真・恋姫†無双 ~真・王平伝~ (若輩侍)
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第一話

どうも、作者の若輩侍です。
はじめましての方もそうでない方も、こんにちは。

今作は、にじファン様にて掲載していた「真・恋姫†無双~王平伝~」を大幅改修し、リメイクしたものです。設定やストーリーなどに大幅な修正が掛かっていますので、実質リメイク前の作品とは別作品とお考えください。

上記を踏まえ、私こと若輩侍のハーメルン様での再出発の作品となります。拙い所もあるとは思いますが、読者の皆様に楽しんで頂ける作品であれば幸いです。

それでは、どうぞ。

※12/2 一部文章を改定


満天に広がる蒼穹の下、どこまでも続く漢の大地に荒々しい剣戟の音が響き渡る。

 

剣戟の音に混じるのは悲鳴や罵声。加えて肉がぶつかりあい、あるいは断ち切られる嫌な音。常人が目にすれば吐き気を催すに違いない阿鼻叫喚の風景が、確かにそこには広がっている。

 

なぜこの様な凄惨な場面が繰り広げられているのか。それはこの時代、子供ですら容易に把握できることだろう。

 

そう、今まさに……この場は戦場と化しているのだ。

 

相対し合っているのは、規模の違う二つの軍勢。規模が大きな軍勢は、お世辞にもまともとは言えない見るからに貧相な武装を纏い、陣形も何もなくなだれ込むようにして突撃を繰り返している。そんな彼らの特徴と言えば、武器を持つ皆が皆、体のどこかに黄色い布を身につけている事だろう。

 

片や規模の小さい軍勢は、黄巾を纏った軍勢とは違い、一目見て調練の行き届いていると思わせるほどに整然とした動きをしている。纏う装備は派手さはなくとも、しっかりと生身を保護している質実剛健な作りであり、明らかにこちらの軍勢の方が装備を整えているのは、誰からしても一目瞭然であった。そして極め付けは、軍勢の掲げる旗に揺れる〝王〟の一文字。

 

些細な規模の違いなど物ともせず、烏合の衆となって襲い掛かる黄巾の軍勢を、王の旗を掲げた軍勢は着実に包囲殲滅していく。そしてその先頭には立つのは、槍を振り回し次々に黄巾を屠っていく一人の男。

 

「おらおらぁ! 少しは骨のあるやつはいねぇのかー!」

 

男が叫び、槍を一振りするたびに、また一つの命が消える。既に返り血で赤く染まった鎧姿は、一種の修羅か羅刹の姿を思い起こさせる。そんな男を前にして怯えた黄巾たちは、既に統率も何もあったものではなく、唯一の戦意さえ挫かれた彼らはもはや閉じられた死の包囲網の中で逃げ惑うばかりの、文字通り烏合の集と化していた。

 

「ふん、数が多いだけの烏合共が……。これ以上は時間の無駄だ。皆、一気に片を付けるぞ! 気合入れろぉ!」

 

「「「応っ!!」」」

 

男の声に共鳴した数百の兵たちが、一斉に逃げ惑う黄巾たちに襲い掛かる。槍で貫かれ、剣で叩き斬られ、戦場に無数の断末魔の悲鳴が木霊する。黄巾の命が消えていくのとと共に徐々に収束していく死の輪。そしていつしか悲鳴が途切れ、蒼かった空が赤く染まる頃。大地の上には空の様な鮮やかな茜色ではなく、怨嗟に塗れた赤の色が黄巾たちの亡骸共に広がっていたのだった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

兗州(えんしゅう)南部、陳留(ちんりゅう)郡。曹操が刺史として統治するそこより北に数百里ほどの場所を、数百の兵士と荷駄隊によって編成された軍勢が行軍していた。荷駄隊を中軍に配置し、それを守るようにして前曲と後曲に鎧を纏った重歩兵たちが配置されている。そして彼らが一様に掲げている深緑の軍旗には、王の一文字が揺れている。

 

そう、先の戦にて黄巾の軍勢を完膚なきまでに撃滅した、王旗の軍勢である。足並みを崩さず行軍する軍勢の先頭には、やはりと言うべきか、かの男の姿もある。

 

が、その姿は戦場の時に垣間見せた修羅羅刹の姿とは程遠く、器用にも馬上の上で仰向けになってくつろいでいる。その姿を見て、すぐ傍を並走する兵士が絶え間なくため息をついていた。

 

「おーい、副長。今日で何日になるっけか?」

 

そんな事はいざ知らず、くつろぎながら欠伸混じりに男は隣りを並走する兵士に顔も向けずに問う。副長と呼ばれたその兵士は、もう一度ため息を吐きながら兜を脱ぐ。すると兜の下で髪止めが解けたのか肩ほどまでの長さの黒髪が風に吹かれてふわりと広がった。

 

「何日ではなく、何週と言ったほうが正しいですよ、王平将軍。それから何度も申し上げますように、その呼び方はやめてください。私の名前は――」

「あーはいはい、分かってるさ楊鳳(ようほう)

 

なげやりな返答をする男こと王平に、内心でさらにため息を吐く黒髪の女性こと楊鳳。荷駄隊を含んでも千には満たない軍勢の先頭に立つこの二人こそ、実はこの軍勢の大将と副将である。勿論、大将が王平であり、その補佐として楊鳳が副将の位置についている。そして陳留の県令である曹操に仕える王平は、曹操の命を受け領内各地の不穏分子の鎮圧のための軍旅の最中であった。

 

こうして説明するだけならば簡単だが、実際はそうはいかない。いくら一郡の領内とは言え、その広さはとても気軽に巡る事の出来るような広さではない。そんな長い道中を、小規模相手とは言え戦をしながら進むのである。そこから生じる疲労は決して少なくはない。しかもここ最近は、黄色い布を身に付けた連中が各地で暴動を起こしているために、長距離の移動と戦続きで休む暇さえないのだ。厳しく調練された正規兵とは言えもとは人間。限界はある。

 

そして王平が言うように、今回の遠征は些か以上に長引いていた。いつもは長くとも一週間もあれば済む鎮圧作業が、今回ばかりは領内に同時多発した暴動の鎮圧に連れまわされ、気がつけば数週間もの時間が過ぎていたのだ。今の姿はどう見てもぐうたら男の王平だが、彼は見た目のように馬鹿ではない。確実にこの大陸に異変が起き始めていることを、たたき上げ軍人の王平は長年戦場で培ってきた戦人としての感覚を通して、感じ取っていた。

 

「にしても副長、流石にこれだけ長く水浴びしてないと、何というか……臭うな」

「い、言うに事欠いてそういう事を言いますかっ!? と言うか、また副長って呼んでますし……」

 

ちなみに楊鳳の広がった髪から漂ってきた汗の臭いも、同じように敏感に感じ取っていた。王平の指摘に真っ赤になって兜を被り直す楊鳳。いらんところでたたき上げ軍人としての能力を発揮している王平である。

 

「全く、(ひじり)様は意地悪です」

「ははっ、悪い。ここ最近戦続きで、つい意地が悪くなっちまった。すまん、静音(しずね)

 

兜を深く被り俯く楊鳳に、苦笑しながら王平が言う。この二人、立場は上官と部下の関係ではあるが、二人の繋がりは真名を交換するほどに強かったりする。

 

「まあ、かく言う俺も相当に臭いからなぁ。ったく、同じような馬鹿が続出するせいで、おちおち拠点にも寄れやしない」

「そうですね。出来ても兵糧の補充と小休止だけ。水浴びをする暇なんて、ありませんでしたから。まあ、私はその辺りは慣れていますから、問題はありませんよ」

「そうか。だが、今のお前は俺の部下だ。最低限、身嗜みには気を配れ」

「はい、分かっています」

 

少しきつめの王平の言葉に、楊鳳はコクリと頷く。実は彼女、王平の部下となる少し前は先ほどの黄巾たちと同じく暴徒の一人であった。実際には暴政を敷く悪徳太守に反発してのことだったのだが、どんな理由にしろ県令の統治下での武装蜂起による暴動は許されることではない。結果、太守を追い出すことに成功はしたものの、続いて隣国から鎮圧にやってきた曹操軍と一戦交えた末に敗れ、捕虜となったところを当時部隊を率いていた王平に見出されて今の立場にいるのである。もしこのことがなければ、自分も黄巾の一味として、戦場に立っていたかもしれないと楊鳳は思う。無論、今はこうして王平の元に仕えているため、再び暴徒に身を落とそうなどとは思ってはいないが。

 

「例の黄巾共、純粋に暴政に反発しての者たちもいるようですが。それに便乗して今回の様な悪質な輩までもが群れを成すようになったことは少し困りものですね」

「ああ。山向こうなんかはともかく、このあたりは華琳様が統治している領地だ。ほぼ九割方が流れに便乗した賊共だろうさ」

 

華琳、と言うのは先にも上がった曹操の真名である。そして曹操の領内の統治は領民たちにすこぶる評判がいい。と言うのも、曹操の政治は良くも悪くも公正なのだ。善には褒美を、悪には罰を。これを徹底して行っている。ゆえに町の犯罪率も他国に比べて少なく、曹操自身が優秀なために財政や軍務も安定している。それに比例するかのように、保持している軍隊もかなり優秀と言える。そんな国の宝ともいえる精鋭たちの一部を任され、領内の鎮圧を一手に任されるだけあって、曹操の王平に対する信頼は高い。曹操が何度も王平を遠征に派遣するのも、この高い信頼ゆえだろう。まあ、もしかしたらそれ以外の理由もあるのかもしれないが。例えばほら、王平が男で多少の不衛生には耐性があるからとか。

 

「陳留以外の各地でも最近多いと聞くが、今はどうなってるんだろうな。大事になっていなけれりゃいいんだが……」

「情報を得たくても、今の私たちには不可能です。近くの城に寄る事が出来れば、何かわかるかもしれません」

「だがなあ、もう日も暮れそうなこの時間だし、何より戦続きで兵たちの疲労が激しい。無理な行軍はさせたくないな」

 

首を最大限に後ろにそらして、王平が後ろに続く兵たちの方へと視線を向ける。整然と行軍する彼らにも、やはりその顔には深い疲労の色が見て取れる。第一、今の行軍速度からしていつもの半分程度に抑えている。それでもこの状態という事は、やはりそういうことなのだろう。

 

「今日はこのあたりで野営するか」

「見渡す限りの平原ですから、奇襲を受ける心配もないでしょう」

「だな。よし、そうと決まれば飯の用意だ。荷駄隊に連絡して野営の設営を頼んでおけ。こういう時こそ、あいつらの出番なんだからな」

「了解です」

 

頷き、楊鳳が馬を中軍の方へと転身させる。楊鳳を見送った後、寝転がっていた王平はこれまた器用に馬の上に立ち上がると、息を大きく吸い込み、全軍に聞こえるように大声で叫んだ。

 

「飯だぁぁぁ、休憩ーーー!!」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

兗州(えんしゅう)南部、陳留。曹操軍の本拠である本城の王座の間には、既に複数の人が集まっている。そのうちの一人、王座に腰掛け、はぁと憂鬱そうにため息を吐いているのは、金髪を頭の左右両側で螺旋状に纏めている少女。彼女こそ、陳留の刺史こと曹孟徳。ため息の理由は、ここ最近急増している暴動に関してのことだ。

 

「最近、また件の暴動の数が増えた様ね」

「はい。主だった邑には既に警戒の強化をするよう伝えてあります」

 

曹操の問いに答えるのは、青い装束を身に纏う女性。

――夏候淵。曹操の側近の一人である。

 

「そう……」

 

夏候淵の言葉に曹操がまた一つため息を吐く。しかしそれも仕方がないと言えるだろう。何の前触れもなく突如として発生し始めた黄巾を纏う者たちの暴動は、瞬く間にその規模を拡大させ、大陸各地にへと伝播していった。その影響は、遺憾ながらここ陳留にまで及んでいる。未だに小さな領土ではあるものの、それでも持てる力を尽くし、治安の安定と町の活性化を進めてきた曹操にしてみれば、厄介な事この上ない事態である。

 

そしてつい先日、各地の暴動の鎮圧のため漢王朝がとうとう国軍の出兵を決めたのであるが……これがさらに暴動を激化させる要因になってしまった。と言うのも、王朝内の宦官たちの腐敗化の影響を受けてか、今日まで蔑にされ続けてきた国軍にはかつての力はもはや存在せず、練度の低い半ば形骸化した軍勢では装備は貧相なれど限りなく士気の高い暴徒たちの暴動を抑え切る事が出来なかったのだ。結果、数と勢いに押された国軍は無様にも暴徒たち相手に敗走。これが漢王朝の権威の失墜に繋がってしまった。

 

こうなればもう、暴徒たちが国の権威を恐れ尻込みすることなどありはしない。さらに勢いづいた暴徒たちは、自らの欲望を満たすために想いを同じくする同士たちと徒党を組み、そしてその徒党がさらに集まり、一つの軍隊を結成する。ある者は長年虐げられてきた恨みを晴らすため、あるものは自分が欲しいと思ったものを手に入れるため。

 

欲望の方向性に違いはあれど、行使する手段は同じ。中には心から暴政を憎み義によって立った者たちもいるが、そんなものは全体の数割にも満たなかった。

 

結果、大陸に訪れるのは混乱である。そしてその波紋は、先ほども言ったように、ここ陳留にまで届いている。しかしそれを黙ってみている曹操ではない。既に各地の邑の軍備増強を進めて警戒の強化を図り、発生した暴徒の鎮圧には選りすぐりの精鋭によって編成された鎮圧部隊を送り込んでいる。部隊を任せた将は些か癖はあるものの、実力に関しては曹操は大いに認めている者だ。実際、これまでに発生した多くの暴動もその将が鎮圧に出向く事が多かった。

 

その将の名は王平。曹操軍きってのたたき上げ軍人であり、曹操軍で唯一、男で軍部の重臣の位についている者である。

 

「秋蘭、聖からの報告は?」

「一週間ほど前に届いた報告以来は……」

「聖にしては珍しいわね。報告に手が回らないほどなのかしら」

「恐らく、鎮圧先で新たに確認した暴動を鎮めて回っているのでしょう。アレで聖は、仕事に関しては真面目ですから」

 

夏候淵の微妙な褒め言葉に曹操が苦笑を浮かべる。公の場では確かに真面目な王平であるが、その実、私ごとでは軽はずみな行動をとる事も多い。ゆえに曹操としては、いつでも真面目な王平でいてほしいがために、王平に長期間の任務を任せることが多かったりもする。勿論、その実力を認めたうえでの事だが。

 

「だとしても、たかが賊の鎮圧に時間を掛け過ぎではないか?」

 

夏候淵の言葉にそう不満をあげるのは、夏候淵とは対照的に赤い装束を身に纏う女性。夏候淵の姉、夏候惇である。

 

「討伐にそう時間は掛からずとも、移動に掛かる時間が長いからな。仕方がないだろうさ」

「まあ、それはそうなのだが……」

「春蘭、聖はよくやってくれているわ。短期間で遠征に次ぐ遠征をこなす事の出来る将は、大陸を捜してもそういないでしょう」

「わ、私とて、遠征くらいはこなして見せます!」

 

王平を褒める曹操の言葉に、夏候惇が過剰に反応する。そんな夏候惇の姿に夏候淵はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「汗と土にまみれながらも、酷い時は数週間も風呂に入れないのだぞ。我慢できるのか、姉者?」

「そ、それは……かなり嫌かも」

 

事態を想像した夏候惇が、心底嫌そうな顔をして身震いする。年頃の女性からしてみれば、想像するだけでもかなり衝撃的な事らしい。

 

「それを引き受ける聖がいるからこそ、我らもこうして国事に集中できるというわけだ」

「そういう事よ。でもまあ、色々と面倒事も増えてきた事だし、そろそろ呼び戻しても良い頃でしょう。紹介しなければならない子もいることだしね」

 

そう言って曹操は、緊張した面持ちで立っている、陽光に反射してキラキラと輝く白い装束を身に纏った青年に目を向ける。青年は王平が遠征に出ている最中に、新たに曹操軍に加わった人物であった。

 

「秋蘭、聖に帰還を促す伝令を出しなさい。今の時期なら聖の隊は北部のどこかにいるでしょう」

「分かりました。ですが念のため、東と西にも数人伝令を放っておきます」

「好きになさい」

「御意」

 

その翌日、夏候淵によって各方面にそれぞれ数人の伝令が放たれる。しかし陳留最北部付近で行軍していた王平に帰還命令が伝わるのは、伝令が放たれたさらに一週間後の事であった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「遅かったわね。とりあえず遠征ご苦労様。ただ……大分臭うわよ」

 

定時よりも少し遅れて王座の間に参上した王平を待っていたのは、王座の傍に控える夏候姉妹としかめ顔をした曹操であった。曹操の正直な言葉に苦笑しながら王平は王座の方へと近づく。どうやら遅刻に関してのお咎めは無いらしい。まあ、これで陳留の最北部からほとんど休みもなしに超特急で戻ってきたのだ。伝令が来るまでに一週間、そして王平が本城に帰還するまでにさらに一週間半。計二週間半。普通に考えれば、どう見ても不可能な事である。身軽な伝令兵一人ならともかく、王平たち鎮圧部隊は皆武装を纏った兵士たちなのだ。おまけに兵糧を運ぶための荷駄隊もいるとなれば、行軍速度が伝令兵より速いはずがない。

 

そこを、無理を通して行軍することでこの時間である。おかげで城に着くなり鎮圧部隊の半数は過労でぶっ倒れる始末。王平自身も、荷駄隊の速度を上げるために乗馬を荷引きに回していたため、倒れはしなくとも疲労困憊そのもの、身なりも整える暇など無かったのである。それでも文句を言わないのは、曹操自身も多少の無理無茶をしながら国を治めている事を王平が知っているからだ。決して人材の多くない曹操軍が地方とは言え一つの国を治められているのは、ひとえに曹操自身の頑張りが大きい。その分、今回王平がした様な体に負担の掛かるくらいの無茶を事あるごとに曹操もしているのである。仕える主君が身を削る事があると言うのに、臣下の自分が不満を上げるなどと情けない事を王平はする心算は無い。

 

「王子均、只今遠征より戻りました。長い遠征から帰還した直後ですゆえ、その辺りはご勘弁を」

「そうだったわね。悪かったわ」

 

臣下の礼を取り曹操の前に跪く王平に、曹操はこめかみを押さえながら言う。どうやら持病の頭痛が再発しているらしかった。

 

「それで、俺を呼び戻した理由ですが……」

「それに関しては、私から説明しよう」

 

そう言って一歩進み出た夏候淵に王平は向き直る。

 

「先日、山向こうの太守が暴動により領地を捨てて逃亡したのは聞いているか?」

「いや、知らんな。だが、俺たちの領土は山を隔てたこちら側のみ。向こう側の事には手は出せないはずだ」

「本来ならそうなのだがな。だがお主が帰ってくるつい先日、朝廷より暴動鎮圧の命が下った。逃亡した太守に代わり暴動を鎮圧せよ、だそうだ」

「ったく、他人様の尻拭いを俺たちにしろってか?」

 

王平があからさまに呆れた表情を浮かべる。数が多いとはいえ、所詮は烏合の衆。あの程度の暴動に逃げ出す太守の顔をぜひ見てみたいものだと思った。

 

「だが、俺がいなくてもそれくらいの事は出来るだろ。わざわざ時間を掛けてまで呼び戻す必要はあったのか?」

「今までと規模が段違いなのよ」

 

とりあえず頭痛が治まったのか、静かな声で曹操が言う。

 

「そうなのか、秋蘭?」

「ああ。報告に聞く限り、三千は下らないそうだ」

「三千か。そりゃ確かに多いな」

 

今まで王平が戦ってきた中でも、千を越える軍勢はそうはいなかった。最も多かった時で、良くて千五百と言ったところだっただろう。その時は流石の王平も苦戦したが、兵たちの奮戦もあってどうにか鎮圧することはできた。しかし、その数のさらに二倍ともなれば、苦戦するだけでは済まないだろう。なるほど、曹操が頭痛を訴えるのも無理はない。

 

「今のままでも負けはしないだろうけど、被害は出来る限り少ない方が良いわ。そのためには、より多くの戦力をもって戦に臨むべきでしょう?」

「それで俺を呼び戻したと」

「そうよ。貴方に任せている兵たちは幸い戦慣れした精兵ばかり。呼び戻さないはずがないでしょう」

 

確かにそうだ、と王平は思った。もともとある程度の精鋭をかき集めて編成した部隊であったが、今の王平隊は曹操軍の中でも一位二位を争うほどに強い。度重なる遠征によって鍛えられた事もそうだが、何より戦の経験が豊富なのである。無論、部隊長の王平も含めてだ。そこに曹操軍の本隊が加われば、これはもう大陸でも屈指の強さを誇る軍隊となる事だろう。

 

「ですが華琳様。俺たちの力を当てにしてくれるのは嬉しい事ですが、遠征の疲れの抜けていない今、休息の間もなく出陣させるのは……」

「分かっているわ。出陣は今日から四日後。それまでに休息と準備を済ませるよう、兵たちに伝えておきなさい」

「はぁ~……俺はともかく、兵たちはしっかりと労ってやってくださいよ?」

「当然でしょう。後で私のところに部隊の名簿を持参なさい。働きに準じた褒美を用意するわ」

「御意に。……とまあそれはさておき、徐晃のヤツが見当たらないんだが?」

 

曹操の言葉に頷いた王平が、ふと辺りを見回して首を傾げる。次いで遅ればせながらも、この場に自分の見慣れない男がいる事に気付く。王平はそれにと呟くと、おもむろにその白い服の青年を指さした。

 

「このもやし、誰?」

「もやっ!?」

 

まさかのもやし宣言に、青年が口をあんぐりとあけて絶句する。青年の向かいにいた夏候惇はしきりにうむうむと頷き、青年の隣りにいた夏候淵は青年をいたわる様に、しかし頬を若干ヒクヒクとさせながら肩にポンと手を載せる。曹操に至っては、隠す必要すらないのか王座の上で腹を抱えて爆笑していた。

 

「も、もやしって、もや……ぷっ、くあははははっ!!」

「確かに聖と比べたら、北郷はもやしだな」

「まあ、なんだ。くくっ、そう気を落とすなよ北郷。くくっ」

「ぶっちゃけ、華琳や春蘭よりも秋蘭の反応の方が傷つくんですけど……」

 

がっくりと肩を落とす青年に対し、王平はほぅと感心した様な声を上げた。

 

「華琳様たちから真名を許されているのか。と言う事は、見た目に反して実は結構な猛者なのか?」

 

未だに腑に落ちない様子の王平。すると何を思ったのか、王平は北郷と呼ばれた青年に向け腰の剣を引きぬき構える。

 

「えっ、なっ、ちょ」

「その鬱陶しく光る装束は敵の目を眩ますための物のようだが、生憎と俺には効かん。いざ、尋常に勝負」

 

そう言って体の重心を落とす王平。それを見て青年こと北郷一刀は直感で感じる。この男、マジで殺る気だと。冗談でもなんでもない、ガチの本気なのだと。王平の言葉に、これは服の材質であるポリエステルが勝手に光を反射しているだけだと反論したい所ではあるが、王平から発せられる威圧感に押され、一刀は口を開くことすらままならない。それほどまでに濃密な殺気であった。

 

それを理解するのと同時に、一刀は口だけでなく否応なしに体全身が恐怖によって硬直する。せめてもの反抗にとどうにか体が震える事だけは抑えているものの、その額には汗がびっしりと浮かび、顔色も真っ青になっていた。

 

「……」

「……」

 

男が二人、王座の間にて無言で向かい合う。しばらくして、王平は固く結ばれた口にふっと笑みを浮かべると、構えを解いて剣を元の鞘へと収めた。

 

「なるほど、確かに華琳様が真名を許すだけの事はある」

「へっ?」

「あら、そう見える?」

 

間抜けな声を出す一刀。王平の言葉に曹操は面白そうな表情を浮かべている。

 

「はい。確かに我らのような武を持ち合わせているわけではないのでしょう。だが……」

 

そこで一度区切り、再度一刀に目を向けた王平は、今度こそハッキリとした笑みをニヤリと浮かべた。

 

「なかなかどうして、男として肝が据わっている」

 

未だ顔色の悪い一刀にそれだけ言うと、王平は曹操に向き直り話を元に戻す。一人取り残された風の一刀は、どもりながらもどうもと小さくお礼を呟いた。

 

「さて、と。とりあえず、徐晃への挨拶は後にするとしてだ。華琳様、今日は絶対に風呂に湯を張ってくださるよう」

「そうね。私も今の貴方と接するのは、正直遠慮したいところだもの」

 

そう言われる王平の姿は、確かに綺麗とは言い難い。とりあえずは後ろで一つに纏めているものの、髪はぼうぼうの伸び放題。髭も不揃いに伸びまくり、顔は砂埃で薄汚れている。城に着いてすぐ王座の間に駆け込んだため、服装も血錆と砂埃に塗れた鎧姿のまま。鎧を纏っていなければ、どこぞの浮浪者とでも見られそうな有様だ。今まで我慢していたものの、臭ってくる汗の臭いだって凄まじい。長期の遠征から帰った直後と言う理由がなければ、即座に曹操は王平を汚物と罵りその首を刎ねていた事だろう。

 

「んじゃま、風呂の用意が出来たら使いを寄越してください。それまでに、俺は伸びまくった髪と髭の手入れを済ませておきますんで」

「はいはい。せいぜい見られる様な姿にしておくことね」

 

曹操の皮肉に苦笑を浮かべると、王平は足早に王座の間から退出したのだった。




という訳で、リメイク版第一話の終了でございます。
【王平伝】改め【真・王平伝】として復活いたしました今作ですが……まあ、リメイク前とはかけ離れていますね。主人公の王平からして、キャラと立場が変わってます。

改修前と違い、今作ではより史実をもとにしたキャラとなっています。そしてそんな王平が恋姫世界にいたら、というスタンスで今後の物語を進めて行くつもりです。

改修前とはほぼ別作品と言っても過言ではありませんが、どうぞ今後ともよろしくお願いします。


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第二話

しょっぱなから飛ばしていきます。
恋姫だし、これくらいは許される……かな?

では、どうぞ。


王平は絶句していた。何にかって? そりゃあ、目の前に広がる光景にである。

 

「どうしたんですか聖様。そんなあり得ないものを見たかのような顔をされて」

 

キョトンとした様子で、楊鳳こと静音が湯船の中で首を傾げているのである。ここで少し話は遡る。

 

曹操に風呂の用意を頼んだ王平は、風呂の用意が整うまでに伸びきった髪と髭をサッパリとさせるために王座の間から自室へと直帰した。そして鋏と髭剃りを用意すると銅鏡の前に座り、慣れた手つきで最初に伸びていた髭を剃り、それからぼうぼうになっていた髪の毛を短めの長さに整える。ここまでは何時もと同じだった。髪はともかく、男であれば髭は数日放置しておけばすぐに伸びてしまうものなので、遠征から帰る頃にはいつも伸び放題の状態。王平はそれを何時も自分で処理しているので、今ではすっかり髭を剃る事に慣れてしまった。流石に髭と髪を同時に整えるのは、非常に稀なことであるが。

 

今回は散髪も同時に行ったのでそれなりに身だしなみを整えるのに時間を掛けてしまった王平。しかしそれが功を奏したか、王平が髭と頭髪を整え終わるのとほぼ同時に風呂の用意が完了した事を侍女の一人が伝えに来てくれたのだ。砂埃に加え、切った髪塗れにもなっていた王平にとって、まさに渡りに船である。

 

そうして機嫌良く鼻歌などを歌いながら浴場に向かった王平。脱衣所に着くなり服を脱いで全裸になり、心行くまでまで入浴を楽しもうと遠慮なく浴場への戸を開ける。無論、人がいるはずもないので腰に手拭いを巻くと言った配慮は一切していない。文字通り、完全無欠の全裸である。手拭いを放り込んだ木桶を脇に、先に掛け湯をしようと湯船に近づいた、その時ようやく……王平は先客がいる事に気付いたのだった。

 

そして目の前に広がるあり得ない光景。王平の今の心情はと言えば、

 

あ、ありのまま今起こった事を話すぜ。

俺が掛け湯をしようと湯船に近づいたら、まさか湯船の中に先客がいた。

しかもそいつは俺の良く知る人物で、向こうも俺をよく知る人物だった。

ちなみに俺は男で相手は女、そしてここは全裸が基本の浴場だった。

な、何を言ってるのか分かるとは思うが、出来れば現状を理解したくは無かった……理性がどうにかなりそうだ。

八百一だとか房中術だとか、そんなチャチなもんじゃあ、断じてねえ。

もっと素晴らしいものの片鱗を味わっているぜ……。

 

男、王平。絶賛目の前の桃源郷に理性を侵食され中であった。

 

「聖様?」

「はっ!?」

 

楊鳳の声に、王平は忘れかけていた我を取り戻す。もう少しで内なる狼が理性の檻を食い破って出て来そうになっていたが、そこはやはりたたき上げの軍人。理性と欲望の操作はお手の物である。

 

……相手が相手だけに、少々危なかった気もするが。

 

というのも楊鳳……ぶっちゃけ、曹操軍の中でもかなりの美人なのである。長く荒事の中に身を置いていた所為か、女にしてはその眼光は鋭く肌なども決して綺麗とは言えない。目立つほどではないものの、肌には消えない傷痕も多くある。それでも生気に満ち溢れたその顔はなお凛々しく、そしてその凛々しさが元より整った顔立ちをより美しく映えさせているのだ。そして軍旅にあった時は汗と埃塗れになっていた黒髪も、今は本来の艶やかさを取り戻し、洗い立てなのかぽたりぽたりと水を滴らせている。

 

これだけでも男が惹かれるのには十分だと言うのに、それに加えて今は全裸。そう、一糸纏わぬ全裸。際立って大きくはないが整った綺麗な形の乳房も、さらにはその下までもが丸見えの光景。男からしてみれば、まさしく最終兵器並の威力を誇る光景である。

 

「お、おま! どうしてここにいるんだ、静音!?」

 

予想外という言葉すら生易しい光景に流石の王平も混乱し、思わず大声で叫ぶ。急いで桶から手拭いを取り出し腰に巻くも、その視線は楊鳳の体に釘づけになっている。悲しいかな、やはり王平も武人である前に男であった。

 

「何故と言われても、私も遠征で酷く汚れましたし、風呂に入るのは当然だと思うのですが……」

「た、確かに正論だ……だが――」

「ああ。もしかして裸を見た事を気にしているのですか? それなら安心してください。別に気にしてませんから」

「それはそれで問題な気もするんだが……」

 

羞恥心を全く感じていない楊鳳に、王平は困ったようで呆れたような微妙な表情を浮かべる。加えて、あまりに楊鳳が平然としているため、焦りに焦りまくっていた王平も何時の間にか平静さを取り戻していた。

 

「なんか、俺だけが焦りまくってるのが馬鹿馬鹿しく思えてきた」

「そうですか。でも正直、私は焦ってくれて嬉しいとも思いました。一応、私も女ですから」

「お前なぁ……ったく、どうしてそんな強かな女になっちまったんだか」

 

はぁ~っと長いため息を吐き、面食らって動けなくなっていた王平が桶で体を流し始める。続いて汚れていた髪をシャカシャカと洗い流し、それを数度繰り返すと、王平も湯船の中へと足を入れる。ゆっくりと腰までつかり、岩でできた湯船の壁に背中を預けると、肺に溜まっていた空気を一気に虚空へと吐き出した。

 

「ふぃ~。あー、良い湯だ」

「ですね。冷えてはいませんけど、体が温まります」

 

王平と楊鳳が二人並んで、湯船の中で盛大にくつろぐ。勿論、王平が風呂場に突入した時と同じ、二人とも未だに全裸である。湯船に手拭いを入れるのは無作法であるからだ。律儀な王平と楊鳳である。

 

「にしても、アレだ。お前、本当に恥ずかしくないのか?」

「はい。別にみられて減る物でもないですし。それに、聖様だからこそ平気なのです」

「俺だから?」

「はい。この楊鳳、王平将軍に見出されて以来、この身が朽ちるまで全てを王平将軍に捧げると誓いましたから」

 

横から向けられる真っ直ぐな視線に、王平の頬が赤く染まる。無論、のぼせたのではなく照れているだけなのだが、それを素直に言い表す王平ではない。

 

「小娘が、なぁに生意気なこと言ってんだ。そういうのはもう少し大きくなってから言えっての」

「ちょ、私は今年で十九です! もう子供じゃな、って髪が絡まりますから!」

 

照れ隠しのつもりで、楊鳳の頭に手を置きぐしゃぐしゃと髪を乱暴に撫でる王平。ちなみに王平の年齢は二十五である。

 

「十九はまだまだ子供だっ!」

「だったら聖様はおじさんです、おじさん!」

「あっ! それを言ったなお前!」

「わぁー! 髪を勝手に結ばないでください~!!」

 

もはや完全に兄妹同士のじゃれ合いである。王平と楊鳳自身も感覚としてはその様なものだと意識している。が、しかし傍から見れば、この状況は若い男女が風呂場でじゃれ合っているようにしか見えないのが、世の真理であった。

 

「……」

「全く、これでも自慢の黒髪なんですよ?」

「今度団子結びでもしてみるか」

「絶対に嫌です!」

 

さらなる来客に気付かず、王平と楊鳳のじゃれ合いは続く。しかしそれは、

 

カラン……

 

動揺した来客が音を立ててしまった事で唐突に終わりを告げた。

 

「「誰だっ!!」」

「うわぁぁ!?」

 

突然湯船から飛び出した二人が、音を立てた犯人に迫り瞬く間に床に押さえつける。情けない声と共に無効化される犯人。しかしすぐに、その顔に見覚えのあった王平がため息と共に押さえつけていた腕から力を抜いた。

 

「なんだ。誰かと思えば、もやしじゃないか」

「……誰ですか?」

 

王平が力を抜くのと同時に、楊鳳も腕にきめていた関節技を解く。ちなみに楊鳳は、何時の間に巻いたのか手拭いを胸と腰に巻き、最低限体を隠していたりする。

 

「ウチに最近入ったばかりの新顔だ。確か名前は……」

「名前は?」

「……」

「……」

 

二人の間に沈黙が流れる。それに耐えきれなくなったのか、王平が苦笑しながら沈黙を破った。

 

「すまん、まだ聞いてなかった」

「そんな事だろうと思いました」

 

王平の言葉に楊鳳がはぁとため息をつく。そして近くに転がっていた木桶を拾うと、湯を汲み床に叩きつけられた衝撃で気絶してしまった犯人こと北郷一刀の顔に、容赦なく湯をぶっかけた。

 

「ぶはぁ!?」

 

気絶してた一刀が、げほげほとせき込みながら覚醒する。意識がはっきりし、そして王平たちの姿を目にした瞬間、一刀はすぐさまその場に土下座した。

 

「す、すいませんでした! その俺、別にお二人の事を邪魔しに来たわけじゃ――」

「「変な勘違いをするな」」

 

再度、一刀の顔に今度は二人同時に木桶一杯の湯がぶっかけられた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「全く、華琳様も戯れが過ぎるっての」

「ええ、全くです」

「……本当に、申し訳ありませんでした」

 

ひと騒動あった後の浴場。そこでは王平と楊鳳に加え、北郷一刀が新たに湯船の中に浸かっている。無論、全裸では無く各々手拭いで最低限体を隠してだ。事情が事情であるので、今だけは無作法にも目をつむる三人である。

 

「だがまあ、君主から直々に風呂の許可が降りた日には、風呂場に突貫したくなる気持ちも分かるけどな」

「正直、王平さんなら同じ男だし、同席してもいいかなって思ってたんですけど、まさか――「楊鳳です」……楊鳳さんまで入ってたなんて」

 

申し訳なさそうにしょんぼりとする一刀に、王平と楊鳳は苦笑する。同性の王平はともかく、本来なら楊鳳としても苦笑程度では済まさないのだが、今回は曹操の悪戯に利用されただけなのでお咎めなしの方向にしたのだ。

 

「まあ、なんだ。過ぎた事を気にしてもしょうがない。今はこの風呂を楽しむとしよう」

「はい。その、ありがとうございます」

「それは俺じゃなく楊鳳に言うんだな。あー……」

「北郷です。北郷一刀」

 

聞き慣れない名前に、王平と楊鳳は首を傾げる。

 

「あ、えっと。姓が北郷、名が一刀。字と真名はありません」

「何だと、真名がないのか?」

「厳密にいえば、俺の住んでた世界にはそういう風習がないんです。なので、敢えて言うなら、たぶん一刀が真名にあたります」

「「なっ!?」」

 

その言葉に、王平は今日二度目の驚愕に目を見開いた。隣の楊鳳も勿論同じくである。真名は本来、心を許した者にしか教えないもの。それを初対面の、しかもいきなり襲いかかってきた二人に何の躊躇いもなく教えたのだから、王平と楊鳳が驚愕するのも無理は無い。

 

「ふむ、そうなると……だがなぁ」

「……」

 

王平は困ったような表情を浮かべ楊鳳を見る。しかし王平と違い、楊鳳は特に困る様な様子もなく静かに目を瞑っている。その姿を見て、王平は楊鳳の明確な意思を感じ取った。

 

〝真名は預けない〟と。

 

「そうだな。まあ知っちまったものは仕方がないか。俺の真名は聖だ。この名、お前に預けよう。だが、悪いが楊鳳の真名は勘弁してくれ。頼む」

「聖様……」

 

楊鳳の心の内をバカ正直に伝える訳にも行かず、王平は頭を下げ遠まわしな言い方で楊鳳の真名について一刀にそう告げる。まさかの王平の行動に一刀は腕をブンブンと前で振ると、焦った口調で応える。

 

「いやいやいや! そんな、勘弁するだなんてとんでもない! むしろ俺の方こそ、真名を集る様な事をしちゃって……」

 

次第に声が尻すぼみになっていく一刀に、王平は苦笑し、楊鳳にやったように一刀の髪をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。

 

「いいさ別に。ところで、さっき俺の世界がどうとか言っていたが、あれはどういう事だ?」

「えっと、それは……」

 

王平の指摘に、一刀が応えられずに口ごもる。別にやましい事がある訳ではないのだろう。それは言い辛そうにしている一刀の表情から分かる。いや、言い辛いと言うよりも、どの様にして説明すればいいのか言葉を探すのに苦労している様に王平は見えた。

 

「信じてもらえるかは分からないんですけど」

「大丈夫だ、言ってみろ」

「……実は俺、天の世界から来た、天の御使いって奴なんです!」

「「……」」

 

本日二度目の沈黙である。王平はどう応えたらいいものか必死に言葉を探り、楊鳳は端から信じていないのか、呑気に手拭いで顔を拭いていた。

 

「うわぁーん! 華琳の嘘つき! これで大抵は大丈夫とか言ってたくせに!」

「いや、華琳様が何を言ったのかは知らんが……。というか、そもそも天の御使いって何だ?」

「私に振られても分かりませんよ」

 

ばしゃーんと湯船に突っ伏す、もとい頭まで潜って悶える一刀を横目で見ながら、王平は楊鳳と共に疑問符を浮かべる。実はこれも長く軍旅にあった弊害であり、町から遠く離れた場所で戦続きだった二人はには、最近の噂話などを耳にする機会が無かったため、天の御使いがやってくると言う噂の存在を欠片も知らなかったのだ。

 

「うぅ、これじゃ俺、ただの妄想爆走野郎じゃないか……」

 

呟きながら、一刀が湯の中から浮上する。髪をわかめの様に顔に張り付かせてどんよりとするその姿は、ぶっちゃけ気持ちが悪かった。

 

「そこまで説明の難しい事なのか?」

「難しいと言うか、内容が夢物語みたいにあり得ない事なんで……」

「なるほどな」

 

一刀の言葉に王平は頷き、そしてしばらく目を瞑って口を閉ざす。何か気に障る事を言ったのかと一刀が不安に思い始めたその時、突然王平はカッと目を見開き、その視線を驚く一刀へと向けた。

 

「よし分かった。これ以上、俺からは何も詮索しない。理解出来ない事を説明されても、どうしようもないからな」

「そうですね。ですからその分、まだ理解の及ぶ文字の勉強を――」

「俺は自分と家族、大事な人の名前が書ければそれでいい! 兵法書の内容も耳学問で事足りるからな!」

 

楊鳳の言葉を遮り、王平が突然大きな声で叫ぶ。実は王平、戦の手腕も頭の回転もかなり良いのだが、唯一文字の読み書きだけは致命的に出来ないのだ。その実力、およそ二十文字。王平自身の名とその両親の名、そして楊鳳の名とその他もろもろを含めて、たったのおよそ二十文字。そしてその理由の最たるは、若くから軍旅に次ぐ軍旅にあったことで読み書きを教わる機会に恵まれなかった事が大きな要因である。二十文字、そう二十文字である。信じられない事だが、本当にそれだけなのである。

 

「読み書きは苦手だと言うのに、頭の回転と理解力は良いだなんて……たまに聖様の事が分からなくなります」

 

しかしそんな事はとうの昔に分かりきっている事。ゆえに王平は開き直ってわははと笑い続ける。そして楊鳳はやはりそんな主にため息を吐く。残る一刀はと言えば、ようやく史実の三国志っぽい人に出会えたと、何処か遠い目をして呟くのだった。

 




王平と一刀は今後も何かと絡みます。

それでは、次回も宜しくお願いします。


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第三話

何気に一刀の出番が多くなりそうな、そんな今作です。

では、どうぞ。


「はぁ? 俺がもやし、じゃなかった。一刀の世話係……ですか?」

 

遠征から帰還した翌日。早朝から曹操に呼び出された王平は、突然与えられた任務に戸惑いを覚えて聞き返した。ちなみにその姿は先日の浮浪者から一転、伸びた髭を綺麗に剃り髪も短かめに切り揃えた清潔感のあるものとなっている。

 

「ええ、そうよ」

「……本気ですか」

 

事も無げに言う曹操を、王平は若干恨み顔をして睨む。ひと騒動あった昨夜の風呂場にて、北郷から大体の今の事情を知らされていた王平は、あまりにも面倒なその任務に大きくため息を吐いた。

 

「会話はともかく、文字の読み書きに日常生活。その基本に不安がなくなるまで、俺が一刀の保護者の代わりをしろって事ですか」

「加えて武術の方の面倒も見てくれると大助かりね」

「……」

 

頭痛持ちではないが、王平が掛かる苦労を想像し軽く頭痛を覚える。日常生活、武術云々に関してはまだ良いだろう。しかし読み書きは……読み書きだけは勘弁してほしい。

 

「せめて、語学だけは他の文官に任せてはもらえませんか。俺の様な武官では、些か以上に荷が重すぎます」

「ダメよ。この忙しい時期に、たった一人の教育に人材を二人も当てられないわ」

 

確かに正論である。しかし王平も言うほど暇ではない。むしろ三日後の出陣に備えての準備に追われる予定なので、武官の中でも忙しい側の立場にいる。そこに新人の教育など任されようものなら、苦労が倍増するのは目に見えた結果だ。

 

「ですが……」

「それに、貴方は他の武官よりも政務の仕事量が少ないのだから、人材育成の時間くらい工面できるでしょう。あの春蘭よりも少ない事、忘れたとは言わせないわよ」

「むぅ」

 

そこを突かれると、なんとも弱い王平である。語学に弱い王平は仕事の内容を他者―主に楊鳳に読み上げてもらって初めて仕事に取りかかる事が出来る。内容さえ把握できれば、代筆にはなるが不備無く仕事をこなす事が出来るので、曹操も煩く言わずに現状に納得はしている。とは言え、やはり他よりも作業時間が長くなってしまう事は否めない。よって曹操は、王平には軍務の仕事を多めに回す変わりに、その分政務の量を減らしているのだ。

 

それは王平自身も身に染みて理解している。己の不甲斐なさゆえにこうして配慮をしてもらっているのだと。ゆえに、そこをこうして突かれると王平は何も言い返せなくなってしまうのである。

 

「……分かりました。出来る限りを尽くしてみます」

「よろしく。なんなら、良い機会だから貴方も一刀と一緒に語学の勉強をすれば? 幸い、優秀な副官もいるのだし」

「特に不便を覚えた事もありませんので必要ありません」

「今のこの状況に至るまでを振り返ってもそう言える?」

「……」

 

ばつの悪そうな顔をして王平は曹操から視線を外し、ぷいっとそっぽを向く。王平の子供っぽいそんな仕草に曹操はくすくすと笑う。

 

こうして、王平は天の御使いこと北郷一刀の教育兼世話係という名の任を引き受けることになったのだった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

城のとある一室。一刀に与えられたその部屋の中には、部屋の主である北郷一刀とその世話係に任命されてしまった王平が椅子に座り、卓を挟んで向かい合っている。王平の隣りには、やはりというか楊鳳が静かに座っている。

 

「そう言う訳で、今日から俺がお前の世話係になった。まぁ、よろしく頼む」

「そっか。うん、こちらこそよろしく」

 

王平の言葉に一刀は安心した顔をする。正直、女の子が世話係になりでもしたらどうしようかとかなり不安だったのだ。いや、それはそれで嬉しいのだが、一刀とて男。毎日の様に女の子に世話をされると言うのは嬉しい半面、別のある意味ではかなりぞっとする事なのである。ちなみにだが、一刀は王平に対してはタメ口で話すようになった。と言うのも、敬語は曹操の前だけで十分という王平たっての申し出があったからだ。楊鳳に対しては、未だに敬語を使う事にしている。

 

「悪かったな。世話係が綺麗な女子じゃなくて」

「そんなことないよ!? 同じ男で良かったよ、本当に!!」

 

一刀の心を見透かしたかのような王平の言葉に、つい一刀は大声で反論する。焦る一刀の姿に王平は意地の悪い笑みを浮かべ、楊鳳はそんな二人に一つため息を吐いた。

 

「ちなみに教育の方も俺が一緒に担当する」

「えっ、あーでも、その……」

「分かってる、みなまで言うな」

 

口ごもる一刀に、王平は苦笑を浮かべて言う。一刀が何を思ったのかは、王平には想像するまでもない。なにせ、自分でも教育係など柄ではない思っているのだから。

 

「教育と言っても、実際に語学を教えるのは楊鳳だ。んで、俺が教えるのは……」

 

そこで言葉を区切った王平が、次の瞬間目にもとまらぬ速さで剣を抜刀し、そして再び鞘に納める。すると卓上にハラリと短めの黒髪が数本落ちる。

 

「うぎゃあぁぁぁ!?」

 

絶叫した一刀が椅子ごと仰け反り、派手な音を立てて盛大に後ろにひっくり返る。見れば、一刀の前髪の一部がほんの少し短くなっていた。

 

「とまあ、こういう事だ」

「あ、危なっ!? 少しでもずれてたら死んでたぞ!」

「見くびるなよ。あの程度の事など造作もない事だ」

「だからって実践しなくてもいいだろ! おかげで寿命が縮むかと思ったよ!」

 

若干涙目になりながら抗議する一刀。恨みがましい目つきで王平を睨みながら椅子を立て直し座り直す。ちなみに……少しちびりかけた事に関しては、彼の永遠の黒歴史に認定である。

 

「……つまり、楊鳳さんが語学担当。聖がその……武術担当、ってところ?」

「そうだ。なぁに、心配するな。静音は教え上手だし、俺も手加減はしてやる」

 

にかっと笑いながら言う王平。先ほど怖がらせてしまった手前、王平は恐怖を抱かれないように会心の笑みを浮かべたつもりであった。が、当の一刀と言えばあまりにも会心過ぎるその笑みに逆に内心で不安が爆発状態であった。

 

王平から視線を外し、一刀は視線だけで楊鳳に問う。本当に大丈夫なのか、と。かくして返ってきたのは、楊鳳のゆっくりと首を横に振る仕草であった。

 

「あ、あのさ……念のため聞くけど。手加減ってどれくらい?」

 

怖いもの聞きたさ、と言うわけではない。本当に怖いからこそ一刀は王平に問う。しかしそんな心境を王平が知るはずもなく、王平はなんだそんなことかと笑うと、親指をぐっと立ててまた笑った。

 

「死なないようには〝手加減する〟から安心しろ。俺に全て任せておけ」

「……」

 

確かに、〝手加減する〟つもりはあるようである。しかしその度合いがおかしい。死なないように? と言う事は、加減が誤れば死ぬのだろうか? と言うか、意味通り本当に死なないだけで、実はかなりやばい人が師匠になってしまったのではないだろうか? ガチなの、死ぬの? 俺の人生ここで終わり?

 

一刀の背中にじんわりと汗がにじむ。これからの未来に顔を引き攣らせている一刀を見て、黄龍は小さくため息を吐く。流石の楊鳳も、目の前の青年がぼろぼろになるのを見捨てるほど非情ではなかった。

 

「聖様。まずは訓練兵として、隊の調練に参加させる事から始めては?」

「訓練よりも実戦形式の方がいいだろ。その方が経験も稼げる」

「それはある程度下地がある者の場合です。そ・れ・に!」

「それに?」

 

強調して何かを言おうとする楊鳳に、王平は首を傾げた。

 

「彼一人に割ける時間があるほど、暇があるとお思いですか?」

 

楊鳳がにっこりと花の様な笑みを浮かべる。しかし目は笑っていない。むしろ絶対零度もかくやと言うほどの冷たさの視線に、王平はうっと声を漏らしてひるむ。

 

「いや、けどな。これは華琳様直々の命令であってだな」

「別に鍛錬は聖様直々でなくとも良いでしょう。隊の調練に混ざって貰えれば、それこそどちらの任務もこなせます。聖様は全体調練の一環として他の兵たちと共に北郷殿にも指導ができる。北郷殿は戦の基礎のなんたるかを学べる。ほら、一石二鳥です」

 

非の打ちどころのない楊鳳の提案に王平が口ごもる。しかし諦めの悪い王平は、ここでくじけたりはしない。

 

「だがそれだと一刀に割ける時間が少なくなるぞ」

「ではその割く時間とやらはどう工面するおつもりで?」

 

今度こそ、王平は反論の余地を失った。三日後の戦の準備に追われる忙しさを引き合いに出されては、どうやっても勝ち目はない。ゆえに、王平は一か八かの禁じ手を使った。

 

「それは……静音が政務を肩代わりしてくれるとか?」

「……」

 

王平の賭けは負けのようだ。楊鳳の凛々しい美貌の額に、数本の青筋が浮かぶ。どうやら完全に怒らせてしまったらしい。王平の額にはびっしりと汗が浮く。ぷるぷると体を震わせる楊鳳から発せられる怒気に、男二人は完全に気圧されていた。

 

「これまでに何度……何度っ! 私が聖様の代わりに政務を処理したことか!!」

「適材適所! そんな言葉があるだろう!」

「その前に聖様は部隊長でしょうがぁぁぁーーー!」

 

立ちあがった楊鳳の右拳が王平の顔面に迫る。常人ではまずかわせそうにない鋭い一撃。それ王平は何の苦もなくパシリと左の掌で受け止めた。

 

「……やるか?」

「無論です!」

「上等……っ!!」

 

次の瞬間、王平が蹴りあげた卓が砕け散りながら楊鳳に向かって飛ぶ。迫る卓をさらに楊鳳が蹴り砕き、いくつもの破片を部屋にまき散らす。

 

「下がってろ一刀! 巻き添え食らっても知らねぇぞ!」

「他人の心配をする余裕がおありですか!」

「って、ここ俺の部屋ぁぁぁーーーー!!」

 

一刀の叫びも空しく、王平と楊鳳がぶつかり合う度に部屋の調度品が一つ、また一つと砕け散っていく。唯一の救いは、王平も楊鳳もお互いに徒手格闘による戦闘であることか。

 

「ちょ、マジで部屋が壊れていくんですけど!?」

「んなもん、後で直せば良い!」

「この部屋にはそこまで高い調度品は使われてませんから!」

「まさかの事実に少し悲しくなってきた……」

 

確かに、よくよく見ればこの部屋の調度品は全て質素な木製のものばかりである。曹操の執務室にあるような、美しい装飾などの施されたものは一切ない。それでも、綺麗に磨き加工がされているだけあって、そこそこに上等なものなのだろう。市の大衆食堂の卓なんかは、ここまで綺麗に磨かれてはいない。むしろささくれが見つかる事の方が多いくらいだ。

 

「はっ! そんな拳が効くかっての!」

「だったら急所を狙いに行くまで!」

 

しかしそんな上等な調度品も、ひとたびこの嵐に巻き込まれれば後は残骸となって部屋に転がるだけである。この喧嘩で一体どれほどの被害額が生まれるのか、一刀からしてみれば想像すらしたくない。なまじ喧嘩の原因の大本が自分であるだけに。

 

出来る事なら喧嘩を止めたいとは思う。しかし流石にアレに巻き込まれて生き延びられる自信は一刀にはない。ゆえに砕けた円卓の天板部分の残骸を盾にしながら、大人しく部屋の隅に退避する。

 

「うわっ、おまっ! 股を蹴りあげようとするのは反則だぞ!」

「戦いは常に非情なんです!」

 

一刀の視線の先で、楊鳳が王平と取っ組みあった状態から男の急所目がけてひざ蹴りを繰り出す。王平はそれを素早く自身の足を割り込ませることで防ぐ。もし当たっていればと思うと、一刀は無意識に股を抑える。男と女の喧嘩でここまで壮絶な喧嘩を見るのは、一刀としても初めてであった。

 

「くっそぉ……おい静音! 事故で変な所触っても怒るなよ!」

「怒りませんけど腕はへし折らせてもらいます!」

 

とは言え、絶賛喧嘩中の王平からしてみれば、これくらいの喧嘩は過去に何度もあったことである。むしろ得物を振り回していない分、今回の喧嘩は比較的安全な位なのだ。最悪の時は、これはもう得物で斬り合うくらいの度合いにまで発展する。その場合は、大抵仲裁役に夏候惇か夏候淵が駆り出されるのだ。

 

実はもう一人実力の高い将がいるのだが、その将が仲裁に入ると余計悪化する場合があるのでまずその将が仲裁に来ることはあり得ない。

 

そしてこの時間、曹操以下重臣たちは皆政務か軍務についている時間である。つまるところ、現状一刀しか仲裁役になれる人物はいないのである。あとは喧嘩が自然に収束するのを待つかだが、それまでに一刀の部屋は見るも無残な姿へと変貌する事だろう。ぶっちゃけ、今も確実に無残な姿になりつつあるのだが。

 

「お前は大人しく、上官の言う事を聞いとけっての!」

「こんな時だけ上官面しても、何の説得力もありませんから!」

「ちょ、ストーップ! これ以上はマジでヤバいって!」

 

どんがらがっしゃんと断続した破砕音にかき消される一刀の声。一応聞こえてはいるはずだ。しかし二人がそれに反応しない。こうなったらと一刀は半ば自棄になりながら肺に空気を一杯に吸い込み、そして全力全開で魔法の言葉を叫ぶことにした。

 

「夫婦喧嘩なら他所でやれぇぇぇぇーーーーーっ!!」

 

一刀の渾身の叫びが部屋中に響く。ビリビリと部屋の空気が振動する中、

 

「ぐはっ!?」

「きゃあ!」

 

次いで聞こえてきたのは王平の無理やり肺から空気を押し出されたかの様な声と、楊鳳の驚きに染まった可愛い悲鳴であった。

 

もつれ合いながら王平と楊鳳がドサリと地面に倒れる。傍から見れば、王平が楊鳳を押し倒しているかのようにも見える、そんな光景である。実際には一刀の叫びに集中を乱された王平が楊鳳の放った正拳突きをもろに食らい、同じく動揺した楊鳳がぶっ倒れる王平を避け損なったというのが事実なのだが。

 

「ちょ、何してるんですか聖様! 早くどいてください!」

「無理だ……。誰かが本気で、拳入れやがったせいで、痛みで、体が動かねぇ……」

 

楊鳳よりも王平の方が体躯は大きいので、文字通り楊鳳は王平の体の下に埋まっている状態である。そして力の入っていない人の体と言うものは予想以上に重たいもので……。加えて先ほどの動揺がまだ治まっていない楊鳳では、とても退かせそうになかった。

 

「すまん一刀、多少乱暴でも良いから俺の体を退けてくれ」

「あ、ああ。分かった」

 

うんしょと気合を入れ、一刀が王平の体を楊鳳の上から押しのける。床を転がり仰向けになった王平の顔は激痛のためか真っ青。対する楊鳳は、色々な理由から顔を真っ赤にしながら立ちあがる。

 

「全く。誰が夫婦ですか誰が」

「いえ、どう見ても夫婦喧嘩にしか見えな――ひぃ!?」

 

ギンッと楊鳳に鋭く睨まれ、一刀が続く言葉を飲み込む。楊鳳は服についた埃を払うと、未だ行動不能な王平を一瞥し扉を乱暴に蹴破って一刀の部屋から出て行った。

 

「やれやれ……怒った女は怖いもんだな」

 

これで徐晃が居たらどうなってた事やら……などと王平は呟き、楊鳳が出ていくのを見送ると仰向けのままため息を吐く。胸がまだ痛むのか、若干呼吸が荒い。

 

「楊鳳さん、怒るといつもああなのか?」

「いや、今回はまだ増しな方だ。もしあいつがここに居たら、それこそちょっとした殺し合いになる。だが、あーいつつ……こんなきっついのを食らったのは今回が初めてだな。一刀の所為だぞ、まったく」

 

よほど痛いのか、王平が痛みに顔をしかめる。対する一刀は破壊されつくした部屋を見渡しながら、はぁ~っと大げさにため息を吐いた。

 

「それ、聖にだけは言われたくないんだけど……と言うか、結局これ誰が直すんだよ」

「さあな……後で大工呼んでこないとな」

 

配置されていた調度品の中で、唯一無事なのは寝台のみ。床はひび割れ、壁は陥没し、四散した調度品の残骸が部屋中に散乱している。とりあえず部屋としての最低限の機能は保っているものの、進んでここに住みたいとは王平も一刀も思わない。

 

「それにしても、良いのかこのままで。仲直りとかした方が良いんじゃ……」

「なぁに、これくらいの事で俺と静音との仲に亀裂が入ったりなんかしないさ。これでも結構な付き合いなんだ。さっきはああだったが、静音だって実際はそこまで気にしちゃいねぇよ」

「本当かなぁ。俺にはもの凄く怒ってる様に見えたんだけど」

「それはお前、まだまだ人を見る目がなってないってことだ。いや、女心を見る目が……か?」

 

疑問符を浮かべて首を傾げる一刀に、王平はやれやれと苦笑する。こいつは将来、女関係に凄く苦労しそうだと。

 

「まあ、なんだ。部屋をこんなにしたのは悪かったな、すまん。とりあえず、今日は俺の部屋に泊れ」

「うん、そうする」

 

台風一過の様な有様の部屋の中。取り残された王平と一刀は、男二人で仲良く揃ってため息を吐いたのだった。

 




男同士、語らいやすいといった状況ですね。

ちなみに王平×北郷だけは絶対にありません、あり得ません、誰も得をしません。なのでご安心ください。

それでは、次回も宜しくお願いします。


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第四話

一刀、王平隊の訓練を体験するの巻。
そして本作の王平さんはかなり強いです。

では、どうぞ。


出陣の日が二日後に迫り、王平たち遠征部隊にとっては帰還から二日間の休養が過ぎたその日。調練場には鎧を纏う兵士たちが列を組んで整列していた。王平が率いる部隊の兵士たちである。

 

相変わらずの整然としたその姿からは、王平の部隊の練度の高さが伺える。異様な威圧感に満ちた調練場の中で、しかし王平は気負いなく兵士たちの前に立ち口を開く。

 

「あー、皆はもう知ってるだろうから手短に話すぞ。今日から二日後に大規模な暴徒鎮圧作戦が決行される。勿論、俺たちも従軍する予定だ」

 

改めて聞かされる内容に、結構な数の兵士たちのため息を吐く姿が王平の目に留まる。しかしそれも仕方がないだろう。体が休まったとはいえ、遠征から帰ってすぐにまた戦に駆り出されるのだ。ため息を吐きたくなる気持ちもわかる。王平とて、今回の出陣に完全に納得しているわけではないのだ。

 

「遠征の時からずっと戦続きのお前らには悪いが、これが俺たちの仕事だ。納得の行かない事もあるだろうが、割り切ってくれ」

 

厳しくはない口調。だが、王平のその言葉には有無を言わせぬ迫力がある。そして兵士たちも、王平のその言葉に頷き応える。雑念を抱えたまま戦場に赴けば、そこに待つのは死である事を彼らは知っているからだ。戦場では常に見敵必殺、目の前の敵を討つ事に集中しなければならない。集中を切らし敵を見逃せばその敵が自分を、もしくは隣りの友を殺すかもしれないからだ。

 

そんな中で、夏候惇たちの様に他念に回す余裕を持てる者たちは、いわゆる特別な存在なのである。その特別さゆえに、彼女たちは将軍という位についている。己だけでなく、他者にまで気を割り振る余裕を持てるからこそ、人を率いる立場にいられるのだ。

 

「とまあ、俺からお前たちへの言い訳はこれくらいにしてだ。もう一つ、お前たちに知らせる事がある。……一刀、こっち来い」

「あ、あぁ」

 

そう言い、王平は手招きして後ろに待機していた一刀を自身の隣りへと呼び寄せると、緊張で固まっている一刀の両肩を後ろからガシッと掴み兵士たちの前に突き出した。

 

「今日からウチの隊の調練に参加する事になる、北郷一刀だ。最初に言っておくが、こいつは弱い。本気で弱い。体つきは……まぁ、普通だな」

「ちょ、ひどっ!?」

 

衆目の前で堂々と弱い弱いと宣言され、一刀が抗議の声を上げる。体つきも王平たちと比べてば華奢ではあるが、しかしそれは王平たちの方が凄いのであって、剣道部に所属しある程度鍛えられた一刀の体は同年代の男の中では十分引き締まっている部類なのだ。抗議だってしたくなるというもの。しかし王平は一刀の方へは目も向けず、さらに言葉を続けようとする。

 

きっとまた碌でもない評価をされるのだろう。そう思い、一刀は俯いて陰鬱な表情を浮かべる。しかし、次に王平の口から発せられた意外な言葉に、一刀は顔を上げ大きく目を見開いた。

 

「だがな、肝は十分据わってやがる。その点に関しては俺のお墨付きってやつだ。ぶっちゃけた話、誰だって最初は弱い。お前らだって、この俺だって最初は弱かった。今の一刀は弱い。だがそれは〝今〟の一刀だ。そうだろ?」

 

王平の問いに兵士の皆が然りと答える。茫然として立ちつくす一刀に、王平はニヤリと笑みを向ける。

 

「だったら今から強くなれば良い。そのための調練、そのための仲間だ。いいかお前ら、さっきも言ったように今日から一刀は俺たちの同僚、仲間だ。互いに助け合え、そして更なる上を目指せ。例えば……そうだな。どうせだったら……」

 

そこで一度言葉を区切り、王平は一刀の傍から離れる。そして再度、兵士たちの前に立つと、

 

「俺を越えるくらいの気持ちでやれ」

 

そう言って王平は、兵士たちに向けて獰猛な笑みを浮かべた。

 

そんな王平の笑みに、兵士たちもそんなことは言われずとも分かっていると言いたげな笑みをそれぞれ浮かべて返す。目の前の光景に冷や汗が止まらない一刀は、隣りに立つ楊鳳にこっそりと小さな声で問いかけた。

 

「楊鳳さん。聖って、曹操軍の中でどれくらい強いんですか?」

「武の強さだけで言うならば、同列一位と言ったところです。夏候惇将軍と徐晃将軍、そして王平将軍はほぼ実力が拮抗していますから。ちなみに武官内の位の高さで言えば、夏侯惇将軍たちよりも一つ下の位ですよ」

「あ、あはは、はは……マジですか」

 

楊鳳の答えに、乾いた笑いが一刀の口から漏れる。つまるところ、王平の言葉は実質最強を目指して調練に励めと言っているのに等しいと言う事だ。そんな部隊に放り込まれた日には、きっと自分など一日でぶっ倒れてしまうに違いない。予想を斜め上を行く現実に、一刀は心の中で涙した。

 

「さて、長話はこれで終いだ。早速今日の調練を始める。一刀は慣らしも兼ねて体力作りの基礎訓練には参加しろ。それ以外の時は俺が剣の基礎を教えてやる」

「えっ、連携とか、そう言うのは別に良いのか?」

 

王平の言葉に一刀は首をかしげる。なぜなら王平隊の調練の基本的な構成は、体づくりのための基礎訓練と素早い陣形変更を出来るようにするための連携訓練。そして兵士たちの模擬戦による実戦訓練となっているからだ。しかし王平は一刀の言葉に一瞬きょとんとすると、次いでその顔に苦笑を浮かべた。

 

「今のお前じゃ、体力不足で他の調練には付いていけん。本格的に調練に参加するのは、最低限の体力がついてからだ。それに基礎訓練だけでもお前にとっては相当辛いはずだ。駄目だと思ったら休んで良い。ただし、本当に限界寸前だと思ったらだ。いいな?」

「ん、分かった」

「よし。んじゃ、これが一刀の装備一式だ。大事に使えよ」

 

そう言う王平から一刀に手渡されたのは、使い込まれた装備一式。あちこちに傷が入り、鎧を止めるための紐なども一部が薄く黒ずんでいる。恐らく、過去に戦死した兵士が使っていた装備なのだろう。

 

「使い回しの物で悪いがな。大きさはたぶん合うはずだ」

「そうかな。……よっと」

 

王平の手助けを受けながら、一刀はどうにか鎧を纏う。案の定、鎧の寸法は一刀の体とぴったり一致した。

 

「中身はともかく、外観だけはマシになったな」

「くそっ、言い返す言葉がない……」

「はっはっはっ! 言い返したければ強くなれ。それ以外に方法はない。そら、一刀も皆の列の後ろにつけ」

 

王平に促され、一刀は列の最後尾へと並ぶ。それを確認した王平は、兵下に向け声を張り上げた。

 

「これより調練を開始する! 初めに城壁回り三周、総員駆け足!」

「「「応っ!!」」」

 

ちなみにこの時代、城壁の長さとは一つの町の外周と同意である。なぜなら、この恐ろしく長く巨大な城壁の中に一つ町が存在しているのだから。たかが三周とはいえ、その距離はばかにならない。しかしこれくらいこなせないようでは、遠征地での行軍などは到底こなせないのだ。

 

そして当然、これが初の訓練となる一刀はどれだけの距離を走る事になるのかを把握できていない。それはつまり、自分にとっての最適なペース配分を想定出来ないという事でもある。一刀は慣れない鎧の重さに嘆息しながらも、それでも必ずや一周走り切る事を胸に誓い、走り出すのだった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

兵士たちと共に走り出した一刀を、王平は開始地点より見送っていた。その隣には、表情の優れない楊鳳が立っている。ちなみに、昨日あれだけの喧嘩をしておきながら二人の間に流れる空気はいつもと変わりはない。二人とも既に昨日の事は気にしていないのだ。

 

「彼は、完走できるでしょうか?」

 

王平と共に一刀が走り出すのを見送った楊鳳が、少し不安を滲ませた声で王平に問う。その事に王平は少し驚いた顔をする。一刀には興味が無いといった風に振舞っていた楊鳳が、一刀の心配をしたからだ。どうやら心配するに値する程には一刀の事を見ているらしい。

 

「さてな。こればかりは俺にも分からん。一刀の元からの体力と、気力がどれだけ続くかによりけりだ」

 

そう言って王平は上向けた両手をひょいっと上げる。お気楽な王平の言葉に、楊鳳はやれやれとため息を吐きながら首を横に振った。

 

「もし完走できなかった場合はどうするおつもりで?」

「そうだなぁ。俺としては無理して体を壊して欲しくはない。だから途中で抜ける事も許可したんだが……」

「しかしそれでは、他の部下たちに示しがつきません。何かしらの罰を与えなければ」

「ん~……」

 

楊鳳の正論に、王平は顎に手を当てて唸る。王平としては拳骨の一つでもお見舞いする程度にしておきたいのだが、中途半端な事をすると楊鳳が怒る。かと言って厳罰に処せば、今度は一刀が折れかねない。第一、曹操から任された一刀がそんな事になれば、それこそ王平の首か飛びかねないのだ。

 

厳しすぎず、かと言って優しすぎず。

 

こう言った事にはあまり拘らない王平には、考えるのになかなかに苦労する事である。

 

「う~む。なら、抜けた罰としてウチの隊舎の掃除なんてどうだ。適度に重労働だし、いかにも罰っぽい感じだろう?」

「まあ、確かに罰っぽい感じはします……」

 

と言いつつも、どこか納得のいかない様子の楊鳳。そんな楊鳳を見て王平は苦笑すると、楊鳳の頭にポンと優しく手を置いた。

 

「聖様?」

「いやなに、副将を務めるのにあんまりにも一生懸命な静音が可愛くてな」

「誰の所為で一生懸命になっているとお思いですか?」

「まあ、俺の所為だな」

 

悪びれずにそう言って王平がくつくつと笑う。楊鳳はもぅ、と抗議らしき声を上げるも、乗せられた手を払う事はしない。

 

「すまんな、俺が色々と劣るばかりに、静音には苦労を掛ける」

「そんなの今更ですよ。適材適所、なのでしょう?」

「おいおい、ここで昨日の事を引っ張ってくるか」

「引っ張ってこようと思えば、今までの事全てを引っ張ってこれますよ?」

 

したり顔で言う楊鳳に、王平はうへぇと参ったような顔になる。

 

「静音は案外、根に持つ方か」

「記憶力が良いと言ってください」

「ものは言い様ってやつだな」

 

王平が茶化す様に言うのと同時に、楊鳳の肘鉄が王平の脇腹に綺麗に決まる。平静を装う王平だが、額には汗が浮かび頬が若干引き攣っている。

 

「……流石にこの状況からのそれは避けられんぞ」

「その分、ちゃんと手加減しました」

 

確かに、楊鳳の本気の肘鉄が決まろうものなら、今頃王平の肋骨は無残にも砕けていた事だろう。可愛い顔をしてやる事には遠慮がないなと、改めて王平は思ってしまった。

 

「全く、不敬罪だぞ不敬罪」

「だったら聖様は職務怠慢です」

「あぁ……静音が部下になってそろそろ二年。どうしてこんな強かで口達者な子になっちまったんだか」

 

しくしくとあからさまな嘘泣きをする王平を、楊鳳がジト目で睨む。

 

「無自覚だとしたら許せませんが、惚けているのなら尚更許せませんね」

「さぁて、何の事だか」

 

正直、心当たりが有り過ぎて困る王平である。と言うか、ほぼ間違いなく自分の影響だろうと確信している。この二年間、楊鳳と一番長く過ごしてきたのは誰でもない王平なのだから。ぶっちゃけた話、最近楊鳳が自分に似てきたなとは思っていたのだ。

 

ただまあ、それを馬鹿正直に言うのも何なので、王平は素知らぬ顔で楊鳳から視線を外し、両手を頭の後ろに組んであさっての方向を向く。楊鳳はと言えば、そんな王平の足をぐりぐりと容赦なく踏みつけながら、小さくため息を吐く。

 

それからは特に会話もなく、二人はじっと調練場の入口で兵士たちの帰りを待つ。そして時間は過ぎ、一時ほどが経過したころ、先頭の集団が城門の方面から戻ってくる光景が王平たちの視界に入る。息を切らしながら一人、また一人と兵士たちが調練場に戻ってくる。

 

先頭の一人から数刻ほどかけて数百人の兵士たちが戻り、出発前の様に隊列を組む。しかし王平は未だ城門の方角を見つめていた。

 

「聖様……そろそろ」

「分かっている。だが、もう少しだけ待たせてくれ」

 

楊鳳の言葉を撥ね退けてまで待つ理由。そう……北郷一刀が未だに戻ってきていないのだ。正直、途中で脱落した可能性が高い事は分かっている。だが、もしかしたらと、王平は低い可能性の方をなぜだか信じてみたいのだ。己の殺気を真正面から受けても、じっと目を見つめ返してきたあの青年の可能性を。

 

一刀を除いた王平隊の兵士たちが帰還してから、さらに数刻。流石にもう無理だと楊鳳が王平に声をかけようとしたその時、今まで無表情のまま城門を見つめて微動だにしなかった王平が、ニヤリとその口に笑みを浮かべた。

 

「ったく……遅刻だ、遅刻!」

 

嬉しさの滲む声で、王平が向こうに見える青年に叫ぶ。肩大きく上下させ、ふらつく足を懸命に動かしやってくる青年を、王平は優しく受け止めた。

 

「はっ……くはっ……わ、わる……い。遅く、かはっ……なった」

「おう、遅いも遅い。大遅刻だぜ、一刀」

「ははっ、流石に……この距離は、今の、俺には、きつい……や」

「そうか。だが、お前は無事に完走した。見事だ」

「やっりぃ……」

 

それだけ言うと青年――北郷一刀はガクリと脱力し王平に完全に寄りかかる。限界まで体を酷使したからであろう、一刀は満足げな顔をしながら、王平に支えられ気絶した。

 

「大した根性だよ、本当に。さて、剣術はまた今度だな」

 

隠しきれない笑みを浮かべ、王平が気絶した一刀を肩に担ぐ。一度ならず二度までも自分を驚かせてくれるなど、こいつは本当に大した男だと王平は思う。曹操が気に入り、傍に置いた理由も分かる気がした。

 

「静音、俺は一刀を寝かせてくるから後を頼む」

「分かりました。そのままさぼったりしたら、後がひどいですからね?」

「しねぇよ、そんな事」

 

釘を刺す楊鳳に王平は苦笑を返すと、一刀を担ぎ救護所の方へと歩いて行く。

 

こうして、王平による一刀の最初の調練は何とか無事に終わりを告げたのだった。

 




いきなりですが、本編に関係の無い話を一つ。
旧王平伝の続きですが……うむ、頑張って書いてみようかしらん。
三作同時並行になりますが、他二作品は改修作品だし、もしかしたら出来ない事は無いかもしれない。

それに膨大な数のストックがありますからね。小出しにして時間を稼げば、次話を書く時間も得られる……と言うのもありますが、実際には短時間での大量投稿はハーメルン様のサーバーに大きな負荷をかけてしまうからです。移転が多くなると予想される今月中は、多くても一日に2~3話程度に止めるべきしょう。それこそ60話近くある旧作を一気に投稿するのは、他の作者様への迷惑にもなるでしょうし、明らかなマナー違反ですので。

という事で、旧作を再掲載しても次話投稿が出来るのはかなり先の事になると思います。ですがとりあえずは、旧作の方も誤字などの修正を加えて上で再掲載しようかなと思ってます。

しかし、旧作を掲載するにしてもタイトルが……さて、どうしたものか。


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第五話

とりあえずストックを投下。

では、どうぞ。


暴徒鎮圧に向けての出陣当日。早朝から城内は慌ただしい雰囲気に包まれていた。武官たちは各々、部隊の出陣用意に奔走し、文官たちも兵糧などの戦支度に追われている。そしてそれは王平の部隊も例外ではなく、隊舎の外に集合した王平隊は王平以下全員が出陣の準備に追われていた。

 

「王平将軍、点検の帳簿をお持ちしました!」

「おう、御苦労。と言う訳でだ。副長、目通し頼む」

 

王平の元に駆け込んできた兵士の一人が、点検の帳簿を王平に手渡す。そしてその手渡された帳簿を、王平は流れるような洗練された動きで、隣りに立つ楊鳳へと手渡した。

 

「また右から左へ流す様に……王平将軍、最近これが当たり前の様に思ってませんか?」

「適材適所、だ」

「全く……それと、副長って呼ぶのはやめてください」

 

不平を言いながらも、楊鳳は受け取った帳簿をパラパラとめくり不備が無いかを確認していく。楊鳳がそうしている間に王平は兵士たちに指示を飛ばしていく。なんだかんだで連携の取れている王平と楊鳳である。

 

「王平将軍。兵糧の点検帳簿、問題ありません」

「そうか。なら……おい、一刀! こいつを兵站部の監督官の所に持っていってくれ!」

「えっ、俺がなに、っておわわわっ!?」

 

王平にいきなり話を振られ兵たちと一緒に向こうで矢を運ぶ最中であった一刀が、運んでいた矢束を盛大にその場にぶちまける。それを見た王平は、慌ててばら撒かれた矢を集め束ねる一刀を見て苦笑し、楊鳳はそんな二人に呆れやれやれと首を横に振った。

 

「王平将軍、趣味が悪いですよ」

「すまんすまん。だがな、一刀を見ているとついからかいたくなっちまうんだ。さしあたり弟を持った兄の気持ちってのは、こんな感じなのかもな」

「意味が分からないのですが……」

「まあ、俺が静音を構いたくなるのと同じってこった」

 

くっくっくっと笑う王平に、楊鳳がさらに呆れてため息を吐く。すると周囲の兵に手伝って貰いながらもなんとか矢束を集め終わった一刀が、今度はばら撒かない様に矢束をしっかりと抱えたまま王平の元へと駆け寄ってきた。当然、その表情には少し怒りが見て取れる。昨日一日は一昨日の訓練の疲労を引きずり、重度の筋肉痛で寝込んでいたものの、二日もあれば回復するあたりはやはり若さゆえであろうか。それに比べて自分の年齢は……などと考え、一転少し気落ちしたりする王平である。二十五歳はまだまだ若いと思うのだが。

 

「いきなり声掛けるなよ。驚いて矢、ばら撒いちゃっただろ。て言うか、それ見て聖は笑ってたし」

「すまなかったな。詫び代わりにそいつは俺が運んでおくから、一刀はこっちを頼まれてくれ」

 

矢束と交換に王平から手渡された帳簿を見て、一刀が首を傾げる。先ほどは慌て過ぎて話が耳に入っていなかったのだろうと思った楊鳳は、王平に代わり一刀に補足した。

 

「それは王平隊の兵糧点検の帳簿です。それを兵站部にいる監督官に渡してきてください」

「兵站部があるのって、確か調練場でしたっけ。けど俺、その監督官の顔、知らないんですけど」

「そこは気にするな。俺たちも分からん。兵站部の仕切りは文官たちの仕事だからな」

「じゃあ、どうしろと……」

 

あまりにもあっけらかんと言う王平に、一刀は困ったような顔をする。しかし王平に頑張って捜せと言われ、些か納得のいかない顔をしながらも、最終的に一刀は帳簿を持って兵站部の方へと駆けて行った。

 

「……鬼ですね」

 

冷ややかな声で言う楊鳳に、王平は笑って返す。

 

「なぁに、人探しも才の内ってな。今はウチで下っ端やってるが、一刀は本来、華琳様の傍にいる人間だ。今の内に人を見る練習をさせておいて損は無い」

「曹操様同様、随分と買っているんですね」

「まあな。それに優秀な人材は一人でも多い方が良い。同じ男として、頑張ってほしいっていうのもあるが」

 

一刀が走り去った方向を見ながら、微笑を浮かべて言う王平。そんな王平を見た楊鳳は若干、寂しそうにその表情を曇らせる。すると王平はやれやれと苦笑を浮かべ、楊鳳の頭をわしわしと少しだけ乱暴に撫でた。

 

「おいおい、男に嫉妬してどうする」

「別に嫉妬などしていません」

「大丈夫だ。今もこれからも、俺の副官はお前だけだ」

「……どうだか」

 

騎馬たちの様子を見てきます! と、楊鳳は顔を赤らめながらそう叫ぶと大股歩きで馬屋の方へと歩いて行く。その途中、地面の小石に躓き転びかけるも、どうにか体勢を立て直し、次いでグルンッと勢いよく後ろ振り向き王平と目が合うと、先ほどよりも猛烈に顔を赤くして馬屋の方へと駆け抜けて言った。

 

「……楊鳳様って、結構可愛いところあるんですね」

「やらんぞ?」

「王平将軍、目が本気です目が……」

 

帳簿を持ってきた兵士の呟きに、王平は若干据わった目つきをしてそう返したのだった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

豫州北東部。陳留より南に山を一つ越えた地を、暴徒鎮圧の命により出陣した曹操軍の軍勢が堂々たる姿で行軍していた。その数、およそ二千。二千の完全武装の兵たちが一糸乱れぬ動きで行軍するその光景は、遠くから見てもさぞ言い知れぬ威圧感を感じさせることだろう。しかしその行軍速度は、思ったよりも速くは無い。先日、新たに参軍した軍師の提案により現在の曹操軍はいつもより強行軍ではあるのだが、それでも通常の行軍速度より若干速い程度だ。

 

そんな中、曹操軍の右翼側の隊列にて深緑の王旗ははためいていた。王平の部隊の旗である。遠征の時に見せたように、その行軍する姿は整然とした曹操軍の中でもさらに整然としている。

 

そしてその先頭には、騎馬の背に跨り部隊長を務める王平の姿。全軍を挙げての討伐行という事もあり、流石に遠征の時に見せたようなだらしのない姿はしていない。いつ接敵しても動き出せるよう、適度な緊張感をその身に纏わせている。

 

そんな王平の隣りを同じく騎馬に跨り並走するのは、王平隊の副将である楊鳳である。しかしその表情はいつもの毅然としたものではなく、若干の不安の色を浮かばせていた。

 

「王平将軍。此度の討伐行、はたして上手くいくでしょうか……」

「さぁてな。戦を始める前から強行軍で進むのは俺もあまり経験がないからな。それにここは土地勘も無い、正直どうなるか分からん」

 

王平は前を見据えたまま、楊鳳の不安にそう答える。遠征の経験は豊富な王平だが、王平は基本的に予想外の事態にも対応できるよう万全の状態で遠征に臨むため、今回の様な効率最重視の作戦を取る事は殆ど無い。ゆえに楊鳳の問いにもあいまいな答えしか返せないのだ。それは王平が消耗をなるべく抑える必要のある長期間の軍旅を主な任としていた事もそうだが、王平が兵士の命に危険を伴う作戦を嫌っている事も一つの理由としてある。

 

兵糧の代えはいくらでもあるが、熟練した兵士の代えは簡単には用意できない。ゆえに例え百の兵糧を失おうとも、王平は十の兵士の命を繋ぐための策を練る。様々な事態に備え、自分の手駒を最大限に生かす様に戦う。それが王平の戦の仕方なのだ。知にも勇にも優れるもそれに頼らず、驕らず、堅実な策をもってして勝利を勝ち取る。王平の主である曹操もこの考えには大いに賛同していた。そのため、正直今回の強行軍を曹操が許した事は王平にとっても少々意外であった。

 

「王平将軍でも、分からない事はあるのですね。あ、語学に関しては分からない事だらけでしたか」

「……言うに事欠いてそれを言うか」

「あの時の仕返しです」

 

あの時と言うのは、恐らく北部遠征の時のあの〝臭う〟発言の事だろう。楊鳳の性格が最近ますます自分に似てきたなと、王平は小さくため息を吐いた。

 

「まあ、もしもの時の備えはしてある。頼んでた分、多めに積んできたな?」

「ぬかりなく。それにしても多少の兵糧の差で行軍速度が変わるなど、軍師殿には随分と舐められたものです」

「流石の猫耳肝っ玉軍師殿も、あの短時間で軍全体の練度を推し量る事は出来ても、一部隊の練度にまでは気は回らんだろうさ」

 

そう言って王平は背後の荷駄隊に目を向ける。兵士に守られ行軍する荷駄隊は、しかし周りの荷駄隊と特に変わったところは見えない。ただ馬に引かれている荷車の数が、周りの荷駄隊よりも数台多く見えるだけである。

 

「しかし猫耳軍師とは、言いえて妙な呼び名ですね」

「そう見えないか? 荀彧のあの頭巾」

「それは……まあ」

 

王平の言葉に楊鳳が微妙な表情で頷く。さて、先ほどから王平が猫耳と呼ぶその人物。名を荀彧と言い、先に挙がった様に、先日出陣を目前にして曹操軍へと仕官してきた新たな軍師である。

 

通常、出陣を目前に控えたあの状況で仕官など許されるはずがないのだが、なんとこの荀彧、曹操を試す事で自身もまた試されるだろうという予想を元に、半ば曹操に喧嘩を売るかのような交渉の末、見事予想通りに己の力を曹操に示す事に成功したのだ。交渉の席を設けるためにわざわざ兵站部の監督官として着任し、かつ曹操から呼び出しを受けるように帳簿を書き直したりするその度胸には脱帽である。

 

その時の荀彧の交渉すらも、これはもう王平が爆笑するくらいのクソ度胸を見せつける様なものであり、王平だけでなく曹操もまた大声で笑い出したほどであった。ちなみに王平に頼まれ、帳簿を監督官に手渡す任に就いていた事も関係して、監督官であった荀彧を連れてくる羽目になった一刀の、荀彧が曹操に斬られそうになった時の慌てっぷりはと言えば、それはもう見事なほどであった。実際は曹操が試された仕返しとして放っただけの寸止めであったのだが。

 

とまあ、そんなある意味、無茶苦茶な人物である荀彧なのだが、その荀彧を王平が猫耳を呼ぶのは、荀彧が被っている頭巾に理由がある。荀彧の被る頭巾のその形が、そのまま猫の耳の形に非常によく似ているのだ。

 

ゆえに出陣前の軍議でそれを初めて見た王平は荀彧の前で思わず、猫耳軍師荀文若推参、などと呟いてしまい、結果荀彧から殺意にも似た何かが向けられ、若干冷や汗をかくことになってしまった。

 

ちなみに王平の猫耳発言には一刀も陰で頷いていたため、同士がいると言う事で、王平の中では荀彧の呼び名が猫耳軍師に固定したのである。ただ、一刀の第一印象であるもやしは、流石に一刀が可哀想になったので使っていない。

 

「そう言えば、一刀はこれが初陣だと言っていたな」

「はい。ですが曹操様たちの傍にいるのですし、何も心配はいらないのでは?」

 

楊鳳の言う通り一刀の姿は今ここにはない。訓練は共にできても、流石に戦場に連れてこれるほどの武は今の一刀にはないからだ。そして王平隊はほぼ間違いなく敵勢と接敵する配置にある。ゆえに一刀は曹操率いる本隊への配属となっている。戦場の空気を知るだけならば、何も前線に混じる必要はない。それに曹操の傍にいれば剣を振るための武ではなく、兵を操るための知を見て学ぶ事が出来る。曹操の一刀を後曲に配置する采配には王平も納得であった。

 

「吐くか漏らすか、はたまた最後まで耐えきるか」

「王平将軍はどうなると予想を?」

「ふむ、そうだな……」

 

顎に手を当て勿体つける様な言い方に、楊鳳が呆れてため息を吐く。あからさまなその態度に王平は口をへの字に曲げた。

 

「そんなあからさまに呆れる事はないだろ」

「勿体つけるほどの事でもないのに、そういう態度を取るからです」

「あのなぁ。初陣をどう終えるかってのは、男にとっては結構面子に関わる事なんだぞ?」

「そうなんですか?」

 

意外そうな顔をする楊鳳に、王平はここぞとばかりに力説する。

 

「ああ、そうだ。いいか? 初陣を気を確かに乗り切った男と、恐怖に怯えて縮こまりながら終えた男。静音だったらどっちを尊敬する?」

「それは……まあ、前者ですね」

「だろう? 初陣であれだけ頼もしければ、今後はもっと頼りになるに違いない。そう思われれば重用される機会が増え、それが最終的に出世に繋がる。まあ、ぶっちゃけこれに関しては男も女も関係ないがな」

「……なるほど」

 

そこまでは思い至らなかったと、楊鳳は頷きながら納得する。すると今度は楊鳳が面白い事を思いついたのか、いたずら心を必死に押し隠した可愛らしい笑みを王平に向けて言った。

 

「ちなみに聖様は、どの様に初陣を終えたのですか?」

「ん、俺か?」

「はい、聖様です」

 

笑みを浮かべた楊鳳のいきなりの質問に王平は一瞬きょとんとした顔をするも、すぐにその顔に苦笑を浮かべた。

 

「期待しているところ悪いが、そんな大したもんじゃないさ。まあさっきの例えに当て嵌めるなら、前者ってことになる。ただ、俺の場合は子供の時から戦いとは何たるかを仕込まれていたからな。正直、初陣でもそこまで動揺はしなかったし、実際に初陣で何人もの敵を斬り殺しもした」

「……怖くなかったんですか?」

 

淡々と語る王平に笑みから一転、楊鳳は恐る恐るといった様子で聞く。楊鳳の言葉に王平はしばらく馬上で腕を組んで考え込むと、いつもより少し真剣な表情を楊鳳に向けた。

 

「いや、怖かったさ。けどな、人ってのは慣れる生き物でな。どうやら俺はそれがかなり顕著だったらしい。殺さなければ殺される、そう思って一人目を斬った。その時は一つの命を奪った事に恐怖したが、戦場のど真ん中で怖がり続けるそんな余裕は無かった。そして自分が生きるために二人目、三人目と次々と敵を殺していくうちに、いつしか恐怖を感じなくなった。つまり慣れちまったんだな。戦では殺し殺されるのが当たり前、それがこの時代の当たり前なんだ……ってな」

 

平然とした表情でそう語る王平に、楊鳳は返す言葉が見つからなかった。そして興味本位でその事を聞いた己を心の底から罵倒する。それを見透かした王平はしゅんとする楊鳳の頭に手を伸ばすと、別に気にするなと言ってポンッと優しく手を置いた。

 

「初陣で人死にに慣れる俺の方が珍しいだけで、大抵のやつは慣れるのに時間が掛かる。だから一刀がどんな風に反応するのかは、正直俺には分からん。だが、目の前の死を受け入れる事の出来る度量だけはあってほしいと……そう思ってはいる」

「本当に、聖様は彼の事を買っているのですね」

「折角出来た男の同僚だからな。出来る事なら長く職場を共にしたいし、同じ男として強くなってほしいと期待もするさ。それに若者の成長を見守るってのも、なかなかに面白い事だしな」

「……自分で言ってて、悲しくなりません?」

「言うな、自覚した上で言ってんだから」

 

楊鳳の鋭いツッコミが王平の胸にグサリと突き刺さる。そんな傷を覆うように、俺はまだまだ現役だぁ! と自分に言い聞かせるように叫ぶ王平を見て、楊鳳はクスリと小さく笑みを浮かべる。

 

二人の間に流れる、戦場にはとても似つかわしくないそんな和やかな時間。

 

しかしそんな時間は長くは続かず、むしろそれぶち壊すかのように、次の瞬間……王平と楊鳳の下に本隊からの伝令兵が急ぎ足で駆けこんできたのだった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

伝令を受け王平が曹操軍の本陣へと足を踏み入れると、そこには既に主だった重臣たちが集結していた。少し遅れてやってきた王平に、皆の視線が一斉に集まる。

 

「申し訳ありません、少し遅れました」

 

一礼し、話の席に加わる王平。そんな王平に、一人の将が呆れた様子で声を掛けた。

 

「随分と遅いお着きだな子均。そろそろ老いが響いてきたか?」

 

確かにここにいる面子の中では王平の年齢は高い方だろう。しかし老いたなどと言われるのはいくらなんでも心外過ぎる。まだ王平は二十五歳、現役真っ只中の男なのだから。当然、王平はその台詞に怒りで眉間にしわを寄せ、声の主に厳しい視線を向けた。

 

「徐晃お前、顔合わせて一発目がそれとか、喧嘩売ってんのか?」

「ふん、今のは鈍亀の鳴き声か?」

 

長い茶色の髪を後ろで一つに纏めた女性――徐晃は、髪を揺らして小さく鼻を鳴らす。出陣前日、別件の任務より帰還したこの徐晃なる将は、曹操軍の中でも優秀な将である。しかし見ての通り王平とは超が付くほど仲が悪い。理由とかなどを関係なしに、とにかくこの二人は何故だか仲が悪いのだ。犬猿も真っ青になるほどである。

 

「はい、そこまで。二人とも、今は軍議の最中なのだけど?」

「はっ。申し訳ありません、華琳様」

「……申し訳ありません」

「分かればいいのよ。……報告を」

 

言い争いに発展する前に、曹操が王平と徐晃を諌める。平然と答える徐晃に対し、王平は些か不満げである。しかしそれでも二人が素直に沈黙したのを見やると、曹操は報告のため後ろに待機していた兵士に声をかける。

 

「はっ! 前方に確認した行軍中の集団は数十人ほど。旗がないため所属は不明ですが、装備に統一性が無い事から正規軍である可能性は低いと思われます」

 

少し早口気味ながらも、偵察で得た情報を兵士が簡潔に説明する。それを聞いた王平は、顎に手を添え少し考えるそぶりを見せると、兵士に向かって問いかけた。

 

「ふむ……なら、その集団に黄色い布を身につけている者はいたか?」

「いえ、確認できませんでした」

「そうか……」

 

どうやら件の黄巾共ではないらしい。それを確認した王平はふぅと、その場で小さく息を吐く。とは言え、黄巾を身につけていないからと言ってそれが暴徒や賊ではない証となるわけではない。もう少し正確な情報が欲しいところだと王平は思った。

 

「もう一度、偵察隊を出しましょう。夏候惇、北郷、あなた達が指揮を執って」

「おう」

「お、俺ぇ!?」

 

そんな王平の心境を読み取ったのか、はたまた荀彧自身も同じことを思ったのか。ともかく再偵察を提案する荀彧の言葉に、然もありなんと即答する夏候惇に対し、一刀はまさかの指名に驚き素っ頓狂な声を上げる。

 

「何よ、不満でもあるの?」

「いや、不満と言うか……俺で戦力になるのかなって……」

 

自慢ではないが、未だに一刀は馬に掴まって方向を指示するのが精一杯である。だと言うのに、機動力が必要となる偵察隊の指揮を執るなど、到底出来るとは思えない。夏候惇はともかくとして、相方に選ぶのなら夏侯淵か王平辺りが自分よりも適任なはずであると、一刀は思う。

 

「なるわけないけど、偵察に何人も将を出すほど人手が有るわけじゃないし。あんたも一応、ここに立ってるくらいなんだから、せめて夏候惇の抑え役くらいしてちょうだい」

「……そういうことか」

 

荀彧の説明に一刀はなるほどと言って頷く。しかし遠回しに馬鹿にされた夏候惇は、当たり前のように頷いている一刀に喰ってかかった。

 

「おい、何を納得している! それではまるで、私が敵と見ればすぐ突撃するようではないか!」

「違うの?」

「違うのか?」

「違わんだろう」

「違わないでしょう?」

「……すまん、春蘭」

 

桂花、夏候淵、徐晃、果ては曹操にまでそう言われ、夏候惇が頭を垂れて落ち込む。王平はと言えば、弁護する言葉を捜すも見つからず、申し訳なさそうにしていた。

 

「うぅ、華琳様までぇ~……」

 

いじけた声で言う夏候惇に、その場の皆が苦笑を浮かべる。そこでようやく弁護の言葉が見つかったのか、王平はまあまあと言って夏候惇に声をかける。

 

「まあ、あれだ。春蘭の部隊は練度も高いし機動力もある。それに万が一戦闘になった場合も、夏候惇隊の実力が有れば難なく振り払える……それを見越しての判断だな、文若」

「そんなところよ」

「そ、そうか。良かった……」

「……そこに俺、入ってないんだけど」

 

幾分元気を取り戻す夏候惇対し、今度は一刀が若干不本意そうな顔をする。王平はやれやれとため息を吐くと、一刀に向き直って口を開いた。

 

「初めの調練の時に言っただろう。今のお前は未熟だ。だからこそ春蘭の後ろに付き、そしてその目に見えたもの全てを余さず学べ。無論、春蘭の手助けをしながらな」

「見て学ぶ……」

「そうだ。何も他人から教わる事だけが学ぶという事の全てじゃあない。時には己の目で見ることでしか得られないものもある。そしてそこにあるものを見て学ぶ事は、己を高みへと導くためのれっきとした手段の一つだ。一刀なら分かるはずだろう?」

「……そうだな。うん、分かるよ」

「そうか。なら安心だ」

 

一刀の答えに王平が満足そうに笑う。そして王平の言葉に力強く頷いた一刀の瞳には、先ほどとは違い強い意志が宿っているのが見て取れた。

 

「では春蘭、一刀。すぐに出撃なさい。二人とも、良い働きを期待しているわよ」

「はっ! 承知いたしましたー!」

「ああ。出来る限り頑張ってみるよ」

 

そう言うと二人は踵を返し、曹操の命を果たすため、偵察部隊を率いるために本陣から出ていく。それを見送った曹操は、ふっと小さく笑うと王平の方へと目を向けた。

 

「相変わらず、人を煽るのが上手い男ね」

「煽るだなんて人聞きの悪い……ただ少し、先に踏み出すための道ってやつを示してやっただけです。これでも一応、一刀よりは長く生きてますからね。後人に道を指し示すのが先人の役目ってやつでしょう? それに一刀はなかなかに努力家です。なので俺は、ついそれを応援したくなるんですよ」

 

弟みたいに思えて世話を焼きたくなるっていうものありますけどね。と、若干恥ずかしそうな顔をして加えてそう言う王平に、曹操は少し意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「あらあら、随分と気に入っているみたいじゃない。けど、あまりにそうだと今度は大事な副官に機嫌を損なわれるかもしれないわよ?」

「もう損なわれましたよ。そして解決済みです。と言うか、一刀を気に入っているのは華琳様も同じなのでは?」

「さぁ? どうでしょうね」

 

そう言って、曹操はニヤリと笑うと話をはぐらかす。そんな二人を見て、荀彧はあんな男さっさと死ねばいいのになどと物騒な事を口にし、夏候淵はそんな荀彧に苦笑を浮かべ、徐晃は不機嫌そうに鼻を鳴らすのだった。




地理関係は結構アバウトです。原作に明確な表現がないので。

それでは、次回も宜しくお願いします。


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第六話

大変! 長らく! お待たせしてしまい申し訳ありませぬ!

では、どうぞ!


夏候惇が一刀を含めた十数名の部下と共に偵察に出てから早二刻。それなりに時間の掛かると思われた偵察隊からの連絡は早かった。

 

と言うよりも、報告など待つ必要も無く、既に王平たちは遠目から見て異常事態が起こっている事を理解していた。なぜなら王平たちの前方、偵察隊の更に向こう側で、人が空を舞っているからだ。

 

そう、人が空を舞っているのである。例え話と言う訳でも無く、言葉そのままの意味でだ。今もまた、大の男一人が情けない悲鳴を上げながら空に舞い上がり、そして地面へと落ちていく。その情けない悲鳴に混じって、まだ幼さの残る声で発せられた雄叫びが離れた王平たちの元へ聞こえてくる。

 

光景的には理解に苦しむが、状況を理解するのであればそう難しい事ではない。誰かが戦っているのだ。それも人を軽々と空に打ち上げるだけの怪力を誇る何者かが、自衛か、もしくは別の理由で戦っている。そう理解した瞬間、王平たちの動きは早かった。

 

曹操の命が下るや否や、全部隊が駆け足となって偵察隊へ合流するために動き出す。曹操の部隊を中心に、先頭を徐晃の部隊が進み、左右を夏候淵と王平の隊が固める。並の軍団ならば容赦なく蹴散らすだろう魏の精兵達。しかしその王平達が辿り着く前に、夏候惇たち偵察隊の面々に怖気づいた謎の集団が散り散りになって逃げ出す。

 

結局、王平達が偵察隊に合流する頃には、戦闘は偵察隊の被害無しという結果をもって終結していた。

 

「はぁ……」

 

終始、人が空を舞う光景だけを見せつけられていた王平は馬上で小さくため息を吐く。その理由は、恐らくまた面倒をみる相手が一人増えそうな予感がしていたからだ。遠目からでもハッキリと分かるほどの大立ち回りを繰り広げた猛者だ、優秀な人材を積極的に求める曹操が捨て置くはずがない。例え素性がどうであったとしても、その志が曹操の求める義に反していなければ間違いなく曹操は事の張本人に勧誘の声を掛ける。あれほど怪力を誇る人材は大陸広しと言えどもそうは見ない。

 

しかし、そういう人物に限ってひと癖ある人物の場合が多いと王平は思っている。ぶっちゃけて言えば、主である曹操すらも王平から見れば癖の強い人物だ。人との相性の良し悪しははっきりと別れる人物だろう。そう考えれば自分の周りは癖者揃いだなと、王平は改めてそう思った。

 

「はぁ……まぁ、いいか。考えても今更だしな。と言う訳で副長、報告頼む」

 

詮の無い考え事を自己完結させた王平が近づいてきた気配の方向へと首を動かす。その視線の先には何やら疲れ切った表情を浮かべる女性が一人。先程、王平が本陣にまで状況を聞きに行かせた楊鳳が丁度戻ってきたところであった。

 

「だから、副長と呼ぶのはやめてください」

「あー、はいはい。とりあえずお勤めご苦労さん。で、結局さっきのは何だったんだ?」

「またそうやって誤魔化そうと……」

 

話を進めていつもの事を誤魔化そうとする王平に楊鳳がため息を吐く。そんな楊鳳とのいつもやりとりに王平は少しだけ気が楽になる。王平の表情が幾分明るくなったが、楊鳳は特に何を言うでもなく報告を始めた。

 

「結論からいえば、特にややこしい話ではありませんでした。この付近にある村が先程の集団に度々襲われていたようで、それに我慢のならなくなった村人の一人が単身で先程の集団に殴りこんだんだそうです」

「大した奴だな。少ないと言っても数十人はいただろうに」

「はい。ちなみにその人は無事ですよ。しかも信じられない事に無傷です」

 

さらっと言う楊鳳に、興味を引かれた王平が目を細める。

 

「無傷か、そりゃ尚更だな。絶対に華琳様が声掛けてただろ」

「はい。まあ、それに至るまで紆余曲折はありましたが」

「紆余曲折? なんだ、条件でも突き出されたか?」

「夏候惇将軍が襲われました」

「……」

 

またもやさらっと言う楊鳳に王平が絶句する。その猛者が誰かを襲ったと言うだけでも十分に問題だが、それが曹操軍の武官の頂点に立つ夏候惇ならばそれはもう問題以前と言っても良い。下手をすれば返り討ちにあって死ぬか、そうでなくても四肢の一本でも失って戦士として再起不能にされる可能性もある。王平はそのとんでも猛者の安否が心配になった。

 

「それで……どうなった?」

「流石に夏候惇将軍は驚いてましたが、その理由を聞いて剣をお引きになられました。そもそも相手が年頃の女の子ですから、夏候惇将軍もいきなり剣を向けはしな――」

「ちょっとまて!」

 

淡々と報告を続ける楊鳳に、突然王平が待ったを掛ける。なぜなら王平の理解の及ばない台詞が楊鳳の言った言葉の中に含まれていたからだ。それ即ち〝年頃の女の子〟である。

 

「どうしました?」

 

しかしそんな発言をした当の本人は怪訝な表情。まさか聞き間違いだろうかなどと思いながら、だがもし聞き間違いじゃ無かったらどうしようとも考え、王平は異様な不安感を感じてしまう。自分でもよくわからない緊張感に耐えきれず、腹を決めた王平はゴクリと喉を鳴らしながら楊鳳に問いかけた。

 

「な、なあ静音。俺は今、お前の口から女の子と言う言葉を聞いた気がしたんだが?」

「はい、言いましたよ?」

 

――残酷な答えが一瞬の間も開けずに帰ってきた。

 

王平の中を衝撃が走り抜ける。普段から政務に励む時は専ら聞き専で励む自分がよもや聞き間違いなどするとは思っていなかったが、いざ肯定されるとなると驚愕せざるを得ない。ふらつき、思わず下手な姿勢で落馬しかけるも慌てて体勢を立て直し何とか無事地面に着地する王平。そしてどこかすがるような目をして、楊鳳に再度問いかけた。

 

「……それは、あれか。女に分類されてはいるが、その実態は全身これ鍛え上げらた筋肉な存在の奴か。なるほど、それなら納得が――」

「いえ、贔屓目に見ても可愛らしい小さな女の子でした」

「なん……だと……」

 

まさかの事実に王平の声がかすれた。もはや驚きもここに極まれりである。確かに同じ女性である夏候淵も見た目の割には非常に力が強い、それは王平も知っている。だがそれとて、本気であっても精々相手を横方向にふっ飛ばすくらいで、先の光景のように空高くにまで舞い上げるなどと言った芸当は流石の夏候惇と言えでも出来る事ではない。だと言うのに、人を空にかち上げるほど怪力の持ち主がまさかの小さな女の子などと、王平でなくても誰か信じたく思うだろうか。いや、きっと思わないはずだと王平は思った。

 

「驚くのも無理は無いと思います。正直、私も目の前で実演をされた時は思わず現実逃避をしそうになりましたし」

「そうか……それで顔が疲れてたのか」

「現実を認めるのに苦労したので」

 

王平隊の中でも屈指の胆力を誇る楊鳳をしてここまで言わしめる光景だとすれば、自分にとっても衝撃的な光景なのだろうと王平の額を冷や汗が伝う。一体どれだけ現実離れしていると言うのか。恐怖と共に、若干の好奇心が王平の中に芽生えた。

 

「……よし。なら、俺もその怪力少女を見に行くとするか」

「自信を無くす覚悟はしておいた方が良いかもしれません」

「……」

 

楊鳳の不安を煽るもの言いに、王平の顔が盛大に引き攣った。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

――そして、それは現実となった。

 

「なあ、春蘭」

「無理だ」

「……」

「……」

 

「……なあ、秋蘭」

「無理だな」

「……」

「……」

 

「…………おい、徐晃」

「ふんっ……無理だ」

「……」

「……」

 

その場にいる武官全員へ向けられた王平の問いかけは、それが問いの内容に至るその直前に全て同じ答えによって即答された。

 

その問いの内容とは、そう……今、王平の目の前にある大鉄球を持ち上げられるか否か、である。ちなみに言うと、王平は武官の皆に問いかける前に既に一度試し、そして案の定少しも持ち上がらないという結果に終わっている。

 

だが、それを見た件の怪力少女――名を許緒と言うその子は、顔を真っ赤にして鉄球を持ち上げようと気張る王平を不思議そうな目で見ると、何でもない様子でひょいっと片手で鉄球を持ち上げてしまったのだ。となれば、なるほど……見た目幼さの残る少女に力比べで負けた王平は確かに男として少し自信を無くしてしまった次第である。

 

「と言うかこれ、どんな重さの武器だ!」

 

挑戦する前から同僚たちにはことごとく無理だと否定され、だと言うのに目の前の少女はまるでお手玉でもするかのようにひょいひょいと鉄球を操る姿を前に、ついに王平が叫び出す。その叫びはこの場にいる全員の気持ちを寸分の狂いも無く代弁していた。

 

「おい一刀! お前はどうだ、あぁ!?」

「無理! 絶対無理! と言うかなんで俺に八つ当たり!?」

「じゃあ文若! 似た体格のお前ならいけるだろ!」

「はぁ!? ふざけないでよ、持ち上がるわけ無いでしょ! と言うか、そこにいる許緒以外は絶対に無理よ!」

 

やり場のない悔しさを一刀と荀彧にぶつける王平である。珍しく混乱している様子の王平に曹操がはぁとため息を吐いた。

 

「聖、少し落ち着きなさい」

「しかし、どう考えても人が使う重さの武器じゃないでしょうこれは! 見て下さい、置いた場所の地面が陥没って何ですか!?」

「……まあ、確かにね」

 

王平が指さした先の地面が軽く陥没しているのを見て曹操が頷く。しかしその表情には、呆れや驚きと言うよりはむしろ、喜びの表情が見て取れた。

 

「ふふっ、素晴らしい力じゃない。私の覇道に是非とも必要な力よ」

「いやまあ、それはそうでしょうけども……と言うか、やはり誘ったのですか」

「当たり前でしょう。この子ほど逸材を私が逃すわけ無いじゃない。既に許緒も、今回の討伐行に力を貸してくれる事を約束してくれたわ」

「あぁ、そうですか……」

 

優秀な人材を前に相変わらずな様子の曹操に、混乱気味だった王平はその気勢が急激にしぼんで行くのを感じた。それは恐らく、このどこまでも王者然とした目の前の主の気に当てられたからだろう。冷静に、しかし楽しそうな微笑みを浮かべる曹操を見て、王平は混乱していた自分を思い返して、恥ずかしそうに頬をかいた。

 

「はぁ……いえ、申し訳ありません。先程は少々取り乱しました」

「良いのよ。正直、あなたが思ってる事はたぶん皆が思ってる事でしょうから。ねぇ、春蘭? それに烈華もね」

「うぅ、はい……」

「……恥ずかしながら」

 

名指しで言われた夏候惇と徐晃が同時に応えて小さくなる。その一連の様子を事の発端である怪力少女こと許緒はと言えば、

 

「にゃ?」

 

なんだかよく理解していない様子だった。

 

「ともかく、聖も許緒に挨拶なさい。まだしていなかったでしょう?」

「そう言えば確かに。あー、んんっ。俺の名は王平、字は子均。宜しく頼む」

「はい! ボクの名前は許緒って言います。これから宜しくお願いします!」

 

はきはきと、元気いっぱい礼儀正しく応える許緒。その姿に、混乱していた先程とは打って変わって王平は思わず涙腺に涙を滲ませた。

 

「えっ、どうしたんですか王平様?」

「ああ、すまん。つい許緒が良い子過ぎてな……感動しちまった」

 

困惑する許緒の頭をいつもとは違い優しく撫でてから、王平が袖で涙をぬぐう。普段、夏候惇や徐晃と言った猛者たちを相手にしている王平にとって、許緒の存在は紛れも無く癒しそのもの。そんな子が輝かんばかりの笑顔を向けてくれて、感動しない訳が無い。そしてそれを見ていた一刀も、王平の気持ちが分かると言わんばかりに何度も深く頷いている。そんな仕方のない男二人組に、曹操が小さくため息を吐いた。

 

「あなた達、馬鹿やってないでしゃんとしなさい」

「ははっ、重ねて申し訳ありません。まあ、男のどうしようもない一面だと思って見逃してください」

「全く、静音に愛想を尽かされても知らないんだから。それに一刀も、それだけ顔を緩ませられるだけの余裕があるなら、聖達と一緒に前にでる?」

「……ごめんなさい。今後は自重します」

「よろしい」

 

曹操の言葉に小さくなる一刀。王平はそんな一刀に元気出せと言って肩を叩く。悪びれる様子もない王平に曹操は一つ苦笑を浮かべる。討伐行の最中だと言うのに、なんとも平和な一団であった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

許緒を発端とした和やかな時間を幾許の時か過ごした後、曹操軍は再び前進を開始した。追手として放っていた偵察兵が先の集団の拠点を発見したと、報告に戻ってきたからだ。拠点に籠るその集団の規模は曹操が朝廷より討伐を任命された賊徒の規模とほぼ同数。偶然にも、許緒の住む村を襲っていた謎の集団こそが、今回の討伐目標であったのだ。

 

まさに許緒がもたらした幸運である。強行軍ゆえに糧食の少ない今回の討伐行では探索に掛かる時間すら曹操軍には惜しい。ゆえに他州入りするのとほぼ同じくして討伐目標の拠点が見つかったのは、曹操たちにとって僥倖であった。

 

「しかしなんだ。今回は随分と張り合いの無い仕事だな。俺たちが戻ってくる必要も無かったんじゃないか?」

 

そんな幸運の中、しかし馬の上で暇そうにする王平はぼそりとそう愚痴る。今回の賊徒討伐のために無茶をしてまで遠路遥々から戻って来たと言うのに、敵部隊の偵察からその拠点の発見に至るまでとんとん拍子で進む始末。そして王平に下された命令はと言えば、本隊との交戦後に撤退するだろう賊徒達への追撃であった。

 

曹操率いる本隊が攻撃を仕掛け、あぶり出した賊徒の軍勢を本隊がそのまま撃破。後に敗走する賊徒達にあらかじめ退却路にて伏兵として待ち伏せる王平隊が追撃を掛け、そして完全に殲滅する。いうなれば、瀕死の獲物に止めを刺すだけの仕事が今回の王平達の任務だ。そのために王平達は今、本隊から離れた所に位置する森の中でじっと息をひそめて待機している。

 

後はこの場所へと賊徒達が逃げ込むように撤退時の経路を限定してやるだけだが、それは曹操達本隊がするべき仕事。その辺りは荀彧辺りが上手くやるだろうと王平は予想している。

 

しかしだ。日頃から厳しい任務についてきた王平としては、不謹慎ではあるが、実のところ今回の任務に些か物足りなさを感じている。恐らくは遠征から帰還したばかりの王平隊を曹操が気遣っての事だろうとは思う。楽な仕事である分、部下達の危険も少ないだろう。

 

部隊全体からしてみれば良い事尽くし。ただ王平個人の感情として、少しばかり釈然としないところがあるだけだ。そして王平は部隊を率いる立場にある。私情を挟むつもりは無いが、しかしそれでも不満なものは不満なのだから仕方が無い。

 

「聖様、決めつけるのは早いですよ。まだ敵の拠点が見つかっただけです。討伐はこれからなんですから」

 

そんな王平の不謹慎な発言を咎めるように言う楊鳳。しかし王平は相変わらず不満げな表情である。

 

「そうは言うがな、静音。相手はさっきの、春蘭のおっかなさだけで逃げ出した様な奴らだぞ? 正直、本隊側の討伐もそこまで苦労するとは思えん」

「軍団と言っても所詮相手は食い詰めた農民ですからね。こちらが本気で掛かれば苦労する事は無いでしょう。とは言え、やはり数の差は脅威です。少しの油断が――」

「敗北を招く。分かってる、油断はしない。どんな戦でも全力で挑むのが俺の矜持だ」

 

楊鳳の言わんとする事を遮り、その先を王平が続ける。不満を感じるからと言って軍人としての己の心得を蔑にするつもりなど元より王平にはない。相手が自分より弱者であったとしても、相手がその手に武器を取った瞬間から王平は自身の全力を持って相対するつもりでいる。それが武人として長く戦場に立ち続けてきた王平の相手に対する礼儀でもあるし、なにより王平自身の役目でもあるからだ。

 

守るべきものに理不尽な暴力が振りかざされたならば、王平はその暴力を抑えつけるためにそれを越える圧倒的暴力を何の容赦もなく振りかざすだろう。全ての事柄が万事何事も無く解決する事などありはしないと分かっている。

 

この世の中、結局は暴力でしか解決できない事だってあるのだ。しかし一方で力で抑えつけるばかりでは解決しない事もある。だがそれは王平が担う役割ではない。そう言う事は為政者である曹操やその補佐たる荀彧の役目だ。

 

王平の役割はあくまでも汚れ役。戦場でその手を血に濡らし多くの骸を作り上げ、主が前に進むための血路を開く役割。戦争と言う、暴力でしか解決できない事柄を率先的に担うのが王平の――いや、王平に限らず曹操軍に仕える武官全員の役割である事は、古参である王平にとって今更再確認するまでも無い事である。

 

「でもまぁ、俺達の出番があるかは分からんがな」

「私達が追撃に出る必要も無く、本隊の方だけで手が足りてしまうと?」

「可能性としてはありえるだろう。許緒が本隊に加わったおかげで尚更らだ」

 

そう言って王平の脳裏に浮かぶのは、少女の振り回す鉄球に巻き込まれ木っ端の様に吹き散らされる賊徒達の姿。王平は少しだけ賊徒達に憐みを感じた。

 

「……確かにアレを振り回されるのは怖いですね」

 

許緒が鉄球を振り回して暴れる光景を想像した楊鳳も苦笑を浮かべる。

 

「ああ。正直、俺も相対するのは御免だな。あんな物騒な物を正面から食らったら一も二も無く挽き肉になれる自信がある」

「夏候惇将軍は受け止めてましたよ?」

「俺を春蘭と一緒にするな。あの大剣を軽々と振り回せるんだぞアイツは」

「聖様は無理なんですか?」

 

楊鳳の遠慮の無い問いかけに、王平が口をへの字に曲げる。

 

「持ち上げるくらいならできるが戦うのは無理だ。と言うかお前、分かってて言ってるだろ」

「今、予測が確信に変わったところです」

「あぁ、そうかい。悪かったな、上官が普通の得物しか使えなくて」

「拗ねるのは流石に大人気ないですよ?」

「誰のせいだ、誰の」

 

若干気落ちしながら王平は腰に下がる自分の得物を見やる。厚みのある刀身を持つこれは、作りの良さも考慮すれば相当に頑丈な代物だろう。しかし美しさとは無縁な飾り気のない外観だ。

 

鍛えられた肉厚の刀身に装飾の一切無い頑強な作りの柄。まさに質実剛健を体現したかのような剣と言える。そして、自分の戦い方に応えるためだけに拵えられたこの剣を、王平はとても気に入っている。実際、王平が鞘から剣を少し引き抜き刀身を確認してみれば、そこには長年使い込まれている事を証明する無数の傷が見て取れた。

 

「相変わらず傷だらけですね」

 

傍からそれを見た楊鳳の言葉に、王平は苦笑しながら剣を鞘に納める。

 

「これでも控えている方なんだがな」

「聖様の控えるの基準は当てになりません」

「かもな」

 

茶化す様にそう言って開き直った王平は、ため息を吐く楊鳳に向けてにかっと笑ったのだった。

 




少し中途半端な気もしますが、ここから先を入れるとなるとまた長くなって更新がヘドロっちゃうので、とりあえずここで。

次回はもう少し早くあげられる様にしたいです。

それでは、次回も宜しくお願いします。


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第七話

賊徒追撃のため、王平隊が予想退路に布陣した翌日。王平の下に急な知らせが届いた。哨戒任務中の小隊から早馬にてもたらされたその知らせは、まるで予想外の内容であった。

 

――南方に賊徒あり、数およそ千。

 

不測の事態に、俄かに王平の表情が固くなる。現在の王平隊の数はおよそ五百。追撃の任に必要な最低限の数を揃えただけの状況であり、かつ装備も機動力を重視した軽歩兵のみの構成となっている。無論、相手は満足な装備も整っていない農民上がりの賊徒。対する王平の部下たちは、厳しい戦いを勝ち抜いてきた百戦錬磨の戦士たち。五百程度の数の差など例え装備が整っておらずとも容易くひっくり返せるだけの実力がある。

 

しかし、それは被る被害を無視すればの話。現状、迎撃に出れば少なからず被害が出る事は王平も十分に理解している。その上で今回は息を殺し、当初の予定通り追撃の任務にのみ従事するのか。それとも、こことは別の場所で災禍を振りまく存在となりうる一団の討伐に向かうのか……。

 

曹操たち本隊が本拠に籠る賊徒を討伐するにはまだ時間が掛かるはずだが、もし王平隊が南方の新手の討伐に向かえば、ほぼ確実に本隊が取り逃がした残的の追撃は王平隊には不可能になるだろう。その旨を伝えるための早馬を送り本隊に引き続き追撃を任せると言う方法もあるが、布陣してから一夜明けた今、早馬が着くのが先か本隊が賊をあぶり出すのが先か……。一種の賭けとなってしまう、その懸念が残るのだ。

 

もちろん、本隊の曹操に指示を仰ぐだけの時間は当然ない。そのため今回の判断は現場指揮官である王平に全て委ねられている。そして常識的に考えれば命令通りにこのまま布陣し、やり過ごすのが妥当だろう。だが残念ながら、王平は常識通りの判断をするような将では無かった。

 

「副長、各部隊に伝令。これより王平隊は南方に出現した新手の討伐へと向かう。本隊には計画の変更を伝える早馬を出せ」

「良いのですか? 命令違反になりますが……」

「構わん。責任は全て俺が取る」

 

問いかける楊鳳の言葉を、そう言って王平はばっさりと切り捨てる。楊鳳の顔に苦笑が浮かんだ。

 

「御意に。まあ当然ですが、私もお供させてもらいます」

「好きにしろ。ただし、命令違反で首が飛んでも文句は言うなよ」

「聖様とならば、本望です」

「はっ、嬉しい事言ってくるじゃねぇか」

 

言葉の通り、愉快そうな笑みを王平は浮かべる。しかし真面目な話、もしこれで新手の討伐に失敗し敗走するような事があれば確実に王平の首は飛ぶだろう。それも暇を出される事の例えではなく、物理的な意味合いで。

 

「まぁ、俺に任せておけ。どーんっとな」

「もとよりそのつもりです。では、部隊長達に伝えてきます」

「おう、頼む」

 

駆け足で去っていく楊鳳を見送り、王平がふぅっと小さく息を吐く。呼び戻された直後の、しかも物足りない内に終わるかと思われた任務が、よもやこの様な不測の事態に見舞われることになろうとは王平もついぞ思っていなかった。もしかしたら、先日王平が不謹慎にも物足りないなどとのたまったからかもしれない。

 

そう考えると自分はこれから巻き込まれる部下達にとって疫病神となってしまったのかもしれない。しかしそのおかげで災いの芽を一つ、一足先に摘む事が出来ると言うのならば、それは王平にとっては僥倖に他ならない。民の平穏を守る事、それが王平が将として戦う理由の一つだからだ。それに部下達だって、自分と同じ気持ちで戦っているだろうと王平は信じている。そう思えるくらい、王平と部下達の付き合いは長い。

 

「新しく後輩も入った事だしな。ここらで一つ、先輩の実力を見せつけてやるとするか」

 

まあ、実は今頃本隊で活躍しているだろう後輩たちへのささやかな対抗心もあったりする……。

 

加えて許緒との一件で少し自信を失ってしまった自分を、今一度奮起させたいとも思っていたりする王平である。最も、未だにあの大質量を軽々と持ち上げる許緒の腕力の理不尽さには納得しきれていないのだが、それはまた別の話なので置いておく。

 

「あとは、荀彧の文句をどう受け流すかだなぁ」

 

淡々と戦支度に手を動かしながら、王平はひとりそう呟く。今から王平がしようとしている事は、まず間違いなく荀彧の計画に支障をきたすものだからだ。支障と言っても別段軍全体がいきなり危機にさらされるとか、そういう類の事ではない。ただ今回の討伐行は速やかな終結を第一とし〝荀彧の計画では〟必要最低限の糧食しか用意されていない。ゆえに今回、王平が行おうとしている余計な戦闘行動は、荀彧の当初の予定に組み込まれていないため、最悪糧食が足りなくなる可能性があるという致命的な問題が発生しかねないのだ。

 

だがここで、王平がもしものためにと事前に準備をしていたのが功を奏した。実は王平、城で出陣準備に取り掛かっていたその時から、荀彧には無断で定められていた量よりも多くの兵糧を準備していたのである。王平隊の輜重隊が他よりも少しばかり規模が大きいのがその証拠だ。実際、引かれている荷車には糧食がみっちりと積み込まれている。これに関しては当初、王平はバレるのではないかと内心ひやひやしていたのだが、幸いにも気付かれる事は無く今に至る。

 

よって討伐行に掛かる時間は多少長くなろうとも、兵糧の心配をする必要は無い。なのであとは、本隊に合流した後に待っているであろう、勝手に独断専行した事に対する荀彧からの文句を王平が我慢しさえすればいい。あの達者な口からどの様な罵倒が飛んでくるのか、王平としては少しばかり怖い気もするのだが……。

 

ともあれ、王平は行動する事を決めた以上は立ち止まる事はしない。装備の点検を済ませ王平が戦支度を終える。そこへ楊鳳が出陣準備が整った事を報告に来たのは、そのすぐ後の事であった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

所変わって曹操軍本隊。現在進行形で賊軍の本拠に攻勢を仕掛けている本隊の本陣で、一つの怒声が天を突いた。

 

「なに勝手な事をしてくれてるのよ!」

 

声の主は荀彧。小柄な体から発せられたその怒声に、原因となる報告を携えてきた伝令兵が体を震わせた。

 

「どうしたの桂花。そんな大声を出して」

「あ、華琳様……」

 

前線を見守っていた曹操が何事かと顔を見せ、荀彧は困った様な表情を浮かべた。

 

「それがその……王平隊の布陣地点から南方に別の賊軍が確認されたと王平から伝令が……」

「確認された場所からして増援ではなさそうね。あくまで別の賊軍かしら」

「恐らくは」

「そう。それで? ただそれだけのことで大声を上げた訳ではないのでしょう?」

 

そう尋ねる曹操に、荀彧の表情が更に曇る。

 

「はい。確認されたその新手を、王平が独断で討伐に向かった様です」

「なんだ、そんな事」

 

何でも無い様に言う曹操に、荀彧が言葉を一瞬失った。

 

「そ、そんな事って。これは歴とした命令違反です!」

「まあ、そうね。聖もそれくらい理解はしているでしょう」

「ならっ!」

「理解していて、それでも行動に移したと言う事は、聖には確実な勝算があるのでしょうね。聖の状況判断の的確さは、私が保証するわ」

「……っ!」

 

傍から見ても王平を信頼している事を感じさせる曹操の表情に荀彧が悔しさに唇を噛み締める。すると俯いた荀彧のおとがいに曹操の手が添えられ、荀彧の顔がくいと上に向かせられる。目尻に滲んでいた涙は、曹操が目を細めながら指の腹でぬぐった。

 

「ふふっ、聖に嫉妬する桂花も可愛いわね。心配しなくても、桂花を信頼していないからああ言った訳じゃないのよ。軍師が立てる策も大事だけれど、時には現場を知る将の判断の方が正しい時もある。今回はそう判断しただけよ。勿論、そう判断するだけの信頼があるのもまた事実だけれど」

 

曹操の言葉に荀彧は悔しくも納得せざるを得なかった。荀彧は曹操の下へ仕える際に周辺人物の経歴を可能な限り調べたが、確かに王平は将として優秀であると誰もが口にしていたのだ。文字が読めない欠点を持っていたがそれは武官としてはさほど痛手ではない。しかもその欠点は副官である楊鳳が補っている。

 

優秀な部下を持つ事も将としての才能の一部。自分に出来ない事を部下に任せる事は何も恥ずかしい事ではない。荀彧も自分一人では実行できないからこそ、策と言う形を用いて人を使うのだから。

 

結論として、荀彧の中で王平は『気に食わないが認めざるを得ないケダモノ』として認定されていた。男である以上、ケダモノ扱いだけは避けきれない様である。

 

「ともかく、聖が追撃に出ないとなるとこちらで追撃部隊を編成する必要があるわね。桂花、どの様に軍を動かすのかはあなたに采配を任せる。あなたの軍師としての力、私に見せてみなさい」

「はい! この荀彧めに全てお任せ下さい!」

 

しかし荀彧はそれを表には出さない。曹操に嫌われたくないからと言うのもそうだが、戦の最中で私情を挟むほど荀彧も愚かではない。やるなら誰にも見えない様に、そして曹操の迷惑とならない時期に……そう、限度を踏まえて裏からこっそりと、だ。

 

だが活躍の場を与えられた事で既に頭が切り替わった荀彧からは、先程まで思案していた王平に対する嫌がらせ計画がすっぱり消え去ってしまった。むしろどの様にして賊徒共を血祭りにあげてやろうかと、妖しい笑みを浮かべながら全力思案中である。

 

「ふふっ、期待しているわ。それと桂花、聖とは真名を交換していないようね。一刀とは真名を交換するよう命令したけれど、聖ともと命令しなければいけなかったかしら?」

「なっ!? それだけはご勘弁をお願いします華琳様! ただでさえ北郷(ケダモノ)に真名を汚されたのに、これ以上は無理です!」

 

しかしそんな表情も曹操に一言で一気に涙目に逆戻りである。曹操にならば何をされても構わない荀彧ではあるが、男が関わるならば話は別。助命嘆願を願い出る勢いで荀彧は勘弁を求める。最もそれを楽しんでいる曹操からしてみれば、今の荀彧の姿は背筋がぞくぞくするほど可愛く見えてしまう訳なのだが。

 

「だ・め・よ。一刀の時と同じくこれは命令。戦が終わったら必ず交換する事。いいわね?」

「うぅ~……はぃぃ」

 

小さくなっていく声と同じように、悲壮な顔をして体をしぼませる荀彧。その姿に、曹操が疼くどころか暴れ出しそうになる食指を平静な顔で抑える事に苦労した事は、本人以外に知る由の無い事であった……。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「なぜだ。急に同情の念が湧いたぞ」

「誰にですか?」

「いや、分からん」

「はぁ?」

 

行軍中、突然申し訳なさそうな顔でそう呟いた王平に楊鳳が首を傾げた。ぶっちゃけ王平自身もなぜだか理由が分からないので、まあ気のせいだろうと言う事にして納得する。

 

「まあ、アレだな。大方華琳様が荀彧辺りをいじめてたりするのかもしれんな」

「随分具体的な予想ですね」

「華琳様の性格を考えれば荀彧は格好の獲物だろうさ。と言うか、ウチの面子を考えれば絶対に食指が疼くだろうな。荀彧が華琳様に心酔してるなら尚更だ」

 

王平の言う通り、曹操の下に仕える将は夏候惇や夏候淵を始め武人然とした人物が多い。その中で初めての小動物的な要素を備えていると見える荀彧は、まさに曹操にとって格好の獲物だろう。これでまた周りの百合々しさが加速するのかと思うと、少しだけ悩ましく思う王平である。主である曹操が部下達を囲って百合々しくするのは構わないのだが、その気に当てられるのだけは勘弁してほしい。王平だって男である。

 

「あー……確かに荀彧殿ならばあり得そうですね。まあ夏候惇将軍も曹操様にいじめ……寵愛を受けた時は喜んでいますからね。ただ正直、今でも私は夏候惇将軍が曹操様の前でデレる姿を見るたびに目を疑います」

「泣く子も黙る鬼夏候が、華琳様の前じゃわんこ夏候だしな」

「わんこ夏候って……」

「可愛くは……ないかもな」

 

曹操に首輪をつけられ手綱を握られながらハァハァする夏候惇を想像した所で、王平はその先に進むのを止めた。妙に生々しく場面が脳裏に浮かんでしまったからだ。そんな状態でつい目の前の楊鳳を見てしまい、同じく浮かんでしまった〝それ〟に王平は悲鳴を上げた。

 

「ぬぉぉぉ! 俺の中の静音像がぁぁぁ……」

「ちょ、私で何を想像したんですか!?」

「聞くなぁ! 今記憶から全力消去中だ!!」

 

頭を抱えながら忘れろ忘れろと連呼し続けている王平の姿は、傍から見れば不気味の一言に尽きた。

 

「よし、忘れた。消去完了、平常心だ」

「勝手に自己完結しないでください! 何を想像したんですか!」

「どうした静音、俺は何も想像なんかしてナイゾ」

「最後棒読みですから! そんなに言いたくない内容なんですか!?」

「静音よ、忌まわしき記憶は全ては消去されたのさ」

 

ふっと遠い目をして一向に答えるそぶりを見せない王平に、ついに楊鳳が折れた。

 

「はぁ……もういいです。気にしたら負けと思う事にしておきます」

「ああ、そうしてくれ」

 

諦めて言う楊鳳に王平はほっと息を吐くと、先程までは打って変わり真剣な表情で視線を前へと向ける。その先には小さな陣が張られている。言うまでもなく、王平隊が討伐目標とした新手の賊徒達によって張られたものである。

 

「さて、息抜きは終いだ副長。戦闘の準備は整っているな?」

「はい。輜重隊の一部は既に本隊へ向かわせましたし、残りの方も後方配置に回してあります。命令を下されれば何時でも突撃できます」

「上出来だ。なら、全部隊に通達。今回は部隊を二つに分けて挟撃を仕掛ける。左翼は俺が率いる、右翼は副長が指揮を執れ」

「殲滅戦ですか?」

「いや、ある程度仕掛けた後に投降を呼びかける。だがまあ、向こうが徹底抗戦の構えでくるなら殲滅戦になる。俺としては出来れば避けたい所だがな」

 

しかしそれは相手が元農民だからと言う情けや慈悲などではなく、部隊の被害が大きくなる事を避けたいからである。ただでさえ兵数に差があるため、力押しで来られてしまえばどうしても抑え切れない所が出来てしまう。王平としては大陸全土で不穏な空気の流れ出している今、こんなところで優秀な部下を失いたくは無い。

 

「どちらにしろ、今回は危険な戦になる。油断はするなよ」

「御意に。王平将軍もお気をつけて」

「ああ、静音もな」

 

楊鳳と互いの無事を祈り合って王平は楊鳳の傍から離れる。そして整列待機する王平隊の真正面に立つと、部下達全員に向けて大声を張り上げた。

 

「皆、勝ってこその戦いだ! 皆もわかっているとは思うが今回は何時もの様に万全な態勢では戦に臨めん。ゆえに、敢えて聞こう。今この場に、今すぐにでも逃げ出したい奴はいるか!」

「「「否っ!」」」

「ほう! その言葉に嘘偽りは無いか!」

「「「応っ!」」」

「上等だっ! この勇気ある馬鹿野郎ども! よろしい、ならば出陣だ! 第一から第五小隊は俺に、第六から第十小隊は楊鳳に続け。行くぞ、全員抜刀!」

 

王平の声に従い、王平隊の兵士全員が一糸乱れぬ動きで剣を抜く。それを見届けた王平もすらりと剣を抜くと、その切っ先を賊軍の張る陣抜向け、そして叫んだ。

 

「突撃せよ!」

 

叫ぶと同時に馬を走らせた王平に同じくして楊鳳が続き、それに一瞬遅れて王平隊の兵士達が、勇ましい雄叫びと共に突撃を開始する。背中に感じる部下達の闘気の頼もしさに、王平も思わず口元に笑みを浮かべる。

 

立ち上る砂塵にようやく気がついたのか、賊軍の陣の動きが俄かに慌ただしくなる。迎撃に出てくる部隊の隊列は形も何もあったものではない有様。突然の急襲に混乱する賊徒達の身には共通して黄色い布が巻かれている事を、遠目ながら王平は気がついた。

 

「なるほど、まさかこっちが件の奴らとはな!」

「ある意味、適任ですね!」

「皮肉かそれは? だが、違いない!」

 

楊鳳の皮肉に苦笑しながら王平は進路を左に向ける。連動して楊鳳が進路を右に向ける。あらかじめ指示されていた方へと兵達は続き、一軍となって動いていた王平隊は縦に割かれるようにして二つの部隊に分かれる。真正面からの迎撃態勢を取っていた賊軍の動きに明確な動揺が走り、王平は獰猛な笑みを浮かべた。

 

「皆、よちよち歩きの素人共に戦の仕方を教えてやれ!」

 

左と右に分かれようとあたふたし、もはや列すらも成していない賊軍の戦列を、王平を先頭にした左翼王平隊が踏み破る。馬に跨る王平は馬に敵兵を蹴散らさせながら自らもまた剣で敵兵の頭を叩き斬っていく。そんな王平を中心に王平隊員達は横に広がるようにして展開し包囲網を構築していく。賊徒達を挟みその反対側では、同じようにして楊鳳の率いる部隊が包囲網を構築していく様子が、他より一つ視点の高い馬上の王平には確認できた。

 

「「弓兵、一斉射……放てぇ!」」

 

王平が指示を出すのと、楊鳳の声が王平の耳に入ってきたのはほぼ同時であった。後列部隊から一斉に放たれた矢が敵軍を抑える前列部隊の頭上を越えて敵陣の中心に襲い掛かる。王平隊の包囲網により密集隊形による迎撃陣を敷かざるを得なくなっていた賊軍に、この一斉射は痛打となった。密集隊形であるがゆえに本来の強みであったはずの兵数の差は全く効果を発揮できず、一度も剣を交えないままに矢に貫かれた敵兵も王平からは多数確認できる。

 

急襲による混乱と、圧倒的な実力差を見せつけられた事により、もはや賊軍の士気は傍から見てもどん底にまで落ちていた。それでも抵抗する事を止めないのは単に自棄を起こしているのか、それとも譲れない何かがあるのか。どちらにしろ、降伏勧告は意味を成さないだろうと、そう王平は理解した。

 

「……容赦は不要だ、殲滅せよ!」

 

下された殲滅命令に、左翼王平隊の攻勢が一層激しくなる。右翼も一瞬遅れて攻勢を強め、賊軍の陣地には次々と屍の山が築かれる。

 

ほどなくして、五百の王平隊による千の賊徒の殲滅は多少の被害を王平隊にもたらし、その幕を静かに閉じたのであった。




華琳様たち本隊は、原作と同じく砦にこもる賊徒の殲滅中。ぶっちゃけ原作の方には王平を絡ませようにもオーバーキルにしかならない気がしたので、王平は王平でもう一つの小さな戦場にて活躍をしてもらう事にしました。

次回以降の戦場ではちゃんと恋姫キャラも出すようにしますです、はい。

それでは、次回も宜しくお願いします。感想、ご指摘など心よりお待ちしております。


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第八話

曹操軍の討伐行は、予定以上の戦果を上げる形で幕を下ろした。朝廷より討伐を命じられていた賊軍はもとより、独断であったとはいえ王平が黄巾を身に付けた件の賊徒達を殲滅したからである。

 

本隊が相対していた賊軍においては荀彧がその頭脳を思う存分に発揮し、主である曹操を囮に引っ張り出した賊軍を夏候姉妹に背後から奇襲させると言う大胆不敵な策謀によって賊軍を壊滅。さらに敗走する賊軍の退路を追撃部隊を巧みに指揮する事で誘導し、戦を終えた後の王平隊の布陣する地へと向かわせた事によって、当初の予定通り敗走する賊軍を王平隊が殲滅。王平は奇しくも命令違反の罪を問われる必要が無くなったのである。

 

強行軍と言う初めての試みと、予定外の事態によってどうなる事かと思われた曹操軍の討伐行。それなりに苦労はあったが、何事も無く丸く収まった――と言う訳にはいかなかった……。

 

「ねぇ、桂花。私が今、何を言おうとしているか分かるかしら?」

「……はい、華琳様」

 

討伐行からの帰り道。時刻は朝。本拠地である陳留へあと半日もない場所で最後の小休止を取る曹操軍の本陣にて、そのやり取りは交わされていた。

 

「あらそう。なら当ててみなさい」

「……空腹、ですか」

「正解。私、今とてもお腹が空いているの。これはどうしてかしら?」

 

口ごもる荀彧を虐めるかのように言う曹操に、傍から見物していた王平は大きくため息を吐いた。ちなみにだが、そのすぐ隣には馬に縄で括りつけられた状態の一刀がいる。なぜそんな状態なのかと言えば、戦が終わった後、緊張の糸が切れた一刀がそのまま気を失ってしまったからだ。男として情けないにも程があるが、王平としては初陣にして最後まで立っていられた事には感心している。最も、それを口に出して言う心算は毛頭無いが。

 

「はぁ……華琳様の悪い癖が出た」

「もしかしなくても、華琳ってドSだよね」

「どえす?」

「……言い方は悪いかもだけど、人を虐めるのが好きな人の事」

「なるほど、納得だ」

 

微妙な表情を浮かべながら、王平は未だ言葉攻めを受け続けている荀彧に同情の視線を向ける。

 

荀彧が曹操に虐められ――もとい、追及を受けている理由。それは討伐行に向かう前に交わされた一つの約束が原因となっている。荀彧が曹操に強行軍を提案した際、当然ながら武将達の間で兵糧の量に関して不足する事態が起こり得るのではないかと、ひと悶着あったのだ。しかし荀彧は己の策ならば問題無いと言い切り、結果として討伐行は被害も少なく素晴らしい結果を出す事となった。

 

「しかしまぁ、腹減ったな」

「俺はついさっきまで気絶してたからなぁ……でも、やっぱり俺も腹減ったよ」

 

そう言いながら、空腹に鳴く腹を王平は撫でる。そう、確かに討伐行自体は上手く言った。しかしつい先日の晩、出発前に懸念されていた兵糧不足が発生し、曹操軍は全員朝食を抜く事になってしまったのだ。これには予想以上に兵達の被害が少なかった事と、加えてとある不可抗力があったからである。

 

「だがまさか、許緒があそこまで大食いだとは、流石に俺も予想できなんだ」

「あれだけの量、お腹のどこに入ってるんだろう。軽く十人前は食べてたはずなのに」

 

その不可抗力とは、討伐行の後に改めて曹操軍に仕官をしてきた許緒である。なんと許緒、あの小柄な見た目に反して常人十人前の量の飯を平らげる大食いだったのだ。一度だけならともかく、それが帰還するまでの毎日続けば、もとより少ない兵糧はあっという間に減っていき、気がつけば王平が非常用に用意していた糧食をこれまた秘密裏に解放して事なきを得た事態にまでなったのである。

 

そうして迎えた今朝、朝食を抜いた曹操軍一同は大将である曹操までも例外なく空腹。つまりそれは、出陣前に荀彧が宣言した内容が守られなかったという事になる。ゆえに曹操は荀彧に対して追及を行っていた。

 

「っていうか、俺も糧食の手配手伝ったんだけど、今回どう考えても足りなかったはずだよな?」

「ん、そうか?」

「桂花にこき使われまくって台帳の確認なんかもしてたんだけど、う~ん……俺の記憶違いかなぁ」

 

依然馬に括りつけられたまま器用に首を傾げる一刀に、王平は特に顔色も変えずに応える。

 

「たぶんな。それともなんだ、糧食が勝手に増えたってか? それこそあり得んだろ」

「だよなぁ」

 

一刀は納得しきれていない感じを残しながらも、糧食の話題はそれきりとなる。王平は今回の件は曹操にだけ話す心算でいるので、話題が途切れて安心する。とは言え、曹操はとっくの昔に気付いていることだろう。それでも追及が無いのは荀彧を気遣っての事か、それとも結果が良ければ全て良しと考えているからなのか。

 

「あー、俺も一応は覚悟しとくか」

「何の覚悟?」

「いや、こっちの話だ。と言うか一刀、お前その状態で平気なのか」

 

今更ながらに縄で蓑虫にされている一刀をしげしげと見る王平。対する一刀は困った顔をしてがっくりと項垂れる。

 

「平気じゃないです。出来れば解いて欲しいです」

 

真剣な顔で何故か丁寧に言う一刀に王平は苦笑した。

 

「そうか。まぁ、どうせ城まであと少しだ。そのままの状態でも大丈夫だろ」

「うぉーい!」

「はっはっは、全然問題ないな。しっかり元気だ」

 

馬上でクネクネと悶える一刀とそれを見て愉快そうに笑う王平。そこに荀彧への追及が終わったのか、満足気な顔をした曹操と何故か頬を赤く染め蕩けた表情している荀彧がやってくる。二人の姿に王平は怪訝な表情を一瞬浮かべたが、すぐにそれを引っ込めると曹操に向けて姿勢を正した。

 

「荀彧の事はもう良いのですか?」

「ええ。確かに約束を守れなかったのはあるけれど、今回上げた戦功もあるしお仕置きで済ませてあげる事にしたわ」

「なるほど、お仕置きですか。道理で荀彧がそんな顔をしている訳だ」

「ちょっと、そんなってどんな顔よ」

「さぁてな」

 

蕩けた顔から一転、キッと睨みつけてくる荀彧を王平は軽くいなすと、少しだけ表情を硬くして曹操へと顔を向ける。

 

「それで、俺の所へ来たのはあの件ですか?」

「アレに関しては今回は私の指示だった事にしてあげる。まあ、元は別の理由だったのでしょうけど、結果的に助けられたのだし」

「寛大な処置に感謝します」

 

ホッと表情を緩めた王平が曹操に頭を下げる。話の内容についてこれていない一刀と荀彧は揃って首を傾げていたが、詳細を聞いてくる事は無かった。

 

「ああ、そう言えばもう一つ」

「はい」

 

そうして王平が安心した矢先、曹操が言いながら荀彧の肩を掴みその体を王平の前へと突き出す。荀彧は今にも泣きそうな表情になっているが、曹操自身は実に楽しそうな顔をしている。目の前の状況に訳が分からず、王平は疑問の目を曹操に向けた。

 

「桂花からあなたに言いたい事があるそうよ」

「文若が俺に?」

「ええ。さあ、早くなさい」

「うぅ……桂花よ」

「はい?」

「私の真名よ! 華琳様がどうしてもとおっしゃるから、あなたに預けるわ! いい、仕方なくだからね!」

 

叫ぶようにして半ば自棄気味に言う荀彧に、王平は苦笑を浮かべてそうかと頷いた。

 

「確かにその真名、預かった。俺の真名は聖だ。姓名とどっちで呼ぶかは好きにしてくれ。俺もそれに合わせる。徐晃ともそうしてるしな」

「あれ、聖って烈華と真名交換してたのか」

「当たり前だろう。あれでもそこそこの付き合いだ。まあ、滅多な事じゃ呼ばないけどな。一刀の方は……いや、華琳様経由か」

「ええ、そうよ。聖もこれからは一刀に倣って真名で呼び合うようにしたら?」

「善処はします」

 

即答する王平に、曹操は相変わらずねと苦笑を浮かべた。

 

「それはそうと、許緒はどこの配属に?」

「季衣には私の親衛隊を率いてもらう事にしたわ。季衣!」

「はーい!」

 

曹操の呼ぶ声に元気な返事を返しながら許緒が。王平達の方へと走ってくる。改めてみるその姿は、やはり糧食不足の原因となった大食いには見えない。不思議なものだと思う王平。すると何かを思い出したのか、許緒の方から王平へと近づいてきた。

 

「そう言えば、王平様とはまだ真名を交換してなかったですよね。ボクは季衣って言います。これからよろしくお願いします」

「ああ。俺の真名は聖だ。親衛隊と言えば華琳様を守る大事な役目だ。存分に励めよ」

「はい!」

 

許緒は王平にぺこりと頭を下げた後、今度は一刀の方へと駆け寄って行き何やら楽しそうに話し始める。一刀が兄ちゃんと呼ばれるほど随分と仲の良さ気な二人に、王平はふっと笑みを浮かべた。

 

「一刀もなかなか隅に置けんませんな」

「あら、羨ましいの?」

「そうですな。隊に戻ったら静音に慰めてもらうとします。さて、邪魔にならないうちに、俺はこれにて失礼」

「城に戻ったら、蔵から引っ張り出した量の報告を忘れないように」

「御意」

 

踵を返し王平はその場を後にする。直後に背後でドサリと何かが落ちた音がしたが、特に気にせず王平は殿を受け持っている自分の隊の方へと足を向ける。途中、隊列の位置的に徐晃隊を通り過ぎる際、偶然にも本陣に向け王平とは逆方向に行こうとする徐晃と王平の目が合った。

 

「おう、烈華(・・)。今から華琳様のとこ――おっと!」

 

言い終わる前に突き出された徐晃の拳を王平はしっかりと受け止める。忌々しそうに舌打ちをしながら、徐晃は王平の手を振り払うようにして手を引いた。

 

「大分良くなったが、俺を抜くにはまだまだ甘いな」

「相変わらず受け手だけは厭味な程に達者な奴だな、()。何をどうすればそうなれるのやら」

 

本気で打ち抜く心算であったのか、赤くなった手を摩りながら徐晃はさも不愉快そうな顔をする。そんな徐晃を見て王平はニヤリと口元に笑みを浮かべる。

 

「経験の差だ。悔しかったら精進しろよ小娘」

「ほざいていろ。今にその頸、私が刎ね飛ばしてやる。覚悟しておけ」

「さて、何時の事になるのやら」

 

射殺さんばかりの視線を受けながら茶化す様に言う王平。相変わらずの王平の態度に徐晃はふんっと鼻を鳴らすと、肩を怒らせながらずんずんと本陣の方へと歩いて行った。

 

「ったく、殺す気で打ち込みに来やがって。加減くらいしろっての」

 

徐晃が立ち去ったのを確認しながら王平はそう呟くと、徐晃の拳骨を受け止めた自分の右手に目をやる。王平の掌も徐晃の拳と同じように、拳を受け止めたせいで赤くなっている。先程は何時になるのやらなどと徐晃に言い放った王平だが、その時がやってくるのは案外遠くないのかもしれない。と言っても、徐晃が王平の同僚である限りそんな事はまずあり得ないので、王平としては単純に同僚兼年齢的後輩が自分よりも高みに登りつつある事を嬉しく思っている。

 

少しでも気を抜けば、自分などあっという間に追い抜かされてしまうだろう。徐晃だけではない、新入りである許緒にだってそうである。年長者の意地をつくづく刺激してくれる年下の同僚達を思い、王平は自然と楽しそうな笑みを口元に浮かべた。

 

「お疲れ様です、王平将軍。何か良い事でもありましたか?」

 

隊に戻った王平を迎えた楊鳳がそう言って微笑みを浮かべる。王平はああと頷きながら、次いで少し困った様な顔をして笑った。

 

「新しい風がウチに吹き込み始めてるのを実感してな。これは俺も、うかうかしてはいられんな」

「慢心してたら吹き飛ばされるかもですね」

「上手く言ったつもりか?」

「事実を述べましたが何か」

 

さらりと述べる楊鳳に、王平は苦笑して応える。最近さらに顕著になってきた口達者な所は愛嬌と言う奴だろう。

 

「まあ、確かに間違っちゃいない。慢心せずして何が将か! なんて言えるほど俺に余裕は無いな。油断してたら吹き飛ぶどころか真っ二つだ」

「比喩でも何でもなく、実際それが出来る方達がいますからね。恐らくですが、挽き肉な末路もこれからは追加されるのでは?」

「もう追加済みだ。真名も交換してきた。ちなみにその挽き肉担当は親衛隊に配属だそうだ」

「なるほど、許緒は――いえ、許緒将軍は既に仕官済みですか。しかし親衛隊とは……また随分と要職に抜擢されたようですね」

 

その言葉は暗に許緒が親衛隊を率いるに値するのか、という楊鳳の懸念を遠回しに表したものなのだろう。それを理解しながら、王平はそうだなと真面目な顔で楊鳳の言葉に頷いた。

 

「まあ正直な所、許緒がどこまでやれるのか俺には分からん。とりあえず、許緒の未熟な所は親衛隊の奴らが補佐してくれるだろ。親衛隊はウチの精鋭達が所属してる部隊だしな」

「また随分と楽観的ですね。親衛隊は曹操様を守る最後の盾ですよ?」

「それこそ俺達が相手に抜かせなければ良いだけの話だ。だが、そうだな……確か、親衛隊にはウチの隊から出向した奴が何人かいたな。時々様子を知らせるようそいつらに頼んでおくか」

 

かつて己の隊から出世していった部下達の顔を王平は思い浮かべる。親衛隊だけでなく、王平隊からの各部隊への出向者はそれなりに多い。実働部隊としての経験の豊富さを、各部隊の育成に生かすためである。それゆえ、王平の人脈はかなり広いと言っても良い。今回の戦で王平が糧食を秘密裏に持ち出せたのもその恩恵である。

 

「何はともあれ、これでウチの人手不足も多少はマシになる。恐らくだが、これからウチは更に忙しくなるだろうからな」

「そうなのですか?」

「ああ、確実にな」

 

自領の問題ならばまだしも、今回の戦は他領で起きた問題。朝廷からの勅命で仕方なくとは言え、それに関わった曹操軍には否応無しにこれからも更なる問題が降りかかる事だろう。大陸各地で暴動が頻発する今この時ならば尚更だ。そんな遠くない未来に身震いしつつ、加えてすぐにやってくるだろう山積みの問題を想像し、王平は辟易とした表情を浮かべた。

 

「城に戻ったら部隊の再編。戦死した兵の遺族への対応。戦功をあげた兵への報償。糧食の件で華琳様への報告。うはっ、やる事が山積みだな」

 

なすべき仕事を脳裏に並べ、王平が指折り数えながらぼやく。楊鳳に手伝ってもらう事を前提に考えても、全てを終わらせるにはかなりの時間を要するだろう事は容易に想像できる。休む暇もないとはこの事かと、王平は大きくため息を吐く。意気消沈する王平を見た楊鳳が、仕方がないとばかりに苦笑を浮かべた。

 

「仕事に取り掛かる前に、まずは英気を養わなければいけませんね。食事、帰ったらご一緒します」

「ああ、そうだな。正直、今も空腹でぶっ倒れそうだ」

 

言うや否や、王平の腹がぐぅぅと唸りを上げる。つられた様に楊鳳の腹からもくぅぅと可愛らしい音が響く。城を目前に顔を真っ赤にする楊鳳に、王平はくつくつと笑い声を上げた。

 




原作で言う所の第一章終了でござい。次回は拠点フェイズっぽい話を入れたいなぁ、なんて。現代知識系のネタが使いにくいから、結構苦戦するかもです。というか、本編の時点で既に苦戦中……。転生属性持ちって凄く便利だったのねと痛感。

それでは、次回も宜しくお願いします。感想、ご指摘など心よりお待ちしております。


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第九話

今回は王平と一刀の絡みがメインとなります。
「おい、女の子との絡みは何処行った!」的な非難がGO!GO!な予感がががg

それでは、どうぞ。


「くあ~、やっと区切りがついたな」

 

執務机に並べられた書簡の山を見ながら、王平は盛大に伸びをした。賊軍の討伐から数日が過ぎ、そしてその数日を消費してようやく王平隊の戦後処理が終了したのである。

 

王平は楊鳳と相談をしながら大量の業務を無理のない様に数日に分けて振り分けたつもりであったが、それでもなおかなりの時間を要してしまい、何とか時間の短縮を図った結果、昨日と今日は楊鳳と共に夜通しの作業となっている。

 

気持ちの良い朝日が差し込む王平の執務室であったが、対照的に王平と楊鳳の顔色はあまり優れた様子ではない。特に楊鳳などは、王平よりも数段疲れた表情を浮かべながら、先程まで筆を握っていた腕を揉み解している。それもそのはず、楊鳳は王平が述べた内容の代筆をしていたのだから、肉体的に王平よりも疲労が大きい。頭脳労働的には王平の方が負担が大きかったが、どちらかと言えば人の体は肉体労働の方が疲労を色濃く出すものだろう。

 

筆を置き王平の目がある事も気にせず大あくびをする楊鳳に、王平はすまなそうな顔をしながら労いの言葉を掛けた。

 

「いつもすまんな、静音。お前にはいつも助けられる」

「あふっ……いえ、これが私の務めですから。でも、流石にもう限界、です」

 

言いながら楊鳳がうつらうつらと船を漕ぎ始める。そして楊鳳はそのまま執務机に突っ伏すと、しばらくして静かな寝息をたて眠ってしまった。

 

「やれやれ……」

 

王平は苦笑を浮かべながら、執務室に備え付けられている仮眠用の寝台から毛布を引っ掴むと、それを眠る楊鳳の肩に掛ける。毛布を掛ける際に乱れてしまった髪を王平は手櫛ですいてやると、少し固めの艶やかな黒髪は寝不足のせいか少しだけ抵抗を示し、そして何事もなかったかのように元の真っ直ぐな状態へと戻った。

 

「さて、俺もこいつらを華琳様の所に運んだらひと眠りするか」

 

眠る楊鳳を起こさないよう仕事の成果を脇に抱え、王平は執務室を後にする。起こさなかった事を後で楊鳳にぶつくさと愚痴られるだろうが、それで楊鳳が休めるのならば王平としては安いものである。ただでさえ日頃から世話を掛けている手前、過労で倒れさせるような事だけは絶対にしたくないのだ。

 

扉が音をたてない様に静かに廊下に出た王平は、曹操の執務室へと続く廊下を進み、そして中庭の方へと向かう。王平の執務室から曹操の執務室へ行くには、そのまま廊下伝いに行くよりも中庭を横切る方が早い。

 

時間短縮をしようと廊下から中庭へ繋がる通用口に王平が手を掛け、扉を開けた次の瞬間。王平の顔面に向け、凄まじい勢いで黒い何かが飛来した。

 

「うおっ!?」

 

抱えていた書簡を地面に放り出し、王平は素早く抜刀すると飛来した何かを鞘から抜き様に剣を撥ね上げる事で弾く。ギィィンと嫌な音と共に火花を散らせたそれは軌道を真上に変えられ、天井にビィィンと震えながら突き刺さった。

 

「いきなり何が……って、これ春蘭の七星餓狼か?」

 

王平が弾いた飛来物の正体。それは夏候惇が愛用する漆黒の大剣、七星餓狼であった。当たれば即死確実の品のそれが、一体なぜ城の通用口目掛けて飛んできたのかは甚だ疑問ではあるが、とりあえず命を落とさなくて済んだ事に王平はほっと息を吐く。剣を鞘に納め、散らばった書簡を集めていると、中庭の方から件の剣の持ち主と、もう一人顔を真っ青にした北郷一刀が王平の方へと近づいてきた。

 

「おう、聖か。丁度良かった、この辺りに私の得物が飛んでは来なかったか?」

「ああ、捜し物はこれだろう?」

 

そう言って王平はピッと天井を指さす。当然その先には天井に突き刺さったままの七星餓狼がある。その光景を見た一刀は王平と七星餓狼を交互に見やると、なるほどと一人頷いていた。王平がやった事だと思い至ったのだろう。

 

「いきなりこっち目掛けて飛んで来たんでな。悪いが受け止めてやる余裕が無かった」

「気にするな。元はと言えば全部北郷が悪いのだから……なっ!」

 

言いながら気合を入れ、夏候惇が大剣を思いっきり引き抜く。ザリッと音を立てて剣が抜け、後には溝と少々のヒビだけが残される。これは一体誰が直すのだろうと王平は思った。と言うか、これに気づく人がどれだけいるのかという時点で既に怪しいものだ。屋内で天井を見上げながら歩く人など普通はいない。

 

「それで、一刀は一体何をした?」

 

まあ、そのウチ誰かが気づくだろう。そう思い、王平は事の発端を被害者らしい一刀に尋ねる。

 

「別段何もしてないって。俺はただ後ろから春蘭に声を掛けただけで、そうしたら春蘭が過剰に反応して俺目掛けて思いっきり剣をぶん投げてきたんだよ」

「貴様ぁ、それでは私が一方的に悪いみたいではないか!」

「みたいじゃなくて悪いだろ! あと少し避けるのが遅れてたら死んでたぞ!」

「私は別に気に病む事は無いからどうでもいい」

「いやいやいや……」

 

結果、どうやら何時も通りの事らしい。春蘭の暴走の矛先が、今回は一刀であっただけの話である。ただしその矛先は一刀を越えて王平に向かってきた訳なのだが、そこは付き合いも長い分慣れている。今回の様な事態に巻き込まれるのも、王平は一度や二度ではないのだ。

 

「まあ、たまたま居合わせたのが俺だから良かったものを、もしあそこに立ってたのが女官や文官だったら今頃廊下に真っ赤な花が咲いてた所だ。もう少し気をつけろ、春蘭」

「むぅ、済まない」

 

一応、不注意であった事は意識しているらしく、夏候惇は素直に謝罪する。珍しいものを見たという様に目をパチパチとさせる一刀の頭に、王平はトンっと力のこもっていない手刀を下ろした。

 

「お前もだ一刀。剣を振っている最中の奴に、後ろから声を掛けるな。掛けるなら前からにしろ。そうすれば春蘭も剣をぶん投げたりはしないだろう」

「そうなのか、春蘭」

「そうだな、確かに目の前にいてくれた方が斬りやすくて助かる!」

「すまん、一刀。次に春蘭に話しかける時は死んでくれ」

「ちょ、見捨てないで!?」

 

踵を返そうとする王平の腰に一刀がなりふり構わずがっしりとしがみつく。書簡で手が塞がっている王平は体をねじる事で振り解こうとするが、一刀の予想以上の力強さに苦戦する。意外な所で王平隊に扱かれている成果が発揮された様だ。

 

「くっそ、良い仕事してやがるな歩兵長め!」

「歩兵長だけじゃない。聖が忙しかった間、部隊の色んな人に鍛えてもらってる!」

「なんと!?」

 

一刀が自分の預かり知らぬ所で鍛錬を積んでいた事実に驚く王平。しかしそれも仕方がない事だろう。何せここ数日、王平は政務の方に掛かりきりになっていたのだから。だがその間、一刀は体力の続く限り王平隊に通い、時間さえあれば手の空いている各兵長のお願いをして鍛錬に付き合ってもらっていたのだ。

 

王平隊は多数の小数部隊を編成し纏めたそれを一部隊とする隊編成であるため、部隊長を務める実力を備える人材が多く存在している。ゆえにしばらく王平と楊鳳の両人が調練から離れたとしても、部隊としては十分に機能するのだが、一刀はそんな王平隊の特徴を利用し、隙あらば時間の空いた部隊長に鍛錬を願い出ていた、という訳であった。

 

自分が見てやれない間、王平が一刀の世話を頼んでいたのが、その名の通り歩兵隊を取り仕切る歩兵長であった。しかし一刀の口ぶりからするに、どうやら他の兵長達にも教えを請うているようである。

 

「でも最近、怪我を見てくれる衛生兵長の俺を見る目が爛々としてて怖いんだ……」

「標的を定めたか衛生兵長……」

 

そんな中、話題に上がった衛生兵長二九歳独身女性。最近行き遅れている事を意識し始めたのか、素敵な出会いが無いものかなどと王平に相談に来ていたりする部隊長の一人である。が、どうやら初々しい好青年である一刀に目標を定めた様だ。

 

「まあ、頑張れとしか言いようがないな。とりあえず、手を放してくれ。俺は華琳様に書簡を届ける途中なんでな」

「あ、そうだったのか。悪い」

 

謝罪をし、今度は素直に離れる一刀。騒動の原因だった夏候惇は王平と一刀のじゃれあいに呆れたのか、既に中庭から姿を消している。王平が思うに、大方調練場の方で鍛錬をする事にしたのだろう。

 

「ま、次からは剣を持ってる春蘭には絡まれんように注意する事だな」

「そうするよ。けど、春蘭が剣を持ってない時なんてあるのかなぁ」

「華琳様の閨に呼ばれてる時は持ってないな」

「俺がそこに居合わせるタイミングが想像できないっす」

「たいみ……相変わらず天の言葉はよく分からんが、何となく言いたい事は分かった」

 

確かに一刀が曹操の閨に呼ばれるなど、王平にも想像できない。立場的にもそうだが、曹操が女を閨に呼ぶのと男を閨に呼ぶのとでは色々と意味合いも違ってくる。もしも曹操と一刀が男と女の関係を結ぼうものなら、間違いなく夏候惇と荀彧辺りが狂乱して一刀を殺しに掛かるだろう。

 

「まあ、もし華琳様の閨に忍び込むなら、それなりの覚悟をしておくことだ」

「しないよ!? そりゃ、華琳は俺から見ても魅力的な女の子だけどさ、そう言うのはやっぱり……って、どうかした?」

 

じっと見つめてしまい、訝しげな表情を向けてくる一刀に、王平はいやと首を横に振って微笑を浮かべた。

 

「ある意味、お前は大物かもしれんな」

「へっ?」

「何でも無い。今のは忘れてくれ」

 

そう言って王平は話を切る。もし今の一刀の皆へ態度がそのまま素の一刀の物であるならば、敢えてそれを指摘する必要は無いと王平は思う。立場や階級に囚われずに人と接する事の出来る性格な一刀の存在は、上下関係に固い所のある曹操軍には良い意味で貴重と言える。王平もそれなりに気を遣ってはいるが、流石に主君である曹操に対して一刀の様に気安く話しかける事など恐れ多すぎて出来る筈もない。

 

しかし一刀にはそれが当然の様にできる。曹操だけでなく、夏候惇達であってもそれは変わらない。その柔軟な人付き合いの良さは、厳格な上下関係を強いられるがゆえに殺伐とする事の多い軍という集団において、ある種の癒し的な存在となる事だろう。無論、行き過ぎた人の良さは逆に人に煙たがられる。その辺りの微妙な間を上手く測り得るかはどうかは一刀の手腕次第だが、傍から見るにそれも問題は無いと見える。今思えば、早々に許緒に懐かれた事もその性格に起因しているのだろうと、目の前で首を傾げる一刀を見ながら王平は思った。

 

「さて、俺はそろそろ行く。あまり華琳様を待たせる訳にはいかん」

「分かった。と、そうだ、その後に時間ある?」

「鍛錬の申し出ならまた今度にしてくれると助かる。何せ徹夜明けでな、力加減を間違えるかもしれん」

「そ、そっか。じゃあ、また今度お願いするよ」

「すまんな」

 

踵を返して足早に去っていく一刀を王平は微笑を浮かべながら見送る。恐らく他の部隊長の所へと向かったのだろう。そう予想し、王平はピィッと指笛を鳴らす。すると近場の木の影から軽装の男がスッと姿を現した。

 

「お呼びですか将軍」

「おう、悪いが一刀の事を見といてやってくれ。努力するのは構わんが、無茶して倒れられるのは困るからな。ついでに隊の様子も一緒に頼む。報告は日が落ちてからだ」

「御意に。将軍の方へはまたすぐに人を寄越しますゆえ」

「苦労を掛ける。隠密兵長には宜しく伝えておいてくれ」

「はっ、では……」

 

淀みない動作で頭を下げ、男――王平隊所属の隠密兵は、再び陰に隠れると音も無く姿を消す。王平はそれを見届けると、ようやく本来の目的である曹操の執務室へと足早に歩を進めた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

翌日、昼間に仮眠を取ったおかげで何時もより早く目が覚めた王平は、まだ霞の掛かる調練場へと一人足を運んでいた。理由は目の前に立つ、調練場のもう一人の客人にある。

 

「ったく、お前も熱心だな一刀。まさかこんな時間に呼び出されるとはな」

 

調練場に佇むのは、歩兵隊の装備を纏い模擬刀を携えた一刀であった。一刀は苦笑する王平に、バツの悪そうな顔で頭をかいて応える。

 

「ごめん聖。けど、この時間なら確実に捕まると思ったからさ」

「なるほど、違いない」

 

一刀の言う通り、今は皆の殆どがまだ夢の中にいる時間帯。起きているのは担当の警備兵くらいのものだろう。誰よりも早く起床する曹操でさえも、床を抜けだすのは日がそれなりに昇ってからなのだから。

 

「だが、偶の早起きもしてみるもんだ。空気が澄んでてうまい」

「俺のいた世界じゃ、ここまで空気は澄んで無かったから新鮮に感じるよ」

「そうか。天の世界も良し悪しって事か」

「うん、そうかも」

 

他愛無い話を続ける王平と一刀。ひとしきり語り合った後、一刀は模擬刀を構えるとその切っ先を王平と向けてくる。一刀が王平隊に出向してきてから一月程となるが、その形だけは十分様になっている。その姿に王平は思わずニヤリと口元に笑みを浮かべた。

 

「お前の鍛錬に付き合うのはこれが初めてだが……どうやら、部下達に仕事を一部持っていかれた様だ」

「そう言えば確か、聖は華琳に俺の面倒を任されてたんだっけ。俺、色々勝手にやっちゃったけど、もしかして聖には迷惑だったり?」

「隊の調練の邪魔になってたのなら流石に困るが、そうでないなら問題は無い。まぁ、どちらにしろお前が気にする事じゃないさ。時間もあまりない、そろそろ始めるぞ」

「分かった。ご指導よろしくお願いします」

「ああ。存分に打ち込んで来い」

 

言いつつ王平は左手で模擬刀を構える。それを見た一刀は怪訝な表情を浮かべる。一刀が言わんとしている事を見抜いた王平は、挑発するような顔をして一刀に言う。

 

「言っただろう、手加減はしてやると。いいから来い! 俺に両手を使わせられるかはお前次第だ」

「分かった。……てやぁぁぁぁぁ!!」

 

まずは初撃、一刀が雄叫びと共に剣を上段から振り下ろす。振り上げから振り下ろしまで、ブレの少ない見事な一撃。少々踏み込みが甘いが、戦いの火蓋を切って落すに十分足り得る一撃であった。王平を頭から真っ二つに断ち割るかの如きそれを、王平は剣を寝かせて受け止める。どれほど力がこもっているのか試すのが目的であったが、思った以上に重さのある一撃に、王平は少しの驚きを覚える。

 

「ふむ、初撃は上々だな。だが……ふんっ!」

「うわわっ!」

 

王平が少し力を入れ剣を押し戻すと、一刀はたたらを踏みながら後退する。王平はすかさず間合いを詰めると、体勢の崩れていた一刀の足を容赦なく払う。足という支えを失った一刀が後ろにドテッと見事にひっくり返った。

 

「今ので一度死んだぞ一刀。体重を乗せて重い一撃を放つのは良いが、まだまだ重心の取り方が甘い」

「くっ……うおおぉぉぉ!」

 

立ちあがった一刀が、今度は王平の胴目掛けて剣を薙いでくる。腰を入れ、体全体を使って剣に威力を乗せようと意識しているのか、とても素直な軌道を描くその剣線を、王平は先日の七星餓狼を弾いた時と同じ要領で下段から剣を振り上げ弾く。弾かれた剣に釣られ伸びあがった一刀の胴体に王平は右手の掌底を強かに打ち込む。かはっと息を詰まらせた一刀が、再び後ろから地面へと転がる。

 

「死亡二度目だ。意識するなとは言わんが、意識のし過ぎは逆効果だぞ一刀。どこに打ち込む心算なのか剣線が見え見えだ」

「うぐぅ、がはっげほっ」

 

痛みで体を強張らせ地面に額をこすりつける一刀を、王平は敢えて冷ややかな目で見下ろす。一刀の反骨心に火をつけるためだ。

 

「どうした。お前から頼んでおいて、もう終わりか?」

「ぐぅぅ、まだまだぁぁぁ!」

 

そして王平の狙い通り、一刀は痛みに顔を歪めながらも立ちあがり、ギラギラとした瞳で王平を睨みつけてくる。鍛え甲斐をひしひしと感じさせる一刀の姿に、どうしようもなく王平の顔に獰猛な笑みが浮かぶ。

 

「だりゃああぁぁぁぁ!!」

 

額に付いた泥を拭いもせず、一刀が猛然と打ち掛かってくる。感情が高ぶっている所為か、一刀は腕の疲労をものともしない様子で連続して剣を振るい、その目はただ一心に王平へと向けられている。その様子は、剣を振るうのに夢中で一刀が息をすることを忘れているのではないかと王平が心配になるくらいだ。

 

剣を教えている立場としては、自分との鍛錬に熱中してくれる事は師匠冥利に尽きるが、そのまま気力を振り絞られ、一刀に倒れられては王平も困る。楊鳳との読み書きの学習もそうだが、この後は王平隊での調練も残っているのだ。一刀には体力をある程度温存しておいてもらわなければならない。

 

しかし目の前の一刀はどう見ても鍛錬にのめり込んでいて、言葉で到底止まりそうにない。力強く振り下ろされる一刀の剣からもその意思がはっきりと感じ取れる。

 

――若いなぁ。

 

どこまでも必死な一刀を王平は微笑ましく思う。そんな一刀に水を差すのは王平としても不本意であるが、王平は仕方なくまだまだ連撃を繰り出そうと息巻いている一刀の剣に狙いを定めると、振り下ろされるその瞬間を狙い、一刀の剣の腹に自身の剣を叩きつける。手加減の一切を抜いたその一撃は、甲高い音と共に一刀の模擬刀の刀身を容赦なく叩き折り、肩口から打ち据えられようとしていた一刀の剣は空しく宙を斬って過ぎる。

 

「そこまで!」

 

その瞬間を見計らったように、凛とした響きの声が日の差し始めた調練場に響き渡った。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

日が昇り、町や城内に人気が出てきた頃合い。調練場から町中へと場所を移した王平は、曹操の日課である朝の散歩に付き合わされていた。曹操の左一歩手前を歩く形で付き添う王平の姿は、主君に付き従う部下のそれである。

 

「まったく、華琳様もお人が悪い。お見えになっていたならば一声掛けてくださればよいものを」

 

散歩がてら町の様子を見て回る曹操に、道すがら王平はそう声を掛けた。実は先程の王平と一刀の早朝鍛錬を、曹操は終始二人に声を掛ける事無く陰から見守っていたのだ。本人曰く朝の散歩のついでに気づいたから覗いただけとのことで、実際本当にそうなのだろう。ちなみに一刀の剣が折れた瞬間、鍛錬に区切りをつけた声の主は当然ながら曹操である。

 

「あら? どう考えても無粋だと思ったからこそ声を掛けなかったのだけれど、違ったかしら」

「主君にお声を頂ける事を光栄に思いこそすれ、無粋などと思うはずがありませんよ」

 

顔だけ振り返り言う曹操に王平は端然として応える。しかしその返答がお気に召さなかったのか、曹操の表情が分かりやすく不愉快そうに歪む。

 

「それは曹孟徳の臣下としてでしょう。私は王子均、一個人としての気持ちを聞いているのよ。……というか貴方、分かってて言っているでしょう」

 

何かが表情に出てしまっていたのか、不愉快そうな表情から一転、曹操がジトっとした目を王平へと向けてくる。しかし王平は悪びれずに「はい」と頷いた。元より隠す心算も無い、部下から上司へのちょっとしたいたずらという奴である。

 

「まあ確かに、俺としては最後まで黙って見ていてくれた事を嬉しく思います。変に気を張らずに済みましたんで。一刀にしてもそうでしょう」

「なら私の判断は間違っていなかったという訳ね。それでどう? 聖から見た一刀の感想は?」

「今日初めて相手をしましたんで、まだ何とも」

「……そう言えばそうだったわね」

 

王平の言わんとすることを理解したのか、曹操は呟きながら納得した風に首を頷かせる。王平が一刀の世話を曹操に頼まれたのは遠征から帰還した翌日。しかしその数日後には朝廷からの勅命である賊徒討伐に駆り出され、また戦を終えて城に戻っても戦後処理でこれまた数日間は政務に掛かり切りならざるを得なかった。

 

つまり王平には世話を命じられはしたものの、一刀の面倒を見てやるほどの暇が無かったのである。全ては間が悪かった、と言うしかないだろう。

 

「まあ、俺が見てやれない分、一刀は自分で兵長達に鍛えてもらっていたようですが」

 

何気なく言った王平の言葉に曹操が俄かに厳しい表情を浮かべる。それは曹操が、王平個人に任せたはずの一件が、いつの間にか王平隊全体を巻き込んでの事態になっている事に懸念を覚えたからであった。

 

「それは隊として問題無いのかしら。調練に支障は出ていないでしょうね」

 

しかしそれに気付かない王平ではない。ゆえに昨日、一刀の去り際に隠密を一人付けたのだ。剣呑さを含んだ曹操の問い掛けに、王平は怯むことなくあっさりと応えた。

 

「昨日ウチの隠密一人を一刀につけて様子を観察させましたが、特に問題は無いようです。強いて言えば兵長達の暇が一刀との鍛錬で潰されてしまう事ですが、本人達が望んでやっているそうなので問題は無いでしょう」

「そう、なら良いわ。けど兵長達には後で何らかの褒章を用意しておきなさい。勿論、費用はあなた持ちでね」

「御意に。まあ、それくらいの給金は貰っていますんで」

 

曹操の言葉に王平はしっかりと頷く。元々曹操に言われるまでも無くしようとしていた事であるし、実際王平の棒給は将軍をしているだけあって多い。兵長の数が多い王平隊の事を考えれば、いつもならば王平も容易には頷けないが、遠征に出向いていた分の給金が今回は手付かずで残っているため懐事情的にも全く問題は無い。

 

とりあえずは次の給金の割り増しでもするかなぁ、などと王平が考えている内に、気が付けば回りまわって王平達は城の前へと戻っていた。

 

「それじゃ、私は先に仕事へ戻るわね。散歩に付き合ってくれた事、礼を言うわ」

「お役に立てて何よりです。ただまあ、次回からは一刀の奴でも誘ってやって下さい。天の知識とやらを聞きながら町を歩くのもまた一興でしょうから」

「気が向いたらね」

 

王平の提案をさっと流して曹操は城の中へと消えていく。それを見送った王平もまた苦笑を浮かべながら、既に副官が待っているだろう執務室へと足を向けたのだった。




さぁーて、今作のモブキャラ達は?

衛生兵長
王平隊所属の衛生兵を纏める兵長、二十九歳独身女性。最近自分が行き遅れているのではないかと感じている。出向してきている北郷一刀に標的を定めているらしい?

歩兵長
同じく歩兵隊を纏める兵長。王平が忙しい間の一刀の鍛錬の相手を務める。本文中に描写は無いが、こちらは男。

隠密兵長
同じく隠密兵を(ry
今回は名前だけ登場している。


オリキャラまでは行きませんが、兵士A的な立ち位置で、今後もモブキャラとして登場する予定です。兵種の数だけ兵長はいる……。

それでは、次回も宜しくお願いします。
感想、ご指摘、誤字報告などありましたらどしどしお願いします。


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