ! お前、治ったんじゃなかったのか!?」

「……ハァ、……ッぉう、…さとう、……くれ、…」

「なんじゃと!? もう一回言ってくれ!」

「――砂糖ッ! …くれ!!」

 

 残りの体力を振り絞って叫べば、通じたようでスラップは「砂糖じゃな!?」と聞き返す。

 もう声を出すのも辛いローが僅かに頷く仕草で答えると、まだ混乱を脱していないらしいスラップは、ローを両手で抱え上げて食堂へと飛び込んだ。急な浮遊感にさらに気分が悪くなるローだが、辛うじて吐き気を抑え込む。

 

 食堂の長テーブルの中央には、昨夜ちらと見た通り、ほかの調味料とともに砂糖壺が置かれていた。

 壺を取ろうとしたスラップは両腕が塞がっている事を思い出し、あたふたと壺とローの間で視線を彷徨わせる。結局テーブルの上にローを下ろして、その目の前に壺を移動させておきながら、付属の匙は自分が握るというちぐはぐな対応になっていた。

 

「ルフィ! 砂糖じゃぞ!」

「…ハァッ……その、…匙に、三杯……ッ」

 

 差し出された震える手のひらに、スラップは匙ですくった砂糖を指示通り三杯落とした。

 ローはこぼさぬように慎重に手を引き戻し、その中身を数回に分けて少しずつ口中へと流し込む。手に貼り付いた分を除いて全てを飲み込み終わると、ようやく一息つけるとばかりに力を抜いて横たわった。

 

「ルフィ、もう大丈夫なのか!?」

「ハァ…――ああ、……あとは、十分くらい……ハァ、…休む」

「分かった……わしがついておるから、何かあれば言うんじゃぞ!」

「……ッは、…悪い、な……」

 

 その謝罪は、単純に手間を掛けさせた事だけに対するものではない。

 異様に衰弱した今のローを見て、スラップは連想したに違いない。昨夜自分の目の前で死の床に就いていた、本当のモンキー・D・ルフィの哀れな姿を。

 ルフィではないと分かっているはずなのに、先ほどからローをルフィルフィと連呼するのもそのためだろう。ローはスラップの、未だ癒えぬ心の傷を抉ってしまったのだ。

 ここにガープがいない事が、まだしも幸いだ。この上ガープまでもが一緒に騒ぎ出したら、収拾がつかないところだった。

 気鬱を散らすようにゆるく首を振り、壁にかかった時計を見上げる。時刻は朝の九時をまわっていた。

 

 処置はしたものの、回復を実感できるまでは念の為意識を落とさずにいたい。

 こちらの容体を一瞬たりとも見逃さぬとばかりに見つめているスラップの視線に居たたまれなくなりながら、ローは思考を保つため、こうなった原因である夢の世界での出来事を回想した。

 

 

   --------------------

 

 

「そんで、トラ男はこれから何したい?」

「この流れで聞くかお前。……まだそんなの考えてねェよ」

 

 ゴムのようには伸びなかったせいでヒリヒリと赤くなった頬をさすりつつ、ルフィは気軽な調子で訊ねてきた。

 しかしつい今しがた、ようやく前世の自身の在り方に結論を出したローは、今生の展望など未だ全くの白紙である。

 

「まァとりあえず、お前のアドバイス通り“自由”に生きるのを目標にしてみるか」

「んん? それって、目標になんのか?」

「もちろんだ。前世のおれが満足してた『選択の自由』じゃなく、お前流の真の“自由”を手にするためには、結構な障害がある。今一番ヤバいのはお前のじいさんだ。アレでも海兵だろ、上におれがオペオペの能力者だってことを報告されたら、おれの未来は政府に飼い殺される一択だな」

「じいちゃんは頼めば黙っててくれると思うけどなー。エースをずっと隠してたのだってじいちゃんだぞ? ……あ、でも『海兵になれ!』って言ってくるかもしんねェ」

 

 腕組みして、首を傾げつつルフィが指摘する。

 それに納得して「なるほど」と呟いたローは、この場で方向性を決めておく必要を理解した。

 朝になれば、夢から覚めてまたガープと話し合わねばならない。その際に武器となるのは、実の孫たるルフィから得た情報だ。

 

「もっと詳しく聞きたい。そうだな……ガープの人柄はどんな感じだ?」

「えぇー…うーん、……すげェメチャクチャする。ガキの頃、修行だっつっておれ何回も殺されかけたし」

「確かにここの小せェお前は死んだな……おい、本当にあいつ信じて大丈夫なのか」

「政府に告げ口って心配だけは無ェよ。じいちゃんもトラ男のこと『いい奴』だと思ったみてェだし。……でも、じいちゃんに強くなりたいとか、海賊になるとかは絶対言わねェ方がいいぞ! 風船くくりつけて飛ばされたり、底の見えねェ谷に突き落とされたりすっからな!」

「経験談が酷すぎる」

 

 若干顔色を悪くして訴えるルフィにとって、祖父は未だ恐るべき相手のようだ。

 ひとまず該当のNGワードを踏む可能性は低いし、最低限の保証だけは期待できると分かっただけで御の字だろうか。

 

「基本的にはお前と似たような傍若無人の脳筋と捉えればいいか。一度信用されればこっちのものとして、一発勝負だな……」

「おれじいちゃんほど酷くねェよ!?」

「そういうことにしといてやる。で、次だ。根本的なところで、ここが何なのかという疑問」

「ここはトラ男の夢ん中だろ?」

「……正確に言うと、夢という半霊的領域に構築されたおれの精神世界だな。オペオペの能力によるものだ。だが今指してるのはそれじゃない。夢から覚めた後の、今のおれにとっての『現実』世界について考えたい」

 

 しばらく夢の中に居座る事を決めたローは、フォアマストの根元に設置されたベンチに座る。

 ルフィも積極的に相談に乗る気があるらしく、ローと対面する位置の丸い芝生ベンチに腰を落ち着けた。

 

「現実世界なァ。別に普通っぽいけど、トラ男は何が分かんねェんだ?」

「お前が二人いる時点で普通じゃねェんだよ……」

 

 帽子を押さえ、“新世界”のなんでもありに慣れた海賊はこれだから、とこぼす。

 ローにしてみれば、現状は空想小説の類のフィクションでしか見た事のない状況だ。いわゆるタイムリープだとか、パラレルワールドだとかそのあたりの話になってくる。

 

「これがおれの長い妄想だって可能性は、もう切る。たとえ妄想だとしても、こうまでリアルな感覚とこの先も続く時間がある以上、現実として付き合っていくしかねェ」

 

 体感的にはさほど前でもない、潜水艦が大破して、気付いたらただ暗闇の中に浮かんでいた時の事を思いだす。今も結局はあの時の延長で、目の前のルフィも、孫を海に突き落とした海兵も、己の妄想――

 ……いや、やはり妄想はない。

 あの爺の理解不能の行動様式が、自分の想像力で作られたものだとはローは思いたくなかった。

 

「さらに言うなら、過去にタイムスリップしたって可能性も無しだろう。……麦わら屋、お前はおれか?」

「? おれはおれだぞ!」

「安心したぜ、肯定されたらおれが憤死するところだ。……つまりこの世界と、おれたちが経験してきた『前世』は、現時点で既に連動していない。よく似てはいても別の世界ってことだな」

「じいちゃんはいるけど、おれのじいちゃんじゃねェってことか」

「ああ。だがお前が違和感を感じないほど似ているとなると、完全な異世界というよりも、それこそ蝶が一匹羽ばたいたか否かくらいの微細な違いをもとにした『並行世界』って感じか。実にファンタジーな話だ、真面目に考察するのがあほらしくなってくる」

「今んとこおれが死んでる以外に、おれの覚えてる昔のことと違ってるとこは無いぞ。トラ男が寝かされてんのはガキの頃のおれの部屋だったし、じいちゃんも村長もおんなじだ。村の奴らの顔はまだ見てねェから分かんねェけど」

「情報が足りないな……そういう意味でも、“海軍の英雄”であるガープはうまく味方にしたい」

 

 この世界は、ローとルフィがかつて生きた『前世』の並行世界である。

 現状の理解からすれば、それを前提として動いてゆくべきだろう。

 しかしたとえ元は僅かな違いであったとしても、バタフライエフェクトなんて言葉が作り出されたように、世界全体に影響を及ぼす何かが変化しているという可能性はある。あまりに前世の知識のみを過信するのは禁物だ。

 

「とは言え、お前の部屋のレイアウトとかって些細な部分まで一致してるんなら、前世であったもっと大きな出来事は、同じように起こるんじゃねェのか。……ん? ちょっと待て、お前なんで現実世界の様子が分かるんだ」

「おおそれな! トラ男があっちで目ェ覚ましたらここ夜になって、おれ船ん中に閉じ込められるんだけどよー。バーの水槽に、お前の見たり聞いたりしてることが映るんだ!」

「ああ、それでか……」

 

 ローがぶん殴られる切っ掛けとなった失言を知られていたのは、そういう訳だったようだ。

 閉じ込められる、というのは、現在霊魂のみの存在であるルフィが、物理的領域から遮断されるためだろう。

 夢は霊的領域と物理的領域の境目であり、そこではルフィは自由に動き回れる。だが夢が覚めてしまえば境目は閉じられ、本来存在すべき霊的領域へ戻らざるをえなくなるという事だ。

 

「あ、トラ男は船ん中入るなよ! なんかやべェことになる気するぞ!」

「お前の直感は本当に優秀だな……分かってる、船の中は完全な霊的領域だ。そして霊的領域における存在の強さは、“(ソウル)の格”から言ってお前の方が上。おれが入ったら、たぶんお前に現実の肉体の操作権を奪われる形になる。お前の意思に関係なく、な」

 

 曖昧な感想に対して説明を付け加えてやると、意味を理解したらしいルフィは真顔で訴える。

 

「絶対入るなよ! 絶対だ!!」

「……『死にたがり』はさっき卒業した、大丈夫だ」

 

 片手を翻して見せつつ、苦笑う。このあたりの信用が低いのは、自業自得なので仕方ない。

 

「話を戻そう。前世であった大きな出来事は、この世界でも起こる可能性が高い。出来る限り思い出しておきたいが、さて問題だ。今のおれは前世の記憶の大部分を圧縮しちまってて、ガキの頃の世界情勢なんてほとんど覚えてねェ」

「それって思い出さないとダメなのか?」

「さっきも言ったが、ガープを確実に味方につけたいんだ。何せ小せェお前の体におれと大人のお前の霊魂が乗って“D”三人分だからな。お前の知らない、新しい事件に巻き込まれたっておかしくねェ。少なくともガキの間は、事情を理解した上で隠してくれる、力ある庇護者が欲しい。そのための交渉材料は、多い方がいいだろう」

 

 そう、現在ローが問題としているのは世界の在り様を含め、結局のところはここに終始する。

 前世においての実績ではあるが、やはりガープが『海賊王の息子』を独り立ちまで世間から隠しきったというのは大きい。そして積極的な擁護を期待するのであれば、まずこちらがどれほどの“爆弾”であるのかを理解してもらう必要がある。オペオペの実の能力者、と言うだけでは不足かもしれないのだ。

 

 保身を前面に出した論理を展開すれば、視線の圧力はゆるめられた。

 芝生ベンチに深く座り直したルフィが、さらに意見を重ねる。

 

「うーん……じいちゃんそこまで気にしねェと思うけどなァ。でもま、トラ男がやりたいようにやりゃいいさ。そのガキの頃の記憶ってのを思い出すには、どうするんだ?」

「圧縮記憶の解凍自体は、特に条件があるわけでもない。おれが望めばいつでも可能だ。ただ、解凍された記憶の量は膨大になる。四歳児のお前の脳には、相当な負荷がかかるはずだ」

「?? どうなるんだ?」

「低血糖の症状が出やすくなる。加えて精神面でも……少しまずいかもしれねェ。解凍した記憶には、その当時の生々しい感情がついてくるからな……。最悪また『死にたがり』が復活だ」

「さっき卒業したって言ったじゃねェか!」

 

 瞬間沸騰して拳をベンチに叩き付けるルフィに、「まァおそらくそうはならない」と嘯く。

 そうはならない――正しくは、そうなっても大丈夫、だ。

 前世のローが死に魅入られていたのは、自分には生きて『大好き』な人と“愛”を交わす事ができないという絶望ゆえだった。

 しかしローの『大好き』な相手は今、ここにいる。……生きてはいないが。

 生きてはいないが眠ればいつでも話ができるし、相手曰くローが普通に死ぬまで離れる事はないらしい。自分が生きている限り決して失われぬ“愛”を、ローは手に入れたのだ。

 ルフィの存在を思い出すだけで、ローは希望を見出せる。なのにどうして死ぬ必要があろうか?

 

「万一ヤバそうだったら、目を合わせて呼び掛けてみてくれ。それで戻ってこれると思う」

「うー……! ダメだったらまたぶん殴るからな!?」

 

 あくまでも決行するという態度のローに、ルフィは獣のように唸りつつも抗議を引き下げた。

 ローは「そりゃ怖い」と肩をすくめて見せた後、立ち上がって芝生甲板を左舷側へと歩く。ベンチから少し離れたところで、くるりとルフィを振り返って能力を展開した。

 

「“ROOM”――“メス”」

 

 青い膜が広がると同時、掲げた右腕の先。親指から三指を側頭部へと当て、トン、と軽く叩く。

 すると頭の逆側から飛び出したビー玉のような球体を、ローは危なげなく左手でキャッチした。

 

「お? なんだそれ?」

「圧縮記憶だ。こいつには、故郷を滅ぼされてからコラさんを亡くした時までの三年分が詰まってる。必要なところだけ選んで取り出せればいいんだが、調節が難しくてな……」

 

 よりによってそこか、と自分でも思わなくもないものの、欲しい情報がだいたいその期間に習得した分なのだから仕方ない。故郷で平和に暮らしていた頃は、政治になど興味が無かったし、両親も無理に覚えさせようとはしなかったのだ。

 ドフラミンゴはその点、執拗なほどに教育熱心であった。文武ともに、あらゆる分野で自身と同等の教養を、いずれ己の右腕と定めたローに求めたのである。

 ローはファミリーで得た知識の多くを、四歳児の脳に収まりきらないとして捨て去った。けれどローの人格の形成に欠かせない人物、ドフラミンゴと直接関わった時の記憶については、消す事ができなかった。

 まさに今その部分が必要になるとは、何が幸いするか分からないものである。

 

「政治、経済、世界情勢……そのあたりの知識は、ドフラミンゴが手ずから懇切丁寧に叩き込んでくれたよ。ファミリーのボスってのはそんなに暇な仕事じゃなかったはずなんだがな」

「ミンゴもトラ男を好きだったんじゃねェか?」

「そりゃねェな。あいつは確かにおれにあらゆるものを与えたが、それはおれを道具として磨き上げるためだ。おれにとっては命の恩であり“愛”であっても、あいつにとってはペットにエサをくれてやったに過ぎねェよ」

 

 ローとて自分の『愛情至上主義』めいた価値観が普通ではない事は理解しているし、他人に押し付けるつもりは無い。

 一般常識に照らし合わせれば――そしてきっとドフラミンゴ自身にとっても、ドフラミンゴがローに与えたものは“愛”ではないのだろう。

 

 自嘲とともに吐き捨てて、ローは摘まんだ圧縮記憶の球を目線上に掲げた。

 球はちかちかと明滅すると、前方の芝生へと指向性のある光を投げかけた。ローとルフィの間に落ちた、スポットライトのような丸い光の円の上に、モノクロの人物像が立体的に投影されて動き出す。

 それは机に向かって書き物をする、幼き日のローの姿だった。

 

「これトラ男か?」

「そうだ。……お前は見ててもヒマだろうし、適当にしていいぞ」

 

 立体映像には色彩だけでなく、音も付いていない。無秩序な記憶の氾濫を避けるため、情報量を制限しているのだ。見ていて特に面白いものでもないだろう。

 しかしルフィはその場に留まっている。そして、余計な事にも気付く。

 

「トラ男、誰かに抱っこされてんのか? これミンゴじゃねェ?」

「おぞましい表現をするな。……あいつの『授業』は大体あいつの部屋でやってたから、机も椅子もおれに合ったサイズじゃなかったんだ。そうしたらあいつ、自分が椅子に座ってその膝の上におれを乗せやがって……ッ」

 

 当時のローは珀鉛病のせいで、同年代の子供と比べても発育が悪かった。ドフラミンゴはローが背の低さを気にしているのを分かった上で、こうした自身との体格の差を強調するような言動を取る事がままあった。

 まったく腹が立つ、と映像を見ている側のローは舌打ちしたが、ルフィからの視線が生温かいものに変わった気がして居たたまれない心地にさせられた。

 そこにとどめを刺すがごとく、机上に置かれていたドフラミンゴの手が幼いローの頭を撫でる。

 幼いローは威嚇するように何か早口でまくしたてたが、ドフラミンゴになんと返されたのか、勢いはすぐにしぼんで。勉強の続きに戻る前のほんの一瞬、その口元が微かな笑みを象って……。

 

「………」

 

 映像を進めるうちに、かつて学んだ内容が現在のローの頭に蘇ってくる。

 あわせて、その当時感じていた想いもまた、少なからずローの心を騒がせていた。

 映像の中では幼いローが、参考書の一節を指さして質問している。ドフラミンゴの顔は映る範囲外にあって見えないものの、身体が揺れているのであの特徴的な笑い方をしているのだろう。

 かつてのローはドフラミンゴに、その海賊らしからぬ知識と教養に、憧れさえ抱いていた。

 ……もしも、この日々が続いていたなら。

 自分がファミリーを出奔せずに、何らかの手段で病を克服できていたなら、あるいは――

 

 そんな空想に囚われかけた時、映像の視点が手前に引いて、部屋の全体像が映し出される。

 幼いローを膝に乗せたままのドフラミンゴが、奥の扉の方へと顔を向けた。誰か訪ねてきたのかもしれない。ドフラミンゴが短く応答すると、勢いよく扉が開かれた。

 はたして、そこに立っていたのは。

 

「……あ…」

 

 部屋の主のために誂えられた扉よりはやや低い、それでも規格外の長身。ふわふわとした羽根のコートはドフラミンゴのものと色違いで、彼ら二人の関係性を如実に示している。

 どんな表情だろうと笑みにしか見えない口周りの化粧は、まるで道化師だ。

 愉快そうに肩を揺らすドフラミンゴに話し掛けられて、相手は無言で頷いた。

 

 ドフラミンゴが体勢を変えたので勉強を中断させられた幼いローは、不機嫌に訪問者を睨む。すると訪問者の注目が、ドフラミンゴからその膝の上のローへと移された。

 兄とは違いもっさりとした前髪の下から、感情の窺えぬ視線がローを貫く。

 モノクロの世界で黒く塗り潰されていたその瞳が、――不意に、鮮やかな赤に染まって……。

 

「う、ぁ……ッ」

「トラ男!?」

 

 立体映像が、ノイズとともに消える。

 記憶の球を掲げるローの手が、痙攣を起こしたように震えていた。

 手だけではない。息は乱れ、顔色も徐々に青ざめつつある。芝生の上に投影された映像を見ていたはずの目は、ここに無い別の何かを見るように茫洋としていた。

 

 明らかな異常に、顔を険しくしたルフィが駆け寄ってくる。

 けれどローはそれを認識できない。過去と現在の間で心が迷子になっていた。

 先ほど得た前世の生き方に対する解が、過去の感情とぶつかって新たな不安を生じさせている。

 

 コラさんを失って死に魅入られたローは、『死んでいい理由』として、コラさんの本懐に殉じるという道を選んだ。

 コラさんがローの生を願ってくれたと知っていながら、その想いを裏切って。

 ならばローの、コラさんに対する“愛”とは何だったのだ? 結局は自分の我儘を通すための、ていの良い言い訳でしかなかったのではないか?

 もともとローは、自分に様々なものを与えてくれたドフラミンゴの方にこそ懐いていた。

 そこから無理矢理引き離されて、病院を巡りただ絶望を重ねながら、頼れるのは自分を攫った相手のみという状況。

 これは精神医学で言う、ストレス障害の一種ではないのか? 誘拐事件の被害者が生存戦略として犯人との間に心理的な繋がりを築くという例が、事件の発生した都市の名を冠し、正式な疾患として認定されていたはずだ。

 ローもそうだったのではないか?

 ローの、コラさんへの“愛”と思っていたものは――

 

「……違う!! おれは、おれはコラさんを…!」

「しっかりしろ、トラ男!!」

 

 矛盾。不安。欺瞞。不信。もう何が本当だったのか分からない。

 名を呼ばれている気もするが、飛び散る思考を追うだけで応える余裕も無い。

 

 取り落とした記憶の球が、芝生を転がってローの爪先に当たった。

 その感触を頼りに現在を手繰り寄せようと、どうにか視線を定める。

 見下ろす先で、透明だったはずの球が内部から赤く濁っていく。

 やがて血の色に染まりきった球が、破滅的な音とともに亀裂を走らせて。

 

「トラ男、おれを見ろ!!」

 

 ぐいと誰かに肩を引き寄せられるのと、球が割れるのは同時だった。

 広がる鮮紅色の光が、全てを飲み込んだ。

 次第に冷えた血液のように茶褐色へと変わりゆく視界の中、ローの意識は沈んでいった――。

 

 

 

 ――嫌だコラさん! 約束したじゃないか! おれと二人で世界を敵に回して生きると!

 

   ――やめてくれ!! どうしてお前がコラさんを殺すんだ、ドフラミンゴ!

 

 死なないでくれ!! どうか、お願いだから……!

 

   ――実の弟なんだろう!? 誰よりお前がコラさんを愛してたはずなのに!

 

 誰でもいい、この人を助けてくれ! おれはどうなったって構わない。 誰か、誰か……!

 

   ――おれがお前に弟殺しをさせたのか? おれがいなければ、コラさんは、お前は――

 

 ……気が付けば、ローは無我夢中で叫んでいた。暗い箱の中、決して外へは届かぬ声で、届いたところで絶対に叶わぬ願いを。

 ローの手足は幼く細く、箱を内側から叩き続ける拳のすぐ下からは、白い痣が肌を染めている。薄汚れた帽子と毛布に身を包み、ただ泣き叫ぶ事しかできぬローは、死病に侵された十三歳の無力な少年だった。

 

 訪れる事の無いと知っている救いを求めて、伸ばした手の先。

 ……不意に軽くなった箱の蓋。

 ああ、もう終わってしまったのか。致命傷を受けたコラさんを放置し、ファミリーの誰かが宝箱を運び出そうとしているのか。

 外へ聞こえぬとわかっているから、いやたとえ聞こえてしまうとしても、喉の奥から無意味な叫びが上がり続けるのは止まらない。

 

 だがここで、予期せぬ事が起こる。箱が外側から僅かに開かれ、隙間を縫った光が射し込んだ。

 見つかってしまうのか。コラさんの命懸けで為した事が、無駄になってしまうのか。

 ……いや違う、こんなのは自分の記憶に無い。こんな展開、有り得るはずがない。

 思わず叫ぶのも忘れ、呆然と見守る視線の先。完全に開かれた宝箱、四角く切り取られた曇天を背景にひょっこりとこちらを覗き込んできたのは――

 

「おっ。なんだトラ男、こんなとこにいたのか! 探しちまったぞ!」

 

 頬を膨らませて抗議する、子供っぽい仕草。左目の下の雑な縫合痕。

 ここに存在するはずのないその男は、馬鹿みたいに口を半開きにしているローに構わず、子供の軽い身体の両脇に手を入れて掴み上げた。無造作に宝箱の外へ降ろされたローは、はっとして周囲を見回す。

 少し離れたところに、仰向けに倒れているコラさんがいた。その口からはまだ白い吐息が冬空へと散っていて、かの人の生存をローに知らしめている。傷の程度は寄ってみなければ分からない。しかしよく思い返すと、直前の銃声は覚えている数よりも随分と少なかったような気がする。

 別の方向へと視界を切り替えれば、累々たるドンキホーテファミリー幹部たちの屍。……いやこの男は殺しはしないから、一応生きてはいるだろう。全員、このまま小一時間は起きられないだろうが。

 

「えーん! えぇーーーーん!! 若様ーーー!!」

「若様がやられるなんて、ウソだすやん!! 若様、若様ー!!」

 

 子供の泣き声がする方を見やる。

 幼いベビー5とバッファローが取り縋るのは、顎を腫らして完全にノビているドフラミンゴ。この頃はまだ生え際が危なくなかった、などと物凄くどうでもいい感想が出てくる。

 最後に首をめぐらせて見上げた先には、腰に手を置いて「トラ男(なかま)がミンゴに泣かされた気がしたからぶん殴っといた!」と昂然と宣言する男。

 麦わら帽子はもう無い。けれどローがこの男を呼ぶ名は、やはりこれしかあるまい。

 

「――麦わら屋ッ!!!!」

 

 声が、出た。厚みを増した、大人の男の声だ。

 気付いて自分の身体を確認する。目の前に掲げた左手首にもう白い痣は無い。

 視点が未だ低いのは、自分が地べたに座り込んでいるからだ。自分と違って先ほどとまるで変わらぬ姿でいる男の背後、鉛色の空の下で“鳥カゴ”の糸が溶けるように消えゆく。

 

 目に映る風景は、あの雪降りしきる冬島ではない。瓦礫積み重なる、この地はドレスローザ。

 若きドフラミンゴも、そのファミリーも、もういない。

 ――命の尽きるその時まで、ローのために能力を発動し続けたコラさんも。

 

 威風堂々、ただ一人その場に立つのは、この時から僅か一年余りにて海賊王の称号を得た男。

 空からみるみるうちに雲が去ってゆく。男の笑顔に似つかわしい、冴え渡る蒼穹と陽光が世界を満たした。

 

「……ああ……」

 

 漏れた声は、ただ深い感嘆を表す。

 事実と些かの相違はあれど、目の前に再現されたのは少年期に勝るとも劣らぬ、ローにとって最も重要な記憶の一つ。

 そうだ。“鳥カゴ”の解けたこの空を見た時、最初に覚えたのは心を震わす最大級の達成感。

 決して、死ねなかったという落胆ではなかった……!

 

 ローは確かに壊れていた。コラさんが死んだ時から、死に魅入られ続けていた。

 けれど。たとえ誰に、理解できぬ狂人と罵られようとも。

 それでも、コラさんのために何かをしたいと思った幼い自分の願いは、本物だったのだ。

 そして本物だったのは……その悲願を手助けしてくれた男に対して抱いた、感謝の念もまた。

 

 ローの(めしい)は取り除かれた。

 この男、『モンキー・D・ルフィ』が、いつだってローを導くのだ。

 

「………麦わら屋」

「おう! なんだトラ男!」

 

 万感の想いを込めて名を呼べば、ルフィは当たり前のように応えてくれる。

 

「――ありがとう」

「? 何がだ?」

「色々とな。……大丈夫だ。お前がいるなら、おれはおれであっていいと思える」

「うん? 分かんねェけど、まーいっか」

 

 首を捻りつつも深く突っ込んでこないのは、それがローにとって憂いをもたらす内容ではないと直感的に察しているがゆえだろう。

 そんなルフィを見つめて、湧き上がる感情のままに笑みを浮かべたローは、一拍後にはその顔を引っ込めて仕切り直す。

 

「……さて、勢い余って予定外の記憶まで引っ張り出しちまったが……仕方ねェ。全くの無駄ってわけでも無いし、必要経費として割り切ることにする」

「大丈夫なのか?」

「もともと成長に伴って圧縮記憶は少しずつ解凍していくつもりだったんだ。だから面倒なロックは掛けてないし、何かの切っ掛けで不意に溢れ出るって事態も検討はしてた。その分の最低限の余裕は脳内に確保してある…――ん? 鬼哭?」

 

 ふとデニムのポケットのあたりでざわつく気配を感じ、覚えのある状況にすぐさま名を呼んだ。

 ポケットにはまたメスに擬態した鬼哭が入っていた。

 鬼哭は再び生を得たローから(ソウル)を吸えるようになったが、現世に本体となる刀が無ければ役立たずだからと、夢の中ですら実体を持つのを遠慮しているようだ。どうしても必要な場合に限り、(ソウル)の消費を抑える小さな刃物の姿を自ら選んでこうして現れる。

 そして、鬼哭が伝えてきた非常事態にローは表情を無くした。

 

「マズい、現実の体が死にかけてやがる」

「えッ! でも手術は成功したんだろ!?」

「硬膜外血腫の方は完全に治した! そっちじゃなくて、低血糖の症状が普通なら有り得ないペースで進行してるんだ。ガキの頃に加えてのドレスローザ、こいつの記憶量が当初の想定を上回った……まだ致命的じゃねェが、脳への負荷が危険域に突っ込んでる!」

「よく分かんねェ! つまりどうすりゃいいんだ!」

「とにかく今すぐ目を覚ます! コラさんのこととなれば冷静でいられねェおれ自身をもっと考慮すべきだった……!」

「よし分かった! トラ男、今度こそ歯ァ食いしばっとけよ!」

「ちょっ待て、お前何する気だ――」

「待たねェ! トラ男、起っきろーーー!!」

 

 

   --------------------

 

 

 ――そうして、やっぱりブッ飛ばされて現実で目覚め、今に至る。

 あいつはいい加減、ぶん殴る以外の解決方法を学ぶべきだ。ローは遠い目をしつつそう思った。

 

 長々と回想していたおかげで、糖分を摂取してから既に十分。

 低血糖を由来とする諸症状は、劇的に回復している。頭だけ、強い痛みは引いたが未だやや熱を持っているのが分かった。解凍してしまった記憶の整理のため、負荷が掛かった状態は今しばらく続くようだ。

 

 ローは自分の想定が甘かった事を認めざるをえなかった。これが自分以外の患者に対しての処置であれば、明らかな医療ミスだ。

 もともとルフィが来世へ去るまでの繋ぎと割り切り、その後の自らの生き方などまともに考えていなかったツケが回ってきたのだ。

 

 四歳児の小さな脳に収めるため、幾つもに分割、圧縮してしまい込んだ前世の記憶の詳細。

 今回解凍したのは、そんな複数の圧縮記憶のうちの一つに過ぎない。単体ならば問題ないはずであったが、実際はそれに関連した別分野の記憶まで連鎖的に解放されてしまった。

 もし今後、何かの折にうっかりほかの圧縮記憶を開いてしまった場合、次こそ脳に重大な障害が出る恐れもある。この問題については早いうちに対応を行わなければならないだろう。

 

 考え込むローだったが、不意にぴくりと肩を揺らし、テーブル上に仰臥していた身体を起こす。

 本人の宣言通り傍らでずっと様子を見ていたスラップが、すかさずその背中を支えにまわる。

 

「ルフィ、気分はどうじゃ?」

「ああ、もう問題無い。ガキにはよくある、低血糖だ。世話を掛けたな」

 

 ローは食堂の入り口を見やる。近づいてくるのは、この家に住んでいるのであろう、昨夜は眠っていたほかの人間の気配だ。

 ローが動かずその場で待っていると、やがて廊下から気配の主がのっそりと姿を見せた。

 中年の男だ。さして脅威を感じないので、一般人であると思われる。

 男はローの姿を認めると、途端に腹立たしげに顔を歪めた。そして足音高く近寄ってきて、やおらローの胸ぐらを掴んで吊り上げる。

 ローを支えていたスラップは、男の暴挙が予想外であったのか呆けたように口を開け、我に返ると猛然と抗議の叫びを発した。

 

「!! な、何をするんじゃピック、離さんか! ルフィはまだ病み上がりだと言うのに!!」

「躾だよ! 親父はこのガキに甘すぎるんだ! そんな汚れた格好で、お客様も使うテーブルに上がりやがって……具合が悪いってんなら大人しく部屋で寝てろ!」

 

 当然、体調の回復したローはその気になれば捕まる前に普通に逃げる事もできた。相手の出方を見るためにあえて逆らわなかったが、吊られただけで床に叩き付けられるでもなし、思ったよりも穏当な対応だ。

 ピックと呼ばれたこの中年男、スラップの息子らしいが、幼きルフィに何か含むところがあったのだろうか。

 スラップは村の大人たちが皆ルフィの親のようなものと言っていたが、少々誇張されているのかもしれない。

 

「客、か。この家は飯屋か何かなのか?」

「宿屋だ! いつも閑古鳥だなんてお前に言われなくても分かってるよ、まったく嫌なガキめ!」

「ピック!! そういう言い方はするなと常々注意しておるだろう! だいたいルフィは記憶喪失だと、わしは伝えたはずじゃ!」

 

 スラップは息子の手からローを奪い返すと、また一つ状況把握の材料になりそうな情報を落としてくれた。

 とりあえず今、ローは記憶喪失になったモンキー・D・ルフィ本人として周囲に認知されているようだ。真相を知っているのは、居合わせたスラップとガープのみという事か。

 スラップはまだ息子に説教し足りない様子だが、それにローが付き合う謂れは無い。

 人に指摘されると途端に自分でも昨夜からの色々な汚れが気になってきたので、ほかの必要事項とともにスラップに確認しておく。

 

「風呂か洗面所を使わせてくれないか。それと、メシはもらえるのか?」

「もちろんじゃとも! 風呂は台所手前から廊下を曲がった先じゃ。朝メシは台所のカウンターにお握りと果物を用意してあるからな! 元気になったなら外の空気も吸いたかろうと、横にバスケットも置いといたが、……本当にもう大丈夫か? 休んでてもいいんじゃぞ?」

「大丈夫だ。ありがとう」

 

 なるべく「麦わら屋らしく」素直に礼を言って、スラップの手を離れたローは一度子供部屋へ戻る事にした。背後では親子喧嘩が勃発しているが関わりたくない。

 行きと違ってしっかりした足取りで廊下を歩く。部屋でクローゼットから着替えを取り出し、教えられた風呂場で手早く全身を洗浄。頭だけは塞がったとはいえ真新しい傷があるので、少し注意が必要だった。

 さっぱりして、念の為包帯も新しいもの――これも部屋に置かれていた――を巻きなおす。外見から何かあったと判断できるようにしておけば、記憶喪失という設定にも説得力が増すだろう。

 着替えて汚れ物を片付け、台所でバスケットの中にお絞りと握り飯を入れる。

 握り飯は個別に、大きな葉で包まれていた。手に取った時に仄かな香りが鼻をくすぐり、それはローが嗅ぎ慣れた抗酸化作用を持つ生薬に似ている。薬の元となる植物は図鑑で知っていたが、こういった使い方があるとは意外だった。

 豆知識に満足して小さく笑みを浮かべ、別皿から頂戴した真っ赤な林檎を一齧りする。これを食べ終わったら、いざ村内の探検と洒落込もう。

 

 玄関で唯一の子供サイズの靴を履き、真新しい修理の痕跡が残る扉をくぐった。これは昨夜ガープが壊したやつに違いない。

 自分で直していったのかスラップの息子が直したのか……もし息子の方だとしたら、よく物を壊すガープが嫌いで、それで孫である幼きルフィに対しても悪感情を持っていたという可能性はあるだろうか。

 

 そのガープは、今朝はまだ姿を見せない。この幼きルフィの肉体が持つ野生動物めいた感知能力でも捉えられないほど、遠くにいるらしい。さすがに話をつけないまま村を去るはずはないから、いずれ向こうからやってくると思われる。

 まあ、話すべき内容を吟味する時間ができたのは幸いである。本当は夢のうちに、そこまで終えてしまいたかったのだが。

 

 外はいい天気だ。季節は初冬、乾いた寒風が枯色となりかけた野の草を揺らしている。

 宿屋だと言われたスラップ宅の前の通りが、この村のメインストリートのようだ。石畳が敷かれていて、海側は船が着く港まで続いている。もう一方は緩やかに曲がり、山の方へと向かっているが、途中から石畳が剥がれて土が剥き出しになっていた。

 一望できる範囲では、海側に商店や住宅が並び、山側に畑や牧草地が広がっている。

 情報を集め、夢の中でルフィに確認するためには、人と会った方がいい。ローはひとまず、道沿いに海側へと足を進めた。

 

「……ルフィ? ルフィじゃないか! もう体は平気なのか?」

 

 そう時を置かずして、進行方向から歩いてくる第一村人と接触した。

 にこやかに話し掛けてくる男は、職人らしい白いエプロンを身に着けている。

 その手にぶら下げた籠から、……匂い、が、

 

   ――さあ焼き立てだよ、召し上がれ

 

「――ッ」

「ルフィ? どうしたんだ?」

 

 顔色を変えて後ずさるローに、男がさらに歩み寄る。

 ローの視線の先に気付いた男は、笑いながら籠にかかっていた布をめくって見せてくる。

 

「なんだ、腹が減ってるのか? ルフィは食いしん坊だからなあ! こいつは届け物なんだが、サービスのつもりで入れといたクロワッサンが二つ入ってるんだ。一つやってもいいぞ!」

 

   ――トラファルガー先生の息子さんなら私の息子も同然さ! 腹ペコのままにはしておけん

 

「……いい。いらない」

「遠慮するなって! ほら!」

 

 言葉通り籠からクロワッサンを取り出して差し出してくる男。

 その姿が、解凍したばかりの記憶と重なる。

 

 ――あの禿げ頭の男も、ドンキホーテファミリーの拠点を目指す途上で空腹のローに、自作だというパンを勧めてきた。

 かつて父が担当した患者で、ロー自身にも面識があったせいで信じてしまった。

 男の言う通りに身を隠した町はずれの小屋に、届けられた美味そうなパン。まともな食事などあまりに久しく、うっとりと見ているうちに先にネズミが齧ったのは間一髪の悪運。

 直後、明らかに何らかの毒物を摂取した反応を見せて死んだネズミに、ローは思ったのだ。

 もう何も信じない、と――。

 

「――ルフィ?」

 

 呼ばれた名は、「ローくん」ではなかった。

 その事で現実を認識したローは、青い顔のままで男を見上げる。そこにいるのは、ローを毒殺しようとしたあの禿げ頭ではない。

 ローの反応をようやく訝しんだ男は、「ああそうか…」と呟いてクロワッサンを籠に戻す。

 

「そう言えば、お前は記憶喪失になっちまったんだったな……。知らないオッサンがいきなり話し掛けてきて、怖かったんだろ? 大丈夫、酷いことなんて何もしないよ」

 

 頭に怪我を負って、記憶喪失になったモンキー・D・ルフィ。

 その設定を素直に信じているらしい男は、黙り込んでいるローの態度を誤解して一歩下がった。

 

「そっか、『はじめまして』かぁ……寂しいけど仕方ないな。おれはここから五軒先の、パン屋のブレッドだ。ハハッ、パン屋でブレッドなんてそのまんまだろ? これからよろしく、ルフィ」

「……よろ、しく」

「ああ! ……しかし、前のお前はあんまり人見知りしない子だったから、なんだか新鮮だな」

 

 辛うじて返事をしたローに、男はそう言った後「あっ」と気まずげに苦笑する。

 

「いや、ダメだなこんな、比べるようなこと言っちゃ……。ごめんなルフィ、前のことなんて気にせず、のびのびと過ごしてくれ」

「……別に、気にしてない」

「うん、おれも前のルフィは忘れて今のお前と仲良くなれるよう頑張るからな!」

 

 きっとそれは、委縮しているように見えるローを気遣っての誇張した表現だった。

 けれど今の不安定なローは、その言葉を本気に受け取ってしまった。

 

 前のルフィを、忘れる。

 つまり本物の『モンキー・D・ルフィ』の存在が、無かった事にされる……。

 

 自分のせいで、本物のルフィが村人の記憶から消える。

 人が真に死ぬのは、人々の記憶から忘れ去られた時だと言った誰かがいた。その論に従えば、ルフィを殺すのは自分だという事にならないか?

 

   ――おれがいなければ、コラさんは、お前は――

 

 ……自分がルフィを殺してしまう。

 ああそうとも、どこまでも自分は“愛”した人を殺す運命から逃れられはしない!

 

「……ぁ…」

「ルフィ?」

「違う、おれは……違う……」

 

 パンの匂いで蘇ったトラウマに引きずられ、前世の感情に心が飲み込まれる。最早ローには、自分が命を捧げたルフィと、自分に命をくれたルフィの区別がつかなくなっていた。

 ここは夢の中ではない。ローの心の支えたるルフィの声は届かない。

 いや、今この場においては、その『ルフィ』の名こそがローに激しい罪悪感と混乱をもたらす。

 

 ふるふる、と力無く頭を打ち振るローを心配してか、男が再度近寄ろうと片足を持ち上げる。

 錯乱したローはそれを切っ掛けに、脱兎の勢いで駆け出した。

 

「あっ、ルフィ!?」

 

 男の声を背後に、ローは来た道を逆走する。

 やがて前方に、新たな人影。

 

「やあルフィ、大変だったねえ」

「ッ!」

 

 急ブレーキを掛け、また海側へ。

 

「ルフィ、どうしたんだ!? おれが何か悪いこと言っちまったのか?」

「……!」

 

 パン屋はまだそこにいた。その手がローを捕まえようと伸ばされる。

 どう見ても尋常でない様子のローを、一旦落ち着かせるためであろう。だがそれは、今のローをより追い詰める行動でしかなかった。

 精神は異常をきたしていても、身に宿る力はローを裏切らない。パン屋の手をかすりもせずに交わしたローは、スピードを緩めぬままさらに海へ向けて走る。

 

「ルフィ」

 

「あらルフィ」

 

「どうした、ルフィ」

 

「ルフィ!」

 

 出くわす相手が皆、ローをルフィと呼んでくる。

 そのたびに本物のルフィが死んでいく。

 二度と失われぬはずだったローの“愛”が、手からこぼれ落ちてゆく幻を見る。

 

 人と会うごとに進路を変え、やがて道を外れてどこをどう進んできたのかも分からなくなった頃に、無人の浜辺に辿り着いた。

 無我夢中で走り続け、限界を迎えた足は、沈み込む砂に呆気なく敗北する。バランスを崩したローは、受け身を取る余裕も無く砂地に顔面からダイブした。

 すぐに顔を上げたものの、それ以上は力が入らない。口に入った砂を吐き出して荒れた息を整える間、ローはどうにか仰向けに姿勢を変えただけで、あとはぐったりと地に横たわっていた。

 

 

 

 自分の呼吸が落ち着いた後は、打ち寄せる波の音だけがその場に響いていた。

 冬の空は高く、青が薄い。切れ切れに流れてゆく雲を、意味も無く眺め続けた。

 鼓動の安定とともに、心中の狂騒もまた静まった。今は何も考えたくなかった。

 

 砂浜に寝転んで動かないローのもとへ、一つの気配が近づいてくる。

 無視しようにも、できないほどの強烈な存在感。それをあえて無反応で迎える。

 しばらくしてローの全身を影が覆う。立ちはだかる大男が、日を遮ってローを覗き込んでいた。

 

「なんじゃお前。こんなとこで寝て何しとる」

 

 心底不思議そうに訊ねるガープは、ローの返事を待たずその片腕を掴んで引っ張り上げた。

 ローは為されるがままに上体を起こし、けれど立ち上がる事はせず地べたに尻をつけている。

 

「……まァええわ。ここならちょうど、誰も来ん。お前とはちゃんと、話をせんといかんからな」

 

 ガープはやはりローに無断で、その横へ腰を下ろす。

 ちゃんと話を、と言った割に対面に座らないのを、ローは少しばかり疑問に思った。

 

「夜のことは、済まんかった。ありゃあわしの、身勝手な現実逃避だったわ。このトシになって、情けない真似を晒したもんじゃ」

 

 はーっ、と大きなため息をついた後にガープは謝罪した。

 

「さすがにな、自分の手で孫を殺したってのはな……堪えた。万一が無いよう常に注意は払ってたなんて、コトが起こってからは言い訳にもならん……」

「………」

「そういうワケじゃから、お前に非は無い。わしの方から、無理に何かを強制するつもりもない。お前はお前で、ルフィではない……それだけ、先に言っておきたかった」

 

 一方的に告げられたその内容を、ローは既に知っていた。前夜に盗み聞いてしまったから。

 ただ、その中の「お前はお前でルフィではない」という部分だけは、今のローの心を動かした。

 ほんの僅か、肩を揺らしたローの反応に気付いたかどうか。ガープは自分の膝を叩き「さて!」と声を張ると立ち上がった。

 

「わしの後悔はここまでじゃ。次はお前がそんなに腑抜けとる理由を聞こうかのう」

「………」

「何も無かったとは言わせんぞ。ここに来るまでに会った村の連中も、お前を心配しとった。声を掛けるなり、青い顔してすっ飛んでったって? 人見知りにもほどがあるじゃろ。とりあえず記憶喪失だからって誤魔化しといたがな!」

 

 ガープはローの真向かいにまわると、改めてどっかりと座りこむ。

 英雄と呼ばれた男の眼光は鋭く、ローが逃げる事を許さない。

 

 沈黙が続く。ガープは口を開かず、ローが言葉を発するのを辛抱強く待っている。

 その黒い瞳が、夢の中で同じようにローを見つめてきた孫のそれと重なって。

 

「――おれが生きてたら、あいつが死んでくんだ」

 

 ぽつりと、こぼれた声は存外に落ち着いていた。あるいは、既に諦観の域にあるのだろうか。

 

「人は忘れられた時に本当の死を迎える。ならおれが『モンキー・D・ルフィ』として生きるのは、村の奴らの中にいる本物のあいつの記憶を、おれの存在で上書きして消しちまう、――殺す、ってことだ」

「ふーむ。そういう考え方もあるか」

「おれがあいつを殺すんだ……おれが生きてるから……おれが“愛”したせいで、今度はあいつまで死んじまう……っ」

「………。うん?」

 

 声にする事でまた激情がこみ上げてきて、震える語尾とともに両手で頭を抱える。

 そんなローの姿をつぶさに観察し数秒ほど首を捻っていたガープだが、結局考えるのをやめたようで、腕を組んでこう言い放つ。

 

「………うむ! 分からん!! 前も思ったがお前、なんか根本的に勘違いしとらんか?」

「ッ、勘違いなんかじゃねェ! おれのせいで――」

「そもそもお前の言う『あいつ』ってのは誰なんじゃ」

「そんなの、『モンキー・D・ルフィ』に決まってるだろ!!」

「お前は本当にそのルフィを愛しとるのか?」

「そうだ! 麦わら屋は、おれの恩人だ! おれの命を助けてくれた、おれの心を救ってくれた、おれに“愛”をくれたんだ!! おれを――」

「あーうむ、よく分かったからもうええぞ。……聞き方を変えるか。お前は何があって、その『麦わら屋』を愛するようになったんじゃ?」

「何がって……それは、ドフラミンゴを倒してくれて、…いつだっておれを導いてくれて……」

 

 さらに続けようとしたローの鼻先で、パァン! と盛大な破裂音が鳴る。

 絶句するとともに、直前までの熱に浮かされるような心地からも覚めたローは、脱力してぱちぱちと目を瞬いた。

 ガープは打ち合わせた両の手のひらを引き戻し、呆然としたままのローへ事実を突きつける。

 

「ほいダウト。『ドフラミンゴ』と言ったら“北の海(ノースブルー)”を根城にしとる海賊、ドンキホーテファミリーの頭じゃな? わしの孫のルフィは、そんな物騒な小僧と関わったことは無い」

「……――!? …あ……」

「つまりな、お前の言う『あいつ』……さっきは『麦わら屋』と言っとったな。そいつはわしの孫のルフィとは別人じゃ。だから、お前が愛した相手は死ぬとかってアホな話が本当だとしても、それはわしの孫のルフィの死因とは一切! 全く、何の関係も無い!!」

 

 ガープが高らかに宣言した内容は、再起動したローの頭脳に、ぐうの音も出ない正論として染み渡った。

 そうだ。いくら並行世界の同一人物とは言え、このガープの孫である幼きルフィが、ローの愛する『麦わら屋』に成長する事はもうない。その未来は、この世界においては既に潰えている。

 

 幼きルフィは、麦わら屋とは別人である。

 加えてローが愛した相手は死ぬという理屈も、夢の中で総括したように、単なる妄想である。

 

 恐ろしい事に、その当たり前の事実が、先ほどまでのローの意識からはすっぽ抜けていた。

 それはローにとって自らの正気を疑って余りある狂態であった。いっそガープの目も気にせず、今すぐ“スキャン”を自分に対して使いたいほどに。

 

「……おれは…なんでこんな、……クソッ!」

「お、調子が戻ってきたか? そんじゃ残った方の懸念も解決してやろうかの」

「残った方……?」

 

 砂を何度も握り締め、泡立った感情を流そうと必死に試みるローに、ガープの追撃が向かう。

 

「人は忘れられた時本当に死ぬんだと、お前は言った。――ならば逆じゃ、ルフィは死なん!!」

「!? 何言って……」

「何故ならば! このわしが! ルフィを忘れはせんからじゃ!!」

 

 立ち上がったガープが、その視線はローを縫い留めたままに叫ぶ。

 

「村のもんが皆お前をルフィと呼ぼうが、お前ではないわしの孫のルフィがおることを! ルフィを愛している……ルフィを殺してしまったわしだけは! 何があろうとも、決して忘れない!!」

「……ッ」

「お前が生きてるとルフィが死ぬ? かーっ、的外れもいいとこじゃわい! お前がどう生きようが、わしのルフィへの愛は変わらん。そんなことで無駄に悩むくらいなら、メシを食え!」

「……いや最後なんでそうなる!? 話の前後繋がってねェよな!?」

「煎餅あるぞ、食うか?」

「どっから出した!? …じゃねェ、この状況で食うか!!」

 

 思わず身を乗り出してツッコんだローに、菓子袋を手にしたガープは呵々大笑する。

 前夜と同様、完全にペースを持っていかれた事に歯噛みしつつも、ローは己の心から一つ重石が取り除かれたのを感じた。

 

「ぶわっはっはっは! まーわしも老い先短い身じゃし、わしが死ぬ時はルフィも一緒に連れてくことになっちまうがのう」

「安心しろ、あんたはあと…二十八年は余裕で生きてる」

「なんじゃその嫌に具体的な年数は」

「……『知ってる』からな」

 

 昨夜の夢で聞いた、ローに対するルフィの仲間たちからの感謝の言葉。そこにはロー自身は記憶から消してしまった、ローの死後に起こった出来事の情報も幾らか含まれていた。

 話によれば、『前世』のガープはルフィが三十二歳の年に死んでいる。死因までは語られなかったので分からない。当時落ち込んだルフィを励ますのにローもそこそこ貢献していたらしく、それゆえの謝辞であった。

 

「ほう? こりゃあ予想以上に面倒くさそうじゃのう」

「ああ、長くなる。腹が減ったんならその煎餅食いながらでもいいが、ちゃんと聞けよ」

 

 取っ掛かりとしては上々。

 自分が錯乱していたせいだが、ようやくガープとまともに話をする姿勢が整って、ローはここからが勝負と唇を湿らせた。

 

「……おれの名は、『トラファルガー・D・ワーテル・ロー』――“D”は隠し名、ワーテルは忌み名だ。並行世界の未来で死んだ、医者であり、海賊だった」

 

 そんな真っ正直な自己紹介から始まった話は、なかなかスムーズにとはいかなかった。

 ガープはその印象通り、読書の趣味など無かったので、まず並行世界という概念を理解させるところで躓いたのだ。

 しかし辛抱強く解説すれば、一応は分かってくれるあたり、伊達に海軍という組織で長年勤め上げてはいないという事か。

 ちょくちょく疑問に答えつつ、ローが語ったのはおおまかに以下の二つである。

 

 一つ、『トラファルガー・ロー』として歩んだ前世の人生。

 これは既に感情を排した『記録』が頭の中にあったので、さして詰まる事なく説明できた。

 ただ、ローの人生において、ルフィは最重要人物の一人だ。ルフィについて言及するのは避けられなかったが、ローはその本名を告げずに件の『麦わら屋』であるとだけ開示した。

 そこはガープに対する配慮である。孫を殺したと悔いる祖父に、生きてたら孫はこんなに偉大になりましたとか長広舌を振るうのは、控えめに言ってその、まあ、鬼であろう。

 

 二つ、死後に『麦わら屋』の執念と謎の現象によって世界を渡り今に至る顛末。

 ここにはガープの本当の孫である幼きルフィが大きく関わるため、ローも特に詳細な説明を心掛けた。幼子のその短すぎる人生にも確かに得たものがあった事、そして悲嘆から立ち上がり新たな旅立ちを迎えた晴れやかな笑みを。

 最期の最後、ローに命を引き継いで――恐らくはローに吸収される形で消えた、幼子の精神の残滓。その走馬灯のように幾つもの人の姿がよぎっていった中、ガープの豪快に笑う様が印象的であった事を話せば、しばし洟をすする音が絶えなかった。

 

「………。すまんな、……続けてくれ」

「……いや。あんたが落ち着いてからでいいさ。おれも少し、思い出した」

 

 向けられた笑顔と、手渡された命――それはローにとって、確かな“愛”だった。

 幼きルフィが。『麦わら屋』ではない『ルフィ』が、ローに“愛”をくれたのだ。

 旅立ったあの子に、“愛”を返す事はもうできないけれど。死んだコラさんのために何かしたいとかつて心から願ったように、今のローは今の自分にできる事をしよう。

 何をすればいいかは、さっきガープが教えてくれた。

 

「おれも忘れない。あんたの孫の、『ルフィ』のことを」

「………」

「今度こそ、二度と。『麦わら屋』じゃない『ルフィ』を……おれの霊魂が擦り切れるまで、決して忘れずにいると誓う」

 

 瞳を閉じて、もらった心臓の上へそっと手を置く。感じる鼓動は力強く、半日前に死にかけていた事実など無かったかのようだ。

 この心臓が止まらない限り、『ルフィ』はローの中で生き続ける。

 まったく、困ったものだ。是が非でも死ねない理由ができてしまったではないか。

 

 決意を新たに、ガープを振り仰ぐ。

 ガープはじっと、ローを見つめていた。ローの真意を、心根を、余さず見通さんとしてか。

 やがてその視線の圧が、やわらいだ。常は破れ鐘のごとき大声を放つ口から、今はむしろ厳かとも感じられる真摯な言葉が降り注ぐ。

 

「……ルフィの命を受け継いだのが、お前でよかった」

「……おれは海賊だが?」

「関係ないわい。海賊にも気持ちのいい奴はいるし、海兵でもクズはいる。……わしは昔から人を見る目は確かでな、老いてもこれだけは衰えん。そのわしが確信した、お前はいい奴じゃ」

「っ、」

「長生きして幸せになれ。――そして時々でいい、ルフィを思い出してやってくれ」

 

 懇願とともに伸ばされた手を、ローは避けられなかった。

 赤子に対するような、決して傷付けまいという心遣いがこもった優しい手付きが、ゆっくりとローの頭を撫でさする。それは海賊の間ではびこる“海軍の英雄”の暴威とも、大きい方の孫から伝え聞いた虐待すれすれの厳しさとも異なっていて。

 

 ――ひょっとしたら。

 本当は、この男は。こんなふうに、孫を甘やかしたかったんじゃないかと。

 けれど継がれた“D”の名が、孫自身が求めた夢が、いずれ孫を押し潰さんとする事を祖父は知っていたから。

 だから自身の想いと裏腹に、過酷な修練を課し、途上で諦める事すら願って。

 でも、孫は、ルフィは決して諦めずに夢を追って、そして――。

 

 離れてゆく大きな手のひらを目で追いながら、ローは考える。

 おれの分まで生きてくれと、命を差し出しながら幼きルフィは言った。

 長生きして幸せになれと、孫の忘れ形見に対してガープは言った。

 もっと自由に楽しめと、彼岸へ去るつもりだった大人のルフィは言った。

 その上で、ローの望みは。

 

「――これからの、話をしたい」

 

 当初の惑いから完全に覚めたローは、芯のある声でガープに提案する。

 ガープは頷き、もう一度砂地に腰を下ろした。次いで少々の緊張感を持って口を開こうとしたローを、軽く手を掲げて制してくる。

 

「これからの話と言うなら、まず真っ先に考えんといかんことがある」

「真っ先に…? なんだ」

「そりゃ決まっとる、お前の新しい名前よ。お前、事情を知らん他人はともかく、わしに『ルフィ』とは呼ばれたくないじゃろ」

「! ……そうだな、…たしかに……」

 

 ローは瞠目し、言葉少なに同意を返す。

 今更呼び名一つで、ガープがローとルフィを混同するなどとは思わない。

 ただ、「お前はお前で、ルフィではない」――そう言ってくれた、本当の自分を見ようとしてくれている相手からの呼び名は、やはり自分だけのものがいい。

 それはロー自身が気付いていなかった、心の片隅に芽生えた些細な欲求だった。

 ローは自分がこの短時間で、あまりにも目の前の男に対して気を許してしまっている事に、愕然としたのである。

 

「元の世界での名前、『ロー』でいいかとも思ったが、万一の不安が拭えん。身内(かいぐん)の恥っちゅうんはどうにも厄介でのォ……お前の懸念もたぶんこのあたりか?」

「そこまで読めてるのか」

「……『フレバンス』なんて地名が出てきちまえばなァ」

 

 ガープは雑に頭を掻いた後、両手でパンッと頬を叩いて苦み走った表情を消した。

 

「ま、とにかく今は名前じゃ。あんまり元から離れすぎてもアレじゃな。ローとルフィ、ロー、ルフィ……うーむ」

「……あっ…いや待て、あんたらモンキー家のネーミングセンスは――」

「よォし! お前は今日から『ロフィ』じゃ!!」

「遅かったッ!?」

 

 一瞬頭をよぎった能天気な麦わら帽子の笑顔。ローは制止の意を込めて片手を突き出して、しかしその連想とよく似た豪放さで間髪入れずブチかまされた宣言に、がくりと上体を崩した。

 自分はどうあっても珍妙な呼び名から解放されないのか。

 半ば観念しつつも、駄目元で抗議を試みる。

 

「なんでよりによって一番ダサいとこ選びやがるッ……もっとほかにあっただろ、普通っぽい抜き出し方が! たとえば『ルー』とか、『ロイ』とか!」

「えっ? お前、自分が『ロイ』って感じの顔じゃって思っとるの?」

「あんたの!! 孫の! 顔だよ!」

 

 砂地にダンッと両拳を叩き付けて白目を剥く顔は、まあ確かに『ロイ』なんて語感とはかけ離れている気がする。だがその顔の実の祖父のくせして、まるでこっちがおかしな事を言ってるように反応するのは心外である。

 

「ぶわっはっは、冗談じゃ!」

「そりゃどっからだ? 名前のとこから全部だよな、そう言ってくれ?」

「顔だけだわい。ええじゃろ『ロフィ』、普通に小さく纏まるよりよかろ? なんせ家族だけの特別な呼び名じゃからな!」

「っ、…かぞ、く……」

 

 なんでもない、当たり前の事実を語るように流された単語。

 普通なら、こんな言葉を本気にしたりしない。

 なのに、それはローの腹にすとんと落ちてきた。ここへ至るまで何度か感じた、奇妙なくすぐったさに明確な理由がついたのだ。

 

 そうだ。初めの敵対的邂逅、そして盗み聞いた旧友同士の会話。未だ『前世』より十年は若いこの世界のガープは、基本的に一人称を『おれ』と称している。

 ガープが己を『わし』と言い、語尾に『~じゃ』などと付けてことさら爺を気取るのは、孫を相手に祖父として接する時、あるいは孫と同年代の子供へ対応する場合だけだったのだろう。

 昨夜ローをルフィと思い込んでいた時に、その口調になっていたのは分かる。

 では、この浜辺でローをルフィではないと断言した後も。ローの正体がいい歳の大人であると知り、ルフィではない名を与えた今でも、なおローに対して同様に話し掛けるのは……。

 

「………あんたは」

「ん?」

「あんたは……本気で、そう言ってるのか。おれを、家族にするって……」

 

 ローにとって、家族という単語は軽くない。それは実の両親妹のみならず、死んでも愛してるなどと豪語してくれたクルーたちを表すものでもある。

 ローがコラさんの本懐に殉じる事だけを夢見てひた走っていた時も、彼らはずっとそばでローを見守っていた。ローの居場所はここだと、ローは生きていてもいいのだと、声にせずとも態度で示し続けてくれていた。

 そんな彼らと同等の存在に、目の前の男はなろうと言うのか。

 

 ……きっとローが前世の『トラファルガー・ロー』そのままであったなら、受け入れられはしなかった。

 両親と妹とクルーたちと、比較する事すらおこがましいと。ふざけるなと叫び、苛立ちのままに話し合いの席を立ったに違いない。

 けれど今のローは、幼きルフィから命と同時に心の欠片をも受け取った存在だ。肉体を失って久しく、あちこち欠け落ちたローの霊体を補ったのは、霊魂の抜け落ちた子供の器に遺された精神の残り火なのだ。

 

 幼きルフィはガープのしごきを恐れてはいても、決してガープ自身を疎んではいなかった。身体感覚以上に、人の心情に敏い子供だった。あの赤い夢の中で、己ならざる己の扱いに窮していた大人のルフィでなく、見た目悪人面なだけのローの方へ寄ってきたように。

 あの子は自分が愛されていると、知っていた。

 愛を受け取る事を、恐れない人間だった。

 

 生前、失う恐怖に怯えて与えられる愛を拒み続けたロー。

 幼きルフィの残り火は、そんなローに愛を受け取る勇気をくれた。

 悲惨な前世幼少期の感情から脱して落ち着いている今、ローの胸に湧きあがるのは猜疑でも怒りでもない。

 さざ波のごとく打ち寄せた期待は、ノータイムで返される答えによって幸福へと転じる。

 

「無論本気じゃ! だいたいわしゃァ、演技だの嘘ってのは苦手でかなわん!」

「そう、だろうな」

「……お前、念押ししとかんとどうせ妙な遠慮するじゃろ、戸籍上とか人前だけとか。だがわしはそういう面倒なことするつもりはない!」

「………」

「お前はルフィではない。そして、わしの孫じゃ!! お前がなんと言おうがそう決めた!」

 

 ずいと顔を近づけ歯を剥いて笑う相手から、目をそらせぬままに唇を噛んだ。

 子供の体らしくゆるい涙腺を叱咤し、視界が滲む程度にとどめて姿勢を立て直す。締まらない表情を誤魔化すために、叩く軽口。

 

「……そんな調子で、大事なものを増やして。後悔しても知らねェぞ、“海軍の英雄”」

「なァに、孫は増えるものよ! そもそもお前はルフィより頭は回りそうじゃし、自分から厄介事に首突っ込むタイプと違うだろうに」

「あんたがおれを尊重してくれるんなら、わざわざあんたの足を引っ張るつもりは無ェがな」

 

 前世のくせで帽子のつばを下げようとして、空ぶった手で結局目元を隠して俯く。

 幼きルフィから心をもらったとは言え、元のローが大概な頑固者であったのには変わりない。どうにも素直になりきれない意地で、深呼吸して表向きの顔を取り繕う。

 そうしてローは、改めて見上げた『祖父』へと、作り慣れた皮肉げな笑みを贈った。

 

「……上等だ。これからよろしく頼むぜ、『じいさん』よ」

「ぶわっはっはっは! 任せておけ、『ロフィ』!!」

 

 どうせローの虚勢なんて見抜いた上で、触れずに笑い飛ばしてくる大人の余裕に。

 その孫に対してと同じく、諦めにも似た圧倒的な安心を覚えてしまったローだった。

 

 




途中ローに「もう何も怖くない」とかフラグ立てさせるとこだった。
いかんいかん、まだ早い……。


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