輿水幸子の同一性 (maron5650)
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0.ボクはカワイイので

「人は皆、自分だけのアイデンティティを持っている」。

「それを自覚することが、人生において大事なことだ」。

 

子供を押し込めたコンクリートの牢獄で。

薄っぺらい雑誌の煽り文で。

毒にも薬にもならない雑談を垂れ流す箱の前で。

幾度となく耳にする、ありふれた言葉。

子供に向けた大人の、尤もらしい教訓。

 

それを真に受けてしまった者にとって、この世は酷く生き辛い。

 

自分のアイデンティティとは何だ。

自分の誇れる部分は。

他人よりも勝る長所は。

誰もが持っていて当然と大人が宣うそれを、子供達は必死で模索する。

子供達が優れていると盲信したいだけなのだと、気付く方法すら与えられずに。

 

誰にも負けない要素。

そんなものを持っている人間は、要素の総数以下しか存在し得ないに決まっている。

しかし、大人は言う。

自分よりも長くを生き、多くの経験をし、自分達を導く立場にある存在は言う。

確かにそれは存在していると。

見つけられていないだけなのだと。

 

そこで運良く才能に恵まれた者は、自分でそれを見つけるだろう。

しかし、そんな者は全体のごく一部だ。

大部分の子供達は、自分が持つ要素の全てが誰かに負けている。

それが普通だ。それで当然のことだ。

誰にも負けない要素など、持っている方がおかしいのだ。

しかし子供達は、そうは思えない。

 

やがて子供達は疲れ果て、自ら発見することを放棄する。

放棄した結果、子供達は模索を外部に委託する。

自分を褒める大人達の発言に縋り付く。

褒められた要素が、誰にも負けないという訳ではない。

それでも、確証は得られるのだ。

いつだって正しいはずの大人が。

間違えることは決して無いはずの大人が。

自分の要素を、アイデンティティ足り得ると言ったのだ。

疲れ切った子供達は、簡単にそれを信じ込む。

それが大人にとって、大して深い意味の無い挨拶のようなものであったとしても。

 

君は足が速いね。

彼女は公立中学校に進学し、陸上部に入った。

君は頭が良いね。

彼は中学受験をし、私立の中学校に入学した。

 

 

 

 

 

幸子ちゃんは可愛いね。

彼女は、アイドルを志した。

 

 

 

 

 

「何で……ボクなんですかね……?」

 

全身の力を抜き、座席に深くもたれかかって。

帰りのバスの中、輿水幸子は何度目かの不平を呟いた。

 

「幸子殿はー、見る者を飽きさせぬ反応をなさるゆえー。」

 

幸子の隣に座る依田芳乃が、水筒の茶をすする。

 

「う、うん……。すごく、良かった……よ……?」

 

2人の前の座席から、白坂小梅がぴょこりと顔を出した。

 

「嬉しくないです……。」

 

いつもの勢いのあるツッコミは何処へやら。

幸子はこの上なく疲弊しきっていた。

 

それもそのはず。

幽霊が出るとウワサの、廃校となった小学校。

そこへ3人のアイドルが赴き、心霊現象を体感する。

という番組を、つい先程まで撮影していたばかりなのだ。

時期が梅雨であったこともあり、絵面はバッチリだった。思わず泣きたくなるほどに。

メンバーの中で唯一そういったものに耐性を持たない幸子は、叫んだ。

それはもう叫んだ。叫びに叫びまくった。叫ぶ以外彼女にできることはなかった。

加えて、雰囲気を出すためという理由の下、撮影が行われたのは夜。

幸子は今、疲弊と睡魔に2人がかりで襲われていた。

 

「ていうか、当然のように除霊しないでくださいよ……。」

 

突然目の前の物体がひとりでに動き出すだけでも腰を抜かしそうだったのに。

当然のように小梅が霊と対談し、それを聞いた芳乃が念仏のようなものを唱え始め。

最後に芳乃が手を叩くと、校内に流れていた重苦しく冷たい空気が消えていった。

その余りにも現実離れした光景を見て、一周回って冷静になってしまったのは、幸子にとって感謝すべきことだったのだろうか。

 

「成仏したい……って、言ってた……から……。」

 

「昔ばばさまの除霊の義を見たことがありますゆえー。見様見真似でしたがー。」

 

やはり当然のように言い放つ2人。

それを見て、しかし幸子は、反論は無意味と今日の経験から学んだ。

彼女達は、そういうことができる。ただ、そういうことなのだ。うん。

 

「……早く日常に帰りたいです……。」

 

今まさに帰っている最中なのだが。

大きく溜息をつき、幸子は今までの体験を非日常と定義する。

それもそうだ。幸子には霊感の欠片もない。

幽霊の存在なんて、サンタクロースと同程度のものだったのだろう。

そんなものの存在が確認されたということは、サンタクロースもまた存在し得る可能性が生まれたという意味を持つことを、幸子はまだ知る由もない。

 

「日常、に……幽霊、いる……よ……?」

 

小梅は幸子の言葉を聞き、何を言っているんだと首を傾げる。

幽霊が視える小梅にとって、それは日常にあって当然の存在だった。

 

「いや、小梅さんにとってはそうかもしれませんがね?」

 

ボクにとっては違うんですよ。そう続けようとして。

自分の言葉に反応するように芳乃の目が開くのを、視界の隅で捉える。

乾いたはずの冷や汗が、また1滴流れ落ちるのを、幸子は文字通り肌で感じた。

 

「そなたの左肩に居りましてー。」

「幸子ちゃんの……肩にも……。」

 

2人が同時に口を開き、異なる音を発し、同じ情報を告げる。

その目線は、幸子の左肩に注がれていて……。

 

「……嘘、ですよね?」

 

声が震える。

いや、声だけではない。

幸子の身体の全てが、小刻みに振動していた。

今更言及する必要はないと思うが、彼女はホラーにてんで弱い。

 

「「……。」」

 

全く同じ速さ、同じ角度で、右、左、と。

2人は幸子の必死のSOSに、無慈悲に首を横に振った。

 

「じ、じじじ除霊したんじゃなかったんですか!? 生き残りですか!?」

 

幸子は涙目で芳乃に縋り付く。

その頭を撫でながら、やはりこの少女は今回の撮影に最適の人材だと、芳乃は改めて感じた。

 

「ううん……。学校の子達は……ちゃんと逝けた……よ……?」

 

学校に居た幽霊がくっついてきたと誤認した幸子。

その発言を、その目でしっかりと除霊が完了したことを確認した小梅が否定する。

そう。間違いなく、最初から学校に囚われていた幽霊達は、その全てが成仏した。

ということは。

 

「その者はー、わたくし達が出会った時から憑いておりましてー。」

 

まるで何でもないことであるかのように、平然と芳乃は言い放つ。

しかしその宣告は、幸子にとって残酷極まりないものであった。

 

「とととと取って! お祓いしてください!」

 

幸子は芳乃の腹部に顔を埋め、2人に懇願する。

彼女達は再びシンクロした動きで首を横に振った。

 

「未練が……あるみたい……。」

 

「この者の望みが叶わぬ限りー、わたくし達にできることはありませぬー。」

 

学校に憑いていた霊達は、皆成仏することを望んでいた。

そのことを小梅が聞き出したからこそ、芳乃は除霊の義を試みた。

だが今幸子に憑いている霊は、成仏を望んでいるのではなく。

本人(本霊?)が望んでいない以上、除霊は不可能とのことだった。

 

「じ、じゃあ、除霊するには……。」

 

「この者の未練を把握しー、それを晴らさねばなりませぬー。」

 

絶望の淵に沈む幸子に、容赦なく芳乃の追撃が入る。

幸子ほど幽霊に嫌悪感が無い小梅と芳乃から見れば、別にそのままでも問題は無いのだ。

 

「……幽霊、嫌? 良い子だと、思う、けど……。」

 

「悪さをできるほどの強い力は感じないのでしてー。」

 

「無くても駄目です! 駄目! お願いですから! カワイイボクの!」

 

チワワのように目を潤ませる幸子を、2人は彼女達なりにフォローする。

だが、幸子には意味がなかった。

いくら悪いものでなかろうと、どれだけ無害なものであろうと。

自分に自分の理解ができないナニカが取り憑いている。

その事実だけでも十二分に耐え難いものなのだ。

 

バス内での議論の果てに。

幸子は自分を曲げることなく除霊を懇願。

悩み事解決が趣味である芳乃は幸子の協力要請を承諾。

小梅は「お友達になったらいいのに」と思いながらも、幸子の意志を尊重した。

 

 

 

 

 

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[Mission] 幽霊の未練を晴らしてください

 

輿水幸子には幽霊が取り憑いていた。

力は弱く、放っておいても問題は無いと思われる。

しかし、幸子が怖がっているので、早めに除霊してあげよう。

除霊のためには、幽霊の未練を判明させ、それを晴らす必要がある。

 

 

〔Mission List〕

 

・幽霊の未練を晴らしてください



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1.作戦会議

「なるほど……。」

 

とあるファミレスのテーブル席にて。

紅茶の入ったグラスを脇に置き、目の前にノートを広げ。

これまでの彼女達の講義をその上に纏めた幸子は、口元に手を添えて軽く頷いた。

 

小梅の話によれば。

幽霊とは、本来発生しないはずの。

言ってしまえば事故のようなものに巻き込まれた死者を指す。

その種類は千差万別で、細かく分ければ、いずれ幽霊の数と同じだけになる。

 

大別すれば、2種類。

未練があって逝くに逝けない者。

死んだ場所、その土地に縛られ、逝きたいのに逝けない者。

先日の学校で遭遇した霊達は後者に分類され。

現在幸子に取り憑いている幽霊は前者なのだという。

 

未練がある幽霊を成仏させるには、その未練を晴らす必要がある。

そして多くの場合、こちらが協力を申し出れば、幽霊は非常に友好的だ。

利害が一致している以上当然のことと言える。

幽霊はあの手この手でこちらに未練の具体的内容を知らせようとしてくるだろう。

 

ならば霊との交信が可能な小梅に聞き出してもらえばいい。

……とはいかず、事態はそれほど簡単ではなかった。

それは幽霊全般に共通する特徴と密接な関係がある。

 

曰く。

幽霊とは生者の魂が身体から抜け出たものであり。

魂にはそれぞれ強さというものが、身長や髪の色のようにあらかじめ決まっており。

強い魂の霊ならば、人の形を保ち、言葉を発し、故に意志の疎通が可能であるのだが。

弱い魂の霊は、言葉を発せず、人の形すら保てず、ただぼんやりと存在するのみ。

故に、意思の疎通は非常に困難である。

 

幸子の背後に存在するそれは、磨りガラス越しに見る電球のように。

明確な境界すら存在しない、ただの光る球。

だから、未練の内容を聞き出すのは諦めた方がいい。

こちら側で収集可能な情報を最大限駆使して。

未練の内容を推測し、突き止め、解決する。

それが、幸子の望みを叶える必須条件だった。

 

これだけでは、雲を掴むような話だ。

だが小梅が言うには、既に自分達は1つの指標を得ている。

それは、幽霊が輿水幸子に取り憑いたという事実そのものだった。

幽霊は成仏できない原因、それと密接に関わりのあるものに取り憑く。

土地に縛られているのならばその土地に。

そして、未練があるのならばその未練に。

それらに近い存在に、憑く。

つまりは、幸子本人或いは幸子と関わりのある何かが、幽霊の未練と関係している。

 

「……なるほど?」

 

ほんの少しだけ眉間にシワを寄せ、首を横に傾ける。

いや、だって、そんなこと、ねぇ?

自分が関係する何かが、幽霊の未練だなんて言われましても。

人に恨まれるようなことはしていない……と思うし。

自分の知り合いに、恨みを持たれるほど極悪非道な人物だって居ないし。

まだ葬式に参列した経験も無いし。

ましてや喪に服したことなんてあるはずもない。

幸子には全く心当たりが無かった。

これまでの人生に、死や未練という概念は、あまりにも馴染みが無かった。

 

しかし、確かに幽霊は自分に取り憑いていて。

それは、自分の周りの何処かに未練があるからで。

それでも、心当たりが欠片ほども思い当たらない。

幸子はただ、頭の上に浮かぶクエスチョンマークを揺らすことしかできなかった。

 

「ただ座して悩むのみではー、晴らせる未練も晴らせませぬー。」

 

両手で湯気の立つカップを包むように持つ芳乃が口を開く。

ドリンクバーにてほうじ茶を発見したからか、その口角は普段より少しだけ上がっていた。

 

幽霊とのコミュニケーションが困難であっても、他者の気を読むことのできる彼女ならば。

一度はそう思った幸子だったが、しかし芳乃は申し訳なさそうに自身の説明を簡潔に述べた。

芳乃が行えるのは、人や物の在り処を突き止めることと、他者の気を読むこと。

この「他者の気」という言葉は、生者の魂を意味する。

肉体に収まった状態の魂でなければ、芳乃の能力は最大限の効力を発揮しない。

つまりは、芳乃にとって幽霊は専門外の存在。

 

撮影の最中に多少試してみて、分かったことは。

できるのは、彼女がばばさまと呼ぶ存在が行っていた除霊の義を見様見真似で。

あとは、何となく霊の存在を、気を読むことで察する程度のもの。

視覚的に霊を知覚することは、芳乃には辛うじて可能であるというだけで。

気の内容も、善か悪かの二極でしか判別がつかず。

幽霊が具体的に何を考えているのか、どんな感情を抱いているのかは、全く分からないとのことだった。

 

「そう……だね……。動いて、みる……?」

 

芳乃の言葉に、アイスココアの入ったグラスを目の前に置いている小梅が賛同を示す。

その声色は普段より全体的に高く、弾むようなリズムを刻んでいた。

 

正直なところ、小梅は幸子が未練について心当たりが「ある」ことを危惧していた。

霊が幸子に憑いている以上、幸子本人若しくは幸子の行動範囲内に、未練と関係するものがある。

これはもう、疑いようのない事実。この前提がひっくり返されることは、まずあり得ない。

故に、幸子が自身の身の回りについて内省するだけで、未練の内容が判明する可能性が大いにあった。

最近誰々が亡くなったとか。事故や事件などに巻き込まれ、自分だけ生還したとか。

自分自身でなくとも、知り合いがそのようなことを体験したとか。

幽霊が成仏できないほどの未練というのは、それほどに大きなものであり。

大きいからこそ、簡単に思い出す可能性が高かったのだ。

 

小梅はこの状況がある程度続くことを望んでいる。

それは幸子の知られざる過去を追及しようとか、そんな腹黒いものではない。

13歳という年齢にはむしろ少し不似合いなほどの、純粋な気持ちによるものだった。

 

何故小梅が現状の持続を望んでいるのか。

それはこの事態が、小梅が幸子の役に立つ機会だからだ。

自分が慕い、尊敬の念すら抱いている人物。

そんな相手が自分を頼ってくれる、またとない機会だからだ。

これまでの恩返しをしよう。

バスの中で除霊を懇願した幸子を見て、小梅はそう心に決めた。

普段支えてもらっているからこそ、今度は自分が助けになろうと。

だからこそ、簡単に解決されては困るのだ。

こんな短期間で解決されてしまっては、とても恩は返しきれない。

 

「幸子殿ー、構いませぬかー?」

 

小梅の提案に芳乃は頷き、幸子に是非を問う。

 

幸子本人が未練について思い当たるものが無いのなら。

第三者の目線に立たなければ見付からないものである可能性がある。

本人にとっては無意識に候補から外してしまうほどの些細なものであっても。

他人にとっては、重要なものであるかもしれない。

よって、幸子にいつも通り振舞ってもらい、その様子を観察して。

未練に関わりのある何かを見つけ出そう。

芳乃と小梅の意見は、綺麗に一致していた。

 

「えっ、あっ、はい。……何処に行くんですか?」

 

この中でただ1人話についていけていない幸子が、筆記用具を片付けながら質問する。

 

「行き先はー、そなたが決めてくださいませー。」

 

「幸子ちゃんが……いつも、行っている場所……教えて……?」

 

頭上のクエスチョンマークの数を1つ増やしながらも、幸子は立ち上がる。

普段行っている場所。

改めて言われてみると、自分の行動範囲って結構狭いのかも。

幾つかしか浮かばなかった選択肢を指で数えながら、幸子はそんなことをぼんやりと思っていた。

 

 

 

 

 

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[Tips] 依田芳乃

 

失せ物探しと悩み事相談、石ころ集めが趣味。

それらに対応した能力を持っている。

幽霊は専門外の存在であり、それに関した知識は乏しい。

昔「ばばさま」が行っていた除霊の儀を見様見真似で行うことができる。

除霊の儀で成仏させられるのは「土地に縛られた幽霊」のみ。

 

・悩み事相談

対象を直接視認することで、その気を読み取ることができる。

常に見えているわけではなく、意識して見ようとしなければ読むことはできない。

生者については、非常にアバウトな感情を読み取る。単語の羅列として現れることが多い。

幽霊については、善か悪かの2通りしか読み取ることはできず、シルエットも視認不可。

あくまで幽霊の気が見えるのみである。

 

・失せ物探し

対象が現在何処にあるのかを探知することができる。

その対象がどのようなものなのかを具体的に知っていることが条件。

 

 

[Tips] 幽霊

 

生者が死ぬ際に激しい感情を抱き、その魂が何らかのモノに取り憑いたもの。

魂には身長や髪色のように生まれつき強さが決まっており、強ければ強いほど人の形を保つ。

人の形をした幽霊は喋ることができ、白坂小梅とコミュニケーションが可能。

逆に魂が弱い幽霊は、人の形を保てず、ただふわふわと曖昧に存在するのみである。

以下の二種類に大別される。

 

・未練がある幽霊

生前にやり残した未練がある幽霊。

その未練と密接に関係のあるものに憑く。

未練を晴らすことで成仏が可能。

芳乃の除霊の儀では成仏させることはできない。

憑いたモノと離れて単独で行動することが可能。

 

・土地に縛られた幽霊

死んだ場所に縛られてしまい、そこから動けなくなった幽霊。

本人に強い未練は無い場合が多い。成仏したいが土地から離れられず成仏できない。

未練がある場合とは違い、自力で成仏する手段は皆無。

依田芳乃の除霊の儀によって無理矢理に土地から魂を剥がし、成仏させることができる。

縛られているので、土地から大きく離れて行動することはできない。

 

 

〔Mission List〕

 

・幽霊の未練を晴らしてください



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2.そんなあなたにお似合いの

試着室のカーテンが勢い良く開かれる。

 

「フフーン! どうですか2人とも!」

 

値札の付いた服を身に纏い。

ファッション誌に載っているようなポーズをバッチリと決めた幸子が、お決まりの台詞を叫んだ。

 

「「おおー……。」」

 

何故か正座している芳乃と小梅が、感嘆の声を漏らしながら拍手を贈る。

 

「そうでしょうそうでしょう! ボクはカワイイですからね!」

 

その様子を見て、幸子は満足げに頷いた。

再びカーテンを閉め、もう一度開くと。

幸子は先程まで着ていた服を両手に抱えて、レジへと小走りで向かう。

どうやら購入を決意したようだ。

 

 

 

普段行っている場所。

幸子がそう尋ねられ、一考し、導き出した答えの1つがここ。

ショッピングモールでのウィンドウショッピングだった。

幸子が目についた店に入り、一通りエンジョイし、気に入った物を買う。

このルーチンを、3人は既に4周ほど繰り返していた。

 

「……本当にこんな感じでいいんですか?」

 

会計を済まし、芳乃と合流した幸子が、少し不安げに尋ねる。

現状、自分がやっていることは、普段の休日の過ごし方に2人を付き合わせているだけだった。

 

「はいー。そなたの行動範囲の何処かにー、未練に繋がるものがありますゆえー。」

 

幸子の戦利品である大小様々な紙袋を抱えた芳乃が、にっこりと笑った。

 

「すいません、持たせてしまって。」

 

「お気になさらずー。」

 

幸子は試着中芳乃に預けていたそれらを受け取る。

次の瞬間、これ以上買うと1人で持ち帰れなくなることを悟り。

もう今日は財布を開くのは止めようと、大量の荷物で前が見辛くなった幸子は静かに決意した。

落とさないようにしっかりと両手で持ち直し。

これからどうするか考えながら、会計中の暇潰しをしているのだろう、芳乃の側に居ない小梅の姿を目で探す。

 

「…………。」

 

すると小梅は、壁に掛けられた一着の服を。

黒を基調とした上品な色合い。

梅雨の季節にマッチした、適度に短い袖。

フリルが所々に、しかし過剰にならないよう控えめにあしらわれた。

可愛らしくも落ち着いた印象を受ける服。

それを食い入るように、じっと見つめていた。

 

「……小梅さん?」

 

幸子は小梅の背後に立ち、声をかける。

すると小梅は、彼女らしからぬ反応を見せた。

びくりと肩を震わせ、反射的にこちらに振り返る。

その一連の動作は、まるで驚いているようで。

普段は驚かす側である彼女の、こんな反応は。

幸子はこれまで見たことがなく、完全に予想外のものだった。

 

「……え、っと……あの……、」

 

あたふたと忙しなく動く小梅。

何故こんなにも慌てているのか、幸子はすぐには分からなかった。

あんなに目を輝かせながら見ていたのだ、きっとあの服が気になっているのだろう。

しかし、ならば試着してみればいい。

日常生活で着る気にはなれない、財布が寂しい等の理由で買う気が無かったとしても。

だからといって、ただ鑑賞することが咎められる行為であるはずがない。

少なくとも、このように慌てふためく必要は無いはずだ。

自らの行為を、取り繕うような行動は。しなくてもいいはずなのだ。

 

「……恥ずかしがることはないです! きっと似合うと思いますよ?」

 

しばし考えた結果。

幸子は小梅の行動の理由を、恥ずかしいからと解釈した。

こういった服に憧れはあるけれども、それを知られることに抵抗がある。

だからあのような反応を見せたのだと。

そして幸子からしたら、その悩みは杞憂だった。

この服は、きっと小梅に似合う。

幸子は心からそう感じ、故にこの言葉をかけた。

 

「ううん……いいの……。」

 

しかし小梅は首を横に振り、その場から離れてしまう。

着てみてもらいたい気持ちはあったが、流石に強要することはできず。

幸子も小梅の後に続き、店を出ることにした。

 

 

 

 

 

空は紅く染まり始め、ちらほらと帰り始める者が出てきている。

建物に設置された大型の時計の短針は4を示していた。

 

「さて、ボクはオフの時、大体こうしているんですが……。」

 

何か気付くところはあったかと、幸子は2人に問いかける。

バスの時と同じように、2人は同じ速さ、同じ角度で首を横に振った。

 

「そうですか……。」

 

まあ、こんなに楽に分かるはずもない。

真っ先に思いついた場所が場所だったこともあり、幸子は今日の収穫について、過度な期待はしていなかった。

両手にいっぱいの新しい洋服だけで十二分だろう。2人の意見のお陰で、いい買い物をした。

 

「幸子殿はー、このままお帰りになられるのでー?」

 

「いえ、事務所に寄って予定を確認してからですね。」

 

オフの日の終わりには、必ず事務所に寄ってから帰宅するようにしている。

幸子のアイドルに対する真摯な気持ちと、持ち前の几帳面さ故の習慣だった。

 

「ではー、参りましょうー。」

 

芳乃は柔らかい笑みを浮かべ、当然のように幸子の荷物をいくつか持つ。

それを見て、小梅も同じように紙袋を両手で抱えた。

 

「あの、皆さん……、」

 

申し訳ないからと、一度は辞退しようとして。

しかし、それは2人の優しさに対する、これ以上無い非礼だと気付く。

開きかけた口を閉じ、ぶんぶんと首を振り、笑顔と共に再び開く。

彼女達の行為に報いるための、幸子が取るべき態度。贈るべき言葉は。

 

 

 

 

 

「……カワイイですね!」

 

 

 

 

 

賛辞。

この言葉こそが、幸子にとっての、最上級の賛辞。

これ以外のどの言葉も、この一言には及ばない。

 

当然、そのことを理解する人間は、幸子をよく知る、ごく一部のみ。

自身の感情が正確に伝わることを第一に考えるならば、他の単語を用いるべきだ。

 

そんなことは、幸子自身よく理解している。

しかし、その上で幸子は常にこれを選ぶ。

何故ならこの言葉でなければ、口にする際、幸子の感情が適切に乗らないからだ。

この言葉でなければ、上辺のみを取り繕った形式的儀礼に成り下がってしまうからだ。

この言葉でなければ、精一杯に心を込めることができないからだ。

 

そのことを、小梅は経験から。芳乃は気を読むことで正確に理解し。

だからこそ、最大級の笑顔を以ってそれに応えた。

 

 

 

 

 

事務所への道中。

小梅の即席怪談に大いにビビる幸子を眺めながら。

芳乃は先程の2人の会話について考えていた。

小梅が服を眺め、幸子が声をかけた時。

芳乃は小梅の不可解な行動を見て、反射的に彼女の気を読んだ。

 

明らかに恐怖していた。

 

あれは恥ずかしさを隠そうとする行為ではない。

ただ恐れ、戸惑っていただけだ。

しかし、一体何を。

あの一連の動作の中に、恐怖を誘発する要素は見当たらなかった。

幸子が小梅に声をかけた。それだけだ。

驚かそうとも、怖がらせようともしていない。

ただ、様子を伺おうとしただけだ。

 

「……声がした方を、見ると……女の人の幽霊が……」

 

少し前を歩く小梅の姿を見る。

自分の怪談を聞いて青ざめている幸子を見て、嬉しそうに微笑んでいる。

やはり彼女は怖がらせる側、驚かせる側の人間だ。

怖がる、驚かされるといった行動は、どうしようもなく彼女に似合わない。

常日頃からホラーやスプラッタを鑑賞しているのだ、そういったものに耐性だってあるだろう。

それを観て怖がることはあるだろうが、それはあくまで娯楽の範疇だ。

白坂小梅という人物像と、恐怖という感情は。

何度考えても、結びつくはずのないものだった。

 

「……後になって、知ったんだけどね……その交差点では、昔……」

 

だからこそ、問いの答えが出ない。

何故彼女は恐怖した。

彼女から恐怖という感情を引きずり出すだけの何か。

それがあの場面の、一体何処にあったというのだ。

日常としか形容しようのないあの場面の、何処に。

 

「……はい! 着きました! 着きましたからお話は止めましょう! はい!」

 

幸子の涙ぐんだ声に、芳乃は我に返る。

見ると、幸子は目の前のビルを指差し。

まだ語り足りなさそうな小梅に、必死に懇願していた。

 

「小梅殿ー、続きは事務所の中でなされてはー。」

 

芳乃は幸子に助け舟を出すことなく、むしろ小梅の側に着く。

幸子のような反応をする者が身近に居なかった芳乃にとって、彼女のリアクションは新鮮で飽きなかった。

 

 

 

 

 

information : データが更新されました

 

 

[Tips] 輿水幸子

 

只の一般人。特別な能力などは特に無い。

世界で一番カワイイ、このボクの存在自体が、もはやスペシャル。

ナンバーワンでありオンリーワン、それがボクなんです。

 

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[Mission] 白坂小梅の動向を観察してください

 

小梅は店に展示されていた服を鑑賞中、幸子に声をかけられた。

その際、彼女は恐怖の感情を抱いていた。……一体、何故?

その理由が判明するまでは、一応小梅にも気を配っておこう。

 

 

〔Mission List〕

 

・幽霊の未練を晴らしてください

・白坂小梅の動向を観察してください



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3.カワイイボクとビデオチェック

『今回彼女達が探索するのは、6年前に廃校となった──』

 

事務所の液晶テレビに、3人の姿が映されている。

自分達が出演している番組を、芳乃は緑茶をすすりながら。

小梅は目を輝かせながら。

幸子は小刻みに震えながら、小梅の影に隠れて視聴していた。

 

『校門の前で立ち止まる小梅ちゃん、一体何が──』

 

「……ここ、結局何してたんです?」

 

「あの子が……学校名、気にしてた……から……。」

 

当時は恐怖でそれどころではなかった幸子が、小梅の不可解な行動について問う。

その返答を聞くや否や、その顔色が一層青くなった。

これからは、小梅の言動についてやたらと質問するのは止めよう。

目尻に涙を溜めながら、幸子は最近学校で習った「口は災いのもと」ということわざを思い出していた。

 

『何も無い空間に向かって、1人語りかける──』

 

「心霊写真、といったようにはいかなかったのでしてー?」

 

小梅の前に在ったはずの気配、要するに幽霊。

それは、小梅以外の人間に直接視ることはできずとも、写真や動画。

つまりは記録媒体を通せば、霊感の無い者の目にも映るようになる。

……といった古典的なイメージを、芳乃は何となく抱いていたのだが。

目の前の画面には、虚空を見つめる小梅だけが映っていた。

 

「恥ずかしがりやさん……だった……みたい……。」

 

「ほー?」

 

小梅の端的な回答の意味が掴めず、芳乃は控えめに首を傾げる。

その動作を見て、小梅はより詳しい解説を始めた。

 

要約すると。

幽霊が記録媒体に映る(若しくは写る)のは、その幽霊が生者に視られることを望んだ時のみ。

本人の意志によって、被写体となるかならないかは自由に選択できる。

学校に居た幽霊達は、皆映らないことを望んだ。それを小梅は「恥ずかしがりや」と表現した。

小梅の友人である「あの子」が映っていないのも、本人がそれを望まなかったからである。

逆に、小梅を始めとした霊感を有する人物が直接その目で視る分には、幽霊の意志は関係なく視え。

また、視る側の意志によって、幽霊が視えないようにすることも可能とのこと。

ただ、小梅は幽霊が好きなので、普段から視えるようにしているらしい。

 

「ほー……。」

 

小梅の話に聞き入り、芳乃は感心したように息を吐く。

霊感の無い人間に対しては、記録媒体さえ通せば自由にその存在を知らせるか否かを選択できるが。

霊感のある人間からは、どんなに視られたくなくてもその人間の意志次第で強制的に姿を暴かれてしまう。

幽霊も色々と大変なんだなぁと、芳乃は彼等を心の中で労った。

 

『土地に縛られていた少年少女。彼女達によって、漸く旅立つことが──』

 

視線を小梅からテレビに戻すと、既にスタッフロールが流れ始めていた。

締めに向かうそれっぽいナレーションと共に、3人の功労者の姿が映される。

普段の落ち着きを崩さない芳乃。慈しむような目で夜空を見上げる小梅。

そして、そんな2人にしがみついて離れない、目を真っ赤にした幸子の姿が。

 

「……疲弊しきったボクもカワイイですね!」

 

その自信は何処から来るのだろう。

しかし確かに可愛らしいので、芳乃は何も言わないことにした。

 

「じ、じゃあ……プロデューサーさん、呼んでくる……ね……?」

 

番組が終わり、画面が真っ暗になったことを確認して。

小梅は幸子のプロデューサーの元へ向かう。

……程なくして、1人の男がテレビの前に立ち、プレイヤーからDVDを取り出した。

 

「問題は無かったのでー、このまま放映してもよろしいかとー。」

 

芳乃の言葉に、小梅も頷く。

それを見て、彼は2人に礼を述べ、自分のデスクへと戻っていった。

 

「……ボク、要ります? これ。」

 

プロデューサーからの頼まれごとを済ませ、幸子はぐったりとソファにもたれかかった。

先日撮影した映像の確認。

それが、事務所に来た3人に、幸子のプロデューサーが頼んだ内容だった。

 

番組で共演した2人が事務所に訪れたことは、幸子のプロデューサーにとって都合が良かった。

もうオンエアできるように動画は作成済みだが、如何せん内容が内容だ。

世間一般の目に触れてはいけないモノが無いか、その筋の意見を聞く必要があった。

その点、芳乃と小梅は適任であった。

その筋の者であり、番組の関係者であり、信用できる人物だ。

特に幸子と仲が良く、仕事でも共演する機会が多い小梅は、幸子のプロデューサーとも既知の仲であり。

彼は小梅に深い信頼を置いていた。

 

「可愛くないところ……あったら、大変……。」

 

小梅が口にした、幸子が映像を確認する理由。

それは幸子のプロデューサーと小梅が適当に考えた、ただの口実だった。

 

「それは大丈夫です! ボクはいついかなるどんな時でもカワイイので!」

 

幸子の性格をよく知る2人は、どんな姿が映っていたとしても彼女がOKを出すことは分かっていた。

その上で幸子を付き合わせたのは、単に反応が見たいからという、私利私欲にまみれた動機であり。

こと幸子をビビらせるにおいて、幸子のプロデューサーと小梅は抜群のコンビネーションを発揮する。

お馴染みの気を読む能力でそのことを何となく察した芳乃も、今回それとなく加担した。

この場に居る幸子以外の全ての人間が、幸子の反応を見たいが為に、本来見る必要のない映像を見せようと結託したのである。

 

結果、どんな姿が映っていようと編集を要求することはないと心に決めていながら。

それでも、あれよあれよとソファに座らされてしまった幸子。

彼女は未だ真実に気付かない。だからこそ可愛いのだ。

幸子以外の3人は、アイコンタクトで互いの健闘を称え合った。

 

「……ではー、わたくし達はこれで、おいとま致しましてー。」

 

元々の目的であった幸子の予定確認も済ませ。

プロデューサーから頼まれた映像のチェックも終わり。

今日の幸子のすることは、後は家に帰るのみ。

あまり他所の事務所に長居するのは迷惑だと判断し、芳乃は腰を上げる。

 

「う、うん……。そう、だね……。」

「いいい一緒に帰ってあげてもいいですよ? ボクはカワイイので!」

 

芳乃の声に反応して。

ゆったりとした動作で小梅が、精一杯の強がりを見せながら幸子が立ち上がる。

窓の外はすっかり暗く、ついさっきまで心霊番組を見せられていた幸子は、1人で帰れる気がしなかった。

 

「はいー、ご一緒させてくださいませー。」

 

芳乃はその姿を見て、くすりと微笑んだ。

 

 

 

 

 

幸子の家の玄関に立ち。

幸子を送り届ける責務を全うした芳乃は、その場に立ち続けていた。

幽霊の未練は、彼女の家にあるのではないか。

その疑念を払拭するための行為だ。

芳乃は、幸子の家に巡る気を読み取ろうとしていた。

 

幸子に憑いている幽霊は1人。

そして、幸子が考える限り、その未練に思い当たるものは無い。

あくまで「幸子が考える限り」だ。

幸子の気付かない、しかしとても近いところ。

そこに未練の手掛かりがある可能性は、十二分に存在する。

それが幸子の家ではないことを、芳乃は確認していた。

 

番組の撮影の際。

学校全体に、非常に重苦しく、悪い気が流れているのを、芳乃は感じていた。

そして、その場所には子供の幽霊が大量に囚われていた。

この経験から、芳乃は1つのことを学んだ。

幽霊が成仏できない原因の土地には、悪い気が流れている。

 

「……杞憂、でしたかー。」

 

ゆっくりと身体の緊張が解けていく。

幸子の家に巡る気は、悪いものではない。

当然幸子本人も、至って健康的な。

むしろ、非常に良い気が流れていることが、今日1日観察し続けて判明した。

 

これで1つの可能性が潰えた。

幽霊の未練は、幸子の家には存在しない。

確認を終えた芳乃は、ほっと胸を撫で下ろし、帰路についた。

 

 

 

 

 

information : データが更新されました

 

 

[Tips] 白坂小梅

 

幽霊を直接視認し、直接コミュニケーションを取ることが可能な人物。

視る・視ないを選択することもできる。幽霊が多すぎて視界が確保できない時などに有効。

ただ、本人は幽霊が好きなので、特別な理由がない限り視えるようにしている。

幽霊の友達と常に行動を共にしている。呼称は「あの子」。

 

【error】データの一部が改竄されています

 

 

〔Mission List〕

 

・幽霊の未練を晴らしてください

・白坂小梅の動向を観察してください



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4.作戦変更

「うーん……。」

 

後日。

この前と同じファミレスにて。

この前と同じように、幸子はノートとにらめっこをしていた。

この前と異なるのは、ノートが1冊でなく、2冊あるということくらいだ。

 

3人のオフが重なった日は、ここに集合するのが暗黙の了解となっていた。

しかし、現在テーブル席には幸子のみ。

どうやら小梅や芳乃よりも一足早く到着したようだ。

 

集う理由は当然、幸子に憑いている幽霊について。

それが成仏する方法、それの未練を見つけるためだ。

常人ならざるモノを持っている2人とは異なり、只のカワイイ一般人である幸子は、彼女達の会話にしばしば置いていかれる。

だから幸子は、彼女達が来る前に現状のおさらいをしていた。

趣味欄にノートの清書と書くほどの、彼女の勤勉さ故の行動だった。

 

「……結局、何も分かってませんね……。」

 

幸子が2人に協力要請をしてから、2週間ほどが経過した。

その間、幸子はいつも通りに行動し、小梅と芳乃はそれに付き合った。

それによって得られたものは、何もなかった。

自分に憑いている幽霊、その未練に繋がるものは、ヒントすら見つかりはしなかった。

 

「本当に、ボクの……?」

 

小梅の話によれば、幽霊は自らの未練と密接に関係のあるものに憑く。

であれば、輿水幸子は未練と非常に近い位置に居るはずだった。

しかし、2週間自分の行動を見てもらって、未だ手掛かりすら掴めないとなると。

未練は本当に自分と関係のあるものなのか、疑ってみたくもなるのが人情というものだった。

 

当然、これは幸子が小梅を疑っているという意味ではない。

幸子は小梅に全幅の信頼を置いているし、小梅も幸子に同じ想いを抱いている。

その小梅が言ったのだ。未練は自分の近いところにあると。

それを疑う理由は何処にも存在しない。必ず、自分の近くに存在する。

 

幸子が疑っているのは、小梅の言葉を基盤とした、現状の仮説。

「幽霊の未練は輿水幸子の行動範囲に存在する」。

これが間違っているのではないかと、幸子は思考した。

自分の近いところとは、当然その行動範囲も含まれるのだろうが。

しかし、それだけではないのだとしたら。

自分と近くはあるが、関係は無いものだとしたら。

近いけれども、普段行かない場所。起こさない行動。

そういったものに、未練に繋がる何かがあるのではないか。

2週間もかけて未だ収穫無しという事実が、そのまま幸子の考えの信憑性となっていた。

 

「……あれ、幸子ちゃん、早い……ね?」

 

ふと、前方から声。

見上げると、白坂小梅が壁に掛けられた時計を確認していた。

 

「ノートの清書をしてたんです、どうですかこのカワイイ止め跳ね!」

 

幸子は2冊のノートのうち、正面に置いていた方を両手で広げて小梅に見せる。

幸子は現状の判明点と自分の考えを頭の中に纏めるために、趣味である清書をしていたのだ。

 

「うん……やっぱり、綺麗……。可愛い、よ……。」

 

それを見て、小梅はにこりと笑う。

2人の間で頻繁に繰り返された、いつも通りの受け答えだった。

小梅の反応を見て、やはりいつも通り満足げな顔を浮かべながら、幸子はテーブルに広げた筆記用具を片付ける。

約束の時間が近付いていた。

幸子は芳乃が来るまで、雑談でもして時間を潰すことにした。

このまま趣味を続けていても、目の前の少女は暇をしてしまう。

 

「それにしても、暑くないんですか? その格好。」

 

小梅の身に纏う衣服を見て、幸子はハンカチで額を拭きながら尋ねる。

今年の梅雨は例年より暑く、そして湿気が多く。

特に今日は、温泉の中を歩いているのかと思えるくらいに空気が執拗に身体に纏わりついてきた。

エアコンの効いた店内で30分ほど涼んでいても、まだじっとりとした感覚が引いていない幸子に対し。

ついさっきまで暑苦しい屋外を歩いていたはずの小梅は、汗1つかいていなかった。

 

「落ち着く……よ……?」

 

彼女の手を完全に隠しているパーカーの袖部分をゆらゆらと揺らしながら、何でもないように小梅は言う。

 

「それに……あの子が、いる……から……。」

 

何も無い虚空を見つめながら、何でもないように小梅は言う。

 

「ボクが悪かったですこの話は止めましょう今すぐに」

 

幸子は思い切り頭を下げ、手を合わせて懇願する。

何ですか。あの子が居るから何なんですか。

涼しいんですか。ひょっとして涼しかったりしちゃうんですか。

だからあの格好でも平気だと。成る程納得しました。

納得したので今すぐ違う話題にしましょう。ホラーは勘弁してください。

目は口ほどにものを言うなら、幸子の瞳は非常に達者だった。

 

「試して……みる……?」

 

口元に手を添え、くすりと可愛らしく笑いながら。

小梅がそう言うと、幸子の右腕が、ひやり。

 

「フギャーーーー!!??」

 

「……そちらでしてー。」

 

そのリアクションは、タイミング良く入店した芳乃にとってこれ以上無い目印となった。

 

 

 

 

 

「……ふむー。では、普段とは異なることをなさろうとお考えでしてー?」

 

芳乃の確認に、幸子はしっかりと頷いた。

 

芳乃は頭の中で彼女の言葉を反復し、確かにそうするべきだと納得していた。

その根拠は、幸子が言うように、これだけ時間をかけても進歩が無いという事実に加え。

芳乃のみが知り得る情報も、幸子の考えを支持しているからだった。

 

芳乃が幸子を家まで送り届けた日。

芳乃は確かに幸子の家と、幸子自身の気の巡りを確認した。

どちらも、問題は見られなかった。

 

「幽霊が成仏できない原因の土地には、悪い気が流れている」。

それが先日の撮影で芳乃が学んだことであり、それを当てはめれば。

幸子の家は、未練の原因ではないということになる。

土地だけでなく人間にもその適用範囲を広げるならば、幸子自身も原因ではなくなるのだ。

 

この考えは少々楽観が過ぎることは確かだ。

撮影の時に対面した幽霊は、あくまで皆土地が原因であるケースのものだった。

原因が人間である場合にも同じ考えが当てはまるという確証は無い。

幸子の家に原因が無いことはひとまず確定されたが、幸子本人の気の巡りも同様に良かったからといって、完全に問題無しということにはできない。

しかし、幸子の普段の行動範囲に原因が無いという幸子の考えを、多少後押しするには十分だった。

 

この芳乃の考えが、合っていようと合ってなかろうと。

現に収穫が無い以上、アプローチの方法を変えてみる必要は確かにあるわけで。

幸子自身に原因がある可能性は、排除するのは流石に早計だが、一旦無視する分には。

膠着した状況を打破するために、有効だと芳乃は判断した。

 

「ではー、何を致しましょうー。」

 

幸子が普段起こさない行動。訪れない場所。

最近知り合った芳乃よりも、昔からの付き合いである小梅の方が、思い当たるものが多いだろう。

そう思って、芳乃は小梅の顔を伺う。

 

「…………ほ、」

 

すると小梅は。

今まで芳乃が一度も見たことがないような輝きを瞳に宿し。

身を乗り出して幸子を見つめていた。

興奮しすぎて言葉に詰まっている。

「ほ……」何なのだろう。法螺貝?

 

「…………ほ?」

 

対する幸子は、ぽかーん、と擬音が聞こえてくるような。

何故小梅がこんなに嬉しそうな表情をするのか、把握しかねている様子だった。

 

「…………ほー?」

 

そんな2人の様子を見て、芳乃はきょとんと首を傾げる。

小梅はようやく、ある程度の落ち着きを取り戻し。

それでも興奮を抑えきれない様子で、幸子に提言した。

 

「ホ、ホラー映画……見よう……!」

 

幸子が分かりやすく固まった。

彼女の周りだけ、時間でも止まっているかのように。

それを見て、また可愛らしい反応が見られることを芳乃は経験から悟る。

口元の緩みを隠すために、ほうじ茶を口に運ぶ動作を取った。

 

「…………えっ」

 

幸子の時が動き出す。

目の前の少女が嬉々として発した言葉を理解する。

彼女の表情とその内容は、幸子にとって到底結びつかないものであり。

しかし小梅にとっては、容易に結びつくものであることも、幸子は理解していた。

故に、幸子の思考は結論付ける。

これは単なる冗談などではない。

彼女は。白坂小梅は、本気だ。

 

「いいいいい嫌です! 嫌ですよ!?」

 

ぶんぶんと音が聞こえるほどの勢いで、幸子は大きく首を振る。勿論横に。

どうして小梅と幸子は仲が良いのだろう。

口元の緩みを悟られないよう茶をすすり続けながら、芳乃は2人を見て思う。

こんなにも趣味嗜好が異なる2人が、何故。

 

「いつも、嫌がっても……結局見てくれる……でしょ……?」

 

無論、2人の現状に不満があるわけではない。仲が良いことに越したことはない。

ただ、単純に珍しく感じた。

ホラーが大好きな小梅と、ホラーが大の苦手な幸子。

この2人が今まで親友で居続けられた事実が、とても希少なものに見えて。

だからこそ、2人の会話は見ていて微笑ましいものだった。

 

十数分の攻防の果てに。

今日は小梅の部屋で、彼女オススメのホラー映画鑑賞会を執り行うことが決定。

小梅は「あの子」とハイタッチし、芳乃はほうじ茶をおかわりし、幸子は1人頭を抱えた。

 

 

 

 

 

〔Mission List〕

 

・幽霊の未練を晴らしてください

・白坂小梅の動向を観察してください



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5.姿の見えないあの子の友達

「フギャーーー!!!」

 

これで何回目なのだろうか。

幸子が叫んだ回数を数えることを、芳乃は随分前に諦めていた。

最後に頭の中で唱えた数字は、確か13。

 

白坂小梅が住む、彼女所属の事務所が管理している女子寮の一室にて。

備え付けのテレビの前に置かれたソファに、左から芳乃、幸子、小梅の順で横に座り。

小梅が20分かけて厳選したホラー映画を鑑賞していた。

当然、雰囲気を出すためにカーテンは全て閉め、明かりも消している。小梅のこだわりである。

 

ゾンビの軍団が男を囲み、ゆっくりとその距離を詰めてくる。

その様子を、幸子は涙を溜めながら。小梅は百点満点の笑顔を浮かべながら見つめている。

同じものを見ても、ここまで反応が異なるものなのか、と、芳乃は道中で購入した緑茶をすする。

空になったグラスをテーブルに置き、注ごうとペットボトルに手を伸ばす。

 

しかし、ペットボトルは芳乃の手に触れることなく。

ひとりでに、宙に浮いた。

 

「…………。」

 

芳乃は驚かない。

彼女は気を読むことができるからだ。

ペットボトルは勝手に浮遊しているのではない。

その周りに、ぼんやりと気配が見える。

今この部屋に居るのは、5人。

芳乃。幸子。小梅。幸子に憑いている幽霊。そして「あの子」。

2体の幽霊のうち、物体に干渉できるほどの力を持つのは消去法で「あの子」となる。

つまり。この気配の正体は、「あの子」。

 

芳乃は焦らない。

ただでさえ画面に恐怖している幸子がこれを見たら、流石に失神でもしてしまう気がしたからだ。

目だけで幸子の方を見る。彼女は画面に釘付けになっていた。

その奥に居る小梅も、幸子同様に映画に魅入っていた。

ここで芳乃が明らかな反応を見せて注目を集めさえしなければ、幸子は異変に気付かないだろう。

それに、この気配に悪意は感じない。

ただ、グラスに緑茶を注ごうとしてくれているだけなのだろう。

焦る必要など、何処にもない。

 

キャップがくるくると回転し、やがて外れる。

ペットボトルがゆっくりと傾き、トポトポとグラスに液体が注がれる。

その8割ほどを満たしたところで、ペットボトルは再び直立。

きちんとキャップが閉められた。

 

芳乃はグラスを手に取り、ぺこりと一礼する。

感謝を口に出して伝えたかったが、そうすると幸子が気付いてしまうかもしれない。

だから芳乃は、できるだけしっかりと礼の体制を取った。

「あの子」に感謝が伝わるように。

 

芳乃が礼をし終わると、気配は小梅の左後方に戻る。

どうやら、伝わってくれたようだ。

心の中で安堵しながら、目線を画面に戻す。

スタッフロールが流れていた。いつの間にか終わっていたらしい。

 

「じゃあ……次は、これ……。」

 

スタッフロールも最後までしっかり堪能した後。

小梅はテーブルの上に積み重ねられたブルーレイの塔から、一番上の1枚を抜き取った。

パッケージには、やはりグロテスクなゾンビがアップで写されている。

 

「小梅殿はー、和風のものはお好きではないのでしてー?」

 

ホラーといえば、廃村や廃屋に迷い込んだ主人公が実体の無いモノに襲われる、といった。

いわゆる「和風ホラー」のイメージを、芳乃は強く持っていた。

しかし、今日小梅がチョイスしたラインナップは、どれもが街中で実体のある狂気的な化け物に襲われる。

スプラッタに分類されるだろうものばかりだった。

 

「幽霊モノも……好き……だけど……。

ゾンビが出てくる映画が、特に、好き……。」

 

せっせとブルーレイを入れ替えながら、普段より少し抑揚の高い声で小梅が答える。

その理由を芳乃が尋ねると、小梅は続けて答えた。

 

「ゾンビって、ノロノロ歩いて、襲ってきて、かわいい……。」

 

人には多種多様な価値観というものがある。

芳乃は頭では理解していたそれを、実感を伴って再認識した。

 

「…………幸子殿ー?」

 

ふと、つい先程まで叫びに叫んでいた少女の声が一切聞こえないことに気付く。

その顔を覗き込むと、幸子は白目をむいて気絶していた。

 

「……なんとー。」

 

これが仕事だったなら、文句なしの一発撮りで即終了だっただろう。

映像的にオイシイ反応をしてしまうが故に、苦手な部類の仕事が絶えず殺到する。

難儀な体質をしているものだ。こればかりは同情してしまう。

 

「小梅殿、小梅殿ー。幸子殿がー。」

 

言語設定と字幕設定をしている最中の小梅に声をかける。

基本的に、言語は英語、字幕は日本語が小梅のジャスティスだ。

しかし吹き替え声優や字幕の訳者によっては、その限りではないらしい。ケースバイケース。

 

「幸子ちゃん……せめて安らかに……。」

 

どこからともなく取り出した十字架を両手で掲げ、祈りを捧げる小梅。

意識があったら全力で飛んできただろうツッコミが無いということは、本当に気を失っているようだ。

そのことに気付いた小梅は、つまらなそうに十字架を机の引き出しに仕舞った。

 

「しばしー、休憩致しましょうー。」

 

芳乃の提案に、小梅は頷いて。

幸子をソファに寝かせ、彼女が意識を取り戻すまで目を休めることにした。

しばしの雑談タイム。

 

「先程ー、「あの子」殿からお茶を注いでいただきましたー。」

 

幸子が眠っている今なら、この話をしてもいいだろう。

芳乃は小梅に、ついさっきの出来事を話す。

 

「そう……なの……?」

 

小梅は首を傾げ、自分の左側、その虚空を見つめる。

その先には当然、「あの子」の気配。

単に気付かなかったというだけで、驚いてはいないようだ。

 

「物に触れることができるのですねー。」

 

先日の撮影でもポルターガイストが起きていたから、そう意外なことでもなかったが。

幽霊が物体に触れることができる、と、改めて認識すると。

それは非常に驚くべきことのように思えた。

 

「うん……でも、外だと騒ぎになっちゃうから……。」

 

確かに、幸子のようなただの一般人が、物体が勝手に浮遊する様を見たら何事かと思うだろう。

人目のつかない場所でのみ、「あの子」はその善意に基づいてこちらの手助けをしてくれるということか。

 

「改めまして、ありがとうございますー。」

 

芳乃は再び、「あの子」の気配に向かってお辞儀をする。

 

「どういたしまして、だって……。」

 

小梅が「あの子」の言葉を聞き、芳乃に伝える。

それを聞いて、芳乃は静かに笑った。

 

「ね……聴いても、いい……?

……芳乃さんの、それ、って……地毛……?」

 

ふと、小梅が芳乃の頭部を見つめながら尋ねる。

思えば、3人で行動することは多々あったが、小梅と2人きりで会話する機会は今まで殆ど無かった。

薄い茶色な彼女の髪が、小梅は以前から気になっていたようだった。

 

「はいー、生まれつき、このような髪色でしてー。

……小梅殿はー、染めていらっしゃるのでしょうかー?」

 

芳乃は微笑みながらそう答え、小梅にも同様の質問をする。

小梅の服の趣味やピアスを付けていることなどから、芳乃は彼女の金髪は染色したものだと推測していた。

 

「うん……そう、だよ……。

これで、ゾンビと、いっしょ……。」

 

ピアスに触れ、小さく笑いながら小梅が返す。

しかし、芳乃にはその返答の意味が理解できなかった。

髪を金色に染めることに加え、その仕草から推測するに、ピアスをつけること。

その2つの行為が、「ゾンビといっしょ」に結びつくとは思えなかった。

 

「小梅殿、それは──」

 

芳乃が口を開こうとしたその瞬間、袂の携帯が震える。

続いて、小梅、幸子の携帯からも、着信音が鳴り響いた。

 

「……もしもしー、わたくし依田は芳乃と申しますー。」

 

相手は、プロデューサー。

芳乃が着信に応じ、お決まりのフレーズを口にすると。

彼は新しい仕事が決まった旨を彼女に報告した。

 

その細かい日時や場所、そして仕事の内容を聞きながら、横目で小梅の表情を伺う。

小梅は芳乃と同じように、スピーカー部分を耳に当てながら。

心底嬉しそうに、楽しそうに。

ポケットの中で携帯を震わせ続ける幸子の寝顔を見つめていた。

 

 

 

 

 

〔Mission List〕

 

・幽霊の未練を晴らしてください

・白坂小梅の動向を観察してください



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6.悪意の思惑

「なんでこんなことに……。」

 

幸子は両手で顔を覆い、震える声で呟く。

そのリアクションこそが原因だと伝えるのを、芳乃は止めておくことにした。

 

 

 

 

 

綺麗な満月のみが辺りを照らす真夜中。

3人はまたしても廃校の前に立っていた。

前回訪れた所に居た幽霊は全て除霊したため、今回はまた別の学校だ。

 

先日撮影した、廃校にて行われた3人の肝試し。

全国のお茶の間に放映されたそれは、かなりの高視聴率を誇ったようで。

早速第二弾が企画され、その結果、彼女達は今ここに居た。

 

芳乃は校舎の気を読む。

悪い気が、建物全体に蔓延していた。

前回のものと同じく、幽霊が土地に縛られているケースのようだった。

 

「……?」

 

携帯のバイブレーションと化している幸子の手を引き、早速校舎に足を踏み入れようとしたところで。

小梅の気配が後ろで立ったまま動かないことに、芳乃は気付く。

振り返ると、彼女は前回の撮影と同じように、校門の前で立ち止まっていた。

「あの子」が学校名を気にしていた、と。

幸子の所属する事務所で映像のチェックを行っていた際、小梅はそう言っていた。

今回も同じく、気になっているのだろうか。

 

少し待っていると、小梅は小走りで2人の元へ駆け寄ってくる。

これから自分の趣味でもある心霊スポットに訪れようというのに、彼女は嬉しそうではなかった。

その表情を見て、芳乃は彼女の気を読む。

 

「困惑」。

 

この学校が期待より心霊スポットとしての規模が小さいことによる不満。

或いは、期待より遥かに大きく、むしろ大きすぎることによる不安。

あの白坂小梅が心霊スポットに訪れたにも関わらず浮かない顔をする理由は、その2つしか芳乃には思い浮かばなかった。

しかし。彼女が纏う気の正体は、そのどちらでもない。

ただ、何かに戸惑っていた。

 

「……小梅殿ー、どうかなされましてー?」

 

芳乃は小梅の身を案じ、問いかける。

小梅はゆっくりと首を横に振り、答えた。

 

「私……は、大丈夫……。でも……。」

 

小梅は自分の左側、その虚空に目を向ける。

その先には、「あの子」の気配。

 

「芳乃さんや幸子ちゃんは、平気……だけど……。

私は、入らない方がいい、って……。」

 

なるほど。小梅が困惑するのも頷ける。

非常に困惑している自分自身を客観的に見つめ、芳乃はぼんやりとそう思った。

 

ここは自分達には手に負えないほど危険だから、全員入らない方がいい。

若しくは、幽霊を相手取る経験が少ない芳乃と幸子は入らない方がいい。

上記のいずれかならば、芳乃もここまで戸惑うことは無かっただろう。

しかし、「あの子」は小梅のみを引き止めた。

芳乃と幸子は足を踏み入れても問題ないが、小梅だけはそうではない。

「あの子」はそう警告していた。

 

しかし、芳乃には分からなかった。

自分や幸子は無事だが、小梅だけはそうは済まない。

そんな状況がこの場所で起こり得るとして。

では、そんな状況とは、何か。

具体的にどんなものが有り得るのか。

それが芳乃には、皆目見当がつかなかった。

 

芳乃は2人に気付かれないように「あの子」の気を読む。

対象が幽霊の場合、生者とは異なり、芳乃は善か悪かの2極しか読み取ることができない。

だが今回は、それで十分だった。

小梅に嘘をついているのなら、芳乃の目に「あの子」は悪と映るだろう。

 

「……そう、ですかー。

ではー、何かありましたら携帯にてお伝えくださいませー。」

 

「善」。

「あの子」は小梅の身を心から案じ、この警告をした。

その事実を確認して、芳乃は小梅をここに残し、幸子と2人で探索することを決めた。

 

「う、うん……。

芳乃さんも……危ないと思ったら、すぐ教えて……ね……?」

 

心配そうに自分を見送る小梅に、芳乃は微笑みながら頷く。

彼女に背を向け、校舎の中へ進もうと、1歩前へ。

と、そこで。

そういえば自分の横に居る少女が先程から静かだな、と。

そういえばこの前もこんなことがあったような気がするな、と。

そう思い、半ば予想が付きながらも、幸子の方へ視線を向ける。

 

「……なんとー。」

 

撮影中であることもあり、一応、驚いた素振りを見せておくことにする。

幸子は案の定、気を失っていた。

 

 

 

 

 

「ささささささ先を譲ってあげてもいいですよ! ボクはカワイイので!」

 

廊下の窓から、月の光が差し込んでいる。

青白く染まった道を、芳乃は歩く。

背中から幸子に全力で抱きつかれながら。

 

「動きづらいのでしてー……。」

 

動作こそ鈍重であったが、芳乃は迷うこと無く真っ直ぐに目的地へと向かっていた。

「あの子」が先導してくれているからだ。

小梅が付いて来られない代わりにと、「あの子」は自ら案内兼護衛役を申し出た。

……と、小梅が言っていた。

幽霊の対処に関しては素人である芳乃にとって、小梅の不在は非常に痛手であり。

それだけ、「あの子」の存在は心強かった。

 

廊下を渡り、階段を上り、再び廊下。

スタッフから渡された懐中電灯を使わずとも、月明かりだけで十分に明るかった。

普段日中にしか目にすることのない学校の、知られざる夜の姿。

それは芳乃の目を大いに楽しませた。

現実から切り離された、幻想的な世界が広がっていた。

 

「あの子」が壁をすり抜け、教室へと入る。

ここが目的地のようだ。

芳乃は引き戸に手を掛け、中へ足を踏み入れる。

 

「……これはー。」

 

思わず息を呑む。入り口で立ち止まる。目を見開く。

教室の全貌さえ見渡せない。視界を埋め尽くすほどの、幽霊の気配。

一足先に入った「あの子」は何処に居るのか、芳乃は既に見分けがつかなくなっていた。

何故なら気配の全てが、「あの子」と同じ「善」。

幽霊を個体ごとに認識することができない芳乃にとっては、間違いの無い間違い探しを見せられているようなものだった。

 

「な、何……? 何か居るんですか……?」

 

背後から離れないまま、幸子がおっかなびっくり聞いてくる。

キョロキョロと辺りを見渡していた。

幽霊がギッチリ詰まっていると伝えたら、また彼女の瞳から黒が消えるだろう。

 

「……はいー。2,3人ほどいらっしゃいましてー。」

 

嘘をつくときは、本当のことを少し混ぜるとバレにくい。

いつか何処かで聞いた豆知識を、芳乃は実践してみることにした。

 

さて。

害を及ぼすものではないようだし、幸子のマグニチュードも段々大きくなりつつある。

加えて、小梅を外で待ちぼうけにさせている。

さっさと除霊するのが吉だろう。

 

目を閉じ、心を落ち着かせる。

胸の前で両手を合わせ、ばばさまの記憶を脳内で再生する。

ばばさまが発した音を、自らの口から吐き出す。

音の羅列は神秘的な意味を内包し、教室に反響する。

そうやって、記憶の6割ほどを再生し終わった頃だった。

 

「──、……幸子殿ー?」

 

幸子が、芳乃から離れたのだ。

 

これまでの数週間で、芳乃は幸子のことを多少深くまで知ることになった。

その経験が告げていた。

輿水幸子は、この状況で芳乃から離れることができるほど、恐怖に耐性のある人物ではない。

幸子が取った動作は、明らかに異常だった。

芳乃に儀式を中断させるには、十分なほどに。

 

そして当然、芳乃は幸子の様子を伺うために。

閉じられた瞳を、ゆっくりと開く。

そうなれば、芳乃は目にすることになる。

 

 

 

 

 

「黒」。

 

 

 

 

 

「黒」。「黒」。「黒」。「黒」。「黒」。「黒」。

視界全てを覆い尽くす、どす黒い悪意。

 

瞬間、芳乃は自らの失態を悟る。

幽霊はこの時を狙っていたのだ。

「あの子」の行動を押さえ込んだ瞬間を。

芳乃が除霊の儀を行うために、目を閉じた瞬間を。

内に秘めた悪意を隠し、善を偽る必要の無くなった瞬間を。

 

 

 

 

 

「──依田、芳乃。」

 

 

 

 

 

輿水幸子を人質に取る瞬間を。

 

 

 

 

 

「……何が、望みでして?」

 

芳乃は幸子を、いや、幸子の身体に入り込んだ存在を睨みつける。

輿水幸子は、乗っ取られた。

何故なら、彼女の身体が震えていない。

何故なら、彼女はこんな冷酷な目をしない。

何故なら、彼女はこんな冷え切った声を発しない。

何故なら、彼女の気はこれほどまでに汚くなどない。

 

「今直ぐに此処を立ち去れ。」

 

悪意の中心に立ち、幸子は口を開く。

幸子の声を用いて、幽霊が言い放つ。

 

「……それだけ、ですか?」

 

芳乃は普段のおっとりとした口調を放棄する。

虚勢を張らなければならなかった。

自分が彼等に対して非力な存在であることを、知られるわけにはいかなかった。

攻撃手段を持ち合わせてはいるが、人質を取られているから動けない。

そう勘違いして貰わなければ、幽霊が芳乃に対し人質を取る意味が無いと気付いてしまう。

硬直状態ですらなくなってしまったら、一方的に蹂躙されるだけだ。

 

目の前のどす黒い黒に真っ向から視線をぶつけながら、隙を伺う。

携帯を用いて、外に居る白坂小梅にSOSを発信するタイミングを。

校舎に入る前に、あらかじめメールの文面は入力しておいた。

送信ボタンさえ押すことができれば、救難信号は彼女に届く。

 

だが、それは不可能だと芳乃は悟る。

目に映る黒の全てが、芳乃の挙動を監視していた。

ここで不審な行動を見せれば、その瞬間から幸子の身体は危険に晒されることになる。

そして、この数の脅威から幸子を守る手段を、芳乃は持ち合わせていない。

 

「輿水幸子に取り憑いた霊に、これ以上関わるな。」

 

要求を飲むしかない。

わざわざ幸子を人質に取り、こうして言葉を発しているということは。

この場で直接危害を加えることを、手段として用いる可能性はあっても、幽霊達は目的としていない。

言う通りにさえしていれば、取り敢えずは無事なはずだ。

 

「……承知致しました。

速やかにこの場を後にし、幸子殿の霊への干渉を取り止めましょう。」

 

芳乃が頷き答えると、幸子から黒が漏れ出していく。

その悪意が出尽くすと、彼女は目を閉じたまま、前のめりに倒れ始める。

気を失っているらしい幸子を、芳乃はその身で受け止めた。

 

「──あれ、ボクは、」

 

数秒が経過すると、幸子は目を覚ます。

現状の把握のため、キョロキョロと辺りを見回していた。

芳乃は彼女の気を読み、無事を確認する。

……大丈夫。この気は、確かに彼女のものだった。

 

「……除霊は済みましてー。小梅殿のところへ戻りましょうー。」

 

依然として自分達を取り囲んでいる黒を、見えないフリをして。

芳乃は幸子を安心させようと微笑んだ。

 

「そ、そうですか! では帰りましょう今すぐに!!」

 

芳乃の言葉を聞いて、幸子は目に見えて安堵する。

芳乃は頷き、教室を後にする。

校舎の外に出るまで、黒はずっと2人を監視し続けていた。

 

 

 

 

 

「おかえり……。どう、だった……?」

 

2人の帰還を小梅が迎える。

 

「ま、まあ余裕といったところですかね! 流石ボク、カワイイ!」

 

まだ膝が笑っている幸子が、精一杯の強がりを見せる。

芳乃はそれに笑って同意しつつ、幸子の死角になるように位置取る。

携帯を操作し、1通のメールを小梅に送信した。

 

『件名:幸子殿には内密に

 内容:予期せぬ事態の発生により除霊失敗。要対応。

    詳しくは後日、口頭にて。』

 

小梅の携帯が震え、彼女は通知を表示させる。

文面を確認し終えた頃を見計らい、芳乃は小梅の気を読む。

どうやら、正しく伝わってくれたらしい。

小梅は、除霊に成功したという体で幸子と会話を続けた。

 

と同時に、芳乃は校舎から近付く1つの善の気配を読み取る。

教室にて抑え込まれていた「あの子」だろう。

それはゆらゆらと宙を漂い、恐らくは定位置なのだろう、小梅の左後方へと収まった。

 

何がどうなっている。

芳乃は平静を装いながらも、内心で歯を強く噛み締めていた。

自分達の領域に侵入した生者を追い返した。

それだけならば分かる。

それだけならば理解できる。

だが幽霊が要求したものは、それだけではなかった。

 

幸子に憑いている幽霊への関与の禁止。

何故それが、廃校となった校舎の教室に縛られた幽霊の口から出てくる。

関係無いはずだろう。どうでもいいはずだろう。

幸子に憑いた霊があの校舎と関連があるのなら、そもそも幸子に憑きなどしない。

校舎に直接取り憑くか、あの幽霊達のように縛られるかだ。

 

幸子と校舎に関係があったのか。

いや、それはあり得ない。

幸子は私立のエスカレーター式に通学していると言っていた。

この学校は公立の小学校。幸子と関係など、あるはずがない。

 

「……もう夜も更けましてー。帰ると致しましょうー。」

 

今ここで考え続けても、答えは出ない。

後日、専門家である小梅に今日の出来事を説明し、意見を聞いてから考えるべきだ。

芳乃はそう判断し、他愛もない会話を続ける2人に声をかける。

今夜は、眠れる気がしなかった。

 

 

 

 

 

information : データが更新されました

 

 

[Tips] 2回目の撮影現場

 

「あの子」は撮影現場である校舎の名前を確認し、芳乃と幸子は大丈夫だが、小梅は中に入ってはいけないと忠告した。

芳乃が「あの子」の気を読んだ結果は「善」。悪意を持っての発言ではないようだ。

 

 

[Tips] 教室の幽霊

 

輿水幸子の身体を乗っ取り、芳乃に脅迫を行った。

脅迫の内容は以下の2点。

「今直ぐに此処を立ち去れ。」

「輿水幸子に取り憑いた霊に、これ以上関わるな。」

 

 

[Mission] 教室の幽霊の真意を探ってください

 

教室に居た幽霊は、輿水幸子に憑いた幽霊の詮索を禁止した。

だが、それらに関連性があるとは思えない。

何故このような条件を突きつけたのか、調べてみよう。

 

 

〔Mission List〕

 

・幽霊の未練を晴らしてください

・白坂小梅の動向を観察してください

・教室の幽霊の真意を探ってください



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7.剥き出しでいなければ

「……以上が、先日の一部始終でしてー。」

 

芳乃はそう言うと、ほうじ茶で乾いた唇を潤す。

定番の集合場所となったファミレスのテーブル席。

芳乃の反対側に座った少女は、袖で隠れた左手を口元に当てて思案した。

彼女の左側で、気配がゆらゆらと揺れていた。

 

「それは……確かに、要対応、だね。」

 

小梅は頷き、芳乃の判断に同意する。

明らかに異常だった。

これまでの情報では説明のつかない事態が、確かに発生していた。

 

 

 

 

 

最初から整理しよう。

芳乃は廃校での肝試し番組の撮影にて、幸子と初めて接触した。

その際幸子に幽霊が取り憑いていることを、気を読むことによって発見した。

小梅は芳乃が幸子と出会う以前から彼女と交流があり、幽霊は小梅が初対面の時から憑いていた。

つまりは、芳乃や小梅が幸子と出会うより前に、幽霊は彼女に憑いた。

 

撮影の帰りに初めて幸子はそのことを伝えられ、2人に除霊を要請した。

芳乃はばばさまの見様見真似で除霊の儀を行うことができ、それを用いれば成仏は可能である。

しかしそれは、2種類あるうちの片方のみ。

未練は無いが土地に縛られていて成仏できない幽霊にしか、その効果は無い。

幸子に憑いた幽霊が成仏するためには、その未練を晴らす必要がある。

しかし幸子に憑いた幽霊は殆ど力を持たず、コミュニケーションを取ることは不可能だった。

よって、未練に近いモノに憑くという幽霊の特性から、未練は幸子と関係があると仮定。

幸子の日常生活を観察し、彼女の行動範囲から未練を見つけ出すことにした。

 

それは失敗に終わった。

2週間という歳月を捧げても尚、未練の手掛かりすら得られることはなかった。

その結果から、幸子は1つの仮説を提示した。

自分と近くはあるが、関係のないもの。

近いけれども、普段行かない場所。起こさない行動。

そういったものに、未練に繋がる何かがあるのではないか。

 

芳乃はこの考えを支持した。

彼女が幸子とその家の気を読んだ結果が、幸子の仮説を裏付けていた。

幽霊の未練と関係するモノには、悪い気が流れている。

肝試し撮影の経験から、芳乃はこの仮説を見出した。

そして幸子にも、幸子の住む家にも、悪い気は流れていなかった。

 

しかし。

2度目の肝試し撮影にて、以上の出来事や推測のみでは説明できない、新しい事態に直面した。

その経験から、芳乃は3つの新たな仮説を導き出した。

 

「幽霊は自らの気を偽ることができる」。

芳乃は「あの子」に案内された教室に入ると、視界を覆い尽くすほどの大量の幽霊を目撃した。

それらは全て善の気を纏っており、故に芳乃はその場で除霊の義を試みた。

校舎に入る前に建物の気を読み、この場に居る幽霊は土地に縛られているものと分かっていたからだ。

未練がある場合でないならば、芳乃は幽霊を成仏させることができる。

そのために目を閉じ、幸子の行動に違和感を抱き、次に視界を取り戻した瞬間。

善であったはずの幽霊は、全てが悪に変化していた。

隙を伺っていたと、芳乃は判断した。

2人と1体の侵入者の内、同じ幽霊である「あの子」を行動不能にし、自分達を認識できる芳乃が目を閉じる瞬間を。

確実に幸子を人質に取り、要求を飲ませる状況を作り出す機会を。

それを狙っていたのだ。悪である自らの気を、善と偽って。

 

「幽霊は生者の身体を乗っ取ることができる」。

芳乃が幸子の異変に気付き、目を開けると、既にそれは幸子ではなかった。

幸子の身体を使って、幸子の声を用いて、何者かが芳乃に接触した。

芳乃は、芳乃だけは確信を持って断言できる。

他者の気を読み取ることができる芳乃ならば。

決して気のせいなどではない。あれは輿水幸子ではなかった、と。

 

「幸子に憑いた幽霊の未練は、校舎に居た幽霊と何らかの関係がある」。

幽霊は芳乃に一方的な要求を告げた。

今すぐにこの場所を立ち去ること。

そして、幸子に取り憑いた幽霊への関与を止めること。

幸子に憑いた幽霊は、幸子に近いものに未練を抱いているはずだった。

しかしこの要求は、未練は校舎の幽霊と関係があると言っているようなものだ。

芳乃達が未練に近付くことは、校舎の幽霊にとって不都合なもので。

だから止めさせようとした。安直に考えれば、そういうことになる。

 

 

 

 

 

「これら3つについてー、御意見をお聞きしたくー。」

 

これらの仮説が合っているのか、少しズレているのか、それとも全くの見当違いなのか。

芳乃には皆目見当もつかなかった。

そもそも幽霊と関わるようになったことすら最近の話だ。

経験の数。それが芳乃には不足していた。

しかし、小梅ならば。

芳乃よりも圧倒的に幽霊に関する経験の多い彼女ならば。

芳乃よりも正確に、正否を見分けられるはずだ。

 

「まず……身体の、乗っ取り。

これは、条件付きで……できる……。」

 

小梅はそう言うと、パーカーの袖から指の先だけを2本、ほんの少し覗かせる。

それはどうやら、2を表しているらしかった。

 

「第一に、幽霊の魂が、ある程度の強さを、持っていること……。」

 

小梅はそっと中指を折る。

人差し指だけが、こちらを覗く。

 

「そして、生者が……気を失っているか、乗っ取られることを、承諾しているか……。

とにかく、抵抗していない状態に、なっている、こと……。」

 

人差し指も折られ、その小さな手の全てが袖の中に収まる。

……そういえば、幸子は事あるごとに気絶していたような。

彼女は本格的に幽霊と相性がよろしくないらしい。

 

「次に……幸子ちゃんに憑いた、幽霊の、未練。

これも、芳乃さんの考える通り……だと、思う……。」

 

3つ目についても、小梅も芳乃と同じ考えのようだった。

それが具体的に何なのかは調べなければ分からないが、何かの関係がある。

幸子に憑いた幽霊と、校舎に居た幽霊に。

 

「でも、幽霊が気を偽る、のは。

きっと……無いんじゃ、ない、かな……。」

 

しかし、1つ目。

幽霊が気を偽ることができるという、芳乃の仮説については。

小梅は、はっきりと反対の立場を表明した。

 

「……理由をお伺いしても、よろしいでしょうかー?」

 

小梅の反応は、芳乃にとって予想外のものであった。

芳乃はむしろ、3つ目の仮説の方が自信がなかった。

より現実味がないと感じていたからだ。

幸子とあの校舎との関係が何一つ思い当たらない事実が、どうしようもなく妥当性を低下させていた。

 

しかし、1つ目については。

何ら矛盾もなく、引っかかる点もなく。

すんなりと受け入れられるものだと芳乃は考えていた。

それを小梅は否定した。

その行動は、小梅から見れば芳乃の考えに明らかな矛盾があることを意味していた。

 

「理由……上手く、言えない……けど……。

幽霊は、悪意を隠せない……ような……。」

 

芳乃の言葉に、小梅は言葉を濁す。

彼女自身、言語化できるほど自らの思考の根拠を咀嚼できていないようだった。

 

「……焦らずとも、良いのでしてー。

ゆっくり、ゆっくり、言葉を探してくださいませー。」

 

小梅にとって、それは最早説明が不要なほどに当たり前のことなのだろう。

わざわざ言語化する必要が無いまでに、必然とすら言えることなのだろう。

何故海は青いのか。その問いに、答えは確かに存在する。

だが、それを答えられるのは、過去に疑問を持ち、調べ、納得した人物のみだ。

海は青いという当たり前を、当たり前としか感じていない者は、その原理を理解することはない。

故に当惑する。「だって海は青いものじゃないか」と。

 

「……えっと、ね?

幽霊は、自分の感情に、忠実……で。

だから……、」

 

それは恥ずべきことではないし、誰にでもあることだ。

芳乃はそういった考えの持ち主だった。

この場に恥ずべき人物が居るとしたら、それは芳乃自身だ、とすら考えていた。

芳乃は海が青いことを知らないが故に、その無知が故に。

海が青いことを当然として知っている小梅を、困らせてしまっているのだから。

 

「……違う?

悪意を隠しちゃ、いけない?」

 

小梅が言葉を紡ぐ、その途中で。

まるで何者かに話を遮られたかのように、小梅は右上を見上げる。

 

「……小梅殿、悪意を隠してはならないとはー?」

 

隠してはいけない。小梅はそう漏らした。

そういった制約が存在しているのだろうか。

或いは隠すという思考が、幽霊と成るにあたり、すっかり抜け落ちるのだろうか。

 

「自分にも分からない、でも、そういうものだ、って……。」

 

しかし、「あの子」はそれ以上のことは語ろうとしない。

いや、語ることができないようだった。

 

「……そう、ですかー。」

 

芳乃は、それ以上追及をすることはなかった。

 

「──もしもしー、わたくし依田は芳乃と申しましてー。」

 

ふと、懐から電子音。

出ると、相手は幸子のプロデューサーだった。

撮影した映像のチェックを、またお願いしたいという。

 

「……あれはー、皆々様にお見せできるものではないと存じましてー。」

 

この目で確認するまでもない。

あれは決して、広めて良いものではない。

映像はお蔵入りとするべきだろう。

……と、そのように伝えると。

彼もそのことは承知しており、ボツにする気ではいるのだが。

その為には「その筋の者が実際に映像を見て警告した」という事実が必要なので。

適当に映像を流し見して適当に意見を言ってくれ、とのことだった。

いわゆる大人の事情というやつらしい。

 

「じゃあ……行こ?」

 

小梅に電話の内容を伝えると、彼女は頷き立ち上がる。

話の続きは、映像を確認した後にすればいいだろう。

そう思い、芳乃は小梅を引き止めることなく、共にファミレスを出る。

どんよりした雲が、空を覆っていた。

 

 

 

 

 

information : データが更新されました

 

 

[Tips] 乗っ取り

 

幽霊は一定の条件を満たすことで、生者の身体を乗っ取ることができる。

条件は以下の2点。

・幽霊となった魂がある程度の強さを持っていること

・生者が身体を乗っ取られることに抵抗しない状態であること

 

 

[Tips] 幽霊の悪意

 

白坂小梅曰く、幽霊は悪意を隠すことができない。

「あの子」によれば、悪意を隠してはいけないようだ。

 

 

〔Mission List〕

 

・幽霊の未練を晴らしてください

・白坂小梅の動向を観察してください

・教室の幽霊の真意を探ってください

 



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8.安寧な幻想の中で

2人が幸子の所属する事務所に着くと、そこに幸子の姿は無かった。

話を聞くと、今回は流石に面白半分に付き合わせていいものではないと考えたらしい。

妥当な判断だ。仮にこの場に幸子が居たら、芳乃は無理矢理にでも映像を見せまいとしただろう。

 

「ではー、お願い致しましてー。」

 

幸子のプロデューサーは頷き、DVDを手に取る。

 

その動作を眺めながら、芳乃は1人思考する。

先程ファミレスで目にした、明らかな異常について。

思えば、今回だけではない。

彼女の行動に疑問を覚えたことは何度もあった。

幸子のショッピングに付き合った日。

ホラー映画の鑑賞会をした日。

2度目の撮影の日。

もしかすると、2度目のファミレスでの会議ですらも。

 

芳乃は、ただ注視する。

彼の手にあるDVDと、1つの気。

その動向を、注意深く観察する。

 

それらの多くを知覚しながら、芳乃は現在に至るまでその真意に気付くことはなかった。

それに辿り着くには、どうしようもなく決め手が欠けていた。

何か様子がおかしいかも知れないし、何ら問題は無いのかも知れない。

彼女は正常と異常の中間に位置し続けた。

 

あれが再生されては困る者が居る。

あれを見られては困る者が居る。

あれに気付かれては、困る者が居る。

 

芳乃はやっと確信する。

これまでの不可解な事象は、全て同一の存在が引き起こしていた。

これまでの不可解な現象は、全て同一の理由に基づいて引き起こされた。

これまでの不可解な状況は、全て同一の真実を隠すために存在した。

 

彼は機器の前で膝をつき、その口を開かせる。

 

彼女はツークツワンクの状態にある。

可能ならば動きたくないだろう。

今までとは異なり、動けば少なからずリスクを伴う。

だが。彼女は必ず自ら動く。

今までとは異なり、動かなければ彼女は即座に詰みの状態になる。

彼女の行動の意味が、全て水泡に帰す。

 

さあ。もう猶予は無くなった。

動け。打開しろ。そうしなければ全てが終わる。

彼の手にあるDVDは、真っ直ぐに機器へと移動し──

 

 

 

 

 

ぱりん。

 

 

 

 

 

──その中へ収まることなく、音を立てて2つに割れた。

 

瞬間。芳乃は小梅に目を向ける。

彼女の視線は彼の手に注がれ、こちらに気付いていない。

その気を読み取る。

彼女の心理状態を暴く。

何の物理的刺激も受けていないはずのものが、一瞬で壊れた。

それを見て、彼女が弾き出す思考。

白坂小梅の感情は。

 

 

 

 

 

「驚愕」。

 

 

 

 

 

予想だにしない状況を目にした者に、これ以上なく相応しい感情。

それを彼女が抱いている、ということは。

白坂小梅は、この現象に加担していない。

 

「……割れ、ちゃった。」

 

目を見開きながら、ぽつりと小梅が呟く。

芳乃の仮説が正しいことは立証された。

だが、その問題は未だ潜在のまま。

今ここで無闇に顕在化したとしても、決して良い方向には転ばない。

ならば。

 

「……呪われていたのでしょうー。此処に霊は「あの子」殿しか居りませぬー。」

 

DVDが破損した瞬間、それに触れていた生者は幸子のプロデューサーのみ。

そして彼が意図的にそれを割ることはあり得ない。

これが何らかの存在の意思によって直接行われたものならば、犯人は幽霊に限られる。

 

「うん……。あの子、ずっと隣に……居た、から……。」

 

小梅は頷いて、自らの左側を見る。

この場に存在する唯一の幽霊である「あの子」は、小梅の側を離れていない。

故に破壊は不可能だと。彼女自身がそう証言した。

ならば、彼女は何を疑うこともなく結論付ける。

これは呪われていた。だから壊れたのだ。

 

映像を確認するまでもなかった、これは放送してはいけないものだ。

バックアップデータも直ぐに削除する。

彼はそう言って、2人に謝罪する。

無駄足を踏ませてしまった、と。

2人の力を借りずとも判断できるものだった、と。

 

「いえー、お気になさらずー。」

 

芳乃はふんわりと笑い、小梅はコクコクと頷く。

同じように彼を許した2人。その理由は、それぞれ違っていた。

芳乃は心の中で呟く。

無駄足であるものか。意味はあった。十分過ぎるほどに。

 

 

 

 

 

「本日はもう日が暮れましてー、お話はまた後日に致しましょうー。」

 

2人は事務所を後にする。

ファミレスに戻るかどうか小梅が尋ねると、芳乃はそう返して微笑んだ。

小梅は普段夜更かしに慣れているのか、少し意外そうにしていたが。

芳乃は早寝早起きの生活をしているのだろうと納得し、その場で別れた。

 

「……さてー。」

 

小梅の推測は半分が正解であり、もう半分は間違っていた。

芳乃は普段、早寝早起きの生活をしている。これは正解。

不正解なのは、もう片方。

話の続きを後日に回した理由は、芳乃の生活リズムではない。

 

「もしもしー、わたくし依田は芳乃と申しましてー。」

 

小梅から十分に離れた芳乃は携帯を取り出し、電話をかける。

情報が必要だった。

彼女の過去を知る必要があった。

故に芳乃は、彼女と深い関わりのある人物に声をかける。

 

「急で申し訳ありませぬがー、少々お話がしたく存じましてー。今からお会いできますでしょうかー?」

 

『構いませんよ、ボクはカワイイですからね!』

 

受話器の向こうで、少女は元気良く了承した。

 

 

 

 

 

〔Mission List〕

 

・幽霊の未練を晴らしてください

・白坂小梅の動向を観察してください

・教室の幽霊の真意を探ってください



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9.幸福な虚構の中で

インターホンを押すと、扉の向こうから気配。

近付いてくる足音を聞きながら、芳乃は彼女に伝える情報を整理していた。

 

伝えるのは勿論、白坂小梅について。

彼女の危険性、そして危急性について。

 

彼女は嘘を吐いていた。

いや、この表現は些か適当ではない。

彼女は事実とは異なる発言をしていた。

しかしそれは、彼女にとっては紛れもない真実だった。

 

彼女の言動には明らかに矛盾が存在した。

芳乃がその疑いを持ったのは、二度目の撮影の時。

小梅が言うには、あの校舎は芳乃や幸子が入っても問題は無く。

しかし小梅だけは、入っては危ないと。

そう「あの子」は言っていた。

だが実際、芳乃達は教室で悪霊に囲まれた。

危険以外の何物でもない状況に晒された。

 

そして芳乃がそれを確信したのは、つい先程。

小梅が「幽霊は気を偽ることはできない」と断じた瞬間だ。

仮にそれが正しいとしたら、あの教室での出来事に説明がつかない。

あの場に居た幽霊は、最初から悪霊だったのではない。

芳乃が目を閉じてから再び視界を取り戻すまでの間に、悪霊になっていたのだ。

小梅の発言が正しいのなら、芳乃が周囲を認識できない間に、あの場に居た幽霊がそっくり入れ替わったことになる。

 

物理的にそれが有り得るのかといえば、恐らく可能ではある。

何処か他の場所に悪霊が待機し、隙を見計らって入れ替わればいいだけだ。

だがそれを行うには、善の気を放つ霊に目論見を見透かされないように、しかし協力してもらわなければならない。

その真意に気付かれた時点で善の霊は要請を断るだろうし、もし加担したとしても、その瞬間それは悪霊になる。

彼等は気を偽れないのだから。

彼等の協力を必要としない方法を取るなら、武力を以ってあの場を制圧しなければならない。

だが善の霊も少なからず抵抗することは必至であり、故に確実性は無い。猶予時間を加味すれば、あまりにリスキーが過ぎる。

以上の点から、確かに可能ではあるが現実性に欠ける。そう芳乃は判断した。

 

校舎に進入することは芳乃や幸子にとっても危険だった。

幽霊は気を偽ることができた。

ならば何故、小梅は真実と異なる発言をしたのか。

その理由は、先程述べた通りだ。

小梅は平然と嘘を吐けるほど対人関係において器用ではないし、幸子のことを大切にしていないわけでもない。

彼女にとっては、紛れもない真実だった。それだけのことだ。

そして、小梅の2つの嘘は、全て同一の存在が彼女に伝えたものだ。

ここまでくれば、自ずと1つの事実が浮かび上がる。

 

「あの子」は嘘を吐いている。

 

では、何故。

何故「あの子」は欺いた。

それについても、芳乃は見当をつけていた。

そして確信した。

DVDがひとりでに、2つに割れた瞬間に。

 

あの時、DVDに触れていた生者は彼だけだった。

あの時、幽霊は「あの子」しか居なかった。

あの時、小梅は「あの子は自分の側に居た」と言っていた。

 

呪われていたから壊れたと、あの時芳乃はそう言った。

それは真実ではない。あの場を丸く収めるための方便に過ぎない。

DVDが割れたのは、あの場に居た者が実際に取った行動の結果だ。

あの時、それを行ったのは誰か。

あの場に居た者の中で、芳乃だけが知覚できた。

 

「あの子」だ。

 

あの時「あの子」の気配が小梅の元を離れ、映像を見せまいと破壊した。

その一部始終を、芳乃は確かに見た。

そしてその直後、小梅は事実と完全に矛盾する発言をした。

「あの子」はずっと自分の隣に居た、と。

そう発言することが分かっていたから、芳乃は嘘を吐いた。

そして思惑通りに事が運んだ結果、芳乃は確信する。

 

「あの子」は2人存在する。

 

白坂小梅から見れば、確かに「あの子」はずっとそこに居た。

しかし「あの子」の気配は、明らかに移動していた。

芳乃が見間違えることはない。あの場に居た幽霊は「あの子」だけなのだから。

「あの子」は間違いなく小梅から離れ、しかし小梅の視界には変わらず側に居続けた。

となれば、答えは1つ。

 

白坂小梅は「あの子」の幻覚を見ている。

 

「あの子」は幽霊として確かに存在し、しかし小梅はそれを認識していない。

小梅本人が言っていた。

霊感を有する人物は自由に幽霊の視る・視ないを変更できると。

小梅は視ないようにしていたのだ。

他の幽霊は全て視えるように、しかし「あの子」だけは視えないように。

彼女は彼女の世界から、「あの子」だけを除外した。

 

そして同時に、小梅は「あの子」の幻覚を造り出していた。

彼女が知覚し、会話し、助言や忠告を受け取っていたのは、自分自身の思考だった。

彼女自身だったのだ。

あの日教室に入るのは危険と言ったのも。

あの時幽霊が気を偽ることは無いと言ったのも。

全て彼女の、切り離された思考が発していたことだったのだ。

 

その理由は、まだ、分からない。

ただ1つ明らかなのは、「あの子」は小梅の見る幻想を維持しようとしていること。

芳乃と幸子が教室に入った時の一連の事象、その犯人は恐らく「あの子」だ。

「あの子」は小梅の幻覚が提案した案内役という立場を利用し、壁をすり抜けることによって芳乃より一歩早く教室に入り。

その場に居た幽霊に協力を要請。

後はタイミングを見計らって幽霊達に気を偽ってもらい、同時に自分は幸子の身体を乗っ取る。

そして芳乃に脅迫した。

あの場から立ち去ることを強要し、幸子に憑いた霊の詮索を禁止した。

 

小梅があの校舎を見るわけにはいかなかったのだろう。

小梅の見る「あの子」の幻覚は、必ず学校名を確認していた。

その上で小梅だけは入ってはいけないと忠告した。

案内役を申し出たのは、ひとえに小梅が撮影に参加できない罪悪感を紛らわすためだろう。

その幻覚の発言を利用し、小梅に見られない状況を作り出して、「あの子」は芳乃を脅迫した。

早く校舎から出てもらわなければ、小梅が芳乃達を心配して校舎に進入するかもしれなかったからだ。

 

そして校舎を見せてはいけないのなら、それはDVDを見せてはいけないのと同義だ。

故に「あの子」はDVDを破壊した。

依田芳乃に、事実に辿り着かせる決定的な証拠を与えてしまうと分かっていても。

それでも動かざるを得なかった。

 

小梅は「あの子」を知覚しておらず、代わりにその幻覚を見ている。

「あの子」は小梅の幻想を守るために行動している。

そして彼女の幻想は、あの校舎と密接な関係がある。

 

理解したのがここまでだったなら、芳乃は介入するべきかもう少し様子を見ただろう。

小梅と「あの子」の思惑は幻想を見続けるという方向で完全に一致している。

一致している以上、他人がとやかく言う問題ではない。

それが幻に過ぎないとしても、一生見続ければ現実だ。

 

芳乃が白坂小梅の現状を問題とし、この問題に介入しようとしているのは。

他ならぬ小梅自身が、SOSを発していたからだ。

小梅の幻想である「あの子」は常に小梅の左後方に位置している。

右目が前髪で隠れているから、より見やすい場所に位置取っているのだろう。

幻想でない本物の「あの子」も、幻想の行動から逸脱しないようにしていた。

気を読むことによって唯一自分を知覚することができる芳乃を相手にしている時は、特に気を遣って。

つまりは先程ファミレスに居た時も、「あの子」は小梅の左後方に居たのだ。

そして「あの子」の幻想に話しかけられた時。

 

小梅は自分の右を見た。

 

あれは、救難信号だ。

芳乃は迷うことなく結論付ける。

あれは小梅の、無意識のSOSだ。

気を読むことができる芳乃の目の前で。

小梅は「あの子」の気配とは反対の方向を向いた。

芳乃がそれを見て、違和感を感じないわけがない。

小梅自身は理解していないとしても、小梅の抑圧された精神は。

小梅が見る「あの子」の幻想は、それを理解しているはずだった。

その上で幻想は小梅の右側に位置した。

それがSOSでなくて、何だ。

 

白坂小梅は助けを求めている。

 

故に芳乃は、彼女の目を覚まさんと行動する。

白坂小梅の過去を欲する。

あの校舎と小梅との関連を。

彼女にとって、あの校舎は何なのかを。

 

そして、幸子に憑いた幽霊の正体を。

 

「あの子」は小梅の幻想を守る為に行動している。

そんな存在が、芳乃達に幽霊の詮索を禁止した。

何らかの関連性があるのだ。

小梅の幻想と、幸子に憑いた霊との間には。

それを知られれば「あの子」に不都合が生じる程度の関連が──

 

 

 

 

 

「──さん、芳乃さん?」

 

「…………ほー?」

 

目の前に、幸子が居た。

怪訝そうにこちらの顔を下から覗き込んでいた。

 

「……申し訳ありませぬー、少々、考え事をしておりましてー。」

 

いつの間にか、幸子は芳乃を迎えに玄関を開けていたらしい。

彼女に無礼な態度を取ってしまったことを、芳乃はすぐさま謝罪した。

 

「ボクがどうしてこんなにカワイイかですか?」

 

ノータイムでこの返答。

幸子はどうやらいつも通りのようだった。

 

「そこに理由などありません、カワイイからカワイイんです!」

 

ドヤ顔でポーズを決める幸子。

その様子が確かに可愛いので、芳乃は取り敢えず拍手することにした。

 

「まあ、上がってください。お茶をお出ししますので!」

 

喝采を浴びて一通り満足すると、幸子は芳乃を家に招き入れる。

ぺこりと一礼して、芳乃は幸子の先導に従った。

玄関を通り、廊下を抜け、リビングと思しき場所へ。

 

 

 

 

 

一歩足を踏み入れ、芳乃はそこで立ち止まる。

何故歩みを止めたのか、瞬時には分からなかった。

脳が理解を拒絶した。

芳乃の持ち得る予備知識では、目の前の光景を処理することはできなかった。

ああ、そうだ。

目の前の光景が理解できなかったから、自分は足を止めたのだ。

 

「────な、」

 

異常だった。

その空間は、異常だった。

 

本当はこの時が来る前に、気付くべきだったのかもしれない。

幸子を家まで送った時に確認したのは、幸子の家と幸子本人のみであり。

家に居る生者の気は確認していなかったことを。

 

そんな言葉で、到底表せるものではない。

だが、芳乃の頭には、この二文字しか浮かぶことはなかった。

異常。異常。異常。

目の前の現実を脳が理解しようとした結果、芳乃はこの二文字に塗り潰される。

 

時折不可解な言動を見せ、SOSを自ら発した白坂小梅。

一貫した言動を取り、何の問題性も見出させない輿水幸子。

そのどちらが、本当に緊迫した状態であるのかを。

 

カーテンは締め切られ、明かりは1つとして点かず。

誰も居ない空間で、少女は抱きつく動作を取る。

まるで、そこに誰かが居るかのように。

 

何一つ違和感を見せないということは、問題が無いことと同義ではないことを。

 

誰も居ない。

幸子の目線の先には、誰も。

ただ虚空のみが広がっていた。

誰も居ないのだ。生者も、霊も。

 

最後まで隠せない人間と、最後まで隠せてしまう人間。

どちらが、より危うい存在であるのかを。

 

 

 

 

 

「パパ、ママ、お友達が来ましたよ!」

 

 

 

 

 

誰も居ない空間に、少女の声が木霊した。

 

 

 

 

 

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[Mission Update] 白坂小梅の動向を観察してください⇒白坂小梅を救ってください

 

彼女は幻覚を見ていた。

彼女は助けを求めていた。

ならば、助けなければならない。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。

 

【error】データの一部が秘匿されています

 

 

〔Mission List〕

 

・幽霊の未練を晴らしてください

・教室の幽霊の真意を探ってください

・白坂小梅を救ってください



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10.怪奇現象

「ママ、茶葉ってどこに仕舞っておきましたっけ?」

 

何度も思考を繰り返す。

何度も視認を繰り返す。

何度も何度も繰り返す。

 

「パパ、この人が芳乃さんです! ボクに負けず劣らずカワイイでしょう!」

 

誰一人として存在しない。

何一つとして存在しない。

その場所には誰もいない。

 

「あー、いいですよ、お茶くらいボクが淹れますから!」

 

目の前の齟齬に耐えられなかった。

その矛盾が不快で仕方がなかった。

目に映る光景全てが芳乃を不安定にさせた。

 

「フフン、そうでしょう! もっと褒めても良いんですよ!」

 

当然のように幸子は両親と談笑する。

芳乃が全く認識できない存在と。

たった1人、幸子は一方的に話し続ける。

まるで幸せな家庭に生まれた少女のような笑顔で。

 

「当然です! ボクはカワイイので!」

 

次第に芳乃は分からなくなっていく。

それを認識している幸子が異常なのか。

それを認識できていない自分が異常なのか。

 

「フフーン、悪くない撫で心地です!」

 

段々と芳乃は不安になっていく。

どうして幸子はそんな表情ができるのだ。

まさか、自分がおかしいのか。

それを認識できない自分こそが狂っているのか。

 

「……幸子、殿、」

 

自分の認識と目の前の景色に生じた差異。

それをそのまま放置することなど、できるはずがなかった。

世界が不自然な人工の原色に染まっていた。

視界に映る全てが芳乃を追い立てた。

ギラつく景色の中で通常通りに振舞う彼女の姿が異常だった。

これを異常と感じる自分こそが異常だと、世界の全てが糾弾していた。

 

「はい、どうしました?」

 

不快だ。異常だ。不安だ。異質だ。

この感情が恐怖なのだと、ようやく思い出した。

故に芳乃は震える声を吐く。

言ってはならない言葉だと、分かっていながら口にする。

 

 

 

 

 

「そこに、誰が、居るのですか?」

 

 

 

 

 

見て見ぬフリをできなくさせる。

 

 

 

 

 

「…………何を言ってるんですか?」

 

幸子は笑ってそう返す。

取り繕ってなどいない、心からの平静。

しかし、芳乃は見てしまった。

それを聴いた瞬間の、恐らくは無意識下の表情を。

目の前の人物を敵と見なした、冷酷な目を。

 

「ですから……! そなたは、誰と……!」

 

駄目だ。これ以上は。本当に取り返しがつかなくなる。

理性が必死に自分を止めようとしていた。

その声を理解しながら、感情が止められない。

この恐怖が止められない。

 

「パパとママに決まってるじゃないですか。」

 

おかしなことを言う人だ。

幸子の表情はそう言っている。

何故そこまで平然としていられる。

当然のように現実と反する発言ができる。

 

「……そこには! 誰も居ないではないですか!」

 

怖い。

目の前の少女が怖い。

輿水幸子が、怖い。

故に芳乃は声を荒らげる。

脅威に吠える小型犬のように。

 

「……好い加減、カワイイボクでも怒りますよ?」

 

幸子の目線が鋭く刺さる。

自らの敬愛する両親を貶められた際にするであろう、正常な反応。

そんな動作を取ること自体が、どうしようもなく異常だった。

 

「…………っ!」

 

歯を強く噛み締める。

口から漏れ出そうとした言葉を封じ込める。

駄目だ。これ以上、何を言っても。

幸子は芳乃の話を聞き入れないだろう。

芳乃が幸子の話を聞き入れないのと同じように。

 

「……あの、どうかしたんですか?

今日の芳乃さん、ちょっと、変ですよ?」

 

考えろ。これ以上、事態が悪化しないように。

もう問題は顕在化した。無かったことにはできなくなった。

これを解決するために取れる、残された最善手は何だ。

 

「…………そう、かも、しれませぬー。」

 

撤退。

今この瞬間に介入する手段を模索できるほど、芳乃は冷静ではなかった。

この場を離れ、落ち着いて考える必要がある。

このまま「居る・居ない」の押し問答を繰り返しても、いたずらに幸子との距離が離れるだけだ。

 

「……幸子殿ー、申し訳ありませぬが、本日は御暇させていただきたくー。

此度の非礼につきましては、後日改めてお詫びに伺いましてー。」

 

というのが、理由の1つ。

もう1つは、単にこれ以上、耐えられそうにない。

この状態の輿水幸子を、直視し続けることに。

 

「……分かりました。

力になれることがあったら、言ってくださいね。」

 

幸子は芳乃を心配そうに見つめる。

つい先程両親を侮辱した存在の身を案じている。

突然おかしなことを言い出した友人に対して取られた、親切心に溢れた行動。

今はその優しさすらも、芳乃の背を冷たく撫で上げた。

 

「……ありがとうございますー。」

 

芳乃はゆっくりと玄関へ向かって歩く。

本当は、走り去ってしまいたかった。

少しでもここに居る時間を減らしたかった。

しかし、これ以上自分が異常であるような行動を取ったら。

これ以上、奇怪な行動を重ねてしまったら。

本当に自分が異常になってしまうように思えて。

芳乃は必死に、自身の平常を取り繕った。

 

 

 

 

 

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[Mission] 輿水幸子を救ってください

 

彼女は両親の幻覚を見ていた。

明らかに異常な状態だ。

彼女を助けなければならない。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。

 

【error】データの一部が秘匿されています

 

 

〔Mission List〕

 

・幽霊の未練を晴らしてください

・教室の幽霊の真意を探ってください

・白坂小梅を救ってください

・輿水幸子を救ってください



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11.生命を賭して

陽が殆ど落ちた空を見る。

 

「……小梅殿ー。」

 

幸子の家を逃げるように後にした芳乃は、携帯電話に向かって語りかけた。

 

『うん……どうした……の……?』

 

握り締めた携帯から小梅の声。

芳乃は見誤った。

誰が問題を抱えているかを見誤った。

何を優先するべきかを見誤った。

 

「単刀直入に申しますー。

先程幸子殿のお宅に伺いましてー。

そこには幸子殿以外に気配は無くー。

しかし幸子殿は、まるで御両親がいらっしゃるように振舞っておられましたー。」

 

小梅ではない。

優先するべきは、輿水幸子。

 

『…………幽霊は、居なかった……ってこと、だよね。』

 

小梅も幸子も、等しく問題を抱えていた。

小梅の方は、まだ見て見ぬフリができる。

だが、幸子はそうではなくなった。

芳乃は明らかにそれを指摘してしまった。

輿水幸子の問題は、顕在化したのだ。

 

「はいー。そのはずでしてー。」

 

故に芳乃は策を練る。

白坂小梅の問題を潜在させたまま、しかし解決に手を貸してもらうために。

それを許さないだろう存在を説得するために。

「あの子」に邪魔をさせないように。

 

『幻覚を見てる……って、こと……だよね。』

 

芳乃は小梅の発言を誘導する。

自分が最も会話を交わしたい存在と出会うために。

その存在が言葉を発することができる状況で、自分の目の前に現れてくれるように。

そうしなければならないように。

 

「……恐らくはー。」

 

小梅は幻覚という言葉を口にする。

それは「あの子」が芳乃達に危害を加えようとした理由。

小梅に幻覚という言葉を近付けさせないために「あの子」は行動していた。

しかし小梅は今、はっきりと口にした。

「幻覚」と。

 

「今一度、お聞かせ願えませぬかー。

そなたが知り得る限りの、幸子殿についてをー。」

 

行動しなければならない。小梅のために。

封じなければならない。この口を。

行かなければならない。芳乃の元へ。

依田芳乃は小梅にとって害ある存在なのだから。

 

『うん……。今からでも、いい……?』

 

しかし。今ではいけない。

芳乃は小梅と電話をしている最中だ。

その状態の芳乃に接触すれば、小梅は何らかの異常に気付く可能性がある。

可能性がある以上、まだ「あの子」は動けない。

仕掛けてくるのは、この通話が終わった時。

 

「はいー。そなたの寮でよろしいでしょうかー。」

 

だからこそ、芳乃は神経を集中させる。

何処から襲われてもいいように、全方面の気を読む準備を整える。

 

『うん……じゃあ……待ってる、ね?』

 

「あの子」は既に警告した。

これ以上関わるならば危害を加えると、あの時確かに警告した。

それを理解したが故に芳乃は引き下がった。

理解したという意思表示のために。

 

「はいー、それではまたー。」

 

次は本当に危害を加えるだろう。

今回は警告では済まないだろう。

何故なら小梅は確かに言った。

「幽霊は居なかった」。

「幻覚を見ている」。

これら全ての発言は、小梅の真実に直結する。

「あの子」は思うだろう。

依田芳乃は全てを知った。

知った全てを話すつもりだ。

白坂小梅の幻想を、終わらせるつもりだ。

 

『うん……また……。』

 

そう思わせるのが芳乃の作戦だ。

そう勘違いさせる必要があったから、芳乃は発言を誘導した。

あたかも自分が、白坂小梅の問題を解決させようとしていると。そう錯覚させるために。

 

携帯から少しの雑音。

耳元から携帯を遠ざけた音。

小梅は通話を切ろうとしている。

切った瞬間が開始の合図。

息を止める。

耳を澄ます。

神経を張り巡らせる。

全方向の気を読み続け──

 

 

 

 

 

ぷつん。

 

 

 

 

 

──来た。

 

 

 

 

 

「……っ!」

 

その場で身体をひねり、後方から高速で飛来する何かを避ける。

勢いに身を任せ、くるりと半反転しながら目でそれを追う。……こぶし大の石ころ。

当たれば打撲では済まないだろう。

 

「……そうして必死に偽って、何の意味があるというのですか?」

 

二射目。

回転の勢いを止めないまま右腕を大きく振り、遠心力を増大させる。

その流れに逆らわず、軸足でない方の足を大きく広げる。

 

「分かっているのでしょう? あの者はもう、それを望んでなどいない。」

 

脚が半円を描いたところで、地に着ける足を交代。更に半回転。

飛来物が着物を掠めた。

 

「知っているのでしょう? 輿水幸子に憑いた幽霊の正体を。」

 

三射目。

先程の避け方から学習したのだろう。

芳乃が描ける円の全てを塞ぐように、数個が一斉に飛来する。

 

「気付いているのでしょう? 向き合う時が来たことに。」

 

やはり回り続けるまま、軸足の膝をつき、もう片方の脚を目一杯に伸ばす。

片方の手のひらを地に這わせ、上体を低く。

凶器が芳乃の髪を撫でた。

 

「回避したいだけなのでしょう? あの者が苦しまなければならない現実を。」

 

四射目……が、来ない。

数瞬遅れて、世界が音を取り戻す。

風になびく木々の音。少し時期には早い虫の声。近隣住民の談笑が遠い。

しばらく警戒したままでいると、「あの子」の気がゆっくりと近付いてくる。

芳乃の目の前に、気配がゆらりと現れた。

それを見て、芳乃は身体の緊張を解く。

その殺意に、真っ向から視線をぶつける。

 

「……助けてほしいのでしょうー? 他ならぬ小梅殿をー。」

 

真っ黒な「あの子」は、ゆっくりと芳乃へと歩み寄る。

芳乃は微動だにせず、ただ見つめ続ける。

「あの子」の手は芳乃の着物の袂に入る。

それが引き抜かれると、芳乃の携帯が宙に浮いていた。

 

「どうぞー、お使いくださいませー。」

 

芳乃の声が小さく響くと、携帯が光を発する。

しばし待つと、やがて携帯はくるりと芳乃の方を向く。

メモ帳の画面に、言葉が記されていた。

 

『本当に彼女を救えるのか』

 

尤もな疑問だ。

芳乃は明らかに、さも白坂小梅を助ける手立てがあるかのような発言をした。

しかし、そんなものがあるとは思えないだろう。

方法が他に思いつかないからこそ、小梅の目をそれから逸らさせ続けたのだから。

 

「はいー。協力していただけるのならばー。」

 

芳乃は微笑みながら悠然と答える。

確固たる確証を持っているかのように。

 

少なからず「あの子」は知っている。

小梅が現実を直視すればどうなるかを。

それを避けるために、小梅の幻想を維持しようとしているのだから。

しかしそれでは、いつまでも救われない。それも彼女は承知している。

 

つまり。「あの子」の望む小梅の救い方は。

小梅が幻想から目を覚ますことで生じるものを、しかし発生させることなく。

発生させないまま、事実と向き合わせることだ。

 

『それが本当だという証拠は』

 

ここが問題だ。

芳乃はこの話を信用してもらわねばならず、しかし提示できる証拠など存在しない。

 

そもそも芳乃の話は全て嘘だ。

 

芳乃は幸子も、そして小梅も等しく救わねばならないと考えている。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。

そして幸子を救うためには小梅の、小梅を救うためには幸子の協力が、恐らくは不可欠。

少なくとも、芳乃単体でそれを成し遂げる手段は存在しない。

仮に幸子の手を借りたとしても、達成できるかは良くて五分五分だ。

しかし芳乃にとって、小梅を救えないという結末は決してあってはならないもの。

 

故に彼女はその可能性を除外した。

 

白坂小梅は必ず救える。

その前提の下で芳乃は思考し、行動する。

救えなかった場合など、端から考慮の外だ。

だからこそ芳乃は、こんなことだって言えてしまう。

 

「わたくしはー、そなたら幽霊の力に抗う術を持ちませぬー。

もし戯言であったならばー、煮るなり焼くなり、お好きにしてくださいませー。」

 

芳乃は幽霊に抵抗できない。この言葉に虚偽は無い。

芳乃は幸子と小梅に、一貫して「幽霊は専門外」と言い続けた。

そしてあの日の教室の時や、何よりもつい先程。

芳乃は「あの子」に対して防戦一方であり続けた。

 

『分かった』

 

小梅を救えなければ自分を殺しても構わない。

自分に一切抵抗できない、良くて時間稼ぎしかできない存在がそう言い放つ。

それは「あの子」の目に、只ならぬ自信として映っただろう。

未だ完全に信頼はしていないにせよ、ひとまず目の前の少女を信用する程度には。

 

「……感謝致しましてー。」

 

それがただの虚勢であるという事実を、思いつくことすらできない程度には。

 

 

 

 

 

「あの子」は、依田芳乃の愛他性に気付かない。

 

 

 

 

 

〔Mission List〕

 

・幽霊の未練を晴らしてください

・教室の幽霊の真意を探ってください

・白坂小梅を救ってください

・輿水幸子を救ってください



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12.同居人の姿は見えず

「夜分遅くに、失礼致しましてー。」

 

玄関から漏れるエアコンの冷気を感じながら、芳乃は頭を下げる。

 

「ううん……急いだほうが、良さそう……だし……。」

 

小梅の部屋を訪れると、彼女は不安げな表情で芳乃を室内に迎え入れた。

自分の親友が両親の幻覚を見ているなどと言われたのだ。当然の反応だろう。

 

どこか上の空で言葉を返しながら、小梅は芳乃の周囲をキョロキョロと見渡す。

……芳乃が電話で伝えた事柄に対して、何の疑問も口にしないまま。

 

小梅から見れば、今日の芳乃の一通りの言動は極めて不可解なはずだ。

学校に居る幽霊の除霊に失敗し、あまつさえ脅迫を受けた。これを相談するのはまだ不審ではない。

だが事務所に呼ばれ、プロデューサーの要望を済ませた後。

芳乃は話が途中であるにも関わらず、話はまた後日とその場を去った。

日が暮れるのを理由にしたことから小梅は、芳乃は家に帰ると推測しただろう。

しかし実際、芳乃は何故か幸子の家に行き、何故か幸子が幻覚を見ている場面に丁度鉢合わせた。

 

以上のことから本来、小梅は「何故話を中断してまで幸子の家に行ったのか」という疑問を抱くはずだった。

更に言えば、芳乃の突拍子も無く証拠も無い、ただの妄言とすら捉えられ得る主張を、彼女はすんなりと受け入れた。

理解が早過ぎる。不自然とすら言えてしまうほどに。

 

芳乃は思う。

それについて言及することが、彼女にとって不利益となるからではないか。

芳乃が幸子の家を訪れた理由を話すならば、少なからず小梅の真実に関係する事にも触れざるを得ない。

それを無意識に理解しており、それ故に話題にするのを避けたのではないか。

 

「……幸子ちゃんは、居ない……の?」

 

芳乃の側に幸子の姿が無いことを確認した小梅が問いかける。

幸子の問題について話すのなら、本人も来るはずと思ったのだろうか。

まずは現在の状況から共有しなくては。

 

「幸子殿は、自らの問題に気が付いておりませぬー。

わたくしの様子がおかしいということにして、一旦その場を離れましてー。」

 

芳乃は幸子の異常性を指摘し、幸子は芳乃の異常性を指摘した。

どちらが本当に異常であったのか、あの場の状況のみで判断する術はない。

幸子が幻覚を見ている可能性も、芳乃がそれを認識できていない可能性も、等しく存在した。

だが芳乃には、自分の見た光景は現実であるという、ある事実に基づく確信があった。

それは「あの子」が幸子に憑いた幽霊に関する詮索を禁止したという事実。

「あの子」は小梅が「あの子」の幻覚を見続けることを望み、そのために行動していた。

つまり、幸子に憑いた幽霊について知ることは、小梅が見る「あの子」は幻覚であるという事実と結びつく可能性があるということ。

それら2つに共通点があるということだ。

 

「そう……なんだ…………。」

 

では、その共通点とは何か。

それは既に死亡している人物の幻覚を見ていることに他ならない。

「あの子」は、小梅が幸子の核心に触れることによってそれを自覚してしまうことを。

その可能性を忌避したのだ。そのために幸子の霊から遠ざけようとしたのだ。

 

輿水幸子に憑いた霊の正体は、彼女の両親のどちらかなのだから。

 

生きているはずの幸子の親が幽霊として存在している、こんなにも分かりやすい矛盾はそう存在しない。

小梅がその矛盾に気付けば、容易に幻覚の存在に辿り着く。

芳乃がその存在を指摘するまで小梅が幸子に幽霊が憑いていることを教えなかったのも、恐らくは同じ理由。

無意識に認識を避けていたのだろう。自らの現実から目を背けるために。

しかし芳乃がそれを言及した瞬間、見て見ぬフリは不可能になった。

故に小梅はそれを正しく認識し、当然のように幸子の要望に応えた。

彼女の表層意識は、それに近付く危険性を認識していないからだ。

 

「小梅殿ー、どんなに些細なことでも構いませぬー。

幸子殿について、教えてくださいませぬかー。」

 

何度でも言おう。芳乃は幽霊に関しては殆ど専門外だ。

今回の場合、見様見真似の除霊の儀は用を成さない。

ただぼんやりと、善か悪かの2種類。その見分けがつくだけだ。

しかもそれは幽霊の裁量でいくらでも偽られてしまう。

その存在を認識できるという1点以外、芳乃は一般人と大差無い。

 

「……幸子ちゃんと、初めて会ってから、今まで……って、こと?」

 

どちらの問題も、解決するには幽霊と関わらざるを得ない。

しかし芳乃は幽霊に疎い。彼女には協力者が必要だった。

その事実から、芳乃は小梅と幸子の問題を、同時には対処できないと判断した。

 

「はいー。

そなたから見た幸子殿を、お聞かせくださいませー。」

 

1つずつ解決に当たる。そのためには、同時に問題を顕在化してはならない。

片方の問題に目をつむり、もう片方の問題にのみ焦点を当てる必要がある。

そして既に、幸子については手遅れだ。芳乃は明らかにそれを指摘した。

仮にこの状態のまま幸子と共に小梅の問題に取り掛かろうとしても、そもそも幸子は芳乃の話を信じようとしないだろう。

自分の両親が存在しないなどと、おかしなことを口走るのだから。

 

となれば、残された選択肢はもう1つしか無い。

白坂小梅と共に、輿水幸子の問題を解決する。それしか残されていない。

それを理解した結果、芳乃は「あの子」に提示した。

自分自身を担保として、協力を要請した。

それ以外に芳乃が取れる行動が存在しないという、至極単純な理由からの行動だった。

 

「うん。分かった……。

……その、私、話すの苦手だから……。ごめんね……?」

 

解決のある程度具体的な方法についても、芳乃は見当をつけていた。

輿水幸子と白坂小梅は、過去に何らかの出来事を経験し。

それを直視しないようにするために、幻覚を見るようになった。

その幻覚から目を覚まさせるためには、現実を伝えなければならない。

現実を、受け入れさせなければならない。

 

しかし、彼女達は一度、現実を受け止めることに失敗している。

ただ単に直視させるだけでは、再び目を逸らしてしまう可能性が高い。

そうなっては過去の繰り返しだ。

よって。一度に与えるのではなく、部分的に少しずつ与えることによって。

ひとつひとつ受け入れさせることで、現実を受け入れさせる。

芳乃は2人を助ける算段を、このように立てていた。

 

そしてそのためには、芳乃が2人の過去を知っている必要がある。

少しずつ情報を与える人物として適任なのが、彼女しか居ないのだから当然だ。

また同時に、芳乃が情報を集めきるその時まで、2人にそれを知られてはならない。

幸子も小梅も思い出さないまま、芳乃だけが2人の過去を知っている。

その状況を作り出さなければならない。

 

故に、芳乃は2人の過去を求める。

過去に何があったのか。何を認めたくないのか。

その全てを暴き出す。

 

「構いませぬよー。

どうぞ、そなたのお話ししやすいようにー。」

 

小梅が申し訳なさそうに告げると、芳乃は笑顔でそう返す。

それは小梅に余計な気を遣わせないためと、もう一つ。

芳乃がある1つの事柄を再確認していることに気付かせないためだった。

 

小梅は頷き、息を吸う。

物語を語り始める。

輿水幸子との、これまでの物語を。

 

 

 

 

 

白坂小梅は、「あの子」の不在に気付かない。

 

 

 

 

 

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[Tips] 教室の幽霊の真意

 

教室の幽霊の正体は「あの子」だった。

「あの子」は、白坂小梅が幻覚を見続けることを望んでいる。

幸子に憑いた幽霊の詮索を禁止したのも、そのためだった。

彼女達は「既に死亡している人物の幻覚を見ている」という共通した問題を抱えており。

幸子の問題に触れることで、小梅も自身の問題に気付いてしまう可能性を考慮した。

 

 

[Mission] 2人の過去を探ってください

 

2人を助けるためには、一気に現実を突きつけてはいけない。

少しずつ受け入れさせる必要があるだろう。

そのために、2人の過去を知らなければならない。

 

 

[Mission] 2人に過去を想起させないでください

 

2人が自力で過去を想起してしまったら、連鎖的に全てを思い出してしまうかもしれない。

そうなれば、かつて現実を受け止めることができなかった2人は、再び目を背けてしまうだろう。

2人が過去を思い出してしまわないように、細心の注意を払おう。

 

 

〔Mission List〕

 

・幽霊の未練を晴らしてください

・白坂小梅を救ってください

・輿水幸子を救ってください

・2人の過去を探ってください

・2人に過去を想起させないでください



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13.筆談

小梅は幸子を慕っている。

そのきっかけは、第三者から見れば、とても些細なものだった。

 

異なる事務所に所属していた2人はある日、共に仕事をする機会に恵まれた。

小梅はその時初めて幸子と出会い、その姿を一目見て。

自分とは遠くかけ離れた存在だと、一瞬で悟った。

 

小梅は幸子のように振る舞えない。

幸子のように、自信に満ち溢れた行動は。

自分の容姿を自信たっぷりに賞賛し、周囲に同意を求めるなんて、できるわけがない。

幸子は自分が持っていない全てのものを持っている。

どうしようもなくそう感じ、小梅は情けない自分を呪った。

同じアイドルとして隣に立とうとする自分が許せなかった。

それほどに、小梅は自身に自信が無かった。

だから。せめて必要最低限の関わりで済むように。

光の中で輝く彼女に、影を落としてしまわないように。

小梅は1人、隅でぽつりと立ち尽くしていた。

 

その時だった。

幸子が小梅をその目で捉えた次の瞬間、こちらに近づいてきたのだ。

無論、自信に満ち溢れた動作で。

小梅は動けなかった。

どうすればいいのか分からなかった。

どうしてわざわざ近寄ってくるんだ。

自分となんて関わっても、ロクな事がないのに。

 

幸子は小梅の前に立ち、こちらを真っ直ぐに見つめ。

ボクは輿水幸子です。白坂小梅さんですよね、今日はよろしくお願いします。

そんな形式的な決まり文句をスラスラと口にした後。

何も返さない小梅の、その姿を見て。

 

「小梅さんはカワイイですね! ボクほどじゃありませんが!」

 

そう、言ったのだ。

 

それだけだ。

小梅が幸子を慕う理由は、この一言。

幸子の性格を知らない、小梅でない人物が、同じ言葉を聞いたなら。

自分が下に見られていると、不快感を顕にしたかもしれない。

勿論、幸子にそのような意図はない。

幸子は本気で小梅をカワイイと感じ、それを素直に口にした。それだけだ。

小梅はそれを正しく理解し、だからこそ。

 

嬉しかったのだ。泣きたくなるほどに。

 

溢れる涙を抑えきれず、その場で小梅は泣き続けた。

自分の言葉が彼女に誤解されたと感じた幸子は、慌てふためきながら釈明した。

「違うんですよ、本当にカワイイと思ったんです!」

「小梅さんはちゃんとカワイイですから!」

人を泣かせてしまったという事実に自分も泣きそうになりながら、涙目で幸子は言葉をかける。

その必死さが。誠実さが分かってしまうから、小梅は涙を止められない。

 

結局、小梅の涙の貯蔵が尽きるまで、幸子は戸惑い続けた。

その後、きちんと涙の理由を説明し、仕事が始まる頃にはすっかり打ち解けた2人は。

その仲睦まじさがファンの間で旋風を巻き起こしたこともあり。

仕事でもプライベートでも、よく行動を共にする仲になっていた。

 

幸子は頻繁に自らをカワイイと称した。

それが用いられるのは、言葉通りの意味を表したい時に限らず。

テストで高得点を取った時。

オーディションに合格した時。

ありとあらゆる肯定的な状態を表すものとして、幸子は「カワイイ」を用いた。

他者を褒め称える際も同様であった。

その場合は枕詞として「ボクほどじゃないですけど」等が付く。

 

ある日、小梅が幸子を、趣味であるホラー映画鑑賞に誘った。

怖いものが苦手な幸子は涙目になりながらも、しかし小梅が満足するまでそれに付き合った。

それは当然、幸子の優しさによるものでもある。

小梅も、最初の1.2回は、そうなのだろうと考えていた。

彼女は自分のために付き合ってくれているのだと。

 

だが、回数が増えていくに連れて。

それだけではないと、小梅は感じ始めた。

小梅が映画鑑賞以外の理由で幸子を家に招いた時、彼女は「今日は見ないんですか?」と自分から聞いてきた。

遊園地に行った時、彼女は当然のようにお化け屋敷を進行ルートに含めていた。

そして何より、彼女は一度も小梅の誘いを断らなかった。

今日は別に他のことでもいいと、小梅が提言したとしても。

最終的に幸子は必ず、心霊系の娯楽に参加していた。

 

小梅は考えた。

幸子は幽霊に対する苦手意識を克服しようとしているのではないか。

だから涙目になりながらも自分の趣味に付き合ってくれるのではないか。

自分から進んで向き合うことは難しいから、きっかけを求めているのではないか。

単に彼女が優しいからというだけで片付けるには、幸子はあまりに献身的だった。

何かしらの目的があると捉えた方が、余程自然に思えた。

 

それからというもの、小梅は幸子を誘うことに遠慮しなくなった。

何かにつけて、ホラー映画に彼女を誘った。

芳乃を含めた3人で鑑賞会を行ったのも、同じ理由だった。

 

 

 

 

 

「幽霊を、克服……でしてー?」

 

小梅の発言を疑っているのではない。

小梅は幸子と長い間共に居た。

幸子のことを良く理解しているだろう。

その小梅が言ったのだ。何も疑うことはない。

思わず聞き返してしまったのは、それが芳乃にとって意外なものだったからだ。

芳乃の目には、幸子はただ幽霊を怖がっているだけのようにしか見えなかった。

 

「……うまく、言えない、けど……。

でも、多分……優しいってだけじゃ、ないと……思う……。」

 

芳乃の言葉に、小梅は頷いて答えた。

芳乃は口元に手を当てる。

輿水幸子が幽霊を克服する意義を考える。

彼女に霊感は無い。よって現実世界で幽霊と対面する機会も無い。

克服しなければ不利益が生じるような事態が彼女に起こるとは考え難い。

本当は嫌だが必要に迫られて仕方なく、という理由ではないだろう。

 

「……害の回避ではなく、利の追求ー。」

 

では、彼女がそれを望んでいるというのか。

ホラー映画を見るだけで気絶してしまうような彼女が。

その対価を考慮して尚、得たいと思える利があるというのか。

 

「……幸子殿にとってー、幽霊とは、何なのでしょうかー。」

 

利は確かにあるのだ。

そうでなければ幸子は克服など望まない。

彼女が幽霊という存在を怖がらないようになる。

それによって、彼女が得られるメリットが存在する。

 

「うーん……。怖いもの……、

危険なもの……、生きていないもの……、

実体のないもの……?」

 

芳乃と同じように、小梅もまた口元に手をやる。

パーカーの袖を通して、彼女が思いつく単語が流れてくる。

 

「実体のないもの……生きて、いないものー。」

 

それは、つまり。

彼女が見ているものと。

彼女だけに見えているものと。

 

幻覚と。

 

何ら変わらない、もの。

 

「……えっと、ごめん……なさい。

私が知ってるの、これくらい……なの……。」

 

小梅の小さな声に、芳乃は我に返る。

見ると、小梅は小さくなって顔を伏せていた。

 

「滅相もございませぬー。非常に、有益な情報を頂きましてー。」

 

芳乃は柔らかく微笑みかける。

小梅は最後まで、彼女にとって大切な人の不在に気付くことはなかった。

 

 

 

 

 

「……お待たせ致しましてー。」

 

家の扉を閉じる。

目の前には、「あの子」の気配。

それに包まれるように、芳乃の携帯が浮いていた。

 

手を伸ばし、それを受け取る。

開かれている画面には、「あの子」の文章が記されていた。

 

『・幸子殿について御存知のことをお教えくださいませ

 輿水幸子に憑いている幽霊は彼女の父親。

 母親の生死や行方は分からない。

 少なくとも父親が死んで以降幸子に会っていない。

 会っていたのなら、あの状態の彼女を放っておくはずがない。

 

 ・そなたに協力して頂けることについてお教えくださいませ

 物体に触れる。これができるのはあたしだけじゃない。

 ある程度強い魂の幽霊であれば普通にできる。

 魂の強さは、小梅の目に人の形で映るくらいが基準。

 力は多分、生きてる人間よりは強い。

 

 ・そなた自身についてお教えくださいませ

 嫌だ。』

 

「ほー……。」

 

あらかじめ質問を書き込んで渡しておいたメールの下書き画面。

「あの子」の返答を読んで、芳乃は小さく息を吐いた。

 

幸子に憑いている幽霊の正体は、彼女の父親。

これ自体は、別段驚くことではない。

芳乃はその正体を、彼女の両親のどちらかと見当をつけていた。

 

注目すべきは、「あの子」は幸子に憑いている幽霊の正体を知ることができたということ。

小梅も芳乃も、幸子に憑いている幽霊をはっきりと視ることはできなかった。

直接その存在を視認することができる小梅でさえ、ただぼんやりと浮かぶ、光る球体のようなものとしか判別がつかなかった。

しかし「あの子」は、それを特定することができた。

「あの子」が独自に調べたとは考え難い。

常に小梅の側に居たのだから、知るとしたら小梅と同時でなければおかしい。

しかし小梅は知らなかった。

ということは、小梅と同じ立ち位置に居ながら、小梅よりも多くの情報を手にしていたということだ。

 

「……何故、父親だとー?」

 

芳乃は考える。小梅や芳乃が、「あの子」と異なる部分とは何か。

その違いが、情報量の差の原因なのではないか。

その違いとは、立場の違いではないか。

生者と死者。人間と幽霊。

その違いが、「あの子」だけに幽霊の正体を知らせたのではないか。

 

『目元がソックリ。』

 

「あの子」は携帯を操作し、打ち込んだ文字を芳乃に見せる。

これでひとつ、確定した。

 

幽霊は、魂の強弱に関わらず他の幽霊をはっきりと認識することができる。

 

今後「あの子」と協働していく上で、この情報が役に立つことがあるかもしれない。

思わぬ方向の収穫に、芳乃はほんの少し口角を上げた。

 

 

 

 

 

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[Tips] ホラー映画

 

小梅は幸子を頻繁に、ホラー映画鑑賞に誘っていた。

幸子は幽霊を克服しようとしていると感じたかららしい。

幽霊とは、実体のないもの。生きていないもの。

幻覚との共通点が多く、無関係とは言い切れない。

 

 

〔Mission List〕

 

・幽霊の未練を晴らしてください

・白坂小梅を救ってください

・輿水幸子を救ってください

・2人の過去を探ってください

・2人に過去を想起させないでください



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14.ボクが一番なんですよ

「……ああ、それなら残ってる。」

 

いつか使えるかもと思ってな。

幸子のプロデューサーはそう言って、机の棚を漁り始めた。

 

小梅と別れた翌日。

2人は午前のうちから再び顔を合わせていた。

これから何をするべきかを問う小梅に、芳乃が提案したのがこれだった。

 

まず、幸子のプロデューサーにこの事を知らせる。

次に、幸子の両親について彼が知っていることを聞く。

そして最後に、幸子がこの事務所に採用された際のオーディション映像の有無を尋ねる。

今まさに2人が行っているのが、この3つ目だ。

 

「それ……見せてもらっても……いい……?」

 

彼の話を纏めると、次のようだった。

自分は幸子の両親が生きていると思っていた。

いや、そもそも、事務所に所属した時点では確かに生きていた。

必要な手続きを行う際に2人共同席していたのだから間違いない。

むしろ亡くなっていると言われてもにわかに信じ難いというのが実際のところだ。

小梅がそう言うのだから、嘘でも冗談でも無いのだろうが。

その時の両親の印象? とにかく幸子を溺愛していたな。可愛い可愛いって。

あの様子だと、きっと普段からああなんだろう。幸子も幸せそうにしていた。

 

「テレビを好きに使ってくれ。」

 

俺は住民票を調べてみる、と残して、彼はその場を後にする。

そういうのって簡単に取れないんじゃないの、と小梅が聞くと、彼は何も答えずにただ笑った。

気付くことができるのは芳乃だけだ。彼は善良な一市民としての方法を用いようとしていない。

少しの沈思黙考の結果。芳乃は彼の表情を見なかったことにした。裏付けはあるに越したことはない。

 

「小梅殿ー、よろしくお願い致しましてー。」

 

機械に疎い芳乃は、小梅に操作をお願いする。

携帯は最近何とか使えるようになったものの、それ以外は依然弱いままだ。

その携帯も、スマホでなくガラケーだ。未だ周回遅れと言える。

見ると、小梅は既にカチャカチャとテレビの前で機械をいじくっていた。

 

「…………ん、できた……よ。」

 

小梅の言葉に頷いて、芳乃はソファにそっともたれかかる。

その隣に小梅が、ぽふ、と音を立てて座った。

袖の上から器用にリモコンを操作し、再生を始めさせる。

 

 

 

 

 

『はい! 1番、輿水幸子です!』

 

場所はここの応接室の机を片付けてパイプ椅子を増やしたらしい場所。

幸子は元気よく椅子から立ち上がった。……「10」と書かれた紙切れを掲げて。

 

『……君の番号は1番じゃない。』

 

溜息混じりの、幸子のプロデューサーの声。

彼は幸子が参加したオーディションの審査員だったのか。

 

『え? だってここに1……はぁ!? ……ゼ、ゼロがついてた。』

 

あの天性のバラエティ向きなリアクションはこの頃から持っていたのか。

音量を0にしても何を言っているか大体分かるような挙動を幸子は繰り出している。

 

『い……い……いやいやいや、勘違いしてもらっちゃ困りますね!

「一番」っていうのは、オーディションの順番ではなく「ボクが一番カワイイ」ってことですから!』

 

言い訳としては少々苦しいと思う。

 

『そうなんです、ボクは何でも一番!

ハッキリ言って、ボクが一番カワイイでしょう!

成績で言っても……たぶん一番、身長順で並んでも一番です!』

 

自分の言葉に元気づけられるように、彼女の調子が上がっていく。

 

『というか、アナタたちは相当にラッキーですね!

ボクは将来、世界を席巻する超トップアイドルになる存在。

そんなボクをオーディションで見つけ出せたわけですから!』

 

調子が上がっていくにつれて、ボリュームも上がっていく。

話の規模もまた同様に。

 

『……とりあえず、特技とか無い?』

 

姿は見えないが、何故だろう。

芳乃には彼の頭を抱える様子が、はっきりと思い浮かんでいた。

 

『え? 特技……ですか?

んー? ノートの清書です!

趣味であり、特技ですからね!』

 

そういえば、最初にファミレスで話をした時、彼女はノートに情報を纏めていた。

特技かと言われると、芳乃は画面外の彼と同じ反応をせざるを得ないが。

 

『世界で一番カワイイ、このボクの存在自体が、もはやスペシャル。

ナンバーワンでありオンリーワン、それがボクなんです。

だから、特技とか細かいことは気にしないでください!』

 

いや気にする。させてくれ。

彼の言葉にならない悲鳴が、確かに聞こえた気がした。

 

『それよりいま、ボクの不安は、たったひとつだけです。

それはアナタが、この超新星・輿水幸子を、

ちゃんとプロデュースできるか? ということだけです!』

 

幸子は矛先を自分からプロデューサーへ向ける。

アイドルのオーディションのはずが、幸子の一言で瞬時にプロデューサーのオーディションへと様変わりした。

 

『ボクをちゃんとトップアイドルにすることが、

アナタにできますか? どうなんですか!?』

 

『……できます。』

 

何もかも諦めたような彼の嘆息。

心中お察し致します。芳乃は静かに目を瞑った。

 

『フフーン。気のない返事ですが……

まあ、アナタは、ボクの見こんだプロデューサーです!

きっと、なんとかしてくれますよね。死ぬ気で働いてください!』

 

『まだ、採用決定ではないのですが。』

 

彼のささやかな反撃が始まる。

いや、私情を抜きにしても、誤解されていると思しき点は修正しなければならないのだろう。

 

『審査結果は後日、追って報告させていただきます。』

 

『……ちょっと、なにを言ってるんですか?

普通に考えて、ボクほどの逸材、即合格、即採用でしょう?』

 

『…………。』

 

沈黙。

彼が取ったのは、肯定でも否定でもない、沈黙。

それは時に、何よりも絶大な威力を発揮する。

場の空気が凍りつくのを、映像越しにも関わらず肌で感じた。

 

『……まったく社会人としての常識ってものがないですね!

まあいいです。じゃあ、合格の報告待ってますから!

お、お、お願いしますよ! 待ってますよ! ホントにっ!』

 

その雰囲気に耐えられなくなったのか、幸子はそそくさとその場を後にする。

結局、10番の輿水幸子は1番にオーディションを終えて退席することとなった。

 

 

 

 

 

彼女がドアを閉じた音が響いた瞬間、画面が暗転する。

 

「……ここで終わり、みたい。」

 

この後、少なくとも9人がこの空気の中オーディションを行うのか。

……この事はこれ以上考えないようにしよう。

 

「……ふむー。」

 

芳乃はぬるい茶に口をつけ、考える。

これは一見、ただ単に幸子のリアクションが面白い動画に見える。

……いや、事実面白い。一部始終を録画した彼の行動は英断と言えるだろう。絶対売れる。

 

違う。そうじゃない。

芳乃はぶんぶんと頭を左右に振る。

重要なのはこの一連の会話に隠された真意だ。

彼女にとって「カワイイ」とは何なのか。その解答の糸口が、確かに存在した。

小梅の発言とも一致している。恐らく間違いないだろう。

それと、幸子と彼の一連の発言に、これまでの情報では説明がつきにくい部分がある。

いくつか彼に確認を取らなければ。

 

「……はてー、これはー。」

 

片付けの作業に入る小梅を見て、せめてアナログなことは手伝おうと、DVDケースを手に取る。

すると、その内側に1枚の写真が挟まっていることに気付く。

芳乃と小梅が、今まさに座っているソファ。

その真ん中に腰掛けている幸子と、その左右に座る、彼女の両親と思しき男女の姿がそこにあった。

 

「……小梅殿、小梅殿ー。」

 

DVDを取り出した小梅の背中に声をかける。

こちらを振り向く彼女に、写真を見せた。

 

「……これ、幸子ちゃん、の……ご両親?」

 

「恐らくはー。」

 

小梅は写真を手に取り、じっと眺める。

古い記憶を引っ張り出すように、彼女は途切れ途切れに呟いた。

 

 

 

 

 

「この、女の、人……視たこと、ある……かも……?」

 

 

 

 

 

〔Mission List〕

 

・幽霊の未練を晴らしてください

・白坂小梅を救ってください

・輿水幸子を救ってください

・2人の過去を探ってください

・2人に過去を想起させないでください



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15.自称・カワイイ

大して珍しいことでもなかった。

こういうことは、前にも何度かあったから。

 

『……そう。小梅ちゃんって言うのね。』

 

珍しいことでもないから、今まで気に留めることもなかった。

私にとってこれは、何の変哲もない日常の一部に過ぎなかったから。

 

『ごめんなさいね、引き止めたりして。

私はここから動けないし、視える人も通らないから。

少し、寂しかったの。』

 

少しだけ昔の話。

私が幸子ちゃんと知り合って間もない頃。

ある交差点。その隅に、幽霊が居た。

大人の、女性の幽霊だった。

 

「……私で、よかったら。話し相手になりましょうか?」

 

私がそう提案すると、幽霊は私のことが聞きたいと言った。

私は幽霊に促されるままに、自分のことを話し始めた。

最近アイドルになったこと。でも自信が持てないこと。

友達ができたこと。彼女のようになりたいこと。

思いつくものを、思いついた順に。

話にまとまりなんて無い。あっちに行ったり、こっちに行ったり。

 

「それでね、その子はいつも、自分のことを可愛いって言うの。」

 

目の前の幽霊は、それを一言一言。

噛みしめるように、味わうように。

目を瞑って、うん、うん、と頷いて。

きっと誰かのお母さんだったのだろう。

どこか懐かしい暖かさだった。

 

『そうなの。その子は、小梅ちゃんから見て、可愛い?』

 

彼女の言葉に、私は迷わず頷いた。

 

『…………ねえ、小梅ちゃん。』

 

すると彼女は、今までと同じような、しかしどこか違うような。

苦しいような、安らいだような、悲しいような、嬉しいような。

そんな表情で、私を見ていた。

 

『その子と、仲良くしてあげてね。』

 

私はもう一度、力強く頷いた。

 

 

 

 

 

『……久しぶりね、小梅ちゃん。』

 

あの時と同じ場所。

あの時と同じ姿で。

あの時と同じように、彼女は微笑んでくれた。

 

「……幸子ちゃんの、お母さん。ですよね。」

 

私の表情を見て、彼女は悲しそうに笑った。

 

『まだ、ピアスを着けてるのね。髪も昔のまま。』

 

その言葉を聞いて、あの子が私の前に突然現れる。

まるで私を庇うように。何かから守るように。

でも、一体何から守ろうとしているのだろう。

あの子は敵意すら彼女に見せていた。

 

『……今は、止めましょうか。

幸子ちゃんについて、話があるのよね?』

 

そんなあの子の姿を見て、彼女は話を切り替える。

 

「幸子ちゃんの、可愛いについて。

……いえ、「カワイイ」について。」

 

何か違和感がある。ずっとそう感じていた。

私や彼女のプロデューサーさん、芳乃さんが言う「可愛い」と。

幸子ちゃんの言う「カワイイ」は。

何かが違う。ただ偶然、会話が成立しているように見えるだけで。

それの指す意味は、どこか異なっている。

 

『…………そう。』

 

その単語を聞いて、彼女は姿勢を正す。

目を瞑り、何かをゆっくりと考える。

やがて意を決したように、その瞳は開かれた。

 

「話して、いただけませんか。」

 

違和感こそ感じていたけれど、それはぼんやりとしていて。

どこがどう違うのか、はっきりとは分からなくて。

「ありとあらゆる肯定的な状態を表すもの」。この推測だって、一番違和感が少ないというだけ。

でも、芳乃さんは何かに気付いたようだった。

「幸子の母親に会い、カワイイについて聞くこと。聞けばきっと答えてくれる」。

それが芳乃さんが私に頼んだことだった。

 

『……そうね、どこから話そうかしら。』

 

幸子ちゃんの指す「カワイイ」の意味は何なのか。

何故幸子ちゃんは両親の幻覚を見続けているのか。

それらは全て1つに繋がっている。

その全ての発端は、きっと些細なすれ違い。

芳乃さんはそう言っていた。

 

『あの子がああなったのは、私達が原因なの。』

 

彼女は、そう話を切り出した。

 

 

 

 

 

『……そうだ、幸子にはコネがあった。

正確に言うと、幸子の父親だが。』

 

芳乃の握る携帯から、幸子のプロデューサーの声が漏れた。

 

芳乃は小梅に、幸子の母親に話を聞きに行ってもらい。

その間、幸子のプロデューサーに確認を取っていた。

 

その内容は、オーディション映像に存在する明らかな矛盾について。

何故彼は幸子を合格にしたのか、その理由についてだ。

 

輿水幸子のキャラクター性を理解した人間が見るならまだしも。

初対面の人間にとって、彼女の取った言動はマイナスイメージしか与えないはずだ。

どこからどう見ても大失敗。それが芳乃から見たオーディションの評価だった。

 

しかし実際、彼は幸子を合格とした。

映像で見た彼の反応からして、大喜びで原石を掴み取った、という訳ではないだろう。

嫌々ながらも仕方なく、彼は幸子を採用した。そう考えるのが自然だった。

 

『お父さんはウチの事務所のお得意先でな。

そんな御方に頼まれたら、取り敢えず頑張らざるを得ないんだよ。』

 

まあ、今では良かったと思ってるけどな。

彼はそう付け足した。

くれぐれも内密に頼む、とも。

決して他言しない旨と謝辞を丁寧に述べ、芳乃は通話を切る。

携帯を耳から離すと、ボタンを何度か押し、再び耳に近付けた。

 

芳乃が幸子の家を訪れたのは、元々は小梅について尋ねるためだった。

小梅の過去について。

彼女と校舎の関係性について。

 

だが、それは失敗に終わった。

だから芳乃は、誰か他の人間に聞く必要があった。

まずは「あの子」に遠回しに聞いてみたが、あっさりと拒絶されてしまった。

「あの子」は芳乃に、自身や小梅の過去を知って欲しくないようだった。

 

聞くなら、今が良い。

小梅は幽霊の元へ行き、「あの子」は幽霊と会う以上、護衛役として側を離れられない。

目撃されて不審がられることも、邪魔される可能性も無い。

 

「もしもしー、わたくし依田は芳乃でしてー。

突然で申し訳ありませぬがー。

小梅殿の通っていた小学校についてー、調べていただければとー。」

 

 

 

 

 

携帯を閉じ、袂に仕舞う。

ひとつ息を吐いて、頭の中を整理する。

芳乃はあの映像を見て、真っ先に彼女のある台詞に着目した。

 

「い……い……いやいやいや、勘違いしてもらっちゃ困りますね!

『一番』っていうのは、オーディションの順番ではなく『ボクが一番カワイイ』ってことですから!」

 

「そうなんです、ボクは何でも一番!

ハッキリ言って、ボクが一番カワイイでしょう!

成績で言っても……たぶん一番、身長順で並んでも一番です!」

 

彼女は「一番」を「ボクが一番カワイイ」と定義した。

その上で成績でも一番、身長順でも一番と自称した。

 

では、この「一番」の次に省略された言葉は何か。

安直に考えれば、成績が一番「良い」、身長が一番「低い」となる。

しかし。本当にそうだろうか。

 

芳乃は思う。省略された言葉は全て「カワイイ」ではないかと。

 

成績が一番カワイイ。身長が一番カワイイ。

それは一見、日本語としておかしいようにも見える。

しかし、その発言者が他ならぬ輿水幸子だったなら、どうか。

違和感が無いのだ。そのこと自体に違和感を感じてしまうほどに。

 

思い返せば、幸子は最初からそうだった。

徹底して「カワイイ」以外の言葉で自身や他者を形容しようとしなかった。

そして芳乃は、気を読むことで何となく察していた。

彼女にとって「カワイイ」とは、彼女が唯一心を込めて発することができる賛辞の言葉だと。

 

彼女にとって「カワイイ」以外の言葉は、余すこと無く賛辞たり得ないのではないかと。

 

成績が「良い」。身長が「低い」。

そんな言葉を投げかけられたとして、彼女は全く嬉しくなどないのではないか。

「カワイイ」という言葉を貰えなければ、それ以外の言葉は等しく意味が無いのではないか。

だから彼女は事あるごとに自らを「カワイイ」と称すのではないか。

その自分の言葉に周囲の人間が反論しないことを根拠として、自らを「カワイイ」と結びつけ続けているのではないか。

 

そうやって「カワイイ」に固執し続けているのではないか。

 

自分は一番カワイイ存在で居なければならない。

幸子の言動は、そんな使命感すら感じさせる。

 

では、彼女は何故、自らのカワイさを周囲に誇示し続けようとするのか。

彼女自身が自分をカワイイと思い、それを周囲に納得させようとしている。

芳乃は長い間、幸子をそう評していた。

小梅の目にも、幸子はそう映っていた。

自分に自信があるから、そういった言動を取っているのだと。

 

だが。今、芳乃は考える。

本当に、彼女には。

輿水幸子には、自分に自信があるのか?

心の底から自分をカワイイと思い、だからこそああ振舞っている。

それが彼女の真実か?

 

何か。何かがおかしい。

しかし、一体何が。

それが分からないからこそ、芳乃は小梅に話を聞くよう頼んだのだ。

幸子の過去を誰よりも知っているだろう、彼女の母親に。

そして芳乃の根拠の無い予想が、もし当たっていたとしたら。

きっと幸子は──

 

──机の上に置かれた携帯が震える。

すぐに終わるという彼の言葉通りだ。

早速画面を開き、文面を確認する。

 

そして、文章の意味を理解した。

 

 

 

 

 

「…………な、」

 

 

 

 

 

不味い。

不味い、不味い、不味い。

芳乃は反射的に、小梅達の気を読む。

 

近くに居るのは、小梅、悪霊、幸子、そして幽霊がもう一体。

小梅は交差点から微動だにしない。

そのすぐ隣に、悪霊。

もう一体の幽霊は……幸子を抱え、小梅から遠ざかろうと……、

いや、悪霊から遠ざかろうと……?

 

「……っ!」

 

弾かれるように席を立ち、走り出す。

最悪だ。

ただでさえ最悪だ。

だというのに、何故幸子が。

よりによって、何故幸子がそこに居る。

 

ドアを開けると、外は相変わらずの曇り空。

空気中の水を掻き分け、地面を蹴る。

 

このままでは。

もし間に合わなければ。

 

 

 

 

 

小梅が、手遅れになる。

 

 

 

 

 

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[Tips] 廃校の真実

 

白坂小梅の母校について

 

先日お蔵入りになった撮影のロケ地。

6年前に廃校となった。小梅は当時7歳。

原因は、同年に発生した児童殺傷事件。

 

校内に刃物を隠し持った男が侵入。

校庭にて児童2名と接触。担任教師の知人と偽り教室に案内させ、犯行に及ぶ。

児童1人が死亡、1人が重傷を負った。

警察が現場に突入すると、男は既に死亡していた。

男の死因は公表されておらず、児童が殺害したという説と。

殺された児童の怨念という説がネット上で囁かれた。

 

 

 

 

 

〔Mission List〕

 

・幽霊の未練を晴らしてください

・白坂小梅を救ってください

・輿水幸子を救ってください

・2人の過去を探ってください

・2人に過去を想起させないでください



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16.貴方の母は1人だけ

私達は、きっと普通の家族だったのだと思う。

私は夫を愛して、夫は私を愛して。

そして私達は、幸子ちゃんを愛した。

 

溺愛、という言葉が相応しい。

あの子が何かするたびに、私達は可愛いと言って頭を撫でた。

あの子が何か言うたびに、私達は可愛いと言って抱き締めた。

あの子は可愛いと言われるたびに、嬉しそうに笑っていた。

あの子が笑ってくれるから、私達はまた可愛いと笑った。

 

次第にあの子は、それを自ら求め始めた。

可愛いと言って、と。

それを断る理由なんて、何処にも無かった。

私達は求められるままに言葉を贈り続けた。

 

異変に気付いたのは、夫が先だった。

あの子がテストで100点を取った時。

夫は、よく頑張ったなと頭を撫でた。

こまめにノートの清書をしていた成果だな、と。

その時、あの子は言ったのだ。

 

頑張ったじゃなくて、カワイイと言ってください。

 

その時は夫も、些細な違和感を感じるに留まっていた。

あの子の望むままに、可愛いと言い直した。

 

ある日、あの子がアイドルになりたいと言った。

私は心から応援した。

可愛いんだから、絶対なれるよ、と。

夫の仕事の知り合いが、事務所を経営しているようで。

そこのオーディションを受けると、無事に合格した。

あの子はとても喜んでいた。

 

それから何度か、夫はあの子に試した。

可愛いという言葉を用いずに、あの子を褒めてみようとした。

結果は、いつも同じ。

「そんな言葉じゃなくて、カワイイと言って」。

 

あの子にとって、賛辞たり得るのはその一言だけ。

可愛いと言われなければ、それ以外の言葉に意味なんて無い。

私達の安易な言動は、あの子をそう形作ってしまっていた。

 

このままではいけない。

あの子が寝静まった夜中、夫は私にそう言った。

もっと他の言葉を使って、あの子を褒めよう、と。

私がそれに同意しない理由なんて、無かった。

今の歪んだ認知のままでは、あの子にいつか苦労を強いてしまうから。

 

 

 

その翌日のことだった。

交通事故。ありふれた死に方だった。

 

 

 

私は一瞬で死んでしまったけれど、夫はそうではなかった。

病院に搬送されて、数時間は持ちこたえたと。

事故現場……私が立っているここに花を添えた知人が、私ではない何処かを見て呟いていた。

幸子ちゃんはお父さんの最期に立ち会えた。少しだけどお話もできた。

今は親戚にお金を振り込んでもらいながら、彼女の望みで1人で暮らしてる。

ちゃんと元気に生活してる。そう、教えてくれた。

 

だから安心して向こうに逝ってね、なんて言われちゃったけど。

なんだかここから離れられないから、どうしたものか。

幽霊も意外と不便なものね。

ふわっとあの子の側に飛んでいけたら良いんだけど。

 

 

 

 

 

「……立ち、会えた?」

 

思わず、声に出す。

自分でも分からない。でも、何故か引っかかった。

何かが現実とそぐわないような、そんな気がした。

 

『……?

ええ、そう聞いたけど……。』

 

何かおかしい点でもあったのかと、幽霊は首を傾げる。

何処もおかしくはない。……はずだ。

幸子ちゃんは、自分の両親が死んだと聞き。

実際に瀕死の父親を目の当たりにし。

その現実を受け入れられず、両親の幻覚を創り出した。

それで説明が付く。不自然な点も無い。

無い、はずなのに。

 

『……これについて聞いたのは、幸子ちゃんに何かあったから。よね?』

 

心配そうに幽霊が尋ねる。

私は幸子ちゃんのカワイイについて聞いた。

何故そんなことを聞くのかと言えば、かつて自分達が危惧していた事が現実になったからだ。

幽霊の目は、そう言っていた。

 

「そう……なんですけど、それだけじゃなくて……!」

 

幽霊の予想は的中している。

幸子ちゃんは「カワイイ」に固執し続けている。

でも、それだけではない。

それよりももっと大きな問題が、彼女に生じている。

 

「幸子ちゃんは、ご両親の──」

 

 

 

 

 

「ボクが、何です?」

 

 

 

 

 

「──っ!?」

 

背中を不快な冷たさが駆け上がる。

真後ろから、声。

振り返りながら飛び退くと、そこには幸子ちゃんが居た。

 

「どうしたんですか? こんなところで。」

 

幸子ちゃんは先程の幽霊と同じように首を傾げ、こちらを見る。

どうする。

貴方の母親と話していましたなんて言ったとして、彼女は絶対に信じてはくれない。

それどころか、芳乃さんと同じように様子がおかしいと思われて終わりだ。

既に芳乃さんがそう思われてしまっている以上、幸子ちゃんに幽霊について言及できる人間は私だけ。

その私すら様子がおかしいと思われてしまったら、彼女を説得する人間が居なくなってしまう。

正直に言うのは絶対にナシ。

 

「……幸子ちゃん、どうした……の? その荷物……。」

 

なら、どんな嘘を吐く。

この場で彼女に不審を抱かれないような嘘は何だ。

彼女から見て、私は交差点の電柱に向かって1人「幸子ちゃんは」と叫びかけた人間だ。

どんな理由を後付けすれば、自然な状況が出来上がる。

 

「夕飯の買い出しです!

ボクはカワイイですからね! 買い物も料理もできるんですよ!」

 

やはり、彼女は自身をカワイイと評する。

その言葉を聞いて、幽霊の顔が悲しく歪んだ。

 

『幸子ちゃ──、』

 

幽霊は娘の名を呼ぼうとする。

決して届かないと知りながら、それでも声を発そうとする。

しかし。母親の言葉は、最後まで続くことはなかった。

 

 

 

 

 

「……その表情、まさか信じてませんね?

パパやママにも好評なんですよ? 幸子ちゃんは料理もカワイイって!」

 

 

 

 

 

娘が、自分ではない誰かをママと呼んだから。

 

『…………え?』

 

──マズ、い。

私の口がその形に動く。

声が、乾ききった喉に吸い込まれて消えた。

 

「今日はママが、カワイイオムライスの作り方を教えてくれるんです!」

 

幽霊は娘に向かって歩き出す。

一歩一歩、ゆっくりと。まるで亡者のような足取りで。

 

『……幸子、ちゃん? ママは、ここに……ずっと、ここに、』

 

幽霊は只でさえ、生者よりも感情が簡単に、敏感に揺れ動く。

人間を身体と精神の2つに分けるならば、霊とは精神そのものだからだ。

霊とは精神。精神とは感情。

感情の有り様が、そのまま霊の有り様となる。

 

「ママもボクに負けず劣らずカワイイんですよ!

この前一緒に作ったミートソースも最高でした!」

 

幽霊は娘を抱き締めようと手を伸ばす。

何の感触も残さずに、手のひらは身体をすり抜けた。

 

『ちが……そんなの、知らな……、』

 

今、彼女はどうしようもなく掻き乱された。

自分が愛して愛した愛娘が、自分の目の前で、自分以外の人間を母親と呼んだ。

十分過ぎる。幽霊が心を乱すには。

 

「あ、早く帰らなきゃなので、すいませんが失礼しますね!」

 

幸子ちゃんは前へと歩き出す。

目の前に居る幽霊の身体をすり抜けて。

 

『ま……っ、て…………、』

 

幸子ちゃんの母親は、人の形がくっきり見えるほどに強い霊だ。

そんな彼女の精神状態が乱されたら、どうなる。

私の右上に視線を送る。

あの子の様子を観察する。

……歯を噛み締め、冷や汗を浮かべていた。

 

「……幸子ちゃん。」

 

呼び止める声が、震えていた。

幸子ちゃんは振り返り、再び首を傾げた。

 

「どうしたんですか? ああ、そういえばアナタは1人で何を──」

 

『…………ひと、り?』

 

不味い。

不味い不味い不味い。

もう幸子ちゃんの母親は。……「それ」は。人の形を辞めかけている。

真っ黒な、どす黒い、黒。

その色そのものに変わろうとしている。

変化の全てを目の前で見続けた私は、悲鳴を絞り出すように叫んだ。

 

「──今直ぐ、逃げて!!!」

 

 

 

 

 

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[Tips] 幸子の両親

 

2人共、既に死亡していた。死因は交通事故。

幸子が事務所に所属した時には生存していた。

両親が死亡したのは、幸子がアイドルになってから。

芳乃と出会うまでの、いずれかのタイミングということになる。

母親は即死、事故現場である交差点に縛られた。

父親は病院に搬送され、幸子に看取られた後、幸子に取り憑いた。

 

 

[Mission Update] 幽霊の未練を晴らしてください⇒幸子の父親の未練を晴らしてください

 

幸子に取り憑いた幽霊の正体は、彼女の父親だった。

しかし彼は、最期に幸子と言葉を交わすことができたという。

ならば、幸子を他の言葉で褒めることもできたはずだ。

彼の未練とは一体、何なのだろうか。

 

 

 

〔Mission List〕

 

・幸子の父親の未練を晴らしてください

・白坂小梅を救ってください

・輿水幸子を救ってください

・2人の過去を探ってください

・2人に過去を想起させないでください



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17.既視感

「フギャーーー!!?」

 

輿水幸子は、叫んでいた。

訳も分からず、ただ叫んだ。

 

友人が道端で立ち止まり何かをしていたようだったから、声をかけた。

すると友人は何かに怯えるように逃げろと叫び、直後。

幸子の身体は何かに抱えられるようにひとりでに宙に浮き。

その事実を認識する前に、高速で移動し始めたのだ。

 

「えっ、ちょっ、何!? 何なんですか!?

誘拐!? ボクがカワイ過ぎるあまり!?」

 

勿論これは誘拐などではない。

「あの子」が幸子を持ち上げ、全速力で退避しているのだ。

母親の幽霊から逃げているのだ。

 

幸子の母親が望んでいるのは、自分という存在の認識だ。

幸子は母親の目の前で母親以外の人間を母親と呼んだ。

その事実を覆すためには、幸子が母親のことを母親と呼ぶしかない。

故に幸子の母親は、その場を去ろうとする幸子を引き留め、幸子と話をしようとする。

 

だが。

対話を望んでいるからといって、それが幸子にとって無害とは限らない。

人の形を保つ幽霊の持つ力は、成人男性のそれを大きく上回る。

そしてその力は、制御が難しい。

それを「あの子」は良く理解していた。

 

引き留めようと肩を掴めば、嫌を音を立てて妙な方向に曲がるかもしれない。

顔を見ようと手を添えれば、醜く圧し潰されるかもしれない。

しかも彼女は、完全に冷静さを欠いている。

絶対に無事では済まない。

 

幸子を脅威から遠ざけながら、考える。

あれは交通事故現場に縛られた幽霊だ。

あの場所から一定範囲以上遠くに行くことはできない。

だから、このまま幸子を遠くに運べば、取り敢えずは彼女は大丈夫だ。

 

しかし。

冷静さを欠いた幽霊が、求めているものを見失ったら。

呼び止めようとした愛娘が、自分の手の届かない場所へ行ってしまったら。

行き場を失った感情は、どうなる。

 

収まってくれるはずがない。

確かにこの目で見たのだ。彼女が悪霊に成る瞬間を。その過程を。

偽ってなどいない。あれは本物だ。

ああなってしまったら、当分は元に戻らない。

冷静になるまで、かなりの時間を要することになる。

それこそ、徹底的に壊すまで。

「あの子」はそれを、嫌というほど理解していた。

 

だから「あの子」は考える。

これから何をすべきかを考える。

あの場所に小梅を置いてきた。このままでは矛先が彼女にも向く。

だが小梅は視える人間だ。脅威を正しく認識し、すぐに逃げようとするだろう。

幸子の姿が見えている限り、悪霊は幸子を担いだ自分を追いかける。

自分が幸子を運んでいる間に、十分な時間が確保できる。

だから、小梅は大丈夫。

 

そう心で唱えながら、何かを見落としているような気がした。

だが、一体何を。

幽霊の狙いは幸子であり、小梅ではない。

幽霊は幸子を抱えて移動している自分に向かい、その間に小梅は逃げられる。

逃げられない……ということは無いはずだ。

場所が交差点である以上、一箇所を塞がれても他の三箇所のどれかを選べばいい。

だから、問題はない。はず。

なのに何故、こうも胸騒ぎが止まらない。

 

「──幸子殿!!」

 

前方から声。

見ると、依田芳乃がそこに居た。

急ブレーキをかけ、幸子を降ろす。

 

「……芳乃さん? すいませんが何が何だか説明を、」

「後で全てお話し致します、今はここを動かぬように!」

「ひ、ひゃい!」

 

芳乃の気迫に圧され、幸子はその場で気をつけの姿勢を取る。

……無理もない。ここまで焦燥した彼女は、今まで見たことがない。

 

幸子から目線を外し、芳乃は「あの子」を見る。

左手を伸ばし、袂を揺らす。

その動作を見て、「あの子」は芳乃の意図を汲む。

その中に手を入れ、携帯を取り出す。

 

『肯定は一度、否定は二度。携帯を開閉してくださいませ。』

 

ぱたん、と、携帯を閉じる。

「理解した」。肯定の合図。

 

「逃げているのは、小梅殿が会いに行った幽霊からでして?」

 

ぱたん。

 

「幽霊は最初から悪霊でして?」

 

ぱたん、ぱたん。

 

「悪霊に成ったのは、小梅殿の発言が切っ掛けでして?」

 

携帯を開いたまま、2秒ほど沈黙。

 

「……質問を変えましょう。

悪霊に成る直前、小梅殿は幽霊と会話をしていまして?」

 

……ぱたん。

 

「……っ!」

 

携帯が一度だけ閉じる音に、芳乃は唇を噛み締める。

何故だ。何故芳乃はこうも焦っている。

何故こうまで感情を剥き出しにする。

普段から決して落ち着きをなくすことのない彼女が、何故。

 

何かを間違えたような気がした。

してはいけない行動を取ってしまった気がした。

肉体を無くした身体が、ゾッと冷えていく感覚がした。

 

「直ぐに戻ります!

……恐らく小梅殿は、あの場を動けませぬ!!」

 

 

 

 

 

〔Mission List〕

 

・幸子の父親の未練を晴らしてください

・白坂小梅を救ってください

・輿水幸子を救ってください

・2人の過去を探ってください

・2人に過去を想起させないでください



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18.いないいない、ばあ

「あの子」と共に、芳乃は走る。

走りながら、頭の中でもう一度整理する。

輿水幸子と、白坂小梅。2人を救う方法を。

 

彼女達は過去にとある出来事を体験し、その衝撃を受け止めきれなかった。

結果、幻想という逃げ道を創り出し、それを見続けることで自分を保ってきた。

だが、それは一時的な応急処置に過ぎない。

いつか現実と向き合わなければならない時が来る。

思い出す時が来る。

 

そしてその時に、再び衝撃が、一気に押し寄せたとしたら。

彼女達は、また、受け止めきれない可能性が高い。

そうなれば、堂々巡りだ。

思い出し、受け止めきれず幻想に逃げ、時間を置いて再び思い出す。

そんな堂々巡りが、延々と続くことになる。

 

これを回避するためには、衝撃をいくつかに分割し。

それらを少しずつ与えなければならない。

一度に全てを思い出すからいけないのだ。

徐々に徐々に、1つずつ受け入れさせる。

そうすれば、彼女達の幻想は消え、現実と向き合うことが出来るだろう。

 

そしてそのためには、彼女達よりも先に。

まず芳乃が彼女達の過去を知る必要がある。

彼女達が思い出すことなく、しかし芳乃はそれを知っている。

その状況になって初めて、この案を実行に移すことが出来る。

 

つまり。彼女達に気付かれてはいけないのだ。

自力で思い出されてはいけないのだ。

 

しかし今。小梅は、思い出してしまうかもしれない。

彼女を取り巻く状況が、思い出させてしまうかもしれない。

 

それが只の勘違いであることを願い、芳乃は考える。

小梅と「あの子」の特徴を。

彼女達の人物像が、どういうものであったかを。

 

──小梅があの校舎を見るわけにはいかなかったのだろう。

 

「あの子」は小梅の見る幻覚を維持させる為に、彼女に校舎を見せまいとした。

行かせなかったに留まらず、映像すら見せまいとしていた。

小梅が校舎を視認することが、小梅を幻覚から覚まさせる引き金だった。

 

──……違う?

悪意を隠しちゃ、いけない?

 

小梅の幻覚は彼女に「幽霊は悪意を隠してはいけない」と言った。

幻覚とは即ち彼女の抑圧された精神。

「隠さない」ではなく、「隠してはいけない」。

それは、隠すような存在であって欲しくないと言っているようなものだ。

 

──うん……そう、だよ……。

これで、ゾンビと、いっしょ……。

 

小梅はゾンビが好きだった。

ノロノロと歩いて襲ってくるのが可愛いと。

そして髪を金に染めることと、ピアスを付けることは。

自身をゾンビと同等の存在にすると、彼女は嬉しそうに言っていた。

 

──あれは恥ずかしさを隠そうとする行為ではない。

ただ恐れ、戸惑っていただけだ。

 

小梅が服を見つめていた時。

幸子に話しかけられ、彼女は明らかに恐怖していた。

服の特徴は確か、上品な色合い、適度に短い袖、控えめにあしらわれたフリル。

そう。可愛らしくも落ち着いた印象の服だった。

 

──小梅は平然と嘘を吐けるほど対人関係において器用ではないし、幸子のことを大切にしていないわけでもない。

 

彼女は、あまり器用には話さない。

小梅は普段からゆっくりと話す。

まるで、慎重に言葉を選ぶように。

その発言の結果何が起こるのかを、慎重に模索するかのように。

 

──案内役を申し出たのは、ひとえに小梅が撮影に参加できない罪悪感を紛らわすためだろう。

その幻覚の発言を利用し、小梅に見られない状況を作り出して、「あの子」は芳乃を脅迫した。

 

小梅の見る幻覚も、本物も。

どちらの「あの子」も、校舎を案内することができた。

そうでなければ幻覚は案内役として立候補しないし、本物はああまで的確に芳乃達を案内できない。

あれが、単に幽霊の居場所が分かるからではなく。

校舎の内部構造を知っていたからだとしたら。

 

 

 

 

 

それら全てが、あの事件に起因するものだとしたら。

 

 

 

 

 

「…………ぁ、」

 

幸子ちゃんのママが、幸子ちゃんを追いかける。

幸子ちゃんは「あの子」に担がれて、ママから逃げている。

もし、捕まったら。

捕まってしまったら、きっと。あの日のように。

 

……あの日?

自分の思考に、疑問を覚える。

あの日のようにって、どうなるの?

私の友達が、捕まって、その次は。

 

分からない。

分からない、けど。

その次には、行かせちゃ、いけない。

幸子ちゃんの元に、行かせちゃいけない。

 

ここで、逃げちゃいけない。

立ち止まっちゃ、いけない。

見ているだけじゃいけない。

 

だから私は手を伸ばす。

幽霊を止めるために。

 

あの子を殺させないために。

 

「……小梅殿!」

 

芳乃さんの声に、我に返る。

声の方を見ると、しかし芳乃さんは見えなかった。

真っ黒だった。

黒以外の色が、世界から消えていた。

それが幽霊の姿なのだと理解するのに、少し時間がかかった。

その時間だけで、十分だった。

幽霊が私を襲うには。

掲げられた手のような何かを、私目掛けて振り下ろすには。

 

 

 

 

 

あの子が私を突き飛ばし、代わりに傷を負うのには。

 

 

 

 

 

「…………ゃ、」

 

嘘みたいな速さで、あの子は壁に叩きつけられる。

悪霊は、ゆっくりと近付いていく。

地面に倒れたあの子の元へ。

 

「や、だ、」

 

再び腕を振り上げる。

もう一度、傷を与えるために。

確実に息の根を止めるために。

 

「そ、れは、」

 

何処かでこの光景を見たことがある。

何処かで同じ経験をしたことがある。

何処か。何処かで。

そして、その時と同じことになるのなら。あの子は。

 

「やめ、て、」

 

あの子が私の方を見る。

駄目だ。見るな。それを見るな。

あの子を見るな。見ちゃ、駄目だ。

それでも、目が閉じられない。

それでも、視線を動かせない。

それでも、私は動けない。

 

「だ、め、」

 

あの子は、まだ立ち上がれない。

立ち上がれないまま、私の方へ。

きっと、私を守るために。地面を這って。

その動作が、何かに似ている気がした。

その姿が、私の好きなもののような気がした。

好きなもののはずなのに、大嫌いな気がした。

 

「あ、ぁ、あ、」

 

何かがぐちゃぐちゃになっていく感覚がした。

何かがぐちゃぐちゃになっていく予感がした。

何かがぐちゃぐちゃになっている気がした。

何かがぐちゃぐちゃになった頭で、考えるのを止められなかった。

 

あの子が死ぬ。

あの子が死んでしまう。

またあの子が死んでしまう。

 

また?

 

そうだ。

前にもこんなことがあった。

私の友達が捕まって。

あの子が捕まって。

私は動けなくて。

あの子は。私を。

 

 

 

 

 

『考えるな!!!』

 

 

 

 

 

あの子の声が聴こえた。

その方向を見ようとして、でも。

その声は何処から来たのか、分からなくて。

きょろきょろと辺りを見回すと、私の右上にあの子が居た。

 

「…………え?」

 

再び地面を見る。

あの子が居る。

右上を見る。

……あの子が居る。

 

『……それも含めて、今は考えないで!!』

 

「え、う、うん……?」

 

考えるなとあの子は言う。

でも、どうしても気にしてしまう。

何であの子が2人居るのか。

今喋っているあの子の声が、何処から発せられているのか。

そもそも、私はあの子の声を聴いたことが……?

 

「──小梅殿!!」

 

再び、芳乃さんの声。

今度は、しっかりと姿を確認することができた。

 

「……良いですか、「あの子」殿はそなたに憑いた幽霊でしてー。

いざとなれば逃げられますし、亡くなることもありませぬー。」

 

私の頬に手を当て、諭すように芳乃さんが言う。

ここまで走ってきたみたいなのに、汗1つかいていないし息も乱れていない。

 

「う、うん……。」

 

そうだ。

あの子は幽霊。

もう既に死んでいる以上、死ぬはずがない。

幽霊が幽霊に傷付けられて死んだなんて話も聞いたことがない。

 

「申し訳ありませぬが、詳しい話は後ほどー。

……今は、今直面している問題をー。」

 

芳乃さんは私の頬から手を離し、悪霊の方へ向き直る。

 

「……うん、分かった……!」

 

今は、考えない。

あの子と芳乃さんの言葉通り、私は頭を切り替える。

 

「……小梅殿ー。あれは、危険でしてー?」

 

「うん……すごく……危ない……。」

 

「……わかりましてー。では……、」

 

目の前の悪霊を、何とかする。

私の様子を見て、芳乃さんは作戦を話し始めた──

 

 

 

 

 

「──ボク、いつまで待ってればいいんですかね……?」

 

輿水幸子は、ひょっとして忘れられてるのではないかと不安になる。

 

 

 

 

 

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[Mission] 悪霊を除霊してください

 

幸子の母親の幽霊は、幸子が幻覚を見ていることを知らなかった。

幸子の発言に心を乱された結果、悪霊化してしまう。

小梅の様子を見る限り、悪霊化した幽霊は非常に危険なようだ。

一刻も早く除霊を試みよう。

 

 

〔Mission List〕

 

・幸子の父親の未練を晴らしてください

・白坂小梅を救ってください

・輿水幸子を救ってください

・2人の過去を探ってください

・2人に過去を想起させないでください

・悪霊を除霊してください

 

【caution】白坂小梅が気付き始めています



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19.見えないものが見えている

どんよりとした灰色の空の下。

芳乃と小梅は状況の打開に奮励する。

一方その頃。幸子は1人、待ちぼうけを食らっていた。

 

「食材、置いてきちゃいました……。」

 

小梅が逃げてと言った瞬間、幸子は見えない何かに移動させられた。

その先には芳乃が居り、後で説明するから今は動くなと釘を刺された。

その声色が、あまりに鬼気迫っていたので。

幸子は芳乃の言葉通りに、その場を動かず待機し続けていた。

 

「……芳乃さん、大丈夫でしょうか。」

 

幸子から見た芳乃は、最近少し変だ。

夕方に突然「話がしたい」と幸子の家を訪れ。

リビングに案内すると、両親が居ないと焦燥した様子で言った。

目の前に居るにも関わらず。

それを見て幸子が少し変だと言うと、そうかもしれないと芳乃はその場を後にした。

 

その翌日である、今日。

幸子は母親に料理を教えてもらうために買い物をし。

何となくいつもと違う帰り道を通った。

その後は、前述の通りである。

 

果たして芳乃は、大丈夫なのか。

幸子がそう思うのは当然のことだった。

芳乃は、見えない何かと。

存在しない何かと戦っているようにしか見えないから。

 

もし今回幸子に関与した人物が、芳乃だけであったのなら。

そろそろこの場を動いて様子を見るという選択肢もあった。

しかし。小梅もだったのだ。

小梅もまた、あの交差点に留まらないよう言っていた。

 

だから幸子は待ち続ける。

きっと本当に、自分にとってあの場所は危ないから。

それは一時的なものではなく、こうして少しばかり待った程度では。

きっとその危険性は変わらないから。

 

しかし、そうなると。

先程の芳乃の発言の信憑性が、小梅の発言によって確立されるとすると。

芳乃の言動が事実に即したものであるとすると。

昨日の芳乃の発言の真偽についても、幸子の中で揺らぎ始める。

 

あの時、幸子は芳乃の言葉を真実ではないと断定した。

芳乃は両親が居ないとし、それは幸子が見る現実と明らかに矛盾していた。

だから幸子は芳乃の様子がおかしいと感じ、心配したのだ。

 

しかし、今日の芳乃は。

幸子を交差点から遠ざけようとした。小梅と同じように。

芳乃と小梅が同じタイミングで妄言を発するようになったとは流石に考えにくい。

少なくとも今日、芳乃は真実を発している。

 

昨日と同じように、事実に即さない発言をしていたのなら。

幸子は芳乃の様子がおかしいという認識をより確固たるものにしただろう。

だが、実際はそうではなかった。

故に幸子は考える。

 

昨日の芳乃も、おかしくなってなどいなかったのではないか。

 

仮に昨日の芳乃が変だったとして、昨日の今日で正常に戻る類いのものとは思えない。

両親の方を指差し、怯えた様子で「そこには誰も居ない」と叫んだのだ。

そもそも芳乃は、人に指を突きつけるなんて礼節を欠いた行動をする人間ではない。

冗談であのようなことをする人間でもない。

少なくとも芳乃自身は、本当に両親があそこに存在しないと認識していた。

そしてあの時の芳乃が、今日と同じく正常だったとしたら。

 

本当に両親はあの場に存在していなかったのではないか。

 

「…………いやいや。」

 

いやいやいやいや。

いくらなんでもそれはない。

両親が居なかったとしたら、自分は今まで誰と──

 

「──ボクは、誰と……?」

 

梅雨の曇り空。

水の中を歩くような湿度と熱気に包まれて。

幸子の身体は、場違いな寒さに襲われた。

 

ぶんぶん、と、良くない予感を振り払うように頭を振る。

そんなはずはない。確かに見たのだ。

確かにそこに居るのだ。

今日だって、料理を教えてもらうのだから。

 

ああ。

こんなに悩むことになるのなら、いつも通りの道で帰っていればよかった。

そもそも、どうして今日は違う道にしたんだっけ。

そう。確か、こっちから帰った方が近いから。

 

あれ?

 

こっちの方が近いなら、どうして遠回りしていたんだろう。

 

あれ?

 

この辺りの道は、知らないなんてことは無いはずなのに。

 

あれ?

 

どうして近道だってことを今まで忘れていたんだろう。

 

あれ?

 

どうしてあの交差点を避けるようにしていたんだろう。

 

あれ?

 

あれ?

 

 

 

 

 

「…………あれ?」

 

 

 

 

 

「……では、そのようにー。」

 

芳乃さんの立てた作戦は、次のようだった。

幸子ちゃんの母親の幽霊は、この交差点に縛られた幽霊。

であれば、芳乃さんの力で除霊が可能。

しかし除霊の儀は少し時間がかかる上に、その最中は完全に動けなくなる。

よって、あの子が芳乃さんを守る。

あの子が幽霊の気を引き、稼いだ時間で芳乃さんが儀式を完遂する、という。

非常にシンプルなものだった。

 

『……私は小梅の側を離れられないし、何の力も持ってない。

戦力として数えられるのは、あっちで伸びてる方の私だけ。

ボディガードとしては、期待しないでね。』

 

私の右上に居る方のあの子が口を開く。

でも、その声は口から発せられてはいなかった。

頭の中心から発せられているような。

頭の中に直接送信しているような。

 

『……向こうの私が動くよ。準備はいい?』

 

でも、今はそれについては考えない。

あの子の言葉に、私は黙って頷いた。

 

あの子が跳ね起き、幽霊に向かって走り出す。

その姿を幽霊が視認し、再び手を振り上げる。

 

その瞬間を狙った。

私は幽霊の背後を通り抜け、そのまま道を駆け抜ける。

幸子ちゃんを呼び戻すために。

 

幽霊が狙うのは芳乃さんではない。

彼女の目的は幸子ちゃんただ1人だ。

だからこのままでは、あの子や芳乃さんや私以外のものにも危害を加えようとする可能性が高い。

それらに何の優先順位の差も無いから。

芳乃さんを守らなければならない以上あの子は芳乃さんから離れられず。

離れられない以上芳乃さん以外に対する攻撃は傍観するしかない。

 

それを芳乃さんは問題視した。

いずれ幸子ちゃんに、説明しなければならない時が来る。

あの時の幽霊はあなたの母親なのです、と。

その時に、自分の母親が悪霊となって街を破壊した、などと。

そんなことを、幸子ちゃんが知ってしまえば。

きっと、自分を責めてしまう。

 

だから、幽霊がある1点以外を狙わないようにする。

 

そのために、幸子ちゃんを連れ戻す必要がある。

幽霊の行動範囲のギリギリまで。

そして、あの子が幸子ちゃんを守る。

そうすれば幽霊は幸子ちゃん以外見向きもしない。

芳乃さんの邪魔をするものも無い。

一直線上に、幸子ちゃん・あの子と私・幽霊・芳乃さん、という並びになる。

 

「幸子、ちゃん……!」

 

塀にもたれかかるように、幸子ちゃんが立っていた。

名前を呼んで、手を握る。

 

「……小梅、さん。」

 

私の声にこちらを向いた幸子ちゃんは、どうしてだろう。

いつものように笑ってはいなかった。

いつものように元気いっぱいには見えなかった。

何かに、戸惑っていた。

 

「…………すいません、変なことを、聞いてもいいですか?」

 

そんな様子で、そんなことを言われたら。

二つ返事で了承してしまいたくなってしまう。

でも。今は時間が惜しい。

だから、謝罪の言葉を発そうと。私は口を開く。

 

あの子が、人差し指を私の唇に当てたのが見えた。

感覚は、無かった。

 

『待って。……もしかしたら。

今の幸子ちゃんを連れて行くのは、まずいのかも。』

 

ほんの少しだけ眉をひそめて、あの子が言う。

開きかけた口をつぐみ、私は幸子ちゃんの目を見て頷いた。

 

「……その、本当に、変なことなので。

できれば、笑ってほしいんですけど。」

 

幸子ちゃんの手を握った私の手から、微かな震えが伝わる。

 

「……? うん……。」

 

言葉の意図が掴めず、曖昧に返事をする。

幸子ちゃんは1つ息を吸うと、意を決したように。

そっと、震える声を吐き出した。

 

 

 

 

 

「さっき逃げてと言ったのは、ボクのママから。ですか?」

 

 

 

 

 

〔Mission List〕

 

・幸子の父親の未練を晴らしてください

・白坂小梅を救ってください

・輿水幸子を救ってください

・2人の過去を探ってください

・2人に過去を想起させないでください

・悪霊を除霊してください

 

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20.あなたのわたしとあなたはわたし

「……それ、は、」

 

どうして。

どうして幸子ちゃんが、それを。

 

私が口走った?

……それは多分、ない。

 

芳乃さんの言動から推測した?

……できなくは、ない。

芳乃さんは幸子ちゃんの両親を存在しないと言った。

それが真実だということに、気付いたとしたら。

でも。

それで分かるのは、自分の見えている両親が幻覚ということだけ。

彼女は今、はっきりと言った。

自分が襲われかけたのは、自分の母親か、と。

つまり、芳乃さんの発言と、他にもヒントがあった。

 

『……小梅。幸子ちゃんのママの、さっきの話。覚えてる?』

 

あの子が苦い声を発する。

促されるままに、私は頭の中で記憶を再生する。

 

──私は一瞬で死んでしまったけれど、夫はそうではなかった。

病院に搬送されて、数時間は持ちこたえたと。

事故現場……私が立っているここに花を添えた知人が、私ではない何処かを見て呟いていた。

幸子ちゃんはお父さんの最期に立ち会えた。少しだけどお話もできた。

今は親戚にお金を振り込んでもらいながら、彼女の望みで1人で暮らしてる。

ちゃんと元気に生活してる。そう、教えてくれた。

 

『幸子ちゃんについて知ったのは、知人が教えてくれたから。』

 

知人が伝えた内容は、幸子ちゃん本人が話すべきもののように思える。

しかし幸子ちゃんのママは、知人から聞いて初めて幸子ちゃんの様子を知った。

と、いうことは。

 

『墓前で報告したか。……或いは、そもそも報告していない。』

 

幸子ちゃんは、事故現場を一度も訪れていない。

 

『両親の幻覚を見ていて、その事故現場に今まで訪れていなかった。

…ってことは。』

 

今日までずっと、無意識に避けていた。

幸せな幻を、終わらせないために。

 

『でも、幸子ちゃんは今、ここに居る。

きっと誰に強制もされていない、純粋な彼女の意志で。』

 

ということは。

……自力で、気付こうとしている?

 

『今ここで気付かれちゃったら、除霊どころじゃない。

自分の母親を消そうとしてると知ったら、どう出るか分からない。

そもそも冷静じゃ居られない可能性だって、十分過ぎるほどある。』

 

なら私は、どうすれば。

 

『……幸子ちゃんの顔、見てごらん。』

 

頭に響く声に従って、私は視界に意識を向ける。

目は開けていたけれど、どこか別の遠くを見ていた。

そのことに、ようやく気が付いた。

 

 

 

 

 

「……ママ、なんですね。」

 

 

 

 

 

諦めたように、幸子ちゃんは呟いた。

 

「…………え、っと、その、」

 

しまった。

それだけの時間、私は考え込んでいたのだ。

幸子ちゃんが私の沈黙を見て、それを肯定と受け取る程度には。

ずっと、黙り込んで考えていた。

 

「いいんです。」

 

何か言おうと焦る私の口を、幸子ちゃんは優しく指で塞ぐ。

今日2度目のその行動は、初めて確かな感触を伴った。

 

『……やけに、落ち着いてる。』

 

それこそ、違和感を覚えるくらいに。

自分がこれまで接していた自分の母親が幻覚だったと知って。

本物は既に死んでいると知って。

もう二度と会えないと知って。

14歳の少女が取るにしては、この反応は。

 

『大人びてる、ってレベルじゃない。』

 

母親の死という事実と向き合うことが、彼女にとって苦ではなかった?

そんなはずはない。それならば彼女は最初から事故現場を避けなどしない。

ひどく苦痛だったはずだ。目を逸らし続けてしまう程度には。

 

『にも関わらず、彼女は少しショックを受けた程度で収まっている。』

 

まだ彼女は、受けて然るべき苦痛を感じていない。

 

『母親の真実と向き合うことによって引き起こされる苦痛。

それを感じていないということは。』

 

母親について気付くこと、それそのものが苦痛の誘因ではなかった。

 

『母親の死亡と向き合うことが、何かに繋がる。

そしてその何かこそが、苦痛の誘因。』

 

彼女は未だ、その「何か」に至っていない。

 

『だから彼女はまだ冷静でいられる。』

 

薄々感づいていた悪い予感が正しかったというだけで済んでいる。

 

『では、その「何か」とは何だ。』

 

母親の死を、家族の死を認識することによって、彼女に起こる変化は何だ。

 

『彼女の母親は言っていた。』

 

彼女は父親と会えたようだと。

 

『最期に言葉を交わすことができたと。』

 

そうだ。ならば何故。

 

『何故彼女の父親は成仏できなかった。』

 

何故彼女の父親は彼女に憑いている。

 

『言葉を交わせたのならば。』

 

自らの過ちを正せたのならば。

 

『彼女をあの形容詞以外の言葉で褒めることができたのならば。』

 

彼に未練など無いはずだ。

 

『彼女に憑く理由が無いはずだ。』

 

幽霊は未練と関係のあるものに憑くのだから。

 

『しかし実際はどうだ。』

 

確かに視える。依然として彼は彼女に憑いている。

 

『彼には未練がある。』

 

彼女にしてあげられなかったことがある。

 

『あり得るとするならば。』

 

彼の望みと彼女の現実に、致命的な食い違いがあるとするならば。

 

『確かにある。1つだけ。』

 

明らかに存在する。彼女の言動に。

 

『彼女が望む言葉は、ただ1つの形容詞。』

 

彼が問題視していたのは、彼女の求める形容詞。

 

『その問題は未だ解決していない。』

 

彼はその問題を解決できなかった。

 

『言葉を交わすことができたのに。』

 

その機会には恵まれたのに。

 

『最期にチャンスがあったのに。』

 

彼はそこで失敗した。

 

『彼女の固執を正すことができなかった。』

 

それこそが彼の未練。

 

『それこそが彼女の抱える問題。』

 

それこそが彼女が目を逸らしてきた事実。

 

『彼女は。』

 

輿水幸子は。

 

『両親の死を認識しないことで逃げていた。』

 

彼の死に際の言葉から逃げていた。

 

『それが「何か」の正体だ。』

 

それが問題の根本だ。

 

『彼に自分の望む形容詞以外の言葉で褒められたことが。』

 

彼女が認めたがらないものの正体だ。

 

 

 

 

 

「『輿水幸子は、自らの価値を否定された過去から逃げていた。』」

 

 

 

 

 

その言葉は、自分の口から、ほんの少し。

誰にも聞こえないほど小さく発せられたものだ、と。

この事実に気付くまで、少しの時間を要した。

 

「──っ、」

 

また私は、ここではないどこかを見ていた。

目を上下左右に走らせると、まだ幸子ちゃんは私の口に指を当てたまま。

私が我を忘れてから、そう時間が経っていない。

 

今のは、何?

あの子と私が1つの脳を共有して思考したような感覚。

1人の人間の考えを、2人で分割して理解したような感覚。

それでも辿り着いた結論は、どうしようもなく納得がいくもので。

 

「…………ねえ、幸子ちゃん。」

 

私は否定に失敗した。

幸子ちゃんの言葉を笑うことができなかった。

幸子ちゃんは知ってしまった。

自分を襲おうとしたものの正体を知ってしまった。

 

そんな彼女が、これからどうするか。

そんな彼女が、これからどうなるか。

それが、悲しいくらいに分かってしまって。

だから私は、せめてと言葉を紡ぐ。

 

 

 

 

 

「幸子ちゃんは、可愛いからね。」

 

 

 

 

 

〔Mission List〕

 

・幸子の父親の未練を晴らしてください

・白坂小梅を救ってください

・輿水幸子を救ってください

・2人の過去を探ってください

・2人に過去を想起させないでください

・悪霊を除霊してください

 

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21.再会

芳乃の頬を何かが掠める。

直線状に走る熱と、そこから滴る温かさを無視して、彼女は言葉を紡ぎ続けた。

 

小梅の帰りが、遅い。

芳乃の見立てでは、幸子を呼び戻すのに30秒もかからないはずだった。

しかし、もう1分は過ぎている。

あまり長くなってはこちらが保たない。

いくら「あの子」が人の形を保つほどに強い霊とは言っても。

目の前に居る悪霊は、それよりも強いのだ。

 

悪霊に襲われた小梅を助けるために、身を挺することしかできなかったのだ。

あの状況では、可能であったのなら、悪霊の方をどうにかするのが最善のはず。

小梅の代わりに自分が吹き飛ばされてから再び立ち上がるまでの間、小梅は完全に無防備となるのだから。

しかし「あの子」はそれをしなかった。いや、できなかった。

まず小梅を下がらせた後、悪霊に襲いかかろうとして。

しかし呆気なく壁に叩きつけられた。

それの意味することはひとつ。

この悪霊は、「あの子」よりも強い。

 

芳乃が小梅の元へと辿り着く直前。

彼女が視界に入った瞬間に、芳乃は小梅の気を読んだ。

危険。恐怖。予測不能。

小梅の意識はそのようなものに飲み込まれていた。

小梅よりも幽霊に関する専門性を持たない芳乃は、彼女の持った感情を信頼した。

この悪霊は、危険なものであると。

 

これは幸子の母親の幽霊だ。

幸子が抱いている問題を解決する手助けにも成り得るだろう。

しかし。悪霊となってしまった。

小梅の意識は明確な危険信号を発し、現に「あの子」が造作もなく吹き飛ばされた。

これらのことから、芳乃は悪霊を。

幸子の母親を、成仏させることに決めた。

 

幸子をこの場に呼び戻すのは、最善とは言えない苦肉の策だ。

「あの子」が芳乃を最後まで守りきれるのなら、幸子をこの場に戻そうなどとは考えなかっただろう。

安易に2人を会わせた結果、これ以上ややこしいことになってはたまったもんじゃない。

だから芳乃は、最初は「あの子」に最後まで守ってもらうつもりだった。

しかし小梅を助けるために吹き飛ばされた「あの子」を見て、即座に考えを改めた。

「あの子」だけでは攻撃を凌ぎきることはできない。

ならば、幸子を囮として用いるしかない。

幸子を悪霊の行動範囲ギリギリに配置し、注意を芳乃から逸らさせ、万一幸子に当たりそうなものだけを「あの子」が防ぐ。

 

しかし、これをこのまま小梅に伝えることはできなかった。

芳乃が何故「あの子」と悪霊の力量を知ったかといえば、「あの子」が吹き飛ばされる姿を見たからだ。

しかし小梅は「あの子」を認識できていない。彼女が見ているのは自らが作り出した幻覚だ。

起こった出来事をそのまま伝えれば、小梅から見て齟齬が生じる。

彼女から見れば、悪霊は誰も居ない空間に攻撃をしたことになるのだから。

その矛盾を生じさせないために、芳乃はほんの少しだけ嘘を吐いた。

このままでは無差別に攻撃し続け街に被害が出るから、と。

小梅から見た光景は悪霊の無差別性を裏付けるに十分なものだと判断した、その上での発言だった。

 

本当は、悪霊は無差別な攻撃など一度もしていない。

 

善い霊であった幸子の母親は、娘にその存在を無視されるかのような言動を取られ。

過度に精神を掻き乱された結果、悪霊となった。

そして幸子の方へ近付き、それを小梅は攻撃の予兆と判断した。

小梅はすぐさま逃げるように告げ、その言葉に反応して「あの子」は幸子を退避させた。

その後悪霊は、娘との会話を阻害した小梅を狙った。

芳乃と「あの子」が戻り、小梅を幸子の元に行かせてからは、徹底して2人だけを。

芳乃が除霊の儀を始めてからは、芳乃のみを狙い続けている。

 

一貫しているのだ。

最初から全て、自分の行動を阻害した者にのみ。

それのみに限定して悪霊は暴力をふるっている。

悪霊の攻撃は、全て自分達に集中している。

そんな状況で、「あの子」は全ての猛攻を捌ききれない。

この膠着状態が、幸子が来るまで保つかどうか。

 

この状態を維持したまま、悪霊の行動可能範囲ギリギリまで後退することも考えた。

だが、それはどうやら許してくれないらしい。

ただでさえ微妙なバランスでどうにか成り立っているこの状態で。

何か1つでも余計な行動を追加すれば、間違いなく均衡は崩れる。

今のまま耐え続けるのが、精一杯だった。

 

だからこそ、芳乃は小梅の帰りを待ち続ける。

早く。

「あの子」が消耗しきってしまう前に。

早く。

芳乃の身体が貫かれてしまう前に。

早く。

幸子の母親に罪を着させてしまう前に。

早く。

全てが手遅れになってしまう前に。

 

 

 

 

 

「──ママっ!」

 

 

 

 

 

そして、少女の声が、響いた。

 

「…………な、」

 

何と言った。

今、誰が、何と。

 

それは、直前まで待ち焦がれた声のはずだった。

それは、状況を打破する契機のはずだった。

それは、自分にとって好ましいものであるはずだった。

 

だが。

万にひとつ。もしも。聞き間違いでないとしたら。

彼女は。輿水幸子は。

……ママ、と。

そう言ったのか。

 

通りで時間がかかるはずだ。

幸子は自力で気付いたのだ。

しかし、ならば何故。

何故、ここに来ることができた。

 

幸子の表情を見る。

彼女の内面、その気を読み取る。

困惑。焦り。責務。

……この、程度?

 

確かに、揺らいではいる。

ショックを受けてはいる。

だが、想定していたよりも大分、軽傷だ。

それこそ、安堵よりも先に違和感を覚えるくらいに。

 

彼女はそれが嫌で、幻覚すら見ていたんだぞ。

そうまでして、直視しないようにしていたんだぞ。

だというのに、この薄い反応は、何だ?

 

「……っ!?」

 

まさか。

彼女が厭忌していたものは。

目を逸らし続けていたものは。

 

「……なりませぬ!」

 

芳乃は儀式のことも忘れ、叫ぶ。

悪霊が与える危害については、問題はない。

悪霊の行動範囲内に入らせなければ手は届かず、幸子が芳乃の声を聞き入れなかったとしても、側には小梅が居る。

物理的にでも幸子の行動を妨害してしまえば、悪霊は幸子に手を出せない。

 

問題なのは、幸子が自分から遠ざけようとしていたものの正体だ。

それが何なのか特定はできないが、確実に幸子の両親が深く関係するものだ。

そして今、母親が死亡していたという事実に直面して尚、異常とは言えない程度のショックを受けるに留まっている。

つまり。彼女が逃げていたのは、両親の死そのものではなく。

両親の死と直面することによって到達し得る何かだ。

幸子は両親の死を覆い隠すことによってそれから逃げていた。

幸子の様子を見るに、まだそこまでは至っていない。

だが、直接会ってしまえば、どうなる。

 

廃校での出来事を思い出す。

あの時、「あの子」は悪霊となり、幸子の身体を乗っ取ることによって芳乃に忠告した。

つまりは、会話が可能なのだ。

誰でもいい、生者の身体を使いさえすれば。

霊感など持っていなくとも、意思疎通ができてしまうのだ。

 

もし悪霊が、この手段に気付いてしまったら。

幸子が自身の行動範囲内に入ったとしても、一旦それを無視し。

「あの子」の妨害をすり抜け、芳乃を気絶状態に追いやり。

その身体を乗っ取ってしまったら。

 

幸子との会話が可能になってしまう。

 

そうなれば、到達してしまう。

幸子が目を逸らし続けていた何かに、至ってしまう。

その何かを、思い出してしまう。

 

幸子を呼び戻すようにしたのは、悪霊がこのことに気付かないようにするためでもあった。

気付かないまでに、心を掻き乱す算段だった。

それこそ、幸子の母親が幸子に襲いかかってしまうほどに。

それほどに、冷静な思考能力を失わせるつもりだった。

そうして初めて、幸子は囮として機能する。

 

幸子がこの場所に来るだけで、それは達成されると芳乃は考えていた。

幸子はここに居る悪霊が自分の母親とは微塵も認識していない。

故に、芳乃が適当に母親に関する質問を投げかければ。

幸子の口から出る回答は、全て悪霊を追い詰めるものになる。

……その、はずだった。

 

しかし今、幸子は自分の母親が誰なのか、正しく認識してしまっている。

悪霊を冷静で居させなくすることが、できない。

幸子は囮として機能することなく。

碌に心の準備をすることも許されず、今までずっと逃げてきた何かと直面せざるを得なくなる。

それならば、彼女がここに居るメリットが何一つ無い。

ただでさえ覆し難いこの状況を、更に悪化させるだけだ。

 

「今すぐに此処を──」

 

幸子に、それを伝えようとする。

今すぐに離れなければ駄目だと。

小梅に伝えた作戦は、尽く悪手となってしまったと。

しかし。

芳乃の口は、最後まで動くことはなかった。

 

「──ぁ、」

 

物凄い速度で何かに、強制的に下を向かされた。

後頭部がジンジンとしていた。

再び前を向こうとするが、不思議なほどに力が入らない。

視界にテレビの砂嵐のようなものが、薄く重なって見えた。

 

「……っ、…………?」

 

理解する。後ろから殴られた。

何かしなければと思考を巡らせようとするが、何をしたらいいか分からない。

どうすれば思考が巡るのかが分からない。

まるで脳の使い方を、身体が忘れてしまったかのように。

殴られた勢いを殺せずに、ゆっくりと傾いていく。

砂嵐が段々と濃くなってゆき、視界が黒に染まり始める。

 

「……、ぁ、…………。」

 

体力と気力を同時に吸い取られる感覚。

考えていられない。立っていられない。

黒しか見えなくなった目が、閉じているのか開いているのかも分からない。

身体の感覚も、ひどく曖昧で。

まだ立っているのか。地面に倒れたのか。

自分という存在がまだ形を保っているのかすらも。

何も。なにも。

 

 

 

 

 

「……久しぶりね、幸子ちゃん。」

 

 

 

 

 

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【caution】輿水幸子が気付き始めています



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22.復元

「……駄目じゃないですか。」

 

目の前に居るのは、確かに芳乃さんのはずだった。

それ以外の人物であるはずがなかった。

だって彼女の外見は、どうしようもなく依田芳乃だったから。

 

「その人、ボクの友達なんですよ?」

 

でも。

目が。表情が。佇まいが。微かな動作が。

外見以外の全ての要素が。

 

「傷つけたりしちゃ、駄目です。」

 

ああ。

この人は、間違いなく。

ボクの、ママなんだ。

 

「……うん。」

 

やっと会えた。

やっと話せた。

随分と待たせてしまった。

墓参りすら、せずに居たから。

 

「ごめんね。……こうしなきゃ、いけなかったから。」

 

ママは申し訳なさそうに頬の傷を撫でる。

 

「ちゃんと、謝ってくださいよ?」

 

何故だろう。

ずっと、独りで話していたからだろうか。

久しぶりなはずなのに、言葉は自然と出てきてくれた。

 

「私はもう、生きていないから。

……幸子ちゃんが、伝えてくれる?」

 

自分で伝えてください。ボクの身体を貸してあげますから。

……なんて言っても、きっとママは、また寂しそうに笑って首を振るんだろう。

 

「……しょうがないですね、伝えておいてあげますよ! ボクはカワイイですからね!」

 

それはかつて交わしたものと、同じ言葉のはずだった。

あの頃と同じように、ボクは話したのだから。

あの頃と同じように、ママは笑ってくれるんだと思った。

 

「……そうね。」

 

そう、思っていた。

 

 

 

 

 

「幸子ちゃんは、■■■ものね。」

 

 

 

 

 

思って、いたのに。

 

「…………え?」

 

あの頃と違う見た目のママは。

あの頃と同じ笑顔を浮かべて。

あの頃と同じ色の声で。

全く聞き慣れない何かを、発した。

 

「幸子ちゃんは■■■わ。それに■■し、いつも■■■■■。」

 

何も言っていないわけではない。

見知らぬ言語なわけでもない。

なのに。脳が音を処理してくれない。

音を音としか認識できない。

言語であるはずの音を、言語に変換することができない。

 

「……何、言ってるんですか…………?」

 

そんな、わけの分からない言葉を。

平然と語り続ける、目の前の人物は。

 

「だからね、幸子ちゃん。」

 

 

 

 

 

「■■、■■■■■■■■■■■■■■。」

 

 

 

 

 

目の前にあるモノは、何だ。

 

「…………ぁ、」

 

違う。

これは私の知るママじゃない。

違う。

これは私の知る言葉じゃない。

違う。

一度たりともこれを聞いたことなんてない。

 

いや、違う。

 

どこかでこれを聞いたことがある。

これとよく似た音を聞いたことがある。

これとよく似たモノが発していた記憶がある。

ところどころが擦り切れた、不完全な映像が。

記憶の中に、刻まれている。

 

『──幸■ちゃ■。』

 

ひどく、寒くて暗い夜だった。

 

『■に、謝らな■■いけな■こと■あ■んだ。』

 

何かが無性に悲しくて、白い部屋で泣いていた。

 

『僕達■、■っと間違■た褒め方■して■■。』

 

聞かなければならない音だった。

 

『■子ちゃ■■、可■い、と。た■■れ■けを。』

 

取り零してはいけないものだった。

 

『そ■は■違いだ。■の取り柄■、■れだ■■■な■。』

 

深くその身に刻まなければならないはずのものだった。

 

 

 

 

 

『■■、■■■■■■■■■■■■■■。』

 

 

 

 

 

 

大切な家族の、最期の言葉だったのだから。

 

 

 

 

 

 

「…………っ、」

 

幸子ちゃんを避難させていた場所。

2人の居る地点から、少しだけ離れた場所から。

眼前の光景を見て、私は強く歯を噛み締めた。

芳乃さんの目論見は失敗に終わった。

幸子ちゃんをこの場に連れ戻して尚、悪霊の注意を逸らすことは叶わず。

結果、悪霊に対する唯一の攻撃手段を持つ芳乃さんの身体を、人質に取られることとなった。

 

どうする。

芳乃さんの中に入ってしまった以上、こちらから悪霊に何かをすることはできない。

私は芳乃さんのような特技を何も持っていないし、あの子だって物理的に干渉できるだけ。

 

どうする。

あの言葉を聞いてから、明らかに幸子ちゃんの様子が変だ。

額に滲んでいる汗は、きっと暑さから来たものじゃない。

目は大きく見開かれ、まるで信じられないものを見たかのよう。

……幽霊が見えると私が告白した時ですら、あんな顔はしなかったのに。

 

どうする。

きっと、あの言葉が引き金だ。

幸子ちゃんが幻覚を見るようになったのも、そして今も。

あの言葉が発端だったんだ。

このままでは、再び繰り返す。

彼女の父親と交わされただろうやりとりを、母親にも再現してしまう。

 

どうする。

こんなことになるのなら、まだ。

最初からあの子を経由して、2人で話をさせた方が良かったのかもしれない。

話さえさせていればあんなに落ち着いてくれるのなら、まだその方が──

 

 

 

──あれ?

 

そもそも、どうしてこうなったんだろう。

 

あれ?

 

私が、逃げてと言ったから、だっけ。

 

あれ?

 

どうして逃げてと言ったんだろう。

 

あれ?

 

襲われてしまうと思ったからだっけ。

 

あれ?

 

どうして、襲われてしまうと思ったんだろう。

 

あれ?

 

前にも同じようなことがあったからだっけ。

 

あれ?

 

その時は、誰が誰に襲われたんだろう。

 

あれ?

 

 

 

 

 

「……私が、あの子、に?」

 

 

 

 

 

【error】依田芳乃からの応答がありません

【caution】??ス????ー??「????ー??サ?????ァ??????ヲ????セ??

【caution】輿水幸????気付??始めていま??



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23.ここに居る価値が無いのです

「……ボクはね。」

 

きっと前にも、同じことを思ったんだろう。

届いた言葉が信じられなくて。

それが真実だと認めたくなくて。

だからその事実を、真実ではないように仕立て上げたんだろう。

 

「……ただ……。」

 

粗いヤスリを手に取って。

記憶した映像を。音声を。自らの眼球を。

乱雑に削り取ったんだろう。

丸いガラスの球体を、歪な磨りガラスに変えてまで。

湧き上がる悲鳴と痛みすら無視して、視界をぼやけさせたんだろう。

そうして、目を逸らせるようにし続けていたんだろう。

 

「……ただ、ほめてほしかっただけで。」

 

でも。もう、それはできなくなった。

粗く削ったボクの目は、時間に研磨されていた。

次第にはっきりと物が見えるようになっていた。

よく見えないモノの正体を、推測で決めつけることは。

パパとママは、未だ生きていると思い込み続けることは。

もう、できなくなっていた。

 

「ただ、愛してほしかっただけなんですよ。」

 

ああ。認めなければ。

ボクは最期に愛されなかった。

望む言葉をかけてもらえなかった。

ボクという存在を否定された。

その事実を、認めなければ。

 

「それだけなのに。」

 

ボクがカワイイと、パパは喜んでくれた。

ボクがカワイイと、ママは笑ってくれた。

だからボクは、カワイイであり続けようとした。

ボクにはそれしかなかったから。

ボクの取り柄は、それしかなかったから。

 

「ただ、それだけだったのに。」

 

それが唯一の、愛される手段だったから。

 

「……ボクを。」

 

ボクはカワイイ。そうでなければならない。

そうでなければ、パパを笑わせてあげられない。

そうでなければ、ママを喜ばせてあげられない。

そうでなければ、ボクが生きている意味がない。

 

「もっともっと、かわいがってください。」

 

でも、それはもうできない。

カワイくないボクは、かわいがってもらえない。

 

「……もっと、愛して。」

 

愛してなんてもらえない。

 

「パパもママも。トモダチも。ファンも。プロデューサーさんも。」

 

誰からも、愛してなんてもらえない。

 

「……みんな。」

 

足元から目を移す。

誰かに縋り付くように。

何かに助けを求めるように。

 

「…………ぇ、っ……?」

 

 

 

 

 

誰も、いない。

 

 

 

 

 

「ママ? ……小梅さん!?」

 

前を向く。誰もいない。

横を見渡す。誰もいない。

後ろを振り向く。誰もいない。

誰も。誰も……だれも。

 

「芳乃さ……っ、」

 

ボクがカワイくなくなったからだ。

ボクの取り柄がなくなったからだ。

ボクの必要性がなくなったからだ。

ボクが要らない子になったからだ。

 

「……ぁあ、っ……、……ぁ、」

 

だれも。だれも。だれも。だれも。だれも。

かわいがってくれない。愛してくれない。

側にいてくれない。暖めてくれない。

 

「ぁ……、れか、……だれか。」

 

だれか。だれか。だれか。だれか。だれか。

ボクをかわいがって。ボクを愛して。

ボクをひとりにしないで。

 

「だれかぁ……っ、」

 

纏わりつく梅雨の湿度も。目から落ちる涙さえ。

ボクの身体に触れる全てが、どうしようもなく冷たくて。

自分を抱きしめる両手が、寒さに震えるのを止められない。

 

「……たすけて……たすけてよ……!」

 

 

 

 

 

「承りましてー。そなたを助けましょー。」

 

 

 

 

 

……あたたかい。

 

「……芳乃、さん?」

 

芳乃さんだった。

芳乃さんが、ボクを抱き締めていた。

こちらを見て、いつものように微笑んでいた。

カワイくないボクでも、微笑んでくれていた。

 

「はいー。わたくし依田は芳乃でしてー。」

 

凍えそうな身体を、思い切り押し付けても。

回した両腕を、どれだけ強く引き寄せても。

芳乃さんはずっと、微笑んでいてくれた。

 

「ごめ、……さ、ボク……、」

 

芳乃さんの手が、そっとボクの頭を撫でる。

優しく触れられる度に、その熱が伝わってきて。

手の震えが、少しずつ収まっていくのを感じた。

 

「よいのですー。」

 

ボクの言葉を遮るように、芳乃さんは、ほんの少し。

ほんの少しだけ強く、ボクの頭を後ろから押した。

抵抗するはずもなく、ボクは芳乃さんに吸い込まれる。

 

「……よいのですよー。」

 

乱れた息が。震える両手が。責め立てる焦燥が。

ボクを掻き回していた全てが。

芳乃さんの言葉によって、静かになっていく。

 

「そなたが落ち着かれるまでー。このままでよいのですー。」

 

暖かさと、彼女の鼓動に包まれて。

ボクはしばらくの間、考えるのをやめることにした。

 

 

 

 

 

時間は、少し遡る。

芳乃が幸子の元へ辿り着く、その少し前。

「あの子」は現実を目の当たりにして、取れる行動を必死に模索した。

 

協力関係にある芳乃は身体を乗っ取られた。

それによって悪霊と幸子の会話が可能となり、幸子は明らかに狼狽えている。

2人の会話は、「あの子」と小梅が立っている場所からも容易に聞き取れた。

……あの言葉が引き金だったのだ。

 

どうする。

あまりに突然だ。あまりに不意打ちだ。あまりに準備ができていない。

どうする。

このままでは幸子は、きっとどうにかなってしまう。

どうする。

……無理矢理にでも、意識を奪ってしまうか。あの時のように。

 

「あの子」は幸子の元へ移動し、その体内に入り込もうとする。

幽霊が生者の身体を乗っ取る動作を。

しかし。

 

ばちん。

 

『……な、っ!?』

 

あの時と同じようにはいかなかった。

弾かれたのだ。幸子の、明確な意志によって。

 

幽霊が生者の身体を乗っ取る際の条件。

生者が気絶しているか、乗っ取られることを承諾しているか。

とにかく、拒絶されない状態にあること。

 

どうして。

あの時は拒絶なんてしなかった。

まさか、再び否定しようとしているのか。

長い時間をかけて、少しずつ認めようとしたそれを。

両親の死を。

また、振り出しに戻そうとしているのか。

 

いや、違う。

それをするには、幸子は情報を受け取り過ぎた。

自宅での芳乃の反応。今まで訪れなかった交差点。

そして何より、幸子自身が認めてしまった。

目の前に居る人物は、幸子の母親なのだと。

かつて行ったような、両親の死を、その幽霊の存在を否定できるような状況じゃない。

 

ただ、受け入れきれていないんだ。

理性で認めてしまったそれを、感情が否定している。

否定しようとしているんじゃない。否定したがっているだけなんだ。

どう足掻いてもできるはずのないそれを、反射的に求めているだけ。

 

幸子にこれ以上何も考えさせない為には。

幸子をこれ以上壊さない為には。

幸子に何らかの刺激を外部から与えなくては。

そうだ。小梅に──

 

 

 

 

 

「──私が、あの子、に?」

 

 

 

 

 

『……嘘、でしょ?』

 

幸子だけでも手に余るのに。

小梅も、何かを思い出そうとしていた。

思い出してはいけない何かを。

そういう表情だった。

何年も一番近くで見てきたんだ。今更間違えようがない。

小梅は、何かに気付きかけている。

 

では、一体何を。

今の光景から何が思い起こされる。

「小梅があたしに」の次に続くものは。

 

『……駄目だ! 小梅!』

 

あれしか、ないじゃないか。

 

反射的に振り向き、小梅の身体に滑り込もうとする。

それは駄目だ。それだけは嫌だ。

思い出してほしくない。無かったことにしていたい。

小梅を壊したくない。

小梅に、嫌われたくない。

 

ばちん。

 

『……っ、あ……!』

 

弾かれた。

拒絶された。

小梅が、幽霊を拒絶した。

あたしを、拒絶した。

 

このままでは小梅が壊れる。

また、壊れてしまう。

どうすればいい。どうすれば。

芳乃は乗っ取られた。幸子は小梅と似たような状況だ。

あたしは誰の身体も乗っ取れない。

この状況で、どうすれば小梅を助けられる。

 

……範囲外。

そうだ、範囲外に。

芳乃を乗っ取った状態だとしても、悪霊の行動範囲外に芳乃の身体を運べば。

芳乃から悪霊を引き剥がせるのではないか。

 

「あの子」は極めて根拠の無いあやふやな推論に縋り付く。

芳乃の身体を抱きかかえ、全力でその場を離れる。

そうして、先程幸子を避難させた辺りまで。

小梅が立ちすくんだままでいる場所まで飛ぶと。

がくん、と、芳乃から力が抜ける。

塀に寄りかからせるように、芳乃をそっと降ろした。

 

「…………、っ、……?」

 

程なくして、芳乃が目を覚ます。

縋り付いたものが正しかったことに心底安堵しつつ、「あの子」は芳乃の携帯を操作する。

 

『のっとられてた 範囲外 ひきはがした

こうめもさちこも思い出しかけてる

どっちのからだものっとれない』

 

「…………ほー。」

 

芳乃は画面を見つめ、口元に手を当てる。

意識を取り戻したばかりだというのに、彼女は不思議なほど冷静だった。

考えを纏めたらしい芳乃が手を降ろし、小梅を見つめ始める。

小梅の気を、読んでいるのだろうか。

 

「……わたくしの声などー、とうに届かぬ場所に居られるようでしてー。」

 

乱雑にボタンを押す。

 

『ならどうすれば』

 

「親しい間柄である幸子殿ならばー。まだ届くかも知れませぬー。」

 

『さちこもそれどころじゃない』

 

「……存じておりますー。故にー。

どちらか一方、先に助けられた方に御助力を願うしかないでしょうー。」

 

幸子と小梅、どちらも等しく危機的状況にある。

そしてどちらも、誰かの助けを求めている。

その誰かに、最も相応しいのは。

親友同士であるお互いだ。

幸子は小梅を、小梅は幸子を。

互いに助けるのが、最善の手。

 

だが、それはほぼ不可能。

よって、どちらか一方。

先に助けられた方が、もう一方を助ける。

 

「わたくしは幸子殿の元へ参りますー。

そなたは、小梅殿をー。」

 

そう残して、芳乃は幸子へと走り出す。

置いて行かれた「あの子」は、頭を抱えたくなった。

自分だけで助けられるのなら最初から助けている。

そもそも小梅は自分を認識してすらいないんだぞ。

 

自分にできるのは、良くて時間稼ぎが関の山。

芳乃が幸子を何とかすると信じ、それまで小梅を持ちこたえさせる。

「あの子」に残された手段は、それくらいしかなかった。

 

小梅を見る。

芳乃が言った通り、こちらの声など届かない場所に居るかのようだった。

小梅の目は、どこか別の遠い場所を見ていた。

それはきっと、あの日のことを。

あたしが死んだ日のことを、見ているんだろう。

「あの子」はせめてと、小梅の手を優しく握った。

 

 

 

 

 

「あの子」は、自らの死を回顧する。

 

 

 

 

 

〔Mission List〕

 

・幸子の父親の未練を晴らしてください

・白坂小梅を救ってください

・輿水幸子を救ってください

・2人の過去を探ってください

・2人に過去を想起させないでください

・悪霊を除霊してください

 

【caution】輿水幸子が気付きました



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24.私が全て奪ったのです

どうやって出会ったのかは、あまり覚えていない。

いつの間にか知っていて、いつの間にか側に居て。

小梅とあたしは、いつも一緒だった。

 

あの頃の小梅は、今よりずっと活発だった。

よく喋るし、よく笑うし、よく動く子だった。

あたしとの4つの年齢の壁すら、容易く乗り越えてしまうほどに。

 

だからあの日も、率先して声をかけた。

学校の昼休み、校庭にあたしを連れ出して。

遊具の方へとかけっこしていた時に。

不安そうに辺りを見回して、来客用の入口を探しているのだろう。

人当たりの良さそうな大人と目が合ったから。

 

その男は、小梅の所属するクラスに。

その担任教師に用があると言っていた。

先生は普段、昼休みには教室に居た。

だから小梅は、その男を教室へと案内した。

優しそうな笑顔を浮かべて、男は感謝を述べた。

 

教室に着くと、男はすぐさまドアの鍵を閉めた。

担任教師は偶然席を離れていたようだった。

不審に思った小梅が聞くと、男はもう笑っていなかった。

 

男はポケットからサバイバルナイフを取り出し、小梅の首に突きつけた。

 

男は担任教師と面識があるわけじゃなかった。

男は担任教師に用があるわけじゃなかった。

男は学校に侵入するために、小梅を騙していた。

男はついさっきまでの、善人の化けの皮を剥いだ。

 

教室に居合わせた生徒達の悲鳴が上がった。

男は生徒達に黙れと叫んだ。

でも、小学校低学年の彼等に、大声は単なる逆効果で。

一層けたたましくなったそれに気分を害した男は。

人質を、効率的に用いることにした。

 

小梅を引き摺るように教壇まで移動し。

凶器を宛てがわれた恐怖で動けない小梅の方を見ようともせず。

ただ乱雑に、恐らく顔の辺りだろう場所を目掛けて。

苛立ちと共に、ナイフを突き立てた。

 

刃の半分以上が黒板に埋もれた。

小梅の口から、小さな音が漏れた。

鋭利な刃は、小梅の左耳のふちをパックリと裂いた。

辺りはしんと静まり返り、小梅はその場にへたり込んだ。

 

静寂に包まれた教室に、やがて男の声が響いた。

今からこのガキを殺す。黙って見ていろ。

逆らえる者は、誰も居なかった。

あたしは、目の前の現実を処理することに脳の全てを充てていた。

今何が起きていて、何が起ころうとしていて、何をするべきなのか。

勝手に恐慌状態に陥ろうとする頭を押さえつけて、あたしは必死に考えようとした。

男は懐から2本目の凶器を取り出した。

 

あたしはようやく理解した。

今から小梅は、あのナイフに殺されるのだと。

あのナイフが身体を突き刺し、引き裂き、抉り出して。

小梅を、小梅の形をしたモノに変えるのだと。

 

あたしから小梅を奪うのだと。

 

よく漫画で見た、使い古された表現。

「身体が勝手に動いた」。「気が付いたら行動していた」。

実際にそんなこと、あるわけがないと思っていた。

しかし、今でも思う。あの時のあたしは。

「身体が勝手に動いた」し、「気が付いたら行動していた」。

そしてその行動を、あたしはすぐに後悔することになる。

 

全力で走り、肩で男に思い切りぶつかった。

男は無様に床に倒れ、苦悶の声を上げた。

大人の男を当時のあたしの力で転ばすことができたのは。

あれが火事場のなんとやらなのか、男の重心が偶然噛み合っていたのか。

何にせよ、結果としてあたしは男を転ばせた。

その姿を見て「ざまあみろ」と思えたのは。

男の目がこちらを捉えるまでの、僅か数秒に過ぎなかった。

 

逃げる気すら起きなかった。

あたしがしていたのは、ただ震えるだけだった。

恐怖で男から目が逸らせない中、視界の隅に五体満足の小梅が居て。

後悔を叫びたがる本能に向かって。

その事実のみを根拠として、自らの行動の正当性を心の中で叫び続けた。

 

男はあたしを押し倒し、馬乗りになった。

これから何が起こるのか、考えるまでもなかった。

まだ小梅がこちらを見ているのを、何となく感じた。

せめて目をつむるようにと、叫ぼうとした口から漏れたのは。

声ですらない。空気の抜けるような、間の抜けた音だった。

 

最初は右手。次は左手。

その次は足を、同じ順番で。

男はあたしの全ての指を削ぎ落としていった。

一周目は第一関節。二週目は第二関節。

指が無くなれば、腕に向かって少しずつ。

男はあたしをじわじわと破壊していった。

 

突き立てられた数だけ、意識を手放せると直感した。

ああ、きっとこの感覚に逆らわなければ。

このまま気を失うか、心臓が止まるのだと。

でも。

男はきっと、1人でも良いんだ。

単に子供を大勢殺すことが目的じゃない。

男はきっと、誰でも良いんだ。

あんなに簡単に殺意があたしに切り替わったのだから。

男はきっと、楽しみたいんだ。

人が死にゆくまでに見せる、ありとあらゆる反応を。

ただ、鑑賞したいだけなんだ。

 

ならば。

あたしが呆気なく死んだら、男は満足しないだろう。

ならば。

あたしの次に標的となるのは小梅だろう。

ならば。

この感覚を、小梅も味わうことになるのだろう。

ゆっくりと時間をかけて、自分の身体が自分の知る形ではなくなっていく。

この感覚を、小梅も。

 

それを考えてしまえば。それに行き着いてしまえば。

手を離れようとする意識を、必死で握りしめるのも。

そんな自傷行為を、飽きもせず続けてしまうのも。

少しは、共感を得られるだろうか。

 

あたしは長い間苦しみ続けた。

肘から先が綺麗に無くなっても。

膝から下がぐちゃぐちゃの赤い物体に成り果てても。

無駄に五月蝿い音を叫ぶ気力が潰えても。

ああ、骨って肉と比べて、結構綺麗なんだな、なんて。

そんなくだらないことを、ぼんやりと考えながら。

ちゃんと生きている小梅の姿を、目線だけで捉え続けて。

 

次第に、なんでこんな痩せ我慢をしているのかすら、思い出せなくなっても。

きっと、何か大切なことのためだったと思うから。

そんなあやふやなものを守るために。

あたしは、苦しむことを選択し続けた。

手も足も無くなった身体を見て、男はあたしの腹部を壊し始めた。

 

ふ、と。

瞬きをした瞬間、身体の感覚が消えた。

でも目の前ではまだ、男が楽しそうに笑っていて。

だから、まだあたしは殺され続けているのだと、そう思い。

振り上げられた凶器から身を守るように、無くなった手を動かそうとする。

 

痛みを感じる度に、脳が勝手に行おうとする動作。

何十回か、何百回かと繰り返された動作。

視界に何も映らなくて。肩から数センチ先しか風を切る感覚が無くて。

その事実に絶望して、また痛みに忘れさせられる。

飽きるほど繰り返したそれを、こりもせずに。

あたしの本能は再び行っていた。

 

手が、あった。

 

ただの赤黒い何かとなったはずの手が。

あたしの身体にくっついていないはずの手が。

綺麗にあたしの視界に映り込んだ。

ナイフがまた振り下ろされ、あたしはその手を犠牲に自分を守ろうとした。

 

何の感触もなかった。

 

ナイフはあたしの手をすり抜け、あたしの身体がある場所に突き立てられた。

痛みは、依然として無かった。

何でだろう。ぼんやり思って、久しぶりに目を動かした。

あたしの腕は、無くなっていた。

その上に被るように、半透明のあたしの腕があった。

それを見て、不思議と何も思わなかった。

ああ。多分、とうとう、死んだんだろうな。と。

後は、小梅は無事だろうか、とも。

そのくらいのものだった。

 

起き上がり、男を見下ろした。

あたしの形をしたモノを、まだ楽しそうに壊していた。

よく見ると、あたしは不気味に痙攣しているようだった。

男はこれを、生きている故の反応と勘違いしているのだろうか。

それとも、死の瞬間だと分かった上で楽しんでいるのだろうか。

そんなことを考えているうちに。

男はあたしが玩具として使えなくなったことに気付いたようだった。

 

時計を見る。まだ昼休みすら終わっていなかった。

数十時間にも感じたそれは、実際はたったの十数分にしかなっていなかった。

ただでさえ生徒の遊ぶ声が響く昼休みだ。

教職員は事件の発生にすら気付いていないかもしれない。

窓の外から見える景色は、腹立たしいほど平和だった。

あたしが文字通り命をかけて行った時間稼ぎは、どうやら無駄らしかった。

 

男はつまらなそうにあたしだったモノを一瞥し、無造作に蹴り飛ばした。

あたしだったモノは目を見開いたまま、間抜けに転がった。

男はゆっくりと、小梅へと詰め寄った。

小梅はあたしだったモノを、ずっと見つめていた。

その顔は、見たことのある表情をしていなかった。

 

男はあたしの時と同じように小梅を組み伏せ、馬乗りになった。

あたしが事切れたことに苛立っているらしい男は、あたしの時よりも攻撃的だった。

ナイフを振り下ろした先は、四肢の末端ではなく。

小梅の、顔だった。

 

咄嗟に首をひねり、小梅は致命傷を避けた。

しかし代償として、右頬を大きく切り裂かれた。

痛みが発した小梅の悲鳴が、あたしの身体を揺さぶった。

 

男は再び腕を振り上げた。

あたしの時のように、楽しむために殺しているのではなかった。

殺すために殺していた。

ストレスを解消するために、男は小梅の死を求めていた。

 

傍観する以外、あたしにできることは無かった。

あたしの身体は半透明で、手はナイフをすり抜けた。

当たり前だ。あたしは死んだのだから。

 

でも。それでも。

あたしは振り上げられた男の腕に手を伸ばした。

奇跡でも何でもいい。何かが起きてくれるのを。

小梅が死ぬ以外の何かが、起こってくれることを願って。

それだけを祈って、手を伸ばした。

 

男の腕から先が、消えた。

 

その場に居る誰もが呆気にとられた。

小梅も、男も、そしてあたしも。

確かに感触があった。何かに触れた感触が。

何かを掴み、握りしめた感触が。

でも。ということは。つまり。

握っただけで、こうなったのか?

 

いつか遠足で見た噴水のようになっている男の腕を眺めながら。

じゃあ、小梅を助けられるんじゃないか。

男を殺して、小梅を助けられるんじゃないか。

さっきから霧が晴れない、霞がかった頭で。

ぼんやりと、そう思った。

 

右腕は、さっき潰した。

じゃあ、逃げられないように、左足。

ナイフを持とうとしたから、左腕。

最後に残った、右足。

男があたしにやったように。

あたしは男を、間抜けな形にしていった。

 

そうしているうちに、ぼんやりした頭がようやく覚めてきて。

ああ、あたしはこんな、馬鹿みたいなやつに殺されたのか。

あたしがあんなに怖がっていたものの正体は、こんな情けないものだったのか。

無くなった四肢を動かそうとするだけの、芋虫みたいなモノ。

そんなものに、あたしは。小梅は。恐怖させられたのか。

 

無性に、腹が立った。

 

仕返しをしてやろうと思った。

もう少しだけ長く、苦しませてやろうと思った。

剥き出しになった太ももの骨を踏みつけた。

髪を剥ぎ、目を潰し、歯を抜き取った。

幼い頭で思いつく限りの、痛そうなことを与え続けた。

半透明の手が黒ずんでいくのに、途中で気付いたけれど。

どうでもいいと無視をして、構わずに骨盤を握り潰した。

 

男がもう生きていないことに気付いたのは、背中の肉を引き剥がして。

丸見えになった背骨を、一つ一つ分解している途中のことだった。

そこで初めて、一歩引いて男を見た。

あたしだったモノよりも、元が何だったのか分からないモノに成り果てていた。

男にされたように、最後に蹴り飛ばそうかと思ったが。

どこを蹴っても、半液状の肉片が少し飛ぶだけだと気が付いて、止めた。

この時あたしの身体は、きっと真っ黒になっていた。

 

視界に小梅が映っていた。

へたり込んだまま、唖然と2つの肉塊を見つめ続けていた。

頬についた傷が痛々しかった。

小梅の前にしゃがみ込み、慰めるように。

傷口にそっと手を添えて、血を拭おうとしただけだった。

 

ぐしゅり。

 

嫌な、嫌な音だった。

あたしだったモノが発したどんな音よりも。

男だったモノで遊んだどんな音よりも。

不快で、血の気が引いて、耳に纏わりつく、音だった。

 

一瞬遅れて、小梅の身体が跳ねた。

両手であたしが触れた部分を覆い、床をのたうち回った。

口から発せられる音は、悲鳴なんて生易しいものではなかった。

感触が、いつまでもあたしの手のひらの上に乗っていた。

小梅の柔らかい頬が、潰れる感触が。

 

ここまで来て、初めて冷静になった。

あたしは今、何をした。

小梅の目の前で、男を惨たらしく殺したのか。

あたしは今、何をした。

守ろうとした小梅を、この手で傷付けたのか。

あたしは今、何をした。

何をした。何をした。何をした。何をした。

半透明に戻った両手で顔を覆っても、視界は透けて見えてしまった。

 

その時、ようやくドアが蹴破られた。

どうやら警察は既に駆けつけていたが、目の前の事態に誰もが呆気にとられていたらしく。

男がひとりでに肉塊となっていく現象が、終わったのを契機として。

また、小梅の耳をつんざく音に目覚めさせられて。

やっと突入に至ったらしかった。

 

小梅は即座に病院に搬送された。

あたしは、少し離れた場所からその様子を見ていた。

近付いてしまえば、また、ああなってしまうかもしれなかったから。

 

これが、あたしが死ぬまでの話。

そして、これからが。

 

 

 

 

 

白坂小梅が、死ぬまでの話だ。



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25.生きてはいけなかったのです

小梅の目が覚めたのは、病院のベッドの上だった。

霞がかった頭で、何が起きたのかを思い出そうとしていた。

上体を起こし、顔に痛みが走り、反射的に手で抑えて。

その感触から、包帯が巻かれていることを知った。

 

首を左右に回し、部屋の内部を概観した。

時計。鏡。カーテン。窓。そして。

 

居るはずのない、あたしの姿。

 

合うはずのない目が合った。

認識できるはずのないものを、小梅は認識していた。

小梅は幽霊が視えるようになっていた。

彼女の口から、ほんの少し空気が漏れた。

それが小梅があたしを視た、最初で最後の1回だった。

 

あたしを認識した瞬間、小梅は全てを思い出した。

あたしが少しずつ肉塊と化していく様を。

男がひとりでに壊れていく過程を。

異様としか言い表せない、しかし現実に起きた光景を。

 

小梅の身体が大きく跳ね、布団で自分を覆い隠した。

その中から何かが聴こえた気がして、あたしはそっと歩み寄った。

 

ごめんなさい。

 

それだけを繰り返していた。

小梅は只管にあたしへの懺悔を呟いていた。

どうして謝っているのか、すぐには分からなかった。

謝罪したいのはあたしの方だった。

あんなものを、見せてしまったのだから。

 

小梅のか細い声を聴き続けて数分。

ようやくあたしは、小梅が謝る理由の1つに思い当たった。

あたしは殺されている間、頻繁に小梅の方を見ていた。

小梅は無事だということを確かめるために。

だから自分の行為は間違っていないと、言い聞かせるために。

そうやって、意識を手放さないようにするために。

 

助けを求めていると感じていたのだ。

何故ならあたしは、小梅を助けた。

男に思い切りぶつかることによって、その矛先を変えさせた。

小梅が受けるはずだった苦痛の肩代わりをした。

 

そんなあたしが、小梅を見ていた。

少しずつ身体を削り取られ。

少しずつ息絶えていき。

少しずつ手遅れになっていくあたしが。

見ていたんだ。ずっと。

 

どうして助けてくれないの。

そう、見えていたんだ。

糾弾していると感じていたんだ。

 

あたしは小梅を助けたのに。

小梅のために、こんなに苦しんでいるのに。

なのに小梅は、あたしを助けてくれないの。

 

あたしが死ぬまで。

小梅はずっと、あたしを見て震えていた。

それは、単に目の前の脅威が怖かったから。

それだけじゃなかったんだ。

 

小梅はあたしを助けなかった。

そのことに、どうしようもない罪悪感を抱いていた。

そんな時に、目の前にあたしが立っていた。

 

あたしの怨念だと思ったのだろう。

小梅のことを許せないあたしが。

死して尚、糾弾しに来たのだと。

そう、思ったのだろう。

 

小梅はいつまでも布団に閉じこもっていた。

看護師が様子を見に来ても。

少し遅れて飛んできた医師が、どんな言葉を投げかけても。

外からの刺激、その全てを遮断するように。

何もかもを掻き消すように。

ごめんなさい、と。

それだけを、薄く覆った彼女の世界に響かせていた。

 

その日から、物陰に隠れることにした。

あたしを見れば、小梅はあの日を思い出す。

それは彼女にとって、いいことではないだろう。

あたしは幽霊という特性を活かし、小梅を見守り続けた。

ある日は天井に。

ある日はベッドの下に。

またある日は窓の外から。

見ていることしか、できなかった。

 

小梅は人と接することを徹底的に拒んだ。

特に人当たりの良さそうな、優しい笑顔をする人間を。

それは男が、そうやって彼女を騙したから。

善人の皮を被り、悪意を潜めて接してきたから。

その結果、あたしが死に、小梅が傷付いたから。

小梅は人を信じられなくなっていた。

 

小梅の外傷は、酷いものだった。

男に切られた左耳と。

……あたしが傷付けた、顔の右半分。

傷跡は殆ど残らないと、医者が言っていた。

じっくりと眺めて、やっと辛うじて分かるくらいになる。

だから安心してくれと。

辛うじてでも分かってしまうなら、何の慰めにもならない。

あたしは小梅に一生消えない傷を遺した。

 

小梅の頭は、とてつもない量の包帯で覆われていた。

露出しているのは口と左目くらいのもの。

それほどに深い傷なのだと、あたしは思っていた。

 

それは間違いだった。

それだけではなかったのだ。

ある日小梅が鏡の前で、包帯を解いた時。

それを本人に見せないようにする意図が、確かにあったのだと。

その場に崩れ落ちる彼女を見て、どうしようもなく悟った。

あの日彼女が呟いた、「化け物」という言葉。

それが今でも、頭から離れない。

 

その頃から、小梅はホラー映画を見るようになった。

それも、とりわけゾンビが出てくるスプラッタを好んだ。

周りの人間は不審に思ったが、それを止めようとはしなかった。

それを見ている間、小梅は安定しているように見えたから。

 

ずっと遠くで見ていたからだろうか。

そんなことをする彼女の意図が、何となく分かってしまった。

 

画面の中の人間が会話をする度に、小梅は眉をひそめた。

ゾンビが出てくる度に、ほっとしたように頬を緩めた。

まるで化け物に、感情移入するかのように。

 

小梅は人間に騙された。

悪意を隠す人間に。

そうして小梅は、化け物になった。

傷を負った顔を見て、彼女は自分をそう認識した。

 

ならば。

自分を騙す人間よりも。

自分を化け物にした人間よりも。

自分を騙さない化け物の方が。

悪意を隠さず剥き出しにする化け物の方が。

自分と同じ化け物の方が。

小梅にとって、余程安心できる存在だった。

 

小梅はスプラッタを好んでなどいない。

自分はスプラッタが好きなんだと、そう思い込みたいだけだ。

何故なら小梅は、見てしまった。

スプラッタという言葉がこれ以上無く似合う、2つの肉塊を。

自分のせいで、見てしまった。

自分が声をかけてしまったせいで。

 

小梅にとっては、それが全ての事実だった。

その事実から、目を逸らさなければならなかった。

そうしなければ、彼女は内側から破裂する。

自責や後悔、その類いの。あらゆる負の感情によって。

 

小梅は男を教室まで誘導した。その事実は変わらない。

それを見ないようにすることは、彼女にはできなかった。

だから小梅は。それの持つ意味を、無理矢理に変えさせた。

 

自分はスプラッタが好きだ。

好きだから、ああしたんだ。

その目であれを見たかったから。

自ら進んで行動したんだ。

そう思い込ませることによって、小梅は自分を歪に保った。

それが歪であることに、きっと彼女は気付いていた。

 

寝床が病院のベッドから、自宅の敷布団に移っても。

包帯が無くなり、傷が殆ど治っても。

小梅はずっと独りだった。

独りでグロテスクな映画を見て、自分を正当化しようとした。

 

やがてそれにも、限界が訪れた。

それはどうやら、寝る前が顕著のようで。

布団に入り、目を瞑ると。

すぐに彼女は飛び起きて、荒々しく息を吐く。

そんな時、彼女は決まって机の引き出しを開ける。

 

手首に走る朱を見て、やっと小梅は安心する。

そこから走る痛みを感じて、やっと小梅は考えるのを止める。

自分は化け物ではないのだと。

画面の中の彼等のように、緑色をしていないのだと。

その確証を得ると同時に、思考が痛覚に塗り潰される。

その一瞬の感覚に、脳の全てが支配される。

 

そうして眠るのだって、早朝になってからのことだ。

小梅は夜に眠ることができなくなっていた。

布団の中で涙と血を流し、カーテンから漏れる太陽に包まれて。

それで初めて、疲れ果てた彼女は眠る。

目元の隈は、少しずつ濃くなっていった。

 

彼女はどこまでも矛盾していた。

加速度的に歪んでいった。

自分は化け物で居たいのか、人間で居たいのか。

また分からなくなって、また耐えられなくなって。

また痛みで全てを忘れて、また見て見ぬふりをする。

それが小梅の日常だった。

 

そんな生活をしばらく続けて。

やがて小梅は、学校に戻らなければならなくなった。

それは全ての子供に課された義務教育であるというのと同時に。

小梅は何の問題もない、学校に通えるだけの安定した精神を持っている人間だからだ。

そうでなければならないからだ。

彼女は自分の身に起きている異常を、認めるわけにはいかないからだ。

 

小梅は必死で傷跡を隠した。

自分が化け物であることが、露見しないように。

幾度も刻まれた両の手首は、サイズの大きいパーカーの袖で。

顔の右半分は、引き篭もっている間に伸びた前髪で。

では、左耳はどうやって隠すか。小梅は映画からヒントを得た。

耳を覆い隠すように付ける、イヤーカフス。

銀色に輝くそれを、耳たぶに嵌め込んで。

小梅は久しぶりの陽を、その身に浴びた。

 

小学生で耳に飾りを付けるのは、それだけで彼女を奇異な存在にさせた。

彼女を見る周囲の目は、ゾンビを見る生存者のそれだった。

小梅はひとつのことを学んだ。

ああいう格好をしていれば、ゾンビといっしょになれる。

 

小梅は少しずつ、映画の登場人物の真似をしていった。

金色に髪を染め、派手な服を着飾って。

そして、ピアスの穴を開けていった。

それは手首に痕を付けるより、余程効率的な自傷手段だった。

人目を憚る必要も無く、痕も隠さなくていい。

飾られる銀色は、順調にその数を増していった。

 

このような外見の変化と同時に、内面にも変化が起こっていた。

小梅は以前のような明るく活発な子ではなくなった。

自信を無くし。目立つことを避け。

何より、人と話すことを極端に恐れた。

自分の発言によって起こり得る、最悪の事態は何か。

それを常に確認するように。ゆっくりと、噛み締めるように。

喋ることを恐れた小梅は、そうやって話すことを覚えた。

 

人を恐れた小梅が、代わりに好意を寄せたのは。

同じ化け物である、幽霊だった。

幽霊と話す時だけは、流暢にスラスラと。

楽しそうに弾んだ声を出した。

幽霊は生者ではないから。

生者ではないということは、化け物側の存在だから。

だから、悪意を隠さない。

そう小梅は思い込んだ。

 

ある日。

小梅が、誰かと話しているのを見た。

しかし、そこには誰も居なかった。

小梅が楽しそうに笑って話すその先に、生者も霊も居なかった。

 

小梅はあたしの幻覚を見ていた。

 

思わず飛び出して、初めて自分から彼女の視界に入った。

にも関わらず、彼女はまるで何もなかったかのように話を続けた。

小梅はあたしが見えなくなっていた。

小梅はあたしが聞こえなくなっていた。

小梅は自分を守るために、あたしの存在を除外した。

 

小梅の見る幻覚は、小梅のことを笑って許したようだった。

小梅はあたしから許されることを望んでいた。

それでもあたしが許すはずがないから、小梅は都合の良い幻覚を作り出した。

あたしは最初から、怒ってなんていないのに。

 

小梅はあたしの幻覚と話す時、あたしの名前を呼ばなかった。

それだけではない。

他の人物にあたしのことを話す時も、徹底して名前を避けた。

あの子はね、あの子がね、と。

 

あたしがどういう存在なのかすら、小梅の中では曖昧なのだろう。

あたしがどうして幽霊になったのか、思い出してはいけないのだろう。

昔から何かの繋がりがあって、でもいつ出会ったか分からない。

そんな幽霊の友達として、小梅はあたしの幻覚を位置付けた。

 

目が合わないのが悲しくて。

声が届かないのが虚しくて。

それでも、小梅がそれを望むのなら。

それを守り続ければ、小梅が壊れてしまわないのなら。

あたしは。小梅の抱く幻想を、守ると決めた。

 

小梅の発言や細かい行動を観察し。

小梅の幻覚が何をしようとしているのかを推測し。

代わりにあたしがそれを行う。

そうすれば、小梅から見て矛盾は無い。

幸い、小梅の交友範囲に霊感のある人間は居なかった。

細かい部分はバレないし、小梅もわざわざ見ようとしない。

長い間、それはうまくいっていた。

それこそ、今日という日が来るまでは。

うまくいっていると、そう思い込んでいた。

小梅がしたように、目を逸らし続けていた。

 

 

 

 

 

あたしの知る白坂小梅が、死んでいく気がしたから 。

 

 

 

 

 

『……小梅。』

 

小梅がぴくりと目蓋を動かす。

ぽつぽつと雨粒が降り始めていた。

あたしは小梅の名を呼んだ。

まだ全てを思い出してはいないことを、願いながら。

 

すると、明確な変化が起きた。

これまでとは、決定的な違いが。

 

「……え?」

 

小梅が、あたしの方を見た。

確かにしっかりと目が合った。

あたしの声に、反応するように。

 

あたしは小梅の左右には立っていないのに。

 

『マズ……っ!?』

 

見られた。

視界から外れなければ

早く。一刻も早く。

でも、どうやって。

あたし達幽霊は、小梅の目から逃れる手段が無いのに。

 

あたしの姿は、小梅が幻覚を創ってまで見たくなかったもの。

目を逸らし続けていたもの。

それを見てしまったら。

目の当たりにしてしまったら。

また、あの日のように。

幻覚を創った日のように。

あの日と全く同じように。

 

「──ぁ、」

 

絶叫は、無かった。

ただ、彼女の口から。

小さく空気が漏れる音がした。

彼女の壊れる音がした。

あの日と同じ音がした。

 

『……小梅、待っ──』

 

その目は、化け物から逃げる人間のそれだった。

画面の向こうで見たものと、全く同じものだった。

あたしは化け物になっていた。

あたしは小梅を傷つけた。

あたしは小梅を、2度も傷つけた。

小梅は化け物から、走って逃げ出した。

 

『…………。』

 

失敗した。

小梅を救うことは叶わなかった。

失敗した。

小梅を深く傷つけるだけだった。

失敗した。

あたしのせいで失敗した。

失敗した。

あたしのせいで失敗した。

失敗した。

あたしのせいで失敗した。

 

あたしのせいで失敗した。

あたしのせいで失敗した。

あたしのせいで失敗した。

あたしのせいで失敗した。

あたしのせいで失敗した。

 

『……違う。』

 

認めたくない。

認めたくない。

これはあたしのせいじゃない。

誰のせいだ。誰のせいだ。誰のせいだ。

誰のせいで小梅は救われなかった。

 

『違う!』

 

……あいつのせいだ。

依田芳乃は言っていた。

あいつのせいだ。

自分に小梅を救う算段があると。

あいつのせいだ。

なのにあいつは失敗した。

あいつのせいだ。

なら、約束通り殺してやる。

 

 

 

 

 

依田芳乃を殺してやる。

 

 

 

 

 

【caution】白坂小梅が気付きました



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26.かわいい、カワイイ、可愛い

降り始めた雨から守るように、幸子を優しく抱きしめながら。

芳乃は、先程から感じている違和感について思考していた。

 

先程芳乃は悪霊に身体を乗っ取られ、「あの子」がそれを引き剥がした。

悪霊の行動範囲、その外に芳乃を移動させることによって。

幸子は悪霊と話をしていた場所に蹲り、そこに芳乃が再び駆けつけた。

つまり。芳乃達は未だ悪霊の行動範囲内に居る。

 

芳乃は注意を幸子から悪霊へと移す。

それは未だ、黒のまま。悪霊のままで。

しかし、先程とは異なり。

決して芳乃達を攻撃しようとはしなかった。

ただ、少し離れた地点から。

幸子の様子を伺っているように、芳乃には見えた。

 

芳乃が感じている違和感は、これにあった。

芳乃がこの場に辿り着く前。

最初に小梅が幸子の母親と会話をし、そこに幸子が乱入した。

そこで何があったのかは分からないが、結果として幸子の母親は悪霊となった。

その瞬間。悪霊と化したその姿を、一目見た瞬間に。

小梅は、逃げてと叫んだ。

 

芳乃はその場に直接居合わせた訳ではない。

しかし、急いで小梅の元へと向かいながら、同時に気を読むことで。

小梅が悪霊に、どんな感情を抱いているかを察知した。

 

危険。恐怖。予測不能。

小梅の意識はその類のもので埋め尽くされていた。

このことから芳乃は、次のような推測を行った。

悪霊となった幽霊とは、理性が無く、本能のままに攻撃を繰り返す。

そのような存在なのだろうと。

 

しかし、実際はどうだ。

悪霊が暴力をふるう対象は一貫していた。

自分の行動を阻害した者にのみ攻撃を行った。

 

悪霊が唯一明確な、全力の攻撃行動を取ったのは。

小梅が逃げてと叫び、「あの子」が幸子を逃がし、芳乃と合流した後。

芳乃と「あの子」が、小梅の元へ駆けつけた時だ。

だがあれも、先に仕掛けたのは悪霊ではなく「あの子」だった。

 

「あの子」は明確な敵意を持って悪霊に襲いかかり、同時にあの場から逃がすために小梅を突き飛ばした。

それは「あの子」も小梅と同様に、悪霊をそのようなものとして考えていたことを意味していた。

危険だから小梅を守らなければならないと、そう考えて「あの子」は行動したのだ。

悪霊は自己防衛のために咄嗟に「あの子」を吹き飛ばしたに過ぎない。

既に死んでいる幽霊は、もう死ぬことは有り得ないのだから、力を加減する必要もなかった。

 

そして芳乃が考えた、幸子を囮とする作戦。

それすらも失敗に終わった。

悪霊は幸子の叫ぶ声を聞いた瞬間、芳乃の頭を強打した。

そうして気絶した生者の身体を用意し、その中へ入り込んだ。

幸子と、話をするために。

 

そう、話をするためだ。

悪霊は幸子を話をするため、それだけのために行動していた。

もしかしたら、除霊の儀を行う芳乃を攻撃していたのも。

ただそれを、適度に邪魔しようとしていただけで。

悪霊がその気になれば、呆気なく芳乃と「あの子」は吹き飛ばされていたのかもしれない。

事実、幸子があの場に戻ってきた次の瞬間、悪霊は芳乃の意識を奪った。

それは、いつでもできたがあの瞬間まではやらなかった、ということではないのか。

悪霊は芳乃達に対し、必要以上に傷付けてしまわないように気を遣っていたのではないか。

そんなことを考えるだけの理性が十分に残っていたのではないか。

 

幽霊と悪霊の違いなど、そんなに無いのではないか。

 

例えば、生者に危害を加えることを意識したとか。

その程度の差でしかないのではないか。

思えば幽霊は、自らの気を偽ることができた。

芳乃に、自分達は悪霊だと。あの日、教室で。

その程度の意識の違いで、簡単に識別信号が変化してしまうのだとしたら。

どうやって幽霊が気を偽ったのかも。

何故目の前の悪霊が、いわゆる「悪霊」な行動をしないのかも。

それら全てに、説明がつくのではないか。

 

では、何故。

何故小梅は、小梅と「あの子」は。

あんなにも、悪霊を怖がった?

 

「……芳乃さん。」

 

震える幸子の呼ぶ声に、芳乃は我に返る。

小梅達のことは、一旦。考えないようにしよう。

今は、幸子のことを。

 

「はいー、わたくし依田は芳乃でしてー。」

 

頭を撫でる手を止めないまま、努めて穏やかに返す。

幸子は芳乃の着物の袖をぎゅっと握りしめる。

幸子を抱き締める力を、芳乃は、ほんの少し強めた。

 

輿水幸子は、両親の死から逃げる事によって、それに付随する何かから逃げていた。

それが何なのか、芳乃は断定できるだけの情報を揃えていない。

だが、推測することはできた。

それは先程の、幸子自身が発した言葉。

 

『もっともっと、かわいがってください。』

 

それは幸子が普段用いるものと、何ら変わらない言葉のはずだった。

普段から幸子はそれを周囲に求め、周囲はそれを与えていた。

何ら珍しくないもののはずだった。

そのはずだ。そのはずなのに。

どうしようもなく違和感があった。

同じはずの言葉が、異なる意味を抱いているように思えた。

 

他者の気を読める芳乃だからこそ、気付けた違い。

その違いを確かめるために、芳乃は言葉を紡ぐ。

 

「……幸子殿はー、可愛いのでしてー。」

 

幸子は与えられた言葉にぴくりと反応し、弱々しい声を返す。

 

「……本当ですか? ボク、カワイイですか?」

 

幸子が言葉を発する瞬間。芳乃は彼女の気を読む。

 

「ええー。可愛いので、可愛がって差し上げましょうー。よしよしー。」

 

そう言って頭を撫でると、普段の尊大な態度とは正反対の反応を見せる。

彼女は少しだけ安心したようにゆっくりと息を吐き、か細い声で呟いた。

その一瞬を見逃さず、芳乃は気を注視する。

 

「……もっと、かわいがってください。」

 

……やはり。芳乃は確信する。

幸子は全く同じ言葉を、全く違う意味で、複数使い分けている。

 

彼女は普段、何かにつけて自分や他人を「カワイイ」と評する。

それは単に見た目のことだけを指しているのではない。

例えば「優しい」とか、「ありがとう」とか。

そういった、あらゆるプラスの意味を持つ言葉として。

彼女は「カワイイ」を用いている。

 

だが、今回。

彼女は「かわいがって」と口にした。

「カワイがって」ではなく、「かわいがって」だ。

この、全く同じ音、全く同じ意味の、全く同じ言葉を。

全く違う意味を持たせて、発したのだ。

 

そして何よりも。

芳乃と出会ってから、現在に至るまで。

幸子は。ただの一度も。

 

 

 

 

 

「可愛い」を、使っていない。

 

 

 

 

 

これが意味することは。

「カワイイ」でも、「かわいい」でもない。

そのどちらにも当てはまらない言葉があるということだ。

その言葉の持つ意味を、幸子は一度も使っていないということだ。

「可愛い」を、使えていないということだ。

 

では、その意味は。

彼女が決して使わない、「可愛い」の意味は何だ。

「カワイイ」でも「かわいい」でもない、その言葉の意味は。一体。

 

「……ボク、忘れていたんです。」

 

悪霊の方に目を向ける。

幸子の母親は、まだ。

少し離れたところで、芳乃達を見ていた。

そして幸子は、震えるままの小さな声で語り始める。

取り戻してしまった、あの日の記憶を。

 

「愛して、もらえなかったんです。」

 

──思い返せば、幸子は最初からそうだった。

徹底して「カワイイ」以外の言葉で自身や他者を形容しようとしなかった。

 

「ボクの取り柄なんて、それしかなかったのに。」

 

──自分は一番カワイイ存在で居なければならない。

幸子の言動は、そんな使命感すら感じさせる。

 

「本当は、それすら。なんにも、無かったのに。」

 

──では、彼女は何故、自らのカワイさを周囲に誇示し続けようとするのか。

 

「なんにも無いって、ばれちゃったんです。」

 

──心の底から自分をカワイイと思い、だからこそああ振舞っている。

それが彼女の真実か?

 

「ばれちゃったから、嫌われちゃったんです。」

 

──何か。何かがおかしい。

しかし、一体何が。

 

「ボクは、本当は。」

 

──そして芳乃の根拠の無い自信が、もし当たっていたとしたら。

きっと幸子は──

 

 

 

 

 

「可愛くなんて、ないんです。」

 

 

 

 

 

information : データが更新されました

 

 

[Tips] 輿水幸子

 

彼女には何もありません。

 

 

[Mission Failed] 悪霊を除霊してください

[Mission Failed] 幸子の父親の未練を晴らしてください

[Mission Failed] 2人の過去を探ってください

[Mission Failed] 2人に過去を想起させないでください

[Mission Failed] 輿水幸子を救ってください

[Mission Failed] 白坂小梅を救ってください

 

 

〔Mission List〕

 

貴方にできることは、もう何もありません。



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27.自傷・カワイイ

褒められるのが好きだった。

 

ボクが笑うと、パパは可愛いと言って写真を撮った。

ボクが歩くと、ママは可愛いと言って頭を撫でた。

ボクが何かする度に、パパとママは褒めてくれた。

ボクのことを、可愛いと評しながら。

 

可愛いと言われるのが好きだった。

 

ボクが褒められる度に、パパとママは可愛いと言った。

意味を理解しないボクは、観察して把握した。

可愛いという言葉は、ボクを褒める言葉だった。

ボクを愛してくれる音だった。

心地の良い音だった。

いつまでも聴いていたい音だった。

 

可愛いと言われたかった。

 

小学生になった頃、先生は道徳の授業をした。

ボク達は、いろんな可能性に満ちていて。

自分にしかないものが、みんなにそれぞれ存在して。

何もない人間なんて、誰一人居ないんだと。

それがアイデンティティというものだと。

ボクは迷うことなく頷いて、ノートにそれを書き留めた。

ボクのアイデンティティは、「可愛い」だと思った。

 

可愛いと思っていた。

 

先生に意味を尋ねた。

言葉の意味を理解すれば、もっと可愛いになれると思った。

可愛いに近づけると思った。

可愛いの意味を、ボクは知った。

 

ボクは自分の外見が、ちっとも好きではなかった。

 

鏡を見る度に。水面に映る度に。

自分の姿を目にする度に。

ボクはすぐに瞳を逸らし、別の事を考えるようにしていた。

そうしなければ、心臓が加速度的に痛いほど脈打ち始めた。

湧き上がる感情は、大きな虫を見た時のそれと良く似ていた。

考えてみても、きっかけなんて何ひとつ思い当たるものは無く。

少し背伸びした言葉を使うなら、きっとそれは先天的なものだった。

 

可愛くなんてなかった。

 

ボクの見た目が良いなんて、少しも思えなかった。

可愛くないボクが帰ると、ママはまた可愛いと抱き締めてくれた。

可愛くないボクがノートの清書をしていると、パパはまた可愛いと頭を撫でてくれた。

可愛くないボクを、パパとママは可愛いと評し続けた。

可愛くないボクを、パパとママは愛し続けた。

 

可愛いと思われなければ。

 

可愛いと思われ続けなければ。

パパとママは、きっと勘違いをしている。

本当は可愛くないボクを、可愛いと間違えている。

その間違いのおかげで、ボクは愛されている。

なら、その間違いを、気付かれたら。

ボクは可愛いと言ってもらえない。

ボクは愛してもらえない。

 

ボクはカワイイ。

 

パパとママを騙すことにした。

周りの全てを騙すことにした。

可愛いと言ってもらうために。

愛してもらうために。

心地良い音を聴き続けるために。

口に出したボクの言葉に、意味なんて無かった。

それが真実だと、思えるはずがなかった。

その言葉が嘘であると、自分が一番分かっていた。

ボクが欲しがっている音と、同じ音というだけの。

ただの、無機質なハリボテだった。

 

ボクは、カワイイでしょう?

 

ボクはハリボテを掲げ続けた。

ベニヤ板にペンキで彩った、虚構の言葉を発し続けた。

それに返ってくる肯定で、周囲を満たし続けた。

カワイイボクは、可愛いと言われ続けた。

その肯定すらハリボテだとしても、裏を見なければいい話だった。

本当か嘘か分からない肯定を受け取って、心が少し楽になるのを感じていた。

自分の姿を目にしても、以前ほど心臓は痛くならなかった。

 

そう。ボクはカワイイんです。だから。

 

気付かないで。辿り着かないで。

醜い事実に触れないで。

ボクの嘘に、騙されたままでいて。

そうやって、ボクを。

 

かわいがってください。

 

愛して、ください。

 

 

 

 

 

『■■、■■■■■■■■■■■■■■。』

 

 

 

 

 

……え?

 

パパとママが交通事故に遭ったと聞かされた。

ボクが病室に飛び込むと、パパが小さく口を開いた。

ひどく、寒くて暗い夜だった。

パパの口から出た音が、パパの言葉だと思えなかった。

どうして、そんなこと。

いつだって、褒めてくれたのに。

可愛いって言ってくれたのに。

どうして。

 

パパがそんなこと言うはずがない。

パパがそんなこと言うはずがない。

パパがそんなこと言うはずがない。

パパがそんなこと言うはずがない。

 

この不合理は何だ。

この整合性の無さは。

この矛盾を解決する正答は、何だ。

 

……ああ。そうか。そうだ。

パパがボクを可愛いと言ってくれないはずがない。

だってボクは、騙し続けた。

パパとママを騙し続けた。

だから、ボクを可愛いと言わなきゃ、おかしいんだ。

だから、目の前のこの人は、ボクのパパじゃないんだ。

誰か別の、他の人なんだ。

 

だって、そうじゃなきゃおかしい。

パパがこんなこと、言うはずがないもの。

可愛いって言ってくれるはずだもの。

 

だからパパが言うはずのないことを言うんだ。

だってパパじゃないんだから。

交通事故で夫婦が死亡、なんて。

それはボクのパパとママじゃなかったんだ。

 

じゃあ、帰ろう。

家に帰れば、パパとママが居るはずだから。

また可愛いって、褒めてくれるはずだから。

かわいがってくれるはずだから。

 

そうでしょう? ママ。

 

 

 

 

 

「■■、■■■■■■■■■■■■■■。」

 

 

 

 

 

……ママ?

 

 

 

 

 

「……でも、失敗したんです。」

 

芳乃に包まれたまま、幸子は語り続けた。

自分が吐いてきた嘘を。

虚構で塗り固めた自らの同一性を。

そうでなければ愛されないと、思い続けた人生を。

 

幼少の頃から、それしか与えられなかった。

「可愛い」が幸子の価値の全てだった。

それだけが、彼女を構成する同一性。

アイデンティティそのものだった。

 

だが、幸子はそれを信じられなかった。

親が見出したアイデンティティを、本当に持っているとは思えなかった。

だから。持っているフリをしたのだ。

 

自分は可愛いと喧伝し。

それに異論が返ってこないことを、同意の根拠として。

自分に嘘を吐いていたのだ。

「カワイイ」は嘘だったのだ。

輿水幸子の同一性を、守るために必要な。

自分に自信が持てない彼女の、精一杯の自己防衛だったのだ。

 

「バレちゃったんです。」

 

自分の容姿に自信など、微塵も持ってはいなかった。

幸子は自分を可愛いと思えていなかった。

誤解をされていると感じていたんだ。

両親は自分のことを可愛いと思い違いをしていて。

その思い違いのお陰で、自分は愛されていて。

なら、自分が可愛くないことが、露見してしまったら。

 

「褒めて、くれなかったんです。」

 

そして彼女は失敗した。

死ぬ間際の父親と、母親の幽霊に。

その両方から、望む言葉を贈られなかった。

 

「本当は、ボクには。」

 

無論、それは彼女の主観でしかない。

彼女の両親は深く彼女を愛していたし、愛している。

そうでなければ、父親は幽霊になんてなるものか。

悪霊になってまで、母親は言葉を贈ろうとするものか。

 

「なんにも、無いんです。」

 

だが。それを伝えて何になる。

彼女は、自分には何もないと思っている。

ならば、それが全てだ。それが彼女の現実だ。

外野が何を言った所で。慰めや、同情や、勘違いにしかならない。

その真意は、決して彼女に伝わらない。

 

「……そう、だったのですねー。」

 

だから芳乃は、緩やかに同意する。

それを咎めることも、許すこともせず。

ただ、彼女の言葉を受容する。

 

そう。受容することしかできないのだ。

芳乃はそれを、否定しなければならなかったのに。

芳乃は幸子を救わなければならなかったのに。

救わなければならなかったのに。

救わなければならなかったのに。

救わなければならなかったのに。

 

 

 

 

 

救わなければ。

 

 

 

 

 

輿水幸子を救わなければ。

例え自分がどう成り果てても。

輿水幸子を救わなければ。

例えそれが不可能であっても。

輿水幸子を救わなければ。

 

 

 

 

 

使命を果たさなければ。

 

 

 

 

 

「話してくださり、ありがとうございますー。」

 

どうすればいい。

彼女は全てを思い出した。

忌避し続けた状況に到達してしまった。

させてはならないことを、させてしまった。

 

ちらりと小梅の方を見る。

そこには誰も居なかった。

「あの子」の気配だけが、ぽつりと取り残されていた。

白坂小梅は「あの子」から逃げ出した。

……失敗だ。

「あの子」は小梅を救えなかった。

芳乃が幸子を救えないのと、同じように。

 

ならば、どうすればいい。

全ての策は潰えた。

小梅も幸子も、全てを思い出した。

創り出した幻想は霧散した。

目を逸らしていた現実を、思い知らされた。

考えられる中で、最悪の方法によって。

 

それは、過去の再現でしかない。

彼女達は、かつて現実を目の当たりにした。

それによって受けた衝撃が、あまりにも大きくて。

だから幻想に逃げ込んだ。

 

適切な方法で伝えなければならなかった。

少しずつ受け入れさせなければならないものだった。

しかし、失敗した。

彼女達は、その身に余る現実を、一度に投げつけられた。

幻想を創った過去と、同じように。

 

それでも、違いを見つけなければ。

過去と全てがまるっきり同じでは、本当に成す術が無い。

それを認めては、いけない。

考えろ。何が違う。

何が2人に残されている。

 

……唯一、違うことがあるとすれば。

全く同じ境遇に立たされた人間が居るということだ。

小梅には幸子が。幸子には小梅が。

確かに存在するということだ。

 

幸子は両親の理想を。小梅は大切な親友を。

たったひとつを、守ることができなかった。

現実に押し潰され、それから必死に逃げ出した。

幻想で身体を包み、何もかもを遮断した。

己の無力を遠ざけて、そして2人は出会った。

 

いつも自信に満ち溢れているように見える輿水幸子と。

いつも自信が無いように喋る白坂小梅。

たったひとつを守れなかった、無力な少女。

正反対で、対照的で、同一の存在が出会ったのだ。

 

正反対で、対照的で、同一。

……そうだ。ならば、もう。

 

「……しかし、幸子殿ー。」

 

全てを託すしか手段が無い。

 

「そなたは、そなた自身を、何も持たぬと仰いましたがー。」

 

腕の中で、小さく震える無力な少女に。

無責任に押し付けるしか、選択肢が残っていない。

 

「何も持たぬ、そなたにしか。

頼めぬことが、あるのでしてー。」

 

芳乃は知っている。彼女達と同じような存在を。

正反対で、対照的で、同一の存在を。

 

「……ボク、に?」

 

そんな2人が、どれだけ互いの救いになったかを。

 

「小梅殿をー、救っていただけないでしょうかー。」

 

その確かな実証を、かつて芳乃は目の当たりにしている。

 

「小梅さん、を? でも……、」

 

賭けるしかない。

 

「彼女もまたー。悩み、苦しみ、足掻いているのですー。

そなたと、同じようにー。」

 

互いを救った彼女達のように。

 

「…………。」

 

幸子と小梅もまた、互いを救い合うのだと。

 

「無理にとは言いませぬー。

これは、わたくしの我が儘でしてー。」

 

その可能性に、賭けるしかない。

 

「……すいません。少し。

考えさせて、ください。」

 

幸子は芳乃に縋りつく手の力を緩める。

それを感じ、芳乃は幸子を抱き締める手を解く。

幸子は、緩慢な動作で立ち上がった。

 

「……承知致しましてー。」

 

彼女はゆっくりとその場を離れた。

雨で貼り付いた前髪に隠れ、表情は見えなかった。

 

 

 

 

 

その姿が見えなくなることを確認して。

芳乃は、ほんの少しため息を吐く。

 

「……先日、申し上げました通りー。

わたくしは、そなたら幽霊に抗う術を持ちませぬー。」

 

失敗した。

輿水幸子、白坂小梅、そのどちらも救うことは叶わなかった。

ならば、罰を受けなければ。

約束を破った罰を。

使命を果たせなかった、罰を。

 

「そしてわたくしはー、そなたとの約束を破りましてー。」

 

目の前の、黒。

この長いようで短い梅雨の中で、芳乃が幾度となく見た色。

その中でも、最も深い色だった。

 

「……さあ。」

 

芳乃は脱力し、おもむろに両手を広げる。

彼女が抱いた感情の矛先となる。

幽霊を受け入れる。

 

そう、心に決めた瞬間。

 

 

 

 

 

「……ようやく、話ができるわね。

小梅ちゃんの、お友達さん。」

 

 

 

 

 

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28.それでも届かないのなら

さて、どうしたものか。

私は肉体の感触を確かめるように、手を開閉する。

身体に当たる雨粒が、久しぶりの輪郭を教えてくれた。

 

この子……芳乃ちゃんには、謝っても謝りきれない。

でもこうしなければ、「あの子」ちゃんが乗っ取った。

あの瞬間、芳乃ちゃんは幽霊を受け入れた。

乗っ取ることが可能な状態だったのだから。

 

さっきの芳乃ちゃんの言葉を聞く限り。

「あの子」ちゃんを味方に付けるために、自らを差し出したのだろうか。

協力して、それでも小梅ちゃんを救えなければ。

その時は、自分を殺しても構わない、と。

……ちょっと、ありすぎじゃないか、自己犠牲精神。

さっきだって、私に傷付けられても一切怯まずに私を成仏させようとしていたし。

なんだろう。この子は少し、危険な気がする。

 

……今は、今のことを考えよう。

「あの子」ちゃんは約束通り、芳乃ちゃんを殺そうとしている。

方法は、乗っ取って殺すのが、一番楽で確実だ。

乗っ取られてしまっては芳乃ちゃんも抵抗できないし、私も邪魔できない。

私の「あの子」ちゃんへの攻撃は、全て芳乃ちゃんの身体に当たることになってしまう。

 

「ねえ、「あの子」ちゃん。」

 

感情は、もう大分落ち着いた。

もう長いこと、此処から動けていないから。

自分が死んだことすら忘れかけていたけれど。

そうだよね、私は死んだのだから。私は幽霊なのだから。

幸子ちゃんが私を見れなくても、何もおかしいことはないんだ。

 

「小梅ちゃんって、どんな子なの?」

 

でも、それを加味したとしても。

流石に驚いた。幻覚を見てたなんて。

幸子ちゃんの価値観は、私達が思っていたよりも、ずっと。

どうしようもなく、歪んでしまっていた。

私達が、歪めてしまった。

 

『……出てきたら、話してあげる。』

 

幸子ちゃんの背後に居た幽霊。私の夫。

あなたが最期に、幸子ちゃんと話せたって聞いたから。

だから幸子ちゃんはもう、大丈夫なんだと思ってた。

1人で暮らしてるとも聞いたから、きっと忙しいんだと。

だから此処に来なかったことに、別段違和感は無かった。

 

「それは駄目。……まだ、可能性があるもの。」

 

きっと、失敗したんだね。

伝えきれなかったんだね。

だから、幽霊になってしまったんだ。

幸子ちゃんに取り憑いて。

そうしてでも伝えたいって思ったまま。

それでも逝ってしまったんだね。

 

『可能性? もう潰えた。』

 

ごめんね。私も駄目だった。

私達の言葉じゃ、もう届かなかった。

もう、「可愛い」しか響かない。

私達の周波数じゃ、その言葉しか伝わらない。

 

「まだ居るわ。幸子ちゃんが。」

 

唯一、可能性があるとすれば。

さっき芳乃ちゃんが言っていたこと。

幸子ちゃんが、小梅ちゃんを助ける。

それが実現するとしたら。

自分に何の価値もないと思い込んでいる人間が。

それでも誰かを救うことができたとしたら。

 

それは彼女の、存在意義たり得てくれるんじゃないか。

 

『……何ができるのさ。アイツは、』

 

しかし幸子ちゃんだけでは、きっとそれは難しい。

「あの子」ちゃんから逃げたってことは。

その存在を拒絶したということは。

小梅ちゃんはきっと、もう近付けまいとするはず。

幽霊との対話ができる彼女が、それを実行するとしたら。

幽霊の力を借りようとするはずだ。

きっと幸子ちゃんは、幽霊に邪魔をされる。

しかし彼女は、幽霊を視認することすらできない。

 

「そう。だから。」

 

協力者が必要だ。

 

「……だから、助けてあげて欲しいの。」

 

幸子ちゃんと小梅ちゃんに、対話の席を用意するために。

幸子ちゃんが小梅ちゃんの元へ辿り着くために。

幸子ちゃんが小梅ちゃんを助ける、その前提を作り上げるために。

 

「私は、此処から動けないから。」

 

幸子ちゃんを守る存在が必要だ。

 

『……アイツは。助けられるの?』

 

生前。私は救えなかった。

幽霊という、本来無かったはずの、やり直しの機会を得ても。

それでも、それは変わらなかった。

 

「ええ。」

 

それは目の前の少女も同じ。

手が触れるほど近くに居たのに。

その手は。その声は。

ただ、守りたかったものを傷付けた。

 

『根拠は。』

 

ならば。自分では救えないのなら。

肉体を失って、それでも届かないのなら。

 

「だって、私の娘だもの。」

 

彼女達に全てを託そう。

今を生きる、生きた人間に。

 

『……嘘だったら?』

 

そのために、全てを捧げよう。

 

「そうね。殺しても……って、もう死んでるしねぇ。」

 

ふと考える。私が持っているものは何だろう。

……困った。何かを差し出そうにも。

生きていない私は、もう。

 

「もう何も、残ってないの。ごめんなさい。」

 

そう言って、頭を下げる。

それを見て、「あの子」ちゃんは大きくため息を吐いた。

 

『……一発。』

 

「うん?」

 

『その時は、一発殴らせなさいよね。』

 

「……いいよ。いくらでも。」

 

私が微笑むと、「あの子」ちゃんも笑ってくれた。

見た目からして、小学校を卒業するかしないかくらい。

幼い彼女には不釣り合いなほど、疲れ切った笑顔だった。

 

『……小梅と、初めて会ったのはね。』

 

そして少女は語り出す。

目の前の幽霊に求められるままに。

親友との思い出を。

これまで歩んできた、後悔の人生を。

 

 

 

 

 

救えなかった幽霊は、無力な少女に全てを託す。



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29.その手のひらには何も無く

「……ただいま。」

 

自分で鍵を開け、玄関に入る。

返事が聞こえないまま、靴を脱ぐ。

足元の靴は1人分。

 

「パパ。」

 

パパの部屋に、重い足を運ぶ。

扉を数回叩いても、何も返ってこない。

ドアノブを捻り、中に入る。

古本の掠れた香りと、開け放たれた窓。

カーテンがなびく室内に、人の影は1人分。

 

「ママ。」

 

振り返り、部屋を出る。

ダイニングキッチン、窓から夕陽。

片付けられたテーブルを、なぞる手のひら1人分。

 

「……。」

 

冷蔵庫。作り置きは1人分。

物置。残った荷物は1人分。

浴室。風呂用品は1人分。

クローゼット。お洋服は1人分。

ボクの部屋。ここもやっぱり1人分。

 

 

 

 

 

ボクの家。生活の跡は1人分。

 

 

 

 

 

「……本当に。」

 

本当に、もう、居ないんだ。

パパとママは死んだんだ。

あの日。交通事故で。

ママは、あの交差点で。

パパは、ボクの目の前で。

2人共、確かに死んだんだ。

 

「本当、なんですね。」

 

なら、あの言葉も。

気のせいでも、なんでもなく。

ただの、本当の出来事だったんだ。

 

「本当に、ボクは。失敗しちゃったんですね。」

 

鏡を見る。ボクが居る。

大嫌いなボクが居る。

ちっとも可愛くなんてない。

カワイイボクが、そこに居る。

 

「……バレちゃったんですね。」

 

ボクが可愛くないということを。

それを必至に取り繕っていたことを。

何もかもを騙し続けていたことを。

 

「……ああ。誰も、居ないなら。」

 

いいですよね。不細工に泣き喚いても。

 

「……っ、ぁ、……ぁあ、」

 

雨音だけが世界を満たしていた。

どうせ誰も、居ないんだ。

誰も居てはくれないんだ。

最初から、居なかったんだ。

 

「──ぁ、っ……!」

 

ボクを愛してくれる人なんて、誰も、

 

 

 

 

 

「忘れもんだよ、泣き虫野郎。」

「んぶっ!?」

 

 

 

 

 

唐突に何かを顔面シュートされる。

微妙に柔らかくてカサカサと音がするこれは。

……買い物袋と、その中身?

 

「取り敢えず冷蔵庫に突っ込んどくから。」

 

じんじんと痛む鼻を涙目で抑えると、よく知った声。

知ってはいるけれど、どこか違う声。

普段は、この声はもっと穏やかで、優しくて──

 

「──芳乃さん、じゃ、ない?」

 

見た目は確かに芳乃さん。

でも、外見以外の全ては、彼女ではない。

つまりこれは、さっきママと会ったように……。

 

「小梅が言うには、あの子だよ。」

 

乗っ取られている、と。

 

「……いきなり何するんですか!? 雰囲気ぶち壊しですよ、もう!」

 

人が折角、感傷に浸ろうとしたっていうのに。

今までの空気は何処へ。

というか、芳乃さん乗っ取られ過ぎじゃないですか?

 

「うるさいよ、アンタは適当にコメディしてりゃいいんだ。」

 

なんと酷い。

 

「……まあ、持ってきてくれたのは感謝します。」

 

梅雨の日中に放置したら、すぐに腐ってしまうでしょうし。

 

「でも、芳乃さんの身体は返していただけませんか?」

 

芳乃さんの見た目で、芳乃さんの声をした、他の人が存在するのは。

なんというか、すごく。すごく違和感がある。

性格とか全然違うし。

 

「嫌だ。」

 

「ええ……。」

 

そんなキッパリと。

 

「だってアンタ、ウジウジ悩んでただろう。」

 

「むぐ。」

 

それとこれがどう繋がってるのかは全く分からないけど。

悩んでたことについては、何1つ言い返せない。

 

「困るんだよ。アンタがそんなんじゃ。

小梅を助けてくれなきゃ困るんだ。」

 

「……でも、どうやって。」

 

確かに、芳乃さんはボクに言った。

何も持たないボクにしか、頼めないことがあると。

小梅さんを、救ってほしいと。

でも、何も持っていないのに。

一体どうやって、救えって言うんだ。

 

「聞いてたんですよね? 知っているんですよね?

ボクは何も、いいところなんてないんです。

そんなボクが、どうやって……、」

 

「方法なんて知ったこっちゃないさ。

あたしはアンタが出来るって聞いたから来ただけだ。」

 

「……? 芳乃さんに、ですか?」

 

芳乃さんの見た目をした「あの子」さんは、ボクの言葉を鼻で笑う。

 

「ソイツが言うにはね。」

 

姿勢を正し、真っ直ぐにボクを見つめ。彼女は言い放つ。

 

 

 

 

 

「『だって、私の娘だもの。』」

 

 

 

 

 

「っ、」

「……だってさ。」

 

「私の娘」。

「私」の、「娘」?

それって。「私」って。ボクの。

 

「ママと、会ったんですか!?」

 

どうして。

だってママは、知っているはず。

だってママは、あの場所に居たはず。

居たのなら、聞いていたはず。

ボクは本当は、可愛くなんてないって。

ママが見ていた、ママの理想の輿水幸子は。

ボクが騙し続けた、偽物だって。

 

「アンタだって会っただろう。」

 

なのに、どうして。

どうして、その言葉が出てくるの。

貴方の娘は、可愛くなんてなかった。

貴方が私に見出した、愛するに足る要素は。

何一つ、無かったのに。

 

「それは、そうですけど……。」

 

どうして、そんな。

ボクを、信じるようなこと。

 

「とにかく。アンタには小梅を助けてもらう。

アンタがどう思ってようがね。

この身体は、人質だ。」

 

「あの子」さんは、ぽんぽんと芳乃さんの身体を叩く。

そんなことを言われたら、断ることができない。

どうやら本当に、ボクのことは一切考慮してくれないらしい。

 

「必要なあれこれも、そろそろ届く頃だってさ。」

 

と、付け加えられた次の瞬間。

ボクのポケットが振動を始めた。

 

「メール……、芳乃さんから?」

 

「コイツは最初から、考えてはいたみたいだ。」

 

「あの子」さんは自分の頭を──芳乃さんを指差す。

時間を設定して、メール送信を予約していたということ?

 

「……読みなよ。」

 

促されるままにボクはメールを開封し、内容を読み進める。

 

「……っ、」

 

それには全てが記されていた。

白坂小梅に関する、これまでの全てが。

 

「…………。」

 

小梅さんの人生。「あの子」さんの人生。

外見の理由。内面の理由。趣味の理由。

「あの子」さんだけを、視えていなかったこと。

幽霊の仕組み。できることと、できないこと。

過去を思い出して、それでも否定しようとしていること。

彼女が、苦しんでいるということ。

 

「…………ボクは。本当に。」

 

一文字一文字。丁寧に。

取りこぼしてしまわないように。

慎重に、読み進める。

これが小梅さんの、これまでの人生。

ずっと一緒に居たボクが、少しも気付けなかった傷。

 

「ダメな人間です。」

 

知らなかった。気付けなかった。

これが、この文章が全てなら。

小梅さんを成す全ては、余すことなく傷痕だ。

 

「親友の、何も。何1つ。」

 

染められた金色も。

飾られた耳の銀色も。

袖が長いパーカーも。

消えない目元の濃いクマも。

彼女の見た目の全部が、彼女の悲鳴だったんだ。

 

「……気付けなかっ、」

 

「だーから。」

「む゛ぇ!」

 

再び鼻先に衝撃。

天丼はいけないと思うんです。

 

「感傷ごっこに付き合う気はないの。

小梅んとこ行って、会って、助けて、帰る。」

 

「……あな゛た本当に小梅さんの友達でひゅか……?」

 

またしても涙目になりながら、細やかな抗議。

余りにも性格が違い過ぎる。

この2人が仲よしになるビジョンが見えない。

ええ、これっぽっちも。

 

「……ほら、行くよ。居場所は乗っ取る前に聞いといた。」

 

痛みに悶えるボクの背を容赦なく押す。

ボクより9cm高いその体格に負け、ズルズルと身体が移動を始める。

空は依然として重苦しく、しかし雨の勢いは、少しずつ弱まっていた。

 

 

 

 

 

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[Mission] aァ0?0?eQ0c0f0O0`0U0D

 

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〔Mission List〕

 

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30.唯一の利用価値

「と、いうわけでしてー。わたくしの身体をお使いいただければとー。」

 

「あの子」が幸子の家へと向かう前。

降りしきる雨に身体を濡らしながら、芳乃はそんなことを言い出していた。

 

幸子の母親と「あの子」との話し合いが終わると。

幸子の母親は芳乃の身体から離れ、芳乃を目覚めさせた。

「あの子」との携帯を使ったやり取りによって、現状を把握したのち。

小梅の移動先を確認した芳乃が提案したのが、「あの子」に自分を乗っ取らせることだった。

 

『……ねえ。この子、ちょっと……。』

 

幸子の母親が「あの子」に同意を求める。

「あの子」は眉をひそめながら頷いた。

 

『自分のことを、これっぽっちも考えちゃいないんだ。

さっきだって、まさか黙って殺されようとするなんて。』

 

芳乃の趣味は、悩み事解決、石ころ集め、失せ物探し。

3つの内2つが、他者のために行うものだ。

「あの子」は最初は、奇特な奴だとしか考えていなかった。

他人のために行動するなんて、今時殊勝なのも居たもんだ、と。

 

だが、彼女のそれは。依田芳乃の奉仕精神は。

そんな平凡な言葉で片付けられる程度のものではなかった。

はっきりと断言できる。彼女は異常だ。

彼女の中の価値基準に、そもそも自分が含まれていない。

まるで他者のためなら、自分は文字通り「どうでもいい」かのような。

冗談でも、誇張でもない。

本当に、自分はどうなっても構わない。

そう考えているとしか、「あの子」には思えなかった。

 

いくら他者のためとはいえ。

少しは自分が可愛いのが、人間ってもんじゃないのか。

例えば目の前に、車に轢かれかけている人が居るとして。

突き飛ばせばこの人は助かるが、自分が代わりに轢かれるとして。

どんなにお人好しだとしても、一瞬は躊躇するのが普通じゃないのか。

ああ、轢かれたくはないな、と。

それを一瞬考えた上で、それでも助けることを選ぶなら、まだ分かる。

それは個人の考え方の自由だ。

だが。自分が轢かれる可能性を認識した上で。

それが嫌だとも、一瞬も躊躇せずに飛び込む。

これは、紛うことなき異常ではないのか。

 

『でも、今はそれが有難い。』

 

目の前に居る人物が、依田芳乃でなかったなら。

幸子と小梅を助ける理由を与えなければならなかっただろう。

助けたい、或いは、助けなければならない。

そう彼女に思わせる何かを、作り出さなければならなかっただろう。

 

あれだけ奔走して、それでも救えなかった。

どんなお人好しでも、普通ならここで諦める。

救えなかったところで、自分への損害が大して無いのなら尚更だ。

 

だが彼女は、それでも諦めない。決して諦めない。

別に長い付き合いがあるわけではない。

助けなければ被る損害があるわけでもない。

ただ、自身の愛他性故に。

人を助けたいという思いだけで。彼女はまだ、諦めていない。

 

『……そうね。……ごめんね、話逸らしちゃって。

どうする? 確かに芳乃ちゃんの言う通りだと思うけれど。』

 

芳乃が「あの子」に、自分を乗っ取ることを提案した理由。

それは幸子が失意に呑まれ、小梅を助けることを放棄する可能性。

これを排除するためだった。

 

幸子もまた、小梅と同じ境遇に立たされている。

かつて耐えきれず、幻想に逃げ込んでまで目を逸らした現実。

それを再び浴びせられたのだ。

 

幸子にとって唯一の救いは、芳乃が側に居たということだった。

縋り付く相手が居た。相槌を打ってくれる存在が居た。

その衝撃を受け止める際に、間に割って入った緩衝材があった。

その結果、幸子はまだ、比較的マシな状態だ。

芳乃の唐突な要望に、考えさせてくれと返すことができた程度には。

 

一方、小梅には緩衝材は無かった。

それどころか、最も見てはいけないものを。

「あの子」を、見てしまった。

全てを思い出した状態で。見てしまったのだ。

それは、過去の出来事と、全く同じ。

病室でのやり取りを、ただ繰り返していることになる。

過去を繰り返したのなら、これから先、彼女に起こることも。

同様に、過去をなぞることになる。

 

それをさせないために、幸子に行動してもらわなければならない。

白坂小梅が憧れた存在であり、白坂小梅の親友である、輿水幸子に。

その声が最も彼女に響くだろう存在に、動いてもらわなければ。

 

幸子がこの場を去る直前、芳乃は彼女の気を読んだ。

不可能。疲弊。失意。呆然。

何かを新たに行えるような精神状態ではなかった。

考えさせてくれと言ったのは、社交辞令的なものに過ぎない。

彼女は自分のことで精一杯だった。

 

そんな状態の彼女に、しかし動いてもらう。

そのためには、彼女が動かねばならない理由を与えなければならない。

動機は既に持っているだろう。幸子は小梅の親友だ。

苦しんでいると知ったら、なんとかしたいと思うに決まっている。

問題は、彼女にそれが可能だと、彼女自身が思わないことだった。

 

彼女にとっての、自分の利点、アイデンティティ、存在意義。

そういった類のものは、全て「可愛い」に集約されていた。

幼い頃から可愛いと言われ続けた彼女は、それが自分のアイデンティティだと認識した。

しかし一方で、自分の外見を可愛いとは全く思えなかった。

だから彼女は自身をカワイイと偽った。

芳乃が感じていた、幸子以外が口にする「可愛い」と、幸子が発する「カワイイ」の差。

それは、発言者が「輿水幸子は可愛い」と思えているかどうかの違いだったのだ。

 

そして今、彼女は自分の過去を思い出した。

決して自分を可愛いと思えなかった彼女が。

それでも両親の期待に応えるために、自らを偽り続けてきた彼女が。

そんな彼女の、その全てが。

ただのハリボテだったのだと、両親に見破られてしまった過去を。

 

そんな自分が、他人を助けられるはずがない。

そんな能力が、自分にあるはずがない。

何を疑うこともなく、彼女はそう確信する。

何故なら彼女は、本当は。

他人に誇れるものなんて、何一つ無かったのだから。

彼女自身が、そう認識してしまったのだから。

 

だから芳乃は、自分の乗っ取りを提案する。

 

輿水幸子が白坂小梅を救う、そのために。

今の幸子に必要なものは、その行動を自分が成し遂げられるという根拠。

しかし彼女にそれは無い。

その自信が何一つとして無いことが、彼女の抱える問題だ。

 

これを解決することは、現段階では不可能と考えていいだろう。

できるのならば、彼女の両親がとっくにやっている。

そうでなくても、芳乃が成し遂げている。

しかし実際、それは叶わなかった。

つまり幸子には、自分がそれを達成できると思わないまま。

その根拠を持たぬまま、しかし行動してもらわなければならない。

 

そのために芳乃は、自分を人質にして幸子を脅そうとする。

 

幸子の都合など、知ったことではない。

お前に選択肢など存在しない。

何故なら、従わなければ芳乃が死ぬからだ。

そうやって、彼女を脅すことで。

できるはずがないと思いながら、それでも行動しなければならない。

そんな状況に彼女を持っていくことができる。

 

そして、それが可能な人物は。

土地に縛られているわけでも、幸子と深い仲なわけでもない人物。

白坂小梅を助けたいと思っており、しかし輿水幸子はそう大切でもない人物。

輿水幸子が、そのように認識している人物。

「あの子」だけということだ。

 

『……てか、アンタはいいの?

自慢の娘の善意につけ込んで無理矢理動かそうって話でしょ、これ。』

 

真っ先に否定する立場にあるはずの人物が、割と乗り気に見える。

 

『誰かに手を引っ張られるくらいが丁度いいのよ、ウチの娘は。』

 

さも当然のようにさらりと返された。

……どうしよう。納得してしまったあたしが居る。

 

『……じゃ、まぁ。』

 

芳乃の携帯を、一度だけ開閉する。

肯定の合図。

ぱたん、という音を聞くと、芳乃は微かに笑った。

 

「……ではー、ひとつ、気をつけて頂きたい点をー。」

 

握った手を掲げ、人差し指だけを真っ直ぐに伸ばす。

右手で1を表しながら、芳乃は言葉を続けた。

 

「幸子殿に、考え事をさせないよう。ご注意くださいませー。」

 

携帯の開閉を、ひとつ。

芳乃の忠告、その理由はもっともだった。

幸子は過去を思い出した。

思い出したが、過去ほどのショックは未だ受けないままでいる。

それは、芳乃が緩衝材となったから。

全てを思い出したあの瞬間、芳乃が彼女を抱き締めていたからだ。

その結果幸子は、考えることを一時的に止めた。

記憶の整理を中断したのだ。

彼女の脳内は、衝撃で掘り起こされた記憶がバラバラに存在している。

 

しかし、あくまで一時的だ。

幸子をあのままにしていたら、再び思考を巡らせるだろう。

そうして再び考え、その思考が完了したなら。

バラバラの記憶が整理されてしまったら、その時こそ本当に終わりだ。

 

だから、考えさせてはいけない。

多少強引にでも、違和感を生じさせてでも。

無理矢理に幸子の焦点を、小梅を助けることに合わせ続ける。

そうやって、核心から目を逸らさせる。

逸らさせたまま、小梅を助けさせ。

小梅を助けたという事実を以ってして、幸子を救う。

あたし達が目指すのは、そんな相互作用だ。

 

「……ではー、どうぞー。」

 

あたしが了承したことを確認して、芳乃は両腕を広げる。

幽霊を受け入れる状態になる。

あたしは芳乃のに入り込み、その身体を乗っ取った。

 

「んー、……よし。」

 

いくつか瞬きをし、手足を軽く動かす。

どうやら問題は無いようだ。

……というか、この身体、異様に軽い。

健康体、という言葉では、説明しきれないほどに。

 

『あ、ちょっと待って。

……これ、持ってってもらえる?』

 

早速幸子の家へと向かおうとすると、幸子の母親に呼び止められる。

振り返ると、幸子が落としたレジ袋を抱えていた。

 

「……しょうがないなぁ。」

 

ひったくるようにそれを受け取り、中身を確認する。

彼女が言っていた通り、概ねオムライスの材料だった。

卵、玉ねぎ、鶏肉、ケチャップ、ソース……ソース?

一番上に置かれていたからか、卵は全て無事のようだ。

 

『……ああ。後、携帯も貸してもらっていいいかしら。』

 

「? いいけど……てか、あたしのじゃないけど。」

 

渡すと、幸子の母親は何かを打ち込み始める。

 

『幸子ちゃん、きっとびっくりしちゃうと思うから。

……適当に誤魔化しておいてくれる?』

 

これまでに得た情報を纏めて、メールで送ろうとしているのだろう。

さっきあたしが話した、小梅の話も含めて。

確かに必要だろうな、と思い、特に反対はしないことにした。

 

「ん。……予約送信とでも言っとく。」

 

今度こそ、あたしは幸子の家へと向かう。

片手に持ったレジ袋が、走っていると割と重くて。

挨拶代わりに叩きつけてやろうと、心に決めた。

 

 

 

 

 

「……本当に、びっくりしちゃうと思うから。」

 

立ち尽くした子の親は、雨空に微笑んだ。

 

 

 

 

 

information : データが更新されました

 

 

[Tips] 芳乃の身体

 

「あの子」が芳乃を乗っ取った時、異様な身体の軽さを実感した。

運動が得意、健康体、そんな言葉では説明がつかないほどに。

一体彼女は、何者なのだろうか。

 

 

〔Mission List〕

 

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31.贖罪

「……あった。」

 

黒板の傷痕を指でなぞり、小梅は小さく呟いた。

 

 

 

 

 

小梅は全てを思い出した。あの場所で起きた全てを。

たったひとつが欠けた全てを。

あの場に居た少女を除く、全てを。

その想起が完了したと同時に、小梅を呼ぶ誰かの声がした。

初めて聴いたような。ずっと前に聴いたことがあるような。

これまでずっと、聴き続けてきたような。

そんな不思議な声だった。

 

小梅の目はひとりでに、声の発生源へと走った。

そこには少女が立っていた。

心配そうな表情で、自分を見つめていた。

それが誰なのか、小梅はすぐには分からなかった。

 

少女と目が合うと、彼女は何かに焦っていた。

しなければならない何かを試みるように。打開策を探すように。

険しい表情で、周囲を見渡していた。

 

その顔を、見たことがあった。

その顔から、逃げていた気がした。

今までずっと、逃げていた気がした。

その顔が恐ろしく見えて、咄嗟に小梅は逃げ出した。

 

水溜りを踏みつけて、泥が足を汚しても。

空気で喉が焼き切れて、ヒリヒリと痛んでも。

小梅は走るのを止めなかった。

小梅は考えるのを止められなかった。

あの少女は誰だ。あの少女を見た場所は。

それは先程思い出した記憶と、残酷なまでに一致した。

 

小梅は、自らの足で来たことなど無かったはずの学校へ行き。

見覚えなど無いはずの校舎を歩き。

確かに記憶に残っている、ひとつの教室へと辿り着いた。

 

黒板には確かに傷痕が残されていた。

かつて小梅が左耳を切り裂かれた名残だった。

ここが、あの表情を見た場所だった。

ここが、あの少女を見た場所だった。

 

 

 

 

 

あの子が死んだ場所だった。

 

 

 

 

 

そうだ。

確かにここであの子は死んだ。

そうだ。

それでも私は生き残った。

そうだ。

だからあの子は私を呪った。

 

「だから、あの子は取り憑いた。」

 

小さく呟く。

静まり返った教室に、その声は不気味なほど反響した。

鼓膜から脳に流れる情報が、不思議なほど心に馴染んだ。

でも、思い出せるのはその事実だけ。

歴史の教科書を読んでいるような、淡々とした事実だけ。

 

あの子は死んだ。私は生き残った。

それは本来、おかしいことだ。

あの子が死んだのなら、私も死んでいなければおかしかった。

その不合理が許せなくて、だからあの子は私に取り憑いた。

 

それは疑いようのない事実のはずだった。

そのはずなのに、何かが欠けている気がした。

原因と結果、それを結ぶ矢印が。

過程の一部分が、抜け落ちている気がした。

 

『小梅、無理に思い出さなくていいよ。』

 

音の波紋が夜に溶けると、静かな水面に声が浮かんだ。

この地に、教室に縛られた幽霊達。その1人だった。

 

『そうだよ、忘れてるならそれがいい』

『ひどかったもん』

『ねー』

 

それに呼応するように、幼い声が静かに届く。

彼等は、あの日より前にここに居た。

つまりは、あの日の目撃者だった。

 

「……本当に、いいのかな。」

 

思い出していないのは、あの日の光景。

鮮明な映像。明瞭な音声。鮮烈な感情。

確かに心にあるはずの、経験としての記憶。

 

「思い出さなきゃいけないような、気がするの。」

 

胸から湧き上がる使命感。

それの正体すら不確かだった。

目の前の幽霊のように、輪郭が不鮮明だった。

 

『無い無い、ぜーったい無いって』

『今のままの方が楽しいよ』

『暑くない? もうちょっと冷やそっか?』

 

「あ、それは大丈夫。丁度いいよ。ありがとう。」

 

既に日が落ちたにも関わらず、結構な蒸し暑さが続いている。

何体かの幽霊が、小梅に抱きつくようにしてその身体を冷やしていた。

 

『……こんな季節に、そんな服を着なきゃいけないのも。

小梅が思い出したがってる、過去のせいなんだよ?』

 

こんな服。手がすっかり収まるような、長い袖のパーカーを。

手首の傷を隠すために。人間を演じるために。

化け物であることを悟られないために。

着続けなければならない理由も。

あの日に抱いた、感情のせい。

 

「……分からないの。

分からない、けど。でも……。」

 

違和感があった。

さっき見た、少女の表情。

あれが怖くて。あれが嫌で。

あの日も私は、きっと逃げ出した。

でも。それは……、

……ああ、やっぱり分からない。

 

『小梅……。』

 

幽霊がそっと私の名を呟く。

この子達は、心から私のことを思っていてくれている。

私のためになると、心の底から思うから。

だから私に、思い出すなと言ってくれている。

それがたまらなく嬉しくて。

微睡むくらいに優しくて。

なのに、どうして。

こんなに心地良い言葉に、逆らおうとするのだろう。

 

周囲を見渡す。

全ての時間が止まっていた。

何もかもが、7歳の頃のままだった。

いつも隣に居たあの子は、何処にも姿が見えなかった。

 

あの日から居た幽霊は、私と目が合うと悲しそうに笑った。

 

あの子のはずの幽霊は、しかしあの子とは違う気がした。

確かに居る幽霊の、しかし全てが曖昧だった。

髪型も、表情も、輪郭も、何もかも。

私が幽霊に手を伸ばすと、同じように幽霊も差し出した。

手のひらが重なっても、何の感触もなかった。

幽霊であれば感じるはずの、独特の冷気が存在しなかった。

 

 

 

 

 

目の前の幽霊は、幽霊じゃなかった。

 

 

 

 

 

「……本当に、思い出したい?」

 

確かに存在するはずの何かは、そっと私に問いかけた。

 

「傷つくだけだと分かっていて。」

 

全てが曖昧な何かは、ゆっくりと私に手を伸ばした。

 

「止めてくれるみんなの善意を、踏みにじると理解していて。」

 

その手が近付くにつれて、何かの姿が変わっていった。

 

「それでも?」

 

その手は私の手首を掴むと、はっきりとした形を持った。

 

「……馬鹿だね。」

 

その何かは私だった。

私の手首を掴んでいるのは私だった。

あの日から居た何かは、私だった。

 

「なら、教えてあげる。」

 

私の手を掴むのとは反対の手で、私は私の前髪に触れた。

不快。

黒板に爪を立てたような。刃物の先を額に近付け続けるような。

どうしようもない不快感。

 

「……今更気付いたって、もう遅い。」

 

掴まれていない手で、前髪に触れた私の手を押しのけようとする。

手首を掴み、思い切り力を込める。

……びくともしない。

私は表情さえ変えず、冷ややかに私を見つめていた。

 

『小梅! 何してんの!』

『危ないよ、危ないよ!?』

『手ぇ離して! 血が……!』

 

幽霊達の声が、霞がかって聞こえた。

私の手首を握る私の手を見ると、確かに血が流れていた。

それは私の目の前に居る私も同じだった。

 

「ほら、見せてあげる。」

 

私の手によって、私の前髪が少しずつ上がっていった。

目の前の私の髪も、同様に浮き上がっていった。

目の前の私は、私の前髪を上げることで。

私に前髪が上がった私の姿を見せようとしていた。

 

「これが、私。」

 

 

 

 

 

化け物。

 

 

 

 

 

「私は化け物だ。」

 

顔の右半分に大きく刻まれた傷は、醜く膿んでいた。

 

「人を殺す化け物だ。」

 

正常な人間の色をしていない右目が、ギョロギョロと不気味に動いた。

 

「あの子を殺した化け物だ。」

 

両の手首や、耳に空いたピアスの穴から、粘着質な緑の血がドロドロと流れた。

 

「生きてちゃいけないんだ。」

 

私が掴んでいる方の私の手に、ナイフが握られていた。

あの日に目にしたナイフだった。

あの子を殺したナイフだった。

 

「死ななきゃいけないんだ。」

 

私は私の首元へと、ナイフを近付け始めた。

私は私の手首を掴んでいる手に、精一杯の力を込めた。

それでも私の手は止まってはくれなかった。

少しずつ、じわじわと、ナイフは私の喉元へと歩み寄った。

 

「あの子は死んだ。あの子は私が殺した。」

 

私の左目から涙が流れた。

きっと恐怖で口元が歪んでいた。

死ななければと分かっていても、それが怖くて仕方なかった。

それでも目の前の私は、淡々と私を殺そうとした。

 

「あの子を殺した私が、生きてていいはずがないんだ。」

 

『小梅!? ちょっと、ほんとにどうしちゃったんだよ!』

『死んじゃうよ、死んじゃうよ!? 死んじゃうってば!』

『誰か、触れるひと居ないの!? このままじゃ……!』

 

誰かが何かを騒ぎ立てていた。

その喧騒すら、あの日の終わりと似ている気がした。

涙でぼやけた視界の先に、化け物の私が居た。

化け物は不快に顔を歪め、憎悪と共に吐き出した。

 

 

 

 

 

「ねえ、そうでしょう。化け物。」



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32.故に藻搔き手を伸ばす

芳乃さん……じゃない。「あの子」さんに、無理矢理に外に出されて。

彼女の後ろを歩きながら、ボクはひとつのことを考えていた。

 

「あの子」さんによれば、ママはボクが小梅さんを助けられると言った。

「だって、私の娘だもの」。そう言っていたと。

……どうしてママは、そんなことを言ったのだろう。

 

パパとママは、事あるごとにボクを可愛いと褒めた。

だからボクは、「可愛い」であり続けようとした。

でも、その言葉の意味を知って、気付いた。

ボクは「可愛い」とは程遠い存在だったことに。

だからボクは、「カワイイ」を取り繕った。

可愛くないボクは、必死で「カワイイ」を演じた。

 

でも、それはバレてしまった。

最期の最後に、バレてしまったんだ。

だからパパはあんなことを言った。

だからママはあんなことを言った。

そう。そのはずだ。

そのはず、なのに。

 

「──からアンタは極力あたしの……、てい。」

「む゛ぁっ!?」

 

容赦のない頭部への手刀。

 

「今、割と大事な話してたんだけど?」

 

「……もう一度……お願いじまず……。」

 

涙目で頭を抑えながら言葉を返す。

何だろう。何なんだろう。

なんだかやたらと当たりが強い。あと力も強い。

 

「はぁ……。」

 

これみよがしにため息を吐いて、彼女は説明を始めた。

纏めると、次のようになる。

小梅さんが移動した先は、先日の撮影現場。

小梅さんと「あの子」さんが、事件に巻き込まれた場所。

芳乃さんによれば、かなり多くの幽霊が小梅さんの周りに居るという。

 

あの校舎に居る幽霊は、その殆どが、あの事件の目撃者。

そうでない者も、伝聞で知っている。

つまり周囲の幽霊達は、小梅の事情を把握している。

だからあの時は「あの子」さんの言う通りに動いてくれた。

気を偽り、芳乃さんを脅す手助けをしてくれた。

 

でも今回、幽霊は恐らく小梅さんの味方をする。

あんな事件は、忘れて生きた方がいい。

それが幽霊達の考えだった。

小梅さんに幻覚を見せ続けることを、幽霊達は望んでいる。

 

だから、きっとボク達の邪魔をしてくるだろう。

あの中には人の形を保つほどの力を持った幽霊が。

つまりは物に触れることができる幽霊が、何人も居る。

 

そしてボクは彼等の姿を見ることすらできない、ただの無力な人間。

よって、「あの子」さんの後ろに付き、決して離れず、守られながら進むこと。

それを彼女は警告していた。

 

「……ってことは、一度芳乃さんの身体から離れるんですか?」

 

幽霊の攻撃からボクを守るには、きっと幽霊としての力が必要だ。

芳乃さんの身体を乗っ取った、つまり芳乃さんと同じ状態では。

芳乃さんができる範囲と同じことしかできないはず。

 

「……いや、それがさ。」

 

「あの子」さんは怪訝そうな顔をする。

どうしてそんな表情をするのか分からないでいると。

 

「ピェッ!?」

「できちゃうんだよね、何故か。」

 

ボクの右手首が、何かに掴まれる感触。

彼女の腕は何にも触れていない。

ひんやりとしたそれは、あの日ファミレスで感じたものだった。

 

「身体も異様に軽いし、乗っ取ったまま部分的に離脱できる。

……乗っ取られるために生まれたような身体だよ。」

 

彼女の話しぶりからして。

本来はできるはずのないことだが、何故か芳乃さんを乗っ取った場合だけは。

乗っ取った状態を維持しつつ、自分の一部分を肉体の外に出すことで。

肉体の手の届かない場所まで物理的に干渉できるということだろうか。

 

「……何者なんです? 芳乃さんって。」

 

「……あたしに聞かないでほしい。」

 

どこか常人離れした雰囲気を持っているとは、前々から思っていたけれど。

そこまで違うとなると、本格的に芳乃さんが分からなくなってくる。

ちっとも見えてこない芳乃さんの背景が、どうしようもなく深く思えた。

 

「まあ、とにかく。心配しなくていいよ。」

 

「あの子」さんはボクの手首を掴んだままブンブンと上下に振る。

どうやら芳乃さんを解放してくれる機会は無いらしい。

 

「この通り──」

 

 

 

 

 

──着信音。

 

 

 

 

 

ボクのポケットが、振動と共に音色を奏で出した。

「あの子」さんの言葉を遮ったそれは、普段よりも周囲に響き渡った。

携帯を取り出し、画面を開く。

 

「……芳乃、さん?」

 

メールの着信通知。

差出人は、依田芳乃。

 

「……は?」

 

画面から顔を上げ、目の前の少女を見る。

芳乃さんの身体を纏った「あの子」さんは、驚愕に目を見開いていた。

 

「依田、芳乃……? ……なんで……だって、もう……、」

 

彼女がボクの家に来てから、今この瞬間まで。

「あの子」さんは、一度も携帯を取り出していない。

……予約送信? 2通目? もう既に送ったのに?

伝えるべき情報は、既に用意されていたのに?

 

「……っ!

幸子!! 1通目、何時に来てた!?」

 

何かに気付いた「あの子」さんが、焦燥のままに叫ぶ。

受信フォルダから、時間を確認する。

 

「18時、ちょうどです、けど。」

 

「2通目、今のは!!」

 

矢継ぎ早に飛んでくる要求に少し疑問を覚えながらも。

ボクは言われるままに確かめる。

 

「……19時、6分。」

 

口に出してやっと、違和感を覚えた。

少なくとも1通目は、芳乃さん自身による予約送信。

届いた時に「あの子」さんがそう言っていたし。

芳乃さんならば、この状況を想定して手を回していてもおかしくない。

 

そして予約送信ということは、何時に送信するか設定していたというわけで。

わざわざ中途半端な時間にする理由は無いわけで。

だからこそ1通目は18時ちょうどだったわけで。

ということは、2通目は。

 

「……予約送信じゃ、ない……?」

 

今この瞬間に、誰かが芳乃さんの携帯を持っていて。

今この瞬間に、誰かが文章を入力して。

今この瞬間に、誰かがボクに送った。ならば。

 

今この瞬間に、誰が芳乃さんの携帯を持っている?

 

「あの子」さんは言っていた。

ママに、ボクならできると聞いたから来たと。

「あの子」さんは知っていた。

芳乃さんから予約送信のメールが来ることを。

「あの子」さんは会っていた。

ママと芳乃さんに会ってから、ボクに会いに来た。

 

「あの子」さんは、芳乃さんとママと同じ場所に居た。

 

今、「あの子」さんはどう見ても焦っている。

何か予想外の事態が起こっているということだ。

1通目は予約送信。2通目は今発信された。

この状況に、何か不利益がある?

 

……いや、きっと、もっと単純だ。

「依田芳乃、なんで、だって、もう」。

「あの子」さんはそう漏らしていた。

「だって、もう」の次に続く言葉があるとしたら。

 

「だって、もう送られたはずなのに」。

 

そうだ。彼女にとっての予想外は、2通目のメールの存在そのもの。

本来メールは1通しか送られてこないはずだった。

そのように3人は打ち合わせていた。

打ち合わせをした上で、芳乃さんは乗っ取られた。

 

芳乃さんは、自分の意志で乗っ取られた。

 

そして今、誰かがこの瞬間に入力したメールが、芳乃さんの携帯から届いた。

芳乃さんは身体を乗っ取られている。

「あの子」さんは携帯を取り出していない。

ならば、残る可能性は。

 

「……ママ?」

 

3人で話をした後、ママが芳乃さんの携帯を預かった。

 

「今! 芳乃さんの携帯を持ってるのは、ママなんですね!?」

 

狼狽えるままの「あの子」さんに詰め寄ると。

自分の記憶を確かめるように、「あの子」はぽつりと呟いた。

 

「……幸子の母親が、メールで、情報を……纏めて。

それを、芳乃からの予約送信ってことに……なのに。

……まさか、本当に……?」

 

本来、ボクの元に送られるメールは1通のはずだった。

それはママが入力した、小梅さんの救出に必要な情報を纏めたもののはずだった。

それを芳乃さんが前もって用意しておいた、予約送信されたものということにするはずだった。

恐らくは、ただでさえ不安定なボクの精神状況を不必要に揺さぶらないために。

芳乃さんはそんなものを用意していないが、用意していたということに事実を捏造する、はずだった。

 

しかし、来るはずのない2通目のメールが届いた。

これは予約送信ではなく、今まさに送信されたもの。ママが送信したもの。

1通目は、本当に予約送信だった。

1通目が届いた時、ママはまだメールを入力している途中だった。

つまり。今来た2通目こそが、本来1通目のはずだったもの。

本当の予想外のメールは、1通目。

 

芳乃さんは本当に、この状況を予測してメールを準備していた。

 

「……っ!」

 

ボクはスマホを操作し、メールを開封する。

 

ママが携帯を操作していたなら、気付いたはずだ。

芳乃さんが、既に情報を纏めたものを用意していたと。

自分がするはずだった役割は既に果たされていたと。

なのに、ママはボクにメールを送った。

 

文章を読む。

 

つまり。これは。このメールは。

必要に迫られたものではなくて。

ただ送りたいものがあったというだけで。

ママがボクに宛てた、ごくごく個人的な。

 

言葉を読む。

 

「あの子」さんは18時に来た1通目を、ママのものと勘違いした。

ということは、18時の時点で、それだけの量を書けるはずだった。

それから更に、66分。

ママは、ボクに送る文面を、ずっと。

 

感情を読む。

 

件名は空白だった。

本文は、決して長くはなかった。

でも。考えてくれたんだ。

ボクのために。ボクなんかのために。

言葉を選んで。内容に悩んで。

この、1kbにも満たない電子データを。

 

願いを読む。

 

ただ、読む。

 

 

 

 

 

携帯を握った手を降ろす。

 

「……教えてください。」

 

空を見上げ、呟く。

 

「今。芳乃さんの携帯を持っているのは。ママですね。」

 

黒は依然として、青を覆い尽くしていた。

 

「……そうだ。正真正銘、アンタの母親が送ったもののはずだよ。」

 

しかし。確かに雨は止んでいた。

 

「ありがとうございます。」

 

どす黒い雲の隙間からは、オレンジ色が射していた。

 

携帯を操作し、芳乃さんへ電話をかける。

少しの間を置いて、コールが止まる。

 

「…………ママ。」

 

……幸子ちゃん。

 

ホワイトノイズが耳を満たした。

声が返ってくることはなかった。

きっとこれが言葉なんだと、どこか腑に落ちていた。

 

「ママ、なんですね。」

 

……っ、聞こえるの!? 幸子ちゃん、ママよ、私──、

 

ノイズが少し大きくなった。

何かを伝えようとしてくれていた。

 

「ありがとうございます。」

 

──、っ、

 

それだけで、十分だった。

 

「……ありがとう、ございます。」

 

……うん……。

 

ただ、感謝を口にする。

誰かに何かをしてもらったら。

それが嬉しく感じたのなら。

この言葉を贈りなさい、と。

貴方が教えてくれたから。

 

「ボク、頑張ります。頑張りますから。」

 

うん。頑張って。頑張ってね。

幸子ちゃんならできるから。絶対、できるから。だから……っ、

 

思ったことをそのまま口にした。

纏まりなんてありはしなかった。

きっと伝えたいことなんて、殆ど伝わってなどいなかった。

 

「だから。もう、大丈夫です。

ボクは、カワイイですから。」

 

……うん、大丈夫。

……ふふ。嬉しいなぁ。……嬉しい。

 

でも。きっと、それだけで十分だと。

そう、笑ってくれると思うから。

 

「……もう少しだけ、待っていてください。」

 

いつの間に、そんな頼もしい声。出すようになったのかな。

……生きてるうちに、見たかったなぁ。

 

一方的に、想いを告げる。

 

「夜が明けたら、また。」

 

頑張れ、私の娘。

 

 

 

 

 

通話を切る。

ノイズは簡単に立ち消え、辺りは静寂を取り戻した。

 

「……「あの子」さん。」

 

白坂小梅を救う。

何ができるとか、手段はどうとか。

そんなものは、どうでもよくなった。

ボクが、小梅さんを救う。

それだけ。ただ、それだけの話。

 

「少し、寄り道をしてもいいですか?」

 

でも。何も持たずに行っていいというわけでは。

準備をせずともいいわけでは、ない気がする。

何か、引っかかる。

何かが、あったような気がする。

小梅さんに関係する、前もって備えておく何かが。

彼女に持っていく何かが。

彼女に贈るべき何かが、あった気がする。

 

「……場所は? 急ぐから、跳ぶよ。」

 

小梅さんは「あの子」さんに負い目がある。

小梅さんは身体の傷を隠している。

小梅さんは自分を化け物だと思っている。

 

可愛くないと思っている。

 

そうだ。きっとある。贈るべきものが。

今の彼女に必要なものがある。

それが何なのか、具体的には分からない。

それが本当に存在するのか、根拠すら分からない。

それでも。この直感的な感情が、もし合っているとしたら。

 

「ショッピングモールまで……え? 跳ぶってな──」

 

跳ぶって何ですか? と、聞こうとして。

しかしその言葉は、言葉としてアウトプットされることはなく。

首根っこを冷たい何かに掴まれて。

そのまま身体が宙に浮いて。次の瞬間。

 

「──ぁぁぁぁあああああ!?」

 

10数メートル遠くなった地面を見て、彼女の言葉の意味を知った。

 

 

 

 

 

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[Tips] 愛情の形

 

私の可愛い愛娘へ

 

小梅ちゃんを助ける、なんて、難しいことは考えないで。

幸子ちゃんが思っていることを、そのまま言ってあげて。

それだけでいいの。

それがきっと、小梅ちゃんが一番求めているものだから。

 

大丈夫。幸子ちゃんになら、できるから。

貴方は優しくて。賢くて。いつも頑張ってる。

私の、自慢の娘だもの。

 

それでも、もし。

もし不安になったら、思い出して。

例え幸子ちゃんの良いところが、何ひとつ無くなってしまったとしても。

何もかもが駄目になってしまったとしても。

自分のことが嫌で嫌で、どうしようもなくなってしまったとしても。

私は絶対に、貴方を愛します。

愛しています。これからも、ずっと。

 

自信を持って。ママを信じて。

幸子ちゃんは、可愛いんだから!

 

貴方の母親より

 

 

[Tips] カワイイ

 

ママはボクを愛してくれた。

何も無いボクでも、愛してくれると。

カワイイボクでも、愛してくれると。

可愛くないボクでも、愛してくれると。

ボクは、可愛いと。そう、言ってくれた。

それでもまだ、自信なんて持てやしないけれど。

前を向く方法が、後ろ向きでもいいのなら。

何も持たないボクの証を。この言葉を宛てがおう。

愛してくれた、証明に。

 

 

[Tips] 輿水幸子

 

ボクはカワイイんです!

だって、ボクはカワイイ(ママが愛してくれた)んですから!

 

 

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[Mission] 憧れを救ってください

 

アナタのようになりたいと思っていた。

得意なことがあって。可愛くて。

ボクとは何もかもが違う、アナタに。

だから。もしもアナタが。

ボクと同じように、苦しんでいるのだとしたら。

ボクなんかが、アナタの力になれるのなら。

ボクは、アナタを助けたい。

 

 

〔Mission List〕

 

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33.だからあなたにお似合いの

「……でしてね? その時に小梅さんは──、」

 

幸子の口が活性化を始めて十数分。

それくらいしかすることがない、それを加味して尚。

「あの子」はそろそろ、うんざりし始めていた。

 

「……よくもまあ、そんなに喋れるもんだね。」

 

2つの意味を込めて「あの子」は言葉を吐く。

それは単純に、小梅に関する話題が尽きないというのと。

そして何より、実体のないモノの手で空を跳んでいるのによくそんな余裕があるな静かにしろ、という称賛混じりの嫌味だった。

 

「まだまだありますよ、この前のライブなんて──、」

 

お構いなしに幸子は続けようとする。

幸子の要望通りに、ショッピングモールへと移動している時。

言い換えれば、ビルの屋上からまた別のビルへと、跳び移りながら移動している時。

最初のうちは、幸子は叫んでいた。

それはもう、叫びに叫びまくった。叫ぶ以外幸子にできることはなかった。

しかし、数分経つと、次第にボリュームが下がっていき。

突如「なんか慣れました」と言い放つと。

今度は言葉が交わされない空気を嫌ったのか、話をし始めた。一方的に。

小梅に関するものばかりなのは、共通の話題がそれくらいしかないからという、彼女なりの配慮なのだろうか。

 

「いや、ストックの話じゃなくて……いや、その話でもあるけど……。

……よく慣れるよね、この状況。」

 

「あの子」は別に幸子と会話をしたくないわけではない。

アイドルになってからの小梅をよくサポートしてくれていたし、遊び相手にもなってくれていた。

個人的な感情はどうあれ、一定の恩義はある。

だが、現在の「あの子」の立場は、芳乃を人質にして小梅の救出を強要する悪人だ。

だから、できるだけ悪人っぽく振る舞おうと。そう「あの子」は心がけていた。

余計な会話をせず、淡々と命令のみを、と。

 

「慣れるとスカイダイビングよりは気が楽ですよ、常に掴まれてる感触があるだけ。」

 

しかし。流石に気になった。

立場が逆なら、「あの子」は失神している自信すらあった。

度胸と言うべきか。適応力と言うべきか。

その類のものが、あまりに突出しているように感じた。

 

「……大変だね……あんたも……。」

 

目を伏せ、「あの子」は労るように呟く。

幸子に気付かれないくらい、ほんの少しだけペースを落としてやることにした。

それは幸子の話が徹底的に小梅を褒めるものだったのが、何だか誇らしく。

単に自分が良い気分になっていたからでもあった。

 

「それで、何すんの?」

 

移動を開始してから初めて、「あの子」は自分から幸子に話しかける。

ショッピングモールに何の用があるのか、未だ聞かされていなかった。

 

「……いえ、具体的に何を、とは、分からないんですけど……。」

 

すると、幸子の歯切れが急に悪くなる。

「あの子」は次の着地点を見極めながら、静かに言葉を待った。

 

「……何か、ある気がするんです。絶対に、必要な……。」

 

「……そ。」

 

「あの子」はぶっきらぼうに返す。

それ以上、深く聞くことは無かった。

聞く必要が無かった。

幸子のマシンガントークにうんざりしていたからだ。

うんざりするほど、理解させられたからだ。

幸子にとって小梅が、どれほど大切か。

どれほど助けたい存在か。

だから幸子の言葉が、不思議なほど腑に落ちた。

きっと本当に、何かがあるんだろう、と。

 

摩天楼を、2人が跳ぶ。

夕焼けは色褪せ、コバルトブルーに染まり始めた。

 

 

 

 

 

「いーよいしょっ、と。」

 

ショッピングモールから少し離れた、ビルとビルの隙間。

両の壁を交互に蹴りながら、地面へと落下する。

「あの子」が勢い良く着地し、続いてふわりと幸子が降ろされる。

この移動のうちに、かなり芳乃の身体にも慣れてきていた。

それは、この身体でできることが判明してきたことと同義だった。

 

芳乃を乗っ取っている状態では、幽霊としての自分を自由に形を変えて外に出すことができる。

しかし芳乃の身体と繋がっている必要があり、また当然だが、幽霊としての自分の体積以上のものを出すことはできない。

芳乃の身体の制御には、幽霊としての自分をほんの少しでも体内に残しておけばいいらしい。

感覚としては、自分の体積分の粘土を身体から生やして操るようなものだ。

「あの子」は背中から3本の大きな腕を生やし、1本は幸子を掴み、残りの2本を脚のように動かして移動していた。

 

「……さて。」

 

かなりの長距離を身一つで移動しながら、やはり汗1つかかない身体。

その肩をくるくると回しながら、「あの子」は幸子に語りかけた。

 

「どうやって見つける?」

 

絶対に必要な何かがある。幸子はそう言っていた。

ならば、それを見つけるための、何らかの行動を起こさなければならない。

何かがあると認識しているということは、過去に目にしたことがあるのだろう。

だが、幸子は小梅達と訪れる前にも日常的にショッピングモールに入り浸っている。

それこそ、小梅と芳乃に「普段行っている場所」を聞かれて指定するくらいには。

故に、捜索範囲が広すぎる。単に皆で行った時のルートを辿るだけでは不十分だ。

 

小梅の状態は一刻を争う。遅ければ遅いだけ、手遅れになる確率が上がる。

しらみつぶしに探すのでは間に合わない。

何かしらの策を講じなければ。

 

「……芳乃さんが所属してる事務所、俗称があるんです。」

 

幸子は「あの子」の言葉に、暫し考える素振りを見せる。

やがて口元に当てた手をゆっくりと離すと、「あの子」の目を見て呟いた。

 

「へ? ……ああ、そう……なんだ?」

 

幸子の真意が分からず、間抜けな声を出す。

その様子を見て、幸子はにやりと笑った。

 

「超常現象プロダクション、って。」

 

その顔は、遠い昔。

自由帳と鉛筆で、一緒にイタズラを考えていた頃の小梅と。

笑えるくらいに、よく似ていた。

 

 

 

 

 

「ほんとに大丈夫なんだろうねぇぇぇぇぇ!?」

 

ショッピングモールに、少女の声が反響する。

その発生源は空気を圧縮するほどの速度で移動し、周囲に風を巻き起こしていた。

 

「たぶん大丈夫なはずでぇぇぇぇぇす!!」

 

発生源は2人の少女。

「あの子」と、輿水幸子だった。

 

幸子の提案は以下の通り。

このまま徒歩でショッピングモールを片っ端から見て回るのは博打に等しい。

ならば、徒歩でなければいい。

「あの子」がここまで幸子を運んだように、幽霊の力で飛ぶように移動する。

ここまで運んだ時よりも、ずっと凄まじい速さで。

そうすれば、時間を大幅に短縮し、かつ余すこと無く全体を見て回ることができる。

 

それはつまり、かなり多くの人々に、常識から遥かに逸脱した現象を目撃されるということに他ならない。

「あの子」が何故ショッピングモール近くのビルの裏に降りたかと言えば、ひとえに目撃されたくないからだ。

2人の人間が空中を浮遊している、そんな場面を見られたら確実に大騒ぎになる。

大騒ぎになればどうなるか。人だかりが発生し、行動を阻害される。

浮遊している2人がアイドル(実際には片方の中身は幽霊なのだが)と知られたら尚更だ。

そこで対応に間違いがあれば、間違いなく今後の活動に支障が出る。

それだけではない。最悪、幸子と小梅を取り巻く一連の出来事にすら辿り着かれてしまうかもしれない。

 

しかし、以上の懸念を、幸子は杞憂と判断した。

何故なら幸子が発言した通り、芳乃の所属事務所は通称「超常現象プロダクション」。

所属アイドルのファンならば、この程度のトンデモ現象は日常茶飯事。

多少注目は浴びるだろうが、行動を制限されるほどにはならない。

 

……と、幸子は主張している、のだが。

いやいやいやいや。流石に無理があるでしょ。

他に方法も無いからやるよ。やるけどさ。それでも無理でしょ。

半ばヤケクソになりながら、「あの子」は周囲の人間の反応に目を向ける。

 

「ねぇ、あれ [神様少女] じゃない?」

「ほんとだ、芳乃ちゃん空飛んでる! すごーい!」

「おー、また輿水幸子が凄いことされてるぞ」

「幸子ちゃーん頑張ってー!!」

 

マジかよ。

 

「頑張りますよぉぉぉぉぉぉ!!

カワイイボクの勇姿を拝めたアナタは幸運ですねぇぇぇぇぇぇ!!」

 

ちゃっかりファンサービスしてるんじゃないよ。

多分後半聞こえてないよ。

 

「……ねぇ!! [神様少女] って!! 何!!」

 

先程聞こえた声の中に、聞き覚えのない単語があった。

それが何故か引っかかって、「あの子」は説明を求める。

 

「芳乃さんの二つ名です!! 事務所の経営方針ですよ!!」

 

二つ名。

言い換えれば、異名、通称、あだ名、通り名、その辺りのもの。

それを事務所側で付ける、ということは。

アイドルの最も特徴的な要素を二つ名としてつけることで、より印象に残そう、といったところだろうか。

 

……しかし。よりによって、神様?

妙な胸騒ぎを、「あの子」は感じずには居られなかった。

だが、そのことは後回しだ。

今は、小梅を。

 

「ここは!」

「違います! 次!」

 

「こっちは!」

「んー! 次!」

 

「はい!」

「はい!」

 

「…………!」

「…………!」

 

ショッピングモール内の店を片っ端から回っていく。

何度もやり取りを繰り返すうちに、最後の方はアイコンタクトだけで会話できるようになっていた。

 

「…………!」

「…………!!!」

 

何件目か数えるのもやめるほど繰り返した末に。

幸子の目が「ストップ」と叫ぶ。

「あの子」は店内の中央に飛ぶと、幸子の足を初めてフロアに触れさせた。

 

そこは、小梅と芳乃を連れて、幸子がウインドウショッピングをした時。

見て回った数々の店のうち、最後に訪れた場所だった。

 

「……すいません! これください!」

 

幸子が店員を呼ぼうと叫ぶ。

すると、既に綺麗にラッピングされていた商品を差し出しながら、店員は快活に笑った。

 

「ひょっとしたら、それじゃないかって思ったよ。

……幸子ちゃん、よく分からんが応援してるぜ! 気張れよ!!」

 

金の髪を後ろに流し、同じく金の髭を蓄えた。

マッチョで豪気なオッサンが、幸子を激励する。

店長と書かれた胸のプレートが輝いた。笑顔から覗く白い歯と共に。

……本当にブティックの店長なのか? 鍛冶屋とかじゃなく?

というか仮にも少女に対して「気張れよ」はどうなんだ?

 

「……任せてください! ボクはカワイイので!」

 

幸子が商品を受け取ると、オッサンは幸子に手を伸ばす。

幸子は空いている方の手を伸ばし、固い握手を交わした。

 

「すいません、御礼は後で必ず!」

「サイン会でいいぞ!」

「そんなのでいいんですか! 謙虚な方ですnぇぇぇぇぇぇ……!」

 

そんなやり取りを残し、幸子は「あの子」に抱えられ屋上へ跳ねる。

「あの子」は会話の最後まで我慢することができなかった。

 

 

 

 

 

なんというか、その、ツッコミ不在の空気に。

 

 

 

 

 

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[Tips Update] 芳乃の身体→乗っ取りに適した身体

 

依田芳乃の身体を乗っ取った「あの子」は、他の人間とは異なる特徴を発見した。

乗っ取った状態を維持しつつ、自身の一部分を肉体の外へ出し。

肉体の手の届かない場所にも、ある程度の距離までは物理的に干渉できる、というものだ。

異様に動きやすい事といい、芳乃はとにかく乗っ取られることに適した身体をしている。

 

 

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34.何も無くてもいいですか

目的地である小学校。

その隣に位置する、マンションの屋上に着地し。

あたしは目を凝らして、学校の様子を観察した。

 

「……あー、うん。幸子?」

 

校舎全体が、白い靄のようなもので覆い隠されている。

距離のせいではっきりとは見えないが、恐らくは大量の幽霊。

これでは校舎の様子が分からない。

それどころか、あたしが進入することができない。

 

「はい?」

 

いくら芳乃の身体を借りているとはいえ、あたしはれっきとした幽霊だ。

幽霊がすり抜けるのは物体だけ。同じ幽霊にはきちんとぶつかってしまう。

このまま無理矢理に通ろうとしても、芳乃の身体ごとぶつかるか、芳乃の身体だけがすり抜けるか。

どちらにせよ。あたしが校舎に入るには、あの大量の幽霊を何とかしなければならない。

 

「ここから小梅の居場所、見える?」

 

だが、果たしてそんな悠長なことが許されるか。

小梅の状態は非常に不安定。だから空を跳んでまで急いだ。

幽霊達を説得する、もしくは力技で排除する。その猶予が残されているか分からない。

だから、幽霊が見えない幸子に情報を求めた。

……なるべく、幽霊の存在を悟られないように。

 

「……? なんでそんなこと……、」

 

幸子は幽霊にてんで弱い。

幽霊を始めとした、ありとあらゆるホラーに。

それはもう、映画の鑑賞会をしたくらいで簡単に気絶するほどに。

「今から幽霊でいっぱいの場所に行くけどいい?」なんて言ったら、どうなることか。

ましてや「あたしは通れないから後は1人で頑張って」なんて日には、もう。

考えてしまえば一瞬で答えが出る気がして、極力考えたくはなかった。

 

「いいから。ほら。教える。」

 

早速余計なことに考えを巡らせ始めた幸子の思考を矯正する。

あたしに急かされて、幸子は目を凝らし、前方を観察し始めた。

 

「……っ!」

 

次の瞬間。

弾かれるように目を見開き、あたしに向かって叫ぶ。

 

「跳んでください! 早く!」

 

……不味い。

 

「ちょっ、待った、跳ぶって何処に……、」

 

この反応からして、きっと小梅に猶予は無い。

そして猶予が無い故に、幸子に余裕が無くなった。

 

「窓ガラスが割れてる教室です! アナタにも見えるでしょう⁉︎」

 

となれば、取れる行動は限られる。

校舎を覆う幽霊をどうにかした後あたしが進入する、これがまず無くなる。時間が足りない。

幸子に事情を話して単身乗り込ませる、これも時間がかかる。が、あたしが行くよりはマシか。

……うん、これしか思い付かない。し、これ以外を考える時間的余裕も無い。

あたしが幸子を校舎内に運べない以上、幸子の足が速いことを期待するしかない。

 

「……幸子。聞いて。

校舎の周りに幽霊がわんさか居る。校舎を完全に覆うくらいに。

あたしは幽霊だから、幸子みたいに幽霊をすり抜けられない。

だから徒歩で……」

 

そして最も問題なのは、幸子が幽霊をすり抜ける、つまりは幽霊と接触する際の感覚に耐えられるかだ。

どうやら生者は幽霊と接触すると、独特の寒気を感じる。

あたしがファミレスで手に触れた時も、芳乃の身体について説明した時も。

幸子は情けない声を上げて跳ね上がっていた。

相当に苦手な感覚のようだが、一々あんな反応をされては日が昇──

 

「なら投げてください!」

 

「──はぁ⁉︎」

 

あまりに予想外過ぎて素っ頓狂な声が出た。

 

「……は⁉︎ 投げるって、誰を⁉︎ 何処に⁉︎」

 

「ボクを‼︎ 小梅さんの所に‼︎」

 

「あたしは校舎が見えないの! トマティーナでもやりたいの⁉︎」

 

「方向は指示します‼︎ 足か背中から入れば窓も大丈夫です‼︎ 多分‼︎」

 

「多分な時点で駄目でしょ‼︎ 何か他の──、」

 

 

 

 

 

ばちん。

 

 

 

 

 

耳のすぐ近くから、そんな大きな音が出た。

その音が、あたしの言葉を途切れさせた。

あたしの頭全体が、その音に一瞬、真っ白になった。

その一瞬が過ぎると、頬にじわりとした感触。

ここまできて、ようやく目を動かす。

幸子の両手が、あたしの両頬を叩いた音だと知った。

 

「──小梅さんが、泣いてるんです。」

 

頬に手を添えたまま。

呆然とするあたしを、幸子は真っ直ぐに見つめていた。

その瞳は、何かに苛立つようで、何かを悔やむようで。

 

 

 

 

 

「……泣いて、いるんです。」

 

 

 

 

 

何かを、祈るようで。

 

「……あたし。もう人殺しなんて、勘弁だからね。」

 

なんだよ。

ずっと情けなかったくせに。

守られるだけだったくせに。

役になんて立たなかったくせに。

 

「大丈夫です! ボクはカワイイので!」

 

泣いているから。

それだけで動くのか。

それだけで動けるのか。

それだけで、怖くなくなるのか。

 

「……そうだね。」

 

ああ、なんだよ。

 

「カワイイよ。ほんと。」

 

格好良いじゃんか。ちくしょう。

 

 

 

 

 

「いい⁉︎ 行くよ‼︎」

 

「あの子」は幽霊としての自分を全て右腕に纏わせ、巨大な腕を作る。

星空に掲げられたその上で、幸子は叫ぶ。

 

「どうぞ‼︎」

 

その声に応えるように、「あの子」は大きく片足を踏み出す。

それと連動するように、「あの子」は右腕で弧を描く。

空気中に蔓延る水分を切り裂くように、幸子は跳んだ。

 

「…………っ!」

 

圧縮された大気が幸子を拒絶する。

息を止め、歯を食いしばり、目だけは大きく見開いて。

幸子はそれを押し返す。

 

本能的な不快感を引き起こす冷たさに包まれる。

両手を強く握り締め、白坂小梅を真っ直ぐ見つめ。

幸子は幽霊の壁を突き進む。

 

割れた窓ガラスが視界を埋め尽くしていく。

その時だった。

自分の移動速度が加速度的に減速していった。

時の流れが緩やかになり、やがて意識のみが取り残された。

静止した世界の中で、ガラスに映る自分だけが、時間に囚われていなかった。

白坂小梅を見つめる瞳が、幸子自身を見つめていた。

 

 

 

 

 

それに映った醜いボクが、ボクを嘲笑っていた。

 

 

 

 

 

「どうするつもり、なんですか?」

 

決まってるでしょう。助けるんですよ。

 

「どうやって? 何を使って?

アナタは何も持っていないのに。」

 

そうですね。ボクには何もありません。

人に誇れる長所なんて。存在する価値なんて。

 

「じゃあ、できっこないじゃないですか。」

 

できますよ。何もなくても。

最初から、要らなかったんです。そんなもの。

 

「あれだけ欲しかったのに? あれだけ欲しがったのに?」

 

何もかもに嘘を吐いて。自分すらも欺いて。

そうまでして欲しかったのは、そんなものじゃなかったんです。

 

「アナタには、可愛いしか無いのに?」

 

ボクが欲しかったのは。

そんな意味の無いアイデンティティなんかじゃない。

 

「可愛くなければ、かわいがってもらえないのに?」

 

ボクが、本当に欲しかったのは。

……欲しかった、言葉は‼︎

 

 

 

 

『もう、大丈夫よね。』

「例え何も無くたって‼︎ 生きてたって良いって‼︎」

『ああ。立派に育ってくれたよ。』

空間に固定された左腕を、無理矢理に剥がし取る。

『じゃあ、最期の。』

「ただ、それを‼︎ それだけを‼︎」

『うん、最期の。』

そのまま硬く握り締め、大きく振り上げる。

『『……せぇ……のっ!』』

「……許してほしかった‼︎‼︎」

『『──頑張れ‼︎‼︎』』

ボクに、思い切り振り下ろした。

 

 

 

 

 

月が白く透き通った夜。

 

「どうして、あの子の姿が思い出せない?」

 

目の前の私は、私の首元にナイフを近づけようとする。

 

「どうして、あの子の声が分からない?」

 

私は必死に、それを押し返そうとする。

 

「どうして、私と同じような口調でしか喋らない?」

 

でも。人間が化け物に、勝てるはずがなくて。

 

「どうして、あの子の名前を口にしない?」

 

じりじりと。じわじわと。

 

「……どうして、それら全てに疑問を抱かない?」

 

少しずつ、ナイフは私へとにじり寄っていく。

 

「思い出せ。」

 

目の前の私は、私に覆いかぶさるように顔を近づける。

醜い色の右目から、不気味な色をしたドロドロの液体が流れ落ちていた。

 

「あの子はあの日、私に何をした。」

 

それは私の頬をつたって、ゆっくりと私に降り注ぐ。

ひどく粘っこくて緑色のそれは、私を嘲笑うように空中でぷらぷらと揺れながら。

ナイフと同じように、少しずつ距離を詰めていった。

 

「あの子はあの日、私をどう思っていた。」

 

私の右目から流れる液体が、私の右目に触れた。

べちゃりと不快な音がした。

見た目通りドロドロとした感触のそれは、重力に引き摺られて頬を汚し始めた。

 

「あの子はあの日、どんな未練を抱いた。」

 

心臓が痙攣するように脈打っていた。

送り出される血液が緑色に染まっていった。

息を吸っているのか吐いているのか分からなくなった。

首は正面に固定され、逃げることを許さなかった。

 

「……さあ。」

 

目の前の私は目を閉じようと瞼を下げる。

それに引き摺られるように、私の瞼が下がっていく。

目を覆う肉の裏に、何かが書き足されていった。

目を閉じたら見えるように、目の前の私が書き加えていた。

抵抗しようと力を入れても、左目から涙が流れるだけだった。

 

 

 

 

 

目を、閉じる。

 

 

 

 

 

「……っ、あ、」

 

私の右目の中にまで、緑色の液体が入り込んだ。

それは私の身体を浸食し、醜く腐らせていった。

私は目の前の私と同じモノになっていった。

私は間違いなく、化け物だった。

 

「あの子は私を傷つけた。」

 

あの日、あの子は私の頬に触れた。

 

「あの子は私を憎んでいた。」

 

あの日、私は大怪我をした。

 

「あの子の未練は。」

 

あの子の未練は。

 

 

 

 

 

「「私が、まだ生きていることだ。」」

 

 

 

 

 

「全てを思い出したのなら逝きなさい。」

 

目の前の私は、綺麗な両目を私に向けた。

 

「生きていてはいけないのだから。」

 

私の視界が緑色に滲み始めていた。

 

「死ななければならないのだから。」

 

右目から浸透した液体が、左目から溢れ出した。

 

「その手に力を入れることすら、許されてはいけないのだから。」

 

ナイフを塞き止める手から、力が失われていった。

 

「……手を、離しなさい。」

 

……しにたく、ない。

 

「貴方の感情なんて聞いてない。」

 

分かってる。分かってるよ。

生きてちゃいけない。死ななきゃいけない。

生きている価値がない。

 

「そう。だから死ななきゃいけないの。」

 

でも。だけど。

生きていたい。死にたくない。

価値が無くても持っていたい。

 

「それが許されないと言ってるの。」

 

嫌だ。

ナイフは侵攻を止めなかった。

嫌だ。

両目から不気味な液体が流れ続けていた。

嫌だ。

目の前の私は表情を失い、傷はいつの間にか消えていた。

嫌だ。

醜いのは全て私だった。

嫌だ。

ナイフは私の喉元に辿り着き、その肉から液体を漏らした。

嫌だ。

そのまま、私の、中に、

 

 

 

 

 

ガラスが、割れる。

 

 

 

 

 

目の前の私は身体中に亀裂が走り、音を立てて四散した。

私が握っているのは私の手ではなく、ナイフでもなかった。

鋭利に尖ったガラス片が、私の喉に食い込んでいた。

それを掴む私の手は、ズキズキと痛んでいた。

何かが教室の窓を破り、外からここへ飛んできた。

 

「……間に合った、みたいですね。」

 

それはゆっくりと立ち上がると、私に向かってこう言った。

 

 

 

 

 

「カワイイボクが来ましたよ!」

 

 

 

 

 

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35.それでも許してくれますか

藍色の空に漂う、白い満月。

その真円が、彼女のシルエットを浮かべる。

淡い光を背に受けて、輿水幸子は立っていた。

 

「なん、で、……?」

 

呆然と目を見開き、小梅の心が口から漏れる。

幸子は、ここには来ないはずだった。

ここには、来られないはずだった。

何故なら、幸子は彼女の母親と会った。

その時、幸子は手遅れになりかけていた。

その光景を確かに見て、直後に小梅は過去を思い出した。

 

「なんでって、アナタがそんなことしてるからですよ。」

 

当然であるかのように幸子は言い放つ。

右手に持った何かを側の机に置き、そのまま小梅の元へ歩み寄る。

 

「……ダメっ!」

 

鋭い声に、幸子の足が止まる。

小梅は、手を震わせたまま。頬に涙を伝わせたまま。

細い喉に凶器を充てがったまま。

幸子を、拒絶した。

 

「……ダメ、なの。……私、わたし、は、」

 

言葉の続きが、乱れた呼吸と嗚咽に阻害される。

その様子を見て、幸子はほんの少し、微笑んだような気がした。

 

「何がダメなのか。……当ててみせましょうか。」

 

幸子は左手を小梅へと伸ばし、ピッと人差し指を立て、数字の1を作った。

 

「自分が今生きていること。……それは自分が、望んでいることだから。」

 

中指の力を緩め、2を作る。

 

「誰かに自殺を止められること。……それはとても、嬉しいことだから。」

 

薬指を伸ばし、3を作る。

 

「今まで笑って生きていたこと。……それは決して、許されないことだから。」

 

残った指を全て広げ、直後に思い切り握りしめる。

1から3まで。そしてそれ以降。それら全てを、統合する。

 

「幸せを感じること。……その価値が、自分に無いから。」

 

自分は幸せではいけない。

自分は望むものを与えられてはいけない。

それに見合った価値が無い。

だから、手放さなければいけない。

それを持っていてはいけない。

生きていては、いけない。

 

「……分かってる、なら……! なんで……!」

 

幸子は全て理解していた。

小梅は「あの子」を見殺しにした。

「あの子」は小梅を助けたのに。

危険を顧みず助けてくれた恩人を見捨てて、自分だけ逃げたのだ。

そんな自分が、のうのうと生きていて良い筈が無い。

生きている価値が無い。

それを分かっているなら、どうして邪魔をする。

 

「なんでって、さっきも言ったでしょう。

アナタがそんなことをしてるからです。」

 

幸子の発言の意図が分からず、小梅は苛立つように幸子を睨みつける。

 

「……逆に聞きますけど。」

 

すると、幸子は。

謝るでもなく。竦むでもなく。

 

「小梅さん、どうして泣いているんですか?

どうしてまだ、生きているんですか?」

 

小梅の視線を受け止め、睨み返した。

小梅を糾弾するかのように。

 

「…………ぇ、」

 

予想外の幸子の言動に、小梅は怯む。

怯えると形容してもいい。

幸子のこんな表情を、小梅は今まで見たことが無かった。

幸子のこんな声色を、小梅は今まで聞いたことが無かった。

それはひどく冷たくて。鋭く尖っていて。

小梅に対する敵意に満ちていた。

 

「ほら。今だって。

そんなに意外ですか?

思いもよらない言葉でしたか?

ボクがどうすると思っていたんですか?

ボクに何を期待していたんですか?」

 

小梅を目線で突き刺したまま。

幸子は言葉を発しながら、一歩ずつ小梅へと近づいていく。

 

「ボクが、アナタを止めに来たと。助けに来たと。

自分でも何が起こっているのか分からないこの現状を。

何もかも全部、何とかしてくれると。

そう、思っていたんですか?」

 

幸子は小梅の元へ辿り着く。

小梅は、何もできなかった。

離れろと叫ぶことも。違うと吠えることも。

身体を動かすことさえ。何も。

 

「もし、そう思っていたんだとしたら。」

 

幸子の手が小梅へと伸びる。

喉に狙いを定めたままのガラス片。

それを握りしめた手を、這うようにゆっくりと。

きっと、最後の一押しをするために。

遂にその手は、冷たく鋭利な透明に触れ──

 

 

 

 

 

「その通りですよ。」

 

 

 

 

 

──私の手から、奪い取った。

 

 

 

 

 

「それでもまだ生きているのは。

それでも死にたくないからでしょう?」

 

彼女は左手で透明を掴み、右手で私の緑色に触れた。

 

「それでもボクに期待したのは。

自分じゃどうにもできないからでしょう?」

 

鏡の向こうの私が流し、私を侵食したそれは。

彼女の肌の色になって、静かに溶けた。

 

「それでも怯えてしまったのは。

それすら許されないと、思っているからでしょう?」

 

彼女の声は、もう私を糾弾などしていなかった。

音は教室に反響し、優しく2人を包み込んでいた。

 

「……何度でも、言います。」

 

彼女の右手は私の後方まで伸びると、私の背を後ろから押した。

 

「ボクが今、ここに居るのは。

アナタがそんなことをしていたから。」

 

引き寄せられるように、私は彼女へと傾いていく。

同じ背丈の彼女の胸に、ぽすりと収まった。

 

「アナタが、泣いていたからです。」

 

そのまま、彼女は私の頭を、そっと撫でる。

泣いた赤子をあやすように。

膿んだ傷跡に触れるように。

 

「……たすけ、て……くれる……っ、の……?」

 

もう、わからなかった。

自分が何を望んでいるのか。

自分が何をしなければならないのか。

目から流れる液体の色すらも。

目を逸らし続けたそれは、心の中でぐちゃぐちゃに混濁していた。

 

「……小梅さんは、ホラー映画をよく見ますよね。」

 

彼女は徐に口を開く。

発せられた言葉は、一見脈絡が無いように思えて。

私は真意を理解できず、次の言葉を待った。

 

「怪物に襲われて、逃げ道も無くて。もうだめだー、って時に。

突然アラームが辺りに響いて、気が付けば自宅のベッドに居て。

なんだ、夢か、って。息をついて終わるような。」

 

彼女はゆっくりと言葉を紡ぐ。

童話を読み聞かせるように。

その声は何の抵抗も無く、頭の中に入っていった。

 

「そんな、御都合主義は好きですか?」

 

彼女から顔を離す。

幸子ちゃんの表情は、月明かりの影に隠れて見えなかった。

 

「……好きじゃ、ない……かな……。」

 

でも。きっと、微笑んでくれているんだろう、と。

その確信が、どこか。お腹の奥の方にあった。

 

「それは、どうしてです?」

 

彼女は優しく問いかける。

 

「…………ああ、やっぱり、物語なんだなぁ、って……。

フィクションだって、思うから……。」

 

ギリギリになって、実は問題そのものが最初から存在しなかった。

そんなの、現実にあるわけがない。

最後の最後で、架空だと思い知らされてしまうから。

そういうエンディングは、嫌いだった。

 

「……現実にも、御都合主義があるとしたら。」

 

私の答えを聞いて、やはり彼女は優しく呟いた。

 

「実は「あの子」さんは、最初から怒ってなんていなくて。

実は小梅さんは、少しも醜くなんてなくて。

実は最初から、問題なんてひとつも無くて。

あったのは、些細なすれ違いだけだったとしたら。」

 

……そんな、何もかもが解決するような。

そんな現実だったなら。

それが本当だったなら。

 

「……そんなの、あるわけない。」

 

どんなに、良かっただろう。

 

「本当に、そうでしょうか。」

 

でも彼女は、落ち着いた声で言葉を続けた。

 

「彼女はいつも、アナタと一緒にいました。」

 

──それに……あの子が、いる……から……。

 

「彼女はアナタの幻を、忠実に再現しました。」

 

──芳乃さんや幸子ちゃんは、平気……だけど……。

私は、入らない方がいい、って……。

 

「彼女はいつも、アナタを守ろうとしていました。」

 

──あの子が私を突き飛ばし、代わりに傷を負うのには。

 

「……でも……あの子は、私を……。」

 

でも。それでも。

たったひとつの事実が、逡巡させる。

あの日、あの子は私を傷付けた。

あの子は私に取り憑いた。

なら、あの子の、未練は。

 

「……確かめてみませんか。」

 

優しいままの彼女の音が、少しだけ強くなる。

私が顔を見上げると、もう彼女は微笑んではいなかった。

 

「「あの子」さんが小梅さんを、どう思っているのか。

小梅さんに、どうして欲しいのか。」

 

ただ、真剣に。

私の目を、見つめていた。

 

「……でも……でも……っ、」

 

それでもし、あの子が私を憎んでいたら。

それでもし、あの子が私の死を望んでいたら。

今度こそ私は、死ななきゃいけない。

拒否しようとする権利すら、今度こそは与えられない。

次こそ。この手で。私を、殺さなきゃ。

生きようとする生体反応の全てを押さえ込んで。

死を逃れようとする全ての感情を堰き止めて。

今度こそ、ナイフを喉に突き刺さなきゃ。

 

「……小梅さん。」

 

彼女は、そっと私の肩を押す。

彼女にもたれ掛かるように立っていた私は、その支えを失う。

彼女はその反作用に身を任せ、一歩後ろに下がる。

 

「きっと大丈夫、なんて言葉。

意味がないことくらい、分かってます。……だから。」

 

彼女は、そっと左手を私へと伸ばす。

その手に握られているのは、冷たく鋭利な透明。

化け物の私を映した凶器。

 

「もし、何もかもがダメだったら。」

 

5本の指で包み込むように持っていたそれを、持ち上げるように手から離す。

透明はほんの少し浮かびながら回転し、平らな面を私に見せる。

身長の同じ2人の間、目線の高さで、瞬間的に静止する。

 

「アナタが死ななきゃいけないとしたら。」

 

ガラスの向こう。輿水幸子と、目が合った。

彼女は私の反対側に居た。

化け物の私が居た場所に、今は彼女が立っていた。

静止した世界が動き始め、彼女は再び手を伸ばし──

 

 

 

 

 

「ボクがアナタを殺します。」

 

 

 

 

 

──ナイフを、掴み取った。

 

 

 

 

 

「アナタがどんなに嫌がっても。

どれだけ泣き叫んだとしても。

絶対に。この手で。ボクが、殺します。」

 

彼女の手から、綺麗な紅が流れ落ちた。

美しいその色はガラスを伝い、凶器を鮮やかに彩った。

ナイフを染めた彼女の色が、所有権を叫んでいた。

 

「……だから、確かめてください。」

 

彼女は。輿水幸子は。

人が自分を殺す際の、最も障害となり得るものを。

自分が恐怖を感じる事象を、自分で作り上げなければならないという障害を。

その刃の切っ先を、突き立てる役割を。

肩代わりすると申し出たのだ。

 

「会ってあげてください。」

 

親しい友人を手にかけた罪悪感。

その時感じた不快な感触。

それらに一生、蝕まれ続けることが分かっていて。

 

「話を聞いてあげてください。」

 

それでも。白坂小梅に、一歩を踏み出させるために。

後ろ向きのままだとしても、前を向けるようになるために。

憧れを、救う為に。

 

「助けてあげて、ください。」

 

化け物を請け負ったのだ。

 

「……屋上で、あの人が待ってます。」

 

幸子は凶器を握りしめたまま、その手をそっと下ろす。

先程机の上に置いた何かを、右手で掬うように持ち上げる。

 

「久しぶりに会うんですから、おめかしをしなきゃダメですよ?」

 

小梅に押し付けるように、柔らかい感触のそれを渡した。

 

「ボクはここで、待ってますから。」

 

そう呟くと、幸子は小梅に背を向ける。

左手は、ナイフを決して離さなかった。

その切っ先から紅が漏れて、ぽつりと床に滴った。

 

「……行って、きます。」

 

渡されたのは、綺麗にラッピングされた紙袋。

その中には、きっと、あの洋服。

小梅はそれを、両手で抱きしめる。

 

「はい、行ってらっしゃい。」

 

背後から遠ざかっていく足音を、幸子はいつまでも耳で追っていた。

 

 

 

 

 

「きっと、大丈夫です。

……小梅さんは、可愛いんですから。」

 

 

 

 

 

〔Mission List〕

 

・憧れを救ってください



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36.まだ生きててもいいですか

雲ひとつ無い、満月が照らす夜。

肌に当たる風の感触が新鮮だった。

落ち着いて見ようとしなかった両腕は、生々しい紫に染まっていた。

それを空気に晒すことが、心臓を差し出しているように思えた。

 

『…………小梅。』

 

剥き出しの私を見て、あの子は寂しそうに笑った。

 

「……久し、ぶり。」

 

私はきっと、笑ってしまうくらい、ぎこちなく笑っているんだろう。

 

『うん……そうだね、そうだ。

本当に、久しぶり……。』

 

私の言葉を噛み砕くように、あの子は何度も軽く頷く。

何を言えばいいか分からなくて、私は彼女を見つめる。

最後に見た時と、何ら彼女は変わっていなかった。

髪の長さや肌の色。背の高さも、その声も。

でも。あの頃とは、何もかもが変わってしまっていた。

あの頃のように、自然と言葉が出てこなかった。

 

「あの……あのね、えっと……っ、」

 

でも。言わなきゃいけなかった。

確かめなきゃいけなかった。

あの日に起きた、あらゆる全ての物事の。

答え合わせを、しなきゃいけない。

 

『……あの日。』

 

私が何かを言おうとすると、あの子はそれを遮った。

少しだけ驚いて、彼女の目を見る。

感情が、見えなかった。

 

『あたしは、小梅を傷つけた。』

 

あの子は、淡々と話し始めた。

感情を抑えようとしているのか、私なんかに浪費する感情なんて無いのか。

それすらも分からなくて、私は次の言葉を待った。

 

『……そんなつもりじゃ、なかったんだ。』

 

混乱する頭を押さえつける。

今、彼女は、何て言った?

……そんなつもりじゃなかったと、そう、言ったの?

 

『小梅を、死なせたくなかった。

無事かどうか、確認したかった。

……それだけ、だったのに……っ!』

 

あの子の声は、何故か震え始めていて。

感情が漏れ始めていて。その感情は悲哀のようで。

私が謝るはずなのに、許しを請うはずなのに。

そんな表情をするのは、私の方なはずなのに。

 

『でもっ! ……あたし、傷つけちゃった……!

一番、したくなかったのに!

傷跡は殆ど残らないって、少しでも残るなら意味が無い!』

 

あの子は、まるであの時の行いを。

私に傷を負わせたことを、後悔するように。

罪を懺悔するかのように、叫んだ。

 

『髪型も髪色も! ピアスも趣味も! 腕の傷も喋り方も目の隈も、ぜんぶ‼︎

全部あたしが捻じ曲げた‼︎ あたしが白坂小梅を殺した‼︎』

 

あの子は、慟哭を止めなかった。

それは彼女の、断末魔のように聞こえた。

あの日聞いた、耳にこびりつく最期の音を。

そのまま意味のある言語に置き換えたような、慟哭。

 

『殺したくなかったのに‼︎

生きててほしかったのに‼︎

幸せでいてほしかったのに‼︎』

 

それを聞きながら、どこか期待してしまう。

もし、幸子ちゃんが言うように。

私達に御都合主義が、残されているのなら。

 

『こんなのっ‼︎ 怖がられるに決まってる‼︎ 嫌われるに決まってる‼︎』

 

何もかもがうまくいくような。

苦しまずに済むような。

そんな理想が、存在するというのなら。

 

『……だから、せめてっ‼︎

──忘れていてほしかったのに!!!』

 

それはもしかして、こういうことなんじゃないか。

 

「……ねぇ。」

 

声が震える。涙が滲む。

それを確かめることが、どこまでも怖かった。

でも。もし、ダメだったら。

御都合主義なんて、やっぱり無くて。

あの子は私を憎んでいて。

私が死ななきゃいけないのなら。

 

 

 

 

 

「私、あなたのこと、だいすきだよ。」

 

 

 

 

 

私の憧れが、私を殺してくれるから。

 

 

 

 

 

「だって、助けてくれたよ。」

 

あの日、殺されかけた私を。

 

「だって、一緒にいてくれたよ。」

 

あの日から、いつだって私と。

 

「だって、だって……っ、」

 

あの日より前から、今まで、ずっと。

守っていて、くれたから。

 

「…………あなたの、名前、すら……、思い出せない、けどっ、」

 

必死に伝えようとして、言葉が喉につっかえて。

嗚咽だけが押し出されて、涙が後から溢れてく。

 

「あなたを……死なせ、ちゃった、けど……っ、」

 

でも。それでも。

 

「それでも……、わた、しっ……、あなたを、すきでも……いい、かな。」

 

それでも、言わなきゃ。

 

「あなたと……ともだちで、いいかな……。」

 

それでも、聞かなきゃ。

 

「……まだ、いきてても。……それでも、いいかなぁ……っ、」

 

それでも、伝えなきゃ。

 

なのに、涙は止まってくれなくて。

前が滲んで見えなくなって、喉が熱さに焼き切れて。

口が動いてくれなくなって、私は何も言えなくなって。

でも、言わなきゃいけないことは、きっと言えたと思うから。

 

どれだけ泣いていたんだろう。

冷たさは、そっと私の右頬に触れた。

それはあの子の、手のひらだった。

流れ続ける透明は、あの子の形をかたどった。

 

右頬に触れた冷たさは、あの時と同じ感触がした。

前髪の下を潜るように、瞼の上をそっと撫でていた。

ひんやりと心地良いそれに、私の手を重ねた。

たったこれだけのことに、随分と長くかかってしまった。

 

『……うん、いいよ。』

 

子供のように泣きじゃくるだけの私を、冷たさが包み込む。

それは、ただ、優しく私を抱きしめた。

それは、私を傷付けようとはしなかった。

最初から、傷付けようとなんて、していなかったんだ。

 

『いいに、決まってる。』

 

あの子の声も、私と同じだった。

あの子の身体も、私と同じだった。

私と同じように、震えていた。

 

『死んだりしたら、許さない。』

 

あの子も、私と同じだったんだ。

 

 

 

 

 

「『ごめんなさい。』」

 

同じ言葉を、あの子と紡ぐ。

 

「『あなたを助けられなくて。』」

 

同じことを思っていた。

 

「『あなたを傷付けて。』」

 

同じことを悔んでいた。

 

「『それでも、友達でいてくれますか。』」

 

同じことを願っていた。

 

「『笑顔でいてくれますか。』」

 

同じことを夢見ていた。

 

 

 

 

 

「『側に居てもいいですか。』」

 

 

 

 

 

同じことを、許してほしかった。

 

 

 

 

 

ふたつの笑顔がドアから覗く。

 

「『ただいま。』」

 

「はい、おかえりなさい。」

 

ふたりを見て、彼女は笑った。

 

 

 

 

 

Information : データが更新されました

 

 

[Tips] 「あの子」の未練

 

・小梅の右目に映ること

・小梅に名前で呼ばれること

 

 

[Mission Complete] 憧れを救ってください

 

 

〔Mission List〕

 

2人を縛るものは、もう何もありません。

 

 

 

 

 

information : 夜が明けました

information : 輿水幸子が夢から覚めました

information : 白坂小梅が夢から覚めました



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37.陽の光に目を覚ます

幸子、小梅、「あの子」、芳乃の4人は、校舎を出た後。

その足で交通事故現場へと向かった。

しかしそこには、幸子の母親の姿は無かった。

小梅と「あの子」が辺りを見渡しても、何処にも彼女が視えない。

芳乃の携帯だけが、電柱に立てかけるように置かれている。

幸子の背後に居るはずの父親も、忽然と姿を消していた。

動揺する3人とは対照的に、幸子はどこか納得したように空を見上げた。

 

芳乃が携帯を開くと、一件の未送信メールがあった。

それは幸子が幻覚に教えてもらうと言っていた、オムライスのレシピだった。

素知らぬフリをして、芳乃は袂に携帯を仕舞った。

予約送信。今日の昼過ぎ。

 

 

 

 

 

続いて、ショッピングモールのブティックへと向かった。

代金は勿論、礼を述べるために。

しかし、店長のプレートを付けていたのは、昨日の男とは違う人物だった。

嫌な予感を覚えながらも尋ねると、昨日の彼はいわゆる雇われ店長で。

しかも前々から(主に店の雰囲気にそぐわない外見のせいで)上に目をつけられており。

客に無償で商品を、ご丁寧にラッピングまでして、無断で渡したことをきっかけに。

とうとうクビになったとのことだった。

どうすれば彼に会えるか聞くと、近くの通りで屋台を出していると教えてくれた。

『いやどうして屋台だよ』と、「あの子」は小さく呟いた。

 

通りに出ると、確かに屋台が一件、ぽつんと立っていた。

口元に笑み、額に汗を浮かばせ、白い歯を輝かせながら、何かを鉄板で焼いている。

近寄ってみると、食欲を刺激する香りが漂ってきた。

 

「おう、幸子ちゃん! 昨日ぶりだな‼︎」

 

幸子が店の前に立つと、男はやはり快活に笑った。

 

「……あの、色々とツッコミが追いつかないんですけど。」

 

既に3つ用意されている、極長のソーセージを丸めて串に刺したもの。

暖簾に手書きで書かれている「ソーセージマルメターノ」。達筆。

男が着ている、ソーセージマルメターノらしきものがプリントされた白のTシャツ。

 

『ブラート‼︎ ヴルスト‼︎ シュネッケン‼︎‼︎』

 

「……必殺、技?」

 

全身全霊を込めて「あの子」がツッコむ。

自分の右側を見上げて、小梅が首を傾げた。

 

「丁度できたてだ! どうやら上手くいったみたいだし、それ祝いでタダ‼︎ 食っていってくれ‼︎」

 

そう言うと、男は有無を言わさず3人にソーセージマルメターノを手渡す。

一口齧ると、パキッ、という小気味良い音と共に、口の中でジューシーな肉汁が弾ける。

 

「……美味しい。」

 

幸子が思わずそう漏らすほど、文句無しの味だった。

芳乃に至っては言葉を忘れ、ハムスターのように何度も噛り付いている。

和服に肉汁が落ちては大変なので、「あの子」は手で受け皿を作った。

 

「そうだろう! また皆で来てくれよな‼︎

可愛いアイドルが美味しそうに食ってくれれば集客バッチリだ‼︎」

 

幸子達がソーセージマルメターノを味わっている間に、男は大量のソーセージマルメターノをプラスチック容器に詰めていた。

おみやげ、ということらしい。

またしても有無を言わさず手渡され、幸子達はその場を後にした。

その姿が見えなくなるまで、男はずっと手を振ってくれていた。

 

『……あたし達、あそこに何しに行ったんだっけ?』

 

彼の勢いに、全て持っていかれたような気がした。

 

 

 

 

 

「芳乃おかえりー……なにその大量の肉。」

 

事務所のドアをくぐった4人を、ソファに寝転んだままの少女が怠そうに出迎えた。

 

4人……「あの子」を抜いて3人にはちょっと多過ぎる量のソーセージマルメターノを受け取った幸子達。

どうしたものかと歩きながら考えていると、芳乃がひとつの提案をした。

この近くに自分の所属する事務所があり、そこには恐らく何人か人が居るので、そこで皆で食べないか、と。

断る理由も無く、4人は芳乃の属するプロダクションに。

超常現象プロダクションに足を踏み入れた。

 

「ただいま戻りましてー、お土産のそーせーじまるめたーのですー。」

「うん、ブラートヴルストシュネッケンね。確かにソーセージ丸めたのだけどもね。」

「ひっさつわざでごぜーますか!」

「正式名称ですね〜♪」

「お皿持ってくるねぇ☆」

 

一瞬で芳乃が事務所の輪に入ってしまい、幸子と小梅は取り残される。

すると、2人より14cmほど背の高い、黒髪の少女が声をかけてきた。

 

「あの……幸子さんと、小梅さん、ですよね。

番組では芳乃さんがお世話になりました。」

 

少女はぺこりとお辞儀をする。

同じようにお辞儀をしながら、幸子は少女の表情を見る。

人を安心させるような、落ち着いた優しい笑い方をする少女。

加えて、この礼儀正しい対応。

きっと自分よりずっと年上なんだろうと、幸子は直感した。

 

「私はほたると申します。

お茶をお出ししますので、お座りになってお待ちください。」

 

ほたるはそう言って、手でソファを指す。

促されるままに、幸子と小梅は、杏が寝転んでいるのとは反対側のソファに座った。

 

「おねーさんたち、芳乃おねーさんと一緒にテレビに入ってやがったですね!」

 

フードにウサギの耳があしらわれたパーカーを着た少女が、幸子の膝の上に座り、顔を覗き込んでくる。

テレビに入っていた……出演した番組を見た、ということだろうか。

 

「怖く……なかった……?」

 

小梅が心配げに尋ねる。

確かにこの幼い少女には、あれは刺激が強いように思えた。

14歳の幸子にとっても十二分に強かったのだが。

 

「…………ソンナコトネーデスヨ? ネーキラリオネーサン」

「ゼンゼンダイジョウブダッタヨネーニナチャン」

 

仁奈と呼ばれた少女は冷や汗を流しながら、きらりと呼ばれた少女と共に何度も頷く。

非常に疑わしい証言だが、真実はいかほどか。

 

「二度と深夜に見ないでよね……。」

 

あ、ダメだったんだな。

目の前の少女のウンザリとした顔が、雄弁に物語っていた。

 

 

 

 

 

時刻は正午を少し過ぎた頃。

幸子と小梅は、事務所の面々と徐々に打ち解け始めていた。

時間的に丁度いいからこれを昼食にしようか、などと話し合っていると。

ふと幸子の携帯から、メールの着信音が響いた。

膝の上の仁奈を撫でながら件名を確認すると、『レシピ : オムライス』とある。

差出人は──

 

「幸子おねーさん、オムライス作りやがるですか⁉︎」

 

──位置的に画面が見えた仁奈が、目をこれでもかというほど輝かせながら聞いてきた。

 

「え⁉︎ ……ええ、まあ、多分……?」

 

突然の発言に思考を中断されながら、たどたどしく答える。

 

「仁奈ー、作り置きのシチューがあるでしょー。」

 

作ってほしいなオーラを全開にする仁奈と、それを諭す杏。

芳乃だけが真意を把握できる。杏はただ、初対面の人間とあまり長い時間関わるのが面倒なだけだ。

 

「は〜い、お待たせぇ〜☆」

 

と、そこに、人数分のソーセージマルメターノが運ばれてくる。

きらりから皿を受け取ろうとした幸子の手は、しかし空中で静止した。

 

「……アナタ……。」

 

幸子はきらりの顔をまじまじと見つめる。

きらりは少し困惑しながら、しかしどうすればいいか分からずに幸子を見つめ返す。

ははあ。ふんふん。ほうほう。

ひとしきり鑑賞した末に、幸子は言い放った。

 

「カワイイですね!」

 

「ふぇっ」

「よーし仁奈ー今日の夕飯は幸子のオムライスだぞー」

「ほんとでごぜーますか⁉︎ やったー!」

「ちょっとそなたちょろすぎましてちょっと」

「じゃあ買い出しに出かけましょうか♪」

「いいんでしょうかそんな急に……」

「いいと、思う……ついでに、泊めてくれると……」

 

幸子の言葉をきっかけにして、あれよあれよと話が進んでいく。

わいわい、がやがや。

喧騒の輪の中に居る小梅から目を離し、「あの子」は窓の外を見る。

 

『……夏、か。』

 

一言にしてしまうには、あまりに惜しい情景を。

目を細めて噛み締める。

6年ぶりの時の流れを、しっかりと心に刻む。

 

「ね、買い出し……いこ……?」

 

景色を眺めているうちに、昼食の時間が終わっていたらしい。

小梅の声に振り向くと、皆がこちらを向いていた。

双葉杏。

諸星きらり。

市原仁奈。

白菊ほたる。

鷹富士茄子。

依田芳乃。

6人より一歩前に出た、輿水幸子と白坂小梅。

 

『……ん。』

 

あの子は小梅の元へと歩き、その右側へと収まる。

小梅の瞳は、髪に隠れて見えなかった。

しかし。彼女の口元を見て。

ああ、ここの視点も悪くない。そう思えた。

 

「じゃあ、いきましょうか。」

 

青い空。白い雲。遠くに聞こえる笑い声。

蝉時雨が鳴り響き、からんと氷がグラスを叩く。

梅雨は背後を過ぎ去って、月は頭上を過ぎ去って。

陽の光の明るさが、目覚めた世界を照らしていた。

 

 

 

 

 

夏が、始まる。




ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
「輿水幸子の同一性」、これにて完結とさせていただきます。

小梅の見た目や幸子の言動の理由を考えて書いてみました。

「32.故に藻搔き手を伸ばす」と「34.何も無くてもいいですか」には、文字を透明にしている箇所があります。
反転すると読めるようになるので、探してみていただけると嬉しいです。

お付き合いいただき、本当にありがとうございました。
ご縁がありましたら、またどこかで。


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